同士との邂逅


 

一 遭遇



目覚めれば、ソコは戦場だった。






咽返るほどの夥しい血の匂い。
地表を奔るは蒼き炎。
人の形をした塊が、ソレに次々と飲み込まれ、消えていく。
そして、首筋に押し付けられる冷たい感触。

「なんだ、お前」

背後から耳に響く、子ども特有の高い声。
草木の生い茂る森の中、刃物の切っ先を首に突き付けられながら、彼―横島忠夫は叫んだ。


「なんじゃ、こりゃ――――――――――――――――――――っっっっっ!!!!????」

…すぐに「うるさい、黙れ」と背後の子どもに、力が込められた刃物を突き付けられたが。














事の始まりは、一件の除霊。


比較的簡単な部類のそれを、上司である美神に丸投げされ、珍しく横島一人での仕事。
しかし除霊対象は報告書にあった情報とはまるで違い、遙かに強力なその相手に元々準備不足だったことも加え、彼は圧されていく。
それでも除霊することは出来たのだが、除霊直後の別方向からの強力な攻撃にあえなく撃沈。
攻撃してきた相手の姿に横島は愕然とする。
なんと神族と魔族、両者の姿が彼の眼に映ったのだ。
今回の除霊も、そういった奴らが仕組んだこと。
それらを察した横島は歯をギリリと噛み締めた。



つまり簡単な除霊の報告書はフェイク、全ては横島を誘き寄せるための芝居。



神界・魔界・人間界の三界において、唯一の文珠使いである横島忠夫。
しかしながら、人間を下等とみなす一部の上級神魔族による身勝手な判断により、アシュタロス事件後、常日頃から命を狙われる羽目になっている。
身勝手な判断―[文珠を生成できる彼の力は下手に転ぶとデタント〈緊張緩和〉の崩壊を引き寄せかねない]という前提のもと抹殺指令が神魔界に流れ、同じく人間を軽蔑する者達が我先にと彼を襲う。
そんな緊迫状況に陥っても実のところ横島は、周りの知り合い―美神ですら己が置かれた状態を知らせず、ずっとヒタ隠しにしていたのだ。
というのも、アシュタロス事件以来、彼は信じるという行為が出来なくなっている。情けなく人に頼りっぱなしである反面、内面は無意識に周囲を拒絶してしまうのだ。
原因は大事なものを失う恐怖感。知らず心に膿んだそれは横島をまわりから遠ざける。
それでも周囲に杞憂に思われるのは避けようと、馬鹿でお調子者―つまりいつもの横島忠夫を演じることで彼は日常をやり過ごしていた。
生まれ持っての演技力で周囲は誤魔化され、変わらない横島に皆安堵する。


――――実際は幼き時から誰にも心を開いていない、彼自身の心情を知らずに。






(…あ―…もういーかな―……)
敵の手から放たれる、回避不可能な霊破砲を眼の端に捉えながら、横島は一瞬そう思う。
「でも、ま…色気のある姉ちゃん以外に殺されてたまるかあぁ―――――――っっ!!!!」
そんな雄叫びと共に、最後の一つである文珠発動。
込めた文字は【移】―――流石に態勢を整えるため、別の場所へ移動しようと考えたのだ。
その結果………………………なぜか血だらけの死体が転がる戦場真っ只中に墜ちていた…。












(文珠の光に包まれて…そっからどーなったんだ?どっかのゲリラ戦にでも巻き込まれちまったのか?)
「どこの里の者だ、言え」
「つーか…ここ日本か?なんか木ばっかだし…どこの森……ってぎゃわ―――――っ!!??」
無言で首筋に刃物を更に突き付けられ、横島の首に血が一筋流れた。
「なっななな…なにすんじゃ――――っっ!!??」
「黙れ」
慌てふためく横島を、背後の者が一蹴する。
おそるおそる振り向くと、白い狐の面をつけた人間が立っていた。
黒衣を身に纏い、クナイを横島の首筋に押し付ける子どもの姿。
闇夜の中で月光が差したように、その子の金色の髪がきらきらと輝いていた。



「こ…子ども…?」
「…答えろ。なぜこんな処にいる?」
「いや…それは俺も知りたいな~…なんちて」
ふざけてこの場を逃れようとするが、面の奥で子どもの瞳がすうっと細められる。
「…真面目に答えないなら…先ほど転がっていたコイツらの仲間入り、するか?」
その言葉を反芻してようやく人の形をした塊の事を思い当った横島は、頭をぶんぶんと振って否定した。
「…まあ…容姿からして忍びではなさそうだな」
「忍び…って忍者?…つまりお前は忍者ごっこしてんのか?コレなんかのアトラクションだろ、よく出来てんな~」
それでも緊張感のない横島に焦れたのか、子どもはチッと舌打ちし。
周囲の大木に向かって、さっと手を振り翳した。



途端に10本ほどの木々が、バラバラと薙ぎ倒される。
綺麗な切り口を残す幹の隣で、横島は唖然とした。
子どもを中心とした、大きなクレーターが出来上がったその様に。



「な?ななな…」
「―――いい加減にしないと森ごと吹き飛ばすぞ」
素っ気ない言い方で、子どもは言葉を紡ぐ。
その、なんともいえない威圧感に、横島は思わず唾を呑んだ。
首の後ろがぞわりとする。ゾクゾクとした感覚が背筋を這った。
(ま…マズイこいつぁ…マジもんの殺気だ…)
ぞっと鳥肌が立つ。しかし汗をかく暇もなく横島に向かってクナイが飛躍してきた。
「うおっ!サ…サイキックソーサー!!」
残り少ない霊力を使って霊気の盾を創り、かろうじてクナイを弾く。
寸分違わず頸動脈を狙ってきたことに、本気で横島は焦り始めた。
(こ…殺されてまうっっ!!)
投げられたクナイが一本だったのが幸いした。数本だと確実に避けられなかったであろう。
数々の修羅場を潜り抜けてきた横島も、全く隙を見せない相手に追い詰められていた。
一方サイキックソーサーを見た子供のほうも、驚いていたのか動きを止めていた。
しかしそれも一瞬で、すぐさま冷やかに細めた双眸で探るように横島を見つめている。
ようやく一筋縄ではいかないと警戒する横島に子どもは無造作に近づいて。
横島の体を、掛け声もなしに担いだ。



「…は?」
何の前触れもないその行動に、横島は呆気にとられる。
ぽかんとする彼の言葉も待たず、どこにそんな力があるのか横島を華奢な肩の上に乗せた子どもは音も無く地を蹴った。


「ちょ!?のわああああぁ―――――――――――――っっ!!!???」
「…口を開くな。舌を噛むぞ」

木の枝に見事に着地した子どもはそのまま木々の合間を縫うように走る。
木から木へ飛び移っているのだが、並みの者では視界に捉えることさえできない速度である。
あまりのスピードに横島は思わず身をよじり…木の枝に思い切り頭をぶつけた。
その衝撃に、彼の視界は暗転した。
 

 

二 狐面の子ども


……言い争う声が鼓膜に響いて、意識が浮上する。

耳に届くのは、一方的に捲し立てる子どもの声と、それを諫める老人の声。
その子ども特有の高い声が先ほど聞いた声と瓜二つなことに、夢ではなかったのか、と彼は落胆した。
どこだかの床に寝せられている己の体は、未だ脳震盪でも起こしているのか動かない。
それでも脳が、状況確認のために動け、と指示をする。
夢心地のようなくらくらとした状態で、横島はうっすらと眼を開けた。



瞳に映るは、地味だが趣味のいい広い部屋。
執務室みたいだなぁと思いながら、横島は首だけをぐるりと動かした。
ぼんやりと音信源の方を向くと、机を挟んで狐面をつけた子どもが人の良さそうな老人に食って掛かっていた。その机の上には大きな水晶玉がでんっと安置されている。
物珍しさにその水晶玉を何気なく見ていた横島は、こちらに向ける視線に気づき、慌てて眼を閉じた。
「…里の者ではなさそうじゃな」
顎に手を添えた老人が、床に横たわる横島を観察するように眺めている。
「…人払いはしてたぜ、今回は殲滅だったからな…だからこの姿でいたのに………第一、なんであんな森の中にいたんだか」
老人への返事か、意識が戻っていることを感づいているのか、子どもは横島にちらりと視線を投げた。

「とにかく得体もわからぬ者をココに置いておくわけにはいかないだろ…………殺すか?」



常人には聞こえない声ならざる声で、子どもは問うた。
その雰囲気からなんとなく察した横島は、ざわりと寒気を感じて身震いした。
面を外さぬとも、冷えた空気を纏うその子どもは、まるで鋭利な刃物。
それも諸刃だと、脳内でイメージした横島は、気絶した振りを続行しながら無意識に警戒心を強める。



「…待て」
横島への死の宣告を撤回したのは、眉を顰めた老人の一言だった。



「早まるな、まだ敵と決まったわけじゃなかろう」
「……それで別里のスパイだったらどうするつもりだ。ただでさえ今は…」
不愉快そうに子どもが言う。しかしその一言は、その場の冷たい空気を若干和らげた。
「…なに。一ヶ月後に比べれば、この程度些細な事にしかならんよ。拾ってきた者が責任もって監視すればいいことなんじゃからな」
(…拾われたのって、もしかして俺のことッスか――――っ!?)
内心オギャーと頭を抱え雄叫びを上げる横島の隣では、子どもが忌々しげに老人を見上げていた。

「…………コイツがすぐ逃げ出すのは時間の問題だと思うが?」
「じゃからお主が監視するんじゃろう。同居という名でな」
「…この狸じじい」
食えない笑みを浮かべながら重大な事をひょうひょうとのたまう老人。悪態をつく子どもから、僅かに威圧感が滲み出る。
その威圧感に冷や汗を掻きながらも、老人は命令口調で言い放った。

「……ッ、…ナル…いや暗殺戦術特殊部隊総隊長、月代に告げる。この者を監視下に置き、素性を調べろ。火影の命じゃ」
「………………………御意」
もの凄く長い間、子どもは逡巡したようだったが、諦めたように承諾の意を述べる。
老人に向かって膝をつき頭を垂れるその光景は、両者の立場の差がありありと想像できた。
しかしそれよりも先ほどの老人の言葉、特に暗殺なんたらが気に掛かっていた横島は、状況についていこうと頭を働かせ。
いつ気づいたのか、次の瞬間には子どもに手刀で昏睡させられていた。




「……俺なんかと同居なんて、お前も運が悪かったな…」
―――――――――――遠ざかる意識の中で、子どもの寂しげな声が聞こえた、気がした。











「………………………………はッ!」


次に眼を覚ますと、彼は知らない天井を見上げていた。
ぴちょん、とどこからか水の音が耳に届く。

のっそりと起き上がり、辺りを見渡すとどうやらアパートの一室のようだった。
あの子どもはいない。この部屋の主は留守のようだ。
自宅とあまり変わらないその狭さになんとなく安堵し、彼は部屋を散策し始めた。



「……なんもねえ…」

十分後、横島は寝かされていたベッドに、不貞腐れたように座り込んでいた。
この部屋は本当に寝るためだけのようだ。ベッドしかない。御約束のベッドの下も覗き込んだが、収穫無し。箪笥の中は黒一色。なぜか一着だけオレンジの派手な服があったが。
次に台所。こちらは本当に何もなかった。冷蔵庫もその役目を全く果たしておらず、ただのからっぽの箱である。調理道具はかろうじてあるようだが、一切使われていないようで新品同様。引き出しにも何もない。食材はもってのほか、食パン一枚すら見当たらない。
水道は通っているので、ぴちゃんぴちゃんと水音が部屋に沁み渡る。
殺伐とした部屋だ。痕跡があまりに少なく、本当に人が住んでいるのか疑う。


(…もしかして、監禁された?)
監視、という老人と子どものやりとりに、ひやりと背筋が凍った。
しかしなんの拘束もないのもおかしいし…と考え込んでいると、突然ベッドの傍の窓ガラスが音を立てて割れた。
何事かと慌てて見ると、握り拳ほどの石が床に転がっている。

「狐ヤローがッ!!」 
「死ね!!!」

同時に、外から罵声が飛び交う。
窓の下で、しばらくぎゃあぎゃあとココに向かって複数人が喚いていたが、だんだんと遠ざかって行った。



「な…なんなんだ…一体」
いきなりの展開に頭が働かず、しばし呆然とする。窓からそっと外を覗き込むと…。
「…眼が覚めたか」
「うおうッ!!??」
なんの前触れもなく声を掛けられ、横島は跳び上がった。
声を掛けたのは、屋根の上に平然と立っている先ほどの子ども。相変わらず面はつけたままである。
子どもは割れた窓をちらりと見ると、滑るように部屋に入ってきた。

「お、俺が割ったんじゃないぞ!?石が飛んできて…」
「知ってる」
粉々になった窓の説明をしようと身ぶり手ぶりする横島に、子どもは何の感慨も無く言い放つ。
「…状況を把握する。座れ」
「つーか、なんでそんな冷静なんじゃっ!?」
「いつものことだから」
さらりと答える子どもに、横島は眉を顰めた。
普通石を投げつけられたら困惑、もしくは憤慨するだろう。それを〔いつものこと〕と一蹴する子どもに、どんな生活を送ってるんだ、と横島は心の中で問い詰める。


「…まず、お前の名前は?」
「…よ、横島忠夫だ」
「そうか、よこしまただお…出身はどこだ?」
「お、大阪だけど、今は東京に住んでる」
「おおさか?とうきょう?」
訝しげに首を傾げた子どもに向かって、横島はつっこみたくてうずうずしていたことをマシンガントークにて実行した。

「……つーか、お前の名前は!?ココどこ!?さっきのじいさんは何者!?ってかお前が何者!?とか言いたいことは一杯だけど、なによりそれより…………………………面をとれッッッッ!!!!」
「うるさい黙れ静かにしろ質問は一つに絞れ」
思わず立ち上がった横島を、じろりと見上げて子どもは口を開いた。

「…ココは木ノ葉の里と呼ばれる、いわば忍の隠れ里。そしてこの部屋は俺の家。さっきのじじいは、この里で一番偉い火影という里長……そして俺、はこの里における火影直属の忍者部隊―暗殺戦術特殊部隊、通称暗部の総隊長を務める〔月代〕だ。面はお前を信用していないからとらない」
一切顔色変えず答える子どもに、(ただ者じゃねえ…ッ)と横島はごくり、生唾を飲み込んだ。


「…つーか、暗殺!?暗部、総隊長って………お前子どもじゃねえかッ!?」
「それがどうした?」
心底不思議そうに子どもは横島を見上げる。未だ面はつけたままだが、その奥に蒼色の瞳が窺えた。
「暗殺って…人殺すんだろ!?お前…」
そこまで言って、横島はこの子どもと初対面した時を思い出した。
「じゃ…じゃあ、あの時、お前………」
震える指で子どもを指す横島を、つまらなさそうに見やり。
「…仕事だ」
ただ一言。
そう呟いて子どもは横島から離れ、部屋から出て行こうとする。
「……とにかく今は夜中だ、もう寝ろ。そのベッドを使え」
振り向かずに部屋を出て行く子どもの、流れるような金髪が横島の眼に焼き付いた。


しばし彼は呆然と突っ立っていたが、やることもないので、のろのろとベッドに潜り込む。
悶々と悩む彼の心には、なにか割り切れない思いが渦を巻いていた。
その不可解な渦を抱いたまま、彼の瞼は次第に降りていき…、眠りに落ちた。




割れたはずの窓が、いつの間にか修繕されていることにも気づかぬまま。
 

 

三 災厄


窓から差し込む日光に目を細める。


夢という一抹の期待を膨らませたまま、彼は窓から外を覗きこんだ。
瞬時にその期待は打ち砕かれたが。



見たことも無い街並み。赤い屋根に、纏わりつくような多くのパイプ。
そして岩肌に彫られた人の顔のようなモノ……明らかに、大阪でも東京でもなかった。
(……忍者……過去、の時代とか…?)
しかし路を往く人々の服装は着物というより洋服に近い。侍のような者も見当たらず、タイムスリップしたとも考えられない。


「…はぁ~…わっかんねえな~…」
ごろりとベッドに寝転がる。
そのままなんとなしに手に力を込めると、文珠の生成ができるような感触を覚えた。
(霊力は、使えるみたいだな…)
ほっとした途端気が抜けたのか、グゥと腹が鳴る。
太陽はすでに空高いため、昼近いことがわかった。

「お~い…つ、月代~?」
狐面の子どもの名を呼ぶが返事はなく、部屋にいる気配もない。
仕方なく起き上がって台所へ向かうと、テーブルの上になにやらでんっと蛙の財布が置いてあった。ソレを持ち上げると、重し代わりだったのかその下からひらりと一枚の紙が落ちる。
文面は[好きに使え]。達筆なその字に感心すると共に、言葉とか文字は同じか…と横島は冷静に判断する。
ココにいても仕方がないため、彼は何もないただの寝場所であるアパートを後にした。











真っ青な空の下。

なんとなく解放感を感じて、大きく伸びをする。



「…どこでも空は一緒やなぁ…」

感慨深げに呟いて、きょろきょろ辺りを見渡した。
右も左もわからぬ場所で、一先ず人気のある方向へ向かう。
着いた先は、賑わう商店街。
周りの人間の見よう見まねで買い物をしていると、傍の路地裏から喧騒が聞こえてきた。
派手にやり合っているのかドタンバタンと喧しいのに、周りの人間は気にも止めない。

(…止めねえのかよ)
ココでは日常茶飯事なのか?と思っている横島の心を読んだように、隣に立っていた老婦人が眉を顰めて話し掛けてきた。
「…いやだねぇ、また狐がいたんだってさ」
「狐?」
訝しむ横島に、老婦人の周囲の者達も口々に言葉を並べる。

「あんた、見ない顔だね…観光かい?」
「もうすぐ本試験が始まるからその賭け事に来たんだろ?え、図星かい?」
よくわからず横島が曖昧に答えていると、路地から男達がぞろぞろと出て来た。
あまり服が汚れていないが、最後の一人がぺっと路地裏に向かって唾を吐き付けているため、被害者はまだソコにいるらしい。

おそるおそる横島は、その路地裏を覗き込んで……絶句した。
散乱するゴミの中で蹲っていたのは、小さな子どもだった。






ピクリとも動かないその子に、慌てて近づく。
(こんな子どもを集団リンチかよ……ッ)
胸糞悪くなる胸を抑え、子どもが息をしているか確認する。
ゴミ箱か、その中身をぶつけられたのか、嫌な匂いがつんと鼻についた。
匂いにそしてその惨状に顔を顰める横島の前で、子どもが身じろぐ。

「……ッ…が、は…っ」
大きく息を吸った子どもは、呼吸すると共に口からごぽりと血反吐を吐いた。
「…お、おい…っ、大丈夫か…っ!?」
驚愕した横島が子どもの背中を擦ろうと手を伸ばす。
しかしそれは空振りに終わった。


「ほっとけよ、兄ちゃん」
彼の背後から聞こえてきた、第三者の介入によって。






「どーせ、すぐに怪我なんか無くなるんだ。なんせソイツは化け物だからな」
「…あ?」

横島が顔を強張らせていくのに気づかないのか、第三者―路地裏傍の店主人が子どもを見下すように話す。
「…兄ちゃんは観光客だから知らないだろーけど、このガキが暴力受けんのは罰として当然なんだよ」
その店主人の、横島に向ける愛想のいい顔と、子どもに向ける顔は一転していた。
子どもに対してはまるで――――――――…


「児童虐待が当然って言いたいのかっ、テメーは!!」
好き勝手に言う店主人の胸ぐらを掴んで、横島は捲し立てた。






――――胸が締め付けられる。
昨晩窓を割った石が胸に詰まっているような、嫌な気分だった。
怒る理由が解らないのかきょとんとする店主人に、横島はますます憤りを募らせる。
そんな彼の怒りを鎮めたのは、他ならぬその子どもの言葉だった。

「……だいじょうぶ、だってば…」
振り向いた横島の瞳に映ったのは、地に足をしっかりとつけて立っている子どもの姿。
「け、怪我とかしてないか!?本当に!?」
掴んでいた店主人を突き飛ばすように放して、横島は子どもに慌てて近づいた。
派手なオレンジの服で隠れているが、体のあちこちにある青黒い痣。
再び嫌悪感を抱きながら、なぜ文珠を生成しておかなかったのかと自身を叱咤する。
密かに文珠を生成しようと手に霊力を込めながら、横島は子どもの体をさらに観察した。

鮮やかであろう金髪はゴミのせいでくすんでいるが、蒼い瞳は凛とした強さを秘めている。その瞳の蒼を見た瞬間、彼の脳裏に疑問符が浮かんだ。
(…あれ…?)
コイツ、どこかで見たことがある…と横島は首を傾げる。
(それにこのオレンジの服も…どこだったっけ…?)
考え事をしながら子どもの左腕に触れると、違和感がした。
「おい!これ、折れてんじゃねえのか!?」
ぐにゃりとした力のない腕を横島が持ち上げようとした時、子どもが行動を起こした。


一瞬だけ。

ほんの一瞬だけ、子どもは横島に向かって健気に笑った。
その笑顔が痛々しい、と無意識に感じた彼は、子どもの予測付かぬ次の行動に対処できなかった。
逃げるように、突然子どもは走り去った。
しばし呆然としていた横島は、手の中の文珠が生成できたことで我に返り、慌てて後を追い駆けようとした。
しかし、すでに子どもの姿は跡形も無く消えていた…。









椅子に腰掛けたまま、ただ彼はぼー…と天井を見上げていた。
時計の針だけが、虚しくチッチッチと時を刻む。

針の音だけする空間に、突如カタリと窓から音が割って入ってきた。
それに素早く反応して、横島はにぱっと顔を綻ばせる。
「お、やっと帰ってきたんか!この三日間どこ行ってたんだよ」
「…まだ、いたのか…」
三日間留守にしていた部屋の主が、驚愕の滲む声色で呟いた。

相変わらず狐面をつけた子どもは、横島を不可解そうに見る。
「…なぜまだココにいるんだ?金は渡しただろ」
「あ―…悪いな、勝手に使っちまって…あ、これお釣り」
当初の重さと大差ないその財布をなんの未練もなく渡す横島に対し、子どもは眉を顰めた。
「…この金はお前にやったんだ…コレを使って宿にでも泊まればよいものを…」
「…いや―ッ!!追い出さんといて~!俺お前しか知り合いおらんのじゃ~!!」
雄叫びと共に土下座して、床に頭をガンガンとぶつける。

「…………」
「ああ、無言!?」
子どもの無情な視線に、横島は馬鹿騒ぎをしぶしぶ止めた。この子には美神達のように誤魔化しの手が通用しないようだ。
呆れたように眉間を押さえる子どもの左腕をちらりと見て、躊躇しながらも横島は口を開いた。
「お前さ…左腕、大丈夫なのか…?」

その途端、子どもの纏う雰囲気が変わった。










「…なにを、言っている?」

先ほどと変わらず、感情の窺えない涼しげな声。
しかしどことなく緊張感が漂う子どもに、横島はできるだけ優しく言葉を紡いだ。
「お前、あの時路地裏で会った金髪の奴だろ?ほら!二日前!」
「…なんのことだ?人違いだろ」
我関せずといった風情の子どもに、横島は更に言い募る。

「嘘だろ。俺この三日間里中探したんだぜ。誰一人として金髪…あ―…薄い金髪の女の子ならいたが…とにかく金髪の男の子はいなかった。お前を除いてな」
「…この姿自体化けているとしたらどうだ?なぜ俺とそのガキを結び付ける?…それに、お前にとってそのガキは気にするものでもないだろうが」
「気になるに決まってるだろ!ありゃ虐待だぞ!大の大人がよってたかって…ッ」
「…もう一度問う。なぜ気にする。見なかったことにすればいいだけだ…それにあのガキは…この里にとって災厄だ…」
淡々と、まるで教科書を棒読みするように話す子ども。感情を全く見せないその子に、逆に横島のほうが感情剥き出しになる。

「…どういう意味だ?災厄って……アイツがなにかやったのか?」
「……………………」

目を細める横島を前に、子どもは押し黙る。
その様子から察した横島は、重い空気を振り払うように軽い口調で話し始めた。


「それよかお前から借りた金でメシ作ったんだ!台所なんもねーからな…」
「…別にいらない…」
頑なに拒む子どもに、横島は諭すように話し掛ける。
「そー言うなよ~。生まれて初めて作ったんだぜ!美味くできた保証は……ないッッッ!!」
「不味いこと前提か…」
呆れの混じる子どもの言葉を気にせず、横島は皿に料理を盛りつける。
「ほれ」
そう言って料理を差し出す横島の手を、子どもは突然左手で叩き払った。



ガチャンと、皿が割れる。
乗っていた食べ物が床に転がり広がった。




「な、なにすんだっ!!??」
一瞬の静寂の後、横島は子どもに怒ろうとして…すぐに怒りの色が消えた。

子どもは床に散らばる食べ物をじっと見ている。
面で表情は見えないが、子どもがくしゃりと顔を歪めた気がした。
しかしすぐにその辛い雰囲気は消え、横島に無情にも言い放つ。
「…左腕は骨など折れていない。残念だったな…無駄な詮索は止めておけ。後悔することになる…」

諦めの意が込められた言葉を残し、子どもは横島からあからさまに顔を背け。
そのまま先ほど入ってきた窓から外へ飛び出して行った。






時計の針だけが、虚しくチッチッチと音を刻む。
…………三日目の夜も、狐面の子どもはそれから帰って来なかった。
 

 

四 狐の道化 前編

 
前書き
ナルトの過去編です。ネタバレ満載・捏造だらけとなっています。ご注意ください。
長いので前編・後編と分けます。三代目火影の記憶を横島が読むといった内容のため、火影視点となっています。でも時々横島の感想が入ったりするんで混乱してしまうかもしれません…申し訳ありません。 

 


横島がこの家に来て、四日目の朝。

気だるげにベッドから起き上がった横島は、就寝する前と変わらない部屋に溜息をついた。

(…結局、帰ってこんかったな…)
昨晩の子どもが気がかりだった彼は、夜遅くまで起きて待っていた。外に捜しに行くことも考えたが、なにぶん里の地理も知らないのにましてや夜外出することは無謀だと思い直した次第である。

子どもらしさが欠片も無い狐面の子ども。姿を変えていると言っていたが、横島にはなんとなくアレが本当の姿ではないかと確信していた。
それは実戦で養い、いつの間にか身についた霊視の力である。



(…視られてるな…)
そして結果として、ここ三日間感じた違和感に横島は気づく。実戦の経験が自然と彼の感覚を研ぎ澄ましているのだ。
誰かの視線が、横島の体に纏わりついている。監視というモノだろうが、やはり視られて気分がよい者などいない。

(…誰だよ)
ふと狐面の子どもが脳裏に浮かび、横島は人知れず創っておいた文珠を使用した。
横島とて、ここ三日間何もしていなかったわけではない。霊力を溜めて生成した文珠は、創り手の彼の体にストックされる。ストックされた文珠は、横島が願うだけでその手に現れるのだ。

【逆探】

逆探知で、視線の送り主を探す。
てっきり狐面の子どもだと思っていたが、それは当てが外れた。文珠の能力で映像として脳裏に浮かんだのは、初日に子どもと会話していた老人その人であった。








(…監視か…やっぱ疑われてんだな~)

体はベッドの上。傍目には居眠りか考え事をしているにしか見えない。
文珠の力で精神のみを馳せた横島は、以前床に寝かされたことのある執務室で立っていた。
机の上にでんっと安置されている大きな水晶玉を老人が覗いている。その玉に、先ほどまで横島が座っていたベッドがちらりと映っていた。


(この里で一番偉い火影という里長…ってアイツが言ってたな)

言うならば天皇とか大統領?と若干ズレたことを考えながら、火影をまじまじと見る。威厳よりも人の良さそうな老人の、皺の多さが目についた。
(このじーさんだったら里のことも、アイツのこともよく知ってんだろ~な…)

精神――いわば幽体離脱している横島に、火影は気づかない。横島は未だ効力を持つ文珠を火影の頭部にそっと近づけた。

(悪いがじーさん…こーいう使い方もあるんだぜ)



逆探の内、探の文珠を発動させ、横島は火影の記憶を探った。
探る対象は金髪の子ども……そして月代。
不可能を可能にする力を駆使して、彼は老人の深層心理へとダイブする。



一人の子どもを知りたい、その一心で――――。










当初は、老人が火影に上り詰めるまでの波乱万丈な人生であった。

老人自身の視点から見た映像は、まるで映画のように流れていく。

子どもから青年に、大人から老人に。
稀に女風呂を覗くといったスケベな男の性に、共感を抱いたりしたが。
成長する過程を乗り越え、火影になった彼の人生は「忍び世界の厳しさ」を横島へ教えていた。



……果たしてどれほど経っただろうか…―――。


火影が代替わりしたその頃であった。
老人が金髪の男性と話している。その金髪の男性は、どことなく狐面の子どもや路地裏で虐待されていた子どもに似ていた。



――――場面が変わった。



なにか核爆弾でも落ちたかのようなクレーターが、山のあちこちに出来ていた。

壊滅寸前の里で逃げ惑う人々。彼らを避難させる、忍び装束と思われる服を身に纏った者達。
戦争かと横島が思った矢先に、獣の咆哮のような音が耳に響いた。
声の方向を見遣れば、途轍もない大きなモノが暴れている。
闇の中、大きな九つの尾がゆらゆら揺れているのが見てとれた。
そのまま尻尾で傍の森林を薙ぎ倒しているモノの正体に、横島は目を見開いた。
全身の毛を逆立て、冷たい眼光を向ける血走った瞳。先鋭な牙を剥き出しに唸り、俊敏に動く巨大な姿。
尾一つで崩れる山地。咆哮一つで削られる大地。


九尾の狐。


ふと、己の知り合いの九尾を思い出した。脳裏に浮かぶのは、同じく九尾である玉藻という少女。
けれども彼女とは似ても似つかぬ巨大な化け物に、横島は唖然とした。



そうこうする間にも、映像は流れる。
よく怪物映画であるように、九尾の目前にて立ち塞がった者が戦闘を始めた。
白き衣を翻し、熾烈な闘いを繰り広げるのは、先ほど見た金髪の男性。
彼は途方も無い体の大きさと力の差にもめげず、精一杯闘っていた。
その背中は、男である横島から見ても眩しかった。

しかし、差はやはり大きかった。片や人間、片や大妖。

徐々に圧され始める金髪の男性に対し、妖獣である九尾は疲労の色も窺えない。
そんな折、紅い髪の女性が身体を引き摺りながら現れた。息も絶え絶えの様子の女性は男性と同様九尾と対峙する。
九尾にとっては蟻の如き人間。それでも彼らは大妖に引けを取らず、何かを守りながら闘っていた。
それは、膨らみのある小さな包み。包みを背に、里を背に、二人の男女は闘い続け…―――――。




ぐさり、と何かが貫通する音がした。
牙と同じく研ぎ澄まされた爪が、男性と女性の腹を突き破っている。




……――――誰かが、泣く声がした。同時に、啼く声も。




二人の様を見守っていた者達は、改めて九尾に戦慄を覚える。やはり人が人ならざるモノに勝てるはずがないのだと、ただただ嘆く。

されど金と紅の男女は、腹を裂かれても未だ立っていた。ぽたりぽたりと、黒ずんだ赤い泉が彼らの足元を染め上げている。
崩れ落ちそうになる膝を叱咤しながら、二人は今まで庇っていたモノを見つめていた。包まれているのは、生を受けたばかりであろう幼子。

どこか二人の面影があるそれを愛おしそうに撫で、金と紅の男女は小さく呟いた。



途端、閃光が奔る。


眩しさに目を細めた横島の耳に、どちらの者かわからぬ謝罪の声が響いた。

「ごめんね…ナルト……」









次の瞬間には、九尾の姿は消えていた。

見守っていた人々が息を呑む。静寂が、壊滅寸前の里を包み込んだ。
その静寂を、幼子の慟哭が引き裂いた。
横島の視点が、九尾に抉り取られてできた大きなクレーターへと移る。
焦土と化した大地。散乱する木々を踏み越え、老人は泣き声のする方向へ近づく。
彼の視界に映るのは、窪める場所の中心にて、火がついたように泣いている幼子。
その傍には幼子を守るような形で、金髪の男性と紅髪の女性が息を引き取っていた。


骨ばった無骨な手で、老人は幼子を掻き抱いた。
今まさに生まれたばかりの幼子の腹に、何か呪のような模様が浮かんでいる。
先ほどまで無かったその模様に、多少なりともオカルトを齧っている横島は何かの封印呪だと思い当った。
封印対象は言うまでもないだろう…。
年老いて動かぬ老体が恨めしいと、老人は幼子と共に泣いていた。









九尾の襲来にて、命を落とした者は多く。中でも、金髪の男性の死は嘆かれた。


彼は四代目火影として立派な人物だと、英雄として祭り上げられる。そして対照的に恨みと憎しみの対象として里人は幼子を蔑み、忌み嫌うようになった。




幼子に、親はいない。

保護者として名乗りを上げたのは、四代目亡き今再び火影の座に復帰した老人であった。

しかし三代目火影であり里の長である彼は、九尾の狐によって壊滅寸前となった里の復興に力を注がなくてはならなかった。忙しく、幼子を世話する暇などない。
そこで世話役として乳母や教育係といった使用人を雇い世話を申し付けるが、幼子にとっては悲劇の始まりでしかなかった。


激務の合間に老人が様子を窺いに行った時、乳母である女が幼子の首を絞めている光景を目の当たりにする。
老人の視点から見ている横島も、幼子に対する乳母の血走った眼が尋常でないと感じていた。
幼子をすぐさま救った老人は、乳母と教育係を即座に首にした。そして新しい世話役を雇うが、こちらも同じ結果となった。
世話役達は老人の目を盗んでは、幼子をあらゆる方法で殺害しようとした。
言葉荒に詰っては幼子ひとりに乱暴狼藉。蹂躙し惨たらしく傷つける。毒を盛り首を絞め、刃物で切り付ける…死の一歩手前が幼子の日常だった。


しかし、老人はすぐに気づくことはできなかった。幼子に、傷の痕が見当たらないことが原因である。
何度傷つけても幼子の体はすぐに癒えてしまう。傷は跡形も無く綺麗に消え、毒も効力が次第に無くなっていくといった高い治癒能力。
そのことに横島は感嘆したが、映像内の使用人はますます幼子を異怖し、どうせ治るのだからと暴力を更に振るうようになっていった。
ようやく老人が気づいた時には、幼子は自閉症で声が出なくなっていた。



何度別の世話役を頼んでも、幼子は殺され掛ける。
故に、老人は火影の職務の傍ら、己の手で育てることにした。
火影邸最奥の一間を当てがい、老人は不器用ながらも懇切丁寧に幼子と接した。その成果もあり、二年後には幼子は声が出るようになっていた。
幼さを含む澄んだ声で淡々と言葉を紡ぐその姿は子どもらしからぬ様だったが、それでも他人に心を開き掛けた証拠であった。

だが、老人の努力は一晩で覆される。


ある晩火影邸に忍びこんだ手練の忍び達に、幼子は再び殺され掛けた。
またもや危機を察した火影が救出したが、クナイで斬りつけられた幼子には他人への恐怖が植え付けられた。



その一件以来、老人以外と口を利かなくなり、ただ書棚の本や巻物を読む生活を幼子は送っていた。
いつ危険に晒されるかと危惧した老人は幼子に身を守るすべを伝授し、その度に言い聞かせた。

「ただ、強く在れ」

木ノ葉の里における全ての忍術を把握していた三代目火影は、持って生まれた幼子の忍びとしての才能を見出す。
幼子はまるで大樹が水を吸い上げる如く、様々な術や技を早急に吸収していった。
その成長ぶりに、歴代の火影の中でも最強と謳われた彼の知る全ての術を教え、鍛え上げてしまう。
気づいた時には、書棚の難しい専門書の知識を蓄積した頭脳も加え、幼子は大人顔負けの力をつけていた。

まさに、最強。至高の極み。

火影である老人を越えるべく、幼子は更に精進する。
すでに老人にも手が届かぬほどの力まで手にしているにもかかわらず、あらゆる知識とあらゆる技、忍術・体術・幻術・医療忍術・封印術・秘伝術・禁術、果ては自身が創りだした術を身につけた。
それはただひとえに、老人の言葉を実行する故。

「ただ、強く在れ」

…老人にとっては、そういう意味ではなかったのであろう。逆境にめげないほどの強い心を幼子に持ってほしかった、それだけだったのだ。
しかし、幼子にとっては唯一無二の味方である老人の言葉は絶対であった。










場面はどこかの会議室へと移った。

火影たる老人と、見知らぬ老人達が対峙している。どうやら里の重鎮らしい彼らは、動揺と非難の目を火影に向けていた。
室内を漂う険悪な空気にはピリピリとした緊張感が交わっている。


「……三代目。九尾の器をいつまで放任するおつもりか?」

ようやくその内の一人が口を開く。その一言は静寂に包まれた会議室に滲み渡った。

「申し上げたであろう?一刻も早く幽閉すべきだと」
「それが駄目ならせめて里から隔離すべきだ」

口々に言い募るその場の面々の顔を冷めた目で見ながら、火影は静かに言葉を紡いだ。
「あの子は木の葉の里で生まれた普通の子どもじゃ……器などと呼ぶでない」



火影の言葉に老人達は耳を疑う。
何を考えているんだと呆れ、直後各々が矢継ぎ早に不平を言い出した。

「我らには里人を守る義務がある。三代目よ、貴公は里を恐怖に陥れるおつもりか?」
「今からでも遅くはない。即刻堅牢に幽閉すべきだ」
「封印が解け、九尾に乗っ取られた後では遅いのだぞ!」

火影はただ瞳を閉じ、それらの抗議を黙殺している。


老人達の内一際厳粛な雰囲気を称える老人が詰問するかのような口調で話し掛けた。
「器の幽閉及び隔離という意見に反対しているのは―――三代目、そなただけだ」




そこでようやく火影はうっすらと目を開ける。彼は鷹揚に構えたまま、口許にゆるりと笑みを浮かべた。


「この里は一本の樹じゃ。茂る葉の一枚一枚が里人ならば、若葉たる子どもも木を形作る大切な一人。あの子を合わせて、木の葉の里なのじゃ」
「…里の災厄を、放置するというのか」
「お主らがなんと言おうと、あの子はこの里で生まれた大切な、大切な子どもじゃ」
一言一句噛み締めるように言い切った火影を、老人達は訝しむような表情で見遣る。
「四代目が施した術じゃ。そう簡単に破れはせんよ…もう少し気楽に構えたらどうじゃ?わしのようにの」
食えない笑みを浮かべるが真剣な色を帯びる眼で火影は真っ直ぐに老人達を見据える。彼の視線にその場の面々はたじろぎ、そして悟った。
断固として反対する火影とこれ以上議論を上下しても無意味だと。




「………――――今は火影に従いましょう。しかし九尾の兆しが少しでも垣間見えたその時は―――――」
「即座に幽閉し隔離する」
納得のいかない顔をしながらも椅子から立ち上がった老人達は、火影に背中を向ける。



「いつ封印が解けるか九尾に乗っ取られるか…どちらにせよあの災厄の再現は避けねばならぬ」
「未だに災厄の爪痕が皆の心に残っているというに、器を野放しするとは何をお考えなのか」

火影への不平不満を態と大きな声で言い合いながら、彼らは会議室を後にした。バタンと扉の開閉音が室内に響く。





会議室には先ほどまでの鷹揚とした態度とは裏腹に、苦々しげな表情で扉を睨む火影の姿があった。
 

 

五 狐の道化 後編

 
前書き
ナルトの過去、後編です。前編と同様、ネタバレ満載・捏造だらけとなっております。
詩のような文章が多いわ、やたら長いわと面倒に思われるでしょうが、なにとぞお付き合い願います。
 

 

まんまる月が闇を彩る夜。


月の如く金の髪を持つ幼子はいつものように無表情で「お願いがあるんだけど」と口にした。
滅多にない幼子からの頼みに火影は口許を緩ませたが、その内容に驚愕する。

幼子のお願いとは――――木ノ葉隠れの里・火影直属の影の部隊―暗殺戦術特殊部隊・通称暗部に入りたいという事。

火影は反対した。しかし幼子は断固として譲らなかった。



里の重鎮が忌避の対象として己を見ていると、幼子は察していた。そして唯一弁護しているのが、目の前の火影だけだとも。
重鎮達がもし幼子の実力を知ればどうなるだろう。強硬手段を使ってでも幽閉し隔離する事が目に見え、聡明な幼子は力を隠さねばならぬと確信していた。
それ故力の無い子どもとして振舞うのが妥当だと、この時点で考えていたのだ。
けれど日頃罵声を浴びせられる身を唯一案じてくれる三代目火影を、身を守るすべを指南してくれた彼を幼子は守りたかった。
表では弱い子どもを演じつつ、裏では火影に教わった力を存分に発揮したいと常日頃願っていた。

そのため素顔を仮面で隠す暗部に入る事が幼子の目標となったのだ。加えて『忍は里人を傷つける事は許されない』という掟を尤も厳重に取り締まっている暗部は、幼子にとって自制する場所にちょうど良かったのである。


いつ里に対して我慢の限界が来るかわからない。けれど三代目火影は守りたい。

矛盾する思いは幼子を暗部へと駆り立てた。考え倦んだ故の幼子の結論に、火影たる老人は何も言う事が出来なかった。




結局、火影は折れた。
九尾襲来で多くの忍が逝き、人材不足だったこともあるが、突き抜ける蒼天のような瞳で見つめる子に圧倒された。
それに加え、幼子の次の言葉に陥落してしまったのである。


「じいちゃんを影で守りたいんだ」


(……じじ馬鹿だな)と、横島は納得した。








ただ、里の長たる老人だけが、子どもの居場所。
しかし長以外の人間には、いつでもひどく暴力を受けた。

体と心どちらも、抉り、貪り、つき落とすその力。
それはいつも繰り返される。
何度も。何度も何度も。
その醜い暴力は、純真だった子どもを黒く染め上げる。
人間の汚い部分ばかりを知識として蓄積してしまった彼は、感情を知らない。
ただあるのは、生きるすべに身に付けた力。
何度も死の淵から生還する合間に、自然と覚えた暗殺術。
現役にプロフェッサー、忍の神とまで呼ばれていた火影から伝授された、忍術の全て。
そして己の体を顧みない無茶な修行をした結果…
齢4つの頃には、保護者である里長を守りたいその一心だけで、
火影直属の忍者部隊―暗殺戦術特殊部隊、通称暗部の総隊長まで上りつめた。



月がぽっかり浮かぶ夜。
子どもは月下のもと、踊る。
お祭り帰りのような狐のお面を被って、くるりくるりと体を翻し。
スパリスパリと、幾人もの丸太を斬る。
綺麗な切り口を残すソレらを、天高く舞い上がった炎が焼失する。

月の出ない夜には、子どもの珍しい金の髪が月色に輝く。
月の影が落ちたと思った者が空を見上げた頃には、ぐらりと頭が傾いて。
ごとり、と落ちる。
一つから二つに増えた影を踏み越えて、小さな月は駆ける。
けおされて見る影もないことを[月の前の灯]というが、消えるのは命の灯。

血飛沫を浴びるは、狐の道化。
闇を彩るは、曇らぬ月。

道化の化は、姿をかえる。月と見間違えば、生が終わる。
――――闇に浮かぶ月は、味方ではない。


これらから、冷たい月の代理人―【月代(つきしろ)】と、いつしか呼ばれていた。
偽りの名。
悪妙高い本当の名より、その名は慕われ、崇められ、敬服される。
太陽の下、悪妙高い嫌われ者は、ドベな悪戯小僧と認識される。
月下にて、少しばかり成長させた体へと姿を変えれば、その認識は一転される。

偽りの容姿。
悪意しか向けられない本当の姿より、情愛され、偏愛され、敬愛される。
自然に子どもは、狐面の下にも面を被るようになった。
道化の表情の下には、能面。
強固な拒絶を指すその厚い仮面は、破れない剥れない罅も入らない。
名を偽り、姿を偽り、己自身も偽って。
子どもは生きた。



月を思わせる鮮やかな金髪の子ども。彼には、多くの異名がある。

昼は、里の嫌われ者・狐のガキ・化け狐・ドベ・馬鹿・悪戯小僧・意外性ナンバーワンのドタバタ忍者…。
夜は、月代・任務達成率100%の死神・禁忌とされた狐面を唯一許された者・里最強の火影を遙かに凌駕する幻の存在・ビンゴブックにすら載らぬ伝説の暗部…――。


狐という共通点があるにしろ、完璧なまでの演技力と天と地の差である両者の実力は、周囲の者の感覚を麻痺させる。
なんせ片や、笑みを絶やさない太陽のような子。何をしても上手くない、不器用で愚鈍で底無しに明るい生意気な悪戯小僧。
片や、表情に乏しく冷たい月のような狐面者。類稀なる才覚と八面玲瓏な容姿を併せ持つ噂だが、素顔を見た者は火影以外では存在しない、最強にして最凶。
同一人物だと、誰も気づかない、気づかせない。

嫌われて偽って憎まれて偽って暴力を振るわれて偽って人々を守って偽って毒を盛られて偽って里を護って偽って殺されかけて偽って、
偽って偽って偽って………―――――――――繰り返される日々を子どもは生きた。
世界に存在を認められずとも正しく忍びの性たる堅忍の精神で、ずっと耐え忍んで生きて、きた。




映像を見ながら、横島はぐびりと喉を詰まらせる。
あまりに過酷な子どもの生きざまに、目を逸らしたかった。
今更だが、人のプライバシーに踏み込んでしまったことで罪悪感が募る。しかし、それよりもまずこの里の実態に嫌悪した。嫌悪感を抱く横島に構わず、再現フィルムの記憶は流れていく。









そうして幾分か季節が廻り、再びまんまる月が闇を彩る夜。

執務室で独り、何かを思案しながら三代目火影は書類を眺めていた。暫くして一息ついた彼は、静かに筆を机上に擱く。
そのまま椅子に深く腰掛け、唐突に口を開いた。
「月代よ、長期任務を言い渡す」

何の脈絡もなく部屋に響いたその言葉に、人の気配が薄くだが露わになる。
黒が基調の暗部服を身に纏い、狐を模した白い面を腰に携えた、金髪の美青年が突如現れた。
中性的だが端麗な容姿のその青年に、横島は思わず(…美形は嫌いじゃ―っ)と悪態をつく。
しかし次の瞬間、火影と青年のやり取りに目を見張った。

「わしの前では本当の姿を見せてくれんか?」
「…別に、俺自身を成長させただけだけど」
「それでもじゃ」

軽く溜息をついた青年は気だるげに、白く繊細な手で何かの印を結んだ。
ぽんっと軽い破裂音と共に、煙が立ち込める。煙が晴れた時には青年の姿はなく、かわりに横島が路地裏で出遇った子どもが出現した。
(………玉藻の変化、みたいなもんか…)
しばし唖然としていたがそう結論づけて、横島は子どもを見つめる。
以前会った時と、子どもを纏う雰囲気が全く違っている。遭遇したのはたった一度だが、横島にとってはそれで十分だった。

あの時の子どもを太陽と例えるならば、今火影の前にいるのは真逆の月のようである。

「…任務内容は、アカデミーの入学じゃ」
「…誰の?」
どこか達観した瞳で執務室の窓から外を覘く子どもは、火影の方を向かずに口を開いた。
「…………お主のじゃよ」
「断る」

火影の言葉に、一瞬子どもの瞳に不安の色が翳った。しかしそれは本当に一瞬のことで、すぐさま冷静な表情に戻る。
一蹴した子どもに火影は内心冷や汗を掻き、その感情を見逃してしまった。しかし横島は、子どもの些細な感情に敏感にも気づいていた。
子どもの言葉が聞こえなかったふりをして、火影は更に言い募る。

「アカデミーに入学。そして忍者を目指す…その裏でアカデミー生の護衛。それが任務内容じゃ」
「……つまり護衛対象のいる環境に紛れ込め、という事か」
「察しが良いのぅ…わしとしては任務を抜きにして学生生活を楽しんでもらいたいのだが…」
「……ッ」

押し黙り、口を結んでしまった子どもからの返事を、火影は辛抱強く待った。
忍者を養成する学校―アカデミーと呼ばれる建物は教師や生徒は勿論、多くの忍が出入りする場所である。里の中枢にあたり、尤も安全な処と言われている。
しかし人を信用も信頼もできぬ子どもにとっては、地獄そのもの。

火影は暗部任務を淡々とこなす子どもがいつも独りだと知っている。別の暗部と共闘する際も必要以上に距離を置き、常に単独を好む。
そんな子どもが嘆かわしいと感じたため、今回このようなこじつけの任務を与えたのだ。友人、せめて己以外の理解者を子どもに持ってほしいという切実な思い故である。


「……何を期待してるか知らないけど」
火影の真意を察した子どもは抑揚の無い声で、しかしはっきりと言い切った。
「じっちゃんの望みは叶わないと思うよ」
断言する子どもの姿に胸が張り裂けそうになりながらも、火影は命令を下す。

「…もう一度言う。うずまきナルトは忍者を目指しアカデミーに入学すること…火影の命じゃ」
「…………………御意」
承諾を返した聡明な子どもはもう一度窓の外を一瞥すると、至極面倒だと目を伏せた。



傍から見れば狐と狸の探り合いである。しかし、横島は子どもの心情がまるで手に取るように理解できた。
(……………怖い、よな…)
深い闇を小柄なその背に負い、表裏一体の光を併せ持つ子ども。
しかしその実態はまだ幼く繊細で脆い、ただの子どもだ。



音も無く、気配の余韻すら残さず、子どもは火影の前から掻き消える。
まるでそこに最初からいなかったような、完璧な存在の無。
執務室から子どもの気配が完全に消えたと確認し、火影は大きく息をついた。
「…いっそ、里を捨ててくれれば、幸せになれたのかのう…」
今この場にいるのは、火影としてでなくただ子どもの幸せを願う老人と、そして老人視点の横島のみであった。
「…誰か、あの子を救ってくれる者が…いや、………………いかんな、年をとるとどうも涙腺が弱くなる」

人知れず、老人は袖で目許を拭う。その様子を横島はじっと見ていた。








最高機密事項として下された厳命。
九尾について他言しないようにと、三代目火影は里全体に言い渡した。
しかしながら、例え処罰が下るとしても、里人は九尾に憎しみを抱く。厳しく管理されているからこそ、里を襲った災禍に恨みを持つ大人達は益々怨言を並べた。
高まるその怨嗟の声は、自然と九尾を体内に封印された子どもへ向けられる。

三代目火影は、子どもが四代目の子だという事実をも直隠しにしていた。
旧家や血継限界の子どもでさえその血筋故に誘拐されるというのに、若くして才能に溢れていた四代目火影の子だと知られれば子どもに危険が及ぶ。
そういった理由からの隠蔽だったが、それは全て裏目に出た。
四代目火影の逝去の元凶だと、里人は子どもと九尾を同一視するようになる。
彼らにとって四代目はかつてない程の人望を集め、敬愛に値する存在だったが、その息子は疎ましい存在であった。

態と聞こえるように言う陰口はもちろん、影に隠れての暴言や暴行。それは里人だけでなく一介の忍びも含まれる。特に四代目を尊敬していた忍びの多くが子どもを敵視した。


仮初めの街並みで、石が投げられ、罵声が飛び交い、泥水をかけられるのはもはや恒常。
平和という名が相応しい人々の穏やかな生活空間は、一人の子どもの犠牲によって成り立っている。
それは下学上達という名の狭き学び小屋でも、繰り広げられる日々。

アカデミーに入っても、里内と変わらぬ負の感情を金髪の子どもは一身に受けていた。
壇上にいる教員からの殺気や陰口は当たり前。里か親かアカデミー教員か、どちらにせよそれらの影響から生徒である子ども達からも虐められる。
無垢な子ども達は、過去に囚われる大人達からすでに染められていた。

そんな大人と子ども達の前で、金髪の子どもは如何にも子どもらしい快活な笑みを浮かべる。
幼稚な悪戯を仕掛け、なんにでも大袈裟に振舞い、生意気な悪戯小僧の一面。
その様は、誰が見ても力の無い子どもに見える。弱く愚鈍な人間だと、誰もが思う。
それらが全て偽りで、単なる子どもの演技だと知らずに、里人は枕を高くして眠りにつく。
寝静まった闇夜に、里の嫌われ者たる子どもが里を救っていることも知らないで。


子どもが暗部に所属していることを知っているのは、火影のみ。
孫のように可愛がるじじ馬鹿の火影は、横島を監視していた手段を使って子どもをいつも見守っていた。


アカデミーをようやく卒業した後も、里の長でありじじ馬鹿な老人は、結局子どもにとっての理解者も本当の友人も出来なかったことを憂い、更なる任務を下す。
渋い顔つきで溜息をつく子どもに申し訳なく感じながらも、同年代の護衛任務を彼らが中忍昇格するまで延長させた。
草刈りとペットの散歩におつかいレベルの荷物運び、暗殺と重役護衛に諜報と殲滅、といった極端な仕事。
二足の草鞋を履きながらも、淡々とそれらをこなす子どもの姿に、横島は(すごいギャップだな…)と感想を漏らした。







舞台は、どうやら最近の物事に発展し、この人生フィルムも終わりに近付いている。

虎視眈眈と狙う他国か、こそこそ暗躍している者達を諜報した子どもは、様々な方面に目を光らせなければならなかった。
相手の目的を知るため、中忍試験をだしにするという火影の計画に乗ったのは仕方なかったといえる。
表のドベ忍者として試験を受けるにも拘らず、警備と救護に当たる子どもは、ほぼ休み無しで動いていた。
それでも火影の判断に異を唱えず、子どもは着々と遂行していく。

精神的に追い詰める筆記試験に続いて、サバイバルという名の二次試験にて失格者が続出する。
それでも例年より多かったため、急遽行われた最終試験の予選を勝ち抜いたのは、表の道化を被る子ども。
全身で喜びを表す道化の心中は、ここまで昇ってきた快挙に何の感慨も持っていない。

三次試験の予選終了から本戦までは一ヶ月の日時が空いている。
ここぞとばかりに暗部の仕事が入る子どもにとっては、何の慰めにもならないけれど。
昼間は三忍の一角である男に修行を見てもらいつつ、夜間は火影の意思のもと暗躍していた。


予選終了日の翌日の深夜。
子どもに任務を授け、書類を片付ける傍ら、火影はいつものように水晶玉で動向を見守っていた。
一介の忍びには困難な、子どもにとってはこれ以上ないほど楽な任務――殲滅。

敵対する他国から潜入してきた忍び達。逸早く彼らを排除できるのは、子どもの実力があればこそ。
絶望の色を孕む、声にならない絶叫がほんの数分で途絶えた。愛用の忍刀の血を払うと、累々と積み重なった死体をいつものように特殊な炎で焼失させる。





そんな折に現れたのだ。
無言の闇に形作られた空間の中。ぱちんっと、白い光が弾けて。

落ちてきたのは…――――横島だった。
 

 

六 孤影


水晶玉に映る自身と子どもの姿を、火影は食入るように見ている。
(あの時、このじいさんがあまり動揺しなかったのは、この水晶玉で覗いていたからかい…)
子どもとの初対面後に執務室へ連行されたことを思い出して、横島はつっこみながらも冷静に潮時を見極めていた。

(…ここまでか……)
己が登場してからはこれ以上記憶を探ってもさほど変わらない。そう結論づけた横島は、文珠の制御をようやく解いた。



一瞬にして、今の時を刻む執務室に横島は立っていた。
先ほどの光景と同じく水晶玉を見る火影から離れると、文珠の効果をそっと打ち消す。


気づけば、水晶玉に映っていたはずのベッドの上に座っていた。きちんと精神が元の体へと還ったようである。
慌てて時計を確かめる。時間にしておよそ10分。長い長い記憶旅行は、実際に刻む時の空間では些細な事だったらしい。
しかし、変わらない時の流れにいても、それでも横島はいてもたってもいられなくなってアパートから飛び出した。







走った。とにかく走った。
人目など気にせず、ある一色を目当てに横島は街並みを縦横無尽に走る。
里の地理は、火影の記憶からぼんやりとだが知っている。
しかし複雑な造りの市街地と、中忍本試験を観に来たらしい人々の賑わいに戸惑い、捜索はなかなか円滑には進まなかった。

目の端に金色が映るたび足が止まるが、すべて空振り。
滴る汗を拭いもせず、走りっぱなしで疲労した両脚を叱咤する。しかし人間離れと言われた横島も、朝から全力疾走していれば疲労の色が見え隠れする。
口内を占めるしょっぱい味が、ようやく彼の走る速度を落とした。


息を整えようと、膝に手をついて地を見つめ、ふと空を見上げる。
青空はすでに色を薄め、橙へと移っていた。落ちる夕日に、一瞬心が掻き乱される。
視線が夕焼け空に釘付けとなり。地平へと沈みゆく朱を目で追って、偶然か必然か、彼は見つけた。






(…確か、第三演習場…だったっけ…)
人目につかないだろう茂みに雑じり、僅かに金色が見えた。
駆け足で向かったそこで、当たってほしくない予想が的中し、横島は下唇を噛み締めた。物言わぬ夕焼けが、血の緋色を思わせる。



ぽつんと打ち捨てられたように蹲っている小さな子どもは、血濡れだった。















息は、している。


横たわった小柄な身体が、確かに動悸を繰り返していることに一抹の安堵を覚えた。
そして次に沸き起こったのは、やり場の無い苛立ち。胸に渦巻く、消えない嚇怒。
全身の打撲傷に加え、明らかに刃物で刺された痕。
明るいオレンジの服は汚れて、子どもの顔色と同じ土気色になっていた。

なぜ自分はもっと早くこの場に来なかったかと、横島は無性に腹が立った。
(【癒】か【治】…ッ)
焦燥感ばかりが募り、ストックしていた文珠を出そうとする。そんな彼の腕を、小さな手が押し返した。
「へ…平気……すぐ、治る…ほっと、いて……」
殴られたと一目瞭然の腫れぼった瞼。潰れた喉からは掠れた声。
見えない相手に、途切れ途切れだが言葉を紡いだ子どもの、明確な拒絶に息が詰まる。


(………――――ああ、コイツは、)


唐突に理解した。
周りは全て敵。
如何なる時にも隙を作らず。己の領域への干渉を許さず。
頑なに拒絶を繰り返し、孤独に慣れ過ぎてしまったような。
ただ、壊し方しか知らない脆い硝子玉。


目を細め、横島は憤る。何の苛立ちなのか、どこへ、誰に対しての怒りなのか。
行き場を失った腕は矛盾した腹立ちを抱きながら、子どもの身体を背負い上げようとする。一時の盲目な子どもは、その不可解な動きに抵抗を見せた。

「なに……ッ!!??」
「帰ろう」


ピタリ、と。子どもの動きが止まった。
「お前……」
見えざる相手が同居人だと気づいた子どもに、横島は手を差し伸べる。
思わず手を伸ばそうとし、はっとして子どもは慌てて手を引っ込めた。触るな汚い、と幾度も言われた光景が子どもの脳裏に浮かぶ。
そんな躊躇する子どもの手を、横島は硝子玉を扱う如くやんわりと握った。

「いつまでもこんな原っぱで寝転がっててもしゃーないだろ?手当は、アパートですっから…だから」




一緒に、帰ろう?……―――――――――









朱と橙にいつしか群青色が混ざり、紅の空は何時の間にか蒼へと塗り替えられていた。


静謐な夜の海を、横島は走る。背中へ振動が行き渡らないように気を使いながらも、彼の足は速まっていく。

怪我に響かないようジャンバーを被せ、そのまま子どもを背負い上げた横島はアパートへの帰路を急いでいた。
背負い上げた際、子どもは最初抵抗したが、今はおとなしく背負われている。どちらかと言うと硬直状態に近いが、それでも横島は胸を撫で下ろした。
最終的には強行手段として文珠を使うつもりだったので、使わずに済んでほっとしたのだ。

背中越しに感じる重みは、普通の子どもより遙かに軽い。
あまりの軽さに本当に子どもを背負っているのか、横島は何度も振りむいて確かめた。



ようやく着いたアパートへ転がり込むと、いつも自分が寝ているベッドに子どもを横たわらせる。
何時の間にか寝息を立てていた子どもの寝顔は、普通の子どもと変わらない。しかしながら、あどけない寝顔に反して赤黒く腫れた皮膚が普通とは違う事を証明している。
ストックしていた文珠を出そうとして、ふと横島は気づいた。
あれだけ痛めつけられた子どもの身体の傷が、少なくなっていることに。よく見ると、腫れも子どもを見つけた時に比べてひいている。

(……高い、……治癒能力……)
文字通り、火影老人の記憶を遡り、見た子どもの力。
(便利だと、…思うけど………)

それに見合った子どもの代償は余りに大きい。
自然に癒えるその身体に、それでも横島は文珠を使って怪我を治し、きれいさっぱり消えるとわかっていても包帯を巻いたり消毒するなど、治療の手を休めなかった。
一通り己に出来ることをやり終えた横島は、明け方近くになってようやくベッド脇にて眠りについた。












(不覚だ……………ッ)


窓から溢れた白い光に、うっすらと目を開いた子どもは自身を叱咤する。
如何なる時にも隙を作らず。
いつも生命の危機に恐怖すると、本能が体を動かした。
それが、昨晩得体も知れない監視対象に背負われ、あまつさえその背で寝るだなんて。

(…騙される、かッ……)
真摯な顔の偽善者達に騙されてきた子どもは、その経験から相手の裏を見出そうとする。

だから。

欲望も恨みも憎しみも畏れも欺瞞も打算も同情も、当て嵌まらなかった彼の感情に。

(騙されるもんか………ッ)


……――――子どもは信じない。何も、信じられない。
自身でさえ、信じるといった感情が理解出来ないのだから。





―――――――よって子どもは、己の体の不調にも気づくことが出来なかった。

 

 

七 念い(おもい)

横島が目を覚ました頃には、寝床たるベッドはもぬけの殻だった。



(はぁっ!!??)
驚愕して跳ね起きると同時に、子どもに掛けたはずの毛布がぱらりと落ちる。
(…ッ、あの馬鹿っ!!)
寝癖で髪が跳ねているのに拘らず、横島は子どもを捜そうとし、そのまま何かに引っ掛かりつんのめった。
しこたま頭を打ちながら足をとられた何かを見て、一瞬呆気にとられ。
直後に横島は血の気が引いた。


どこかに行こうとしていたのか、子どもは数歩進んだところで力尽きて倒れたらしい。
うつ伏せになって倒れている金髪を慌てて揺さぶる。
すると横島の頬にむっとするほどの熱気が触れた。荒い息を繰り返す子どもの額にそっと手を置く。

「…つか、熱すげえ高い…」
昨日殴られたであろう瞼の腫れはとうにひいているが、その顔は熱に浮かされ歪んでいる。
ストックしていた文珠は使い切ってしまった。【癒】と【治】の文珠を使ったはずなのに、と疑問が横島の頭に浮かぶ。



実は、これまでずっと九尾の治癒能力で生き永らえてきた子どもに文珠を与えたのが高熱の原因である。
内部から治していた体に、外部から何らかの未知の力が加わる。すると【治癒】という同じ力であるが故に互いが競うように快癒へ導こうとし、逆に荒療治となるのだ。
つまり一人の人間に二人の医者がそれぞれ別のやり方で治療し、患者にいらぬ負担が掛かってしまうのと同じ原理。
一つで十分治る文珠は、元々高い治癒能力の持ち主の体内で反発し、スパークを熾す。その火花が今回の熱に繋がってしまったのだ。
最も、慣れればそのような事は起こらないのだが。
しかしそうとは露知らず、対象が目に見える傷だったから熱にまで手が回らなかったのだと横島は結論付ける。


その時、零れ落ちる熱気に抗いながら、朦朧状態の子どもが掠れた声を出した。
「…兄ちゃん、が誰…か知らないけ、ど…俺のことは……ほっと、いて…ってば…」
面をつけていない子どもは道化の皮を頑なに被り、息も絶え絶えに言う。
道化に騙されているふりをしつつ、横島は困ったように目尻を下げた。
「とにかく、病院に……」

世界は違えど、やはり医者という者は欠かせない。三代目火影の記憶で見た病院の姿がふっと横島の脳裏に浮かぶ。
病院までの地図を頭に思い描きながら、横島は預かっている蛙の財布を手に取った。次いで子どもを背負い上げようとしたが。


「いやだッッ!!」

横島の手を跳ねのけ、子どもは叫んだ。辛く荒い熱が喉を塞ぎ、興奮のために咽ながらも激しい拒絶を口にする。
「病院は、嫌い…なん、だってば…ッ!……放って…おけば…治る、から……ッ…」
そう拒絶を主張すると、操り人形の糸が切れるように、ぷつりと子どもは意識を失った。








今まで見た中でも激しい拒絶だった。

けれど横島はその激しさの中にどこか脅えが雑じっているように思えた。この子どもが何の意味もなく拒絶するはずはないと、直感が訴える。
あれだけ虐げられてきた子が、たかだか病院へ行く事に駄々をこねるだろうか。
(里の大人達があんな様子じゃ……医者も同じってことか…)

そういえば火影の記憶には子どもが病気になった描写が一切無かった。おそらく病気になったとしても自分の治癒能力で治るまでヒタ隠しにしていたのであろう。
使用人達の悪行も火影に黙っていたようだし、昨日の暴行も横島が見つけ出さなければ今頃何事も無かったように振舞っていたかもしれない。
(病院につれて行きたいけど……――でも、)

子どもの言い分を考えると、病院みたいな公共の場には行かないほうがいいのかもしれない。
ただでさえ横島は里の部外者であり、見知らぬ人間が子どもと一緒にいれば怪しまれる可能性が高い。普通の子どもならともかく、この子なら猶更だ。

(それでも……――何もしないってのは嫌なんだよっ)
とにかく自分が出来る事をしようと、横島はベッドに子どもを寝かせたままアパートを飛び出した。







火影の記憶を頼りに薬局へ飛び込んでありったけの薬を買い込む。ついでに何か消化に良さそうな食材も。
すぐさまアパートに戻った横島は、ベッドに横たわる子どもの姿を確認し、ほっとした。
もしかしたらまた無理をしているかもと急いで帰ったのだが、その心配は杞憂だったようだ。それでも子どもから眼を放さず、彼はベッドの脇に腰を下ろす。

次いで、横島は再び文珠の生成にかかった。既にストックしていた分は無くなっている。子どもの熱を下げるために、新たに文珠を生成しようと思った。
少しでも子どもの負担を淘汰したかった。
しかし。


「…なんで…ッ…出来ないんだよっ!」
気持ちばかり焦る彼の手には、霊気の霞さえ出なかった。




霊能力を使うのに必需条件は、集中力。しかし霊力が全くない状態の頃の横島は、「煩悩集中――――ッ」とふざけた掛け声で数々の窮地を乗り越えて来た。
これは、自身が最も集中しやすい――欲望を霊能力向上の糧にしているためだと思われる。
そもそも霊能力の源は精神。人間誰しも持つその力を使うのに最も簡単な方法が、感情を入れて引き出すこと。
通常の霊能力者ならばいつでも臨機応変に力を使えるようにしているはずだが、横島の場合大抵が死にそうな状況に突如巻き込まれてしまい、いつも実戦でどうにかしなければならなかった。
この場合、霊能力を高めるために、人間に必ずある煩悩を利用することは正しい反応であるはずだ。…上司である美神令子にはしょっちゅう折檻されていたが。
雇用者として一人の人間を保障する義務を持つはずの美神令子は、彼に霊能としての知識を何一つ教えなかった。
横島はそのまま流されるままに、こういった基礎の基礎を知らず闘ってきたのである。




「くそ、なんでだよ…なんで」

煩悩に頼らずに霊能力を上昇しようとすることは、基盤となる集中力の元がない。この里に来てからも横島は煩悩にて霊力を上げ、それに応じて文珠を生成していた。
しかし、こんな状況で横島も色欲に走るほど馬鹿ではない。今の横島は、ただ子どもを助けたかった。
悲惨な人生を送ってきた幼い彼に、そして道化という仮面を頑なに被る彼に、どこか親近感が湧いたのかもしれない。

「………………頼むッ」

ようやく手からほんのりと霊気が漂い、集束されていった。徐々に玉の形と化すその小さいモノに、横島は希望を託しながらも急かす。
(早く早く早く………ッ)
黄昏時の太陽のような子どもの金の髪が、彼の物哀しい過去を煽る。ふっ、と一度たりとも忘れたことのない蛍の儚い光が、横島の瞳の奥で一瞬瞬いた。



―――――――昼と夜の一瞬の隙間……短時間しか見られないから余計に美しい――――――




(……俺はもう失いたくない…ただ、)
――――守りたいだけなんだ…
そう一心に願った横島の拳から、眩いばかりの霊力が漏れ出した。湧き水のように力が溢れ、霊能力の集束力が急速する。



………―――――――〈煩悩〉から〈守護〉へ、霊能力の集中力たる基盤が移った瞬間であった。













熱は引いた。横島が必死で生成した文珠の効果である。

二度目になると上手く子どもの体に馴染んだらしく、文珠の力は元からの治癒能力に符節を合わせきちんと順応した。
それでもすぐに快癒することはない。そもそも今回の高熱は文珠が原因であるので、昨日使った文珠の影響が体に未だ残っているのだ。
関連し合う二つの力の間に生じるずれが、全癒までの時を必要とする。

その間に横島が出来ることと言えば、子どもの体を労り介抱…もとい看病。
生まれてこのかた、看病なんてしたことが無かった。横島自身体は丈夫なほうだし、一人暮らしだったから病気になっても寝るか文珠で治していた。
だって、病院に行くお金すらない。


(………………いかに文珠に頼っていたかわかるな……)
はかどらない看病。自分の手際の悪さに横島は苦笑する。それでも彼は子どもの傍から離れなかった。
濡れタオルを片手に、汗で額にへばり付く子どもの前髪へ手を伸ばす。


その時、いっそ空を切りとって閉じ込めたような蒼い瞳と、ぱちり目が合った。




「…えっ、と…だ、大丈夫か?」
行き場のない手は虚空で犬掻きした後結局引っ込め、子どもに気遣いの言葉を投げかける。
しかし横島の声が聞こえていないのか、子どもはぼうっと天井を見やる。のちに横島の姿をようやく認めると、彼ははっと息を呑んだ。

「…も、もしかして…兄ちゃん…病院、行った……?」
「…――いや…行かなかったよ」
病院で嫌な気分にさせたんじゃないかをまず気にした子どもは、横島の言葉を聞いてほっと息をつく。そして、そのまま太陽のような笑顔を見せた。
しかし、目覚めてすぐに道化を被る子どもの笑顔が、横島には胡散臭く思える。
だからつい、口にした。

「……道化、被るなよ……」





突如、ひんやりとした金属が横島の眼前に突き付けられた。

 

 

八 狐疑

 
前書き
オリジナルの動物が若干出てきますのでご注意ください。また、文珠を勝手に神器としてしまいました。NARUTO世界の神話に載っているという感じにしたかったんです、すみません。
今まではナルトを子どもと表記していますが、次回からはナルト視点なのでナルトと表記します。ご了承ください。

 

 

無音とは、これほど痛かっただろうか。


クナイの切っ先をぼんやり見つめながら、横島は場違いにもそう思った。


「………どこまで、知ってる……?」

抑揚の無い声で、子どもは問う。寸前の太陽の面影はもはや無い。
耳にした者が背筋を逆立てるほどの冷やかな声色だけが、部屋内に反響する。

「全部」

それに臆さず、横島も子どもの探るような目を見つめた。

互いの視線が搗ち合う。
荒涼たる原野にたった二人いるような、深閑な空間がその場に出来ていた。



こん こん

石像と化した彼らが身動ぎする切っ掛けは、窓を叩く小さな物音。
音を耳にした子どもは即座に身を翻し、警戒態勢を音の発信源へ移行させる。
しかし窓ガラスをノックするその姿を見るとすぐに警戒を解いて、客を部屋に招き入れた。
客は真っ先に子どもの傍へ近寄り、彼の腕へ止まる。

訪問者は、雪のような白い腹に浅葱色の美しい羽を持つ、鷹か隼ほどの大きさの鳥。
典麗な容姿の鳥は、子どもの顔を見上げ、ついっと片肢を上げた。その肢には白い紙が結わえてある。
白い紙を外した子どもの頬を甘えるようにそっと啄ばんでから、鳥は来た時と同じく蒼天へと帰っていった。

受け取った紙の文面を目にし、不愉快そうにフンと鼻を鳴らす。
「【遠眼鏡の術】……じじい、また覗いてやがったな…」
呆れかえったような声を上げる子どもの手元を、横島は窺い見た。

文面には〈暗部の仕事は後に回し、自来也にも病だと言っておいた。今日は休養するように〉と老人の筆跡が並んでいる。
瞬時に子どもが指先から青白い炎を出現させ、その紙は音も無く虚空に溶けてしまった。


「それで?」

四六時中装う道化の顔をしながら、にこにこと子どもは横島を見上げる。ただしその声は表情に似合わず、酷く静かで虚無的なものだったが。

「…覗き魔のじじいが休暇を寄こすってことは、お前が害の無い者だと気を許したってことだ…監視対象が俺の寝首を掻かなかったからだろうな…。なんせ寝込むなんて失態を起こした俺なら、殺そうとすれば殺せたはずだし……何が目的だ?」
ベッドに腰掛け、頬杖をつく子どもに、横島は一瞬何を言われたかわからなかった。

「な…、病気で寝込んでいる奴をほっとけるわけねえだろ!」
ようやく意図を理解して反論する横島を、子どもは不思議そうに見つめる。
「それだけ?……手引きする相手、仲間とかいないのか…例えば、蛇、とか」
「へび?なんじゃそら」

首を傾げる横島の顔を子どもは探るような目で眺めた。透き通った硝子玉のような仄暗い湖の底のようなその蒼い瞳に、横島の顔が映る。
先ほどと同じく、互いの視線が搗ち合った。










「……俺はじじいのように信用できない」


先に目を逸らしたのは子どものほうだった。その表情は道化を忘れてしまったかのように無表情で、しかし寂寞とした雰囲気を湛えていた。
横島のほうも子どもに何と言ったら言いかわからず、途方に暮れていた。だって信じてもらえないだろう。
行為は火影と同じ手段だが、過去の記憶を覗き見たなんて。


部屋を再び静寂が支配したが、子どもの嘆息がすぐにその支配権を奪い去った。

「……ッ…ごほ…っ」
「だ、大丈夫か!?まだ寝とけ………っ」
「触るなッッッッ!!」

パシンッ、と。

体を支えようと伸ばした横島の手を払いのける。
理不尽なその行動に横島は怒気を露わにするが、子どもの顔を見ると表情を改めた。叩かれた手を無意識にさする。
(…そんな顔されたら、怒るに怒れないじゃねえか……)

空を閉じ込めた蒼い硝子玉は、今にも雨が降りそうな曇り空へと揺らいでいた。




一方、子どもは無表情を装いながらも戸惑っていた。
痛みには慣れていたはずなのに。殴られ蹴られ抉られることなどしょっちゅうなのに。痛いのは横島のほうなのに。
手を振り払ったことがとても痛く、激しい後悔が子どもの心を占める。
一瞬触れた指先が、酷く熱く感じた。


「…悪い…。でも大丈夫、だから…その…お前もあまり寝てないだろ…このベッド、使え…」
「病人のベッドをとるか!それに元々お前のじゃねーか」
珍しく歯切れの悪い話し方をする子どもを、有無を言わさず横島は横たわらせようとする。
しかし彼の手が触れる前に、子どもはベッドに沈み込んだ。
まだ警戒し避けているその様子に心が痛んだが、それを誤魔化して横島は明るく声をかける。

「なにかしてほしいこととかないか?なんか飯とか作ろうか?」
「……二日前、お前の料理駄目にしたの覚えてないのか…」
「…気にすんなっ!あの時の飯はマジでヤバかったから!すげーマズくって俺も食えなかったから!」
子どもはきつく目を閉じた。それでも意識は横島のほうを向いている。


「…してほしいこと、と言ったな………じゃあ、なぜ俺が道化を被っているとわかった…?なぜ五日前路地裏で会った表の俺と、今の俺を結び付けた?お前は本当にどこまで知っている?なぜ知ることができた?……聞かせろ」


唐突に、緩んだ空気が威圧を増して張り詰める。同時に、深い深い深海色の双眸に横島は射竦められた。
拒否する事を許さない、常人では意識を失うほどの威圧感が彼の背筋を這う。
しかしながら突風の如く襲い掛かるその圧倒的な威圧を、横島は柳に風と受け流した。


「…聞くよりも、見るほうが早いんだけど」

一種の誘導尋問のような子どもの問い掛けに、横島は意味深な言葉で返す。
そのまま横島はどっかと胡坐を掻き、右手を掲げた。目を閉じてなにやら集中する彼を、子どもは訝しげに目を向ける。

緩やかにしかし確実に変化していく彼の掌に、興味が灌がれて覗き込み、子どもは目を見開いた。
横島の右手からほんのりと霊気が漂い、集束されていく。徐々に玉の形と化した二つの小さいモノが、拳からコロンと零れ落ちた。


「これ…は、まさか…文珠、か」
「知ってんのか?」
「ああ。神器―神々にしか扱えないはずの道具だ。文字一文字で表せるキーワードと共に開放することで、万能に近い能力を発揮………。神話でしか知りえなかったが、まさか本当にあるとは…」
驚愕する子どもの目前で、横島は文珠を拾い上げ、まじまじとソレを見た。

「そんな凄いもんかな~…俺にとっちゃ、お前のほうが色々凄いと思うけど」
「………今の行動からその珠はお前が創りだしたように見えるが、……………………お前、一体何者だ?」


スッと子どもの目が細められる。
目の前でお気楽そうに見えるこの青年が文珠の創り主であったことに驚いたが、同時に侮れない人物と認識した。子どもの心に、久方ぶりに緊張が奔る。

横島というこの人間が敵ではないと思いたい。けれどもし、火影に敵対する人物であれば、横島を子どもは何の躊躇も無く葬り去るだろう…相討ち覚悟で。

表情には出さない。けれど子どもの双眸は抜き身の刃のような鋭い光を宿しており、横島を見極めようとしていた。




それを知ってか知らずか、珠を弄ぶように拳の中で転がしながら横島はなにやら考え込んでいる。
直後に白い光が彼の右手に雲集し、蛍火が瞬くようにポッと二つの文珠が輝いた。

「コレで俺の記憶を見てもらうことが、さっきの答えになると思う」
「……その文珠が安全である保障は?」
差し出された二つの光輝く珠を手に取らず、子どもは試すような心持ちで問い掛ける。

「……害になるとすれば俺のほうだと思うぜ。過去を全て曝け出すなんて恥ずかしい思いすんのは俺で、お前は情報収集とさっきの答えを得る……どうだ?」
逆に試すように煽られ、興味を覚える。知識に貪欲な子どもは、実際文珠に興味津々であった。


(……どうせ久方ぶりの休みでやることもないしな……試してみるのも悪くない、が)
逡巡する子どもの心を読むように、横島は立ち上がる。


「さ~て………ちょっくらナンパでもしてくっかな。この里、けっこう美人多いし~」
文珠を床に置きっぱなしにして、鼻歌まじりに横島は部屋を出て行った。

その後ろ姿を見送り、バタンと開閉音が耳に届いた途端子どもは床へと手を伸ばす。躊躇しながらそっと掴んだ二つの珠は創造主がいないにも拘らず淡い光を放っていた。
それぞれの珠に一つずつ、文字が記されている。

【記】【憶】



ちらちらと明滅を繰り返す二つの珠は、瞬く間に子どもを記憶旅行へと誘った。
 

 

九 道化師は哂う 前編

 
前書き
この話を書くきっかけは、GS美神原作で横島が記憶喪失になる回から、もしあの記憶喪失状態が横島の本当の性格だったら…という妄想から始まりました。また、霊能力もいまいちわからないので精神的なモノ→性格?と勝手に書きました。(美神が鞭だったんで…)
ネタバレ・自己解釈・捏造多数、更に横島を美化している節があります。ものすごくシリアス、加えて心理描写が多いです。ご注意ください。

 

 

当初、両親に恵まれ多くの人間が自然と集まるその姿に、子ども―――ナルトは嫉妬を抱いた。

一言で言えば、横島忠夫という人間が子どもと大人の中間という今の年齢に達するまでの成長話。
赤ん坊から子どもに、少年から青年に。

女癖が異常に悪く、馬鹿でスケベな男の性に、三忍の一角でエロ仙人の異名を持つ男がナルトの脳裏に一瞬浮かんだ。


横島自身の視点から見た映像は、まるで映画のように流れていく。それと同時に、彼の心情が手に取るようにナルトの頭へ流れ込んできた。
映像における行動に反して内心では後ろ向きな考えを持つ横島に、次第に嫉妬という概念が無くなり。
映像内の幼子が今の横島の面差しに徐々に似ていくその様を、ナルトは目を瞬かせて眺めていた。











世界同時株安の影響を劈頭に脱した日本は、投機が投機を呼ぶ連鎖反応により開発ラッシュを迎えていた。しかしながら金融融和を背景に、増大する不良債権の中には霊的不良物件も含まれる。悪霊が巣食うビルや呪われた土地。

そういった問題を解決するのが現世の陰陽師であり退魔師のゴーストスイーパー―――GS。
不良物件の霊瘴を取り除くGS達は、その機に応じて無尽蔵に躍動していた。




GSが活躍する時代に生まれた横島忠夫。
彼は当初、霊能力のレの字も知らない子どもだった。けれど環境から、横島は普通の子どもではなくなっていく。
その原因が道化――ピエロだった。


幼子の頃、一度だけサーカスに連れて行ってもらったことがある。
普通の子どもなら、ライオンなどの猛獣を扱う動物芸や空中ブランコといった派手な曲芸に目を輝かせるだろう。しかし横島は、中でもピエロが気になった。その泣き笑い顔を見た瞬間、ドキリと心臓を鷲掴みにされたような不思議な感覚が背筋を這う。他の団員に比べて目立たないのに、客の笑いをとるのに頑張るその姿に、カッコいいとも寂しいとも哀しいとも…子どもながらに様々な感情が渦を捲いた。

元々悪戯好きだった横島は、単なる遊びのつもりでピエロの真似をし始めた。明るくおどけて、皆を笑わせる。怒られても呆れられてもへらへらとした態度をとった。

最初は父母へのちょっとした反抗だった。一般人より抜きんでいる母は、昔から横島にきつかった。尤も彼女は息子に多大な期待を寄せるあまりに厳しかったのだが、幼い横島にはわからなかった。父も母には逆らえず、おもちゃを強請っても滅多に買ってくれなかった。その一方で女遊びが激しい父が妬ましく、同時に羨ましかった。そこで特に女好きじゃなくても父の真似だと思って女好きのふりをした。女好きという共通点を持つ事で父に近づけたと勘違いし、ピエロの演技の上に演技を塗り潰した。厳しい母を困らせ、気を引きたかった。


普通の家族のように愛されたい。皆を喜ばせたい。だからこそあえて自分が笑いものになった。幼い時に出したその結論は、のちに自身の首を絞める事になるとも知らず、彼はおかしな言動を繰り返した。

サーカスのピエロを参考に、横島は演技を繰り返す。
幼いあの日に見たピエロの気持ちを知りたいなんて、そんな言い訳を心に抱き、道化を被り続けた。

わざと大袈裟に振舞い、わざと馬鹿な事をし、わざと目立ち、わざと怒られ、わざと失敗し、わざと皆に笑われようと必死になる。さながらそれは表のナルトそっくりの行動であった。
何の利益にもならないその演技は、日々続けるほど舞台に立っても不思議じゃないくらい完璧になっていく。


しかしながら小学生にもなると、周りは横島が思った通りにはならなくなっていった。
幼馴染と一緒に悪戯すると、横島にばかり矛先を向けられる。悪い事をしていなくても大抵は疑いの目を向けられた。狙い澄ましたように皆が皆、横島を非難した。そして実際に横島が潔白の時は、皆が軽口で弁解した。
仲の良い友達にもどこか軽んじられ、大人達からは問題児と見做される。母には常に呆れられ、父にはよく揶揄される。演技を止めたくても、止められない状況にまで彼は追い詰められた。
加えて父母の意見に従ううちに優柔不断な性格になってしまった彼は、本心を口に出せなくなる。
こういった蓄積が、横島の演技に拍車をかけた。


日常が彼にとっての舞台だった。いつか舞台袖に帰り本当の自分になれることを、それだけを望んで、横島は観客である周囲の人間を笑わせ続ける。しかし完璧なまでの道化自体が横島忠夫だと認識され、気づけば道化に成り下がっていた。

ピエロの気持ちはもう十分知った。もう演技なんてしたくない。

日に日にそう思うが、だからといって演技を止める事は出来なかった。完璧な道化を脱いだ後が恐ろしかった。
どうせ道化を脱いだところで偽者扱いされる。軽口だろうが、宇宙人や悪魔が化けたんだと言われることを予測し、横島は心の中で泣き哂った………―――。


そして皆が自分を理解してくれないのは自分自身のせいだと感じ、有能な父母と端整な顔立ちの幼馴染といった周囲と自身を比べ、己ばかりを責めるようになった。自覚の無いまま傷ついていった横島は、自己不信と劣等感の塊となり、同時に知らず知らず不信感を募らせていく。

笑われる晒し者といった立ち位置であることを常に頭に置き、計算し考え振舞ううちに、道化を被っていることすら忘れていった。馬鹿ですけべでおちゃらけで極度の女好きで能天気で妄想癖があるけど、人気者で中心人物である横島忠夫を演じきる。
皆が求める横島忠夫に扮し、自分が何者なのかでさえ彼は次第にわからなくなっていった。









……果たしてどれほど経っただろうか…―――。
両親が海外赴任したその頃であった。

上司の裏工作により父の勤務先が僻地の海外へ飛ばされたのだ。
そこがナルニアというジャングル奥地だと知った横島は、一緒に行きたくないと駄々をこね、一人暮らしを受理させる。
……本当は己を理解も気づいてもくれない両親と暮らすことが苦痛だった。だから舞台裏に引っ込み、本当の自分になれる時間が欲しかった…ただそれだけで横島は両親と離れ、一人東京に残ったのだった。


アパートで下宿中の横島は、バイト応募の紙を手に街中を練り歩く。学生の身で一人暮らしだと、必然的にバイトすることになる。更に両親からの仕送りは最低限で、彼はかなり切り詰められていた。

そして出会った。


亜麻色の髪を靡かせてバイト募集中の紙を貼る女性に、横島の心臓はドクリと音を立てる。
それは運命の兆候を知らせる音か因縁の残響か。それとも警報音か。
結局、彼は因縁に引きずられ、前世に流されてその女性に抱きつく。運命の分岐点は因縁によって定められてしまった。

その女性―――美神令子と出会った横島は、あれよあれよと彼女の下で働くことになる…自給250円という超薄給で。女好きが禍となり美神令子の色香に迷った横島は、彼女の助手(アルバイト)を始める。


美神令子の職業はGS―――ゴーストスイーパー。いわゆる悪霊祓いである。そんな彼女の下働くようになった横島は、除霊に必要な道具を詰めた大荷物を運ぶなど雑用紛いのことをしていた。
単なるバイトだったはずの横島は美神と共にいる事で、行く先々でなぜか面倒事に捲き込まれるようになる。

そうして面倒事から逃げ延びるたび、一般人だった彼は何時の間にか霊能力者として目覚めていった。
陽の当らない泥中に埋もれていた種が芽を出し、花を咲かせ、実を実らす植物の生長を早送りで見る如く。

若干十七歳という若さで、たった一年で、横島忠夫は急速に成長していく。それは人間としてか男としてか霊能力者としてか。どちらにせよ彼は霊能力の芽を出してしまった……自身の意思に関係なく。



最初の霊能力は[サイキック・ソーサー]と横島が名付けた、霊気の盾。
横島一人だけで闘わざるを得ない状況にて、彼の隠された霊能力が覚醒した。
拳を掲げ、一点集中。
霊気で創った六角形の盾が、横島の拳前に出現する。強靭な防御力を誇るその盾は、出現する間拳以外が全くの無防備になってしまう…諸刃の剣。されど投擲し相手にぶつければかなりの威力を放つ、防御にも攻撃にも使える技。

実際霊力を少し操れるようになった。それだけで、色々変われると横島は思っていた。変われるのが自分自身なのか自身への周囲の認識なのかは考えないようにして、それでも何かが変われると、そう信じていた。
表裏一体のその霊能力は後々幸福となるか不幸となるか、そもそも彼自身の為になるのかは実質誰にも解らない。


次に横島が手にした力は、一般に[霊波刀]の一種と考えられているもの。
右手の甲が淡い光を放ち、徐々に篭の手のような鎧を纏う。
横島は、その右手に光を見た。希望の光、救いの灯…――栄光を。だから彼はその力を、[栄光の手]と名付けた。
伸縮自在に様々な形状へ変化するソレを、最も攻撃力の高そうな武器―剣に象らせて闘う。


そうして最後に手に入れた力が[文珠]である。
足を引っ張っていてばかりの今までの自分を一蹴し、命を賭けた事で身につけた力。
いつか辿り着きたいと願っていた、美神令子の隣。
その理想の立ち位置に上り詰めたくて、彼女の助けになりたくて高めた能力。
横島は、助手ではなく戦友として美神に認められてほしかったのだ。



無類の女性好きを宣言する横島であるが、彼が抱きつく行為をするのは初対面の女性のみ。そして大抵その女性達は、横島を必ず拒むと予想できる人間である。だから会う度に抱きついてどつかれるといった漫才のようなやり取りの相方は、いつも美神だけだった。

意地っ張りで負けず嫌いな性格は、弱い自分を見せないためのもので実は寂しがりやだという美神の本心を、横島は勘付いていた。前世の彼女を慰めたいという、深遠な魂の訴えもあったかもしれない。
セクハラという行為を利用して横島は美神に抱きつく。そうすれば正当防衛という名で、彼女が遠慮なく力を振るえるから。

現世も前世もひっくるめて、横島は美神の我儘を受け入れる。照れ隠しに殴られようが、八つ当たりに蹴られようが、ストレス発散にしばかれようが、横島は大して文句は言わなかった…三途の川は見飽きたが。


そうしてGS仲間と共に様々な困難に立ち向かううち、一般人から程遠くなっていった横島は。
次第に世界を揺るがす大事件へと捲き込まれる事になる。















なるほど、とナルトは思う。
霊能力というモノはその人の性格を如実に現しているのだろう、と。

横島が最初に身に付けたのは、霊気の盾。
強靭な防御力を誇るその盾は、出現する間拳以外が全くの無防備になってしまう…諸刃の剣。されど投擲し相手にぶつければかなりの威力を放つ、防御にも攻撃にも使える技。
しかし使い所を誤れば、どう戦況が転ぶか判らぬ紛らわしい力。その力は、横島の優柔不断な性格と似通っている。

次に彼が身に付けたのは、[栄光の手]と名付けた霊波刀の一種。
様々な形状に変化出来るコレは、確かに応用力が広い。一つの形に留まらず、注がれる霊能力次第で発揮する武器である。
しかし一に定まらずに複数の形状へと変わるその様は、横島の複合観念(コンプレックス)と類似しているようだった。


そして尤も稀有な力―――[文珠]。
神々にしか扱えない、神器という伝承にすらなっているこの力。聡明叡智なナルトでさえも、この珠は神話でしか知り得なかった。

[文珠]とは、霊能力をビー玉ほどに凝縮したもので、漢字一文字の念を込めれば様々な効果を発動する。文珠を生成出来るのは、この世界、神界・魔界・人界の中でも横島ただひとり。更に予め創った文珠は、横島の体内に貯蓄でき、彼の意識下ですぐ出現及び発動出来る。

しかし、厄介な事に一度創った文珠は他の者も使用可能。一歩違えれば、この珠一つで世界を左右出来るだろう。なんせ攻撃・防御・治癒・錯乱とその力の方向性は多岐に渡る。

されど傍目には万能に見えるこの文珠も、その効果は本人の意図に必ずしも沿うわけでもない。
と言うのも、持続時間と持続能力に限りがあり、対象の状態が不適当だと発揮されないといった漠然としたモノで。加えて、その力の制御は難しい。

曖昧模糊なこの力は、横島のはっきりしない性格に基づいている。
それと対照的に、あらゆる力の方向性を完全に制御する文珠は、横島の無量無辺な心と寛容さを表象していた。
他人を受け入れられず殻に籠っているくせに、空の如く海原の如く砂漠の如き洋々とした心を持ち合わせている彼は、酷く矛盾している。

自己不信と劣等感の塊である横島の精神は、酷く危うげだ。
けれど世間からは何も考えていない軽薄で向うみずな人間だと認識され、益々彼は追い詰められている。

そんな横島を支えているのが、彼の潜在能力の霊能力だった。
精神安定剤であると共に、その精神状態に左右される力。その矛盾は、確かに表裏者の横島を現している。






もう一度、ナルトはなるほどな、と頷いた。そして同時に、横島に対して危機感を覚えた。

確かに制限や弱点も多いが臨機応変に発揮する文珠は、絶大な力と言えよう。人間はもちろん神族や魔族も喉から手が出るほど欲しい稀有な力。

けれどそんな事を全く気に留めず警戒しない横島に、ナルトは彼の前途を危惧する。横島の向後にまた凶変でも起こるのではないかと。
表情には出さないが彼は内心懸念していた。

(杞憂であってほしいがな…)

そう思うナルトの懼れた通り、映像は流れていく。その映像を第三者が観れば、先見の明があるのではないかと疑えるほど彼の読みは中っていた。

 

 

十 道化師は哂う 後編

 
前書き
GS美神はギャグ漫画であり原作横島の性格だからこそ安心して読めますが、普通の性格の高校生なら精神的に辛いと思います。弄られている場面も、客観的に見ると苛めになるかと。[人類の裏切り者]とされ扉や机に落書きされたのはかなりキツかったのではないかと個人的に考えています。
そのため最後のほうなど捏造にも程があるといった内容になっています。また美神親子に優しくないです。ネタバレ、詩のような文、心理描写が多数あります。ご注意ください。

 

 


演劇だとか舞台だとか。
別に好きなわけではない……むしろ嫌いだった。

嘘の蝋で塗り固められた燭台の上で、泣いて笑って踊り狂って。
その光景は、いつか見たピエロよりも彼の眼には滑稽に映る。
そしてそれ以上に、自覚もなく演じる自身が滑稽だった。

しかし、いつの間にか。
そう、いつの間にか上手くなっていた……いや、上手くならざるを得なかった。

どこからが本音でどこまでが嘘か、それともどちらでもないのか。
どこからどこまでが演技なのか、どこからどこまでが真実なのか。

嘘に嘘を塗り演技に演技を重ねていくうちに、混ざって雑ざって交ざって…――わからなくなっていた。
本人にももう、わからなくなってしまっていた……―――――――。









美神のもとに現れた、死んだはずの彼女の母親―美神美智恵。時間移動能力者である彼女の話から、人間界に魔王アシュタロスが侵攻してくる事を知ったGS達。
世界を護るため魔王アシュタロスを倒さねばならない、と意気込む美神美智恵。
彼女は日本政府からこの対魔王について指揮を任されていると言い、GS達を自身の指揮下に入れた。その中には当然、横島の姿もある。

敵陣に潜入しスパイをしろと命じられた横島だが、本人はそんな大それた事をしてるつもりは無かった。順応性の高い彼は、すぐに敵である魔王の娘達とも打ち解けていた。
それ故、娘…三姉妹―アシュタロス側と美神―人間側と、二つの陣営の最中に揺れる横島。勿論、魔族である三姉妹が悪い事をやっていると理解しているのだが、そう思わせないあたたかさが彼女達はあった。

そうして共に過ごすうちに三姉妹の長女――ルシオラという女性に惚れられた横島は、彼女が自分に抱く恋心に戸惑う。
横島は魔族だとか敵だとかは全く気にしていない。ただ、初めて向けられた異性からの好意に、疑心を抱いているのだ。

今まで、横島の周囲の女性は皆、彼を扱き使ったり馬鹿にしたり苛めたり嗤ったり…嫌うふりをしたりする。
……実際は、人間にも神族にも魔族にも妖怪にも霊にも、横島は好かれていた。彼の知らないところで、取り合いや牽制が多々あった。
しかしながら、横島本人の前では意地を張ったり照れ臭かったりして、誰もが「横島をどう思ってるか」という問いに「べつにどうでもいい」と答える。
彼がその答えを鵜呑みにしている事など気づかずに。


だから正直に素直な本心を伝えた唯一の女性……―――敵であり魔族であるルシオラに横島は戸惑う。
散々女性に揶揄されてきた彼は、正直、懐疑的な態度を崩せないでいた。








魔王アシュタロスに逆らう行動をとれば、身体に組み込まれたコードによって自動に消滅させられる。
消滅すると解っていても猶横島を愛するルシオラと、彼女の消滅する原因ともいえる横島。
一年しか生きられないという三姉妹の運命と、コードに触れれば消滅する話を知った横島は愕然とする。

聡明才女であるルシオラは理解しているのだろう。命の大切さを短さを。人間よりよっぽど。
そんな彼女が自ら消滅する覚悟を決めた。横島への想い故に。

仏道を極めるために身も命も惜しまない事を、不惜身命という。
それなら彼女は愛のために、自身を顧みないというのか。


「俺に…………俺にそんな値打ちなんかねぇよ……っ」


なぜ醜名極まりない自分を、ルシオラが好きになったのか。
愛するという意味も言葉もわからぬ横島にとっては、理解できない。
だが、これだけは断言できる。
一緒にいた時は短えど、異性の中で唯一自分を。
演技をしている横島ではなく、素の横島忠夫を見てくれたルシオラを。

死なせたく、ないと。


「………今まで俺は、なし崩しに捲き込まれて、俺の意思に関係なく闘ってきた」

だから彼女に、本音をぶちまける。

「けど、これからは!俺は、俺の意志で闘う!」

華奢なルシオラの肩を掴んで、彼は心を決めた。


「アシュタロスは、俺が倒す!!!!」

この瞬間、魔王アシュタロスと横島との闘いが切って落とされた。










闘いは終局へと向かう。
横島につく姉ルシオラは、アシュタロスに随う妹と対峙していた。
真円の月を背景に、蛍の化身と蜂の化身は東京タワーの上空を舞う。

互いが互いの直情のままに。それぞれ慕う者の姿を心に抱いて。

蜂の全力を投じた猛撃。蛍の幻惑を宿した撹乱。
両者一歩も譲らない。

けれど、元々の力の差から徐々に圧され始める、蛍の化身たる姉。
姉妹、同時に放たれる魔力の塊。しかしながら先に撃ち出したのは妹のほうが速かった。
押し寄せる魔力。それは確実に姉―ルシオラに向かって放たれ………。


「今だっ、ルシオラ―――――――――――――――ッッ!!!!」
真っ只中に飛び込んだ横島を呑み込んだ。





突然両者の間に割って入った横島。
彼は魔族の渾身の一撃をまともに食らい、倒れゆく。同時に、遅れて放たれた姉の魔力の直撃を受け、妹は撃墜された。
予想外の出来事に呆気にとられたのも束の間、ルシオラは急ぎ横島を診る。


心臓の鼓動が、体温が、命の灯が、今にも…。

絶望がルシオラの視界を覆い尽くした。



人の身に、魔力の塊それも蜂の化身である妹の妖毒が込められた攻撃を受けたのだ。それを受けた者はものの数分で死に至る。
彼女は、意識を失い眠るような想い人の顔を見つめた。

己の盾代りとなった彼。身を挺して庇った彼。


救いたい、助けたい、守りたい、護りたい。 いかないで、往かないで、行かないで、逝かないで。


「生きて……ヨコシマ………っ」







真黒な脳裏に仄かな光を感じ、ソレを掴もうと手を伸ばす。途端、身体の奥底から湧き上がる熱。
徐々に胸から広がるそのあたたかさに、横島は身を委ねた。

全身を命の水が浸透していくような。肉体の全ての血管に血が廻るような。

硬直していた冷たい指先が、東京タワーの硬い鉄筋をじゃりっと引っ掻く。
重たい瞼をゆっくり開いて、自分を見つめるルシオラと視線が搗ち合った。


ルシオラの無事を喜ぶと同時に、目の前の彼女の微笑みがあまりにも透明で、今にも消えてしまうような錯覚に陥る。言い様のない違和感をすぐさま抑え込み、勘違いだろうと横島は頭を振った。

すぐさま彼女に美神を助けに行けと言われた横島は、後ろ髪を引かれつつも「大丈夫だから」というルシオラの一言に押され、その場を離れる。彼女の身を案じながらも、洪水の如く溢れ返る魔力の渦に向かって、其処にいるであろう魔王のもとへ横島は向かった。

彼はルシオラを信じる故に、素直な彼女が嘘を口にするとは思いもよらなかった。彼女が生まれて初めてついた嘘に、横島はまんまと騙されてしまったのだ。


最初で最後の哀しい嘘は、正しく運命の分かれ道だった。






風前の灯火は蛍火に包まれ、大きく燃え上がる。
蛍火の光はその輝きと相俟って、衰えていく。
灯火は炎となり、名残惜しそうに蛍火から遠阪り。
残ったのは、ちらちらと炎を見送った小さな光。
仄かな灯は音も無く、誰に看取られるでもなく。
ただ想い人との思い出と、一緒に見た夕焼けの紅に記憶を馳せて。
瞳を静かに閉じた。
















横島は今、アシュタロスと対峙していた。彼は策略をめぐらして美神を助け、魔王の欲する『魂の結晶』までも手にしていた。

右手に持つのは【滅】の文字が入った文珠。左手に持つのは『魂の結晶』。

返せという魔王アシュタロスの言葉は耳に入らず、コレを破壊すれば全て終わると横島は思っていた。
しかしながら、ようやく形勢が逆転したかのように思われたその場は、魔王の一言で一転する。

『ルシオラを助けたくないのか』


ルシオラが横島の命と引き換えに死んだと事実を述べるアシュタロス。『魂の結晶』を渡せば彼女を生き返らせてやろうと、甘言を紡ぐ。
衝撃的な言葉を聞き、横島は動揺する。

魔王に『魂の結晶』を渡せば、ルシオラは生き返る。
渡さずに壊せば、世界は救われるがルシオラは生き返らない。



―――――――――――――――――――世界か恋人か。ふたつにひとつ。





齢十七歳の身で、世界の命運を握ってしまった。
どこでどう間違えてしまったんだろう。自分は憶病な人間なのだ。厄介事は嫌いだ、関わりたくない、巻き込まれたくない。

それなのに、今こうして展開の中心に立っている。

流されるまま闘って、何度も死にそうな目にあって。
それでも止めなかった。GS関連で知り合った仲間とのやり取りが楽しかった。GSとして仕事する人達に憧れを持った。居心地のよいバイト先から決別したくなかった。

そうだ、ただのバイトだったはずだ。時給250円で雇われ、霊能力が使えるようになっても時給255円の単なる荷物運び。GSという職は勿論オカルト界にも縁が無かった、普通の高校生だったのに。

それがどうしてGS免許をとっている?GS見習いとして仕事する?時給255円に変わりはないのに、どうして必死に俺は―――…


「なんで………俺なんすか…」
『約束したじゃない、アシュ様を倒すって…!それとも―――誰かほかの人にそれをやらせるつもり!?自分の手を汚したくないから―――』
「………っ」
脳裏に浮かんだ彼女が檄を飛ばす。その諭すような言葉に横島は息が詰まった。


確かに自分は彼女に宣言した。
「アシュタロスは、俺が倒す!!!!」と。
その一言を口にした瞬間は、その言葉の意味に重みを感じなかった。その時はまだ傍観者だったから。
けれど今になってその意味がわかる。いざ直面してようやく理解できる。

自分をはらはらしながら見守るGS仲間が羨ましかった。当初は当事者でありながら、今現在傍観者となっている美神が妬ましかった。そして、当事者として自覚がない自分自身に苛立った。

自分を信じてきてくれたルシオラに嘘はつけない。だから自分の言葉に嘘はつけない。
「倒す!!!!」と宣言したからには、その責任を背負わなければならない。


混乱する頭。震える全身。緊張で顎からつうっと汗がつたう。酸素を求める金魚のようにパクパクと口を何度も開閉するが、声に出せたのはヒューヒューという音だけだった。
時が止まったままならいいのに、無情にも時間は刻々と過ぎる。渋れを切らした魔王に再度問われ、頭が真っ白になった。


『コワシテ、ヨコシマ』


脳裏に響いた女性の声に従う。この張り詰めた空気から解放されたかった。
真っ白な脳はコワシテという言葉のみに占められ、瞳が無意識に壊す対象を探す。
左手に持つ青白い球体は息を呑むほど美しく輝き続ける。全く美しさを損なわないその光が、横島には酷く腹立たしかった。

右手の文珠をギュッと握り締める。そうしてソレを、左手から零れ落ちんばかりの球体に押し付けた。













横島はひとり、東京タワーの鉄筋上で佇んでいた。

何をするわけでもなく何を考えるでもなく、ただただ地平線に沈む紅を見据える。
どこか遠くを見つめる彼の瞳がふと曇った。太陽の光が届かないその翳りの原因は、先ほど伝えられた言葉。

「ルシオラは、横島の子どもに転生する可能性がある」

僅かな希望を胸に神や悪魔に縋っても、可能性はひとつしか知り得なかった。しかしながら子どもに転生という手段は、ルシオラとの恋を断念させる決定打でもある。



周囲の者は口々に言う。

まだ引き摺っているのか 時も時、いい加減乗り越えろ 前を向け 一人の女性にいつまでも執着しないで もっと周りを見ろ もういいじゃないか 他にいい女がいるだろ 昔より今を見ろよ


…慰めの言葉だったんだろう、励ましの声だったんだろう。でも…―――


もはや、雑音にしか聞こえない。


世界か恋人かという命運を掛けた勝負で、横島は世界をとった。
その功績に傍観者達は立派な行いだと褒め称える。しかしながら横島はただ自分の言葉と向き合っただけだった。自分がルシオラに宣言したあの言葉の、責任をとっただけ。

「アシュタロスは、俺が倒す!!!!」という宣言通りに実行したのであって、未だにその選択が正しかったのか横島にはわからない。

ただ彼は世界を救ったのはルシオラだって、皆の心の片隅に置いてほしかった。
それなのに皆、まるでアシュタロス事件が無かったかのように振舞う。
大袈裟なほど横島に気を使い、ルシオラの名前すら口にしないのだ。
特に横島の周りの女性達など、アシュタロス事件の起る前と変わらずにいる。
それは彼女達なりの嫉妬心や焦りが生んだものだったが、横島には解らない。
逆に、誰もがルシオラが居た事実に目を逸らし、思い出話すらしない事が彼には辛かった。

演技をしている故に横島はよく周囲に拒絶され否定される。けれどルシオラを皆が忘れるという現実が、横島にはずっと辛かった。


世界を救ったのは彼女の存在があればこそ。今生きていられるのは彼女の犠牲があればこそ。
不協和を奏でる三界の均衡は、一人の女性の犠牲によって成り立っている。
ルシオラが護ってくれた世界。



横島は瞳を閉じ、夕陽を背にした。逆光を浴びながら、先を見据える。
皆が皆、あの事件の前の横島忠夫に戻ってほしいと帰ってほしいと願っている。
だから。

再び道化を被る。皆が安心するように、以前のピエロをまた演技した。
横島忠夫らしくする事が彼女への礼儀だと思い込んで。自分を好きになってくれたルシオラに格好悪いところは見せられないと、明るくおちゃらけた横島忠夫を演じ続ける。
幼少期からの演技に、もはや疑問すら浮かばない。




表面上、誰にも悟られず誰にも気づかれず、平気なふりを装う。それと相反して、心も精神も魂も愁苦辛勤の闇に囚われ貪られ憔悴していった。
それでも彼は演技の上に演技を重ねて、苦悩の色など一切見せず。観客である周囲の人間を笑わせるため、再び舞台の日常へ、横島忠夫という役柄として舞い戻っていった……――――――――――――――――。














そうしてアシュタロス事件が始まる以前の日常に戻ったと皆が安堵していた頃、横島だけは日々命の危機に陥っていた。

神界・魔界・人間界の三界において、唯一の文珠使いである横島忠夫。
だが同時に彼は十七歳の高校生…未成年のGS見習いである。
アシュタロス事件ではそんな彼を、スパイという戦況を揺るがす大事な任務につけた。それならばそう指示した者が当然責任を迫られる。しかしその責任を回避するために、汚い人間達は真実を闇に葬った……すなわち美神親子を英雄として祭り上げ、真の英雄である横島の事は世間に公表しなかったのだ。

マスコミにより報道された嘘はアシュタロス事件が終わった後も長続きし、横島にはGS仲間のもとにしか居場所がなかった。
学校のクラスメイト達まで率先して庇おうとはしない。道を歩けば裏切り者と誹謗中傷を浴びせられる。
その様子はまるで里から忌避されるナルトとよく似ていた。ナルトのようにあからさまな暴行などはないが、態と聞こえるほどの暴言や罵倒といった悪口雑言は日々絶たなかった。

そしてようやく流れた訂正報道。遅すぎるその発表は「作戦だった」という言葉で締め括られる。
その翌日に横島が学校に行くと、裏切り者扱いをしていたクラスメイト達はGS仲間以外皆「信じてた」などと態度をガラリと変えた。その実、彼の机には[死ね]やら[人類の敵]やら[裏切り者]などと醜悪な落書が書きなぐられている。以前から弄られる対象であった横島は、それにあまり表情を変えず、いつもの通りに笑いに持っていく。

別にクラスメイト達は、横島の事を本当に嫌っているわけではなく虐めているわけでもない。
ただ、面白い反応を返してくれる彼を、いいように弄び、馬鹿にして揶揄しているのである。
いつだってなんだかんだ許してくれる横島だから、皆はその落書の事に対し罪悪感など一切持っていない。故に、笑って馬鹿をする横島の、本心に彼らは全く気づけなかった。



アパートの一室。
扉には[死ね][裏切り者]と、怨嗟の込められた落書が書きなぐられている。教室の机と同じ状況に横島は顔色一つ変えない。
扉を開けて中に入る。そうして、薄い壁故に隣室に聞こえないよう声を押し殺す。低く低く押し殺した、ほんの微かな鳴咽。
身体の奥底から込み上げ、しくしくと軋む心からの呻き声。喉が枯れるまで続けてようやく安堵の息を吐き出す。
そしてまた横島忠夫として、落書だらけの扉を開ける。これが横島の日常だった。



今でこそスパイ容疑は晴れたものの、未だ半信半疑の一般人の中に放り出された横島。周囲は彼に対して疑念を残し、美神親子には欽慕の念を抱く。言わば[真の英雄]たる横島は日陰の存在であり、美神はいつも太陽の下を陣取っている。それでも別にいいと思えた。道化のふりしてやり過ごすのが一番平和だと、彼は不平不満を言わなかった。しかしながら平和に過ごそうとする横島の前に、神族と魔族が立ちはだかる。


人間を除き、アシュタロスを倒した真の英雄という話は三界で騒ぎ立てられた。
今までにないこの例外に神族と魔族は、彼を庇護する一派と放任する一派、そして抹消する一派と分かれる。
抹消する一派は、〖文珠を生成できる彼の力は下手に転ぶとデタント〈緊張緩和〉の崩壊を引き寄せかねない〗と判断した。結局は人間を下等とみなす故に神族や魔族の力を凌駕する可能性の芽を摘み取ろうという身勝手な言動なのだが。
けれどその一派により抹殺指令が神魔界に流れ、人間を軽蔑する者達が我先にと彼を襲うようになった。
そんな状況の真っ只中にいながらも横島はGS仲間にすらその事を知らせず、いつも通り馬鹿でお調子者を振舞う一方で、襲い来る彼らの撃退をなんとか繰り返していた。


散々周囲に疑われていた横島は何を信じたらいいのかわからない。人間界では[人類の裏切り者]とされ、神界・魔界からも命を狙われる。一般人ならいっそ死んだほうがマシだと思う状況の中で、彼は道化を被りつつ生きてきた。
横島はどうしても死ぬという逃げに転じる事を良しとしなかった。ルシオラが自らの命と引き換えに救ったこの命を粗末にする事が許せなかった。
それと同時に三界で厄介者扱いされながらも、それでも世界自体を嫌いになれなかった。

ルシオラの犠牲で成り立っている三界を、彼女が救った世界を、どうしても嫌う事が出来なかったのだ。






そうしてなんとかやり過ごしていた日常は、一件の除霊で覆される。
比較的簡単な部類のそれを、上司である美神に丸投げされ、珍しく一人での仕事。
しかし除霊対象は、報告書にあった情報とはまるで違い、遙かに強力なその相手に元々準備不足だったことも加え、彼は圧されていく。
それでも除霊することは出来たのだが、除霊直後の別方向からの強力な攻撃にあえなく撃沈。
攻撃してきた相手の姿に横島は愕然とする。
なんと神族と魔族、両者の姿が彼の眼に映ったのだ。
今まで彼らは己ひとりの手柄を欲するあまりに単身で横島に襲い掛かってきた。それが今回の除霊では両者が手を組んできたのだ。
全ては横島を嘘の報告書で誘き出し、抹消するために。




(…あ―…もういーかな―……)
敵の手から放たれる、回避不可能な霊破砲を眼の端に捉えながら、横島は一瞬そう思う。
「でも、ま…色気のある姉ちゃん以外に殺されてたまるかあぁ―――――――っっ!!!!」
そんな雄叫びと共に、最後の一つである文珠発動。
込めた文字は【移】―――流石に態勢を整えるため、別の場所へ移動しようと考えたのだ。







その結果………………………なぜか血だらけの死体が転がる戦場真っ只中に墜ちていた…。

 

 

十一 氷解


ふっと意識が浮上する。ナルトは見覚えのあるベッドの上で何回か瞬きを繰り返し、小さく息をついた。

(…………ああ、終わったのか…)


未だ意識ははっきりしない。ぼうっとした頭のまま、ナルトは薄汚れた天井を見上げた。
(じじいの記憶を見たんなら俺の事を知っていてもおかしくないか…)

ナルトの事を全部知っていると言い切った横島。あまりにも堂々たる物言いに、どこで情報が漏れたのかと焦った。横島が木ノ葉の里人でない事はとっくに知っている。そのため中忍本試験の観光客で賑わう今、別里の人間だろうと踏んでいた。


もし横島が別里のスパイならば、敵対国や蛇に情報を横流しする可能性もある。それならば今までナルトがやってきた演技は全て水の泡だ。
尤も彼が忍びではないという事は立ち振舞いで解っている。けれど確実な証拠がないなら警戒を怠るつもりはなかった。
先ほどの横島の記憶を見るまでは。

ナルトと月代が同一人物だと知っているのはナルト本人と三代目火影のみ。その火影から記憶を見たのなら全て知っていてもおかしくないだろう。
三代目火影の記憶を探ったのは本来厳罰ものだが、自身も横島の記憶を見たため強く言えない。

文珠の力に改めて感服する。嘘の記憶を植え付けられた場合も考えられるが、それにしては妙に臨場感溢れるリアルな映像だった。
拷問して自白させる事も容易いナルトは相手が嘘をついているかどうかも瞬時に見極められる。
ナルト同様偽るのが熟達している横島だが、今の記憶旅行は彼が本当に体験した事柄であろう。
この世界にはゴーストスイーパーなどという職種は無いし、霊が見える者も滅多にいない。世界中の情報に精通しているナルトだからこそ断言出来る。

彼―――横島忠夫は別世界の人間だと。





次の瞬間、人の気配を感じてガバリと身を翻す。先ほどまで見上げていた天井に一瞬で身を張付かせた。

「起きたか~………って、またいねぇっ!?」

なにやら湯気のたつモノを抱えてノックもなしに部屋に入って来た彼が、もぬけの殻のベッドを見てうろたえる。その狼狽ぶりに隠れているほうが恥ずかしく思えて、ナルトは天井から降り立った。

「っ、お前……!!ちゃんと寝とけってのっ」

あからさまにほっとする横島の姿に、むずむずとした感情がナルトを襲う。
その感情がわからなくて、彼は不思議そうに横島を見つめた。


「ほら。大人しく寝とけ」
一方の横島は目尻を下げて、ベッドに横たわらせようとナルトにやんわり手を伸ばす。
しかし触れる直前に、彼は動きを止めた。

まだ警戒し避けていると思っているのだろう。その様子に心が痛んだが、その痛みを誤魔化すようにナルトは横島が抱えるモノを見つめた。その視線を察したらしく、彼は照れ臭そうに頭をかく。

「あ―――……コレ、さ。お粥作ったんだけど……。初めてだからマズイだろうし、その…無理しなくていいからな」
最後は申し訳なさそうにもごもごと言う。そんな横島に、ナルトは目を細めた。
どうやら文珠を手渡す際に言った「ナンパでもしてくる」という軽言は嘘だったようだ。

長い長い記憶旅行は、実際に刻む時の空間ではたったの十分ほどしか経っていない。そんな僅かな時間にナンパと料理の両立など不可能だ。加えて若干火傷を負っている横島の手が、粥作りに必死だったと物語っていた。


ナルトは無言で横島に手を伸ばした。湯気を立てる粥を奪い取るように受け取って、一口口に含む。昔からの癖で、無意識に暫く舌の上で転がした。世話役に毎食毒を盛られたために、どうしてもこの食べ方をしてしまう。しかしながら他人が作ったモノをすすんで食べるのは、ナルトにとって初めての事であった。

水っぽく味気ない味。正直お世辞にもおいしいとは言えないもの。
塩を入れ過ぎているのかしょっぱくて、思わず顔を伏せた。
前髪がさらさらと天幕のように下ろされる。金の睫毛を微かに震わせ、蒼の双眸を隠した。
金の茂みの中で零れ落ちる滴に気づかないふりをし、再び粥を口に含む。

その様子を横島はじっと見ていたが、何も言わなかった。








(…強くなった事で、命を狙われるか……)

行動と心情が対比する横島の映像を思い出しながら心中呟く。ちらりと横島の姿を視界にいれながら、ナルトは自らの過去を思い浮かべた。



里を代表する精鋭部隊―暗部を統括する彼の手は、消えない紅がくっきりこびりついている。ナルトもそのことは百も承知だ。生き永らえたこの十三年、自身の手を汚した回数などとうに忘れている……切りが無いからというより、数えるなど無謀だから。

ナルトが初めて手を汚したのは、暗部に入ってからではない。それよりずっと以前…――火影邸最奥の離れの一室を宛がわれる寸前の事。火影が乳母や教育係を世話役として任せていたあの頃…。

火影も誰も知らない事だが、ある忍びがナルトを殺しにきていた。手練の忍び達が火影邸に忍び込んだのは、実は二度目だったのだ。

その忍びはあまりにも残虐な性格で、それ故暗部を降格され出世の道を閉ざされた者だった。彼は九尾の器を消すことで、再び暗部に復帰しようと考えていた。失地挽回し、あわよくば英雄になれると思っていたのである。
安易な考えに満足し、彼はナルトがいる部屋に忍び込んだ。そして。

返り討ちにあった。



それは突然だった。
急に現れた見知らぬ男に、混乱して。部屋の隅でナルトは小さく縮こまった。

助けは来ない。火影ならいざ知らず、毎日虎視眈眈と命を狙う世話役達が来るはずもない。むしろ嬉々として加勢する様子が目にとれたナルトは、悲鳴の一つも上げなかった。

その様子に恐怖で声も出ないと思い込んだ忍びは、余裕綽々な顔で印をゆったりとした所作で結び始める。
印を結ぶその指をじっと見られているなど気づかず、彼は術を発動させようとして。逆にその印を瞬時に覚えたナルトから、同じ術をくらった。

流石に元暗部だけの事はある。加えて残虐な性格の男が最も好むその術は、酷く惨いものだった。
男の身体を炎が包み込む。火柱のように高く燃え上がる猛火。燎原之火の如く、勢いのあるソレは瞬く間に男を灰燼に帰す。

何も残さず、声も無く、忍びの男は掻き消えた。


それを間近で呆然と見上げていたナルトは、ようやく己が何をしたか理解し。あまりの事に声が出なくなった。
火影は世話役達の暴力が原因だと思っていたようだが、実際は目の前で人体が発火し、初めて人を殺したという事実がナルトを自閉症に追い詰めたのだ。








思い出すのは、ついさっきまで見ていた記憶の追体験。

幼い時から命を狙われていたナルト。幼い時から道化を被り続けた横島。
強さを隠す故に道化を被るナルト。強くなった故に命を狙われる横島。

外見も成り立ちも生き方も全く違うのに、同一する点の多さ。
(似て、いるのだろうか……)


空になった皿に匙をカタリと置く。その音に反応し皿を見た横島が笑みを深めた。
映像にて垣間見せた苦悩の色が一切見えない彼の笑顔に、思わず眉を顰める。
しかし同時に、人の事言えないなとナルトは内心自嘲した。




「…うずまきナルト…」
「ほへ?」

唐突に口を開く。塩辛さが舌にまだ残っていたが、ナルトは真摯な双眸で横島を見つめた。


「…俺の名前は《うずまきナルト》だ」


気の抜けた声を上げる横島に、淡々と言葉を紡ぐ。暗部名でも異名でもない、自分の本当の名を伝えた。
暫しきょとんとしていた横島は次第に笑顔を浮かべ、ナルトに手を伸ばす。頭を撫でてくるその手を、今度は振り払わなかった。
未だ己の頭を撫でるその手から、長い間感じなかったあたたかさが伝わってくる。

なんとなく、なんとなくだが、三代目火影以外の人間――この男をナルトは信じてみたいとそう感じた。


「…そっか。改めてよろしくな、ナルト…俺は《横島忠夫》だ」




至大至剛な仮面がピシリと罅割れ、傾壊した境目から剥れ落ちた一欠片。
二人の道化師は、この時ようやく初めて歩み寄り、それぞれの歯車がカチリと重なった。
 

 

十ニ 傷と痕

横島がこの家に来て、10日目。
二人の関係は当初と比べ、激変した。


熱が下がったナルトは、道化生活に再び身を置く。しかしながら三代目火影と横島の前では仮面を外すようになった。また、毎晩アパートに帰ってくるようになったナルトに、横島は心底安堵する。
(少しは……信じてくれるようになったんかな~…)
料理本片手に、横島はフライパンを揺すった。

最近の彼の日課は、おいしい料理をつくる事だ。ナルトをおんぶした際、その軽さに驚愕したためである。
聞けばここ二ヶ月は水のみで過ごしていたらしい。なんでも中忍試験の裏でコソコソしている奴を焙りだすのに忙しかったと言っていたが、言い訳ともとれる発言だった。

幼い頃から毒を盛られ続けたため、ナルトは食べる行為に抵抗があるようだ。しかし昼間は下忍、夜間に暗部という二重生活をこなしているからこそ、横島はナルトの細すぎる身体を心配している。
独り暮らしならカップ麺で済ましていたところを、わざわざ料理本を買って料理しているところが彼の優しさだろう。

ナルトは横島の作った料理を不味くても黙々と食べる。文句など一切言われた事はないが、それでもおいしい物を食べさせたいと思うのは自然の道理だ。したがって本人は気づいていないが、毎日作っているうちに横島の料理の腕は着実に上がっている。



「あ、醤油がない……しゃーねえ、買いに行くか…」
一端手を止めて横島は出掛ける準備をし始めた。とっくに日は暮れていたが、醤油がないとできない料理なので仕方ない。ナルトが帰って来るのはいつも夜中…というより朝方―四時頃なので、買い物してから作っても何の問題もないだろう。
そう軽く考えた横島は夜の里に繰り出した。





鬱蒼とした森。昼間でも気味が悪いその森は、太陽が落ちると益々不気味さを増す。
その森傍の道からこつこつという靴音が響いた。その音は反響し、やがて吸い込まれるように夜の闇に溶け込んでいく。

闇に怯えながらも醤油を片手に横島はのそのそと歩いていた。すると突然、己が立てる靴音以外にカキンという音が耳に入り、思わず足を止める。好奇心からその音が聞こえた森のほうに彼は目を向けた。
しかしふと、すぐ傍の路地裏から人の気配を感じ視線をそちらに向ける。


「お前かぁ~?最近化け狐の家に出入りしてる奴は…」
路地裏からわらわらと現れたのは下卑た笑みを浮かべる男達。彼らは横島を取り囲むようにして近づいて来る。
昨日の夕方にも同じような事があったなぁと横島は内心溜息をついた。その時は「何の事ッスかぁ?じゃ、お疲れさ~ん」と脱兎の如く逃げ出したのだが、今回は周囲をがっちり固められているため逃げるのは叶わなそうだ。
[化け狐]という言葉に素知らぬふりをしながら、横島はさりげなく醤油を持っていない手をポケットにつっこんだ。

「アレか?近づいて気を許したところをグサリ!か?その時は俺らもまぜろよ」
「アイツいくら殴っても死なないし、ストレス発散には丁度いいよな」
「けど殺して英雄になるのもいいよなあ…なかなか死なないからチビチビ毒を盛る計画でも立ててんのかよ?」
次々と矢継ぎ早に男達は話し掛けてくる。その中心に横島は無言で立っていた。

昨日の男達も[化け狐]と悪態を吐き、ナルトの部屋を出入りする理由を詰ってきたのだ。最近こんな事が多い。ただでさえ二重生活しているのに負担を重くさせるのが嫌なので、ナルトには一切言っていない。
今まではのらりくらりと逃げていたが同じ事が何度も続くと流石の横島も苛立ちが積る。

何も言わない横島に痺れを切らしたのか、男の一人が胸倉を掴んできた。
「なんとか言えよ。それともまさかあの化け狐の味方なんか…っ」
一向に口を開かない横島に対し、イライラとし始める男達。胸倉を掴んでいる男が殴ろうと腕を振り上げた。




途端ヒュッと風が、横島と男達の間に割り込んだ。

「――――何をやっている」




冷たい声がその場に響き渡る。その声を聞いた瞬間、横島以外の男達は足が地面に縫い付けられたように硬直した。

「あ………暗部…」

狐面で顔を隠した青年が気配も無く横島の隣に立っている。いつ来たのかどこから来たのか。
ぽたっと何か雫が落ちる音がした。音がする方に目を向けた男達は、一瞬で顔を青褪める。
狐面がゆるく手に握っているクナイから、生々しい赤が滴り落ちていた。


「……――――失せろ」
一言。

耳にした者が背筋を逆立てるほどの冷やかな声が狐面から発せられた。恐怖で怯えていた男達はその一言で、ヒッと喉を詰まらせる。足を縺れさせながら我先にと逃げ出す彼らの背中を、横島はぼんやり眺めていた。




「………助かった~」
直後、気の抜けた声と共にへなへなと座り込む。そんな横島の姿に、狐面は視線を合わせず言い放った。
「あの男達がな」
ピクリと眉根を寄せた横島に向かって淡々と狐面は言葉を紡ぐ。

「お前、ポケットに手を突っ込んでただろ」
「……それがどうかしたのか?」
素知らぬ顔で言う横島に、狐面はわざとらしく肩をすくめてみせた。へらっと横島は笑いながら、醤油を改めて持ち直す。立ち上がった際にポケット内で文珠が仄かな光を点滅させた。

「…―――場所を移そう」
返事も待たずに、ひょいっと狐面は横島を抱えて飛躍した。抗議しようとした横島だが、狐面に視線で制され口を瞑る。そのまま傍の森へ二人は飛び込んだ。






木から木へ軽やかに飛び移る。その身体能力に感心すると共に抱えられている自分が情けなくなってきて、横島はわざと軽い口調で話し掛けた。

「ほんと忍者ってのはすげーな。人間技じゃね~よ」
「…お前の身体能力ならすぐ出来るようになる」
「………いやいやいや…無理だっての」

予想に反した返答に苦笑いで返すと、狐面は小さく溜息をついた。
「夜に出歩くな。俺と少しでも接点があれば先ほどのように目をつけられる……」
「……あんなぁ、お前が悪いんじゃないだろ~?それに俺はこの里―…いや世界自体違うからさ、目つけられるのは仕方ないんじゃね?」

横島はカラカラと笑う。それを見た狐面はなぜか苛立った様子で、大木の枝の上に彼を下ろした。本来の姿を成長させた今の狐面の身長は、横島とさほど変わらない。へらへらと笑う横島に対し、狐面は無言で印を結ぶ。白い煙が晴れた後には、狐面を手にしたナルトが立っていた。

「……―――俺に道化を被るなと言っといて、自分は演技を止めないのか」

どこか怒っている風情のナルトに戸惑う。本来の姿に戻ったナルトに身長は勝っているのだが、射抜くような蒼の双眸に見上げられ、横島は思わずたじろいだ。
「…え、どういう意味だよ……」






(自覚なし、か……)
ナルトは二重生活において裏表を使い分けている。それこそドベの振り、下忍と暗部、昼と夜の仕事というように。それは素の自身と演技中の自分の差が激しいためだ。
しかし横島は違う。周囲からの強制から性格をつくった彼は、どこからどこまでが自分でどこからどこまでが横島忠夫という人間像なのかを区別できない。素の自身と道化を被った自分との境がよく掴めていないのだ。それでいて横島忠夫像に拘り過ぎる故に、己の人間像をはかり間違えている。
(俺より厄介だな、コレは………)



動揺している横島にチラリとナルトは視線を投げた。その時月の光に照らされキラキラ光る湖が、彼の視界の端に映る。
なんとなく思い立って、ナルトは再び横島を抱えて大木から飛び降りた。
「お、おいっ!?」
「……湖」
「え?あ、ほんとだ……なんだ?水浴びでもすんのか?」

地に足が着いてほっとしながら、首を傾げる横島。そんな彼の前でナルトは上半身だけ服を脱ぐ。黒を基調とする暗部服はぐっしょり赤黒く濡れていた。
「………………」
それに眉を顰めたナルトは服を水の中に突っ込む。そして無言で湖の畔まで歩いて行ったと思うと、おもむろに足を水面上に乗せた。
「ちょ、おい……って、忍者ってなんでもアリだな」
湖の水面をスタスタ歩くナルトを見て一度驚愕した横島だが、やがて諦めたように頭を振る。
(…そういや俺、ここ一週間風呂入ってなかったな…)


ナルトのアパートには横島のアパートと同じく風呂がない。風呂屋に行く事も頭になかったが、今更になって横島は自分の身体をすんと嗅いだ。一度気になるとどうしようもなく臭く感じて、慌ててナルトに倣って服を脱ぐ。ザバンと音をたてて潜り込んだ湖が大小の波紋を描いた。

顔を上げれば、湖の中心にナルトが立っているのが視界に映る。金髪を風に靡かせながら静かに佇んでいるその様は、ぞっとするほど美しい。
加えて天から降り注ぐ月の光が一層、この場を楚々とした絵画へと成らしめていた。








静謐な水面に掛かる月の光輪。
そのちょうど中心に爪立つと、金の環は大きく広がっては水に溶けていく。
水面に映る金と、風に揺れる金は似通っていて。
それはまるで反転世界の月。
幻想的な、それでいて水中と空中の境が見当たらないような錯覚に陥る。
いつ湖底に沈み込んでしまうか、そんな危うげな雰囲気を印象づけられる。


それに柄にもなく焦った横島はわざとバチャバチャ水音を立て、その静謐な風景を壊した。
すい~…と近づき、未だ水面の上で佇立する白い足首をおもむろに下へ引っ張る。途端バランスを失ったナルトが水飛沫をあげて、どぼんと澄んだ蒼の中に潜り込んだ。

じろりとナルトは水中で横島を睨みつける。沈みゆく身体はすぐ浮上し、彼は大きく空気を吸い込んだ。
しっとりと水の含んだ髪を乱雑に散らす。闇の中で飛散する水は金の余韻を残して、湖へ滴下した。
仕返しとばかりに雫を横島に向かって撒き散らし。どこか勝ち誇ったようにナルトは彼を見上げている。
ぽたぽたと滴り落ちる水が、両者の肌を滑っていった。



はたとナルトの身体を見る。普段あれだけ虐げられ、つい寸前まで血飛沫を浴びていたその肌は、生まれた頃と同じく真珠の如き白を誇っている。傷一つないきめ細かなその白さが眩しくて、哀しい。
横島は自身の身体もふと見下ろした。数多の傷や痕が身体の隅々まで残っている。ちょっとした擦り傷も死の手前まで追い詰めた痕も、月の下でその存在を主張していた。

「…羨ましいな」

ぽつりと、水の蒼に滲み入るほど小さな呟きが横島の口から洩れた。
ぱっと顔を上げたナルトの、湖と同じ蒼に見つめられ、横島は罰が悪そうに言う。

「…わり。でも、なんていうか反省とか後悔の証拠がきれいさっぱり消散されるってなんかいいな…って。その、なんとなしに思っただけだから!」
言い訳じみた言葉を慌てて紡ぐ。


どうしても横島は、傷を見るたび、痕をなぞるたび、苦い懐旧に耽てしまう。

この傷の原因は…あの時こうすれば…あの痕がついた時、この時点でこう動いていたら…気づいていれば…。そんな過去の失態を何度も何度も思い悩み、最後には今更どうしようもないと自嘲する。
そしてまた、傷を見、痕をなぞる。

そんなことを繰り返しても、意味の無い行為だと頭ではわかっている。しかしながら、沸き起こる思慕を止めたくなかった。思い出に浸るその瞬間に、彼は過去へと想いを馳せ、そして彼女の姿を思い浮かべる。瞬きすれば掻き消えてしまう。そんな短い蛍の光を追い求める。
横島にとって全身の傷痕は、過去の柵に囚われるための咎、そのものだった。

全てを消散したいとは思わない。けれど過去の失態や反省に後悔といったものは忘れたい。
矛盾の炎は横島を燻り、つい何の痕もないナルトの肌の白さを妬むように見つめた。



「…そんなことはない、と思う…」
淡々と、しかし生まれて初めて言われた[羨望]の言葉に戸惑いながら、ナルトが口を開く。

「…傷はお前が生きて足掻いて努力した証。痕は立ち向かい這い上がって掴み取った命の証拠だ…………自身の生を最優先とするのは当然。諦めず投げ捨てず、それだけ永らえたその数多の傷痕は、誇るべき点だと思うが?……」
「…………」
「この傷の分だけ死から免れたんだ…もう二度と、同じ過ちは繰り返さないだろ?…」
「……ッッ」


ひゅっと横島の喉が鳴った。
繰り返すのは想いと懐旧の思い出。
しかし確かに、傷を受けた時と同じような場面に陥っても、即座に横島は打開策を考え付き、傷一つ受けずに失態を再現しない。彼は無意識に、失態や失敗を覆して、逆に成功を成していたのだった。



「……え……?…………あ…」
横島の片眼から、涙が一粒零れ落ちた。透明な、雫。
無意識に、それでいて止め処なく流れる筋が、彼の頬を濡らしていく。


それに最も驚愕したのは横島自身で。
困惑しながら頬に手をやり、その指に温かみを感じた途端…。
息が詰まった。




必死で酸素を取り込もうと開閉する口は何の意味もなく。
からからと渇いた咽から、無理に声を絞り出す。擦れた音が、いやに大きく響き渡った。
静謐な湖と同様黙していたナルトが、はたと周囲を見渡す。
その視線の先を追って、彼はまたもや息が詰まった。
ハッハッと獣のような荒い息を立てる横島のすぐ傍で、小さなナニカが光を灯す。
点滅を繰り返すソレに引き寄せられたのか、湖の上を滑るように飛び回るナニカは後から後から増えていく。


湖上で華麗に舞い、闇夜を美しく彩る――――蛍の大群。
…―――――――限界だった。






「う…うわあああああああああッッッ………!!!」
形に出来ない、悲しみ哀しみ……………。言葉に言い表せない、痛み悼み…………。



泣いた事は何度もある。けれどそれはいつだって、低く低く押し殺した、ほんの微かな鳴咽。
素直に泣けたのは、嘆きの声を張り上げた、あの時だけ。
…世間で知られる横島忠夫ではなく、横島自身を愛してくれた女性を、失ったあの瞬間。
泣くことへの我慢は耐え慣れていたはずなのに、魂の底から体を貫いた衝撃にだけは耐え切れなかった。
己の半身を亡くしたような錯覚。自身の手から蛍の化身が消えていった、あの刹那。



だから、あの時以来、はじめて。
横島は泣いた。







身体に張り付く水が温かい涙をも交わらせ、膝下に広がる湖へ滴り落ちる。
世界から湖だけを切り取ったかのような静けさの中で。
彼は慟哭する。
闇を突き抜けるほど痛々しい声を張り上げ、ただ我武者羅に喚いた。


傍目には、青年が子どものように泣きじゃくり、子どもが大人のように―…外見が逆転したように見えるだろう。
尤もこの場に来た時点で、密かにナルトが結界を張っているため、その心配は無用だ。湖の周辺は姿や声、気配すら遮断されている。とは言うものの、強さは遙かに上でも年下の、子どもの前にも拘らず、横島は涙をぼろぼろ流した。
横島とナルト以外誰もいない。月だけが二人を見下ろしていた。



ナルトは何も言わない。ただ瞬き一つせず、横島の傍で立っている。
見守るように受け止めるように認めるように。
それが横島にはありがたかった。



蛍が一匹、水に波紋を残して、二人の間を横切っていく。


久方ぶりに溢れた涙は塩辛く、けれどどこか甘露のように甘く。
翳む視界の中で、彼はそう感じた…―――。
 
 

 
後書き
イラスト一覧に、この「傷と痕」の話の一場面を漫画にしたものがあります。「傷と痕 1」と「傷と痕 2」です。雑な駄絵ですが、よろしければご覧ください。(若干文面と違う箇所もありますが概ね同じ内容です)
 

 

十三 逢着

中忍本試験を前に、受験者である忍び達は血が騒ぐ。
しかしながら流さなくてもよい血が、ある屋根の上で人知れず流れていた。


「――凄いですね…あれが彼の正体ですか」
同じ音忍である少年の命がたった今途絶えたというのに、平然と眼鏡を掛け直す青年。彼は、傍で佇んでいる砂の忍びに何か巻物を手渡している。受け取った砂の忍びはすばやくそれを懐に収めた。

「これが音側の決行計画書です」
「木の葉崩し……――ぬかりはないんだろうな」
「ええ―――――では、私はこれで……………」

穏和そうな表情の眼鏡の青年がにこりと笑みを浮かべる。しかしながら眼鏡の奥から垣間見える冷たい瞳が彼の残虐性を露にしていた。
とても中忍試験を通過出来なかった木の葉の下忍とは思えない。対して相手の忍びは、今回中忍本試験まで通過した砂の担当上忍であった。



(薬師カブトでしたか……何故砂隠れの上忍と…。いやそれよりも木の葉崩しだと…っ)
対等に話す二人をこっそり窺い見ていた影はその会話の内容に動揺していた。影に潜む彼は、中忍試験の試験官だった月光ハヤテ。
(同盟国の砂隠れが既に音と繋がっていただなんて…!早くこの事を火影様に知らせないと…)

眼鏡の青年――カブトが立ち去るのを見計らって、ハヤテは火影の元へ急ごうとした。
しかし。

「ああそうそう…後片付けは私がしておきます」
「いや、ここは私がやろう。砂としても同志のために一肌脱がんとな…――鼠はたった一匹…軽いもんだ」

二人の会話を聞くや否や疾風の如く駆け出すハヤテの前に、今まで呑気に話していたはずの砂の忍びが立ちはだかる。
会合を聞かれたからには己を生きて返すはずもない。
相手の顔を見てすぐさまそう判断したハヤテは覚悟を決め、背中の鞘から刀を抜いた。










横島がこの里に来て半月ほど過ぎただろうか…。
湖の一件以来、彼は少しずつだが自分自身を見直していた。周囲に求められた横島忠夫像ではなく普通の青年として。


ずっと考えていた。美神達とかけ離れたこの場所で、仲間と一切の繋がりのないこの里で、GSの名前すらない世界で。自分は今まで何をしたのかと、過去を振り返った。

流れ流され、気づけば泥沼。足掻いてももがいても自分は光を浴びず日陰の存在。対して美神はいつも太陽の下を陣取っている。

当初はそれが日常だった。別に日陰にいる事が苦痛なのではない。むしろ自分は土の中がお似合いだと思っていた。それがいつの間にか唯一の文珠使いという称号を与えられていたのだ。ただ一人しかいないと言えば聞こえはいいが、裏を返せば独りきり。神族・魔族に狙われるようになったのもこの力故。

疲れていた。素の自分と道化の自分。文珠使いと賛美されても周囲に賞賛されるのは道化のほう。誰も横島を見ていない。

泣きたかった。けれど涙はなぜか流れず、横島忠夫という道化の人生だけが流れてゆく。しかしながら十七年間過ぎれども、素の人生は幼い頃の姿のまま残っていた。いつまでも幼きあの日に見たピエロが、横島の隣で踊り狂っている。

いっそ狂いたかった。しかしながら狂うほどに心が乱れないのは、狂う事が甘い考えでただの逃げだと理解していたから。


精神的負担が横島を押し潰し、正常心を保つのがやっとといった日常をやり過ごす。心に深く刺さった棘が彼をじくじくと蝕んでいるのに、心に視えない痕を残しているのに、それすら誰も気づかずに横島を笑っていた。
罵りや愚弄する言葉は無数の弾丸となり、彼の心に穴を穿つ。


「……―――俺に道化を被るなと言っといて、自分は演技を止めないのか」


そして今は、ナルトに言われた言葉が脳内でぐるぐると渦巻いていた。


その言葉の意味は理解できても、横島にはどうすればいいのかわからない。深く根付いた木の根が土から離れられないのと同じく、世間が求める横島忠夫像が心にびっしりとこびりついているからである。

己だけがどうしてこんな偽りの生活を送るのかと悲劇のヒーロー気取りの自分が、被害者ぶっている自身が、そうしてなにより情けなく心に鬱憤を溜めこんでへらへらする己が横島は嫌いだった。無意識に自己嫌悪し、知らぬ間に自嘲する。だから道化と本当の自分との差が理解出来ないのだ。

それ故に二重生活を為すナルトの存在が、横島の心を癒していた。
自分だけじゃなかったのだと。苦悩する己と同じ境遇だと勝手に思い込んで。道化の面を被る彼と自身を身勝手にも重ね見て。

そうして気づいた。今は自分を知っている者は誰もいない。世間で認識されている横島忠夫像を演技しなくてもよいと、道化の面を外してもいいのだと。
現にナルトと出会って、横島は徐々にだが変わり始めている。



「……俺は俺らしく、か…」
ぐつぐつと煮立つ鍋をじっと見つめながら、横島はぼそりと呟いた。独り言は鍋から沸き立つ熱気に溶けてゆく。
窓から外を覗くと空には既に白く月がかかっていた。その黄金色に、今はいない金髪の子どもを思い描く。
「ナルトは強いよな……………俺もアイツみたいに…」



―――――強くなりたい――――――


はっと顔を上げ、自分が考えた事に驚愕した。どうして今更そんな事を……。
馬鹿な考えを打ち払うように頭を振って、彼は目の前の鍋を見つめた。










カラリと屋根の瓦が音をたてる。その音は伏したハヤテの耳元で響いた。
朦朧とした頭で腕を持ちあげようとしたが身体は一向に動かない。どくどくと流れ出る血が己の完敗を主張し、同時に命に係る出血量だと知らしめていた。

(ここまでですね…すみません、火影様…―――夕顔)
死を悟り、ゴホッと口癖ではない咳をする。吐いた血が瓦の溝を伝い、つうっと屋根から滴り落ちた。


再び、カラリと音がする。先ほどの自然のものではなく誰かが瓦を踏み締めたその物音に、ハヤテの心音がどくりと高鳴った。


「これはまた…派手にやったもんだな」


呆れと怒りそれに焦りが入れ混じったような声が微かに聞こえる。その声にどこか既視感を覚えながら、ハヤテは意識を手放した。
 

 

十四 憂虞

 
前書き
オリジナルの動物が出てきます。鳥が瑠璃、狼が破璃です。後々必要なキャラクターとなるので申し訳ないですが目をつぶってください。
ナルトを成長させた姿が月代なので、月代と表記している箇所は全てナルトの事だと念頭に置いておいてください。注意事項が多くて煩わしいでしょうが、お付き合い願います。

 

 

突然ガタンッという物音が寝室のほうから聞こえ、横島は飛び上がった。
「な、なんだっ!?」

ナルトならここまで大きな音をたてない。むしろ滑るように部屋へ入って来る。
また窓に石でも投げ込まれたかと推測して、横島は急ぎ寝室に向かった。



寝室にはベッドに膝をたてながら男を背負っている青年の姿があった。身構えるも青年がナルトの成長した姿だと気づき、横島はほっと息をつく。

「なんだぁ~ナルトかぁ…」
「この姿の時は月代だ」
間髪容れず咎められ思わずむっとしたが、直後鼻についた血臭に横島は顔を青褪めた。

「…――――ッ、どっか怪我してんのか!?」
「俺じゃない、コイツだ……悪いが手を貸してくれ」
ナルト…いや月代におぶさっている男の身体を支える。元々らしい病人面に輪をかけて血の気を失っている男は、幽霊と間違える程白かった。
「ココに寝かせていいよな」
「いやちょっと待て。こっちだ」

確か物置だったであろう部屋の前で素早く印を切る月代を、横島は訝しげに見つめる。扉を開いてくれた彼に促され、部屋の中に入ると……。
「は!?」


無駄なモノで溢れ返っていたはずの物置は、落ち着いたシンプルな部屋に早変わりしていた。色合いは地味だが置いてある家具類は上等なものだと、美神の許で鍛えられた眼が言う。尤も彼女のような派手さはなくどこか癒されるような内装である。

驚愕の表情を浮かべる横島をまったく気にせず、月代は彼から男を預かると傍のソファーに寝かせた。ゆったりとした真っ白なソファーが汚れるのも構わず、血濡れの男の状態を調べる。

一番重傷であろう脇腹に月代が手を翳すと、青白い光が男の身体を包み込んだ。男の呼吸が幾分か和らいでいくのがわかる。しかしながら未だ青白い男の顔色を見る限り応急処置程度のようだ。

その様子に、月代の後ろで手持無沙汰にぽつんと立っていた横島は思わず口を開いた。
「その、俺が治そうか…?」

決して大きくないその声に、なぜか月代の肩がびくりと震える。それに不味い事でも言ったかなと戸惑いながらも横島は拳の中の文珠を握り締めた。
「大怪我なんだろ?だったら…」
「その文珠は神器だ」
振り向かずに横島の言葉を遮った月代の背中は冷たい雰囲気を湛えている。しかしながら彼の手から放たれる青白い光からは優しく穏やかなものが感じられた。

「おいそれとあるもんじゃないし、無闇に使うものでもない。それぐらい希少なものなんだ…だから」
「今使わなくていつ使うよ!!」
逡巡する月代を押しのけ、横島は【癒】の文珠を男の傷口に押し付けた。途端に眩い閃光が部屋を駆け巡る。
瞬時に光が消えたかと思うと、幾分か呼吸の落ちついた男の顔に赤みが差した。

「ふぅ~……あのな、なに遠慮してんだよ?この人、お前の知り合いなんじゃねえのかよ。お前の仲間なんじゃないのかよ」
畳み掛けるように言ったが、目の前の美青年はただ無言で頭を振る。
再び言葉をぶつけようとした横島は無表情で佇む月代を見て、口を噤んだ。





「……ところでココはどこなんだ?」

沈黙に耐え切れなくてきょろりと横島は周囲を見渡す。明らかにいつも出入りしているあのアパートじゃない。屋敷と呼んでも過言ではない立派な宅地に横島は目を瞬かせた。

「森の奥にある俺の家だ。アパートの物置部屋と術で繋げたんだ……結界で覆っているからこの屋敷を知る者は今日で四人と二匹だな」
「四人…?」
「俺と火影のじじいとそこの男……それにお前だ」
ソファーに横たわる男の意識がないのを確認しながら月代は淡々と答える。その答えに横島は驚いた。自分も含まれている事に対してどこかむず痒さを覚える。

「じゃあ二匹ってのは……?」
「ああ。まだ紹介してなかったか」
今気づいたかのように、月代は輪にした親指と人差し指を咥え指笛を吹く。
耳を澄まさないと聞こえないほどの微かな指笛。
黙って何かを待つ彼に首を傾げていた横島は、突然家の窓から跳び込んできたモノに酷く驚いた。
「ちょ、狼!?」

光の加減で銀色に見える毛並みの持ち主は白い狼。狼というより虎並みの大きさを持つソレは横島を警戒し唸り声を上げている。
「破璃」
月代の一言で、狼の剥き出しの警戒心が薄れた。悠然としっぽを振りながら彼の足下へ近づくと、狼は従順に月代を見上げる。

「コイツが破璃。この屋敷の門番を任せている…そして、一度会った事あるだろうが」
月代の言葉を遮るように、狼が跳び込んできた窓からバサバサという羽音が聞こえてきた。
すうっと横島の眼前を横切り月代の肩に止まったのは、雪のような白い腹に浅葱色の美しい羽を持つ鷹か隼ほどの大きさの鳥。

「あ、そいつ…」
「コイツは瑠璃。火影の手紙同様、暗部任務や召集の際に俺へ知らせてくれる」
そう言いながら狼―破璃と鳥―瑠璃の喉を軽く撫でる月代。いつもの無表情だが眼だけはとても優しい色をしている事に横島は気づいた。
「…なんか、普通の鳥と狼には見えねえんだけど…」
マジマジと瑠璃と破璃を見ながら言うと、月代は一瞬苦々しい表情を浮かべる。

「瑠璃と破璃に会ったのはある研究施設だ」
「え?」
「動物を合成させた兵器の作製――ーつまりキメラだな。俺は任務でその施設ごとの抹消を任された」

どうも尾獣に対抗できる兵器をつくろうとしたらしく、極秘と偽って里の規約に反する研究を続けていたらしい。火影すら知り得なかったこの事実を当時暗部に入ったばかりの月代が暴き、その研究施設をつきとめた。
早速火影に、施設と関わっていた者達は消し研究の実験体は秘密裏に保護せよ、と命じられた月代は任務を全うしたのだが…。

「無理な薬物の混用や乱用に酷使した実験体の寿命は短い。唯一生き残ったのがこの瑠璃と破璃だった」
それで俺が引き取ったんだが最初は威嚇された、と苦笑しながら月代は猫のようにゴロゴロと喉を鳴らす破璃を撫でる。
若干思い出に浸りながら月代が語る話の内容に、横島は何も言えなかった。

人狼である少女の姿が脳裏に浮かぶ。それと同時に本来の世界で心霊兵器を研究していた施設を思い出した。
(実験体か…)


「……―――破璃は普段屋敷を囲むこの森に住んでいる。更に屋敷には侵入者防止の結界を張っているからアパートよりは安心だ。俺に用事がある時は瑠璃に頼め」
「……は?ちょ、ちょっと待って。ごめん、聞いてなかった」
突然言われて横島は戸惑いながら聞き返す。ぼんやりしていたので月代の話が頭に入ってこなかったのだ。
「頼みがある、と言ったんだ」
聞いていなかった事を特に咎めず、月代はソファーに横たわる男に視線を投げながら話を繰り返した。

「彼の看病をしてほしい。それでなるべくこの家から出さないでくれ…アパートの物置とこの部屋を出入りできるのは俺とお前だけに設定しているから……それとくれぐれもナルトが俺だと他言しないでくれ」
「あ、ああ。わかった」
告げてくる内容を頭の中に叩き込んで了承する横島。月代はつけ加えるようにして話を続けた。

「彼にナルトが俺だとバレるわけにはいかないからアパートに置くわけにもいかない…かと言って怪我を治療する場所が必要だったから、仕方なくな」
弁解するように肩をすくめる彼の言葉を聞きながら、横島は部屋に視線を走らせる。アパートにはない書棚がいくつもある事で納得がいった。

(そういやちっさい時から難しい本ばかり読んでたよな……表のナルトが読書するわけないから、この家に置いていたってことか)
火影の記憶から幼少時代のナルトが思い浮かび、うんうんとひとり頷く。訝しげにこちらを見つめる月代に気づくと横島は口ごもりながら慌てて聞いた。

「お、俺に教えてよかったんか?」
「以前、襲われただろう」
「え?ああ、あの時か」

夜に醤油を買いに行こうとちょっと外出した際にガラの悪い男達に取り囲まれた事を思い出す。偶然暗部任務をしていた月代のおかげで助かったのだと、横島は目前の彼に内心感謝の言葉を投げた。

「投石はともかくアパートに侵入して暴れられると面倒だからな」
「ああいった奴らが勝手に入って来る事もあんのか」
「滅多にないけどな。俺はともかくお前は困るだろう」
「いやお前も困れよ」

石を投げられるのも大した事なのにと呆れ顔で横島はツッコむ。そんな彼の様子に気づかず、月代はアパートの物置と繋がっている扉をくいっと親指で指差した。
「アパートに出入りするのは変わらないが、次からはココに寝泊まりしてくれ。アパートよりこっちのほうが住みやすいだろう」
「そりゃありがたいけど…本当にいいのか?」

暗に横島の身を心配しているのだろう月代に、横島は申し訳なさそうに尋ねる。
今までアパートに横島を住まわせていたのは彼をまだ信頼していなかったという事も関係あるのだが、月代はそうは言わずに無言で佇んでいた。
了承し頷いた横島を目で確認すると、彼はおもむろに狐面をつける。

「詳しい事は…」
「…―――――あの………?」
「眼が覚めたみたいだから今話す」




急に第三者に声を掛けられ飛び上がった横島の隣で、全く動じていない月代がソファーへと眼を向ける。突如声を掛けてきた男が上半身だけ起こしながらこちらを凝視していた。
「一体ココは……貴方方は…」
「月光ハヤテだな」

ピリリとした冷たい空気が部屋を支配する。先ほどまで横島と会話していた雰囲気とは違い、厳かな態度で月代は口を開いた。

「あ、暗部総隊長!?」

信じられないといった風情で男――ハヤテは眼を見開く。顔を晒していないのに面だけでわかるもんなのかと月代の後ろに佇んでいた横島は思った。

「……暗部総隊長、月代様ですよね…?」
「そうだ。よくわかったな」
「わかりますよ、ゴホ…狐面を被るのは貴方以外にいませんからね」
驚愕の色を滲ませながら答えるハヤテに、月代は暫し何か考え込んでいる。やがて彼は淡々とした口調で彼を促した。

「月光ハヤテ。お前は屋根で血濡れの状態だった。何があった……?」
「え…あ!至急火影様にお知らせしなければならない事が……っ」
「俺から報告しよう。話せ」
「し、しかし………」

横島のほうをチラリと窺い見るハヤテ。その視線から場の空気を読んだ横島はその場から離れようとする。けれど、狐面から垣間見える蒼の瞳がそれを許さなかった。

「いいんだ」
「は……」
「彼は、いいんだ」

頑なに繰り返す月代に、戸惑いながらもハヤテは砂と音の会合の件を口にする。それでいて総隊長にそこまで言わしめるこの若い青年は何者なのだろうと、彼は思い巡らしていた。









「どうやら、懐かしい木の葉が里に戻ってきたようじゃな」

休憩がてらに外へ涼みに出た火影は、屋上にて木の葉の里を俯瞰していた。そうして何の前触れも無く独り言にしては大きな声を口にする。その呼び掛けに屋上の空気がじわりと滲んだ。

「……懐かしい木の葉ね…でもそれは、もはや若葉ではない」
「わかっておる」

ふぅ~と煙管から吸い込んだ煙を火影はゆっくり吐き出す。火影の傍には何時の間にか、棚引く白煙を鬱陶しそうに仰いでいる子どもが佇んでいた。
狐面を片手に、屋上の手摺に腰掛けた子ども――ナルトは火影と同様里を一瞥する。しかし火影と違ってその眼は酷く空虚なものだった。

「月光ハヤテの身柄はこちらで預かっている。今は療養中だ」
「うむ。とりあえずこの一件が片付くまでは隠匿するように」
「御意……――――それでどうするつもりだ」
「何がかのぅ?」
「しらばっくれんな。その懐かしい木の葉――蛇の事だよ」

里から視線を外したナルトは、じとりとした眼つきで火影を見る。里に向けた空虚なものではなく確かに焦燥と懸念の色を含むその蒼に、火影はふと口許を緩ませた。

「第二試験を見るに、大方巣の卵でも狙ってるのだと思うがの」
「……卵を護る鳥狙いかもしれないだろ」
「時期が時期じゃ。中忍試験で巣立つであろう優秀な卵を手中に収めようとしてるのだろう」
立ち上る白煙を眼で追うふりをして、ちらりと火影はナルトを窺い見た。

「お主のほうこそどうなんじゃ?最近はまっすぐ家に帰ってるようだが」
「……話を変えるな」
にやりとした笑みを浮かべる火影にナルトは眉を顰める。直後手摺から降りた彼は真摯な眼で火影を見上げた。

「アイツの事は俺が責任を持つ。それより本当にどうするつもりなんだ。今からでも遅くはない、俺が……」
「大丈夫じゃよ」
遮るように言った火影の穏和な表情に決意のようなモノが窺い見えて、ナルトは唇を噛む。

木ノ葉の里に好意的とは言い難い砂と音の里の動き。今回のハヤテからの報告によりその疑念は確固たるものとなっている。ナルト本人はそれを中忍試験が始まる前から察していた。
一介の忍びには無理でもナルトなら一晩で叩き潰せる。そうしなかったのはやはり火影本人が引き止めていたからだ。

「………頑固じじいめ」
「酷いのぅ」
目尻を下げて苦笑する火影に、酷いのはどっちだと内心ナルトは舌打ちした。


三代目火影として里の長として、そして元担当の先生としてあくまでサシで闘う。そう胸の内で決定事項となっているであろう火影は、憂え顔をしているナルトに微笑んだ。

(…………くそっ)
煙たがられる自分に唯一笑顔を向けてくれたこの老人を失いたくない。けれど火影の意志を遮る資格など己は持ち合わせていないし、彼自身の意志をも尊重したい。
火影の微笑みを見た一瞬で、矛盾した考えがナルトの脳内でぐるぐると渦巻く。



そうして、彼を失った己は一体どうなるのだろうと、ぼんやりとした頭で考えていた。
 

 

十五 断崖絶壁


「顔色悪いけど大丈夫ッスか?」
「私は元々こんな顔ですよ、ゴホ……」

咳き込むハヤテに、大丈夫そうにみえないと横島は呆れ顔で呟いた。常日頃ゴホゴホと咳き込み顔色も悪いハヤテにしては良い体調なのだが、横島が普段の彼の顔色など知る由もない。

「…まぁ、とにかく飯でも食べます?」
「はぁ、いただきます…」
昨晩作った鍋の残りで手早く雑炊を作り、お椀に寄せる横島をハヤテはぼうっと眺めていた。

「ゴホッ、ご迷惑かけます」
「気にしないでくれって!俺はあんたの看病任されてるんだから」
にかっと人好きのする顔で笑う横島から受け取った雑炊をハヤテはじっと見つめる。立ち上る湯気が彼の食欲を刺激した。

「?食わないんスか?」
「貴方は……総隊長とどのようなご関係なのですか?」
「へ……?」
横たわりながらもハヤテは横島を観察していた。自分の身の周りの世話を焼く彼の動向を。


里で見掛けない顔でありながら暗部総隊長月代と対等に話す、この目の前の青年が何者なのかハヤテは知りたかった。加えて昨晩彼らの会話する姿が、月下での音と砂の密会と重なって見え、思わず眉根を寄せる。


横島のほうを窺い見ると、彼は困惑顔で佇んでいた。なんと答えたらいいかわからない、そんな表情をしている。
「―――月代様が信頼している以上、私がとやかく言う資格はありませんね。ゴホッ…失礼しました」
閉口したままの横島にハヤテは弁解するように言って、雑炊を口に運んだ。

横島の事を必ずしも信用したわけではないが、月代の説明から死んだ事になっている己は今やこの屋敷でお世話になるしかない。

「これからよろしくお願いしますね―――私の事はハヤテとお呼びください」
「え?ああ……横島忠夫ッス」
誤魔化すようにへらりとした笑みを浮かべた横島は、鍋から自分の分をよそうとぼおっとしながら雑炊を口に含んだ。


森の中、ぽつんと建っている大きな屋敷から葉風に乗って芳しい匂いが漂っていた。












屋敷はアパートと違い多くの部屋、それに広い風呂がある。ほとんどに何かしらの封がしてあるが、書棚に並ぶ本や巻物を横島は勝手に物色していた。

ちんぷんかんぷんの難しい本に紛れていたアカデミーの子供向けを見つけ、ハヤテに内容を聞いてみる。彼は最初渋っていたが、チャクラの意味も知らない横島を一般人と判断したのか、暇つぶしに教えてくれるようになった。横島としては木から木へ飛び移る際ナルトに抱えられる羞恥心をどうにかしようと思っての行動だったのだが。

最近では軽口を言い合う仲になった。偶々屋敷の傍で咲いている夕顔をハヤテが見つめていたのが切っ掛けとなり、恋人の話になった事もある。一瞬苦い表情を浮かべた横島だが、すぐさまハヤテをからかった。夕顔という名の彼女がいると白状したハヤテに思い切り嫉妬したのは余談だ。

ハヤテは忍者の基本を懇切丁寧に横島に教える反面、月代についてさりげなく問い掛ける。その質疑をのらりくらりとかわしながら、彼の面倒を診るのが横島の日課だった。



(ナルトもこんな立派な屋敷があるんならこっちで寝泊まりすりゃいいのに…)

品の良いカップに茶を注ぎ入れていた横島はふと思う。ハヤテを匿ってからというものの、ナルトは暗部の仕事で忙しいらしい。そのため彼と顔を合わせる機会が以前より少なくなった。
見兼ねた横島が「飯の時くらい帰って来い!」と言ったので食事時には屋敷に帰ってくるが、それ以外はアパートで過ごしているのだ。里人の眼を欺くためだと本人は言っていたが本来屋敷の持ち主はナルトであるので、横島はどうしても気がひける。
カップから立ち上る湯気をぼんやりと眺めながら、彼はナルトが横島を警戒していた時の事を思い浮かべた。


横島の記憶を読む以前、ナルトはアパートに一度も帰らなかった。屋敷で過ごしたのかと聞くと思いもよらぬ答えが返ってきて驚愕したのは記憶に新しい。
木の上で野宿したというのだ。実際は横島を監視するためアパート近くにいたのだが、屋外で夜をあかしたのに違いは無い。
それでも今では、横島の料理のために屋敷へ戻ってくる。アパートに置いてあった食料品は全て屋敷に持ち込んだため、食事は屋敷でとる事になっているからだ。

ハヤテがいるので月代の姿だが、これは大きな一歩である。




(そんなに日は経ってないけど、長い事警戒されてた気がするなあ…ようやく歩み寄ったって感じか?)
気位の高い手負いの獣が少しだけ近寄ったような。そんな印象を思い描き、横島はふっと口許を綻ばせた。











滝がしぶきをあげ勢いよく流れ落ちる。激しさを含む水しぶきは空に小さな虹をつくり上げた。

「へぇ…こんなとこに滝なんてあんのか…」
ほうと感嘆の声を上げながら、横島は急崖から滝を見下ろした。


屋敷を囲む森を探検していた彼は奔流の音に導かれてこの場所に来ていた。
実の所、迷子である。


買い物以外に外へ出る事をナルトに禁じられている横島は、鬱然とした気分を持て余していた。ずっと屋敷の中にいるのも飽きてしまい、看病しているハヤテも今は熟睡しているため彼は暇だった。
そこで屋敷を囲む森の中ならいいだろうと安易に考え、散歩という名の探検に赴いたわけなのだが、迷ってしまったのである。

狼――破璃はハヤテを見張っているので期待できない。そもそも屋敷から出る事自体、破璃に引き止められたのだ。口で服をグイグイと引っ張る破璃に「ちょっと散歩するだけ」と言って説得した。横島の言葉が解ったかどうかわからないが、しぶしぶ口を放した破璃に、「すぐ帰るって」と自信満々に出て来た矢先に迷った。


しかしながら横島が迷うのは必然である。ナルトの手によって侵入者防止の結界が張られているこの森は外部からの侵入は不可能だが内部から出るのは容易い。屋敷から暗部任務へ赴く際楽なように、ナルトが手配したのだ。けれど多方面へ任務するナルトにとって都合の良い森はえらく複雑な造りとなっている。そのため、森のどの部分をどう抜ければ近道かを理解しているナルト以外は必ず迷ってしまう。何れは木ノ葉の里に通じる道に辿り着けるだろうが、どこに抜けるかは到底判断できないのである。


ようやく河川を見つけた横島は、その水路に沿って歩いていた。そして叩きつけるような激しい水音を耳にして、この滝に辿り着いたのだ。



(迷子とか…恥ずかしいにも程があるだろ)
はぁと溜息をついていた横島の耳に、女性のはしゃぐ声が入ってきた。見ると、滝の傍で女性三人が水着姿で水浴びをしている。
(馬鹿だな、俺。もう女好きのふりしなくていいのに)
演技の癖でつい覗きに最適な場所を探す自身に苦笑する。それでもつい滝を囲む茂みに視線を向けると、そこには既に先客がいた。

大柄な男が茂みに潜んでいる。じっと水浴びで遊ぶ女性達を見つめている事からして覗きらしい。昔の自分を彷彿させるようなその人物の動向を横島は思わず眺めていた。
そして彼の背後にいる子どもの姿を視界に映した瞬間、あっと声を上げる。

大柄な男の後ろでなにやらやっている子どもは、ナルトだった。




呼び掛けたいのをぐっと堪え、横島は崖からナルトと大柄な男を見下ろす。オレンジの派手な服装から察するに演技中なのだろう。現に大柄な男に向かって地団太を踏む様は年相応の子どもにしか見えない。
崖の上から見下ろしているにも拘らず、横島はじっと息を潜めていた。何を話しているのかさっぱりわからない。
下に降りるか、と横島が崖から降りる道を探そうとしたその時、大柄な男がナルトの腹を殴った。

(なっ!?なにやってんだ、あのおっさん!!??)

もしかしてナルトを忌み嫌っている里人かと推測した横島は、大柄な男の一挙一動を睨みつけるようにして見つめる。気絶したらしいナルトを担ぎあげた男がずんずんとどこかへ行くのを眼で追いながら、横島は駆け出した。




大柄な男はナルトを肩に担ぎあげたまま、なぜかどんどん険しい道を歩いて行く。木立が生い茂る森の奥へ進む男の背中を睨みつけながら、横島はこそこそと彼の後をつけていた。
森を抜けると急に視界が開けたので思わずパチパチと瞬きをする。男に気づかれないよう茂みに隠れた横島は目前の光景に驚愕した。

男の前方には地面がぽっかりない。切り立った崖が眼前に広がっていた。崖の岩肌にはゴツゴツとした槍の如き岩が聳え立ち、底はまるで冥界の入り口のような深淵が広がっている。


そんな危険極まりない処にナルトを横たわらせた大柄な男は、彼の眼が覚めた瞬間。


「死んでこい」


ナルトを崖に突き落とした。


 

 

十六 杞憂


はっと息を呑む。思い切り眼を見開いた直後横島は青褪めた。


「ナルトッッ!!!!」

足を縺れさせながらも崖のほうへ急ぎ駆け寄る。隠れていた事など頭から吹っ飛び、隣に大柄な男がいるのも構わず崖の淵から底を見遣った。ぐんぐんと落ちていく金髪に、大声で何度も名前を呼び掛ける。
そして、そんな横島の動向を見つめている大柄な男へキッと鋭い視線を投げた。

「テメエッ!なんてことしやがる!!??」
自身よりニ十㎝ほど背が高い大柄な男に掴み掛る。背後の茂みから突然現れた横島に動じず、男は逆に「さっきからこそこそついて来たのはお主かのう?」と問い掛けた。

「そうだよ!悪いか!?あんたどう見ても子どもを誘拐してたじゃね―か!!」
「失礼な奴じゃの」
「そんでたった今、こっからナルト突き落とすなんて何考えてんだ!!??」

自身より高い位置にある相手の胸倉を掴み横島は捲し立てる。依然として動じない男が横島の[ナルト]という言葉にぴくりと眉根を寄せた。

「はやく助け………っ」
「これは修行だ。他人は口出しするんじゃない」
「他人じゃねぇ!!!!大体修行って………」

形振り構ってられなくなって、横島は男の前だというのに文珠を生成しようとする。ナルトに[表の俺と関わるな〕と言われた事も[文珠を無闇に使うな]と咎められた事も、彼の頭にはきれいさっぱり消えていた。


しかし文珠を創ろうとしていた横島はピタリと動きを止める、他ならぬ目の前の大柄な男によって。




「………お前、ナルトに近づいて何を企んどる?」
首筋にぴたりとクナイを押し付けられ、喉がヒュッと鳴った。



覗きをしていた時とはまるで違う鋭い目つきで男は探るように睨みつけてくる。横島の首からつうっと一筋、血が流れた。
一瞬たじろいだがすぐさま横島は男の強い眼光を負けじと睨み返す。

「尾行する際の足音の立て方といい、忍びじゃなかろう?木ノ葉の里人か」
「……あいつらと一緒にすんな」
ナルトを助けたいのにわざとのんびり問い詰める男。焦燥に駆られ、おまけにナルトを忌み嫌う里人と同類に見られた横島は苛立ちが隠せない。


とにかく男のクナイをどうにかしようと、彼は男の背後を指差し。


「あ――――――――!!すっげ―ボインの姉ちゃんっ!!」

思い切り絶叫した。











「なにぃっ!!!???」
案の定食い付いて来た男のクナイが横島の首から一瞬離れる。その瞬間を狙って男の間合いから抜け出た彼は、脇目も振らず走りだした。


「………どこにもボインの姉ちゃんいね―じゃねーか……って」
辺りをきょろきょろ見渡した男が、クナイと崖に沿って走る横島の背中を交互に見遣る。一瞬あちゃーという表情を浮かべたが、すぐさま彼は横島を追い掛ける体勢に入ろうとした。
いくら足が速いといっても忍びにとっては大した速さではない。三忍と謳われる男ならばあっという間に埋められる距離だ。



ナルトは人柱力である。九尾の妖狐が封印されている彼を利用しようと考える者は多い。だから善人を装って良くも悪くも純真なナルトを誑かす輩が後を絶たない。
ナルトという名前を気軽に呼んだり他人じゃないと怒鳴ったりした横島を、男――自来也は胡散臭い人物だと判断した。

「易々逃がすわけにはいかないのう」
横島がそういった輩かもしれぬため、自来也はクナイをおさめて彼を追い駆けようと足を踏み出し。



「……逃がしてやってくれないか?」
直後に気配もなく背後から聞こえた声に硬直した。












「悪いな、自来也」

突然現れた人物に、自来也は急ぎ振り返ろうとする。
しかし既に遅かった。

瞬間、身体の自由が全く利かなくなった彼の口からは驚愕の色を孕んだ言葉が絞り出される。

「ナ…ル…ト…?」


いつも天真爛漫で明るい雰囲気を絶やさない少年が、つい先ほど崖から突き落とした子どもが、涼しげな顔で立っていた。
馬鹿騒ぎをするとは思えない怜悧そうな少年は正しくうずまきナルトだった。

無表情で見上げるナルトの蒼い双眸が自来也を射抜く。思わずたじろいだ自来也は、額に触れてきた彼の指先を避ける事が出来なかった。

≪崖からうずまきナルトが落ちてから、あんたは誰にも会っていない≫


その言葉を聞いた途端自来也の眼は虚ろになる。ぼんやりと虚空を見つめる彼の隣で、ナルトは横島が駆けて行った方向へ視線を向けた。
本体が横島の腕を掴んだのを見てふっと笑う。そして次の瞬間には彼の姿はなく、代わりにボウンと煙がその場に立ち上った。






走りながらも横島は文珠を生成しようと必死だった。いつ大柄な男が追い駆けてくるか若干後ろを気にしながら霊能力を拳に込める。ようやく出来た文珠に何の字を入れるべきかと混乱しつつ、横島は崖の底を見下ろした。

「くそ、ナルト無事でいろよ…っ。今助けるからな」
「その必要はない」

文珠を握っている右腕をぐっと掴まれる。ギクリと身体を強張らせた横島は、腕を掴んでいるのが助ける対象である事に目を見開いた。

「ナルト!」
「表の俺と関わるな……そう言ったはずだが?」

掴んでいた腕を放した彼は若干の呆れを含んだ声で横島に言葉を投げる。突然姿を見せたナルトにしばし呆然とした横島だが、告げられた言葉にむっとした。

「んだよッ、危ない目にあってるのを普通見過ごすわけにはいかねえだろ」
掴み掛るように横島は怒鳴る。


三代目火影の記憶を持っている彼はナルトが演技している理由を頭では理解している。それでも目の前でナルトが崖に突き落とされ、頭に血がのぼった。身体が勝手に動いてしまったのだ。
助けようとしたのに咎められた、そういった釈然としない思いが横島の胸中を占める。


暫し横島はギリギリとナルトを睨みつけていた。けれど無表情のまま変わらないナルトの顔を見ていると次第に頭が冷えてくる。生成した文珠を体内にストックして、彼はもごもごと口を開いた。

「……っ、悪い。でも…あのおっさん、お前に死んでこいって…」
それに崖から落ちるの見たら居ても立ってもいられなくなって…、と言い訳する横島の言葉をナルトは遮った。

「修行だ。死ぬ気でやれって意味でな。それにあの男は里人ではない。忍びだ」
「…あんな、崖から落とすような…危険なのが修行なんか…」
「そうだ」
きっぱりと言い切るナルトにもはや言葉が出ない。口を噤んだ横島に、ナルトは息をついてから口を開いた。

「もういい……とにかく早く屋敷に帰れ」
「……いやさ、その…帰り道がわかんなくて…」
自来也に激昂した際には冷静さが欠けていた。その事を自覚している横島はたははと頭を掻く。ようやくいつもの調子に戻った彼に、ナルトは内心横島の不安定な精神に対し懸念を抱いた。



横島が自来也の後をつけていた事は、気絶したふりをしていたため知っていた。鳩尾に一発殴られたところで痛くも痒くもないナルトは横島がいつ自身の名を呼ぶかと冷や冷やしていた。
一瞬で作った影分身に横島の動向を密かに見守らせる。意外と自来也に突き落とされるその時まで一切ボロを出さなかったのには感心したが、自分を助けるため文珠を使おうとしたところはいただけなかった。故に一気に崖の上へ跳躍したのである。


ナルト本来の力を等分した分身体は、記憶操作という高等忍術も当然使える。そのため横島を見守らせていた影分身に、自来也の記憶から横島の存在と素の自分の記憶のみを抹消させたのだ。
今現在横島の存在を知っているのはナルトと三代目火影、それに月光ハヤテである。加えて横島の文珠は決して人の見ている前で使ってはならない。
ただでさえ今は音と砂の里が陰謀を企てている時機。彼らが文珠という万能な神器を生成できる人物に目をつけたらマズイ事になる。そのためなるべく横島の存在を隠蔽すべきだと考えたナルトは自来也から記憶を消したのだ。


それに今の横島は被っていた道化を剥がしている。いい事であるのは違いないが、それは彼の安定していた精神を乱す事に繋がるのだ。道化の横島忠夫像は彼にとって理想であり生きていくのに必要不可欠だった。

道化を被り演技する。辛いのにそれらをする事でどこか安堵を感じていたのも確かなのである。

道化をゆっくりと剥いでいる横島はどこか気持ちが荒んでしまい短気になっている。今まで道化を被り続けてその度に蓄積していた鬱憤が、ようやく発散されている最中なのだ。



(……それに、文珠を無闇に使いすぎる)
暗に横島の身を心配している故、ナルトは彼が表の自分と関わるのを良しとしなかった。里人に襲われた経験もあるのにどうしてもっと警戒しないのかと、もどかしくて仕方が無い。
歯痒い思いを抑え、ナルトは指笛を吹いた。



「………瑠璃について行け。屋敷に戻るよりアパートのほうが近い」
屋敷を囲む森には侵入者防止の結界を張っているのでいくら横島でも屋敷には辿り着けない。そのため、アパートから屋敷に行くほうが確実なのだ。しかしそうとは言わず、ナルトは頭上を指差した。

ナルトの指を目で追った横島は、何時の間にか空を旋回している鳥の姿に眼を瞬かせる。
そしてはたとナルトに問い掛けた。
「……大丈夫、なんだな?ほんとに大丈夫、なんだよな?」
「ああ」
横島の問いに了承の答えを返した途端、ナルトは自ら崖から跳び降りた。

「ナルト!?」
「早く行け」

ぐんぐん崖の底へ吸い込まれていく金髪から催促され、横島はぐっと下唇を噛み締める。ナルト自らが落ちたのならきっと大丈夫なんだろうと、そんな漠然とした考えが彼の頭を過った。
もう一度崖の底を見下ろした横島は、今度こそ本当に瑠璃の後を追い駆けて行った。












横島の姿が見えなくなった時点で、自来也ははっと夢から醒めたように周囲を見渡した。
そして崖の下のほうからボウンッと立ち上った煙に目を細める。

「よりによってガマブン太を呼び出しちまうとはの…」
『なんじゃ、自来也!わしをこんなとこに呼び出しおってっ!!』


崖全体に轟くような声が自身の名を呼んだ事にふっと口許を緩ませた彼は、先ほどの横島の事も素のナルトの事も全く憶えていなかった。




















頭上を飛ぶ鳥――瑠璃の姿を見失わないように追い駆けながら、横島は密かに自嘲する。

(結局、俺は何の役にも立ってねえ………)
むしろナルトの重荷になっていると、欝屈した心情で彼は街並みを歩いていた。

とりとめもなく自分を責め続けていた彼は瑠璃の鳴声ではっと我に返る。何時の間にか見覚えのある道に横島は立っていた。ここから先は自力で帰れるので、瑠璃に「もういい」と手を振る。

その手振りの意味が理解できたのか瑠璃はくるりと大きく空を旋回し、悠然と空高く舞い上がった。あっという間に姿が見えなくなったのをしばし見送った横島はアパートへ向かう。


鍵を開けようと軽くドアに手を掛けた。途端、キイ…と勝手に開いたことに目が点となる。
鍵を掛け忘れたのだろうかと中に足を踏み入れ、横島は呆然と立ち竦んだ。





ナルトの家はまるで台風が通り過ぎたかのようにめちゃくちゃに荒らされていた………――――――。
 

 

十七 感謝のことば

(泣きっ面に蜂ってこういう事をいうんだっけ…)
直立不動のまま横島は頭の片隅でそう思った。



何もかもがめちゃくちゃだった。

家探しされたらしくあちこちに色々なモノが落ちている。それらは何れも壊され、使い物にならなくなっていた。箪笥の中身は全て引っ繰り返され、ベッドのシーツはズタズタに引き裂かれ、食器は全部粉々に叩き壊されている。
ペンキがばら撒かれ、机や椅子の脚はぽっきり折られ、窓ガラスは打ち壊されていた。

あまりの惨状に愕然としていた横島は、ようやく玄関からよろよろと足を踏み入れる。
足の踏み場もないほどたくさんの破損器物が散らばっている。それらを避けてふと柱を見るとそこも傷だらけになっていた。細い線が幾重にも重なっているため刃物で傷つけたのは明らかである。

そして奥の壁を目にした横島は、その瞬間ぐっと喉が詰まった。


[化け狐][死ね][消えろ]…醜悪な落書が壁いっぱいに書きなぐられている。その光景に、過去の記憶が横島の脳裏にフラッシュバックした。

机に、そしてアパートの扉に、書きなぐられた[死ね]やら[人類の敵]やら[裏切り者]…。怨嗟の込められた落書。

込み上げてくる何かを、唾を飲み込むことでどうにか抑える。代わりに傍の柱にガンッと拳を叩きつけ
た。



「……………ちくしょう……ッ」











散乱する破片を、ひとつひとつ拾い上げる。

どれくらいそうしていただろうか。気づけば空高くあった太陽は既に西へ傾いていた。
しゃがみ込んでひたすら床だけを見つめる。そうして、以前屋敷でナルトに言われた「アパートに侵入して暴れられると面倒」という言葉を思い出した。同時に、最近アパートの周囲をうろうろしていた人達の顔が横島の脳裏に思い浮かぶ。


アパートの近くをうろうろしていたのは、横島を取り囲んだあの里人達。何もし掛けてこなかったので気にしなかったのだが、まさかこういった暴挙にでるとは思わなかった。
今すぐそいつらを探しだしてやりたいが、ナルトがそれを許さないだろう。どんな事があっても里人に手を出すなと、横島は彼に言い含められている。

侵入者が里の人間だとわかる。わかっていて何も出来ない自分が歯痒い。
昨日は買い物も済んでいたので横島は一日中屋敷にいた。ナルトも徹夜だと言いながら暗部任務へ赴き、アパートへは戻らずそのまま下忍として里に戻って行った。
おそらくその日に決行したのだろう。ペンキの渇き具合から見てもそう判断できる。
せめてもの救いは食料品を全て屋敷に持ち込んでいた事だ。もしココに置いていたら更に悲惨な状況になっていた。

アパートのドアは抉じ開けられている。靴底の跡が残っていたので蹴り開けたのかもしれない。
物置部屋もめちゃくちゃにされていたが、術には気づかなかったらしい。試しに物置へ入ってみた横島は屋敷の内部を見渡す事が出来た。未だ熟睡しているハヤテを確認し、掃除道具とゴミ袋をアパートのほうへ持ってくる。それからずっと、ひたすら拾うという行為を繰り返していた。

(くそ……っ)
ギリギリと奥歯を噛み締めながら彼は無造作に破片を集める。かけらの鋭いところで指先が切れたが、構わずただ黙々と拾い続けた。
粗方片付けたおかげでようやく足の踏み場が出来る。掻き集めた破片を袋に入れ、ゆっくり立ち上がり、そうしてなんとなしに部屋の片隅へ目を向けた横島ははっと息を呑んだ。


片隅で粉砕されているその破片の模様は見たことのある模様だった。握り締めた袋の中で集めた破片がかちゃんと音を立てる。



それは、ナルトが初めて口にしてくれた、お粥を入れた皿だった。












胸がつまって言葉にならない。下唇を噛み締めて、横島は部屋の片隅で再びしゃがみ込んだ。

ひとつひとつ拾うたびに、ゆらゆらと揺れる視界。眼球の表面に張り付く水の膜をぐいっと腕で拭う。
最後の破片を拾おうと手を伸ばす前に、横島より一回り小さい手がそれを拾い上げた。


「……ナ、ルト…」

破片を手に、ナルトが横島を見下ろしている。何時の間に来たのか。しかしそんな事を考えるのも億劫で、しゃがみ込んだまま横島は顔を伏せた。
「……すまない」
謝罪の声が耳に入る。途端、彼はガバリと立ち上がった。


「なんで…っ、なんでお前が謝んだよ!!」
「……すまない」
「謝んなッ!!」

ガッとナルトの両肩を掴む。せっかく集めた破片が袋からぱらぱらと飛び散っていった。

「なんで泣き言ひとつ言わねえんだ!?なんで弱音ひとつ吐かねえんだ!?」

こんなんされたんだぞ!!と部屋の惨状を指差しながら横島は声を張り上げる。ガクガクと身体を揺らしても少しも揺るがないナルトに、益々彼は憤った。
「俺は、お前の前で泣いた!ガキみてえに泣いた!それなのに……ッ。正真正銘ガキのお前がなんでっ!泣き言ひとつ言わねえんだ!!」
ナルトの肩を掴んだまま、ずるずるとしゃがみ込む。

ナルトは無言で、肩を掴んでくる横島の手に手を翳した。すると青白い光が横島の手を包み込む。優しい穏やかな光は彼が先ほど破片で傷ついた指先を覆い、その傷を癒していく。


両肩を掴んでいる横島の手を外しながら、ナルトは呟くように言った。
「…だから言っただろう。うずまきナルトに関わったらお前に迷惑…」
「迷惑だなんて思ってねえよ!!」
鼻息荒く断言する横島に、ナルトはしばし呆然としていたが。やがてふっと苦笑する。

「……お前は、忍びには向いていないな……」

そう小さく呟いたナルトの顔を横島は見ることが出来ない。ただただ悔しかった。
理不尽な暴力を子どもに振り翳す里の人間も、少しでも九尾の兆しが見えたら幽閉すると断言した里の重鎮達も、誰にも弱さを見せないナルトも、そしてなにより全て知っていながら何も出来ない自分が腹立たしくて遣る瀬無かった。

今にも零れそうな涙を、歯を食い縛って堪えながら、ただじっと床を見つめる。
静寂がその場を包み込む。けれどその静寂をナルトの一言が破り去った。



「ありがとう」


はっと顔を上げる。見上げると、まるで眩しいものを見るように横島を見つめるナルトの姿があった。

「ありがとう」

そう言って破片の入った袋を拾い上げたナルトは横島の腕を引っ張る。
どこにそんな力があるのか、細腕で横島を立ち上がらせたナルトは真摯な瞳で彼を見上げた。
「もう遅い…ハヤテも腹を空かせているだろう。後は俺がやるからお前は屋敷へ戻ってくれ」
割れている窓から外に一瞥を投げ、彼はそう横島を促す。その言葉に再び抗議しようと口を開き掛けた横島は、ナルトの顔を見ると口を噤んだ。


滅多に感情を露にしない子どもが、顔を綻ばせて微笑んでいる。今の会話でどうしてそんな嬉しそうな顔をするのか、横島にはわからなかった。
しばし沈黙が続く。何と声を掛けたらよいのか戸惑って、結局横島は直情のままに言葉を紡いだ。


「…明日。一緒に掃除しよう」

何の飾り気もないその言葉に、ナルトは弾かれたように横島を見上げる。そうして、更に笑みを深めた。

「………ああ。明日、な…」












横島が物置部屋へ入って行くのを見送って、ナルトはふうと息をついた。

はたと周囲を見渡す。荒らされた部屋を見ても彼の心は晴れ晴れとしていた。
(ありがとうなんて………生まれて初めて言ったな……)
演技中によく言うその言葉に対し、実際ナルトは何の感慨も持てなかった。だから、心から感謝の言葉を口にしたのは初めてのこと。

暗部服に腕を通しながら、ナルトは壁の落書へ目を向ける。横島が来る前までこのような事は珍しくも何でもなかった。
だからまるで自分の事のように慨嘆した横島の姿が、ナルトにはとても眩しく感じた。そして胸の内にじんわりとあたたかいものが込み上げ、自然と顔が綻んでしまったのだ。
(けど…なんだか自分を責めているようだった)

ナルトに対してではなくまるで自分自身に憤っているような。強く肩を掴んできた彼の手からそういった雰囲気を感じ取ったナルトは眉根を寄せる。
未だ精神が不安定である横島。そんな彼にナルトはずっと懸念を抱いていた。


どうも横島はナルトを守らなければならないという使命感に囚われているようだった。
その原因は言わずもがな、三代目火影の記憶だろう。
ナルトは横島の記憶を見たため彼の心情が手にとるようにわかる。けれど横島はナルトの記憶ではなく三代目火影の記憶を見た。そのためナルトの心情が横島にわかるはずもなく、逆に火影の記憶を見たために火影老人の心情を理解している。
つまり三代目火影の、ナルトを庇護したいという彼の意思を受け継いでしまったということ。故に横島は火影の記憶に引き摺られ、ナルトを守りたい思いが強くなっているのだ。
加えて自己不信と劣等感がその思いを更に駆り立てている。

(もっと自信を持ってもいいだろうに…優れた才能の持ち主だと思うし、それ以上にどこか憎めない人柄だ)
だから彼のまわりに人が集まるんだろうと、ナルトは横島の記憶を思い浮かべて思った。



横島は何気に天才肌である。霊能力も土壇場で開化し、さほど努力しなくても新たな力を手に入れ、努力した際には実力が急激に上がる。
日常生活においてもそうだ。父母の血故か商才に恵まれ、練習したわけでもないのにライフルを使いこなし、その場で車やボートといった乗り物を運転し、水道管の修理といった器用な事も出来て、歌も上手く、ミニ四駆やゲームといった遊びにも才覚がある。つまり演技がそういった彼の長所を全て覆い隠していたのだ。
結局横島は根本的なところは何も変わっていない。女好きで馬鹿なふりをし、妄想癖がある…そういったところをごっそりと無くしただけで、あとは演技していた[横島忠夫]と全く同じ―――性根の優しい青年なのだ――――本人が気づいていないだけで。



暗部服を身に纏い、ナルトは割れた窓から空を見上げた。窓枠に残るガラスの破片がキラリと光る。

物を修繕する術などナルトは持ち合わせていない。忍術は錬金術とは違う。
初めて横島がこの家で就寝したあの日、割れた窓を気にしているようだったから幻術を掛けた。人間の脳に直接働きかけ、あたかも割れていないように錯覚させる術。それはもう一度同じような衝撃を与えれば簡単に破られる。
術が消えたため窓が何者かに打ち壊された事はとうに察していた。また投石かと思っていたのでさほど気にはしていなかったが。

ナルトがアパートに早々戻れたのは、影分身と入れ替わったからだ。暗部任務がラストスパートとばかりにここ三日間ぎっしり詰まっている。それに屋敷へ無理やり帰らせてしまった横島の事が気にかかったからというのと、直感が早く帰れと囁いたためである。
当たってほしくない勘が当たり、実のところナルトは不安だった。横島がこのような暴挙に辟易してナルトに見切りをつけるんじゃないかと、ナルトと共にいる生活に嫌気が差して帰ってしまうのではないかと、らしくもなく内心狼狽していた。

黙々と破片を拾い続ける彼の姿を見て、胸が熱くなったのを覚えている。そうして横島に見限られるのをどこか怖がっている自分に戸惑った。




狐面をつける。途端、その場の空気が一気に冷やかなものになった。
面の奥から蒼い瞳を覘かせ、ナルトはこれからの筋道を脳裏にて立て直し始める。

口寄せしたガマブン太との激闘の末、チャクラ切れで入院というのがナルトの筋書きである。表の下忍は三日三晩眠り続け、本試験の前日に目覚める予定だ。そこで影分身に眠り続けさせ、自身は暗部任務を片付けるのが一番得策だと考えた。

けれどただでさえ忙しい身であるナルトに、どうしても暗部任務以外に外せない用事が出来た。明日時間をつくるため今夜は頑張らないと、と気合いを入れる。


(……明日は…掃除、しなくちゃなんないからな)
横島と一緒に、と心の中で呟いて、ナルトは割れた窓から外へ飛び出した。













ふっと意識が浮上する。目覚めると辺りは既に真っ暗だった。

(長い間眠ってたようですね…)

眠る前まで窓から射し込んでいた光も今は無い。屋敷を囲む森も薄暗く、僅かにほーほーと梟の鳴声が聞こえてくる。
夕食時だろうか。空腹を告げる自身の身体に苦笑し、同時にいつもなら料理を運んで来てくれる青年の姿がない事に首を傾げる。
気だるい身体をのそりと起こして、ハヤテは台所へ向かった。

寝室と同じく闇に包まれた台所の灯を灯した途端、テーブルで顔を伏せている人物に驚く。
「ごほ…、どうしたんですか?」
両腕に顔を埋めて伏せている青年――横島に話し掛けるが、彼は身動ぎひとつしない。
眠っているのだろうかとハヤテが思っていると、ぐすっと鼻を啜るような音がした。


「…泣いて、いるんですか」
「……………」
無言で伏せる彼の腕から小さな嗚咽が漏れる。ハヤテは黙って横島の真向かいの椅子に腰掛けた。


「…………たとえば、さ…」
くぐもった声が台所の闇に吸い込まれていく。天井にぶら下がる灯がぼんやりと二人の影を作り上げた。

「ずっと虐められている奴がいるんだ。何もしてないのに、まわりから酷い仕打ちを何度も受けている。……けどそいつはその仕打ちを当然の事だと思っているんだ。だから、いくら手を差し伸べても拒否してくる………―――――関わるなって拒絶するんだ」
ようやく歩み寄った、などと喜んでいたのが馬鹿みたいだと横島は思う。結局ナルトの重荷にしかならず彼に泣き言ひとつ言わす事すら出来ない。

「………俺は何が出来る?そんな奴に…。何をしてやれる?」
懇願するように横島は呟く。


曖昧な比喩を用いたのは、ハヤテがナルトをどう思っているか解らなかったからだ。加えて、ナルト本人に他言しないでくれと頼まれた事もあるが、なにより反応が怖かった。

もし暗部総隊長の月代がナルトだとバレてしまったら、彼も三代目火影の記憶で見たあの乳母のように豹変するんじゃないか。里人同様、怨色を露にして怒るのではないか。
横島は、そんなハヤテの顔は見たくなかった。

両腕に顔を埋める。唐突の問題提起に戸惑っているハヤテの姿が目に浮かんだ。
はなから彼は返事など期待していなかった。


「……その人がどんな人かわかりませんが、その人自身が望まないならいくら手を差し伸べてもきっと駄目でしょうね…ごほっ」
けれど予想に反して返事が返ってきた事に、横島はゆっくりと埋めていた両腕から顔を上げる。何の解決策も含まれていないその言葉に落胆したが、次の言葉には目を瞬かせた。
「でもひとつだけ出来る事があります」
若干赤くなった瞳を爛々と光らせて、ハヤテの言葉に耳を傾ける。相変わらず顔色の悪い彼は横島に言葉を投げ掛けた。


「傍にいる事です」


横島が目を見開いたのを確認しつつ彼は更に言い募る。
「誰が何と言おうと、その人の傍にいる事です。それだけでその人は随分救われます……ごほっ。自分だけは味方だと、仲間だとゆっくり信じさせてやるんですよ」
暗がりの中、こちらをじっと見据える横島の視線を感じながら、ハヤテは再び口を開いた。

「見守る事も、ひとつの勇気ですよ…ごほっ」

その一言を耳にした横島は、まるで青天の霹靂に出会ったかのような表情を浮かべる。そうして口の中で何度も反芻した。
「傍にいる…見守る……」
ぶつぶつと呟いている横島をハヤテはじっと見つめる。仄暗い台所で時を刻む時計の針がやけに大きく響き渡った。


どんよりと暗い空気を背負っていた横島が、ゆっくりと相好を崩す。その様を見ながら、ああやはり彼には笑顔が似合うなとハヤテは思っていた。

「…そっか。すんません、急に変な話言っちゃって…」
「いえ、構いませんよ…ごほっ」
「あ!飯っスね!今から用意するんでちょっと待って…」
慌てて立ち上がろうとした横島の腕をハヤテは掴む。もう一度椅子に座るよう促しながら彼は言った。

「今夜の食事は私が作りますよ、ごほっ」
「いやそんなん悪いッスよ…」
「作りたい気分なんです…少しでも身体動かしたいですし」
味に保証はありませんけどね、とハヤテは猫背のままのっそりと立ち上がる。なにやら料理し始めるハヤテの背中を横島はぼんやり眺めていた。

(…気、使ってくれたんかな…)
普段クナイを使っているからか包丁捌きだけは異様に上手いハヤテの手元を見ながら、横島は椅子に深く沈み込む。背凭れに体重を掛け、両足をうんと伸ばした。

ガキだなあ、と思う。子どもであるナルトのほうがよっぽど大人だ。それに自分よりずっと強い。
けれどひとりは寂しいと横島は考える。だからナルトには、道化を被ることで誰も信じられなくなった自分の二の舞にはなってほしくなかった。


「……横島くん、君ももっと甘えていいんじゃないですか?」
「…………え?」
背中を向けたまま言ったハヤテの言葉に戸惑う。
相変わらずごほごほと咳き込みながら差し出された皿を、横島は礼を言って受け取った。作った料理を手早く皿の上に載せ、ハヤテは再び横島の真向かいの席に座る。

「気にしているその人が横島くんの大切な人だとわかりました。だからといって自分を責めても何も解決しません…ごほっ。見た感じ、横島くんは十七・十八でしょう?まだまだ子どもだと思いますけどね」
だからそんなに頑張って大人になろうとしなくてもいいんですよ、と黙々と皿の上の料理を口に運ぶハヤテを横島は思わずまじまじと見た。
十七歳でありながら世界の命運を託された事のある彼の心に、その言葉が深く滲み渡る。


「……ありがとう、ございます…」


顔を見られないように俯いて、自分の皿に載せられた食べ物を口にした。おいしいとも不味いともいえない料理。
どこか苦いそれを無理に口の中へ運びながら(ナルトもこんな感じで食べてたんかな)と横島は思う。



口いっぱいに広がる苦味が、彼の涙腺を余計に緩ませた。
 

 

十八 告別

太陽が燦々と屋敷を囲む森に陽光を降り注ぐ。
チチチ…と鳥の囀りが葉風に乗って木立を吹き抜けた。


屋敷の周りをランニングしていた横島の耳にもその鳴声は聞こえてくる。
滴る汗を鬱陶しそうにしながら走り続ける彼に、縁側で座るハヤテが呼び掛けた。
「あと二十五周です、ごほっ…」
「え~!?ハヤテさん、スパルタッスよ」
抗議の声を上げた横島は、ハヤテの次の言葉に押し黙る。
「強くなりたいって言ったのは、横島くんですよ……ごほっ」
「う………」
口を尖らせるもわかってますよ!と半ばやけくそ気味に答え、横島は再び駆けだした。その様子を見ていたハヤテは思わず苦笑を漏らす。



朝一番にハヤテは、どこか神妙な面持ちで「強くなるにはどうしたらいいッスか」と突然問い掛ける横島に気圧された。戸惑いながらも、真剣な声でぽつぽつ話し出した彼の話に耳を傾ける。

「見守るのもひとつの勇気だって言ったじゃないッスか。じゃあ俺はいつでも手を差し伸べられるように強くなる…………その時になって役に立たないなんて情けないッスからね」

ふっきれたような態度の彼に頼まれ、ハヤテはこうして鍛錬の指導をしているのだ。
せめて木から木へ跳び移れるようにならないと!と意気込む横島に、屋敷のまわりを五十周ランニングするよう伝えた。何はともあれ、まずは体力作りである。

ハヤテは横島を必ずしも信用したわけではない。けれど人柄から横島の事は気に入っていた。
それにもうすぐ音と砂が木の葉崩しを決行する。もし忍びではない横島がそれに捲き込まれたら一溜りも無いだろう。だから気休め程度にしかならないだろうが、横島を鍛える事にしたのだ。
子どもの時にアカデミーへ通っていない一般人が忍びになれる事はまずない。けれど意外と身体能力が高いので、木から木へ跳び移る事ぐらいは早く出来るようになるかもしれない。


努力という言葉自体嫌いだった横島が自ら努力する。天才肌である彼は努力することで通常より二倍も三倍も成果を出せる。

木の葉崩しまであと四日。
雀の涙もないほど短い期間、買い物や食事の支度、それにナルトとの約束であるアパートの掃除以外の時間を横島は鍛錬に費やした。













それは偶然だった。
買い物袋をぶら下げ、横島はのそのそと堤防沿いを歩いていた。


アパートの掃除はナルトと一緒にする事でとうに終わらせた。それからはひたすらハヤテの指示に従って鍛錬を続けていたのだ。
今は休憩がてらに出掛けた買い物の帰り道である。


堤防下に広がる川が反射してキラキラ光る。それを眺めていた彼は、前方から聞こえてくる聞き慣れた声に顔を上げた。
「…そんでさ~カカシ先生ってば、まぁた遅刻してきてさ~」
「お前んとこの班はほんとメンドくせーこって」
金の髪がぽわぽわと、たんぽぽの綿毛のように揺れている。その隣で相槌を打つ黒髪が苦笑していた。

「あ」
全身オレンジ色の服という派手な出で立ち。素とは真逆の明るさで朗らかに笑う子どもに横島は思わず声を上げた。

はっと口を押さえる。以前崖からナルトを突き落とした大柄な男の姿が脳裏に浮かび上がり、横島は呼び掛けるのをぐっと抑えた。
あの時も名前を呼んでしまった事でナルトに迷惑が掛かってしまった。だから素知らぬふりをして通り過ぎようと横島は買い物袋を持ち直す。
それでも視線はナルトのほうについ向けてしまう。そしてナルトの隣を歩いている子どもに興味を持った。

里人と違い、ナルトに対して自然と接しているその子ども。仲良さげなその様に横島は目を瞬かせた。
ついマジマジと見ていたようで、髪を頭の天辺で纏めている黒髪の子どもが胡散臭げに此方を見ている。子どもらしからぬその眼つきの鋭さに、横島は思わずたじろいだ。



その時ぽちゃんと水音がした。どうやら川の魚が跳ねたようで、横島とその黒髪の子どもは一瞬そちらに目を向けた。堤防下の川の一角で水の波紋が小さく輪を描いている。

「行こうぜ、ナルト」
「あっ、待てってば。シカマル」
黒と金が通り過ぎる。黒髪の子どもがさりげなく金髪の子どもを庇うように横島の隣をすり抜けて行った。






「………なんだ。友達、いるじゃんか…」

その後ろ姿をぼんやり眺めていた横島は、買い物袋を無意識に持ち直す。傍の木がさわさわと揺れていた。















なんとなく、ふと立ち寄った公園。
夕陽に照らされ赤色に染まる遊具からは長い影が伸びている。

買い物袋を傍の鉄棒に括り付けて、横島はブランコに腰を下ろした。思ったよりも窮屈なブランコが、否でも応でも自分の身体が大きくなった事を実感させる。
「……もう明日でひと月かぁ…」

横島が木ノ葉の里並びこの世界に来て既にひと月。時が経つのは本当に早いと思いながら、ブランコをゆっくりと漕いだ。キーキーと軋む金具の音が人気のない公園でやけに響く。



「――何やってんだってばよ?」

隣から突如聞こえてきた声に、横島は漕ぐのを止めた。
何時の間にか金髪の子どもが隣のブランコを立ちながら漕いでいる。座っている横島より若干高い位置にある金の髪を揺らして、彼はにししと笑った。

「…友達はいいのか?」
「友達?誰の事だってばよ?」
横島の問いに、きょとりと瞳を瞬かせて子どもはぴょんとブランコから跳び降りる。横島の前で仁王立ちしたかと思えば、急に子どもを纏う雰囲気が変わった。


「シカマルなら俺の影分身と一緒だから大丈夫だ」
「影分身?」
「実体である分身体の事だ。さっき魚が跳ねた時に入れ替わった」
確かに一瞬魚の跳ねた方にナルト以外の面々は気をとられた。しかしそれはほんの二秒足らずの出来事である。その僅かな時間中でやり遂げた彼に、横島は思わず苦笑を漏らした。

「そりゃ便利なこって……――――ところでいいのか?こんなところで素に戻って…」
「問題ない。周囲に結界を張った。傍目には無人の公園に見えるだろうな」
「…まあいいや。今日は暗部の仕事は無いのか?」
「あるがまだ時間ではない………お前と話がしたかった」
「へ?話?」
眼をパチクリする横島の隣のブランコに、ナルトは再び腰掛ける。足の爪先で地面を掘っているその様は年相応の子どもに見えた。

「……ハヤテの様子はどうだ?」
「うん?別に普通だよ。文珠を使ったから怪我もきれいさっぱりだし」
それにあの人何気にスパルタだしなと鍛錬に関する愚痴を内心呟いた横島の顔をナルトはちらりと窺い見る。


三日間ぶっ通しで任務を終わらせたナルトは当初の予定通り病院で眠る影分身と入れ替わった。我愛羅がリ―の病室を襲撃するという予想外のハプニングはあったが、後はおおよそ筋書き通りである。そして見舞いに来てくれていたシカマルと一緒に帰っている途中に横島と会ったのだ。


掃除の件が済んでから、暗部任務に追われていたナルトはなかなか帰る事が出来なかった。
ハヤテの看病を横島に丸投げしてしまったという罪悪感が彼の心を締め付ける。しかし文珠という言葉にぴくりとナルトは眉根を寄せた。

「乱用し過ぎているんじゃないのか?」
「え、何が」
「その、文珠の事だ」
突然咎められた横島は、困ったように目尻を下げる。なぜかナルトは横島が文珠を使う事に抵抗があるようだ。ハヤテの治療を渋ったのがいい例である。

「それは、そうだけど――でも文珠のお蔭で命を救われた事も何度もあるし……」
「……記憶を見させてもらった際に思っていたんだが、文珠が原因で大変な事になるのが多々あっただろう?お前自身の命に係る状況ならともかく、滅多に使うものじゃない」
言い方はぶっきら棒だが思いの外心配しているのがわかり、横島は内心苦笑した。
(わかりにくいっつ―の)

横島の記憶によりナルトは、〖文珠を生成できる彼の力は下手に転ぶとデタント〈緊張緩和〉の崩壊を引き寄せかねない〗という前提のもと、彼が一部の上級神魔族から常日頃から命を狙われる羽目になった事を知っている。それ故ナルトは、文珠の能力を持つ横島の身を案じているのだろう。


「………よっと」
ブランコからのめり込むようにして降りた横島は、ナルトが漕ぐブランコの後ろに回った。途端、神業とも言える速さで、横島の顎下にクナイが添えられる。

ナルトは背後を決して許さない。背中を見せる事は命取りに繋がるからだ。だから多少気を許す相手にも本能が身体を動かし、無意識にクナイを突き付けてしまう。

顎下の冷たい切っ先に冷や汗を掻きながらも、まるで猫が警戒してるみたいだなと横島は感傷にひたった。
「なんもしねえって。ただ背中を押してやろうと思って」
「…………背中を、押す?」
訝しげにクナイをおさめるナルトにほっと息をつき、横島は改めて彼の背中に手を伸ばす。


キイと一際大きく揺れたブランコ。ブランコを吊るす金具に慌ててしがみ付いたナルトは目を丸くしている。キイッと反動で返ってきたブランコに向かって、横島はもう一度力を入れた。
「ブランコの楽しさってのは一人で乗る事じゃなくて誰かがその背中を押してやる事だと思うんだよな」

振り子のように大きく、ブランコは夕焼け空へ跳ねる。しっかりと金具を手で握り締めているナルトは、ただただ前方に目を向けていた。

「……別に、楽しくない」
「そうだなぁ。いつも木から木へ跳び移る奴にはこんなの楽しくないかもなあ」
木から木へ跳び移るのってやっぱ難しいんかと軽い口調で横島は話し掛ける。ブランコが再び大きく弧を描いた。

「でもさ…………こう、ブランコで高いとこまで上がるとさ…空に近くなるだろ」
戻って来るブランコを目で追いながら、彼は薄く笑う。

「子どもの時、ブランコに乗るとよく思ったんだ。太陽とか月とか、そういったモノに近くなれるって。たぶん、天に手を伸ばしたかったんかな…なんか強くなれる気がして」
手を空に翳す。黄昏時の太陽が横島の掌を赤く照らした。



実のところ横島はある言葉がずっと心に引っ掛かっていた。それはハヤテと初めて会話した際の、「総隊長とどのようなご関係なのですか?」という設問だった。

横島は月代――ナルトにとって何なのか。友達?仲間?それとも……?答えが見つからぬまま悶々としていた横島に、新たな問題が提起される。

それはナルトを崖に突き落とした大柄な男の「他人は口出しするんじゃない」という一言。思わず「他人じゃねぇ!!!!」と否定したが内心では断言できなかった。その上間髪容れずアパートを襲撃された事で湧き上がった疑問。

陰口に暴言や暴行、罵声に投石…数え上げれば切りが無い仕打ちを受けている子どもに何をしてやれるのか?過酷な状況にいながら頑なに助けを拒む子に自分は何が出来るのか?

煩悶する横島を示唆したのは再びハヤテが言った言葉だった。
[傍にいる]・[見守る]…この二つの単語は横島の考え倦んでいた問題に一点の光を見出した。



「お前はもう天に手が届いてるような強者だと思うけど、その背中を押してやれる奴に俺はなりたいんや」

はたと、地に映るナルトの影を見つめる。その小さな影はとても暗部総隊長には思えない、普通の子どもの影である。それでも彼がこの里で最も強いのだと理解しているからこそ、横島はナルトの心の支えになりたかった。

どれだけ強くともやはりナルトは子どもなのだ。どんな規格外な強さを持っていても完璧な人間などいないのだと、自分自身を顧みて思った。



「………急にどうしたんだ」
「いや、別に……」
誤魔化すように横島は笑ったが、ナルトから滲み出る無言の圧力に促される。

こちらに少し振り向いて尋ねるナルト。その顔の赤さが夕陽に照らされているだけではない事に横島は気づかないふりをして口を開く。照れ臭いのだろう。子どもらしいその反応に思わず喉の奥が鳴った。
「…たいした事ないんだけどさ。ハヤテさんに、お前と何の関係があるのかって聞かれたから」
月代のほうな、という言葉にナルトはきょとりと目を瞬かせる。

頭を掻きながら空を見上げるとその赤が目について、横島は思わず感慨深げに呟いた。
「…どこでも空は一緒やなぁ…」
その独り言のような小さき声に、大袈裟過ぎる程ナルトは大きく肩を揺らす。



「……――――――元の世界に帰りたいのか?」
「え………」



突然横島の手が離れたブランコは、寄せては返す波のように反復し、やがて止まった。

そのブランコの上に座っているナルトは横島の答えを待っているようだ。振り返る素振りも見せない小柄な背中が彼をじっと見つめている。問い掛けられたその言葉の意味を反芻して横島は愕然とした。

そういえば一度たりとも戻りたいと、帰りたいと思わなかった。
(どうして)
思わなかったのだろう。急激に湧き上がる疑問に、横島は胸をぐっと拳で握り締めた。



「………――――――お前は、俺に、帰ってほしいんか」

次いで口から無意識に飛び出した言葉は、思っていた内容とは真逆だった。何も考えずに紡いだそれに横島自身も困惑する。ナルトのほうも酷く驚いた様子で眼を見開かせていた。



「…………………………」
無言がその場を支配する。



夕風が公園をぐるり囲んだ木立を吹き抜けた。その風は横島とナルトの頬をやわらかく撫でていく。カァという鴉の鳴声で我に返った二人は弾かれたようにブランコから離れた。

「………帰るか」

何の考えも無く口にした横島の言葉に、ナルトが反応する。ハヤテさんも心配するだろうしと続けようと思った言葉は、ナルトの激語によって遮られた。


「そうだ、早く帰れ。お前の世界に」



小声だが激しさの込められた一言に横島は動揺する。顔を背け、つき放すような物言いでナルトは続けた。

「……――色々と世話になった。礼を言う…もう充分だ。だからお前は」

ざぁっと二人の間を夕風が駆け抜ける。ニ・三枚の葉が風に乗って空を舞った。


「帰れ」
「…ちが、そういう意味で言ったんじゃ」
「帰れ」
「ナルトっ」
「お前のいるべき場所はココじゃないっ!東京って所だろうっ!お前はGSなんだろ、こんな世界にいても仕方が無いだろう!!」

口早に言うナルトを横島は呆気にとられて見る。どうして急にそんな事を言うのだろうという疑問と共に、寂寥感が募った。

「…なんでだよ。なんでそんなこと、いきなり言うんだよ」
「いきなりじゃない。言うのが遅過ぎたんだ…本当はもっと早く言うべきだったんだ」
どこか自分自身に言い聞かせるようにしてナルトは言う。けれどその事に気づかず、横島は下唇を強く噛んだ。
沈黙し続ける彼に焦れたのか、ナルトが鋭い視線を投げ掛ける。


「……この世界から帰らないなら、この里から出て行け」
「ナ、ル……」
トと名前を言う間も無く、横島はナルトに抱え上げられた。気づけば、公園にいたはずの彼らは草木の生い茂る森の中に佇んでいた。


その場所に既視感を感じきょろきょろと見渡す横島の隣で、ナルトは大木に突き刺さったクナイを抜いている。何か術式が描かれたそれを彼が仕舞いこんでいる間に、横島は今自分がいる場所を思い出した。

(そうだ。ココ…ナルトと初めて会ったとこだ)

暗部任務中のナルトにクナイを首筋に突き付けられた処。
蒼い炎が地を奔り、咽返るほどの血臭が溢れていた場所は、今見ても木立に囲まれた原野に他ならない。


ぼんやりとほんの一ヶ月前の思い出に浸っている横島の前で、ナルトがくいっとある一点を指差した。
「あそこまで行けば里外だ。ココのルートはこの前殲滅した奴らしか使っていなかったから、今は誰も知らない」
一際大きい木を指差すナルト。彼の指をじっと見ていた横島は拳を震わせながら問い掛けた。


「本気で…言ってんのか…」
「……………」
「それで、お前はどうすんだ」
「どうするも何も俺はこの里の忍びだ」
「こんなっ、お前を閉じ込める檻みてぇな里にずっといるってのかよ!!??」
「檻?違う、箱庭だ」

淡々と言うナルトに、横島は最初出会った時の事を思い出す。同じだと、今のナルトはあの時のように感情を取り払った表情をしていると直感が囁いた。

(コイツはまた…道化を被ってやがる…っ)

益々苛立って横島はナルトの腕を掴む。荒々しく爪を立てて握ったのだが、ナルトは何の反応も示さなかった。

「いいんか!お前はそれでっ!」
「…………」

縋るように掴んでくる横島の手をナルトは振り払う。その行動に、料理を盛った皿を叩き払われた三日目の夜の事が思い出されて横島は眉を顰めた。





「…―――さよなら」


くしゃりと顔を歪めてナルトは言う。その言葉が終らない内に、彼は音も無く立ち去った。







先ほどまでナルトが立っていた場所を横島は呆然と見つめる。
握り締めた拳の中で、蛙の財布がぐしゃりと音を立てた。
 

 

十九 最後の舞台


白い鳥の羽根が空を舞う。見た目は幻想的な光景だが明らかに幻術のソレに、ナルトはちっと舌打ちした。
(始まったか…)

中忍試験会場。
試合を観戦するために集まった者達が皆すうすうと眠りこけている中、カキンとクナイとクナイの搗ち合う音があちこちで鳴り響く。
ドベを装って試合をなんとか終わらせたナルトは、幻術に掛かったふりをして伏せていた。

火影を連れ去った風影の姿を確認し、飛び出したい衝動を必死で堪える。試験開始前から火影に「手を出すな」と命令されていたナルトは歯痒い思いを抱えていた。


火影は知っている。ハヤテの証言を踏まえナルトが掻き集めた情報により、今の風影が大蛇丸の変化した姿だとも、木ノ葉崩しの筋書きも大まかにわかっている。
けれど彼は元教え子だからこそ大蛇丸と正面切って対峙すると言う。暗部総隊長として新人暗部を鍛える事もあるのでその気持ちは解らなくもないが、なによりその固い覚悟に水を差す事がナルトには出来なかった。


(じじい……)

試験会場の屋根で風影の羽織を羽織った男となにやら会話している火影。それを目の端に捉えたナルトは人知れず下唇を噛んだ。心を落ち着かせようと、思わず木の葉の額宛を押し上げる。
その途端、バンダナをつけている昨日までの同居人の姿がナルトの脳裏に浮かび上がった。

(……帰ったのだろうか……)
ちくりと痛む胸を抑え、これでよかったのだと自分自身を納得させる。







昨晩、横島――監視対象を逃がしたとナルトは三代目火影に報告しに行った。どんな罰でも受ける覚悟はあったが、彼はただ「そうか」という一言だけ口にした。悄然とした顔つきをした火影の顔を忘れることができない。

脳裏に浮かぶのは横島を最後に見た、昨日の黄昏時。


最初はただの監視対象だった。
火影の命だから仕方なく彼をアパートに連れ帰ったのだが、すぐ逃げると思って金を用意した。それでも未だアパートにいたその意図を探るため泳がしておいた。木ノ葉崩しを企む忍び達がいるくらいだから他にも何か陰謀が隠されているのではないかと疑ったのである。

横島の記憶を見ても全てを信じ切れたわけではなかった。記憶を操作する術もあるため、心の奥では本当に彼が信用できる人間か解らなかった。しかし何の変化も見えずそのままずるずると一緒に過ごし、そして彼の全身の傷痕を見てようやくナルトは横島の心理が窺い知れた。頑なに道化を被る彼に親近感が湧いたのかもしれない。

そして荒らされたアパートを自分の事のように憤慨した横島を、死なせたくないと切実に思った。こんな忍びの世界に捲き込んでいい人じゃないと。

だからわざとつき放して、それでも渋る横島をせめて里から逃がそうとしたのだ。
抜け忍ならともかく見た目一般人にしか見えない彼なら大丈夫だと、里外へ行く経路を教える。金も買い物帰りだったようだから彼が持っているし、意外と強いみたいだから一介の忍びと出会っても問題ないだろう。

とにかく木の葉の里から遠く離れてほしかった。後に戦場となるこの里から、そして今現に忍び同士で闘っているこのような危険な所から、あの忍びには向いていない優しく甘い人間を遠ざけたかった。



(今頃は国境あたりか……それとも文珠とやらの力で元の世界に帰ったかな)
担当上忍の言葉が遠く聞こえる。一尾を宿す砂の忍びを追い駆けるように急かす彼の声に促され、ナルトは火影にちらりと視線を送ってから走り出した。













轟く音の発生場所に目を向けて、横島は唖然とした。

「なんじゃこりゃ……」
里のほうから聞こえる、ドオオンという地鳴りのような音。遠目に見える、里内を闊歩する大蛇。
なんというか、まるで映画である。

(…なんやねん一体…怪物映画のロケかよ…)
遠くなる気を奮い立たせるために心中で冗談を呟く。今すぐに遠ざかりたい気持ちを抑え、音信源である里に向かって横島は足を進めた。



逃げるという選択肢があった。自分の世界に帰るという選択肢もあった。けれど昨日別れを告げてきたナルトの顔が横島にはどうしても忘れられなかった。

(アイツはこうなる事がわかってたんじゃないか…?)

昨日と一転して戦場になっている里へ視線を投げる。何が原因でこうなったのかはわからないが、誰が見ても今の木ノ葉の里は危険地帯であった。そんな危険な場所であるにも拘らず、横島は里に足を踏み入れようとする。
(きっと里がこんなふうになるからわざと俺を逃がしたんだ…)

ナルトに連れて来られた森から離れ、どこか見知らぬ木立の合間を横島は彷徨っていた。だが彼の足は確実に里の方向へ向かっている。それは三代目火影の記憶を読んでいたためである。


横島の目がある一点を見据える。彼の視線の先には一般人には視えぬモノがうようよと群がっていた。
里に近づくにつれ、後から後から増えてきているそれらの声が聞こえてくる。

『俺はまだ闘える!』『くそッ、音め…。砂と組んでいたのか』『木ノ葉崩しはもう誰にも止められやしない』

頭にクナイを突き刺した者、腕がなく血塗れの者、下半身がない者。額宛の模様は違えど、何れも忍び装束を着ている。
(この短時間にどんだけ死んでんだ……忍者って恐ろし―な…っ)
横島の眼にしか視えていない忍者の霊達が喚いている。聞こえないふりをして彼は先を急いだ。



万が一の事を考え、文珠を五つばかり生成する。体内にストックし、その内の三つを取敢えずポケットの中に捻じ込んでいると、霊ではない生者の声が横島の耳に入った。

ビクリと肩を震わせた彼は、文珠に【隠】の字を入れる。すぐさま文珠を発動させ、横島は声のするほうを窺った。

「なんだ。まだガキじゃね―か…こんなのに全員捕まっちまうとは…!」
「これが噂に聞く木ノ葉の【影しばりの術】か…」
「あ―。言い方が古いぜ、それ」
男の声に紛れ、子どもの声がする。一瞬ナルトかと思ったがどうやら違うようだ。しかしどこかで聞いた事のある声だったので、身を潜めながらも横島は目を凝らした。


子どもが八人の男達に取り囲まれている。その子どもの顔を目にした横島は思わず声を出しそうになって慌てて口を押さえた。
堤防でナルトと一緒にいた、髪を頭の天辺で纏めている黒髪の子ども。彼が八人の忍者達と対峙している。

(えっとナルトが名前言ってたよ~な?…なんだっけ。動物の名前みたいな…。あ!そうそう。シカ…シカ三角やったな!)
うんうんと満足げに頷く横島の眼前では、殺伐とした空気が流れていた。

「時代は流れてんだよ…今は【影真似】って言うんだよ、オッサン!」
大の大人に囲まれているにも拘らず、子どもは物怖じせずにニヤリと不敵な笑みを浮かべる。しかしその声にはどこか焦りの色が見えた。

なぜか八人の忍者達は動きを止めている。子どもの影が忍者達の影と繋がっているのを見て、横島は眉を顰めた。途端に三代目火影の記憶が彼の脳裏に蘇る。

自身の影を自在に操り相手の影と繋げる事で、自身と同じ動きを相手にさせる術。

ならば彼らは子どもに動きを止められているのだろう。しかし八人全員が余裕の表情である事に横島は不安を抱く。子どもが両手にクナイと手裏剣を構えた際も、彼らの余裕は崩れない。
手裏剣とクナイが八人の忍者目掛けて放たれる。人数分のソレらは確実に当たると横島は予測した。


しかし次の瞬間、クナイと手裏剣は何かに弾かれ、地に墜ちる。

「フフ…」
八人の忍者の一人が笑みを浮かべる中、子どもと横島は一斉に傍の木を見上げた。子どもには距離のあるその木から、誰かが潜んでいる気配が確かにする。

(まだ仲間がいんのか……不意打ちで倒せっかな~)
呑気な言葉を心中呟きながらも、横島は右手に霊力を込めた。[栄光の手]を伸ばして木の上に行こうという考えである。しかし伸縮自在に伸びるはずのソレはなぜか短いままだった。
(あれ…?え、ちょっと待て。なんで)


横島は未だ霊能力の基盤が煩悩だと思っている。ナルトの熱を下げる際に霊能力の基盤が〈煩悩〉から〈守護〉に変わった事に気づいていないのだ。そのため霊能力の出力が上がらず、注ぎ込む霊能力にて形を変える[栄光の手]を伸ばす事が出来ない。文珠は威力の大きさに差があるが、栄光の手は伸縮に落差が出てくるのだ。

焦燥感が募る横島の耳に、子どもの荒い息と大人の冷たい声が聞こえてくる。
「どうやら…限界のようだな…。この【影真似】とやらもすぐ解ける…覚悟しておけ!」
ゾクッと横島の背筋が寒くなった。マズイ状況であると遠目からでもよくわかる。


(…アイツは、ナルトの友達なんだ…)

右手に霊能力を注ぎ込みながら、横島は下唇を噛んだ。アカデミーではナルトに友達が出来なかったと火影の記憶が訴えている。表のナルトとしてだろうがそんな彼が一緒に歩いてた相手。今はまだ本当の意味での友達ではないかもしれない。けれど今現在生命の危機に陥っている彼が、いつかナルトを理解し支える存在になるかもしれないのだ。


「…お前の言う通り…どうやら限界だ…」
(おいおいおいっ!なに諦めてんだよ!)
諦念の込められた言葉と共に子どもの影がプツンと切れた。息を荒く繰り返しながら諦観の態度をとる子どもに、横島は内心激昂する。ススス…とゆっくり己の影から離れていく子どもの小さな影を、八人の忍者達は鼻で笑った。

「おい…そろそろ出て来い」
(ヤバイッ!伸びろ伸びろ伸びろっ)

ガサリと木の上で動く気配がして横島は真っ青になる。右手首を左手でぐっと掴んだ。
忍者は子どもにも情け容赦ないのだと、火影の記憶を持つ横島はよく知っている。このままでは子どもが死んでしまう。ナルトの友達が、目の前で殺される。


(……そんな事絶対、やらせるか)

瞳の奥で小さな蛍火がチカチカと瞬く。
ナルトにとって唯一の人間は三代目火影ただひとりだ。横島にとってのルシオラと同じ。



ルシオラに対する想いが恋愛だったのかは未だに横島はわからない。ただ本当に大切な人だったと断言できる。誰にも心のうちを明かさなかった横島が彼女にだけは本音をぶちまけた。ルシオラには本当の自分を見せても大丈夫のような気がした。あの時確かに彼女は横島にとって精神的支えとなってくれていたのだ。

だから自身に好意を素直に向けてくれたルシオラは依存する対象となった。横島の、心の拠り所だった。
道化として演技せねばならぬ舞台から引き摺り下ろしてくれた唯一の女性。
しかしながら、平和になったら彼女に心のうちを曝け出そうと勇気を持った刹那に、彼女は死んだ。


横島は知っている。人は大切なものの最期を迎えると、後に大切なものを失うことに憶病になる事を。
横島は解っている。人は大事なものの死に直面すると、更に大事なものを亡くすことに敏感になる事を。

だからナルトにとって、身を守るすべを身につけさせ、生きる場所をくれた、何があっても変わらずに対応してくれた唯一の人である三代目火影に。もし万が一の事が起こったら。
そしてその時、他に支えてくれる存在がいなかったら。





漠然とした不安に囚われ、横島は頭を振る。
(…――そうだ。ナルトを支えてくれる可能性の芽を摘んじゃいけない)

だから目の前の子どもを。助けなきゃ、救わなきゃ、守らなきゃ。

守るという言葉を小さく口にした途端に、右手が眩いばかりの光に覆われた。なぜという疑問は後回しにして、横島は竹のように伸びたソレを頭上に伸ばす。
篭の手のようになっている栄光の手は高所にある木の太い枝を掴んだ。伸縮自在である故にソレを縮めると、横島の体も一気に上昇する。


そのまま彼は木の上に潜んでいる男の後頭部をガンッと蹴った。






「ついでにコイツの首をハネてやれ」
死の宣告を受けた子どもは、背後にザッと降りてくる存在に身構える。
しかしその存在は降りてきたのではなく、落ちてきた。

「!!な、お前どうした!?」
八人の忍者達が落ちてきた仲間に向かって戸惑いの言葉を掛ける。その時、仲間が落ちてきた木の上でガサリと葉音がした。呆気にとられている子どもも八人の忍者達も、その音がしたほうへ一斉に振り向く。


射抜くような視線を浴びながら、横島は[栄光の手]と文珠の効果をそっと打ち消した。まだ文珠の【隠】の効果が後で使えるのを確認して、それをポケットにつっこむ。
ポケット内を確認した横島は、おもむろに片手を顔に当てた。


震える全身。どくどくと高鳴る鼓動。
すうっと深呼吸して手を額から顎に掛けてゆっくり下ろす。
(コレが…最後だ…)
手が下へ下がるにつれ、横島の眼光が強くなっていく。それと同時に深い翳りが瞳の奥に過った。
(コレが最後……―――だから)

全身の震えが止まる。
手が顔全体を撫で終わるその頃には、彼の心臓は通常の音を奏でていた。



「これが俺の……横島忠夫―――最後の舞台だ」


一度は傾壊した至大至剛な仮面を、再びつける。
先ほどと違い明るく快活な表情を浮かべ、[横島]はニィッと笑った。
 

 

二十 詐術


「誰だっ!?そこにいるのは!?」


一人の忍者が、先ほどまで九人目の仲間が潜んでいた木へ向かってクナイを投げつける。
すると、うおうっ!?と焦った声と共に、バンダナを額に巻いた青年が現れた。

「って危ねぇーじゃねえか!?ちっと掠ったぞ、今!!」
葉陰から姿を見せた青年は酷い泣き顔で捲し立てる。周囲の者はぽかんとした顔で彼の動向を見つめた。

「ゴホンッ、……………は―はっは!!シカ三角くん!俺が来たからにはもう大丈夫………うぎゃあぁあぁ!!」
咳払いをして、子どもに向かって指差しながら胸を張った直後、青年は木の枝で足を滑らせ、地面に激突した。その拍子にビー玉のようなモノが二つ彼のポケットから飛び出す。その内の一つはコロコロと子どもの傍まで転がってきた。

痛えぇえぇ!と地面を転がる青年を、子ども―シカマルと八人の忍者達は皆が皆、(なんだコイツ)という表情で冷たい視線を投げる。
「……誰だよ、シカ三角って」
先ほどの緊張感が全てぶっとんで、ぼそりと呟くシカマル。気だるげに片足を後ろに下げると、何かがこつんと当たった感触がした。



瞬間。



「おい!ガキはどこ行った!?」
「さっきまでソコに……くそッ、この変な奴に気を取られている隙に逃げたか!?」
シカマルのいる位置と数センチしか変わらぬ場所に立っているにも拘らず、忍者達が動揺し始める。
きょとんと目を瞬かせるシカマル。まるでシカマルだけが消えたように振舞う面々に、彼は眉を顰めた。
はたと未だ地面に転がっている青年の方に視線を向ける。すると青年はシカマルに目を向けて、声を出さず唇だけで言葉を紡いだ。

〈行け〉

一般人より抜きんでいる頭脳が青年の意図を叩きだす。しかしシカマルは戸惑った。

目の前の青年はどう見ても忍びとは程遠い一般人である。それなのに下忍と言えど一応忍びの自分が逃げていいものか。

躊躇するシカマルに、青年は急かすような視線を投げてくる。その時、落ち着きを取り戻した忍者達が即座に仲間へ指図し始めた。
「まだ近くにいるはずだ!探せ……っ」
先程までシカマルに対し死の宣告を告げていた忍者が声を荒げる。その声に他の忍者が飛び出そうと腰をぐっと屈めた。


しかし急に彼らはまるで全身を縛られたようにその場から動けなくなる。


「おい、何やって……!?か、身体が動かない!?」
「また【影しばりの術】か!?」
腰を屈めた状態という少し間抜けな体勢で、忍者達は眼を忙しなく動かし周囲を見渡す。息を殺して彼らを見ていたシカマルも、その不可解な現象に眉根を寄せた。
(ど―ゆ―こった?俺は何もしてないぜ……まさか)
シカマルと同じ考えに至った忍者達が一斉に青年へ視線を向ける。彼はようやく気づいたかと得意げに口角を上げた。

「ふっふっふ…動けまい」
にや~とどちらが悪者かわからないくらいの悪人面で青年が笑う。何か眩い光が彼の拳から溢れ出ていた。


「なんだ!?この術は!?」
「この間抜け面、忍びなのか!?」
「誰が間抜け面じゃ――――――――!?」

青年をただの変な一般人だと見做していた忍者達が戸惑う。そんな彼らにツッコむ青年はどう見ても間抜け面にしか見えなかった。
呆然と直立不動の姿勢をとりながらも、シカマルの優秀な頭脳は目の前の光景に最善策を弾き出していく。

(…一般人と見せ掛けている忍びか。どこの忍びか知らねえけど、音忍ではなさそうだな。影を使った気配もないし、第一アレは奈良一族の秘伝術だ。【影真似】ではない。なにか相手の動きを止める術かなにかを使ったのか?……もし木ノ葉の援軍ならたった独りで真正面から来ない。ということは偶然この場に居合わせた忍びか。―――――とにかく、チャクラ切れの俺は足手纏い。味方なら援軍を呼んでくるのが最善だろうな)
ゆっくりとシカマルは後退る。それを眼の端に捉えた青年はこくりと頷いた。八人の忍者達はまだ動けない。


シカマルは最後に心中で(…………シカマルだっつ―の)と自分の名前を訂正すると、その場を後にした。















(ふ~、ようやく行ったか)

なかなか動こうとしない子どもに焦り、文珠を三つも使ってしまった。

一つは先ほどまで横島自身が使っていた【隠】の文珠。そして【糸】と【専】の文珠だ。
横島の拳の中の文珠が【専】、【専】と対になるように忍者を挟み向こう側に落ちているのが【糸】。そしてポケットから転がり落とした文珠が【隠】の文珠である。

子どもの傍で発動させた【隠】の文珠は、敵には視えない結界のようなものを張っている。そのため子どもと対峙していた忍者達には子どもの姿が視えていない。そして【専】の文珠を持つ自身が地面に激突した痛みで転がりながら、先に転がり落ちた【糸】の直線上になるように移動する。
【専】という文珠はそれだけでは意味を成さない。しかしながらこの字は、【糸】とその間に対象物が直線状に並ぶ事で【縛】になる。【糸】と【専】には足りない部分をその場の八人の音忍達が補ってくれているのだ。自身の世界でも一度使った手である。

尤も一人なら確実に縛れるが多数だと効くか若干横島は不安だった。しかしながら黒髪の子ども――シカマルが今まで影真似の術を掛けていたおかげで忍者達は一固まりに集まっていた。そのため彼らが並んで腰を屈めたその瞬間を狙った。文珠は横島の思索通り一固まりに集まっていた八人の忍者を[点]と判断したらしい。
音忍という[点]が二つの文珠の間に入る事で初めて【縛】の機能が発現するのだ。


今にも飛び掛からんとばかりにこちらをギラギラと睨みつける忍者達をちらりと見遣って、横島は内心溜息をつく。
子どもから自身に注意を向ける事は出来た。問題はこの後だ。
(このまま逃げられへんかな~)
拳の中で淡く光る文珠をギュッと握る。そしてそれをそっと地面に置こうとして………。


ヒュンッ!


「うどわああぁあぁ!?」
咄嗟に頭を下げた横島の頭上を手裏剣が数枚通り過ぎる。ゾッと顔を青褪めた彼は身体を屈めた拍子に文珠を取り落とした。

「……動けるようになったな。チャクラ切れか?」
「さっさとソイツを殺してさっきのガキを追うぞ」
「げっ!!」

【縛】の効果は[点]となる対象物と【糸】と【専】が直線上にならなければ発動しない。取り落としたためにその直線上から外れてしまったのだ。
加えて先ほど横島が木から蹴り落とした九人目の忍者の姿が見えない。
(さっき飛んできた手裏剣か…っ)
思えば忍者が横島の蹴りだけで気絶するはずもない。大きなミスに痛根するが、【縛】の文珠で縛られていた八人の忍者達が一斉に襲い掛かってきたため悔やむ暇もない。


慌てて【専】の文珠を拾うと【糸】の文珠をそのままに、横島は脱兎の勢いで駆け出した。














(おいおいおいおいッ!忍者ってのは聴覚もいいんかいっ)

横島が使っているのは【隠】の文珠。文珠の【専】をすぐさま【隠】の字に変えたのだ。しかし背後に迫り来る忍者達は姿の見えぬ横島の後を確実に追い駆けて来る。
実は姿を消す事だけを念じたため、足音や匂いまで隠し切る事が出来なかったのだ。同じ【隠】の文珠を使ったシカマルは曲りなりにも忍びである。匂いはともかく足音を立てず隠密に動く事は慣れている。
しかし横島は違う。忍び同様葉音すら立てず動くなどという高等な所作、できるはずもない。よってガサガサと、何の配慮もなしに走る彼の逃走経路は忍者達には筒抜けであった。


混乱するあまり一か所にじっと隠れるという手段も思い付かぬまま、横島はただ足を動かす。
尤もその場に身を潜めたとしても、相手が忍犬類を口寄せ出来る場合を考えれば逃げたほうが得策だろう。
忍犬の存在など知らないけれど、迫り来る忍び達から少しでも離れようと彼は逃走する。

逃げ足には自信がある横島だが、そこは忍び。瞬く間に距離を縮めてくる。
いくら鍛錬したところで所詮四日。そんな短時間で木から木へ跳び移れるわけがない。けれどここまで横島が逃げおおせるのはやはり鍛錬したお蔭といえる。走る速度は以前より増しているし未だ息も切れていない。一般人なら今頃首を落とされている。
しかしながらやはり忍びの足にはまだまだ到底及ばなかった。加えて彼らは大蛇丸に木ノ葉の里の地形を頭に叩き込まされている。



姿は見えずとも、確実に横島の位置を捉えている忍び達。
飛躍するクナイをサイキックソーサーでなんとか弾きながら走る彼の前に、追いついた一人の忍びが立ちはだかった。

「【火遁・業火球の術】!!」
「ぅわ、あちちちちちちっ!!??」

ゴウッと等身大ほどの炎の球が横島に押し寄せる。涙目になりながら彼は文珠を発動させた。居場所が知られている以上、【隠】の文珠を持っていても意味が無い。【隠】を【水】へ即座に変えると、炎の球に向かって投げつけた。

ジュッという音と共に煙が立ち上る。一瞬で火を相殺した文珠はすぐに消え、辺りは煙に覆われうっすらと白ばんだ。
(よっしゃ、今の内…)
コソコソと煙の中を掻い潜るようにして横島は走る。煙を抜け、未だ朦朦と立ち込める背後を振り返り、はあっと息をついた。

「助か……」
「た、とでも言うつもりか?」
ひっと喉が詰まり前方に視線を戻すと、横島の真正面に八人の忍者達が立っていた。


「【業火球の術】を相殺するとはな。どうやらただの男ではなさそうだ」
「手間取らせやがって。だがもう終わりだ」
徐々に距離を縮めながら周囲を取り囲む。忍者達の視線を一身に浴びていた横島が顔を伏せた。
観念したかとほくそ笑んだ忍者達は、次の彼の行動に対処し切れなかった。

「ああ―――――――――――ッ!!!!アレ、何だッッッ!!!!」

いきなりある一点に向かって指を指しながら絶叫する横島。突然のその行為に忍者達は一斉に彼が指差したほうへ目を向けた。


………何も無い。ただ鳥が空を旋回していた。


はっと振り向くと、既に横島は先ほどの道を引き返していた。あまりにも自分達を舐めた行動に激怒する忍者達。火遁を使った忍者とは別の忍者が印を結んだ。
「…っ、舐めやがって!【土遁・裂土転掌】!!」

地面に亀裂が奔る。ビキビキと地が呻き声を上げ、足元がぐらぐらと揺れた。突然の地割れは逃走する横島の足を挫けさせる。

「うわ、今度はなんだ!?」
横島が驚愕の声を上げるのと、忍者達が一斉にクナイを投げたのは同時刻であった。
クナイの雨が、地割れに足をとられている横島の頭上に降り注ぐ。

「うぎゃぁあぁあ!!??」
涙目で絶叫する彼の姿を遠目に見た忍者達は皆(死んだな)と思う。
しかし次の光景を視界に映し、彼らは瞠目した。


「はぁ―はぁ―……やっぱ忍者って恐ろし―な…」
クナイが地面に突き刺さっているその中心。そこには息を荒くしながらも横島が無傷で立っていた。


「何をやったんだ!?」
避けた様子もない。だが横島の周囲をぐるりと囲むようにして突き刺さっているクナイが、彼がそれらを防いだという事実を露にしていた。
驚愕を誤魔化そうと平静を装う忍者達と比べ、表面上涙目で喚く横島の内心は冷静に状況を判断している。クナイの雨も、動揺しつつストックしていた文珠で【壁】を創り、身を守ったのだ。尤も頭の奥では冷静でもやはり横島の心臓はバクバクと激しく鼓動していた。

「侮れん奴だ。気をつけろ」
「遠距離が駄目なら近距離だな…」
益々警戒し、じりじりと近づいてくる彼らの姿を視界に入れ、横島はたらりと冷や汗を掻いた。


予め生成していた文珠は五つ。【隠】【糸】【水】そして今使った【壁】にて残りの文珠はあとひとつ。
[栄光の手]とサイキックソーサーで凌ぐしかない。










右手に霊波刀、左手にサイキックソーサーを携える。その様はまるで騎士のようだったが、如何せん本人はへっぴり腰である。視線を彷徨わせる姿は自信の無さが窺え、音忍達はその情けなさを嘲笑した。

音忍の一人がひゅっと手裏剣を投げつけた。頭を下げてその手裏剣をかわす横島。そのまま彼は恥も外聞も無しにわたわたと四つん這いで這って逃げるが、先回りした音忍が横島の顎を搗ち割らんと蹴り上げた。
「うひょおっ!?」

突飛な声を上げながらもその足を仰け反る事で避ける。そのまま横へ転がる横島に向かって音忍が踵落としを繰り出した。それを回避し立ち上がった横島目掛けて、音忍の一人がクナイを数本投げてきた。
「わっわっ…ととっ」
タップダンスをするかのように横島はそれらクナイを避ける。だが避け損ねたクナイの一本が横島の左足を掠った。
「……ッ」
鋭い痛みを感じながらも、彼はサイキックソーサーを投げた。サイキックソーサーは弧を描いて、音忍達の頭上を通り過ぎていく。
「どこを狙っているんだ?」
せせら笑う音忍の頭上でバキッと音がした。その音にはっと振り向く彼らの眼に、後方の木の幹が倒れてくるのが映る。サイキックソーサーにより切断された太い幹は、重力に従い音忍目掛けて落下してきた。

「!?これを狙ったのか!」
一瞬驚愕の表情を浮かべた音忍達。しかしすぐに彼らは馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「だが遅い!」
易々と木の幹を避けた音忍は、横島が立っているであろう場所に目を向ける。だがそこには既に彼の姿は無かった。
「な…待て!!」
木の幹に注意がいっている間に、横島はその場から全力疾走していた。彼の後ろ姿がまるで豆粒のように小さく見える。だがまだまだ忍びの足には敵わなかった。


急ぎ跳躍して木から木へ飛び移りながら横島を追い駆ける音忍達。あっという間に横島の頭が視界に入った彼らは手裏剣を投げつける。
「うおわ!?」
突然降ってきた上空からの手裏剣に行く手を阻まれ、横島は足を止める。再び木から跳び降りて来た音忍に囲まれ、彼はぐっと息を呑んだ。

「いい加減にしろ。どうせ逃げられやしない」
「そんなのやってみなくちゃわかんね―だろ!」

そう叫ぶなりサイキックソーサーを投げる横島。馬鹿の一つ覚えだな、と嘲笑した音忍はすっと首を僅かに動かし、それをかわす。その隙に横島は頭上に向かって[栄光の手]を伸ばした。木の高所にある枝を掴み一気に上昇しようとする。しかしそれを見越してか、音忍の一人が空に跳び上がり横島の脳天に踵落としをくらわした。

「うげっ!!」
舌を噛みそうになりぐわんぐわんと脳が揺れる。そのまま地面に激突した横島目掛けてクナイと手裏剣の雨が降り注いだ。

先ほどは一方向から跳んできたため【壁】で済んだが今度は多方向からの雨。


「ぐ……ッ」
朦朧としたまま無意識に最後の文珠を発動。【護】の文珠は横島の周囲をまるでドームのように包み込む。強固な守りの結界は降り注ぐクナイや手裏剣を全て弾いた。二度も防がれた事に驚愕しながらも忍者達は愉悦の表情を浮かべる。

「やはりコイツ、なんらかの血継限界を持ってやがる」
「生け捕りにしろ!大蛇丸様がお喜びになる」
文珠で創り出した結界を血継限界の力だと思い込んだ忍者達は、横島を逃がすまいと取り囲んだ。


[生け捕り]という単語に横島はビクリと肩を震わせる。今になって文珠を使う事をナルトが何度も何度も咎めた理由がようやく解った。こういった者達に目をつけられるのを危惧しての事だったのだ。
苦虫を噛みつぶしたような表情を一瞬浮かべ、その直後横島は【護】の文珠を握り締めたまま走りだした。


ドーム状の守りは横島が【護】の文珠を握っている限り、結界ごと移動可能。ただし結界を維持し続けるのは横島の霊能力に掛かっているので、時間は制限される。【護】の文珠の効果が続いている間にと忍者達から逃げる横島。
篠突く雨の如くザクザクとクナイと手裏剣の嵐が横島に襲い掛かる。それでも逃げる事だけを一心に考え、彼は足を動かした。

額から滴り落ちる汗は冷や汗なのか疲労したためか。そんなどうでもいい事を考えながら全力疾走する。ただひたすら走っている横島は走る速度が落ちている事に気づかなかった。




ガクンッと膝が笑う。突然横島の身体は前のめりに倒れた。集中力が切れ、横島の身を覆っていたドーム状の結界がパンッと弾ける。文珠の【護】の文字がふっと消え去った。

「う……あ…?」
ぐるんぐるんと目が回る。吐き気がし、全身から汗がどっと吹き出た。
(気持ち悪い………なんだコレ)

地面の感触を頬に感じながら、足に力を入れようとする。しかしながらまるで石になってしまったかのように彼の身体は硬直していた。


「……ようやく毒が効いてきたか」
「まぁ、これだけ走れば毒の回りも早いだろうな」
忍者達のくつくつ笑う声が遠く聞こえる。朦朧とした頭で横島は声を絞り出した。

「ど………く……?」
「気づかなかったのか?左足を見てみろ」
その言葉に、無理やり首を動かし己の左足を見遣った横島は顔を顰める。左足にはどす黒い色の切り傷がひとつ出来ていた。
(……………あの時のかっ)

先ほど投げつけられたクナイの一本が左足を掠った事を思い出す。大したことないと気にも留めなかったがまさか毒が塗られていたとは。


視界が翳む。頭を振ってなんとか身体を起こそうと腕に力を入れるが、身体は一向に動いてくれなかった。


「即効性の毒にしては時間を食ったな」
「しかし奇妙な術を使う奴だ。あのような防御、見た事がない。日向の絶対防御か?」
「なんにせよコイツは音隠れに連れ帰る。大蛇丸様にお渡しするのだ」
頭上から聞こえる声に横島はギリギリと奥歯を噛み締める。世界唯一の文珠使いと謳われてもこの世界では忍者一人に勝つことすら出来ない。冷たくなっていく指先で地面を引っ掻き、そうして弱い自分に嫌悪した。


仮に真剣に闘えば横島は忍者に引けを取らないだろう。しかしながら横島はあくまでゴーストスイーパーである。妖怪や悪霊といった人外と闘う事はあっても、人間と闘う事は皆無に等しい。だから忍者と言えど霊能力者ではない人間と闘う事に横島は戸惑っていた。

人外の者でも倒すという事に罪悪感を感じてしまう彼は、明らかに人間である忍者を倒す事に抵抗を感じ、無意識に力を抑えてしまう。それ故、何れも横島を殺す事に躊躇を感じない忍者達に対し、横島は相手も自分も傷つかずに終わらせる事を最優先とする。自身がいくら惨めに見えたとしても逃げの一手に走るのだ。現に今文珠という万能な能力を駆使しても彼は逃げる事しか頭にない。

文珠が万能と言われる云われは不可能を可能とするところである。たとえば存在そのものを消滅させるなどという理論上不可能な事が、文珠の【消】や【滅】の一文字で覆される。
簡単なモノだと【死】の一文字入れただけで相手は死に至るだろう。けれどそういった考えを横島は微塵も思い付かなかった。加えて混乱するあまり【眠】の字すら彼は考えつかなかった。

その上横島は未だに霊能力の基盤が〈煩悩〉だと思い込んでいる。守りたいと願う事こそが力の源なのだとは知らずいつも通りに霊能力を扱う故に、文珠の威力は半減。更に文珠という万能な能力にばかり甘えていた彼は忍者の基礎である体術や剣術が一切出来ない。そして一度道化を外してしまったために[横島忠夫]特有のトリッキーな動きも今やキレが無い。



ストックしていた文珠はもうない。生成することは出来るが時間がかかる。
朦朧とする頭と痺れる全身は拳に霊能力を込める事すら許さない。…………手詰まりだった。



逃げる事に夢中で気づかなかったが、今いるココが黒髪の子どもを逃がした場所だと横島は伏せたまま気づいた。
(助けようとして逆に殺されるとか…笑えねえな)
追われる原因となった黒髪の子どもを思い浮かべ、彼は内心苦笑する。汗が若干口内に入り思わず上唇を舐めた、その時。



ウオオオオオンッ!!


獣の咆哮が木立を駆け抜けたかと思うと横島の身体はふわりと浮いていた。
「ぐえッ!?」
突然襟首のあたりを引っ張られ、咳き込む彼の耳に聞き慣れた声が入ってくる。横島の目に、庇うようにして佇む男の背中が映った。

「大切な人を見守るんじゃなかったんですか、ごほ…」


首が絞まったせいで咳き込む横島の目前に、常日頃咳き込む男の姿があった。
「は…ハヤテ、さん…?」

屋敷で療養中のはずの、月光ハヤテがそこにいた。
 

 

二十一 疾風に勁草を知る

「な…なんでココに…?」
「連れて来てくれたんですよ」
「へ?誰に?」

ハヤテの視線の先が横島の背後へ向けられているのを見て、後ろを振り返る。
そこには横島の襟首を口に咥えている狼――破璃の姿があった。
「私とて木ノ葉の忍びです。里の危機にじっとしていられません…ごほっ」
そう言いながらハヤテは真っ直ぐに忍者達を見据える。
「屋敷から里に向かおうとした私をココへ先導してくれたんです。そうしたら貴方の姿が見えたので何事かと思い…ごほ」
ちらっと破璃に視線を向けながらも彼の注意は横島を追い詰めていた忍者達に向いていた。

「音忍の方ですよね?彼に何の用ですか、ごほ」
「ふん、木ノ葉か…。さっきのガキの援軍か?」
動けない横島を庇うように破璃が唸る。横島を追い詰めていた忍者達―音忍が逃がさないとばかりに目を光らせるが、その視線をハヤテが遮った。
「援軍ではありませんがね。彼には色々世話になったんですよ…ごほ、見逃してはもらえませんかね」
横島と破璃を全身で庇うハヤテに、音忍は何を今更といった表情を浮かべる。

「それは聞けない相談だな。奴は珍しい力を持っている」
「是非とも大蛇丸様に引き渡したい…それに我々が木ノ葉の忍びの言う事など聞くと思うか?」
じりじりとハヤテへ迫る音忍達。「それもそうですね」と溜息をつきながらハヤテは背中の鞘から刀を抜いた。
「ちょ、ハヤテさん!?」

困惑する横島の前で忍び同士の戦闘が切って落とされる。鈍く光る白刃を振り翳し、ハヤテはぼそりと呟いた。
「木ノ葉流―――――」
一気に踏み込む。二人の影分身を創り出した彼は、瞬時に音忍達の間合いに入った。それぞれが相手の死角を突き、刃を振るう。
「【三日月の舞い】!!!」

一閃する刃の光沢がまるで三日月のように美しく弧を描く。その剣術に思わず見惚れていた横島は、音忍達のうち三人がドサリと倒れるのを目にして我に返った。
「……っ、」
思わず大きく息を呑むが、戦闘に集中している彼らは横島のほうに見向きもしない。毒のせいか息が荒くなる横島の手の甲を、破璃が安心させるようにペロリと舐めた。
ハヤテが殺した三人の忍者達の身体から、まるで地面から湧き上がってきたかのような赤い泉が溢れ出す。
それを呆然と見遣ってから、未だ戦闘中のハヤテの背中を横島は眺めた。

一緒に同居していた時の穏やかな顔とは一変し、真剣な表情で刀を振るっているハヤテ。まるで別人のような彼の姿から思わず目を逸らした。
(これが…忍者か…)

三代目火影の記憶で知っているつもりだった。忍び世界の厳しさを理解したはずだった。けれど火影視点ではなく自身の眼で忍びの闘いを目の当たりにした今、横島は何よりも恐怖が先立った。
(こんな、簡単に、死ぬもんなんか)

横島とて何度も死ぬような境地に陥っている。けれどたった今まで横島を追い詰めていた者達があっさり息絶えるのを見ると、ゾクリとした怖気が彼の背筋を這った。
毒による寒気だと自身を誤魔化し、今更ながらとんでもない世界だと悪態をつく。同時に忍者一人にも歯が立たなかった自分の不甲斐無さに臍を噛んだ。





ぼんやりと忍び達の戦闘を眺めていた彼は、ふと気付くとハヤテに顔を覗き込まれていた。
「大丈夫ですか、ごほ…」
「そ、そっちこそ!もう終わったんスか?」
慌てて見れば、あちこちで音忍達が倒れている。彼らの刀傷から流れる鮮明な赤が横島の目に焼きついた。
頬についた返り血を拭いながら、ハヤテは横島の身体を支えようと手を伸ばす。その手を避けるように、横島は若干後ずさってしまった。

その行動だけで察したのであろう。横島と視線を合わせるように膝を折ったハヤテは苦笑を浮かべる。
「忍びは殺るか殺られるかの世界に生きています。甘さは必要ないんですよ、ごほ…」

その一言が耳に入った途端、横島は目の前の男が遠い存在に見えた。しかしながら心のどこかでその言葉を納得している自分がいた。
火影の記憶を受け継いでいる彼は至極自然に、ハヤテの言葉の意味を理解していた。

「わかってはいるんスけど…何も殺さなくても…」
それでも横島は視線を彷徨わせながらぽつりと否定の言葉を口にする。やはり甘さを捨て切れない彼は道化を被っていてもいなくても、[横島忠夫]なのだ。
場の空気が重くなる。血飛沫が散らばるその場所で横島の荒い咳が大きく響いた。

「どうしたんですか!?」
「その、ど…くを…」
「なぜもっと早く言わないんですか!?」
慌てて音忍達の死体を手探るハヤテ。何をしているかと問うと、毒を扱うならその解毒剤も必ず持っているはずとの答えが返ってくる。
なるほど、と木の幹に寄り掛かりながらおそるおそる死体を見ていた横島は、次の瞬間さあっと青褪めた。
(一、二、三………七、八。…八?…………八人!?)



ザシュッ!


何かが貫通する音がする。音がしたほうへ視線を向けると、死体を手探りしていたハヤテが死体の上に倒れ込んでいた。
「ハヤテさんっ!!??」
「く…まだ一人いたのか…」
死体に伸し掛かりながら肩に刺さったクナイを抜くハヤテの姿にほっと息をつく。安堵を感じると同時に横島は自責の念に駆られた。
(そうだ、シカ三角を襲っていたのは九人の忍者だったはずだ)

失念していた。横島が木の上から蹴り落とした九人目の忍者。彼がおそらく今ハヤテを襲撃した人物だろう。逃げるのに必死だったため相手の人数まで正確に数えていなかった。
肩を押さえているハヤテが横島の傍へ行こうと足を踏み出すが、途端手裏剣の嵐が上空から降り注ぐ。
「ハヤテさん!!」

毒のせいで痺れる身体を無理に起こして横島は声を張り上げた。ハヤテは今周囲に木がない場所――シカマルがいた所と変わらない場所にいる。
つまり潜んでいる音忍にとっては狙いが尤も定まりやすい絶好の地点にいるのだ。

助けに行こうと足に力を入れる。手裏剣の雨の中へ飛び込もうとした横島を破璃が引き止めた。行かせまいとする破璃に再び強く襟を引っ張られる。
咽ながらも助けなければと焦燥感が募り、横島は文珠を生成しようとした。けれど毒のせいでブルブル震える拳は霊能力を集束出来ない。サイキックソーサ―でさえ、霞となって消え去った。

「くそっ!」


どうして自分はいつも肝心なところで役に立たないのか。なぜ守ってもらってばかりなのか。
見守ると決意したばかりなのに。背中を押してやれるような奴になりたいと宣言したばかりなのに。
守りたい――――そう願ったばかりなのに。


咄嗟に腕で頭を覆うハヤテ。そしてその上から串刺しにせんとばかりに降るクナイと手裏剣の雨。それらが全て緩慢な一場面に見えた横島は、声の限りに叫んだ。

「チクショオォオォオ―――――――――――――――ッ!!!!」











刹那。クナイと手裏剣は何かに弾かれた。


木立の中、青白い光が閃く。
ハヤテだけを守るようにして張られた円状の膜。光を放つ【守】の字が横島の眼の端に確かに映った。
呆然とする横島と同様ハヤテも愕然と佇んでいるなか、その場を包み込むように淡く光る青白い光。
そしてふっと消える珠。
ソレを目にして横島ははっとする。

黒髪の子どもを助けるために使った文珠は二つ。一つは子どもの姿を隠す【隠】、そして【縛】の効果を成立させるため用いた【糸】と【専】。【専】の文珠は【隠】から炎の球を消すのに【水】に変えた。けれど【糸】の文珠はそのままその場に放置していたのだった。
そして今、彼らがいる場所はちょうど【縛】の文珠を発動させた場所。

文珠を生成できる横島は文珠の遠隔操作が出来る。遠くにある珠の字を変える事など造作も無い。
だから横島の気持ちに反応した文珠が【糸】から【守】に変わったのだ。


「ハヤテさんっ!!」
横島の呼び掛けにはっと我に返ったハヤテは、青白い光に動揺する気配を頭上の木から察した。
すぐさまハヤテはその気配のする木の上へ跳び上がる。キンッと刃物と刃物が搗ち合う音が空中にて響いた。
暫し続くその激しい音と誰かと誰かが衝突する気配を、木の幹を背に横島は目で追った。握り締めた拳にじわりとした汗を感じる。毒がいよいよ身体中を駆け巡り、はあはあと荒い息を繰り返した。
一際大きい刃音が木立の中で轟く。

そして一時の静寂。




緊張している横島の目前に、葉音と共にドサリと何かが落ちてきた。その者の額宛の模様を見て彼はほっと息をつく。
背後に現れた人物が見知った気配であると感じて、横島は後ろを振り返った。しかしその前に破璃がグルル…と唸り声を上げた。



横島の後ろには、音忍にクナイを突き付けられているハヤテが苦々しげな表情で佇んでいた。











「馬鹿が…俺が援軍を呼ばないはずないだろう…」

落ちてきたばかりの音忍が息も絶え絶えの様子でにやりと笑う。そして横島のほうに視線を向けると「よくも、あの時蹴り落としてくれたな…」と薄笑った。

二小隊である八人を待ち伏せ等から護衛する役目であるこの九人目の音忍は、距離を一定にとって後方を移動し敵襲に対応する。そして同時に旗色が悪いと察したら援軍を要請する役割も担っていたのだ。
援軍としてやって来た音忍がこの九人目を倒したハヤテの隙をついてクナイを突き付けたのである。
役目を無事終えた九人目の忍びは満足げな表情でガクリと首を垂れた。

「く…っ」
苦々しげな顔でクナイを突き付ける音忍の腕を振り解こうとするハヤテ。しかしながら今まで療養していた彼の体力はまだ本調子ではない。九人倒すのにいっぱいいっぱいであったハヤテには、援軍の音忍達を倒す力がもう残されていなかった。
「ふふ…この二小隊を相手出来るか?」
それでも足掻くハヤテを音忍は嘲る。気づけば横島とハヤテを取り囲むようにして八人の音忍が立っていた。


絶望的なこの状況で、言う事の聞かない身体を無理に動かした横島は態と明るい声を張り上げる。
「いや~皆さん、お強い!!御見それしました~!!」

この場にそぐわない突飛な言葉を口にしながらへらへら笑う横島に気を取られる音忍達。その緊張感の欠片もない言葉に、クナイをハヤテに突き付けている音忍の手が若干緩んだ。
その一瞬をついて破璃が音忍の腕に噛みつく。
「チッ、コイツ…」

破璃の鋭い牙が音忍の腕の肉を突き破る。急いで振り払おうとする音忍の鳩尾を肘で殴り、ハヤテが横島に駆け寄った。直後に彼は懐から何か注射器のようなモノを取り出し横島の腕に突き立てる。
何かの液体が体内に入っていくのと同時に、全身の倦怠感が薄くなり横島は随分と楽になった。ハヤテは既に死体から解毒剤を抜き取っていたのだ。

しかし破璃に噛みつかれている忍者の号令により音忍達は一斉に手裏剣を投げつける。横島とハヤテを狙ったその攻撃は確実に横島が凭れている木の幹へ向かった。
解毒剤を打たれたばかりで未だ身体の痺れがとれない横島は、回転しながら飛んでくる刃物を避けられなかった。
「…………ッ、」

意味の無い行為だとわかっていながらも思わず頭を両腕で庇う。串刺しになる自身の姿が明確な映像となって横島の脳裏に浮かびあがった。


死――-それは自身の世界で何度も体験し掛かっているものである。それなら馴れているかというはずもなく、やはり横島は死ぬ事が本気で恐ろしかった。しかしながら誰もが感じる恐怖対象である死に直面しつつも、なんだかんだと助かっていた横島は、どこか心の片隅で自分は死なないと思い込んでいた。
だがこれは…もうそんな次元では無かった。

(マジで死んでまう……ッ)
後悔ばかりが彼の脳内に押し寄せる。諦めの境地で横島は瞳を閉じた。




けれど痛みは微塵も襲ってこない。疑問を感じ、うっすらと目を開けた横島は息を呑んだ。
彼の瞳に映った光景は――――横島を庇うように両手を木の幹についているハヤテの姿だった。










口からぽたぽたと滴り落ちる、赤い液体。

ハリネズミのように手裏剣を背中に突き刺されたハヤテの身体がゆっくりと傾く。前屈みになった彼の体重が自身の身体に伸し掛かるのを横島は呆然と見上げていた。
ずしりとした重みを感じ、頬に生ぬるい液体が落ちてきた事で正気に戻る。
「は、ハヤテさ……」
ぱくぱくと口を開閉させる横島の耳に、音忍達の嘲りを含んだ言葉が届いた。


「馬鹿な奴だ。自身も毒を塗ったクナイに刺されているというのにその解毒剤をあっさり……」

その言葉を聞いて、至急ハヤテの肩を見る。そこには確かに横島の左足の傷と同じくどす黒い色の切り傷が出来ていた。九人目の忍者によるものだと即座に思い当っていた横島の耳は、音忍達の次の言葉を聞き逃さなかった。


「そんな間抜け面の男など放っておけばよかったものの……」
「ま、こんな奴が忍びたぁ…木ノ葉の里の暗部総隊長とやらも高が知れてるな」














            ―――――――――――――ぷちん
                             


                             頭のどこかで何かが切れる音がした。
 

 

二十二 道化を捨てた男

ハヤテの身体を慎重に地面へうつ伏せに寝かせる。
破璃が背中に突き刺さっている手裏剣を口で抜いているのを眼の端で確認した横島は、こちらをにやにやと眺める音忍達へキッと鋭い視線を投げた。

「なんだぁ?」
明らかに侮っている彼らの手前、痺れる両足を叱咤して横島は立ち上がる。

もう道化など必要ない。
仮面をかなぐり捨てて、横島は沸々と湧き上がる闘志を直情の赴くままに燃やした。


嘲るようにして笑う音忍達は彼の眼を見た途端、皆その笑顔を凍らせる。ゾクリとしたモノが背筋を這い、身体が強張った。

瞳の奥に深く濃い翳りが窺い見え、同時に得体の知れない恐怖がじわりと音忍達の精神を蝕んでいく。
目前の青年はただ静かに見据えているだけだというのに、彼らは思わず後ずさった。
(な…たかが一般人に恐怖だと…っ)

横島から感じた恐怖を打ち払うように手裏剣を構える音忍達。一方の横島は、ただじっと射抜くような視線を投げ続けている。

仁王立ちのまま静かに音忍を見据える彼の瞳は、憤怒の色で染まっていた。






緊迫した空気が流れ、両者は互いに硬直した姿勢を保ち続ける。緊張感が張り詰め、まるで互いの心臓の音が聞こえるかと思うほどその場は静まり返っていた。

その膠着状態を、バサバサバサッとどこかで羽ばたいたらしい鳥の羽音が破る。

刹那、手裏剣を横島目掛けて投げつける音忍達。ハヤテと同じくハリネズミになる青年の姿を予測して彼らは口角を上げた。





(……―――ああ。煩悩じゃなくて守りたいって気持ちに反応してるのか)

逆上しながらも頭の片隅で冷静な自分が呟く。ハヤテを守りたいという気持ち、そして暗部総隊長であるナルトを馬鹿にされたという思いが、横島の怒りを掻き立てた。

守りたいという願いと相俟って湧き上がってくる霊能力を身体の奥で感じる。同時になぜか額の奥が疼いたがそれには気づかず横島は手裏剣を構えるように腕を交差した。

拳の中で霊能力が集束されていくのを感じる。交差した手のそれぞれに、創り出したサイキックソーサーが現れた。それらを、忍者を真似て思い切り投げつける。
「ハッ、たった二枚で何が出来る!?」

複数の忍びから投げられた数多の手裏剣と二枚のサイキックソーサー。サイキックソーサーを単なる盾だと思っている音忍達は横島を嘲笑する。
だが彼らは次の瞬間、信じられないとばかりに目を見張った。


空中で手裏剣のように回転していたサイキックソーサーは回転するたびにその数を増やしていく。二枚だったものが四枚、四枚だったものが八枚……。その数はあっという間に音忍達が投げた手裏剣と同数にまで増え、空中で激突する。

数多のカキンッと搗ち合う刃音がその場で鳴り響いた。互いに空で衝突するごとに増えるその音は、地に伏せていたハヤテの耳にも届いた。


背中を手裏剣で串刺しにされ毒で朦朧としながらもハヤテは無理やり頭を起こす。そして翳む視界に飛び込んできた光景に動揺した。
空中で激突する手裏剣と青白い光を放つ盾。その盾がまるで分身するかのように増えていくその様に、超高等忍術である技の名がハヤテの脳裏にはたと浮かんだ。

(手裏剣影分身の術…………?)
ハヤテを守るように佇んでいる横島の背中が、誰かと重なる。
【手裏剣影分身の術】そのものを開発した三代目火影の姿が横島の背中を透かして見えた。

「三……代目…」


ぼんやりと翳んだ眼に火影の姿を見たハヤテは、思わずその背中に向かって呼び掛ける。
しかしその直後、自身の背中に突き刺さった手裏剣の痛みと身体中を駆け巡る毒により、彼の意識は遠退いていった。








カキンッ、と互いに刃音を打ち鳴らし地面に突き刺さる手裏剣とサイキックソーサー。

トトトッと地を串刺しにするそれら刃物を目の端で確認しながら横島はゆっくり後ずさった。手裏剣の多さに気圧されたかとほくそ笑む音忍は次第に一際大きい木まで彼を追い遣る。背中ごしに感じた幹の感触に横島は思わず後ろを振り返った。

その機を逃さず、間合いを詰めた一人が刀を薙ぎ払う。それを紙一重で避けたところを今度は別の音忍がクナイを放った。
サイキックソーサーでそれらを弾くともう一人が背後から首目掛けて手刀を打とうとする。それを避けるため咄嗟にしゃがんだ横島の頭部に向かって、音忍の一人が足を振り落とした。

その足を地面に転がることで回避する。そこへ続けざまにトトトッと手裏剣が横島の転がった後の地面に突き刺さった。急ぎ立ち上がろうとする横島の頭上を刀の刃がひゅんっと通り過ぎる。横薙ぎした刀は横島の髪を数本攫っていく。立ち上がっていたら首がとれていたことに背筋が凍るが、それ以上に横島の心は冷え冷えと冷めきっていた。

とにかく立ち上がろうと、横島は足下にサイキックソーサ―を出現させる。本来盾の役目をするそれを更に薄くし、サイキックソーサーの上に乗った彼は、スケートボードのように地面上を滑る。
忍者達から距離をとったところで立ち上がると、跳躍した音忍から飛ばされる上空からの手裏剣が行く手を阻んだ。突然足下に突き刺さった手裏剣に対し若干後込む横島。その隙をついて、音忍が彼の懐に入り、力を込めた膝蹴りを放つ。鳩尾を蹴られ、横島の喉がぐっと鳴る。その拍子に彼の足下のサイキックソーサーは掻き消えた。

蹴られた腹を押さえ悶える横島。その隙を狙って、もう一人の忍者が刀を振り上げた。それをなんとか[栄光の手]――霊波刀で受け止める。ギリギリと刃物同士で互いに押し合う。


刀に全体重を乗せてくる音忍に、徐々に押し負ける霊波刀。それを察した横島はわざと霊波刀を打ち消し、さっと身を引いた。自在に消える霊波刀に驚愕したのか忍者達の動きが一瞬止まる。

急に霊波刀がなくなったことで競り合っていた相手は前のめりになった。ザクリと地面に突き刺さった刃が鈍い光を放つ。
身を引いたことで刀は回避できたが、先ほど投げられた手裏剣に足が引っ掛かった。

ぐらりと転倒しかかる身体。しかしそのお蔭で、顔目掛けて放たれた回し蹴りをすんでのところで避ける。両足を踏ん張ることで持ち直した横島の視界に、地面から刀を抜こうとしている忍者の姿が映った。
すぐさま霊破刀を出現させ地面に突き刺さったままの刀に向かって薙ぐ。ガキンと真っ二つに折れた刃がクルクルと回転しながら空を舞った。

「チッ」
刀を使っていた忍者が舌打ちする横で、別の忍者が鎖鎌を手にする。投げつけられた分銅が霊波刀に絡まった。そのまま引き寄せ鎌を振り上げる直前に、横島は霊波刀を消し、逆に相手の脇腹目掛けて蹴りつける。しかしその蹴りは予想されていたようで相手はすぐに跳ね退いた。

上げたままの足に向かってクナイが数本放たれる。焦りながらも、器用にも横島は足の側面にサイキックソーサーを創り上げた。キキンッと弾いたクナイが地面に撃墜する前に霊破刀を出現させる。そして野球バットの如くそれらを打ち返した。

忍者達は跳ね返されたクナイを手に持つクナイで弾く。その隙に横島は頭上に向かって[栄光の手]を伸ばした。木の高所にある枝を掴み一気に上昇しようとする。しかしそれを見越していたらしい音忍が自身の持っているクナイを横島に向かって投げつける。

だがその動向を更に見通していた横島は、背後の木の幹に足をつけた。既に高所の木の枝を掴んでいる[栄光の手]のお蔭でなんとかバランスをとると、幹に突き刺さるクナイの反動を利用し、彼は跳躍した。
見事にクナイの軌跡を掻い潜り跳んだ横島は、重力に従い地へ落ちる前に[栄光の手]を剣に象らせる。
そして……―――。


「伸びろ――――――――――――――――――――っ!!」


霊力を注ぎ入れ一気に伸ばしたそれを、横島同様跳躍する音忍達の頭に向かって振り落とした。







「「「「ぐッ!!??」」」」

剣は刀と違い斬るではなく刺すことで本来の力を発揮する。振り落とすだけでは単に殴っただけだが、横島の目論み通りガンッと鈍い音と共に忍者達は地に叩きつけられた。

「チッ」
しかしその不意打ちで昏睡したのはたったの二人。残りの六人は【変わり身の術】を使って頭上からの攻撃を回避したらしい。地面に転がる木片を目の端で捉えながら、横島は上手く受け身をとって地面に降りる。


目の前で人が木片と入れ替わっても横島はさほど驚かなかった。驚愕する前に博識な三代目火影の記憶が脳裏に浮かんだからである。

木ノ葉に存在する全ての術を使いこなす事が出来たといわれ、プロフェッサーと謳われた火影の記憶。
彼の記憶から術や体の捌き方を得た横島は、それを参考に身体を動かす。
おかげで念願であった木から木へ飛び移るほどの跳躍が可能となり、手裏剣をサイキックソーサーに置き換えて投げつける事が出来たのだ。柔軟な思考であるが故の思い付きである。

それでいて横島は火影の記憶に引き摺られずしっかり自我を保っていた。あくまでも火影の記憶は手掛かりでありこの忍び達を退けるための足掛かりに過ぎない。そして知らずに彼は霊能力ではなくチャクラを使っていた。
木の幹に足をつけるなど、足の裏にチャクラを纏わせなければならない。練り上げたチャクラを必要な分だけ必要な箇所に集める事は熟練の忍びでも困難である。それを横島はあっさり行った。

元々彼は集束に秀でている。サイキックソーサーがいい例だ。故に足の裏という部位にもチャクラを集める事は彼にとっては容易かった。
尤も、今まで使っていた霊能力をチャクラに変換させるなど理論上不可能に近い。出来たとしてもそれは長い年月を要する。
しかしながらチャクラを開いた身ならばその話は可能となる。現に横島は自身の世界で一度だけチャクラを開いていた。


それは横島の人生上、一転機となった試験。そして霊能力者としての力に目覚めさせてくれた切っ掛け。
GS試験で横島の初めての師――[心眼]が開いた瞬間である。

眉間の少し上にあるチャクラは洞察力、理解力、直観力等を司る。そして同時に霊視を可能とするチャクラでもあるのだ。
GS試験の最中に[心眼]が消えてしまった際も横島は自分に自信を持てなかった。精神的に追い詰められていたために[心眼]が身の内にある事など気づきもしなかった。ある意味別人格のような存在だった[心眼]は、現に横島の心の眼である。

[心眼]とは物事の真相や要点を見分ける鋭い心の働きの事。そして額はチャクラを溜めやすい箇所のひとつ。
加えてそのチャクラを活性させるには祈りが有効であり、今現在横島は守りたいと祈りながら闘っている。こういった偶然の蓄積が車輪であるチャクラを回し、無意識に霊能力をチャクラに変換させているのだ。



横島の攻撃を避けた六人の音忍が地に伏した二人の仲間を見遣る。ようやく警戒の色を見せ始めた彼らは、横島から一定の距離をとった。一人の音忍が手早く印を結ぶ。
「【水遁・鉄砲玉】!!」

玉状の水がまるで弾丸のようにその忍者の口から吐き出された。当たればただでは済まないだろうその圧縮された水の球は、地に膝をつけている横島の顔面目掛け一直線に飛んでくる。

「サイキックソーサー!!」
膝立ちのまま横島は地面をダンッと叩いた。途端地面を叩いた手から六角形の盾が現れる。だが拳ほどの大きさの盾は横島の身の安全を保障するには小さすぎた。しかしながらその小さな盾に向かって横島は声を張り上げる。


「広がれ……ッ!」

刹那、拳ほどだった盾は等身大にまで拡大した。まるで騎士を護る盾のように横島の身を隠したそれは、直撃する水の球を防ぐ。これもまた、三代目火影の記憶上にある【土遁・土流壁】といった術の障壁を参考にしたものであった。

巨大なサイキックソーサーを突き崩せず、鉄砲玉は破裂した。


「防いだだと!?」
「油断するな。一気にかかるぞ」
破裂した際にその場に飛び散る水飛沫を浴びながら、音忍の一人が更に印を結ぶ。

「【霧隠れの術】……」

うっすらとその場に濃霧が立ち込め始めた。視界が悪い中で仕留めようというのだろう。
しかしながらある意味[心眼]が開眼している横島は今や感覚が研ぎ澄まされていた。

手を前に翳し額に力を込める。すると先ほど忍者達の手裏剣と激突し地面に突き刺さったサイキックソーサーがクルクル回転し始めた。
そしてまるで意思を持ったかのように音忍達目掛けて飛んでいったのである。

「チッ!甘いわ」
けれど音忍というだけあって彼らは音に敏感であった。濃霧を切り裂くように向かってくるサイキックソーサーを尽く叩き落とす。
視界が悪い中、音忍は確実にサイキックソーサーを回避しては払いのけていた。とその時、音忍の一人目掛けてサイキックソーサーが真正面に飛んで来る。それを危うげ無く回避しにやりと笑う音忍。

しかしそんな笑みを浮かべる彼の顔に影が落ちる。はっと見上げた音忍の瞳に横島の姿が映った。

「なっ!?」

サイキックソーサーをまるでサーフィンボードのように乗りこなす横島が、右手に創った霊波刀を振るった。
斬ったり刺すのではなく、音忍の頭をただ殴りつける。思い切り殴打され地面に叩きつけられたその音忍は意識を失う。どさっと倒れた音が、他の音忍達の耳に入った。


しかしながら音は聞こえども彼らの視界は濃霧で覆い尽くされている。先手をとったつもりが逆に仇となったか、と【霧隠れの術】を発動させた仲間に対して音忍の一人は悪態を吐いた。

聴覚を鋭く研ぎ澄まし、彼はクナイに手をかける。深い霧に紛れて微かな音が聞こえたのだ。
音がするほうを窺っていた音忍は、案の定霧を切り裂くように飛んできたサイキックソーサーを敏捷な動きで避ける。だが避けたサイキックソーサーの上にはまたもや横島が立っていた。
「なに!?」

器用にも飛ぶ盾の上に足をつけていた彼はサイキックソーサーから跳び降りる刹那、霊波刀を振り落とす。それをクナイで受け止めた音忍は全体重をクナイに乗せた。
クナイと剣の押し合いは剣のほうが有利かと思えども、戦場を駆け巡った音忍のほうが力は上だった。

「く…」
苦悶の表情を浮かべた横島に音忍が一瞬気を緩める。だが次の瞬間、横島はおもむろにその場にしゃがみ込んだ。刃物同士の押し合いを力の限りしていた音忍は相手が蹲ったため前屈みになる。
そんな彼の額を、後ろから横島の頭上を突っ切ってきたサイキックソーサーが掠っていった。
「がッ!?」

六角形の鋭い切っ先が音忍の額の皮一枚を切っていく。たらりと額の切り傷から流れる血が音忍の眼の中に入った。その隙を狙って横島は再び霊波刀でその音忍の頭を殴る。
視覚を一時失っていた彼は呻き声を上げ地面に倒れ伏す。本当に気絶したかどうかを確認しようとその音忍に横島は近づいた。
だが他の音忍が、横島の背後に忍び寄り刀を振り上げる。


「サイキック猫だまし!!」
「うっ!?」

後ろの気配に気がついた横島は、自分目掛けて刀を振り下ろす音忍の眼前に向かって両手を打ち鳴らす。濃霧の中を一瞬閃光が駆け抜けた。
両手に霊波を放出しながら相手の鼻先で手を叩き、目を眩ませるという、[栄光の手]の応用技である。

目眩がし、足下が覚束ないその忍者を先ほどの音忍同様気絶させようとした横島だが、何時の間にか接近していた他の音忍の投げてきた手裏剣に阻まれる。

急ぎそちらのほうに霊波刀を身構え、それら手裏剣を弾き返す横島。どうやら見えない角度から手裏剣を投げてきたようで相手の姿は全く見えない。そろそろ視覚の働きを封じるこの霧を鬱陶しく感じて、横島は地面のあちこちに散乱して突き刺さっているであろうサイキックソーサーに集中した。

「……弾けてまざれっ!」

花火を打ち上げるように握っていた手をぱっと開く。途端、そこら中で爆発音がした。あちこちで軽くではあるが爆発するのは、最初に音忍達が投げてきた手裏剣と激突したモノである。

盾ではあるが投擲する事で攻撃出来るサイキックソーサー。触れれば軽い破裂音と共に爆発する。
ならばその場で爆発させる事も遠隔操作出来るのではないか、と横島は考えたのだ。


「爆薬か…何時の間に仕込んだんだ!?」
だがサイキックソーサーが爆発しているとは思いもよらぬ音忍は横島が地中に地雷でも埋め込んだのかと勘違いする。下手に動かぬほうが良いと判断し直立不動の体勢をとる彼らをよそに、横島は[栄光の手]を伸ばし高所の木の枝を掴んで上昇した。木の太い枝に乗って眼下の状況を把握する。
爆発により撒き上がった白煙が逆に霧を吹き飛ばしていた。

朦々と立ち込めた白煙が、霧とは違い、中にいる人の影を映し出す。
その影がいる位置に向かって、横島はサイキックソーサーを投げつけた。
いきなり上から来るとは思わなかったのだろう。当たったらしい二人が倒れていくのが見えた。だが他の忍者は紙一重でかわしたようだ。

「…ッ、貴様っ!!」
上にいるとすぐさま知った音忍が跳躍する。だがそれを見越して横島は跳躍して来た音忍目掛けて霊波刀を振り落とす。
「くそっ!」
かなり焦った風情の音忍が空中で霊波刀をクナイで受け止めた。落下速度と全体重を統合した横島の力に押され、音忍は酷く苦々しげな表情をする。

だが地面に足がついたと感じた途端、彼はそのまま仰向けに倒れ、横島を巴投げした。投げ飛ばされた横島はそのまま受け身もとれず、木の幹にぶつかりそうになる。背中にくる衝撃に耐えようと身構える横島。だが幹への衝突は、突然割り込んできた破璃によって免れる。


ハヤテが助けに来てくれた時と同じく破璃が襟首を掴んで助けたのだ。咳き込みながらも礼を言う横島を慎重に地面に降ろす破璃。
ほっとする横島目掛けて、巴投げをした音忍が再び攻撃しようと印を結び掛けた。それを察した破璃が、その音忍に体当たりする。

破璃の鋭い牙に怖れをなしたか、彼はあたふたと逃げようとした。だが破璃は服を咥え、軽々と音忍一人を持ち上げるとそのまま投げ飛ばす。投げ飛ばされた音忍は、横島が激突するはずだった木の幹にぶつかり、気絶した。


地に伏す仲間七人の姿を見渡し、旗色が悪いと感じたらしい最後の音忍が跳び上がった。
それを逃がすまいと音忍の足を[栄光の手]で掴んだ横島は、そのままその音忍を地面へ引き摺り落とす。

地面に激突した音忍が痛みで顔を押さえている隙に、彼の上に馬乗りになった横島はその音忍の喉元に霊波刀の切っ先を突き付けた。









「………………」

無言で霊波刀を突き付ける横島に対し、音忍は自嘲の笑みを漏らす。

「……間抜け面と言った事は詫びよう。お前は大した男だ…―――――――――――殺せ」

生を諦めた昏く虚ろな瞳でそう告げた彼の顔を、横島は静かに見下ろした。視線をその音忍に向けながらも、注意を周囲に向ける。

そこら中で蹲っている音忍達の皆が呻き声を上げているため死者は一人もいないようだ。それを認めた横島は心底安堵した。
(誰も、死んでいないな…)

逆上しても横島は相手を気絶させるだけに止めていた。ナルトがいれば甘いと言われるだろう。それでも横島は命の大切さを知っているからこそ、たとえ敵であってもその命を取る事は良しとしなかった。


音忍の上に跨って、霊波刀の切っ先を突き付ける横島。
だが彼からは殺気など微塵も感じない。また、最初に感じた得体の知れない恐怖も今はない。
それらから自身を殺す気が無いのだと察した音忍が口を開いた。
「なんだ?殺さないのか?」
挑発するようなその物言いに横島は眉を顰める。

彼の脳内で、「忍びは殺るか殺られるかの世界に生きています。甘さは必要ないんですよ」とハヤテの言葉が思い出される。同時に忍びである火影の記憶が、油断するなと囁いてきた。

だが横島は音忍の言葉に頭を振った。
「べつに、アンタ達を殺したいとは思っていない。クナイについてた毒の解毒剤置いてさっさと行ってくれよ」

ハヤテの身体を蝕む毒を考慮して横島は言う。元々彼は音忍達を殺す気など更々なかった。ただハヤテを守りたい、ナルトを馬鹿にされて腹が立った…それが横島の闘う理由だった。

横島の言葉を聞いて、音忍は懐を探る仕種をする。解毒剤を受け取るため横島は手を伸ばした。解毒剤に気を取られていた横島は、音忍の口元が弧を描いたのに気づかなかった。


ぎゃんッ!

破璃の鳴声で思わず気が逸れる。クナイで前脚を斬りつけられた破璃の姿が視界に入った。
どうやら先ほど本当に気絶したか確かめなかった音忍が破璃にクナイを投げたようだ。そのどす黒い傷跡から、自身やハヤテと同じく毒つきクナイで斬られた、と察した横島は、破璃を更に傷つけようとする音忍目掛けてサイキックソーサーをぶん投げる。横島のほうへ注意を向けていなかったらしいその音忍はあっさり気絶した。

ほっと安堵する。しかしそれが命取りだった。


「………ッ!?」
音忍が解毒剤を取り出すふりをしてクナイを出す。そしてそれを横島の顔面目掛けて鋭く振るった。
あわやというところで横島はそのクナイをかわす。だが、チッという音と共に頬に鋭い痛みが走った。

頬に出来た切り傷から一筋の血がゆっくり流れ、若干口内へ侵入する。僅かな塩辛さと鉄臭さが舌の上でぬるりとした。熱くも冷たくも無く、ただ温い。


「甘えんだよ!その甘さが命取りだッ!!」

勝ち誇ったように音忍は叫び、再びクナイを振り上げた。跨っていたはずが逆に跨れ、状況は寸前とは一転した。
切っ先に横島の血を滴らせたクナイがギラッと鈍い光を放つ。


形勢が逆転し、横島の上で馬乗りになった音忍が高らかに嘲笑った。横島と違いその瞳には確かに殺気が宿っている。
振り下ろされるクナイの切っ先。それがやけに緩慢な動きに見え、横島は内心自嘲した。




(――――ナルトの言う通り、俺は忍びには向いてねえや……)

破璃が一際大きく鳴いた。その鳴声がなぜか嬉々としていたため、今正にクナイで喉元を掻っ切られそうになりながらも横島は疑問を抱いた。
























「眼、閉じてろ」

刹那、横島の視界の端を金色が掠めていった。
 

 

二十三 生きろ

昨日ぶりの、子どもの涼しげな声が横島の耳に届く。

それと同時に、横島の上に跨っていた音忍の姿が掻き消えた。月代ではなく本来の姿のままのナルトが蹴飛ばしたのだ。
木を薙ぎ倒して吹き飛ばされていく音忍を、横島は呆然と見遣った。

「…ナルト……」
「……………」

無言でナルトは周囲を見渡す。既に気を失って地に伏せている音忍らを確認し、次いでハヤテに目を向けた彼は眉を顰めた。
「なんで…」
「…瑠璃が連れてきてくれた」
横島の問いにぽつりと呟いたナルト。彼の肩に、鳥――瑠璃が翼をはためかせて降りてきた。
「え、まさか…」


音忍から逃走を図る際、横島は適当な場所を指差して「ああ―――――――――――ッ!!!!アレ、何だッッッ!!!!」と叫んだ。
その時指差した空を鳥が旋回していたが、まさかそれが瑠璃だったのだろうか。


色々な事が起こり過ぎて思考回路がパンクしそうな横島。困惑する彼に向かって、ナルトが手を差し伸べた。その小さな手をとって横島はゆっくり身を起こす。
横島がなぜココにいるのかをナルトは詰問する事も咎めもしない。それが逆に気まずくて、横島は暫し視線を泳がせる。だがすぐさまハヤテと破璃の事を思い出し、彼は慌てて声を張り上げた。

「ナルト!ハヤテさんと破璃が毒で……っ!!」
「お前もだろ」
横島の焦る声に動じず、ナルトは彼の頬の切り傷を指差す。そしておもむろに「破璃」と、ナルトを従順に見上げている狼に声を掛けた。
「破璃。解毒出来るな?」
「なに言って…っ!?」

一向に焦燥の色が見えないナルトに、横島が焦れて声を荒げる。その時破璃がガブッと怪我した脚を自ら噛んだ。
困惑する横島に構わず、噛んだ直後に怪我していた箇所を舐める破璃。そこには先ほどまであったどす黒い切り傷はない。

怪我ひとつない脚で破璃はすっくと立ち上がる。そして満身創痍のハヤテの傍に近づいたかと思うと、再び破璃は自分の脚を噛んだ。
鋭い牙によって破璃の脚から幾筋もの血が流れ落ちる。滴り落ちるその血を指で掬い取ったナルトが、それをハヤテの口に入れた。

たった一滴。

その血がハヤテの口内に入った途端、どこからかじゅうう…と音がした。
どす黒い切り傷を負ったハヤテの肩。そこから小さな煙が立ち上り、同時に傷が癒えていく。唖然とする横島の前で、毒のせいで荒かったハヤテの息は落ち着いたものになっていた。

「は?どういう…」
「次はお前だ。呑め」
「いや意味わかんねーよ!どういうことやねん!?」
混乱のあまり地の大阪弁で横島はナルトに問い質す。ナルトは手裏剣のせいで血濡れになっているハヤテの背中に手を翳しながら淡々と答えた。
「破璃と瑠璃が動物を合成させたキメラだと話したな。その際、無理な薬物や乱用に酷使されたと…」

急に何の話だと訝しむ横島に構わず、話を続けるナルト。彼の手から洩れる青白い光がハヤテの身体を包み込んだ。
「こいつ等だけが生き残った理由…それは使用した毒物を解毒することが出来たからだ」
「は?」
「毒を自らの血と混ぜ合わせ、更に唾液を含むことで毒は中和される。そしてその際、コイツラの身体中に流れる血は毒を無害にさせる薬となる。故に同じ毒を受けた者が、破璃もしくは瑠璃の血を摂取することで、体内の毒が一瞬で解毒されるというわけだ」

ナルトの言葉を信じられないといった面持ちで聞いていた横島の鼻先に、破璃がずいっと脚を突き出してきた。ナルトが見向きもせず言い放つ。
「論より証拠。呑め。死にたくなかったらな」
ぐっと言葉が詰まった横島はおそるおそる破璃の脚を流れる血を掬い上げる。


確かにナルトが吹き飛ばした音忍は毒つきクナイを横島に振り翳した。流石に二度目となると、毒が身体を巡っていく感覚が解る。
頬のどす黒い切り傷がじくじくと痛み、毒による倦怠感と痺れを感じ始めた横島は思い切って破璃の血を呑んだ。

途端、ハヤテに注入された解毒剤と同じ効果、いやそれ以上のものを感じる横島。ハヤテと同じく頬の切り傷がじゅうう…と音を立てて塞がっていく。
全身の倦怠感が一気に無くなり、毒など最初から盛られなかったのではないかと思うほど身体が楽になった。
「すげ…」

感嘆の声を漏らす横島。ぺろぺろと自らの脚を舐めている破璃をぼんやり眺めていた彼ははっと我に返ってナルトに近寄った。
「ハヤテさんは…ッ!?」
「重傷なところは治した。だが…」
翳していた手を下ろしたナルトがちらりと横島を流し目で見遣る。
「応急措置程度だ。完全に治すには……そうだな。今使わないでいつ使うんだ?」

わざとらしい仕草で肩を竦めてみせた彼は横島に一本の巻物を手渡した。そしてぽん、と通り過ぎ様に肩を叩く。
「処置が終わったらその巻物の中身をハヤテに見せてくれ。記憶消去の術が施されている。お前は決して見るな」
「は!?どういうことだよ!?」
「ここ暫くの記憶を忘れてもらうだけだ。俺の存在もお前の存在もハヤテにとっては無いほうがいい。あと、それが終わったら破璃の背中に乗れ。俺がいる場所につれて行ってくれる」
「ナルト!!」
有無を言わせない言葉に反論しようと口を開いた横島は、ナルトの様子を見てはっとした。


よく見ると彼の姿はボロボロだった。激しい戦闘でもしたのか汚れた服装に、砂がたくさんついている。しかし自分の身より何かを気に掛けているような風情で、ナルトは今にも駆け出すのを我慢しているようだ。
動じていないと思っていたがそれは勘違いだったらしく、酷く焦っている。


「………頼む」
絞り出すような声音で懇願された横島は、ただただ頷くことしか出来なかった。

常に冷静沈着を絶やさず表情に出さないナルトが、横島の承諾にあからさまにほっとしている。そしてぽんっと月代に変化したかと思うと、瞬く間にその場から姿を消した。



気配の余韻すら残さず掻き消えたナルト。
まるで最初から誰もいなかったと錯覚させられ、ぼんやりナルトがいた場所を眺めていた横島は、破璃の鳴き声ではっと我に返る。
そしてハヤテの怪我を治すために、音忍達と戦闘した故に残り少なくなった僅かな霊能力を掻き集めて文珠を生成しようとし始めた。













「う……」
僅かに身動ぎしたハヤテが呻き声を上げる。横島は文珠生成に集中しながら、彼の顔を覗き込んだ。

「ハヤテさん!!しっかりするッス!」
「よ、こしま…くん……お願いが、あるんです…ね…ごほっ」
息も絶え絶えの様子で言葉を紡ぎ始めるハヤテ。耳を澄まして彼の言葉を聞いていた横島は、ハヤテの次の言葉に息を呑んだ。

「ごほごほ…っ、…もう…いい、です…自分の身体のこと、は…自分がよく、知ってるん…ですね…」
「な、なに言ってるんスか!?解毒はもう済んだんスよ!!助かるに決まってるじゃないですか!!」
擦れた声で生きるのを諦めたと言うハヤテに横島は檄を飛ばす。だが、ハヤテは虚ろな瞳で緩く頭を振った。
「自分が…情けないです…あんな不意打ちにやられ、るなんて…忍び失格、です…よこし、まくん…頼みます…ごほ…私を、楽にして…ほしいんですね…」

ハヤテの言葉を聞いた瞬間、文珠生成のために集中していた霊気が拳の中で消散する。
彼の言葉を反芻し、横島は頭に血が上った。



なにを馬鹿なことを言ってるのか。楽になりたいからと言ってそれを俺に頼むのか。
不意打ちにやられたからって、忍び失格だからって、それがなんだ。

自分のほうが情けなかった。馬鹿な事を繰り返して、何度も死にそうな目にあった。
でも楽になりたいと思った事は一度もない。死ぬ事は怖い。死んで楽になるとも思わない。
なによりあの夕陽に誓ったんだ。

誰も信用できない。誰も信頼できない。自分は世界に望まれていない。それでも。
世界を憎む事も他の誰かを恨む事も、楽になろうともしなかった。だって、彼女が救ってくれたから。

彼女が救った世界。彼女が生かしてくれた命。どうして蔑ろに出来ようか。
だからこそ、[人類の裏切り者]とされても神界・魔界から命を狙われても生き続けたのだ。


それ故、楽になりたいと自ら生きるのを諦めるその言葉が横島には癪に触った。ハヤテの一言に沸々と怒りが湧き上がる。
一点の光が見出せればその光にしがみつく。少しでも可能性があれば足掻いて足掻いて最後まで諦めない。


(しがみつけよ…!足掻けよ…っ!)
――――――――――生きろよ!!


怪我人だというのも忘れて、横島はハヤテの胸ぐらを掴んで捲し立てた。
「ふざけんな!!アンタ、確か夕顔って恋人いるんだろ!それなのに死ぬとか簡単に言うんじゃねぇ!!」


一緒にナルトの屋敷で過ごしていた頃。屋敷傍で咲く夕顔を見つめながら微笑んだハヤテの横顔を横島は憶えている。
茶々を入れると真っ赤な顔をして夕顔という恋人がいるとはにかみながら白状した――――あれは何だったのだ。
ふっと一瞬、横島の瞳に蛍の光が過る。痛切な思いを胸に抱きながら、彼は声を張り上げた。

「置いて逝くのも辛いことだってわかる!!けどな、置いて逝かれるほうの身にもなってみろ!!夕顔って女性(ヒト)泣かせんのか!?泣かせたくなかったらそんな馬鹿なこと、二度と口にすんな!!!!」

癇癪を起したような、それでいて切実な横島の叫びがその場に響き渡る。瞠目するハヤテの前で、はあはあと肩で息をしながら横島は更に声を張り上げた。
「アンタはどうなんだ!?恋人に会いたくねえのか!?生きたくねえのか!?」

横島の心からの訴えに、ハヤテは肩を震わせた。逡巡する彼の答えを横島は黙って待っている。
とうとう観念して、ハヤテは震える唇で怒鳴り返した。
「あ、会いたいですよ!!会いたいに決まってるじゃないですか!!」
そして真っ直ぐに見据えてくる横島から視線を逸らして俯くハヤテ。嗚咽雑じりで蚊の鳴く様な声を彼は絞り出した。

「い、生きたい…っ。生きたいです…!!」



それは忍びにとってはあるまじき言葉だった。
いくら尋問されても堅忍不抜の意志を持つ忍者の在り様をばっさり切り捨ててしまうような一言だった。
それでも横島の強い眼光には逆らえず、ハヤテはつい本心を口にしてしまっていた。
横島の泣き叫ぶような言葉に、心を動かされてしまった。

今まで内心思っている事も絶対に声に出さなかったのに。横島の切実な叫びに促されて、ハヤテはうわべでは無い本意を明かす。
それは、彼の生きてきた人生の中で初めての事だった。
自責の念に駆られながらも、なぜかハヤテはスッキリしていた。自分は忍びだからというのを言い訳にして隠してきた思いを、積もり積もった自分自身の本当の心を曝け出して肩の荷が下りた気がした。

生きたいという人間らしい言葉を耳にし、どこか満足げな表情を浮かべて横島は拳を握り締める。


「生きろよ!!生きて恋人に…夕顔さんに会えよ!!それで…一緒に生きろ!!」
―――――――だから、そんな簡単に楽になりたいなんて二度と言うな!!――――――



誰かが目の前で死ぬのはもう嫌だ。
八方美人だと非難され、偽善者と罵られ、甘すぎると諭されようが、横島にはどうでもいい。
ただ助けたいのだ。失いたくないのだ。―――――――――守りたいだけなんだ…。
それの何が悪い。恋人がいるのなら猶更だ。哀しむ人がいるのなら、俺と同じ想いをその人に抱かせたくない。

置いて逝かれて、それでも生きなければならない苦痛。追い駆けたいのを必死で止める理性。
一緒に逝きたかった望み。共に生きたかったという願い。

それらを何れも解っている横島だからこそ、絶対に楽になどさせない。
だから。


(生きろっ!!!!)




眩い光が横島の拳から溢れ出す。
指の合間から洩れる青白い輝き。もう枯渇していたはずの霊能力を無理に引き出し、集中する。
双眸を閉じて深呼吸した横島がカッと目を見開いた。刹那、彼の手中に霊気が集束されていく。
戦闘で疲労した身を叱咤して、彼は拳中に強い眼光をそそいだ。全身に脂汗を滲ませながら横島は残り少ない霊能力を玉の形へと生成していく。

「この世に未練がある奴は霊になるんだよ。でも霊になっちまったら、伝えられるもんも伝えられなくなるんやで…。アンタには待ってる女性(ヒト)がいる。生きて、生きて帰ってやれよ…っ!!」


噛み締めるようにそう叫んで、横島は辛うじて出来た文珠に【癒】の字を入れてハヤテに押し付けた。










閃光が木立を駆け抜ける。

光が消えた後には、ハヤテの身体は傷ひとつない健康体(普段咳き込んでいるので健康かどうかわからないが)普通の状態になっていた。
ガバリと身を起こし、横島と自分の身体を交互に見遣るハヤテに、横島は静かに話し掛ける。

「ハヤテさん。色々ありがとうございました」
「横島くん…?」
「短い間だったけど、ハヤテさんと過ごした日々は楽しかったッス。鍛錬はスパルタでしたけど…でもハヤテさんの言葉で救われたこともあったんで、感謝してるッスよ」
突然感謝の言葉を告げられたハヤテが目を瞬かせる。横島はハヤテの眼をじっと見ながら、地面に置いておいた巻物を手繰り寄せた。

「でもこれだけは言わせてください……一度でも生きることを諦めたからには恋人に謝れ」


そう告げた瞬間に、横島はハヤテの眼前で巻物を広げて見せた。巻物の中身を見たハヤテの眼が虚ろになる。
ぼんやりと虚空を見つめる彼の傍で、中身を見ないように巻物を巻いていく横島。それをポケットに押し込んでいると、突然瑠璃が甲高い鳴声を上げた。
ビクリと肩を震わせた横島は、誰かが近づいて来る気配を察する。


「おい、シカマル!!どこだ!?」
「こっちだっつ―の!!」

男の声と子どもの声が、ガサガサと草を踏み分ける音と共に木立の中で響き渡る。
なんだか聞き覚えのある声だなと思った横島の裾を破璃が強く引っ張った。
そのまま無理やり横島を背中に乗せた破璃は、疾風の如くその場を走り去る。軽やかに走る破璃の背中に乗りながら、ぼんやりと横島は思っていた。


(シカ三角じゃなくてシカマルか……惜しいな)












奈良シカマルは音忍達からの逃走に助力してくれた青年が気掛かりだった。

そのため、一度中忍試験会場まで戻り、援軍を呼ぼうと考えていた。全力疾走で木立の中を駆けていた彼は、会場までもう少しといったところで自らの担当上忍――猿飛アスマと出会う。

そして事情を説明した後、今来た道をアスマ携えてもう一度戻ってきたのだ。自分を助けてくれた青年――横島を助けるために。
だがシカマルが音忍に囲まれた場所には、既に青年の姿はなかった。いたのは―――――。



「お、おい…。アンタなんでここに…?」
死んだはずの月光ハヤテだった。




木の幹を背に、ぼんやりと虚空を見つめている男――月光ハヤテの姿にぎょっとしたアスマは、すぐさま状況を訊こうと彼の肩を揺さぶった。ハヤテの傍では数人の音忍達が倒れている。
危険はないと判断したシカマルも、アスマの後ろに控えてハヤテを窺っていた。

「おい!ハヤテ!!お前、生きてたのか!?今までどこにいたんだ!?」
矢継ぎ早に質問する興奮気味のアスマを落ちつかせようとシカマルが口を開き掛ける。その時アスマの声のお蔭か、虚ろな瞳に光が戻ったハヤテが不思議そうに目を瞬かせた。

「…おや?アスマさん、どうしたんですか?」
「どうしたんですかじゃねーよ!!お前がどうした!?」
「落ちつけって…」
シカマルの諫める声にようやくアスマが冷静を取り戻す。一方のハヤテは、その場をきょろきょろと見渡してから眉を顰めた。


「おかしいですね…、ごほっ。私は確か砂と音の密会を目にして…それから火影様に報告しようと…。そ、そうです!!砂と音が手を組んで木ノ葉崩しを…」
「いや今ちょうどその真っ只中ッスよ」
取り乱すハヤテにシカマルが突っ込んだ。動揺するハヤテの様子を眺めていたアスマが何かを思案するように、ふむと顎を撫でる。

「つまりなんも憶えてねーんだな?まぁ考えられる事は、その密会を見てしまったせいで敵側に捕虜となっていたという可能性が高い。ハヤテ、お前は死んだことになっているんだぞ」
「ええ!?…でもそういえばここ数日の記憶がぽっかり無くて…」
「……とりあえずコイツラと共にイビキに引き渡すか。何か敵の重大な情報を持っているかもしれねえし…」
ちらっとその場に倒れ伏す音忍達を視界に入れたアスマは、はあと嘆息しながらハヤテに肩を貸して立ち上がらせる。
同じく辺りを見渡していたシカマルは気絶しているだけらしい音忍達の姿に眉を顰めた。


「この音忍達はハヤテさんがやったんスか?」
「…わ、わかりません。気がついたらココにいたんで…」

ハヤテの言葉に益々訝しげな表情をするシカマル。そこら中で蹲っている音忍達は自分を取り囲んだあの時の音忍に加え、別小隊がいる。
シカマルを追い詰めていた九人の音忍は誰もが息絶えているようだが、残りの七人はまだ息がある。そしてココから少し離れたところに音忍の一人が気絶している。

まるで暴風がその音忍ひとりを道連れにして吹き抜けたかのような。薙ぎ倒されている木々を見てシカマルは再び眉根を寄せた。
(……あの人がやったのか?)

自分を助け、囮となった青年の姿を思い出しているシカマルにアスマが声を掛ける。
「おい!後でここの音忍達も回収すっから、まずはハヤテを医療室に連れて行くぞ。血臭が酷え」
「いえ…どこも痛くないんですが…」
今にも中忍試験会場方面へ向かおうとするアスマを、シカマルは慌てて引き止めた。

「え、さっき俺を助けてくれた人はどうすんだよ!?」
「仕方ねえだろ。この惨状じゃ…。それにもうすぐ木ノ葉崩しも終わる」
「なんでそう言い切れんだよ!?」
シカマルの言葉を聞き流しながら、アスマはハヤテの腕を自分の肩に回す。そうして肩越しに振り返った。

「さっき試験会場に向かってくる人影を見た。アイツが来ればもう大丈夫だ」
「アイツ…?」
顰め顔で見上げてくるシカマルに対し、アスマはくっと口角を上げた。





「月代だ」
 

 

二十四 終幕

木ノ葉の里長三代目火影は中忍試験会場の屋根の上で、元教え子であった大蛇丸と対峙していた。
火影を助太刀する者は誰もいない。なぜなら彼と大蛇丸を取り囲む結界が木ノ葉の暗部達の行く手を阻んでいたからだ。


大蛇丸の部下であろう音隠れの四人の忍び――それもまだ子どもが創った強固な結界が、二人の戦いに水を差すな、と屋根上に張り巡らされていた。
金剛不壊の結界奥は外部の者には視えない。紫の色を成す結界壁に触れれば身体が燃え上がる。
故に暗部達は結界傍で控えるのを余儀なくされていた。

結界に閉じ込められた忍びの戦いは既に終局を迎えていた。結界内を埋め尽くす樹木が生い茂る中、熾烈な戦いを繰り広げていた彼らは互いに荒い息を繰り返す。
火影の背後に視線を向け、大蛇丸は苦々しく奥歯を噛み締める。そこには異形の存在があった。


大蛇丸から何かを引き摺り出そうとしている異形の腕。火影の腹を突き破っているソレは大蛇丸の中から白い塊――魂というべきものを引き摺り出そうと引っ張っている。
術の効力と引き換えに己の魂を死神に引き渡す、命を代償とする封印術。その術を契約した者のみが視えるという死神の姿は、魂を半分ほど引き抜かれた大蛇丸の目にも見て取れた。

底無しの昏い瞳をぎょろりと動かしそれでいて白い髪を乱れさせ鬼の形相でにたりと笑うその様は……正に死神。

大蛇丸は憎悪を湛えた瞳で元師であった火影を見遣る。彼の刀にて背中を突き刺された火影もまた、大蛇丸を射抜くような眼光で見据えている。
だが大蛇丸と違い彼の瞳には、確かに不肖の弟子に対する慈愛があった。

切羽詰まっている状況だからこそ、大蛇丸は深く息を吐き呼吸を整える。落ちつきを取り戻した彼は焦燥を隠し、口元に笑みを湛えた。
「そろそろ楽になったらどうですか、先生?ご老体の貴方にこの里を守る余力など持ち合わせていないでしょう?」

嘲りを孕む労わりの言葉。それを投げつけられた火影が眉を顰める。
何も言わない彼を大蛇丸は目を細めて見つめた。

「サスケくんにしたってそうです。私はただ、忍びの卵である子どもを引き取ろうというだけですよ。老いた鳥には重荷でしょう?」
「余計なお世話じゃ!両翼でしっかり抱き抱えておる。一つも零しはせんわい」
大蛇丸の言葉遊び。その延長線上に乗った火影は言い返す。
憤る火影を気にせず、大蛇丸は飄々とした表情で猶も言い募った。

「翼をもがれた鳥は地に墜ち、蛇に呑まれるのが関の山…」
詠うように話しながら、大蛇丸は火影の背中に刀を更に突き付けた。
ググッと半身を刀で抉られ、その痛みに火影は脂汗を滴らせる。

一方の大蛇丸は、死神に魂を引き抜かれるという未知の体験に内心慄然としていた。
だがその恐怖を押し殺し、余裕綽々の風情を装って彼は笑う。
その口から紡がれる詩のような言葉が膠着状態であるその場に静かに響き渡った。



どれくらい時が経っただろうか。片や魂を腹から引き摺りだされ、片や刀を背に突き立てられ。
相対抗する両者は互いに一歩も引かず。
苦境に立たされて猶、頑なに屈しない双方の間を、ただ時だけが刻々と流れていく。
拮抗し合う純粋な力の押し合い。


だがやはり齢が齢である。徐々に圧され始めたのは火影が先だった。
その体力と相俟って、今現在扱っている【屍鬼封尽】の効力が弱化していく。
魂を引き摺りだすこの術は、術者の体力に左右される。つまり体力が不十分である場合、封印までに至らないという事態に陥る。

両者の背中を冷たい汗が滑り落ちていく。だが火影の体力の減退に逸早く気づき、大蛇丸はほくそ笑んだ。
そんな彼に対し、火影はくつりと喉を鳴らす。


「鳥と同じく、牙をもがれた蛇は地にてのた打ち回るだけじゃ」

先ほどの大蛇丸の言葉遊びに乗じ、彼はふざけた物言いで笑った。震える己の膝を内心叱咤し、残り少ない力を振り絞る。
大蛇丸の表情が一転する。微笑を浮かべていた顔から余裕の色が一切削ぎ落された。



絶叫が結界内にて轟く。


満足げな笑みを浮かべる火影の眼前では、悲痛な表情の大蛇丸が自らの両腕を見下ろしていた。
「な…何をした…!?」
印を切り様々な術を繰り出していた、蛇の如くしなやかだった腕が重い。チャクラを込めようとすれば激痛が奔る。

己の身に起きた突然の異変に、大蛇丸は笑えなかった。ただ呆然と、力なくブランと垂れさがっている自身の腕を見つめている。
もはや愉悦すら微塵にも感じられない。破綻した自らの計画を嘆く暇さえ無い。
両腕の自由を奪われた大蛇丸は、奪った本人の声で我に返った。

「貴様の両腕はもう使えぬ。両腕が使えぬ以上、印も結べぬ…」
刀による大量出血により、血の気を失っている火影が空々しく言う。その一言でカッと頭に血が上った大蛇丸は、火影の胸倉を掴もうとした。だが鉛色に変色した己の腕はピクリとも動かない。
印を結べず、腕さえ持ち上がらない彼に出来る事は、ただ吼えるしかなかった。


「この老いぼれが!私の腕を返せ!!」
「お前の野望は…ここまでじゃ」

ゆるりと火影は口許に微笑を浮かべる。彼の脳裏に走馬灯の如く浮かび上がるのは、木ノ葉の里人。
そして月色に輝く髪を持つひとりの子ども。

「…こ、このくそジジイが!私の野望は止まらぬ!!」
大蛇丸の怒号が結界内で乱れ飛ぶ。怒気を露に睨みつける彼を翳む視界で捉えていた火影の身が、ぐらりと傾いた。



ちょうどその時、大蛇丸と火影の間を一陣の烈風が吹き抜けた。


それはほんの一瞬で、風の激しさに思わず眼を瞑っていた大蛇丸は、地に伏せる火影の姿を忌々しく一瞥する。
そして結界を張っていた子ども達に合図を送り、撤退しようと跳躍した。

「待て!!」
結界から飛び出す大蛇丸の姿を認めて、木ノ葉の暗部達が一斉に動き出す。だがそれより速く大蛇丸の傍にいた子どもが印を結んだ。
「【忍法…蜘蛛縛り】!!」
大蛇丸の部下のひとりが放った術によりチャクラを流し込んだ粘着性の糸が暗部達に襲い掛かる。
足止め用のソレは確実に暗部の動きを止めようと大きく広がり……。



「邪魔だ」

突如割り込んだ金により一閃された。














(じじいの奴、【屍鬼封尽】を使ったな…無茶しやがって)
影分身が三代目火影の身を救い出すのを横目で見遣りながら、ナルト――いや月代は嘆息した。

一瞬大蛇丸と火影の間をすり抜けた風。月代が大蛇丸でさえも目に捉えられない速度で三代目火影を連れ攫ったのだ。

突然の風と腕の痛みにて生じた大蛇丸の隙をついてニ体の影分身を作った月代は、一体を火影の死体に変化させ、もう一体を結界の外に向かわせた。
即ち影分身の一体に満身創痍である火影を安全な場所まで連れて行かせたのだ。

だが【屍鬼封尽】を使った今、火影の命はもはや風前の灯。それが解っているからこそ、術を使えぬ蛇などに時間をかけていられない。
暗部総隊長である月代に変化したナルトは、己の登場により顔を青褪めた大蛇丸と彼を囲むようにして佇む四人の子ども達に視線を向けた。



ぱらぱらと空に散る糸。
蜘蛛の巣を一瞬にして蹴散らした彼は無言で大蛇丸を見据えた。
「あ、貴方は………」

木ノ葉の暗部達が狼狽する中、狐面をつけた男はただただ静かに佇んでいる。
蜘蛛の糸と雑じって彼の金糸が風に靡いた。

「まさか…『月代』!?」
大蛇丸が瞠目し、声を荒げる。驚愕の色を孕む視線を一身に受けている狐面は、大蛇丸含む音忍を見渡した。
それだけの所作で、その場の面々の背筋がゾクリ…と寒くなる。


そこにいるだけで膝をついてしまうほどの圧倒的存在感。
見上げるのも畏れ多いのではないかと自然に頭が下がってしまう威圧感。

彼の佇まいは威厳に満ち、背後には凝り固まった闇がある。
少しでも迂闊な真似をすれば一瞬でその闇に呑み込まれてしまうような。
気が狂いそうなほどの権威を彼はその身に背負っていた。


木ノ葉の暗部ですら畏縮するのだ。音忍である子ども達は皆生きた空もなく、悄然たる顔で狐面の動向を見つめていた。狐面を警戒する大蛇丸もまた、その顔は酷く歪んでいる。
おそらく【屍鬼封尽】による火傷のような激痛が彼の両腕を襲っているのだろう。あのままでは何れ皮膚がズタズタに裂けていく。
だが大蛇丸の表情には両腕の痛みよりも焦りの色のほうが濃かった。それはやはり狐面――月代が現れたことに対してであろう。

任務達成率100%の死神・禁忌とされた狐面を唯一許された者・里最強の火影を遙かに凌駕する幻の存在・ビンゴブックにすら載らぬ伝説の暗部…様々な噂が飛び交うその本人が、今、目の前にいるのだ。


その場にいる者達の顔触れを一通り見た月代が再び大蛇丸を見遣る。途端、大蛇丸は己の心臓を鷲掴みされたような感覚をその身に受けた。
異変を察して大蛇丸の許に向かってくるカブトを視界の端に捉えながら、月代は静かに言葉を紡ぐ。


「お前の野望は…ここで潰える」

面の奥にて垣間見える青い双眸。冷やかに細められたその鋭い瞳から大蛇丸は目が離せない。
身を竦ませる彼はまるで月に見込まれた蛇。猿に牙をもがれた蛇は、月下にて喘ぐしか術は無い。





大蛇丸の行く末は月代が現れた時点で、とうに終わりを告げていたのだった。
 

 

二十五 永訣

鳥の後を追って、一匹の狼が駆けていく。
その背に乗っている青年は、木ノ葉の里で一際目立つ崖を仰いだ。
「…………ここにいるのか?」


この世界に来て最初に目についた崖。岩肌に彫られた歴代火影の彫刻が青年――横島を見下ろしている。軽やかに跳躍した狼―破璃が、火影岩の上に飛び乗った。
傍目には誰もいない火影岩。その上に破璃が降り立った途端、ぐにゃりと空間が歪んだ。
どうやら結界を張っていたらしく、横島が来たためにナルトが一端術を解いたらしい。

試験会場が騒然としているのに対し、こちらは閑散としている。会場屋根には火影の死体に化けたナルトの影分身があるからだ。
大蛇丸と彼の影の如き部下の命運は暗部総隊長である月代によって尽きた。音忍の子どもの身柄を暗部の部下に引き渡して、彼はすぐさま本物の火影のもとに向かったのである。
月代に化けた影分身を残して。

瑠璃と破璃は影分身ではなくナルト本体の許へ正確に辿り着いたのだ。横島と破璃、それに瑠璃が結界内に入ったのを確認し、ナルトは再び印を結んだ。
「つき……ナルト?」
破璃の背から降りた横島は、呼び掛けても微動だにしないナルトを不審に思う。そっと背後から覗き込み、彼ははっと息を呑んだ。


「…火影の、じいさんじゃねえか……」
ナルトの眼前にて横たわるご老体は、ヒューヒューとか細い息を繰り返している。土気色を帯びた顔色が老人に残された命を物語っていた。
横島はナルトを押し退け、文珠を生成しようと拳に力を込める。しかしガクリと膝が笑い、彼は岩垣に突っ伏した。

霊能力が既に底をついているのだ。無理に引き出そうとすればするほど身体が悲鳴を上げる。破璃に支えてもらってようやく立ち上がった横島は己の不甲斐無さに臍を噛んだ。

「……もういい…無駄じゃ…」
ふっと意識を取り戻した火影が息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。それに反論しようと口を開き掛けた横島を、ナルトが静かに遮った。
「………じじいの言う通りだ…。もう遅い…。俺が、間に合ってさえいれば…」
「自分を責めるでない…。これはわし自身の闘いだった。それに介入は許さんと、事前に伝えておいたじゃろ……」

火影は、自身を責めるナルトに言い聞かせる。その光景はまるで祖父が孫を宥めているようだ。
血の繋がりはなくとも今の二人の間には、単なる里長と部下だとは言い切れない空気が流れていた。
火影という肩書も暗部総隊長という肩書も、今や無い。
ただ互いを案じる、か弱き老人と華奢な子どもであった。


火影に「手を出すな」と言い含められていたナルトだが、彼はその命令に従うつもりは毛頭無かった。我愛羅との闘いの後、すぐさま影分身に表の自分のふりをさせ、試験会場に赴くつもりだったのだ。
しかしながら瑠璃の連絡により横島とハヤテの危地を知った彼は、急ぎそちらへ足を向けた。

横島と出会う前のナルトならば、迷わず火影の命を優先したであろう。横島とハヤテを見殺しにして火影の許へ向かっていただろう。
だが今のナルトはどうしても、横島の危機を見て見ぬふりをする事が出来なかったのだった。


それに【屍鬼封尽】の術を使ったのならば、ナルトにも横島にもどうしようもない。あの術は一度発動すれば死神に魂を譲らなければならない。
契約したからには最後、どう足掻いても死から免れないのだ。
今はナルトの介入によって生き永らえているが、そう長くはもたないだろう。たとえ横島が文珠を使い、傷を癒したところで彼の死は確実なもの。三代目火影の運命は『死』だと決定事項である。

ナルトの影分身が死体に化けているのも、火影自身がそう望んだためだ。未練がましく生にしがみつく里長を皆に見せたくないというのもあるが、なによりナルトに伝えたい言葉が彼にはあった。


「月代…いや、ナルトよ……」

誰よりも強いナルトが木ノ葉の里での酷い処遇に耐えてきたのは自分のせいではないか、と火影は長年思い煩っていた。
彼を木ノ葉に繋ぐ鎖こそ、己が身勝手に発した言葉だったのではないか、と。
それは自分がナルトの幼き頃に言い聞かせた―――――「ただ、強く在れ」という言霊。


自身が生きている限り、この子は自由にはなれない。
だからこそ火影は生還を望んでいない。死ぬ間際だからこそ出来る事。
火影である前に子どもの幸せを願う老人は、最後の最後でナルトと木ノ葉の里を繋ぐ鎖を断ち切りたかった。
「ナルト…前言撤回、じゃ……」

片膝立ちで覗き込むナルトの耳に、火影の掠れた声が届く。ぼそぼそと呟く火影の言葉を正しく聞き取ろうと、ナルトが彼の口元に耳を寄せた。
「」
か細くしかし切望が込められたその言葉を耳にした瞬間、動揺する蒼の双眸。しかしそれに取り合わず、火影はもう一度その言葉を反芻する。


「ただ、自由に在れ」


木ノ葉の里。九尾の惨劇に囚われ続けている里人。里と里人を背負う義務を持つ火影。
それら柵(しがらみ)を全て容赦なく捨てろと。己に遠慮などせず切り捨て、自由に生きてくれと。
だからこそ、幼き時刷り込んでしまった「ただ、強く在れ」という言葉を取り下げる。

翳む眼を必死で凝らし、火影は虚空へと手を伸ばした。伸ばされた片手が、ナルトの髪にそっと触れる。その一房をついっと掴むと、月色の金糸がさらさらと靡いた。
それはまるで、水面に映る決して捉えられない月のように。それらは火影の無骨な手…その指の間から零れ落ち、流れていく。

「猿が月を捉えようと木に登るが落ちて死ぬ、か…。『猿猴促月(えんこうそくげつ)』とはよく言ったものじゃわい…」
月に、逃げられたような。そんな錯覚に陥り、火影は自嘲染みた笑みを口許に湛える。
しかしその笑みは、愛し子のゆらりと零れ落ちそうな瞳と搗ち合った途端、掻き消えた。困ったように目尻を下げながら、火影は再び手を伸ばそうと力を入れる。
細い枯れ枝と似通った己の腕を、懸命に動かして。

翳りの入る蒼天。揺らぐ二つの曇り空から、雲霞を一切取っ払ってやろうと。老いた腕は、ただそれだけの意志を持つ。
頼りなく、しかし確固とした強い意志。


けれどそれすら叶わずに。老いたその手は。
ゆっくりと空を切って。




地に、墜ちた。












空振りしたその手をぎゅっと握りしめる。ぐったりと力の無いそれは、もはや物体と化していた。

冷たい。その冷たさが否応なく、ナルトに真実を突き付ける。
先ほどまで必死にナルトの幸せだけを望んでいた三代目火影が、老人が、もはやこの世の者ではないことを。

横たわる火影の身体からすうっとナニカが浮き出ていく。霊能力のある横島だからこそ視えるソレは、あの人の良さそうな笑みを浮かべた。そして横島に向かって、幾度も切望の言葉を口にする。

『……この子の傍で、見守ってやってくれんか……』


その声を聞き入れた横島は、必死に目頭を押さえた。そうして、僅かに、しかし確かにソレに向かって頷く。
ソレは酷く驚いた顔をしたが、すぐにいつもの穏和な表情で、横島と、顔を伏せたまま動かないナルトを交互に見つめると。

空に溶けていった……………………。





保護者であったその亡骸を、未だ片膝立ちでナルトは見つめている。一つと一人の、その一歩後ろで横島は黙って立っていた。
ナルトには、哀しみに咽ぶ様子も嗚咽を漏らすことも動揺すら無い。その素っ気ない態度を見た者は皆が皆、なんて非人情で冷酷な子どもだと責めたてるだろう。

しかしながら横島には、彼が感情の全てを削ぎ落すことで平静を装っているように見えた。
いっそ無情にも見えるナルトの、背中が全てを物語っている。
十三年間生き永らえたその小さな背中は、キレイで済むはずのない大人の考えも汚い世界も世の理もその裏も、そして人の生死も、全てを悟っているのだ。


常日頃なら簡単なはずの、感情を削ぎ落すその行為。けれどやはり今は、流石の彼も難しいらしい。
顔を伏せるナルトの蒼い双眸は、微かに蠢く金の睫毛にて隠れている。しかし一文字にきつく結ばれた口許から、彼の感情が見て取れた。その唇からは一筋の血が滴っている。

横島に、ナルトの表情は窺えない。けれどきっと見られたくなどないだろうと、横島もまた、横たわる亡骸をじっと見下ろしていた。
その場に流れる時は、酷く重い。


はたとナルトが顔を上げた。その所作は、俊敏な彼に似合わずゆったりとしている。
しかし横島の瞳が瞬く頃には、いつも通りの無表情な顔に戻っていた。
狐面をつける。
月代に変化した彼は火影の亡骸を抱き抱えると掻き消えた。





木ノ葉の里の各所で多発している戦の火種が次々に鎮火していく。
火影岩という高所から俯瞰していた横島には、その火を消しているのが誰かすぐにわかった。
里中を奔る、荒々しくも哀しい金の矢。


地平へと沈みゆく朱に向かって瑠璃が甲高く鳴き、破璃がくうんと鳴いて横島に寄り添った。
二匹の鳴き声には、まるでナルトの心中を代弁しているかのような愁嘆の色が含まれている。
落陽に赤く染まる里を横島は見下ろした。
里ではなくどこか遠くを見据えている彼の瞳の奥には、夕焼け空に負けないほど赤く燃え上がる決意の炎が窺い見えた。


子どもを慕う獣の静かな慟哭が、空に溶けて消えていった。
 

 

二十六 手向けの涙雨

雨が降っていた。

灰色の雲がとぐろを巻き、ひたすらに地上目掛けて涙を降り注ぐ。冬でもないのに肌寒さを覚える霧雨の中、喪服に身を包んだ者達が皆一様に参列していた。

おぼろげに浮かぶ木ノ葉の里。深い悲しみに沈む里人は現実を認めたくないとただただ悲嘆に暮れている。
我らが長――三代目火影が亡くなったという事実を。


一向に泣き止まぬ天を彼女は仰いだ。鳥の濡羽色の如き艶やかな黒髪が肌にしっとりと纏わりつく。
それをうっとおしく払いのけ、彼女は口を開いた。
「先輩もお墓参りですか…?」

ぽつりと紡いだ問い掛けは背後に佇む青年に向けてだった。声を掛けられた本人が軽く肩を竦めてみせる。
「君こそ…。墓参りする必要は無いでしょ?その慰霊碑に彼の名は刻まれていない」
「今はまだ…。ですが何れ刻まれます」
しとどに濡れた髪糸が下唇にへばり付く。震える唇から彼女はか細い声を漏らした。

「―――――月光ハヤテ、とね…」


澱んだ空気に満ちた墓場。けぶる雨の中で響いたその名を、畑カカシは静かに聞いていた。
眼前に頼りなく立ち竦む彼女の背中から目を逸らす。陰気な空に、湿り気を帯びた風がまるで促すようにカカシの頬を強かに打った。
彼女が胸に抱く花束までもが雨に色ごと流されたのか灰色にくすんで見える。

降りしきる雨に急かされ、彼は言葉を探した。
月光ハヤテの恋人――卯月夕顔を慰める言葉を。

「…―――三代目の葬儀がもう始まってる…。急げよ…」
だが口に出来たのは当たり障りのない一言だった。こちらを振り返った夕顔の口元に苦笑が窺い見え、カカシは目元を伏せた。


その瞬間、ぱさりと地に落ちた花の姿を彼は認めた。



供え物の花束が花弁を散らし、水滴がぱっと四散する。胸に抱いていたそれを取り落とした彼女は、信じられないとばかりに大きく目を見開いていた。
うわ言のように囁く。



「――――――ハヤテ……ッ!!」


来るはずもないと諦めかけていた待ち人の許へ彼女は駆け寄った。雨水を蹴散らす。
やがて聞こえてきたすすり泣きが大きくなると同時に、カカシはぽんっと誰かに肩を叩かれた。
「よお」
「…なに?お前が連れて来たの?」
振り向き様に「もっと早く会わせてやりなさいよ。遅いでしょ」と文句をつける。カカシの苦情に相手は苦笑いで弁解した。

「イビキの質疑やら手続きやら面倒なのが多くってな」
猿飛アスマの返事を耳にしながら、カカシは今一度泣き声がする方へ視線を向けた。


「…すみません、ごほっ」
「どうして謝るの?貴方はこうして…生きて帰ってくれたのに」
「…それでも…謝らないといけないような気がしたんですよ…」

霧雨の中、寄り添う二人。彼らの会話を微笑ましく見守るアスマの隣で、カカシはなぜか密かな不安を覚えた。
月光ハヤテの生還への安堵と、何か大事なものを無くしてしまうような危惧が綯い交ぜになった表情を浮かべる。
(ハヤテの帰還と引き換えに、何か…大切なものを失ってしまうような…)

曇天を仰ぐ。教え子の瞳にそっくりな青が一点も見当たらぬ事にカカシは眉を曇らせた。


雨はまだ、止みそうにない。








天から降る涙は人々の涙を洗い流し。そして益々心を沈ませる。
おぼろげに浮かぶ街並みを彼は静かに俯瞰していた。

生まれ育った里を一望できる火影岩。
若かりし頃の三代目の顔岩の上で、一人眼下を見下ろす。

突き抜ける空にも深海の底にも似た紺碧の瞳には、なんの感情も映っていない。
ただ、酷く冷めた目付きで里を見遣っていた子どもは、ふと空を見上げる。
多分に湿気を孕んだ風が、月色の金糸の髪を攫い、その秀麗な容貌を晒していた。

「…ジジイが命を懸けて守る価値が、この里に本当にあったんだろうか…」

ふと呟いた言葉はむなしく雨音に掻き消される。耳朶にいつまでも残る火影の声が脳裏に蘇った。

『ただ、自由に在れ』
自分の信じる道を進め。自由に生きろ。


繰り返し繰り返し、何度も頭の中で唱え続けられる遺言。
その言い残された一言に戸惑うナルトの瞳に、涙の如き水滴が映り込んだ。
ナルトの背中を押すように降り続ける、手向けの涙雨。



「ナルト」
不意に子どもの背後から声がかけられた。唯一背中をとられても安心できる人間。
彼が傍に来ていることはとうに知っていたが、信頼感ゆえにそこで初めてナルトは振り返った。
「…よかったんか?」
ナルトの意識が向いていることを察し、横島は最後の確認をする。彼のさりげない心遣いがナルトの心を静かに打った。

「今ならまだ、間に合うけど…」
「…今更、だな………」
自嘲する。横島の気遣わしげな視線を受け流し、ナルトは今一度里を見渡した。再度口を開く。

「未練は無い」



未練など、あるはずもない。
過去に囚われたまま、汚泥のような暗い心の膿を内包する里。
唯一泥中の蓮であった子が消えれば、綻び始めた里はいずれ破滅を迎える。

僅かばかりの心残りを気のせいだと誤魔化して、ナルトは瞳を閉じた。
一度決めた事なのだ。もう後戻りは出来ない。


その小柄な背中を無言で見つめていた横島は、横から服の裾を引っ張られ、我に返った。
破璃が何かを口に咥えている。それを受け取り、瞠目する横島に向かって、ナルトが振り向かずに答えた。
「ハヤテの置き土産だ。おそらく記憶を消される事を前以て推測していたようだな。お前宛だ」

一振りの刀。普通の刀よりは短いが、それでもかなりの名刀だろう。
珍しい漆黒の刃がなんとも美しい。

「屋敷に置いてあった。お前の護身用に、といった手紙つきでな」
漆黒の刃に見惚れていた横島に、ナルトが一声かける。すらりと刃を純白の鞘に納め、横島は「そっか…」と微笑んだ。
大事そうに刀を握り直し、ナルトに向き直す。



「じゃ、…いくぞっ!!」

刀を持つ手とは逆の手から、眩い光が解き放たれる。同時に、触発されたかのように木の葉が数枚舞い上がった。
文珠の白き光が火影岩上にいる者達の身を包み込む。





「さよなら」


一言、別れの言葉を口にする。そうしてナルトは手にしていたモノを天目掛けて放り投げた。
虚空へと吸い込まれてゆく、木ノ葉の紋を一文字に切りつけた額宛と白塗りの狐面。
刹那、舞い上がった木の葉の一枚が深海色の瞳に映った。

「木ノ葉」





火影岩上で輝いた白き光を覆い隠すように、雨が激しさを増す。
そうして、月の代理人―【月代(つきしろ)】と謳われた死神と、忌み嫌われていた狐の子が、その日を境に里から姿を消した。






振りしきる雨の音だけが何かの終わりと始まりを告げ。
うっすらと空に懸かった月が里を嘲るように見下ろしていた。

 
 

 
後書き
これにて完結です。お疲れ様でした!!
次回作はナルトを交えたGS美神原作再構成です。ですが、こちらは少し癖がある話なので、ここに投稿すべきか迷っています。
実はpixivにも同じ小説を投稿しており、そちらではこの話の続編「道化師達の宴」を現在連載しております。興味がある方はよかったらどうぞ!!
ちなみに、この話の一場面を漫画として描いて、イラストとして投稿させていただきました!
よければ「樹」の名前でイラスト検索かけてやってくださいw駄絵ですがww

「渦巻く滄海 紅き空」はまだまだ連載中ですので、そちらのほうもよかったらご覧になってみてください!!
「同士との邂逅」、長い間お付き合いくださり、本当にありがとうございました!!