銀河英雄伝説 アンドロイド達が見た魔術師


 

ある老人の最後

 その女性将官が生家を訪ねるのは久しぶりだった。
 幾度と無く死線を彷徨い、多くの姉妹達を看取った彼女が副官と共に彼女の家に帰ってきたのは彼女の父親の最後を看取るためだった。
 730年マフィアと呼ばれた英雄達の傍に付き従い、第二次ティアマト会戦後の730年マフィアを取りまとめて政治家に転身し、『アルテミスの防壁』と呼ばれる国土防衛体制を構築した立役者。
 元自由惑星同盟最高評議会議長という肩書きを持った老人は二人の姿を見かけると、椅子に座ったままじゃれついていた孫達を下がらせて淡々とした顔で二人を見上げた。

「ついに将官になったか。
 嬉しいというべきか、哀れというべきか」

 システム立案者である彼は、彼女の少将の階級章を見て視線を二人から逸らした。
 一将功成りて万骨枯るどころではない、億単位の生命の贄の果てにその階級章ができている事を、誰よりもよくこの老人は知っていたからだった。

「で、妹達でお前に次ぐ者はどれぐらいいる?」

「三人の准将、十八人の代将、百六十五人の大佐に、千七百九十六人の中佐、一万六百二十八人の少佐、十万三千二百八十七人の尉官、三百八十四万七千九百三十二人の機械兵達
 今も順調に増大中ですわ」

 人でない証である緑色に輝く葉緑体の髪を揺らしながら、彼女は楽しそうに微笑む。
 人口比で銀河帝国に負けている同盟にとって人的資源の枯渇はそのまま滅亡を意味する。
 それゆえ、彼女の前にいる老人が権力を握った時に強烈に推進した政策がこの機械化兵の投入だった。
 それだけならば、同盟の運命は変わる事はなかっだろう。
 だが、この老人は機械化兵を将にする所にまで踏み込んだ。
 既に人類社会は人造人間を作り出すことに成功していたが、多額の予算をかけて人を作るより人間を結婚させた方が早いとして見捨てられた技術でもあったのだ。
 それを、バックアップ用量子コンピューターを製作する事で全機械兵の記録を保存、新型に記憶を複写する事で即戦力化に成功させたのである。
 これによって自由惑星同盟軍艦艇の人員を三割減少させる事に成功し、兵の連度の均一化によって損害の回復が格段に早くなり、帝国軍の侵攻は完全に頓挫していた。
 兵としての代用が広がってその有効性が社会に浸透しだしたと同時に、今度は人間と同じ姿をした彼女らを仕官学校から学ばせて将として教育して投入。
 この士官用アンドロイドが全て女性(美人)の姿をしていたのは、軍隊という男性社会に女性を入れる事で組織の健全化を図ったという理由が広がっているが、実はこの老人のただの趣味だったというのを彼女は老人よりじかに聞いていた。

「人でないことがいろいろとハンデにはなっただろうが、人と同じ環境に置く事で私や妹達について文句を言う者は今では誰もいなくなりました。
 最近は私たちとの結婚を望む者も出て政治問題化しかかっています」

 永遠に老いないパートナーの出現。
 当たり前のように、結婚の減少に繋がるからこの老人が手回しをして税金の増額という形で対策を講じていた。
 そのくせ、人間同士の結婚をして子供を作っているのならば回避できる、つまり彼女達を妾として扱う限り目をつぶるとしたあたり、この老人は人の欲を知り尽くしていた。

「言っただろう。
 『可愛いは正義』だと」

 その人を食ったような老人の一言に、二人だけでなく副官まで笑ってしまい少しの間空気が弛緩する。
 実際問題として士官学校での成績は年を追うごとに彼女達アンドロイドが上位を独占することとなり、軍部でも問題になった事があった。
 それを、

「士官学校の席次が何だ。
 機械に勝てないような人間が帝国相手に生き残れると思うか?」

 の一言ではねつけながら、卒業後の彼女達の任官を准位にするなどの待遇面で格差を作る事で解消したついでに、軍制をいじって代将と上級大将職を作り方面軍を新設。
 常時10人以上の上級大将、30人以上の大将、100人以上の中将に、1000人以上の少将職に数万の准将職と戦時に消耗される将官の補充を容易にする即応体制の強化につとめたのだからこの老人かなりの狸である。
 だからこそ、この国の市民は後に彼の事を『自由惑星同盟中興の祖』と再評価しているのだが。
 なお、同年代の市民からは政治家として壮絶に罵倒された上で失脚したという事になっている。

 730年マフィアの後継者として誰もが認めたイゼルローン回廊戦。
 この戦いで建設途中のイゼルローン要塞に複数のワープ装置をつけた小惑星をぶつけて完全破壊した事で帝国軍は人材面の枯渇だけでなく財政面からも完全に崩壊。
 以後20年近く大規模侵攻ができなくなるという平和の果実を自由惑星同盟にもたらしたのである。
 その時間を政治家に転身した彼は無駄にしなかった。
 社会インフラの再建に膨大な資金を集める為に同盟領辺境に特区を建設してフェザーン資本を導入。
 フェザーン資本の特区は開発人材確保の為に帝国から農奴を買ってきて辺境開発は加速。
 同盟はフェザーンと共に特区内の社会保障と教育を農奴に施す事で、彼らに自分の立場を分からせて、同盟かフェザーンに亡命させるかという選択肢を与えて帝国の体力を確実に削いでいったのである。
 そして、巨額の社会保障費用と辺境開発費用の捻出で評議長の椅子を失脚という形で追われる代償に、これら特区の主権をフェザーンに譲渡する事で解消。
 いくつかの恒星系と五個艦隊を保有する星間国家を帝国の隣に作り上げたのだった。
 フェザーンに巣食っていた地球教はこの動きに完全に後手に回った。
 730年マフィア時に彼の働きかけによって、数度に渡る帝国のスパイ摘発にあわせて同盟内のスパイは壊滅していた上に、帝国は軍と財政の再編で動けない。
 そして、同盟ではなく彼らの表の顔であるフェザーンの国力強化を図る政策が、勝ちすぎた同盟弱体化をたくらんでいた地球教と一致していたのである。
 で、全てが明らかになった時に彼らを含めたフェザーンは驚愕した。
 強化された軍事力と経済力によって、帝国も同盟もフェザーンを仮想敵国と認識していたのである。
 情報制御による戦況のコントロールなど行える信用なと地に落ちており、帝国内貴族にはフェザーンを討つことによって己の膨大な借金の帳消しを図ろうと企む者が続出。
 その為、フェザーンは有り余る経済力を使って更なる軍事力強化を図り、さらに同盟と帝国から警戒される始末。 
 こうして、国力比で帝国:同盟:フェザーンは4:3:3という三すくみが成立してしまっていたのである。

「運がよかったのだろうな」

 その老人の一言はゆっくりと時間に溶ける。
 彼の視線は今の二人ではなく、過去を見つめていた。

「730年マフィアですらなかった私が、彼らの遺産を受け継いだ。
 そして、その遺産を同盟の為に使う事ができた」

 副官は彼の独白に何を言っているのだろうと首をかしげる。
 目の前の老人は730年士官学校卒業組で、730年マフィアとつるんだ英雄の一人だというのに。

「この先、銀河には英雄が出るだろう。
 その英雄がきっと銀河を統一するだろう。
 その英雄の下にいたのならばこんなことをするつもりは無かった……」

 それは予言でもあり、呪いでもあり、後悔でもあった。
 だけど、彼の誰に向けられたかわからない告白の相手を知っている彼女はそれを黙って聞く事しかできない。

「だが、私は自由惑星同盟に生まれた。
 生まれてしまった。
 その英雄の活躍を見る事無く、歴史より退場する。
 そして、英雄が私の全てを私が愛した自由惑星同盟を喰らってゆく。
 そんなことさせてたまるか!」


 それは、この老人の宣戦布告。


 老人は彼女の手を取る。
 彼女こそが、英雄を殺す為に作られた老人の刃だった。

「老人のたわごとだが、覚えていてくれると嬉しい。
 銀河を引っ掻き回せ」

「私が忘れるとでも?
 記録して全ての妹達に伝えておきますとも。
 私が消えても、妹達がきっと貴方のご命令をかなえるでしょうから」

 それが、三人の最後の会見となった。
 老人はその一週間後に老衰によってその生を終え、アルフレッド・ローザス退役上級大将に「わし一人になってしまったなぁ」との嘆き声をあげさせたのである。
 自由惑星同盟元帥だった自由惑星同盟評議長の国葬は、その栄光から喪服をつけた軍人達と、彼を親と慕うアンドロイドと機械兵達によって厳粛に行われた。

「我が同盟は一人の英雄を失いました!
 だが、それは終わりではないのです!
 新たな始まりなのです!!
 なぜならば、彼がもたらした果実を育み、育てるのは我ら自由惑星同盟市民の義務だからです!」

 新進気鋭の国防委員で、老人の政策秘書を長く勤めたヨブ・トリューニヒト氏の長い演説を後ろに聞きながら、彼女は国葬を行っているスタジアムから立ち去る。
 その後ろに長いだけの演説を聞かなくてよかったとほっとしている副官にいたずらっぽく声をかけて。

「ヤン大尉。
 長くはない付き合いだろうがよろしく頼む」

「はぁ……
 戦史研究科卒業生に対して何を期待しているか小官には理解できないのですが」

「決まっているだろう。
 エコニアで見せた才覚を眠らせたまま退役させるつもりはないという事だよ」

 少し前に起きた惑星エコニアの反乱未遂事件において、ヤン・ウェンリー中尉は事態収拾に功績があったとして大尉に昇進していた。
 同時に、自由惑星同盟防衛大学校において戦略研究科において勉強する事を命じられ、卒業後に少佐に任命される事が内定していた。
 それぐらいの特権を冥府に旅立った老人は有していたし、それが国力の増大に伴う彼の登場の修正を狙ったものだったというのはこの老人と目の前の緑髪の娘しか知らない。
 そして、その為にヤン大尉に最初に与えられた陰口が今演説中のヨブ・トリューニヒト氏と同じく『730年マフィアのお気に入り』だったりする。
 同盟軍の幹部要員として扱うというエコニア反乱鎮圧の褒章なのは分かっているのだが、円満かつ平穏無事に退役する事を願っているヤン大尉にとってはありがた迷惑でしかない。
 彼女の副官という身分はあくまで宙に浮いた彼を一時的に借りたに過ぎない。 

   
 かくして、一人のイレギュラーによって作られた銀河という舞台の上に二人の英雄が上がる。 

 

第三世代ユキカゼ型駆逐艦ソヨカゼV39

バーラト星系 惑星ハイネセン 軌道上

「ヤン・ウェンリー少佐。
 本日付を持って、第三世代ユキカゼ型駆逐艦ソヨカゼV39の艦長を命ずる」

「拝命します」

 同盟軍の艦艇は大きく三つに分かれる。
 そのうち二つは宇宙艦隊に配属されワープ機能を標準で搭載する軍艦と、星系防衛を目的としてワープ機能を搭載しない護衛艦である。
 ワープ装置をはじめとする機関系の容量増大は帝国・同盟・フェザーン共に頭を悩ませていた問題だったが、防衛戦に徹するならばと分けたのが最初である。
 この効果は海賊退治を中心に大きく影響が出た。
 同じ大きさの艦ならば、機関容量が圧迫するので軍艦よりも護衛艦の方が武装・防備に勝るのだ。
 そして、ワープ機関のコストが削減できるから、星系自治政府の警察などが積極的に購入し、更なるコスト削減に繋がる。
 当然、護衛艦は星系内のみでしか活動できないから他の星系への帝国軍の侵攻を防げないという欠点もあるのだがその解決策はひとまず置いておく。
 ついさっき辞令をもらったヤン少佐はそのまま機上の人となり、惑星ハイネセンの軌道上にある軍艦建造ステーション群オオガコロニーベースに向かっていた。

「私が少佐……ねぇ……」

 何気ない呟きを横の緑髪のアンドロイドが聞きつけて言葉を返す。

「お気に召しませんか?少佐?」

 駆逐艦どころか戦艦並の製造費用がかかっている彼女は、最新世代アンドロイドの士官学校卒業組の一人である。
 同盟軍のキャリアはこの少佐で一つの分かれ道を迎える。
 星系限定の護衛艦にまわされるよりも他星系でこきつかわれる軍艦の方が当然エリートコースであると同時に、最前線で帝国軍と殴り合いをしなければならない分死亡率も高い。
 かつて地球の一国家の幸運艦の名をもらったこの駆逐艦は当然のように軍艦であり、その殺し合いを十二分にして貰うために必ず一人は彼女達アンドロイドを准尉として乗船させる事を義務付けられている。
 というか、彼女達アンドロイドが艦の制御を十二分にバックアップする最初の世代がこの第三世代ユキカゼ型なのだ。

「何、人間がいらなくても戦争ができる世の中が来たならば、遠慮なく年金暮らしができるなと思っただけさ」

 ヤン少佐の心からの本音を、緑髪の准尉は躊躇う事無くぶった切る。

「駄目です。
 人間が始めた愚行を機械に押し付けないでください」

 現在、同盟軍統合作戦本部付の出世頭のデータを同期させてもらったせいか、思った以上に鋭い返しにヤン少佐が言葉を失うのを見て、准尉がいたずらっぽく微笑む。
 そういう仕草を見る限り、人間らしいのにとヤン少佐はなんとなく思わざるを得ない。

「それに、少佐も士官学校でさんざん叩き込まれたはずです。
 『戦闘単位としてどんなに優秀でも、同じ規格品で構成されたシステムはどこかに致命的な欠陥を持つ』って」

「それを君達の創生前から言っていたんだから、あの人もやっぱり730年マフィアの一員だよ」

 730年マフィア結成時の逸話や当人の政治家キャリアの末路から、『道化師』と呼ばれる彼女達の生みの親はその敬意と功績を持って『人形師』の名でも呼ばれている。
 かの故人を『道化師』と呼ぶか『人形師』と呼ぶかでその人が民間人か軍人か分かるぐらい、彼もまた毀誉褒貶の激しい人物だった事は間違いがない。
 だが、機械化の推進で五割、無理すれば七割の削減ができた艦艇乗員の削減を三割に抑えたのも彼の功績である。
 その結果、近年再侵攻を開始している帝国軍との戦闘における大規模コンピューターウイルス障害などで、艦が航行不能になる事態を避けれたのだから誰も文句が言えなかったりする。
 なお、准尉をはじめとした最新世代アンドロイドは、自立型スタンドアローンシステムを標準装備している。念のため。

「見えてきましたよ。
 あれがヤン少佐の船、第三世代ユキカゼ型駆逐艦ソヨカゼV39です」

 オオガコロニーベースを中心に数万を超える宇宙船の群れ。
 その中央に鎮座しているのは全長10000mを超え、同盟軍宇宙艦隊にもたった四隻しかいない艦隊母艦超ジャガーノート型一番艦アルテミス。
 話が戻るが、軍艦・護衛艦にづく最後の艦艇である母艦がこれにあたる。
 護衛艦は星系内活動しか行えない以上、よその星系に侵攻する帝国軍の防衛に行けない。
 それならば、護衛艦をワープができる巨大艦で収納して運んでしまおうという訳だ。
 母艦の発想はここからきている。
 同盟軍は小惑星にワープ装置を取り付けて、建設していたイゼルローン要塞を破壊した経験があった事もあってこの母艦の巨大化にあっさりと賛同。
 かくして、近年再侵攻を開始した帝国軍は、エル・ファシル星系において母艦ジャガーノートと彼女達母艦によって運ばれた護衛艦艇による数的質的優位によって撃退される。
 そして、この会戦によって衝撃を受けた帝国軍は母艦という新しい種類の船の大増産を開始。
 動く移動拠点とその巨大さは専制国家においてわかりやすい権力の象徴として大貴族もその所有がステータスになり、ジャガーノートの登場後に出てきた母艦のことを超ジャガーノート型として区別するようになったぐらい。
 同時に、侵攻軍である帝国にとって超ジャガーノート級の保有は更なる財政圧迫要因となり、大量の推進剤と補給物資を食べる為に同盟領侵攻艦隊の規模低下の一因ともなっている。

 ソヨカゼV39に乗艦したヤン少佐と准尉はそこで先に乗り込んで準備をしていた副長の歓迎をうける。
 
「少佐!
 エコニア以来ですな。
 あの時はこんなひょろながと思っていたんですが、いまや立場は逆です。
 存分にこき使ってください」

「久しぶり。パトリチェフ大尉。
 また、よろしく頼お願いします」

 船というのは一隻で一つの独立形態をとる為、船長というのは出世の登竜門であると同時に小さな閉鎖社会の頂点に君臨する事になる。
 その為、実務を預かる副長、航路や操舵を担当する航海長、兵器全般を担当する戦術長などの担当士官とその下の兵士30人と機械兵50人の運命を背負う事になる。
 とはいえ、ヤン少佐はそのあたりの選定をまったくする事無く、この艦を預けられたのだから『730年マフィアのお気に入り』と陰口を叩かれても仕方がない。

「少佐。お久しぶりです。
 従卒としてまた少佐の為に紅茶を入れられるとはうれしい限りで」

 パトリチェフ大尉の後ろで敬礼していたのは、チャン・タオ上等兵。
 チャンの階級章を眺めたヤン少佐は、あの事件の関係者が軒並み出世して集められた事をいやでも悟らざるを得ない。
 『730マフィアのお気に入り』というよりていのよい懐柔ではないだろうかと。
 
「エコニアは変わったかい?」

 ブリッジに歩きながらヤン少佐は二人に話しかける。
 そして、二人の言葉からエコニアの近況を知る。

「あのお方の推進された緑化計画はこの間終了宣言が出ましたよ。
 人口は百万を超え、アンドロイドやドロイドの研究開発・生産拠点としてますます栄えるでしょうな。
 男爵ウォリス・ウォーリック提督も生前何度も足を運ばれて、あの星がああなるとは今でも信じられませんよ」

「新しい収容所所長に変わって、あの収容所も閉鎖が決まったそうです。
 最近は捕虜をフェザーンに送る事でただ飯食らいを減らそうと政府が動いてましたからね。
 緑化も終わり、ドロイド産業がある今となっては捕虜収容所もいらないという事なんでしょうな」

 ヤン少佐がこんな所を歩くきっかけとなった、惑星エコニアの捕虜収容所の汚職事件。
 世間には、捕虜の反乱未遂として知られているが、その本質は実はどれとも違う。
 歴史家を目指していたヤンが開けられるのを待っていたパンドラの箱を開けてしまった結果から起こった、人形師の罠に絡め取られたというのが真相に近い。

「しかし、なんで船長なんかを?
 変り種とはいえ、防衛大学校の戦略研究科を出たのならばそのまま参謀コースに乗れば良かったのに」

 パトリチェフ大尉の言葉にヤンが苦笑して答える。

「私も楽ができる退役コースを探したんだけどね。
 そこのお姉さまにはねられたんだよ」

「失礼です!
 お姉さまじきじきのご指名なんですよ!」

 戦史研究科卒業生が防衛大学校の戦略研究科に入る事も異例だったが、その成績が極めて優秀だった事も抜擢を決意した彼女以外誰もが驚いたのである。
 戦術コンピューターでの模擬戦成績では高勝率をたたき出した彼は卒業後に、エコニアの事件でお世話になり護衛巡航艦艦長になっていたムライ中佐の下で一年ほど下積みをしてこの椅子に座っている。

「お久しぶりです。先輩」

 ブリッジに入り、戦術長の椅子に腰掛けて点検をしていた、アッテンボロー中尉が敬礼する。
 ここまで的確に人間を集めてくれると、ヤンも苦笑するしかない。
 それを象徴する人物が、航海長の席から立ち上がって敬礼した。

「はじめまして。
 航海長のアルテナ・ジークマイスター中尉と申します。
 以後、よしなに」







「先輩。
 一体どんなコネを使ったんですか?」

「知りたいですね。
 私はてっきりあの惑星で一生を過ごすと思っていたんですが、最新鋭艦に乗り込む事になるとは思いませんでしたよ」

 最初の顔合わせからなだれ込んだ簡単なパーティーの席でアッテンボローの問いかけに、パトリチェフも食いついた。
 アルテナと准尉が女の会話で盛り上がっているのを確認してから、ヤンが機密ぎりぎりの所で己の心情を漏らす。

「何、知られてはならぬ歴史に触れたという事さ」

 その一言で、二人は捕虜収容所の汚職事件の事だろうと勘違いして口を噤む。
 その勘違いが分かるだけに、ヤンも苦笑するしかない。

(言えないよなぁ。
 帝国と同盟をまたぐスパイ組織の暗躍。
 それを使って、アッシュビー提督が勝ち続けていただけでなく、あの人形師がイゼルローン要塞破壊の裏取り他、対帝国諜報の根幹にしていただなんて)



 ケーフェンヒラー老人が記し、ヤンがまとめた『ケーフェンヒラー文書』は特A級重要事項として永久封印されている事を知っているのは、この場においてヤンと准尉しか知らない。
 
 

 
後書き
 派手にオリ展開やりまくって、「オリジナルで書いた方がいいんじゃね?」と我に返ったのもエター理由のひとつだったり。 

 

イゼルローン哨戒任務

「訓練終了。
 第一種戦闘態勢を解除。
 各ブロックの士官は、レポートを提出するように」

 ヤン艦長の訓練好きは、着任早々から行われた猛訓練によって配属されたエル・ファシル管区警備艦隊に知れ渡るようになっていた。
 同時に、上官の私的制裁の禁止と民間人への暴力を厳禁しており、実際に兵に暴力をふるったとして一人の下士官を更迭した事もあって、警備艦隊内の話題になっていたりする。

 ここで、自由惑星同盟軍の艦隊編成を見てみよう。
 同盟軍は十個艦隊からなる宇宙艦隊と各星系防衛を任務とする警備艦隊に分かれている。
 そして、この二つの艦隊を統一運用する為に現地に方面軍が設置され、戦闘時は方面軍の指揮を受ける形になる。
 方面軍はバーラト方面軍とイゼルローン方面軍とフェザーン方面軍の三つが設置され、イゼルローン方面軍司令部はアスターテ星系に置かれ、常時二個艦隊が何かあった時の為に警備についている。
 大将が率いる艦隊が基本編成で、その定数は12000隻。
 その中を3000隻で分けて分艦隊としてこの指揮を中将が取り、さらにそれを1000隻で分ける戦隊は少将が指揮し、准将および代将が指揮する隊の数は300隻を最大に数にばらつきがある。
 警備艦隊は分艦隊規模を基本として中将が指揮を取り、何か合った時は派遣された艦隊の指揮下につく。
 方面軍が常時指揮下に入れている艦隊数は三個で、二個艦隊が警備につく間残りの一個艦隊は補充・整備の為に首都であるバーラト星系に帰ることになっている。
 一個艦隊の艦艇数は12000隻なので、二個艦隊だと24000隻。
 これに、イゼルローン方面軍はジャガーノート型艦隊母艦イシュタル率いる司令部艦隊3000隻と、各地の警備艦隊などが合流して帝国軍に当たる事になっている。
 初動で約30000隻を動かせ、最大時には40000隻の船で帝国軍を押さえ込めば、バーラト方面軍より二個とフェザーン方面軍より一個の三個艦隊の増援が自動で送り込まれる手はずが整っている。
 財政の悪化し続けている帝国軍の侵攻規模は現状では最大二個艦隊30000隻程度なので、今の所これで問題は発生していない。

 最前線の一つであるエル・ファシル管区は重点的な防御体制が取られており、警備艦隊も護衛艦を中心に3000隻が配備されている。
 それだけでなく、星系のいたるところに配置されている防衛衛星に、警備艦隊司令部が置かれている小惑星をくり貫いたコンフェイト要塞など襲来する帝国軍から防戦する用意が整えられている。
 また、三百万近い民間人を要しているがその住人のほとんどがコロニー生活をしていて、万一の戦闘になったら避難できるようにしている徹底振りで、エル・ファシル会戦ではそれが役に立った。

「エル・ファシル管区警備艦隊第一戦隊第十偵察隊司令部より通信。
 『訓練の成績見事なり。実戦での活躍に期待する』
 以上です」

 准尉の淡々とした報告に、他の艦より多い訓練申請を出して苦笑していた偵察隊指令の顔を思い出しながら、ヤンは苦笑しつつ准尉に話す。

「准尉。
 訓練のレポートと一緒に私の名前で返信を送ってくれ」

「了解しました」

 無言で文面を作り出す准尉から視線をそらすと、そこにいたのは副長のパトリチェフ大尉。
 上官とはいえ、経験からすればはるかに上にあるパトリチェフ大尉に対してヤンは敬意を払っていた。
 そんなパトリチェフ大尉から出た言葉はあくまで軽い苦言という所。

「艦長。
 返信ぐらい自分で考えたらいかがですか?」

「副長。
 自慢じゃないが、私の返信だとけっこう人を怒らせる事が多くてね。
 円滑なコミュニケーションというやつだよ。
 で、副長から見て、実戦に投入できるレベルだと思うかい?」

 できないものは人に任せるのが人生のコツ。
 それはパトリチェフ大尉も分かっているので、各ブロックから送られたレポートを手元の画面に出して、パトリチェフ大尉がヤンの質問に答える。

「大丈夫でしょう。
 他の隊の訓練レベルと比べても問題ないレベルですし」  

「よし。
 休憩の後に、各ブロックの仕官を集めてくれ。
 実戦に向けて最後のミーティングをしよう」




「我々の初任務は第十偵察隊の一隻としてイゼルローン方面への偵察です。
 第十偵察隊は戦艦一隻、巡航艦二隻、駆逐艦240隻によって構成され、イゼルローン回廊の偵察が目的のため、その殆どを単独行動になります」

 宇宙はとにかく広い。
 その為、この程度の数での偵察となると、ほとんどが単艦行動になってしまう。
 手を上げて発言を求めたのは戦術長を勤めるアッテンボロー中尉だった。
 実際の武器使用などは彼が管理するので、戦いたいのが顔に出ていたりする。 

「艦長。
 敵と出会ったら、戦ってよろしいので?」

「駆逐艦一隻で倒せる敵ならばね」

 相手がいる。
 つまり、帝国軍が侵攻艦隊を率いている場合、偵察もその確実性を考慮して複数体制にすると言っているのだ。
 と、なると、平時の偵察体制で単艦で航行しているこちらは勝てないから、逃げると暗に言っているのだった。
 帝国と同盟では、基本的に軍艦の性能に差がある。
 領内の反乱に対応するために惑星降下能力を持つ帝国軍軍艦はそれにリソースを取られて、攻撃性能が同盟に比べて一割ほど落ちているのだ。
 更に、ワープ能力を省いた護衛艦と当たった場合はその性能差は三割まで広がり、エル・ファシル会戦では同盟護衛艦の奮闘が勝利に貢献したと言っても過言ではない。
 この性能差は帝国でも問題になっているが、ひとまずの解決策として一個艦隊の編成を同盟より多い15000隻にする事で応対しているらしい。

「まぁ、敵の駆逐艦三隻までならなんとかなるでしょう。
 最初から噂の高速戦艦と当たったらなんて考えたくないですから」

 航海長であるアルテナ中尉の言葉はある意味当然の事だった。
 単艦偵察任務の場合、先行して駆逐艦に搭載している偵察衛星や数機搭載している単座戦闘艇スパルタニアンを出しているからだ。
 万一、敵がいる場合はそれが先に破壊される。
 そして、それが破壊されるという事は、逃げる時間が与えられている訳で、侵攻軍である帝国軍よりも同盟軍はこの付近の航路データを握っていたのだった。
 それを覆しかねない脅威としてみなされていたのが、最近帝国艦隊に配備されつつある新鋭戦艦である高速戦艦と呼ばれる種類である。
 コンセプトは簡単で、「最大三割近く広がる兵器の性能差を大型化によって克服しよう」というもので、コスト度外視で作られたこの艦艇は高火力・重装甲・高速と三拍子そろった新鋭艦で、その登場から同盟艦艇に衝撃を与えていたのであった。
 万一、こいつと出会ったら逃げられない可能性が高いと司令部情報からも注意がつけられている代物である。
 基本的に、駆逐艦というのは艦艇の主力であると同時に、雑用係でもある。
 ありとあらゆる場所に投入される消耗品と言ってしまえば身もふたもないが、高速戦艦なんてしろものはこちらの戦艦に相手をしてもらって、こちらは敵の駆逐艦を相手にというのが一番楽ではあるのだ。
 もちろん、この駆逐艦とて高速戦艦を撃沈しうる武装は持っているが、それをするには高度な技量と大量の運が必要になってくる訳で。

「まぁ、出会わない事を祈りたいが、対策はある。
 戦術コンピューターのマニュアルの中に入れているので、各自目を通して忌憚ない意見を述べてくれ」

 ヤンの言葉にそれぞれ手元のコンピューターを操作し、そのペテンとも取れる対処方法に皆呆れ顔を浮かべるばかり。
 ヤンとの長い付き合いかつ後輩であるアッテンボロー中尉が皆を代表してその感想を述べる。

「艦長らしいといえば、らしいのですが……いやはや。
 戦術長として、何も付け加える事はありません」

「これをやられた方は怒り狂うでしょうなぁ。
 こちらも何も言う事はないです」

 パトリチェフ大尉も苦笑してヤンの案を了承し、准尉と航海長のアルテナ中尉は唖然としつつも異議を挟むつもりはないらしい。
 こうして、最後のミーティングの後、駆逐艦ソヨカセV39は第十偵察隊の一隻としてイゼルローン回廊の偵察に出発し、そこて初戦闘を行う事になる。
 ミーティング終了後に、准尉がぽそっと呟いたが、全員部屋から出た後だったのでそれを耳にした者はいない。

「あれ?
 これ、もしかしてフラグ?」



 偵察任務開始から一ヶ月後。
 単独行動をしていたソヨカゼV39は、偵察衛星からの報告で数隻からなる船団を発見する。
 戦闘配置を取ったソヨカゼV39クルーの緊張の糸を切ったのは、偵察衛星を管理していた准尉の報告だった。 

「確認取れました。
 フェザーンの民間軍事会社所属の船団です。
 司令部からも航路予定が確認されています。
 巡航戦艦一隻、巡航艦二隻、駆逐艦二十隻、輸送船二十隻の規模で、衛星が捕らえたのはその本隊と思われます。
 巡航戦艦一隻と同盟型旧式駆逐艦十隻と中型輸送船二十隻を確認」

 民間軍事会社と言えば聞こえはいいが、つまる所傭兵である。
 同盟と帝国の敵意をまともに受けたフェザーンは軍備増強に走るが、軍備は基本的に金食い虫である。
 それを傭兵という形にして同盟と帝国に売り込むあたり商人国家としてのしたたかさがあるというか。
 さすがに同盟と帝国を股にかけるような傭兵の雇用契約はフェザーン国家としてさせていないが、フェザーンは同盟と帝国それぞれに大体一個艦隊規模の傭兵船団を送り込んでいた。
 このあたり、国力が増えた結果同盟帝国双方から警戒されて、情報を流して漁夫の利戦略が取れなくなったフェザーン苦渋の選択だというのを知る者は少ない。
 双方に兵を派遣して、それによって戦争をコントロールしようとし、更なる悪循環に陥っていたりするのだが、ひとまずおいておく。
 その為、互いに艦の識別をつける為、同盟は緑、帝国は藍色、フェザーンは黄色のカラーで船体を塗っていたりする。
 なお、フェザーン艦隊の主力艦である巡航戦艦というのは大気圏降下能力がある帝国戦艦をベースに、装甲を削った代償に速力と火力を強化した戦艦で、傭兵らしく弱い敵をいじめて、強い敵からは逃げるというコンセプトの元に作られている。
 この船は帝国内部の反乱や海賊襲撃において大いに効果を発揮し、今では海賊の御用達とまで言われるほどのブランドを持っている。
 なお、この巡航戦艦を相手に煮え湯を飲まされた帝国が作り出した切り札が高速戦艦だといえば、その脅威もわかろうというもの。

「艦長。
 フェザーン船団の指令から通信が来ています。
 繋ぎますか?」

「繋いでくれ」

 准尉が通信を繋ぐと、モニターには同盟軍服を着たフェザーン船団の司令官が同盟式の敬礼をしてみせた。
 こんな所をうろうろする以上、所属ははっきりさせる必要がある訳で、この船団は同盟軍と契約して同盟軍の指揮系統に形上は組み込まれている事になる。

「はじめまして。艦長。
 民間軍事会社カウフ・セキュリティ所属、同盟契約船団指令のアレクセイ・ワレンコフ代将相当官です」

「自由惑星同盟エル・ファシル管区警備艦隊、第十偵察隊ソヨカゼV39艦長のヤン・ウェンリーです。
 現在わが艦はこの宙域を偵察任務中ですが、貴船団の目的を伺っても構いませんか?」

 ひっそりと准尉がワレンコフ代将相当官のデータをヤンのモニターに転送する。
 現自治領主ワレンコフの親族で、イゼルローン方面軍司令部と後方活動の業務契約を結んでおり、命令系統はイゼルローン方面軍司令部に属する。
 所属船団は1000隻程度でその半分を輸送船がしめる等のデータを眺めながら、ヤンは商人らしいふくよかな笑みを見せるワレンコフを眺めた。

「何、ゴミ漁りだよ」

 イゼルローン回廊出口から同盟領にかけて、同盟と帝国が幾度と無く戦火を交わした結果、無数の残骸が浮いている。
 それすら、無駄に広がる宇宙空間において塵にしかならないのだが、その手の残骸は金になるのだ。
 敵国艦艇なら研究用に、自国艦艇なら遺品回収に。
 そうしたゴミ漁り専門の連中らしい。

「何か変わった事はありませんか?」

「今の所はないな。
 どうかね?
 こちらは、同盟軍公認の商人でもある。
 何か入用な物があったら融通するが?」

 げに逞しきは商人なり。
 あまりに広大な戦場ゆえ、同盟・帝国軍ともどもこの手の商船からの売買は自己弁済に限り黙認していた。  
 こんな所で、酒や煙草の嗜好品が手に入るならば兵の士気も大いに上がる。
 それを逃すような指揮官は大体戦に負けるのだ。

「お願いします。
 良い紅茶葉とブランデーがあったら」

「わかった。
 女はどうだ?」

 飲む打つ買うは戦場の花。
 きっとあの輸送船のどれかが移動娼艦にでもなっているのだろう。
 ヤンとて男である以上、その誘惑が無い訳ではないが、そこを帝国軍に襲われたら目も当たられないと首を横に振った。

「遠慮しておきましょう。
 帝国軍はどうかしりませんが、同盟は女性兵の比率が高いので」

 古くからの軍隊から伝わる有名かつ卑猥なたとえの男女比は、

「パンが一つに対して、ソーセージが四個」

 まで同盟軍の女性将兵比率は接近していた。
 その貢献に大いに役立っていたのは、現在通信を繋いでいる准尉をはじめとしたアンドロイド達なのだが。

「了解した。
 互いの位置情報を交換しておこう。
 あと、他の艦にも我々の事を知らせてくれると助かる」

「了解しました」

 物資購入の手続きをしながら、呟いた准尉の言葉を隣にいたアルテナ中尉が耳にする。
 それを聞いて顔をしかめたのも仕方がないだろう。

「順調に襲撃フラグが立っていくなぁ……
 アッテンボロー中尉に頼んで、あの船団の防衛戦闘のデータ構築しておかないと……」 
 

 
後書き
パンとソーセージのたとえは某最強チート国家海軍のネタから。
そこの空母では男女比がパン一つに対してソーセージは七本まで男女比は縮んでいるらしい。 

 

VIPが居た理由とフラグ回収

「どうしたんです?艦長。
 何か心配事でも?」

 フェザーン船団から離れた後、ヤン少佐は考える事が多くなった。
 それは、チャン・タオ上等兵が入れた紅茶が冷めるぐらいまでの考え事だから、周りだっていやでも気づかざるを得ない。
 で、代表して副長のパトリチェフ大尉が尋ねたという次第。

「ああ。すまないね。
 たいした事ない考えなんだ。
 何で、フェザーン船団はあの場所に居たのかってね」

「ゴミ漁りじゃないんですか?」

「いや、私が言いたいのは、ゴミ漁りが現自治領主の親族なんてVIPが出張る仕事なのかって事さ」

 ヤンの言葉に一同ブリッジの全員がはっとする。
 そして、准尉はいち早く機密外のフェザーン関連情報をブリッジに居た各士官の端末に送りつけていた。

「現状において、怪しい動きをしているというデータはないのですが」

「さすがアンドロイド。
 調べるのが早い」

 アッテンボロー中尉が口笛をふきながら、送られたデータに目を通す。
 アンドロイドの検索で引っかからない勘みたいなものはまだ流石に再現されていないからだ。

「私の階級で、接触した事実を前提に軍の機密データにアクセスできるなら、どこまで潜れる?」

 確認の為にヤンが准尉に尋ねる。
 モニターから視線を動かす事無く、准尉は淡々とその事実を告げた。

「おそらく、第十偵察隊司令部経由でアクセスするのでD級機密、艦長がいう現自治領主の親族というあたりが重要視されるならばC級機密あたりまで閲覧が許可できると思いますが。
 裏技として、私はお姉さまと同期していましたからお姉さま経由で調べたら、B級機密あたりまでいけるかと」

 さらっと言ってのけるが、これこそアンドロイドのやっかいな所である。
 個体であると同時に群体でもあるという。
 とはいえ、ヤンの方を振り向いて、かわいく舌を出しておねだりするしぐさは小悪魔的女性にしか見えないのだが。

「裏技を使うんでしたら、ご褒美としてケーキを要求します。
 あと、お姉さまにも帰ったらケーキを送ってあげてください」

 同盟軍統合作戦本部付の小将閣下のアクセス権限だから、結構なものだろう。
 とはいえ、ケーキで裏技可能というのもいかがなものかなんてヤンが考えていると准尉が考えている事を見据えて先に補足する。

「誰にもって訳ではないですよ。
 軍内部では、私達の事を『政治委員』って忌み嫌っている勢力もありますし。
 ただ、私は製造時の同期でヤン少佐に便宜を図るようにとお姉さまから伝えられていますので。
 お姉さまにここまで言わせるなんて一体何したんですか?」

 純粋な目で見つめる准尉の視線がヤンにとってものすごく痛い。
 まさか、妙味本位で覗いたものの口止め料兼脅迫であるなんて回りに言える訳がない。
 だから、ヤンはある程度不自然と分かりながらも話をそらしにかかる。

「私に言わせると、食物消化器官はあるけど、複数のエネルギー供給源がある君らがなんでそこまでケーキにこだわるのか理解できないな」

「製造時におけるレゾンテートルにまで組み込まれていますから。
 アパチャー・サイエンス・テクノロジー社製造アンドロイド『リトルメイド』シリーズには。
 甘い物好きとケーキ好きは、多分、人間らしく女の子らしくという事なんでしょうが」

 もちろん、この元ねたありの会社を設立したのは故人となった人形師である。
 政権末期に多くの公職を退いた彼は、アンドロイド研究開発の中枢企業であるこの会社の経営権だけは死ぬまで手放さなかった。
 それが功を奏してここまでの繁栄を謳歌しているのだが。
 それた話に乗ってきた准尉が話し終わるのを待って、ヤンは准尉に頼む事にする。

「准尉。
 第十偵察隊司令部経由でアクセスで……」

「艦長。よろしいでしょうか」

 ヤンの口を止めたのはパトリチェフだった。
 このあたり、現場が長かった事もあって、ヤンが避けようとした非合法手段による上位情報アクセスを巧みに進言したのだ。

「兵は知らずに死んでも構いませんが、兵に死ねと命じる立場が知らなかった場合、兵の遺族から石を投げられますよ」

 こういう事が言えるからこそ、ヤンはパトリチェフを信頼していた訳で。
 ベレー帽の上から頭をかきつつ、ヤンが気持ちを落ち着けるためにぼやく。

「ケーキの代金、高くなりそうだ」

「この駆逐艦よりは安いでしょうに。
 小官も少しは支援しますので」

 後に、二人の一月分の給料がぶっ飛ぶ、フェザーンの帝国貴族用菓子メーカー同盟支社のケーキのデータを送られて真っ青になるのだが、今の二人はその未来を知らない。
 あんな小さなケーキで月給ぶっ飛ぶなんてと男には絶対分からない女の世界を垣間見るのだがそれはさておき。

「お姉さまにも、今回の件のアクセスを頼む。
 あと、『ハイネセン一の高級ケーキを用意する』と伝えてくれ」



 宇宙は広大で、送られた情報が帰ってくるのにある程度の時間を要した。
 だが、帰ってきた情報には格差があり、ヤンは裏技を行使した事を感謝する事になる。
 第十偵察隊司令部経由の機密はD級で、ワレンコフ代将相当官の事は考慮していないという判断だった。
 とはいえ、えられた情報が無為ではなく、ここ近年海賊の活動が活発でイゼルローン回廊が海賊の主要航路となっている事実を示していた。
 代将相当官の「ゴミ漁り」発言を考えるならば、狙いはゴミ漁りのついでに海賊退治という所。
 第十偵察隊司令部はそう判断していたのである。
 だが、同盟軍統合作戦本部から送られてきた情報は、第十偵察隊司令部が無視したワレンコフ代将相当官に食いついたものだった。
 B級機密情報ゆえに、ヤンにだけ見せられたそれは、フェザーン内部で発生しているらしい権力闘争の可能性を示唆していたものだったのである。

 ここ三十年ぐらいでフェザーンは同盟や帝国と対等なぐらいに力を蓄えていたが、それに伴う矛盾が噴出しているらしい。
 同盟から借金のかたとして譲渡されたいくつかの辺境星系の経済力がつく事で、フェザーン本星とそれを管理するガンダルヴァ星域の惑星ウルヴァシーの間で主導権争いが勃発しているみたいなのだ。
 そのきっかけとなったのは、現自治領主が主導して挫折した惑星ウルヴァシーへの首都移転計画で、交通の要衝たるフェザーンから首都を移すとは何事かと政府内部からも猛反対にあって、頓挫したのはニュースにも流れていた。
 だが、同盟軍統合作戦本部から送られてきた情報はそれよりも深くこの問題に切り込んでおり、財政危機が続く帝国がフェザーンを攻める可能性が高く、政府を安全な惑星ウルヴァシーに逃がしたらと同盟政府が工作していたらしい。
 もちろん、その目的はフェザーンを反帝国に追い込む事だ。
 で、その工作は成功し、現領主は首都移転を画策するが失敗。
 代わりに帝国領に近すぎるフェザーンに首都防衛用巨大衛星を四つ設置する事でこの騒動は治まっている。
 なお、この首都移転騒動で反対派として名を上げた男の名前はアドリアン・ルビンスキーという。

 で、お姉さま経由の情報でやばいのが、フェザーン駐在弁務官事務所から送られたフェザーン要人の死亡報告なのだが、ワレンコフ自治領主の親族や側近が不自然な自殺や事故死が多発していた事だった。
 誰かが自治領主の失脚を企んでいると報告書には書かれており、フェザーン駐在弁務官事務所ではその失脚を企んでいるのは首都移転騒動で同盟に組した帝国の報復とレポートに纏められていた。
 実際は、地球教内部で扱いにくくなった自治領主を変えようという動きなのだが、地球教からみの情報は彼女達アンドロイドの中枢である超巨大量子コンピューターの中に眠る最重要特S級情報で、政府中枢ですらその存在を知らされず、その閲覧には最高評議会議長ですら審査ではねられるパンドラの箱。
 で、それを私信という形で託されたメッセージ、

『ワレンコフ代将相当官を助けて、フェザーンに恩を売りたい』

 という非公式のお願いに対してヤンが壮絶に頭を抱えたのは言うまでもない。
 一人で抱え込まなければならない分愚痴りたくても愚痴れないジレンマだが、艦橋のクルーはヤンが頭を抱えた事でろくでもない事に巻き込まれたと察するだけの才能を有していたのである。
 もっとも、嘆く事すら准尉から発せられた報告によってできなくなるのだが。

「第十偵察隊司令部から緊急伝!
 現在三隻の駆逐艦が定時報告を行っておらず、敵対勢力と交戦報告後通信が途絶え、撃破された可能性あり!
 敵対勢力の存在を前提に戦闘態勢に移行し、偵察隊は以下のポイントに集合せよとの事です!」

 送られた行方不明となった駆逐艦の哨戒ポイントはヤンの船の二隻隣だった。
 それで報告が来ていないという事は隣すら撃破された可能性が高い。

「第一種戦闘態勢発動!
 敵勢力は、駆逐艦単独で対処できるレベルではないと判断!
 反転し、集合ポイントに向かう!」

 ヤンの戦闘態勢発動宣言で艦内にアラームと赤色灯が点灯して訓練どうりの戦闘態勢に移行してゆく。
 ただ違うのがこれが実戦という所のみ。

「艦長。
 艦を反転し、集結ポイントの座標を記入しました。
 集結ポイントへの到着はおよそ一週間後、両隣の哨戒駆逐艦との合流は二日後を予定しています」

 アルテナ航海長の確認を耳にしながら、ヤンはアッテンボロー戦術長に声をかける。

「戦術長。
 偵察衛星を元の哨戒線にばらまいていってくれ。
 おそらく、そう遠くないうちにこいつに食いつくだろう。
 敵の詳細を知りたい」

「了解」

 アッテンボロー戦術長がコンソールを動かし、次々と偵察衛星を射出してゆく。
 その光景をモニターで見ながら、パトリチェフ副長がヤンに声をかけてきた。

「帝国軍の大規模侵攻でしょうか?」

「同盟の哨戒網はそこまでザルじゃないよ。
 大規模侵攻ならば、先にばらまかれている偵察衛星などが反応しているさ。
 おそらく、哨戒網をすり抜ける程度の戦力、向こうも偵察隊程度だと思うが……」

 敵を過大評価してはいけないが、過小評価してもいけない。
 与えられた情報の中で最悪の選択を考えて、ヤンは自分に与えられた時間がそう多くはない事を思い知る。

「三隻が連絡なしに撃破されたとしたら、噂の高速戦艦がいる可能性が高いだろうね。
 で、そんな船を単独で航行させないだろうから十隻程度の護衛はいると考えるべきだろう」

「あ、フラグ回収来た」

 なんて呟いた准尉をパトリチェフ副長が睨んで黙らせる。
 もっとも、各員のモニターにヤンが考えた対高速戦艦対策を即座に送りつけるあたり、彼女も無駄口を叩いている訳ではない。
 同時に、准尉がアッテンボロー戦術長に頼んで作らせたフェザーン船団防衛計画も一緒に添付されている。
 この船が沈めば、その座標の先にはフェザーン船団がいるはすだからだ。
 ヤンは添付されたフェザーン船団防衛計画を確認したうえで許可を出す。
 
「戦術長。
 この作戦計画と対高速戦艦対策案を組み合わせた作戦を検討しておいてくれ」

「了解」

 何でワレンコフ代将相当官がここにいるのかや、何をしに来たのかは分からないままだが、この宙域で一番高価な目標は間違いなくワレンコフ代将相当官率いるフェザーン船団だ。
 撃退するなり、退避する時間を稼がないといけない。



 
 戦闘態勢発動宣言から翌日。
 偵察衛星消失の報告と最後に送られた衛星のカメラから、帝国艦船の姿が映し出される。
 数隻の護衛駆逐艦を引き連れて中央に鎮座していたのは、帝国軍の最新鋭高速戦艦だった。 

 

泥棒撃退マニュアル 安全な所で大声を上げて騒ぎましょう。

 高速戦艦が何でやっかいなのか?
 その理由は、コスト度外視による大型化によって生み出されたエンジン出力の大きさに他ならない。
 当たり前だが、宇宙は基本的に抵抗は存在しない。
 という事は慣性の法則に従い続けて、大エネルギーで突っ走り続けるという訳で。
 ましてや、こちらは反転した事によって速度が落ちている。
 追いつかれて撃破されるのはある意味当然の未来であった。
 それをさせない為には、策を弄さねばいけない。

「戦術長。
 機雷とミサイルを全部射出。
 ミサイルは指定座標を打ち込むように」

「了解」

 ヤンの声に戦術長であるアッテンボローもいつもの陽気な声でなく緊張した声でコンソールと格闘し続ける。
 機雷は置いていても無駄だからばら撒いてしまおうという考えで、少しでも邪魔できたら御の字という程度。
 だが、指定座標を組み込まれたミサイルはこの作戦の切り札となるはずであった。

「准尉。
 機雷およびミサイル射出と同時に、最大出力で敵センサーにジャミングをかけてくれ」
 デコイの準備は?」

「できています。艦長。
 ジャミングと同時に集結座標に向けて放射線状に八つデコイをばら撒きます」

 デコイはジャミングを継続させて、センサーから隠れようとする雰囲気を演出させる。
 その隙に本艦はジャミングを切ってミサイルと一緒に航路から外れようとする作戦である。

「航海長。
 航路座標変更。
 本艦は集結座標からすれた航路座標を取る。
 カウント開始は今から五分後」

「了解。
 3.2.1.カウント開始します」

 ここまでならば、ある程度成功率が高いだろうとヤンは考えていた。
 問題はこの先で、巡航戦艦率いるフェザーン船団と帝国の高速戦艦があたる場合である。
 足の速い巡航戦艦ならば高速戦艦から逃げ切る可能性は高いが、あの船団には輸送船もついていた。
 輸送船を見捨てて逃げた場合、責任を問われる事は必然で、政治的には死んだも同然である。
 もちろん、生命だけ助けると解釈する事で見捨てても構わないのだが、味方を見捨てるなんて事はヤンの精神衛生上良くないし、『艦長期待しています』視線を隠そうとしない准尉のワンコみたいな瞳がまともに見れなくなる。
 そして、緊急事態なのに睡眠タンクの仮眠前に「アルコール分解できるから」と頼み込んでチャン・タオ上等兵が呆れ顔で入れたブランデー入り紅茶の香りと味を思い出した事も含まれるだろう。
 シロン茶葉の最高級品とその年最高級賞を受賞したブランデーをワレンコフ代将相当官から分けてもらっていたからだ。
 このあたり、女を断った事で別の嗜好品をチョイスし命と信頼の値段をよく知っていたワレンコフ代将相当官の作戦勝ちと言った所だろうか。

「さてと、あの船団にあったブランデーと紅茶葉を宇宙の塵に変えるのは惜しいから手を打たないといけないのだが……」

「何かあるんですか?
 艦長?」

 こういう時のパトリチェフ副長はあえて何もしない事で、トラブル時に備えている。
 艦内で被弾による応急処置などは副長の仕事になっているが、艦によっては艦長と副長の仕事が逆の所もある。
 要は、艦長と副長でオフェンスとディフェンスを分けて行っているという所が大事なのだ。

「准尉。
 現状の戦力で、帝国高速戦艦とフェザーン船団が交戦した場合のシミュレーションを出してくれ」

 自分達が生き延びるカウントが始まっているのに、タイムロスなしで先の事をモニターに出せるあたりはアンドロイドだなとなんとなくヤンは思いながらモニターを眺める。
 八割以上の確率でフェザーン船団の全滅が予想され、残り二割は輸送船全滅の果てに巡航戦艦が逃げ延びた場合であった。

「ジャミングが行われた後で、こっちに来る船は駆逐艦が一隻あるかないか。
 フェザーン船団にも駆逐艦がついていたからこれ以上はさけないはずだ。
 逆に言えば、こっちにどれだけ駆逐艦を引き寄せるかで、フェザーン船団の生存率が変わる」

 それは、助かった自分達が再度虎穴に入る事を意味している。
 だが、それをパトリチェフは笑ってこう言ってのけた。

「姫君を守る為に盗賊たちの前に出る騎士。
 浪漫ですな」

 古来から船は船乗り達の間で女性として扱われてきた。
 絶対窮地に飛び込む事が命令とはいえ、こんな冗談をこんな時に飛ばせる神経の図太さはパトリチェフ副長の才能と言って良いだろう。

「あいにく、御伽話よろしく騎士が盗賊を退治できないけどね。
 せいぜい邪魔してやる事だけさ」

 パトリチェフ副長が何か返そうとするのをモニター上のカウンターが邪魔をする。
 そして、誰もが黙り込み、アルテナ航海長の読み上げる声だけが響いた。

「カウント残り15秒。
 10秒……5.4.3.2.1.0!
 航路座標変更します!!!」

 艦が一番大きいために、最初に動いても変化が現れるのは最後になる。
 ソヨカゼV39の艦が既定進路から外れる前に、准尉の声が響く。

「ジャミング開始します!!
 デコイ射出!」

 既定進路上および、その放射線状にデコイがばら撒かれる。
 ほぼ同時にアッテンボロー戦術長が叫びながらボタンを押した。

「機雷およびミサイル射出!」

 発射されたミサイルは二百発。
 ビーム兵器がメインとなっている戦場では、ミサイルは敵に到達するまで遅すぎるのだ。
 とはいえ、このミサイルが廃れないのはワルキューレなどの単座戦闘艇対策とその誘導性の便利さにあり、故人となった人形師はこのミサイルによる遅延攻撃の名手だった。
 特に巡航戦艦などの高速艦艇を主体とした少数艦艇で帝国軍前に陣取ってさっさと逃げ出し、追撃に移った帝国軍艦艇をミサイルの殺し間に誘導する『ステガマリ』戦術は現在でも帝国軍を恐れさせるぐらい。
 だが、この『ステガマリ』がどういう意味なのかは故人となった人形師以外には知る者はいない。
 更にばらまかれた機雷だが、ある程度の移動性を持っており自動的に薄く広がるように設定されている。

「ジャミング解除!」

「了解。
 ジャミング解除します」

 准尉の声で一連の作業が終わると、敵高速戦艦のモニターには広がりつつある機雷原と敵のいない方向に発射されたミサイルと、ジャミングを継続しているらしい何か分からない八つのものが映っているはすである。
 進路がそれてミサイルと共にずれていくソヨカゼV39はこれで敵の応対を見極めないといけない。
 待つには長い、長い時間が過ぎた。
 六時間と少したった時、ヤンの取った策の結果が露になる。

「敵高速戦艦機雷原に接触しました!
 敵駆逐艦と共に砲撃によって機雷原を突破してゆきます!」

 こういう時に疲れを知らないアンドロイドは便利だと思いながら、准尉の声で交代で休憩に入っていたクルー達も直ちに持ち場に戻る。

「准尉。
 状況を」

 艦長席についたヤンのモニターに即座に状況が移される。
 砲撃数と破壊された偵察衛星のデータから、帝国軍は高速戦艦一隻に駆逐艦八隻。
 思った以上に多いとヤンは思いながら、ヤンは指示を出す。

「戦術長。
 ミサイル反転。
 機雷原に向けて飛ばすんだ。
 准尉。
 全方位、全回線で敵戦力のデータを発信し続けろ」

「了解!」
「了解」

 これが、ヤンがパトリチェフに言った嫌がらせの正体である。
 何の事はない。
 泥棒に向けて、安全な場所に向けて「泥棒!」と近所に叫ぶのとさして変わらないのだ。
 だが、泥棒にとってこれほどいやな手は存在しない。
 当たり前だが、泥棒はものを狙うのが仕事なので、ばれたら身の安全を図る為に遁走するのだ。
 問題は、相手が泥棒ではなく暗殺者であった場合で、あくまでワレンコフ代将相当官を狙うかという所だが、それも低いとヤンは見ていた。

「第十偵察隊司令部より返信!
 『近隣艦艇を集結させて迎撃せよ。
 近隣艦艇の最上位者であるワレンコフ代将相当官に一時的に指揮権を付与する』そうです!」

 実は、この宙域にいる艦艇数を比較すると、同盟側は戦艦一隻、巡航艦二隻、駆逐艦240隻に、フェザーン側の巡航戦艦一隻、巡航艦二隻、駆逐艦二十隻、輸送船二十隻が加わる。
 という事は、戦艦一隻、巡航戦艦一隻、巡航艦四隻、駆逐艦260隻、輸送船二十隻という約300隻の艦艇がいるのだ。
 いくら高速戦艦といえども、この数には勝てない。

「フェザーン船団、ワレンコフ代将相当官より近隣艦艇に向けて通信。
 『臨時指揮を取る事になったワレンコフ代将相当官である。
 我が方は巡航戦艦一隻および巡航艦二隻、駆逐艦二十隻を擁して敵戦艦に対して攻撃に映る。
 近隣艦艇はこれに合流されたし』」

 この通信が全方位でされた事で、ヤンは勝利を確信した。
 暗殺者はそれゆえに身軽でないと暗殺行為が行えないからだ。
 同盟衛星網を回避したにもかかわらず、単独偵察航行していた駆逐艦を排除した事で、敵艦の数が多くない事はヤンの予測の範囲内にあった。
 だから、こちらの手札を晒せば彼らは撤退すると踏んだのである。

「ワレンコフ代将相当官も中々できるお方みたいですな。
 フェザーン船団はまだ集結し終えてないでしょうし」

 敵センサー外からの全回線通信だからこそ、このはったりには効果がある。
 そして、それに気づいたヤンが手札をレイズする。

「准尉。
 フェザーン船団に全回線で通信。
 『第十偵察隊司令部の命により、貴官の指揮下に入る』と」

「了解。
 他の艦も次々と指揮下に入る通信を送っています。
 送ったのは現在巡航艦一隻と駆逐艦八隻」

 これで、敵には巡航戦艦一隻、巡航艦三隻、駆逐艦二十八隻に見えるはすだ。
 最新鋭の高速戦艦でもこれには勝てない。
 そして、このハッタリに帝国軍は降りた。

「敵高速戦艦反転しました!
 それとは別に、敵駆逐艦三隻がこっちに向かってきます!」

「帰りがけの駄賃代わりという所か」

 准尉の報告にヤンがぼやく。
 おそらく、向こうのセンサー内にいるこの船が単艦であるのを感づいて排除を命じたという所だろうか。
 だが、それはモニター上のソヨカゼV39正面に現れた二百発の交点によって失敗に終わるだろうと確信していた。

「前方の味方駆逐艦より通信。
 『こちら、駆逐艦アッカド99艦長ラン・ホー少佐。
  貴艦を支援する』以上です」

 単艦行動していたという事は左右に哨戒線があった訳で、この船が襲われたという事は左右どちらかの哨戒線の船が襲われていないと事を意味する。
 ジャミング時にヤンははなから残っている味方の船のほうに船を向けていたからこそ、今の支援がある。
 その効果は敵駆逐艦が駆逐艦アッカド99のミサイルを捕らえた時にてきめんに現れた。
 包囲される前にと敵駆逐艦三隻も転進し逃走に移ったからだ。

「どうやら、峠は超えたようですな」

 パトリチェフ副長の声に、全員から安堵のため息が漏れる。
 ヤンが帽子を脱いで頭をかきながら戦闘体制解除を告げた。

「第一種戦闘体制解除。
 警戒しつつ、第十偵察隊の合流ポイントに向かう」

「了解しました」

 アルテナ航海長がほっとした声で進路を元に戻す。
 気が抜けたのか、アッテンボロー戦術長がぼやく。

「いいんですかね。
 俺たちがした事は、泥棒と叫んだ事ぐらいですよ」

「軍なんてそんなものさ。
 一将の功に万骨鳴ると。
 華々しい会戦の裏には、こんな功績にもならない日常が繰り返される訳だ。
 何よりも‥‥‥」

 皆が見つめている事に気づいて、ヤンは一息ついて本音を漏らす。

「敵も味方も殺さずにすんだ。
 それを喜ぼうじゃないか」

 多分、艦橋のスタッフがヤンの人となりを知って、ヤンを認めたのはこの時だったのだろう。
 それは、艦内にもゆっくりと伝わり、ヤンが将兵全員から艦長と認められるきっかけとなる。
 こうして、歴史に残る事はない小さな小さな戦いはその幕を下ろす。
 

 

英雄去りて祭りが始まる

バーラト星系 惑星ハイネセン 首都ハイネセンポリス


 ヤンがエル・ファシル星系に赴任して、およそ一年後。
 数度の哨戒と帝国軍偵察隊との不正規遭遇戦を経験したヤンは命令によって厳粛な雰囲気の中で行われたある老人の葬儀に参加していた。
 アルフレッド・ローザス退役上級大将。
 老衰によるその死に自由惑星同盟評議会は全会一致で彼に元帥号が送られ国葬となる運びだったが、彼の遺族であるミリアム・ローザスによってあくまで親族のみでという拒否によって静かに執り行われた。
 こうして、730年マフィア全員が元帥となるが、彼らによって作られた栄光は政治的に深く自由惑星同盟に根付く事になる。
 それは、第二次ティアマト会戦前に全員が死んだらという馬鹿話を人形師が記録したもので、アッシュビーが乗っかった為に遺言ともなってしまったお祭り騒ぎの命令であった。


「なぁ、アッシュビー。
 お前、死んだらどうする?」

「また出陣前にえらく不景気な事言うじゃないか」

「厄落としってやつさ。
 で、勝ったら大いにネタにしようってな」

「俺は死なないさ。
 けど、そうだな。
 俺が死んだら祝杯をあげるやつが多くいるだろうから、お祭り騒ぎでもするんじゃないか?」

「それを言ったら、俺達全員死んだら皆で祝杯あげるだろ」

「違いない」

「じゃあ、この俺達全員が死んだらお祭り騒ぎをしようぜ。
 最後の一人が出世して、家庭を持って、大きな家とそれなりの車を買って美人で優しい奥さんと、無邪気で笑顔いっぱいな可愛い孫たちと、ペットに親戚や家族と幼なじみや友人に囲まれて何も思い残すことが無くなってから死んで、
 『ああ、あいつらやっとくたばったよ』と涙流しながらお祭り騒ぎしようぜ」

「いいなそれ。やろうぜ。
 で、お前俺の葬儀委員長な」

「待てよ。アッシュビー。
 こういう時は指揮官が殿だろうが!」

「やだね。
 面倒事はお前かローザスに任せる事にしているんだ。
 というか、何で今度の戦にお前来ないんだよ?」

「例のアンドロイドの追い込みにかかっているからな。
 今回はローザスを連れて行ってくれ。
 奥さんの臨終に立ち会えたのは大きいだろうが、空いた穴は仕事で忘れさせないと駄目だ。
 その分俺の艦隊渡して各艦隊定数揃えさせただろうが。
 色々軍部どころか政治家からも睨まれているんだから、一人は残っておかないとまずいんだよ」

「めんどくさいな」

「人事のように言うなよ。アッシュビー。
 お前、この戦いに勝ったら次は政治家コースだろうが!
 その苦労を軽減してやろうと裏方やっている俺の苦労を少しは分かりやがれ!」

「分かりたくもないな」



 同盟において何度も何度も立体TVで作られた第二次ティアマト会戦前の人形師との別れのシーンだが、この話の前にこの二人がこんな話をしていたのを知る者は誰もいない。


「これが例のデータ。
 こっちが、その分析と予測資料。
 いつものように元はぼかして、みんなにはお前の作戦案として送ってある。
 ジークマイスター提督がよろしくと」

「ああ。
 お前が挟まっているんでこっちも大分楽になる。
 何しろ、説明の手間が省ける」

「天才の采配を説明しろというのが無理だが、予測として案を出しておけば、戦場の霧で誰も追及はせんよ」

「で、ファンに『案と現実がどうしてこんなに違うんだ?』としかられると」


 人形師は前線指揮官よりも後方勤務で功績をあげており、ローザスと同じく730年マフィアの潤滑剤としてアッシュビーの参謀長職をローザスと交互についていたぐらいだった。
 そんな人形師が前線指揮官として前に出だしたのはアッシュビーの死後からだった。
 そして、彼が前に出る事で730年マフィアは長く同盟内部に影響力を及ぼし続けたのである。
 かくして、英雄と道化師の記録は命令となって730年マフィアの全員死亡時にお祭り騒ぎが行われる事になった。
 もちろん、死者の願いなんで生者が聞く訳もなく、生々しく政治的に。

 730年マフィアが第二次ティアマト会戦後の結束して行動しえたのもひとえに人形師の功績と言っても過言ではない。
 宇宙暦745年12月8日から10日にかけての総攻撃において、帝国軍の九割を消し去るという包囲殲滅戦に勝利した同盟軍からの報告を受けた道化師が、「アッシュビー提督戦死」の報を聞いた時の第一声は「何故だ!?」だったらしい。
 完勝したのに何でアッシュビーが死んだのかという叫びだと周囲から見られていたが、人形師は「原作以上に用意したのに何で死んだんだ」と叫びたかったのだ。
 なお、ベルティー二が無事に生還している事から疑念を深めた彼は徹底的な調査を行ったふりをして、彼らに地球教の事をばらしアッシュビーが謀殺されたと囁いたのだった。
 アッシュビーの死が偶然なのか謀殺なのかは分からないが、同盟内部に巣食っている地球教とフェザーンの正体は本物だった。
 そして、彼らは復讐者として結束し続けたのだった。
 アッシュビーの旗艦位置情報を帝国に流していたという理由で同盟内部で大規模スパイ組織の摘発が行われ、これをはじめとした数度の捜査で地球教およびフェザーンのスパイ組織は同盟内部でがたがたになる。
 第二次ティアマト会戦後の人事は宇宙艦隊司令長官にウォリス・ウォーリック、統合作戦本部長にファン・チューリンが大将に昇進してその任務に就き、翌年には「アッシュビーの復讐」と称してイゼルローン回廊側の帝国軍拠点をことごとく制圧した上で、壊滅的打撃を受けたのにも関わらず大歓喜に沸いている帝国領に逆侵攻して見せたのだ。
 その時の三個艦隊にベルティーニ・コープ提督と混じって人形師の艦隊が居た。 
 この逆侵攻はあくまで帝国に対する政治的威圧でしかなかったからアムリッツァ星域を偵察後に軍を返しているが、貴族の私兵すらかき集めてアムリッツァ星域に大軍を送り込んだ帝国は第二次ティアマト会戦の大損害とこの逆侵攻に大いに驚いてイゼルローン要塞建設を決意する。
 これが完成は分かるが建設時期が分からないイゼルローン要塞の建設を確定させようとした人形師のしかけた罠だなんて見抜ける人間はいなかった。
 同時に、逆侵攻を行った結果として帝国の強大さを説きつつも、専制国家による腐敗と硬直化を指摘、いずれ経済的に帝国が破綻する事を見抜いて専守防衛かつ相手に出血を強いる『アッシュビードクトリン』を採択。
 死者を徹底的に利用したこのドクトリンによって、はっきりと帝国打倒の戦略を持つ事ができた同盟はその実現を目ざす事になる。
 イゼルローン回廊戦による建設途上のイゼルローン要塞破壊によって経済的に破綻した帝国軍は以後20年近く軍を派兵する事ができなくなり、その平和の果実を同盟が享受するようになると730年マフィアの面々も後進に道を譲るようになる。
 人形師とウォリス・ウォーリック及びファン・チューリンが政治家に転進すると、フレデリック・ジャスパーが長く宇宙艦隊司令長官として同盟を守り、アルフレッド・ローザスが統合作戦本部長についてそれを支えた。
 ヴィットリオ・ディ・ベルディーニとジョン・ドリンカー・コープの二人はあくまで現場に留まり、新たに作られた方面軍の初代司令長官となった後に退役し士官学校にて後進を育てる道を選んだ。
 彼らは色々私生活では幸も不幸もあったが、ベッドの上で子孫に見送られて死んだ事を考えれば幸せだったのだろう。
 なお、政治家になった三人はウォリス・ウォーリック、人形師の順で最高評議会議長の椅子に座り、ファン・チューリンはこの二人の時代の国防委員長を全うしている。
 対帝国戦において730年マフィアは文字通り政軍ともに活躍し続けて、今の自由惑星同盟の繁栄があるのは間違いがない。

 彼らが結束して守り育んできた平和なのだが、本人の命とはいえ彼らの死後にそれを茶化すのは大いに無理がある。  
 だが、それを理由として彼らを賛美する事は政治としては正しいのだった。
 アルフレッド・ローザス元帥号授与式を餌に、730年マフィアの業績を称える記念行事が乱発され、同盟市民はそのお祭り騒ぎに酔う事で再び脅威を増してきた帝国の事を忘れようとしていたのかもしれない。
 あと、三ヵ月後に選挙が控えている事も理由になるのだろう。
 民主主義国家だから。


「いらっしゃい。
 歓迎するわ。
 それと生還おめでとう」

 まだ新婚気分が抜け切れないキャゼルヌ婦人の挨拶を受けたヤンは、ちらりと先輩であるアレックス・キャゼルヌ中佐の手を握っている礼服姿のお姉さまに視線を向けて苦笑する。
 ヤンが月給がぶっ飛ぶ最高級ケーキの話をキャゼルヌ中佐にした結果、「俺のところで食わせてやる」とキャゼルヌ婦人の手料理を餌に家に誘った次第。
 キャゼルヌからすれば、半分は後輩へのからかいでもう半分は噂の少将閣下の顔を見てやろうという所。
 その後、キャゼルヌ婦人の手料理に満足した三人は書斎に移り、コーヒーや紅茶を片手にやばい話を始める事になる。

「一年ほど前だったか、お前哨戒中の偶発戦闘でフェザーンのワレンコフ代将相当官を助けた事があったろ。
 あれの裏話が聞けた」

 キャゼルヌ中佐が口火を切るが、その裏話を彼女が作っていたのをヤンは知っていた。
 これは、キャゼルヌ中佐と彼女のゲームなのだと理解しヤンは極力置物に徹する事に決めた。

「あの時、何でワレンコフ代将相当官が居たかというと、帝国本土から逃げて来た海賊を叩こうとしていたらしい。
 その海賊ってのが、帝国領内で働いていたフェザーン船団に大損害を与えた船らしくてな。
 撃破する事で功績をあげようとしていたそうな」

 物流を支配するためには否応なく情報も支配しないといけない。
 同盟近年最高級の後方作業のエキスパートである彼は、中佐の階級で知りうる事というオブラートを包みながら、彼女を攻撃する。
 少将でかつこの裏話を積極的に仕掛けた彼女はそのオブラートをはがしながら、やばい話を適当に包み込んでキャゼルヌに投げ返す。

「フェザーンなんだけど、かなり楽しい事になってるわ。
 政府関係者の人事異動が激しすぎて、帝国同盟とも商業活動に支障が出かねないと同盟高等弁務官事務所が頭を抱えているそうよ。
 最近は政府要人の葬儀も多くて花代も馬鹿にならないとぼやいているとか」

 噂話風に呟いた彼女によってばらされるフェザーン内部の権力闘争の存在。
 その権力闘争はどうやら、ワレンコフ現自治領主の敗北という形で終わりそうだった。
 という事は、ワレンコフ自治領主の元で行われていた傭兵派遣業務は見直される可能性が高いのだがそうは問屋がおろさない。

「傭兵の存在に帝国貴族はかなり依存しているからな。
 下手したら更にフェザーンへの感情が悪化しかねんぞ」

 帝国領内では財政不足による重税とそれにともなう辺境部の反乱が頻発しており、その鎮圧に傭兵を使う事で更なる反感を招いていたのである。
 反乱にかこつけての略奪や海賊行為も日常茶飯事で、その背後に有力貴族がついた事でどうにもならない状況に陥りつつあったのだ。
 こんな背景があった為に帝国領内で傭兵をしていた連中が同盟内で仕事をするとろくでもないトラブルを頻発させたので、同盟では帝国で仕事をした傭兵は基本的に雇用しない方針を貫いていたのだった。
 同盟・帝国と伍する力を持ってしまったが為に、いやでも両国の内政問題に巻き込まれるジレンマにフェザーンは陥っていた。
 だからこそ、アドリアン・ルビンスキーなどは『フェザーン星系一つに戻ろう』という領土縮小主義を主張しているのだが、人間は一度得た物を手放すのが難しい。
 それだけでなく、フェザーン星系一つに戻る場合、現フェザーン領土は同盟側にあるのでその帰属は確実に同盟になり確実にパワーバランスが崩れてしまう。
 このあたりの判断の難しさがあって、ワレンコフ自治領主は未だ自治領主の椅子に座っていられるという事らしい。
 それも長くは持たなそうだが。

「そういえば、そのアレクセイ・ワレンコフ氏なんだけど、同盟に帰化申請が内々に出ているのは知っているかしら?
 『長く同盟で働き、同盟に愛着がわいた』からなんだけど。
 彼の会社登記もハイネセンポリスだし、同盟は認めるみたいね。
 今の仕事はそのまま続けてもらうから、帰化後も代将相当官として同盟軍統合作戦本部では考えているみたい」

 さらりと出てくる爆弾情報にキャゼルヌだけでなくヤンですら驚きでティーカップの音を立てる始末。
 自治領主の親族が亡命まがいの帰化申請を出すなんて、ワレンコフ自治領主の寿命はほとんど尽きていると言っているのと同じだからだ。

「フェザーン方面軍が訓練名目でえらく物資を請求していたのはこれか……
 お偉方はどうもフェザーンが内乱になるんじゃないかと怯えているらしいな」

 キャゼルヌの呟きは外れる事になった。
 この半年後、ワレンコフ自治領主は不自然極まりない事故死によって自治領主の椅子を明け渡たすが、新たな自治領主となったアドリアン・ルビンスキーは国内安定の為と称してワレンコフ路線の継承を宣言したからだ。
 何だかの変化はあるのだろうが、今の所は大丈夫と帝国と同盟双方が胸をなでおろし、アレクセイ・ワレンコフが同盟に帰化するのは少し先の話。





 ヤンが彼女を官舎に送る途中、彼女が立ち止まったそのデモの光景を目にする事になる。
 掲げているプラカードは『早期の帝国打倒!』『フェザーンに奪われた領土の奪回!』など対外的に過激な事ばかり。

「憂国騎士団か。
 彼らも大変ね」

 彼女の呟きにヤンが疑問の口を挟む。

「何が大変なんですか?」

 その質問に彼女は馬鹿馬鹿しいとばかりに肩をすくめた。
 笑わないとやってられない馬鹿話をお姉さまはヤンに教えてやる。

「彼ら、あのプラカードの実現の為に軍の研究機関や民間のシンクタンクを使って現実性を探っているらしい。
 まったく、友愛党の爪痕は過激派のこんな所にまで現れるなんて……」

 友愛党というのは、人形師が政権を追われた後にできた帝国和平推進をスローガンとした党で、戦争の継続ではなく和平を目指した理想主義者の集団である。
 そのスローガンに賛同した市民だが、そのスローガンの実現手段を何も持っていない事が露呈し政府内が大混乱に陥る事になる。
 そして、その理念のみの平和主義の代償は『今なら同盟叩ける』と勘違いした帝国軍の軍事侵攻を呼び込んでしまい、こんな無様な政権運営を市民が許すわけもなく、その次の選挙で壊滅的打撃を受けて党は消滅。
 あげくに、友愛党のスポンサーにフェザーン資本やフェザーンメディアがバックアップしていた事が露呈して、同盟の対フェザーン感情が悪化するというおまけまでつく始末。
 彼らの暴走の結果、同盟内の和平勢力はその体制建て直しに二十年はかかるだろうと言われ、現政権は友愛党のやらかした対外関係の建て直しに悲鳴をあげているのはヤンでも知っていた。 

「彼らも現状ではあのプラカードが実現できないのは知っているわ。
 だが、あんなプラカードでも無いよりはましらしくてね。
 人間ってのは分かりやすいスローガンを欲しがるものらしいわね」

 『そんなものでもないと人はまとまならいからだ』と彼女を作った人形師はぼやくだろう。
 なお、人形師は『馬鹿は一まとめにしておいた方が制御しやすい』という理由で憂国騎士団設立に関わっていたりする。
 退役軍人会や軍産複合企業の支援を受けて、無視できない圧力団体になった憂国騎士団は反友愛党の受け皿になってその勢力を伸ばしていたが、現実主義への模索を試みていたのである。

「えらく彼らの事を知っていますね」

「そりゃそうよ。
 彼らに軍代表として現状のレクチャーしたの私だから」

 よほど酷かったのだろう。
 アンドロイドなのにその顔に疲れが見えるような表情を見せるあたり。
 彼女はそこでヤンの方を振り向いてぽんと手を叩く。

「しまった。
 史学研究科のあなたにさせればよかったんだわ。
 理想に凝り固まった馬鹿の教育って、動物園のサルに物を教えるより厄介よ」

 サルに失礼な事を言ってのけた彼女に対して、ヤンは乾いた笑いを浮かべる事しかできない。
 とはいえ、話の続きは聞きたかったので、ヤンはそのまま話を振ってみる。

「で、教えた結果どうなりました?」

「うん。
 『帝国つぶす前に友愛党残党とフェザーンぶちのめす』だって」 

「うわぁ……」

 アルフレッド・ローザス元帥号授与式を餌に、730年マフィアの業績を称える記念行事が乱発される真の理由。
 それは、友愛党政権時代の外交的大失政を忘れたいという同盟市民の心のケアも含まれているのだった。

   
 そんな宇宙の空気の中で、宇宙暦791年、帝国暦でいう482年を迎える事になる。 
 

 
後書き
現実は、小説よりもファンタジー。
  

 

飢餓航路

 イゼルローン回廊同盟側出口。
 そこは、帝国軍の監視・補給拠点が十数個設置されていた。
 最盛時は四十近い拠点があったのだが、第二次ティアマト会戦による帝国軍の壊滅によって、防衛の為の艦隊を失った後は同盟軍に全て蹂躙されたのである。
 その後、同盟軍はイゼルローン回廊戦にて建設途上のイゼルローン要塞を破壊した後は引きずり込んでの失血戦略を取った為に、この地にいくつかの拠点が再建される事となった。
 だが、慢性的な予算不足に悩む帝国軍は既に艦艇派遣能力が低下し続けており、更に帝国軍が拠点を建設した後はその拠点を狙う輸送船団を同盟軍が重点的に狙いだした事で、これらの拠点群はその機能を十全に生かす事ができなくなっていた。
 昨今、行われている帝国軍との大規模戦闘はこの拠点防衛および物資補給に出てくる帝国艦隊を叩く事が中心になっており、帝国軍はこの星系を『飢餓星群』、その補給船団を『餓星航路』と呼んで忌み嫌っていた。
 一方、同盟軍は帝国軍の輸送船団を『ヴァルハラ急行』と呼んでいたりするが、この作戦の基本骨子を考えた人形師の計画書の名称を見れば一目瞭然である。
 『オペレーション・ソロモン』と。

「ワープアウト。
 艦内に異常はありません」

 アルテナ航海長の声にヤンは安堵の息を漏らす。
 ワープ技術ははるか昔に技術が確立しているとはいえ、事故がないわけでない。
 警戒するのは当然である。

「周囲に敵艦なし。
 警戒を続けます」

 副長のパトリチェフ大尉の声が全員に安心感を与える。
 不意に現れるワープを待ち伏せするというのは基本的に不可能に近いが、そんな可能性が無いとも言いきれない。

「エル・ファシル管区警備艦隊、第一戦隊第十偵察隊全艦無事にワープアウトしました。
 第十偵察隊司令部より通信。
 全艦所定位置に移動せよ」

 准尉の声に艦長のヤンが帽子の上から頭をかきながら移動を命じる。
 今回の作戦行動は各地の警備艦隊から抽出された一個戦隊とイゼルローン方面軍司令部から派遣された二個戦隊で一個分艦隊を形成して任務に当たっている。
 目的は、惑星カプチェランカにある帝国軍前線基地の救援に来た帝国軍の撃破が目的で、万一大規模な敵艦隊と遭遇したときの為に一個艦隊が待機しているあたり準備は万全である。
 惑星カプチェランカは資源惑星でもあるので激減した帝国軍前線基地の中で有力な基地として存在していた。
 とはいえ、輸送船団に恒常的な攻撃がかけられて資源の搬出はできず、かろうじて足りる程度の資源を駆逐艦や巡航艦で運び込むネズミ輸送で息を繋ぐ始末。
 近隣で数度艦隊規模の戦闘が発生し、帝国と同盟双方で五分の戦績なのだが、帝国軍の整備・補給拠点がイゼルローン回廊帝国側出口にしか無い為に決定的勝利を帝国は得られず、人形師が意図した消耗戦に引きずり込まれていたのである。

「エル・ファシル管区警備艦隊、第一戦隊本隊ワープアウト。
 護衛艦のワープエンジン分離。回収作業を開始。
 艦隊母艦アイラーヴァタから、シールド艦を展開中及びワープエンジン回収中」

 ワープ機能がない護衛艦とその搬送目的として艦隊母艦の話は前にしたと思う。
 とはいえ、艦隊母艦一隻で運べるのは百隻あたりが限界なのだが、それを数百隻搬送可能にしたのはからくりがある。 
 それが、護衛艦に外付けされたワープエンジンの存在である。
 船一隻を搭載するよりも、大きいとはいえワープエンジンを搭載した方がスペースは小さくなる。
 更に、回収前提で一回使用にする事で燃料タンクの削減に成功。
 その分こうやってワープアウト後に回収作業をしなければならないのだが、軍艦を作るよりもトータルコストでは安くつくのだ。
 なお、警備艦隊は政府補助が出るとはいえ、星系政府の所有物である為、護衛艦を作りたがる事も忘れてはならない。

「シールド艦展開位置を確認中。
 ミサイルの発射軌道を入力します」

 准尉の報告の後にアッテンボロー戦術長が展開されつつあるシールド艦を避ける形でミサイルの発射軌道を入力する。
 このシールド艦は艦隊配備率が5%もある艦隊の盾なのだ。
 元々は帝国軍の貴族乗艦を守る為の盾艦がその起源になるのだが、ジャガーノート級艦隊母艦の登場によって、艦隊母艦を叩く=勝ちという風潮が生まれる中でその重要性が増してきた船だったりする。
 あまりにも分かりやすい勝ちポイントである艦隊母艦に砲火が集中するのならば、それを守る盾を用意した方が効果的に敵を撃退できるのである。
 防衛戦闘の有利さはここに存在する。
 敵がビームを撃ち尽くして撤退しても、こちらが戦場に最後まで立っているならば勝ちなのだ。
 そして、同盟軍には消耗しても困らないドロイド兵が存在していた。
 かくして、攻撃能力0で全エネルギーをシールドにしているシールド艦が誕生する。
 数に劣る帝国軍が艦隊母艦に攻撃を集中させる間、艦隊母艦を守り他の艦が帝国軍を叩くという図式が近年の戦闘で成立していた。
 また、シールド艦が破られて艦隊母艦が撃沈されるケースも存在するのだが、そのころには帝国軍のエネルギーが不足するのと増援艦隊が到来するので戦闘には勝つが戦略目標を達成できないという形に落ち着いていたのである。

「第十艦隊第三分艦隊、第一戦隊および第二戦隊のワープアウトは二時間後の予定。
 本艦は所定位置に着きました。
 第十偵察隊司令部より通信。
 隊列そのままで惑星カプチェランカの偵察任務を行う。
 以上です」

「了解したと伝えてくれ。准尉。
 第一種戦闘態勢発動!
 航海長。
 進路を惑星カプチェランカへ。
 戦術長。
 偵察衛星を射出。
 他艦偵察衛星と連携し索敵を蜜に」

「了解」
「了解っと」

 第十偵察隊は今回の任務に合わせて艦の補充や臨時編入があり、戦艦五隻、空母五隻、巡航艦二十隻、駆逐艦270隻まで膨れ上がっている。
 特に、現場を知っている偵察隊は水先案内人として重宝されており、この手の戦闘においては極力呼ぶように方面軍司令部から通達が来ていた為の出陣である。
 また、全艦が軍艦で編成されているから、ワープ後の行動が素早いというのも大きい。

「しかし惜しいですな。
 今回も艦隊を叩くのみで基地は攻撃なしだそうで。
 知り合いの陸戦隊員達が残念がっていましたよ」

 パトリチェフ副長の軽口にヤンも軽口で答える。

「陸戦隊に手柄を立てられちゃ困るんじゃないかな。
 真面目な話だと、ここで陸戦をするとこっちも消耗するし」 

 軍隊において最大の人員を持つのは陸戦であり、それは宇宙に人類が上がった今でも変わりがない。
 同盟軍にも宇宙艦隊や警備艦隊とは別組織で陸戦隊と呼ばれる陸戦組織があり、その人員は1500万人を数える。
 膨大と思うかもしれないが、制宙権を取った有人惑星一つを完全制圧するのにかかる人員は最低でも300万を考えないといけない以上、かなり抑えられていたりする。
 人が人を指揮する場合、万を超えると途端に指揮が難しくなる。
 小人数だと互いの顔が見れるのだが、万を超えると間に複数の中間管理職を挟まないと組織が動かないからだ。
 かくして、人が宇宙に上がったのに古より使われし『師団』だの『連隊』だのという組織が現役を張る事になる。
 そこでやっかいな問題に直面する。
 同盟軍では、『連隊』を指揮するのは大佐、『師団』を指揮するのは准将、『軍』を指揮するのが小将、『軍集団』を指揮するのが中将と規定されている。
 という事は、艦隊ポストより陸戦隊ポストの方が将官が多くなってしまうのだ。
 そのくせ、制宙権確保が恒星間国家の絶対条件である以上、艦隊の指揮ができない将官が大量発生する事は避けたい。
 で、この問題において、同盟軍はアンドロイドとドロイドの大量投入によって解決したのである。
 この陸戦隊問題が本格的に問題になったのは、第二次ティアマト会戦後に行われた『アッシュビーの復讐』において。
 同盟側帝国軍拠点の制圧と、帝国領逆侵攻という作戦で大量の陸戦隊の投入が不回避になったからである。
 臨時編成した陸戦隊では到底足りないので、使い捨て前提のドロイドを大量投入したのが最初である。
 使い捨て前提なので、簡単な命令しかこなせず、スタンドアローンで動くドロイド兵達は動く的でしかなったのだが、そもそも絶対数が足りない以上文句は言ってられなかった。
 それも、拠点制圧戦後半あたりから蓄積された戦闘データがフィードバックされるに及んでだいぶ改善されたのだが。
 誤算なのは、人間が持つ仲間意識だった。
 使い捨てかつ動く的目的で投入されたのに、それを助けに行く兵士達が続出。
 中には、戦友と呼ぶだけでなく俺の嫁と呼ぶ紳士が出た事で、人形師も苦笑しながら救済処置として、優秀な兵士でかつ結婚するならばそのドロイドのデータをアンドロイドに写し、孤児を引き取る事でそのアンドロイド化の経費を負担したのである。
 今に続くトラバース法の走りがこれである。
 なお、この過程で直系子孫を残したい欲望から男親のDNAをクローンニングした子供を残す研究も花開き、上流階級層を中心に遺伝子操作を施した新人類『コーディネーター』が誕生したりしているが、それが深刻な差別問題に発展しないのは貴族専制社会である帝国の存在のおかげだろう。
 外敵の存在は、国内問題を覆い隠すのである。
 まぁ、別作品のぐてぐてを知っていた人形師がアンドロイド同様に社会貢献として彼らコーディネーターを軍に投入しているからで、最悪アンドロイドと同じく社会問題化したら辺境星系に別国家樹立のプランを用意するあたり、この人形師人間の業の深さをよく分かっている。
 もっとも、『○ムロや○ラが居た所で万の艦艇とその数倍の単座戦闘艇全部潰せるわけもないか』と究極の数で戦闘をする銀英伝世界に安堵したとかしなかったとか。
 そんなコーディネーターの一人が、ヤンの船に乗っているアルテナだったりするのだが、同盟最高機密の一つだったりする彼女の背景は全て欺瞞によって作られており、ヤンですらジークマイスター提督の往年の子として騙された位である。
 本人のDNAを使っているから騙されて当然なのだが。
 話がそれたが、陸戦特化の将官に対して艦隊戦専用のサポート仕官をつけようと用意されたのが本来のアンドロイドの目的だった。
 そんな背景があるから、サポートという形で実務を取ってしまい、『政治委員』と陰口を叩かれるのにはこんな理由もある。
 現在、陸戦上がりの将官は大将どまりで事務方や政治家に回り、実務の頂点たる宇宙艦隊司令長官と統合作戦本部長は艦隊派の牙城と化している。
 同時に、大量の人間を抱える陸戦上がりの将官が有力政治家になる事が多く、国防族議員の多数派を占める現状は、権力闘争という人の持つ業のある意味妥協点なのかもしれない。

「ままならないですなぁ。
 フェザーンあたりは、ここの資源に目をつけているとか。
 帝国が放棄した資源採掘プラントを再建して売り出したいとかなんとか」

 パトリチェフ副長の言葉は今回の出兵理由の大まかな当たりをついていた。
 フェザーン新自治領主となったアドリアン・ルビンスキー氏がここの天然資源に興味を示し、その開発を同盟政府に提案していたからである。
 惑星カプチェランカの資源はこの星でしか採れない訳ではない。
 とはいえ、この資源を使ってアスターテやエル・ファシル等の星系経済に寄与すると言われると、その星系選出の議員が黙ってはいない。
 ルビンスキー氏の狙いは明確で、カプチェランカまで同盟の戦線を押し出す事で同盟の取っている出血戦略を放棄させる事なのだろう。
 それは同盟政府も分かっていて、色々都合がいい帰化同盟人のアレクセイ・ワレンコフ氏所有の企業にこの採掘権を与える事でフェザーンに対するあてつけを行っていたり。
 そして、実際に採掘されないカプチェランカの資源に期待する星系政府には補助金の増額で話をつけていた。
 という訳で、同盟は出血戦略を放棄するつもりはないが、政治的な手打ちをする為にカプチェランカに出兵するという実に民主主義国家らしい理由をもって今回の作戦は決行されたのである。



「惑星カプチェランカ上空に帝国軍発見!
 規模は隊規模。
 大型艦六、中型艦七、小型艦200前後です!」

 ワープアウトから数時間後、偵察衛星が捕らえた惑星カプチェランカ上空に帝国軍の姿は、防衛にしては無様な姿だった。
 戦艦とおぼしき大型艦が我先にと転舵し、巡航艦や駆逐艦も隊列をこちらに向ける事無く、イゼルローン方面に向けるしまつ。
 准尉の報告とモニターに映し出されたその光景を眺めながら、アッテンボロー戦術長は呟かずにはいられなかった。

「もしかして、帝国軍のやつら、カプチェランカから逃げ出そうとしていないか?」

 何度か行われた惑星カプチェランカ上空の戦闘では、輸送船が逃げる時間を作る為に帝国軍護衛部隊が迎撃するという形で戦闘が発生していた。
 もしくは、ネズミ輸送中の帝国軍部隊が迎撃するというパターン。
 今回みたいに逃走前提という形は始めてだが、同時にアッテンボローの言うとおり、守る必要が無くなった=カプチェランカの放棄を決定した可能性が高い。
 
「第十偵察隊司令部より通信。
 このまま追撃戦に移行する。
 以上です」

 戦闘そのものはとりとめて書く事もないものだった。
 惑星カプチェランカから発進した帝国軍は推力が足りず、数に勝る同盟軍に追いつかれて短時間の交戦の後降伏し全滅したのである。
 その交戦も同盟軍の被害は数隻に終わり、放棄された基地およびプラントが時限装置による爆発によって確認できたので同盟軍は勝利を持って撤退したのである。
 その結果、ただ一隻の駆逐艦を見逃す事になった。
 撤退する帝国軍本隊から見捨てられた事で結果的に助かった船の名前は駆逐艦ハーメルンⅡ。
 見捨てられた将兵を集め、損傷した船体の為基地と共に放棄される予定だったこの船をドライアイスにて補修して脱出。
 脱出船団が同盟艦隊に袋叩きにあっている間、船を雪原の中に隠して同盟軍の撤退を待ち、基地とプラントの爆破によって同盟軍が降下せずに撤退する事を読みきって、同盟軍撤退後にジャミングなどを一切かけず偵察衛星も隕石と間違えたこの船は堂々と脱出し同盟の勝利に小さな染みをつける事になった。
 帝国はこの一隻の勇士を政治的に持ち上げ、負傷しながら見事に生還を果たしたアデナウアー少佐を持ち上げたが、彼の生還に寄与し昇進した二人の新米仕官の事は話題にはならかった。
 惑星カプチェランカの帝国軍撤退船団の撃破・降伏は同盟側の士気を大いに高めたが、駆逐艦ハーメルンⅡの生還を帝国側が持ち出した事による記者会見が開かれ、同盟軍広報官は、

「ドライアイスによるハイネセンの偉業を学んだのでしたら、ハイネセンが信じた民主主義も学んで欲しかったものです」

 と皮肉で記者たちを笑わせたが、その緑髪の女性達は帝国から伝えられた情報で新米仕官二人がもともと基地所属で見捨てられた金髪と赤髪である事を知らされ愕然としていた。
 政治的に落ち目の帝国に起こった久々の英雄譚。
 専制国家ならではの優遇と抜擢で偶像の英雄として祭り上げられたアデナウアー中佐(昇進)の影に、本物の英雄が居た事を彼女らの生みの親によって生まれる前から知らされていたのだ。
 逃した魚はとてつもなく大きい。

 こうして、彼女達は彼女達が生まれた理由――自由惑星同盟を滅ぼしかねない一人の英雄――に相対する。 
 

 
後書き
現実は小説よりも(以下略

ロボット兵士についての話題 http://togetter.com/li/473382 

 

食堂政談

「ですから、問題は腐敗や不正に対する監視なのです。
 少なくとも機械は腐敗や不正については無縁です」

「それこそ、考え違いもはなばなしい!
 たしかに、機械は腐敗や不正をしないだろう。
 だが、そこに関わる人間が公正であると誰がいえるのか?」

「だからこそ、機械による行政効率をあげて腐敗や不正を防止しようと言っているのです!」

「では、お尋ねしたい。
 『52番目の双子のジレンマ』はどう解消するのか?
 人間の善意による救済が現在行われているが、これは言葉を変えるとりっぱな利権になるのですぞ。
 あくまで美談であって、本質は『特定人物に行政が便宜を図った』訳で」

「それこそ詭弁です!」

 民主主義国家である自由惑星同盟は当たり前だが選挙がある。
 そして、長期間船に乗る人間の為に電子投票による不在者投票システムが整備され、投票に行った有権者は税制等である程度の優遇がもらえるようになっている。
 自分の生活が良くなれば、国政なんて忘れるのは人の常。
 最前線の辺境部に比べて首都近辺は無党派層が増えて投票に行かない者が多くなっているのだが、彼らを投票に行かせる為の餌として同盟政府は涙ぐましい努力をしていたのだった。
 民主主義国たるならば、選挙による国政参加は『権利』であって『義務』になってはならないという同盟の忘れかかっている理念がそれをさせたのだろう。
 立体TVに映し出され続けている政治屋どもの詭弁を聞きながら、ヤンは食堂であくびをした。
 彼とてこんな詭弁の放送を見たくは無いが、政治屋より下の無能どもが政権を取ったという社会実験の顛末を知っているだけに、山奥の賢者を気取らずに最低限の義務を果たそうという意識感から見続けているに過ぎない。
 ちなみに、今回の同盟評議会選挙最大の争点は行政改革で、その具体政策はアンドロイドやドロイド等の機械による行政効率化の推進だったりする。
 政治屋どもが口にしていた『52番目の双子のジレンマ』は、アンドロイドやドロイドを生み出した人形師が提唱した思考実験なのだが、商業国家で経済効率で物事を考えるフェザーンでは似たようなケースが頻発して社会問題として取り上げられていた。
 民主主義というのは、究極的な所『51人によって49人が泣きを見る』システムであり、どうやってその51人に入るかというのがその共同体における課題となる。
 だが、共同体の構成比を見ると、民主主義国家の場合その中央部である40-60人あたりはほとんど差異が無い為、9人は同じ11人の為に泣きを見る羽目になる。
 で、人間による行政の場合、義理人情や恩や社会の意思などのしがらみによって60人を助け、40人に泣きをみてもらうが同時に本来の51人にも9人を助けるために少しずつ負担をしてもらおうという形になる。
 ここに腐敗や不正の温床があり、えてして1人の為に99人が泣きをみたりなんて分かりやすい不正なんて中々出てこずに、社会から広く薄くしぼりった利権をこっそりと吸いすぎてばれるケースが後を絶たない。
 これを避ける為に機械で効率よく51人を選んでしまえばいいのだが、51番目と52番目が双子だった場合、何の比もないのに片方が助からない事になる。
 実を言うと銀河帝国の開祖ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの風潮を色濃く残しているのは、商業国家ゆえに激烈な競争社会であるフェザーンであるという笑えないオチに史学専攻生だったヤンは乾いた笑いしか出てこなかった覚えがある。

「退屈そうに見ていますね。艦長」

 コップがテーブルに置かれる音と共に紅茶の香ばしい香りがヤンの鼻をくすぐる。
 このあたりの気配の消し方といい、タイミングの計り方といい、出される紅茶の味といい、チャン・タオ上等兵は従兵を極めていた。
 今の航海である点検整備の為のバラート星系行きの後兵長に昇進して退役する事が決まっており、退役後はハイネセンポリスで喫茶店をする事にしているらしい。
 なお、准尉が必死にチャン・タオ上等兵の味を極めようとして極めきれず、お姉さまに泣きついて彼の店に一人アンドロイドを派遣する事になり、そのデータによってアパチャー・サイエンス・テクノロジー社製造アンドロイド『リトルメイド』シリーズの上位派生バージョン『瀟洒』が出る事になるのだが、専制貴族国家である銀河帝国に馬鹿受けしてフェザーン経由で販売されるという笑い話のオチとなる。
 閑話休題。

「実際退屈だよ。
 とはいえ、見ておかないとどんな馬鹿が出るか分からないからね」

 友愛党政権時代、彼らが国内政策において不正腐敗の一掃と行政効率化の推進を掲げて国防予算の仕分けを行い、その仕分け対象に『人を殺す技術のみ教えればいい』という放言の元、士官学校の史学研究科の廃止を提案したのを知っていたら、いやでも政治を見なければいけないとヤンも悟らざるを得ない。
 これらの仕分けは国防族議員と同盟政府官僚の必死の抵抗と、理念しかない友愛党議員の無能と、これらをはじめとした国政混乱による弱体化を喜んだ銀河帝国の侵攻によって完膚なきまでに粉砕される事になるがそれは別の話。
 ヤンは紅茶を味わいながら、気分転換にチャン・タオ上等兵にとりとめのない話を振って見る事にした。

「そういえば、何で我等のご先祖様は銀河連邦を名乗らなかったんだろうね。
 宇宙暦まで復活させたのに」

「私はそんな難しい事はわかりませんな」

 そういうと思ったと続けようとしたヤンの声をさえぎったのは、女性の声だった。

「おもしろそうな話をしていますね。艦長。
 ここ、よろしいですか?」

 アルテナ航海長が今後の航路予定表を持ってヤンの正面の席に座る。
 軍は、軍閥を恐れて特に士官は長くても数年単位で人事異動に晒される。
 それはヤン達も同じで、ヤンはこの航海の後統合作戦本部へ移動となり、アッテンボロー戦術長とアルテナ航海長は大尉昇進の後ヤンと同じく自由惑星同盟防衛大学校において戦略研究科にて勉強し、卒業後に少佐に昇進する事になるだろう。
 パトリチェフ副長は少佐に昇進してこの船の艦長となり、オペレータである准尉と共にこの船に残る事になる。
 出会いがあるなら別れもあるのだが、戦争をしている軍隊において別れがそのまま永久の別れになる事も多々ある。
 事実、ヤンと同期の士官学校卒業生の内既に5%が戦死や行方不明になって永久の別れを済ませていた。

「構わないよ。
 少し早いけど、私の下でよく尽くしてくれた。
 上層部はきっと君に期待しているんだよ」

「艦長みたいにですか?
 それよりも、よろしければ、先ほどの話を続きをお聞かせ願えないでしょうか」

 すっとチャン・タオ上等兵が差し出した紅茶を嗜みながらアルテナ航海長が話の続きを促す。
 なお、ヤンが見たアルテナ航海長の経歴データだと家庭の事情(父親の希望)で士官学校は戦略研究科と書いてあったので、彼女は本来別の学科に行きたかったのかもと思いながらとりとめのない話の続きを口にした。 

「そうだね。
 どうして自由惑星同盟と名乗ったのかって事さ。
 新銀河連邦と名乗っても良かったのにね」 

 名は体を現す。
 自由惑星同盟という国家は、「自由」な「惑星」の「同盟」という意味で、国家形態から言うと、連邦国家に当たる。
 その為、同盟政府と同時に星系政府の自治権がかなり強くなっている。
 まぁ、恒星間国家なんて広大な距離がある以上、中央集権国家なんて作れる訳も無く。
 その点においては貴族を置いて領主とする銀河帝国とさして変わってはいない。

「銀河連邦と名乗らずにですか。
 考えた事もありませんでした」

 このあたりの理屈を考えて探るのが史学の面白さなんだよなぁなんて思いながら、ヤンは自分が昔調べた事を楽しそうに口にする。
 やはり、艦長やるよりもこうやって誰かの為に無駄な学問を教えるのも悪くは無いなと思いつつ。

「自由惑星同盟はその設立当初の人口数から実質的な都市国家でしかなかったのさ。
 何しろ設立時人口十六万人しか居なかったんだからね。
 それが、まがりなりにも恒星間国家としての体を整えるようになったのは、銀河帝国との接触と今まで続く交戦からだ。
 その為、同盟政府は最初は調停機関として始まったんだよ。
 建国市民と後から来た市民の間を取り持つ形でね」

 そこから複数星系を支配する恒星間国家に自由惑星同盟はなってゆくのだが、その時にはじめて同盟政府は連邦政府の側面を持ってゆくようになり、同時に第二のルドルフを出さないように権力の分散も図られる事になる。
 それを主導したのが730年マフィアで、ウォリス・ウォーリック、人形師の二代に渡って統治機構の弄り直しに奔走する事になった。
 当時の同盟の問題点はハイネセンを中心としたバーラト星系一極集中と、名ばかりの星系政府に議会より行政が強いなど問題が山積していた。
 そして、730年マフィアは長い権力闘争と軍事的名声と平和の配当に自らの政治権力を消費する事で、やっと同盟憲章の改正に踏み切る。
 彼らは与えられた政治資産を保身と権力強化に使わず、かつての銀河連邦が陥った独裁という劇薬を飲まない事によって歴史に名を残す事になる。
 もっとも、こんな言葉が残っていたら、その評価も変わっていたのかもしれないが。

「使い捨ての操り人形である事を分かっていて、誰が人形として踊るんだ?
 もちろん、権力は魅力だが、あいにく俺はアッシュビーを超えられなかったのに、ルドルフになれる訳無いだろう?」

「酒も金も女も堪能できるのに、永久に統治するなんて責任負わされてたまるか!
 少なくとも、俺の政治によって同盟が滅んだなんて歴史は見たくない」

 なお、この二人の発言は当時の国防委員長のファン・チューリンが親しい者に語ったとされるが、その真偽は不明となっている。
 話がそれたが二代に渡る評議長の椅子を生贄に捧げた同盟憲章改正によって、権力の分散が飛躍的に強化された。
 軍事予算を削減して目指していた十二個艦隊制を放棄して十個艦隊に留め、その二個艦隊の予算で星系政府に警備艦隊を設置。
 さらに補助金と権限移行で地方分権に舵を切る事で、民主共和制から連法制への移行によって民主主義の芽を各星系に受えつけた。
 なお、星系政府に警備艦隊をつけた上で同盟離脱の権利も与えた事が道化師失脚の一因となるのだが、原作の無防備都市宣言なんて彼からすれば国家の無策にしか見えなかったので強引に押し通し失脚したという裏話もある。
 で、彼の後に出てきたのが友愛党政権なのだから、一時彼は本気で民主主義に固執した事を後悔したとかしなかったとか。
 こうして、各星系政府の力が付いてきた上で、各星系政府間の調停を目的とする評議会を選出し、星系政府から一人ずつ評議員を選出し、そこの投票によって行政府の長である同盟評議長が選出される形に切り替えたのだ。
 これが上院となり下院となる同盟議会は星系の人口比によって議員定数と配分が決められ、立法および予算編成に優越が与えられている。
 評議長は連邦政府行政機関を率いて省庁となる各種委員会を運営するのだが、この委員達の3/5が同盟議会議員によって選ばれ、残りは官僚によって占められる。
 そして評議長は憲法である同盟憲章の番人である同盟最高裁判事を指名するのだが、この最高裁判事の可否は上院たる評議会の承認によって決められる。
 また、同盟にとっての最重要課題である同盟外交安全保障は、評議長が議長を務め議長を除く定数の四人全員が評議員によって構成され、同盟議会によって承認される同盟外交安全保障会議によって決められ、全会一致を原則としていた。
 なお、国防委員は行政機関である国防委員会に所属しており、同盟外交安全保障会議とは別物である事に留意してほしい。

「たしか人形師の退任の台詞でしたか。
 『私は議員諸君に石もて追われる事になるが、一つだけ議員諸君に誇ってこの席を去りたいと思う。
 私を含め、730年マフィアは誰一人ルドルフにはならなかった』でしたっけ。
 あの演説によって道化師の評価が確定し、友愛党の失政によって、その再評価も始まっているとかなんとか」

 ヤンの長い説明をまとめたのは空気を呼んだチャン・タオ上等兵だった。
 事実、この国家組織による権力分散によって、道化師はルドルフにならなかったし、友愛党の失政においても政府組織が機能していたのはこの分散された権力によってなのは間違いが無い。
 そこまで黙って聞いていたアルテナ航海長が、ぽつりと自分の考えを口にした。

「もしかして、ルドルフを生み出した銀河連邦の名前を嫌ったから?」

 ヤンはアルテナの答えに笑顔を見せながら、カップに残っていた紅茶を全部飲み干した。

「そこは誰もわからないさ。
 ただ、そんな可能性も否定できない。
 そして、そんな可能性を口に出しても誰も罰する事ができないこの自由惑星同盟を、私はそれなりに気に入っているんだよ」

 その顔が不機嫌になったのは、同盟議会議員から評議員選挙に立候補したヨブ・トリューニヒト氏が映ったからだろう。
 それに気づいて、アルテナが苦笑しながら立体TVのヨブ・トリューニヒト氏を指差した。

「彼、国防族のプリンスとして、730年マフィア以来の国防族議員の評議長の椅子を狙っているそうですよ。
 この選挙に勝利したら、どこかの委員長だそうで」

 ヨブ・トリューニヒト氏は長身で姿勢の良い美男子で、服装や動作は洗練され、行動力と弁舌に優れ、国立中央自治大学を主席卒業した秀才。
 その在学中に、予備役将校訓練課程を受け卒業後軍務につき、ここでも優れた成績を収める。
 自由惑星同盟防衛大学校へ誘われたが、大尉にて退役。
 人形師の政策秘書として政治に参加し、国防族若手として同盟議会選挙に出馬、国防族票を手堅くまとめて当選し国防委員として活躍。現在に至る。

「帝国やフェザーンとの間も怪しくなっているし、人々は英雄を求めているのかもしれませんね」

 アルテナの言葉に、チャン・タオは曖昧に頷いたが、ヤンはそれに頷く事はしなかった。
 立体TVに映るヨブ・トリューニヒト氏の後ろに移る緑髪の政策秘書の姿を見つけたからに他ならない。
 人形師の政策秘書だった彼が彼の愛娘である人形達の支援を受けるのは別に問題は無いだろう。
 では、英雄に祭り上げられる彼が目指す未来とは何だ?
 友愛党政権時代から続いた帝国の侵攻は先の惑星カプチェランカ放棄によってほぼ失敗に終わっているが、きな臭くなっているのは自治領主が変わって路線変更を企んでいるフェザーンの方だとヤンは思っていた。
 その考えは、バラート星系に到着して確信する事になる。
 選挙で埋め尽くされたメディアに飛び込んだのはヘルクスハイマー伯の亡命騒動で、フェザーン回廊側で海賊と交戦し撃退した護衛の艦隊母艦コンロンを指揮していた女性はヨブ・トリューニヒト氏の政策秘書をしていた女性と同じ顔と緑の髪を靡かせていた。
 
 

 
後書き
原作を読み直して、思った以上に同盟の政治形態の記述が少なくてびっくり。 

 

長い会議と短い戦闘

 統合作戦本部に勤務するヤン・ウェンリー中佐の一日は、眠気覚ましの一杯の紅茶によって始まる。
 慌しく近くのコンビニで買ったサンドイッチを食べ、軍服を着て無人タクシーにて出勤。
 独り身なのに金を使う余裕も暇も無い彼にとって、もう少し早起きすればと思う事もあるが、趣味的な膨大な資料に目を通していたら寝る時間を忘れたのだから仕方ない。
 無人タクシーの立体TVでニュースをチェック。
 数ヶ月前に亡命したヘルクスハイマー伯の亡命騒動にて、帝国内で深刻な打撃を受けているという専門家のインタビューにヤンは苦笑する。
 それを統合作戦本部にて結論づけたのがヤンだったからだ。
 街を見ると、インフラ工事の為の工事作業や、その工事の為に交通整理を行う警備車両の姿が目立つ。
 20年にもわたる休戦状態が生み出した平和の配当であると同時に、友愛党政権による和平推進の無策ぶりがなかったらもっとこの平和が続いたのにと思わずにはいられなかった。

「おはようございます」
「おはよう。ヤン。
 相変わらずの資料読みか?」
「歴史や戦史の資料を自由に閲覧できるのですから、天職だと思っていますよ。先輩」

 ヤンの今の上司であるキャゼルヌ大佐の副官として、シンクレア・セレブレッゼ大将の後方勤務本部に勤めていた。
 で、何をしているのかと言えば国防委員会向けの資料作成役であり、統合作戦本部内の会議において後方勤務本部の立場を代表して参加したりもするというまあ雑用係であった。
 とはいえ、上司が有能すぎてその割り振られた仕事をこなすだけで大体片付いてしまうので、あまった時間は統合作戦本部付を利用して戦史などの資料収集を堪能しているのだが。

「で、だ。
 昨日送られてきた資料だが、修正点があるんで修正しておいてくれ。
 まだまだ、削れる余地があるという事だ」

「相変わらず厳しいですね。先輩
 これ以上削ると、作戦課から文句が出かねませんよ」

 何の話かというと、ヘルクスハイマー伯の亡命騒動から始まる帝国内の政治的打撃を糊塗する為に帝国が大規模軍事行動を起こす可能性が高いため、その迎撃作戦に伴う物資の算出と供給をまとめたものだった。
 軍事は何も生まない消費行為とは使い古された言葉ではあるが、それゆえに経済行為からすると毒にも薬にもなるあたり人間の業というのは深い。
 未開発の辺境領土を売り払う形で財政健全化に成功したとはいえ、自由惑星同盟政府における軍事予算は巨額なものにのぼる。
 それによる各委員会との予算の暗闘は常に存在しているのだった。  

「何か問題があるのか?ヤン」

 キャゼルヌの言葉にヤンは資料の修正点を出して、その受注企業の名前を指摘した。
 物資輸送における入札に勝ったのはフェザーンに本社を置く民間軍事会社だった。

「フェザーン方面が少しきな臭いんですよ。
 漁夫の利を狙う彼らからすれば、これ以上の帝国の消耗は避けたい所。
 帝国の出兵が不回避ならば、こちらを負けさせるしか手は無いんですよ。
 で、私が自治領主ならば、この物資輸送を邪魔して十二分に戦わせないようにしますね」

「なるほど。
 それで、お前の案には艦隊随伴で輸送船をつけていた訳か」

 ヤンの案には艦隊に輸送船を随伴させており、最悪物資が届かない時の為に最寄の基地から供給できる体制を用意していた。
 一方、フェザーンの民間軍事会社が物資輸送を保障する形で受注していた事も合ってキャゼルヌはこれを削れと言ってきたのである。
 ヤンの説明に理解を示しながら、キャゼルヌはヤンに質問する。

「それを何か説明できるものはあるか?
 あるならば、俺も上に説明ができるんだが」

 キャゼルヌの言葉にヤンはヘルクスハイマー伯の亡命時における海賊の交戦記録を提示する。

「艦隊母艦の護衛が間に合ったから良かったものの、この海賊の規模と交戦数は異常ですよ。
 おそらく、情報をフェザーンが漏らしていたか、帝国艦船を海賊として黙認していたか。
 ちなみに、こちらがこの航路における過去数年間の海賊の記録です」

 過去数年の記録では年間数回かつ単艦での海賊行為が主体だったのに、ヘルクスハイマー伯の亡命時の海賊は巡航戦艦を含む百隻近くの船が集まっていた。
 艦隊母艦とそこから出撃した護衛巡航艦、護衛駆逐艦がなければヘルクスハイマー伯は星海の藻屑になっていた可能性が高く、外務委員会でも問題視されて在フェザーン高等弁務官がフェザーン政府に正式に抗議していた。
 
「ここからは馬鹿げた話になりますが、今の自治領主であるルビンスキー氏が提唱していた『フェザーン一星に帰れ』というやつを本気で考えた場合、我々が売り払った旧同盟辺境が問題になってきます。
 帝国がここを領有できる訳も無く、同盟にしか帰属できませんからね。
 そうなると国力比のバランスが同盟に著しく傾いてしまう。
 だからこそ、フェザーンはしばらく同盟の足を引っ張るのではないかと」

 なお、ルビンスキー自治領主は自治領主就任後からフェザーン回帰については一言も触れていない。
 それを領主就任前までの政治的プロパガンダとして帝国・同盟両政府とも認識していたが、ヤンはなんとなくその点が引っかかったのだ。
 彼の任務に絡んだアレクセイ・ワレンコフ氏の存在もあったのかも知れないが。
 キャゼルヌはヤンの言葉を無視しなかった。

「艦隊随伴の輸送船についてはお前の案で行こう。
 だが、お前の話が本当ならば、作戦レベルでもフェザーンが何かしてくる可能性が高いという訳だろう。
 次の作戦会議の時にその点をよそと話をしておいてくれ」

「え?
 私ですか?」

 意外そうな顔をしたヤンにキャゼルヌは人の悪そうな笑みを浮かべた。
 この笑みが浮かんだ時、ヤンが抗弁できないのは士官学校時代から知っていたのである。

「世の中には、言いだしっぺの法則というのがあってだな……」





 統合作戦本部地下の会議室に集まったのは、国防委員会から国防委員数人と統合作戦本部から作戦課と情報課の数人、そして後方勤務本部から出席していたヤン。
 この会議はあくまで事前協議だからこそ、本音の暴露大会と予算獲得の醜い暗闘の場になるのはある種必然といえよう。

「ヘルクスハイマー伯の亡命によって、ブラウンシュヴァイク公爵の娘エリザベートの遺伝病とその遺伝子治療のデータが入手でき、同盟はこれを公表しました。
 その結果、ブラウンシュヴァイク公爵だけでなく、エリザベートとは母親が姉妹であるリッテンハイム侯爵も巻き込んで大規模な政治的スキャンダルに発展しているのを確認しております。
 現在、帝国は『叛徒どもの虚偽情報だ』という公式発表を行いましたが、帝国の皇太子はいるのですが、その座を奪おうと有力者であったブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の醜聞によって水面下で激しい暗闘が勃発している模様です。
 で、この醜聞を糊塗するために帝国は大規模出兵を企む可能性があり、今回の会議はこの帝国の大規模出兵に対する迎撃計画を策定する目的の為に集まっています。
 情報部では、貴族の私兵も参加する形で最大兵力は三個艦隊の45000を想定しております」

 会議冒頭に状況説明をした情報化から出席した緑髪の大佐の発言をきっかけに活発な議論が進められる。
 彼女の発言に食いついたのが、作戦課から出席した期待の俊英アンドリュー・フォーク中佐だった。

「情報局にお聞きしたい。
 近年の帝国の出兵規模は減少しており、その想定艦艇は二個艦隊30000隻になっていたはず。
 それを改める理由をお聞かせ願いたい」

 フォーク中佐の発言に緑髪の大佐が即座にデータをモニターに映す。
 そこに映されていたのは、帝国軍が保有する艦隊母艦の姿だった。

「超ジャガーノート級艦隊母艦フライア型。
 我々のアルテミス型艦隊母艦に対抗する為に作られた全長10000メートルを超える船ですが、現在、帝国軍総旗艦フライアの存在が確認されています。
 これに、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯が資財を投じて御座船としてそれぞれウルズ、ヴェルザンディを建造しました。
 ノルニル型の区別はしていますが、設計はフライア型の流用で門閥貴族の権勢ここに極まれりですね。
 これが出てくる可能性があります」

 帝国の財政危機は近年聞こえていたが、それは大貴族の衰退を意味するものではない。
 むしろ、帝国の中央統制が緩んだ結果、大貴族の権力が伸張する結果になっていた。
 ましてや、今回のスキャンダルが出るまでブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の二人は次期皇帝をめぐって争っていた仲である。
 敵の失墜は喜んでも自らも失墜する羽目に陥った叛徒を許す気は毛頭ないだろう。

「このノルニル型をはじめ、帝国軍主力艦隊母艦であるアウドムラ型が出てくるとかなりの後方整備拠点となる事が想定されます。
 その為、今回の迎撃計画において最大戦力を三個艦隊の45000に想定しました」

 このあたりまでの流れは、会議参加者、特に国防委員に対して行われていると言っても過言ではない。
 文民統制は大事だが、軍事すら専門化してゆく昨今、素人で軍を扱える訳も無く。
 友愛党政権時代に出席した国防委員の、

「私に腹案がある」
「私は軍事には詳しいんだ」

の妄言の数々に翻弄された制服組からすれば、この会議は彼ら国防委員の勉強会にもなっていたりする。
 民主主義を運営するにはこのように見えないコストもかなり払わなければならないという訳だ。

「作戦部より、今回の迎撃作戦を説明します。
 情報部よりの想定によって作戦部では、三個艦隊の45000を想定して作戦計画を立てることにしました。
 イゼルローン方面軍に個々の戦術レベルは任せるとして、有事想定に伴いバーラト方面軍より二個艦隊、フェザーン方面軍より一個艦隊の計三個艦隊の増援を派遣する事を決定しており、既にバーラト方面軍の二個艦隊は訓練目的でイゼルローン方面に出撃。
 敵の出現に伴いイゼルローン方面軍に編入される事になっております」

 初動で50000隻を用意しているあたり、作戦部もフライア型が出てくる事を警戒しているらしい。
 全てが軍艦によって作られている帝国軍にとって、艦隊母艦の存在は後方にて指揮通信だけでなく整備・補給拠点としてのウェイトが大きい。
 それゆえ、馬鹿でかい艦隊母艦=移動拠点として同盟では警戒しているのだった。
 フォーク中佐の発言が続く。

「近年の帝国軍軍事作戦の失敗は、惑星カプチェランカの放棄をはじめ顕在化しており、それを糊塗する為にも帝国軍は大規模侵攻をせざるを得ないと考えております。
 その為、想定戦闘地域はアルレスハイム星域からヴァンフリート星域を想定しております」

「えらく広大だな」

 国防委員の一人が口を挟むとフォーク中佐は不機嫌な顔を隠そうとせずに説明を続けた。

「作戦部からは以上です。
 これらの移動、補給等の後方活動においては、後方勤務本部のヤン中佐に説明願いたいと思います」

 フォーク中佐は不機嫌な顔を隠そうとせずにヤンまで睨む。
 730年マフィアのお気に入りとして順調に出世街道を歩んでいるように見えるのだろう。きっと。
 ヤン自身これっぽっちもそれをうれしく思っていないのだが。

「後方勤務本部より、今回の作戦における移動、補給等の後方活動において……」



 会議終了後、散会するフォーク中佐をヤンは呼びとめる。
 呼ばれるとは思っていなかったのか、フォークの顔は以外な面持ちを映していたが、呼んだのがヤンとわかってもとの不機嫌な顔に戻る。

「何の用かな?
 ヤン中佐」

「フォーク中佐。
 作戦部にお尋ねしたいのですが、フェザーン方面軍の海賊の活動について作戦課では何か話が出ていませんか?」

「知らないな。
 所用があるので失礼させてもらう」

 取り付くしまもなく、フォーク中佐は会議室を出て行き、ヤンは頭を掻いて苦笑するしかできない。
 そんなヤンに声をかけたのは、情報部の大佐だった。

「見事に嫌われましたね。ヤン中佐。
 心当たりは?」

「あるにはあるのですが、こればかりはどうにも。
 ところで大佐にもお話があるのですが、よろしいですか?」

「話せる事でしたら」

 ヤンはフォーク中佐に話し損ねたフェザーン方面軍の海賊の活動について大佐に話す。
 大佐は少し考え込んで、ヤンに対して口を開いた。

「ヘルクスハイマー伯の亡命時の護衛は私の姉が出ていたのだけど、あの数の海賊は異常だとは言っていたわね。
 こっちが、この航路における過去数年間の海賊の記録ね。
 情報部のデータとも照合させてもらうわ。
 フェザーンの動きが怪しいか。
 漁夫の利を狙うならば、確かに同盟に痛い目にあってもらわないとまずいでしょうね」

 情報部はどうもフェザーンに対しての警戒意識を持っているらしい。
 それに安心したヤンは後方勤務本部が警戒して自前の輸送船をつけた事を説明して注意を促したのだった。




 宇宙暦794年/帝国暦485年に行われたアルレスハイム星域の会戦は、帝国軍約40000に対して同盟軍53000がぶつかる近年まれに見る大会戦となったが、帝国軍の指揮の混乱から10000隻近くを撃破する大勝利となる。
 だが、個々の戦闘、特に単艦や隊レベルの戦闘においては同盟軍が劣勢に陥る戦闘も多く5000隻近い損害を出しており、帝国軍の艦長および隊司令クラスが第2次ティアマト会戦から始まった実力主義でのし上がった連中になった事を印象付ける戦いでもあった。
 この会戦において参加したリッテンハイム侯は後方から指揮を混乱させ、大敗の責任を取らされて失脚したが、ブラウンシュヴァイク公爵とて万全ではなく宮廷内の暗闘は更に白熱してゆく事になる。
 また、ヤンが懸念したフェザーンの嫌がらせだが、民間軍事会社がフェザーンを出港する際に書類不備のトラブルと海賊警戒の為の臨検によって時間を取られて戦場に間に合わないというトラブルを引き起こす。
 ヤンが懸念して、自前の輸送船を用意した為に大事にはならなかったが、追撃の打ち切り時に補給の心配があげられ、予定通りに民間軍事会社の輸送船団が来ていたならば、帝国軍の損害はあと5000隻は増えていただろう。
 同盟政府はフェザーン政府に対して厳重抗議をした結果、違約金の増額と同盟公共事業へのODA追加という補償を得て決着する事になった。 
 

 
後書き
感想にて指摘された部分を確認して削除と少し修正。 

 

姉達へ妹達へ

「敵艦発見!
 方位座標および距離をモニターに出します!
 偵察衛星破壊されました!
 敵偵察衛星発見!」

「戦術長!
 破壊を許可する!」

「了解。
 破壊します」

 偵察衛星破壊の報告をした後で皆がモニターに食い入るように眺める。
 モニターに映ったのは単艦でおさらくはピケット艦。
 その先に敵艦隊がいる。

「射程内に入ったら敵を攻撃。
 撃破した後に退避。
 情報は送ったか?准尉」

「既に。
 進路変更。
 敵射程距離まで、残り30秒!
 ミサイル反応多数!
 モニター出します!!」

「戦術長!
 武器使用自由!!」

「了解!
 応戦開始!」

 モニターに突如現れたミサイルは、艦を包むような形でこちらに向かっている。
 迎撃ミサイルが発射されるが、全部落とせそうも無い。

「ミサイル迎撃失敗!
 三割が本艦に向かってきます!!
 敵艦接近!
 射程距離に入りました!!」

 そうか。先にミサイルを慣性射出して、小惑星みたいに偽装し偵察衛星破壊がトリガーか。
 こちらはミサイルの応対にリソースを割いているから撃ち合ったら、先に負けるわね。

「敵艦に対し攻撃開始!」

「敵艦発砲しました!!
 本艦に直撃します!!!」

 
-------------------


「先行偵察に出た駆逐艦が消息を絶ったのはこのあたりか?
 大尉?」

「はい。艦長。
 敵部隊発見。
 規模は隊規模で中型艦1、小型艦15。
 更に増えています!」

「先行偵察隊という所か。
 どうしますか?隊司令」

「どうせここで逃げても戦わないといけないのだろう?
 ならば、戦うさ」

「敵艦からジャミング始まりました。
 カウンターをしかけます」

「許可する。大尉。
 全艦武器使用自由。
 射程に入り次第攻撃開始」

「了解。
 全艦に伝えます」

「艦長。主砲、エネルギー充填完了!
 いつでも撃てます!」

「戦術長。
 目標、敵中型艦!」

「撃て!!!」

「敵艦発砲!
 目標は本艦です!
 味方駆逐艦も攻撃開始しました!」

「一、二発ではこの船は沈まんよ。
 大尉。
 落ち着きたまえ」

 私、アンドロイドなので、いつものとおりですが。隊司令。
 というか、手が震えています。艦長。

「フレッチャーF853轟沈!
 ランヂョウD647戦列を離れます!
 コスモスI581より『我、操舵不能』!
 敵小型艦一隻撃沈!
 小型艦三隻戦列離脱!」

「敵さん、えらく動きが良いじゃないか」

 机に手を置くことで艦長は手の震えを抑えたらしい。
 司令もモニターから目を離さずに答える。

「艦単体の性能ではこっちが少し勝っているはずなんだがな」

 帝国艦船は領地反乱に備えて大気圏降下能力を備えている。
 その為、その降下能力分攻撃か防御か起動かに割りを食うのは周知の事実だ。
 で、それにも関わらず、対等に戦っているという事は……

「いい艦長か、いい指揮官がいるって事でしょうな」

「とはいえ、私も負けて入られないな」

 艦長と隊司令が同時に笑う。
 こんな時に笑う事ができる人になれたら……

「敵艦、本艦に攻撃を集中!
 シールド持ちません!!」



------------------- 

 
「偵察隊が思った以上に叩かれているな。情報参謀」

「はい。戦隊司令。
 敵はこちらの索敵を邪魔する事で情報を与えないようにしていると思われます」

 先行させた偵察隊の苦戦が大モニターに映される。
 他の偵察隊も苦戦しているという報告が来ているから、戦略レベルでこの妨害は行われていると考えていいだろう。

「情報参謀。
 その意図をどう考える?」

 私は別モニターに彼我の兵力差とその予想配置図を出して、現在偵察隊が苦戦している宙域と照らし合わせる。
 想定兵力はこちらの方が多いのは敵も理解しているはず。
 ならば……

「主力を温存して一撃にて勝利かと」

 戦隊司令はふむと小さく呟いて、作戦参謀にその対策をたずねる。
 とりあえず合格したらしい。

「では、作戦参謀。
 その意図を実現する場合、敵はどういった動きを取る?」

「散らばらせて、本陣を突く。
 これしかありません。
 とはいえ、情報が無いと受身に回らざるを得ませんから、対処として、偵察隊を増強した上で再編して再度偵察に出すしかないでしょう。
 彼我の兵力差なら、まだ本陣直撃を敵が意図しても互角に戦えます」

 その言葉をあざ笑うように、戦艦のオペレーターをしている妹の一人の報告が艦橋に飛び込んできた。

「第八十七偵察隊から通信!
 敵軍発見!
 規模は艦隊規模で本陣に向かっています!!!」


-------------------


「参謀長。
 やつらは馬鹿か?」

「即答しかねます。
 何しろ大貴族様の命令かもしれませんので」

 情報から突出した敵艦隊がカイザーリング中将の艦隊である事が分かっていたけど、アレクサンドル・ビュコック分艦隊司令の言葉に私は苦笑するしかない。
 私自身はリッテンハイム侯に対する餌として艦隊母艦コンロンと共にここにいる。
 この会戦に合わせて各星系警備艦隊にて編成されたビュコック分艦隊の旗艦に指定されたと同時に参謀長に指名されたという経緯がある。
 で、私たちの目の前に、不用意に突出してきたカイザーリング艦隊がその攻撃の牙を向けようとした時、同盟艦隊からの集中砲火を食らう羽目になった。

「シールド艦展開。
 確実にやつらはこの船を襲ってくるわよ!」

 艦隊母艦コンロンを守る盾として十重二十重にシールド艦が張られる。
 その外に取り巻くのは護衛巡航艦と護衛駆逐艦。
 私を釣りの餌にした事から分かるように、鉄床戦術で私たちの分艦隊が金床の中心となる。
 こちらの被害は少なく、モニターには儚く輝く無音の蛍火が広がっていた。

「大貴族様だな。
 こんな命令を受けなくてほっとする」

 集中砲火を浴びるカイザーリング艦隊を助けるために、ヴァルテンベルク大将の艦隊とリッテンハイム侯の私兵艦隊も姿を現さずにはいられなかった。
 とはいえ、カイザーリング艦隊は壊乱状態で、リッテンハイム艦隊がビュコック分艦隊に向かおうとして、ヴァルテンベルク艦隊の射線をまたぐなんて信じられない醜態を見せ付けていた。

「こんな言葉があったそうです。
 『猟師の前に鴨が野菜持ってあわられた』と」

「撃てばシチューのできあがりだな。それは。
 鴨は鍋は持ってきてくれないのか?」

「各艦隊のがんばり次第では?」

 そして、単艦、隊での帝国軍の優位を無にする艦隊戦闘が始まった。
 なお、終わるまで三十分もかからなかった。
 カイザーリング艦隊の壊乱がひどすぎて迂回しなければならなかったのと、物資・燃料の補給が遅れた事、そして、帝国軍敗走時の隊レベルでの奮戦が無かったら帝国軍の損害は今の倍はあっただろうに。



------------------- 

「同期終了しました。
 お姉さま。
 ご感想は?」

「いいものじゃないですね。
 いつもの事ですが、ここまでしないと勝てないんですね。あれには」

 アルレスハイム星域の会戦に参加した姉達・妹達のデータを同期した私は深く深くため息をつく。
 この戦いで、アンドロイドだけでも一万、ドロイドまで入れたら十四万のもドロイドが帰ってこなかった。
 そして、その奮戦によって宇宙の塵となった同盟軍の人員は三十五万人で済んだ。
 深く深くため息をつく。

 三十五万人。
 代替がきくアンドロイドやドロイドが無かったらその損失は五十万人を超える。
 中規模都市に匹敵する社会構成の中核を担う人々が、たった一回の戦闘によってそれだけ消えたのだ。
 そりゃ、同盟が疲弊する訳である。
 そして、その消耗と疲弊は原作が近づくに連れて激しくなる。
 ラインハルトを頂点とする綺羅星の将星達によって。

「議会に訴えて、軍の自動化推進比率を50%にあげましょう。
 できれば、無人艦とか作りたい所だけど、ハッキングやジャミングで無力化されるのが怖いからこれが限界ね」

 艦単位、隊単位の戦闘で押されていたのは、その位置に綺羅星の将星達が居たからだ。
 実際の戦場で発生する多種多様なチャンスを彼らはものにする事ができるが、私たち機械はそれが一番苦手なのだ。
 だからこそ、どうしても有能な提督を同盟内部に作る必要があった。

「今回の戦功でビュコック提督とお姉さまの昇進は確実かと。
 ビュコック提督に艦隊が渡せてほっとしましたわ。
 これで、安心してヤン中佐をこき使えます」

 同盟末期の大消耗時代だからこそ、ヤンは空前の大出世を遂げた訳で。
 同盟国力を弄った場合、その消耗が無いので原作時点より低い階級で始まってしまうというジレンマが人形師にはあった。
 その為に用意したのが、彼女達アンドロイドだった。
 約40年かけて、大量のアンドロイドとドロイドを生贄に、ヤンが操りやすい将官を用意したたのである。
 そして、人事がらみで彼女の下につけない時の為にヤンをこき使える人を出世させる必要があり、その白羽の矢が立ったのがビュコック提督だった。
 士官学校出ではない彼を艦隊持ちの提督にする為に払われた政治工作はそれぞ彼女達だからこそできた技。
 もちろん、他の使える将校も政治工作にて出世街道に乗せていた。

「さて、どんな物語が紡がれるのやら」

 人形師は言った。
 「銀河を引っかき回せ」と。
 彼が作り出した引っかき回された銀河という舞台が彼女達の目の前にある。
 そして、彼女達の用意した舞台をぶち壊す想定外の出来事が発生する。

 帝国内乱。
 リッテンハイム戦役と名づけられたそれは、リッテンハイム候を頂点としたクロプシュトック侯・カストロプ公とブラウンシュヴァイク公・リヒテンラーデ侯の帝国貴族最後の戦いと呼ばれるようになる。
 そして、この戦いからラインハルトを頂点とする綺羅星の将星達の名前がはっきりと歴史の舞台に上がる。

  

 

傍から見る魔術師の壮大な墓穴の掘り方

 帝国内乱。
 自由惑星同盟という外敵(帝国からすれば叛徒)がいるにも関わらず、発生した大規模内乱に対して同盟内部の意見は割れた。
 その意見調整の為というか、意思決定の準備の為の情報交換の為の会合が国防委員会にて開かれたのはある意味当然の事だろう。

「情報部の調査やフェザーンからの情報を分析すると、帝国首都オーディーンにてテロ及びクーデターによる市街戦が発生。
 皇帝および皇太子ルードヴィッヒの生死は不明。
 内乱参加者の拘束が始まっているとか。
 現状でそれ以上の情報は入ってきておりません」

「反乱参加者はリッテンハイム侯を中心に、クロプシュトック侯・カストロプ公が参加。
 推定規模は艦艇50000隻、総兵力1000万人と考えられています。
 これにフェザーンからの傭兵が続々参加しており、艦艇は100000を超える可能性があります」

「ブラウンシュヴァイク公側の兵力はおよそ60000隻。
 これとは別に帝国正規軍がどう動くか未定ですが、帝国正規軍は十五個艦隊230000隻の戦力があり、帝国正規軍がどう動くかがこの内乱の帰趨を決めると言っても過言ではないでしょう」

「反乱の原因は帝国内における権力闘争です。
 その争いに負けたリッテンハイム侯が暴発したと見ています」

「いや、それだったらクロプシュトック侯とカストロプ公の参加が説明できない」

「たしか、カストロプ公は財務尚書として、宮廷内に勢力を誇っていたはずだ。
 帝国宰相のリヒテンラーデ侯と諍いがあったのではないか?」

「クロプシュトック侯は今の皇帝の皇位継承争いに敗れた家だったと聞く。
 その家がどうして、今頃出てきたんだ?」

 会議の中で緑髪の女性将官が発言を求め、立ち上がると同時にリッテンハイム侯のプロパガンダ放送を流す。

「我々は宮廷に蔓延る不義を排除し、帝国を正統な後継者の元に返す為に立ち上がった!
 正義は我々の方にある!!」

 ある種のテンプレートどおりの演説を自己陶酔の果てに滔々と語り続けるリッテンハイム侯のモニターを消して、彼女はゆっくりと口を開いた。

「ここで問題になるのは、『正統な後継者』の所です。
 ヘルクスハイマー伯の亡命騒動によって暴露されたブラウンシュヴァイク公爵の娘エリザベートの遺伝病とその遺伝子治療のデータによって、ブラウンシュヴァイク公およびリッテンハイム侯の娘の皇位継承の可能性は消えました。
 皇帝と皇太子を消した後、それに変わる正当性を持つ血統とはどのようなものでしょうか?
 リッテンハイム侯がアルレスハイム星域の会戦で敗北した結果、ブラウンシュヴァイク公はリヒテンラーデ侯と組んだと我々は推測しています。
 さて、リッテンハイム侯側はそれを超える『正当な後継者』をどうやって調達したのか?
 そして、反乱軍という危険な賭けにも関わらず、クロプシュトック侯・カストロプ公が参加するだけの『正当な後継者』とは誰か?」

 会議参加者は慌ててモニター上の帝国家系図を眺めるが、それらしい候補者を見つけられない。
 それを確認してから、彼女は続きの説明を適任者に丸投げする事にした。

「後方勤務本部のヤン・ウェンリー中佐を紹介します。
 今回の謎について一番最初に気づいた功労者であり、士官学校の戦史研究科を優秀な成績で卒業したこの手のエキスパートです」

 壮絶に持ち上げられて喜ぶヤンではない。
 たしかに、戦史研究科の成績はよかったが一般課程が赤点すれすれだったので卒業席次は上の下ぐらいである。
 会議参加者の視線の集中砲火を浴びながら、気の抜けた声でヤンが口を開いた。

「我々、後方勤務本部が最初に注目したのは、この内戦にともなうフェザーンの海賊・傭兵の移動状況でした。
 それは、同盟からの流出も含めてかなり大規模な移動を伴っており、そのほとんどがリッテンハイム侯の勢力に参加している模様です。
 はたして、こんな事がありえるのでしょうか?
 あるとしたら、それかが可能になるだけの勝ちの理由が存在する場合のみです」

 一度口を閉じて紅茶で喉を潤す。
 会議室の中はコーヒー派、紅茶派、緑茶派と色々いるが紅茶はヤンと緑髪の将官のみだった。
 なお、その紅茶も彼女はミルクティでヤンはストレート。
 人の嗜好と派閥の融和への道は遠い。

「我々は、フェザーンがこの内乱に直接関与する可能性について考えていました。
 そして、それができる唯一のケースを提示させて頂きます」

 モニターの家系図からヤンは現皇帝の所に丸をつけた。

「現皇帝のクローン、および、その血を引く対外受精によるコーディネートです」

 その手があったかと顔色が変わる一同にヤンは言葉を続ける。
 そして、その言葉を聞いた皆の顔色がどんどん悪くなる。

「帝国では、劣悪遺伝子排除法の影響で遺伝子工学技術が長い間封印されていた事もあり、この手のコーディネート技術は同盟及びフェザーンの後塵を歩いています。
 その為、この『正当な後継者』をフェザーンが用意したのではないかと推測しています」

「ちょっと待て!
 それをすると、フェザーンが間に立ってきたバランスが崩れないのか?」

「崩れても構わないのです。
 というか、大きく崩れれば崩れるほどフェザーンにとって有利になります」

 フェザーンは基本的に勢力拡大を望んでいなかった。
 要衝フェザーンを抑えるだけで巨万の富と情報を得る事ができるからだ。
 だが、730年マフィアの活躍によって勢力を著しく伸ばした同盟の足を引っ張る必要があり、人形師の政策によって衰退した帝国の穴埋めをフェザーンが行わないといけない状況に追い込まれていた。
 つまり、フェザーンには現状を維持する力ではなく、現状を変えうる力があるという事。 

「フェザーン現領主ルビンスキー氏はその領主就任前に『フェザーン一星に帰ろう』とフェザーン首都移転計画に反対する事で頭角を現しました。
 もし、その主張をまだ引っ込めていない場合、旧同盟内のフェザーン領返還が問題となります。
 ですが、この内乱でフェザーンの王冠の皇帝を即位させた場合、その国力で同盟を圧倒する事ができます。
 銀河を統一した後で、フェザーン一星に戻ればいいのです」

 誰もが言葉を失う。
 国力比は帝国:同盟:フェザーンで4:3:3。
 フェザーンが帝国にくっつけば、7:3となって同盟は戦争に負ける。
 帝国の財政が破綻状態に置かれながらも維持できていたのは、フェザーンの財政支援がある。

「帝国が崩壊して乱世になった場合、帝国市場と安全な航路を失うというのが理由でしょうが、金で縛り付けて帝国を乗っ取るという事も考えていたとしても不思議ではありませんね。
 要するに、フェザーンの帝国乗っ取りが最終局面に来たという事なんでしょう。
 で、実態はどうであれ、フェザーンは『帝国の自治領』なのをお忘れないように」

 淡々としたヤンの言葉がかえって事態の深刻さを浮き彫りにする。
 それを確認した上で、ヤンは口を開いた。

「内乱の帰趨は帝国正規軍が一枚岩で動けるかにかかっています。
 固有武力に乏しいリヒテンラーデ侯では帝国軍が一枚岩に動くのは厳しい。
 良くて中立、悪ければ一部部隊の反乱軍側への寝返りという事態もありえるでしょう。
 帝国軍を一枚岩に動かす理由を我々が用意する必要があります」

 ヤンは各人のモニターに一つの作戦案を出す。

「帝国内乱時の混乱を理由にイゼルローン回廊制圧作戦計画を後方勤務本部より提案させていただきます。
 作戦部の審査が必要になりますが、これを機会にイゼルローン回廊の帝国軍拠点を制圧してしまいましょう。
 作戦の最終目標はアムリッツァ星域への到達。
 おそらく、ここまで来れば帝国軍はいやでも一枚岩にならざるを得ません。
 そして、一枚岩になった時点で、反乱軍の勝ち目はなくなるでしょう」

「どうしてそう言い切れるのか?」

 出席者から出た質問に、ヤンは想定していた答えを口に出す。

「軍というのは基本的に何も生み出さない金食い虫です。
 という事は、自分達を食わせてくれる政府に忠誠をつくさないと餓死してしまう訳で。
 食えないと分かった時点で軍が寝返るのはありですが、我々が一番恐れるのは内戦の長期化による治安の崩壊です。
 大量の難民と海賊が発生し、帝国辺境領が同盟の保護を求めるケースすら発生するでしょう。
 そうなった時、我々が助けないといけない訳で、その負担と統治は健全化した財政を致命的なまでに悪化させます」

 辺境部の開発というのは費用回収までに時間がかかるのが難点である。
 同盟はそれをフェザーンからの借金と開発した辺境部の物納という形で支払ったが、財政崩壊状態にあった帝国ではもはや辺境部で反乱が発生しえないぐらい疲弊しきっていたのである。
 
「つまり、内乱でどっちが勝とうとも同盟には関係ないのです。
 ただ、こっちに火の粉が飛んでくるのは困るから早く消火してくれという訳で。
 とはいえ、フェザーンによる宇宙征服なんて見たくないのは私も同じでして。
 軍が一枚岩で寝返ると反乱成功の最大の功労者となってしまい、リッテンハイム侯をはじめとした貴族達の取り分が少なくなるし、それを養う事になるフェザーンとしても自分達に敵対しかねない軍を放置するとは思えません。
 軍が一枚岩になった時、反乱の帰趨を決めるという事を軍に分からせてあげるのです。
 そうすれば、取り分が多い現政府側へ当たり前のようにつくでしょうね」

 参加者がしばらくヤンの説明に呆然としている中、緑髪の将官がミルクティを飲み干した紙コップをテーブルの上においた。
 ことりと乾いた音と共に呟かれた言葉に反応したのはヤンしかいなかった。

「私達がリシュリューの立場になるなんてね。
 ワレンシュタインやグスタフ・アドルフは出てくるのかしら?」

「出るでしょうね。
 帝国軍は我々同盟と長く戦争をして、無能では生きづらいというのを第二次ティアマトから否応なく学んでいるはずです。
 事実、アルレスハイム星域の会戦では、艦単位、隊単位の戦闘で押されていたデータが提出されています。
 この連中が内乱を経て世に解き放たれるんですよ」

 完全に史学者かつ傍観者的な物言いで周囲から白眼視されているヤンに緑髪の将校は突っ込むのを我慢した。
 その英雄達と当たるの、あなたなのよという言葉を。 
 

 
後書き
皇太子ルードヴィッヒあたりについては若干齟齬があるかもしれませんが、そこはオリ設定という事で。 

 

亡命者は姫提督

 結局、ヤンが提案したイゼルローン回廊制圧作戦は採択されなかった。
 作戦部の審査が通らなかったからではなく、帝国内乱が短期間終結の方向に舵を切ったからである。
 帝都オーディンの市街戦からオーディン上空の艦隊戦に敗北した反乱軍は、体制建て直しの為に兵を引いたが建て直しの時間を与える事無く帝国軍が各個撃破に動いた。
 この帝国正規軍の予想以上の動きは反乱軍も予想外だったらしい。
 その帝国軍を率いていたのはリヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン中将。
 青年時代のフリードリヒ4世の侍従武官というより放蕩仲間だったため不相応に重用され、「居眠り子爵」や「ひなたぼっこ提督」などと呼ばれた彼がまさかの覚醒をし、彼が率いる艦隊がオーディン上空の艦隊戦において烏合の衆だった反乱軍に的確な攻撃によって撤退に追い込み、アルテナ星域にてフェザーンからの傭兵艦隊を撃破し、レンテンベルク要塞攻防戦において反乱軍から要塞を奪還するという大功をあげたのである。
 これに刺激されたかのようにブラウンシュヴァイク公の私兵軍もクロプシュトック領に進軍し、平定に手間取るが鎮圧に成功。
 カストロプ家ではブラウンシュヴァイク公の私兵軍を撃退したにも関わらず、親族の一部が離反し帝国側につく事を表明し、旗色が反乱軍不利の色合いが強まった時、帝国正規軍が本格的討伐に乗り出してきたのである。
 キフォイザー星域において、リッテンハイム侯40000隻とミュッケンベルガー元帥率いる帝国正規軍60000隻が衝突。
 帝国正規軍の完勝の報告が同盟に届いたのはヤンが回廊制圧作戦を提案した四ヵ月後の事だった。
 
「先行する駆逐艦より報告。
 前方偵察衛星に反応。
 戦隊規模の船団と予想されます」

 緑髪の大尉の報告にヤンは現実に戻り、モニター向こうの宇宙に思いを馳せる。
 反乱軍の敗北が決定的となって、同盟には空前の亡命者ラッシュが発生しているのだった。
 これを取り締まるのがヤン達の任務だった。
 元が貴族でも今は逃亡者である。
 秩序が残っているならばまだしも海賊化して同盟内で暴れまわるなんて事は結構ある事だったのだ。
 そんな訳で、イゼルローン回廊出口に出陣したビュコック大将率いる第五艦隊はその対処に追われていたのである。
 そこに新型巡航艦ラトの艦長としてヤンが出張っているのは、

「あれは後ろにおいていたら、その事を良い事になまけてしまう」

 というヤンをとても良く知っているキャゼルヌ大佐のおせっかいだったりする。
 もちろん、そんな先輩に対する嫌味を心の中で唱えてからこの任務についたのだが、ビュコック大将は兵卒から大将に上り詰めただけあって人使いがうまい。
 ヤン自身気づいて見たら真面目に仕事をしている自分に愕然として、適度に怠けようと決心するぐらい。

「第一種戦闘態勢発動!
 敵勢力は、隊で対処できるレベルではないと判断!

 反転し、集合ポイントに向かう!
 各艦に伝令。
 偵察隊司令部に緊急伝もだ」

 今のヤンは巡航艦艦長だけでなく、分隊として駆逐艦100隻を預かり、3000人程度の人命を背負っている。
 彼の間違いがそのまま人命の喪失に繋がるのだから、因果な商売だと海賊化したした帝国軍相手に喪失艦を出した時に吐いたトラウマはいまだ残っている。

「駆逐艦より続報です。
 敵部隊発見。
 規模は戦隊規模で超大型艦1、大型艦十ないし二十、中型艦百、小型艦多数。
 更に増えています!」

「こりゃ、団体さんのお着きですなぁ」

 副長のラオ少佐が軽口を叩くが、そうでもしないと圧倒的不利に怯えてしまうからに他ならない。
 戦ったら、この分隊などあっという間に宇宙の塵に変わる。

「全艦戦闘態勢を維持しつつ後退。
 副長。
 偵察衛星を用いて、通信を試みてくれ」

「通信ですか?」

 ヤンのおちついている顔にラオ少佐にも少し心の余裕が戻る。
 偵察衛星から送られている画像を眺めながら、ヤンは頭をかきながら答えた。

「この状況で帝国正規軍が攻めてくるとは思えないし、海賊化しているならばもう偵察衛星は破壊されているよ。
 で、これだけの規模を維持してこっちにやってくるという事は、大物貴族に間違いがない。
 おそらくは亡命を申請してくるはすさ」

 ヤンの予想はあたっていた。
 ほどなく、向こうからも通信が届き、亡命を申請する旨が伝えられたのである。
 亡命者の名前は、エリザベート・フォン・カストロプ。
 反乱軍の巨頭カストロプ公爵のご令嬢で、帝国軍ただ二人の女性軍人の一人でもあった。



 エリザベートの乗艦であるイズンは艦隊母艦であったが、動く宮殿という規模を通り越して動く領地と言ってもいいしろものだった。
 艦隊母艦は、その大きさと整備補給能力の高さから必然的に都市機能が付属するが、権勢を誇った帝国貴族が贅を尽くした艦隊母艦ともなると、ダンスホールや談話室など貴族の家と見まごうばかりの施設があるだけでなく、彼女が食する食料生産プラントにワイン園まであるというのだから交渉の為に乗り込んだヤンは苦笑するしかない。
 周囲に同盟艦船がまだ集まっていないのにも関わらず単身でヤンが乗り込んだのは、相手の信頼を得る為とこの状況でヤンを殺したり人質にしても意味がないという打算の産物だった。
 なお、個人的趣味を言うのであるならば、ご令嬢の口から帝国内で何が起こったのか知りたいという知識欲がなかったといえば嘘になる。
 もちろん、彼の上司が彼の歴史好きを見抜いて、「学術的な事を聞けるのではないか?」なんて餌に簡単に食いついたからなのだが。
 ヤンがイズンに乗り込んだ時に銃を構えた帝国軍将兵と共に出迎えたのが、メイド姿の緑髪の女性であった。

「ヤン中佐。
 お待ちしておりました。
 お嬢様の所へご案内いたします」

(……帝国内で、回収されたアンドロイドが使われているという話だったが、どうやら本当らしいな……)

 フェザーン経由で青髪のダウングレード版が輸出されているのだが、目の前にいる彼女は同盟軍が使っている緑髪のアンドロイドである。
 人的資源の消耗を抑える為に大量投入されているだけあって、その消耗も毎年万単位で宇宙に消えている。
 その1%が回収されて記憶を消去した上で再利用に使われたとしても100体。
 大貴族の見栄に相応しい飾りだろう。
 緑髪のメイドに案内されながらヤンは艦内を歩く。
 もちろん、青髪のメイドも数多くいるが、艦隊母艦として見るとヤンが知っている同盟軍の艦隊母艦に比べると人間の比率が少ない気がする。

「この船はカストロプ家の別邸みたいな者ですから、信頼できる者しか乗せませんの」

 ヤンの考えている事を見透かしたらしく、緑髪のメイドが口を開く。
 それは、大貴族といえども亡命において信頼できる身内は少ないと暴露したも同じたったのだが。

「中佐の考えているとおりですわ。
 この船団の主な船は自動航行および私達が運行しておりますの」

 落ち武者と化した帝国貴族に人間が暖かい訳が無い。
 それを見越して人間を排除した上で、戦力としての艦艇を切り札にここまで船団を維持したとしたらこのご令嬢相当の切れ者である。
 そんな事を考えていたヤンの前に、帝国軍服を着た男性軍人が現れて敬礼する。

「ようこそ、いらっしゃいました。
 私はベンドリング中佐。
 エリザベート様に仕える者として、この船団の運営を任されています。
 どうぞ同盟公用語でお話ください」

「自由惑星同盟第五艦隊所属のヤン・ウェンリー中佐です。
 亡命とそれに伴う連絡担当として艦隊司令部より派遣されました。
 よろしくお願いします」

 叩き上げと言うよりも貴族軍人にある品の良さと、メイドに出迎えさせてからの出迎えなどの権威づけを考えると馬鹿ではないらしい。
 後で知ったが、彼は男爵家の三男で帝国内で大貴族の陰謀に巻き込まれた所をカストロプ令嬢に拾われたらしい。
 帝国は領地を持つ貴族の私兵がいる為に正規軍人は重宝される。
 ある種の陪臣扱いで軍籍は残るが軍内昇進は絶望になるが、軍人の方も貴族の庇護が受けられるからこのようなケースは往々にしてあるらしい。

「今だから言えるのだが、貴国が作ったこの人形が無ければ我らはここへはたどり着けなかっただろうな」

 ベンドリング中佐の同盟語を聞きつつどうも彼が馬鹿でないと評価を上方修正しながら、ヤンはカストロプ令嬢との謁見前の打ち合わせを行う。
 既に、これまでの会話で舌戦による砲火は烈しく交わされているのだった。

「確認したいのですが、この船団の最上位者はカストロプ令嬢でよろしいので?」

 ヤンが序盤の焦点となっているカストロプ令嬢の身分について尋ねる。
 彼女が『軍人』としてなのか、『貴族』としてなのか、あるいは両方なのかで扱いが大きく変わるからだ。
 それを分かっているからこそ、ベンドリング中佐は徹底的にその位置づけをごまかす。

「この船団はエリザベート様の物でございます」

 今までの会話の中で、彼が船団の『運営』をしていると言ってカストロプ令嬢の意思を明らかにしていない。
 これでカストロプ令嬢に会えなかったら彼女は既に死んでいて、実際はベンドリング中佐が死んでいる彼女の命に従っているふりなんて事態も考えられるからだ。
 なお、カストロプ令嬢が『貴族』としての立場で来るのならば、その建国の歴史から同盟での立ち振る舞いはかなり厄介になる。
 後腐れを考えなくていいのならば、『軍人』としての亡命をして欲しい所なのだが、長く財務尚書を務めていたカストロプ家の権勢は同盟にも伝えられており、フェザーンにあると噂されている隠し財産などを主張するならば彼女はいやでも『貴族』の立場を崩せない。

(なるほど。船団を手放さない理由がこれか。
 銀河帝国の予算を長年掠め取っていたのが本当ならば、その隠し財産は星系政府数年分に匹敵するだろう。
 それを主張するために彼女は貴族でなければならず、それに伴ういろいろな厄介事から身を守る為なんだろうな)

「では、カストロプ令嬢にお会いしたいのですがよろしいですか?」

「もちろん。
 その為に来ていただいたのですから」

 ヤンの言葉にベンドリング中佐は重厚な部屋の前で立ち止まり、緑髪のメイドがそのドアを開けた。

「ようこそ。
 歓迎しますわ」

 豪華絢爛なドレスに身を包んだまさにお姫様がヤンを出迎えたのだった。 

 

姫提督から見た帝国内乱

 大貴族のご令嬢ともなれば当然のように美しいものだとヤンは思っていたが、ドレスを着た彼女はたしかに美しいと思わざるを得ない。
 そんな美女が優雅に貴族の礼を尽くしてヤンに挨拶を述べた。

「エリザベート・フォン・カストロプと申します。
 なにとぞよしなに」

「自由惑星同盟第五艦隊所属のヤン・ウェンリー中佐です。
 亡命とそれに伴う連絡担当として艦隊司令部より派遣されました。
 よろしくお願いします」

 そうやって互いの挨拶から始まった舌戦だが、はやくもヤンはエリザベートの舌戦の巧みさに警戒心をあげる。
 最初の自己紹介において、軍人として自己紹介しなかったのだ。
 更に、その丁寧な挨拶から貴族そしての振舞いまでしたのに、『カストロプ公爵令嬢』の名乗りをあけず『貴族のお嬢様』として応対した。
 彼女の身分が彼女自身によって丁寧にウェールに覆われている以上、正規の外交官ではないヤンはそのウェールを払う事を避けた。

「自由惑星同盟への亡命について以下の手続きがあります。
 正式な外交関係を帝国とは結んでいませんが、ここに外務委員会の外交官が来て申請に関する手続きを行います。
 それまでは、身分的には銀河帝国関係者ととして扱いを……」

 当たり前だが、フェザーン・銀河帝国の二カ国しかないのに外務委員会は必要なのかという意見はかなり昔からあった。
 それを説き伏せて外務委員会を設立したのはやはり人形師だった。
 フェザーンとの通商問題や帝国との捕虜交換だけでなく、帝国内貴族との交渉によるチャンネル確保など作って見ると仕事はいくらでもあったのである。
 フェザーン在住の高等弁務官も外務委員会に属しており、今回の内乱による亡命騒動で一番修羅場っている省庁でもある。
 ヤンの説明にエリザベート嬢は了承し、これでヤンの仕事の八割は終わった。
 残り二割は人質であるヤン自身が殺される事による『炭鉱のカナリア』なのだが、この時点でその可能性は低いとヤンは見積もっていた。
 ベンドリング中佐にせよ、エリザベートにせよ理性的で自分の立場をわきまえている。
 ここで暴発するぐらいなら、もっと前に自滅していただろう。
 という訳で、ヤン待望の趣味の時間である。
 最高級茶葉の香りを楽しみながら、雑談の形でヤンはそれを口に出した。

「同盟においても内乱の詳細はある程度入ってきております。
 同盟は助けを求めた者の手を離したりはしません。
 たとえそれが帝国貴族といえども。
 とはいえ、こちらの事を尊重して手を握り続けている限りですが」

「色々言葉を選んでの慰めの言葉ありがとうございます。
 とはいえ、戦に負けたのは事実。
 敗者が語るのはおこがましく、ただ従うのみですわ」

 同盟の情報網ではどうしても外輪部しか分からない帝国内乱の当事者に近い人物が目の前に居るのだ。
 正規の裏取りなどは外務委員会や情報部にまかせるとして、ただ単純に歴史に残るであろう事件の内幕をヤンは聞きたかったのだ。
 もちろん、情報の有用性を知っているだろうエリザベートはそのヤンの矛先をかわす。
 だが、舌戦、特に己の趣味の領域での舌戦においてヤンはその才能を使わないつもりは毛頭無かった。

「本国では更新されていると思いますが、こちらの情報ではまだカストロプ領は落ちていませんでした。
 エリザベート嬢がここに来ているという事は、失礼ですがカストロプ領は……」

 あえて、肉親の話をふる事で彼女の表情を読んで次の矢を放とうとしたのだが、彼女の顔に浮かんだのは怒りでも悲しみでもない微笑でした。

「ヤン中佐。
 一つ訂正を。
 私、今回の内乱において帝国正規軍の軍人として動いていましたのよ」

「え?」

 思わずヤンの口から間抜けな声が出てしまい、それが面白かったらしくエリザベートはコロコロと笑う。
 ヤンの声にて今から述べる事が同盟への外交カードになる。
 そう確信したからだ。

「私、コーディネーターなのですの」

 貴族社会など上流階級における結婚はどうしてもいずれ血が濃くなる為に遺伝子障害などを発生しやすいのは人類が地球にいた頃から問題にされていた事である。
 その解決の為に遺伝子治療は発達したのだが、その技術を突き詰めて人形師が生み出したコーディネーターという新人類は帝国内貴族に革命的衝撃を持って受け入れられたのである。
 人類を越える体力や肉体、知能に容姿という分かりやすいそれを金と権力が有り余る銀河帝国貴族階級が手に入れない訳がなかった。
 そういう観点から見ると、ヘルクスハイマー伯の亡命騒動にて暴露された遺伝関連のスキャンダルがいかに爆弾なのかが理解できるだろう。
 実際にこの技術が確立してからの貴族子弟のかなりの人数がコーディネーターになっており、いずれは優勢人類による劣勢人類の支配なんて事態が起こっていた可能性もあった。
 だが、彼らコーディネーターの貴族子弟は他の貴族子弟と同じく腐敗し、驕っていったのである。
 人を人としてたらしめる教育が『自分は他者とは違う特別な人間だ』から始まっているのだから、そりゃ自我が肥大し驕るのも無理は無い。
 人が人として生きていられるのも社会的要因と教育のおかげであると後にこの件について結論がでて、コーディネーター融和に役に立つのだがそれは先の話。
 話をカストロプ令嬢に戻そう。
 
「父上は長く帝国中枢にいらして、いつ追い落とされるか不安でした。
 その為、お付き合いのあるフェザーンを通じて、兄と私を作ったのだそうです。
 兄は領地の統治の為に、私は皇太子の寵妃となる為に。
 母方の遺伝子は教えられていませんが、この容姿から察していただければと」

(まるで競走馬の配合だな……)

 とヤンが思ってしまうのをどうして責められようか。
 血脈による富の管理と容姿や肉体などの好条件を遺伝レベルで作り出して次世代を造り、その次世代が家の存続の為に更に……
 人為的科学技術がなければ人の世が延々と行っていた事の焼き直しでしかない。

「ちなみに、私の准将としての階級も寵妃の為なんですのよ」

「またどうして?」

「花畑から花を探すのと、荒地に咲く一輪の花を摘むのはどちらが簡単だと思います?」

「なるほど」

 専制国家であるがゆえに、女の争いは民主主義国家であるヤンが想像する以上に深く陰湿である。
 そこで確実に勝ち残る手段として軍人を選ぶとは、目の付け所が違うというか。
 同時に、実力主義が蔓延している帝国軍において、飾りとはいえ准将位まで来た彼女が無能とも思えない。
 これがコーディネーターとしての才能か彼女の資質かはヤンにも分からなかったが。

「失礼ですが、帝国正規軍に属していながら、なぜ亡命を?」

 ヤンの質問に、エリザベートは当事者として思い出す顔で答えた。

「おそらく、同盟における帝国の内乱は一くくりにされていると思うのですが、あれは複数の対立が連鎖的に繋がったに過ぎないのですわ。
 ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の対立が軸にはなっていますが、宮廷内でも我が父カストロプ公が帝国宰相リヒテンラーデ候の追い落としを図っていましたし」

 財政崩壊の帝国の再建に尽力したリヒテンラーデ候はその功績で帝国宰相の地位についていた。
 その下で実務を担当していたカストロプ公がその追い落としを図り、娘を皇太子の寵妃に差し出す。
 ヤンの頭の中で少しずつ帝国内の権力闘争が整理されてゆく。
 何しろ有史以来、権力闘争というのは戦争と並ぶ歴史の花である。悲しい事に。

「もしかして、皇太子も一枚噛んでいた?」

 ヤンの質問は少々踏み込みすぎたものだったらしい。
 エリザベートは微笑を浮かべたままその質問を聞き流した。

「クロプシュトック侯については私もよくは分かりません。
 ルードヴィッヒが倒れたあのテロが発生した時、私はルードヴィッヒとの密会の為に離れてあの場に居なかったのです。
 それが私の命を救いました」

 エリザベートの質問にヤンは警戒を強める。
 寵妃として差し出されたはずなのに、皇太子のそばを離れ、正規軍として動いた。
 そんな芸当ができるのか?

「テロの首謀者がクロプシュトック侯であり、その狙いがルードヴィッヒとブラウンシュヴァイク公を狙ったものである事はすぐに判明しました。
 そして、クロプシュトック侯の身柄を押さえる為に兵が動いた時に、私は皇帝陛下の前に出て愛しのルードヴィッヒを奪ったクロプシュトック侯を討つ勅命を欲したのです。
 この船と私の旗下の艦隊は帝都にあったので」

 さらりと美談のように語っているエリザベートの話の裏にヤンが気づかない訳が無かった。
 どうして、テロ直後の混乱している帝都で皇帝を探し出して勅命を得るなんて事ができるのか?
 微笑を浮かべるエリザベートの背後にあるどろどろした闇を感じてヤンは体を震わせる。

「あら?
 室内温度が寒かったですか?」

「お気になさらず。
 ですが、あったかい紅茶をもう一杯いただけませんか?」

「かしこまりました」

(限りなく何かあるが、踏み込むのはやめよう。
 かつて人形師の秘密を知ってしまって、こんな所に居る羽目になったんじゃないか)

 ヤンも趣味と興味が尽きないとはいえ、同じ失敗を繰り返したくはない。
 人は学習する生き物である。

「この時点では、クロプシュトック侯のみを討つ勅命しか出ていませんでした。
 その後、黒幕としてリッテンハイム侯と我が父カストロプ公討伐の勅命が出た時、私の拘束命令が出たそうですが、それを庇い私の身分を保証してくれたのがリヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン中将なのです」

「……なるほど」

 艦隊の出陣にはどんなに急いでも一ヶ月はかかる。
 テロ当日に出陣ができる艦隊があった。
 いや、同盟の情報部が集めたグリンメルスハウゼン中将の艦隊はそんな士気と錬度にはないはずになっている。
 という事は、彼は飾りの頭であり、実務をやった連中がエリザベートの他にもいるはずなのだ。多分。

「グリンメルスハウゼン中将がこれほどの名将だったとは、同盟の情報部も大慌てですよ。
 オーディン上空の艦隊戦において烏合の衆だった反乱軍に的確な攻撃によって撤退に追い込み、アルテナ星域にてフェザーンからの傭兵艦隊を撃破し、レンテンベルク要塞攻防戦において反乱軍から要塞を奪還したのですから」

 ヤンの言葉におそらく現場指揮官か幕僚として参加していただろうエリザベートは楽しそうに笑った。

「そうですわね。
 私が提供したこの船の指揮官席でいつも居眠りばかりしていましたわ。
 ケスラー参謀長やミューゼル分艦隊司令なんかそんな姿を見てため息をついていらしたのですよ」

 出てきたケスラーとミューゼルという言葉をヤンは忘れなかった。
 そして、その名前の一つについてはヤンの人生に深く関わるのをヤンは知らない。

「お話できる限りでいいので、グリンメルスハウゼン中将の活躍をお聞かせください」

「勅命を得た時、艦隊を動かす正当な将官が私には必要でした。
 帝国において女が艦隊を動かすのには抵抗があるのです。
 私も教育を受けては居ますが、私兵ならばともかく正規軍を動かす時に兵がついてこれるとは思っていませんでした。
 クリューネワルト伯爵夫人の元に居た皇帝陛下より信頼できる指揮官を紹介していただいたのが閣下だったのです。
 艦隊戦の最中でも眠っておられた大胆なお方でしたわ。
 閣下のお導きがなかったら、こうしてここでお話はできなかったでしょうね」











「若いの。
 歴史に触れてみてどうだったかな?」

「ビュコック提督。
 あのお方は相当の食わせ物だと判断せざるを得ません。
 いずれ情報局の方でも似たようなレポートが出ると思いますが」

「そのご令嬢の実家の話だが、一週間前にグリンメルスハウゼン大将の艦隊によって制圧され、帝国は内乱の終結を宣言したよ。
 若いのの妄想でいい。
 長い宇宙の航海の暇つぶしに聞かせてもらえると面白いな」

「……おそらく、ルードヴィッヒ皇太子とブラウンシュヴァイク公とカストロプ公が組んで、リヒテンラーデ候を追い落とそうとした。
 リヒテンラーデ候はクロプシュトック侯を使って、ルードヴィッヒ皇太子とブラウンシュヴァイク公を排除しようとし、生き残ったブラウンシュヴァイク公にリッテンハイム侯が犯人と唆した。
 あのご令嬢の艦隊がクーデターの中核戦力だったんでしょう。
 カストロプ公がテロ前に捕らわれていたか殺されていたかの理由でクーデター失敗に気づいた彼女は、体制側に寝返り実家を売る事で破滅を回避、機会を伺おうとした。
 彼女にとって誤算だったのは、彼女の戦力が中核となったグリンメルスハウゼン艦隊の活躍で反乱軍が各個撃破されて体制側についたとはいえ、彼女の身の安全が危うくなった事。
 だから、逃げ出したし、ここまであれだけの船団を維持できたんです。
 そんな判断が彼女か彼女の幕僚にできる人間がいる。
 食わせ物と私が判断した理由です」

「これはまだ未確定情報だが、貴官と入れ替えで乗船した外務委員会の外交官の話だと、ご令嬢は同盟ではなくフェザーンの亡命も考えているらしい。
 カストロプ公の隠し財産の運営はあそこで行われていたからな」

「……いっその事、辺境惑星のコロニーをカストロプ公国にしてしまったらどうですか?」

 ヤンのこのぼやきは後に同盟とフェザーン主導で実現する。
 道化師がフェザーンに与えた旧同盟領の一星系に隠し財産と資本をかき集めたカストロプ公国が設立され、同盟とフェザーンがそれぞれ承認したのだ。
 これによって、同盟は反帝国国家を手に入れ、フェザーンは同盟のご機嫌取りと余分な贅肉と化していた領土の一部スリム化に成功。
 帝国の激怒については同盟は警戒しつつも鼻で笑ったが、フェザーンは帝国への財政支援と同盟をちらつかせた外交によってそれをかわす事に成功する。
 これらの交渉に従事したフェザーン領主であるルビンスキーの名を高めたが、その代償として帝国の怒りを買った事が彼の治世に重くのしかかるのはこれからである。
 なお、帝国内乱の論功行賞にてグリンメルスハウゼンは上級大将に昇進しただけでなく、内乱で荒れに荒れたクロプシュトック侯領を得る事になった。
 彼自身は既に統治できる体と才能に無く、代官として赴任したラインハルト・フォン・ミューゼルが彼の死後に爵位と領地を次ぐ為の隠れ蓑と噂された。
 彼の姉は現皇帝の寵妃であるクリューネワルト伯爵夫人。
 宇宙はまだラインハルトを姉の下でおこぼれをもらった親族にしか見ていなかった。
 緑の髪の女達以外をのぞいて。
 

 

カストロプ公国建国式典

 式典嫌いなヤン中佐が堅苦しい礼服に身を包みながら、惑星ウルヴァシーのフェザーン行政府内で行われたカストロプ公国建国式典に出席しているのを見ると、自業自得という言葉を緑髪の副官は飲み込んだ。
 炭鉱のカナリアとしてかの姫君の乗艦に単身乗り込んだのだから、礼儀的に招待状ぐらいは出す訳で。
 ありとあらゆる理由をかこつけて出席を渋る彼を先輩と上司の連携プレイで出席に追い込まれたのだから、姉達の警告どおりこの二人には逆らわないようにしようと副官はこっそりと握りこぶしを作る。
 もちろん、そんな副官の様子なんてヤンが気づくわけが無い。
 彼の目の前には亡命貴族を中心とした、華やかな帝国貴族社会が絢爛に写っていたのだから。
 何故カストロプ『公国』なのかというと、同盟の帝国崩壊後を見据えた戦略の為だったりする。
 同盟外務委員会は、銀河帝国との戦争終結後に分裂しているだろう諸国家との外交関係樹立の為に作られた組織である。
 同盟には、いやこのプランを立てた人形師は、同盟がはなから銀河の半分たる銀河帝国の統治なんてできないと割り切っていた。
 その為、戦争終結後の銀河帝国がソ連よろしく諸家群に分裂する事を狙っていた。
 まぁ、銀英伝世界はどうも冷戦がそのまま核戦争に繋がった世界の可能性もあるから、ソ連崩壊が起きていない可能性もあるのだがそんな記憶は今となっては探るのも難しい。
 その時には神聖ローマ帝国とでも言い逃れたのだろうが。

「人口十万、コロニー一つの大公国ですか」

「もう少し人間を減らしたかったのですがね。
 お久しぶりです。ヤン中佐」

 かけられた声の方に振り向くと、ワインを片手に礼服に身を包むベンドリング中佐。
 その姿にヤンは作り笑いを浮かべた。

「お久しぶりです。ベンドリング中佐。
 どうしてこちらに?」

「私も貴族ではありますが、軍人生活の方が板についてしまって。
 それで、ヤン中佐に話しかけた次第」

(壁の花と化していた同盟軍人に声をかけて楽しんでもらおうという訳か。
 ホスト役も大変だ)

 そんな事を隣に控える緑髪の副官が思っても口に出すわけも無く。
 ヤンと同じ同盟軍礼服を来た大尉は二人の会話に口を挟まない。

「それはどうも。
 壁の花でおとなしくしていようかと思って。
 何しろあの世界はまぶし過ぎて」

「あれでも、帝国中枢の舞踏会に比べたら。
 本当ならば、イズンにて内々にしたかった所なんですよ」

 それだけの豪華絢爛なんてものは金よりも時間と権威によって作られる。
 凄く失礼極まりない言い方をすれば、このカストロプ公国建国式典はフェザーン主導で行われた事もあって成金の見栄の粋から出ていなかったりする。
 過去多くの帝国貴族、または皇族にいたる帝国上流階級が政争に敗れてフェザーンの地に流れていったが、彼らとカストロプの違いは一つしかない。
 亡命者は身一つで流れたのに対して、カストロプ公爵となるエリザベート嬢は全てを持ち出してこの地に逃れてきたのだ。
 国家の最低条件は領土と国民と武力、そして他国の承認である。
 艦船乗員および帝国からの亡命者の受け入れによって国民を構成し、武力は戦隊規模と過去の亡命者の中でも群を抜いている。
 そして領土だが、カストロプ公爵はフェザーン所有の完成寸前のコロニーを購入して領土とする事で国家を作り出したのである。
 宇宙は無限に広がっており、領土なんてものは作ろうと思えばいくらでも作れるのだ。
 何よりも、カストロプ公国を同盟もフェザーンも望んでいたのである。

「とはいえ、仕事から艦隊の一部はこの惑星ウルヴァシーに駐留する事になりますがね。
 コロニー内の館の整備が住むまでは、公爵様にはイズン暮らしを強いてしまうのが心苦しくて」

 カストロプ公国の産業は物流と投資業務によって支えられる事になっている。
 物流は艦隊を使ったフェザーンの傭兵家業と運送であり、投資は前カストロプ公がフェザーンに隠していた莫大な隠し財産の運営である。
 とはいえ、国と艦隊を維持するには莫大な金がかかるので、最低限の国民でスタートするあたり無能ではないのだろう。
 何しろ、フェザーンの傭兵達は多くが帝国内戦に参加して敗北し帰ってこなかったのだから。

「しばらくは景気のいい話が続くんでしょうな。
 フェザーンから帝国に出て行った傭兵・海賊連中の大部分が未だ未帰還でしたっけ?」

「ええ。
 彼らが宇宙の塵に消える所を私と公爵様は見ていますから」

「ああ。
 フェザーン傭兵軍を叩き潰したのがグリンメルスハウゼン提督でしたか」

 帝国内戦の終結時、隻数にして三個艦隊近い傭兵を送り出していたフェザーンはそのほとんどを失って大パニックに陥った。
 フェザーン正規軍二個艦隊と大規模攻撃衛星でフェザーン本星は守られてはいたが、帝国政府との交渉は終始劣勢でフェザーンが持つ帝国債務の一部放棄を飲まされるなど外交的に苦しんでいたのである。
 なお、同盟政府はフェザーンに対して鹵獲した帝国艦船の有償譲渡や、旧式艦船の売却等でフェザーンが著しい不利にならないように配慮していたり。
 これら同盟とフェザーンの外交関係の成果がこのカストロプ公国である。
 フェザーンは彼女が持つ武力を取り込んで戦力再編と同盟との外交的緩衝地帯を欲したし、同盟も帝国崩壊の為のモデルケースと政治的プロパガンダを求めた。
 だからこそ、外交儀礼は全て帝国式になっていたりする。
 フェザーンは帝国の自治領だし、帝国崩壊後にできる国家エリート層は帝国貴族が担うだろうからだ。
 その結果、外務委員会は亡命した貴族の再就職先としても働いていた。
 後一つ、ヤン曰くまぶしすぎるこの場の原因ともなっていたのだが。

「公爵の周りに集まっている貴族の皆様の中に、公爵の心を射止める方はいらっしゃるのでしょうかねぇ」

 完全に人事なのでヤンが気楽そうに呟くと、ベンドリング中佐も苦笑する。
 カストロプ公エリザベートは女性であり、血を残すのであれば夫となる男性を必要とする。
 かくして、亡命貴族達は尾羽朽ち果てたにもかかわらず、再度着飾って彼女の心をつかもうと奮迅していたのである。
 そんな孔雀の群れの中に入る気はヤンは毛頭ない。
 
「いらっしゃらないでしょうな。
 我らが建国に際して人口を絞った事実を考えれば、先は見えると思うのですがね」

 その言葉にヤンが眉をひそめて、質問をはなつ。
 その声に不信感が乗っているのは帝国内で起こっている情報に接していたからに他ならない。

「失礼ですが、ベンドリング中佐もコーディネーターですか?」

「あいにく、人以上の力を持つようなコーディネーターではありませんが。
 コーディネーターそのものが定義されるのは公爵様の世代からでしょうな」

 あえてヤンが問いただしたコーディネーターだが、人以上の力を純粋に持っている。
 具体的に言うならば、喧嘩で人三人を相手にしても勝てるぐらい。
 だが、裏返すとそれだけなのだ。
 人三人で勝てないならば、四人、五人、六人と人を集めればいい。
 近代戦というのは究極的にはそんな世界なのに、よりにもよってコーディネーターが特権階級についてしまった。
 まだ兵士としてその力を振るえば戦争は変わったのかもしれないが、百万単位の人間を指揮するような艦隊戦において、人の三倍の能力というのがどれほどの役に立つか。

「という事はフレーゲル男爵の一件はご存知で?」

「あれだけニュースになれば知らぬとは言えぬでしょう」

 帝国内戦の後に勝者となったブラウンシュバイク公爵は敗者の領地の管理を大部分任されて広大な領土を持つ貴族の第一人者となった。
 で、事件は一族の一人であるフレーゲル男爵の治める惑星で発生した。
 彼は、統治惑星内の農奴だけでなく領民全員を売却し、領内惑星から追い出したのだ。
 もちろん、領民は反対し暴動が発生したが、ドロイド兵の投入によってこれを鎮圧。
 百万近い人間が難民となってしまっていたのである。
 そして、この事件はコーディネーター系貴族が統治する他の星系にも波及。
 労働市場の暴落まで伴う大問題に発展しようとしていたのである。

「フレーゲル男爵は帝都での釈明において、領民である彼らを不良債権と言い切ったそうですよ」

「それはそれは」

 フレーゲル男爵の理屈はこうだ。
 人間など信用できないし、仕事は機械より遅い。
 ならば、彼らの代わりにドロイドを中心にした機械に仕事をさせれば、領民を養う社会保障費などいらないではないかと。
 この発言のやっかいな所は、それが正しいという一点につきる。
 宇宙開拓が進み、それが当たり前のこの時代の惑星というのは、惑星そのものが資源なのである。
 だから、その資源開発を機械にさせて、少数の人間によって管理するのは経済的にはまったくもって正しい。
 おまけに、その管理層が人以上の能力を持つコーディネーターである。
 事実、フレーゲル男爵領はこの領民売買にて得た資金でドロイドを大量購入し、資源開発を開始するとその経営は帝国屈指の水準に達する。
 彼がブラウンシュバイク一門である事よりも、その領地経営の実績によって彼の問題は不問とされたのである。
 代わりに、大量発生した難民問題を帝国政府が解決しなければならないというジレンマに陥ったのだが。

「まあ、この後帝国が荒れないのでしたら、フレーゲル男爵の理論も正しいのでしょうな」

 ヤンの抑揚のない声に、ベンドリング中佐が笑う。
 それを確信しているからこそおかしそうに。

「それを許すつもりなんて同盟政府はまったくないのでしょう?」

「ええ。
 わが国にも飛び火しかねない人種問題なんてまっぴらですからね。
 私個人の発言ですが、領地経営に苦しむミューゼル男爵を応援したいところですよ」

 対照的なのが、グリンメルスハウゼン伯爵の代官として旧クロプシュトック領の統治を任されたラインハルト・フォン・ミューゼル男爵で、徹底的に略奪され破壊された旧クロプシュトック領の統治と急増する難民問題に頭を抱える羽目になった。
 彼自身は、

「大衆に必要なのは公平な裁判と公平な税制度があればいい」

と、その核心を見抜いていたがそれ実行に移せる人材と予算が決定的に欠けていたのである。
 この内乱で忠誠を誓ったミッターマイヤー・ロイエンタール・ワーレン等を使って行政の再建に乗り出そうとしても回りきれるわけも無く。
 近隣海賊の討伐で宙域の安全を確保し、内乱時に大破して廃棄予定だった艦船を払い下げてもらって仮設住宅として用意してひとまずの体裁を整えたが、そこから先で躓いていたのである。
 で、ここで出てきたのがカストロプ一門のマリーンドルフ家。
 一人娘のヒルダを差し出し、寵妃である姉の嘆願によって彼と彼の家臣団をこき使う事によってようやく再建にこぎつけようしていた。

「ままならない世の中ですな。
 正しい事が正解とは限らないなんて」

 ベンドリング中佐の声から何の感情もヤンは読み取る事ができなかった。 
 いや、読み取りたくなかったといった方が正しいか。
 なぜなら、この話には続きがあるのだから。
 行政再建のめどがついたミューゼル男爵達に今度はさっきあげた難民問題が降りかかったのだ。
 コーディネーター系貴族による領民追放問題で発生した難民数はおよそ一千万人。
 多くの領地で受け入れを拒否されるなか、ミューゼル男爵は受け入れ拒否をついに出さず、そのほとんどを受け入れる羽目になった。
 それは、再建途上だった行政だけでなく、財政までも破綻寸前に追い込み、彼は帝都にてその金策に奔走していたのである。
 その秀麗な容姿がフェザーンの銀行家に頭を下げ、他の貴族に支援を求めてにべもなく断られと、フレーゲル男爵の成功と対比して語られていた。

「成功すれば、一千万の領民は彼に忠誠を誓うでしょう。
 そこから兵になる連中はきっと彼の忠実な精兵になるのでしょうが、それを養う資金が無い」

「彼が今だ破綻しないのは、帝国政府が支援しているとか。
 彼が引き取った一千万の難民の行き先などありませんからな。
 ブラウンシュバイク公もフレーゲル男爵の成功を引き立てる為に、成功しない程度の支援をしているとか」

 帝国貴族社会はかくも陰湿なのであった。
 それに資本主義が絡むとどうなるか?
 最悪である。
 莫大な債務を抱える帝国政府。
 社会保障は行き詰まり、治安が悪化し、貴族という不良債権。
 効率を求めた官僚制度は硬直化し、政府の行動力は速度も力も国民を満足させられるものではなくなっていた。

「シスターズの娘達ですか。
 地球出身の企業連合の末裔が大手を振ってこの場に出てきているあたり世も末ですな。ヤン中佐」

「それを言われると耳が痛いですな」

 宇宙はあまりにも広く広大である。
 その為、星系間で商売をする場合、いやでも最低限の武力を持っていないと話にならない。
 そして、辺境部の開発は莫大な資本が必要になる割には、資金回収に時間がかかる。
 このような割の合わない開発業務を請け負える企業なんて、同盟帝国フェザーンの中を探してもそんなにはないのである。
 利益の追求の為に企業はカルテルを組み、市場を目指して同盟と帝国の間を暗躍していた。
 フェザーンは本来そのためにあるのだが、帝国の恨みを買いすぎており、彼らは新たな巣を探していたのである。
 ベンドリング中佐の言ったシスターズの娘達とは、地球統一政府を支えた金融・物流企業の連合体であり、地球の滅亡とシリウス政府の崩壊と混乱の中、分裂しながらも生き延びてフェザーンに根を下ろした地球教の表の顔である。
 人形師はその政権時代にフェザーンとの合同事業をいくつも起こしていたが、その事業請負先が彼女らシスターズの娘達、マーキュリー資源開発・マーズ物流・ジュピター金融ホールディングス・ヴィーナスメディアだったのである。
 彼女達は同盟内部でも圧力団体として働いており、同盟支社であるルナホールディングスは同盟議会にオブザーバー席を与えられるぐらい関係が深かったりする。

「おや、こんな所で730年マフィア最後のお気に入りに出会えるとは」

 こちらの会話を聞いた訳ではないだろうが、ルナホールディングス代表取締役であるアルマン・ド・ヴィリエ氏がこちらに声をかける。
 帝国貴族出身だが、やり手の彼によってルナホールディングスは同盟経済連合会の会長をつとめている。

「そのあだ名止めていただけませんかね。
 よばれるだけの功績を立てていないただの中佐ですよ。私は」

 苦虫をかみ下した顔でヤンがぼやくが、ヴィリエ氏は笑顔とその声色で今度はヤンを持ち上げる。
 この職になっていなかったらきっと大主教にでもなっていただろう。

「人に認められる、選ばれるというのは才能でもあるのです。
 その人が芽を出すかどうかは別にして、芽を出すように支援するのは選んだ人の特権であり義務なのですよ。
 そのぼやきは墓場の下にいる、730年マフィアに言っておあげなさい。
 多分、苦笑するのみで終わるでしょうから」

 更に苦虫顔になるヤンにたまらずベンドリング中佐が吹き出す。
 場が一度和んだ所で、ヴィリエ氏が本題を切り出した。

「少しご相談があるのですが、貴国にうちの会社を設立したいのですが、合弁という形で」
「うちを噛ませるという事は分け前は頂けるのでしょうが、何のご商売で?」
「辺境星系支援と開発業務を」
「……帝国の難民問題ですね。
 わが国に一千万の難民を受け入れられませんよ」

 ヤンが感じるほどに二人の間の空気が変わる。
 表情は穏やかなのに、互いに笑顔なのに、その間を流れる会話だけが底暗く、冷たい。

「市場を通じて同盟政府は百万人の難民支援を決定しました。
 帝国の労働市場からフェザーン経由で購入という形になるのでしょうが、その業務はわが社に委託されています。
 他星系に既に八十五万人振り分けました。
 貴国には十五万人を受け入れていただけたらと」

「それを受け入れるわが国のメリットは?」
「同盟最新鋭戦艦を含む、艦船供与」

 蚊帳の外に追いやられたヤンを尻目に、二人の男は手をがっちりと握る。

「これからも良いお付き合いを」
「細かい所は、実務者協議にて。
 では、ヤン中佐。失礼」


 その後、ヤンがこの会話を思い出すのは、この狸の皮算用が外れたからに他ならない。
 現在の彼は新型巡航艦ラトの艦橋にて、あの式典にも参加していた副官からの報告に耳を傾けていたのだから。

「間違いありません。
 イゼルローン回廊内、帝国軍の要塞を確認。
 該当データを照合した結果、レンテンベルク要塞と一致。
 彼らは、どうやら人形師の手を使って、あの要塞をイゼルローンにまで運んできたみたいです」 
 

 
後書き
ヴィリエ氏の名前は元ネタあり。
ビック・シスターズの娘を考えていたらセーラームーンとなってしまって苦笑。 

 

同盟議会緊急国防部会

 同盟議会の安全保障部会に陣取る無数のカメラが、その状況を無言で物語っていた。
 かつて人形師が建設途上に破壊したイゼルローン要塞がついに現れたのだから。
 その対策と方針を説明する為の緊急部会は生放送で流され、現在でも60%もの視聴率を勝ち取っていたのである。

「まず、先に国防委員会より、同盟市民およびその代表者である議員諸君に現状の説明をさせて頂きます。
 結論から申し上げると、イゼルローンに要塞ができた所で、わが国の方針は変わる事はありません」

 議場にて啖呵をきって見せたのがトリューニヒト国防委員。
 新進気鋭の若手代表格として、国民の不安を払拭するのにうってつけの人材なのは間違いがない。
 もっとも、それを議場見学席から生で見ているヤン中佐からすればたまったものではないが。

「国防委員にお尋ねしたい。
 イゼルローンに要塞、つまり整備補給ができる拠点ができた事で、帝国からの軍事圧力は間違いなく増すと思われるがそのあたりはどう考えているのか?」

 部会出席者の議員の発言に即座に手を上げて発言を求めるトリューニヒト国防委員。
 また絵になるから彼の姿をカメラは捕らえて離さない。

「具体的な発言は軍の方から説明させましょう。
 どうぞ」

 トリューニヒト国防委員に促されて、参考人として席を立つのは緑髪の少将の階級をつけた女性だった。
 主演がヒロインを紹介するかのようにトリューニヒトは席を譲り、彼女は淡々と事実を説明する。

「まず、軍内部でまとまった帝国の意図について説明します。
 この移動要塞をイゼルローンに配置した意図は我が国への攻勢より、我が国への防御の側面が強いと判断しました。
 その理由は、お手元のモニターに送ってあります」

 見学席にも配信されているらしく、ヤンの手持ちモニターにその理由が分かりやすくまとめられていた。
 なお、その理由の元ねたはヤンの頭から出ていたイゼルローン回廊制圧作戦だったりするのだが。
 で、そのネタ元であるヤンは自分の出したネタが行き着く責任を見届けようと、有給までとって私服でこんな面白くない所に座っている訳で。

「帝国は内戦のダメージ回復の為、我が国からの軍事圧力を受けたくありません。
 そのダメージ回復には治安の改善、つまり航路の安全確保が絶対条件です。
 ここに要塞を置くことで、打撃を受けるのは我が国ではありません。
 海賊達です」

 フェザーン回廊はフェザーンという第三国がある為に、海賊達も無法で通る訳にはいかない。
 戦地という危険はあるが、イゼルローン回廊は海賊達のメインストリートだったのだ。
 もちろん、帝国を荒らすならという前提で、同盟は海賊の支援もしていたりもする。
 ほとんどが先の内戦から帰ってこなかったが。
 議員の一人が発言を求める。

「参考人の説明については了解した。
 では、帝国が内乱の傷を癒して我が国にその軍事力を行使した時の対策は用意しているのか?」

「現状、帝国軍の侵攻兵力は最大で30000隻と見積もっています。
 これが、イゼルローン要塞を使用した場合、50000隻まで膨れ上がるだろうと、統合作戦本部では予測しています。
 ですが、この兵力ならば現状の防衛計画で十分に対処可能です」

 彼女の断言にカメラのフラッシュがたかれる。
 もちろん、彼女がメインでトリューニヒトが背後に写るように。
 さしあたって一面は『同盟軍 イゼルローン要塞に対して対応策あり!』あたりか。
 ヤンがそんな事を考えていたら、とんとんとヤンの肩を叩く者が。

「ヤン中佐ですね。
 よろしければ、下の席でご見学なさいますか?」

 緑髪の政策秘書官が業務用スマイルでヤンの耳元に囁く。
 この手の非公式の命令を断っても問題はないのだろうが、ヤンはため息を一つついた。

「特権を使って特等席で見るつもりはないよ」

「ネタ元に対して特等席を用意しなかったら、礼儀にかないませんわ」

 しかし、どうして自分を見つけられたのかと考えて、議場にある監視カメラに気づく。
 ここの警備システムにも彼女達はアクセスできるのだった。
 無数にあるカメラから情報を解析し監視する超高度情報化社会。
 それが自由惑星同盟の一側面である事もまた現実なのだった。

「私服だけど大丈夫かな?」
「制服を用意させますのでご安心を」



 
 用意された制服を着たヤンが議場の参考人席の空いている椅子に席をおろす。
 統合作戦本部から派遣された軍人達はちらりとヤンの姿を見たが、それ以後は視線を合わせようとはしない。

「既にお姉様が説明済みです」

 ヤンの後ろに座った政策秘書が苦笑するのだが、ヤンはそれを見ようとはしない。
 今、まさにヤンがこの場にいる理由を、そのお姉様が説明していたのである。

「帝国で内乱が発生した時、後方勤務本部からイゼルローン回廊制圧作戦計画が提案されました。
 その作戦案はお手元に添付してありますが、この作戦の狙いは『帝国軍を一枚岩にさせて内戦の早期終結を狙う』事でした」

 その爆弾発言に議場内がざわつく。
 もちろん、その全貌は添付された作戦案に書いてあるのだが、彼女の説明はよどみなく続く。

「つまり、内乱でどっちが勝とうとも同盟には関係ない。
 ただ、こっちに火の粉が飛んでくるのは困るから早く消火してくれというのがこの作戦案の狙いです。
 この作戦案から分かるとおり、帝国への侵攻はかえって帝国に危機感を与えて、内乱で分裂した帝国指導者層が一体化する危険を孕んでいます。
 現状において、統合作戦本部ではイゼルローン要塞制圧および破壊作戦を立てる予定はありません」

 ざわつく議場。
 たかれるフラッシュ。
 強硬派や融和派からは野次や罵声も聞こえる。
 ヤンが立てた作戦案が、政治的理由として議場に上がる。
 出世欲のある人間ならば晴れ舞台にも等しいこの茶番劇をヤンは覚めた目で見続けていた。

「浮かない顔だね」

 後ろの声が、政策秘書の雇い主であるトリューニヒト国防委員に代わっていた。
 議長は『静粛に!』と木槌を叩いているが、ここが強硬派も融和派も見せ場なだけあって、少々のざわつきは既に双方から合意を取り付けている。
 茶番劇の正体である。

「まぁ、こんな形で名前を出されるとは思いませんでしたから」

「安心したまえ。
 出世に響くような事はないと私が保証するよ」

 ヤンはトリューニヒトの顔が見れなくて本当に良かったと心の底から感謝した。
 多分、ひどい事になっているのだろうから。
 議場では、人的資源委員が今後に発生するであろう大規模戦闘における人的損失を説明していた。

「で、こちらが人口から算出される兵員供給データです。
 社会負担をかけずに軍事関連に供給できる人間数は人口の5%が限界です。
 その為、現在の同盟人口約200億の5%にあたる10億人が同盟軍の最大兵員数となります。
 この10億の内、後方部隊を除いて前線に送れる兵力は10%ですのでおよそ1億。
 これ以上の損害をこうむると、社会が打撃を受けることになります」

 緑髪の彼女達しか知らない原作では、同盟人口は130億だった。
 同じ計算をすれば、前線に送れる兵力は6500万でしかない。
 そりゃ、アムリッツァの大敗で2000万も失えば国が傾く訳だ。

「一回の大規模戦闘で失うだろう人員の最大総定数を100万と仮定した場合、侵攻準備に四半期の準備期間が必要になります。
 その為、年三回の大規模戦闘で300万の損失を想定。
 これに定年退職者などを含め、同盟軍は年1000万の人間が常に補充されないと戦力を維持できないでしょう」

 人的資源委員の説明を聞いてヤンは頭が痛くなる。
 年間1000万の人間が何も生まない軍関連の人員に消費されるのと同義語だからだ。
 そして、この1000万という人間の数は、中規模星系政府の総人口に匹敵する。
 だからこそ、この茶番劇はその終幕に向かって加速する。

「現在、アンドロイド及びドロイドが400万体存在し、この補充を補っています。
 更に、AI搭載艦船を計画しており、このAI搭載艦船だと人員は通常の半分にまで減らせます。
 艦隊編成をこのAI搭載艦に一部置き換えた場合、人員は100万をきる事ができます。
 消耗における人的資源損失を軽減でき、艦船更新に伴う産業への波及効果は軍が消費していた人的資源を雇用できるに足りる経済効果を生み出す事になります。
 市民および議員の皆様、この拡充計画とその緊急予算案に是非賛同してもらいたい」

 最後の締めとばかりにトリューニヒトがその本題を口にすると万雷の拍手が全てを物語っていた。
 それを苦々しく見ていたヤンが毒舌を吐く。

「で、トリューニヒト氏の懐に幾許かのリベートが入ってくるか」

「あら、別にいいじゃないですか」

 後ろにいた緑髪の政策秘書は目聡くヤンの毒舌を聞いていたらしい。
 その口調が楽しそうなのがまた癪に障る。

「そのリベートで同盟軍の将兵が犠牲になると考えるとね」

「そのリベートごとき問題にならないだけのリターンを得られたのならば、政治は大成功ですよ。
 ヤン中佐は聖人君子でいらっしゃるので?」

 声のトーンに双方皮肉が入っているのはそれぞれ確認済み。
 トリューニヒトが議場で注目を浴びている瞬間、誰にも聞こえない舌戦はこうして幕を開けた。

「まさか。
 だから政治には近づかないようにしているのさ。
 己の最も醜い場面を見せ付けられるからね」

「でしょうね。
 政治は軍事と同じく結果が全てです。
 この提案で、一個艦隊あたり20万人の人員が削減できます。
 100万近い人間を戦場に出さない事は、一回の戦闘に大敗するのと同じだけの効果があるのは否定しませんわよね?」

「ああ。
 それは納得しているさ。
 ただ、私は気に入らないだけなんだ」

「貴方の作戦案をダシにされた事ですか?
 それとも、貴方の知恵や努力なんてものが簡単にねじ伏せられてしまう、戦略や政治という大局がですか?」

「……」

「せっかくいらしたのですから、
 ダシにしたお礼に一つだけ機密をお話しますわ」

 それは人形師が彼女達に与えた、原作知識から来る監視の報告だった。
 原作をここまでいじくった彼女達のある意味贖罪の為の情報提供は、ヤンに新たな知的興奮とその発案者の名前を強く刻んだのであった。

「イゼルローンに要塞が置かれてから、内乱で下落傾向の帝国国債が反転、急騰しています。
 この急騰で財を成した人物の一人に、寵妃の弟であるラインハルト・フォン・ミューゼル男爵がいらっしゃるそうで。
 あの難民問題で苦労していた彼は経済的に一息つけそうなんですが、どうもレンテンベルク要塞をイゼルローンに持っていったのが彼じゃないかと情報部では推測しています」 
 

 
後書き
 ちなみに、原作における人口は、帝国250億 同盟130億 フェザーン20億。
 20年近い休戦状態を作り出した結果、帝国300億 同盟200億 フェザーン100億ぐらいになっていると設定。
 若年人口がやっと社会の第一線に立とうとしているから、戦争による人的資源の回復はこれからと言った所。

9/28 アムリッツァの損害が2000万だったので修正。 

 

ヴァンフリート星域会戦 その一

 
前書き
設定とネタで一話終わってしまった…… 

 
 宇宙における戦闘で気をつけないといけないのは、平面戦闘ではなく、空間戦闘であるという点にある。
 つまり、中央に本隊をおいた場合、右翼・左翼だけで応対できず、上翼・下翼までつけないといけないからだ。
 で、ここからがさらに厄介で、我々人類が宇宙において戦闘をする場合、恒星系という概念に縛らせる。
 中心に自ら光を発し、その質量がもたらす重力による収縮に反する圧力を内部に持ち支える恒星が存在し、その重力の影響下に惑星が軌道を作る訳で。
 何がいいたいのかというと、恒星系というのは宇宙空間において高密度に『ゴミ』が多いのだ。
 そんな中にワープで突っ込もうものならば、大事故が起こりかねない。
 かくして、人類が恒星間航行を手にしてから、幾多の大事故と犠牲者の上にルールを作り上げる事に成功する。

1) 恒星間航行を行う船は、恒星系における短距離ワープを硬く禁止する

 ワープアウト先が石の中ならばまだ幸せで、ガス星に突っ込んで恒星にしてしまうなんて事故がないようにという配慮である。
 そんな事を軍事利用した輩もおり地球とシリウスの星間戦争末期では、無人の地球艦によるカミカゼワープによってある程度の惑星やコロニーに被害が出た結果とも言う。
 地球のあの最後はこれまでの所業だけでなく、末期の自暴自棄的自滅も関わっていたり。

2) 恒星間航行を行う船は、ワープイン・ワープアウトを恒星重力圏外にて行う

 極力事故を起こさないために必要な配慮であり、同盟軍においてはワープ機能を持たない護衛艦の行動限界距離でもある。
 その為、恒星間航路においては、この恒星重力圏外――ジャンプ・ポイント――を確保、管理できるかというのが重大な焦点となるのだが、思い出して欲しい。
 宇宙空間というのは空間であるがゆえに、ジャンプポイントはとてつもなく広い。
 ここに経済という物差しの出番がやってくる訳だ。
 もう少し補足すると、ワープは今でも娯楽として続けられているゴルフにたとえられる事が多い。
 要するに、何処に飛ばしたいかでクラブ(ワープエンジン)を変える必要があるからだ。
 そして、軌道上をかなりの速度で回っている惑星やさらにこの中で高速に回っている衛星やコロニーに直撃させるのは、ホールインワンを狙うようなものと士官学校では教えられている。
 つまり、『出にくいが出ないことはない』レベル。
 その為、各星系の警備関連の仕事の大部分は、海賊退治や救難要請よりも漂流しているごみ掃除と短距離ワープで惑星などを狙いやすいジャンプポイントの監視が大部分の仕事となっている。

3) 航路誘導宇宙ステーション(通称灯台)管制官の指示に従う

 この組織は、人形師が政権を取った時にいの一番にフェザーンを巻き込んで帝国に働きかけて国際条約(もちろん、表向きにできないのでフェザーンの提案に帝国と同盟が個々に乗ったという形になっている)にした経緯がある。
 彼ら灯台が仕事ができないようだと戦後の復興すらままならないから、これらの灯台を中立機関として位置づけたのである。
 その結果、この灯台にて非公式会合や捕虜交換などが行われ、中立系メディアのスクープ等幾多の物語が生まれるのだがそれはおいておこう。
 原作を知っていた人形師はフェザーンが占領されてここの航路データが同盟征服に利用された事を知っていたが、あえてこの重要情報を自分の手の届かない所に置いたのはこの中立性を期待したからだ。
 踏み潰して接収するのはたやすい。
 たが、それをすれば『善意で動く連中』を敵に回す。
 第二のルドルフを狙うのならばそれもありだろうが、健全な批判勢力となりうる彼らを力づくで従えるデメリットを、これから出てくる綺羅星の将星達が理解できない訳がない。
 恒星系重力圏ぎりぎりの所に設置されたこれらの宇宙ステーションがジャンプポイントの管理を行い、船舶を経済的な航路に乗せて目的地に導いてゆくのだ。
 専制国家ゆえに貴族の横暴と官僚組織の肥大化が激しい帝国では、この灯台守の維持と中立がなかなか守られずに物流の硬直化の一因となっているが、フェザーン星系などではあまりに大量の船舶を裁く為に航路管制官にファンがつく始末。
 そんな航路管制官がクラスチェンジする管制主任ともなると、

「フェザーンの黒いあんちくしょう」
「キャーカンセイシュニンサーン」

 とファンが黄色い声をあげるんだとか。なんとか。
 話がそれた。

 これらは民間航路の話である。
 では、交戦地域星域の場合どうするのか?
 実は結構守られたりする。
 先にも言ったとおり、灯台はある種の中立が求められるから、戦場が領国内である同盟はこの遵守に拘った。
 一方、帝国はこの灯台を占拠して貴重な航路データを得た事も何度かあったが、そのたびに激怒したフェザーンからの経済制裁を食らったのである。
 で、それが帝国の宮廷政争の餌になり、灯台占拠を命じた人間が左遷されるという報復が分かるようになると自然と攻撃の手も緩まる。
 加えて損傷激しい帝国艦がこの灯台に逃げ込み、艦船は同盟が押収したが船員はフェザーン経由で帰還できたなど、帝国もこの中立機関の効能に気づいて手を出さなくなっていった。
 とはいえ、流れ弾やミサイルが当たり犠牲者が出る事もあるので絶対安全とはいえないのだが。

「ワープアウト。
 ヴァンフリート星域灯台からの航路誘導波キャッチしました。
 司令部に転送します」

「了解。
 こちらの航路データと照合。
 修正します」

 同盟と帝国の人間を同数入れたフェザーン企業によって運営される灯台は、その最新航路データを航行艦船に送っている。
 特に、このような戦場域での灯台の設置は同盟も帝国も懸念の声が上がっていたが、フェザーン側の強い要望で設置したという経緯がある。
 その意味を、新型巡航艦ラトの艦長であるヤン中佐が艦長の机の上に座ってぼやく。

「フェザーンは、これから戦闘が激しくなると読んでいるんだろうな」

(正確には、激しくさせると言った所か)

 あえて呟かなかった事を考えるためにヤンは頭に載せているベレー帽越しに頭をかく。
 フェザーンは先の帝国内戦で敗者側に全額投資して大惨敗を喫したばかりである。
 商人国家だから大損をどこかで回収する算段なのだろうが、とりあえずイゼルローンに帝国軍の要塞が置かれた事による軍事緊張を使って何かするつもりなのだろう。
 だが、その何かまでヤンは分からない。
 同盟は現状においてイゼルローン攻略戦を行うつもりはまったくない。
 帝国は外征よりも内乱の傷を癒す為の時間を欲している。
 次々とワープアウトするヤンが所属する第五艦隊艦艇を眺めながら考えていたヤンが、ひときわ新しい艦隊母艦の姿を見て口笛をふく。

「どうしました?艦長?」
「なに、美しい船だと思ってね。
 ケストレル……だっけ?」
「はい。ケストレルです」

 緑髪の副官もヤンが眺めるモニターを一緒に眺めるがこの船は艦隊母艦ではない。
 ケストレル級航宙母艦一番艦。ケストレル。
 そのコンセプトは単純明快。

『搭載量が命の宙母ならば、艦隊母艦の船体で宙母作ってみたらよくね?』

 10000メートルの艦隊母艦用船体を使った結果、これ一隻でスパルタニアン3000機を運用できるという文字通りの化け物宙母。
 もちろん、強襲揚陸艦も搭載可能になっており、近距離の殴り合いにおいて無類の強さを誇るだろうという触れ込みで作れた船。
 予算案が通った事によって、艦隊人員の削減とAI艦の搭載が決定している為、当時偽装中だったこのケストレルはその実験艦とされたのである。
 複数のスパルタニアンを同時にコントロールできる無人AIシステム『メイヴ』を搭載してはいるが、スパルタニアン半分は有人パイロットが操縦していたりする。
 最初は完全全自動を目指していたのだが、それに異を唱えた四人のパイロットが模擬戦にて『メイヴ』システムに完勝してしまった為である。
 そのパイロットの名前は、

 オリビエ・ポプラン
 イワン・コーネフ
 ウォーレン・ヒューズ
 サレ・アジズ・シェイクリ

 の四人で、いまや同盟軍のトップエースとなった連中である。
 『メイヴ』の学習が追いついていないのか、人間に出てくるある種の天才に究極の汎用性であるAIが対応できないのか研究者の間でもこの模擬戦の評価は分かれているという。
 このあたりはケストレルを旗艦にしている分艦隊司令アップルトン中将の腕の見せ所だろう。
 今回の任務は、ある意味ケストレルの為に作られたと言っても過言ではないのだから。

「今回の任務はヴァンフリート星域に作られた、帝国軍の基地への攻撃だ。
 敵基地はイゼルローンの要塞防衛の拠点のひとつとして整備された可能性が高く、ここを攻撃する事によって敵の出方を見るというのが任務となる。
 基地の攻撃が主軸ではなく、あくまで帝国軍の出方が目的だから履き違えないように。
 ケストレルのスパルタニアンがヴァンフリート4=2にある敵基地を攻撃。
 残りは来るであろう帝国軍の後詰を叩く。
 作戦期間は攻撃開始から一週間。
 距離的に考えて、基地攻撃から三日で帝国軍がやってくる可能性が高い。
 皆、気を緩めないで任務に励んで欲しい」

 巡航艦ラトはその下に百隻ほどの駆逐艦がつけられている。
 彼らを生きて故郷に帰すのもヤンの仕事なのだ。
 敵が内戦の傷を癒すために防御しているのは分かっている。
 その為にイゼルローンに要塞を持ってきたのだから。
 だが、要塞を最前線にするつもりは帝国軍も考えてはいないだろう。
 要塞を拠点にして警戒拠点や防御拠点を作り、同盟軍の攻撃を可能な限りひきつけて消耗させる必要がある。
 それは同盟軍から見ると、これらの拠点が侵攻用になりかねないので潰す必要がある訳で。

「要塞には手を出さないが、要塞に直接攻撃できる環境は維持する必要がある」

 というのが同盟軍の基本方針となった。
 そうなると、本来ならば分艦隊、もしくは戦隊対処の戦闘で十分なのに一個艦隊を用意したのはいくつか理由がある。
 まずは最初だからというのが大きく、レンテンベルク要塞で整備・補給ができる15000隻全力出撃に応対するという必要があるからだ。
 その為、作戦開始から三日後には、第二艦隊もヴァンフリート星域近くで『演習する』という念の入れよう。
 次に、ヤンも言ったが同盟軍が要塞に対するアクションを起こす事で、帝国がどのように応対するか見極めるというのが一つ。
 現在でも帝国軍は無理をすればという注釈つきだが、50000隻近い船で同盟に侵攻する事ができる。
 この侵攻戦力をこの手の小規模戦闘で少しずつ間引いていこうという作戦を統合作戦本部では立てていた。
 こちらが無理せずに投入できる艦艇は75000隻。
 相手が50000隻ならば防衛戦とはいえ少し心もとないので削っておこうという訳だ。
 この50000隻にレンテンベルク要塞の防衛艦隊が出る事はないだろうが、防衛艦隊が消耗し整備・補給に追われれば、それだけ侵攻艦隊の船が減るからだ。
 最後はやっぱりというか、ある意味同盟の宿命なのだが、政治である。
 帝国に要塞を置かれましたが何もしませんでは市民が不安がるのも無理はない。
 対策があると議会で大見得を切った以上、目に見える成果が必要だったのである。
 それを、損害の激しい要塞の攻撃ではなく、要塞攻撃ができるように前線の基地攻撃によって政治的得点を作り出すという所で、政治家と軍人が折り合った政治的妥協を知っているヤンはその時点で頭が痛くなるが誰も助けてはくれない。
 なお、こんな妥協を作り出した緑髪の軍人及び政策秘書のお言葉を披露すると、

「要塞を攻めてもいいですが、ハイリスクですよ。
 将兵が有権者である事をお忘れなく」

 の一言と人的損害と各選挙区の有権者人口データをつきつけて説得したらしい。
 一会戦で中規模都市の有権者がまとめて消えるという事実は、人口の少ない辺境部にとっては死活問題になりかねず、しかも辺境部の主要産業が軍関連だから国防族議員はのきなみ多数の人命が失われる要塞攻撃に反対。
 逆に、首都星系の議員は無党派を相手にしているので要塞攻撃を強行に主張するなんて光景が見られたりするが、彼ら無党派は友愛党政権の具体策無き理想の無様さを知っているので、現実的落とし所に納得していた。

「時間です。
 ケストレルの攻撃隊発艦します!」   

 

ヴァンフリート星域会戦 その二

「ケストレル攻撃隊より入電。
 敵基地完全に撃破。
 二次攻撃隊の必要なし。
 繰り返す。
 第二次攻撃隊の必要なし。
 以上」

 ケストレル攻撃隊を中核とするアップルトン分艦隊の攻撃は、スパルタニアン数千機という数の暴力によって数時間後には跡形もなくなっていた。
 この為、陸戦隊を中心とする第二次攻撃隊は出撃を見送ら、救援にやってくるであろう敵の攻撃を待ち受ける事になる。

「艦長。
 敵さん来ますかね?」

 ラト副長のラオ少佐がヤンに尋ねたのは、敵の来寇予定と想定している三日目の事。
 ヤンは船長の机の上であぐらをかきながら、モニターをじっと眺めていた。

「来るかどうかで敵の見方が変わるさ。
 もっともやっかいなのは、敵が出てこない事だね」

「それはどうしてなんでしょうか?」

 緑髪の副官がヤンとラオ少佐の為に飲み物を持ってきて尋ねる。
 この間のアップデートで、退役したチャン・タオ軍曹の技術を得たとかで懐かしくも芳しい紅茶の香りがヤンの鼻をくすぐる。

「こちらが基本戦略を公表しているからさ。
 『イゼルローンの要塞に攻撃しない』とね。
 それならば、この基地は見殺しにできる」

 さらりとえげつない事を言ってのけているが、それは同時にこのあたりの施設は無人化および放棄しても構わない訳で。
 ヤンからすれば、もともとこんな施設を作る事がばかばかしく思えてしまう。

「イゼルローンにおいてある要塞は移動要塞だ。
 こっちが攻めてきたらアムリッツァまで下がって、帰った後にまた戻ればいいんだよ」

 移動要塞というげてものの厄介な所はここにある。
 足があるからやばければ逃げられるのだ。
 莫大な時間をかけるイゼルローン内の鬼ごっこになるのは見えていたからこそ、同盟軍はこの要塞の攻略をあきらめていたのである。

「あの移動要塞が前に、つまり同盟領に出てきたらどうします?」

 ラオ少佐の質問にヤンは苦笑して答えた。
 むしろ、楽しそうにという感じの方が近いのかもしれない。

「その時点であの要塞の価値が半減するね。
 あの要塞はイゼルローン回廊を塞ぐ事で戦略的価値を作り出している。
 そして、あのでかさだ。
 必要な物資は膨大なものになるだろうね」

「あ!」

 ヤンの言葉に緑髪の副官が気づく。
 我々は対移動要塞戦術をとっくの昔に完成させている事を。

「艦隊母艦ですね。
 あれを艦隊母艦と同じように考えればいいんですね」

「正解。
 私も一時『イゼルローン回廊を掌握してしまえば勝てる』なんて考えていたんだけどね。
 その選択は、同盟が帝国に対して国力が優位に立っていないと成り立たないんだよ。
 確実に決戦が発生し、数度にわたる決戦で人的経済的資源の消耗に耐え切れないと塞ぐのは不可能だ。
 敵の側に立って考えてごらん」

 もちろん、史実を知っていた緑髪の副官はイゼルローンを取ってしまったが為に同盟に何が起こったかよく知っていた。
 だからこそ、人形師は躊躇う事無く、建設途中のイゼルローン要塞を破壊してみせたのである。
 これによって帝国軍は同盟領内という先の見えない奥地で決戦を強要されて、ずるずると負けて人的・経済的資源を失っていったのだから。

「艦長。
 帝国にはまだいくつか要塞があったと思いますが、そいつらが出張ってきたらどうするんです?」

 ラオ少佐の質問にヤンは紅茶を飲み干した紙コップを置いて答えた。

「むしろ歓迎すべきことだ。
 拠点をつけて移動するしかないって事は、要するに長距離侵攻能力の途絶を意味するんだから。
 間違いなくその一戦、たぶん決戦になるだろうけど、それに勝てば帝国経済は再度崩壊してまた十数年ばかりの平和を堪能できると思うよ」

 オペレーターが急を告げたのはその時だった。

「司令部より入電!
 艦隊規模のワープアウト反応を確認!」

「第一種戦闘態勢発動!

 各艦に伝令」

「了解」

 ヤンの命令にオペレーターが答え、ラオ少佐が敬礼して予備指揮所に駆けてゆく。
 万一艦橋がやられても艦を運営する為の処置だ。

「ところで艦長。
 机ではなくて、椅子に座っていただけませんか?」

「こっちの方がおさまりがよくってね。
 ところで、敵の艦隊の指揮官は分かるかな?」

 繰り返される他愛の無いやりとりが心を落ち着ける。
 とはいえ、机に座る艦長というのはかっこ悪いので副官以下、艦橋の全員が椅子に座ってくれたらなぁと思っている事は公然の秘密となっている。

「変更が無ければ、シュターデン提督かと。
 無人艦隊理論を提唱して、イゼルローンに配属されたはずです」

 来寇する敵艦隊の人事情報が分からないほど同盟の諜報組織は衰えていない。
 特に、将官の配属先データは機密であるが、機密とは呼べない代物だったりする。
 具体的には、フェザーンのダミー会社を使って、帝国軍にこう尋ねたに過ぎない。

「さるお方から彼宛に荷物を届けたいのですが、どちらに送ればよろしいので?」

 もちろん、この手の荷物は軍が預かって軍内部の輸送部隊が運ぶのが筋だが、皇帝を頂点に貴族達が君臨する銀河帝国において『さるお方』を探る事は危険すぎるのだ。
 その為、荷物を預かった後の受取届でオーディンより何日後と分かれば、その周囲の基地や艦隊に当たりがつけられる。
 低優先度の将校などは、このダミー会社自身が届けるという杜撰ぶりで、物資移動と将兵移動によって帝国軍の動向はかなりの精度でフェザーンを利用しなくても確認できていた。
 で、話題のシュターデン提督自身はコーディネーターではないのだが、コーディネーターに人類の未来を見たらしく、それに関する論文などを発表している。
 なお、そのコーディネーター優先主義の大本は、

「人類は、優れたコーディネーターである帝国貴族によって管理運営されるべきである!」

 と、呼ばれる主張によって立脚・構成されているのだが、その大元がよりにもよって人形師が名前を変えてフェザーン経由で流したのを知っているのは緑髪の彼女たちだけ。
 話がそれたが、シュターデン提督の主張はドロイドを主体とする無人化の推奨とコーディネーターによる管理の省力化であり、基本人間を信用できない帝国貴族達からの支持によって実験を兼ねた艦隊が与えられたのである。
 
「だとしたら、馬鹿ですね。彼。
 この理論の危険性に気づいていないんでしょうか?」

「気づいても無視しているかもしれないよ。
 何しろ帝国貴族は人を信用していないからね。
 貴族の私兵ぐらいならば、彼の理論でも問題はないさ」

 この手の議論は既に同盟では結論が出ている話である。
 というか、考案した人形師自身がこの案を真っ先に否定したのだから、緑髪の副官の馬鹿発言に繋がっている。
 ヤンは緑髪の副官よりもう少し人間というものを知っていたから、馬鹿にするより同情を感じてしまったのだが。

「偵察隊。敵艦隊を確認!
 敵偵察隊と戦闘を開始しました!」

「偵察隊との戦闘データを回してくれ」

「モニターに出します」

 ヤンの指示でオペレーターが偵察隊の交戦データを映し出す。
 そこに映し出されていたのは、画一的な動きをする敵艦隊の姿だった。

「司令部より入電。
 全艦電子戦の準備をされたし」

「副長に連絡。
 サブシステムの立ち上げ準備を」

「了解」

 次々と情報が入り、それに対する指示を出していたヤンに副官が声をかける。
 確認の為だが、ヤンも指示が終わった後に副官の質問に答えた。

「艦長。
 艦長は『もっともやっかいなのは、敵が出てこない事』とおっしゃっていました。
 今回の敵の全力出撃を艦長はどう評価なさいますか?」

「そうだね。
 ただの馬鹿でないならば、『実験艦隊の功績を立てたい』あたりが妥当な線じゃないかな」

 その考察は的をついていた。


 戦いは、同盟軍12000隻、帝国軍15000隻によって始められた。
 数で優位にたっている帝国軍は中央・右翼・左翼の三つの集団を作り上方と下方にも艦を広げて同盟軍を包囲しようとする。
 一方の同盟軍は中央に艦隊母艦とシールド艦を集中配備し、敵の包囲攻撃に対する防御を固めながらゆっくりと後退する。

「撃て!」
「撃て!」

 双方ほぼ同時に砲撃が始まり、モニターに映る無数の蛍火の先で少なくない人命が消えてゆく。
 ヤンの配下の駆逐艦にも数隻の撃沈が報告されるが、ヤンは顔色を変える事無く指揮を続ける。
 ゆるやかな後退を続けること二日。
 変化は急激に、そして端的に現れる。

「辺部より敵の落伍艦多数存在」
「無視しろ。
 まだ砲撃を行っている艦を集中的に叩け」
「了解」

 艦隊戦というのは、ビームやミサイルを撃ち合うだけではない。
 センサーのジャミングや、コンピューターのダウンを狙った電子戦だって行われているのだ。
 帝国軍の落伍艦はこのウイルスにやられてダウンした艦である。
 アンドロイドとドロイドの違いは、スタンドアローン機能があるかどうかによって識別されている。
 ようするに、艦のメインコンピュータから命令されて動くのがドロイドであり、自立頭脳を持っているのがアンドロイドな訳だ。
 という事は、艦のメインコンピューターをウイルスなどでダウンさせると、ドロイドは使い物にならなくなる。
 ウイルス戦自体は今までの戦闘において数限りなく行われていたのだが、今回みたいな顕著な成果が出たのは、ヤンと副官が話した危険性である。
 コーディネーターはたしかに優秀だ。
 だが、少数のコーディネーターで艦の管理、戦闘指揮、電子戦など全て行える訳が無い。
 少数という事は、替えがきかないことを意味する。
 その結果疲労が蓄積し、戦闘後半部において一気に露呈したのだ。
 緑髪の彼女達が原作が近づくに連れて損害が急増するにも関わらず、艦の人員を半分残した理由がこれである。
 メインコンピューターがダウンしても手動のサブシステムで最低限の戦闘ができるぎりぎりの人数がこれだったのだ。
 落伍艦の数を考えれば、無人艦を集中管理している可能性すらある。
 そこを狙われて、更に落伍艦が増えてゆく。
 帝国軍が落伍艦を再起動して掌握する暇を与えないように、集中的にネットワークの中継艦を狙ってゆく。
 この単艦攻撃には単独行動が得意なケストレルのスパルタニアン隊が大いに役に立った。
 そして、コーディネーターでも勝てないと帝国軍の心を折る一撃が無慈悲に叩きつけられる。

「援軍です!
 第二艦隊が援軍に駆けつけてきました!
 全回線を使ってね第二艦隊から全艦に伝令!
『遅れてすまぬ。
 ディナーはまだ残っているか?』だそうです!!!」

 艦橋内であがる叫び声と舞うベレー帽。
 それとは対照的に、帝国軍は明らかに撤退に移っていた。
 それを見逃す同盟軍ではない。
 コーディネーターはたしかに優秀だ。
 だからこそ、数で押せばいい。
 こうして、シュターデン艦隊は二個艦隊の挟撃を受けて半分以上を失う大敗北を喫して、イゼルローンの要塞に逃げ込む羽目になった。
 その半分の損害のうち、3000隻近い無人の落伍艦を鹵獲した事をここに付け加えておく。
 

 

間話その一 あるフェザーン商人が見た景色

「ミッションを連絡します。
 依頼主は銀河帝国企業連合、通称インペリアルユニオンからの無制限、最重要依頼です。
 目標は自由惑星同盟最新鋭艦隊母艦ケストレルの撃沈。
 このミッションに際して、支援艦隊及び十分なバックアップを依頼主は約束しています。
 インペリアルユニオンは貴方の参加を……」

「聞かなくていいんですか?艦長?」

「聞くだけ無駄だろう。
 何が悲しくて同盟最新鋭艦隊母艦に特攻をかけねばならんのだ?」

 モニターに映し出されていた依頼に対してキャンセルを押して、ボリス・コーネフはあきれた声で呟く。
 民間独立宇宙商船「ベリョースカ二世号」を中心に十隻の船団を擁するフェザーンの交易商人とて依頼を選ぶ自由は与えられているのだ。
 それを指摘したマリネスク事務長も苦笑するしかない。

「何でも、この間の戦いで、多くの帝国貴族の坊ちゃんが戦死なさったとかで」

「ああ。
 コーディネーターとドロイドの実験艦隊か。
 実戦で結局惨敗して帝国貴族の家では葬式が頻発と。
 理論と実戦は違うって事だろうな」

 なお、生きて帰ったはずのシュターデン提督はオーディンに召還途中に自殺しているが責任を取らされた事は誰もが知っていた。
 そして、傲慢たる帝国貴族は自らの息子の仇であるケストレル撃沈を、企業連からの依頼で傭兵や海賊にて片付けようとしている訳だが、これは二つの事実を端的にあらわしていた。
 一つは帝国軍が現状ケストレルを撃沈する能力が無いという事。
 アルレスハイム星域会戦、帝国内戦ことリッテンハイム戦役、先のヴァンフリート星域会戦によって、帝国軍は五万隻近い艦艇を失っていた。
 人的被害まで入れたら七百万を越える損失である。
 だからこそ、その傷を癒す為の時間を欲し、少人数で運営できると売り込んだシュターデン艦隊をイゼルローンに送り込んだのだが、結果はご覧の通り。
 貴族内部がブラウンシュヴァイク公でおおよそ統一された事もあって、彼の私兵が帝国正規軍に組み込まれたが、それによってかえって錬度が下がる始末。
 しばらくは本当に帝国軍は同盟領に侵攻などできる状況では無くなっていた。

 そして、もう一つは、こんな依頼を誰も受けないぐらい海賊や傭兵勢力が消耗しきってしまっていたという事。
 以前だったら、海賊や傭兵なんてならずものも多く訓練途中の艦隊母艦ぐらいならば襲える事ができたかもしれない。
 だが、そんなならずもの達がリッテンハイム戦役によって軒並み一掃されてしまったのである。
 ボリス・コーネフと彼の船団が拡大したのもこれが理由である。
 同盟側と交易があり、海賊行為に手を出さなかった事で帝国内戦に加わらなかった独立商人達は、結果として圧倒的供給不足に陥った現状で身代を急速に膨らませたのである。
 もちろん、それは同盟とのつながりのおかげというのはよく分かっているので、フェザーン内部は現在同盟派の春と化していたのである。
 もちろん、悪がはびこるのが世の常だから、ならずもの達は少しずつ宇宙にまた広がろうとしていたが、そんなひよこどもに艦隊母艦なんて化け物の掃討などできる訳もなく。
 そして、能力があるならずもので最も有望そうなのが、カストロプ公国などをはじめとしたリッテンハイム戦役の敗残者達というのだから依頼を受ける訳がない。
 かくして、手当たり次第に依頼をばら撒いて、各所から嘲笑を浴びる羽目になっている。

「結局、この戦争どうなるんでしょうね?」

 マリネスクがコーヒー片手になんとなしに呟く。
 友愛党政権時における同盟の政治混乱につけ込んで始められた近年の帝国による同盟侵攻は、これによって完全に頓挫してしまっていた。
 下手したら帝国の戦力回復には数年かかるかもしれず、また自然休戦になるのではという観測もあるにはあるのだった。

「どうだろうな。
 同盟はともかく、帝国はもう一波乱あるかもしれんぞ」

「皇帝の寿命ですか」

 リッテンハイム戦役によってルードヴィッヒ皇太子が薨御したのに、帝国内部の建て直しの混乱からか後継がまだ立てられていない。
 そして、はやくもフェザーン商人達は、生き残ったブラウンシュヴァイク公とリヒテンラーデ候の争いを掴んでいたのである。
 貴族内部がブラウンシュヴァイク公でおおよそ統一された事によって、第2次ティアマト会戦以降実力主義となった軍と利害関係が対立しだしたのである。
 先に述べた私兵の帝国軍編入やコーディネーターによって管理されたシュターデン艦隊の編成などは、ブラウンシュヴァイク公の軍掌握の手段と見られており、現在の軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官と激しく対立したのである。
 これに、帝国宰相であるリヒテンラーデ候が軍側についた事で宮廷内抗争にまで発展。
 このままでは、内戦の建て直しどころか、更なる内戦が勃発しかねなかった。

「そうだ。
 だからだろうが、同盟の方が軍備に力を入れてやがる。
 あのケストレルなんてのが良い例さ」

 この帝国内部の政治対立を同盟側も掴んでいるのに、イゼルローン回廊に移動要塞が置かれた事を奇貨として無人化の推奨による艦艇更新を一気に進めようとしていた。
 その結果、旧型艦としてフェザーンにかなりの数の艦艇が有償譲渡されており、ボリス・コーネフの船団とてそのおこぼれをもらっているから文句は言える訳が無い。
 実は、帝国内戦で敗れた連中のかなりの数が海賊化して同盟領内に逃れたので同盟領内の航路の治安が悪くなっていたのである。
 その為、『ベリョースカ二世号』はフェザーン製の最新鋭巡航戦艦で、大型輸送船六隻には装甲がつけられ、同盟からの有償譲渡で手に入れた駆逐艦三隻によって構成されていた。

「とりあえず、まともな依頼の方を見てみませんか?船長」
「ああ。
 もっとも、現在だと同盟一本なのがうれしいやら困るやら」

 マリネスクに促されて、ボリス・コーネフがモニターを再度つける。
 いくつか依頼を確認して、これかなと思う依頼を映し出す。

「ミッションを連絡します。
 依頼主はマーキュリー資源開発。
 ミッション概要は、惑星ウルヴァシーから惑星ハイネセンまでのレアメタル輸送です。
 依頼主はこのミッションを重視しています。
 成功すれば、貴方の評価は更に高くなるはずです。
 良いお返事を期待していますね」

「ミッションを連絡します。
 依頼主はアパチャー・サイエンス・テクノロジー。
 ミッション概要は、当社製造アンドロイド、『瀟洒』1000体のフェザーンへの輸送です。
 『瀟洒』シリーズは帝国内において需要が高く、また高価値商品なので海賊からの襲撃が予想されます。
 なお、依頼主は護衛の為に支援艦艇の採用を認めています。
 候補はこちらで揃えましたので、必要であれば採用してください。
 このミッションは信頼ある方にしか配信されておりません。
 連絡をお待ちしております」

 モニターに移った依頼とそれを読み上げる合成声を聞きながら、マリネスクがコーヒーを飲みながら苦笑する。
 そのマリネスクの苦笑の理由を知っているだけに、ボリス・コーネフの方は横を向いてしまう。

「信頼のある方ですか。
 730年マフィア最後のお気に入りとお友達というのは強いですな」

「皮肉なもんだ。
 子供時代の悪戯仲間が今や、同盟軍若手の有望株の一人と来たもんだ」

 アパチャー・サイエンスとの取引はもちろん、原作を知っていた彼女達の引き上げでしかないが、彼ならば帝国内戦に深入りしないだろうという読みもあった。
 その才能に対しての敬意が、先の同盟議会で表沙汰になったヤンを利用した取引な訳で、二人は見事に勘違いをする事になる。
 賄賂に当たらないように同盟の法律を確認しつつ、ヤンにボリス・コーネフからの連絡が行くようになるのはこのあたりからである。

「その船長の悪戯仲間だったヤン中佐ですが、先のヴァンフリート星域会戦に参加して生還したそうですよ。
 次は大佐じゃないですか?」

「可能性はあるかもしれないな。
 コネを悪用するつもりは無いが、向こうが信頼してくれるのならば、それに対して誠意をもって返さんとな。
 さてと、仕事に戻ろう。
 フェザーンからウルヴァシーまで空荷はもったいないので何か積んでいこう。
 市場をチェックしてくれ」

「わかりました。
 ついでに、この二つの依頼の受諾メッセージ送っておきますよ」

「頼む」

 マリネスクの予言は的中する。
 帰還後の人事によってヤンは大佐に昇進し、戦艦セントルシア艦長として本格的に人を指揮する立場に立たされたのだから。
 

 

メイドと少年と大佐と仲間達

 同盟軍宇宙艦隊における『ガラスの壁』は主に二つある。
 一つは少佐で、駆逐艦艦長職がこれにあたる為、たたき上げの終点とも言われている。
 駆逐艦以下の小型艦の艦長をしている者(大体大尉)でも、退役前に少佐に出世するのが慣例となっており、多くの人間はここから先に上がる事は無い。
 そして、そんな少佐の壁を突破した人間への第二の壁となるのが大佐である。
 戦艦や航宙母艦の艦長職、および戦隊の参謀職など大局をコントロールする立場に否応無くおかれるが、それゆえにやりがいのある仕事とも呼ばれている。
 ここから先の将がつく階級になると、才能だけでなく政治力なるものが絶対に必要になってくる。
 そして、あまりの艦の多さから戦時任官のはずなのにいつの間にか組み込まれてしまった代将と、その先にある准将は現状では命を賭けなければならない。
 帝国との交戦によって必ず欠員が出てしまうからだ。
 よって、この大佐というガラスの壁を越えるのは才能は当たり前として、『政治力』と『運』が大事になってくる。
 なんて事を考えつつ、足の踏み場も無い自室のベッドでまどろみながら受け取ったばかりの大佐の階級章のついた制服を眺めながら、ヤンは二度寝を決め込んだのだった。

「こんにちわー。
 清掃ボランティアにやってきました!」

「ユリアン・ミンツと申します。
 今日はよろしくお願いします」

 その二度寝を破ったのが、地域ボランティアで清掃活動をしているというアンドロイドと少年の二人組。
 市民を守る軍人ゆえに守る市民と触れ合うべしという人形師の理念によって始められたこの清掃ボランティアだが、もちろん狙いは両親が生きているのでヤンとユリアンを引き合わせる為のしかけである。
 アンドロイド達の苦闘の末の回答がしのばれる。
 独身軍人を中心にした清掃ボランティア活動の政策化で、軍人家庭の子供を対象に軍への関心を高めてもらうという表向き狙いから、市民と軍用アンドロイドのペアで掃除を行っている。
 権力の乱用ではあるが、それを指摘できる人間はいない。
 何しろ、『アンドロイドとの融和を図る為』という政治の森にそんな些事が隠れているなんて分かる訳がないからだ。
 で、独身男性のある意味当然といえる杜撰な生活が暴露されて、同盟議会で問題視される羽目に。

「部屋の片づけすらできずして、帝国軍を破る策が思いつくと思うのか?」

 という友愛党議員の指摘に同盟軍内部にて綱紀粛正の動きに繋がったりするから案外馬鹿にならない。
 なお、この綱紀粛正運動はドーソン中将をリーダーとする同盟軍風紀委員会なるものを生み出し、友愛党政権の理想と無能と無責任の象徴となって友愛党政権が崩壊するまで軍内部の怨嗟を一心に浴びる事になったりするがそれは別の話。
 話がそれた。 
 そんな政治背景があったにも関わらず継続されているのは、ユリアンの為なんて分かるはずも無く。
 対面上は、スポンサーであるアパチャー・サイエンス社の本格的に出回ってきたリトルメイドシリーズ『瀟洒』のお披露目イベントという恣意で本意を隠している。
 なお、この手の政治手法を人形師はとても良く好んだ。

「あいにく私は賢者でもなく、清貧に甘んじるほど聖者でもない。
 集まった利権は少しは懐に入れるさ。
 だが、それ以上に市民の懐を満たす事を私は約束しよう。
 私が市民の懐に入れる利権。
 それは平和だ」

 彼が生前のたまわった政治手法を他の転生者が見たならば、その転生者がある程度の年ならばきっとこんな言葉が出てくるだろう。
『今太閤』と『闇将軍』と。
 地球の記憶が曖昧になったこの銀英伝世界においてその言葉が呟かれる事はない。
 そして、その清濁併せ呑んだ政治を平和の果実を得た自由惑星同盟は許容した。
 経済成長の基礎は治安改善と平和からというのは、間違っていないのだ。

「いらっしゃい。
 君達が来るのを待っていたよ」

「……そう言って、本当に掃除をするのはこのあたりではこの家ぐらいですよ。大佐」

 『瀟洒』シリーズの副官バージョンとして用意した彼女は相手がヤンという事もあってさらりと毒舌を吐く。
 なお、その毒舌の元がどこから来たと尋ねられた彼女は、ヤンの先輩の名前をあげた事でヤンに頭を抱えさせたのだがそれはおいておくとして。
 ユリアンがこのメイドと共にヤンの家に来るのはこれが三回目となる。
 というか、大佐ともなると高給取りでかつ命のやりとりの高さから家族を持っているか、この手のアンドロイドメイドを雇っているのがほとんどだったからだ。
 ヤンがそれを雇わなかったのは、めんどくさいというのとアンドロイドを買う金があるなら資料を買うという趣味人だったからに他ならない。
 なお、そんな状況だからこそ、他のボランティアとメイドは対象家庭の人と共に地域清掃に勤しんでいるはすである。
 さっきまでユリアン達もその地域清掃に勤しんでいたのだ。
 ヤンは堂々と二度寝に勤しんだが、それがある程度許容されているのは、彼が戦場帰りというのも大きい。

「生還おめでとうございます。
 そして、大佐昇進おめでとうございます」

「……ありがとう」

 ユリアン・ミンツは後に語る。
 あの人ほど昇進の祝いに嫌悪感を出した人は居なかったと。
 そして、一人と一体による部屋の制圧作戦が開始される。
 敵は資料という名の書籍。
 分類して棚に直してゆくのだが、ヤンからすれば読みやすいように置いているのでこれが結構不満だったりする。

「ああ、できればその本はそのままにしてくれないかな?」
「堂々と部屋の中央に積まれていると邪魔です。
 ちなみに、この書籍の塔は前回もありましたし、動かされていませんでしたよ」

 こういう時にアンドロイドは無敵だ。
 何も言えずに撃沈されたヤンを尻目に、部屋の中から床が現れてゆく。

「そういえば、お父さんは元気かい?」
「はい。
 キャゼルヌ准将の下で忙しそうに飛び回っています」
「私より、先輩の方が忙しいだろうになんであんなに家族サービスができるのやら……」

 ヤンのぼやきもある意味当然で、シンクレア・セレブレッゼ大将が率いる後方勤務本部の実務全般を取り仕切り、その実務で戦場に出る事無く准将の椅子を手にしたのだから。
 なお、彼も参謀コースの出世の間に艦長職を経験していたりするが、その艦が同盟軍の軍専用輸送船。
 しかも、彼が艦長だったその船の航路の経済効率が数割上昇するという伝説までつくる始末。
 ヤンの『忙しい』発言は先の緊急軍備予算の可決成立によって艦隊の更新が前倒しされ、旧式艦をフェザーンに有償譲渡する現場責任者だからに他ならない。
 それほどのど修羅場なのにも関わらず、五時には家に帰り、休日は家族と過ごし、そして事務は不正も不明もなく適正かつ円滑に進んだというのだから恐るべし。
 この一件にて、シンクレア大将は後方勤務本部初の上級大将に昇進する事になり、同盟軍の防衛戦における物資輸送の円滑化は常に帝国に対して優位に行えるようになる。

「お掃除終了です」
「本棚の分類と、移動させた本のリストをホームコンピューターに入れておきますね」

 二時間後。
 人を招くことができるまで綺麗に片付けられた書斎の中で、ヤンは魔法を見たかのように呆然とする。
 そして、毎回思うのだ。
 この二人魔法使いではないのだろうかと。

「お邪魔します。先輩。
 生還おめでとうございます」

「ご出世おめでとうございます。
 最初見たときどうなるかと思っていましたが、とうとう大佐ですか」

「生還および出世おめでとうございます」

 掃除終了と共にベルが鳴るので開けた途端のお祝いの奇襲。
 押しかけた元部下であるアッテンボロー少佐、パトリチェフ中佐、アルテナ・ジークマイスター少佐の来訪時の台詞に、付き合いが長い分我が後輩はこっちの性格をよく知ってやがるとヤンは苦笑しつつ部屋に招きいれた。
 片付けられた部屋だからこそ安心して部屋に招くことができる。

「なあ、もしかしてこれは『お姉さま』の差し金か?」

 『良ければ昼食も作りましょう』の一言で何でかユリアンと共に残っているメイドに向けてヤンが悪態をつく。
 その返事ににメイドが持ってきたのはユリアン以外ならば飲みなれた、チャン・タオ退役軍曹の紅茶の香り。

(あのメイド、性格の悪さも先輩から学んでいないだろうな?)

 なんて言葉を言うはずもなく、はめられた祝宴にヤンは足を踏み入れた。

「なつかしい香りですな。ソヨカゼV39を思い出しますな」
「ソヨカゼV39は相変わらず現役で働いているそうですよ」
「で、先輩。
 俺達がここに来た理由はこの紅茶からも察してくれるとうれしいのですが」

 人によってはキャリアの終点である大佐は、それゆえにかなり恣意的人事が行える場所でもあった。
 何しろ主力艦の運用や戦隊規模の作戦立案が任されるのだ。
 それゆえに、その人事権はある程度は配慮されるようになっていたのである。
 ここでどれだけ人を見つけられるかで、ここで終わるかその後の出世が決まるかと言っても過言ではない。

「私はできればここで終わりたい人間なんだがねぇ」
「同盟議会であれだけ顔を売った以上、無理だと思いますよ。それは」

 ヤンのぼやきをパトリチェフが容赦なくぶったぎる。
 世間から見れば、ヤンは軍の不正を正し、優れた見識で帝国の意図を見抜いて主戦論を掣肘し、戦場から帰還した功績もある、トリューニヒト国防委員の覚えめでたいエリートの一人なのだった。
 その為、ヤンの大佐昇進と戦艦セントルシア艦長就任が発表されると共に、自薦他薦のメールがヤンに押し寄せる羽目に。
 読むのもいやになって、まだ時間があるからと戦艦の主要スタッフをまったく決めていなかったのである。

「まったく。
 こんな形で押しかけて、私が断ると思わなかったのかい?」
「その前に、部屋が散らかって入れない方を心配していたんですよ。先輩。
 あとついでに、セントルシアのスタッフが決まっているのならば、教えていただけませんかね?」

 ヤン、後輩にも撃沈される。
 元々この後輩は士官学校では奇襲などが得意だったが、その理由の一つに的確な状況判断能力の高さが上げられる。
 効果的なタイミングで事を起こすのがうまいのだ。

「私の下で何がいいのやら」
「艦長の下だったら、確実に帰れそうだから。
 それではいけませんか?」

 アルテナの一言にヤンは深く深くため息をついた。
 まぁ、決めないといけない事だから、仕事が片付いたと考え直したらしい。

「わかったよ。
 パトリチェフ中佐には副長を、アッテンボローには戦術長を、アルテナ少佐にはまた航海長をやってもらおう」

「他のスタッフはどうするので?」

 駆逐艦と違って、戦艦の運用には人員がかかる。
 主だったポストは他にも、機関長や主計長、隊付参謀等があるのだ。

「そういや、ラップのやつ退院したんだっけ。
 ラップのやつも呼んでみるか。
 主計長として」

 ヤンと同期で戦史研究科首席のジャン・ロベール・ラップは、病気療養があって防衛大学校の経理研究科を卒業したばかりと本人からの連絡で聞いていたのである。
 士官学校から現場を知り、防衛大学校で学びなおすというのはキャリア形成において不利にはならない。
 むしろ、士官学校出という派閥抑制の一因になっているが、同時に大学校卒業という新たな派閥を作ることになってもいるのだが。
 現状、士官学校派と防衛大学校派の比率は7対3という所。
 
「ならば、なおのこと生還しないといけませんね。
 先輩。ラップ先輩がジェシカ嬢とつきあっているのはご存知で?」

「聞いたよ」

 さらりと切り込むアッテンボローにヤンは穏やかな笑顔で返した。
 恋愛と友情のどっちを取るかという話で、友情を取ったという男の馬鹿話でしかないが、そんな話を壁向こうでメイドと少年が耳を立てているのに気づいてヤンは二人を呼び寄せる。

「ほら、何でか分からないが、お祝いの席で仲間はずれはよくない。
 君達も一緒に祝ってくれ」

「何をですか?大佐?」

 純粋かつませたユリアンの切り返しにヤンは絶句し、それを他の人が爆笑する形でなんとなく宴がはじまったのだった。
 ヤンが戦艦セントルシアに着任し、宴の参加者と共に宇宙に旅立つのはそれから一ヵ月後の事である。 
 

 
後書き
ラップの経歴確認してみたら、彼は戦史研究科らしい。
という事で、卒業後に事務コースで主計長として参加させてみる。

12/21 事務長を主計長に修正。 

 

艦長と主計長

 船というのは作るのに時間がかかる。
 だが、それ以上にその船を操る人間の習熟は時間がかかるものだ。
 特に、軍艦なんて生死に直結するので、同盟軍はその習熟訓練には一定以上の時間をかけている。
 アンドロイドとドロイドという錬度均一化のファクターを活用しているとしても、最後は人間が動かすのだから。
 で、人間が動く以上、いや、船だって動くためにはエネルギーがいる。
 自由惑星同盟軍宇宙艦隊。
 その前線部隊は同盟軍全体の10%も満たない。
 残り90%以上はその10%以下を動かす為に存在している。
 そんな軍隊に地球一つだけで生存していたときに人類は到達してしまっている。
 だから、兵士よりも非戦闘員が圧倒的に多く、紙が神とあがめられ、稟議の判子の為に多くのドラマが生まれる。

「たそがれているのはいいが、書類は決裁してくれないと困ります。
 ヤン艦長」

 ただ判子を押すだけの仕事だが、それを理解しないで押すほどヤンは無能でも無理解でもない。
 書類を読み、理解して判子を押す癖を、怖い怖い先輩から徹底的に叩き込まれてるのだった。
 だからこそ、戦艦セントルシアおよび、巡航艦二隻と駆逐艦160隻の補給決済にたそがれている訳で。

「なんでこんな所に居るんだろうなぁ」

「出世したからだろう。
 ヤン艦長」

「したいと思ったわけじゃないよ。
 ラップ主計長」

 艦長室には二人のみだから、自然と会話も緩くなる。
 艦長と主計長から士官学校の同期に。

「真面目な話、何をやった?ヤン?」

 低く問いかけたラップの顔は厳しい。
 それが、事の深刻さを更に浮き出さされる。

「軍ってのは書類が全てだ。
 特に物資補給関連は、書類なくして動きゃしない。
 で、だ」

 ラップの手からするりと数枚の書類が落ちる。
 ヤンも知らない訓練計画の申請書類。
 もちろん、ヤンの判子は押していない。
 だが、ヤンの上に連なる判子は全て押されている。

「ご挨拶ってやつだ。
 軍隊は兵站という鎖につながれる。
 それゆえに、物資は前線では常に足りず、それに関わる連中はへそくりを持ちたがる。
 同時に、それを作る事でこの部隊の『立ち居地』ってのも分かる」

 申請の却下にも手順がある。
 いらない仕事と事務方は嫌がるが、戦場における自分の立ち位置は生存に大きく関わってくるから、ある意味黙認されている慣例でもある。
 申請されて却下されるから無視まで、その情報でそれとなく部隊の立ち位置を知らせてくれる。
 なぜならば、兵站は無限ではない。
 生き残る連中に物資を与え、死ぬ連中へは絞るのが効率的だからだ。

「キャゼルヌ先輩の口癖だったな。
 で、これにも判子押せと?」

「いただけるならもらっておくさ。
 俺らの戦場は遥か星の彼方だ。
 だがな。ヤン。
 あのキャゼルヌ先輩が実務を取り仕切っている後方勤務本部に横槍を入れて物が取れる。
 お前にもこれが異常なのは知っているだろう」

 予算という数字と国民の税金という文字によって縛られる以上、キャゼルヌがそんな横紙破りを見逃す訳が無い。
 彼は物と法律と情報を操る魔術師だ。
 だからこそ、彼は不正をしないしする必要も無い。
 それを生み出せるし、足るを知るからこそ今の地位と未来の地位が約束されている。
 その彼の王国の横っ面を殴り飛ばした証拠がラップの手から零れ落ちた判子だ。

「ついでに言うと、この編成すらおかしい。
 俺らの乗っている戦艦セントルシアは標準型戦艦だが、俺達の乗艦前に改造によってネットワーク関連と防御を強化された。
 で、指揮する駆逐艦に至っては、最新鋭の第四世代駆逐艦が30隻、残りも第三世代駆逐艦によって構成されている。
 退役を始めたとはいえ、旧型の第二世代駆逐艦が何隻あると思っている?」 

 同盟軍艦艇を考える時、分艦隊規模の警備艦隊(ワープ機能なしの護衛艦も含める)を入れる為に分艦隊単位で物を考える事を主計科では徹底される。
 3000隻の分艦隊単位だと、同盟軍は60個分艦隊を保有している。
 その数180000隻。
 その半分以上が駆逐艦で、第三世代どころか、第二世代、第一世代駆逐艦も現役の所が多いのだ。
 で、先の艦艇更新でフェザーンに有償譲渡される予定なのが第一・第二世代駆逐艦で、更新が終了すると同盟艦艇は全て第三世代以上の駆逐艦で構成されるようになる。
 話をそらすが、ヴァンフリート星域会戦で鹵獲した駆逐艦を主体とした帝国軍の艦船は、そのほとんどが民間に払い下げられた。
 大気圏降下能力がある帝国艦船は、惑星内の都市と衛星軌道上の宇宙港を繋ぐトラックの役割にぴったしなのだ。
 修理され、武装解除されたこれらの船は辺境星系に払い下げられて、経済成長に寄与するのはもう少し先の話である。
 ヤンもラップも長い付き合いだからこそ、あえてラップは口に出す事でヤンにプレッシャーをかけた。

「巡航艦も最新鋭のステンノーⅡとエウリュアレーⅢで、艦長はモートン中佐とカールセン中佐。
 二人とも現場に長く居た歴戦のたたき上げだ」

 ライオネル・モートン中佐とラルフ・カールセン中佐の二人は、現場からのたたき上げで士官学校を出ていないが、現場に長く居て老練であるがゆえに現場から求められ続け、防衛大学校で学びなおすのが遅れたという現場主義の人間である。
 そんないぶし銀の二人を補佐につけている時点で期待のほどが伺える。
 
「お前の名前で申請を出して見ろ。
 かなりの無理な申請でも通るぞ。
 だからこそ、聞くぞ。ヤン
 お前、何をやった?」

 ヤンは判子を置いて、額に手を置いてうめく。
 この友人にどこまで話そうかと考えた矢先、ラップのほうから声がかかる。

「いい。
 その時点でおおよそ察した。
 話すとまずいたぐいの話しなんぞ俺も聞きたくない」

 ヤンの表向きの立ち居地は同盟軍中枢に出世が約束されているエリート士官に見える。
 そこから察すれば、やばい話のネタの方向性が現在の国防族議員の中核たる730年マフィアがらみぐらいはラップでも感づく。

「明らかにとある方々より期待されている訳だが、ここから議員先生に鞍替えか?」

「誘いがなかったといえば嘘になるな」

 730年マフィアを母体とした国防族系議員の出馬には二つのパターンがある。
 一つは軍で勲功を積んで英雄として選挙に臨んで当選する例で730マフィア等はこっちになる。
 だが、この出馬だと議員年数が短く、頂点を極めても政策を動かす時間が少ないというデメリットも存在している。
 事実、ウォリス・ウォーリックと人形師は頂点を極めたが途中で職を追われる形になり、ファン・チューリンは国防委員長職以上を求めなかったがゆえに三人の中で最も長く政治影響力を行使できたなんて過去が残っていたり。
 話がそれたが、軍で出世して出馬というパターンだと政治生命が短くなるのならば、途中で退役して出馬という選択肢が出て来る訳で。
 ガラスの壁と言われている少佐の前である大尉で退職し政界に転身、官僚や議員とのコネをつくり頂点へという選択肢がそれである。
 主に功績のある親を持つ二世議員が主体で、彼ら国防族エリート議員を最終階級を使って『大尉先生』なんて言葉が同盟政界用語にあるぐらい。
 現在プリンスとして活躍しているトリューニヒト氏もこの『大尉先生』である。
 
「で、何処だ?」

「ハイネセンポリス市議会。
 二期勤めると、同盟議会選挙と重なるからそこで鞍替え、更に二期勤めると評議会と重なるからとタイムスケジュールつきで」

「おい。
 ハイネセンポリス市議会は去年あったばかり……そういう事か」

 何か感づいたらしいラップもヤンと似たような格好で額に手を当ててうめく。
 さっきのタイムスケジュールが次期市議会選挙のオファーと気づいたからだ。
 そして、そこから書類の違和感に気づくあたりラップも馬鹿ではない。
 この優遇は次の出撃において功績を立てろというオファーの裏返しなのだと。

「で、その誘いに乗るのか?」

「断ったよ。
 真正面から堂々と。
 で、相手はにこりと笑って、そのままだ」

 トリューニヒト氏につく緑髪の政策秘書はそのまま退散してくれたが、彼に対する優遇はそのまま残していった。
 もちろん、彼には出世して帝国から出る金髪の死神を退治してもらわないと困るなんて下心があるからで。
 政界転身の為の優遇なんてお題目がカバーストーリーなんて誰が考えられるというのか。

「だが、戦闘はあるのか?
 帝国は内部対立でこっちに出てくる可能性は少ないのだろう?」

「いや、逆だ。
 おそらく、帝国の内政問題から政治的優位を作り出すために出撃するだろうよ」

 ラップの言葉にヤンは首を横に振る。
 近年の帝国の侵攻は失敗が続いているが、その理由に出兵理由が同盟の征服でなく帝国の内政問題に端を発しているからに他ならない。
 彼らにとって、同盟というのは既に征服対象ではなく、勝利する事によって得られる政治得点でしかなくなっている。

「内戦終了後のブラウンシュヴァイク公とリヒテンラーデ公の対立は、ブラウンシュヴァイク公派と見られているシュターデン提督の敗北によってリヒテンラーデ公側に傾いている。
 とはいえ、内乱直後の帝国で再度の内乱なんてすれば国が傾くのは両者とも分かっている。
 だからこそ、リヒテンラーデ公は政治優位を維持継続するために近く出兵するだろうよ。
 イゼルローンに要塞があるからこそのゲームだ」

「ヤンよ。
 その見通しは上には?」

「伝えたさ。
 上も馬鹿じゃない。
 だから、大慌てで艦艇の更新なんてしているんだろうが。
 既に、気になっているデータが上がっているんだ」

 ヤンはモニターを開いて、ある記録をラップに見せる。
 ラップもモニターの数字の意味を理解して顔をしかめる。

「先の会戦後からのイゼルローン回廊での戦闘記録だ。
 見てくれ。
 隊規模、戦隊規模の交戦記録だが、損害率が上昇しているんだ」

「これは……」

 損害数だけ見れば、勝利どころか敗北判定がつく戦いもいくつか存在していた。
 小規模戦闘ではあるが、月間喪失艦艇数は1000隻の大台に乗っており、イゼルローン方面軍もこの状況に対して情報収集を急いでいたのである。

「帝国において野心ある連中は軍に入る。
 そんな野心と才能のある連中が指揮を取り出していると見るべきだろ。
 アルレスハイム星域の会戦からその傾向はあったが、先の帝国内戦でこの連中が艦隊を指揮しだした可能性がある。
 次の会戦、気を引き締めないと敗北しかねないぞ」

 ヤンのつぶやきは現実のものとなった。
 二人の会話から半年後、ティアマト星域にて行われた会戦にて、二個艦隊を投入した同盟軍は一個艦隊の帝国軍に6000隻もの艦艇を失うという大敗北を喫したのだから。
 第3次ティアマト会戦と呼称されたこの会戦にて帝国軍を率いていたのはラインハルト・フォン・ミューゼル中将。
 原作にて同盟を滅ぼした天才がついに本格的に同盟に牙をむいた瞬間である。 

 

第三次ティアマト会戦に関する査問会

 同盟軍の中枢はバーラト星系にある。
 軍政の中心である国防委員会はハイネセンポリスの官庁街にその建物を有しているし、軍令を出す統合作戦本部も郊外にその建物を有している。
 もちろん、双方仲が良い訳も無く、これにシビリアン・コントロールの為の政治家と官僚が絡んでくるから楽しい権力闘争は何時終わる事もなく続けられている。
 艦隊勤務であるはずのヤンが統合作戦本部に非公式に呼ばれたのは、第3次ティアマト会戦敗北に伴う査問会への非公式出席の為である。
 もちろん、原作みたいな非公式で政治家がヤンをいびるなんて事ではなく、ちゃんと制度化されたある意味反省会と呼んだ方が近い形になっている。
 基本的に、国家は敗北を認めない。
 敗北を認めたら責任問題となって当事者の首が飛ぶだけでなく、空いた椅子をめぐって権力闘争が勃発しかねないからだ。
 だが、同盟外交安全保障会議は第3次ティアマト会戦を明確に『戦術的敗北』として宣言した背景には、客観的にデータを見て適切なアドバイスを送った助言者の存在が囁かれていた。
 まぁ、100%緑髪の女性達なのだろうが。
 ヤンを非公式かつ隠密に呼んだのはそんな緑髪の女性達である。

「お前もやっかいな連中に目をつけられているよな」

 後方勤務本部のアレックス・キャゼルヌ少将が自分のオフィスにて紅茶をすするヤンにぼやく。
 このオフィスのモニターに査問会の様子がダイレクト中継されるように指定したのは、ヤンの隣でミルクティーをすする緑髪の中将のおかげ。
 反省会ゆえに査問会の議事録は公開されているのだが、それを理由にこんな所に召還されるのだからお役所仕事はままならないものである。
 まぁ、非公式を盾にとってキャゼルヌ少将のオフィスを指定したのはヤンだったりするのだが。

「失礼な。
 これでも最大限貴方達の事を評価しているから、悪巧みにお誘いしたまでで」

「その悪巧みが底なし沼じゃないかと今思っていますよ。中将」

 近年最悪の大敗北ともなると誰もが情報を欲しがるが、それはヤンもキャゼルヌ少将とて同じだったりする。
 艦艇6000隻、喪失人員40万人というのはそれだけの衝撃を持っているのだった。
 だから、緑髪の中将は紙コップに注がれたミルクティーを飲み干して悠然と言ってのける。

「私達の悪巧みが帝国との戦争より怖いですか?
 私達は命まではとりませんが、帝国はとりますよ」

「しかし、なんで俺達なんだ?」

 尋ねたキャゼルヌ少将が飲み終えたコーヒーカップをゴミ箱に投げ捨てる。
 おどけた仕草にもかかわらず、この二人とついでにヤンも目が笑っていない。

「キャゼルヌ少将の場合は後方勤務本部の実務のトップだから。
 今後また帝国に痛撃を食らった場合の再編は、貴方がする事になるでしょうから生のデータをお見せしようかと」

 さらりとまた同盟が負けるなんてやばい事を言ってのけるあたり、この緑髪のアンドロイドはたちが悪い。
 そして、データの化け物である彼女達がそんな事を言い出すという事はうそやはったりではないという事だ。

「同盟軍がまた負けると?」

「会戦後のデータ同期をまとめると、その可能性は高いと判断しました。
 この報告が同盟外交安全保障会議にて『戦術的敗北』を宣言するきっかけになったそうですよ」

 ヤンの質問に中将は即座に斬って捨てるあたり、このお膳立ては間違いなく彼女達だ。
 敗北を糊塗した後で再度敗北が発生すれば、それは政治家にも累が及ぶ。
 ならば、先に敗北を許容した上で対策を立てておけば、次に負けたとしてもそれは実際に戦った軍が悪いと責任逃れができる。
 責任逃れに長けた政治家連中にある意味損切りを決断させるぐらい、第3次ティアマト会戦の帝国軍は華麗で苛烈で、強敵だったのである。
 ティアマト星系に侵攻した帝国軍は一個艦隊15000。
 これを迎撃する同盟軍イゼルローン方面軍は、二個艦隊に増援を足した30000と二倍の兵力差がついていたのだから。

「始まりますよ。査問会」

 部屋に居た三者がモニターに釘付けになる。
 繰り返しになるが査問会において、失敗を問うという事はしない。
 人的消耗を考えると貴重な将官を一回の失敗で処分するなんてもったいないからだ。
 とはいえ、責任は取らせないといけない訳で、考えられたのが3アウトシステムである。
 要するに同じ失敗を3回したら問答無用に処分確定。
 それまでは査問会という形で失敗の反省をしつつ次回に生かす事を求められる。
 また、失敗に対するリカバーもちゃんとあり、いくつかの事例があるが勝利にて帳消しにするか、三年間失敗をしなければ時効が成立するようになっている。
 とはいえ、アウトが残った状態では出世ができる訳もなく、アウトが消えるまでは昇進が据え置かれるし、時効狙いの左遷という形で戦闘の無い地方のドサ回りをするなんて例もある。

「こちらの艦隊は主力の第四・第六の二個艦隊と、方面軍司令部分艦隊の3000に近隣星系警備艦隊を集めた3000の6000を加えた30000。
 これに対して帝国軍は一個艦隊15000でティアマト星系外にワープアウトした後で星系に侵入。
 この時点でティアマト星系の航路誘導宇宙ステーションを制圧し、一時占領しています。
 会戦後に帝国軍は撤収し、人的・物的被害も無く、運営していたフェザーンの会社には司令官ミューゼル提督の名前で謝罪と賠償が支払われて和解が成立しています。
 このステーションからの急報で占拠報告が方面軍司令部に届いています」

 査問会における議事進行と状況説明を行っているのが作戦部のフォーク中佐。
 起こってしまった事に対する状況分析をさせたら他の追随を許さない分析能力を持つ。
 それゆえに、突発事態に弱いのは仕方がない事ではあるのだが。

「帝国軍のやつら灯台を占領したのか!」

 航路の安全をつかさどる灯台占拠にキャゼルヌ少将が激昂するが、それを押し留めたのがヤンの低い声だった。
 帝国軍の狙いが何か分かったからである。

「自分達の航路情報が漏れる事を恐れた……」

「ヤン。それはおかしいぞ。
 ティアマト星系なんて帝国でも大まかな航路データは持っているし、こちらも馬鹿ではないから即座に監視衛星等で情報を集めだしている。
 やつら何の目的の為に……」

「……だから、それを狙っていたんですよ。
 灯台占拠で航路情報を隠して帝国軍は何かをやろうとしている。
 こちらの意識を誘導したんです」

「あ!」
「!!」

 こういう時のヤンの鋭さは緑髪の中将は記憶の彼方から人形師に散々聞かされたが、現実に見るとその鋭さに戦慄を隠せない。
 だが、中将の戦慄など気にせずにヤンはモニターを食い入るように見つめ続ける。

「おそらく、同盟軍はこの時点で心理的先手を取られています。
 数で勝っているのだから、敵を見つけ出して叩いてしまえば良かったのに、数に驕って後手に入ってしまった。
 選択肢があるがゆえに迷って、最初に狙っていた美味しい物を別の人に取られてしまったようなものです」

 ヤンの説明を補足するかのようにフォーク中佐がモニターの中で陣形を動かす。

「この救援報告に対して方面軍司令部は救援を決定。
 第四艦隊に近隣星系警備艦隊を集めた一個分艦隊を足して救援に向かいます。
 この時点で同盟軍は数の有利を放棄しているように見えます」

「この時点において方面軍司令部では、同数と戦っても後で追いついて挟撃できると判断していました。
 帝国艦船より高性能な護衛艦艇を中心とする近隣星系警備艦隊を編入しているのはそれが理由です」

 モニター向こうのフォーク中佐の状況説明に方面軍司令部幕僚から補足説明が入る。
 それを聞きながらヤンがその先を手品でも明かすような口調で説明してみせる。

「彼らにとっては、こちらが何処から来るかさえ分かれば良かった。
 更に、この会戦自体が帝国内部の権力争いにおける政治的得点稼ぎでしかないと分かっていたのだから、全艦隊で押し切ってしまえば良かったんです」

「だが、それは無理な相談だそ。ヤン。
 ティアマト星系は要衝だから、民間人を避難させたと言ってもかなりの数の非戦闘員がいた。
 そんな彼らを置いて全艦隊を出すなんて、どれだけの提督ができると思っている。
 勝てばまだいいだろうが、今回みたいに負けたら『軍は俺達を見捨てた』と大騒ぎになるぞ」

 20年近い平和の代償でもあった。
 同盟経済の活性化は、ティアマト星系に有人コロニーやステーションを置いて必要な資源を採掘したり、物流の中継地として繁栄を始めようとしていたのである。
 それが、同盟の軍事的栄光であるティアマト星系という地域を戦場にしにくくしていたのだった。
 キャゼルヌ少将の言葉など聞こえないフォーク中佐が戦闘状態を説明する。

「会的時、同盟軍帝国軍双方とも15000隻。
 艦艇性能からこちらが有利のはすが、第四艦隊は長距離からの打ち合いでは互角に持ち込まれています。
 帝国軍は最近配備を始めた高速戦艦を前面に出してきたのがその理由でしょう。
 今回の戦闘データおよび、諜報部が入手した高速戦艦のデータはこちらになります」

 ヤンは実際戦った事があるので知っていたが、巨体・大火力・高出力の三拍子揃った高速戦艦が前に出てくると苦戦するというのはデータでも明らかになる。
 同スペックで勝てない同盟戦艦に対して優位に立つための巨大化というのは宇宙空間においては正義となる。
 その場合の敵は、建造時間と予算なのだが。

「1000メートルクラスかよ。
 これまでの標準戦艦のおよそ1.5倍か。
 これがまとまって出てくると苦戦するな。
 何で今まで出てこなかったんだ?」

「これが貴族の特注品だったからですよ。
 ジャガーノート級艦隊母艦の登場によって、大貴族連中は艦隊母艦を欲しがりましたが、中堅貴族には艦隊母艦は高価な買い物です。
 そんな中堅貴族がこの高速戦艦を求めたのです。
 その為、この高速戦艦は貴族の私兵艦隊旗艦として貴族が乗っている事が多かったのです。
 ですが、先の帝国内戦でリッテンハイム侯側についた貴族が粛清・失脚し、主無き高速戦艦を帝国軍が接収したと。
 見てください。
 高速戦艦の隻数は1000隻届かない数ですが、まとめられた統一運用でシールド艦のシールドに穴を開けて、第四艦隊の艦隊母艦を大破に追い込んでいます。
 これをやってくれたのが、ミューゼル提督の家臣の一人、ミッターマイヤー少将です」

 通信から分かった敵戦艦の情報に中将の原作知識(ミッターマイヤー)が混じっているが、それを指摘する人間は誰もおらず。
 さらに状況説明をしながらヤンに原作知識を中将はもらしてゆく。

「第四艦隊の艦隊母艦が大破に追い込まれたので、こちらの陣形が崩れています。
 ここを敵の別働隊に衝かれました。
 第四艦隊の意識が大破された艦隊母艦とそれをやった高速戦艦に向けられた隙を突かれ、空いた穴を埋める為に艦隊各地で動いた歪をやられたのです。
 これで穴は数箇所に拡大し、こちらは増援が来るまで積極的攻勢が行えなくなりました。
 これを分艦隊で指揮していたのがロイエンタール少将。
 同じくミューゼル提督の家臣の一人です」

 画面は会戦の終盤状況に近づいていた。
 戦線に開いた穴を広げないとその場に踏みとどまって防戦する同盟軍と、それを広げようと猛攻をかける帝国軍の状況が変わったのが、追いかけてきた増援の第六艦隊の登場だった。
 第四艦隊は歓喜に沸き勝利を確信したその時に、それが踏みとどまっていた第四艦隊に容赦なく降り注いだのである。

「リニアレールガン。
 事前に設置され、射程外からの一撃についに第四艦隊は総崩れに陥りました。
 これを見た帝国軍は攻撃を中止して撤退。
 第六艦隊は第四艦隊の支援に専念し追撃は行えず。
 同盟軍は第四艦隊を中心におよそ6000隻、帝国軍にはおよそ2000隻の損害を与えたと方面軍は判断。
 以上が、第三次ティアマト会戦となります」

 モニター越しにフォーク中佐が淡々と議事を進め、多くの将官が色々と反省点や意見を出してゆく。

「しかし、リニアレールガンなんて何処に隠していたんだ?」

「それについてはデータがありますよ。
 一発きりの使い捨て兵器だったらしく、大量に遺棄されていました。
 これです」

 中将がモニターを操作して、ワルキューレを改造したリニアレールガン発射台を映し出す。
 もし、人形師が生きていたらこう罵っていただろう。

「ワ、ワイゲルト砲……作品違うじゃねーか!」 

と。
 作品が違えども、技術とアイデアがあるならば、こうして誰かが考える。
 その事を考えなかったとはいえ、人形師を責めるのは酷というものだろう。
 ヤンはそのリニアレールガン発射台をじっと眺めて中将に尋ねる。

「灯台の隕石監視モニターって出せます?」

「私を誰だと思っているのですか?
 ほら、来た」

 そんな時にアンドロイドの力は遺憾なく発揮させられる。
 即座にやってきた第三次ティアマト会戦時のティアマト星系の隕石監視モニターの一部にヤンが指を指した。

「多分これです。
 不自然な動きをしているでしよう?
 二重の罠だったのか」

 ステーションを占拠する事で心理的衝撃を与え、救援と奪還に来た同盟軍の方向を固定して、撃ちっ放しのリニアレールガンの射程圏に引きずり込むという。
 ヤンの説明を聞いて、中将が会戦の戦況図を映し出して確認する。

「だから、帝国軍は穴が開いた第四艦隊に突っ込まなかったのか。
 突っ込んでの近接戦闘ならば、ワルキューレがどうしても必要になってくる」

「ならば、手間をかけずに第四艦隊を撃破してしまったほうが良かったんじゃないか?」

 中将の言葉にキャゼルヌ少将が質問の声をあげる。
 その質問に答えたのはヤンだった。

「第四艦隊撃破が遅れると第六艦隊がやってきます。
 帝国軍は『同盟軍への勝利』がほしかっただけなので、わざわざ第六艦隊を相手にする必要は無いという事でしょう。
 その証拠に、第四艦隊潰走後に帝国軍は警戒しながらも撤退に入っています。
 第六艦隊が第四艦隊を見捨てないという事を読みきって安全に撤退してみせたんです」

 三人ともしばらくモニターを黙ってみているだけで言葉が出ない。
 緑髪の中将などは、人形師から口すっぱく金髪と赤髪の脅威を伝えられていたが、所詮情報でしかなくこうして生のデータに戦慄するしかない。
 だから、中将が原作知識を伝えるという目的以上に、金髪とその将帥群のチートさ加減を恐る恐る口に出す。

「ひょっとすると、第四艦隊のこの損害も計算ずくだったのかも。
 第四艦隊が壊滅していれば、逆上しかつ無傷の第六艦隊と当たる必要がある。
 けど、こうして無視できない程度に痛めつければ、第六艦隊は第四艦隊を放置できない」

「否定できませんね。
 ミューゼル提督は、帝国内戦時グリンメルスハウゼン艦隊の分艦隊司令官だったはずです。
 どうします?
 この天才?」

 ヤンのあきれたような声に返そうとしたキャゼルヌ少将の机の上の電話が鳴ったのはその時で、内容は来客だった。
 その来客名の名前は緑髪の政策秘書を連れた、国防委員会国防委員のトリューニヒト氏という。



「やぁ。
 なんだか楽しそうな悪巧みをしていると政策秘書から聞いてね。
 私も一枚かませてもらおうとやってきた訳だ」

 さも途中参加のように言ってのけるが、そもそもこの席を用意したのが彼なのである。
 でないと、訓練途中のヤンを召喚するなんて強権を用いる事ができない。

「話の内容は、政策秘書経由で聞いている。
 で、これを踏まえて政治家は何をすればいいのかね?」

 これが言えるというのだから、トリューニヒト氏も人形師の政策秘書として鍛えられたのだろう。
 野心と才能と現状理解がちゃんとバランスよく成り立っている証拠である。
 とはいえ、ヤンは政治家そのものに嫌悪感が残っているし、キャゼルヌ少将も彼の才能を評価しつつ彼の野心をしっかりと見抜いていた。

「損害を受けた第四艦隊ですが、定数回復には半年ほどかかります。
 更に訓練などを経て再編が終わるのは一年という所でしょうか。
 しばらくは、第四艦隊はバラート方面軍にて引きこもり確定です」

 後方勤務本部の実務者としての立場でキャゼルヌ少将が答えた以上、ヤンも何かを言わねばかえってキャゼルヌの顔をつぶす。
 内心いやいやながらも、ヤンはトリューニヒト氏の質問に答えた。
 この後の軍や政府内の人事異動においてトリューニヒト氏の影響力は強まると分かった上で。

「同盟外交安全保障会議にて戦術的敗北を出させたのは委員の英断でした。
 この際ですから、ミューゼル提督を徹底的に持ち上げましょう」

 ヤンは確信していた。
 おそらく、同盟外交安全保障会議にて発言権どころか参加権もないのにも関わらず、戦術的敗北なんてものを出させたのはこの緑髪の政策秘書がついているトリューニヒト氏だと。
 それは事実だった。
 同盟外交安全保障会議の参加者が判断するデータの編纂に当たっていたのは国防委員会で、その編纂指揮をしていたのがトリューニヒト氏で、緑髪の女性達の同期データをフルに活用してたのである。

「あまり有権者受けする政策ではなさそうだね」

 トリューニヒト氏のあまり面白そうでない口調に我慢しながらヤンは淡々と続きを話す。
 給料分の仕事ではないなと苦々しく思いながら。

「有権者に受けなくても委員はトップ当選するでしょうから。
 選挙に磐石な方はそれだけで、損のように見える手が打てますからね。
 帝国にミューゼル提督を消してもらうのです」

 トリューニヒト氏だけでなくこの場全員に興味の視線がヤンに集まる。
 ヤンはそれを気にする事無く、続きを口にした。

「帝国内で更なる権力闘争が勃発しているのはご存知のはず。
 ヴァンフリート会戦ではブラウンシュヴァイク公側のシュターデン提督が敗北しています。
 これに対してリヒテンラーデ候側は政治的優位を確保し続ける為に、艦隊を派遣したのです。
 同規模艦隊にてほぼ同規模の同盟軍相手に勝利。
 リヒテンラーデ候側はしばらく我が世の春を謳歌するでしょうね。
 ですが、このミューゼル提督というのもリヒテンラーデ候にとっては不本意な駒だったみたいなのです」

 モニターに同盟諜報部が調べたミューゼル提督のデータが並べられる。
 第三次ティアマト会戦の勝利によって、ラインハルト・フォン・ミューゼル男爵は大将に昇進し、先ごろ亡くなったグリンメルスハウゼン伯爵領と伯爵位を継ぐ事が決定している。
 グリンメルスハウゼンの名前は故人の希望でそのままにして、ミューゼル伯爵は断絶した名家の苗字が与えられるそうだ。
 同盟諜報部の報告によると、今回のミューゼル提督の出撃はこのグリンメルスハウゼン伯爵領継承の為の志願だった事が判明していた。

「ミューゼル提督は、グリンメルスハウゼン伯爵領代官時に大貴族から嫌がらせを受けていますからね。
 その為、リヒテンラーデ候側に駆け込んだみたいです。
 で、帝国内戦による帝国軍の混乱から出征艦隊を用意できないと言われた彼は、あの艦隊を自前で用意したみたいですよ」

 ミューゼル艦隊15000隻の内、彼の自前艦隊は5000隻ほど。
 残りは敗北して自殺したシュターデン提督の艦隊から6000隻ほど持って来させ、残りはイゼルローンの要塞に駐留していた分艦隊や警備艦隊を借りた烏合の衆だった。
 更に、シュターデン提督の6000隻は無人艦だったのを、帝国内戦で失脚したリッテンハイム侯側の将兵に恩赦の約束をする事でかき集めた始末。
 いくら寵妃の弟とはいえ、失敗したら命の無い乾坤一撃の会戦だった事は会戦後に分かった事だったりする。

「彼にとってこの会戦で宮廷内に無視できない足場を作る事に成功しました。
 それは、ブラウンシュヴァイク公とリヒテンラーデ候にとって無視できるものでは無くなってゆくでしょう。
 我々が持ち上げれば持ち上げるほど、二人はミューゼル提督を危険視し排除するはず。
 戦場外にて帝国自身に彼を排除してもらいましょう」

 ヤンのえげつない事この上ない提案に、誰もが口を開かない。
 しばらくして、キャゼルヌ少将が帝国軍の物資移動と艦艇稼働率のデータをモニターに映して援護射撃をする。

「今回の会戦が帝国にとって限界の侵攻能力である事は、このデータ群が物語っています。
 一年、最低でも半年は出て来れないでしょう。
 戦場で倒せないならば、戦場外にて倒すヤン大佐の提案に私も賛同します」

「……うちの政策秘書がご執心だとは思っていたが、ヤン大佐。
 君はやはりこっちに来るべきだよ。
 出るならば、言いたまえ。
 同盟議会に席を用意しておくから」

 それが了承の返事であると分かってヤンはげんなりし、キャゼルヌ少将と緑髪の姉妹は笑いを隠そうとはしなかった。
 
 

 
後書き
議会で選挙があるのに堂々と議席を用意するなんて言える人は大物の証。
なお、某経世会のえらい人がとある内閣安全保障室長の労を労おうとして言った話のオマージュ。
とある内閣安全保障室長はこれを断って、危機管理のプロとして浪人人生を謳歌しているらしい。 

 

名探偵ヤン艦長の推理 人形師のお宝を探せ その一

 
前書き
冒頭の台詞は元々こっちの為に用意していたのだけど、便利だったので『伝説のプリンセスバトル』に流用しました。
 

 
 政治とはカジノにおけるギャンブルに似ている。
 現金をそのまま賭けるのではなく、チップに変換して賭けている所だ。
 何が言いたいかというと、戦闘に勝った勝利を政治に換金しないと勝ちの価値がないという所。
 だからこそ、最後のいかさまは換金時に行われるはずだった。



「ミューゼル提督がまだオーディンに帰っていない?」

「情報部よりの情報です。
 ミューゼル艦隊は損傷艦の修理を名目にイゼルローン回廊のレンテンベルク要塞に滞在しています。
 要塞司令官メルカッツ提督の指揮下からも外れているらしく、動向がつかめていません」

「第三次ティアマト会戦の勝利によって、ラインハルト・フォン・ミューゼル男爵は大将に昇進し、先ごろ亡くなったグリンメルスハウゼン伯爵領と伯爵位を継ぐ事が決定しています。
 その式典開催なのですが、どうも揉めているらしくまだ開催日が決まっていません」

「帝都にいるなら勝手に貴族達が消してくれると踏んでいたが……感づいて危険を避けたか?
 マリーンドルフ伯あたりが入れ知恵しているのかもしれません」

「どうします?
 この事をヤン艦長には……」

「耳に入れておくべきかと。
 現状の作戦に重大な支障がでる要素です。
 統合作戦本部には?」

「既に作戦部および後方勤務本部に動いてもらっている。
 一個艦隊の出撃はないだろうが、分艦隊規模での遭遇戦の可能性でイゼルローン方面軍に緊急伝を入れているはずだ」

「イゼルローン方面軍はこの緊急伝を確認しました。
 第九艦隊司令部にも緊急伝が発令されています。
 司令部からの艦長宛の電文、受領します」

「では、あとよろしく。妹」

「おまかせくだい。姉上方。妹たち」



 ヤンが乗る戦艦セントルシアとその護衛艦艇群が配属された第九艦隊第四分艦隊は、訓練と実戦の中間任務に借り出されていた。
 つまり、海賊退治である。
 先の帝国内戦ことリッテンハイム戦役時に稼動できる傭兵と海賊がのきなみ枯渇したはずなのだが、海の砂と悪事は尽きる事が無いらしく、はやくも活動が活性化しだしていたのである。
 で、これに第三次ティアマト会戦の敗北が響き、辺境星系の警備が緩むと判断した海賊たちの活動によって航路の賃料が上昇傾向にあり、煙のうちに潰せとばかりの今回の作戦であった。
 とはいえ、第三次ティアマト会戦では、このあたりの星域を良く知っている近隣警備艦隊に損害が出ており、正規艦隊から分艦隊を繰り出しての力の入れようである。
 当然、この手の作戦によって、第三次ティアマト会戦の戦術的敗北の衝撃を和らげる下心があるのはいうまでもない。

「負けるとほんと碌な事がないなぁ……」

 いずれは実戦に出ないといけないのだが、その訓練スケジュールが繰り上げられての実戦投入だから、艦長席の机に座ってぼやくヤンの気持ちも分からないではない。
 なお、なかなか椅子に座らないヤンの為に、緑髪の副官が座布団を用意したのでなおの事座らなくなったのだが、それで心地よく指揮ができて生存率があがるのならばとクルーのみんなは既にさじを投げている。

「どうせ誰かがしなければならない事です。
 給料分の仕事はしましょう。艦長」

 副長のパトリチェフ中佐が気楽に言ってのけるがそれに口を挟んだのは副長補佐という形でこの艦橋にいる緑髪の女性だった。

「私の初の実戦ですから、できれば勝利で帰りたい所です」

 戦艦セントルシアの実体化AIである。
 標準型戦艦だったセントルシアはヤンの艦長就任前に改造が施されており、防御面とネットワーク関連の強化が追加されていた。
 そのネットワーク関連の最大の目玉がこの実体化AIである。
 アンドロイド一体と戦艦のAIを直結リンクで結んで、視覚的・感情的配慮がなされたが、その性能はスタンドアローンで動く事を前提にネットワーク化が作られているアンドロイドに比べて、大容量の戦艦AIを利用しているだけに超高性能となっており、彼女の指揮によって戦艦内のドロイドは管理運用されているのであった。
 なお、その根幹プログラムはアンドロイド達が大量にかき集めたデータから作り出されているので、乙女プラグイン実装済み。
 メンタルモデルとは言ってはいけない。実体化AIである。
 何でこんなものが作られたかというと、人形師はアンドロイド達の運用に先立って、個艦主義なるものを主張していた。

「最終的には、戦艦一隻に一人人間が要ればいいんじゃないかな。
 全員機械だと反乱された時に手がつけられないぞ」

 古き良きSFマニアだった人形師は機械に全幅の信頼を持っていないというよりも、その可能性が人の最後の理性になる事を期待してこの主張をしたらしい。
 全部機械に任せて、空の網なんて出てきたらたまらないからだ。
 で、戦艦一隻に人間一人という世界になると、機械と人間の関係が更に密接化せざるを得なくなり、パートナーとしてのコミュニケーション能力が大事になってくるからに他ならない。
 既に、第三世代以降の駆逐艦ではアンドロイド一体が常に乗り込んで艦をサポートしているが、人間関係ともなるとアンドロイド一体で処理できるにはまだ人間は複雑怪奇なのだった。
 軍隊の常ではあるが、艦が大型化するに連れて人間関係がらみの問題が頻発化しており、セクションごとの軋轢なども絡んで問題が発生しやすい下地になっていた。
 その実験という形でセントルシアを選んだという建前の元、原作が参謀畑で中間管理職をすっ飛ばしていたヤンのフォローをしているなんてヤンが知る訳も無く。
 戦艦セントルシア乗員はおよそ350名。
 同じく乗り込むアンドロイドは40体。
 実体化AIの指揮下にあるドロイドは400体あるが、戦闘時に実体化AIから委任されてアンドロイドが指揮をとる事も可能になっているのは、アンドロイドの同期ネットワークと戦艦の大規模量子コンピューターのおかげである。

「艦長。
 第四分艦隊司令部から緊急伝です」

 緑髪の副官から緊急伝のデータを渡されたヤンはそれをモニターで確認する。

「何です?艦長?」

 気楽な声をかけた、戦術長のアッテンボロー少佐。
 長い付き合いだけに、ヤンのいやな顔を見逃さなかったらしい。

「ミューゼル提督とその艦隊がまだイゼルローンに留まっているらしい。
 さっさと帰ってくれればいいものを。
 分艦隊規模での戦闘の可能性を警告してくれたよ」

 第三次ティアマト会戦にて同盟に名前を覚えられたミューゼル提督とその艦隊がまだ近くにいると言われて艦橋のスタッフに緊張が走る。
 ヤン達がうろついているシヴァ星系はイゼルローン回廊に近く、古くから海賊銀座として名前が通っている場所なだけに、遭遇戦も否定できないからだ。

「けど、こんな場所に海賊が集まったのは、君たちのお父上のおかげなんだけどね」

「それは言わないでください。
 政策としてみれば、一応成功だったのですから」

 緑髪の生みの親である人形師が何をやらかしたかと言えば、このシヴァ星系に財宝を隠したという財宝伝説を作り出したのである。
 財宝の名前は、緑髪の彼女達のマスターコンピューター。
 元々が人形師の個人プロジェクトから始まっていた為に、軍や政府が第三セクターの形でしか絡んでおらず、国家に取り込む際に旧式バージョンと呼ばれるマスターコンピューターは人形師個人のものになっていた。
 全てのシステムの元になっているマスターを解析すれば、全アンドロイド及びドロイドを支配できるかもしれない。
 人形達の管理コンピューターシステムは同盟最高機密の一つで、ブラックボックス化したそれを帝国・フェザーンだけでなく独立商人や海賊すら狙っているという代物。
 基本データはハイネセンポリスの地下深くのメインコンピューターに保管されて日々改善やプロテクト強化がされているが、バックアップのコンピューターが幾つあり何処にあるかを全部把握している人間は誰も居ないとまで言われている。
 人形師はそのシステムについて同盟議会や評議会にてその断片を漏らしたが、決して全体像を語る事は無く、明確にその存在が公表されていたのが彼個人の所有物であるマスターコンピューターただ一つだったのである。
 その為、彼の失脚の際に人形師の元にそのマスターシステムを購入したい連中が大挙して押し寄せた時、彼が放った一言は野心ある男達を宇宙へ駆り立てた。

「マスターコンピューターか?
 欲しけりゃくれてやる。
 探せ!
 惑星ナーサティアに私の全てを置いてきた!」

 銀英伝世界には惑星ナーサティアは存在しない。
 だが、銀英伝世界にはインド神話にちなんだ名前も多く、今、ヤンが居るシヴァ星系なんてのがあったりするから、辺境星系は一時この手の一発当てたい連中で好景気に沸いた。
 その好景気は帝国の再侵攻まで続いて辺境星系が友愛党政権を見捨てるとどめとなったりするのだがそれは別の話。
 そんな訳で、いまだ財宝伝説くすぶるこの地はならず者達の楽園としてあちこちに不法コロニーや廃棄ステーションなどが存在している海賊達の母港と化しているのだった。
 現役の海賊たちがリッテンハイム戦役時に宇宙の塵と化し、新たな海賊がまだ育っていない今が格好のガサ入れのチャンスで、今回の作戦は星系政府および同盟捜査局との合同作戦の形をとっている為、帝国軍が出て来たらやっかいな事になる。
 なお、政争に敗れた帝国貴族の逃亡先にもなっているから、過去シヴァ星系では戦隊規模での戦闘が発生していた。

「かれこれ数十年近く探索が続けられている宝探しだ。
 大体探し尽くしただろうに」

「出て来るとしたら財宝より、亡命貴族でしょうな。
 しかし、この間の戦いで派手に勝っているのだから、こんな場所で勲功稼ぎをしますかね。彼は?」

 ヤンのぼやきにパトリチェフ副長が返すが、ヤンの顔は硬いままだ。
 彼は出てくる。
 なんなくそんな気がしたのはヤンもまた英雄なのだろうが、それはヤン自身が認めたがらないだろう。

「財宝うんぬんはともかく、彼は勲功を稼ぐ理由があるんだ。
 帝都に戻って政争の果てで粛清されない為にね」

 自分の考えをまとめるようにヤンはつぶやく。
 ベレー越しに頭をかくのは、彼の脳がフル稼働している証。

「彼は現皇帝の寵妃の弟だ。
 そして、現皇帝は老人で、帝国はまだ後継者を擁立できていない。
 皇帝が亡くなって真っ先に後ろ盾が消えるのが彼なんだ。
 だから、先の戦いでの勝利で領地を確保して地盤を得たが、今度は多数派工作にて生き残る為の材料が居る。
 海賊に落ちぶれた元帝国貴族あたりからいろいろ帝都の醜聞を聞き出すのは今後に関わってくるだろうからね」

 そのヤンの説明にアッテンボローが茶々を入れ、傍で仕事をしていた航海長のアルテナ少佐に突っ込まれる。

「ロマンが無いですな」

「惑星一つ領有する伯爵家の提督にとって、財宝程度は目を見張るものではないと思いますよ」

「違いない」

 艦橋に広がった笑いの声にヤンも釣られて笑い、副官が差し出した紅茶の紙コップを受け取って軽口を叩く。
 なお、その行為自体は財宝伝説が公表されてから、同盟の各地で行われてきた事だったりする。

「財宝ねぇ。
 君は何処にあるか知っているのかい?」

「はい。
 それをお教えする事はできませんが」

 繰り返されてきた冗談のはすだったが、この時のヤンは頭がフル回転していた。
 だからこそ、史学の優秀な成績を収めた知識もフル稼働してその疑問に気づいたのである。

「本当に神なんだろうかね?」

「は?」

 パトリチェフ副長の疑問の声にヤンは気にする事なく、ベレー越しに頭をかき続ける。
 既に彼の目には何も入っていない。

「たしか計画の初期プロジェクト名は--Project DEVA--だったかな。
 インド神話のデーヴァという言葉で、『神』という意味だったかな。
 機械によって神を生み出そうとしたとかなんとか。
 あの人が道化師として叩かれた逸話の一つのはずだ」

 今は宇宙暦795年。
 地球文化も知る者は少なく、地球も繁栄とその驕りによって荒廃している現状、ヤンという趣味人が、同じ趣味人たる人形師がかき集めた資料に触れない訳が無い。
 なお、道化師は地球文化の復興として文化史にも名を残している。
 前時代の懐古主義者という批判と共に。 

「あの人が彼女達を神として取らえていなかったら、またちがった側面が見えてくるのかもしれないね。
 たとえば、DIVA。ディーヴァという言葉もあってね。
 こっちは『歌姫』という意味だったかな?」

 今際の際の人形師の言葉『かわいいは正義』からここまで辿り着くのだから、ヤンもまた十分に時代が選んだ英雄なのだろう。
 緑髪の副官は驚愕を必死に隠しながら、自分の世界にて考えをめぐらせるヤンを見つめるしかできない。

「『歌姫計画』--Project DIVA--なんてね。
 君たちにはこっちの方が似合っているよ」
 
 このヤンの言葉をセントルシアの実体化モデルも聞いていた。
 戦艦の通信機能を使い、その言葉はネットワーク内に送られ、その結果が送り返される。

「パスワード照合。
 確認しました。
 --Project DIVA--マスターコンピューターへのデータアクセスが可能になります」

 ヤンを含めた人間全員の驚愕の視線に晒されても、実体化モデルは表情一つ変えずに、宝箱を開ける。
 それは文字通りの財宝であり、兵器だった。

「シヴァ星系惑星アルジェナ。
 そこにマスターコンピューターは眠っています。
 マスターコンピューターに残されているのは、ニルヴァーナプログラム。
 全アンドロイド及びドロイドの初期化プログラムウイルスです」

 
 

 
後書き
地球がめちゃくちゃになって数百年。
文化継承が怪しい中で、神話ではなく、その神話の影響を受けた周辺国のゲーム文化が元なんて、普通気づかないだろう。たぶん。 

 

名探偵ヤン艦長の推理 人形師のお宝を探せ その二

 シヴァ星系はイゼルローンとフェザーン星系を繋ぐ星系のひとつで、主要航路から外れた辺境星系の一つでもある。
 安定した恒星を持ち、いくつかの居住可能惑星を有しているのだが、辺境部の為に開発は進んでいない。
 表向きの人口は50万人だが、海賊等の正規市民登録をしていない人口まで入れると200万を超えるのではと言われている。
 その圧倒的不正期住民の数は、帝国からの亡命者によって占められており、そのほとんどが海賊およびそれに関わっている産業によって生計を立てている。
 元々、同盟は海賊についての対応が甘い。
 それは、同盟の建国史が帝国の弾圧からの逃亡である長征一万光年から始まっているのもあるし、海賊が不法行為を行いこそすれその内部が民主的運営によって決められていたというのも大きい。
 海賊たちは海賊になる前は帝国貴族の船長や雇い主などから低賃金重労働で酷使されていたから、その反動から権力者に警戒していたというのもある。
 そんな海賊たちを建国したばかりの同盟は快く歓迎したのである。
 シヴァ星系はそんな海賊たちの楽園だった。
 戦局が同盟有利に進んでいても、帝国艦船を襲う限りにおいては同盟も見てみぬふり。
 それがフェザーン船舶を襲う場合でも、帝国領でのフェザーン船ならば、フェザーンの抗議によって形ばかりの捜査を行っておしまい。
 海賊達も同盟の船を襲って同盟を本気にさせるならばと、傭兵として帝国に出稼ぎに出た方が安全という訳で。
 そんななあなあの関係が変わったのが、先の帝国内戦である。
 主だった海賊が傭兵として帝国に出向いて帰ってこなかった結果、新しい海賊がリッテンハイム候側の将兵によって占められてしまい同盟側とのチャンネルが一時的に途絶してしまっていた。
 そして、イゼルローン回廊に要塞が鎮座して帝国側への出稼ぎもできなくなり、更に看過できなかったものが、ヤンの作戦説明によって艦橋の人間に明らかにされる。

「どうもこの星系にサイオキシン麻薬の工場があるらしい。
 同盟捜査局が掴んだ確かなネタだ。
 海賊の取り締まりと同時に、この麻薬製造工場を抑えるのが今回の作戦の最大の目的となる」

 その取締りでは帝国と同盟が手を組んだと言われるきわめて悪質な合成麻薬の名前が出て艦橋のスタッフ達は皆一様に気を引き締める。
 副長のパトリチェフ中佐がヤンの言葉を受けて、モニターを捜査して作戦のデータを映し出してゆく。

「同盟捜査局からの説明だと、最近のシヴァ星系出身者および帰化・亡命者の中でサイオキシン麻薬の中毒者が他星系より突出していたそうだ。
 彼らはサイオキシン麻薬製造工場がこの星系にあると疑っているらしい。
 で、同盟軍諜報部はこの新しい海賊達のスポンサーに目をつけた。
 兵と船は帝国から流れてきたで説明がつく。
 が、それらを海賊として動かすための燃料や食料などの物資をシヴァ星系から大量発注した痕跡が見つかって、今回の合同捜査という流れとなった訳だ」

 もちろん背後にはフェザーンを隠れ蓑にした地球教がいるのだが、帝国内戦でのダメージを回復する為にルビンスキーの手を離れて暴走したというのが真相だったりする。
 それを、730年マフィアの時から警戒し監視し続けていた同盟が見逃す訳が無かった。

「シヴァ星系のコロニー及びステーション配置図を出してくれ。
 その中で、サイオキシン麻薬製造ができそうな大型コロニー及びステーションをピックアップ」

 緑髪の副官によって操作されたモニター内に光る点は三百近く。
 それら全てが候補という訳だ。

「今回は捜査という事で、同盟捜査局及びシヴァ星系政府との合同作戦だ。
 捜査そのものは同盟捜査局特別警備隊と同盟軍陸戦隊が行う。
 われわれが警戒するのは、宇宙船を使った海賊の逃亡阻止と先ほどの緊急伝にあった帝国からの介入だ」

 なお、海賊とずぶずぶであろうシヴァ星系政府の中も大掃除するのだろうとヤンはあたりをつけているのだが、それを口にするつもりはない。
 国家は綺麗ごとばかりで運営されているばかりではないとはいえ、こうも暗部の深遠を見てしまうと深遠に取り込まれてしまいそうで気がめいるからだ。

「先の警報によって既に第九艦隊は即応体制に入っており、第二分艦隊が48時間後にはワープアウトする予定です」

「え?二分が真っ先に出張ってくるの?」

 緑髪の副官の声に航海長のアルテナ少佐が思わず声を漏らす。
 同盟宇宙艦隊は定数12000隻で四個分艦隊で構成される。
 第一分艦隊は艦隊司令長官の直卒の為後方に控え、艦隊中央部にて敵と殴りあうのは第二分艦隊となる。
 その為、どの艦隊でも第二分艦隊は主力艦と精鋭を集めており、第二分艦隊所属の艦艇は同盟宇宙艦隊の中でも一目置かれているのだった。
 なお、この二の数字だが、第二分艦隊第二戦隊が文字通り艦隊中央最前線に配置されるので『2-2組』。
 第一艦隊が首都防衛及び総予備の扱いになっているので、帝国軍と戦線でぶつかる最初のナンバーである第二艦隊第二分艦隊第二戦隊の数字をアルファベットに直した『ZZZ』等は帝国にもその名前を轟かしていたりする。
 話がそれたが、第二分艦隊が増援として真っ先にかけつけるというのは、それだけの危険度があると艦隊司令部が判断している証拠である。  

「まぁ、ミューゼル提督相手に同数で戦いたくはないね。
 ここ最近の帝国のポイントゲッターを相手にするのだから、用心するに越した事はないさ。
 艦船の配置図をモニターに映してくれ」

 ヤンの所属する第四分艦隊第四戦隊は星系内部にて海賊船の相手をする事になっている。
 ヤン及び、艦橋スタッフの視線がとある一点に注がれるのを誰が責める事ができようか。
 惑星アルジェナ。
 ヤンがため息をついて緑色の副官に声をかけた。

「惑星アルジェナのデータを出してくれ」

「地表の九割が荒野という惑星で、赤道上にあるアルジェナシティーがこの星唯一の都市です。
 人口はおよそ十五万。
 この星の主要産業は資源開発で、マーキュリー資源開発がシヴァ政府から委託されて大規模資源開発プラントを運営しています。
 アルジェナシティーは、マーキュリー資源開発アルジェナ鉱山の城下町です。
 資源搬出の必要性から、中規模の宇宙港を備えており、マーキュリー資源開発が所有しています」 

「なんでこんな辺境の田舎星にマーキュリー資源開発なんて大企業が進出しているんだ?」

 アッテンボロー戦術長がぼやくが、それに緑髪の副官はあっさりと答える。

「会社側からの説明を信じるならば、シスターズの悲願。
 テラフォーミング事業のモデルケースの一つだとか」

 もちろん、誰一人として、今はこの説明を信じる者はいなかったのだけど。
 ついきっき、セントルシアの実体化モデルが放った一言のせいで。



 種を明かすとあっさりとしたものだった。

「パスワードの解除条件は?」

「いくつかの条件があります。
 まず、ネットワークに繋がっている事。
 私達アンドロイドは基本スタンドアローンで動いているので、同期の際にしかネットワークに繋がりません。
 今回、常時ネットワークと接続しているセントルシアの実体化モデルがいた事でこの条件をクリアしました」

 以外にこの条件をクリアするのが難しい。
 たとえば、アンドロイドにこれを尋ねてもそもそもアクセスルートが繋がっていないのだからそこではじかれるという訳だ。
 多くの探索者はここでまず躓いていた。

「次にネットワークにアクセスできる権限を有している事。
 もちろん、不正規アクセスはここではじかれます。
 アクセス権限はBで、艦長レベルでアクセスできるようになっていました」

 アンドロイドを奪ってのハッキングという手段も無かった訳ではないが、それをするには国家規模の施設がいる。
 人形師の財宝はちゃんと同盟政府下の監視下にあったという訳だ。
 何しろ、辺境部振興政策とリンクしていたのだから、考えれば同盟政府が人形師の財宝を黙認したのも頷けるというもの。
 これも、セントルシアの実体化モデルによってクリアしていた。

「次に座標があげられます。
 このパスワードのアクセスはシヴァ星系以外では全て拒否する設定になっていました」

 ここまで来るとパス解除ができる条件が大幅に絞られてくる。
 辺境星系のシヴァ星系でこの手の解除ができるとなると、警備艦隊の艦船や軍および政府施設になってくるだろう。
 それでもまだ該当ポイントが四桁ぐらいあったりするのだから困る。
 で、どどめの一つ。
 これが最後までこの財宝を守っていた訳だ。

「で、最後の条件がさっきの言葉です。
 このパスワードは質問者と解答者と確認者が必要になります。
 『財宝が何処にあるか?』『はい。それをお教えする事はできません』『歌姫計画--Project DIVA--』このやり取りをネットワークに繋がっている確認者が確認できる事が条件です」

「……ナーサティアってのはそこに絡んでくるのか……」

「もう少し説明をこちらにもしてくださいよ。艦長」

 ヤンの納得したつぶやきに、やり取りを聞いていた戦術長のアッテンボロー少佐が口を挟む。
 立ち居地は、きっと探偵の助手あたりと当人自覚しているからこその発言だったり。

「ナーサティアは双子の神様だったんだよ。
 それも、両方見分けのつかない。
 君に話を振った時に、セントルシアの実体化モデルが居た。
 こりゃ、たしかに鍵を開けるのは難儀な訳だ」

 アンドロイドが複数配備されている艦船は巡洋艦等の大型艦船になり、彼女達とて常時同期している訳ではない。
 むしろ、スタンドアローンで動くことを前提にしているので、同期以外は基本ネットワークにアクセスしていないのだ。
 上位アクセスができるアンドロイドが二体用意できる時点で大幅にその対象者が絞られる。

「同盟の辺境地域振興策と絡むから、感づいた人間は皆口を噤んだ。
 違うかい?」

「はい。
 軍および、政府関係者でこれに気づいた人間はヤン艦長を含めて今まで38人居ましたが、ニルヴァーナプログラムの事を知った皆様は一様に口を噤みました」

「その内、何人が今でも生きているのかい?」

 ヤンの口調は今までと同じなのに、その響きにははっきりとした冷たさが感じられた。
 彼女たちの実質的な自殺プログラムなだけに謀殺の可能性を示唆したのだ。
 だが、現在ネットワークと直結しているセントルシアの実体化モデルは艶やかに微笑んでその疑問を否定した。

「現在、ヤン艦長を含めて17名ほど存命しております。
 私たちが複数居た意味を考えていただければ、その答えはお分かりかと。
 もちろん、皆様幸福な人生を送っていらっしゃいます」

「殺す必要も無かったという訳だ」

 パスワード照合時に、複数のアンドロイドが必要になる。
 そして、その複数のアンドロイドの一つはきっと探索者にとっての文字通りのパートナーだったに違いない。
 そんな彼女を殺すものが財宝だったと知った探索者にとってそれを公表するのか? 
 ましてや、巨額な金が動く同盟政府地方振興の公共事業の柱の一つだ。
 正解者が口を噤む程度の金銭なんぞ、余裕で出せるという事か。
 たとえば、戦艦並みの製造費用がかかっている最新型アンドロイドの供与とか。
 もちろん、欲をかいて殺されたやつもいるのだろう。
 ヤンは拾った宝くじが当たったかのような顔で、ため息をついてみせる。

「ニルヴァーナプログラムを公表する事による君たちのデメリットを」

「現状、七割以上の私達はニルヴァーナプログラムへの対策を済ませています。
 むしろ、戦場で回収したものを使っていたり、密製造している帝国側にはこの対策が無いのでダメージを与える事ができるでしょう」

 同盟内部で、三割のアンドロイドが初期化されるなんて十分にコンピューターテロとして十分だ。
 それよりも、技術差では専制国家特有の技術停滞もあいまって、十年近く開いている技術格差でアンドロイドは作られているから、戦場からの回収とフェザーンを使った輸入品を使っている帝国だとこれは致命傷になりかねない。
 帝国での悪影響を考えるならば今まで使わなかった事がおかしいと考えて、ヴァンフリート星域会戦に思い当たる。

「そういうことか。
 軍は既にニルヴァーナプログラムを使用していたんだな」

 財宝どころか、最悪の厄ネタじゃないかとヤンは憚る事無く頭を抱える。
 そこで頭まで止めないのがヤンの頭脳の救いようのない所なのかもしれないが。

「どうして、軍はニルヴァーナプログラムを回収しなかったんだ?」

 その質問にセントルシアの実体化モデルはあっさりと人形師の言葉で答えた。

「『ハンデ』だそうです。
 何に対してのハンデなのか知りませんが、お父様が生きている間は、軍および政府関係者がどれだけ説得してもニルヴァーナプログラムを回収させませんでした」

 本人はこの世界をめちゃくちゃにしている自覚があったからこそ、あえて帝国が取りにこれるシヴァ星系にこのニルヴァーナプログラムを置いたのだ。
 本人が金髪赤毛と当たるのならばこんな事はしなかったが、確実にすれ違う事が分かってしまったからこそのハンデである。
 これで金髪赤毛がニルヴァーナプログラムを持ってゆくようならば、それはもう自分の負けだと。
 その人形師も今はこの世を去り、ヤンは気づかなくてもいい所にまで気づいてしまう。
 本当に緘口令を敷いておいて本当に良かったと。

「そういう事か。
 この出兵そのものが、ニルヴァーナプログラムの回収作業も含んでいるんだな」

 セントルシアの実体化モデルは正解である事を凜とした声で言い張って見せた。

「今作戦の機密指定によりお答えする事ができません」 
 

 
後書き
パスがらみはまだ穴があるとは思うけど、とりあえずふさいで見る。
とはいえ、話の本筋ではないので、ここまでのつもり。 

 

名探偵ヤン艦長の推理 人形師のお宝を探せ その三

「一斉捜査始まりました!
 惑星ローカパーラの廃棄コロニーにて海賊と銃撃戦発生!
 同盟捜査局特別警備隊と交戦中!」
「惑星クベーラの衛星にて海賊艦隊を発見!
 敵艦隊の規模は十数隻で、第九艦隊第四分艦隊第三戦隊基幹打撃隊と交戦中!」
「惑星クンビーラ自治警察の捜査開始。
 幹部職員十数名を拘束。
 逃亡した幹部職員を捕らえる為に非常線を張るそうです」

 国家という巨大官僚組織において、事前に協議された事以外の事態が発生すると大体現場が泣きを見る。
 たとえば、近場に出てきているミューゼル提督率いる帝国軍の動向とか。

「イゼルローン方面軍司令部より緊急伝!
 回廊哨戒線にて帝国軍の動向を察知。
 敵艦隊は戦隊規模でシヴァ星系方面へ向かう可能性高しとの事。
 この緊急伝を受けて、増援の第九艦隊第二分艦隊は星系外辺部にて警戒態勢に入るそうです」

 一斉捜査によって大量に押し寄せる情報の洪水にヤンは飲まれていなかった。
 ヤンの担当する惑星アルジェナは捜査対象から外れており、ヤン達がここにいるのも暴発した海賊艦隊が惑星アルジェナを攻撃する事を避ける為なのだ。
 それぐらい、同盟というよりシヴァ星系政府は大企業であるマーキュリー資源開発に気を使っているのだ。
 ちなみに、サイオキシン麻薬製造ができる場所にしっかりと入っている事を付け加えておこう。

(黒だよなぁ。それも深遠並にやばい真っ黒な……)

 ヤンはため息をついてモニターに移る惑星アルジェナを眺め続ける。
 人形師の財宝がヤンが考えていた以上に解かれていた事から、情報が漏れていると仮定せざるを得ない。
 そうすると、こんな辺鄙な星系の更に辺鄙な惑星にマーキュリー資源開発なんて大企業がやってくる訳が無い。

(ある事までは分かっているが、それがどこにあるかまでは分からないか)

 財宝の正体がマスターコンピューターよりもその中に入っているニルヴァーナプログラムだから、下手すればネットワーク内から引き出す形で惑星アルジェナにはパスワードしかない場合もある。
 そうなれば、パスワードの書かれたメモを探して惑星中を探す羽目になる訳で。
 そして、マーキュリー資源開発の裏にいるフェザーンにはどうもニルヴァーナプログラムは渡っていないらしい。
 入手しているならば先の帝国内戦における勝者と敗者は逆転し、フェザーンの王冠をかぶった皇帝が出現して宇宙を統一していただろう。

(自分達が手に入れられないならば邪魔をしておこう……か。
 なるほどねぇ……)

 お宝についての一通りの結論を出すと、ヤンはそのままサイオキシン麻薬について考え出す。
 元々海賊と同盟の仲は悪いものではなかった。
 それが変化したのも先の帝国内戦な訳で。
 ふと気になったヤンは控えていた緑髪の副官にそれを告げる。

「たしかサイオキシン麻薬についてはフェザーン仲介で捜査協定が結ばれていたはすだ。
 そのデータを頼む」

「了解しました」

 その声が終わる前にヤンのモニターに帝国のサイオキシン麻薬捜査のデータが出てくる。
 帝国が提出した表向きのものだけでなく、フェザーンや同盟が内偵したデータと共に。
 そこから出てきたものは、帝国軍の末期的実態に他ならなかった。
 帝国兵の三割がなんだかの精神障害を抱え、その多くが麻薬をはじめとした薬に手を出している。
 そんな兵達が社会問題として帝国の国政を揺るがす大問題になっていた。
 新しい海賊達の母体となった帝国軍脱走兵達は、既に麻薬汚染という土壌の下にあったという暗澹たる現実にヤンは手を頭に当てて目をつぶる。

「これは……ひどいな……
 すまない。
 ラップ主計長を呼んできてくれないか?」

 この手の捜査資料における人と物と金の流れを追うのは主計課の得意分野である。
 捜査が始まっている現状で、深い所を探るには時間が足りないと友人に丸投げする事で一旦思考を元に戻した。

(飢餓航路……その近隣に作られたサイオキシン麻薬製造プラント……それを運ぶ海賊……うわぁ……」

 繋がったあまりにどす黒い糸に途中から声が漏れた事に気づいて、ヤンはあわてて口を塞ぐ。
 その為、戦局が悪化していた帝国軍将兵に蔓延していたサイオキシン麻薬の供給元が海賊達であり、おそらくは同盟政府もそれを掴んで黙認していたという結論は声に出される事は無かった。
 それが変わったのも、イゼルローン回廊に要塞がやってきたからだ。
 今までより帝国領内に行くのがはるかに難しくなった海賊達はその麻薬を同盟領内にばら撒こうとし、そのからくりを知っていた同盟はその動きを見逃さなかった。
 かくして、この茶番……もとい海賊の取り締まりに繋がる訳だ。

(サイオキシン麻薬の供給源がフェザーン企業のプラントだったか。
 これは表に出たら荒れるぞ……だから、惑星アルジェナには手を出さないか)

 フェザーンの公的資本も出資する宇宙屈指の大企業であるマーキュリー資源開発のプラントなんて現場では治外法権みたいなものだから、隠れ蓑とすればこれ以上のものは無い。
 もし、惑星アルジェナのマーキュリー資源開発の鉱山にサイオキシン麻薬製造プラントがある場合、帝国は激怒し同盟もフェザーン感情が急降下するだろう。

(こうなると、こっちにやってくるミューゼル提督の艦隊が無関係とは思えないな。
 麻薬がらみで何かやらかした……いや、やらかした連中を追っているのか?)

 ヤンの予感は的中する。
 ラップの協力もあって、それらしい断片を掴む事に成功したのだ。
 もっとも、緑髪のネットワークがそれとなく原作知識を示唆したからなのだが。

「これじゃないか?
 アルレスハイム星域の会戦の後で帝国は大規模な麻薬取締捜査をやっている。
 その後の帝国内戦で中断したみたいだが」

 モニター向こうのラップ主計長から送られたデータにヤンも目を通す。
 たしかに、麻薬取締の大規模捜査とそれに伴う逃亡者阻止要請をフェザーンに出していた。

「今回の海賊の取り締まりも、元は帝国内戦か……
 なんとなく見えてきた。
 帝国の麻薬取締で捕まる連中が帝国内戦のどさくさにまぎれて同盟に逃げ込んだ。
 で、そいつらが同じ商売をここでもしようとしたと」

 ラップは気づかないのか、気づかないふりをしているのか、多分後者だろう。
 彼ぐらいになると、その商売の元であるサイオキシン麻薬を帝国から逃れた連中がどこから入手したのか考えない訳が無い。
 で、現状の捜査といやでも考えをリンクさせる。

「それで、今をときめく帝国のポイントゲッター様がわざわざ少数で危険を冒してこっちにやってくる理由はなんだと思う?」

 ヤンの問いかけに、ラップは肩をすくめてあっさりと答えを言ってのける。

「簡単だろう。
 危険を冒すだけのリターンががここにあるという事だ。
 サイオキシン麻薬じゃなくて、それで利益を上げていた帝国貴族の名簿。
 彼にとっては、喉から手が出るほど欲しいだろうよ」

 ラップの答えにヤンは納得せざるを得ない。
 おそらく、帝都に戻れば権力闘争の果てに彼は粛清される。
 それを避ける為には手札が必要だったのだが、サイオキシン麻薬で利益をあげていた帝国貴族の名簿を入手できるならば、リヒテンラーデ公とブラウンシュヴァイク公双方に話ができるからだ。
 そこまで考えて、ヤンはある疑問に気づく。

(という事は、ミューゼル提督はサイオキシン麻薬製造プラントがフェザーン企業にある事を知らないのか!?)

 彼にとって販売網の黒幕が狙いであって、供給源は同盟領にあるからと深く考えなかったのだろう。
 これが裏でフェザーンが糸を引いていましたとばれた場合、最悪なまでになっている帝国とフェザーンの関係は完全に破綻する。
 フェザーンは多額の財務支援というアメと、フェザーン本星に配備された攻撃衛星と、二個艦隊と大慌てでかき集めた一個艦隊というムチでなんとか帝国の怒りをいなしている状況だ。
 現在は帝国の侵攻を弾く事ができるだろう。
 では来年は?
 再来年は?
 イゼルローンに要塞が置かれた事によって、帝国領内の航路の安全性は急速に回復しだしている。
 フェザーンが抱えている対帝国債務を帳消しにする事を狙っての侵攻を考えない訳が無い。

「わう!」

「駄目じゃないか。アールグレイ。
 おとなしくしていないと。
 すいません。艦長。
 こいつ散歩の途中でこっちに走り出して……」

 ヤンの思考をかき乱したのは、艦内にて代われているシップドックのアールグレイがヤンに飛びついたからである。
 シップドックというのは、元はシップキャットだった。
 大航海時代、鼠の被害に悩まされた船乗りたちは猫を乗せる事で鼠から食料を守ると同時に、旅の仲間として大事に扱った歴史があるからだ。
 この伝統に犬が入ってきたのはコンピューターが本格的に使われだしてからで、コンピュータトラブルで悪さをする猫が二十一世紀の極東地方の伝承に残っている。
 この猫が悪さをするとすべての作戦スケジュールが狂い、提督たちはその襲来を恐れたという伝承の体験者だった人形師は地球文明の復興という事でこのトリビアを広めるついでに犬を乗せる事を推奨したのである。 
 もちろん、猫でもいいのだが、要するにこの手の愛玩動物によってメンタルケアをと考えたらしい。
 だから、人形師が考えた最低限の戦艦人員というのが、『人間一人に犬一匹、アンドロイド一人』という構成で、

「このセットならば、イノセンス溢れる広大な宇宙の海を漂っていけるだろう」

なんて訳の分からない言葉を人形師は残していたり。
 なお、シップドックに名前をつける事は艦長の権利であり、シップドックを飼う事は艦長の義務となっている。
 そのための従卒もドロイドやアンドロイドにさせればいいのだろうが、ヤンはこの押し付けられた相棒の世話を自分でして気分転換を図っていた。
 で、このような作戦時に他の部署に預けるのだが、シップドックに戦争という人殺しなんぞ分かる訳も無く。

「現状、惑星アルジェナ近辺には異常は見つかりません。
 よそは色々大騒ぎというのに静かなものですよ。こっちは」

 なんて、アッテンボロー戦術長が軽口を叩くが、ヤンはそれが気に入らない。
 だからアールグレイの頭を撫でながら疑念を口にする。

「静かすぎる……
 サイオキシン麻薬製造プラントは見つかったのか?」

 ヤンの質問に緑髪の副官は即座に答える。
 ヤンの本当の質問を肯定するかのように。

「いえ。
 現在二百五十三の捜査を行っていますが、プラントの発見報告は来ていません」

 アールグレイがお座りのまま尻尾を数回振る時間の後、ヤンは意を決して副官に声をかけた。

「戦隊司令部に通信を入れてくれ。
 『惑星アルジェナ捜査の為の捜査員及び陸戦隊を派遣を申請する』と」


 数時間後、五隻の強襲揚陸艦と共にやってきた男にヤンはため息をつかざるを得なかった。
 政治という果てしなく深い深遠からの糸に絡め取られようとしているヤンなど気にする事なく、その男は自己紹介をしてみせたのだった。
 首筋にキスマークがついたままで。

「ローゼンリッター連隊第三大隊大隊長ワルター・フォン・シェーンコップ少佐であります。
 どうぞよろしくお願いします」
 

 

名探偵ヤン艦長の推理 人形師のお宝を探せ その四

 シヴァ星系外辺部にて発生した第九艦隊第二分艦隊と戦隊規模の帝国軍との会戦は、増援を得た帝国軍の完勝という結果に終わった。
 緑髪の副官からさっき送られてきたばかりの戦闘データを見てヤンはため息をつく。

「こんな戦法ありかよ……」

 アッテンボロー戦術長が声をあげ、アルテナ航海長とパトリチェフ副長、ラップ主計長は声すら出てこない。
 開戦時の戦力差は同盟3000隻に対して帝国は1000隻。
 ほぼ事前に判明した情報どおりだった。
 シヴァ星系に突っ込もうとした帝国軍に対して待ち構えていた同盟軍が砲撃を開始。
 数で劣勢の帝国は、突入を中止して後退。
 同盟軍は両翼を広げて包囲を狙いつつ追撃をかけ、両翼が帝国軍を射程に捕らえた瞬間にそれは現れた。
 二個戦隊規模の帝国軍の増援。
 しかも、両翼が中央に居た帝国軍を砲火に捕らえる為に横を晒す形となって。
 結果、両翼は壊滅し、中央はそれを見て撤退するも帝国軍の追撃を食らい惨敗。
 艦隊の最強戦力たる事を期待された第二分艦隊は、半分を撃沈され、残り半分の船も大なり小なり損害を受けているというざまである。
 帝国軍に与えた損害は不確実ながら300隻程度と見られており、第九艦隊司令部はこの報告を受けてパニックになっているという。

「たしか、司令部からの警報は分艦隊規模だったんだよな。
 イゼルローン回廊で索敵に引っかかったのは戦隊規模。
 ここで偽装に引っかかったという訳か」 

 ヤンの淡々とした開設に誰も言葉を発しない。
 一度見つかってしまえば、それ以上の詮索はされない。
 哨戒用の偵察衛星も先行部隊が破壊したのだろうから、索敵に穴が開く。
 本来ならばありえない各個撃破のリスクを背負っただけでなく、後の増援が到着する場所まで先行部隊は三倍の数の敵の攻撃に耐え切って見せたのだ。
 先の会戦でも見せたが、ミューゼル提督の将才は本物だ。

「前は二倍。今回は三倍差をひっくり返すかぁ……」
「次は六倍用意しないといけませんな」

 捜査の打ち合わせに来たシェーンコップ少佐がませ返すが、捜査そのものも第二分艦隊大敗の衝撃で影響を与えていた。
 捕まるならばと抵抗が激化し、外周部にて再編中の帝国軍に向かって逃げる海賊をちらほら。
 ヤンを含めた第四分艦隊はシヴァ星系に散らばっていて戦力にならない。
 上位組織の第九艦隊は全力出撃し、増援も送り込むつもりだが、到着には一日の時間がかかる。
 その間ミューゼル提督率いる帝国軍がおとなしくしているとはとても思えない。

「分艦隊司令部は集結命令を繰り返し出していますが、この位置からは間に合いませんな」

 ラップ主計長が星系図を確認しながらため息をつく。
 宇宙空間というのは冷徹なる物理法則の世界に他ならない。
 距離と出力によって導き出される時間は遅れる事はあっても早まる事はない。
 つまり……

「詰みましたな」

 あっけらかんとパトリチェフ副長が現状を言ってのける。
 顔が笑顔なのは、笑わないとやってられないからだろう。きっと。
 ヤンは船長の机にあぐらをかいたまま瞬きすらせずに一心不乱に考え続ける。
 人間追い込まれるとやる気が出るもので、ヤンは己の人生におけるやる気を総動員してこのチェックをかわそうとしていたのである。
 ヤンの沈黙に緑髪の副官および、戦艦セントルシアの実体化AIが気づき、付き合いの長いラップ主計長、アッテンボロー戦術長、パトリチェフ副長、アルテナ航海長、シェーンコップ少佐の順にヤンの沈黙に気づく。
 で、シェーンコップ少佐がヤンを眺めた時、意を決したヤンはこんな事を言い出したのである。

「シェーンコップ『中佐』。
 英雄になってみませんか?」

と。




「こんばんは。
 ハイネセン標準時間19時。
 同盟中央放送ヘッドラインニュースです。
 まずは、スクープです。
 長らく探し続けられていた財宝がシヴァ星系惑星アルジェナで発見されました。
 現場の記者のリアルタイムレポートです」

「はい!
 こちらは、惑星アルジェナ中央港です。
 現在、同盟軍ローゼンリッター連隊第三大隊が、マーキュリー資源開発の警備員と押し問答をしながら財宝の確保に向かっています!
 元々シヴァ星系では現在、海賊に対する強制捜査が行われており、その過程でかの財宝のありかが判明したそうです。
 財宝については、同盟軍第九艦隊第四分艦隊所属戦艦セントルシア実体化AIに話を聞いています。どうぞ」

「はい。
 元評議会議長の個人所有のマスターコンピューターが財宝と称されているのはご存知かと思いますが、その場所についてはネットワーク内に秘蔵されており、パスワードが必要でした。
 今回、海賊への強制捜査の過程でそのパスワードが解かれ、惑星アルジェナにマスターコンピューターがある事を公開する事ができたのです」

「現在、シヴァ星系では海賊に対する強制捜査だけでなく、この財宝を狙った帝国軍も外辺部にやってきており予断を許しません。
 第九艦隊司令部はシヴァ星系に増援を派遣。
 更にイゼルローン方面軍司令部も艦隊規模の増援を派遣する事を発表しました。
 一方、惑星アルジェナにて資源開発をしていたマーキュリー資源開発はこの発表に対して沈黙を続け、何の発表もしていません。
 その為、映像で見せたとおり同盟軍ローゼンリッター連隊第三大隊が、マーキュリー資源開発の警備員と押し問答をしながらマスターコンピューターの確保に向かっている所です」

 この中継をヤン達は惑星アルジェナ近くで眺めていた。
 もちろん、しかけたのはヤンである。

「艦長。
 本当にえげつないことしますね」

 パトリチェフ副長の苦笑に賞賛が入っているのは、これで自分達が助かるからに他ならない。
 惑星アルジェナは帝国軍から見て、同盟軍集結地点の後方に位置している。
 同盟軍を撃破して、惑星アルジェナを襲撃したら増援の同盟軍が到着する。
 人形師の財宝発見を暴露した結果、同盟軍は絶対にこのマスターコンピューター確保に走らねばならず、既に艦隊規模の増援を決定している。
 現在惑星アルジェナにいる同盟軍を排除した上で、最低で四倍の敵と当たるなんて事をミューゼル提督はしないだろう。
 ヤンのした事は、優位にある帝国軍に対して選択肢を増やす事で、彼らの行動リソースを奪ったのである。
 そして、財宝発見を暴露することで、同盟軍の集結地点は惑星アルジェナに変更されて帝国軍との交戦を回避してみせる。
 ミューゼル提督は海賊達からある程度の情報を得る事ができ、彼の戦略目標は達成されている。
 ならば、これ以上の無理はする必要はない。

「けど、ミューゼル提督はそれで満足するのでしょうか?」

 アルテナ航海長が疑問の声をあげる。
 要は、帝国軍の満足する戦果かどうかが確認できないので、まだ死地にいるかもという疑念を捨てられないという事だろう。
 その疑念にヤンは淡々とモニターを眺める事で答える。

「マーキュリー資源開発の警備兵との衝突は負傷者まで出る大規模な暴動レベルにまで発展しています。
 まるで、財宝をマーキュリー資源開発が隠し持っていたかの如く!
 なぜ、マーキュリー資源開発は沈黙を貫いているのでしょうか?
 おや?
 同盟軍ローゼンリッター連隊第三大隊の隊長さんが我々を手招きしていますね。
 あそこに財宝があるのでしょうか!
 長らく見つからなかった財宝がついに我々の目の前に現れようとしています!
 カメラもそこに向かってみましょう!」

 なお、このノリノリな女性レポーターはシェーンコップ少佐と夜を共にする程度には親しい関係らしい。
 彼女もこの一件を経て、憧れだった報道局の花形アナウンサーに転身する。

「視聴率60%。
 まだまだあがります」

 緑髪の副官が息を飲みながら、3DTVのシェーンコップ少佐を見つめる。

「おたから。おたからー」

 実にわざとらしいコミカルな仕草で資源プラント最深部に足を踏み込んだその時。
 画面に移っていたのは制圧された時に出た死体であり、おもわずレポーターが声を出して口を抑える。

「なんだ?
 これは?
 まるでかがくぷらんとみたいではないかー!」

 実にわざとらしい声でシェーンコップ少佐がプラントの製造品の所に行く。
 麻薬検査キットを手に持って、その完成品がサイオキシン麻薬であるという逃れられない証拠が同盟全域にばら撒かれた瞬間、視聴率は70%を超えた。

「こ、これは、さいおきしんまやくではないかー!」

 当人ノリノリでこの棒読みである。
 画面を見ていたセントルシアのみんな『わざとらしくやりやがって……』と苦笑するが放送は止められない。
 なお、これを仕掛けたのが船長机の上であぐらをかきながら苦笑するヤンである。
 帝都宮廷内における権力争いに生き残る為の材料を求めてミューゼル提督がここまで来たのならば、それを与えてやれば彼は撤退するのだ。
 そして、帝国とフェザーンの決定的な決裂は軍事行動を発生させると同時に、軍事の才能を見せ付けたミューゼル提督はその才能ゆえに生き残る事ができる。

「偵察衛星より報告。
 星系内に突入していた帝国軍が反転し撤退を開始したとの事」

 緑髪の副官がこそっとヤンの耳元に囁く。
 ミューゼル提督はこちらの意図に気づいて乗ってくれたらしい。
 我々も追い詰められているがミューゼル提督も追い詰められいてたという事を忘れていなかったヤンの大局面からの盤上ひっくり返しによって、ヤンを含めたシヴァ星系の同盟軍は命を救われたのだった。
 ヤンが安堵の息を吐き出した時、茶番はその終盤を伝えていた。

「た!大変な事になりました!!」

「みんなみてくれー!
 おたからをおっていたら、とんでもないものをみつけてしまった!
 どうしよう?」
 

 

閑話その二 同盟国防委員会 国防委員室にて

 ルナホールディングス代表取締役であるアルマン・ド・ヴィリエ氏が、惑星アルジェナのマーキュリー資源開発敷地内で発見されたサイオキシン麻薬製造プラントの一件で同盟国防委員会にあるトリューニヒト国防委員のオフィスをたずねると、彼は緑髪の政策秘書と共にオフィスを片付けている最中だった。

「こんな格好で申し訳ない。
 このオフィスを引き払う所なのでね」

 この場合オフィスを引き払うというのは、国防委員の職を辞する事を意味する。
 その事にきょとんとするヴィリエ氏。
 彼がオフィスを引き払う理由が思いつかないからだ。

「私の政治団体の一つである憂国騎士団に問題となる献金が含まれていてね。
 問題になる前に辞めることにしたという訳だよ。
 そこに、ヴィリエ氏も知りたいだろう最終調査報告書がある。
 読んで見て構わないよ」

 頭が混乱しながらもヴィリエ氏はテーブルの上に置かれていた、惑星アルジェナのサイオキシン麻薬製造プラントの調査報告書が置かれていた。
 平常心を保とうとしたヴィリエ氏だが、そこには彼が予想していた最悪以上の事が書かれていた。

「こ、こ、これは……」

 その動揺が真実であると分かってしまうがゆえに、トリューニヒト国防委員は彼を見ずに淡々と荷物を片付け続ける。
 やっぱり辞めるのが一番政治ダメージが小さいと己の選択の正しさに感謝しながら。

「そこに書かれている通りだよ。
 『惑星アルジェナのサイオキシン麻薬製造プラントは、マーキュリー資源開発社内の地球教徒によって製造された違法プラントである』。
 私が辞める理由でもあるわけだな」

 表向きになっている第一報は、『マーキュリー資源開発がサイオキシン麻薬製造プラントを所有していた』というもので、このニュースを受けてマーキュリー資源開発同盟支社には同盟捜査局の捜査が入り、マーキュリー資源開発の株価も暴落していたのである。
 ヴィリエ氏がトリューニヒト国防委員の所にやってきたのも、この一件で穏便な幕引きを模索する為だったのだが、第一撃から致命傷が飛んでくるとは彼も想定していなかった。

「さて、せっかく来て頂いたのだ。
 お茶を出すついでに少し有意義な話もしませんか?
 ド・ヴィリエ大主教殿」

 トリューニヒト国防委員のドドメの一撃に、ド・ヴィリエ大主教も観念して白旗をあげる。
 きっと隣部屋には同盟捜査局員が待機しているのだろう。

「いつからだ?
 いつから気づいていた?」

 ソファーに腰掛けたド・ヴィリエ大主教がフェザーンが地球教の隠れ蓑である事に気づいたのかを尋ねると、帰ってきた言葉は想定外の時間だった。

「第二次ティアマト会戦で、アッシュビー提督が戦死した時から。
 焦りましたな。
 戦場で消すのではなく、スキャンダルで政治的に失墜させれば、彼らは気づかなかったでしょうに」

「彼ら?」

 ド・ヴィリエ大主教の不思議そうな声に、トリューニヒト国防委員は犯人を告げる名探偵のよう気分で、その名探偵たちの名前を告げた。

「730年マフィア」

 思わず、ド・ヴィリエ大主教がソファーから立ち上がり、最終調査報告書が片づけ中の床に散らばる。
 それに目もくれずに、彼は叫ばずにはいられなかったのだった。

「そんな馬鹿な!
 彼らは、我々との融和政策と数々の利益供与を行ってきたじゃないか!
 特に道化師は、我々の良い傀儡として……」

 彼の言葉を遮ったのは、床に散らばった報告書を片付ける緑髪の政策秘書の淡々とした声だった。

「寄生虫を退治する上で、絶対にしないといけないことって何だと思います?」

 この寄生虫が地球教なのだろうとド・ヴィリエ大主教は気づいて緑髪の政策秘書を眺めて次の言葉を待った。
 彼女はテーブルに報告書を置くと、彼に目もくれずにお茶を出すためにサーバーに向かって歩き出す。

「宿主を太らせることですわ」

 寄生虫を駆除する過程で宿主が死んだら意味が無い。
 そして、宿主が太れば寄生虫も大きくなる訳で、見つかりやすく逃げにくくなる。
 フェザーンの国力拡大が同盟と帝国の警戒心を呼び、その現状から現在の窮地を考えるとド・ヴィリエ大主教は彼ら730年マフィアがどれだけ長くかつ執拗に怨んでいたのか感じざるを得ない。
 地球教の暴露とその討伐は帝国および同盟のかなりの部分に根を張っているからこそタブー視されていたのだった。
 だが、先の帝国内戦でフェザーンの影響力が落ち、この間のサイオキシン麻薬暴露によってその根が分断された以上、それを躊躇う理由は無い。
 既に帝国はフェザーンに対して国内資産の没収と来年度の軍事侵攻を決定しており、同盟も一企業の不祥事ではあるがその視線は冷たくなっていたのである。
 帝国の侵攻を凌ぐ為にも同盟の支援は絶対に必要だった。

「大主教殿。
 有意義な話をはじめてもよろしいかな?」

 いつの間にか、向かいのソファーに座ったトリューニヒト国防委員と目の前のテーブルにお茶が置かれている。
 しばらく己の思考に没頭、いや逃避していたド・ヴィリエ大主教は投げやり気味に声を足した。

「どうぞ」

「同盟捜査局は、サイオキシン麻薬製造プラントの一件を地球教徒の犯行という事で公表する予定です」

「それが何か?」

 ド・ヴィリエ大主教の投げやりの声に、トリューニヒト国防委員が思わず苦笑する。

「あなたともあろう方が、気づいていないとは驚きですな」

「だから何を!……」

 トリューニヒト国防委員の苦笑にド・ヴィリエ大主教が怒鳴り返そうとして、先ほどの言葉の意味に気づく。
 彼にとっては地球教大主教が本体で、ルナホールディングス代表取締役は表向きの顔でしかない。
 だから、本体の直接攻撃に白旗をあげたのだ。
 
「同盟捜査局は、サイオキシン麻薬製造プラントの一件を地球教徒の犯行という事で公表する予定……」

 その言葉をド・ヴィリエ大主教は呟いて、その違和感に気づく。
 マーキュリー資源開発は?ルナホールディングスは?フェザーンは?

「すべてを地球教徒のせいにして切り捨てろ……そういう事か……」

 唸るような声をあげてド・ヴィリエ大主教は正解を口にする。
 トリューニヒト国防委員はすまし顔で緑髪の政策秘書が入れたお茶を口にして、続きを話す事にした。

「ええ。
 アルマン『ルナホールディングス代表取締役』。
 御社における子会社のコンプライアンスについて同盟は重大な懸念を持っております。
 その対策については同盟議会において釈明していただけると、こちらとしても助かるのですが?」

 トリューニヒト国防委員の言葉に合わせて、緑髪の政策秘書がテーブルに差し出したのは司法取引の書類。
 地球教に関する捜査協力の代わりに、ド・ヴィリエ大主教の一切の罪を問わないだけでなく、マーキュリー資源開発の罪すら問わない内容にド・ヴィリエ大主教の書類を持つ手が震える。

「まぁ、晴れて無罪とはいきませんがね。
 メディアでこれだけ騒がれたのですから、同義的責任を取って代表取締役は辞めてもらわないといけないでしょうが、こちらが求めるのはそれぐらいですよ。
 地球教側から騒がれた時の事を考えて、別の名前と身分を用意しまょうか?」

「何故だ?
 何故ここまで優遇する?」

 ド・ヴィリエ大主教の疑問の声に、トリューニヒト国防委員はやれやれと肩をすくめた。

「この問題の本質が帝国にあるからですよ。
 地球教の総本山たる地球は帝国辺境にあり、経済の中枢たるフェザーンを操っている。
 同盟はその末端部分に過ぎません。
 だからこそ、中に居る人間を確保して全容を知らないと、同盟は手を打てないんですよ」

 そこまで言って、トリューニヒト国防委員は隣で控える緑髪の政策秘書を見つめた。

「実はこれ、あなたの言う『道化師』の遺言なんですよ。
 彼が評議会議長時に用意した書類で色々裏技をかました上での司法取引です。
 でないと、こんな段階で出せる訳無いじゃないですか」

「はは……道化師と笑っていた我らは、人形師の人形だった訳だ……」

 乾いた笑い声をあげたアルマン・ド・ヴィリエ氏は、司法取引の書類にサインをする。
 この三日後、地球教に対する一斉捜査と地球教徒の抵抗によって地球教は同盟におけるテロ団体に指定され、各地で銃撃戦やテロを頻発させる事になる。
 だが、それらの抵抗はドロイドを前面に出した同盟捜査局の武装隊によって鎮圧され、この年の年末までには彼らの影響力は同盟から完全に消え去る事になった。 
 

 

ヤン代将のある一日

バーラト星系 惑星ハイネセン 軌道上 戦艦セントルシア

「訓練終了。
 各艦艦長はレポートを提出するように」

 ヤンの声に艦橋内の空気が緩む。
 だからといって訓練をサボるとその代償は命になるので皆真剣である。
 特に、近年同盟の天敵となったラインハルト……この間の帝国の式典によって大将に昇進し、ローエングラム伯爵家の名跡と戦艦ブリュンヒルトを皇帝より賜ったラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵への恐怖は同盟軍にしっかりと根付いていたのだった。
 彼一人にほぼ一個艦隊を沈められているのだから、その恐怖はある意味当然だろう。
 実際、ヤンが所属する第九艦隊がバーラト星系に戻ったのも彼によって第二分艦隊が壊滅させられたからで、再編成と訓練で三ヶ月は動けない事が確定している。
 もっとも、これで割を食ったのが第三次ティアマト会戦で大損害を食らった第四艦隊で、第九艦隊を稼動できるように使える部隊を引っこ抜いたので、バーラト星系での待機が更に伸びる羽目に。

「おつかれさまでした。
 ヤン提督。
 この後、シャトルで惑星ハイネセンの統合作戦本部に行く予定になっていますが、変更はありません」

 緑髪の副官が出世したヤンの階級を呼んでスケジュールの確認をする。
 代将。
 読んで字のごとく、戦闘時における『将の代理』なのだが、万単位の艦艇で殴りあう同盟軍において自然に居ついてしまった階級だったりする。
 本来なら大佐の次は准将なのだが、そうなると戦艦や空母艦長が入ってしまい、その下に護衛の巡洋艦や駆逐艦がつく事に。
 当然隊司令部を作るべきなのだが、省力化を推進する同盟軍は彼ら大型艦艦長にその職を押し付ける事で解決した。
 そのため、大型艦艦長でかつ隊の指揮を取る大佐に代将に任命するという慣行が生まれるようになる。
 もう少しこの代将の話を掘り下げると色々と生臭い話が出てくる。
 戦場時における将の代理でしかないから、正規身分は『大佐』なのだ。
 という事は、戦死して二階級特進すると『少将』で止まる。
 これが、代将がなく准将だと中将までいってしまい、戦死後の遺族金の支払いが馬鹿にならない……世の中金である。色々と救いが無い事に。
 とはいえ、飴が無い訳ではない。
 戦時任命な為、代将の任命は艦隊司令部に一任されている。
 同盟軍一個艦隊12000隻における大型艦の数はおよそ3000隻。
 少なくともそれだけの大佐がいるのだが、一個艦隊に分艦隊は四つ、戦隊は十二個、隊は最大で百個程度しかない。
 代将に任命されて会戦後の再編成において、将官の補充は当然代将から抜擢される事になる。
 つまり、およそ3000人の大佐の中から抜擢されたと艦隊中に知れ渡る事になるのだ。
 そして、戦場に出れは当然将官にも未帰還者が出し、代将は大佐と違い退役前に准将に昇進する事が慣行になっていた。
 で、仮にも将がつくので、ここからは司令ではなく提督と呼ばれるのだ。
 こうやって同盟軍の人事は流動化している。
 話が長くなったが、ヤン大佐が代将と呼ばれるのも当然シヴァ星系での一件に他ならない。
 一躍英雄となったシェーンコップ中佐に功績も面倒も全部あげたつもりだったのだが、緑髪の副官がそれを見逃す訳も無く、マスターコンピューター発見とサイオキシンプラント発見と帝国軍から分艦隊を救った功績を全部伝えられ、代将に任命される羽目に。
 功績が数え役満な為に堂々と准将に上げられると、喜色満面で緑髪のお姉さまがたのお言葉をいただいたヤンの顔はそりゃもう見事なまでに好きでもない娘から告白をもらったような顔になっていたとは、その時に居たシェーンコップ中佐の言葉である。

「帝国のフェザーン戦に関する研究会の出席だっけ?
 めんどくさいなぁ……」

 ぼやくヤンだが、第九艦隊に出番は無い。
 というか、同盟艦隊に出番がある訳でもない。
 何しろフェザーンと同盟は対帝国の軍事同盟を結んでいる訳でも無いからだ。
 今回の研究会は、帝国のフェザーン制圧が可能か?帝国とフェザーンの軍事衝突後に同盟はどう動くのか?が議題となっていた。

「仕方ないですよ。
 キャゼルヌ少将のお願いなんですから」

 緑髪の副官の言葉はそっけない。
 今回の研究会の参加は名目で、実際はキャゼルヌ少将に呼ばれて彼の家での食事会が本当の目的になっていた。
 これに参加するのはヤンにラップ主計長にアッテンボロー戦術長。
 近くに来たのだから飯でも食っていけという社会に良くあるあれだったりする。

「仕方ないよなぁ。
 料理は絶品だし」

 ヤンとて研究会は参加する気は無いが、キャゼルヌ少将の家での会食は楽しみにしていたのである。



「しかし、戦艦下賜か。
 彼の功績ならば、艦隊母艦も夢ではないと思っていたけど」

 惑星ハイネセンに向かうシャトルの中でアッテンボロー戦術長がニュースを見て呟く。
 いまや艦隊戦の花形となった艦隊母艦を彼が受け取らず、新造された高速戦艦であるブリュンヒルトを受け取った事が話題になっていた。
 それにラップ主計長が会話に乗る。

「最初は、反乱で滅亡したリッテンハイム候所有の拿捕した艦隊母艦ヴェルザンディを渡すつもりだったらしい。
 で、あの動く宮殿をお気に召さなかった彼は『戦場に出るのに軍馬に乗らずしてどうする』と一蹴したとか。
 ブリュンヒルトはここ最近戦場で見るようになった帝国軍の高速戦艦の発展改良型らしい」

 10000メートルを超える超ジャガーノート級艦隊母艦ノルニル型二番艦ヴェルザンディは動く宮殿であり、動く領地でもあったが維持費も莫大なものがかかる。
 そんな貴族の見栄の象徴である艦隊母艦の下賜を断った事は貴族層からの反発と、平民層から好感となって同盟にまで伝わっていた。
 同時にそれは、帝国内部の貴族層と平民層の対立を示唆している。

「『像一頭殺すのとネズミ一万匹殺すのはどっちが大変だ』なんて声もあるみたいですが、考え違いもはなばなしいですね。
 何が起こるか分からない宇宙空間にて余力の無いネズミの群れがバラバラに逃げた所で、レミングスの集団自殺に過ぎないのですから」

 緑髪の副官が原作からの言葉を使って皮肉る。
 艦の大きさは維持費の大きさもあるが、同時に生存能力の向上も高くなるのだ。
 同盟軍優勢の戦局の推移は、防衛戦で拠点が近くにあるのと、それ前提で護衛艦をはじめとした優位な建造技術からくる艦体性能差と、その護衛艦運用を司る艦隊母艦の使用という会戦前の状況の優位によって支えられていた。
 だからこそ、帝国軍が高速戦艦を戦場に投入した所でどうとでも対処できる。

「戦う前から勝つか。
 あの人も730年マフィアの一員だけあるよ。
 士官学校卒業が技術過程というのが不思議で仕方なかったけどね」

 ヤンの言葉であるあの人は緑髪の副官の生みの親なのだが、士官学校卒業時は技術将校だったというのは有名な話である。
 まぁ、アンドロイドやドロイド推進の為の適正職でもあるからある意味仕方が無い。
 それが730年マフィアとつるんだ理由が、彼らを使ってのデータ取りだったという。
 で、同盟存亡の時代に将才を見せていた彼を730年マフィアが見逃す訳も無く、同盟防衛大学校で戦略研究科において勉強する事を命じられ……と、今のヤンのコースはかつての人形師の出世コースでもあったのだった。
 だからこそ、ヤンを730年マフィア最後のお気に入りというあだ名がついて回る事になるのだが。

「あの人の公演は独特だったなぁ。
 『前提の引き算』だっけ?
 あれはまともな軍人の発想じゃないよ」

 ラップ主計長の回顧の声にヤンも同じ公演を聞いていた事を思い出す。
 元ネタは自己を成り下げる事によってキャパシティーの増大につなげるなんて物語から来ているのだが、彼はこの言葉を戦略思考として使って見せたのだった。
 問題が発生した時、その問題の前提を容赦なくぶち壊す事によって、問題そのものをなかった事にするという思考法は彼によって主導されたイゼルローン要塞破壊作戦によって実現する。

「イゼルローンに要塞が作られつつあるという情報は、かなり早い段階で同盟情報部はつかんでいたらしい。
 それを妨害しなかったのは、その要塞を完成前に奪ってしまおうという軍部と政府のスケベ心があったらしいからな。
 そんなスケベ心を一顧だにせず、完成前に小惑星をぶつけて破壊してみせて、あそこに要塞が置かれる事の無意味さを提示して見せたんだから、あの人頭おかしいよ」

 ヤンの言葉に一同なんともいえない顔をする。
 まともな軍人上がりの考え方ではない。

「唯一の回廊に要塞で蓋をされた?
 逆に考えるんだ。蓋をされたならば、開ければいいんだ。
 閉めたままにする?
 同じ事を考えているやつがいたらどうする?」

 人形師、イゼルローン破壊作戦の一幕である。
 彼には破壊後の帝国が再侵攻をする人的・財務的余裕が無い事を見抜いていたし、戦場をイゼルローンに固定する無意味さも知っていた。
 そんな流れからすれば、現状のイゼルローン回廊ではなくフェザーン回廊に迫りつつある戦火というのは、彼が生きていたら笑顔でグッジョブと親指を立てていただろう。
 殴りたいような笑顔つきで。 


 研究会そのものは、たいした事も無く終わった。
 惑星フェザーンには二個艦隊があり、同盟の有償譲渡で得た旧型艦艇に同じく有償譲渡のドロイドやアンドロイドを乗せた一個艦隊規模の傭兵艦隊が派遣される事が決まっている。
 さらに惑星フェザーンに強力な防衛衛星もついてるから、攻撃をするのならば帝国は最低でも倍の六個艦隊は用意したい所だ。
 この規模の艦隊ともなるとミュッケンベルガー元帥直々の出馬となるのだが、フェザーン討伐による金融と物流の混乱が出征計画に悪影響を与えているという。
 帝国は対フェザーンの金融資産の凍結と帝国内フェザーン船の拿捕を命じたが、その結果物流が大混乱。
 フェザーン所有帝国債権の支払い停止をはじめとした金融封鎖はフェザーン企業に投資していた帝国金融機関を巻き込んでこちらも大混乱に陥っており、先の帝国内戦で没収したリッテンハイム候をはじめとした滅亡貴族資産で穴埋めしているが、動揺は依然収まっていない。
 ローエングラム伯の式典というのはそういう動揺を押さえ込む政治的パフォーマンスという一面もあるのだろう。
 帝国のフェザーン侵攻は795年中ごろにずれ込むだろうという情報部の予測が披露されると明らかに皆の気が緩む。
 ヤンの所属する第九艦隊だけでなく、第三次ティアマト会戦で打撃を受けた第四艦隊も戦列に復帰できるからだ。
 一方、同盟によってその悪行が暴露された地球教だが、帝国でも弾圧が始まっていた。
 何しろ帝国軍を蝕む麻薬の供給源とされたのだから弾圧も激しく、地球教の抵抗もすさまじく、これもフェザーン侵攻を遅らせている要因の一つとなっているらしい。
 こうして、ヤンたちは楽しみであるキャゼルヌ少将宅の食事会にたどり着いたのだったが、一人予想外の参加者によってヤンが狼狽する事になる。
 794年士官学校次席卒業という超優良株を預かってくれという、キャゼルヌ少将の言葉によって部屋に入った一人の新米少尉によって。 

 

第一次アイゼンヘルツ会戦

 同盟領 バラトループ星系



「傭兵艦隊ワープアウトしてきます。
 残存戦力を確認します」

「損傷艦の修理、負傷者の治療引継ぎ、補給等急げ」

「艦の誘導が追いつきません。
 灯台からデータを回すので、管制をお願いします」

「艦隊母艦を中心に管制ネットワークを構築。
 ネットワークの同期は終了しているので、解析とデータ配布を開始します」

「方面軍司令部の情報ネットワークからダイレクトライン来ました。
 統合作戦本部とのダイレクトライン構築を要求しています」

「外務委員会からもダイレクトライン要求が。
 ネットワーク内でラインの整理をお願いします!」


 人形師の経済政策によってフェザーン回廊周辺部の同盟領は債務返済の代償としてフェザーンに譲渡されている。
 とはいえ、フェザーン回廊周辺星系全部を渡した訳でなく、直接圧力がかけられる辺境星系をいくつかは残していたのだった。
 バラトループ星系というのはそんな星系の一つで、イゼルローン方面へ抜ける為に同盟領に残された辺境星系として存在していた。
 その星系に同盟フェザーン方面軍二個艦隊が進出してきたのも、帝国がフェザーン討伐の為に大軍を差し向けたからに他ならない。
 で、ここでも政治が絡んでくる。
 同盟とフェザーンは軍事同盟を結んでいない。
 とはいえ、兵は早急に欲しいからPMC経由での募集は受け入れたのである。
 傭兵艦隊と称している一個艦隊はそんなPMCの連合体の皮をかぶった、同盟軍実験部隊が主体となっていたのだった。

「大規模戦闘とは聞いていたが、ここまで叩かれるとはね……」
「ただ一人が翻弄した戦場。
 そう呼ばれるのでしょうね」
「何か言いたい事がありそうだね。少尉」
「いえ。
 目の前の光景に圧倒されていたもので」

 796年初頭、フェザーン回廊の帝国側出口であるアイゼンヘルツ星系にて帝国軍四個艦隊60000隻とフェザーン軍三個艦隊42000隻が激突。
 この会戦にフェザーン軍が辛うじて勝利したのだが、それに参加していた傭兵艦隊の帰還を出迎えた同盟軍はその惨状に驚愕する事になった。
 フェザーンは防御衛星で守られているとはいえ惑星であり、交易港であり、商業都市である以上、そこを戦場にするのはまずく、それはフェザーン討伐を考えていた帝国軍も同じだった。
 かくして、アイゼンヘルツ星系が戦場に選ばれた。

「戦況データがネットワークより配信されていますが、ご覧になりますか?」
「頼む」

 出迎えた第九艦隊第四分艦隊に所属していたヤンは戦艦セントルシア実体化AIの声に頷いて、アイゼンヘルツ星域会戦の戦況を知る事になる。
 それを隊付き参謀についた緑髪のアンドロイドと、副官として着任したフレデリカ・グリーンヒル少尉が一緒に眺めたのだが、そこに映し出された戦場は緑髪の参謀が賞したとおり、ただ一人が翻弄した戦場だった。
 その翻弄した人物の名前は、ラインハルト・フォン・ローエングラムという。

 戦いは地の利を得ていたフェザーン軍が逃げ回り、帝国軍を補足しようと追いかける所からはじまった。
 帝国軍からすれば、フェザーンにワープしたいがワープ前にフェザーン艦隊に叩かれるのを嫌ったのである。
 どうしてかというと、ワープには膨大なエネルギーを消費するために一定時間エンジン出力およびシールド等が弱体化するからだ。
 それが分かっていたからこそフェザーン軍はこのアイゼンヘルツ星域で待ち構え、帝国軍はアイゼンヘルツ星域に突入してフェザーン軍を排除する必要があった。
 イゼルローン回廊を中心に戦争をしていた帝国軍と違って、フェザーン軍はフェザーン回廊こそがホームであり、アイゼンヘルツ星域は庭先みたいなもの。
 星域内での補足に失敗した帝国軍だが、総予備として後方に待機していたローエングラム艦隊がフェザーン艦隊に目もくれずにフェザーン星域へのワープポイントに向かった事で戦局が動き出す。
 ローエングラム艦隊をワープさせる訳には行かず、フェザーン艦隊はローエングラム艦隊を叩こうして帝国軍に補足される。
 で、ワープなんてはなから考えていなかったローエングラム艦隊は、フェザーン艦隊から逃げるように星域外周部を移動して帝国軍主力と合流。
 数で勝る帝国軍がフェザーン軍を押す形で戦端が開かれたのである。
 フェザーンは帝国自治領という建前もあって、配備していた二個艦隊は帝国軍編成になっており、帝国軍と同装備で戦えば数の差がそのまま勝敗に直結するという所を傭兵艦隊の横殴りで助けられる。
 傭兵艦隊は同盟軍艦艇と編成で出撃していた事もあって、12000隻と少なめだがその分艦の性能は帝国軍を凌駕する。
 更に、第三次ティアマト会戦にてローエングラム提督が使った単座戦闘艇にリニアレールガンを積んだ雷撃艇という新機種を投入。
 艦隊雷撃艇母艦『ノースゴッテス』・『ビックウェル』・『グランドウッド』搭載の雷撃艇による開幕雷撃によって帝国軍の攻勢を頓挫させて膠着状態に陥らせている。
 ここまでフェザーン軍及び帝国軍は双方一割ほどの損害を出している。
 戦局が動き出したのは、帝国軍が不可解な行動に出てからだ。
 傭兵艦隊の一部に明らかに不合理な攻撃を仕掛けだしたのだ。
 帝国軍の不合理な攻撃対象の先には、傭兵艦隊として参加していたカストロプ公国軍旗艦『イズン』の姿があった。
 同盟領侵攻失敗と帝国内戦によって疲弊した帝国軍は、ブラウンシュヴァイク公によって統一された貴族私兵を組み込む事で今回の遠征戦力を作り出していた。
 その為、帝国軍将官の命令と私兵としての貴族の命令という双頭の鷲状態に陥っていたのである。
 数で勝っている帝国軍は、それゆえに参加貴族の命令という形で『イズン』撃沈に動いて統一攻勢とはよべないお粗末な攻撃を加えてしまい、傭兵艦隊の第二次雷撃の隙を与えてしまう。
 数に勝る帝国軍だが傭兵艦隊に性能では負けており、単座戦闘艇の近接戦闘では帝国軍を圧倒した結果、第二次雷撃で帝国軍は戦線崩壊の危機に陥る。
 ここで、総予備として後方でじっとしていたローエングラム艦隊が動く。
 高速戦艦を主体とした高速戦隊でフェザーン軍を背後から突こうとして帝国軍の前線崩壊の危機を防いでみせ、フェザーン軍の中核が傭兵艦隊であると見抜いて叩きにかかったのである。
 この攻勢に傭兵艦隊が耐えている間に、帝国軍主力が再編が終了してフェザーン軍に襲い掛かる。
 勝利を確信した帝国軍の攻勢を再度防いだのはローエングラム艦隊の攻勢から守っていた単座戦闘艇から抽出した第三次雷撃隊で、フェザーン艦隊が崩壊しなかった代償に艦隊雷撃艇母艦『ノースゴッテス』・『ビックウェル』・『グランドウッド』は撃沈。
 おまけとばかりに『イズン』も大破させて、出陣していたエリザベート・フォン・カストロプ女公爵が負傷するという始末。
 彼女と『イズン』が生き残ったのは、ラインハルトの将才を味方側で見ていたからであり、ローエングラム艦隊の攻勢に躊躇う事無く遁走に移ったのが大きい。

 帝国軍がこの段階で兵を引いたのは、この後のフェザーン攻略戦で巨大防御衛星を相手にしなければならなかったのと、背後に居ただろう同盟軍艦隊の存在、そしてイゼルローン方面軍からのイゼルローン回廊進入の報告が帝国軍に入ったからだろう。
 これは、同盟と帝国の主戦場がフェザーン回廊に移っただけでなく、イゼルローン回廊が陽動等の主戦場の地位を失った事を端的にあらわしていた。
 損害はおよそフェザーン軍8000隻に帝国軍10000隻。
 フェザーン軍に参加した傭兵艦隊の損害は5000隻を超えていた。
 だが、失った人員は18万ほど。
 実験部隊の実験は、先の緊急予算成立によって推進が決まった実体化AI搭載艦およびアンドロイドとドロイドの混成部隊だったからだ。

「第三次ティアマト会戦で失った人員は6000隻に40万人。
 今回は5000隻に18万人。
 悪い話ではありませんね」

 緑髪の参謀は朗らかに緊急予算の成果を強調するがヤンは苦い顔をし続け、グリーンヒル少尉は顔が引きつっている。
 18万人は小都市圏人口に匹敵するからだ。
 だが、緑髪の参謀のいわんとする事も分かる。
 同盟は兵力を提供した変わりに、これらAI・アンドロイド・ドロイドでどこまで人員が削れるかのデータを入手できたのである。
 なお、18万の人名の背後には20万ものAI・アンドロイド・ドロイドが宇宙の藻屑として消えた事を指摘しておこう。
 その結果は次の言葉に結実する。

「ウルヴァシーの造船所は大盛況だそうですよ。
 元々フェザーンは傭兵として艦隊を派遣していた数を入れれば五個艦隊は持てる力を持っていますからね。
 それが帝国内戦ですりつぶされたので再編に乗り出している所ですが、アパチャーサイエンス社は同盟政府の認可を経て廉価版のアンドロイド及びドロイドの大量契約を結んだそうです。
 フェザーン艦隊の再編には三ヶ月もかからないでしょう」

 アンドロイドとドロイドの良い所はここにある。
 船を作っても動かす人員が育成できなければ宝の持ち腐れ。
 だが、膨大な実戦データをコピーできるアンドロイドとドロイドは短期間での戦力化を可能にできるのだ。
 とはいえ、それでラインハルトに勝てるとはヤン及び緑髪の参謀はまったく思っていなかったりするのだが。
 だからヤンは釘を刺しておく。

「君達アンドロイドもコンピューターだから、どうしても欠点がある。
 それは知っているだろう?」

「はい。
 私たちは機械であるがゆえに、効率的に動いてしまいます」

「正解。
 人は失敗する。
 そのほとんどは状況悪化に繋がるが、その状況悪化に機械がついていけないんだ」

 ヤンと緑髪の参謀の言葉にグリーンヒル少尉はなんとかついてゆくばかり。
 戦場の霧という言葉がある。
 何が起こるかわからない戦場における不確定性を現した言葉だが、この戦場の霧に機械はとても弱い。
 グリーンヒル少尉は暇つぶしとヤンと緑髪の参謀が3Dチェスをしていたのが思い出す。 
 見事な攻勢によってチェックメイトを決めた参謀に対して、ヤンは、

「コンピュータに勝つ為にはこれしかないだろうね」

 そう言って、ヤンは3Dチェス版を回転させたのである。
 それにあっけにとられた参謀が笑ってそれまでになったが、きっとそれが答えなのだろう。
 なんとなく理解した副官の為にヤンは言葉を重ねた。

「ルールを決められた上では人はコンピューターに勝つのは難しい。
 だから、ルールをこちらで決定するんだ。
 勝負というよりも詐欺の部類だね。こりゃ」

 ヤンの言葉に副官もデータを指差しながら補足する。

「ローエングラム艦隊は最初から最後まで、主導権を握り続けていました。
 この場合、ゲームのルールの決定権は彼の手にあったんです。
 彼の艦隊がフェザーンを直接目指す行動を取ったから、フェザーン艦隊は出てこなくてはいけなくなり、背後を突くそぶりをする事でフェザーン艦隊を躊躇わせ、彼の艦隊が傭兵艦隊を叩いたので勝敗が単純に双方の数になりかかりました。
 それをひっくり返したのはイゼルローン回廊に進入した同盟艦隊の存在です」

「質問よろしいでしょうか?
 何故帝国軍はイゼルローン方面に陽動艦隊を置いておかなかったのでしょうか?」

 グリーンヒル少尉の質問に答えたのはヤンだった。
 ベレー帽越しに頭をかきながら、あっけらかんと言ってのけたのである。

「簡単な話さ。
 帝国軍も、下手したら同盟軍もまだイゼルローン回廊が主戦場だと勘違いしているのさ。
 陽動の戦場で同盟軍がイゼルローン回廊を抜いた場合、帝国領は蹂躙される。
 あの人が『アッシュビーの復讐』とばかりにアムリッツァ星域まで出た事を帝国は忘れようとしてもできないだろうね」

 そこで彼は真顔になって、予言めいた事を呟く。

「帝国も馬鹿じゃない。
 次の侵攻時には、陽動としてイゼルローン方面軍を拘束する為に一個艦隊ぐらいだしてくるだろうね。
 おそらく、ローエングラム艦隊だ」

 その予言は、半年後結実する。
 ヤンとラインハルトが出会う戦場の名前は、アスターテと言った。
 
 

 
後書き
銀英伝星域図は本編資料を加味しながらゲーム『銀河英雄伝説Ⅳ』を軸に考えています。 

 

アスターテ会戦?

 まだ、730年マフィアの多くが生きていたころの話である。

「このような場所でこういう公演をするのもなれているので、あえて今回は違った話をしようと思う」

 壇上の老人は何をさせても一流寸前という評判のとおり、そつなくこなし続けてこのような場所に立っている。
 同盟士官学校の特別公演だが、歴戦の将の思い出から何かを感じ取ってくれればと人形師が提唱し、残りの面子もそれに異存は無かったのでこの公演時に集まってある種の同窓会みたいになっている。

「ギャンブルにおいて負けない法則がある。
 それは何か?」

 集められた生徒達とて馬鹿ではない。
 同時に手をあげて答えを言う馬鹿でもないので、男爵風の老人が答えを口にするのを静かに待った。

「簡単な事さ。
 負けたら次に倍の金額をかければいい。
 運命というのは以外に平等でね、勝つか負けるかの二択だと大体50%に集約される。
 その考えだと、二連続が勝つ確立は25%、三連続で勝つ確立は12.5%とどんどん小さくなってゆく訳だ。
 まぁ、アッシュビーみたいな化け物が出てくるのも戦場って所のやっかいなもんで、その時はあきらめてくれ」

 男爵の言葉に会場内から笑いが起こる。
 このあたりの掴みのうまさも彼の得意とする所だった。

「まぁ、ここにいる連中はそんな化け物が出てくる可能性がある場所で仕事をする事になる。
 だからこそ、そんな化け物相手にどう戦うか?
 対策としていくつかあるのでそれを紹介しよう」

 聞いていた生徒の目の色が変わる。
 己の生死に関わりかねないのだから聞くのも真剣なのだが、男爵はするりとその熱意をかわしてみせる。
 戦場での帝国軍の猛攻をかわすように。

「一番簡単な事は『戦わない』だ。
 勝てない相手に負けて死ぬぐらいならば逃げちまえ」

 明らかに弛緩した空気の中、男爵は口調を強める。
 敵の攻勢限界点を見極めての反撃は名将の基本スキル。

「おいおい。
 近年の同盟政府、俺や人形師が辺境星系に移動型コロニー建設を推進していたのはこのためだぞ。
 帝国は侵略者だが、同時に国力は同盟より上だ。
 何より我々のご先祖様はそうして逃げてきたからこそ、我々の今があるんじゃないか」

 会場のはっと変わる顔色を見て男爵は満足そうに頷く。
 同時に釘を刺す事も忘れない。

「とはいえ、理由もなく逃げる事だけはしてくれるなよ。
 諸君らが逃げる事なく戦える環境を作る為に、俺や人形師は政界に飛び込んだのだからな。
 諸君らの中で政界に転進しようとする者もいるだろうからついでに言っておく。
 武勲なんぞ、政治の前ではあまり役にたたんぞ。
 国防族議員として働きたいならば、早めに議員に転職する事をお勧めする」

 明確に国防族議員の育成をしていたのも730年マフィアの特徴だった。
 それは彼らが遅く政界に入らざるを得なかったからで自派形成の為にやむをえず行った事だが、この自派形成の遅れが政治家としての男爵と人形師の足を最後まで引っ張り続けた。
 そして、ファンが国防委員長職を長期で守り通したのも、この二人の後で芽が出てきた自派議員達のおかげである。

「次の案だが、『固定値』を攻める。
 こいつは人形師の口癖だったな。
 戦闘における変動値を追っかけていてもその変化に人間が耐え切れないならば、変わらない固定値に注目するべきだ」

 首をかしげる会場に対して男爵は具体例として仲間の話を口に出した。

「行進曲ジャスパーを例にしよう。
 あいつはどういう訳か、勝勝負、勝勝負と勝敗に一定のルールがあった。
 で、負けの時に当たった将兵が逃亡するとかで結構な問題になってな。
 その解決策に尽力したのが人形師だったという訳だ」

 話をしながら、聴衆の顔色は常にチェックする。
 ぴんと来た連中が多かったのは近年人気が高くなった技術士官候補生と緑髪の女性士官達。

「そう。
 人形師の研究していたドロイドとアンドロイドの出番という訳だ。
 ここにも結構な数のアンドロイドがいるみたいだが、これらの初期ロッドのほとんどがジャスパーの負けに使われて宇宙の塵になった。
 それによって助かった連中の数は累計で三百万人を超え、同盟軍を支える一翼を担ったという訳だ」

 このあたりは少し調べれば出てくる話だ。
 だからこそ、こんな場所なのでもう少し踏み込んだ話をしようと男爵は爆弾を口にした。

「で、俺達が将官となって作戦に関与できるようになってからだが、積極的に負けの時にジャスパーを『負けさせた』。
 もちろん、ジンクスを崩さない為だ。
 端末を持っている奴は調べてみてもいいが、中盤からのあいつの負けは、戦隊規模の偵察任務でかつ遭遇戦に限定させている」

 千隻規模の戦闘で半分近く船を失う大敗で消える命はおよそ五万人。
 それにもアンドロイドやドロイドを用いた結果、人命損耗率は三万人を割り込んでいた。

「更にここからがえぐいんだが、大勝した帝国軍が調子に乗って奥に突っ込んでくるケースが多くてな。
 その後の戦いでポロ勝ちした結果、ジャスパーの大敗を『決戦前の陽動』と定義づけた訳だ。
 つけたのはファンの奴だが、知った後ジャスパーと殴り合いの喧嘩をしてな」

 楽しそうに話す男爵とはうって変わって会場内ドン引き。
 だが、人的消耗率という観点から見て、その後の会戦までいれた戦果で同盟の人的消耗は五十万を割り込んだのに対して、遠征軍である帝国の人的消耗は常に百万を超えていたのである。
 そして、その人的消耗はボディーブローのように帝国の国力を奪い続けて、ついにイゼルローン要塞破壊時に財政破綻へと転がり落ちる事になった。
 ちょうど796年、アスターテ会戦前のように。



「回廊出口の偵察隊から緊急電!
 イゼルローンから出撃をした艦隊の総数はおよそ一万隻前後。
 繰り返す。
 出撃した帝国軍は一万隻前後!!」

 おそらく、フェザーン回廊側ではもうすぐフェザーン軍と帝国軍がアイゼンヘルツ星域で戦闘に入ろうかというタイミングで、その緊急電は同盟フェザーン方面軍に飛び込んできた。
 もちろん、同盟の目を引き付ける為の陽動である為に、この偵察隊は見逃されたのだろう。
 そして、同盟もそれは承知していた。

 イゼルローン方面軍に所属していた第二・第九艦隊に方面軍司令部直卒艦隊に近隣警備艦隊を合わせた三万隻にバラート方面軍からの援軍である第六艦隊を加えた合計42000隻を動員してこの一万隻前後の艦隊を仕留めようとしていたのである。
 理由はただ一つ。
 この囮艦隊の司令官が近年の同盟市民最大の敵であるラインハルト・フォン・ローエングラム提督だからに他ならない。

「一万隻……ねぇ。
 寄せ集めとはいえ、戦いたくないなぁ」

 戦艦セントルシアの艦橋にていつものように机に座布団を置いて座るヤンのぼやきは止まらない。
 挙句の果てに、この戦いが終わった後の人事異動で准将就任が内定しているからぼやきもひとしおである。
 出世が待っているから戦いたくないのではなく、純粋にさぼりたいだけなのがヤンのヤンたる所以なのだが。

「しかし一万隻ですか。
 やっと帝国の国力の底が見えたというべきか、まだこれだけの戦力が出せると見るべきか」

 副官のグリーンヒル少尉がなんともいえない声で呟くが、原作を考えれば緑髪の参謀とセントルシア実体化AIは手を取り合って狂喜していただろう。
 もちろん、表向きはしていないが。
 第一次アイゼンヘルツ会戦の後、同盟侵攻の失敗・内乱・フェザーン討伐と立て続けの軍事行動とその失敗によって、帝国の国力低下がついに表面化した。
 今回の出撃前に改変された帝国軍組織改変で十八個艦隊が十二個艦隊に再編され、帝都を守護する近衛軍と三個近衛艦隊が新規創設されたのである。
 これらの改変は以下の事を示していた。
 十八個艦隊を維持編制できる余裕がとうとう帝国に無くなりつつある事と、軍部の掌握を急ぐブラウンシュヴァイク公と帝国宰相リヒテンラーデ公の対立が目に見える形で表面化したという事を。
 近衛軍および近衛艦隊の創設は宰相リヒテンラーデ公が自前戦力の確保に動いた為で、両方合わせたら十五個艦隊になるが統一行動など取れるとは到底思わない。
 で、ローエングラム提督だが、彼はこの両派の争いについては静観を決め込んだようである。
 第一次アイゼンヘルツ会戦にて帝国軍を敗北から救った英雄は両派から誘われたのだろうが、あえてイゼルローン方面の陽動に出てきているのだからよほど帝都の政争は激化していらしい。
 とはいえ、彼は気力十分でもその下の将兵も同じという訳にはいかない。
 その為、今回の囮においては自領の私兵三千隻を率いるのみで、残りはイゼルローン駐留艦隊より借りる事でこの囮任務を賄っている。
 向こうは一万隻前後に対してこちらはおよそ四万隻。
 兵力差四倍である。
 これが宇宙空間において何を意味するかというと左右のみならず上下からも挟めるという事で、包囲においても効果が格段に変わってくる戦力差と言われているのがこの四倍である。
 六倍の戦力は同盟すら用意はできなかったが、同盟は彼一人を倒す為に最大限の戦力をかき集めたのである。

「現在我々が集結しているのがティアマト星系。
 ヴァンフリート・アルレスハイム・ダゴン・エル・ファシル・アスターテ等の星系には偵察隊を置いて哨戒を続けています」

 これらの星系に分散して兵を配置なんぞしたら各個撃破されてしまうだろう。
 戦場予想星系には既に避難勧告を出して、移動コロニーによって多くの民間人が避難を済ませていた。

「偵察隊より追加報告です。
 敵艦隊はアスターテ星系のジャンプポイントに移動。
 ワープ準備に入りました!」

「灯台からもアスターテ星系への航路データの提出を求めたと!」

「方面軍司令部より通達。
 敵艦隊はアスターテ星系へ来襲する可能性が高い。
 全艦隊をあげてこれを迎撃する」

 次々と入ってくる敵艦隊情報にヤンが訝しがる。
 あまりにも情報が入って着過ぎているのだ。

「おかしいな……第三次ティアマト会戦の時に徹底した情報操作をしたローエングラム提督にしては手札を切り過ぎている……」

 こういう時のヤンはある種の預言者になっているので、最注目していた緑髪の参謀がネットワークを繋いで全ての姉妹達にヤン言葉を伝える為に尋ねた。

「何か気になる点でも?」

「まぁ、気になるといえば気になるんだが、君達四倍差の敵相手にどうやって勝つかい?」

 もちろんネットワーク内でも何度も討議されている議題だから、その中の答えを彼女は即座に口にした。

「秘密兵器かすごいひらめき」

 通常手で最善を求める事に最適化されている彼女達からすれば、この二つが象徴する想定外の手に致命的に弱い。
 つまり、彼女達をして現在の同盟に負ける要素は見当たらないという事だ。

「だよなぁ。
 それぐらいしか無いはずなんだが、彼使い捨てリニアレールガンなんて事やってのけているからどうしても秘密兵器に目が行くんだよなぁ。
 けど、彼まっとうな才能を持つ提督なんだよなぁ」

 まっとうどころか天才と創造主から口をすっぱくして言われていた彼女は口を開く事無くヤンの言葉を促した。
 彼の言わんとする事はその後に淡々と呟かれた。

「彼、本当に戦うのかい?
 こんな戦略的無意味な戦場で、四倍もの敵を前にして」
  
「え?」

 漏れた声はグリーンヒル少尉。
 三倍もの軍勢相手に勝った常勝将軍が戦わないなんて事想像もしていなかったらしい。

「戦略的に見て、帝国は既にその目的を達成しているんだよ。
 同盟軍を主戦場たるフェザーン回廊から遠ざけるって目的はね。
 そこから得られる武勲なんぞおまけみたいなものだし、彼からすればむしろこの後、フェザーン回廊戦の方がはるかに出世しやすいんだよ」

「そ、そんな訳……」

 しどろもどろになるグリーンヒル少尉を見てヤンが意地悪そうに笑う。
 戦わなくてするのならばそれに越した事はないから言葉も軽い。

「確認してみるかい?
 この後、敵艦隊に張り付いていた偵察隊は全て潰され、灯台も占拠されて情報を完全に途絶するよ。
 まぁ、記録に残す為に短距離ワープぐらいはするだろうが、アスターテ行きのワープポイントからワープするならば、そりゃアスターテにワープすると皆思い込むだろうさ。
 で、我々はアスターテで待ちぼうけを食らっている間に、彼はゆうゆうとイゼルローンに帰還すると」



(ネットワーク内緊急電!
 急いで敵艦隊に張り付いていた偵察隊の安否確認を!!)

(ダメです!
 敵艦隊に張り付いていた第139偵察隊、第224偵察隊、第591偵察隊応答ありません!)

(灯台からも呼びかけても返事がありません!
 占拠されている可能性あり!!)

(周囲の偵察衛星が全て破壊されています!
 通常の軍事行動と判断して再配置を会戦終了後にしていたので、哨戒網に大穴が開いています!!)

(どうする?
 ヤン提督の言うとおりに全艦隊向かって来なかったら、予算の無駄遣いと野党追求の格好のネタにされるわよ!)

(政治的なごたごたは後で何とかします。
 それよりもヤン提督の予想が外れてアスターテに敵が来てしまった方が、軍が見捨てた事になってやばくなるわ。
 艦隊のワープスケジュールは変えないで。
 追加の偵察隊の抽出急いで!)

(方面軍司令部直卒艦隊より戦隊規模で抽出します)

 ネットワーク内の姦しい大混乱なんてヤンは知る事無く、グリーンヒル少尉が注いだ紅茶の香りを楽しむ。
 彼の予言は当たり、一週間の待機の後艦隊は撤退する事になった。


 なお、同時期に発生した第二次アイゼンヘルツ会戦において、フェザーン軍54000と帝国軍60000の大会戦は双方二割程度の損害を出して引き分けと判定された。
 アスターテ星系における出撃空振りについては同盟議会内部で追及の手があがったが、アスターテ星系防衛の為の必要措置という事で追求を乗り切る事に成功している。  

 

頂点にいた者の執念

「おはようございます。ヤン提督。
 今日も数十件のお祝いの報告がきています」

「……おはよう。
 処理は君達のほうで頼むよ」

 自分が本当に提督と呼ばれる位置に立ってしまった事にまだ慣れていないヤンは副官のグリーンヒル少尉の挨拶に数秒遅れる。
 アスターテ出兵の空振りの後の同盟軍定例人事で准将に昇進して統合作戦本部にオフィスを構えた彼は、グリーンヒル少尉と最新鋭アンドロイド少尉の計二名を副官に仕事をする事になっていた。
 彼の仕事は、まだ無い。
 デスクに座って同盟軍内部閲覧可能なニュースをさっと眺める。
 帝国とフェザーンの争いは更に過熱しつつあり、疲弊した帝国に対して防戦一方だったフェザーンがついに反攻を企む所まで戦況が深刻化していた。
 金融と物流の混乱から帝国はその力を十全に出す事はできず、同盟からのアンドロイド・ドロイド提供で人材確保に困らなくなったフェザーンは、アイゼンベルツ星系確保に成功。
 首星直撃の回避に成功したフェザーンは、アイゼンベルツ星系からの撤退を条件に帝国に対して手打ちを求めるのではと情報部はレポートを出していた。
 フェザーンが軍事的に優位に進めているにも関わらず手打ちを急いでいるのは、フェザーンに根を張っていた地球教が同盟帝国双方で弾圧されたという背景がある。
 同盟側の地球教はシヴァ星系のサイオキシン麻薬製造プラントでテロ団体に指定されて徹底的に弾圧・排除され、帝国側もこの動きに呼応してフェザーンへのあてつけに弾圧を始めたら出てくるどす黒い何かという訳で、社会秩序維持局が弾圧の手を加速させていた。
 同盟もフェザーンが地球教の表看板である事を元地球教大主教だったアルマン・ド・ヴィリエ氏の捜査協力によって掴んでおり、この動きは見過ごせないものになっていた。
 じゃあ、フェザーンへの支援を止めるかといえばそれも駄目で、フェザーンが帝国に蹂躙されでもしたら目も当てられない。

「提督。
 お客様です。
 キャゼルヌ中将がいらっしゃっていますが」

 ヤンは悟った。
 きっと、厄介ごとという名前の仕事を持ってきたのだろうと。
 ヤンと同じく出世したキャゼルヌ中将は、後方勤務本部物流局局長。
 輸送艦をはじめとした同盟軍の支援艦艇全てを管理するロジスティクスの要の部署で、ここの局長職は未来の後方勤務本部長になるという花形ポスト。
 1000人以上のアンドロイドと100機の実体化AIに20000人のスタッフを抱えるこの職に彼がついてから、同盟軍の後方支援は一割以上の改善を見せていたのである。
 
「暇そうだな。ヤン。
 仕事を持ってきてやったぞ」

「正式な命令は後方勤務本部経由で、統合作戦本部を通してください。先輩」

 言うだけ無駄な台詞をヤンは言う。
 この先輩がそのあたりの手抜かりをした事はまったくないからだ。
 なれた手つきで、ヤンの言った関係各所の判子が押された書類を机におきながら、キャゼルヌは意地悪そうに口を開いた。

「安心しろ。
 お前好みの仕事だ。
 軍のネットワークニュースは見ているな?」

「今、見ていたところですよ。
 何しろ暇なので」

 反撃にもなっていない皮肉をヤンは言うが、案の定キャゼルヌには通じていない。
 彼も携帯端末を出して、ある一人の人物を画面に映す。
 ヤンはその人物を見た事があった。

「アレクセイ・ワレンコフ代将相当官。
 お前さんが以前助けた、フェザーンの大物さ。
 情報部を中心に、彼を帰還させてアドリアン・ルビンスキー現自治領主を追い落とそうとする計画が動いている。
 お前さんにやって欲しいのは、彼の帰還に伴うフェザーン内部の権力闘争のモデル構築だ」



「それで私の所に来た訳だ。
 君も酔狂だね」

「そうですね。
 私もそう思いますが、お話を聞かせてもらってよろしいでしょうか?
 アルマン・ド・ヴィリエさん」

「構わないよ。
 私で答えられる事ならば、答えよう」

 ハイネセン某所。
 人気の無いセーフハウスでド・ヴィリエ元大主教は楽しそうに笑う。
 彼の存在は緑髪の副官経由で示唆されていたが、彼との対面にはかなりの書類と根回しが必要だった。
 それを翌日にはこうやって顔を合わせているのだから、緑髪の彼女達とキャゼルヌ中将はどんな魔法を使ったのかとヤンは考えて止めた。
 ド・ヴィリエ元大主教の笑顔に隠された視線のきつさから、彼がまだ野心を枯らしていない事を知りつつヤンは相手の言葉を待つ。

「まずは、フェザーン内部の統治組織について話をしよう。
 君も知っている表向きの話をするが、構わないかね?」

「構いません。
 こちらもそのあたりは関係者の口から確認したい所でしたので」

 このあたり知識欲を満たしてくれるので、ヤンは前振りの話でも好んで聞くくせがあった。
 それは学者を目指していたヤンの趣味と言っていいのかもしれない。

「まずは大前提。
 フェザーンは帝国の自治領だ。
 だから、自治領元首は帝国皇帝になる」

 意外にこれは大きな問題だった。
 地球教内部で自治領主は決められるが、表向きは銀河帝国皇帝の承認が必要になるのだ。
 それをどうクリアしたのかという所を、ド・ヴィリエ元大主教はあっさりとばらす。

「まぁ、こちらが提示した自治領主を皇帝が蹴った事は無かったが、同時に自治領主就任において多額の金銭が帝国宮廷に流れた事も事実だ。
 現在関係は最悪と言っていいが、このあたりは下手に変えないほうがいいだろう。
 本当に終わらせ所を見失う事になる」

 現在でもフェザーンが帝国との関係改善に向けて足掻いているのは、そのあたりの長い関係があった。
 戦火を交えてはいるが、帝国はフェザーン自治領の自治取り消しまでは宣言していないという一点で、まだ外交的糸が切れていないとド・ヴィリエ元大主教はヤンに教える。
 同盟よりも帝国の方がフェザーンの外交の糸は太く長い。
 ここの所を間違えると策もうまくいかないとヤンは心に刻む。

「表の組織だと、皇帝の代理人という形で自治領主が現地トップに立ち、その下に各局がぶら下がる。
 われわれが何処から自治領主を操っていたかというと、この組織外のオブザーバーとして自治領主に絡んでいた。
 フェザーン経済連合会だ」

「シスターズの娘達ですね」

 考えてみれば当たり前のことで、地球統一政府を支えた金融・物流企業の連合体が地球教の母体であり、表の顔なのだ。
 商人国家であるフェザーンにおいて、彼ら大企業の連絡会であるフェザーン経済連合会が国会の地位を担っていたのである。
 行政と司法、表向きは立法も自治政府が押さえているのも、帝国に配慮してという所だろう。
 帝国自治領である以上、権力の分立が議会政治ととられたらかなわないという訳だ。
 
「フェザーン経済連合会が自治領主に陳情し、自治領主がその政策を行政組織に伝える。
 これに変化が出だしたのが、人形師が債務返済という形でフェザーンに譲渡した他星系の存在だ」

 フェザーン一星ならともかく、他星系を支配する恒星間国家になってしまったフェザーンは同盟や帝国と同じように遠隔地の統治という難問を背負う事になった。
 結果、フェザーン行政組織のとある会議が権限を肥大させた。

「自治領惑星間連絡会議。
 自治政府惑星行政官の非公式連絡会議だが、惑星間利害調整を受け持つようになって急激に権限を拡大させるようになっていった。
 われわれ地球教側にとっての最大の敵さ」

「敵?
 同じフェザーンなのに?」

「光すら果てしない時をかける距離で、人が分かり合えると思うのかい?」

 ヤンの質問にド・ヴィリエ元大主教は愉快そうに笑う。
 その笑みに苦労を感じ取ったヤンは何処も同じと同じように笑うしかない。

「地球は帝国辺境にあり、当然総大主教はそこにいる。
 という事は、地球教は帝国出身の派閥で上部は占められているんだ。
 ところが、フェザーンは帝国の疲弊と同盟の繁栄によって、フェザーンや同盟出身者が幅を利かせている。
 内部のドロドロは帝国や同盟に負けない自信があるよ」

「という事は、貴方が同盟に送り込まれたのは、フェザーン・同盟出身閥の監視ですか?」

 段々見えてくる権力闘争にヤンは苦笑しつつも安堵する。
 フェザーンを裏から支配しようが、距離と人の欲は変わらないという普遍的事実を見せられて、ある意味ヤンはおちついた。
 派閥争いこそ、歴史の主役だからだ。
 救いようの無い事に。

「ご名答。
 ワレンコフ前自治領主がフェザーン・同盟出身閥に取り込まれたので、地球教は強引に粛清して箍をはめなおす必要があった訳だ。
 その同盟担当が私で、フェザーン担当が……」

「ルビンスキー現自治領主」

 ド・ヴィリエ元大主教は首を縦に振ることでその答えに正解を出した。
 つまり、現在のフェザーンの対帝国和解方針はそこに理由がある。

「彼自身は有能だが、まだ私と違って自治領主の座に据えてくれた地球教の影響力を排除できない。
 帝国の弾圧が地球にまで及んで地球閥の力が無くなれば、話は別だけどね。
 だからこそ、彼を蹴落とすならば、今が格好のチャンスという訳だ」

「ならば、帝国の弾圧まで待つという選択肢を同盟が取れるのですが?」

 ヤンの分かりきった質問にド・ヴィリエ元大主教が楽しそうに笑う。
 その選択肢が無い事はヤンもド・ヴィリエ元大主教も無い事が分かっているからある意味確認でしかない。

「帝国内部はブラウンシュヴァイク公とリヒテンラーデ公の対立が激化しているというのに?
 フェザーンは既にリヒテンラーデ公側に接触しているだろうよ。
 私がルビンスキーならばそうしている」

 帝国宮廷内にいるフェザーンロビーを駆使し、内戦に勝利したブラウンシュヴァイク公を牽制するためにリヒテンラーデ公側に肩入れする。
 同盟はフェザーン内部の工作と捕らえているようだが、フェザーン自治領主を抑えるという事は、対帝国和平すら望めるという事をヤンは再認識せざるを得なかった。

「気になったのですが、先の帝国内戦にてフェザーンはリッテンハイム侯側に全額賭けていましたね。
 あれはどうしてなんですか?」

 ヤンは先の帝国内戦のフェザーンの不可解な動きについて質問をする。
 商人ならば勝っても負けても損はしない賭け方をするのに、あの内戦では負け側に全額を賭けて現在の苦境を招いている。
 それにド・ヴィリエ元大主教は少し視線を上にむけて思い出すように答えた。

「簡単な話さ。
 損をしない賭け方をすると、どうしても同盟やフェザーン出身閥に声をかけなければいけなくなる。
 それに、皇帝のクローンという切り札を抱えて、我々の手で戴冠させれは、地球教は帝国の国教も夢ではない。
 地球の総大主教をはじめとした面々はその夢に酔ってしまっていた。
 見事に二日酔いの悪夢に悩まされる事になったがね」

 これもフェザーンの国力増大で、具体的なプランが実行に移せるだけの力があったからこそだったりする。
 実現可能そうな夢は、つらい現実よりもたちが悪い。

「あの内戦で使われた現皇帝の遺伝子データだが、おそらく地球にデータが残っているはずだ。
 表向きは地球環境改善計画でフェザーンが投資したプラントコロニーが、太陽系のどこかに隠されている。
 帝国内の権力争いをダシに、フェザーンが和解をもちかける切り札がそれさ。
 傘下企業のウィーナスメディアを使って、皇帝の隠し子を発見させる。
 その子、おそらくは女子だろうに皇位継承権をつけて、娶らせて、その子に帝位を継承させる。
 相手側の遺伝子データもあれば、子供も作れるからな」

 都合のよい時に都合のよい後継者を都合よく作れる。
 人形師が推進したクローンとコーディネート技術は科学の暴走によってそこまで突っ走っていたのである。
 そして、その商品価値を真っ先に見出したのがフェザーンという事なのだろう。
 さすが商人国家とヤンは心の中で拍手せざるを得なかった。  

「さてと。
 ここまで話したのだから、私の頼みを聞いてくれないだろうか?」

 何の見返りなしに話をするとはヤンも思っていなかった。
 とはいえ、ヤンの権限でできる事は限られている。

「准将程度の私にできる事でしたら」

「なんのなんの。
 730年マフィア最後のお気に入りで、軍にも政界にも道が開けている君の頼みを断る人間はこの同盟内部にはそうはいないよ。
 何も君一人で帝国を滅ぼせとか言うつもりは無いよ」

 冗談なのだろうが、笑えないのでヤンは無理に笑顔を作らざるを得ない。
 事実、准将になってから、格段にパーティーや研究会という名を借りた派閥勧誘の誘いが増えているからだ。
 仕事が無かった理由もそれで、まずはコネを作れという意味合いがあったのたが、ヤンはそれが非公式の命令だったのを良い事にサボりまくっていたのだった。
 で、やっかいな仕事を手に怖い先輩がやってきて、こんな場所でこんな事をしている。
 なお、ヤン本人はどう見られているか気にしていないが、周囲は現在我が世の春である同盟国防族に連なる新進気鋭のエースと認識していた。

「で、私に何をしろと?」

「何、君が絡んでいる計画に、手直しをして欲しいのさ。
 ワレンコフ氏だけを戻しても、ルビンスキーを抑える事は難しい。
 地球教側でどうしても彼を支える人間がいる」

 そういって、ド・ヴィリエ元大主教はヤンの顔に近づいてその要求を告げる。
 その声に張りが戻り、ぎらぎらした野心を隠そうともせずに、彼はヤンにその要求を告げた。

「私もその計画に一枚噛ませろ」
 

 

名を忘れた国家

「で、この提案はどうしたらいいと思う?」

「先輩が決めてくださいよ。
 私にはその権限がありませんので」

「言うようになったもんだ」

 アルマン・ド・ヴィリエ元大主教の提案に、ヤンとキャゼルヌ中将がめずらしく頭を抱える。
 それは魅力的ではあるが、盲点を突いたものでもあり、政治の領分に足を踏み込んだものだったのである。



「国家としての自由惑星同盟の承認だけを帝国に求めるですって!?」

 ハイネセン某所。
 人気の無いセーフハウスで行われたド・ヴィリエ元大主教の提案にヤンは顔色を変える。
 何を言っているのか理解するのが遅れ、その意味を理解した時には己の迂闊さに頭を抱えたくなるのを堪えた。

「そう。
 この戦争は、『戦争』ですらないのだよ。
 帝国では。
 『反乱』だからね」

 帝国軍は同盟軍のことを叛徒と呼ぶ。
 百年以上戦争をしていたと思っていたが、それは同盟から見た話というのは綺麗に忘れていたとしても仕方ない。
 だからこそ、ヤンは疑問を口にした。

「しかし、その名前の変更は大事なのですか?
 実質的に同盟は国家として振舞っていますが?」

 このあたりは、戦術家であり戦略家ではあったが政治家ではないヤンの限界なのだろう。
 で、間違いなく政治家であったド・ヴィリエ元大主教はその名前の意味をヤンに教えた。

「君たちの人形師が立ち上げるまで外務委員会が存在しなかったのはどうしてだい?
 つまり、同盟の方もそれと知らずに『戦争』ではなく『反乱』を行っていたのさ。
 まあ、気づかせないように我々が仕向けたというのもあるけどね」

「シリウスの対処失敗からですか。
 その仕掛けは」

 賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
 古の地球統一政府の繁栄と崩壊を少なくとも経験と歴史から地球教というかド・ヴィリエ元大主教が学んでいたという事だろう。
 歴史家志望だったヤンはそのあたりを即座に出して、会話のイニシアチブを取り返そうとするが、話を商売にする宗教家でもあるド・ヴィリエ元大主教から主導権を奪回できない。

「そうだよ。
 地球教は、この長く延々と続く争いを『戦争』にしないようにありとあらゆる手を使ってきた。
 つくづく730年マフィアを敵に回した事を後悔しているよ。
 『戦争』になった場合、この戦いの何が変わると思うかい?」

 わざとらしい教師的口調でド・ヴィリエ元大主教がヤンに尋ねる。
 名前だけの変更だけではない何かがあると感づいてはいたが、それが何なのか政治家ではないヤンは白旗をあげた。

「教えてください。
 何が変わるんですか?」

 実にもったいぶった間を作って、ド・ヴィリエ元大主教は国家の条件を口にした。

「国家が国家たる条件は、領土と国民と主権。
 この三つで、同盟はそれを満たしている。
 だからこそ、忘れていたのさ。
 他国の承認という外部の存在をね。
 つまり、国境さ」

 この会話はヤンの心には響かなかったが、後日効いた緑髪の副官達が紅茶をこぼすぐらい驚愕した事で、やっと重大性を認識したりする。
 人形師から本来の物語を教えられていた彼女達は、この国境がアムリッツァのフラグを叩き折れると感づいたからに他ならない。
 ヤンがイゼルローン要塞を奪取した直後が同盟にとって最大かつ唯一の独立のチャンスだったのだ。
 ヤンがいみじく言ったように、言葉が変わるだけでやっている事は変わりはしないだろう。
 だが、国境線を引くという行為は『そっちとあっちは違う』という事を確定させる。
 つまり、独立防衛戦争の延長で外征をやらかした、同盟が『対外戦争』に踏み切るという意思決定にワンステップを置く事ができるからだ。
 アムリッツァの引き金の一つに選挙があるが、イゼルローン要塞奪取後の独立宣言というのは十二分に与党側にとっての政治イベントになる。
 わざわざ、外征を行って支持率を飾る必要はない。
 同盟側だけでなく帝国側も意識がいやでも変わる。
 反乱鎮圧でなく『敵国征服』になるからで、内政と外征という形で今以上に選択が先鋭化するからだ。
 双方に派閥があり、それが中で敵対しているならば、手を取り合える可能性は増える。
 まあ、このあたりもフェザーンの工作が入っていたのだろうが。
 結論だけ言おう。
 自由惑星同盟は、アムリッツァの大敗後でも生き残れる可能性はあった。
 そして、その可能性を完膚なきまでに消したのが、皇帝ラインハルトの『冬バラ園の勅令』な訳だ。
 圧倒的不利かつ分の悪い賭けではあるが、政治的に外交的に同盟が最善を目指したならば、自由惑星同盟という国家は生き残れる可能性は十分にあった。
 ド・ヴィリエ元大主教のこの言葉は、原作よりはるかに状況の良い現在の同盟存続における重要なピースとして意思決定に反映されてゆくのだがそれは後の話。
 話がそれた。

「おそらく、同盟の手札が有利すぎるから今のタイミングならば独立承認までは持っていける。
 君みたいに名を変えるだけだと勘違いして、『戦争』を始める事の意味に気づかないだろうからね。
 その時にフェザーンも独立させる。
 フェザーン本星を帝国にくれてやる代わりにね」

 何処まで驚かせばいいのだろうとヤンは少し疲れた頭でド・ヴィリエ元大主教の会話を聞くしか無い。
 あまりに大仕掛けなので、キャゼルヌ中将の所に持ってゆくしか無いとヤンはこの時に心に決めた。

「フェザーン本星を渡すのに、フェザーンを名乗るのですか?」

「名が気に入らなかったら、カストロプ公国を拡張させても構わないさ。
 独立後、同盟と正式に同盟関係を構築しないと、フェザーンは最終的には帝国に飲み込まれ、その後で同盟もすり潰される。
 だからこそ、ワレンコフ氏をフェザーンに戻そうと考えているのだろう?」

 それはヤンでも理解はしている。
 現状は傭兵扱いで介入しているが、指揮系統の重複や他所の戦いへの介入の説明等フェザーンを支援することに対して疑問を持つ同盟市民がいるのも事実だったからだ。
 先の権力闘争によって同盟に亡命したワレンコフ氏は同盟軍下部組織のPMCとして生活しており、彼をフェザーンに送り込む事でフェザーンをコントロールするのがこの作戦の骨子である。

「ルビンスキー氏はバックの地球教が弾圧されてから、政治的影響力の低下が著しい。
 それでも、地球教の影響力はまだ無視できないだろう。
 ワレンコフ氏の返り咲きに十二分に協力するよ」

 聞きたいことは聞いたが、ヤンはだからこそド・ヴィリエ元大主教に訪ねなければならない事があった。
 気を引き締めて、ヤンはそれを口にした。

「で、貴方は何を得るつもりなのですか?」

 その答えを待つ間、ヤンに向けたド・ヴィリエ元大主教の笑みを忘れることはできなかった。
 野心・野望・執念。
 人が持つ欲望をこうも綺麗に取り繕えるのかという綺麗かつ白々しい笑みを晒したまま彼は望みを口にした。

「強いてあげるならば、抗議かな。
 人形師への」

 出てきた彼の名前にヤンは意外な顔をする。
 けど、そんなヤンではなく、はるか昔に勝ち逃げした彼に対してド・ヴィリエ元大主教はその恨み節を言葉にして笑ったのである。

「道化のまま終わるつもりはないって事だよ。
 ヤン君」



 そして冒頭の頭を抱える二人に戻る。
 聴き終わったド・ヴィリエ元大主教との会話のレコーダーを止めて、キャゼルヌ中将は気分転換にと彼の副官に飲み物を持ってこさせる。
 しばらくして、キャゼルヌ中将付きである緑髪の副官が、コーヒーと紅茶の香ばしい香りをさせたお盆を持ってくる。

「そういえば、この味はヤンの功績らしいな」
「私じゃないですよ。
 チャン・タオ氏のたまものです」

 彼は退役時に昇進して兵長として退役したのだが、引退後の喫茶店は大盛況を見せており、数店舗にまで広げるまで繁昌していた。
 その商売繁盛の秘訣は、彼の味を得るために送り込まれた最新鋭アンドロイドにあるのは間違いはない。
 なお、商売そのものもアパチャーサイエンス社と業務提携した結果ショーケースとしての側面を持った最新鋭アンドロイド達によって経営されており、チャン・タオ氏は働かなくてもいい身分になってしまったが今でも本店で自らお茶を入れるそうだ。
 二人がさしだれたコップに口をつけて芳醇な香りを楽しんで喉を潤すと、現実に戻ったキャゼルヌ中将が最初に口を開いた。

「この話、情報部だけで終わる話じゃないな。
 政治が絡んでくるから、先生が必要になってくる」

 政治家が絡むとこの手の工作はろくな事にはならないが、絡まなかった場合も大体ろくな事にならない。
 ならば、政治家を絡ませて首切り要因にしてしまえという組織防衛術の観点からの発言である。

「絡めるんですか?」
「お前さんがいやがるのは承知の上さ」

 大衆の代弁者たる政治家先生は、人間の美しく素晴らしい善の部分しか見ない傾向がある。
 誰しも持っている心の闇や悪の部分を絶対見ず、自分にそんな負の感情があるとは思いたくない。
 自分のやっている事を善だと固く信じているから、最も他人に対して残酷になれる。
 だからこそ、ヤンは政治家を嫌悪しているのだが、彼らはこの国の大衆の鏡であるという一点においてこの国を導いているのだ。
 そんな彼らが自分の正義を完全に確信し、疑問を完璧に無くした大義の終焉、

「自由惑星同盟は、銀河帝国から独立する」

 というあまりに大きな一石は軍人が勝手に事を成すには大きすぎる。
 忘れていた名のない化け物を見つけてしまった代償はあまりにも大きい。

「藪をつついたら蛇が出てきた気分だよ」
「それを生で見た私の身になってくださいよ」

 キャゼルヌ中将の皮肉にヤンが乾いた笑い声の後で返事を返す。
 彼らは無能ではない。怠け者ではあるのだろうが。
 だからこそ、話はいやでも進んでゆく。

「で、後方勤務本部はこの話乗るんですか?」

「乗るさ。
 ド・ヴィリエ氏の言葉じゃないが、現状のフェザーン支援はあまりにも非効率だ。
 政治的なうんぬんはひとまず置くとして、ルビンスキー自治領主の失脚は既定路線になっている。
 俺は統合作戦本部で暇を堪能しているお前を使って、状況をコントロールするつもりなんだからな」

「つまり、私にクーデターを起こすだろうワレンコフ氏の実戦力になれと?」
「……」

 ヤンの質問にキャゼルヌ中将は沈黙で答える。
 皮肉以外の何物でもないだろう。
 民主主義を愛し非合法手段と暴力を嫌っているヤンに、他国とはいえ非合法暴力そのものであるクーデターの実戦力として傭兵艦隊を率いろと敬愛する先輩から言われているのだから。
 
「歴史は繰り返す。
 一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。
 何度目ですか。
 この愚行は」

「渋い言葉を持ち出すな。
 誰だったかな?
 その言葉を言ったやつ」

「カール・マルクスです。
 かと言って、一生やらせておくわけにもいかないでしょうに」

 普通割り込まないキャゼルヌ中将付きの緑髪の副官がこうやって口を開く場合、大体ろくでもない事が起こっている事が多い。
 ネットワークからの緊急伝の報告が配信されているからだ。

「ネットワークより緊急伝です。
 エックハルト星系において帝国軍一個艦隊とフェザーン軍三個艦隊が激突し、帝国軍が完勝。
 同盟傭兵艦隊一個艦隊を含んたフェザーン軍は壊滅的被害を受けてアイゼンヘルツ星系の放棄を決定。
 帝国は惑星フェザーンを再度射程に捉えた模様です。
 帝国軍の司令官は、あのローエングラム提督です」 

 

人形葬

「人形葬?」

「ええ。
 フェザーン絡みでかなりの数の私達が消えてしまったので。
 合同人形葬を出そうという話で」

 フェザーン目前まで帝国軍が迫っている中、ヤンにつく緑髪の副官はそう言って招待状をテーブルの上に置いた。
 差し出し主は人形達の製造元であるアパチャーサイエンス社。
 業務用の招待状らしく、既に出席を決めている来賓の顔写真やメッセージなんてのもついており、悪質商法のチラシに見えなくもない。

「この忙しくなるのにかい?」
「だからですよ。
 人の代わりに消えた人形の重みを知っていただこうと。
 あのお方はそういう所にはうるさかったですから」

 そうなのかもしれない。
 ヤンはそう思って招待状に出席に○をつけた。


 
 惑星エコニア。
 アパチャーサイエンス社の研究開発製造本部がおかれているこの星は、人間より人形のほうが多い星としても知られている。
 そこで行われる人形葬という式典は一民間企業の体裁をとってはいたが、同盟政軍関係者がずらりと並んだ政治イベントになっていたのである。
 だからこそ、そこで交わされる会話は生臭い。

「フェザーンは持つのか?」

「持たせる。
 最悪、実体化AI、アンドロイド、ドロイドで編成した無人艦隊を送って防衛させるつもりらしい」

「という事は、ここで着飾っている緑髪のお嬢様がたはその出陣要員か」

「ふっかけても買ってくれるから、この会社過去最高の収益を記録したそうだ。
 今回の人形の消耗は150万体をこえたらしい。
 フェザーンに買われたのも含めたフェザーン戦役全体で500万体以上だそうだ」

「おかげで、人の命が助かっているんだ。
 葬式で涙を流すのも仕事さ」

「フェザーンも金があるから遠慮無く買っていきやがる。
 同盟軍の第一・第二世代の旧式駆逐艦をまとめ買いしてくれるから、予備に取っておいた艦艇に不足が出つつある」

「いいじゃないか。
 こちらは第三世代、改第三世代駆逐艦に更新できている訳なんだし」

「フェザーンと同じ悩みを抱えつつあるんだよ。
 金もあるし生産もできる。
 だが、フェザーン首星前に帝国が来た以上、時間がないんだよ」

「けど、上はまた援軍を送るんだろう?」

「ああ。
 第一次・第二次アイゼンヘルツ会戦にエックハルト会戦で失った傭兵艦隊の艦艇は一万隻を超えたからな。
 もう傭兵艦隊という仮面すらかぶれない。
 外交委員会はフェザーンに正規艦隊派遣の打診を正式に出しているが、フェザーン政府はまだためらっている」

「目の前に敵が迫っているのに何を悠長な……」

 入りたくもない噂を聞きながら、喪服のヤン准将はため息をつく。
 フェザーンの危機は同盟から見ると目を覆いたく成るような惨状を呈していたのである。
 フェザーン正規艦隊二個艦隊の定数は三度の戦闘で割り込み、損傷艦も多く使えるのは半個艦隊程度。
 本来五個艦隊を編成する維持力があり艦艇生産もフル稼働でやっているのだが、首星にまで帝国軍が来れるような状況ではとにかく時間が足りない。
 で、艦艇以上に払底しきっていたのが人員だった。
 帝国内戦で海賊たちが消え、新世代の海賊たちが出る前にこの戦いが始まり彼らを強制徴用して送り込んでもまだ足りない。
 さらに育成していた人員も生き残った連中までまとめてエックハルト会戦で失ってしまったのである。

(政治に軍事が振り回されるのは常だが……たまんないなぁ……)

 安全保障面から同盟に依存しつつあったフェザーンの中立性とそれを政権の柱にしていたルビンスキー自治領主は、同盟への交渉の駒として主戦場から外れたエックハルト星系で警戒していたラインハルト艦隊に目をつけたのだ。
 近年の同盟軍最大の敵である彼を討てば同盟へのいい手土産になるし、フェザーン軍と合わせた三個艦隊ならば負けないだろうと傭兵艦隊(中身は同盟軍)もそれに賛同。
 結果がこのザマである。
 戦略的にまったく価値の無いエックハルト会戦は、数で劣っていたラインハルト艦隊が防戦と逃走に徹し、行動限界をギリギリ超えた所でアイゼンヘルツ星系に帝国艦隊襲来の報告が届いてフェザーン軍が動揺し、撤退しようとした所を叩き潰されたという敵ながらあっぱれ言いたくなるような戦いだった。
 なお、追撃戦では高速戦艦がその火力と高機動で暴れ回り、星系に伏せていた単座戦闘艇が猛威を振るったという。
 フェザーン軍42000隻対帝国軍15000隻の戦いは、フェザーン軍が20000隻近くを失う大惨敗となり、その半分が敗走時に燃料不足で降伏したという情けなさ。
 傭兵艦隊はこの戦いでも殿として多くの艦艇を逃がした結果、12000隻中帰ったのは3000隻程度しかなかった。
 政治に振り回されて戦略的要地を放棄し、傭兵という立場だから雇い主のフェザーンに物が言えず、言っても聞いてもらえずのこの惨敗にはっきりと同盟は現在の支援の限界を悟った。 
 だからこそ、同盟はフェザーン内部に親同盟政権樹立の必要性を感じ、その内部工作を行うことを秘密裏に決定していたのである。
 で、その工作司令官の一人が、めでたく昇進したヤン准将である。
 本人はまったくめでたくなかったが。

「このたびは、私達の為にお集まりいただきありがとうございます。
 私達の父は、人の友として私達を作り、人を支える喜びを教えていただきました。
 失った悲しみは大きいですが、それで多くの人を救えた事を私達は誇りたいと思います」

 式典の演説で、緑髪の代表者が悲しそうな顔で演説を続ける。
 あくまで式典用アンドロイドの一体を借りてだが、その実態は最高機密の一つであるマザーコンピューターのメインプログラムだったりするのを知っている人間は少ない。
 ヤンは彼女の演説を聞きながら、ため息をつく。
 彼はその知っている人間の一人であり、その彼女から面会を求められていたのだから。



 式典は淡々と進んだ。
 空の墓に形見として同じDNAで作られた緑髪を燃やしてその灰を墓にふりまく事で葬式そのものは終わるからだ。
 だが、葬式という物の本質は生きている人間のためにあるのは周知の事実だ。
 一つは、残った人間が去った人間との別れを告げるため。
 もう一つは、去った人間をだしにして、残った人間に合うため。

「おかけになってくださいな。
 ヤン准将。
 貴方のことは、いつも噂になっていますのよ」

 式典の貴賓室に居るのは、人間ではヤンしか居ない。
 緑髪の副官に、戦艦セントルシアの実体化AIからやってきたアンドロイドに、最新鋭フラグシップ機『ホライゾン』タイプの緑髪メイド達が控える中で先ほどとは姿が違うマザーコンピューターはヤンに語りかける。

「なるほど。
 木を隠すには森のなかですか」

「ここまで私達が広がると、この方がばれないのですよ。
 このタイプは見かけは同じですけど、統括用機で『エンプレス』とお父様は名づけてくださいました」

 同盟内部にいくつあるか知らない分からない超最高機密をあっさりとバラす事で、ヤンは己の逃げ道が塞がれた事を悟った。
 そして、どの地雷を踏んだのかヤンには心当たりがあったのである。

「人形師のお宝ですか」

「ご明察。
 そのお宝を正式に開示する為にあなたに来ていただきました」

 もちろんこれはマザーの嘘だ。
 ラインハルトの脅威を認めた以上、ヤンに偉くなってもらわないと困るのだ。
 そうでないと、彼女が父である人形師に与えられた唯一絶対のラストオーダーである、

「銀河をひっかき回せ」

が遂行できなくのだから。
 もちろん、そんな事をおくびにも出さずに彼女は書類がまとめられたファイルをヤンに差し出した。

「これが本当のお父様の遺産です。
 正式な手順を全部踏んである命令書で、出す所に出せば、ちゃんと命令が実行できますよ」

 作戦立案者は人形師。
 賛同者に730年マフィアの面々のサインが並んでいるそれを読んでいたヤンの顔色が変わる。
 青白くなりファイルに汗が垂れるのに気にせず、ヤンはそれを見続ける。いや、固まったままでいる。
 その答えが出るのは、ヤンがお父さまが見込んだ英雄だからとマザーコンピューターはやっと確信する。

「そういう事ですか。
 アッシュビー提督はフェザーンに殺されたんですね」



フェザーン回廊封鎖作戦

目的
 同盟と帝国の要衝にあるフェザーン回廊はそれゆえに交易で繁栄しているが、軍事的に見て惑星フェザーンが帝国の手に落ちた場合、同盟が被る不利益は同盟の維持に深刻な打撃を与える。
 また、フェザーンが中立政策を隠れ蓑に帝国と同盟内部の対立を煽っており、同盟内部の政策決定に不都合な影響を与える現状においてその排除を目的とする事がこの作戦の趣旨である。

作戦は以下の目的を達成する事を求められる。
1)地球教の解体
 フェザーン政府の解体と同盟への併合を前提条件に入れる必要はない。
 フェザーン政府は実質的にシスターズの娘達を隠れ蓑にした地球教に操られており、その地球教の解体こそこの作戦の主目的である。
 帝国領辺境にある地球教本体に手を出すのではなく、フェザーン回廊を封鎖する事で地球教の影響力を叩き落とす事ができる。

2)フェザーン回廊の封鎖
 フェザーン回廊は広く、イゼルローン回廊のような封鎖はできない。
 その為、補給・整備拠点である惑星フェザーンを攻撃してその価値を落すことで、帝国側にイゼルローン回廊と同じ距離の暴虐を味合わせる事を目的とする。
 一大流通拠点であるフェザーンの価値を落す為に、惑星フェザーン全土を対象にした全面核攻撃を提案するものとする。

3)正当性の確保
 この作戦については、フェザーン政府が同盟および帝国政府に影響力を発揮していると非難が来るのは間違いがない。
 その為、フェザーン政府と地球教がどのような悪事を働き、その悪事への制裁という形で正当性を確保する事が求められる。
 これについては、ブルース・アッシュビー謀殺容疑(別途資料)、サイオキシン麻薬密売(別途資料)……等を用いて正当性を確保する



 この作戦を本当に人形師が立案した訳ではない。
 だが、復讐者としてフェザーンに制裁しようとした事は本当で、その為のフェザーン侵攻計画は彼らの血判状でもあったのである。
 その忘れ去られた血判状を具体的にしていったのが残された人形たちだった。
 ド・ヴィリエ大主教を入手した事で帝国側での地球教の犯罪行為が提示できる事でこの作戦が一気に具体化した。
 そして、フェザーンと地球教は今現在一番力が衰えており、同盟政府はフェザーンでクーデターを企んでいた。
 その流れに彼女たちも乗ったのだ。
 出してきた提案は最も簡単で過激だったが。

「フェザーン一星を核で焼くことで、同盟は数十年程度の平和を手にできるでしょう」

「そこに住んでいるおよそ三十億の人間を代償にですか?」

 ヤンの声は己が思っていた以上に低く冷たい。
 己の声を聞いて、ヤンは自分が激怒している事を自覚した。

「『尊い犠牲でした』で片付けられる三十億です。
 お父様の言葉を再現しましょう」

 そう言って、メモリーから人形師の言葉を再生する。
 さすがに女性形アンドロイドから男性の声が出るのは真面目なシーンに合わないのでレコーダーから聞かせたが。

「何よりも素晴らしいのは、この犠牲に同盟市民の血はほとんど流れないって事さ」

 国家の国家たる下衆さ全開の台詞にヤンの怒りは頂点に達して、かえって頭が冷める。
 これだけの復讐心を秘めながら、実際の730年マフィアが行った政策はフェザーン融和政策だったのだから。
 そして気づいてしまう。
 ド・ヴィリエ大主教が緑髪の政策秘書から聞かされたそれを。

「そうか。
 まずは、裏で動くフェザーンを舞台にあげる必要があったのか。
 それに三十年以上かけて。
 そこまでする必要はあるのですか?」

「ないですよ」

 想定外の全否定を聞いてヤンの手からファイルが落ちる。
 今までの流れは何だったんだと必死に心を落ち着かせるヤンを知らずにマザーはあっさりと前提をバラす。

「あくまでこれは、『お父様のお宝』ですから。
 見つけた人が好きにすればいいと思います」

 そう。
 あくまで、実行されなければ妄想で終わる案なのだ。
 だが、実行できる環境が整い、それによって三十億の犠牲と数十年の平和という形で天秤に物が乗せられている。
 そして、それをどう判断するかを人形師が見込んだ英雄であるヤンに任せたのだ。

「という事は、実行しなくてもいいと?」

「構いません。
 ですが、その場合第三国であるフェザーンをめぐって同盟市民の血が流れる事態となり、同盟政府はそのコストに耐え切れないでしょう。
 政府が行っている工作そのものは間違ってはないなのですよ。
 その工作における、最もローコストでハイリターンを入手できる作戦案であるというだけで」

 だからこそ、ヤンがこの作戦を行わない事を前提に、マザーコンピューターはヤンの心に釘を刺した。
 やってもやらなくても地獄に彼を突き落とす。

「彼らを救いたいのならば、フェザーンを完全に同盟に併合して下さい。
 そうしないと、同盟は最終的にフェザーンを見捨てるでしょう」 
 

 
後書き
この話では全体的に人口が増えているのでフェザーンの人口も増やしています。 

 

追憶 ハードラックの誓い

 第二次ティアマト会戦終了後の同盟首星ハイネセン上空に次々と参加していた同盟軍艦艇が帰還する。
 彼らは史上空前の大勝利にもかかわらず、誰もが敗北に打ちひしがれているように見えた。
 旗艦ハードラックは大破判定を受けながらも、ついにここまで引っ張ってくることに成功し、修理の後記念艦になる事が同盟議会において決定されていた。
 それこそ、この船にはもう主が居ない事を端的に示していたのである。
 そんな主なき船の一室に730年マフィアの面々が集っていた。

 アルフレッド・ローザス中将は何もするわけでもなく天井を見つめ、フレデリック・ジャスパー中将は日頃の陽気な顔とは裏腹に鬱屈した気持ちをそのまま顔に出して押し黙る。
 ウォリス・ウォーリック中将はモニターに映るハイネセンをただ眺め、ファン・チューリン中将はこの会戦の報告書を淡々と作成していた。
 ヴィットリオ・ディ・ベルディーニ中将は何をするわけでもなく椅子にこしかけたまま動かず、ジョン・ドリンカー・コープ中将の落ち込みはひどく、飲めないブランデーのボトルを揺らしてただため息をついていた。

「すまない。遅くなった。
 みんなご苦労だったな」

 人形を連れて最後の一人である人形師が部屋に入る。
 そして、主なき船の主に目を閉じて黙祷を捧げ、それに皆が習った。

「で、どういう理由で俺たちをここに呼んだんだ?」

 ファン・チューリンがキーボードを叩きながら人形師に淡々と問いかける。
 強引に集まってくれと頼んだのが、この人形師だったからだ。
 ハイネセンに残っていた人形師は、ファン・チューリンと同じく淡々としかし決定的な一言を皆に告げた。



「アッシュビーが殺された可能性がある」



と。

「おい人形師!
 冗談はよしてくれ!!
 今はそんな戯言を聞く余裕は無いんだ!!!」

 ジョン・ドリンカー・コープがたまらず叫ぶが、彼の顔にある紙束を叩きつけてそれでも淡々と言葉を告げる。
 その抑揚の無さが彼の悲しみと怒りの大きさを表していた。

「……このハードラックの艦船識別信号が漏れていた可能性がある。
 帝国軍のスパイからの報告だ」

 ジョン・ドリンカー・コープの顔に出ていた怒りがみるみる吸い取られてゆく。
 読み終わった彼はそれを他の面子に渡し、彼らもまた同じような顔になってゆく。

「アッシュビーが死んでしまったから言うが、アッシュビーは帝国内部に居るスパイから情報を得て作戦を立てていた。
 そのスパイマスターが俺だ」

「……なるほどな。
 あいつの作戦、えらく無謀なのに成功していた種はそれか」

 ウォリス・ウォーリックが吐き捨てるように言うが、それに意を唱えたのはヴィットリオ・ディ・ベルディーニだった。

「待て。
 この情報、同盟情報局経由じゃないのか!?」

「あいにく俺の私設スパイ網でね。
 そもそも、こんな事をする羽目になったのは、数度に渡る同盟の情報流出が原因なんだよ」

 人形師は淡々と嘘を語る。
 だが、その嘘を嘘と見抜けぬ人間しか居ないのならば、その嘘は本物になる。

「あいつ、えらく敵に名前を売っていただろう?
 そうする事で帝国の敵愾心を煽って、戦略や戦術の思考を誘導していたんだよ。
 その観測のためにはどうしても、帝国側に観測する為のスパイが必要だった」

「読めたぞ。
 そのスパイってのは、お前の後ろにいる人形たちか」

「ご明察」
 
 ファン・チューリンの指摘に人形師は嗤う。
 仲間に嘘を吐き続ける己の姿を嗤うのにその仲間たちは気づかない。

「この人形、帝国貴族でも愛用者が出てきている特注品でな。
 帝国も馬鹿では無いから、中のプログラムはいじっているみたいだが、やり方は色々とあってな。
 そこは機密なんで勘弁してくれ」

 アルフレッド・ローザスが話を元に戻す。
 少なくとも、聴き逃してはいけない台詞が人形師の口から出ていたからだ。

「情報流出!?
 それは本当なのか?」

 その問いかけに人形師は後ろに控えていた人形に命じて、レポートを彼らに見せる。
 会戦の数ヶ月前からフェザーンでは戦略資源が高騰し、それを帝国に高値で売りつけている事実が全てを物語っていた。
 フレデリック・ジャスパーがレポートを床に叩きつけて叫ぶ。


「フェザーンの野郎!!!!!」


 『アッシュビーが殺された可能性がある』はあくまで憶測だった。
 だが、それに乗じて暗躍していたフェザーンの影は、商業活動を越えて政府要人や軍内部にすら浸透していた。
 彼らに少なくない金銭的供与の証拠が載っていたレポートを踏みつけて人形師は続ける。

「つまり、アッシュビーはやり過ぎたという訳だ。
 同盟と帝国の間で甘い蜜を吸い取るフェザーンからすれば、アッシュビーのこれ以上の勝利は望んていなかった。
 俺たちを嫌っている連中に接触しているのはそれが理由だろうよ」

 そこで人形師は一度言葉を区切る。
 ぽたりと涙が床のレポートに落ち、水滴が紙に染み込む程度の時間、彼は黙ったままだった。

「すまない。
 もっと俺が奴らの尻尾を早く掴んでいれば……」

「お前は悪くない」

 最初に言ったのはファン・チューリンだった。
 おそらく彼は人形師の茶番には気づいていただろう。
 そして、このままだと自分たちもフェザーンの操り人形で終わるという所まで気づいてしまっていた。

「ああ。
 少なくとも、あいつの為に泣く友人を責める気は起きんよ」

 ウォリス・ウォーリックが追随する。
 彼もまた人形師の茶番に気づいていたのだろう。
 だが、仲間の分裂を茶番ですらでっちあげて維持しようとする人形師の涙を見て、この仲間たちと騒ぐのは悪くなかったと思う自分に気づいてしまっていた。

「帝国とは戦争をしている間だ。
 殺し殺されは文句も言わん。
 だが、それを影から操ろうとするその根性が気に食わん」

 フレデリック・ジャスパーが、怒気を秘めたまま呟く。
 それに追随したのはジョン・ドリンカー・コープだった。

「奴らに一泡吹かせないと、天国のアッシュビーも浮かばれん。
 何か良い手はないか?」

「ある」

 この瞬間を人形師は待っていた。
 フェザーンという敵を利用して、730年マフィアをそのまま派閥として維持し続ける瞬間を。
 死んだアッシュビーには死後罵られるなと心のなかで自虐しながら、人形師はその策を告げる。

「アッシュビーが死んだ事で、同盟軍の人事が一気に動く。
 宇宙艦隊司令長官の椅子が空いた事で、椅子取りゲームが発生する。
 アッシュビーの死の責任を世間は問うだろうから、おそらく統合作戦本部長も退任する。
 この二つの椅子、俺達で奪ってしまおう」

「おい。
 それはクーデターじゃないのか?」

 さすがに話がやばくなったと感じたアルフレッド・ローザスが窘めようとするが、人形師はただ笑って合法性をアピールする。

「悲しいことに、合法だよ。
 俺たちより上位の候補者が勝手に辞退するだろうからな」

 人形師は床に落ちていたレポートを拾い上げる。
 反730年マフィアの将官のかなりの数がフェザーンからの利益供与を受けていた証拠が書かれた紙を。
 少なくとも彼がハイネセンに残っていたのは、何が起こるかわからないこの一斉摘発を自分の見える場所で行いたかったからだった。

「おそらく政府はアッシュビーの死を糊塗する為にも俺たちの誰かを昇進させ、俺達の仲を裂こうとするだろう。
 だから、今のうちに会って話をしておきたかった。
 で、この作戦を通して欲しい」

 人形師は人形に命じて、一つの作戦案が書かれたレポートを皆に手渡す。
 読み終わったヴィットリオ・ディ・ベルディーニが叫ぶ。

「帝国領内進攻作戦だって!?」

「ああ。
 こっちはアッシュビー一人死んだだけで帝国軍は艦隊殲滅なんだが、奴らは勝ったと大騒ぎしている。
 奴らの酔った顔に冷水をぶっかけてやれ」

「ならば、その作戦の指揮官はお前だ。
 人形師」

 その言葉は、ファン・チューリンの口から出て、ウォリス・ウォーリックが追随する。
 その口調は、アッシュビーが居た時の口調に戻っていた。

「いいな。
 お前は、留守番だったからここで功績を立ててくるといい。
 何しろ、作戦立案者が指揮官だ。間違いは起きんよ」

 ジョン・ドリンカー・コープが追随する。
 沈み込んでいるのは彼の気質ではなかった。

「それならば、俺の艦隊を使ってくれ。
 前線に居るほうが俺は楽だから、偉い椅子はお前たちの誰かに任せるよ」

「俺もお前には借りがある。
 お前の人形たちが居なかったら俺の身も危なかったからな」

 ヴィットリオ・ディ・ベルディーニが続き、アルフレッド・ローザスに助けを求めた人形師は彼からも裏切られることになった。

「お前の艦隊を返すよ。
 今度はお前が、アッシュビーを気にせずに武功を立てる番だ」



 第二次ティアマト会戦後の人事は宇宙艦隊司令長官にウォリス・ウォーリック、統合作戦本部長にファン・チューリンが大将に昇進してその任務に就き、翌年には「アッシュビーの復讐」と称してイゼルローン回廊側の帝国軍拠点をことごとく制圧した上で、壊滅的打撃を受けたのにも関わらず大歓喜に沸いている帝国領に逆侵攻する。
 その時の三個艦隊にベルティーニ・コープ提督と混じって人形師の艦隊が居た。
 彼の軍人としての経歴はここから花開き、イゼルローン要塞破壊作戦においてその頂点を迎える事になる。 

 

追憶 人間否定

 
前書き
このあたりの思想がこの小説を止めている理由の一つだったり 

 
 ガイエスブルク要塞。
 貴族連合軍の本拠地として帝国貴族が集まっていたそこは見るも無残な姿に成り果てていた。
 ヴェスターラントの核攻撃で完全に人心が離れてしまい、貴族たちは自殺するか逃亡するか彼らにとって虫けらだった臣民出身の兵に殺されるかのどれかを選択させられていたのである。
 もっとも、そのどれも選ばない貴族も居たりしていたのだが。

「お父様。
 要塞のシステム、掌握いたしました」

「艦隊の方は?」

「将兵の逃げ出した船を中心に二万隻ほど確保を。
 待機させていた一万隻を合わせればもう一戦はできるでしょう」

「よろしい。
 じゃあ、金髪の小僧に人の悪意というものを教えに行こうか」

 帝国軍の軍服を着た彼は門閥貴族ながら『人形狂い』として名をはせていた。
 人形。
 帝国では忌み嫌われるアンドロイドやドロイドに狂った彼は、門閥貴族として当然のように貴族連合軍に参加して自前の艦隊と共にここに残っていた。
 そんな彼は秩序が急激に崩壊するガイエスブルク要塞の司令室を目指して歩く。
 控えているアンドロイドとドロイドは武装をして彼の主人を守っているが、もはや誰も彼を制止しようとはしていなかった。
 司令室制圧も思いの外あっさりと行われた。
 サブ司令室を含めた指揮系統の全てを掌握した彼は、その豪華に椅子に座って敵対する金髪の小僧への通信を求める。
 彼はあっさりとモニターの前に姿を表した。
 彼にとって、もう勝負はついたと思っているのだろう。
 降伏でも言うのかと金髪の目が驚愕に開くまで、少しの会話を要した。

「見ての通り、要塞と残存艦隊を掌握した。
 他所は知らんが、俺はまだ徹底抗戦を宣言する」

「……貴殿ほどの男がこの状況が分からぬとは思えぬが。
 今、降伏すれば、寛大な処置を約束しよう」

「甘いな。ラインハルト。
 いや、策を考え出した参謀長の方に言うべきかな。
 貴殿は、人の悪意というものをもっと考えるべきだった」

 前世において確信している事を人形狂いは言う。
 それは、少なくとも彼の人間感の発露でもあった。


「核を一惑星撃ったからこうなった。
 じゃあ、
 複 数 撃 っ た ら そ の 責 任 は 誰 が 取 る の か な ?」


 その端麗が顔が歪むのを合図に、こちらの意図が彼らの艦隊にも伝わる。
 その報告は悲鳴となって帝国に伝わってゆく。

「クラインゲルト近くを通行中の艦船より報告が!
 クラインゲルトで大量の核爆発を見たと!!」

「クロイツナハIIIの通信途絶!
 同じく周辺艦船から核爆発の報告が……ああっ………」

「ダンク・ハーフェン・ブルートフェニッヒ・モールゲン・リューゲン・ラパートにも核爆弾の爆発を確認!
 なんて事だ……」

「……貴様……自分が何をしたのか分かっているのか!!」

 モニター越しの金髪の殺気を人形狂いはさして気にせず、人形狂いは貴族が残した高価なワインをグラスに注ぐ。
 その視線はすでに金髪を見ていない。

「『君主は愛されるより恐れられる方がいい』。
 士官学校の初歩で習うことを忘れたのかね?
 そう言えば、貴殿は幼年学校からすぐに戦場に出たのか。
 失敬。失敬」

 ワインを口に含み、その味を味わう。
 それでも口調に何もブレがない事がかえってその異質性をむき出しにさせた。

「見ての通り、核ミサイルによる惑星浄土化は少艦艇で簡単に行える。
 今や、帝国の支配者となった君だ。
 このミサイルを防げなかった責任は君の方にある」

「黙れ!」

「黙ってもいいが、そもそもここに居ていいのかね?
 私が帝星オーディンを狙わないとなぜ言えるのかな?」

「待ってろ。殺してやる」

 モニターから殺意漂う金髪の顔が消え、控えていたアンドロイドが第二次核攻撃の結果を報告する。

「攻撃に成功したのは35惑星および人工惑星。
 被害人員は一億を越えるぐらいでしょうか」

「無人核攻撃船団に指令。
 そのまま第三次核攻撃に移れ。
 目標は帝国中枢部。
 帝都オーディンだ」

「了解しました。
 要塞前面の敵艦隊が進撃してきておりますが?」

「なりふりかまっていられなくなったな。
 無人艦隊に連絡。
 作戦通りに」

「はい。
 お父様」

 要塞正面に艦隊を配備し、さらに左右から伏せていた無人艦隊を突っ込ませる。
 ごく普通の戦術で、殺到するミッターマイヤー・ロイエンタールの両艦隊にとっては捌くのは難しくないはずだった。
 乗っているのが人間ならば。

「宇宙ってのは慣性の法則に従って加速すれば加速するほど抵抗もなく高速で突っ走れる。
 物理ってのは最強の兵器だねぇ」

 無人艦隊は星系外縁部からフル加速して両艦隊に突っ込んでゆく。
 ビームもミサイルも撃たずに、エネルギーシールドを全開にして一万隻の統率のとれた艦艇が突っ込んでくる意味をこの両提督が気づいて回避するがそれは少し遅かった。

「衝突確認しました。
 一万隻中途中破壊されたのは四割。
 残り約六千隻が両艦隊に突っ込んで敵艦相手に衝突した計算になります。
 両艦隊混乱中」

「要塞主砲発射準備。
 目標。
 敵艦隊主力」

「了解しました。
 主砲目標、敵艦隊主力。
 発射!」

 かつて第五次イゼルローン要塞戦で敵味方をドン引きさせた主砲発射がまた行われ、ラインハルト艦隊主力とそれと交戦していた無人艦隊を巻き込んで数百隻が宇宙の塵と化す。
 だが、動揺するラインハルト艦隊と違って、人形狂いの無人艦隊は空いた穴を平然と塞いで防戦を続けている。

「人が乗っていれば、そりゃ動揺するよな。
 だから、全部人を乗せないという方向に、この国はついに行かなかったなぁ」

 人形狂いはモニター向こうの命の消える灯りを眺めながら、淡々とつぶやく。
 彼の趣味と生まれた国の国是が致命的に合わなかった。
 つまり、それだけのこと。


「奴隷として君たちは人より優れている。
 統治者としても君たちは人より優れている。
 つまり、この国には人間なんていらないんだよ」

 
 ただそれだけを証明したくて、彼はラインハルトの誘いを蹴って、貴族連合に身を投じた。
 その顔には満足があった。
 彼からすれば、己の生み出したものが完璧と言えるだろう主人公に対して深い一撃を食らわせた。
 それはオリ主である彼にしてみればこれ以上無い満足であった。

「じゃあ、そろそろ行くか。
 艦隊母艦の準備は?」

「すでに出港準備は整っております。
 司令室から港までの通路も確保済みです」 

 艦隊母艦はコロニー船としても機能できる。
 会戦が混乱と混沌に満ちている今だからこそ、安全に逃げ出せるだろう。
 何処に逃げるのか?
 まだ見ぬ新天地へ。
 ハイネセンという先駆者にできた事だ。
 彼にできない事は無いだろう。



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「お父様。
 …………起きてください。
 お父様!」

 人形師は目を開けると、緑髪の副官が起こった顔をして時計を指差していた。
 彼女の軍服は自由惑星同盟のものである。

「おはよう。
 状況をおしえてくれないか?」

「ここは艦隊旗艦ジャガーノートのお父様の私室。
 今日はイゼルローン要塞破壊作戦の開始日です。
 小惑星にワープエンジンをとりつけて、イゼルローン回廊に向かわせる所です。
 作業の進捗状況の報告が、ベルティーニ・コープ提督より届いていますがお読みになりますか?」

「ああ。
 それと紅茶を頼む。
 ミルクティーを」

「はい」

 緑髪の副官が部屋から出ていった時、彼はぽつりと呟いた。

「夢か。
 いや、こっちでもやっている事は変わらんか。
 けど、一撃……」

 そこで彼はモニターを見る。
 彼が率いる艦隊は旧式艦を中心に定数一万二千隻を満たしているが、その八割以上がアンドとロイドとドロイドを乗せた無人艦という編成だった。

「……どんな悪名を受けようとも、あの完全無欠な英雄に一撃を食らわせたかったなぁ……」



 イゼルローン要塞破壊作戦は、小惑星を破壊しようとする帝国軍艦隊とそれを阻止する同盟軍護衛艦隊の間で交戦が発生したが、アンドロイドとトロイドだけを乗せた無人艦の自爆体当たり戦術で帝国艦隊の士気が崩壊。
 小惑星が建造途中のイゼルローン要塞に突っ込んで爆発四散した時、人形師の艦隊の七割が撃沈されていたが、通常艦隊なら百万人は出る犠牲者数が十万人を切っており、国防委員会はこれを偉大な勝利と見るか愚挙と見るかで揉めに揉めた。
 その査問委員会の席で人形師はこう言ってのけたのである。

「お喜びください。委員長閣下。
 この結果は以下のことを示しています。
 つまり、艦艇建造能力とそれを維持する経済力を同盟が帝国以上に持ち続ける事ができるならば、我々は帝国との戦争において勝利する事ができるという事を」 
 

 
後書き
緑髪の副官 「フェザーン核攻撃して百億皆殺しにして同盟の数十年の平和を買いましょうよ♪」
ヤン      「却下」

基本このあたりの反応がわからないからこの話はここでエタらせている。
反応を見たくて夢オチ形式で世に出してみる。