或る皇国将校の回想録


 

登場人物一覧

 
前書き
物語の進行によって反映されます。

 

 
駒城家
五将家の中では最大級の実力を持つ家
豪農の出身でその為か貴族的な空気はあまり強くない

新城直衛
みんな大好きヤンデレシスコン魔王様。
小柄な身体と凶相の持ち主にして不世出の戦上手。
幼少時に東洲内乱で村を焼かれて孤児となり、軍務中であった駒城保胤に拾われて駒城家の育預(相続権を持たない養子)として育てられる。
成年後は新城の姓を与えられ、新城家当主となっている。
(新城家は駒城家下屋敷の一室にある。)
性格は捻くれており、自己・他人の両方を公平に比較して両方を弾劾できる人物。
鷹揚に振る舞う小人物で、偽善者でありながら露悪的な思考をし、
小心さと卑屈さ故に自棄と慎重さを伴った果断な振る舞いをみせる。
将家の大半の人間からは野卑な浮浪児上がりと軽んじられているが駒城家に育っただけあって礼儀作法は一通り修得している。

駒城篤胤
駒城家現当主(駒州公爵)である。
駒城保胤の父であり、新城直衛と駒城蓮乃の義父でもある。
陸軍大将であるが近年は表に出ることは少なく半隠居状態で実務は息子である保胤に任せている。
だが時々、大規模になりうる問題に関しては代理人として保胤や馬堂家が動く事もある。


駒城保胤
直衛の義兄にして蓮乃の良人。駒城家次期当主にして陸軍中将。
東洲内乱当時は少尉候補生だったが、行軍時に蓮乃と直衛を見つけて連れ帰ることとなる。
義に厚く上が深い深い性格をしており、軍政家としても声望が高い完璧超人。

蓮乃
直衛の義姉でありおもい人。
東洲内乱で孤児となり、その際同じく孤児となった直衛と出会う。
幼い直衛と共に生活していたところを駒城親子に拾われる。
直衛と共に駒城家の育預として育てられ、やがて保胤の愛妾(事実
上の正妻)となる。
軍人を憎みながらも保胤を愛し、直衛を恐れながらも愛するというおもい人



馬堂家
駒州公爵駒城家・重臣団の重鎮 駒州男爵 文官や後方勤務に就くものが多い。
元々は駒城が覇権を握った大きな要因である駒州の名馬達の管理を任じられていたと伝えられている。

馬堂豊久
主人公(?) 転生者だが前世の記憶を朧にしか持っていない。
二十六歳の〈皇国〉陸軍砲兵大尉(皇紀五百六十八年一月時)
課題処理能力は高いが実戦指揮官としては決断力がやや欠如しているきらいがある。
現代と〈大協約〉世界の価値観が混ざった独特の価値観をもっている。
色々と(船や酒に)酔いやすい人


馬堂豊守
豊久の父、元は輜重将校であり、最後の大規模内乱である東州内乱時の負傷で後方勤務になってからは兵站・軍政畑を耕していた。
皇紀五百六十八年三月に准将に昇進、兵部大臣官房総務課理事官に抜擢された。

馬堂豊長
豊久の祖父、現役時代は騎兵将校から憲兵将校に転科し、国軍としての統制を確立する事に貢献していた。
財政面での衆民の躍進に注目し、投機を行なったり事業に一枚噛んだりして儲けている。
馬堂家中興の立役者の一人。
駒城篤胤の腹心としても行動している為、政財界に多くの友人(?)が多くいる。

辺里
完璧で瀟洒な馬堂家の家令頭
こんな名前になったのはミラノ・レストランの名給仕の所為です。

山崎寅助
馬堂家の使用人 元憲兵下士官で警護班の班長

柚木薫
馬堂家の使用人、屋敷の運営を日々こなしてる。
長く務めているので主人達の信頼を受けている。

宮川敦子
馬堂家の使用人、柚木の同期で仲が良い。
利発で活発な性格

石光元一
馬堂家新参の使用人
現在は貴重な男手として扱き使われながら時折某所との連絡役を務めている。



独立捜索剣虎兵第十一大隊

伊藤少佐
大隊長、軍主流から外されている。
元々は騎兵将校であるが新兵科の実験部隊に指揮官を任じられている。


若菜大尉
第二中隊中隊長 男爵家次男で真面目が取り柄の貴族将校 
有力な<帝国>捜索騎兵隊の追撃から中隊主力を守るためにわずかな兵力で奮戦し、
名誉の戦死を遂げる。新城『僕は悪くない』

西田正信
捜索剣虎兵中第二中隊小隊長

漆原少尉
捜索剣虎兵中第二中隊小隊長

杉谷善次郎
大隊本部鋭兵中隊小隊長

米山中尉
輜重将校、夜襲で壊滅後の大隊兵站を一手に担っていた。
第十四聯隊で出番が出てくるまで書き忘れられていた可哀想な子。

猪口
<帝国>軍来寇時は第二中隊本部付曹長で後に大隊最先任曹長となる。
新城との付き合いは古く、特志幼年学校の生徒だった頃に助教として彼を鍛えた。
新城の性格を熟知しており、兵を取りまとめながら彼を補佐している。



独立混成第十四聯隊
諸兵科連合で編成された定数3,900名の大型聯隊
剣虎兵部隊の共同運用・大規模部隊における導術運用の研究を目的に編成された。

馬堂豊久
独立混成第十四聯隊聯隊長
馬堂家を参照

大辺秀高
独立混成第十四聯隊首席幕僚
元軍監本部戦務課参謀、馬堂豊守が後見人を務めていた。
馬堂家子飼いの将校

米山大尉
独立混成第十四聯隊 副官
第十一大隊より転属


石井少佐
独立混成第十四聯隊戦務幕僚

山下大尉
独立混成第十四聯隊兵站幕僚

芹沢大尉
独立混成第十四聯隊人務・訓練幕僚

香川大尉
独立混成第十四聯隊情報幕僚

秋山大尉
独立混成第十四聯隊剣虎兵幕僚

鈴木大尉
独立混成第十四聯隊砲兵幕僚

西田正信
聯隊鉄虎大隊 第四中隊第一小隊長
第十一大隊より転属

杉谷善次郎
聯隊鋭兵中隊小隊長 第十一大隊より転属


その他駒州陪臣

佐脇俊兼
駒州家陪臣の青年将校
些か硬直化した思考をしているが果断で兵と共に苦労する事を厭わない、優秀な将校
少年時代から新城と互いに憎みあっている。


益満淳紀
〈皇国〉陸軍少将 駒城家家臣団の筆頭
優秀で果断な騎兵将校 駒州鎮台(軍)参謀長


益満昌紀
近衛禁士隊首席幕僚である騎兵大佐
駒州若手将校達の親睦会兼軍事研究会である駒州兵理研究会の主催者


駒杉和正
水軍中佐 都護陸兵団の大隊長


久原少佐
東海洋艦隊所属の水軍士官


供駒中佐
騎兵将校 軍司令部騎兵参謀



弓月家
古都を中心に発達した故州の伯爵家 文官の名門
男女問わずに教育に熱心


弓月由房
故州伯にして内務勅任参事官として内務省第三位の席にすわる辣腕官僚。
万民輔弼令の発布後、衆民官僚達を保護して天領の運営や警察力の強化に勤しみ
一大派閥を造り上げた。
駒州閥の名家である馬堂家との縁談で駒州の力を得ようと画策している。

芳峰雅永
芳州子爵、鉱山とその周辺の土地を所有し、工業振興を行っている

芳峰紫
芳州子爵夫人 弓月家長女
夫と共に鉱山・工業地帯の経営に携わっている。

弓月茜
馬堂豊久の婚約者
父と馬堂家の政治的意図が起因の婚約であるが本人は気にしていない
豊久は苦手意識を持っている。

弓月葵
弓月家の長男。外務省の新人官僚

弓月碧
弓月家三女 未だ十代前半と他の兄姉たちと年が離れている



兵部省
軍政機関、大臣官房、陸軍局、水軍局、兵務局、法務局
と陸水両軍の軍政を司る巨大な官庁

安東吉光
安東家先代当主の弟
東州伯爵にして兵部大臣

海良末美 
安東光貞の義弟 執政府に強い関わりを持つやり手の軍官僚。
陸軍大佐

栃沢二等官
兵部省法務局の二等官。若い割に地位は高い。衆民出身。
戦時俘虜交換担当官として〈大協約〉に則った待遇を受けているか確認に訪れる。


軍監本部
陸軍軍令機関、五将家の思惑が渦巻く政争の場でもある。

志倉久正大将
軍監本部総長・宮野木家の分家筋である。

窪岡淳和
陸軍少将<皇国>兵部省陸軍局人務部長から軍監本部戦務課長に転任した。
準男爵家の当主であり、軍幼年学校では駒城保胤・実仁親王の同期
軍官僚として高い評価を得ているが恐妻家

堂賀静成
軍監本部情報課次長 五十絡みの壮年の男性。
五将家の派閥では中道の方針を執りながら将家派閥の合間を掻い潜り出世してきた。
元憲兵隊であり、馬堂豊長とは曾ての上司と部下であった。
大佐時代に人務部監察課首席監察官 軍監本部情報課防諜室長と要職を歴任している。


大賀大佐
軍監本部戦務課参謀 幼年学校時代の新城の恩師


その他 陸軍軍人

佐久間中将
皇州都護鎮台司令長官

須ケ川大将
龍州鎮台司令長官


近衛総軍
将家の将校と衆民の将校・志願兵で編制される銃兵・砲兵部隊の衆
兵隊、五将家の将校達によって編制される騎兵部隊の禁士隊そして
兵站部から成る皇室直属部隊
衆兵隊は経済発展による志願兵の不足、士気の低迷によって弱兵の
代名詞となっている。

実仁親王
皇族でありながら近北領紛争では近衛衆兵第五旅団長として避難民の救助に尽力し、少将に昇進。
軍人としても声望のある皇族である。現在は前線に赴くことはない衆兵隊司令長官。

近衛衆兵鉄虎第五〇一大隊
実際は千五百名と聯隊規模に近い。

新城直衛
近衛衆兵鉄虎第五○一大隊大隊長(駒城家参照)

藤森弥之介大尉 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊首席幕僚

益山隆一中尉 大隊情報幕僚

天霧冴香 新城直衛の個人副官 美貌の両性具有者

坂東一之丞
天龍。北領で<帝国>軍から攻撃を受けて負傷し、新城に助けられ
る。
他の龍族と同じく、人間よりも強い導術を行使し、下位種である翼
龍や水龍を使役する事が出来る。

守原家
五将家の一角である護州公爵家、貴族的な意識が強い。
戦前までは北領の開発で富を得ていたが〈帝国〉の侵攻によって北領を侵略されてしまい、
権益を失ってしまう。

守原英康
護州公爵の弟 軍司令官としては水準以上の能力を持っていたが、
実戦から離れていた〈皇国〉陸軍の戦闘教義では<帝国>軍に対抗できずに敗北。
真っ先に逃亡した所為で軍人としての評判を落としている。
噛ませ犬に定評のある人

守原定康
現護州公の嫡子 陸軍少将 何事にも冷笑的な態度をとっている。
独自の動きをしているようだが・・・?

草浪道鉦
守原家陪臣随一の能吏であるが守原英康達には含むところがある様子
陸軍局人務部人務第二課長


西原家
西領の覇権を勝ち取った西州公爵家
五将家の一角であり外交術に秀でた家

西原信英
西原家の当主、西州公にして陸軍大将、年は六十半ば
ほぼ隠居状態で西原家の政務は息子の信置が取り仕切っている。

西原信置
どこか茫洋とした顔つきの男で、年齢は四十前
西原家長子で陸軍大佐 軍監本部情報課と結びつきがあり、
10年前に背州公宮野木和麿を予備役にさせた事がある編入させた政略家

西津忠信中将
西原家分家筋 将校の高等教育機関である帷幕院院長から集成第三軍司令官に転任

荻名中佐
西原家の重臣団の一員
軍監本部勤務の秀才参謀であり、幼年学校に豊久が在学していた時期に教官を務めていた。
集成第三軍戦務主任参謀


安東家
五将家の一角
先代の当主が内乱後の荒れ果てた東州(日本でいうと四国)をほいほい拝領した所為で家産が崩壊しかけた。
家産は滅茶苦茶だったが、現当主光貞の奥方のおかげで家格を維持してきた。
女性の発言力が強い家である。
現在は東州を支配し、現在は東州公爵家

安東光貞
現東州公、年齢は四十半ば
気弱な性格で経営手腕のある妻が政治を切り回している。

海良末美
安藤公爵夫人の弟、姉の懐刀として政治工作に辣腕をふるっていた。
兵部省勤務の陸軍大佐


宮野木家
裏で謀を巡らせる事を得意とする五将家の一角
守原家の旧領である背州を今の領土としている。

宮野木和麿
現背州公 10年前に強制的に予備役編入に追い込まれた予備役陸軍大将
予備役に追い落とした駒城篤胤と西原信置を恨んでいる。

宮野木清麿
家の実権を握っている和麿の嫡男
駒城篤胤の引きで早すぎる程に中将の位に任じられている。


〈皇国〉水軍
軍令機関の統帥部の下で皇海艦隊は衆民将校が力が強い。
将家出身者が将校団の大半を占める東海洋艦隊の二個艦隊を有する
保有艦隊は四十隻

笹嶋定信
水軍中佐。北領撤退戦では転進支援隊司令。北領撤退戦時、新城
に<帝国>軍の足止めを要請した事が縁となり、以後彼と深く係る
事となる。実直で裏表の無い性格をしており、新城の本質を少なか
らず理解している。回船問屋を営む兄、妻と二人の幼い子供がいる。

護田中佐
水軍中佐。最新鋭熱水乙巡<畝浜>の艦長。
機転が利く人物で撤退支援時に30隻もの運荷艇をくくりつけて多大な貢献を果たした。

坪田典文
水軍中佐。乙型巡洋艦<大瀬>艦長。
真室の穀倉への砲撃任務を請けるが作戦行動中に嵐に見舞われた龍士を救助する。

大咲大将
統帥部総長・衆民出身

杉原中将
皇海艦隊司令長官

浅木中将
〈皇国〉水軍東海洋艦隊司令長官 宮野木家の分家筋


〈皇国〉執政府・衆民院
行政機関と納税者である衆民たちの公選機関
将家の影響力は根強いが衆民達の台頭が著しい。

利賀元正
<皇国>執政。五将家のいずれにも属さない政治家で、大の信徒数を誇る帯念宗の元僧侶。


舞潟章一郎
衆民院がかつて官選機関であった頃からの最古参議員
現在は衆民院第一党である皇民本党総裁にして、執政府次席である執政代の地位に就いている。


皇室魔導院
〈皇国〉最大の情報機関 導術を利用した調査だけでなく、特務魔導官による人的調査も行う。

羽鳥守人
新城の特志幼年学校での同期生。
現在は皇室魔導院の勅任特務魔導官。
その風貌はどこかの私学校の教師のような風貌。
自宅の殆どを書で埋め尽くす程の書痴でもある。
卵料理と高級酒に目がない。

その他

古賀亮
新城の特志幼年学校での同期生。皇室史学寮研究員

槇氏政
新城の特志幼年学校での同期生。大周屋という問屋の跡取り息子

樋高惣六
新城の特志幼年学校での同期生。親戚筋にあたる料亭の入り婿になる予定


〈帝国〉
〈皇国〉より北にあるツァルラント大陸の大半を支配する大国。
〈皇国〉に対する貿易赤字が元で東方辺境領を中心に経済的・政治
的混乱が広がり。
それを解消するために<皇国>侵攻が決せられた。
〈帝国〉全土の常備兵力は200万近くという軍事大国

ユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナ
東方辺境領姫、東方辺境領軍・東方辺境鎮定軍総司令官、元帥。
<皇国>侵攻作戦の総指揮官であり北領を陥落させた天性の戦略家
にして戦術家
漫画版・小説版共に皇国の守護者のお色気担当。

クラウス・フォン・メレンティン
東方辺境鎮定軍参謀長
ユーリアの幼い頃からの守役であり、ユーリアの性格を深く知り、
陰に日向にユーリアへの助力を惜しまない。北領侵攻後准将に昇格。
歴戦の騎兵将校でもある。軍中枢と折り合いが悪く昇進が遅れているがユーリアも厚い信頼を寄せている。

アンドレイ・バラノヴィッチ・ド・ルクサール・カミンスキィ
騎兵大佐。〈帝国〉本領男爵。
白金の髪と淡い水色の瞳を併せ持つ美男子。
軍人としても優秀であり、最精鋭である第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の聯隊長を任じられている。
その外見と卓越した能力でユーリアに寵愛され、愛人の立場にある。
屈折した野心家としての一面を持つ。

ゴトフリート・ノルティング・フォン・バルクホルン
西方諸侯領騎士。騎兵武将に似合いのごつい外見の持ち主だが、性格は温厚で義理堅い。
北領での騎兵大尉として新城と交戦・負傷し捕虜となった。


 
 

 
後書き
地味に疲れました。漏れている人に気づいたら感想のついでにでも御指摘して下さったらありがたいです。 

 

序 動乱の兆し

皇紀五百六十七年 十三月六日 午後第七刻
馬堂家上屋敷 


 経済発展が著しい新興国〈皇国〉の都、その一角にある屋敷へと馬車から杖をついた男が降りたった、年の頃は四十半ばだろうか、軍服を纏ったその男は肩をいからせ、片足を引きずっているとは思えないほど足早に玄関へと向かっていった。

「お帰りなさいませ、若殿様」
 家令頭らしい老人が丁重な口調で彼をむかえた。

「辺里、父上――大殿はおられるか?」

「先程、内務省からお帰りになられました。大奥様と共に居間にいらっしゃいます」

「そうか、それでは父上に、私が貴方の書斎で待っている、と伝えておいてくれ」
 そう言いながら、兵部省 兵務局 対外政策課 課長である馬堂豊守大佐は書斎に入ると杖から安楽椅子へと身を預ける先を変え、不自由な足を投げ出しながら溜息をついた。
帳面を懐から取り出すが、それを開く間もなく書斎に逞しい体躯の老人が入ってきた。

「その様子では、矢張り〈帝国〉の動きがきな臭いようだな」

「――父上、これはまたお早いですね」

 豊守の父であり、馬堂家の当主である馬堂豊長は、精気に満ちた身のこなしで豊守の向かいに座ると鋭い目つきで話し出した。

「私もお前を待っていたからな。――内務省で不穏な話を聞いた。
先月に入ってから妙に羽振りのいい〈帝国〉人が頻繁に美名津に現われている。
〈帝国〉が我々〈皇国〉に対して圧力をかけているこの時勢に〈帝国〉の上流階級の輩が北領に態々訪れるか?」

「――確かに、〈帝国〉国外に出張る〈帝国〉の資産家と云えば政界に居る貴族か政商である大商人達の息がかかった連中です、政治に関わらない筈がありません。
随分ときな臭いですね――私からも防諜室に問い合わせておきます」
 豊守も眉をしかめ、帳面に書きとめた。

「うむ、おそらく彼らも動いているだろう何か分かるかもしれん。
――それで、兵部省では何があったのかね?」

 眉を顰めて老人が問うと、豊守も軍官僚としての顔をして応える。
「北領鎮台へ、動員を済ませた常備部隊六個旅団を主力とする兵団の派遣を行う事が決定されました。
問題はその中に我々の跡継ぎが含まれている事です」

「あぁ、確かに豊久が配属された大隊は龍州鎮台だったか」
 目を覆い、老人が呻いた。北領は島国である<皇国>を主として構成する六つの大島のうち最北端にある。龍州は皇都を有する“内地”の東北三州を総括して呼ぶ、北領とは龍州の龍口湾と美名津湾を拠点とした海運で結ばれている。
「――しかし、〈帝国〉との国境とも言える北領の軍備を増強するとなると〈帝国〉を刺激するのではないか?」
 豊守は慎重な口調で応える。
「〈帝国〉を刺激しない為に北領鎮台は、軍への改組は行いません。
あくまでも今は平時であるとし、北領の治安維持の為に――」


皇紀五百六十八年 一月十四日 午前第八刻 北領 領都北府
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部

「北領警備体制の強化を行う、と。
警備体制を強化って匪賊撲滅の為じゃないでしょうに」
 独立捜索剣虎兵第十一大隊情報幕僚である馬堂豊久大尉はひどく不機嫌であった。
北領の地図を前に普段は愛想のよさを感じさせる顔つきを歪めて愚痴を零している。彼が視線を向けていた地図には匪賊の被害報告を示す点が複数記されており、其処にさらに幾つか線が引かれてある。
「結局、船に乗ってまで辺境に来てもやる事は変わらないなんてなぁ。
大体、部隊の数は龍州の倍は居るのに仕事が増えるなんてこんなの絶対おかしいよ」
 文句をつけながらも手際よく報告書と地図を照らし合わせ、再び線を書き加えた。

「何を言っているんだ、貴様は。それが俺達の仕事だろうが、それとも何だ?
貴様は司令長官閣下の御家名が気に入らんとでも言うつもりか? 生憎と俺は家名に縁がないからな、そんな閨閥は縁がない」
 同じ大尉の階級章を身に付けた戦務幕僚が鼻で笑うと、豊久はじっとりと半眼で睨み返す。

「わたしゃ確かに駒城様の家臣の家ですがね、匪賊討伐に精を出すくらいには衆民思いですよ。
でも一個大隊に仕事を押しつけられると文句もつけたくなります、別に五将家云々で守原大将閣下に含むところがあるわけじゃありませんよ」

 ――五将家、かつて戦乱の時代に〈皇国〉を統一した五大軍閥貴族達は名目上の君主である皇家を奉じて公爵家となり、この国の実権を握っている五大勢力である。
 現在では経済の自由化とそれに伴う民権の拡大によってその勢力は減衰しつつあるが、彼らの軍が大元となった陸軍では確固たる勢力を保っており、昇進に際して五将家とその家臣達と無位の衆民では昇進の速度、上限には明確な違いがある。
 良い例として、同じ大尉である衆民出身である戦務幕僚は三十路を超しているが、情報幕僚の馬堂大尉は二十六である。

「しかし、警備体制の強化、と言うがね。
実際のところ、〈帝国〉が攻めてくると思うか?」
 兵站幕僚が消費物の目録から顔を上げて云った。

 ――〈帝国〉とは〈皇国〉の北方にあるツァルラント大陸に於いて皇帝の下で強力な軍事力によって確固たる覇権を築いた軍事大国である。北領は彼の大国が侵攻する際に備えて軍備の増強が行われているが、実際に戦うとなると緒戦はまだしも本格的な戦争となると対抗できるとは当の〈皇国〉陸軍すらも信じていなかった。

「さあな。 俺には分からんが、来たとしたら相手をするまでだ」
 戦務幕僚はその現実を跳ね除けるかのように硬い声で返す。

「〈帝国〉西方がきな臭くなっているそうですからね。
多分、軍の動きが活発になっているのは其方の所為だと思いますが――」
 情報幕僚――豊久はそう言って眉をしかめる。
「――理由がないわけではないですからね
〈帝国〉東方の正貨価値の下落が深刻な域になりかけていますから」

 〈皇国〉は太平の世の下で自由経済による経済発展、熱水機関による工業の発展の中で産業大国へと躍進を遂げた。その中で取り分け成長が顕著だったのが貿易を取り仕切る回船問屋である。
 彼らは低税率の自由経済を謳歌し、格安で大量の商品を各国に送り届け、貿易黒字を生み出した。
これによって引き起こされる貨幣の流出は〈帝国〉内政の抱える諸問題に火を着けた。
 まず、〈帝国〉政府は流出に対抗する為に正貨を増産し、それは物価、賃金の上昇と典型的な通貨膨張を引き起こした。それは貿易品によって押されていた農奴を支配する地方領主達と〈帝国〉経済を牛耳る大商人達による穀物の売り惜しみを引き起こし、それは更に農奴――臣民達を追い詰め、遂には小規模ながら暴動が頻発する事態へと発展している。
 だが、それはあくまでも〈帝国〉の国内問題であり、〈皇国〉上層部はある程度の関税に対する譲歩で済む問題だと考えていた。
 どの道、戦になれば〈皇国〉が屈服するしかない事はどちらにも分かっていたし、〈帝国〉が保護貿易を行うのならば〈帝国〉が西方で小競合いを行っているアスローンや南冥――凱帝国への販路を開拓すれば補いがつく程度の問題だと、〈皇国〉側は考えていた。

「――まぁ、外交で決着できると信じましょう。そもそも、剣牙虎慣れした馬の育成も進んでいないのだから、戦争するにしてももう少し待って欲しいですからね。
・・・輜重部隊から騎兵砲隊に輓馬を回してやれませんか?」
 龍火学校(砲兵専科学校)を出ている砲術屋でもある馬堂が兵站幕僚に云う。
 ――剣牙虎、長くのびた牙を持つこの動物は群生し、〈皇国〉人は長きにわたり剣牙虎と共に暮らしていた。その結果、ひとたび懐けばこの賢い獣と主人は強く結びつく事を〈皇国〉人は知悉している。
ほんの数年前、〈皇国〉陸軍はこの獣達を銃兵に随行させる新兵科――剣虎兵を採用する事にした。猛獣としての素早い身のこなし、強大な膂力は白兵戦に於いて銃兵一個小隊分の戦力を誇り、鋭い五感は十里先の獲物を察知する。
 それだけ聞けば、素晴らしい兵科なのだが、多大な問題も抱えている。まず、第一にこの時代の生活の要である馬と決定的に相性が悪い事。
 第二にその戦闘法が隊列を組まず、白兵戦で人を殺める野盗の如きものである事である。
第一の悪条件は運用上の障害として誰もが頭を痛めていた。
 馬堂大尉が言ったように剣牙虎に慣らすには非常に時間がかかるし、それでも万全な状態になるわけではない。軍隊の血液である輜重部隊、軍の火力を支える砲兵、そして軍の花形である騎兵、軍隊の主要な兵科である彼らは馬がなければ話にならない。
つまりはひどく面倒な連中として上からは扱われるのだ。
 第二の他兵科とは隔絶した戦闘法がそうした考えをさらに煽る形になってしまっている。
彼らの戦い方は戦列を組み、戦う現行の諸兵科に対して、あまりに異質であった。
その為に周囲からは懐疑的な目で見られ、索的・白兵戦能力の高さから匪賊討伐に高い成果を上げているが、運用の困難さから幾つか独立大隊が編制されただけに留まっている。
 この独立捜索剣虎兵第十一大隊もそうした部隊の一つである。

「駄目だ、補充の目処を何とかしてたてるからそれまで待て」
 兵站幕僚がひらひらと片手をふって却下する。

「それ、前も聞きましたよ。捜索剣虎兵中隊の機動力が何時まで経っても向上しないのは困ります。今は匪賊相手ですから砲がなくても問題ありませんが、万一の時に火力を喪失したら致命的な事態に陥る可能性がありますよ。」

「そんな事は中隊の連中からも言われているんだ、分かっているさ。
俺だって頭が痛い問題なのだからそうせっつかないでくれ」
 今度は砲術屋へと立場を変えて兵站幕僚に突っかかった馬堂大尉を見て呆れたように笑いながら戦務幕僚は情報幕僚の作成した匪賊の行動経路とその予想図に目を通す。つまりはいつも通りの光景であった――ここまでは。
 その時、鎮台司令部に出ていた大隊長の伊藤が執務室に戻ってきた。
「おい、貴様ら。」
 顔面を蒼白くしている様子からただ事ではないと見て取った幕僚達も顔を強ばらせた。
 普段の無気力な風采と打って変わり、搾り出すような口調で彼らの何もかもが変わってゆく事を告げる。
「――鎮台司令部に導術通報があった。奥津湾に〈帝国〉軍の艦船が侵攻せり、とな」
 
 

 
後書き
 にじファンから移転して参りました、初見の方もにじファンからの読者様方も、この先、拙作を楽しんでいただけたら嬉しいです。
  

 

第一話 天狼会戦

 
前書き
今回の登場人物
馬堂豊久 独立捜索剣虎兵第十一大隊情報幕僚の砲兵大尉 駒州公爵駒城家重臣 馬堂家の嫡流

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊第二中隊兵站幕僚の剣虎兵中尉
     位階を持たない戦災孤児であるが駒州公爵駒城家育預として公爵家末弟の扱いでもある。

伊藤少佐 独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長、叛徒の家臣団出身で軍主流から外れた中年将校。

若菜大尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊第二中隊 中隊長。
     旧諸将家である男爵家の次男で真面目が取り柄の剣虎兵大尉 

 
皇紀五百六十八年 一月 二十八日 午前第八刻 
天狼原野 北領鎮台主力から後方約一里 独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部
大隊情報幕僚 馬堂豊久大尉 


無意識に自分が震える手で鋭剣の柄を撫でている事に気がついた馬堂豊久は苦笑した。

「・・・鋭剣一本でなにが出来るわけでもあるまいに――まぁ向こうに居ないだけましか」

 気の抜けた口調でつぶやくが前方の光景――二万半ばを超す軍勢に目をやると頬を引き攣らせた。
それは、彼だけではなく、この大隊――いや、この天狼原野に展開する北領鎮台の兵・将校の大半が似たような有様である。
 それは単なる怯懦と断ずるべきではないだろう。
 何故ならば、二十五年前の大規模な内乱から彼らの住む〈皇国〉は太平の世を享受しており〈皇国〉陸軍・水軍のどちらも対外戦争によって血を流した事は一度もなく、精々が辺境の小規模な反乱や匪賊・海賊の討伐くらいしか彼らの仕事はなかったのだから。

  勿論、その様な有様の軍を抱えた〈皇国〉が戦争を仕掛けたわけではない。
北方の軍事大国である〈帝国〉は貿易で儲けている新興国〈皇国〉への貨幣の流出に耐えかね“蛮族鎮定”の為にこの北領に大軍勢を送り込んだのだ。
 その数は約二万二千名と報告されている。
 応戦するのは五将家の一角、守原英康大将率いる北領鎮台、総計約三万名。
 数では勝っているが、平時の軍政機構である鎮台を増強し、戦時用の軍へと改組する時間すらないまま会戦に挑もうとしている事は大きな不安材料である。
 この北領鎮台の司令長官、守原英康大将は四半世紀前に起きた最後の万を超える兵員を動員した内乱――東州内乱で実戦を経験しており、初の国土防衛戦に緊張こそしていたが数の優位を活かし正面からの殴り合いを企図した危なげのない定石通りの布陣を整えている。
 ――守原司令長官からすれば、改組が間に合わなかった事により司令部の増強を行えなかった事を数の優位によって補うのならばこれしかなかったのかもしれない。
 主戦場から離れたからか、豊久は他人事のようにそう考えていた。
 単発の先込め式燧発銃――要するにマスケット銃が万国共通の武器である〈大協約〉世界、やはりと云うべきか銃兵隊が密集陣形を組む――所謂、戦列歩兵が主流である。
 そこで最前線を歩むのは如何に狙われにくい将校と云えども恐ろしいものである。
「人間万事塞翁が馬、か。怪しげな実験部隊と云うのもこうした時にはありがたいものだな」
 予備部隊として後方に配置された理由はまさにそうした立場が齎した幸運である。
この独立捜索剣虎兵第十一大隊は新兵科を実験的な新たな戦術構想の下に運用する為に二年前に設立された部隊であり、当然ながら此処で戦争することなど想定外中の想定外であった。

 脳裏に残る前世らしき怪しげな記憶すらも警鐘を鳴らしている、そうした記憶を利用して生きてきた身である馬堂豊久大尉は、それを無視できる筈もない。
 さて、困ったものだ、嫌な予感は産まれてからこのかた26年外した事がない――
そう考えて馬堂大尉は溜息をついた。

 馬堂豊久は――前世、〈大協約〉世界ではなく、所謂“地球”で過ごした前世の記憶を持っているのである。座学で優秀な成績を維持できた一因であるが、価値観の擦り合わせに苦悩したりと相応に苦労をしている。
「この会戦の結果は最悪であると想定した方が良いだろうな。」
 ぼそりと独り言ちる、幸い今、彼の言葉を聞いているのは口許に銜えた細巻から立ち上る紫煙だけで士気云々の面倒は気にしないでいられる。
 この予想が外れる事を祈りながら彼は大隊本部へ戻る為に歩き出した。
 少なくとも気を紛らわせる仕事はあるのだから。


同日 午前第九刻 天狼原野 北領鎮台主力より後方一里
独立捜索剣虎兵第十一大隊 第二中隊中隊兵站幕僚 新城直衛中尉 


「勝つとも!まともにやれば数が上回る我が方が絶対有利だ!!」
 第二中隊長がぶつぶつと爪を噛みながらつぶやいている姿を横目に兵站幕僚である新城直衛はうんざりした気持ちで眺めていた。

 ――全くもって将校が兵の前の振る舞うべき態度ではない、兵の不安を煽る行動をするくらいなら黙っていて欲しいものだ。 それに実戦経験豊富な帝国、それも東方辺境軍が多勢相手に若菜の言うまともな戦をするとは到底思えない。確かに、戦いは数と言うのは真理だ、だが三万と対二万二千、この程度なら十分勝ち目はある。そう考えると手慰みに書いていた現在の布陣図に線を加えた。

 ――数は上回っていても経験不足の軍隊を相手どって勝利を得ようとするのなら相手を混乱させれば容易い。現在鎮台主力隊は未だ隊列の変換中、あの戦慣れした軍隊ならば――いや過大評価であると思いたいものだ。

 どの道どうにもならない事を考えている虚しさに気づき、新城は立ち上がると自身の描いた図を見て自嘲の笑みを浮かべた。

 ――線が震えている、手が震えているのだ。 情けない、まったくもって何時も通りだ、馬鹿らしい。

 その時、前方から怒号と地響きそして万にも届く銃声が響きだした。


同日 午前第十刻 天狼原野主戦場より後方一里
独立捜索剣虎兵第十一大隊本部 大隊情報幕僚 馬堂豊久


 馬堂大尉は舌打ちをして望遠鏡を下ろした。
舞い上がる硝煙越しでも最悪の戦況が見て取れる。

「――酷いな、あれではとても無理だ。」

 銃兵達の戦列は一刻保てば奇跡だろう、〈帝国〉軍は軍事の教本通りに隊型を組もうとしている最中の北領鎮台主力部隊に対して猟兵隊を行軍用の縦列のままで強襲したのだ。
 このままでは銃兵隊は戦列を寸断され、射撃効果が激減してしまう。
 ――観戦武官がいたら報告書の内容に悩まないだろうな。
 急造の鎮台司令部、編成すら僅か二週間前の参謀達に実戦経験がほぼ皆無の兵達。
 戦漬けで領土を広げ続けている東方辺境軍百戦錬磨を体現した軍。
 その差が奇麗に映えた結果だ。
 ――特志幼年学校の教科書に載せたい位だ。
 そんな馬鹿げた考えが脳裏に浮かび、現実逃避をしていることに気づいた馬堂大尉は舌打ちをした。
 つまるところ、理論に逃げているだけで自分は何もしていないのだ。
 彼の覗く一里先の世界が震え、馬堂大尉は自分の手が震えている事に気づいた。
「――畜生」


同日 同刻 独立捜索剣虎兵第十一大隊 第二中隊本部
中隊兵站幕僚 新城直衛


 幾重にも連なる砲声が轟き、怒号や悲鳴に満ちみちた戦場に高らかに喇叭の音が響きわたる。

 一里も離れている総予備隊にも敗北をもたらす喊声が届く、第三東方辺境領胸甲騎兵聯隊の勇猛さは名高い。その一糸乱れぬ統制と、彼らの指揮官に対する忠誠はこの大協約世界において並ぶものがいない。
 そうした部隊の投入による影響は疑いを入れる必要もない、戦列が壊乱――否、粉砕された、
 元々猟兵達に優位をとられていた銃兵部隊にその精強さは大陸有数と称されている胸甲騎兵に銃剣一つで迎え撃つだけの戦意は残っていない。
 最前線で帝国騎兵の声を間近に聞いた者たちが泡を食って離脱し始める。
 士気というものは崩れればもろい、一角が抜ければ、恐怖に駆られた他の兵達も逃げ出す。皇国軍は既に連鎖的に狂乱状態へと陥っており、組織的な行動はもはや不可能だった。
「導術! 大隊本部はどこだ!何か指示はないのか!」
 第二中隊長の若菜大尉が喚いている。
 真面目が取り柄な男であるが、ことここに至っては柔軟性の欠如ばかりが目立っている。
 導術兵が若菜の命を受けて意識を集中させている。冬になると導術の使用は体力の消費が激しいために、頻繁に使用できるものではない。

 ――大隊本部は無事だろうが、この戦況で適切な指示を出せるのか?情報幕僚――豊久はこの戦況を把握しているのだろうか?大隊本部が対応してくれなければどうにもならない。
せめて奴が何とか大隊の混乱を治めてくれたら――。
 指揮権のない新城中尉は、狂乱状態の兵が迫る前に指示が来るよう、旧友が居る大隊本部を信じるしかなかった。


同日 第十刻半 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部
大隊情報幕僚 馬堂豊久大尉


 恐慌状態の兵達を〈帝国〉騎兵が蹂躙する様を見て馬堂大尉は、溜息をついて望遠鏡を下ろした。
溜息をつくと逃げた幸せが逃げると言うが、この時ばかりは、狂乱した集団がこちらに向かっている、物理的な意味で。
 ――全く有り難くない、こっち来んな。
 舌打ちをすると馬堂大尉は考える。
 ――この混乱の渦に巻き込まれるのは危険だ。
 混乱は組織を破壊する、この時代の騎兵はその象徴である。
 統制された戦列歩兵は騎兵を容易く屠るが潰走する歩兵を狩るのは騎兵の華である、つまりは統制が破壊されることにはそれほどの意味があるのだ。

 踵を返し、大隊本部へ戻る。混乱した集団は更なる混乱を引き起こす。そして混乱した集団の最中ではどんな人間も判断力が低下する。そして混乱の外にある者達もまともな情報把握が不可能になり、組織全体が麻痺してしまう。
 本来ならば統率する指揮官がその収集をつけるべきであるがそれも不可能だと馬堂大尉は判断していた。
 彼が独断で鎮台司令部に指示を仰ぐべく導術士に連絡を命じた際に、司令部がいち早く戦場から転進している事を確認している。
 寧ろ、司令部が真っ先に逃げ出したせいで主力部隊の混乱に拍車がかかっていく事は自明の理である。
 ――司令部が真っ先に『転進』か、下手したら水軍の船の上から撤退の指揮をとるつもりだろうか?
 脳内で散々、雲の上の将軍たちに悪罵を浴びせながら、馬堂大尉は自身と部隊の生存の為の行動を猛烈な勢いで思考する。
 彼は第十一大隊の情報幕僚である。であるからには状況をののしる時間があるのならば指揮官に対して戦況報告と撤退の進言をしなければならない。
 将校とはそうした生き物であるべきだ。

「――以上が現在の状況です。導術は混乱しています、波が入り乱れているそうです。
私は、今の内に徒歩で伝令を送った方が確実だと考えます。
なお、総予備である近衛第五旅団も既に転進を開始しております。准将閣下の御厚意で現在なら本隊も混乱に巻き込まれずに秩序を持って撤退が可能です。
撤退が僅かでも遅延すれば混乱に巻き込まれてしまいます。ここで潰走した部隊に巻き込まれてはまともな統率は不可能です。
大隊長殿、御決断を!」
 情報幕僚・馬堂大尉の言葉に大隊長である伊藤少佐が苦々しそうに頷く。
 他の幕僚達はざわめいている、軍事大国〈帝国〉が相手といえども、開戦してニ刻もしないで後退が始まるとは誰も思わなかっただろう。
 不安がパニックへと変じない事を祈りながらも、豊久自身も内心では怯えている事を自覚していた。
 伊藤大隊長だけが、不機嫌そうではあっても冷静に振舞っている。
「報告通りなら当分統制は取り戻せないな。
まぁいい、こうなったら時間との勝負だ。ただちに導術連絡を出せ。」
 幕僚達は明確な指揮を受け、安堵すると即座に行動を開始した。馬堂豊久もその中の一人である。
 ――騎兵将校は決断が早いと言う俗説は本当みたいだ、大将閣下と違ってありがたい。あれは義務を放棄しての早さだが。
 幕僚という生き物の性質として、指揮官が判断を下さぬ限り彼らは何もできない。伊藤が御者なら彼らは馬車を引く馬だ。そして彼らはいななきながら配下の兵達を引きずり回すのである。

 軍事組織として創られた組織は長が判断を下せばそれは迅速に実行される。伊藤が手綱を握る馬たちもどうやら駿馬の範疇に入るものであったようだ。
第十一大隊本部は早急に麾下の部隊へ北府への後退を指示し、混乱しきった兵達の津波に巻き込まれず、最大の軍需拠点たる北府まで部隊を掌握しきったまま撤退することに成功した。

 ――だが、彼らの努力が大いに報われる、と云うことはなかった。潰走した〈皇国〉陸軍北領鎮台は態勢を建て直すまでに六日程かかり、北府の陥落を許すことになってしまった。
 この事態を受けて、司令部は北領の防衛は不可能だと判断し、総予備として戦闘に参加せず、被害を受けていない近衛衆兵第五旅団と独立捜索剣虎兵第十一大隊に対して後衛戦闘を命じた。
 

 

第二話 敵は幾千 我らは八百

 
前書き
今回の登場人物
馬堂豊久 独立捜索剣虎兵第十一大隊情報幕僚の砲兵大尉 駒州公爵駒城家重臣 馬堂家の嫡流

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊第二中隊兵站幕僚の剣虎兵中尉
     位階を持たない戦災孤児であるが駒州公爵駒城家育預として公爵家末弟の扱いでもある。

伊藤少佐 独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長、叛徒の家臣団出身で軍主流から外れた中年将校。

若菜大尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊第二中隊 中隊長。
     旧諸将家である男爵家の次男で真面目が取り柄の剣虎兵大尉

戦務幕僚 生真面目な幕僚、堅実で常識的な士官 

 
皇紀五百六十八年 二月九日  午前第八刻
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部 開念寺 本堂


 天狼原野の敗戦から十数日を経て、独立捜索剣虎兵第十一大隊の全隊は路南半島中部にある開念寺を接収し、大隊本部を置いていた。
 北府から混乱しきった中で情報を集め分析しつづけていた大隊情報幕僚、馬堂豊久大尉は、疲れきった視線で集まった士官達を見回し、現状の説明を続けた。
「――北領鎮台の現在の保有戦力は現在、約一万八千名とされています。
現状の保有戦力では北領の維持は不可能であり、鎮台司令部は北領を放棄し内地へと転進を行う事を決断しました」
 帳面をめくり、馬堂大尉は情報幕僚として淡々と言葉をつぐ。
「そして、後衛戦闘には近衛衆兵第五旅団、並びに我々、捜索剣虎兵第十一大隊があてられます。現在、我々に下された命令は真室川の渡河点である真室大橋の保持です。
期間は最低限でも現在、我々の後方にて渡河を行う独立砲兵旅団が渡河を完了するまで――旅団本部より三日間と伝えられています。
よって十ニ日までの三日間、第十一大隊は北府より真室大橋へ通ずる路南街道の側道の防衛を行います――大隊全般情報につきましては以上――何か質問はありますか?」

「き、北領を放棄するのですか!?
残存部隊を糾合し、我々の不退転の覚悟をもって挑めば先の会戦で傷を負った〈帝国〉軍を撃退する事は十分に可能です!」
 第二中隊長、若菜大尉の上擦った声が空しく本堂に響く。

「情報、敵情を」
 伊藤はそれを鼻で笑い、情報幕僚の馬堂大尉に続きを促す。

「はい、大隊長殿――鎮台司令部の導術観測情報によりますと、敵は増援を受けおり総兵力は約四万名とみられております。
 おそらく現在、北領に展開している〈帝国〉軍は完全編成の第21東方辺境領猟兵師団と総司令部直轄部隊です。
 尚、敵の兵站状況につきましては、鎮台の備蓄物資を北府の占領時に奪われておりますので、極めて良好であると断定できます。故に後続部隊が主力と合流した以上は、敵が更なる大規模な戦果拡張を行う事が予想されます」

 もういい、と伊藤が手を振ると馬堂大尉は静かに席に着いた。若菜は体を強ばらせ、黙り込んでいる。
 伊藤少佐が立ち上がった。
「つまり、だ。俺達は撤退時重装備を失い数でも劣る鎮台主力を内地へ逃がす時間を稼がねばならんのだ。
俺達が防衛する真室大橋は真室川で唯一、軍隊が使えるまともな渡河点だ。〈帝国〉軍は雪崩をうって俺達のところへ攻め込んでくる。――そして親王殿下の部隊をそうそう戦わせるわけにはいかん。可能な限り我々の手で敵の動きを鈍らせる必要がある。
それを踏まえたうえで各中隊に大隊長として発令する――戦務幕僚」
 戦務幕僚が立ち上がり、構想の説明を開始した。



同日 午前第八刻前 開念寺門前
第二中隊兵站幕僚 新城直衛


「取り敢えず第二中隊の騎兵砲分隊はこちらの直轄にさせてもらうよ。
そちらの足を鈍らせるつもりはないからな」

 馬堂豊久大尉は火の点いていない細巻を弄びながら第二中隊兵站幕僚の新城中尉に砕けた口調で云った。
 新城直衛中尉は馬堂豊久の主家にあたる五将家の最有力者である駒城家の育預であり、位階は無位であるが駒城家の末弟として扱われるという面倒な立場に置かれていた。
 新城自身の人柄に問題があったこともあり、その面倒な立場は駒城家陪臣を含む将家の若者達からの悪感情を招いている。馬堂豊久はその中の例外であり、二十年近くの親交を結んでいる仲であった。

「えぇ、それは問題ありません。街道の積雪がある以上は、人力牽引の騎兵砲を持ち出すつもりはありませんから」
 新城自身も、二十年近い付き合いがあるこの青年を気が置けない仲だと思っている。何しろ駒城の家に住まうようになってから一番付き合いの長い同年代の人間である。

「そう云ってくれるのはありがたいね、なにしろ我が大隊の中じゃ一番手馴れているのは、大隊長殿かお前さんだからな」
 そう云って唇を歪めた。
「どうにも昨今、俺みたいな馬鹿なボンボン将校が出回ってるからな、どうにかやらかさないよう、上手く宥め賺してなんとかやってくれ」
 新城は苦笑した。
「其方は情報幕僚殿の本領でしょう」
 ――末端とは云え、陸軍軍令機関である軍監本部で情報を扱っていた事もある男だ、命令権なき発言力の扱い方は自分より一枚上手である
 少なくとも新城はそう評価していた。
「そうかな? だが中尉には本領でなくともそれをこなしてもらわなくてはならない」
 大隊長と話し込んでいる若菜大尉へ、視線を向けて云う。
「――焦った指揮官ほど性質が悪いのもないからな」

「僕の権限の及ぶ限りは」
 新城が言葉短く云う。
「うん、頼むよ ここで下手を打ったら迷惑を被るのは大隊だけではないからな」
 二つ年下の大尉も率直に頷き。
「無傷の中隊とまともな報告を持ち帰ってくれる事を祈るよ、新城中尉」
 最後に盛大な無茶ぶりをし、馬堂豊久大尉は大隊長の呼ぶ声に応えて足早に向かっていった。
 ――良い友人だ、本当に。
 こころなしか重くなった騎銃を担ぎ直しながら新城は無意識に唸った。



「情報幕僚からは何かあるか?」
 伊藤少佐は馬堂大尉を呼びつけ、尋ねると馬堂が頷き、若菜に云う。

「改めて第二中隊長に確認するが、真室大橋は真室川唯一の渡河点である。
敵軍も我が軍が真室大橋周辺に防衛線を引いている事は予想している筈だ。
敵もおそらく威力偵察隊を派遣しているだろうが、もし接触しても可能な限り戦闘を避けてもらいたい。
 今回の偵察は威力偵察ではない、彼我の戦力比が此方に不利である事は予想されている。
戦力の消耗を避ける事を念頭に置いて敵情の収集に専念してもらいたい」
 そこまで言うと馬堂大尉は大隊長に視線を送り、伊藤はそれに対して頷くと若菜へと云った。
「そう云うことだ、焦って兵を無駄使いするなよ」
 若菜は――顔を強ばらせて頷いた。



同日 午後第五刻 独立剣虎兵大隊本部 開念寺
大隊情報幕僚 馬堂豊久大尉


 本堂から外に出ると、馬堂豊久は細巻に火を点け、紫煙を吐き出した。

 ――天狼から今日まで第十一大隊は過失を最大限に抑えて行動できた筈だ 、矢張りと言うべきか脱走兵は何人か出たがその馬鹿達を含めてもこの大隊の損害は許容範囲内だ。諸兵科連合の要である砲の損失を一門に抑えて撤退出来たのは幸いだ。僅かでも撤退が遅れていたら混乱に巻き込まれ、火力の半数以上は失われたに違いない。戦闘に巻き込まれずにここまで戦力を保持して後退できただけでも最高だ。

 そう考えているわりには、馬堂大尉の顔色は冴えないものであった、偵察に出ている第二中隊の帰還が遅れているからであった。
 第二中隊から導術で送られた最後の報告では北北西側道上に敵戦力を確認、若菜中隊長自らが将校斥候へ赴き、一刻の間は新城中尉が当面の指揮を代行する、と云うモノである。
 ――この大隊でも一二を争う実戦経験者である新城が指揮権を掌握しているのならば、余程の事が無い限りもう帰還するはずなのだが――余程の事、それが何事なのか考えたくもないが、情報分析も今の俺の仕事だ。

 鬱々とした表情で門前に佇み、送り出した中隊を待ちながら考え込んでいると衛兵が駆け寄ってきた。

「大尉殿!第二中隊より報告です。本堂にお戻り下さい。」
 ――少なくとも導術連絡が出来る状況か
 幕僚としても私人としても馬堂豊久大尉は素直に胸をなで下ろした。



「――以上中隊長ラ四名、中隊主力ノ離脱ヲ援護セント囮トナリ戦死セリ。
現在負傷シタ天龍ヲ発見大協約ニ基ヅキ救援ヲ行イシ為
帰還ハ約二刻後の見込ミ
発、第二中隊兵站幕僚 新城直衛中尉 宛、大隊本部」
 報告が終わった途端に戦務幕僚の怒鳴り声が本堂に響きわたった。
「負傷した天龍と遭遇しただと!? ふざけるな!そのような都合の良い話があるか!
若菜大尉達を見捨てて逃げ出したから遅れたのだろう!」

「……」
 情報幕僚である馬堂大尉は黙したまま考えこんでいた。

 ――仮にも俺の主家にて末弟の地位にある男であるが、俺はその可能性を否定できない。若菜は実戦経験も無く偵察に出る前の会議の発言からもおよそ実戦向きとは思えない家柄だけで昇進した将家による軍閥制の弊害を体現したような人間だと推測できる。
幕僚――新城や下士官の進言を無視して見捨てられた可能性がある、新城の存在が彼を焦らせたか?

 伊藤少佐は青筋を立てている戦務幕僚と陰鬱な顔で物思いに耽っている情報幕僚を横目でみて鼻で笑い、言った
「役立たずのボンボン隊長と兵三名…。奴の事だ。馬鹿な奴等を選んだのだろう。
それで中隊主力が無傷で帰還するのだ。取り敢えずは十分だろう。」

 ――率直な人だ、この手の率直さは、「奴」と似通っている、我が指揮官殿は「奴」が気に食わない様だが同族嫌悪なのだろうか。
 馬堂大尉は苦笑して、先へ向かう為の方策へと思考を切り替えた。

 ――さて、若菜はアレでも一応中隊長だった。
「大隊長殿、戦死した中隊長の後任はどうしますか?」
 ――この大隊の最先任中尉はその「奴」だがそのまま繰り上げか? 少なくとも、若菜が居た頃よりは使える中隊にはなるだろう。

「勿論、新城中尉を充てる中尉の最先任だ。若菜よりは使えるだろう――貴様の考え通りならばな」
とにやりと笑みを浮かべて答えられ、馬堂大尉は思わず頬を撫でた。
 ――いかんな、顔に出ていたか?

 中隊に関する人務も決定すると、本部は本格的な作戦立案へととりかかった。第二中隊から(ようやく)まともな報告が来た為、半ば麻痺していた大隊本部は無為に過ごした時間を取り戻すかのように対応策の構築に取り掛かった。
 馬堂大尉も、戦務幕僚と顔をつき合わせて言葉を交わす。
「連隊、騎兵連隊でしょう、恐らくは主力は増援との合流を優先させている筈です。
 帝族が指揮官なのですから一度会戦で勝利した以上、後は先遣隊を編成して戦果拡張するだけでしょう。主力は前線にでない筈です。大切な姫様の初の外征に泥を塗りたく無いでしょう」

「問題は先遣隊の規模だ、情報幕僚。 どう考える?」
 戦務が馬堂大尉に再び話を振る。
「確実に一個旅団規模――六千以上でしょうね。
――これは推論ですが先の軽騎兵とは別に、胸甲騎兵連隊が控えている可能性は極めて高いです、何しろ連中の自慢の精兵ですから蛮軍の追撃に使わわない筈がありません。
 砲の数はそれ程でもないでしょう。持ってくるのは騎兵砲に平射砲――軽砲が中心でしょうね。
行軍速度を重視するでしょうし、重厚長大な火力線を挑むとなると流石に<帝国>軍も補給線の維持が出来なくなる」
 情報幕僚の分析を聞きながら戦務幕僚は顎を掻いた。
「問題は真室大橋を確保したがるかだな――兵力の輸送に限界があったからこそ増援を待たずに会戦を挑んだ。それを考えると工兵の数は少ないと見るべきか?
〈帝国〉は北国だ、真冬の川で作業する技術は持っているだろうが破壊すれば時間を稼げるか?」

「いえ、増援は既に到着しています、支援部隊の不足はあまり期待しない方が良いでしょう。
ですがそうした工作を嫌がる事には変わりありません。そうなると偵察部隊の規模を考えると騎兵連隊を主力として強襲する可能性も――」
 延々と議論は続き、やがて策は固まる。大隊本部の将校たちはけして無能ではなかった。




「第二中隊が騎兵中隊と交戦して取り逃がしたのであれば、敵の本隊が我方により接近してくる事が確実です。
敵兵力は聯隊から旅団規模と予想します。
戦力差を埋める為には此処より北方約六里の側道にて夜間に伏撃し、
敵の指揮中枢を叩く事で相手を混乱させ――」
 戦務幕僚は決して無能ではない。
淡々と手堅いが自分達が生きて帰れないであろう作戦を立案し、大隊長へとほうこくしている。
彼がどれ程の覚悟で戦術を組んでいったのかを知っている馬堂大尉はこれが最善手に近いものであると理解しているが、それでもひどく嫌な気分であった。
 ――畜生、所詮は大隊、頭数が足りなさ過ぎる。
頬杖をつく様にして目を手で覆う、彼の考え込む時の癖だ。
 ――俺達は最高でも連隊、最悪は旅団以上の大軍勢を相手に今夜、夜襲を掛ける事になる。地の利はあるが兵数の差は三倍以上である、厳しい戦争になるだろう。座学で習ってはいたが帝国軍の皇国では不可能な程の行軍の素早さを嫌でも実感する。

 これまでの撤退時に行きあった村人達の話では、〈帝国〉軍のやり口は凄惨極まりないものであった、暴行、略奪、を当然のように行っている。

 ――気に入らないが行軍の早さを確保するには忌々しい程有効だ。しかも士気を保つ為などと民間人に対する最も下衆な行為を軍が推奨しているらしい。北領でも村人達から弾薬と兵以外のあらゆる意味での資源を略奪し気力を充実させながらこちらに嵐の様に向かって来る。

 彼の頭をある考えがよぎった。それは相手の弱点を突き戦闘を避け、逃げながら時間稼ぎを可能にする戦術だった。
 だが、実行したら衆民からの軍への信頼は崩壊するし兵や将校からも猛反発を受けるのは、火を見るより明らかである、それでも有効なのは間違いない。

 ―― 一応は『大協約』には反しないはずだ、戻ってきたら新城にでも訊くか?
 一瞬よぎった考えを即座に打ち切った。
 ――否、彼の駒城の育預になった事情を考えればこんな事を訊くのは無神経の極みだ。そもそも後ろで砲兵旅団がつかえているんだ。2日は防衛線上で粘らなくてはならない。無理だな。

 手を外し再び視界を戻すと、馬堂豊久は戦務幕僚達の会話に耳を傾けながら自嘲の笑みを浮かべた。
 ――いやはや馬鹿らしい、逃げ切れないからこうして戦闘の算段を立てているのに何故俺は逃げる方法を妄想しているのだ。そも、俺は軍司令官でも軍参謀でもないただの大隊幕僚だ。である以上、生きる為にも軍人たる為にも今は目の前の作戦を詰めなくてはならないと言うのに。


 そう「焦土作戦」など非現実的な妄想だ。今は忘れよう。
 
 

 
後書き
御意見・御感想をお待ちしています。
 

 

第三話 猫達の帰還、伏撃への準備

 
前書き
今回の登場人物
馬堂豊久 独立捜索剣虎兵第十一大隊情報幕僚の砲兵大尉 駒州公爵駒城家重臣 馬堂家の嫡流
      新城の旧友
  
新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊第二中隊中隊長代理の剣虎兵中尉。
     『僕は悪くない』

伊藤少佐 独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長、叛徒の家臣団出身で軍主流から外れた中年将校。

若菜   独立捜索剣虎兵第十一大隊第二中隊 元中隊長。
     享年26歳 

戦務幕僚 生真面目な幕僚、堅実で常識的な士官

兵站幕僚 混乱した兵站状況の再建に勤しんでいる。温和な人物

西田少尉 第二中隊の小隊長、新城の幼年学校時代の後輩

漆原少尉 第二中隊の小隊長 生真面目な若手将校

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官
     道を教えるのとか超好き 

 
皇紀五百六十八年 二月九日 午後第七刻 開念寺
独立捜索剣虎兵第十一大隊 第二中隊 兵站幕僚 新城直衛中尉


 新城直衛中尉が率いる第二中隊は当初の予定より一刻ほど遅れて大隊本部である開念寺に到着した。
 門前で出迎えたのは、衛兵と砲、そして彼らの貴官を見計らって細巻を吸いに外に出ていた大隊情報幕僚であった。
「やぁ新城中隊長、龍神の加護を得られた様で何より。」
 愛想良く出迎えた馬堂豊久大尉は、中肉中背で豪商の若番頭の様な顔つきをしており、普段はまるで軍人らしく見えない。 だが現在は疲労の色が濃く、前線の者らしい険しさを感じさせている。
 ――あの敗退ですべてが混乱しきった中で、事態を把握するべく奮闘し続けているのだから無理もないか。
 新城は観察を済ませると指揮官として口を開いた。
「馬堂大尉殿、僕は兵站幕僚ですが」

「若菜の後任に決まったんだよ。
まぁ大隊長から任命されたからとはいえども、まだ非公式だしな、兵站幕僚の方が良いか?
ま、正式な任命は本部で絞られてからになるだろうさ」
 他の幕僚達は荒れていたぞ、と先導しながら馬堂大尉が飄然と笑う。
後ろでは西田少尉達が小さく笑っている声が聞こえた。

境内に入った辺りで歩みを止めて唐突に尋ねてきた。
「一応訊くがあの報告はどこまで本当だ?」
かつて、人務部首席監察官附副官、情報課防諜室と内規を司る役職を渡り歩いた者だけあり、その言葉は鋭いものであった。
 ――事実上(・・・)は、僕の報告に嘘は無い。
 素早くそう考えると新城は答えた。
「はい、情報幕僚殿。全ての事実は、御報告した通りです。」

「成程、あの報告でも事実ではある訳だ。」
 無感情な半眼で新城を観ながら情報幕僚は言葉を続ける。
「大隊長殿もお待ちかねだ。
ようやく、一応まともな情報が入ったんだ、俺と同じ様な事を聞くだろうさ」
 彼にとって必要な確認を取れたと判断したらしく再び本堂へと歩き始める
「その前に兵達を。」

「それは俺の仕事じゃない、兵站幕僚殿に頼め。
彼は真室大橋まで街道の状況を確認すると言っていた、そろそろ戻ってくるはずだ」
そう言いながら堂々と欠伸をしている。

「部下に命じます。」
 猪口曹長達に向って任せたと頷き、馬堂大尉と共に本堂へと向かった。
「馬堂大尉、新城中尉、入ります。」
 本堂に居る幕僚達は新城に向って冷ややかな視線で迎えた、大隊本部で新城に好意的なのは、今ここには居ない兵站幕僚とさりげなく他人の茶を盗み飲みしながら席に戻っている情報幕僚だけである。

衆民出身の将校であろうと、新城を嫌うものが多いのは、単なる出自の問題ではないことをしめいしている。
 ――今更ながらあいつとは、二十年近い付き合いだ、まぁ少なくとも奴が居ると知れば少しは気の慰めにはなる。

 そう思いながら大隊長室の扉を叩く。
「新城中尉入ります」
おざなりな返事が返る。中に入ると大隊長伊藤少佐は、
屈み込み火鉢に吸っている葉巻の灰を落としながら言った。
「――若菜大尉の事は報告を受けた。
後で受勲を申請するつもりだ、少なくとも感謝状は出るだろう。」
 ――遺族は喜ぶだろう。将家とはそういうものだ。
 そう云いながら少佐は火鉢から顔を上げた、苦労が刻まれている顔だった。
 内乱で彼が主家としていた将家が亡びてからは軍の主流から外された旧将家の生まれであり、四十半ばを向かえているのに既に退役間近の様に見えるほど疲労した姿と黒ずんだ少佐の階級章が彼の今を象徴している。

「――到着が遅れた理由は?」
どこか投げやりさを感じさせる言い方で伊藤が尋ねる。

「はい、先の報告の通りです。大隊長殿」
新城の返答も無感情なものであった。
「馬鹿野郎!天龍と出くわした!?そんな与太信じられるか!
貴様は若菜大尉を見捨てて後退した。だから遅れたのだろう!」
 伊藤は葉巻を火鉢に叩き落としながら怒鳴るがどこがそれも、演技じみている。
「はい、大隊長殿。 そうではありません。全ては報告の通りであります」
  空々しい雰囲気が漂う中で新城は思った。
 ――結論が出ている会話だ。 愚かしい確認作業でしかない。

「まぁいい、損害は役立たずのボンボンと兵三名だけで済んだ、それで十分だ。
貴様は好きになれんがな」

――どうやら正直という美徳は持ち合わせているようだ。 
新城は、このくすんだ男と殆ど話したことがなく、碌に評価をしていなかった事を今更ながらに思い出した。
 伊藤少佐は細巻に火を着けながら再び口を開いた。
「中尉、他に言う事はあるか?」

 ――言っておくべきだろう。少なくとも自分がこの男を再評価する為にも

新城は口を開いた。
「敵の可能行動に意見があります。」
大隊長は無言で眉を上げ促す。
「状況から判断して、今夜中に夜襲を仕掛けねばなりません。放置した場合――――」

大隊長が手を振り新城の言葉を遮る
「もういい、それは俺と幕僚達が考える事だ。」
「……」
何も答えずに新城も察した。
 ――同じ結論がもうでているのか。

「まぁいい、あと二刻で指揮官集合をかける、今後の方針はそこで決定だ。
あぁ、そうだ。既に情報が話しただろうが貴様に第二中隊を任せる。
若菜よりましな所を見せてくれ」

 ――どうやら昔は、有能な将校だったらしい。いや、あいつが悪く言わなかった事も考えれば今もそうか?
 そう考えながら新城中隊長は敬礼をし、退出した。


同日 午後第七刻半
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部 開念寺


 夜襲作戦での馬堂豊久の任務は第一、第二中隊の騎兵砲分隊を再編したものと大隊騎兵砲小隊、観測・戦況把握のための導術分隊・護衛の鋭兵小隊からなる集成中隊の指揮の予定であった。
 機動力の低い騎兵砲を集中し、護衛をつけて運用できる砲兵将校が彼しかいない為であった。

まだ正式に決定してないが馬堂豊久大尉は既にその準備に取り掛かっていた。
「無茶を言わないでくれ」
申請書類を読み終え、開口一番、大隊兵站幕僚が呻いた。
「やはり騎兵砲の補充は無理ですか?」
 同じ大尉でも先任であり立場も経験も上であり、馬堂も丁重な口調で応える。
「そもそも損失した砲が一門なのになんで要求が三門なんだ」
「着弾観測と戦況の把握にまだ元気な導術兵を使うから砲兵が余るのですよ。
敵に突っ込むのは剣虎兵と尖兵の仕事です。
数少ない砲兵を専門外の地に送る意味は無いでしょう、砲兵に白兵戦は無理ですよ。」
 大隊兵站幕僚は溜息をついて嫌な現実を言う。
「まともに要求を出していたら百年たっても届かないぞ。
輜重段列は糧秣と弾薬で満載だ。」
 ――それは残念ながら見ればわかる。
 馬堂大尉も溜息をついて次の当てを口にした。
「真室大橋の方はどうでしたか?
彼処に集積所を一時期おいていた筈だからなんかしらありそうですが」
 兵站幕僚は苦笑を浮かべながら首を横に振った。
「確かにあそこは逃げ出した連中の装備が山のように放棄されていた、多分砲も有るだろうな。
それに街道も除雪済みだ――その代わり憲兵がいるが」
  ――憲兵か、こんな時に面倒な。
 内心舌打ちをしながら馬堂大尉は妥協案を探す。
「憲兵達には遅滞戦闘に参加するといえばどうにかなりますかね?
――大隊長殿に頼むかな」
 猫に慣れていなくても馬のほうがマシだと撤退時に身に染みたのだろう。
「まぁ、協力はするがあまり無茶をするなよ。
こんなとこで将家絡みのゴタゴタを起こされるのは困るからな」
 
「輓馬は居ましたか? そちらなら理由をつければどうにかできそうですが」
「何匹かはぐれた馬が彷徨いているみたいだ。だがこれも急がないと接収されるぞ。
こっちは砲や銃と違って憲兵共には管理できないし、他の部隊も輓馬は必要だから捌けているだろう。
――お前の部隊の編成は正式には指揮官会議の後だろう?」

「頼む相手はいますよ。もう兵站幕僚じゃない筈ですがね。」



「それで僕ですか」
 大隊長室から出てきた新城直衛は露骨に嫌そうな顔を馬堂豊久へと向けた。
向けられた本人は厚い面の皮でそれを跳ね返しながらにこやかに注文を飛ばす。
「まぁ砲の損失が出たのは中尉の部隊だからね。
後任の中隊長である中尉は可及的速やかに砲の補給に取り掛かってもらいたい。」
ここに偉大なる兵站幕僚殿の一筆があるから憲兵との交渉に役立ててくれ。
輓馬にする馬の発見場所もこれに書いてある」
 話が進むにつれて新城の旧時代の魔除けの瓦の如き顔がさらに凶相じみた表情へと変じていく、馬堂はそれを堂々と無視して必要なものを強引に押し付ける。
「それでは第二中隊長、貴官が速やかに補充を成功させることを祈る」

 だが、立ち去ろうとするやいなや肩を掴まれる。口元を引き攣らせた豊久の背後から丁重な口調で聞きなれた声が聞こえた。

「艝についても一筆貰って来て下さい、可及的速やかにお願いします――僕も色々と入用なので」

 ――情報幕僚である馬堂大尉は過去の経験から得た情報からこれに逆らうべきではないと即座に決断したことは言うまでもないことである。


同日 午後第九刻
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部 開念寺本堂


「第二中隊の報告によれば敵の先鋒部隊は増援を受けてわが方に接近中である。だが我々は撤退支援の為に後2日は撤退の許可はおりない。このままでは明日には連隊規模以上の敵と交戦する事になる。」

 幕僚会議の結論を伊藤大隊長が述べると集まった20名近い将校達が呻き声をあげた。新城を睨み付けている将校が居るのを見た馬堂豊久は溜息をついた。
 ――無意味な八つ当たりだ。彼が連れてきた訳でも無かろうに。

 伊藤少佐はその全てを無視して述べた。
「結果は分かり切っている誰も生きて故郷には帰れん。」
 もはや誰も声をあげない、新城を睨みつけていた者も目を伏せる。
「さて、それではこれからの大隊長の構想を述べる。説明は戦務が行う。」
 戦務幕僚が立ち上がり先程の会議で決定した夜襲作戦を解説する。
概要は極めて単純なものである、要点は三つ。
・北方六里の地点に大隊主力を配置し、増援を一気に叩く。
・攻撃開始の合図は赤色燭燐弾、最優先目標は、敵本部。
・戦闘時間は、最大でも一刻、撤退時には青色燭燐弾を打ち上げる。

馬堂大尉は正式に集成中隊の編成と指揮権を預かる事を発令されてからは、無言で考え込んでいた。

 ――さて、夜襲・乱戦は剣虎兵が最も活きる作戦である、同数の敵なら白兵戦にさえ持ち込めば損害は皆無のまま一方的に殲滅出来るだろう。

 ――だが、問題は敵の数だ、〈帝国〉陸軍の連隊の規模は〈皇国〉陸軍の旅団規模(四千名)に近い。上手く乱戦に持ち込めても相手が統制を取り戻したら包囲され、剣牙虎ごと蜂の巣になるのは明らかだ。

 ――そもそも、限界を一刻と想定しているが実際はどうなるのか分からない。
それより早く統制を取り戻される可能性はある。こればかりは相手の指揮官次第だ。

 だが、それでも選択肢がないことも理解していた。
この作戦を行ってもなお、敗北するほどの大軍と正面から殴りあう位なら夜襲で戦う方がまだマシと言う事だ。


 ――その上、実仁親王直卒の近衛旅団も後衛戦闘を行っている。
宮様直卒の部隊を本格的に戦闘させない為にも独立大隊の俺達がここにいるのだ。
政治的にも増援は有り得ない、来るとしても近衛が撤退してからとなり、そして宮様はギリギリまで粘るつもりらしい。
 ――それを踏まえ、現在の逼迫した状況を考えると数少ない多勢相手に打撃を与えうる機会だ、撤退は出来ない。

 結局のところ、主導権は完全に〈帝国〉軍側にあることを理解した馬堂大尉はその現実を受け入れるしかなかった

同日 午後第十一刻 開念寺門前


 馬堂豊久は門前で細巻をふかしながら忙しなく刻時計と街道を見比べていた。
正式に作戦の開始・撤退の合図である燭燐弾を打ち上げる軽臼砲を含めた大隊騎兵砲小隊と第一・第二中隊の騎兵砲分隊からなる二個騎兵砲小隊、護衛の鋭兵小隊で編成された集成中隊の三個小隊に導術分隊で編成される集成中隊の指揮権を与えられ、支援と退路確保が命じられた。
だが着弾観測と戦況の把握に導術を使うが如何せん導術兵の疲労が激しく使えるのはせいぜい三人、それも長時間酷使する事は出来ず、第二中隊も砲はまだ補給していない為、戦力が心許ないままであった。

「せめて後一個大隊、いや一個中隊分の剣虎兵と余力のある導術分隊が居れば
俺達の生存率も跳ね上がるのだがね」

「無い物ねだりでさえ貧乏臭いといのも寂しいものだな」
隣で仏頂面で細巻をふかす新城が云った。

「環境に適応しているのさ、柔軟性は優秀な士官の証明だ」
減らず口を叩きながら豊久は立ち上る紫煙を目で追った。
蒼い空に光帯が薄く光っている、この〈大協約〉世界では幸運の象徴とも言われているその輝きを頼りに仕掛ける今宵の戦を想像した馬堂は、鬱屈した気分を紫煙に乗せて吐き出した。
「猪口曹長達が砲を確保してくれれば、今晩の戦に多少なりとも貢献できるのだがな」

「曹長は憲兵の扱いは心得てます、よほど融通の利かないものが相手でもただでは転ばんでしょう――噂をすれば、来たな」

 第二中隊最先任下士官である猪口曹長達を出迎えた新城は、彼にとって珍しい事に感嘆の声を上げた、猪口曹長達が馬に牽かせた三台の橇の全てが積荷を満載していたのである。
「大漁じゃないか。これなら砲も。」
 馬堂大尉が、期待に目を輝かせているのを見て猪口は申し訳なさそうに云った。
「騎兵砲は駄目でした融通のきかない憲兵が頑張っておりまして。」
 
「おいおい、頼むよ。」
 目に見えて肩を落とした青年将校を面白そうに見ながら猪口は報告を続ける
「その代わり面白いもんを二種程見つけました。」
 そう言って二台の艝から布をはぎ取り箱が満載されている二台から中身を取り出す。
「施条銃じゃないか!」
 本人曰くささやかな夢が破れて、無気力に柱に寄りかかっていた馬堂がそれを見て驚愕し、声をあげた。
「値が張るからって守原大将は専門兵科の鋭兵の分すら満足に買わなかった筈だぞ!
 橇二台だから八十、いや、百丁位か? 一体何処から拾ってきたんだ?」

「そういえば、大尉の家は、蓬羽兵商に投資していましたね。」
彼方此方の商売に投資し、かなり儲けているらしく、数年前に手を出したと噂になっている。
駒州内の財政にもけっこうな利益を出しているので駒城公も容認している。

「蓬羽兵商、皇国最大規模の銃器製造会社の蓬羽ですか?」
様子を見に来た西田少尉が目を丸くして馬堂大尉に尋ねる。

「父が陸軍局勤務だからな。口も出しやすい。」
癒着だ、癒着。と愉しげに毒づいている。
――馬堂家は代々、駒州軍の兵站や財政関係で働く者が多いらしい。
大昔から、駒州の馬の管理を一任されていた程の重臣であり、その家格は駒城の譜代でも益満に次いで高い。
 現在の当主、豊久の祖父である馬堂豊長は憲兵出身であり、警察行政を担う内務省との結びつきが強く退役してからは、彼らが運営する天領への投資を行い莫大な利益と政財界の実力者となった衆民達と結びつきを築いている。
そして豊久の父である馬堂豊守は直衛を孤児にした東州内乱で負傷してからは後方勤務を続け、現在では兵部省陸軍局の要職に任じられている。

漆原少尉が思い出した様に口を開く。
「そう言えば馬堂家の方が駒州公の代理として衆民院にいらっしゃったと父が言っていましたね。」
漆原少尉の父は衆民院の議員だ。
――衆民院でも顔を売っているのか。

「馴じんでいただろ。我が家は後暗いのが大好きな家だからな。」
そう言って口を歪めた。

「大尉殿、騎兵砲ではありませんが持って来られた物はありますよ。」
 その様子を面白そうに見ていた猪口曹長が口をひらいた。
「何だ?一応俺の麾下に入る鋭兵は皆、施条銃を装備しているぞ。」

「もちろん違います。擲射砲です。
捕まえた馬を三匹とも使いましたが、ありゃなかなかのモンですな。
砲弾もここに三十発程。砲もそろそろ追いつく頃ですな」
豊久は、感嘆の声をあげて薄らと見えて来た砲を見ようと歩いていった。

「しかし、豊久――馬堂大尉じゃないが大漁じゃないか。本当にどこで拾った」

「迷子になっていた輜重兵どもがいましてね。それも三台の馬艝付きで。
オマケに後方の砲兵旅団から馬を怪我させてはぐれた馬鹿もくっついておりまして。
それで、まぁ、そいつらに道を教えてやったのですよ。」
 ――どの様に教えたのかは聞くまい。曹長の事だ、荷を軽くする気遣いも忘れなかっただろう。
新城は常の仏頂面で頷いた。

「銃は何丁ある。」
「百丁きっかりです。実包の方は手持ちの物で代用出来ますので砲弾を優先しました。」
「成程。曹長、貴様の判断で中隊に配分しろ。
まず尖兵に優先するように。足が遅くなると嫌がったら僕の命令だ。と伝えろ。」
――僕も一丁貰うとしよう。
そう云って新城は施条銃を担いだ。
中隊長が持つことは規則違反だが銃剣を着剣したら長槍代わりにもなる。
他の銃よりも銃身が長いので白兵戦でも有利なのだ。
白兵戦となると、鋭剣と一発限りの短銃だけでは心許ない為であった。

 西田少尉と漆原少尉も新城に倣い銃を担ぐ。
これで多少なりとも気休めにはなるだろう。

――ひとまずこれで僕に出来る準備は終わった、後は死地へと赴き、殺し、殺されるだけだ。

 

 

第四話 暗闇に響く咆哮

 
前書き
今回の登場人物

馬堂豊久 独立捜索剣虎兵第十一大隊情報幕僚の砲兵大尉
     駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵将校として夜戦の支援を行う集成中隊の指揮を執る 
  
冬野曹長 馬堂豊久の率いる集成中隊第二騎兵砲小隊長。ベテランの砲兵下士官

杉谷少尉 馬堂豊久の率いる集成中隊鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

伊藤少佐 独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長、叛徒の家臣団出身で軍主流から外れた中年将校。
     夜戦の総指揮を執る。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊第二中隊中隊長代理の剣虎兵中尉。
     剣牙虎の千早を伴い夜戦に臨む

西田少尉 第二中隊の小隊長、新城の幼年学校時代の後輩

漆原少尉 第二中隊の小隊長 生真面目な若手将校

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官




※ぶどう弾形式は霰弾・直接小玉を詰め込むのは散弾と書いております。


 

 
皇紀五百六十八年 二月十日
午前二刻半 伏撃予定地点
独立捜索剣虎兵第十一大隊 集成中隊 中隊長 馬堂豊久大尉


「冷えるな…」
伏撃予定地点への布陣は迅速な物であった。
 馬堂豊久大尉の率いる集成中隊も既に本部の前方で配置を終わらせている。
 騎兵砲と鋭兵で第一中隊の突撃を支援を行い、その後は第二中隊の後方へ回り込み、大隊主力の撤退まで退路を確保を行う。
 この戦力不足の作戦ではどの部隊も同じが、この寄せ集め中隊も大隊の生命線を担っている。
――時間との勝負だ、敵が統制を取り戻すまでに制圧しなければ包囲されてしまう。
 馬堂豊久中隊長は既に幾度も行っている現状確認で緊張を紛らわしていた。
 彼は元来、砲兵大尉である。この作戦に置いては砲の運用を一任されているのも異例とはいえでたらめな人事ではない。
 だがすべての方が彼の指揮下に入っているわけではない。大隊が保有している騎兵砲は四門。その全てが彼の指揮下に入っているが、例外的に運良く手に入れたは良いが扱いに困った擲射砲は、退路に近い第二中隊の後方に配置されている。
 だがこれも退路を確保し次第、第二中隊から指揮権を引き継ぐ事になっているが一門だけでは満足に着弾観測もできない夜襲に不向きなので致し方ないだろう。
  そして、後方から戦況を探るために連れてきた導術分隊は艝で休ませている。夜間だけあって凄まじく冷え込み、これで休ませても体温が下がるだけで効果があるのか怪しいものだった。
「この調子だと待っている間に兵が倒れそうだ、導術兵が倒れたら取り返しがつかないぞ」
 忙しなく兵達の様子を見て回っていた馬堂中隊長がうなる。
「中隊長殿。風が吹かないだけマシですよ。砲弾も流されませんからね。」
 騎兵砲第二小隊長の冬野曹長が答える。
 五十路間近であるが経験豊かな下士官であり、天狼からの敗走時に行方不明になった将校の代わりに小隊の面倒を見ている。
「――まあな、だがこのままだとこちらまで弱りかねないぞ」

「なんとまぁ、敵に早く来てほしいと?」 
 にんまりと笑った歴戦の曹長を観て若い大尉も苦笑する
 ――参ったな、これじゃあ俺まで新兵扱いか。
 小規模な反乱程度であるが実戦を経験している事を内心自慢に思っていた豊久であったがこの有様ではなんの意味もなかった。
「むしろ帰ってほしいな。腹下したりして。」
 馬鹿を言って二人で失笑を交わす。
 ようやく豊久は集成中隊長の面を着け直す事ができた。
「フン、臆してはいないようだな。」
 伊藤少佐が歩いてきた、中隊の面々に答礼する仕草は活力に満ちており、どこか上機嫌そうである。
 ――騎兵将校なのだな、この人は。
 馬堂中隊長はこの上司に自分に欠けていると自覚しているものを初めて見出した。
「分かっているだろうが退却の判断は貴様に任せる事になるだろう。
大隊本部は第一中隊に続き前進し、第一・第三中隊の指揮をとる。」
 ――本部要員も駆り出したか。
 示唆はされていたが本当に行動するとはこの大尉は信じきれなかった。
「貴様は退路を確保したら導術で戦況を把握し、一刻以内に退却の機会を見計らって合図の青色燭燐弾を打ち上げろ。 もし、本部が全滅したら最先任大尉の貴様に指揮権が移る、貴様が大隊長だ」
 にやりと笑う姿を観て背筋が冷える――死ぬ覚悟が決まっている人間の顔だった。
「返事はどうした!!」

「はい!大隊長殿、確かに拝命いたしました。」
 無理矢理、祖父の教え通りに不敵な微笑を貼り付けながら豊久は祖父の事を思い出していた。
 ――指揮官は苦しい時ほどふてぶてしく笑え、と教えられた。考えを纏める時に、命令を下す時に、指揮官が怯えていようと無理にでも笑えば部下達はそれを信じて組織として動き続けるそうだ。
 ――今の自分はそれに縋りつくしかない。

「俺の指示で赤色燭燐を打ち上げろ。その後は作戦の範囲内で貴様の判断で動け。」
 ――大任だ。俺に出来るか? だが此処は軍隊だ。俺は軍人だ、それも将家の跡継ぎだ、地位だけでも先に与えられたのならばそれに応えるしかない。
「――はい、大隊長殿。」
 ぎこちなく――だがしっかりと口を歪めた。

 
同日 午前第三刻 伏撃予定地点
独立捜索剣虎兵第十一大隊 集成中隊 中隊長馬堂豊久


 ――来た。
第一中隊の猫達が細波のように動く、彼女達を信仰する剣虎兵達が武器を手に取る音がそれを報せた。
「騎兵砲は前進、側道まで二百間の距離で砲列を整えろ」
 中隊長は掠れた声で命ずる
 輓馬と車輪が無神経に凍てついた枝葉をへし折り静寂を蹂躙しながら旋回して砲列を整える。
 音が響くたびに呼吸が乱れるのが分かる、演習で初めて撃った時の砲声よりもこの遥かに静寂を乱しているだけであるのにひどく恐ろしい。
 「砲列を整えました」
 冬野が報告すると中隊長は即座に命ずる。
 「近接用の散弾を装填、赤色燭燐弾が上がったら即座に撃てるようにしろ」
 装填が完了して小半刻もせずに、狙いである前衛部隊が視界に入った。
 息を潜め、やり過ごしているがあまりにも敵の縦列が長い。
 ――多い、先鋒が大隊規模だとすると、敵の本隊は追撃の騎兵を多めに配置しているとすると六千以上、完全編成の〈帝国〉猟兵旅団に準ずる規模か?
 こんな時でも、いやこんな時だからこそか、馬堂豊久の脳髄は軍事理論による分析に逃避する。

 ――落ち着け、今必要なのは分析ではなく行動だ。 命令を下せ!
「曹長、各小隊に所定の計画の通りに、と伝達。
第一中隊が突撃後速やかに第二中隊の後方に移動、退路確保を支援する。
 ――軽臼砲には、赤色燭燐弾の打ち上げ用意を」
「了解であります。中隊長殿。」
 ――後は大隊長の判断次第だ。


同日 午前第三刻半 伏撃予定地点
第十一大隊 第二中隊 中隊長 新城直衛中尉


 接眼鏡を下ろすと新城直衛は命令を下した。
「中隊膝射姿勢、擲射砲分隊は敵中央に砲撃用意、復唱の必要は無し」
 声が震えないように注意している、自分の銃に装填をする手が震えていた事はもはや当然のものとして受け止めている。
 ――全てがまずい方向にうごいている、敵は最低でも旅団、いかに伏撃野襲でも大隊規模では幾ら何でも役者不足だ。
 そう、前衛をやりすごすという計画は――崩壊した。
 だが撤退は不可能だ。まさか青色燭燐弾を打ち上げるわけにはいかないだろう、撤退しても増援の当てはない以上は正面からの殴り合いしかないからだ。
 ――攻撃しかない。だが、合図がこない、独断で撃つか?
そうすれば大隊主力も呼応せざるをえない、僕が見捨てた若菜の様に――若菜と同じ?
しかし僕は正しい筈だ。
 ――いや、
 ――――だが。
 逡巡という贅沢な時間を打ち切る破裂音が聞こえた。遅れて赤光が敵を照らす。
 ――開戦の合図だ。
「撃てっ!」
 ほんの刹那、闇が閃光に駆逐され、そして再び闇に包まれた瞬間、砲声が轟いた。
豊久の中隊が合わせたのだろう、敵が動揺している。
そして、軽臼砲から燭燐弾が次々と打ち上げられ敵を照らす。
思わず渇いた笑いが出た。
照らし出された自分の中隊の担当は千近く、大隊主力が担当するのは更に多いだろう。
 つまり敵は〈帝国〉陸軍は真室大橋を奪うために旅団規模を割り振ったのだ。
「中隊長殿?」
 猪口が声をかける。
 ――あぁ射撃を途切れさせてはならないな。
新城は笑みを浮かべ、突撃の下ごしらえを命ずる
「総員、撃てぇ!」
 今度は、後方の一里に位置する擲射砲も火を吹く、中央の騎兵集団――将校達の一部を霰弾が挽肉へと変事させた。

「よし剣虎兵、及び尖兵、総員着剣」
 かくして猛獣たちは戦場へと躍り出ていった。


同日 同刻 交戦地域 後方
第十一大隊集成中隊 中隊長 馬堂豊久大尉



 第一・第三中隊が突撃を開始すると集成中隊は事前の計画の通りに退路確保の為に移動を開始した。
包囲だけは何としても避けなくては文字通り全滅してしまう。
「騎兵砲小隊は両隊とも移動開始が可能です。」
 大隊騎兵砲小隊長の報告を聞き、馬堂大尉は鋭剣を引き抜く。
「よし、鋭兵小隊は装填用意、側道を突っ切り第二中隊の代替主力との合流を支援する。
敵の数が予想以上に多い、第二中隊を主力部隊と合流する前に消耗させるわけにはいかない。
こうも数が多いと撃滅は不可能だ、頭を潰して離脱するしかあるまい」
 ――元々時間稼ぎの為の夜襲だが、この状況は控え目に言って泣きたくなる状況から涙もでない状況にまで一気に悪化している。
 
「危険ではありませんか?」
 鋭兵小隊長の杉谷少尉が聞いた。
 貴重な施条銃を与えられている鋭兵の生え抜き将校は、中隊長よりも冷静であった。
「勿論危険はある、だが最短距離は八百間程度、成功の見込みは十分だ。
それに剣虎兵達の強襲で敵は釘付けになっている。
今ならまだ可能だ。当然、騎兵砲は側道の外れを迂回させる。導術分隊も橇に載せて同行させろ。」
 ――どちらも危険に晒す事は出来ない。

「了解であります。中隊長殿は?」

「俺は鋭兵小隊を直卒する。 杉谷少尉も同行してくれ、俺が死んだら後を頼む。」
 自分の口にした言葉で恐怖がこみ上げる。腰に下げた特製の短銃と鋭剣が急に重くなる。
 その全てを無視して命ずる。
「行動――開始だ。」



 ――しかし流石は剣虎兵だな、強力であるし何より派手だ、敵を完全に引き付けている。
 暴れまわる猛獣とそれを巧みに利用して猟兵を刈り取る兵達を観て豊久は素直に感嘆した。
 ――急げば無傷で到着できるかもしれないな。
 成功するか、敗北するか、全ては時間の問題だ。
 だが予想以上に敵を圧倒し、引きつけている剣虎兵は鋭兵達が主戦場をかすめる様に移動する強力な手助けとなった。
「中隊長殿!」
 杉谷少尉が声をあげる。
「何だ?」
「二刻の方向に!」
 言われた方向に目を向けると乱戦から外れ統制を取り戻したらしい小隊が剣虎兵達へ銃口を構えている。距離は・・・五十間位か。
「総員、二刻方向。用意、撃て!」
 施条銃とそれを専門に訓練された鋭兵は射撃のみで敵の半数以上を刈りとった。
 残りは気がついた剣牙虎に薙ぎ倒されていく。
 ――あれは西田少尉と隕鉄か。
視線を交わすと、西田は鋭剣を振りながら、顎でしゃくる。
 その先で暴れる剣牙虎に見覚えがあった――千早だ。
「よし、総員再装填を済ませたら着剣――覚悟はできているな?」
 馬堂大尉も鋭剣を抜き、覚悟を固める。
 ――取り敢えず生きて帰ったら野戦銃兵章は絶対もぎとってやる!
 


同日 午前第四刻前 交戦地域
第二中隊 中隊長 新城直衛中尉


 猪口曹長が駆け寄り、報告を行う。
「ここの敵は片付きましたな。大半が逃げております。」

「損害は?」

「兵が三名程、将校と猫は皆無です。」
 ――上々だ、鋭兵小隊の援護が効いたな。
「撤退しますか?」
 猪口が言うが、それに応える前に声がかかる。
「おいおい、いかんよ。曹長、それを決めるのは俺だ。」
 支援を行っていた馬堂大尉が鋭兵達を引き連れてやってきた。
 彼の片手には鋭剣が握られており、彼自身も返り血を盛大に浴びている。
 
「随分と――気張ったみたいだな」
 そう言って大尉が頬を攣らせた。
 新城の姿は暗がりでなおそうさせるものがあった返り血は兎も角、壊れた銃を棍棒の様に使ったので銃床と顔に色々とこびりついていた。

「新城、俺達は発起線まで後退して退路を確保する。
君達には早急に大隊本部と合流してもらいたい、大隊長殿は前線で指揮をとっておられる。
今は敵の頭を早急に潰す必要がある、退路の維持は我々に任せてくれ」

 ――大隊長も前線に出ているのか、やはりそうした男なのだな。

「なら兵藤少尉麾下の尖兵小隊をお願いします。それに擲射砲も。
僕達は大隊主力の援護を」

「あぁ、頼む。此方も導術で情報を収集し、可能な限り支援を行う」





 本部を狙っていた中隊規模の銃兵を片付け、漸く本部の周辺にたどり着いた。
 ――流石に息が切れる。
 足を止めて後続部隊を待っているとがっしりとした影が新城に声をかけた。
「どうした!もう疲れたか!」
 ――大隊長か?まるで別人の様に溌剌としている。
 供は二人のみ引き連れているからだけではなく、その仕草はまさに騎兵将校の機敏さを感じさせるものだった。

「前衛は潰しました。退路は馬堂大尉の中隊が確保しております。」

そういうと応えるように砲弾がだいたい主力と交戦している敵の後方で炸裂した。
死人こそでないが、予想外の轟音に敵の戦列が乱れる動揺している様だ。
 ――豊久の指揮下にある擲射砲か?

「成程な、奴も気が利くな。 おい、ついでに此方も手伝え。」
 そういって大隊長が示した敵は方陣を組みかけているが、再び敵の後方に擲射砲が着弾し、不運な猟兵が鉄帽ごと頭を押潰された。
一拍おいてから霰弾が炸裂し数人が吹き飛ばされたが統制は崩れない。
 ――流石に導術兵だけでは着弾観測が難しい様である。
 ――導術を疲れさせるのはまずい、ここは僕達でなんとかしなくては。
「願ってもないことです。」

そう言うと頷いて大隊長は駆け去った





 剣虎兵大隊主力による二度の突撃は、敵を突き崩しつつあった。
まばらな擲射砲の支援は攪乱以上の意味をもたなかったが、それでも敵は態勢を整えきることができず、第二中隊も大隊主力も無視できない損害を出しているが、押し勝ちつつある。
 その時帝国軍が大量の白色燭燐弾を打ち上げた。後続部隊が追いついたのだった。
 大隊主力が斉射を浴びて次々となぎ倒され、騎兵中隊が新城達を無視して脇を駆けていく。
 ――砲を排除するつもりか。
 眼前の光景を照らす光に青が混じる――全てが崩壊しつつある中で青色燭燐弾が打ち上がったのだ。
 そして、その光に照らされながら将校が僕の前に飛び出してきた、銃を再び叩きつけ首を叩き折る。
 ――だが、抜けない――抜けない!
口から妙な唸り声がでるが、屍体は新城の施条銃の銃把を銜えこんだままであった。
千早の唸り声が聞こえ、――頭が一気に冷えた。
 ――僕は何をしていたのだ。腰には鋭剣と短銃がぶら下がっているし、千早もいるじゃないか。
  馬鹿げた様を晒し終えると猪口曹長が駆け寄ってきた。
「大隊本部は?」
「全滅です!大隊長殿も戦死なさいました。」

「――成程、指揮権は馬堂大尉に移ったか。
青色燭燐弾も上がった、負傷者を救出し急ぎ撤退する。」
 指示を出しながらも先程の騎兵達が脳裏にこびりつく。
 ――新たな大隊指揮官は無事だろうか? 騎兵と殴り合う程馬鹿ではないはずだが――


同日 午前第二刻 
集成中隊 中隊長 馬堂豊久


「中隊長殿! 集結していた主力が斉射を受けています!!
大隊本部が!本部が!」
導術分隊長が悲鳴の如く声を上げる。
「落ち着け。 順序正しく話してみな。」
 幸いと言うべきか、俺は他人が焦ると自分はかえって落ち着く質だ。
これで少なくとも将校の見栄は保っていられる。

「後方から、大部隊が、追いつきました、――集結した、大隊主力が、攻撃を受け、潰乱しています。
大隊本部は――攻勢の先頭に立っていた様です。」
確かめるように途切れがちに告げられた報せは俺が半ば予想していた通りの内容だった。

 ――あぁそうかやはり、大隊長は、失敗したのか? いや、覚悟していたのだろうな、少佐は。
 首を振って現実に戻る
――否、感傷に浸る贅沢は後だ。撤退の指揮をとらなくては。

同日 午前第二刻 側道開念寺方面
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久

「青色燭燐弾を打ち上げろ。二度打ち上げたら軽臼砲は放棄、分隊は擲射砲分隊と合流し、後退せよ。
導術分隊は今念寺の支援部隊へ連絡、早急に移動の用意を命じ、その後は、残存部隊の位置を探れ。
大隊騎兵砲小隊と集成騎兵砲小隊 鋭兵・尖兵小隊は、撤退を支援。指揮は俺がとる。」

「中隊長殿!中隊規模の騎兵が此方に向かっております!」
 (おそらく)導術兵が叫び声をあげた。
 ――糞、退路を断つか、余程の自信があるのか。
「騎兵砲は、急いで砲撃をしろ! 再装填は近接用の散弾だ!
導術!捉えた方向を指示しろ!」
砲声が轟く騎兵砲ニ門と擲射砲一門による霰弾が敵に降り注ぐ。
 次々と血を流して倒れるか落馬して踏み潰され魂を光帯の向こうへと旅立たせていくが生き残りの騎兵が青色に照らされながら此方に向かって来た。
 ――騎兵の胸元が青い光を反射した。
「――自信があるはずだよ、畜生。」
 無理矢理笑みを貼り付けていようと、その姿を見るだけで声が震えてしまう。
精鋭の象徴である胸甲を着けた敵騎兵は、俺に向かって突撃してきた。
「畜生!頭狙いか!
尖兵はどうにかして側面に!鋭兵は砲を守ってくれ!」
 短銃を抜き、先頭の騎兵を撃つ。
 ――倒れない?畜生ッ遠いか!?
一瞬焦ったが騎兵は一拍おいて胸を押さえ、悶絶しながら落馬した。
震える手で玉薬を火皿に注ぎながら叫ぶ。
「散弾の再装填はまだか?」

「間に合いません! 」 
冬野曹長が吠えるように応えた。射角の調整もこう暗くては手間取ってしまうか。

「我々が!」
 杉谷少尉が素早く鋭兵を展開していた。 そして側面には俊足の尖兵達が施条銃を構えている。

五十発以上の弾丸によって騎兵は全滅した。

 ――銃兵達が上手く動いてくれて助かった。

 俺が気を緩めた、その時だった。 
「大尉!」
 誰が叫んだのかは分らなかったがその意味は直ぐに分かった。
「痛っ・・・」
 俺の左腕に激痛が走ったからだ。
 俺が撃った騎兵だろうか、騎銃を構えている。

「糞ッ・・・」
 ――拳銃の輪胴を回し、敵を狙い、撃つ。
 敵は首を撃ち抜かれ血と骨片を撒き散らした。
 念の為に鋭剣を抜いて屍体を改める、屍体は胸甲騎兵だった。胸甲にヒビがはいっている。
 ――気絶でもしていればいいのに、無駄に仕事熱心な騎士様だ。
 気が抜けた所為か視界が揺らぎ、慌てて止血の用意をする。
「中隊長殿!」
 冬野曹長が駆け寄ってくるのを確認し、負傷の具合を看る。
 二の腕から血が流れている、肉が抉られており、出血も割と激しい
 ――よし、動くな、止血をすれば問題無い。
 まともに当たると骨ごと粉砕される、外れただけまだ運が良い。
「大丈夫だ、生きてるよ、止血を頼む。 
 ――それと導術を呼んでくれ、中隊長と呼ばれるのはもうお仕舞いだ。」
 倒れ込みたいところだったが、倍増した責務がそれを許さなかった。
 ――本当に危なかった、半分趣味とは言え、輪胴(リボルバー)式短銃を、蓬羽に作らせたのは正解だった、連射はまだ無理だが、輪胴を回すだけで撃てるのは一発ごとに装填するよりは遥かに便利だ。
「部隊の撤退状況は?」
 疲労困憊している導術分隊長が答える
「はっ・・・どうやら負傷者を救助していたらしく手間どっていますが、現在此方に向かっています。」
 そう言いながらも少し体を揺らしている――導術兵達も限界だった。
「よくやった、君達も一度開念寺まで後退し、休んでくれ。」
 第一中隊、第三中隊はどうなっている? どの程度統制がとれている?
 疑問を飲み込み、輜重隊の待つ開念寺まで下がらせた。
 ――主力が叩かれた、と言う事は――そういう事なのだろうな、第二中隊の救援が間に合わなかったか。
「杉谷少尉・兵藤少尉は各小隊を使って撤退の支援を。
擲射砲分隊・騎兵砲小隊は撤退しろ。」
 冬野曹長に止血をしてもらいながら指示を飛ばす。
 ――部隊が散りすぎだ、これでは集結に時間がかかりすぎる。
 匪賊討伐では問題にならなかったが、新たな戦訓を脳裏に刻む。
銃兵達が戦列を組み直して前進していくのを唇を歪め、見守るしかない。
 ――退路の確保が可能な内に合流できるか? 新城は――直衛は無事だろうか?


同日 同刻
第二中隊 中隊長 新城直衛

「負傷者達は?」
「五十名程救出に成功しました。孤立していた者達も合流出来ました。」
 猪口が答える。
「但し二十名程戦死者が。」
 やむを得まい。そろそろ限界だな。
「宜しい。直ちに撤退だ。今宵の地獄はここ迄にしよう。」
 将校は殆ど生き残っていない、僕が次席指揮官になるのだろうか?
 ――あぁ、まったくもって迷惑極まりなくとも興味深い状況だ。



「思ったより遅かったな。」
 負傷して顔を少々青ざめながらも新しい大隊長は、銃兵達と共に最後まで残り、将校の見栄を守っていた。
「申し訳ありません。大隊長殿。」
 そう言うと豊久は一瞬寂しげな表情を過らせ、直ぐにふてぶてしい笑みを浮かべた。
「第一・第三中隊も合わせてこの数か――
中尉、撤退するぞ。当分は扱き使わせてもらう。
なにしろ、人手不足だからな。」

 ――後方支援要員は開念寺に残してあるとはいえ、大隊の戦闘可能人数は二百名に届かないだろう。
 前線を支えられる将校も片手で数えきる事が出来るほどしか居ない。
 中々どうして悲惨な状況だ。
「了解であります。大隊長殿。」
 兎にも角にも軍隊故に選択権は無いが、少なくとも最悪から片足を抜いてはいられるようにしなければ。

 

 

第五話 敗将の思惑 敗残兵達への訪問者

 
前書き
今回の登場人物

守原英康 北領鎮台司令長官 護州公爵家の次男であるが病弱な兄に代わって実権を握っている。
     守原家の財源であった北領の奪還を行うべく策動している。

馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵大尉であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長を代行している。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊第二中隊中隊長代理の剣虎兵中尉。
     剣牙虎の千早を伴い夜戦に臨む

笹嶋中佐 水軍の中佐。転進支援本部司令として地上から北領鎮台残存部隊の艦隊への輸送
     等々の指揮を執っている。
     後衛戦闘を行っている第十一大隊を訪問する。 

杉谷少尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

伊藤少佐 独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長、叛徒の家臣団出身で軍主流から外れた中年将校。
     夜戦の総指揮を執り、戦死した。


西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩

兵藤少尉 第二中隊長 闊達できさくな尖兵将校
    (騎銃を装備して剣虎兵と共に前線を動き回る軽歩兵)

漆原少尉 本部幕僚 生真面目な若手将校

米山中尉 輜重将校 本部兵站幕僚

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官

実仁親王 近衛衆兵隊第五旅団の旅団長である陸軍准将 今上皇主の弟である。
     皇族でありながら第十一大隊と共に後衛で粘っており、
     武名を高めながら周囲の胃壁を削っている。 

 
皇紀五百六十八年 二月某日
東海洋艦隊旗艦内 北領鎮台司令部


「速やかに夏季総反攻作戦の作成にかかれ!」
北領鎮台司令長官 守原英康大将は焦っていた。
この北領に於いての大敗は皇国全体にとって以上に守原家の痛手となっていたのである。

 北領鎮台の司令官に守原家の次子にして当主代行である守原英康が任じられていた事から分かるように北領は事実上守原の領土であった。

 そして、北領の利益の独占は守原家の栄華を支えるのに十二分な権益を与えていたのだ。
それこそ太平の世であった四半世紀の間、護州鎮台と北領鎮台の二軍を保有しえる程に。

 だが、それは裏を返せば北領こそが守原家の生命線だと言う事である、北領から得ていた利益を失った事で守原の財政は長期に渡ると内地にて代々の領土である護州に置かれた護州鎮台の維持すらも困難な状況に陥ってしまった。
さらに、北領鎮台の惨敗と財力の大幅な弱体化により守原家の発言力は大幅に弱まってしまう、完敗を喫したばかりの帝国軍を相手に早期に勝利しなければ守原は五将家の座から転落してしまう可能性すらある。
 現在の状況を打開する為には、只一つ北領の早期奪還しか無いのである。
だが、それは五将家、否、皇国の持ちうる政治・軍事力の全てを使い、漸く可能性が見える夢であった。
 詰まる所、守原大将が精力的に反攻の策を作成させている理由は守原の権勢の保持の為であり、其処には表向きに掲げている皇国に対する大義は欠片も無く。
そしてそれが可能かどうかを考慮する事もなかった。

 ――こうして北領鎮台司令部は転進に関しては最早何も興味を示さず、水軍に転進支援本部を造らせた後はひたすらにこの無謀にして壮麗な反攻戦略の立案に全ての努力を集中していた。


二月十三日 午前第五刻 独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部 
大隊首席幕僚 新城直衛中尉

「助かったな」
 独立捜索剣虎兵第十一大隊 首席幕僚である新城直衛中尉は目を覚めて早々に細巻を吹かしながら呟いた。
――義姉が相手の淫夢を見て股間が凍傷になるなんて話は情けなくて笑い話にもならない――早々に目が覚めて助かった。

便所へと歩きながらこれからについて考える。

 ――大隊は真室大橋南方十里の地点に宿営している。
現在生き残った戦闘を行える士官は七人のみ、大隊長の馬堂豊久大尉、首席幕僚(本部には四人しか士官はいないが)の僕、新城直衛中尉、そして鋭兵の杉谷、尖兵の兵藤、剣虎兵の西田、漆原、妹尾。
皆が少尉だ、少尉が中隊を率い、下士官が小隊を率いている状態であり士官不足は致命的だ。 
更に猫は十匹しか生き残っていない、戦闘力を喪失していると言って構わないだろう。
幸いと言えることは、後方支援部隊が無傷で合流できた事、豊久が神経を尖らせていたお陰で導術兵と砲だけが損害を出していない事だ。
だがそれらも消耗が激しく砲は弾切れ寸前(備蓄のなかった擲射砲は完璧に弾切れしている)、導術も疲労が激しく休ませなくてはならない。

 分かりきっている結論が出た。
 ――まともな戦争はやはり不可能だ。豊久も何か考えている様だが、真室大橋を落として稼いだ時間は無限ではない、補給が無いともはや限界だ。
本来ならば、後衛戦闘は不可能、留まるにしても一時的に後退し、補充と再編を行うべきだ。
だが豊久はこの部隊の早期撤退が許可される可能性は薄いと考えている。
 ――何故か?僕達と同じく最後衛にいる近衛旅団が問題である。
そう、実仁准将――皇族を戦死させる事も英雄にするわけにもいかないからだ。
陸軍の中でも衆民の将校が増えている時に皇室直属の近衛総軍、それもよりによって弱兵で有名な近衛衆兵――大半が衆民で構成された部隊――がこの負け戦の殿軍を為し遂げる。
それも親王が直々に指揮をして、だ。その意味は推して知るべし。
もし、失敗しても敗北したのは北領鎮台司令官である守原大将、畏れ多くも親王殿下を敵弾に晒したと非難されるのは当然だ。
どう転んでも守原は弱まり、皇室が強くなる。 守原英康がそれを容認する筈は無い。

 ――だがそれは兵にとっては関係ない話だ、誰が英雄になろうとその指揮下で死んだ者にとっては、ただ誰が死を命じたかの違いにすぎない――下らない、迷惑な話だ。

用を済ませ、本部天幕へ向かおうとすると、彼の直属の上官となった馬堂豊久大尉は天を仰いでいた。

「どうしましたか?大隊長殿」
「ん?新城――中尉か。ほら、あれ、どうも思ってたよりか守原か水軍に気が利く御仁が居るようだ」


同日 午前第五刻半 独立捜索剣虎兵第十一大隊上空
転進支援本部司令 笹嶋定信水軍中佐

〈皇国〉水軍中佐にして転進支援本部司令である笹嶋定信中佐はその時、生命の危機に瀕していた。
――凍えそうだ!むしろ鼻の穴が凍って貼りついている!
慌てて手袋越しに鼻を擦るが、その瞬間に張り付いていた鼻孔から凍てつく空気が体内に侵入し、笹嶋は悲鳴を堪える。
「頼むから早く下ろしてくれ!」
 ――飛龍は最速の乗り物であると聞いたが、もう二度と乗るものか!
 笹嶋定信の固い決意を他所に龍士は刻時計と羅針盤をちらりと見て告げた。
「もうすぐ到着しますよ!中佐!この負け戦の最後衛で踏ん張っている勇者達の所に!」

「こいつから降ろしてくれるなら馬鹿でも勇者でも構わんよ!」
 そう叫んだ直後に笹嶋は慌てて口を閉じた
風が強いので怒鳴りあいになってしまうのでどうしても体内に冷気の侵入を許してしまう。

「見えましたよ!」

目を下ろすと便所の近くで用を足し終わったらしい将校が此方を見つめている将校と話している。
 ――あの二人がそうなのだろう。
あたりをつけた笹嶋が云った。
「あの二人の近くに降ろしてくれ」

龍から降りる笹嶋へ二人の将校が近寄って敬礼した。
「独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長、馬堂豊久大尉であります。」

 ――幾度か身を戦塵に晒した砲術屋だと聞いているがそれでも人好きのする顔つきと声をした青年だった。
振る舞いは兎も角、顔つきは将家には見えない――その中身は如何程なのだろうか。

「独立捜索剣虎兵第十一大隊首席幕僚、新城直衛中尉です。」
 その隣に立つ、剣歯虎を連れた仏頂面の男へと視線を移す。
 ――彼が新城中尉か、駒城家の人間だと聞いているが、とてもそうは見えない。

「私は笹嶋定信中佐、水軍だ。転進支援本部司令を任じられている。」
 答礼をして、笹嶋は最初の要件を告げた。
「おめでとう馬堂少佐、新城大尉、君達の野戦昇進が正式に認可された旨、
本日中にでも連絡があるだろう」
それを聞いた二人の将校は、顔を見合わせ――顔をしかめた。


同日 第五刻半 第十一大隊本部天幕


「おい、あの龍に乗っていたのは水軍の司令殿みたいだぜ。これはひょっとしたら撤退命令じゃないか?」
 尖兵小隊長の兵藤少尉が云った。

「いや、それは無いって、大隊長が言っていただろ?
近衛が退くまでは増援は兎も角 撤退はあり得ないよ。」
 第一中隊長を任じられている西田は、それをあっさりと切り捨てた。
新城中尉の後輩で新城も高く評価している将校であり、剣虎兵少尉の最先任としてまとめ役についていた。

「それに馬堂大隊長殿達を野戦昇進させたのですから、まず無いでしょう。」
第三中隊長の妹尾少尉も口を開いた。生真面目な性質で元々は強襲を専門とする鉄虎中隊の将校であった。

本部付き鋭兵小隊長の杉谷少尉も首を振って言う。
「気持ちは分かるがね、八百人以上いた大隊も四百半ば、将校団は文字通り壊滅。
大隊長達も何か考えているようだが補給と補充がなければ何も出来んな。」


「頼りの砲は弾切れ寸前、猫は十匹しかいない、使える導術兵も疲労困憊の十人きりですからね」
 本部幕僚の漆原少尉が零す。
生き残った戦闘兵科の将校の中では一番の若手であり、生真面目な性格である為に再編の苦労を侘しい陣容となった本部要員と共有した為に、大隊の悲惨な実情を最もよく理解していた。

「鎮台兵站部に物資支援の要請だけは出したのだけどね、
あの水軍司令殿がなんかしら情報を出してくれれば助かるのだが。
もしくは撤退とか、後は撤退とかも魅力的だな」
輜重中隊から引き抜かれた兵站幕僚である米山中尉が疲れた顔で白湯を啜りながら云った。

兵藤がお手上げとばかりに手を上げる
「だから撤退だって撤退!」

 皆が溜め息をついた。
 ――そうだったらどんなに素晴らしいことだろうか。


同日 午前第五刻半 独立捜索剣虎兵第十一大隊宿営地 大隊長天幕
転進支援本部司令 笹嶋定信水軍中佐

 出された黒茶を飲んで人心地ついた笹嶋を諧謔味を滲ませた目で観なながら馬堂少佐が口火を切った。
「それで、わざわざ寒い思いまでしてこの敗残兵の敗残兵達にどのようなご用件で?」

 笹嶋は答える前に細巻を二人に渡す。
新城はそのまま火を着けたが馬堂は大事そうに細巻入れにしまった。
 ――性格の違いが見て取れて面白いな。

「その前に部隊の状態は?戦闘は可能かね?」
それを聞いて新城の仏頂面に視線を飛ばし、馬堂少佐は飄々と肩をすくめて言う
「今のままなら輜重隊相手なら目の色変えて戦えますがね。弾も飯もないとなると補給を受けないと話になりません。 補給を受けた後ならそうですね……。
後衛戦闘――殿軍なら5日程度は誤魔化し誤魔化しで何とか。」

 ――成程、状況によるか。
 陸軍のやり口には詳しくないが、それだからこそ笹嶋は聞かねばならない。
「ならば、攻撃はどうかね? 例えば相手の後方に潜り込み、伏撃するとか。」
 大隊長は目を覆って数秒考えてから首席幕僚へと目をやった。
「どうかな?」
「情報があれば可能です。兵員は半減していますが、猫が十匹います。
白兵戦では一匹で銃兵一個小隊以上の戦力になります。」
 熟練の剣虎兵が発した言葉に頷いて馬堂少佐が言葉を次いだ。
「兎にも角にも補給ですね。
 集積所では物質は余っている様ですが、肝心要の前線への補給が滞っています。
現状で我々は糧秣すら不足しています。戦場から馬の死体を持ってきても融かす為の火が使えません。夜は当然ですが、日中でも煙が目立ちますから。
かと言って、凍ったままでは猫は兎も角、人間には食べられません。
腹を壊しても此処では満足な治療が出来ませんからね。」

兵站が崩壊しているのは聞いている。
情報の混乱の所為で兵站部が輜重部隊を送るに送れない状況らしい。
「猫?」

新城大尉が答える。
「剣牙虎のことです。僕らはそう呼びます。可愛いですよ。」
 ――可愛い・・・ねぇ
半眼で笹嶋は新城の背後に寝そべっている剣牙虎に目を向ける
「まぁ確かに頼もしくは見えるが・・・」
 ――私としては可愛がるには色々と大きすぎる。主に体と牙が
「貴方々の船の様なモノでしょう。」
 新城が薄く笑みを浮かべる。
 ――そういうものか。
 笹嶋はとりあえず納得すると顔を引き締め、命じられた事を告げる。
「君達に頼みがある。」
 新城大尉が笑みを消し、馬堂少佐は飄然とした表情を変えずに僅かに姿勢を正した。
「その前に、宜しいですか?」
 大隊長が軽く掌を挙げながら言う。
「失礼ながら。中佐殿の権限を伺いたいのですが。鎮台を、陸軍をどの程度動かせますか?」
 その声は和やかではあったが感情は一切込められておらず、愛想よく微笑している姿も笹嶋にしてみれば、隣に座る新城の仏頂面と何も変わらないものであった。
 ――やはり聞くか。
「当然の質問だな。私は転進支援司令として転身作業全般を監督する権限を与えられている。」

「指揮ではなく、監督ですか・・・。鎮台司令部がいつでも口を出せる と。」
 少々憐れむ様な口調で馬堂が云った。
「ん、まぁその通りだな。正直どんな権限なのか自体よく解らん。そうした次第で君達にも下手に出ている訳だ。」
 馬堂少佐は考え込む時の癖なのかまた目を覆っている横で新城が面白みを覚えた表情になる。
「で、まぁ頼みたいのだ。」
 一瞬静寂が降りる。
 千早が尻尾で地面を叩いた音が響くと、それが合図であるかのように馬堂少佐が口を開いた。
「……何日稼げと?」
 ――やはり、解っていたのか。
笹島が溜息をつき、云った。
「十日だ、少佐。 鎮台を救い出すのに君達に十日稼いで欲しいのだ――そうすれば何とかなる」
「我々を除いて、ですか」
新城が冷え切った口調で訊ねる。
 ――そんな事を聞かないでくれ。俺も良心が傷まないわけではない。
 笹嶋のなけなしの良心は弱音を吐き出させてしまった。
「美名津港が使えれば――良かったのだが」


「やはり使えないのですか?」
 予想していたのだろうか、新城はそう云って頷いた。

「美名津の人口は二千以上です。
《大協約》は美名津に勝馬に乗る権利を保障していますからね。」
 目を再び外界に晒した馬堂も皮肉気に口を挟む。

 ――そう、美名津はこの世界の共通法である〈大協約〉に記されている市邑保護の対象だ。協力を強要する事は出来ない。故に我々は寒風に兵士たちを晒したままだ。

 笹嶋は首肯するとこの二人の来歴から差し出せる飴を探るべく言葉を紡ぐ。

「そういうことだ、陸にも我々にも恩を売れる状況だ。
まず間違いなく家名は上げられるぞ。君達は五将家の駒城家の関係者だろう?」

「それに、一万二千の兵たちと三百五十程度の大隊では良い取引だ、でしょう?
 ――まぁいいですけどね。それを命ずるのが将校の仕事ですから」
 不貞腐れた様に馬堂少佐が言う。
「我が馬堂家は駒州譜代の家ですよ、家名も基盤も十分です。
まぁ確かに生還しても死んで〈帝国〉軍糧秣の礎になっても二階級特進にはなるかもしれませんね
御家が傾きかけてるならともかく、ね」
 そう云いながら胸を張る年下の大隊長を横目に新城大尉も苦笑しながら答える。
「僕は駒城の育預です。血は繋がっていません。
孤児がお溢れを頂いているだけですよ。姓も「城」の一字を貰っただけです。」
 ――どうも私の言葉は感銘を与えるには至らないようだ。
 笹嶋が天を仰ぎ静寂が再び訪れた。
 大隊長は、首席幕僚へ視線を送ると歴戦の首席幕僚は無言で肩をすくめた。
 そして、大隊長が決断を告げる。
「戦略上必要な事です。やむを得ないでしょう――全滅するつもりは有りませんよ?
補給、補充に関しては可能な限り我儘を聞いて貰います」
 そう云いながら不敵な微笑を浮かべる若き大隊長を観て笹嶋は確信した。
 ――成程、度胸がある。
「助かるよ。そちらは私が便宜を図る。水軍の将校は衆民が大半だ。
将家絡みの余計な面倒は無いよ。全面的に協力する。」
 笹嶋がこう云った事には理由がある。
 衰退しつつある五将家の中で、彼らが属している駒州――駒城と鎮台司令部を牛耳る護州――守原家はそれぞれ異なった方法で現状の維持を行っていた。
 守原は陪臣格や他の五将家の分家、陪臣筋を取り込み、将家としての人脈を拡大させる事で政治的な発言権を拡大させていた。
 一方で駒城は、交通の要所であり、良馬の産地である駒州を握っている為に、天領の行う自由経済の恩恵を甘受しており、天領の衆民達から選出され立法を担う衆民院に対して影響力を強める事で勃興著しい衆民勢力と協調路線をとっていた。
 こうした財政面での恩恵を受けることで緩やかな衰退から衆民との利益の共有を図っていた。
 これにいち早く適応したのが駒州の財政に強い影響力を持っていた馬堂家であり、他家に先じ駒城が衆民院の与党の地盤へ浸透する事ができたのは、稀代の政治家と呼ばれた駒州公・駒城篤胤の右腕となった馬堂豊長の功績であるとも言われている。
 こうした政略の違いと双方共にそれが成功しているからこそ、二家の仲は険悪なものへとなっている。

 もっともそうした面倒から開放されたことは馬堂少佐にとって恩にはしても遠慮する事はしない。
 明日の政治より、今の戦争に生き残ることが遥かに大事である。
「それでは遠慮なく、一個中隊の銃兵――可能なら鋭兵を。
それと騎兵砲部隊を二個小隊、擲射砲部隊を一個小隊。
短銃工兵もニ個小隊、それらの増援を含めて糧秣を十ニ日分
弾薬を十五基数、その他諸々の物資、勿論、馬車でお願いします。」
 そう言いながら馬堂は輜重部隊から将校を引き抜き、作らせた目録を笹島に押し付けた。

「手配しよう。」
 改めて目を通すし、笹島は苦笑した。
 ――遠慮がないな。否、当然か。

「それと、宮様――近衛の旅団はどのような様子ですか?」
 帳面になにやら書き込みながら少佐が尋ねる。
「ああ、実仁准将は中々の御方らしい。
あの弱兵部隊で撤退命令を固辞して後衛を勤めている。
負け戦にこそ皇族が良い所を見せる必要がある、と」
 
「そして皇室尊崇の念を、って魂胆ですかね。」
 ぼそり、新城大尉が呟いた。
「正味な話、尊崇自体は否定しないが、近衛にはこんな所にいるよりも、玉体の護持に専念して貰いたいところですね――そうなったら鎮台も主力保持の為に多少は援軍を送ってくれる筈だ」
 馬堂はそう云いながら肩を竦める。
 ――遠慮がないな。少佐も咎める様子もない、譜代と育預、か。 それだけでは無いな。
 観察しながらも笹嶋は軽く戯けて見せた。
「おいおい不敬だぜ。その言い草は。」
 三人共、軽く笑い空気が緩むとそれを見計らったかのように大隊長が書状を取り出した。
「まぁ取り敢えずは親王殿下――尊崇すべき御方の弟君に身罷られては困ります。
申し訳ありませんが中佐殿、これを実仁准将閣下に御願いします。」
 そう云って、笹島に手渡しながら馬堂は思い出したかのように尋ねる。
「海の様子はどうですか?」
「うん? そうだな、荒れている。この季節ならそういうものだ。
輸送にも支障がでかねないが波に強い救命艇も動員している。」
 その答えを聞いた少佐は一瞬瞑目し、表情を消した。
「――それでは最後にもう1つだけ宜しいでしょうか」

 
 

 
後書き
〈皇国〉軍の現在  
上層部は(自分達が)お先真っ暗で狂乱状態
中間管理職は上の無茶ぶりと現場からの突き上げにフルボッコ状態
現場は上からの無茶ぶりと何故か現場に居るVIPの保護の為に満身創痍胃潰瘍状態 

 ……えがおのたえないしょくばですね!!

 御意見・御感想をお待ちしています。 

 

第六話 栄誉ある死か 恥辱の生か

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵少佐であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として正式に野戦昇進する。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊首席幕僚。大尉へ野戦昇進する。
     

笹嶋中佐 水軍の中佐。転進支援本部司令として地上から北領鎮台残存部隊の艦隊への輸送
     等々の指揮を執っている。
     後衛戦闘を行っている第十一大隊を訪問し、支援を約束する。 

杉谷少尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩

兵藤少尉 第二中隊長 闊達できさくな尖兵将校
    (騎銃を装備して剣虎兵と共に前線を動き回る軽歩兵)

漆原少尉 本部幕僚 生真面目な若手将校

米山中尉 輜重将校 本部兵站幕僚

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官

実仁親王 近衛衆兵隊第五旅団の旅団長である陸軍准将 今上皇主の弟である。
     第十一大隊と共に後衛で粘っており、状況をややこしくしている。 

 
皇紀五六八年 二月 十三日 午前第九刻 独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長天幕
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐 


 結局――笹嶋中佐への頼み事は二つに増えた。
 首席幕僚である新城が捕虜取引の時の便宜を進言し、笹嶋が了承したのであった。
 笹嶋中佐はもう一つの後衛戦闘を行っている部隊――実仁准将殿下率いる近衛衆兵第五旅団の本部へと立ち去った。
笹嶋に託した要請書に書き込んだ補給品、補充人員の目録を斜め読みしながら馬堂豊久が云った
「お前さんも抜け目無いな。もっと遠慮するかと思った。」
「何、十中八九死ぬと思われているんだ。捕虜になった時位は報われてもいいだろう。」
 新城直衛大尉も二人きりなので砕けた口調になっている。
「それに貴様だって補給やら増援やらで随分と欲張ったじゃないか。
貴様の面の皮の厚さは知っていたが彼処までやるか。」

「ハッ!どうせ港で冷凍保存しているだけなら此方の宴で振舞えって事だ。
どうせ砲は船に載せられずに壊すのだろうし、俺達が有効活用しないと工廠の職員達も悲しむだろうさ。」
 パチン! と指を鳴らしながら馬堂少佐が言った。
「全く、たちの悪い客だな。これで代金を払えなかったら地獄まで追って殺されるぞ」
 新城も云い、ニヤリと笑った。

「その顔で言われると真実味がますな」
 馬堂豊久少佐はそういって新城直衛大尉の軽口を鼻で笑う
「まあ代金分を稼いでも死ぬつもりはさらさら無いさ。
算段はある程度つけてある、俺だって馬鹿じゃない」

「そう言われると不安になるな」
 新城は細巻に火を点けながら笑う。

「言ってろ、内地に戻ったら若殿に言いつけてやる。
俺は死ぬときは床の上か餅を食っている時と決めているんだ」
などと軽口を軽口で返しながら豊久も細巻に火を点けた。
 ――うん、上物だ。
補給が途絶してからは節煙していた分、豊久の気を落ち着かせるには十分な旨さだった。

「餅は苦しいらしいぞ」

「じゃあやめだ。風呂場でぽっくり、にしよう」

「――贅沢だな」
 新城も旨そうに細巻をくわえた。
「それにしても馬堂少佐に新城大尉、か。随分と守原も気前がいいものだ」

「多分、将家の者と衆民の差別化を図ったのだろうな。まぁそれも・・・」
 そこまで言って口篭った。
 ――駒城への貸しも兼ねてだろうな、死ねば嫌われ者の此奴も英霊だ。
この男の係累は血の繋がっていない駒城家だけ、後腐れもない以上、守原も褒め称えるだけなら言葉を惜しまないだろう。
 我が鎮台の忠良なる云々――などとあの逃走大将ほざいている姿が目に浮かぶようだ。
「ああ、どうせ死ぬからと。」
 新城があっさりと飯屋で注文するみたいに言うと豊久はがくり、と肩を落とし、苦笑する。
「分かっててもいうな、縁起が悪い。
お前にいざ、死して護国の鬼とならんなんて殊勝な気持ちが欠片もないだろうに。」
「貴様にだけは言われたくないがその通りだな。」
「生憎ですが、俺はこれでも将家だからね。題目通りの献身はしますよ、死ない程度に。」
 ――俺の言った通りじゃないか。そう首席幕僚は云って細巻をふかすと笑みを浮かべた。
「随分と上物だな。」
「南塊産の高級品だ。流石は水軍の選良士官だな――此処に、餞別に貰った細巻入れがもう一つ」
 そう言って豊久は上機嫌に細巻入れを見せた。
笹嶋は転進が成功したら統帥部戦務課に栄転するらしい、馬堂家を継ぐ身である豊久としてもここで水軍中枢を担う身になりうる人物を戦友として得られる事は実に喜ばしい事であった。――上機嫌なのは単純に嗜好品の補給ができたことだけではない、ない筈である、多分。

「半分くれ。で、本当に小隊を真室の穀倉を潰す為に送るつもりか?
水軍の船も回して貰うのだから二度手間になると思うが」

「海が荒れていると中佐が言っていたからね。
砲撃する前に沈まれたら困る。俺の計画ごと文字通り水泡に帰するのは非常に困る。
せめて陸路からも行動しないと保険が利かない博打を打ちたくないからな。
運以外の全ての要素、いや運すらも塗り潰さないとこの作戦は成立しない――おい取りすぎだぞ」
 三分の一も残ってない細巻入れを見て肩を落としている上官を無視して新城は言葉を継ぐ。
「確かに、
だが、向かった小隊は、ほぼ確実に戦死か捕虜になるぞ。人選はどうする?」
 何時の間にか火を着けた高級細巻をふかす新城を睨みつけながら自身の鉄杯に黒茶を注ぎ、大隊長が云う。
「そうでもないさ、海が落ち着いたら水軍に回収してもらうよ。
もし、その前に発見されても役目を果たしたのなら降伏を許可するつもりだ。
――人選はどうしたものかね?お前は駄目だ、前線の戦闘は可能な限りお前に指揮をとって貰いたい、剣虎兵の運用は独特だからな。そうだ、漆原はどうだ?」

「あいつは駄目だ。真面目過ぎる、この手の事は、理解はしても納得しない」

「まさか途中で逃げるとは思はないが――」

「降伏する前に戦死を選ぶかもしれない」
 首席幕僚の冷厳な言葉を聞き、大隊長は黒茶に口をつけながら渋面をつくる。
「じゃあ妹尾も駄目だな。あれも生真面目が過ぎる。
――杉谷は施条銃の専門家だから手放したくない、剣虎兵の支援に熟練している鋭兵は貴重だからな。
西田はお前が居ない時の剣虎兵の纏めに必要だし――兵藤はどうだ?」

「それが最適だろうな、当面は補給が届き、貴様が命令を下せば動ける状態になるまで待つことだ」

「急ぎ指揮官集合をかけよう。増援と補給の第一便が届いたらすぐに動けるようにしたい」
頷き、新城が席を立つのを見送ると馬堂豊久大隊長は重いため息をついた。
 ――皆、荒れるだろうなぁ。だがやらないと俺が指揮する限りは全滅だ。


同日 午前第十一刻 独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部天幕 
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐

「さて、解っていると思うが撤退は許可されない。
我々に与えられた命令は十日間の遅滞行動だ。
幸い増援と補給は来る、だがそれでも以前より弱体なのは避けられない。
諸君、正面から戦ったらどうなるかな?」
 ――別働隊も使うのだ。皆に構想を深く理解させる必要がある。
 内心鬱々としていても馬堂少佐は表面上は快活に構想の説明を行っていた。
 漆原少尉が答える。
「まともに戦闘をしたら恐らく二刻ももちません。」
 ここまでは計数ができれば誰でも分かる事である。
完全編成の〈帝国〉陸軍一個師団相手に消耗しきった大隊が会戦するなどありえない。
「そう、砲兵の増援が届き次第敵の渡河の妨害を行うがそれでも無理だ。二日も稼げれば万々歳だろう。」
息継ぎついでに黒茶に口をつけると新城が言葉を引き取った。
「しかし、諦める事は出来ない。
ならどうするか、詰まる所我らは根性を悪くして戦うしかない。」
 独特の偕謔味を込めてそういうと皆それぞれの反応を返した。
 西田は不安げな笑みを浮かべ、漆原は失笑し 妹尾は鼻白んだ様な顔で杉谷は瞑目して首を振り、兵藤は予想していた様ななんとも言えない表情、米山を始めとする兵站将校達は現実に負けた者達独特の苦みを湛えている。

「そう、我等が根性悪の首席幕僚殿が言う通り邪道の戦術を使うしかない。
極めて例外的な戦術の為、今回はそれを諸君に講義するとしよう。
――兵藤少尉!帝国軍の我等には不可能とも言える行軍能力の背景は何か?」
 大隊長の問いに兵藤少尉が背筋を伸ばして答える。
「はっ!帝国軍の行軍能力の背景にはその身の軽さにあります!
兵站集積所、輜重段列に重きを置かず敵地において各隊が自活する事で
その行軍能力を持たせる大きな要因となっております。
北領においても北府の糧秣庫を押さえられた為に帝国軍はその行軍能力を発揮しております!」

「八十点だな。細く補足すると自活を推奨する為に敵地での『愉しみ』――強姦・略奪を推奨する事もその要因の一つだ。
連中、我が軍の主力が潰走している今は馬肉をぶら下げられた猫の様に悦び勇んで戦果拡大の為に行軍している。」
 言葉を切って見回すと、新城以外は皆、不愉快さ、そして怒りに顔を歪めている。
 ――義憤はそれなり、か。もうひと押しで正当化の理屈をつけられるか?
 馬堂は口を動かしながらも部下達を分析していた。
「ならどうするか、話だけなら簡単だ。
そう、馬鹿な猫には目の前の馬肉(おたのしみ)を無くせば良い。
補給が無いなら自活の場を壊せば良い。」

漆原が反応する。何を言うのか予想出来たのだろう。
「この先に糧秣庫は――友軍の集結地までありませんが・・・」

「漆原少尉、話を聞いていたのか?
糧秣庫には金目の物も女もめったに見つからないぞ?
連中が戦争を楽しむ最大の場所は町だ、村だ。
この北領では衆民から奪い、衆民を犯し、帝国の地としているのだ。
我々はそれを破壊する事で鎮台の兵達を救わなければならないのだ」
 漆原は認めたくない事を認めて座り込んだ。
  ――無理も無い。
  内心では豊久とて良い気持ちはしない方策であるしそれ自体〈皇国〉軍民のほぼ総員が禁忌と捉えるであろう方策であった。
これは〈皇国〉と〈帝国〉の戦争観の違いは〈皇国〉を統一する為に五将家が敵対勢力を切り崩す為に村落、都市の自治権を認める事で地盤を強化させり方策を伝統的に行っていた事が理由であり、五将家の軍から伝統を引き継いだ〈皇国〉軍が村落からの徴発に頼らず兵站を重視する理由であった。
「おそらく、今の〈帝国〉軍占領地は――東州のようになっているだろう。
村民に対してはそう云って〈大協約〉の保護が効く都市まで退避させる」
 一瞬言い淀んだ大隊長は首席幕僚を気遣わしげにちらりと見た。
――四半世紀の太平の世でなおこの伝統が生き残った理由は〈皇国〉の最後の大規模な内乱である東州内乱が村落徴発を一種のトラウマにまで高めていた事も大きい。
東州内乱、林業・工業が盛んであった東州を治めていた目賀田が人口の増大と食料自給率の上昇によって独立の為に反乱を起こし、五将家から袋叩きにされ敗北した。
だが問題はその後であった、壊乱した東州公の軍は徴発という名の略奪・暴行を行い豊かであった東州は荒地と廃墟が残るばかりとなってしまった。その荒廃がどれ程酷いものであったかは、東州を恩賞として得た安東家が財政赤字から脱却するまでに十五年以上かかった事からも伺えるだろう。
 ――そして、村民に行われた蛮行の生き証人であり、大殿様――駒州公駒城篤胤様に拾われた新城直衛が――俺の隣に首席幕僚として座っている。
  
「大隊長殿・・・まさか・・・」
 何を命じられるのか気づいたのだろう、杉谷が掠れた声を絞り出す。
「そう、我々は帝国の略奪を防ぐ為に村を破壊し、衆民を美名津へと避難させる。
美名津への輸送は実仁准将閣下の近衛旅団に任せる。
村民を近衛の元へと誘導し、我々は村を破壊する。
ああ、その後に井戸に毒も入れなくては、この時期ならば効果的だからな。」
「しかし、村を破壊したら軍への信頼が失われます!」
 妹尾少尉も怒りを浮かべながら反対する。
「――首席幕僚。」
頷き、猪口曹長が差し出した軍服を指す。
  ――嫌な役目だけ押し付けている気がする、俺も所詮はその程度の人間か。
「夜襲地点の付近から帝国兵の軍服を二十人分調達した。
これを着て夜間に村を襲う。当然住民は殺さない。」
 新城が説明を続ける。
「翌朝、皇国軍が村を訪れる。帝国軍の接近を警告し近衛に引き渡す。
後は彼らが村人達を護送して近衛に預け。我々は村を焼き、後退する」
 漆原が顔を歪めて質問する。
「我らが転進した後に美名津も攻撃されるのでは?
それに受け入れを拒否したらどうなるのです?」
 ――おいおいこれは基本だぞ。
余裕がないからか、馬堂少佐は珍しく部下の前で苛立たしげに教える。
「美名津は〈大協約〉における市邑保護条項の適用される“軍事設備のない人口二千人以上の集落”という条件を満たしている。
 ――そして、受け入れ交渉は実仁親王殿下が直々に要請なさる可能性が高い。
それでも受け入れを拒否するのならば――避難民の恨みを買うことになる、その先まで近衛も我々も責任を取る必要はないだろう?」
 沈黙の帷がおりた中で淡々と大隊長は構想を告げていく。
「まず真室の穀倉を焼き払う、その為に一個小隊を派遣する。
穀倉の破壊が完了した後は、水軍より救出と破壊の確認のために船が送られる事になる
それまでに発見されたら降伏しても構わない。
――勿論、その前に何としても穀倉に火を着けてもらう、これは義務だ。
この場にいる者達、そして北美名津で凍えている鎮台主力を見殺しにする事は許さない、この命令は絶対に厳守してもらう。」
 皆を見回しながら言葉を続ける。
「増援が到着したら部隊を遅滞戦闘隊と避難誘導、及び焦土化を行う隊に分ける。
避難誘導隊は輜重の馬車等を徴発し、村民の輸送に利用する。
その後、南下して苗川の渡河点、小苗橋にて布陣をし、野戦築城に取り掛かる。
以上が大隊長の構想だ。」
 一息ついて黒茶を飲む馬堂少佐の代わりに新城が口を開く。
「誰か質問はあるか?」
 西田少尉が手を挙げ、訊ねる。
「近衛達には教えるのですか?」
「まさか、機密は知る者が少なければ少ない程、漏れないものだ。それに宮様に泥をかぶせる真似はできない。
近衛には誠心誠意、民草を暴虐な帝国軍から人々を逃がして貰う。」
 将家間の勢力争い、その激戦区である軍監本部に籍を置いていた馬堂豊久はことそうした類の事柄に関してはこの大隊の中では誰よりも鼻が効く男であった。
「汚い・・・」
 漆原が言葉を絞り出した。
「汚い!そこまでして戦わねばならないのですか!」
 
  ――青いな。正義感と正義を混同している。
正義なんていつだって強者の後付で決まるものだ、弱者だって生きたいのだ,正義を定めたいのだ、それの何が悪い。
 生死をかけた闘いの中で、兵を率いる将校が生き延びる手段にこだわってどうなるというのだ、背を見せずに死んだ後で正義の英雄となるのは味方が生存したからだと、なぜ分らない。 死者は黙して語らず、死に損ないの老兵のみがすべてを語り継ぐ権利を得られるのだ。

「当然だ。此処で黙って戦死しても誰も得しない。
鎮台は壊滅し、村民は穀物を奪われ、女は犯される。
内地を守るものは一万人以上がここで骸になり、そしてそれで内地では更に人が死ぬ。
それなら村民を早期に逃し敵に利される前に村を破壊する方が効率的だ。
村人達にはいずれ来る被害を軽減させるのだと考えろ。
この時この瞬間、我らは今後の国防戦略の要所を担っている。
どうだ、少尉。たかが尉官・佐官である我らにとっては何とも名誉な事ではないか!」
 ――我ながらよくもまぁ、口が回るものだ。
自嘲の笑みを浮かべながら芝居がかった仕種で両手を広げた。
「そんな・・・効率的・・・なんて・・・」
理解はしているが納得出来ないのだろう漆原は途切れ途切れに言葉を紡ぎ、崩れ落ちるように座り込んだ。

「覚えておけ。何もしなかったら村民達がどうなるか。
村は破壊される結果は何も変わらない、だが村民を多少は助ける事は出来る。
我々が正面から戦い戦死する事は下らない自己満足だ。
ならば我々は虚像となるために無意味な誉れある死よりも実をとって恥辱に塗れて生きるしかない」
言い終わると大隊長も椅子に沈み込むようす腰掛けた。
「質問はないな。」
 旧友の限界の兆候をそれに見て取ったのか新城が皆を睥睨する。
「ならば解散だ。一刻後に真室に派遣する者を通達する。」


同日 午前第十三刻 独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長天幕
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊首席幕僚 新城直衛大尉


部隊の様子を見て回った首席幕僚が大隊長の天幕に入ると大隊長の発する陰鬱な空気が彼を迎えた。
 ――これでも、身内に甘い男だ、先の漆原の件が響いたか。
打算的な癖に この男が決めた境界を超えると途端にお人好しになる。
そうした意味では将家らしい価値観を持っているのかもしれない。
 ――こうなるだろうとは思っていたがどうしたものか。
  どう声をかけようか、と思案していると大隊長の方が先に声を発した。
「・・・新城大尉。君はどうだ。納得出来たのか、この作戦に。」 
――軍人として問うのか。いや、部下としてか。
予防線を張りながら問いかける旧友を、弱っているな、と診断しながら慎重に言葉を紡ぐ。
「僕が考えついた中では最善の策です。もちろんこの状況の中で、です。」
「そうか、重いな、隊長というのは。」
そう呟くと瞑目する。
「指揮官とはそうしたものだ。貴様とてわかっているだろうに好き好んで軍人になったのだろう、務めを果たせ」

「そうだな、俺の仕事は軍人として時間を稼ぎながら可能な限り皇国民を保護する事
そして大隊長として部下を殺させず内地に帰らせる事、だ。
 経文を唱える僧のような口調で呟く。
「そう、割り切る事だ。後は昇進してから考えろ」
 新城が頷くと豊久も苦笑して云う。
「――そうだな、悪いな。愚痴を聞かせて」

「いいさ、貴様に少なくとも良心があると分かっただけでも価値があるさ」
 ――ひどいな。
そういって明るく笑う、少なくとも回復したふり位はできるようになっているようであった。
「皆の様子は?」
兵藤を呼ぶ前に聞かせておくか。

「兵藤と杉谷は、ある程度割り切れている。
西田も大丈夫そうだ。理解して割り切ろうと考えている。
妹尾も迷いはあるが少なくとも衆民への有効性を理解している。
問題は漆原だ。あいつは感情的になっている。部隊の統率にも影響が出かねる程に」

「――そんなに酷いのか。」

「ああ、なまじっかお前を信頼していた分、裏切られた気持ちらしい。」
 ――上を見上げて真っ先に目に入ったのが大隊長なのだろう、動揺して視野が狭くなっている。

「裏切られた・・・ね。」
一瞬、痛切な表情が顔をよぎらせるが、馬堂少佐は即座にすぐにふてぶてしい笑みを貼り付けた。
「まぁいい、確かに作戦の責任者は俺だ。嫌われるのも覚悟の上だ。」

「やはり遅滞戦闘部隊の方に回すか?」
「そうしてくれ。顔を会わせる前に納得出来なくとも折り合い位はつけてもらわないと」
苦みの強い苦笑を浮かべながら言う。

「納得が出来なくても、命令が下れば実行する。
実行しないのなら処断される。それが軍隊だ。」
 ――漆原があのままなら処断も必要だ。
 そう露骨に示唆する首席幕僚に大隊長が向き直る。
「そして、その手の反発も考慮して令を下すのが指揮官の務めだ」
「だがいつまでもそうした贅沢は許されはしない」
 首席幕僚は冷厳に進言する。
「だが幸い今は正面からの殴り合いまでは時間があるだろう?
当分は真室川の渡河を妨害するだけだ。
その際に難民を見つけたら引き合わせてやってくれ
あぁ、できれば暴行された女性を連れた一行が良いな、あの手の青年には分かり易い」
 
「――今度は腑抜けかねないぞ」

「荒療治なのは百も承知だ、だが反抗的になるよりはマシだろうよ――兵藤をよんできてくれ」
かくして大隊は行動を再開した。
 

 

第七話 Phoney War

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵少佐であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として正式に野戦昇進する。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊首席幕僚。大尉へ野戦昇進する。
     

笹嶋中佐 水軍の中佐。転進支援本部司令として地上から北領鎮台残存部隊の艦隊への輸送
     等々の指揮を執っている。
     後衛戦闘を行っている第十一大隊を訪問し、支援を約束する。 

杉谷少尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩

兵藤少尉 第二中隊長 闊達できさくな尖兵将校
    (騎銃を装備して剣虎兵と共に前線を動き回る軽歩兵)

漆原少尉 本部幕僚 生真面目な若手将校

米山中尉 輜重将校 大隊本部兵站幕僚

猪口曹長 第二中隊再先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官

冬野曹長 第十一大隊の砲兵隊を指揮するベテラン下士官

実仁親王 近衛衆兵隊第五旅団の旅団長である陸軍准将 今上皇主の弟である。

田村孝則 近衛衆兵第五旅団工兵中隊 中隊長 

 
皇紀五百六十八年 二月十五日 午前九刻 真室大橋より後方二里
遅滞戦闘支隊 支隊長 新城直衛大尉


 遅滞戦闘隊の指揮をあずけられた新城直衛は闊達に行動を行っていた。
増援を含めた主力の殆どを預けて大隊長は美名津への村民の避難に必要な転進支援本部や近衛との調整を行いながら後退を行っている。
 ―今朝、兵藤少尉も尖兵小隊を率いて真室へと出発した。

「新城大尉殿」
「何か」
「砲撃の用意が整いました。後は着弾調整のみです」
 報告を行う冬野曹長は五十路前後の砲兵下士官であり、それは即ち、砲に関して全てを知り抜いた男であることを意味している。
 新城は技術的な問題は全て彼に任せている。
「開始してくれ。」
 帝国側も流石に焼き落とされた橋の修復には手間取っていたようであった。
何せ、この真冬の北領で川に胸まで漬かって作業する事は不可能だ。
 弾着観測の為に派遣した者達からの連絡によると、彼らは川底に杭を打ち込み、筏を繋ぐ事で浮き橋を作っている。
「考えたものです、あれなら遅くても三日で完成するでしょうな」
 増援として送られてきた工兵中尉が云った。
 笹嶋中佐は篤実に尽力を行なってくれた、増援は騎兵砲三個小隊に鋭兵二個中隊、そして短銃工兵二個小隊、それらの給食分隊に輜重小隊と予定より多く送られ、大隊も頭数だけなら八百近くなった。
「だからこそ、僕達がこうしているわけだ」
 有効射程内ぎりぎりだが接収した砲も含め、十八門もの騎兵砲、そして十分有効射程内の三門の擲射砲が製作中の浮橋を、そして作業中の工兵を狙っている。
調整の為に数発一番砲車が数発放った後効力射を始めた。
射程外だが六門の平射砲も接収している。中々の光景だ。

まあ正直、剣虎兵大隊と言うより鋭兵大隊に近くなった気もするし、長射程の重砲まで有しているのは大隊長殿の好みなのだろう――砲兵少佐なのだ、本来は。

急造の部隊だが、偵察の為に渡河した猟兵三個中隊を排除に成功し砲を展開する事が出来る程度には統率をとれている。
 ――もっとも当分はまともに戦うつもりはない、大隊長殿からは苗川までは作業の妨害と偵察部隊を潰す事に徹底する様に命じられている。
 新城は歪んだ笑みを浮かべた。
 ――さて、戦わない戦争といこうじゃないか。


二月十六日 午前六刻 北領真室大橋より二十里後方・苗木村


 北領に点在する中の小規模な農村の一つである苗木村は深い恐怖と怒りに包まれていた。

「どうか、どうか、お助け下され、帝国の輩が、
村へ鉄砲を、倉へ押し入ろうとして、止めようとした若い衆が」

村長である苗木井助は、村を訪問した皇国軍の隊長である将校に
歓迎の言葉もそぞろに嘆願した。

「その方々は――怪我を?それとも・・・」
 そう気遣わしげに言葉を濁した将校は左腕に包帯を巻いた若い少佐であった。

「はっ・・・はい、あの、銃で殴られたらしく。
倉に気絶して倒れておりました。傍に忌々しいこの毛皮帽が」
 そういって村長は震える手で帝国軍の毛皮帽を差し出した。
「やはり――ここまで来ているか。<帝国>軍め」
 少佐は穏和そうな顔を歪め、怒りを滲ませながら話した。
「この狼藉の借りは必ず兆倍で返します。しかし今は貴方達自身の事を考えなくては。
我々は可能な限り皆さんを守る義務があります」

「どういう事でございますか?」
 おそるおそる村長が尋ねる。
「お気づきでしょうが、我々は内地へと撤退を開始しています。
我々は貴方達を近衛兵達に護衛させ、美名津へと送り届けます。
そうすれば我々が内地への転進を完了させるまで、〈大協約〉が皆を守ります。」

「情けない事を儂の若い頃は、先代の北領公様の手勢に加わっていた頃は・・・」
 老人が枯れ木の様な腕を震わせ、過去を眺め、詰問する。
「四万の軍勢と相対したと?今は昔話を拝聴する時間はありません。」
 若い少佐は僅かな苛立ちを込めて言葉を遮った。
「――失礼しました。申し訳ありませんが、時間に余裕があるとは言えません。
この冬場に五十里も歩くのは辛いでしょう、軍の馬車を四台貸してさしあげます。
街道沿いの全ての村にも伝えていただきたい。さぁ、急いで準備を」
 ――でないと女は犯され男は奴隷、村は略奪しつくされますよ。
そう感情の無い声と表情で告げられ村人達は慌てて逃げる準備を始めた。 



 ――瞬く間に村は無人となった。
「皆、よくやってくれた。これでこの街道の人々も美名津へと移動するだろう。」
 大隊長は将校達を褒めるが、大半の将校達は不機嫌そうにしている。
 ――演技とはいえ村人を殴ったのだから健全な反応だろうな。
豊久自身は溜息をこらえるにとどめた、彼が直率するのは杉谷少尉を含む鋭兵中隊に後方支援用の工兵二個小隊に療兵分隊と輜重・給食隊のみである。
 他は新城の遅滞戦闘隊に回し、事実上は主力を大隊長ではなく次席指揮官の新城大尉が率いている。
本来ならばあまりよろしくない行動であるが、こうした工作を行うのならば高位の将校が説得する方が信頼されやすい事。それに何より村を焼く際に馬堂少佐が立ち会うべきであると考えていた故であった。
「――さて、そろそろ火を着ける用意をしようか。」 


同日 午前九刻半 真室大橋より後方二里
遅滞戦闘支隊 支隊長 新城直衛大尉


 新城直衛はこと物事を取り止める事に関しては将校としての教育を受けた人間の中では異常な程に果断であった。
「頃合だ。後退するぞ。」
 ――これ以上の長居は危険だ。敵も警戒して砲を用意させるだろう、砲で釣瓶打ちされたら文字通り全滅してしまう。
 そう判断した新城は迅速に後退の指示を出し、観測班が帰還するまでに、ほぼ後退の用意を完了させていた

「この二日で敵兵を200名程死傷させました。
そして浮橋自体も破壊に成功しました。
ですが筏を固定させる杭は無傷ですので作業自体には・・・」
 僅かに口篭った観測班長に新城は応える。
「いや、元々擾乱の為の砲撃だ。橋を破壊する事は余り期待してなかったからね。
それに対岸で指揮を出していた将校も退避する前に十数人程叩けた。それで十分だ。」
 ――これで少なくとも一日分は時間を稼げただろう。
新城が後どれ程時間を稼げるかを勘案していると漆原が声を掛けてきた。

「・・・これから大隊長が破壊させた村を通るのですか」
 北府からの難民を保護させてから腑抜けた様になっている。
「ああ、そうだ。それがどうした。それより今は戦争だ、君も自身の部隊の事を考えろ」
 一瞬漆原は背筋を伸ばし、何かを諦めた様に虚ろな姿勢に戻った。


二月十七日 午後第一刻 小苗橋
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久


「――よし、御苦労だった。しばらく休んでいてくれ」
米山中尉が書き留めた報告に目を通しながら馬堂少佐は導術士へ言った。
「しばらくは定時報告だけだ、今のうちに彼らを休ませないといかんな――米山?」

「導術の連中は全員、移動時は橇に載せています。
部隊間の導術使用は最低限に抑えておりますので当面はこれで」
兵站幕僚は如才無く応えた。
 ――後退している新城からも帝国軍の行動の鈍りが報告され、遅滞戦闘部隊も明日には合流出来る。――今の所、状況はこちらの目論見通りに推移しているか?
  否、と豊久は否定材料を打ち出す。
 ――水軍から送られる真室の状況報告は最短でも二十日以降になる、これまでの行動はこの情報が届いてから出なければ意味がない。

 この一ヶ月で慣れたシクシクと泣く胃を抑えながら橋を渡ると、目立つ軍服が見えた。

「あれは、近衛の軍装か?」
「えぇ、そうですね。天幕を張ってますな。それに随分と馬と資材があります。何故こんな所に?」
此方に気づいていたらしく指示を出していた一人が此方に歩いてくる。

「近衛衆兵第五旅団、旅団工兵中隊、中隊長田村孝則大尉であります。」
そういって敬礼をした。

「独立捜索剣虎兵第十一大隊、大隊長馬堂豊久少佐です。」
と馬堂少佐も答礼をする。そうすると大尉が書簡を渡してくれた。

「実仁親王殿下から少佐殿に宛てられた御返書です。
少佐殿の行動に殿下は敬意を感じておられるご様子でして。
大隊長殿のご要望はもちろん、我々にも志願を募り、築城作業を補助せよ、と。」

「第五旅団は何時頃、乗船しますか?」

「はい、順調なら二十二日には乗れるだろうと」
 そうなると豊久は、片道二日と見積もり――この部隊も二十日には帰さないとならない。
――衆民出身だから工兵としては期待できるし、今のうちに扱き使うか。
倉廩も矢弾も満ちていない男は、遠慮を一時的に忘却し、立っているし親でもない兵達を使い潰す事を決意した。
「殿下のご厚意と貴官たちの勇気に感謝します」
 近衛――実仁准将は、少なくとも兵を可能な限り戦火に晒さない形で報いてくれたのだ。
「はい、少佐殿。自分達には過分なお言葉です」
 親王殿下が慕われているのか、仮にも志願兵であるが故の矜持か彼らは熱心に動いてくれている。
「それでは大まかな指示は私が出しますが、基本的には本職である貴官にお任せします。
それと、本隊の工兵二個小隊は貴官の指揮下に預けます。
村に残されていた馬鋤等の農具も持ってきたので必要ならそれも使って下さい。
十九日、最長でも二十日までに完成させて下さい」



同日 午後第四刻 小苗橋南岸 独立捜索剣虎兵第十一大隊 本部天幕
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐


打ち合わせも一段落し、実仁准将の御返書を拝見する。
難民の受け入れ交渉の成功と最後まで粘る俺達への感謝と頼まれた補給の融通と更に志願した工兵を協力させるが可能なら内地へと帰らせて欲しい旨が書かれていた。
 紙は最高級であり流麗な文字で書かれて親王に相応しい官位・官職を記されている。
だが、本文はその達筆には似付かわしくない程に実務的――軍人的な文だった。

 ――成程ね。軍人振りが板に着く程に軍人としての意識が高い御方か、流石は皇国随一の弱兵部隊を率いて後衛を成功させた御方だ、軍人としても策略家としても一流だ。


今の状況とて実仁准将の目論見通りである。
実仁“准将”としては一刻も早く撤退したいだろうが実仁“親王”としてはこの守原の大敗を機に成果を挙げ、近衛の、ひいては皇室の発言権を強化したいだろう、何しろ現在の五将家の寡頭政治制に対抗する衆民勢力が台頭し、五将家の一角である守原が盛大な失敗を犯したのだ。
 そして自分は親王であり、皇族が戦場に立っている、この立場を利用しない筈がない。
 当然ながら守原大将は、同じ予備であった実験大隊を共に後衛戦闘に配置し、敵をそちらに誘引させるだろう、皇族を戦死させたら嬉々として他の四将家が潰しにかかってくる。
そして戦闘を避けながらも後衛戦闘を成し遂げれば近衛の名を大いに上げられる、その為にこの危険な綱渡りを続けていたのだ。
――で、その皺寄せをくらったのが俺たちだ。
 未だ情報幕僚だった時から彼自身が危惧していた事である。

なればこそ今回の美名津への衆民の避難の護衛と受け入れ交渉は成果を挙げ、
撤退も出来る絶好の機会を提案された事は大いに歓迎すべき事なのだろう。
 ――まぁ、だからこそここまで大盤振る舞いしてくれたのだろうな。
「まぁ、いい」
唇を歪め皮肉気に呟いた。
 ――さてさて、この奇妙な戦争もあと数日で終幕、後はここで戦うのみか。
 俺達が負けないうちに収拾がつけば良いのだが。
 

 

第八話 川は深く・対岸は遠く

 
前書き
坪田典文 水軍中佐 東海洋艦隊巡洋艦大瀬艦長 真室の穀倉を砲撃すべく出撃する。

馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵少佐であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として正式に野戦昇進する。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊首席幕僚。大尉へ野戦昇進する。

杉谷少尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩

兵藤少尉 第二中隊長 闊達できさくな尖兵将校
    (騎銃を装備して剣虎兵と共に前線を動き回る軽歩兵)

漆原少尉 本部幕僚 生真面目な若手将校

米山中尉 輜重将校 本部兵站幕僚

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官

金森二等兵 本部付の少年導術兵。 

 
皇紀五百六十八年 二月十七日 午後四刻 御崎岬沖 〈皇国〉水軍巡洋艦大瀬
大瀬 艦長 坪田典文〈皇国〉水軍中佐


坪田典文水軍中佐は慌てて手摺にしがみつきながら舌打ちをした。
――酷い大時化だ。夕刻に成ってから更に酷くなっている、だが俺達は前進しなければならない、敵地となった真室に、穀倉を焼いて潜伏している部隊がいるのだ。
 ――俺は、否、水軍は彼らを助けなければならない。
 その時信号士官が坪田の肩を強く叩いた。

「――――――――!―――!」

 何かを見つけたのか一点を指して何かを言っているがこの嵐の中では坪田の耳には届かなかった。
 それでも目を凝らすと暗灰色の空をふらふらと動く何かが見えた。
 ――あれは・・・竜か?水軍の飛竜だろうか?
 暴風に翻弄されているのだろう、それこそ鉄砲水に浮かぶ木っ端の様に動いている。
「誘導灯を出せ!風に流されている!
あれでは振り落とされてもおかしくない!」
 坪田は慌てて信号士官の耳許で叫ぶ、こうでもしなければ聞こえない。
 竜も一か八かと着艦しようとしたが波に揺られ竜士は竜ごと壁に叩きつけられた。
「ッ・・・」
 竜士は呻いて起き上がろうとするが立ち上がれない。
慌てて水夫達が這い寄り、用意させた命綱で彼を繋ぐ。竜も何とか同様にする。
揺れが酷かったが彼を何とか艦橋の中、海図室に運び込んだ。

「おい!大丈夫か!」

「・・・脚が痛みますが・・・大丈夫です、艦長」 
船医の診断では重度の捻挫らしい。これでは竜に乗るのは不可能だろう。

「おい!何故この様な所にいたのだ?」
「はい笹嶋司令の厳命で・・・真室の状況を・・・風に流されて・・・」
 ――これでは竜で戻るのは不可能だ。

「真室の状況――?おい、どうなっている!」
返答次第では――戻らなくてはならないかもしれない。
 坪田は荒らしの中にいた時のような勢いで竜士に詰め寄った。


二月十九日 午後四刻 小苗橋 
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部 大隊長 馬堂豊久


 第十一大隊は新城大尉率いる遅滞戦闘部隊と無事合流し、補給と再編成と並行して近衛の助力を得ることで築城作業を完成させつつあった。
 近衛工兵中隊を中心とした作業陣は可能な限り迅速に作業を続けており、明日の早朝、近衛達の出発までには交戦が可能な状態になるだろう。
 そして工兵達を除いた指揮官達は、明日にでも始まるかもしれない戦いの為、本部に集合させられていた。
「さて、大尉。敵の位置は?」
「はい。敵の先鋒は十八日早朝に真室の渡河を開始し、
午後三刻の時点で現在位置より十五里程の距離におります。」
 合流した新城が応える。
「成程、どちらも許容範囲内だな。寧ろ上々か。
さて、現在の状況だが、上苗橋は既に爆砕した。
そして、近衛工兵中隊の協力の下、築城作業を行っている。
此方は今日中に、遅くとも明日の午前中には完成するだろう。
そして敵は二十日の昼以降に到着する為、我々は多少の時間の余裕を得られた事になる。
そこから三日間の時か「大隊長殿!転進支援本部より伝令です!」
 当番導術兵の金森二等兵が行き成り身を起こして言った。
何事か、と視線が集まる中で二等兵は目を閉じ伝令を始める

「発・転進支援隊本部 宛・独立捜索剣虎兵第十一大隊本部
真室ノ穀倉ヲ焼却ノ成功ヲ確認スルモ
小隊救助ニ派遣セシ巡洋艦〈大瀬〉ハ負傷シタ竜士ヲ救助シ帰還シタ為、真室残留兵ノ救助ニ失敗ス。
尚、転進作業モ天候不良ノ為ニ1日ノ遅延ヲ必要トスル。
貴隊ノ武運ヲ祈ル」

「――喜ばしい知らせだ。
真室の穀倉は敵の手に落ちる前に焼かれている。
兵藤少尉達の無事は祈るしか無いがこれで迂回され、直接 鎮台主力を叩かれる恐れは無くなった。
我々は四日分の時間を稼げば良い、敵は疲労し兵站も崩壊している事が確実となった。
けして不可能ではない」
 妹尾少尉が懸念を表し言う
「ですが、距離のある北美名津は無理でも我々の後背を突く事は可能です。
大隊規模以下の騎兵でも挟撃にあったら危険です」

 ――よしよし、妹尾少尉も意見を言う程度には割り切っているな。
 豊久は内心安堵しながらこれに応える。
「有り得る。だがその場合は砲で牽すれば向こうの兵站が続かなくなる。
輜重部隊までと化させるのは骨だからな。
念の為に迂回経路として予想される側道にも壕を作った。
そこに予備を投入し砲と連携すればしのぎ切れるだろう。
幸い真室大橋にて我が軍の置土産である平射砲を六門接収し、我が大隊が保有する砲は27門、砲兵大隊並だ。
補給も転進支援本部及び実仁准将閣下の御厚意で滞りなく行き届いている」
 ――問題は導術兵達だ。
表面上は笑みを浮かべながら豊久はちらりと導術士達を見る。八人いるが、疲労の色は濃い。
 この二日間は可能な限り優先して休ませているがこれからの四日間、彼らを酷使しなければならない為、将校達の最大に不安材料となっていた。

「案ずるな。我々の戦術的な有利は多い。
第一に敵の兵站の破壊の成功。
第二に現在の状況で望みうる限り最厚の築陣の完成。
第三に導術――君達による情報伝達で戦力を隠蔽したまま連携を取れる事だ」

 休みながらも本部に詰めている導術兵達は大隊長に覚悟を決めた目で肯く事で応えた。
 将校たちも幾らかは可能性を見出し、顔色が良くなっており、士気は堅調であった――漆原以外は。虚ろな目をして腑抜けている彼を見ると新城大尉の懸念通りの結果になってしまったようであった。

「質問は無いな。――よしでは解散だ。各員配置に戻れ」 

将校達が退室すると一変して弛緩した青年少佐は脱力しきった声をあげた。
「――とんだ茶番だな」

「今更だろう」
不意に背後から声がした。
「・・・脅かすな。ド阿呆
何だ?何時だったか根性悪呼ばわりした事でも根に持ってるのか?」
 馬堂少佐が視線を向けた先には新城大尉が居た。
「いや、千早も居るのに気がつかない貴様が重症だと思うが」
 新城大尉の言葉に馬堂は苦い笑みを浮かべた。
「皆を配置につけた筈だがね」

「自分は此処が配置です。大隊長殿」
恭しく敬礼する新城に豊久は乾いた笑い声をあげて肩をすくめて見せた。
「・・・忘れていたよ」
 新城は別行動以来、二日ぶりの本部配置だった。
隊員や砲の配置に築城作業、馬防柵の設置に補給の配分とやるべきことは山のようにあった。

「あー、それで、何か説明に穴があったか?」

「いえ、今の時点では十分です。
それより、漆原少尉はどうするおつもりですか?」
 真剣な目で見つめる新城に馬堂少佐も大隊長の口調で応じる。
「・・・・・・お前の警告通りになったな。
あの様子では使い物にならない。予備に置くつもりだ」

「はい、それならば、
早い内に予備を一度投入した方が宜しいかと」
 新城の言に豊久は眉をひそめた。
「何故だ?予備隊は最後の盾、守勢に徹するのなら慎重に運用しなくてはならん。
消耗を抑制しなければ時間は稼げないぞ?」
 ――何故か消耗抑制という言葉から妙に不吉な香りがしたが無視する。

「敵の動きを混乱させます。此方の兵力を過小評価するか、過大評価するか。
どちらでも損はありません」

「帝国側が過大評価するなら慎重になり行動が鈍る。
過小評価するなら攻め急ぐ敵を火線集中地点に引きずり込み結果は同じと?」
 この防御陣地の築城に際して練った工夫の一つである、壕や砲に角度をつけある程度侵入したら一掃させる事が可能だ。

「だが、賭けになるぞ?
最悪、過大評価されたとしても、仮に敵の騎兵大隊に回り込まれたら防ぎきれるか自信はない」
 先ほどは自信満々に弁舌をふるっていたが、実際はさほどの自信はない。相応の理はあるが、結局は初撃をしのげるかどうかですべてが決まる。

「だからこそ、です。
戦力を過大評価するなら迂回の準備に時間を掛けます。
真室の穀倉を破壊した今なら回り込む時間を考えても十分に採算がとれます」

 ――成程ね。過小評価されても損害を増やせば以下同様、と
 かつては軍中枢に身を置いた秀才らしく素早く構想を読み取った。 
「迂回の準備はどれ程かかると予想する?」
 経験豊富な元兵站幕僚の計算ならば信用出来るだろうと問う。

「もし大隊規模なら三日以上はかかるでしょう。
何しろ向こうの兵站を崩壊させています。
それに予備隊の投入は漆原の為でもあります。それになにより――」
 ――戦場で迷いを抱くものは血に酔わせるか戦死させてやるべきです。
 そう言って新城は――笑った。
 ――厭な笑顔だ。こいつの、この顔は、嫌いだ。



二月二十日 午前十三刻 独立捜索剣虎兵第十一大隊防御陣地 丘陵頂点付近
独立捜索剣虎兵第十一大隊 首席幕僚 新城直衛大尉 


 晴れわたった平野には閲兵されるかの様に整然と大軍が向かって来る。
 近衛工兵達も今朝、北美名津へと発つ際に誰もが彼らに内地の者に宛てた手紙を渡していた。
 ――あの大軍が相手だ。何人生きて帰れるのやら。
「おうおう、ゾロゾロと、戦いは数だよ。兄貴ってヤツか?」
 声をあげた大隊長は冷や汗を流しながらも無理矢理、唇を捻じ曲げている。
 ――随分と指揮官らしくなったものだ。

「圧倒的ですな。敵軍は。一度でいいからあんな立派な軍隊を率いてみたいものです」
――我が軍だろじゃないのな。と大隊長が毒づく。

「敵は八千はいますな。糧秣は不足しておらんのでしょうか」
猪口曹長が思わず疑問の声をあげる。

「「不足しているとも、勿論」」
偶然か、豊久と同時に声をあげてしまった。

気まずそうに手をひらひらと振りながら豊久が言葉を続ける。
「まぁ・・・後方は凄まじい事になっているだろうねぇ」

「追撃戦の通例通り、此処で消耗したら後がないでしょう」
 ――後方の鎮台に真っ当な評価(過大評価だが)をしているから無理をしたのだろう。
 ――ならば此処で消耗させる。

「それで、どうなさるのですか?」
 猪口が確認の言葉を出す

「勿論、此処で粘るさ。此処は防御戦には理想的な土地だ。
正面から馬鹿正直に戦争するなら二刻も保たないが。
此処ならば上手く戦れば何とかなるさ」
 馬堂少佐が答える。

「橋はどうします?いつでも爆破出来るようにしておりますが。」

「――そうだな。これ以上近寄られる前に爆破するか。」
 工兵が作業していた場所へ目を向けようとする。

「いえ、まだです。向こうが渡らせる最中まで待ちましょう。」
 ――まだ早いぞ、豊久。

「危険じゃないか?」
「ですがあまり早く吹き飛ばすと他の手を考えられて面倒になります。」
 馬堂少佐が目蓋を揉みながら考え込む。
「だがな、それ程露骨な罠にかかるか?
敵だって馬鹿ではない、此方が時間稼ぎに徹している事だって理解している筈だ。
ならば確実に行える内に爆破させた方が安全だろう」
 反論は豊久らしい無用な賭けを避ける物だった。
 ――少なくとも理性的ではある事に少し安堵した。
「勿論、だが向こうも余裕が無いのです。
優先的な補給は受けていても物資・糧秣の枯渇はこれから更に酷くなります。
物資は奥津・・・北端の港に届いているでしょうが此処に届く迄には相当時間が掛かるでしょう」

「此処で持久戦になればそれまでに戦闘不可能になると」

「その通りです。だからこそ敵は此方が失敗する可能性に賭けて罠だと理解している橋を渡らせるでしょう」

「成程ね。 橋のあるなしでは大違いだ、目の前で橋が落ちれば士気も下がる。部隊を巻き込めば尚更だ、この陣地で凌げるな。
――不発だったら砲兵に手間取らせる事になりそうだが」
 そう云いながらも逡巡し、新城の提案に頷いた。

 ――豊久は指揮官としては有能だが堅実さを重んじ過ぎる所がある。
 ――優位に立ってから叩き潰す その定石に忠実なのだ。
あくまで程度の問題だ。経験が解決するだろう。

「我々も本部に戻るか。
この苗川、見掛け以上に深く、此岸は遠いぞ・・・」
大隊長は悪辣な笑みを浮かべながら身を翻した。


皇紀五百六十八年二月二十日 午後一刻
シュヴェーリン,ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール少将は
指揮下の先遣隊約8400名に苗川渡河を命じた。

 

 

第九話 苗川攻防戦 其の一

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵少佐であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として正式に野戦昇進する。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊首席幕僚。大尉へ野戦昇進する。

杉谷少尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩

兵藤少尉 第二中隊長 闊達できさくな尖兵将校
    (騎銃を装備して剣虎兵と共に前線を動き回る軽歩兵)

漆原少尉 本部幕僚 生真面目な若手将校

米山中尉 輜重将校 本部兵站幕僚

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官

金森二等兵 本部付の少年導術兵

ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール・シュヴェーリン少将
東方辺境領鎮定軍先遣隊司令官 本来は鎮定軍主力の第21東方辺境領猟兵師団の師団長

アルター・ハンス中佐 先遣隊司令部 参謀長


ユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナ
<帝国>東方辺境領姫にして東方辺境鎮定軍総司令官の陸軍元帥
26歳と年若い美姫であるが天狼会戦で大勝を得た。

アンドレイ・カミンスキィ 第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の聯隊長である美男子の男爵大佐
             ユーリアの愛人にして練達の騎兵将校 

 
皇紀五百六十八年 二月二十日 午後第一刻半 小苗川より 北方一里 東方辺境領鎮定軍先遣隊本部 
ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール・シュヴェーリン少将


 先遣隊司令官であるシュヴェーリン少将はひどく立腹していた。
「全く!たかが一個大隊でよくもやってくれる!」
 夜襲に阻止砲撃、兵站破壊の為に放火に井戸に毒を投げ込む、そして野戦築城、まったくよくも小細工を重ねたものである。
「敵の指揮官は一体何者だ!例の猛獣使いか?」
 彼が忌々しげに敵の陣地を睨みながら吠えると、それに応えるかのように、凄まじい雄叫びが何重にも連なって響きわたった。

「やはり、あの猛獣使いか・・・三個大隊を僅か一個大隊で食い荒らした」

「どうやらその様ですな。二日前に捕えた捕虜によると野戦昇進の少佐が指揮官です。ショウケ――モリハラと同じ貴族の産まれだそうです。 因みに彼個人は猛獣を使いません。砲兵出身で夜襲で我々が討ち取った大隊長の幕僚でした」
 参謀長のアルター・ハンス中佐が答える合間にも兵達が橋を渡ろうと密集し――対岸から十門以上の砲がそこに霰弾を一斉に降らせる。
 シュヴェーリンは一瞬、目を伏せるが再び声を絞り出した。
「あぁそのようだな――見てみろ。見事な砲撃じゃないか?」
 橋の周辺は鮮血により赤に染まり、兵達は戦友だったモノを踏み越えながら橋を渡る。その痛ましい状況にシュヴェーリンは首を振った。
 人間――取り分け自分の兵達への情が深い彼にとっては、幾度見ても慣れない光景であった。だがそれでも熟練の闘将の下した発令に従う千を超える兵達は対岸の敵を打ち倒すべく同胞の屍を踏み越え、進撃していく。
 ――陣地が此処まで厄介なものだったとはな。
 シュヴェーリンは、思わず舌打ちをした。
 基本的に軍事大国である〈帝国〉をふくめた〈大協約〉世界の軍では、野戦築城は存在こそしていてもこれまで殆ど重視された事はなかった。
 なぜならば塹壕に散らばった部隊への伝達手段が無く、陣地の存在意義である多勢に対応しうる為の柔軟性が損なわれるからだ。

 ――それを良くも此処までやるものだ。兵の姿を見事に隠蔽し、十数リーグ離れた此処から望遠鏡で見るだけでは砲もろくに見えない。
 シュヴェーリンの知る限りではあのような状態で部隊の連携を維持する方法はない。
 石神の教えに背き遠い過去に〈帝国〉から排斥された背天ノ技は”遠い者に声を届け、誰にも見えない遠くの出来事を知る事ができた”と噂されている。そして蛮族達はそれを使っていると。

「伝令!第18猟兵連隊第37猟兵大隊壊乱!!」
 シュヴェーリンは舌打ちをした。
 ――1個大隊が壊乱か・・・やってくれる!!
「砲の布陣はまだか!!急がせろ!!」
 声を荒げて指示を出すが、参謀長は冷静に現状を告げる。
「はい、師団長殿。ですが、我々は機動力を重視し、猟兵と騎兵を先行させており、重砲は未だ後方です。砲の数も糧秣の不足の影響で・・・」

「ああ分かっているとも、輓馬は糧秣をバカ食いするから後方に拘置するように命じたのは私だからな。それでも動かせるだけで良いから急がせろ!」

「半刻はかかりますが」

「急がせろ!砲を展開すれば敵も少しは黙る!!」
 本来ならばあの程度の兵力は無視して迂回しても良かった――ただの銃兵であるならば。だがそれを先の夜襲の惨状が否定する。
 あの陣地に立て篭っているのはたかだか一個大隊で三千名もの兵を屠った部隊である。

 ――疲弊した兵達に敵主力を叩くべく雪中で行軍させ、同程度の頭数の蛮軍と交戦できるだろうか?
 ――限界が近いが相応の戦果は得られる可能性はある――が、もしも猛獣使いの部隊が海岸で交戦する敵主力に呼応したら――士気崩壊すらありえるだろう。
 兵站が崩壊し飢えた兵達が凍てついた焦土を潰走するのは危険にすぎる、戦の死傷者よりも死人を出す可能性すらある。
 だがこの辺境における自軍の最高司令官――東方辺境姫は明快な戦略的妥当性に満ちた命令を下している。即ち早急に追撃し、敵の野戦軍を可能な限り撃滅することである。
シュヴェーリン自身もその戦略的な妥当性は十分理解していた(だからこそ任命されたのである)が、問題は〈帝国〉陸軍の脆弱な――少なくとも〈皇国〉陸軍と比較したら――兵站機構が半ば崩壊しつつあることである。
 解決しようのない問題は焦燥を産み、戦場の華である追撃を任じられた栄誉は死神の鎌となって彼の首を擦りだし、東方辺境領軍有数の猛将と謳われる男の判断力を犯しつつあった。



同日 午後第ニ刻 独立捜索剣虎兵第十一大隊 小苗陣地 掩体壕内
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐


 シュヴェーリン達の大隊長である馬堂少佐は掩体壕の中で身を縮こまらせていた。
 ――やれやれ、なんとまぁ豪勢な事だよ。
「おい誰だ、物資が不足しているって言った奴は」
砲弾が掩体壕の周囲に降り注ぐ中で恐怖を紛らわそうと豊久がいった。
「大隊長殿ですよ。大隊長殿」
残った剣牙虎達の管理をしている西田少尉がツッコミを入れる。
彼も一緒に砲の後方に居た為、掩体壕に退避している。

「砲をぞろぞろと連れてくる体力は無いはずだがなぁ」
 などと言っている合間にも地響きはやまない。
「ならばあれでも減ったのでしょう。我々と地力が違いすぎますね、笑うしかありませんな」

「あっさり言わないでくれ。虚しくなる」

「はい、申し訳ありません。大隊長殿」
 そう答える西田の声には笑いが混じっている。 
 ――図太い奴だ。流石は新城の教え子か。
 人材の質には恵まれている事を感じた大隊長は諧謔と安堵が複雑に入り混じった笑みを浮かべた。
だがそれに浸る間もなく自陣からの砲声が間近に轟く。
 馬堂少佐の砲兵将校、秀才幕僚としての本能が即座に戦場分析へと意志の方向を切り替えさせた。
 
「砲の排除を最優先に、と言ったが、上手くいけばいいが。
これでは士気の維持にも一苦労だ」

「こう砲撃戦が続くと猫が怯えます。戦闘中なら問題無いですが。」
 西田は彼の猫――隕鉄を宥めながら言う。隕鉄は西田に顔を擦り寄せ、馬堂少佐にも少々怯えているのが分かった。
「ん、ならば予定通り猫は西方側道の警戒に使ってくれ、敵を十里先でも見つけるのだろう?」

「はい、大隊長殿。騎兵なら十五里でもいけますよ。何しろ馬は好物ですから。」
 西田の言葉に馬堂少佐は苦いものが混じった笑みを浮かべた。
「知ってるさ、これでも千早が子供の頃から見てきたんだ」
 ――駒州産まれでご先祖が馬飼い出身としては多少なりとも思う所があるんだけどね。
と出かかった声を喉元で殺す。彼も駿馬の産地である駒州出身の貴族である、一応は。
「――まぁいい。取り敢えず警戒網は信頼できる事は分かった。
西田少尉は一個小隊を連れて後方に回ってくれ。猫が反応したら導術索敵を行い
本部に伝達しろ」
「はい、大隊長殿。」
 砲撃が弱まると馬堂少佐は近くの壕へとかけこみ、そこに居た導術兵に叫んだ。
「金森二等兵!工兵に敵が次の突撃を行ったら合わせて爆破をさせるように伝達を!
冬野曹長!騎兵砲及び擲射砲は、対岸小苗橋正面へ斉射用意!爆破と同時に撃て!
鋭兵中隊と予備隊は渡河した敵を掃討せよ!」


同日 午後第ニ刻半
東方辺境領鎮定軍先遣隊本部 先遣隊司令官
シュヴェーリン・ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール少将


「第36猟兵大隊渡河に成功しつつあります。」

「アルター、本当に我々は橋を無傷で奪取出来たのか?」
 ――爆破に失敗したのか?だが、それならば砲で破壊するように調整してありそうなものだが。
そう考えていると爆音が響きわたった。
 見ると渡河を行っていた大隊本部らしき将校団が橋ごと半数近くを吹き飛ばされている。
「してやられた!!大隊主力狙いか!!」
 渡河に成功した二個中隊も大隊本部と分断され、動きが止まる。
 そこへ敵からの射撃が行われ次々と倒れ、猛獣も混じった敵部隊による突撃を行われると、渡河した部隊は完全に潰走をはじめ、時を経ずして凍てついた川に銃弾以上の数の兵を殺されながら、対岸から〈帝国〉猟兵は完全に掃討されてしまった。
 これで二個大隊が戦闘能力を喪失した事になる。
 ――敵は恐ろしい程冷徹だ。
自分の戦力が痛手を受けない範囲の敵を渡河させ橋を爆破。
橋を渡ろうと密集した地点への正確な霰弾砲撃、渡河した二個中隊も敵の銃兵によって
掃討された――が。

「アルター、あの中隊は・・・何だ?」
 見た所配置されている部隊で十二分に排除出来た。
わざわざ切り札である猛獣を送り込む必要性をシュヴェーリンには感じられなかった。
――自分ならば塹壕に篭ったまま射撃を続けて数を減らし、濡れた服で凍えきったところで川へ追い返す。増援が来たら此方も増援を出せば良い。
 彼の信頼する参謀長も考え込んでいたが、やがて推論を告げる。
「分かりません――恐らく予備部隊では?」

「予備!?馬鹿な。如何してあの状況で予備を出すのだ。」
「此方の予想以上に余裕が無いのか・・・あるいは過剰兵力を投入したのか・・・」
アルター参謀長の仮定にシュヴェーリンは眩暈をおぼえた。
 ――過剰兵力!まるで悪夢だ。あの陣を突破するのにどれ程被害がでるというのだ!
 だがシュヴェーリンとて東方辺境軍では猛将と名高い円熟した戦術家であった。
即座に精神を建て直すと即座に参謀長に問いかける。
「――どちらにせよ真正面から挑んでいては損害が出るばかりだ。
アルター、何か策を。この泥沼から抜け出す策を。」

 アルター参謀長はその明晰な頭脳を巡らし言葉を紡ぐ。
「――西方に、橋が有った筈です。それを利用すればあの厄介な陣地を側背から突けます」

「あぁ確かに、だが彼処は、上苗橋は既に爆砕された。
川の流れは急で御丁寧にも向こうの指揮官殿は川岸を馬防柵でほぼ完全に封鎖して下さった、あれでは騎兵でも渡河は困難だ」
 
「騎兵部隊の他に排除の為に砲兵分隊を連れていかせては?」

「砲までも?そうしたら騎兵は一個大隊を送り出す事すら厳しくなるぞ?」

「カミンスキィ大佐は優秀な男です。彼に直率させれば士気を保たせる効果もありますし、単隊で行動しても機を逃さないでしょう。」

「カミンスキィ? いかん!!奴は――」
 そこで言葉が詰まった。シュヴェーリンにも彼の提案は極めて合理的である事は分かりきっている。
アンドレイ・カミンスキィは28歳の若さでありながら大佐に任じられている、その理由は能力だけではなく、東方辺境領姫にして〈帝国〉陸軍元帥であるユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナの愛人であるからに相違ない。
勿論、その恩恵で与えられた立場に応えるだけの能力があるのは確かだろう。
そしてその立場を利用するだけの能力も十二分に。
「何より別働隊を出したら蛮軍主力を叩く余裕がなくなる。
騎兵は温存しなければならんだろう」
だがシュヴェーリンは忠誠心と保身からかの美姫を批判する事を避け、軍事上の常識へと話題を転じた
「しかしユーリィこのままでは損害が増えるどころか殿下からの命を果たす事も――早期突破すら|不可能(・・・)です。」
 参謀長の――いや、戦友の言葉はシュヴェーリンを激しく動揺させた。
――不可能!!この男ですらそういうか!!

「命令を果たせなかったら・・・」
  ――信賞必罰、その言葉の後半は味わいたいたくない。


同日 午後第三刻
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部付近 掩体壕
大隊長 馬堂豊久少佐


「なぁ新城、もしも――もしもの話だが北領鎮台が
美名津、或いは内地への衆民を避難させ、真室川 或いは苗川沿いに築城
敵を誘引し水軍を使い奥津に揚陸、兵站集積所を占拠――は無理かも知れんが封鎖とかは可能だったのかな?」

「さあな、やってみない事には分からないが、敵は現在もそれを警戒しているだろう。
現在の状況でやられたら全員、餓死すら有り得る。」

「だ ろ う ね。敵さんも必死だ!っと」
 壕の側に着弾したらしく壕の中が揺れる。

「しかし、水軍か鎮台の参謀部が今頃考えているんじゃないか?
天狼からこっち、醜態を晒したが一応は戦時の軍参謀部に居る奴等だ、俺なんぞより優秀なのも居るだろうに」

「そう思いたいところだな」

「おいおい」
新城の木で鼻をくくった様な言い草に上官でもある豊久が苦笑する。
「まぁ、提案が出ても、採用されないだろうな」

「最高司令官が真先に逃げ出しちゃあ統率も厳しいと?」

「まぁな、何より守原英康本人にその気がないだろう。」
「ん?だが守原家は・・・」
 ――それはあの家の懐事情が許さないのでは?
 守原家の財政を支えているのはこの北領である事は将家事情に詳しい者ならば誰でも知っている事である。
「全てが終わってから総反攻、だろうな」

矢張り――そうなるか。
馬堂豊久は無言で目を閉じる。近い将来、内地で亡国への道が開く事を理解した。
「――まぁいい、今は、な。それより今は帝国軍だ、敵の迂回への妨害は仕込んであるし。
当面は正面に集中してれば大丈夫か?」

「あの馬防柵か、わざわざ手の空いた部隊を使ってまで作らせた分は効果がある
作りは簡素だがあれを排除するには砲兵が必要だ。迂回部隊の足を鈍らせる上に砲車を引く輓馬が糧秣を食い散らかす。細かいところで吝嗇で底意地が悪い人間ならではだな」

「実仁親王殿下の残した工兵中隊のお陰だ。
殿下は一番いい時に手持ちの商品を売りつけてきたよ、商人の才能があるな」

「不敬だな」

「褒めてるんだよ、つまり尊崇してるんだ。問題ない」
 かような戯言を北領の最終防衛線指揮官達が交わしているという恐るべき事態は米山兵站幕僚が転がり込んできた事で終結した。
「し――死ぬかと思いました、いや本当に」
 ぜぇぜぇと喘いでいる元輜重中隊副官に馬堂少佐は笑いながら歓迎した。
「おぉ、よかった よかった 君に死なれたら我が大隊は崩壊するところだ。――割と本気で」

「中尉、現状は?」
 首席幕僚の問いに米山は息を整えながら帳面をめくる。
「どうにか持っておりますな。
砲の射耗が気がかりですが今の所はどうにか想定の範囲内に収まっております。
ただこうも砲撃が激しいといざという時の輸送が心配ですな
今日は余裕を持たせたつもりでしたが――」
 
「持つことを祈ろう、此方も余裕があるわけではないからな
まったく、俺も余裕をもって持たせたつもりだったのだが・・・・・万一砲が玉薬ぎれで沈黙したら目も当てられない」
 砲兵将校の馬堂少佐も舌打ちをした。
 彼は、兵站と火力こそが軍事の全ての基幹あると信仰している将校であり、その双方を欠く可能性のある采配をした自身が許すことができなかった。
「――首席幕僚、あのまま正攻法を続けると思うか?
それとも矢張り迂回するか」

「頭数だけならばどちらも可能ですね。
もっとも兵站が崩壊しかけているならば活発な行動はできないでしょう、迂回をするなら挟撃の際に全力で攻勢に出られるようにしなければ意味がありません」

「明るい知らせはそうそうなさそうですな」
 米山兵站幕僚も皮肉な笑みを浮かべて帳面を懐にしまう。

「分からん。だが、全てが上手くいくかもしれない。
この調子なら、迂回されても到着前に逃げ切れるかもしれない。
正面からの正攻法なら当分はどうにかできるだろう」



同日 午後第三刻半 東方辺境領鎮定軍先遣隊本部 
先遣隊司令官 シュヴェーリン・ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール少将

「矢張り――正面からは困難、か」
シュヴェーリン少将は寂寥とした口調で結論を呟いた
 ――これでは攻城戦と変わらん。徒に兵力を損耗するだけだ。
だが、要塞と違って敵の最も厄介な要害は川である、即ち、別の渡河点から部隊を渡河して二正面作戦に持ち込めば、容易く突破ができる――と本部の幕僚陣から意見が出ている。
「ユーリィ、時間が有りません!明日にでも此処を突破しなければ――」
シュヴェーリンは自身の信ずる参謀長の言葉を手を振って遮り、彼の望む答えを告げた。
「――ハンス、カミンスキィ大佐を呼べ、それと直ちに参謀達に迂回渡河に必要な作業を策定させろ」

「糧秣を何とかして頂かない事には、閣下。
迂回するのに急いでも一日はかかります、これでは聯隊の手持ちでは不可能です。
腹を空かせた馬では突撃など出来ません」

ああ分かっているとも。それは全軍の抱える問題だ。

「他に方法は無いのだ。聯隊全体を動かす必要は無い、敵は一個大隊規模だ。
それに我々は挟撃をかけるのだ、主攻正面に我々が挟撃をかけ、半数以上の部隊が拘束される事になる」

「しかしそれでも二個大隊も動かせません。
確かに偵察部隊は600名前後だと報告していましたが、とても信じられません――危険すぎます」

シュヴェーリンは瞑目し、自分が戦場の現実を知った時に――自分の居た中隊で“行方不明”となった中隊長の決まり文句――戦塵を戦列の正面で浴びていたシュヴェーリン中尉が唾棄した無能者の証明たる言葉――を発した。
「これは命令なのだ――大佐」

「はい、閣下。しかし小官が反対した事は、」
「分かっている。文章にもしておいてやる。日が暮れるまでまだ一・二刻あるそれまでに出発せよ」
 シュヴェーリンはカミンスキィに背を向け、彼が出ていくまで振り返らなかった。

            書状
発 第三東方辺境領胸装甲騎兵連隊本部
宛 先遣隊司令部
持ち出せる糧秣は一個大隊を賄うことも困難と判明。
試算した結果、渡河した時点で消耗しつくすと予想される。
午後第四刻に東方辺境領胸甲騎兵連隊第一大隊を
連隊本部が直率し出発す。

 
 

 
後書き
 シュヴェーリンはかなり好きなキャラです。高級将校として兵を死なせることに苦痛を感じる人間らしさが何ともいい味を出してますね。

三日連続投稿します。次回、次次回の投稿も今回の投稿時刻と同じ予定です。
 

 

第十話 苗川攻防戦 其の二

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵少佐であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として正式に野戦昇進する。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊次席指揮官。大尉へ野戦昇進する。
     側道方面の防衛隊を指揮する。
  
杉谷少尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩

漆原少尉 予備隊長 生真面目な若手将校

米山中尉 輜重将校 本部兵站幕僚

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官

権藤軍曹 側道方面防衛隊の砲術指揮官

増谷曹長 側道方面防衛隊の導術指揮官

金森二等兵 側道方面防衛隊所属の少年導術兵



シュヴェーリン・ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール少将
東方辺境領鎮定軍先遣隊司令官 本来は鎮定軍主力の第21東方辺境領猟兵師団の師団長

アルター・ハンス中佐 先遣隊司令部 参謀長


ユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナ
<帝国>東方辺境領姫にして東方辺境鎮定軍総司令官の陸軍元帥
26歳と年若い美姫であるが天狼会戦で大勝を得た。

アンドレイ・カミンスキィ 第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の聯隊長である美男子の男爵大佐
             ユーリアの愛人にして練達の騎兵将校
ゴトフリート・ノルティング・フォン・バルクホルン
西方諸侯領騎士。騎兵将校に似合いのごつい外見の持ち主
精鋭部隊である第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の中でも秀でた乗馬技術の持ち主。 

 
皇紀五百六十八年 二月二十一日 午前第五刻 
苗川渡河点防衛陣地 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐

 ――詰まる所、順調と言って良い範囲内だ。
馬堂大隊長はそう判断していた。
〈帝国〉の先遣部隊は、つい先程まで夜間渡河を強行し、凍死寸前の猟兵達は剣牙虎に追い散らされる羽目になった。おそらく半数以上は溺死か心臓麻痺が死因となっただろう。
 ――ここで博打を、それも準備不足の博打を打ったと云うことはあちらの状況が想像以上に悪く、改善の見込みがないということだ。
 馬堂少佐は思索を続ける。
 ――此処で時間を浪費している分、機動力を持った部隊の価値は上がる、迂回に騎兵を使う可能性は如何程だろうか? 主力を攻撃したいのなら胸甲騎兵を消耗したくないだろう。
だから後方からの不意討ち挟撃等の手段で優位を得た戦況以外では出来るだけ投入したくない――筈だ。もしも胸甲騎兵第三聯隊様に聯隊総吶喊されたら――
背筋に冷たい汗が流れる。
 ――あの大軍には後先考えさせないと(・・・・・・・・・)あっさり踏み潰されてしまう。取り繕ってもこの大隊は800にも満たない敗残兵にすぎないのだ。過信した瞬間に首ごと食いちぎられるに違いない。
 事実、馬堂少佐の構想は徹底的に―それこそ一個小隊を捨て駒にしてでも行った焦土戦術、地の利を活かした築陣に後方の虚構の軍勢(本来の正当な評価)、これらを総動員して敵の弱体化を行っている。

「近衛に恩を売っていなければ危険でしたな」
 代価として補給の便宜に工兵中隊の助力まで貰えたのだ。夜間伏撃による壊滅後の事務を担ってきた米山中尉の感想はまさしく正鵠を射ている。
「まぁ俺もこれでも将家の人間だからな、このくらいは鼻が利かないとやってられないのさ」
豊久の軍歴に刻まれた人務部監察課首席監察官附き副官と防諜室附の二つが主に叩き込んだ能力であった。
 ――正直な所、内地に帰還出来たとして、ほぼ確実に厄介な政争に巻き込まれるだろう。大敗し、経済的にも追い詰められた守原、手柄を挙げた皇族、育預と譜代が尻拭いをした駒城家、そしてこの〈皇国〉を侵略する〈帝国〉、厄介事以外の何の臭いがするだろうか。
 ――栄達、か。
自分の苦笑するしかなかった。
 ――いやはや救い難いな。亡国の危機に出世の臭いを嗅ぎつけるか。
 省みると中々どうして自分も俗っぽいものだ、と嗤いながら笹嶋中佐の餞別(タバコ)を取り出し、火を着ける。
「まぁ全ては三日間凌いでからの話だな」



同日 午後第二刻 苗川上流 上苗橋跡
第3東方辺境領胸甲騎兵聯隊 聯隊本部


渡河点に到着した。
対岸を見ると簡素な馬防柵が橋のあった場所の周辺に張り巡らされている。

「あの馬防柵、見た目は貧相だが厄介だな。アレのせいで余計な時間を食う。」
 カミンスキィが唸ると首席参謀のプレハノフ中佐も首肯して云う。
「砲兵の随行を強要させ足を遅くさせる。
しかし、深く、流れの強いこの地点から砲を渡河させることは不可能ですな、良くもまぁ思いつくものです」

「まったくもって抜け目の無い事だ、小器用な蛮族と侮るのは危険だな。
――それでは砲兵であの柵を破壊するとしよう。」
軽砲といえども馬防柵はたちまち消し飛ばされた、勿論、同じ方法で激流を消し飛ばすわけにもいかない、激流に身を任せても心臓が静の状態になるだけである。
「この部隊で馬上水練の一番上手い者は?」
破砕された柵を尻目に首席参謀と相談する。

「ゴトフリート・ノルティング・フォン・バルクホルン大尉です」
「あぁあのごつい顔の男か。」
 カミンスキィの言葉を聞くと首席参謀は一瞬呆れた様な顔をして呼びに行った。
 確かに彼が言っては大半の人間がそうなってしまうであろう、彼自身もそれを武器にして生きてきた
父の死によって男爵家であったカミンスキィ家の没落後、母によって帝弟を相手に男娼まがいの行為をさせられていた事があり、更に現在は東方辺境領姫の愛人として軍人としての栄誉を勝ち取っている。
 尤も、彼自身はこのまま終わるつもりは無く全てを踏台にして更なる栄達を求めている。

「連隊長殿、フォン・バルクホルン参りました。」
 典雅な発音と古風な名前が旧時代の勇将の如き外見を中和し、ゴトフリート・ノルディング・フォン。バルクホルン大尉はまさしく理想の貴族将校としてカミンスキィの眼前に佇んでいる。
 「大尉、君に栄誉を与えたくてね、渡河の先駆けだ。
馬ならば渡る事が可能な筈だ、練達の騎士と名高き貴殿に任せよう。」
 申し分ない守旧の産まれの〈帝国〉騎士へと沸き起こる妬気を打ち消しながらカミンスキィは涼やかな微笑を貼り付け、命じる。
「了解しました大隊長殿、渡ります」
逡巡せずに鮮やかに答えた練達の〈帝国〉騎士は苦労しつつも急流を渡り、遂には砲撃で崩れた岸や柵を踏み越えた。
 ――成程、大した腕だ。
 カミンスキィは率直に評価し、人名簿に名を刻みつけると続いて馬を進めながら部下達を鼓舞するべく声を上げた。
「渡れぬわけではないな。諸君! 私に続きたまえ!」



「損害は?」
「溺死等で67名です」
 アルターの報告にカミンスキィは顔を強ばらせた。
「十分の一近くが逝ってしまったか……厄介な事だ。おまけに日が暮れたせいで濡れた服も乾かせずに凍傷になる。」
「今日は此処までが限界です、野営の準備の前に薪を――」
首席参謀が今後の行動の提案を行おうとすると、対岸に駆けつけた伝令が新たな状況の変化を告げた。
「伝令!シェヴェーリン閣下より伝令です!本隊より一個大隊一日分の糧秣を駄載させ向かわせます!
明日の朝まで此処でお待ちいただければ、合流させるとのことです」
 この糧秣は正面からの早期突破は不可能と判断したシュヴェーリンと参謀陣が捻出したものであった。無論、糧秣の枯渇によって士気崩壊すら現実味を帯びており、が反対意見も出たがシュヴェーリンはそれを押し切り、カミンスキィに全てを賭けたのであった。
「――感謝する。そう閣下に伝えていただこう!」
 この瞬間にカミンスキィは栄光を求める野心家の直観でこの戦の結末を自分が掌握していることを理解し――歓喜に身を震わせた。


二月二十二日 午前第七刻半 大隊本部
独立捜索剣虎兵第十一大隊 首席幕僚 新城直衛 

 上流の渡河点を日に数度、定期的に探索し、さらに剣虎兵を配置する事で奇襲を避ける体制は、導術兵への負担と引き換えに現在、多大な成果を上げていた。
「――輜重部隊が上流へ向かっている、か。
良くやってくれた金森二等兵、半日ほど休め。後で側道の防衛にあたってもらう、術力切れのないようによく休むように」
よろよろと導術兵用の天幕へと下がる金森をちらりと見るが、馬堂少佐はなにも言わずにすぐに首席幕僚へと視線戻す。
「今日中、遅くとも明日には迂回した騎兵と交戦しなければならない、か。
予備隊をお前さんに任せると言うことでいいかな?
鋭兵中隊と剣虎兵二個小隊に騎兵砲を四門回す、剣虎兵小隊の指揮は西田少尉と漆原少尉、こんな所かな――やはり、剣虎兵将校の不足が辛いな。ある程度単純な指示でないと兵が混乱する」
 唇を噛み締める旧友を
「はい、大隊長殿。そんな所でしょう。」
 それに頷いて大隊長は側道方面の指揮官として新城直衛大尉を任命した。
「新城大尉、そちらの指揮は君に一任する、
それと可能ならば士官を生け捕りにしてくれ」
 大隊長が平然とつけた注文を聞き、次席指揮官はうんざりとため息をついた。
「また無茶を。何故ですか?」
 ――完全に無力化されてでもいない限りは進んで俘虜をとるべきではない。
新城の経験上、匪賊討伐の際に俘虜を取ろうとして刺される事が多く、
「緊急時の手札になるからさ。
貴重な猫を投入するのだから馬を脅かすとかして、落馬した奴とかを見繕ってくれ。
何なら兵でも良い、取り敢えずそれっぽい、なまっ白い偉そうなのをふん縛って連れてきてくれ」
「まるで人攫いだ」
「――人攫いだよ。営利略取だ、いよいよもって匪賊仕事だがやってもらうぞ」
新城の視線を受け流して豊久は飄然とそう云った。
「防衛を最優先しますので確証はいたしかねます」
「あぁこちらの兵を殺してまでとは言わないさ。
だが同胞が居るだけでも幾らかはマシになるから可能な限り頼む、出来れば貴族の士官が望ましいが贅沢は言わない」

「望ましい事は得てして困難なものですよ」
 ――まったく、無茶ばかりを言ってくれる。
頬を攣らせながら新城が云う。
「知っているよ。出来れば、で良い。現状ならば撤退とて不可能じゃないからね。
あくまで保険だ――面倒は今更だろ、頼むよ」
凶相を歪める旧友の視線を跳ね返した馬堂少佐が命じると、新城は溜息をついた。
「了解です。大隊長殿」


午前十一刻 小苗陣地より後方十五里 北美名津浜
北領鎮台転進支援本部 司令 笹嶋定信


防寒着を着込み、雑魚寝をしている導術兵達から目を離し、転進支援本部司令である笹嶋は明日の行動の為に再び現状の再確認を行うべく書類に目を落とした。
最後に前日の独立捜索剣虎兵第十一大隊からの報告では遅滞戦闘は順調に続けられているらしい。それが今の所、笹嶋の知る唯一の良い知らせだ。

 ――導術兵は皆、疲労困憊で軍医の診断によると最低でも本日一杯は休ませないと死亡すら有り得るそうだ。
 ――龍士も翼竜ももう飛べない、一人は負傷すらしている。
 笹嶋の――転進支援本部の耳目は急速に衰えつつあった。
「司令!良い知らせです!」
浦辺大尉が駆け込んで来た。
「畝浜が手土産――30隻もの運荷艇を括り付けて到着しました!」

「ほう!それは、久々に良い知らせだ」
笹嶋も安堵の笑みを浮かべた。これで救命艇と合わせて転覆することのない船で一気に兵員を移送することができる。
「それと天象士からもこの天候回復も暫く続くと。
少なくとも二日間は荒れることはないと太鼓判を押しています!」

「それが本当ならば、明日の夕刻までには終わりそうだな。」
「はい。十分可能です。」
「導術兵が目を醒ませば――馬堂少佐達も生還出来るかもしれないな」

「それでも明日ですね。伝令も出す余裕は有りません。」
浦辺大尉が帳面に目を向けて言った。
――明日、か。それが致命的な遅れにならねば良いが。



「司令!海岸の残兵は2000名以下に減りました。」

「やはり明日の内に終わりそうだな。
残りが1000名以下になったら我々も撤収の準備をしろ。
あぁ、それと物資の破壊をしなければ、残った部隊の指揮官は?」
 浦辺大尉が書類を読み直す。もう一度読み直した。
「――近衛衆兵第五旅団・旅団長――実仁准将閣下です。」

「おいおい」
笹嶋は思わず失笑が漏れのを止めることができなかった。
 ――守原大将はどうやって生きていくつもりだろう?まごうことなき五将家の一員が皇族より先に逃げ出した公爵大将なんて笑い話にもならない。

「ならば畏れ多くも親王殿下に再び拝謁させて頂くとするか。」


二月二十二日午前第七刻 小苗陣地 後方半里 西方側道 防御陣地
独立捜索剣虎兵第十一大隊 側道方面防衛隊司令 新城直衛大尉

「ん?」
千早の訴える様な視線を受け、新城は緊張した声で命令を発した。
「増谷曹長!探ってくれ!」

「はっ!」
疲れきった導術分隊長が意識を集中し、数瞬を経て報告する。
「大尉殿 敵は前方十三里の位置で停止しています、数はおそらく五百程度、騎兵です」

――さてさて此方は300弱。向こうは600強か。常道通り砲で叩いて射撃で掃討、
その後に剣虎兵で攻撃、だな。これで犠牲は最小限で済む。
「よろしい標定射撃痕に接近し次第砲撃開始。」
恐怖に震える手を押さえ、自嘲の笑みを浮かべた。
――いやはや情けない。良くもまぁ未だに将校の演技を続けられている物だ。
「敵が補給を受けた様子はないのだね?」
「はっはい。昨日から交代で探索を行なっておりますが払暁に渡河した部隊以外が敵部隊と接触した様子はありません」
 ――つまりは後方からの補給は不十分か、輜重部隊は本隊から絞り出したなけなしの糧秣を運んでいたのか?その補給を受けてから仕掛ける気か。

「どちらにせよ騎兵一個大隊を賄うには不十分だな」
  ――駄載させないと渡河は出来ない、駄載させる分、馬の数も増える。護衛の分を考えれば尚更だ。大まかに考えて二個中隊弱いがやっとだろう。

 第十一大隊は半里前方に剣虎兵小隊と観測班を置いており、彼等も身を隠し情報を伝えてくれる。
連絡役の増谷曹長は消耗が激しく、休ませているが明日からまた働いてもらわなくてはならない。

「金森二等兵、後は増谷曹長から連絡が来るまで権藤軍曹の所で休んでいろ。
猪口曹長、運んでやれ。」

「はい、大尉殿。」
猪口が背負って運ぶ少年兵は新城の事を信じきった目で見ている。

 ――まだ子供だ。
じくり、と心情の中で何かが疼いた。
 ――今はまだ上手く事が運んでいる。生きて帰せるかもしれない、あの子供の様な兵を。

「・・・・・・」
 

 ――だが、正面陣地が突破されたら?
 ――僕がヘマをして敵に敗れたらどうなる?
手が震え、もはや形式主義的なその震えに自嘲の笑いがいつもの様に浮かぶ。
 新城はいつものごとく己の卑小な人格を確認し、戦場を構成する要素として設定した。


金森二等兵は遠目にその笑みを見て安堵した。
――あぁ少佐も大尉も僕達を使って皆を、仲間を守ってくれている。
――それならば、術力が擦り切れようと、導術兵の本望です。
――それで皆を救わせてくれるのなら。戦友を、内地の家族を守れるのなら。
――僕達は、僕は、それを、この部隊に居る事を、誇りに思います
 

 

第十一話 苗川攻防戦 其の三

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵少佐であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として正式に野戦昇進する。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊次席指揮官。大尉へ野戦昇進する。
     側道方面の防衛隊を指揮する。
  
杉谷少尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩

漆原少尉 予備隊長 生真面目な若手将校

米山中尉 輜重将校 本部兵站幕僚

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官

権藤軍曹 側道方面防衛隊の砲術指揮官

増谷曹長 側道方面防衛隊の導術指揮官

金森二等兵 側道方面防衛隊所属の少年導術兵



シュヴェーリン・ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール少将
東方辺境領鎮定軍先遣隊司令官 本来は鎮定軍主力の第21東方辺境領猟兵師団の師団長

アルター・ハンス中佐 先遣隊司令部 参謀長


ユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナ
<帝国>東方辺境領姫にして東方辺境鎮定軍総司令官の陸軍元帥
26歳と年若い美姫であるが天狼会戦で大勝を得た。

アンドレイ・カミンスキィ 第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の聯隊長である美男子の男爵大佐
             ユーリアの愛人にして練達の騎兵将校
ゴトフリート・ノルティング・フォン・バルクホルン
西方諸侯領騎士。騎兵将校に似合いのごつい外見の持ち主
精鋭部隊である第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の中でも秀でた乗馬技術の持ち主。 

 
皇紀五百六十八年 二月二十三日 午前第十刻 小苗陣地 丘陵頂上付近
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐


 猟兵達が渡河を挑み苗川は朱に染まってゆく。
 砲兵陣地から放たれる砲弾が降り注ぐ中でも、〈帝国〉砲兵は決死の覚悟で兵達の渡河を援護せんと装填を行っている。
 ――此方に余力は欠片もなし、と。
指揮所から出て、兵站幕僚――というよりも事実上の副官である米山中尉と共に最前線を眺め、馬堂少佐はうんざりと呟いた。
「西からは騎兵大隊、北からは〈帝国〉猟兵旅団、間をとって北西からは鬼でも攻めて来るのか?」

「大隊長殿、鬼門は北東です」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 北領の風は冷たかった。

「渡河した騎兵を排除すれば追撃の戦力が厳しくなる。
これ以上の部隊の渡河は大規模にせざるをえない。数で圧倒する為には工兵によって架橋を行わなければならないだろうな。現状は我々の目的である時間稼ぎには最高だ。
 ――だからこそ問題は側道だ。ある程度の築陣は行ったがこの苗川の様な地の利は除雪していない隘路位しかない、たとえ此方が有利に戦闘を終わらせてもあちらとこちらでは頭数が違いすぎる」
 大隊長が心配そうに側道方面へと顔を向けるのを見て米倉中尉が力強く励ます。
「だからこそ、この大隊では随一の戦上手を当て、戦力も割きうる限りを配置したのです。
新城大尉殿ならば必ずや」



同日 同刻
小苗渡河点陣地より後方半里 西側道 防御陣地 
独立捜索剣虎兵第十一大隊 側道防衛隊長 新城直衛大尉


「此処で殲滅すれば敵も鈍るのだがな」
 除雪されていない隘路、疲労した馬に兵、考えうる限り騎兵が戦うには著しく不利な状況である――だがそれでも帝国の胸甲騎兵部隊は精強であった。
 砲声が轟き、騎兵であったものが同胞達に降りかかる、それでもなお精兵達は怯まずに突撃する。最早先頭は半里程度の距離しか無い。
予備隊約二百五十名を配置した壕、その五十間前方に馬防柵を設置してあるが、それも足止め程度にはなるが決してそれ以上では無い急拵の物だ。

しかし、予備隊の主力である鋭兵二個中隊と剣虎兵小隊は皆が施条銃装備である。
これが新城に与えられた唯一の贅沢である。

「大した統率だな。この悪路で叩かれても尚も退かない。」
 新城の不機嫌さを感じたのか彼の猫である千早が顔を寄せ彼女の眉間を揉みながら様子をみる。
  ――敵は分隊規模の横列で縦隊を組んで突進しているが、この隘路では密集せざるを得ない。

「軍曹、もう一度撃ったら馬防柵付近への集中砲撃の用意をさせろ。」
「はい、大尉殿。」
そう答え、観測結果を伝える声の方を向きぐったりとしている金森を気遣わしげに見た。
 ――見た目はまるで子供の様に見える、新兵だ、恐らく十七才だろう。軍曹は四十路前だ。
近い年頃の子供がいてもおかしくはない、心配なのだろう。

 金森の顔色は蒼白で、導術兵の象徴である額の銀盤も疲労の度合いを示し黒ずんでいる。
導術兵達は皆この様な状態であった。 導術は乱用すると消耗する、酷いときには死を招く事は大隊本部の中で最も導術部隊と接していた情報幕僚であった馬堂少佐も理解していた。
 だからこそ、交代制を取っていたのであるが交戦が始まると加速度的に術師達は消耗していくことは必然であった。
 じくり――と新城の良心に痛みが走る、だがそれを無視して指揮官である新城は前方の戦況に心を向ける。
 ――現在攻撃を行っている敵の戦力は二個中隊だ、残りの二個中隊は後方一里に控えている、糧秣を優先して配分させたのだろう。
 本格的な行動の前の威力偵察のつもりか、それとも逼迫した兵站事情が稼働率を下げたのか――
 ――何方にせよ此処で予備部隊が拘束されている状況は好ましくない、頭数から何もかも兵站事情以外は帝国に水を空けられているのだから。
 ――畜生め。守原大将が少しはまともな指揮をとっていればこんな面倒は無かったのだ。いやいや、どうにもならない事を愚痴っている僕も言えた者ではないな。

馬防柵に殺到した部隊が予備隊の銃撃で倒れながらも、柵に槍斧や鋭剣を叩きつけ、破壊しようとしている。
 新城が命じた通りにその頭上に四度、霰弾が炸裂し騎兵達が薙ぎ倒されていく。
着弾の衝撃からか馬防柵が根本付近がへし折れ、倒れると、後続部隊が次々と戦友だったものと柵を乗り越えてなだれ込む。
「総員、撃て!」
 指揮官達の掛け声が聞こえ、再び銃声が響く。施条銃から放たれた弾丸が襲いかかると騎兵達の隊列が激しく乱れた。
 そして――猛獣の咆哮が響く。
 剣虎兵達が突撃を開始したのだ。馬が捕食者の声に反応し怯え出す、二方向からの猛攻、そして馬の混乱。 部隊は混乱から壊乱へと成りつつあった。
 常識通りならば、このまま300名の精兵達は200名もいない烏合の衆へと成り果てるはずだった。
 新城の耳に、勇壮な帝国語が微かに聞こえるのと同時に、彼は中央の一部で秩序が戻り始めるのに気がついた。
――不味いな。向こうには優秀な指揮官がいるらしい。此処で統制を取り戻され本隊まで戻られると危険だ。
「装填、まだか!」
 
「お待ちを――全門、装填完了しました!」
 権藤軍曹は優秀な下士官らしく、既に行動を開始していた。
「軍曹、中央、距離二百間」
「はい、大尉殿」
 迅速簡潔な言葉と正確な命令の実行により、統制を取り戻した部隊は赤く染まった。



同日 午前第十二刻 小苗川防衛陣地 独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部 
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐

「発、転進司令本部
宛、独立捜索剣虎兵第11大隊
本文
貴官等ノ奮戦ニヨリ北領鎮台転進作業ハ本日夕刻ニテ完遂スル見込ナリ。
転進支援本部ハ大隊ノ転進ヲ、25日正午マデ待ツ用意、アリ。
本日、午後第五刻マデニ返信サレタシ」
導術兵の言葉を書きとめると、米倉は馬堂少佐に手渡した。
馬堂少佐はそれに目を落とし、苦笑する。
「良い知らせだな」
 ――だがタイミングが悪い、側道の部隊をどうにかせねば撤退できない。
そう考えていると今度は正面の鋭兵中隊から敵襲の報告が入る。
 ――どうやら向こうは二正面作戦を強制させたいようだ、面倒ばかりだ。
「ったく、向こうに導術兵がいないのが救いだな。あの数だけでも面倒だと言うのに」
愚痴を喉元で押し留めつつ自分の戦場へと意識を向けた。
――問題は現在、新城が相手をしている騎兵大隊だ、騎兵は追撃の専門家であり、勝利の象徴、戦場の華、銃兵が徒歩で撤退する相手には最悪である。

「大隊長殿、今は前のことを」

「――あぁ、そうだな中尉」
米山中尉に促されて少佐は思考を切り替える。
 ――撤退許可が出た日に焦って全滅なんて最悪の冗句でしかない。
だが――もう、我々の神経となっている彼らも限界だ。
 本部に附いている導術達は座り込み、ぐったりとしながらも連絡網を維持している。
 ――無理をさせて導術兵を死なせるのは気分が悪い。
ふと漆原の事を思い出し、唇が捻じ曲がった。
― ―いや、戦争で気分が良くなる事など無いか。この地獄で笑うのは自棄になった奴か魔王だけだ。


同日 同刻 側道防御陣地 側道防衛中隊
中隊長 新城直衛大尉


 思わず笑みが浮かぶ。
 ――ひょっとしたら分かりやすい形で勝利らしき物を得られるかもしれない。指揮官には命中しなかったようだが砲撃の効果は十分だ。指揮官は統率をとれなくなり、瓦解した後方から兵は逃げ出し、前方は銃撃で瓦解している。

「軍曹、次は敵の後尾を狙え。これを最後にする。
金森二等兵、砲の斉射後、剣虎兵小隊に突撃を許可しろ」
 壕に戻り予備隊に集合をかける。
「予備隊総員、装填及び着剣。砲の斉射後、もう一度射撃をしたら突撃する。」

 ――さすがに剣虎兵一個小隊のみでは厳しいだろうが指揮系統が瓦解した相手だ。
これで終わる。

「攻撃は馬か騎手の足を狙え。
逃げ出したら深追いはするな。」
剣牙虎を見せれば混乱は恐慌となる、数で勝るこの情況なら圧力としては十分だと新城は考えていた。

 砲声が響き後方で砲弾が炸裂し、施条銃の銃撃により騎兵たちが倒れる。
敵が恐慌寸前となったと見てとった新城は鋭剣を抜き、振り下ろす。
「突 撃!!」
手が震えるが不思議と足はもつれない、そして、脇を千早が駆け抜ける。


同日 午前第十三刻 苗川防御陣地 側道方面後方約二百里
東方辺境領胸甲騎兵第三連隊第一大隊第三中隊 中隊長 ゴトフリート・ノルディング・フォン・バルクホルン大尉


 東方辺境領胸甲騎兵第三連隊第一大隊第三中隊を率いるゴトフリート・ノルディング・フォン・バルクホルン大尉は自身の危機にどこか達観した様子で分析していた。
 ――此方の部隊は既に200名を切り、私の指示も先程の砲撃で周囲の者を排除され、届かない。そして横腹を猛獣使いの部隊に突かれ、分断された我々は正面から部隊長らしき猛獣使いを先頭に250近い銃兵が前進しつつある。
猛獣の咆哮で馬が恐慌に陥り騎兵が振り落とされている者も居る中で我々は衝力を失い孤立している。

騎士は怯える馬を宥めながら周囲を見回す。

――猛獣使い達は明らかに実践慣れをしている、やはりあの夜襲の生き残り達か!

バルクホルンは忌々しい事実を認めざるを得なかった。
――奇襲時の猛獣使いは騎兵の天敵だ。

「集結!集結!」
それでも尚、バルクホルンは再起の為に最後尾の騎兵達を取り纏めに行く。
彼の従兵であり猛者であるアンリ・ロボフ軍曹が数名を従え駆け寄ろうとする。
その時
「――――!!」
将校らしい若者が三人の兵と二匹の猛獣を従え突撃してきた!!
さらに乱戦を行っていた猛獣使い達が集結しつつある。
それを邪魔する者は既に粗方いなくなっている。

「軍曹!状況は!?」
「我々の中隊は半壊し混乱に陥っております!
先行した第二中隊は銃兵部隊の突撃を受けております!」
それにこの部隊も前方は突破されつつある・・・。
だが、あの将校を討ち猛獣使いを突撃すれば何十名かは救える!

「何人動ける!?」
「20名・・・いや、30名いけます!!」
「よし!私に続け!残りは退却の許可を出せ!」
 後方の銃兵部隊の指揮官が部隊を引き連れ合流した。
 ――遂に突破されたのだろう。第二中隊は全滅したのか・・・。

 猛獣使いの将校であり、そして陣地の一方面を指揮している男こそがこの恐るべき部隊の中枢であると判断し、バルクホルンは決死の覚悟を決めた。
 ――ここで討つ!

「我に続けぇ!あの猛獣使いの将校達を討てばあの蛮兵達は烏合の衆だ!
征くぞ!帝国万歳!!」
 集結した33名の胸甲騎兵が吶喊する。
銃兵隊も予期していたのか小隊が横列を組む。
 ――不味い!
 バルクホルンが唸るのとほぼ同時に銃兵部隊の射撃で半数が崩れる。

「引き際を見誤ったか・・・えぇい!まだだ!まだ、終わらんよ!」

前方の銃兵達を槍斧で薙払い、部隊長の猛獣使い――新城に迫る。

「惜しかったが――これで、終わりだ!」
 千早が飛び掛かろうとするが――
「若殿!」
 バルクホルンの忠勇な従者であるアンリが助けに出てきてくれた――が
 彼に向かい猛獣が凄まじい咆哮をあげるとアンリが一瞬、身を竦ませ、馬も恐慌状態に陥った。
 主力と合流すべく突撃を行った剣虎兵部隊がそれを見逃さず、馬の尻を斬り付ける。
「若殿ォ!!」
 制御を失い馬は後方へ逃げて行く。

「クッ・・・」
 バルクホルンの騎馬もその咆哮で竦んでしまい、隕鉄が飛び掛かり牙を突き立て、馬が暴れだす!
 思わず槍斧を落とし両手で手綱を握ると新城は鋭剣で足を斬りつける、彼の足を傷つけた剣がそのまま馬の腹突き刺さった。

「グォッ・・・」
 人馬が共に痛みで悶える、こうなるといかに練達の騎士と云えどもバランスを崩し、 落馬してしまう。
 全身に衝撃が奔り、強制的に肺の中身が叩き出される。
「ガッ・・・」
 馬は苦痛のあまりに逃げ出すのを朦朧とした意識の中で感じ取りながらバルクホルンは考える。

 ――蛮兵達に取り囲まれ、私は未だ起き上がれない。
 ――あぁ、そうか、私は――死ぬのか――
猛獣使いが兵達に指示を出す。バルクホルンは乱暴に、だが生かされたまま担ぎ上げられた。



同日 午後第一刻
独立捜索剣虎兵第十一大隊 側道防衛陣地
側道方面防衛隊 隊長 新城直衛大尉


「損害は?」
 漆原が答える。
「予備隊は38名です。」
「本部付剣虎兵隊、損害8名、猫二匹です。
最後に態勢を立て直されたのが辛いですね」
 隕鉄を従えて西田も答える。

 ――あれにはぞっとした。ただでさえ戦力が不足しているのだ。
成功していたら大隊の将校二人が死んでいたのだ、漆原一人で此方の陣地を統轄するのは困難だ。馬防柵も破壊されている、そこに後方で待機していた大隊残存戦力が襲いかかるとなると十中八九、突破されるだろう。
本部を潰され大隊は全滅すら有り得る。

捕虜となった士官を見ると大勝負を挑むだけあって勇壮な顔つきをしている。
―― 一応は豊久の注文通り将校を捕らえた、か。

「増谷曹長、金森二等兵は砲兵の配置場所付近で待機。
渡河した敵部隊の動静を監視してくれ。
他の部隊は一時後退し警戒態勢、捕虜を本部まで輸送する際に大隊長殿に補給と陣地の修復用に工兵の増援を要請するように」


同日 午後第二刻
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊本部
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐


目の前の蒼白ながらも勇武の相を保っている騎士を観察しながら大隊長・馬堂豊久は、数年前に使ったきりの〈帝国〉公用語を脳内から引きずり出した。
「〈皇国〉陸軍独立捜索剣虎兵第十一大隊指揮官 馬堂豊久少佐です。
〈大協約〉の保障する貴官の俘虜としての権利の遵守に全力を尽くす事を誓約します。」
 ――さて、この状況では保険の必要性が高まった。ここに捕えしは東方辺境軍の花形、胸甲騎兵連隊の士官でござぁい、さてさて、この御仁の素性は如何に?
 
「<帝国>陸軍第3東方辺境領胸甲騎兵聯隊第一大隊第三中隊指揮官
ゴトフリート・ノルディング・フォン・バルクホルン〈騎士〉大尉です。
貴官の様な勇気と道義のある敵と出会えた事を身に余る光栄とします。」

――新城大尉の龍神の加護は厚い様だな。騎士!それも名前からすると〈帝国〉公用語が創られる以前からの騎士の家系!!
素晴らしい!最高の切札になる。

「過分の言葉、痛み入ります、大尉」

ちくり、と羞恥心が刺激される。

「大尉、負傷は止血しておけば命に別状は無く。
後遺症は残らないそうです。
当面は安静にしていて下さい。」
療兵を呼んで安全な場所に移送させる。
「さて、新城大尉を呼んでくれ。
側道陣地の指揮権は鋭兵中隊長に預けさせろ。」
下らない、羞恥よりも撤退の算段をつけなくてはならない。

「新城大尉、入ります。」
入ると俺の顔を見て疑問の色をうかべた。
 ――いかんな、気持ちの切替が出来てない。
「良い知らせと悪い知らせがある。どっちを聞きたい?」
気分転換の軽口を叩く。

「・・・悪い知らせから聞きましょう」

「緊急の要件がある。
午後五刻まで我々三人ともに詰めなくてはならない。」
表情を変えずに次の質問を飛ばした。

「良い知らせは?」

「転進支援本部から撤退の許可が降りた。
午後第五刻までに詳細を返信すれば撤退できる。」
新城も何とも言えない表情を浮かべる。豊久が知らせを受けた時と似た顔だ。

「それで、だ。渡河した部隊はどうなった?」
「相応の損害を与えました。夜間に動く程無謀とも思えませんが・・・」
 珍しく言葉を濁す。
「お前さんにしては珍しいな。何かあるのか?」
「糧秣の問題で焦っているようです。糧秣が尽きる前に強襲してくる可能性があります」

「北美名津まで一日はかかる。その前に追いつかれるかね?」

「恐らくは。再び糧秣を優先的に回して
一個中隊程度でも追ってくる可能性があります。」

「擲射砲を廃棄して急がせても辛いか。」
 負傷者を運ぶ為に馬車を使うので騎兵砲は足並みが揃う。

「此方の戦闘可能人数は現在五百五十名程度、剣牙虎も十匹いる。
除雪された街道で渡りあっても負けはしないでしょうが――何人死ぬか解らない。導術兵に警戒させるしか無いでしょう」

「危険だが日没直前に擲射砲を動かして宿営地を砲撃させるか?
中央を狙えば擾乱程度にはなる。」

「無理です。運に頼りすぎていますし、時間的に厳しい。
狙い通りに行かなかったら、追撃されます。
そうなったら砲を捨てても逃げ切れません。」

「――ふむ。」
 ――正直、ここで幸運に頼るのも趣味じゃない。

「撤収作業中にそのまま強襲されたら全滅します。」
新城も反対となると答えは一つか。
「そうだな、やはりやめよう」

「夜陰に乗じて撤退。導術兵で警戒、単純ですがこれが確実でしょう」

「今更博打を打つ意味は無いか。それで行こう」
苦笑が浮かんだ。
 ――あの夜襲以来博打の連続で感覚がおかしくなっていたようだ。
部隊の現状と行軍予定、負傷者の数の把握、撤退の準備、その他諸々。
仕事はまだまだある。
だが、それは兵を死地からほんの一時とはいえ舞い戻す為の仕事だ。

「――やはり。」
今更な実感が湧いてきた。
「何だ?」

「やはり良い知らせだな。 やっと実感が湧いてきた」

「本当に今更だな」
豊久の旧友は普段の印象を変える朗らかな笑みを浮かべた

 
 

 
後書き
御意見・御感想をお待ちしております。 

 

第十ニ話 最後の転進 最後の捨石

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵少佐であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として正式に野戦昇進する。

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊次席指揮官。大尉へ野戦昇進する。
     側道方面の防衛隊を指揮する。
  
杉谷少尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊本部鋭兵小隊長。
     (鋭兵とは先込め式ではあるが施条銃を装備した精鋭隊の事である)

西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩

漆原少尉 予備隊長 生真面目な若手将校

米山中尉 輜重将校 本部兵站幕僚

猪口曹長 第二中隊最先任下士官 新城を幼年学校時代に鍛えたベテラン下士官

権藤軍曹 側道方面防衛隊の砲術指揮官

増谷曹長 側道方面防衛隊の導術指揮官

金森二等兵 側道方面防衛隊所属の少年導術兵



シュヴェーリン・ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール少将
東方辺境領鎮定軍先遣隊司令官 本来は鎮定軍主力の第21東方辺境領猟兵師団の師団長

アルター・ハンス中佐 先遣隊司令部 参謀長


ユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナ
<帝国>東方辺境領姫にして東方辺境鎮定軍総司令官の陸軍元帥
26歳と年若い美姫であるが天狼会戦で大勝を得た。

アンドレイ・カミンスキィ 第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の聯隊長である美男子の男爵大佐
             ユーリアの愛人にして練達の騎兵将校
ゴトフリート・ノルティング・フォン・バルクホルン
西方諸侯領騎士。騎兵将校に似合いのごつい外見の持ち主
精鋭部隊である第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の中でも秀でた乗馬技術の持ち主。 

 
皇紀五百六十八年 二月二十四日 午前第五刻 苗川渡河点より後方約十里
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久少佐


 第十一大隊の行動はひどく鈍重なものであった。
何故ならば、手持ちの橇や馬車は重傷者と導術兵、そしてバルクホルン大尉用に割くのが限界であり、軽傷者を行軍させねばならなかったからである。
輜重兵達は二日日分の糧秣と残り僅かな弾薬を運ばせているだけなのだが何故こうなったのかというと

 ――それは俺が手持ちの馬車を全部近衛に渡す書類にサインしたからだ、避難民の輸送の為だから仕様がないのだが。
 偽善を兵達に強いたうえにそれを今更に後悔しかけている浅はかな自分に自嘲の笑みを浮かべた。
「霧が濃いな・・・猫と導術に頼らなければならないか」
 相対的に考えれば有利ではあるが、視界が利かないのは単純に不安を煽る。
 行軍を日付が変わった後まで送らせたとはいえ、連戦続きの所為で歩いている兵たち――取り分け負傷兵達の疲労は濃い。
 ――遭難者が出るのもまずいな。敵の先遣隊にもそろそろ気取られるだろう、もしそうなったら合流した騎兵大隊も補充・補給を受けている可能性がある。
つまりそろそろ追撃が始まる頃合だ。距離を夜間に稼いだのだから接敵する予想時刻は――いや、その前に負傷した兵達が潰れる前に休ませることも計算に入れねば――

 眠気がこみ上げ、欠伸を噛み殺す、計算を行う前に酸素を脳が求めたのである。将校――それも計算能力が必須である砲兵将校としてはあまりに無様だ。
 ――駄目だ。疲れて頭が回らん。少し歩くか。
「米倉、前の様子をみてくる、ここは頼んだ」

 馬から降りて前衛の新城大尉達率いる剣虎兵達の所に早足で歩く、指揮官は走るな。と祖父や教官にきつく言われた事が染み付いている為だった。
 正直、豊久も馬に乗っていたいのだが駒州産の将家である豊久は馬を大事にする習慣を身に付けており、剣牙虎に近寄らせ、いたずらに馬を怯えさせる事を厭うていた。
 
 ――剣虎兵自体を否定するつもりは無いが、馬との相性の悪さばかりは面倒なものだな、北領鎮台が厄介物扱いしたのも解らないでもない。なにしろ、今はまだ馬は社会の要なのだ、それは戦場でも変わらない、輜重部隊が兵站を支えているし、戦場の神である砲兵も馬を使っているし、そして追撃の華である騎兵は人馬一体でなければならない……我ながらやや主観が入っているような気もするが、これ自体は剣虎兵部隊が匪賊討伐に成果をあげても軍上層部が剣虎兵部隊の拡張を行わなかった原因の一つである。剣牙虎の集団投入は既存の戦場を台無しにしかねない可能性がある、と考えられている。そして、それは敵に齎す効果をみると杞憂ではなかった事が分かるだろう。運用を誤れば味方に起きる事も十分に有り得る事であるし、誤りは人死にが多発する戦場では(もちろん避けるために努力は払うべきだが)当然のものとして考えるべきである。
 さて閑話休題

「そろそろ大休止を行う。森の所で兵達を休ませよう」
「はい、大隊長殿」

目的地までは残りは約五里程度――ならば、一刻程度で到着するはずだ。
転進作業には二刻程度と見ていいだろう。
苗川からも十五里程、騎兵もそう長く単独行動は出来まい。
休憩をとってもこの状態なら何とかなる、水軍も護衛程度とはいえ陸兵が居るはずだ。
艦船の火力もあるし、合流すればどうとでもなる。

 ――休憩しないと後が危険だ。散々〈帝国〉軍を疲労させたこっちが疲労しきったところを襲われる、ここまでやっておいて、これが因果応報ってお話だったのさ、何てオチは好みじゃない。
そんな訓話を読みたいなら寺の説話集で読める。

休憩開始から半刻程した時、増谷曹長の部下の一人が頭を跳ね上げた。
「大隊長殿!
敵主力より、騎兵二個大隊が突出して行動を開始しました!
側道の大隊と合流し南下しています!」

「!!」
 ――やられた。
豊久は自分が兵達を連れて渡っていった綱がついに音を立てて切れた事を理解した。
――帝国の兵站を破壊しても物資自体は〈帝国〉本土より届いている。勿論、第十一大隊にその補給線を絶てるワケはない。だが、それをすれば致命傷になる、帝国軍はそれを恐れて鎮台主力を追撃すべく、ほぼ完全編成の一個旅団をあの状況で派遣させたのだ。
――真室が破壊された事で危機感を覚えた〈帝国〉軍は、そのか細い線に無理を言わせたのだろう。 そして先遣部隊司令部はその糧秣を手にしながら蛻の殻である陣地を見てこう判断したのだ
――時間切れである、敵軍主力は既に逃亡したのだ、と
騎兵一個聯隊を闊達に運動させられる糧秣を用意させる理由はただ一つそれだけだ。
 一個大隊に消耗した先で逆襲の時を待つ北領鎮台一万五千名、万一逆襲の時を待っているのならば早期に撃滅せねばならない。 その虚構は逃亡した大隊が残した蛻の殻の陣地で失われた。。
僅かながら期待しついたもう一つの欺瞞、戦力の過大評価もこれで失われた。
何しろ防衛線を構築した場所には消耗した一個大隊だけしかおらず、増援もろくに受けていないのだ、逆襲もへったくれもない状態なのは分かるだろう。
 さて張り子の虎を取り払い、此処に残りますは小癪な大隊、急造の補給線から回した一個連隊分の糧秣で叩き潰すには――
「傷を負った連隊でも十分ってか?」
 悪罵を噛み殺して呟く。
  ――見事に的中だ、俺の一縷の望みも絶たれた。
 そう既に〈帝国〉軍には後先考える必要は無くなったのだ、全力を挙げて小癪な蛮族の大隊を叩き潰せばよいのだ。
  ――俺は自国の村を焼き、敵を弱らせ陣地と地の利に頼り、背後の尻に帆をかけた冷蔵式敗残兵の群れに下すであろう過大評価を張り子の虎にして時間を稼いたのだ。
それらが消え失せた今、〈帝国〉軍は考える。

答えは一つ対処も一つ、この街道で裸の大隊を叩き潰す上手くすれば余裕があれば海岸の残存戦力へ偵察を行い、可能ならば(おそらく可能だろうが)残存戦力を掃討する。
 ――なんとも単純明快にして確実極まりない答えじゃないか、羨ましい限りだ。
 鼓膜のすぐそばで心臓が喧しく鼓動の音を響き。視界の凡てが無味意味なものとなり、思考が喧しく本能を喚きたてる。
 ――嫌だ、厭だ、あの天狼に敷き詰められた屍体達から逃げてきたのに、こんな最後の最後で死ぬだ、なんて嫌だ!俺は何としても生きて帰りたい!

――俺も含めて皆を生かして帰したい、どうする?

 ――濃霧と導術を利用し逃げる。
Non 海岸まで逃げ切れても作業中に襲われる。行き着く場所は北美名津と言うことは知られている筈だ。そんな皆に中途半端な希望を抱かせる終わりは断じて御免だ。

 ――やり過ごし、背後から仕掛ける。
Non 本隊と挟撃されたいのか? 余計無惨な結果を産むだけだ。

  ――遅滞戦闘隊を集成、時間を稼ぐ。

  ――これしかない 此処で騎兵を相手に三刻も稼げば何とかなる。
濃霧を利用すれば苦しいが何とか残りは生きて帰れる――問題は誰がやるかだ。

 ――言い替えれば誰を内地へ帰すかを俺が決めるな、さてどうする?
一番魅力的なのは今すぐ皆に土下座して自決して、新城に後を任せたいのだが流石にやれない
馬鹿らしさに自然と笑みが浮かんだ。
――昔聞いたときには石器時代の風習とか悪口を云ったがこうなると魅力的な選択肢に見えるな。

――まず基本として導術兵は論外、帝国では宗教上の理由で導術は忌み嫌われている。
遅滞戦闘部隊は戦死か俘虜になることが確実なのだ、それは酷すぎる。

 ――ならば霧を利用する以上、剣虎兵は必須だ。鋭敏な感覚は導術探索の代替になるし、騎兵の攪乱は、必ず必要になる。

脳裏で理論を組み立てる。
 現状、所持している玉薬から考えても此方が割けるの一個中隊規模、ただそれだけで、敵を誘引し、可能な限り時間を稼ぐしかない。

 ――糞っ!結局は殺されるか、捕らえられるか、その下らない選択肢しか与えられないのか!
 いつの間にか顔を覆っていた手で不甲斐ない自分のこめかみを締め付ける。

「大隊長殿。」
 新城が淡々と声をかけてきた。
「何だ」

「自分が」

「いや、俺がやる、中隊を集成し直率する。」

「撤退出来なくなります、それに大隊長は主力を掌握していなければ。」
「主力?
戦うのは俺が直率する中隊だけだ、剣牙虎も砲も残弾を含めて全部もらうぞ。
どうだ、此方が主力だ。」
 無茶苦茶もいいとこだが豊久は重ねて、大隊長直率は、士気と統率を保つ手段である、と言い募った。
「・・・・・・」
 新城はまるで硝子の様な目で旧友を見ている、何を考えているのか分からない。
「捕虜の騎士殿と騎兵砲とその要員を全員、剣虎兵二個小隊と、鋭兵中隊、療兵分隊を残せ。
残りは大尉が撤退行動を指揮し、転進せよ。
それとお前が取りすぎた細巻を返せ、命令、だ。」

「はい、大隊長殿」
騎兵砲は四門しかない、負傷者が多く輓馬が足りなかったのだ。
新城から奪還した細巻に火を着けると馬堂少佐はぼんやりと空を見上げた。
 ――上物だ、やはり旨いな。



「最後まで望んで貧乏籤を引くなんてずいぶん変わったご趣味ですな。少尉殿。」
「まぁしょうがないさ。乗りかかった船に変な愛着が湧いただけさ、帝国の捕虜の扱いが良い事を祈るよ」
冬野曹長と西田が軽口を叩きあっている。
 あ~、もっと悲壮な感じになっていると思ったが。
「少佐殿、忙しくなる前に食べときましょう。」
 鋭兵中隊長を志願した杉谷が餞別の握飯をもって馬堂少佐に近寄った。
「お前も残ったのか?」
「夜襲の時からのご縁ですからな、生きて帰ったら面倒みてくださいよ」
「――まぁいいや、ありがとな」 

かつて、彼を怨んでいた漆原が志願しているのは無視している。
何を想っているのかを聞くのが怖いのだ。
「―― 一個寄越せ。」

 作戦は単純、ここまで来た敵を森から砲撃及び射撃、猫に吼えさせ、騎兵を混乱さたところを徹底的に叩く。
 その後は森で身を隠しつつ時間を稼ぐ、それだけだった。単純で穴だらけの作戦だ。

――誘引?此方の射撃で中隊規模だとあっさり看破されたら、一個大隊で地帯戦闘を行い、大隊の追跡を続ければよい話である。
 ――砲撃と剣虎兵への畏怖による判断ミスを願うばかりだ、本隊は最早、猫が一匹いる銃兵部隊でしかない。
 この部隊は騎兵砲四門、猫七匹、兵数は約百名超と一個中隊規模としては中々の戦闘力を持っているが、それだけでしかない。
 ――やるだけやってみるか
そう考えると馬堂少佐は無理矢理唇を捻じ曲げた。



午前第七刻 苗川渡河点より後方約十五里 北美名津浜
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長代理 新城直衛大尉


独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長代理となった新城直衛はいつも通りの仏頂面であってもどこか不安定な様子であった
「大尉殿、部隊の半数は既に乗船を完了しました。」
 
「そうか、水軍の方も急がせてくれ。」
 猪口曹長が報告するが、それに応える姿もどこか茫洋としたものであった。
 ――意外ではあった。
 新城が判断する限り、馬堂豊久は決して無能でも臆病でも無いが、その根底は保身的であり、社会的にも医学的にも生存することに執着した人間であり、情に厚く時には偏執的なまでに義理堅い面もあったが、けして自ら捨て石となろうとする人間では無いと診断していた。

 ――いや、あいつが死んだと決まったわけではないか。
預けられた書簡は、彼の祖父――当主に宛てられている。
 ――何が書かれているのだろうか。祖父への遺言? それとも生還した後への布石?
彼奴は何を考えてこの文を書いたのだろう?

――いや、今考えることではないか。今は一刻も早く内地へと帰還しなくてはならない。
 ――命令は下されているのだから

 

 

第十三話  意義のある誤ち 意義のなき正しさ

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵駒城家の重臣である馬堂家の嫡流で新城の旧友
     砲兵少佐であるが独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長。最後の後衛戦闘隊を直卒する

新城直衛 独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長代行。馬堂少佐に指揮権を託されて内地へと帰還する
  
杉谷少尉 理知的な鋭兵将校、後衛隊に志願する。
     
西田少尉 第一中隊長、新城の幼年学校時代の後輩 後衛隊に志願する

漆原少尉 生真面目な若手将校 馬堂少佐に反発していたが後衛隊に志願する。

権藤軍曹 側道方面防衛隊の砲術指揮官

増谷曹長 側道方面防衛隊の導術指揮官




シュヴェーリン・ユーリィ・ティラノヴィッチ・ド・アンヴァラール少将
東方辺境領鎮定軍先遣隊司令官 本来は鎮定軍主力の第21東方辺境領猟兵師団の師団長

アルター・ハンス中佐 先遣隊司令部 参謀長


ユーリア・ド・ヴェルナ・ツァリツィナ・ロッシナ
<帝国>東方辺境領姫にして東方辺境鎮定軍総司令官の陸軍元帥
26歳と年若い美姫であるが天狼会戦で大勝を得た。

アンドレイ・カミンスキィ 第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の聯隊長である美男子の男爵大佐
             ユーリアの愛人にして練達の騎兵将校。
             追撃隊を抽出し、第十一大隊を追う。

ゴトフリート・ノルティング・フォン・バルクホルン
西方諸侯領騎士。騎兵将校に似合いのごつい外見の持ち主
精鋭部隊である第三東方辺境胸甲騎兵聯隊の中でも秀でた乗馬技術の持ち主だが新城によって俘虜となる。 

 
皇紀五百六十八年 二月二十四日 第十三刻小半刻前 街道より西方二里 森林内 
独立捜索剣虎兵第十一大隊 遅滞戦闘隊 大隊長 馬堂豊久


「杉谷少尉!現状報告を!!」
 声を掠れさせながらも中隊長となった馬堂豊久少佐は戦意を失っておらず、吠えたてた。
「火力を完全に喪失してしまいました。
剣虎兵達は頑張っておりますが、もう霧が晴れたら時間稼ぎもままなりません。」
 杉谷少尉が鋭剣を拭いながら云った。
「――よりによってこの俺が砲兵にも銃を持たせるなんてまさに末期も末期だな」
 煤と血で全身を汚した馬堂少佐は舌打ちをして呟いた。
 ――敗軍らしい竜頭蛇尾の戦だよ。ホント、竜頭蛇尾・・・か。
「そう言えば俺が指揮権を受け継ぐあの夜襲前に天龍に出会ったとか新城大尉が言っていたな――此処までどうにもならないのならいっそ龍神の加護でも祈るか?」
 それでも尚、唇は歪み、ふてぶてしく笑みを浮かべている。
「今までの博打の出目の良さにこの濃霧、寧ろ天の配剤をしかと受け止められたからで、これ以上を望むのは不遜でしょうな」
 確かに、杉谷少尉の言葉は事実であった。
 遅滞戦闘隊は20名近く戦死者を出し負傷者を含めるとほぼ戦闘力を喪失していたが敵はその倍以上の痛手を被っていた。
 だがそれでも敵は追撃戦で本隊を潰すには十分以上の戦力を保っており、二個大隊強の兵力で中隊の残骸を包囲している。
 側道陣地戦で渡河した一個大隊を半壊させたのでこれでほぼ全戦力を拘置できていると判断できた。
 ――流石に猫の数までは解らないだろうし、本隊の戦力を過大評価しているのだろう、実に都合が良い。
 半ば痙攣的な自棄であったが、諸兵科連合としての強みを一個中隊に集約した賭けは、なんとか勝ったようだ。
「此方の実情は厳しいからね。睨み合いは大歓迎だ」

「あちらさんも今まで付き合って下すったんだ、もう少しばかり気が長いままで居て欲しいですな」
 杉谷が腹をくくっているのを見てとった馬堂少佐は軽く背を叩いて、療兵達のとこへと向かっていった。

「冬野曹長は?」

「命に別状は有りません。ですが意識が戻るまでは暫くかかります。」
 療兵伍長が安堵の溜息をつきながら教えてくれた。
 冬野曹長はギリギリまで騎兵を引きつけ、散弾を叩き込んだ代償として敵の白兵戦によって負傷していた、生きていただけでも幸運である。
 ――生きて戻れたら希望に沿った選択をとれる様にしてあげなくてはいけないな。

拳銃の火皿に玉薬を注ぐ。
「漆原少尉、杉谷少尉、戦闘可能人数。」

「剣虎兵隊、戦闘可能人数 二十二名、猫五匹です。
西田小隊長が一個分隊に猫二匹を直率し、警戒位置に付いています」
  漆原も自己を再建したのか、かつての素直さと感じさせる口調で応えた。
 ――最低の戦場に適応し変化したのか。 ひょっとしたら俺なんかよりもっと優秀な――
 豊久の持病ともいえる分析癖が頭をもたげるが、戦場の現実はそれを許さず杉谷が矢継ぎ早に報告を行なった。
「鋭兵部隊、砲兵、軽傷者込みで戦闘可能人数、四十三名です。
ですが、矢弾も尽きかけておりますので、そろそろ騎兵相手に白兵戦を仕掛けねばなりますまい」

「ふむ、時間は十分稼げたし敵も消耗している、後もう少し持ち堪えれば、我々が――」

「大隊長殿!敵が集結しています!」
 西田少尉が駆け戻り、剣虎兵を集結させながら叫んだ。杉谷も施条銃を担いだ兵達を寄せ集め、向かっていく。
――いよいよ不味いな 膠着状態に焦れたか!
「打ち方用意!!」
 杉谷少尉の指揮の下で、鋭兵達は射撃を行い、敵を押し返えそうとする。
 ――後少し、後少し保たせなくては・・・
「少佐殿!敵の・・・」
 漆原が戻ってきた、そして――銃声が、響いた。


同日 正午  街道より約半里 林内
独立捜索剣虎兵第十一大隊 遅滞戦闘中隊 剣虎兵小隊 小隊長 西田少尉


 敵の騎兵は森林内では行動が制限され下馬した状態でしか戦闘ができない、
だからこそ馬堂少佐は本隊が追いつくまでは此処で誘引すること考えたのだ。
だが、そんな事は敵も承知している筈だった、それを理解していた西田は敵が射撃を受けるとあっさり後退するのを見て違和感を抱いた。
 ――おかしい。
西田がそう直感した瞬間、後方で銃声が響いた。
「しまった!総員後退!」

「・・・やってくれる。」
 騎兵銃を装備した小隊が徒歩で奇襲をかけたのであった。
馬堂少佐が五名程の兵を直率し応戦しているが数が違いすぎ、自らも鋭剣をふるい、白兵戦を行っている。
 捕虜のバルクホルン大尉は足を負傷しているからか静観している様だ。

「剣虎兵小隊!突撃ぃ!」
此方に気がつき逃げ出そうとするがそうはいかない。
隕鉄が咆哮し、飛び掛かった。

 ――即座に殲滅出来た。
 だが、漆原は背中に数発の銃弾を受けており、西田に続いて駆け寄った療兵は首を振る。

「大隊長殿、助かりません。急所は外れていますが
これでは苦しむだけです。」

「・・・」
馬堂少佐は目に哀切な光をよぎらせ、頷く。
 漆原が何かを呟く
「漆原?」
 馬堂少佐が耳をよせ、
「――――」
何を聞いたのか無表情に銃口を心臓の上に乗せた。
「違う、俺は・・・」
何事か呟き引金を引いた。

そして、何かを堪える為に瞑目する。
 寒風が吹くと、目が覚めたかのように頭を振り、馬堂少佐が絞り出す様に言った
「西田少尉、青旗を持って来てくれ。」


午後第一刻一尺 街道より西方二里 森林内
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久


「少佐殿・・・自分は・・・貴方の様に正しくは・・・」
彼の末期の言葉が耳に残る。
 ――違う、俺は正しく何か無い、弱者の理論を武器にして皆を言い包めただけだ。
 俺は誤っていないだけで正しい軍人ではない。
 寒風が――吹いた。思考が打ち切られ、豊久は自分の場違いな思考――新城の言う所の贅沢な思考に浸る自分に気づいた。
 ――駄目だ。奴の言っていた様に割り切らなくては。
 馬堂少佐は慌てて己を再編する、アルキメデスみたいな死にかたをするほど脳内象牙の塔に引きこもるつもりはない。
 ――今、必要なのは……取り敢えずあれをもう一回やられたら終わりだ、時間も稼ぎ、最早これ以上戦うことに意味はない。

「西田少尉。青旗を持ってきてくれ。」
 淡々とした口調でそう云うと大隊長は捕虜であるバルクホルン大尉の所に向かう。
「バルクホルン大尉殿」
「何だろうか? 少佐殿」
「我々の戦況はどうも戦況とよべるものではないと認めざるを得ません
つきましては――」
「解っています。少佐。どうやら立場が変わったようですね」
 勇壮な顔に笑みが浮かぶ。

「ええ。どうやら本来あるべき正しき立場に――部下達には通じないから言える事ですが」
 唇を捻じ曲げ、大隊長はそれに応える。
「お願いできますか?大尉
一つ最後に蛮族共の人質になっていただきたいのだが」

「ご一緒しましょう。少佐殿。私の凱旋の為に肩を貸していただきたい」
 涼しい顔で応答した騎士大尉に声を上げて笑うと馬堂少佐は勇壮な騎士に肩を貸して、青旗を掲げた権藤軍曹が引き連れて森を出るべく歩み出した。

 部隊から離れた辺りでバルクホルン大尉が諫める様に口を開いた。
「少佐殿、貴官は若い様だが先程の様な物言いは止めた方が良い。」
「申し訳ありません。どうも戦闘が終わると思うと気が緩んでしまった様で。」
 ――やはり誇り高く、公明な騎士なのだな。
自身に欠けた模範的な軍人貴族のそれに妬気を抱きながらも前へと歩む。
 破壊された砲と騎兵達の死体が境界をつくり、森が拓けた、それを超えると、途端に騎兵達の殺気立った視線が蛮族達へと突き刺さる。

 青旗とバルクホルン大尉を見て歓声と戸惑いが広がるのを見て、豊久は密かに冷や汗を流しながら安堵した。
 ――最後の命綱の効果は上々、か。いなかったら踏み潰されていたかもしれない。
「降伏の為の軍使を受け入れて頂きたい。」
前に出て来た士官に声をかける。

先程、刻時計を見たら宣言した時間をやや過ぎていた。
彼を包囲する兵の数を改めて見て、最後の仕事も果たせた確信に自然と少佐は頬を歪めた。
 その時、はじめて霧が晴れている事に漸く気がついた。
――やはり疲労している様だ。

「宜しい!軍使を受け入れる!」
 一際立派な将校が馬から降り立ったのを見ると、大隊長として馬堂少佐は、権藤軍曹に大尉を預けて前に進む。

「〈皇国〉陸軍独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長、馬堂豊久少佐です。」
「〈帝国〉陸軍第三東方辺境領胸甲騎兵連隊聯隊長 男爵大佐 アンドレイ・カミンスキィです。」

 ――凄い美男子だな、年は俺より少し上か? 帝国人は分かりづらい。

「大佐殿、私と私の部隊は〈大協約〉に基づいた降伏を行う用意があります。」
「貴官の決断に敬意を表します。少佐。
〈大協約〉に基づき貴官とその部隊の降伏を受諾します」
胸に手をあて宣誓する姿は彫刻かと思う程に様になっている。
「〈大協約〉の保証する捕虜の権利 その遵守に全力を尽くす事を皇帝ゲオルギィ三世陛下の忠臣にして藩屏たる〈帝国〉軍将校〈帝国〉貴族として誓約いたします。」
 ――貴族、か。 男爵で大佐、幾つなのだろう、この男は。

「貴官の勇気と道義に感謝します。カミンスキィ大佐」
 その言葉で儀式は終わりだ、と言いたいのかカミンスキィ大佐は兜を脱ぎ、親しげな表情をした。
「まさしく勇戦されましたね。少佐。」
 ――なんとまぁ、名演だな、宮野木の糞爺を思い出す。
 裏から滲む悪意を感じとって豊久は内心鼻を鳴らす。
「いえ、真に称賛されるのは兵達です。
常に彼らが砲火に身を晒し、馬を駆り剣牙虎と共に戦場を走ります」

「そう、正しく称賛されるべきは常に兵達です。
ですが兵は――猛獣は――腕の良い猛獣使いの下で初めて有益に働きます。」
 ――そっちが本題か?新兵科の事でも探るつもりか。
「猛獣。剣牙虎の事ですか」

「えぇ、そうでもあります。そして、貴方の部下達の事でもあります」
 ――何のつもりだ?

「何しろあの地、確か――マムロでしたか
其処にいた部隊は全滅するまで勇敢に戦い抜いたのですから」

「!!」
――馬鹿な!!降伏を許可した筈だ!!


「さぞかし勇敢だったのでしょうね。
生憎と私は先遣部隊としてナエガワで貴官の部隊と交戦していたのですが。
マムロで玉砕するまで戦いぬいた部隊が居たと聞きましたよ。」
豊久の顔をみて愉しげにカミンスキィは口角を吊り上げた。
その瞳には蒼白な顔をした敗北者が映っていた。
 ――笑みを見つめて硬直した顔面を戻す。
「確かに、ええ確かに、彼らは勇猛果敢でした。
名誉を持って散った事を誇りに思います。」
言葉を返し、敬礼をすると部隊の元へと歩く。

 ――畜生、俺は出来る限りの要素を塗り潰した筈だ、あの時そう確信した筈だ。
水軍との二重の手段での策は確かに成功した。だがこの事態は何だ?後悔しない為にここまでやったのだぞ?

 自身の策が正しく作動し、弾き出した結果が豊久を責め立てる。
――止めろ、大馬鹿者、お前は指揮官だ。部隊に戻り、嘲笑との戦争を行う必要がある。
自己憐憫などやっている暇はない。

顔を戻す努力をし、部隊へ戻った。
部隊の残存兵力は五十名にも満たなかった。猫は五匹しかいない。
 ――剣虎兵大隊、か。
本隊はまだ三百以上いた。それを撤退させたのだから格好がつかないのは当り前か。

冬野曹長も目を覚ましていたが、脳震盪を起こしたらしく、療兵曰く眩暈が酷く立たない方が良いらしい。
「西田少尉、杉谷少尉、我々は目的を完遂した。
これは少なくとも敗者としては最高の栄誉と言って良いだろう。
最後まで軍人としての見栄を張らなければならない。
特に武器を引き渡すまでは絶対に、だ」
皆、疲労の色が濃いながらも頷いた。

冬野曹長が負傷した為、最先任軍曹の権藤が砲兵らしい裂帛の号令を放ち装具の点検を行った。

そして冬野曹長達、重傷者を担がせる。
バルクホルン大尉は特に丁重に〈帝国〉軍に帰還する勇者として扱われる。
列の先頭に立った大隊長は無表情に歩む。
――嘲笑うか? 嘲笑いたければ嘲笑え。確かに俺達はお前達に勝ってはいない。
――だが俺達もお前達には敗けていない。
 
「第十一大隊、前進!」



この降伏交渉は〈皇国〉陸軍と〈帝国〉陸軍の間で北領において行われた最後の交渉であり。
書類上は、大協約に基づき帝国陸軍は北領においても降伏を全て受け入れた
と記されている。
 

 

第十四話『猛獣使い』帰還せり

 
前書き
新城直衛 <皇国>陸軍大尉 独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長代行
     旧友である馬堂豊久から指揮権を託され、内地へと帰還する。

浦辺大尉 笹嶋中佐が司令を務めた転進支援隊司令部の戦務参謀

坪田中佐 <皇国>水軍東海洋艦隊 巡洋艦大瀬の艦長
 
駒城保胤 駒州公爵家・駒城家の長男にして駒州鎮台司令長官である陸軍中将
     
蓮乃   新城の義姉 かつてともに戦地を彷徨った時からの縁であり。新城の愛する女性
      保胤の愛妾にして事実上の正妻

馬堂豊長 馬堂家の当主であり、馬堂豊久の祖父

馬堂豊守 豊久の父、准将に昇進している。 

 
皇紀五百六十八年 三月五日 午前第八刻 皇国水軍 巡洋艦 大瀬 上甲板
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長代行 新城直衛大尉

独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長代行と肩書きを変えた新城直衛は海原を眺めながら思いを巡らせていた
 ――僕が残るべきだった。アイツが先に行けと言った時、僕は――俺は安堵した。
豊久はそれを見透かしていたのだ。奴は昔からそうだ。
  内地の事を考え、内心で舌打ちをする。
――大隊長、か。最後の最後でまた大隊長が代わった、あの馬鹿め、最後の面倒だけ僕に押しつけて残りやがった。
 新城は、豊久の生死次第では自分も厄介なことになりかねない事は理解している、身内の結束が強いのは将家の特徴であり、それは馬堂家も例外ではない。
確かに馬堂家は陪臣の中では数少ない自分に好意的な家だったが、嫡男を失って尚もそうであると思うほど新城は自分の人間的魅力を信じる人間ではないし、相手が理性的であるとも信じていなかった。

「新城大尉」
 笹嶋中佐が残した転進支援本部の人間である浦辺大尉が新城に声をかけた。
「浦辺大尉、騒いでいる様ですが何でしょうか。」
「ええ、天龍が接近しておりまして――
一昔前までは戯れに転覆させられていましたから警戒しています。
龍は教条的な程に〈大協約〉を尊ぶと言いますがどうも若い龍のようですから念の為です」
 心配は要りません、と言いながら指された方向を見る。
 ――確かに天龍だ、わざわざ此方に来るか、
「もしかしたら、『知己』なのかもしれません。」
「知己、ですか?」
「はい、北領で〈大協約〉絡みで。」
 それを聞くと何かを悟ったのか浦辺大尉は暫く考えると
「ならば艦橋に行きましょう。坪田艦長は良くも悪くも叩き上げの船乗りですから、警戒して合戦準備も考えているでしょう」
と云った。

 新城が坪田中佐へ近づくと、それを見つけたのか天龍が大瀬へと接近してきた。
 坪田中佐が体を強ばらせるのとほぼ同時に導術の声が頭に響く。
『当方に敵意なし、当方に敵意なし 貴艦便乗中の友人に挨拶を送りたし。』
船員達のどよめきが新城の耳にも届いた、天龍程になると術師の素質のない者達にも導術の声を聞かせられる事は〈皇国〉人ならば誰でも知っている。だが、実際に天龍の“声”を聴く事ができる者はめったに居ない。
船に並走した天龍は、やはり新城が〈大協約〉に従い負傷したところを救助した坂東一之丞であった。
「お出迎え痛み入ります、坂東殿。」
『とある筋より貴官の生還を知りまして、ご迷惑かと思いましたが
兎にも角にも一言お祝いを申し述べたく参上致しました。
助けていただいた時に申した一斗樽は持ち合わせていませんがね。』
笑いのような導術の細波を感じた。
『皇都まではもう僅かですお乗せしましょうか?』
「お気持ちは有り難いのですが、部下と共に帰還する事も自分の任務ですので。」
不思議と久々な肯定的な気分を弄びながら新城は云った。
『これは出過ぎた真似をしました。このままでは艦の邪魔になりますな、今日のところはこれまでにします。ご迷惑でなければ、いずれ皇都にご挨拶に向かわせていただきます』
「ご迷惑などとんでもありません。皇都での再会を楽しみにしております
――それではいずれ、また」
 導術ではなく咆哮で新城に答え、若き天龍・坂東一之丞殿は再び高みへと舞い上がった。
 彼の言った通り、艦長が新城とその部下達を甲板へ呼び出すのに時間は掛からなかった。

 ――全く意外だな、自分にこんな里心があるとは、気に入らない所だらけ、僕の全てを奪い全てを与えた国へ一番親しい友人と後輩を残して尚かんじるこの気持ち。
「故国、ですね」
 ――そうだ。《故国》だ。
浦辺はおそらく新城とは全く違った味わいでこの言葉を噛み締めているのだろう。
「えぇ、故国です」

「おーい!」
港が微かに見えるようになると皆が次々と手を振り、声を上げはじめた。
戦場では古兵として戦っていた者達も下士官の演技をかなぐり捨てている。
全員が指揮官の視線に気がつき慌てて顔を引き締め、気ヲ付ケの姿勢になる。
 ――少なくとも彼らは、とっては贅沢な結末を得られたわけだ。
 束の間も楽観的思考に浸り、新城は素直な気持ちで彼らに告げる。
「諸君、故国だ。御苦労様でした。」


三月五日 午後第三刻 皇都水軍埠頭
駒城家 御育預 新城直衛少佐

帰還の式典は簡素な物だった、軍監本部から来た代表が1ヶ月の休暇と路銀の支給を伝え、そして、新城直衛は陸・水軍、両方で少佐の階級を得た事を伝えたのみであった。
兵達が解散し軍監本部の人間との話を終わらせ、肩書きが幾つか増えた新城直衛に初老の男性が歩み寄る、――新城家の家令(正確を期すなら直衛一人の新城家の)である瀬川である。
「直衛様、荷物を」
「ありがとう」
 そして新城は彼を待つ陸軍中将の元へと歩く
「駒城閣下。新城直衛少佐、只今戻りました」

「御苦労様でした。少佐。」
 敬礼を交わし、中将と少佐の間に沈黙が降りる。それを破ったのは乳母の抱く幼子の声だった。
「麗子様、初姫様ですか。一年ぶりですか。大きくなられましたね」
 新城の義兄である駒城保胤が顔を緩ませた。
「あぁ驚く程にな。何はともあれよく帰ってきた。直衛」
「直ちゃん」
 ――この声は
「ただいま戻りました、義姉上」
 直衛と共に東州の戦野を彷徨い、蓮乃のおまけで保胤の庇護を受け、直衛は育預になり、新城直衛と成った。
 蓮乃、新城直衛最愛の女性は、大恩ある義兄の妾にして事実上の正室として彼がもっとも慕う駒城保胤と共に在った。
「また無茶をして、怪我は無い?」

「無事です。義姉上」
新城もいい歳なのだが、どうしてもはにかんでしまう。
「小さな頃から何時もそう。見栄を張って無茶をして、本当は何もかも恐くて仕方ないのに」
 蓮乃は泣き出しそうな声で云い。
「直ちゃん・・・」
 そして、堪えきれずに泣き出した。

 ――僕の
 ――僕の胸で、ねえさんが

 蓮乃の存在、その全てが直衛の内面で押し殺され続けているおぞましい衝動を煽る。
 だが新城直衛はそれらを全て微笑に収束させる術を完全に修得しており、千早の鳴き声が聞こえると意識してそちらへ注意を向けた。
「おいで!千早!」
 巡洋艦から運びだされた檻から飛び出した美猫は主人に甘えるように鳴いた。
 過酷な戦場を生き抜いた勇壮な剣牙虎のそれに、一同は笑いに包まれた。
 変わらぬ――故国だった。


三月七日 午後第五刻 皇都 馬堂家上屋敷応接室


「――死んだ、と決まったわけではない、まだ希望はある、と考えてよいのだね?」
 五十前の紳士然とした男が尋ねた。
「俘虜の確認がとれたら、生存の確認がとれます」
 馬堂豊守は、駒城家が手を回して彼を准将へと昇進した意味を無視して生存を断言した。
「うむ、素直に無事を祈らせてもらうよ。
彼が生きていないと我々の政略が狂う、というだけでなくね」

「娘さんの事ですかな?」
 豊長が口元を緩めて尋ねる。
「む……そうでもありますがね、そもそも、そうなったのは私自身もあの若者を買っているからなのですよ」
 故州伯爵・弓月家の当主である弓月由房は、決まり悪そうに咳払いして云った。
 彼の次女は馬堂豊久と婚約を交わしている。
「えぇ、それは承知しておりますとも。
で、あるからこそ此方の馬鹿息子の我儘に付き合ってくださってるのですから」

「あれも彼のことを気に入っているようだからな。だからこそ、無事でないと困るのだ
――まぁ今更だな、この件に関しては私にできることなどもうない」
 そう言って真剣な表情に戻るとこの屋敷でなければ口にできない内容を言い放った。
「この戦争、私には兵馬の事は分からぬが、それでもこれだけは銃後のものとして理解できる。
御国の現状は非常に危ういものだ。――何しろ頭がまるで機能していないのだからな」

「――それは、また大胆な物言いですね。
官庁の中の官庁を牛耳る御方の言葉と考えるとお互い耳が痛い、と言うべきでしょうか?」
 一拍おいて馬堂豊守准将は苦笑しながら云った。
 弓月伯爵家は、皇主が古都である故府に御座した時代から仕えていた家であり、彼自身も五将家の閥に属さず州政局次長・天領知事・警保局長と内務省の顕職を渡り歩き、内務省第三位の席である内務勅任参事官の地位へ至った内務省の実力者であった。
「今までならそれで済んだだろうがね。今の私は限りなく無責任に言えるからな。
何しろ、北領帰りの大将閣下達が予算・動員を言いたい放題だ、五将家と云えどもやりすぎたな、護州陪臣の官僚がこちらに情報を漏らしている」

「再反攻の件――ですな?」
黙って聞き役に回っていた豊長が云う。

「その通りだ、私は内務官僚であって軍人ではないから兵馬のことには口が出せん。
だが、軍人の言う――その、なんだ、兵站とやらを支えているものはよく理解しているつもりだ。
北領鎮台の動員数から比較するだけでもあの守原の言うことが実現したらどうなるかは分かりきっている」
 上品な鼈甲眼鏡越しにぎらり、と眼力を強め、弓月伯爵は静かな口調で云った。
「――破滅だよ。北領にどれほど軍を展開し続けるつもりだ?
それを養う穀物はどこから産み出す?兵達の賃金は?工廠を稼働させる金は?消耗した人員は?
御国は何時まで戦時体制を続けられるのか、怪しいものだよ。」
そこまで言うと首を振る。
「何をするにせよ、戦争というものは金と人が馬鹿馬鹿しくなるほどに必要だ。だいたいだな、守原は短期間で決着をつけるつもりだそうだが、奴はさっさと片付けられたばかりじゃないか、
身代を潰した阿呆に投資をしろ、なんてそこらの両替商なら尻を蹴っとばされて追い出されるような話だよ」
 諧謔を混ぜた物言いに馬堂の主である二人はくつくつと笑った。
「えぇ、其方の対応は軍部――保胤様や兵部省・軍監本部の反対派も動いています。
取り敢えずは我々がどうにか食い止める為に全力を注ぎます、必要であれば手を貸していただきますが」
「遠回しであれ、自殺する趣味は私にはないよ」
豊守の言葉に伯爵は笑みを浮かべてのらり、と応える。

「大殿様、若殿様、失礼いたします」
話が漸く切れたところを見計らい、老練の家令頭である辺里が来客を告げる。
 馬堂家の二人が眉をひそめるのを尻目に弓月伯は愉快そうに体を揺らす
「ふむ、北領の英雄殿か」
 豊守が張り詰めた表情でそれに応える。
「えぇ、彼は遅滞戦闘隊を直率した豊久と別れています、生死不明です。
まぁ主家の末弟殿ですからお目にかからなければならんでしょうが、あまり期待しない方が良いでしょうね」
息子の言葉に豊長もは頷くが、一層興味深そうに弓月伯が云った。
「豊長殿、私もここに居て宜しいですかな?」


午後第五刻半 皇都 馬堂家上屋敷
駒城家育預 新城家当主 新城直衛

 狩猟犬として有名な龍州犬を伴った屈強な男達が一間(1m)程の警杖を携え、油断なく来訪者――新城直衛をじろじろと眺めている。
 ――この屋敷もいつも通りか。
 憲兵上がりが大半を占めている警備班は事実上、馬堂家の私兵である。政界・財界へと根を伸ばしている馬堂家の躍進の背中を護り続けている彼らは人数こそ十数名に過ぎないが、馬堂豊長を当主とする馬堂家に忠誠を誓っており、時には積極的な(・・・・)自衛活動に携わることも珍しくない。
そこらの邏卒よりもよほど荒事に慣れている。

「御育預殿よくいらっしゃいました」
 家令頭の辺里が新城を迎える。
「此方へどうぞ」

 新城直衛が応接室に入ると見知った馬堂家の当主とその次代を継ぐ男、そして見知らぬ貴族らしき男の三人が彼を出迎えた。
「よくいらっしゃった、御育預殿」
「いえ、僕が急に押し掛けたのです。豊守殿」
 旧友である豊久の父として新城が慣れ親しんだ相手であるが、今は厳しい表情で新城を眺めている。
 輜重兵として東州内乱に従軍し、負傷した後に後方勤務に配置されてから頭角を現した軍官僚である。
「それで――失礼ながら其方の方は――」
 新城がそう云いながら見知らぬ貴族らしき男を観る。
「――君とは初めてになるかな?新城少佐。君の話は豊久君からよく聞いているよ。
内務勅任参事官の弓月由房、故州伯爵だ」
  ――弓月、あぁ豊久が逃げ回っていた婚約者の家か
過去を思い出し、新城は僅かに口を歪めた。
婚約者云々は、新城が豊久を揶揄うネタの一つであった。
「失礼致しました、閣下。馬堂少佐殿から閣下の事はお聞きしておりました」

「それで何の用でしょうか?御育預殿。」
馬堂豊長は新城に向き直り丁重な口調で云った。
五将家支配への過渡期に騎兵から憲兵へ転向し、陸軍の国軍化に一方ならぬ貢献をなした人間である、今では退役し駒州公篤胤の右腕として政財界に転進しているが往年の眼力は衰えていなかった。
 ――豊久が帰還しなかった意味は戦死か捕虜かのどちらかしか無い、そして僕にはそのどちらかなのか、それすらも答えることは出来ない――とんだ土産をおしつけられたな。
残った旧友達の事を思い、苦いものがこみ上げてくる。
「はい、最初に、馬堂豊久少佐より文を預かっております、御改め下さい。」
文を豊守が受け取り、目を通すと面白そうに微笑し、豊長少将に渡した。
「成程――父上、これは面白いと思いませんか?」
「ん。これは・・・ふむ・・・」
 老齢の当主も声は困った風であるが口元が緩んでいる顎を撫でる。
その様子を偕謔味に満ちた目で見ながら豊守が口を開く。
「まず少佐に知らせるべき事として
第一に新城少佐の事を自身の意志で大隊長として任命している事
第二に以降の軍務においても君を大隊長として正当に扱って欲しいそうです。」
「はい、閣下」
公私半々だからかどちらも丁寧な口調で応答する
「後は・・・まぁ此方の話ですな。」
豊守准将が困った顔で三人目の男を観る。
「おや?それには私も含まれているのかな?」
機嫌良く黒茶を口にしながら三人の様子を眺めていた弓月伯爵が口を開いた。
「そうあってくださるのならば誠に助かるのですが」
「前向きに検討させてもらうよ」
涼しい顔で受け流す貴族官僚に豊守は苦笑を浮かべた。



「育預殿。今度は、豊久が此処に居る時にまた話をしたいものですな」
 実直な顔で豊長が別れの挨拶をする。
「はい、全くもって同感です、豊長様」
 新城はそれに心の底から同意した。
 
 

 
後書き
御意見・御感想をお待ちしております。 

 

第十五話 参謀長との面会

 
前書き
馬堂豊久 独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長である陸軍少佐
     最後の後衛戦闘を行い<帝国>軍の俘虜となる。

クラウス・フォン・メレンティン

<帝国>東方辺境鎮定軍参謀長である大佐
落ち着いた歴戦の勇士

ロトミストロフ
少尉候補生。生真面目な少年 

 
 ――全てが曖昧であった。
他人のような自分と自分のような他人の記憶がと渦巻いている。
誰なのかも分からぬワタシはその渦の中心で呆然とそこに在った。
 ただ只管に朦朧と自分を取り巻いている幽きモノは、なんなのだろう?
まるで死人のようだ、だとしたら、あれは誰だろう? 
ひょっとして、私に総てを預けて死んでしまったあのヒトか、私が死なせたあのヒトか。それとも――私の目の前で死んだ、あのヒトか。
――貴様が大隊長だ。
厭だ、厭だ。そんな事を出来るはずがありません。
――玉砕するまで戦いぬいた部隊が居たと聞きましたよ 
違うんだ、違うんだ、そんなつもりじゃなかったんだ。
 ――自分は・・・貴方の様に正しくは・・・
やめろ!やめてくれ!こんなものが正しさであってたまるか!!
 転々とまわり続けるソレは人ではなく本なのかもしれない。朦朧としているワタシにはよく分らない。
もしそうだったら周りつづける本を能面のような貌をした怯えた子供がじっと見つめているかもしれない。何だかソレはひどく恐ろしかった。



皇紀五百六十八年 三月十日 午前第十刻 北領鎮台司令庁舎 一室
俘虜 馬堂豊久〈皇国〉陸軍少佐


 目が覚めて早々に水瓶から冷え切った水を呷り、馬堂豊久は陰鬱な気分を冷えきった水と共に嚥下した。
「――厭なモノを見た気がするな」
 既に印象でしかなくなった夢を追い払う。
 ――暇になると性根が腐るな。まったく情けない。
 俘虜になって二週間、何故か、〈帝国〉軍は、豊久を労役に就けるつもりは無いらしく、今の彼には時間だけが腐る程あった。
 ――望まなくとも自然と内省的な気分になってしまうのも無理はない。
 そう豊久は思い直す。つい二週間前までなら目の前の軍務に逃げられたのだが、今は時間だけはある。いつかは向かい合うべきなのかもしれないが、どうにも覚悟が定まらないのであった。
 それに時間はあっても部下達がどのような労役に就いているのかも分らない。当然だが半軟禁状態であるから自分で情報を集める事も中々できないので〈帝国〉軍の将校に申請を出すくらいしかできない。
 ――西田達はどうしているのだろう?こう、隔離されたのではあの二人に隊を乗っ取られるかもしれないな。
 笑みをこぼしながらそう思った。勿論、本気ではない、最後の最後に自分の意志でついてきてくれた彼らには、自身の権限と影響力を使い、可能な限り良い場所に配置されるよう働きかけるつもりだった。
ことこうした事に関しては、新城以上の働きかけが出来ると自負している。
 露骨な言い方をするのならば、豊久の軍歴において、兵部省・軍監本部と上層部、或いは上層部候補の陪臣組と伝手を作る機会が少なくなかったのである。
 将家の陪臣といっても流石に人務部は駒城一門が~などといくわけがなく、他の将家閥であって、p横の繋がりは必要不可欠である。むしろそうした調整能力がない門閥意識に凝り固まった貴族将校は左遷されることが多い、これはどの五将家の何処でも同じである。
「さてさて、どうしたものかね。こうもなにもないと――向こうから来るのが世の常か」
 独り言をノックで遮られ、青年将校は溜息をついた。目覚めの残滓を追い払い〈皇国〉陸軍少佐の意識を身に纏うと、扉を開ける。
 ノックの主は、士官候補生らしい少年であった。
「自分は鎮定軍司令部付、ロトミストロフ少尉候補生であります。貴官は戦時俘虜馬堂少佐殿でしょうか?」
「私が馬堂少佐です。貴官の用件は何でしょうか?」
 相互に敬意をこめて敬礼を交わす。
「鎮定軍参謀長よりの伝言を預かっております。『ご迷惑でなければ参謀長執務室においで願いたい。』との事です」
 ――なんですと?
大慌てで弛緩して居た脳を稼働させる。
 ――何が目的だろう。剣虎兵の実態を探るつもりか?それとも皇国軍そのものか。会戦で大敗した後にあそこまでやったのだ。それこそ異常そのものだ。
 ――まぁ、考えても無駄か、 口を滑らせない様に気をつけるしかないな。
「自分は、少佐殿がお受けに頂いた場合、御案内するように命じられております。」
 ロトミストロフ君が緊張した様子で云った。
「喜んでお招きをお受けしましょう。」
今の北領の支配者達の命に逆らう筈もない、少なくとも今まで特例扱いされていたのだ、なにか思惑があるのだろう。



 元北領鎮台庁舎の参謀長執務室は、名札をそのまま〈帝国〉語にさしかえられただけであった。
 ロトミストロフ士官候補生がノックすると丁重な応答が聞こえた。
「どうぞ」
 ――少なくとも変に武張った人間ではないようだ。
 内心胸を撫で下ろし、豊久が入室すると紳士然とした壮年の人物が居た。
西方諸侯領出身であることを示す黒色の軍服を着ている〈帝国〉軍では貴族将校は出身地の軍服を着用するのでこうした時には便利なものである。
 ――西方の出身、バルクホルン大尉と同郷なのか。
「馬堂豊久少佐です。参謀長閣下のお招きにより参上しました」
「クラウス・フォン・メレンティン大佐です」
豊久は目を見張った。
 ――大佐で一個軍の参謀長? 少なくとも俺の知る限り、〈皇国〉では少将、〈帝国〉でも軍参謀長は少将から中将が任ぜられる役職だ
――東方辺境姫の引きか? だとしたら危険だな。この人が未だ若輩の〈帝国〉陸軍元ユーリア東方辺境姫を支え、一個軍を動かしていたのだ。
否、と思い直す。
――そもそも、実権を参謀長が握っていてもおかしくはない。であるならば、彼がこの戦いを演出した可能性が高いわけか。
「ドウゾヨロシク」
  参謀長・メレンティン大佐は好意的な微笑を浮かべて皇国語で挨拶される。
 一介の少佐に鎮定軍参謀長がここまで配慮を見せる必要があるとは思えない、個人的な何かがあるのだろうか、ともう一度返礼しながら考える。
 ――まぁ、いい。今は型通りに話を進めよう。
 好意を示してくれたのならば、悪い方に転がるかどうかは、こちら次第だろうと腹をくくる。
「大佐殿がお望みならば鋭剣をお預け致します。」
「貴官は〈大協約〉の遵守を誓われますか?」
「誓います」
 内心、苦いものを飲み込む
 ――そして、それを前提とした博打を打ち、兵藤少尉達を殺したんだ。
「ならば私も〈帝国〉将校としての名誉にかけて貴官の将校たる権利を擁護しよう。」
 そして、両手を広げて見せた。
「よくぞ、いらした!」
 芝居がかった言い方である。豊久の持病とも見える分析癖が頭をもたげた。
 ――ふむ、これは何を意味しているのだろう?敵意がないことの証明、それにこの大佐殿と俺だけ、とでも意識させる為か?いや、これは真意を隠す為と言うより趣味だろう、うん、趣味だ。同好の士の匂いがするもの。
「ロトミストロフ君、ご苦労様。下がってくれ給え」
案内役の少年を下がらせたメレンティンは、来客の俘虜へ席を薦める。
「失礼いたします」
 賓客が腰かけると参謀長は面白そうに口を開いた。
「さて、君に何を差し上げようか?黒茶か、あるいはもっと強い物もあるが」
「自分は下戸ですので黒茶をお願いします、大佐殿。〈帝国〉産の酒はどうも強過ぎて」
「この場では君は私の客人なのだからそう固くならずともよいのだがね」
 微笑し、従兵が部屋を出るのを見計らい、細巻を取り出すと豊久にも渡した。

 ――上物だな、笹嶋さんの時もそうだった、面倒な駆け引きには何故か上物の細巻がもれなくついてくる、相手が大物だからか?
 細巻の香りを楽しみながら祖父の言葉を思い出す。
 ――功を焦って急いてはいけない、居丈高に構えても無駄だ。要らぬ力は込めずに、ぬらりと相手の懐を覗き込め。
 将家としての振る舞いを叩き込んだ際に馬堂家当主から授かった言葉だ。
「少佐、君は私の真意を図りかねているのだろうが、」
 メレンティン大佐は紫煙をくゆらしながら言葉を続ける。
「詰まる所、私が君を呼んだのは純粋な敬意の表明なのだ。」
「これは随分と過分な御言葉を賜ったものですな。
少尉達は兎も角、私は後方に居たもので、残念ながらご期待に添えるとは思えませんが」
 ――嘘は言っていない様だが、それだけでは無いな。
茶器で口元を隠しながら観察する。
「どうにも信じきれない。と言った様だね」
 苦笑を浮かべてメレンティン大佐が話す。
「私の様な俘虜の身に、一個軍の参謀長殿がわざわざその様な事をなさるとは、意外に思いました。」
 豊久の表情は苦笑のまま動かない。
「少佐、私は鎮定軍参謀長であると同時に、いや、それ以上に騎兵将校なのだ。
処女が恋に胸を焦がす様に騎兵将校は英雄たるに胸を焦がす。
なればこそ、私はこの戦で英雄となるであろう君に面識を得たかった。
先に私の大望を実現した要訣を学びたいからね――敵であるなら尚更だ」
 純粋にそれだけを言っている様に見えた。
「参りましたね。そう言われたら勘ぐれませんよ、大佐殿。」
 なるたけ飄然とした笑みを作りながら降参する。
 ――またもや相手の方が上手かな。
 面白そうに頷きながらメレンティン大佐は再び口を開く。
「――猛獣使い、君達はそう呼ばれていた。
その指揮官が砲兵将校とはね」
「大隊の首席幕僚は猛獣使い――剣虎兵の最古参でした。彼と生き残った将校達がこの戦を成し遂げたようなものです」
新城直衛は中尉の身で剣虎兵学校の教官を務めた程の最古参剣虎兵将校である。
彼が駒城来たときからずっと剣牙虎と共に暮らしている事を豊久は知悉している。
 ――あぁそうだ、俺は彼女達の管理者だ。これを確認しなくては
「大佐殿、私の部下の剣牙虎達は正当に扱っていただいていますか?」

「あぁ、君の部下の少尉君の私物として扱っている。当然ながら、丁重に世話をさせてもらっているよ」
それを聞いて豊久は安堵した。
 ――あぁ、それは良かった、騎兵の馬と同じ扱いか。

「剣牙虎は剣虎兵達にとっては頼もしい戦友です。
少なくとも騎兵にとっての馬と同等かそれ以上に」
話が望みの方向に流れたからか、大佐が僅かに語気を強めた。
「それには腹立たしいくなる程に同意しよう、とりわけ頼もしさについてね。
しかし、兵器としては勇猛に過ぎるね、世話役まで殴り倒したそうだ」
 ――おいおい。
「それは申し訳ありません。私が部下達に会えたのならば、彼らにきつく指導しておきましょう」

「まぁいい、丁重な扱いは保証する。他に何か希望はあるかね?」
「部下達の労役に私も指揮官の義務を果たさせていただきたい。私は彼らの指揮官ですので」
「考慮しよう、だが確約は出来かねる。
何しろ鎮定軍司令官閣下が君に興味を抱いているからね。
まぁ君に興味を持っているのは私も同じだが」
ぞくり、と豊久の背に悪寒が走った。
――何やら愉しい愉しいお言葉が聞こえたのだが。
「司令官閣下、ユーリア東方辺境姫殿下ですか、殿下は確か今回が初の外征でしたね。」
――そして、初陣にケチをつけた俺に興味、か。素敵過ぎるお話だ。素敵過ぎて胃が痛い。
改めて〈大協約〉の遵守をお願いしたいよ。
「良く知っている。閣下の関心を買うだけはあるかな?」
メレンティンが面白そうに微笑する。豊久が内心では狼狽しているのを見てとったのかもしれない、。
「元・情報幕僚です、それなりに勉強していますよ。仰ぐ旗が同じであればと思うくらいに」
 立場上、際どい言葉であるが。半分以上本気だった。〈皇国〉の将家の生まれではなく、〈帝国〉に産まれていたらそれはそれで、幸福だったかもしれない――貴族であればの話だが。
「――ですが、残念ながら私は皇国に産まれ、家族も友も主家も居ます、それなりに故国を愛しおりましてね。それでも相手の御国自慢を楽しみますが、その分、自分の御国自慢をする程度には愛郷心を持っています」
 ――純粋な愛国心は許される筈だ。問題なのは自尊心が現実に見合わない馬鹿が理想化された幻想国家に逃げ込む事だ。愛国を大義名分に他国を侮蔑し、進歩をやめ、亡国へと導く。
 頷いてメレンティン大佐が語る。
「互いの忠誠の対象が違え、銃火を交えても相手への敬意を些かも薄めてはならない。
それこそが我々の守る最後の一線なのだろうな。」
 ――最後の一線、か。そうかもしれないな。
「――そうですね、社会を動かす根幹は人間同士の交流と交換です。
その潤滑油として相互の敬意こそが尊ばれるべきだと私は考えます。
そして、それは実績によって齎されるべきです。日常でも、政治でも、そして戦場でも。」
 自国の村を焼かせた指揮官が略奪を推奨している軍の参謀長に言うのだから、皮肉なものだ。
「断然、同意する。それならば、何をもって貴官は自身の事を正当とするかね?」
 諧謔味を滲ませた目で豊久を見る。
「私が参謀長殿に敬意を払われるべき存在とする理由ですか?」
豊久もにやり、と唇を歪めた。
 ――この質問の代償は豪華なディナーとスコッチソーダ、それに謎解きをしてくれるウェイターが居ないとならないが、まぁ上物の細巻に高級黒茶で勘弁するか。
「そうとも言えるな」
メレンティンの探るような視線に気づいた豊久は解析する、
 ――成程、焦土作戦を自国で行った指揮官である俺の価値観を探るつもりか。
「そうですね。大協約に反せず任務を成し遂げた事でしょうか。」
「例え、自国の村を焼き、町の穀倉を焼いても、かね?」
「不幸な事に敵軍はそれ以上の非道を恒常的に行っていたので。
敵軍の兵站破壊と自国民を大協約の保護下の都市への移送を両立する為に実行しました、その結果を実績としましょう。」
 皮肉を交えて答える。
「成程、自国の村を焼いたのも互いに効率性を追究した結果か。」
 当然ながら皮肉で返された。
 俺は、無言で肩をすくめて逃げる。
 値踏みする様に此方を見ながら言う。
「それならば貴官は私をどの様に評価するかね?」
 ――また妙な事を聞く。俺の心理テストでもやっているのか?
と内心、首をひねるが相手の好奇心を垣間見せる瞳を見て思い直す。
 ――ここは一つ仕掛けてみますかね。
「判断に必要な情報が欠けています。
強いて言うのならば、高等外務官の当主を擁する子爵家に産まれた方に相応しい、
品格と一流の主人役の技術を持った御方としか言えませんね。
我々はこれが初対面ですのでこの程度しか言えません。」

「!? 私の事を・・・いや、兄の事を知っているのかね?」
「はい、帝国西方領の軍服を来た、『メレンティン』大佐殿。
まぁ十中八九は帝国高等外務官であるマルデン子爵閣下の親戚だと当りをつけたのです」

「いやはや、驚いたよ。まさか、軍人としてではなく氏素性から答えられるとは思わなかった。不思議な気分だ」
ひとまず主導権を握れた事に安堵し、豊久は微笑を浮かべる。
 ――この世には不思議なことなどなにもない、ってね。

「戦争になる前から皇国・帝国間で交渉が行われていましたからね。
私は北領に赴任する前に高等外務官殿の名を耳にしたのです。」
「成程ね。君は貴族――いや、君の国ではショウケと呼ぶのか、その家の産まれか。」
「えぇ、その通りです。元々は良馬の産地を統治していた主家の下で馬の管理を取り纏めていた家だそうで。まぁそこそこの家柄ですね」
 そう言いながらも僅かに胸を反らしている。
再び値踏みする様に見た後、メレンティン大佐が口を開いた。
「少佐、君は中々どうして現実的な考えを持った人間の様だ。
そして、それに相応しい見識を持ってもいる。」
「鎮定軍参謀長殿にそこまで言っていただけると面映いですね。」
この北領を俯瞰し策を練っていた参謀の世辞に豊久は笑を深めた。少なくとも一流の将校であることは豊久も理解している。
「君はこの戦いで〈帝国〉軍をどう評価したかね?」
「私は感想戦の御相手が出来る様な立場ではありません。
参謀長殿とは持っている情報量が違いすぎます」

「構わない。君に尋ねたいのだよ。漠然とした感想でもいい」
そう言われ、豊久は眉をひそめた。
 ――困るな。喋りすぎた感じがするのだが。
「その前に黒茶をもう一杯。」
 従兵がすぐに注いでくれた。
「あぁ有難う。――そうですね。当然と云えば当然でしょうが、錬度の違いには驚かされました。
元々〈帝国〉は大陸において戦争によって領土と農奴の獲得を行っていました。
皇国は、国内の平定の後は太平を謳歌し、貿易による経済的な勝利によって繁栄していました。その違いが明確に出ましたね。」
 ――何方が優れているかなぞ分らない、俺は〈皇国〉の方が好みだ。まぁそれはこの人にいう言葉ではない、差し障りの無い範囲で話を続けよう
「〈帝国〉軍は戦において、あらゆる点で我々を凌駕しています。
戦術面に於いては、天狼会戦でそれは証明されました。
戦略面についても、〈帝国〉軍による大規模な奇襲により軍政機関である北領鎮台は軍への再編成が整わず、十全の力を発揮しえずに大敗しました。
一方で〈皇国〉は海運貿易が発達しているからこそ、大量の回船を使用した素早い転進が可能でした――それが無ければ北領鎮台は全滅していたでしょう。」
「簡潔だね」

「此処まで見事な大敗を喫したら ぐう 以上の言葉はこれしか出ません。」
 官僚的な口調で答えるが、豊久の脳裏ではいかに当たり障りのない情報で組み立てられたか、猛スピードで検証されている。
「此処まで賞賛されると嬉しくなるな。貴官の様な現実主義者ならば尚更だ。」

「嫌な現実と戦うのが潰走した軍の将校が成すべき仕事です。取り分け天狼会戦からの一ヶ月は特にそうでした」
 
「あの場で降伏したのも、かな?」
「――そうですね」
 ――もう少し早かったら――いや、そんな考えは無意味だ。
「答えたくないなら構わない。
だが、君の属する民族は勇武を重んじ、誇り高く敗北より死を選ぶと聞いていた。
子供の寝物語にしては過激だが、私は子供の頃から東方の戦士の伝説を聞いて夜も眠らず興奮したものだった」
 ――俺の先祖は兵糧や飼葉の消耗で頭を痛めてた頃だろうな。
要らぬ半畳を打ちたくなる衝動を堪え、豊久が答える。
「その性根は今も残っていますよ。ですが時は移ろいました。
ええ、古き良き一騎打ちは廃れ、戦では相手を眼前にする刃より何者が放ったかも知れずに鉛玉で人は死にます。
どこの誰に討ちとられたかも解らず将校は死ぬ。そうした戦場に適応しなければそれは将ではなく、ただの蛮族です。
私は――その様な考えより任務を果たした事に誇りを感じます。」
 ――歴史と伝統は銃と砲に駆逐されつつある。良き事か悪い事かは分らないが、その先も薄々解っている。この世界もそうなるのだろうか。
剣と銃だけではどうしようもない時代が、英雄が消え去る時代が到来するのだろうか?

「だから、降伏したと?」

「ええ、任務を完遂した以上熟練兵の価値を考えるなら非効率的で。無駄な死は害悪にしかなりません。
任務を達成し友軍は内地へ転進する事に貢献できた、それで十分誇りに思います。――まぁこれはあくまで私個人の考えですが、兵の命は能率的に使うべきでしょう」

「成程・・・確かに現実的だな。
尤も君の祖国でも、私の祖国でも多数派とは言えないだろうが。」
理は認めるが、といった様子でメレンティンは云った。
「お年寄りは前線に出ませんからね、まぁ確かにこの地の産まれならまた話は違ったでしょうが」
「違うのかね?」
「私の部隊は〈帝国〉との関係が悪化した後に集成し、増派された兵団に属していました。
兵は〈帝国〉で云う公民になりますね、志願兵が大半です。
まぁ本来なら私は五将家の駒城に仕える家なので、領地である駒州に置かれる鎮台に配属される事が多いですね。もし、内地でお目にかかったら今度は違う行動をしているかもしれません」
 ちょいと他にも色々事情はあるけど語っても栓方なきことさ。
「そして我々は君の率いる公民軍にまたもしてやられるだろう、と」
 半ば戯けて鎮定軍参謀長が言う。
「その前に会戦で大いにしてやられましたので、それでお許しください、大佐殿」
俘虜の少佐も似たように返し、二人で笑いあう。
「全く以て君は我々の幕営に欲しいな! 君とは中々好みが似通っている様だ」
そう言われ、豊久の笑みに苦いものが増える。
 ――帰った後の事を考えるとそれも心惹かれるよ、ホント。
「――故国を攻める軍でなければそれも魅力的ですね。
それではご多忙な中、有意義な時間をありがとうございました、大佐殿」
「いやいや、私の方も楽しめたよ。軍曹!
少佐を部屋へ連れて行ってあげ給え!」
互いに礼を交わし部屋を出た。

部屋から出た豊久は、前を歩む厳つい下士官に聞こえないよう、こっそりと嘆息した。

 ――今夜の夢見も悪そうだ。 
 

 
後書き
御意見・御感想をお待ちしています。 

 

第十六話 内地にて

 
前書き
駒城保胤、〈皇国〉陸軍中将 駒州公爵家長男にして駒州鎮台の司令官
      新城直衛の義兄

馬堂豊守 陸軍准将 馬堂豊久の父

弓月由房 故州伯爵 内務勅任参事官

窪岡淳和 陸軍少将 準男爵家の当主で駒城保胤の旧友軍監本部戦務課課長

大辺秀高 陸軍少佐 馬堂豊守の被後見人 戦務課参謀

実仁親王 近衛少将 近衛衆兵隊司令官 皇主の弟 

 
皇紀五百六十八年三月十五日 皇都内某邸宅 

 皇都、猿楽街から四辻離れた裏通り些か古びた家、その二階から窓越しに咲き始めの桜を眺め男が呟く。
「もうすぐかな。」
駒城保胤、駒城の若殿であり駒州鎮台の司令官を任ぜられた〈皇国〉陸軍中将でもある。
「桜の方は天象院を信じるなら一月後と行った所ですね。昨年は外したから怪しいモノですが」
 馬堂豊守准将が微笑して云った、豊守も駒城家重臣団の多くと同じく彼の人柄を好んでいた。
「今年は汚名返上せねばならんと連中も気合が入っている。
皇族御一同から衆民まで皆が楽しみにしている桜宴をふいにしたんだ、外しはせんさ」
弓月由房内務勅任参事官がむっつりと茶を啜りながら云う。彼としても外局である天象院の威信だけではなく、純粋に宴を楽しみにしている。

 障子が開き、軍服を着た男が入室した。
「桜は六弁、散りゆく際に、と歌われるくらいだからな。最近は家のやつも機嫌が悪いから俺としても外されたら困る。数少ない娯楽である桜宴まで外されたら、とばっちりでまた皿が割れる」
陸軍軍監本部戦務課の長である窪岡淳和少将だ。
「失礼いたします」
それに付き従い、同じく戦務課参謀の大辺秀高少佐が入室する。
「おや、大辺も来たのか」
豊守に応えて大辺が丁重に礼をする。
大辺は、窪岡と同じく父を戦地で喪っている。大辺の父親は駒州の地主産まれであり、輜重将校であった。彼が東州の混乱の中で、匪賊とも反乱軍とも区別のつかぬ連中によって命を落し、父親の上官であった馬堂豊守が後見役についていた。
現在は将校達の最高学府である兵理帷幕院を優秀な成績で卒業し、駒城派の秀才軍官僚として窪岡の下についている。
「子供の頃は楽しみだったな。何時も怖い顔をしていた父があの時だけは優しかった。
片っ端から豪勢に物を買ってくれたものだ。嬉しかったよ、盆も正月も家に居ない事が多かったからな――父が何処かで戦死したのも、盆だった」
過去の情景を見ているのか、窪岡は桜をぼんやりと眺めている。

「今の貴様を見れば、親爺殿も喜んでおられるさ。
ろくな後ろ楯もなくその年で陸軍少将なのだから」
保胤が柔らかく微笑した。
 窪岡少将は諸将家の準男爵と普通なら四十半で少将の地位に就くのは困難な家柄だった。
「そうだといいがね。幼年学校で駒城の世継と親しくなったお陰です、なんて実力に入れるのか?」

「実力だよ。間違いなく。」
保胤が人の善性で造られた様な顔で微笑む、三十路半ばにも見える若々しさだが窪岡少将と幼年学校で机を並べた仲である。保胤は人柄が良くとも有能ならざる人物を引き上げる人物ではない。その場しのぎの善意の齎すものを知悉しているからだ。
保胤の衒いのない言葉に窪岡は決まり悪そうに頭を掻きながらわざとらしく話題を転じた。
「――それにしてもこの屋敷は誰の持ち物だ?」
「ふむ、そう言えば私も知らんな」
 弓月伯も首をひねる。場所柄から行って妾宅か子飼いの商人が使う密談所だとは、見当をつけていたが、そのいずれであるかはしらされていなかった。
「馬堂君、君のとこか?」
「いえいえ、まさか」
 豊守が惚けた笑みで答える。
「おい・・・まさか浮いた話の一つも無いと思ったら。貴様」
 窪岡少将がアスローンまで攻めてきた、と報告を受けた様な顔で大辺少佐を見る。
「違います」
 大辺が無感情な声で一刀両断すると相も変わらず面白みがない、と窪岡が鼻で笑う。
その様子を笑って見ていた保胤が笑って言う。
「家の爺様が片付く前に妾にやった家だそうだ。
その甥子達が貸してくれたのさ。爺様に随分と恩義を感じてくれている」

「やはり妾宅か、それならば後で白粉を持って来させてくれ。
この辺りに妾を囲っている事にしているんだ。白粉の臭いと酒も一杯程度呑んでおかないと」
 先程の言葉通り恐妻家で有名な少将に余りにも似合わない偽装を今度は将軍二人がからかいだす。
 そんな光景を大辺が眺めているとこの家の主が最後の客人の到来を告げた。
即座に会話を止め、全員が二刻半の角度の礼をする。
 この礼をする相手で自分の足で歩く人間――戦死者では無い者はこう呼ばれる――皇族、と。
 皇族にして近衛少将である実仁親王は産まれ持ったものとして当然のごとく、公子・伯爵といった者達の礼を受け止め、上座に腰を下ろした。
実仁は、准将から少将へと昇進し、近衛衆兵隊三個旅団の長――近衛衆兵隊司令官ととなっていた。だが、戦時における禁士隊・衆兵隊司令部の役割は留守部隊や新編部隊の教育・予算運用・施設管理といった軍政としてのそれであり、司令部というよりは近衛の軍政を司る(つまり兵部省の指導下にある)近衛総監部の内部部局というべき存在であった。前線における運用の権限は近衛総軍司令部に集中する。
この|栄転≪・・≫は、皇族は戦場に居るだけでも武勲物であるのに、実仁親王殿下が直々に避難民の救済に尽力した事が喧伝され、皇室への衆民達の支持を高めている為であった。それ故に前線へと縁がなく、衆兵隊司令官と威勢の良い名前の軍政部署へと体良く送られたのであった。

「それで駒城中将、本日の密談、その目的は私の想像通りと思ってよろしいのですか?」
 実仁親王の口調は少将が中将に対するそれであった。この密談はそうした物である――そう考えているのだろう。実仁少将はこの手の武張ったやり方を好み、また礼節を重んじていた。この礼節の裏にある皇族たる立場への深い理解がなければ周囲から危険視されていただろう。
「殿下。どうか常の言葉でお願いします。自分の今の身なりは、この通りなので。」
 保胤とそれに実仁は商人風の身なりであり、弓月はモーニングを纏っている。
この場で軍服を纏っているのは軍監本部と兵部省から直行した三人だけである。
「俺も、だな。皆も楽にしろ。」
 殿下が即座に言葉を切り替える。御付き武官からこの手の言葉を習ったらしい。
口調に合わせて姿勢を崩し、実仁が問い直す。
「で、あの総反攻か?」

「そうです、殿下。
六月を予定されている夏季総反攻作戦。あれは楽観的に過ぎます」
保胤様が答える。
「ふむ、それを止める為の悪行に俺を巻き込むと?」
「そこまでひどい話ではありませんよ」
 そう言いながら苦笑する。保胤・窪岡、そして実仁、この三人は幼年学校で机を並べた仲である。
「おい、豊守、淳和、本当か?」
「私はそれ程あくどい話ではと思います」
 微笑を浮かべながら豊守が答える。
「貴様らの基準は当てにならん。私は大辺から概略のみを聞かされただけですのでなんとも
――おい、どうなんだ。」
窪岡も保胤へと向き直る。
「夏季総反攻。それに対する近衛と軍監本部、そして執政府。それぞれの意見を確認したいのです」
 保胤は酒を一口含み、一人だけ居る文官へ目礼すると言葉を継ぐ
「都護・龍州・駒州鎮台は反対、他の鎮台は賛成しています。
当然ですが、守原の護州が賛成派の筆頭です
宮野木の背州・西原の西州鎮台が積極的賛成
安東の東州鎮台は消極的賛成で様子見といった所です」
「都護は執政府の紐付きだ。
まぁ前線に出る事は無いだろうがそれゆえに客観的なのだろうな。
だが龍州は玉虫色だ。単純に、地理的に矢面に立たされるのを恐れているだけだろう。
フン、鎮台から軍になったら参謀の配置次第でまた意見が変わるに決まっている」
窪岡少将が鼻で笑う。

 皇州都護鎮台はその名の通り皇都近辺の治安維持、そして執政府の要人の警護が主な任務である。その為、規模は並だが兵の訓練は厳しく、近衛の代わりに精兵としての名を得ている。そして、皇州が天領であるので五将家よりも執政府の影響力が強い。

龍州は広大な東北地方の地名であり、その中の天龍の支配する龍上を除く三国を抱え鎮台の規模は駒州・護州並に巨大であるが、内部には五将家の者が入り混じっている
鎮台司令官は潰れかけた諸将家の人須ケ川大将である。彼は政治的には殆ど無力であり、下級将官や佐官の間で五将家の派閥が実権を奪い合っている。
 その為、政治的には混然としている。よく言えば臨機、悪く言えば風見鶏だ。
 北領に派兵された兵団の主力を担った通り、北領に隣接しており総反攻でも矢面に立たされる事は分かりきっており、一方的に消耗される事を恐れた須ヶ川が反対派に同調しているに過ぎず、賛成派が飴を見せればまた意見が変わりかねない。
 現在、それに頭を悩ませている窪岡少将が嘆息し、軍監本部の動向を報告する。
「軍監本部は参謀の半数以上が反対しています。
水軍は少なくとも統帥部と皇海艦隊は反対しているようです。」
 保胤が話を継ぐ。
「統帥部は反対派が大多数を占めているそうです。
統帥部戦務課甲種の者と話す機会がありまして。」
「あぁ水軍の名誉少佐にされたのだったな。貴様の義弟は。」
 豊守が身動ぎする。
「部隊が捕虜になったことは確認できたのだろう?
来週には正式に捕虜の確認が出るのだから。」
 慌てて宥める様に保胤様が言う。
「えぇ。育預殿のお陰で。息子からの文も届けてもらいました。」
 豊守が珍しく、ぎこちない笑みを浮かべている。
 見かねた実仁親王が軽く咳払いをし、話し出した。
「近衛では禁士は賛成している。衆兵は黙っている。つまり反対だ。」

「禁士は将家の軍です、此方は予想していましたが、
衆兵はもう少し戦意が高まっていると思いましたが?」
 弓月が尋ねた。軍人ではなく、皇族としての立場で見れば、諸将時代も実権なき皇宮に身を置き続けら彼の一族こそが、この中では一番皇族に近しいのかもしれない。
「そうでもない、美名津での交渉はむしろ皇族としての俺の手柄に近い。
皇家のなけなしの権威を活用しただけだからな。肝心の後衛戦闘は名ばかりだ。
実際に戦ったのは豊守、貴様の息子と保胤の義弟、新城直衛だ」
実仁が不機嫌そうに嘆息する。
「兵達も将校達もそれを知悉している。総反攻の反対勢力には当てにするな。」
丁重に首肯すると、弓月は言葉を促す。
「それで、殿下は?」

「勿論、反対だ。守勢に回るのならば兎も角、奪還なぞ不可能だ。」
 豊守が口を開く。
「衆民院は割れています。
今回の大敗自体も問題ですが、これからの戦の長期化を問題視しています。
敗戦はもちろんですが、なによりも経済の圧迫を恐れています。
継戦だけでも莫大な負担になりますし、当然ながら、アスローンとの貿易線も封鎖されます。」
 皆が苦い顔で頷く。弓月も咳払いをし、口を開いた。
「それにつきましては執政府も同様です。
外務省はアスローン諸王国。そしてアスローンを通して、南冥――正式には凱帝国ですな、それらの国々とも交渉の可能性を探っております。
経済の疲弊が開戦の理由なのですから更に余裕を奪い、〈帝国〉の力を削げば和解の目があると」

「〈帝国〉に二つ戦線を持たせると?――成程、経済の崩壊が見えてくれば交渉の余地もある」
 保胤が反応した。
「はい、ですが反応が鈍い様ですね。無理もありません、元々両国共に十年に一度は攻め込まれています。疲弊しているのは互い様なのでしょう」
 弓月の長男は末端ではあるが外務省に勤務している。
「戦端を開くには意志の統一が必要か」
 実仁親王が国家の頂点を見てきた一族の表情になった。
「守勢に回るにも、です」
 窪岡少将が話はじめた。
「軍監本部は、鎮台を軍に切り替え、上陸適地である龍州付近に集結、遅くとも秋までに防衛体制を整える必要があると考えています。反攻なぞ論外です。」

「まずは禁裏の意志統一が必要です」
 保胤は五将家の顔になった。
「先の通り、執政府、衆民院は揺れています。
将家を廟堂会議で押さえさえすれば皇主陛下の託宣で十分意志統一が成立します」
「執政府の取り纏めは、駒城の協力さえ貰えればどうにでもできます。
衆民出身者の殆どは攻勢に出られる状況ではないと考えてますからな。
転進作業の下拵えは我々内務と運輸が組んでやったのだ、あれ以上の規模を恒常的に用意するのは不可能だと分かりきっている。――後は二 三手札さえあれば文官達の後押しを取り付けることは何とかできますが――
これからは兵部省主導になるでしょうし。我々は左前になりますからどうも矢弾に不安がありますな。何かあると良いのですが」
 白々しい口調で保胤へとちらちらと視線を送る文官を見て実仁が苦笑する。
「おい、豊守、やはりあくどい話じゃないか。」

「左様ですか?」
 豊守も常のやや胡散臭い微笑にもどっている。
「全く貴様の息子も貴様に似ていたぞ?」
実仁が懐から書面を取出して言う
「あの男、野戦任官の少佐の分際で、水軍中佐を使い走りにし。准将に向かって後退を進言し、便宜を強請り、代価は衆民の保護と美名津市長との交渉、そして駒州公との関係強化を謳って見せたのだぞ!駒州と皇家の関係なぞあんな陪臣の若造が口にするか!?
おい、貴様、何かあったら駒城の御老公の名を出せとでも息子に教えたのか?」
無言で目をそっと逸らす父親であった。

「おい、頼むぞ。これ以上、変な伝統を引き継がせないでくれ」
 将来の駒州公が頭を抱える。脳内でどのような過去が巡っているのか、思い当たるのか同期の二人はそっと目を逸らしている。
「殿下、そんなささやかな事よりも禁裏の方は如何ですか?」
 ぬけぬけ譜代の家臣は話題を切り替える。

「――陛下は俺と同意見の筈だ。直宮もそうだろう」
実仁殿下は頬を伝う汗を拭い、言葉を続ける。
「だが、俺と直宮が同意見だからと陛下は賛成しない。まだもう一押しが要る」

「具体的には、殿下?」
 窪岡少将が急かす。
「流石に駒城の意見をそのまま採用するわけにはいかない、あからさまにすぎる。
だからこそ、ひと捻りを入れなければならん。
――北領で最後まで帝国軍と渡り合った部隊、その大隊長が武功を奏上する。奏上の間は玉心に親しく接し陛下を除き何者も止められない。前線の悲惨さを憂う皇主陛下、どうだ?」

「陛下に、そこで?」
 笑みを消した豊守准将が静かな声で尋ねる。
「そうだ。それで一切合切何もかもが決着がつく。陛下も止めたいのだ、理由が必要なのだ」
 親王が真剣な顔で答えた。
「大隊長ですか。殿下、どちらの事をおっしゃっているのですか?」
 黙って上層部の話に耳を傾けていた大辺が口を開いた。
――馬堂豊久と新城直衛 どちらも全く違った意味で爆弾と成りえる存在である。
「早ければ早い程良い。私は育預殿を推薦します。
彼に独断で奏上させ、駒城は無関係で通し、奏上の後は近衛衆兵に編入させる。
どの道、御育預殿は無位の者です。殿下を後ろ盾にすれば衆兵隊の方が良いでしょう。」
 豊守が淡々と提案した。
「馬鹿を言うな!大隊を指揮していたのは馬堂少佐だ!
ならば彼が帰国するまで待たせれば良い!直衛を政治の道具にするのか!」
保胤が声を荒げると、豊守の目つきが鋭くなった。
 ――不味いな。二人とも頭に血が上っている。御二人共身内には情が厚いからな。
 大辺は仲裁を行うべく理論を組み立てる。
「若殿様、育預殿は譜代家臣の中でも嫌われています。
武勲を上げた以上今までの曖昧な状態では居られません。
ならばいっそのこと近衛に編入して衆民の側につかせた方が幾らか増しです。
豊久様は由緒正しい駒城の陪臣――将家です。
彼を矢面に立たせたら奏上の意味は完全に駒城が守原を告発する形になり、駒城が完全に孤立します。
いえ、駒城の内部でも割れるかもしれません――馬堂を切り捨てるおつもりなら話は別ですが」
 この場にいる誰もが能吏としての側面を持っている。だからこそ、同じ文面がそれぞれの脳裏に浮かんだ。)
――育預の立場のままでは曖昧だ。ならば衆民の軍に編入する。
独断で守原を告発し、近衛衆軍に飛ばされる。実仁親王がそれを取り成す。
白々しいが形にはなる。この場合は形に成る事が肝要だ。

「保胤、俺も同感だ。馬堂の嫡男では、将家でありすぎる。
この件を将家の争いで完結させるわけにはいかん。」
 親王が駒城へと向き直り、告げる。
「殿下!」
 保胤様が目を剥く。

 窪岡少将はそれを静観している。彼は駒城派ではあるが権門に縋っているわけでは無い。
それだけで軍監本部首席戦務参謀にはなれない。

「保胤、俺も新城少佐の事を考えてないわけではないぞ――。」
 実仁少将が駒城中将の説得を始めた時、微かに扉を閉める音がした。
「大辺」
 窪岡少将に目配せをし、大辺は障子を静かに開き廊下へと忍び出る。

 実仁親王の御付武官と家主が話している
「失礼、如何しました?」
御付武官は、大辺に向き直ると何者かがうろついている。と云った
 ――護衛の専門家が言うのだ、間違いではないだろう。
内心、舌打ちをした。ここで皇族と弓月が動いているのが反攻派に漏れるのは非常にまずい。
「私が見て参ります」
地味な二重回しを羽織り、外に出る、
軍監本部への大通りから僅かにずれる場所に陣取ると覚えのある人物が見つかった。
教師風の地味な男であった。路地の周りを二週もしている。
「なるほど、な」

屋敷へ戻ると豊守が口を過ぎた事を保胤に謝っていた。実仁親王が保胤を納得させたようだろう、大辺は涙を懐紙で拭いている保胤に敢えて触れずに窪岡と弓月のところへと歩み寄った。
「どうだった?必要なら後で警保の連中に調べさせるが」
「場合によっては出るときの事も考えねばならん。
御付の者とも相談するべきか?」
 無関係を装っていた二人はすぐに大辺心配そうに尋ねる。
「御安心下さい、将家の者ではありませんでした。敵ではない分より厄介です。」
 窪岡と共に耳を傾けていた実仁が頷いた。
「それでは俺に――皇族に付いていた者達か」

「はい、今様の忍、皇室魔導院です」
皆が考え込む。
――〈皇国〉最大の諜報機関である皇室魔導院、上手く立ち回り、味方にしなくてはならない相手
 
 

 
後書き
御意見・御感想お待ちしております。


・・・・オッサン集団と違って姫様の場合は台詞でだれだか分かるから楽だなぁ 

 

第十七話  俘虜の事情と元帥の事情

 
前書き
馬堂豊久 陸軍少佐 独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として俘虜になった。

西田少尉 剣虎兵将校 最後の後衛戦闘に志願し、馬堂少佐と共に俘虜となった。

杉谷少尉 鋭兵将校 西田と共に後衛戦闘に志願し、俘虜となる。

冬野曹長 独立捜索剣虎兵第十一大隊の砲兵曹長

栃沢   兵部省法務局の官僚

ユーリア・ド・ヴェルナ・ツアリツィナ・ロッシナ
<帝国>帝族の一員である東方辺境領姫にして<帝国>陸軍元帥
天性の作戦家にして美貌の姫

クラウス・フォン・メレンティン
東方辺境鎮定軍参謀長である陸軍大佐
ユーリアの元御付武官長でもり、深い信頼関係を結んでいる 

 
皇紀五百六十八年 四月一日 午前第十一刻 俘虜作業場
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久


 豪雪地帯での春はただ素晴らしいものではない。雪解け水によって踏み固められた雪道は泥濘となってしまい、時にそれは非常に危険な事である。
 〈皇国〉で――とりわけ龍州や北領で産まれ育った俘虜達はそれを理解していた。
「〈帝国〉軍には森林の伐採と運搬を命じられているが、折角生き残る事が出来た兵を事故で負傷させてしまうのも阿呆らしい話だね、手抜きが得意な奴は挙手、大隊長、怒らないから」
 などと最高責任者がのたまった事で半ば公然と俘虜達は手を抜いて働いている。
「少佐殿、今日は四十本位で如何でしょうか?」
 冬野曹長が本来命じられている仕事量のわりにのんびりと聞く。
「その位で良いだろう。
〈帝国〉さんも、俘虜を働かせて予定通りの成果なんて最初から期待していないだろうよ」
 馬堂少佐も細巻を揺らしながらのんびりと応えた。
「了解しました、少佐殿。それじゃあ戻ります。」
兵達の様子を見に曹長が戻るのを見ながら西田が呆れた様に口を挟む。
「少し手を抜きすぎじゃありませんか?
〈帝国〉軍の要求は六十本です。幾ら何でもあからさま過ぎますよ」

「そうでもないさ、向こうさんも最初から必要量より多目に要求しているし、此方にも碌な期待をしていないさ。
元々向こうは奴隷の扱いに手慣れているのだからね。まぁ文句を言われたら一週間位は量を増すさ」
 馬堂少佐は悪びれた様子もなく肩を竦める。
「奴隷の扱い、か。
まぁ年季明けの時期が分かってる分、ここらの住人達よりはまだましでしょうかね」
杉谷少尉も皮肉に唇を歪める。

「――そうだな、戻ったら戻ったで面倒があるだろうが」
茫洋とした面持ちで豊久は天に薄く輝く光帯を見上げた。

西田が声を上げた、何かを見つけた様だ。
「あれ? 少佐殿、あそこを歩いて来るのは、
皇国の官僚達じゃありませんか?」

「あぁ確かに、兵部省の文官組だな」
 法務・主計・広報等々、様々な部局において兵部省に占める文官の割合はけして低いものではない。
「少佐殿、何か不味い事したんじゃないですか?」
 西田は悪戯っぽく笑う。
「・・・心当たりが無いわけではないが。」
 ――あの撤退の後、笹嶋中佐との交渉やら実仁親王殿下との文通(?)やら、無茶はしたが・・・。 いやはや必死とは、げに恐ろしき物である。
 
「無いわけがない? 有りすぎて逆に、じゃないのですか?」
的確な突っ込みである。
「・・・・・・ま、まぁ、時期的にも多分俘虜の確認だろう。
ついでに内地の状況を幾らか教えてもらいたいな。」
 ――内地 いや、故国では今頃、駒城の殿様達がこの戦の後始末や守原の北領奪還作戦を潰すのに奮闘している筈だ。
最後まで戦った唯一の将家の者である新城は確実に巻き込まれているだろう。

 豊久は半ば直感的に戦死や俘虜になった場合に備えて手紙で新城を代役として担いでおいたが、現状では内地の政争に関しては祖父や父達に任せる程度にしか考えていなかった。
 ――却説、あいつはどう動かされるかな、軍監本部を動かす手札か?
――いや、それだけでは止まらないな。何しろ守原家は大敗した上に最大の経済基盤を喪失したのだから、このままなら五将家の座から転落してもおかしくは無い。

 五将家の転落が現実味を帯びたのは、安東家が切欠であった、東州の維持、復興の為に家産を費やし、実際に破産寸前まで追い込まれていた事は他の四将家にとっても衝撃的であった。
そうした事例がある以上、大敗を喫し、守原の財政を大いに助けていた北領を喪った事で政治的な転落も十二分にありえる――そう守原が危機感を強めているであろうことはある意味当然の事である。この時点で守原家が強硬な手段に打って出る、そう馬堂少佐が推測することはけして不自然な事ではなかった。

 ――実仁親王のお陰で衆民の間での皇家の支持は高まった、親王殿下が禁裏の意思統一を行えば衆民院と執政府の協調を得る為には最高の材料になる。水軍は反対に回るだろう、それに加えて軍監本部の過半数を掌握出来れば何とかなる。
 ――其方に英雄の一人である新城を使い、駒城が陸軍首脳部を抑え込むか?
五将家内でも守原、宮野木には確実に恨まれるな。 特に宮野木は先代が院政(誤字に非ず)に追い込まれてからは特にそうだ。

 ――西原はどうかな? ある種、最も常識的な将家だから奪還派か。

 ――安東は利を失えば容易く手を引くだろう、東州の復興で家を潰しかけてからは実利主義に染まっている。護州が分け前を認めればあっさり奪還派につくだろうが、此方も利益をしめせばどうにか懐柔できるか。

 ――つまり、彼奴は駒城の家臣団の中でも嫌われている上に五将家の半数の恨みを買い取るワケだ・・・帰った後が怖いな。内憂外患としか言いようがない。

「気になる事があるのですか?」
 西田が真顔になって尋ねると、思考の沼に沈んでいた所を引き戻された馬堂少佐は目を瞬かせながら云った。
「ん、あぁ。内地での事さ。
多分大事になっているからね、後々の厄介事も聞いておくべきか、とね。」
そう言って官僚団に向かって歩きだす。

官僚達の先導者はロトミストロフ少尉候補生だった。
「少佐殿、貴官に面会者です。」
「ご苦労様です、トミストロフ少尉候補生」
豊久は答礼し、官僚団に向き直る。

「私は兵部省法務局で国際法務課の任じられている、栃沢奏任二等官だ」
 ――軍政を司る兵部省の法務官僚か、俘虜交換の担当者か。
 兵部省の法務局は兵部省の訴訟関連の事務や、軍の綱紀の制定や軍法会議も運営、<大協約>の軍事的側面からの研究などを司っている。
「独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長、馬堂豊久少佐です」
 人務部監察課に勤務していた時には豊久も何度か法務局と関わった事があるが、これ程彼らを心強く感じたことはなかった。
「私は皇主陛下の執政府の命と〈大協約〉に従い戦時俘虜交換担当官として派遣された。
〈帝国〉が、〈大協約〉に基づいた俘虜の取り扱いを行っているか確認を行っている。
・・・貴官は随分と特別扱いされている様だな?」
書類を斜め読みしながら詰問気味に尋ねる。
 ――はいはい、懐柔されていませんよ、と。
「その様ですね、色々と自分から聞き出したい様でした。
まぁ今は部下と共に労役に服しています。それ程特別扱いはされていませんよ」
 嘘である。実の所新しく与えられた部屋は〈帝国〉士官が与えられる格のものであっ。
――ここまでやられたら疑われても仕様がない。全く、あの賢獪な参謀長は、厄介だ。
内心、冷や汗を流しながらも豊久はにこやかに対応する。

「それにしては労役を部下だけに行わせている様子に見えるが?
貴官の上着には、跳ねた泥一つ付いていない。」

「二等官殿、失礼ですが軍役の経験は有りますか?」

「ない」
――それでは無理もないか。
「軍隊では、当然ですが人死にを前提として構成されております。
そして、厳然な序列が作られ、誰かが死ねば、その通りに部下が役目を引継ぎます。
それ故に士官、下士官、兵の間で、厳密な分業化が行われ、その為の教育が行われています。兵の職分を侵すことは軍の組織構成に反します。」

「まぁ、戦死を前提とした軍組織は特殊ですからね。
普通の官僚・企業組織とは根本的に組織構成の意図が異なります」

「それを労役時にまで適用するのかね?」
 ――〈帝国〉に懐柔されてないか、将校として不当な行動をとっていないか、かまるで監察を受けている気分だ。
「我々は今をもってなお軍役についております。そう云う事です」

「――ほう 流石に将家の御方となると常住坐臥、将校たれ、かね?」
栃沢は目を細め、頷いた。
 ――やっぱり衆民出身の御仁か。
内心舌打ちをする。
将家の争いに関して “中立”である衆民官僚の意見書は良くも悪くも重用されている。既得権益者である将家への反感と上昇志向に凝り固まった衆民官僚を利用している者も少なくない。
 ――これ以上、関わらない方が良いか。
「それで、我々の扱いは如何に?」
この手の人間は不必要に反感を買うよりもさっさと職務に立ち戻らせた方が楽だと豊久は考えていた。
「貴官の部隊には、第一便を以て帰還させるべし、と特命を受けている。
これについては、陸軍軍監本部、それに、水軍からも強い要請を受けている。」
――笹嶋中佐、約束を守ってくれたのか本当にあの人には世話になった。
 脳内で笹嶋に対する貸し借りに赤字を書き込む。
「水軍に〈帝国〉、随分と君も特別扱いを受けているな?」
「その特別扱いの対象は、私だけではなくこの第十一大隊です
――まぁ随分と人数が少ないですが」
「……そうだな、失礼」
栃沢も言葉を濁す。
互いに気まずい空気が漂う。
「今後の話をしたいのですが宜しいでしょうか」
「あぁ、仕事を始めよう」



同日 午後第二刻 東方辺境鎮定軍司令部官舎 司令官室 
帝国軍東方辺境鎮定軍総参謀長 クラウス・フォン・メレンティン


初老の参謀長は淡々と〈帝国〉東方辺境鎮定軍総司令官への報告を行う。
「猟兵二個連隊・砲兵一個旅団・その他独立部隊及び支援部隊、総勢二万二千名、鎮定軍の序列に加わりました。
〈皇国〉陸軍に破壊された兵站の再構築もこの支援部隊で完成します。
これにより、第21東方辺境猟兵師団の損害は充足し完全編成となります」

「それで?クラウス、今後は予定通り?」
陸軍元帥・東方辺境領姫 ユーリア・ド・ヴェルナ・ツアリツィナ・ロッシナは、豊かな金髪を弄りながら、普段の姿からは考えられないような無防備な甘えた声で尋ねる。

「真面目に聞いてくださいよ、姫。」
 ――幼い時から侍従武官としてお世話をしてきた身としては嬉しくもあるが・・・参謀長としては、困ったものだ。と言わざるを得ない。
 メレンティンが苦笑を浮かべるとがらりと表情を替えて促す。
「分かっている。参謀長、報告を続けなさい。」
 ――やれやれかなわないな。

「今後は第五東方辺境騎兵師団・第十五重猟兵師団を主力とした約十二万の増援を予定しています」
「他には?」
「必要とあらば、二個騎兵連隊、三個砲兵連隊が引き抜けます。
それを加算すれば支援部隊込みで約二十万になります。
東方、北方、両辺境の蛮族達に対する防衛を考えるとこれが限界です。」
 それでもこの〈皇国〉陸軍の常備兵力に匹敵する規模である。
「この国の蛮族どもの動向は?」
「一部で総反攻を企てている様です。」
「好都合じゃない。此方の動きの鈍さを勝手に補ってくれる」
ユーリアの楽観的な言動をメレンティンは窘める。
「殿下。あくまで一部ですよ。執政府が無能で無い限り潰されます」
「そうでは無いと?」
「殿下、何故攻め込む事になったのか忘れたのですか?」
 ――あまり敵を侮るのは危険ですよ、姫。
 良くない傾向だ、とメレンティンは警告する。
「民部省が煩く言っていたから進攻を始めたけど、
矢張り辺境の蛮族達を先に叩いて置くべきだったかしら。」
 姫が嘆息する。
「いえ、それはそれで問題があります。」
「輸送かしら?」
「はい、現在でも辺境艦隊から118隻を割くのは良いのですが、
徴用船舶が197隻と、予想より少なく、今後の輸送に支障が出る可能性があります。
これは〈帝国〉の海運が廃れているのが原因です。
更に後数年、遅れていたらどうなっていたのか、考えたくありませんな。」
 メレンティンの懸念を肥大化させたのは豊久との会話であった。
――そう、この島国への進攻の最大の懸念は渡洋の際の輸送船の不足だ。あの青年の指摘通り経済的な敗北は回船の不足等流通面に響いている。我が姫君が、僅か半個師団を直率してテンロウで戦う羽目になったのもそれが原因である。
なにより占領後の軍政に関する面倒はその比ではなかった、
「そうかもしれないわね。今回、水軍は成果が出せなかった、ここで潰せたら楽だったのだけど」
「いえ、118隻には海が広すぎます。
輸送船団の護衛と敵の捜索で精一杯です。
輸送船団に被害が出なかっただけでよしとすべきでしょう」
「つまり貴男の前任者、ケレンスキィ中将が軽率だったと?」
ユーリアは顔を険しくして尋ねる。

「いいえ、姫。これは寧ろ、全般的な情報不足が原因です。
〈帝国〉諜報総局は北方、東方の探りの方へ力を注ぎ、この〈皇国〉は重視していませんでした。この外征は民部省の要請で急遽決まったようなものです」
 ――見事な奇襲、か。
東方辺境軍参謀長はあの言葉を聞いたときには内心、嘆息していた。
態勢が整わなかったのはお互い様である。

「情報不足、ね。 確かに実際、戦ってみると意外な事が多かったわ」
ユーリア殿下がまた嘆息して言葉を続ける。
「急場であれ程の船を集めて逃げ出すとは思わなかった。
それにあの物資の量!海岸で焼き忘れた分だけでこの鎮定軍でさえ半年は養える。
アスローンだってあれ程の手際は持たないでしょうに」
 ――もっとも、その大半はミナツやらなんやらと都市部に集まった難民を養うために消えるだろうが。
兵站部の悲鳴を思い出しながらメレンティンは言葉を紡ぐ。
「あの国は、民部省が懸念した通りに商業が盛んなのです。
商船をかき集めたのでしょう、それに物資も」
「商業ねぇ」
 つまらなそうに言う、関心が薄いのだろう。
「その手の問題には、東方辺境領姫殿下の方が陸軍大佐より余程お詳しいでしょう。」
「詳しいからといって理解が深いとは限らないわよ、クラウス。」
 ――兵理の方がお好みなのは昔からか
自分が教えこんだ事を棚に上げてかつての侍従武官は嘆息した。
「自分がその手の問題に疎いのは軍人ゆえと思っていましたがあの青年は随分と詳しい様でしたな。」
 ――政治に経済、あの青年は官僚の方が向いていたのではないだろうか?

「ああ、あの男。見かけは良くもなく、悪くもなく、と言った所ね。
これといって気を引くものは無いわ」
 詰まらなそうに言う姫自身がその詰まらない男の特別扱いを命じた事を知っているメレンティンは無言で肩をすくめる。
 ――やれやれ、もう少し素直さを身につける様に御養育するべきだったかな?
「いえ、面白い男でしたよ。中々話が合いました。」
 
「あら、それじゃあ相当な軽口男なのね。」
 微笑みながら姫はかつての侍従武官をからかう。
「姫、何と心無きお言葉を、ああ、爺は哀しく御座います。」
白々しく肩を落とす元御付武官にユーリアもくすくすと笑う。
「――それで、貴男は随分その男を評価した様ね」
「はい、私の部下にいたら間違いなく引き立てています。
正直な話、〈大協約〉が無かったら首を刎ねたい程です」
「あら、随分と剣呑ね。」
 果断ではあっても穏健な性格のメレンティンが発した予想外の言葉にユーリア姫は目を見開いた。
「あの男は、ショウケ――〈皇国〉の有力な軍閥貴族の出です。
国に戻った後で、事と次第では厄介な相手になります」

「それ程切れるの?」
 ユーリアが興味深そうに耳を傾ける
「誘導尋問を仕掛けたのですが、のらりくらりと躱されまして煙にまいて逃げ切られてしまいました。 いやはや大したものです」
 メレンティンが評価したのは軍人というより政治屋としての手腕である。
もっとも、その二つは極めて近しいものであるが。
「そう・・・貴方がそこまで言う男、私も会ってみましょう、興味が湧いたわ。」
 メレンティンも好奇心が疼いた。
 ――互いが互いを如何に評するか、興味深いが・・・。

「姫、その前にこの書類と報告の処理を先にお願い致します。」

 厚みのある書類束を目の前に置くと美貌の姫が悲しげな視線を向けた。勿論、忠良たる参謀長は無視をする。
 如何に帝族にして元帥と云えど――いや、だからこそ面倒とは何時も付き纏う物であるのだから。

 
 

 
後書き
NGシーン にじファン時代の楽屋オチ注意





ユーリア「ああ、あの男。見かけは良くもなく、悪くもなく、と言った所ね。
これといって気を引くものは無いわ、主役になったって最終回で出番がないタイプじゃない?」

豊久「龍口湾へ行こうぜ……久しぶりに……キレちまったよ……」

新城「あの時は打ち切られたんだから諦めろ、僕も出番が無かったし」 

 

第十八話 奇襲 虚実の迎撃

 
前書き
馬堂豊久 陸軍少佐 独立捜索剣虎兵第十一大隊の大隊長として俘虜になった。

ユーリア・ド・ヴェルナ・ツアリツィナ・ロッシナ
<帝国>帝族の一員である東方辺境領姫にして<帝国>陸軍元帥
天性の作戦家にして美貌の姫


西田少尉 剣虎兵将校 最後の後衛戦闘に志願し、馬堂少佐と共に俘虜となった。

杉谷少尉 鋭兵将校 西田と共に後衛戦闘に志願し、俘虜となる。

冬野曹長 独立捜索剣虎兵第十一大隊の砲兵曹長

アンドレイ・バラノヴィッチ・ド・ルクサール・カミンスキィ
第3東方辺境領胸甲騎兵聯隊長。<帝国>本領男爵大佐
ユーリアの愛人でもある美貌の騎士大佐
 

 
皇紀五百六十八年 四月十三日 午後第十一刻
旧北領鎮台司令部官舎内 将校宿直室 俘虜 馬堂豊久<皇国>陸軍少佐


「違和感を感じますってレベルじゃないよな、コレ」
 蝋燭の光が硝子越しに琥珀色に色づいているのを眺めながら部屋の主である豊久はぼやく。
中身は当然ながら酒である、それもおそらく結構な質の物だ――少なくとも俘虜が抱えて酔い潰れるような物ではない。
「バルクホルン大尉の気持ちは有難いけど――そもそも飲めないんだよな」
 メレンティン参謀長との会話の後、〈帝国〉士官に与えられているのと同じ位に上等な部屋に移住させてもらった際に案内してもらったバルクホルン大尉の従兵が大尉から、と酒を届けてくれるのだが、残念ながら豊久は下戸であり、これで酒瓶は三本も貯まっている。
「皆に渡すか?いや、どうせなら――」
 色々と考えながら酒瓶を長椅子の下に戻す。
 俘虜相手に贅沢品を渡すと云うことは兵站が完全に整いつつあるのだろうし、またそれを隠すつもりもないのだと豊久は理解する。
 ――この様子だと内地侵攻までは半年も無いだろうな。
 陰鬱な溜息をつくとふたたび長椅子に寝転んだ。一人で居ると気が滅入るがかといって他人と話す程の気力もない、悪循環である。
 ――もうそろそろ、俘虜交換の時期だ。内地ではまた面倒が起きているだろうし、問答無用で巻き込まれるであろう事は間違いない。
 ごろり、と寝返りをうつと故国の屋敷を思い出しながら目を閉じた。
 ――せめて少しは休めるように早く帰りたいなぁ。



四月十八日 午後第五刻 北領 北府郊外 俘虜作業所
俘虜 馬堂豊久<皇国>陸軍少佐


「総員、傾聴!」
 冬野曹長が号令をかける。

「皆、聞いているな。〈帝国〉軍より俘虜労役の任が完了した旨を伝えられた、開放期限までの数日間は自由だ。そうは言っても娯楽は少ないだろう。」
 目配せをし、権藤軍曹達に瓶を抱えて持ってこさせる。
十数本もあれば三十数名に乾杯させる事は出来るだろうと将校二人と出し合ったのである。
「――と言うことで、俺が溜めていた分と西田・杉谷両名からふんだっく――もとい、皆の為に喜捨した分の酒を・・・・聞いてないね」
 皆、酒に目を奪われているのを見て豊久が嗤う。兵達の馬鹿騒ぎの中、ロトミストロフ候補生が訪れる。
「馬堂少佐殿、東方辺境領姫ユーリア殿下が貴官に拝謁の栄を与えると仰っておられます」
〈帝国〉語を解する者達は皆体を強ばらせた。
「杉谷――なにかあったら指揮権は君が引き継いでくれ」
 汗を流しながらも豊久は口元を吊り上げて先任少尉に云った。
「その言葉も冗談で済めば良いのですがね――幸運を祈ります、としか言えませんな」
 杉谷も顔を引き攣らせる、どちらも冗談としたくともできないといった様子であった。
ドナドナ・アトモスフィアを漂わせながらも俘虜である豊久は東方辺境領姫の御召を受け、とぼとぼと十も年下であろうロトミストロフの後を付いていくことになった。


同日 午後第五刻半 旧北領鎮台司令部内司令官室前副官室
俘虜 馬堂豊久<皇国>陸軍少佐


なんとも言えぬ違和感を抱えながら豊久は目の前の状況を咀嚼する。
 ――この先に嘗ての守原英康の執務室――司令官室がある。皮肉なものだ、〈皇国〉陸軍の物だった時には縁がなかったと云うのに。
 今、この副官室に居るのは豊久と、先導者であるロトミストロフ候補生の他に副官の代わりに侍女らしき女性が書類を片付けているだけであった。 陸軍元帥の侍女ともなると書類仕事もこなすらしく、乾ききっていない吸い取り紙が何枚も屑籠に捨ててある。
 例によって案内役のロトミストロフがその女性に来訪を伝えた。
「〈皇国〉陸軍少佐 馬堂豊久殿をおつれしました」
――声が裏返っている、緊張しているのか?
豊久の分析癖が頭をもたげた。
――いや、違うな――それとは違う。青年候補生の態度はそう云ったものではなかった。むしろ崇拝者の陶酔に近い。将校としてのそれ以上に鯱張った動作はおそらく彼の信望する戦姫・ユーリア元帥に対するものだ。
――ならば、これもその一環、侍女にまで失礼のないようにと気負い過ぎたということか。
なんとなくスッキリしないが、ロトミストロフは、そのまま退室したために、検証は不可能となってしまった。
「少佐、こちらへ」
 その女性が奥へと続く扉を開けてくれる。黒い扉に白く美しい手が映えていえる様子が――奇妙に印象に残った。



礼をして入室するのとほぼ同時に豊久は違和感に眉をひそめた。

 ユーリア姫らしき人は窓辺に立ち、豊久達に背中を向けている、別にそれは何ら奇妙な事ではない、威厳を見せる演出だろう。
部屋は〈帝国〉風の豪洒なインテリアに変わっており、両側には赤布に金糸で飾り立てた垂れ幕がある、この模様替えが原因だろうか?
「〈皇国〉陸軍少佐、馬堂豊久様をお連れしました」
 一拍間が空く、部屋の主は無反応であった。

「少佐、ご挨拶を」
 再び、違和感を覚え、豊久の思考は急速に回転を始めたる。
 ――何かがおかしい、何だ?

「〈皇国〉陸軍少佐、馬堂豊久、参りました」
 舌が儀礼を紡ぐのと並行し、防衛本能に急き立てられた思考は考察を始める。
 ――違和感の正体はなんだろうか――侍女の挨拶?
即座に否定の答えが浮かぶ
 ――違う、違和感の正体はそれではない。その前から感じていたのだから。

「拝謁の栄に浴し、恐悦至極に御座います。」
 舌鋒は無感動に儀礼を続けている中、豊久は更に記憶を巻き戻す。

 ――副官室で何を見た?

 ――山積みの書類に生乾きの吸い取り紙。
 
 ――それだけか?

 ――この部屋に入る前に何を見た?

 ――黒に映えた白く美しい手――白い?
 ストン、とこの状況を説明する常識の埒外にある論理が嵌った。
最敬礼である二刻半の礼をするが、窓辺の人物は未だ動かない事がその突飛もない論理に説得力を与えていた。
 蛇口を捻ったかのように豊久は汗を流し始めた。
 ――え? ま さ か
 頭を上げ、ジリジリと違和感の源である侍女の服を纏った美女へと向ける。
確信があったワケではない、生前(?)の記憶に残る本の迷警部曰く、“俺の直感がそう言っている”予断ありきの推測でしかない。
 だが豊久の探るような視線に応えるかの様にその女性はクスクスと笑い始めた。
 その笑い声に呼応するように心臓が早鐘のような音を打ち、冷や汗が湧き出す――が、何処かそれを演出の様に愉しんでいる自分が居る事も豊久は自覚していた。

 そして、謎解きの正誤が告げられた。

「もういいわよ、クラウディア。下がってちょうだい」

 そう言われて、ようやく振り返ることができた元帥の軍服を着せられた哀れな侍女は、豊久に負けず劣らず冷や汗を流していた。
 ――まさかこんな事をやるとはね。何とも行動的なお方だ。
早くもこの場の主導権を握られた豊久は諦観をもってその光景を眺めるしかない。
動揺している自分が何を言っても間抜けにしか見えないだろうから。
「ふふふ、少佐、私が〈帝国〉東方辺境姫ユーリアです。
貴男の属する軍隊を敗北させた鎮定軍の司令官よ。」
 未だ笑いが収まらない姫に対して豊久は一応二刻半の礼をする――敬意が欠片もこもってないが。
「馬堂豊久です」

「どうやらまたも貴男を奇襲し損ねる所だったようね。」

「いえ、十二分に驚きました。
屑籠を見る貧乏性と殿下の美しい手を見る不躾さを持ち合わせていなかったら失神していたかもしれません」

「それは大変」
 ユーリア姫は、クスクス笑いながら着替えをしに部屋へと行った。



「慣れも良いものじゃないわ、何時も同じだと退屈してしまうもの。
だからたまにこうして遊ぶの。」
 軍服に着替えたユーリア姫が楽しげに話す。

「そうしたくなるお気持ちは理解できます、殿下」
 そう答えながら豊久は外交用の笑顔を浮かべているが、流石に退屈しのぎに弄ばれるのは好みではない。
「随分、不機嫌そうですね?」
 此方を見て、微笑みながらユーリアは云った。
「そう見えますか?」
「見えますね」
 ――にべもない、こう押しが強い女性は苦手だ。
 思わず嘆息する。だからといって控えめな女性が得手かというと首を横に振らざるをえないのだが。

「突然呼ばれ、何事かと身構えていましたからね。いや、まさか――」
 あてつけがましく首を振るがユーリアはクスリと笑うだけであった。
「意外でしたか?」

「ええ、まさに奇襲でした。あぁ、これは先程も言いましたか」
 微笑に僅かに苦いものが混じる
 ――やれやれ、メレンティン大佐殿以上かもしれないな、これは。
 僅かに口元を緩め、敢えて俗な視線を飛ばす。
 ――まぁこうして見ると胸でかいし美人だし胸でかいし中々眼福だ、と前向きに考えよう。
「心なしか不躾な視線を感じるのですが?」
 ユーリアがにこやかに殺意を放つが、豊久はそれを飄然と受け流す。
「気のせいです、殿下」
 ――怖い見張りも居るだろうしね。あのわざとらしい垂れ幕の辺りかな。
 流石に侍女一人だけということはないだろうという常識的な考えからの帰結である。
 さすがというべきか、豊久には護衛がどこにいるかは分らない。
「言っておきますが、男性としての貴方には惹かれません。」
 ユーリアに冷ややかな目で睨まれるが、悪意に対しては豊久の面の皮は無駄に厚い。
「手加減して頂きたいものです。そうはっきりと美しく、身分も何もかも圧倒的に目上の貴婦人に言われるとひどく堪えます」
 にこやかに返答する姿はやり手の商人じみたものであった。
 ユーリアは悪戯めいた微笑を浮かべてそれに応え
「それは困りますね。なにしろ軍人としての貴官を私は高く評価していますから」
 そういうのと同時に敬意と敵意をないまぜにした総司令官の顔になる
「あの先遣隊を叩いた夜襲、そして、その後の異常なまでの戦果には驚かされました。」
 そう言って茶に口を着けた時には誰もが彼女が<帝国>陸軍元帥であることを疑うことはないであろうと豊久を感嘆させるほどの変貌であった。

「殿下、その言葉、私の前任者が聞けば誇りに思うでしょう。」
 そう云う豊久の脳裏では皮肉な笑みを浮かべる図しか浮かばない。
「あら? 貴男はその大隊の幕僚だったのでしょう?
そしてそこから大隊長を引き継いだ、と聞いています。」
 その口調はまるで試すかのようだった。
「はい、情報幕僚でした。
尤も、まともな報告が一つしか無いので仕事にあぶれていましたが。」
 そう答えると
「まともではない報告は?
数多くの情報から取捨選択しそれを得たのでしょう?」
素早く問いが飛んでくる。
 ――成程ね。
「いえいえ、中々集まりませんでした。
天狼では文字通り情報が錯綜しましたがまぁその後は捜索部隊からの情報だけが頼りでした。」
 祖父から三代続く馬堂家秘伝の胡散臭い笑みを貼りつける。
「騎兵伝令は使わないのですか?」
 質問の早さが段々と早まる。
「はい、殿下。何しろあの猫は馬を怯えさせるので、偵察は徒歩で行うしかありません」
 ――この程度は向こうも分かっているだろう。それに必要最低限の領域までは、馬を剣牙虎に慣らす訓練もそろそろ体系化される頃だ。鵜呑みにしてくれるならありがたいくらいだ。
当たるさわりのない答えを模索しながら、戦姫の分析を行う。
――この姫様は、自分が主導権を握っていることは当然理解している。だからこそ勢いを嵩にかけて考えさせない気か、ならば
「それでは部隊間の連絡に苦労するのでは?」

「はい、実験部隊ならではの苦労でした。
――其方の御国でも同様の部隊がいるのでしょう?」
 一拍おいて意味ありげに微笑する。
「――」
ユーリアが言葉に詰まると逆に畳み掛けるように豊久が言葉を発する。
「実験部隊とはその様な物です。得体の知れない物をなんでも手当たり次第に詰め込んだ部隊なのですから上層部からは信用なんてされませんよ」
 ――そりゃそんな部隊はまともな軍隊ならどこだってあるに決まっている、バーナム効果のちょっとした応用だ。会話のキャッチボールに付き合う気は無いよ、姫様。
 相手のもくろみを崩し、豊久は笑みを浮かべる。
 無論、ここで仕掛けたのには意趣返し以上に意味がある、導術兵は、他の部隊では殆ど使用されていない為、ほぼ確実に現状では導術の軍事利用に関する情報を自分達が独占している。そして《帝国》の国教は反導術であり、厳しい弾圧を加えている。
 単なる軍事情報の流出――勿論、それも深刻な問題であるが――以上に反導術思想と現実的な脅威の結合は、危険なものであると判断したのである。

「そう・・・その様な部隊、それも高々七百名の大隊で全軍の足止めをしたのですか。」
 ユーリアはやや皮肉気に話題を変える。

「えぇまぁ、嫌がらせとハッタリだけで時間を稼いだ様な物です。
派手な敗北で始まり、地味な敗北で終わりましたが、その間にあるのは、それだけです。」

「嫌がらせ、ですか。自国の村を焼くのを嫌がらせの一言で済ませるのですか?」
 古傷を抉られようと顔色一つ変えずに豊久は答える。
「負け戦だから選択した邪道です。あの様な状況でなければ絶対に行ないません」

 ――メレンティン参謀長からも聞かれたな。あの時以上に動揺しているのは何故だろう?
 ふとそのような事を思いながら青年将校は言葉を続ける。
「如何に上手く敗けるか、なんて二度と考えたくありません。」
 感情的な声を出さないように、無感動に、と細心の注意を払いながら自己と相手を批判する理論を紡ぐ
「所詮、戦術の中でも邪道です。
それを使わざるを得ない戦況に陥った時点で戦略として破綻しています。
戦争なぞするものではありませんね。
金も命も浪費します、挙句の果てに信用まで叩き売りです。
軍の大半が暇を持て余すくらいの方が少しはマシな世の中でしょう」
感情は出さずただ肩を竦めるのみ。

「そうかしら?平和はただの備えの時期、戦争と平和の違いは一つではなくて?」
 ――議論を挑むには極論にすぎますよ、姫様。
傷口をほじくりかえしながらも相手が乗ってきた事で安堵の笑みを浮かべる。
ここで語調が変わったということは本気で食いついてくれた可能性が高い。
「同じ資産が増える可能性があるからと商売と賭事を同列で扱うのは適切では無いと思います」

「随分と婉曲的に言うのね。」

「ならば、限りある人材と資産を浪費する時期を平時と同列に扱うべきとは思えません、と言うべきでしょうか」
 ――侵略戦争とてそうだ。そんな事をするくらいなら貿易で搾り取る方がより効率が良い。
それで国力を削ぎ、技術と教育を発展させればさらにやり方が増える。
「成程、ね。やっぱり貴男は官僚――いえ、商人に向いているわね。
貴男の言う商売下手の〈帝国〉に居たのなら大商会を構えていたかもしれないわ。」

「どうでしょうかね?〈帝国〉にいたら今度は軍人向きに育つかもしれませんよ?」
少々戯け気味に言うと姫様は瀟洒に微笑を浮かべ
「軽口好き同士、クラウスと気が合う筈ね」と明るい声で云った。

 ――クラウス?随分と親しそうだ、元侍従武官とかなのかな?
「参謀長殿は何と仰っていましたか?」

「褒めていたわよ、彼」
微笑みを残し、言葉を続ける。

「そう、己の幕営に居ない以上、首を刎ねたい程に素晴らしい、と言っていたわ」
 <大協約>世界最強の陸軍を率いる女傑の目に剣呑な光が閃く。
その覇気を肌に感じ、豊久は思わず固唾を飲んだ。
「それは――褒めていただいているのでしょうか?」

「寧ろ、賞賛している、と言うべきでしょうね。私も同意見です」

「――刎ねるのですか?」
 冷や汗を流しながらも無理矢理唇をねじ曲げた豊久の言いぐさに今度こそ声をたてて姫が笑い――
そして真っ直ぐと豊久の目を見て微笑を浮かべながら手を差し出す。
「まさか!此方の幕営に来なさい、と言っているのよ。」
豊久の頭が真っ白になった。

「貴男になら少なくとも連隊を預けられる。
功績をあげれば、望むのなら私の参謀にしてあげても良い。師団だってあげるわ。
爵位も与えられる。それこそ、貴方の働き次第では故郷のもの以上の位階を」
 煌めく碧眼に魅入られたように豊久は半ば呆けたように黙りこくる。
「能力があるのならば、この国を鎮定した後、統治に一枚噛ませあげてもいい。」
 ――このくにを? おれが?
 野心の熾火が掻き立てられた。
 ――俺が知っている別の世界の可能性。権力があれば、新たな時代の行く末を読み切り何かを手に入れられるかもしれない。

「ようやく――」
 ユーリア姫が満足気に対面に座る青年の顔をのぞき込む。
「――ようやく、胡散臭い笑いが取れたわね。」
 思わず口元を触る。作っていた表情は――あっさりと消え去っていた。

「なかなか良い|表情(かお)していたわよ?」
 勝者の余裕からかどこが親しげな話し方になっているユーリアに青年は幼子のような声で問う。
「・・・嘘だったのですか?」
 事実として東方辺境軍は急速に領土を拡げた際に彼らの言う蛮族を大量に受け入れている。
だからこそユーリアの長広舌を豊久は信じかけたのだ。

「拗ねてはダメよ」
 美姫は、喉の奥で笑っている。
 ――何かもう動揺しすぎて演技が出来ていないようだ、完全にしてやられた。
「私が話した事は全て〈帝国〉陸軍元帥 ユーリア・ド・ヴェルナ・ツアリツィナ・ロッシナの名に賭けて真実です。
貴男が私と〈帝国〉に忠義を尽くし、相応しい武勲を上げるのならば、私は貴男の後ろ楯になります」
帝国を統べる一族に相応しい覇気を感じさせる口調で告げる。
「それに――」
「それに――なんですか?」
尋ねる豊久は露骨に不貞腐れた態度であった、もはや自棄になっている。
「何なら貴男を愛人にしても良いわよ?」
 生真面目な姿から一転して仇っぽい目で見つめられると豊久は赤面して慌てて黒茶を呷る。
「あら、存外に初心なのね。――まぁさすがにこれは冗談よ、今はまだ」

「さすがにそれで売国奴になったら色々と泣けますね」
 ――もうやだ、一番苦手なタイプだ、この(ひと)
内心はもう半泣きであるが豊久は最低限の体裁を取り戻そうと四苦八苦する。

「そうかしら?それは差し引いても十分以上に貴方は好きに振る舞える筈よ――信頼を勝ち得る事が出来るなら。
だから――此方にいらっしゃい。」
ユーリアの澄んだ碧眼と疲弊した官僚肌の将校の黒い瞳が交錯した。
 ――それはきっと甘美なのだろう。敵を多勢を持って勇壮華麗に叩き潰し、美姫の下で勝利の美酒に酔う――素晴らしい光景だ。
 一瞬、垣間見た気がした未来に薄く笑みを浮かべ――豊久は自分でも驚く程よく通る声で答えた。
「嫌です」
 ――あぁ、そうか。これが豁然大悟というやつか?今、確かに選択の余地はあった、だが俺は亡びるのであろう故国を選んだ。何故かは自分でも解らない。
 ――安い矜持か、家族、友人への未練か。
どちらにせよ大した理由ではないのだろうな。
何とも――困ったものであるが――それで良いんだ。

「そんなに滅びる故国がいとおしくて?」

「そうですね。自分でも些か驚きましたが自分なりに愛国心を持っている様で。
それに――」
交渉用のものではない、澄んだ笑顔を浮かべた。
「それに?」
 ――俺は、他人をからかうのは好きだが、からかわれるのは嫌いだ。いやはや、我ながら始末に負えない餓鬼だ。

「私は内政の失策を戦争で誤魔化す様な無能な為政者に仕えるのは御免ですので。」
 そして挑発的に嗤って見せる。
 ――カリスマのある偉大な軍略家である美姫よりも、より良く平時の組織を運営する中年男――若殿様の様な上司の方が自分の人生を預けられるって事だ。

 ピクリ、と体を震わせ、東方辺境領姫が押し殺した声で答える
「そう、それが貴男の選択ね」

「そういう事になりますね」
 自棄と果断をないまぜにし、豊久は自身の旧友の如き笑みを浮かべる。

「良い事?私が貴男の愛しい故国を滅ぼすまで生きていなさい。
どんな顔をしているか愉しみにしているわ。」
 凄惨な笑みを浮かべている美姫を見て豊久も自然と笑みが浮かぶ。
 ――おお、こわいこわい。
「安心して下さい、殿下。私も殿下が〈帝国〉にお帰りになられる時の御尊顔を拝見するのを愉しみにしていますから。
美姫は泣き顔も美しいのか、些か興味がありますので」
懺悔を聞く拝石教の聖職者の様な笑みを浮かべて言い返す。

「フフフ・・・」
「・・・・・・」
互いに笑みを交わす。ユーリア殿下がチラリと部屋の垂幕を見る。
「こう、俘虜の身になると〈大協約〉が有難く思えます。
苗川辺りでは恨み言を呟いていたと云うのに、やはり法規は相互に遵守するからこそ意味があるのですね」
ぼそり、独り言の様に但し聞こえる様に呟く。
茶を飲もうとし、空になっている器をみて豊久は眉をしかめた。

「そう、敬意を払うべき対象に敬意を持たないのは愚者の行いね。
ならば私も〈大協約〉と貴官に敬意を払ってこう言いましょう。
――とても残念、と。さぁ、お下がりなさい」
〈帝国〉陸軍元帥の顔になった。
「それでは」
退出の礼をし、部屋を出ようとする豊久を追いかける様に声が聞こえた。
「後悔するわよ」
 ――笑わせるな。
「どちらが?」



部屋の奥、そこに掛けられた垂幕から護衛のカミンスキィが出てきた。
「あの男、真に此方に引き込むつもりだったのですか?」
「嘘はつきません。東方辺境領の貴族になれば生殺与奪は私が握れる。
無能なら殺し、反旗を翻す様なら私が叩き潰せる。」
 ――あの押し殺していた野心、上手く扱えば面白そうだったのだけれど。
ユーリアは取り逃がした獲物が出て行った扉へ視線を送る、
「あの男、掴み所が無いですね。敵に回す事も味方として轡を並べる事も危険でしょう。」
秀麗な眉間に皹が入っている。
 ――同族嫌悪って奴かしら、アンドレイ?野心の隠し方は貴方の方が下手だけど。
「そうかしら? 思ったより可愛らしい所もあったけど」
外面の崩れた後のあれは驚いた。
あの子供の様な表情、あれ程心根が剥き出しにした顔はそうそう見れないわね。

「あぁ、矢張り惜しい、あの男なら参謀でも将校でも使えたのに!」
尤も、部隊を与えるのには危険な気もするけれど。

「御意」
陰のある声でアンドレイが答えた。参謀教育を受けていない実戦一筋の騎兵将校、戦姫の愛人として公然と振舞っていてもやはり劣等感は人並みに持っているのだ。

じっとユーリアは彼の目を見つめる
「殿下?」
カミンスキィが首を傾げるとユーリアは視線をそらし、くすり、と笑った。
「――何でもないわ」
――やはり、似ているようで似ていない。
 
 

 
後書き
思い入れがあるだけに加筆を加え、更に誤字を訂正し、余分だと感じたところを削ってまた加筆するという円環の理。

いつも以上に冗長でくどくなっていないかとハラハラします。

御意見・御感想をお待ちしてます。 

 

第十九話 流し雛の奏上

 
前書き
新城直衛 皇主へ北領における軍状報告の奏上を行う

式部官 宮城の儀礼を取り仕切る老年の男性

駒城保胤 駒州公爵家長男にして陸軍中将である新城の義兄
     新城に奏上を依頼する。

駒城麗子 保胤と蓮乃の間に産まれた子供 かわうぃい

守原英康 かつての北領鎮台司令官 護州公爵・守原家当主の弟である陸軍大将
     守原家が権益を握る北領を奪還すべく総反攻を計画している

守原定康 守原家長男・英康の甥 陸軍少将

草浪道鉦 陸軍中佐、守原家陪臣の中でも随一の切れ者として通っている。 

 
皇紀五百六十八年 四月四日 午前第十刻 宮城内 謁見の間前
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 新城直衛


 〈皇国〉陸軍の礼装に身を包み謁見の間へと歩いていく新城直衛はあまりにも肌に合わない場所に辟易としていた。
 ――僕には、合わないな。
 礼装を着た義兄や豊久を思い出して自然とそう思った。
――義兄は扉の向こうに参列している。 豊久は――今頃はどうやって労役の手を抜くか腐心しているのだろう、本来収まりがつく筈なのは逆だろうに――
 苦笑を堪え切れずに唇を歪めて扉の前にたどり着く。
 そこには還暦に近い皇室式部官が二人の侍従武官を従えて待ち受けていた。式部官が探るように尋ねる。
「少佐、宜しいかな?」
 ――畜生、こういうのはアイツの役目だったのに、あの手紙の所為だ。あの野郎、無事に帰って来たら一杯やる前に殴らせてもらおうか。
 未だに肝が座らずに内心では、恨み言を零しながらも、新城は頷く。
 その様子を観察し、落胆した様子で式部官が口を開く。
「先に頂いた軍状報告の文面から受ける印象とは随分違いますな。
御国の最精鋭である第十一大隊の生え抜きと聞いておりました。余程の偉丈夫かと思っておりましたが」
 ――まぁ確かにそう取れる様に書いたのは僕だがそれにしても随分な言い方だ。

「ご期待に添えず申し訳ありません、式部官殿。もっとも、僕はそれを得意としているのだが。」
 新城の言葉に式部官は鼻白んだがすぐにそれを長年の経験で押さえ込むが、それを見逃さず、御付武官達はしてやった、と言いたげな微笑を浮かべた。
 軍の内では新城の評判は悪く、どの様に思われているかは想像に難くない。
だがそれ以上に同業者の団結意識が勝ったようだ。
 彼らが目礼をし、銀装飾を施された扉に向かう。
 式部官がその重厚な扉を厳かに開いた。

「駒州公御育預、〈皇国〉陸軍独立捜索剣虎兵第十一大隊大隊長、
〈皇国〉陸軍剣虎兵少佐兼〈皇国〉水軍名誉少佐・新城朝臣直衛殿。軍状報告御奏上の為、御入室!!」
 式部官が扉の様に重厚で厳格な声で告げた。

ふと思った。
 ――位階を持たない陸軍軍人が此処に呼ばれるのはこの指の動かし方まで形式詰めの式部官が勤めて以来初めてではないだろうか。
そんな事を考えながら謁見の間へと歩を進めた。


午前第十刻 宮城内 謁見の間
玉心ニ親シク接スル者 新城直衛


青檀に銀装飾を施した荘重な壁、奏上者の進むべき道を示す緑絨毯。
 ――皇家の求める有難味に満ち溢れた空間だ。
 新城ですらも建築芸術として感嘆を禁じ得ない程の場であった。
彼の視界には先導しようと前に歩む式部官が、そしてその左右には文武百官が立ち並んでいる。
 五将家の一角である安東家からは、東州公にして東州鎮台司令の安東光貞とその叔父にあたる兵部大臣、安東吉光が対面(文官の並ぶ左側)に居る。

 駒州公であり、新城の義父である、駒城篤胤大将、その嫡男であり、新城の義兄にあたる駒州鎮台司令官の駒城保胤中将が駒城家から。
 西原家からは西州公である西州鎮台司令官の西原信英大将が参列している。
宮野木家からは背州鎮台司令官の宮野木清麿中将が居る。
 そして守原家からは元北領鎮台司令の守原英康大将がいる。
守原家の次子であるが肝心の当主である長康が病に伏せており、実質的な当主はこの男だ。そして当主の息子である守原定康も参列している。
 そして五将家の分家筋や、陪臣格の者が左右、特に武官が並ぶ右側の大半を占めている。
軍監本部総長志倉久正大将は宮野木の分家筋であるし、転身支援の海上護衛の指揮を執っていた〈皇国〉水軍東海洋艦隊司令長官である浅木中将も同様だ。
将校の高等教育機関である帷幕院院長である西津忠信中将は西原家分家筋である。要職を占めている者は能力の優劣はあれど五将家とその分家筋であった。
近衛もそれは同様である、近衛総軍司令官の神沢中将も安東の分家であるし、禁士隊司令の栗原少将も西原家の分家筋にあたり、そして衆兵隊司令の実仁少将が並んでいる。
 数少ない例外は皇州都護鎮台司令の佐久間中将、龍州鎮台司令の須ケ川大将の二人である。この二人は要地の勢力争いと妥協の結果として五将家に仕えずに潰れかけていた旧諸将家から見繕われた人物だ。
武官たちの中で、衆民が名を連ねているのは水軍だけであった。水軍の軍令機関である統帥部総長の大咲大将、そして皇海艦隊司令長官である杉原中将がその筆頭である。
 そして左の文官達に関しては新城の知識はけして深いものではなく。精々が先日見知った弓月由房が内務省の高級官僚団と思しき列の中に居る事が判別できただけである。
だが、それでも最も玉座に近い所に座す者は新城も一瞬で理解する事ができた。
天龍――龍族利益代表である。

 新城は、自分の義理堅い友人の同族から視線を正面へ戻す。
緑絨毯の道を歩きだすと予想以上に深い絨毯の沈みこむ様な感触が切欠となったのか新城の背を汗が流れ落ちる いや、儀式を儀式らしくする、絨毯の外から響く式部官と皇主の無力な権威を浴する者に続く侍従武官達の足音故だろうか、彼らが歩むたびに音響が謁見の間に響き、それが逆に儀式の静謐で荘厳な空気を演出している。

 そして、遂に先導する式部官が立ち止まった。新城は式部官から三歩先へと歩み、玉座の前に立ち止まり――新城は唯一人で皇主とまみえた。
 飾りを一切つけていない軍礼装を纏う体は小柄だが全身から無形の威厳を発しており、無表情ながら優しげな印象を与える丸みを帯びた目が新城を見つめている。
 ――この状況を楽しんで、否、僕に興味を持っている。僕が何をするのか知っているのだろう。
 ――義兄上か、未だ一度も顔を合わせていない実仁親王か。何もかも打ち合わせ通りか。
あぁ、そうか、つまりこれは儀式なのだ。滅びかけのこの国で名目上の君主が生き延びる為の。ただ周囲への恨みを避ける為だけの儀式。
 ――さしずめ俺は人形といったところか。 皇家に掛かる厄を擦りつけて流される雛人形か畜生!どいつもこいつも自分以外の何もかもを叩き売りしている、ならば其奴らの値段は幾らだ?  お膳立てされたこの儀式は?  俺の値段は? その値段は誰が決める?
 自身の値段を決められない事が腹立たしい。

「少佐」
式部官が不審そうに囁くと考えこんでいた新城は儀式へと意識を戻し、半直角の礼をし、五寸数えて頭を上げる。
 皇主は軽く頷くと玉座に腰を沈めた。全ては滞りなく伝統と形式に沿ったものであった。
式部官は満足そうに頷くとまさに式部官に必要な荘重な声を張り上げた。
「新城直衛殿、軍状報告御奏上なされます!」
懐から奉書を取り出し、それを見て新城は唇を歪めた、
――手は震えていない。
それに僅かな安堵を感じ、虚栄と虚飾に彩られた軍状報告を淡々と読み上げる。
 余りにも酷いそれに自嘲すら感じながらもそれを止めることはない。何しろ自分が請け負った厄介事なのだから。



三月十三日 午後第二刻 駒城家下屋敷
駒城家 育預 新城直衛


 北領から生還した英雄の一人である新城直衛は――大いに困っていた。
初姫様――新城の義姉と義兄の娘――が膝の上で眠っているのだ。
もう半日近く遊び相手をしていた千早はぐったりとしている。
 ――剣牙虎を消耗させるとは、大した女傑だ。
「どうぞ」
扉をたたく音に答えると、駒城の家令が畏まった態度で新城に言伝を伝えようとするが
「失礼します、若殿が――」
新城の膝の上を見て言い淀む。駒城家次期当主の一粒種であるのだから無理もない。
「用件は?」
「はい、若殿が、お越し戴けると有難いとの仰せでございますが--」
 ――どうしたものか、起こすのもなんだろう。
「若殿にこの有様だから此方にお運び願いた「ちあや。」」
 初姫――駒城麗子が目を覚ました。
――どんな夢をみていたのやら、それにしても第一声が千早とは、余程気に入ったらしい。いやはや、大した姫様だ。

 家令と面を見合わせると互いに笑いが込み上げてくる。ひとしきり笑いが部屋に満ちた。
笑い声がおさまると新城は笑みを浮かべたまま伝言を変える。
「姫様と千早が一緒でも宜しいのなら直ぐにでも伺うと若殿様に伝えてくれ」

 家令が扉を開けると、龍州産の子犬が駆け寄ってきた、毛並みが良いおそらくは、義兄上の誕生祝いとして馬堂家から贈られたのだろうと新城はあたりをつける。
 龍州犬は猟犬として知られるが番犬も兼ねて、あの家では専門の使用人を雇い熱心に何匹も飼われている。成長すれば一間半にもなるが――。
「――――!!」
まだまだ、今は千早に全身を一舐めされる位に小さい。
「こら、そんなことでどうする。」
 苦笑して悲鳴を上げて部屋の隅へと逃げ出した子犬を叱りながら保胤は義弟を招き入れる。新城が椅子に座ると麗子を父の下に帰して差し上げる。

近寄った愛娘に保胤は、微笑んで頭を撫でる。抱き上げはしない、将家の父としてはこれでも破格の触れ合いであった。
麗子はよちよちと千早の方へと向かっていく、その様子を見て先程の子犬も近寄っていった。
それを辛抱強く受け入れる千早。
少々うんざりして見えるが気にしない様にしよう。

 その様子を二人で見ていると義兄が思い出したように口を開いた。
「あれに、雄猫を見つけてやらねばな」

「そうしたいのは山々ですが、好みが厳しいらしくて、一度は血みどろの喧嘩になりかけました」

「主人と似て始末におえない、か」
 珍しく人の悪い笑みを浮かべる義兄に新城は肩をすくめてこたえる。
「不徳の致すところで」

 ――主人の場合は幼年学校では同じ班の友人が、それ以降は豊久が面倒を見てくれていた。願わくばまた面倒を見てくれればとおもっている、全く我ながら不徳極まりない輩だ。
 しばらく世間話を続けていると家令が黒茶を持ってきた。
 その黒茶を黙って飲みながら保胤は何やら逡順している。
「――お前に良い知らせがある」
決心がついたのか、口火を切った。
「何でしょうか?」
「馬堂の世継、彼が俘虜となっている事が確認出来た」
「それは――」
「確かだ、官僚が来月には確認に出向く。豊守は自分から行きたがっていたがね、流石に将官を送るのは面倒にすぎる」
 新城の口安堵の息がもれる。
――何はともあれ無事を素直に喜ぼう。その程度の人情は俺にもある。
「お前にも素直に喜ぶ事があったか。」
 保胤は他人事の様に言っているが本人も嬉しそうに言っている。
「彼は、将校としてどうだった?」
 義兄が陸軍中将の顔で尋ねる。
「そうですね。慎重過ぎるきらいがありますが、まず間違いを犯しません。
優秀な幕僚と十分な時間さえあれば連隊位は上手く扱えるでしょう。」
 ――奴ならば幕僚を執拗に吟味して文句を言いながらも問題なく動かすだろう。北領での実績があれば部下たちが服従するには十分であるだろう。
「そうか」
 満足そうに頷くと、意を決したのか細巻を取り出し、新城に勧める。
火を点け、新城も旨そうに紫煙を燻らせる。
――やはり上物だ。
「それで、義兄上。僕に何かやらせたい事があるのでしょう?仰ってください」
「やはり解るか」
 ばつの悪そうな顔をする保胤に新城は首肯する。
「えぇ、何か面倒な事でしょう?
生きるか死ぬかと云う事なら幾ら何でも考えますが、そうでないならばやりますよ」
「全く、お前は妙な所だけ正直だ」
 嬉しさ半分呆れ半分といった様子で保胤は細巻の灰を落とす。
「一命を賭してなどとは、僕にはとても言えません。
やはり僕は根っからの将家ではありませんからね。
それに、命というやつは、うまく使えば長持ちします。それについて、随分と勉強しました」
 ――その逆は物心ついた時には、既に知っていた様にも思う。
「そうだろうな、私よりも遥かに詳しいだろう。」
 そう答える保胤は、痛切な何かを堪える様な顔をしていた。
「だからこそ、お前を幼年学校に、軍に入れる事は反対だった」
「確かに、あの時、義兄上は反対なさった。
嬉しかったですよ。僕の事を真剣に考えてくれた人は、それこそ両の指で数えられる位しか居ませんから」
 一緒に大殿の書斎で本を読みあさっていた豊久は話を聞くだけであった。それが彼なりの真摯さだった事は新城も理解している。
 その後、家臣団の大半が反対に回っても馬堂豊長は沈黙し、主家の判断に口を挟むつもりは無い、と言うだけだった。つまりはそう言う事だったのだろう。
「お前は人前では滅多に口を開かなかった。
私には軍人向きとは思えなかった、それにお前は面倒事を背負い込む質だからな」
 嘆息し、義弟の現状に目をやり、言葉を継ぐ。
「見事に騙されたよ。此処までの戦上手とは思わなかった。
だが面倒を背負い込む質というのは当たったな。
何しろ私まで面倒を背負わせようとしているのだから」
 自嘲するように言葉を吐き捨てる。
「お気になさらずに、義兄上。」
 新城が大声で答える。保胤は、新城がほぼ唯一と行っていい素直に人柄を慕っている人物である。
「それで義兄上の仰る面倒とは?」
 声を戻して本題に入る。
「北領での大敗に――いや、お前達の大隊にとってはまごうことなき勝利だが
その軍状報告を皇主陛下に奏上してもらう。」
 申し訳なさそうに次期駒州公が言った。
「待ってください。それは北領鎮台司令官であった守原大将の役目でしょう?
よしんば大隊長が行うにしても、豊久が――大隊長が生きている事が分かっているのならば」
 理由は察しがつく、だがそれならば尚、あいつの役目の筈だ。
「馬堂豊久少佐は未だ生死不明だ。
少なくとも明日、お前が正式に奏上を行う事を取り決めるまでは、な。
 ――お前でなくてはならないのだ」
 義兄の顔に浮かぶ苦渋の色が深まっているのを見て、新城の臓腑に苦いものが満ちてゆく。
「陸軍内では夏季総反攻論が主流を占めつつある。
軍監本部でどうにか押さえ込もうとしているが鎮台からの突き上げが厳しい。」
 矢張り――そうか。
「信じられない、と言えれば幸せなのでしょうが」
「理由は分かるか」

「えぇ、義兄上や豊久に他の将家と言う者を懇切丁寧に教えていただきましたから。
特に能力が伴った参謀将校の厄介さは」
 平時における軍後方は陰惨な戦場である。
「――だからこそ、馬堂少佐が適任なのだろうが、まぁ兎にも角にもそういう事だ」
 嫌そうな顔のまま言葉を切った。
「要するに、陛下に奏上仕まつる際に総反攻とその不愉快な首謀者について何か述べれば宜しいのですね?」
「そうだ」
 ――成程、だから豊久では駄目か。
「将家に、とりわけ守原には恨まれます。
駒城とは無関係、僕の独断での行動ですか?」
「あぁ、そういう事になる。」
 義兄が、悲痛な表情で頷いた。

「馬堂家は強い。 ならば育預を、ですか?」
 駒城家が持つ五将家随一の財力を支えているのは代々の馬堂家であった。
少なくとも畜産業の振興に大きく関わって居たのは確かであり、そこから様々な産業振興を行うべく働きかけていたのも馬堂家の派閥だ。そして馬堂豊長・豊守は官界だけではなく、軍需を通して財界や衆民院でも独自に親駒城勢力を作り上げている。 軍という枠組みから出れば家臣団筆頭格である益満家よりも世俗への影響力は強い。
「頼む! 皆まで口に出させないでくれ!私は――自分が情けなくなる。」
 苦渋に歪んでいた顔がさらに歪んでいた。
 ――余程苦痛なのだろう。
「申し訳ありません。」
 そっと目を逸らし、千早達と戯れる初姫に目を向けて笑みを浮かべる。
「そうなると、僕はどうなるのですか? 駒州の後備ですか?」
 ――軍に再編するのなら直ぐに戻るかもしれない。剣虎兵予備士官はかなり手薄の筈だ。
「駄目だ。奏上が駒城と無関係である以上、露骨に庇う事は出来ない。
駒州鎮台の中でも口さがない者はいる」
 育預、詰まる所それに尽きる。――少なくとも明確な理由を求めるのならば。
「それでは何処に?」
「陸軍には置けない、近衛だ。」
 陸軍ではなく近衛、つまり――。
「となると、衆兵ですか。」
 よりにもよって近衛衆兵か。 畜生、口出しする阿呆がいるせいで。
 大方、佐脇か河田が急先鋒だろう。
 畜生、どちらも餓鬼の頃からろくな事をしない。
――見ていろ、その内必ず、絶対に――。
「あまり考えるな。」
 義兄の声で目を上げる。
「何かを考えている時、いつもお前の顔に陰が出る。
まぁ常の仏頂面も見栄えは良くないが。」
 ――こうして心配そうに見られるのはいつまでたっても慣れないものだ。
新城を外見通りに見ているような人間なら腰を抜かすような事を内心思いながら、新城は素直に首肯し、頬の筋肉を意識して緩める。
「気をつけます」
 ――失敗したな、どうにも子供の頃から可愛がられた相手には気が緩む。
「少なくとも、実仁殿下はお前の事を心配していた。せいぜい上手く後楯になってもらえ。
いいか、けして生意気な態度をとるなよ」
 ――親王殿下、か。信用できるのか出来ないのか。少なくとも当面は味方であると有難いが。
「義兄上の御言葉とあれば」
首肯すると保胤は微笑しながら叱責する。
「それを生意気と言うのだ。」
 温かい叱責の言葉だった。あぁやはりそうだ。
「僕の後楯は義兄上と義姉上だけですよ。」
 麗子がちょこちょこと歩みよってきたのを抱き上げる。
「これからも、せいぜい甘えさせて貰います。」
 あやしながら本音を伝える。
「及ばずながら、力になろう。」
 僅かなりとも罪悪感を打ち消せたのか保胤が嬉しそうな声を出す。


 ――そう、危険を呼び寄せる奏上、そして〈皇国〉の最弱軍への転属。俺はこの面倒事を自ら背負い込んだのだ――


「――なれど敵騎兵の追撃を察知す。
前任大隊長これに対し、旺盛なる戦意をもって僅か百名の将兵を直率し遅滞戦闘に当たる。
小官、前大隊長の命を受け、残存部隊の指揮を代行し転進に成功す。
独立捜索剣虎兵第十一大隊はこの時をもって北領における戦闘を終結せり。
この戦における大隊の戦死者は約八百名、これ、大隊の定員に届く数なり。」

 回想に浸りながらも新城は自身が書いた事を最後まで読み上げていた。
 ――全く酷い文章だ。事実を歪曲し、誰も彼もが立派に軍務を果たした事にしてある。
いや、少なくとも兵に関する限りは真実であるが。
 ――自国を焦土と化した事も伏せて美辞麗句で飾り立てている、愛国心など欠片も持ち合わせていない僕がただ同情を引く為に――最低の喜劇だ。

だが新城は自身がどう思っていようと、この喜劇はまだ閉幕は出来ない。
式部官が予定通りに儀式を進行させようと此方に体を向けるがそれを無視して白紙の部分に目を向ける。
 今、新城を止められるのは皇主だけだった、実仁達が描き、保胤が承諾した第二幕が始まる。
新城は無意識に息を深く吸い込んだ。
  ――これからが本番だ。これを終わらせ、自分がどうなるのかは分らない。
 しかし今の新城は自身の選択がいかような結末を導こうとも続けるしか無かった。



同日 午前第十二刻 守原家 上屋敷 喫煙室
守原家陪臣 草浪道鉦中佐

 宮城より上屋敷へと共に戻った守原定康の機嫌は最悪だった。
彼に付き従って居る個人副官――宵待松美中尉相当官がどうにか宥めようとしているのを横目で見ながらも、草浪道鉦陸軍中佐は無表情ながらも内心では安堵していた。
 彼自身は守原家に連なる陪臣として総反攻計画に携わっていたが内心ではまったく同意していなかった。
 ――これで、総反攻は潰された、と考えて良いだろう。自分を含め、守原派の中でも不安視する者が居たのだ、先を見通せばどれ程無謀なものか、誰だって分かる。
 だが、草浪の考えと裏腹に守原を継ぐ筈の護州公子は先程から生まれてから一度も戦塵に晒した事の無い秀麗な顔を怒りに歪めている。
「何が北領の失陥は執政府と上級司令部の無能による、だ!!
たかが百姓上がりの家の養子風情が!!」
――随分な怒りようだ。あの男のように副官をいたぶる趣味がないだけましだ。
草浪の溜息に応えるように扉が開き、守原英康が入って来た。そして、それに個人副官が付き従っている。
「何なのだ、あの男は」
 彼もまた憤懣やる方無いといった様子で椅子に腰掛ける。
「新城――ですか?」
 草浪は自分でも分かり切った事を聞く、その口調は忠臣のもの、と言うには些か無感情なものであった。草浪道鉦中佐はこの二人に好んで仕えているのではなく、元々は五将家が主権を握る間際に守原へ臣従した弱小将家の主であり。現当主である道鉦自身も長康様に引き立てられたものであり、この二人とは職務上以上の付き合いは殆どない。
草浪道鉦が忠義を感じるのは守原長康が当主である守原家であり。この二人はあくまでも守原長康の代理、それも極めて不愉快な、と草浪道鉦は捉えていた。
「他に誰がいるのだ。奴の巫山戯た奏上で守原家は侮辱された。
復仇の機会であった総反攻もこれではどうなるか分からん」
守原英康が裏で抱え込んでいる危機感は単なる名誉の復仇ではなかった、北領の権益を失った今、戦時に耐える経済力を失い、遠からず守原も安東の様に経済危機を迎えるだろう。
総反攻を起こしたらその前に家が物理的に崩壊した可能性が高いが良くも悪くも守原英康は行動的な人間であった。
「あの男には、色々ありますから」
 そう云いながらも草浪は内心苦笑する。
――色々、か。便利な言葉だ。
それは単なる怠惰とは言えなかった、確かに一つ一つ並べたてるには新城直衛は面倒が多過ぎる。過去は勿論、交友関係まで面倒に満ちている。

「そんな事は誰でも知っている。」
 少し肩透かしをくらった様子で定康少将が話す。新城直衛の(推定)年齢と同じ28歳であるが、つい先月少将に昇進している。
つい二月前まで中尉だった男との差は――。
「奴は育預、つまりはただの衆民だ。産まれからして、我々とは違う。
駒城は良馬の産地を抑えただけの百姓上がりだ。
フン、あの家では拾った汚い餓鬼でも有難がるのだろう」
 侮蔑するように定康が吐き捨てる。

「その百姓に! 拾われた輩に!
我々は!守原は!してやられたのだ!」
 英康大将が机に拳を叩きつけた。音を立てて、名匠の造り上げた茶碗が割れる。
「大体、何故あの育預なのだ?
あの家の子飼いの輩があの大隊の指揮官だった筈だ。
それに伯父上を公然と侮辱する奏上をあの式部官が認める筈がない。」
 頭が冷えたのか、定康准将が冷静に疑問を挟む。

「それについてですが。」
 草浪は淡々と報告を行うべく口を開いた。
「何だ、道鉦?」
 英康が発言を促す。
「私が調べた所、あの軍状報告は後半に白紙がありました。
恐らく新城少佐は白紙を読んだのです」
 反射するように定康准将が命ずる。
「ならば奏書を手に入れろ。白紙を読み上げる等、認められるか!」
「それも不可能です。実仁殿下が御自ら奏書を“後学の為に預かりたい。”と受け取られたそうです」

「実仁殿下だと! そうか!そういう事、か。」
英康大将が呻く。

「はい、駒城保胤中将は実仁殿下と幼年学校の同期です。
駒城家が殿下と協力関係にあるのでしょう。それならば、新城少佐を使って総反攻を潰した後は、彼を殿下の下に逃す可能性があります。」
 内心、草浪も舌を巻いていた。
――上手い手だ、流石の守原も近衛衆兵への影響力は弱い。もっとも持つ必要が無かったからでもあるが。
「陸軍が危険ならば近衛衆兵、こそこそと衆民らしく弱兵の巣穴に隠れるのか」
 定康准将が鼻で笑うが、何か考えついたのか、一瞬、悟性の光を瞳に閃かせ、草浪へ顔を向けた。
「道鉦。駒城の子飼いの大隊長はまだ帝国の手にあるのだな?」
 予想外に力強いその視線を受けた草浪は狼狽を抑えながら常のとおりに淡々とした口調を意識して答えた。
「――はい、内地に戻るまでは後半月から一月程あるようです」
 それを聞いた守原定康は会心の笑みを浮かべる。
「ならば我々のする事は決まった」
 ――我々、か。
守原英康の足下に屈み込み、割れた茶碗を拾う個人副官と目があった草浪は――自分もその存在を無視していた事に気がつき、なんとも厭な気分になった。
 

 

幕間 とある勅任特務魔導官の一日

皇紀五百六十八年 四月二十日 午前第五刻半
役宅内寝室 羽鳥守人


 羽鳥守人はかつての軍隊時代に叩き込まれた習慣を遵守し、まだ日が昇り切っていない午前第五刻半に目を覚ました。
もっとも、その光景を見た者が羽鳥守人に軍役の経験があると判断するのは難しいだろう。もそもそと手探りの末に見つけた度の弱い眼鏡をかけたその顔は文士か教師と言った方が似合う風貌であったし、部屋も生活の場では無く古本の保存庫として扱っているのかと思わせる様相を呈している。人によってはひょっとしたら主計将校であるのかと考えるかもしれない程に武人然としてものは彼自身にも生活の場にも感じられない。六年前まで〈皇国〉陸軍の銃兵将校――それも前線で鋭剣を振るい陸軍野戦銃兵章を授与されている猛者であった――など信じられないだろう。
 羽鳥は、そのような事は意に介さずに自分なりの秩序で積み上げた古本の山を乱さずに朝飯を済ませ冷めかけの黒茶を呷り、羽鳥は独り身の虚しさを感じながら厨房で皿を洗う。
 そして買ったものの封も切っていない高級酒の水晶瓶の数を数え――溜息をつく。
 ――増えている。
酒はこの男の数少ない楽しみであるが近頃はそれを楽しむ時間もない。
「畜生め、一度物騒な世間になったらこの様だ。
これでは当分、酒を飲めんな。軍に呼び戻される事も想定しなければならんか」
 ぶつぶつと独り言を呟きながら連日の激務による疲労が抜け切らない目を擦り、眼鏡を掛けなおす。
 羽鳥守人は現在、皇室魔導院で勅任二等特務魔導官の座についている。
もっとも、名称こそ魔導の文字が付いているが、羽鳥の額には魔導士の証である銀盤は無い。
 これには相応の紆余曲折の歴史がある。
そもそも〈皇国〉の歴史に通ずる者たちの間で知られている皇室魔導院の原型は皇家の下で部省体制の国家だった時代に導術士達は導部と言われる組織にて占いの様な事を行っていた。
そして、諸将家が〈皇国〉の覇権を争っていた時代に衰退しつつあった皇家が戦火の中で爆発的に増加した導術士の需要に目をつけ、将家達から資金を得る為に魔導師範学校を創った。この師範学校は〈皇国〉の古都であり現在も(名目上は)皇家の治める故府に現存しており、今も一般的には皇室魔導院の前身として語られている。
 やがて五将家が内地及び西領の覇権を確立し、東海列州をも平らげようとしていた時、導術士達はその異端の能力、それに必然的に付随する情報通信を介した工作を疑われ五将家に徹底的に駆り立て、主だった導術士の勢力が全て戮滅された。後世では滅魔亡導と言われるこの粛清は明らかに将家側の過剰反応であったが、当時はそれ故に徹底しており、生き残りの導術士達は皇家の庇護を求め嘗ての学び舎であった故府へと逃げ込み皇家は伝統を尊重し、それを受け入れた。
 そして、僅か三百名にまで減じた導術士の再興の為に名目上はとして(当時の人間達も未来視など信じていないが)占師としての導術利用を掲げ、五将家の承認を受けることで皇室魔導院が創立されたのであった。
 そして五将家の支配が確立され、導術が一般的な生活に浸透する事で滅魔亡導の再来の危険が笑い話となり、導術士の数も往時と遜色が無くなると魔導院は皇紀五三七年に養成機関として魔導師範学校を再建し、天領の導術通信の管理、導術利用の研究を任務とする事を皇主へと献策した。
 天領は経済の自由化に伴い富と情報が流れ込む場所へと変貌しつつあり、その土地の導術通信を管理する事は皇室魔導院の実態を変化させていった。当時、五将家による支配への反発は未だに根強く、魔導院は内乱の芽を摘む事を口実に国内外の導術通信を監視し始めた。これは実際に有効である事から、五将家も認めざるを得なかったが――それを認めたのは失策だったと先代の護州公である守原時康は後に残された私書の中で述懐している。
 魔導院が監視している通信の真偽の調査の為に導術士ではない諜報員を使い始めたのだ。
形式上、彼等も導術士とされ、“勅任特務魔導官”と名付けられた。そして必要性に応じ、やがて導術士と特務魔導官の数は逆転し、皇室魔導院は〈皇国〉最大の諜報機関となった。
 そして限定的とは言え警察権を握った際には、五将家は反対した。すでに交易を通して国際政治が急速に重要視される中で〈皇国〉執政府が諜報機関持つの必要性は認めていたがそれを支配できない事はいたく気に入らなかったからだ。
だが、既に万民輔弼宣旨書の発布を控えており、執政府は彼らの手を離れ五将家はかつてのような独裁的な政治力は失いつつあった。
そしてそれ故に、五将家は子飼いの僅かな導術士を覗き、導術を信用することはできなくなった。
 兵科としての導術兵も魔導院の手勢が入る事を恐れ、導入が遅々として進まない事は上層部の間では広く知られている。


          閑話休題 


同日午前第十三刻 皇室魔導院 特務局内国第三部

 羽鳥守人の職場である皇室魔導院内国第三部は主に将家の監視を担当している。その為、この何処か教員室の様な並んだ机に座る者は少なく、大半は皇都を含め、各地に散らばって居た。
 だが、現在は北領失陥を受け、各地の鎮台が軍への再編の準備を行い、五将家の要人は皇都で政争を激化させている為、人員もそれに従い皇都に集まっている。
 更に言うと人員以上に仕事も増え、書類仕事も増えている、情報を扱う場とはそうした所なのである。
 羽鳥もその法則に従って昨夜の捜索報告書類をようやく提出し、疲労に凝り固まった肩を回しながら部長室を出ようとしていたが、そこに部長が声を投げ掛けた。
「あぁ、今日行う、宮野木と安東の件の調査はどうだね?」
「準備は万端です、ただ皆、疲労が出てきています。
守原よりも動向を掴むのに労力がかかりましたから何しろ宮野木の老公は厄介ですからね、この様な時は駒州公よりもやり辛いかもしれません」
自身も疲労を自覚しているのか部長もうんざりしたように頷く。
「あの老人は根っからの反駒城だ、大体の行動は予想がつく。具体的な確証を掴めれば良いが」
 部長は最近白髪が目立ち始めた頭を手で梳きながらぼやく。
「あの家は権謀で五将家に居るようなモノですからね。現在の背州公はやり過ぎですが。」
 羽鳥も溜息をつく。
 ――守原も宮野木も北領が落とされても未だ政争に夢中。この国の陸軍はまともな戦略をとれるのか不安になる。
 内情の憂いを脳裏から追い出し、自身の職場――少なくとも当面は――を出た。


同日 午後第一刻 皇都内 割烹屋 星岡亭  


 皇都でも古参の料理屋に入り、少し外れた席に座る。
「よう、時間通りだな。」
 羽鳥が親しげに声をかける。
「今は暇だからな。貴様は随分忙しいだろうが」
 一見、筋者の様にもみえる小柄だが、がっしりとした体躯の先客が答える。
「もう間もなく貴様の抱えた面倒も一区切りがつく、時間を割くのもやぶさかではないさ。
それにしても、貴様、休暇はとうに終わっているのに良いのか?」
「大隊長殿が怠けているから大隊長の代行で大隊の面倒を見ているだけだ。
だが、それももう終わりだ。奴がもうまもなく帰ってくる以上、独立捜索剣虎兵第十一大隊はもう俺達の手を離れるだろうな」
 その男――新城直衛――が答える。現在、最も名が知れ渡っている部隊である独立捜索剣虎兵第十一大隊、その大隊長代行である彼と羽鳥は、陸軍幼年学校の同期であり、同じ班員として(半強制的に)親交を深めた仲であり、新城直衛の数少ない友人だと言える。

「馬堂豊久大隊長殿、か。厄介な奴が英雄になったものだ」
 出てきた料理をつつきながらうんざりした様子を隠そうともしない羽鳥に新城は唇を歪めて答える。
「厄介なのは否定しないがな、俺は悪くは言わないよ。奴には貸しも借りも数えるのが面倒な程ある。何しろ餓鬼の時分からの付き合いだ」
 
「しかし、貴様も奴の代行で派手に恨みを買ったな。
俺も彼方此方に火事の匂いをかぎ回る羽目になって酒どころか本もおちおち読めん」

「俺も目立たない様にしているつもりだったのだが。
昔から他人に関わらぬ様にしていた、煩い奴は一人で間に合っているからな」
 ――だがそれもこの三ヶ月で台無しだ。
ぼやきながら新城は茶をすするが羽鳥はそれを鼻で笑う。。
「今までだってお前は十二分に悪目立ちしていたろうが。
貴様が期待するよりも、馬鹿は少ないのさ」

「何が言いたい。」
 答える声は何処かわざとらしさを感じさせる。
「それがいかんのだ」
 羽鳥はそれをすかさず指摘する。
「貴様は人を試さずにはいられない悪癖を持っている。
そして貴様の基準にそぐわぬ奴は容赦無く排除する。
あぁそうだ。貴様が弾きたい馬鹿は何も気がつかないで貴様を蔑視するだろうさ。
だがな、頭の良い馬鹿は違う。貴様の演技に気付き、怒る。
だから、貴様は毒にも薬にもならない輩には蔑まれ、厄介事を押しつける輩から恨まれるのだ。そして面倒ごとには愛される」
 羽鳥は相手を嘲弄するような内容を悪びれずに語る。
「そして俺の友人は人格者で大人物ばかりと言いたい訳だ」
 新城も皮肉気に口を歪める。
「貴様、自分を褒めてそんなに楽しいか?」

 ――楽しいね。
あっけらかんとした羽鳥の返答にその皮肉な微笑は苦笑へと変わる。
「何だその顔は?俺は紛れもない人格者だぞ。それこそ自分で自分を褒めたいくらいだ」
そう言う羽鳥も今にも嗤い出しそうな表情をしている。
 ――褒めているじゃないか。
 新城も苦笑を深める。
「ん、話が逸れたな。貴様が俺を呼び出した理由は何だ?」
羽鳥はそう言いながら真顔に戻る。仕事に有益な話を聞き出せるかもしれないと考えているのだ。
「俺がこれから如何するべきか、貴様の意見を聞きたくてな」
 戦場の英雄が嘆息する。
「その手の相談は何時も馬堂のガキが相手じゃないのか?
皇宮の土産話なぞ奴が食いつきそうなものだが」
 諜報員はそれに対して気のない返事をする。短い間ではあったが豊久と羽鳥は商売敵として知り合っている。
「駄目だ、あいつは確かにこの手の事が得意だが、馬堂が関われば其方を優先する。
――本人がそう公言しているからな、間違いない」
新城から見ればそれもまた公平さの一つなのだろう。
「ふん、その辺は奴も将家らしい――そうだな、まず一つ、
実仁親王殿下と駒城は完全な一枚板では無い、お前はその間に立つのだ、何方も完全には信用しない事だ。
尤も、貴様の義兄上は別だ。あの御仁は、普通ならとても政治には向かない程の善人だ。それを補う才覚を持つのだから恐ろしいのだが。
もう一つは、守原が妙な動きをしている、貴様だけでなく周りも注意する事だ。」
 そう言った時には羽鳥の瞳には先程までの稚気は無く、高い悟性を感じさせる光が閃いていた。
「守原の妙な動き?おい、それは何だ?」
 羽鳥らしくない、曖昧な言葉を新城が問いただす。
「何が狙いか分からん。兵部省内で何やら工作している様だが、龍州絡みだけではなさそうだ」
 龍州鎮台は軍への再編を急いでいる、遅くとも秋には〈帝国〉軍が来寇するのは確実だ。
 それを迎撃する司令部の参謀人事は五将家の政争の具の一つだ。
 五将家は各家が子飼いの者を入れ、影響力を強めようと画策している。
「大して分かってないのか」
 新城は呆れた様な声を出す。
「その程度の話でなければ貴様に話せん。貴様の為に職を捨てる程の馬鹿では無いからな」
 羽鳥は当たり前だと言い返す。
 そうして漸く運ばれてきた料理を二人は無言で食べた。

「さて、近衛、か。どうしたものか」
新城は食事が終わると思い出した様に憂鬱な溜息をついた。
「近衛衆兵か。貴様も苦労するな」
 羽鳥は面白そうにその様子を見る。
「俺はもう意見を言った。後は貴様次第だな。」
己に出来るのは此処までだ、と線を引いた。そうした線を引く事は新城の価値観にも適っていることを羽鳥は知っている。
「いじめられるのは趣味じゃない。何も知らずに駒にされるのも嫌いだ」
 少し考えながら新城は口にした。
「そうだろうな。ならば逆の立場を取るか?」
 答えを分かりきっているのか気の抜けた口調で尋ねる。
「それは俺の趣味には合わないし得手でもない。」
 新城はそう言って茶碗の底に目を落とす。
「それにな、俺は邪魔な相手は完膚無きまでに叩き潰す。
俺はそうしてきたしそれが俺の好みだ。」
 それを聞いた羽鳥は呵呵と笑いながら言った。
「あぁそうだろうな。貴様は何時もそうだ。
だからこそお前は何もかもに決定的な何かを持ち込む。
だから貴様ははた迷惑な輩なのだ」
 ――世間が物騒になればこうして英雄になるのだろうが。
 喉元でその言葉を押しとどめた。
 ――自分までこの男を英雄扱いする必要はあるまい、今は友人として会っているのだから。


午後第八刻 宮野木家上屋敷周辺
勅任二等特務魔導官 羽鳥守人


 二等特務魔導官は現場の指揮を任される事が多い。羽鳥も不自然にならない様に部下を配置し、自身も目立たぬ様に定期的に動きながら指示を出す。
「……宮野木、か」
 謀略を得意とし、駒城篤胤と渡り合い続けた老人を脳裏に浮かべ、溜息をつく。
 ――厄介な二人の老人は、表舞台へと謀略の網を伸ばすのだろう、厄介極まりないことになるのは間違いない。
「アスローン・モルト、楽しみにしていたのだがな」
――勅任特務魔導官の夜は長く、それに比して通人を気取る夜は短い、酒を嗜める夜は暫く無いだろう。
 悲しそうに頭を振ると羽鳥は光帯の光を咀嚼している薄闇へと歩みを進めた。
 

 

第二十話 季節は変わる

 
前書き
馬堂豊久 俘虜交換によって<皇国>へ帰還する

笹嶋定信 水軍中佐。転進支援本部司令であったが水軍統帥本部の戦務課参謀に栄転した。

西田正信 剣虎兵少尉 新城の後輩 豊久と共に俘虜交換によって故国へ帰還する

杉谷善次郎 鋭兵少尉 豊久と共に俘虜交換によって故国へ帰還する

駒城篤胤 陸軍大将 駒州公爵家当主 

駒城保胤 陸軍中将 駒州公爵家長男

馬堂豊長 豊久の祖父 退役軍人で元憲兵 

馬堂豊守 豊久の父 陸軍准将 

 
皇紀五百六十八年 四月二十一日 午後第四刻
〈皇国〉水軍 熱水乙巡 <畝浜> 治療室


「止血と備えの軟膏を塗っておきました。万が一傷が膿む様でしたら内地の療院で診察を受けて下さい」
 水軍の兵医が深い声で処置の終了を告げると馬堂豊久は身じろぎをして目を開いた。
「有難う。 内地までは七日間だったな、ならば陸に戻ったら早めに療院でもう一度、診てもらうよ」
額に裂傷、右肩に青アザ、軍服は汚物まみれ、と余り清潔とは言え無い姿を兵医は穏やかに見ながら答える
「最短で、ですね。熱水機関を併用しますので、それ程ズレは生じないはずです」

「短くはなりませんか?」

「帆船でよほど恵まれても5日ですが、経験上言わせていただくのならばこの季節ですと概ね六日から七日といったところでしょうか――おや、船はお嫌いですか?」
 と兵医は笑いながら言うと酔い止めの薬を棚から取り出した。
「いえいえ、餓鬼の頃から祖父に無理を言って水軍観艦式に連れて行ってもらうくらいには船は好きですよ――外から見てる分には」
 そういいながらも豊久の顔色は青白く、声も張りがなくなっている。
「そうですか、慣れれば存外面白いものですよ。特にこの船は熱水機関を使っている間は海水風呂に入れますから中々に快適です。
傷に滲みるかもしれませんが、少佐殿も一度試してみては如何でしょう?」
 礼を言って部屋を出ると苦い笑みを浮かべて軍服の汚物を払った。
「痛い、な。俺は、それだけの事をしたのだったな。よく忘れていられたものだ」
 ――無意識の忘却は救いであり、そして下劣だ、あっさりと自分の命じた事を忘れてしまう。自分の下した命の被害者に石を投げられるその時まで。



「敗残兵!」
「村焼き!」
「同胞殺し!」
「よくもわしらの村を!」
「そんなに我が身が惜しいか!」
「お前達の所為で病人のおかぁが!」
「吐き気をもよおす『邪悪』とはッ!
なにも知らぬ無知なる者を利用する事だッ!!
自分の利益だけのために利用する事だ…何も知らない俺達を!
てめぇらだけの都合で!」
「軍隊なら何故私の娘を守ってくれなかった!
何故あの娘が死んで兵隊が生きている!」



「――本当に、痛い」
自身を嬲るように唇を歪める
 ――兵達には迷惑をかけたな、彼らには責は無いのに。割り切る、とあの時は言ったが矢張り駄目だ。あれで衆民を助けることになる等、やはり兵を誤魔化すだけの詭弁だった、俘虜生活の中で都合の悪い事をさっさと忘れようとしていた下衆な自分がそんなことを信じきれていた筈もなし、か。“大いなる武勲と名誉ある敵に” 威風堂々とした騎士――バルクホルン大尉はそう見送ってくれた。武勲を上げたとしても守るべき人々に石を投げられる様な真似をした者に名誉はあるのだろうか?
 ―――何を迷っている、戦死者の名簿に名を書き連ねるよりはマシだっただろう?
そう思い直そうとし――瑕がじくり、と傷んだ。



同日 午後第六刻 <畝浜> 上甲板
〈皇国〉水軍統帥本部 戦務課甲種課員 笹嶋定信中佐


 今回の北領鎮台撤退劇の立役者である最新鋭の艦である<畝浜>に便乗している事は、笹嶋に〈皇国〉水軍の軍人として(僅かに残る)素直な一面を思い起こさせた。もっとも、彼が今ここに居る理由はしごく事務的な理由であり、船乗りとしての仕事は殆ど何もない。それが少しだけ寂しくもあった。
「大丈夫ですか、大隊長殿。部屋に戻りますか?」
「――大丈夫だ。後で――後で部屋に戻るから、先に戻って好きにしていろ。」
 そんなやり取りを経て、ふらふらと人の寄らない隅まで歩き、ぐったりとしている男へと向かう。
「船酔いかね?懐かしいな、私にも覚えがある。あまり思い出したくないがね」
 笹嶋が話しかけるが豊久は心なしか遠くを見る目をしながら敬礼を返すだけだった。
「・・・・・・」
 中々の重症のようだ、と判断すると笹嶋は面白そうに話しかけた。
「あぁ、気分が悪いのなら甲板にいた方が良い。
何しろ、船内は狭いから空気が籠もる、兵室にぶちまけられた吐瀉物の臭いは中々キツいからね。幸いこの船は新しいから良いが、古いとその臭いが染み付いて――あぁ、そうだ。無理に我慢するよりそうやって吐いた方がかえって楽になれるものさ」
 話を聞いていて限界が来たのか吐き始めた豊久の醜態をにたにたと眺める。笹嶋にしてみれば水軍に入れば嫌でも通る光景であった。
「・・・実に素晴らしいお話でしたよ、笹嶋中佐殿」
 顔は青いが話せる程度には回復した青年大隊長がようやく戦地のように流暢に喋った。
「そうか、それはよかったよ、馬堂中佐。兎にも角にも、君と話がしたかったのでね」
 減らず口には減らず口で返すのは笹嶋の悪癖だった。
「――私に昇進を伝えるのは二度目ですか?これはまた、何とも奇妙な縁で」
 だがそれは、豊久も似たようなモノらしい。
「私は統帥部からのまぁ、何だ、伝令の様なモノだ」
「それは察しがつきますが、貴方が陸軍の人事を伝えるのも妙ですね」
 ゆっくりと首を傾げながら馬堂中佐が言う。
 初対面が前線だったせいかもしれないが、改めて見ると年格好は実年齢よりも若く見えた。

「いや、水軍の話でもあるのさ――あぁ君、水を持ってきてくれ。」
 水を受け取り、口を漱ぐと多少は気分が良くなったのか、豊久も貴族将校としての見栄を宿した姿勢で笹島へと向き直る。
「――ありがとうございます。それで、中佐。どういう事ですか?」
「笹嶋、で良いよ。同じ水軍中佐でもある。もっとも、君は頭に名誉がつくが、ね」
「――失礼ですが、水軍は将家嫌いだと思っていました。」
 意表を突いたのか馬堂中佐は驚きの表情を見せる。
「そうでもないさ、水軍は万民を平等に考える、少なくとも陸軍よりね。そして君は名誉階級に相応しい働きをした」
 主流から外れた家が多いのは事実だが将家の人間も水軍には居り、馬堂中佐の云う将家嫌いは、水軍への偏見が混じったものである。もっともだからと言って公爵だろうと衆民だろうと名誉階級はそう簡単に与えられる物では無い。水軍が死地へと送り出した事への詫びだった。
「水・陸両方の中佐ですか、それは、珍しいですね。」
 目尻を揉みながら中佐はその価値を量るかの如く、考えている。
「現役の将校なら五人もいないだろうな。あぁ君の部隊の首席幕僚、いや、大隊長代行か?
その、新城水軍名誉少佐も入れれば五人になるのかな。――ほら、もう一杯どうだ。口を濯いだ方が良い」

「――ありがとうございます。新城大尉、いえ、少佐ですか?彼もそうなのですか」
「あぁ。元々大隊長に贈るつもりだったからね。それに、駒城からも色々と話があったからな。」
「駒城から話?」
 馬堂中佐が怪訝そうに尋ねる。
「そうだ。君は知らないのか?例の奏上の前に大隊長としての正当性の保証の為に水軍からも君と同等の扱いをしてくれと」

「奏上? 直衛が奏上したのですか?」
 ――下の名前、か。相当な古馴染だな。
「あぁ、其処で北領鎮台の首脳に総反攻の首謀者、守原達を強烈に批判したらしい。
駒州公達だけではなく、実仁親王殿下も関わっていらっしゃる様だ」

「マズいな、其処まで派手にやったら――」
 初対面時には絶望的な状況で飄然としていた男が額に手をやって嘆息している。その妙に様になっている仕草は笹嶋に諧謔味を感じさせた。
「君も中々苦労しているのだな。いや、こういっては何だが意外だよ、路南では君の余裕に驚いたが」

「苦労知らずの小僧に見えましたか?」
 豊久も口元を歪めているが、皮肉を感じさせない口調だった。
 ――単純にどう見えたかが気になるのかそれとも此方の偏見の度合いを探りたいのか
まぁ両方か。
「どちらかと言えば何もかも見透す妖怪に見えたよ。」
 実際、笹嶋から見ても少なからず舌を巻く事が多々あった。准将であり、親王ある大物相手に交渉を仕掛けたのは、ある意味貴族将校としての習性に反逆しているようなものである。
「随分な世辞ですね」
 そう答えを返した時には先程までの狼狽を笑みで覆い隠している。
――成程、軍官僚ではあるか。
「こうして見ると君にも苦労が多々あると分かるがね」
「それはそうですよ。形は違えども苦労は誰にでも多かれ少なかれ、あります。
まぁ、私は自分が恵まれた産まれなのは否定しませんがね」
 実感の籠もっている事を感じさせる口調だった。
「そういうものか。いや、私も自分が苦労したと思っている口でね。」
「統帥部戦務課の中佐と言うと軍主流の選良(エリート)とではありませんか。
――まさか、産まれた国が悪いとは言わないですよね」
今までとはまるで違う力のない笑みを浮かんでいる。
「まさか、違うさ――不幸自慢の悪癖を許してもらえるかな?
私は、西領の産まれでね。父は回船の船主兼船頭だったのだが、天領の経済発展に押されて無理をした挙句に事故死してしまったんだ。幼い頃の話だが荷主への賠償だけでも相当だったらしい。恰幅の良かった母も僅か五年で木乃伊の様に細くなって死んでしまった、私と兄を養う為に働きすぎたんだ」
 腹の底にある鬱屈そのままの暗い声が自分の口から吐き出されるのを自覚し、笹嶋は口を閉ざした。
「・・・・・・御立派な御母堂だったのですね」
 そう言った将家の嫡男は軍帽を目深にかぶり、その表情は読めない。
だが何となくそれが先を促しているのだと感じ、笹嶋は首肯すると再び語りだす。
「あぁ、そうだね。私は家族には恵まれた、それは確信を持って言えるよ。
母が亡くなった後、兄が私を養ってくれた。回船の下働きを始めて稼ぎの大半を私の生活、取り分け教育に費やしてくれた。
――勿論、生活は苦しかったよ。兄の熱心さが認められて勤め先で一番若い、雇われ船頭になった夜に始めて家の中で水晶瓶を見た位だ。
兄が危険な仕事を成功させて文字通りの一攫千金を成し遂げて始めてこの世の良い面を信じられた。
それまでは恨み辛みを帳面にぶつけていた様な物だったよ。あの頃は船乗りなぞ御免だと思っていたが、水軍に入ったのもそれが切欠かもしれないな。
兄は喜んでくれたよ、父を尊敬しているからね。私も矢張り親父の子なのだと、大層な喜びようだった――西領有数の回船問屋を手に入れた時よりもね」
 口に出していた暗いものを放り出すかのように細巻に火をつける。

「――笹嶋中佐」

「ただの笹嶋で良いさ、同じ中佐じゃないか」

「――笹嶋さん、私は――あなたの経験を理解出来るとは、言えません」
  その声に苦味が混じっている。彼が親しげにしていた駒城――主家の育預を思い出し、笹嶋は瞑目した。
 ――そうか、彼の産まれは。
「――成程ね。君は苦労する友人の選び方をしている様だな。
いや、君が好んで背負い込んでいるのかな?」
 自分で作ったような物だが、その重い空気を取り払おうと冗談めかして話題を変える。
「友人は選んでいますしそれなりに多いですよ。何故か厄介者も紛れ込みますが。」
 ――それも悪い事ばかりでは有りませんがね。
そう言って馬堂豊久は珍しく素直な笑みを浮かべた。
「――へェ」
 ――やはり戦場を離れると様々な面が見えるものだ。
「何ですか?」
笹嶋が顔を緩めたのを見て豊久は嫌そうに頬を攣らせた。
「君も存外、情に厚いのだな」
苦渋の末とはいえあの作戦を指揮出来た人間が、とは口に出来ない。
それを頼みとしたのは笹嶋達なのだから。
「何ですか、存外って」
 口を歪め、馬堂中佐は視線を笹嶋から外し、海原へと向ける。
「まぁ、なんです。折角の縁は吟味して大事にしたい、と思っているだけですよ。
特に水軍の方とは中々、縁がありませんので。」
 其方も同じだろう とでも言いたげな視線を寄越す。政に話題がすり替えられた事は無視して笹嶋も笑みを浮かべる。
「確かに、縁は大切にしたいものだ、私も同意するよ。
それで君は何をするのだ?」
「却説、如何しましょうか」
 そう言って将家の跡取りは愉しそうに嗤う。船酔いで青い顔に海に映えた光帯が複雑陰影を作る。
「――まぁ、そうは言いましても所詮は譜代の家臣です。
主家次第、ですな。戻れば面白い立場なのは否定しませんがね。
それに――」
 波で船が僅かに揺れると再び蒼白になった顔で言う
「今は動かない地面でゆっくりしたいです――本当に」
 ふらりと船縁に寄りかかり――後は割愛させていただく――副官の様な事をしている少尉が迎えに来た時には相応の見栄をどうにか取り繕っていた事は彼の名誉の為に言っておこう。



四月 二十四日 午後第八刻 〈畝浜〉内士官用船室
杉谷善次郎少尉


「駄目だ・・・甲板に行かせてくれ。」
 寝床に伸びた大隊長が呻くが、彼の面倒を観ている杉谷少尉は溜息をつき、窘める
「大隊長殿・・・夜間は甲板に出るのは禁止だと水軍から言われているでしょう。」
 そう言われて再びゆっくりと寝床に寝そべった馬堂中佐は再び呻く。
「ただでさえ、俺は船に弱いが、この船の熱水機関は、酷い揺れだ。
帆走に、切り、替わってくれて良かった。」
 船が帆走に切り替えてからは、船に弱い馬堂豊久陸軍中佐殿は甲板の隅で潮風を浴びながらぐったりしているか、部屋でぐったりしているか、の二通りの行動しかしていない――即ち、一日中ぐったりしているのである。
「無闇矢鱈と甲板に出たがらないで下さいよ、兵に手を抜かせるのは云々と言ってた当人が帰り際に波に攫われたなんて笑えませんからね」
 西田がそう言って小さく声を上げて笑う。二人共、兵の様子を見て回った後は何となく豊久の所に入り浸っている。
「下手に籠もって船室で吐くよりはマシだ。早く地面に戻りたいよ。
何なら龍州で下ろしてくれても良かった位だ。いっその事、衛浜から駒州に帰してくれないかな。
向こうの屋敷で一泊して、皇都に――あぁ」
 憂鬱そうに溜息をつく。
 ――船酔いだけでなく、北領での事を思い出すのも辛いのだろう。
 その程度の察しがつく位には、杉谷も西田も上官のことを理解していた。
「大隊長殿は、内地に、いえ、故国に帰ったらどうなさるのですか?」
 杉谷は慎重な口調で尋ねる。
「ん?そりゃあ俺だって大隊の責任者だからな。
兎にも角にも大隊の後始末だ。その後は出来れば軍監本部に戻りたいが。
多分、駒州鎮台――いや、駒州軍だろうな。後は若殿様、いや駒城閣下次第だ。」
 予想以上に張りのある声が返ってきた。答えの中身でこの男が将家である事を改めて実感する。
「あぁ、安心しろ、これからは剣虎兵も鋭兵も需要は高まる。それに折角の縁だ、お前さん達の希望は馬堂の家名にかけて、ちゃんと通らせるさ――何処が良い?
西田。新城少佐は行く先がまだ決まっていないらしいがお前は新城少佐の後輩だったな、彼の下に行くか?」
 初めて馬堂豊久の優しげな声を聞いた両名は視線を交わし、苦笑を浮かべた。
「自分は――」


四月 二十六日 午後第八刻
駒城家下屋敷 馬堂家 当主 馬堂豊長


五将家の筆頭である駒城家の当主へと通じる扉を駒城保胤が叩くと、鷹揚な口調で返事が帰ってきた。
「永末か?」
「いえ、父上」
「失礼致します。大殿様。」
一礼して入る。
「おぉ、豊長も来たか。」
 だらり、とした姿勢で本を読んでいた駒州公駒城篤胤がは来客をみて姿勢を戻した。
その将家の長としてはだらしない姿は、忠良な老臣の顔に渋面を浮かべさせた。
「大殿。まだ駒州公であり大将なのですから、あまり遊ばないでください」
 往年の様に窘める豊長に篤胤は笑う。
「そう目くじらを立てるな。まぁだからこそ憲兵だったお前を引き立てたのだが――保胤、お前も世話になっただろう」

「えぇ、確かにそうです」
 保胤も素直に頷いた。二十歳以上離れているこの退役軍人は保胤が若手将校だった時代に軍政のイロハを教えた一人であった。

「まさか貴様に保胤の教育を任せるとは、出世したものだな?
酔っ払った瀬川達と乱闘して鼻を折ったお前が少将まで昇るとはな。」
 思い出したのか笑いを噛み殺している篤胤に、豊長が肩をいからせる。
「篤胤様!」
「父上、本題に入って宜しいですか?」
 呆れ顔で老人二人の言い争いを傍観していた保胤が軌道修正をする。
「直衛の奏上が決定打となり、夏季総反攻はほぼ完全に食い止められました。
ですが、守原と宮野木の連携がより深まりつつあります。
例によって宮野木と言っても清麿君の方は我関せずと云った様子で元大将の方が熱心に動いている様ですが」

「宮野木の老人も執念深いな、七十近いのに達者な事だ。西原と安東はどうだ?」
「大殿が言いますか」
 酔っ払いの喧嘩を仲裁した代償の鼻をさすりながら、豊長が呆れたように笑う。
保胤は、あなたもだよ、と言いたげに肩をすくめると状況説明を続けた。
「西州公自身は、特に思うところは無いようです。
他家とは接触せずに西州鎮台の軍への再編の用意をしています。
安東は――いぇ、寧ろ海良と言うべきでしょうね」
 海良――東州公の奥方の家である。
「フン、あの家は女が強いからな。
まぁ駒城も強いが政治にまで口を出させるのはあの家位だ。」
 篤胤は露骨に鼻を鳴らした。
 女が当主を務めた事もある家だけあって駒城も女性を尊重するが安東の様に主導権まで握られる事はない。
「えぇ、まぁその海良の大佐が執政府や軍監本部へ熱心に通っているそうです。
まぁ何が利になるのかを調べているのでしょう」

「あの家も変わらんな。目先の利に釣られて東州で家を潰しかけても改まらんか」
 東州は最後の鎮台が軍へと改組される内乱の戦場となり、そして戦禍で荒廃した所を報奨として皇家は与えようとした。
復興に掛かる費用を考え、駒城・守原・西原・宮野木は辞退したが、安東は飛びつき――家を傾かせかけた。
「この十年、あの家がもったのは奥方が計数に強い故ですから。奥向が強くなるのも無理はないでしょう。」
 保胤も苦笑を浮かべる。
「先代が酷かったからな。奴がマシだったら話も違ったかもしれないが。用向きはそれだけではなかろう?」
 そう言って自身の一粒種を見る
「えぇ馬堂の世継ぎ――豊久君が帰ってきます」

「あぁ、あの若者か、どれ数年ぶりに会ってみるか」と篤胤は懐かしそうに言う。
「私は彼の奏上の機会を奪った形になったことが少々気がかりです。
駒城を割る切欠になりかねません。勿論、直衛と同等以上の待遇はしますが、
他家が何らかの形でそこに付け込んだ工作を仕掛けてくるでしょう」
 保胤は僅かに眉をひそめるが豊長は内心、肩をすくめた。
 ――確かに武官としては最大の栄誉だが。
「若殿、それは無いでしょう。手前味噌ですが、私の孫はそんな愚か者ではありません」
 豊長は胸を張って云う。
「うむ、儂が会った頃と変わって無いのならば問題ないだろう」
篤胤も顎を掻きながら同調する。
「代わりと言っては何ですが、実仁親王殿下に拝謁の機会を作ろうと思っています。」
保胤が生真面目に頷くと篤胤はぽん、と手を打った。
「うむ、ならばそれに儂も出張るとしよう。居するのも悪くは無いと思っていたが、此処にも政治の季節が回って来たか」



四月二十八日 午前第八刻 弓瀬湾 皇都付近 <畝浜>上甲板
独立捜索剣虎兵第十一大隊 大隊長 馬堂豊久


 懐かしい――町並が見える。懐かしい――匂いがする。
熱水機関の振動から避難を兼ねて見に来たが自分が意識する以上の郷愁がこみあげてきた。
 肩を叩かれると笹嶋が朗らかな微笑を浮かべて立っていた。
「さて、故国だ」

「故国――ですね」
 ――あの姫様の勧誘を蹴った全てがこの国にある。ぼんやりとあの時の事を反芻しながら部下達に船を降りる準備をさせに船室へと降りた。
 その数ヶ月ぶりの軽快な足取りはとても正直で快活なものであった。



 帰還した第十一大隊の最後の敗残兵達を出迎えてくれたのは少し意外な面子だった。
「独立捜索剣虎兵第十一大隊!総員、大隊長殿以下四十三名に!捧げ、銃!」
 猪口曹長が発する裂帛の号令に三百名近い兵が俺達に見事な礼を見せてくれる。
帰還者達も答礼をし、帰還の式典へと向かう。

 守原大将が何やら欠片も思っていない事を演説し、兵の処遇について軍監本部から来た退役間際の老少将が十分な路銀と一ヶ月の休暇を与えると告げ、解散となった。

「さて、それでは馬堂豊守中佐殿、私としても再びお会いできる事をお待ちしております」
 
「それでは、中佐殿、またお会いしましょう。」
 杉谷少尉が硬い口調で敬礼を捧げ、西田少尉も不敵な笑みを浮かべる。
「おいおい、俺の私兵になる訳じゃないぞ。」
 
「それでは、西田正信少尉、杉谷善次郎少尉、二人ともまた会おう」
「はい、馬堂豊久中佐殿。それでは――さようなら」
 ――さて、後はウチの家族達と積もり積もったお話の時間だ。


同日 午前第十刻 皇都 水軍埠頭
馬堂家 嫡男 馬堂豊久 


 ようやく軍務の話が終わる、式典とほぼ同じ長さってどういう事だ。
「豊久様、豊守様達がお待ちです。」

「お久しぶりです。豊久様」
 見知った顔が二人、挨拶してきたのを見て豊久は数ヶ月ぶりに、ようやく軍服を脱いだ気分になった。
「久しいな、大辺、山崎。俺のいない間は、何かあったか?」
 自分に参謀教育を施した友人にして先輩と向かい合う。
「貴方の事で大わらわでした。こうして無事に戻ってこられて何よりです。」
 血色と表情の薄い顔は変わっていないが僅かに口許がほころんでいる。
「家内では何事もありませんでした、奥方達は気丈な御方です。」
 細い目をさらに細めて山崎が言う。四十絡みで一見只の家令に見えるが家の警護を一任されている。元は馬堂豊長の信頼厚い憲兵下士官と言う強者だ。
「それでは、私は軍監本部に戻ります。明日には上屋敷でお会いしましょう」
 大辺は先程まで話していた少将の下へと歩いて行った。
「――会うのは半年振りだが相変わらずだな」

「えぇ、ですが大辺様も心配しておいででしたよ」
山崎も微笑を浮かべ、秀才参謀を見送る。
「――」

「豊久様。あちらに豊長様と豊守様がお待ちになっています」
「わかっているさ。その・・・何だ・・・アレだ」
 今更ながら生死不明になった上に面倒事を大量に押しつけた身の後ろめたさが今更ながらに押し寄せてきた。
「一緒に謝ってあげましょうか?」
 山崎が意地悪く微笑みながら言う。
「あいにく、後ろ暗い話は船に置いてきたよ、今日のこの身に恥じるものなし、さ」
半ば以上自分に言い聞かせながら軍帽を脱いで髪を整えると、港の隅にいる集団の方まで歩いていく。
祖父の豊長と父の豊守、そして豊久に付き従う護衛兼家令の山崎がいるのみと今更だが将家らしい迎えではない。

「お久しぶりです御祖父様、父上、只今帰還致しました」
「ああ、よく生きて帰った」
 祖父、馬堂豊長が笑顔を綻ばせ、何度も頷きながら答える。
「まったく、お前はそばに置くと目を離すと世話が焼けるし、旅に出すと厄介事を巻き起こす。
本当にお前という奴は……」
 普段は掴み所のない態度を崩さない父でさえ、泣き笑いのような表情になっている。
「申し訳ありません、もう少し早く戻ってこられたのですが」
「お前が後衛だと聞いたときは、死んだものと思っていたからな。生きて帰ってきてくれただけで満足だよ」
 父の言葉に、少しホッとする。
 ――まぁ、名誉の戦死などと喜ぶ人達じゃないからな。悲しんでくれるが死んだ事すらも手札の一枚として扱われるだろう、俺も落ち着いたらそうするだろうし。
 「ありがとうございます」
 それだけの言葉しか交わしていないにも関わらず、互いにひねくれ者だからか、
素直な言葉を示すことに恥ずかしさがあり黙ってしまう。

 祖父の咳払いが虚しくただよう。空気を読んだ山崎が祖父にそっと耳打ちをした。
「まあ、積もる話もあるし、とりあえずは上屋敷の方に帰ろう。」
「うむ、そうだな。豊久も久々の我が家だな」
 祖父が手招きをしながら近くにあった馬車へと乗り込み、父と俺がそれに続き扉が閉められる。
 山崎が馭者台に座り、懐かしい振動と蹄が地面を叩く音がする。
 桜並木が目に入り、家族で桜宴へ行った事を思い出した豊久はふと微笑を浮かべた。
 ――あぁ、そうかもう季節はとっくに春か。
「苦労したな、豊久。久しぶりの内地はどうだ?」
父が優しく声をかけると、豊久も嬉しそうに答える。
「えぇ、本当に帰って来ることができてよかったです。
――漸く、春だとここに座って、初めてそう感じられました」
 

 

第二十一話 馬堂家の人々

 
前書き
馬堂豊久 陸軍中佐 北領から俘虜交換によって帰還した

馬堂豊長 豊久の祖父であり、馬堂家の当主

馬堂豊守 豊久の父、陸軍准将に昇任した

辺里   馬堂家家令頭

柚木薫  馬堂家の使用人

宮川敦子 柚木と同期の馬堂家使用人

石光元一 馬堂家の新人使用人

 

 
皇紀五百六十八年 四月二十八日 午前第十二刻
馬堂家上屋敷前  馬堂家嫡男 馬堂豊久


「さて、我が屋敷に英雄の凱旋だ」
豊長が普段の重々しい態度とは真逆の芝居がかった仕種で屋敷を背に手を広げる。
その背後で家令頭の辺里が慇懃に礼をする様は阿吽の呼吸というべきか妙に絵になっている。
「豊久様、お久しゅうございます。さあ、皆様、外套を」
 相変わらず家令の鏡と言うほかが無い振る舞いだ。
 祖父と同年代の筈だが白髪の他には年齢を感じさせるモノは無い
「ただいま、辺里。お前も健勝そうで何よりだ」
 曽祖父の代からこの家に仕えている生え抜きらしく、誠実さと熟練した慇懃な振る舞いは周囲から厚い信頼を勝ち得ている。
「豊久様、新城直衛様から明日の午前中に伺いたいと連絡が入っております。」
「あぁ、式典の間は話せなかったからな。分かった。宜しく伝えてくれ」
 そう言うと恭しく頭を下げて使者の用意へと下がった。
「それでは我らが尊崇すべき辺里とも再会できたし、中に入ろうか。
今日は豊久の生還と二人の昇進祝いだ」
二人?
 ――父の階級章が目についた、真新しい准将の階級章になっている。
「父上、昇進なさったのですか。後2.3年はかかるものと思っていましたが」
 笹嶋中佐の言った通り、家名が上がったからか。
「お前が後衛戦闘を任じられた後に駒城の方々が後押ししてくれた。まぁお前のお零れだ」
 豊守は肩をすくめてそう云った。
 喫煙室に到着し、馴染み深い安楽椅子に身を預け、無意識に豊久は感嘆の溜息を漏らした。
――やはり我が家は寛げる。
「准将閣下、ですか。そうなると駒州軍兵站部か、軍監本部の兵站課ですか?」

「いや、其方は今の者を引き継がせるそうだ。私は兵部大臣官房に配属された」
豊守は顎を撫でる。
「魔窟送りですね」
豊久が苦笑いする。
 これは単なる憎まれ口ではない。兵部大臣官房は長きにわたる平時において産み出された青年将校たちの不満(出世の停滞)を緩和する為に肥大化した軍官僚組織を統括するためにかつての大臣官房副官部から大幅に膨張している。
官房長は慣例から文官が任命されるが、官房副長として陸・水軍中将がそれぞれ一名ずつ、さらに法務局から中将相当の文官(高等一等官)が首席監察官兼監察官室長を務める監察官室が官房長直属として設置されている。
そして、官房三課とよばれる総務課、主計課、人務課の三課がおかれ、基本的に陸・水・文から一名ずつ課長職に任じられることがこの二十数年で築かれた慣例である。――本来ならば各部局の統廃合を行い、陸水の二省体制への移行が提案されていたのだが水軍の衆民閥の増大を恐れた五将家の強力な反対によって頓挫している。
「総務課理事官だ――確かに厳しいものがあるよ、引継ぎだけで大わらわだった」
「――この時期にそれだと、ちょっと控え目に言って今年中は屋敷に帰るなと言われたようなものですね」
 兵部省の事実上の調整役である大臣官房総務課は兵部省の省令、法令案の作成並びに公文書類の審査、運用の調査及び研究。公文書類の管理全般、所掌事務に関する総合調整に関すること、衆民院及び他官庁との折衝から民間業者との契約事務全般まで渉外に関すること。そして動員や世論対策を担う広報と、いわば兵部省の顔であり舌である。そして理事官は課の次席であるため、有体にいって新任の准将がつくべき地位ではない。普通ならば陸軍局の参事官、部次長を経て着任するのが常識だ。
「父上が兵部省の要に居てくれるのならば他家の専横も少しは抑えられるでしょう。それはそれで心強いのですが」
 ――それでも軍令を掌握している軍監本部総長はあの宮野木家の一門の志倉大将だ。
俺も陪臣の例に漏れず主家以外は信用しないがあの家は格別だ。あそこの爺なら守原の方がまだ信用出来る。

 個人的な私怨があるのだろう。妙に偏見に満ちた思索を巡らせていると帰ってきて早々に軍の事で話し合っている孫を見て祖父が笑う。
「あまり、軍務にかまけるな。 視野を広めないと後でとんでもないことになるぞ?」
 
「――そうですか?」

「当たり前だ、大体お前は大事な相手に挨拶を忘れている。
――この大馬鹿者め」

「――あぁ」
祖父の厳しい目線に晒された豊久もぐしゃり、と伸びた髪をつかみ呻いた。

 部屋に女性が二人、入って来た。
「御祖母様、母上、ただいま戻りました。――遅くなって申し訳ありません」
 立ち上がって礼をする。

「武勲を上げ、そして生きて帰ってきた。
これ以上の事はありません。良く帰ってきました」
 祖母である真佐子が相変わらず矍鑠とした姿勢で話す。
「貴方が無事だったのなら十分よ。お帰りなさい、豊久」
そして、実の母である馬堂雪緒が優しい笑みを浮かべている。

「――ええ、無事です。御心配おかけしました」

「さて、主家に倣って久々に皆で食事をするとしようか」
 父が心の底から楽しそうに言った。


同日 午後第一刻 馬堂家上屋敷 喫煙室
馬堂家嫡男 馬堂豊久


「で、北領はどうだった」
 食事を終えて、黒茶の豆を挽いた物(珈琲に似ている)で一服していると祖父が急かす様に話かけてきた。
 四半世紀ぶりの大規模な会戦に撤退戦だ――自分の孫がその際にした事も含めて話が聞きたいのだろうが。

「今だから素直に言いますが、当面はあまり話したくないです。
できれば父上が見るであろう報告書だけで勘弁してくださいな」
 こちらの返答に、祖父は困ったようにそっぽを向く。
――普段と大違いだな。
と豊久は苦笑するが、祖父である豊長からしてみればやむを得ないことなのかも知れない。東州内乱時、大尉として出征した豊守はそこで所属していた輜重隊が半壊し、自身も前線に立てる体ではなくなり、後方勤務に専念している。――そして、あっさりと初孫に死にかけられた所為で不安になったのだろう。

「まぁまぁ、御祖父様、大丈夫です。軍人を辞めたりはしませんよ。
――と、言いますか私をそこまで無責任だと思われるのも心外です。」
「ここまで厄介事を儂等に押し付けたのだ、そう思われても仕方ないだろうに」
 にやり、と不敵な笑みを浮かべた時には、既に〈皇国〉憲兵の父にして、やり手の政治屋である馬堂豊長退役少将に戻っていた。

「――申し訳ありませんね。それではついでに、押し付けていたものを一つ、例の件はどのようになりましたか?」
「うん?どの例の件(・・・)だ?」
 祖父が楽しげに記憶を探るのを見て豊久は苦笑しながら言葉を継ぐ。
「出資関連の話です。蓬羽兵商に金を出していましたよね?
確か面白い砲の開発が進んでいると手紙をくれた筈でしたが」

「あぁ、確か銃兵でも携行出来る鉄製軽臼砲の改良案だったな。
あぁ……うむ、二・三年前から取り掛かっていたらしいが、試射の際に砲身が破裂して死傷者を出し、それで開発が滞っていたようだ」
祖父の言葉に豊久は瞑目する。
 ――砲は強力だ。だがそれ故に扱いは丁寧に、慎重にしなければならない。幼年学校でも龍火学校でも砲の危険性は散々叩き込まれた、そうでなければ砲兵なぞ務まらない。新兵器も信頼性が第一であるべきだが――
「まぁよくあること、では困りますが、この時期に開発が滞る様では国がもちません。
実現すれば有用なのは確実です。私の大隊が行った陣地戦においても、敵戦列への砲撃に極めて有用なものになります」
「今まではそれでよかったからな。
匪賊や辺境の貴族が相手だったから勝つ事が当たり前だった。新兵器も必要性は薄かったのだから」
父も頷いてくれる。

「技術課は蓬羽にべったりですからどうとでもなりますね。
勿論、蓬羽が乗り気になってくれれば、の話ですが。
蓬羽の女主人――田崎千豊がアスローン旅行に熱心になっていたら困りますが」
「其方は問題無いだろう。
あの女傑は今の所、〈皇国〉で夫の墓を守るつもりらしい。一旦採用されたら後は豊守が面倒を見てくれるだろう」

「そうですね。父上なら安心です。」
 二人で信頼に満ちた笑みを浮かべる

「――まぁ確かに、それも私の仕事の範囲内だが」
 豊守が渋面を浮かべるのを無視して豊長はぽん、と手をたたく
「その蓬羽からお前に贈り物がある。辺里!あれを持ってきてくれ。」
 当主が声を上げると家令頭は素早く箱をもってきた。
「――失礼いたします、豊久様」

「これは――」
「燧石式では無い新型短銃だ。全く豪勢な事だ、蓬羽もお前に目をつけているという事だろうな」
 豊守が愉快そうに目を見張って短銃を見つめる息子を見やる。
「これは、お前が大尉に昇進した時に作らせたものとも違うな」
 豊長が唸る様に言う。
 ――あの燧石式輪胴短銃(フリントロックリボルバー)の事か、確かに全然違うだろう。
豊久はささやかならざる興奮に手を震わせながら説明書きに猛烈な勢いで捲り、目を通す。

 玉薬を輪胴内の薬室に注ぎ、玉を込める形式は変わっていないがそれ以外は別物だ。
まず薬室の後部の仕切りの間に爆栓を取り付け、それを叩槌で叩く事で爆破させ、発砲させる。
銃身には施条が施され、有効射程は約三十間、騎兵銃と同程度だ。
叩槌を起こすと輪胴が回転するので射撃速度は小銃の比では無い――六発までの話であるが。
輪胴を回し、銃身の下でレバーの様な仕組みになっている槊杖で突き固め、爆栓を後ろに取り付ける。これを六回繰り返すのだ、乱戦中に再装填は困難だろう。それに、この爆栓も普通には手に入らない。
 ――弾薬は蓬羽から買うしかないようだ、ちゃっかりしているよ。

「実際に購入していたらあの時以上に金が飛んだでしょうね。
ほら、お前も説明書きより実物を先に見なさい。随分と手の込んだ装飾まで施されている」
そういいながら豊守も興味深そうに眺める。
銃把には今回の戦で俺が受勲した陸軍野戦銃兵章と馬堂家の家紋が彫られている。
「おや、これは――豊久、その説明書きを見せてくれ。」
 目についたのか爆栓を手に取り、豊久が渡した説明書きに目を通す。
「何だ、お前、見覚えがあるのか?」
 豊長も目敏くそれに気がついた。
「はい、父上」
 手の上で爆栓を転がしながら軍政・兵站の専門家が解説を始めた。
「これ自体は四年前に試作の新型小銃の実包として試作されている物の部品の一つです。その小銃は蝋紙や樹脂で弾丸、玉薬、そしてこの爆栓を一体化させ、叩槌で針を叩き、爆栓を爆破させて発射させる形式だそうです。
そして装填の簡易化によって射撃速度を高める革新的な小銃、と自慢していました。
新型の施条砲と共に今年中に軍に売り込む予定だそうです」
 ――ほう、それは良い知らせだ、が。
「肝心要の信頼性はどうなのですか?
四年前に作られていたのならばこの短銃にも組み込まれていても良さそうなものですがね」

「暴発事故こそないが、打針が脆くなってしまうらしくてな。
八十発はもたせられる様になったから漸く売り込みの準備をしている。
――実用化したのはつい先日なのだ、お前も贅沢を言うな。」
 豊守が苦笑する。
「惜しいですね。玉薬を風雨に晒さないで使えるだけでも素晴らしく魅力的です。雨天時に導術と合わせれば圧倒的な優位を得られるでしょう。
それに射撃速度の向上というのは非常に興味深いですね、限度が現状八十回、それがどの程度枷になるか、ただでさえ頭が痛いであろう、弾薬消費量の問題を抱えている現状で生産が追いつくのか等々の問題がありそうですが」

「八十発、銃兵にもたせる弾数の上限を基準とするか、妥当な数だろう。」
 豊長が相槌を打つ。それを打ち尽くしたら後退せざるを得ないのが常識である。
「もっとも、採用されてもすぐには普及できないだろうな」
 豊守が短銃から目を離しながら呟いた。

「何故ですか?」

「お前が今さっき言ったことに加えて予算の問題がある。施条銃が何故普及しないのかを忘れたか?
臼砲の方はまだ安価だからまだ使える。玉薬も使いまわせるから導入も安く済む。
だがその新式銃は、あれだけ複雑な構造ならば値段が嵩むのが必定だ。戦場での有効性の実証が無いと、いやあっても無い袖は振れない。後備役の動員だけでも予算が不足しているのが現状だ」
 豊守が疲れた様に座り込む。
「――むろん、試験運用の結果と戦局次第では転換を進めねばならないだろう。
その場合によっては皇債の発行も辞さないだろうが――その頃の戦況がどうなっているか」
 その声はあまりに苦かった。

「どうにか持ち堪えさせましょう、北領のようにはいかせない、その為の陸軍でしょう?」

「そうだな、その旗印の一つに使われる奴も目の前にいることだしな」
 そういって豊長は頬を震わせる。
「――その不吉な笑みは止めてくださいよ。――それで、私はどうなるのですか?」

「あぁ、それは、明後日のお愉しみだ」
 父が珍しく愉しげに言う

「――何かあるのですか?」
 オレ、チョットクライ、キュウカ、タノシミタイ

「明後日、陸軍軍監本部に顔を出さなくてはならんのだ。その時に折よく若殿も軍監本部に用事があるそうでな、お前にも同行してもらう、昔の同僚達にも挨拶してこい。」
 ――軍監本部か、久しぶりだ。

「そこで若殿様と話すのですか?」

 ――若殿と会うのも年始の挨拶以来だ。新城の事もあるし、何らかの形で会いたかったのだろう。本来ならば、普通に呼びつければ良いのだろうが――俺も厄介な立場にあるという事か。

「そういう事だ。くれぐれも粗相をするなよ。」
 祖父が生真面目な顔に戻った。
 ――いつもの厳格な祖父だ。時には幼年学校の教官よりも手厳しく叱られた。
頭では俺の為だと分かっていてもやはり苦手だ。

「まぁまぁ父上。豊久だってもう一流の将校なのですから」
父が口を挟むと素直な褒め言葉が面映いのか豊久はぽりぽりと頬を掻く。
「そんな父上――」

「何せ親王殿下とも書簡のやり取りを行った仲なのですから。――なぁ豊久」
一転して人の悪い笑みを浮かべる。
「何だと!!実仁親王殿下とか!」
 祖父が目を剥く。
「――粗相をした覚えはありませんよ」
 豊久は、目をそらしながら露骨に話題を変えようとする。
「それより、ほら。私は一年ぶりの皇都なのですから何か変わった事はありませんか?」
軍務から日常へと話題を移し、ゆっくりと時間を過ごした。



四月二十九日 午前第六刻半 馬堂家屋敷内 豊久私室前
馬堂家 使用人 柚木 薫


 将家の使用人の朝は早い。何故なら軍人が大半の将家の人間は基本的に午前五刻には目を覚ますからだ。使用人たる者、主達が目を覚ます前に食事を終え、一日の準備をせねばならない。
 そして、馬堂家の使用人の朝は更に早い、そして忙しい。他家の使用人の経験者でも音を上げる者がいるほどだ。何故なら家格と懐事情、そしてそれに伴う煩雑な諸事の量から考えれば馬堂家の雇う使用人の数は少ないからだ。
 尤もその馬堂家の使用人は質が高い。読み書き計数、礼儀作法は当たり前、更に厳しい身元の審査と家令頭の面接を合格してようやく正式に雇ってもらえる。
 馬堂家は往年の政治的魔術師、駒城篤胤の薫陶を受け皇都中に情報網を巡らせている人間が当主の家だ、人を選ぶのは当然だろう。
「さて、と昨日は辺里さんがつきっきりだったけど、若様の御機嫌は麗しゅうございますかね?」
そう云いながら豊久の私室の前に立つ柚木薫も皇室史学寮の博士の父親の推薦で十七の頃に雇われてから六年近くこの屋敷に住み込みで働いている。髪を簡素に結っており、顔立ちも整っているのだが物腰と合わせて色気よりも気風の良さが感じられる。

「豊久様――お目にかかるのは初めてですね」
 石光元一、二十歳前の青年である。動員が進む前に兵役の経験がある使用人数名が駒州へと戻ってしまった為、春から新しく雇われた新人である。

「しかし、将家の御方は朝が早いと聞いていましたが」

「休みの日は起きたがらないの、休みの朝は大殿様達が組み手をやってるでしょ?
あれを嫌がっているのよ。幼年学校の訓練並みにキツいって言っていたわ」

 ――私が前に覗いた時は噎せ返る様な汗と……いや、思い出すまい。
豊守様は『父子の絆を深めたいのは山々だが膝に矢を受けてしまってな・・・・』と言って逃げており、いたって健康、かつ現役士官の豊久様は大抵連れ出されている。
「はぁ、僕は軍役経験が無いから想像できませんが、それで引き籠っているのですか?」
 胡乱な目で寝室の扉を見やる。北領の武勇伝を聞いて想像していた偶像が砕けているのだろう。
「そう、まぁ今日くらいは大目に見てあげましょう。さすがに疲れているのかもしれないし」
そういいながらも半眼で扉の先を見つめている石光に警告する
「豊久様ってあれで意外と偏屈者だし、変なことを言わないほうが良いわよ。
――番犬の飼育係に回されるかもしれないし」
その言葉を聞いて新入使用人は顔を引きつらせて半歩さがった。
――確かに龍州犬は怖いけど剣牙虎よりましじゃないかしらね。
彼が憧れているらしい剣虎兵を思い、くすりと微笑し、柚木は扉をたたいた。
「豊久様、柚木です。起きてください」
『……』
へんじがない、ただのたぬきねいりのようだ。

「大殿様も今日の訓練は休みだと仰せでした。
ですから起きてくださいな」

『後、三刻』

「声を出せるならもう目が冴えていますよね」

『いやいや、眠いとも。朝餉ができたら目が覚めるさ』
 扉越しでも存分に睡眠欲を満たして目を覚ましたのがとても良く分かる快活な声だ。

「はいはい、入りますよ」
『はい、どうぞ』
 二人が部屋に入ると豊久は文机の引き出しを閉め、立ち上がって馴染みの女中を出迎えた。やはりとうに目を覚ましていたらしい。

「豊久様、いつから起きていらっしゃったのですか?」

「ん?俺が気付いたのは“若様の御機嫌は麗しゅうございますかね?”のあたりかな」

「――最初からじゃないですか。それじゃあ、新入りの子を紹介したいって解っていたんじゃないですか?」
――もう少しまじめにして下さいよ。
と柚木が呆れたようにいうが豊久は馬耳東風といった様子で
「まぁまぁ良いじゃないか。客人でもない相手に見栄をはるのも面倒なものなんだよ」
と弛緩した姿のまま小言をあしらっている。
「――で、そちらのお兄さんが新入り君かな?」

「はい、石光元一と申します」
顔を赤らめながらも深々と一礼する石光に豊久は背筋を伸ばし、指揮官らしい朗々とした声で答えた。
「これからは銃後の情勢も厳しくなる。色々と大変だろうが宜しく頼むよ。
私はほんの一月しか居ないがこの屋敷における主筋の末席を汚す者として君を歓迎しよう」
石光は、新任将校の様に背筋を伸ばす。
「はい、新任の身ですがよろしくお願いします!」

「――宜しい、それでは下がって結構」
石光が退室すると豊久は再び弛緩して安楽椅子に身を沈める。
細巻を取り出し、火を着けようとするが即座に柚木に奪われた。
かつて寝ぼけて文机を墨に変えて以来、喫煙室以外では全面禁煙令を祖母と家令頭から布告されているのである。
「それにしても柚木とも久しいな。半年、いや一年ぶりかな? 何というか、そう、瀟洒になった」
にへら、と笑みを浮かべている。さりげなく細巻を取り返そうとするが柚木はその手を抓りあげながらにこり、と微笑む。
「あら、口説いてくださるのですか?」
尤も、その気がないのは柚木には解っている。
 ――駒城の若殿様が育預の女性を実質的正妻に迎えてから使用人の中でも玉の輿を狙う人がたまにいる。将家では珍しく儲けている馬堂家の未婚の嫡男、その手の女使用人にどう思われているかを自覚した上で私をからかっている。この方なりの周囲の気を削ぐ防衛策なのだろうが性根が捻じ曲がった発想だと思う――婚約者がいるのだからさっさと身を固めれば済む話なのだし。

「左様ですか。ありがとう御座います。朝食まで後小半刻程です」
露骨に溜息をついて事務的な口調で要件を告げる
「柚木は慣れていて詰まらないな。分かった、分かったよ。また後で」
何処か嬉しそうな言葉を背に部屋を出る。
「はい、それでは失礼します」

「あ、柚木さん、もう大丈夫ですか?若殿様から言伝を預かったのですが」
柚木が部屋を出ると石光が駆け寄ってきた。
「大丈夫よ――というよりも、別に私が居るからって気を回す必要はないわよ
変な噂も立たないしその方が助かるくらいだわ」
「はぁ、そんなものなんですか?」
首をひねる石光に柚木はふんす、と胸を反らす。
「そんなものよ。随分と思ってたのと違うみたいね?」
控えめなようでいて存外に好奇心が強いらしい後輩に水を向ける
「あぁ、その、確かに瓦版に書かれていた記事とは随分違いますね。
思ったより普通でびっくりしました、将家の方ってもっとこう、固い御方だと」
 そういって恥ずかしそうに頬を掻く青年に柚木はクスクスと笑う。
「軍服を着てない時は、人間そんなものよ。
それで言伝は良いの?」

「あ!そうでした。
若殿様と昨日から手紙が沢山届いているから後で――お越しいただきたい、とおっしゃっていました」
――なぜここでいうのだろう、と柚木が疑問に思う間もなく背後から声がする。
「あぁ、分かったよ。ご苦労さん」


「わひゃあ!!」
 飛び出そうになった心臓を抑えながら後ろをむくとそこには誰も居ない。

「さてさて、二人とも、辺里はもう知っているが育預殿が正午前にいらっしゃるから準備を宜しく。
――お、宮川も健在そうでなによりだ」

「豊久様!お早うございます、若殿様が探していらっしゃいましたよ?」
柚木と同時期に雇われた宮川敦子が微笑を浮かべて小走りに駆けよってくる。
柚木とは違い髪を短く切っており、その為かどことなく活発そうな印象を与える。
「あぁ、今さっき聞いたところだよ、朝餉を済ませたらすぐに向かうと伝えてくれ」

「はい、かしこまりました」
「うん、宜しく頼むよ。
ほら、二人も、もういいから仕事に戻りな」
一礼して、忙しそうに小走りで離れてゆく使用人たちを豊久は笑みを浮かべて見送る。
「――故郷(ホーム)、か」
無意識の呟きは誰にも聞き届けられることなく、宙に消えた。

 
 

 
後書き
後書


どうでもいい裏設定

①馬堂豊久が最初に持っていたのはコリアー式フリントロック・リボルバー
新式の拳銃はコルト・M1851とコルト・パターソンの合いの子をイメージしています。

原作の9巻で1840年代相当のアレが出てきたので技術的にもアリだと思いますが、矛盾があったとしても見逃してください。

②フレーバー程度の話ですが、官制は旧大日本帝国の官制を参考にしてます。
ちらっと出てきた栃沢二等官は奏任二等官と解釈するなら中佐相当官です。
もしそうなのならたぶん万民輔弼令発布直後に入省したのでしょう。
そしてその中の出世頭・・・・そりゃ性格も歪むみますね(汗) 

 

第二十二話 旧友、二人 (上)

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵・駒城家重臣団の名門馬堂家嫡流 北領から俘虜交換で帰還した。
     新城直衛の旧友

新城直衛 駒城家育預 豊久の旧友 無位の衆民であるが皇主に対する軍状報告を行い、
     守原家を中心として進めていた総反攻作戦を潰した。



 

 
皇紀五百六十八年 四月二十九日 午前第九刻 
馬堂家上屋敷 第三書斎(豊久私室)


 ――釈然としない。
 父から渡された手紙の束を見て、馬堂豊久はうんざりとため息をついた。
これは全て自分宛のものである。北領紛争において、俘虜となったことが判明した――つまり新城の奏上により、豊久が英雄となることが明らかになった直後から急に馬堂家上屋敷になだれ込んできたものである。
確かに友人や疎かになっていた旧交もあるが急に増えた親戚や身に覚えのない友人、数える程しか会ったことがない、仰いでも尊くない恩師と玉石混交も良い所だった。
 ――駒城派の切り崩しや縁故目当ての輩だ。
その為、精査せねばならない手紙の束は素晴らしく分厚い、辛うじて縦と横が分かる程だ。

「お前が目を通すのが筋だろう?
何、後で儂と豊守が目を通す必要な物を選り分けてくれれば十分だ、元監察課主査の貴様なら楽なものだろう」
 祖父は好々爺のフリをしてその箱だか束だか分からぬ物体を豊久に見せないよう、書斎に隠したまま愛妻を連れて外へと転進していった。
 豊守は軍政の要を引き継いだ為に、その直後に戦時体制の移行の激務に忙殺されている。
母の雪緒は益満の奥方の処だ。
 ――いや、分かっている、一応は目上の立場になる旧友と水入らずの歓談を、と皆が気を使ってくれたのだろう。
そう思い直してもう一度山を見る、が当然ながら立ちはだかる束の厚みは変わらない。豊久は無言で天井を仰いだ。
 家族は皆出かけ、使用人達と自分しかこの屋敷にはおらず、豊久は自分の書斎で手紙の選り分けを行っていた、その静かさは人名を頭や時には名簿から捻り出すには良い環境ではある。
だが、仕分けが進むうちにやる気が削がれていく。せめて半分は己の人徳だと信じたいところであるが――
「もうすぐ半分か」
 現在のところ、利益目的の連中が大半であった。 予想はしていてもやはり虚しくなる。
いくら書類の山を漁る仕事をこなしていたからと言って自分あての手紙を無感情に精査する事はできない。嬉しい相手からの手紙もあるのならば尚更である。
「これは――富成中佐からだ」
 龍火学校――砲兵の専科学校で豊久が世話になった教官である。駒州鎮台司令部付になったので向こうで会えると嬉しい、と書かれている。
 ――階級が並んだか、砲兵将校としての経験は富成中佐の方が俺の倍以上あると言うのに。
豊久は思わず眉をひそめた。富成中佐は実力と経験だけならば大佐になっていてもおかしくない人だが、叛徒の土地の弱小将家出身なので若い頃に苦労したらしい。
 内乱が多かった〈皇国〉ではその手の問題は根深い、伊藤大隊長もそうだが出世が家格に左右される風潮がある。
 ――守原の公子は実戦に一度も出ず、後方勤務でも成果を上げていないが二十八歳で既に准将――いや、少将閣下だ。まぁ此処まで露骨な人も珍しいが似たような例は見回せば何処にでもある――例えば自分自身か。
  自嘲の笑みを浮かべながら次のものへと手をつける。
「此方は……益満昌紀大佐からか。」
 益満家は駒城の家臣団筆頭の家である、駒城軍参謀長が内定している益満淳紀少将が当主であり昌紀大佐はその息子にあたる。
 現在は将家とその領民達で編成された二個連隊と司令部から成る総勢三千名の近衛唯一の騎兵部隊――計算が合わないのは近衛の見栄が原因である。
その首席幕僚を勤めている。
 彼は其処で家柄に恥じぬ武勲を上げ、三十三でその地位に就いた。
竹を割ったような性格に優秀な騎兵上がりの参謀と公私共に父に生き写しだと言われている。
「駒州兵理研究会の食事会(さかもり)か。まぁ出ないわけにはいかないな」
 昌紀大佐は若手の陪臣を集めて兵理研究会を運営している、会の開催は年に数回程だが駒州は勿論、軍監本部、皇州都護、龍州等の各鎮台に近衛禁士、衆兵、そして水軍、と彼方此方から人が集まり、見聞を広めるには調度良い、と、結構な人数が集まり酒杯を片手に親睦を深めている。
 ――もちろん、本来の目的自体も忘れてはいない筈だ。多分、きっと、おそらくだけれど。
毎度後処理を行っている素面組である豊久は何時もの惨状を思い出し、頬を伝う汗を拭った
 ――下戸組の俺はまた後始末か?
などとぼやきながらも豊久は気が晴れる予定が入ったことで気をとりなおし、残りの束へと手を伸ばした。



最後の一通に手を伸ばす。
「これは――堂賀閣下からか。」
 豊久が大尉となった時に二年ほどつかえた上司からである。首席監察官附の副官として当時は大佐だった堂賀の下に任じられ、彼に気に入られたことで彼の異動に連れられて軍監本部で防諜室の末席に就く事になった。
現在は情報課次長の准将と順調に出世をしている。親駒城派と言われているが、守原寄りの中立とみなされている元坊主の執政・利賀元正とも親しく、一歩間違えれば危険な綱渡りをこなし、絶妙な立ち位置を維持しつつ軍監本部の要職に登り詰めたやり手の情報将校である。
 さて今度は何を企んでいるのかと封を切ろうとすると、柚木がノックをして豊久に友人の来訪を告げた。
「若様、育預殿がいらっしゃいました」

「分かった。喫煙室へ丁重にお通ししてくれ」
 ――あれでも便宜上は我が主家の末弟である。恩義がある元上司とは言え手紙は後にしよう。
未読の手紙を置き客人の出迎えへと向かう、その顔には不敵な笑みが張り付いていた。
 ――さて、お客様方は何名のお越しかな?


同日 午前第十刻半 馬堂家上屋敷 喫煙室
駒城家御育預 新城直衛

 ――釈然としない。
自分を先導する馬堂家・家令頭の辺里の背中を眺めながら新城直衛はそう思った。
――まぁ豊久の生還は素直に喜ぼう、だが、どうにも釈然としない。つまるところ北領が陥落し、戦間期に至ったのであるが――全てが馬堂家に都合が良すぎる。望んだものではないが、利益と名誉は自分にも遠慮なく分かち合わせ、その代わりに全ての面倒を押しつけられた。図面を――少なくとも最初の線を――引いたのは現場にいた自分の旧友であることは間違いない。
 勧められた長椅子に座り、細巻入れを玩びながら考えていると、豊久が部屋に入ってきた。
「お待たせしました、御育預殿。昨日は御挨拶もせずに失礼致しました」
 そう言って慇懃に頭を下げる。新城は形式上、駒城の末子である。
もっとも、同年代の陪臣で私的な場でも彼に好意的に接し、それなりに扱ってくれているのは豊久くらいである。
「あぁ、楽にしてくれ」
コイツが俺に頭を下げられると落ち着かない。

「ありがとう、新城。 さぁ、辺里!
我らが英雄とそのお零れに炭酸割のアスローン・モルトをくれ!」
 豊久が声を上げると一寸もせずに机の上に注文の品が現れた。
「素早いな。俺が頼む物までお見通しか?」
 若い主が水晶椀を掲げながら尋ねると
「若と御育預様のお好みは憶えておりますので」
 老練な家令は微笑を浮かべ、答える。
「お見事、まさに馬堂家の至宝だね」
「いえ。私には勿体ないお言葉です」
惜しみなく賛辞を送る主を産まれた時から見守ってきた老家令は、目に笑みを浮かべて穏やかに謙遜する。
「昼食も此方にお二人分お持ち致します。 ごゆっくりと」
 そして、慇懃に一礼をし、老家令は部屋を出た。
「じゃあ先ずは乾杯といくか」
 二人で杯を傾ける。
「炭酸割か、珍しいな」
 炭酸水は大陸では麦酒を製造する際に副産物として創られるので親しまれているがこの国では湧き水に含まれている物位しかない。
「厨房係が瓶詰めの物を仕入れてくれているからな。彼の趣味は上々だ」
 酔いやすいのに随分と早い調子で飲んでいるホスト役に新城は眉をひそめた。
「何だ?貴様、随分と機嫌が良いな」
――少し鬱いでいるかもしれないとおもっていたのだが、もしかしたら想像以上に重症かもしれない。
「まぁな。昇進して、勲章も貰い、家格が上がった――そうしなくてはならないし、そうしなくてはやってられんさ」
声を掠れさせながら目を伏せる旧友の様子に新城は合点する。
 ――成程な。
「石でも投げられたのか?」
 ビクリ、と肩がはねた。
 ――初の経験、か。何とも羨ましい。
「ふん。覚悟はしていたさ」
 そう言いながら旧友に見せた顔は不敵な笑みが貼り付けている。
 ――此奴も戦場から戻ってこられない様だ。
「……貴様の書斎で話さないか?豊久。」


同日 午前第十一刻 馬堂家上屋敷 第三書斎
駒城家御育預 新城直衛

「相変わらずだな、お前の部屋は」
 そう言って見回すと独立捜索剣虎兵第十一大隊に赴任して以来の数ヶ月完全に整理されていたのであろう豊久の部屋は、主が帰還して一日で哀れ元通りになっていた。
「ほら、柚木達の仕事を奪っちゃ悪いだろう。」
 部屋の主はそう嘯くが、単なる不精である。さすがに書架、書類棚は綺麗に整頓されているが、普段だらけている長椅子の周辺に乱雑さの最終防衛線を引き家令達への強固な抵抗を行っている。
 向かいの文机には丁度読み終わったのだろう、全て纏めて束ねられた手紙の束が端に追いやられている。
「随分と手紙が来ているな」
「ん? あぁ、急に親戚や友人が増えてな。場合によっては父上や御祖父様の所に持ち込なければならない物まであって大変だ」
 そう言いながら少々赤らんだ顔を文机に向ける。
「たかりか」
 新城にはその手の物は殆ど届いていない位階を持たない育預で敵ばかり多いからだろう。
「――他にも色々ある。これからの事を考えると面倒事は早いうちに対処しなくてはならないんだよ」
 そう言って豊久は曇らせた顔を逸らす。
「戦場からようやく離れても厄介事は先回りして待っている、それを処理したらまた戦地送りだろうし――」
 言葉を切って苦笑を浮かべて首を振る。
「――いかん、酔っているな。どうも愚痴が多くなる」
 身を縮こまらせるように椅子に座る。
「失礼します」
 若い少年の使用人が茶を持ってきた。
「あの、御昼食は此方にお持ちしますか?」
 
 新城の知る限りでは馬堂家は駒城に属する家では珍しく閉鎖的なところがある、使用人も例外ではなく、顔ぶれが変わることは余程のことがないかぎり年に数回のみだ。
――新しく入った使用人なのだろうか?
だが、遠慮がちであっても自分達を興味深そうに観ている姿は新城の知る限り、馬堂家――いや、将家が雇う使用人らしからぬものであった。
「いや、少ししたら喫煙室に戻らせてもらうよ。そっちに運んでくれ」
「はい、分かりました。」
 主と客人へ礼をして立ち去ると新城は遠回しに文句を言った。
「……随分と此方を見ていたな」

「自分で言うのもなんだが時の英雄が二人だから仕方無いさ。あの年頃にとって戦争と英雄は魅力的な冒険の場なのだろうから。
――まぁ確かに些か好奇心が強すぎるみたいだが。まぁ悪く思わないでやってくれ。
まだまだ文字通りの行儀見習いなんだ」
 目尻を揉みながら主が取りなす。
「それで? 態々こんな所に野郎を連れ込んで何のつもりだい?」
「何、貴様が居ないうちに随分と物騒になったからな。
色々と貴様からも話しを聞きたくてな」

「そんな事言われてもねぇ。ほれ、俺が居ない間って」
 ――俺、居ないしね。
 などと巫山戯ている。

「笑わせるな、毎度の如く、貴様が何か企んでいた事は分かる」
 その言葉に豊久は苦笑を浮かべ
「毎度の如くって何だよ、人聞きの悪い事を。――今言った事は全て事実だ」
 そして、それは意地の悪い笑みへと変わった。
 ――開念寺の意趣返しか。
 内心、舌打ちをする。
「中途半端な事実は沢山だ。俘虜生活で〈帝国〉を相手にしているのと一緒にするな」
 ――そう、嘘を言わずに他人を誘導する技能は俺よりも高いだろう。この男は生粋の政治屋である祖父に鍛えられ、そうした手管を身につけている。

「そうは言われてもな。俺自身は北領に居たから御祖父様達に任せただけだよ」
 首をかしげ、遊び過ぎたと思ったのか決まり悪そうに頭を掻く。

「それは分かっている。俺が知りたいのは貴様には何が見えていたか、だ」

「珍しい事を言うね」
 豊久が片眉を上げる。

「貴様の私見は俺も興味があるからな。なにしろそうは見えなくても元は選良参謀だ」
 大尉となってから人務部監察課、軍監本部情報課防諜室、と後方で要職を歴任したが、その後、貴族将校なら余程のことがない限り関わることのない田舎貴族の鎮圧に回された事から出世街道から外されたのだろう、と噂されていた。
「こんな時にだけそんな事を持ち出すな」
 そう言いながら酔眼なぞとはかけ離れた情報を扱う者の目で新城を観察し、口を開いた。
「――まぁ、良い。その前に確かめたい事が一つある。お前が近衛に配属されるのは確かなのか?」

「事実だ」
新城も油断なく答える。
 ――どうやら話す気になったようだ。ここからが本番か。

「当然、衆兵か。お前は馬と将家に嫌われるからな」
「馬は余計だ」
 乗馬が苦手な育預が憮然として言い返す。近衛禁士隊は騎兵二個聯隊で編成されており、当然ながら大半が騎兵である。
「悪い、悪い。 しかし、お前が近衛か」
 ひらひらと手を振って陪臣の後継者は抗議を受け流す。
「似合わないとは自覚している。だが実仁親王の内意を受けて決まったそうだ」
 ――厄介者を好き好んで受け入れる事を考えれば裏があるのだろう。
「衆兵、あそこは確か ふむ、実仁少将閣下の意向を考えれば十分有り得たな。
寧ろ此方の方が望ましいか?だとしたら――あぁそう言う事か」
 目をつぶり、目尻を揉みほぐしながらかつては秀才参謀であった男は考えを巡らせる。
「新城、お前も苦労するな。だが今回は良い機会かもしれない」
再び目を外界に晒した時には既に酔いを感じさせるものはなく、悟性の光が宿っていた。
「義兄上にも同じ事を言われた」
「ならば尚更さ。若殿様は政治家としては一流の御方だ。
お前の事を損得ぬきで考えてやれるのはあの御方だけだろう。俺はもう――無理だからな」
 寂寥とした呟きを新城は聞こえない振りをする。
「義兄上は最初、駒州の後備に送るつもりだったからな。
貴様の次は実仁親王殿下か。貴様は信用できると思うか?」
 ――何もかもが政治に結びつけられる。将家も皇家も相手を貶め権力を握る機会程度にしか思っていないのだろう。
新城の鬱屈とした思索は、刹那あの奏上に並んでいた守原達の記憶を掘り出す、
度し難い破壊衝動が腹の底を衝いた。

「駒城が求めている物は取り纏めの為の皇家の権威、実仁親王殿下は駒城の政治力と近衛の充足に必要な軍への影響力、上手く分担されている間――おい、どうした?」

「――何でもない。それで貴様は如何に推測したのだ?」

「如何にもも タコにもも ないよ。大外れさ。自分ではどう思っていても所詮は二十六の餓鬼だってことだ」
不貞腐れた様に長椅子にそっくり返る姿を見て新城は溜息をもらした。
――貴様は子供か。
「拗ねるな、それはそれで面白そうだし話せよ」

「――自分の失敗を好き好んで解説する趣味は俺には無いよ」

「解説も長広舌も貴様の趣味だろうが、付き合ってやるから話せ」
新城は拗ねた旧友を鼻で笑う。

「・・・・・・本当に素敵な性格だよ、お前」
 毒づきながらも立ち上がるその姿は溌剌としていた。
「さて――」
説明を始める時の決まり文句を云う姿はやはり楽しんでいるように見えた。

「短く済ませろよ」
新城の茶々を黙殺して豊久は朗々と語り始めた。

「第一に、襟裏の意志統一は親王殿下が行うと思っていた。殿下は俺達――駒城に借りがあるからな。大殿や若殿の意見に陛下が同意の感想をお示しになるだけでも威力は十分ある。」
そう広くはない書斎を一周し、人差し指を伸ばす。
「第二に軍監本部内での総反攻に賛成する意見が予想以上に小さかった。
俺は参謀達がもう少し主家に盲目であると思っていた、窪岡少将達が取り纏めにかかる時にお前を使うと思っていた」

「――そして、第三に――近衛衆兵に剣虎兵を持つことができると思わなかった。
というよりも想定してなかったんだ。考えてみればあの親王殿下なら騎兵代わりにと考えてもおかしくないのだがな――まだまだ、視野が狭いよ」
――成程、こいつは北領でも第五旅団を邏卒扱いしていた。最初から近衛衆兵をまともな軍隊とは思っていなかったわけだ。

「これが俺の読み違えだ――面白かったかい?」
説明を終えると豊久は居心地悪そうに長椅子へ体を沈める。
「――教師にでもなってれば受けが良かっただろうな。それにしても軍監本部か。貴様の予想があたっても結局、嫌なところに送られるのだな」

「おい、いっておくが本部の勤務室は快適だぞ?」
苦笑を浮かべた元本部員が抗議する。

「問題はその快適な場所に居る連中だ、お前の同族でさらに性質の悪い」

「――まぁいい。実際、俺は五将家の政争に気を配る余裕は無かった。
お前が上手く〈帝国〉貴族を引っ捕えて来るかどうかの方が切実な問題だったよ。 
思い出すだけで胃が痛む。」
そう言いながら豊久は眉を顰めた。
「それもそうだな。」
 新城の唇にも苦笑が浮かぶ。
「実際、俺はまだ政治には関われないよ。当て推量して多少準備をしたら後は御祖父上達に任せるのが精一杯だ」
僅かに口惜しそうに呟く姿に新城は評価を修正した。
 ――意外と出世欲があるのだな。
「まったく、こんな目にあうんだったら警官にでもなればよかった。いまごろ州視警本部あたりで新聞片手に文句を云ってたろうに」
目に浮かんだ奇妙に馴染んだ光景に新城も笑った。
「だが将家の嫡子の立場が許さない、か。
せめて豊長様の後継者として憲兵にでもなればよかっただろうがな
話は来たのだろう?」

「まぁ、ね。 誘いにのっとけば、とも今では思わないでもないよ。
死にかけて中佐になるくらいなら憲兵尉官になるのも悪くなかったかもしれない」
昇進が遅いことや、将家仲間で受けが悪いことがあることもあり、豊久は砲兵の道を歩んだのであった。
「それはそれで面倒事にまきこまれてそうだがな」
「夢くらい見させてくれよ」

「夢か、それだったら奇特にも許嫁だっているのだし身を固めたらどうだ?
話を聞いてる限りはお前にはもったいないくらいだ」
そういいながら新城は凶相を歪める。
――まぁこいつでは無理だろうが。
「勘弁してくれ。今朝も父上に同じ事を言われたんだ」
 ――こうして当の本人は苦笑を浮かべて鰻の如く逃げ回っている。馬堂家は二代続いて婚姻が早かったので周囲も急かしているが――
「ほら、もういい時間だ。これ以上辺里達を待たせるのも良くないな。家の料理人は凝り性だし冷めたら――」
刻時計を懐から取り出したし、で昼飯の事を語りながら新城に部屋を出るように促す豊久に生暖かい視線を投げかけながら、新城は結論付ける。
 ――結局、逃げるんだな
 

 

第二十三話 旧友、二人 (下)

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵・駒城家重臣団の名門馬堂家嫡流 北領から俘虜交換で帰還した。
     新城直衛の旧友

新城直衛 駒城家育預 豊久の旧友 無位の衆民であるが皇主に対する軍状報告を行い、
     守原家を中心として進めていた総反攻作戦を潰した。

山崎   馬堂家の上屋敷警護班長 元憲兵下士官 

 
皇紀五百六十八年 四月二十九日 午前第十一刻 
馬堂家上屋敷 第三書斎 駒城家御育預 新城直衛


喫煙室に戻り、昼食を平らげると部屋の主は長椅子にゆったりと座り、声も緩ませる。
「お前、どうせ暇だろ?ゆっくりしていけ」
先の書斎での問答の時とはまた違った印象を与える声だった。
 ――こいつは声の使い分けが巧みだ。
北領でも巧みに部下たちを宥め、叱咤している姿を見ているが、そうした能力は銃後でも存分に発揮できるものであると新城は知悉している、
「――暇なのは確かだな。今は三百名程度しか居ない名ばかり大隊の管理だけだ。
笹嶋中佐の手配で派遣された部隊は既に原隊へ復帰し、補充は遅れ、俺がやる事はほとんどない」
新城は生え抜きの生還者達から見繕った者たちを下士官に昇進させ、新兵の訓練に充てていた。
米山、妹尾もそれぞれ昇進し、猪口特務曹長とともに新城を補佐している。
「他の北領鎮台の部隊が優先されている。それに剣虎兵はまだ数が少ないからな、思ったようにはいかない」

「専門性の強い砲兵みたいに転科が困難な訳ではないだろう。転科は泥縄とはいかなくとも融通はどうにか利きそうなものだが」
砲兵将校の言い草に生え抜きの剣虎兵将校である新城は僅かに顔を顰めた。
――色々と言いたい事はあるが――この手の話はもめる物だ。深く言及するのは別の機会にしよう。
恐らく、他兵科の将校間では幾度も行われている決まり文句を飲み込み、言葉を継ぐ。
「――北領での戦果を受けて剣虎兵部隊の増強が進み需要が急造している。
駒州でも剣虎兵二個大隊を増強し、それに、先月からもう一つ鉄虎大隊の新編にとりかかっている。義兄上――駒州鎮台司令長官閣下も剣虎兵の戦例研究を片手に俺に何度か実戦での運用法の洗い直しをしている」

「――随分と剣虎兵も価値が高まったものだな。
それならば尚更に第十一大隊はおざなりにできるような部隊ではないだろうに。
第十一大隊は今どこの管轄だ?龍州か?それとも護州かな?」

「兵部省直属――要するに宙ぶらりんのままだ」
 新城の言葉を聞いて顎を掻きながら豊久も不機嫌に唸る。
「そうなのか――何とか駒州鎮台に組み込めれば良いのだがいくら虎城が近いとはいえ、剣虎兵を三個大隊も保有するのならばそれも難しいだろうな。若殿様に露骨に頼るわけにも行かないわけだ。
お前が近衛行きで、俺も剣虎兵部隊は本職じゃない。――こうなると後任に任せるしかないな」

「お前でもそうなるか――俺が近衛でどう扱われるか次第だな。
近衛に剣虎兵部隊が存在するとは聞いたことがない、衆兵隊司令部で飼い殺しされるのは好みではないな」
 豊久は新城の言葉に頷き、また顎を掻く。
「どうだろうな、殿下がお前を有効利用するのならば、看板部隊を持たせて、衆兵の弱兵意識を払拭させたいのだろう。
――殿下御自身が前線に出ることはもう不可能だ。さすがにもう五将家が総力を挙げて止めるだろうし。そうなると第五旅団に附けられるか――」
「衆兵隊にもう剣虎兵部隊が一個大隊、そういうこともあると?」
 新城の言葉に豊久も頷く。
「有りうるな――だとしたら相当力を入れる筈だ。ひょっとしたらもう準備を始めているかもな」

「そうなると新編の大隊か。面倒だが少なくとも大隊を貰えるのは悪くない」と新城は鼻をこする。

「近衛衆兵に剣虎兵は居ない以上、陸軍からも古兵を引き抜く準備をしているだろう。
最悪、剣虎兵学校から教官を引き抜くかもしれないね」

「まさか、そこまでするか?」
 剣虎兵学校勤務の経験者である新城はその内実を知っていた、剣虎兵の層は他の兵科のように厚くはない。

「あくまで極論さ。殿下は馬鹿じゃない、後備も居ない新兵科の養成所にはそうそう手を出さないだろうが――有り得ない話じゃない。俺が言いたいのはもしそうであった場合は、殿下が威光を振るうだろうって事だ――皇族が、お前の為に、な」
 一瞬、豊久の目に剣呑な光が閃いた。
「ま、向こうが利用している間は、お前さんは殿下の庇護の下だ。当面は安心しておけ」
 打って変わり、そう言った時には温和な笑みを若番頭が店先で浮かべている様な人当たりの良い顔に浮かべている。こうしていると陸軍野戦銃兵章まで授与された――つまり将校が自ら鋭剣を振るう死地から生還した軍人には見えない。

「あくまでも当面は、か」

「駒城と皇家は永遠の主従ではあっても永遠の忠臣ではない。それは利害の一致している間だけだ」
豊久は細巻に火を着ける。
「――皇家は常に天秤の揺らぎを気にする。生き延びる為にはそうするしかないからね」
だが、咥えようとはせず、煙が漂うのを眺めながら呟く。
「駒城と馬堂も、か」
 新城の言葉に細巻の煙が揺らぐ。

「――駒城あっての馬堂だよ。大殿様も若殿様も良くしてくれているし、御二方とも駒州公に相応しい御方だと俺は思っている。若殿さまにだって御恩は大いにある、俺は俺なりに忠義を抱いているさ。
ただ|我々(ばどう)を切り捨ててまで――となったら話は別だがね」
 内容に反し、その声には何の感情も窺えない。視線は刻一刻と形を変えながら天へと上る煙を追っている。
「――義兄上には良くも悪くもそれは出来ない」
 新城が危惧する善人故の欠点であった、苦悩して苦悩してそれでも切り捨てられず、心中しかねないと新城は考えている。
「どうかな?内では政争、外からはあの姫様が着々と内地侵攻の準備中、まさしく亡国の危機だ。何があってもおかしくない。――この世には不思議ではないものなど何もなし、さ」
露悪的な口調で豊久は頬を歪ませる。

「何があっても、か。〈皇国〉の刻時計は踏み壊された、と評する人もいたな。」
新城が溜息を漏らす。
 ――既得権益の奪還と意地の為に無謀な総反攻を求める愚か者達、俺はこの亡びかけの国に愛国心など持っていない。この目の前の男はどうなのだろう。

「俺は単に一巡しただけだと思う。
財貨の不均衡が戦乱を招いただけだ、不平貴族の反乱や匪賊ともそうした意味では変わらない。規模がまた拡大しただけさ」
 ――富が膨らめば欲も膨らむ。そして富が離れたら権力を振るい、掻き集めようとする。守原達を見れば良く分かる。成程、世に無意味な戦は無くならない。
 それをこの男はどう語るのか、少し興味が湧いた新城は合いの手をいれた
「金の恨み、か。貿易赤字による正貨の流出が〈帝国〉出兵の切欠だったか?」
 新城の意図を理解したのか、豊久も仰々しい身振りで補足をする
「そしてそれによる反乱の爆発的な増加だな。
馬鹿馬鹿しい。貴族にべったりの大商人が穀物を売り惜しみしたのが原因だ。
ふん、自分達で反乱を煽った様な物だ。無能だ、無能。だから大国の癖に戦争なんぞしているんだ、馬鹿らしい」
 〈帝国〉そのものを嘲笑うかのように哄笑する。
「馬鹿らしい原因だろう?
おまけに〈皇国〉経済の強みは流通だ、占領しても〈帝国〉と比較したら大量の回船と熱水機関の技術程度しか旨みはない。穀倉地帯としては(帝国)南部の方が優れているよ。
熱水機関を積極利用すると〈帝国〉本土の能率が悪い農奴を利用した鉱工業が潰れる。
そして回船問屋が発達したのは即時性の高い導術のお陰だ。
滅魔亡導なぞもう昔話でしか無い〈皇国〉経済を反導術の教義を奉じ、交易相手を蛮族と呼び、情報伝達手段すら知らない輩が活用出来るか?
〈帝国〉の問題は、農奴制なんて非効率な制度だ、勝ったところで肝心の問題は何も解決されない」
〈皇国〉は亡国の淵に追い込まれた。――それをこの男は無意味だと嘲笑している。
「〈皇国〉とて早々に虎城山地を盾にすれば長期戦に持ち込める。
元々東方辺境領は戦続きで財政は本土頼りだ、〈帝国〉は確実に財政が逼迫するよ。
更に西方諸侯領も南冥、アスローン両国を相手の紛争が慢性的に続いている。
其方にも金を出さなくては諸侯内で反乱だ。〈帝国〉は勝っても負けても命数は長くない。
その経済・政治の構造を変えない限り、必ず財政が破綻して内乱になる。国が割れるのは時間の問題だ」
話の内容に反し、豊久は不機嫌な唸り声を上げる。
  ――そう、問題は――
「それまでこの国が持てば良いが〈帝国〉も意地があるだろう。」
 ――『その時』まで〈皇国〉が国の体裁を守っていられるか、ということだ。

「そうだろうね。あちらさん、常勝故に矜持も高い。ユーリア姫殿下に似たような事を言ってみたら追い出された」

「おいおい」
 新城は思わず天井を仰いだ。
 ――この男も存外に頑迷なところがあり、非常識なことを口走る癖がある。誰に似たのやら。

「〈帝国〉軍の幕営に来いとか言われたからな。
戦争している間に国を沈めかねない無能の所に行くか、てな。
勝って帰れば反乱祭り、なんてゴメンナサイ、だ。軍事大国でも行政がダメなら遠からず自壊するさ。所詮、軍事なんて行政の一分野に過ぎんよ。
確かに国家の命運は担う分野だ、だがそれが国政の全てでは断じてない。それが解らない君主についていく気はないよ」

「まぁ貴様らしいとだけ言わせてもらうよ、――まったく、よく首が繋がったまま帰って来られたな、不敬罪に問われても不思議じゃないぞ。
確かに俘虜は〈大協約〉で守られてはいるが、だからと言って帝族を挑発するような真似を好き好んでするのは余程悪趣味な馬鹿者だけだろうな」

「多感な時期に悪趣味な馬鹿者と知り合ったからな、無理もない――だが俺はそう馬鹿じゃないさ、言質と証人はしかと見つけておいたさ、後は向こうの自制心に賭けたわけだ」

「当然ながら護衛の武官が隠れていただろうから――帝族の意地もあり、か。
初の外征なら実績もなく、尚更によけいな失策は避ける必要がある。
貴様、本当に軍監本部向きだな。陰謀、肝謀、無謀の三つ揃いだ」

「失礼な、深謀遠慮の智将と呼べ」
 そういって豊久は胸を反らす。
「――フッ」
新城が口を歪めると
「ククッ――」
その旧友も笑い声を漏らし――そして二人は声を上げて笑いあった。


同日 午後第二刻 馬堂家上屋敷 玄関
馬堂家嫡男 馬堂豊久



帰還の途に着く新城を観察する。
「それではまた今度」
機嫌良く見える。
 ――少なくとも今は問題無いか。

「あぁ、態々来てくれて有難う。御陰で俺も|色々と(・・・)知りたいことを知ることが出来たし何よりも気分転換になった」
 ――こうした時は人の痛みを理解できる友人は有り難い。
内心では感謝しているが、口には出さない。
「義兄上も直ぐに貴様に会うが宜しく、と」
「あぁ、若殿様にも宜しく言っておいてくれ。――あぁ、そうだ」
 ――いかん、忘れていた。
慌てて懐から北領で愛用していた短銃を取り出す。
「――これを」

「おい、良いのか?」
新城が目を見張る。豊久が大尉に昇進した際に送られたものであることは新城も知っていた。蓬羽兵商が抱えの職人を使って作らせたものでこの(大協約)世界では数丁しか存在しないものである。
「あぁ、大丈夫だよ。蓬羽から帰還祝いに新しいものが届いたばかりだ。
今度のは、最新式のものでな。大隊に顔を出した時にでも試し撃ちに付き合ってくれ」

「――ならば、これは貴様のお古か」
 そう言いながらも渡された銃を持つ手はとても丁寧だった。
持ち主にとって思い入れがあることに代わりがないことは理解しているのだろう。
「酷いな。確かに五年物だけど特注品だ、そこらの短銃の倍以上はするぞ。
それに手入れは怠っていないから新品同様だ。――使い方は分かっているな?」

「皇都に戻って早々に貴様の試射につき合されたからな。」
減らず口を叩きながらも渡した意味を理解しているのだろう、僅かに手が震えている。
 ――この男、存外に小心なのだ。
「ならば良い。それは貸しているだけだからな。必ず返せよ」

「努力する。なにしろ高級品を預かっているわけだからな、我が新城家の家名に関わる問題だ」
壊れ物を扱うかのように恭しく短銃をしまう新城に豊久はにやりと笑う。
 ――変なところで拗ねる奴だ。
「勿論、貸した相手も壊われないように祈っているよ、一人っきりの新城家が存続の危機だからな。
それでは駒州公爵家御育預 新城朝臣直衛殿、御気をつけてお帰りくださいませ」
新城に慇懃に貴人への礼をする。当然ながら新城が嫌がるのは百も承知の上であった。
 視線を交わし、互いに にやりと笑う。
「あぁそうだ。言い忘れていたが貴様と今度顔を突き合わせる時には答え合わせになるだろうな。
大殿と殿下が貴様に会いたがっているそうだ」
「――最後の最後に怖いことを言わないでくれ」
頬に冷や汗を伝わせたホスト役の背中をどやすと、新城は馬堂の用意した馬車に乗り込み、去ってゆく。
 それを見送ると、豊久は背後にそっとあらわれた警護班長に尋ねる
「行ったか――山崎、見つけたか?」
 屋敷の警備を取り纏めている山崎が近寄ってきた。
「はい、御育預殿がいらっしゃってから探りましたが十五名程、屋敷の周辺に張り付いております」
 ――さすが元憲兵、良い仕事をしてくれる。
「そんなに動いたか、大層な事だ。そいつらの所属は分かるか?」

「いえ、申し訳ありませんが流石にそこまでは。
ですが魔導院では無いと思います。連中でしたらもっと上手くやる筈です」
「ならば将家の手の者か、さてさて、守原か、安東か、西原か、――それとも、宮野木、か」
 ――あの狒々爺が相手だとしたら面倒極まりない。思い出すだけでうんざりする。
「何人か育預殿について行ったか?」
 豊久の問いかけに山崎は頭を振る。
「いえ、未だ全員がこの屋敷の周りにおります。
育預殿にも、殿達にも付いていかなかった様です。豊久様のみが狙いかと」
 山崎の口調は慇懃な使用人のままだが振る舞いは軍人その物に戻っている。それは豊久も同様であった。
「万一忍び込む様なら俺と御祖父様で話を聞く(・・・・)
外で大人しくしているのならば手出しはするなよ。深追いも禁物だ」
 口ぶりは穏健だが、その目は情報将校のそれになっている。
「互いに、ですね。安心して下さい、うちの部下もそれは心がけています。上手くやりますよ」

「あぁ、任せた」
 ――家の警護班は祖父の子飼いだけあり有能だ。下手を打つ事は無いだろう。
壁の耳は少ないに越したことは無いが下手に刺激して持ち主を刺激するのも危険だ、特にこの時期には――俺も家の掃除を始めた方が良いかな。耳の持ち主が騒がない程度に加減を間違えない様に
「――まったく、面倒な事だ」
 
 

 
後書き
今年最後の投稿です。
皆様、よいお年をお迎えください。

御意見・御感想をお待ちしております。
 

 

第二十四話 旧友来訪の後始末

 
前書き
馬堂豊久 陸軍中佐 北領から俘虜交換によって帰還した

馬堂豊長 豊久の祖父であり、馬堂家の当主

馬堂豊守 陸軍准将 兵部大臣官房総務課理事官にして豊久の父

大辺秀高 陸軍少佐 陸軍軍監本部戦務課参謀

石光元一 馬堂家の新人使用人
 

 
皇紀五百六十八年 四月二十九日 午後第五刻半
馬堂家上屋敷 


「つまりは向こう次第だ、豊久」
 渡された駒州からの報告書から目を離し、馬堂家の当主たる豊長は辺境から政争の場へと戻った孫へと目をやった。
 ――当初の様子だと前線に送るのは不安だったが……御育預殿に借りができたな。
 若いうちに前線を離れた事に悔いはないが、こうした時の対処法を忘れてしまった事だけは惜しかった。
「ですが馬堂家が嘗められるのは不味いでしょう」
 豊久は国軍憲兵の基盤を作り出した祖父の劣等感に気づかずに反論をした
「それではなかろう?」
「分かりますか?」
 豊久の表情が作りのない苦笑に変わった
「分からいでか、お前の面倒を何年見ていると思っておる。
ほれ、さっさと吐かんか」
 豊長はぶっきらぼうに刈り込んだ顎髭を突き出す。
「敵いませんね。まるで堂賀さんに審問されたような気がします」

「儂はまだまだ現役だからな。あんな若造と一緒にするでない。――それで?」
 促されると決まり悪そうに咳払いをして、豊久は言う。
「子供染みているのは自覚していますが、土足で私の書斎に踏み込まれたのが非常に不愉快です」

「まぁ気持ちは分からんでもないが、お前の気分で家を傾けさせるわけにもいかんな。
――元々儂のところに話を持ってきた時点で血を流すつもりは無かったのだろう?」
 だが豊久は微笑を浮かべ首を横に振る。
「それは御祖父様次第です。正直なところ淡い希望程度は抱いてましたよ。
――ま、せいぜい楽しみながら片付けましょう」
嗜虐的な口調で語る孫を見て豊長は呆れたように溜息をついた
「――外の輩は山崎に任せているのだな?ならば其方は儂に任せよ。どの道、まともに調べるには時間がかかる。お前は明日からは忙しくなる、今日もあまり遊びすぎるなよ」
 豊長は内心では現在の孫の有り方を好ましいものではないと考えている。
――子供の頃から傾向はあったが危うすぎるのではないかと思うほどに立場――環境によって演じ方を変えている。無論、そんなことは誰でもやっている事だ、将校ならなおさらに。だが何事も程度の問題である、かの育預の様に――否、あらゆる人間と同様に屈折した部分があるという事だろう。
「はい、御祖父様。私も色々と鬱憤が溜まっておりましてね、精々いじめさせてもらいますよ」 愉しそうに嗤う孫に祖父は内心、溜息をついた。
 ――とんだところに内憂が増えたが――今は目の前の問題が優先か。


同日 午後第六刻 馬堂家上屋敷 玄関
兵部大臣官房総務課理事官 馬堂豊守准将

「それは向こう次第になります。流石に鎮台の彼是まで口を挟めません、動員に関しては兵部省と協調して訓令を出す程度が限度です」
 軍監本部戦務課参謀である大辺秀高少佐が呟いた。
「まぁそうだろうな。だが水軍と協調せねば運搬計画が成立しないのでな
特に、皇海艦隊は護衛に張り付く必要があるからな、あちらは東方辺境艦隊の勢力圏だ、貴重な兵員を輸送中に失うわけにはいかないだろう。
輸送を行うためにも早急に動員を進める必要がある、水軍側からもせっつかれているのだ、君の方からもどうにか窪岡殿に取り纏めを急がせてくれ、兵站課には私からもせっつかせているのだがな」
 二人が問題としているのは各鎮台の兵站計画である。最低でも七月までには必要な鎮台を直ぐに軍へと改組出来る様にしなければならないが、予算措置が進まず、総ての鎮台を即座に動かせるようにすることはできない、動員だけではなく部隊を可及的速やかに運搬し、そこで何万もの男達・幾千もの馬・数百の剣牙虎を戦火へ放り込み、それに耐えうるように養うのはひどく手間がかかるものである。
「東州鎮台は動員と並行して即応体制の強化をせねばなるまい。集成軍で対応するとなれば、皇域に集結している駒城・護州と並び主力となるだろう。」
 東州は龍州の南に隣接する島であり、徴用船を使えば十日も掛からずに主力を派遣出来る。
「即応体制となりますとどうしても導術に頼る必要がでてきますね。
現在でも導術網はある程度構築できておりますが、これはあくまで平時の運営を想定したものであって戦時に耐えうるものとは思えません。さらなる導術士の増員が必要です」

「解っているが――導術士の供給が間に合わない。
水軍は陸軍以上に消耗が激しい導術兵の頭数を揃えたがっている。それにあそこは衆民が強いから導術利用に遠慮がない――陸側ですら、豊久がやらかした所為で最低限(・・・)の導術利用が進められつつあるのだ。
安東大臣の許可が下りたら導術の育成も一度、陸水の教育部にあたる必要があるな
過度の速成は危険だろうが背に腹は代えられん、それと動員の割り振りの再調整も官房主導で行う必要があるか」

「それは必要でしょうが、効果が出るまでは時間が必要でしょう。
それよりも更なる頭数を揃える必要があります」

「ふむ、そうなると問題は近衛、だな。
頭数を揃えるのならば、あの連中も駆り出す必要がある。――動員が後回しになっているのは確かだがな」
 頭数だけで考えるなら総軍(とは言っても一万に届くか届かないかである。)を動かすのも必要ではあった、質は儀仗兵としての役割の強い禁士隊に弱兵ぶりに定評のある衆兵隊であるが、動員が進まない以上はそれこそ剣牙虎(ねこ)の手でも借りたい状況である。
「ですが、育預殿の事も考えると。そう簡単に近衛を出すわけにも行かないかと」
 豊守子飼いの参謀、大辺が抗議の声を上げる。
「実仁親王殿下もそこまで愚かではないだろう。駒城の育預殿で北領の英雄だ。万全を期さずに前線に送るとは思えない――少なくともそう願おう」
 豊守は杖をつき、前へと進む。やるべきことは大量にある、彼の息子に水軍が名誉階級を授けたという事実は官房内でも重視されている。つまり厄介な陸水軍間の調整を担当させられているのである。
疲れ切った軍官僚がせめてもの憩いの場へ繫がる扉を開けると豊久(やっかいごと)が二人に駆け寄った。
「父上、大辺」

「ん、豊久、今帰った」
「お邪魔します」

「えぇ、待っておりましたよ、父上――やぁ大辺。来て早々で悪いが父上を借りるよ」
 そう言って豊久はまだ軍服も脱いでいない豊守を隅へ引っ張った。
「何だい?また小遣いせびりか?」
「何年前の話しですか!そうではなくて――少々愉しい事をしませんか?」
そして豊久は――にやりと笑った。



同日 午後第六刻半 馬堂家上屋敷 第一書斎(当主私室)
馬堂家新人使用人 石光元一


馬堂家の新人使用人である石光元一は書斎へと通じる扉に手をかけ、体を強ばらせた。
今、この馬堂家当主が執務を行っている書斎の中には馬堂家の中枢を担う二人に、豊久、そして子飼いの参謀が篭っている。
 ――きな臭い、深追いは禁物だと言われたが――
 逡巡していたが、家令頭の辺里に黒茶を持っていくよう言い渡された事でついにこうして内に入り込むになった。
「失礼します。あの、黒茶を――」
「待っていた、入れ」
 屋敷の当主を中心に主筋の三人が安楽椅子に身を沈めている。
「やぁ、石光元一君――これは本名かな?まぁいいや、君が皇室魔導院からの御来客だったとは知らなかったよ。こんな仕事を押し付けられるなんて可哀想に」
 にこにこと親しげに馬堂豊久が言った。
「なっ・・・・」
反射的に後退りすると背後で扉が閉まる音がした。
「・・・・・」
口が乾き、舌が回らない、心臓が早鐘の様に鳴る。
「魔導院も儂の事を忘れたのか、やれやれ、年は取りたくない。」
 逞しい体躯の老人が後退した白っぽい灰色の髪をかき回す。
 ――元憲兵にして駒州公の右腕――馬堂豊長。
「まぁ、こんな御時勢だ。君みたいな輩がくるだろうとは思っていたが、さすがは魔導院、随分と手早いものだ」
 馬堂豊守が素敵な笑みを浮かべてどこか嬉しそうに頷く。熟達した情報将校である堂賀准将の薫陶厚き英雄、馬堂豊久は変わらぬ笑みを浮かべ、黒茶を啜る。
「まさかね、こんなに早く釣れるとは思わなかったよ。
あのさ、ウチの警護班、庭と門を彷徨いているだけだとでも思ってたのかい?」
そう言うと豊久は唇をさらに釣り上げた。

「戦が無いからそれだけで安泰になる程、将家は生き易くは無いのだ。取り分け、馬堂はそうした家だ」
重々しく当主の豊長が告げた。
「さて、石光君、だったな 異議があるのなら言ってみたまえ」
豊守が無感情に反論を促すが自分の居る場所の危険性を改めて認識した石光は途切れがちに舌を回すのがやっとといった様子であった。
「僕は、その――」
「あぁ、捕って喰いはしないさ、今のところはさして重要な場所に立ち入る事はできてないだろう?別に君自体はさしたる価値はない、あくまで問題は君の属する組織のことさ」

「今の所は、だ。あまり嗅ぎ回られると困る。儂は家政だけでなく駒州の諸々の情報をにぎっておるし、豊守は今現在、数多の軍機に関わっておるからな」
 かつての鬼憲兵の視線がそのまま圧力になって石光に襲いかかる。
思わず部屋の外へと後ずさると、扉が――再び開いた。
「失礼します」
宮川が顔を覗かせると、査問を行っているふたりともがそちらへと視線を向ける
「構わん」
「何だい?」
 糾弾者たちの視線が逸れた隙に被告人は無意識に止めていた息をする。あのままでは窒息していたかもしれない、と本気で思いながら外気を貪る石光の姿を心配そうに見ると、宮川は小走りで主達の下に丸められ封が施されている書付を手渡した。
「――連絡室からです、弓月様からのもので、その、御三方以外は、と」
そういって再び彼女は自分の後輩の姿を見る。
「あぁ、彼?問題ないよ、居てくれて助かるくらい。
うん、確かに俺が頼んだものだね、ありがとさん。――それじゃ、下がってくれる?」
そう云って唇を吊り上げる豊久を見て無言で首を振った使用人は入ってきた時と同様に素早く退避していった。
豊久は何度か当主である豊長と小声で会話を続けた後、石光に再び向き直り、口を開いた。
「やってくれたね、ホント。蹄原の両親は書類上のみの義理の関係・教育を受けた天領の私塾も偽装ときた、役所関連の偽装は手が込んでいる、内務省に頼らなきゃ分からなかった。魔導院らしいやり口だよ」
やけに朗らかな口調が恐ろしい。
「取り敢えず、さ。俺の元上司の手紙、返してくれないかな?
当然、写しも一緒に、どうせつくってるでしょ、君」
そう、にこやかに告げる。
 慌てて石光が懐から盗み出した手紙を取り出すとそれを矯めつ眇めつ検めながら豊久は言葉を継ぐ。
「写しは?渡してくれないかな?」
首を振る、未だ写しきっていなかったがこれだけでも――持ち帰りたかった
「もう一度言わせるの?」
微笑が――消えた。
「――渡せと言っているのだよ、私は。」

「ッ――」
その声を聞いた瞬間、石光は実戦経験者――殺人を行った人間である事を強制的に理解させる冷ややかで人を殺した(・・・・・)声だった。
「こ、此処に」
「はい、確かに――ん?途中じゃないか。」
 再び豹変して朗らかな態度に戻った豊久を怯えきった目で見ながら石光は声を震わせる。
「じ、時間が」
「はいはい、成程ね。まぁいいや。念のために家探しさせてもらってるし」
 にこにこと微笑みながら燐棒を擦り、あっという間に石光の初仕事は煤へと成り果ててしまった。
「よし、それでは御祖父様。後はお任せします」
「承った」
 ぱん、と手を打ち合わせると厳つい顔をした元憲兵将官が青年諜報員に向き直る
「さて、それでは君の知っている事を話してもらおうか」


同日 午後第七刻 馬堂家上屋敷 第一書斎
軍監本部戦務課甲種課員 大辺秀高少佐


「結局、どれだけ素直になるか次第だよ。駒州と弓月伯爵を通して内務省に問い合わせはもう済ませている。後はこちらで物証が見つかればいう事なしって事で頼まれてくれ」
そう言いつけられた大辺は手早く仕事を済ませた。だが彼の下した結論は――何もない、であった。本来であれば相当に時間をかけなくてはならないのだが、秀才参謀はもとよりそうであろうと予断を持っていた事もあり、僅か半刻の捜索のみで下された判断だった。
豊久は自身も赴いてもう一度捜索するべきだと意見したが、豊長はこれ以上の捜索は無用であると二人に告げ、豊守もそれに同調した事で彼の意見は却下された。
「参ったな、俺も虐め過ぎたかな?あれだともうまともに喋ることもできんだろうに」
 豊久が予想外の脆さを見せた少年に眉をひそめて大辺にささやく。
「大殿と二人がかりですからね。どうみたって戦力過多です」
 同じ様に小声で返事をしながら大辺も豊長を観る。
「俺は兎も角、御爺様は本物だからな」
 豊久の言葉に大辺も無批判に頷いた。
――この人も大概だが、大殿は私達が産まれる前からこうした場の第一線に居たのだ。
正しく――本物だ。
「その本物があっさりと受け入れたさっきの報告、絵解きをしてくれないかな?」
 
「私は魔導院の事は詳しく無いですが、それでも常識的に考えてこの〈皇国〉最大の諜報機関が大殿と豊久様の事を考えればあんな子供を送ってくる程、軽率だとは思えません」
 豊長は魔導院が諜報機関に転換した時期に憲兵を指揮し、軍への浸透を防ごうとしたが導術通信を握られた事で、必然的に敗北した。だがそれでも彼の築いた下地は今でも確りと残っており、陸軍独自の情報機関となっている。そうした意味では堂賀は豊久とはまた違った意味で豊長の後継者であるといえるだろう。
「俺もそう思うよ、御祖父様には言うに及ばず。俺も魔導院の将家担当の第三部に顔を覚えられている筈だ。俺も堂賀閣下に二年も付いていたからな、色々とやらかしたよ」

「――悪い遊びを散々仕込まれたようですからね」

「まぁ遊び方を覚えないといかん仕事だったからな――それにしても、あちらさん、何を考えているのだ?奴さん、俺達が知りたい事は何も話していないな、あの様子では真実、知らされてないのか?」
黒茶に口をつけながら思考を巡らせる。三寸ばかりの間、豊長達の声だけが部屋に響いた。
「――蜥蜴の尻尾か?だとしても成功の見込みがないと意味がないだろうに」
 怯えている姿は眼前の少年が稀代の名優でないのならば、論理的な嘘をつく余裕があるわけないことが分かる。それ故に知らないの一点張りである勅任特務魔導官に豊久が少々焦っていることに大辺は気づいていた。
「あるいはそれすらも観察対象なのかもしれませんね
あの少年も捨て駒どころか試薬にされたといったところかもしれません」
そう言って大辺が目を向けると件の青年は容赦無い追及を受けもう可哀相な位にぐったりとしている。
「俺達が独断で血を流す訳にもいかないからか、忌々しいが主家の事を考えるとな。
――成程、まったく無粋で不埒で厭味ったらしい連中だ」
そういって俯き、豊久は思いに沈む。
「そうなると、本番は“ばれた”と向こうに知らせてからだな。
その為にも今のうちに手札を引き出さなくては――いや、絞りとらなければならんな」
そして頭を上げ、愉しそうに嗤った。
 ――どこまで本気なのか分らない、触らぬ神に何とやらだ。止めるのは豊長様達に任せよう。
大辺は妙に高揚している豊久を横目に内心眉を顰める。
「――お、もう終わりか」
当主が鳴らした呼び鈴の音に気づき、目を向けると、少年は体を抱え、膝をついていた。
震えているのが分かる。――心が折れたのだろう。

「お前達が口を挟まんから止め時を間違えた、やりすぎたな」
豊守は少し眉を顰めて。警護班が二人がかりで彼を連れていくのを気遣わしげに見ている。
「あまりやり過ぎると後始末が面倒です。
魔導院と敵対するのは危険すぎますし、何も益がありません。
警告は必要でしょうが、もう十分でしょう、後は向こうと落としどころを見つけるべきでしょうね」
豊守の言葉に豊長も頷くが、一人、豊久だけはなおも強弁をつづける。
「だからこそ、手札は引き出せるだけ引き出すべきです。」

「焦るな、馬鹿者め」
豊長が窘めると僅かに鼻白んだ様子で豊久が答えた。
「焦ってなど――いませんよ」

「いや、焦っている。功を急いている。お前は相手を見ていてもどのように攻めるかとしか見ておらん。相手を識ろうとせずに居丈高にふるまっている。要らぬ力を込めているからだ。
――前線に居すぎたか?内地に戻って浮かれたか?少し頭を冷やせ、それでは馬堂の家を継がせるわけにはいかんな」
重々しい声で馬堂家の当主は一粒種の孫を叱りつける。
「・・・・・・申し訳ありません」
豊守は穏やかな声で身を縮めた跡継ぎを諭す。
「確かに今は有事、お前の環境も変わったが時間はある。あまり焦らないことだ」

「――それで魔導院にはどう対処するのですか?」
大辺は我関せずといった様子で如才なく話題を転ずる。

「我々の監視の下におかせてもらう。男手はどのみち必要だ。
それに下手に入れ替えたらまた面倒な輩が入り込むかもしれん。あの少年ならいくらでも使い道はあるだろう、向こうしだいだろうが、ある程度の協力関係をむすべるようにせんといかん。あちらの手腕は存分に理解できたからな」
豊長はそう言って嘆息する。
自分が管理していた懐へと入り込まれたのだ、無理もない。
 けっして油断していたわけでもなく、勿論、豊長の手腕に問題があったわけでもない、寧ろ魔導院のやり口が巧みであったと言うべきだろう。

「屋敷なら儂や山崎の目も利く。
それに妙なちょっかいを出してきた魔導院の連中には篤胤様を通して話を進める。――それで文句はあるまいな」
当主がじろり、と豊久を睨む、流石に豊久も祖父には抗せず両掌を上げ疲れた様に答えた。
「幾ら何でも口は出しませんよ、敬愛する当主閣下にお任せます」

「そうした方が良いだろうな。お前には当分、軍務に専念してもらいたいが――」
豊守が気遣わしげに言葉を紡ぐが視線の先にいる彼の嫡男は珍しく否、と首を横に振った。
「育預殿だけ苦労するわけにもいかないでしょう。――これでも私なりに誠実な友人でありたいとも思っているのですよ。どんな形であれ、彼もそうしてくれている限りは」
 
 

 
後書き
寒い日が続いていますが、皆様お健やかにお過ごしでしょうか。
2013年の初投稿となります、遅れて申し訳ありません。
本年もよろしくお願いいたします。
 

 

第二十五話 陸軍軍監本部にて

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵家重臣団の名門馬堂家嫡流 陸軍中佐

馬堂豊守 豊久の父 兵部大臣官房総務課理事官 陸軍准将

駒城保胤 駒城家長男 <皇国>陸軍中将にして駒州鎮台司令官

大辺秀高 陸軍軍監本部戦務課参謀 豊守が後見人を務めていた 陸軍少佐

堂賀静成 豊久のかつての上司 陸軍軍監本部情報課次長 陸軍准将

実仁親王 皇主の弟にして近衛衆兵隊司令官である近衛少将
     駒城閥と協力関係にある。  

 
皇紀五百六十八年 四月三十日 午前第九刻半
大馬場町南 陸軍軍監本部庁舎前
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


 ――さて、まさかこんな事になって此処に来るなんてな、いやはやこの世に不思議な事など何もないと云うが、どうも妙なめぐり合わせだ。
豊久は複雑な感情を胸中に抱きながら、眼前の練石造りの巨大な建物――事実上、〈皇国〉陸軍最高司令部である陸軍軍監本部の官舎を眺めた。
「お前でも感傷に浸る事があるのだな」
 豊守は穏やかな声で云った。

「私にとっては、転機の場所ですから――」
 ――此処に配属されなかったら辺境巡りもせず、北領紛争に参加する事も無かっただろう。いや、今はたらればの妄想なぞしている暇は無い。
 頭を振るい、意識を戻す。
「若殿はどこにいらっしゃるのですか?」
「兵站課だ。各地の鎮台は通達が下れば直ぐに軍に改組出来る様に準備しているからな」
どうにも時期外れに暇なのが申し訳なく感じた豊久は僅かに顔を赤らめた。
「分かりました。父上はどうなさるのですか?」
「私は幾つか部署を回ったら兵部省に行かねばならない。仕事が山積みでね。
若殿にはお前からよろしく言っておいてくれ」
駒州・護州両鎮台は皇都周辺に集結し始めている。対〈帝国〉への本格的な準備に取り掛かるのだろう。特に予算編成は衆民院の議決を得なければならない。それは大臣と官房の最重要職務である。
「解りました、私は若殿様の話が終わった後はどうしましょう?さすがに兵部省にまで行く用事もありませんし――」
「馬車は残しておくからお前も用を済ませたら好きにしなさい。
私は誰かしらが兵部省に向かうだろうからそれに便乗させてもらう、帰りは兵部省の公用車が使えるから問題ない」
 ――ならば帰り際に防諜室に寄っていくか、仕事の話は積もる前に、って言うしな。俺も少しは家の為に働くとしよう。
「了解しました、父上」


同日 午前第十刻 陸軍軍鑑本部 兵站課応接室
〈皇国〉陸軍砲兵中佐 馬堂豊久


 大臣官房総務課理事官はさっさと戦務課へと行ってしまった。
主家の中将に挨拶もせず、など本来なら有り得ないのだがそうした実際的な態度を好むのが保胤であった。
「お久しぶりです、閣下」
 だからこそ、若き家臣が敬礼を捧げる先の中将は分厚い報告書に脇に備えていたのだろう。
「お疲れ様です。馬堂中佐。座ってくれたまえ」
 敬礼を交わし、保胤が声をかけると豊久は背筋を伸ばして席に着いた。
「北領では苦労したそうだな。直衛から聞いた」
「はい、閣下。ですが得るものも大きかったと思います。
致命傷ではない敗北から我々は学べるうちに学ばなければなりません」
 豊久の言葉に保胤も頷く、軍政畑が長い保胤自身もその必要性は認識しており、可能な限り手を打っている。
「私もそう思う、傷口を最小限に抑えられた事は大きいだろう。直衛も珍しく素直に褒めていたよ。あいつも難儀な性質だからな、君が居てくれて助かった。――それに過程がどうであれ殿下に対しても上手く渡りをつけてくれたからな」
「――はい、閣下。部隊に恵まれました。特に御育預殿には助けていただきました。彼がいなかったら私はここに居なかったでしょう」
豊久の言に保胤は目を細めて頷いた。
「だが彼奴を上手く扱えるのは、それこそ今の時点では君くらいだろう。
大隊に送るときは不安だった。あれに幕僚が務まるとは思えなかったからな。
――だが剣虎兵はまだ人務に干渉できるほど余裕のあるところではなかったからな」

「ですが、取り敢えず良い意味で注目が集まりました。泥縄ですが人材は集まりやすくなるでしょう。
――育預殿が近衛衆兵にて念願の剣虎兵大隊を預かるとしたら面白いですね。剣虎兵の運用について私は素人です。彼がどう扱うのか興味があります、それに彼がどう扱われるのかも」
そう言うと若い陪臣は薄く笑みを浮かべて主家の若中将と視線を結ぶ。
「あぁ――君も知っている通り、駒州の中でも色々口を出す輩が多い。
それならば、と実仁殿下が衆兵隊で自由にやらせたいと言っていた。
衆兵隊司令としても直衛を頼りにしていらっしゃるようだ。なにしろ北領帰りの剣虎兵だ。
その価値は君もわかっているだろう?」
 一瞬口篭ったが淀みない口調で家臣の視線に答える姿を豊久は分析する。
 ――若殿なら自分の目が届く駒州の後備に送るものだと考えていたが親王殿下から言い出したのか。義兄としては思う所がある、と見てよいだろう。
 ――できればもう少し探りたいな、さすがに皇族相手になると陪臣は口をはさめない。
「それに殿下は君のことも気にかけておられる。
君のおかげで下手な綱渡りをしないですんだとね」
「殿下は衆民を救出し、後衛戦闘の危険を必要以上に侵さず、皇族として期待された以上の武勲をお上げになりました。私は殿下から大きな助力を得られました。
私としては、殿下のお力添えで自分の命が繫がっているので十分以上に採算がとれたと思っています」
 どことなく義弟を思わせる物言いに保胤は苦笑を浮かべる。
「馬堂の者らしい言い草だ。君はたしかもうじき二十七だったかな?
その若さで皇族をつかって状況を動かしたのだ、注目もされるだろうさ」
 ――尤もあの方にとっては衆民の英雄――新城のついでだろう。どうせ、糞生意気な将家の小僧程度にしか思っていないだろう。
「光栄です、閣下」
 どうしたものか、と豊久は脳裏で算盤を弾きながら主の言葉に恭しく頭を下げる。
 ――自分は近衛への伝手を十分に持っている。益満大佐に連絡すれば禁士隊の実情は十分把握出来るし、衆兵は新城が大隊の編成の際に当てにならない衆兵を教導出来る様に陸軍から古兵を引き抜くだろう。その際に自分が将校を推薦すれば政治的行動を感知出来る。
幕僚に防諜室の息がかかった者を、そして砲兵に自分が面倒をみた士官から気の利いた者を見繕い、彼の大隊に送り込めばそれで事足りる、近衛衆兵で問題になるのは(或いは出来るのは)新城だけだろう、他は五将家の太鼓判つきの日陰者達である。
――問題は皇族としての実仁親王殿下だ。駒城との結びつきは可能な限り把握しておきたい。
「あぁ、話が随分と脱線してしまったな。本題に入ろう、君の今後の事だ」
「はい、閣下」
 豊久も姿勢を正す、政治はどの道、祖父と父が主軸となる。いまだ自分は中佐でしかない。
「当然ながら駒州鎮台に配属されることになる。そして私は君に聯隊を預ける。独立聯隊だ」
「独立聯隊ですか? 私は中佐ですが、閣下」
 ――〈皇国〉陸軍では、大隊なら兎も角、聯隊は有り得ない。ましてや独立部隊となると大型聯隊だ。大佐でも古株のものがつくべきだ。
 保胤は部下の疑問に鷹揚に肯いてぱらぱらと書類をめくり、説明を行う。
「無論、臨時配置だ。冬まで大過無く過ごせば翌年には状況次第では大佐にするつもりだ。この部隊は本来ならば実験部隊として編制が検討されていたものなので少々特殊な編制をしている、単隊での戦闘を想定し諸兵科連合で編制する、戦闘団と言う奴だ。
正式名称は独立混成第十四聯隊、駒州軍司令部直轄だ、君が北領で諸兵科連合部隊の運用に長けていると分かったから多少は無理を通させた。
基幹部隊は既に準備が整っている、がある程度は好きに弄って構わない」

「――はい、閣下。身に余る光栄です。でしが、諸兵科連合では補給や統率が煩雑になります。大隊規模なら兎も角、連隊では維持、運営が難しいのではありませんか?」
諸兵科連合は単純に便利だとは言えない。戦闘能力は飛躍的に高まるが指揮・管理・運営が煩雑化してしまうのである。砲兵の補給には手間がかかるし騎兵も馬の管理に手間がかかる。主導権を握れば強いが、緊急時に足並みが揃わないと特定の兵科の部隊が圧殺されて単隊戦闘力が瞬く間に低下してしまうことだってある。活用するためには本部・後方支援部隊の拡充が必要になる。
「その点も含めて好きにしてくれ、特に後方支援に関しては戦訓が少なすぎる。君の実感にまかせるのが一番だろう」

「後方支援と本部の編成は弄って宜しいと?」
 目を見張った青年将校に保胤は応用に頷いて見せた。
「基幹部隊の編成はすでに大隊単位では完了しているが、その他の部隊に関して可能な限り君の意見を反映させようと思う。
だから定数すらも決まっておらず、編制の申請も出していない」

「――それはなんとも豪勢な話ですね」

「君個人には損な役回りだったからな。この位は面倒を見なければ主家の面目が立たないのさ。
既存部隊である独立銃兵第三六五大隊と再編し第一大隊、馬堂家から鋭兵一個大隊を出して第二大隊とし、これを基幹部隊とする。
それと新設途中の鉄虎大隊、この三個大隊を基幹に部隊を集成する予定だ」
保胤が抱えていた書類から数枚を手に取りながら説明をする。
 ――連隊に鉄虎大隊?
ひくり、と豊久の眉が動いた。 
「閣下、剣虎兵は全て独立部隊として編成するのではありませんか?」
 これは単純に威力偵察に迂回・奇襲と単独行動を前提とした運用が多い為である。
それに剣牙虎に慣れた馬は少ない事もあり、剣虎兵は一般部隊にとって厄介者なのだ。
第十一大隊でも輜重部隊の駄馬や砲兵の輓馬が剣牙虎に怯える等と本部で散々頭を痛めた前例がある。剣虎兵が主体の独立大隊でもそうだったのだから与えられた聯隊では他の兵科が増える分問題が増える事は火を見るより明らかだ
「導術を利用した連携の実験だ。君が一番理解していると思うが、剣虎兵の損耗率が高い。
勿論、それ以上に戦果も高いのだが、何しろ四年前に漸く部隊が編成されたばかりの新兵科だ。現在の運用法だけでは消耗に育成が追いつかなくなるかもしれない。
何しろ後備部隊も存在しないからな。故に他の部隊と緊密な連携を行いそれによって損害をどの程度減らせるかの実験の意味もある。――故に中佐に任せる部隊は極めて実験的な要素も含まれている」
 ――――剣虎兵は使い方さえ誤らなければ強力ではあるのだ、それは疑問の余地は無い。
だが馬と相性の悪い剣虎兵は他兵科との連携が困難であり、諸兵科連合での運用面からみると使い勝手が悪く、補助が難しい。その為、得意の多勢相手の奇襲も敵軍が統制を取り戻したら。各個撃破の的でしかない、第十一大隊が良い例である
 ――だからこその実験部隊か、ならば専科の幕僚と連携の肝となる導術が欲しいな。
「閣下、導術部隊の規模は如何程になりますか?」

「百三十名前後だ。戦闘導術中隊を本部付でつけられる。だがこの部隊は補充が難しいから慎重につかってくれ」
 ――異様に充実している。導術兵の動員が進んでいるのだろうか?それともこの部隊の実験に余程期待をしているのか?だとしたら連隊である以上、定数は2000前後が常識だが――何時でも戦力不足になるのが戦場である。単独運用もされるだろうし、旅団すれすれにしたって良いだろう。 だが規模が大きくなると面倒も増えてしまうな、だとしたら問題は――

「連隊が編成されるのは何時ぐらいからになりますか?」
大粒の宝石を鑑定する質屋のような顔で尋ねる家臣を眺めながら保胤は面白そうに答える。
「基幹部隊はすぐに聯隊として編成準備に入れる。新編部隊は、一ヶ月以内に―――君が軍務に復帰したら直ぐに連隊全隊の面倒を見られる様にする。」
「早いですね」
「別に君が考えているほど、難しい事情じゃない。
各鎮台は戦時体制――軍への改編を行っている最中だからな。ある程度は融通を利かせられる。それに、君にもある程度自由にやらせてあげないと信賞必罰が問われる。
家の末弟も相当好き勝手に動くつもりらしいからな。」
そう言って保胤は苦笑する。
 ――信賞必罰が問われる、か。本当にそれだけだろうか――いや、あまり勘繰るのも失礼だろう。
「とりあえずは編制だけでも決めたまえ。そうすればすぐに準備にかかれる」
――定数か。現在決定しているのは銃兵二個大隊と鉄虎兵大隊の三個大隊
鉄虎は単独行動が多くなるから七百近くと計算して――二千名と試算しよう。
支援部隊の割合を考えると余り空きが無いな。
 ――騎兵は捜索専用の一個中隊だな。剣牙虎に慣らしても馬は万全な状態にはならない。相手の騎兵を脅かす為に吼える時に此方まで馬が動揺し、落馬する者すら出る可能性すらある。駒城の騎兵は精兵だ。あまり枠をとるよりも本隊で活躍してもらおう。
 ――後は砲だ。最近、周囲に忘れられている気がするが俺の本職である。
最低でも平射砲二個中隊と擲射砲一個の大隊だな。それに第一・第二大隊にも臼砲・騎兵砲を各一個小隊分配置させよう。輜重部隊に負担がかかるが仕方ない。
 ――後は導術兵と野戦築城が出来る工兵中隊、この二部隊は使いどころが肝心だ。苗川で実証されたとおり、陣地にこもって防衛戦は導術と相性が良い。場所を選べばこの連隊でも向こうの旅団を数日程度は食い止められるだろう。導術も疲れきらない様に注意しなくてはならない。そして一番苦労するであろう輜重大隊と療兵・給食中隊か――
 ぶつぶつと呟きながら手持ちの帳面で試算する。
「閣下、頭数は三千を超えます。宜しいでしょうか?」
 そう云って書き付けた覚書を渡す。
「構わない、流石に4千を超えたら困ったがね。
ならば定員は――三千九百名で良いかな?」
興味深そうに豊久の帳面に目を通して言う。
「――しかし、これだとほとんど旅団規模だな。君も存外に遠慮がない」
「前線や後衛戦闘に送られる可能性が高いですからね。限界まで弄繰り回さなくては冥府で愚痴をこぼすくらいしかできません」
豊久の言い草に保胤は声をたてて笑う。
「なるほど、君も直衛と付き合いが長いわけだ」
「――朱に交われば何とやら、と言いますからね。」
 豊久は苦いものが混じった笑みで答え、ついでにと遠慮なく注文を再度飛ばす。
「――あぁそれと戦務課の大辺少佐を本部付で回してもらえませんでしょうか?」

「首席幕僚に配属させるのか?たしか豊守の子飼だったか?
わかった、窪岡少将には私から話しておこう」

「あと古参の剣虎兵将校を本部付で一人お願いいたします。
それと砲兵将校を数名程、富成中佐に推薦をお願いしたいのですが宜しいでしょうか?」

「どちらも構わない。君が剣虎兵に慣れていないのは解っているからな。
それに富成中佐も元々そのつもりだったようだ。
――あぁそれと直衛が場合によっては第十一大隊から何名か引き抜きたいのでそちらは君たちで相談してくれ」
鷹揚に頷いた中将に若き中佐は深々と頭を垂れた


同日 午前第十一刻 陸軍軍監本部 戦務課付近
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久

――既存の大隊と馬堂家が出している兵を中心に匪賊の討伐などで実戦を経験した兵が半数を占め、幕僚陣も充実している。士官の数も二百名程度となるだろう。
訓練の優先順位を厳格にすれば三ヶ月――いや、二ヶ月だ。それで、駒州軍の名に恥じぬ部隊になるだろう。
「――と思うがどうかな?」
「取り敢えず、前線送りの道連れにされた恨み言を申して宜しいでしょうか?」
 大辺は静かに溜息をついた。
「連隊本部の人事は一任されていたからね、信頼出来る者を幕僚にしたいのさ。
俺に参謀教育を施したのは少佐だ。その能力は知っているよ、首席幕僚殿。」

「また皇都で要らぬ心配をするよりはましですかね。少なくとも貴方が何をするかを見張ることが出来る」
そう言って溜息をつかれると耳が痛いのか、視線を泳がせながら豊久は言葉を続ける。
「北領では必要だった。あの戦よりはマシであってほしいな。
いや、そうしなければならないな、俺が死地へと連れていく連隊だ」

「――そうですね。それではまた、連隊長殿」
感情の薄い顔に僅かな驚きと喜びの色をよぎらせ、今の職場へと戻っていった。
「宜しく頼むよ。首席幕僚」



同日 午前第十一刻三尺 陸軍軍監本部内情報課 次長執務室
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


「お久しぶりです、堂賀閣下」
「久しいな、馬堂中佐」
久しぶりに会った上司は髪の灰色こそ白の度合が強くなっていたが猛禽類の如く鋭い目に射抜くような光を閃かせ、どこか愉しげに唇を歪めている姿は変わっていなかった。
「それで?あれで早くも釣れたそうだな。魔導院も手が早いものだ」
かつての上官の問いに豊久は口をゆがませて答える
「はい、閣下」
 この男が書いた書面には呼び出しの他はどうでもよい事を大仰に書いていただけであった。それであっさりと魔導院の輩を釣り出すのだから恐ろしいものである。
「連中が何を考えているかは流石に分からん。
だが、馬堂家は執政府にも強く食い込んでいる。貴様の家の当主殿の方が探りやすかろう。
――もしくは君の義父殿か。うむ、まだ違ったな。これは失敬」
そう云って顔を引き攣らせたかつての部下を眺め、にたりと笑う。
「まぁそれに貴官は勅任二等特務魔導官とも顔見知りだろう?
かの無位の英雄殿とはどちらも旧知の仲だ、伝手を作れたらありがたいものだが」

「私は前線送り確定ですよ?それまでに面倒を片付けられるとは思えませんね」
 将官相手とは思えない口調であるが、堂賀もそれを全く気に留めずに微笑すら浮かべている。
「だが、その様な事ばかり言っていられないだろう? なあ中佐」
「分かっております、閣下。ですが流石に兵の命を預かっているのに内職はできません
閣下の麾下の者だけでも――」
 陸軍には陸軍の情報機関がある。――特設高等憲兵隊と呼称されている。
その名のごとく私服憲兵から発展した情報機関である。情報課の管轄下であり、防諜室が実質的に支配しているのだが――
「無理だ。宮野木に安東、そして守原、将家の手勢が入り込みすぎている。
だからこそ、貴様が知りたい事も耳に入るのだが。その代わり私の動きも耳に入る」
 将家の勢力争いの御陰で身動きがとれないのは変わらずだ。それに規模も皇室魔導院どころか水軍の外郭団体である内外情勢調査会にも負けている。導術に至っては魔導院から教官を借り受けている始末である。
「それにな、貴様だけではないのだ、駒城の者は。――駒城にすら知られたく無いから私の所に来たのだろう?」
長く深く陰謀の世界で生き抜いた男の猛禽の如き視線に射抜かれた。
「・・・・・・」

「貴様も大胆だな、鞍替えを考えているのか?」
 視線を緩め、唇を再び楽しげに歪める。
「勿論そうならない為でもあります。ですが、万が一、駒城が潰れそうなら、
或いは馬堂家を切り捨てようとするなら――」
 
 ――本意ではない、だがその時には極めて遺憾であるが、戦略を変える必要がある
「現状では?」

「私は駒城を主家と仰ぐのは恵まれた事だと考えていますよ。少なくとも主家は国を守ろうとしています」
 ――馬堂は簡単に切り捨てられない程度には駒州内に深く食い込んでいるが――いや、それでも状況次第では危険だ。馬堂家は今、最も我々にとって不必要な類の力を持ってしまっている、大殿は必要であると判断すれば出る杭を杭ごと切除してしまうだろう。そうで無くては駒城が独立独歩の方針を執りながらこれ程の権勢を維持する事は出来ない。今必要なのは切札を作る土台だ。
 かつての部下へ向ける視線を緩め、歴戦の情報将校は口を開いた
「――大掛かりな行動は出来ないが協力しよう。私の子飼いの者ならば信用できるからな。
その代わり、貴様の家が持つ伝手も使わせてもらうぞ。」
「新城直衛と実仁親王殿下ですね?
後は当主様の許可を頂ければ弓月伯とあの方が抑えている衆民官僚閥に蓬羽を含めた衆民の有力者にも何名か」

「上出来だ」

「愉しみですか?」

「あぁ、何とも愉しみだ。後は貴様が私の下に戻ってくれば言う事無しだったが
貴様が一番、この手のことの愉しみ方の覚えがよかったからな」
 愉悦の笑みを浮かべている。

「私も当分は部隊の面倒を見ることになりそうです」

「連隊長だったな?私の下に居た時にはただの大尉だったのだがな
ふふふ、来年には閣下にでもなるか?」

「またまたご冗談を。――あぁ、そう言えばお聞きして宜しいでしょうか?」
閣下、で思い出した。
「何だ?」
今まで見たことが無いほど上機嫌である。
正直、逆に恐い。

「個人副官をつけていらっしゃらないのですか?
いえ、ちょっとした好奇心ですが」

 豊久が個人的に知っている将官は誰もつけていないが、将官には両性具有者である個人副官の配属を希望する権利がある。
彼(女)達は法的には亜人として扱われており、女性的な美貌と高い知性の持ち主であるが、 一度愛情を持った相手への依存心が高く、それは時に狂信の域にまで達するのが種族的な特徴である。
そして忠実であり、コトに及んでも産まれるのは彼女(かれ)らの同族達―だ。
――つまりは人間を妊娠しない(相続の面倒が起きない)、と色々な意味で都合が良いらしい。
結構な数の将官が彼女(かれ)達の配属を希望している。
「――家のが、な」
 先程の上機嫌から一転して僅かながら恐怖の表情が張り付いている。
「あぁ、分かりました。だいたい私の知ってる方達と同じですわな」
 一般的に、個人副官は周囲からは情人扱いされる。例外とされる者もそう勘ぐられる。
それからは如何に軍監本部の要人と言えど逃げられない様だ。
 ――それにしても恐妻家だったのか、この人。
何故か先ほどの朱に交わればの言葉が脳裏に浮かび、慌てて豊久はそれを打ち消した。
 
 

 
後書き
また遅れて申し訳ありません。
少々立て込んでいるのと、急に外伝(というか前日談)を書きたくなってプロット作成していました。
7・8・9巻で少し触れられている新城閣下の中尉昇進前後の時期が舞台ですが……書く時間があるか虻蜂になりそうですが(汗)
来週の投稿もこの時間帯になりそうです、ご了承くださいませ。 

 

第二十六話 陪臣達の宴

 
前書き

益満昌紀 近衛禁士隊勤務の騎兵大佐 駒城家重臣団の筆頭格益満家の長男

佐脇俊兼 生真面目な貴族将校 陸軍大尉

久原少佐 駒城家陪臣 水軍少佐

駒杉和正 駒城家陪臣 水軍中佐 都護陸兵団勤務

鍬井大佐 駒城家陪臣 駒州鎮台司令部勤務

供駒中佐 駒城家陪臣 駒州鎮台司令部勤務 騎兵中佐

富成中佐 叛徒出身 駒州鎮台司令部勤務 砲兵中佐
     豊久が龍火学校(砲兵専科学校)に居た時の教官 

 
皇紀五百六十八年 四月三十一日 午後第四刻
皇都 大馬場町 桜契社本部
駒城家陪臣 〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


「本部に来るのは久しぶりだな。」
 此処は陸軍将校の親睦団体である桜契社の本部である。所謂、共済組合としての役割も持っており、豊久が監察課に居た時にも何度か職務上の必要で立ち寄ったことのある場所であった

〈皇国〉陸軍将校に任官した者はすべてが加盟する事になっており、予備役に編入されてからも会員の権利は一生保有し続ける。運営費は現役将校の俸給から一定額を差し引く事によって捻出されている。主な活動内容は将校たちの会食や宿泊といった保養の面倒から個人的な軍事研究の支援、そして戦死した将校達の遺族への援助金を出す事である。
 施設自体は会員の紹介があれば他の者でも利用可能であり、外部の人が退役将校の同僚に連れられて、なんて光景も偶に見られる。
そして、会員である限りは衆民であろうと将家であろうと平等な権利を有するというのが運営理念であり、この理念には公爵大将から下士官上がりの退役少尉まで誰もが従っている。
 そして今日、此処へやって来たのは益満大佐主催の駒州兵理研究会の会食の為である。
駒州鎮台も皇都周辺に集結しており、北領最後の残存部隊達が帰還したことで出征前の景気づけにと音頭を取られたのである。
「相変わらず、豪華だな。」
 本部の内装は皇国陸軍が経験した戦いにちなんだ装飾や絵画で統一されている。
駒城篤胤大将や他の五将家当主達の率いる軍勢が東州から凱旋する場面の絵も掲げられている。
「――何時か此処に第十一大隊が加わるかもしれない、かな?」

 ――そうなったら嬉しいな。尤も奴は鼻で笑うのだろうが。
 仏頂面で含羞と自己嫌悪を覆い隠し、鼻で笑う旧友の姿はまるで見てきたように想像できた。
――こんな物が兵の健気に報いるか、とでも言うのだろうな。
此処に描かれている将家の将達も俺達の矜持の証から歴史の遺物となり、これもまた一時代の鎮魂になるだろう。

 ――ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、なんて、ね。時代は変わる、だな。
茫洋と諸将時代の終わりを告げる東州凱旋の絵を眺めながらも、豊久の意識はそこから〈帝国〉によって終わらせられた“時代”へと飛んでいた
天領は活気に溢れ、港には回船がひっきりなしに出入りし、辺境は開発されていた。
そう、間違いなく〈皇国〉は発展していた。『馬堂豊久』で無かった遠く朧な過去に憧れていた
『旧き良き時代』に酷似していた。ただ幸せな人間ばかりでは無いが、
それでも何時かは何かを得られる、と希望を持っている者達が街を歩き、軍服に身を包んだ軍人たちは閉塞していたが厳格な規則を守り更に独特な不文律を守り、“将家”たれ、とする者たちによって統率されていた。
――時代は変わり、将家は消える、将家の将家たる故最後の拠り所を失う。
衆民の時代が来る、衆民の政府となり、衆民の軍となり、〈皇国〉は皇家を御輿にした衆民達の国になる。そして家名では無く、財貨で地位が決まり万民平等を嘯く国になるのだろう。
 ――それが良いことなのかは分らない。それはそうしたモノなのだ、と考えるしかないのだろう。
 朧気ながらも民主主義を奉じていた身であった筈だが、立場が変われば変わるものだ。と内心苦笑を浮かべた。
無論、体制だけで全てを論じる事はできない、経済・技術・教育等々の発達があってこそ、あの民主主義なのだから
「何をしている?豊坊。まだ歩けもしなかった頃の戦が懐かしいのか?」
そう言いながら豪快に笑う声には聞き覚えがあった。
「――お久しぶりです、益満大佐殿。御健勝そうで何よりです」
 そんな十余年も前の呼び方は止めてほしいのだが、と溜息をつきながら豊久は頭を下げる。
「ふん、馬堂中佐、か。気がついたら閣下とお呼びしなくてはならなそうですな」
 そういいながらバシバシと豊久の背中をどやすのは益満家の跡継である益満昌紀大佐の纏う軍服は豊久と同じ漆黒が基調であったが、豊久のそれの様に金糸によるものではなく、赤と白銀でより壮麗に飾りつけられている――近衛禁士隊の軍服である。彼は禁士隊司令部の首席幕僚であった。
「ははは、軍監本部に顔見せに行った時も言われましたよ。
まぁその分、色々と酷い目に遭いそうですがね」
「だが、冬まで生きていれば大佐だろう?父から聞いたが、若殿様も貴様の事を買っている様だな」

「こんな戦況では大佐の階級章をぶら下げる前に『閣下』に成りかねないのが恐ろしいとこですが。ま、帷幕院に行き損ねましたし家格を鑑みても、この戦の間は大佐でしょうね」
 ――そう若者がそうポンポン出世する程、上の席が空く様な戦況にならないで欲しいものだ。
と内心、豊久は呻いた。
――兵部省にとって涙すべき四十寸なぞ御免だ。
「確かに、貴様が経験不足なのは否めないがまぁ働き次第だろうよ。
だが確かにこれで貴様も一生分の栄達が約束されたようなものだろうな」
そう言い、顎を掻く。
「俺も遠からず、総軍司令部に転属だ。さすがに出征する際にはそちらに権限が集中されるからな。俺も禁士隊の中じゃそれなりに実戦派で通っているからな。前線に出張る事になる。――その前に馬鹿な騒ぎを片付けなくてはならないが」
うんざりした様に頭を振る。
「馬鹿な騒ぎ、ですか?」
「まぁ色々と、な。栗原閣下も家格だけの御方では無いのだが、五将家の横車には弱くてな。
面倒を背負い込む羽目になる。だから今日は貴様を肴に馬鹿騒ぎして憂さ晴らしだ」
そしてまた、呵呵と笑った。
「さぁ! 主賓の癖に皆を待たせるな!さっさと行くぞ!」
そういうと傲然と益満大佐は豊久を大会堂の奥へとずるずると引っ張り込んでゆく。
「――――もうどうにでもなぁれ」
諦めきった下戸の生贄(しゅひん)は諦観の呟きを張り切った酒豪の背中にひっそりとぶつけた。



同日 午後第五刻 桜契社本部 大会堂
駒城家陪臣 馬堂家嫡男 馬堂豊久


 大会堂は喧騒に包まれていた。十数卓の円卓を占領している駒州産の分家・陪臣格の少壮有為の将校達が集まっているからだ。
「兵理研究会にこれ程の人数が集まるのは初めてでは無いでしょうか?」
「だろうな、俺もできるだけ出ているが、これほど集まったのは初めてだ。まさしく戦時体制だ」
隣に座っていた駒城家重臣の佐脇家の嫡男――佐脇俊兼が真面目な顔で首肯する。
 家の位階は同列だが、佐脇家はガチガチの武門で馬堂家はやや文門よりなので序列は佐脇家が上、だが家産は馬堂家が上。個人的には年齢は俊兼が二つ上で階級は豊久が二つ上とややこしい立場であるが、生真面目で裏表が出せない人柄であるので豊久は軍務の外では唯の良き先達として接している。
「厭なひびきですね、戦時って。それで集まれたのだと前向きに考えますか」
「――まぁそうするしかないな。将家の哀しいとこだ。
俺も一個小隊の部下が美奈津の海で見送って来たから気持ちは分かるよ」
佐脇俊兼大尉は、派遣された集成兵団に居た銃兵第九旅団で中隊長をしていた。
美奈津浜で撤退に成功した者の一人であり、であるからこそ豊久には素直に好意的であった。
似たような再会を喜ぶ同輩達が交わす雑談の切れ目を見計らい、陪臣格の筆頭でこの会の主催者である益満昌紀大佐が音頭をとる。
「それでは、我ら駒城家家臣団が俊英、馬堂豊久の生還を祝って!」
「「乾杯!!」」
皆が好き好きに飲み物を注いだ杯を呷り、そうそうに話のネタにされた約一名がむせこむ中で宴は始まった。
「酷い目にあった――」
まだけほけほとやっている後輩を見て笑いながら佐脇は笑う。
「まぁまぁ大目に見てやってくれ。あの育預が大隊を率いて帰ってきた時には君は死んだものだと思われていたからな。武勲も、奏上の機会もあの育預に――」
 喋りながら興奮しだした佐脇に豊久は肩を竦めていった。
「――早々に酒精が過ぎているようですね」
「あぁ、すまないな」
と決まり悪そうに佐脇も微笑した。
「おい!馬堂水軍中佐殿!此方に来い!」
割れた声が大会堂に響いた。
調度良いタイミングであるといそいそと豊久は立ち上がって笑う。
「おっと。頭に名誉をつけ忘れている奴がいますね。少し注意してこなくては」
「あぁ、それではまたいずれ」
そう言って佐脇も杯越しに手を振って見送った。

呼ばれた先は駒州出身の水軍の士官達が集まっている円卓であった。
尤も今は結構な人数が混ざり合っており、その分類ももう役に立たないが。
「おい、それより貴様、<畝浜>に乗ったそうだな。あの熱水機関、どうみた?
俺は最初から熱水機関は輸送船から試すべきだと言っていたのだ。そうすればあんな無益な溺死者も――」

「フゥ・・・」
 溜息をついて豊久は相伴相手を観る。
相手は水軍の久原少佐と云った。酒が入っているらしく、日と潮に焼かれている事を差し引いても顔が赤い。延々と畑違いの相手に愚痴だか持論の展開だか良く分らん話をしている。
 ――東海洋艦隊の人だったかな?権門意識も薄いし悪い人じゃないと聞いているが――

「済まないね。この人は転進作業の時に船上から何人も溺れ死ぬのを見ているんだ」
同期らしい同じ水軍の軍服を纏った男が隣に座りひそひそと囁いた。
「そんなに酷かったのですか?」
「少なくとも、千人は亡くなったらしい。
海が荒れていた上に真冬だったからな、運荷艇がひっくり返ったらまず助からない。
――君も苗川を利用したのだ、分かるだろう?見かねた笹嶋が無理に救命艇で運ぶ要請を出した程だ。詳報でははっきり書いていなかったが、他の艦では渋った艦長も居ただろうよ」
暗い顔をして頭を振った。
 ――そこまでする程、酷かったのか。
荒れた海で救命艇を出させる命令への反発は門外漢の豊久にとてぼんやりとだが想像できた。
「まぁ、何だ。君も一応は、水軍中佐なのだ。
これからはより一層宜しく頼むよ。」
にやりと――笑った。
「あの――失礼ですが――」
「あぁ、これは失敬! まだ名乗っていなかったな。
――駒杉和正、水軍中佐だ、都護陸兵団の大隊長をやっている。
今後ともヨロシク。」
そう言って円卓に残っていた洋餅(パン)を丸齧りした。
「ははは、私は前線行きですから。
当分は顔を忘れないでいただくだけで十分ですよ。
馬堂豊久、本業は〈皇国〉陸軍砲兵中佐です。よろしくお願い致します」
そう言って久原少佐の方を見ると同じ水軍組二人を捕獲していた。
 ――やっぱり絡み酒かよ。
「それは御愁傷様。――彼は俺が相手しておくよ。
君と話たがっている連中も多かろう」
 
「それでは御二人とも、またいずれ」
 会釈をして離れると僅かに喧騒から外れた年長組の円卓へと向かった。
益満大佐に鍬井大佐、供駒中佐、そして珍しい事に正式には駒州陪臣団ではない富成中佐までいた。
駒州軍の参謀組かな?益満大佐は近衛総軍だが。
この席に座っている人は皆、階級が上か先任で年上と、急な昇進を果たした身である豊久としてはある意味で気が楽な場所であった。
「お久しぶりです、皆様」
「おや、貴官の愛弟子じゃないか、富成」
 供駒中佐は豊久が近寄るのを見て隣の同僚へ話しかける。
「愛弟子? 手間は掛かったが愛なんぞかけた覚えは無いな。」
 一間五尺の小柄な体で長身の騎兵将校である供駒中佐と並んでいる富成は無愛想に答える。元々は叛徒であった弱小将家の当主であり、龍火学校で豊久を厳しく鍛えた教官である。
「ははは、確かに、随分と辛口の考課表をいただきましたが。」
 思い出しただけで笑みが引き攣る、割と情け容赦の無い教官だった。
だからこそ駒州公子に気に入られたのであろうが。
「手を抜くのは良いが、お前はそれが下手過ぎる。下士官に任せる方が良いのに何でも自分でやろうとしていたからな」
 遠慮なく古傷を抉られている主賓だったなにかを見かねたのか鍬井大佐が助け舟を出す。
「だが、北領では崩れかけた大隊を上手く取り纏めていたじゃないか。中尉時代とは随分変わっただろう」
「どうでしょうかね。まぁ、大尉の時に二年ばかり彼方此方で面倒事に首をつっこんで回っていましたからね。如何に自分が頼りない存在かを知る経験は積みましたよ」

「君の場合は直属の上官がアレだったからな」
鍬井がそう云って笑う中で杯を傾けながら益満大佐がぼそり、と呟いた。
「経験を活用出来るのならば、それで十分マトモだ。
中には教本通りの工夫の欠片も無い行動しか執れない理屈倒れの馬鹿も居る。
そうした奴に限って幕僚に頼る事をしない。間違った場面でもその論理に従う。
失敗したら自分ではなく教本の責だとでも言うのか!」
酔いが回っているのか鬱憤が溜まっているのか普段とは違い乱暴に器を机におく
「何処にでも居ますよ、その手の人間は。
私の世代では責められないし、そのままであって欲しかったですけれど」
 そういいながらも豊久は苦笑いする。
――若菜は論外としても実際、実戦経験が無い将校はその手の問題を抱えた奴が多い。この二十五年間、まともな戦争が無かったからだ。
「確かに、机上でしか戦えない者も多かったのだ、机上の空論に陥る者を責められない。
だからこそ、大佐殿の言うとおり、学べぬ者は責められるべきなのだ。我々が兵の命と国の興廃を背負うのだから」
富成は理知的な態度を崩さずに杯を再び空ける。
「それは分かっていますよ。
戦争が始まった以上は学び、戦う必要がある事も。」
 弟子は黒茶で唇を湿らせ、溜息をつく。
「ですが、対策は極論すれば訓練の激化と前線送りだけですからね。金も人材も大量消耗します、まさに戦争ですな」
 かつて、ささやかながら学んだ事を思い出す
 ――戦争などするものではない。大量の消費と技術開発が見込めるとしても、血を流して得た物に国は、大衆は固執する。以前の己の国だったものを鑑みれば分かる。
 ――だが、国が自由を謳歌するには軍事力が必要なのも確かだ。二度目の大戦の理由を考えれば分かりやすい。血を流し、勝ち得た権益の危機。全てを奪われ、困窮した国が選択した現状打破の為の総力戦。自給自足の生存圏を持った国とそれ以外の国の対立、
混乱し、迷走し、そして大戦へと至り、人間は遂に人間を滅ぼす力を手に入れた。

「――楽園は永遠に存在しないからこそ楽園、か。」
「どうした?」

「いえ、どんな事にも終わりはある、と思っただけですよ。今までの平和にも、この無益な戦にも」

「どんな結末であれ――か。」
 富成は悲しげにこの闊達な喧騒を見た。
「負ける、と決まってはいないさ。」
供駒中佐が励ます。
「数だけが問題では無い。やりようはあるさ、俺達は若殿と共に〈皇国〉の為にあるのみだ。
俺達は〈皇国〉陸軍の将校なのだから。」
 鍬井大佐が明快極まりない結論を出す。
「俺は近衛だがね。陛下の宸襟を安んずる為にも、な。」
益満大佐もそう言って笑った。

「――まぁ、やれるだけやりましょう。悪戦が来るという現実は変わらないでしょうが気の持ちようで結構かわるもんですよ」
 ――此処に居る人達は旅団を率い、司令官を補佐する事は出来てもけして軍を率いる事は出来ない。戦場で万を超えた命を預かるのは五将家だ。有能であれ、無能であれ選択の余地は無い。――そうした世界なのだ、此処は。
口にした黒茶はやけに渋かった。
 ――今回ばかりは酒にすれば良かったな――
 
 

 
後書き
転生者要素がやっと出てくる悲しさ。

ご意見ご感想をお待ちしています 

 

第二十七話 馬堂豊久と午前の茶会

 
前書き
馬堂豊久 陸軍中佐 主人公、駒州公爵家重臣団の一員である馬堂家の嫡流 

弓月茜 豊久の婚約者 故州伯爵家次女

弓月葵 故州伯爵家長男 外務官僚

弓月碧 故州伯爵家三女 

 
皇紀五百六十八年 五月一日 午前第九刻半
馬堂家上屋敷 第三書斎(豊久私室) 馬堂家嫡男 馬堂豊久

 馬堂豊久と新城直衛の共通点として真っ先に挙げられるのが、念入りに事前の準備を整えることに腐心する性質であることだろう。それは日常における最大に危機に対応する事も例外ではなく万全の準備を整えようとしていた――報われるかどうかは兎も角として。
故に豊久は眼前の年下の青年と少女にひそひそと話しかけた。
「なぁ、君らの姉君は怒っていたかな?」
 相手は豊久が婚約を交わしている弓月家の子女達である。連絡を疎かにした挙句に俘虜になり、帰ってきてからも今日になるまで音沙汰なし。
 宴会から帰った日に来訪の知らせが来たとなると、罪悪感も倍増である。
「解りませんね。僕は庁舎と寝台の往復でしたから」
 弓月家長男である弓月葵はあっさりと肩を竦めて答えた、姉二人に妹一人と女性に挟まれている所為かそうした仕草が一々洗練されて見える。
「あぁ、君は今年度から外務省勤めだったな。ちょいとばかり時期が悪かったが、おめでとうと言わせてもらうよ」
 「豊久さんに時期が悪いと言われると泣きたくなりますね――と云いますかその新人をこんな事で呼び出さないで下さいよ――本当は兵部省に使いに出てるだけの筈なんですから」

「御父様も似たようなものでしたものねぇ。御兄様も今年から御役所勤めだから姉様にはちょっと辛い状況だったと思いますよ。なにより一番話したい相手が連絡ひとつくれませんでしたし」
 そう云いながらもしゃもしゃと出された菓子を食べているのは弓月碧――未だ十代前半の弓月家の末子である。真っ直ぐに伸びた黒髪と大きな瞳が整った顔立ちを飾りたてているのだが、今は口に菓子粒をまぶすことで見事に台無しにしている。
「解ってる、解ってるから今から甚振るのは止めてくれ」
碧の容赦ない言葉に北領の英雄は身を縮めながら情けない声をあげた。本来なら、葵だけを呼び出すつもりだったのだが姉達の薫陶を受けた少女は目聡く愉悦の種火を見いだしたのであった。


 性質の悪い若者達はなおも寸劇をつづける。
「碧、俺の所為にしないでくれよ」
「そうね、一番悪いのは許嫁に無事を知らせる手紙も出さずに居た英雄様ですわ」
 ――やはりそうなるか。
当然の帰結に豊久は深い溜息をついた。
「わかった、わかった、素直に俺が頭を下げれば終わる話だ」
新任の外務官僚と若き令嬢は視線を絡ませ、同時に言葉を発した。
「「その前に、姉上(様)のお説教を聞かなきゃいけないでしょう?」」


同日 午前第十刻
馬堂家上屋敷 応接室 馬堂家嫡男 馬堂豊久


 ――類は友を呼ぶ、或いは朱に交われば赤くなる。卵が先か鶏が先かの違いはあれども俚諺は真理と言われている通り、おおむね世の常というものは自身にも当てはまるものである。
 さて、ここでの周囲を見渡すと、ある恐ろしい事実が浮かび上がる。
 ――まともな女性関係を築いている人間が妙に少なく恐妻家か淡白な独身主義者ばかりなのだ。所謂、色男と言えば佐脇俊兼くらいであった。

 先の俚諺の法則に従って馬堂豊久自身も女性遍歴はほぼ白紙であり、哀しいかな悪い兄貴分に教えられた悪所通い以外では知る女性の扱い方は為政者としての無能さを指摘する程度しか無いのだ。
 故に――豊久にとって女性関係は最も苦手な類の面倒であった。
「本当に――哀しいです。」
柔和でどこか幼い顔つきとそれに反した人を見透かす様な深い井戸の様な静かな光を湛えた眼――豊久がこの世で苦手な人間上位十名に入る女性にして故州伯爵家の次女――弓月茜である。

「私は――貴方の許嫁のつもりでしたが」
 寂しげな表情を浮かべて静かに詰問されると豊久の頬をだらだらと脂汗が流れる。その勢いは某逆転弁護士にも勝てるかもしれない。
「いえ、その――」
北領でメレンティンやユーリアとやりあった時とは違い、弁舌を振るうこともなく萎縮している。
 ――この(ひと)はある意味ではユーリア殿下より怖い。何しろこの件に関しては俺が全面的に悪い。つまり丸腰なのだ、主に理論武装的な意味で。
「御家が大変な事は私でも分かります。ですがあまりにも――」
 理路整然と続く説教と恨み言と労りを複雑に混ぜ込んだ言葉。悪意を欠片も見せない顔から投げかけられるその言葉は的確になけなしの良心を抉り出す。
 ――もう戦略的優位は彼女の手にある。主導権を握られてしまった以上やむを得まい――俺がまともに連絡しないのが悪いのだが。
人間とは真に不合理なものである、と一般化しながら豊久は深々と頭を下げる
「――本当に申し訳ありません。」。

 ――もう俺が婚約をずるずると長引かせているのにこの女(ひと)は嫌な顔一つしないで待っている。俺の我儘に付き合わせている様なものなのだから頭が上がらない。

「いえ、私も感情的になりすぎました。」
 ふっと口元を緩めて茜も説教を終えた。
 ――嘘だ、と叫びたいがそれを言った後の事を考えると怖い。それに心配させてしまったのは本当なのだ。

「申し訳ありません、心配させてしまいましたね。」
 先程よりも砕けた口調で再び謝罪しながら杯に口をつけると、濃い黒茶の苦味が滲みる。主に心に。
「俘虜でも、御無事だったと聞いた時には――二度とあんな思いはしたくないです」

 ――いかん、心が折れそうだ、そろそろ全自動土下座の発作が起きてしまう。
たらたらと冷や汗を流し続けながら、何度目かの謝罪を行う。
「申し訳ありませんが、どうやらまた前線送りになりそうです。
後方勤務に戻れるかと思いましたが。どうにも悪目立ちしてしまったみたいで」

「父も気にしていました。残念ながら弓月は軍に口出し出来ませんが。」
 弓月家――故州の伯爵家であり、嘗ては幾度か皇主の侍従を務めた当主も居る名門だ。現在、当主が現侍従長を務めている名家・右堂家の遠縁にも当たるらしい。
彼女の父である弓月由房は、万民輔弼令の直後から目敏く衆民官僚を保護し、中堅官僚達を取り纏め、長女の嫁ぎ先の芳州子爵の持つ鉱山利権を資金源として一大派閥を造り上げているが、頭を五将家に抑えられ、勢力の拡大は限界と見られている。流石に五将家の中枢である軍や兵部省に入り込む余地は無いのだろう。
「だからこその婚約、そういう事ですからね」
 自嘲するように豊久が相槌を打つ。
 ――そうした家と金満将家、きな臭さを嗅ぎとれ無いほど俺は純粋では無い。だからと言って反対しているわけでもこの女性が嫌いなわけでもないし魅力的だと感じるのだが――どうも踏ん切りがつかない。

「あら、拗ねないで下さいな」
 柔らかく微笑みながら茜は弟を見るように豊久を眺める。
「拗ねていませんよ」
 ――割り切れない幻想を持つのも問題だ。折角の良縁なのに要らぬ裏を勝手に嗅ぎとっているのだから馬鹿げた話だ。何処かの御行じゃないが知って知らぬ振りが上等、一時の浮世の夢と承知で惚れる、それが粋よ、だ。
「ただ――自分に呆れているだけです」
 ――それが一番なのだが、酒も色も酔うのが怖い無粋で不調法で臆病な半端者なのだ。
他人の裏を探って要らぬ逡巡をしているだけである。どうしようもない俺の持病だ。
「損得有りでも私は構いませんけれど――意外と純ですよね。」
くすり、と笑われた。
彼女はそうしたものだと理解して割り切っているのだろう。

 寂しいような、羨ましいような感傷を味わいながら豊久も笑う
「・・・・・・前にも誰かに言われた気がします」
 威厳と愛嬌が入り混じった戦姫が脳裏に浮かんだ。
「あら、きっと美人でしたのでしょうね。」
 薄く、微笑を浮かべた許嫁に豊久は再び唇を引き攣らせた。
 ―― 一流の占師は指を一本立てるだけ、などと小話にあるように曖昧なものに人は自分で意味をつける。自分の場合は――人間、後ろめたいと枯尾花も幽霊に見えるものである。



同日 午前第十一刻 馬堂家上屋敷 第三書斎(豊久私室)
弓月家女 弓月茜


「――美人、ですか。色々と問題がある方でしたけれど――そうなりますね。出来れば二度と拝謁の機会を頂きたく無い人です」
 溜息を喉元でころし、目の前で決まり悪そうにしている許嫁――馬堂豊久を観る。
 難儀な人だ――とは思う。政略婚姻に納得していても踏み切る事もできず――中途半端なままずるずるとこの婚約は四年近く続いている。

「北領でその御方と?」
 誰のことを云っているのか、うっすらと予感しながら尋ねる。
「そんなところです。嫌な事ばかりでしたよ、全く。帰ってきたら来たらで面倒事ですからね――言い訳がましいですけど」
 そう云って豊久は苦笑を浮かべた。
 新城直衛、あの男が衆民の間では持ち上げられているからか守原を筆頭に他の将家から新城直衛を非難し、彼の扱いが不当だと言い立てる人間が増え、新城直衛を嫌う駒城の家臣団の中でも同調している人間が居る。
「そんなことはありませんよ」
肝 心の本人は周囲へ不満を漏らしていない、今の在り方に納得しているのだろう。達観しているのか、度量があるのか、――矢面に立ちたくないのか。
 だが――どの様な扱いだろうと、この人が北領で戦い抜いた一人であるのは確かだ。
「――ご苦労様でした」
 嘘偽りのない気持ちで放たれた茜の言葉に豊久は何やらもごもご云ってそっぽを向かれた。
 ――結局、この人の根っこは捻くれた子供。

 そう思うと少し口元がほころんだ。

「ははは、確かに苦労のしすぎで途中から苦労の意味すら分からなくなりそうになりましたよ」
 苦笑いをしながら左腕をさする豊久を観て茜はぽつり、と呟く。
「――怪我をなさったのですね?」

「――ただのかすり傷ですよ。」
 一瞬で動揺を押し殺し、余裕を感じさせる微笑を浮かべている。
 ――男の見栄、いえ、それとも将校の演技かしら?
「あまり――無理をしないで下さい」

「無茶しなければ帰って来られなかった――そう思うようにしています。
えぇ、まぁ、色々と捨てて帰ってきましたから」
自嘲する様に言う。

「・・・・・・」

 傷に触れてしまったか――

「まぁ、帰って来られただけ、私は幸運ですよ。心配してくれる人も存外多いですし。
後、親戚も増えましたからね。いやはやありがたいことですよ」
 皮肉を飛ばしながら笑っている許嫁に茜も脱力してため息をついた。
「はぁ・・・・・・」
 

同日 同刻 馬堂家上屋敷 喫煙室
弓月家末女 弓月碧


「結局、ああなるのよね~。豊久さんは余計な気回しばかりしてつかれないのかしら?」
 のんびりと茶を啜りながら碧はまったりと安楽椅子に体を投げ出し、まさに自由を謳歌している。もう一回り年を重ね。細巻を取り出していればまさしく喫煙室の主にふさわしいのだろうが、今はまだ可愛らしいものであり、世話役を任された柚木と宮川の二人も薄く笑みを浮かべ、彼女のそばに控えている。
「茜御嬢様をお呼びしてまいりましょうか?答えをよくご存じかと思いますが」
 宮川が微笑を浮かべて尋ねると碧もクスクスと笑う。
「嫌よ、怒られちゃう。それに御兄様やここの若様にまで累がおよぶわよ?」

「御父様にも怒られるのではないかしら、碧?
あなた、今日は史学の先生がいらっしゃるのではなかった?」
 背後から聞こえた聞きなれた声に碧は膠着する。そろりそろりと背後へ視線を向けるとそこには無表情に妹を見据える弓月茜が居た。

「・・・・・・アイエェェェ?」
 その背後に居る義兄候補が視線を逸らしたのを見て、完全に膠着した妹に優しく微笑しながら姉は問いかける。
「葵に引っ付いて無理やり逃げてきたのだろうけど。もうそろそろ私と帰った方が良いと思うのですが、ご返答は如何に?」
助けを求めるべく視線を彷徨わせるが、既に屋敷の若主と使用人たちは見送りの準備にとりかかっている。
「・・・・・・後二刻くらい、ゆっくりしません?ほら、積もる話もありますよね!私もいっしょに――」

「お話の前に、お勉強が必要だと思わない?」
 僅かに唇の角度を変えて茜が云うと碧もがくがくと頷く。
「えぇ、私もそう思っていましたの。えぇ本当に」
 悄然と肩を落とし、碧も茜に連行されることになった。
 それでも見送りの者達が送る生暖かい視線に微笑み返すことで碧は最後の矜持を護りぬいたのであった。


 
 

 
後書き
遅刻の上に短くて申し訳ありません。
次回はいつも通りになると思います。
ご意見・ご感想をお待ちしております。



割とどうでもいいキャラの命名ネタ

弓月→弓月の君→秦氏→羽田→織作

 

 

第二十八話 新城直衛の晩餐

 
前書き
新城直衛

蓮乃  直衛の義姉であり幼馴染

古賀亮  新城の特志幼年学校での同期生。皇室史学寮研究員

羽鳥守人 新城の特志幼年学校での同期生 皇室魔導院の勅任特務魔導官(諜報員)

樋高惣六 新城の特志幼年学校での同期生 料亭の若旦那 

 
皇紀五百六十八年 五月一日  午後第二刻
駒城家下屋敷 
駒州家育預 新城家当主 新城直衛


 新城直衛は珍しく困惑の表情を露わにしていた。
近衛への辞令が出る前に、と友人達が都合をつけ、集まってくれたので出かけようとしたら――義姉に見つかってしまった。

 ――参ったな、遅れてしまう。
「また、馬堂様と、ですか?」
 蓮乃は僅かに不機嫌そうに新城を睨む。
 東州のことで軍人という人種を嫌っているからか、蓮乃は義理以上の関係を将家の者達ともとうとせず、もっぱら使用人達と交流を深める事を好んでいる。
尤も相手の将家方も好んで関わろうとしない為、それが保胤を悩ませることもあまりない。
 だが新城が元服してから旧友との交流を交わす場所の選択肢に駒城の屋敷を外すようになったのは紛れもなく義姉の影響であった。

「いいえ違います義姉上。羽鳥達に同期の皆で集まろう、と言われまして」
そう言うと再び眉をひそめ、今度は内容を変えて説教を始めた
 新城は陶然とそれを聴きながら発作的な安堵、慕情、そして焼けつく様な激情に酔う。

「聴いてるの?」
義弟が意識を飛ばしているのを見て、蓮乃は優しく叱る様に睨む。
常の様に、どこか陶然としたまま相槌を打つ。

「度が過ぎないように御気を付けてなさい、直ちゃん。
貴方は昔から――」
 ――あぁきっと義姉さんは母親代わり位にしか思っていないのか、いや当然だ、だからこそ、義兄上と情を交わしたのだから。あぁやはり屋敷から出て別の所に住まえば良かった。
いや、もし、そこを義姉さんに訪ねてこられたら――

 破滅的な妄想を脳裏で弄ぶ。

はは
ははは
それもいいな。
楽になれるじゃないか、
納得して地獄に行くことが出来る。
そうだ、そうだとも俺は義姉さんさえ――

「――あら、少し話しすぎたわね、直ちゃんも楽しんでいらっしゃい。」
「……はい、義姉上。」
 余りに刹那的な思考をかき消しながら頷いて屋敷を出る。
 けして振り向かない、今の今まで考えていた事への羞恥を隠しきれなくなってしましいそうだからだ。


同日 同刻 駒城家下屋敷 
駒城家若殿愛妾 駒城蓮乃


あの子は――いつも振り向かない。
義弟の背を見送りながら思う。

そう、いつもの通りに振舞っている。
あの恐ろしい戦から帰っても――何も変わっていない。
 ――あの子は何者に成り果てたのだろう。あの何もかも焼かれた東州では夜霧の影を魔王の様に恐れ、木の葉のざわめきに怯え、啜り泣き、暁光が落とす、枯木の影に震えたあの子はどこにいってしまったのだろう。
 そんな戦場であの恐い男と何もかもを焼き尽くして殺してまわって――
 いいえ、いいえ、違う、あの子は何も変わっていない。そう、あの子は卑劣な行動をとるほど臆病だったもの。

そう思いながらも、やはり直衛の事を大事に思っているのは当然のことであった。篤胤と保胤が二度と駒城の末弟に会えぬかもしれないと話しているのを聞いて涙を流した。
――そう、それにあの頃から変わっていないのかもしれないのは私も同じ若様と結ばれているのにあの子に強く呪わしく、縛られているのだから――――


同日 午後第四刻
〈皇国〉陸軍特志幼年学校卒業生 新城直衛


僅かに頬がゆるむのを自覚しながら店に入る。
中々どうして無調法な羽鳥が知っていたとは意外に思うような何処か上品な料亭風である。

ちょっとした色気のある仲居にインパネスを渡し、案内された先の小部屋に入ると見知った面々が卓を囲んでいた。
 ――参ったな、俺が最後か。
すると皆が立ち上がり、羽鳥が久しぶりに聞く張りのある声を出した。
「新城少佐殿の武功と無事の生還をお祝いする、敬礼!!」
 見事に均整のとれた敬礼が新城に向けられた。今は後備役になっているが皆が二十過ぎまで将校として戦い、そして血を見ている。
「少佐殿、着席の御許しを。」
 今では皇室史学寮で研究員をしている古賀が真面目くさった演技を続ける。
「座ってくれ、いい加減にしろ。」
 どうもこの場では一人だけ現役の将校であるのにこうした事には慣れない新城は、むず痒さを覚えながら皆を促す。

「樋高、始めちまおう。」
 暫く見ないうちにますます福福しい見かけになった槇氏政が隣に座った樋高を促す。
 ――槇氏政、大手の造酒屋である大周屋の若旦那だ。軍隊時代はそつなく仕事をこなしているのにその外見から兵に自発的に面倒をみさせるという奇特な将校だった。

「そうだな、皆が揃ったことだ、始めるか。」
 樋高もそう言って仲居に頷く。
先程の仲居だった、改めて見ると典雅な顔立ちがこの男に似ている。

「何だ、ご家族なのか?」

「従姉妹だよ。」
言葉の内容にそぐわぬ程に面映ゆそうに応える。

「そして許嫁だろう?
この店の一人娘でお前が若旦那、肝心な処を抜かすなよ。」
古賀が茶々を入れる。

「まぁ、そうだ。将来の若旦那として一辺に作って持ってこさせる事にした、異論は無いな?」
少し顔を赤らめながら剽げる姿には曾ての上官にすら噛みつく狂犬少尉の面影はない。
 すぐに旨そうな料理が並び、酒の入った水晶椀が皆に配られる。
「おい、新城。貴様が音頭をとれ」
古賀がせっつく。

「そうだな――ならば〈帝国〉騎士が言っていた言葉だが」
僅かな含羞を飲み込み、音頭をとる。

「大いなる武功と名誉ある敵に。」
「「「「大いなる武功と名誉ある敵に!」」」」



 皆が幾度か杯を呷り、皿が積まれた頃、古賀が思い出した様に尋ねた。
「そう言えば、貴様が面倒をみていた大隊長は、何といったか、」

「何代目の大隊長だ。」
 伊藤大隊長達が行った夜襲作戦は剣虎兵の貴重な戦例として研究されており、伊藤大隊長は、大佐へと特進し遺族達も丁重に扱われている。
 その後、指揮権を引き継ぎ二代目の大隊長豊久の行動は今でも議論の対象になっている。
衆民出身者からは非難する者も多い、将家だからこそと言うべきなのだろう、分かり易い構図になっている。

「貴様の前の――、あぁそうだ、馬堂中佐だったかな。」

「馬堂豊長の孫だな」
 槇はやはりと言うべきか、祖父の名から先に記憶から引っ張り出してきた。
「あぁ、あの金を彼方此方に出している人か。えらく儲けているらしいじゃないか」
 樋高が得心して頷くと槇は言葉を次ぐ。
「その息子もやり手だと聞いている。輜重将校上がりだが中々手強いと蓬羽で評判だ」

「駒城の裏方役の一族だ。性質が悪い連中だよ、その末裔にも手を焼かされたものだ」
 羽鳥が不愉快そうに呟いた。
「何だ?知った顔か?」
 古賀が聞きつけたのか身を乗り出した。

「奴が監察課や軍監本部の防諜室に居た時に、何度か会った。
ある意味此奴より性質が悪いな」
羽鳥がそう答えながら新城を顎でしゃくると槇が声を上げた。

「兵部省に軍監本部だと?
そんな選良(エリート)が何故貴様なんぞと一緒の部隊に放り込まれたんだ?」

「おい、貴様どういう意味だ。」
思わず苦笑が浮かぶ。
 ――まぁ確かにあいつも選良の範疇に入っていたのだろうが、俺には胡散臭い場所で胡散臭いやり方を身につけた位にしか思えない。

「成程、役方の将家か。その将家の元選良将校は実戦でつかえたのか?」
 樋高が腕を組んで新城に話を戻させる。
「まぁ兎に角、豊久は情報幕僚として十分に有能だったよ――大隊長としては北領で持ちこたえた事で分かるだろう。」
馬堂中佐が苗川で行った導術を活用した陣地防御は、新たな戦闘教義として野戦築城の利用に脚光を浴びせる事になった。先に挙げた伊藤少佐の夜襲と併せ,第十一大隊は実験部隊としての役割を完全に果たしたと言えるだろう。
何百という兵の健気と屍を北領晒した引き換えに、だが。

「豊久? あぁ、駒城の陪臣だ、貴様の旧知でもおかしくないか。」
槇が首を傾げる。

「ん、何時だったか言っていた餓鬼の時からの付き合いの奴か?」
古賀が随分前の話を持ち出した。

「あぁそう考えると納得出来るな。貴様と古い付き合いだ、何もない筈がないな。」
「「「成程な。」」」
羽鳥の茶々に一同が納得したように頷いた。

「おいおい。」
何とも手酷い友人達だ。

いや待て、俺の友人を選ぶ基準には必然的に最初に寄ってきた奴が影響するのだから――
――うん、そうなってしまうか。
あらゆる意味で空恐ろしい結論を記憶の隅に封印する。

「それにしても監察課は知っているが、防諜室?
俺は名前くらいしか聞いたことがないな。」

「俺も知らん、羽鳥に聞け。」

愚痴は零しても何をしていたのかは殆ど話さなかった、勤務先を考えれば当然だろうが。

「おい、俺にやらせるのか。」
羽鳥が苦笑しながらもそれに応えて簡潔に答える
「簡単に言えば軍へ潜り込もうとする外の連中を如何にひっとらえるかを考えている場所さ。
本部の傘下にそうした組織がある、俗に言う特高憲兵ってやつだ」


「だがそうした仕事は貴様の処が導術を一手に握って将家から離れたと聞いたが。」
 一人だけ下戸である樋高が水を呷りながら口を挟んだ。

「あぁ、規模はそれ程大きくはない。
寧ろ水軍の傘下にある内外情勢調査会の方が規模は大きいな。
だが、何度か〈帝国〉諜報総局の連中を摘発した事や魔導院の潜入員を放り出した事がある。」
 軍監本部と言えば参謀達が将家間の勢力争いに没頭している、そんな印象が先行している。

「内部抗争も確かにあるし、それで対応が遅れる事もあったがな。
取り纏めている奴が厄介極まりない野郎で――」
酔いがまわったのか既に愚痴になっていっている。この無駄に流暢な語り口は愚痴ならではだろう。

「だがなぁ。 〈帝国〉の侵攻を予測できなかったのだろう?
幾ら御大層な組織があって頭数が揃っていても働かなくては意味が無いだろうが。」
じろり、と羽鳥の方を見ながら古賀が唸った。

「情報は水軍も魔導院も掴んでいた。
握り潰したのは市場が惜しい大店連中の意を受けた執政府と懐が寂しい将家連中だ。
俺の聞いた話が正しければだが。」
 顔を赤らめた羽鳥が噛み付く。
「おい待て、それは。」
槇が身を乗り出す。
「だから、聞いた話だ、ただの噂だよ。」
羽鳥が軽く手を振って宥める。
「・・・・・・昨年末から両替商達が〈帝国〉から引き上げを始めていたのは確かだ。
根はある噂だな、何かしら嗅ぎつけていたのは確かだ。」
 槇も身を戻し、呟く。
「金の恨みを受ける側は逆に良い思いをしている。
可能性に過ぎない情報では腰も重くなる、か。今も昔も人は変わらないものだな。」
 史学寮の者らしい事を古賀が唸りながら云った。
「あくまでも噂が正しければの話だがな。
二十五年もまともな戦が無かったのだ。やむを得ないところもある」
 羽鳥が顎を掻きながら言葉を継ぐ。
「陸軍も一応、兵団を年初に派遣していたな。
軍に改組しなかった事は、〈帝国〉を刺激する事を恐れていたのだろう。
まぁ最初から向こうがその気だった以上、無意味だったな。
貴様が回り回ってまた面倒を背負う羽目になった」
樋高が新城を見て云うと羽鳥がそれに便乗して笑いながら云った。
「前も言ったが、やはり貴様は面倒に好かれる質なのだな。」

「俺は嫌いだよ、本当に。
何時だって面倒事から寄ってくる」
 ――寄られる様な態度なのだと言われているのも事実であるが。
と新城も笑う。
「そうか?
普段の所作を見ているとそうは思えん。
むしろ好んでいるようにだって見えるぞ?」
槇が笑いながら混ぜ返す。

「そうだな、俺もそう思っていた。
貴様は人を選ぶが面倒事も選んでいるのだとな」
 古賀まで真面目な表情を貼り付けて頷き、樋高までもが笑い出した。
彼らもまた、退役将校であり、この戦とは無関係でいられない。だからこそ、一寸を惜しむかの如く、過去を肴に杯を交わしているのだろう。
いち早く太平の世に別れを告げた新城もその名残に心地よく浸り、別れを告げるかのように杯を乾かした――明け方まで何杯も乾かし続けて義姉に叱られたのは別の話である。



 
 

 
後書き
二十五話の後書でちらっと書いた外伝を気晴らしにちまちまと書いています。
原作とは絡むと長くなるのでまず試しに二万から三万字程度の短編を四話編成で作っています。
出来上がったらつぶやきにでも投稿予告をしたいと思っております、その際はよろしければ御笑読ください。 

 

第二十九話 我ら主導者に非ずとも

 
前書き
馬堂豊久 陸軍中佐 主人公、駒州公爵家重臣団の一員である馬堂家の嫡流 

堂賀静成 陸軍准将 軍艦本部情報課次長であり馬堂中佐の嘗ての上司 憲兵出身の情報将校

西原信置 陸軍大佐 西州公爵西原信英の長男 

荻名中佐 陸軍中佐 西原家陪臣 幼年学校生徒であった豊久の担当教官 

 
皇紀五百六十八年 五月八日 午後第四刻
兵部省陸軍局前 堂賀家私有馬車
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


 馬堂豊久砲兵中佐は笑みを浮かべているかつての上司に目を向けた。
「閣下、何の御用で私を?」
 休暇中とはいえ新設連隊が彼方此方から部隊を引っこ抜く為に鎮台司令部要員への挨拶回りと候補の選出を念入りにしており、暇なわけもなく。ここ数日は基本的に屋敷に寝に戻るだけとなっている程度には働いていた。
 そんなさなかに情報課次長が『都合よければ来い。悪くても来い。当然ながら軍装で来ること』などと使者を寄越してまで彼を呼びつけたのである。
 ――まったく、どこのコカイン中毒の探偵だ。
「用があるのは俺ではない。彼――の主家だろうな、恐らく」
そう言いながら堂賀准将は面白そうに視線で先に行くように促す。
「馬堂中佐、待っていたぞ」
そして俺が馬車に乗り込むと目つきの鋭い中年の先客が声をかけてきた。
「あ、おに――荻名教官殿。お久しぶりです。」

「おい、貴様今何を言いかけた。」
 幼年学校時代の鬼教官がじっとりとした目で睨む。
「気のせいですよ、荻名中佐殿」
荻名中佐――五将家の一角である西原家の陪臣格の家主である。
十年前に数年ほど幼年学校の(鬼)教官を務めた後は順調に出世を続け、
現在は軍監本部戦務課において兵站課との調整を行う運用企画班長を勤める程の才覚を示し、西原の陪臣格の中でも切れ者で通っている。
「まったく、貴様は、相変わらずというべきか――」
 荻名中佐が溜息をつく。
「それで如何して堂賀閣下を介してまで私を?」

 ――階級が並んでもとても同格とは思えないな、教官の方が先任だし当たり前なのだが。

「あぁ、貴様に似て陰険で腹黒い上官を通してまで貴様を呼びつけたのには理由がある。
准将閣下の壁に耳を擦りつける連中を追い払う手腕は確かだからな――方針が一致すれば親交を深める会の斡旋を頼むには最適の御方だ」
そう言いながら荻名も席を詰める。
「それ程の話を持っていると」
 情報将校の目つきでかつての師に視線を向ける、
「若殿が堂賀准将に会うついでに貴様に会いたいと言っている」
無意識に息を飲む。
「――成程、西原大佐殿が。確かにそれは大層興味深いお話ですね。」
 十年前、体調を崩していた父、西原信英公の代わりに当時二十八才の中佐が駒州篤胤と安東の先代の二人と組み宮野木和麿大将の肩書きに退役の二文字を付け加えた。
それ以来、西州公爵家の政務をこなしているのに目立つ噂がない(・・・・・・・・)と云う恐るべき辣腕の謀略家である西原信置大佐。現在では軍務に対して不熱心であるとしか聞かない。
だが防諜室――否、この堂賀准将とも関わりがあり、異様に耳が早い。
「問題は、西州御家の話なのか、若頭領個人の話なのかですね。」

「さてな、一介の陪臣には分からんな」
そういって意地悪く笑う。
 ――もうやだ、この教官。
「だが、貴様も分かっているだろうが、その二つはほぼ同義だ。大殿様は大抵の事は若殿にお任せになっていらっしゃるからな」

「ほぼ同義と同義は全く違うのですが・・・・・・」
身をもって父に教えられた事だ。

「聞く相手が間違っているということだ。まぁ、前の時の様に俺に付いていくとでも思っておけ」
馬車に乗り込みながら苦笑を浮かべた馬車の持ち主が会話に割り込んできた。

「あぁ、また龍州に出向ですしね。今度は聯隊のおまけ付きですが」
厭な事まで似ているな。

「ん?やはり貴様も龍州行きか。」
荻名中佐が反応した。

「そうなるでしょうね。まだ正式には決まってはいませんが、どうも連隊を任せていただける様で」

「名目上は臨時配置でその後に大佐殿、か?
貴様も苦労に見合った信賞を、とは言えないか。若殿に目をつけられたのだからな。」
 にたにたと愛弟子(?)の苦境にかつての鬼教官は声をあげて笑った。
 ――却説、あの悪党中年は一体何を企んでいる?西原は総反攻が潰された後は日和見に徹している。守原は宮野木と結び反駒城勢力を結成、安東を取り込みつつある。
それに対して駒城は北領で武勲を自家の陪臣と育預が立てた事。皇家の有力者である実仁親王殿下と協力して奏上の場で大芝居をうったという公然の秘密。そして守原が北領を失った今、五将家の中では随一の経済力を武器に衆民・叛徒出身の将校や水軍、近衛と協調関係を結ぶことで発言力の拡大を狙っている。
 ――どうせ西州は勝った方にドヤ顔で肩を組んでいるのだろう。あの家は歴史を見るとそうした紳士的な外交に長けているのだ――とまぁ、〈皇国〉は今日も元気に魑魅魍魎が跳梁跋扈しているのであるがその中でも西原家から見ると取り分け厄介な魍魎爺が跳ね回っている。

「背州公――宮野木和麿は相変わらずの様子らしいですね」
 馬堂中佐の独り言風の問いかけに堂賀准将が微笑して頷いた。
「駒城も西原も目の敵だ、安東も先代が長生きしなくて良かった、と思っているかもしれんな。」
 宮野木和麿退役大将は自分を表舞台から追いやった駒城篤胤大将と信置大佐を憎悪している。彼等が勝利し、守原と共に実権を握った後に西原家を歓迎するとは思えない。
「守原閣下も宮野木の御老公の方がお好みらしくてな。都合の良い時には我らの主家も盟友扱いしていただけるのだが近頃はそうではないようだ」
 荻名中佐の惚けた言葉に堂賀准将が声を殺さずに笑い出した。
「かつて己の故郷に住まう親しき隣人に敵わないのは仕方無いでしょう」
馬堂中佐もそういって肩を竦める。
 ――我ながら適当な減らず口だ。
 実際のところ、守原英康も西原に利益を配分するよりは元々自家の領土であった背州を本拠地にしている宮野木が強まる方がましだと考えているのだろう。
もちろん宮野木も守原も互いを信頼などしているはずもないがそれでも守原は宮野木の方が西原よりも御しやすいと考える筈だ。何しろ背州鎮台の内にも守原陪臣が要職に在任している、何方が主導権を握れるのかは明らかだろう。

「辺境の強者より近くの弱者、か。守原英康大将閣下は我々すらも辺境の蛮族あつかいしている圧倒的な強者が攻め込む準備を整えている事を忘れているのだろうか」
荻名も鼻を鳴らしている。

 西原家の実力は宮野木よりも高い。古くから西領の実権を握っているだけあり、
駒城≧守原>西原>>他の二家
と、五将家間に出来た実力の序列はこの太平の二十五年間にほぼ確立している。
 これは広大な東州の復興の為に家産が破綻しかけていた安東を除けば概ね己の領土に抱える鎮台の規模に比例している。駒城が政治的に失脚したら守原家が実力が伯仲する二家を〈帝国〉軍の矢面に送り出すだろう。

「あまりに素早く逃げ――転進なさりましたからね。〈帝国〉兵は碌に見ていないから気がついていないかもしれませんな」
軽口を叩きながらも馬堂中佐は守原の構想について思考する。

 ――守原英康の行動指針はなんだ?既に北領の奪還は不可能だ。であるからには奴は何を望む?負担の軽減だけか?それとも護州公爵家が財政破綻で失脚などという不名誉を避けるための早期講和?

 否、と豊久は首を振る。

 ――だが負担の軽減はまだしも早期講和は〈帝国〉周辺国が動かない限り単独では不可能だ。で、あるからには可能な限り駒城が主導権を握り、絶望的な戦いを続けるしかない。
万が一駒城が消耗し、政治で敗北しても馬堂家が有力でいられる様に庇護者が必要だ。

「兎に角、今日は新任副官の頃みたいに閣下の後ろで黙っていますよ」
そう云って堂賀に苦笑を向けながら脳裏でさらに算盤を弾く。
 ――西原にとって対抗手段として駒城の存在が強力過ぎない程度に存在している事がもっとも都合が良い状態だ。だからこそ、何方にも表立って肩入れする様な事はしないだろう。
 ――故に西原が自勢力の確保の為に欲しているのは今現在駒城と友好関係でありながら、駒城からある程度距離をとる、或いはとる必要がある存在。そして軍中枢の情報を知りうる有力者 ――だから堂賀准将か、協力関係にある馬堂家も上手く運べば――。

「それでも構わんがね。分かっていると思うがお前も英雄扱い、要するに悪目立ちしている事には変わりない。
黙っていればやり過ごせるとは思うなよ」
 堂賀はかつての部下の言葉に肩をすくめて応じた。

「それに例の育預を使った奏上の件もある。若殿様は爆笑してたが――名誉である事には変わらんからな。
そうした件をを利用して貴様を担ごうとする連中も出てくるやもしらん。
それはただまとわりつかれるだけで面倒なものだ」
と荻名もまっとうな忠告を教え子に授ける。
 ――奏上は武官にとっては最大の栄誉だ、俺だって裏側を考えなかったら一度は夢見る。
それが大隊長代行の直衛がやらかした事で駒城内でも喧喧囂囂の騒ぎになった。確かに羨ましくはあるが、現状だと其処に俺が立っていたらどうなったか、考えただけでもぞっとする。
今の所は新城が悪目立ちしているからまだマシだが・・・・・・反新城派の神輿に乗せられる事になったら家の破滅だ。
「当事者になっていたら内地で名誉の戦死という笑えない状況も見えてきそうですがね」
「貴様ならそういうだろうと思っていた。本当に貴様は馬堂だ」

「お褒めいただき光栄です、教官殿」
頭が痛いとでもいうかのように蟀谷を揉む荻名に豊久は満面の笑みを向ける。
「まぁ、貴様は余計な事を云わなければ問題ないだろう。今回の貴様は俺のおまけのようなものだ。手札ではあってもまだ指し手ではない。」
「前線送りですからね。皇都の政務は御祖父様と父上にお任せするしかありません」
――今回は聞き、見て、言わざる、と行きますか。



同日 午後第五刻 皇都内 星湾茶寮内
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


 馬堂豊久は辛うじて貴族将校としての体面を保ちつつもその頬を冷や汗が流れるのを止める事はできなかった。
 ――なんの冗談だ、この卓に座っている面子は。
通された部屋に居る先客は三名だった。

「お久しぶりですな、閣下。それと中佐も二年ぶりといったところか」
相変わらず茫洋とした掴み所のない顔つきの西原信置大佐が座っている。
これは当たり前だが。

「ほう、彼があの馬堂の世継ぎか。」
 何故か、〈皇国〉執政利賀元正が居る。五将家のいずれにも属さない政治家で、<皇国>最大の信徒数を誇る帯念宗の実務を司っていたやり手の生臭坊主である。すでに還俗しているが、支持基盤としての帯念宗は宗教の政治力が弱い<皇国>でも無視できない支持基盤であり、将家内だけではなく、衆民院の有力議員にも彼の傘下にある者が何名も存在する。
執政府を内においても主要な閣僚は五将家出身者であり、利賀はむしろその意見を調整するために中立的な立場を買われて執政の座に就いたようなものである。そのため、利賀は政治家としての指導力ではなくもっぱらその政治的位置を重視されるのであるが、それだけで執政の地位を得られるわけもないと豊久は考えている。
 ――そして最後の一人は
「・・・・・・」
じとり、と荻名教官を横目で見るが
「――――――」
 俺は知らんとでも言いたそうに荻名も首をブルンブルンと振っている。
「おや、御二人も来ていましたか」
堂賀准将がにこやかに歓談しながら座る。最初から知っていたのか、それとも不意打ちを食らってこの笑みなのか。
――本当に大物だ。
ユーリア姫との舌戦を思い出し、改めて未熟さを思い知りながら最後の一人へと目を向ける。
「執政殿は公式には此処には居ない事になっている。今日は忍びだよ」
場違いな程若々しい声が響いた。
「こうして会うのは初めてだな、馬堂中佐。海良朱未、陸軍大佐だ」
 三十代前半の青年将校が手を挙げる。
 ――海良朱未、安東当主の義弟殿だ。安東家建て直しの功労者である安東夫人の弟であり、兵部省でも優秀な軍官僚だと評価されている。
「初めまして、海良大佐殿、馬堂豊久陸軍中佐です。父から大佐殿のお話はよく聞いております」
笑みが引きつらない様に注意しながら簡単な挨拶をする。明らかに安東家の利益代表者としてこの座に訪れたのだろう。
つまり、駒城、守原、宮野木を除いた二将家と執政府の長、そして陸軍情報将校の巨頭が密談を行うのである。一人だけ格が違いすぎ事を自覚し、脂汗が滲むのを自覚しながら馬堂中佐は席に着いた。
 ――本当に黙って座っていた方が良いな。出来れば目と耳も塞いで三猿でいたい気分だ。


 
 

 
後書き
外伝は来週末投稿が目標です。 

 

第三十話 国家安全保障談合

 
前書き
この回の登場人物

馬堂豊久 陸軍中佐 主人公、駒州公爵家重臣団の一員である馬堂家の嫡流 

堂賀静成 陸軍准将 軍艦本部情報課次長であり馬堂中佐の嘗ての上司 憲兵出身の情報将校
      

利賀元正 〈皇国〉行政の長である執政 僧侶出身で五将家体制の中では中立派

西原信置 陸軍大佐 西州公爵西原信英の長男 

海良末美 陸軍大佐 東州公爵安東吉光の義弟 抜け目のない政治屋軍官僚
 

 


皇紀五百六十八年五月八日 午後第五刻
皇都 星湾茶寮内 奥の間 
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


 ――あかん。
 全身を強張らせた馬堂豊久の脳裏に極めて短い一文が浮かんだ。
――西原と駒城だったら反宮野木という共通点はあるが、安東は統一した方針は執れていない。安東吉光兵部大臣を代表とする現実主義派は他家に可能な限り出兵を行わせ、東州軍には戦略資源を産出し工業地帯としても復興を成し遂げつつある東州の守りに専念し、龍州防衛の策源地として兵部省から公費の投入を行うべきだと主張していた。
 これは兵部省や東州鎮台に居る安東家の分家、陪臣が中心となって主張している。
――これはまだマシな方だ、東州の工業力を伸ばし、温存できれば東海洋艦隊の増強も望め、敵の消耗が著しくなったら再反攻の際に東州を策源地とすることも不可能ではない。駒州軍を筆頭に内地の軍に消耗を強いることになるし、〈帝国〉相手に龍州の防衛線を長期的に維持できるかという見通しが楽観的に過ぎるが安東家最良の軍政家であり調整家である安東吉光が可能な限り安東家に利する形で国防戦略を練ったと云う事だ。
――だが、もっとマズイのが安東の奥方を中心としたいわゆる海良派だ。
こちらは東州軍を温存する事は同じだが、四将家を中心とした陸軍主力の攻勢によって双方が消耗したところで〈皇国〉の主導権を握ろうと云うものであった。これは、安東家の体力が低下している事を考えたら、けして不自然なものではない。この時点で早期講和を目指しているのだろう。だが常識的に考えたら北領から再び殴りかかられるか事実上の属国になるかのどちらかしか選択肢がない。安東家も漸く立て直した家産が公爵家という名義ごと崩壊するのは間違いない。
 これが厄介なのは安東家の当主である安東光貞が方針を決めかねている事である。元々、駒城保胤と馬が合った人当たりは良く温厚な人格であるのだが、保胤にもその傾向はあるが、保胤以上に優柔不断であり、本人は自身の叔父が打ち出した方針に賛成しているのだが奥方への情と東州復興に関する実績が邪魔をして明確に否と云う事が出来ないことである。

改めて海良末美に視線を送る。
――即ち、現在のところ安東家内でも東州軍の消耗抑制しか方針は一致しておらず、実務派の軍人・官僚達と政局における政争を中心に安東家の立て直しに携わってきた者達の間で方針の対立が起きているのである。この海良大佐は家柄だけではなく、実務を通して確と実績を得た事で執政府内に影響力を築いている秀才だ。兵部大臣とも関係は悪くない。
だが姉である東州公爵夫人に忠実であり、彼女の派閥における実務家として評されている。

――どちらだ?どちらに味方をするつもりだ?無論、どちらも駒州にとって好ましいものではない。だが、落としどころを探るとしたら兵部大臣の方が長期的な視野を持っている分、まだ交渉の余地がある。

「ふむ――これで予定通り全員そろったな」
 〈皇国〉執政の利賀元正はつるりと禿頭を撫でると面白そうに面子を眺める。
「さて、と西原大佐。随分と玄人好みというか、そこの若造を除けば有体に言って前線に縁がない面子を集めたようだが何のつもりかな?」

「有体に申しまして――皆さんの考えている今後の方針を拝聴いたしたいのですよ。
誰もが独自の方針をもって動いている。駒城も守原も、そしてこの座に居る皆も然り」
そう云うと五将家の一角を代表する西原大佐は一人、下座の奥に坐している若い中佐に意味ありげに視線を送る。
「要らぬ面倒が――それも誰にとっても取り返しがつかないものが起きる事もありますのでね」

「成程、成程。それは確かにあってはならぬことだな」
執政は面白そうにのけぞって笑い、そして牽制の言葉を発する
「だがここに居る連中が神妙に手札を見せ合うとでも?」
その言を受けて海良大佐が唇を釣り上げる。
「私は構いませんよ。皆様ご存じでしょうが、安東家全体の方針を語る事は難しいのであくまで個人的な意見程度ですが」
いち早く逃げを打った若手大佐に歴戦の情報将校も嗤い、そして告げる。
「私も個人的な私見は語っても構わんよ。だが軍機やそれに関する情報は駄目だ」

「君はどうだね。中佐?」

「――同じく、私個人の私見ならば。家督も継いでいない上に〈帝国〉軍来寇の際には龍州送りの身ですが」
落ち着きをとりもどした豊久も言葉少なく頷く。
「執政閣下は?」

「俺は駄目だ。忍びとはいえ言質を取らせるつもりはない」
想定していたのだろう、西原大佐もあっさりとそれに頷いた。誰しもが何も確約できないという事を確認しあい、話は進む。
「それで、今後の方針と云っても西原殿は何をお知りになりたいのですか?」
海良大佐は尖った顎を撫でながら先任大佐に尋ねる。
「そうだな、例えば諸君は如何にこの御国を護るべきであると考えているか、とかな」
――つっこむなぁ。この人も。
内心では冷や汗を流しながら気を落ち着けるために豊久は茶を啜る。
「たとえば北領で実際に戦火を交えた馬堂中佐の意見は皆さん、興味を持っているでしょう?」
話しかける相手が格上二人と格下一人になった時点でさりげなく言葉遣いを変えているあたりは如才ないものである。
「あぁ確かに興味はあるな」
執政が笑みを浮かべて頷いた。
「私も前線とは縁がないですからな」
海良大佐も真面目に頷いた。
「いきなり引きずり出されるのを見てるだけで愉しめそうだ」

「最後おかしいのが居た気がしますが解りました。改めて念を押させていただきますが
※あくまでも個人の感想であり、馬堂の意図を保証するものではありません――という事でお願いします」
 再び予防線を張ると馬堂豊久砲兵中佐は軽く瞼を揉み、言葉を発する。
「まず第一に彼我の動員兵力が違いすぎる事は当然の認識としなければなりません。東方辺境領軍だけでも戦時編制に移行すれば160万超、部分動員だけでも我々の兵力を超える事になります。それだけではなく――」
わざとらしく云い難そうに言葉を切る。
「なんだ、早く云いたまえ」
 海良大佐が急かすと、馬堂中佐は頷いて言葉を継いだ。
「天狼会戦とその後の追撃による一方的な攻勢経過を見た〈帝国〉軍首脳部は〈皇国〉を美味しい狩場と受けとった可能性があります。ただでさえ、伸長著しい東方辺境領軍による勝ち戦の独占を軍中枢は喜ばないでしょうし権益の独占を防ごうとする本領の商会も動くでしょう。となるのなら〈帝国〉本領軍から何かしら手を打ち、無理にでも食い込んでくる可能性があります」
 自分達が草刈り場扱いされている、と云われた海良は顔を顰めるが反論することなく苦々しそうに頷く。
「――成程、その可能性は否定できないな」
 
「尤も、それもアスローン・南冥両国の動向次第であろうな。
凱帝国は宰相が内治優先を唱えており〈帝国〉との小競り合いを避けるつもりらしいが、アスローンは大王国が内乱を叩き潰してから二年だ。そろそろアスローンも再建が進み、火種の燻りが目立ち始めている――とはいってもそれに対応しても余力があるのが〈帝国〉の恐ろしいところだがな、もし本格的な戦争へと発展したらどちらに注力するかの判断が難しいところだろう。まぁ後で叩くか今叩くかの違いしかないが」
堂賀准将が顎を掻きながら補足を行い、馬堂中佐はそれに会釈して礼をし、再び口を開いた。
「つまるところ、〈帝国〉全体を敵に回すことになってしまいます。これはただ単に正面兵力の問題ではなく、仲介役としての〈帝国〉本領政府を用いることが極めて困難になる事が挙げられます。東方辺境領軍だけならば〈帝国〉本領政府の仲介で互いに手に負えない泥沼に入った後でも損切りに持ち込むことが不可能ではなかったのですが――」
 西原信置大佐は米酒で満たした杯を傾け、後を引き取る
「双方が手におえない戦況に至っても諌められるものが居なくなるという事か。あぁいや、そのような状況を引き起こす事すら困難であろうがな」

「龍州に防衛線を築くのなら今の内から相当な準備が必要でしょうな。
会戦状況に持ち込んだところで勝ち目はありません。工廠の増設、兵站連絡線の強化、陣地線の構築に導術運用体制を最低でも大隊、可能ならば中隊単位で構築しなくてはなりません」
そう云いながらちらり、と安東の利益代表者を見る
「面倒だな、導術の利用は前線の脳味噌筋肉どもが厭うのでね、まったく、情報は鮮度が肝心と云うのが解ってないのが多すぎる」
 そう云いながら薄く笑みを浮かべている。
――そうなんだよな。なんやかんやで皇都で陰険な事をやっている将家はすでに導術アレルギーから脱却しているものも多い、オッス,オラ極右な守原ですらチャキチャキ使っているのだから金銭・権力が絡めば利便性を重視するのは階級に関わらないって事だ。
 内心、肩を竦めながら馬堂中佐は苦笑して諌める
「面倒と云っても金と違ってすりつぶした人的資源は回復するのに十年以上掛かりますからな。労働力をすりつぶすのは戦争である以上仕方ないですが、国力を衰退させ、恨みだけ買ってまた殴りかかられるなんて事になったら最悪です。人口から考えれば同じ百人死んでもあちらが用意できる代わりと此方が用意できる代わりの回数が違いすぎますからな」

「正直なところ、戦術的面での軍政に関する話になってしまいますが、自分の職分と北領で感じたことにおいてはこういった類の工夫を凝らして粘るしかないと思います。
連中の弱点は脆弱な兵站です、長期的に消耗を強いれば先に悲鳴を上げるのはむこうです」

「分かっているさ、だが貴官も先ほど言っていた通り、動員可能兵力の違いも踏まえて慎重に吟味しなくてはならんだろう。
これを貴官に云うのは馬鹿げた話だが、君が北領で示した防御戦の最大の要因は気温、河川等の地形の利用そして〈帝国〉軍が陥った兵站状況の悪化に拠るところが大きい。
防御陣地と導術利用の効果を否定する事はできないが、あれ程の戦果を再現するのは〈帝国〉軍が何も対抗策を練っていないことを前提にしても不可能だろう――と鞍馬が云っていた」
 安東派の軍監本部戦務課参謀の名を最後にぽつり、と付け加えきまり悪そうに頬を掻いた
「無論、逆にこちらが戦力を完全にすりつぶしてからの講和が完全な屈服へ至る道でしかないのもまた事実であり、そのあたりの見極めが非常に重要なものとなるでしょう」

「その為にも細工は流々、厭わず使え、か。先立つものがあれば良いのだがな先立つものが有れば。
唯でさえ導術要員は少ない上に引っ張りだこだ。工廠増設は私も推し進めているのだが既存の鉱山設備の充実もある程度並行して行うべきだろうし稼働するには時間がかかる」
 海良も真顔で答える、さすがに東州の復興に携わっただけあり、そうした点については知識を持っているようであった。
「うむ、その点については断然同意しよう、というかもう少し人件費を回してくれたら美奈津であんな醜態をさらさずに済んだのだがな――本当に」
 心なしか肩を落としながら防諜機関を牛耳っている堂賀が溜息をついた。
「正直なところ、我々にとっても鎮台の維持も結構厳しいからな。特に東州はそうだっただろう?」
西原大佐はそういって安東家の代表者へと視線を送る。
 治安の悪化への対策の為にも鎮台の編制と同時に生活基盤の再構築を行わなくてはならなかったからこそ、安東家は破産の危機へ瀕したのである。
「見栄を張らずにいうのなら全くその通りですな。金がない、生み出す土壌もないと来ると東州公爵領は重荷にしかならない」
 肩を竦める海良大佐に堂賀准将が矛先を向けた。
「そのような状況で貴官はどうするべきだと考えているのだね?」

「しがらみ抜きでいうのならば義理の叔父上である兵部大臣閣下の提案が一番だと考えておりますね。攻勢の時期は既に失われ、現状で東州単独で生き延びる事は困難です。
現状家内に流布している案のように攻勢に出て他の将家が消耗したら遠からず東州も自壊していしまいます。こう見えても兵站畑もそれなりに耕しておりますので、その程度の見通しはつきますよ。どんな資源も穀物にはならない。〈帝国〉水軍が我が国の水軍を模倣しだしたら真っ先に東州が崩壊しますな。
故に私は陸軍将校ですが、国防方針においてはには東州灘の確保に非常に関心を持っております」
 ――成程。
豊久は年上の大佐に分析の目を向ける。
 ――この大佐殿の最大の関心は皇都の防衛ではなく、東州の生存に絞られているわけだ。
現状の東州は経済復興のために木材や資源開発の再建に資金を投じ、東州内乱前のように穀物の完全な自給はできていない。だからこそ内地との連絡線を保つ間は反攻の拠点として工業化を推し進め。内地との連絡線である東州灘を〈帝国〉に抑えられる可能性が見えたら――つまり、龍州が陥落したら真っ先に早期講和へと方針を転ずるということか。
「大佐殿のお考えは極めて順当なものであると私も思います」
その目に狡知の光を宿した海良ににこやかに答えながら内心では舌打ちをする。
――そして、この男はそれすらも個人の私見でしかないと牽制している。東州を蔑ろにしたら講和――いや、降伏の工作を行う可能性があると云いたいのか?だが単独では無理だろう。だが資源地帯であり工業地帯でもある東州だけでも十分に交渉の札なりうるか?
守原なり西原なりと組めばどうとでもなるな――面倒な。
自分を棚に上げ、相手の小賢しさを内心罵りながら馬堂中佐は話題の相手を西原大佐へと転ずる。
「西原大佐殿は如何にお考えでしょうか?」

「正直に言うのならばさしたる考えは持っていない。そういった類の事は鎮台司令部の面々に任せているからな」
 平然とそう言ってのける西原信置大佐に海良が目を剥く。
「西原殿、幾らなんでもそれは・・・・」
「そもそも皆の意見を交換しようって言い出したのって大佐殿じゃないですか」
 予想通りの返答に脱力しきった豊久も無駄だと知りつつ突っ込みをいれる。
「そうだったかな?ウフフ」
 ――うわ、うぜぇ。
 もはや諦めの領域に旅立った豊久はいち早く会話から離脱し、眼前の米酒を少しだけ口に含み、つまみを手に取り、意図せずに漫才のようなことをし始めた海良大佐の独り相撲を生暖かい目で観戦する。
 西原信置に翻弄される若手二人組を尻目に興味深そうに佐官たちの国防談義を眺めていた執政が堂賀へと話題を振る。
「貴様は――前線とは縁がないか。現状、〈帝国〉の“耳”はどの程度入り込んでいるか分かるかね?」
堂賀は憲兵将校からの生え抜きで前線には殆ど縁がない。
「今のところはさほど目立った動きはありませんね。ただ〈皇国〉人を仲介した網もあるかもしませんので警保局警備部と連携してそちらを洗っている最中です。場合によっては魔導院と提携せざるを得ませんのでその際には閣下にお口添えを頂くことになるかもしれません」
 そう執政へとぼそぼそと囁くさまは講談に出てくる悪役そのものだな、と知られたら色々と酷い目に遭うであろう事を考えながら馬堂豊久中佐は周囲に飛び交う幾万もの人命、資源、そして国家の命運に影響を及ぼす言説に耳を澄ませた。

 
 

 
後書き
 登場人物が多すぎて把握できない。と御指摘を受けたのでハヤカワミステリ程度ですがその回のメイン登場人物を前書きに載せました。
読者の方々が利便性を感じられたのならば後で全話に反映させていただきますので感想を書いていただけるのならついでにちょいと書き加えて下さい。
それと外伝を投稿し、一短編を完結させましたのでよろしければ御笑覧ください。
また本編がきりの良いところまで行くか、気が向いたら書こうかなと思ってます。

 

 

第三十一話 わりと忙しい使用人達の一日

 
前書き
馬堂豊久 当主の孫 〈皇国〉陸軍中佐
馬堂豊守 当主の息子で豊久の父 兵部大臣官房総務課理事官の陸軍准将
馬堂豊長 元憲兵将校上がりの退役軍人 馬堂家の当主

辺里    馬堂家家令頭 
山崎寅助 馬堂家の使用人 警護班班長
柚木薫   馬堂家の使用人 
宮川敦子 馬堂家の使用人

 

 

皇紀五百六十八年 五月十三日 午前六刻半
馬堂家上屋敷内 道場棟
馬堂家嫡男 馬堂豊久


「――――チッ」
 後方に飛びずさり、間合いをとる。戦況を分析する――までもない。
 擬剣を握りなおす手はいまだに痺れがとれず、押されているのは豊久自身が一番よくわかっていた。
 ――不味いな、このままだと十中八九負ける。それならばいっその事――
無駄についた度胸に物を言わせ逆転を狙い、一気に接近する

 轟!!
 だが杖が豊久を空間ごと薙ぎ倒そうと烈風の如く空気を切り裂きながら襲いかかる。
予想通りの軌道を描くそれを身を屈め、避けながら相手の足に擬剣を叩きつける、が。

「!?」
 巧みな足裁きそれを躱し、半身に回り込み――

「甘い!!」
「ッ~!」
背中を叩かれ。
「そらっ!」
「!!」
 足を薙がれ、視界の一面に畳が広がり――
「ほれっ!」
「むぎゃ!!」
 一発もらって藺草の臭いを強制的に嗅ぐ羽目になった。
「そこまで!勝負あり!豊長様の勝利です。」
 真っ暗な視界の外で賞賛と驚きのどよめきが響く。
――涙が流れるのは鼻を打った所為だ。自分を心配する声は全くないからではない――ないのだ。



同日 午前八刻 馬堂家上屋敷内 道場棟
馬堂家 警護班 班長 山崎寅助


「はぁ・・・・・・・
結局、俺は御祖父様の噛ませ犬じゃないか。」
訓練が終わった後、毎度お決まりの愚痴を豊久はぶつぶつと垂れ流している。
 警護班を交えた訓練の中で行われた馬堂家の退役将軍と現役軍人の一騎打ちは大いに場を沸かせたが、若さよりも絶え間ない研鑽を積んでいる老練さが勝利を勝ち取り、当主権限で豊久は不足している研鑽を強引に積まされる事になった。

「そもそも剣で杖を相手にしろって時点で不利過ぎるよ。相手が御祖父様である時点で剣の勝負で勝率三割なのにさ」
 背中をさすりながらぶつぶつと文句を言っている若様に山崎は思わず笑みをこぼした。
 ――私は大殿様が憲兵将校だった頃からの付き合いだ。あの御方の気骨は分かっている。あの御方なりに孫の心配をしているのだ。
「白兵をやったと聞いて大殿様なりに心配しているのですよ」
 豊長は剣術・体術に加え、憲兵の捕縛術の一環として、杖術を修めている。そして現役を退いた現在では、それを趣味として数日に一度は警護班を交えて実戦さながらの訓練を行い、年齢を感じさせない体力と達人と呼んで差支えのない腕前を維持している。
豊久も幼年学校に入る前から幾度も祖父から強制的に指導を受けており、鋭剣の腕も悪くはない――比較対象が強すぎるだけだ。

「あぁ、それは分かる。実際、負傷したのは事実だが、御祖父様の稽古がなければあの夜襲で死んでいたかもしれないとも思っているよ。それに、体を動かすと気も鬱がないし」
 苦笑を浮かべながら本棟に戻る路を並んで歩く。
「――流石に年を食っただけはあるよ、本当に。」
欠伸を噛み殺しながら呟く姿はどことなく疲労しているようにみえた。



同日 午前第十一刻 馬堂家上屋敷 離れ倉庫
馬堂家使用人 石光元一


 新人使用人である石光元一は溜息をついた。
  ――何故こうなったのだろう。
自分は〈皇国〉最大の諜報機関である皇室魔導院に所属しているである。不破にある魔導院の施設で育てられ、訓練を受け、三等魔導官となった――筈なのにこうして駒城家陪臣の家で倉庫の整理をやらされている。
 上の方で何やら取り決めがあったらしく定時報告の際に現状維持方針を伝えられたからだ。
その現状とは使用人として働きながら魔導院と馬堂豊長が書簡交わす仲介をという明らかに使用人としての生活におまけがついた程度のものであった。少なくとも男手としては使用人仲間には喜ばれている事がなお複雑な気分に拍車をかける。

――御陰で二十にもならないのに肩と腰が夭折しそうだ、療院に行くとしたら経費で落とせないだろうか。
 パッキパキの肩を回しながらまた溜息が出る。
「石光クン、大殿様がお呼びだよ」
 柚木が棚の整理をしている途中の石光に呼び付ける。

「僕を?」

「若殿様が蓬羽に行くらしいから色々と運ばされるんじゃない? それが専門でしょ?」
 石光の事情を知らぬ柚木は後輩の顔を見てけらけらと明るく笑う。
「冗談よ、でも助かっているのは事実だけれどね。」
 笑いながら後はやっておくから、と背中を押された。
 ――これはこれで悪くないな、自然と頬が緩んだ。


同日 午前第十一刻半 馬堂家上屋敷
馬堂家使用人 柚木薫

「はぁ・・・・・・・」
部屋を出ていった石光青年の背を見送り、息を吐いた。
「何もかも物騒になっていく。ホント、この屋敷まで嫌な空気になったものねぇ」
 一使用人にだって分かる程にこの屋敷の主達は張り詰めている。
 豊久は二日前の夜中に帰ってきてから豊守と一緒に豊長の居る書斎に籠もり、信頼のおける生え抜きの使用人以外の何者も近寄らせずに殆ど丸一日出て来なかった。
 その翌日、年長者二人はそれぞれ休んでいない休日を気にせず仕事に戻り。
休暇中である豊久は六刻で十杯の黒茶を消費する荒技を披露しながら丸一日、沈思黙考を続けている――と云えば聞こえが良いのだが、必要ない書付を燃やして灰を出すし、(細巻を控えている所為なのか)黒茶を浴びるように飲み、結局は柚木達をほぼ丸一日部屋に出入りさせていた。
「柚木さんいる?」
「あ、敦っちゃんどうしたの?」

「豊久様に頼まれていた本をもってきたんだけど、どっかいっちゃったみたい。
まだ屋敷にいらっしゃる筈なんだけど知らない?」

「知らないけど、どっかしらで昼寝してるんじゃない?気が抜けるとダメ人間だし」
「酷いな。今の俺は結構忙しいんだけどなぁ」
 ふらり、と何時の間にか見なれた顔が宮川の後ろにあらわれた。噂をすれば何とやら、と云うのだろうか。

「豊久様、何でしょうか?」
「悪かったね、宮川。山崎のとこの奴に父上のところへ言伝を頼みに行ってさ、その帰りに若気顔(にやけがお)の少年を見かけて少し様子を見に来たのさ」
玩具を見つけた猫の様に目を輝かせている豊久の隣で宮川と視線を交わし、二人で苦笑を交わす。
 ――そんな暇があったら貴方はまずさっさと身を固めろと言いたい。

「それだけで私のお使いを忘れたのですか?」
 柚木から見ればわざとらしいのだが豊久はわたわたと言葉を探っている。
「いや、いや、それだけではないけれどさ」
 視線を逸らしている姿を半眼で眺めながら柚木は最近は彼方此方へ出かけていた事を踏まえて確認する。
「・・・・・・それで、豊久様は、今日はお出かけなさいますか?」


「いやいや、俺は留守番さ。ま、そうそう来客なんて来ないだろうし、ゆっくりさせて貰うよ。
というかそれで珍しく辺里が捕まらないから一応、柚木に確認しにきたけれど来客はないよね?」
 頭の中で予定表を広げるとデカデカと赤字で|大仕事(やっかいごと)が記されている。
「予定では午後にお客様がいらっしゃいます」

「ん?誰が?」

「弓月の殿様がいらっしゃるそうです。」

「何だと? 何時の間にそんな話が?」

「若殿様がお帰りの際に御一緒する予定と仰せでした。」
 くしゃりと少し伸びた髪を掻き回しながら豊久が慌てたように尋ね、柚木の言葉を聞いてくらり、と足下をふらつかせた。
「ま、た、父上か。」
 こめかみを抑えながら呻く豊久の姿に柚木は声を出さないように笑った。
 ――毎度毎度、遊ばれていますねぇ。

「――何人来る?」
「弓月様お一人と拝聴しております。」
 拗ねた口調で尋ねるが柚木の答えを聞くと一瞬ではあるが残念そうな表情を浮かべるのを柚木は見逃さなかった。
 ――やだ、面白い。

「あぁ、そう。――何だい、その目は。」
今度は見逃さなかった豊久がじとりと半眼で睨んでくるが
「何がですか?」
か弱い使用人が満面の笑みで反駁すると憮然とした返答を残し、部屋を出て行った。
「――何でもないよ」




同日 午後第三刻 馬堂家上屋敷 第三書斎
馬堂家使用人 柚木薫


 柚木が訪れた書斎には唸り声が響いていた。
「御休みになられていますね。」

「ついでにうなされていますねぇ。」
辺里の手伝いとして訪れた書斎の主は帳面と鉄筆、そして足を乗せた文机と
椅子に体を預けて――うなされていた。

「あの、大丈夫なのでしょうか?」
 柚木が心配するのも無理はないほどに豊久の顔面は蒼白で、額に脂汗を浮かべている。

「初陣の後を思い出します。あの時も、うなされていました。」
 優しく汗を拭う姿はまるでこの青年の祖父であるかの様である。彼が産まれた時から見守っているのだ、当然なのかもしれない。

「なんだ――っと辺里か――あまり驚かさないでくれよ」
 ぼそり、と呟きながら何時の間にか片手に握っていた鉄筆を机に投げ戻している。
「申し訳ありません。うなされたおいででしたので、差し出がましい事をしました。」
 当の辺里は顔色一つ変えずに足置きにされていた卓上の体裁を整えている。
「いいよ、有難う辺里、おまけのついでに柚木も。こんなトコ御祖父様に見られたら酷い目にあうしね。」
 そう言った時には常の愛想のよい顔つきに戻っていた。
「おまけのついでって何ですか、酷いで「それで辺里。どうしたんだ?」 聞けよヘタレ」
「それよりも、豊久様。若殿様がもう間も無くお帰りになる御時間で御座います」
 辺里はじゃれあう(?)二人を僅かに微笑を浮かべて眺めながら必要なことだけ伝える。

「父上が、ってことは伯爵閣下も御同行なさっているのだな?」
「はい。御一緒だそうです。」
 そういいながら辺里は流れるような動作で軍装を差し出す。
「――まぁ、俺も相談したい事があるし調度良いか。」
 そう言いながら肩をこきゅこきゅと回しながら立ち上がると既に少壮気鋭の若手中佐の顔になっている。
「柚木」

「はい、黒茶はもうすぐできますよ。敦っちゃ――もとい宮川が持ってまいります」

「ん。ありがとう。応接間におかせておいてくれ。
着替えたら私も出迎えにでなくてはならないからね」
 表情は同じでも発した声が与える印象は全く変わっている。
 ――これも一種の才能なのかしら?
柚木の思考をよそに豊久は軍人貴族の顔へと完全に転じるべくその衣を纏いだした。


同日 午後第七刻半 馬堂家上屋敷 応接間
馬堂家使用人 柚木薫


 応接間に侵入した柚木はそろそろと茶と菓子を運びながら可能な限り主と客人たちの意識の外で居られるように歩き出す。話の内容にはさして興味はない――というよりも持たない方がいいと理解しているからこそ雇われているのだと自覚している。

「――また面倒なものをかんがえついたものだね、君は」
弓月伯爵は丁重に口を拭きながら一番若輩ものである英雄中佐に視線を向けた。
「少なくとも私を謀殺して一代早く家督を乗っ取ろうとしているように見える、半分本気でな」
 兵部大臣の官房で総務課理事官を務めている豊守も苦いものが多分に混じった笑みで豊久に云った。
「おまけに実現する為に動くのは私と父上に弓月殿だ、お前じゃないと来たものだ。
まったくもって素晴らしいじゃないか、ん?」
 そろりそろり、と会話の邪魔をしないように柚木は盆を運び、杯を満たし、菓子を添える。
互いに邪魔せずに気づかぬふりをするのが礼儀である。
 「じゃなかったら言いませんよ、こんな面倒くさい事。それに弓月閣下には現状を打破しうるという莫大な利益があり、我々は他家との間により強力な独自の伝手を求める事が出来る。
えるものは中々に大きい、悪い手ではないと思いますが」
そういいながら豊久は目礼しながらで柚木に出ていくように示す。
使用人が部屋を出るのを見送ると豊久は援軍を求めて義父へ視線を送り、それを受けた内務省第三位の官僚は肩を竦めて答える。
「その点は興味深いが、君の父上が動いてくれなくてはどうにもならないな」
 「と、閣下はおおせですが?」
間髪入れずに義父の言葉を拾い、実の父へと球を放った。予想外の連携攻撃を受けた豊守はあきらめのため息をつく。
「やるだけはやってみよう、まずは駒州の大殿に――」
「勅任参事官の職務の内だから省内の根回し自体は大して手間はかからん。むしろ面倒なのはその上に持ち込む際の事だな、執政府内ですむのならどうにか予備計画の一つとして押し通す事ができるが、陸軍の――」
 彼らの会話は既に厚い扉に遮られ、柚木が聞くことはなく、また同時に記憶されることもない。そうした点において、馬堂家は極めて将家な選び方で使用人をあつめているのであった。


同日 午後第八刻 馬堂家上屋敷庭園
馬堂家警護班 班長 山崎寅助


 弓月伯の馬車に護衛を二名程つけ、本日の特殊業務は終了した。
本日の仕事は犬を入れ替えて何時もの報告へ出向くだけであり、後は通常の当番制に戻る旨を伝えれば山崎は寝床へ戻るまでしばしの自由を味わう事ができた。
「大殿様。」
 自分の心根どうように軽やかに書斎と庭を繋ぐ窓の下を叩くが顔を出したのは彼が軍人時代から仕えている相手の孫であった。
「残念、俺だ、御祖父様は父上のところにちょいと話を詰めに行ったよ。
ま、俺が代わりでも問題ないだろ?」
逆光であっても不敵な笑みを浮かべているのがわかる。
「はい、それでは御報告を――」



「――以上です」

「視警院からの方々は、まぁ当然だな。先代の警保局長殿に万が一の事があれば内務省も良い面の皮だ、当然、護衛もつくだろうさ。」

「えぇ、家名だけのお飾りでもありませんからね。何かあったら内務省の勢力図が大変動してしまいます」

「あぁ、目敏い御方だよ、御祖父様や父上によく似ている。
――その上、娘達の方まで察しが良いからなぁ」
そう云ってわずかに遠い目をするが、すぐに視線を現実に戻し、当主の忠臣へ視線を向ける。
「――まぁそれは兎も角、俺もそろそろ軍務に復帰する時期だ。
分かっていると思うが、皇都は加速度的に物騒さを増していくからな。皆を頼むよ、山崎。」
 真摯な視線を感じ、山崎は知らずと嬉しそうに笑みを浮かべていた
――そんな不安そうにしなくても私にとっては当たり前の事だ。これでも下士官時代に大殿について以来の二十余年、幸運な人生を送らせてもらっている恩義がある。
「お任せ下さい」
 その言葉に何かを感じたのか、一瞬口篭った後に帰ってきた豊久の返答は少々そっけないものの心情を知るには十分すぎるものだった。
「あぁ、その、何だ、――ありがとう。」
 窓を閉め、背を向けても山崎には耳朶を真っ赤にしているのが良く分かる、
声の響きだけでなく、彼の背後にいる山崎の主が嬉しそうに、面白そうに笑っている姿が見えたからでもある。
「それでは私はこれで失礼します。」
 嘗ての被害者の勘が人を食った笑みに変わった老人が硬直している孫を毒牙にかける場面を見る事もなく巻き込まれない内に転進すべきであると告げていた。



今日は一段と光帯が美しい、気分の問題なのか気候の問題なのかは判断がつかないが
私はそう感じた。
「おや?山崎、こんな所で珍しいですね。」
聞きなれた声が背後から響く。
「あぁ、辺里さん。確かに珍しいかもしれないな。」
 十五年に及ぶ付き合いの上司が厨房口に立っていた。

「酒を久しぶりに飲みたくてね。まぁ度を超すつもりはないさ、文字通り一杯だけだ。
光帯を肴に、ってな」
そんな風雅を気取るなんて珍しい、と辺里が軽く笑っていると。
「あれ? こんな処で御二人とも何をしているんですか?」
柚木と石光が連れ立って――いや柚木が石光を引き連れてやって来た。
「なに、晩酌の素晴らしさについて語っていたのさ。」
「御一緒しましょうか?」
 山崎の言葉を聞くや否や柚木が爛々と目を輝かせた
 屈強な下士官上がりの中年男が自分の子供と同じ年頃の娘に気圧されている様を老家令頭と少年使用人が面白そうに眺めている。
「分かった、分かった、ならば折角だ。四人で呑もう。但し、一杯だけだぞ。
皆、明日に酔いを残させるわけにはいかんからな。」
不満そうに口を尖らせる柚木に、それを慰める石光。
そしてそれを横目で見て笑っている辺里が珍しくからかうような声でこっそりと山崎に囁く。
「いいのですか?柄にもなく風流を気取るつもりなのでは?」

「柄じゃないからやめだ。まぁ、それに、――こういうのも悪くはないだろう?
あわただしい使用人達の一日の閉めに相応しい。」

 
 

 
後書き
申し訳ありませんがそろそろ税金で食っていく為の試験がガチで迫っているので隔週ペースに落とさせていただきます。

 それとどうでもいい事ですが前日譚のプロット書いた後に龍州編のプロットを書くと温度差に笑ってしまいます。また書き溜めたら後書で投稿する旨をお伝えさせていただきます

  

 

第三十二話 兵部省で交わす言葉は

 
前書き
今回の登場人物
馬堂豊久 〈皇国〉陸軍中佐 駒州公爵家重臣団の名門 馬堂家の嫡流

新城直衛 駒州家育預 豊久の旧友 政治的駆け引きの末に近衛少佐となった。

草浪道鉦 守原家家臣団きっての切れ者 人務部人務第二課課長

大辺秀高 軍監本部戦務課に勤務する秀才幕僚 豊久の父が被後見人をしていた。

窪岡敦和 軍監本部戦務課 課長にして陸軍少将 駒州公子・駒城保胤の友人 

佐脇俊兼 陸軍大尉 駒城家重臣である佐脇家の嫡子

堂賀静成 軍監本部情報課次長 憲兵出身でやり手の情報将校。
     豊久のかつての上司

馬堂豊守 兵部大臣官房総務課理事官 豊久の父
 

 
皇紀五百六十八年 五月十五日 午前第十刻
兵部省 陸軍局 人務部人務第二課 事務室
駒州鎮台司令部附 馬堂豊久〈皇国〉陸軍中佐


 馬堂豊久はまたも、困惑の色を露わにしていた。
 彼は次の配属先が内定した以上第十一大隊に残る部下達の面倒を見なければならないと思っていた。これは将家の将校がもっている半ば慣例とかした習慣である。
 ――これでも人務部に籍をおいていた口だ、同年代の陪臣将校達よりは伝手を持っているつもりだったのだが――
「この申請では一個大隊を新編するのとまるで変わらないな。剣虎兵も未だ数が少ないから都合をつけるのが難しい」
 彼の要求が無茶だったのか尉官の人事を司る人務部人務第二課長の草浪中佐がそれを手厳しく撥ねつけられたのである。守原傘下の陪臣格で一番の俊英だと評されている男であり、馬堂中佐自身も軍監本部に籍を置いていた際に面識を得ているのだが、あっさりと木で鼻を括ったようにあしらわれてしまった。
とはいっても草浪のこうした態度は護州公の弟――守原英康御大将閣下相手でも変わらない事を豊久は知っていた。
「各鎮台で既存の部隊の増強が進められている。第十一大隊は、今は兵部省直轄の中途半端な状態であるから優先順位も低くなる。今から申請を出しても早くても夏までにどうにかなるかならないかだろうし、経験のある剣虎兵将校は引っ張りだこだ、今まで大隊から引き抜きが行われなかっただけでも優遇されていると思ってもらいたいな」
 人材不足が著しい兵科である事は理解しており、少々、無茶を言っている事は自覚しているがこれほど詰問されるような口調で言われると困惑と反発が内心こみあげてくる。
 ――捨て駒同然の後衛戦闘を命じたのはあの守原英康だ、ならば多少は便宜を図っても良いだろうに。
「補充を急がせるのは難しいと?」
「気持ちは解らないでもないが後任の大隊長に任せた方が良いだろう」
――後任、ね。俺の事もあるから既に決まっていそうなものだが。まぁ、これで龍州辺りで起こるだろう死闘に駆り出されないのならば少しはマシかね?
「・・・・・・はい」
 だが、個人的な感傷ではあるが、あれだけ苦労させるだけさせてさっさと捨てて連隊に移るのは酷く気に入らなかった。
「――肝心の後任は決まっておりますか?」
北領鎮台の残存部隊らは書類上、兵部省直轄となっているが、守原英康が主導しているので正式に発表されるまで殆ど何も分らないのだ。
「――候補は上がっているのだがね、未だ決まっていない。何しろ北領で名を馳せた部隊だからな、慎重に吟味せねばならない。」
一拍おいて、草浪は眼前の中佐に鋭い眼を向ける。
「そして、当然ながらその立役者である君も随分と注目されている。――この様に、な。」
懐から取り出した書状を豊久に押しつける。
その送り主の名は――守原定康であった。守原英康の甥であり、護州公子の少将である。
「これは・・・・・・・」
 ――このタイミングで、こう来るのか、畜生、意外とやり手だな。
直観的に豊久は守原が先の西原信置達との密談を察知した――真偽は兎も角、今はそう考えるべきだと判断した。
 ――だが、こんな事で防諜室出身者の顔を崩せると思うなよ?
「――成程、課長殿のおっしゃるように、私も分不相応に注目されているようで」
 ――さて、とついでにカマをかけてみるか?
「護州公子閣下が私に興味を抱くとは――ならば、護州公閣下は、昨今の情勢を如何お思いでしょうか?」
 持病持ちで実権を弟である英康に奪われた当主――護州公・守原長康。弟である英康大将の直情的で苛烈な性格とは対照的に五将家当主には不適当な程に情に厚く、温和な性格と政治に関わらない事から人々が皇家を敬う様に彼を慕う人間は少なくはない。
 ――実権を握っていないからこその人望なのかもしれないがだからと言って、けして無視してはいけない存在だ。
「長康様は――殿は、ずっと臥せっておいでだ。この一朝有事の時だ、守原大将閣下が御家を率いる事になるだろう」
 僅かな逡巡の後の慎重且つそっけない言葉に豊久は内心舌打ちをした。
  ――早々襤褸を溢すような人じゃないか。
「君はこれから新編聯隊の面倒をみなくてはいけない、その事も忘れないことだな。
あまり古巣に関わってそちらを疎かにするのは感心しない」

「はい、それは分かっています」

「君の場合は概ね、異動は駒州鎮台内で完結しているようだから私もあまり煩わされずに済んでいるが、近衛でも剣虎兵部隊を編成するようだが君の部下であった新城少佐は何か充てがあるのか知っているか?もし第十一大隊から引き抜くのだとしたら相応の準備が必要なのだが」

「どうでしょうか?私も将校を数名程頂くつもりですが近衛となりますと兵の教育からして面倒ですから、兵たちも随分と引き抜かれるのではないでしょうか?
それに、年長の者達を数人、剣虎兵学校に回したいとおもっております。兵を含めてですが」

「下士官にして、か。横紙破りだが剣虎兵の需要が増加しているから止むを得ない措置であると云うべきか。――覚悟しておくか」
溜息をつくとぱたり、陸軍の人務を背負っている軍官僚は面会の終わりを告げるかのようにパタリと帳面を閉じた。

 部屋を出て、次に軍務部総務課へと向いながら馬堂中佐は考えを纏める。
 ――草浪中佐、質問には答えていないが面白い事を漏らしてくれたな。推し量るべきは、護州派閥の内がどれ程の人物が英康個人に忠勤なのかだな。そうなると気になるのは――守原定康、か。
  無意識に懐にいれた書状を撫でる。
 ――今まで彼に注目する事はなかったが・・・これは如何に解釈すべきなのだろうか?


同日 午後第一刻 兵部省 陸軍局 軍務部 文書課
軍監本部戦務課附 大辺秀高〈皇国〉陸軍少佐


「――困ったものだよ、結局、大隊の補充はろくにされていないままだ。
引き抜きが結構な人数になりそうだし、後任の大隊長には苦労をかける事になりそうだな」
 予定よりも一週間早く軍務に復帰したが未だ待命の身である馬堂中佐が愚痴をこぼしている。 それでも、その表情が全く困っているように見えないのは父の教育故なのだろう。
「あの大隊も面倒な立場ですからな。誰を頭に据えるかで扱いも変わるでしょうから致し方ないかと」
そう云って答える大辺少佐も未だ戦務課に身を置いているが、窪岡課長によって、新編聯隊の運用研究といった名目で既に聯隊の迅速な戦力化を進めるべく準備を始めている。
「まぁそうなる事は分かっていた――立つ鳥跡を濁さず、といきたかったけれどな」
 豊久はそういって肩を竦めた。 
「そうなると中佐殿の後任の人事が気になりますね。士官達の補充もされていない、と言うのならば尚更に」

「それで戦力化が遅れるのならば本末転倒だ。手元に置いても切れない手札など意味がない」
 大辺の言葉に鼻を鳴らし、馬堂中佐は話題を転じた。
「あぁ、そうだ。 龍州軍の陣容はどうだ?」

「後方支援部隊の拡充と参謀の内定は滞りなく進んでいます。参謀陣は例によって玉虫色ですが、まぁ最前線で好き勝手は出来ないでしょう。それに集成軍の派遣も視野に入れて司令部の増強が行われています。可能ならば後備部隊も動員したいのですが予算の問題がありまして――そのためにこうして省と本部を行き来しているわけです」
 大辺が溜息をつくと、豊久も肩を竦めた組織が協力的でも予算の問題はついてまわる。
「そして我らの総務課理事官閣下も苦労なさっている、と。例の聯隊、幕僚も伝手の御蔭で目処がついたし俺の配属辞令も間も無くだ、――間に合うかな?」
 豊久の問いに大辺はわずかに胸を反らせて頷いた。
「間に合わせるしかないでしょうし、間に合わせます。その為の部隊と言っても過言では無いでしょうからね」
――大型の独立聯隊であり、連隊長はこの英雄となっている駒城の陪臣だ。新設と云う不安点があるが一個旅団に匹敵する――へたすればそれ以上の戦力になりうると言ってしまっても過言ではない、余程の遅れがない限りは確実に龍州への派遣軍に組み込まれるだろう。

「そうだな、本来なら戦力化が間に合わずといきたいところだが・・・・・・まぁ、生きている英雄の存在意義なんざ。他人を持ち上げて面倒をおっかぶせる為だからな」
 肩を竦めながら発する言葉は飄然とした表情とは真逆に辛辣なものであった。
「相変わらず言ってくれるな。そうぶつくさ言う割には休暇を切り上げる程、軍務に熱心なようでなによりじゃないか、ん?」
 部長室から出てきた窪岡少将が馬堂中佐に声をかける。
「お久しぶりです、窪岡閣下」


同日 午前第十一刻 兵部省 陸軍局 軍務部 文書課
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


 窪岡少将――前人務部長であり、現在は戦務課の長を勤めている駒州公子駒城保胤の友人である。
 ――だが、それだけで少将が勤めるポストの中でも重職を歴任出来るわけがない。
 彼は謀略活動こそ滅多に行わないが損得勘定の鋭さと視野の広さで危険を冒さず着実に成果を積み上げている。
「大隊の生き残り達の面倒をみようと思いましてね。中々思い通りにいきませんが、多少はマシにしますよ。」
 ――西田と杉谷、米山の三名と増強用に有望な下士官を数名引き抜く予定だし、新城も予想が当たれば猪口曹長を始めに可能な限りの人数を引き抜くだろう。奴は近衛に過剰な期待を寄せるような人間じゃない。あまり人は残らないだろう。後任の大隊長は苦労する事になるだろうな。だが、元々人材が足りない為、剣虎兵の独特に過ぎる戦い方を知り抜いた人材は貴重だ。
 ――後任を守原に決められる部隊に放り出す位ならば長期消耗戦を見込んで後方で教育に回す方がマシだ。
「何をやるのかは大体わかる。まぁ、間違いではない上に名分も立つ」
 窪岡少将が顎をさすりながら頷く。
「軍監本部(おれたち)よりも兵部省の管轄だが、実際、剣虎兵を前線で使ったら頭数が足りなくなる可能性が高い。人手が足らないからな、導術よりは幾らかマシだが」
 疲れた様にというか実際疲れているのだろう重い溜息をつく。
「後は保胤が貴様を頭に据えた例の大型連隊にも連れ込むのか?」

「はい、閣下。独立大隊でなくなった以上、剣虎兵隊の再編を行うので。その際に空いた枠へ詰め込む予定です。剣牙虎の扱いに熟達しているべき下士官と将校は必要ですからね。
兵の育成に関わりますから。」
 兵の教練は配属された隊で(基本的には連隊単位を最大として)行われる。
 銃兵はまだマシな方だが例えば砲兵では熟達した下士官と将校の指導の下でも新兵達を実戦に耐えうる部隊へと鍛え上げるには早くても一年は時間をかけなくてはならない。
 剣虎兵も、伏撃の際には剣牙虎を黙らせ。時には砲に怯えている剣牙虎を駆り立てるには剣牙虎の扱いに熟達していなければならない。その為、剣牙虎の主となる事が多い下士官、将校は専門的な教育を受ける必要がある。

「そちらには士官一人と下士官を何名かを連れて行くつもりです。俘虜生活を共にしましたが、幸いあまり恨まれなかったので」

「貴様も苦労したものだな。戻って来る事が出来ただけ幸運なのだろうが、それに年が明ければ大佐の芽もあるのだろう?」
 窪岡課長は苦笑いを浮かべていった。
「聯隊長としては臨時配置と言う事で、あくまで内定ですが。そう承っています」
そう云って肩を竦めるがそれは自分が死ぬか自決寸前の状況にない限りはそうなるだろうと分かっていた。
 ――駒城保胤中将の御指名だ、確定同然だろうな。
「その後はまだ分らないが、貴様も父君とならんで閣下となるやもしらんな」
 ――まぁ戦時中だと十六年間、少佐を務めていた人が五年で中佐から元帥閣下になって、しまいにゃ大統領へと上り詰める事もあるからな。比べるのも可笑しな話だ。

「そんなホイホイと昇任するような事態にはならないでほしいものですがね。それだけ上の層が亡くなっているか、私が悪目立ちしているわけですから」

「俺の処から大辺を引き抜くのだ、これからも苦労してもらうし悪目立ちもしてもらうぞ。貴様も表舞台に引き摺り出される時だ」
 ――表舞台、か。誰がお膳立てする舞台なのやら。
 
「育預殿が奏上なんてする御時世ですからね。例の奏上も――まぁ言えない事も言いたくない事も言ってくれました。
まぁ、彼らしいと言うべきやり方ですよ」
戦務課長は新任中佐の言葉に頷きながら話題を変える。
「育預――新城少佐が近衛に送られるのは聞いているな?」

「親王殿下――衆兵隊司令長官閣下の内意をうけていると聞いています。」
「そうだ。で、あるからこそ貴様も微妙な立場にある。貴様の周囲が物騒になる事も理解しておけ。望まぬ神輿に担がれる事も十二分に有り得る」
「はい閣下。気を付けます。駒城閣下の恩顧に報いる為に微力を尽くします。」
 ――そうだ、今の俺はこれで良い、後は皇都に残る馬堂家当主達に任せるとしよう。
政は父様の手にあるべきだ。人間、何もかも自分でやろうとすると大失敗を起こすものだ。――それを忘れてはいけない。



同日 午後第二刻 兵部省 陸軍局 人務部
人務部人務第二課長 草浪道鉦中佐


 ――公用と言えど、丸一日も部長が居ないと少し困るな。
 部長の決済が必要な書類の束を机の隅に乗せながら草浪中佐はうんざりとしたようすで積み上げられたそれを眺める。
 この半日で馬堂中佐を筆頭に何名もの士官達に要望案が持ち込まれ、前線に送られる尉官達の異動予定表だけでも結構な厚さになった。大半が前線に投入する予定の部隊であり、隣の第一課では自身も含めた同様の高級将校たちの異動案も作られているのだろうと思うと胃が不快に蠢いた。
 それを誤魔化すかのように、草浪は彼らが提出した申請書に職分以上の熱を込めて目を通す。
 ――さて、馬堂中佐は中々豊守殿に似た人物の様だ。父に似て目端が利く人物なのは間違いないだろう。だが、問題は彼自身よりもその家族――父と祖父を含めた三人だ。
そして現状、情報課次長と親密な関係を築いており、彼の助力もあってか、動きが掴み辛くなっている。それでも断片的な情報から推測するに、どうやら彼らは駒城に忠誠を誓いつつも独自に手札を掻き集めている様だ。
 ――まぁ、陪臣が全て無邪気に主家を信望する筈もない、だがそうそう裏切る事もするまい、彼等が行動を起こすにしても事態が動いてからだ。
 自分の思考が鏡のように己の姿を映している事にきづき、自嘲の笑みを浮かべた。
 ――まぁいい。本来の目的はこの後訪れる二人の将校達だ。
予定表に記されている名前を見つめ、思考を分析家としてのそれに切り替える。
 ――新城直衛、北領では、次席指揮官として崩壊寸前だった大隊で指揮官としての経験が乏しい馬堂中佐を補佐し内地に戻った後は個人的にも親交が深い彼を差し置いてあの奏上で大芝居をうった。あの戦の前にも幾度か問題を起こした事や横紙破りを行っていることは知っている。度胸があるのかそれともそれ以上なのか、或いは只の戦争屋か――見極めるべきだろう。そしてもう一人は――
 もう一人の名を小見浮かべる前に扉を叩く音で草浪は現実に引き戻された。
「失礼いたします、課長。新城少佐殿が出頭いたしました」
 部長の個人副官が告げた言葉に背筋を緊張させる。
「御苦労、すぐに通すように」



同日 午後第二刻半 兵部省 陸軍局庁舎内
〈皇国〉近衛少佐 新城直衛


新城直衛は所在無く陸軍局の庁舎をぶらついていた。人務部人務第二課長である草浪中佐から近衛衆兵隊司令部への配属辞令を受け取り目的を果たし、窪岡少将に挨拶をしておけ、と義兄に言われていた事を思い出したのだが――何しろ、今まで軍監本部の高級参謀とは縁なぞなくどこにいるのかも分からなかった。
 ――さて、何処にいるのやら、誰かに尋ねる事が出来れば良いのだが。
 そう思い、周りを見渡すと将校が二人連れ立って新城の横を通り過ぎた。

「少し宜しいでしょうか?」
 振り向いた二人の顔は新城が古くから知っている顔だった。
旧友と言って差し支えが無いだろう馬堂豊久と新城直衛が私的に抹殺すべきと決意している人間の一人である佐脇俊兼だ。

「何ですか?おや、新城少佐、健勝そうで何よりだ。」
豊久は一瞬、しまった、と言いたげに口を引きつらせたが
すぐにそれを笑みで覆い隠しながら敬礼し、佐脇俊兼大尉(・・)は屈辱の色を隠さずに同年の衆民少佐へと敬礼した。
「これはお懐かしい、少佐殿」


同日 午後二刻七尺 兵部省 陸軍局 二階廊下
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久



――さて、この場を如何におさめるべきか
 馬堂豊久中佐は眼前で張りつめた空気を作り出している少佐と大尉――駒城家育預である新城直衛少佐と駒城家重臣団の佐脇家長男佐脇俊兼大尉を見てうんざりと肩を落とした。
 この二人はあらゆる意味で対極的な存在である。
 ――俊兼さんはやや融通が利かないが人当たりは悪くない、幼年学校を出ずに、半年の見習士官制を経て任官したのだが、将校としても兵と共に苦労する事を厭わない真面目な将校で、こう言ってはなんだが人としての評判は新城よりも遥かに良い。俺も先の駒州兵理研究会の様に駒城での行事で顔を見かければ歓談する事もある。他意なく友人と言える仲だろう。

 問題は例によって新城だ。彼は駒州で初等教育を受けていた時に――何というか典型的な異分子への極めて子供らしい対応をとられていたそうだ――要するに虐め、である。
人間が道徳的になるには自らを学ぶ事よりも相手を批判するのが一番であり、皇帝が国を治める楽な方法はより良い政策を考える事ではなく、小国を侵略し、略奪を行い、奴隷を自国に持ち込む事である。謂れのない敵にとってはたまったものでは無いがそれは忌々しい事に何処でも世の常だ。
「こっち(わたしたち)」は「あっち(あいつら)」と違う、事の大小はあれどもそれが暴力の源泉であり、それは幼い陪臣達にも例外なく適用された。
――その後、何があったのかは知らない、だが、俺が二人と知り合った頃には直衛は周囲から一種の禁忌(タブー)の様な扱いを受けていた。俺が、まぁ何というか若気の至りで大殿の書斎に入り込む手段として声をかけるまでは直衛は、隅で誰とも口を利かずに本を読んでいるだけの少年だった。彼が同好の士であった俺相手以外に、友人らしい友人を作るようになったのは十五になってから入った陸軍特志幼年学校の強制的な共同生活を経た末であった。
 ――そして、その所為か育預殿との縁は腐っても切れないのだ。



同日同刻 兵部省 陸軍局 庁舎
〈皇国〉近衛少佐 新城直衛


「御昇進おめでとう御座います、少佐殿」
 忌々しさを隠さずに佐脇俊兼大尉が言った。
「ありがとう、大尉」

「しかし、幸運でしたな、優秀な大隊長が俘虜となったお陰で貴方が少佐とは。」
 悪意を隠さぬ口調で言う。
 ――ふん、馬鹿らしい。人殺しの才能を妬むのか、この愚か者は。
 馬鹿の後ろで豊久が苦笑している。
「全くだ。僕も驚いているよ、大尉(・・)。君はもう中佐にでも成っていると思っていた。」
 彼に視線を向けながらそう嘯く。
「・・・」
 怒りを込めて格上へと躍り出た新城を睨みつけている佐脇とそれを挑発する新城。眼前の光景に溜息をついた青年中佐は辟易とした様子で調停の言葉を発した。
「おいおい二人ともキツいなぁ。――そこまでにしなよ。」
 だがそれに気がつかなかったのか佐脇が明確な怒りを発した。
「自分は他人の武功で昇進する様な「あのさぁ、黙れ、と言っているのだよ、私は」」
 冷たく、低い声が佐脇の言葉を遮った。
「!!」
 佐脇は言葉を遮った男へ顔を向けた。
「おや、聞こえなかったのかい?――佐脇大尉。」
 その声は瓢然と微笑を浮かべている〈皇国〉陸軍中佐の物だった。

「・・・・・・申し訳ありません、中佐殿。」
 未だに驚きが覚めないのかどこか呆然とした様子で謝罪する佐脇へ短く頷き、馬堂中佐は新城近衛少佐へと視線を向ける。
「君もだ、少佐。陸軍だろうと近衛だろうと、将校が立ち話をする上に口論するなんて言語道断だ」
「はい、中佐殿。申し訳ありません」

「そうそう、偶には素直にする事も大事だよ。
――あぁ大尉、君もそろそろ行った方が良かろう。時間をとらせて悪かった、また近い内に会うだろう。その時を楽しみにしている」

「はい、中佐殿。失礼致します。」
 佐脇は馬堂中佐にだけ敬礼し、立ち去った。
 ――随分と露骨な事だ。

「――それで?誰か尋ね人かな?」
出口へとゆっくり向かいながら豊久は新城に話し掛けた。

「はい、中佐殿。窪岡戦務課課長閣下に挨拶を、と」

「あぁ、窪岡課長閣下か。
退庁時刻の前には本部に戻ると言っていたから――時間を考えれば出口で会える筈だ。
多分、閣下もお前を待っている筈だよ。何しろ、ある意味ではお前の世話を若殿以上にしているからな」

「?」
 彼の言葉の意味を図りかねていると、馬堂中佐は軽く笑って正解を告げた。

「前の人務部長だよ。今は栄転なさっているけどな」

「成程。 それは確かにお世話になっていますね」
 新城も苦笑いするしかなかった。
「あぁ、お前を北領に送り込んだ張本人さ、と。出迎え御苦労さま、少佐」
 馬堂中佐が答礼をする先にはいかにも秀才参謀といった容貌の少佐が居た。
「はい、中佐殿――新城少佐、窪岡閣下があちらの馬車でお待ちです」
 軍人としては少々細身であり、血色と感情の薄い顔には見覚えがあった。
 ――確か馬堂家の子飼の者で戦務課の参謀だった筈だ、窪岡少将の出迎えか。
「それでは、近いうちに会おう、新城近衛少佐――大辺、相談したい事がある、少し良いかな?」
 ふ、と一瞬邪気のない笑みを浮かべ、すぐ真顔に戻ると秀才参謀へ声をかける・
「はい、中佐殿」
 二人は連れ立って馬堂家私用の馬車の中へと消えていった。



 
 

 
後書き
 草浪さんは部長が少将相当なのに次長が中佐なのはちょっと違和感があったので改変。


一発ネタNGシーン
佐脇 「御昇進おめでとう御座います、少佐殿」

新城 「ありがとう大尉。 僕も見習い士官制などで遊ばず死ぬ気で勉強して良かったと思っている」

豊久「それ別の新城さんや」


 

 

第三十三話 備えあれど憂いあり

 
前書き
新城直衛 戦災孤児であるが駒州公爵・駒城家育預として育てられる。
 敗戦後の政争により近衛少佐に就任する。

窪岡敦和 前陸軍局人務部長にして軍監本部戦務課長である陸軍少将
駒城家長男である駒城保胤陸軍中将の友人

馬堂豊久 駒州公爵家重臣団の名門馬堂家嫡流
 陸軍中佐であるが大規模混成聯隊の聯隊長が内定している

大辺秀高 陸軍少佐、馬堂豊久の父である豊守の部下の遺児
馬堂豊守が後見人を務めていた。軍監本部戦務課勤務

堂賀静成 軍監本部情報課次長の陸軍准将 豊久の元上司であり、
情報将校としてのイロハを教え込んだ恩師。

特高憲兵 陸軍の情報機関である特設高等憲兵隊の隊員
 軍監本部直轄であり事実上、情報課の指揮下にある。

馬堂豊守 馬堂家当主の長男にして豊久の父。兵部大臣官房総務課理事官の陸軍准将
     輜重将校だが若いころに膝に弾を受けており後方勤務専門となっている。

弓月由房 内務省第三位の内務勅任参事官。前警保局長
 故州伯爵であるが衆民官僚を取り纏めて派閥を構成している。

弓月茜  弓月家次女 馬堂豊久の許嫁。実際コワイ 

 
皇紀五百六十八年 五月 十五日 午後第三刻
軍監本部公用馬車内 〈皇国〉近衛少佐 新城直衛


 対面に座っている人物へ目を向ける。ほっそりとした顔に似合わない無骨な顎髭を生やしている高級軍官僚、
 ――軍監本部戦務課課長・窪岡淳和少将だ。

「貴様の義兄殿から話は聞いているな?」
「はい、閣下には必ず御挨拶をしておけ、と」
「あぁ、挨拶は大切だよ。」
窪岡少将が薄く笑いながら頷く。

「えぇ、餓鬼の時分から義兄にそれだけは口うるさく教えられました。感謝しております」
 まさしく駒城保胤ここにあり、とでもいうような行動に目の前の将官が声を上げて笑う。
「――そうだな、貴様の義兄殿はそう云う人間だ。だからこそ、此処まで苦心して筋道を立てたのだからな。――貴様は既に近衛少佐になっているな?」
「はい、閣下。衆兵隊司令部附です。」

「あぁ、そうだろうな。だが、すぐに新編の大隊が与えられて司令部附の辞令は外れる筈だ。
衆兵隊司令長官である実仁殿下は旅団を任せても良いとお考えだったのだが、流石にそれは周囲の反感を買いすぎる」

「有難うございます」
 ――矢張り、奴の予想通りか。まぁ、確かに旅団長は准将が補職される事が常識だ。新任の少佐を其処に任じるのは無茶に過ぎるだろう。
 ――それに、豊久が聯隊を指揮する事が決まっている以上僕が(実際は三千名程度の聯隊規模とは言え)旅団を持っている彼方此方で要らぬ騒ぎがまたぞろ騒ぎだすに違いない。

「そうだよ、恩に着ろ。特に、義兄殿と この俺に、あれこれと大変だった。人務部長としての初仕事と仕事納は貴様に拘ったのだからな」
豊久の言葉を思い出し、何となく面白みを覚えた。
――世話になった、か。確かに、そうかもしれないな。

「貴様もそれなりの働きをしたからな。これからは並みの将家以上の待遇になるだろうさ。
ほんの数年で旅団が手に入る位にな」

「はい、閣下」
――それまで国が保てばいいけれど。
半ば禁句になっている言葉は胸にしまっておいた。
「あぁ、そう言えば貴様、参謀教育は受けているのか?」
「いいえ、閣下」
 新城が軍の中で受けた教育は幼年学校で受けた銃兵としての基礎教育だけで、後は強いて云えば剣虎兵学校で戦史の教官の真似事をした程度である。

「そうか、まぁ貴様の様な男は実戦の指揮だけで十分だ。
兎に角、保胤にしろ俺にしろ――それに殿下も貴様の実力に見合った地位に就く事を望んでいる。理由については言うまでもないな?」
 窪岡の言に新城は内心肩を竦める。
 ――その理由は三者三様だろう。だがそれは義兄や豊久たちの領分であり、自分は好き好んで関わろうとは思わない。
「僕は受けた恩義は忘れません。とりわけ、義兄から受けたものは絶対に。」
 ――また、その逆も然り、であるが。
 佐脇の顔を思い浮かべつつ内心で毒づく。
「それだけか?」
 窪岡は睨むような目で新城を探る
「僕にとってはそれで十分以上です」
「成程、保胤が聞いたのならば、喜ぶだろうな」
 鼻で笑いながら頷く窪岡へ新城はわずかに唇を歪めて答える。
「御内聞にお願いします。何しろ義兄は、なんと云いますか、御存知の通りの御方ですから」
 それを聞いた窪岡少将は笑いを噛み殺しながら云った。
「貴様も人物眼はあるようだな」

「育ちが育ちです、閣下。人間と云うものに興味を持たざるを得ません」
それと他人に好かれるかどうかはまた違うことは新城も身を以て知っている。
 ――何かと義兄達に気をかけられたりもしたが、どうにもならない事もある。
「率直でもある」
「正直と評されたらどうしようかと思いました。」
 面白そうに新城との問答に目を輝かせていた窪岡は声を上げて笑いながら「そうだな、貴様があの馬堂の若造と長い付き合いだと知らなかったらそう言ったかもしれんな」と云い。
今度は新城が苦笑を漏らす事になった。
――奴は余程の事か、冗談くらいにしか嘘をつかないが、正直と評するには程遠い。本人が聞くと不貞腐れるだろうが、奴は祖父や父の影響が良くも悪くも強いのだ。

「あぁ、それは確かに。ですが、それなら我慢強いとも評していただきたいですな」
 これを聞いた少将は呵呵と笑いだした。

「貴様の義兄殿も貴様の事はちゃんと見ている様だな!保胤から聞いていた通りだ!」
そう言って再び笑い声をあげ、「――貴様、人務部で草浪中佐に会ったか?」
その響きが消えない内に冷静な声で新城に尋ねた。
「はい、閣下」
「貴様はどう見た」
 ――貴様は、か。
「守原の陪臣では一番のやり手だと聞いていました。確かに世評に違わない人物だと」

「ほう、それで?」
窪岡少将は面白そうに観察するが、その視線を受け止める新城は愉快とは感じていなかった。
 ――この手の事で奴と比べられるのはあまりいい気がしない。奴が頭に叩き込まれた人名簿の分厚さはあの家の家風を考えれば分かる。
「――切れる男です、出来れば好意を勝ち得たいと思っております」
「そうか。」
 顎に手をやり、考えを巡らせている。軍官僚として高い評価を得た頭脳がどの様な思考を紡いでいるのだろうか。
――ふと人務部で見かけた両性具有者を思い出した、彼女(かれ)らは完全な美貌に加え、
優れた論理思考能力を持っていると言われている。――まぁ、自分には縁のない類の人々だ、少なくとも当面は。

 馬車の中の静謐は外の喧騒に破られた。馬の嘶き、人の怒号、そして――呼子の甲高い音が馬車の中を満たす空気を切り裂いた。
 新城が半ば反射的に扉を開き、周囲を見渡すと人垣の中心に邏卒達が集まった野次馬達を追い払い、怒号を交わす男たちの姿が視界に飛び込んだ。
 豊久や草浪中佐の警告が新城の脳裏をよぎった――
「閣下、宜しいでしょうか。」
 ――偶然ではないだろう、ならば事の結末を見届けている奴が居るはずだ。
「よろしい、気をつけろよ。何かあったら保胤に顔向けができん」

「大丈夫でしょう、それに何かあっても僕にも用意はありますので。」
 かつて大隊長と仰いだ友人が我儘を言って作らせた輪胴短銃を見せた。
「成程な、だが油断はするなよ。」
 窪岡少将の言葉を背に地に足をつけた。
 ――さて、何処にいるものやら。



同日 午後第三刻半 馬堂家私用馬車内
馬堂家嫡男 馬堂豊久

 馬堂豊久中佐は事故から三寸もせずに馬車の対面に飛び乗って来た客人に目を向ける。
一見すると精々が兵役を終えたばかりの商店員くらいにしか見えない。
だが隙のない身のこなしと着物の左胸が細長く膨らんでおり、彼が暴力に慣れている事を馬堂中佐に読み取らせている。

「見事な手腕だ、さすが堂賀閣下の信を受けるだけのことはある。」
 馬堂中佐の世辞に特設高等憲兵はにこりともせずに答えた
「いえ、元からあの手の連中が出入りしている政国屋は警戒対象に入っていました。
室長閣下も不穏な動きがあったら止めよ、と。人殺しを稼業にして三代の連中です、叩けば埃がでてきます」
 ――成程、予想的中だな。
さきの奏上以降、主だった将家達やその影響の強い大店ともに特高憲兵の監視下に置かれていた。中でも守原家御用達の政国屋は特に裏社会に強く通じており、当然のごとく最重要監視対象の一つに数えられていた。そして、政国屋が愛用する“事故”を引き起こす者達が動き出したとの一報は古巣である防諜室に確固たる影響力を確保している情報課次長の通達に従い、即座に馬堂豊久中佐の下にも届いたのである。
「後始末は此方で行う、後は任せてくれ」
 そういうと階級も知らぬ(おそらくは尉官か下士官)私服憲兵は背筋を伸ばして頭を下げた。
「――御協力感謝いたします、中佐殿」
 そしてそれは単なる政局上の駆け引きではない、特設高等憲兵隊皇都本部が下した判断として、小規模な事故を引き起こし、皇都視警院の手によって捕縛させる事で警告とすることにしたのである。であるからこそ、警察に強い影響力をもつ堂賀准将達憲兵将校と馬堂家と関係が深く、警保局長の経験者である弓月由房内務勅任参事官の協力を必要としていたのである。
――俺がまた顔をあわせたら再度、伯爵から無言の圧力がかかるのだが。
愚痴は内心にとどめ、馬堂中佐は眼前の私服憲兵に目礼をする。
「あぁ、本部長に無理を聞いてくれた礼をよろしく言ってくれ。」
 ――失礼致します、中佐殿。
 そう言い残し、路地に名も知らない男は飛び降りた。

「・・・・・・」
「何だ?大辺。」
隣に座っていた大辺少佐がじっとりとした視線で馬堂中佐を見ている。
「手馴れていますね」
「防諜室や特高憲兵は人手不足だったからな。まともになったのは堂賀准将――当時は大佐だったな、あの御仁が就任してからさ。俺が在籍していた頃はまだ再建の途中だった。それまでは防諜じゃなくて互いの脅迫の手段を探す方に熱心だったよ、魔導院に裏舞台から追い出されてから這い上がるのも一苦労ってやつだ」
 ――そう、俺が赴任していたのは、ようやく内輪もめを押さえ込み、職務を行える様になった頃だ。防諜室長として辣腕を振るっていた堂賀大佐にさんざんこき使われたものだった。
 ――さてさて、閑話休題、と。

「あぁ、一応もう一度あの辺を回ってくれ、捨て剣虎兵がうろついていたら拾うから。」
 そう馬堂中佐が御者に声をかける横で大辺少佐は――相変わらずですね、と溜息をはいた。


同日 午後第三刻半過ぎ 皇都西本条通り
駒城家 育預 新城直衛


視線をさまよわせ、考える。
 ――豊久は普段はアレでも謀り事には敏感だ。俺に警告するのだから奴自身も何かしら備えていてもおかしくない。例えば、軍監本部へ義兄に会う為に出頭していた時に古巣に立ち寄り協力を取り付ける等。
 だがそれも確証はない。荒事の気配を感じて気が高ぶり、不必要に行動的になっているのだろう、と自己分析をし、自嘲の笑みが浮かべる。
 ――浅ましい、千早の方が理性的かもしれないな。
そうおもいながら伏せていた顔を上げると視界の端に馬車が映った。
「どうやら向こうから迎えが来たようだな」
 鉄路馬車も混み出す時間だし調度良い、などとどうでもよい事を考えていると件の馬車の扉が開き、先程別れた面が手招きした。
「おぉ、引きがいいな、感謝しろ、そして敬え。」
「まことに申しわけないが貴様を敬うには過去の行状を知りすぎているな。貴様に酒を教えたのを誰だと思っている。」
 馬車に乗り込みながらお決まりの下らない言葉の応酬をする。

「それで? 今度は俺を釣りの餌にして何を釣った?」
「何だ、人聞きの悪い、心配して来てやったのに。なぁ、大辺」
「はい、中佐殿」
 軍人式の返答を白々しい口調で飾りつけた返事に豊久は苦笑して肩を竦めながら新城少佐に向き直った。
「貴様も厄介事に好かれるな、結構な腕っこきを引っ張り出した奴が居たらしい。――依頼元は調査待ちだ」
と言った。大方見当はついているが、確証がないのだろう。

「腕っこき、か。俺もそれなりに他人に認められたわけだな。あまりいい気はしないが」
 ――こういった時しか評価されていない様な気がする。
 
「窪岡少将と二人あわせて殺すつもりだったのかもしれないな。
彼は駒城派の将官だ、よほどの騒ぎになる。それに乗じてお前と窪岡少将の血で総反攻復活などと馬鹿げた夢をみたのか?
だとしたら、お前が奏上の時に余程恨みを買ったのが切欠だろう。奏上も終わったのに感情だけで態々金を積んでまで、将官の馬車を追って殺しに掛かったのだからな。――本気で夏季総反攻を強行するのならば、奏上の前にお前を奉書ごと焼くだろうさ」
情報将校の狡知の光を瞳に過らせながらの若い中佐が発した言葉に新城も短くなずいた。
 ――此奴なら本当にやりかねない。

「貴方も大概ですよ。全く変なところばかり豊守様に似て――」
 隣の秀才参謀が頭を抱えるがとうの若手中佐はそれを意に介さずひらひらと手を振りながら気の抜けた返事をする。
「じゃなきゃこの高貴な育預様とこんな長い付き合いが出来るわけないさ。」
 ――さて、と書類仕事が終わったと思ったがこれでは駆け込みで残業だ。
ちょいと俺は降りるから宜しく。――大辺、父上に言伝を頼むぞ」
 何時の間にか官庁街へいたる十字路に来ていた。歩いて小半刻程度で内務省に到着できる距離である。
「新城、二度目があるかもしれないからな、気をつけろよ。俺に出来るのは所詮、対症療法だけだ、何も解決していないからな」
 ――そう言って姿を雑踏の中に溶け込ませていった。



同日 午後第六刻 馬堂家上屋敷 
兵部大臣官房総務課理事官 馬堂豊守准将


脳裏で図面を引きなおしながら豊守は息子へと視線を戻す。
「――守原は一枚板ではないようですが、当面、表面化する事はまずないでしょうね。
守原定康は駒城の切り崩しに取り掛かる様です――意外と言うべきか、突くべきところは見ているようですね。自分達が誰に何を押しつけたのかを忘れたみたいですが」
うんざりしたようにひらひらと書状を振りながら北領の英雄は露骨に不機嫌そうに吐き捨てる
「本当にいい面の皮をしている。敵を押しつけた相手に此方に来いとは」
 ――当事者としては憤懣やる方無いだろうな。水軍の責任者であった中佐と殿下が居なければどうなっていたのやら。
 さてどう宥めたものかと豊守は探りを入れるべく口を開いた。
「それで、豊久、お前はどうしたい?」
「乗るのは論外としか言いようがありませんね。とはいえ露骨に事を構えるのも悪手でしょう。
不本意ですが、守原に恨まれるのは危険極まりない。前線でまた連中の後始末を押し付けられるのは御免ですよ」
 そういうと豊久はぶるり、と身を震わせた。
「あぁ、嫌だ。またあの屑が前線にしゃしゃり出て来たらどうしよう」
珍しく生の感情をむき出しにした息子に豊守は眉を顰めて忠告する。
「豊久、恨むのはよいが、それで判断を曇らせてはいけないよ。焦っては駄目だ」

「――功を焦って急いてはいけない、居丈高に構えても無駄だ。要らぬ力を込めてはならぬ。ぬらりと相手の懐を覗き込め――ですね?」
 息子が目を閉じて暗唱した言葉に豊守はにたりと笑って尋ねた。
「お前も教えられたか。どうだ役に立ったか?」
 彼も父から教えられた言葉であった。
「覚えていますよ、とても役に立ちました」
そういって浮かべる不敵な笑みは中々どうして板についていたものである。
「女性には使えないようだがね。女性の泣かせ方が最悪だ。茜嬢に愛想を尽かされても知らんぞ?」

「いや、そのようなアレは、その、困ります。」
あっさりと取り乱した息子に苦笑を浮かべる。
 ――まだまだ、若いな。将家の嫡流としては二十も半ばを過ぎてこれでは困るのだが――私も父も既に子を持っていた年なのに。
「正直なところ、余計な厄介事が入り込む前に婚姻を結んでほしいのだがね。
弓月殿との関係も安定させたいところだし、私も孫の顔を早く見たい」

「――何を言ってるんですか、四十半ばで孫は早いですよ。」
豊久がじっとりとした目で抗議するが豊守は即座に切り返す。
「身を固めていない佐官と言うのは遅すぎるだろう。少佐にもなっているのなら身を固めるのが常識だろう?」
「それは、あー平時の話でして。その偶々中佐になっただけである自分としては前向きに検討する要素ではありますが元々否、と言うには根拠が皆無に等しいわけでして
だからと言ってただちに話を進めるのはやぶさかでなく。しかし、善処の方向へと向かいつつある事を自分は確信しております」

「無駄に長く無駄に丁重な無駄な長広舌をありがとう。つまり婚姻するには裏事情が鼻につくと。それはそれ、これはこれ、だろうに。
お前だって弓月殿の伝手を利用したばかりじゃないか。それで茜嬢と面も会わせないのは筋が通らんだろうよ」
 弓月由房故州伯爵も激化する政争の中で、駒城との結びつきを強めている。
 その中でも特に強力な結びつきが重臣団の中でも次席と云われている馬堂家との婚約である。
 そっぽを向いて細巻をふかしているとうの婿でさえ。つい先ほど政国屋と守原の干渉に備えた根回し工作に内務省庁舎に赴いたばかりである。
――或いはそうしたことを教え込んだ所為なのかもしれない。
そう豊守は思い至った。自分の内側に爆弾になりうるものを持ち込む事を恐れているのか。
 ――やれやれ、若い内から裏事情を教えすぎたかな。

「話を戻すが、取り敢えずは西原を介した適度な便宜でよかろう。
元々、本命は西原であって守原の伝手は必要ないし、駒城に反旗を翻すつもりもない」
頼る先を考えるにしても、西原はまだマシだが、守原は論外だ。
 積極的なのは良いが、あからさまに信用を落として勝利を得てもなんの意味もない事を理解していない。 社会は与える事と与えられる事で回っており、その全てを回すには力による規律と信用の両方がなければならないのだ。私はそれを理解していない沈む船に乗り込む程に水練は得意ではない」

「そうですね。本当ならば二重間諜(スパイ)なんて綱渡りは御免ですが。」

「大殿にこの事は伝えたほうが良いだろうな。まったく何かあると皆が我々を疑う、酷い話じゃないか。
豊久、お前もそう思うだろう?」

「・・・・・・そんな家風がこの四半世紀年で創られましたからね。かつての軍閥貴族もそれなりに平時に迎合できていた、と云う事でしたが」
そう言ってまた二人で苦笑を交える。

「――直衛の事もあります、気をつけて下さい。」
 ――これから戦場に赴く奴が云う言葉ではないぞ、馬鹿息子め。
「あまり心配するな。私が後方を抑え、お前が前線に赴くのだ。
私も相応に働くだけさ。それに、山崎にあれだけ熱心に言ってくれたからな」
 また不貞腐れて細巻で煙幕をはりだした子供を見て声を出さずに笑った。
 ――政争で勝利を得る前に〈帝国〉軍が皇都に殺到する可能性を脳裏から追い出しながら
 
 

 
後書き
隔週と言いましたがきりが悪いから本日投稿
四月から五月までガチで立て込んでるので隔週投稿にします。

その後は高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変にペース変更をします。
外伝の方も短編一つ終わらせた後は放置気味ですが一応ネタはあります。
ただアウトプットする時間がないところです。
日常一話と予算抗争編で四話ていどの短編で具体的なプロットで需要があれば書こうかなと思ってます。 

 

第三十四話 千客万来・桜契社(上)

 
前書き
今回の主な登場人物

馬堂豊久 駒州公爵家重臣団の名門馬堂家嫡流 陸軍中佐

新城直衛 戦災孤児であるが駒州公爵・駒城家育預として育てられる。
     敗戦後の政争により近衛少佐に就任する。

笹嶋定信 水軍中佐 統帥本部戦務課参謀


駒城篤胤 駒州公爵・駒城家当主 半ば引退しているが<皇国>陸軍大将でもある。

駒城保胤 駒城家長男 <皇国>陸軍中将にして駒州鎮台司令官

実仁親王 皇主の弟にして近衛衆兵隊司令官である近衛少将
     駒城閥と協力関係にある。 

 
皇紀五百六十八年 五月十六日 午後第三刻 小半刻前
桜契社大会堂 〈皇国〉水軍中佐 笹嶋定信


 水軍士官である笹島は陸軍士官の擁するこの会館に足を運ぶのは初めてであり、軍人貴族を象徴するかのような質実さと典雅さが複雑に入り混じった造りを興味深そうに眺めながら大会堂に足を踏み入れた。
「・・・・・・これは、なんとまぁ」
 待ち合わせ先の円卓に揃った面子を見て笹嶋は駒城保胤中将と新城近衛少佐、俘虜交換式でも帰還式典でも見たことがないほど畏まっている馬堂中佐――そして駒城篤胤大将が円卓についていた。敬礼を交わすと駒城の老公が深みのある声で少壮気鋭の水軍中佐を歓迎するべく新城へ視線を送った。
「直衛、お前の友人に紹介される栄誉を与えて貰いたいのだが」
「はい、殿様。此方は笹嶋水軍中佐です」
「笹嶋中佐?」
 わざとらしく目を見開き、笑みを浮かべると老練な政治家として知られる姿とは違った稚気が伺えた。
「成程、お前達が北領で共に戦った人物か?笹嶋君、噂は伺っておりますぞ。儂の末子と家臣が世話になったようですな。お礼を申し上げたい」
 白々しいがこれも儀礼の一種であった新城が駒城の末弟として紹介するのでもなければ大将と中佐か馬堂中佐(家臣)の友人と主家の当主として話す事になってしまう。
「それでは、儂の長男を紹介させて貰いたい」
「はっ、光栄であります」
 保胤中将もこうして紹介される事で中将ではなく貴人として扱われる。挨拶の交わしかただけでも形式次第では非常に面倒な事になるものである。
「それと君も知っているだろうが、馬堂家の嫡流である馬堂豊久だ」
「お久しぶりです、笹嶋中佐」
 将家の重臣らしく控えていた中佐とも礼を交わし、笹嶋は勧められた馬堂中佐と新城少佐の間の席につく。
 ――私が座っても席がまだ三席空いているが誰かが来るのだろうか?
「随分と居心地が悪そうだね。北領の時とは随分と違って見えるな」
 事情を知っているであろう隣に座った青年中佐に囁くと
「陪臣にとって、主家はある意味では皇族以上に分かり易い畏怖の対象なのですよ。軍務内や完全に私的な場なら上官か友人で通りますがこうした場では育預殿も主家に連なる末弟殿でして。ここでは皆様が目上なので私はひたすらに畏まるのみです」
と豊久もそう言って苦笑する。
「育預といえども末弟か。随分と私が知っている将家と違うな」

「はい、今は五将家の雄と言えど元をたどれば駒城は豪農から身を立てた家ですからね。そう言った家風なのですよ――ちなみに、私の家はそこの馬丁上がりです。」
 そう言って馬堂中佐がにやりと笑う。
「まぁ、主家がそう言っているのですから、然るべき人望があれば万事がその通りに扱われてもおかしくないのですが――本人の対人関係構築能力に問題がありまして、よほど酔狂な連中しか寄ってこないのですよ。実際、これまで匪賊討伐や辺境での反乱鎮圧で結構な功績を上げていますし、もう少し上官達と上手くやっていれば良かったのですがね。そうであったら北領に赴任する前に大尉か上手くすれば少佐になっていてもおかしくありません」
 わざとらしく笹嶋にヒソヒソと囁く。
「聞こえているぞ、酔狂者の筆頭格め。」
 口元を歪めた駒城家の末弟が軽く笑いながら口を挟んだ。
「酷いですね、御育預殿。私はこれでも陪臣格の間では良識派で通っているのですよ?」
「恐妻派見習いの間違いだろ?
相変わらず婚約者から逃げ回っているそうだが?」
 哀れ、良識派は苦笑を浮かべて沈黙してしまった。

「笹嶋君、君の噂は直衛から聞かされていた。
今の配置は統帥部参謀だったね?
水軍は陸軍よりも信賞必罰についてきちんとしている。」
保胤中将がそれを笑って眺め、言った

「第十一大隊が築いた軍功のお零れと言ったところです。
まぁ、自分は貰えるものは貰っておけ、と云う性分ですので有難く頂戴いたしましたが。
えぇ、それに有望な人脈も得られる事は統帥部参謀としても有り難い事でして。」
少々露悪的な口調で言うと公爵大将が面白そうに体を揺らした。
「成程な、直衛達が気にいるだけの事はある。」
 ――どうやら駒州公からみたら私も酔狂者らしい。
「それにしても、新城少佐が近衛に配属されたのは驚きました。殿下は衆兵隊の改革に熱心だったそうですが、これもその一環でしょうか」
 笹嶋の言葉に隣に座っている馬堂中佐が僅かに身じろぎした。
大店の若番頭が客に向けている様な顔つきは変わらないが、保胤中将に向けている目つきだけが鋭くなっていることに笹嶋も気づいていた。
 主家の若殿もそれを微笑で受け止めながら笹島へ言葉を投げかけた。
「えぇ、実仁親王殿下が強い御希望なさってね。
北領でいよいよ必要だとお考えになったのだろう。君も確か――」
「えぇ、最後まで北美名津にいらっしゃいましたので幾度か拝謁の栄を。」
 保胤は笹嶋に軽く頷くと二人の陸軍佐官に視線を向けた。
「直衛、馬堂中佐」
「はい」
「はっ」
 ――誰だ、お前ら。
そんな阿呆な言葉が笹嶋の脳裏をよぎるほどに らしくない返事を二人がした。
――駒州の若頭領の声望はけして過大ではないようだ。
 笹嶋の感心を余所に保胤中将は刻時計に目をやりながら話題を続けた。
「暫くしたら実仁親王殿下がおいでになる」
「――」
ぴくり、と笹嶋の横で馬堂中佐の方がはねた。
「お忍びで近衛少将としてお見えになる。将校としての礼のみで十分だと仰っていた。
殿下は――いや、実仁少将は新しく幕営に加わった将校と親しく言葉を交わす事をお望みだ」

「それは光栄な事です」
 新城の答えはその内容に反してなんの感慨もこもっていない声であった。

「あぁ、それと――」
 ちらり、と自身の陪臣に視線を送り。
「それと戦地で文を交わした将校にも、だ。」
「――――う。」
 野戦昇進した少佐の身でありながら水軍中佐に伝書竜をやらせた男はだらり、と額に汗を浮かべた。
 その様子を、笑みを浮かべた駒州公が眺めている。
「笹嶋君もよろしく願いたいのだが。」
「はい。」
会話の合間に給仕達が弱めの米酒と軽いつまみを円卓に並べる。
これで実仁親王殿下が到着するまで間をもたせるのだろう



 小半刻もすると場もほぐれてきた。尤もそれを分かりやすく示したのは新城少佐だった。
細巻を楽しみながらつまみと杯を口に運んでいる。
 一方の馬堂中佐は最初に杯を交わした後は二杯目を半分まで空けてからは頭をふらふらさせている。気がついた新城少佐が苦笑を浮かべてつまみと水を追加で持ってこさせてからはもそもそとつまみを水で流し込みながら黙って耳を傾けていた。駒城親子と笹嶋は杯を傾けながら世間話をしている。

「――是非とも笹嶋君には御家族ともども我が屋敷の庭宴においでいただきたいですな。」
「えぇ、喜んで伺います」
 先程の言葉の通り、笹嶋にとって駒城との縁を築く事はけして損ではない。ましてや守原が他の将家の囲い込みを始め、その戦略方針に納得出来ない以上はその利益は水軍の衆民将校達の大半へと還元されるだろう。

「あぁ新城少佐、君の猫をその時に子供達にもみせてやってくれないかな?
私の話を聞いてからは随分とお気に入りでね」

「えぇ、分かりました。千早も幼子の扱いには慣れていますし、問題無いでしょう。
千早にも磨きをかけておきますので、中佐殿も楽しみにしていてください」 
 新城少佐が嬉しそうに言った。
「――幼子? 千早が内地で婿でも見つけたのですか?」
 口数を減らしてもっぱら飛び交っている話に耳を傾ける事に専念していた豊久が首を傾げて新城へと尋ねる。
「幾ら何でも3ヶ月でそれは早すぎだ。」
「ならば人間の子供ですか?だとしたら随分と豪胆なことですね。哀れな未来の剣虎兵将校候補生ですか?」
 水をすすりながら豊久は茫洋とした口調で問題発言をする――が
「なに、初姫様にそんなことをさせるわけにもいかんさ」
「初姫――さま?」
「「ブッ」」
それをあっさり上回る問題発言が飛び出した。
「ゲホッ――おい、待て、それって――」
 噎せこみながら馬堂中佐が話し出した。
「――失礼、御育預殿の監督の下なら問題無いでしょうが。」
驚きのあまり酔いが醒めたのだろうか、口調が戻っている。

「姫様が随分と気に入って下さったようでな。」
口元をほころばせて軽く手を振る。

「直衛がついているのならば間違いは起きない、千早ならば尚更だ。
君も昔から分かっているだろう、中佐?」
微苦笑を浮かべた保胤中将が口を挟む。

「――はい、申し訳ありません、出過ぎた真似を致しました。」
陪臣の顔で謝罪する馬堂中佐に、
いいよ、と軽く手を振る姿は衆民が漠然と抱いている将家の理想を絵にしている様だった。



小半刻程、雑談を交わし空気がほぐれると保胤中将が顔を引き締め、
私に本題を訊ねた。
「――それで笹嶋君、統帥部戦務参謀として聞きたいのだが
水軍は現況をどう見ている?」

さて、ただの会食の筈はない、これからが本番か。
「内地侵攻の阻止は不可能です。
如何せん現有の戦力では数が足りません。
統帥部と皇海艦隊司令部ではそう結論しております。」
東海洋艦隊司令部の浅木司令長官達は総反攻推進派だった、今では流石に大人しくなっているが――

「まとまりそうかね?」
駒州公が茫洋とした表情のまま私に尋ねる。
「努力は払われています。」
楽観は難しい、統帥部の中にだって守原派は居るのだ。

「まさかとは思いますが、艦隊決戦なんて考えているのですか?」
馬堂水軍名誉中佐が面白そうに口を挟んだ。
「計画自体は持ち上がっている、見てみるかね?」
「結構です、それで華々しい戦果を上げても次に続かないでしょうしね。」
肩をすくめ、首を振る。
 ――素人考えですが。 と断りをいれて馬堂中佐は口を開いた。
「四十隻で〈帝国〉辺境艦隊の相手は厳しいでしょう。
上手く撃退出来たとしても、消耗した後に再度揚陸を試みられたら後方攪乱すら不十分になる可能性が高いでしょう。
私ならば当面は見せ札に徹しますね、水軍は|我々(ほうへい)以上に金を食いますからね。
相手を引きずりだすだけでも十分に敵の懐に穴を空ける事が出来ます。」
 ――さすが馬堂家と言うべきか、金勘定に目を着けるか。

「私も同意見だ。四十隻の集中投入を防ぐ為には最低でも三倍――百二十隻は必要になる。」
「一度に百二十隻も、ですか?確か――辺境軍が所有する艦隊の総数とほぼ同数ですね。
敵の水軍総てを複数の補給線・港湾の防衛に充てる事を強要する、総計はどの程度になりますか?」
そう笹嶋に訊ねる馬堂中佐の顔つきは参謀のものだった。
「現状では最低でも二百四十隻以上、内地侵攻の際には六百隻の大台に乗る。
まぁ、理論上の話であって向こうがそれだけ用意するには一年近くかかるだろう。」
興味深げに笹嶋の話を聞いている保胤中将に視線を向ける。

「――それまでは此方も通商破壊と艦隊の拡充に全力を注ぐしかないですな。当面は陸の方に苦労してもらわなければなりません。」
「その後は何としても生き残る、〈帝国〉の国庫が底を覗くまでは。
それしか勝ちの目はない、か。水軍の戦争指導も此方と同じようだったか」

「陸軍も同様ですか」
「努力が払われていると云う点も、だがね」

「〈帝国〉も大国としての悩みを抱えています。凱帝国にアスローン、現在は一時的に凪いでおりますが〈帝国〉は西の国境においても火種を抱えているのは事実です。あちらも騒がしくなれば多少は楽になるのですが」
 馬堂中佐が額を掻きながら言う。
「在外公館も動いているがそれを当てにする分けにもいかない。御国もこれから更に傷つくだろうな」
 保胤中将が悲しげに頷く。
「国力がちがいすぎるのです、義兄上。」
 義弟が慰める。
「直衛、お前の予想は如何なものだ?」
駒州公が自身の末子に目を向ける。
「義兄上の仰る通りです。碌でもない事になる事だけは確信しています。
正面きっての大会戦による短期決着は論外です、長期消耗戦に持ち込むしかありません。」
 新城も躊躇なく断定する。
「昨今の戦では戦費の増大に拍車がかかっています。
短期決戦が行えない以上はよほど上手くやらないと〈帝国〉軍に手を引かせる事に成功しても大量の財政赤字が残ります。
そして、〈帝国〉も〈皇国〉に負けたとは思わないでしょうから賠償や領土割譲で損失を埋める事も期待出来ないでしょう。
戦後の事を考えると恐ろしいくらいです。――まぁ、尤もこうした事に関しては義兄上の方がよく御存知でしょう。」

「嫌な話を持ち出す。私も子供の内に駒城の内情を見せすぎたな。」
 そう言いながら保胤中将が軽く頷いて賛同の意を示す。
「事実、弾薬の消費量は恐ろしく跳ね上がりましたね。
第十一大隊が苗川で戦闘した際には消耗を避ける為に白兵ぬきでしたから尚更でしょうが。
予想よりも消耗が早かったので、冷や冷やしました」
そう言って馬堂中佐は目を伏せた。

「君の父――豊守准将が伝えてくれたのだが弾薬消費量についての報告が上がってきた。
金穀の総額は未だ終わっていないようだが。」

「どうでした?」
 笹嶋も興味を示した。陸兵隊の事も考えれば水軍もけして無関係ではない。
「天狼――は二刻程度で大崩れしたからあまり参考にならないが、
その後の遅滞戦闘などの統計によるとおおよそ三刻で銃兵は三百発以上、砲兵は一門につき約二四〇発と出ている。」
「いいですね、計測出来る幕僚が居て」
 しみじみとある意味泣ける事を呟く砲兵中佐に新城も深く頷いた。
苦労人達を無視して保胤は台詞を続ける。
「今後、正面からの大会戦――それに類するものが発生した場合、一日で当砲には一門あたり千発、銃兵には一人あたり千二百発を用意せねばならない。
更には兵站の増強も必要だ。弾薬の増産備蓄に工廠の増設、――更には後備の動員。
戦費の工面に苦労するだろうな」
 苦い顔で〈皇国〉最高と評された軍政家がこれからの苦労を語る。
「水軍はいかがですか?」
 馬堂中佐に促され、笹嶋も口を開いた。
「我々は北領で戦闘を行わなかったがそれでも消費弾薬の増加傾向が著しいのは確かだ。
だが問題はそれだけではない」
「艦の新造かね?熱水機関を積んだ船が活躍したと聞いたが。」
駒州公が興味深そうに聞いた。
「えぇ、これからは艦艇の熱水機関化、それに伴う黒石の買い付けに保管。
兵站の面倒は陸軍に負けませんな。それに今の所、艦艇用熱水機関だけでも既存の巡洋艦に匹敵する値段でして、予算の問題もまた然り、です。」
 自然と乾いた笑いが出てくる。外からの刺激は今、この国の心臓部も揺るがしている。
「それにしても、あれだな」
 それを理解しているであろう保胤中将が心配そうな顔つきで自身の義弟に話しかけた。
「お前も戦争だけではなく戦後まで憂うか」
 義兄の暗い声に醒めた口調で義弟が答えた。
「自分のような立場の軍人は関わるべきではない、とも心得てはいますが自分の関わらない事にこそ、考えてしまうものです。その手の事で一席ぶつ奴も居ますから」
 そう言って軽く笑う。
「将校であるならば一席ぶてる程度は当然だ。前線の空気を知らないのも論外だが、政治を理解できない将校も同じ程度に性質が悪いと思うがね。我々は軍事指揮官であると同時に行政官でもあるのだから」
 豊久の言葉が無自覚に旧友の何かを刺激したのか一瞬だけ新城は皮肉な笑みを浮かべた。
「堂賀さんに気に入られるわけだな。いや、彼に教えられたのかな?」
いかにも若手情報将校らしい口ぶりに保胤が面白そうに笑った。
「なるほど、馬堂の者だな。豊長も若いころは鼻息を荒くして軍の未来を語っておったわ。
今も鼻息こそおさまったが大して中身はかわってないがな」
 笑いながら篤胤は髭を軽くなでると豊久に視線を向けて云った。
「――ならばいっそのこと聯隊の面倒を見る仕事をおえたら保胤のところでなく儂のところで面倒をみてやろうか?」
つまるところ皇都で篤胤の補佐役として動いてみないか、ということである。
「父上、それは困ります。私の方もなかなか厳しい状況ですからね。貴重な実戦を知ってる若手は宝石よりも貴重なんですよ」
 主君の親子の間で視線を迷わせている豊久に苦笑を浮かべた保胤が抗議の声を上げた。
「わかった わかった。まあこの話はまた状況が変わったらの話だな。そろそろ新たな客人達も到着する頃合いだ。拝謁の用意をしようではないか」
 篤胤の言葉と同時に大会堂の扉が開いた。
 
 

 
後書き
下は明日か来週にでも投稿させていただきます。
御意見・御感想をお待ちしております。 

 

第三十五話 千客万来・桜契社(下)

 
前書き
今回の主な登場人物

馬堂豊久 駒州公爵家重臣団の名門馬堂家嫡流 陸軍中佐

新城直衛 戦災孤児であるが駒州公爵・駒城家育預として育てられる。
     敗戦後の政争により近衛少佐に就任する。

笹嶋定信 水軍中佐 統帥本部戦務課参謀


駒城篤胤 駒州公爵・駒城家当主 半ば引退しているが<皇国>陸軍大将でもある。

駒城保胤 駒城家長男 <皇国>陸軍中将にして駒州鎮台司令官

実仁親王 皇主の弟にして近衛衆兵隊司令官である近衛少将
     駒城閥と協力関係にある。

窪岡敦和 軍監本部戦務課課長の地位にある陸軍少将 保胤の旧友

馬堂豊守 豊久の父 兵部大臣官房総務課理事官である陸軍准将

守原英康 護州公爵・守原家当主の弟 病に臥せっている当主の代わりに政争と軍務を仕切っている
 

 
皇紀五百六十八年 五月十六日 午後第三刻半
〈皇国〉水軍中佐 笹嶋定信


 新たに現れたのは三人の将官であった。敬礼を交わしながら笹島は陸の将官達を観察する。 一人は予告通り、実仁親王だ。笹島自身も最後まで北領の地で協力しあった事は記憶に新しい。 もう一人は窪岡少将、軍監本部戦務課長の要職についている。保胤中将の同期らしく、私的にも親しい関係を築いている事は笹嶋の耳にも入っている。
 最後の一人は片足を引きずりながら杖を突いたと四十半ば過ぎの痩身の准将――馬堂豊守だ。

「さぁ、楽にしてくれ。この場の最上級者は駒城の(じい)だ。」
 そう言いながら乾杯の用意をしている皇族少将を近衛少佐が無感情な眼で観察している。
窪岡少将は新城少佐とぼそぼそと何やら会話を交わし、父と話している馬堂中佐に視線を向けた。

「父上、来るのならば私に言ってくれても良かったでしょうに」
「会議の後に窪岡殿に捕まって連行されたんだ、私も驚いたよ。これでも忙しいのだが――これも軍務の内か」

「――まぁ、確かに随分と豪勢な顔触れですね、駒城の大殿様に軍司令官の若殿様、それに軍監本部の首席参謀閣下に近衛衆兵隊司令殿下、そして兵部省官房総務課の高級官僚ですからね――確かに上手くすれば父上のお仕事が捗りますね」
 
「そう思うのならば今日くらいは大人しくしていろ」
 心無しか引きつった笑みを浮かべた息子にどこか疲れた表情で注意するが
「謹んで了解致します、自分は、万事控え目が信条でして」と豊久は肩を竦めて答えるに留まった。



同日 午後第四刻半 桜契社大会堂
〈皇国〉陸軍中佐馬堂豊久


 皇族――遥か遠い昔に実権を失い、今では名目上の君主とその一族として政治的道具として立ち回り、古の御代から連綿と続く権威の齎す有難味と万民輔弼宣旨に対する恩義によって衆民が払う敬意によって〈皇国〉に君臨している一族である。
近衛の軍装を纏っている実仁親王と自身の旧友である新城直衛を眺めながら皇族将軍率いる近衛衆兵隊に思いを馳せる。
 ――あくまで名目上(・・・)、近衛を皇家の軍として保有している――筈だった。
だが戦時と云う言葉は時には何もかもを変えてしまう言葉である。だからこそ実仁親王殿下は直衛を再建の契機として近衛に引き入れ、大殿達が軍費削減の為に与えた儀仗用(お飾り)の弱兵達を本物の軍に変えようとしているのだろう。
――まぁ、それはいい。この〈皇国〉が圧倒的に戦力不足なのは確かだ、頼りになる部隊が幾らあっても困るものではない。だが、それはあくまで基本的に皇主陛下の認可の下に〈皇国〉陸軍の指揮下にある部隊として、だ。皇家の――とりわけ実仁親王の私兵になっては困る。
馬堂中佐にとって――否、よほどの思想家は別として、ほぼすべての将家の軍人たちにとって辣腕の皇族将軍など傍迷惑な存在でしかない。臣下の筆頭として自身の主家が〈皇国〉の戦を仕切るのが理想的な展開であって皇家はあくまで神輿に過ぎない
――陛下たちは今までと変わらず、あくまで〈皇国〉の君主としてただ君臨なさっていればよいのだ。実権など持つべきでない、彼らが古からの権威を纏えている所以は実権を持たないからこその無謬性に拠るものなのだから。

 酔い覚ましの水を啜りながらとりとめのない事を考えていると磊落さを感じさせる笑い声が耳に入りこんできた。
――成程、親王殿下は御自ら引き抜いた近衛少佐をお気に召したようだ。

新城直衛の政治的価値がさらに上がっていくことを感じ取り、半ば条件反射でかつての情報将校は対応策を模索していた。
――新城の部隊に監視役を入れておくべきだな。勿論、奴の眼鏡に適う度胸と能力が必要だ。あの調子だと親王殿下があいつに白紙委任状を渡しかねん。司令直々の許可が降りたらアイツ、将校相手でも容赦なく首を切るだろう。それで尻を蹴っ飛ばされて追い出されるような間抜けな真似は気に食わん。
 脳内の人名録を捲っている豊久へ実仁は矛先を向けた。
「――新城少佐。貴様と共に勇戦した大隊長殿を紹介してくれ」

「はい、閣下。此方は馬堂豊久砲兵中佐です」
 新城の紹介を受けた豊久は恭しく敬礼を奉げる。
「こうして直接会うのは初めてだな、中佐。北領で最後まで戦い抜いた武勲は聞いている」
「はい、閣下。ですが全ては北領で閣下に受けた御恩と大隊総員の奮戦があってこそであります」
歯が浮くような言葉を発しながらも内心では皮肉な思いが渦巻く。
 ――その勇士達の死体を野晒しにして衆民たちとともに捨て去った奴がぬけぬけと良く云ったものだ。
まぁ、将校、それも勝ちを逃した将校なんてそんなモンか。

「駒州の者らしい物言いだな。」
そう、少将閣下は薄く笑みを浮かべて言った
まぁ、主家が下屋敷の塀をとっぱらうような家風だからね。
「随分と爺も貴様を気に入っていたようだったが、
保胤に新城少佐、それに貴様、駒城は三代先までは安泰だな。
爺が羨ましくなる」
 そう言って曾ての侍従武官であった篤胤と言葉を交わし始めた。
 ――三代先、か。〈皇国〉が残れば、だな、それは言わない約束だけれどさ。
 親王の世辞自体は素直に受け止められるにせよ、現実的な思考が指し示す未来は憂鬱しか齎さないのであるから救いようがない。現状では向こうが音を上げるまでの悪戦しか勝筋が見えないのだから当然である。
「馬堂君」
と今度は笹嶋が豊久に声をかけてきた。
 ――おっと今度は笹嶋さん か。
「何でしょうか?」
「浦辺大尉が君と堂賀殿に宜しく、と」
 ――うん? 浦辺・・・浦辺・・・。
作者とは全く異なり人の名を覚えることは得意であったが、豊久はその名を即座に思い出すことはできなかった。
 ――腹黒閣下の名前を出した以上、考えられるとしたら内外情勢調査会か?それとも情報課の御仁か?まぁいいや、それは堂賀閣下に頼んで照会すればいい。
「えぇ、閣下にも。宜しく伝えておきます。しかし何故、中佐殿が?」
豊久の問いかけに笹嶋はわずかに苦笑いを浮かべていった。
「統帥部の上がどうにも私を陸への窓口にしたいようでね。
ある意味では便利な役だがどうも北領から面倒を押し付けられている気がするよ」
――ふむ、だから耳が利く陸の将校への伝手が欲しい、と。
「同病にかかっていましてね、相憐れむといきましょう。喜んで伝えてさせていただきますよ。
ただ御返答はあちらの意思次第です。――まぁあちらにとっても良いお話でしょうから個人的にはいいお返事が来ると思いますが」
 ――陸軍の情報機関は国内では優秀だが、海外における調査能力は在外公館を中心とした貧弱な物でしかない。水軍の情報機関である内外情勢調査会との連携は北領に残っているであろう僅かな北領特高憲兵隊の残留部隊頼りだった現状を打破しうるものだ。そして統帥部をはじめとした水軍主流の衆民将校達にとっても陸軍が握っている五将家体制の中で守原寄りの中立である執政と繫がっている堂賀准将と協力することで陸軍・官界・水軍内の守原派に関する情報の統合も出来るかもしれない。
「――豊久、もうすぐその手の事は私と父上が引き継ぐのだからあまり抱え込まないでくれよ?」
豊守が目ざとく豊久にくぎを刺した。
「解っております、父上。笹嶋さんのお話はむしろお互いの手助けになりうるものですから」
 下手を打てば足元を掬われる。それは出世競争だけではなく――というよりも戦時において将校人事に密接に関わってくるだけでたかが出世競争などといえないのであるが――国防指針の奪い合いになっている。現状では利害の一致している“耳”はどれほどあっても困るものではない。
「また謀か、中佐?」
 窪岡少将が此方を面白そうに見て言った。
「むしろ謀から身を守る術です、閣下。この程度は自衛の内ですよ」
 謀略渦まく軍監本部の戦務課課長は、
「貴様の家の事謀略だか肝計だかしらんが。あまり少佐を巻き込むなよ?
何しろ、駒州が若頭領殿の義弟にして近衛少将閣下のお気に入りだからな」
 皇族少将も楽しそうに便乗して陸軍中佐に波状攻撃を仕掛ける。
「そうだ、許さんぞ。俺が直々に一本釣りをした我が近衛衆兵隊の期待の新鋭だからな」

「やれ、御無体な。自分は清く正しく〈皇国〉軍人として忠勤を尽くしていますのに。」
 自称一介の平々凡々な陪臣中佐は軽く両掌を見せて降参するしかなかった。


同日 午後第四刻半 桜契社大会堂
〈皇国〉近衛少佐 新城直衛

 ――あの馬鹿の減らず口は矢張り死んでも治らないだろうな。
 新城直衛は苦笑を噛み殺して二人の少将の攻撃を柳に風、と受け流し涼しい顔をして水を飲んでいる不逞の旧友から視線を外すと衆兵隊司令が此方を見て言った。
「さて、期待の新城少佐には俺の下で大隊を率いてもらう。」
「剣虎兵ですか?」
 新城も気になって調べていたが豊久が言った通り、剣虎兵部隊はやはり存在していなかった。
「あぁ、そうだ。事務処理上は――何と言ったか、強襲専門の――」
「鉄虎兵ですか?」
「それだ。その鉄虎兵大隊として新編する。装備・人員は可能な限り充当する。定数を千五百名以下である限りは好きに要求して宜しい」
実仁の言葉に新城は珍しく僅かに鼻白んだ。
「それでは聯隊規模になってしまいますが」
 第十一大隊でも定数を完全に充足して九百名弱だ。独立大隊と言えども異例にすぎる。
「近衛と陸軍は違う」
 少し言葉をきり、実仁少将は口元を歪ませた。
「まぁ取り敢えず駒城の面々に感謝しておけ、それと陸軍局を説得して回った官房の官僚にもな」
 新城が視線を向けると篤胤は鼻で笑う様な素振りで応じ保胤は鷹揚に頷く。豊守は豊久とぼそぼそと囁き合っている。
――好きにやらせてもらうが。
「部隊番号は第五〇〇番代を割り振る、何が良い?」
「空いている最初の番号で構いません。」
「ならば貴様の部隊は近衛衆兵鉄虎第五〇一大隊だ。当然だが、衆兵隊司令部直轄となる。いいか、近衛に居る限りは俺が直接面倒を見てやる」
 ――その代わりに成果を出せ。
そう言外に滲ませながら実仁は新城を見据える。
 ――近衛衆兵鉄虎第五○一大隊、か。悪くない、寧ろ良い。確かに新編と言うのは少々面倒だが、好きに造れる事が出来ると言う事だ。近衛衆兵である事を考慮に入れるのならばけして悪い条件では無い。下士官・士官を古兵で固めればどうにでもなる。

 素早く大隊の組み立て方を脳裏で検討し始めながら新城は皇族の視線を真正面から受け止めた。
「はい、閣下」
 ――何より大隊はそれも剣虎兵大隊はとても愉しい(・・・・・・)任務だ。
 自然と笑みが浮かぶ。気の持ち方の所為か、自然と空気が柔らかくなったように感じた。
 ――皇族、実仁親王としての政治的な意味、これから守原共がどう動くか。そんな面倒さえ関わらなければ――あぁ、そうだ。けして悪くない。五○一大隊か!



同日 午後第五刻半 桜契社 大会堂
〈皇国〉水軍中佐 笹嶋定信

「――あぁその通りだ。工廠の増設自体は陸水ともに最優先で動いている。予備予算分は既に事前計画の前倒しの為に運用されている。後は衆民院に提出する緊急予算案の編成中だ。問題はこちらでな。陸水の要望をどこまで削るかで大揉めだ。流石に両者の案を鵜呑みにしたら国が傾く。特に水軍の場合は補助艦はまだしも、主力艦は長ければ進水まで3年はかかる。前倒し分や改装ならどうにかなるが、即時性だけを見るならばどうしても陸軍を優先せねばならん面もある」
「はい、それについては私も残念ながら同意せざるをえません。ですがアスローン等の交易・外交用の航路の確保だけでなく東州の連絡線の確保を行う為にも補助艦だけでも艦隊の拡充は急務です。その点については強く確信しています」
と豊守と笹嶋が今後の水軍戦力についての拡充について言葉を交わし
「――あぁ、すでに聯隊砲兵大隊の編成も完了しつつある。将校の評定についても富成砲兵参謀も“もったいないくらいだ”と太鼓判を押していた。これで第四十四聯隊編入される既存部隊の人事は基本的に終わりだ。本部の編制は完了までしばしかかるが、それさえ終わればすくなくとも書類通りの編制は完了する。後は君が確と十全に機能するようにすれば構想通りの運用に耐えうるようになるだろう」
「はい、ありがとうございます、若殿様。」
鎮台司令官と新設聯隊の長が実務的な言葉を交わす。
 軍人たちの集まりらしく当初は色気のない話が肴であったが、酒や料理が進むにつれて自然と空気が和らいでゆく。そして宴も酣を過ぎたころ、乾いた声が円卓を囲むもの達の耳朶をうった。
「まさに我が世の春だな、少佐」
 守原英康と守原定康が立っていた。 彼らの半歩後ろに見覚えのない男が立っている。
兎にも角にも皆が(先任大将である駒州公以外は)不本意ながら敬礼をしなければならない。
「――草浪中佐も御同行と来たか。護州の懐刀まで持ち込むとは、厄介事でしょうか?」
「だろうな」
 陸軍の事情に疎い笹嶋にも、お隣の馬堂さん達がぼそぼそと話している内容から残りの一人も彼等の御同類と分かる。
「御健勝そうで何よりです、守原閣下」
 保胤中将が穏和な微笑を浮かべ挨拶をする。
「なんのなんの、駒城中将。駒州が御大将と若殿に親王殿下。そして兵部省の屋台骨殿に北領の勇士達までもがいらっしゃるのだ。お見かけしたとあらば御挨拶せねばなりますまい」
 鷹揚な振る舞いを見せながら守原大将が言葉を続ける。
「中将殿は、確かうちの甥とは。」
「ええ、何度か。」
 一見和やかに話が進んでいるが双方ともに、にこやかな表情を張り付つけるが、厚い皮の奥に潜むその瞳は北領の凍土よりも冷厳であり、また同時に極めて伝統的で古びた敵意に燃え盛っていた。
「実仁少将、今日はまた」
「新しく幕営に加わる将校と言葉を交わしたくてな、守原大将」
 これにも守原英康は鷹揚に頷き、駒州公へ向き直る。
「駒城大将殿もご健勝そうで、」
「いえいえ。守原殿こそ、御噂はかねがね」
 愛想よく儀礼的なやりとりをこうして二三交わし、僅かに頬を歪めながら守原が本題をきり出した。
「それにしても丁度良く御目通りができて慶賀の至りですな、其方の陪臣の佐脇家、そこの世継に大隊を与えたいのですが」
と言った。
「佐脇?俊兼ですかな?」
 篤胤は珍しく眉にしわを寄せて答えた。
「えぇ、優秀な将校だと聞きまして。この不可侵の楽土たる御国の危機です。閨閥に関わらず出来る者には相応の地位を与えるべきかと」
 ――アンタの横に一度も戦塵を浴びていない少将をおいてよく言う。

「丁度、空きがありましてな、再編中の独立捜索剣虎兵第十一大隊を任せる事にしました。
北領でみせた勇戦振りに劣らぬ戦果を上げてくれると信じております」
皆がかつての大隊長達へ視線を向けた。

「第十一大隊がかつての精強さを取り戻すというのならば――それは非常に喜ばしい限りです」
 と新城が獲物を狙う剣牙虎のように慎重な口調で答えると
「えぇ、かの大隊が曾ての如き精強さを取り戻してくださるでしょう。
彼は度胸も知性もあります、部下を見捨てて逃げ出す様な真似をしないでしょう。
彼ならば自分はおろか伊藤大佐殿にもけして劣らないでしょう。」
 と馬堂中佐も頷き、無感情な声で――無感情に笑った。
「閣下の御慧眼には感嘆の極みです」
 その顔と声には空虚さしか感じさせず、皮肉の矛先となった守原大将ですら当惑を隠せなかった。
「守原大将、中佐もこう言っているのだ。どうかな?一緒に一献。」
 面白そうに事の成り行きを見ていた駒州公がそういいながら給仕を呼ぼうとすると、虚をつかれた守原英康は慌てて先程の鷹揚さからかけ離れた様子でもごもごと謝絶し、大会堂から出て行った。最後まで我関せず、と露骨なまでに振舞っていた草浪中佐だけが丁寧に敬礼を奉げて立ち去って行った。



同日 午後第六刻 南一条筋
馬堂家嫡男 馬堂豊久

「――――」
 隣を黙々と歩いている新城を見て豊久は内心肩を竦めた。
 彼の旧友は明らかに機嫌が悪く、その原因もまた分かりきっている。
 それは駒城の親子も当然理解しており、駒州公閣下の直々の密命を受け、馬堂豊久が御育預殿の相手をする羽目になったのである。これはこの十数年で半ば慣例化している状況であった
 ――いっそこの世界初の心療内科でもひらいていればよかったかな。
と溜息をつくと新城が豊久をじろりと睨んだ。
「――俺は佐脇さんじゃないよ。」
「分っている」
 そういいながらも剣呑な目つきは戻らない。
或いは元からこんな感じだったか――と失礼極まりない事を思いながら豊久は
「それに、あの負け犬大将もお前と彼の関係を知っていたわけじゃない。ただ単純にお前と駒州重臣団の不和を煽っているだけだ」
 ――だからこそ守原定康は俺を誘ったのだろう。
「それに、佐脇さんだって結構な将校だ。自分の部下を無碍に扱う人じゃないさ。
向こうの意図は兎も角とすれば、大隊にとっては悪い人事じゃないだろう?」

「・・・・・・」
 それでもなおむっつりと黙り込んでいる新城に豊久はため息をついた。
「――近衛に兵たちを移す準備はもう済ませてある――まぁ、俺も最後の中隊に残った将校連中をもらうし、他にも数名程度、剣虎兵学校に下士官を送る事は決まっているから何もかもというわけにはいかないが。残りの内、一個小隊程は好きにしろ、百人は残っている。」

「あぁ――ありがとう。」
「お前が――ありがとう?おいおい、俺に礼を言うなんて重症だな。」
 と豊久がわざとらしく戯けて両手を上げるとさすがに新城も笑みを浮かべた。
「おい、俺をなんだと思っている」

「冗談だよ、冗談――お前も大隊長ぶるようになったな」

「これでも貴様が大隊の指揮を執っていた時期よりもながく代理の仕事を押し付けられていたからな」

「成程な――そりゃそうか、次は聯隊か。剣虎兵を中心とした事実上の独立聯隊――軍事史上初だろうな」
「貴様も大規模聯隊の長だ」
 新城の言葉に豊久もわずかに苦味の混じった顔で首肯する。
「そうだな――俺は元々、常備の大隊を統合するようなものだ。
おそらく夏には始まるだろう防衛戦にも投入されるだろうな、気が重いよ」
「俺も可能な限り間に合わせるつもりだ。長く皇都にいても碌なことにならないのは目に見えている」

「だろうね。殿下はお前を護るだろうが、父上たちはそれにかまけていられない――悪いがね」
 馬堂家は非常に多忙である。豊長も豊守も駒城の方針に従いながらも同時に馬堂家独自の政策・政略を執り、内務省の駒城派・弓月派を取りこみ、更に西原家、及び安東家の一部とも協調関係を独自に結ぶべく四苦八苦している。
「だが――近衛衆兵で新規兵科の新編部隊を三か月少々で戦力化というのも随分と無茶だな」
「考えはあるのだが――陸軍からも随分と引っこ抜かなくてはならんからな。
閣下の威光を借りる事になるだろうな」
 平然と言ってのけた新城に豊久が声を上げて笑った。
「成程、成程。そしてまさしくお前のやり方でお前の大隊になるわけだ!
――せめてもう少し時間があれば良いのだが、あまりに早く時間がながれてゆく。北領ではあれ程に時間が早く流れるように祈っていたのに」
 そういいながら、三カ月と云う数字自体もあまりに楽天的ではないか、と脳裏に囁き声が響くのを感じ取った豊久はぞくり、と身を震わせた。
 ――本部の編成も前倒しにさせてもらうように頼むか。 
 

 
後書き
申し訳ありませんが、リアルの事情により次回の投稿はGW明けとなります。
御了承下さい 

 

第三十六話 庭宴は最後の刹那まで(上)

 
前書き
今回の登場人物

馬堂豊久 陸軍中佐 駒州公爵・駒城家重臣団 馬堂家の嫡流

馬堂豊長 馬堂家当主 退役少将 元憲兵将校

馬堂豊守 豊久の父 陸軍准将 兵部大臣官房総務課理事官

弓月由房 故州伯爵家弓月家当主 内務省第三位の地位である内務勅任参事官

弓月茜 弓月家次女 豊久の婚約者

弓月葵 弓月家長男 豊久の義弟(予定) 外務省の新任官僚

堂賀静成 陸軍軍監本部情報課次長 陸軍准将 憲兵出身の情報将校

舞潟章一郎 <皇国>執政府執政代、衆民院の出身
 

 
皇紀五百六十八年 五月十九日 午前第十刻
馬堂家上屋敷 応接室 馬堂家嫡男 馬堂豊久


「概ね良し、といった所だ。衆民院も分かりやすい成果として歓迎しているようだ。後は君の父君が軍部の干渉を抑えてくれれば問題なく通るだろう。
もっとも、君達の陸軍が水際で防ぎきれるのならばこんな事は必要無いはずだがな」
故州伯にして内務勅任参事官である弓月由房がちくり、と嫌味言う。
 上品な鼈甲の眼鏡越しにじろり、と警察官僚上がりである事を周囲に知らしめる仕種で
若き中佐に視線を向け、言葉を継ぐ。
「正直、守原大将が彼処まで醜態を晒すとは思わなかった」
 守原英康は少なくとも佐官時代は駒州騎兵顔負けの戦果を上げており、護州軍参謀長として参加していた東州乱でも堅実にそこそこの戦果を残している。北領以前の戦績だけで評価するのならば、保守的ではあっても手堅い作戦家であり、陣頭指揮官としては果敢ですらあった。
結局のところ、あの会戦だけに限定するのならば純粋に戦争経験が不足し、組織として〈皇国〉軍が未成熟であった事が守原英康個人の資質以上の問題だったのかもしれない。馬堂豊久も単純にそれだけに限定するのならばむしろ守原英康には同情的だったかもしれない。 だがその後の処理を放棄して逃げだしたことについては酷く恨んでいた――特に面倒極まりない近衛旅団への処置を放置していた事については。
「挙句に君が行方不明になった時には何処で休めば良いのか分からなんだ。
屋敷に戻っても休めなくなったからな――碧までも慰める方に回ったほどには大変だった」
 義父の攻撃に北領の英雄は尻込みしながら冷や汗を流した。
「そ、それについては、その、誠に申し訳なく思っておりますが・・・・・・」
「ならばもう少し、相手をしてやってくれ。あれもお前を――うむ、なんだ、親しく思っているからな」
 義父予定の伯爵が発した咳払いまじりの言葉に豊久は頬を掻きながら首肯した。
「はい、その為にもさっさと<帝国>にはお帰り願いたいのですがね」
 軍人である限り否応なしに公私関わらず、ついて回る問題だった。
「次回の侵攻は夏か秋だそうだな。どうするつもりかね?」
「人も船も頭数が違いすぎますから、陸軍で対処することになるかと〈帝国〉にとってはただ河岸を変えた恒例行事なのでしょうが、我らは、国家の総力をあげて望まねばなりますまい。
それに――連中が衆民達に行う乱痴気騒ぎは姫将軍殿下の御尊顔の様に見目麗しい物ではありませんから」
 豪奢で艶やかな姫殿下を思い出す、こと外見だけで判断するのならば
誰もあんな悲惨な光景を生み出したと信じないだろうが――。
じくり、ととうに癒えた筈の額が疼いた。
 ――――――――――あの姫様もあの光景も二度と見たくないな。

「――あぁ。その為に我々は動いているのだったな」
 アスローン風の正装に包んだ体を姿勢の良く立ち上がらせ、内務省の実力者は鬱々とした沈黙を打ち払う様に窓辺へと歩んでいく。
「私は私の仕事をする。それは変わらん。全ては御国を栄えさせたまま生き残らせる為だ」
 そう告げる弓月伯爵の顔は気品のある貴族官僚のそれだった。
「そして、望まぬ客人を追い返して二度と来ないよう塩を撒くのは軍の役目ですね」
 
「然り、そして早く良き娘を娶るのは若人の役目だ。」

「その点については深く反省しています。ですが正直なところ、連中が敗けるまで皇都に身を落ち着けられるかどうか怪しいものです」

「我々が勝つのではなく相手が敗ける――か」
漠然とその言葉の意味を理解しているのだろう弓月伯は苦々しそうに顔を歪めた。
 ――日露戦争と同じだ、此方が死力を尽くして英雄的勝利をあげてもまだそれでは足りない。だからこそ過去(ぜんせ)の歴史に習えば此方からも騒乱を煽るべきなのだが――真っ赤なクマさんになったら余計厄介になるか?
「――いや、そうなる前にバラけるか」
 ぼそり、と呟いた豊久へ弓月伯爵が怪訝な顔をして振り向いた。
「うん?」

「あぁ、いえ、大国と云うモノは案外崩れるのは早いって事を思い出したのですよ。」
 ――国家に永遠はない、それは確かだが御国は未だ滅びさせないでおきたい物だ。どうも北領の惨状の所為か自分でも信じられない事だが俺にも愛国心と分類すべき執着があるようだ。
 伯爵と同じく窓に切り取られた皇都の光景を眺めながら豊久が愛国の感傷を味わっていると軽く扉を叩く音がし、柚木が部屋に入ってきた。
「失礼します。大奥様達の御用意がお済みになりました。」
 ――よし、庭宴に向かう準備はこれで完了だな。問題ない――うん、茜さんも上機嫌そうだったし問題ない、筈だ。
「分かった、それでは伯爵閣下。我が主家の誇る上屋敷へ伺いましょうか。」



同日 午前第十一刻 駒城家上屋敷 庭園
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


「良い眺めだな、流石は駒州公だ、羨ましい。――管理費は嵩みそうだけれど」
 駒城上屋敷は皇都にある将家屋敷の中では珍しい木造の屋敷である。そしてその屋敷の三倍近い広大な庭園は〈皇国〉最高峰の庭師達が丹精込めて造りあげられた芸術品であり、一時は文化財にするべきと運動も起きた程のものである。
「――幾ら何でもそれは野暮ですよ。」
 傍らにいる弓月茜がくすり、と笑った。彼女も婚約者として同伴している。
「ですが、此処に住まわないと言うのも少し勿体ないと思いますね。こうした偶の行事でしか使わないのですか?」
 普段は駒城家の人々は基本的に下屋敷で生活している事は広く知られている。
「えぇ、大殿様――駒州公閣下は国事以外では基本的に出かけずに下屋敷で静養なさっていらっしゃいます。若殿様も御愛妾様を上屋敷に住まわせては憚りもありましょう――それに見慣れぬからこそ絶景とも言いますし」
そう云いながらも視線は眼前の絶景を陶然とみつめている。
 ――この美しい光景は中々見ることができない、散々死屍累々の光景を見たのだからこうした光景も楽しまないと感覚の釣合がとれなくなってしまう。
「えぇ、確かにこれは故州でもそうは見られないですね。」
 風光明媚な古都の産まれである茜も感嘆するほどの絶景であった。
「守背山地の絶景に感銘を受けた大殿様が造らせたものです。
池の造形が奥行きを強調していましてね。駒州楓と――「西州萩ですね――皇都でこの両方を育てるのは大変苦労がしたでしょう」
 一瞬、青年将校が眉を顰めたのを見て取った許嫁が言葉を接いだ。
「――ありがとうございます、ですがその甲斐があって――あのように守背山脈を庭園の光景と同一化することができたわけです」 
静寂が戻り、二人は丁寧に整えられた萩と楓に縁どられた泰然とした山脈を眺める。ほんの数寸の間ではあるが、時が止まったかのうように静かな時間が訪れた。
 しかしながら、この庭園で行われるのは宴であり、それは即ちこの国の運命を決定づける面倒事が飛び交うものである。
それを知り抜いている豊守は目を細めて二人の様子を観ていたが、そろそろ頃合いか、と歩み寄った。
「英雄の顔を皆が見たがっているぞ。堂賀殿もいらしているし、顔を見せておけ」

「はい、父上」
 豊守は必要とあらば精力的に動くことを厭わない人間であるが、東州内乱で受けた戦傷によって、杖なしで歩く事が出来ない身である。もっとも、それでも逆に豊守の周りに人が集まるのだが。
「茜さん、そちらの馬鹿者を助けてやってくれ。軍務の外となると老猫みたいなだらけた性根の持ち主でね」
 豊守の言い草に茜はくすり、と笑った。
「はい、豊守様」
 
「豊久さん。もう、軍務に戻ると聞いたのですが、本当ですか?」
二人で宴席へと赴くと茜の弟である弓月葵が目敏く見つけて声をかけてきた。
「あぁ、もうじき前線に出る準備にとりかからなくてはならないからな――と」
 葵は早々に話し相手をみつけていた。
「ふむ、当然ながら君も来ていたか、久しいな、馬堂大尉――いや、中佐か」
 見覚えのある太鼓腹を無理に軍装で包んだ男が相手であった。
「三崎大佐、お久しぶりです――まさか、こちらの庭宴にいらっしゃるとは思いませんでした」
かつて監察課に居た時には豊久の上官だった。だが、彼自身は安東家の重臣団に籍を置いている人物である。
「あぁ、だが今回ばかりは色々あってな。私の前任者が君の父君である事も理由の一つで――まぁそう云う事だ、こっちも色々と事情がある」
と云って三崎大佐は肩を竦めた。
「という事は、大佐殿は兵務局の対外政策課長殿ですか。見事な栄転ですね」
 ――成程、安東吉光・・・・・・兵部大臣派って事か。
 安東家の方針を巡る対立構造を探る事も必要か、と豊久は銃後に残る父達に同情しながら頷いて見せる。
「一歩遅かったら東州鎮台の聯隊長だった。私は運が良かったよ」
「私と違って」
と豊久が口元を歪めて云うと
「相変わらず言い辛い事をあっさりといってくれるな」と三崎も同様に笑った。
「ま、それで色々と君の義弟君と仕事の話をしていたところなのさ」
そう云うと、若い外務官僚も同じく、と頷いた。
「はい、そういうことで色々と教わっていました」
「あまり悪い遊びを教えないでやってくださいよ?」
「君みたいに?」
「私みたいに」
そう云って軍人二人がHAHAHAHAと声を上げて笑っているのを見て外務官僚も苦笑いして肩を竦めた。
「――どの道、悪い遊びを覚えさせられそうですね」
「今から面の皮と胃壁を厚くしておくべきだな――と、そろそろ失礼します、大佐殿」
 後ろから茜が軽く背を叩いたのに気づいた豊久が三崎に敬礼をして彼らの卓から離れた。

「それで、どうしたんですか?」
「御父様達がお呼びみたいですよ」
弓月伯と豊長がこちらに視線を向けているのに気づいた。それに、名前を思い出せないのだがどうにも記憶に引っかかる男が共にいる。
「――また面倒なことになりそうだなぁ」
「・・・・・・大丈夫ですよ、きっと」
肩を落とした豊久に茜も力なく笑いかけた。

「しかし、こうして執政代殿がいらっしゃって下さるとは、嬉しい限りですな」
「いやいや、豊長殿。こうした一朝有事の際にこうして友誼を深める事は大事な事だ、私も労を惜しむことはしません」
 ――あかん。
 にこやかに二人と談笑していた男を観て豊久は思わず後退りしそうになる脚を意志の力で押さえつけながら呻いた。
 舞潟章一郎――衆民院がかつて官選機関であった頃からの最古参議員であり、現在は第一党である皇民本党総裁にして、執政府次席である執政代の地位に衆民から初めて選出された大物政治家である。
 太平の時代においては民政優先反軍縮小を掲げ、安東家と組んで東州への官民両方の大規模投資の旗振り役を務めたかと思えば駒州を要とする大規模な街道整備に関して内地の土建屋や五将家と組んで水軍・廻船問屋連と予算を奪い合ったりと目敏い機会主義者として有名であった。
「――ふむ、ちょうど話題になっていた者が来てくれたようですな」
弓月伯爵は近寄ってきた義理の息子予定者と娘を手招きしながらそう云った。
「ほう、君が馬堂豊久中佐かな?それにそちらが弓月伯の御息女か」
「舞潟執政代閣下。お久しぶりです、御目にかかれて光栄です」
「父からよくお話を伺っています、執政代閣下。」
 老年の衆民政治家はにこやかに二人のあいさつを受けた。
「あぁこちらこそ会えて光栄だ。私も貴官と言葉を交わしたいと思っていたんだ。
――失礼だが、どこかであったことがあるかな?」
「はい、閣下。閣下は覚えていらっしゃらなくて当然ですが」
 ――そもそも、言葉すら交わしていないし。
と内心で付け加える。
「その通りですな。閣下にお会いした頃の中佐は、私の副官のようなものでしたから」
とそう云いながら堂賀准将が背後からあらわれた。
「ほぅ、そうか。その時に」と舞潟が笑みを浮かべてうなずいた。
「閣下、挨拶が遅くなってもうしわけありません」
「構わんよ、私も豊守殿とここの若殿のところに居たのでね」と堂賀はかつての部下に笑って見せた。
「相変わらず“仕事”を楽しんでいるようだな」
「隊長殿に仕込まれましたのでね」
とかつての部下であった堂賀が豊長と笑みを交わす。
「・・・・・・なんかすみません」
「いわなくていい――それに君も大概だ」
かつての憲兵隊長の孫と、憲兵達の再就職先――警保局を司る義父が苦笑を交わすのを横目に執政代は興味深そうに駒州公の側近と情報課次長の会話に耳を澄ませていた。



 ようやく一通りのあいさつ回りをすませ、は人混みから多少は離れた卓に辿り着くと豊久は戎衣の襟元を緩め、情けない声を上げた。
「せ・・・精神的に疲れた・・・」
 よもや執政代にまで引き会わされるとは豊久も流石に予想しておらず。緊張の糸が緩むと同時に疲労感が押し寄せてくる。
「御祖父様・・・どこまで顔を広げるつもりなんだろう」
「お疲れ様です」
と茜はそっと黒茶を注いだ湯呑を差し出す。
「・・・あぁ、ありがとうございます」
 だが一息つく間もなく聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あら、御姉様に義兄様」
「あら?茜に馬堂様。お久ししゅうございます。」
 二人の視線の先に居たのは三十路前と思われる妙齢の女性とその後ろにちょこんとついている弓月碧だった。

 

 

第三十七話 庭園は最後の刹那まで(下)

 
前書き
今回の登場人物

馬堂豊久 陸軍中佐 駒州公爵・駒城家重臣団 馬堂家の嫡流

弓月茜 豊久の婚約者 故州伯爵家次女

新城直衛 戦災孤児であるが駒州公爵・駒城家育預として育てられる。
     敗戦後の政争により近衛少佐に就任する。

天霧冴香 新城直衛の個人副官である両性具有者 中尉相当官

笹嶋定信 水軍中佐 統帥本部戦務課参謀

佐脇俊兼 駒城家重臣団の名門 佐脇家の長男 新城とは犬猿の仲

駒城篤胤 駒州公爵・駒城家当主 半ば引退しているが<皇国>陸軍大将でもある。

駒城保胤 駒城家長男 <皇国>陸軍中将にして駒州鎮台司令官

坂東一之丞 北領で新城に助けられた若い天龍

芳峰紫 子爵夫人 茜の姉 故州伯爵・弓月家長女

芳峰雅永 芳州子爵
 

 
皇紀五百六十八年 五月十九日 第十三刻 駒城家上屋敷
弓月家次女 弓月茜


 ――良いところであえました、とは言えませんね。
と茜は静かに溜めていた息を吐いた。
 それに気がついたのか、くすり、と微笑って弓月家長女である芳峰紫が二人にゆっくりと歩み寄ってきた。
 幼少の頃からこの姉に関わるとろくな目に遭った記憶がない茜は珍しく無表情にそれを出迎える。
「――これは、これは、お久しぶりです、芳峰の奥方様。」
 豊久もこころなしか顔を引き攣らせながら答える。
「子爵は、本日はおいでなさっていますか?」
 紫が嫁いだ芳州子爵家である芳峰家は所謂、旧諸将家の一角であるが先代が20年前に有望な鉱山とその周辺を残して全ての領地を皇主へと返上した事で知られている。
 現在では製鉄を中心とした鉱・工業地帯の所有者となっており結構な儲けを出している。
「えぇ、今は駒城の殿様方のところですわ――私は蚊帳の外ですから先に愛する妹達の様子を拝見に参りましたの」
 扇子を口許にあてながら微笑を浮かべている姿はどこか胡散臭い。教養と理知を尊ぶ故州伯爵家に産まれ、男女問わず教養を叩きこまれているからか、彼女は夫と共に領土の工業化に少なからざる関わっていると言われている。

「矢張りここに居たのか」
 芳州子爵――芳峰雅永が合流してきた。

「こんにちは、馬堂中佐。いやはや、君も無事だったようでなによりだ」

「いえいえ、部下に恵まれただけです。閣下こそ、蓬羽の女主人やら水軍やらと随分と商売相手に恵まれていると聞いていますが?」
 豊久も安堵の笑みを浮かべて対応している。
「ははは、確かにこうなるとアスローンとの航路も危険になっていますからな。こうなると我々のような鉱山主には有りがたいものです。今では油州の方でも――」
 お互い下戸の証である黒茶を飲み交わしながら歓談にはいった。



「――それでは、其方の方でもお願いします。」
「えぇ、確かに承っておりますわ。妹の事もしっかりとお願いしますわ。」
 と紫は最後に豊久へと五寸釘を突き刺して夫妻はまた別の商談相手のところへと立ち去っていった。



同日 午前第十三刻半 駒城家上屋敷
〈皇国〉近衛少佐 新城直衛


 良いこと――なのだろうか。大傘と毛氈に飾られた庭の片隅で考えていた。
結局は僕がどう対応するか――なのだろうか。

 今、新城の横には美しい娘――に見える僕の個人副官(両性具有者)が控えている。彼女(かれ)が単なる女性ではないと知らせるのは濃紺の第一種軍装を纏っている事くらいであった。
 彼女(かれ)の名前は天霧冴香、直属の上官である実仁親王に仕えている個人副官の兄弟(しまい)であり、連絡役も兼ねて送られてきたのだが――新城には如何に扱うべきなのか分らないのだ。
 瀬川――新城家のただ一人の家令――を客人の対応に送っている為、手持ち無沙汰になってしまうとどうも同じようなことを延々と考えてしまう。
「こんなところに居たのか」
 水軍名誉中佐殿と水軍中佐殿が連れ立ってやって来た 後ろでは豊久の許嫁である女性が笹嶋中佐の家族の相手をしている。
 ――確か名前は弓月茜――どこか幼げな顔つきではあるが、それに反した深い光を湛えた目をしている。
 ――成程、疚しい輩の天敵だな。
 苦笑が浮かびそうになったが目があうと自然に引っ込んだ。そうさせるだけの女性だった。
「新城少佐、お久しぶりですね」
「ええ、お久しぶりです、馬堂中佐から良いお話ばかり聞かされていました。えぇ、浮いた話のない身としては羨ましいものです」
 新城の後ろにいる天霧中尉に怪訝そうに視線を送り、豊久は顔を顰めながら云った。
「・・・それにしても何も持たないで隅に居るとは思わなかったぞ」
「あぁ、瀬川に客人の対応を任せていたからな。――笹嶋中佐、ようこそおいでくださいました」

「なに、こんなによいものを出していると知っていたら。軍務のあれこれがなくとも来ていたさ。
久方振りに家の者達を喜ばせる事が出来たからな」と剽げた表情を崩さずに笹嶋は嬉しそうに言った。

「そう言っていただければ料理人達も喜ぶでしょう」

「あぁ、是非伝えておいてくれ。――ああ、君にはまだ紹介してなかったな、此方が妻の松恵だ、そこに居る小さいのが息子の武雄と娘の香代だ」
 細君は控え目ではあるが、柔和な印象を与える女性だった。
子供達も素知らぬ顔で武雄少年に勲章を握らせてやっている奴と違って歳相応に素直な子供だ。
 ――良い家族なのだろうな。
 新城は心の奥底に沸いた無意味な苛立ちを無視して挨拶を交わしていると瀬川と以前見かけた馬堂家の若い使用人が盆を運びながら
「皆様、あちらが空いております」と毛氈の一角を示した。
 そこへ向かう途中、笹嶋達の背を眺めながら豊久が話しかけてきた。
「あの中尉は?」
「正確には中尉相当官、兵部省の所属だ」
「――ふぅん。近衛は随分と違うのだな。お前の趣味かもしれんと思ったが」
 それで確信をもったのか豊久は鼻を鳴らした。
「俺にそんな趣味はない――殿下が直々の御下知でな、本当なら断りたかったが」
「断りきれずに対処に困ってる、と。さてさて、御愁傷様と云うべきかな?お前さん、どうするつもりだい?」
「正直なところ、扱いかねている」
 その言葉に蜜の味がしたのか笑いを噛み殺しながら軽口を飛ばした。
「天網恢恢疎にして漏らさず、だな。ざま見ろ」
「・・・・・・」
 一方が楽しそうにしているともう片方が憮然とする法則がこの二十年の付き合いで確立された気がする。
「俺はあの制度は好きじゃないが、お前がどう扱おうと、とやかく云うつもりはないさ。
まぁ、軍命の外まで殿下の家臣になるつもりがないのならば深入りしないように気をつけろよ」
「そうだな、だが無碍に扱うのも趣味ではない」
「そりゃあ大抵の男ならあの手の性格と見た目の輩を追い出せないだろうからな。まさしく理想の愛人だ――深入りするとろくなことにならない」
 最初はからかうような口調だったが、自身の言葉が何かを想起させたのか哀しそうに最後の一言をぼそり、と呟いた。
「・・・・・・」
 新城もさすがに言い返すことはできずに黙り込んだ。つまるところ彼女((かれ)らはそうあるべし、と教育されているのだ。豊久の言葉はある面ではそれを全否定しているようなものである。
「っと――まぁ万事は程度の問題さ。“人は高邁さと下劣さを持って初めて人たりうる、と大殿様も言っていただろ?まぁその匙加減で皆が悩むのだけれどな」
と露悪的なまでに俗っぽい言い方で新城に笑いかけると豊久は再び先を歩む婚約者と笹嶋一家の下へと歩いて行った。

「そうだ、君の子猫を後で見せてやってくれないか?家の子供達も楽しみにしているようでね」
 礼節から外れない程度に壁の華となっている中尉以外が皆、寛いでいるなかで笹嶋中佐が思い出した様に言った。
 当の子供達は母親の緊張がうつったのか両脇にちょこんと座り、弓月の令嬢があれこれと世話を焼いている。
「えぇ、お約束通り磨きをかけています。今呼びましょうか?」
「呼ぶのなら少し待っていてくれ。
軍人や駒州の方も多いし、騒ぎも広がらないと思うが、面倒事になりかねないからな」
 豊久が諦めた様に溜息をつき、席を離れていった。
「大丈夫なのか?」
「騒ぎは彼が治めますから。それに、彼も言っていましたが多くの剣牙虎が住まう虎城山脈に接する駒州では猫を飼う者も少なくありません。それに、軍人も数多く居る事ので、そう時間はかからないとおもいます」
 そう当然のように言ってのける育預に笹嶋中佐が苦笑する。
「彼も存外に苦労しているわけだな」

「器用者を気取っているように見えますけどアレは余計なところまで気を回して余計な苦労を背負いこむ馬鹿なのですよ。だからこそ僕とも長い付き合いなのでしょうが」
とどこか楽しそうに言う新城に笹嶋は、珍しいものを見たというかのように片眉を上げて笑った。
「それで二十年来の仲か、互いに山ほど文句を言い合ってきたのだろうな」

「えぇ如何にもされど勤勉で報われない哀れな陪臣は点滴穿石と忠告を続けたのですが。
御育預殿は馬耳東風とこの調子でしてね」
 菓子を山盛りにした皿を持って豊久が戻ってきた。
「残念ながら貴様の云ったことで頷いたのは“他人の言う事を鵜呑みにするな”くらいでな」

「酷いな――家と駒城の方に先触れを頼んでおいた。ちゃんと軍の訓練を受けた北領の英雄だと伝えてくれるからこれで安心だ」
そう言って菓子を子供達に渡しながら自身も頬張る。
 それを見計らったかの様に段々と喧騒が弱まり始めた。不思議そうにきょろきょろとし始めた子供達に新城が話しかける。
「少し待っていてね。すぐに猫が来るから、大きいけれど怖くないからね」
 少し緊張しているが安心したようだ、よかった。
「剣牙虎は事実、陸軍の式典では兵馬と共に並べるほど賢い獣です。
馬よりも度胸と自制心がありますから相方(パートナー)の少佐が居れば絶対に安全です。
ま、大きくて賢い猟犬とでも思っていて下さい。」
 大人達には豊久が前例を出して簡単な説明をしていると人の波が割れ、瀬川が千早を先導して現れた。ゆったりと落ち着いた調子で新城に近寄っていつもの通りに左手を一舐めして腰を沈めた。新城に親しいものなら日常風景ではあるが、僅かに息を呑んで猫を初めてみた面々が息を呑んで後退りする。
「本当に、大丈夫だよ。――どうです?良い子でしょう、皆さん。彼女達こそが、北領で、我々の事を幾度も救った勇者なのです」
それは子供たちも同様らしくらしく、慣れた様子で落ち着いている父親の後ろに隠れ、らおっかなびっくり眺めているだけである。
「――駒城閣下達の御到来だ」
 そう呟いて寛いでいた陪臣が背筋を正した。新城も笹嶋中佐も背を正す。
駒城篤胤に保胤それに蓮乃、そして初姫――駒城麗子がやって来た。
「笹嶋君、今日は来てくれて嬉しい」
 篤胤が常の悠然とした面持ちで挨拶をした。
「申し訳ないが私達は少々立て込んでいてね。今日のところはこれで失礼させてもらう」
 保胤がそう謝りながら蓮乃と麗子を僕に預け、忙しそうに立ち去っていった。
 だが残された新城も流石に義姉にただ陶然とできる状況ではなかった。新城の個人副官である天霧冴香に馬堂豊久、と蓮乃を不機嫌にさせる二者が揃っている。
 ――参ったな。
 空気が悪くなりはじめ流石の弓月の令嬢も僅かに汗を浮かべている。新城はこうした時に便利な旧友へ視線を送る。だがさすがの汎用クッション型管理職である豊久も自身が敵視されているとなるとそろそろと子供達の方へ転身(とうそう)しようとしていた。
最悪、客人を豊久達に任せるか、と思い定めたところで救いの笑い声が響いた
 ――おやおや。
 麗子が千早に襲いかかったのだ。自分より小さな幼子に対する見栄からか笹嶋家の子供達もそろそろと手を出し子供特有の適応力を早くも発揮している。
「――若いっていいな」
 転進先の船が行ってしまった陸軍中佐が苦笑して言った。
「皆、貴様より度胸があるな。」
 口を歪めながら昔のことを隣の旧友に持ち出すと
「煩ぇやい。出会い頭に顔面舐められたら六つのいたいけな子供なら腰を抜かして当たり前だ」
と唸りながら千早の母相手に腰を抜かして豊長に泣きついたかつても子供は不貞腐れた様に甘納豆を口に放り込んだ。
「一応、怪我がないように監督しとけよ――と言おうと思ったが。お前の副官は案外融通が利くな。それに度胸も下手な兵よりもある」
 さり気なく何時でも動ける位置に天霧中尉が移動している事を豊久は将校の視線で示している。
「ま、お前さんの大隊に口出しはしないよ。人の推薦くらいはするけどな」
「目付か?」
「ちゃんと使える目付だよ」
と開き直りも甚だしい台詞を残して天霧中尉の方へ歩いていった。


同日 午後第一刻 駒城家上屋敷庭園
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


「意外だな、天霧個人副官。個人副官がつく程になれば基本的に鉄火場に立たない程度には立場がついているものだと思っていたが度胸も心得も私の様なぼんぼん将校よりもずっとあるようだ」
 敬礼を交わしながらかつての情報将校は観察する。
 ――白いほっそりとした手には真剣を扱った者特有の傷がついている。ただのお遊びではない、実戦に対する備えとして修めたものなのだろう――怖いな。

「はい、中佐殿。私達の任務は護衛も兼ねていますので、荒事に対する教育も受けています」
 ――見かけは細いのだが、両性具有者はそうした体質なのだろうか?
「剣虎兵大隊は伊藤大佐殿の下で劇的な戦果を上げた。故に戦場では誰もが鋭剣を振るう事になる。そう扱われる。天霧個人副官、御育預殿を宜しくお願いする。私も御育児預殿とは互いに戎衣に腕を通す前からの付き合いでね」
「――殿下は御育預殿を御気に掛けていらっしゃるようだ、随分と先行投資をしていらっしゃる」

「私が拝領した任務はどんな状況であろうと新城少佐の望まれる存在として傍らにある事です、ただそれだけです」

 ――おぉ、釣れた、釣れた。丁重ではあるが温かみのない声だ、怒ってはいるようだな、俺の言葉に反発しているのなら良いことだ。若さと種族的な教育から任務を神聖視しているのか?
 内心ほくそ笑みながら豊久は言葉を続ける。
「そうか、それは御育預殿にとって良いことだ。これからは戦の準備も戦もその後始末も容易いものではなくなる。よくお助けしていただきたい」
 ――さて、何時までも此処に居るわけにもいかないな、父上に叱られる。

「あぁ、それじゃぁ、ちょっと他の方々のところも行って参りますので――」
 皆が集まっている場所に戻り、そう言って静まりかえった周囲を視線で示した。
茜は個人副官をちらり、と視線を送るとそっと豊久の隣に戻った。
笹嶋や新城と二三言葉を交わして卓から離れると、茜は豊久に眉を顰めながら話しかける。
「――随分とあの副官さんを苛めたようですね」

「政への備え――と言っても言い訳にもならんのでしょうが、そう言わせていただきますよ」
と豊久が決まり悪そうに頬を掻くと茜はため息をついて云った。
「――あまり抱え込んでると後で辛くなりますよ?戦地から戻った後ですら」
「あぁ――そうですね。そうかもしれない、でも自分がどうにかできないと怖くてたまらないのですよ。それも夜も眠れない程に」
「寝床につかない駄々っ子みたいですね」と子供をあやすような口調で言った茜に
「ですね」と豊久も屈託なく笑った。
「だから苦手なんですよ、戦争は」


同日午後第二刻 駒城家上屋敷庭園
皇国陸軍中佐 馬堂豊久

 ――さてさて、喜ばれたのは良かったけれど、今の|美女(にゃんこ)の飛び入り参加で面倒事が動き出すだろうな。
と内心呟き周囲を見渡す。
――あぁ矢張り千早が目立ったみたいだな。
 少佐の階級を新たに得た佐脇家の嫡男が主家の育預の下へと歩いてくのが視界に入った。

「こんにちは、俊兼さん。先日は失礼を――」
とにこやかに話しかけながらも豊久の内心では愚痴が湧き出ている。
 ――この人も一々直衛に噛み付くのはもう止めればよいのにな。大体、まっとうな貴族将校が非ユークリッド幾何学的精神構造を持った人間と張り合っても仕方なかろうに。
「いえ、あの時は確かに駒州の者らしからぬ振る舞いでしたから」
 佐脇は軽く苦笑して答えた。
 ――あぁ、何だかんだで善人なんだよなぁ、この人。 欠点はあっても責任や苦労を兵にだけ押しつける馬鹿ではないし、ちょっと空気が読めない事もあるけれど基本的に優秀なお人好しなままだ。こんなんで守原と駒城の間で綱渡りするつもりだったのか?

「そういって下さるのならば幸いです」

――まぁいいや、いざとなったらこっちの動きを誤魔化す為の赤鰊にすればいいし。馬堂家はあくまでも現状は駒城側だからな。対西原工作はただの保険だ。
「あぁ、そうです。今、御育預殿の下に、若殿様・大殿様とも御知り合いの水軍統帥部の参謀殿がいらしてますから是非とも御挨拶をなさって下さい。この国難の時期に水軍の御方と親交を結ぶ事は大切な事でしょう?」
 と豊久が言うと彼の言いたい事が分かったのか佐脇も片眉を上げて
「あぁ、それは尤もですね。――ありがとう」と答えた

「いえいえ、それではまた後で」
羽倉嬢にも会釈をして少し離れた場所に一息つこうと向かう。

「御苦労なさっていますね」彼らから離れると茜が少し同情した様子で話しかけてきた。

「まぁ、子供の頃からあの通りでしたから。彼――新城と付き合いが長いと慣れますよ」
俺の言葉にくすりと笑い、窘めるように「新城少佐もなかなか難しい御方みたいですね。先程は聞きそびれたのですが――天霧中尉に何故あれほど?」
 
「えぇ、まぁ、その何と言いますか――」と言い淀み、咳払いすると豊久は口を開いた
「個人副官の意味を考えるとあまりいい気持ちがしない、とだけ」
――そもそも、個人副官制度自体、制度の是非だけを問われたら俺は非に一票を入れさせてもらう。必要か不要かと言われたら必要なのだろうが・・・俺の個人的意見ではその後ろに悪の一文字を書き加えるべきだ。何よりも単純にその制度の目的が気に入らない。
要するに軍が将官の為に女衒の真似事をしているのだから。
そもそもが|彼女(かれ)らがそうした事に適した種族(人種?)なのだろうしだからと言って|彼(かのじょ)達の存在を否定する訳ではないのだがそれを利用しようとする考えは俺の好みからは大きく外れている。
 ――要するに皇族・実仁親王殿下は肉で直衛を縛るつもりなのだ。政に肉を絡めるのは嫌いだ。どうも俺は理由にこだわりすぎる性分らしいが――理解は出来ても厭なものは厭なのだ。

「――私と同じですか?」
 そう云って、茜は豊久に静かな瞳を向けた。まるで内心の呟きを聞いていたかのように
「それは――」
答えを探し、言い淀む。まさにその問題が自分に降りかかっている。
――あぁ、畜生め、青臭いなぁ。
「ん?」
 その時――細長い影が庭園になげられた。



同日 午後第三刻 駒城家上屋敷庭園
〈皇国〉近衛少佐 新城直衛


『駒州公閣下が宴を開いていると聞いて約定を果たす調度良い機会と参ったのだが
お邪魔だったかな?』
 頭上から声が頭の内に響いた。まるでファミチキを頼むかのように
 一斗樽を抱えた天龍――坂東一之丞が訪れたのだ。

「いえ、坂東殿。よくぞおいでくださいました」
 わざわざ内地への出迎えに来てくれた義理堅い天龍を新城が歓迎しないわけはない。
 皆を紹介していると先程別れたばかりの駒城父子に豊久達が戻ってきた

『貴方が馬堂殿ですか、御噂は予々聞いております。』
「あー、恐縮です。私は兵達に恵まれただけですが、そう言っていただけると嬉しいです」
 導術独特の脳内に響く声に戸惑っているらしく珍しく豊久はそそくさと主家の人々に出番を譲った。

「いやはや、導術の『声』はどうも妙な感じで落ち着かない。――やぁ、さっきぶり」
と頬を掻きながら新城に話しかけた。
「お早いお帰りだな」
「まぁそりゃあこうも目立っていたら戻るさ。それにしてもお前、本当に妙な引きだな。
坂東と云えば現利益代表と天龍の前統領を輩出した家だぞ」
「相変わらず詳しいな」
「名前だけだよ、天龍と正面から話すのは産まれて初めてだ」
と雑談を交わしていると駒州公の声が二人の耳に飛び込んでくる。
「観戦武官ですと?」
 ――観戦武官?どうして態々その様な事を。
「・・・・・・」
 陪臣は自身が居るのは蚊帳の外、と無感情な視線で観察している。
「直衛」
 篤胤が義理の息子へと此方に問いかけてる。
「僕にとっても意外なことではあります」
 ――戦場で傷ついた天龍が好んで鉄火に身を晒す、か。僕には理解できないな。
と新城が内心呟くのと同時に
『ご迷惑かな?』
と坂東が導波を新城へと向けた。
「いえ、坂東殿の御申し出、全くの名誉といたします」
『ありがとう――それでは後は駒城閣下のお許しをいただければ良いわけですね』
「いえ、直衛は既に近衛の者です。先ずは直衛の直属上官たる実仁殿下にお聞きになるがよろしかろう」と篤胤が応える。
『それならば問題ありません。龍族利益代表が殿下から先程お許しを頂いております。あれは私の兄なのです』と坂東が云うと笑みを浮かべた篤胤が
「ならこの翁に何が言えましょう?我が末子が天龍殿の友誼を得られた事を喜ぶのみです」
と答えた事を皮切りに場の空気が緩んだ。
 故事になぞらえたのか天龍殿は一斗樽を四つも抱えて持ち込んでおり、それを皆に気前良くふるまった。下戸である面々が庭の隅で苦笑しながら眺めている内に酒飲みたちは度を過ごし、そして酒を嗜まない者達も誰もがその空気に酔っていた。――誰も彼も、最後の刹那まで平穏を貪る様に騒いでいた
 
 

 
後書き
次回からようやく新編部隊編です。今後も宜しくお願いします。
 

 

第三十八話 日常の終わり、軍人として

 
前書き
今回の登場人物

ユーリア・ド・ヴェルナ・ツアリツィナ・ロッシナ
<帝国>帝族の一員である東方辺境領姫にして<帝国>陸軍元帥
東方辺境領鎮定軍司令官 天性の作戦家にして美貌の姫

クラウス・フォン・メレンティン
熟練の東方辺境領鎮定軍参謀長 ユーリアの元御付武官

馬堂豊久 駒城家重臣団の名門 馬堂家の嫡流 陸軍中佐 
新設部隊の独立混成第十四連隊連隊長として着任

馬堂豊守 豊久の父 軍政官として戦地に赴く豊久を見送る

馬堂豊守 豊久の祖父 馬堂家当主 かつては騎兵上がりの憲兵将校

大辺秀高 独立混成第十四聯隊首席幕僚 陸軍少佐

米山大尉 独立混成第十四聯隊 聯隊副官

秋山大尉 独立混成第十四聯隊 剣虎兵幕僚

西田正信 衛兵司令 剣虎兵中尉

冬野特務曹長 聯隊最先任曹長 

 
皇紀五百六十八年 五月二十日 午前第十刻
ノルタバーン辺境領 モールトカ 東方辺境鎮定軍総司令官執務室
鎮定軍参謀長 クラウス・フォン・メレンティン准将


 歴戦の将校であるメレンティンが理論と経験の両方から信ずる限り、動く組織の規模が大きくなればなる程に抱える問題が厄介になる。であるからには彼の愛しい姫君が東方辺境領鎮定軍の増強を行うにつれて彼女と総司令部が処理すべき問題は雪達磨式に増えてゆく事は彼にとって自明の理であった。

「忌々しい」
 そしてそれはユーリアが不機嫌さを隠さなくなる程度には膨大なものとなっていた。
「昨今の戦で玉薬の消費量が増加傾向にある事は分かっていました。ですが――」
 メレンティンの言葉をユーリア姫は手を振って遮った。

「予算の許容範囲を超えている、それこそが忌々しいの。
あの男、私が自前で民を養えない無能者だと言ったのよ。これでは奴の言ったとおりじゃない。
――参謀長、貴官は何か手をうったのだろう?」

「帝都からは色好い返事はありませんでした。
アスローンとの間でまたぞろ小競り合いが始まったらしく、本領の備蓄は其方に回さなければならないそうです。我々には六基数を回すだけに留めると通達がとどいております」
 メレンティンの報告が進むにつれ、ユーリアの表情に憂鬱の色が濃くなっていく。
「東方辺境領の独自経済を弱体に止めたのは東方辺境領副帝家の反乱を恐れた中央連中の政策だ。ならば軍需程度は融通をきかせてとうぜんだろうに。
まったく、彼方此方で暴動が起きた責任は誰にあるのやら」
 最近、財政の話になると苛々とした様子が見せるユーリアをメレンティンは微笑を浮かべて見守っている。
 ――あの青年の所為なのだろうな、少なくとも東方辺境領姫としては好ましい変化なのだろうか?

「ですから東方辺境領残置部隊から保有弾薬の半数を回させています。
これで七月下旬までに千二百発を基数として各砲門辺り、十基数分を確保出来ます。
現在の手持ちと合せ、二十基数となりますな」
「よくやってくれたわね!」
一転してユーリアが賞賛の笑みを送るが、メレンティンは渋面を浮かべている。
「ですが、こうなると東方辺境領からのこれ以上の増援は本土の蛮族共が大人しくしていても弾薬事情で極めて困難になります」
 本領に縋るしかない、そう言外に仄めかせながら参謀長は言葉を続ける。
「更に攻囲戦に陥った場合、このままでは弾薬も砲も不足する可能性があります。
地図の・・・此処です、このコジョウと呼ばれる山地の周囲で粘られたら相当厄介になります。」

「クラウス、ならば貴方は私に伯父上に泣きつけと言うの?」
 そうユーリアは硬い声で反対するが、メレンティンはこれは単なる軍事的な問題ではないと認識しており、珍しく首を横に振った。
「殿下、これは政治的判断です。本領軍は昨今大きな戦がありません。
この戦の軍功を東方辺境領軍のみで独占するわけにもいかないでしょう。
既に元帥・大将達の間で反発が出ているとレヴィンスキィ元帥が伝えて下さったのは覚えていらっしゃるでしょう?」

「厄介な事、あの爺様連中、いい歳してご達者過ぎるんじゃない?」
 ユーリアは辟易とした様に云った。
「放っておくのも問題ですし、此方の懐が苦しいからこその戦でもあります。
陛下におすがりし、増援の本領軍に武勲を分け与える方が双方の益にもなりましょう」
 ――予算が苦しいからと増税を行なっては本末転倒だ。
 メレンティンの危惧は正鵠を得ている、領の広大さに反比例するように、その経済基盤は弱体なもので、東方辺境領の経済は農奴に頼るところが大きい、治安維持を行っている部隊を<皇国>へと投じた上で増税を行うのは近年増加している暴動に油を注ぐようなものである。
「気に入らない、まったくもって気に入らないわ。帝都で頼れるのがレヴィンスキィの爺様だけというのも気に入らない。また、何時の間にか毟り取られそうだもの。あの爺様、性格が悪い上に頭も口も回るから始末に負えないのよ」
ユーリアの言葉にメレンティンは苦笑を浮かべた。
 ――まぁ、一代で田舎郷士から伯爵元帥になった傑物だ、まだまだ姫の上手でしょうな。

「――まぁ、私の領に対する負担が軽くなるのならば良い話と考えましょう。
貴方の事だからもう見積もりは作っているのでしょう?」
 微笑を浮かべた姫をみて初めて安堵の息が漏れた。
「まず弾薬を二十基数、完全編成の銃兵二個師団、攻城砲兵を六個大隊。
これらをオステルマイヤー元帥とユーリネン大将の指揮下部隊から融通して貰いましょう。
これに加えて前回不足した揚陸用の船舶とその護衛。そして――」
「・・・まだあるの?クラウス、今からだと大半は夏には間に合わないわよ?」
 いくらなんでも頼りすぎではないかと言いたげにユーリア姫が眉をひそめる、だが彼女の頼りにする初老の参謀長は自信に満ちた笑みを浮かべてそれに応えた。
 ――だが、相手はただの屑札と考えているらしいが私の勘が正しければこれからの戦争の主導権を握る為の切札に化ける可能性のある手札だ。
「はい、私が考えるには弾薬とこれさえあれば他は必要ないかもしれません。」



五月二十一日 午前第八刻 馬堂家上屋敷第三書斎
馬堂家嫡男 馬堂豊久


 ――さてと、これで陪臣将校の再誕だ。
軍装を着た鏡像を睨みながら溜息をついた。齢を二十七に増やして早数日。
生誕して二十七年目となる記念日を皇都で過ごせただけでも僥倖である、と思いながらも休暇を切り上げて前線送りがいよいよ現実味を帯びてきた事は、憂鬱極まりないものだった。
 ――どうしようもない事だ、永遠の休暇を取るつもりない故に連隊の練成を急ぐのは当然だ。
豊久が長を務める独立混成第十四聯隊は既に編成が開始されている。首席幕僚となる大辺秀高少佐は既に軍監本部から聯隊本部へと籍を移し、連隊を機能させる準備に入っていた。
「――――寝床につかない駄々っ子、か。まったく言い得て妙だよ」
あれこれもと泣き喚く子供の姿はまさしく自身のそれだ、と。婚約者の言葉を思い出して豊久は一人、自嘲の笑みを浮かべた。
半端に関わったせいか、豊久は皇都の政争に――或いはそれを名分に皇都に居る事に――未練を抱いていた。
守原はこちらの思っている以上に追い詰められているのか、それとも余裕があるのか図りかねている状況である。これは西原とは堂賀准将を通して友好的中立関係を維持しているがその本質は守原の裏で暗躍する宮野木和麿という妖怪への警戒であり、守原の暴発をおそれているからこそ、である。
安東も内部の実態把握が完全にできぬままであった。平時でならともかく、戦時において五将家の一角を――すなわり陸軍中枢の一部を担う家が内部対立を起こしている事は大きな不安要因でしかない。ただでさせ、統一された戦争指導が難しい状況でさらなる混乱を産み出しかねない。
執政府に衆民院とて玉虫のごとく彩を変えながら蠢いており、更に執政府内でも高い独自性を持っている魔導院の動きについては断片的にしか分からない。
思いつくだけの今抱えている問題点を脳内で並べ立て、豊久は再び溜息をついた。
 ――〈帝国〉という外患があるのに、銃後にこれだけ内憂を抱えているとさすがに困りものだ、の一言では済まない。御祖父様に父上が居るといっても出来れば俺も皇都に残って対応したいのだが――北領でやらかした以上、当面は前線で生きながらえる努力をしなければなるまい。

「いい加減に引っ込みたいんだけどな」
 ――大佐になるまでに生き残る事ができたら笹嶋さんから貰った名誉中佐の肩書きを利用して軍監本部か兵部省で水軍との折衝にでも回してもらえるよう、頼み込むか。
 ふ、とこれから担う部隊の事を考え自嘲の笑みを浮かべた。
 ――生きて戻れたらの話だけれどさ。何だかんだ理由をつけても自分の身が可愛いのが理由か、結局は守原英康と同じだ。
「浅ましいものじゃないか、輪廻転生の神秘を知ってなお生が惜しいか?」
鏡の向こうの己へ問いかけるも答えは分かりきっていた。
――あぁ惜しいさ、惜しいに決まっているだろう!これからどうするべきか、“確たる前例”を知り、恵まれた地位を生まれながらに与えられて人生を歩む――これほどの幸福が存在するだろうか?この<皇国>も、慈しんでくれた家族も、傍迷惑な旧友も、武張った真っ直ぐな友人たちも、砂金と汚泥が混ざり合った政界も、背負うべき馬堂の家も、我儘に付き合ってくれた許嫁も、何もかもが惜しいのだ――あぁ畜生め。
 
「馬堂豊久聯隊長、か。中々様になっているじゃないか」
 豊久の鬱々とした思考を遮る様に父の声が耳に入った。

「――父上」
 振り返った父の顔に浮かぶ笑みは強ばっていた。
「余計な事を考え過ぎだ馬鹿者。皇都は私達でどうにかするから安心して征け」

――まったく、散々人をからかっといて今更そんな顔で言わないでください。
豊久は瞑目すると一拍おいて豊守に笑いかけた。
「我が馬堂家の人間がそこまで武張った台詞を言うなんてらしくないですよ。
――信じていますよ、ですから今度もひょっこり帰ってきますから俺を信じて下さい」

「そう言われると弱いな」
 互いにいつも通り、ふてぶてしく、胡散臭く笑いあった
「だからお前も今度は誰も泣かせずに帰って来なさい。もう挨拶は済ませたのだろう?」

「えぇ、帰還の挨拶までにはもう少し気の利いた事を言えるようにしておきますよ。」

「そうか、多少は気持ちの整理がついたようだな。数少ない良い事、とでも思っておこうか
――さて、行って来い。武勲はともかく、客の持て成しは我々の仕事だからな、たとえそれが招かれざるごろつき共であっても、な。さぁゆけ聯隊長!山の様な面倒事とそれを片付けた途端に台無しにされる前線勤務が待っているぞ!」と豊守が背を叩く。
「はい、理事官閣下殿」
 軍帽で笑みを隠し、豊久がしばらく戻る事のない書斎から出ると柚木と宮川が無表情で立っていた。
「……いってらっしゃいませ。」
「うん、暫くこの書斎を頼む、他人を入れないでくれよ。
入れて良いのは、この屋敷の者達と新城と茜嬢だけだ。」
 ――と言っても機密関連は一緒に持っていくか父と祖父の管理下にある。まだこの世に盗聴器とかも存在しない以上別に誰が入ろうと困らないのだけれど、厭なものは厭だ。
「はい、お帰りをお待ちしています」

「ありがとう。おいおい、そんな顔をするなよ。まるで俺が自殺でもするみたいじゃないか」
 ――我ながら悪趣味な冗談だな。そう思いながら唇を歪め、肩をすくめる。
「それでは――またな」

 馬堂家上屋敷の玄関の間に至り、豊久は無意識に細巻入れを手にする。
 ――ようやっと禁煙が板についてきたのにな。
 寂しくもあり、どこか懐かしくもある感触であった。笹嶋中佐からもらったものである。

「――豊久」
 山崎と辺里を伴った馬堂家の当主が佇んでいた。
「御祖父様」
 戦地に赴く孫へ豊長は謹厳そのものといった視線を送る。
「――頼んだぞ」
 その声が、姿が、豊久を付き従わせるその全てを含んでいる。自分が産まれ、育った家を守り続けた人に敬礼をする。
「なんだ、未練がありますと顔に書いてあるぞ?」
フッ、と笑みを浮かべて老人が若人に問う。
「申し訳ありません」
赤面して背筋を伸ばした孫に豊長は重々しい口調で尋ねた。
「行くのが惜しいか?帰ってきたいか?」
「――はい」

「それでいい。帰ってこようと欲を出せ。他の家はどうか知らぬが、儂はそうしてきた。
お前もそれで良いのだ――故にこそ、この家を背負えるのだからな。帰ってこい、我が孫よ」

「―――はい、殿様」



五月 二十二日 午前第九刻前 敦原駐屯地
独立混成第十四聯隊 首席幕僚兼聯隊長代理 大辺秀高少佐


 ――さて、間も無く新任の連隊長が着任する。
今まで聯隊長の代理として編成途中の庶務を取り仕切っていた大辺はようやっと頭が座る事に安堵の溜息をついた。
 駒州軍司令官肝煎りの部隊だけあって、補給、動員は迅速なものであり、銃兵部隊と剣虎兵部隊はほぼ完全に充足している。連隊長もようやく27と家門を割り引いても若過ぎるのだが、それを押し通す実績がある。
 経験が足りないところは幕僚が支えればどうにかなるだろうと大辺は評価していた。

「・・・・・・代理殿。」
 聯隊本部剣虎兵幕僚を任じられた秋山大尉が話しかけてきた。
「何だね?」
「代理殿は、軍監本部にいらっしゃったと聞いているのですが?」
 如何にも野戦慣れした衆民将校の秋山大尉と帷幕院を若くして卒業している典型的な秀才参謀である大辺が並ぶといかにも寄せ集めといった光景となる。
「あぁ、此処三年ほどは戦務課に居た。聯隊長殿にお前も前線の空気を吸えと引きずり出されたのさ」
「それはまた。えぇーそれで連隊長殿とは?」
 秋山が苦笑して再び尋ねてきた。
「まぁ、長い付き合いではある。東州で父が死んでから馬堂家には良くしていただいているからな」
 衛兵詰所から人が動くのが見えた。
「それでは聯隊長殿の事も?」
「あぁ、確かに良く知っているよ。だからこそここに居るようなものだ。
――そう心配するような相手じゃない。」
「ですね。私も北領で聯隊長殿と御一緒しましたが、良く頭もまわる方でした」と聯隊副官として配属された米山大尉が云った。彼は第十一大隊で兵站を取り仕切っていた男である。
「ほう、その時は龍州で匪賊狩りの最中だった――とどうやら到着したようだな」
秋山大尉が営庭に目をやりながら発した言葉に二人の幕僚も頷いた。
「あぁ、ようやく聯隊長殿の着任だ。それでは」
「えぇ、また後ほど」



同日 午前第九刻 敦原駐屯地 営庭
独立混成第十四聯隊 連隊長 馬堂豊久 



馬堂豊久聯隊長は上機嫌に懐かしい顔の衛兵司令に話しかけている
「西田か、衛兵司令とは熱心な事だな。娑婆から戻った気分はどうだ?」

「色々と有難味が湧いてきますね――娑婆の」
北領で共に散々な目にあった西田中尉も苦笑を浮かべている。
「軍だからこそ味わえる贅沢だな。あぁ、戻ってよし」
 そして戻っていく西田の後ろ姿を見て豊久は小さく笑うと本部庁舎から出迎えに来た二人へ向き直った。
「連隊長殿」
「おう御苦労、首席幕僚に副官。すまんな、俺より先に聯隊の面倒を見させてしまって」

「はい、連隊長殿。取り敢えず形は整っています。営庭に現時点での総員は揃っています」
 一足先に此方で準備を整えていた首席幕僚が僅かに微笑を浮かべて報告する。

「そして聯隊長殿に目を通していただくものも大量に」
と死地を共にしたもの特有の笑みを浮かべて米山も云った。

「有りがたくて涙がでるよ――それで、第二大隊は未だ揃っていなかったな?」

「はい、ですが今月中には定数を満たす筈です。鉄虎大隊も新編中隊以外は既に定数を満たして居ます」
 聯隊鉄虎大隊は連隊長の要望を受けて第十一大隊の生き残りを基幹に捜索剣虎兵中隊を新設している。輜重隊を削ったが故の増設であった。
「それは大いに結構」
 そう言った連隊長は口元を歪ませ――
「――さて、連隊長になるとしますかね」と愉しそうに――呟いた



 ――せめて一人でも多く生還させるとしよう。
営庭に入ると猫を伴った兵や施条銃を握った兵達が整列しているの姿は豊久にそう決意させるだけのものが有った。
 そして同時に北領でそうした感覚が麻痺していない事に安堵を覚える。死なれることに慣れる、というのは楽ではあるかもしれないが、酷く厭なものである。
「――俺の聯隊か」
 三千の大台に迫る人数の兵達が整列しているのは壮観である。
「連隊長殿にぃ、捧げ銃!!」
 駒州の精兵達が、北領の勇士達が一斉に俺に敬礼する。
「――これから世話になる。首席幕僚、将校を半刻後に本部へ集合。
米山、連隊長室へ案内してくれ。」
聯隊長として振舞う豊久は、久方ぶりの重さを感じた。



 当面の仕事部屋である、聯隊長執務室に入ると新任聯隊長は鬱々とした気分を追い払おうと一ヶ月振りの細巻に火を着けた。

「意外だな、特務曹長。龍火辺りの助教にでも落ち着けただろうに。」

 当面の書類処理用の席に腰を落ち着けて、気分転換に下士官達の代弁者となった初老の砲兵に問いかける。

「どうも、あの手の場所は水が合いませんでしてね。
どうせならろくでもない場所に行くのならば一度は一緒に帰って来られた御方について行きたいのですよ」
「おいおい、あまりプレッシャーをかけないでくれよ。その言葉は有難く受け取っておくがね」
 軍帽を玩びながらの返事に被さるように扉をノックする音が響いた。
 ――集まったか。さて、連隊長のお披露目といきますか。



同日 午前第九刻半 独立混成第十四聯隊 本部官舎会議室
独立混成第十四聯隊 連隊長 馬堂豊久


「――却説、諸君。」
 見回した面々の顔と事前に目を通した人務書類を照らし会わせながら言葉を紡ぐ。

「この聯隊を預かる馬堂だ。
この部隊は諸兵科連合という少々特異な編成を行っている。
つまりは単隊で多勢に抗するための編成であり――つまり戦場ではそうした場に送り込まれる事になる」

見回すと百名近い士官達の一部が苦笑している。

「身に覚えのある者も居るだろうが、戦場では将校も兵も貴賎なく死ぬ――それに耐えうる部隊を造る、だれが何名死んでも機能する。
どの部隊を失ってもそれに対応して遅滞なく対応できる、そうした軍隊の基本を可能な限り体現した部隊とする。これが聯隊長の方針だ」
 緊張した面持ちの者も居れば泰然とした者も居る。
――こんなところかな。
「――もちろん、諸君らがそれを耐え、御国を守るに足る者であると私は信じている。
それでは――順に官姓名を報告してもらおうか。」



連隊長室に戻り、ようやく気の置けない面々だけになった。
「さて、つかみはそれなりかな?」
 自身が演ずるべき指揮官の声を意識しながら聯隊長は慎重な口調で首席幕僚達と言葉を交わす。

「つかみって芸人じゃないでしょうに」
 大辺が苦い顔をしているのを尻目に冬野が笑っている。

「ま、連隊長殿も中々どうして良い役者ですよ。少なくとも自分は喜んでまた御一緒させていただきますよ」
 ――やれやれ、有り難いこった。、手抜き上手な熟練の下士官が付いてくれるのは有り難いからな。

「あぁ、そうだ大辺、将校連中の俺に対する不満はあるか?
あぁ、いや、不満を持たれるのは良いがそれで士気が下がっては困る」
意識してさりげない口調で尋ねるが、豊久が内心では一番気にしていたことであった。
 ――特に古参の大隊長達に独自裁量の乱用をされたらこの聯隊の意味がない。
北領で死んだ生真面目な中隊長の姿が脳裏に浮かんでいる。
「其方はそう酷く有りません。この連隊でまともに戦争をしたのは貴方の大隊に居た者だけですから〈帝国〉軍を相手にまともに戦えた将校に従わない愚か者はいませんよ」
 大辺の自嘲混じりの言葉にあの兵理研究会で聞いた先達達の言葉を思い出す。

「その方が良かった――だが戦争が始まった以上はそうも云っていられない。
剣虎兵幕僚と砲兵幕僚と手分けして三人で訓練計画を作っといてくれ。
訓練幕僚が着任したらお前の業務は訓練幕僚に移管させるから暫くの間は頼む」

「はい、聯隊長殿。それで訓練計画の大方針としてはどのようなものにするつもりでしょうか?」

「聯隊長としては小隊、中隊単位での自立性の確保と各兵科ごとの相互運用――特に銃兵大隊に剣虎兵と協同した夜間戦闘の訓練。
そしてなによりも、二ヶ月で前線に出せるようにする事だ。一ヶ月で聯隊全力訓練にこぎつけさせろ。なんならもっと短くても良い」

「難題ですな」
 冬野も嫌そうな顔をしているが。
「その為に大隊、中隊単位で常備ばかりを引っこ抜いたのだろうが。
それにな、幕僚は指揮官ががなり立てる無理を通す道筋をたてるのが仕事だろ?」
 大辺が悲しげに溜息をつくのを見て聯隊長は露悪的に声を立てて笑った。
 ――おいおい、敗走して無駄に導術を利用した屑情報を選り分けるよりはマシだぞ?報告を出来るだけ士気に影響が出ないように伝えなくてはいけなかったし。凄まじく神経と戦意を擦り減らすからな。

「――ま、戦争に備えるのも戦争の内だ。宜しく頼むよ、皆の衆」
指揮官らしく、ふてぶてしい笑みを深めた。

 
 

 
後書き
わりとどうでもいい話ですが、豊久君は主人公というより狂言回しに近い立ち位置な気がしてきました。
 なんと言うかそう名付けると自分の中でストンと嵌る感触がします。
ならば主人公は新城閣下のままになるのだろうか。
 

 

第三十九話 近衛衆兵鉄虎第五〇一大隊編成に関する諸事情について

 
前書き
今回の登場人物

新城直衛少佐 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊大隊長

藤森弥之介大尉 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊首席幕僚

益山隆一中尉 大隊情報幕僚

天霧冴香 新城直衛の個人副官 美貌の両性具有者

馬堂豊久中佐 独立混成第十四聯隊 聯隊長

益満昌紀大佐 近衛禁士隊首席幕僚

益満敦紀少将 駒州鎮台参謀長 駒城家重臣団の筆頭格

実仁親王 皇族少将 近衛衆兵隊司令官

大賀大佐 軍監本部戦務課参謀 幼年学校時代の新城の恩師

馬堂豊守准将 豊久の父 兵部省官房総務課理事官

堂賀静成准将 軍監本部情報課次長

 

 
皇紀五百六十八年 六月四日 午前第十刻 泡岡駐屯地内本部官舎 大隊長室
近衛衆兵鉄虎第五〇一大隊 大隊長 新城直衛少佐


ようやく座りなれた大隊長室の椅子に体を預け、新城はうんざりと首席幕僚の報告に耳を傾ける。
 ――面倒事にだけは不自由したことがないな。まぁ、軍務であり、且つ必要であるならば避ける事は出来ないのだが。
「今の所はまあ概ね貴方の構想通りですな。今日は二人で良いでしょう。
最初の三日で目立った奴は大抵追い出しましたし、最初は危なっかしかった若い少尉連中の中では訓練で随分とマシになっているのもいます」
 藤森首席幕僚が博労の様な目つきを帳面に落しながら報告する。
 新城が着任して即座に打ち出した将校の大規模な入れ替えという政策は新編大隊に予想以上の活性化を促している。既に初期配置された将校の内、半数以上は着任時と面子が変わっている。今までの人務の入れ替えを見ると実仁親王と大賀大佐――そして馬堂中佐が推薦した将校達はしっかりと残っている。
「訓練幕僚もよくやっております。この調子なら想定よりも早く形になるかもしれませんな。
幸いながら訓練用の物資は随分と気前よく充てられておりますからな」
 更に、猫や訓練用実包などの物資に関しては馬堂豊守准将の働きかけによって近衛衆兵隊への流入も増大しており、当然ながら実仁少将はそれを優先的に五○一大隊に充てている。
「他人との縁に感謝するというのも久しぶりだな」
輜重将校達や後方勤務の将校達に対する馬堂豊守の影響力は無視できないものである。
 特に剣牙虎の飼育数に余裕があるのに近衛へ回すことを渋る担当者を一喝した上に視察に出た飼育場のあまりに杜撰な管理体制に激怒した彼の要請によって大臣官房監察官室から直々に特別監察が行われたことはちょっとした武勇伝になっている。

 ――少なくともこうした軍政的な仕事に関して頼れる人間が居るのは助かる。もっとも、頼りすぎるとろくな事にならないだろうが。

「問題は捜索剣虎兵中隊の増設ですね。随分と陸軍の方でも融通を利かせてくれましたが流石にこれ以上の剣虎兵は回せないと通達が来ております」
 自分の能力ではどうにもならないとこの男は拗ねた態度をとる。普段の口調もけして愛想のよいものではなく、能力は確かであるがこの男と個人的な付き合いを歓迎する者は少ないだろう。
「新編予定の二個鉄虎大隊の為に準備されていた人員の一部を第十一大隊の再建に回しておりますし、他も有望な連中は第十一大隊に優先的に回されています。幾ら何でも近衛、それも衆兵を優先させるつもりは更々ないのでしょうな」
 ――さすがに馬堂准将も近衛にばかりかまけてはいられないか。

「基幹人員だけの訓練は順調ですがね。頭数が揃わなくては話になりません。
えぇ、それでもここまで急速に形になっているのは大したものですが」
藤森が言うとおり、近衛衆兵鉄虎第五○一大隊は近衛衆兵初の剣虎兵部隊であり、陸軍から融通された将兵達が中心となっている。
 定数1500名の内、将校を100名と通常よりも高い将校の比率(通常は2000名程度の連隊で100名前後の将校が配置される)は高い問題解決能力を齎し、それに従って急激に部隊の練度を高めている。だがそれも頭数が揃わなくては話にならない。

「――気に食わないな」
 騎兵さえあれば簡単な話だったのだが。と新城が内心思うと
「騎兵があれば良いのですがね。少なくとも剣虎兵よりは当てがつきやすいのですが」
と藤森も(常識通り)同じ考えに行き着いた。
 足の速い捜索騎兵ならば導術をつければ奇襲を受ける確率も減るし万が一対処不能な敵と遭遇しても離脱する事は不可能ではない。
 ――問題は近衛衆兵の独立戦闘能力を引き下げる為に騎兵の保有を禁じられている事だ。
そして、肝心の騎兵を抑えている近衛禁士隊とはまともに共同訓練すらも行なっていない。近衛総軍として動いても満足に連携が出来るか大いに疑問が残る。

「騎兵は禁士隊が独占している。我々に回される馬は荷馬と輓馬だけだ」
 これは、近衛衆兵の反乱を抑える為の措置だったが、結局、それは杞憂に過ぎなかった。
近衛衆兵は今では弱兵の代名詞である。
 北領でも馬堂豊久中佐が利用したのは衆民出身の工兵たちが持つ高い能力――基本的には職工に携わる者が志願するからである――と旅団長が持つ親王の肩書きだけで戦力としては欠片もあてにしていなかった。新城とて当時の旧友の判断を妥当なものと捉えており、陸軍の古兵を基幹にしてようやく精強さを得られる可能性に漕ぎ着けたと考えている事から、その弱兵意識は根強いものである事が知れる。

「尖兵を中核にした搜索中隊とでも言えば誤魔化せますし、駒州の人間に口利きできませんかね?」と藤森は新城に尋ねるが新城はその倍も素っ気なく返事をした。
「無理だ、そもそも僕は駒城の大半には嫌われているからな」

数少ない頼れる人間である馬堂家の者達とてこの面倒極まりない問題を頼んでも突き返すだろうと新城は見きっていた。豊守は既にあらゆる方面に対して便宜を図っているし、非常に多忙な身だ。豊久は第十一大隊の引き抜きの時点で相当な制限を新城にかけていたことから、彼も駒城の重臣団の一員であり、反感を買うような真似を避けようとしている事が分かる。如何に豊久が身内に甘いとしても今度頼んだとしても婉曲に断られることは新城も理解している。
――今、頼れるとしたら大賀大佐と衆兵隊司令閣下だ。だが大賀大佐はあくまでも戦務参謀であって兵站参謀でも人務部員でもない、実仁少将――親王殿下の御威光とて限りがある。
「いざとなったら銃・砲兵の割合を増やして使う。使い難くはなるが――」とその時、扉を叩く音がした。
「大隊長殿、失礼します」
 入室してきたのは大隊情報幕僚である益山大尉だった。馬堂中佐が推薦した将校で、何処か軽薄な調子の男だが要点を得た仕事をする為、そうした言動も概ね本部の空気を良くしていると受け取られている。
前歴と馬堂豊久の意向を考えるならば馬堂の――或いは堂賀准将の息がかかっていると考えるべきだろう。だからといって新城は手放すつもりは更々ないのだが。

「貴様、仕事はどうした」
 藤森が剣呑な口調で詰問するが本人は暖簾に腕押しと言った調子で
「はい、首席幕僚殿、来る前に済ませてから参りました」と調子を崩さずに返答する。
これには流石の藤森大尉も閉口してしまった。
「それで、情報幕僚。なんの用だ?」
と新城は玩具屋の前を通る子供のような口調で尋ねた

「少々、面白い話を聞きまして」と益山は軽妙な口調で云う。
――面白い?



六月一日 午後第三刻 粟津内料亭
独立混成第十四聯隊 聯隊長 馬堂豊久中佐


 面倒事は思いもよらぬ処からも寄ってくるものであるし、予期している処にも予想以上の勢いで迫ってくるものでもある。つまりこの世は面倒事だらけであるのだ。
 ――口でそう嘯いても度々なんでこんな処からと毒づく羽目になるのは何故だろう?
 うんざりとそう思いながら馬堂中佐は睡眠不足で少々腫れぼったい目を向け、ため息交じりに言葉を紡ぐ。
「そう言われましてもねぇ。一応編制表も提出していますし――兵站も混乱しかねませんよ、益満大佐殿」
 体面に坐す、近衛禁士隊首席幕僚である益満昌紀大佐が少し困った顔で言った。
「だがな、練度は折り紙つきだぞ?それに、馬は剣牙虎に慣れているし、尖兵としても使える。
貴様の連隊でもそうそう困らない筈だ。偵察用の軽騎兵中隊を編制に入れているだろう?
その増強としてくれるだけで良いのだ」
 今の話題は大佐殿の古巣である近衛禁士第一聯隊第二大隊から一個中隊が御家騒動の末に追い出されるとの事である。
 元は守原の家臣団の一門である塩野家当主が夭折し、紆余曲折の末に弟が家督を継いだらしい。その為、現在、禁士隊 最精兵部隊の一角を担う中隊を正統ではないからと、禁士隊に置いては置けなくなった、と益満大佐は馬堂中佐に説明している。
 ――まぁ、禁士隊の存在意義を考えれば分からないでもない。通例の通りならば主家の領に置かれた鎮台に異動して終わりなのだ。
この件が問題になったのは正統云々の際に相当揉めた影響で、護州鎮台に居場所がなくなった事である。
――そして、その大揉めした騒動の後始末を押し付けられるのは禁士隊司令部の幕僚陣である。とりわけ、面倒見が良い性質のこの益満大佐殿は前第二大隊長として共に精兵部隊の名を共に勝ち取った仲である部下達を見捨てる事を好まず。陸軍の伝手を探したのだが都護は空きがなく、龍州――事実上の最前線送りと云うのも後味が悪い。ならば騎兵の雄にして自分の本拠地である駒州鎮台ならば、と益満大佐は父を頼りに司令部を訪れ、そして益満参謀長閣下は新編聯隊の聯隊長である馬堂中佐に丁重に盥を回したのである。参謀長マジ軍官僚。
 ――思えばこの前、桜契社で飯を食った時にも何やら悩んでいたがどうやらこの件の事だったのか。
と納得しながらも豊久自身も始末に負えぬ、と細巻を楽しみながら紫煙が向かう天井を見つめる。
 ――色々と私生活でも世話になっている人だし、力になる事は吝かではないのだが。俺の肩書きには聯隊長がくっついている、つまりは俺が独立混成第十四聯隊の責任者である事を意味するのだ。
「あいにくですが、これ以上、新編部隊を受け入れるのは手間ですし、騎兵中隊を受け入れると、四千を超えてしまいます。それでは完全に旅団規模です」
 個人的にもこれ以上面倒な要素を引き込みかねない上に、剣虎兵とは噛み合わせが悪く、戦地での使いどころは極めて難しい。ならば公私の両面で引き受ける理由はないだろう、と豊久は結論を既に下している。
 ――そもそも今の所は順調と云えども、訓練計画に余裕はない、我が部隊の要である他兵科との共同訓練にかかるには後十日はかかる。〈帝国〉軍が何時来るか分らない以上、自ら進んで引き受ける事は出来ないな。
 せめて当てでもあれば、と豊久は尋ねる。
「――駒州騎兵聯隊はどうなのですか?それ程の練度を持つのならば受け入れて下さるのではありませんか?」
 先述の通り、近衛から陸軍に戻る者も珍しくはない。益満の名を使えばゴリ押し出来そうだが――
「御家騒動の末追われたとしても、守原の陪臣の家だ。
騎兵将校は将家の者が多いからな、出来れば不要な軋轢避けたいところだ。
他の将家も面倒を嫌って受け入れようとはせん」

 ――うぅむ。気持ちは分かる、というか一介の陪臣――の跡継ぎである俺も同じくそんな爆弾を抱るつもりは毛頭ない。馬堂も微妙な立ち位置であるし、アカラサマに出る杭だ。これ以上、周囲に変な勘繰りをされたくない。引受先を探す協力はしても引き受ける理由は零どころかマイナスだ。

「鎮台をまたいだ異動ももう大規模なものは終了している。中隊を丸ごと受け入れるのはそれこそ新編部隊か後備でもない限りは難しいだろうな」
 と益満大佐は頭を抱えた。
「ですから、新編部隊だからと云って早々管理に手間がかかる兵科を、それも将校丸ごと受け入れる様な部隊なんて――」と豊久もゆっくりと首を振る

「だからこそ貴様を呼びつけたのだがな。せめて心当たりはないか?」

「そう言われましても、将家筋に問題があるとなると既存の部隊は厳しいですよね。
ですが衆兵に騎兵も論外ですから――いっその事、水軍の陸兵隊にでも打診してみますか?」
 豊久は軍監本部や兵部省に伝手を持っているがそもそもは砲兵将校であり、他の兵科にはそれ程顔は広くない。
 ――最近、俺が砲兵将校だと忘れられているような気がするケド。
「――陸兵隊に騎兵はあるのか?」
「・・・・・・・・多分」
そっと目を逸らした弟分に益満大佐はため息をついた。
「最悪、頼み込んで後備部隊の増強として編入させるしかないか」
「まぁ、そもそも幾ら戦時と云えどホイホイ将校ごと中隊規模で将兵が出入りするような変態人事やるような輩は――――あ」
「・・・・・・」
興味深そうに益満大佐が視線をよこすのを余所に、豊久は脳内で凄まじい勢いで算盤を弾く。
 ――いや、待て待て。 確かに新城のところに送り込むのは簡単だ。騎兵絡みの面倒を誤魔化すのも新城が残した幕僚陣ならば上手くやるだろうが――、

「おいおい、奇声をあげるのならば責任を持ってくれ。」

「あ、あぁ申し訳ありません――その、心当たりはなくはないのですが。」

 ――捜索剣虎兵中隊を増設したがっているらしいから騎兵で代用出来るとしたら受け入れる筈だ。俺みたいに剣虎兵が居るからと騎兵を避けると云うやり方はしないだろう。近衛禁士の部隊と協同出来るとも思えないし、な。禁士隊故に将校の比率も直衛の求める比率に近い、紛れ込ませても問題ないだろうが―――さて問題は中隊の将校連とこの昌紀さんだな。
 
「新城少佐――御育預殿の大隊です。あの大隊はいまだに将校の出入りが激しい、上手くすれば紛れ込ませる事は可能だと思います」
慎重な口調で初手を打つ。
 ――彼方此方で持て余された能力のある問題児の将校達が奴の下で可哀相な事になっているらしい。益山も苦労しているみたいだが、まぁ、恨むのならば堂賀閣下を恨んでもらおう。
情報課は――いや、軍隊というものは何時だって人手不足なのだからこの御時世じゃ誰も彼も苦労してもらわなければ不公平に過ぎる。

「あぁ、例の五〇一大隊か――どうも彼は好かん。苦労している事は知っているが――その、色々と良くない噂も聞いているのでな」と益満大佐は珍しく口を濁した。

 ――確かにお世辞にも奴は人格者ではないからな。駒州の重臣団でも特に若手の面々には兵理研究会にも呼ばれない程度に嫌われている。

「まぁ、生い立ちも環境も違えば性根も変わりますからね。
あぁなったのは周りの扱いと持って生まれたモノの兼ね合いだと思いますがね」
 ――直衛は他人と――特に将家の産まれの者達と関係を築く事が少ない。
互いに抱いているモノも、立っている所も見えているものも違うのだから近づくのは難しいのかもしれない。どちらが悪いとは言わない、それはそうしたものなのだ。

「大佐殿、私に思い当たりますのは近衛衆兵鉄虎第501大隊のみです。
あの派手な入れ替えももうすぐ終わりましょう、その前ならば間に合うのではないでしょうか?」

「うむ・・・・・・確かに、あの大隊の人務は随分と混乱を招いているらしいな。
――いっその事利用するのも手か?」

「面倒は詰め込んで蓋をしましょう。それが役立つのならば例え、劇薬になっても構いませんでしょう?」
二人はにたり、と笑みを交わした。
―戦時の軍隊としては横暴なまでに将校入れ替えを赦されているのだ、この程度の無茶は聞いてしかるべきである!何事も特権には面倒がもれなく憑いてくるものである。騎兵と云う特権に面倒を並べて奴に送り付けても文句は言うことは許されまい!



六月四日 午前第十刻 大隊本部官舎 大隊長室
近衛衆兵鉄虎第五〇一大隊 大隊長 新城直衛少佐

 ――また面倒を俺に押し付けるのか、あの野郎。畜生、アイツは面倒にはしっかりと俺が欲しい対価を持ってくるから始末に負えないのだ。

「――と、まぁ経緯は。これに多分詳しく書いてあります」
 情報幕僚の手から手紙を受取った新城は獲物の痕跡を探る剣牙虎のように唸りながらその文面に目を通す。
馬堂中佐からの手紙には簡単な挨拶と益山中尉が語った通りの騎兵中隊達の経緯と現状を簡単に書いてあった。
“――其方は導術兵の数も少なく捜索部隊の編成に苦労していると聞いている。
きっと貴官ならば役立てられるだろう思う。二十日までに返事を駒州軍参謀部の益満閣下までに書状を送られたし。
追伸
この話を持ちかけてきたのは益満大佐殿だ。
信用してくれて構わないがこの話は面倒が多いのでこの話題に関しては導術連絡を使わないでくれ。誰かに傍受され、騎兵のことを追及されても責任はとれない。
それでは坂東殿にも宜しく伝えてくれ。“
と書かれていた。
「噂をすれば何とやら、ですな。話が旨すぎる気もしますが」
藤森が文面を睨みつけながらそう言い、視線の先を大隊へとに向けた。

「だが、裏がある事も分っている。怪しげな部隊に面倒を押しつけたいだけだろう」
 ――問題は信用出来るか、か。益満大佐は碌な付き合いがなかったが悪い評判はあまり聞かない。けして僕を好いてはいないが、豊久が仲介している以上、問題はないだろう。

「押し付けられるとしても活用せねばなりませんな。また訓練幕僚に訓練計画の組み直しをさせねばなりません」

「暫くは誰もかれも苦労するしかない。今は戦争までの一寸一点が宝玉よりも価値があるのだ、少なくとも僕達はそれを自覚しなければならない」


同日 午後第五刻 大隊本部官舎
近衛衆兵鉄虎第五〇一大隊 大隊情報幕僚 益山隆一中尉


「また面倒な事になりましたねぇ。我が大隊は複雑怪奇って見ている分にゃ面白いですけど」
 大隊本部は不夜城――と言うのは些か大げさだが、寝る間を惜しんで改善、改良の為の膨大な事務に没頭している。
 そして益山中尉は、堂賀次長の下にこの新編大隊の状況を伝達しなければならない。
もちろん、衆兵隊司令部やら総軍司令部と、上層部にも同類が居るであろうことは疑う余地はない。政治的駆け引きの産物であるこの大隊は、一個大隊として――それも近衛衆兵のそれとして――みるのならば異例の政治的価値を持っているが、けしてそれ以上ではない。
益山中尉が選ばれたのも非公式に特設高等憲兵隊の情報提供者であるのと同時に、前線での経験が相応にあるからであり、有益な情報を期待されたからではない事は、彼自身、理解している。

「確かにこれは――いくらなんでも面倒事のにおいがするよな。藤森首席幕僚殿、御自ら受け入れ準備をしているみたいだが」
 戦務幕僚の青木大尉が苦笑し、答えながらも報告書を仕上げる。もちろん、益山も幕僚としての職務は裏仕事以上に優先している。何しろあのおっかない大公閣下(だいたいちょう)に怠慢無能と追い出されては話にならない。
 いや、寧ろ馬堂中佐が推薦した以上、間諜としての役目すら大隊長の合意の上で此処にいるのである。だからこそ幕僚として勤勉に働き、特設高等憲兵隊の一員としての職責も同時に果たさなければならない。

「正直、荷馬も剣牙虎の所為で調子が悪いのに騎兵の馬とか勘弁してほしいのだが――
大公閣下の思し召しだからな、畜生め。」
 兵站幕僚の山岡中尉が呻いた。
「まったく、坂東殿の龍兵の方がまだ管理が楽かもしれないな・・・」
 ぶつぶつと文句を言いながら彼もまた手際よく書類を片付けている。
こうして大隊の中枢だけあり、全員が愚痴を零しながらも未処理書類山脈から未を取り去った。

「それじゃあ、俺が渡してきます」
 皆が口々に頼んだとか黒茶淹れてこいとか好き勝手云っているのを聞き流し、それらの書類を取り纏め、大隊長に提出しようと益山は部屋をでる。
「――おや?」
 すると、軍隊生活では余程恵まれていないと見ることのない、美貌が視界に入った。
「これはこれは副官殿。お疲れ様であります、大隊長殿は執務室においでですか?」

「情報幕僚殿ですか。はい、大隊長殿は部屋にいらっしゃいます。私もこれから向かうところです」
そう言って歩きだす背を見ながら考える。

 ――さぁて、後はこの不憫な副官殿から人生相談でも受けられたら良いのだけれど。そもそも将官の特権である個人副官が大隊長に附いているのだ。何もかもが胡散臭すぎる、彼女(かれ)の飼い主を確かめたいが――。

「・・・・・・」
無言で歩く姿はどこか寂しげてある、いかに両性具有者が美貌の持ち主であることを割り引いても若いのは確かだろう。
多分、二十歳前後だと推測するがそれすらもあやしいものだ、と益山は考える。

――あぁ、成程そう言う事か。
自分の現状の所為か、妙な同情心が湧いてきた。
 ――まったく、これだから両性具有者と云うのは度し難い。いやいや、度し難いのは馬鹿な男の性か。まったく、あの親王殿下は子供に動物を送るのと同程度の気分だったのか?
まったく、やんごとなき御方も中々どうしてえげつない。ただひたすら健気に新城直衛に仕える情人を送り付けたわけだ――彼女個人には大した意味もない、
確か親王殿下の個人副官と兄弟(しまい)だったがそれもあまり意味がないだろう。
 ――馬鹿げた話だ、下世話な話だ、だがそうした話は驚く程長く、ひょっとしたら社会と呼ばれるモノが出来たその瞬間から連綿と続いているかもしれない――そう思わせるほど有効な手法である。
 ――哀れに思った、結局はその為の種族として生かされたのだ、彼女(かれ)達は。軽く頭を振って感傷を追いやる。いやいや、そう思わせる為の美貌だ、いやいや、だが――畜生。
 結局――男にそう思わせるだけの可憐さを彼女(かれ)は持っている、おそらくは主人に向ける本能的な健気さも、また然り。そうした種族なのだ、少なくともそれは人間と違う。

「失礼いたします、大隊長殿。」
 そう言って入室する副官を仏頂面で迎える大隊長を眺めながら益山は下らない考えを弄ぶ。
 ――あの大隊長殿もどれ程この健気な生物を遠ざける事ができるのか、それもまた楽しみかな?
 底意地の悪い好奇心を胸に抱き――それを大隊長と副官に対する自分なりの決着にした。

 
 

 
後書き
気がついたら原作は文庫版が出ていますね。

 文 庫 版 が 出 版 さ れ て ま す ね 。
 短 編 つ き で 











十巻はまだですか? 

 

第四十話 独立混成第十四聯隊と将軍達の憂鬱

 
前書き
馬堂豊久中佐 独立混成第十四聯隊聯隊長

大辺秀高少佐 独立混成第十四聯隊首席幕僚

米山大尉    独立混成第十四聯隊 副官

石井少佐    独立混成第十四聯隊戦務幕僚

山下大尉    独立混成第十四聯隊兵站幕僚

長山大尉    独立混成第十四聯隊人務幕僚

芹沢大尉    独立混成第十四聯隊訓練幕僚

香川大尉    独立混成第十四聯隊情報幕僚

秋山大尉    独立混成第十四聯隊剣虎兵幕僚

鈴木大尉    独立混成第十四聯隊砲兵幕僚

 

 
皇紀五百六十八年 五月三十日 午前第十刻
独立混成第十四聯隊本部官舎 幕僚執務室
聯隊首席幕僚 大辺秀高少佐


「聯隊長殿は明日、粟津に行くのですよね?」
 訓練に関する考課を取り纏めながら兵站幕僚の山下大尉が呟いた。
「そうだ。 まぁ、所用と往復で二日程空けるだけだから特に我々の職務が滞る事はないだろう」
 馬堂中佐が行うべき聯隊長としての職務は膨大なものであった。だがそれを滞らせた事はなく、武勲はあっても経験の浅い若者に聯隊長を任せる事に懐疑的だった者達も(少なくとも平時の)能力を疑う事は無くなった。
 この辺りは兵部省と軍監本部を若くして経験していただけの事はある、といえるだろう。現在も事務を片付けたら即座に各部隊の訓練状況の視察に出ている。聯隊長がこうした事に積極的なのは、幕僚教育で叩き込まれた事の一つであるし、本人が聯隊麾下の将校達から信を得る事に熱心だからでもある。

「幸い訓練計画は順調に進んでいる。砲兵隊は順調そのものだ。導術利用に慣れた衆民将校が多数を占めていて助かるよ、将家の連中となるとどうしても使い渋るからな」
と鈴木砲兵幕僚も頷いた。彼もまた衆民出身であり、砲兵と導術の親和性に着眼し運用研究に携わっていた将校の一人であった。

 人務幕僚の芹沢大尉が頷く。
「連隊全力の訓練にも間も無く漕ぎ着けられる。来週中には他兵科部隊間での共同訓練に取り掛かる事が出来る」

それを聞いた山下大尉が笑みを浮かべ
「ま、聯隊長殿はまだお若い。順調だからこそ我々が補佐しなくてはならん。
肝心な処で転んだら話にならないぞ?」と云った。


「まぁ、そうは云っても実戦となると〈帝国〉とやりあった経験があるのは
連隊長達――第十一大隊の生き残り達だけですけどね」
情報幕僚の香川大尉が呟いた。

「・・・・・・それは言うなよ。」
戦務幕僚の石井少佐が苦笑する。

「まぁ、だからこそ今は訓練ですよ。それに全てが順調とも云えません、第二大隊の一部で訓練が遅滞しています。本部鋭兵中隊から人員を入れ換えた方が良いかもしれません。このままでは、来週から鉄虎大隊と共同で夜襲の訓練を始めるのは難しいです」
訓練計画も担当している人務幕僚の芹沢大尉が提案するが

「本部の護衛を任せるのは論外だ。ならば外に出す方が良いのではないか?
その辺りは聯隊長殿が判断すべきだ、戻るまで待った方が良いだろうと思うがな」と石井少佐は首を横に振った。

「鉄虎大隊は聯隊の切り札になりうる打撃力を有している。
多勢相手だと彼らが如何に奇襲を成功させるかが鍵になる事も多くなる。
夜間共同行動を重視するのならば訓練についていけない連中を受け入れる余裕はない。
共同訓練の前になんとか解決してもらいたいところだな」
 と剣虎兵幕僚の秋山大尉も意見を述べた。彼は衆民出身であるが、剣虎兵学校の教官を務めた経験もある、昨年は捜索剣虎兵中隊を率いて東州の匪賊討伐を経験している最古参剣虎兵将校だ。連隊鉄虎大隊の長である棚沢少佐も以前の教え子らしく本来ならばとっくに中佐にでもなっているべき将校だ。
「首席幕僚殿は如何にお考えですか?」
 困ったものだと言いたげに芹沢大尉が大辺へ話をふった。

「――そうだな、私としては第二大隊には当面のまま、訓練計画を消化してもらうつもりだ。
追加の訓練でどうにか仕上げるべきだと思う。だが早期に解決するのならば手っ取り早く問題になってる部分を挿げ替える事を進言すべきだろう。
まぁ、決めるのは聯隊長殿だ。場合によっては外と入れ替える事もあるかもしれない。
我々は聯隊長殿の構想を実現させる手段を構築するだけだ。その為にも聯隊長殿の判子待ちの書類を増やそう――聯隊長殿の御帰還を歓迎せねばならないからな。」
 大辺が薄い唇を歪めると執務室に忍び笑いが響いた。



同日 午後第四刻 独立混成第十四聯隊 聯隊本部官舎 聯隊長室
独立混成第十四聯隊 聯隊長 馬堂豊久中佐



 訓練概況の視察から戻った豊久が執務室に戻るとまず目に入ったのが未決の棚に詰まれた書類の塔であった。

  ――あれれ、おっかしーなー.午前中の内に片付けた筈なのにまた戻ってきたら随分と量が増えている気がするヨ?

 などと豊久は頬を引き攣らせているが、これは彼が選抜した将校団の課題処理能力の産物である。
もっとも、彼らを統括する以上は、豊久も彼らの能力を活かすためには相応以上の苦労が伴うのは必然であった。
 ――粟津から帰ってきたらまた山脈が出来ているんだろうな。
 脳裏をよぎった光景に新編部隊の聯隊長は少しばかり心が折れそうになった。

「この書類を片付けなくては死ぬんだ。
この書類を片付けなくては龍州あたりで死ぬんだ。
この書類を――よし。」

挫けそうになる心を厭な現実以上に厭な未来を突きつけて建て直す。
 ――なんか内地に帰ってきてからこんなのばかりだな、と言うか帰ってきた途端に手紙の山だったし。
まぁ、戦時の佐官なんてそんなものか。まったく、碌なモンじゃない、軍人とは予算不足を愚痴りながら演習計画を練ったり辺境警備したりするものだろうが。

 脳内で愚痴りながら書類山脈を崩さないように書類に目を通して判子を押す。

「やっぱり問題は第二大隊か・・・。」
 鋭兵――施条銃を全員が装備している事は嬉しいのだが――どうにも将校を含め、経験不足の者が多い。
 付随している幕僚達の提案書に目を通す。第二大隊の一部を入れ替える提案が記されている。
「彼らがここまで言うって事は相当なんだろうな」
 彼らの能力を聯隊長である馬堂中佐は当然のように把握している。
 ――無能な者は一人も居ない、居るとしたら此処に座っている馬鹿者だけだ。
 そう自嘲するからこそ、彼は幕僚人事には神経を尖らせたのだ。
「確かに、適性の問題なら聯隊内で回せば分かるが――その時間もないとなると下士官の入れ替えが適当かな?
だが若殿様に初期の段階で随分と我儘を言ったからな――」
まずは長山大尉の意見を聞こうと首席幕僚と併せて呼び出す。

「間に合うように手配は出来るとして、この入れ替え案。君達は適当だと考えるか?」
「はい、聯隊長殿。自分は適当な処置かと。」
大辺首席幕僚が頷く。人務の長山大尉も間に合うのならばと頷いた。
「自分としては問題のある一部 将校の入れ替えも提案します。
勿論マシな者達ではないと困りますが」
 訓練幕僚として手を焼いているのか武山大尉が随分と大胆な提案をする。
だが、そうだな、それも一つの考えだ。

「下士官だけではなく、将校も入れ替えるのか?」

「――どうにもならないのは居ますからね」
 副官の米山も苦笑いを浮かべて呟いた。
「あぁ確かに――この部隊は新たな運用法の確立も目的の一つだから余計に前例主義者は性質が悪いからな。相分かった、それでいく。」

 ――可能なら都護の常備が良いな、前線に出ない癖に練度は高い。都護鎮台はこの国の真の近衛なんて冗談まじりで言われる部隊だ。練度は折り紙つきである。

長山大尉に書面の製作を命じて執務に戻らせる。

「第一大隊は常備大隊だけあって問題なし、聯隊捜索騎兵中隊も元々練度が高い部隊だからさしたる問題はなし。
新設した捜索剣虎兵中隊の訓練は秋山大尉が直々の御指導を賜っている、か。
――西田達にも苦労してもらうか。」
 鉄虎大隊の訓練に関しては、幸い問題は起きていなかった。新設した第四鉄虎中隊に第十一大隊の生き残りを基幹として配置したのだが、秋山大尉をして感嘆する程の速度で練度が上がっている。
剣虎兵幕僚として配属されている秋山大尉は新城が剣虎兵学校教官をやっていた時の同僚で馬堂中佐が新城少佐に砲兵将校と幕僚の推薦をした際に礼代わりに推薦した男であった。
「聯隊砲兵大隊も遅滞なし、か。導術観測に頼りきりなのが心配だが・・・その按配も含めて俺次第かな。」
 元々砲兵幕僚の大山大尉は龍火学校を優秀な成績で卒業しており、富成中佐が推薦したほどの人物である。彼の指導の下で練度が上がらない筈がない。
 ――よしよし、こんなモノだな。

「後は若殿次第――いや、参謀部の人達次第か。」
 思わず溜息が出る。
 ――正直、心配になるくらいに駒州鎮台は“古き良き諸将時代”の慣習を残している。
 司令部は特にその度合いが強く、参謀達の大半が駒州公爵家臣団・領民――優秀ならば位階を持たずとも挙用する事も諸将家時代からの慣習である、今もなお最精鋭の立場を保つ所以の一つだろう――である。
 ――なまじっか餓鬼の時分をから世話になっているからこそ分かるのだが、無能な者こそ居ないが万事は無常だ。あの場は旧き良き将家に過ぎる、若殿がこれからの戦争と向き合うには優しすぎるかもしれない――間違いを抱えたまま進んでしまう程に。


六月二日 午後第四刻 皇州 粟津内 駒州鎮台司令部官舎 司令官室
駒城鎮台参謀長 益満淳紀少将


 五十がらみの騎兵将軍は例の混成聯隊に関する書類に目を通すと思わず感嘆の言葉を発した。
「随分と念を入れてますな。」

「あぁ、本当に馬堂家の人間らしいやり方だ。自分が学ぶよりも誰が何を知っているのかを把握して人を使う」
 保胤も面白そうに人務表を見て云った。
「身に覚えはありますな。」
 敦紀も、彼の先達である豊長が猛牛の様に彼方此方に駆けずり回っていた時を思い出して言った。
怪しげな新設の憲兵隊に文武を問わず優秀な者を取りこみ、軍事警察へと鍛え上げる事で、兵部省の権威を形作るのに一役買っていた。

「練兵も順調なようだ、中佐は良くやっている。
実戦でも上手くやっていた事だ、これならばそうそう負けはしないだろう」

「閣下、何事にも欠点はあります。それに、こうした編成は実験段階です、過信は禁物です。
戦では時にただ一度の不覚で全てが菓子細工の様に脆く崩れるものです」
 ――単隊で多勢と渡りあえる部隊とそう言えば聞こえが良いが諸兵科連合部隊は時に酷く脆いものである。
例えば馬堂中佐が帰還後に提出した戦闘詳報にも記しているが、独立捜索剣虎兵第十一大隊が天狼会戦後の潰走時に尤も恐れていた事は騎兵砲の損失であった。
かの部隊が所有していた砲は僅か四門程度だが、その四門の砲が戦術上で多大な役目を負う事が前提となっていたからである。戦場で上手く主導権を握れば多勢を相手にしても渡り合えるだろうが――下手を打てばあまりにもあっさりと潰れてしまうであろう、と駒州鎮台参謀長は危惧しているのである。

「だからこそ、経験のある彼をあてたのさ。彼ならば上手く扱うだろう。」
 保胤も真摯に頷いた。彼が新任少尉だった東州内乱時には益満少将が直属の中隊長だった。篤胤からも武人として厚い信頼を寄せられており、保胤もまた同様の信頼を寄せている。

「はい、閣下。ですが何事も限界はあります。彼にも、我々にも」

「そして<帝国>にも、だな。
どうにかして〈帝国〉軍の限界まで此方を保たせなければ。軍監本部もどうにかして取り纏める必要がある。どうにかして堂賀准将の一派を抑えたいところだが是々非々の一点張りだ、執政殿と同じで掴み所がない、今のところは協力的だからまだ良いのだが」
 算段をたてている保胤の顔には疲労の色が濃い、皇都と司令部の往復を繰り返し、軍務と〈皇国〉としての国防方針を取り纏める為に奔走しているからだろう。

「――軍監本部は来冠を八月以降と見ているようだが、馬堂中佐はもっと早いと考えているようですな」
 元々、早期に戦力化を行える様にしていたが聯隊長は更に戦力化を急がせている。
「五〇一大隊も強引に人を集めている。君の息子――昌紀大佐も何か企んでいるらしいじゃないか。若手が活発に動いて居るのは健全で結構なものだ。面倒事に対する工夫は将校に求められている事の一つだよ」
 時代を担う者達が保胤は微笑を浮かべるがその笑みには憂慮の色が濃い。

「・・・この時期に使える部隊を放逐する今の軍制に問題がある。いくら禁士隊が儀仗部隊としての性格が強いとはいえど、貴重な騎兵だというのに――いずれ正さなければなるまい、御国が御国として在る為にも」
 自責と自嘲の相混ざった声にも、その内容にも益満敦紀少将は何も答える事は出来なかった。


六月十五日 午後第六刻 葦原
独立混成第十四聯隊 聯隊長 馬堂豊久中佐


「取り敢えず今日も特に問題なし、と。嵐の前とはいえ素晴らしき静かさだな」
 残業続きだったが久しぶりに暗くなる前に一日分の仕事が終わった馬堂聯隊長は大辺の勧めもあり、気分転換にこの駐屯地の町をぶらつく事にしたのだが、中々どうして目移りしてしまう。

「下手に兵達の溜まり場に、となったら無粋に過ぎるだろうし――」
 安手の店も嫌いではないが、兵達が気兼ねなく将校連中へ悪態を叩いているのを邪魔する事は粋ではない。それに安手の店を除外しても有望株はまだまだある。元々観光名所である羽倉湖や大戸山地に接した粟津は、穀倉・鉱山地帯である芳州と皇都を結ぶ〈皇国〉有数の街道に作られた宿場町から発展した街だ。

 更にその粟津も手頃な行楽地として発展し、その中継地として葦原など幾つかの街もそこそこの規模をもつ宿場町となった。
またそれに並行して五将家を中心とした体制が確立され、皇都への侵攻路を抑える為にもこうして駐屯地が周辺に作られると将兵達の需要に応え歓楽街の色を強くしながら更なる発展を続けている――とわりとどうでもいい蘊蓄を思い出していると聞き覚えのある声をかけられた

「お久しぶりです、馬堂大尉――失礼、中佐殿。」
おやおや。

「堂賀閣下の使い走りかな?――村雨中尉。」
 大店の店員風の装いをした二十代後半と云った面構えの男に向き直る。

「あまり階級をつけないで下さいよ。本気で職業妨害になりかねませんぜ」
 振る舞いが軍人らしからぬのも、口調が がらっぱち気味なのも職業柄当然である。
「ん、すまん すまん。ところでさ――晩飯食ったかい?」





 村雨中尉から渡された〈帝国〉に置かれていた在外公館からの調査書に目を通す。この書類にはそれなりの店の個室とその両隣まで借り上げただけの価値があったと馬堂中佐は軽くなった財布をさすりながら思った。
「――良く目を付けたものだな。」
 ――偵察部隊として実験部隊――水軍の名を使うのならば龍士隊だったかな?それを1000騎もまとめて運用するのか、大層なこった。

「昨年に届いた報告書だそうです、魔導院からの報告を聞いて情報課の資料室から慌てて探し出したそうで」
 ――不味いな。捜索・伝令でこいつを使われると導術利用の優位である即時性が消滅とは言わないがかなり揺らいでしまう可能性がある。いや、あるいは――
 脳裏で光帯の無い世界の知識を引っ張り出そうとしながら尋ねる。
「――この部隊が鎮定軍に編入された事は確かなのか?」

「北領に導術使用の際に使われる――術波でしたかね?兎に角ですね、翼竜のそれが大量に感知されたそうです。
そこらへんは詳しくないのですが魔導院の術士が太鼓判を押しているのだから間違いないかと」
 ・・・・・・泣きたくなってきた。

「あと、おまけですが、良い知らせと悪い知らせがあります。
どちらを先にしますか?」
村雨中尉――特設高等憲兵隊の私服憲兵が不敵な笑みを浮かべて云った。
「――飯を先に済ませたのは正解だったな。」
 胃が痛む話になりそうだ・・・。



六月十八日 午前第十一刻 兵部省大臣官房総務課執務室
大臣官房総務課理事官 馬堂豊守准将

「お忙しい処、失敬する、理事官殿。時期を見計らおうと思もったのだが、どうも何時もお忙しそうだからな」
 軍監本部情報課次長である堂賀准将はそう云いながら椅子に体を預け、細巻をふかしている。
「次長自らとは珍しいですね。大臣用の文書ならもうそちらの参謀も目を通した筈ですが」
 先任であり、年も上である堂賀相手ゆえ、階級は同じでも豊守の口調は至極柔らかいものであった。
「あぁ、官房総務課――陸水両方の高官に通じている貴官に相談したいことがあってね。
まぁそれは後にしよう、それにしても着任早々に随分と大仕事を熟したものだね。〈皇国〉陸軍の主力を集結させるとはそれこそ〈皇国〉初ではないかな?」

「えぇ御蔭様で仕事には困ることだけはないですな」
 陸軍・水軍の各部局との調整だけではなく、それを予算認可権を握っている衆民院・大蔵省天領の行政を担っている内務省を相手に交渉を一手に担っている部署である、その為、五将家の分家・陪臣のなかでも優秀な官僚組がそろって配属される。

「これは御存じだと思いますが後備の動員は中々通らないのですよ、常備の完全動員すら完了してない鎮台がありましてね。
国費を用いて後備の動員をするには鎮台の努力が不十分だとゴネておいででしてね」

「宮野木や安東とっては自腹で兵員の動員なんて御免だ、というのが本音なのだろうな」

「あるいは守原も、駒城とて本音は戦時体制なんて御免ですよ、これから戦後は戦後で軍制改革に手を付ける必要がありますね」
――戦後があればの話だが。
双方ともに脳裏に過った苦味に満ちた言葉を飲み込む。
「――あぁ、そういえばそちらのお仕事は如何でしょうか?」

「御蔭様で裏方街道をまっしぐらだよ」
 そう言い、くつくつと笑う姿はまさに軍監本部の怪人と評されるに相応しいものである。
「とはいっても、海外を相手にするのはどうも不得手でしてね。どうも同業の者に押されておりまして――本音を言いますと先達である貴方の御父君に叱られないかと思うくらいです」
台詞と並行して堂賀の口許に常に浮かんでいる笑みにも苦味が混じる。

「責めはしないよ。それは導術を厭った祖先の責だ」
 将家達が導術を厭う過去に囚われていたからこそ魔導院の隆盛は必然であった。
「だからこそ、私は闊達な導術利用がいかに厄介なモノか父から聞いている。それはおそらく豊久も同様だろうな――連中にもそれを思い知ってもらはねばならんな。」

「成程成程、確かにそうであってくれなければ、世は不公平にすぎないな。」
 堂賀も猛禽類の如き笑みを浮かべる。
「それでこたびの要件だが――〈帝国〉軍が大量の翼竜を北領に置いた話は聞いているかな?」

「いえ、初耳ですね」
 堂賀准将が顔を歪めた。
「あぁそうか、矢張り――情報課長が止めているのか。」
 今の情報課長は――宮野木の者だったか。
「ならば、私が広めるのも良くないですね」

「私のクビを飛ばしても良いのならば広めていただいても構いませんよ。
その代わり五将家の閥をガタガタにするだけして去る事になるがね」


「それは剣呑だな――首席監察官に防諜室長、随分とネタをため込む事ができたようだな?」

「そうで無ければ此処に居られないのはお互い様だろうな。
――そもそも、服務規程違反をする連中が多過ぎるのが問題だよ」
豊久には元上官として見せられないだろうがこの男も苦労しているのだ。

「まぁ、そちらを追及するつもりは更々ありませんよ。それよりもその龍の件を聞かせてくれませんかね」



「1000騎もの龍士か。」
 資料に目を通すと疲労感が肩にのしかかってきた。
 ――年だな、こんな事で弱るとは情けない。

「直訳するなら竜兵かな。まぁ、どうでもいいことだがね。
対応を練ろうにも何をしてくるのかも分からんからどうしようもない。
ただ、偵察・伝令に使われるだけでも厄介極まりない事だけは確かだ」
 二本目の細巻から立ち登る紫煙を眺めながら情報課参謀が云った。
「それは確かにそうですな、なにしろ情報は鮮度が命だ。だがどう使われるかは、出て来ない限り分からない」

「――情けない話だが、陸軍単独では国外の情報網が貧弱に過ぎる。
水軍や魔導院とも協力関係を結ばないとまともな敵情が入ってこない。我々の情報網は国外となると駐在武官を基軸にしたものくらいしかおいていなかったからな」
 短くなった細巻を揉み消しながら陸軍情報関を実質的に取り仕切っている男がぼやく。
「まぁ、元々は私服憲兵から発展したのだ、致し方あるまい。
その点も戦後の課題の一つだな」

「そう言ってくれるのは有難いよ」
皮肉げに肩をすくめる。
「あぁ、――そう言えば御子息は随分とがんばっているようですね。その竜兵の資料を持たせて送った者に宜しく伝えてくれと云っていたそうだ――あれも随分と損を被ったものだ」

「引きが悪いのは確かですな。侵攻が後一年遅かったら随分と様変わりしていたでしょうに。
本当なら私は彼をこちらに呼び戻すつもりでしたがね」
 ――1年、 かそれだけで随分様変わりするものだ。いや、1年をそれだけと考えるのは年寄りだけか?
「あと一年――遅れていたら私もまだ楽だったでしょうな」
 豊守の酷く実感のこもった言葉に堂賀も同情的な視線を向けた。
「まぁ、どちらにせよ我あれは正面からの戦争に関しては口出し出来ん。
だからこそ彼方此方で耳を澄ませているのだからな――外からも内からも碌でもない連中が湧いでてくるものだからな」
そういう堂賀は常の不敵な笑みに戻っている。

「まるで、腐りかけの肉ですな――笑えない話だ。それで、貴官には何か聞こえて来るのですか?」

「無論、色々と聞こえてくるさ。大半はどうでもいいことですが、選り分けて考えるのが我々の役目――と、まぁそんなことは理事官殿も同じことだな」
「そうですね、そしてそれらの工程を経た結論としては、それは豊久と話している時についた癖ですな」
と豊守がにやりと笑い、堂賀も然り、と笑って答えた。
「御察しの通りだ、とそれはともかくだ。不可解な事があってね・・・」

「ふむ、不可解とはどのような事でしょうか?」
「あぁ――恥を晒すようで中佐には言わなかったのだが――」
 そう言いながら言葉を濁す。
「連中、侵攻を考えていると思えない程にこの国で聞き耳をたてる者が少なかったのですよ。
我々が把握できぬ程、向こうが上手なのか、と悩んでいたことも有ったくらいに」

「――ほぅ」
「我々も何度か〈帝国〉諜報総局の狗を捕らえた事があったのだがね。彼らが探っていた事も基本的にはアスローンとの通商情報が中心で、とても此方の軍情を探っているとは思えなかった」
 そう云ってがっしりとした顎を掻く。
「我々が舐められていたのかもしれませんな」
二人で深い溜息をついた。
 なにしろこの現状ではそれを反論出来る材料は殆どないのだから・・・・・・。




 
 

 
後書き
土日に時間を見て登場人物一覧に五〇一大隊と第十四聯隊の項を追加します。

独立混成第十四聯隊編制

聯隊本部中隊

聯隊鋭兵中隊 聯隊短銃工兵中隊 聯隊騎兵中隊

聯隊輜重大隊(輜重四個中隊・糧食中隊・療兵中隊)

聯隊砲兵大隊(平射砲二個中隊・擲射砲中隊)

聯隊鉄虎大隊(4個鉄虎中隊)

第一大隊(銃兵・尖兵・軽臼砲装備)

第二大隊(鋭兵・軽臼砲装備) 

 

第四十一話 さぁ、仕上げを御覧じろ

 
前書き
今回の主な登場人物
ユーリア・ド・ヴェルナ・ツアリツィナ・ロッシナ
<帝国>帝族の一員である東方辺境領姫にして<帝国>陸軍元帥
東方辺境領鎮定軍司令官 天性の作戦家にして美貌の姫

クラウス・フォン・メレンティン
熟練の東方辺境領鎮定軍参謀長 ユーリアの元御付武官

馬堂豊久 駒城家重臣団の名門 馬堂家の嫡流 陸軍中佐 
新設部隊の独立混成第十四連隊連隊長として着任

馬堂豊守 豊久の父 軍政官として戦地に赴く豊久を見送る

馬堂豊守 豊久の祖父 馬堂家当主 かつては騎兵上がりの憲兵将校

大辺秀高 独立混成第十四聯隊首席幕僚 陸軍少佐

米山大尉 独立混成第十四聯隊 聯隊副官

上砂少尉 独立混成第十四聯隊 本部付導術将校

新城直衛少佐 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊大隊長

藤森弥之介大尉 近衛衆兵鉄虎第五○一大隊首席幕僚

坂東一之丞 北領で新城に助けられた若い天龍 大隊観戦武官
 

 
皇紀五百六十八年 六月十四日 午前第十刻
辺境姫領都モルトーク 東方辺境領鎮定軍本営官舎 講堂


 緑色・黒色の軍服を身に纏った男達が会話を弾ませながら目前の演壇に目を向けている。皮肉な話ではあるが彼らが期待の色を浮かべた視線を向けている先の演壇は五ヶ月前に、守原大将が彼らを打ち倒すべく天狼にて決戦を行う旨を発した場所である。
 講堂の扉が開き、簡素ながら機能美を感じさせる緑色の軍服に身を包んだ戦姫が演台へと向かう。彼女こそが北領を征した常勝の戦姫、彼らが属する東方辺境鎮定軍の総司令官であるユーリア〈帝国〉陸軍元帥だ。

 先程まで互いに戦友と会話を交わしていた彼女の麾下にある将校達が立ち上がって出迎えると戦姫も彼らに優美な答礼を返して楽にするようにと手で示し、そして口を開いた。

「年初の鎮定作戦において我らは、諸卿らの知るとおり、皇帝陛下の御稜威がこの地に遍く及んだ事をこの〈大協約〉世界に知らしめた」
 そして、世界最強と名高い〈帝国〉を統べる一族に相応しい堂々とした笑みを浮かべ、戦姫は肩をすくめた。
「だが此の地の蛮族共にはそれが分からない様だ」
 勇士達の笑いがさざ波のように講堂に満ち、やがて静まった。
「故に我らは、今度の攻勢に際しては奴らの蛮都をも征してやらねばならない!
それこそが〈帝国〉の藩屏たる我らの義務である!蛮族共を偉大なる皇帝の名の下に征するのだ!」
 ユーリアが声を張り上げるとそれに応えた将校達の快哉が講堂を満たす。その戦意に煽られたのか僅かに上気させながらユーリアが信厚き参謀長であるメレンティンへ頷く。
 余韻を残しながらも皆が静まるのを見てとったメレンティン准将が前に出る。
「我々は新たな征戦に臨む事になる。我等が辺境領姫・ユーリア元帥殿下はその第一歩となる本作戦に、有難くも作戦名を下賜なされた――本作戦は〈アレクサンドロス〉作戦と呼称される」

 戦姫が初代皇帝の名を賭けて臨む。メレンティンの静かな声とその内容は張りつめた静寂を齎した――が、その静寂は扉が開かれる音によって打ち破られた。
 将校達が視線を向けると西方諸侯領の者らしき黒色の軍衣纏った者が立っている。無作法なその男へ将校達が刺すような視線を向けるが当の本人は物怖じと云う言葉を知らぬと講堂の中を睥睨しながら闊達な歩調で戦姫へ真っ直ぐと歩む。

「――貴官は?」
 忠良な参謀長がさり気なく美姫の前に立ち尋ねる。
「〈帝国〉陸軍第一教導竜兵団 団長のヘルマン・レイター・ファルケ大佐であります。
ユーリア元帥殿下の御下命に従い只今、参着仕りました」
 将校達の視線が途端に胡散臭げなものになる。だがそれらを一顧だにせず彼らの総司令官が微笑を浮かべた。
「重畳である、大佐。これで主役が揃ったようだ。
さあ、参謀長。それではいよいよ始めようではないか!」



六月ニ十日 午後第二刻 衆民院本会議場 傍聴席
兵部大臣官房総務課理事官 馬堂豊守准将


 さて、兵部大臣官房総務課は国防政策に関する総合調整だけではなく、広報や衆民院への対策も担っている。
 大臣官房総務課の次席である馬堂豊守理事官は眼前で質問状を朗読している議員をぼんやりと眺めていた。
龍州州議会の議員を経て国政に出馬した衆民院第一与党である皇民本党の議員である。
政党の広報担当者なのか彼が個人的に雇っているのかは分からないが、傍聴席に座っている画家が熱心にその光景を描いている。
「――この度の<帝国>軍侵攻に対し、我々は予備予算の全面支出のみならず、緊急予算の編成をも可決するべき動議をおこなっております。ですが、来るべき<帝国>の内地侵攻において最前線となる可能性が高い龍州は農耕地帯であり、(大協約)の庇護下にない農村も少なくありません。
そうした農民達に対する<帝国>兵の略奪行為に対する対策をお伺いさせていただきます」

「安東兵部大臣」
議長の声に安東吉光東州伯爵が立ち上がり、演台へ進む。
「今回の内地侵攻に際しては、水際で食い止める事が第一であります。
ですが万が一、虎城山地まで防衛線の緊縮を龍州鎮台司令部が判断した際には、大前提として、避難支援はて軍の後衛戦闘と並行し、被害を出さずに行うかが肝要となるであろうと兵部省としては考えております。そのため軍司令部は後衛戦闘の指揮を最優先とせざるをえず、後方の避難支援に関しましては、平時において治安、交通を管制している龍州警務本部に一任し、協力して行動するべきであると判断いたしました。国家の一大事である現状において、兵部省といたしましても、関係省庁と緊密な関係を築き、対応していくべきであると考えております」
 まばらな拍手を受け、兵部大臣は演台から降りる。
「宮原内務大臣」
 議長の呼び声に今度はどこか萎びた植物を思わせる老官僚が立ち上がり、先程まで安東兵部大臣が立っていた演壇へと登る。
「警保局からの報告によると――」
 総務課の作った文面どおりに兵部大臣の答弁が終わったことを見届けた馬道豊守理事官は満足そうに笑みを浮かべ、傍聴席を立った。



「衆民院もようやく通りましたな」
 機嫌良さそうに馬堂豊守が寛ぎながら言った。彼は総務課理事官として兵部大臣の答弁文書を作成したこともあり、衆民院対策の為にここを訪れていたのである。
 ここは執政委員控室――要するに高級官僚たちが事前に省庁間の答弁の擦りあわせや、議員との交流を行うために作られた部屋の一角である。

 対面に座った弓月内務勅任参事官は上機嫌にそれに答えた。
「うむ、内務省が主導して行う事になるが構わないだろう?州政局の者達も随分と苦労したからな、権限を貰えねば困る」

「はい、その点が非常に厄介でしたが、龍州警務本部の予備費と警備人員をこちらの兵站線確保に充ててくれたお蔭でどうにかなりました――本当に感謝しています」
豊守は軍との交渉の為に尽力してくれた弓月に深々と頭を下げた。
「うむ、それに駒州公には半ば隠棲していた処を引っ張り出したのだからな。後々、御礼に伺うつもりだ。しかし、駒州公が動いて下さるだけで文句をつける連中を追い払えるのは驚いたな。さすがは駒州公だ、往年の手腕は今も尚健在であったな」
そうにこやかに話しながらも弓月伯の内心は複雑なものであった。
 衆民官僚達の庇護者を気取ってから延々と付き纏ってきた五将家からの横槍を当の五将家当主その人にうち払われたのだ、無理もないだろう。

「まぁ確かに虎の威を借りる狐になる事は間違いでもありませんよ。その虎がまともな虎ならばの話ですが」 と豊守が露悪的な表情を浮かべて云った。

「だから君は穏便に古びた虎の皮を脱ぎ捨てるのかね?」
 弓月が鋭い視線を向けると、豊守は――太平の世を生きる馬堂家を造った男は――寂しげに笑った

「――さて?私は残すべき馬堂の家には駒州男爵の号はまだしも駒城家陪臣の号は永続すべきだとは必ずしも思っているわけではありませんがね――主家が衰えていく様を喜んでいるわけではありません――ですがどうにもなりませんからな」
 
「非道い話だ――などとは言わんよ。私も似たような者だ」
 視線を茶器に落とし、黒茶の薫りを肴に思いを馳せる。
衆民官僚の庇護者となった貴族官僚を観て、豊守も瞑目する。
 ――万民輔弼宣旨書の発布から十四年、あれは我々が様々なものを失った象徴だった。
だが、それ以上に多くの者が栄え、彼、弓月由房は其処につけこんだ、弓月の家名を残すために。

「寂しくはありますな、だがどうにもなりません。それは大殿様も若殿様も理解はしていましょう。この戦で五将家最後の砦である、現行の軍制は変わらざるをえません――変えざるをえません」
 豊守は静かに目を閉じた。
「戦争は何もかも変えてしまうからな。」
 ――この戦でどれだけのモノが衰退していくのか―それらを惜しむ気持ちを持つのは年長者の特権か。
そう思いながら弓月は黒茶の苦みを味わう。
そして――
「変革を担うのは若者達、ですな。手前味噌ですが、幾らかは頼もしい輩もおります」と豊守は誇らしげに笑った。
 ――若者か、そうだ、だからこそ私も衆民官僚達を手助けした。彼らが強まると分かっていたからこそ、弓月家当主である自分を敢えて神輿にさせたのだ。
「――であるな。我々だけでは片付かないだろう、まったく、戦争など碌なモノではない。
湯水の様に我々が切り詰めて民需の為に使っていた予算を下らぬ軍費なぞに使い込み
有望な労働力を死地に送るだけでも度し難いと云うのに――よりにもよって、何時まで続くのか分からんときたものだ!」
 憤懣やるかたない、と<帝国>へ怒りをぶつける弓月伯に豊守は肩を竦めて答える。
「アスローンとも何やら面倒を起こしていると聞いていますからな。早めに手打ちが出来れば宜しいのですが」

「うむ、その件については葵からも聞いている。アスローンとの交易線が封鎖されたのは痛いが、〈帝国〉の負担が増えるのは良いことだ。後は冬まで持ち堪える事が出来れば守原英康を吊るし上げて宮野木の先代の様にしてしまえば良い。
堂賀君を通して執政殿、更には西原と結べば廰堂で決着がつく。そして護州・背州閥を無力化し、安東の東州閥を取りこみ、戦時に対応した意思を統一できる体制を作れば〈帝国〉の侵略を頓挫させる事も可能だ。北領の割譲で手をうてば時も稼げる、後は水軍を拡充しながらアスローンとの外交関係を密にして、さらに南冥――いや、凱へ販路を開拓し、通商関係を結べばこの戦争で発生する赤字の補填も出来る。経済で結びつく事が出来れば、対〈帝国〉の軍事同盟もありえなくはない」
 無論、何事も口先だけで嘯くだけならば簡単である。とりわけ政治は、学者がとった天下なし、と云うくらい理論と現実は乖離している。
 弓月もそれを知悉しているが、敢えて明るい口調で言った。

「何年かかるのやら、鬼が笑いそうな話ですな。――それでも、気分がよくなる話ではありますね」
 それを分っている豊守もまた同じく明るく笑った。

「その鬼を騙して笑い返すのが政治屋の仕事だよ、キミ。
まぁ、今、我々にできるのは最悪の事態を凌ぐことだ。その後の面倒は次の世代に押しつけるつもりだがね」
 そう言って互いに笑いあう。
「その為にも君の跡継ぎが心配だな。彼に戦死されてしまうと今後の政略で厄介なことになる。
陸軍の情報機関や水軍との伝手、それに駒城の育預殿との友好関係、そして何より北領の大功を持って若くして中佐の身だ、今は衆民からの受けが良いわけではないが<帝国>との戦を凌ぐことさえできれば護国の英雄として、衆民からの支持も期待できる」

「今は敗残兵を守る為に村を焼いた鼻持ちならない貴族将校、と反将家の連中には言われていますからね。もう少ししたらそれどころではなくなるでしょうが」
 豊守はそういって肩を竦めた。
「恐ろしい事にな。
だがこの戦を上手く切り抜ければの話だが、彼は経済にもそれなりに理解があるから、退役させて私の下に置くこともできなくはない。
30前に大佐というのは良い話だが、どの道これからは五将家も思うように動けなくなる。良くて少将あたりで留め置かれてしまうだろう?
だったら内務省に籍を移せば私の作った下地を継承させることも十分に可能だ。
――どちらにせよ、彼は戦後の政界再編時に勢力を作るにはうってつけだ。戦後の事を考えるのならば何としても死なせてはならん――それに、茜も流石に婿が前線に送られるのは不安らしい。一度、消息不明になったのだから当然だがね。
――ま、そうしたわけだ。こちらも協力するから可能な限り早めに皇都に戻させよう」
 豊守も苦い顔で頷く。
「まったくもって同意見ですがね。ですが、また軍監本部に戻すのは難しいです、前線で使える将校が少ないですからね。若殿様は今年を凌げば大佐にさせるつもりのようです。その際に配置を変える事も出来ますが――当分は北領の英雄を信じるしかないでしょう」と言った。
「――まったく、戦争など実に割に合わんモノだ」
「同感ですな――えぇまったく同感ですよ」
二人の高級官僚はともに溜息をついた。



七月一日 午前第十刻 近衛衆兵鉄虎第五〇一大隊営庭
鉄虎第五○一大隊 大隊長 新城直衛少佐


 今で碌に言葉を交わしていない副官から渡された資料に目を通す。
「新設された、え〜捜索中隊を含めた大隊全力での集団訓練はあと五日程で取り掛かる事取り掛かる事が出来ます」
 藤森大尉が帳面を睨みつけながら報告する内容も書類のそれと合致していた。

「五日か、多少は希望が見えてきたな。」
 ――まだ二週間は時間がある筈だ。
悲観的な新城にしてもそれだけの時間は最低でも得られると確信していた。だがけしてそれ以上は期待していない。
「塩野大尉の中隊は禁士隊の首席幕僚殿がお墨付きを出しただけあって、中々大したものですが、少々、他の部隊で進捗に少々遅れが出始めています」
 時間の不足を補う為に新城はあれこれと工夫を凝らしていた。
例えば、新城が考案し、先日完成した偽装用の野戦服は非常に良好な効果を示した一例であった。
 後備部隊や新編部隊の充足に予算をとられている事もあってか近衛の正式採用は見送られたが、代わりに某金満将家の陸軍中佐が伝手を利用し、陸軍の剣虎兵部隊における試験採用の認可を陸軍局から勝ち取ったのである。
そして現在では既存の剣虎兵部隊ではなかなか良い評判を受けており、剣虎兵将校の中では新城の手腕に対する評価は非常に高いものになっている。当然ながら新城の大隊にも剣虎兵用として一部の予算が割り当てられている。
「疲れか?」
 いくら工夫を凝らしても結局は兵が苦労するのは間違いない。これまで足踏みなく進んできたのだ、そろそろ兵の方に無理が出てきてしまってもおかしくない事は新城も承知している。

「えぇ、恐らくは。寧ろこれまでよくもった方でしょうな」と藤森は無愛想に肩を竦める。

「休みを増やすのも一つの手かもしれない。その時間があればの話だが」

『それは難しい問題でしょうね』
 頭に声が響いた。
「どういう事でしょうか、坂東殿?」
 新城は丁重な口調で義理堅い天龍に尋ねる――が、彼はどのような答えが返ってくるのか半ば確信していた。
『この数日、北方の船の流れが明らかに変わっています。美名津に集中して大型船が集まり始めているようです。彼方は一足先に準備を整えつつある様ですな。』
 ――予想以上に早い、猶予は後数日といったところか。
「――調練を急がせるとしよう。首席幕僚、申しわけないが休みは行軍前までは無しだ。」



七月二日 午前第八刻 独立混成第十四聯隊本部官舎
独立混成第十四聯隊 聯隊長 馬堂豊久中佐


再び響いた銃声に米山大尉は眉をしかめた。
「あぁ、まだやってるのか」
 官舎から裏の訓練場に回ると、彼が探していた聯隊長が最後の一発を撃ったところだったのだろう、輪胴に玉薬を注いでいるところであった。
「聯隊長殿」
 数度の聯隊全力訓練もある程度の水準まで達したこともあり、聯隊長である馬堂豊久は上機嫌に米山に云った
「ん?――米山か。どうだ、悪くないだろ?」
 そういって的に視線を向ける。
「えー、二十二、いえ三発も命中してますね、」

「そうか、三十発中二十三か、まだ要修行だな」と馬堂中佐は肩を竦めていった。
「――で?どうした、本部から何かあったのか?」

「はい、聯隊長殿。どうやら統帥部から導術連絡が入った様です。
首席幕僚殿からすぐにお戻りいただきたいとのことです」

「統帥部――笹嶋さんか、何かあったな」
水軍の軍令機関に勤めている“友人”を脳裏に思い浮かべた聯隊長は口元を引き締めて云った。
 
「私の経験上、ろくでもない事だと思いますね」
 そう云いながら米山が苦いものが多分に混じった笑みを浮かべると聯隊長もまったくおなじ笑みを浮かべて答えた。
「奇遇だな、俺も同じ考えだよ」



「――遅くなった、何事だ?」
副官を引き連れて聯隊長が入室すると首席幕僚は素早く書付を差し出した。
「こちらです」

“美名津周辺海域ニテ戦列艦隊ガ集結シツツアリ
〈帝国〉軍来寇ノ可能性ガ大ナリヤ”

「ハハハ流石は笹嶋中佐だ。たった二行の書付で俺の胃を痛めつけてくれる」
 口元を引き攣らせながら聯隊長が笑う。
「自棄にならないで下さい――しかし、連中、予想外に早いですね」
 初夏の暑気の所為か、はたまた彼も動揺しているのか頬を流れる汗を拭いながら大辺も呻いた。
「やれやれ――これじゃあ予想外に順調って思ってた戦力化の進捗状況も怪しいもんになっちまったな」
 馬堂豊久聯隊長は首席幕僚と視線を交わし、溜息をついた。
「――本来なら、ここまででどうにか聯隊全力訓練までこぎつけられたことも大成果なのですがね」
 どうにか聯隊の戦力化への一区切りである聯隊全力訓練の域に辿り着いたことすら吹っ飛んでしまっていた
「まぁ、不確定情報だが早期に知ることが出来ただけ、統帥部に伝手を作った甲斐があったのだと思おう。――まったく、来ると分かっていても嫌になる」
 豊久は文字通り頭を抱え、嘆く。
 ――あぁ、畜生。またまた北領の時並みの嫌な予感がするし――泣きたくなってきた。
「聯隊長殿、明日から即応態勢へ移行しますか?」米山が如才なく尋ねる。

「あぁ、頼む。申し訳ないが明日から休養時の兵達は営所で待機してもらおう。当面、街には出してやれないな」 と聯隊長は僅かに微笑した。
「それと、伝達が済んだら導術士を頼む。一応、鎮台司令部に問い合わせと云う形で伝えておきたい」

「はい、聯隊長殿」
米山と敬礼を交わすと即座に聯隊長は首席幕僚に問いかける。
「大辺。即座に龍州軍の増援に出られるのは皇都に集結している三個鎮台(駒州・護州・皇州都護)と港湾都市の多い背州鎮台。それに東州に集結している東州鎮台、か?」
 聯隊長の問いに元戦務課参謀は、如才無く返事をする。
「はい、聯隊長殿。現在即応できるのはその五個鎮台です。ですが、それに加えて西州鎮台も後備の動員の為司令部はうごいておりませんが常備部隊の大半を兵団として内地に送っています。こちらはまだ皇都に到着していませんが港を使えば龍州に急行できる状態です。
事実上、〈皇国〉陸軍主力の全軍を投入可能な状態だと考えていただいて構いません」

「成程な、父上も残業が増えるわけだ。――却説、今度は我々が苦労せねばならないな、首席幕僚」
――後方で苦労したぶん、流される血は〈帝国〉産の物にしなければならない。
天狼の大敗をその目で見届けた馬堂豊久聯隊長は静かな決意を込めて云った。
「はい、聯隊長殿。その為にも出征が決定するまでは訓練を――」と、丁度その時に扉を叩く音がした。

「聯隊長殿。本部附導術士、上砂少尉入ります。」
 上砂少尉は輝く銀盤が似合わない未だ十代で当然ながら実戦未経験の新品少尉だ。
戦闘導術中隊に選抜されたのだが、流石に経験不足である為、聯隊本部付となった。
本部の中では一番年下の将校であり、また実戦を経験していない将校はこの部隊では殆ど見かけない為、良くも悪くも目立っている。
 元々、駒州軍は虎城周辺に巣食う匪賊討伐で実戦経験を積んでいる者が多く、その中でもこの聯隊は戦力化を急ぐ為に実戦経験者の将校を最優先で配属させている。
 だが導術将校となると新設兵科の為、数が少なく、後方支援が殆どなので実戦経験者も数少ない。前線に出てくる導術将校となると体力・術力が高い若者の割合が高いのである。

「あぁ、粟津の司令部と交信を頼みたい」
 聯隊長直々の命令に少尉は未だ十代らしく幼さの残る面持ちを緊張させて頷く。
目を閉じ、意識を集中させる少尉を視界の端に置いて聯隊長もまた目を閉じる。

 ――戦争の始まりだ、畜生。何人が若死にする事になるのだろう。だがな、俺が生きている内に必ず借りは返してやる。見ていろ、姫様。こっちにゃ、こっちのやり方ってモンがあるのさ。
却説、細工は流々――――
 
 

 
後書き
取り敢えず開戦前夜(?)まで漕ぎ着けました。

ここまでの立ち回りを見てて豊久さんに一言
『お前なんだか』
『スピンオフシリーズ第二弾で主人公になりそうなキャラだよな(笑)』

 

 

幕間2 弓月兄妹と学ぶ〈帝国〉史

 
前書き
この話の登場人物
弓月葵 弓月家長男 若手外務官僚

弓月碧 弓月家三女 十代半ばの少女
 

 
皇紀五百六十八年 六月 某日 某時刻 弓月家上屋敷第二書斎
弓月家長男 弓月葵


 故州伯爵・弓月家長男である弓月葵は一人、書斎の中で深い溜息をついた。
彼は今年から外務省条約局の通商課の一員として近日、頭を痛める日々を送っていた。
<帝国>水軍の海上封鎖対策やら、アスローン経由の<帝国>情勢の収集など外務省も天下の忙しなさに外れる事はなく終わりの見えない戦時体制に組み込まれている。
久々の休みではあってもどうにも持ち帰った資料の通読をしないと落ち着かないくらいには明日の仕事をこなすのに必死にならざるをえない日々である。
――まぁ豊久さんよりはマシか?あの人も義兄になれるように戻ってきてほしいものだ。
一通り目を通した書類の束を机にしまい、鍵を掛けて葵はぼんやりと窓の外を眺め聯隊のどうにか形にしようと四苦八苦しているであろう男に思いを馳せる。
死んだものと思われた時にはあの(・・)姉が涙を見せるなどという十数年ぶりの光景を目にする羽目になったのも記憶に新しく、できれば二度と観たくないと心底思ったものであった。
「御兄様。いらっしゃいます?」
 どうにもならない戦争と言うものへの恨み言を遮るように幼さを残した声が葵の耳に届く。
「碧か、珍しいな。何の用事だ?」
 そう云いながら扉を開いた先には弓月家の末女である碧がちょこんと立っていた。
「失礼、入れていただけますか?」

「あぁ、少し待ってくれ。一応片付けとくものがあるからな」
 役所仕事は形式主義と言われるが、中には必要な万が一を潰す作業も含まれている。
とりわけこうした機密の扱いはそうした形式の本義を知ってこその官吏である。




「で、何の用かな?いつもなら姉さんのとこにでも行っているだろうに」

「あら、折角のお休みなのに部屋でお仕事していらっしゃると聞いて見舞いに来た兄思いの妹ですのに、酷い言い草」
クスクス笑いながら碧は兄が手で示した安楽椅子に腰かける。
「〈帝国〉語の家庭教師の方がお止めになったでしょう?」

「通詞の仕事で徴用されたらしいな。時間があったら代理位はできたのだが」
 <皇国>軍はあれこれと必要な人材を法律家から板前まであれこれと掻き集めている。
当然ながら<帝国>語に堪能な者も例外ではない。

「で、自習用に御父様から本をお借りしてたのだけど良く分からないの」
 碧が拗ねたような口調で差し出した本を葵は懐かしそうに開いた。
「ん?あぁツァルラント大陸史録か、懐かしいな。良い歴史の入門書だけど、語学の入門には向かないだろうな」

「御父様は良い本だっておっしゃってたわ。御兄様だって昔は読んでいらっしゃったじゃないですか」

「そりゃぁ僕は外務省に入庁する前は史学寮で大陸史を学んでいたからな。
〈帝国〉語は〈帝国〉語でも史料を読む勉強用だよ」
頬を膨らませた妹に笑いながら云う。
「あぁ、待っててくれ。良い本を見繕ってみよう」

「ありがとう、御兄様。それと――これの内容、教えて下さる?」

「〈帝国〉史に興味があるのか?大半は戦争と内戦の話になるぞ」
 ――ただでさえ物騒な世の中なのにこれ以上物騒な歴史を学ぶ意味があるのか?
拗ねた思いが脳裏を過ぎるが葵はそれを即座に打ち消した。
――あぁあるとも、あるだろうさ。少なくとも愚かな憧憬を持つよりもそこへ至るまでの合理性とその結果が齎す愚かしさと愚かしさを知った者達による変革の訪れを知り得ることが出来る。
「そうですね、でもこの御時世に小説の書かれた年数やら歌集の作家の名前やらを暗記するよりはマシでしょう?」

「そうか?まぁ学んで損はないと思うが――1日で終わるものでもないし、簡単に歴史の概略だけでいいな?」

「はい、よろしくお願いしますね」

「ん、まずは〈帝国〉に関する基礎知識はどの程度ある?
〈皇国〉と開戦するまでの歴史だぞ?」

「〈皇国〉北方、ツァルラント大陸に存在する〈大協約〉世界最大の国家でその歴史は〈皇国〉よりも古い。
広大な国土は、西方諸侯領・本土・副帝家が統治する東方辺境領にわかれ、ロッシナ家による帝室の支配が行われている――」
 語尾を濁しながら碧はそっと目を泳がせた。
「そこで挫折したのか」
兄の笑い声に碧は拗ねたように唇を突き出した。
「だから教えていただこうと思ったのに、酷いわ」

「それは失敬、それでは簡単な基礎知識から始めよう」
 そう云うと葵は<皇国>地学院発行の〈大協約〉世界図を広げた。
 C・NOVEL版と文庫版両方の巻頭に載っている読者諸賢にも御馴染みであるあの地図である。
「皇紀前四百十五年にケリウス・マクシノマス王(ゴーラント一世)によって建国された〈マクシノマス家ならび諸卿の合意による聯合帝国〉――直訳だから無駄に長いな――を母体とし、幾度かの膨脹期と、数知れない内乱を経て、ツァルラント大陸のほぼ全土を支配下に置く現在の〈帝国〉となった。
あくまで概略だけだが、順番に話そう」
 膝の上で掌を組み、目を閉じる。こうしていると葵は官僚と言うより洒落者の学士といった雰囲気を漂わせている。
「先ずは“西方への拡大(ドランク・ナッハ・ヴェステン)”だな。これは現在の西方諸侯領の大半がこの時期に編入されている。
〈帝国〉の西方への領土拡大期を表す用語で幾度もの遠征を総括した一時代の名称と考えてくれ。
その時期は具体的な年数はまだ議論されているが、おおむね〈聯合帝国〉建国から皇紀前百九十年前後までの二百年以上の物だ。その形態は遊牧民族の略奪と定住民族を支配下に置く方法による版図拡大で、この拡大期に現在の西方諸侯領と〈帝国〉の農奴制といった〈帝国〉の基礎が築かれたといってもいいだろうな」

「西方諸侯領からさらに西進する事はなかったのですか?」

「アスローンと磐帝国――俗にいう南冥の二ヵ国。そして現在では北方蛮域と称される土地に住む民族達にぶつかったからな。
特にこの時期、磐帝国は王朝全盛期だった。大国としての意思統一がなされており、また諸民族を統合する為に巨大な軍備を有していた。そしてなによりアスローン諸王国の宗主国だった。
――故に〈聯合帝国〉軍は敗退した。これによってマクシノマス家の威信は揺らぎはじめた」
 黒茶で喉の渇きを癒すと葵は足を組み、滔々と説明を続ける
「余談だが、この時代のアスローン諸王国も内乱に勝利した事で精強な軍勢を有し、磐帝国の庇護を受けた大王の下で集権化が進んでいた。
この時代に大陸の有力国たちの現体制まで続く基礎がつくられたのさ――まぁこれは後にしよう。ここまではいいね?」
 慌てて緑は手持ちの帳面に筆をはしらせ、地図を見比べながら説明の概要をまとめる。
「えぇと、南冥の磐帝国が当時の〈聯合帝国〉相手に戦争できるほどの大国だったってことですね?アスローンはその庇護下で大王の権限が強化されたおり、これに同調して〈聯合帝国〉軍に抵抗した」

「うん、その通りだ。まぁこれのおかげで対〈帝国〉戦争が出来る状況になったと言われているな。分かりやすい“敵”があらわれた事で磐帝国を盟主とした防衛体制を周辺国家勢力は構築し、磐帝国に事実上併合されるような国家も少なくなかった。〈聯合帝国〉はこうした大規模国家とその衛星国を相手にしたことで膠着状態に陥ってしまい、200年以上続いた拡張を前提とした国家運営が出来なくなった。
だが、これに対応する事はマクシノマス家を中心とした中央政府にはできず。諸侯達はマクシノマス家に不満を募らせた。そして発生したのがヒルデップ新帝乱だ」

「新帝乱……という事はここで帝室の交代が起きたわけですね?」

「あぁ、その通りだ。マクシノマス家は断絶し、新たにハルトラント家のヒルデップ一世を皇帝とする〈聯合帝国〉が建国された。
この乱は皇紀前一六四年に集結し、〈帝国〉は拡大した領土の整備などの内政面に注力して最初の安定期を迎える。
この時期は、南冥でも内乱によって王朝の交代が起き、アスローンは南冥の支配下から外れて交易による発展を進め、現在の〈帝国〉領レンストールなどの島国と交易問題による紛争を起こしていた」

「この時代はまだロッシナ家は出てこないのですね」
 出された黒茶を飲みながら碧は帳面に筆をはしらせ、尋ねた。
「あぁ、当時はまだ本領の一貴族だった。彼らが頭角を現したのはこのヒルデップ新帝乱から約八十年後に訪れた東方への猛撃(シュトルム・ナッハ・オステン)だ。これは〈帝国〉の東方への領土拡大期を表す。皇紀前八二年ごろから皇紀元年ごろまでだが、今でも東方諸民族と断続的に紛争が起きているな」

「こちらの進撃が止まったした理由は何ですか?」

「単純に領土に旨味がなかった事だな。この拡大期にツァルラント大陸東部の沿岸地域・主要な穀倉地帯は概ね東方辺境領に組み込まれる事になった。
ここから先は山岳地帯だったり作物の北限に限りなく近かったりと、敢えて領土とする必要性が薄い土地が多い。それに急速な領土拡大によって領内の整備が必要になった事もある」
 黒茶で唇を湿らせ、葵は講義を続ける。
「だが、この拡大によって〈帝国〉は致命的な問題を抱える事になる。
西方の諸侯領と〈帝国〉本領はまだ比較的交流があった事もありまだマシだったが、東方辺境領は約八十年程度で急速に入植を進めた事や、現地の非有力部族を取りこんでいた事もあり、現地で生まれ育った世代、〈帝国〉本土に足を踏み入れた事もなく、領土の田園と領土の防衛、拡大の為の戦争で生まれ育った世代が台頭してきた。
彼らは〈帝国〉本土への帰属意識が非常に薄く、〈帝国〉本土語を敢えて話さず、現地の言葉で話す事で結束を高めたと言われているな」

「あぁ・・・・・・・」
碧が半眼で力なく笑った。

「そして御期待通りに内乱が起きる、東西諸侯叛乱だ。
これは今話した通りに〈帝国〉において、“東方への猛撃”により新たに〈帝国〉領となった東方辺境領と<帝国>本領・西方諸侯領との対立から起こった内乱だな。
これは皇紀百十八年から皇紀百四十三年と長きに渡ったが、最終的に、ハルトラント家支配の〈聯合帝国〉は、ロッシニウス家支配の〈帝国〉にとってかわられた。
ロッシニウス家は東方辺境領から本領に出戻った貴族で、東方辺境領の過激派と西方諸侯達が互いに消耗しきったところで外交的に和解させ、彼の親族――今の副帝家だな――が実権を握った東方辺境領と〈帝国〉本領の貴族たちの支持を背景に権力を掌握する事に成功した。これが現在〈帝国〉史における最後の帝室交代となっている」

「ロッシニウス家?あれ?今の帝室はロッシナ家ですよね?」
 首を傾げた碧を兄はかるく笑いながら掌を向けて押しとどめた。
「まぁ待て、その説明は少し後だ。
この東西諸侯乱によって〈聯合帝国〉に代わる〈帝国〉建国を宣言したアレクサンドロス一世は〈帝国〉の支配権を得た際に東西諸侯乱の再発を防ぐ対策の一環として〈帝国〉全土の共通語を定めた。
これは、広大な〈帝国〉領内の複数の民族の間で使用されている主要な言語から作られた人工言語だ。
これは身分にかかわらず、〈帝国〉の全ての民に使用が義務づけられた。
碧、この意図は分かるな?」
 兄の問いかけに碧は即座に頷き、答えを述べる。
「新しく建国された〈帝国〉への帰属意識を高める為、そして皇帝の権威を〈帝国〉全土に広める為だと思います。
それに加えて東西がほぼ完全に異文化の国になってしまった事から<帝国>としての統一性を作り出すことも目的でしょうか」

 妹の返答に葵は目を細めて頷いた。
「うん、ほぼ満点だな。〈帝国〉共通語は、過去の言語の特徴を巧みに組み合わせただけあり、四半世紀ほどをかけて〈帝国〉全土に定着した。
ロッシニウス家のアレクサンドロス一世は、公的な文書においても私生活においてもロッシナ家のアレクサンドル一世と名乗り、これによって保守的な宮廷内でも公用語の使用を強引に推し進めた。――これでさっきの碧の疑問に答えることにもなるな」

「はい、御兄様」

「――そして、〈帝国〉公用語と共に文化的統一の道具として利用されたものが有る。
何か分かるか?」

「えーと・・・・・・流通の活性化でしょうか?人を動かせばそれだけ公用語の統一性も広がりますし」
 ――如何にも東州乱後産まれらしい答えだ。
同じ答えを返し、かつて講師にそう笑われた事を思い出した葵は小さく溜息をつくと懐かしむように笑みを浮かべた。
「お前も〈皇国〉人として健全な価値観を持っているようで安心したよ。
だが、残念ながらそれをやるには〈帝国〉は広すぎるし内乱直後は東西の隔意が強すぎた。
内乱間もない状況でそうした方策をとるのは危険に過ぎたからな」

「むぅ……それでは正解はなんですか?」
 頬を膨らませた妹を見て小さく笑い、葵は正解を告げる
「答えは宗教だ。拝石教――〈帝国〉の国教とされている大宗教で“石神”をあがめる一神教。名前くらいは知っているだろう?」

「はい、救貧活動を行っていますよね。献金を募って孤児院を造ったりしているのは聞いたことがありますし、私も茜御姉様と故府の施設を見に行った事もあります」

「あぁ、父上が故府の州知事をしていた時にそんなことをやっていたっけな
〈皇国〉総石院か。アレも〈帝国〉の拝石教総宗庁から見ると異端扱いなのだがね。
まぁ殆ど交流がないから問題にもならないが」

「どうしてですか?特に害になるようなことはしていない筈ですが」

「〈皇国〉の導術利用に言及する事がないからさ。本来、導術は教義に反するものだ。
まぁ少なくとも総宗庁はそういう事にしている」

「確かに、豊久義兄様も〈帝国〉は導術を使わないとおっしゃっていましたけど
それが――そこまで問題になるのですか?」
 正確には(まだ)義兄ではないのだが、北領から戻り、そして再び軍務に復帰してからなんとはなしにそう呼ぶようになっていた。茜も葵も気づいているのだが、指摘する事はない。

「〈帝国〉民衆の中で拝石教が確固たる権威を持ったのは、皇紀三百年代後半から皇紀四百年頃まで――具体的に言うのならば皇紀三百六十四年に始まった宗教純化運動が発端だ」

「・・・・・・厭な響きですね。宗教純化運動って」
 〈皇国〉の一般的な価値観において宗教の政治的な動きは嫌悪されることが多い。
特に皇都や地方の都市においてはその傾向が強い。
「〈皇国〉は幸いにも宗教の先鋭化はそれほど酷くないからな、それこそ諸将時代の帯念一揆位だ」
 諸将時代に農村地帯の一部が寺社の扇動を受け、搾取の象徴として将家やその御用商人を追い出し、自治体制を作り出そうとした事があった。当時の僧侶は知識階級であり、同時に農村においては庄屋たちと並び、慣習法の裁定者でもあった。
だが、彼らは一揆の軍勢と結びつき、独自の武装勢力を作り出そうとしたのであった。
 結局は内政の行き詰まりと将家の鎮圧によって叩き潰されたのであるが、略奪にあった商人や将家達にとってはある種の衝撃であった。特に現在まで伝統的に残っている農村に自治権を与える五将家のやり方はこの衝撃的な武装勢力との戦いを糧としたものであると言われている。

「だが、この宗教純化運動も最初は決して悪いものではなかった。
そもそもの発端は“信仰帝”と呼ばれるウィリテリウス二世の治世に起きた――皮肉な事に、な」

「悪い事ではなかった――ですか?」
 眉を顰めた碧に葵は頷いてみせた。
「あぁ、なぜならば当時、〈帝国〉国教として独立した権力を持っていた拝石教の組織は深刻な腐敗・綱紀の紊乱によって民心が離れつつあったからだ。
学問僧であったジュガヴィリヌスの主導で教団上層部の体制刷新、腐敗の是正を掲げていた――が、五年後には失脚し、破門された。
教団の腐敗は糾される事は殆どなく、民衆の不満は高まって行った」

「あぁ・・・・・・そこで導術士が出てくるわけですね」
碧は痛ましそうに顔を曇らせた。彼女にとっても導術士は日常の者達である。

「あぁ、その通りだ。〈帝国〉における導術士は各部族の中で狩猟前の占術や離れた親族の無事を知るなどと導術を利用した“呪術”によって部族社会の中で一種の特権的な地位を得ていた。
〈帝国〉もそもそもは騎馬民族の〈聯合帝国〉が母体であり、西方諸侯領の下層・中層階級の大半は〈帝国〉本領の影響を受けていても一般住民の大半は異民族達だ。
こうした土着の呪術師は結構な数がおり、五百年を経た社会の中でも相応の位置づけに居た。不満を持った民衆は――とくに〈帝国〉本領からの移民達を中心とした拝石教を奉じている下層民の一部は、導術士達を異端者として駆り立てはじめた」

「――殺したの?」

「〈帝国〉を、そしてこの手の行為を擁護するわけではないが、
導術士に対する不信からくる虐殺は〈皇国〉の把握する(大協約)世界の国ではどこでも引き起こされている。
この〈皇国〉だって五百年代初頭に滅魔亡導運動が発生している。
――だがそうした類の事件で、この〈帝国〉において起きた“宗教純化運動”はとりわけ徹底している。
その理由を滅魔亡導と比較して考えてごらん?」

「少し待ってください・・・・・・」
 唐突な兄の問いかけに碧は慌てて歴史の悲劇から理論へと思考の向きを変える。
「――皇家のように術士を庇護する立場の者が居なかった事ですか?」
魔導院設立までの歴史には皇家の導術士の保護が密接に関わっている事を想起したのだろう。だが、兄は微笑を浮かべて首を横に振った。
「あともう一歩だな」

「えぇと、ならば――えぇっと――」
 目を白黒させながら碧は思考をめぐらせるが、葵はそれを待たずに正解を告げた。
「はい、時間切れ。答えは非組織的な民衆による運動である事だ。
最大の問題点は民間の信仰心に篤い方々が勝手に始めた事で、〈帝国〉中央政府で拝石教を統括していた拝石教総宗庁には管理しきれなかった事だ。
滅魔亡導は五将家の主導であり、ある程度の統制がとれていたからこそ、皇家も保護を行い、対将家の外交札の一つとして活用できたのさ」
 兄の言葉をかみしめるように碧はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それに対し、〈帝国〉の宗教純化運動は民衆たちによる非組織的な行動だったから――止められなかった」

「その通りだ。最初は総宗庁も止めようとした。
国教としての総宗庁の役割は〈帝国〉領の文化的統一を補助する事であり、内紛の種をばらまいたら深刻な腐敗と帝室から独立した影響力をもった総宗庁は中央政府によって抑え込まれかねない状況だったからな。
――だが、その導術士排斥運動が〈帝国〉全土に瞬く間に広がる様相を呈するに至りに総宗庁は静止する事辞めた。彼らは民衆の反感を逸らす為に導術士を異端として審問官を送り込み、独自に裁判を行った。
俗に宗教純化運動と呼ばれているのは初期の腐敗是正ではなくこうした宗教裁判の方だ」

「でも、そこで総宗庁が統括できるようになったのなら、歯止めをかけられなかったのですか?」
 碧の言葉に葵は皮肉な笑みを浮かべて答える。
「限定的であるが、異端審問に関する独立した司法権を認められた。
総宗庁はそれを手放すつもりはなかったからね。一端始めた以上はそうそう終わらせるメリットも薄いからな。総宗庁も官僚化されているという事だな」

「……」

「まぁ、そうしたわけで導術排除で政治的危機を凌ぎ、民衆の支持を高めた総宗庁は政治的に大勝し、確固たる地盤を得た。
勤勉な〈帝国〉臣民諸賢は三千万以上の“背天の技”を使う呪術師――導術士の疑いがある人物を殺しつくした。一時的に導術士の多い地域は、人口が半数近くなったと言われているくらいだ。だから今でも<帝国>は導術排除を大いに重視しているし、〈帝国〉国内に導術士は居ない。素質のあるものは居るかもしれないが、それを磨く術はまさしく“失われた技術(ロスト・テクノロジー)”になっているようだ」

「――徹底していたのですね」
 寂しそうに碧は言う。

――〈皇国〉軍の大半や魔導院の者達は、この純化運動には感謝してもしきれない、と思っているのだろうな。
葵は内心何とも言えぬ気持ちを抱きながら史書の記憶を辿りながら言葉を紡ぐ。
「あぁ、総宗庁――拝石教の権威が下層市民にまで徹底的に浸透した経緯の一つだと言われている。“信仰帝”ウィテリウス二世も本来は異端審問を利用した総宗庁の権限拡大を厭っていたが、皇帝の権威を保つ為に黙認していたくらいだからね。
逆に総宗庁に接近して“信仰帝”と呼ばれるほどに表面上の親密さを誇示したくらいだ。
――裏では財政に手を回して総宗庁の経済力を削ごうとしたりしていたが、まぁどうにか過剰な膨張を喰い留めるにとどまったようだな」

「宮廷情勢は複雑怪奇なり、ですね」
 碧は力なく笑い、肩を竦めた。

「あぁ、だがそのあとは大規模な内乱もなく、慢性的に十年単位で発生しては収束するアスローン・南冥の帝国との戦争。東方の漸進的な領土の拡大と開拓の進行。
この辺りは馬堂の方々みたいな軍人たちの研究分野だろうな。
戦争と農奴による開拓、そして大商人の投資。概ねこうして〈帝国〉は緩やかに拡大を続けていった。最後に起きた内乱は東州乱とほぼ同時期に起きたものが最後だな」

「カルパート僭帝乱でしたっけ。これは少しだけ聞いたことがあります」
 碧の言葉に葵も頷いた。
「皇紀五百五十年代初頭に起きた内乱だ。先帝パーヴェル三世が五百五十年の春に崩御したのちに帝位継承権を争った戦いだな。
そもそもは皇帝親衛軍の一部が帝位継承を宣言したカルパート伯爵の叛乱に同調したことが、それが切欠だった。
まぁ要するに皇太子の側近の一人が次期財務尚書を狙っていた事が直接的な原因の一つだと言われている。
要するに軍部の一部が担いだわけだ」

「えぇと・・・・・・?」
 首を傾げた碧に葵は笑いかけた。
「父上の口癖はなんだ?」

「あぁ――戦後の軍縮ですね?」
 碧が印象に残るくらい弓月は戦争そのものを憤懣やる方ないものとして取り扱っている。
政治に関係ないところにいる碧ですら印象に残るくらいは激おこである。民政官僚として軍人貴族が牛耳る国家で権勢を維持し続けてきた最中に戦時が訪れてきたのだから致し方ないのであるが。
「そう云う事だ。まぁうちの義兄候補殿みたいな変わり種もいるが、概ね軍人と言うものは軍縮と言う言葉を聞くと蕁麻疹がでるものだ――とりわけ<帝国>のような国では」
 黒茶に口をつける葵に碧は尋ねた。
「あの、ですが。親衛隊というとこの国の近衛と同じですよね?
皇帝直轄ならばなぜ叛乱など?」

「だからこそ、さ。皇帝直轄という事は正規の官僚機構から外れた組織である、という事だ。そこに優秀な選抜された将校が入り込むと――遊ばせておくとろくな事にはならないものだ。とりわけ近くに最高権力者がいるとなればね」

「……<皇国>と違って実権ももっていますからね」

「そう云う事だ。そして中央政府が混乱すると広大な<帝国>は存外に脆い。
“正統”政府が並立すると東方辺境領を治める副帝家は即座に傍観に徹した。
脆弱な経済基盤と副帝家としての立場から介入する事は好ましくないと判断したからだろうと言われている。
一方で西方諸侯領は双方の正統政府を支持する面々が分裂し、諸侯領がそれぞれ軍勢を率いる状況となってしまった。
とはいえ、西方諸侯領における戦闘が激化したのは内乱終盤であり、幾つかの反ゲオルギィ派軍閥を糾合して臨んだ決戦に敗れた事で比較的短期間に終わったがね。
とはいえ、本領や西方諸侯領といった<帝国>の経済中枢が一時麻痺したことは<帝国>の経済構造にかなりの痛手を与えた事は確かだ。
これが遠因となって〈皇国〉の廻船問屋が〈帝国〉に進出をはじめ、皇紀五百五十二年に<帝国>大手両替商だったバクーニン商会が破産。その影響で帝国からすさまじい勢いで正貨が皇国に流出し始めたと言われている」

「ある意味では〈皇国〉が勝利した内戦と言うわけですね?」

「またある意味ではこの戦争を引き起こした内戦でもあるな。
まぁどの道、〈皇国〉廻船問屋は徐々に〈帝国〉に進出していたのだから遅かれ早かれこうなったのかもしれないがね」
葵は皮肉な笑みを浮かべて言った。
「――さて、〈帝国〉史を総括してあの国をどう見る?」

「そうですね……〈帝国〉の起源は騎馬民族の諸部族からなる聯合国で、伝統的に領土拡大を志向していたことがわかります。
広大な国土と引き換えに農奴などの下層階級の多民族化による慢性的な不満の高まり。少数民族を取りこんだ封建諸侯の〈帝国〉への帰属意識が薄くなり、反乱が幾度か起きている事から伝統的に中央政府の基盤がどうしても地方諸侯と比較すると脆弱になってしまうことが分かります」

「ほう」
 兄が向ける採点者としての視線にあたふたしながらも碧は思考の理論化を進める。
「えぇと……そこから考えるに〈帝国〉中央政府は下層階級と辺境諸侯の不満を抑える為に対外出兵か、〈帝国〉本領を中心とした安定した経済成長が必要となります」

「なぜ本領を中心にする必要があるのかな?」
 葵が面白そうに問いかけると気を落ち着けることに成功したらしい碧は若々しい知性を感じさせる口調で答える。
「政治的な独立性は必然的に経済的な独立から生まれるからです。
東州公の乱も食糧自給によって完全に経済的な独立が可能になった事が直接的なきっかけ――と習いました」

「中々慧眼だな。良く考えているよ。そうだな――じゃあその〈帝国〉と渡り合った二国について軽く触れて終わりにしようか」

「はい、御兄様」

「それではまずはアスローンからだな。
アスローンは先の〈帝国〉史でもふれたとおり、以前は南冥の磐帝国を宗主国と仰いでいたが、以後は独立した一国として〈帝国〉と渡り合いながら漸進的に南進と内乱、そして〈帝国〉との紛争を続けていた。
地図で見るとおり、その国土は〈皇国〉と比べると広大であるが、けして〈帝国〉や南冥の王朝に並ぶものではない。
アスローンについてはどの程度知っている?」

「〈帝国〉と国境を接していて、何度も戦争している事は有名ですね。
アスローン大半島と呼ばれているツァルラント大陸南西部の半島部を支配する国で大王が治めているのは先程習ったばかりです。
えぇとあとは――アスローン・モルトってお酒を代表に色々と〈皇国〉と交易を行っています」

「ん、そうだな。貿易などで〈皇国〉とも関係が深い。今、碧が言った通りのアスローン・モルトなどの嗜好品だけではなく、衣服や船の建材や黒石や鉱物なども輸出している。
代わりにこちらからは織物や民生用の船などが売れているな」
 この辺りは葵の専門である。花形部署配属だった筈が戦乱で色々と酷い事になっているが
「そして、大王が治めるというのもまぁ間違いではないが、抜けている点がある。
アスローン大半島は幾つかの王国として分割されており、そこから最大勢力の国王が大王として他王国を従える政治形態をとっている。
――まぁ外交を含めて中央政府としての役割は大王の下で一元化されているし、言葉や民族も殆ど同じだから〈皇国〉の大半は碧のいったような勘違いをしているようだがね。
まぁそれぞれ法制や行政制度は異なっているし、国民意識も完全に統一されているとは言い難い。だから戦間期には内戦が起きる事も珍しくない――最近は腕木通信の発達やら海上輸送能力の発達やらで早々に潰されることが多いようだが――簡単な触りのみとなるとこのくらいでいいかな」


「はい、お兄様。それとアスローンと一緒に戦っている南冥はどういう国なのですか?」
 葵はかるく顔を顰めて首を横に振った。
「あぁ、まず南冥と言う呼び方はあまり良くないな。元々の意味合いは蔑称だからな」

「そうなのですか?えぇと正式な名前は何でしたっけ?」

「今は凱帝国だね。ロッシナ朝――今の〈帝国〉とほぼ同時期に成立したらしい。
冥州大陸に存在し、帝国やアスローンと国境を接している。