恋姫無双~劉禅の綱渡り人生~
劉禅、身投げする
俺は今、成都城の城壁の端に追い詰められている。俺を追い詰めているのは、関羽など歴戦の勇者達だ。
「劉禅殿、おとなしく捕まってください」
見事な黒髪を靡かせながら、関羽が俺に詰め寄る。正直言って、勝てる気がしない。関羽一人でも厄介なのに、さらに近くには隙あらば何時でも俺を捕らえようと、張飛も控えている。
「往生際が悪いのだ。早く降参するのだ」
張飛がそう主張する。残念だけど、俺はここで捕まるわけにはいかない。こんな馬鹿げたことでこいつらに捕まってたまるか。
しかし、絶体絶命な状況に変わりは無い。少し離れた所では、天の御使いを自称する北郷一刀がうっすらと笑みを浮かべて俺を見ている。
「おいおい、いい加減諦めろよ、『烈』」
北郷が俺の真名を言う。挑発行為だと解っていながら、そのことに俺は逆上した。
「お前なんかに真名を預けた覚えはねえ!」
俺は持っていた剣を北郷に投げつける。北郷は多少驚きながらも剣を交わした。これによって俺の身を守るものは一切無くなってしまった。
「劉禅殿、覚悟っ!」
関羽が俺に迫る。俺は関羽に背を向け、城壁から飛び降りた。
*****
俺は中山靖王の末裔として、この世に生まれた。と言っても、俺自身、何かを自覚していたわけではない。ただ、漢の再興を目指す劉一族の長男として生まれた為、幼い頃から戦乱を間近に見る機会が多かった。
そんな俺に、父はいつもこう言っていた。
「烈、桃香を支えてやるんだぞ」
アレは少し残念な子だからな、と父はいつも言っていた。桃香とは、俺の姉の事だ。正直、弟である俺から見ても、頭の中身が平和ボケしているとしか思えない。何せ、自分の目指す世界を、『皆が笑って暮らせる世の中』と言っているくらいだからな。
正直、それは天地がひっくり返っても不可能だと思う。それでも桃香は真剣だった。また、そんな姉の人柄を慕って次々と人が集まってきた。
(この姉なら、もしかしたら――)
一時期は、そんな期待を密かに持っていた。しかし、そんな俺の思いを見事に潰した奴が居た。北郷一刀だ。
義勇軍を率いている頃はまだ良かった。桃香も自分の理想を実現しようと必死になっていたから。
しかし、蜀を建国してからは、変わってしまった。
北郷は周囲の女性を次々に虜にしていった。それによって蜀の重臣達の大半が浮かれ、政務が滞ってしまうようになったのだ。桃香も北郷の虜になり、四六時中ベッタリだ。これでは、建国までに犠牲になった人々に顔向けできる訳がない。
(姉上、皆が笑える世の中を作るんじゃなかったのかよ)
最早、俺の声は姉に届かなくなっていた。北郷は桃香を始めとして周囲の女と子作りに励んでばかりだ。しかも、天の御使いを自称し、自身を『ご主人様』と呼ばせている。これは劉一族を冒涜しているとしか思えない。桃香はそれに気付いているんだろうか。
子作りも立派な主君の務め。北郷ならこう主張しそうである。しかし、残るのは北郷の血筋であって、劉家の血筋ではない。
城内ではもう笑えない状況になっている。政務の負担が一部に流れ、家臣達の間で不満が募り始めている。しかし、俺はこの状況を変えることが出来なかった。女尊男卑の風潮が強い世の中、俺の意見は取り上げられないことが多かった。
この状況が嫌になり、次々に辞めていく文官達。新たに登用しても、入れ替わりが激しく、これでは政務にならない。
そして、俺にとって決定的な事件が起こる。俺の許婚だった女性に北郷が手をつけたのだ。一体あいつは何様のつもりなのか。
(北郷を潰すしかない)
俺はこのように決意した。
*****
しかし、計画は見事に頓挫した。そして、反逆者として味方は次々に討たれ、俺自身も成都の城から身投げをする羽目になったのである。下は断崖絶壁だ。到底助かるとは思えない。それでも、北郷らに捕まるよりは数倍マシだ。
(悪い親父。遺言守れなかった…)
俺は落ちながら、亡き父に謝罪していた。不思議なことに、死に直面しながらも走馬灯は見なかった。
劉禅、助けられる
「桃香、ごめん。劉禅を捕まえられなかった」
北郷は桃香に謝罪した。
「……そっか。出来れば話し合って解決したかった。話をすれば、ご主人様のことも分かってくれると思ったのに」
「それは無理だよ桃香。劉禅は僕をかなり嫌っていたからね。真名も預けてくれなかったし」
「それでも、烈が身投げしたのは悲しいよ。あれでも私のたった一人の弟なのに……」
「桃香、泣かないで。代わりといってはアレだけど、僕が桃香の傍にいるから」
「ご主人様……」
桃香は北郷の胸に顔を埋め、思い切り涙を流した。
数刻後、北郷の自室にて。
「一刀様、劉禅の死体は見つかりませんでした」
北郷はとある兵の報告を受けていた。
「やはりそうか。草の根を分けても、劉禅を探し出せ。そして、生きていたら内密に殺してくれ」
「……しかし良いのですか? あれでも劉家の血を引く公子では」
「かまわない。あれは蜀を滅ぼす人間だからな。国の為ならば仕方ないだろう」
「承知しました」
北郷の密命を受け、兵は出て行った。
(史実とは少し変わっているが、劉禅という男は蜀を滅ぼす原因を作った暗君だったはず。劉禅には死んでもらうよ)
北郷は部屋で一人、笑みを浮かべていた。
*****
目が覚めると、知らない天井が広がっていた。
「……俺、助かったのか?」
身体を起こそうとすると、脇腹などに激痛が走る。どうやら俺はまだ生きているらしい。
「おや、気がつかれたかの」
横から声をかけられ、俺は視線を走らせる。すると、俺が寝かされていた部屋の入り口に一人の老人が立っていた。
「貴方が俺を助けてくれたのですか?」
俺は老人に問いかける。俺の問いかけに対し、その老人は笑いながら言う。
「お主が川から流れてきたときは驚いたわい。最初は死体かと思ったぞい」
どうやら俺は、成都城のそばを流れる川に流されたらしい。川に飛び込んだ覚えはないんだが……。
「助けていただいてありがとうございます。それで、ここは何処なのでしょう?」
「ここは益州巴郡から少し西に外れた村じゃよ」
ふむ、蜀のど真ん中か。それなら長居は危険だな。俺の死体が見つからないとなれば、あいつは俺を探させるに違いない。このまま此処に居ては、すぐに北郷の手の者に捕まってしまうだろう。そうなったら、今度は本当に御陀仏だ。
「ご老人。助けていただき感謝する。俺はもう発ちます」
痛むからだに鞭打って無理やり立ち上がる。
「お若いの、無理に出て行くことはあるまい。しばらく此処に居て、傷を治すがよかろう」
「しかし、いつまでも此処に居ては……」
「お主が反逆者だからか、劉禅殿?」
老人がうっすらと笑い、俺に問いかける。俺は全身に鳥肌が立ったのを感じ、サッと老人を睨む。
「警戒せずともよい。ワシは密告する気はないわい」
そう言って老人は笑う。
「俺をかくまって大丈夫なのか?」
「おとなしくしておれば大事ない。ワシの家は村から少し外れておるからのう」
「なぜそうまでして俺をかくまう?」
俺は警戒を解かずに問いかけた。
「なあに、ワシの自己満足じゃよ。年寄りのやることじゃ、有難く受けるが良い」
俺の刺すような視線も気にすることなく、老人は笑い飛ばした。
しかし、平穏は長く続かなかった。老人が人を匿っていることは村で噂になり、俺が意識を取り戻してから十日後、成都の兵らしき者どもが数人押しかけてきたのだ。
「老いぼれ、正直に言わぬと痛い目を見るぞ」
「ふん、お前らに媚びるワシではないわい」
「この死にぞこないがっ!」
兵達は散々に老人を殴りつける。それでも老人は弱音一つ吐かない。
(もう見てられるかっ!)
俺は物陰から飛び出していって、兵を殴りつけた。
「居たぞ、劉禅だ!」
兵達は俺の名を叫び、包囲する。
俺は後先考えずに飛び出していったので、武器は持っていない。
(やっちゃったな俺)
斬りかかってくる兵を避けるのに必死で、とても反撃なんて出来ない。俺って馬鹿だよな。
「若いの、これを使えっ」
すると老人が包囲の外から突っ込んできて、何処から持ってきたのか一振りの剣を俺に託した。
「邪魔だ老いぼれっ」
兵の一人が老人の背に斬りかかった。俺の目の前で血しぶきがあがる。
目の前で老人が倒れる。それを見た俺は、逆上して老人を殺した兵を斬った。
あとの事はよく覚えていない。
気がつけば、周囲は兵が倒れており、皆事切れていた。
(全部、俺がやったのか)
手に持った剣を見ると、血糊で汚れてしまっていた。
「……若いの」
弱弱しい呼びかけに、俺は現実に戻された。声のした方を見ると、老人が俺を呼んでいた。
「今手当てをする」
様子を見ると、かなり流血している。早くしないと、手遅れになってしまう。しかし、傷はあまりにも深く、出血を止めようがない。
「……ワシはもう助からん。それより、聞いてくれ」
「ご老人、何故そこまでして俺を助けたのだ?」
「……お主が、ワシの死んだ息子に似ておった」
老人が話し始める。
「……息子は国の為に戦争に駆り出され、死んだ。しかし、この国の主は快楽に走り、ワシら下々の者らを気にかけてはくださらなんだ」
「いいからしゃべらないでくれ。手当てが出来ない」
俺は老人の話を止めようとする。しかし老人は話し続けた。
「……息子は何のために死んだのか。劉禅殿、頼む。この国を、変えてくれ」
「おいご老人、気を確かに持て」
俺は老人の声に力が無くなっていくのを感じ、必死で呼びかけた。
「……劉禅どの、頼む」
しかし俺の呼びかけも空しく、老人は天に召されて逝った。
「国を変える、だと……」
老人は俺に頼みごとをして逝った。しかし、俺にはどうしていいか分からない。ただ一つ言えるのは、北郷が元凶であるということか。
北郷には借りがある。俺の真名を勝手に呼んだこと。許婚を奪ったこと。奴だけは、必ず殺す。
俺は、老人が持ってきた剣を握り締めた。
「……この剣、貰ってくよ」
劉禅、仲間を得る
「一刀様、申し訳ございません。劉禅を取り逃がしました」
「何だと。手練の者を選んでお前に与えたのだぞ!」
腹心の部下の報告に、北郷は苛立った。
「申し訳ございません。しかし劉禅は予想以上に手強く、皆斬られていました。劉禅の行方は今のところ不明です」
部下の報告に、北郷は考え込む。
(愛紗よりは少し劣るという評判だったから手練の者十数人で充分だとおもったが、意外に強いな)
今まで如何に自分が見る目が無いというか、女しか見ていなかったのかが分かる。これは劉禅に対する認識を改めねば、と北郷は考え始めていた。
「わかった。劉禅の行方がわかったら、お前が直接行け。お前なら、劉禅に勝てるだろう?」
「承知しました。必ず劉禅をこの手で始末して見せましょう」
北郷の部下は一瞬のうちに姿を消した。
*****
旅から戻る途中、普浄は一人の賊と遭遇してしまった。今まで賊に遅れをとった事は無く、軽くあしらうつもりであったが、敵の方が上手であり、次第に追い詰められていた。
(この賊、予想以上に強い)
滅多に見ない武に、普浄はだんだん焦りの色を強くする。
「いい加減あきらめろ。おとなしく金目のものを出せよ」
ジリジリと賊は迫ってくる。そして普浄に向かって剣を一閃させた。普浄は持っていた鉄棒で防ぐも、賊の一撃によってはね飛ばされ、丸腰になってしまう。
「死ね」
賊は剣を振り下ろす。普浄は死を覚悟して目を閉じ、斬られるのを待った。しかし、その一撃は来なかった。
目を開けると、一人の男が普浄を庇うように立ち、剣で賊の攻撃を防いでいた。
「何だお前は!」
賊は突然現れた男に対し、斬りかかる。それに対して男は、一振りで相手の剣を根元から斬り折り、返す刀で両手首を斬り落としたのだが、普浄には男の動きがはっきりと見えなかった。
(……すごい)
その男は賊をあっという間に倒してしまった。
「間に合って良かった。無事か?」
俺は呆然としている男に尋ねた。
「ええ。助けていただいてありがとうございます、劉禅様」
男は助けてもらった礼を言う。
「俺のことを知っているのか」
俺は驚いて言う。
「はい、貴方は有名ですよ。関羽殿に匹敵するほどの武を持ち、御使い殿に反逆するほどの気概の持ち主だと」
(……俺は関羽には勝てなかったんだけどな)
俺は内心で呟く。
「それに、私は一度、貴方を成都でお見かけしたことがありますから」
(北郷を殺す為に成都の近くまで戻って来たんだが、これじゃあ俺が先に捕まってしまうな。戦ではあまり表に出なかったから民には顔は割れてないと思っていたが、案外知られているようだな)
俺は普浄の言葉を聞いて考え込む。しかし普浄は気にせず話し続けた。
「劉禅様。もしよろしければ、私の村まで来ませんか。御礼ぐらいはさせていただきたいと思います」
普浄に連れられて、俺はある村にたどり着いた。
「普浄様、ご無事で何よりです。で、この方は?」
この村の村長らしき人も出迎える。
「この方は私を賊から助けてくれた命の恩人です」
「そうですか。普浄様を助けていただいてありがとうございます」
村長は俺に頭を下げた。
「普浄どのはこの村で大事にされているようですね」
「そりゃあ、普浄様は以前、私どもを賊から守ってくださいましたから」
村長は胸を張って言う。
「そんな大げさな。賊って言っても、たった十人程度ですよ」
「それでも、武力を持たない私たちにとっては一大事ですよ。普浄様はこの村の恩人なんです」
「やめてくれ、恥ずかしい!」
普浄は照れて叫んだ。
「普浄様、お帰りなさい」
普浄の家に着くと、数人の子供が出迎えて普浄にしがみついた。
「ただいま。客人が来てるから、今日は家の中では静かにな」
「はーい」
子供達は普浄に返事をして、外へ駆けて行った。
「普浄どの、あの子らは?」
俺は部屋に案内されると、普浄に尋ねた。
「戦や賊によって親を失った子らです」
「戦や賊か……」
普浄は一息ついて、話を続ける。
「貴方の前でこう言うのもアレですが、劉備殿や御使い殿の失策のせいで、いまや成都の周囲では賊がはびこる状態です。劉備殿が要らぬ情けを賊にかけた為、賊が増長してしまったのです。私は、賊に情けをかけたのは最大の失策だと考えています」
「普浄どのは随分と手厳しいですな。賊とて同じ人であろう?」
俺は普浄の言葉に少し驚く。
「私にとって、情けをかけるべき相手は、この子供達であり、悪人にかける情けはありません。たしかにやむを得ず賊に身を落とした人もいるでしょう。しかし民を手にかけた事実は消えません。民の為にも、賊は見逃すべきではありません」
「……たしかにな」
普浄の意見に俺は納得する。
「今や蜀の中枢は腐りかけています。御使い殿は女に溺れ、武官も御使い殿に骨抜きにされ、軍部はダラけた状態です。政治も孔明殿、ホウ統殿に任せきり。これでは民は不安です。劉禅様、御使い殿を討ち、私たちでこの国を変えましょう!」
「国を変える、か……」
俺は呟いた。今まで見てきた村は、どこも賊に怯えながら暮らしていた。たしかに孔明やホウ統達の政策で成都の街は活性化しつつある。しかし人材不足の為、地方にまで行き渡っていない。また軍部が腐りかけている以上、そろそろ変革が必要かもしれない。
北郷を斬って、桃香の目を覚まさせる。それでもダメなら、俺が桃香の代わりに皇帝になる。
「普浄どの。俺と一緒に来てくれるか」
普浄は、俺の問いに笑顔で答えた。
「はい。喜んで」
劉禅、女装する
「――様、ついに劉禅を見つけました。しかし、劉禅の傍に普浄とか言う若者も居るようです」
「邪魔だな。しかしむやみに殺生する訳にもいかんしな。劉禅が一人になった所を狙うから、引き続き監視を頼む。ただし、決して我らの存在を余人に悟られるな」
「しかし、良いのでしょうか。反逆者とはいえ、劉禅は劉備様のたった一人の弟なのでは……」
「お前が気にすることではない。我らは一刀様によって取り立てられたのだ。我らは一刀様に報いる義務がある」
*****
「劉禅殿。何かこの村、様子がおかしいですね」
「ああ。住民に活気がなさすぎる」
俺と普浄は、旅をしていた。北郷を討ち国を変える為、一人でも多くの味方を探していたのだ。
おそらく北郷は俺を探しているだろうから、いったん魏に亡命するという考えもあったのだが、それはすぐに捨てた。
普浄によると、魏は男性排他的な風潮があるらしく、特に荀彧とかいう女は男嫌いで有名だ。一説によれば、荀彧は世の中の男を全て滅ぼすことも考えているとか。俺も荀彧と会ったことがあるが、さすがにそれは言いすぎ……とも言えないのが悲しい。まあ、あんな百合百合しい陣営に転がり込むのは勘弁して欲しい。
呉は蜀と同盟を結んではいるが、自分達の土地さえ守れればいいという考えなので、絶対に蜀には介入して来ない。だから呉に転がり込んでも援軍は期待できない。
ならば選択肢は一つ。自分の力で国を変える。その為に同士を募ることが最優先となった。さすがに二人だけでは北郷その他複数の武官に対抗できないから。
しかし、なかなか成果は出なかった。当然である。誰が好き好んで関羽や張飛といった歴戦の武官を相手にしたいと思うだろうか。
そんな経緯を経て、俺らはある村に流れ着いたのだ。
「賊、ですか……」
「そうです。毎月この村の一人の娘を差し出せと、賊が迫ってくるのです」
村長の家を訪問すると、この村が賊によって危機に晒されていることがわかったのだ。
「……そして今月は、我が娘が生贄となる番なのです。私は、どうしたらいいか」
「今まで何もしなかったのか? 近くの県の役人には相談しなかったのですか?」
俺は泣き言ばかり言う村長を問い詰める。
「相談しましたとも。しかし近くの県も賊の被害に会っていて余裕がないとのことで……」
村長は涙ながらに語る。
俺は正直これほど酷い状況だとは思わなかった。桃香の、賊に対する甘い対応がここまで増長させていたとは。しかし、何かがおかしい。ここまで賊の数が多いことに俺は疑問を感じていた。
「劉禅殿、どう思いますか?」
どうやら普浄も疑問を感じたようで、俺に聞いてきた。
「どこの村もそうだが、賊に悩まされている所があまりにも多すぎる」
これが俺の正直な気持ちだった。確かに桃香は甘い。賊にさえも情けをかけようとする。しかし、配下の武将全員が甘い訳ではない。賊退治でそれなりの成果は挙げているし、孔明達も蜀の特産品の専売など、国を富ませる為の努力はしているのだ。生活に困窮して身を堕とすには、賊の数が多すぎる。
「これは、少し調べてみた方がいいかも知れないですね」
普浄が考え込む。
「だが今は、目の前の賊をどう潰すか、だな」
「それについて、私に策があります」
劉禅の言葉に普浄が返す。その言葉を聞いた村長が期待に満ちた目で普浄を見た。
「おお、策があるのですか!」
「はい。賊にも頭が必ず居るはずです。だから、その頭さえ潰せば賊は四散するでしょう」
「……おい、どうやって潰す気だ?」
俺は普浄に問いかける。頭を潰すと簡単に言っているが、賊の数は五百以上と聞いている。こっちは少人数なのだ。
「貴方が乗り込むんですよ」
普浄は事も無げに俺に言った。
「おい! お前は俺に死ねと言うのか!」
二人どころか俺一人だと! 一人で五百の賊を相手にして、なおかつ頭を潰すなんて関羽でも無理だぞ。あの趙雲も以前に同じ事をして死に掛けたんだぞ!
「何も真正面から突っ込むなんて言ってませんよ。そんな事をしたら命がいくつあっても足りないですよ」
「そうか。で、どうやって賊の頭に近づく気だ?」
俺がそう聞くと、普浄はニヤリと笑った。
「娘の身代わりになるんですよ。貴方は中性的な顔ですから、見破られることはないでしょう」
「…………は?」
「……屈辱だ」
俺は輿に揺られながら憮然としていた。まさか、自分が女装する日が来るとは思わなかった。
「似合ってますよ、劉禅殿」
ニヤニヤしながら普浄が話しかける。最早悪意しか感じない。
普浄の策はこうだ。まず女装した俺が頭を討ち、混乱に乗じて普浄が村の若者百人を率いて奇襲をかけるというものだった。単純すぎる。だが、訓練されていない者を率いるのだから、単純な方が良いのかもしれない。
しかし、屈辱である。恥ずかしくて顔を上げられない。
「そこで止まれ!」
賊に指定された場所に着くと、そこには多数の賊が居た。ざっと二百人ほどか。
「輿を置いて、そのまま去れ」
言われたとおりに村の者は輿を置いて去る。
「……劉禅殿、気をつけて」
去り際に、普浄が俺にささやいた。心配するなら、俺を死地に追い込むなよ。
そして、俺は賊のアジトに連れて行かれた。
劉禅、賊と戦い忍びと会う
俺が連れて行かれたのは、洞窟の中だった。確かに、ここなら人にあまり知られていないし、守るのに適している。
俺は洞窟の内部の様子を窺い続けた。洞窟の中は入り組んでおり、分かれ道も複数存在する。下手に動き回ると迷いそうだ。
洞窟の奥まった所に、賊の頭は居た。かなり大柄な男であり、周囲を四人の側近で固めている。
「おう、連れてきたか」
「へいっ」
俺を担いでいた賊たちは、頭の前に俺を降ろした。
「ほう、今回の女は肝が据わっているようだな。大抵は怯えるか、許しを請うものだがな」
冷静に周囲を窺う俺を見て、頭は不思議そうな顔をする。
「単に恐怖で動けないだけじゃないですか?」
子分たちは笑って言う。
「いや、目が落ち着いてやがる。何か嫌な感じだ」
頭が探るように俺を観察する。
(もう少し、近づいて来い。一撃で殺してやる)
俺は密かにそう思いながら、いつでも動けるようにこっそりと身構える。武器は、懐に忍ばせている短刀のみ。失敗は許されない。
しかし、頭はあまり近づいて来なかった。
「どうも変だな。この女、お前らにくれてやる! 存分にやっちまっていいぞ」
「お頭、いいんですか!」
頭の言葉に、数人の賊が歓声をあげた。
(こうなったら!)
俺は素早く地面を蹴り、一気に頭に突っ込んで行った。
「お頭っ!」
賊たちが叫ぶ。しかし、誰も急のことで動けない。それは頭も同じだったようで、あっさりと俺に腹を刺されて倒れた。
「……ぐっ、女……貴様」
頭は状況を理解すると、俺を睨みつけた。
「悪いな。俺、女じゃねえんだ」
俺は素顔を晒し、頭に止めを刺した。
「賊だっ! 賊が出たぞっ!」
(おいおい、自分らを差し置いて賊呼ばわりかよ……)
頭を討たれた者どもは騒ぎ出す。もちろん、見逃す筈がない。下手に抵抗される前にと、劉禅は近くにあった刀を手にして賊を斬って回る。
しかし、その場に居た賊全員は討ち取れず、一人を逃がしてしまった。
「そろそろ行きましょう」
普浄は、村の若者百人とともに賊のアジトへと向かった。
道は、劉禅が目印を密かに落としていたから迷うことは無かった。彼らは迷うことなく洞窟の近くまでたどり着いた。
「行きますよ」
時間から考えて、そろそろ劉禅が内部で暴れている頃だろう。あまり突撃が遅くなると、劉禅が本当に死んでしまう。
普浄は先頭に立って洞窟に突っ込んでいった。
「何だお前らは!」
洞窟内部に入った直後、武装していた賊が普浄達を見咎めた。普浄は答えることなく、その賊を棒で叩き伏せた。
「見事に入り組んでますね」
洞窟内部に突入するが、分かれ道がいくつもあり、まるで迷路のようだった。
「……これは、劉禅殿を探すのに手間取りそうですね」
「くそっ、何だこいつら」
俺は、多数の賊に追い込まれ、焦っていた。
機先を制して頭を討ち取った後、洞窟を脱出すべく動き回っていたのだが、頭の死を聞いた子分たちが向かってきたのだ。たかが烏合の衆であり、頭さえ無くなれば蜘蛛の子を散らすように逃げると予想していただけに、この状況は大変な誤算だった。
しかし、洞窟内部での戦いなので、勝算が無い訳ではない。洞窟の、特に狭いところを選んで戦えば、囲まれることは無い。つまり、背後を気にせず戦えるということだ。この狭さなら、同時に来られてもせいぜい二・三人程度だ。その程度なら問題ない。さっきまでは、そう思っていた。
今、俺の背後には五人の女が居る。これまでに攫われてきた村の女だろう。戦いながら出口を探して動き回り、偶然入り込んだところに、その女達は居た。はっきり言って、戦うにはかなり足手まといになっている。しかし、見捨てていくわけにはいかないのも事実だ。
しかも、状況が変わってきている。賊達はまともな武では敵わないと見たのか、むやみに攻撃してこなくなったのだ。
(やっぱり、そんなに甘くないよな……)
俺は内心で呟く。これだけの人数が居れば、頭の回る奴だっているだろう。
「油をぶちまけて、火矢を打ち込めっ!」
ついには、そんなことまで言い出す奴も出てきた。
(拙い、そんなことされたら終わりだ)
「俺の後について来い!」
俺は背後の女達に声をかけ、飛び出した。最早狭いところで迎撃、なんてやってられない。俺は火矢を打ち込まれる前に、賊の集団に突っ込んで行った。
斬って、斬って、斬りまくる。しかし、これで状況が変わる訳ではない。有利な地形を捨てるということは、それだけ危機にさらされる機会が多くなるということである。さらに、背後の女達も気にしなければならず、俺はあの呂布のような古今無双の武将でもない。頬を切先が掠め、脇腹を浅く斬られ、あるいは左腕を刺される。急所は何とか外しているものの、見る見るうちに俺は傷だらけになっていった。
それでも俺は、何とか賊を蹴散らす。しかし、五十人程斬ったところで、俺は動きを止められてしまった。
「へへっ。おとなしくしないと、この女殺すぞ」
賊の一人が、女を人質にとったのだ。その賊が背後に回りこんできたのは気付いていたが、多勢に無勢で、どうすることも出来なかったのだ。
俺は剣を捨てた。普浄は、まだ来ない。一人で賊を全滅させる自身が無いうえ、人質をとられてはどうしようもない。
しかし、何かがおかしい。今までの経験上、普通賊は頭を失えば四散するのだが、こいつらは猛然と向かってきている。
「よくも好き放題やってくれたな。絶対にゆるさねえ。じわじわ嬲り殺しにしてやる」
賊がそう言った時、ふいに何かが飛来し、女を捕らえていた賊の額に刺さった。その様子を見た他の賊は、慌てふためく。解放された女は、すぐにその場から駆け出し、俺の背後に隠れるようにしがみ付く。
最初は普浄が来たのかと思ったが、どうやら違うようである。現れたのは、一人の黒装束だった。ご丁寧に、素顔まで覆面で隠している。
「この野郎!」
残りの賊が覆面に斬りかかる。しかし、瞬く間に全員、覆面に斬り殺された。
「……お前、何者だ?」
俺は覆面に問いかける。こいつ、賊だけでなく俺にも殺気を向けているところを見ると、どうやら味方でもなさそうだ。
「劉禅。お前の命、この俺が貰い受ける」
その人物は、俺に向かって武器を向け、宣言する。背後では、ヒッと女達が短く悲鳴をあげ、へたり込む。
(今度こそ終わったか)
俺には戦えるだけの余力が残っていない。残っていたとしても、あの覆面の武を見た後では、到底無事で済むとは思えなかった。
「……忍び、か」
俺が見たこともない武器、特徴的な姿。今思い出したが、確か北郷直属の戦闘集団の特徴と、目の前の男が一致するのではないか。北郷はその集団のことをこう呼んでいた。――『忍び』と。
だとしたら、俺はもう助からないだろう。俺は死を覚悟した。
しかし、幸運というか、悪運が強いというか、またしても俺は九死に一生を得ることになる。
「劉禅殿ー」
この期に及んで、普浄がやっと追いついて来たのだ。その背後には、村の若者達も控えている。
「……邪魔が入ったか」
覆面は舌打ちをすると、何かを地面に投げつけた。白い煙が湧き上がり、視界が塞がれる。俺は覆面の攻撃を警戒したが、いつまでたっても攻撃は来なかった。そして、視界が晴れたとき、覆面は忽然と消えていた。
「劉禅殿、あの者は? 一体何が?」
普浄は俺に問いかけたが、俺は答えなかった。
とある忍びは大いに悩み、劉禅は城に拉致られる
「劉禅殿、あの者は? 一体何が?」
普浄の問いに俺は答えなかった。いや、答えられなかったと言うべきか。何故なら、衝撃のあまり考え事に没頭してしまっていたから。
俺は初めて『忍び』と接触して、戸惑いもあったのだ。話には聞いたことがあるが、そんな荒唐無稽なこと出来る訳が、と思っていたのだ。また、一切表に出てこなかったので、存在すら疑っていた。まさか本当に居たとは。
「劉禅殿、聞いているのですか!」
耳元で叫ばれ、俺は我に返る。普浄がこっちを見つめていた。
「一体何があったのです? あの者は何なのです?」
普浄にとっても信じられなかったのだろう、目くらましとともに、一瞬で姿を消した者のことが。洞窟の出口に続く道は自分達で埋まっていたのに、誰にも気付かれずに消えたのだから。
「……北郷の手の者に殺されそうになった」
俺は、それだけを答えた。
「御使いが! しかし、あのような妖しい術を使う者など聞いたことが……」
「あれは『忍び』と呼ばれる者の一種だ」
俺は普浄に、北郷が抱える戦闘集団のことを話した。と言っても、誰なのか正体不明、人数も不明、実力も未知数なので、ほとんど話せることは無かったが。
「一瞬で姿を消すのが当たり前! そんな馬鹿な!」
「――とも言い切れないな。普浄も実際に見ただろう?」
正直言って、気味が悪い。あんな荒唐無稽な集団に狙われたら、命が幾つあっても足りない気がする。
「全く、厄介な敵が現れたものだな」
俺は微かに笑って足を踏み出す――が、ふいに視界が歪み、グラリと倒れてしまう。普浄はあわてて俺の身体を支える。
「劉禅殿、どうしたので……いかん! すごい熱だ!」
どうやらここが限界だったらしい。俺は普浄の腕の中で意識を手放した。
「劉禅め、何処までも悪運の強い奴だ」
『忍び』の首領は、苦々しげに呟いた。
「あの普浄とかいう小僧さえ居なければ、人知れず始末出来た物を……」
「もう普浄とかいう奴も潰しましょう。どうせ一刀様に楯突く連中でしょう?」
「不穏分子を潰した所で褒められこそすれ、罰せられる道理がありません」
「咎められたところで死者は還りません。さっさと殺っちゃいましょう」
家来たちは口々に意見を言う。それを聞いた首領は、かすかに頷いた。
「……そうだな。不穏分子は早めに潰すか」
『忍び』の連中は首領に同意する。そんな中、一人だけ発言しない者がいた。
(……本当にこれでいいのだろうか? 劉禅殿を反逆者として殺すのは容易いが、事の始まりは本郷が劉禅の許婚を無理矢理奪ったことだろうに)
今や劉禅の許婚だった女は、北郷にベッタリである。あんな馬鹿女の為に身を滅ぼしたかと思うと、劉禅が哀れでならない。それに、この忍びは北郷をあまり好きではなかった。北郷は口では立派な事を言うが、戦では女の背に隠れるだけであり、文武に才があるわけでもないので正直見苦しい。これなら、自ら賊の中に飛び込んだ劉禅の方がよほど好感が持てるというものだ。
いくら首領が北郷に恩があると言っても、限度がある。現在の北郷は、宮中で酒池肉林状態だ。蜀の主であるはずの劉備や関羽なども誑かされ、かつての旗揚げ当時の威容は見る影も無い。しかし、劉禅が反乱を起こしたのも事実であり、父の遺言や姉に背いた不孝者であるのも事実だ。それに、劉禅につけば、歴戦の武官や『忍び』の同胞も敵に回すことになる。だからこの忍びは悩んでいたのだ。
(はっきり言って北郷は嫌いだ。しかし、天の知識によれば劉禅は蜀にとっては良くないと言うし……。ああもうっ、一体どうすればいいんだっ!)
目が覚めると、目の前に知らない天井が広がっていた。
「……此処は何処だ?」
俺はあたりを見回す。しばらくして、村長の家だということがわかった。
「気付かれましたか」
俺は声をかけられ、顔を向ける。一人の娘が部屋に入ってくるところだった。俺が身代わりになった、村長の娘だ。その娘はひとしきり礼を言う。ここまで感謝されるのは初めてだ。俺は照れくさくなり、立ち上がって部屋を出ようとする。しかし、かすかに視界が歪み、壁に手をついた。
「無理しないで下さい。まだ病み上がりなんですから」
娘は慌てて俺を止める。
「……病み上がり?」
「そうですよ。貴方はあの後、高熱で倒れたんですよ」
言われて思い出す。洞窟の中で、倒れたことを。
その時、部屋に普浄が飛び込んできた。
「劉禅殿、ある軍隊がこっちに向かってきているみたいです!」
慌てた口調で普浄は言う。
「どこの軍隊か分かるか?」
「分かりません。しかし蜀に属する軍です。急いで此処を出ましょう!」
今捕まったら、旅をしてきた意味がなくなる。俺は急いで身支度をして、娘に別れを告げた。
「貴方はまだ病み上がりなんですよ! 今無理をしたら……」
「悪い、色々と事情があるんだ。この礼はいずれまた」
俺は普浄と共に村長の家を出た。しかし、間に合わなかったらしく、とある軍と鉢合わせすることになった。
「おい! どこに行くつもりだ!」
軍の中から一人の武将が進み出て、俺達に声をかけた。歳は二十代半ばぐらいの、誰もが見惚れるような美女だった。
「げ、厳顔っ!」
俺はその武将を見て声をあげる。それに対して厳顔は、つかつかと俺に歩み寄り、拳を一発浴びせた。
「ぐえっ!」
「馬鹿者っ! 真名を交換したのだから、ワシのことは桔梗と呼ばんかっ!」
一発で崩れ落ちた俺を担ぎ、厳顔は普浄にも声をかけた。
「お主らに話がある。城まで来てもらうぞ!」
劉禅、桔梗と会談する
「話は普浄から聞いた。烈、お主はお館の排除を目論んでおるらしいの」
桔梗は俺を見据えて言う。その眼光は鋭く、気圧されそうになる。
「……北郷は桃香をさしおいて好き勝手やっている。このままでは大変なことになる。劉家の人間として、見過ごせない」
「それだけではなかろう? お主、許婚を奪われた恨みを晴らそうという考えもあるのではないか?」
「それは否定しない」
桔梗の追求に俺は答える。
「それに、北郷は俺の真名を許しも無く勝手に口にした。北郷を斬る理由としては、充分だと思うが?」
「何!? お主の真名を勝手に口にしたと? というか、まだお主はお館に真名を許してはなかったのか!」
「信じないなら信じないで結構。ただ、誰が何と言おうと、俺は意思を変える気はない」
俺は奥歯を噛み締める。たしかにこの耳で聞いたのだ。北郷の『おいおい、いい加減諦めろよ、"烈"』という言葉を。
「ふむ、お主の目は嘘を付いてる目ではないようじゃな」
桔梗が俺の目を見つめて言う。
「……わかるのか?」
「当たり前じゃ、何年お主の師匠をやってると思うておる! ワシを見くびるでない!」
桔梗は軽く俺の頭を叩く。……桔梗にとっては軽くだが、俺にとっては物凄く痛いんだが。
「全く、それにしても何故ワシに一言相談しなかったのじゃ? 勝手に謀反を起こしおって……」
「桔梗まで巻き込む訳にはいかないと思って。それに、女性は大抵北郷の味方すると思ってたから」
「お主、ワシをそんな目で見ておったのか」
桔梗が若干低い声で言う。ヤバイ、怒らせたか?
「ワシはそれほど軽い女ではないわい! これでも未だワシは処じ……」
「待った! そんなことまで言わなくていいから! それに、その歳で桔梗が今だアレなのは、その性格というか、おっさんくさい言動が災いしてると思うんだ!」
「おっさんくさい言うな!」
「ぐえっ!」
桔梗は俺の胸倉を掴んで揺さぶる。俺はなすすべも無く振り回され、目を回す羽目になった。
「全く、師に向かってなんということを言うのじゃ……」
桔梗は呆れたように呟く。
「……あの、そろそろ本題に戻るべきでは?」
あっけにとられて俺と桔梗のやりとりを見ていた普浄が、おそるおそる呟いた。
「で、これ以上お館の好き勝手はさせたくないというわけじゃな?」
「ああ。桃香は全く意識してないけど、北郷の行いは明らかに劉家をないがしろにした行動にしか見えないからな」
俺は桔梗の問いに答える。
「桃香は『皆が笑って過ごせる世の中』を理想にしているが、元々は『漢王朝の再興』が目的だった筈。国名を『蜀漢』としたのもその表れ。ならば、北郷が好き勝手やってるのはおかしいんだよな」
「まあ、確かに最近のお館の行動は目に余るかもしれんのう」
「だから、俺は北郷を倒して桃香の目を覚まさせる」
「なるほどのう。しかし、勝算はあるのか? お主らだけでは無理ではないか?」
「……だから、蜀内の、北郷に良い感情を持っていないという連中を回っていた。魏に援軍を頼んでも、付け込まれて『漢の再興』は夢の跡になってしまうから」
「だが、駄目だったのだろう?」
「……」
桔梗の指摘に、俺は絶句する。蜀には、腰抜けしか居ないと分かった時の悔しさがこみ上げてきた。
「まあ、そうじゃろうな。北郷配下の『忍び』が各地に散らばり、反抗しそうな者を見張らせているからな。下手すれば打ち首じゃて。現にワシも見張られておるしのう」
ここで桔梗は聞き捨てならないことを言った。それを聞いていた普浄は慌て、桔梗に言う。
「厳顔殿。それはかなり拙いんじゃないですか?」
「そうじゃの。お主らを保護した事、もう既にお館に知られていような」
桔梗は、大したことではないと言う様に、ぐいっと杯を傾ける。
「……そして、今俺らが話してることも、探っているだろうな」
俺はそう言うと、いきなり剣を抜き、天井に投げつけた。しばらくして、その剣を伝って血が流れ落ちてくる。軽く飛んで剣を天井から引き抜くと、血を拭って鞘に収めた。
普浄は驚いて声も出ない。しかし、桔梗は顔色一つ変えなかった。いや、既に顔色は酒で赤くなっていたが。
「ほう、気配を探れるようになったか。腕をあげたのう」
桔梗は感心するように俺を見る。
「……師の教え方が良かったから」
一度桔梗の元を去ってからも、稽古は欠かしていなかった。俺は、少しずつではあるが、以前よりも感覚が鋭くなってきているのを感じている。
「それはさて置き、実はワシもここのところ危なくなってきているのじゃ」
桔梗は何事も無かったかのように話を続ける。
「ワシは、お館が以前と変わってきている感じがしたのでな。ちょっと探りをいれておったのじゃ」
ここで一旦話を切り、桔梗はため息を吐く。
「焔耶を成都に向かわせたのじゃが、連絡が途絶えてしまってのう。おそらくお館の手の者に捕まったのじゃろう」
「北郷が以前と変わってる、だと?」
言われてみれば納得できる部分がある。元々いけ好かない男だが、もう少しましな男だった記憶は俺にもある。でなければ、俺が蜀建国まで協力する訳が無い。
「そこでお主に話があるのじゃ。焔耶を救うのを、手伝ってはくれんか? 焔耶は乱暴者じゃが、ワシにとって大切な弟子。お主にとっても気心の知れた姉弟子であろう」
確かに、焔耶は姉弟子であり、俺に良くしてくれた人だ。世話になった桔梗の頼みである以上、俺に断るという選択肢はない。
それに、焔耶は北郷を嫌っていた。上手くいけば、味方になってくれるかもしれない。そのような打算も俺には有った。
「……わかりました。俺に出来る最大限の助力をしましょう」
*****
「何、厳顔の所に向かわせた仲間が、戻ってこないだと?」
北郷は、『忍び』の一人の報告を聞いて、驚く!
「はい。三日前から連絡が途絶えました。おそらく、捕らえられたか、斬られたか……」
「確か、厳顔のところには劉禅が転がり込んでいたな。あいつは政府に楯突くつもりか?」
「しかし、厳顔配下の魏延はこちらに捕らえております。人質がいる以上、厳顔は動けないと思いますが」
「だが万一魏延を奪い返そうとするかもしれん。念には念を入れておけ」
「はっ! 承知しました」
北郷の命を受け、その忍びは一瞬で去っていった。