少女1人>リリカルマジカル


 

第一話 幼児期①



 俺のじいちゃんはよく放浪していた。

 ちなみにじいちゃんの名誉のために言っておくと、決して痴呆だったわけではないし、夢遊病を患っていたわけでもない。文字通り様々な場所や、見知らぬ土地をふらふらすることがとにかく好きだったらしい。なんか本能的なものだと昔聞いたことがある。

 だからもし、じいちゃんの職業をあげるとするならば、世間一般的には「放浪家」ということになるのだろう。

 しかし、じいちゃんはその名称に納得しなかった。別に放浪家であることに否定はしていない。ただ響きの問題らしい。流浪人とか冒険家とかなんかこう……もっとかっこよかったり、ロマン溢れる名称がいいとよく駄々をこねていた。まぁ、結局家族の誰からも、そんな風に扱われたことはなかったと記憶しているけど。


 さて、『じいちゃん=放浪家』という方程式ができてしまったのは、もはや覆しようがない真理だった。だが、俺にはまだそんな方程式はたてられていない。じいちゃんの血が覚醒し出して、ふらふらするようになった俺は必死に考えた。

 そう将来の夢は決まっている。だからこそ先手を打つことにしたのだ。じいちゃんの失敗を糧に孫は成長した。つまりは知名度というものを先に手に入れさえすればいいのだ。将来俺が、放浪家と冒険家のどっちで呼ばれるかはわからない。それならば、自ら最初に名乗ってしまえばいいのだと気付いた。

 だからこそ俺はここに宣言する。これだけの人に囲まれているのだ。これだけの人が俺に注目しているのだ。必ず浸透する。順番に己の夢を熱く語れるこの機会。絶好の舞台であることは間違いない。

 ついに自分の名前が呼ばれたため、俺は静かに椅子から立ち上がり、小さく息を吐いた。そしてそのまま手に持つ原稿を開く。俺の将来へのスタートは、ここから始まるのだ。全ては……ロマンある呼び名のために!


 俺は小学校の授業参観のために書いた、『将来の夢』という作文を元気よく朗読した。


「俺は将来、冒険家になりたい!」

 母にマジ泣きされました。



******



「いやぁ、懐かしい。さすがにあれは予想外だった」
「お兄ちゃん?」

 俺のことを呼ぶ声にふと意識が戻る。どうやらつい思い出に浸りすぎていたようだ。妹が不思議そうにこちらを見ている。

「ごめんごめん、何でもない。ただ母さんを泣かせるのはまずいよなーって思っただけ」
「むー。お兄ちゃん、お母さんを泣かせちゃだめだよ」
「はは、そうだな。家族を泣かせちゃだめだよな」

 妹の言葉に俺は笑みを向けながら、彼女の頭をそっと撫でた。実際その後に、「安定した職を探します」って言って、本気で宥めたからな。そんでちゃんと就職して安心させてあげた。心残りはあったけど、冒険家にならなくても放浪ができない訳ではなかったから。当時は俺も、家族にお祝いの言葉をもらえたのは素直に嬉しかったからな。……本当に。


「……というか、話が脱線していることに気付いた」
「だっせん?」
「お話の方がふらふらしちゃっていたってこと。だがいいか、妹よ。俺たちは、放浪はしている。それでもお兄ちゃんたちは冒険家なんだ」
「ほーろうかじゃないの?」
「牛乳とコーヒー牛乳ぐらい違う」

 コーヒー牛乳は好きだけど、牛乳は苦手な妹にはなんとなく違いが通じたみたいでした。


「さて、妹の誤解も解けたようですし、今日もさっそくふらふらするか」
「する! 今日はどこに行くの?」
「ちょっと冷えてきたしな…。温泉にでも行って、足をちゃぷちゃぷしてみたい気分だ」
「おんせん!」

 俺の提案に、嬉しそうに妹が声をあげた。母さんが今の仕事を始める前までは、時々家族で温泉に行ったりしていたからな。温泉入った後にマッサージチェアに座って、温泉卵食べて、最後にフルーツ・オレで締めるのがたまらなかった。それを見ていた妹も真似しようとしたけど、母さんが必死に止めていたっけ。なんでだろう。


「とりあえず、前に母さんの同僚の人から借りた、このパンフレットからチョイスするぞ!」
「うん。でもどんなおんせんがあるの?」

 たぶん美肌効果のある温泉とか、イケメンが出没しそうな温泉だと思う。このパンフレットをもらった時、同僚さんかなりキていたからな。


『最近お肌が荒れてきたわ…、温泉にでも行きたい。でも上層部はいつも無茶ばっかり言うし。休みも寝る時間もない。それにお出かけもできないからイケメンとの出会いもない、…………フ、フフフ、フフフフフフ』

 ……徹夜明けだったからテンションがやばかった。あれは絶対何か降臨してた。でもそのおかげで、このパンフレットがあったら暗黒面に落ちそうだから、ってことで貰えたけど。妹にはお肌にいい温泉があるとだけ伝えておこう。

「お母さんもお肌気にしているのかな?」
「どうだろ。母さんって三十代なのに見た目若いしな。どうせなら、うるおい成分たっぷりの温泉卵でもお土産にしよっか」
「そうしよ! お母さん喜んでくれるかな」

 間違いなく喜ぶに一票。むしろ狂喜乱舞して、「愛してるわー!」とさらに抱擁してきそうだ。というか、こっちの方が可能性として高い。母さんって子ども好きだからな、暴走レベルが振り切れているかもしれない。同僚さんと同じシフトだったはずなので、テンションに関しては目をつぶっておこう。

 なによりも母さんが喜んでくれるのならいいか、と自然と俺の頬が緩んだ。


「それじゃあ、さっそく卵を持って温泉に行くぞ」
「たまごも持っていくの?」
「俺たち4歳児。無一文」

 そう言って、家の冷蔵庫から卵を3つ拝借する。俺と双子である妹ももう4歳だし、大丈夫だろうと卵を1つ持たせる。妹は卵の丸みが気に入ったのか、両手で楽しそうに転がしている。

「あれ? でもお金ないとおんせん入れないよ?」
「幼児は無料で入れるから問題ない。こういう特権は使える時にフル活用するべし。はい、ここテストに出るから覚えておくように!」
「はーい!」

 それはなんでもない、元気よく返事をする素直な妹と、明らかに余計な知識を吹き込む兄との日常の一コマだろう。


「どこのおんせんに行くの?」
「今回はミッドチルダの北部にある温泉旅館だ。別の次元世界の温泉でもいいけど、あんまり遠いと母さん心配させちゃうからな」

 俺達の住む世界の名は、『ミッドチルダ』。数多ある次元世界の1つであり、俺達兄妹が産まれ、育った世界の名前である。魔法という文化が最も発達している世界であり、また科学とも共存することを選んだ大きな世界。ここは、魔法や不思議な力を使えることが認められている、そんな世界であった。

「んじゃあ、早速温泉に行きますか。しっかり手を繋いでいろよ」
「私もお兄ちゃんみたいに、『転移』使いたいなー」
「お兄ちゃんのはレアスキルだからな…。でも確か魔法には、転移魔法があったはずだから、頑張ればきっと使えると思う」
「ほんとっ!」

 妹の言葉に、俺は自分の知識……いや、記憶から引っ張ってきて答える。うろ覚えだけど、確かに転移魔法を彼女は使っていた。それに彼らも本のページを集めるために、次元世界を転移魔法で渡っていたはずだ。転移魔法の難易度はわからないけど、難しいのだろうか。帰ったら魔導師である母さんに聞いてみよう。

「お兄ちゃん早く行こうよ」
「おっ、そうだったな。いやぁ、考え事をしているとついそれに集中してしまう、僕の悪い癖です」
「そうなの?」

 まぁうん、そうなの。ネタが通じなかったことにちょっと寂しさを覚えた。


 とりあえず俺は、妹の手を握りこみ、意識を集中させる。大体のイメージを頭の中に思い浮かべながら、俺は転移を発動した。

 相変わらずの便利仕様に助かる。ある程度のイメージが必要だが、それでとんでいくことができるのでそこまで難しくない。母さんも最初はその性能に驚いていたけど、レアスキルと聞いて、そんなものかと納得してくれた。レアスキルって言葉すげぇ。確か未来予知ができるレアスキルもあったはずだし、『レアスキル=理不尽』という方程式でもあるのかもしれないなー。と、準備完了。

「それじゃあ行くぞ、転移!」

 次の瞬間、俺たちは家から忽然と姿を消した。



******



 《新暦36年 秋 NO.1》


 『魔法少女リリカルなのは』

 俺がこの物語を初めて見たのは、大学生の時にネット小説を読んだことが始まりだった。最初は題名の感じや原作を知らなかったため読んでいなかったが、面白いと評判があった二次小説を読みに行ったのがきっかけだった。

 次元世界という様々な世界があり、題名通り魔法もある。それにストーリーも登場人物もすごくよかった。というか、魔法少女という名前の概念を木端微塵にされた気がする。主人公が悪魔とか魔王って…。

 そんなこんながあったが、それ以来俺は二次小説や漫画を漁り、画像や動画を時々見ていた。アニメは時間が取れた時にでも、全部見ようかなと思っていた。大体の話の内容はわかっているから後でもいいか、と思ってしまっていたからだ。


 だから、俺自身がこのリリカル物語に実際に転生するまでは、ここまで困ることになるとは考えてもいなかった。


 転生した理由はちょっとした手違いというか、不運だったというか、まぁ色々あったが細かいことについては、今はいいだろう。とにかく問題は転生する世界ではなく、転生した先が問題だった。

 転生する世界は最初から提示されていたが、正直俺はこの世界なら転生してもいいと思った。前世では冒険家になる夢を諦めたが、せっかくの第2の人生なら冒険家になりたいと考えたからだ。というか、ぶっちゃけ放浪してみたい。

 次元世界なのだからたくさん世界があるのだろう。初めて見る生き物や地球では考えられない様な景色が見られるかもしれないんだ。原作介入するより、俺にはそっちの方が魅力的だった。

 故に、俺はうろ覚えの原作知識しかない世界の転生を選んだ。確か原作は、「地球」がメインだったはずなので、管理世界、要は魔法が使える世界での転生を望んだ。時空管理局という物語のメイン組織に就職する気もない。こうすれば俺がいたことで、原作に影響やバタフライ効果もないと思った。

 半端な知識が、逆に危ないのだ。それこそ俺が下手に介入したせいで、世界滅亡とか俺死亡とかなる危険性があるぐらいなら、登場人物たちに全部お任せすることにしたのだ。


「というわけで、生まれは管理世界で、魔法の素質は高めがいい。やっぱり魔法使ってみたいし。親は魔導師でやさしい人がいいな。将来冒険家になっても「いいよ」って言ってくれる人ね。……さすがに母親に泣かれるのは、もう嫌だからさ。そんでレアスキルとして『瞬間転移』が欲しい。魔力は使わず、いつでもどんな時でも好きな場所、世界に転移できるとなおいい。あ、もちろん転生しても男。できたら前は一人っ子だったし、兄弟とかも欲しいな」
「……なにが、というわけなんだ。あと内容はすごく現実的で助かるけど、ものすごくずうずうしく感じる」

 ある程度の希望を叶えてくれるそうなので、俺が思った内容をぶっちゃけて伝えてみた。正直、まさか本当に叶えてくれるとは思っていなかった。なので、叶えてくれた死神にぶつぶつ文句を言われました。一応、世界観は壊さないようにしたよ?

 それに転移があれば、すぐに家に帰れるし、危なくないし、いっぱい世界を見て回れると思った。冒険の過程を楽しみたいなら、転移を使わない様にすればいいだけだし。俺はいろんな所を放浪したいだけでサバイバルをしたいわけじゃないから、野宿する気もさらさらないしね。死神には本気で呆れられたけど。


 そして、なんだかんだで転生した俺は、地球とは関係ない『ミッドチルダ』という次元世界に産まれた。優しい家族に、明るくかわいい双子の妹。あとはただ自分の夢を叶えて、そんで大切な家族と一緒に幸せに生きていけたらそれでよかった。それだけでよかったんだ。


 原作を知らなければ、こんな思いをしなくてよかったのかもしれない。

 でも原作を知らなかったら、俺は間違いなく全てを失ってしまっていただろう。


 俺という存在が、俺の思いが、原作の全てを狂わせることになる。たくさんの人を不幸にしてしまうだろう。下手すれば俺の行動で、最低でも世界の一つが滅んでしまうかもしれない。俺がやろうとしていることが、間違っていると言われるのかもしれない。原作をあまり知らない俺でさえも、わかることなのだから。

 それでも、例えそうなってしまったのだとしても―――


 ……たった1人の少女を救いたいと、幸せな未来を守りたいと思う俺は、歩みを止めることはないのだろうな。



******



「それでは、たまご三・三・七拍子! そーれ」
「たまたまご! たまたまご! たまたまたまたまたまたまたご! ……あれ?」
「たまちゃんがまたちゃんにチェンジなう」
「も、もう一回! 今度はできるもん」
「ならばお兄ちゃんとも勝負だ。どっちがたまご応援団長に相応しいかな?」

 2人でちゃぷちゃぷと温泉に浸かる。卵をぷかぷか浮かべては、それを突いて遊ぶ妹。少しの間温泉でふやけていた俺だったが、暇になったので卵ソングを熱唱していた。現在妹も参加して、卵協奏曲第10番(作詞・作曲俺)で勝負する流れとなった。俺の卵愛が火を吹くぜ!

「「たーまたまたまたまたまたまだっ、……うぎゅぅッ!!!」」

 一緒に舌を噛んでしまって悶絶する双子。さすがは双子。


 その後、周りの人に呆れられながらも、慰めてもらいました。ついでに勝負に夢中になりすぎたことと、痛みの衝撃で卵の存在が Good Luck していたことで、気づけば卵が若干パサっておりました。

 ……あちゃー。

 
 

 
後書き
この度、にじファンより暁様に移転させてもらいました。
作者名が少し変わっております。

改訂版は第1章の話をまとめて書かせてもらっています。シリアスさんの出番が増えたところはありますが、ほのぼのも書いていきます。それでは、これからもよろしくお願いします。 

 

第二話 幼児期②



 《新暦37年 冬  NO.4》


 『原作について』

 さて、俺が主に原作で覚えているのは、大まかなあらすじと主要な登場人物の名前や特徴ぐらいである。しかも俺の記憶はほとんどがネットの二次小説からなので、不安要素半端ないし、かなり偏りがあると自覚している。

 『魔法少女リリカルなのは』は、俺の記憶では確か第4期ぐらいまでストーリーがあったはずだ。『Force』という題名が最新のストーリーだったと思うが、残念ながら俺があらすじや覚えているほとんどの主要人物は第2期、ギリギリ第3期までなのだ。第3期の『StrikerS』については機動六課とか、そこで登場しただろう人物たちはなんとなくわかる。でもストーリーに関してはさっぱりだ。

 ……確か、はやてさんが隊長になって、なのはさんがレイハさんをぶちかまして、ティアナさんが星になって、スバルさんが寝こみを襲って、エリオさんとキャロさんがリア充して、フェイトさんがわがままボディで、ゼストさんがルーちゃんの守護神みたいなことしていて、ヴィヴィオさんが逆バーロー化して、スカさんが「新世界の神に俺はなる!」みたいなことを叫んでいて、そんでピッチリスーツの数の子さん達とバトルする感じだったっけ。……自分で思い出した内容ながら、うわぁ。


 とにかく、俺が読んでいた小説のほとんどがStsまで辿り着いていなかったり、途中までのものも多かったため、詳細不明。なので、必然的に俺が原作として認識しているのは、第1期と第2期の地球をメインとした物語だけとなる。

 もしかしたら第3期から先のストーリーで、ミッドが危険になる話があるのかもしれない。でもそれは俺にもわからないことだし、防ごうにも防ぎ方もわからない。だからそこらへんは特に考えないことにした。むしろスルーした。

 ぶっちゃけると、俺は昔から難しいことを考えすぎると頭がオーバーヒートして、似非悟り状態になってしまうからな。うん、これまじで。だからもし本当に危険があったら、その時は全力で逃げようと思っています。


 だけど少なくとも、俺がミッドに産まれた時点で、第1期と第2期に大きな影響を及ぼすはずがないと考えていた。ミッドにいた原作の主要人物であるハラオウン家やグレアムさんともし接点があったとしても、管理局に入る気もない俺が、原作に関わることはないだろう。

 なので、なのはさん達が頑張って切り開いた未来を、悲しくても前を向き続けることを選んだ彼女たちを、俺は影ながら応援しようと思った。俺も彼女たちもお互い幸せに生きていけたらいいなー、と他人事のように俺は思っていたんだ。



******



「……しまった。まさかの事態だ」
「お兄ちゃん。冷蔵庫開けっぱなしにしたらダメ、ってお母さん言ってたよ」

 あ、確かに言っていたね。母さんは俺たちにすごく優しいけど、躾とかはきっちりやる人だからな。ちなみに俺も妹もそれを苦に感じたことはない。それだけ母さんに大切にされていることがわかるし、俺たちのためだという気持ちが伝わってくるからだ。

 俺は妹に注意された通り、冷蔵庫の扉を閉める。それによくできました、と妹によしよしと頭を撫でられた。母さんは俺たちがちゃんとできたら、よく頭を撫でたりしていたからな。母さんの真似をしているのだろう。しかし、なんか恥ずい。俺、精神年齢的には20代後半だし、お兄ちゃんなんだけどな…。


「そう思ったので即行動。受けてみろ、俺の撫でボ!」
「わわわっ! お兄ちゃん、なんで私なでられているの!?」
「かわいいから。あとは発達上仕方ないとはいえ、お兄ちゃんよりも若干背の高い妹の身長よ縮め、という私怨」
「あ、わかった! これが前にお兄ちゃんが言ってた、『理不尽』っていうものなんだね! って頭がたんぽぽになってるー!!」

 あははは、確かに髪色も相まって、たんぽぽみたいになっている。ぐりんぐりん、と勢いよく撫で回したからだろう。見たか、これぞ俺の必殺技『撫でボ(撫でて頭をボンバーヘアーにする)』! 妹のサラサラヘアーと、少し癖っ毛のある前髪が見事に縦横無尽にコラボレーション。妹の頭を撫でるのに、ちょっと背伸びをしたのは忘れる。

 その後、妹に涙目で頭をボンバーにされました。



「というかやばいぞ。まさか家のマヨネーズが切れていたなんて」
「マヨネーズないの?」

 撫でボ対決はとりあえず終息し、先ほどの話に戻る。温泉旅館を満喫してから帰ってきた俺たちは、家でまったりしていた。ごろごろしていたともいう。

 家のベランダから射し込んでいた太陽の光が薄まってきたため、俺はリビングの電灯をつける。そして、窓から見える夕焼け空を眺めた。そろそろ母さんが、仕事から帰ってくる時間帯だろう。

「温泉卵を食べるなら、やっぱマヨと一緒でしょ」
「お塩もおいしいよ?」
「塩味も好きだけど…、でも今日は諦めるしかないか」

 次元世界という地球とは文化も文明もかなり違うミッドだが、食材や香辛料はあまり変わらないことは素直に嬉しかった。見たことのない食材もあったが、前世でも当たり前のように食べていた物も多かったからだ。母さんの得意料理であるオムライスは特に絶品。2人でおいしいって絶賛して食べたよな。

「買い物もできないし、子どもってちょっと不便だよなー」
「子ども…」

 リビングのソファに座り、俺はつい愚痴をこぼしてしまう。子どもだから護られているし、助けられていることもたくさんあるだろう。実際に俺も子どもの特権をフル活用しているし、子ども時代を結構楽しんでいる。

 だけど、子どもだからこそできないこともやはり多いのだ。俺には成人した記憶があるからこそ、余計にそう思う。この世界に転生してから、そういったことに悩むことも何回かあったなー、そういえば。


「……私も大きくなれたら、お母さんのお手伝いができるようになるのかな?」


 妹のその言葉に、俺は一瞬動揺した。そんな俺の様子に不思議そうに目を瞬かせる幼い少女に、俺は笑って誤魔化した。

 なんてことはない。大好きな母親のために、娘として何かできないかと考えた純粋な思いからの言葉。そこにおかしなことは何もない。母親を心配すること、自分の未来を夢見ること。それは誰もが当たり前のように思って、当然のことなんだから。



******



「「あっ」」

 ガチャリ、と玄関の扉が開く音がリビングまで響いた。俺と妹はすぐに反応し、お互いに顔を見合わせる。妹の顔は嬉しそうで、そしてどこか楽しんでいる雰囲気があった。そして、俺も似たような表情をしているのだろう。

 リビングのソファから俺と妹は立ち上がり、テーブルの皿の上に乗せていた温泉卵を手に取った。妹にも1つ渡し、一直線に玄関へと向かう。

 俺たち兄妹の中にはいくつか決め事がある。よく放浪してふらふらする俺たちだが、なにがあっても夕暮れ前には必ず帰ることにしていた。ただ一言、いつも仕事から帰ってくる母さんに「おかえり」と言うために。玄関に通じる廊下を抜けた先に、待ち望んでいた1人の女性の姿を俺たちは見つけた。


「おかえりなさい! お母さん!」
「おかえり、母さん」
「ふふ、2人ともありがとう。ただいま」

 玄関まで迎えにきた俺たちの様子に、母さんは優しく微笑んだ。やはり職場は激務なのか、腰よりも長く伸びた艶やかな黒髪は傷み、顔には疲労の色と隈が見える。それでも俺達には笑顔を絶やさず、温かく迎え入れてくれる母親。俺と妹の大切な人。

「……ところで、その頭はどうしたのかしら?」
「えーと、撫でボ対決の被害?」
「そ、そう」

 母さんが困惑している。俺たちの頭はところどころは直したが、未だに飛び跳ねていたりする。温泉に入った後だったから、余計に跳ねやすかったのだろう。

 妹は母さんに見られたのが恥ずかしかったのか、せっせと自分の長い髪を指で真っ直ぐにしようとしている。卵で片手が塞がっているため、うまくできていないみたいだが。母さんはそれに気付いたのか、俺たちに不思議そうに問いかけてきた。

「あら、2人とも手に何を持っているの?」
「あっ、いけね」
「あっ」

 慌てて手に持っていたものを隠すが、この際ここでもいいかな。妹に目線を送ると、それにうなずくことで同意を示してくれた。俺たちの行動に首をひねる母さんに、事前に打ち合わせをした通り、俺たちは元気よく声を揃えた。


「「お母さん、お仕事お疲れ様! 温泉卵作ったから一緒に食べよう!」」

「あっ…」

 手に持っていた卵を、俺たちは母さんに見せる。俺たちのささやかなドッキリ。一生懸命に仕事をして、俺たちのことをいつも見守ってくれている母さんへのせめてものプレゼント。

 母さんは一瞬泣きそうな顔をしたが、まるで眩しいものを見るかのようにその目を細めた。すぐに母さんは俺たちを抱きしめる。その手は優しく、太陽のように暖かく、母さんの愛しさが伝わってくるようだった。

「……ありがとう」

 俺たちも卵を落とさない様に、母さんにぎゅっと抱きつく。


「ありがとう。アルヴィン、アリシア…!」



 俺は転生して、気づいてしまったことがある。

 彼女の息子になって、彼女の双子の兄になったことで、わかってしまったんだ。

 主人公達の未来が、リリカル物語の全ての始まりが、この家族からだったんだって。彼女達の幸せと俺たち家族の幸せは、決して結びつくことができないものだったんだって。


「お母さん!」

 嬉しそうに母さんの背中に手を回す、俺の双子の妹。アリシア・テスタロッサ。

 転生してまず、俺はその名前に心底驚いた。そして訪れるであろう未来を想像し、愕然とした。

 彼女が始まりだった。彼女の「死」が始まりだったのだ。この少女は普通の女の子だ。元気いっぱいに野原を駆け回る活発で快活な性格、それにかなりの天然が入った少女。家族が大好きな心優しい、笑顔が似合う女の子。

 それなのに、彼女は享年5歳で死ぬことが決められていた。

 彼女の死が、母を、プレシア・テスタロッサを狂気へと落とした。それは1つの家族の崩壊だった。それは「魔法少女リリカルなのは」という物語の始まりだった。


「…………」

 俺は、アルヴィン・テスタロッサは考える。本来いないはずのプレシアの2人目の子どもとして、アリシアの兄として。そして原作を知る者として。

 普通原作から、20年以上も前に転生するなんて考えねぇよ。俺の立場上、いずれどちらかを選ばなくてはならない時が来る。そして、どっちを選ぶのかなんて俺はもう、だけど……あぁ、もうやべぇ。改めて考えたら頭が痛くなってきたよ。ずきずきしてきたし、悟りの道でも開いてやろうか、こんちくしょう。

 俺はアリシアと母さんから視線を外し、静かに目を閉じる。そこで感じるのは、2人のぬくもりと心地よい心音。俺はそれらに包まれながら、頭痛のする頭を押さえ込むように、静かに身を任せた。



「母さんってマヨと塩ならどっちが好き? しかし、塩も案外いけるな。パサっているが」
「おいしいねー。パサパサだけど…」
「私はどっちも好きよ。マヨネーズは明日取り寄せておくわね。あと2人とも、そんなに落ち込まなくてもいいのよ」

 温泉卵の出来に肩を落とす兄妹だったが、拳を握りしめ再戦を誓った。次はとろっと半熟風味の黄身とマヨのコラボレーションを実現させてみせる、と両者は意気込む。そんな元気な子どもたちに頬を緩ませながら、2人の髪を整えることにした母親であった。

 

 

第三話 幼児期③



 《新暦37年 春 NO.11》


 『テスタロッサ家』

 リリカル物語、第1期に出てくる重要な中核であり、ヒロインの1人であるフェイト・テスタロッサの家系である。

 彼女はプレシア・テスタロッサの娘として生を受け、ジュエルシードと言う宝石を集めるために主人公の高町なのはと戦い、親友となった少女であった。リリカル物語を語る上で、彼女の存在は必要不可欠なファクターであろう。あと「健気」とか「子煩悩」とか「ヌギステル・マジ」みたいな代名詞がついていたはずである。

 そんな彼女の存在のすべては、アリシア・テスタロッサという1人の少女に集約される。

 彼女は愛娘を失ったプレシア・テスタロッサの手によって生み出された、アリシアのクローン。バーサーカーと化したプレシアが、アリシアと同じ存在を作り出す為に、生み出した少女であった。プレシアはアリシアと違う彼女を虐待し、娘を蘇らせるためにジュエルシードという、変に願いを叶える宝石の力を求めた。と、原作の流れはこれで合っていたはず。

 そんで母さんの目的としては、確か『バイオハザード?』みたいな名前の世界に行って、アリシアを蘇らせようとしたはずなんだけどなー。……そうだよね? 少なくともゾンビ召喚をしに行ったわけではないはずだと思う。えっと、おそらく。


 あれ、どうしよう。もしかして俺、第1期、第2期の記憶も曖昧だったりする? ……い、いや、きっと大丈夫だ。だいたいのことは覚えているはずだから。自信を持て俺。第1期をさらっと思い出してみるんだ。

 まず、確か母さんがユーノさんをドカーンしたはずだよな。雷バコーンって。それから、なのはさんが覚醒して、なのはさんが砲撃して、なのはさんが破壊光線撃って、なのはさんがもはやヒロインユーノさんだろうと感じるぐらいヒーローして、なのはさんがフェイトさんと一騎打ちして、なのはさんがバインドしてチャージしてスターライトぶちかまして、フェイトさんが星になりかけて……

 ……結論、なのはさんパネェ。


 いや、あれ? フェイトさんもめちゃくちゃすごかったはずなのに、なんでここまで俺の記憶には桃色光線ばかりが出てくるんだ。そんなに衝撃的だったのか。そこまで魔法少女の概念をブッ飛ばされたのが、印象に残ったのか、俺。

 あの後に興味本位で見た、営業マンと魔法少女のアニメの時も色々木端微塵に吹っ飛ばされたよな…。まさか序盤の展開でヒロインチョンパって。リリなのもそうだけど、最近の魔法少女に俺ついていけねぇよ。本当に。



 とりあえず考えが横道にそれまくったが、本題に入ろう。

 アリシアは5歳のとき、『ヒュードラ』と呼ばれる魔力駆動炉の暴走事故に巻き込まれる。俺は事故がいつ起きるのかも、どのように起きるのかも詳しくはわからない。だけど、事故は確実に起きる。母さんは俺たちが3歳ぐらいの時に、ヒュードラの設計主任に選ばれた。それは今も継続しており、おそらく事故が起きるその時まで続くのだろう。

 普通ならどうしようもなかった。ただの子どもに事故を回避することも、対処することもできるはずがないからだ。本来ならアリシアと一緒にいる俺も、死亡フラグが乱立している。

 だけど、俺はただの子どもじゃなかった。事故を止めるために自分ができることを考えられる。なによりも、事故を回避することができるレアスキルがある。


 救えるのだ。他でもない俺だけが。1人の少女の未来を、1つの家族の幸せを護ることができる可能性を。

 そしてそれは同時に、1人の少女の未来を、多くの少女達の幸せを奪うことになる可能性を。


 正直にいえば、どうしてこんなことになったんだろうとは思う。俺はただ笑って人生を往生したいだけだったのに。誰かを不幸にしたくもないし、みんな笑っていられたらそれでいいじゃないか、とかのほほんと考える、自分でもマイペースでのらりくらりとした性格だって自覚していた。

 それでも、選ばなくちゃいけないのなら。それでも、俺に出来ることがあるのなら。

 とりあえず、俺に出来ることを精一杯に頑張ってみようと、まずは思った。3歳の子どもにできることは限られているけど、何も変わらないのかもしれないけど、少しでも後悔しないように。俺が俺らしく生きていけるように。

 今はまだ、……先のことなんてあんまり考えないで、自分がしたいことをしていくことに決めたんだ。



******



 俺はずっと前から、とある計画を立てていた。自分に出来ることをめっちゃ考えた結果、今日俺はその1つを実行に移すことにしたのだ。成功と意気込みを込めて、掛け声一発。せーの、ラッセーラ! ラッセーラ! ……よし、完了。

 というわけで。

「母さん、仕事辞めて」
「ア、アルヴィン。いきなり何を言い出すの?」

 キッチンで晩御飯を作っていた母さんは、戸惑い気味に聞き返してきた。今日の晩御飯はシチュ-らしい。牛乳嫌いの妹だが、シチューは好きだ。なんだか某豆にキレていた錬金術師を思い出す。カルシウムは大切だから、ちゃんと取らせるようにしないといけないなー。

 いかんいかん、また考えが横道にずれた。

「いきなりというか、ずっと思っていたんだ。母さん、いつもすっごく疲れてる。そんなに大変なら今の仕事を辞めて、別の世界で心機一転しようよ」
「難しい言葉を知っているのね。でもね、お母さんのお仕事がなくなったら、みんなのご飯やお洋服もなくなっちゃうのよ」

 シチューが入っている鍋の火を止め、母さんは優しく諭すように話してくれる。確かにただの子どものわがままで、仕事は辞められないだろう。だが、甘いよ母さん。俺がその程度看破できないと思ったか。事前情報は完璧。協力者の援護も要請済みの俺に死角はない。

「大丈夫だよ。母さんは魔導師ランクSの大魔導師。それに魔法工学の研究開発者としての功績もあり、しかもミッドの中央技術開発局の第3局長。さらにさらに、2児の母とは思えないぐらい美人だから、すぐに就職先もイケメンの男も見つけられそうだね! ……ぐすっ、えぐっ、うえぇぇえぇん!! ……って、同僚のお姉さんが悔しさで涙を流しながら語っていたよ」
「(人の息子になにを話しているのよ!?)」

 同僚さんからもらった証言を本人さながらで伝えてみた。泣きマネ込みで。母さんが軽く現実逃避しながら、頭を抱えていた。

 ちなみに母さんと同僚さんは友人同士で、仲もいい。というより、開発チームのみんないい人たちだ。世界のみんなのためになる技術を、研究することを心情に集まった人たち。俺たち兄妹はなんかマスコットのように可愛がられていた。そのおかげか、アリシアは大人相手にも物怖じしない明るい性格になった。局長として忙しい母さんの代わりに、俺たちの面倒をよく見てもらったっけな。

 ……次元航行エネルギー駆動炉の開発の話と、あの上層部の連中が現れる前までは。


 とまぁそれは、今はいいだろう。とにかく、まだオレのバトルフェイズは終了していないぜ! 正真正銘のダイレクトアタック。出でよ、強靭! 無敵! 最強! の対母さん用の切り札よ!

「なぁ、アリシアも母さんがもっと元気に一緒にいて欲しいよなー?」
「うん!」

 キッチンにひょっこりと現れた妹は、元気よく返事を返す。ナイススタンバイ。サムズアップしてエールを送ると、妹も母さんに見えないようにまかせて、とサムズアップ。いろいろ大丈夫なのだろうか、この兄妹。

「お母さん、私もっとお母さんと一緒にいたい。それにね……私、お母さんが心配なの」
「……アリシア」

 娘の純粋な思いが母親に届く。少女の大きなルビー色の瞳が揺れ、小さな手が母のエプロンを遠慮がちに握る。その言葉に嘘はまったくない。そこにあるのは、ただ母親が心配で、自分の思いを精一杯に伝えようとする健気な少女と少年の姿だろう。


「(いいぞアリシア。そのちょんとエプロンをつかむ仕草ナイス! 次にそこで上目づかいで涙を目にためろ。そしてさりげなく、ダメ? と小首をかしげればなおよし)」
「(目に涙を浮かべるには、おばけこわいおばけこわいおばけこあい……ぐすっ)」
「うっ…」

 内面を別にしたら。


 ちなみに無理だったけど、いい線までいったことは明記しておく。



******



「もうちょっとだったのにな…」
「がっくし」

 俺と妹は仲良く一緒に肩を落とす。結構いけるかと思ったんだけどなー。アリシアにも台本渡して、かなり本格的にやったのに。

 まぁでも、やっぱり簡単には辞められないんだろうな。俺たちに余り時間を取ってあげられないことを、一番悔やんでいるのは母さん自身なんだ。家族を一番大切にしている母さんが、仕事のためにそれを削らなければならない。それだけ重要な役職であり、上層部の奴等にとって母さんは必要な人材なのだろう。

「まっ、できなかったことをずっと悔やんでいてもしゃーないよな。アリシア、晩御飯が出来上がるまで何して遊ぶ?」
「むむー。あ、お兄ちゃんこの絵本読んで!」
「どれどれ、『どうぶつのおうこく』か。アリシアってば、本当に動物が好きだよな」
「だってかわいいんだもん」

 お兄ちゃんはそんなあなたがかわいいです。でも確かに動物は俺も好きだな。昔は俺も生き物を飼っていたっけ。懐かしい。でもどうしてか前世では、なかなか動物を飼うのを認めてくれなかったんだよなー。不思議だ。

 あれ? そういえばテスタロッサ家って、動物と何かと関わりがあった気がする。フェイトさんはナイスバディ2歳児のアルフさんを使い魔にしていたはずだし。他にも確かもう1人、テスタロッサ家に使い魔の人がいたような…。

 おぉ、そうだった。思い出したぞ。原作に登場していたし、きっと大丈夫なはずだ。もふれるのか。やべぇ、もふれるのか! まじで原作知識で初めてテンションが上がってきたよ! もふもふ。

「お兄ちゃん?」
「アリシア、もしかしたら近いうちにもふれるぞ」
「もふ?」

 俺は兄として、妹にもふり方を伝授。ムツゴ○ウさんの撫でテクをテレビで真剣に練習して、町内のワンコやニャンコたちをもふり倒した、俺の中学生時代をなめるなよ。

 そういえば、『もふりキラー』という二つ名を町内越えて隣町にまで響かせた頃に、家族から「もうペット買ってやるから!」と泣きながら必死に言われたんだよな。高校生ではさすがに自重して、家の子と近所だけにしたんだけど。いやはや、懐かしいもんだなー。ふむふむ。



「どうぶつのおうこくでは、それはそれはたくさんの動物に囲まれて、幸せに暮らしましたとさ」
「えへへ、私もこんな世界に行ってみたいな」
「お、いいな。楽しそうだ」
「でしょ?」

 あれから絵本を2人で読み、一緒に笑い合う。放浪も好きだけど、こんな風にのんびりするのもやっぱり好きだな、俺。

「2人ともご飯ができたから、テーブルの上を片付けておいて」
「「はーい!」」

 母さんの声に俺たちは絵本を閉じ、本棚へと直す。いつものように、俺がテーブルクロスを整え、妹はテーブルの上に置いていた本や小物を片付けていく。料理を運んできた母さんに、よくできました、と一緒に頭を撫でられた。俺たちはそれに少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに笑顔を浮かべた。


 かけがえのない毎日が、いつも通りの日常がただ続いてほしい。それはとても尊い願いなんだと、俺は転生したことで初めて実感した。

 
 

 
後書き
主人公の原作知識:アルヴィンはかなりうろ覚えです。当然いろいろ大雑把にもなりますし、なにか勘違いをしているかもしれません……よ? 

 

第四話 幼児期④



「おぉ、いい天気だ」

 太陽燦々。俺はベッドから身体を起こし、部屋の窓から覗く朝日に目を向ける。この頃寒い日が続いていたからな。まだ肌寒いとはいえ、この天気なら今日も元気に放浪できそうだ。直射日光万歳。今なら俺、光合成できるかも。

「うぅ……、さむぅい…」
「こーら、アリシア起きろー。朝だぞー。布団にもぐりこむなー」

 なんということだ。妹が布団と合体してしまった。しかも俺の布団まで巻き込みやがった。爽やかな朝という雰囲気をかもし出して、寒さを誤魔化していた俺に現実を突き付けてくるとは。てか寒い寒い。朝はまじで冷えるんだぞ。だから妹よ、お兄ちゃんのお布団を返しなさい。

「やっ」
「やっ、じゃない。起きるか、布団返すかどっちかにしなさい」
「むふー」
「あ、こら寝るな! そんな天使みたいに幸せそうな顔でうとうとしたって駄目だからな!? 首から下が巨大ミノムシなくせに!」

 ゆっさゆっさ、と妹を動かすがびくともしない。本当に寝やがった。今ならチャージしたソーラービームっぽい何かが発射できる気がする。いや、できないんだけどさ。

 しかしどうする? 正直もう起きたらいいんだけど、妹のご満悦な寝顔を見ているとかわいいけど、………なんかちょっと悔しい。二度寝の心地よさが、妹の表情からひしひしと伝わってくる。妹の幸せはお兄ちゃんにとっても幸せではあるけれど、だからといってなんでも甘やかす気はない。

 布団は妹がしっかりと包まっており、取り戻すのは至難の技だろう。だがな、そっちがその気なら、俺にだって考えがあるぞ!



******



「……そろそろ2人とも起きたかしら?」

 テスタロッサ家の朝はそれなりに早い。というのも、ブラック企業なみに仕事量があるため、それに伴い出勤も早いからだ。プレシアは朝ごはんのサラダを皿に盛りつけ、焼きあがった食パンをバスケットへと詰めていく。それと同時に、今日の晩御飯である食事の準備をあらかた終え、冷蔵庫の中にしまっておく。

 時計を見ると、6時を少し過ぎた頃らしい。7時頃には仕事場へ向かう必要があるため、そろそろ急がなくてはならない時間だろう。しかし多くの開発者は、開発研究者用の寮に住んでいるため、仕事場までそれほど移動時間がかからない。もし遅れそうになっても、アルヴィンが転移で送り届けてくれるため、ギリギリまで子どもたちのために時間がとれる。


「それにしても、あの子のレアスキルには本当に助けられているわね」

 自身が呟いた言葉に、記憶が反芻する。今でこそある程度制御して使っているが、最初の頃は色々大変だった。今よりも幼い頃は、周りに迷惑をかけてしまったこともあるし、誤作動で何回かやらかしたこともあるからだ。

 彼女の脳裏に思い出されるのは、息子が上層部の頭に誤まってバケツを転移させてしまったことや、上層部の食事に誤まってタバスコを転移させてしまったこと。

 さらに、夫の背中に誤まって転移して空中突撃をしてしまったことや、上層部の服を誤まって転移させて素っ裸にしてしまったことなど、息子の失敗談が溢れるように出てくる。


 ……果たして本当に誤作動だったのか疑問に思うほど、被害が集中しているが。この時の加害者の少年は一言「ワザとじゃない、俺2歳児だよ。頑張って出来るようになるから」と弁解し、釈放、再犯ループ。さりげなく反省した態度をみせるため、大人も怒鳴れない。相手の沸点を見極める2歳児。えげつない。

 ちなみに、昔母親があまりの仕事量で体調不良になりかけた時があった。とある1人の子どもが上層部の人間を見ながら、「あいつら、そういえば育毛剤とか使っていたよな…」とボソッと呟きながら、とある薬液を片手に持って、薄く笑っていたらしい。それから数日後、上層部の何人かの頭の上がなぜか非常に風通しがよくなってしまい、ショックで寝込んでしまったのは余談である。



 プレシアはベランダから見える駆動炉を眺める。未だ建設途中だが、駆動炉の中核はほとんど出来上がった。もちろんまだまだエネルギーの調整や魔力の運用などの研究が必要であり、とてもではないが完成まであと数年は確実にかかる。それなのに、上層部の都合で厳しくなるスケジュールには、想定よりも早い完成が目指されていた。

 彼女はそれに不安を覚える。開発者として、もっと念入りに開発を行っていくべきだと考えているからだ。これほどの大型の魔力駆動炉なのだ。もしも、を思えば不安にならない方がおかしい。だが、それを上層部が取り合ってくれることはないだろう。

 思考が暗くなる自身に頭を振る。ここで憂鬱になっていても何も変わらない、とプレシアは朝ごはんをテーブルへ運び、エプロンをはずす。なによりも、こんな表情を子どもたちに見られたら心配させてしまう。


 そこまで考えて、プレシアは未だにその子どもたちが起きてこないことに気づき、疑問を思った。アルヴィンが大抵先に起きて、このぐらいの時間になったらアリシアと一緒に起きてきてくれるからだ。だが、今日は一段と冷える日のため、温かい布団で寝入ってしまっていても仕方がないのかもしれない。

 プレシアはそんな2人の寝顔を想像し、柔らかく微笑んだ。きっと寝室の扉の向こうには、あどけない寝顔の兄妹がすやすやと眠っているのだろう。寝かしてあげたいとも思うが、時間が迫っている。彼女は寝室に向かい、2人を起こすために扉を叩こうとした……が。


「お兄ちゃん、ずるい! 転移ずるい! さむいーー!!」
「ふはははは! お兄ちゃんのお布団を奪うなんざ、10年早いわ!」
「私のおふとん返してよー!」
「あぁ、ぬくぬく。妹よ、これが現実だ。兄とは時に立ちはだかる壁として存在するものなんだ……って、あ、ちょっ、ぐえぇッ!! ア、アリシア! 『かたくなる』しかできないトラ○セル状態の俺に、『のしかかり』は駄目だよ!?」
「ファイトー! いっぱぁーつ!!」
「それ確かに頑張る時の掛け声にって教えたけど、ここで使うのちがぁう!? だから丸太を押すみたいにごろごろしちゃだめっ………あ、ブフォオッ!!」
「さいごに愛はかぁーつ!」


「…………」

 その時プレシアは、ベッドから転げ落とされた兄と、取り返した布団を片手にガッツポーズで、布団愛を叫ぶ妹の姿を扉越しからでも幻視できたという。



******



「うちの妹のはっちゃけ具合に、お兄ちゃんとして色々と心配なんだが」
「そうなの?」

 はい、そうです。それにしても未だに腰が痛い。妹の布団愛をなめていたのは、俺の方だったというわけか。油断は禁物という言葉が身にしみたぜ。

「2人とも元気なのはいいことだけど、やりすぎたり、怪我しちゃ駄目よ?」
「「はーい」」

 朝ごはんを食べながら、母さんの言葉に兄妹揃ってうなずく。俺も妹もさっきみたいにじゃれることは何回もあるが、本当の喧嘩はしたことがない。というか俺としては、これから先もそんなことをするつもりもないが。しかし相変わらずうまいな。この野菜スープはおかわり確定。もぐもぐ。


「ところでずっと不思議に思っていたのだけど」
「え、何?」
「アルヴィン、『コーラル』はどうしたの? 最近全然見ていないけど…」
「コーラル? …………あ、あぁ! うん、コーラルね。コーラル」

 いや、覚えていますよ。ちょっと記憶からアボーンしていただけで、ちゃんと覚えていますとも。だから母さん、そんなかわいそうな子を見る目はやめて下さい。あとアリシア、コーラルの名前を聞いて首をかしげてあげないで。さすがにそろそろ思い出してあげて。

「アルヴィン、いくらなんでも自分のデバイスの存在を忘れるのは…。だから最近は、朝起きる時間もまちまちだったのね」
「あっ、めざまし!」
「あははは、まぁそんな感じ。あと妹よ、確かにコーラルは目覚ましの役割もしてくれていたが、それで思い出してあげるのもどうかと」

 一応デバイスは、魔法を使うための補助器具なんだし。実際に魔法らしい魔法も全く使っていないし、むしろ魔法の存在自体時々忘れている俺が言うのもなんだけどさ。どうも転移が便利すぎるんだよな。あともう1つ理由もあるんだが…。

 まぁなんだかんだ理由があって、俺のデバイスは本来の仕事がまったくできていない。おかげでその他の用途ばかり、増えてしまった気がするけど。


「それでどうしたの? もともとちょっとおかしなデバイスだけど、本当に何か故障してしまったのなら、素直に言いなさい」
「大丈夫だよ母さん。コーラルがなんかおかしいのはともかく、壊してなんかいない。コーラルはただちょっと出張に出掛けているだけだから」
「……なんでインテリジェントデバイスが出張しているの」

 さて、『コーラル』は俺が3歳の時に、母さんから受け取ったインテリジェントデバイスである。起動すると、まさに魔法の杖という感じになるのだ。

 最も俺がコーラルを杖の状態にすることは稀なので、だいたい緑の宝石のまま、……つまり球体でふよふよしていることが多い。さすがは自律行動や人工知能を持つインテリジェントデバイス。機械と魔法が組み合わさるとすごいな。


 ところで、魔法の形態にはミッドチルダ式とベルカ式という主に2つがある。古代とかなんとかもあったと思うが、そこらへんは割愛。俺はそこんところの専門家ではないから詳しくはわからんが、要は前者が魔法使いタイプ、後者が魔法戦士タイプが多いというところだろうか。

 ちなみに俺はミッド式を使っている。母さんがミッド式の使い手であることも影響しているが、なによりも正面切ってガチンコ勝負とかまず無理。剣とか危ないじゃん。普通の元現代っ子の俺が、刃物持つなんて怖いに決まっているだろう。

 なのでミッド式万歳。遠距離攻撃愛しています。リリカルの魔法って非殺傷設定とかあるおかげか、危ないことには違いないが、魔法を使うことに俺はそこまで拒否感を感じなかった。


「母さん、どんなものにも適材適所はあるんだよ。あいつは今、もっとも輝ける場所で頑張っているんだ」
「マスターの手の中以外に、適所があるなんて聞いたことがないわ…」

 とりあえず俺なりに、母さんに説明を試みてみた。しかし母さんはさらに混乱してしまった。なぜだ。

「コーラルはそのうち、ひょっこり帰ってくるから大丈夫だよ」
「……デバイスもふらふらするのね」
「お兄ちゃんみたい」

 母さんが何か諦めたような顔をしている。でも確かにコーラルのスキルに『単独行動:A』ぐらいはあっても俺は驚かない。しかし、俺とコーラルって似ているか? ペットが飼い主に似るとはいうが、性格は全然違うぞ。なのになんで母さんは、納得がいったって顔するのさ。ねぇ、なんでさ。


「もう、デバイスはちゃんと携帯しなくちゃ駄目よ。もしも危ない目にあったらと思うと、お母さん心配なんだから」

 真っ直ぐに俺の目を見て話す母さんの言葉に、俺は曖昧に笑いながらも小さくうなずいた。確かに母さんが言うことは、最もなことだからな。

 コーラルは俺の魔導師用の杖として作られたが、一番の理由は俺たち兄妹のためだ。母さんは今の仕事に就いた頃、俺たち兄妹だけを長いこと家に置いておくことが心配だった。そこで、本来なら数年後に渡す予定だったものを繰り上げ、俺たちに危険がないように、話し相手になれるようにと渡されたのだ。

 それと現在、俺たちが転移を使って放浪していることを、母さんは知っている。危ない場所にはいかない、絶対に知らない人にはついていかないなど、約束をして放浪している。俺たちに家で寂しい思いをさせるぐらいなら、せめて楽しませてあげたい、と母さんは言ってくれたからだ。本当に母さんには頭が上がらないよ。


「いい、アルヴィン。もし危なくなったらすぐに念話で知らせるのよ。それを聞いた周りの人が、助けてくれることもあるから」
「はーい」

 それにしても、……なんかデバイスが警報ブザーみたいな扱いな気がした。

 

 

第五話 幼児期⑤



 そろそろ冬も終わりそうな麗らかな朝のこと。

 俺は朝ごはんの食器の片付けを終え、どこに放浪しようか考えている。いつものように気分でふらふらしてもいいが、目的を持ってふらふらするのもまたいい。なんか目標になるものないかなー? うーむ。

 あと、妹は先ほどから絵本を読んでいる。絵本の内容は語らなくても想像がつくだろう。すると、不意に妹が真剣な表情で俺の方に振り向き、バチッと視線が合った。その目には、どこか思いつめたような、だが確かな決心を持っているように俺には感じられた。

 少しの間そのまま見つめあったが、妹は読んでいた絵本を持つ手に力を込めながら、どこか興奮が収まらない様子で俺に語りかけてきた。


「……お兄ちゃん」
「……どうした」


「しろくまさんがもふもふしてかわいすぎるよぉ!」
「オーケー。それじゃあ、今日はしろくまさん見に行くかぁ!」
「そんな軽いノリで決めることじゃないわよ!?」

 母さんに慌ててツッコまれました。



******



「わあぁ、まっしろ!」
「ほんと、まっしろけっけだな」
「けっけ! まっしろけっけ!」

 ちなみにこの感想は、しろくまさんのことではありません。俺たちの目の前に広がるのは、辺り一面真っ白な雪景色。母さんにツッコまれた後、しろくまさんはまた今度動物園に連れて行ってあげるから、と説得されました。さすがに危ないか。ついノリでOK出しちゃったよ。反省。反省。


「ちょうど雪も止んでるし、視界も良好だな」
「りょーこーう!」

 テンションマックス。俺と妹は雪の積もっている場所に転移でとんできた。せっかくなので、しろくまの白繋がりで雪遊びでもしようかと考えたからだ。やっぱり寒いが、防寒具もしっかり装備しているから問題ないだろう。帽子に手袋にマフラー、足には長靴と完璧。あぁ、ぬくぬく。

「お兄ちゃん、ゆきだよ! いっぱいのゆき!」
「おう、雪がいっぱいだねぇー」
「わっ! すっごくつめたい!」
「あぁ。やっぱり雪は冷たいよなー」

 雪に好奇心が刺激された妹は、嬉しそうに手袋をはずして、直接雪に触れている。掌に雪を乗っけては楽しそうに眺めている妹。

 前世でスキーをしに遊びに行った時、若気の至りで友人の背中に雪を詰め込んだ記憶を思い出す俺。

 いやぁ、なかなかのリアクションが見れたが、その後めちゃくちゃ追いかけまわされたな。これも今さらだけど反省しておこう。すまん、友人。さすがに風邪をひいたらまずいので、妹にはもともとやりませんが。

 それから妹は雪に満足したのか、手がかじかんできたからか、雪を払い落し手袋をはめる。その後も忙しなくきょろきょろとするアリシアの姿に、俺はつい笑ってしまう。楽しんでくれてなによりだが、やっぱり子どもだなーっとも思う。まぁ4歳なんだし、これが当たり前なんだけどね。


「ねぇお兄ちゃん、向こうに行ってみようよ!」
「こらこらアリシア。お兄ちゃんからそんな離れないの」

 雪景色の中を走りだそうとした妹を慌てて止める。いくら見晴らしがよく、危険も少ないだろうとはいえ、それで絶対大丈夫なわけではないからだ。

 俺のレアスキルである「転移」は、俺自身または俺が触れているものを任意でとぶことも、またはとばすこともできる。逆にいえば、俺から離れたものを転移させたり、任意なので俺が認識していないものを転移させることはできない。このレアスキルはすごく便利だが、万能というわけではないのだ。

 昔、俺はこのレアスキルで色々実験したことがある。某かきくけこさんの能力だったり、あこがれのマホカンタとかできるんじゃね? とか思ったからだ。

 でも結果はほぼ惨敗。もう1つある欠点も理由の1つだが、一番厄介だったのが「任意で発動する」ことだった。俺には常人以上の反射神経もなければ、向かって来る魔法に真正面から触れて転移させる勇気もなかった。というか怖いし、タイミングをしくじったら大怪我する博打をするぐらいなら避ける。転移で逃げる。転移使って堂々と全力で逃げる。

 まぁ俺の転移はそんな感じなわけで、とにかく触れていなければ効果を発揮できない。そのためアリシアと距離が離れていると、咄嗟のとき助けられないのだ。なので、放浪している間は妹とできるだけ手をつないでおくように、俺は心がけている。

「むー」
「そんなハムスターみたいに頬を膨らませても、危ないものは危ないの」

 でも妹はちょっと不満そうだ。確かに一面雪景色を思いっきり走り回ってみたいのはわかるな。


「……妹よ、名案が浮かんだ」
「めいあん?」
「名案は…、こう頭のここらへんに豆電球がついたような気がすること」

 妹の頭の上に『? マーク』が見えた気がした。いきなり応用技を会得してくるとは、なかなかやるじゃないか。とりあえずそんな感じだと、上手にできたことを褒めておいた。妹の頭の上にさらに『?』が乱立していた。そんで俺褒めた。わぁ、これがループ。


「1人で走るのが危ないなら、お兄ちゃんと一緒に走れば問題ない」
「お兄ちゃんと走るの?」
「あぁ、そうだ。……アリシアよ」

 俺はにやりと不敵に笑ってみせる。一度言ってみたかったあのセリフ。俺はアリシアより一歩前に足を踏み出し、そのまま語りかけた。


「――――ついて来れるか」
「お兄ちゃん、ながぐつが脱げてる」
「…………」

 一歩進んだ時、かたっぽ雪に埋まって脱げてしまった長靴を、いそいそと無言で装備し直す俺。

 ……かっこよく決まったはずなのに。なぜか長靴が雪から抜けなかった。なんでか抜けなかったんだんだよ! こんちくしょう!!


「もう……走る! とにかく走る! めっちゃ走るぞ、アリシア!!」
「えっ、えぇ? お兄ちゃん、なんでそんなに泣きそうなの!?」
「そこはバシッと決めろよ俺っ! 黒歴史作っちまったじゃねぇかぁーー!!」

 俺は妹と手を繋いで、とにかく我武者羅に雪景色を駆け抜けました。


 途中でまたしても長靴がすっぽ抜けて、ずっこけた俺たちは真っ白けっけになりました。



******



 《新暦37年 夏  NO.19》 


 『アリシアについて』

 俺たち兄妹は様々な場所に転移しては、いつも遊んだりしている。

 将来事故が起きるとはいえ、全てをそれに集中できるわけではない。もちろん俺としても、ヒュードラについてちゃんと調べたいし、対策だってじっくり練りたい。

 だけど、アリシアを1人ぼっちにさせてしまうのは嫌だった。俺たちの未来がかかっているとはいえ、だからといって『今』を蔑ろにしたくはなかった。


 俺がリリカル物語を読んでいて結構思ったのは、本当になのはさんたち9歳児? と思うほど精神的に成熟している場面が何回かあったことだ。だっての○太君こそが本当の子どもの姿だと聞いたこともあるし。

 でもそれはアニメだからという理由もあるだろう。環境としての要因もあるだろう。けれど正直小学3年生の思考でも、14歳で執務官の仕事をしているクロスケ君も、普通の子どもとはどこか違うと感じた。

 社会人になったことのある俺でさえも、責任という言葉は重いし、今だって本当に怖いと思う。それを10代前半ぐらいの子どもが背負っている。怖くないのだろうか。そうならざるをえない環境。子どもらしくない子ども。俺個人としては、疑問に思うことはある。

 だけど疑問に思うだけで、俺は別に成熟していることが悪いとは思わない。実際ミッドでは多いらしいし、次元世界ではそれが普通なのかもしれない。そのおかげで俺もこの世界に溶け込めている。

 世界が違えば、価値観だって変わる。俺がなのはさんたちに感じる違和感が、ここでは場違いなものなのかもしれないし、変わらず正当なものなのかもしれない。


 それでも、俺はアリシアには年相応の子どもとして、無邪気に笑っていてほしいと思った。


 原作ではアリシアはいつも1人ぼっちだった。母さんが仕事に出掛けている間は、彼女がいたとはいえ、ただ広い家にずっと1人で母さんを待っていた。

 アリシアは自分の気持ちを素直に伝えられる子だけど、母さんのためならそれを押しこめてしまえるだろう。想像だけど、妹は母さんにわがままを言うことはあっても、きっと「寂しい」とは彼女は絶対に言わなかっただろう。ただ母さんを心配させないように笑っていたかもしれない。母さんの力になれない自分を悔いていたかもしれない。


 そこまで考えて俺は、主人公である高町なのはとアリシアはなんだか似ているな、とふと思った。色々細かい差異や経緯は違っているけど。でも、そんなにも間違ってはいないと思う。2人は家族に愛されていた。けど無力感や孤独感はお互いに感じていただろうから。

 なのはさんは強い。でも自分のことを二の次に考えて、誰かのために行動してしまう危うさも持っていた。俺はもしこのままアリシアを1人ぼっちにしてしまったら、なのはさんのように無茶をしてしまうのではないかと思った。

 もちろん低い可能性かもしれないし、誰かのために頑張れることはすごいことだ。だけど、もしアリシアがなのはさんみたいに大怪我をしたらと思うと、俺は気が気でなかった。


 だから俺は兄として、家族として、妹の傍にずっと一緒にいるし、妹のわがままを聞いてあげられるような存在になろうと思った。アリシアが寂しいなんて思わないぐらいに楽しませて、母さんのためにできることを一緒に考えて、みんなで嬉しさを分かち合えるようになろうと思った。

 この積み重ねていく日々を、バカやって、笑いが絶えない毎日を作っていく。きっと今の俺にしかできない、大切なことだと思っているから。俺は妹と一緒にいたいと考えたんだ。



 だから…決して俺が、妹が「OHANASHIする?」とか「頭を冷やそうか…」とか言い出して、『金の魔王様』なんて呼ばれる子になったらまじでやべぇ! とかそういう考えはありませんでしたよ。えぇ、ありませんでしたとも。 ほんの少しだけ……いや、ちょびっとだけ……よぎりはしたかもしれないけど…、うん。



******



「つべたい…」
「ごめんなさい」

 さすがに素直に謝りました。お互い真っ白になってしまったので、2人で帽子や服に付いた雪を払い落としていく。なかなか雪が取れなくて、悪戦苦闘する俺は突如ひらめいた。逆転の発想。某大佐なみのパッチンをしていた青年のように言えば、チェス盤をひっくり返したとでもいうべきだろうか。

 そうだ、どうせもう真っ白なら、もっと真っ白になってもいいんじゃないかと…!

「アリシア、雪合戦するか」
「する!」

 即了承する妹。相変わらず元気だなー、でも子どもは風の子、元気な子って言うし。よく2人で布団を取りあっては、家でごろごろすることはあるけど。まぁ元気であることには変わりはないよな。


「いくぞー、アリシア!」
「うん!」

 妹に声かけをし、早速雪合戦の開始である。

 俺はあまり雪を固め過ぎないように丸めていく。怪我したら大変だしね。妹はなかなか雪を丸められなくて、苦戦しているようだ。

 だが、これは勝負。一度対決すると決めたからには、お兄ちゃんは手を貸しませんよ。一応ちらちらと俺の作り方を見る妹に、見えやすいようにゆっくり作ってはいるけど。あっ、完成した。

「食らえ、先制攻撃!」
「きゃー!」

 投げた雪玉が見事命中。雪ん子アリシア完成。

「むー、おかえし!」

 出来上がった雪玉が俺に迫ってくる。なので俺はひょいと避けた。その後も、アリシア当たる。俺避ける。という白熱した攻防が繰り広げられたのであった!


「ふふふふ。残念無念、そう簡単には当たりはしないん、ぶはぁっ!」

 突然不意打ちされました。え、あれ? ちょっとアリシアさん。なんか目据わってない? 雪玉じゃなくて、雪そのものを下から巻きあげてきたよ、この子。

「お兄ちゃん」
「え、はい」

 えっとその、あれだ。ごめん、ちょっと調子にのりました。めちゃくちゃノリノリでハッスルしていました。だから、『少し頭を冷やそうか…』という副音声が聞こえてきたのはきっと幻聴だよね!?


「ちょっ、ま、待ってアリシアさん。話せばわか、げふぅッ! げほぉっ、ごほっ。い、妹よ、雪を下から巻きあげないで! さっきから俺の鼻にダイレクトに攻撃されて、ぶふぉあァーー!!」

「むー! むーー!!」


 妹に逆襲されました。



******



 あれから妹様の機嫌も直り、一緒に雪だるまを作ったりして遊びました。たくさん遊んだし、疲れたのか、家に帰った途端に妹はばたんきゅーしてしまった。今はすやすやと寝息をたてている。

 母さんが帰ってくるまでまだ時間がある。そう判断した俺は、リビングのソファに座り、懐から1冊のメモ帳を取りだす。

 メモ帳は、母さんがヒュードラの開発に携わるようになってから付け始めた。俺が覚えている限りの情報を、俺が思ったことや感じたことを書き綴ったメモ帳。

 とにかく思ったことをひたすら書いたな。説明っぽい書き方にしたのは、俺自身の思いをこれから先も忘れないようにするため。書き始めた理由は、俺の頭でずっと情報を覚えておくのは無理そうとか、頭の中で考えすぎると悟り開いてしまうかもしれなかったためだ。もともとメモを書くのが好きだったのもあるけど。


 俺はパラパラとメモ帳を眺める。結構溜まってきたな。そろそろ情報の整理とかしないと駄目かねぇ。ちなみに《NO.19》のメモを読んで、ちょっと遠い目をしてしまったのは忘れる。いや、きっと大丈夫なはずだ。あの副音声は空耳だったんだ。魔王ルートはなんとしても阻止しよう。そうしよう。

 このメモを書き始めて約1年。俺自身の現状を知るのにとても役に立っている。あとは日記のようなものもいくつか書いている。というかメモの半分以上、あんまり役に立たなさそうなものもあるけど。やっぱ今度整理しよう。

 とりあえず今日のメモを書いていこう。俺は筆記用具を取りだし、《新暦37年 冬  NO.31》と記入する。題名はそうだなー。やっぱりいろいろ考えたいし、これでいいか。


 『妹の悪魔とか魔王フラグ圧し折り計画。でも小悪魔な妹も意外に可愛い気が…』

 アルヴィンは結構引きずっていたのであった。

 

 

第六話 幼児期⑥



「お兄ちゃん、これは?」
「あぁ、これの読み方は『ち』だ。チェストー! とかで使うだろ」
「ちぇすとー!」
「ちぇすとー!」

 妹とポーズを決めた後、また椅子に座りました。リビングのテーブルの上に広がるのは、ノートや筆記用具、それと絵本や教科書である。今日はお勉強タイムの日です。

 読み方を覚えたら、次は書く練習になる。妹は左手でしっかり鉛筆を持ち、文字を書き写している。俺も一緒に書き写しながら、間違いがないかどうか確認する。しかし左利きってなんかかっこよく感じるな。俺も周りも右利きが多かったからかねー。


「雨やまないねー」
「仕方ない、こういう日もあるさ。勉強飽きたか?」
「ううん。お勉強楽しいよ! だって見て見てお兄ちゃん、私『ありしあ』って書けるようになったんだよ!」
「お、うまくなったな。4歳でそれだけ書けるなんて、すごいじゃないか」
「そうかな、えへへ」

 頬を赤く染めながら、嬉しそうに照れる妹。妹の字を見ながら、俺は本心で称賛する。さすがはあの母さんの娘ってことなんだろうか。スポンジのようにどんどん吸収していってくれる。アリシア自身が学ぶことに積極的なのもあるだろうけど。

 俺はよくメモ帳に文字を書いていたり、絵本を読んであげている。妹はその様子を見て、自分も出来るようになりたいと思ったらしい。ちなみに、もしものためにメモ帳の大半は日本語で書いてはいるけど。

 俺も特に不都合はないし、今はいないがコーラルと一緒にミッドチルダの言語を教えている。……そろそろ迎えに行ってあげるかな、うん。

 ミッドチルダの言葉は、どちらかというと地球の英語に似ているのは助かった。確かレイハさんもバルさんも英語でしゃべっていたし、そこはアニメの影響なのかもしれない。ただ文字はアルファベットではなく、独自の文字であったため最初は混乱した。今は慣れたが、俺もこの勉強の時間に文字の復習をしている。


 妹はふと、窓に目を向ける。俺も妹の行動につられて、同じように景色に目を向ける。空は曇り、大粒の雨が降り注いでいる。そこから先に見えるのは、母さんが働いている魔力駆動炉。空高くそびえるそれは、まるで塔のようだった。

 全ての元凶。自然と眉を顰めてしまっていたが、俺は眉間をぐりぐりと指で押す。癖になったらやだし。妹は駆動炉を真っ直ぐに見つめていた。

「お母さん、今日も遅くなるんだよね…」
「そうだな。晩御飯、オムライスを置いておくからってさ」
「……また、『おかえり』って言えない」
「……うん」

 最近また母さんのスケジュールが厳しくなった。今まで夕方には帰ってこれた母さんの帰宅時間は、少しずつだが不定期になってきている。こんな労働基準法無視しまくりな労働時間は、地球なら即訴えられるレベルだぞ。

 それでも訴えられないのは、それだけ上層部のやつらが狡猾だからだ。この次元世界で警察の役割を果たしてくれているのは時空管理局だ。しかし管理局はミッドだけでなく、管理世界全域を護っている。原作でも家のテレビでも言っていたが、人材不足に尽きる。世界規模の警備を複数だ、当然と言えば当然か。

 故に証拠もなく人材を動かせないのだ。さらに最悪なことに、一部の管理局の局員も通じている可能性が高い。

 中央技術開発局は管理局にもいくらか関わりがある場所だ。だから今までに局員が何度か視察に訪れているはずなのだが、一向に改善される気配がない。開発局の上層部にとって都合が悪い情報を隠蔽し、管理局に報告しているとしか考えられない、と俺は思っている。

 本当にやってらんない。まじめに働いている管理局員さんと開発チームのみんなにまじで謝れや。

 と、思考がちょっと暴走ぎみになっていたので冷静になったほうがいいな。同僚さんみたいにいろんな意味で暴走したらまずいし。……不思議だ、同僚さん思い浮かべたらすげぇ冷静になれたよ。


 うん、まずは俺に出来ることを一歩ずつやっていくしかないな。ちりも積もれば山となるでしょ。だからまずは、俺がすべきことをしていこう。

「だけど妹よ、夜更かしして待つのは駄目だぞ。母さんもっと心配かけさせちゃうからな」
「……はい」

 ふむ…。

「アリシア」
「え、ふえっ。お、お兄ちゃん?」

 俺の言葉に小さな返事を返した妹に、俺は手を伸ばす。俺の方に振り向いたアリシアの頭を、ポンポンと軽く叩いた。困惑した顔の妹に、俺は笑顔で紙と鉛筆をズイッと見せつけた。

「おかえりは言えないかもしれないけど、伝えることは出来るぞ」
「え?」
「2人で『おかえり』のお手紙を書こうぜ。母さんに勉強の成果を見てもらえるし、心配もかけさせないうえに、俺たちの気持ちを伝えられるだろ?」
「あ……、うん。うん!」

 まさに一石三鳥。俺と紙を交互に見ていた妹は、俺の言葉の意味を理解し、何度もうなずく。その顔はさっきまでの気持ちを押しこめるようなものではなく、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

「せっかくなら絵も入れるか。アリシア、色鉛筆取って来てくれるか」
「わかった! お兄ちゃんは何を描くの?」
「えーと、似顔絵とかかな」
「あ、私もお母さんのにがおえ描きたい!」
「んー、じゃあそっちはアリシアにまかせるわ。俺はそのまわりに…大量のか○ぱらさんでも描いとくか」
「おぉー!」

 うん、やっぱりアリシアは笑っている顔が一番だよな。



******



「そんな……待って下さい! これ以上スケジュールを切り詰めるだなんて!」

 次元航行エネルギー駆動炉『ヒュードラ』。その開発局の一室に3人の人間がいた。

 1人は焦燥を隠すこともなく、相手側の提案に反発する女性――プレシア・テスタロッサ。ヒュードラの設計主任である彼女は、納得がいかないと声を張り上げた。

「なにか不服かね、テスタロッサ主任。これは上層部全員の意見だ。ヒュードラの完成を急がせる必要がある」

 だが、相手の男性はそれに一切感情を向けることもなく、淡々と告げる。彼はプレシアに目を向けることもなく、自身の手元にある書類を眺めている。言葉と態度から明らかな拒絶がうかがえた。

「……ッ! 不服とか、そういう問題ではありません。今でさえ駆動炉の設計を急がせているんです。これ以上の負荷は、安全設計に不備を起こしてしまいます」
「ずいぶん弱気ですね。大魔導師とまで言われ、その若さで中央開発局の局長を任されているお方が」

 もう1人傍らで佇んでいた男性が嘲笑する。プレシアは一瞬その男性に視線を寄こしたが、すぐに外した。彼女の表情には何もうつさない。冷静さを失えば、相手の思うつぼだと理解しているからだ。

「私は主任として、1人の開発者として進言しているだけです。駆動炉の要であるエネルギーを安定させるためには、数年は確実にかかります。それを2年以内で完成させろなど、不可能です」

 断言する。プレシアがこの開発に携わるようになって1年。いくら考えても完成など夢のまた夢だ。ただでさえ、今の現状だけでもギリギリだというのに。彼女は静かに拳を握りしめる。


 すべてはプレシアが、アレクトロ社の次元航行エネルギー駆動炉『ヒュードラ』の設計主任に抜擢されたことが始まりだった。

 この開発にはもともと前任者が存在していた。だが、かなりの不祥事と問題を起こしたことで職を追われ、その後釜として引き継がされたのがプレシアたちだった。現上層部のメンバーは前任者が開発をしていた頃からおり、しかも引き継ぎ用のデータにはかなりの穴があった。

 その穴を埋めるための研究と膨大な事務処理、そして上層部の勝手な都合で決められていくスケジュール。何人もの研究者が体調を崩し、上層部のやり方に嫌気が差しやめていった。さらに残った者たちで抜けたメンバー分の事後処理を行い、開発する必要がある。

 そんな状況下で、さらに時間を切り詰めるなど正気の沙汰ではない。駆動炉の安全性の面からみても危険すぎる。それにも関わらず、上層部は効率を重視し、圧力をかけてくる。


「君の意見など聞いていない。時間は有限だ。こんなところで喚いている暇があるのなら、至急仕事に戻りなさい」
「ですから」
「そういえばあなたには2人もお子さんがいましたか。大変ですね。しかしヒュードラはこの世界のためになる有用な技術です。そんなことのために使える時間があるのなら、問題はありませんでしょう」

 そんなこと。プレシアは男の言葉に激昂しそうになる自身を抑える。唇を噛みしめ耐えなければ、今にもその残念な髪をツルペタになるまで黒焦げにしそうだった。そよ風ですらなびくような髪ばかりの上層部。もう抜いたらどうだろう、と何回思ったことか。

 プレシアの視線が自身の頭に向いていることに気付き、2人は咄嗟に身構える。さっきまで書類にしか目を向けていなかった男も、微妙に額に汗を浮かび上がらせている。そこまで大事か。


 さすがにこれは地雷だったかと気づき、男は咳払いをして場の空気を元に戻す。大魔導師にキレられるのはごめんらしい。

 もっとも彼女の2人の子どもは、上層部にとって大魔導師の枷になってくれているのは事実である。駆動炉の完成まではプレシア・テスタロッサは必要な人材だ。故に彼女がこの開発に携わった時から、その子どもを脅しの材料にと上層部は考えていた。

 もちろん実際に手を出す気はない。なぜなら、彼女は自身の家に自ら結界を張っているため侵入もできないからだ。だが、言葉に示唆するようなニュアンスを含ませれば、それだけで大魔導師は沈黙した。それだけ子どもたちを危険な目に合わせる可能性を捨てられなかったのだ。


「とにかくこれは決定事項だ。それでも上に逆らいますか?」
「……いえ、わかりました。しかしこれ以上開発者を使い潰すような扱いは、開発の妨げになると思いますよ」

 プレシアは失意を目に浮かばせる。過去に何度も取り次いできたが、返された返事はすべて拒否だった。主任としての立場、母親としての立場。本部の一室から外に目を向けると、そこには雨風が吹き荒れている。その奥には子どもたちが待つ寮が見えた。

 すぐそばにいるのに、子どもたちに会えないことが、寂しい思いをさせてしまう現状が、彼女を苦しめていた。

 彼女は一礼すると、本部の部屋から退出する。少しでも仕事を進ませる必要がある。1人廊下を無言で進みながら、プレシアは現状を憂うことしかできなかった。



「ところで、開発が終われば管理部門に転属したいと言っていましたが、よろしいのですか? 主任である彼女はこちらの情報をある程度知られていますが」
「いくら大魔導師と言えど、組織に刃向うことはできまい。時間も伝手もなく、なによりも証拠がない。書類の隠蔽は問題ないのだろう?」
「はい。万が一事故や不具合が起こっても、開発チームや我々に反抗的な者達の仕業に仕立て上げられます。裁判になってもこちら側に抱き込んでいますからね」
「ふん。それに金でもやればいくらでも事は足りるだろう」
「えぇ。まったくもって」



******



「ただいま」

 深夜を少し過ぎた頃、プレシアは家に帰宅する。リビングの電気も消えており、雨も止んでいるため静寂だけがそこにあった。

『おかえりなさい、お母さん!』
『おかえり、母さん。お仕事お疲れ様』

 今までなら子どもたちの元気な声が聞こえていた。時々廊下を走ってお出迎えに来るアリシアに、走ったらこけちゃうわよ、と注意しながらもぎゅっと抱きしめていた。それを微笑ましそうに見ながら、アルヴィンが私の荷物を部屋まで運んでくれていた。

 しかし、これからそんな時間がもっと減っていく。プレシアは重い足取りでリビングに向かい、明かりをつける。台所には今日の晩御飯のお皿がきれいに並べられており、子どもたちがちゃんと食事をとったことがわかった。


「あら?」

 荷物を置こうとテーブルに視線をやると、出掛けた時には何もなかったテーブルの上に、1枚の画用紙が置いてあった。プレシアは子どもたちが片付け忘れたのかと思いながら、紙を覗きこんだ。

 彼女はそこに書かれていた内容に最初は呆けてしまった。短い文とおそらく黒髪の女の人の絵と妙にリアルな茶色い動物が大量に描きこまれている画用紙。正直かなりシュールすぎる。

 それでもプレシアは理解していくにつれ、その瞳に涙が溢れていた。口元を手で覆いながら、何度もその文に目を通した。


『おかえり』

『むりしないでね』

『ごはんおいしかった』

『いつもありがとう』


 彼女は嗚咽を漏らさないように、静かに涙を流し続けた。



******



「母さん、やっぱり遅いな」

 アリシアも寝ちゃったし、今がチャンスかね。時刻は23時で、子どもならもうとっくに寝ている時間だ。俺も気を抜いたら寝ちゃいそうだけど、頬をパチンッと1回叩き覚醒する。

 俺に出来ることをすると決めた。正直俺はそこまで頭がいいわけでもないし、すごい特技があるわけでもない。変なところで特徴はあるとか、頭がぶっ飛んでいるとか、失礼なことを言われたことはあるけど。

 それでも、精一杯頑張ろう。このまま流されるだけなんてごめんだ。俺は目を閉じてイメージする。向かうはヒュードラの開発局のとある一室。ずいぶん前に1度訪れたことのある場所であり、俺が仕掛けを行った場所だ。


「よっと」

 俺は真夜中の本部の部屋に転移した。視界は真っ暗で歩くことも困難だ。明かりを付けるわけにもいかないが、そこは別に問題ない。俺の目的は『お迎え』なんだから。

「おーい、コーラルいるかー?」
『……ますたー。遅すぎますよ』

 暗い部屋の隅で、緑に点滅する光が現れる。光はふよふよと浮かび上がり、俺に向かって移動して来た。わかってるけど、怖ッ! もっと元気よく飛んでこいよ。

「なんか幽霊みたいだぞ」
『ますたーが……ますたーが全然僕のこと迎えに来てくれないからじゃないですか! 身体があったら本気で泣いてますよ!?』
「あ、あはははは。つい」
『ついじゃないですよ! どうせ僕のことなんて忘れてたのでしょ!? なんで僕のますたーはこんなんなのですかぁーー!?』
「こんなん言うなや」

 いやぁ、相変わらずだった。あと今真夜中だからね。もうちょっと声のトーン落とそうぜ、コーラル。というかほんとに若干涙声になっていませんか。お前インテリジェントデバイスだよな。


「それより……ばっちり撮れてる?」
『……はいはい撮れていますよ。もうこれ以上ないぐらいにばっちりです』

 コーラルの報告に俺は思わず顔をほころばせた。

 俺は昔からリリカル物語を読んでいて、インテリジェントデバイスについてある考えを浮かべたことがあった。見た目は小さな宝石で、映像記録も取れて、さらに自律行動も取れる。そう、これはもう……最高の盗聴器だろうと! さすがにコーラルには直に言わないけどね。

「でもさすがコーラル。お前にまかせて正解だった」
『ますたーぐらいですよ、デバイスの映像記録をこんなことに使うの。それに大変だったのですよ。見つからないように必死に隠れたり、掃除機に吸いこまれそうになったり、……ソウジキコワイ』
「えっと、うん。まじごめん。掃除機怖かったな」

 デバイスを慰めるマスター。いいのか、これで。というかコーラルの奴、『隠密スキル』まで身につけていそうだ。本当にいいのか、これで。



 あれからコーラルを連れて、家の寝室に転移した。時刻はそろそろ0時をまわりそうだった。収穫はあったし、明日も早いからもう寝ないとな。

『ますたー、記録はどうするのですか?』
「うーん、使わないならそれが一番なんだけど……もしもの時に使えればな」
『わかりました。あ、帰ってきたみたいですよ』
「え、まじ?」

 コーラルは感知に関しては非常に優秀だ。機械の力と俺の魔力を使って、常にサーチしてくれているからだ。放浪によく出掛ける俺たちのために組み込まれたシステムであり、俺も信頼している。

 それに、耳かきやはさみが行方不明になった時とかめっちゃ大活躍! 僕ってデバイスですよね…ダウジングじゃないですよね……、と哀愁漂う時がたまにあるらしいが。

 とりあえず、俺は寝室からリビングの様子をこっそりうかがうことにした。アリシアと一緒に書いた手紙。母さんは喜んでくれるだろうか、喜んでくれたらいいな。そんな風に思いながら、覗いた俺の目に映ったのは、涙を流す母さんの姿だった。
 

「ううん。お母さんこそ…ありがとう。……本当に、ありがとう」

 小さくかすれた声。今にも消えてしまいそうなぐらいに呟かれた言葉は、はっきりと俺の耳に入った。

 母さんが泣いている姿なんて、初めて見た。母さんはいつも笑いかけてくれた。どんなに仕事が忙しくても、どんなにつらい時でも、俺たちの前では決して泣いてる姿を見せなかったから。

 もちろん俺だって、それが全てとは思っていなかった。俺たちに見せない顔があるのは当然だってわかってはいた。それでも、こうやって母さんの泣き顔を、辛い表情を見てしまうと…込み上げてくるものがある。

 俺では母さんの涙を拭いてあげることはできない。今俺が行っても、母さんに無理をさせてしまうだけだから。心配させてしまうだけだから。俺が母さんの息子だから、母さんは今の自分を見られたくないはずだ。

『……ますたー』
「大丈夫。寝ようか、コーラル」

 俺は音をたてないように扉を閉める。母さんに溜まっているものが少しでも流れて欲しい。今は泣かせてあげるべきだと思った。それしか、今の俺にはできないから。


「なんで俺、子どもなんだろ。なんで母さんの涙を止められるような、力がないんだろう」
『それは…』
「悪い、なんでもない。コーラルもお疲れ様、ありがとう」
『いえ、ますたーも無理をしては駄目ですよ。…絶対に』
「はは、うん。わかったよ。おやすみ、コーラル」
『おやすみなさい、ますたー』

 俺はベッドに身体を倒し、目を閉じた。

 俺にとってプレシア・テスタロッサは、物語の登場人物でも、他人でもない。大切な、大切な母親。失いたくない俺の守りたい人。

 こんなにも俺たちのことを愛してくれているんだって、その思いがひしひしと感じられた。

 

 

第七話 幼児期⑦



 春一番。おやつの桜餅をアリシアと食べながら、ぐだぐだしています。服装も長袖から半袖に代わり、暖かくなってきたなーと思う。

 しかしなんだろう、この胸に渦巻く衝動感。春空を見ているとなんかうずうずしてきた。なので、俺は自分の心に感じたことを素直に口に出してみることにした。

「そうだ、風を感じよう」
「かふぇ?」
『ますたーが、また突拍子のない変なことを言い出した』

 コーラルがすごく失礼だ。妹は口いっぱいにお餅を詰めながら聞き返してきた。ちゃんと食べてからにしようね。


 それにしても、そこまで変なこと言った覚えはないぞ。春ってぽかぽかしていて、季節的に最高なんだぜ。というか放浪するのにうってつけだ。新しい季節って感じがして新鮮さに溢れているしな。

 そんな陽だまりの中を、爽やかな風を受けながら身体いっぱいに感じる。あまい花の香りと青々とした草木の豊かさ、新しい命の芽吹き…。やばい、絶対にいい!

「やっぱり変じゃないだろ。合理的な考えに基づいた正当な理論だ」
『ますたーが……合理的な考え…?』
「おい、待て。なんでそこを疑問に思うんだ」

 俺ってちゃんと考えてから行動にうつすタイプだと思うぞ。まぁ、直感やノリで動くこともあるっちゃあるが。俺そんなにもはちゃめちゃな性格なのか?

『ますたーの場合、思考している途中でおかしな化学変化を起こしますからねー』
「お前、マスターに容赦ねぇな…」
『それほどでも』

 ほめてない。


「お兄ちゃん、風って楽しいの?」
「ん? あぁ、楽しいというより、気持ちがいいものかな」
「ふぇー」

 桜餅を食べ終わった妹から質問があったので答えてみた。ふむ、どうやら妹は風の良さを知らないらしい。それはもったいないことだ。これは兄として妹の世界を広げてあげるべきだろう。

 俺も前世ではよく、風を感じるために無意味に自転車を乗り回したものだ。河川敷にあるサイクリングロードを当てもなく走り続けたことや、唐突に自分の大学まで行ってみようと、県一つ越えて片道7時間を走ってしまったこともある。往復約14時間弱。頑張った。

 武勇伝として友人と家族に話したら、「絶対にお前はバイクの免許だけは取るな!」と社会人になってからも口酸っぱく言われるようになった。くっ、ちょっと楽しみにしていたのに…。今世では乗れるのだろうか?


「いいか、アリシア。風を感じるのはすごいことなんだぞ」
「そうなの?」
「もちろん。それに、とある世界にはこんなことわざまであるんだ」
「ことわざ?」
「あぁ。獅子の子落とし、または獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすと言ってな。つまり、風感じてこいやァ! と我が子を元気よく落として、風の良さをその身で感じようという意味だ」
『それ絶対違う気がするのですが!?』

 本来の意味よりこっちの方が、俺はなんかいいと思う。どっかの海兵じいちゃんと主人公さんみたいなのよりましだろ。風船でふわふわ浮かぶのは、ちと憧れるが。アリシアは俺の説明を聞いて、ごくりと唾を飲み込んだ。

「風を感じるって……すごいんだね」
『え、納得するの?』
「そうだ。風を真に感じるのは大変だが、それを感じられた時の爽快感はたまらないものなんだぜ」
「風ぱわーだ」
「そうそう風パワーだ」

 さすが、我が妹。まさに以心伝心だな!

『もうこの双子の思考回路の方がすごい気がします』
「それほどでも」
『ほめてない』



******



 そんなこんなで、一緒に風を感じる方法を考えることにしました。

「風を感じられそうなのってなんかないかね」
「風…。あっ、鳥さんになれたら気持ちよさそう」

 おぉ、鳥か。確かにあんな風に大空を飛んでいる姿を見ると気持ちよさそうだよな。でもさすがに鳥にはなれないな。鳥人間コンテストとか、鳥人とかあったけど、参考にしたらまずいだろう。

「ここは1つ、いつもふよふよ浮いてるコーラルさん。風はどんな感じですか?」
『え、ここで僕に振るのですか。えーと、機械なのでそういうのはなんとも。むしろ風が吹いたらどっかに飛んで行きそうで大変な部分が多いですね』
「夢のないお答えありがとうございます」
『泣きますよ!?』

 冗談だ。リアクションが面白いからつい。


「あ、でも大きな鳥とかなら乗れるかね?」
「大きな鳥さん!」
「そうそう。あるいはドラゴンとかなら迫力もあって、もっとすごそうだ」
「わぁー」

 2人で想像を膨らませる。確か第3期でキャロさんがドラゴンに乗っていたはずだから、実現可能かといえば可能だよな。さすがは次元世界。召喚魔法とかもあったはずだし、やっぱりファンタジーって夢が広がるな。

「お兄ちゃん、私も乗ってみたい!」
「俺も乗ってみたいな。そしていつかこのセリフも言ってみたい」
「どんなセリフ?」

 ドラゴンに乗る時のセリフと言えば、あれだろう。

「サラマンダーよりはやーい」
「はやーい」
『……サラマンダーに何かあったのですか』

 いえ、本当にただの迷言です。



「というか、今できる話をしよう。俺は今日風を感じたいんだ」
『さんざん話を右往左往させたのは、ますたーじゃ…』
「……コーラルは何かいい案とかある?」

 なんだかんだ言って、一緒に考えてくれる相棒です。コーラルはしばし無言になったが、何かを思いついたのか、ピカッと緑の光が点滅した。ちょっとご機嫌そうな雰囲気だ。

『ますたー、ますたー! すっごくいい案がありました!!』
「おぉ、まじか! さすがは我が相棒。してその内容は!?」

 コーラルは自信を持って答えた。

『魔法で飛びましょう!!』


「…………さて、アリシア。なにか良い意見は思いつく?」
『あからさまにスルーされた!?』
「あ、高いところとか?」
『もはやいないもの扱い!?』

 コーラルがいじけてしまった。妹はその様子に不思議そうにしている。信じられるか、天然でとどめをさしたんだぜ。

 いやでもさ、実際魔法はやめとこうよ。また今度にしようぜ。飛行魔法って確か適正とかもあったはずだし、いきなり空飛ぶのは危ないだろ? なによりミッドの法律で勝手に空を飛ぶのは禁止されてるしね、とそう言ってなだめる。それに俺、今現在魔法は念話ぐらいしかまともに使えんし。とある理由でさ…。


『ようやく、……ようやくデバイスらしいことができそうだったのに…』
「まぁまぁ。でも高いところっていうのはナイスだ」
「やった!」

 というわけで、さっそく実行に移しましょう。風が俺たちを待っているぜ!

 コーラルは俺の肩にくっつき、俺は妹の手を握る。ミッドチルダで高いところといえば、やはりあそこだろうか。家のテレビなどにも映っていた景色であり、危なくないだろう所をイメージする。瞬間、俺たちを包み込むような光が溢れる。その光が輝き、一瞬にして俺たちの姿はかき消えた。



 そこは雲を突き抜けるような建物の上だった。第1管理世界ミッドチルダの首都、『クラナガン』。時空管理局の地上部隊の本部があり、次元世界にとって大きな影響を及ぼす場所である。首都ということもあり、周りには超高層タワーが幾重に立ち並んでいる。俺たちはそのタワーの1つである屋上に転移した。

 まず目の前に映ったのは、自分達のいるタワーよりも高くそびえる建物。その建物から下を覗けば、米粒のような人間が見られたであろう。もし余裕があれば、目の前に建っている建物をもっとじっくり見学できただろう。高層タワーからの景色の良さに感動したかもしれない。

 だが、俺たちがそれらを実感することはできなかった。突き抜けるような風が全身を包み込み、さらに吹き抜ける。目的を達することは難なくできたが、1つ問題があったからだ。

 転移した瞬間に双子の兄妹の心は1つになったのだ。風を感じた結果、己に生じた純粋な気持ち。俺たち2人は我慢できず、心からの思いを、この吸い込まれるような青空の下で思いっきり叫んだ。


「さ……寒い寒いさむいッ!! さむ、ふぇっくしゅんッッーーー!!!」
「はぁむぅいィィーーー!!!」
『ちょっ、ますたー転移転移転移!!! ふっとぶゥゥーーー!!!』
「てんいィィィーー!!」
「ま、まって! アリシア落ち着いて! 首締まってるからぁ!? 転移は連続使用できないからもうちょっと待ッ、ぐほぉッ…!!」
『アリシア様! 締まってる! ますたーの首締まってる!? ますたー、ますたぁァァーーー!!!』


 なんとか転移して、無事に家には帰れました。



******



「えらい目にあった」
『それ全員のセリフだと思います』

 人ってパニックになると、大変だって改めて実感しました。

 あの後、怒った妹にぽこぽこ叩かれた。だってミッドで高いところを思い浮かべたら、首都のタワーの頂上ぐらいしか思いつかなかったんだから仕方がないだろ。さすがにミッドで一番高い、管理局の本局に転移するのはまずいと思ってやめたけど。

「あぁー、それにしても癒されるー」
『ますたーってお風呂とか好きですよね』
「まぁね。というかいつも思うけど、機械なのに風呂場にいて故障しないのか?」
『問題ありません。デバイスにはコーティングがされていますからね。魔導師の戦いで、雨の中や時に水の中で魔法を使う場合もありますから』
「なるほど」

 そういえば、なのはさんが海の中に落ちてもレイハさん起動していたもんな。改めて思うけど、この世界の技術力ってすごいよなー。

 ふぅ…。それにしても身体が冷えたからお風呂に入ることにしたが、正解だったな。芯までぽかぽかしてきた。異世界に転生しても、こういう日本人の精神は受け継がれるものなんかね。

「にしても、アリシア遅いな」
『部屋の方で何かごそごそしていたみたいですね。もう少し時間がかかるのではないでしょうか』

 ……まぁどうせ風呂には来るんだろうし、大丈夫か。ならもう少し湯船を1人で堪能しておくかな。


「しっかし転移したら、少しとはいえ、ラグができるのはなんとかならないかなー」
『連続使用はできないとはいえ、破格のレアスキルだと思いますが』
「そりゃそうだけどさ。でも俺としては、影分身の術ごっことかしてみたかった」
『使い方しょぼッ!』

 うっさい。けど練習はしておくか。もしかしたら発動時間を短縮出来るかもしれないしな。

 日常生活とかなら問題ないけど、もし緊急事態や戦闘が起こってしまった場合、致命的なことになる可能性はないとはいえないんだし。……ん?


「お兄ちゃん見て見て! おもちゃ箱にあひるさんがいたんだよ!」

 アリシアが元気よく風呂場に突入してきた。部屋でごそごそって、お風呂用具を発掘していたのか。妹は黄色いあひるを両手に持って、にこにことこちらに走ってきた。うちの妹も結構風呂好きだから、はしゃいでいるなー。あはは……走ってきた?

「アリシア! 風呂場は滑りやすいから」
「あ」
「あ、じゃねぇぇェエエエェェ!!!」

 お風呂場ではしゃぐのは大変危険ですので、注意しましょう。



「ごめんなさい」
「たく、転移が間に合ったから良かったものの…」
『ますたー背中大丈夫ですか?』

 ちょっとひりひりするけど、大丈夫です。咄嗟にコーラルが防御魔法を展開してくれたから、そこまで痛くはなかった。俺の魔力を使うことで簡易なプログラムの魔法ならば、コーラル単体で発動することが出来る。インテリジェントデバイスさまさま。

「あひるさん、見せたくて…」
「わかったわかった。だから泣かなくていいよ。次からは絶対気をつけること、いいな」
「……うん」

 まぁ2人とも無事だったからいいんだけどね。もし怪我したって母さんが聞いたら、研究とか全部ほっぽり出して駆けつけて来ただろうな。……あぶねぇ、母さんなら絶対に来た。上層部なんて千切っては放り投げていたかもしれない。それはざまぁ。


 アリシアも泣きやんだことだし、俺は妹の髪をシャンプーで洗ってやる。妹はまだ1人でシャンプーができないため、いつも俺がしている。金色に輝く髪は腰よりも長く、アリシア自身もお気に入りらしい。母さんと同じぐらいの髪の長さ。色違いでも、せめて長さぐらいは揃えたかったのかもしれない。

「金髪に赤い目って下手したら厨二病なのに、似合っているよなー」
「むぅ? お兄ちゃんも私と同じがよかったの?」
「そういう訳じゃないんだけどね。金もいいけど、俺は黒色でよかったと思っているよ。アリシアはいやなのか」
「ううん。だってお母さんが太陽みたいって褒めてくれたもん」
「そっか。俺も好きだぞ」

 俺は妹の髪を下から上へ手で動かし、全体的に馴染ませていく。さらに均等に質量をのせていき、タイミングをはかり、バランスを保つ。これを何度も繰り返すことで、綺麗に出来上がるのだ。


「そういえば、アリシアっていつも同じ髪型だけど、変えたりしないのか?」
「んー。私は好きだけど、変えてみてもいいかも」
「じゃあ、今度俺が結んでもいいか?」
「え、お兄ちゃんできるの?」
「ちょんまげなら」

 無言で肘入れられた。バイオレンス。


『……あの、ますたー』
「なんだー、コーラル」
『アリシア様が目をつぶっているからといって、やりたい放題しすぎではないでしょうか』
「え?」
「あっ、待ってアリシア。もうちょっとで完成するから動かないで」

 そして、フィニッシュ! 俺はやり切ったぜ。シャンプーが目に入るのを嫌う妹は、洗っている間は目をぎゅっとつぶっている。しかし、出来上がったと同時におそるおそると目を開いた妹の前には自身を写す鏡。そこには満足そうな俺の姿と、とぐろを巻いた芸術作品があった。

「テテテテーン、バナナアイスクリーム!!」

 無駄に高い声が風呂場に響き渡った。


 丸1日ぐらい、妹が口をきいてくれなくなりました。

 

 

第八話 幼児期⑧



「ねぇ、お兄ちゃん。前に私の髪型変えてみないかって言ってたよね」
「ん、おぉ。確かに言ったことはあるな」

 春先のことだったから、梅雨が明ける前の話だな。もちろん、覚えていますとも。

 俺の目の前にはにこにこと笑みを浮かべる妹。いつも通り金色の髪の両サイドを二つ括りでまとめており、後ろはそのままストレートに流している。「ツーサイドアップ」という名前が一応付いていたはずだが、俺個人としては「凛ちゃんヘアー」と名付けている。わかる人にはこれで一発だろう。

「それでね。せっかくだから変えてみようかなって思ったんだ」
「え、そうなのか?」
「うん!」

 へぇ、まじか。どんな髪型にするんだろう。妹の髪はいつも母さんが整えてくれているから、間違いなくかわいく仕上がるだろうな。ポニーテールとかみつあみも悪くないし、そのままストレートにしてみてもいいかもしれない。

 短くしても可愛いだろうが、たぶんそれはないか。妹は長い髪を気に入っているし。それに、アリシアは4歳の誕生日プレゼントにもらった緑のリボンがお気に入りで、それを使うことが多い。妹なら髪とリボンが両方映える方を選ぶだろうな。


「今から変えるから、まずはお兄ちゃんに見てもらいたかったの」
「ん、今から? 母さんにしてもらうんじゃないのか。アリシアだけで出来るのかよ」
「簡単だよ。ねぇ、お兄ちゃん。こっちだよ、ついてきて」
「アリシア?」

 なんだろう、何か違和感がある。そう思いながらも俺はアリシアについていく。リビングの広いスペースまで移動し、そこで妹はくるりと一度回り、俺の方に身体を向けた。にっこりとほほ笑む妹の顔。その笑みはどこまでも無邪気で、好奇心が旺盛な妹らしいものだった。

「あのね、お兄ちゃん。前に私の髪の毛をタワーみたいにしたことがあったでしょ?」
「タワーって…あの盛ったやつか。あれは悪かったって。お兄ちゃんとしては長い髪を見ると、どうしても試してみたくなっちゃって―」
「私、それが気に入っちゃったの」
「もうやらないから怒らな…ぃ……え」

 まだあの時のことを気にしていたのかと思い、謝ろうと思った。女の子にとって髪は命とかいう言葉もあったはずだし、また口きいてくれなくなるのは寂しかったしね。うんうん。

 だから今妹が発した言葉は、きっと俺の聞き間違いだ。気に入ったじゃなくて、気にしてたが正解だろう。まったく、俺ってばおっちょこちょいだな。これじゃあ、妹にまた怒られちゃうよ。あはは! とりあえず、トルネードヘアーから話を逸らそう。

「お兄ちゃんとしては、おだんごヘアーも悪くないなーって思うんだ」
「ありがとう、お兄ちゃん。あれのおかげで私、新しい自分を見つけられたよ」
「あれ? 会話の流れが俺の想定外な方向に突き進んでいる」
「それでね、どうせならお兄ちゃんもお母さんもすごいって言ってくれるような、さらなる髪型を私は考えたんだ!」
「これはもう俺が謝ればいいのか。もはや土下座しろってことなのか」
「いくよ、ボリュームヘアーのバリエーション! これがわたしの全力全壊!!」


 現実逃避しかけていた俺の前で、妹からなにやらオーラのようなものが身体から溢れていた。立ち込める熱と威圧感、アリシアの金色の髪がうねりをあげ、勢いよく逆巻いている。なにこれ。

 どうしよう、展開にまったくついていけない。いや、もう正直置いていってほしい。なんで妹の目がキュピーンって感じに光ってるの。あ、今「ボッ」という音と共にアリシアの髪が天井を突き抜けた。

 わぁ、あれはもう立派な武器だ。硬質とか破壊力とかが半端ねぇよ。これは……ユニコーン……ゲイボルグか、いや―――ロンギヌスだ!


 妹の全力全壊を見届けた俺は、静かに目を伏せる。おかしいな、瞼の奥が熱いや。俺のキャパシティを超えた出来事が連続して起こった気がする。というより起こってはいけない何かが起こってしまった気がする。

 あぁそうだ、叫ぼう。もやもやしたものを溜めたら身体に悪いよね。うん、そうしよう。さっそく俺は大きく息を吸い込み、我武者羅に声をあげることにしました。


「…………おかあさぁあああぁぁん!!! アリシアがァァーー! アリシアさんにィィイイィーーー!!!」


 めっちゃくちゃ取り乱した俺は、きっと悪くないと思う。



******



「という夢を見た」
『……うわぁ』

 うん、俺もうわぁ、しか言えなかった。もはや、なんだこれとしか思えなかった。これが夢だとわかった時の安堵感は計り知れないものだったよ。

「……悪夢だった」
『ますたーが、本当に落ち込んでいる』

 ふふふ、今ほど俺の想像力に涙したことはなかったよ。髪だけだったのはなによりもの救いだった。あれでもし肉体も変化していたら、俺もう駄目だったかもしれない。ムキムキの妹。僕、ウマ子との接し方なんてわからないよ。

 お昼寝の時間だったため、いつも通り眠っていたら突如起こった悲劇。まじで泣きながらうなされていたらしい。コーラルも軽く引くぐらいの勢いだったようだ。素晴らしい頭突きで起こしてくれたので、感謝の言葉を伝えながら、俺も勢いよく放り投げさせてもらったよ。もちつもたれつ。


「だめだ、完璧に目が覚めた」

 いそいそとお昼寝用の布団から出る。ベランダから差し込む太陽の光に温かさを感じながら、大きく背伸びをする。リビングに布団を敷いて寝るのが、俺たちの毎日の日課である。さすがに幼児にはお昼寝は必須項目だからね。放浪するのは大抵午前中か、お昼寝後の午後にしている。

 だが、どうやら今日の俺のお昼寝はここまでのようだ。まぁさすがにあれからすぐ、2度寝する勇気もないけれど。妹は何食わぬ顔でお昼寝続行中。ちょっと鼻を摘まんでやろうかと思ったが、余計なことをして、またなんか夢に出たらいやなのでしばらく自重しようと思う。俺えらい。


「というわけで、暇なのでなんか面白いことやってコーラル」
『いきなりの無茶ぶりッ!?』
「あ、なんかゲームしたくなってきた」
『ますたーって、本当に自由人ですよね…』

 俺の通知表の所見には、必ずマイペースとは書かれていたな。



******



「いくぜ! 白き大地に黒き稲妻舞い降りる!」
『くッ!? 我が白き大地が漆黒に染まっていくだと!』
「みんな、みんな染まってしまえば良いんだ……!」
『まだだ、まだ終わらんよ!』
「ふふっ……もはやあなたは、俺の掌で踊るのみ。さぁ、駒を進めようではないか!」
『あいにくだが僕の駒はただの駒じゃない…! 盤上の計算通りに倒せると思ったら大きな間違いだと教えてあげましょう!!』


『……もういいですか。左から3列目。下から3つ目で』
「えー、せっかくノッてきたのに。はいはい」

 しぶしぶコーラルが言った場所に打っていく。まぁ、なんだかんだでノッてくれたからいいか。最近はようやくコーラルも、ある程度ネタを仕込ませることができるようになった。デバイスってすごいよな。記憶メモリー半端ない。今度フ○ーザ様のお言葉でも仕込んでみるか。

『ますたーがデバイスをどうしたいのかわからない』
「ネタ貯蔵器」
『ぶっちゃけた!?』

 おっと、口滑らせた。


「まぁまぁ、気にしない気にしない。とりあえずここにパチンッと」
『目覚ましにネタ貯蔵器なデバイスって…。右から4列目。下から3つ目』

 なぬっ、そうくるか。俺は腕組して盤上とにらめっこする。なかなかいい勝負だ。

 コーラルのテンションはさておき、現在俺たちはオセロ勝負をしている。妹は隣で未だお休み中。時々妹からむにゃむにゃとかわいらしい寝言が聞こえてくる。ほっぺを指で押してみたら、ぽひゅー、っと空気が抜ける音がした。面白かった。


『……あのますたー。今更ですけど、なんでデバイスの僕がオセロしているのですか?』
「え? デバイスでもオセロできるだろ。ほい、ここもーらい」
『それはまぁ、ますたーが代わりに動かしてくれたら、僕はしゃべるだけですし。あ、右端で上から4つ目です』
「うわっ、そうきたか。じゃあいいじゃん。気にすんな。ほれ」
『……盗撮したり、オセロしたり。デバイスとして自信なくなってくるのですけど』

 俺は助かるからいいんだけどな。話し相手にも、遊び相手にも困らないし。

 しかし、昔はこいつもレイハさんみたいな英文しゃべりだったのに、いつのまにか流暢に話すようになったんだよな。母さんが「なんで?」とコーラルを見て、まじで疑問に思っていたから、普通のインテリジェントデバイスとはなんか違うのかね? むむぅ。

 そんな風に考えていたが、コーラルの声が聞こえなくなっていたので不思議に思い、盤上から顔を上げる。俺の対面には、ふよふよ浮いているコーラル。俺は静かになったコーラルの態度に首をかしげた。


「どうした? コーラルの番だぞ」
『ねぇ、ますたー。僕はますたーのデバイスですよね』
「そうだな」
『僕は魔法を使うための道具です。それなのにこんなことでいいのでしょうか…』
「え、だめなのか? コーラルはデバイスだけど、俺にとって大切な家族なんだから好きにしたらいいんじゃね。俺はお前とこんな風に一緒にいるの好きだしさ」

 別にデバイスだからって、おかしくはないだろ。コーラルが本当にいやがるなら、俺はおしゃべりもオセロも遊びにも誘ってないと思う。というか、家にあるパソコンゲームでキーボードの上で高速タップダンスしながら積みゲーするようなデバイスだぞ。今さら何言ってんだか。

『……ますたーって、時々天然ですよね』
「は?」
『なんでもないですよー。悩むのが馬鹿らしいですし、もう僕は僕で好きなようにやっちゃいます。ますたー、左から2列目、上から5列目で』

 なんじゃそりゃ。雰囲気的にどうやら機嫌が良くなったみたいだけど。よくわからんが、なんか復活した感じらしい。まぁ、よかったのかな。


『ところでますたー。暇なのでしたら、魔法の練習でもしましょうよー』

 ……いらんところまで復活しやがった。

「あー、また今度な。はい、ここ」
『それ前も言ってませんでしたか。そろそろデバイスとしての本願を果たさせてくれてもいいじゃないですか。本当にお願いしますよー。右から2列目。上から3つ目』
「大丈夫だよ。魔法ならいつかするから、いつか。あ、すみっこもーらい」

 そう言いながら盤上のはしっこに、黒をパチッと音を立てながら置いた。くるりとひっくり返っていく白の陣地に満足しながら作業を終える。


 またしても静寂が訪れた。だが、この感じは覚えがあるな。コーラルと過ごしてもうすぐで2年になる。なので、おおよその相手の性格傾向を把握している訳だが……あ、そうだ嵐の前の静けさってやつだ。

『いつかって…』

 あ、来る。疑問が解消してすっきりしたところで、俺は慌てて耳を手で塞いだ。


『いつかっていつなのですかァァ!? なんでそんなに魔法使わないのですか! ますたーは魔法の素質は十分すぎるほどあるのに! もう防犯ブザーでも拡声器扱いされても諦めましたから、せめて念願の魔導師の補佐らしく、かっこいいことぐらいさせてくれてもいいじゃないですかッ!! というかすみっこ取られたァーーー!!!』

「……うっちゃい!!」

『ぶほぉッ!?』

 すげぇ、クリティカルヒット! あ、さらに追撃に追い打ちだと! 同僚さんに教えてもらったという痴漢撃退法が華麗なるコンボで決まっていく! 使用武器座布団によるラッシュラッシュ倍プッシュ!!

 ……さて、実況もここまでにしておいて。おーい、妹よ。コーラルがうるさかったのは認めるが、そろそろ座布団攻撃はやめてやれー。母さんが本気で同僚さんとの付き合い考えそうだからー。


 妹様就寝。


「おーい、生きてるかー?」
『…………』
「返事がない、ただの残骸のようだ」
『無茶苦茶ひどいッ!?』

 お、復活した。今の声に妹が起きなかったことに安堵しながら、ふらふらと飛んできた。まぁなんというか……どんまい!


 一応コーラルの言い分もわかるといえば、わかるんだよね。魔法が使える世界に転生するなら、やっぱり魔法使ってみたいじゃん。これが余のメラだ、とか真顔で言えるんだぞ。キリッ、とか効果音付かないんだぞ。

 実際母さんに見てもらったら、俺はなかなかの魔力量を持っているみたいだった。さらに、魔導師ランクSの母さんの素質も受け継いでいるらしい。

 たぶん俺が母さんの子どもとして生まれた要因の1つが、『魔法の素質は高めがいい』とお願いしたことだろう。魔力量はわからないが、魔導師としての素質は遺伝的なものも大きいため、親の能力を子が受け継ぐこともあるからだ。


『それよりも、本当にどうして魔法を使わないのですか? 初めの頃はあんなにも喜んでいたのに』
「いや、そのさぁ…」

 確かにデバイスをもらった時は喜んだ。魔法が使えると思ったら嬉しかったさ。だけど、まさかあんな落とし穴があるなんて思わなかったんだよ。俺は、魔法を甘く見ていたんだ。

「あのな、コーラル。俺もさ、本当は魔法を使いたいんだ。だけど、初めて魔法を使った時、俺は現実を知ってしまったんだ」
『現実? 正直ますたーは魔力量も素質も高いです。魔導師として大成できるだけの能力があるからこそ、僕もますたーに魔法を覚えて欲しいと思っているのですよ』
「魔法の才能だけじゃ、乗り越えられないものがあるって気づいたんだよ」

 俺の自嘲を含んだ声音に、コーラルも押し黙る。いくら才能があっても、世界は厳しいものだった。ただそれだけのことだ。前世から俺を苦しめてきたものが、まさか今世でも俺に牙を剥いてくるとは思ってもいなかったんだ。


『……僕はますたーの相棒です』
「コーラル?」
『ますたーを支えるのが僕の役目です。だから僕がますたーを助けます。どうか諦めないでください』
「でも、やっぱり俺は…」
『教えてください。どうしてますたーが魔法を避けるのかを。僕もますたーと一緒に、それと向き合っていきますから』

 お前、そんなにも…。コーラルが本気なのだと、俺にもその気持ちが伝わってきた。今でもあれと向き合うのは嫌だ。でもそんな臆病な俺と一緒に、向き合ってくれると言ってくれた相棒がいる。

 ……わかった、俺も真実を話すよ。


「俺が魔法を使わない理由はな」
『……はい』


「俺が、……理数系が壊滅的だからなんだ」
『…………はい?』

 俺は溜まっていたものをぶちまける。どうしてこの世界の魔法は、ファンタジーじゃなくてオーバーテクノロジーなんだッ!!

「わけわかんねぇんだよ。魔法使ったら数式やらプログラムやら計算やら複雑怪奇なものが、頭の中に流れてくるんだぜ。解けねぇよ。魔法の構築や制御なんか泣きかけた。物理とか公式とか見ただけで悟り開きかけた。むしろ見るのもいや。コーラルが処理してくれても、自分の頭にプログラムみたいなのが羅列するし。なんか酔うし、積極的にやりたくない。魔法は使いたいけど、嫌いなことしたくねぇよ!」

 ほんとに世界はこんなはずじゃなかったことばっかりだよ! なんでなのはさんたちも、二次小説の方々も普通に使えるのさ!? 俺がへなちょこなだけなのか?


『そ、そんな理由ぅーーー!!??』
「そんなとはなんだ!? 俺にとっては死活問題だぞ!」
『ますたーが、勉強頑張ったらいいだけの話じゃないですか!?』
「おまッ、あんなにも感動的な台詞言っといてこっちに丸投げ!?」
『もうすぐ2年経つのに、僕未だに念話しかできないなんていやですよー!!』
「文系と体育だけが友達なんじゃーー!!」

「うるちゃぁああい!!!」

「『ごめんなさーい!!!』」


 ここにジャンピング土下座を含む、様々な土下座が繰り広げられたという。



******



『今度から理数の勉強もやりましょうね』
「えー、ほら俺4歳なんだし」
『ますたーって昔から自分に都合が悪くなると、すぐ年齢だしてきますよね』

 デバイスに駄目だしされた。後日一応頑張らせていただきます、と約束していじめないでもらった。


「しかし、梅雨が明けるとすぐ暑くなるな」
『そうですね。もうすぐ夏ですか』
「夏のイベントと言えば、……あぁそうか、もうそんな時期になるのか」
『もうすぐ2年ですものね』

 俺がコーラルを受け取ったのは、3歳の誕生日のことだ。それからもうすぐ2年。俺たちの5歳の誕生日がもうじき訪れることになる。

「5歳か…」
『今年もお出かけされるのですか?』
「たぶんね。母さん、俺たちの誕生日は絶対に休むだろうし。家族で出かけるの、アリシア好きだからさ」

 俺たちの誕生日には、毎年ピクニックに行くのが定番となっている。今年もおそらくそうなるだろう。去年は水遊びをしたから、今年は山かな。緑がすごくきれいなスポットとか探しておこう。情報収集は欠かせないよね。やっぱり。

『楽しみですね』
「……そうだな」

 コーラルの言葉にうなずきながら、俺は駆動炉をただ静かに眺めていた。



『……ますたー』
「なんだ」
『いじめない?』
「そぉい」
『アァーー!』

 ちなみにオセロは四隅すべて俺が確保。コーラルがなんか言っていた気がするが、スルーした。

 
 

 
後書き
リリカルWikiより

数学や物理といった理系的な知識が魔法の構築や制御には重要になる。ミッドチルダとなのはたちの世界では数学も物理もほとんど変わらないため、ミッドチルダ式の魔法構築や制御などは、なのはたちの世界の理数系に該当する。なのはは元々算数や理科が得意。フェイトに至っては、高校生の美由希の数学の問題を解いてしまうほどである。「魔法とは、自然摂理や物理作用をプログラム化し、それを任意に書き換え、書き加えたり消去したりすることで、作用に変える技法である。」(小説版)

ちなみに作者の好きな土下座の種類はスパイラルです。神です。 

 

第九話 幼児期⑨



「あぶねッ」

 俺は風で飛びそうになった帽子を、慌てて手で押さえる。ちょっとばかし景色に気を取られ過ぎたかな、と反省した。子どもの身長というのは低いため、大抵見上げるものだ。でも今俺がいる場所からは、景色を見下ろすことができる。それで、つい眺めてしまっていた。

 さっきまで歩いていた山道をふり返ると、母さんと手を繋いだ妹が元気よく手を振っているのが見えた。俺もそれに手を振り返す。そんな俺たちの様子に母さんは優しく微笑んでいた。


「今日は晴れてよかったな」
『そうですね。予報でも天気の崩れはないようですし、一安心です』

 俺の隣でふよふよ浮いていたコーラルの言葉に、俺もうなずく。周りを見渡すと生い茂る木々や藪が目に入る。平坦な山道には木の手すりが備え付けられており、子どもでも安全に登ることができた。葉は綺麗な緑色となっており、ところどころから蝉の鳴き声が響いていた。

「しっかし、暑いなー」
『もう夏ですからね。日射病になったら大変ですから、ますたーもこれ以上はしゃぎ過ぎないでくださいよ』
「……俺そんなにはしゃいでいたか」
『いきなり山に入って、「なんかブランコに乗ってみたくなるな」とか言い出して、マイスターに止められる。「アーアアァーー」と奇声を発しながら森の木から木へ移ろうとして、マイスターに怒られる。蝉の抜け殻を掌いっぱいに集めて、それにアリシア様も参加して、マイスターが軽くビクつく』

 俺自分に正直だから。しかし確かにはしゃいでるな、これは。

 だって山だぜ。ピクニックだぜ。山で連想するのは、アルプス少女の絶叫ブランコだし、森なら由緒正しい名台詞を叫ぶものだろ。あとは、頂上に行って「低燃費ってなにぃー!?」と叫べばミッションクリアーだ。子どもだから許されそうなことは、一通りやっておきたい。

「山を見ていると、人って開放的になるよね」
『いつも開放されているじゃないですか』

 お前ツッコミに関しては、相変わらず手厳しいな。


「お兄ちゃん、速いよ」
「あら、いい景色ね」
「あ、母さん、アリシア」

 追いついた2人は、俺が先ほどまで見ていた景色に目を向けている。俺がいるのは、山道から少し外れたひらけた場所で、そこから遠くまで一望することができる。いやぁ、景色はきれいだし、マイナスイオンも最高。

『そろそろお昼になりそうですね』
「ほんとだ。目的地はもうすぐだったよな」

 俺も腕時計で時間を確認する。そろそろお弁当の時間だし、もう少しで休憩場に辿り着くだろう。

 俺はピクニックで山登りをすると決まった時、おすすめの場所について放浪中に聞き込み調査を行っていた。その途中で偶然出会ったお店の店員さんに、ここを教えてもらったんだが当たりだったな。

 そういえば、お礼はぜひご家族でご来店を、と笑顔で言われたな。サービス券ももらった。強かだ。


「よーし、もうひと踏ん張りしますかぁ!」
「『オォー!』」

 俺たちは拳を振り上げ、目的地に向かって意気込んだ。


「ほらほら、母さんも」
『いやいや、ほらって…』
「え、えぇ? お、おー?」
『やるんかい』

 俺、母さんのそういうところ好きだよ。



******



 今日は転移を使わず、家からちょっと遠い山道をお出かけしている。遠出をすることもできたが、今回は近場の方がいいかと考えたからだ。気疲れもしないし、母さんの気分転換にもなるかなと思った。

 ここは『クルメア』と呼ばれる地名で、自然豊かな山々が連なっている。野生の動物もいるが、観光客も多いこの山道に姿を現すことはほとんどない。遠目に鳥やたぬきのようなものは見えることもあるらしいが、奥に入らない限り遭遇することはないだろう。


 そんな自然で溢れる場所へ、5歳になった俺たちはピクニックにやってきた。俺がこの世界に産まれて5年目の日。始まりでもあり、終わりでもある年。正直複雑な気持ちではある。

 だけど、今日は心から楽しもうと俺は思っている。母さんはこの1日を必ず一緒に祝ってくれる。無理はしなくていい、と伝えたことはあるが、母さんは大丈夫とただ微笑むだけだ。それなら、せめて思いっきり遊んで楽しむべきだろう。母さんのためにも、俺たちのためにもね。


 というわけで、お弁当食い終わったので家族で遊ぶことにしました。


「お兄ちゃん、動物さんさがそうよ」
「動物か。ここらで見れるとしたら、鳥とか小型の動物だろうな」
「2人とも、森の奥には行っちゃだめよ。道も危ないし、危険な動物だっているからね」

 母さんの言葉に、妹と一緒に返事をする。しかし、探すにしてもあんまり期待はできそうにないな。普通にきょろきょろ歩いているだけで、動物を見つけるのは困難だろう。

「そんな訳で君の出番だ、コーラル君」
『サーチですか? サーチャーぐらい頑張れば、ますたーもできると思うのですけど』
「この辺りにいる?」
『相変わらずスルーしますね。ちょっと待ってて下さい』

 コーラルが円を発動した。

『あ、ここから50メートル先の木の上に反応がありました』
「猿だ!」
「鳥さんだ!」
『いや、反応があっただけで何かまでは…』
「頑張れ」
『いやいやいや』

 根性論は駄目らしい。せっかくなのでみんなで見に行くことにしました。

 しかし、人の気配を敏感に感じ取ったのか、あと数メートルでバササッ、と逃げられた。気を取り直して何回か探してみたが、同じように逃げられる。あがっていくフラストレーション。


「エンカウントぐらいしろよ! はぐメタよりひでぇ!!」
『ますたー、仕方ないですよ。野生動物は警戒心が強いですから』
「お母さん。私、動物さんに嫌われちゃったのかな」
「そんなことないわ。きっとみんな恥ずかしがり屋さんなのよ」

 妹が肩を落とし、落ち込んでいる。このままではかわいい妹のせっかくの誕生日に、暗い影を落としてしまう。それはゆゆしき事態だ。


 俺は母さんの方に目を向ける。母さんも俺と目を合わせ、お互いにうなずいた。すべてはアリシアの笑顔のために。

「コーラル、次の獲物は」
『南西200メートル先に……ってあのますたー。なんで僕を握っているのですか』
「決まってるだろ、お願いしに行くんだ」

 俺はにっこりとほほ笑んだ。アリシアは動物が大好きだから傷つける訳にはいかない。母さんのバインドで捕まえるのもかわいそうと思われるかもしれない。なら、大人しくしてくれるようにお願いするしかないだろう?


 そして転移で、獲物のとまっている木の近くまで瞬間移動した。俺の存在に驚いた野鳥はすぐさま飛び立とうとする。あはは、逃がすかコラ。

「脳天ぶちまけろやぁーー!!」
『え、えぇええぇぇーー!?』

 まさに飛び立とうとした瞬間、俺は手に握っていたコーラルを勢いよくブン投げた。野鳥の羽にかする。何枚か羽が衝撃で抜け、野鳥ビビる。固まる。それでも必死に逃げようとする野鳥の眼前に。

 雷ドゴーン。

 焼き鳥一歩手前の事態に野鳥今度こそ硬直。彼の頭上には未だ暗雲が立ち込めている。一瞬、俺に視線を寄こした鳥さんに俺はにっこりと笑い返す。野生として生きる1匹の野鳥は本能で理解した。


 あ、動けば終わると。


「ほら、アリシア見てみろ。鳥さんがいるぞ」
「わぁ、鳥さんだ! 鳥さーん!」
「よかったわね。鳥さんもきっと会えてうれしいと思っているわ」
「そうかな。けど、さっきのピカッって光ったのなんだったのかな」
「うーん、なんだろ。もしかしたらここにいるよって山の妖精さんが教えてくれたのかもな」
「すごーい!」



******



「運命とは自らが切り開くものである」
『物理的すぎるでしょ』

 この世は弱肉強食。今晩のご飯は焼肉定食。

「それにしてもさすがは、母さん。デバイスも詠唱もなしに遠距離からの精密射撃。公式チート乙」
『公式ってなんですか。まぁあのくらいでしたら、確かにマイスターには雑作もないことでしょうけど』

 母さんレベル高すぎだろ。さすがはラスボスの一角。

「世界的に見ても母さんってやっぱりすごいのか?」
『すごいですよ。魔導師ランクSというのは伊達ではありません。さらに条件付きでしたら、SSランクの実力もお持ちなのですから』

 へぇ、なんとなくすごいのはわかるんだけど、あんまり実感がわかないや。SランクもSSランクの魔法も実際に見たことがないからだろうな。頭ではわかっていても、漠然とした想像しかできない。

 原作でSランクだったのは、確かはやてさんだったよな。氷の魔法使ってたし、どこかのエターナル花粉症吸血鬼ぐらいの魔法ができるぐらいなのかね。基準がやっぱわからん。もうめっちゃすごいでいいか。


『で、ますたー。普通に会話してますけど、何か僕に言うべきことは?』
「ぱぱらぱっぱっぱー。アルヴィンの投擲スキルがレベル2にあがった」

 物理的に突っ込んできたので、転移で避けました。

『どこの世界に自分のデバイスブン投げて、攻撃するますたーがいますかぁ!?』
「コントロールには自信があるんだ」
『魔法のコントロール練習してよッ!!』

 俺、前世でも遠距離攻撃と攻撃避けんのは得意なんだ。水切りとか好きだったし、なぜかよくツッコまれるからそのツッコミを避けてたら、自然と身に付けたスキルたちだ。きっとこれから先も役に立っていくのだろうな。


『ますたーって、役に立ちそうな能力でも、残念な使い方しかできませんよね』
「あ、それは言いすぎだろ。俺だってちゃんと考えて使えてるはずだ」
『いきなり「デバイスを投げる」を選択するますたーが?』
「投げる以外の攻撃カードとか、俺ほとんど持ってないじゃん」

 子どもの立場を利用して、社会的に攻撃することはできるけど。

『……一応聴きますけど、ますたーの持つレアスキルの認識は?』
「どこでもドア」
『…………』

 ……なんで黙るんだよ。



 まぁこんな風にコーラルと駄弁りながら、木陰で涼んでいます。草の上で寝転がると気持ちぃし。母さんと妹は、休憩所の屋根の下で一休みしている。ここからさほど距離は離れていないため、お互いにすぐ視認できる。さすがに話声までは届かないけど。

 ここから2人をなんとなく眺める。妹と母さんはここらへんの地図を見ながら、おしゃべりしているようだ。次の目的地でも話し合っているのかもしれない。

 楽しそうにはしゃぐアリシアと、妹の勢いに押されながらも嬉しそうに笑う母さん。それは温かくて幸せな家族の光景だ。それなのに、その幸せを見るたびに、日々が過ぎていくにつれて、不安が押し寄せてくるのは俺が未来を知っているからなのだろう。


「……なぁ、コーラル」
『はい?』
「このままで、いいのかな」
『ますたー?』

 自分でも情けない声が出たなと思った。俺は、俺にできることをやっている。だけど、今のままで本当にいいのかと思ってしまうんだ。

 怖いんだ、この日常が壊れるのが。大切な人たちが消えてしまうのが。また……になってしまうかもしれないことが。


「あれからコーラルに、また何回か上層部の部屋に行ってもらっただろ」
『……えぇ』

 半年ほど前に俺は上層部の部屋にコーラルを向かわせ、映像証拠を撮った。それからも何回か同じように映像を記録していた。これがあれば保険になるかもと思ったし、いつ事故が起きそうになるのかの検討材料にもなるかと思ったからだ。

 だけど、それらの映像を見せてもらった時、正直いってまいった。コーラルから見せてもらった映像には、想像以上に劣悪な管理状況と上層部の思惑がはっきりと映し出されていた。この映像は証拠にはなるはず、だけどこれだけで本当に大丈夫なのか。不安の2文字がよぎる。

 事故は起きる。俺の中にある原作知識ではっきりと覚えていることだ。正直、俺というイレギュラーが入ったことで、もしかしたら事故が起きない未来もあるのではないかと思ったこともあった。だけど、漠然と理由はないけれど、俺はその考えを否定した。事故は必ず起きる、そんな予感が収まらなかったからだ。


「事故が起きたら、どうなるのかな」
『ますたー。事故が本当に起きるかどうかは』
「……じゃあ、もし起きても起きなかったとしても、母さんは大丈夫なのか」
『……裁判ですか』

 コーラルの言葉に俺はうなずく。事故や不祥事が起こったとしても、上層部のやつらは裁判になっても問題ないと話していた。それは裁判官を抱き込んでいるからであり、証拠も隠蔽しているからであろう。さらにそれらを後押ししているやつらも上層部以外にいる。

 原作で確か母さんは、裁判で訴えたが敗訴となり、ミッドチルダを追放された。さらに上層部のやつらは母さんにすべての罪を擦り付け、自分達は悠々と椅子に座り続けた。

 もし事故が起これば、当然責任問題が発生する。果たして主任である母さんを、上層部がスケープゴートにしない可能性はどこにあるだろう。もしかしたら他の開発メンバーのみんなに矛先が向くかもしれない。少なくともあいつらが捕まる可能性は低く、原作通り母さんに罪を被せる可能性の方が高い。

 この映像記録だけで、本当にいいのか。保険なんてそんな程度で、本当にいいのか。あいつらは母さんを潰す気だ。俺たち家族を潰す気なんだ。事故が起きない場合だって、真実を知る母さんを野放しする保証がどこにある。


「大丈夫じゃないよな、やっぱり。本当、……なんで俺の周りって理不尽だらけなんだろ」

 産まれた時から思ったことだ。不安に思った。なんでこんなにも壁がいくつもあるんだろうか。なんでこんなにも俺たち家族の先には、幸せが遠いのだろうかと思った。

 不安が胸中に広がる。だけど、不安以上に俺の心の奥にはもう1つの感情があった。それは徐々に不安すら塗りつぶすほどに大きくなっていくのを感じる。嘆くよりも純粋に感じる思い。

 俺は……かなりムカついていた。


「コーラル。俺さ、喧嘩とかも嫌いだし、悪いことだってしたくない」
『……はい』
「盗撮が犯罪なのはわかっているし、誰かを陥れる、不幸にすることがどんな理由があってもやっちゃいけないことだろうってわかってはいる」

 でも、母さんが泣いていた。これ以上泣かせたくなかった。笑顔でいてほしいと思った。

 けれどそれを邪魔するやつらがいる。なら簡単だ。そんなやつら、ぶっとばせばいいじゃん。

「ここまで俺たち家族に喧嘩を売ってくるのなら…買ってもいいよな? 俺たち家族を潰しに来るのなら、遠慮していたり、保険なんて後手にまわってちゃ手遅れになるかもしれないよな」
『……相手は組織ですよ?』
「真正面からぶつかるつもりなんてない。俺に足りないものなんていっぱいあるけど、だったら余所から持ってくるだけだ」

 俺に出来ることなんて少ないさ。でも、少ないだけで何も出来ない訳じゃない。出来ることを少しずつでもやっていけば、新しい道が見えるかもしれない。俺なりのやり方でぶっとばせばいい。なら、やるだけの価値はきっとある。


『ますたー、僕からも1ついいでしょうか』
「無茶だって?」
『まさか』

『ますたー1人じゃ心配ですからね。やるなら徹底的にやっちゃいましょう。僕はますたーのデバイスで家族なのですから』

 状況や未来は理不尽だと思うけれど、同時に本当に俺は恵まれているなと心から思う。

「いいのかよ、何させるかわかんねぇぞ」
『ますたーが変なことするのはいつものことじゃないですか。僕のますたーはこんなんですからね。デバイスの僕がしっかりやってあげないと』
「こんなん言うな」

 いつも通りのやり取りに苦笑する。よっしゃ、それじゃあ早速手を打っていくぞ。あいつらにぎゃふんぎょふん言わせてやる!



「お兄ちゃん、大変だよ!!」

 妹の突然の呼びかけに驚く。かなり切羽詰まっていることを声から感じ取り、俺は転移を使ってアリシアのもとへとんだ。

「どうしたんだ!?」

 俺が来たことに気付き、妹はあわあわしながら俺を引っ張っていく。そこは休憩所から少し離れた場所で、木々が犇めいている。母さんがその近くで、どこか困ったような顔で草むらに目を向けていた。

「お兄ちゃん、あそこの草むらで…」
「草むら?」

 俺は訝しげにアリシアが指差す先を見る。俺はアリシアの前に出ながら、様子をうかがった。母さんの近くまで近づくが、草陰で正体まではわからない。なので、率直に聞くことにした。

「何があったんだ」
「くいだおれていた」
「……ワンモアプリーズ」
「くいだおれていた」

 じゃあ、そっとしておいたほうがいいんじゃね? いや、胃薬ぐらいあげるべきか?

『いえ、ますたー。どうやら人ではないみたいです。反応からして動物ですね』
「動物? あ、母さん」
「2人とも離れていてね」

 母さんが草むらをかき分け、中へと入っていく。少しして、母さんが抱きかかえながら運んできたものに驚いた。妹がそれを見ながら、ねっ、くいだおれてたでしょ! と自信ありげに言っていた。

「いや、アリシアさん。それを言うなら、いきだおれていただ。おしいッ!」
「あ、まちがえちゃった」
『のんきに会話されますねー』

 しかし、行き倒れている表現も合っているのか? 母さんが腕に抱えてきた動物に、俺たちは興味津津に覗きこむ。とりあえず休憩所まで移動し、様子をみることになった。


 なんでも妹が休憩所の近くで遊んでいたら、鳴き声が聞こえてきたらしく、それで見つけたみたいだ。アリシアはその動物を見つけ、母さんと俺を呼びに来たらしい。今はベンチの上で静かに横になっている。胸が小さく動いているから、生きてはいるみたい。よかった。

 しかし、まさかここで登場するとは。たぶん本人? だと思うけど。母さんとアリシア以外の原作のお方。俺が原作知識でテンションが上がったお方。まさにもふもふだ! 肉きゅうぷにぷにだ!

 ねこだ! もふもふだ! にゃんこだぁーー!!


「ねこさんどうしたのー?」
「やべぇ、もふもふだ! ぬこだ。やまぬこだ。いや、この場合こやまぬこ?」
「えっと、こねこだから、こやまねこじゃないかしら」
『とりあえず外傷はないようですが、衰弱しているみたいですね。意識もありません。親はどうしたのでしょう? 近くに反応はないみたいですが…』

「ねーこー?」
「母さん、ねこはぬことも呼ばれてるんだよ。ぬこぬこ。あ、この子メスだ。ほらついてない」
「そうなの? ぬこぬこ。あら、ほんとメスみたいね」
『聞けよ、天然ども』



******



「本当によかったのか、アリシア」
「うん、だってねこさん心配だったもん」

 そっか、妹が納得しているならそれでいいか。猫を拾って、それからどうするかを話し合った。このまま自然に帰すにしても子猫だし、親も見つからない。そんな状態でまた山に帰しても、生きていくのは難しいだろう。

 なら、俺たちに出来るのは実質2つだけだ。拾うか、見捨てるか。まぁこの選択に関しては、そこまで困らなかった。妹は猫を気に入っているようだし、俺はもちろん賛成。母さんも最初は困った顔をしていたけど、了承してくれた。

 見つけて、拾ったのは俺たちだ。頭を下げて2人でお願いした。俺たち2人の5歳の誕生日プレゼント。新しい家族が今日できることになった。


「えへへ」
「嬉しそうだな」
「うん!」

 妹は元気よく返事をする。その笑顔が本当に眩しくて、見ていてこっちも嬉しくなる。妹パワーか。シスコンでいいや、俺。もう紛れもないシスコンだわ。かわいいは正義。


「そうだ、名前つけなくちゃ」
「え、もうつけるのか?」
「名付けは三文の徳!」
「早起きです」

 新しい言葉をどんどん使っていきたいのはわかるけど、落ち着きなさい。前に晩御飯でお茶飲む時「君の瞳にかんぱい」とか言って、俺と母さん噴出させたばかりだろ。使いどころ違うから。

 妹はそうなんだー、とうなずきながら猫を眺めている。名前を考えているのだろう。俺はこの子につくだろう名前を予想出来る。原作の登場人物なら、おそらく彼女の名前は…。


「りにす…。うん、『リニス』がいい! かわいいでしょ?」
「リニス。あぁ、ぴったりじゃないか?」
「やった! リニスー!」

 妹は何度もリニスの名前を呼び掛ける。俺も真似してリニスに呼び掛けていた。

 初夏のこの日、テスタロッサ家にリニス(子猫)が加わりました。

 

 

第十話 幼児期⑩



「「いただきまーす」」

 俺とアリシアは手を合わせる。目の前にはおいしそうな朝ごはん。ふわふわのオムレツと新鮮なサラダに柔らかそうなパンがテーブルの上に置かれている。

「はい、どうぞ」

 母さんが俺たちの分をよそってくれる。ミッドチルダでの食事は、地球でいうところの洋食系が多い。和食系もあるといえばあるが、たまにはという感じだ。まぁ俺自身食べたくなったらお願いしているけれど。

 それにしても、美人で仕事もできて料理もうまい母さん。さらに魔導師として優秀で家族思い。理数系もお手の物。漫画ぐらいでしか見られない様なステータスだぞ。実際アニメで漫画でもあるんだけどさ。

 転生したとはいえ、頭の出来はちょっと受け継ぎたかったな。一応両親2人とも科学者なんだしさー。むむー、科学者か…。


「アルヴィンどうしたの? 難しい顔して」
「母さん、今からでもファンタジー系の魔法作れない?」
「魔法体系の根本から否定してきたわね…」
「俺の転移なんてあっち行きたいでとんでいくのに」
「そのレアスキルの方が、本当はおかしいのよ」

 母さんがちょっと遠い目をしながら答えてくれた。やっぱりこのレアスキル、まじで便利だよな。もしかすると俺のファンタジー願望が、レアスキルにも移った可能性があるかも。イメージや想像力がだいじだー、とか。

「生まれて4日でいきなりベビーベッドから忽然といなくなることがあったわね。少しして病院の廊下で、ころころ転がっているのが発見された時は、心臓が止まるかと思ったわ」
「お兄ちゃん、赤ちゃんの時からほーろうしてたんだ」

 いえ。ただ単に暇になってあっち行きたいなー、って思ったら転移しちゃっていただけです。

「覚えてないわよね。まさかレアスキルが生まれてすぐ使えるなんて」
「あはははは」

 ごめん、めちゃくちゃ覚えてる。死神に「いつでも」ってお願いしたから、生まれてすぐにでもできたんだろうな。いきなり場所が変わってびっくりしたなー。

 なんだかんだで要望通りの能力あるよな。とあるに登場する白黒さんみたいな演算とかあったら、本格的に泣いていた確信が俺にはある。むしろつんでいた。サンキュー、便利仕様。


「……あなたって結構結果オーライな性格よね。しっかりしているとは思うけど」
「そうかな?」
「そうよ。あなたは産まれた時から……、えぇ、本当にいろいろあったわね…」

 母さん、そんなにも遠い目をしないで下さい。心当たりありすぎるけどさ。



「にゃー」
「あ、リニスおはよう!」

 寝室の扉の開いた隙間から、1匹の子猫がリビングに現れた。アリシアが挨拶すると、また一声鳴いて返事をしている。俺たちの5歳の誕生日に拾った山猫のリニスである。

「お、リニスおはよう。よしよし俺から朝ご飯のネコフードを進呈してあげよう」
「しゃー」

 威嚇された。

「にゃーにゃー」
「あら、お腹がすいたの? 今用意するわね」
「ふにゃぁー」

 母さんがそう言って立ち上がると、嬉しそうにごろごろ言っている。薄茶毛の毛並みはもふもふしており、母さんの足をすりすりと身体を寄せて、甘えていた。かわいい。けど、おかしい。絶対おかしい。

「くっ、こうなったら猫じゃらしはどうだ! リニス、これであそ―――」
「ふしゃァァー!」

 もっと威嚇されました。



 朝ご飯を食べ終わり、食器を台所まで運んで片づける。視線の先には、アリシアがリニスを抱っこしていた。妹はもふもふの毛並みに気持ちよさそうにしている。時々顔をずむっと埋めて、堪能していた。リニスは母さんとアリシアにはすごく懐いているのだ。

「なぜだ。なんでこんなにも警戒されてるんだ」
『自業自得な気もしますが…』

 あ、おそようコーラル。なんかぼろぼろになってないか。

「って、待て。自業自得とはどういう意味だ」
『そりゃ、ファーストコンタクトがあれでは仕方ないですよ』

 えっ、俺なんかしたか。

「もふろうとしただけじゃん」
『……わかってるじゃないですか』
「え、なんで。あんな立派なもふもふだぞ。もふるだろ。数年間、俺は禁もふ生活していたんだぞ」
『そのよくわからない執念感じて、警戒されちゃったんでしょうが』

 そ、そんな馬鹿な! 俺のこの溢れるもふり精神がぬこ様に届き過ぎてしまったというのか!?

 俺はその事実にガクッと項垂れる。そんな俺の様子にコーラルが慰めるように、俺の隣に来て声をかけた。

『あのますたー。もともと山猫はあまり人に懐かない、気ままな動物ですから。そんなに気を落とさずに頑張りましょう。きっといつかもふらせてくれますよ。きっと、たぶん、おそらく』
「慰めてるのか、追い打ちかけてるのかどっちだ」

 でも、そうだよな。諦めたらそこで試合は終了だよな。ありがとう、コーラル。俺もふるよ。頑張ってもふってみせるよ。


「にゃー」
「『え?』」

 すぐ近くで鳴き声が聞こえて来たので振り向くと、そこにはリニスさんがいた。まさかいきなりのチャンス到来ですか。落ち着け、俺。ここでもふり魂を発揮したら、今までの繰り返しだ。俺は息を整え、真っ直ぐにリニスと向き合った。

 コーラルもじっと静観している。あぁ見ててくれ、相棒。俺は……やってみせるよ。


「リニ―――」
「うにゃぁー!」
『え、ちょッ…! なんでまた僕に襲いかかって来るのですかァァーー!?』

 リニスがコーラルを咥えて、駆け抜けていった。俺、素通りされた。というか「また」ってどういうことだ、コーラル。

 俺は視線をリニス達に向ける。そこにはコーラルを投げたり、ころころ転がしながら戯れて遊ぶリニスの姿があった。おそらく朝もコーラルで遊びまくったのだろう。今は食後の運動とでもいうように、元気よく遊んでいる。リニスはすごく楽しそうだ。にゃーにゃー言ってる。


「……コーラルの裏切り者ォー!!」
『裏切ってなんかないですよォ! というか助けて下さァーい!!』
「うるせェ! もふもふできているくせに! 肉きゅうにぷにぷにされているくせに!」
『楽しんでいるのリニスさんだけですよ!? 遊んでいるじゃなくて遊ばれてるのですよォ!?』
「俺なんて遊ぼうとしたら逃げられるんだぞ! それだったら俺も遊ばれたいよ!!」
『大声で何とんでもないこと叫んでるの!?』

 ひどい光景だった。



******



 これは1人の少年と1匹の猫の軌跡である。


 ――リニスが来てから1週間後――


「リニスー、おやつだぞー。欲しくないかー?」
「にゃう?」

 アルヴィンはおやつを片手にリニスに近づく。古今東西、動物を懐かせるために必要なことは何か。そう、それは餌付けである。

「さぁ、欲しいだろう。遠慮することはないぞ」
「……にゃぅ」

 警戒はしているが、視線はおやつに集中している。リニスが恐る恐る近づいてきたことに、アルヴィンは心の中でガッツポーズした。やっぱ餌付けだよね。先人の言葉は偉大だ、と心から誉めたたえていた。

 だから気付かなかった。リニスの目は明らかに家猫の目ではなく、野生溢れる狩猟の目であったことを。


 結果:狩られた


 ――リニスが来てから2週間後――


「おやつは駄目。おもちゃも駄目か…」

 アルヴィンは悩んでいた。先日おもちゃを用いて再戦したが、隙をつかれてまたしても狩られてしまった。猫に狩られる少年。数日間続くやり取りは、テスタロッサ家の日常風景の1つに収まりそうになっていて、さすがの少年も焦っていた。

 おのれあくまで野生根性で攻めてくる気か、あのアマゾネス。だが、そこまで考えてアルヴィンは気づいた。もう1つ動物をおとなしくさせる方法を思い出したのだ。しかし、それは動物好きな己にとっても出来ればやりたくないことであり、相手は猫でしかも女の子だ。

「わかっている。だけど俺は……もふもふしたいんだ」

 アルヴィンは決意する。野生を相手にする場合の対処法。そう、それは相手を屈服させることだった。


「悪いな、リニス。今日の俺は覚悟を決めたんだ」
「にゃ…」

 リニスも今までとは相手の気迫が違うのを感じ取る。だが、それに怖気づくことはなく真っ直ぐに見据えている。対格差はアルヴィンが勝っている。だが、俊敏性を生かした速さはリニスに軍配があがるだろう。

 そして、2人は激突した。


 結果:猫パンチ炸裂


 ――リニスが来てから3週間後――


「猫に負けた…」
『本気で落ち込んでますね』

 猫に本気の勝負を挑んで負けた少年。さすがに彼のデバイスもなんと声をかけていいのかわからず、戸惑っていた。

 アルヴィンはこれまでの戦いを振り返る。素早く動く薄茶色の閃光に翻弄され、最後は猫パンチを顔面に食らった。少年がこの戦いで思った感想が1つある。

「良い肉きゅうだった…」
『実はあんまり堪えてないでしょ』

 だてに半月以上挑み続けてはいなかった。

「リニスの強さはあの速さだ。あのスピードをなんとかしないと…」
『というか、なんでそこまでしますかね』
「意地」
『……簡潔で』

 最近のスケジュールとしては、みんなで遊んだり、勝負したり、情報収集したり、ご飯食べたり、コーラルが隠密発動したり、修業したり、ある人にメッセージを送ったり、お昼寝したり、放浪したりしていた。


「そういえば、今日同僚さんが家に来るんだっけ。久しぶりだな」
『またお酒飲まれそうですね』
「テンション高いもんな…。前に来た時は『出会いがなさすぎるぅ!!』って母さんに泣きながら絡んでいたっけ」

 麗らかな独身女性を、少年とデバイスは思い浮かべる。最近の彼女の趣味はワイン集めらしい。そういえば噂でMyワインも持っており、名前も付けて愛でていると聞いたな、とアルヴィンは思い出す。

 以前男だからと、4歳児相手に「太ももが太い女性ってどう思う?」と真剣に相談しに来るような女性である。ちなみにその時の少年の返答は「いいと思いますよ。俺は細すぎるよりかは、健康的な女性だと思いますし」とまじめに返していた。おい、4歳児…。


「同僚さんっていつも全力全壊だよな…」
『方向性さえ間違えなければ、本当に優秀な方なのですけどね…』

 「同僚さんかー」と呟くと、ふいにアルヴィンは考え込む。コーラルは自身のマスターの行動に不思議そうに疑問をこぼした。

『どうしました』
「俺、リニスに本気で向かっていたつもりだったけど、どこかでセーブしていたのかもしれない。同僚さん思い浮かべたら、そんな気がしてきた」

 事実、アルヴィンは自身にある能力を使っていなかった。己の身体1つで立ち向かっていた。さすがに猫相手にそれは大人げなくね? と思っていたからだ。だが、果たしてそれは本当に全力だったといえるのだろうか。その問いに彼は眉を顰める。違うとそう感じたからだ。

「そうだ、俺は弱い。猫よりも弱い。なのに本当の全力を出さないなんて、俺はバカだった」
『いや、なにもこんなことでそんな悲しい宣言しなくても…』
「俺にはレアスキルがあるんだ。不意打ち上等。スピードも関係ない。転移してもふってやる!」
『えっとー、もういいや。いってらっしゃい』
「ふはははは。今日こそ年貢の納め時だー!」


 結果:転移であらわれた瞬間、飛び蹴りを食らった


 ――リニスが来てから1カ月後――


「俺、お、れ……」
『ますたーもう諦めましょうよ。リニスさんはきっと産まれる星や種族を間違えた方なのですよ』

 さすがに転移も効かなかったことには、落ち込んだアルヴィン。日に日に反応スピードが上がっていると感じていたが、まさか一瞬で蹴りを食らわしてくるほどの女傑だったとは。少年は自らの未熟さを痛感した。

「世界って広いな…。俺ってこんなにもちっぽけな存在だったんだ」
『そのセリフ絶対こんな場面で使うものじゃない。やめたって誰も咎めませんよ? むしろやめましょうよ』
「やだ」
『ますたー』
「だって、……家族なんだ。もふもふしたいのは本当だけど、このまま諦めたらリニスに認めてもらえなくなるかもしれないじゃん。俺はそれが、それだけはいやなんだ」

 ばかでも、意地でも、譲らないとそっぽを向くマスターに、コーラルは呆れながらもこれ以上止めるつもりはなかった。自分のマスターの頑固さと意地っぱりさ、そして根性に折れたからだ。

『仕方ないですから、僕もお手伝いしますよ』
「ほんとか。何か手があるのか?」
『レッツ魔法』

 すごい百面相が見られた。

「……いいだろう。俺だってな! ここまで追い詰められたらやってやろうじゃねぇか! 三角形の面積ぐらいなら俺だって解けるんだぞ!!」
『……嬉しいはずなのに、なんでこんなにも複雑なのでしょう。あと魔法が使えるまで、ものすごくゴールが長い気がするのは気のせいにしたい』

 後にこのクエストが、半端ないぐらいの難易度であったとコーラルは語る。例え無理ゲーをしたとしても、あの時に比べたら……と乗り越えてしまえるぐらいのものだったらしい。


「やってやる! もふっともふっとずむずむにゃーん してやるんだ!!」
『え、何そのかけ声』


 ――リニスが来てから1カ月半後――


「にゃ! にゃにゃ!」
「リニス今日も元気だねー」

 アリシアはソファに座りながら、リニスの修行風景を眺めている。1日の鍛錬を彼女は欠かすことなく行っている。部屋を駆け抜け、速さを磨く。猫パンチを繰り出し、鋭さを培う。

 普通猫にこんな修行はいらないのだが、リニスが楽しんでやっているのがわかるため、アリシアは止めるようなことはしない。むしろどこか生き生きして取り組んでいる彼女を見て、微笑ましそうに思っていた。

「……みゃう」

 アップも終わり、身体もだいぶ温まったらしい。満足そうに毛づくろいをした後、彼女は軽い足取りで目的地へと向かった。日照りの暑さがなりをひそめる時間。これぐらいの時間帯になると、そろそろテスタロッサ家恒例の日常風景が始まるからだ。

 和やかな一時。彼女のしっぽは、小気味よいリズムで振られていた。



******



 ――リニスが来てから2カ月後――


「ジャックの豆の木って本当にあったらすごいよな」
「ジャックさんってだれ?」

 質問されたので、妹に童話の説明をする。暇な時、俺は前世で読んだことのある物語やお話を妹に教えている。桃から生まれた桃の人の話や、それ関連で桃姫のさらわれ旅行記や、桃電の貧乏神あんちくしょうの話もしたことがある。

 さっきまでぼんやり眺めていた駆動炉を見ていて、童話をふと思い出した。前に風を感じるために転移した時も思ったけど、ミッドって高いところ好きだよな。まじで雲まで届きそうな建物多いしね。


「ジャックさんはすごいんだぞ。天まで届きそうな豆の木をちょっくら登ってみようで登りだす人だ。命綱なしで。しかも結構頻繁に、短時間で。お前どこの伝説のクライマーだよってぐらいだ。しかも最後は豆の木を斧で切り落とすんだぜ。どんなパワーだよ」
「お兄ちゃんがツッコんでる」
「大きくなると自然とこうなる」

 まだまだ純粋な妹のままでいてくれ。昔話は大きくなるとツッコミどころ満載過ぎて、話の内容よりそっちの方が気になりだすから。不思議だ。

 妹はへぇー、という感じで感心している。話が終わると、アリシアはベランダに目を向けて、空を仰いだ。

「お空まで木が生えるんだー」
「らしいぞ。さらににゅるにゅる伸びるらしい」
「へびさんみたい!」

 相変わらず動物関連には反応はやいなー。いやはや。

「そーれ、にゅーるにゅーる」
「にゅーるにゅーる!」

 なぜか二人で不思議な踊りを踊っていた。妹とにゅるにゅるで白熱した。



「リニスも一緒にやるか?」
「ふっ」

 このにゃんこ鼻で笑いやがった。ソファの上でごろごろしていたリニスにお誘いをかけたら振られた。だんだん容赦なくなってきた気がする。というか猫なのに、かなり感情表現がわかりやすくなった。なんでだろ。

 あれから何度か立ち合ったけど、猫なのになんでこんなに強いの? 異世界の猫は、実はとんでもない進化をしているんじゃないかと最近思う。それにしても、まったくデレ期が来ないよ…。


 ちょっと打ちひしがれていた俺の隣から、妹がきらきらした目でリニスを見ていた。リニスもその視線に気づき、微妙に焦っている。あっ、これはいけるかも。

「リニスもやろー? 面白いよ」
「ふにゃ!?」
「そうだ、そうだ。面白いぞー。アリシアの誘い断る気かー」

 便乗した俺の言葉にリニスが唸る。唸りながらアリシアをちらちら見ている。彼女の中でおそらくすごい葛藤があったのだろう。

 今まで見ていて思ったんだが、実はこのお猫様、女の人には優しいのだ。逆に男の人には警戒心が強く出るらしい。前に上層部のやつらに出くわした際、爪で一瞬にして髪の毛をご臨終させていた。あれはかっこよかった。

 まぁつまり、リニスは女の子大好きだから悲しませることだけは絶対にしない。その優しさをもうちょっと俺にも分けて欲しいけど。


 少ししてリニスはソファから起き上がり、俺たちの近くまで移動した。静寂が包むリビングで、ごくりと誰かが唾を飲み込む音が響いた。リニスのその目は、まさに覚悟を決めたものの目だった。


「ふ、ふにゃぁぁあああぁぁん!!」

「な、なんてすごいにゅるにゅるなの!?」
「タマだ! 磯○さん家のタマがいる!! ちょッ、カメラどこだ!?」
「負けない。私だってェー!」
「えっ、競うのォ!? これ競うものだったの!? えぇい、俺だって負けるかぁーー!!」
「うにゃぁぁーー!!」

 すごい光景だった。



 踊り疲れた。とりあえずお茶しばいて休憩しました。

「……すごかったね」
「若いってすごい」
「にゃー」

 テンションって時々怖ぇ。リニスさん最初はやけくそっぽかったけど、後半はみんなでなぜかパラパラを踊っていた。いや、ほんとになんでだろう。


「でも、お豆さんもすごいよね」
「あぁ、うん。確かに天まで伸びるんだから、豆もすごいか。でもものすごくケチ臭いよなー」
「そうなの?」

 そういえば、童話の話してたっけ。いや、でもやっぱりケチ臭いだろ。確かあの豆は掌サイズだったはずだ。

「空まで続くでかい木なのに、豆は普通に粒なんだぜ。そこは奮発しろよ。おっきい豆とか」
「おっきいお豆さん?」
「そうそう」

 明らかにそう思うだろう。そんなにもでかいんだったら、当然豆も大きくていいはずだ。妹も大きい豆に興味をもったみたいで、わくわくしている。リニスもアリシアの膝の上に丸まりながら、耳がぴくぴく動いていた。

「そういえば豆って、袋の中にいっぱい入ってるんだ(果皮のこと)」
「お豆の家族さん?」
「そうそう。そんで袋から豆が飛び出すんだぞ(繁殖のために)」
「飛び出すの!?」



 199X年 広大な大地の上に、1本の豆の木がそこにはあった―――

 巨大な豆の木に実る無数の巨大な豆。そしていっせいに袋から飛び出していく。飛び散る豆流星群。空から飛来する豆ミサイル。それはまさしくメテオのごとく。阿鼻叫喚の世界。めり込んだ地面からまた生える巨大な豆の木。エンドレス。

 ―――世界は豆に包まれたのだった。



「……いや、おっきい豆なし」
「えー」
「いやまじなし。うん、さすが童話だ。きちんと考えられているんだな」
「そうなの?」
「みー?」
「あぁ。豆が小さい理由が、お兄ちゃんわかったよ」

 童話って意外に深かったことに感動した、午後の日のことであった。



******



「ただいま…、あらあら」
「あ、おかえりなさいお母さん。今日は早かったんだね」

 嬉しそうにプレシアのもとへアリシアは歩み寄る。プレシアは娘の言葉にうなずきながら、リビングの奥の方へ目を向ける。そこには珍しく寝息をたてているアルヴィンが、お昼寝用の布団の中で丸まっていた。

「寝ちゃってるの?」
「うん、だからしぃーなの。お兄ちゃん、にゅるにゅるダンスの後にお豆の家族さんがミサイルになるのにびっくりして、その後リニスとけっとーして、ひでぶにされちゃったの。それで疲れて寝ちゃった」
「(……働いて私の頭脳。今こそ娘の言葉を全力で翻訳するのよ)」

 お母さん頑張った。とりあえずいつも通りの日常だったのだろうと予想をつけた。合ってる。

 2人で小声で話しながら、アルヴィンの寝顔を覗きこむ。いつもはっちゃかめっちゃかしているが、どこか大人びたところのある少年の顔は、年相応の幼さが見えた。プレシアはそれに小さく笑うと、息子の黒髪を手で優しく撫でていた。


「アルヴィンもリニスも元気よね…」
「でも楽しそうだよ」
「ふふ、そうね。リニスももう素直になったらいいのに」

 そう言って、アルヴィンの隣で同じくすやすや眠る子猫に目を向ける。アルヴィンと一緒で疲れていたのだろう。お互いに寄り添いながら布団に身を寄せていた。


「2人とも意地っ張りなんだから」
「お兄ちゃんとリニスは仲良しだもんね」
「えぇ、家族ですもの」

 プレシアは少しずれた布団をかけ直してあげながら、笑みをのぞかせた。

 

 

第十一話 幼児期⑪



 ついにこの日が来たか、と少年は心のどこかで思っていた。


「アルヴィンはどうしたい?」

 そう問いかけてくる男性を、アルヴィンはただ静かに見つめていた。ようやく歩くのも話すのもおおよそできるようになった時期。このぐらいになると自我が芽生え始め、自分の意思を主張することができる。

 だから、わざわざ2歳の子どもにも聞いてくれたのだろう。大人だけで決めずに、少年の意思をこうして目を合わせて真剣に聞いてくれる。この男性といた2年間で、アルヴィンは男性の性格をある程度理解していた。

 仕事馬鹿で、責任感もある。けど色々ルーズすぎて、見ていて心配になるところもある。あまり一緒にいられる時間は多くなかったけれど、時間の限り遊んでくれた。子ども好きで、……優し過ぎる人。


「……俺は」

 この問いかけの答えは2つ。だからこそアルヴィンは言葉に詰まる。今の年齢通りの思考だったのなら、この男性の質問の意味もわからなかっただろう。応じた答えによってどう未来が変わるのか想像もできなかっただろう。

 だけどアルヴィンには、それを思考することも想像することもできた。いつか来るかもしれないと、この日を予想していたのだから。彼なりにこの未来を回避するために動いてはいた。


 もともと仕事の関係上、お互いに忙しい身だった。顔を合わせる機会が減るにつれ、互いに遠慮し出すようになるぐらいには。それでも子どもがいるのだからとやり繰りをしていたが、それに止めを刺したのは、駆動炉の開発の主任に彼女が選ばれてしまったことだった。

 寮生活になり、今住んでいるクラナガンを離れる必要がある。しかし彼はクラナガンを離れられない。それが、今まで以上に2人の距離を開けてしまった。

 でも2人が随分悩んでいたのを知っていた。最後の最後まで俺たちを心配して、何度も話し合っていたのがわかっていた。だから、アルヴィンはどんな結果になっても、それを受け入れることにしていた。


 そして受け入れたからこそ、この2択が自身に迫られることも理解していた。アルヴィン自身、彼が嫌いではない。むしろ好感を持っている。どこかほっとけないし、1人にさせるのは心配だと思っていた。それに双子の妹は彼女と一緒じゃなきゃいやだ、と絶対に譲らなかった。

 大切な妹と離れ離れになるのは寂しいが、それでもこの男性のためなら我慢できるほどには、アルヴィンにとって大切な人だった。


「ごめんなさい…」
「……そうか」

 それでも、アルヴィンは選んだ。男性の表情が一瞬、寂しげに映ったことに揺らぎそうになりながらも、ずっと決めていた答えを口にした。

 迷いはあった。でも、譲れないものがあった。将来いやなことや、辛いこともあるかもしれない。誰かを失うことや、今度こそ本当に死んでしまうかもしれない。だけど、自分が選択して決めたことだけは、絶対に後悔だけはしないと心に誓ったから。


「あ、でも。お願いはある」
「お願い?」

 突然の頼みに男性は目を白黒させる。まだ言葉を話すのはたどたどしいが、それでも伝えたいことが少年にはあった。アルヴィンは相手の反応に小さく笑いながらも、大きくうなずいた。

「俺、作ってほしいものがある。で、やっぱりすっごいのがいい」
「作るって……私の仕事関係か?」
「うん」

 アルヴィンの急な申し出に、男性は驚きながらも同時に少し嬉しかった。この少年はあまりわがままを言わない。謎の行動力を発揮することはあるし、唐突に話題をふってくることはあるが。少ないわがままが今までになかったわけではないが、自分のためのわがままはほとんどなかった。


「まほぉー使ってみたい! ビーム撃てる!」
「いや、ビームは危ないんじゃないか。もう少し簡単な魔法から使った方がいい」
「じゃあ、……SMプレイ?」
「待て、アルヴィン! どこでそんな言葉……しかも、なんで今の会話からそうなる!?」

 いや、だってなのはさんが……と呟きかけた少年は慌てて口を閉じる。なのはさんって確かビーム使う前に、敵相手に縛りプレイしていなかった? ぐるぐる巻きにしていた気がするんだけど、と超あやふやな記憶から思考する少年。アルヴィンの中にある魔法のイメージに、彼は冷や汗を流した。


「いいか、魔法はきちんと教えてもらいなさい。絶対に1人で使おうとしない。……あぁやっぱり心配だ」
「だいじょーぶだよ」
「その自信はどこから来るんだ」

 子ども相手に少し熱くなりすぎたかな、と思いながら男性は嘆息する。しかし、少年はにこにこと笑みを浮かべていた。自信ありげに伝えたのは、何も根拠がなくて言った訳ではない。転生云々もあるが、なによりもアルヴィンの周りには魔法に詳しい人が多いことが要因だった。

「みんな教えてくれるでしょ?」
「……まぁ、事故が起きたらまずいからプレシアが教えるだろうが」
「ん」
「ん?」

 突然アルヴィンに指をさされて、戸惑う。人に指をさしてはいけないと今教えるべきか、とちょっと悩んだ。


「教えてくれるでしょ?」

 再度同じ言葉を投げかけられ、ようやくこの少年のいう『みんな』に彼自身も含まれていることに気付いた。もう子どもたちに会えるのかはわからない。だから最後のお願いだと思ったからこそ、アルヴィンの願いを聞き入れてあげようと考えたのだから。

「アルヴィンそれは…」
「プレゼントの使い方は、作った本人がいちばん知ってる。もしかしたら、壊しちゃうかもしれない。だから、魔法と一緒に教えてね」
「もう会えるかはわからないんだ」
「じゃあ、話そう。確か、あれってメッセージとか送れたでしょ。作って終わりじゃなくて、ちゃんと修理や保険付きにもするべし」

 だからどこでそんな言葉を…、と頭を抱えながら男性はアルヴィンの意図を理解した。何も考えていないようで、なんだかんだで考えている子だから。そして、それがこの子らしいやり方で、ただでは起き上がらない子だと改めて認識した。


「俺がちゃんと使えるか心配でしょ?」
「……あぁ」
「連絡するから。忙しくても遅くてもちゃんと返信プリーズね」

 彼は自分がこの子たちの―――として相応しくなかったのではないかと思っていた。仕事ばかりでほとんどかまってもあげられなかった。だから、彼女と離れたらそのまま関係を断とうと思っていた。

 彼女ほど素敵な女性ならきっと新しい家族も作れるだろう。自分よりもっと幸せな家庭を築けるかもしれない。昔の男と関係があれば、その分難しくなると考えたからだ。


 だというのに、アルヴィンの言葉を拒否することができなかった。アルヴィンのためにという理由をわざわざ作って、関係を継続させようとする提案に。わかっていても、本当は心の中で望んでいた。それがわかっているからこそ、男性は何も言えなかった。このわがままが、自身のためのものでもあると薄々感じていたからだ。

「おまえは、相変わらずわがままを言わないな」
「ん? 今言ってるじゃん」
「……そうか。ならせっかくのお願いだから、最高のものをプレゼントしなくてはな」
「やった! ありがとう!」

 一度は手放しかけた想い。そこにはお互いに、穏やかに笑い合う彼らの姿があった。



 ちなみに数年後

『うわぁああぁぁん! あんなの魔法じゃねぇよ!! 昔から馬鹿よりあれすぎると言われてきた俺に喧嘩売ってんだろ!? 魔法なんて名ばかりの知恵熱、または悟りの道開くための量産機だろォ!!』
『アルヴィン本当に落ち着け! あ、あれだ! 魔法使えるために簡単な問題集見繕ってあげるから!!』
『魔法はクリーンな力ですってなんだよ!! 俺の頭クリーンにする気か!? 魔力やリンカーコア云々よりも前に馬鹿には使えませんぐらい注意書きしとけよ!!』
『大丈夫だ! できるから、いつかできるようになるはずだから!! 魔法……いや、理数は私にまかせなさい! とりあえず今日はここの化学式を教えてあげるから…』

 なんだかんだで彼らの関係は続いている。……最初の思惑とはちょっと…うん、ちょっと違った形になりながらも。



******



「お兄ちゃん、こんな感じでどうかな?」
「お、いいじゃん。アリシアもだいぶ書けるようになったな」
「にゃーにゃ」
「リニスもほめてくれるの? ありがとう」

 アリシアの膝の上に乗っていたリニスも、満足そうに鳴いている。テーブルの上には便箋が広げられ、俺たち2人はそこに今までに習った文字を書き込んでいる。半年ぐらい前までは短文で精一杯だった妹も、かなり上達している。

 季節的には秋に入り、太陽が沈む時間も夏に比べて早くなった。晩御飯もお風呂も終わり、後はもう寝るだけだ。今日はリニスとの決闘も一時休戦し、みんなで手紙に書く文章をずっと考えていた。去年のこの時期は紅葉や銀杏といった秋の風物詩を2人で拾って、工作を作っていたな。

「せっかくだからこの前のピクニックのことも書かないか?」
「うにゃ!」
「リニスも賛成だって」
『後はそうですね…。料理について書かれてもいいのではないでしょうか』
「それもいいな」

 コーラルの提案を忘れないように、脇に置いておいたメモ帳に書き込んでおく。今年のプレゼントは何にしようか悩んでいたが、アリシアから手紙を書こう、と案を出されたがなかなかいいアイデアだ。


「お母さんの誕生日もうすぐだね」
「だな。アリシアも読む練習しとけよ。本番はこの前みたいに噛まないようにな」
「むー、あれはちょっと間違えちゃっただけだもん!」

 前に絵本を音読している時に、噛んだことを思い出したのだろう。少し恥ずかしそうにしている。唇を尖らせる妹に苦笑しながら、ごめんごめんと謝っておいた。


 そんなやり取りをしていた最中、コーラルが何かに気付いたのか点滅する。不思議に思い、視線を向けるとそっと俺の方に念話をとばしてきた。

『……ますたー。どうやら来たみたいです』

 コーラルの言葉に俺は目を見開き、小さくうなずいた。そろそろ来る頃かもしれないと思っていたが、ついに来たか。そんな俺の様子にアリシアとリニスが揃って首をかしげていた。

「お兄ちゃん、どうしたの?」
「あ、大したことじゃないさ。さて、そろそろ寝ないとな。続きはまた明日だ」
「えー、もうなの」
「アリシア朝起きるの苦手だろ。そろそろ寝ないと朝起きれなくて、母さんに笑われるぞー」

 俺がそう言うとしぶしぶ筆記用具の片付けに入った。リニスも散らばった便箋を集め、運んでいる。なんだかんだで素直な妹の姿に、俺も口元に笑みを浮かべながらそれを手伝った。テーブルの上を綺麗にして、俺はアリシア達に声をかけた。

「よし、これでOKだな。俺はまだやることがあるから、先にベットに行っといてくれ。それじゃあおやすみ、アリシア、リニス」
「え、今日も一緒に寝られないの?」
「ごめんな、問題集がまだちょっと終わらなくて。理科なんか全部生物にすればいいのに。科学も物理もいらな…ごほんっ。とにかく明日は絶対一緒に寝るから、今日もリニスと一緒に寝てくれるか? リニスもいいかな?」
「……にゃーう」

 俺の言葉に仕方がないわね、というようにリニスは一声鳴いた。リニスは何となくだろうが、俺たちが何かをしているのに気付いているのだろう。アリシアの傍まで行き、抱っこされると寝室へ向かおうと妹に向かってもう一鳴きしていた。


 最初はこんな風にばらばらに寝ることはしていなかったが、リニスが来てからは時々アリシアと一緒に寝てもらっている。5歳になった今、俺自身やらなければならないことがある。足りない時間を夜に使うようにしたのだ。

 リニスとの戦いは未だに継続中だが、それなりに認識はしてもらっているらしい。だって挨拶してくれるようになった。まじで嬉しかったです。

 やっぱり上層部闇討ちでちょっと仲良くなったからかな。俺が転移でリニスを運んで、俊足のもとに無慈悲に毛刈りを行い、認識される前には風のように去っている。まさに辻斬りカット。転移させる時に、ちょっともふっと出来るのが幸せです。


「俺も少ししたら寝るからさ」
「むー、わかった。……お兄ちゃんだってお寝坊さんしてお母さんに笑われても知らないからね」
「ありゃ、それは手厳しい。その時はフォローをお願いします」
「やーだ」

 アリシアの返事にガーンって効果音がついた様な顔をすると、くすくす笑っていた。ちょっといじられたらしい。だって俺がジト目で見ると、妹は舌をペロッと出してきた。まったく誰に似たんだか…。

「それじゃあ、おやすみ! お兄ちゃん、コーラル!」
『はい、おやすみなさい』
「にゃー」

 妹はそのままいたずらっ子な笑みのまま寝室へとパタパタと入っていった。なんか素直でかわいい妹であることは変わらないが、こうやって俺にいたずらするぐらいにはなったらしい。成長かな、と思うと微笑ましくなる。

 だから、これからもずっと…。

「コーラル、行くぞ」
『えぇ、ますたー。でも、後で本当に問題集は終わらせましょうね』
「……やーだ」
『はいはい。今日は化学式の勉強ですから』

 アリシアの真似をしてみたが、現実は厳しかったです。



******



「……私じゃ、何も出来ないのかな?」
「にゃ、にゃにゃ」

 寝室に入り、ベットに身体を沈ませたままアリシアはぽつりと呟いた。リニスはそんなアリシアに寄り添いながら、手で肩をぽんぽんっと叩いている。少女は仰向けになり、白い天井を眺めた。

「にゃーにゃ」
「そんなことないって? でもお兄ちゃん達なんか隠し事してるもん」

 アリシア自身なんとなくでしか答えられないが、おそらくそうだろうと思っている。たぶん2人で何かしている。仲間外れにされたようでアリシアとしては面白くなかった。それでも質問しないのは、アルヴィンなら笑って誤魔化すか、困った顔でごめんと謝って来るだけだろうと思っているからだ。


「よーし、お兄ちゃん達が秘密にするなら私だって…」
「にゃう?」
「私ね、お兄ちゃんをびっくりさせちゃうの!」

 アリシアはいい考えだ、と思いついた方法に何度もうなずく。アルヴィンの隠し事が気にならない訳ではないが、それを詮索しようとする気はアリシアにはなかった。調べたら兄は困る。それがわかるから、アリシアは別の方法で意趣返しをしようと考えたのだ。

「……困らせちゃうぐらいなら、お兄ちゃんがうれしくなるびっくりを用意してあげるの。だからリニス、お兄ちゃんにもコーラルにも内緒だよ」
「ふー、うにゃ!」
「えへへ、ありがとう」

 アリシアはぎゅっとリニスを抱きしめる。アリシアにとっても兄の顔を見るなら、やっぱり笑顔がいい。少女はサプライズに驚く兄を想像しながら、楽しそうに笑った。



******



『ますたー、これが先ほど届いた返信です』
「サンキュー。前に相談したことかな、どれどれ?」

 俺はコーラルが受け取ったメッセージを画面に出し、読んでいく。今も続くリニスとの仁義なき戦いをしている間も、俺たちはいつも通り遊んだり、情報収集を行っていた。それと同時に、俺はあの人にメッセージも送っていた。

『マイスターは、元気そうですか?』
「あぁ、元気そうみたいだぞ」

 コーラルの問いかけに、返信された文面を読みながら答える。前文には俺たちを心配する心情と、向こうのことについて簡単に書かれていた。仕事一筋なところのある人だから、健康面がこちらも心配だったが大丈夫そうかな。

 コーラルも2人によって作られたから、親みたいなものだしな。俺の言葉を聞いて、どこかほっとしているようだった。


『それはよかったです。マイスターって常識人っぽい方ですけど、実は結構色々ずれている人ですからね』
「この前仕事に熱中し過ぎて、栄養失調、睡眠不足のまま工房に籠りっきりみたいだったからな。さすがにやばいと感じた仕事仲間の人が、俺に連絡してきた時はびっくりしたな」
『あれ結局どうしたのですか?』
「とりあえず関係者の方に許可をもらって、転移して空中突撃して眠らせた。仕事仲間の人が何度言っても効果がないから、俺にお鉢が回ってきたんだしな。次こんなことがあったら、アリシアと母さんの秘蔵写真もうやらないぞって言ったら、土下座して謝っていたかな」
『ますたーもマイスターも相変わらずですね…』

 メッセージにはちゃんとご飯も睡眠も取っていると切実に書かれていた。そこまで写真欲しいのか。

「……今度動画でも送ってあげようか」
『……わぁ、ものすっごく喜ばれそうです』

 こういうことに対するテンションは、2人とも似た者同士だと思うよ。



 さて、俺とコーラルは現在家の一室にいる。ここは書庫というか物置のようなところで、本棚や研究資料の一部、洋服なども置かれている。寮にしてはなかなかの広さがあるため、余った部屋の使い道がこんな感じになったのだ。

 母さんが調べ物をする時とかによく使っているが、俺たちはあまり入ることはない。入ってはいけないとは言われていないので、時々本を借りに来たり、かくれんぼで遊ぶのに使わせてもらっている。

 そんな一室に俺たちはこうして度々集まっている。それもアリシアとリニスを先に寝かせ、母さんの帰りが遅い時を見計らってである。やっぱ密談にはこういう雰囲気が大事だよね。暗がりの狭い部屋って内緒話に最適です。


「いつもは打倒リニスの会議だが、今日は報告会だからな」
『いつもがそれって、ますたーもなんだかんだで暇人ですよね』

 それに付き合ってくれるお前もな。

「俺だってそこまで馬鹿じゃない。リニスとガチンコしても、今の俺では勝てないだろうということはわかったさ」
『苦節約3カ月間でようやくですか』

 だけどな、俺は気づいたんだ。相手と戦う場合に最も大切だったことは何なのかがな。初歩的なことを忘れていたのさ、俺たちは。

「あいつらと同じだ。強大な敵相手には、まず情報を集めることが重要だったんだ!」
『上層部=ねこな扱いって…』
「ゆえに俺はまず知ることにしたんだ! そのための情報入手も抜かりないしな。まずは一般知識から探ることにしたんだ」

 そう言って俺は、先ほどの返信メールの内容をスクロールして続きを読む。俺の行動に疑問符をつけながら覗きに来たコーラルはメールを読み、固まった。

『……あの、ますたー』
「どうした? …ふむ、なるほどな」
『なるほどな、じゃないですよ。とうとうマイスターまで巻き込みましたか』

 メッセージの本文には山猫に関する情報が載せられていた。自然豊かな地域で育った猫は、家猫になっても本来の習性に則って、野猫のように狩りをすることがあるとかなんとか。猫の習性についてはなんとかかんとか。すげぇ、めっちゃ詳しい。

「わからないことは素直に聞くのが一番」
『ましなこと聞いてあげてよ。マイスターもスルーすればいいのに、変にまじめな方だから…』

 そんな哀愁漂うなよ、コーラル。ほんとにまじめが空回りする人なだけなんだからさ。


「……あ」

 スクロールし続け、俺はメッセージの最後の一文を見つけた。それは、俺が送ったメッセージの返答。無茶で理屈もあやふやなあるお願いの答え。

『例のことだが、わかった。私なりに協力する』

 ただ1行。俺は何故と返すだろうと考えていた返事に、了承がもらえるとは思わなかった。こんな推測ばかりな話に、5歳の子どもの言葉なんかに了承してくれた。信じてくれた。何も聞かないでくれた。

「……ほんと、ありがとう」

 俺はその一文を画面越しにそっと指でなぞった。そういえばあの時もわがままを言ったっけな。わがままじゃないって言われたけど、あの時も2歳児の言葉を真剣に聞いてくれた。俺はあの時の光景を思い出しながら、相変わらず優し過ぎて心配になる人に感謝を向けた。



******



 それでは、ようやくですが本日の重要会議。報告会の開始である。


『最低よ! このすけこましッ!!』
『ぶぅッ、ま、待ってくれッ! 私を捨てないでくれェ!!』
『ふん。本部の受付嬢しているあの女がいるでしょ!』
『彼女とはなんでもないんだ! 私の一番は君しかいない! だから私を捨てないでくれぇええぇぇ!!!』

「……すごい修羅場だな」
『はい。撮っている間も手に汗握っちゃいました。ないですけど』


 報告会といっても、俺が転移でとばしたコーラルが隠密で撮ってきた映像の上映会でもあるけれど。

 しかし、これは保存だな。この管理局のおっさん、前に母さんのことエロい眼で見てたしな。いやー、裏でこそこそするお偉いさんや悪い奴らって、スクープがいろいろあって助かるわ。


『しかし、ますたーの転移って絶対バグってますよね』
「機械にバグってるって言われた」
『だってそうじゃなければ、こんな映像は普通撮れませんよ。こういう方々は用心深い人が多いですから』

 コーラルの言葉は事実でもあるため、俺も手で頭をかきながら、再び映像に視線を移す。事実だけど、バグと言われて肯定はしたくないし。無言で通した。

 コーラルの言う用心とは、魔法の存在だ。あいつらだってばれたらまずいことは当然隠したい。今の映像だって、彼らの周りには結界魔法がはられ、一般人、魔導師でもそうそう中に入れない。結界に近づくものがあれば、術者に気付かれるし、触れれば当然弾かれる。

 結界魔法は管理世界ではメジャーな魔法だ。敵の侵入を防ぎ、時には捕縛もできる。原作でもユーノさんやシャマルさんがよく使っていた。さらに術者が許可したもの以外には魔法による侵入も脱出もできないし、できても必ず魔力で気づかれるだろう。なのはさん、力ずくだったし。

 魔導師なら見られたくない場面ができたらすぐに使われる。防音や見ることも遮断できるのだから。


「ま、俺には問題ないんだけどね」

 転移魔法ではない、レアスキルの転移を持つ俺にはまったく意味のないものであったのだが。俺の持つ転移はまじで点と点を移動する。死神に『どんな時でも』ってお願いしてたから、『結界が張られている時でも』問題なく発動する。結界に触れたら気づかれても、触れてもいないから結界で感知される心配がない。それに俺の転移は、魔力も何も使ってないからな。魔力による力ではないため感知もされない。


 堂々と結界に侵入・脱出ができ、しかも気付かれない。これに確信を持ったのは、我が家に張られている母さんの結界のおかげである。

 母さんは家に結界を張っており、内容は侵入を禁止する遮断の力と、俺たちを護るための防護の力である。俺たちが扉から家を出たら結界にふれるため、母さんも俺たちが外出したと離れていても気付くのだ。

 ところが転移で移動した場合は、まったく母さんに気付かれず、さらに当たり前のように家に帰れた。Sランク魔導師の張った侵入禁止の結界にだ。ゆえに俺たちが放浪する時は、必ず事前に母さんに伝えておくことが条件になっているぐらいに。


「リリカルの結界って実は穴があるよな。一度結界に侵入できてしまったら、侵入者に気付けない」

 俺は小声で呟き、にやりと笑った。結界に触れる、近づけば気づかれても、中に入ってしまえば結界の力では気づかれることはない。これは母さんにも確認済み。第2期の原作でバーニングさんとすずかさんが結界に侵入してしまっていたのに、魔法が放たれるその時まで、なのはさん達は存在に気付けなかったはず。さらに仮面をかぶったロッテリアさんの時も、不意打ちされるまで周りは気付かなかった。

 リリカルの結界魔法は、結界内の存在を感知する力はない。サーチャーで探されない限り、見つかることはないのだ。もし気づかれるようなら、コーラルが事前に教えてくれるしな。しめしめ。


「次はこいつにしようか。この企業、『ヒュードラ』の完成を急かしているし、やばくなったらいつもトカゲのしっぽ切りみたいなことをしてるみたいだ。社長の首根っことっ捕まえれば何もできないだろう」
『なるほど。しかし同僚さんの情報もすごいですね』

 あぁ、うん。確かにすごかった。まさか上層部やそれに関連した人物だけでなく、視察に来る管理局員やアレクトロ社と関わりのある会社まで調べていたとは思わなかった。

 たまたまこの前、家に来てお酒を母さんとかっくらっていた同僚さんが、視察の管理局員や他会社の人物に呪詛吐きまくっていたのを聞いたのだ。俺は飲み会が終わり、帰ろうとした同僚さんにさりげなく聞いてみたら、ビンゴだった。同僚さんはかなり知っていたのだ。

「……まぁその理由が、いい男探しのために、いろいろ調べてリスト作っていたのにはびっくりしたけど。『なんで上層部関連にはまともな人がいないのよォー!!』って資料叩きつけてたからもらったんだけど」
『よくもらえましたね』
「うん。ほら、ちょっと前に放浪して見つけた新しいお店あったじゃん。ピクニックで行った場所を紹介してくれた人。その店員さんがすごくイケメンで性格もよかったよ、って教えたらくれたんだ」
『この人、堂々と恩を仇で返したよ』
「いやいや、お前も同僚さんに対してひどいこと言ってるよ。俺は新規のお客さんを紹介しただけだから」

 実に言葉は言い様である。


 さて、俺たちはこんな風によく上映会や『ヒュードラ』の設計状況などを報告し合っている。事故の日取りがわからないため、少しでも情報を集め、予想を立てる必要があるからだ。もし万が一でも失敗だけは許されないからな。

 そして、大よそだがそのおかげである程度の見立てはたてることはできた。完成予定はおそらく来年ぐらいになる。これはまず間違いない。スケジュールや開発の様子を見ても、それぐらいには出来上がるように組まれていた。

 大型魔力駆動炉の開発計画が始動したのは、俺が3歳ぐらいの時。完成は俺が6歳ごろになる。たった3年で完成を指示する上層部の身勝手さと、開発チームの優秀さがよくわかるな。俺としては、あんな悪環境でミスを起こさない方がおかしいと思うが、それでも正直母さんたちが事故の引き金を引いたとは考えづらい。

 というのも、母さん達は本当に安全設計に気を付けているからだ。辛い身体に鞭を打ちながらも、仲間同士で必ず確認しながら作業を進めている。これだけ慎重な作業を見た時は、俺も事故なんて起こりうるのかと思ってしまうほどだった。

 だから、おそらく引き金を引くのは上層部の連中だと考えている。今年はたぶん事故は起きないはずだと思う。まだ開発に必要な作業がたくさんある。危ないのは完成間近になった春、または夏だろう。そう思うのは、今までの情報収集と俺のなけなしの原作知識を照らし合わせたからだ。


 リリカル物語の2次創作を読んでいた中で、アリシアの回想場面も作品ごとに何回かでていた。2次創作は空想のことで原作には載っていないことも書かれることもあるが、多くの人が同じセリフを書いている場合、それは原作のセリフである可能性が高い。

 俺はまだアリシアのあのセリフを聞いていない。もちろん俺がいたことで変わった可能性はあるが、あのセリフはまだ時期ではないだけの可能性も高い。昔ちらっと見た動画の場面では、花であふれた場所にアリシアと母さんがいたのを見たことがある。俺には花畑の記憶はまだないのだ。

 さらに母さんがミッドを追放されることだ。事故が起きれば、当然母さんも他の開発チームのみんなも駆動炉の開発につくことはない。つまり未完成になる。だが、上層部は駆動炉の権利を持っていたはずだ。

 母さん達がいなくても開発を進め、完成させられるだけの下地がすでに出来上がっていたら、また新しく作れる。まだ必要な作業が残っている今年に事故が起きれば、駆動炉を完成させるなどあいつらには出来ないはず。

 だからまだ時間があると俺は考え、コーラルとぶっちゃけ弱味にぎりに勤しんでいる。出来る限り妹の傍にいるように心がけているのは変わらないけどね。


「……なぁ、コーラル。時空管理局にこの情報渡したら、開発止められるかな?」
『……難しいですね。管理局の上層部にもかなり食い込んでいます。これでは権力でこちらが潰されますよ。それにどれだけすごい情報でも、ますたーはまだ5歳です。信憑性がありません。信頼できる管理局員がいるならいいのですが、実際に起きなければ誰も…』
「そっか…」

 俺は自分の手をじっと見つめてみる。小さな子どもの手を握っては広げ、今度はぎゅっと握り込んだ。本当に今ほど原作から20年以上も前なのが悔やまれることはないな。少なくとも、20年先なら信頼できる管理局員を見つけられるのに。俺の知識にいる人達は、みんな子どもか産まれていないんだから。

「……うまくいかないもんだ」
『ますたーは頑張っていますよ。僕は知っています』

 俺もコーラルには感謝している。母さんにも黙っていてくれるし、5歳の子どもにはない俺の異常性を誰よりも知っているはずなのに、俺の手伝いを何も言わずにしてくれるのだから。

『とにかく地道にやっていきましょう。必ず結果に結びつきますよ』
「そーだな。焦ってもしょうがないしな」

 秋が過ぎたら、冬が来る。すぐにでも季節は巡るだろう。すべての始まりの日が刻一刻と近づいてくるのを感じる。俺に出来ることなんて少ない。でもだからこそその少しぐらいは、俺に出来ることを精一杯に頑張ろうと思ったんだ。


「頑張ろうか。コーラル」
『頑張りましょう。ますたー』

 未来を変える決意をしたんだ。例え―――頑張った先を考える覚悟が、まだちゃんとついていなかったのだとしても。



「でも一番簡単なのって、集めた裏情報全部ネットに流しまくって、あいつら社会的に叩き落とすことだよな」
『問答無用の犯罪行為ですから、本当にやめてくださいよ』

 
 

 
後書き
結界魔法について:原作からの考えと作者解釈です。結界に触れたらわかるけど、もともと中に入っていたり、中にいきなり現れた場合は感知ができない。または難しいのではないかと思いました。ちなみに原作でもプレシアさんは家に結界を張っています。

ヒュードラの事故:事故が起きる日を私も調べてみましたが、わかりませんでした。しかし、原作で事故当時のアリシアの服装が、薄着であることから温かい時期であると推測。さらにプレシアが、アリシアがもうすぐ学校に入る年齢というセリフから、もうすぐ6歳になる時期であるとも推測。まぁ作者なりの解釈ですが、はい。  

 

第十二話 幼児期⑫



「あぁ! リニス、俺の肉取るなァー!!」
「はふにゃー」
「リニスすごく幸せそうだね」
『そしてものすごくいいドヤ顔ですね』
「……はしたないからやめなさい」

 俺の育てていたお肉を奪った泥棒猫を裸足で追っかけていたら、陽気とは決して言えない母さんの声で止められました。やはり食事中に立ち歩くのは行儀が悪かったか。俺とリニスの2人で、母さん達にごめんなさいと謝り、もう一度席についた。ぺこん、と頭が垂れていたリニスがかわいかったです。

『ますたーもなんだかんだで、リニスさんに甘いですよね』
「んー、まぁ俺って猫好きだし。リニスはきっとツンデレなんだと信じてるから」
『無駄にポジティブなところがありますよね』
「希望ぐらい持たせろよ」

 そう言って俺は箸を手に持ち、鍋の中でグツグツ焼きあがった新しいすき焼きの肉をつかむ。せっかく大事に育ててきたのになー。まったく。

 リニスはもともと野山猫だったからかお肉とかは好きらしい。野菜も食べているが。さすがにネギとか塩分の多いものを食べさせてはいけないため、そういうのは気を付けている。俺は溶き卵にくぐらせる食べ方が好きなんだけど、猫に卵はあまりよくねぇんだっけ。いや、加熱したら食えたんだったか? あいまいだ。

「……猫って意外にいろいろ食ってるイメージがあったしな」
「ねこさんいろいろ食べられるの?」
「あぁーいや、俺が知ってる猫は鶏肉やチーズを見ると、歓喜の鳴き声をあげながら飼い主さえ襲いかかって奪うようなやつだったから」
『……猫って一体』

 まぁ、ほんとなんだかんだでかわいいんだよ。猫は。


「ほら、リニス。もうすぐ出来上がるからね」
「にゃー!」

 母さんが鍋からお肉を1つ取り出し、リニスのお皿の上に乗せている。猫舌のリニスは当然冷めるのを待ち、じっとお肉を見つめている。そして少し冷めてきたお肉に向かって、きらきらした目をしながら、大きく口を開いた。

 そして、それに勢いよくかぶりついた。

「あ、冷めててもうまいな」

 転移した俺が。

「…………」
「ふははは、油断大敵だぜリニス! 獲物に食らいつく瞬間が一番の隙だと、某漫画でも言っていたからな!」
「…………」
「いくら俺でも食べ物の恨みは恐ろしいんだぞ! さて、すっきりしたし、これでお互いにおあいこだ…」
「……ふ、ふしゃぁぁああああぁぁ!!!」
「なぁ、……!!!」


『……あのマイスター、今度は止めなくていいのですか?』
「おいしいわね、アリシア」
「うん!」
『わぁ、平和だ』

 後で母さんに、俺とリニスはこってり怒られました。



「「『ハッピーバースデイ!!』」」
「にゃーん!」

 晩御飯のすき焼きを食べ終わり、ちょっと一服した後、今日の最大のイベントが始まった。暗がりで見えづらいが、俺たちの掛け声に母さんは少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうにほんのり頬を赤らめていた。

「ありがとう、みんな」

 そう言って母さんは、俺が転移を使ってクラナガンで買ってきた、ケーキのろうそくの火を吹き消す。それにみんなで拍手をする。誕生日の祝い方って案外どこも似たようなもんだよな。ミッドにもケーキはあるし、プレゼントもある。

 俺はコーラルの光源を頼りに、リビングの明かりをつけに行く。災害とか日常でも、デバイスってなんか便利だな。部屋に電気がつき、吹き消えたろうそくから細い煙が立ち上っていた。

「おめでとう、お母さん!」
「ありがとう、アリシア。それじゃあ、早速ケーキを切り分けましょうか」
「やったー!」
「アリシアって本当にケーキが好きだよな」

 女の子はやっぱり甘いものが好きなんだな。俺も甘いものは好きだけど、どっちかというとお団子とか和菓子系をよく食べていた。意外に日本人精神って根強く残るな。うんうん。

 母さんがキッチンからケーキナイフと猫缶を持ってくる。もともとあまり人間の食べ物は与えちゃ駄目だしな。すき焼きの食べた量が少なかったからか、リニスは嬉しそうに猫缶を眺めている。


「リニスはケーキが食べられないけど、一緒には食べましょうね」
「にゃうー!」
「わぁ、ゴールドの缶詰だ」
「はは、リニスもおいしいものには目がねぇんだな。さて、それじゃあ俺はろうそくを取っときますかね」

 俺は役目を終えたろうそくたちをケーキから外していく。さすがに年齢分もの本数をケーキにはさせなかったため、大きいろうそくで10歳分としてさしていた。俺の手には大きいろうそくが3本に小さいのが3本握られている。今さらだけど、母さん30代には全然見えない。

「母さん、……恐ろしい子!」
「え、えぇ?」

 母さんに困惑した顔で見られました。いや、そんな大層な意味はないんだけど。すると、俺の言葉を聞いたアリシアが母さんを見つめ、不思議そうに小首をかしげた。


「……子?」

 それはそれは純粋な目だった。

「母さん、しっかりして! まだまだいけるから! ごめん、こんな2次被害が起きるとは思っていなかったんだ!!」
「ふふ、大丈夫よ。お母さんだってもう、もう…」

「2人ともどうしちゃったの?」
『……いえ』
「……にゃー」

 テスタロッサ家で、本当に恐ろしい子が発覚した日だった。



 ちょっと落ち着きました。そんで、みんなでわいわいケーキを食べることにした。うまい。

 しかし、リリカルって年齢と違って若く映る人が多いよな。甘糖さんやなのはさんのお母さんとか。2人とも原作で確か30代いってたはずだし。あ、じゃあ今2人ともまだ子どもなんだ。変な感じ。

「……あれ、そういえば母さんって今30代なんだよな」
『それがどうしました、ますたー?』
「え、じゃあ―――」


『私の娘はアリシアだけよ!!』
『アリシア1番!!』

 超露出満載のバリアジャケットを着込み、高らかと宣言する女性。病魔に侵されているとは思えないほど、雷をドコンバコンと降り注ぐ。女王様プレイもできるナイスバディ。皺や贅肉? 何それおいしいの? と言わんばかりのまさしく公式チート。そんなところまでチートなのか。

『ジュエルシードでレッツゴォー!』

 これが、最低20年後と推定される原作での大魔導師の姿である。


「……俺は何も気づかなかった」
『え、ますたー。どうしました? なんで肩を震わせているのですか!?』
「ぐすっ、俺……頑張んねぇと。なんかまじで頑張らねぇと…」
『ますたー、しっかりして下さい! そんな、ますたーが半泣きなんて!! リ、リニスさん、今こそますたーに抱きついてツンデレでもなんでもいいので癒してください!!』
「うにゃぁッ!?」

 リニスはいきなり巻き込まれた。

「にゃっにゃにゃ!!」
『できます! リニスさんのもふもふならますたーを呼び戻せるはずです!!』
「リニスのもふもふにそんな力が…!」
「……無茶振りの仕方が、随分似てきた気がするわ」

 ろうそく持ったまま鼻をすする少年。広がるリニスコール。まじで困る子猫1匹。色々スルースキルを身に付けざるおえなかった我らがお母さん。お祝いの言葉からわずか数分間の出来事。カオスです。


 その後、メダパニったリニスさんの決死の捨て身タックルで幕はとじた。あまり余計なことを言いすぎないようにしようと思いました。



******



「おかしい、一体何があったんだ。記憶がなんか曖昧なんだが…」
「一体何があったのかは、きっとみんなわからないと思うわ」
「ちなみにコーラル。さっきまでのを10文字で要約すると?」
『口は災いのもと』

 何故か納得しちまった。

「ねぇねぇお兄ちゃん。そろそろ大丈夫?」
「ん、おう。そうだな」

 アリシアが俺の耳元で囁きながら、質問してきた。確かにケーキも食い終わったし、プレゼントタイムに入ってもいいころだろう。

 思い立ったら即行動と言うことで、俺たちは椅子から立ち上がった。テーブルから少し離れ、きょとんとした母さんの前方に移動する。そして、妹とお互いにうなずき合い、俺は懐から手紙を取りだした。

 前に手紙を書いた時は置き手紙だったが、今回は作文でもある。目の前で聴いてもらえるように何度も読む練習をした。夜中だから声のボリュームを考えながら、出来る限り大きな声で手紙を読んだ。


「「わたしたちのお母さん!」」

 アリシアやみんなと一緒に書いた、1通の手紙。

「わたしのお母さんはプレシア・テスタロッサと言います」
「母さんは技術開発局の会社に勤める技術者です」

 コーラルもリニスも静かに俺たちの朗読を聞いている。この日のために俺たちに付き合ってくれた。アリシアもあがることなく、すらすらと読んでいく。

「お母さんは開発チームのリーダーで、チームのみんなもすごくなかよしです」
「時々飲み会があったときは、同僚さんがみんなを物理的にも潰しに回り、母さんが雷で暴走を止めたこともありました。同僚さんの絡みから、なんとか無事に生還した強者さんに胃薬をあげたり、リーダーとして大変です」

 ちなみにたまに母さんも、同僚さんと一緒にお酒に呑まれる時がある。その時の開発チームのみんなの顔は絶望に包まれるらしい。強者さんがその時のことに涙を流しながら、胃薬をがぶ飲みしていた姿を見たことがある。頑張れ。

「お母さんはいつもいそがしいけど、だけどすごく優しいです」
「俺とアリシアが『愛と勇気と…』と前振りを母さんの前ですると、必ず『き、希望?』と返してくれます」

 母さんの頬が赤く染まった。恥ずかしそうにしながらも、合いの手をちゃんと入れてくれる母さんです。

「毎日つくってくれるごはんはいつもおいしいし、みんなで寝る時はぽわぽわした気持ちになります」
「ちなみに母さんのご飯にはしいたけが出てきません。時々もらいものの中に入っていると、何とも言えない顔で食べています。好き嫌いを見せないように頑張る、努力家な母さんです」

 母さんの頬がさらに真っ赤になった。もちろんしいたけのことは褒めていますから。


「今年の誕生日はみんなでピクニックに出掛けました」
「いつも忙しいのに、こういう記念日は1日中一緒にいてくれます。すごくうれしいし、楽しいです。でも、仕事で無茶していないか心配してしまう時もありました」

 リニスが家族になった日。母さんの足にすりすりと身体を寄せながら、リニスも肯定するように鳴いた。

「お母さんと一緒にいると、楽しくて、うれしくて」
「温かくて、俺たちにとって誰よりも大切な人で」

 今までにも何回か伝えたことのある言葉。それでも、改めて言います。他でもないこの気持ちが真っ直ぐに届いてほしいから。


「「そんなお母さんがわたしたちは大好きです!」」

 母さんが小さく息をのむ。それでも朱に染まった顔を背けることなく、俺たちを真っ直ぐに見据えてくれる。

「お母さんに大好きって言うと、いつもちょっと照れますが、だけどあとで『ぎゅっ』てしてくれます」
「母さんにありがとうって言うと、いつも優しく目を細めて、俺たちの頭を撫でてくれます」

 俺たちは一歩ずつ前に踏み出し、母さんの目の前まで歩み寄る。最後の一文。俺たちは目を合わせると、笑顔が自然に浮かんだ。手に持っていた手紙を母さんにさしだしながら、精一杯に声をそろえた。


「「そんな照れ屋で優しいお母さんのことが、わたしたちは本当に大好きです」」



******



 満天の星空。今日は雲が少ないため、隅々まで輝くような星空が目の前に広がっている。俺とアリシアはプレゼントを渡し終えた後、家のベランダに出て、のんびり星を眺めていた。

「ちょっとびっくりしちゃった」
「はは、確かに。でも、母さん喜んでくれてよかったな」
「うん!」

 手紙を読み終えた俺たちの前には、ぽろぽろ涙を流す母さんがいた。それに最初慌てたが、母さんは俺たちを抱きしめ、何度もありがとう、と言ってくれた。前に見た涙とは違い、申し訳なさや後悔はなく、そこには嬉しいという気持ちばかりが溢れているようだった。

 お母さんったら泣き虫ね、と笑って涙を拭う母さんに、俺たちも笑顔で笑っていた。

「しっかし、きれいな星空だなー」
「ほんとだー」

 ミッドチルダの都市群から離れた位置にあるここは、研究所以外はほとんどが自然に囲まれている。ぽつぽつと照らす明かりはあっても、その多くは暗い闇が覆っているのだ。その分、星の輝きがよくわかる。

 前世では、どちらかというと都市部に住んでいたため、あまり星を眺めるということはしなかった。地球で見たときとは星の並びに違いはあれど、きれいなことには変わりはない。うん、たまには空をぼおっと見るのも悪くないな。

「ん、そういえばリニスとコーラルは?」
「さっき遊ばれていたよ」
「……えっと、そうか」

 この妹は時々すごいことをさらっと言う。そっか、遊ばれているのか。食後の運動かな。リビングの方から悲鳴のようなものが聞こえてきたが、きっと気のせいだ。今日は余韻に浸りたいセンチメンタルな日なのです。


「ふぁー、さてイベントも終わりましたし、そろそろ寝ないかアリシア?」
「うーん、実はね。もう1こイベントがあったりするの」
「え、あったっけ?」

 妹の言葉に俺は記憶を探ってみるが、なんにもヒットしない。悩む俺を面白そうに眺めるアリシア。結局わからなかった俺は降参だ、と両手をあげてギブアップを宣言した。

「答えはね…、私からお兄ちゃんへのサプライズイベントだよ!」
「あれ? その答えは俺絶対わからねぇんじゃね?」
「細かいことはいいの!」
「あ、アリシア。そういう時は、こまけぇこたぁいいんだよ!! と使うんだ」
「こまけぇこたぁ?」
「要練習だな」

 あれ? なんの話をしてたっけ?

「じゃなくて、サプライズ!」
「おぉ、そうだった」

 妹にむー、と怒られた。俺には話を迷走させまくって、最後には混沌で話を終わらせる時があるらしい。悪かったって。しかし、サプライズね…。

 俺がなんだろう、と考えを巡らせていると、妹はポケットの中から手紙を1枚取り出していた。母さんにあげた手紙と同じ便箋。しかし、俺には記憶にないものだ。俺が知らない間に書いていたということだろう。

 俺の驚きをよそに、アリシアは手紙を広げる。いたずらが成功した、というようなそんな嬉しそうな顔だった。


「わたしのお兄ちゃん!」

 それは、妹が兄に書いた1通の手紙。

「わたしのお兄ちゃんは、アルヴィン・テスタロッサと言います」

 本来は存在しなかった兄。本来なら書かれることはなかった手紙。

「お兄ちゃんはいつもわたしと遊んでくれます。転移を使って、山で虫取りをしました。砂浜でお城を作りました。雪で雪合戦をしました。ビルの上で風を感じました」

 俺は知っていた。アリシアがいつも1人ぼっちで遊んでいたのを。リニスと一緒にただ待つことしかできなかった幼い少女を知っていたから。だから、外を見せてあげたかった。


「お兄ちゃんはいろんなことを知っているし、教えてくれます。コーラルと一緒に文字も言葉も教えてくれました。たくさん書けるようになりました。リニスとのけっとーもすごくメラメラしています。家はとてもにぎやかです」

 笑っていてほしい。その気持ちが一緒に過ごすにつれ、どんどん溢れていたのはわかっていた。

 最初にこの世界に来た時は、俺の状況に気がついた時は、ずっと悩んだ。だけど、いつのまにか俺の心は、選択は当たり前のように答えを出していた。

「お兄ちゃんはすごく心配してくれます。お外に行くと、いつも手をにぎってくれます。お風呂でもわたしがこけちゃったときは助けてくれました」

 答えを出しても、俺は結局迷っていた。いや、答えはすでに決まっているのに、その答えの先を想像するのが、覚悟するのが怖かったんだ。ただ、今は目の前のことだけに集中したい。集中するべきだと、未来を考えないでいた。

 少女を、アリシア・テスタロッサを助ける。家族を助ける。それだけをずっと考えてきた。それ以外を考えるのが、いやだったから。


「わたしのお兄ちゃんは、ちょっといじわるなところもあるけど、優しいです」

 俺は優しくなんてない。俺自身、かなり自分勝手でマイペースな人間だと思っている。というか、かなり自由気ままだった気がする。

「勉強があんまり好きじゃなくて、リニスにいつも負けていて、お母さんに怒られているお兄ちゃんです」

 ちょっとグサッときました。うん、俺あんまりいいお兄ちゃんじゃないな。反面教師にはなれそうだけど。


「それでも、わたしはそんなお兄ちゃんがいてくれて、うれしいです」
「…………」

「たくさん笑顔をくれます。たくさんわがままをきいてくれます。さびしい時は、いつも一緒にいてくれます」

 アリシアは一歩前に、俺の目の前に進みでる。金の髪が夜風になびき、それがふわりと舞う。この星空に負けないぐらいきれいで、輝く笑顔。

 あぁ、そうだ。そうだった。


 罪悪感? そんなのいくらだってある。なんせ、俺の都合で俺の思いで、なのはさん達の未来を変えてしまうんだから。幸せな、たくさんのハッピーエンドを壊してしまうんだから。

 それでも、俺は守りたいと思ったんだ。たった1つのハッピーエンドを、この少女の笑顔を守りたいと思った。だから、俺は今まで行動して来たんだ。

 受け入れなきゃだめなんだ。未来を受け入れて、そこからちゃんと前を向いて歩かなきゃいけない。下ばかり向いて、怖がっていたら本当に俺は……。


「そんなお兄ちゃんのことが、わたしは本当に大好きです!」

 アリシアのお兄ちゃんとして、情けねぇじゃん。



「えへへ、びっくりしたでしょ? 私だって1人でお手紙書けるんだよ!」
「うん、ほんと。……びっくりした」
「やった! サプライズ大成功!!」
「うわぁ、やられた!」

 俺の反応にまた嬉しそうにする妹。俺はアリシアからもらった手紙を握りながら、くるりと背を向けた。そんな俺の行動に疑問を持ったみたいだが、それよりも先に俺は口を開いた。

「そうだ、アリシア。アリシアって今よりももっときれいな星空って見たことあるか?」
「えっ、今よりも?」

 そう言って妹は、空を仰ぎ星の海に目を向ける。子どもの俺たちが夜遅く出歩くのはまずいため、家以外で夜を過ごしたことがない。幼い頃はクラナガンに暮らしていたが、あそこは今よりも明るかったから、星空なんてなかなか見れなかった。妹は見たことないよ、と俺に告げてくる。

「実は明かりが全くないところで見る星空ってすごいらしい。まるで星の中を歩いているみたいにきれいできらきらしてるんだって」
「きれいできらきら…」

 地球とはちがったいろんな星が見えるんだろうな。もしかしたら、他とは違うものが見えるかもしれない。

 あと、俺はようやく目からこぼれていたものが収まったため、アリシアに再度向き合う。意地っ張り? そんなのとっくに自覚済みだ。見られないために咄嗟に話をしちゃったが、なかなかいいかもしれない。よし、決めた。


「さっきのお手紙のお礼。大きくなったら一緒に見に行かないか?」
「大きくなったら?」
「そう。もっともっときれいな星空をさ」

 絶対きれいだぜ、ともう一声かけると、アリシアは何度もうなずいてみせる。ん? なんか今、盛大な何かをたててしまった気がするが…きっと気のせいだな。この星空の中で見れば、たぶん小さなことだろう。

「あ、だったらお母さん達にも見せてあげたいかも」
「それいいな。家族みんなでいつか行ってみっか」
「うん!」

 どんどん何かが積みあがっているような気がするが、……まぁいいか。

「約束だよ」
「あぁ、約束だ」

 
 

 
後書き
カウントダウン 

 

第十三話 幼児期⑬



 ヒーローに憧れたことがある人は、実は結構いるんじゃないかなと思う。

 俺もなんの根拠もなく、もしかしたら困っている人を助けられるかもしれない。危ない人相手に戦って勝てるかもしれない。とか、軽く考えたことならあった。実際はできないかもしれないし、ヒーローみたいにかっこよくは助けられないかもしれないけど。むしろそっちの方が、可能性として高いと思う。

 だから俺は憧れたことはあっても、ヒーローにはなれないだろうな、と当たり前のように思っていた。というか、大体の人はそうなんじゃないかな、と思うんだけどね。誰だって、危ないのはいやだろうし。


 とまぁ、何故いきなりこんな話をするのかというと、ぶっちゃけただの愚痴だと思う。自分の頭の中で、文句をたらたら垂れるぐらいには。

 俺は今までたくさんの漫画や、一次小説も二次小説も読んできた。その中でもほとんどの小説がハッピーエンドを目指しており、本来なら助からないはずの人を救いだす場面を何回も見てきた。救われる命があるなら救う。そうやって助けていた彼らは、自己満足だろうとなんだろうと確かにヒーローだったのだと思う。

『魔法少女リリカルなのは』

 この原作にも多くの二次小説があり、救われなかった人を救う場面がいくつもあった。それぞれやり方は違えど、ちゃんとハッピーエンドになっていた小説も多いだろう。

 主人公高町なのはの幼少期の心の傷を癒す場面があった。

 八神はやてを孤独から救う場面や、本来消滅するはずだったリインフォースを助ける話もあった。

 そして、プレシア・テスタロッサとフェイト・テスタロッサとの和解。死んでしまったアリシアを蘇らせる、そんな場面もあった。

 それらは、一概に必ず幸せだったと言えるかはわからない。人それぞれ感性も思いも違うのだから。それでも、間違いなく彼らの物語は、一つのきれいな終わりとして映ることができたであろう。


 なのに、なんで俺の時はこんなに違うのだろう。なんで救ったら、それでハッピーエンドで終わらないんだろう。俺はただ1人を、ただ1つの家族を助けたいだけなのに。リインさんや原作の母さんたちを救うことと何が違う。何も違わないはずなのに、決定的に違う。

 俺がここに転生してから、ずっと理不尽だと叫んでいた。ずっとふざけんなって思っていた。

 ここがもうただの物語の世界ではなく、俺にとって現実の世界だってことは理解している。それでも、この世界は物語から切って離すことはできないんだ。

 だって、どう考えても……アリシアが死ななければ、リリカル物語にハッピーエンドは訪れないのだから。アリシアの死が、この世界には必要不可欠なファクターなんだ。なかったら、全てが崩壊してしまうぐらい重要なものだから。


 アリシアも母さんも本来なら、なのはさんたちと接点なんてないに等しい。むしろ、アリシアたちの幸せを糧に、なのはさん達が幸せになっているともとれたであろう。

 俺がもっと図太ければよかったのかもしれない。そうすれば、アリシアを救った後も俺には関係ないことだと思えたかもしれないから。20年も先の物語としてだけ知っている彼女たちと、5年間共に暮らしてきたかけがえのない大切な家族。天秤に掛けるまでもなかったんだから。

 それでも、未来を思うのが、前を向くことを俺がずっと怖がっていた理由は1つだけ。

 ただ単純に、俺はそんな風に割り切ることができない、大切なもののために何かを犠牲にすることを考えられる覚悟もない、弱い人間であるだけだったんだ。



******



「俺ってかなり情けないよな…」

 あー、久しぶりに泣いた気がする。ほんとアリシアにばれなかったことには安堵した。俺だって妹に泣き顔見られるのはちょっとな…。お兄ちゃんとしての尊厳とか、威厳とか…。うん、せめてものだけど。

「やっぱ暗いな。明かり明かりっと」

 現在俺がいるのは、先ほどまでアリシアと一緒にいたベランダ。さすがにこの時間帯だと、光源が星だけなため、ほとんど真っ暗だ。ぼんやりなら見えるが、もう少し明かりが欲しい。なので、俺は寝室からちょっと拝借して来た照明ランプをつける。お、いい感じになった。

 ここでかっこよく魔法使って、『見ろ、これぞまさに自家発電』みたいなエコな取り組みをしたいけど。……あれだ、わざわざしんどいことしなくていいよね。うんうん。


 あれから誕生日パーティーも終わり、寝室へ行き、みんなでベットに入った。のだが、ぶっちゃけ目が冴えてしまっていた俺はみんなが寝静まった後に、こうして抜けださせてもらった。もう何回も思ったけど、転移便利すぎるよ。凡庸性って大切だな。

「それはそれとして。……やりますかね」

 ちゃんと向き合うと決めた。いつかは向き合わなくちゃいけないとわかっていたが、今の今まで後回しにしてきたこと。目を背けてばかりじゃ、駄目だってわかったんだ。

 俺はいつもポケットにいれているメモ帳を取りだす。やっぱり考え事や考えをまとめるには、俺にはこれが1番だな。俺ってよく考えてることが横道にそれまくるらしいし。


「新暦がえーと、今は38年か。なんか不思議な感じだな…」

 《新暦38年 秋 NO.67》とメモ帳に書き込む。今でも思うけど、暦の書き方がなんかこう、うん、変な感じ。別にいいんだけどさ。なのはさん達の時代には、これが新暦60年ぐらいにはなるのかなー。

 ……数字にすると実感するけど、原作開始時には俺……もしかして今の母さんと年あんまり変わらない? これ下手したら、結婚していてもおかしくない年だったりするのか。うわぁ、実感ねぇ。

 ―――って、もう考えが横道にそれているし。


「題名は、『未来予想図』……かな」

 呟いた言葉通りに題名を書き込み、一息つく。これからどうするかも大切だが、まずはこのまま未来が進めばどうなるかを考えるべきだと思う。

 そうすれば、俺がいることによる変化や変わらないこともわかるはずだ。何が起こり、何が原作との違いとして出て来るのか。やばそうというのは、漠然と理解しているけれど。


 それでは最初に、俺の行動方針を決めようと思う。これから先、俺が必ずすることを定めておく。そして、もしそのまま決めたこと以外に、俺が特に動かなければどうなるかを予想していこう。うーん、俺が絶対にすることか…。

 第1に、アリシア・テスタロッサを救うこと。事故をなんとか回避して、アリシアを死なせない。これから先も家族として、ずっと一緒に生きていきたいからな。

 第2に、家族を護ること。これは、第1の目標にも関連している。言葉にしたら簡単だ。ただ普通に笑って、みんなでご飯食べて、おしゃべりして、そんな楽しい毎日を過ごしていきたいだけだ。

 第3に、大きくなったらいろんなところを放浪してみたい。もともとリリカル物語に転生したいと思えた大きな理由の1つだしな。ドラゴン見たり、宇宙見たり、遺跡とか見たり、もしかしたら妖精とかエルフとかもいたりするんだろうか。記念写真一緒に撮ってくれるかなー。

 第4に、ぶっちゃけ死にたくない。そのために転移っていうレアスキルを選んだんだ。危なくなったら即逃げる。放浪する時だって、無茶はするつもりないしな。人生楽しく往生が俺のモットーだ。


 後は、……これといって絶対やることは今のところ思いつかないな。友達作ったり、もふもふ王国作りたいとか、こうしたいなと思うものはいくつかあるけど。まぁ、ただの願望か。とりあえず、この4つかね。家族のことと、見事に自分のことばっかりだな。いやはや。


 それじゃあ、この4つを必ず実行するようにこれから先、俺は動くとする。そうなったら原作はどうなるのか。1つずつ潰しながら考えていくべきだな。

 正直第3、4の目標に関しては、気をつけさえすれば問題ない気はする。放浪する時は、原作開始時は地球に近寄らないようにすればいい。そんで、ロストロギアには関わらない。もし職に就くにしても、管理局には就職しない。危ない職業にも就かない。こんなもんか。

 そして第1、2の目標だが、ある意味アリシアが生きていること、アリシアが幸せでいることに関しては、問題はないんだ。

 問題は彼女が死んだことによる世界の変化だ。特に母さんの存在が大きい。原作との乖離点は、ヒュードラの事故が起きてからの母さんの行動全てだ。母さんが原作までに行っていた行為の全てが行われない、とそう考えるべきだろう。


①プレシア・テスタロッサはミッドチルダを追放され、アリシアを蘇らせるために行動し、違法な研究にも手を染めていく。その折に、研究の無理がたたり病を受ける。

②プロジェクト『F・A・T・E』というクローン技術を完成させる。フェイト・テスタロッサが生まれる。

③ジュエルシードをめぐるPT事件が起きる。なのはさんとフェイトさんとの戦い。

④最後はフェイトさんを拒絶し、プレシアはアリシアと共に虚数空間に身を投げる。


 俺が思いつくのはこんぐらいだな。第1期以降、母さんやアリシアが実際に登場することはない。おそらく、第3期から先も出てくることはないと思う。母さん達の物語は、この時全て終わってしまったと考えるべきだろう。

 なので母さんが主にやったことといえば、この4つになる。その中で、母さんの行動の内1つだけどうしても物語上必要不可欠なものがある。母さんがミッドを追放されなくても、PT事件の内容が変わっても、最後に生き残ることになっても物語は進められる。

 だけど、フェイト・テスタロッサがいないリリカル物語はありえない。

 アリシアが生きているということは、フェイトさんの物語は永遠に来ない。フェイトさんという人物が消えたまま、物語は進んでいくのだ。

 一言で言うとあれだ。「無印? そんなものはなかった」という状態だ。母さんいい人で、ユーノさんはホクホク顔で宇宙を渡って、なのはさんは普通に小学3年生していて、アースラは素通りしてる。『普通少女高町なのは、始まります』だ。

 事件が起きるよりも平和に終わるというね。しかし、なのはさんにとって魔法と出会うことと出会わないこと、どっちが幸せだったんだろうか。これはなのはさんにしか、わからないことなんだろうけどさ。


「……まぁ、わかっちゃいたけど結構きついな」

 フェイトさんは生まれない。これが、俺が行動することで起こる結果。彼女のことで知っていることは、そんなに多くはないと思う。小説や動画、漫画ぐらいでしか知らない少女。それでも優しくて、強くて、ちゃんと前を向いて生きることを選べた、勇気を持っている……寂しがり屋の女の子。

 そんな彼女の存在そのものを消す。彼女が消されたことを知るのは、消した俺だけしかいない。他の誰も彼女を知らないのだから。親友のなのはさんもはやてさんも、兄になったクロスケくんも、引き取られたエリオさんもキャロさんも。そして、背中を押してあげたアリシアも生んでくれた母さんでさえもだ…。

 時々、原作知識なんてなければよかったと思う時がある。けど、なかったら事故があることも知らず、全て失っていたかもしれない。結局、俺1人が救える人は限られていたんだ。


 ……ごめんなさい。それだけしか、俺が彼女に伝えられる言葉はなかった。



******



 無印が終わっても、物語は終わらない。フェイトさんという歯車を失ったままでも、世界は回っていく。負の連鎖は立て続けに、少女たちの幸せを壊していく。

 第1期が終わった半年後ぐらいに、第2期A’sが始まる。1人の少女と1冊の魔導書を廻る悲しい闇の物語。俺と同じ、家族を護りたいと願う幼い少女の物語。

 舞台は同じ地球であり、八神はやてという、『闇の書』と呼ばれるロストロギアの主に選ばれた少女が登場する。天涯孤独で足が不自由な少女は、それでも優しさと温かさを持っていた。誕生日に発動した闇の書の騎士たちを受け入れ、家族として幸せな日常を暮らしたいと願った女の子。


「こうして考えてみると、はやてさんも理不尽な人生送ってるよな」

 はやてさんの願いは、家族となった守護騎士たちと幸せに暮らしていきたい。俺の願いとなんだか似ている。

 闇の書の守護騎士として、今まで多くの人の命を奪ってきた彼ら。本来は物語として死ななければならない妹と狂う母親。それでも、俺とはやてさんにとっては失いたくない、かけがえのない存在。それを護りたいと思うその心は、決して間違ってないと俺は思う。ただ彼らを取り巻く状況が、それを許さなかっただけで。

 ……ちょっと感傷的になりすぎたか。とりあえず、原作の流れを簡単にまとめてみよう。


 はやてさんが9歳になり、ロストロギアである闇の書が目覚めたことで物語は始まる。幸せな生活を送っていたが、はやてさんの足の麻痺が闇の書のせいだと知る。このまま何もしなければ、はやてさんは死んでしまう。それに納得できない守護騎士達が、はやてさんを助けるために魔力の源であるリンカーコアを狩り出した。

 ……まじめに書いていたが、長いしダイジェストでいいか。

 シグナムさんが剣ブンブン振り回し、シャマルさんが鬼の手使ってて、ヴィータさんがロリハンマーで、ザッフィーがワンコしながら、騎士達蒐集する。なのはさん落ちて、フェイトさんも落とされた。グレアムさんと猫が暗躍。でも、クロスケ君頑張った。闇の書が実はバグってて、本来は夜天の書という魔導書であり、はやてさんがその管制人格に「リインフォース」という名をつけた。バグの原因をふるぼっこビームして、はやてさんの幸せのためにリインフォースはさよならした。

 ちょっと悲しいけど、ハッピーエンド。それが、俺が読んでいたA’sの感想だ。別れはあった。けど、はやてさんは守護騎士達と暮らし、友達もできた。涙を流しながらも、それでもはやてさんは前に進み、笑顔で未来に向かっていった。


 では、歯車が抜けた世界ではどう変わる?

 フェイトさんがいなくても世界は回るのだ。そう、なのはさんが普通の女の子で、フェイトさんがいなくても、はやてさんが闇の書の主であることは変わらないように。

 はやてさんを救うために、騎士達はいずれ蒐集する。原作での管理局の対応が早かった理由は、第1期のPT事件という地球で起こった事件があったのが大きい。本来管理外世界である地球に、主がいるかなんてそうそうわかるはずがない。

 闇の書は邪魔者なしで完成する。それを後押しする存在もいるのだ。そして、はやてさんは闇に飲まれ、グレアムさんによる永久凍結を受け、冷たい氷の中で生涯を閉じることになるだろう。

 もっと最悪な結果なら、闇の書が暴走し、地球は滅ぶだろう。はやてさんはただ破滅を呼ぶ化け物に代わり、世界を壊し続ける存在になるかもしれない。

 原作通りなら、はやてさんは幸せになれた。守護騎士達も罪を受け入れ、救う側へと歩めた。俺にとっても心の故郷である地球が、崩壊するなんて未来は冗談ではなかった。それでも、この未来はほぼ100%の可能性で起こることになるだろう。



「まじでやってらんねぇ…」

 俺はぱたんと一旦メモ帳を閉じ、空を仰ぐ。ため息をつきたくなるが、それはやめておく。ため息吐いたら幸せ逃げるっていうし。絶対逃がさん。俺は結構こういう迷信は信じる方だ。気持ち的になんか軽くなる気もするし。

 というか、愚痴ぐらい出てしまっても仕方ないと思う。なんで女の子1人救うだけで、世界崩壊の危機にまで発展するんだよ。おかしいだろ。

 もしなんらかのきっかけでなのはさんが魔法に覚醒しても、フェイトさんがいない穴を埋められるとは思えない。むしろ暴走エンドで終わる可能性が高まる気がする。原作は綺麗に終わっていたが、正直奇跡の連続だ。かなりの綱渡りだったと聞いたこともある。


「3人娘の中で、まだなのはさんはましなのかな…。魔法に会わず、暴走もない場合、彼女は地球で翠屋を継げそうだし」

 いくらすごい魔力を持っていても、管理外世界ならそのまま一般人として過ごせるだろう。地球の日本でそうそう女の子が危険な目に会う可能性は……。

 地球で、日本というか海鳴市で、すごい魔力。

 おい、待て。これって下手すると。俺はメモ帳を開きながら、必死に思い出して原作知識を探る。

 もしかしたら、俺の思うような未来は起きないかもしれない。俺が知らない原作設定があるかもしれない。それでも、今の俺にあるのはこの継ぎ接ぎだらけの原作知識だけだ。守護騎士たちが集めていたもの。彼らのその入手の仕方。彼らははやてさんを救うためなら……なんでもやること。

 なのはさんはリンカーコアを鬼の手で取られ、落とされた。その時、彼女は魔導師として覚醒していた。だから覚醒していないのなら、なのはさんは狙われない。そんな都合のいいことあるか?

 まず、地球で魔力の存在を彼らは捜すはずだ。魔法文化がないとはいえ、はやてさんという存在がいたのだから。すぐにはなのはさんに気付かなくても、いずれ気づく可能性の方が高い。

 普通少女高町なのはでも、リンカーコアはあるんだ。しかも、彼女は原作のような戦いを経験していない普通の9歳児。そんな子が、いきなり見知らぬ大人に胸を一突きされて、意識を失わされたら? 原作でだってひどく消耗していた。『普通少女トラウマなのは、始まります』ぐらいの心の傷を被るかもしれない。

 さらに、はやてさんの足が動かないのは、リンカーコアに闇の書の力が浸食されていたからだったはず。もし襲撃で無事だったとしても、なのはさんのリンカーコアに不調が出たら、どうなる。

 原作では、アースラですぐ治療されていた。でも、地球でそんな治療はできない。下手したら、彼女は障がいを持つかもしれない。命を、失ってしまうかもしれない。


 これが、俺がいることの、俺というイレギュラーな存在が生きていくことで起こるかもしれない『未来予想図』なんだ。


「……あぁ、うん。そうだよ。わかってたんだよ、こんなの」

 彼女達を不幸にしてしまうことぐらい、わかっていた。なのはさんも、フェイトさんも、はやてさんも、これから先彼女達に関わる人たちも。

 それでも、俺はいやなんだ。家族を失うのは、今の日常が壊れるのは。だから、受け入れなきゃ駄目なんだ。彼女達を不幸にしてしまう未来に進むことを、俺が1人の人間の存在を消すことを。

 俺が進む未来は、間違いではないんだ。アリシアを救うことが、家族を救うことが間違いだなんて俺は思わない。これは、仕方がないことなんだ。割り切らないといけないことなんだ。

 だから……、俺はこのまま突き進めばいいんだよな?



******



「うん…。アルヴィン?」

 プレシアはふと目を覚ます。覚醒しきれない意識の中で、最初に浮かんだのは疑問。隣にいるはずの息子の存在が、感じられないことに気付いたからだ。彼女はそれを理解すると、ベットから身体を起こし、辺りを見回す。

 暗い室内に、プレシアは傍にあるはずのランプに手を伸ばす。しかし、その手の先には何もない。それに少し眉をしかめたが、次の瞬間、部屋にうっすらとした明かりがともった。

『目が覚めたのですか? マイスター』
「コーラル」

 緑の淡い光が室内を照らす。ふよふよとプレシアの望みだろうと、自身を発光しながらコーラルは声をかける。プレシアはそれにありがとう、と声をかけながら、改めてきょろきょろと視線を巡らせた。

 やはり先ほど手を伸ばしたはずのランプも、アルヴィンの姿もなかった。最初は焦ったが、少なくともアルヴィンが危険なことをしている事はなさそうだと思い直す。もし勝手にアルヴィンが行動しているなら、コーラルが必ずプレシアに知らせているはずだからだ。


『ますたーなら、ベランダにおられるようですよ。ちょっと眠れないから、風に当たって来るとのことです』
「1人で?」
『はい。1人がいいと言われました』

 声のトーンから、ちょっと落ち込んでいるようにも感じた。それでも、律義にこうして部屋で待っているあたり、この子らしいともプレシアは思う。今の彼女のように、風邪をひかないか等心配しているのかもしれない。


「それじゃあ、私も行かない方がいいかしら。アルヴィンなら自分で戻ってくるでしょうし」

 そこにあるのは、信頼だった。何をしでかすかわからない子だが、しでかすにしてもなんだかんだと1本筋は通っている。それにあの子なら、体調管理もしっかりできるだろう。そう判断してプレシアは口にしたが、コーラルはその答えにしばし沈黙した。

『……いえ。よろしければ、ますたーの様子を見に行ってあげて下さい』

 返ってきた答えは、プレシアの言葉とは真逆のものだった。

「1人がいいってアルヴィンは言ったのよね?」
『はい、確かに。でもマイスターなら大丈夫だと思います』
「あなたは行かないの?」
『僕じゃ……たぶん駄目です。傍にはいれても、それだけですから。適材適所というものですよ』

 会話が少し噛みあわないことに、プレシアは訝しげにコーラルを見る。リニスのおもちゃになってどっか壊れた? とすごく失礼なことを考えてしまった。そんな風に思われているとも知らず、コーラルはそれ以上何かを言うつもりはないのか静かになった。

 プレシアはそれに肩を竦めると、ベットから立ち上がる。コーラルの態度はよくわからないが、アルヴィンが気になるのも事実だ。少しだけ様子を見に行こうと思ったのだ。

 眠っているアリシアとリニスを起こさないように、プレシアは寝室の扉に向かい足を踏み出す。電気を付けると起こしてしまうかもしれないため、足元に注意しながらリビングへと移動した。



「……かってたんだよ、こんなの」
「アルヴィン?」

 コーラルの言うとおり、アルヴィンはベランダに座っていた。その傍には寝室のランプも置いてある。窓に背中を預けているため、こちらから顔はうかがえない。プレシアは真っ直ぐにアルヴィンのもとへと歩んだ。

 早く寝なくちゃだめよ、と簡単に声をかけるだけのつもりだった。だが、プレシアは言葉を発するのをやめる。淡いランプの光がアルヴィンを照らしているが、その性かどこかおぼろげで寂しそうに映る。それがまるで、迷子になってどこか泣き出しそうな幼子のようにも映った。


「アルヴィン」

 今度は先ほどよりも、はっきりと名前を呼ぶ。それにびくりっ、と肩を跳ねさせ、アルヴィンは驚いたようにこちらに振り向いた。その顔は泣いてはいない。彼は目を大きく見開き、途端にあわあわと慌てたように何かをポケットの中に入れたり、立ち上がる時にランプを倒してしまい、また慌てだす。

 こんなに落ち着きのないアルヴィンは久しぶりに見たかもしれない。それに小さく笑ってしまったが、それでも先ほどの様子がプレシアには忘れられなかった。彼女はベランダに出て、落ち着くように息子の背中を優しく撫でた。

「あ、あー。うん、えっとこんばんは? 母さん」
「その挨拶は何か違う気がするけど…。眠れなかったの?」
「あー、確かにそうかも。いやー、ちょっとね。星がすげぇ綺麗でさ、つい見ちゃってた」

 そう言って、アルヴィンは笑いながら手で頭をかく。アルヴィンはよく笑う。本人もそうだが、突拍子もないことをして、家族を笑わしてくれる。アリシアの面倒も嫌がることなく、しっかりお兄ちゃんをしてくれている。でも心のどこかでプレシアは、今の笑顔はいつもとは違う気がすると感じていた。


「そう。ねぇ、アルヴィン。どうかしたの? 何かあった?」
「いや、なんでもないけど。俺にだって、静かに星を見てたそがれる、クール系のかっこよさがあっただけだよ?」

 アルヴィンは、新しい属性を俺は手に入れた! と喜ぶ。いつも通りのような姿。プレシアは思い出す。昔から周りを振り回したり、迷惑をかけてしまう困った息子。どこでそんな言葉覚えてきたの? と真剣に悩んでしまう時もあった。

 それでも、誰よりも周りに敏感だった。困っていたら、そっと何でもないように手を差し出せる。だけど、逆に自分から周りに手を伸ばすのは下手な子だった。


「夜更かししてごめんね。もう寝よっか、母さ―――」

 プレシアはアルヴィンの言葉が終わる前に、ぎゅっとただ抱きしめた。いきなりの行動に、アルヴィンも面喰らい呆けるしかなく、混乱しながらもそれを受け入れるしかなかった。

 アルヴィンが頑固なことを、プレシアは知っていた。本当に悩んでいることは言わない、むしろ気付かれないように隠すような子どもだったと思いだした。3年前、離婚したプレシアたちを受け入れたアルヴィン。あの時ただ一言、「そっか」と笑ってうなずいていた。

 その時の笑顔と似ていたのだ。もともと聡いところがあった。何も思わないはずはないのに、何も言わず、笑っていた少年。あの時は結局甘えてしまった。だからこそ、プレシアは今抱きしめる。せめて母親として、この子たちの大好きなお母さんとして、ちゃんと傍にいると伝えたかった。



「……ほんと、大丈夫なんだ。ただ、いっぱい頭の中で考えすぎていただけみたい」
「アルヴィン?」

 その声は、プレシアに伝えているようで、どこか独白のようなものでもあった。俯いた顔からは表情はうかがえない。淡々とした小さな声音、だがどこか思いが籠っているようだった。

「難しく考えすぎなんだよ、俺は。いいじゃん、譲れないんだから。だったら、受け入れてやる。だけど、……全部受け入れてやる必要なんてないんだ」

 1つ1つ言葉にしながら、アルヴィンは受け入れる。だが言葉通り、ただ全てを受け入れてやる気はさらさらなかった。傲慢な考えかもしれない。アルヴィン自身成功するのかなんてまったくわからない。見通しだってすごくあやふやだ。

「それでも、仕方なくなんてない。割り切ってもやんない。俺はそんな未来はいやだ。だったら、立ち向かうしかないじゃないか」

 だんだんはっきりとした声へと変わっていく。それと同時に俯いていた顔が上がっていき、目には一切の迷いはなくなった。ずっと原作から目を逸らし続けていた、関わらないと決めていた。

 それを、やめた。


「あのさ、母さん」
「ん?」

 プレシアには、アルヴィンが何を決意したのかはわからない。何に悩んでいたのかも聴けなかった。それでも、彼女はこれでよかったのだろうと思えた。真っ直ぐにプレシアを見据える黒い瞳は、強い意志を宿していたから。いつも通りの笑顔が戻っていたから。

「俺なりに、頑張ってみようと思うんだ」
「……頑張れるの?」
「うん。出来ることは少ないかもしれない。結局何も変わらないのかもしれない」

 少年の憧れたヒーローみたいにかっこよくは出来なくても、我武者羅で泥まみれのヒーローもどきになってみるぐらいなら出来るかもしれない。

「それでも頑張るだけの価値は、絶対にあるはずだから」



 あの後、さすがにずっと抱きついたままは恥ずかしがったアルヴィンが、プレシアに顔を赤くしながらも離してもらった。プレシアは、さっきまでのアルヴィンの言葉を深く聞くことはしなかった。頑張りたいと、そう告げた息子に水を差すつもりはない。

 それでも、母親として見守ることはできる。

「1人じゃダメな時や、疲れてしまったら、お母さんやアリシアのところにいつでも戻ってきなさい。ここはあなたの居場所なんだから、いいわね?」

 プレシアは、小さく何度もうなずく少年の頭を優しく撫で続けた。「ありがとう、母さん」と囁くように伝える声が、夜風に響いた。

 

 

第十四話 幼児期⑭



 平和なことはいいことだ。

 あの日、頑張ると自分で決めた日からだいぶ過ぎた。俺の行動も考えも特に変わりはないと思う。だけど、自分の足でちゃんと未来を歩いているという実感は得られた気がする。とりあえず、今は俺の目標のために頑張ろうと思っているけどね。

 まぁ、そんな風に考えるようになってからか、季節が過ぎるのも早くなった感じだ。気づけば秋も冬も通り過ぎ、新暦39年になった。最初は、ついに年も越したか……と感慨深く、自分なりにシリアスしていた。うん、していたんだけどさ…。


「……おのれ。ここまでこの俺のシリアス空気をべこんばこんにしてくるとは」
『相変わらず訳がわからないことを口走っていますねー』

 そして相変わらず、コーラルは俺に容赦ないねー。

「だって春だぜ、春。出会いやらおいしいやら、雪が溶けたら何になるでしょう? という素敵回答も完備していらっしゃる春様だぜ」
『確かに春になりましたけど、それがますたーのシリアス(仮)と何の関係が?』
「……よーし、その喧嘩買ってやるぞー。このインテリデバイス(仮)」
『ちょッ、僕にとってその(仮)は、本当に笑えないのですけど!?』

 と、こんな騒がしくも平和な日常を過ごしております。


 だが、春になったというのは結構重要だ。去年俺が事故の予想の1つに数えていた時期である。駆動炉の開発もかなり大詰めになってきたためか、母さんも慌ただしく働いている姿を見かけるようになった。帰りも遅いし、顔色にも疲れが出ている。

 俺もできるだけアリシアから目を離さないようにしているし、警戒は行っていた。だけど、正直きつくはある。人間、ずっと緊張感をもったままでいるのは難しい。常時そんなふうにいられるような訓練もしたことがない。

 いつ起きるかわからないというのは、精神的にすごく疲れやすいのだ。原作知識で大よそ事故が起きそうな時間に見当はついている。母さんがいる朝方や、夕方以降は大丈夫だろうと判断し、その時は一応休憩している。原作のシーンでは、母さんはアリシアの傍にいなかったし、外は明るかったはずだからだ。

『ところで、ますたーもアリシア様も、それにリニスさんもどうしたのですか。さっきから床に転がって』
「力尽きているだけ」
「うにゅー」
「にゃふー」

 俺とコーラルが話している場所より少し離れた所で、アリシアとリニスもまた、俺と同じようにリビングの床の上に転がっていた。スライムみたいにべちゃぁ、とまさに張り付いています。リニスさんもモップみたいになっている。

「俺たちはなめていたのさ、春からのとある攻撃に。今は三度のご飯といい勝負な放浪にすらいけなくなっちまったぜ」
『いい勝負なんだ…』

 ご飯は食べないと駄目だろう。1日の活力だし。

 しかし、この陽気な温かさは俺たちの思考能力を絶対吸い取っている。跳ね返す気力もわかないせいか、我が家にスライムが3体出来上がっちゃったんだしな。もうとにかく今はぐだぁー、としたくて仕方がない。春が俺のシリアス思考を攻撃してくるー。

「悲しいけどこれ、五月病なのよね」
『それでいいのか、5歳児』
「あれ、キャストも実は揃ってるんじゃね? これは『テスタロッサ家が五月病にかかったようです』がいけるかも。ツンデレ要因もちゃんといるし」
『本当に希望は捨てませんよね…』

 スライムになっても、俺の口はなんだかんだと回るようです。


 いや、だってさ。俺軍人でもないし、極々普通の一般人だよ。うん、一般人。頑張ることはするけど、無理はできねぇよ。だって俺が体調崩したら、家族に心配かけさせちまう。

 なによりもずっと緊張しぱなっしだと、それこそ消耗も激しいし、あまり効率的ではない。たまには休むことも必要だ。まだ大丈夫だろうし、休める時に休むことは大切なことなんだから。身体壊したり、精神的に参っちゃう方が本末転倒だよね。だから特に問題は―――


「―――えっ」
『ますたー?』

 俺はうつ伏せに転がっていた体勢から、勢いよく起き上がる。俺の突然の行動とこぼれた言葉に、不思議そうにコーラルが呼びかけてくる。だが、俺はそれに答えるよりも先に思考の海に沈む。

 俺は今何を考えた? なんで当たり前のように納得しているんだ?

 休むのはいい。体調を崩す訳にはいかないのも当然だからいい。


 だけどなんで、『まだ大丈夫』だなんて、根拠のない考えが出てくるんだ?


『どうかされたのですか?』
「あ、……大した、ことじゃない。あれだよ。あんまりごろごろしていたら、まじで床に貼りついちゃいそうだし、どっか気分転換に放浪しようかなって」
「ふえ、どっか行くの?」
「にゃー?」

 ごろごろしていたアリシア達が俺の提案に反応する。俺は2人の質問にうなずくことで返し、ゆっくりと立ち上がった。さっきの俺の返答が不自然に感じられたのか、コーラルが無言で俺の様子を見ている。

「よーし。せっかくだから、アリシアが前に行きたいって言っていた、『どうぶつのおうこく』みたいなところに連れて行ってやろう」
「えー! 本当に!?」

 さっきまでのたれアリシアから、元気が舞い戻って来たらしい。やったー、と腕をばんざいしながら嬉しそうに声をあげる。リニスもぶるぶると身体を振り、毛を舐めながらモップのようになっていた毛を整えていた。


「それじゃあ、それぞれ準備ができたら出発しようか。アリシア、帽子と水筒は忘れないようにな。お手洗いもきちんと行っておくように」
「はーい。行こう、リニス」
「なーう」

 アリシアは俺の注意に大きな声で返事をして、早速行動を開始した。リニスもそれについていきながら、楽しそうにしている。俺は2人を見送り、先ほどから静かになっていたコーラルへと向き合った。

「えっと、コーラル」
『ますたー、僕も準備してきます。デバイスにもお出かけするときに、実はいろいろ支度があったりするのですよ』
「……ありがとう」
『はいはい』

 コーラルはふわふわと飛んで、リビングから離れていった。気を使わせてしまったみたいだ。コーラルのこういうところは本当に助かる。俺が触れてほしくないことを察して、動いてくれるところがある。心配掛けさせちゃったし、俺も気をつけなくちゃいけない。

 でも正直、俺自身でも疑問だらけだ。もしコーラルに聴かれていても、どう答えればいいのかもわからなかったと思う。


「もう……春なんだよな…」

 俺の呟いた言葉が、頭の中で反芻する。そんな考え事をしながら、俺もお出かけの準備はしておく。

 これは俺だけが知っている分岐点。駆動炉に視線を向けながら、俺はさっきのことを思い出す。まだ大丈夫という考え方。平和ボケしていた? あるかもしれないが、そういう感じでもなかった。

 なんといえばいいんだろう、この感覚。まるで俺とは別に、俺の中の何かが答えを出していた感じだ。それを俺は自分の考えだと思い込んでいた?

 俺は事故がいつ起きるのかわからない。だから警戒はしている。けど、それなのに何故か俺は漠然とまだ大丈夫という気持ちがあるのだ。まだ事故は起きないような気がすると、違和感なく。

 そのせいか、さっきみたいにふと力を抜いてしまう時があった。もういつ事故が起きてもおかしくないというのにだ。その理由を、自分でもなんと表現したらいいのかわからない。


 近い感覚でいうと、『事故は確実に起きる』という理由もないのに確信していたあの時と似ている気がする。『今年は事故が起きない』と考察だけでそのまま終わらせていた時もあった。それと、『アリシアと星空を見る約束をした』時にも、そんな感覚があったような気もする。

 今思うと不思議だ。何故必ず事故が起きると言えるのだろう。希望的観測とはいえ、起きない可能性がないわけでもないのに。それに、事故が早まる可能性だってある。俺は自分の存在がイレギュラーだってわかっているのだから。それを探ってみても、やはりなんとなくとしか言えない。なんでだ?

 こんな理由もわからない、信用していいのかもわからないような「勘」に似た感覚。俺は前世でそんなに勘のいい人間ではなかった。というかそんなに勘がよかったら、前世で死んでなかった気がする。転生してから身につけたものなのか?


『転生することはできる。願いも世界観を壊さないなら、ある程度聴いてやることもできるだろう』

 あの時、死神はこう言っていた。その後に願いを確かに口にしたが、勘が良くなりたいとは言ってなかった気がする。ちゃんと願い通りに転生できているあたり、真面目な性格なんだろうけど。余分にオマケをしてくれるような感じではなかった。

 まぁ真面目だから、あんなことになっちゃったんだろうけどさ…。

『とりあえず、俺って好きなように生きて大丈夫なのか? エ○ヤさんとか来ない?』
『来ない来ない……はず』
『はずって何!?』
『いや、お前の場合死に方が特殊だっただろ。世界には合わせるが、お前の魂はそのままなんだ。もしかしたら、転生した先でなにか影響がでるかもしれん。さすがにエミ○さんは来ないだろうが…』

 死神とブラウニーで通じあえたことに、あの時は謎の感動をしていたが…。もしかして、ここかなり重要な部分だったんじゃね? 他にも色々話をした気がするけど、5年以上も前のことだからな…。


「お兄ちゃん、準備できたよ!」
「え、おう。バッチシだな」

 頭に麦わら帽子と肩に小さな水筒をさげた妹のお出かけルック。リニスもさらさらもふもふの毛を流している。俺も考え事をしながら、動かしていた手を止めた。

 あれだな。はっきりいって、悩んでも全然答えが出ない。なら、もうこれ以上悩んでも仕方ないだろう。時間がたてば、何か思い出すかもしれないし。これは一旦保留かな。

『ますたーもいけそうですか?』
「いけるいける。さっきはごめん。俺の中で一応、区切りは付けたから」
『そうですか』

 とりあえず、信用していいのかもわからないが、この勘も考慮に入れながら行動していこう。俺なりに注意しておけばいい。今回はこの違和感に気付けただけでもよかったと思うべきだ。

 それに、案外本当に俺の気のせいや思い込みの可能性もある。そんな深刻なことでもないかもしれないし。問題ごとが増えないならそれに越したことはない。

 俺はリニスを抱っこしたアリシアの背に手をおきながら、今日の放浪先について考えを巡らせることにした。さて、それじゃあ出発するか!


 俺の中にあるもやっとしたもの。俺がこの違和感を正しく認識できるようになった日は、そう遠くはなかった。



******



「見ろ、アリシア! これこそ動物の王国だろ!」
「わぁー、いっぱいだぁー!」
『……確かに動物はいっぱいいますね』
「……にゃー」

 おかしい、目の前に広がる光景に間違いはない。だというのに、コーラルとリニスに何故かあきれられている気がするのは俺の気のせいか?

 というか、リニスさんの目が俺の中で一番つらい。俺泣きそう。でも泣かない。だって男の子だもん。

「いいじゃん。危なくないし、アリシア喜んでいるし」
『それは確かに。サファリパークやら、ジュラシックパークに転移しなかっただけ褒めるべきでしょうか』
「にゃう」
「お前らの中の俺って…」

 絶対泣いてやるもんか。……しゃんなろぉ。

 俺の扱いがだんだん適当になってきたというか、スルースキルを身につけてきた気がする面々はほっておこう。それよりも今だ。俺だって1回ぐらいたわむれてみたかったんだよ。かわいいじゃん。もふもふじゃん。


「なんかこいつらって存在自体で癒してくるよな。こうオーラっていうか」
「すごくもふもふだもんねー」
『ますたーもアリシア様も本当に動物が好きですよね』
「うん、ナマコ以外」
『むしろナマコで何があった』

 まずは、俺の許容範囲の広さを褒めろよ。しかし、こういう雰囲気はやっぱり好きだな。のほほんとしているし、春の温かさともいいコンビだ。ぽかぽかだ。

 こうして目を閉じて耳を澄ますと、緑のにおいや空気のおいしさがわかる。まるで風と一体になって、ここら一面を吹き抜けているようだ。さらに、草原に響く動物達の鳴き声が優しく俺の耳に入って来る。ふっ、今日の俺は詩人になれるな。

「めぇー」
「めぇー! めぇー!」
「うめぇええええええええええ!!」
「らめぇええええええええええ!!」

「なんか似て非なるものが紛れこんでいるんだけど!?」

 ぶち壊しだよ! いろいろと!?


『それにしても、一面羊だらけですね…』
「まぁ、牧場だからな」
「めぇー。めぇー。お兄ちゃん似てた?」
「かわいいから100点満点です」
「やった!」

 コーラルに答えた通り、現在俺たちは牧場にいる。以前に妹が行きたいと言っていた、『どうぶつのおうこく』という絵本みたいに動物に囲まれています。それにしても羊の毛って弾力あるよな。意外に硬い感じはあるけど、手触りは面白い。

「まさにもふもふ祭りだぜ。ん、待てよ。どっちかというと、もこもこ祭りか? うーむ、これははたしてどちらの表現が羊にふさわしいのだろう」
「む! それは、むずかしいね」
「あぁ。羊たちの良さを伝える大切なポイントだ」
「もふっ、もこっ、むむむ…」
『楽しそうですねー』

 かなり投げやりなコーラルはさておき、妹と悩むが答えは出ない。羊たちに「どっちがいい?」と聞いてみるも、「知るか」というように普通に草食ってるだけだし。

 異世界の動物だからって、地球とあまり変わらない動物もいるんだな。みんなが、リニスさんみたいな感じじゃないんだ。むしろ、リニスになにがあった。原作の感じじゃ、おとなしいと思ってたんだけど…。

 お、そうだ。ここは元祖もふもふであるリニスに意見を聞いたらいいんだ。動物同士の方がわかり合えるかもしれないし。おっしゃ、これで問題解決だ。

「ん? そういえば、リニスはどこにいったんだ?」
『あ、そういえば静かでしたね』

 羊の群れに流されたかと思ったが、即刻否定。あのにゃんこがそんな軟なわけがない。俺は羊の群れから抜けだし、辺りを見回す。すると、さほど時間をかけることもなくリニスを発見することはできた。


「……にゃ」
「……わん」

 牧羊犬とエンカウントしていたが。


「……なぁ、コーラル。俺の目には、5歳の子どもでも抱えられてしまうぐらいの子猫と、すごく元気そうな大きめの犬がにらみ合っているんだが」
『はい、僕にも見えます』
「常識的に考えれば、子猫に加勢する場面だよな」
『常識的に言えば』

 俺はもう一度、2匹に目を向ける。穏やかな牧場に佇む姿。風が静かに2匹の間を通り過ぎ、サラリと草が舞う。時間が経つにつれ、緊張感はさらに増しているように見える。

 まさに一触即発。だが、俺たちは動けない。その動けない理由はただ1つ。

「……やべぇ、犬に加勢してあげるべきか。このままじゃ犬のプライドバキバキに折られるぞ」
『しかし、僕らが加勢したぐらいでリニスさんに勝てる気がしないのですけど』
「というか、そんなことしたら後が怖いよな。でもリニスに加勢すると、もはや弱いものいじめだし」
『止めるのも、僕らではきっと無理ですよねー』

 テスタロッサ家での序列がよくわかる会話だった。


「つよくいきろよー、わんこ」
『ふれーふれー』

 結論。俺たちはひっそりと応援することにしました。小声で棒読みになってしまったが、それは仕方がないということで。 応援はしたんで、決してただ見捨てた訳ではないよね。うんうん。



******



 羊たちとたわむれた後、少し牧場を探検することにした。ちなみにもふもこ議論は、羊はもこもこにしようで話はまとまった。やっぱりもふもふクイーンであるリニスにこそ、ふさわしい言葉だと認識したからである。うん、奥が深い。

 あっ、そういえばもこもこしている間に、ちょっと思いついたことがあったんだった。

「なぁなぁ、コーラル。魔法のことで少し聞いてもいいか?」
『魔法で? 珍しいこともありますね』
「いいだろ。それよりも俺ってさ、母さんみたいに電気に魔法を変換することができるのか?」
『ますたーがですか?』

 今まであんまり気にしていなかったけど、実際どうなんだろう。フェイトさんも母さんと同じように電気を使ってたし。

「確かあれって、遺伝的なものが大きいんだろ」
『はい。なので、ますたーも魔力変換資質を持っている可能性は高いと思いますよ』

 ゲームとか漫画で、火属性の魔法とか、氷属性の魔法とか呼ばれるものがあるだろう。リリカルの魔法は、そういう属性に当てはめれば、一般的には無属性の魔法だ。けど、これに炎や氷の属性をつけ加えることはできる。属性を付け加えるには、魔力を変換して使用すればできるのだ。大変だけど。

 この変換を、意識することもなく発動させられる魔導師がたまにいる。それが、魔力変換資質を持つ魔導師だ。つまり「炎」の資質があると、普通に魔力弾を撃っても、勝手に火炎弾に変わるのだ。すげぇ。まぁそのせいで、無属性の魔法を使うのは大変になるけど。それでも、メリットは大きい。

 母さんは「電気」の魔力変換資質を持っているため、息子の俺にも使えないかどうか疑問に思ったのだ。もしも使えるのなら、ぜひ試してみたいことがある。


『しかし、いきなりどうしたのですか? 魔法のことですし、電気を使いたい理由があるのでしたら、僕も協力しますよ』
「大したことじゃないんだけどさ。……静電気を使って羊たちの毛を一気に上に立たせたら、面白い生き物が出来上がりそうだと思って」
『…………』

 結局この日、コーラルが俺に協力してくれることはありませんでした。



「お、牛の乳搾り体験があるぞ」
「乳しぼりって?」

 さらにぶらぶら歩いていると、牧場の片隅にぽつんと建てられている小屋があった。中には牛が何頭かおり、のんびりしている。先ほど目に付いた看板に目を向けると、やはり体験ができるらしい。……ん?


『牛の乳搾り ~体験しません? 魅惑の感触をその手で感じながら~』


「…………」
「お兄ちゃん? 看板に何か書いてあるの?」

 転移。

「ふぅ。またつまらぬものを転移させてしまった」
『私有物勝手に転移させちゃ駄目でしょ!?』

 後で妹と体験が終わった後に、元の場所には戻しておけばいいだろ。アリシアに内容聞かれたら、コウノトリ並みの夢物語語らないといけないだろが。いやだよ、そんなの。

 とりあえず妹に乳搾りの内容を教えてみる。牛乳嫌いの妹は最初はえー、という感じだったが、体験はしてみたいらしい。乳製品とかは食べられるのに、牛乳は駄目なのか。俺にはその好き嫌いの基準がわからん。

 あ、あれか? エビは嫌いだけど、海老フライなら食えるみたいな感じ? 機会があったら誰かに聞いてみよう。


「それじゃあ、早速体験するか!」
「うん!」
『あっ、ますたー。どうやら先客がいらっしゃるみたいですよ』

 コーラルの言葉に、俺は小屋に向かっていた足を止める。本当か? それじゃあマナーとかに気をつけなくちゃな。小屋の中を覗くと、奥の方に確かに人影がある。先に挨拶しといたほうがいいかな。大人の人みたいだし、もしかしたらやり方教えてくれるかも。

 もしものために、俺はアリシアに少しの間コーラルと待っておくように言っておく。そのまま挨拶をしようと近づくと、相手がおじさんだとわかった。何やらぶつぶつ呟いているが、怪しい人じゃないよな。俺はその呟きを聞こうとそろそろと近づいた。


「ちくしょう、なんてこった。この近くの温泉にも混浴がねぇ。牧場近くなんだから、雰囲気にも開放的にしやがれよ。どっかに桃源郷がねぇかなー。最近じゃ、俺ほどの領域に辿り着けるやつもいねぇ。それより、本当になんで混浴温泉が全然見つけられないん…」

 転移。

「ふぅ。またつまらぬものを転移させ―――」
『人を勝手に転移させちゃ駄目でしょォォ!!!』

 あれは確実に怪しい人だった。だって、アリシアの教育上よろしくなさすぎる! 欲求不満すぎるぞ、あのおっさん! 水辺の近くに転移するようにしたから、運が良ければ水着のお姉さんに会えるかもしれないし、きっと許してくれるよ。春だけど。

 なんだかんだあったが、とりあえず体験だけはした。牛乳は俺がおいしく飲みました。



******



「楽しかったなー」
「ねー」
『ですねー』
「にゃん」

 あれからもう一回羊に突撃したり、のんびり歩いてみたりした。ちなみにリニスは無傷でした。こっそり覗きに行ったら、なんと仲良くなっていたのである。2匹で一緒にいたし。犬が服従のポーズのまま、しっぽが股の間でぶるぶる震えていたが、それは見なかったということで。

 たくさん遊んだし、そろそろ帰ろう。こういうのんびりした場所って、時間の流れもすごくゆっくり感じられた。夕陽が空を赤く染めだしており、それが広い草地にも照らされている。なんだか幻想的だなー。


「あっ!」
「お?」
『どうしました?』

 景色に気を取られていた俺の隣で、妹が何かを見つけたのかしゃがみこんだ。妹に抱っこされていたリニスも驚いたのか、妹の腕からとんっと抜け出し、足元に着地する。アリシアの行動に不思議そうに覗きこんでいた。

「うさぎさんがいた!」
「え、まじで。どこどこ」
「ここっ!」

 妹が元気よく差し出してきたのは手のひら。そこには、小ぶりの小さな石が乗せられていた。ちなみにうさぎさんがライダーさんを怒らせて石化させられたとかではなく、もともと石なのであしからず。長い耳がついた様な丸い石。確かにうさぎの形によく似ていた。

「へー、かわいいな。四つ葉とかこういうのって見つけたらなんか嬉しくなるよな」
「うん! うさぎさん、お母さんに見せてあげるの」
「いいんじゃないか。せっかくだし、リビングのテーブルの上にでも飾ってあげようぜ」
『それはいいですね』
「にゃー」

 アリシアはぎゅっと手のひらにうさぎの石を包み込み、大切そうに運ぶ。こんなにも喜んでくれる相手がいると、こっちも連れて来てよかったと思える。これだから、ぶらぶらするのをやめられない。

 それに今日はいい気分転換になった。久しぶりにこんなにも騒いだよ。……なんだか気持ち的にも少しすっきりしたし。


「アリシア」
「なに?」
「ありがとな」
「え、なんで?」

 なんとなく、と俺は笑って答えを返す。俺からのお礼の言葉に不思議そうにしながらも、アリシアはこくんと受け止めてくれた。その後妹は、石を持っている方とは逆の手を口元に持っていく。この仕草は、妹が何かを考え込む時によく出てくる癖である。

 どうしたのか、と俺は思ったが、妹はすぐに手を下ろし、俺ににっこりと笑みを見せた。

「お兄ちゃんもありがとう」
「え?」
「なんとなく!」

 俺の真似をしながら、アリシアも楽しそうに笑った。そんなやり取りに、最後はみんなでおかしくなって笑ってしまった。帰ろう、と俺に差し出された手。それに返事をしながら俺も手を伸ばし、その手を握り返した。


 夕日が俺たちを包む中、静かに羊の鳴く声が聞こえた。

 

 

第十五話 幼児期⑮



「むぅ、でもこの方法じゃ後で…。まぁ、今は思いついたものをメモっとけばいいか」

 俺はさっきまで考えていた内容を、とりあえずメモ帳に書き込むことにする。メモを書き始めてから、もう2年以上経つ。最近は書く頻度が増えたため、メモ帳も3代目に先日入った。新品の物って、なぜか最初に使う時に緊張してしまうよね。1回使ったらそうでもないのに。

「なるほど。これが海外の方でも人気になった『MOTTAINAI!』精神なのか。かっこいいじゃないか」
『ただの貧乏性だと思いますよ。でも、今のは無駄に発音が良かったですね』

 でたな、ツッコミめ。俺はメモ帳を閉じて、リビングに現れたコーラルの方へ振り向く。そうだ、ちょっとからかってやろう。

「どうやら落として上げられたみたいだ。コーラルが俺を攻略しに来たみたいです」
『Is your head okey ?』

 つい勢いで、メモ帳をぶん投げてしまった。クリーンヒット!


 アリシア達との牧場放浪から幾日過ぎた今日。日程的には少し早いが、あるイベントが前倒しで先に行われることとなった。俺はその準備を早々に終わらせたため、余った時間で日課であるメモ書き活動に勤しんでいたのである。

『それより、最近よくメモ帳に書き込んでいますが、何を書いているのですか?』
「……さっきのやり取りを、『それより』でもはや流せてしまうとは」
『慣れって怖いですよね』

 何事もなかったかのように復活したコーラルに、俺は戦慄する。どうやら魔法で咄嗟にシールドを張ったらしい。防御魔法便利だな。魔法の補助機がマスターよりも魔法が上手いという現実には、目をつぶっておく。というか、使ってるの俺の魔力だし。

 俺は投げたメモ帳を拾いに行き、またソファに身体を沈めた。右手に持っていた鉛筆を指でくるくる回しながら、半眼でコーラルを見てみる。なんかコーラルの俺に対する扱いが、かなり軽い気がするんだけどなー。

 だんだん強かになってきた相棒に喜ぶべきか、修理に出すべきか。そういえば、防御魔法の展開速度が上がったって前に言っていたか。その理由が、これ以上のリニスのおもちゃ化回避のためにというのは、少しほろりと来たが。


「あー、メモ帳には俺が思い浮かんだアイデアを書き込んでいるだけだよ。将来的にちょっと考えないといけないことがあってね」
『将来のことですか?』
「うん。といっても今はやらないといけないことがあるから、本当にメモ書きみたいな感じだけど」

 とりあえず、コーラルに聞かれたので簡単に答えることにしてみた。内容に関してはぼかしたが、コーラルはそれで納得したみたいだ。助かるけど、そういえばコーラルってあんまり俺の行動や言動を深く聞いてきたりはしない気がする。魔法関連以外は。

「コーラルってさ、内容は深くツッコんでこないよな」
『ますたーの深層心理はほとんどが混沌とした何かですし、深く聞いたら僕のAIが故障しそうで…』
「やっぱお前、俺への敬い度ゼロだろ」

 主従関係を持ち出すつもりはないけど、せめてもうちょっと敬ってよ。俺一応マスターだよね。


 そんな日常会話も終わり、俺はメモ帳や筆記用具を傍にあるテーブルの上に置いた。一度背伸びをすると、硬くなっていた身体が解される。ついでに首も回しておこう。

 メモに書いていて思うけど、あんまりこれだ! という解決方法はやっぱり思い浮かばないな。思い浮かんでも、俺じゃあ出来なさそうだったり、失敗しそうな内容も多い。俺に出来る範囲でやれることを考えていかないといけない。


 ―――頑張るだけの価値は、絶対にあるはずだから。


 俺なりに頑張ってみせると決めた。原作から逃げることをやめたんだ。俺が未来を変えることで、物語の歯車は確実に狂う。なら、もう堂々と原作に介入してやる。未来のそのまた未来にも、立ち向かってやろうじゃねぇか!

 ……と、かっこよく決めてみたが、ぶっちゃけると俺ができる範囲でが条件なんだけどね。そのせいで、未来が結局何も変わらなかったのだとしても……どうしてもこれだけは崩せない。俺の優先順位だけは絶対に変えられないからだ。

 俺にとっての1番は、アリシア達と幸せに暮らしていくことだ。だから、原作介入も正直大したことはできないと思う。俺が怪我したり、もし死んでしまったら、みんなを悲しませてしまう。俺に何かあったら家族を不幸にしてしまうのだ。自惚れでもなく、それだけの愛情をもらっているとわからないほど鈍感じゃない。だから俺は、無茶だけはしたくない。

 罪悪感はある。責任もある。彼女たちに幸せになってほしいとも思う。そのために頑張りたいとも思った。それでも俺は、自分の幸せを彼女たちのために捨てられるほど、お人よしではない。自分のことばっかり考える、薄情な人間だろう。


 それに、俺が彼女たちのために頑張ろうと思った本当の理由はきっと―――


「ごめんなさいね、アルヴィン。待たせちゃったかしら」
「おまたせ、お兄ちゃん」
「ふにゃん」

 お出かけ用の服装に着替えたアリシア達が、リビングへと入ってきた。俺は先ほどまで考えていたことに頭を振って打ち消す。うん、大丈夫。今はこっちに集中しよう。さっきまで考えていたことだって、運命の日が終わった後にじっくり考えればいいさ。

「そんなに待ってないよ。おっ、みんなおしゃれに決まってるな」
「でしょ! このお洋服ね、私のお気に入りなの」

 褒められたのが嬉しかったのか、妹はスカートの端を手に持って、くるりと回ってみせる。アリシアの好きな緑色の大きなリボンと若葉色のワンピースがよく似合っている。

 母さんも淡い優しい色合いの服が、落ち着いた印象を与えている。普通に美人だよな。いつもの仕事用の白衣も似合っているけど、俺はこっちの方が好きだな。

 リニスもナイスもふもふです。

「アリシアって水色とか黄緑色とか明るく映える色が好きだよな。そういう色の服も多いし」
「あ、そうかも。でも、お兄ちゃんは暗めの色が多いよね」
「あー、目立つ色ってどうも苦手なんだよな…。それに、いろんな服に合わせやすいし」

 俺の服装は、白いシャツの上に紺色の上着を着込み、黒いズボンをはいたといういたってシンプルなものだ。髪も特にいじってない。というか、いじるほどの長さもないし。坊主とか短すぎるのはいやだから、多少の長さはあるけど。俺は母さんと同じでちょっと癖っ毛がある髪だから、あんまり伸ばすとはねるんだよな。

「でも、もう少しおしゃれしてみてもいいと思うわよ。きっと似合うわ。いつかみんなでお買い物に行ってみましょうね」
「ほんと! じゃあ私ね、お兄ちゃんにぴったりのお洋服見つけてあげる」
「はは、そん時はよろしく頼むよ」

 俺は笑みを浮かべながら、ひらひらと手を振っておいた。アリシアはお買い物に行く日が楽しみなのか、どんな洋服を見ようかもう考えているようだ。さすがに母さんも忙しいだろうし、行くならきっと開発が終わった後になるんだろうな…。


「アリシア。あんまり先のことばっかり考えてたら、鬼さんに笑われるぞー」
「えー、鬼さんに?」
「そうそう。先のことも大切だけど、今この時も大切なんだぞってな」

 ばあちゃんに昔、そんなこと言われたしな。俺もまずは自分がやるべきことをやってから、これからを改めて考えていけばいいさ。焦っても仕方ないしな、うんうん。

 あ、そういえば異世界だし、鬼とかもちゃんといたりするんだろうか。いろんな種族がいてもおかしくないだろうし。やっぱりパンツ派だろうか。いや、意外にブリーフを穿いたり、ブーメランでおしゃれしているかもしれない。異世界の鬼だし。もしかして、柄もトラ柄のみならず、シマウマとか高級感溢れるものの可能性も…!

「鬼もおしゃれ期に突入か。毎日がまさに勝負パンツとかさすがは次元世界の鬼」
『もう服ぐらい着てるんじゃないですか』
「じゃあ、リニスは服を着てないから鬼さんよりもすごいの?」
「にゃうにゃう」

 違うから、むしろ一緒にしないでね、というように首を横に振るリニス。まぁ、動物にとっては毛が服みたいなものか。毛がいっぱいある動物ほど、無くなったときのビフォーアフターは言葉を失うほどだからな。

 それにしても、リニスはなんだか最近、突然の振りにあまり慌てなくなってきたみたいだ。ちょっと残念。慌てた姿はかわいかったのに。

 ちなみに、『リニスさんのからかい要素が…』とどこか悔しそうにしているデバイスの独り言が、後方からぼそりと聞こえてきた。……うん、俺は何も聞いてない。同じことをほんの少しばかり思ったけど、口には出してない。


 だから地獄耳の子猫が1匹、ゆらりと臨戦態勢を取りだしたのを見て、素知らぬ顔で距離を取った俺は悪くない。最近ちょびっと調子に乗っているみたいなので、一発やって下さいお猫様、なんて思っていませんから。力のないマスターを許してくれ、コーラル。

 心の中で俺は合掌する。俺は相棒を救うことも出来ない、無力なマスターだ。だから俺は、アリシアと母さんと楽しくおしゃべりをしながら、悲鳴が聞こえなくなるのを待つことしかできなかった。



******



「おぉ、綺麗に花が咲いてるなぁ」
「ほんとだ! お母さん、お花がいっぱいあるよ!」
「えぇ、とってもきれいね」

 思わず感嘆の声をあげた俺とアリシアは、目の前に広がる花々に目を奪われる。一面に白やピンク、オレンジといった様々な色や種類の花が咲き乱れている。晴れ渡る青空に浮かぶ雲の影が、いくつも平坦な地面に伸びていた。

 さらに青い衛星がはっきりと空に点在しているのがわかる。これを見ると、地球との違いを改めて感じるな。月や太陽ぐらいの大きさの星が、いくつも空に浮いているのだから。まぁ、今は見慣れたものなんだけどね。

 なんだか見ているだけで壮観な景色だ。障害物がほとんどなく、広原がどこまでも続いている。前にピクニックに行った時は、観光客の人も何人かいたけど、今日は俺たちが独占できるらしい。気候もよく、さわやかないい風がそよいでいる。

「気に入ってくれたかしら?」
「うん、驚いた。こんな場所が結構近場にあったんだね」
「そうよね。なんでも穴場だって教えてくれたわ」

 母さんいわく、開発チームのみんなが教えてくれたらしい。俺たちの今住んでいるところは自然の多い地域だから、今までよく一緒にアリシアと探検に出掛けていた。

 そこで洞穴を見つけたり、『このぉ木なんの木』のような巨大な木を見つけたこともあった。だけど、こんな場所は知らなかったな。灯台もと暗しとはこういうことか。


「でも、ごめんなさいね。本当ならピクニックは、2人の誕生日に連れて来てあげたかったのだけど…」
「仕方ないよ。その時には研究も大詰めなんでしょ? さすがにそんな時に主任の母さんが1日あけちゃうのは、まずいことぐらいわかってるよ」
「それに、お誕生日の夜は一緒にお祝いできるもん! 私、お母さんやみんなとこうしていられるだけですごく嬉しいよ」
「……ありがとう、2人とも」

 母さんは俺たちの言葉にふわりと微笑む。実際、俺も妹も今回のお出かけに不満は一切なかった。確かに毎年誕生日は、1日をみんなで一緒に過ごすし、ピクニックに出掛けていた。記念日は大切だけど、でもそれにこだわって母さんが無理をする方が、俺たち兄妹にとっては見過ごせないことだったからだ。

 おそらくもう、母さんがこんなふうに休みを取れる日は開発が終わるまでないと思う。今日だって、開発チームのみんなが、母さんや俺たちのためにとわざわざ時間を作ってくれたのだから。みんなには小さい頃によく遊んでもらったし、今でも忙しいのに時々様子を見に来てくれることもある。

 母さんやそんなみんなが、俺たちのために作ってくれた日。それだけで今日という日が、誕生日に負けないぐらい大切な日なんだと俺は思っている。うん、今日は楽しい1日になるといいなー。



「よーし、私が1番乗りだぁー!」
「あ、ずりィッ! だけど、このぐらいの距離ならすぐに追いつけ……ぐほォッッ!!」
「にゃー!」

 アリシアが花畑に向かって走り出したのを見て、俺も追いかけようとした。……後頭部に衝撃が来て、息が詰まってしまい、それどころではなくなってしまったが。

「ナイスだよ、リニス! 私たちのチームプレーの勝利!」
「ちょッ、普通にせこいんだけど!?」

 アリシアがリニスに向かってサムズアップ。リニスも後は任せなさい、というように立ち塞がる。俺とアリシアでいろんなことで勝負することはあるけど、これはひどくないですか!? リニスにいきなり後ろから、頭を踏み台にされたんだけど。


「なんだよ! さっきまで空気を読んで静かにしていたくせに! というか、やっぱり今のズルいだろ!?」
『普通に勝負で、転移使ってる常習犯が何を…』
「…………まずは、リニスをどうにかしないと駄目だな」
『ズルの自覚は微妙にあったのですね』

 お前はどっちの味方だ。まだリニスにおもちゃにされた時、助けなかったことを根に持ってんのかよ。あれはどうしようもなかっただろうが。

 とにかく、リニスが近くにいると転移に集中できない。俺が転移しようとした瞬間には、もう飛びかかってきてそうだ。なんという反応速度。このにゃんこがここで立ち塞がっているということは、それができるだけの自信があるということだろう。くっ、なんて手強い相手なんだ。

「うまく逃げながら、隙をついて転移するしかないか」
『転移使うのは、やっぱり確定なのですね』

 リニスの後ろを通り抜ける方が難易度高いだろ。それにしても、アリシアがこんな作戦をたててくるとは。明らかに、俺が転移を使ってきそうだと読んでいたみたいだ。でも、さすがになんでもかんでもレアスキルを使っているわけでは、ないはずなんだけどな…。

 だが、いいだろう。そっちがその気なら俺だって負けられるか! こうなったら俺の切り札を使ってでも、リニスを乗り越えてやるぜ!


「みんな元気ね。もうこんなにも、はしゃいじゃって」
『マイスターもだいぶ図太くなりましたよね』
「……どんなことも、自分が受け入れるだけの気持ちがあれば、前に進めるものよ」
『そんな目をそらしながら、語られても』

 そんな俺たちの行動を、生温かく見守る母さんでした。



******



「納得いかない。なんなの、この子猫。マタタビの誘惑にすら、魅了されないなんて」
「ふっ」
「何その爪が甘いな、という顔は。確かに俺もリニスがマタタビに屈する姿が想像できなかったとはいえ、一応猫だろ。ライオンもごろごろ言わせんのに」
『リニスさんもリニスさんですが、マタタビ持ち歩いていたますたーも、色々おかしいですよね』

 隙ぐらいはつくれるかと思って、準備はしていた。あと、ごろごろ言うリニスが見たかったのもあるけど。俺がマタタビを持っているぐらい、そこまでおかしくないだろ。

「しかも勝負が終わった後、マタタビ強奪されたし」
「せんりひんって言うんだっけ?」
「アリシアには、俺のサンドウィッチ1個あげたじゃん」

 結局勝負はアリシアの勝ちだったため、お昼のお弁当を分けることにしました。現在は、レジャーシートを敷き、その上に母さんが作ってくれたお弁当が広げられている。バスケットの中には、俺たちの大好物でいっぱいだった。

 俺はサンドウィッチを嬉しそうに食べる妹と、マタタビと戯れるリニスを見ながら、唐揚げを1つ口の中に放り込む。皮のパリパリ感と、中の柔らかさが絶妙だ。おいしい料理を前に悔しんでいるばかりでは申し訳ないし、気持ちを切り替えよう。嬉しそうな2人を見れてよかったしね。


 あの後、花畑に突撃した俺たちはたくさん遊んだ。それに、母さんに花の冠の作り方を教えてもらったため、アリシアと一緒に作った。結び目が絡まったり、ずれたりでなかなか難しかったけど。母さんに指導してもらいながら、ようやく形になった時は嬉しかったな。

 ちなみに今は家族全員、頭の上が花畑になっていたりする。器用さを発揮したアリシアが、リニスや母さんの分も完成させたからだ。最初は母さんも恥ずかしがっていたが、今は普通にお茶を飲んでいる。コーラルの上にも指輪のような小さな花が飾られていた。

「ふふん、お兄ちゃんに勝てたー」
『えぇ、さすがはあのますたーの妹様です』
「コーラルはどういう意味だ。だけど、次は絶対に勝ってやるからな。それに今回のお兄ちゃんには勝てたかもしれないが、これからさらに第2、第3の俺と出てくるかもしれないぞ!」

 みんなの手が一斉に止まった。

「……お兄ちゃんがいっぱい」
「……にゃぁ」
『……うわぁ』
「……いっぱいのアルヴィン」

 ネタに素の反応を返されました。



******



「そうだわ、ねぇ2人とも。少しお話を聞かせて欲しいのだけど、いいかしら」

 一服していた俺たちに向け、母さんが思案した表情を浮かべながら質問してきた。俺もアリシアも不思議そうにしながらも、大丈夫なことを伝える。どうしたんだろ、改まって。

「もう少ししたら、2人の6歳の誕生日が来るでしょう? お誕生日のプレゼントに何か欲しいものはあるかしら?」
「え…」
「お誕生日に?」

 花畑に来たことで、もしかしてと思っていたけど。そうか、ここがあのシーンだったのか。母さんがこのタイミングで、この質問をしてくることは特におかしなことではない。でも、やはり原作通りの場面が起きたことに、なんともいえない感覚がある。

 やはりこの世界は、物語とは切って離せないということなんだろうか。コーラルというデバイスが出来ても、リニスが超アグレッシブになっても、リリカル物語が軸としてちゃんとあるのかもしれない。俺がいたことで、本当に原作は変わるのだろうか。変えられるのだろうか。

 俺にとって初めての原作との邂逅。納得していたと思っていた小さな不安が、俺の中に再び芽生える。


「えぇ。プレゼントはすぐに用意できるかわからないけど、今年中にはきっと駆動炉の開発も落ち着くと思うわ。だから、2人の意見を聞いておきたかったの」

 6歳の誕生日。本来の未来では、決して迎えることはなかった日か。……しっかりしろ、俺。不安なんて考えたら、いくらでも出てくるに決まっている。一度決めたのなら、突き進むしかないんだ。物語の運命に立ち向かうんだろ。

「よっしゃあ。それなら俺は、探索マップみたいなのが欲しい! そういうのがあったらさ、もっと放浪の幅が広がりそうだ」
「ふふ、アルヴィンらしいわ。危ないところには、いかないように注意しないと駄目よ」
「もちろん」

 実際に欲しいと思っていたしな。RPGとかで、マップ100%達成とかよくやってたし。こう自分の歩いた場所が目に見えると、埋めていく達成感とかもある。知らない場所だと、地図があるかないかでかなりちがうしな。当てもなく放浪したい時は、ぶらぶらしたらいいし。


「アリシアはどう? 何か思いつく?」
「私は…」

 妹はうーん、と口元に手を持っていく。アリシアの欲しいもの。俺は自然とその答えに身構えていた。俺の知っている、物語としての未来が頭をよぎる。

 ふと気付くと、アリシアが俺の顔を見つめていた。俺は顔が強張っていたのかと思い、慌てて顔を手で触ってみるが、特に問題はなさそうだ。どうしたんだ?

「……あっ」

 アリシアは俺の顔を見据えながら、小さな声をあげる。どうやらプレゼントが思いついたらしく、何度も確認するようにうなずいている。妹は俺から視線を外し、母さんの方へと向き直した。

「あのね、お母さん」

 アリシアは、うきうきしたように言葉を続ける。その時、俺は記憶にある妹の言葉を思い出していた。そう、アリシアの言葉の続きは確か―――


『私、妹が欲しい!』

「私、お姉ちゃんになりたい!」


 ……そうだ、こんなふうに妹が欲しいと言って。…………あれ?

「ア、アリシア。その、お姉ちゃんになりたいの?」
「うん!」
『まさか、このような下剋上の仕方があったとは』
「にゃう」

 そこ納得しないで。感心しないで。いや、あのちょっと本気で待って下さい。突然のことに頭がフリーズして追いつかないのですが。似たような感じだけど、なんか違うよね。 原作と違う言葉になったとか、そこかなり重要なんだけど。それよりも今の言葉の方が、俺としては衝撃が大きいんですけどぉ!


「わかったわ。……アルヴィン」
「え、あの母さん。俺も確かにアリシアのお願いは聞いてあげたいのですけど、俺にもこうプライドというものがありまして」
「今日から、弟になってくれる?」
「こんな展開聞いてないよ!?」

 お兄ちゃんから、弟ですか!? 確かに産まれる順番は、双子だから僅差であることは間違いないけどさ。それでも、お兄ちゃんと弟の差は大きいよ!

『ますたー。妹の……いえ、お姉さんのささやかなお願いを聞いてあげましょうよ』
「にゃ……ぷっ。にゃうにゃー」
「完全アウェー! わかっていたけど、この家族アリシアに甘いよ! 俺も自覚あるけどさ!!」

 というか、完全に面白がっているだろお前ら。リニスなんて噴出したの見たぞ。

 えっ、というか何がどうしてこうなった。未来に立ち向かう不安とか、原作の運命を変えられるかとか悩んでいたじゃん。さっきまでのシリアスはどこにいったの!? 戻ってきて、シリアスさん!


「アルヴィン」
「母さん、俺…」
「どんなことも、自分が受け入れるだけの気持ちがあれば、前に進めるものよ」
「俺の目を見ながら、せめて言ってよ」

 そんな悟ったように言わないで、母さん。今までどんな理不尽な目にあってきたのさ。やっぱりそれだけ、仕事が大変だったんだろうか。

 母さんだって、よくわかんないけど現実を受け入れているんだ。この結果でアリシアが喜ぶのなら、俺だって覚悟を決めよう。大丈夫、俺が俺であることは変わらないさ。立場が変わっても、アリシアを守っていくことは出来る。

 俺はぎゅっと拳を握りしめながら、アリシアに歩み寄る。母さんたちも、固唾を呑んで見守っている。さようなら、―――今までの俺。


「ア、アリシアお姉ちゃ……」
「お兄ちゃん、どうしたの?」

 君が俺をどうしたいのか聞きたいよ!?



******



「あぁ、うん。やっぱりそういうことだよな。俺もそうだと思ってたんだよ、うんうん。……ほんとによかった」
『まぁ、アリシア様はますたーのことを、兄として慕ってくれていますからね。もともとそういう意味で言ったのだと思いますよ』
「そ、そうか。でも、妹か…。やっぱり難しいよな」

 あれから家に帰り、俺はソファの上でぐだぁっと倒れ込んでいた。なんか精神的にどっと疲れた。ピクニック自体は楽しかったんだけどさ。

 アリシアのお願いだが、別に俺のお姉ちゃんになりたかったわけではないらしい。そこは心底安心した。うん、やっぱり俺はお兄ちゃんがいい。もちろん、アリシアがお姉ちゃんなのが、いやだという意味じゃないんだけどねー。気持ち的なものでして。

「……守っていきたいか」

 アリシアは母さんと一緒に、晩御飯の準備をしている。リビングとキッチンは繋がった構造なため、ここからでも2人の様子がよくわかった。楽しそうに頑張っているようだ。

 そんな姿を見ながら、俺はあの時のアリシアの言葉を思い出していた。


『あのね、私今が好きだよ。みんながいるからいつもすごく楽しいの。だけどね、時々それだけでいいのかな、って思っちゃうんだ』

 原作のアリシアが妹を欲しいと思った理由は、なんとなくだけど想像は出来る。寂しかった思いと、母さんを支えたい思いが、それに繋がったんじゃないのかなと俺は考えている。

『私はいつも、みんなに守ってもらってるよ。大切にされているよ。でもね、私も守っていきたいの。お兄ちゃんみたいにお母さんに頼りにされて、みんなを笑顔にしてくれるような、そんなお姉ちゃんに私はなりたい』

 自分を変えたいという思い。俺がいることで、変わるものがちゃんとあるのだと気付いた。確かに俺がいても、変わらないものもあるだろう。それでも、物語に囚われる必要はないんだと感じた。だって俺たちの可能性は、いくらでもあるんだとわかったから。

『もし私にも妹がいたら、今の私みたいに一緒にいてくれて、嬉しいと思ってくれるような、そんなお姉ちゃんになりたいなって思ったんだ。しっかりした私になって、妹を大切にしていきたい』

 その後、もちろんお母さんやお兄ちゃん達を守れるようにも頑張るよ、と笑顔で伝えてくれたっけな。


『ますたーの影響でしょうかね。まだ幼いですし、おそらく自分にも守るべき存在ができたら、変われるのではないかと思ったのかもしれませんね』
「そういや、兄は妹を守るもんだって言ったことがあるかも」

 アリシア自身、妹が欲しいとは言ったが、今はまだ違うらしい。欲しいなとは思うが、しっかりしたお姉ちゃんになれたら、頼りにされるような自分になれた時がいいと言っていた。今回の誕生日プレゼントは決まらなかったようで、また今度までにちゃんと考えておくことになったようだ。

 さっきも口に出した通り、アリシアに妹が出来る可能性は難しいだろう。それでも、もし出来たのなら、きっと素敵なお姉ちゃんになれるんだろうな。明るくて、優しくて、真っ直ぐに向き合って支えてくれるような、そんなお姉ちゃんに。


 ―――現実でもこんなふうに、いたかったなぁ。


 ……守ってみせるよ、俺は。お兄ちゃんとして、大切な家族として。この世界で笑っていけるように、俺たちの物語を始めていくよ。


 
 運命の日は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

第十六話 幼児期⑯



 「運命」ってなんなのだろう。

 ゲームや漫画とかによく出てくる単語ではあるけれど、俺は正直よくわからない。実際にあるのかもしれないし、ないのかもしれない。そんなあいまいなもののように、俺は思っている。

 少なくとも俺は、良い運命なら喜び、悪い運命ならがっかり、そんな程度の占いのように感じていた。というか、あんまり深く考えたこともなかった。そう思うと、あまり「運命」というものを、俺は信じていなかったのだろう。


 だけど、この世界に転生してからは、時々そんなことを考えるようになった。俺がここにいるのは、偶然なのだろうかって。もしかしたら、運命だったのかなって。そんな風に。

 でも、どっちだろうと俺はもうここにいる。ここで生きている。なら、もうあんまり意味のない考えなのかもしれない。それでも、もし俺がここにいるのが必然だったのなら。こんな物語のど真ん中に、死亡フラグ満載なところに、理不尽だと叫ぶようなそんな場所に、転生することが決まっていたのなら。


『おめでとうございます。元気な男の子と女の子ですよ』
『はい。ふふ、かわいらしいわ』
『お前も、この子たちもよく頑張ったな』

 優しいぬくもり。温かい声。隣に感じる大切な片割れ。祝福してくれる思い。

『アルヴィン、アリシア、生まれてきてくれてありがとう』

 まずは、この人たちに出会わせてくれたことに、感謝したい。大切な存在に巡り合わせてくれたことを、心から。


『お兄ちゃん、がんばって!』
『ますたー、ここの公式が間違っていますよ。解説をしっかり読まないと……わわ、頭から湯気がー!』
『にゃぁー!?』

 そして、次に殴りとばしてやる。俺はわがままなんだ。それが運命だったのだとしても、俺の大切なものを奪いに来るのなら、全力で抵抗してやる。それこそ、運命が自分から呆れて、匙を投げ出したくなるぐらいに足掻きまくってやる。そう、決めたんだ。

 だから、諦めてたまるか。こんなところで死んでたまるか。死なせてたまるか。死神をとりあえず一発ぶん殴るのは確定しているけど、そんなのずっとずっと先のことなんだ。


 だから、俺はただ前を向く。運命にだって抗うんだろ。後悔している暇があるのなら、これ以上の後悔を積み重ねないように動くしかないんだ! 走れ、走ってくれ! 届いてくれェ!!


 俺は気づくべきだった。運命に立ち向かう、物語に立ち向かうよりも前に、俺が立ち向かわなければならなかったものを。それに気付いたのが、よりにもよって今だった。いや、今だったからこそ、気付けたのかもしれない。

 「死」という、終わりをすぐに感じることのできるこの瞬間だったからこそ。


『死にたくない』


 また俺の中に響く声に歯噛みする。胸が張り裂けそうなくらい痛い。身体が鉛みたいに重い。吐き気も襲ってくる。認めたくなかったけれど、間違いない。自分のことだからわかる。この声は、俺の声だ。

 一番の敵は、俺自身だったんだ。



******



 ――数刻前――


 俺はベランダの手すりを手でつかみながら、そこから見える景色を眺めていた。5歳児の身長だと、まだまだ手すりの上の方には届かない。やっぱり背が小さいなー、ともう見慣れた高さとはいえ、今の身長は少しばかり不満に思う。

 ここでは、俺と妹以外に子どもの姿はない。最低でも20代の大人が駆動炉で働いている。妹以外に身長を比べる相手がいないから、俺の年齢での平均がよくわからない。たぶん低過ぎてはいないはずだけど。今度クラナガンで放浪する時は、しっかり見ておこう。


「良い風だなー」
『そうですねー』

 コーラルと黄昏ながら、なんとなく会話をする。それにしても、本当に風が気持ちいい。太陽の照りが強くなってきたけど、丁度いいぐらいだ。ところどころでまた蝉が鳴き始めたのもあって、余計にそう思うなー。

「……そういえば、なぜアブラゼミは『アブラッ!』と鳴かないのだろう」
『黄昏ながらどうでもいいこと考えてますねー』
「だって、次元世界だぜ」
『ますたーって、次元世界にかなり夢を持っていますよね』

 夢を持つことはいいことだって、誰かが言っていた気がする。俺としては、探せばト○ロやネ○バスぐらいはいそうな気がする。ラピ○タのパンはぜひ食べてみたい。

「ツクツクやミンミンはいるんだし、アブラもあっていいじゃん。こういう小さな疑問から、将来のエジ○ンさんが生まれるかもしれないんだぜ」
『まぁ確かに、当たり前を切り捨ててはいけないのかもしれませんが』
「実際は、俺もどうでもいいんだけど」
『…………』

 いや、聞きたくはあるんだよ。聞きたくは。だから、無言で圧力かけてこないでよ。

 それにしても、今日はなんかあんまりテンションがあがらないな。身体もなんか重たい気がするし。季節の変わり目で、体調崩したかな? コーラルに朝見てもらったから、熱はなかったはずだけど。


「じゃーん! これリニスだよ。上手に描けたでしょ」
「にゃ…う」

 声のする方へ振り向くと、リビングのソファに座っているアリシアとリニスが目に入った。どうやらアリシアが、色鉛筆で画用紙にリニスの絵を描いていたらしい。

 ……たぶんだけど。いや、うん。あれだ、子どもはピカソと言うし。なぜ紫色やら緑色が見えるのかは、気にしないでおこう。あとリニスが困ったような顔で、こちらに助けを求めている気がする。なので、俺はこの家の長男として、アドバイスをしてあげることにした。

 ―――リニス
 ―――!!

 ばちりと目があった俺とリニス。俺は目を合わせながら、力強くうなずき、グッと親指を立てた。受け取れ、俺の心からの思いを。

 ―――健闘を祈る!
 ―――にゃぁ!?

 アイコンタクト終了。ついでに清々しいまでの笑顔も、おまけとして付けておいてやろう。アリシア関連には強く出られないリニスが、あたふたしながら対応している。うんうん、愛い奴め。


『ますたーって、結構いじめっ子ですよね』
「いじるのが好きと言ってほしい。相手と沸点は見極めているから大丈夫」
『まぁ、大概は返り討ちにされていますけど』

 俺の周りにいるツッコミがおかしいんだよ。時々、予想外の反応とか返って来るし。それを楽しむのも面白いけど、俺としては全力でいじりまくれる人がいたら嬉しいな。リアクションがいいとなおよし。

「昔はコーラルで遊べたのに」
『ますたーといれば、無駄に鍛えられますよ。主に精神面。というか、純粋に遊びに誘ってくださいよ。僕で遊ぼうとしないで』
「えー。でも、遊ばれているコーラルが、俺としては一番輝いている感じがして好きだよ?」

 間。

『……え、あの。そうですか? いえしかし、でも。その、けどちょっとだけでしたら…』
「……ごめん、落ち着いてコーラル。今のは俺が悪かったから」

 あわあわあたふたし出したコーラルに、素直に謝る。俺もノリで口走ってしまったが、ここまで反応されるとは思っていなかった。お互いにちょっとあわあわしてしまった。



 しかし、本当に平和だな…。

 そんなのんきなことを考えながら、俺は駆動炉に視線を移す。あと数日経てば、俺たちは誕生日を迎える。母さんから6歳のお祝いには、少人数だが同僚さんや強者さんといった、チームの人達も来てくれると教えてくれた。さっきもアリシアと一緒に、俺もパーティーの飾りをつくっていたし。

 もしかして、事故が起きなくなったってことはありえないのかな? んー、それはさすがに危機感がなさ過ぎだろうか。でも正直、事故が起きないのならそれに越したことはないんだよな。


 ヒュードラの事故だが、俺としても実はよくわかっていなかったりする。俺の記憶では、この事故が原因でアリシアとリニスが亡くなってしまったのは知っている。けれど、どうして死んでしまったのかまでは曖昧なのだ。

 この家には母さんの結界魔法が張られている。おそらく原作でも張られていたはずなのだ。なのに、2人は死んでしまった。俺が事故で魔法を使う選択肢を捨てて、能力一本に絞った理由もこれがあげられる。5歳の子どもが、母さんほどの魔導師の張った結界を、超えることができるわけがないからだ。何が原因かもよくわかっていないのに。

 なら、事故から守るよりも、事故から逃げる方が生き残る確率は高いはずだ。アリシアの遺体が綺麗なままだったことから、おそらく爆発といった物理的な死因ではないと思う。少なくとも、駆動炉に異変を感じてすぐに行動すれば、転移で逃げるだけの時間は稼げるはずだと思うんだけど…。


「なんか考えすぎて、余計に頭がこんがらがってきた気がする」

 なんか、難しいのはもういいか。俺のうろ覚え知識じゃ、これ以上わからないだろうし。とりあえず、6歳になるまではもう少し様子を見よう。それでいいだろう。

 あ、そうだ。こういうときこそ、「勘」にきいてみたらいいんじゃね。前みたいにまだ大丈夫そうかだけでも、わかるかもしれないし。

 あの違和感に気付いてから、俺は自分なりに暇な時間に調べてはいたんだ。そしたら、頭の中をからっぽにして、身体の力を抜くような感じにすると、なんとなくだけど思い浮かぶことがわかったのだ。ぼやっとだけどねー。未だによく原理はわからないんだけどさ、ははは。


 俺としては、軽い気持ちだった。いつもみたいに曖昧な感じか、特になにもわからないかのどっちかだろうと考えていたからだ。でも、違った。

 ちょっと便利なものとしか、思っていなかった違和感は―――

『来る』

「……え」

 この瞬間、俺自身を飲み込むほどの強い激情をもって、俺の意識を塗りつぶした。



******



「……こりゃ、あいつにぶん殴られても文句が言えないかもしれない」

 1人の男性がポツリと言葉をこぼす。彼の目の前には鏡台が置いてあり、それを難しい顔で眺めていた。本来鏡とは己の姿を移す役割の物だが、この鏡には目の前にいるはずの男性の姿すら一斉映っていなかった。

 だが、この鏡にはこことは別の光景が映し出されていた。映っているのは、自然豊かな場所と、そこに建つ巨大な塔のような建物。そして、地響きが鳴り響き、塔からまるで金色の光のようなものが逆巻くように生みだされる光景が広がっていた。彼はある出来事以来、世界の様子を見ることができるこの鏡をよく覗きこむようになっていた。


 彼の心情としては、またしても失敗してしまったかもしれない、という自責の念が渦巻いていた。最初の失敗は、間違いなく自身の責任だった。だから、彼には出来る限り生きて欲しいと願い、それを見送ったのだ。そのために新たな世界と彼の魂を繋ぎ合わせ、新たな存在の枠をつくり、縁も組み直した。

「影響がでるかもしれないとはいったが、こんな歪みを持たせて、転生させてしまうなんて」

 彼にとってもこれはイレギュラーな事態だった。この歪みに気付いたのは、彼が新たな世界で命を得た後。男性が干渉できるのは、死という瞬間のみ。そのため、自身がいくらなんとかしたいと思っても、もはや手遅れだった。


 確かに彼の望みは出来る限り叶うようにはした。能力は破格のものだったかもしれないが、正直あげた人間があれである。真剣に放浪やら逃走目的などの、便利思考優先な人物なのだ。戦闘や危ないことするぐらいなら逃げると、堂々と豪語した姿は今でも彼は思い出せる。今でも時々呆れている。野宿ぐらい頑張れ、自称冒険家。

 あとの望みは魔法の素質や、優しい親、兄弟云々あったが、そこは特に問題はなかった。そんな条件に合いそうなところ等、世界的に探せばいくらでもあるはずだ。多少は考慮して生まれはミッドチルダにしたが、あとは特に手は加えなかったのだ。

 それは、まったく自身の記憶にない世界より、地球とも多少は関わりがあるミッドチルダの方が良いと判断した彼なりの配慮。魂を世界に合わせ調整したことだし、後は彼を条件に合う場所に転生させてくれるだろうと、その時は胸を撫で下ろした。


 彼がテスタロッサ家の長男として、生を受けたと気付くその時までは。


 確かに彼の提示した条件には合うが、それにしてもこれはまずいと、さすがに彼も頬が引き攣った。思わず「あ、やっべ」と呟いてしまったぐらいに。

 これが偶然の結果だったのなら、彼としても手を加えてやればよかったと後悔はしただろう。だが調べてわかったことだが、これが偶然ではなく、必然であったと理解した時、彼は本気で頭を抱えたくなった。少なくとも、ため息ぐらいは何度も出た。


 なんで、こんなややこしいことになる。これが、彼の本心からの思いだった。

 原因は彼の魂の歪み。そして、その歪みをつくってしまったのは間違いなく己の責任。影響はでるかもしれないと言ったが、まさかこんな形で現れるなど思ってもいなかったのだ。彼としても、まさかの可能性での言葉だったのだから。

 彼の精神と魂のずれ。たった1つの些細な違いが、生みだした歪み。おそらくそのずれに、転生した彼は気づいていない。わからないから、魂のそれこそ奥底に眠るものの正体を知ることができなかったのだ。

 「死」という現象に対する、重度のトラウマに。「生」という現象に対する、重度の執着に。


「あいつの精神も魂も、死に対する恐怖はある。だが、生に対する方向性がかなり違う」

 彼は――死神は考える。この歪みは、メリットにもなれば、デメリットにもなる。全体的にみるとデメリットが目立つが、それでもある一点だけでいえば、とんでもないメリットとなる。

 死にたくないから生き残る。そのためだけに生まれた歪みは、ただ己のみだけ生き残るのならば、これ以上ないほどの代物なのだ。


『え、能力に「転移」を選んだ理由? だっていろんなところに放浪出来るじゃん。楽できるし。それに、危ないことがあってもすぐに逃げられるだろ。俺、死にたくないからさ。……死んだら、もうみんなに会えない。今まで持っていたものも、みんな無くなっちまう。1人ぼっちにだけは、俺はもうなりたくないんだ』

 しかし、彼の願いはただ生きることではない。みんなと共に生きていくことが彼の望み。


 それは些細な違い。だがそれがこの瞬間、運命をわけることとなる。



******



「わわっ!!」
「みゃぁ!?」
『これは、高魔力反応!』

 あぁ、ついに来たのか。突然の揺れと地響きに混乱する周りを一瞥する。俺は手すりをしっかりと握ることで、バランスを崩さないように身体を支える。デバイスからの高魔力反応を探知したという言葉。俺はその原因に、静かに視線を移した。

 森に囲まれた建物から、金色に輝く光がまるで龍のように空を昇っているのが見える。光は徐々に渦を巻くように、明確にその姿を現していく。それはとても幻想的で、とても美しく、とても……恐ろしいもの。

 俺に、「死」を与えるであろう現象。


『ますたー! ヒュードラから反応が―――』
「早くここから去らないと」
『―――えっ』

 俺は転移を発動させる。そうだ、ここに長居したら死んでしまう。俺は、死にたくない。一刻も早くこの場から離れなければ、巻き込まれてしまう。


『ま、ますたァー!! 待って、アリシア様たちがッ!!』

 デバイスの声が、俺の集中力を乱してくる。もうすぐなのに、邪魔をするな。確かにアリシアは大切な家族だけど、あの距離じゃ届くか分からない。転移は相手にふれなければ意味がないし、連続使用はできないんだ。間に合わなくて、もし俺が死んだらどうするんだ。

 イメージが出来上がり、俺は能力に身を任せる。全身を包み込むような感覚。転移が発動されるその時。


「お兄ちゃん!」

 俺を呼び掛ける声に、反射的に身体が反応していた。いつも当たり前のように振り向いていた視線の先には、妹の姿。その身体は震え、目からは涙があふれ出している。それでもアリシアの声は、真っ直ぐに俺に向けて放たれていた。

 お兄ちゃん、と俺に向かって。ただただ俺のことを呼ぶ、それだけの声。それだけのこと。

 それなのに、なんで―――

『わたしはそんなお兄ちゃんがいてくれて、うれしいです』

 なんで、アリシアから視線を外せない。なんで、俺のことを呼ぶだけなのに、こんなにもいろいろ溢れて来るんだ。他のことを考えている暇なんて、俺にはないはずなのに。

『そんなお兄ちゃんのことが、わたしは本当に大好きです!』

 それなのに気づけば、俺の発動したはずの転移は不発に終わっていた。俺の後ろから、光が爆ぜるような音があがっている。死ぬわけにはいかない、と叫ぶ声が俺の中で大きくなった。


「……ァ」

 俺は声をもらす。そうだ、何をしているんだ俺は。早くしないと、手遅れになるじゃないか。

 俺は死にたくないとずっと考えていたじゃないか。これからを生きていきたいって、ずっとずっと言っていたじゃないか!

『約束だよ』
『あぁ、約束だ』

 だけどそれは、アリシアやみんなと、一緒に生きていきたいからじゃなかったのかよ!!



「アリシアッ!! リニスを抱いて、俺のところにこいッ!!!」
「あ、うん!」

 俺の声に硬直から抜けだしたアリシアが、俺が叫んだ通りリニスを抱いて走って来る。俺も唇を噛みしめ、コーラルを握りしめる。そしてただ真っ直ぐに、アリシアに向かって駆け抜けた。


 心臓が痛いぐらいにはねている。さっきまでの俺は……本当に何を考えていた。なんで当たり前のように、アリシアを見捨てて、自分だけが確実に生き残る選択を選んでいたんだ。守ると決めたのに、一緒に星空を見る約束もしたのに、なんで。

 今の俺は、俺だ。それは間違いない。だけど、さっきの俺もまた、自分自身なのだと漠然とわかる。今だって、胸の中に渦巻く負の感情は、変わらずにまだある。そして、俺の思考をまた塗りつぶしてこようとしているのも感じる。

 それでも、こうやって動けることに安堵した。疑問はある。恐怖もある。それでも、足だけは前に進める。考えるのも、後悔するのも後だ。俺の中に響く声。うるさい、と俺は歯を食いしばって、意識を保つ。


 光が爆ぜる音が耳につく。後方から熱い濁流のような魔力が、迫って来るのを肌で感じる。俺の魔力なんかと比べ物にならないほどの、圧倒的な量。

 あと、もう少しなのに。もう少しで届くはずなのにッ!



 それは、幻聴だったのかもしれない。走馬燈とよばれるものだったのかもしれない。それでも確かに、俺は耳にしたんだ。

『手を伸ばして』

 金色の粒子が、俺たちの周りに舞う。駆動炉から漏れた魔力の粒子。だけど、俺にはそれが、風になびく金の髪のようにも見えた。

『掴めないかもしれない。だけど、掴めるかもしれない。だからこの手を伸ばして』

 温かいぬくもりのような何かが、俺の腕をそっと撫でた気がした。気づけば俺は、必死にその手を前へ伸ばしていた。それを見たアリシアも、リニスをぎゅっと片手で抱きしめながら、俺と同じように手を差し伸べていた。


『もしも、届いたなら……』

「届いてくれェーー!!!」





 その日、すべての音が光とともに消え去った。


 衝撃がうさぎの石を揺らし、床へ落ちて、パキンッ、と小さく砕け散った。

 

 

第十七話 幼児期⑰



 ヒュードラの事故から3日後。

 1人の女性がベッドの上で上半身を起こし、茫然と窓の景色を眺めていた。開け放たれた窓から入り込んだ風が、女性の傷んだ長い髪を静かに揺らす。その目には光がなく、虚ろな表情だった。あの日もこんな風に晴れ渡った空だったと、当時の記憶が思い起こされていた。

 ここはクラナガンに建てられた病院の一室。白にまとめられた病室にいるのは彼女1人だけだった。未だに感情が安定せず、情緒不安定だと医師に診断されたためだ。駆動炉の事故から3日たった今も、彼女は苦しんでいた。


 事故当時、彼女は駆動炉の開発者として立ち会い、そして目の前で起こった全てをその目で見ていた。あの日は、完成間近となったヒュードラの開発に上層部が訪れ、試運転を決行させた。彼女達開発チームも当然反対したが、結局押し切られてしまった。

 何故あの時、もっと強く反対意見を出さなかったのか。どうして上層部の操作を断固として止められなかったのか。いくつもの疑問が浮かんでは、思考を巡らせ、沈んでいく。しかし、今更後悔してももはやどうしようもなかった。事故はもう起きてしまった。止められなかった時点で、開発チームにも非はあったのだから。


「どうして……もっと早く」

 ゆえに、彼女は己を責めてしまうしかなかった。彼女は顔を両手で覆う。事故を起こしてしまったことに後悔はある。だが、それ以上に彼女の心を蝕むのは、事故によって失われた……彼女の宝物。

 全てを飲み込むような魔力の本流。地響きとともに流れ出た黄金の魔力は、駆動炉とその一体の全てを包み込んだ。開発チームと上層部が無事だったのは、ひとえに完全遮断結界のおかげだった。ヒュードラからの警告音に、開発チームが総出で結界魔法を発動したからだ。

 しかし、結界は駆動炉のみで精一杯であった。結界外にあったものを、光は遠慮なく飲み込んでいった。それは森を抜け、彼女たちが寝泊まりする寮にまで届いた。その光景を思い出し、彼女の瞳から一筋の涙が流れる。


 ずっと大切にしていた。毎日抱きしめて、名前を呼んでいた。この仕事が終わったら、喜びをわかち合おうと思っていた。だが、それが叶うことはなくなってしまった。

 もっと早く気づいていればよかった。そうすれば、こんな喪失感を味わうこともなかったのに。そんな後悔ばかりが彼女の頬を濡らす。急いで部屋の様子を見た時の光景。床の上に無残にも倒れた彼らの姿に、彼女は悲鳴をあげた。あの時の記憶が、彼女の脳裏によみがえる。


「あ、あぁ…」

 女性は嗚咽を漏らす。失ってしまったものの名前が溢れてくる。もう抱きしめてあげることはできない。名前を呼び掛けてあげることもできない。そんな心からの思いが、言葉として表へと現れる。

 声をあげて鳴き叫ぶ彼女の様子に、病室の外でもなんと声をかけていいのかわからなかった。ただ、彼女の気の済むままにそっとしておくことしか出来なかった。


「―――ったしの!」

 悲痛な心の丈が、叫び声となって病院にこだました。




「私のヴィンテェェーージのワインたちィィイイィィーーーーー!!!」


「同僚さーん。病院中に響き渡ってるよぉー」
「同僚さん。元気そうでよかったね、お兄ちゃん」
『まぁ、ある意味元気なのでしょうね』
「にゃー」

 そのなんと声をかけていいのか迷っていた面会者達は、とりあえず入室することにしたらしい。3日前からこんな状態の彼女に、病院側もそっとしておくことしか出来なかったのでもう放置している。開発チームの主任と胃の辺りを抑えた男性職員が、病院側に頻りに謝っていた背景があったりした。

「ほらほら、同僚さん。年齢的にお酒を持ってくることは出来なかったけど、柿○ー持ってきたから。これで抑えて抑えて」
「うわぁああぁぁん!! アルくん、だって! だってすごく楽しみにしてたんだよ!? ものすっごく高かったんだよ!! なのに、なのに…!」
「あー、どうどう。ご心中お察しします。大切にしてましたものね、名前まで付けて」
「そぉだよー、ひっく。エアトレックゥー。ブルーバードォー。ラファーガァー!」

 この世界のネーミングセンスって…、とぼそっとアルヴィンは呟く。嫌というわけではないが、何と表現したらいいか微妙そうな表情だ。ちなみにアルヴィンの密かな夢は、もし地球に行く機会があったら、とあるフェラーリと記念写真を取ってみたいだったりする。


 アルヴィンはお菓子の袋を開けて、女性の口元へと運ぶ。少し落ち着いたのか、えぐえぐ泣きながらポリポリ食べる女性。時々物欲しそうな妹の姿に、ピーナッツを渡してあげるとおいしそうにこちらもポリポリ。

 餌付けってこういうことかと、家猫でできなかった気分を味わえてお兄ちゃんは満足したらしい。

「これおいしいね。お酒に合いそう…」
「でしょ。これクラナガンのとあるお店に売っていたんだ。今度紹介してあげるよ」
「あ、お願い」

 事故から3日後、彼らは普通に和んでいた。



******



 結果的に言えば、俺の手はアリシアに届く事が出来た。安全な場所へと願い転移した先は、薄暗い森の中。未だに落ち着かない心臓を沈めるように、俺は息を吐いた。

 混乱していた頭も少しずつ冷静さを取り戻していく。今の状況を1つずつ確認していき、俺達は助かったのだとようやく実感が伴って来る。あの光から、俺達は生き延びられたのだと。ちゃんと俺の手は、妹の手を掴むことができたんだって。


『もしも届いたなら……ちゃんと両手で抱きしめて』

 そして、思い出していた。あぁ、そうだ。この言葉は、この思いは彼女のものだったって。前世で手に取った漫画に載っていた、彼女の願い。願いごとにいつも手が届かなかった彼女が、それでも諦めずに手を伸ばし続けた時のもの。

 俺が彼女を強い人だと思うようになったセリフ。だって、普通なら怖い。拒絶されたら、助けられなかったらと、俺ならまず考えてしまう。一度でも失敗したことがあるのなら特に。それを彼女は何度も経験した。

 大好きな母親からの拒絶と虐待。愛情と強さを教えてくれた優しい家庭教師との永遠の別れ。それでも、彼女は手を伸ばし続けた。それが大切だから。それが失いたくないものだったから。諦めるな、とただ真っ直ぐに。


 そんな彼女の言葉を、あの場面で思い出すなんて。なんとも皮肉なものだ。彼女の存在を消すことになった俺に、彼女の言葉が後押しになってくれたのだから。まるで、そっと背中を押してくれたかのように。

「お兄ちゃん…」
「大丈夫だ」

 俺は両手で抱きしめていた妹に笑顔を向ける。俺のことを呼んでくれる大切な存在。もう大丈夫だと、震えるアリシアの背中をあやす様に撫でた。それに緊張の糸が切れたのか、アリシアは声をあげて涙を流し、俺に強く抱きついた。

 アリシアの腕から抜けだしたリニスは、逆立っていた毛を落ち着かせていた。その後、嗚咽を漏らす妹の傍に近づき、慰めるように身体を擦りよせていた。


『ますたー。どうやらこの近辺に生物の反応はないみたいです。場所はまだ特定できませんが、ミッドチルダの郊外だと思われます』
「そうか、……痛ッ」
『え、あっ。唇が切れているみたいですね。大丈夫ですか』

 無我夢中で転移してしまったが、どうやらちゃんと安全な場所に移動することは出来たらしい。転移してからコーラルは、どうやら周囲を調べて情報収集をしてくれていたみたいだ。今も俺たちを心配しながら、周りを警戒してくれている。

 しかしコーラルにも言われたが、唇が切れて血が流れている。自覚すると痛みが襲ってきた。まじで痛くてピリピリする。アリシアの背に回していた片手を口元へ持って行き、流れていた血をごしごしと拭う。服に血が付いたら嫌だし、妹に血がつくのもまずいからな。

 たぶんあの時、歯を噛みしめながら走っていたから、その時に切ってしまったのだろう。身体の重さも、頭痛もなくなったからか余計に口の痛みが顕著に響くな。


「……なぁ、コーラル」
『はい?』
「答えづらかったら、別にいいから。その……あの時の俺って、どんな感じだった」
『…………』

 そう、あの時の気持ち悪さや吐き気が今はないのだ。アリシアに手が届いた瞬間、すっと俺の意識を塗りつぶそうとしていた何かが消えた。だけど、おそらく消えたわけではない。あの違和感は今までのように、俺の奥底に潜んだのだと思う。

 腕の中のぬくもりを、俺はもう一度ぎゅっと抱きしめる。この温かさを失っていたかもしれない。そう思うだけで手が震えてくる。正直に言えば、俺は本当に怖かった。死も、失うことも。

 今だって気を抜いたら泣き出しそうだった。それでも俺が今それに耐えているのは、兄として妹を安心させてあげることが先だと思ったからだ。

『上手くは言えないです。それでも言葉にするのなら、ますたーの目は……何も映っていないように思いました。その、なんだか怖い感じがしました』
「そうか」

 それだけ言うと、コーラルは押し黙る。あれの原因は、俺自身確信はない。もしかしたら、という考えはあるが、それが正解なのかもわからない。それについて相談もできない。

 俺は転生したことを誰にも言うつもりなんてないのだから。原作知識なんてもってのほかだ。話したって頭がおかしいと思われるだけかもしれない。まぁ、それはある意味慣れているから置いておくけど。

 一番言いたくない理由はわかっている。原作は好きだけど、だからって家族が死んでしまうことを、俺は口に出したくないだけだ。アリシアが死んでしまうことも、母さんが狂ってしまうことも、誰も知る必要なんてないと考えているからだ。

 それでも、このまま「あれ」をほっといてもいい問題にはならない。


「もし、また俺がそんな風になったらさ。頭突きでもなんでもしてくれていいから、止めてくれるか」
『僕がですか』
「うん。コーラルならいつも俺の近くにいてくれるだろ」

 俺が1人の時はいい。そのまま逃げればいいのだから。だけど俺の他にも人がいたり、守りたいものがあったら?

 今回みたいに、次も意識を取り戻せるかわからない。それだけ、あの情動は重かった。後少しでも遅れていたら、きっと間に合わなかった。あそこで俺の意識が覚醒できたのも、運が良かったとしか思えなかった。

『……わかりました』
「ありがとう」

 たくっ、本当に問題ばっかりだ。なのはさんたちのことも、事故のことも、母さん達のことも、俺のことも。なんでこんなにいっぱいあるんだろ。両手があいていたら、髪を掻き毟っていたかもしれない。1つ1つ地道に解決していくしかないんだろうけどさ…。

『いえいえ。どんなことをしてもOKの許可はもらいましたから、遠慮なくやらせていただきます』
「にゃう!」
「え、いや……やっぱちょっとは遠慮してよ? あと、なんでリニスさんもやる気満々なの。そこで猫パンチの練習しないでよ。風を切るようなパンチを猫が出さないでよ」

 やべぇ、色々早まったかもしれない。


「まぁ、でも…」

 本当に問題はいっぱいある。これからに不安なんてたくさんある。それでも、生きている。俺もアリシアもリニスもみんなこうして生きているんだ。

 涙を流すアリシアが落ち着くまで、俺は何度も背中をさする。今はいっぱい泣かせてあげるべきだと思ったからだ。あんなもの、5歳の子どもの心にずっと燻ぶり続けるなんてまずい。

 すべてとは言わないが、それでも涙が洗い流してくれることを俺は祈った。



******



『うん、俺達は大丈夫だよ。母さんは怪我とかない? ……そう、よかった』

 コーラルにデバイスの通信機能を繋げてもらい、母さんと連絡をとった。母さんの声は震え、何度も俺達が無事であったことを喜び、心配してくれていた。俺も母さんが無事であったことに安堵した。原作で大丈夫だったのだとしても、やはり声が聞けてよかった。

『ご無事みたいですね』
「うん。今管理局の局員さんが対応しているところだって。母さん達は一旦病院に行って、検査してもらうみたい」
『やはり今すぐには会えないですか』

 コーラルの言葉に俺はうなずく。俺達が今いる場所は、時空管理局の一室だ。あれからアリシアが落ち着いた後、俺は転移を発動させて管理局へと赴いた。今すぐにでも母さん達のもとへ帰りたいとも思ったが、事故による影響で駆動炉もその周辺も安全かどうかわからなかった。二次被害が起きる可能性だってある。

 それならば、安全な場所へ向かうべきだと結論を出した。母さんには通信で無事を知らせることもできる。管理局へ転移したのは、俺達の保護を求めるためだ。それに管理局に事故のことを話さないと駄目だし、母さん達の保護をお願いする必要もあった。


「しかし信じてもらうために事故の映像を見せたけど、コーラルを証拠映像として持ってかれそうになった時は焦ったな」
『5歳の子どもが、いきなりミッドの辺境で事故が起きたと言っても信じ難かったでしょうしね。でも、すぐに出動してくれてよかったです』
「泣き落としたら持っていくのやめてくれたしね。いい人達だった」
『……5歳の子どもに無理強いはできないでしょうよ』

 まぁ、狙ってやったことは否定しないが。コーラルを持っていかれると困るため、とりあえずやってみたがさすがは5歳児。事故の映像は別個でちゃんと提出したし、問題はないだろう。


「なーう」
「あ、ごめんごめん。もうちょっと声のトーン落とすよ」
『すいません。……アリシア様も、よく眠っておられますね』

 リニスの注意に俺とコーラルで謝る。ちらりと横を見ると、俺が座るソファの隣でアリシアの肩が静かに上下していた。俺は妹を起こさないように気をつけながら、金色の髪を手で梳くようにかき撫でた。

 アリシアは目まぐるしく変わる状況についていけなかったのだろう。管理局に着いてからは大人しかったし、ずっと俺の服にしがみ付いていた。たくさん泣いたし、緊張も不安もあったからか、今は俺の隣ですやすや眠っている。

「もうすぐ、母さんに会えるからな」

 俺は囁くように告げる。大きな事件だし、重要参考人である母さん達と会うには、まだもう少し時間がかかるだろう。それでも、早く会いたい。会って、話をしたい。いつもみたいに楽しくご飯を食べたり、くだらないことで笑い合いたい。

 そのためなら、俺は頑張れる。俺に出来ることを精一杯にやってみせる。


「コーラル。通信をお願い」
『……やるんですね』
「あぁ。母さんに会えたら、俺達も自由に動くことは出来なくなるだろうしな。なら、今しかない」

 母さんと再会すれば、おそらく親子共々管理局の監視下に置かれるだろう。ヒュードラの開発主任である母さんを野放しにはしないだろうし。なら、特に監視も何もされていない今なら動ける。

 俺達のつかんだ証拠。俺はぐっと拳を握りしめる。母さんを追放なんてさせてたまるか。俺達家族のこれからを、誰にも奪わせはしない。


 コーラルを介し、連絡をとりつけた俺は転移を発動させる。留守をリニスに任せると、いってらっしゃい、というように猫パンチを背中に軽くもらった。それに俺は、小さく笑ってしまった。うん、頑張って来るよ。

 俺の知っていた物語は終わってしまった。未来は不確定なものとなってしまった。だけど、焦りはしない。だって、これから始めていけばいい。俺達の新しい物語を、未来を紡いでいけばいいのだから。




 俺達が母さんに会えたのは、事故から1日過ぎた病院の中だった。局員さんに連れて来てもらった病室で、家族は再会を果たした。俺達を見つけた母さんは、大粒の涙を流しながら抱きしめてくれた。

 連絡をもらってからも、ずっと心配していたこと。俺達の無事な顔を見られたことへの嬉しさ。母さんの言葉1つ1つに感じる安堵と俺達への情愛。アリシアが母さんの名前を何度も呼びながら、涙をこぼす。俺も母さんの服を握りしめながら、涙が溢れていた。




 1人の少女を救いたいと願った少年によって、1つの物語は終わりを迎えた。

 そしてこれから始まるのは、それでも幸せな未来に向かって歩き続けることを選んだ、1人の少年による物語である。


 少女1人>リリカルマジカル  幼児期 -終-

 

 

番外編① 第1章登場人物まとめ

 
前書き
章の終わりごとに、人物紹介と章ごとのまとめなどを行っていきます。オリジナルキャラクターが多い作品ですので、参考程度にでもなれれば幸いです。本編とは直接関係はございませんので、そのまま次のページへ進んでも問題ありません。  

 


『テスタロッサ家』

【アルヴィン・テスタロッサ】
初登場:第一話
第1章時点での年齢 4歳~5歳
一人称:俺
能力:「瞬間転移」(自分や自分が触れているものを任意で転移させることが出来るレアスキル。タイムラグがあるため、とあるの「かきくけこ」さんみたいな使い方はできない。主な用途は、放浪や逃走。第1章だけで、レアスキルとは言えないぐらい登場回数が異常)
特徴:カオスの発信源。スペック的には高いはずなのに、基本どこかずれている。

メモ:この小説の主人公。リリカルな世界なのに、全く魔法使ってくれない。転生したのに、むしろ残念な方向に傾いている。精神年齢は現在20代後半だが、素で子供時代を謳歌しまくっています。二次小説や動画、漫画などはある程度目を通しているが、設定などはうろ覚え。シスコンと本人も認めているため、からかっても喜ばれるだけである。

作者メモ:作者としては、もともとシリアスとか鬱系の小説が苦手だったりする。だからシリアスな設定の小説だし、もうシリアスに負けないような子を主人公にしちゃえばいいかと結論。そしたら、作者も驚くぐらいのマイペース君になってしまった。改定して文章増えたら、結構考える子になった。でも、変人寄りの思考も相変わらずだった。感性は一般人だから大丈夫、と弁護はしておく。ちなみに原作開始時、主人公31歳。



【アリシア・テスタロッサ】
初登場:第一話
第1章時点での年齢 4歳~5歳
一人称:私
特徴:兄の影響を多大に受けてしまった妹様。何気にテスタロッサ家で、一番発言力が高かったりする。

メモ:家族も動物も大好きな快活な女の子。時々兄すら振り回すほどの実力を持つ、天衣無縫の妹様。『兄とタッグを組めば、ツッコミも逃げ出したくなると思いますよ』とは、とあるデバイスの証言である。『MOVIE 1st』の漫画にあった作文読んで、本当に5歳児? と思うほどの文章力を持つ。勉強が苦手とあったが、実はめちゃくちゃ頭が良いのかもしれない。……お兄ちゃんの尊厳は果たして保つのか。

原作メモ:リリカルなのは無印のヒロインである、フェイトさんのオリジナル。A’sでは、妹の背中を押してあげたお姉ちゃん。あのシーンは泣くだろう。ヒュードラの事故によって、5歳の時に亡くなった。

作者メモ:この小説の原点である少女。今まで二次小説を読んできて、生き返らせる場面はあっても、もとから救われている小説がないなと疑問。そこからがスタート。兄の影響で、原作に比べて子どもらしくもあり、また大人びている部分もあるように書いています。テスタロッサ家がずっと幸せに暮らす物語があってもいいじゃない、と思っている。



【プレシア・テスタロッサ】
初登場:第二話
第1章時点での年齢 30代
一人称:私
特徴:懐の深いお母さん。お兄ちゃんたちが一番信頼しているお方。

メモ:子ども大好きで、漫画みたいなステータスを持つ公式チート。妹と同様、兄の影響を多大に受けている。スルースキルが身に付き、精神的にも図太くなった。じゃないとやっていけない。ツッコミするよりも、もう受け入れた方がいいと判断したお母さん。さすがは年長者。ちなみに年齢に関してのツッコミは、心の中にしまっておきましょう。

原作メモ:アリシアを失った悲しみに苛まれた女性。ヒュードラの開発主任にして、Sランクの大魔導師。フェイトさんの生みの母だが、アリシアとは違う彼女を虐待していた。物語の最後でアリシアとともに虚数空間へ身を投げ、生死不明。

作者メモ:アリシアと一緒で、幸せに生きていてほしいと思った方です。作者としては、かわいいお母さんがいてもいいよね、ぐらいのノリで書いている。でもどこかずれているのはさすがはテスタロッサ家。Wikiや原作を読むにつれ、あまりのスペックぶりに驚いた方でもある。仕事への焦燥感は、原作に比べて落ち着いている方。子ども達への申し訳なさはあっても、精神的にはそこまで追い詰められてはいない感じです。



【コーラル】
名前登場:第四話 初登場:第六話
第1章時点での年齢 0歳~2歳 (主人公の3歳の誕生日に登場)
一人称:僕
特徴:高性能なインテリジェントデバイス。なのに家での序列は低い。

メモ:主人公のデバイスにして相棒。こんなんのデバイスもやはりこんなん。初めの頃は主人公にいじられまくっていたが、今ではボケもツッコミも出来るぐらいに成長した。それなりに真面目な性格ではある。ちなみに本人の意思関係なく、主人公の投擲スキル向上に一躍かっている。マスターに必死に魔法を教えたり、リニスのおもちゃになったり、かなり苦労性の星の下に生まれたのだろう。

作者メモ:デバイスって盗聴器とかに使えそうだよなー、と昔思ったことが始まり。誕生理由も相変わらず残念な子。徐々に主人公に感化されて来ているが、マスターも本人(?)もそんなわけないと否定している。お互い相手がなんかおかしいと思っている。ちなみに私は両方変だろと思いながら執筆しています。書きやすさはベスト5にランクイン。



【リニス】
初登場:第九話
第1章時点での年齢 1歳~2歳 (主人公の5歳の誕生日に登場)
特徴:テスタロッサ家の(ここ重要)猫。アグレッシブアマゾネスだが、空気は読める。

メモ:主人公のせいで野生の心を忘れることがなかったこやまぬこ。むしろ目覚めた。自分より体格が大きいものでも立ち向かい、しかもなぎ倒す。自他ともに認めるほど女の子大好き。トレードマークはもふもふ。ついでにふさふさ。毛並みはもふりキラーすら唸らせるほど。猫なのに存在感も戦闘力も高い。

原作メモ:『ヒュードラの事故』でアリシアとともに亡くなり、プレシアさんの手によってふたたび使い魔として生を受けた。かなりのハイスペック。フェイトさんの家庭教師にして、育ての親のような方。バルディッシュの製作者であり、真面目で気配りのできる大人の女性。

作者メモ:使い魔のリニスと山猫の時のリニスは、基本別人(猫?)として書かせてもらっています。山猫の時は自由気ままな性格とありましたので、堂々と自由にさせてもらっています。テスタロッサ家の猫として恥じないスペックを目指して執筆していきます。作者自身、めちゃくちゃ長生きしそうと素で考えてしまうぬこ様です。



『その他 第1章登場人物』

【同僚さん】
名前登場、第一話 初登場、第十七話
第1章時点での年齢 20代後半ぐらい
一人称:私
特徴:バーサーカー。訂正。いつも全力全開に一直線で優秀な女性です。

メモ:ちゃんと登場したのは第十七話。第一話から名前は出ていたけれど。暴走したり、突撃したり、大泣きしたり、感情表現が豊かなお方です。ワインの損失に未だ傷心中。徐々に立ち直ってきており、上層部への呪詛も復活している。主人公自身、頑張れと純粋に応援してもいいのか迷ってしまう女性だが、悪い人ではないのでまぁいいかと考えている。いい人ではある……うん。

作者メモ:開発チームの一員。実はすごく動かしやすいけど、あんまり動かすとテスタロッサ家が霞む。なので自重した結果が第1章。かなりいろいろやっていたけど。原作でもちらっと映っていた女性を参考にしています。性格はまったく考慮にいれていませんけど。



【強者さん】
名前登場:第十二話 
第1章時点での年齢 30代ぐらい
一人称:私
特徴:この胃薬が目に入らぬかー! ととても頑張っているお方です。

メモ:常に胃と戦う戦士。就職状況の悪さも胃薬の原因であったが、それ以前から一部の仲間の暴走が原因で服用していた。なんだかんだで真面目で面倒見がいい人なので、結局とばっちりを受けている。同僚さんの絡みから生還できる何気にすごい人だったりする。

作者メモ:常識人は苦労する。



【店員さん】
名前登場:第九話
第1章時点での年齢 20代前半ぐらい
一人称:私
特徴:強かで爽やかなお兄さん。(主人公談)

メモ:ミッドチルダのクラナガンにあるお店の店員さん。困っている人がいたら、笑顔で対応してくれる。そのあとさりげなくお店のクーポン券を渡してくるため、売上貢献がすごい。後日とある女性に突撃されることになるが、笑顔でしのぎ切ったという英雄談持ち。

作者メモ:世渡りがうまい人って羨ましい。



【怪しいおじさん】
初登場:第十四話
第1章時点での年齢 30代ぐらい
一人称:俺
特徴:欲求不満だったのは間違いないと思う。

メモ:すごい勝手な理由で転移させられたお方。混浴温泉好きだが、どちらかというと女性と接点を持ちたかっただけの男性。主人公の被害者であるが、これが後にミッドの一部を震撼させる事態を招くことに……なったらいいな。

作者メモ:悪い人ではない。



【上層部の方々】
名前登場、第一話 初登場、第六話
特徴:頭の上が残念な方々。

メモ:育毛剤を除毛剤とすり替えられるわ、謎の毛刈り通り魔の襲撃に遭うわ。ピンポイントでなんか襲われている。それでもめげずに育成を頑張っている方々。事故で訪れた管理局員の方々からの一言。「上層部と開発チームの見分け方がめっちゃ簡単だった」ほぼ全員が被害に遭っており、成果はまだでていないようだ。

作者メモ:原作との違いは見た目。



【男性】
初登場、第十一話
第1章時点での年齢 30代ぐらい
一人称:私
特徴:仕事一筋なところがあり、ズレている部分もある。でも貴重な常識人寄り。

メモ:主人公がコーラルを通して連絡を取り合っている。最初は魔法の勉強や仕事関連での内容だったが、今では色々予想外な方向に転がりながらもメールのやり取りを楽しんでしている。ピクニックの時の動画を送られた日は、映像に釘づけだったらしい。

作者メモ:誰なのかほとんどの方がわかっていそうな人です。原作でも7年間一緒にいた人ですから、いい人だったんじゃないかなと思いました。



【死神】
名前登場、第一話 初登場、第十六話
一人称:俺
特徴:見た目は鎌持った男性。ブラウニーで通じ合えるぐらいの知識はある。

メモ:物語の第3者としての視点。主人公いわく、真面目で一直線なところがある方。主人公にとりあえず一発殴られることが決定している。本人としては一発で済むだろうか、と視線を彷徨わせていたりする。

作者メモ:前作のプロットを練り直していて、出来れば前作のイベントなどは大切にしていきたいと思いました。付け加えはあっても、消すのは少しもやもやしましたので突っ走りました。前作でも色々指摘をしていただきましたし、舞台装置で終わらせないように気をつけたいです。むずいけど。



物語のプロットは全5章の構成とさせてもらっています。
第1章は主人公についてやこの物語の目標、家族との触れ合いに重点を置きました。実は第1章、家族と原作の方以外名前すら出てきていなかったりします。第2章からは、登場人物も増え、主人公達の世界も広げていくつもりです。「起承変転結」な感じで書いていきます。

 
 

 
後書き
作者側の事情ですけれど、更新スピードはやはりおそくなります。仕事優先なため、ご了承ください。一応忙しい時期は大体わかりましたので、執筆できる時は頑張りたいです。
5月、7月、11月、12月、2月、3月は特に更新が減ると思います。
 

 

第十八話 少年期①



 今さらだけど、俺には死んだ時の記憶というものがない。

 転生してるのに、と自分でも思うがしょうがない。気づいたら前世とさよならしていたんだ。だから正直「死」を実際に体感したのは、駆動炉の事故の時が初めてだったりする。まぁ、あんな体験2度としたくはないので、ある意味よかったのかもしれないとポジティブには考えているけど。

 俺が前世で最後に覚えているのは、白い病室の中。次に思い出すのは死神と出会った変な空間。どんな場所なのか聞いた気もするが、頭がオーバーヒートしそうだったので気にしないことにした。呆れられたが、向こうももうちょっとざっくり教えられないのかな……死神のやつ。

 とにかく死んだ時の記憶がない以上、別の方面から考えるしかない。一応、死んだ時の記憶はないけれど、どうして死んでしまったのかは後で聞いたんだよな。そこから「あれ」を解決する手掛かりがあるかもしれないし、思い出してみるか? …あんまり糸口になる気はしないんだけど。



 始まりは白い病室だった。それなりに大きい病院にある1室。その病室で、俺はベットの上に転がっていた。その隣には入院中の老人が1人、ベットに腰掛けながら飲み物を啜っていた。4人部屋な病室だが、現在は俺と老人の2人だけ。普通は年齢的な差もあって気まずくなるはずだろう。

「俺としてはやっぱりみたらし団子が1番だと思う。甘たらのたれと団子のもちっと感が融合して、フィーバーを起こすと思うのですが」
「お菓子といえばパフェだろう。あのクリームの甘ったるい感じが舌を病みつきにする。シリアルもアイスと共に食べることで、味と食感両方を楽しめる。チョコもバナナもと種類も豊富だしな」

 そこはお菓子談義で普通に盛り上がっていたから、問題はなかったな。おじいちゃんが飲んでいるのもお茶ではなく、午後ティー(ミルク)。同室記念、とストレート派だった俺のために秘蔵の1本ももらった。これで共犯だ、と言われた時はタダより高いものはないと知った。

「お前さん、若いのに和菓子好きとか変わっとるの」
「うちのじいちゃんの影響で。洋菓子も好きだけどね。むしろおじいちゃんが、パフェにそこまで情熱持っていたことに驚きなんですけど」
「俺の入院理由は、糖尿だからな」

 このおじいちゃん大丈夫か。と思ったのだが、ただじゃ死なないかな、と俺は改めて心の中で思った。というか共犯ってつまり、ジュース飲んでいるの秘匿しろってことかい。一応気をつけた方がいいよ、と声はかけておいたけど。

「そういうお前さんはなんで入院しておる。病気か?」
「ううん。放浪してぶらぶらしてたら、トラックにひかれた」
「……元気みたいだな」
「おかげさまで」

 最近の若者はよくわからん、と言われた。いいじゃん、元気なんだから。医者にも問題ないって言われたけど、一応検査入院みたいなものだし。俺全然病気とかしないから、病院のエンカウント率が少なくてなんか緊張するな。


 こんな風に、ぐだぐだとおしゃべりしたり、家族に連絡したり、仕事場に電話で平謝りしたりしながら過ごしたのが俺の最後の記憶だ。事件は俺が眠りについた深夜に起こったらしい。


「お空に行きましょう」
「やだ」

 死神と老人は無言でにらみ合う。時刻は深夜。死神はその返事に疲れたように肩をすくめる。

「いや、あんた寿命だから。ご臨終だから。糖分のとり過ぎだから」
「せめて、世界中の甘味食い終わってから来てくれ」
「『せめて』で使う願いじゃねぇよ」

 仕方がない、と死神は自身の手に鎌を出現させた。死神は死者の魂を連れていくのが役目としてあるが、時たまこんな風に気力で抵抗する人間がいるらしい。つまり日常茶飯事の出来ごと。おかげで死神は武闘派が多い。ここらへんは死神の愚痴で知った。

 あと死神の鎌には、切りつけた相手の魂とその世界とのつながりを、強制的に切り離す力を持っているらしい。魂を傷つける訳にはいかないため、その生きていた世界とのリンクを消すことで、死を与えているようだ。普通は肉体と精神と魂は繋がっているため、そのどれかが弱まれば、自然に空へとのぼっていけると言っていたな。


 んー、なんかもう難しいから簡潔にまとめるとしよう。天命受け入れろや、と実力行使に乗り出した死神と、絶対いやだ、とごねるおじいちゃんという構図だな。要はおじいちゃんピンチです。

 しかし、ここで死神にとって誤算だったのが、おじいちゃん強かったみたい。

「なッ、なんで鎌避けられるんだよ!?」
「これぞ、生存本能! さっき引き出しの中に隠して食っておいた甘味の力が、俺に力を与えてくれる!!」
「お前、糖尿病治す気なかっただろ!! というか俺がここにいるのも、その最後の糖分が原因だ!!」

 死神の手から逃れるためにまさしく死闘。死神もさすがに焦る。死神の力でこの病室から外に現象が漏れないようになっているとはいえ、病室で暴れるなと。大声あげるなと。戦いに夢中過ぎて、お互いヒートアップしすぎていた。

 そして―――


「……死闘に夢中になりすぎて、おじいちゃんがつい隣で寝ていた俺を盾にしてしまい、俺が逆にご臨終になってしまったと」
「あの騒ぎで爆睡するような人間が、近くにいるなんて思ってもいなかったんだ」
「というか、俺完全に巻き込まれただけじゃん!?」


 ……うん。やっぱり関係ない気がしてきた。



******



「アルヴィン、アリシア。クッキーが出来たわよ」
「やった! お母さん、いつもみたいにジャムいっぱい入ってる?」
「えぇ、もちろんいっぱいよ」

 俺がぼぉーと考え事をしていたら、どうやらおやつの時間になっていたみたいだ。今日のおやつは母さんお得意のジャム入りクッキー。俺たち2人とも好きだから、おやつには結構出てくるものだ。

「あら、アルヴィン。もしかして寝ちゃってる?」
「ん、あー。起きてる起きてる。ちょっと考え事してただけ」

 俺は母さん達に見えるよう手を振って、起きている事を知らせておく。そしてソファにもたれていた身体を起こし、母さん達のもとへと歩いた。

 「あれ」の原因について探ってみたけど、やっぱりよくわからない。どうやったら治せるのかもわからないし…。病気なのか、トラウマなのか。それとももっと別のものなのか。こういうことに詳しそうな人って原作とかにいたっけ? 心理学みたいなのはさっぱりだ。

 あの後も色々話はしたんだよな。元の世界には帰れないことや、おじいちゃんが自首をしたり、転生のこととか一通り。そっちを考えていった方がいいかもしれない。むしろ俺の世界も意外にファンタジーだったことに驚いたし。

 とりあえず、今はクッキーでも食べますか。はやくー、と俺が席に着くのを律義に待っている妹に申し訳ないしな。


 母さんはクッキーをテーブルの上に置き、俺の分の椅子も引いてくれる。ありがとう、とお礼を告げて俺も2人と同じように椅子に座った。すると母さんがこちらの方に視線を向けて、俺が手に持っていた物にきょとんと目を瞬かせていた。

「あら、それ」
「あぁ、管理局員の人が拾っておいてくれたんだ」

 そう言って、俺は手に持っていた物をテーブルの上に広げる。すると、カランッ、と小石が小さな音をたてて散らばった。別に魔力も何にもないただの石のかけらだが、俺達家族にとっては別の意味があった。

「うさぎさん…」
「にゃう」
「あの振動でテーブルから落ちてしまったものね」

 みんなで牧場に放浪した時に拾ったうさぎの石。リビングのテーブルの上に飾っていたものだ。ヒュードラの事故によって、床の上に散乱していた石を俺が頼んで拾っておいてもらった。もううさぎの形にもなっていない小さな石くれ。


「なんか捨てられなくってさ。ただの石なのに」
『……もしかしたら、ますたー達のことを代わりに守ってくれたのかもしれませんね』

 俺の隣でふよふよ浮かんでいたコーラルの言葉が耳に入る。石を眺めて思い出すのは、事故の日のこと。あれからもう2週間たった今も、記憶に思い起こされるのは強く輝く黄金の光。それは恐ろしくもあり、だけど決してそれだけではなかった。温かく、優しい声が俺の心に響く。

「本当に……そうかもしれないな」
「お兄ちゃん?」
「いや、なんでもないよ。母さん、この石俺がもらってもいい?」
「えぇ、それは構わないけど」

 母さんのおみやげに拾った石だからな。ついでにアリシアにも了承をもらっておいた。持ち主からのOKももらったし、小石をコーラルの格納スペースの中に入れておいてもらおう。デバイスの用途って本当に多彩だ。

「あ、その前に。アリシア」
「ん?」
「お礼言っておかないか? 守ってくれてありがとうってさ」
「守ってくれて…」
『なら、僕達もお礼を言わなければなりませんね』
「にゃあ」

 数日前に、俺達は6歳の誕生日を迎えることが出来た。さすがに盛大に祝うことはできなかったけど、みんなで笑い合って騒いだパーティー。これからめんどうなことはまだまだあるけど、それを忘れるぐらい楽しんだ時間だった。

 ありがとう。俺はゆっくりと目を閉じ、手に持っていた石をそっと包み込んだ。

 それからみんなで感謝を告げ、おしゃべりをしながらクッキーに手を伸ばし合った。口の中に広がる甘みに自然と頬が緩む。アリシアと一緒に、クッキーからジャムが落ちないように気をつけながら、口いっぱいに頬ばった。



******



「テスタロッサさん。お時間になりました」
「あ、はい。わかりました」

 簡易キッチンで洗い物をしていた母さんが、入室してきた管理局員さんに返事を返した。食器を洗っていた流しの水の音が止まり、それに俺と妹は母さんを見て、その後玄関の扉の方に目を移す。そこには茶色のスーツを着たお姉さんと男性局員さんが立っていた。

「あ、こんにちは。もう時間ですか?」
「こんにちはアルヴィン君、アリシアちゃんも。ごめんね、2人のお母さんに今日もお話があるから」
「こんにちは。そうなんだ…」

 お姉さんからの話にアリシアは肩を落とす。ヒュードラの開発をしていた頃に比べれば、家族でいられる時間は増えてはいる。だけど、母さんは開発チームの主任で、事故の重要参考人だ。管理局からの取り調べや裁判などに向かう必要があった。

 事故から数日して、俺達は以前まで住んでいた家からこのクラナガンにある管理局の一時寮に引っ越ししている。聞いた話だと、ここは母さんみたいな証人の人や、一時的な保護のために使われる場所らしい。管理局への移動が楽になるし、子どもの面倒も見てくれる。施設内には庭もあるし、コンビニみたいなお店もある。今までの家に比べたら狭いけど、不自由することはないな。


「では、向かいましょうか」
「はい。それでは、子どもたちをよろしくお願いします」

 母さんがお姉さんにお辞儀をする。俺達がここに来てから面倒を見てくれている人だ。母さんが話し合いで抜ける時は、いつも俺達のお守をして一緒に待っていてくれる。局員のお姉さんと母さんとで話が終わったのか、俺達の方へ顔を向けた。

「2人ともいって来るわね。お姉さんの言うことをしっかり聞かないとだめよ」
「「はーい」」
「コーラルとリニスもよ」
『もちろんです』
「なぁう」

 俺達の返事に母さんはうなずいて、入口で待っていた男性局員さんと一緒に退出する。「いってらっしゃい」と見送った後、さてどうするかと俺は腕を組んで考える。いつも本を読んだり、散歩したり、おしゃべりしたりしているけれど、正直この時間暇なんだよな。


「ねぇねぇ、お姉さん。放浪しちゃだめ? 転移でビュンビュンしたい」
「いや、だめだからね。レアスキルはここでは使わないって約束したでしょう?」

 俺の質問に困ったように笑いながら、お姉さんは注意をする。わかってはいるんだけど、すっげぇ暇なんだもん。今までぶらぶらするのが日常だったから、こう身体の力が有り余っているって感じだ。

『ますたーって放浪するの本当に好きですよね』
「ひとえに愛だよ」
『あぁ、愛なら仕方ないですね』
「そうだね」
「え、納得するの」

 愛の一言はなんかすごいんだよ、お姉さん。以前、愛は偉大だと同僚さんも熱弁してたし。しかし、なんかもう理由とか理屈はないけど、とにかく動きたい。リニスとの戦いも危ないからと小規模なものになっているし。

 なんだか俺達が何かするたびにお姉さんに止められてるけど、そんなにおかしなことしているのだろうか。俺、普段よりかなり自重してると思うんだけどな。

 まぁ結局、だめなら我慢するしかないんだけどさ。母さんに迷惑はかけられない。俺達には隠しているけど、母さんが裁判でピリピリしているのはなんとなくわかる。母さん達の状況はたぶんよくないのだろう。

 今の母さん達の立場は、すごく危ういものだ。そんな時に余計なことで心労を負わせたくない。


「でも、暇なんだよな…」
「絵本も全部読んじゃったしね」
「にゃぁ…」

 アリシアは字が書けるようになってから、本を読む時間も比例して増えていった。そのため、妹はこちらに移って1週間ぐらいはここに置いてある新しい本に興味を示して読んでいた。だけど、外に出掛ける方が元来好きなため、今では飽きてしまったようだ。

 リニスも欠伸を1つして、身体を丸めていた。どうやらお昼寝の体勢に入るらしい。窓から差し込む夏の陽気に当たりながら、気持ちよさそうにしている。

「この施設の見学は大体見終わっちゃったし、管理局は行っちゃだめって言われてるし」
「うーん、さすがに管理局は遊び場じゃないからね。でも2人が大きくなったら、きっと見学できるわよ」
「見学か…」

 管理局に就職するつもりはないけど、見学はしてみたいな。アースラみたいな艦隊も見てみたいし、できたら乗ってみたい。

 そんな風に想像をふくらませていたら、横から妹に服の端を引っ張られていたことに気付いた。どうしたのかと思い振り向くと、思案したような表情でアリシアがじっとこちらを見つめていた。

「あのね、お兄ちゃん。『かんりきょく』ってどういうところなの?」
「どういう?」
「うん。お母さん、いつもかんりきょくってところに行っているんだよね。お仕事なの?」

 そういえば、俺は原作をある程度知っているから特に気にしてなかったけど、俺達はあんまりミッドチルダのこととか世間のこととかに関わってこなかった。子どもが俺達だけだったし、辺境の方に住んでいたから特に意識もしてなかったな。

 しかし、あらためて聞かれると返答に困る質問だ。今まで妹がわからないことは教えてきたけど、俺も漠然としか理解していない。確か「次元世界を守るおまわりさん」ってなのはさんが言っていた気がするんだけど…。


 そこまで考えて、俺は気付いた。俺の中での認識の食い違い。もしかして、俺は偏見というものを持っていたのではないのかと自問した。俺は本当はわからないことをわかったような気になっていたのでは、と気付かされた。

 俺は原作ではこんな感じだった、というイメージだけで納得していた気がする。だけどそれは、この世界で生きる上ではまずいことだ。前世ではイメージだけでよかったものも、今は実際にここで生きている。ならば、その世界のルールをちゃんと知っておかないと致命的な間違いを犯しかねない。

 例えばジュエルシード。俺のイメージは変に願いを叶える宝石で、なのはさん達が取り合っていたもの。次元震という災害を起こすロストロギアであることを知っているぐらいだ。それぐらいの氷山の一角しか俺は知らない。

 さらに管理局だって、危ないから就職したくないって考えていたけど、本当に危ない仕事しかないのか? 俺が知っているのは、なのはさん達から見ていた管理局の一つの側面だけだったはずなのに。だというのに、俺はジュエルシードも管理局も知った気でいたんだ。

 原作知識があることは、必ずプラスになるわけではない。すごいアドバンテージなのは間違いないが、うまく使っていかなければならない。特に俺の場合、穴だらけだから余計気をつけないと。


「えっと、俺も正直よくわかってないんだけど。次元世界の平和を守るおまわりさんで、ロストロギアっていう危ないものを回収してくれるところ……で合ってますか?」
「うーん、間違ってはいないかしら。あとはおまわりさんだけじゃなくて、悪い人に罰を与える法を取り仕切ったり、文化を守ることや救助活動、自然を守ったり、他にもたくさんやっているわね」
『あとロストロギアは全てが危険という訳ではなく、危険度が低いものはオークションなどで売られることもあるらしいですよ。ロストロギアの定義もつまり、高度な文明の遺物という感じですしね』
「わぁ、いっぱいお仕事があるんだ」
「というか、ロストロギアって売られているのかよ」

 それから、お姉さんとついでにコーラルから、管理局についてのお勉強をさせてもらった。初めて聞く話や知っていた話もあったけど、アリシアと一緒に驚いたりしながら聞く事が出来た。裁判の話も掻い摘んで話してくれたが、結果が出るまでかなりの時間がいるらしい。今母さんは調査審問を受けているところのようだ。

 母さんやみんなをすぐにでも助けたいと思うけど、今の俺に出来ることはもうない。あとは向こうに任せて、待つことしかできない。悔しいし、情けないけど、俺が手を出していい領域ではもうないからだ。これ以上は危険だし、母さん達にもさすがに気付かれる。

 あと俺に出来ることは、彼らを信じて待つことと、家族を不安にさせないでいることだけ。全部1人で解決できるなんて、そんなこともともと思っていなかったんだから。


「お姉さんって魔導師なんだ」
「お母さんと一緒だ!」
「そうだよ。でも、私はそこまですごくはないんだけどね」

 次第に管理局の魔導師の話に移り、魔法についての話題を俺達は語り合っていた。約1名、ハイテンションで教授してこようとする球体がいたので、お昼寝から目覚めて身体がなまっているだろう家族のために手心を加えてあげることにした。うんうん、楽しそうに遊んでいるようだ。

 お姉さんは何か言いたげな顔を始終していたが、最後はそっと目を閉じてため息をついていた。幸せ逃げちゃうよ? お姉さん。

「あっ! あのさ、お姉さん。もしよかったら魔法を見せて欲しいな」
「わぁ、私も見てみたい!」
「うーん、見せてあげたいんだけど。もう少ししたらテスタロッサさんも帰ってこられるでしょうから、また今度にしましょう」

 興味本位で提案してみたが、お姉さんに待ったをかけられる。でも、駄目というわけではないみたいだ。

 俺と妹は壁に立て掛けられていた時計を見上げると、確かにお姉さんが言ってくれた通りの時間になっていた。それに俺達も納得し、後日魔法を見せてもらえることになった。一応簡単な申請も出さないといけないらしい。

 でも素直に言わせてもらうと、すごく楽しみだ。他の人が魔法を使っているところをあんまり見たことがなかったから。母さんは仕事で忙しかったから頼むのも気が引けたし、コーラルはなんか違う気がするし。開発チームのみんなも、研究者で普段魔法を使う機会がないから目にしていない。魔法が使えなくても生活に困ることはないから、必要最低限しか使わないのが普通らしい。


「一応、どんな魔法が見てみたいとかある?」
「個人的に見てみたいのは、スターライトブレイカー」
「初めて聞く魔法だけど…」
「そうなの? 確か超巨大ピンク砲で周辺一帯を焦土にしてたけど」
「それは、魔法なの? 艦船砲の間違いじゃないかな」

 覚えている限りの詳細を話したが、ないないって言われた。話すにつれ、つい白い魔王様がやってたと言ってしまったが、まぁいいか。隣でアリシアが魔王様に慄いていたけど。

「じゃあ、ディバインバスター」
「なんでさっきから砲撃ばっかり出てくるの」

 俺が知ってる魔法の名前がそれぐらいしかないから。

「だったら、召喚魔法とか幻術魔法とか凍結魔法とか変身魔法とか」
「そのマイナーなチョイスは何!?」

 え、原作に出てきた魔法ってマイナーなの?

「あと確か……、脱げば脱ぐほど強くなる魔法があった気が―――」
「そんな魔法はないからッ!!」

 いやいや、これは絶対にあったって。


「お姉さん、私お空を飛んでいるのが見たい!」
「だから、人が空を飛ぶなんて出来る訳がッ! ……あ、空は飛べるわ。飛べた、うん飛べた。―――もう今なら空を飛んでもいい気がしてきた」
「えっ…」
「お空に向かってびゅーんびゅーん!」

 ちょッ、お姉さん今は空飛ぶの見せなくていいよ!? アリシアも空気を読んで盛り上げなくていいから!! なんかそっちに飛んで行ったら駄目な気がするんだけどッ!?



「アルヴィン、アリシア。ただい……何があったの?」

 プレシアが家の扉を開けた先に見た光景は、背中が煤けているような女性を必死に宥める兄と、「お空に向かって~」と自作歌を楽しそうに歌う妹。部屋の隅に転がる宝石に、清々しそうにやりきった感を漂わせる猫。

 プレシアは一度目をつぶり、状況について思考する。時間にしてほんの数秒だけだったが、彼女の中で答えは出たらしい。瞼を開け、もう一度その光景を目にしながら静かにうなずいた。

「…………まぁ、ある意味いつも通りの光景かしら」
「えっ…」

 隣で一緒に固まっていた男性局員の声が、廊下に虚しく響き渡っていた。

 

 

第十九話 少年期②



「あっ、このお菓子新発売されるんだ。へぇーまじか、こんな昔からあるものだったのか」

 昼食を食べ終わった一服時。俺は頬杖をつきながら、目の前に映し出される映像に感心していた。もともと現代っ子の俺にとってパソコンやテレビがない生活は考えられなかったが、そこは地球より技術の進んだミッドチルダ。全く問題なかった。

 普通に家に端末があったし、インターネットのような情報サイトも見られる。しかもパソコンのような箱型の機械ではなく、空中に画面を映し出してどこでも操作ができるのだ。使い方も意外に簡単で、母さんが俺たち用の端末をインストールして教えてくれたため、今では俺も当たり前のように使える。

 そういえば子どもがネットを使うのはよくない、って教育的な問題が日本にはあったな。こっちでは端末を使うことに早く慣れるべきという風潮があったおかげで、こうして幼いころから使うことができる。やっぱり機械と一緒に暮らすのが当たり前な魔法文化圏だからなのかね。子どものためのセキュリティーも高いから、親も安心なのだろう。

「なんだか久々に食べたくなってきたな…。またお店に顔だしてみよ」

 俺はメモ帳に店の名前を書き、お菓子の名前も書き込んでおく。ずっとこの先、施設の中で缶詰め状態にはならないだろうし、お出かけできるようになったらいけばいいだろう。前にお土産で買ってきた「柿○ー」も好評だったしな。せっかくだからみんなの分もお願いしておこう。


「あ、お兄ちゃん。何見てるの? ……『ちきゅうや』?」
「うおっ、アリシア」

 後ろからにゅっと覗き込んできた妹に驚く。さっきまでアリシアはお絵かきをしていたので、俺はネットで時間をつぶしていた。妹は気になったからこちらに来たのだろうが、俺はとっさに先ほどまで見ていた画面のアクセスを切る。それを見たアリシアがムッとむくれた。

「あー! どうして見せてくれないの!?」
「アリシアにはまだ早いの。コアな世界はまだ見ないで、健全に成長したらいいから」
「お兄ちゃんは見てた!」
「お兄ちゃんはもうどっぷり影響されているからいいの」
『マイスター泣きますよ』

 うっさい、コーラル。俺はすでに20年以上浸かっていたから今更なんだよ。

 ちなみに、『ちきゅうや』はクラナガンにあるこじんまりとした店舗のことである。たまたまネットで調べていたらここのサイトを見つけて、それ以来よく覘いている。現在原作から20年以上前だからなのか、どうやら俺が生まれるよりも前の時代の品物や情報が手に入る。俺にとって懐かしい品々も多く、日本のものも多く取り揃えられているのだ。

 しかし俺にとっては故郷の思い出でも、妹は違う。下手に異文化を真っ新な子どもに教えると、変な化学変化を起こすかもしれない。もし妹があの店の影響受けて、「ホワッチャァー」とか言い出したり、漫才スキルを身に付けだしたら俺は泣くよ?

 しかし、ちょっと失敗したな。今度から妹がそばにいるときは見ないようにしよう。あの店、本当にマニアな人が趣味で色々取り入れて作ったようなところだから。


「むー。見せてくれてもいいのに」
「ごめんって。それに、今日はせっかくお姉さんが魔法見せてくれる日なんだからさ。むくれない、むくれない」

 ちょっとご不満らしいアリシアをなだめながら笑いかける。さすがに目の前で画面を消すのは失礼だったかもしれない。顔の前で手を合わせてぺこぺこ謝っておいた。

「そういえば、コーラルもリニスも一緒に見に行くんだっけ」
『そりゃ行きます。僕は一応魔法の補助器具ですよ。しかも、うまくいけば魔法の練習にますたーがもっと興味を持ってくれるかもしれない。僕の負担も減るかもしれない大チャンス到来なのですよ!』
「にゃふ」
「リニスはただの暇つぶしみたい」
「家族だけど、もうちょっと隠せよ。言葉濁そうぜ、君達」

 本当に自由気ままだな。心の声だだ漏れじゃん。そこは相棒だからとか、ちょっと興味があったからとか当たり障りのないこと言えるだろうが。

『じゃあ、そういうますたーはなんで魔法見たいのですか』
「え、砲撃とかビームが見たくて」
『そこは魔法の勉強がしたいからって言いましょうよ』

 あ、俺も大概だったか。



******



「とりあえず、景気よく砲撃を一発お願いしまーす!」
「どっかーん!」
「君達本当に砲撃好きだね!?」

 結論、俺は素直に生きることにした。

 だって派手でかっこいいじゃん。「リリカルなのは」の代名詞といえば、まずは砲撃でしょう。原作で思い出されるのは、元気玉のような巨大砲撃に、ゲートオブホウゲキみたいにファイヤーしたり、トリプルふるぼっこブレイカーをぶちかましたりしていたし。うん、普通にやばい。

 そういえば、俺もコーラルをデバイスとしてもらった当初は砲撃魔法使おうとしたな。まぁやろうとした瞬間、わけわかめな数式に頭痛起こしてごろごろ転がったけど。さらに母さんに、いきなり砲撃魔法なんて使おうとしないって怒られた。さらにさらに、まだ英文喋りで、感情の起伏もそこまでなかった頃のコーラルにすら、「oh, no…」と残念な子を見るような感じで言われたよなー。

 ……うん、忘れよう。黒歴史っていうものは封印するものだ。

「先に言っておくけど、危ない魔法は見せません。砲撃はしません」
「えぇー。それじゃあ砲撃以外の他の魔法といえば、検索魔法とか転移魔法とか封印魔法とか?」
「アルヴィン君の魔法の知識ってすごく……」
『変ですよね』
「そう変、じゃなくて。待って、今のなし。変はなしで。えっとこう不思議な方向に…。うぅ……」

 お姉さん、そんな頑張ってオブラートに包もうとしなくていいよ。偏っている自覚はあるから。家が開けっ広げな連中ばっかりで、もう慣れているから。コーラルはもうちょっと遠慮を覚えてほしいけれど。それにしても、俺の中の原作の魔法知識がいまいち活躍しない。そっちの方が俺としては不思議だ。


 さて、飛び立つお姉さん阻止事件から数日。ついにお姉さんが魔法を見せてくれる日になりました。なんでも、母さんとお姉さんとで話し合って、いろいろ今日のことを決めてくれたみたいだ。本当にありがとうございます。

 母さんにもふざけたりせず、真剣にお勉強させてもらいなさい、と言われた。アリシアと一緒にしっかり返事をして、今日も管理局へ行く母さんを見送った。妹は好奇心旺盛なところはあるけど、約束したことは頑張って守ろうとする子だから、そこらへんは俺も信頼している。

 それとコーラルは俺の隣で浮きながら、様子を見守っている。リニスもアリシアの足元で毛づくろいをしながら、静かにしている。夏の日差しも少し前に比べると収まってきたが、それでも庭に注ぎ込まれる太陽の熱気を肌で感じるな。

「テスタロッサさんとお話ししてね。今日は魔導師としての基礎的な魔法についてのお勉強も、一緒にしようと思います」
「魔法の基礎?」
「えぇ、そうよ。それでは、早速問題です。魔法を使うときに大切なことは何かな?」
「むぅ?」

 どうやらさっきお姉さんが言った通り、本当にお勉強形式で進んでいくみたいだ。普通にパパッと魔法を使っているところを見せてくれるのかなって思ってた。でも、こっちの方が俺たちのためにはなるか。

「んー、魔力?」
「なるほど。アルヴィン君は?」
「はっ、理数だろ」
「……なんでそんな投げやりに」
『お気になさらないで下さい。現在進行形でも悩んでいる古傷が疼いているだけですから』
「うっせ、自称デバイスのくせに…」

 ―――ますたーの回避率が微妙に上がっている!?
 ―――ふっ、俺も成長しているんだ! その程度の突撃ではリニスの閃光を毎度受けている俺に届くはずがなかろう!!

 ―――猫パンチ

「『ごめんなさい…』」
「にゃー」
「どうぞ続きをお願いしますって」
「えっ、あ、はい。あれ? 猫だよね。あれを鎮圧したの、猫が。というか今さらっと猫の言葉理解してなかった? あれ?」

 俺たちが復活したころには、お姉さんはなにかを悟ったように儚げな笑顔で、もういっか、とうなずいていた。


「それでは気を取り直して。魔法を使う際に大切なのは、まずはイメージ。あれこれ考えるよりも集中することが一番必要なのです」
「えー、理数じゃないの?」
「確かに知識も必要だけど、正直魔法を使うだけならデバイスさえあれば基礎知識がゼロでも発動はできるの。でも当然危険だし、細かい制御もできない。だけど逆に言うと、イメージがしっかりあれば発動できてしまうわ」

 そりゃある意味危険だな。そういえば、原作でなのはさんって魔法の知識ゼロだったんだよな。レイハさんやユーノさんがいたとはいえ、あれだけの魔法が使えた。才能も集中力もすごくて、頭もよかったからできたことなのかな? 才能は仕方ないとしても、小学3年生に集中力や頭で負ける俺って…。

「そこまで俺はできないのかよ」
『ますたーの場合安全装置がかかっていますからね。構築や制御方法をしっかり覚えれば上達できますよ』
「イメージが大事なのに理数で本当に魔法が使え、……安全装置?」
『え、言ってませんでしたか? ますたーは魔力量が多いですから、万が一制御に失敗して暴発を起こしたら大変です。だから基礎の知識や構造をちゃんと把握したうえでしか発動できないように、僕はプログラムされているのですよ』

 知らなかったよそんなの!? え、つまりそれって制御や構築の仕方がしっかり出来れば、問題なく俺は魔法が使えるってことか。砲撃魔法も撃てるってことか。

『なので、知識関係頑張って勉強してくださいね』
「あ、やっぱり結局そこに戻るのね。一応聞くけど、その安全装置って外せないの?」
『外せますけど、外しませんよ。マイスター達がますたーのために作ったものですから』

 その答えに俺もしぶしぶうなずくしかない。なのはさんの時は、俺のような安全装置はなかったのだろう。レイハさんを介して魔法を撃つ。おそらくインテリジェントデバイスであるコーラルなら、なのはさんのようにできないことはないと思う。

 でも、それはやはり危険なのだろう。原作の時は本当に緊急事態だったし、なのはさんの魔力のコントロールがすごかったおかげもある。ユーノさんもレイハさんもなのはさんをいつも支えていたし、なによりもなのはさんは必死に強くなろうと努力をしていた。

 でも、俺にはそこまで危険をおかす必要性はどこにもない。魔法が使えたら便利だろうし、自分も家族も守ることができる。だけど、それは今じゃなくても問題はない。安全にゆっくり時間をかけてもいいのだ。急いで強くなる必要なんてない。

 それはすごく…、すごく恵まれていること。


「ん、わかった。まぁ頑張ってみるよ」
「魔法は慌てず冷静に。アリシアちゃんも忘れちゃだめよ?」
「はい!」

 こうして、俺たちの魔法に触れる日々が始まっていった。



******



 魔法お披露目会 その1 「デバイスについて」 


「それでは、初級の魔法を見せたいと思います」
「あ、それお姉さんのデバイス?」
「あれ、デバイスって宝石じゃないの? えっと、こんにちは」

 ある程度の魔法のさわりを教えてもらい、いよいよお披露目会になった。お姉さんはポケットからカード状の鉄の板のようなものを取り出す。アリシアはデバイスをコーラルぐらいでしか見たことがなかったから驚いているようだ。あと挨拶をしてみても返事が返ってこなくて、不思議そうにしている。

 どうやらお姉さんが取り出したのは、ストレージデバイスみたいだ。インテリとは違って人工知能がないため、意思はない。その分魔法の処理速度が速く、誰でも使えるため普及率は一番高い。最も一般的なデバイスだな。アリシアにそんな風に教えてあげると、感心したように声をあげた。

「でも、魔法は早く使えるけど、コーラルみたいなデバイスの方がいいんじゃないの」
「いい物といえばそうよ。でも作るコストが高いし、使い手も選ぶから難しいのよ」

 妹は疑問に思ったことはすぐに質問する。わからないことは素直に教えを乞うというのは大切なことだ。周りが大人ばかりだったから、その辺は自然と身につけていったのだと思う。


「じゃあ、コーラルって実はすごかったんだ」
「うにゃぁ…」
『やっと、やっと理解してくれましたか。「実は」とか「うそぉ」みたいな響きが聞こえた気がしますが、そうなのです。すごいのです。僕は高性能なデバイスなのです!』

 そんな感極まらなくても。俺も一応、コーラルがすごくハイテクなものだって自覚はしているんだよ。よく忘れるだけで。

「そっか。インテリジェントデバイスってすごいデバイスだったんだね」
「そうね。人工知能があるからこその強みもあるから」

 お姉さんもアリシアの勉強熱心な姿にうれしそうだ。

「だから、ゲームも一緒にできるし、目覚まし時計にもなるし、リニスの遊び相手にもなるんだね!」
「そうそう。道具袋にもネタ貯蔵機にもビデオカメラにもなるし、画像撮ったり編集するのも楽だし、いくらブン投げても壊れないしな。デバイスすげぇ」
「それはもはや使い方が違うッ!?」


 魔法お披露目会 その2 「魔法について」


「これが『アクティブプロテクション』よ。防御系統の魔法で、発動も早く、なによりも魔力消費が少ないのがメリットね。初級魔法の始めの方で習うはずよ」
「あっ、コーラルがよく使っている魔法か」
「わぁ、きれい。触ってみてもいい?」
「大丈夫よ。でも強く押したらだめだからね。これは攻撃してきた相手を弾き飛ばすものだから」

 お姉さんの目の前に展開された魔法陣。淡い光を放ちながら空中に浮かんでいた。俺も感触が気になったので、みんなと一緒に触ってみる。すると確かに手のひらが押し返されるような感覚が魔法陣からあった。これが魔法なのかー。

「うわぁ。すごいね、リニス!」
「なぁう」

 アリシアの隣でリニスが防御バリアを爪でカリカリしている。ちょっとかわいかった。

「はッ、待てよ。俺もこの魔法を習得したらリニスに勝てるんじゃね? あの猫パンチの嵐を無効にできるんだから」

 俺はリニス攻略法に光がさしたような感じがした。そうだよ、防御魔法だよ。いくら俊敏性や反応速度を持っていたとしても、相手の攻撃が受けつけなくなるのならいくらでも対策はできるじゃないか!

 しかし、そんな俺の様子に、コーラルが残念そうに告げてきた。

『あ、それやめた方がいいですよ』
「え、なんで。今更ねこ相手に魔法使うなんて、っていう考えはとっくに卒業したぞ」
『ますたーお忘れですか。ますたーが今考えたことをすでに実行した存在を』
「すでに? ……あっ」

 俺は思い出し、頬が引きつる。そう、すでにリニス相手に魔法で立ち向かった勇者は存在したのだ。そして、いまだにその成果が見られていない存在を俺は知っている。俺は無言で、爪でバリアをカリカリしているリニスに視線を向けた。

「……突破してくるのか、防御魔法を」
『突破してきます。確かに防御魔法の中では耐久力が低いとはいえ…』
「猫パンチが魔法に勝る世界って」

 魔力を高めて出力を上乗せしていけば破られなくなると思う、というコーラルの助言。世界って色々理不尽だよね。魔法が使えるから万能というわけではないとよくわかった。あははは、やっぱりちゃんと努力が必要なんだねー。


「はい。それじゃあ、おしまいにするよ」
「はーい。そういえば、さっきの魔法陣は緑色だったけど、防御魔法は緑色なの?」
「あ、それは俺にもわかる。確か魔力光って言って、個人で色が違うらしいぞ」

 妹に言われて気づいたが、確かにお姉さんの魔力光は緑色だったな。これは昔ネットで見たことがあるから、1人1人色が違うのは間違いない。なのはさんはピンク色で、ユーノさんは緑色。母さんは紫色だったし。

「あと確か魔力光の色で性格判断とかもできたんだよな」
「占いみたいだ」
「へぇ、そんなのがあるんだね」
『ますたーってこういう知識はよく知っていますよね』

 こういう知識ってなんだ。あんまり役に立たないってことか。事実だけど。

「お兄ちゃん。私も自分の魔力光見てみたい!」
「んー。コーラル、できる?」
『魔力光を知るだけでしたらすぐにできると思いますよ。デバイスを稼働するときに、生体情報を取り込みますから。魔力光はリンカーコアと同色なので、波長を読むぐらいでしたらすぐにできます』
「「おぉー」」

 結果から言うと、本当にすぐにわかった。アリシアは明るい水色で、俺は暗めの藍色らしい。フェイトさんが金色だったから、アリシアも同じ色なのかと思っていたけど違うんだな。母さんは紫色だけど、家族全員青系統だったみたいだ。うーん、それにしても藍色って原作に誰かいただろうか。


『というか地味に、ようやく杖の状態になれたのが僕はうれしい』
「……そういえば、杖にしたのって何年ぶりだったっけ」
『どうせ僕の稼働シーンなんて需要ないですからいいですよ。一人で感動を噛みしめておきますから』

 ……ごめん、なんか。正直、全然気にしてなかった。



******



「今日は楽しかったね」
「そうだな。あー、すっかり遅くなっちまったな。母さんもう帰ってきてるかも」

 あれからお姉さんにお礼を言って、解散することになった。お姉さんは家の途中まで見送りをしてくれて、そこでお別れをした。さすがに1ヵ月間も過ごした施設の中で今更迷うこともない。寄り道せずに帰ることを約束したので、こうしてまっすぐに歩いている。

 今日を過ごしてみて思ったけど、魔法ってかなり奥が深い。実際に自分が魔法を使う立場になってくると本当にそう思う。魔法の1つ1つに積み重ねられてきた重さ。威力や範囲の決定に簡略化などの構成。そして、どれだけ安全に配慮されているのかもわかった気がする。


『2人にね、これだけは覚えておいてほしいの。魔法を使うときのこと』

 非殺傷設定の魔法についての話になった時、お姉さんが話してくれたこと。俺がこの世界で魔法を使うことに忌避感をあまり感じなかったのは、非殺傷設定というものがあったからだ。戦いの力を持つ魔法だけど、人を殺さないですむ。酷い怪我を負わせることもない。管理局が魔法をクリーンな力だという理由も、納得できる部分はある。

『すごい魔法だよね。だけど、絶対に使い方を間違えちゃだめだよ。この魔法はね、平和のために作られた魔法だから。昔は戦いばっかりして、魔法で傷つけ合うことしかできなかった時代があって。そこから変わろうって、頑張った人たちがいて、一緒に魔法も変わっていったの』

 怖くなったわけじゃない。だけど、魔導師になるのならちゃんと魔法の勉強をしようと思った。少なくとも、中途半端な状態で使っていいものじゃない。将来は次元世界をぶらぶらすると決めている。勉強はあんまり好きじゃないけど、できる範囲はやっておかないといけないと思った。

『迷信かもしれないけど、魔法には思いがこもるって言われているわ』
『思い?』
『うん。私はね、思いを込めて、誰かに伝えることができる魔法を使える人が、魔導師って呼ばれるんだと思う。私はそんな魔導師を目指していきたいな』

 難しいんだけどね、って照れくさそうに笑ったお姉さん。その込められる思いがどんなものになるのかはわからない。誰かを救う思いになるのかもしれないし、誰かを傷つける思いになるのかもしれない。それでも、思いがあるのならぶつけ合える。分かり合えるかもしれない。

 なんか難しいし、混乱するけど、俺は魔導師なんだって胸を張れるようにはなりたいと思えたんだ。


「ただいま。母さん帰ってるー?」
「ただいま。先に見てくるよ。行こ、リニス」

 アリシアは履いていた靴を脱ぎ、リビングへとパタパタと小走りで向かっていった。リニスも妹において行かれないようについていく。

 2人の姿が見えなくなり、俺もいそいそと靴を脱ぐ。脱いだ靴を並べていると、母さんが履いていった靴が置いてあるのを見つけた。ということは、もう家に帰ってきていたってことか。

『今日はお疲れ様です、ますたー』
「あぁ。コーラルもありがと」
『いえいえ。それよりどうですか? 少しは魔法に興味を持っていただけましたか?』

 声を弾ませながら聞いてくるコーラルに、俺は微妙に目をそらした。なんか認めたくないが、コーラルの最初の思惑通りに進んでしまった気がしないでもない。実際になんとなく使いたいという気持ちから変化はあった。たぶん悪くない方向に。

「……ちょっとはね」
『そうですか。それはよかったです!』

 本当にうれしそうなコーラルに、まぁいいかと俺も笑みを浮かべた。玄関の靴を並び終え、屈みこんでいた身体を起こす。そこまで長くない廊下をコーラルと一緒に歩きながら、俺たちもリビングへと足を運んだ。


「とりあえず、魔法のことはもう少し後な。憂いごととか全部終わってからだ」
『そういえば、もう1ヵ月以上経ったのですね。向こうもそろそろ尻尾をつかんでいそうです』
「そうだな。たぶん近いうちに、きっと終わる」

 俺は歩を緩めることなく、母さんとアリシアの待つリビングの扉を開ける。するとそこには、毛布が1人で歩いていた。文字通り、茶色の毛布がのそのそと動いている。俺と同じぐらいの膨らみとそれに続く小さな膨らみを見ながら、俺はコーラルに映像記録をお願いしていた。いやだって、なにこの面白い絵。

「何してんの。アリシア、リニス」
「あ、お兄ちゃん」
「みー」

 俺の呼びかけに毛布から妹の顔と、鳴き声が出てくる。毛布に埋もれていたからか、アリシアの髪がところどころもさっとしていた。それにしても、毛布お化けごっこをするのならお兄ちゃんも誘いなさい。アクロバティックな毛布技を見せてやろう。

「その毛布、アリシアには大きすぎると思うぞ。もう少し小さい方が引きずらなくて済むのに」
「むー、でも。お母さんに合いそうなのがこれぐらいしかなかったもん」
「え、母さんの毛布お化け?」
「お化け!?」

 いや、お化けになっているのアリシアだから。そんな毛布にくるまって怖がらなくても。妹が小さいころに、日本の奥ゆかしい怪談話をしたのがまずかったのか? さすがに全年齢対象の内容を聞かせたけど。話のネタがなくなったから、つい話しちゃったんだよなー。

 うん、完全に原因俺か。小動物みたいにぷるぷるしてる。


『ますたーはもうちょっと自重しましょうよ。アリシア様も大丈夫ですよ。毛布、マイスターにかけてあげるのでしょう』
「うー、うん」
「かけるって、あぁなるほど」

 妹がまた顔を出してうなずく。俺も周囲を見回して、ようやくアリシアの行動に合点がいった。それから毛布の後ろ側を俺も手に持ち、アリシアと一緒に毛布を運ぶ手伝いをする。前方の方はコーラルとリニスが先導してくれた。

 転移を使って持っていくのが一番手っ取り早いのだろうが、それはやめておいた。アリシアが頑張って毛布をここまで持ってきたんだし、最後までやらせてあげるべきだろう。


 俺たちはソファに身体を沈めている母さんのもとへと向かい、そっと毛布を広げた。いつもならそろそろ晩御飯の支度をしなくてはいけない時間なのだが、俺たちは母さんを起こそうとする気にはならなかった。今日は久しぶりに出前でもいい気がするな。

「冷蔵庫の中も日持ちしそうなものばっかりだし大丈夫かな。よしアリシア、デリバリーで探してみるか」
「それじゃあ、久しぶりにここにしようよ」
「お、これか。シーフードデリならすぐ届けてくれるしな」
『それでは、2時間ぐらいしたら起こしてあげましょうか』
「なぁう」

 アリシアと端末の画面を見ながら、今日の晩御飯について話し合った。できればある程度消化にいいものを選んでおいて、母さんが起きたらみんなでメニューを改めて見合うことにする。一応ここも届いた品物はチェックされるが、出前はOKなんだし問題はないだろう。

 リニスも魚介類系のサイドメニューがあるためご機嫌そうだ。母さんは起きたらびっくりするかもしれないな。でも疲れているときぐらい、楽をしたっていいじゃん。困ったように「仕方がないわね」って微笑む母さんがすぐに想像できて、アリシアと一緒にくすりと笑ってしまった。

「お疲れ様、母さん」
「お疲れ様」

 ゆっくりと俺たちの時間は、世界は回っていく。だけど、こんな風にいられる時間を俺はずっと大切にしていきたい。変わるものも、変わらないものもずっと。

 

 

第二十話 少年期③



「えっ、3日後にそっちに行けるかですか?」
『あぁ、そうだ。ようやくこちらもある程度準備ができたからなぁ。お前さんの持っとる情報ともきちんと整合性を取っておきたい』
「……だけど、大丈夫なんですか。俺一応保護されている立場でしょう? 俺が突然いなくなったらお姉さんだって気づくし、母さん達の立場が悪くなったりしないですか」
『かっかっかっ。心配せんでもええわい。ちゃんと迎えを用意しておくから問題はない』

 いや、だからどうして心配する必要がないのか言ってくださいよ。久しぶりに話をしたけど、このおじいちゃん本当に相変わらずだな。豪快というか細かいことはさて置いて、という人だし。まぁそのさっぱりした性格のおかげで、こうして協力してもらえているんだけどさ。

 ここに居を構えてから随分経ったある日。いつも通りの日常を過ごしていた今日、コーラルからついに連絡が入ったと知らせを受けた。たくさんあった蝉の鳴き声も前に比べると少なくなり、そろそろ夏も終わり秋に入っていくだろう時期のことだった。


『坊主も相変わらずみたいだなぁ。慎重なのはいいことだが』
「……別に悪いことではないでしょう」
『あぁ、悪いことではない。儂も家族の一大事なら、そうするさ』

 そう言って、またいつものように笑い声が通信から響く。音量は小さくしているし、母さん達もお風呂に入っている。だけど、いつお風呂から2人があがるかわからないし、そこまで長話ができるわけではない。

 空中に映し出される映像画面には、5、60歳ぐらいの男性が映し出されている。 高齢なのだが、決してその姿は弱弱しくはなく、むしろ屈強な人物という印象を受ける。肩幅も広く、年齢を聞いていなければ、とても70歳には見えない人だ。ちょっと憧れる。

 それにしても、このおじいちゃん相手だとどうも調子を出すのが難しい。俺よりもずっと年上の方だけど話すのは嫌いじゃないし、面白い人なんだけどな。ちょっとつかみづらいというか、なんというか…。まぁ、そんな感じの人だよな。

「とりあえず、その迎えの方が来たらどうしたらいいんですか?」
『転移でこっちに飛んで来い』
「迎えの意味あるんですか、それ」
『坊主の言う心配事をなくすためだ。儂を誰だと思っとる』

 あぁ、確かにおじいちゃんならそこらへんは問題ないのか。その結論に至ったため、わかりました、と俺はおじいちゃんの言葉に了承を返しておいた。しかし、ここまで色々やってくれてなんだか申し訳ないな。


『しかしそのレアスキル、ほんとに便利だのぉ。儂のところで働かんか?』
「今明らかに俺のレアスキル重視で勧誘しましたよね」
『だってなぁ、儂ぐらいの年になると移動がめんどくさくてな。迎えに来てくれると楽じゃし、旅行もタダだし、仕事の出張費とか人件費とかその他もろもろ削れるし』
「もはや隠そうともしないアッシー扱い!?」

 堂々と公私混同してきたよ、このおじいちゃん! ここまできっぱり言われると逆に清々しいよ。そしてお金に関してはめっちゃ目がマジだった。

『あと坊主が同じ職場で働くと知った、あいつの反応も面白そうじゃし』
「……どうしよう。それは俺もすごく見てみたい」
『すごく楽しそうな笑顔になったのぉ』

 あれは運命を感じたね。まさかあんなにも俺が求めていた逸材が偶然現れたのだから。俺とおじいちゃんは同じ人物を思いかえしながら、それはそれはお互いに満面の笑みを顔に浮かべていた。

『うわぁ、すっごく悪巧みしてそうな顔ですねー』

 うっさいよ、コーラル。……否定はしないけど。



******



「んー、しかし実際問題どうするかだな」
『昨日の話のことですか?』
「まぁね。おじいちゃんの言うとおりいじりたいのは確かだけど、それを理由に就職するつもりはないし。でもいじりたいし、でかなり揺れてる」
『理由が素でひどい』

 それは俺も思うけど、こればっかりは性格だしさ。自分でもそれでいいのか、と自問してしまうときはあるけれど。それにしても、おじいちゃん俺の性格わかっているな。セールスポイントをしっかり押さえているよ。


「さて、冗談半分はさて置き」
『え、本気が半分だけ?』
「……冗談3割ぐらいはさて置いてだ。ちょっと本気で考えねぇと」

 おじいちゃんとしては本当に冗談だったかもしれない。けれど俺のこれからの方針的には、どうしてもあの人たちの力が必要なのだ。今回の件はお互いにwin-winの関係になれたから、協力者としてつながりを持てた。おじいちゃんの立場と俺の持っていた証拠が見事に一致したからだ。

 だけど、今回のことが終わった後、それでさよならをするには俺としてはまずい。どうしてもおじいちゃん達との関係を継続させる必要が俺にはある。俺だけの力では、どうやっても解決できない問題があるからだ。

「それには向こうにも、継続させるだけの利益を持たせる必要がある。でも俺にはもう渡せる物も有益な情報もない。向こうが欲しがりそうなもので残っているのは、俺自身の能力だけか…」

 思い至った考えに自分でも顔が曇るのがわかる。それでもやるからには、せめてものことだけはしたいと決めたんだ。これは真剣に決めよう。明後日のおじいちゃん達との話し合いで可能かどうか、可能なら条件はどうなるのかを聞かないと判断がつかない。


『あ、ますたー。満杯になってきましたよ』
「おっ、ほんとだ。サンキュー、コーラル」

 コーラルの呼びかけに俺は意識を戻し、手に持っていたホースを引いた。危うくビニールプールから水が溢れそうだった。俺は流れている水を止めるために、蛇口の口を閉める。

 いやぁ、それにしても涼しそうだ。日陰で作業していたとはいえ、やっぱりまだ日差しが暑かったからな。透き通った水に光が反射して、きらきら輝いているようだ。

「しっかし、昨日風呂上がりのアリシアがいきなり、『大変だよ、お兄ちゃん。今年プールに入ってなかった!』って言ったときは驚いたな」
『僕としてはその後に、『やっべ、まじだッ!』とすごく深刻に捉えたますたーの手によって、次の日にこうしてプールが用意されている現状に驚きなのですけど』
「ありがとう、お姉さん」
『ほんとにね』

 さすがに夜に連絡するのは失礼だと思い、朝一番にお姉さんにモーニングコールしてみた。そしたらなんとプールに入ることを了承してくれたのだ。施設の子ども部屋から少し古いが、大きめのビニールプールを用意してくれた。

 それに今日は、母さんも用事がない日だったのでまさに渡りに船。どうせ施設の中で過ごすことになるんだったら、家族みんなで水浴びをしようということになったのだ。

「外出は禁止だけど、こういうことを大目に見てくれて助かるよ」
『そうですね。そういえば、随分快く貸していただけたって聞きましたけど』
「うん。お姉さんが、『こんなもので君たちが収まるのなら、いくらだって貸してあげるわ…』って言ってくれた」
『それは、ちょっと意味が違う気が…』

 それにしても、お姉さんにはもう一度ちゃんとお礼を言っておこう。やっぱりここで一番お世話になっている人だし。俺たちがこんな風にできるのは、お姉さんが色々手をまわしてくれているからなんだ。……何かいいアイデアはないだろうか。



「お待たせー!」
「ごめんなさいね、アルヴィン。プールの水を入れてくれてありがとう」
「いやいや。俺と違ってそっちは色々準備があるんだし、気にしなくていいよ」

 女の人の準備って長くなってしまうのは当然だろうから。風呂の時間とか朝の準備とか着替えとか。前世でも一応経験してきたし、今なんて女系家族みたいなもんだからさらに慣れた。俺の場合下を履きかえれば終了だし、これぐらいはやっておきますよ。

 実際、母さんもアリシアもいつもとはだいぶ印象が違う。髪型も母さんは長い髪を緩い三つ編みで束ねているし、妹は2つ括りでおさげにしている。水着も2人によく似合っていて、正直眼福です。

 それにしても、施設の庭の一角を借りさせてもらったけどいい場所だな。給水場も近くにあるし、隅で角側だから人気もない。まだ暑いから、日中にわざわざ外に出てくる人が少ないのも要因だろう。おかげでかなり伸び伸びできる。

「あれ、そういえばリニスは?」
「リニスなら……あっ、いた」

 アリシアが指をさす先を見ると、プールより少し離れた場所にちょこんと猫が1匹。その距離感はプールの水しぶきが決して届きそうにない場所だ。そういえば、リニスにも苦手なものがあったなと思い出した。


「……ハイドロポーンプ」
「ふにゃァァアアアァァ!?」

 ホースの蛇口を捻って、目標に向かって発射してみた。おぉ、ナイス反応。

「命中率80%だし、こんなものか。これ、蛇みたいにSの字で撒いたらスピードスターになったりする?」
「にゃァッ!?」
『すごい。これが相性差と呼ばれるものなのですね!』
「……そろそろやめてあげなさい」



******



 さて、水遊びといっても、今回できることは限られている。結構しっかりした素材でできているみたいだが、さすがにビニールプールではしゃぎすぎる訳にはいかない。潜ったり、泳げるほどのスペースも当然ない。家族3人が入って、多少空間が余るぐらいだ。

 なので、最初は本当に水に浸かって涼んでいた。おしゃべりをしたり、渦潮ごっこしたり、おもちゃの水鉄砲でコーラル目がけて撃ってみたりして遊んでいた。

「あ、外した!」
「むー、なかなか当たらないよ」
「ふふ、がんばって2人とも」

 ちなみに現在の的はコーラルでもリニスでもなく、母さんが魔法で作り出したシューターだ。空中を移動する複数のシューターに向けて水鉄砲を撃ち、アリシアと勝負をして遊んでいる。始めは俺が勝っていたのだが、母さんがコントロールしだしてからは、なかなか当たらなくなってしまった。結構悔しい。

 これは誘導射撃型の魔法で、射撃魔法の中でも機動力が高い。母さんに初めて見せてもらったとき、これなのはさんがよく使っていた魔法だと思い出した。追尾機能とか便利なものもあった気がする。だけど今はそんな機能はなく、母さんの思念操作でスムーズな動きを見せている。

 攻撃魔法であることは間違いないのだが、まさかこんな風な使い方があるなんて思ってもいなかった。魔法って使う用途や設定次第で、多様な使い方ができるんだな。


「ねぇ、母さんってなんでそんなに魔法が上手なの?」
「うーん、そうね。もともと魔法の構築理論や法則を解析することが好きだったのもあるわ。なによりも新しいことを発見して、そして自分の力になっていくことがわかるのが楽しかったからかしら。今も魔法や技術は、自分も世界もこれからまだまだ成長できるもの」

 的当てゲームが終わり、俺はビニールプールに身体を預けながら、気になったことを質問してみた。ちょっと勉強したからわかったことだけど、さっき母さんがやっていた誘導弾はすごく技術のいるものだったりする。なんせデバイスを使わない複数の精密操作で、しかも「電気」を纏っていなかった。

 それはつまり、母さんは魔法の操作と魔力を変換させるという複数の同時思考・進行『マルチタスク』を高速かつ的確に行っていたということだ。水場だったから魔力を変換させたんだろうけど、正直舌を巻いた。

「好きこそ物の上手なれか。研究者になったのも調べるのが好きだった時の影響?」
「それもあるわね。でも昔は、魔導師として魔法を使っていく道にしようか悩んだりもしたのよ」
「そうなの?」

 アリシアと同様、俺も母さんの昔話に興味が出る。もしかしたら母さんだって、管理局員とか民間の魔導師として働いていた可能性もあるのか。でも確かに、普通魔力量も豊富で、魔法の高等技術も使えたらそっちの道を考えてもおかしくはないよな。


「ただお母さんが子どものころは、まだ管理局もできたばっかりでね。あの時代はある意味時代の黎明期、……新しい時代が始まってまだそんなに経っていないころだったの」
「そういえば、管理局ってできてまだ40年も経っていないんだよな」

 なんか随分昔から管理局があったような気もしていたけど、母さんが産まれる数年前にはまだ存在すらしていなかった。しかもそれまでは、かなりやばい時代だったって聞く。そう考えると、たった30年少しでここまで世界を安定させたってことだよな。

「でもそれって、魔導師としての力がかなり求められていたんじゃないの? まだ今みたいに安定してなかったんでしょ」
「その通りよ。私も管理局の嘱託魔導師として、一時期働いていたこともあったわ」

 へぇー、それは初耳だ。嘱託とはいえ、管理局の方で働いていたことがあったんだ。アリシアも母さんの話に驚きながら、話の続きを促している。

「当時は魔導師として順調に仕事をこなしていたわ。だけどね、そんな時にふと思ったの。平和のために頑張ってきたって今でも言えるけど、もっと他に方法はなかったのかしらって」
「ほかに?」
「…次元犯罪者になった人の中には、貧しさや不安定な世界の情勢……変化に巻き込まれてしまった人もいたわ。当時の私にできたのは、ただ事態を収めることしかできなかったから」

 母さんはどこか懐かしむように、どこかさびしそうに言葉を紡ぐ。俺は想像することしかできないけれど、何となくわかるような気はした。

 俺は、原作の母さんが次元犯罪者になってしまったことを思い出す。やり方が法に触れてしまったからだけど、それでも母さんは好きで犯罪者になったわけではなかった。

 ただアリシアにもう一度会いたい。次元犯罪者にならなければ、どうしようもないぐらいに追い詰められていたからだ。けれど原作の母さんの行動は、世界から見れば決して正当化できるものではなかった。だから、止められたんだ。

 難しいだろうに、真剣に母さんの話に耳を傾けるアリシア。俺はそんな妹を見ながら、どうして母さんが研究者に、開発者になったのかわかったかもしれない。想像だけどそれはきっと、それでも助けたかったからじゃないかって。…これから先も目をつぶることができなかったから。


「もっと世界が安定していけば、もっとみんなが平和に暮らせるような技術や魔法ができていけば、そんな人も減ってくれるかもしれない。私が止めてきた人達も、幸せに生きていけた未来があったかもしれないって思ったわ」

 おそらく、母さんがそのまま嘱託魔導師として働いていても、管理局とかに入局して魔導師として働いていても、救われた人はたくさんいたと思う。だけど、それをするには母さんは優しすぎたんだ。

「世界のみんなのためになる技術を作っていきたい。最初は小さなものかもしれない。けれど、それがいずれ世界を守ってくれるような大きな力になってくれるかもしれない。そう思って私は、この道を選んだわ」
「すごいね、なんだか」
「ふふ。でもそんな高尚な、立派なものじゃないかもしれないわ。ただ単に魔導師が合わなかっただけかもしれないし、アルヴィンに話した通り調べることが好きだったのもあったから」

 そう言って母さんは静かに微笑む。もしかして、と俺は思う。今から3年前に、ヒュードラの開発に母さんは抜擢された。それが強制だったのかどうかはわからない。だけど、ずっと辛かったヒュードラの開発を、母さんは一生懸命に行っていた。

 やめることは…、難しかっただろうけどできなくはなかったと思う。でもそれをしなかったのは、俺たちのことや、研究者としての実績や信用も落ちてしまうかもしれない、とか理由は色々思いついた。だけどもしかしたら、母さん自身が何よりも作りたかったのかもしれない。ヒュードラを、みんなのためになる技術を。必死に。


「それでも素敵なものだって俺は思うよ。母さんの思いも、母さんの作った開発チームも」
「私もね。お話は難しかったけど、お母さんたちがすごく頑張っているんだってわかったよ」
「あ、えっと、本当に大した話じゃないのよ。少し大げさに言ってしまった部分もあるから……」

 アリシアの言葉に、俺もうなずいてみせる。そんな俺たちに、母さんは俺たちの言葉にちょっと顔を赤く染めながら、言葉を詰まらせる。その後、恥ずかしそうにつまらない話をしてごめんね、って謝ってきた。

 そんな母さんの言葉に、俺たちは顔を見合わせる。謝られる理由が全く思いつかないし、つまらないとも思わなかった。でも、母さんとしては申し訳なさそうにしている。俺たちはそれを見て、コーラル曰く悪巧みをしてそうな笑みをお互いに浮かべた。さすが我が妹、以心伝心。

「なぁ、アリシア。テスタロッサ家ではよくできた人には何をしてあげるんだっけ?」
「確かね。頭を撫ぜ撫ぜしてあげるんだよ」
「えっ?」

 俺と妹のやり取りに母さんが目をぱちくりとさせる。そして言われた内容に理解が行き届いたのか、慌てて母さんは声をあげた。

「ま、待って2人とも。お母さんはいいのよ。本当につい難しい話をしちゃっただけだから、全然気にしないで…」
「撫でボですね」
「撫でボです」
「止まる気が一切ない!?」

 さすが母さん、その通りですよ。



******



 俺は思ったんだ。何事も自分で始めて行かなきゃ、行動に移していかなきゃダメなんだって。家族で楽しんだ水遊びも十分に堪能した昨日。遊び疲れた俺と妹はその後ぐっすりと眠り、今日という日を迎えた。

 母さんの話は確かに難しかったし、俺も同じことができるかって言われたらきっとできないことだと思う。それでも自分の思いを大切にして、そこから頑張って一歩ずつ手探りで歩いていく強さを教えてくれた気がする。

 その行きつく先が必ずゴールになるかはわからない。必ず達成できるわけでは決してないだろう。原作の母さんの手は、届くことができなかったのだから。それでも、母さんの歩んできた道を俺は尊敬する。

 迷ってもいい。躓いたっていい。うまくできるか思考を巡らせ続けるより、やってみなければ結果はわからない。そうしたい、と思った自分の心にまっすぐに向き合っていきたい。心新たに、俺はそう思えたんだ。


「……そして、そんなふうに考えて出来上がったのが、この物体Xです」
「アリシアちゃん、窓開けて換気! コーラル君はこれが作られた台所の安全確認! 猫ちゃんはお部屋の消臭剤くわえて持ってきて!」

 俺、ここまで華麗な連携技を初めて見たかもしれない。


「……それで、今度は何をしようとしたの?」

 お姉さんが消臭剤片手に部屋を清浄しながら聞いてきた。別に悪いことはしてないんだけどな。悩むよりもまずは一歩踏み出す勇気が大切だと思って、行動してみただけなんだけど。ちなみに物体Xは俺の目の届かないところへ逝ってしまった。

「お菓子を作ろうと思って」
「あれお菓子だったの!? 刺激臭漂ってきていたけど」
「昔お菓子を作っていたらレンジの中で爆発して、掃除したトラウマがあってさ。それ以来台所に立たないようにしていたけれど、それじゃあ俺は何も変わらない。だから勇気をもって前に進まなきゃダメだと思ったんだ!」
「それはできれば止まって欲しかった!」

 勢いダメ、絶対! とお姉さんと約束させられました。後ろを振り向くことも大切だし、まずは現状を見てから前に進みなさいとのこと。1人じゃ無理なら誰かに頼ることも大切。どうやら俺自身、よくわからんテンションでやってしまっていたらしい。反省、反省。

 とにかく料理だけはやめなさい、と言われました。でもね、お姉さん。自分でもなんであんなのができたのか不思議なんだよ?

「お兄ちゃんはどうしてお菓子がいるの? お母さん、ちゃんと今日の分のおやつ作ってくれてるよ」
「あー、そうなんだけどさ。俺が作ろうとしたのは自分用じゃなかったからな」
『なるほど。対リニスさん用の最終兵器だったのですね』
「!!!」
「いや、それは超解釈すぎるから。リニスもやらねばやられる、みたいに爪とぎしないで。俺そこまで鬼畜じゃない」

 俺だってさすがにそこまでプライド捨ててないよ。俺も食べるならおいしいものがいいから、食材は無駄にしたくないし。しかし、本当は内緒で簡単なのを作っておこうかと思ってたんだけど、やっぱり無理だったか。破裂音響いていたし。

「やっぱうろ覚えで作ったのがまずかったのか? でも材料はあってるはずだし、塩と胡椒を間違えるみたいなテンプレは起こしていないはずなんだが。……お姉さん、もう1回試してみてもいい?」
「アルヴィン君。その溢れるチャレンジ精神は大変素晴らしいけれど、お願い、やめて」

 そんな切実に頭を下げなくても…。前世の調理実習でグループのみんなから頭下げられて、キャベツちぎりだけした記憶が思い起こされるよ。あ、ちょっと泣きそう。



「お母さんたちに?」
「うん。ほら、母さん達みんなお話して頑張っているだろ。だから、俺にも何かできないかなって思ったからさ。お菓子でもあげたら喜んでくれるかもしれないって」
「そういうことだったのね」

 ほかにも理由はいくつかあるのだが、一応母さん達のお菓子も作るつもりだった。正直に言えば、理由を話すのがこっぱずかしいです。お姉さんがすごく微笑ましそうな表情で見てくるし。

「そういう理由なら私も協力するわ。クッキーぐらいなら材料もすぐにそろえられるから」
「でも、いいんですか?」
「子どもが遠慮しなくてもいいのよ。その代わり、私の言うとおりに作らなきゃだめよ」
「あ、はい」

 なんというか、本当にいい人だよな。まだ二十代にはいってないって聞いたけど。前に母さんと料理の話で盛り上がっていたし、母さんも認めるぐらいの料理の腕があるらしい。前に一緒に作っていたし。

 それから、お姉さんはクッキーの材料の買い出しに出かけ、俺たちはお姉さんに頼まれていた調理器具を用意しておく。今回は食べ物関係なため、リニスはリビングの方で待機。コーラルも俺たちの準備の助言が終わったら休むそうだ。

「お菓子作れそうでよかったね、お兄ちゃん」
「うん。そうだ、アリシアには言っておくんだけど、実はまだ理由があったりするんだ」
「そうなの?」

 俺はお姉さんに話していなかったもう1つの理由をそっと妹に耳打ちする。ほかに誰もいないんだけど、なんか気分です。アリシアもその理由を聞いて納得がいったみたいだ。

「それじゃあ、みんなが元気になるような、おいしいクッキーを作ろうね」
「おう、いっちょ頑張ってみるか」

 器具の準備も終わり、俺たちは服の袖をまくしあげた。



******



 さて、クッキーづくりなのですが、それはそれはスムーズにいった。施設の厨房の一角を借りさせてもらい、俺たちは作業に入る。ここはこの建物の食堂でもあるので、そこそこスペースがあって広いのだ。

 それにしても、やっぱ調理者が一緒にいるのといないのではかなり違うな。お姉さんの指示通りまずは生地を混ぜ合わせ、次に手で押しつけるようにまとめていく。生地をこねるだけなら俺でも問題なくできるな。

「ねぇねぇ、お姉さん。これ水をもうちょっと足したら、もち米みたいなもっちり感を表現できそうな気がするんだけど」
「気がするだけです。それ以上絶対に水入れないでね」

「ねぇねぇ、お姉さん。抹茶味とかもおいしそうだし、お茶混ぜてみてもいい?」
「お茶って…。ちょッ、ストップ! だから液体を生地に直接流し込もうとしちゃダメだよ!?」

「ねぇねぇ、お姉さん。こねこねの歌作ったから歌ってみてもいい?」
「全然いいです」

 そんなこんなで生地作りは無事に終了。出来上がった生地を前に、アリシアと一緒に静かに息を吐いた。いやぁ、やればできるもんだねー。

 その後はこねた生地をちぎって大きさを整え、同じ厚さに伸ばしていく。丸型や星形の型抜きを握りながら、クッキーの形もきれいに仕上げていった。それなりの人数がいるから、出来上がったクッキーの生地はかなりの数が必要だろう。オーブンも2、3回ぐらい使いそうだ。


「かんせーい!」
「おぉ、きれいな黄金色だな」
「おいしそうね。あとはデコレーションをして、お皿に並べましょうか」

 そして数時間後。オーブンで焼きあがったクッキーに、俺と妹は目を輝かせる。こうばしい香りが部屋中に充満し、食欲を誘う。なかなかうまく出来上がったみたいだ。

 俺たちはクッキングペーパーの上にクッキーを移し替え、チョコやパウダーを上からかけていく。妹はカラーシュガーを使い、鮮やかなクッキーを作っていた。型抜きで作ったものだけでなく、自分たちで切り取ったクッキーもある。そっちの方は多少形が歪だが、猫の形や犬の形など多種多様なものもあった。

「お、発見」

 俺は探していた形を見つけ、チョコペンを手に取る。ほかのクッキーとは大きさが異なり、一回り大きなものとなっている。アリシアと協力して、密かに作っていたものだ。型を作ったのはアリシアだが、器用なものだ。


「お疲れ様。2人ともすごく頑張ったね」
「えへへ、お姉さんの教え方が、すごく上手だったもん」
「本当? ありがとう、アリシアちゃん」

 完成したクッキーを乾燥させ、今日みんなに振る舞う分をお皿に盛りつける。俺も一緒に作業をしたが、それと同時に袋に詰めていくものとに分けておいた。2人に不思議そうな顔をされたけど、ちょっとした菓子折りだとことわっておいた。

 さすがに手ぶらで行くのは気が引けたので、用意ができてよかった。俺は3つ袋を準備していたので、それぞれにクッキーを詰めていく。2つは明日渡せるだろうけど、もう1つは後日になるだろう。ちゃんと保管しとかないと。

「結構遅くなっちゃったね。そろそろ後片付けをしなきゃ」
「あ、その前にさ。クッキー少し食べてみませんか。少し多めに作っていますし、味見も大切でしょ?」
「うーん、確かにそうね。……でも実は、アルヴィン君が食べてみたいだけだったりして」
「あー、それはひでぇ」

 俺の反応に、お姉さんはくすりと笑ってみせる。けどまぁ、一応了承はもらえたみたいでよかった。今日こんな風にお菓子を作ろうと思えた、一番の理由をこなせそうだ。

「それじゃあ、あっちのテーブルで食べよう。ちょうどクッキーが置いてあるからさ」
「あら、本当。あんな離れたところに」
「行こ、お姉さん」


 俺とアリシアはお姉さんの腕を引っ張って、テーブルに誘導する。クッキーは逃げないわよ、と俺たちの様子におかしそうにお姉さんは目を細めていた。

 正直、お菓子を用意するだけならお店で買うこともできたのだ。開発チームのみんなのため、菓子折り用のためにと理由はいくつかあった。だけど、絶対に手作りじゃなきゃいやかと言われれば、俺は首をかしげる。なぜか物体Xにしてしまう俺にとって、調理はかなり難易度が高いものだからだ。

 それでもこんな風に作ったのは、俺がどうしてもお礼をしたかったからだ。「ありがとう」って口にすればいいのかもしれないが、それだけでは自分が納得できなかった。一番気持ちを伝えるにはどうしたらいいかを考えた結果、俺が思いついたのが―――


「あっ…」

 手作りのものっていう、なんともクサい物しか考えられなかったんだよな。


「これ、もしかして私?」
「正解! ココアパウダーで制服作って、チョコペンで表情作ったんだ」
「クッキーでね、お姉さんのちょっと飛び出ている髪とか頑張って作ったんだよ。あと前に見せてもらったデバイスも一緒にしてみたの!」

 お姉さんがクッキーをお皿に並べている間に、テーブルの上に設置しておいたもの。細かい部分がかなり大変だったけど、かなりの自信作。プレゼントするはずだった人に、手伝ってもらうことになっちゃったけど、こうやってびっくりさせられてよかった。

「いつもありがとう、お姉さん。ささ、食べてみてよ」
「ありがとう、お姉さん」
「……うん、どういたしまして。それにありがとう、2人とも」

 それからクッキーを食べ終え、帰ったきた母さん達にも喜んでもらえた。ちょっとしたお菓子パーティーになり、お姉さんやついでにそこにいた男性局員さんも遠慮なく巻き込んで、みんなで笑いあった。

 

 

第二十一話 少年期④



 時計の秒針が、刻々と時を刻む音が妙に聞こえてくる気がする。ふと気づくと時計を見て、まだそれほど時間が過ぎていないことに気づいて視線を戻す、の繰り返し。緊張しているのかな、と今の自分の状態に思い当り、失笑してしまう。

 こういう時、俺はいつも自分の普段の姿を思い出すようにしている。いつも通りに笑って、いつも通りに話して、いつも通りになんとかなると考える。そんな風に思考を巡らせることで、落ち着くことができていたからだ。

 変な性格だと俺も時々感じる。普段の俺は決して演じたものではないのに、時たまこうして自ら演じようとする。いつからそのように感じるようになったのかは覚えていない。だけど、客観的に俺を見る視点がいつのまにかできていたのは確かだ。


「ねぇ、お兄ちゃん。ここの魔法の対応表がよくわかんないよー」
「ん? なんだ、アリシア?」
「しゅくだぁーい」

  俺のもとにトテトテとテキスト片手にやってきたアリシア。先ほどのこぼれしまった笑みを消し、いつもの笑顔を浮かべて俺は妹と向き合った。妹と目が合うと一瞬瞳が揺れたような気がしたが、改めてみても特に変化はない。気のせいだろうか?

 アリシアが持っているのは、母さんとお姉さんが用意してくれた魔法のテキストだ。俺用なのだが、妹も気になったのか同じものをもらっていた。ただ時間を待つよりも、妹と話をしている方が楽しいだろう。俺は妹の宿題の手伝いにOKを出し、手招きをした。

 それにしても、このぐらいの年齢の子どもってなんでも真似したくなるみたいだな。理数で泣いている俺用とはいえ、さすがに6歳の子どもには難しい内容ではある。よく妹から質問があるので、俺自身も勉強になる。人に教えると逆に深まるし。

「えーとこれは確か、魔法陣の詠唱コードの部分か。おーい、コーラル。法陣制御ってこっちのコードとつなげればできたよな?」
『えぇ、正解ですよ。術者の魔力収集力を高めるには、そこで一括に変換する必要がありますから』
「それじゃあ、この部分の表を見ながら解いてみたらいいよ。こことここに繋がりがあるから、関係性……えっと魔法陣を展開させるときの順番が見えてくるから」

 頑張って説明してみたが、妹はまだ難しい顔をしている。明らかにこれ6歳児がやる勉強じゃないよ、正直。専門分野の領域だ。母さんが言うにはこれでもだいぶ簡略化されたものだそうだけど。

 ミッドチルダ式の魔法は今では一般的に普及された魔法だが、他の魔法体系に比べるとまだまだ歴史は浅い。しかし利便性はかなりあり、現在進行形で魔法の開発も進んでいる。

 安全性を考慮した魔法(非殺傷設定など)も開発され、それに伴い構築式もどんどん増えている。今はいかに魔法を簡単に発動させられるかが課題としてあり、将来的には今よりも魔法の種類も多くなりながら、簡略化されるだろうといわれているらしい。


『ますたーも成長しましたねー。前なんて頭痛起こして転がるのがデフォだったのに』
「デフォ言うな。まぁここら辺は対応表を覚えたらある程度はできるしな」

 俺も筆記用具を手に持ち、アリシアと一緒に問題を見ていく。妹が詰まったら声をかけ、ヒントを言っていく流れを繰り返していた。

 そういえば、うろ覚えだけどアリシアって確かあんまり魔法が使えないんじゃなかったっけ? フェイトさんはアリシアと違い、母さんの資質を受け継いだって話を聞いたことがある。今思い出した内容に、俺は眉を寄せた。

「……なぁ、コーラル。前に魔力光見たとき、アリシアの生体情報を取り込んだよな?」
『えぇ。そうですが』
「じゃあ、アリシアはその……魔法って使えそうなのか。魔力はあるみたいだし」

 自然と声が小さくなりながら、妹がテキストとにらめっこしている様子を見つめる。一生懸命に勉強する妹の姿。お姉さんに魔法を見せてもらった時や自分の魔力光を初めて見たときの喜びようを俺は知っている。

『……マイスターも気にしていましたね』
「え?」
『魔法は使えます。ただアリシア様の魔力量はEクラス。それにますたーやマイスターのような「電気」への変換資質はなく、なによりも魔力変換効率が高くありません。言い方は酷いかもしれませんが、僕は魔導師として生きることをおすすめできません』

 音量は小さいながらも、コーラルのきっぱりとした口調に俺は驚く。薄々感じていたが、母さんもコーラルもアリシアが魔法に触れることを止めたことはなかったが、逆に進めたこともなかった。

 俺はこれ以上の会話は妹に怪しまれるかもしれないし、内容もアリシアにとっていいことか判断できなかったため、念話に切り替える。コーラルも察したのか、すぐに念話を繋げてくれた。

『……母さんもアリシアの魔力のことは知っているのか?』
『知っていますよ、ずっと前から。魔導師以外にも道ならいくらでもあります。だから、マイスターはアリシア様に一切の魔法関係に触れさせないこともできました。半端な力を持っている方が、かえって危険を招くこともありますから』

 だけど、アリシアはこうして俺と勉強している。アリシアが魔法を使えるように頑張っても、魔導師としての大成は難しいのに。それなのに母さんは、当たり前のように妹にも魔法に触れさせている。

『それは、ますたーがいることも大きいですね』
『どういうことだ?』
『ますたーはマイスターの資質を色濃く受け継いでいますし、魔導師になるための勉強もしています。それを身近で見ているアリシア様が、魔法に強く関心を持ってしまうことは予想できるでしょう?』
『あっ…』

 確かにコーラルの言うとおりだった。間違いなくアリシアの魔法の関心は俺の影響だ。俺だって身近に魔法を勉強している存在がいたら、気になって仕方がない。自分だってやってみたいと思って当然だ。それを一方的に自分だけ止められたら、危険だからって納得できるわけがない。

 原作のアリシアが魔法に関してあまり関心がなかったのは、環境という要因もあったのかもしれない。彼女は魔法に触れる機会がほとんどなかったのだから。辺境に住んでいたため身近に同年代もおらず、母さんたちは開発者で魔導師とは繋げにくい。

 だけど、この世界には俺がいた。ただ俺自身が魔法を使いたいから、という理由で始まった魔法と関わる日々。母さんはきっと悩んだのだろう。将来的にアリシアを苦しめてしまうかもしれないことに。

『俺、なにもそんなこと考えていなかった』
『あ、決してマイスターはますたーを責めてなんていませんよ。ある意味、時間の問題であったことも事実ですし。マイスターはアリシア様が選ぶのが一番だと言っていましたから』
『アリシアが?』
『はい。魔導師の道を選ぶのかはアリシア様が決めること。周りが勝手に、魔力資質があまりないからと将来を狭めるのは違うって言われていました。当然困難な道ですから、マイスターは最初に止めるでしょう。でも、それでも目指すのなら精一杯背中を押してあげたいって』


「お兄ちゃん、大丈夫? 具合悪いの?」
「あぁ、大丈夫だよ。ちょっとここの制御式を思い出そうと悩んでいただけだから」

 俺は、母さんの考えはすごく共感できた。俺自身アリシアのこれからは本人が決めるべきで、魔力資質で将来を狭めるのはおかしいって思う。思うけど、……それでも俺はアリシアには魔導師になって欲しくなかった。

 ただの俺のわがままだ。魔法を使うだけならいい。でも魔法を使う仕事にはあまり就いてほしくない。それだけ危険がはらむかもしれないのだから。だけど決めるのは妹だから、俺はこれからもアリシアが望むのなら一緒に魔法に触れていくのだろう。

 それは、単純に問題を先送りしているだけなのかもしれない。妹の魔力資質を本人に伝える時だっていつかきっと来るだろう。祈るのならばその時、せめてアリシアが傷つかないでほしいと俺は願った。

 俺はアリシアと問題のやり取りをしながら、勉強を再開した。



******



「あ、チャイムの音だ!」
「……ほんとだ。俺が見てくるから、アリシアは待ってて」
「はーい」

 あれから少し時間が経ち、家にチャイムの音が鳴り響いた。いつもなら母さんが管理局に行ったら、入れ違いにお姉さんが来てくれていた。しかし今日は、おじいちゃん曰くお迎えの人が来るからか遅かったみたいだ。

 もし間違いだったり、不審者ならまずいためドアののぞき穴から覗いてみる。するとチャイムを鳴らしたのが、俺の知っている人物であったことが判明。どうしたのかと思い、俺は扉の鍵を開けた。

「お兄さん、どうしたんですか。母さんに何かあったんですか?」
「そんなに慌てるな。君の母親に何かあったわけではない。迎え……といえば通じるか」

 扉を開けた先には大柄な男性局員さんが待っていた。いつも母さんと一緒に管理局へ向かっていたお兄さんだ。先日はお菓子パーティーに巻き込み、寝癖でモミアゲが変な方向に曲がるのが悩みだと話していた人物である。

 それにしても、まさかお兄さんがおじいちゃんの迎えだったとは。ということは、こちらの事情もある程度知っていたということだろう。全然気づかなかった。

「俺のことも知っていたんですか?」
「少しな。悪くは思わないでくれ。聞こえは良くないかもしれないが、ここの監視も含まれていたのでな。あまり話している時間もなかった」

 監視。思い当る節がないわけではない。俺やおじいちゃんが反撃の準備をしていることを知っているのは少数だ。開発グループのみんなも上層部も多数の管理局員もそのことを知らない。それは大きなアドバンテージとなる。

 お兄さん曰く、油断した相手のしっぽを掴みやすくでき、うまくいけば芋づる式に黒幕をあぶりだせるチャンスだそうだ。さらに裁判で会社と戦っている母さんを、抑え込みたいと思う彼らが母さんの弱点である俺たちを放置するか。そこの危惧も含まれていたらしい。

 そして想像だけど、おじいちゃんがお兄さんのことを俺に話さなかったのは、俺も監視するためじゃないかと思う。さっきお兄さん自身が言ったように、相手に牙を磨いでいることを知られないことが重要なんだ。万が一俺が暴走して上層部に作戦を気づかれたら目も当てられない。こうしてお兄さんが迎えに来て、ネタばらしをするということは少しは信用されたと見るべきだろうか。

「えっと、おじいちゃんには迎えが来たら転移してこい、って言われたんですけど。お姉さんは?」
「あぁ。彼女は何も知らないからな、別の仕事を与えているそうだ。今日は俺が代わりに入ると彼女には伝えてあるから問題はない」

 アリバイ工作ってわけね。アリシアもお兄さんとは面識があるし、これなら俺も安心できる。さぁ、ここからは気を引き締めていかないと。俺は懐に入れていたクッキーを握り締めながら決意を新たにした。


「……とりあえず、まずアリシアになんて言って出ていったらいいでしょう?」
「む……、腹痛とかで医務室に行くとかは…?」
「えぇー、まさかの考えていなかったパターンなの。いきなりは怪しまれないかな」
「ならば、落ちていたものを食べてしまったことにすればいけるな」
「お兄さんが俺をどう思っているのかを小一時間問いただしたい」

 まずなによりも、落ちているものを食べそうな子というレッテルを先に外すべきか真剣に悩んでしまった。



******



「おかしい。なんであんな理由で納得されたの? 俺ちょっと本気でこれからの生き方考えた方がいいのかな…」
「なんでいきなりこんな状態なんじゃ」
『ますたーとしては冗談で拾い食いルートで進んでみたら、妹と家猫に「まったく仕方がない兄だなー」という表情で見送られてきましたので』

 コーラルの説明におじいちゃんから憐憫の眼差しを向けられました。真剣に同情されたみたいです。確かにアリシア達に怪しまれずに外に出られたけど、なんでこんな精神的ダメージを受けなきゃダメなんだ! 後が大変だけど、お兄ちゃんとしてはやっぱり怪しんでほしかったよ!

「日頃の行いではないか?」
「どういう意味ですか、副官さん」
「お前なら道端にキノコでも生えていたら、取って普通に食っていそうな気がする」

 おじいちゃんとコーラル、今納得しかけなかったか。しないからね、そんなこと。俺は部屋の一角に立っている男性に意識を向ける。まず目に付くのが彼の眼だろう。髪と同じ鳶色の瞳。鳥のように鋭く精悍といってもいいかもしれない顔立ちの青年だ。

「……お孫さんのくせに」
「おい待て。今ぼそっと何言った」
「おじいちゃーん、あなたのお孫さんがいじめてきまーす」
「おぉ、すまんなー。後でメッてしておくからのぉー」
「孫言うな! ローバスト総司令官も何のっているのですか!? 私とは一切血はつながっていないでしょう!!」

 あといじると面白い。ちなみにあだ名はお孫さん(命名俺)で、おじいちゃんが完全に孫を見る目線だったので採用させてもらった。命名した時のおじいちゃんの爆笑した姿は今でも覚えている。


 さて、改めて今までの状態を簡単にまとめておこうかと思う。おじいちゃん――地上本部総司令官とその副官さんと出会ったのは、事故が起きたその日のことだった。

 俺は事故が起きる前までずっと、上層部やその関係者の情報を得るために奔走していた。それと同時に考えていたのは、その集めた情報をどのように使うべきかであった。最も効率のいい方法。最も安全な方法。それらを考えて思い至ったのは、やはり管理局に提出することだった。

 俺が公表するという手もあったが、後のことを考えるとあまりいい手ではない。母さんに心配をかけさせてしまうし、何よりも足がつくのが怖かった。俺が追い込んだのだとわかれば、復讐に来るかもしれない。それはできる限り避けたかった。

 だからこそ情報を有効活用してくれて、なおかつ俺たちの隠れ蓑になってくれる存在は管理局しかなかった。ミッドの治安維持を務め、今回の事故の指揮も執っている管理局の地上本部の人の手に渡すこと。だが、実はこれが一番大変だった。なぜなら誰にでも渡していいわけではなかったからだ。

「しかし、あやつからいきなり連絡をもらった時は驚いたのぉ。儂らとしても世話になっとるし、悪くない話だからこそのらせてもらったが」
「本当にありがとうございます。俺には管理局への伝手なんてなかったから、お願いしたんですけど、……俺も正直総司令官達と面識があったことに驚きました」

 あの人からの了承の返事が来た時なんて本当にびっくりしたからな。ヒュードラのことでどうしても信頼できる管理局員を内密に紹介してほしい、と無茶なお願いをしたのだから。そんなお願いを真剣に考えてくれて、こうして接点を作ってくれたのだから感謝してもしきれない。

「かっかっか。まぁ、今回は管理局の一部の人間も関わっとるようだったからな。下手に局員の人間に情報を渡せなかった坊主の考えも理解できる。今回は儂としても白羽の矢が立ったことに素直に感謝しておるよ」

 俺としても相手が総司令官達で助かったのは事実だ。地位も高く、人脈だって広い。何よりも取引の内容を吟味した上で、6歳児の俺と対等に契約してくれた人物だ。

 俺がおじいちゃんに提供したのは主に2つ。1つはヒュードラの開発情報や関係者の弱みといった映像記録の提出だ。これを渡す代わりに母さん達を助けるために手を貸してもらうことになった。

 そしてもう1つが、映像記録を撮った功績を渡すこと。俺は今回の事件の表舞台には一切出るつもりなんてない。映像を手に入れたのは開発に疑問を持ったローバスト総司令官が、秘密裏に地上部隊の局員を潜り込ませたことで手に入れたものと公表される。お互いの利益が見事に一致したことで作られた協力関係だ。

「しかし、総司令官。この件が終わった後、本局の方に目をつけられる可能性がありますが…」
「ふん、今までのようにあしらわれるだけよりましじゃろ。地上部隊の迅速な対応と力を民衆と本局に見せつけられる。儂ら「陸」の発言力を高められる機会だ。お前も儂の副官なんじゃし、目をつけられる程度、本当はなんとも思ってないだろ?」

 おじいちゃんがにやにやしながら放った言葉に、副官さんも言ってみただけです、と口元に笑みを浮かべる。おそらく副官さん自身も今回の件に反対はしていないのだろう。むしろどんとこいや! という感じの人だと思う。

 出会ってまだそれほど経っていないから、あまりこの人たちのことを俺は深く知らない。おじいちゃんは管理局ができる前から世界を平定し続けていたすごい人で、副官さんもそんな総司令官に認められ、若くして引き抜かれた優秀な人物らしい。

 ……まぁ、普段俺が見ている2人の姿があれなもんだからなんともいえんが。打てば響く副官さんの反応は、おじいちゃん的にツボらしく色々困らせているらしい。要はかわいがっているのだ。そんな様子を見ていたら、俺が祖父と孫の関係を思い浮かべても無理からぬことだろう。そのため命名に関しては、俺は一切後悔していません。



「とりあえず時期や開発状況は間違いないみたいだな」
『そうですね。こちらの映像は去年の秋に撮ったもので間違いありませんし、分布の整合性もとれました。参考にですけど、ファイル13と17は入れ替えた方がより明確に……』


「……今回の件ってコーラルがいれば、俺いらなかったんじゃね?」
「本当だな」

 副官さん、もうちょっと言い方ない? 確かに映像記録を撮ったのもまとめたのもコーラルだから、俺の出番がほとんど必要なかったのは事実だけどさ。

「暇ですねー」
「だまって菓子でも食っとけ」
「いや、この菓子折り持って来たの俺ですから」

 菓子折り用のクッキーを2人でつまみながらおじいちゃん達を待つことになった。一応俺はお客さんなので、総司令官が副官さんに接待をお願いしてくれたのだ。でもこの人、さっきから菓子食ってるだけなんですけど。……太れ。

「そうだ、副官さん。時間つぶしにちょっと聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
「つまらないこと以外ならな」
「太ももが太い女性は許容範囲ですか」

 そんな噴き出さなくても。

「何聞いてくるんだ!?」
「そのことに真剣に悩む女性がいるんですよ。せっかく年頃の男性が目の前にいますから、聞いておくチャンスかと思いまして」
「もっと他に話題はなかったのか…」

 まずぱっと思い浮かんだのがこれなんだから仕方がない。同僚さんのために今の年頃の男性の好みが知りたいんです、と伝えてみる。

 ちなみにお願いの時のポイントは、なんらかのグループの1つの意見が欲しいみたいに言うと答えてもらいやすい。アンケートみたいな感じで尋ねるとなお良し。

「先に言っておくが、あくまで俺ぐらいの年齢の意見だぞ。俺は、というより参考としての言葉だからな」
「はい、もちろんです」
「……まぁ、それほど気にしなくていいんじゃないか」
「太いのも細いのもいけるって意味ですか?」
「そう言ってるだろ」

 そっぽを向きながらぶっきらぼうに答える副官さん。横顔だが、赤みが少し見える。この人って、口調はきついところはあるけど、根は素直で真面目な人なんだよね。質問にもなんだかんだでちゃんと考えて答えてくれるし。だからこそ―――

「なるほど。副官さんはどんな足も許容範囲のばっちこーいな人である……と」
「おい、待て! 何勝手に脚色したものをメモしてやがる!?」
「そうか、そうか。太いのも細いのもいけたとはのぉ」
『いい映像が撮れましたねー』
「いつから話を聞いていたんですかッ!? やめてください! その言わなくてもちゃんとわかっている、みたいに親指立てるの!! あと盗撮するな、デバイスッ!!」

 この話し合いが終わった後、ひっそりとおじいちゃんにダビングを渡しておいたのは余談である。さらにこれがきっかけで、おじいちゃんが孫ビデオ収集に嵌りだしたのも蛇足である。

「俺、今ならお前をしめても問題ない気がする」
「そうなったら、目薬さして服乱れさせて本部に転移して、『助けて! ゲイズさんがぼ、僕をッ!!』と涙ながら叫びまくってやる」
「おまっ! それは悪質すぎるだろッ!!」



******



「話し合いは一応これで終わりなんですよね?」
「あぁ。わざわざすまんかったなぁ」
「いえ、そのできれば俺から総司令官達に要望があるんですけどいいでしょうか」
「坊主がか? そんな堅苦しくならずとも、言えばいい。それだけのものももらっとるからのぉ」

 おじいちゃんの独特な笑い声を聞きながら、俺は静かに息を吐く。大丈夫、さっきまでのようにリラックスしたらいい。言っちゃなんだけど、副官さんのおかげでいいガス抜きもできた。

 ここまでくれば、母さん達は助かるだろう。総司令官達の手によって、ヒュードラの事件は原作とは違う形で終えられるはずだ。そうなれば、もう俺たち家族を壊すものはなくなる。母さんもアリシアもリニスも幸せに生きていく道が出来上がるんだ。

 ずっと待ち望んでいた未来。いつものような日々を、当たり前のようにこれからもいられる日々を俺は願い続けた。そして、それがもうすぐ叶う。だけどこの願いが叶い続けるということは、同時に最悪の未来を進む少女達もいることになる。

 さぁ、ここからだ。俺は俺の未来のために頑張ってきて、これからもそれは続いていくけど。それにもう1つ頑張りを増やそう。幸せな俺の望む未来をもう1つ作るために。

「それでは、どうして俺がそのことについて触れるのかには、一切問わないでほしいんです」
「……どういう意味だ」
「俺への報酬です。この提案を受け入れてくれるかはおじいちゃん達に任せます。だけど、受け入れても受け入れなくても、なぜそのことについて俺が問うのかには一切触れないでほしい。それだけです」

 俺からの言葉に2人も隣にいたコーラルも無言になる。警戒されるのはわかっていたけど、これが前提条件だ。聞けば絶対に何故かと問われるとわかっている。だけど、俺は理由を話すことができない。話したくないんだ。

「……聞こう」
「総司令官」
「聞くだけならいいみたいだからなぁ。それを受け入れるかは儂ら次第。ただ内容については触れるな、というだけだ。そうだろ?」

 総司令官の声は、先ほどまでと声のトーンは変わっていないはずなのに、俺はうなずく動作1つにも緊張が走った。副官さんは総司令官の言葉に小さく相槌を打ち、静観の姿勢をとる。

『ますたー、頑張って』
『……ありがとう』

 わざわざ念話で応援してくれた相棒に感謝する。そして、俺は一度そっと目を閉じた。

 俺にできることを考えた。俺が相対すべき相手を見据えた。俺がしなければならないことを見つけた。ならば、進んでいこう。手探りでゴールなんてわからないけど、それでも歩いていくって決めたのだから。


「俺が、……『闇の書』に関する知識を調べることに許可を下さい」

 これからの未来に向けて、俺は足を踏み出した。

 

 

第二十二話 少年期⑤



 アリシア・テスタロッサは少しばかりむくれていた。別に怒っているというわけでもないし、不機嫌だとあからさまに表情にも出てはいない。ただほんの少しだけへそを曲げているだけである。

 そんな彼女の様子にいち早く気づいたのはリニスだった。テスタロッサ家の家猫になって早1年。リニスがそれに気づいたのは、いまだに野生根性上等な彼女の勘の良さもあるが、なによりも毎日ずっと一緒に暮らしてきたからでもあった。

 だからリニスは、アリシアが不機嫌そうだとなんとなくわかった。おそらく彼女の兄も、今のアリシアを見れば確かに不機嫌そうだと言うだろう。逆に言うと、いつも一緒にいる家族だからこそ気づけたということにもなる。はた目から見れば、彼女はいつも通りなのだから。

「どうかしたのか」
「ううん。なんでもないよ」

 勉強の手が止まっていたため不思議に思われたのだろう。アリシアは笑顔で首を横に振り、兄の代わりに勉強を見てもらっている男性局員にこたえる。その笑顔に安心したのか、彼も「そうか」と納得した。

 アリシアは意識して表情を変えたわけではない。ただ胸の中のムカムカした気持ちを表には出したくない、という思いが彼女に無意識に笑顔を作らせた。今の自分の気持ちが悟られれば相手を困らせてしまうとわかっていたからだ。


 彼女が1人でいる時は、実は結構おとなしい。兄とくっついているときは同じぐらいにはしゃげるのだが、1人の時はいつものように騒ぐことはしない。それはアリシアが今まで見てきた人が、大人ばかりだったことが要因でもある。

 大人は本心を表に出すことがあまりない。そのためアリシアは、幼いうちから相手の感情を読むことを自然に覚えてしまった。

 そんな彼女にとってアルヴィンは基準であった。アルヴィンは兄であり、父のような存在でもあり、最も近しい同年代だ。なによりもアリシアは、兄が相手との線引きが上手いことを知っていた。だから一緒にいると安心できるし、ここまでは大丈夫なのだと相手との距離をわかることができていた。

 アリシアが一番接する相手だからこそ、彼女は誰よりも兄を見てきた。それはアルヴィンの真似をしながら成長したといってもいいぐらいに。


「にゃー」
「わっ、リニス」

 勉強を再開しようとしたアリシアの膝の上に、リニスはちょんと飛び乗る。リニスは一度アリシアと視線を合わせると、そのまま丸くなった。特に重いと感じるほどの重量はないため、勉強に支障はない。むしろ柔らかな毛と温かさが気持ちいいぐらいだ。彼女はそれに自然に笑みを浮かべていた。

「お兄ちゃんとコーラル、遅いね」
「……そうだな。医務室で休んでいるのかもしれん」

 茶色の制服に身を包んだ男性局員と少女と猫。異色だが気まずさはなかったりする。男性はもともとあまり口数が多いタイプではない。同僚や上司からも寡黙な人物だと認識されているし、彼自身も口下手だと自覚している。

 しかし決して人当たりが悪い人物というわけではなかった。だが第1印象は無愛想な感じにとられやすく、10代後半にしてはなかなかの大柄な体格のため怖がられることもあった。実際アリシアも最初に出会った日は驚いていた。

「くまのお兄さんは知ってるの?」
「いや、そうかもしれないと思っただけだ。……ちなみにくまは決定なのか」
「え、くまさんかわいいよ。お兄ちゃんが『森のくまさん』みたいな人だねって教えてくれたんだもん」

 初対面の時、子どもとの接し方に戸惑っていた男性を見て、アルヴィンがまたしても命名。髪も服装も茶色だったことも理由にある。これにアリシアのハートが鷲掴みされた。

 くま=大きいけど優しくてかわいい動物=お兄さん。

 脳内変換も無事終わったことで第1印象は彼方に吹っ飛び、あっさり懐いた妹。勝手にあだ名作って、これちょっと妹の将来大丈夫だろうか、と勝手に悩みだす兄。何しでかすかわからない兄妹と感じた男性。でも怖がられなかったのはちょっと嬉しかったらしい。


「やった、終わった!」
「あぁ、よく頑張った」

 あれからまた少し経ち、アリシアは今日の宿題を終わらせる。できたテキストを黙々と丸付けしてくれるくまさんに癒されながら、アリシアはリニスの毛並みも堪能する。先ほどまでのふて腐れていた気持ちも、癒し系達のおかげで緩和されていた。

 彼女が不機嫌だった原因は、アルヴィンの反応だった。アリシアは多少なら兄の感情を見分けることができる。見分けられるといっても、時々笑っているけど、何か違う気がするというぐらいのことしかわからないが。それだけ彼女の兄は、表情を取り繕うのが上手いのだ。

 宿題を一緒にしたいと申し出た時、兄は何か悩んでいるようだった。雰囲気もどこか固く感じた。だがその印象は一瞬で消えさり、アルヴィンはいつも通りに笑顔を浮かべていた。普通なら最初に感じた違和感が、ただの勘違いだったのだと思うだろう。だがそれをアリシアは、自分には触れてほしくない部分なのだと察した。察してしまった。

「妹なのに…」

 リニスにも聞こえないぐらいに囁かれた小さな吐露。立派なお姉ちゃんになるために、あのピクニックの日以来アリシアは努力を始めた。母のお手伝いを毎日頑張るようになった。文字の読み書きも熱心に取り組んだ。兄と同じように魔法の勉強もするようになった。

 それは妹ができた時、頼られるお姉ちゃんになるために頑張ろうと思ったからだ。けれどもう1つ、家族には言わなかったアリシアの思いがあった。兄に認めて欲しい、頼って欲しいという感情。母が兄に頼るように、兄に頼られるような自分になりたい。それがアリシアの目標にもなっていた。

 しかし目標にして頑張っても、アルヴィンは変わらない。アリシアにはそれが歯がゆかった。無理やり関わる方法もあったが、それは相手を困らせるだけだと彼女は理解していた。でもどうしたら達成できるのかも思いつかない。成熟した目線と幼い感情のせめぎ合いが彼女の不機嫌の理由でもあった。


 そんな風に思い出してきて、アリシアはむぅと唇をとがらせた。だいたいお兄ちゃんはいつも私を子ども扱いばかりする、と記憶を思い起こす。

 お風呂だって目を瞑らなくてもシャンプーができるようになった。夜に1人でお手洗いに行くことだってできるようになってきたのに。落ちているものを食べたらお腹がピーちゃんになるから大変なことも知った。新しいこともどんどん覚えている。

 間違いなくお姉ちゃんになっているはずだ、とアリシアはうんうんとうなずいた。そしてふと思いだす。兄はやっていたのに、自分にはさせてくれなかったこと。別に危なくもなければ、迷惑もかけないのになぜかダメだと言われたことだ。

 少し考え、アリシアは決意する。あの時、アルヴィンには早いと言われて見せてくれなかったもの。それは子どもだから見せられないということだ。それに対し、少女の中に小さな反抗心が芽生えた。


「コードの書き方も間違っていない。これからも精進するといい」
「ありがとうございます。……あのね、くまのお兄さん。よかったら教えてほしいことがあるんですけどいいですか」
「ん?」

 いささか興奮しているのか、アリシアはそわそわした様子で彼を見上げる。アリシア1人ではまだうまくできないため、どうしても協力が必要だった。断られたらどうしようと思いながらも、まっすぐに相手の眼を見据えて話した。

「その、お兄ちゃんにはまだ早いって言われちゃったことなの。でもね、私はできると思うんだ。だからやりたい!」
「待て、何をしたいのかをちゃんと言いなさい」
「大人の階段を登りたいの!」
「ブホォッ!」

 意訳、子ども扱いされたくない。アリシアの語彙力のほとんどは兄からの影響です。

「私1人じゃできないから、くまのお兄さんお願いします。協力してください!」
「いや、ちょっと待とう。お互いに待つべきだ。そうだ、待とうではないか」
「端末の使い方を教えてください!」
「俺は18歳で君は6歳だ。いくら色々な年齢の水準が下がっている時代だとしても……端末?」



「これでいいのか?」
「わぁ、ありがとうございます。通信のやり方は教えてもらっていたけど、ネットのやり方はわからなかったんです」
「ふむ。別に内容も特におかしいわけではないみたいだが、独特な店みたいだな」
「『ちきゅうや』っていうんだって」
「地球? そういえば海のエースの出身地がそんな名前だったな。……ここから近いな。時間が空いたら行ってみてもいいかもしれん」

 その後、2人と1匹はのんびり端末をいじりながら、動物特集やら次元世界の観光地などを見ていった。途中でアルヴィンとコーラルが帰ってきて、それに一緒に参加して1日を過ごすことになった。

 ピーちゃんが治ったからか、兄の顔はどこかすっきりしたような、安心したような感じだったなとアリシアは思った。



******



「……よろしかったのですか?」
「なんじゃ、藪から棒に」

 先ほどまで2人で食べていたクッキーの皿を片づけながら、ゲイズは上官に疑問を口にする。総司令官も自分の副官が何について聞いているのかはわかっていた。

 彼は副官であったため、あの話合いの場での進言は控えていた。だが、顔からは明らかに不満があるとかかれている。わかりやすいのぉ、と総司令官はクツクツと笑みを口元にのぞかせた。

「悪い話ではなかっただろう。儂らは坊主の調べ物に許可を出すだけ。情報も調べようと思えば儂らでも調べられるものだろう。……まぁ、あんなめんどくさい魔境みたいなところに行きたいとは思わんが」
「しかし、ロストロギアですよ」
「闇の書か。まぁ物騒なのは確かだな」

 総司令官もそこを否定するつもりはなかった。彼も副官が危惧していることぐらいわかっている。局員でもない6歳の子どもが、ロストロギアについて知りたいなどと普通口にするわけがない。興味本位で知りたい場合もあるが、その範囲はすでに超えている。

 総司令官は短い間とはいえ少年を観察していた。そして随分面白い性格をしているな、と感じたのが彼の第1印象だった。子どもらしいところもあるし抜けているところもあるが、根っこはかなりシビアなようだ。少なくとも冗談でロストロギアを調べたい等とは言わないだろう。つまり本気だ。

 真剣にロストロギアについて調べたい。その代わりの交換条件も提示してきた。そしてその条件は、こちらにとって有益になるだろうと判断できるものであった。さらにアルヴィンが調べたい物は危険な物であるのは間違いないのだが、その情報の使い道はほとんどないものなのだ。


「管理局への従事も場合によっては考えます、か。随分切羽詰っていたようじゃな」
「地上部隊への補助、そして緊急事態の場合の協力との引き換え。この条件で本当によかったのですか。あいつは一応AAランクの魔力量を持っていましたし、従事という形でも…」
「やめんか。魔力資質が高かろうと、もともと子どもを戦わせるなど儂は反対なんだ。もちろん次元世界の情勢的に難しいのはわかっとるし、自ら入局を選んだ者なら子ども扱いするつもりはないがな。だが本心で志願した訳でもなく、あれぐらいの情報で入局させるのは横暴というものじゃ」

 ローバスト総司令官にとって、「闇の書」の情報はそれほど重要視するものではなかった。ほかのロストロギアであったなら、物によっては今回の取引はなかったことにした場合もあっただろう。もし万が一、そのロストロギアを使われたらまずいためだ。

 しかし闇の書は、ランダムに主を決めるロストロギアである。現在アルヴィンが闇の書を所持しているわけではない。次元世界には無限ともいえる世界があり、多くの人が暮らしている。これからの未来でその所有者に出会える確率は? 彼が所有者になる確率は? 探し出したとしても主としての権限のない者に何ができる。

 管理局員になれば、多少面倒な手続きが必要だが調べられないわけではないのだ。アルヴィンの様子を見て、早々に引き下がりそうにないのもわかった。なら条件を呑めば、レアスキルの補助が手に入り、もしもの場合に監視もできるのは有益だろう。


「まぁ、そんな難しく考えすぎても仕方ない気もするがのぉ」
「……何故そんなに楽観的に見られるのですか」
「かっかっか。確かに儂個人の考え方だな。だが、これから先も関わりはあるんだ。お前の眼で見て、そして考えて、判断を出したらいいさ」

 口元に笑みを浮かべながら言葉を切る。長い会話の中で整理していた必要な書類をまとめ、総司令官は椅子から立ち上がった。言われた内容に一瞬困惑したが、彼もすぐに表情を引き締め同じように立ち上がる。自分なりに考察するのも大切だが、まずはやらなければならないことがある。考えを切り替え、お互いに視線を交わした。

「とりあえず、まずは儂らの仕事をこなすことが始めじゃな。……早々に片づけるぞ」
「はい」

 壁に立て掛けていた上着を羽織り、2人は執務室から退出する。地上本部は動き出した。



******



「この勝利をあなたたちに捧げるわぁーー!!」
「祝いよ、祝い!! 今日はガンガンに飲むわよ!!」
「嬉しいのはわかりますが落ち着いてください! 主任、お嬢さんと坊やが潰れそうですから抱擁押さえてください! そっちは酒で物理的に潰して回るんじゃない!」

 酔っぱらった母さんから助けていただき、強者さんは酒で狂化されて文字通り潰しまくっている同僚さんを止めに行った。母さんは幸せそうな顔で「んふんふ」と笑っている。ほかの開発メンバーの何人かも同じように夢心地に「んふんふ」言っている。やばい、増殖している。

「うにゃァー!」
「きゃー、ぽかぽかー!」
『お酒の力ってすごいですねー』

 肌寒い気候になってきたからか、リニスは特に人気だった。リニスもさすがに逃げ出そうともがいていたが、酔っ払いの前に撃沈。同僚さん、魔力で身体強化して相手の抵抗を抑え、猫パンチは瞬時にバリアを張って防いでいる。酔っぱらっているのに精密な魔法操作。すごいのに、なんでこんなに残念なんだろう。

「これぞまさに死屍累々」
「んふー」

 どうしよう、妹にもうつってしまったみたいだ。というか眠いみたい。晩御飯食べていたあたりはみんなもテンションが高いだけだったのに、酒が入るだけで大人組はほぼ全滅とか。母さんも珍しくグビグビいってたし、それだけうれしかったんだろうな。

 俺は強者さんに一声かけ、瞼をこする妹を引き連れて寝室に向かうことにする。さすがに子どもに酒を進める人はいなかったとはいえ、宴会場にこのままいるのもあれだったし。なんとか安全圏に避難してきたリニスを抱きしめながら、アリシアはそのままベットに沈んでいった。


『それでは、次の内容にうつりたいと思います』
「ん? あれ、テレビつけっぱなしじゃん」
『本当ですね』

 みんなに毛布でも持って行ってあげようと寝室から宴会場に戻る途中、女性キャスターの声に立ち止まる。俺は部屋の奥に行き覗き込むと、だれもいない薄闇の中で映像が流れているのに気付いた。おそらく誰かが消し忘れたのだろう。仕方がない、と頭をかきながら電源を消すためにスイッチを押すことにした。

『新型の大型魔力駆動炉暴走事故についてです』

 そこで俺の手は止まった。少し眠気があった頭も覚め、映像に自然と目が行く。モニターに映し出されているのは、久しぶりに目にした塔のような建物。次元航行エネルギー駆動炉「ヒュードラ」だった。

『今から4ヶ月程前に起きた事件。駆動炉が暴走したことにより、高純度の魔力エネルギーが外部に漏れました。幸いこの事件に死者はおらず、開発関係者も建物も無事でしたが、自然環境へのダメージはとても深刻なものとなっています』

 4ヶ月…もうそんなに経ったのか。詳しい事故の内容が発表されてから、まだそれほど日は経っていない。最近まで俺は、当事者でありながら事故の原因も被害もあまり知ることができなかった。

 それは大人たちからの配慮だとわかっていた。子どもの俺たちに、わざわざ自分たちが死にかけた原因を話す必要はないだろう。そのため管理局の発表した情報程度しか俺は知らなかった。おじいちゃん達からもらえた資料で、ようやく概要をつかむことができたぐらいだ。


 原作のアリシアの死因は、正直ぞっとするようなものだった。母さんの結界があったおかげで、高純度の魔力エネルギーを直接身体に浴びることはなかった。もし結界がなかったら、なのはさんとフェイトさんとはやてさん3人の本気ブレイカー並みかそれ以上のダメージだっただろう。普通にショック死できるな。

 まぁとにかく、爆発の衝撃と魔力ダメージだけなら結界で防げたのだ。ただ彼女の死因はおそらく…窒息死だった。漏れたエネルギーが空気中の微粒子と反応を起こし、一瞬で周辺の酸素を燃やし尽くしてしまったのだ。高密度の魔力エネルギーと酸素の消失。そのため今でも事故の影響で、駆動炉の周りの自然体系は崩れている。

 死者は出なかったとはいえ、土地にあれほどの被害を出せば責任問題も大きい。テレビでは、駆動炉の周辺が映し出されている。アリシアと遊んだことのある場所も幾つか映ったが、半年前までの面影はなかった。

『事故当初の発表では、今回の駆動路の開発をしたアレクトロ社が、開発者が違法手段・違法エネルギーを用い、安全確認よりもプロジェクト達成を優先させたことが原因であると報告されました。しかし、開発側はそれを否認し、上層部の杜撰な管理とさらに圧力をかけ、脅してきたことが原因だと供述し、両者の意見は真っ向から対立していました』

 番組の内容は裁判の話へと移り、その当時の様子が回想のように流れている。母さんたちは本当に劣勢だった。なんせ見つかった書類やデータは改ざんされ、それを証拠として突きつけられていたのだから。いくら母さんたちがそのような書類を書いた覚えがない、と言い張っても聞き入れてはくれなかった。

「こんなの普通に敗訴で決定だよな。もう少し調べてくれたっていいのに」
『管理局員に内部の捜査をさせないように根回しもしていたみたいですしね。……民間の事件で辺境のことです。総司令官も言われていましたが、すべてを拾えるわけではないでしょう。人員の足りない状態で、これだけの証拠があれば調査の手を止めてしまう場合が多いでしょうから』
「俺だってわかってるさ」

 俺自身そのことに不満はあったし、納得できないところもあった。だけど、それを直接ぶつけるつもりはなかった。頭の中でそれは仕方がないことなのだと理解していたからだ。

 本来の歴史では、母さんは裁判に負けてしまう。その後会社からの口止めとしての賠償金を受け入れ、ミッドから去ることしかできなかった。すべての罪を擦り付けられて。娘を失い、1人になり、果てに持っていたものをすべて失ってしまった。

 この定めが本来の道筋だとわかっている。だけど、だからって…はいそうですか、と認められるほど俺は聞き分けがよくない。理解はできても、それが納得できるものじゃなかったから俺自身で足掻いたんだ。

『開発側の敗訴が決定し、この事件は終わりを迎えました。しかし……ここからが歴史に残るであろう大逆転劇の始まりだったのです! 今まで静観を保っていた地上部隊が突如突入してきました。「三文芝居はようやく終わりか?」と入ってきたのは、なんとあの歴戦の魔導師。地上本部首都防衛隊代表であるローバスト総司令官でした!』

 映像には混乱する人々の様子や総司令官のすごくいい笑顔が映っている。あのおじいちゃん結構Sっ気あるよな。もう今から存分にいじめられるのがうれしくて仕方がない、って顔に書いてある。

『混乱の中、地上部隊は決定的な証拠を我々に示しました。それは実際の開発の様子や脅迫内容、さらに汚職関係の映像などまさに証拠のオンパレード! そしてアレクトロ社の重役、関係者を次々に捕縛していったのです』

 今さらながらこの番組のタイトル名を見ると、『華麗なる地上部隊』という題名だった。なるほど、お姉さんのテンションが高いわけだ。あっ、副官さんだ。こちらもいい笑顔で関係者をどんどん捕まえている。というか副官さんがかなり映っているな…、と思っていたら、テレビ画面の下の方に『映像提供者:総司令官様より』と載っていた。納得した。

 今回のことで、管理局員や裁判官の一部も捕まったらしい。それが今から数日前の出来事。後日改めてみんなの無実が確定され、俺たちは解放されたのだ。今までの長い戦いも終わり、どんちゃん騒ぎになってしまうのは当然だろう。

『市民を守る管理局員が関与していたことは私としても大変つらく、悲しいことだ。しかしどうか忘れないでほしい。私たちは市民の安全を何よりも守りたいのだと。我々が事故を事前に止められなかったことは謝罪しよう。だが、これ以上の悲しみを広めるつもりはない! 我ら地上部隊がいるかぎり、皆様を守り続けることを誓おう!』

 おじいちゃんキャラちがくね、と思いながらテレビの電源を消す。まぁ、ああいう熱血パフォーマンスも大切だよな。薄暗かった部屋から光源が消えたため真っ暗になったが、そこはお手軽点灯コーラル君。俺は先ほどまで運んでいた毛布をもう1度抱え、宴会場に向けて歩を進めた。


「総司令官って本当に市民のことを大切にしてくれてるんだな」
『そうですね。あの後、真実を伝えられず苦しい思いをさせてすまなかった、とマイスターたちに謝罪されていましたしね』
「うん」

 総司令官や副官さんが持つ管理局員としての誇り。いつもミッドのために、そこに住む人々のために戦っている。救い出している。あぁ、うん。なんかもう、普通にかっこいいや。

『いいだろう、坊主の条件を呑もう。……ただしこれだけは覚えておけ。お前がもしその知識を使い、世界を混乱させようとしたその時には、儂自身の手で必ず潰させてもらうぞ』

「……俺も頑張らねぇと」

 総司令官達のような覚悟が、俺にもあるのかなんて正直わからない。それでも俺がやることは変わらない。これからも守っていく。これからも頑張っていく。それだけだ。

 あ、そろそろ俺の行動方針もちゃんとまとめておくかな。憂いごとも片付いたんだし、本腰あげていかないと。ようやくスタートラインを踏み出したばかりなんだし、道に迷ったりしたら大変だからな。


『……おや』
「どうした、コーラル?」
『通信ですね。ますたー、どうやらマイスターが次の休みなら時間をとることができるそうですよ』
「ほんとか!」

 コーラルからの言葉に俺はつい大きな声を出してしまい、慌てて口を閉じる。夜中はさすがに近所迷惑に……いや、宴会場の強者さんへの一気コールの方がでかいから今更か。本当に頑張って、強者さん。

「やっと直接お礼ができるな。実際に会うのはいつ振りだろう」
『通信でやり取りはしていましたけど、会うのはおそらく1年ぶりではないでしょうか。空中突撃しに行った日からでしょう』
「……あの時も一応、1年ぶりぐらいの感動の再会だったと思うのだが」

 いくら記憶を思い起こしても、どこも感動できるシーンがなかった。体調不良でふらふらだったワーカーホリックを昏倒させて、説教して、結局テスタロッサ家秘蔵コレクションを一緒に見ただけだ。うん、なにしてるんだ。

『ますたーとマイスターらしい関係だと思いますけどね』
「そんなものかね。とりあえず日持ちできるクッキーにしておいてよかったよ。いつ会えるかもわからなかったし」

 クッキーの鮮度は問題ないだろう。もし賞味期限がきれそうだったら、最悪送ればよかったことだ。それにしても相変わらず忙しそうだな、と俺は小さく笑ってしまった。

『楽しみですね』
「うん、とりあえず体調に気を付けていたらいいんだけどね。父さんは」

 俺も了承のメッセージを送り返し、あの混沌の空間で無事に生還を果たしていた強者さんと合流。この人は常識人だけど、結構(いい意味で)変人だよな、と失礼なことを考えながら俺は酔いつぶれた人たちに毛布をかけていった。

 

 

第二十三話 少年期⑥



 さわやかに晴れ渡った空と東京タワー並みにあるのではないかと思うぐらいのビルが、いくつも建ちならんでいるのが俺の目に映る。昔アリシア達と一緒にビルの屋上から見下ろしたことがあったが、本当に大きな都市だと改めて感じていた。

 地球でもこれほどの規模の都市はないのではないだろうか。さすがは管理世界の中心地だなぁ、と仰いでいた視線を元に戻す。その先には買い物をしている親子や、犬を散歩させている女の人、さらに慌てた様子のスーツ姿の男性に、話に花を咲かせている学生たちと様々な人が俺の目の前を通り過ぎていた。

「相変わらずクラナガンはでかいよなー」
『……次元世界の中心であり、心臓部とも言われる場所です。様々な世界から人が集まりますし、にぎやかにもなるでしょう』

 人々が行きかうさらに先には、管理局地上本部の姿も見える。本部はクラナガン一の巨大な建物のため、中央区画内ならほぼ見つけることができるのだ。そのおかげでこの巨大都市で迷子になっても、とにかくあそこ目指せばOK! というのがミッドの共通認識らしい。

 一応今俺がいるこの場所も、クラナガンの中ではそれなりに有名な待ち合わせスポットだったりする。交通機関が近くにあり、繁華街まで目と鼻の先という場所に佇む時計台。その周りには小さな噴水が作られており、花壇には季節の花が植えられている。噴水の水で作られるアーチは、前にテレビで紹介されていただけあって手が込んでいた。

 ……と、そんな細かいところまで眺めているのは別に趣味だからという訳ではない。ほかに本当にやることがないのだ。もうそろそろ水の仕掛けのパターンを覚えてしまいそうだ。俺は噴水のふちに腰掛けながら、足に肘を立てて頬杖をついた。


「……ほんとにここはおおきいねー」
『そのセリフはもう何回目ですかね。だんだん棒読みになってきていますし』
「……ちくしょう、忘れてた。久しぶりすぎてまじで忘れてたよ。こういう人だったよ、あの人は」

 がくり、と俺は意気消沈する。最初にここに来たときは、特に気にしてはいなかった。むしろ裁判から解放され、久しぶりの外出に浮かれていたぐらいだった。近くの店に寄ってみたり、散歩してみたり、自分と同じ年ぐらいの子どもの身長と見比べてほっとしたりしていた。

 今日は母さんにお昼は外で食べてくると伝え、待ち合わせの約束よりも俺は早めに外出した。だから多少相手を待つことはわかっていたのだ。そう多少なら、多少ならわかっていたんだ。すごく感謝しているし、いくら頭を下げても足りない相手だっていうのも理解しているんだけどさッ! 腹が減って思考がどんどん混沌としていく。

 さっきからなり続ける俺の腹の音と、ここに俺が来てから1時間以上ゆうに過ぎていることを告げる時計台の鐘の音が噴水広場に響く。……うん、あれだな。

「……なぁ、コーラル。威力を高めるために身体全体に回転を加えて遠心力出して、さらに受け身をとれるように体制を整えれば連発もできるよな。俺、旋回式とか1度試してみたかったんだ」
『ますたー落ち着いて。さすがにそれはいつもとび蹴りを食らっているマイスターでも……なんか大丈夫な気もしますが、やめてあげましょう。技はちょっと見てみたくもありますが』
「お前も結構ひどいことさらっと言うよな」
『なんだかんだでますたーはやりすぎないでしょ。いつも通り、じゃれる位でしたらいいと思いますけどね』

 お前にとっていつものあれはじゃれる認識だったのか。まぁ、連発はやめておくが。俺はそっと立ち上がり、うつむいていた顔をあげて前を見据える。コーラルが最後の呟きをした時に気づいたからだ。

 噴水公園の入り口。短く切りそろえられた金色の髪と黒で統一された服の上に白衣を羽織った男性。急いで来たのか、一筋、二筋とはらりと髪が額に落ちかかっているようだった。

 妹と同じ赤い瞳と目があった。俺を見つけたその顔からは優しげな笑みが浮かべられる。それを直視してしまい、俺はふいっと顔をそらす。さすがはあの母さんを射止めただけはあるな、イケメンめ。本当に会えてうれしいという雰囲気を笑顔から感じ取り、気恥ずかしさが込み上げてきた。

 ムカムカしていた気持ちは、その笑みに落ち着いてしまった。だけど、このまま普通に再会するのは照れくさい。よし、コーラルにもいつも通りでいいって言われたし、1時間以上も放置プレーされたんだ。俺たちなりの再会の仕方でいいだろう。


「アルヴィン! 久しぶりで……ごはァッ!!」

 転移での空中突撃。背中から見事に入った技は、これまた綺麗にくの字を描かせた。俺と父さんとの1年ぶりの再会はこうして果たされた。



******



「お前はなんで毎回突撃するんだ」
「俺と父さんにとってとび蹴りは、挨拶またはお約束だと思っていたんだけど…」
「待て、アルヴィン! その認識は色々おかしいと思うんだがッ!?」

 時間にルーズというか、生活面全般が横着な父さんに普通を諭されましても。昔は母さんが調きょ…、いやいや注意をしてましになっていたのに再発しているな。感覚がずれているというか、熱中すると一直線になる癖は本当に相変わらずのようだ。

「で、遅刻はやっぱり仕事?」
「うっ、すまない。ちょっとと思っていたら、つい…」
『ますたーの「つい」の癖は間違いなくマイスターの血ですよね』

 コーラルの独り言には一切触れず、俺は父さんとの会話を楽しんでいた。俺にとって父さんは、肩に力を入れずに話せる数少ない人だ。

 母さんやアリシアは異性だし、俺にとって守るべき存在である。この考え方が、俺が原作の2人の道筋を知っているから……、という影響もあるのかもしれない。周りも大人ばかりだから付き合い方というものもあった。

 でも父さんは、自分でも不思議なぐらい自然体でいられた。彼の持つ柔和な人柄や温かさに、この人なら許してくれるかもしれない、と甘えてしまったことは何度もあった。もちろん言わないことはたくさんあったし、困らせたくないから、あまり頼りすぎないようにはしていたけど。

「それより父さん。お昼食べよ、お昼。俺もうお腹がすいて力が出ない」
「……十分元気だと思ったが。ならどこかお店に入って食べに行こうか?」
「あ、ちょうどいいところがある。前にもらったクーポン券の期限もぎりぎりでいけそうだし」
『あぁ、恋するバーサーカー(同僚さん)の突撃を凌いだと言われる方がいるお店ですか』

 同僚さんに対してなんか伏字があったように感じたが…。店員さんを同僚さんに紹介して、そこに彼女が突撃をかましに行ったのはもう随分前のことだ。その時は同僚さんが開発チーム分のクーポン券をもって、お腹いっぱいで帰ってきたんだっけ。

 お仕事が大変な皆さんに、もし機会があればおいしいご飯を…、とスマイルでクーポン券を渡されたらしい。同僚さんから話を聞いたときは完全に宣伝扱いされている、と思ったが本人はイケメンぶりに喜んでいたから気にしないことにしたけど。



 そんなこんなでやってきたお店は、なんとも摩訶不思議なところだった。ちょっとおしゃれ風の店が立ち並ぶ中、そこは地球の居酒屋のような雰囲気だったのだ。壁にはお品書きが書かれていて、木のテーブルと椅子、さらにカウンター席まである。棚にはお酒が並べられており、落ち着いたムードが日本を思い出させた。

『このお店、ますたーが前に端末で見ていた、地球にあるお店に似ていますね』
「うん、ちょっとびっくりした」

 日本に迷い込んだのかと最初思ったが、青や赤といった髪の人が当たり前のようにいるし、料理を待つ間に空中に映像画面を出して時間をつぶしている人もいた。カラフルな髪色に慣れたとはいえ、この空間との違和感はすごい。そのミスマッチさが、ここがミッドチルダなのだとすぐに俺の意識を戻してくれた。

「いらっしゃいませ。2名様でしょうか」
「はい、テーブル席でお願いします。アルヴィンもそれでいいか?」
「あ、うん。俺もそれでお願いします」

 父さんの方は話が進んでいたらしく、話を振られてとっさに答える。2人の後をついていきながら、俺は肩を落とす。女々しいというか、なんというかという心境。自分では踏ん切りがついた、納得していたと思っていても、心の中ではふと前世を探している時がある。

 こうして2度目があるだけでも十分幸せなことだ。ミッドや家族を、前世と混合しないようにしようと心がけてもいた。今を真剣に生きることを俺は選んだのだから。それでも、やはり寂しさを拭えないときはある。

 いつか、笑って懐かしいと心から思える日が来るのだろうか。それは正直わからないが、こればかりは俺の気持ちの問題だと思った。時間が解決してくれることを祈るしかない。まだこの世界に来て6年しか経っていないのだから。

 あまりこのことに関して意識しすぎないようにしよう、と結論付けて俺は席に座りメニューを開く。居酒屋風の店なのに、なぜか大量の定食が載っているというアンバランスさに吹き出しながら、無難に『鳥つくね焼き定食』を選ぶ。日本の料理が数多く載ってあり、異世界なのに本当に不思議だ。

「初めて見る料理もありましたが、民族料理店なんですか?」
「そのような感じですね。ここの料理や店内は、異世界からミッドに持ち込まれた文化だそうです。ミッドは他世界から多くの移住者が来られますから、このような店は結構あるんですよ。故郷の味を忘れないように……と」
「なるほど」

 父さんが質問した内容に丁寧に答えてくれた店員さん。さっきまで軽く意識がとんでいたから気づかなかったが、クーポン券をくれたお兄さんだ。お兄さん自身はこの店の元となった世界とは関係ないみたいだが、この店で食べた味に惚れたらしく働いているらしい。

 俺は故郷の味を褒められてなんかうれしかったし、父さんも店員さんの話に耳を傾けていた。注文を聞き、去っていった店員さんの後には、店員さんがおいしいと語った料理を楽しみに待つ男2人。あのお兄さんできる人だわ。



「プレシアやアリシアは元気にしているか?」
「うん、元気だよ。規則正しい生活もしているし、アリシアも母さんと一緒にいれて喜んでいるしね」

 それほど時間もかからずに来た料理に箸を伸ばしながら、お互いに近況を報告し合う。父さんは箸に慣れていないからか若干手元がおぼつかなかったが、おいしそうに食べている。定食は結構本格的だ。ハンバーグ型のつくねの上にはとろみがつけられ、細ねぎが散らされている。

 口に入れるとつくねからじゅわと肉汁が溢れ、さらにチーズが入っているのかとろりとした触感が食欲をさらにそそらせる。同じ皿の上にあったアスパラガスも柔らかく茹でられており、少量のレモン汁もつくねと合わさり相乗効果を生んでいる。うん、これはうまい。

「不自由はしてないだろうか。あとお金に困ってはいないか?」
「心配しすぎだよ。父さんからの養育費も十分もらっているし、母さんもかなりの高給取りだからね」
『それに事故の裁判で賠償金をかなりもらえるみたいですから、さらに潤います』

 長い拘束から解放されたとはいえ、まだ完全に俺たちは自由というわけではなかったりする。裁判のどたばたが全部片付き、管理局からの手続きも終わるにはまだもう少し時間がかかるからだ。

 それに新しい住居への引っ越しの準備もある。俺たちが今住んでいるのは管理局が管轄している保護施設であるため、ずっといるわけにはいかないためだ。そのため、みんなは忙しそうにしている。同時に嬉しそうでもあったけれど。


「事故か…。ニュースで見た時は衝撃だった。アルヴィンからもしかしたら、と連絡をもらっていたが実際にあんなことが起きるなんてな」
「そうだね。でも父さんのおかげで母さんたちは救われたんだ。本当にありがとうございます」
「そんな改まって礼を言われることはしていない。私は繋ぎになっただけなのだから」

 俺がお礼を告げると、父さんは首を横に振った。父さんはそう言うが、俺としてはこれ以上ないほどの味方だったのだ。この人が支えてくれている、そう思えただけでも安心できたから。

「でもまさか、総司令官のデバイスのメンテナンスを父さんがしていたとはね。最初はどうしてそんなお偉いさんと繋がりがあるのかって驚いたけど」
「あぁ、デバイスマイスターとしてはありがたいことだ。私の腕を認めてくれたということだからね」

 いつもはちょっと頼りなくうつる父さんだけど、仕事の話になるといつも生き生きしている。母さんはそんな父さんに呆れているときもあったが、同時に微笑ましそうにもしていた。家の工房でデバイスを作っていた時の父さんの顔は、子どものように輝いていたのを今でも覚えている。俺も母さんも父さんに仕事のことであまり言わなかったのは、そんな父さんの姿をずっと見てきたからでもあった。

 父さんはデバイスマイスターとして、その業界ではかなりの腕前らしい。新しいデバイス作りやメンテナンス、改造も手掛けている。さらに時間があれば旧暦時代のデバイスを調べ、その仕組みの解明を目指そうとする研究者な面もあった。

 開発者であり、研究者。母さんと初めて出会ったときは、お互いに似たような境遇であったことから意識しだしたみたいだし。……話がそれたな。

「その、とにかく。父さんにはお礼を受け取って欲しい。俺には感謝を言葉にすることしかできないから。管理局員への伝手を用意してくれなかったら、俺じゃあどうしようもなかった。なによりも総司令官が俺のことを信用してくれたのは、父さんを信頼していたからだって俺だってわかるよ」

 父さんは色々無頓着なところがあるし、俺の中でも心配度上位の人物だ。だけど責任感が強く、不器用だけどすごく優しい人だって父さんを知っている人なら思う。生活のすれ違いから離婚してしまったとはいえ、母さんが選んだ人でもあるのだから。

「だからありがとうございます、父さん」
「……はぁ、この頑固さは誰に似たのか。わかった、お礼は確かに受け取った」

 肩を竦めながら、父さんは微笑を浮かべた。



******



 定食についていたお茶を飲みながら一服する。目の前にはきれいに完食されたお昼ご飯。故郷の味だからということもあるが、すごくおいしかった。

 定食定番のご飯も釜戸を使った本格仕様らしく、ふっくらしながら絶妙な粘りもあった。それに一緒に出てきたお吸い物は手作りらしく、秋らしい人参の紅葉が舞っていた。かつおだしも変な癖がなく、あっさりとした口当たりだった。

 これは確かに惚れる。カウンターの向こうで料理をしている料理人さんたちを見る。ほぼ定食屋みたいなところだが、居酒屋のような店にあった板前風の格好の方々。くっ、いい仕事してやがる。

「そうか、魔法陣の形成手順はできたのか。それなら次は、圧縮した詠唱文に対する魔法陣の上乗せに入っていくべきだろうか」
『それもありますが、僕としては高速術式の展開方式関連にも手を出してもいいと思いますね。最初は泣かれると思いますが、今のうちに少しずつ定着させておいた方がいいでしょうから』
「確かにそうだな。だがそれを加えるとなると、方式の複数接続や変更、破棄の仕方も必須か。泣かれそうだが……なんとかテキストを揃えよう」

 さて、着々と練られる俺用の魔法の宿題に対する現実逃避もそろそろ終わっておこう。というか、そういう話は本人がいないところでやれよ!? あと泣くの確定かよ! 俺リリカルの世界に来て、かなり後悔しているのは魔法だって断言できるぞッ!!

 父さんは忙しいのに、俺に合ったテキストをいつも用意してくれる。俺の勉強を最後まで見る、という約束を守ってくれているのだ。……その心遣いは大変うれしいけれど、父さんの愛が精神的につらいです。

 コーラルは父さんの手によって作られたため、よくデータを送ってもらっているらしい。勉強やその他もろもろ含めて。母さんも俺への安全装置やら機能の追加、デザインなどに手を加えたため、製作者が2人という状態ができた。最も原型を作ったのは父さんなので、細かいところは母さんでもさっぱりらしいが。


「……そういえば気になっていたんだけど、なんでコーラルってこんなにしゃべるの?」
『えっ。まさかの人格否定!?』
「いや、性格はおかしいけれど否定する気は全然ないよ。ただ俺のイメージ的にデバイスって英文喋りで、魔法関連以外寡黙なものだと思っていたからさ」

 最初にコーラルをもらったときは、まさにそんな感じだった。俺のことも『master』って呼んでいたと思う。ん? そういえば今のコーラルがする俺の呼び方って、なんか違うイントネーションな気がするんだが……。まぁ、それは別にいいか。

 第2期、ギリ第3期までの知識しかない俺だが、少なくとも今のコーラルみたいに話せたデバイスは、ユニゾンデバイスであった2人しか知らない。リインさんたちのような人型をとれるデバイスじゃなくても、しゃべれるコーラルを不思議に思っていた。

「あぁ、それか。術式構成言語は変更することができるんだ。私が手を加えておいた」
「え、まじで。そんなことができるの」
「できるかと言われればできる。ただ一般的ではない。デバイスは魔法の補助機具であり、通常言語は絶対必要なものではないからだ」

 父さん曰く、通常の魔道端末はシンプルな術式構成言語(俺が言う英文喋り)で構成されているらしい。魔法を扱う際の詠唱と同じものの方が、魔法の処理速度をスムーズにしてくれるからのようだ。確かに魔法の起動キーワードとかは、術式構成言語で行われるのが一般的だったな。

「なによりも、ただでさえインテリジェントデバイスとして処理の容量を取っているんだ。それに通常言語を付け加えれば、記憶容量をさらに使うことになる。魔導師にとってどれだけ魔法を早く発動できるのかが重要な要素の中で、容量を圧迫させる通常言語は邪魔にしかならないんだ」
「……つまり、通常言語を話すデバイスは魔法戦に向いていない?」
「極論を言ってしまうとそうなる。……必要のない機能だったか?」

 とりあえず、どうしてコーラルがペラペラ通常言語を話すのかはわかった。魔導師の補佐である端末が、魔法戦に向いていないのは確かに致命的だろう。デバイスとは本来、魔法を使うための道具なのだから。

「ううん、俺はこれでいいよ。だってさ、今更英文喋りのコーラルなんてつまらないし」
『いいのですか? 本来のデバイスとして僕は……』
「いつもコーラルが言っているじゃん。俺はデバイスとして、全然使ってくれないマスターだって。俺にはこれぐらいが丁度いいぐらいだよ」

 父さんがコーラルにこの機能をつけたのは、俺たち兄妹のためだろう。魔導師のための機械より、俺たちがさびしい思いをさせないための家族として。それに俺は、なのはさんたちのような戦闘をするつもりなんてこれっぽっちもない。魔導師として自衛できるだけの力があればいいし、緊急の時はレアスキルで逃げればいいさ。


「ところで言葉はいいんだけど、コーラルの性格はなんでこんなことになってるの。通常言語インストールするとこうなるの?」
『こんなことってなんですか!?』
「いや、性格に関してはなんでこんなことになったのか私にも……」
『親子そろっていじめて楽しいですか!?』

 残念だったな、コーラル。アリシアの父親だぞ、この人は。悪気もまったくなく、素でなんでコーラルが怒っているのか不思議そうにしている父さん。きょとんとした様子は、容姿の特徴が似ていることもあるが妹とよく似ている。アリシアは母さん似だけど、やっぱり親子だなー、と笑ってしまった。

 しかし性格は父さんが手を加えたわけではないのなら、……本当にバグか何かが起きたのだろうか? 実際にチート(母さん)チート(父さん)バグ(コーラル)という経緯でできたのなら、俺は納得できるけど。

「うーん、もしかするとではあるが。インテリジェントデバイスには意思があり、それに思考能力もある。それは使い手の思考や考えを吸収して、一緒に成長することができる可能性もある、ということでもあったりするんだが…」
「…………」

 チート(母さん)チート(父さん)カオス()バグ(コーラル)だったか。



******



「今日はありがとう。いっぱい話せてよかった」
「私もだ。そうだ、身体に気を付けないと駄目だぞ。季節の変わり目は風邪をひきやすいからな」
「それ、父さんにも当てはまるからね」

 「またのご来店おまちしています」という店員さんの声に挨拶を返しながら、俺たちは店から退出する。なかなか良心的な値段だったし、今度は母さん達にもちゃんと紹介しよう。おいしいものはみんなで分かち合うべき。

「最後にさ、これクッキーなんだけどもらってほしい。アリシアと一緒に作ったんだ」
「そうなのか。……あぁ、よくできている。アリシアはやっぱり猫が好きなんだな」
「あ、わかる? アリシアってば型を作るときに、リニスの写真を見ながら頑張って作ってたんだぜ。クオリティーの高い猫が大量に並べられた光景はすごかった」

 アリシアのやりきった顔は、まさに職人だった。

「ちなみにこの片足をあげて、腕を伸ばしているのは…」
「荒ぶる鷹のポーズ」
「猫だよな」
「肉食獣なみの迫力を持っているから、家の猫は。間違っていない」

 あの狩猟本能と見事にマッチしていた。特に意味のないポーズなのだが、ただリニスにこれを本気でやられたら、俺はビビる自信があった。


『それでは、マイスター。お食事はしっかりとってくださいね』
「睡眠時間は6時間ぐらいちゃんととること。あと、日光も浴びないと駄目だからね」
「……その、なんだか立場が逆転している気が」

 父さんがなんか言っているが、気にしない。これからは時間があるし、定期的に父さんを外に連れ出した方がいいだろうか。仕事の邪魔をしないようにはするけど、この人、気づいたらキノコが生えるまで籠っていそうだし。冗談でなく。

「とりあえず……元気でね、父さん。ほどほどに仕事も頑張って」
『また連絡いたしますね』
「あぁ、こんな短い時間しか会えなくてすまない」
「いいよ、全然。俺はそんな時間も好きだからさ。そうだ、転移で送るよ。入り口の前らへんで大丈夫かな」

 頷いた父さんの手を俺は握り、いつも父さんが働いている研究所のイメージを頭の中で思い描く。少し冷たいけれど、俺の倍以上はある大きな手のひら。こんな風に手をつないだのは何年振りだろうか。少し恥ずかしかったけれど、昔と変わらないその感触がどこか心地よかった。

 ……ほんと、俺にはもったいないぐらい優しい両親だよ。

 
 

 
後書き
デバイスマイスター:父親の職業をこのようにしたのは、原作でのリニスさんから考えてみた作者解釈です。リニスさんはバルディッシュを作りましたが、あんな高性能なデバイスはそうそう作れないのではないか、と思いました。 知識を手に入れるにしても大変ですし、研究者のプレシアさんが教えるのは無理でしょう。でももし夫や身近にそれらの知識をもっている人がいたなら、なんらかの影響や開発記録があったかもしれない。使い魔作成時にそれを提供したのではないか、そんなふうに思いました。

使い魔技術も結構謎が多い魔法なんですけどね…。 

 

第二十四話 少年期⑦



 今更かもしれないが、俺は転生というなんとも摩訶不思議な体験を現在進行形で経験している。2度目の人生。そんなの漫画や小説、あるいは宗教とかぐらいでしか、普通耳にすることはないものだろう。

 それでもこうして世界は違えど、俺は俺として再び生きることを許された。それってかなりすごいことだと今でも思う。さらにこの世界の未来についての知識も持っている。ほかの人とは違う『特別』を、俺は間違いなく持っていた。

 だからこそ、俺には救える人がいた。必死に手を伸ばして、俺が使えるものを全部使って。それこそ、知識も人脈も能力もなんでもだ。一緒にこれからもいたい、という俺自身の願いのために俺は『特別』を使った。


 絶望の中に狂うはずだった母は、優しく木漏れ日のようなあたたかい母親のままに。生きたかったと涙を流しながらも、それでも妹の背中を押してあげた少女は、未来に向かって自分の足で歩いている。

 今の未来が、俺自身の手で起こしたことなのだと否定はしない。事実俺が動かなければ、何も変わらなかった可能性の方が高かっただろう。だからこそ、俺は持っていたものを使う選択肢を選んだ。俺自身も必死に頭をひねって、成功だけを目指して突き進んだ。救える可能性が俺にあるのなら……、とただ頑張るしかなかった。

 それは、それぐらい我武者羅に前を向き続けなければ、自分を奮い立たせなければならないほどに、俺自身は前世と何も変わらなかったからだ。


 ……俺は、本当にただの一般人だったんだ。命のやり取りもそれこそ殴り合いだってしたことがない。むしろ血を見たらビビるね。悲惨な過去とかも全然ないし。

 だから『特別』を持ったからって、俺自身の考え方やあり方は変わらなかった。基本的に俺は人の上に立てる性格ではないし、博愛主義者でもない。自分が傷つくのは嫌で、他人に嫌われるのも怖いと思っている。

 とてもではないが、ヒーローになれる要素なんてなかった。だからヒーローもどきになら、と自分に言い聞かせて走るしかなかった。アリシア達を助けると決めていたのに、ずっとその先の影響を考えることを拒否していたのもそれだ。当時は理不尽だと何度も叫んでいただけだった。

 だって下手したら世界を滅ぼしかねないものを、俺1人で解決できるなんて思えるわけがないじゃないか。『特別』を持っていたって、誰かの命がかかっていたって、自分がきっかけを作ったのだとしたって……そんなものを背負いたいなんて思わないだろ。薄情だろうとそれが、俺の紛れもない本心だったんだ。



 ……とまぁ、こんな風に鬱々と考えていたのが去年の今ぐらいだったんだよな。なんだかもう頭が痛くなって、似非悟りモード一歩手前なぐらい悩んでいたと思う。今はなんか吹っ切れたというか、もうごちゃごちゃ考えてもめんどくさいという心境になってしまった。もう俺がなんとかするしかないのなら、とにかくやれ、で自己完結してしまったのだ。

 正直に告白すると、俺がなのはさんたちを救いたいと思った大元は、俺自身が罪悪感につぶされたくなかった、という自己保身だったのだ。彼女たちの幸せも願っていたが、それ以上に俺が間接的に殺してしまう事実に恐れていた。だから、成功したら御の字。もし失敗しても、俺なりになのはさんたちを救おうと頑張った、と自分自身に言い訳ができる。うん、本当に最低だと思う。

 こんなことを思っていた俺に、救われて嬉しいと思う人がいるだろうか。その考えがもうないかと言われれば、絶対ないとは言えない。それでも負に向いていた決意が、確かな覚悟に変えられたのはみんなのおかげだと思っている。そしてなによりも、彼女への思い。こんなのただの一方通行だってわかっているけど、これ以上ないほどに彼女は、俺に新しい道を示してくれたんだ。



******



「……よし、できた」
「にゃ?」

 なかなかうまくできたんじゃね? と今までの苦労を思い返しながら、俺は感動を噛みしめていた。そんな俺の様子にリニスが不思議そうに近寄ってきて、俺の手の中のものを覗き込んでいる。ふふふ……苦しゅうない、俺の努力の結晶を遠慮なく見たまえ。

 現在もお世話になっている施設にある俺たちの家。俺はベランダの窓を開けて、足をぶらぶらさせながら座り、プチ解放感を味わいながら作業をしていた。それにしても、ここともあともう少しでお別れか……と思うとちょっと寂しく感じる。思えば半年近くもお世話になったんだよなぁ。しみじみ。

 母さんとアリシア、さらにコーラルは現在家にいない。2人は買い物に出かけたのだが、ついでに不動産屋も回るつもりらしい。コーラルはそのサポートというか情報バンクとして連れて行かれたのだ。ほんと俺のデバイスって……。

 まぁそんなわけで、ちょっとやりたいことのあった俺と、ごろごろしていたいリニスがお留守番組となったのである。リニスってアクティブだけど、いつもそんな感じではなかったりする。お昼寝が大好きだし、そこらへんに転がっていることもあるのだ。一応女の子なんだから、ソファの上とかで転がりなさいとは言っているが。

「そういえば、俺とリニスが2人きりになる機会って全然なかった気がするね」
「ふみゃぁー」
「OK。その大あくびのおかげで、リニスにとってどうでもいいことなんだとわかった」

 このにゃんこ、相変わらず我が道を行くな。そうですか、俺との2人きりは特に思うことなしですか。いや、昔を考えればこうして2人きりでいられるだけ良くなっているのか? 前なんてしゃべりかけるだけで威嚇されていたしなー、あはは……。


「にゃう」
「え、結局これはなんだって? 見ての通りお守りですよ」

 リニスが俺の持っているものは何か、とぺしっと手を軽く叩いてきた。別に隠すものでもないので素直に答える。なによりもようやく出来た物なので、ちょっと見せびらかせたい気持ちもあったのだ。だって俺マジで不器用なんだよ。「家庭科」の成績とか2or3で争っていたんだぜ……10段階評価で。中学には留年やら単位がなかったのが本当に救いだった。

「特に頑張ったのはここ、半返し縫いしているところだ。端末で調べたら丈夫になるって書いていたから頑張ったんだぜ。さらに刺繍もしてみてさ。形も工夫してみたんだけど、どう?」

 少しずつ製作をして、小さなものとはいえそれぞれ色を分けて6つも作ったのだ。家族の誰もが俺の不器用さを知っているので、きちんと完成品として出来上がったということに自分でも驚いている。そんなすごく頑張った俺のお守りを一瞥したリニスからの反応は―――

「―――ふッ」
「……あの、リニスさん。今鼻で笑った? 下手って言いたいの? ねぇ、さすがに俺も泣くよ?」

 いつも通り情け容赦のないリニスさんでした。


「うん、これでよし」

 数分後。どん底から這い上がった俺は、コーラルにずっと預かってもらっていたものを箱から取り出す。今日コーラルが出かける前に、出しておいてもらって正解だったな。俺は小さな箱からいくつかのかけらを手に取り、メイドin俺のお守り袋の中へ入れていく。

 あの事故の日に砕けてしまったウサギの石。母さん達から譲り受けたものを、俺はできる限り均等になるように袋詰めしていく。俺の分にアリシア、母さんに父さん、リニスの分に……と作られたお守り。もともと石のかけらの量も少なかったため、かなり小ぶりなものになってしまった。

 石をもらった当初から、こうしようと考えていた。理由の1つとしては、本当にお守りとしての効果を期待してだったりする。なんかこう、ご利益がありそうな気がするし。そんなことを思いながら、俺は石の入った黄色いお守り袋を1つ持ち上げ見つめる。太陽に照らされ、光がお守り袋を通して目に入る。ほのかにあたたかい黄色い光。

『……もしかしたら、ますたー達のことを代わりに守ってくれたのかもしれませんね』

 事故から数日たったあの日のことを思い出す。コーラルから告げられた言葉は俺の中にすとん、と入り込んだ。俺たちが生きている代わりに。それは奇しくも、俺に1人の少女の存在を思い出させるのに十分だった。

 運命の分かれ道で聞こえた「諦めるな」という声。ただ単に、俺が被害妄想を爆発させていただけだったのかもしれない。それでももしかしたら、本当に守ってくれたのかもしれないって。俺と妹の背中を、優しい彼女は押してくれたのかもしれない。

 彼女のことに目を背けるしかなかった、心の中で謝ることしかできなかった、そんな俺でさえも。


「……なぁ、リニス。俺ってさ、すげぇ変な奴だって言われたことがあるんだ」
「……?」

 俺の脈絡もないいきなりの発言に、リニスは小首をかしげている。だよな、と思いながら俺はそのまま言葉を紡いでいく。リニスは賢い。もしかしたら俺が話す内容を理解してしまうかもしれない。けれど、彼女にはそれを周りに告げる術はない。ずるいなぁ、と思いながらも俺は言葉を止めることはしなかった。

「変なことをよくするし、言動も変らしい。しかもなんか勘違いもよくするらしいって昔友人に言われたんだ。しかもそいつに『お前実は宇宙人で、人類じゃなくて別の分類でも信じられる』とか何気にひどいことを言われたこともあった」

 就職のための自己アピール文や面接用に、友人に俺ってどんなやつ? って率直に答えてもらった回答がこれである。お前は俺に就職するな、と言いたいのか。まぁ今現在は、確かに俺は普通に考えれば変な人間だろう。ほかの人たちとは違うんだし。

「そんな俺だけど、高い魔力に、レアスキルを持っていてさ。かわいい妹がいて、さらに母さんはSランクの魔導師で開発者で。父さんは有名な技術者ときた。……あやふやだけど知識もある」

 後半は小声になったが、なんか自慢にも聞こえる。でも、間違いなく俺は恵まれている。そのおかげでこんな俺でも、できることはきっといっぱいあるのだろう。前世とは違う生き方だって目指していける。


「それでもさ、やっぱり俺って人間なんだよ」

 俺にできる範囲なんて、世界から見れば本当に小さい。1つの家族を救うだけでも大変だった。死ぬことも失うことも犠牲にすることも、怯えて足を竦ませてしまう……ただの人間。

「助けてあげたい、って思っても俺にできることなんて限られていてさ。毛の生えた一般人に魔王様をはっ倒せ! なんて言われてできないと思うのと同じ。どうしてもやりとげなければ、っていう思いもなかったのならなおさらだ」

 そう―――なのはさんたちを助けたいと思っていても、それを実現させるためにどれだけ大変なことだろうか。しかもアリシア達を助ける時とは、俺の思いの強さは段違いに違うのに。俺のせいだから、という責任感だけで動けるほど、できた性格でもなかった。

「しかも俺の両手には、もうアリシアや母さん、父さんにリニスにコーラル……っていっぱい抱え込んでしまっている」

 絶対に零れ落ちてほしくない俺の宝物。それと同列に考えることはできない。だから、成功したら御の字なんて考え方ができていたのだ。失敗したって、俺の宝物は無事だから。

「俺の両手にはこれ以上抱えられるほどの容量なんてなくて、入れようにも今あるものを落としたくないからそんなこともできない」

 もうほとんど独白のようになってしまった言葉たち。リニスにとって、わけのわからない話ばかりだろう。それでも彼女は何も語らず、じっと俺の目を見据えてくれている。リニスのそんなところが俺にはありがたかった。


 俺は再度お守りを掲げる。彼女―――フェイト・テスタロッサ。ずっと昔は、ただの物語の登場人物だった。そのあとは、俺が存在を消してしまう、罪滅ぼしをするべき少女だった。だけど今は、俺にとって彼女は……恩人になっていた。

 罪悪感から動いていた気持ちは、彼女への恩返しへと変わった。それは言葉遊びをしているだけかもしれないけど、これ以上ないほどに俺を勇気づけてくれた。勝手な解釈だとしても、そのおかげで俺は物語だけでなく、彼女たちとも真正面から向き合えるようになれたんだ。

 だけど、俺が彼女に直接恩返しをすることはできない。彼女の家族を―――プレシアとアリシアが幸せになることもフェイトさんの願いだったけれど、これはもともと俺が決めていたことだ。それにフェイトさんのことは関係ない。

 ならば俺にできることは、彼女の大切な友人や人たちを救うことだと思った。目標は最初と同じでも、目的は180度変われたのだ。それでも先ほどリニスに話していた通り、その人たちみんなを両手で救うことはできない。

 だから、そんな俺はあらためてここで決心しようと思う。フェイトさんを愛していたリニスさんとは違うけれど、それでもほんの少しでも彼女と関係のある誰かに伝えたかった。


「俺の両手ではあなたの大切な人たちを救うことはできません。……それならせめて、あなたの大切な人たちを最悪から蹴っ飛ばすぐらいの気概はみせてみせます」

 両手がふさがっていても、両足なら空いている。それならとにかく、最悪から放り出してしまえばいいのだ。俺程度でも、そのぐらいならできるかもしれない。

 ……あーでも、コントロールには目をつぶって欲しいかな。両手がふさがっているから、マジでどこに飛んでいくかもわからないし。しかも蹴り飛ばすから全然優しくなくて、相手に怒られるかもしれないけど…。それでも頑張ってみせますから。


「にゃー」
「あっ、えっと、悪いなリニス。なんかわけわからんことにつき合わせちゃって」

 俺はお守りを石の入っていた箱の中に片づけておく。先ほどまで話していた内容を振り返りながら、自身の頭を掻く。いくらなんでも勝手だったよな…、と自分に呆れてしまう。そんな俺の様子を無言で見つめてくるリニス。そして彼女は腰をあげ、俺のすぐ傍へと近づいてきた。

「……ふぅ」
「え、ちょッ」

 そしてリニスは、俺の膝の上に飛び乗ってきた。……もう一度言わせてもらう。リニスが自分から俺の膝の上に乗ってきた。……自分から! 俺の! 膝の上に! 乗ってきたァァァーーー!!!

 えっ、まじでッ!? これって夢じゃないよね。ちょッ、カメラどこだカメラ! あ、今外出中だった。くそっ、俺のレアスキルで呼び寄せられれば……むしろ俺から行く? いやさすがにそれは傍迷惑か、不動産屋が。母さん達なら、感動を一緒に分かち合ってくれるかもしれないけど。とにもかくにも野郎ども、お赤飯じゃァァアアアァァーー!!!


「……その、ありがと。リニス」
「…………」
「もしよかったらさ。さっきの俺のけじめ覚えておいてほしい。いいかな?」
「……にゃ」

 膝の上のぬこ様を撫でようとしたら、猫パンチを食らったのでおとなしく日向ぼっこをすることになった。膝に乗ってくれているだけでも快挙、と自分に言い聞かせながら、手がワキワキするのを抑える俺だった。



******



「さて、それじゃあまとめておきますか」

 家のテーブルの上には、だいぶ使い古されたメモ帳たちが置かれている。初代は今から3年も前のものなのでところどころ日焼けしたり、破れているが問題はないだろう。あれから散歩に出かけたリニスを見送り、同じ姿勢でいたため痺れに泣きながらも、この時間を有効に使うことにした。

 以前から決めていた俺の行動方針をまとめることだ。ある程度は決めているが、明確に決めておく方がいいだろう。それと前までのメモ帳を取り出したのも、未来について思いついたものを書き込みまくっていたからだ。それも含めて考えていこうと思う。

 そんなわけで早速メモ帳を覗き込む。ふむ、こんぶと卵2パックとささみ400gか……、ってこれ買い物メモじゃん。こっちは副官さんのいじりリスト集に、妹の面白い寝言ランキングで埋まっていた。ほかにも関係ないことばっかり書かれていたメモたち。そんな中から、真面目なものを探していて思ったことが1つある。

 ……俺、メモに書く内容をこれからは絶対に仕分けるんだ。


 そんなこんなでメモを分けることに成功し、一息つく。とりあえず、まずは俺の目標であり、方針だな。目標といっても、1つぐらいしかないんだけどさ。

 俺だってみんなを救ってハッピーエンド! ……にしたいが、さすがに数が多すぎるし、目標からぶれてしまうかもしれない。なので、なのはさんとはやてさんを救うことを目標に掲げることにした。2人はフェイトさんの親友であり、彼女にとってかけがえのない存在だ。特になのはさんとは、禁断の道にいきそうなぐらいのゆr……いや、これは二次小説の影響か。

 もちろんほかにもたくさん彼女の関係者はいるが、俺自身が動かなければならないのはたぶんこの2人だけだろう。なによりこの2人、特にその1人を救うことが一番大変なんだけど。


 なのはさんは前に考えた通り、魔法関係に関わりさえしなければ、平穏に暮らすことができるはずだ。だから、特に高町家には手を出す必要はない。なのはさんのお父さんが大けがをするっていう場面や、1人で悲しむ彼女が気にならないわけではないが、それは考慮に入れるべきじゃない。

 少なくとも父親は生きているし、彼女なら魔法がなくてもいつか乗り越えていけるだろう。魔法関係者である俺が、接触する方が駄目だ。なら、俺はなのはさんには関わらない。それが1番だと思う。


 だけどはやてさんは……彼女に関しては介入せざるをえない。彼女はあの状況では、どうしたって魔法関係者として生きていくしかない。闇の書の主に選ばれた少女。壊れた魔導書。復讐者の存在。間違いなくこれが最大の壁だった。一番厄介なものだと断言できる。

 だけど、そのおかげで理解も早かった。諦めたともいう。俺が立ち向かわなければならない相手は、『闇の書』であることだとわかったのだ。闇の書の防衛プログラム。これさえなんとかできれば、なのはさんもはやてさんも生きていけるし、地球も滅亡しない。なんともわかりやすいラスボスである。泣きたい。

 さて、ここまで考えてみたが、具体的な対応策はまだなかったりする。ガチンコで防衛プログラムを消し飛ばす! なんて方法が俺にできるわけがないのだ、……原作のように。なにより原作と同じような展開になるなんて、もはやありえないのだから。

 ……いや、待てよ。ちょっと考えてみよう。原作と同じにはならないだろうけど、原作と同じ道筋になるように俺が手を加えるようにしてみたらどうだろう。確かに奇跡みたいな解決方法だったけど、無印を俺が起こして、A’sに突入するという流れならいけないかな?


 白き不屈の少女は、愛機を持つ手を静かに下げる。目の前に輝く青き宝石は、先ほどまでの暴走を制止し、静かに光を放っていた。彼女は強大な魔力の爆発を起こし、6つのジュエルシードを一気に封印してみせたのだ。無事に封印できたことへの安堵。ゆっくり浮かび上がってくる宝石を見つめながら、少女はもう1人封印に協力してくれた相手を見る。

 少女と同じように空をかけ、何度もぶつかった相手。どうして戦わなければならないのか、それを問いかけても答えてはくれなかった。それでも今はこうして、少しの間とはいえ一緒に空を飛ぶことができた。

 少女の視線に気づいたのか、相手も彼女と目が合う。戸惑いを浮かべる相手に、少女は微笑む。ようやくわかった自分の気持ち。辛いことも悲しいことも「ともに分け合いたい」のだと気づいたのだ。だから少女は言葉にする。思いは相手に伝えなければ伝わらないから。自身の思いを言葉に乗せ、まっすぐな気持ちを伝えた。

「友達になりたいんだ」

 1人の笑顔のきれいな少女(9歳児)は、30代ぐらいのおっさんに向けて言いました。


 ……ねぇよ。というか普通にやばいだろ、どう考えても。主に世間的な意味で。きらきらの少年少女たちに紛れる30代のおっさん。本当にない。フェイトさん役もママン役も無理、絶対。

 なので俺は、『原作をそのまま起こす』は即却下した。異論は認めない。そのままでなくても流れを似せれば……もあるが、正直どっちにしても現実的ではないんだ。第一、わざわざ20年以上も先の未来を待ってから動くって駄目すぎるだろ。

 メモ帳に書かれていたいくつかの原作遵守方法を読んでみても、成功率の高い案は1つもない。最後の方なんて『グレアムピチュるか』とちょっとやけになってしまっている。この時の俺大丈夫か。

 うん、とにかくだ。俺が原作に介入するという方向はなし。成功率は低いし、なにより1番危険すぎる。はやてさんは人畜無害でも、周りが怖い。幼少期からはやてさんに接触していても、彼女が9歳にならないと闇の書は起動しないし、それまでに下手に手を出せば暴走して転生。どないせぇと。しかも幼女の家に通うおっさん。通報されるわ。

 なんにしても、起動してから騎士たちに事情を説明したって、蒐集しなければ八神はやては死ぬ。蒐集したら暴走。それじゃあ、何も変わらない。八神はやての手に闇の書が渡った時点で、ほとんどの可能性がつぶれてしまっているのだ。


 だからこそ俺が考えたのは、原作開始前に行動を起こすことだった。今俺がいる時代は原作から20年以上も前の新暦39年。新暦60年と少しぐらいで原作が始まるだろうと考えれば、この膨大な時間は俺にとって圧倒的なアドバンテージとなる。20年という時間と原作知識(仮)、そして能力を使えば、もしかしたら原作にはないほかの方法だって見つけられるかもしれない。

 そして、その方法を見つけられるかもしれないヒントは原作の中に確かに存在した。しかもその方法は危ないことなど一切なく、それでいてかなりの効果を発揮していた。原作では限られた時間の中での戦いだったが、俺には制限時間なんてあってないようなものなのだから。

 総司令官達の助力を乞うたのもこのためだ。あれは管理局が保有するものであるため、一般人の俺では手を出すことができない。でもユーノさんのようになんらかの伝手があれば、入ることができた場所なのだ。ならば、俺でも手が届くかもしれない。

 俺がまずすべきことは、「相手を正確に知ること」だ。上層部の時もリニスの時も、そうしてきたんだ。敵が強大になったからってそれは変わらない。原作を知っているからと疎かにしたら、思わぬ落とし穴に嵌るかもしれないからだ。それにもしかしたら、原作にはなかった新たな情報を見つけられるかもしれない。


「方針はとりあえずこんな感じだな。闇の書に関するあらゆる知識を、できれば10年以内に見つけることだ」

 俺が10年という期限を決めたのには理由がある。俺の1番は、アリシア達と幸せに暮らすことだ。それに、なのはさんとはやてさんを最悪から救うことが含まれてくる。闇の書に関する知識がしっかり広まっているだけでも、原作崩壊に繋がるのかを検討したい。それにもし何か方法が見つかったのなら、試してみたい。

 さきほどのメモに書いてあった『ピチュる』の意味は、グレアムさんが闇の書の主であるはやてさんを永久凍結させようと奮闘していたからだ。彼は2人の使い魔とたった3人で、管理局生命の多くを費やしていた。

 その理由は確か、クロスケ君の父親で、リンディ提督の夫であるクライドさんという人の死が原因だったはず。俺も詳しくは覚えていないが、闇の書が原因だったことは確実だ。復讐か償いかはわからないけど、グレアムさんは彼の死を、闇の書を忘れられなかった。

 だけど俺にとって重要なのは、闇の書事件が確実に原作が始まる前に1度起きることだ。クロスケ君の原作での年齢は14歳。そして父親のことも薄く残っていたはずだ。子どもが物心をつきだすのはだいたい3歳ぐらいだと仮定すれば、原作の10年前に起こる可能性が高い。

 それは、はやてさんの手に闇の書が渡る前に、試すことができるということだ。もし成功すれば万事解決で、無理だったとしても残り10年でその時の失敗を糧に考えることができる。

 かなりひどい考え方だろうし、ヴォルケンリッター達のことを考えると辛いけど……当面はこの方針で進むしかない。


 もう1つのリリカル物語の起点となる事件。どれだけできるかはわからないけど、頑張ってみよう。もう原作のような終わりにならないとわかっている分、思いきれる。俺なりに介入して、1つでも変えていく。

 もしクライドさんが助かればどうなるのか。もし闇の書の暴走を止められたらどうなるのか。もし、闇の書の因縁を終わらせられたら……。それらがいい方向に向くのか、悪い方向に向くのかはまったくわからないことだけど。

「それでも、できることをやっていくしかない」

 俺は新しいメモ帳にこれまでのことをまとめていた手を止め、ベランダから空を見上げる。どこまでも澄み渡った青空が、ずっと俺の目に焼き付いた。

 

 

第二十五話 少年期⑧



「ここまでぐちゃぐちゃになっていると、いっそ清々しく感じるよなぁ…」

 目の前に映る記号や数式の羅列。それを眺めていた死神は笑いさえ起きそうだった。もっともその笑いは、現実逃避に近いものであったが。何度吐いたかわからない溜息すら、もはや出す気にもならなかった。

 彼が遠い目をしながら見ているものは『情報』だった。空中に浮かぶ半透明の記号やらが彼の前で舞い、次々に流れている。その規則正しく並ぶ文字には、あらゆる命あるものの記録が載っていた。それこそ過去も現在も運命も因果も縁もなんでもだ。新しい命ができれば、必ず新たに書き込まれていく。

 そのためここに置かれている情報量はすさまじいの一言であった。彼もできればこんな頭の痛い作業よりも、脳筋と言われようと武闘派の仕事がしたいと泣きそうになる。しかし原因の一端は間違いなく己なので、検索の手を止める気はなかった。以前調べた結果が果たして本当のことなのか、と彼は数えきれないほどの情報の中から必要なものだけをまとめていた。

「……やっぱり俺が原因だよな。俺があいつの奥底をちゃんと見ていれば、少なくともこんなことだけにはならなかっただろうし」

 死なせてしまった青年は、最初それを告げた時は茫然とわけがわからないという表情だった。当然だ。彼には死んだときの記憶はなく、気づいたらもう元の世界にはいられなくなっていたなど信じられない話だろう。

 死神の鎌には、切り付けた相手の魂をその世界から切り離す役割がある。そして1度世界と切り離してしまった魂を、再びその世界と繋げることはできない。それは彼を元の世界に戻すことができないことと同意だった。

 彼は最終的には自分で転生することを選んだが、それまではひどかった。死んで消えてしまうよりは、生きたいと諦めながらも笑った青年。彼は今まで持っていたものを一瞬ですべて無くしてしまった。1人になり、誰にも手を伸ばせない状況に涙を流した。

 死神が青年に力を与えたのは、償いもあった。しかし何よりも、青年が力の使い方を間違えないと判断したからだ。すべてを1度無くし、たった1人だけになった彼は、誰よりも死を……孤独を知った。力を振り回せば人は離れる。それが理解できないほど子どもではない。孤独を恐れる彼が、欲望のままに生きられるとは思えなかったのだ。


 そして、その見解は正しくはあった。だがそれは彼の精神のことであり、死によって変質してしまったあり方…魂の望みとは違っていた。精神は覚えていない死の経験を、魂は覚えていたからだ。世界から唐突に切り離された魂の悲鳴はトラウマという形になり、青年の中に存在することとなった。さらに記憶があるかないかが、彼の精神と魂にズレを生んでしまった。

 そのトラウマが表に出てきたのは、ヒュードラの事故ともう1回だけ。アルヴィンは「アレ」が表に出てきたのはまだ1度だけだと思っているが、彼が認識するずっと以前に1度起こっていたのだ。その1つが、とんでもない歪みを持たせてしまったイレギュラー。

 「アレ」は彼が転生する直前に1度暴走していたのだ。

 アルヴィンが選んだ転生に、「アレ」は納得ができなかったのだろう。アルヴィンは「転移」があれば、危ないことから逃げられると思っていたが、トラウマはそうは思わなかった。理不尽な大きな力による唐突な死を知っていたがゆえに…足りないと感じてしまった。だからアルヴィンの意識が眠った、死神が集中していた転生の直前に力を使った。

『いつでもどんな時でも好きな場所、世界に転移できるレアスキル』

 与えられた力を使い、「アレ」はもらった本人が考えも付かないようなことをしでかした。今この瞬間だからこそできたこと。いつでもどんな時でも、ということは「転生する直前」でも問題はない。望んだ場所に転移できる、ということは「転生に関する情報を受け持つ場所」でも問題はなかった。

 改ざんしたのだ、「アレ」は。ただその改ざんはあまりにも杜撰だった。死にたくない、というそれだけのために動いた本能だったのだから細かいことなどできるわけがなかった。

「アレ」はただ知りたかったのだ。自身に死をもたらすだろう現象がいつ、どのように起きるのかを。それがわかれば、唐突に死ぬことはない。わかっていれば逃げられる。そのために、これから先の運命すら見られる場所に行き、その情報を加えようとしたのだ。

 現に、アルヴィンは断片ながらその恩恵を受けていた。ヒュードラの事故が確実に起きること。いつごろ事故が起きるのかを感じ取っていたこと。記憶がないためなんとなくでしか本人は感じ取れなかったが、奥底にはそれを見た記録が確かに存在していた。


「暴走のおかげで、あいつは自身の死に関する運命に敏感になった。これはあいつにとって確かにメリットになるものだ。だけど、無理やりな介入を行えば…必ず綻びは生じる」

 死神はようやくその無理な介入によって、生じた問題をまとめあげた。その問題は、アルヴィンにとってはかなりきついものであった。もし彼が得たものの代わりに得たデメリットを知れば、ふざけるな、と叫んでもおかしくないようなもの。

 彼がテスタロッサ家に生まれた最大の要因。死に関する項目に特に介入が強かった余波で、他の情報にもそれが影響してしまったのだ。黒のインクが他の色に飛び散り、もともとのインクの色を変えてしまったようなもの。それは運命の1つ……めぐり合わせという縁をつなぐ情報を歪ませてしまった。

 絆を育み共に歩むものを手繰り寄せるはずだった縁は、己と同じ死の因果を持つものを呼び寄せる悪縁へと塗り潰された。

 前世で彼は理不尽なまたは大きな力の前に亡くなった。または巻き込まれた。この情報が流れ、前世の彼の死に方と同じ運命をたどるものを呼び寄せるものになってしまっていた。理不尽な大きな力によって亡くなったアリシア・テスタロッサとリニス。そしてそれに巻き込まれたプレシア・テスタロッサのように。

 もちろん運命は変えられる。定めとして決まっている道筋を変えられたから、彼女たちは生きることができた。逆に言えば、変えられなければ待つのは前世の彼と同じような死が待っていたのだ。

 これから先も彼の前には、悪縁によってそういった人物が集まってくることになる。全員がそうではないだろうが、それでも……果たして彼は耐えられるのだろうか。死神は渋面を浮かべる。

 ある意味テスタロッサ家に生まれたのは、今の彼にとっては幸運だったのかもしれない。なぜなら彼は知識として知っていたからだ。だから悪縁を跳ね除けられた。しかしこれから出会う者たちにも、同じようなことができる保証はない。

 自身の中にある違和感に気づけても、さすがに因果までは気づかないだろう。いや、気づかない方がいいのかもしれない。無意識に手繰り寄せる人物の多くが、理不尽に死んでいく、大きな力に巻き込まれる運命を持っている。そんなことを知れば人と関わることに恐怖を覚えるはずだ。誰よりも人と関わりたいと願う彼だからこそ余計に。


「それでも、……案外あいつならそれらすらも捻じ曲げられるかもしれないのだろうか」

 彼の悪縁は様々な影響を及ぼすだろう。だがその因果は、結局は用意された1つの道筋でしかないのだ。あの自他ともに認められている変人が、用意された道筋を素直に通る姿を死神は想像できなかった。むしろ斜め上に面白そうとかで突き進んでいってしまうかもしれない。

 普通に何かやらかしそうである。別の意味で死神は心配になってしまった。なんせカオス(変人)理不尽(悪縁)が結びついた1つの結果が、今のテスタロッサ家である。明らかになんか変な一家と一纏めにできるぐらいに変貌……えっと成長できたとオブラートに包んでおこう、という状態になってしまっていた。

 あれ、本当に大丈夫だよな? 死神が冷や汗を流したのは、果たして転生した青年の今後か、それとも青年が引き起こすかもしれない今後のことか。良くも悪くも彼は発信源なのだ。未来は常に変貌する。未来を作っていけるのは、結局はそこで生きている者たちだけなのだから。

 とりあえず、彼が幸せに生きていけることを祈っておけばいっか。―――と青年が聞けば、投げたッ!? と突っ込みが入れられそうなことを思い浮かべながら、安全第一を胸に武闘派の仕事に戻るため再び手を動かした。



******



「ちょっと店主さん。家の母親になんてことを吹き込んでくれやがったのですか」
「ふむ。言葉遣いにツッコむべきか、内容にツッコむべきか……迷うな」
『どっちも大差ないような気もしますが』

 いや、聞けよ。俺は怒ってんだぞ。しかし店主は俺の言葉を聞いてもいつも通り飄々としているだけ。むしろ見てろ、華麗にツッコんでやると言わんばかりの表情だ。またテレビになんか影響されたのか、このおっちゃんは。店頭にならんでいる物にハリセンや出っ歯が置かれているのを見て、正解かもしれないと思う。

「今度は何に影響されたんですか。この前までギター片手に歌っていたのに」
「あれもよかったな。地球の文化は俺のパッションを高めてくれる。お前の母親も良さをわかってくれたし」
「やっぱり原因あんたか」

 敬語がとれてしまった、反省。しかし相変わらず趣味に全力そそいでいますねー。俺は『ちきゅうや』とかかげられたお店の看板を眺めながらつくづく思う。このお店は目の前にいる店主の趣味で作られた第97管理外世界である「地球」の専門店である。だけど全然本格的なものではなく、集められている物もかなり偏りがあったりするのだけど。

 海外のものもいくつかあるが、意外に日本のものが多く取り揃えられていたりするのだ。ダイヤル式のテレビがあったり、駄菓子が並んでおり、昔懐かしいインベーターゲームの音が流れている。これ……明らかに昭和だよな。原作の過去だからか、地球の年代も過去のようなのだ。

 オーバーテクノロジーに混ざる20世紀。どっかのスーパー5歳児の映画を思い出してしまった。異様だが、これがなんか新しいと地味に評判があるらしい。物好きに。あれか、新しいものに囲まれていると昔のものに食指が動くという感じなのだろうか。

 ちなみに以前何となく日本の物が多い理由を聞いてみたら、とある日本食に感銘を受けてから興味を持ったとのこと。おぉ日本食愛好家か、と仲間ができたみたいで嬉しかった。「食べてみるか?」と言われて二つ返事で了承して出てきたものに涙が出そうになったけど。おいしかったよ? 3分で出来上がるし、日本が作ったことには変わりはないしさ…。


「しかし店に来たのはアル坊の母親と妹の方だぞ。買い物帰りにちょっと寄ってみたって前に聞いたしな」
「なんでこんなおかしな店にわざわざ足を運ぶんだ。なんか宣伝でもしたんですか」
「常連客のくせにひどいな。残念ながら相変わらず客足は馴染み客ばかりだ。しかし、アル坊が呼んでくれたわけじゃなかったのか」
「当たり前でしょう」
「さすがに傷つくぞ」

 おっちゃんがそんな軟じゃないのは知っています。こんな混沌とした空間に誰が家族を招待しますか。母さんが古そうなレコード流してうっとりしているのを見た時は吐血しかけたぞ。めっちゃ懐かしい曲が家に響いて、俺がヘルプ! って言いたかったよ。いい曲なのは認めるけど。

 2人が来たのってたまたまなのかな? まぁ、あんまりにも変なものとドッキングさえしなければいいんだけどさ。……なんか難しく考えていたけど、別にもういいのかな。地球について語れる人が身近に増えたのは、確かにうれしかった部分もあった。

 なので、これからは家族がここに来るときは一緒に来ようと思う。だって影響力ってやっぱ怖いんだよ、特に子どもの。何が琴線に触れるかがわからない。昔俺もライダーに憧れて、キックの練習に熱中したことがある。……熱中しすぎて、家のコタツをぶっ壊した時は家族全員に怒られたけど。コタツ禁止令が出た時は泣いた。妹をそんな目に合わせるわけにはいかないので、お兄ちゃんがしっかり見極めようと思う。


「それにしても、本当に何でも置いていますよね」
『そうですよねー。特に見てくださいよ、これ。魔法もいいですが、これもこれで夢が広がりそうです。マイスターに頼めば実装できますかね』
「……それ、一応質量兵器に入らね」
『魔法と科学は表裏一体です! 魔法の補助で少々難点がある僕ですが、これがあればすごくないですか? なによりロマンがありますし』

 コーラル自身、デバイスとしての役割は役割でこなせるようにはなりたいと言っていた。だから足りない部分を補うために色々考えてくれるのは助かるんだけどさ…。俺はコーラルが意気揚々と告げるものを見上げる。

 ロマンは認めるけど、デバイスとは別物になりそうなんだけど。ここの科学力ならできそうで怖い。武骨な装甲をつけた人型の機械兵士。もちろん本物ではなく、俺の身長よりも一回り大きい置物だが。このアニメよく見たな…、懐かしい。

 俺が住むこの次元世界では、質量兵器と呼ばれるものを使用することは法律上禁止されている。ただ魔力を使わなくても使える大量破壊を生み出す兵器の総称なので、すべての兵器が駄目というわけではない。魔法だって突き詰めれば科学だし。拳銃とかも申請すれば使える。

 ようは俺の世界にあった核爆弾のような兵器や、それをさらに発展させたような世界すらも滅ぼせるようなものの使用を禁止するということらしい。何を当然な…と思うこの法律は、ほんの数十年前に決められたもの。何その世紀末。俺この時代より前に生まれなくて本当によかった。


 そんな俺のほっとした様子も気にせず、コーラルはピカピカと点滅している。え、そんなに気に入ったの? コーラルって上機嫌の時とかによく光っている。暴走しやすいのもこういう時だよな、と思い出し頬が引きつった。

『……そうです。別にデバイス=杖の公式にとらわれなくてもいいのではないでしょうか。起動したらシャキーン! 合体! みたいになったらかっこよくないですか。デバイスでも腕とかあって動かせたら攻撃できますよね。…なによりインパクトがあるから印象残りそう』
「あの、コーラルさん。俺普通の杖がいいんだけど。ごめんなさい、ちゃんと杖にする機会を増やしますので」
『ロケットパンチができるデバイスって……夢が広がりません?』
「よくぶん投げたり、空に飛ばしてすいません。だから戻ってきてください」

 デバイス起動した柄の先がロボットの上半身になるのはいやです。マスター置いて肉弾戦したり、腕飛ばすデバイスは勘弁してください。こういう時のコーラルは冗談か本気かマジでわからない。ほっといたら本当にやりかねないので必死に頭は下げた。


「けどなぁ、趣味でやっているとはいえやっぱり客は欲しいな。手伝いもあるといいんだが……アル坊、さっき宣伝とか言っていたのを本格的にやったら増えるだろうか」

 マスター置いて店内を見回りに行ったデバイスは置いといて、俺は店の奥の椅子に座って店主からいただいたお茶を飲んでいた。そこに店主が口元に生えた髭を撫でながら聞いてくる。内容はまぁ確かに店をやっているのだから当然の悩みだろう。

 趣味とはいえ、経営もタダではないしな。つまり店主さんはちきゅうやを宣伝したいってこと? そりゃ面白そうなのは認めるけど、なんかこの店が世に出てしまうのは果たしていいことなのか疑問が出てくるんだが。母さんとコーラルの様子を見ていると、ミッドの人が変なものに目覚めそうであれなんだけど……。

「ちなみに客が増えたら給料だすぞ」
「全力で頑張ります」

 さっきまでの思考は空の彼方へおさらばした。俺は過去を振り返らず、未来に進む。キリッ。別に店を宣伝するだけなら何も問題ないでしょ。転生して初めてのアルバイトだし、気合入れて頑張りますか! ……だって子どもの時のお金事情ってかなり大変なんだよ? 本当に。


「すいません、……おや君は」
「ん、おぉらっしゃい。アル坊、ちょっとすまんな」

 俺と一緒にとなりの椅子に腰掛けていた店主は立ち上がり、店に入ってきた男性のもとに歩いていった。男の人は俺たちの会話に割って入ってしまったことに、申し訳なさそうに頭を下げる。俺は慌てて首を横に振って、気にしないでほしいことを伝えた。

 直接こんな風に会ったことはなかったが、確かちきゅうやの常連客の人だったと思う。時々お店の中で見かけたことがあった。同じように、お兄さんも俺のことを見たことがあったのかもしれない。

 年は副官さんとくまのお兄さんと同じぐらいか、もう少し上かもしれない。店の奥にある日本とは違う海外ブースの方でよく見かけたな。礼儀正しい好青年って感じだけど、この店の常連客って時点で俺の中では変わった人認定されている。文句はこの店の胡散臭さに言ってください。

 他にも常連客の人は何人か見たことがあるが、顔ぶれはそういえばあまり変わらなかった気がする。おかげでその何人かとはいつのまにか話をして、仲良くなれたけど。このお兄さんはあんまり顔を出さない人なのか、話す機会がなかった。

「……それなら丁度いい。おーい、アル坊!」
「え、何? 店主さん」
「店の中をちょっと一緒に見てやってくれ。バイト初仕事だ」

 いきなりだな、おい。お兄さんも驚いて、そんなの申し訳ないって表情しているぞ。でも、宣伝以外に手伝いとかも欲しいって言っていたので頑張りますかね。店内はあらかた網羅しているので、どこに何があるのかはすぐにわかる。俺もどんなけ入り浸っているんだろ。


「すまない。迷惑ではなかっただろうか」
「いえいえ。俺も暇でしたし、バイトなのでお気になさらず。あ、お茶はこの棚の上です」

 店内の端っこにある棚の中から、お兄さんが探していた紅茶の葉を見つけ出す。少し前に店内を整理して場所が移動してしまっていたらしい。時々しか来られないお兄さんはそれを知らなかったようで、いつもの場所になくて焦ったようだ。

「ありがとう、この葉が好きなんだ。月に何回かは買いに来させてもらっている」
「それで、わざわざこんな小さなお店に?」
「はは、ミッドチルダの物もおいしいのだけど……やはりふと飲みたくなるものでね」
「ふーん」

 紅茶とかお茶とかの良し悪しは俺にはよくわからないな。おいしければ満足です、みたいな思考だからなのかね。高級な物より、多少安くてそれなりにいい物の方が俺は好きだから、そこまでこだわりも強くない。金がかからない性格だなぁ、自分。

『おぉっと、ここで決められてしまうのか!?』
「お、野球の中継だ」
「……野球?」

 茶葉の棚が日本のブースの近くだったからか、テレビの中継の音が耳に入ってきた。時代的にいっても、このころの日本は野球がブームだった気がする。俺はスポーツに関してはほとんど見る側だったな。野球も学校の授業でやったことがあるぐらいで、テレビぐらいでしか見なかった。

 ミッドチルダでは意外にスポーツ系が少なかったりする。あっても魔法競技や最近よく聞くようになったストライクアーツと呼ばれる格闘技が有名だろう。サッカーも野球もないって知った時は驚いた。地球にあったメジャーなスポーツがないのはちょっと寂しかったな。


「うおぉ、懐かしい。世界の本塁打王じゃん。やばッ、生だ生。ホームラン決めてしまえ!」
「これは球技なのかい? 私の知っているスポーツとは違うものだが」
「そりゃ格闘技とは違いますよ。でも野球は面白いですよ? 投手と打手との駆け引きとか、仲間同士で泥臭く戦うところとか、ホームラン打った時のカキーンって音とか」
「格闘技のことではなかったんだが……。しかし、そうか奥が深いスポーツなのだな」

 俺の様子に微笑ましそうに笑いながら、お兄さんもテレビの画面に目を向ける。俺はスポーツ系は特に野球とかサッカーとかバスケとか、団体で点取りを行うものをよく見ていた。個人プレーの多いミッドのスポーツも面白いが、団体戦の熱さも捨てがたい。

 お兄さんも野球に興味を示してくれているし、ここは宣伝しておかなければ。やっぱり語れる人ができると嬉しいし、共通の話題があると話も広がるものだ。

 お兄さん自身は幼いころから仕事一筋だったからか、スポーツとはあまり関わってこなかったらしい。ならばここはちきゅうや宣伝長として、地球…というか日本の良さを存分にお伝えしようと思う。偏りがでてしまうが気にしない。俺日本大好きだもん。

 その後、テレビでホームランが打たれた瞬間2人で盛り上がってしまった。イエーイってノリでお互いにハイタッチしました。後でお兄さんがノリを思い出して、顔真っ赤にして恥ずかしがっていました。スポーツは人の心を豊かに、そして若くする…って適当にフォロー入れときました。

 なんかお前って枯れているよな、と仕事の同僚さんに言われるぐらい趣味も潤いもなかったらしいお兄さん。俺の「若い」って単語にめっちゃ反応されていました。20代ぐらいなのに枯れているって…、どんなけお仕事大好きなんですか。

 それからそこそこ打ち解けられたお兄さんと別れた。なんか「趣味は仕事です」って素で答えそうなお兄さんの後ろ姿に、19歳になっても色気よりも魔法と公務な人を思い出した。……ちょっと気にかけようかと思いました。



******



「よっしゃ、お小遣いゲットだぜ」
『よかったですね。無駄遣いしてはダメですよ』
「わかってるよ。うーん、でもせっかくの初給料だからアリシアにお菓子でも買って行ってやろうかな」

 あれからコーラルとお店を出て、クラナガンの街並みを一緒に歩いている。お兄さんの案内が終わった後、店主さんからお金をもらいました。髪をぐしゃぐしゃにかき回されたが、それでうまいものでも買ってこいと見送ってくれました。

 もらった金額は、安いものなら2人分は買えそうなぐらいある。ちきゅうやで買ってもよかったが、散歩もしたかったしな。そのためコーラルと2人でぶらぶらしながら、新しいお店探しをすることにしました。

「クラナガンって何回も来たことあるけど、人が本当に多いな」
『そうですね。でもこれからは都心で暮らすことになりますし、いずれ慣れていきますよ』
「そんなものか」

 俺たちの引っ越し先がほぼ決まったのは少し前のこと。森に囲まれて育った俺とアリシアは、このたび都会っ子になることが決定したのだ。まだ引っ越しはしていないが、ここクラナガンで暮らすことになる日はそう遠くない。

 どんどん変わっていく俺の世界。最初は家族とその周辺という小さな範囲だった世界は、いつの間にかたくさんの人と関わりを持つようになった。そしてこれからもその縁はどんどん広がっていく。

 世界が広がる楽しみや不安もあるが、やはり嬉しい気持ちが強い。俺が確かにこの世界に在ることを実感させてくれる。一緒にこれからもずっと歩いて行ける存在がいる。そして、そんな人がもっと増えていくかもしれない。それっていいことだよな。


「そういえば、こっちの道って行ったことがなかったな。コーラルこっち行ってみようぜ」
『はいはい。ますたーの気まぐれには慣れていますよ』

 こんな風に何気なく選んだ道。単純に新しい道を歩きたくなっただけの理由で。なんてことのない選択で選んだもの。それでもそれは、無数にある選択肢から間違いなく選び取られたもの。

「ここって道は狭いけど、人ごみがすごいな」
『本当ですね。あっ、ますたー右に避けないと当たりますよ』

 コーラルの注意に慌てて身体を捻って右にずれた。子どもの身体って不便だよなー、と何気なく思っていた俺の目に映ったのは、俺と同じぐらいの背丈の子どもが大人にぶつかってしまっているところだった。

 最初は大丈夫かな? とそれだけの心配だった。明るい茶色の髪をした子どもで、たぶん年も同じぐらいだろう。少なくとも今まで会ったこともない人物で、普通ならもう意識から外しているだろう些細なこと。

「―――あっ」

 それでもその時の俺には、その子どもから視線を外すことができなかった。たまたま見てしまった出来事を目のあたりにしてしまったからだ。だけど俺には実際関係ないことなのだから、そのまま見て見ぬふりもできた。

 それでも俺は無意識のうちに、俺の身体はその子どもを追いかけていた。後ろからコーラルが慌ててついてくる声が聞こえる。どうしてわざわざ……と思う自分もいたが、特に理由はない気がする。でもそのまま去らないといけない理由もない。なら、まぁいっか。と俺は決めていた予定をあっさり変更した。探索は後日にでもできると思ったからだ。

「コーラル。今大人の人にぶつかった子追える?」
『え、出来るとは思いますが…』

 とりあえずやってみます、とサーチを始めたコーラルと並行して走る。たまたま出会った子どもを追いかけるために。


 偶然選んだ日に、偶然選んだ道で、偶然見てしまった子ども、そしてふいに動いてしまった俺自身の意思が生み出した1つのきっかけ。

 この出会いが本来あるべき運命だったのか、それとも俺が変えてしまったものなのかはわからない。それでも、これだけはいえる。

 俺は何度やり直したって……この選択肢を選ぶと思う。俺が知らない事実を告げられた後でも、それでもこの出会いを選ぶだろう。テスタロッサ家に生まれたことを感謝したように、この出会いにも俺は感謝したと思う。

 もっとも、この時の俺にそんな気は全くなかったのは言うまでもない。ただ足が動いてしまって、なんとかなるかなーあはは、とか考えながら追いかけているだけだったのだから。

 

 

第二十六話 少年期⑨



 俺にとってそれはいつも通りのことだった。

 自分が行っている行為が決して褒められたことではないのは、頭の中ではわかっていた。だけど、それがわかっていたら何かが変わるのだろうか。それを守れば何か得られるものがあるのだろうか。確かに人としては、誠実と呼ばれるのかもしれない。けど……結局はそれだけだ。

 清く正しく生きるなんて、そんなもの恵まれている者が言える言葉だ。正義じゃお腹はふくれない。法を守っていたって新しい服は降ってこない。だから俺は手を汚すことを選んだ。汚いと言われようと、蔑まれようと少なくとも俺はそんな生き方のおかげで生きてこられたのだから。

 もう1人で生きていくことにだって慣れてきた。俺に手を差し伸べてくれる人はもういない。他の誰かの手なんて……もっと曖昧で、あっさり消えてしまうようなものに縋るなんてさらに馬鹿だって思う。

 気づいたんだ。生きるためには力が必要で、弱かったら何もできない。俺にはその力が足りなかったから、何も持っていないんだって。それなら、誰かから奪ってでも俺は得ることを望んだ。そんな風に、1人で生きられることが強さだと思ったからだ。

 ……そんな生き方しか俺は知らなかった。そして俺のその生き方は、ずっと変わらないものなのだと思っていた。相手から奪うことへの罪悪感が日に日に無くなっていく意識。世界から徐々にはじき出されていく感覚。自分の名前を耳にすることが無くなっていく日々。


 それが俺のいつも通りであり、今日もその繰り返しのはずだった。身軽な服装と護身用にナイフを1本忍ばせながら、都市に溶け込むように混じる。チャリッ、と首元にかけられているペンダントから小さな音が鳴るのが聞こえた。俺は獲物になりそうな奴を観察しながら、慎重に歩を進ませていく。

 路地が多くありながら、人ごみに紛れ込めるこの道は便利だった。今日も偶然ぶつかったように振る舞いながら、目をつけていた相手に素早く手を伸ばす。そこから目当てのものを掴んだ瞬間、羽織っていた薄手のコートの中に仕舞い込む。そして逸る足を抑えながら、俺はゆっくりと人波から離れた。

 そして事前に調べておいた1本の路地の中に身体を滑り込ませ、足に力を込める。周りに人がいないことを確認し、全速力で細い路地を駆け抜けた。足の速さには自信がある。もしさっきのおっさんに気づかれたとしても、追いつかれないように距離を取る必要があったからだ。しかし今回は、後ろを振り返ってみても人影は1つも見当たらない。それに笑みがこぼれる。

 次の路地を曲がったら、今日の成果を確かめよう。俺は笑い出してしまいそうな声を押しとどめながら、身体の向きを角に沿ってひねった。この先の裏道は滅多に人が通らない小さな路地裏。俺みたいなやつしか知らないような抜け道で、誰もいるはずのないところだった。

 ……うん、そのはずだったんだ。


「――あれ? こっちらへんに行ったと思ってたんだけ……あっ」
「あっ」

 ゴガンッ、と角を曲がった先に何故かいたガキと正面衝突した。あまりの衝撃にお互いに地面に片手をつき、もう片方の手で頭を押さえながらまるで地の底から這い出るような声で呻き合う。

 なんか上空から、『路地裏に響くゾンビのような呻き声。わぁ、ホラー空間』とのんきな声が聞こえてきた。2人いたのか、という考えもよぎったが……その前にこの状況見た第一声がそれってどうなんだ!?

「お…い。ちょっと、コーラルさん。まずは心配するのが先じゃないか?」

 俺とぶつかったガキも同じことを思ったらしい。涙目になりながら反論している。まださっきのダメージでふらふらする頭に俺は手を当てながら、そいつの言葉に心の中で同意した。というか、もう喋れるぐらい回復したのか。お前絶対石頭だろ。

『あ、すいません。あまりにマッチした感じでしたので』
「……まぁ確かにゾンビっぽくはあったか。『うーうぅー』とか『あーあぁー』とか言ってたし。…なんか赤ちゃんみたいな感じもするな」
『路地裏に響く赤ちゃんの声も結構怖いと思いますよ』
「あ、じゃあさ。『うーうぅー』の後に『ウマウマ』つけとけば怖くなくね? ゾンビも腰振って踊りだすかもよ」

 おかしい。なんでいつの間にか、怖くない路地裏シチュエーション作りの話になっているんだ。しかもわけがわからない。あと、こいつら完全に俺のこと忘れているよな。痛みも少し引いてきたため、改めて顔をあげてそいつらを観察してみる。

 ガキの方はやや癖のある黒髪に黒い目をしているが、かすかに入り込んでいる光に当たってプリムラのような淡い紫のようにも見えた。同い年ぐらいで高すぎない通った声が俺の耳に入る。逆にそいつよりも高めの機械的な音声はデバイスだったようだ。深い緑色の宝石が宙を漂っている。

 俺はそれを見て小さく舌打ちをする。少なくともデバイスなんて高価な物を持っている時点で、こいつは俺とは違うのだろう。何よりもまずいのは魔導師であるということだ。なんでよりにもよってこんな場所にいる。俺は自身の不運に苛立ちが募った。


「あ、いけね。えっと大丈夫か? すげぇ音しちゃったけど」
「……別に。もういいからさっさと行けよ」
「いや、でもさ――」
「聞こえなかったのか。てめぇみたいなやつがなんでここにいるのかは知らねぇが、こんな所2度と来ない方がいいぞ」

 ばつが悪そうに話すそいつの言葉を遮る。確かにこいつはよそ見して突っ立っていたし、かなり痛みはあったが、前方を見ずに走っていた俺にも非はある。つまりお互い様。何よりもめんどくさいことにこれ以上関わりたくなかった。

 そんな俺の言葉に目を大きくしたそいつに背を向け、一気に走り出す。慌てた声が聞こえてきたが、足を止めるつもりはない。追いかけてきたって初動は俺の方が早く、デバイスを起動させる暇も与えるつもりはなかった。さっきの角とは反対の方向に向かえば、俺にとって庭のようなこの道で撒くのは容易い。

 まったく変な奴に会った、とまだヒリヒリする頭の痛みに眉を顰める。でもあんな風に誰かと会話をするなんて、久しぶりだったかもしれない。それも自分と同じ年代の子どもと。


 ……あぁ、そんな風に意識を逸らしていたのがいけなかったのかもしれない。角を曲がろうとした俺に、またもや衝撃が襲ってきた。しかも今回は前からではなく、後ろからの後頭部直撃。それはもう傍から見たら、見事としか言いようがないほどに綺麗に決まったと言われただろう。

 俺はなんとか後ろを振り返って、正体を見ようとした。すると、俺の頭にぶつかって跳ね返ったらしい緑の宝石が地面に転がっているのが見えた。なるほど、石なら痛い。……ってあいつデバイスブン投げたのかッ!? それに気づくも身体は崩れ落ちていく。どうやら本当にクリティカルヒットしたらしい。

 ブラックアウトしそうな視線の先に、さっきのやつがブン投げた体勢のまま固まっていた。そして最後に細い路地裏に響いたそいつの言葉は、俺の中に強く印象に残った。

「……やっば、ついやっちゃった」

 俺起きたら、絶対こいつのこと一発ブン殴ることを心に誓った。



******



『さっきのお店で言っていたあれは口からの出まかせですか! もうしないって言っていたではありませんか!?』
「ごめん! 気づいたらついやっちゃっていました!」
『いつもそうやって言い訳する! 僕だって怒るのですよ!? もうこうなったら…今からマイスターに身を捧げてきます!!』
「い、行かないでくれッ! 俺は今のコーラルがいいんだ! 次は、次からは気を付けるからァ!!」
「痴話喧嘩か」

 言いたいことはたくさんあるが、とりあえずこいつらアホだ。それだけは絶対に間違いない。今もデバイスに頭を頭突きされながら土下座しているし。

 目が覚めるとさっきの路地裏の壁に俺は横たわっていた。空を見上げても太陽の位置は特に変わっていない。気絶したのはほんの数分ぐらいだったのだろう。あと気絶させた張本人は俺が起きたことに気づき、本当にごめんなさいと土下座してきた。

 なので、とりあえずアッパーを一発かましておいた。地面にごろごろ転がった。


「何故投げた」
「…いや、逃げられたし」
「……逃げたら普通追いかけるものだと思うんだが」
「追いかけるのめんどくさいじゃ……はい、ごめんなさい」

 もう1度拳を握ってみせると、これまた見事な平伏が披露された。むかつきはしたが、さすがにこれ以上殴るつもりはなかったので手を下ろす。とりあえず俺のこいつへの用件は終わったのだが、そのまま少し待つことにした。

 理由はわからないが、こいつは俺に用事があるのだろう。そうでなければ、殴られるかもしれないとわかっていながら、わざわざ気絶させたやつの傍にずっといるわけがない。またわけがわからないことをされるぐらいなら、多少時間は取ろう。あと初対面なのは間違いないはず…だよな? あまりにも自由すぎて酷い初めまして、に確信が持てないが。

「……それで、要件はなんだ」

 とにかく手っ取り早く終わらせよう。頭を下げていたそいつは、俺の問いかけに顔をあげるとじっと俺の目を見据えてくる。その目が真っ直ぐに俺へと向けられたため、たじろぎそうになったがなんとか表情には出さない。

 そいつのへらへらと浮かべていた笑みが一瞬消えたが、すぐに口元に弧ができる。だけどその笑みを見て、俺はさっきまでとは纏っていた雰囲気が違うことに気づく。先ほどまで伏せられていた目からはわからなかったが、こちらの様子を窺っているように感じた。


「さっきさ、見ちゃったんだ。君があのおじさんとぶつかってしまったところを」
「――ッ」

 ここに止まったのは失敗だったのかもしれない。ここにこいつがいたのは偶然ではなく、必然。咄嗟に俺はそいつと距離を取り、内心で盛大に舌打ちする。完全に油断していた。路地の中の方にいるため、さっきとは違い逃げる選択肢は難しい。魔法を使われる方が速いかもしれない。

 俺が少し後ろに下がったと同時に、そいつは片手をズボンのポケットの中に入れていた。膨らみから大きいものではないようだが、何が出てくるかわからない。視線はずっと俺に向けられており、さっきまで騒いでいたデバイスも静かに光を放っている。

 少なくとも逃げるのは無理だ。ならば、自分から相手に隙を作らせるしかない。

「へぇー、で? それでわざわざこんな路地裏に1人で追いかけてきたのかよ。……随分正義感がお強いことで」
「いやぁー、照れるなー。褒めるなよ」

 褒めてない。照れるな。通じろ皮肉。

『ますたーの思考回路って結構幸せですよね』
「そう? あとコーラルもそんなに褒めるなよ」

 気づけ、遠まわしのやんわり感をッ! 必死にもごもご言いそうになる口元に力を入れる。なんでこいつと会話すると、とことんずれるんだ。…ちょっと本気で帰ってもいいかな。


「し、しかしよく見えたな。あの人ごみの中で」
「たまたまかな。目はいい方だから。……なんかほっとけなくてさ」
「――あぁ、そういうこと」

 なんだ、結局はただの…偽善者か。そうだな、お前のようなやつから見れば確かに俺は可哀想な子どもに映るよな。それをしてはいけない、と教えてくれるような誰かがいるやつらから見れば……。そんな誰かを持っているガキに、同情だけはされたくない。

 正義感ってやつか。……上等だ。俺は逃げようとしていた意識を切り替え、前方に注意を向ける。馬鹿な正義感を振り回す暇があるのなら、後悔させてやる。気持ち悪い感情にイライラする思考。もうこいつとの間に会話はいらない。

 俺もコートのポケットの中に手を入れ、折りたたんでいたナイフを静かに握った。相手はデバイスを持っている。だけどまだ待機した状態のままであり、速攻で近づけば……潰せそうな距離だ。

 人にナイフを向けることに一瞬、震えが走る。けれどすぐにナイフを強く握りしめることで、その考えを振り払った。いずれこういうことにも慣れていかなければならないだろう。俺が生きているのはそういう世界だ。それに今回は、ムカつくガキを多少脅して泣かせるぐらいのこと。……簡単だ。

 やつがポケットから手を出した動きと同時に、俺は駆け出した。姿勢を低く保ち、ギリギリまで一気に距離を詰める。そいつはポケットから取り出したものを自身の前に掲げているだけで、俺の動きには気づいていない。馬鹿だ、と内心に暗い笑みが浮かんだ。

 ……だけど、俺もまたそいつの行動に気づいていなかった。だから耳に入ってきた言葉に思考が停止した。


「実はこのペンダントさ。さっきおじさんとぶつかった時に君が落としたのを見たんだ。だから時間があるし届けてやろうと思って――へ?」
「――は?」

 目の前まで接近できてから告げられた言葉。今までの会話を振り返ってみると、そういえばこいつぶつかったのを見たと言っただけで、何を見たのかは言っていなかった。もしかして俺、盛大な勘違いしてた?

 それに気づくと同時に、足が絡まる。トップスピードで走っていた勢いも相まって、止まれない。目の前には茫然と立ちすくむそいつと、『うわぁ、直撃コース』とまたもやのんきなデバイスの声。こいつ後ではたいてもいいかな。


 それからすぐに、寂れた路地裏にまたもや響いた鈍い音と、ホラー映画のBGMのような声がこだましたのは言うまでもない。



******



「それ、そんなに大事な物だったの? なんかごめん。まさかとびついてくるほど大切な物だと思わなくて」
「うるさい、もう喋るな。今のは忘れろ。マジで忘れろ」

 痛みが多少引き、お互いに地面に座り込みながら会話をする。こいつは本当に俺の落とし物を届けに来ただけらしい。ポケットから取り出されたペンダントは、間違いなく俺の物だった。いつの間に落としていたのだろう。

 だいたい俺は、1度こいつに気絶させられているんだぞ。もし俺がやったことを見ていたのなら、とっくに警官に突き出されていたっておかしくはない。それにナイフだってポケットにあったし、こいつが気絶した俺から取り上げるのは簡単だ。それもなかったということは、こいつの言葉は事実なのだろうと俺は思った。

 ペンダントを眺め、手に握りこんで形を確かめる。そしてどこも壊れていないことに安堵した。拾ってくれたことには素直に感謝する。自身の作ってしまった黒歴史に頭を抱えたくなるが、紛らわしい言い方をしたこいつも悪いと責任転嫁しておく。紐を首に結び直すと、服に擦れて小さな音が響いた。

「あとサンキュー、コーラル。魔法で受け止めてくれて」
『さすがにあの勢いでは、地面に頭を打っていたかもしれませんからねー』

 痛みが激突した頭だけで済んだのは、こいつのデバイスのおかげらしい。単体で魔法発動するってマスターいらねぇじゃん。気づかれなかったみたいだが、さっきの行為は危なかったのかもしれない。マスターを倒しても、デバイスが魔法を放つ。実質1対2だったということだ。…魔導師と戦うのはやっぱり避けるべきだな。

 あぁー、それにしても頭が痛い。俺馬鹿になってないよな? なんだかもう、考えるのも疲れてきた。今日は絶対に厄日だと断言できる。

 俺は軽く頭を振り、ゆっくり立ち上がった。それを見た隣のやつも一緒に立ち上がり、ズボンについていた砂を払っている。こいつの用事も終わったんだし、俺はもう帰っていいよな。

「それじゃあ、もう用はないな。拾ってくれたのはありがとよ」

 そいつに今度こそ背中を向けて、路地裏から出ようと足を踏み出す……が進まない。俺は自分の肩に置かれた手を一瞥し、頬が引きつる。え、まだ何かあるの? 振り払えるが、俺はしぶしぶ動きを止めた。

 今日俺が学んだこと。こいつとの会話はめんどくさいが、まだ被害が少ない。ここまでの行動が裏目に出まくるのは、こいつと俺の思考回路がなんか違うからなのだろう。おとなしくしている方が、まだ疲れないような気がした。


「ちょっと待ってくれないか、ワトソン君」
「いや、誰だよ」
「君でしょ?」
「なんでさ」

 うん、やっぱりこいつわけがわからない。言われたことねぇよ、そんな名前。頼むからお前の常識で会話を進めるのはやめてくれ。世間のこと俺あんまり知らねぇけど、これがミッドの常識だったら俺は今すぐ引き籠るぞ。

「今俺の中では君はワトソン君だ。それとも別の名前にする? 今俺が思い浮かぶ候補としては、スラりん。ゲレゲレ。ドラきち。の3つがあるが」

 マシなのが1つもない。……ここは沈黙が一番だろうか。

「ちなみに俺のおすすめとしてはゲレゲレだ。大魔王もこいつと一緒に戦ったんだ」

 ――まずい、とりあえず何かツッコまないとゲレゲレに決定してしまうッ!?


「お前にあだ名のセンスがないのはわかったから、結局なんなんだよ…」
「さり気なくひどいな」

 うるせぇよ。言葉の最後らへんがちょっと涙声になりかけた。本当になんなのだろうか、このものすごい疲労感。こいつと遭遇してまだ1時間と経っていないって嘘だろ。

 なによりこいつの考えが一向に読めない。なんでいつの間にか、俺のあだ名を決める流れになっているんだよ。

「いやね。君の名前を教えてほしいなぁ、っていう遠まわしな催促でした」
「わかるかァッ!? あと、お前が遠まわしを使うな! 全然やんわり包んでもいねぇよ!!」

 えー、と不満そうに声を出すんじゃねぇ。というか催促ということは、さっきまで挙げられていたあだ名の候補は、こいつもないって思っていたってことかよ! あの3つの中ではまだスラりんの方が……とか考えてしまった俺の時間を返せェ!

「あ、そうか。名前を聞くなら自分からだよな」
「聞いてない。俺は聞いてない」
「俺はアルヴィンで、こっちのふよふよ浮いているのがコーラルって言うんだ。で、君は?」
「お前どこまでゴーイングマイウェイなんだよ」

 俺は名前教えるとは一言も言っていないよな。間違いなく言っていない。なのになんでこんな流れになってしまっているんだ。……そうだ、別に言う必要なんてないじゃないか。こいつとはもう関わることもないんだし。

 そうだそうだ、と納得し、俺は胸を張って宣言する。ずっとこの俺が振り回されっぱなしだと思うな。てめぇに名乗る名前はねぇ!

「はっ! なんで俺が自分の名前をお前に言わなきゃ――」
「じゃあゲレゲレで決定」
『おめでとうございます』
「エr…エイカだァッ!!」

 もうこいつ嫌だ! なんで俺がこんな変なのに絡まれなくちゃダメなんだよ。こいつはこいつでなんか嬉しそうに笑っているし。一応名前……教えたことにはなるのか。だいたいなんで俺の名前が聞けただけで、そんなに喜んでいるんだよ。わけがわからない。今日はわからないことばかりが増えていく。


「ねぇ、エイカ」
「……なんだよ」

 俺のことを笑顔で呼びかけてくるそいつ。本当にさっき初めて会ったばかりの他人だ。それなのに、なんでこんなに変な気持ちになる。むず痒いというか、忘れかけていた何かを思い出すような感じ。なんだったのだろう……これは。

「じゃあ、行こうか」
「……はい?」
「よし、返事はもらいました。それでは、レッツゴォー!」

 いやいやいや。返事返したつもりは1つもねぇよ。あとなんで勝手に俺の手を握って、歩き出しているんだよ。思い出しそうだった何かは意識から吹き飛び、慌てて俺は止まろうとする。だけど俺のその願いは叶わず、ずるずると引き摺られるままに歩いてしまっていた。

 何度も抜け出そうとした路地裏から、あっさり脱出することができた。そこから抜け出そうとした原因と一緒に。というかどこに行くつもりだよ。暗めの路地にずっといたからか、太陽の光に目が眩む。気づけば俺の周りには、ぽつぽつと人通りが増えていた。

「おい、俺はもう関係ないだろ」
「あるある。エイカを必死に追いかけていたから、俺絶賛迷子中なわけ。……責任とれや」
「横暴だな、おいッ!?」

 確かに迷子の原因は俺かもしれないが、強制的すぎるだろ。どこまでマイペースなんだよ、こいつ。言っちゃなんだが、よく俺みたいな子どもと一緒にいられるな。目つきがキツイとか言われたこともあるし、自分でも態度が良いとは思えないんだが。

 俺の斜め前に浮かんでいるデバイスも、こいつの考えに異論はないらしい。普通なら俺と一緒にいるマスターを、止めたりするものじゃないのかよ。……ん、デバイス?

「そうだよ。おい、デバイスがあるんだからそれで調べられるだろ」
「えー、いいじゃん」
「よくない」

 往生際が悪いと言われても知るか。デバイスは高価で、性能もいいって聞いたことがある。魔法の補助機らしいけど、こいつのデバイスならわけのわからない性能を持っていても俺は驚かない。きっとできる。そう思って俺は視線を向けてみた。

『I’m sorry. I don’t understand』
「お前さっきまで普通に喋っていたよな!?」
「おぉ、さすがは本場の発音」

 最初から最後まで俺に味方がいないことを改めて悟った。そんな俺の様子にからからと笑うそいつ。そんな妙に明るい声を聴きながら、その後ろをついていくことしか俺にはできなかった。

 そのすぐ後に、もう1回頑張ってみたがスルーされた。むしろ「道案内役が後ろを歩いているのはおかしいだろ!」ってツッコんだことに言質を取られてしまった。せこい、実にせこすぎる。


 当たり前のように繋がれた手のひらから感じる……他人の温かさ。乾いた風が吹きすさび肌寒く冷たかった場所に、少しずつ熱が広がっていくようなそんな気がした。

 

 

第二十七話 少年期⑩



「ここがクラナガンでも大きい公園だ」
「おぉ、確かに大きいなー」

 きょろきょろと楽しそうに見渡すこいつを見て、やっぱりガキだなー、と俺は心の中で思う。それを口に出してもよかったが、たぶん効果はないなと感じたので言わないでおいた。短時間しか一緒にいないはずなのに、理解できてしまう自分に泣きたくなった。

 というか、ある程度耐性つけて対処法を知っておかないと、無駄に疲れるとわかったからだ。道案内の言質も取られ、この道中でも会話をしながら進んでいたし……なんか慣れた。あとちなみに、繋ぎっぱなしだった手はもう外れて自分の足で歩いている。

 それにしても、どうしてこんなことになったのだろう、という疑問が俺の中でふと芽生える。だけどその理由をすぐに思い出し、俺は口元にフッと笑みを浮かべた。人間諦めを持つことが時に大切である。今日その言葉の意味がすごくよくわかったよ、俺。

「それにしても、なんか公園が俺の予想通りすぎて少し拍子抜けた」
「お前は公園に何を求めているんだ」
「だって魔法と科学文化上等の世界の中心地にある公園だぜ。だから公園も超進化を遂げていて、空飛ぶブランコや海中トンネル滑り台とかがあってさー」

 それはもはや公園じゃない。そんなものを求めるな。こいつの頭の中にある憩いの場所は、俺とは違う次元のものになっているらしい。

『もうますたー、そんなのがポンッと公園にあったら危ないですよ。保護者の方だって心配されます』
「えー、面白そうなのに」

 持ち主と同じようになんかおかしいデバイスだが、考え方は一般的だったらしい。そこらへんは俺も安堵に息を吐く。さすがに2人相手だと俺が疲れる。分散するなら大歓迎だ。

 それにしても、俺って意外に適応力が高かったんだな。初めて知った。できればこんなかたちで知りたくはなかった。だけど大丈夫だ。俺ももう慣れてきたんだし、平常心を忘れなければ問題はないだろう。

『なので遊具だけではなく、ちゃんと子どもたちの安全に配慮された公園ガーディアンみたいなロボもいないと駄目ですよ!』
「おぉ、確かに安全面は大切だな。あとロボにはカッコよさも必要だ。シャッキーン! って登場してくるとかすれば、子ども達の心もわしづかみだ!」
「お前らもう夢の国にでも行ってこいやッ!」

 駄目だ! やっぱりこれに慣れたら俺が駄目になる気がするッ!!


 とりあえず公園の入り口にずっといるのもあれなので、中に入ることにした。俺もこの公園にはあまり足を踏み入れたことがなかったため、だいたいの位置しかわからない。見晴らしもよくて平坦な場所だし、巡回する民間警備員もいるため下手なことができなかったからだ。

 しかしまさか、この俺がガイドまがいなことをする日が来るとは。めんどくさかったが、こいつの迷子の責任が俺に全くないわけではなかった。だから行きたくはなかったが、管理局の地上本部にでもこいつを連れて行けばいいか、と最初は思っていたのだ。あそこは迷子目印のシンボルだし。

 それに待ったをかけたのは、絶賛迷子中だと言っていた張本人だった。なんでも近々このクラナガンに引っ越しが決まったから、地理に詳しくなりたいと言ってきたのだ。地上本部まで歩いている最中に、俺がクラナガンの地理に明るいとわかったから頼んできたらしい。

 だが、当然俺は断った。俺はこれ以上疲れたくない。帰ったら真っ昼間だろうがすぐに惰眠を貪ると決めたんだ。そう素直にぶっちゃけると、「なんかダメな人のセリフのような気が……」とか言われた。誰のせいだと思っているんだよ!?


「そういえば、エイカの家ってこの近くにあるの?」
「……なんでそんなこと聞くんだ」
「いや、深い意味はないけどさ。寝る発言していたから、家が近いのかなって思っただけ」

 今思うとなんでそんなことを言ってしまったんだろう。間違いなくその時は平常心ではなかったのだろうな、と俺はすぐに答えが導き出せた。正直考えるのを若干放棄していたのだ。それぐらい俺は疲れていた。

「あと家が近いならなんかごめんな。お腹空いていたりしないか? あんなにも簡単に食べ物に釣られ…目がなかったみたいだし」
「……お前一言多いとか言われないか」

 あの時食い物に釣られたのは事実だが何が悪い。ガイドを断った俺に、デバイスから変な円柱型の容器を取り出したこいつ。そして笑顔で取引を迫ってきた。ガイドをしてくれたらお礼として、このお湯をかけるだけでできる魔法のカップをやろう……と。

 こいつ卑怯すぎる。晩飯ゲットのチャンスをこの俺が逃せるわけがないだろう。心底ややこしいが別にこいつ自身に害はない。「飯>こいつ」の思考になった俺は間違っていない。ほぼタダで飯が手に入るのなら何も問題はない。

 ちなみに俺の即答に、提案してきたこいつが一番驚いていた。よくわからないが、こいつから1本取れた気がして気分がよかった。その後なぜか生暖かい視線も一緒に感じたが、なんだったのだろうか。


「そういえば、なんで公園に来たかったんだ」
「んー、ほら引っ越しをしたらよく利用しそうな場所だし。知っておいた方がいいかなって。……何より、お兄ちゃんすごい! と妹に言われるために努力は惜しめんさ」
「努力の使い方をお前が間違っているのはわかった。あと妹なんていたのか」
「いるよー。双子の妹で俺はお兄ちゃんです」

 兄という部分に自信ありげに答えるこいつ。こんな兄貴を持っているなんて、なんて不憫な妹だ。いや双子だと言っていたし、もしかしてこいつの女バージョンです、とかいうオチではないよな。え、なにそのカオス。

『顔色が悪いようなので補足を。相手を振り回したり、似通った思考回路はありますが、ますたーと妹様はそれほど似ていませんよ』
「そ、そうか。……俺、そんなにも顔に出ていたか」
『いえ。ただますたーの妹と聞くと、大概の方が抱く疑問でしたので』
「あぁ、なるほど」

 デバイスの説明に俺は納得した。となりで俺たちの会話にがくり、と肩を落とすやつがいるが視線を合わせないようにする。しかしデバイスの言う『妹様は天然ものですから』という意味に首をかしげる。よくわからないが、自然体ということなのだろうか。

「うん、まぁあと外見も二卵性双生児だからそっくりじゃないしな。髪や目の色も違うし、似ているのは癖っ毛の部分や声とかか? 声に関してはどう反応していいのか今でも悩んでいるけど」
「なんで声に悩むんだよ」
「……今は子どもだからいいんだけど、成長して喉仏できたらどうなるのかなぁって。高いままは嫌だけど、この声がダミ声とかになったら地味にショック受けそうで。いや、男らしい声にはなりたいんだけどね、うん」

 いきなり暗くなったよ、こいつ。しかも本気で落ち込んでいるっぽい。感情の起伏がいまいち掴めなくて、どうも声がかけづらい。しかしそこまで気にするほどのことだろうか。俺は声変わりできる方が羨ましいと思うけどな。

「ちなみにエイカさん。率直な意見いい?」
「なんだよ」
「金髪にレオタードと黒マント装備の美少女によく似合う声が、成長しておっさん声になったらどんな感じになりそうかな」
「率直な意見だったな。とりあえず意味の通じるミッド語をしゃべってくれ」

 まさにこんな感じでぐだぐだした会話をしながら、俺たちは公園の並木道をさらに真っ直ぐに進んでいった。



******



 それからまたしばらく公園をふらふらと一緒に歩いている。その途中で何故かエビとエビフライ論争が勃発してしまったりしたが、おおむね問題はない。整備された道を散策していると、季節の移り変わりにふと気が付く。

 思えばこんな風にのんびりと景色をみるのは久しぶりだった。灰色のビルと人ごみばかりをずっと見ていた気がする。赤や黄色に彩られた木々や秋の花々。所々にシオンの花のような淡い紫や青も咲いている。風で巻き上がった葉を眺めながら、肌寒い冷気に少し身を震わせた。


 辺りを見学しながら歩いていると、広くひらけた場所に出ることとなった。中央広場と書かれた看板を見つけ、周りは芝生で覆われている。先ほどまでは散歩道のような場所だったので、大人をよく見かけていた。だがこの場所では、子どもばかりが目に入る。どうやら子ども用の遊び場らしい。

 同じ背丈ぐらいの子どもが何人もおり、思い思いに過ごしている。端にある砂場で山を作ったり、遊具で遊んだり、追いかけっこをしていた。笑顔で遊び回る子どもと、それを近くで眺めて微笑む母親らしき人達。

 ――馬鹿馬鹿しい、と俺はそいつらを見ていておもしろくない感情が芽生える。そんな彼らの様子を眺めながら、俺は無意識のうちに舌打ちをしていた。 

「どうしたの、エイカ」
「なんでもない」

 俺の舌打ちが聞こえてしまったのか、覗き込むように俺の顔を見てくる。失敗したな、と俺は目を逸らした。それでもじっと俺を見てくるこいつに背を向け、身体を反転させて元の並木道に向かうようにする。

「そっちはただの広場だ。その先にはもう道はないから案内する必要がない」
「ねぇ、エイカ」
「この並木道を抜けたら案内は終わりだろ。約束通り飯は渡してもら――」
「せっかく公園に来たんだから遊ばない?」
「…………お前、空気よめ」

 なぁ、さっきの俺の舌打ち聞こえたよな。それを説明する気は一切なかったが、そんなの関係ねェ、と言わんばかりのセリフに俺はびっくりだよ。本当に呆れてものが言えない状態の俺の肩に、こいつは優しく手を置き、ぽんぽんと叩いてきた。

「エイカ。子どもに大切なのはよく食べて、よく寝て、よく遊ぶことだって、昔誰かが言っていたんだ。嘘ではないはずだから、遊ぶことは何も怖がることではない」
「今までの会話のどこに、その知恵袋的要素を語るところがあった」
「ぼっちだからって気にしちゃダメだよ。手が速いし、口悪いし、流されやすいし、いじりやすいけど大丈夫。今はぼっちでも、ほんの少しのきっかけで変われるものがあるって信じようよ。さぁ、勇気を出して遊ぼう」

 全力で拳を打ち込んでしまった俺は絶対に悪くない。なんかどさくさに紛れてものすごく失礼なことも言われた気がする。

 というかどういう解釈をしたら、俺がぼっちだからここのガキ共の遊んでいる姿を見て羨ましく思い、思わず舌打ちをしちゃいました! …という想像ができるんだ。なによりぼっち連呼するな。


 ただ俺にとって予想外だったのは、俺の拳をひょいっと避けられたことだ。ムカッときたので転ばせてやろうと、そのまま勢いを殺さずに足元を狙ってみたが、これも半歩後ろに下がることで綺麗に避けられる。それにまぐれではないことを理解し、驚きに目を見開く。頭にのぼっていた血も静かに冷えていった。

「おぉ、避けれた。リニスさんとの戦闘経験がめっちゃ生かされているんじゃね?」
『いつも懲りずにパンチの嵐を受けていますものねー。以前よりも動きがスムーズでしたよ』

 こいつらの会話から、どうやらその『リニス』というやつにこいつは訓練されているらしい。思えば俺と同じ年ぐらいでデバイスを持たされているし、魔導師としての訓練も受けさせられているのだろうか。少なくとも、あの動きは咄嗟にできるものじゃないはずだ。

 この年で戦闘経験があるって、こいつ今までどんな生活をしてきたんだよ。もしかしてこいつの親は武装隊か何かか。何にしてもやっぱり普通のガキじゃないのは確かだ。俺の中で消えていたこいつへの不信感が膨れ上がっていった。

「お前――」
「隙あり!」
「えっ、っておい!!」

 拳を浴びせるために近づいていたため、こいつとの距離はほとんどなかった。動きを止めていた俺の手を掴み、広場の方へと一直線に駆け出した。いきなり現れた俺たちに周りの視線が集まる。縺れそうな足を走らせ、転ばないようについていくしか俺にはできなかった。

 そして駆けていた足がようやく止まり、気が付けば広場の真ん中に俺たちは立っていた。たくさんの人から注目を浴びていることに俺はびくり、と肩が震える。不思議そうに俺たちを見つめてくるガキどもに冷や汗が流れた。

 そんな中で、俺とつないでいる方の手を堂々と上に掲げ出すあいつ。それはまるで周りに見せつけるかのように。少し小高い場所であったこともあり、全方面から視線を感じた。

 俺は恐る恐る隣を窺ってみる。するとそこには清々しいまでに笑みを浮かべながら、次に大きく息を吸い込むやつの姿があった。このわけのわからない理不尽さ、あぁデジャヴ。そうだよ。こいつが何者であれ、1つだけ確実にわかっていたことが俺にはあったじゃないか。

 こいつは、間違いなくアホなんだって。


「俺たちとおにごっこしたい人はこの手にとまれェェーー!!」

 俺は召喚魔法というものを初めて見た。



******



「いやぁ、エイカ足速いねー。すごく盛り上がった」
『おもしろ映像てんこ盛りでしたねー』
「うるさい。アホ、バカ、変人共」

 広場から少し離れた場所で俺はベンチに座っていた。もうなんか俺の中にあった色々なものが、木っ端みじんにされた気がする。世界ってなんなのだろう。たぶん今の俺の目は確実に死んでいる。

 あの後、結局召喚されたやつらと遊ぶことになってしまった。……あの状態で逃げ出す気力はもう俺にはなかった。

 ゲームは『ふえおに』という、徐々に鬼が増えていくものらしい。最初は俺が逃げる側で、あいつは鬼。正直さっさと捕まってもよかったが、とろくさいガキに捕まるのも癪だったので逃げていた。おせぇやつら、と鼻で笑っていられたのだ……前半戦は。

「諸君! あそこで余裕ぶっこいているのやっちまうぞ!! えーと、名前わかんないからそこにいる少年A、B」
「何その伏字みたいなのは!?」
「少年Bよ、細かいことは気にしない。君らは左から攻め込むんだ!」
「らじゃー」
「え、少年Aでいいの、君!?」

「そこの足が速かった少女Dと少年Cは時間差で側面から回り込め! 俺と少年Eで正面から追い込んでいくから!」
「なるほど、体力を削っていくのね」
「なら他のやつらは遊撃になる感じだな」
「……わかった」
『僕は空から状況報告しますねー』

「みんなどうしてそんなにあっさり受け入れられるのさ。ねぇ、僕がおかしいの」
「どうかしたの? 少年B君」
「……ううん。もういいよ」

「ちょッ、てめぇらそれ卑怯だろッ!! 囲みは普通なしに決まって――」
「アーアーきこえなーい」
「聞けェ!! 一人に十数人って反則だろ! 絶対反則だろォォーー!!」
「戦争は数だよ、兄貴!」

 後で保護者連中から壮観な眺めだったと言われました。

「待ちやがれ! てめぇだけは絶対にとっ捕まえたらァァアアァァ!!」
「うぉ、速ェ! だが俺だって負けるかァァーー!!」
『うわぁ、デットヒート』

 後で公園のちょっとした伝説になったと言われました。


「……本当に俺は何をしていたんだろう」
「でも、楽しかったでしょ?」
「………」

 ちらりと視線を向けてみると、諸悪の根源が歯を見せながら笑っていた。あんなに走ったのも、声を出したのも久しぶりだった。こんな風に誰かと遊んだことなんて…初めてだった。

 というかあいつら初対面だよな。こいつもあの残念なネーミングセンスで勝手に呼んでいたし、当然本名だって知らない。初対面なのに普通に入り込んで行けるこいつは絶対におかしい。頭のネジが何本か抜けているのだろう。それでも――

『ほんの少しのきっかけで変われるものがあるって信じようよ』

『お疲れー、さっきの競争すごかったな。そういえばエイカで名前合ってる?』
『え…あ、あぁ』
『なぁなぁ、今度遊ぶときはどうやったら速く走れるのか教えてくれよ』
『お、俺が?』
『あっ、私もちょっと気になる。私ね、結構走り込みには自信があったんだよ。追いつかなくてびっくりしちゃった』
『だろ。2人で横から追いかけたのにさ。でも次はエイカのこと捕まえるから覚悟しとけよ』
『ふふ。私も負けずぎらいなんだからね、エイカ』

 ただ我武者羅に走っていただけなのに。他のやつらとまともな会話も何もしていなかったのに。一緒に遊びに参加しただけで、こんなものの何が面白いのかってずっと思っていた。そんなくだらないものだったはずなのに。

『うるせぇよ。もし次があっても俺が勝つに決まってるだろ』


「なぁなぁ、エイカ。いっぱい走ったからお腹減らない? 何か食わね」
「はぁ、まだどこか行くのかよ」
「さっきのおにごの最中に見つけたんだ。たい焼き屋で、値段もリーズナブルだった」
「……安いなら行く」

 確かにかなり動いたからか、空腹感を強く感じる。こいつの言うたい焼き屋もここから見える位置にあり、意識すると微かにだがおいしそうな匂いが漂ってきた。それに腹から小さな音が鳴った。

 ベンチから立ち上がり、たい焼き屋に辿り着くと早速メニュー表を眺める。こいつの言う通り安い値段で買えるし、餡子の量も申し分ない。これでおいしいのなら、お気に入り店として頭の中に登録しておこう。

「俺はこしあんかな。エイカはどれにする」

 そう言ってポケットから数枚の硬貨を取り出し、店の人に手渡していた。俺は粒あんだろうか、そんな風に考えながら俺も金を取り出すためにコートの内ポケットから財布を取り出した。黒く、子どもが持つには不相応な大きさの財布を。

 俺がその手を止めたのは、視線を感じたからだった。それも強く真っ直ぐなもの。誰のものなのかはすぐにわかった。だけどその向けられている先が俺ではなく、俺の手元だと理解する。そこでようやく俺は気づく。自分が何を…誰の目の前で取り出してしまったのかを。


「その財布、どうしたの」
「――ッ」

 急激に頭が冷える。先ほどまでのどこか浮ついていた気持ちから唐突に目覚めた意識。自分の手元に注がれる目。手に持つ財布を握る指に、ぐっと力が入った。

「お金、いっぱい入ってるね」
「こ、これは……」

 これは……、なんて言うつもりだよ。俺は開きかけた口を閉じ、沈黙する。こんな黒皮の財布を子どもが持っているわけがない。中身も札束が何枚か入っており、財布のポケットの中にはカードが詰められている。

 どう考えても俺の財布だなんて思わない。ならどうしてそんなものが俺の手元にあるのか。その答えを導き出すのは簡単だ。俺がこの財布を手に入れた方法をすぐに思いつくはずだろう。

 ぐるぐる回る思考に気持ち悪さを感じる。隣のあいつの顔を見ることができない。こんなの、いつも通りのはずだろう。この行為をしたのは初めてじゃない。自分で決めてやってきたことだ。周りから汚いものを見るような目にだって慣れているだろう。

「エイカ」

 なのに、なんで見れない。こいつは今どんな目を俺に向けている。今日1日中ずっと一緒にいた。ずっと笑顔でこいつは笑っていた。俺に笑いかけていた。だけど、今はきっと……笑顔じゃない。そしてこれからはもう二度と――


「それ、拾ったの?」
「…………は?」
「え、だってそれエイカのじゃないと思って。だから拾ったのかなって思ったんだけど」

 嘘だろ。さっきまでうつむいていた顔を勢いよくあげて、見れなかったはずの顔をガン見してしまっていた。その顔には嫌悪のようなものは一切なく、それどころか何故か安心したような、どこか嬉しそうな笑みを浮かべていた。

 まったく真逆の顔を想像していた俺は、茫然とそいつの顔を見つめるしかなかった。それからこいつの言葉が徐々に頭に染み込んでいき、こくり、と肯定するようにうなずいていた。それに「エイカはおっちょこちょいだなぁ」とまた笑っている。

 アホすぎるだろ、こいつ。そんな考えが頭をよぎる。普段の俺なら鼻で笑っていた。おめでたい頭だと馬鹿にして、それだけだったはずだろう。なのに、今の俺は何故かそんな風に考えることができなかった。それどころか、こいつの笑顔を見て落ち着いていく自分に戸惑っていた。


「あ、そうだ。それだとエイカは、たい焼きを買うお金って持っているの?」
「ほかには持っていない」

 金銭をもっていても走るときの邪魔にしかならないし、逆に奪われる危険性がある。そのためこういう時はいつも身軽さを心がけていた。何かを買うつもりもなかったので、たい焼きを買うお金なんて一銭もなかった。

「仕方がないなー。じゃあ俺がおごってやるよ。ちょうど2人分のお金はあるし」
「はぁ? なんでそこまでするんだよ」

 少なくとも俺なら奢らない。俺には金を他人のために使う考え方がわからない。だからこいつの提案に本気で疑問をもつ。そんな俺の様子に簡単なことだよ、とゆっくりと目を細めた。

「友達記念に、かな」
「……友達?」
「そ。俺さ、ずっと田舎暮らしで同い年ぐらいの子どもが身近にいなかったんだ。だからこんな風に家族以外で遠慮なくおしゃべりしたのも、思いっきり遊んだのも初めてでさ。すごく新鮮だった」

 たぶんこいつなりに真剣に告白しているのだろうけど、俺としてはあの遠慮のなさは野生児だったからなのか、とものすごく納得してしまっていた。

「一緒に遊んですごく楽しかった。また遊べたらな、って俺は思えた。だから…そのえっと、……エイカと友達になりたい、かなって」

 後半部分の言葉は俺から顔を背け、歯切れも悪かったが確かに俺の耳に届いた。話の内容にも驚くポイントはあった。だが俺としては、こいつにも羞恥心なんてものがあったのか……とそっちの方がインパクトが強かった。なんか真面目なこいつがおかしい、と思ってしまう俺は末期なんだろうか。

「そんな程度で、友達かよ」
「そんな感じじゃね、友達って。楽しいことや嬉しいことに一緒に笑い合ったり、もし辛いことや悲しいことがあっても一緒に笑い飛ばすことができたりとかさ」
「笑ってばっかりじゃねぇか」

 つい悪態をついてしまったが、正直なんて返事をすればいいのかわからなかった。他人と関係を持ったこともなく、ましてや友達になる。ただ言葉だけ知っていて、これから先俺が持つことなんてできないと思っていたもの。持つことはないと諦めてしまっていたもの。

 それが手の届く距離にある。こんなにも近くに――ある。


「そんなこと言うやつには奢らんぞ。目の前でものすごくおいしそうにたい焼きを食う、俺の姿を見ながら悔し涙を流すがいいッ!」
「よし、友達になろうか!」

 ――――あ。



 その後、俺たちは公園を抜け、持っていた財布を落とし物として届けることになった。警官に財布を手渡す時、少し惜しい気持ちも俺の中にはあった。しかし思いのほかあっさりと渡すことができた自分の手。思わずまじまじと見つめてしまった。

 そんな俺の隣で、謝礼金ってどれぐらいもらえるのかな、とにやにやしながら言ってきたあいつ。拾ったのは俺だから一銭もお前にはやらないけどな、と告げたら膝かっくんされた。お返しにやり返そうとしたら避ける。本当にちょこまかと!

「それじゃあ、これが約束の例のものだ。慎重に扱いたまえよ。取り扱いをしくじれば火傷をしてしまうのでな」
「なんのキャラだ。猫舌じゃないんだからそんなへま、俺がするか」
「はは。じゃあな、エイカ。――また遊ぼうな」
『それではお元気で』
「……おぉ」

 今度こそあいつらは、俺に背を向けて歩いていった。途中後ろを振り返ってぶんぶん手を振ってくるあいつに溜息を吐きながら、俺も小さく手を振りかえした。

 人ごみに紛れ、姿が見えなくなったことでやっと1人になったのだと実感する。今日の収穫は晩飯だけで、結果としては微々たるもの。俺は昨日までと同じように、雑踏の音だけが響く道を歩いていった。

 いつもと同じ景色なのに、昨日と今日とではどこか違うような――そんな気がした。



******



『本当にあれでよかったのですか』

 先ほどまで一緒にいた人物が人ごみに消え、コーラルは自分のマスターに尋ねる。その調子は咎めているわけではないが、疑問が窺えた。

 コーラル自身、まさかこのような結果になるとは思っていなかった。だがマスターの考えを尊重し、それを後押しするように動いたのはまぎれもなく自分自身の意思。だから主の新たな友人に意見を出すつもりもなかった。

「正直わからないけど、後悔はしていないかな。結構勢いでやっちゃった部分もあるけど、友達もできたし、財布も返せたから結果オーライでいいと思うけど」
『ますたーってちゃんと考えているのか、ただのパーなのか時々わからなくなりますよ』
「パーってお前……」

 相変わらずのデバイスからの遠慮容赦のなさに、アルヴィンは半眼でちょっと睨んでみる。だけど効果はなさそうだったので、すぐにやめたが。なんだかやりきれない気持ちを、頭を軽く掻くことでアルヴィンは抑えた。そして、もう姿の見えない新しい友人の去った先を静かに見つめていた。

 アルヴィンは最初から、エイカがぶつかったときに仕出かしたことを見てしまっていた。そして追いかけたはいいものの、その子どもをどうしたいのか具体的に考えていなかったのだ。エイカに最初に告げた通り、ただほっとけないと思って追いかけてしまっただけなのだから。

『エイカさんを気絶させた時は、転移を使って警官に引き渡すのかと思いましたよ』
「それは…さすがに事故だったし。話し合いで解決できるのが1番だろ」
『それはそうですけど。でももしあの時、ナイフを本当に取り出していたら問答無用でバインドかましていましたけどね。ますたーが念話で止めなかったら、頭をぶつける前にシールドで弾いていましたよ』
「……結構過保護だったんだな、コーラルって」

 そうは言うが、アルヴィンもそのあたりはコーラルを頼りにしていた。気絶させたエイカの持ち物を調べ、ナイフが出てきたときは息を呑んだのだから。

 話し合いに必要なのは、相手に警戒されないようにすること。なのであえてそれは取り上げなかったが、代わりに首にかけられていたペンダントをポケットにいれ、防御魔法などの準備だけは念入りにしておいた。魔法を使う必要がないのが1番ではあったが。

『でも、やっぱり無謀です。結果的にエイカさんがあまり悪い子でなかったからできた方法でしたよ』
「確かにな。意外に律儀だし、人の話もちゃんと聞けるし、ツッコミだったし」
『ますたー、真剣に聞いてください』
「……ごめんなさい。でも、エイカがいいやつだろうなって最初に思ったから、ちゃんと話そうと俺も思ったんだぞ」

 アルヴィンの言葉にコーラルは口を閉ざす。そこにあるのは疑問や戸惑い。コーラルの雰囲気にアルヴィンは吹き出し、確信があったわけではなかったけどね、と付け足す。もちろんエイカとは初対面だ。彼の持つ知識の方でも知らない子ども。

 だがエイカが言った、ただ一言。エイカ自身は意識して言ったわけではない言葉。だがそれを聞いて、アルヴィン自身は相手への警戒心を解いたのだ。

『てめぇみたいなやつがなんでここにいるのかは知らねぇが、こんな所2度と来ない方がいいぞ』

 告げられた文言はものすごくぶっきらぼうで、口調もきついものだった。謝罪の言葉を遮って、矢継ぎ早に言われたもの。それでもこれは、他の誰でもなくアルヴィンに向けられた忠告の言葉だった。

 地上部隊と関わりを持っていたアルヴィンは、ミッドの治安についてある程度聞きかじっていた。それは地上部隊のお膝元である、ミッドチルダにある闇。民間人が多く住まう居住区などの表側は、総司令官達も全力で維持に当たっている。だがその裏側を掌握するのは、まだ人員的にも現在の情勢的にも厳しい状態だった。

 だからアルヴィンは、総司令官から裏道や人通りから離れたところには行かないようにと注意を受けていた。それは管理局の目が届かない場所であり、危険があった場合助けることができないかもしれないからだ。今回のことがなければ、絶対に彼は近寄りもしなかったような所だったのだ。

 そんなところを当たり前のように使う子どもが発した、2度と来るなという言葉。それは相手を思っていなければ出てこないもの。そんなつもりは本人にはなかったのだとしても、間違いなく他人のための進言だった。

 それに気づいたから、アルヴィンは驚きに固まってしまったのだ。エイカに逃げられる隙を作らせてしまうぐらいに。それでも小さな確信を彼に持たせてくれたのは間違いなかった。


「ま、難しい話はもうお終いにしよう。今日は初めて友達ができた。それで十分だよ」
『……確かに、そうですね』
「だろ?」

 それからもぐだぐだと会話をしながら、少年とデバイスは帰り道を進んでいった。先ほどまで冷たく吹きつけていた風が止み、雲の切れ間からのぞく微かな太陽の光が地上に降り注いでいた。

 

 

第二十八話 少年期⑪



 俺がミッドチルダと呼ばれるこの次元世界に転生して6年が過ぎた。そして6年も経つと、人間それなりに慣れてくるものである。地球というか、日本の文化に20年以上も浸かっていた俺。それでも思い返すと異世界に染まったなぁー、と感じることが多々ある。

 たとえば髪の色。黒色や茶色の髪以外は違和感を覚えていた昔と違い、今では相手がピンクの髪をしていても動じなくなった。世界規模の交流がなされているため、色とりどりの頭髪が次元世界では見られる。母さんやアリシアは黒髪と金髪だったから馴染むのは早かったが、同僚さんの薄緑の髪には最初の頃なかなか慣れなかった。

 その後もクラナガンに出れば、赤や青や銀とか日本では目立つことこの上ない頭髪の人が普通に街を歩いている。それが当たり前。そして母さんから教えられたことだけど、他者の見た目や文化、そして出身世界を落とすことは最もしてはならない行為の1つだと教えられた。

 日本にも相手を侮辱してはならないという決まりはあったが、このミッドチルダではそれがかなりきつく言い渡されているのだ。それは多世界との交流を円滑に回すためでもあり、この次元世界で一番の影響力を持つ時空管理局が信条としているからでもある。

 確かに次元世界を守っている組織が、世界のことを差別したらそりゃ非難来るわ。1つの国を守るための組織ではなく、次元世界の平和維持を務める組織だし。お姉さんから聞いた話だと、給料とかも色々な世界から集められたお金らしい。民が支える組織だからこそ、組織も民を守るために頑張る。そんな感じなのかな。


 なんか難しい話になったが、要は俺もそれなりにミッドチルダの文化に親しみを持てるようになってきたのだ。なのはさんたちも移住できていたことだし、そこまで奇抜なものもなかったおかげもある。もちろん未だに困惑するものもあるが、それも次第に慣れていくと思う。

 なんというか、ここの文化って日本に比べて大らかな感じなんだよね。受容的な要素が強いからか、心が広い人が多い印象がある。あと魔法やら戦闘技術も慣習としてあるからか、結構強かな性格の人も多いのだ。ミッドのスポーツで戦闘系のものが多いのもそれだと思う。

 俺もこの世界で生きていくのならば、頑張ってなじむ努力をしようと思っている。昔の文化と食い違うところがあったのなら、考えて自分なりに納得できるようにしていた。この世界で骨を埋めると決めて、生きていくのだから当然だろう。

 ……なんだけど、どうしてもある1つだけはいまだに慣れない。というか慣れてしまってよいのか悩む文化があったりする。

 次元世界は大らかで、強かな人物が多い。そして戦闘に関しては真剣そのもの。それ事態は別に問題はない。問題はないんだけど、それがこと俺にとってはものすごいカルチャーショックだったのだ。次元世界の人たち猛者過ぎるだろ。……特に男性諸君はいったい何者なのか、と本当に悩んでしまったことがある。


「わぁ、すごーい! お母さん、今あのお姉さんの手がピカッて光ったよ」
「あれは拳に魔力を収束して放ったのね。打ち込むときに集めた魔力も一緒に押し出したから、光が走ったように見えたのよ」
「へぇー。わ、わっ。相手のお姉さんもいっぱいシューターを出してきた!」
「にゃにゃっ」

 現在、テスタロッサ家は家でまったりしている。そろそろ冬に入るだろう時期なため、家の中も少々寒くなってきている。アリシアはリニスを膝に乗せ、母さんにくっつきながらソファでテレビ観戦をしていた。空中に映し出されるパネルは普段よりも大画面で設定されており、すごいハイビジョンである。

 みんなが見ているのは、最近のミッドで高視聴率を叩きだしているDSAA主催の公式魔法戦競技会だ。これは全管理世界の10歳~19歳までの若い魔導師たちが集まり、力を競い合う競技らしい。男性の部と女性の部で分かれており、今見ているのは女性の部のようだ。

 アリシア達の声で目を向けてみると、バリアジャケットを着た女性2人がお互いに牽制し合っているところだった。さっきの攻防で技を相殺し合ったようだが、余波を2人とも受けていたらしくライフポイントが削れている。俺はすぐに画面から視線を外し、作業に戻る。

「それにしても、10代であれだけ戦闘ができるって凄すぎるよなぁ」
『そうですね。ベルカ時代から続く技術や流派が、まだ結構残っていますからね。幼いころから修練を積む子もいらっしゃると思います』
「魔法の技術を学ぶことは推奨されているし。競技会もできたおかげで、これからも増えていくんだろうな」

 クラナガンを探索していて気づいたことだが、魔法道場みたいなのがそれなりの数あるのだ。射撃の訓練や魔力操作の訓練といった魔法技術養成所や、身体のつくりから格闘技術を育ててくれる民間道場もある。塾に通わせる感覚でそういうところに行く子もいるらしい。

 一応聞いた話では、魔法が使えることはそれなりにアドバンテージにはなるようだ。就職するときも、目に留まる要素の1つにはなるみたい。もちろん魔法は技術の1つとして数えられているだけなので、出来なくても深刻なことにはならない。前世でいうところの車の免許を持っていると就職が有利になる、ぐらいのものだそうだ。


「ねぇねぇ、お兄ちゃん。さっきからなんでテレビ見ないの? 今すごく盛り上がっているところなのに」
「今お兄ちゃんは、お引っ越しの準備をしているので」
「アルヴィン、別にテレビが終わった後でもいいのよ? 準備は急ぐ必要もないんだから」

 作業、もとい引っ越しの準備をしていた俺は手を止める。アリシアと母さんから無理はしなくていいと言われたが、今やりたいからとやんわり断った。そして段ボールの中に折りたたんだ洋服を詰めていく作業にまた戻る。

 実は俺、梱包作業がかなりのレベルになっているだろうと自負している。詰め込みの手つきもだいぶ速くなった。書籍とかかさばる物は小さいダンボールに入れるようにして、食器などの割れ物はプチプチで遊びながら万遍なく包む。今生では引っ越しの回数も多かったため、何回もやったしな。特技にしてもいいかもしれない。


「むー。そういえば、お兄ちゃんっていつも格闘スポーツとかは見ないよね」
「え、見てはいるぞ」
「うーん、見てるけど。こう今みたいに激しく戦っているときとかは、いつも目を逸らしているから」
「にゃう」

 アリシアの言葉に気づかれていたのか、と俺は内心焦る。リニスも妹の言葉に肯定し、こちらを観察するように見ていた。確かに俺は意図してそういう場面を見ないようにしていたが、やはり不自然だったのだろうか。

 激しく競い合う選手たち。その攻防はとても勉強になるし、俺だって男なのだから戦う姿ってかっこいいと思う。殴り合いは好きではないが、相手を倒すことが目的の競技なのだからと、ある程度は俺も割り切れる。それに魔法のおかげで流血沙汰にもならないし、スポーツマンシップも則っていた。お互いに真剣に高みを目指している気持ちも伝わってくる。

 だけど、やはり現実はきつかったのだ。原作ではそこまで気にしなかった、流せていた要素だったが……これが現実になった時、初めて戦闘を見た時の衝撃は今でも俺は思い出せる。

 荒々しく、壮烈な戦い。誰もが魅入られる接戦の中、俺だけは異端だった。観客の老若男女も、厳格に判定する男性審判も、コーチやセコンドも、家族さえも、誰も気にしない常識。だけど、俺はそれを許容できなかった。だから、熱戦を繰り広げる選手たちと観客に背を向け、顔の下半分を手で押さえながら洗面所に駆け込むしかなかった。


 それが今から半年も前の出来事。家でテレビを見ていて、たまたま家族の誰も近くにいなかったから事なきを得たが、もし見られていたらと思うと居た堪れない。文化の違い。あまり意識していなかったものを、あの時俺はようやく認識したのだ。

 今はなんとか耐性もついてきたが、まだミッドチルダの人たちほど強靭な精神力は俺にはない。これが長年に渡り、形成された文化なのか……と諦め気味に納得している。たぶんこの文化に俺が慣れた時、俺は真の意味でミッドチルダ人になれる。そんな気がした。

「……ごめん、でもやっぱりまだ心の準備ができていないんだ」

 俺は2人に今度こそ背を向け、というか画面を見ないように無心になって梱包作業を続けた。アリシアはそんな俺の様子に不思議そうに首をかしげながら、またテレビの画面に視線を戻した。アリシアは家族みんなでスポーツの興奮を共有したかったのだろう。心の中でもう1度俺は謝っておく。

 俺はアリシアの思いに応えたい。だからまずは男性の部を見れるようになって、そこから女性の部を1人で見て耐性をつけていこうと思う。いつか家族でスポーツ観戦をして、わいわいと無邪気に応援できるようになりたい。俺は新たにできた夢を、深く胸に刻んだ。


「というか今ちょっと見えちゃったよ。俺なんでこの世界の女性が強いのかわかった。ポロリしても堂々とブレイカー撃つし、服はじけ飛んでも反撃するし、きわどいしすごいし。バリジャケット自体やばいし。純粋にスポーツ観戦できるミッドチルダ人やべぇよ。男性の部でも堂々と服はじけ飛んでも本人も観客も微動だにしないし。それより、やっぱりミッドの男性は賢者すぎるだろ。それとも実は俺がおかしいのか。おぉアルヴィンよ、この程度のポロリで鼻血噴くとはなさけない。とか実は王様が大賢者か」

『あのますたー。ぼそぼそ何言っているのかわかりませんが、普通に怖いのですけど』



******



「そんなわけで。ちょっと悟り開きかけてやばいと思ったので、ぶらぶら散歩に出かけることにしました」
「…………うん、そっか」
『無言のところに飲み込んだ気持ちがひしひしと伝わってくる』

 お散歩中ばったり会った管理局のお姉さんに挨拶をする。それにしてもお久しぶりです。裁判が終わったと同時に、お姉さんの俺たちへの子守りも終わりになった。お姉さんも管理局の仕事に戻ったため、なかなか顔を合わせる機会がなかった。子守りの最後の日に「ありがとう会」をみんなで開いて、お姉さんやくまのお兄さんたちとパーティーをしたなー。

「そういえば、俺お姉さんの私服姿って初めて見るかも」
「あぁ、アルヴィン君たちには制服姿しか見せたことがなかったかもね」
『とてもよく似合っておりますよ。今日はお仕事がお休みなのですか?』
「あはは、ありがとう。えぇ、今日は非番よ。せっかくだから、久しぶりに手の込んだお料理でも作ろうかなって思って」

 そう言って大きな買い物袋を片手で持ち上げてみせてくれる。どうやらこの袋に入っている材料で料理をするらしい。お買い物や料理が趣味だと前に言っていたしな。

 それにしても、やっぱり女性って姿1つで印象変わるよなぁ。ピシッとした制服姿で社会人って感じだったけど、今は茶色の長い髪を1つに束ねて、白のカーディガンとフレアスカートを着ている。女の人というより女の子という言葉の方が、どちらかというと違和感がないような気がした。

 まぁ十代だって前に言っていたし、おかしなことでもないか。そういえば、お姉さんって俺の身近な人の中で一番普通の女性って感じがする。母さんは天才系で、妹は天然系で、同僚さんは天災系だったからな。買い物や家事が好きで、明るい性格で社交的だ。俺もお付き合いするならこういう女性がいいかも。


「そうだ。テスタロッサさんたちは元気にしてる? お仕事の方ももう復帰されたのかな」
「開発グループのみんな? 元気というか元気すぎるぐらいな感じですかね」
『裁判に勝ったことで賠償金ももらえますからね。僕たちは新しい家の足しに、同僚さんは新たなワインに頬ずりし、強者さんは高級胃薬を買えるなど皆さん喜んでいました』
「そ、そっかぁ」

 お姉さん、なんでそんなに遠い目をするの。みんないつも通りですよ、本当に。あの劣悪な就業状況でめげなかった方々の集まりです。めっちゃ逞しい方たちです。

「仕事の方はまだ復帰していないけど、来年ぐらいにはまたみんなと一緒に頑張るみたい。職場が変わるから、また1からのスタートになるらしいけど張り切っているよ」

 苦楽をともにした仲間として、これからも一緒に開発を続けていこうと宴会の時に笑っていたしな。みんなものすごいやる気だ。母さんは少し悩んでいたけれど、俺とアリシアで背中を押したのは記憶に新しい。母さんが俺たちのために時間を取ってあげたいと、以前ヒュードラの開発が終わったら管理部門に行きたいと考えていたからだ。

 俺はコーラルと協力して得た情報の中で、母さんがそんな風に思っていることを知る機会があった。だからアリシアと2人で相談した。話し合って、意見を出し合って、俺たちは母さんに開発の道をこれからも進んでいってほしいと結論を出した。

 母さんの夢を俺たちは応援したい。世界のみんなのためになる技術をこれからも作っていってほしい。だから母さんに俺たちの気持ちをまっすぐに伝えた。

『私たちのことは大丈夫だよ。だって私たちはね、えっへんって自慢できちゃう……かっこいいお母さんの子どもなんだから!』

 母さんの迷いを綺麗に打ち消したのは、妹の太陽のような笑顔。こういうところは、アリシアには本当にかなわないなと感心した。


「そう、よかった。今度も民間の企業の方で?」
「うん。でも民間なんだけど、地上本部と連携を取っているところなんだ」
『今回の裁判で勝訴できたのは、地上本部の皆様のおかげです。力になることも兼ね、それにミッドの治安向上に貢献したいからともおっしゃっておりました』
「わぁ、それはすごく心強いわ」

 母さん達は完成させた魔力駆動炉を、多くの人達の助けになれるものとして使っていきたいと言っていた。原作でのヒュードラは『奪ってしまったもの』だったけど、本来は『助けるためのもの』だった。さらなる改良は必要になるだろうけど、きっと実現できる。さすがに大型は難しいかもしれないけれど、少しコンパクトにすれば様々なことに使えるだろう。

 それに母さんたちは、自分たちの技術をミッドの平和のために使っていこうと話し合っていた。これからクラナガンに住む自分たちへの安全にも繋がるという理由もあるが、やっぱり総司令官たちへのお礼の側面が大きいと思う。

「テスタロッサさんたちなら、きっと素敵な物を作ってくれそうね」
「みんなだったら絶対にだよ」
「ふふ、それもそっか。……よし! 私も頑張らないと。まずは今日のお料理で私も最高のものを作ってみよう。テスタロッサさんがお仕事に復帰されたら、お祝いに食べてもらいたいわ。アドバイスもすごく勉強になるしね」

 買い物袋を持っていない方の手をグッと握りしめ、やる気を出すお姉さん。おぉ、それはすごく楽しみだ。子守りをしてくれていた時も、時々お裾分けをしてもらっていた。お昼ご飯を作ってくれたこともあり、妹もおいしいって喜んでいたな。

『いいですねぇ。ちなみに何を作られるのですか?』
「今日は煮つけにするつもりよ。さっきお店に行ったらいい材料が手に入ったから」
「煮つけか、いいなぁ。魚ですか?」

 俺の質問にクスッと笑いながら、お姉さんは首を横に振る。すると片手で持っていた袋の口を開け、もう一方の手を袋の中に入れた。どうやら直接見せてくれるらしい。

 何が出てくるのかと見つめる俺たちに、お姉さんは楽しそうに微笑む。ごそごそと片手で探り、それから「よっ」と掛け声を出しながら、袋の中入っていたものを見せてくれた。


「じゃーん、答えはカボチャでした。お店ですごくお手頃価格で売られていてね。品質も良くてこれは買いだと思ったの。余ったものはケーキやサラダにするつもりよ」

 取り出されたのはお姉さんが言うとおり、おいしそうなカボチャだ。見事なカボチャ。紛うことなきカボチャであった。

「……あ、うん。そっか、かぼちゃでしたか」
「ん? どうかしたの」
「ううん、なんでも! お姉さん、おいしいものを作ってね!」
「えっ。あ、ありがとう」

 俺の反応に不思議そうな顔をされたが、笑顔でしのぎ切る。取り出されたカボチャをまた買い物袋の中に入れ直し、少しばかり会話をしてお姉さんと別れることになった。元気でね、とひらひらと手を振ってくれたお姉さんに、俺も手を振りかえした。


「……なぁ、コーラル」
『なんですか』
「お姉さんがさっき見せてくれたのって、俺もよく知っているカボチャで合っているよな?」
『カボチャでしたね。大きくて形もよいものでした』
「まるごと1こだったよな」
『まるごとでしたね』

「……お姉さん、片手で持ってたよな」
『平然と上から掴んでいましたね』
「……うん」

 俺は深くうなずき、口元に小さく笑みを浮かべる。そして視線は空を向き、遠くの流れる雲を幾ばくか眺めた。

 ――そっか、これがミッドチルダか。



******



「俺さ、自分がまだまだ小さな人間だったんだなぁ、って改めて感じたんだ」
「あっそ」
「エイカさんが冷たい」

 あれからちょくちょく公園で待ち合わせするようになったエイカとぐだぐだ会話をする。以前遊んだ子どもたちと遊ぶこともあるが、こんな風におしゃべりする日もある。それぞれの気分で決まることも多いが、エイカはめんどくさがりなので引っ張り出すことの方が多かったりするけど。

『他のお子様方はまだ来られていないようですね』
「うーん、そうなんだよね。でも黄昏るばっかりもつまらないし……これでもする?」
「そこでなんでポケットからそんなものが出てくる」

 テテテテーン、エアークッション。これは人が無意味だとわかっていても、無意識に手を伸ばしてしまい、時間を忘れさせてしまう魔法のアイテムである。通称プチプチ。引っ越し作業で余ったので持って来た。

「はい、エイカの分」
「いや、何ナチュラルに手渡して来るんだよ」
「それではプチプチ王決定戦、よーいスタート!」
「あ、ちょッ、何勝手に始めてんだよ!」

 なんだかんだで公園の一角で無心にプチプチを潰す子ども2人。傍から見たらかなりシュールな光景だった。


 さて、隣でまだプチプチしているお子様がいるが、疲れてきたので俺は休憩。暇なのでちょっとそのお隣さんを観察してみることにした。俺よりも少し長い髪は、癖が強いのかところどころはねている。だいぶ寒くなってきたからか、エイカはいつものコートにマフラーを首元にしっかり巻いていた。あたたかそうだなー。

 俺がじっと見ていることに気づいたのか、髪と同じ赤茶色の目と視線が合う。なんだよ、というように微妙にたじろがれた。エイカって相手の目を見て話したりするのがちょっと苦手らしい。合ってもスッと外されてしまう。よく見ると黄色も混じって見えるから綺麗なんだけどな。

「って、なんで休んでるんだよ」
「疲れたから」

 ペシッとプチプチが顔面に当たった。

「ところで今気づいたけど、エイカの目の色って髪と同じかと思っていたけど、少し違うんだな」
「は? ……そうなのか?」
「うん。琥珀色って感じ」
「こはく?」

 あ、宝石は知らないんだ。エイカって口悪いけど、年齢の割にかなり頭の回転が速いと思う。俺も普通に会話できるし。でもやっぱり知らない言葉も結構あるようで、俺がそれを知っているとちょっと不機嫌になる。負けず嫌いなところがあるしな。

「琥珀は宝石の名前だよ。木の汁が固まってできるんだけど、黄褐色に輝くんだ。黄色と橙の間ぐらいの色でさ。確か宝石言葉とかもあったはずだけど……あー、なんだっけ」
「木の汁と同じ色ってあんまり嬉しくねぇんだけど」
「そう? でも綺麗だぞ。俺は好きだけどな」

 透明感もあるし、確かお守りとして有名な石でもあった。俺は結構気に入っている。優しい色って感じがして琥珀色は好きな色でもあったな。そんな風に考えながら、何気なく口にした言葉に無言で頭をはたかれた。そこまで威力はなかったけど、なんで攻撃されたんだ。半眼で見ると向こう側に顔を逸らされる。わけわからん。

「ちょっと色々知っているからって調子にのんな」
「えー、理不尽。というかなんでそっぽ向くんだよ」
「うっさい、いいだろ別に」
「……変なエイカ」

 結局エイカは目を合わせてくれなかった。それに俺は首をかしげる。そんな俺たちの様子を静かに見守っていたコーラルに視線を向けてみると、小さくくすくすと笑っているようだった。こっちもなんで笑っているんだろ。


『いえ、傍から見るとちょっとおかしかっただけです。ますたーの変な雑学知識はいつものことですが、エイカさんは何か詳しいこととかはあるのですか?』
「俺が?」

 コーラルの質問にきょとんとするエイカ。そういえばクラナガンの街並みに詳しいこと以外には、食べ物とかぐらいしかエイカがよく知っているものはわからないな。俺はクイズ番組とか某ボッシュートの番組とかが好きだったから、覚えている程度の雑学知識だったけど。

「……それ答える必要あるのかよ」
「とかめんどくさそうに言いながら、実は雑学で俺に勝てそうなものがないことに焦るエイカであった」
「勝手にねつ造するな!? 俺だってお前が知らないような知識ぐらい、持っているに決まってるだろ!」

 うん、本当に負けず嫌いな性格だねー。見てて面白いけど。言った後、若干やっちまった感漂う表情を見せていたが、気づかないふりをして続きを促す。エイカにかなり嫌そうな顔はされた。言葉には責任を持ちましょう、と言うとしぶしぶという感じで口を開いた。

「……花、とかはそれなりに」
「…………え、まじで?」

 ちょっ、ストップ、ストップ。普通に意外だっただけで、他に他意はないから。だからひっかいてこようとしないで!

「へぇー、そっか。俺、花は全然わからないや」
「…花なんてよく見るんだからわかるだろ」
「そっかぁ? あ、ちなみにあそこに咲いている小さな花は何かわかる?」
「あれは、カランコエって花だ。色鮮やかなものが多くて、寒さに強いから冬の花としては有名だろ」
「うわぁ、初めて名前知った」

 本当にあっているのか俺には判断がつかなかったが、ここまできっぱり言われると本当なんだろうな。コーラルも何も言わないし。その後は、公園の花壇を一緒に眺めながらのんびり過ごすことになった。見たことはあったけど、名前や特徴の知らなかった植物を知れて、なかなか有意義な時間だったな。

 それから時間が経ち、集まった子どもたちにまだまだポケットにあったプチプチを配っていく。大興奮して競争になった。さすがは子ども。それでもプチプチ歴20年以上の俺が本気を出せば勝てる戦い……と思っていたら、エンペラーは少年Eのものになった。ダークホースだった。

 そんな感じで、いつものように俺たちは笑いあって、身体をいっぱいに使って遊びあった。



******



「おぉ、ここがっ!」
「ねんがんの!」
『マイホームですねー』
「にゃー」

 そんなこんなで数日が過ぎ、ついに我らがテスタロッサ家のマイホームが公開された。クラナガンの住宅地の一角に建てられた2階建ての一軒家。塀が家の周りを囲んでおり、庭にはガーデニングもできそうなぐらいの広さがあった。

 ここまでの歩道も綺麗に整備されてあったし、等間隔に植えられた木や草のモニュメントがアクセントになっている。都会なのに緑があふれているし、静かでゆったりとした街並みだ。家も何年か前に建てられていたそうだけど、新築のようにピカピカしている。さすがは母さん、ぬけめがないぜ。

「さぁ2人とも、ここが私たちのお家になるところよ。荷物ももう少ししたら届くから、それまで探検してみたらどうかしら」
「たんけん!」
「冒険家の血が騒ぐぜ。行くぞ、アリシア!」

 元気にうなずき返す妹と一緒に家の中に入る。玄関で靴を並べ、フローリングの廊下を進むと広々としたリビングに出た。カウンター付きキッチンや柔らかそうな大きめのソファ。ソファなんて家族全員が座ってもまだまだ余裕がありそうだ。そこに2人で飛び込んでしまったのはご愛嬌ということで。

 次に再び廊下に出て、2階に続く階段をのぼってみると、いくつもの部屋が続いていた。母さんに説明を聞くと、ここの部屋の1室はそれぞれ俺たちの部屋になる予定らしい。今までは俺たち用の部屋がなかったから、アリシアも目を輝かせている。

 確かに今ぐらいの年齢ならいいけど、妹も女の子なんだし、兄とはいえ異性と同じ部屋のままはまずいよな。俺も自分のマイルームに心が躍った。

「お兄ちゃん、私のお部屋すごいよ! 広くてきれいですごいの」
「はは、お兄ちゃんの部屋もすごいぞー」
「うん。すごくすてき!」
「アリシアの部屋だってすてきだよな」

「ふふ、あんなに喜んでもらえるなんて頑張って探した甲斐があったわ」
『お楽しみということで、家の詳細は内緒にしていましたものね』
「そうね。コーラルもお手伝いありがとう」
『いえいえ、当然のことです。ところでリニスさんは――』
「ふにゃぁーー! ふにゃぁぁーーーーん!!」
「……あっちも喜んでくれて何よりだわ」
『リニスさーん。キャットツリーで暴れないでー、爪とぎ柱登らないでー』


 一通り家の中を探索し終わった俺たちは、リビングに戻って母さんが入れてくれたココアで一服する。出来立てなので火傷しないように、アリシアと一緒にちびちびと飲んでいく。ココアの熱が伝わった手のひらを、妹と合わせてみたりして「あったかいねー」と笑いあった。

 今はがらんとしていて寂しい感じだけど、ここに住むことになるんだよな。家具が入れば、生活感も出てくるだろう。本当に母さんとコーラルには感謝しないとな。こんないい家を見つけてくれたんだから。

「……よし、拠点もできたしこれで落ち着くな。アリシア、これからはこの街を放浪しような。目指せ、クラナガン制覇!」
「うん、制覇しちゃおう!」
「2人とも元気ね」

 俺と妹の声に、母さんは微笑みながら言葉を返す。母さんも入れたココアをゆっくり飲みながら休憩している。たぶんもう少ししたら、引っ越しの業者さんも来るだろう。来たら忙しくなるだろうし、今のうちにのんびりしておかないと。

「でも2人とも。お散歩をするのは、準備ができてからにしないと駄目よ」

 ふと思い出したかのように、ココアを一口飲んだ母さんから告げられる。それに俺たちの頭に疑問が浮かぶ。準備ってお引っ越しの整理のことだろうか。

「準備って引っ越しの?」
「あら、忘れちゃったの。お引っ越しが終わったらお買い物に行って、用具や服を揃えないと駄目でしょう。机や椅子も合わせて買うから忙しいもの」

 母さんは手に持っていたマグカップを置き、俺たちに向けふわりと顔をほころばせた。


「春から2人とも、初等科の1年生になるんだから」


 ……忘れてた。そういえばあったね、義務教育。

 

 

第二十九話 少年期⑫



「はぁー、くしゅん」
「……なんだ、その気の抜けた感じは」

 応接用のソファに項垂れるように座る俺に、書類をまとめる副官さんが胡散くさそうに言ってきた。目だけを向けてみると、今日も忙しそうに仕事をしている。おじいちゃんはただいま別件で席を外しているため、現在俺と副官さんの2人だけである。

「いやいや、これ結構画期的だと思いますよ。幸せを逃がしたくないけど、このやりきれない気持ちを発散させる方法を考えて15分。これ溜息じゃないよ、くしゃみなんだよ作戦を思いつきました」
「ごまかす必要あるのか、それ」
「個人的には」
「お前の頭がいつも通りお花畑なのはわかった」

 俺も副官さんがいつも通り辛辣なのはわかった。いたいけな子どもが悩ましげにしているのに、きっぱりアホの子宣言しますか、この社会人は。でも俺を心配する副官さんを想像してみたら、なんか寒気がしたので黙っていることにしました。

「今ものすごく失礼なことを考えなかったか、お前」

 ……意外に勘が鋭いよな、この人。


 副官さんから視線を外し、顔を天井に向ける。そのまま俺は手に持っていた資料を掲げ、もう一度目を通す。総司令官との取引をしてから2ヵ月の月日が流れている。少し前に引っ越し作業もすべて終わり、家の方もだいぶ落ち着いてきた感じだ。

「そういえば、こっちもだいぶ落ち着きましたね。前回はお祭りのような騒ぎでしたし」
「それ本気で言っているのか?」
「おじいちゃん企画『華麗なる地上部隊 パート2』がついに上映! だったのに、副官さんが阻止するために殴り込みに行ったりしていたじゃないですか」

 おじいちゃんの趣味が爆発した結果だったりする。副官さんが文字通り走り回っていた。いきなり副官さんから緊急呼び出しされたときは何事かと思ったが、レインボーな上映を阻止せよ任務だぜ。……おじいちゃん側に何度寝返りたいと思ったことか。

「総司令官は地上部隊の宣伝になるって言っていたのに」
「俺が憤死するわ! 宣伝はいいが、なんで俺ばっかり撮影されているんだよ!」
「よくありますよ。孫の成長記録を収めたい保護者の映像なら」
「だから孫じゃない!!」

 副官さん心の叫び。もういいじゃん、孫で。おじいちゃんは確実にサムズアップしていい笑顔を見せてくれるよ。ちなみに副官さんの全力を持って阻止されたその事件の後。その時の様子をまたしてもビデオに収めておいたらしい報告を秘密裏に教えてもらっている。『パート3』が放映される日も近いだろう。


 そんな感じで、俺は地上部隊でなんだかんだと平和に過ごしている。

 おじいちゃんからはこっちに来るのは家の方が片付いてからで大丈夫、と言われていたので、この2ヵ月の間にここに訪れた回数は今日を入れて3、4回程度。そのほとんどが地上本部での説明などに使われていた。

 行っていい場所や駄目な場所、あと守らなければいけないルール。そして仕事内容なども教えてもらった。主な仕事はレアスキルを使ったもので、戦闘関連は一切ない。俺に危険が及ぶものはないらしく、そこは総司令官の配慮だと思う。かなり助かる。

 そんな風にやり方を覚えながら過ごすのが、今の地上部隊での俺の日常である。だけど俺がここと関わりを持ちたいと考えた本来の目的は別だ。俺の主眼は調べものをすること。そんな俺自身の目的は少々後回しになっていた。

 けれどようやく安心して目的に力を入れることができる。真上に掲げた紙から透ける人工的な光に一瞬目が眩みながらも、管理局の端末から調べられたデータを眺める。家の端末ではほとんどわからなかった事実が、そこにはより詳しく載っていた。


『呪いの魔導書』

 これは家で調べていて、何度も出てきた単語だった。数々の世界を破滅へと導き、終わることのない永遠の旅を続ける悪魔の本。それが、第1級ロストロギア『闇の書』。それが、俺の調べられた数少ない情報のすべて。

 総司令官から許可をとり、地上本部のバンクを見せてもらったことでこれよりもっと深く知ることはできた。そしてそこでわかったのは、何故呪いの魔道書と呼ばれているのかという理由とその力。……正直に言えば、目新しい情報はなかった。

 なんというか原作知識を再確認したという感じだ。もちろん俺が初めて知る情報だってあった。今まで起こった事件の状況や、その傷跡など、はっきり言ってあんまり気分のいいものではなかったけれど。まぁ結論からいうと、俺の知りたい情報は残念ながら載っていなかったのだ。

 けれどそれほど落胆がなかったのは、ある程度予想していたからだろう。闇の書がもともと夜天の書と呼ばれていたことがわかるのだって、今から20年以上も未来のこと。それがわかっていたら、ユーノさんがわざわざ調べる必要もなかったはずだ。

 落胆はしていない。だけど少し気が滅入ってしまったのは仕方がないと思う。


「なんか、すげぇ散々なこと書かれていますね」
「はぁ? ロストロギアに配慮なんてしてどうする。それに事実しか書かれていない」
「……そうですね。俺がただ一方的に知っているだけです」

 書かれていた文章を読み終え、俺はまた考えてしまう。資料に書かれているのは、いかに闇の書が危険な代物であるかということ。最悪を、破滅を生み出す呪われた魔導書。主を守る盾であり、魔力の源であるリンカーコアを奪うための剣である、無慈悲なプログラム体である魔法生命体の存在。

 これが彼らの評価なのだ。人としてすら扱われていない、ただの記号のような道具のような扱い。それが次元世界での認識。だけどそれ以上をただ知っているというのも、少々面倒な側面があるとも俺は思っている。

 俺はこの情報が間違っている、彼らはちゃんと生きているんだって伝えたい気持ちを持ってしまった。リインさんの思いやヴォルケンリッター達の覚悟を知っているから。はやてさんが与えた命の息吹が、確かに芽吹くのを知っているから。

 だからこの資料に違和感を、憤りを感じてしまう。お前は彼らの何を知っているんだって。闇の書が夜天の書であることも知らない。リインさんの悲しみも、ヴォルケンリッター達にも感情があることを知らないくせにって。


 そこまで思って、……俺は自分に自嘲する。俺こそ彼らの何を知っているんだって。

 直接会ったことも、話したこともないただの知識として知っているだけなのに。この資料を書いた人だって嘘を書こうと思って書いたわけじゃない。これもまた真実なのだ。お前に何がわかる、と反論されたら俺は何も言い返せない。「でも――」の先の言葉を飲み込むしかない。

 本当に、知っているというのは……時に面倒だ。

「どういうことだ」
「あはは、つまらないことです。なんでもないので気にしないで下さい」

 副官さんの追及に俺は曖昧に笑って見せる。それに一瞬睨まれたが、俺に応える気がないことを理解するとまた書類に視線を戻した。取引をしてからというもの、副官さんがこちらを探ろうとしていることに気づいていた。俺自身も言葉には気を付けないと。



******



 俺は一度頭を横に振って、それまでの気持ちを切り替えるようにする。少なくとも今考えてもどうしようもないことは事実だ。なら堅実な方を考える方がいいに決まっている。

 管理局のデータベースでは、俺が知りたいことを知ることはできない。ならば当初の予定通りあの場所に行くしかないのだろう。だけど一般人は本来入れない場所なので、申請や立ち入りのためのパスを作成するなど手続きが必要らしい。総司令官からはできるまで時間がかかると言われていたが、まだできないのだろうか。

「あの、副官さん。立ち入りの申請はまだ時間がかかるんでしょうか」
「そこまで急ぐ必要があるのか」
「あー、急ぐ必要性はないんですけど、ちょっと落ち着かないだけです」

 急ぐ必要性はあまりなく、時間ならかなりある方だと思う。でも、気持ちがどこか急いてしまうのだ。たぶんそれは、実際に俺がまだ何もしていないからだろう。少しでも進展があれば、この手持無沙汰な状態がなくなればいいと考えてしまう。

 俺は指で頬を掻きながら、焦っているのかなぁと自問する。家族と一緒にいるときや友達と遊ぶときなどは余裕を持っていられる。だけど1人になったり、空いた時間ができると考え込んでしまう。これからのことが未だ手付かずなのが、不安を生んでしまっているのだろうか。

 そんな俺の様子を静かに見ていた副官さんは、書類を整理していた手を止める。そして、そのまま机の上に紙の束を置き、俺の座っていたソファの向かい側にドカッと座ってきた。それに目を丸くした俺を一瞥しながら、おもむろに口を開いた。


「なぜそこまでロストロギアのことを調べる必要がある」
「え、なんですかいきなり」
「ロストロギアを専門に扱っているのは主に「海」だ。だがお前はわざわざ「陸」で調べものをしている。局の情報データは統一されているが、普通は「海」の方に出向くものだろう」
「いや、ぶっちゃけ「海」に伝手がなかったものですから」
「つまり伝手ができていればそっちに行っていたと……」

 あの、副官さん。目からハイライトを消さないで下さい。決して「陸」を落としたつもりはありませんし、「海」を持ち上げているつもりもありませんから。もともと管轄の違いはありましたし、今はこっちに頼れてよかったと思っていますので。

 それにしてもこの人の「海」嫌い――本局嫌いは相変わらずだなぁ、と思いながら俺は必死に弁解する。そういえば、原作というか2次小説で「陸」と「海」があまり上手くいっていないという描写があったような気がした。

 時空管理局には通称「陸」と「海」と呼ばれる主に2つの部隊がある。原作で一番出ていたのは「海」の方で、ハラオウン家、そしてなのはさんたちは第3期までこちらに属していたはずだ。俺なりの解釈だけど、「海」は次元世界という時空の海全体を守る組織のことで、「陸」はその海にある世界に実際に足をつけて、それぞれの島を守る組織という認識をしている。どっちも大切な役割だ。

 不仲の理由も色々あったと思うけど、詳しくは覚えていないな。同じ組織の中なのに、仲が悪いってあんまり良いとは思えないけど。俺1人に何かできるとは思わないので、本当に思うだけだが。総司令官達だってそれはわかっているはずだし、わかっていてもできない現状があるのだろう。

「……今から、海の方に伝手を用意すると言えばどうする」
「そんな海の部分を嫌そうに言わなくても。あぁー、いえ、とりあえずお気遣いありがとうございます。でもそこまでしてもらわなくても大丈夫です」

 というより、これ以上このことが広まって欲しくないんだよね。家族に気づかれるかもしれないし、不審な行動をしている自覚はあるから。俺の目的は管理局そのものというより、管理局が保有している情報や施設の利用だ。今更海に伝手を作っても、今のところメリットが思いつかない。

「あんまり表だっていえることでもないですから」
「つまり公にするつもりはないと」
「……あの、副官さん。俺のことについては一切問わないと決めたはずですよね」

 言葉に棘が出てしまったかもしれない。でも言葉の端々から、意図して話を誘導しているような感じがしたのだ。こちらの反応を窺うような雰囲気が俺に伝わってきた。俺の行動が不審なのは自覚している。だけどここまであからさまだと少し気分が悪い。

 そんな俺の言葉に、副官さんは多少ばつが悪そうに顔を逸らした。たぶんこの人もそれはわかっているのだろう。もともと真面目な人だし、一度結ばれた契約を無遠慮に破る人じゃない。けど感情が追いついていない感じだろうか。

 思えば、副官さんって確かまだ18歳なんだよな。日本でいうところの高校生か大学生ぐらい。一生懸命な人だから、目の前に明らかに怪しいです、って人物がいれば警戒して当然か。そう考えるとこの人はかなり自制心を持っている方なのだろう。むしろこの場合、おじいちゃんが寛大というか大雑把すぎる気がしてきた。

 なんだか俺も申し訳なく感じてくる。副官さんが心配するような事態を招くつもりはない。でもそれを伝えることはできない。この場合、契約という形で関係を成り立たせた俺にも責任はあるか。こちらは誠意っていう最も大切なものを見せていないのだから。

「あぁ、そうだな。確かに契約違反になる。……すまなかった」
「いえ、こちらもすいません。副官さんが疑いを持つのも仕方がないのに」
「それがわかっていてだんまりか」

 ガシガシと手で頭を掻きながら、副官さんは無言になる。俺から口を開こうかと思ったが、何を言うべきかわからない。いつも軽口を言い合うぐらいなら簡単にできるのに。

 と、俺が考えたと同時に副官さんからどでかい溜息が聞こえてきた。それに俺は目を大きく見開く。先ほどまでの固かった空気もどこか和らいだような気もする。傍目から見てもわかるぐらい、疲れたというかめんどくさくなったという顔が正面から見えた。


「……そもそもなんでお前みたいなやつに、俺がこんなに気を遣わなくてはならないんだ」
「それ普通にひどい。でもコーラルがいたら、『6歳と18歳が塞ぎ込んでいる謎空間ですねー』ぐらいのことは言いそうですけど」
「あのデバイスなら言いそうだ」

 共通の話題で会話復活。

「だいたい胡散臭いのがわかっているくせに、話さないって疑えと言っているものだろ。それとも疑ってほしいのか。お前実はマゾか」
「よりにもよってマゾとはなんですか。6歳児相手に凄む大人げないエスのくせに」
「俺に変な性癖をつけるな。あとお前は6歳児に謝ってこい。この見た目詐欺野郎」
「真面目なところだから気合入れてシリアスしてきたのにあんまりじゃないですか。しかも俺は6歳児の中に紛れ込んでも普通に何も言われないですよ。……あれ、これいいのか?」

 軽口も復活しました。


 そんな応酬から数刻経つ。お互いに息を吐き合い、ソファの背にもたれかける。なんか溜まっていたものが一気に抜けた気もする。散々言い合っていた相手もどこか吹っ切れたような顔だった。

「なんか、色々バカバカしくなった」
「あはは、そこはちょっと同意です」

 2人そろって口元に笑みが浮かんだ。副官さんは短く切りそろえられた髪をまた手で掻き、俺に視線を向ける。それに俺は自然と姿勢を正していた。

「……俺は昔から白黒つかないことがあまり好きではなかった。そしてわからないことを棚上げにずっとしておくことも嫌いだった。何かしら俺にできることがあるのなら、進めるだけの道があるのなら俺は進んできた。そして、これからもそれを続けていこうとも思っている」

 それはなんだか、副官さんらしいと思った。この人は決断できる人なんだろう。自分を信じて、自分が目指す道を夢見て真っ直ぐに進んでいける。そこに切り捨てる何かがあっても、きっと真っ直ぐに。それは間違いなく彼が持つ強さだ。

 けど、それって少し怖い。その切り捨てたものが大切なものでも、必要ならば切り捨ててでも進んでしまうかもしれない。その切り捨てた心に傷を抱えて。そんな風に進んで、目指す先にもし間違いがあることに気づいてしまっても……それでも彼は進むのだろう。目指した夢に希望を夢見て、切り捨てたものを無駄にしないために。


「だから、一度はっきり聞くぞ。答えたくないなら答えなくてもいい。すべて言いたくないならそれでもいい。それはお前に任せる。お前はなんのために必死になる」

『この提案を受け入れてくれるかはおじいちゃん達に任せます。だけど、受け入れても受け入れなくても、なぜそのことについて俺が問うのかには一切触れないでほしい。それだけです』

 この人わざとかよ、と一瞬考えたが、じっと俺を見抜く目に嘘はない。あの時おじいちゃん達に話を聞いてもらうために言った言葉とどこか似ていた。そっちの都合なんておかまいなしに、ただ受け入れるかを相手に委ねたもの。

 自分で聞くとすごく身勝手な話だと思う。話すだけ話して、聞くだけ聞けって。けどそう思うってことは、副官さんやおじいちゃんもあの時同じように思ったということだろう。なんというブーメラン。

 この問いに応える必要性はない。しかも契約だってしているのだから、言わなくてもいいのだ。彼もそれはわかっている。はぐらかしたって、沈黙したって答えを俺に委ねた時点で仕方がないことなのだから。


「――自分のためです」

 それなのに、俺は口に出していた。すべては言えない。むしろほとんどのことを話せない。だけど、嘘も拒絶もしたくなかった。

 自分の都合のみの問いかけ。だけど、その中に確かにある実直のこもった思い。ちゃんとそれに返さなきゃ、誠意を持たなくては、俺自身が自分を許せない。思いを持った言葉から逃げる、卑怯な自分にはなりたくない。だから、せめてこの思いだけでもしっかり伝えよう。

「俺も自分の考えが結構複雑で、説明が難しいです。でも、やっぱり最終的には自分のためなんだろうなって思いました」

 もともと俺は、自分が楽観的でマイペースな人間なんだってわかっている。こっちに来て色々考えるようにはなったけど、基本俺は難しく考えるのが苦手なんだ。

 彼女を安心させてあげたい。恩返しをしたい。助けてあげたい。言葉は色々あるけど、なんとなくこれらを口に出すのは違う気がした。そして出てきたのは自分のため。俺は笑っているのが好きで、周りも笑ってくれると嬉しいし、楽しい気分になる。幸せそうに微笑んでいる人を見たら、こっちもあたたかい気持ちになる。単純明快な思考回路。

「叶えたいと思ったんです。みんなが笑いあえる未来っていうそんな可能性を俺が見たいんだって。だから自分にできることを頑張ろうと思いました」

 やっぱり俺はハッピーエンドが見たい。アリシアがいて、母さんがいて。なのはさんとはやてさんが原作と違う未来で幸せになれるのかはわからないけど、それでも笑っていてくれたら嬉しい。そんな先を俺は目指したいと思った。


「ロストロギアを調べたら、みんなが幸せになる? 頭大丈夫か」
「副官さんの貴重な心配シーンが俺の頭の中ですか。いや、まぁ文章の繋がりが意味不明なのは確かなんですけど……」
「別に、答えなくてもいいと言ったのは俺だ。とりあえず、余計にわけがわからなくなったのはわかった」

 いやぁ、本当にすいません。へらりと笑ってみせると、ジトッとねめつけられる。その後副官さんは俺から視線を外し、少し考えるように床に目を落とす。それに首をひねる俺の目の前で、端末のディスプレイを空中に浮かび上がらせた。

 そのまま素早く指を動かし、何か作業を始める。仕事か何かだろうか、とその様子を見つめる俺。声はかけづらかったので、静かに眺めて待つことにした。

「以前総司令官から、自分の目で見て、考えろと言われたことがある」
「え? あ、はい」
「結局わけがわからないのは変わらなかった。白か黒かも判断が未だにわからないのも同じだ。そのまま中途半端にすることを俺は好きではないが、そういうおかしな生き物も世の中にはいるのだと思えば納得はできる」

 ……今ものすごく失礼なことを言われた気がする。

「俺からはもう何も聞かない。だが、見ることや考えることをやめるつもりはない」

 そこまで言って副官さんは作業をしていた手を止める。結局何をしていたのかはわからないまま、ディスプレイも消去された。事務仕事が多いからか、すげぇ高速指使いと感心しながら見ていたんだけどな。

 副官さんはソファから立ち上がると、机に置いてあった書類の束を片腕で抱きかかえる。もう片方の手で引き出しに入れていたカードキーを手に取り、俺の前にズカズカと歩いてきた。


「そろそろ会議の時間だから俺は出るぞ。鍵をかけるから早く出ていけ」
「い、いきなりですね。まぁ出ますけど」

 長話をしていたからか、当初の予定よりだいぶ時間が過ぎている。総司令官に挨拶をして帰りたかったけど仕方がないか。後でメールを送っておいて、今は副官さんにお願いしておこう。俺もソファから立ち上がり、身体を伸ばしてほぐす。俺は転移で帰ればいいので簡単だ。

「えっと、それではありがとうございました。総司令官にもお礼を伝えてくれると嬉しいです」
「わかった」

 短く返された返事に頭を下げ、忘れ物がないかどうか周りを確認する。それに大丈夫かな、とチェックを終え、いつでも転移が発動できるようにした。

「また調べものをするときには連絡をしますね」
「あぁ。……知りたいのなら、あとは自分の力で調べるんだな」
「え? はぁ、失礼します」

 曖昧な返事になってしまったが、そのまま転移を使って家まで移動した。新たにできた自分の部屋に到着し、ほっと息をつく。空の日もだいぶ落ちてしまっていたが、晩御飯までまだ時間はある。それが出来上がるまでベットに寝転がることにした。

 それにしても今日は疲れたなー。出てしまった欠伸を手で覆い隠しながら、なんとなく天井を眺める。少し眠っておいて、休息でもとろうか。思い立ったが吉日。早速寝過ごさないように俺は目ざまし時計を召喚した。

『今ものすごく失礼なことを考えませんでしたか』

 サクッとスルーして、1時間後ぐらいに起こしてもらうように告げる。腕を伸ばし、パキパキと骨が鳴る音を聞きながら枕に顔を沈める。自分の部屋ができたことで、新しくなった枕の柔らかさに頬が緩む。これは寝られる。


『あ、ますたー。寝られる前に先ほど届いたメールの確認をされてからの方がいいのでは?』
「え、メール来てたのか」
『はい。管理局からのものでしたし、急ぎかもしれませんから』

 俺はしぶしぶ起き上がり、乱れた髪を少し整える。おじいちゃんへのお礼のメールも送らないとダメだし、丁度いいか。俺はコーラルからの忠告に了承の返事を返した。

 そして端末のディスプレイを開き、そこからメールを確認する。……あれ? これ、確か副官さんのアドじゃなかったか。おじいちゃんからだと思っていたが、間違いなく副官さんからのものだった。

 伝え忘れたことでもあったのだろうかと封を開くと、文面にはどこかの住所らしきものが記載されていた。他には特に何も書かれていない。何これ? これもしかして間違って送られたものじゃないかと思ったが、送付ファイルもあることに気が付く。念のために確かめようと指で触れて内容を開いた。

「……え」
『ますたー?』

 出てきたものに俺は正直言葉を失った。パッと見ただけでは、これが何なのかもわからない。俺の名前と写真が載っているIDカードのようなもの。それが空中のディスプレイに映る。

 地球のようにカード型ではなく、電子式の証明書。そこには他にもたくさん細かなことが書かれていた。その記載された文面を読んでいくにつれ、これが何のためのものなのか理解していく。猫背のようになっていた身体も起き上がり、まじまじと見入ってしまっていた。


『この者の無限書庫への立ち入りを許可する』

『知りたいのなら、あとは自分の力で調べるんだな』


 ……まじでか。あの時カタカタしていたのってもしかしてこれ? 間違いなくこれは、世界の記憶を収めたと呼ばれる場所への立ち入り許可のパスだった。管理局が保有する世界の書籍やデータが全て収められた超巨大データベース『無限書庫』。原作で夜天の書の手掛かりを見つけられた場所。

 副官さんがあの時の操作で発行してくれたのか、それとももともと発行されていたものを送ってくれたのかはわからない。もしかしたら、俺に送るのをずっと躊躇していたのかもしれない。それでも、こうして俺の手に届けてくれた。

「――ありがとうございます」

 それがすごく……嬉しかった。


『無限書庫ですか……、どんなところなのでしょう』
「うーん、載っていた住所によると本局の方にあるみたい。確か本がめちゃくちゃあって、無重力空間だったような気がする」
『そうなのですか?』

 コーラルの声に確かね、と肯定しながら、ごろりとまた転がってパスを眺める。見ていると顔がにやけてしまう。これでまた1歩前に進められると気持ちが高揚する。

 それに無限書庫は、リリカル世界で俺が行ってみたいとずっと思っていた場所でもある。本を読むのは結構好きだし、宇宙空間も体験できる。確かすごく広いはずだから、探検もできそうだ。ユーノさん曰く、調べたらちゃんと出てくると言っていたぐらいの宝の山らしい。なんだかわくわくしてしまう。

 その後、結局興奮で眠れず、母さんからの晩御飯ができた声が聞こえてくるまでごろごろしてしまった。それに返事を返し、俺は扉へと真っ直ぐに向かった。


 ……とりあえず、感謝のしるしにおじいちゃんから密かにダビングしてもらっていた『華麗なる地上部隊 パート3』は1回見させてもらったら封印しようと思う。本人曰く憤死ものだったらしいので。

 

 

第三十話 少年期⑬



『約束』

 当事者の間で取り決めるきまりのこと。口で言ったり、紙に書いたりすることもあるが、基本的なところは同じだろう。今、あるいは未来において実行に移すことを保証すること。人間関係を円満にするにはとても大切にしなければならないものだ。

 俺だって約束を破るような人は信用できないし、そんな人とあんまり関わりたいとも思わない。そんな風に俺も思われたくないので、俺自身も約束は守るように心がけている。不可抗力でできなかった場合は謝るし、それに破らないように頑張るぐらいはするもんだ。

 あと子どもの頃は簡単に約束とか言えたけど、大人になるとここらへんがかなりシビアになるよな。約束を使うハードルが高くなるというか。社会の目もあるし、人間性とかも問われたりとかさー。

 ……まぁでも、子どもの世界でもシビアなところはあるか。「将来お嫁さんにしてね」という恋愛フラグをたてる漫画や小説結構見たし。果たして将来は純愛かヤンデレか黒歴史か。場合によっては、子どもの時の約束ほど恐ろしいものもないのかもしれん。


 と、考えがまたふらふらしてしまったので話を戻そう。とりあえず俺は、約束は大切なものだと思っている。だから我が妹であるアリシアにも気を付けないとダメだぞ、と伝えたことがあった。それに元気な返事を返してくれた素直な妹である。

 そんな経緯もあってか、アリシアは約束したことはしっかり守ろうとする子になった。お風呂場でこけた事件以後は一度も走ることはないし、夜更かししないと決めてからは母さんを心配させないために早く眠るように心がけていた。それにえらいぞー、って褒めると嬉しそうにはにかむのだ。なにこのかわいい生き物。

 とまぁ、これはこれで良いことである。このまま真っ直ぐに育っていってほしいと思うのも当然の願いだろう。このことに問題はない。

 むしろ問題があったとすれば、それはただ俺自身がそのアリシアの真っ直ぐさを少々過小評価してしまっていたことだろう。まさか1年以上も前にぽろっと出してしまった口約束を、ここまで真摯に考えてくれるとは思ってもいなかったのだ。俺自身はすっかり忘れていたのだから。

 時間にして約2時間。アリシアはその約束を守るために俺にずっと付き合ってくれた。それに便乗した母さんも、妹と一緒になって頑張ってくれた。本当に2人が俺のためにやってくれたのはわかったんだ。だけどさ……。

「お兄ちゃん、お母さん! これなんていいんじゃないかな?」
「あら、いいわね。色合いも悪くないし、デザインもかわいらしいわ」
「でしょ。あ、でもこっちのデザインもいいなぁ。むむぅ……」
「えっと、アリシア。もう十分だと思うんだけど」
「ダメ! ぴったりのお洋服見つけてあげるって約束したもん。お兄ちゃんが私に頼むって言ってくれたことだもん!」

 アリシアのやる気というか迫力に、水を差してすいませんと謝ってしまった。思い出したけど、確かみんなでお花畑へピクニックに行く前に買い物の話をしたかもしれない。その時はずっと先のことだったし、軽い気持ちで頼んだ気がした。

 その約束がまさか、2時間以上着せ替え人形になるフラグだったとは思ってもいなかった。買い物かごの中は俺とアリシアの服で埋まっている。服を見つけては試着をするの繰り返し。『女性と服を買う』ということが、こんなにも体力・精神力を使うものだったと久しく忘れていた。

「……女の人ってすげぇな」
『ますたー、目が若干死んでいますよ』

 女性の多くには謎パワーがあると俺は思っている。普段は運動があんまり得意ではない人もこの時は何時間でも動き続けられる。集中力があんまりない人も、何時間も集中でき、細かい部分から経済的な部分までも見抜く目を持つ。

 買い物時の女性はきっとスター状態なんだと思う。つまり敵わない。前世でも今世でもそういうところは変わらないと俺は思っている。男性人でも疲れない人はいるらしいけど、俺はこういうのはどうも苦手だ。服とか別におかしなものじゃないなら基本なんでもいいし。

『ますたーってところどころ無頓着な部分がありますよね。衣服とか装飾品とか。興味が薄いといいますか』
「うーん、どうもなぁ。どうでもいいって訳ではないんだけど……」
「あなたってこだわりがあるところは妥協しないけど、基本大雑把なものね」

 母さんが口元に笑みを浮かべながら会話に入ってきた。その内容に俺も乾いた笑みが出る。母さんとコーラルの言うとおり、俺ってかなり適当なところがあるらしい。もう少し興味を持った方がいいんだろうけどなー。

「悪いわけではないけれど、気にかけておいてもいいと思うわ。特に女の子はそういうところに厳しい子もいるから」
「うぐっ。……わかった」
「ふふっ」

 俺の頭を優しく撫でながら忠告してくれる母さん。まだ6歳だからそこまで気にしていなかったけど、俺だっていつかは彼女をつくって結婚とかしたいと思うし。気配りができる男にはなりたいよな。せめて顔には出ないようにしよう。

「そうね。だからもう少しだけアリシアに付き合ってあげて。あの子お買いものができるってすごく張り切っていたから」
「あ、うん。俺も選んでくれているのは嬉しいから別に。それにしても、アリシアがあんなにもお買い物が好きだったなんて知らなかったよ」
「それもあると思うけど、……きっとあなたに頼られたのが嬉しかったのね」

 母さんの呟いた言葉に俺は首をかしげたが、そこで服を手にこちらに向かってきた妹を見つけたので意識をそちらに移す。

 アリシアは俺たちの前で止まり、見て見てというように持って来た服を見せてくれた。その目はキラキラと輝きながら、こちらの反応を窺っているようだった。その様子にまるでワンコみたいだな、と想像してしまい小さく噴き出してしまった。

「む、なんで笑うの」
「ごめんごめん、ただの思い出し笑いだよ。うん、その服いいと思うよ。アリシアも自分の欲しい服は見つかったのか?」
「あ、うん。だけどどっちの色にしようか迷ってて……。お兄ちゃん、選んでくれる?」
「あぁー、いいけど。あんまり俺のセンス期待するなよ」
「はーい」

 いや、そこはそんなにいい返事を返さなくても。元気よくうなずく妹。俺ってそんなにセンスがないように見えるのか。……見えるんだろうなぁ。それに少し落ち込みながらも、俺は店の奥に行くアリシアの後を追いかけていった。

『なんだかんだで仲がよろしくて何よりですね』
「えぇ、本当にね」



******



 さて、今日は家族でデパートへとやってきました。さすがにリニスをデパートに連れて行くのは難しかったため、今日はおとなしく家で待ってもらっている。それにケージの中に入るの、リニスはわりと本気で嫌がるし。現在冬真っ只中だから、家でぬくぬくしているのだろう。

 なので、コーラルを入れて俺たち4人で買い物に来ることになった。もう2ヶ月ぐらいで始まるであろう学校の準備を揃えに来たのだ。学校で必要な道具や、服などを買い物メモを見ながらみんなで選んでいた。

「ふぅ、結構買ったなー。学校の準備って大変だわ」
『そうですね。学校側からある程度は用意してくれますが、必要な物も多いですしね』
「学校かぁー」

 現在母さんと俺たち3人は別行動をしている。というのも、さすがに疲れた俺とアリシアがベンチでダウンしているのが現状だったりするけど。遠くに行かないことを約束して、母さんは残りの買い物を済ませてくれていた。

 そんなわけで、俺たちはおしゃべりをしながら待つことにした。学校のことについて話していると、アリシアからぼんやりとした口調でつぶやく声が聞こえてきた。たぶんまだ学校のイメージがわかないのだろう。学校選びの時もよくわからなさそうにしていたし。

 前に学校のパンフレットを見せてもらったけど、ミッドって学校がそれなりの数あるのだ。人口が多いのもあるが、専門学校が多数あるのも大きいのだろう。


「結局は2人とも普通の魔法学校に通うことになったけどな」
『ますたーもアリシア様もリンカーコアはありますからね。マイスターもできれば同じ学校にしたいとおっしゃられていました』

 春から通う学校はクラナガンにある初等部・中等部が合体したそれなりの規模がある魔法学校である。大きいのは生徒数が多いこともあげられる。多種の専門教科を学べ、普遍的な知識と魔法についても勉強できる。将来の選択肢が広げやすくなっているのだ。日本の小学校に魔法や選択教科も増えた認識でいいと思う。そのため授業時数も増えている。

 あと魔法の基礎を学ぶことが目的にもあるため、魔法が使えなくても知識を学びたいということなら実は入学はできたりする。魔法を教えない普通科の学校に、リンカーコアを持った子が入学できるのと似たようなもん。リンカーコアが必須って魔法学校もあるけど、俺たちが入学するところはそんなに厳しくない。たぶんアリシアのことも考えて、母さんが選んでくれたのだろう。

『……ますたーは本当にその学校でよろしかったのですか? 将来なりたいものは決まっているのでしょう。魔法ももっと専門的に学べるところもありましたよ』
「確かにそうかもしれないけど、急ぐ必要もないじゃん。必要なら今までみたいに自習したらいいさ。アリシアと一緒に勉強したいし、子どもらしく遊びたかったしね」

 コーラルの質問に俺はそんな風に返答する。ちなみに本心である。魔法は色々学びたいけれど、専門家になりたいかと言われれば違うと思う。将来性の高いところに行くのもいいけど、独り立ちを急いているわけでもない。今は子どもなんだから自由でいいじゃん。急いで働きたくないでござる。


 そういえばリリカル物語って、就業年齢めっちゃ低かった印象があったな。嘱託をしていた9歳のなのはさんやフェイトさん、はやてさん。同じく9歳で遺跡発掘しているユーノさん。14歳で執務官をしていたクロスケ君、と前世の価値観で考えるとおいおいと思ってしまう年齢である。

 もちろん彼ら自身が選んだ道なのだから深くツッコむつもりはない。でも原作に出ていた人物たちの年齢が総じて低かったのも確か。そういう世界だってわかってはいるんだけどさ。そんなに幼い子どもが仕事に就くってなんか怖くないのかな。年齢ってやっぱり経験や知識と比例していることが多いし。

 でも10代で仕事に就いて頑張っている人が、この次元世界にはそれなりにいる。一応地球のように学生として過ごす人の方が全体数は多いけれど。だけどどうしてそんなことができるのか。特殊な環境だから、という理由だけじゃ難しいはずだろう。


 そんな俺の疑問を解消してくれたのが、次元世界にある学校であった。日本の学校を基準に考えていた俺としてはかなり驚いたな。ここでは学校自身の特色がものすごく出ていたのだ。

 簡単に言うと、初等科の時点で大学のように専門が分かれていたり、選択出来てしまうらしい。普通科の学校と魔法科の学校でまず道が分かれ、そこから魔法関係、技術関係、医療関係などの専門を選んでいく。小学生でだ。早ければ10代、才能があれば1ケタの年齢で資格だってとれてしまう。

 10代で仕事に就いている人は、大抵初等部の内に専門的な知識を中心に勉強しているそうだ。確かに社会人になった記憶があるからわかるけど、仕事に就くと普遍的な知識より専門的な知識の方が使う場面が多くなる。知識はあるのだから即戦力としては使えるのだろう。経験だって後からついてくる。俺としては、そんな考え方もあるのかとびっくりしたな。

 とまぁ、細かいところは多々あるが割愛しておこう。要は幼い内に将来を決めている人は、さっさと将来に向けて勉強することができる環境というわけだ。もちろんまだ決まっていない人の方が多いだろうけど、その時は普通に学校に行って、好きに選んでいけばいい。20代から仕事に就く人だっているんだし。

 俺としては普通に進学していくつもり満々である。ゆっくり勉強して、やりたい専門教科を習って、10代後半か20代ぐらいにでもちゃんと考えたらいいやと思っている。別に早くから自立しなくてもいいよね。母さんのご飯おいしいし、1人暮らししたいとも思わないし。ぶっちゃけそんなに難しい勉強もしたくない。

『あぁ。つまり根本的なところがずぼらなのですね』
「子ども時代謳歌して何が悪い。最終的にヒモにならなければいいんだよ」
『うわぁ…』

 ……親孝行はちゃんとできるように考えてんだからいいだろ別に。


「お兄ちゃんって学校のこと詳しいよね」
「え? あ、まぁうん。ちょっとはね。なんか気になることでもあったのか?」
「その、学校ってお勉強するところなんだよね。先生がいて、たくさん子どももいて……」

 あっているかな、というように俺の目を見つめる妹に俺はうなずいてみせる。アリシアが学校を楽しみにしているのは知っている。学校が決まった時なんて実際に見に行ってみたい、と一緒に見学したこともあった。新しい勉強道具に嬉しそうに笑う姿も見ていたからだ。

 だけど何か心配なことでもあったんだろうか。俺が話の続きを促すと、アリシアは少し顔を俯かせる。それに金色の髪が肩から前に垂れ下がり、妹の膝の上に舞った。

「あのね、私……お友達できるのかなって」
「あぁ、なるほど」

 肩をすぼめながら話す妹の姿に、俺はアリシアが不安に思っていることがようやく分かった。長い間俺たちは同年代がいない環境で過ごしてきたのだ。クラナガンへ正式に引っ越して来たけど、まだ1ヵ月ぐらいしか経っていない。どう同年代と関わったらいいのかわからないと緊張して当然か。

 そんなのいつも通りで大丈夫だよ、と俺は思うけどそれをそのまま伝えるのは無責任な気がする。アリシアなら、きっとすぐにでも友達ができると思うけど。でもこればっかりは気持ちの問題だよな。その一歩さえ踏み出せれば、自信になるはずなんだろうけど。

 俺自身も妹の交友について今まで考えなかったわけじゃない。今度公園にアリシアも一緒に連れて行こうかな、と俺なりに思っていたぐらいだ。その時にでも、友達作りの場をつくってあげれば大丈夫かなと考えていた。

 みんな気のいいやつらだったし、俺から紹介すれば妹もすぐに輪の中に入れてくれると思う。正直それでいいかな、と俺は思いをめぐらせていた。

 俺自身はアリシアにはやっぱり笑っていてほしいと思っている。過保護かもしれないけれど、そのためなら色々手も回すし、話だって通しておく。俺が常に前へ出ていれば、アリシアが傷つくことも減らせるはずだ。そんな風に俺は考えていた。……でもこれって、本当にアリシアのためなんだろうか。


「――きゃッ!」
「へっ?」

 思考に耽っていた俺に小さな悲鳴が耳に入った。音の方に顔を向けてみると、妹の髪と同じ金色の髪の女の子が転んでいるのが見えた。荷物を手にいっぱい持っていたからか、受け身もとれず顔面から床に倒れこんでいる。うわぁ、あれは絶対に痛い。というかあの子ピクリとも動かないんだけどッ!?

 荷物が床に散乱し、周りの買い物客も驚きに固まってしまっている。俺もいきなりのことに動けずにいたが、ふと気づくと視界にもう1つ金色を見つける。その金色の持ち主は、真っ直ぐに倒れている女の子に向かって全速力で走っていった。


「……なんか、アリシアにはいらないお節介だったのかな」
『アリシア様はお強い方です。守ってあげることは大切ですけど、見守ってあげることも必要ですよ。それに、ますたーの後ろにずっといる方でもないですから』
「うん、確かにそうかもしれないな。なぁ、荷物番お願いしてもいいか? 散らばっている荷物拾ってあげたいし、怪我をしているなら係員さんに知らせないといけないから」
『はい、もちろんですよ』

 コーラルに荷物番を頼み、俺もアリシアと同じようにその子のもとに走った。いくつかの荷物は傍にいた人たちが拾い集めてくれており、俺もそれを拾いながら女の子の所に向かう。幸い大きな怪我もなかったようで、アリシアの呼びかけにゆっくりと起き上がった女の子。その後その子はあわわ、とあわてながらも恥ずかしそうに心配している妹と話をしているようだった。

 最初は不安げだった妹も、その子と話をしていく内に顔の固さがなくなっていった。お互いに表情が柔らかくなり、くすりと笑いあっている。真っ赤なおでこに照れ笑いをする女の子と、その綺麗な痕に気遣いながらも吹き出すアリシア。あ、怒られてる。

 ずっと俺の後ろにくっついていた妹。俺が守ってあげないと駄目だと思っていた存在。だけどそんな関係も少しずつ変わっている。人間、ずっと幼いままでいることはない。そんな当たり前なことを忘れていた。

 俺はそんな自分に呆れながらも、楽しそうに話す彼女たちの会話の中に入っていった。



******



「そんなこんなで、妹のお友達デビューはできましたとさ」
「そりゃよかったな」

 次の日、俺とエイカは表通りの道を歩いていた。昨日あった話をすると、はいはいと肩をすくめながらも聞いてくれる。なんだかんだで律儀な性格だよな、エイカって。

「でさ、その子も俺たちと同じように学校に行くために買い物をしていたみたいなんだ。しかも同じ学校だったみたいで、アリシアそれ聞いて嬉しそうでさー」
「はいはい。……学校ね」

 小さなつぶやきをこぼすエイカに俺は少し口を噤む。どうかしたのか、と聞きそうになったが気づかなかったふりをしてそのまま話を続ける。でも話題は変えておいた方がいいかな。なんかあんまり触れてほしくなさそうなのはわかるし。

 エイカもすぐに、いつも通りのふてぶてしそうな表情になっていた。エイカみたいなタイプは初めてだから、距離感がちょっと難しい。いったいどこまで踏み込んでいいのやら。予想だけど、多分その距離感を間違えればこの関係は終わる気がするのだ。

 エイカも俺のことを聞いてきたりはほとんどしない。それはきっと遠慮ではないと思う。明確に壁が作られているのが感じ取れるし。なら俺は気づかないようにすればいい。相手が嫌がっているのなら俺は干渉しない。でもフォローできるならする。そんな距離感が、俺とエイカの中で当たり前になっていた。

「そうだ。なぁなぁエイカ。今度妹を公園デビューさせてあげたいんだ。新しくできた友達も一緒に」
「はぁ? ……まぁいいんじゃねぇの。あいつらノリが良過ぎるぐらいアレな集団だし」
「ノリいいよねー、本当に。この前やった『地球の遊びを体験しよう大会』も盛り上がったよな」

 思い出すのはいつもの子ども達との楽しいふれあい。少年Cがハメをはずし、少年Aが巻き込まれ、少女Dが取り押さえ、少年Eはわれ関せず駄菓子を頬張り、少年Bがすべてにツッコむ。ツッコミ終わってほっとした少年Bの横で俺がさらに場を混沌とさせ、エイカが最後に沈める。だいたいこんな毎日である。

「なんだろう。それにお前の妹が加わるってまじか。絶対マシなことにはならない予感しかしないんだが」
「ご期待に添えそうでなにより」
「否定しろよ」

 うちの子は喜んでカオス空間に突入できますから。


「……でだ。ぐだぐだ喋りながら歩いていたけど、ここが向かっていた目的地であると」
「そうだよー。なんでそんなに『うわぁ…』みたいな表情するのさ」

 目的地に到着した途端、めちゃくちゃ嫌そうな顔をされた。

「なんだこの異界」
「いや、普通にお店なんだけど。確かにカオスだけど、気づいたらどっぷり飲み込まれている場所ではあるけれど」
「説明聞いてもっと関わりたくないんだが」

 俺が今日エイカとやってきたのはお馴染み『ちきゅうや』である。店主の趣味が暴走してできたお店なので、店主の影響がもろに現れる。音楽にはまっていた時は表にレコードやらが並び、漫才にはまっていたら小道具が置かれ、プチ漫才大会がなぜか店先で行われる。

 簡単に言えば、店の前を見れば店主が現在はまっているものがわかるのだ。時々とんでもないものが置かれていることもあり、驚いた地域住民が管理局に通報してしまったこともしばしば。でもめげない店主。法律に引っかかりそうな物は、置かないように気をつけてはいるらしい。

「けど面白いものもここにはいっぱいあるんだぞ」
「お前の言う面白いものは、店先に置かれている5メートルはありそうなサメの模型以外にもあるのか」

 それを肯定できてしまう悲しさ。店先に置かれているサメを俺も眺める。絶対映画ではまったんだろうな、店主さん。本当どこの世界に、店の前に巨大なサメのオブジェを飾る所があるんだよ。ここサメ専門店じゃないだろ。海も特に関係ないだろ。遊園地じゃないだろうが。これ設置した時、絶対どや顔だったんだろうな。……うん、実は俺も結構混乱していたみたいだ。

 さすがにこれは撤去されるんじゃね。通行人ビビっているし、なにより通行の邪魔だ。どうやって設置したのか気になるが、ここファンタジー世界だしな。やり方も人物もぶっ飛んでいてもおかしくない。


「って、おい。やっぱり管理局員来たじゃねぇか」
「あ、本当だ。――あれ? あの人どっかで見たことが…………あ、くまさんだ」
「……お前、絶対背丈と色でそれ決めただろ。そのあだ名」

 エイカは同情の眼差しをくまのお兄さんに向けた。

「あ、サメ見て驚いている」
「普通あんなのあったら驚くだろう。……恐る恐る触りだしたな」
「未知との遭遇だね。お、デバイスで撮影しだした。しかも辺りを見回してから記念にツーショットも撮るとはなかなか」
「お前知り合いなんだろ。声かけないのか」
「俺は今見守り精神に目覚めているから」

 エイカはさらに憐憫の眼差しをくまのお兄さんに向けた。



「こんにちはー、店主さん」
「おぉ、アル坊か」

 その後、公務を思い出したらしいくまのお兄さんが店に入り、店主と話をして帰っていった。さすがに通行人の心の平和のために必要なので、撤去をお願いしたらしい。店に売られていたサメの映像記録を、ひっそりくまさんが買って帰ったところまでじっくり眺めてから、俺たちは店に入った。仕事中だったし、挨拶は後日でいいだろう。

 店に入ると相変わらず元気そうな店主さんがいた。うん、やっぱりめげてない。俺の声に店の整理をしていた手を止め、こちらに視線を移す。すると俺の後ろにいるエイカを見つけて目を見開き、にやりと口元をゆがませた。

「へぇ、アル坊もやるじゃないか」
「いやぁ、それほどでも」
「おい、なんの話だ」

 店主さんと同じような表情を俺も作る。それに不気味そうに怯むエイカ。本日エイカをこのお店に連れてきた真の理由が、今明かされる。

「わかっているさ。お前さんが……新たなる布教者だろ」
「――やばい。俺が知らない間に何かにカテゴライズされている」
「こーら、逃げない逃げない」

 店主さんの言葉を聞き、すばやく逃走を謀ったエイカ。そこは逃亡するだろうとわかっていた俺が襟首をつかんで確保したけど。ぐほォッ!?、という声が店に響き渡った。

 その後に涙目で頭をはたかれたが、とりあえず説明を試みてみた。最初は猫のように毛が逆立っていたエイカも、俺の説得に少しずつ落ち着きを取り戻していく。どうやら話を聞いてくれるようにはなったみたいだ。


「……つまり布教っていうのは、要はこの店の宣伝をしろってことか」
「そうそう。俺ここでバイトしているんだけど、人手不足だからさ。エイカも一緒にやらないかなーと思って」

 この前子ども達とやった遊びも布教の一環だった、と告げると遠い目をされた。全力を出すと決めたからには俺はやるよ。現在のターゲットは子どもに絞り、認知度の底上げを目指している。子どもが釣れれば親が釣れる。まさに芋づる方式。せこい? 給料かかってんだよ。

 それに実際人手不足も事実である。店主さんからも事前に布教者が増えることに賛同をもらっている。あとはエイカをここに連れてきて話を聞いてもらおうと思っていた。エイカの事情はわからないけど、俺なりに何かフォローできないかと考えて思いついた方法。

 無理強いをするつもりはない。でもエイカの中の選択肢を広げることはできる。そんな風に思って。

「ふーん。というかなんでわざわざ俺なんだよ」
「いやさ。せっかくだったら友達と一緒にやりたいなーって」
「うっ。そ、そんな理由かよ」

 声が上擦ってますよ、エイカさん。意外に直球とか予想外のことに弱いよね。反応が面白いからそのままでいてほしいところです。それにしても、やっぱり声をかけて正解だったかも。1人より2人の方が効率もいいし、俺も楽しいし。素晴らしきは友情だよね。


「ん? そんな理由だったのか。俺はてっきり前に新しいバイト員紹介したら、紹介料として給料上乗せしてやるって言ったのが理由だと思っていたんだが。前にアル坊、友達に流されやすいのが1人いるって言っていただろ」
「…………」

 待ってエイカさん、マウントはまずい! この体勢は俺にも周りの目にも非常によろしくないからッ!! あと超いい笑顔で笑わないで! 友人の初笑顔という心温まるシーンがこれってないよッーー!?



******



「えーと、とりあえず。エイカ的にはバイトはどうなの?」
「まぁ、給料がもらえるっていうのは魅力的だが」

 引っ張られまくった頬に手を当てながら、俺は先ほどの話の続きに戻った。それにしてもちくしょう、店主め。覚えていろよ。引っ張られている間、ずっと腹抱えて爆笑しやがって。今度は奥さんが超笑顔になりそうなことを色々ふき込んでおこう。

「宣伝が苦手だったら店番でもいいんじゃね? この店って雰囲気がかなり独特だから、ご新規さんが尻込みしちゃうんだ。でも店に子どもや犬猫とかがいると入りやすいじゃん」
「いや雰囲気もあれだが、まずはサメのリアル模型置くような店に普通来れねぇだろ。あと俺は犬猫と同じ扱いか」
「その混沌さがこの店のチャームポイントだと誤魔化しながら、頑張って宣伝するのが俺たちバイトの役目だろ」
「それがミッドに浸透したら何かが終わる気がするんだが。……それと、さり気なく俺をカウントするな」

 エイカにぐちぐち文句を言われたが、最終的にはOKをもらうことができました。やはりバイト料とバイト員特典をチラつかせたのが勝利のカギだったか。新商品のインスタント食品でここまで釣れるとは。俺ですら一歩引いた、少年Eとの食い物談義は熱かったもんな。

 あとは子どもらしく漫画やアニメ見放題も効いたらしい。やっぱり子どもを魅了するのはこういうものだよな。日本のテレビコーナーに映るウルトラな方や、はやてさんのように狸と認知されてしまうロボットの話。改めて見てもつい見てしまう。これが名作か……。

「この髪いったいどうなってるんだ。ここまで盛ってクルクル巻けるって。服も全員熱そうなものしか着てないし…。しかもなんで宮殿ってこんなにも広くて、豪勢にしなきゃだめなんだ? わけわかんねぇ。でもこういう戦いもあるのか……」
「あの、エイカさん。こっちのアニメはいいの? 確かにそれも名作には変わりないけど」

 ぶつぶつ言っている内容はアニメのツッコミっぽいけど、めっちゃ真剣に見ている。まさかそのアニメに嵌るとは予想外だった。熱いストーリーだってのは聞いたことがあったけど、実際に視聴したことがなかったから何とも言えないのだが。まぁ、いっか。


 それからアニメを2人で見て、感想を言い合いながら『ちきゅうや』での時間は過ぎて行った。その後、お店の常連さん達に挨拶をしたり、店内の掃除を一緒にしたり、店主さんからもらったお菓子を頬張ったりした。なんだかんだでエイカの弾んだ声が聞けて良かった。

 少しずつでも変わったり変えていったりする世界。将来はどうなるのか漠然としているけれど、こんな風に楽しく笑っていられたらいいな。おいしそうに饅頭を食べるエイカを見守りながら、俺も最後の一切れを完食した。

 

 

第三十一話 少年期⑭



「おぉ、管理局の本局ってこんなに広かったのか」
『そうですね。管制施設やトレーニング用の施設などといった多様な設備。それだけでなく、局員とその家族、さらに一般人も住める居住区もあります。あとショッピングとかもできるそうですよ』
「つまり本局自体がミニタウンになっているのか」

 俺は感心しながら、辺りをきょろきょろと見渡す。本局に入るには何か手続きとかがいるんだろうか、と思っていたが普通に入ることができた。さすがに仕事場は止められるだろうけど、一般人のために解放されている区間が結構あるのだ。おかげでスムーズに目的地に向かうことができる。

 俺は副官さんから送ってもらった地図をディスプレイに映しながら歩いていく。目的地は本局でも奥の方にあり、ここは人の出入りが制限されているそうだ。一応話は通してくれているらしいので、司書さんにパスを見せれば大丈夫だと聞いたけどね。

 それにしても、仕事場があり、住む場所やお店、さらに公共施設や託児所のようなものまで設置されている。正直一個の町だと言われても違和感がない。あと本局の人はもちろん、地上本部勤めの人もここに多く住んでいるらしい。ちらほら制服を着た人とすれ違う。

 誰でも入れることに不用心だなぁ、と最初は思ったけど、こんなにも局員の人がいたら下手なことはできないよな。誰もわざわざ警察の真ん前で違反や犯罪を起こそうとは思わない。どんな走り屋でも交番の前では減速するような感じだろう。

「一般の人も結構いるんだな。お、子ども連れもいる」
『管理局のお膝元ですからね。安全面もバッチリでしょう。あとは魔導師ランクの試験や、資格類の発行手続きに来られる方もいるそうですよ』

 他にも裁判所としての役割もあるからそれ関係の相談窓口や、デートスポットとして有名な展望台もあるらしい。ちなみにこれらの情報はネットで簡単に調べられる。管理局って厳格なイメージがあったけど、市民との距離が意外に近いのだ。

 町を歩いていると、管理局員さんと会話を楽しむ姿を何回も見かける。みんな対応は丁寧だけど、突き放した感じがなくて、こう……親しみやすい雰囲気って感じだ。


「総司令官さんから教えてもらっていたけど、なんか納得したな」

 管理局は傲慢になってはならない。おじいちゃんから地上本部での説明を聞いていた時に話してくれた言葉だ。多くの世界から支持され、そして支えられている、世界を守る巨大な組織。管理局は間違いなくこの次元世界一の抑止力なのだ。

 聖王教会や他にも多くの名のある組織があるが、それでも管理局の存在を覆すことは難しい。多くの人に憧れを、畏怖を抱かれる立場にあるのだ。でもそれに奢ってしまいかねない危うさを持った立場でもある。

 だから『目』を用意したのだ。管理局のお膝元を解放することで、市民は局員を直接見ることができる。ただ守られる遠い存在ではなく、自分たちを守ってくれる身近な存在として。局員達も自分たちが守っている存在を、そして支えられていることを再認識できる。

 民と組織との間にできた『信頼』。管理局ができてから40年。多数の世界に認められるように年月をかけて少しずつ築き上げてきたものなのだろう。この他にも、俺の想像のつかないようなたくさんの努力をしているんだと思う。最後に総司令官が言った言葉がそれを裏付けていた。

『管理局員として必要なものは、不屈の心だ。管理局に来た願いなど人それぞれだろうが、折れない芯ほど強いもんはねぇと儂は思っとる。そのひた向きさがなけりゃ、ここではやっていけないじゃろう』

 そう言って、おじいちゃんは愁いを帯びた表情で笑った。

『そう、負けてはならんのじゃよ……過労に』


「俺、管理局を過小評価していたみたい。管理局退職率1位が過労によるものって何さ。管理局の定年退職率の低さが途中でぶっ倒れる人が続出するからって生々しすぎるだろ」

 次元世界の人たちって変に真面目すぎるよな。おかげで管理局に30年は務められればどんな職でもある程度やっていけると太鼓判が押されているらしい。どんなけ激務なの。どんなけ神経使ってるの。



「お、この建物の中にあるのか」
『さすがにここは警備が敷かれていますね』

 白で統一された建物の奥。俺とコーラルはようやく目的地である『無限書庫』の前に来た。自分よりも数倍以上も高さがある自動ドア。その前にいる警備の人と目があったので、もらった閲覧許可のパスを空中に映し出す。

 目を見開かれたが、たぶん俺みたいな子どもが来たことに驚いたんだろうな。それにしても、随分寂れたというか寂しい場所だ。パスの確認後通してもらった先は、どうやら無限書庫の入口に続くフロアらしい。だけど人気がほとんどなく、居ても隅にある机で本を読んでいる人や、グループで何か話し合っている人たち。カウンターに司書さんらしき人がいるだけだ。

 むしろ人よりも目を引いたのは本の山だ。無造作に並べられた本がいくつも置かれている。何やら話し合いをしているグループの周りには塔のように本が積み重なっている。図書館のように整理された空間とはお世辞にも言えない。どちらかというと、個人営業の古書店のような乱雑ながらも整理されているという感じだろうか。

「無限書庫ってこんなんだっけ……」

 俺が原作で覚えている無限書庫は、ユーノさんが闇の書について調べものをしていた場面のみ。第3期のStrikerSではユーノさんは司書長になっていて、確か無限書庫は身近な感じで描写されていたと思う。少なくともこんな黒魔術研究してそうな雰囲気の場所だったとは思えない。

 ……そういえば、ユーノさんが無限書庫を整理したおかげで今までよりもスムーズに調べものができるようになったって設定があった気がする。それまでは1つの情報を探すのに、グループになって捜索していた。つまり現在の無限書庫は、未整理で何がどこにあるのかもわけわからんな状態であるということか。

 とんでもないな、本当に。ユーノさんこの空間を整理したのか。ハイスペックすぎるだろ、フェレット司書長。

「ユーノさんが有能すぎる。あ、今うまかったんじゃね」
『ますたー行かないのですか』
「ごめん。現実逃避はここまでにして行きますか」

 司書さんに再びパスを見せて、俺たちは設置されていたゲートに向かう。司書さんの説明から、このゲートは無限書庫への転送ポートらしい。自分の転移以外でとぶのは初めてなのでちょっと緊張する。司書さんから簡単な注意を聞いて、俺たちはついに目的地へと足を踏み入れた。

 そして―――



「ぎゃぁああぁぁ、頭に血がのぼるゥーー!!」
『ちょッ、ますたー! 無重力なのわかっていたでしょう!?』
「いきなり空中に放り出されるとは思ってなかったわ! あ、ぐほぉッ!!」
『バランス! バランス取ってください! こう空を飛んでいる感じで』
「飛行魔法なんか覚えてるわけねぇだろ! ちくしょう、いつもふよふよ浮いているからって余裕かましやがっ…………ッうっぷ」
『駄目ですよーー!! ここ公共施設で、しかも本がいっぱいあるのですよ! 我慢して飲み込んで!』

 超無茶ぶりです。

「む、無理そう…。こうなったらコーラル」
『え、なんですか』
「とりあえず一回出して、すぐにデバイスの格納スペースの中に入れれば」
『絶対嫌ですよ!! 本気でデバイスをなんだと思っていますか!?』

 色々やばかったので転移で帰りました。



******



「俺、あの時はレアスキルがあって本当によかったって心から思ったよ」
『本当です』

 あの痛ましい事件から数日。とりあえず対策を講じる必要があると作戦会議を行った。コーラルが言うには無重力は飛び慣れることが一番の近道らしい。飛行魔術を習得している人なら、すぐにでもバランスを保てるようだ。

 飛行魔法は魔法の難易度で言うと、初級の最後ぐらいの魔法だ。習得だけならそれほど難しくないが、使いこなすとなると適正が必要らしい。俺って空を飛べるんだろうか、と母さんにさりげなく聞いてみたところ、わりとあっさり答えは出てきたけれど。

「きっと飛べるわよ。あなたぐらいの魔力量があれば、それほど難しくないと思うわ」

 ぶっちゃけると、飛行魔法は魔力である程度ゴリ押しできるらしい。適正が分かれる理由の1つが魔力量だからだ。確かに原作でも空を飛んでいた人は高ランクが多かったように感じる。それにしても繊細そうにみえた飛行魔法が、まさか力技上等の技術だったとは。


「というわけで、まずは飛行魔法を習得することから始めますか」
『そう言いますけど、そんなにすぐできるのですか? ますたーですよ』
「うん、無理だな」
『開き直ったよ』

 肯定したのになんで責められないと駄目なんだ。

 さて、現在俺たちは公共の魔法練習場に来ている。広さも十分で、万が一魔法事故が起こっても、近くにいる管理員さんが対処してくれるのだ。なのでミッドの人たちは、こういう場所を利用して練習するのが一般的だったりする。

「そこなんだけどさ、コーラル。今回はアレをちょっと外してほしいなーって思っているんだ」
『アレ?』
「ほら、前に言っていただろ。安全装置ってやつ」

 俺の言葉にコーラルは無言になる。安全装置は俺のためにつけられた物。本来なら母さんに許可を貰うべきだが、急に外さなければならない理由を聞かれるはずだ。ごまかすにしても、出来れば母さんに嘘をつくようなことはしたくない。なら、コーラルを説得するしかない。

 魔法はイメージが最も大切だ。イメージと魔力があれば、少なくとも魔法を発動させることはできる。なのはさんも最初は大変そうだったけど、中盤ぐらいには自由に空を飛びまわることができていた。

「今回の目的は、無重力空間で活動できるようになるために、空を飛ぶ感覚をつかむことだ。正直に言えば、完璧に習得できなくても空の上でバランスが取れるようになれればミッションクリアなんだ」
『理屈はわかります。しかし……』
「絶対危ないことはしない。コーラルの言うこともちゃんと聞く。だからお願い!」

 俺は手を合わせながら、コーラルに頭を下げた。それをコーラルは静かに光りを発しながら俺を見下ろし、そして小さく嘆息する声が聞こえた。

『……お願いはずるいです。もう、いいですか。絶対僕の言うとおりにしてくださいよ』
「あ、ありがとう」

 俺はコーラルの返事に喜色を浮かべる。断られても仕方がないと思っていたけど、受け入れてくれた。思えば、コーラルってなんだかんだで俺についてきてくれる。仕方がないですね、って感じで。

 だけど、今回みたいなことはこれっきりにしよう。魔法が使えるかもしれない興奮は確かにある。でも癖になったらきっとまずいし、コーラルの優しさに甘えるばかりではダメだ。いつか助長しかねない。コーラルもそこは引き締めてくれるだろうけど。


『いいですか。まずはデバイスを起動させます。起動コードはちゃんと覚えていますね?』
「たぶん!」
『いろんな意味でいい返事ですね!?』

 さて、茶化しはここまでにして俺は目を瞑る。右手にコーラルを掴み、自分の身体の中にあるものと感覚を繋げる。前世にはなかったリンカーコアという器官。そこから魔力を流し込んでいく。

 起動用パスワードが必要なデバイスもあるが、俺はそれをかなり省略している。というのも起動呪文とは、要は本人認証をするためのものだからだ。コーラルは俺用に作られたデバイスなので、そこらへんは問題なかったのである。

「深き底より、輝く命の守り手よ。契約のもと、その力を解き放て。コーラル、セットアップ!」

 俺の手の中にあった宝石から光が放たれ、次の瞬間には俺の身長よりも長く、硬質のある杖へと変化した。淡い水色の柄に、緑に輝く渦潮のような先端。その渦の中心には深い紅の宝石があった。

 相変わらず魔法ってすごいよな。今までに何回か見た光景だから、今更驚きはしないけど。でもやっぱり感動はする。杖を持つと自分は魔導師なのだと改めて実感できる。杖の重みが魔導師としての重みなのだ。

『いいですか。今回ますたーが使う魔法は『飛行(フライ)』ではなく、『浮遊(フロート)』です。落下緩和の魔法は僕がかけておきますのでご安心ください』
「浮遊? まぁ、空に浮かぶ感覚を掴むためなんだからそれでいいのか。ちょっと飛んでみたかったんだけどな」
『気持ちはわかりますが、高度を上げると途端に難易度が跳ね上がるのですよ。飛び回るには所定の訓練と試験も必要です。単純な飛行なら初級レベルですが、おそらくますたーが考えているようなレベルだと普通に上級者向けですよ』
「まじでか。なのはさん何者だよ……」

 俺が原作で知っている魔法初心者像がなのはさんなんだけど、絶対なのはさん初心者に見えない。他に目標になれそうな人物を探してみても、母さんは次元が違うし、フェイトさんは戦闘スタイルが違うし、はやてさんも初心者組なんだけど、参考資料が少なすぎてなんかすごいということしかわからん。……もっと目立とうよ。

 とりあえず、一度頭を振って、思考をクリアにする。余計なことを考えて失敗したら嫌だ。今日俺は、初めて魔法を使うのだから。そう思うとコーラルを握る手が汗ばんでいく。あがるなよ、自分。

 そしてイメージする。某ブラウニーさん風に言うと、イメージは空に浮かんでいる自分。


『イメージが出来たら、次はそのまま言葉を紡ぎます。リンカーコアに呼びかけるように、魔力(思い)実態(現実)へと変換させるのです』
「……『浮遊(フロート)』!」

 ギュッと杖を握りしめ、俺は呪文を口にする。思わず目も一緒に閉じてしまい、視界が真っ暗になってしまった。慌てて開けようとするが、躊躇してしまう。なんかあんまり変わっていない気がする。もしかして失敗した?

『ますたー、ちゃんと目を開けてください。危ないですし、もったいないですよ?』

 コーラルのくすくすと笑う声が耳に入り、恐る恐る俺は瞼を開いた。すると、いつも見ていた目線とは違う風景が目に映る。だけど、どこかデジャビュを感じる。なんだか懐かしいという感覚。

 ……そうだ、昔はずっとこの目線だった。大学生になって成長がストップしてからは何年もこの高さで過ごしてきたんだ。誰かと話す時も、放浪するときもいつもこの高さから見ていたんだから。今その時の景色が見えるということは、それはつまり。

「はは、飛んでる」

 少し震えてしまっていた手は、俺が認識したと同時に止まる。視線を下に向けてみると地面が足元より下に見えた。地に足がつかない感覚を今更ながら実感する。ちょっと落ち着かない気持ちもあるが、高揚する気分の方が強く、そこまで気にならない。

 これが魔法なのか。言葉にすればたかが数cm程度、空に浮かび上がっただけのこと。だけど、俺には今の気持ちを言葉にできないぐらい感動していた。もともと魔法なんて物語の中だけのものだと思っていたんだ。それが現実として手が届きそうになって、そして掴んだ。


「……すげぇ。――トッ!?」
『ますたー、目的忘れてません? 飛んでいる感覚に慣れるんでしょう。ほら、空中でしっかり立てるようにファイト!』

 ちょっと動いたら身体がくるりとひっくり返った。負けるものか、と必死に身体を支えようとしては、すぐに横転する。何回も挑戦してようやくコツらしきものがつかめてきて、ついに真っ直ぐに浮かぶことができた時は思わずガッツポーズをしてしまった。

 それから少しの間低空だが、散歩を楽しむ。冬の涼しい風が身体全体に滑るように当たる。それが素直に気持ちいいと思えた。なのはさんが空を飛ぶことが好きだ、と言っていた理由が今ならよくわかる。こんなちょっとしか飛んでいない俺でさえも、楽しくて仕方がないのだ。もっと大空を飛んでみたいと思ってしまうぐらいに。

『ますたー、そろそろ降りましょうか。長時間魔法を使いすぎるのは危険です』
「おう、そうだな。それと本当にありがとな、コーラル。飛べて嬉しかった」
『ますたーが頑張ったからですよ。でも、感謝の言葉は受け取っておきます』

 そうして地面に足がつくと、途端にバランスを崩し、俺は芝生に尻餅をついてしまった。揺れる視界に驚いたが、徐々に収まっていき、それからちゃんと地に足を付けて立つことができた。俺はパチンッ、と頬を手でたたき、喝を入れる。

 さぁ待ってろよ、無重力! お前を克服して、俺は目的を完遂して見せるぜ!



******



「ふはははは! 立った! 俺は立った!!」
『はいはい。ところでここからどうやって調べるのですか? どこを見回しても本だらけ。この中から目的の本を見つけるのは大変ですよ』
「そういえばそうか。えっと確か……そうだ、検索魔法っていうのを使えばいいんだ」
『また随分マイナーな魔法を知っていますね』
「確か父さんにお願いして、インストールしてもらっていたはずだから大丈夫だよな。これで作業もはかどるはずだ!」

 魔法発動。

「ぎゃぁああぁぁぁ! 頭割れるゥゥーーー!!」
『何しているのですか!? この量の本を一辺に対象にしたら当たり前でしょう!』
「ぐおぉぉ……有能さんを基準にしたらあかんかった。は、吐きそう」
『ちょッ、ますたー! これなんてデジャビュですか!?』
「クッ…。ま、負けてなるものか。こうなったらベルカ関係の本片っ端から調べてやるわーー!!」

 読書後。

「…………」
『…………』
「……読めない」
『……まぁ、ベルカ語ですから』

 問題は山積みすぎた。



******



「というわけで、俺は考えた。急がば回れ精神のもと、無限書庫は地道にやっていこう。まずは魔法が使えないとどうしようもないから、初歩の魔法から使いこなせるように頑張っていきたいと思います。本はミッド語で書かれている物から読んでいきましょう」
『正直そうするしかないですよね』

 検索魔法って調べものをするときに便利だけど、かなり難易度が高かったことが判明。まずマルチタスクが完璧に使えないと無理。並列思考をしながら、考えを分担して、さらに集めた情報をまとめるとか頭おかしくなる。

 使ったとき一瞬、仏様のような人が小さな畳のある部屋で何故かシルクスクリーンしているところを幻視してしまったよ。あれ、なんだったんだろう。しかし、これも少しずつ頑張っていくしかないか。要練習。

『それはわかりましたけど、それが何故家でファッション雑誌を読むことに繋がるのですか?』
「いや、これ重要。俺の将来を左右するぐらい重要なことだから」

 コーラルの質問に真顔で答える。魔法を練習するにあたって、決して避けては通れないもの。いずれ考えようと思っていたが、それでは時間がもったいない。ならいつ決める? 今でしょ。

 それにしても、本当に原作の方たちってすごすぎる。最近それをめちゃくちゃ実感する。今だって雑誌を読みながら、はやてさんすげぇ、と感心していた。さすがは忘れそうになるが文学少女。俺が必死に考えている物を、彼女は4つも考え付いたんだぜ。とんでもない想像力だ。

 適当なものを作るわけにはいかない。カッコつけすぎず、なおかつダサくない物。下手すれば周りから厨二病だとか言われかねない。黒歴史にカウントなどさせるか!

「本当になんて難解なんだ……バリアジャケット!」
『ここで躓くの、たぶんますたーぐらいだと思いますよ』



「バリアジャケットの案?」
「うん、みんなに聞いて回ろうと思って」

 わからないなら質問しましょう。これどんな時でも大切。メモ帳片手に、知り合いの方々に聞いて回ることにしました。デザインも重要だが、やはり実際に使っている人の意見も参考になるはずだろう。

 専門家である父さんは、現在お仕事の真っ最中だろうから連絡が取れない。こういうことはよくあるので仕方がない。メールだけ送っておいて、あとで意見を聞こうと思う。そんなわけでまずは、身近な大魔導師さんの意見から聞くことにしました。

 ちなみにバリアジャケットとは、通称『防護服』とも言われている。魔導師の勝負衣装という認識でいいと思う。かなり使い勝手がよく、魔導師を守るために不可視の防御結界も形成してくれる。多少魔力は食うが、デメリットも特にないため、魔導師ならほぼ必ず装備しているもの。魔法少女には必須の変身アイテムだ。

「母さんはどんな風にバリアジャケットを決めたの?」
「そうね。私は色と性能をある程度イメージしたら、デバイスがそれを考慮して作ってくれたって感じかしら」

 大抵の人はデバイスにもともと登録されている衣装だったり、ある程度の指針だけを示してデバイスに任せるパターンが多い。登録されている場合は、企業や組織系に多い。管理局でも同じような衣装を着ている人を何回も見たことがある。制服のようなものなのだろう。

 後者はなのはさんや母さんのようなタイプ。なのはさんは学校の制服をイメージしたらしいし、術者の素質に合ったものを選んでくれる。全部デバイス任せな人もいるらしいけど、その場合素質のみに偏るため時々残念なものが出来上がるらしいが。

 ただ俺の場合、この大多数の方々と同じ方法はちょっと遠慮したい。俺が使うデバイスが普通ならいいが、コーラルである。こいつの場合、適当に任せると自分の主観で作りそうなのだ。俺のことなどほぼ関係なく。

 コーラルに服のセンスがあるのかまったくわからない。しかも下手したら今嵌っているものとかで構成し出すかもしれない。前回ちきゅうやにコーラルを連れて行った時のことを思い出す。うん、任せられない。

「私は髪と合わせて、黒をイメージしたわね。ロングレンジが主体だから、接近されると私の場合対処が大変でね。まだ魔導師時代だったころに作ったから、こう私はすごいわよ、って相手を怯ませられるような感じがいいかなって思ったわ」

 なるほど。それがボンキュッボンな服の元ですか。我ながら表現が古い。間違いなく相手は怯みますね。もう女王様というか、目のやり場に困るというか。……母さんのデバイスわかっていてやってないよな。


「むぅ? お兄ちゃん、お洋服作るの?」
「アリシアか。うーん、まぁそんな感じかな。それにしても良く似合っているな、そのエプロン」
「えへへ。ありがとう」

 俺と母さんの話に釣られ、妹が台所からトテトテとやってきた。最近はアリシアのお手伝いスキルが認められ、家庭の大御所キッチンの中に単独で行動することが許されている。ちなみに俺は冷蔵庫を開ける以外、基本進入禁止だ。手厳しい。

 そんなアリシアが身に着けているのは、猫のアプリケットのついた優しい桜色のエプロン。少しぶかぶかだが、そこは成長するだろうとのことで、引き摺らないように母さんが紐の長さを調節している。これはこの前デパートへ買い物に行ったときに一緒に買った、アリシアの6歳の誕生日プレゼントである。

 例の事故でドタバタしてしまい、なかなかゆっくり買い物ができる時間もなかったため、随分時期がずれ込んでしまったのだ。ちなみに俺も同じ日にプレゼントを貰えたので、さっそく使い込んでいる。

「いいなー。ねぇ、私もバリアジャケット作れるかな?」

 妹のバリアジャケット。アリシアの顔を見つめる。黒のスク水、黒マント。うん、けしからん。って、俺の想像がけしからんわ。

「えーと、あれだ。アリシアはもうちょっと大きくなってからの方がいいぞ。ほら、女の子は成長が早いから」
「うーん、そっかー」

 そこまで乗り気ではなかったからか、アリシアは素直に引いてくれた。さっきの想像も大概だったが、アニメをよく見る子どもに変身衣装なんてものをあげたら暴走する可能性大過ぎるだろ。分別がつく年までは封印してもらうべきだ。

「……そうだわ。アリシア、いつかお母さんと一緒にデザインを考えてみましょうか。お母さんのデバイスを貸してあげることもできるから――」
「待って母さん。笑顔でやばいフラグ立てないで」



******



ケース① 地上本部の場合


「というわけで、バリアジャケットの案何か下さい」
「え、お前何調べてんだ」
「バリアジャケットのデザインかー、懐かしいのぉ。儂も若いころは色々夢をふくらませものじゃ」
「え、なんで乗り気なんですか」

 融通を聞かせて闇の書調べをさせていたら、バリアジャケット考案の話が持ち出された。ゲイズは頭痛がする頭を押さえながら繋がりを考えるが、すぐに放棄する。深く考えてもきっと無意味だと悟ったからだ。

「儂の場合は、防御面を重視した甲冑を意識したの。昔はもう少し身軽だったが、今は総司令官として最後まで立って指揮をしなければならないからな」

 総司令官からの話になるほど、と相槌を打ちながらメモを取るアルヴィン。そしてメモを取り終わると、そのまま視線を隣へと移す。それに総司令官も一緒に首を動かし、隣を見つめる。ゲイズは冷や汗を流した。

「ざ、残念だったな。俺にはリンカーコア自体がないんだ。参考にはならん」

 今まで何故自分に魔力がないのか、と嘆いたことはあった。だが、それがこの瞬間のためだったのではないか、とポジティブにすら考えられる。ゲイズは利用できるものは利用する、それなりに強かな性格だった。

「あ…、すいません。そうだったんですか。……それはそれとして、副官さんならどんなバリアジャケットが着たいですか?」
「お前ふてぶてしすぎるだろ!?」

 こんな面白そうなこと見逃しません、とアルヴィンの目が訴えている。もはや目的が完全に変わっている。さすがに不本意ながらも弄られ続けてきたゲイズは、それを瞬時に見抜いた。絶対に口は割らないぞ、と確固たる意志を見せる。

「こんなこともあろうかと、ゲイズ用のデザインを暇つぶしに考えたことがあってのぉ。ほれ、儂が作ったデザインとゲイズの写真を合成して映像化すると――」
「他に暇をつぶせるものはなかったのですか!? その無駄なクオリティの高さを別に使ってください!!」
「あ、おじいちゃん。これヘソだしルックとかにでき――」
「お前は順応早すぎるだろうが!!」



******



ケース② 開発チームの場合


「あら、アル君じゃない。久しぶりね」
「ん、坊やか。元気そうでなによりだ」
「こんにちは、同僚さん。強者さん」

 アルヴィンの挨拶に相変わらずのようだな、と男性は口元に笑みを浮かべる。アルヴィンが次にやってきたのは、春から母親を含め、開発チームのみんなが働く仕事場の休憩室。

 地上本部をさよならした後、通信で時間が取れるかを聞いてみたところ、丁度休憩中とのことだったのでお邪魔することにしたのだ。2人は仕事内容の打ち合わせと顔合わせのために、ここに来ていたらしい。

「確かミッドを守るための開発をするんですよね」
「えぇ、そうよ。地上本部と連携しながら作っていくことになるわ。それに我らがリーダーから具体案も出されているし、春から忙しくなるわね」
「母さんから?」

 本来の歴史ではプレシアはミッドチルダを追放されている。一緒にいた開発チームも事故の責任を取らされ、仕事を追われた者や信頼を落としてしまった者もいた。そんな暗い未来から、地上部隊が救い出してくれたのだ。すぐにでも恩に報いたいと、開発チームの誰もが精力的に働いている。

 嬉しそうな同僚さんの様子にアルヴィンはホッと息を吐く。ヒュードラの開発の時はかなりやつれていたから、なんだかんだで心配していたのだ。あの頃は暗黒面がよく「こんにちは」をしていたが、本来はちょっと暴走気味なだけだとたぶん思われる女性なのだから。

「ところで、バリアジャケットの案について相談にのって欲しいんですけど……」

 近況報告やおしゃべりも終わり、アルヴィンは目的を口にする。それに目の前の2人は顔を見合わせる。そして男性は考えるように腕を組み、女性はキラキラした目で見つめてくる。それにアルヴィンは安全牌だろうと、キラキラした視線から極力目を逸らして隣を見据えた。

「ふむ、私はあまり魔法を使わないから参考になるかはわからない。だけど、自分のポジションに合わせた選択をするべきだろう。坊やはレアスキルがあるから、わざわざ接近する必要も、距離を取る必要もないわけだ。個人的にスピードよりもいかに自分の最も得意とするポイントへ転移できるか、を主軸に置いた方が効率がいいかもしれん」

 かなりまともなご意見にアルヴィンはすぐにメモを取った。

「えー、そうかな? 私はスピードがある方がいいと思うよ。高速戦闘のいいところはやっぱり爽快感じゃない。こう素早く相手の懐に入ってホームランすると気持ちいいもの。私も基本装甲なんてつけてないし、急所を守れればOKよ!」
「……常々思うが、なんで君は研究者なんだ。やばい、い、胃薬……」

 アルヴィンは素で反応に困った。



******



ケース③ ちきゅうやの愉快な仲間たちの場合


「そんなこんなで現在バリアジャケットの案を考えています」
「そんなこんならへんが色々おかしい気がするのは俺だけか」

 ちきゅうやで店番をしていたエイカは、いつも通りわけがわからないやつだ、と適当にあしらっていた。しかしそんな程度じゃめげないアルヴィンはそのまま話を続ける。

「というわけで何かないかな。ちなみにエイカならどんな服を作る?」
「あ? まぁ、俺なら……」

 そこまで言って途中で途切れた言葉。エイカの視線がある場所でぴたりと止まる。そこはよく訪れるようになった日本のアニメコーナー。そこに映るのは金髪ブロンドの髪に、きらきら衣装と白タイツ。アルヴィンは慌てて話題を変えることにした。わりと必死だった。


「あら、なにかにぎやかだと思ったら2人とも来ていたのね」
「あ、いらっしゃいませ」
「……らっしゃい」

 ちきゅうやに入ってきたのは20代ぐらいの女性。さらりと揺れる栗色のショートカットと切れ長の瞳。傍から見ると知的美人って感じで近寄りがたいが、そこは彼女の温和な微笑みが崩している。アルヴィンはちきゅうやの常連客のお姉さんだ、とすぐにわかった。

「こんにちは。今日も服を見に来たんですか?」
「えぇ、いろんなお洋服を見るのが楽しいんですもの。日本というところにある着物なんて、特に興味があるわ。柄も素材もミッドでは珍しいから」

 彼女自身は医療魔導師として手腕を振るっているが、普段は裁縫が好きで、服作りにはまっているらしい。着物に惚れ込んだはいいものの、そのかなり高額な値段に足踏み。なら自分で作ればいいじゃない、と1から勉強しているようだ。わりとガッツがある。

 アルヴィンはこれは聞くべきだ、と常連のお姉さんにバリアジャケットの案を聞いてみた。彼女も大変興味がある分野だったからか積極的に意見をあげてくれる。アルヴィンは最初からこの人に聞いていたらよかったかもしれない、と心のどこかで思った。


「お、アル坊来ていたのか。何? バリアジャケットの案を考えているだと。そうかそうか」
「いや、もうだいぶ意見は聞けましたから。店主さんの意見は十分です」
「それならそうと早く言えばいいものを。変身魔法のことなら、このちきゅうやに案などいくらでもあるだろうが」
「すいません、話を聞いてください」

 店の奥から湧いて出た店主さん。ちきゅうやを最後に回した理由の張本人ご登場。絶対まともな案が出ないと思うから参加しないで、と心からアルヴィンは思った。たじろぐ友人が面白いのか、いつもからかわれているお返しかエイカはそれをニヤニヤと見つめていた。

「いいじゃねぇか。店主の意見ぐらい聞いてやれよ」
「エイカさん、俺いじめて楽しい?」
「すごく」

 いい返事だった。なるほど、いじるのってちょっと楽しいかもしれない、とエイカは思う。確実に友人の悪影響が原因だった。

「そうだろそうだろ。というわけで、見よこの変身スーツを! 素材バッチリ、通気性もバツグン! 覆面もあるから問題ないぞ!」
「問題ありすぎでしょ! 黒の全身タイツって、なんで敵側の衣装引っ張ってきたんですか!? そこはせめてヒーロー側持ってきてくださいよ!」
「注文が多いやつめ。ならヒーロー側ならこれなんてどうだ。科学忍者隊変身スーツ」
「さっきから全身タイツばっかりなのは嫌がらせですか、こんちくしょう!!」

 エイカが腹抱えてむせていた。常連のお姉さんはのんびりと「大丈夫ー?」とエイカの背中をさすっていた。この状況下でペースを崩さないあたり、さすがはちきゅうや常連客ということだろう。



******



 結局なんだか混沌とした何かで終わってしまった気がする。俺は書き疲れた手首をぶらぶら振りながら、家のソファに身体を沈めた。ちきゅうやのお姉さんとはまた今度話し合いの場を持たせてもらおう。店主さんがいないところで。

「それはそれとして、色はやっぱり黒系がいいよな。俺の魔力光は藍色だったはずだから、青系もちょっと混ぜる感じでもいいかもしれない」

 デザインは俺が考えるより、お姉さんにお願いした方が無難だろう。それならどういう性能にするべきか考えておくべきか。強者さんが言っていた通り、俺には『瞬間転移』があるんだからそれを主軸に決めるのが当然だよな。

 ならもしもの戦闘時などで、転移を使うなら俺はどのように使うだろう。転移があれば、まず相手に近づくのも簡単だ。接近されてもすぐに距離をあけられる。俺は母さんと同じロングレンジタイプの魔導師になるだろう。なら大切なのは、いかに相手との間合いを掴めるかだ。

 転移は相手の急所となる間合いを一瞬で作り出せるのだ。そう考えると恐ろしい。あれだろ、要はなのはさんがどこにでも現れるようなものだろ。それは大魔王すぎるような気がするけど。

 というか、転移でとびまくりながら四方八方から魔法を打ちまくるとか、相手の居場所さえわかっていれば爆弾みたいなのものを転移で送り届けるだけでも爆散できるとか、むしろ不意打ちで転移発動させればリアルいしのなかにいる状態も可能なんじゃ……。

「……あれ? もしかして、転移って実はめちゃくちゃ凶悪なものだった?」


『……一応聴きますけど、ますたーの持つレアスキルの認識は?』
『どこでもドア』


 その昔。5歳の誕生日の時に話した内容が、記憶の奥底から思い起こされる。コーラルが俺の返答に無言になった理由を、ようやく俺は知ったのだ。

「……とりあえず、みんなの意見をまとめることにしよう。そうしよう」

 心の平和って大事ですよね。そんなわけで、俺は無心になってメモ帳に書き込むことにしました。

 

 

第三十二話 少年期⑮



「いやぁ、絶好の登校日和ですなー。あ、アリシア。そこのジャムとって」
「はい、お兄ちゃん。うん、今日は天気がよくてよかったねー」

 俺とアリシアは優雅に朝食を食べながら会話をする。今俺たちが着ている服は私服ではなく、白を基調としたデザインと水色がアクセントの制服である。藤紫色のズボンとスカートは落ち着いた色合いで、爽やかな感じだから俺は結構気に入っていたりする。

 アリシアにお礼を言って、母さん手作りのリンゴジャムをパンに塗っていく。次にアリシアも俺からジャムを受け取り、パンに塗ろうとして、その手が止まった。

 どうかしたのか、とパンを食べながら思っていると、妹は真剣な表情でジャムのスプーンを構える。すると突然ジャムアートを始めだした。ジャムの量をスプーンで調節しながら、ものすごく集中している。

「アリシアって器用だよな。何描くんだ?」
「今ならお兄ちゃん直伝の『かっこいいポーズ』が描ける気がするの」
「……そうか。確かに朝日には脳を活性化させる力があるって言われているしな。何かが降りてきてもおかしくないか」
「そこで納得するあたりがあなたらしいわ」

 着替え終わった母さんがリビングに顔を出し、俺とアリシアの様子に肩をすくめる。この家では、唐突に何か行動を起こすことぐらい、もはやおなじみの光景なのだ。今俺がいきなり踊り出しても、家族の誰一人としてそこまで気にしないだろう。積み重ねてきた歴史がこの家にはある。うん、なんか深い。

 リビングに飾ってある鏡を見ながら、髪と服装を整える母さん。淡い藤色のスーツを着込み、その上に白衣を羽織っている。その姿はまさに研究者って感じだった。

「開発チーム復活、かな」
「ふふ、そうね。今日は話し合いだけだから早く帰って来れると思うわ。2人は学校から帰ってきたらどうするの?」
「あ、今日はねメェーちゃんたちと遊ぶの!」

 声を弾ませながら話す妹に、俺もつられて笑みを浮かべる。少し前に入学式が終わり、本日3日目の学校登校日である。さすがに俺も最初は緊張してしまっていたが、それなりに要領がわかってくるものだ。環境が変わっても根本はなかなか変わらないものだろう。

「あら、いいわね。お友達がいっぱいできたみたいで安心したわ」
「いっぱいというか、……まぁ、もともと知り合いだったしな」

 近所で遊んでいるんだから、そりゃ住んでいる地域だって同じところだよな。学校では初対面の相手は確かに多かったが、公園で遊びまくっていた俺にとっては、見知った顔も多かったわけだ。

『……あの、お二人とも。ものすごくゆっくりしていますけど、始業時刻までそんなにないですよ』
「あ、本当だ」

 コーラルの声に時計を見ると、始業ベルが鳴る15分前。ここから学校まで約20分ぐらいはかかるので、普通に遅刻確定である。いけねー、おしゃべりに夢中だった。未だに子どもニートだった時の癖が抜けていないらしい。

「……というわけでアリシアよ。準備OKでありまするか」
「うん、ありまする!」
「いってらっしゃい。気を付けてね」

 コーラルの忠告後も、俺たちは綺麗に朝食を完食した。それから『ごちそうさま』をして、すぐに学校指定の茶鞄を手に持つ。母さんの言葉に返事を返し、俺たちは手を握った。それでは、いってきまーす。


 転移。

「お、おはよー。少年A、B。みんなはまだ学校に来てないのか。遅刻か?」
「おはよう、アー君、ティオ君」
「あ、おはよう、アルヴィン、アリシア」
「おはよう、2人とも。あと、遅刻云々だけは君には言われたくないと思う」

 学校に転移した俺たちはすぐに教室に顔を出し、顔なじみの2人に挨拶をする。明るい茶色の髪のほわぁーとしたのが少年Aで、半眼で俺にツッコんでいるのが少年B。普通に公園でいつも遊んでいるメンバーである。あと一応だが、転移登校は余裕がない時以外は使わない。歩くのは普通に好きなので。

 ちなみに俺が転移を使えることはみんな知っていたりする。学校初日に配られた大量の教科書や荷物(2人分)を保護者説明会に来ていた母さん1人に持たせるのは大変ということで、転移でスパスパ捌いていたら先生に呼び出されたからだ。気持ちはわかるけど…、と何とも困った顔が印象の担任の先生だった。

「しかし、相変わらず新鮮味がねぇな。学校っていう新しい環境に来たのに、メンバーはほぼ一緒じゃんか」
「そうだねー。昨日も公園で遊んだばっかりだし」

 少年Aは俺の言葉にうんうんとうなずく。周りを見渡すとちらほらと遊んだことがある子どもが何人もいる。そいつらと目があったので、手を振ったら振りかえしてくれた。自分で言うのもなんだが、俺はそれなりに顔が広かったらしい。

「……それじゃあ、新しい環境になったということで、『少年B』っていう呼び方をそろそろ変えてほしいんだけど」
「えー、俺の中で定着しちゃっているし」
「そのあだ名をつける癖なんとかならないかな。まぁ、まさかと思うけど、僕たちの名前を忘れてはいないだろうけどさ。……何で目を逸らすんだ」

 少年Bの話に一瞬目が泳いでしまったが、とりあえず笑顔でごまかした。いや、忘れてはいないよ。気づくとど忘れしていることはあるけど、所要時間30秒ぐらいあればたぶん思い出せるよ。


「ごきげんよう、みんな。ティオール、アルヴィンがまた何か変なことでもしたの?」
「あ、メェーちゃん。おはよう」
「ん、メリニスか。おはよう。珍しいね、いつもはもっと朝早いのに……あ、リトスも一緒だったのか」
「……おはよう」

 少年B――ティオールに声をかけた柔らかい金髪を肩口で揃えた女の子。アリシアの髪はキラキラした感じだが、彼女の色は大人しく優しい色合いという感じだろう。俺もアリシアと同じように「メェーちゃん」と呼ばせてもらっている少女だ。なんか羊みたいな感じだし。

 そんな彼女の隣を一緒に歩いているのが少年E。相変わらず眠そうというかぼぉーとしている。ちなみにメェーちゃんはデパートで顔面強打しても復活する女の子で、少年Eはプチプチ王決定戦の王者である。地味に濃いな。

「というか、メェーちゃん。また俺が変なことしているってひどくない?」
「え、違うの?」
「いや、そんな純粋な目で見られると、そうだけどとしか答えられないけどさ」
「答えるのか」

 メェーちゃんと少年Bにジトッとした目で見られた。アリシアと少年Aの方を向くと、不思議そうに首を傾げられる。君たちはそのままでいてください。

 ちなみに少年Eはそのまま荷物を机の上に置き、教室の端の方に張ってある用紙を見に行ったのを横目で確認。『給食の献立表』。おい、来て早々やることが飯の確認か。

「別にちょっとぐらい色々したっていいだろ。だってさ、基本このメンバーの中での俺の役割って、騒ぎのきっかけを作るか、騒いでいる途中でさらに燃料投下をするかぐらいの感じじゃんか」
「あー、確かに」
「アレックス、そこ納得しちゃだめだ。普通に性質が悪いだけだから」


 とまぁ、こんな感じで朝はおしゃべりをして過ごすのが学校での俺たちの日課だったりする。お互いに気心が知れているので、結構みんな遠慮容赦がない。学校ではだいたいこのメンバーと一緒にいることが多いので、本当に退屈しない。

 少しして先生が教室に入ってきたため、俺たちはまた後で、と声を掛け合って自分の席に座った。入学して間もないため、名前順で席が決められている。俺の席は教室の真ん中ぐらいで、アリシアの後ろになる。アリシアがそっと俺の方に振り向き、小さく手を振ってきた。俺もそれに振り返し、先生に見つからないうちにお互いに前へ視線を向ける。

 まだ学校では、本格的に授業には入っていない。今日は学校の施設を見学するオリエンテーションの時間になると、昨日先生が連絡してくれたし。その詳しい説明を始めようとする先生を見ながら、口元に笑みが浮かぶ。

 なんだかんだいって環境が変わることに不安はあったが、正直楽しみな気持ちの方が強い。2回目の学校だけど、つまらないと思わないのはここが異世界なのも大きいだろう。魔法という新しい教科に、新たな学問。そして新たな人間関係から始まる新しい日々。

 俺とアリシア、それに空気が読める少年Aとツッコミの少年B、意外に厳しいメェーちゃんに不思議君の少年E。みんながみんなものすごく個性的だから、そんな彼らと作る学校生活に期待を持ってしまうのはおかしいなことではないだろう。…………ん?

 あれ、ちょっと待てよ。ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……うん、1人足りなくないか。俺は目だけで辺りを見渡すと、右側の席が1つ空いていることに気づいた。やべっ、あいつのこと忘れてた。


「はい、それではみなさん。さっそく今日の出席と健康観察を――」
「よっしゃぁーー! たどり着いたッ!! あ、先生おはようございます! あと俺、超元気です」
「……おはよう、ランディ君。うん、間違いなく元気ね」

 先生が出席確認をする直前に滑り込みで入ってきた少年C。友人の中で一番騒がしく、ある意味俺以上にどこかぶっ飛んでいたりする少年であった。

「うーん、始業時間は過ぎているから遅刻は遅刻なんだけど、もしかして通学中になにかあったの?」

 先生は健康観察表に「ランディ君超元気」と呟きながら書いている。出席簿にチェックをつけながら、少年Cを心配そうにじっと見つめる。その視線を受け、少年Cは頬を少し赤く染めながら頭を掻いた。

「実はコッペパンを口にくわえながら、曲がり角を曲がり続けることに夢中になりすぎて遅刻しました」
「あれ、おかしいな。理由聞いたのに全然理解できない」
「学校が始まったら絶対やりたいと思っていたんです。これは自然に運命の出会いフラグをたてられる王道シチュエーションだって友人から聞いたんで」

 おい、俺の方を見ながらしゃべるな。俺はまだまだあきらめないぜ、みたいな顔でサムズアップすんじゃねぇ。それは女の子がやるから王道なんだよ。なんでお前がやっているんだよ。

「9回目ぐらいでパンを全部食っちゃったので、慌てて走ってきました」
「『自然』と『運命』って言葉を先生と一緒に習おうか」
「次はもうちょっと家を早く出てからやります。すいませんでした!」
「失敗から学ぶことは立派ですね。素直にほめられないけど」

 やめる気が一切ない宣言を清々しい表情で告げた少年Cに、先生は後で放課後お話しようね、と哀愁漂う笑顔で伝えていた。


「……ここで俺が『そこはトーストくわえなきゃダメだろ!』って乱入したらダメかな」
「絶対やめろ」

 左隣に座っていた少年Bに頭をはたかれた。



******



「とりあえず始まりました、オリエンテーション!」
「始まったー!」

 ドンドンパフパフというノリで告げる俺とアリシア。先生からもらったプリントを眺めていたみんなから仕方ないなぁという感じに拍手をもらえた。優しいね、お前ら。

「えっと、今日は校舎をまわってどんな施設があるのかを知ることと、場所を覚えることがめあてだよね」
「うん。印の付いているところに行くと、上級生の先輩がスタンプを押してくれるらしいよ」

 メェーちゃんと少年Aの話の通り、手元のプリントにはオリエンテーションの説明が書かれている。そこに校舎の案内図とスタンプが押せるスペースもついていた。校舎は全部で5号棟あり、4階建て。めちゃくちゃ広いけど、中等部の校舎とつながっているところにはバッテンがついているので、実際に見て回る範囲は狭くなるだろう。

 立ち入り禁止の場所には他の上級生の人が止めてくれるし、サーチャーで新入生の行動を先生方が随時確認してくれているらしい。迷子になったら誘導してくれるので、安全だしなんとも頼りになる。

「しかしクラ校って広いよな。マンモス校っていうの?」
「また変なあだ名というか略し方して…」

 正式名所が長い俺たちの学校。なので、クラナガンにある学校ということでクラ校と俺は命名した。まずはクラスに流行らせようと密かに計画を練っていたりする。

 そんなクラ校の地図を眺めながら、ミッドの学校について俺は思い出してみる。基本的にミッドの学校は義務教育ではない。一応10年制ではあるが、必ず入学する必要も、10年絶対にいる必要もないらしい。確かにエリオさんとキャロさんは学校に入学せず、管理局で働いていた。9歳のユーノさんは学校を卒業していたはずだ。たぶん飛び級したんだろうな、そういう制度あるし。

 初等部で5年。中等部で3年。あとは2年単位で自分の好きな上級クラス(高等部ともいう)に上がれるエスカレータ式がミッドでは主流だ。俺が今6歳だから、順調にいけば16歳ぐらいには卒業することになる。中等部で卒業すれば14歳だ。学生でいられる時間が短いんだよなー、ミッドって。

 もっと勉強したい人はさらに2年単位で積み重ねていけるから、20代で卒業する人もいるらしいけれど。日本でいうところの院に入っているようなもんだろう。大学はないけど、初等部から大学のようなカリキュラム設定なので、そんなものなのかと俺の中では思っている。


「よしっ、魔法練習室のスタンプゲットだぜッ!」
「ぴー、ぴかちゅー」
「超棒読み!?」

 少年Cとネタで遊びながら、着々とスタンプは集まってきている。こういうバカなことを率先してやってくれるのは基本少年C――ランディぐらいなもんだな。あといじる回数は学校で一番多いと思う。

 4つ目のスタンプが押されたプリントを折りたたみ、次の目的地を目指す。あと残っているのは図書室かな。無限書庫ほどではないが、なかなかの数があると聞いている。みんなで足を進めながら、俺は隣を歩いていたアリシアに話しかけた。

「アリシア、疲れていないか。お手洗いとかは大丈夫?」
「全然大丈夫だよ。ありがとう、お兄ちゃん」
「そっか。しかしなかなか広さがあるから、もはや探検って感じだな」
「本当だねー。……エーちゃんとクーちゃんとも探検したかったなぁ」

 アリシアのこぼした呟きに、俺もそうだな、と同意する。学校に入学してから気づいたことだが、エイカと少女Dは一緒にいない。少女Dはこことはちがうベルカ関連の学校に入学したと昨日の集まりの時に教えてもらった。公園で遊べることにはかわりないが、やはりちょっと寂しくはあった。

 そしてエイカは、学校自体に通っていないらしい。いつも通りちきゅうやで店番をしていたと店主さんから教えてもらった。学校は義務教育ではないのだから、通っていないことがおかしいわけではない。だけど、大抵の子どもは行っている場所なのだ。依然の態度から、学校のことについてあまり触れてほしくなさそうなのはわかる。でも、何もアクションを起こさないというのも不審がられるだろうか。……こっちはどうしたもんか。

「お兄ちゃん?」
「ん、あぁ大丈夫だよ。少女Dの学校とは時々交流会があるらしいし、イベントでいっぱい遊べるさ。それに、なんだったら今日はみんなで探検ごっこして遊ぶのもいいんじゃないか。きっと楽しいぞ」
「わぁ、面白そう! あ、でも今日もエーちゃん来てくれるかな」
「一応声はかけているから来るんじゃね。いなかったら、デバイスの拡声機能で迷子のお知らせを流せばとんでくるさ」


 そんな風におしゃべりをしながら、俺たちは階段を上っていった。そして、渡り廊下を通った先に『図書室』と書かれているプレートを見つける。こうして迷わず来れたのも、メェーちゃんと少年Eの案内のおかげである。今日2人が朝遅かったのが、図書室を覗きに来ていたことが理由らしい。

「2人とも本が好きなんだね。俺は文字ばっかりだと眠くなっちゃうよ」
「あらそんなのもったいないわ、アレックス。本は素晴らしいんだから! 過去から続く培われてきた歴史や英知を感じ取れる瞬間。自分とは違う価値観や思想を知ることで、自分というものを見つめ直すことができる喜びだって―――」
「リトスもメリニスみたいに本の虫なのか?」

 メェーちゃんの本の虫スイッチを踏んでしまった少年Aが、涙目で助けを求めてきたが全員でスルーして少年Cの会話にのる。少年Eは無言でメェーちゃんを一瞥し、静かに首を横に振った。さすがにここまでではない、と無表情ながら誰もが彼の心の声を感じ取った。

「こら、君たち。図書室の入り口で固まっていたら他の人の迷惑になるよ」
「え、あっ、すいません」

 図書室の扉が開き、そこから出てきたのは上級生の女生徒だった。俺たちはその注意を聞いて慌てて謝り、口を閉ざす。そんな俺たちの様子に「いい子だ」と女生徒は口元に笑みを浮かべた。

「ここは様々な学年の者が、調べ物や勉強をするために集中する場所だ。次からは気を付けるようにな」
「はい。すいません、先輩」
「素直でよろしい。それと、いきなり叱って悪かったな。ようこそ、新入生諸君。―――歓迎するよ」

 先ほどまでの厳しい表情から、ふわりとあたたかい笑顔がこぼれる。キリッとした佇まいで、まだ幼さがあるものの、かなり綺麗な人だ。フレームのついたメガネをかけており、腰まで伸びた紫の髪を一つ括りにしている。なんだか委員長とかそういうのが似合いそうな先輩だ。

 そんな先輩の後に続いて、俺たちは図書室に入る。そこからカウンターの方に目立つようにチェックポイントと書かれている看板を見つけた。どうやらメガネの先輩が最後のスタンプラリーの担当だったらしい。


「お、もう1人美人系のお姉さんがいる」
「本当だ。あの人もスタンプラリーの担当の先輩みたいだね」
「へぇ、どれどれ」

 小声で話す少年CとBの会話に興味がわいたので、俺も覗き込むようにカウンターを見つめる。ただの野次馬根性だが、確かに遠目から見てもわかるぐらい目立つ髪色の人がいた。その人は俺たちとメガネの先輩を見つけるとニコッと笑顔を浮かべて、小さく手を振ってくれた。

「お疲れ様、レティ。その子たちで最後かしら」
「あぁ、図書室に来るのはこれで最後だろう。ハンコを押してやってくれ」
「もちろんよ。それじゃあ、用紙をお姉さんに渡してくれる?」
「は、はい!」

 どうやらメガネの先輩とこの先輩は友人同士らしい。雰囲気から親しいのがわかる。緊張した様子でプリントを渡すメェーちゃんがおかしくて、くすりと笑ってしまった。それにしても、なんだろう? なーんか、どこか既視感があるんだが……。

「ねぇねぇ、お兄ちゃん」
「え、どうしたんだ。アリシア」
「あのメガネの先輩さん……なんとなく同僚さんみたいな感じがする」
「……えぇー」

 同僚さんってあの同僚さんだよな。いつでも全力全壊(誤字あらず)で高笑いしている同僚さんのことですか。改めて見ても、きびきびしていて、すごく真面目そうな先輩なんだけど。……いや、同僚さんも傍から見たら優秀で知的美人っぽい感じなんだよな。傍から見たら。

 ……もしかして、俺の感じた既視感もそれなんだろうか?

「みんな、気を付けて教室に帰ってね。それじゃあ、私たちも片付けに入りましょうか」
「そうだな。ふぅ、しかし少し喉が渇いたな。教室に戻る前に私は何か飲み物をもらってくるよ」
「あら、それなら私の持ってきた飲み物がここに―――」
「いらない。私は君のそれを飲み物という分類には認めていない」

 全力で友人さんからの飲み物を拒否するメガネの先輩を見ながら、俺は首をかしげる。うーん、やっぱりわからん。まぁ、またどこかで会える機会があったらでいいか。そうしよう。俺たちは先輩方に頭を下げ、そのまま教室にむけて歩いていった。

 さて、あとは給食を食べたら今日は終わりだ。それじゃあ、今日も思いっきり遊ぶぞ!



******



 ―――そして放課後。

 えーと、コーラル。とりあえず音声機能ONにしてくれ。あと拡声器の音量は最大でお願いな。え、デバイスはマイクではないって? 今更何言ってんの。あ、ちょっと頭突きはやめてくれね!? お前防御魔法展開しながら攻撃するって卑怯だろうがッ!!


『あー、ごほん。テステス、マイクのテストちゅー。えー、それでは本番開始です。ただいまから迷子のお知らせをさせていただきまーす。迷子のお知らせでーす。クラナガンにお住まいの6歳ぐらいのお子さまを探していま―す。特徴はとにかくツッコミばっかりしています。あとお菓子が好きなので、あげると悪態付きながらもおいしそうに食べます。知らない人にお菓子をもらわないか微妙に心配してしまいます。……あ、どうしよ。なんか本当に心配になってきた。知らない人からもらっちゃだめだって後で言っておこう。とまぁ、そんな感じの子どもを現在探しております。お心当たりのある方は公園の広場まで、どうか誘導をお願い致しま―――』


 数刻後。


「てめぇ、本気で待ちやがれェェエエェェーー!!」
「エイカさーん。今日は追いかけっこじゃなくて、探検ごっこなんだけどー」
「知るかァッ! とりあえず一発どつかせろやァーーー!!」


「……学校行っても、全然変わらないわね。アルって」
「クーちゃん頭痛いの?」
「ううん、大丈夫よ。アリシアはアリシアのままでいてね」

 いつもと変わらないそんな光景。なんか学校卒業しても、アルヴィンのあの性格は変わらなさそうと思ってしまう友人一同だった。
 
 

 

第三十三話 少年期⑯



「うーん、やっぱりこれは習いたいなぁ…。でもそれだとこっちは諦めないとダメだし」
「珍しいね。アルヴィンがそんなに悩むなんて」
「ちょっとな…。少年Aは決まったのか?」
「いや、俺も全然できてない」

 早めに給食を食べ終わった俺は、先ほど先生からもらった用紙を片手に持って考えている。顎に手をあてながら一緒に参照用のプリントを見るが、なかなか難しい。やっぱり先生が言っていたように、家に帰って母さんと相談した方がいいのかなー。

 俺は食べ終わった食器とデザートのゼリーの容器を隅に重ねて置き、右手で鉛筆をくるくる回してみる。それにしても学校に通うようになって早1ヶ月。今更だけど、前世の日本に比べるとかなり授業スピードが速い。学校での約束事が終わったら、すぐに授業へと入ったからな。就学年数が少ないんだし、これは油断していたら置いていかれるな。真面目に頑張ろう。


 さて5月に入り、学校では新しい取り組みが1つ増えることになる。俺たちが通うミッドチルダの学校では、初等部の内から選択授業を取ることができる。1年生ということもあり、どちらかというと必修科目の方が多いが、週の6つぐらいを自分の好きな科目として選べるのだ。あと学年が上がればさらに選択授業は増えていく。色々な系統があるから、正直めちゃくちゃ悩んでしまう。

 前世の大学生時代に、受けたい講義を自分で選択したことがあったからやり方はわかる。だから試しに自分で組んでみようと思ったんだけど、もう白旗をあげたくなってきた。正直範囲が広過ぎる。魔法学だけでも数種類。それだけでなく機械類の操作や医療のやり方、さらに次元世界の歴史に料理の作り方までまさに多種多様なのだ。

 先生からは1年生で必要な学習は必修で大丈夫だから、選択授業は自分が受けたいもの、または興味があるものを選べばいいと教えてくれた。初めてなんだからそこまで難しく考えなくてもいいとも言われたが、適当に選ぶにはもったいなさすぎる。

「ちなみに、少年Aは絶対これは取りたいとかはあるのか? メェーちゃんは遺物関係や歴史学選考らしいから、もう決まったみたいだし」
「あぁ、確かにメリニスはもう将来が決まっているって話していたしね。俺は星とか宇宙が好きだから、そういうのをとってもいいかなって思ってる」
「へぇー、そうなんだ」

 みんななんだかんだで方向性が決まっているんだなー。俺は一度選択授業の紙を机に置き、まだ飲み終わっていなかったお茶のパックを口に含む。考え事しすぎると頭がオーバーヒートするしな。適度に冷却冷却ッと。

 それならやっぱり俺は、冒険家に将来なるために必要な勉強はしておきたいかな。次元世界に関する知識や現存する生物についても知っておいた方が、楽しみを増やせるし、危険だって減らせる。ユーノさんみたいに遺跡を巡るのも面白そうだろう。

「アルヴィンも一応やりたいことは決まっているんだから、決めるのは簡単じゃないのか?」
「あー、それがそうもいかないんだよ、少年B。実は半分ぐらいは選ばないといけない科目があるからさ。残り3つぐらいじゃ受けたい授業がなかなか取れなくて」
「え、放浪関係以外で取りたい科目がちゃんとあったの?」

 なんでそこでそんなに驚かれないといけないんだよ。あとそこは放浪じゃなくて、冒険と言ってほしい。俺たちの会話に聞き耳をたてていた少年Aにも目を見開かれるし、俺ってそんなにもふらふらしてばっかりいるか?

「ちなみに何を選んだんだ?」
「基礎のベルカ語と、古代ベルカ時代の歴史。あとはサーチ関係の魔法講座」
「……え、意外すぎ。サーチ関連の魔法は、冒険で使えそうだからわからなくはないけど。……というかアルヴィンって、ベルカ時代のことに興味があったのか」
「まぁ、そんなところかなー」

 小さく笑って適当にぼかしながら、俺は用紙と再び睨めっこする。正直こればっかりは仕方がないことだよな。無限書庫は検索魔法が使えないと、さすがに手も足も出せないぐらいに大量の本がある。ミッドじゃマイナーな魔法だから、練習するにも資料が少ない。なら教えてもらえるなら教えを乞うべきだろう。

 それと俺が調べているものがベルカに関係するものだから、やはりどうしてもそれ関連の資料はベルカ文字で書かれていることが多い。さらに俺の場合、古代ベルカ時代まで遡る可能性が高い。そうなったら古代ベルカ語も範囲にいれないと進まなくなるだろう。とても自習程度でなんとかなるレベルじゃない。

 さらに調べるにしても、古代ベルカ時代の系列がわからないとまとめることすらできない。聖王――ゆりかごの時代は古代ベルカの歴史では割と最近の方で、旧暦450年ぐらいのことだ。今から約500年前の出来事で、この頃はまだ比較的に資料が残っているらしい。

 だけどそれ以前になると、それこそ年号があやふやで先史時代なんて一括りにされてしまうような戦乱の時だ。それこそ『どこどこの王様の時代の~』とか『どこどこの国が勢力を持った時代の~』とかそんな感じで載っている。

 ……うん、わかるか。その王様何年前の人だよ。国なんて作っては滅ぼされている。さすがに覇王と冥王なら、冥王の時代の方が古いみたいなのはわかる。だけど、王と呼ばれていた人はそれなりの数いたし、それを時系列順に並べるのはさすがに難しい。国とかになったらお手上げだ。ならこれも勉強して補うしかない。

 ―――あれ、おかしいな。リリカルな世界って俺の記憶では、ファンタジー要素盛り込んだ熱血美少女砲撃ストーリーだったと思うのに。なんで俺こんなにも頭を使うことをしなきゃいけないんだろう。あ、ちょっと涙が出てきた。


「なんか、気分転換したくなってきた。自分の好きなことに全力投球をしたら、この気持ちなんとかなるかな」
「アルヴィンの好きなこと? 放浪といじりと妹のこと?」
「おい、少年A。間違ってはいないけど、俺の3要素がそれってろくでもなさすぎるだろうが」
「否定できないところが逆にすごいよね…」

 確かにふらふらするのは好きだし、いじるのも面白いし、シスコンと言われたら喜ぶけどさ。本当に否定要素がないところがあれなんだけどね……。

「なんか余計落ち込んできた。……でもこういう時こそ、テンションあげていかないとまずいよな」
「いや、君の場合それぐらいが一番いいと思う」

 少年Bがなにか言っているが気にしない。だけどただ騒ぐだけだと先生に迷惑をかけてしまうし、1人ではっちゃけても面白くない。ならば先生のお役にたちながら、クラスのみんながフィーバーできる何かが必要だろう。

 現在給食の時間も佳境に入り、先生の声掛けでおかわりが始まっている。先生が1人1人に余っている給食を配っている光景を見て、俺はひらめいた。今日の給食に出ていたみんなが大好きな食べ物。俺は視線を向けるとそれが1つだけ残っていることを確認した。これは間違いなく戦争になる。それを察した俺は、すぐに行動を開始した。

「先生! 俺食べ終わったのでお手伝いしてもいいですか?」
「アルヴィン君? あら、綺麗に食べ終わったのね。給食のお手伝いをしてくれるの?」
「はい。このままだと古代ベルカ時代のような泥沼の戦いが繰り広げられるかもしれないので、阻止するために立ち上がります!」
「給食だよ!?」

 お手伝いしたいと頑張って主張した気持ちは大切だし、……とりあえずやってみる? と俺に任せてくれたので、先生のご期待に応えようと思う。俺は配膳台の前に立ち、余っていた給食をその手に取る。すると、大勢の子ども達の視線が俺の持つ物に注がれる。やはり俺の判断は間違っていなかった。獲物を狙う子どもたちの目は本物だ。


「――諸君。俺の手の中にあるものが何かわかるかね」
「デザートのゼリー」
「いつもの無口っぷりが一瞬で消えたな、少年E」

 自分の好きなものに関しては本当にハッスルするねー。そんな風に思いながら、俺は手の中にあったゼリーを転移でとばしてみせた。それにざわり、と子どもたちからざわめきが起こる。それと同時に恐る恐る少年Bが代表して手を挙げた。

「えっと、アルヴィン。ゼリーをどこにやったんだ?」
「あぁ、あのゼリーか。ただじゃんけんをするのは俺がつまらないので、ちょっと趣向をこらしてみた。だから欲しけりゃくれてやるさ……、探してみろそのゼリーのすべてを教室のどこかに隠してみた!」
「なんてことしてんだ!?」

 え、宝探しって夢が広がらね? 普通にじゃんけんで決めるよりか、はるかに楽しいと俺は思うよ。ほら、気の早い子はもう宝探し始めちゃっているし。

「そう、宝探しはまさにロマン! 受け継がれるゼリーの魅力。時代のうねりによる品種改良。子どもの夢。これらはとめる事のできないものだ。子どもたちがゼリーを求める限り、食欲は決してとどまることは無い!」
「大変だ! リトスがごみ箱をひっくり返そうとしている!」
「え、どれだけゼリーが食べたいの」
「ふっ、まだまだ甘いぜ! 宝探しならたとえ火の中、水の中、草の中、森の中、スカートの中ッ……!」
「アレックス! 今すぐランディを取り押さえろ!」
「終わらぬ食欲がお前たちの導き手ならば、超えていけ! ものがゼリーの旗のも―――」

 あれ、先生? 俺の肩に手を置いてどうしたんですか。なんでそんなににっこり笑って、俺と少年Cを連れて職員室の方に行かれようとしているのでしょうか……。あれぇー。



******



「お兄ちゃんがスライムのようになっている」
「あれは仕方がないと思うけどね」

 アリシアとメリニスは机に突っ伏している物体を見て、それぞれ感想を言い合う。時刻は放課後。帰りの挨拶も終わり、各自で下校を始めている時間である。登下校中に何かあってはまずいため、必ず2人一緒に帰るのがテスタロッサ家の約束事にある。なのでアリシアはそっと兄の様子を一瞥し、1つうなずいてみせた。

 もう少ししたら普通に復活するだろう。アリシアはそう結論付け、メリニスに心配しなくても大丈夫と伝える。メリニスも「まぁアルヴィンだから…」と実に簡単に納得した。彼女らの中での、彼の立ち位置がよくわかる会話だった。

「そういえば、アリシアって今日の宿題はどうするの。何を書くかは決まった?」
「あ、あれだよね。うーん、書きたいものがいっぱいありすぎて困っている感じかな」

 『自分の好きなものについて書いてみましょう』

 担任の先生が出した本日の宿題である。特に生き物や食べ物などと決められていないので、文字通り自分の好きなものに対しての意見や感想を文章に書けば大丈夫であろう。ちなみにこれを聞いた少年Aことアレックスが、「とりあえず放浪といじりと妹以外で書けばいいか」と呟いて、周りから共感を得られたのは余談である。


 兄の復活を待つために、友人とさよならをしたアリシア・テスタロッサ。手持ちぶさたな彼女は、宿題の内容を考えることで時間を使うことにした。とりあえず1つ1つ自分が好きなもの、と言われて思いつくものを頭の中にあげていく。

 まずは動物たちだろう。それにケーキやお菓子も好きだし、身体を動かすことや勉強も好きだ。あと学校だって好きだし、友達も好き。彼女はここまで考えてむぅ、と首をひねる。メリニスにも言ったとおり、アリシアは書けるものがいっぱいありすぎることに困っていた。

「それでも1つに絞った方がいいぞー。書きやすいし、まとめやすいからな」
「あっ、おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう、妹よ。お兄ちゃんがスライムになっていても、まったく動じないあたりを成長として喜ぶべきか、悲しむべきか」

 何はともあれ復活した兄と一緒に、兄妹そろって帰り道を歩く。児童の下校時間の流れから少し外れているため、周りに子どもの姿はない。そんな中、海賊じゃなくて、インディさん関係でゼリー戦する方がよかっただろうか、と全く的外れなことを考えるアルヴィンを尻目に、アリシアは思い切って質問してみることにした。

「お兄ちゃんは今日の宿題で何を書くか考えてる?」
「ん? 宿題って先生が言っていたやつだよな。そりゃもちろん、放ろ―――いや。あの3要素はちょっと置いておこう。他に俺の好きなものだから…………卵かけごはんについてとか?」
「おぉ。なるほど、おいしいもんね」
「……だよな。そこがわかるとはさすがは我が妹」

 ぶっちゃけ今食べたいものがポロッと出てしまっただけのお兄ちゃん。だけど案外いけるかもと思い直し、思考を始める。もともと気分転換に、全力で何かに打ち込みたいと考えていたのだ。これは宿題なんだし、全力を注いで没頭しても悪いことになるわけがない。アルヴィンの脳内はそう結論付けた。

「そっかー。お兄ちゃんはもう決まっちゃったのか」
「確かに語りたいことがいっぱいありすぎるのはわかる。俺も卵かけごはんの素晴らしさについて語りたいが、多すぎるからな。項目ごとに分けていくのも1つの手だし、バッサリ切ってしまうことも大切だ」

 母さんに頼んで、今日は卵かけごはんを作ってもらって研究しよう、とやる気満々のアルヴィン。もともと好奇心が強く、何事にも積極的に取り組んできたアリシアとしても妥協はしたくない。ならば兄と同じように、身近に観察できる対象の方がいいだろう。

 そこまで考えて、アリシアはアルヴィンをじっと見つめる。自分が好きだと思うもので、尚且つ最も身近なもの。その答えをすぐに彼女は見つけたからだ。

「卵のとろとろ感を表現するには、絵もいれるべきか? いや、むしろここはコーラルに映像を頼んで上映会にするべきじゃないのか……」
「―――よしっ!」

 独り言をぶつぶつと呟く兄と、悩みが解決してすっきりした様子でガッツポーズをする妹。傍から見たら色々心配になる凸凹兄妹だが、本人たちはいつも通り幸せそうな様子で帰路を進んでいった。



******



「よぉー、エイカ! 繁盛しているか?」
「まぁな。……給料増えるのは嬉しいが、色々と複雑にはなるけどな」
「そう? 子どもネットワークを通じて、奥様方にアピールしたから結構話題にはのぼっているらしいよ」
「……ミッドがどこかへ行こうとしている」

 学校から家に帰り、制服から私服へと着替え終わったアルヴィンとアリシアは『ちきゅうや』に訪れていた。卵かけごはんの研究をするには、それを引き立ててくれる相棒食材の存在を忘れてはいけない! と力説したアルヴィンは食材を見に来たのである。

 アリシアはそんな兄にくっ付いてお店へと一緒にやって来た。宿題は大丈夫なのか、と不思議そうなアルヴィンにアリシアは笑顔でうなずいてみせる。なんせ彼女の宿題を完成させるには、このお出かけは必須なのだから。

「お兄ちゃんとエーちゃんって仲良しだよねー」
「はぁ? どこをどう見たらその感想が出てくるんだよ」

 呆れ顔のエイカに、アリシアは今までのことを思い出してみる。よくけんかをしたり、言い合ったりしている2人の姿。大抵はアルヴィンが色々やらかしていることが原因だが、エイカもそれなりに反撃するようになっている。それでも仲がいいと思うのは、そこに見えない信頼があるように感じるからだ。

 前にアルヴィンが転移を使えることを知らなかったエイカが、それを知った時に彼に詰め寄ったことがあった。何故そうなったのかはアリシアにはわからなかったが、2人が初めて出会った時のことで揉めたらしい。

 だけど少し時間をおくと、アルヴィンが笑いながらペコペコ頭を下げ、エイカは溜息をつきながらその頭を一発ペシッと軽くはたいて終わった。その後はいつも通りで、お互いに引き摺っている様子も全くなかった。そんな彼らの関係を表すのなら、まさにケンカするほど仲がいいである。

「むむ、これはネタに使えそうかも」

 アリシアの目がキラリと光る。改めて観察をしてみると新たな発見をすることができた。それに彼女はちょっと得した気分になる。アリシアは宿題のタイトルに『兄について』書こうと至ってから、ちょこちょこ観察をしている。結構楽しんでいるらしい。

「なぁ、妹はなんでメモ帳を片手に持っているんだ」
「調べものをする時は、これがスタンダードだってお兄ちゃんに教えてもらったから」
「……あれは、参考にしたらダメな分類の筆頭だと思うんだが」

 エイカのなんともいえない視線に、アリシアは理由がわからず不思議そうに首をかしげる。だがこの視線は、エーちゃんがお兄ちゃんを見るときによくしている目だ、ということには気付いたのであった。


「えーと、ツナ缶と鮭缶にのりだろ。あ、岩のりや味付けもおいしそうだなー」
「ねぇねぇ、お兄ちゃん。これはどう?」
「お、ふりかけか。それならこっちの種類が合わせやすそうだな」

 2人は調味料や食材を売っているコーナーに立ち寄って物色していた。ちきゅうやには日本だけでなく海外のものがいくつかあるため、見ているだけで楽しめたりする。だけどさすがにそれを試す度胸もお小遣いもないアルヴィンは、無難に日本のところから探していた。

「おや、アルヴィン君と……その子が妹君かい?」
「あっ、野球のお兄さん」
「やきゅう?」

 食材コーナーの近くにあったお茶コーナーにて、アルヴィンたちはちきゅうやの常連客のお兄さんと遭遇した。仕事大好きで、同僚の方々から枯れていると20代で言わしめた彼の買い物かごの中には、山となっている紅茶パックたち。とりあえず身体的には潤っていそうだ。

「はじめまして、アリシアって言います。野球のお兄さんよろしくお願いします!」
「ご丁寧にありがとう。うーん、まぁ野球のお兄さんでいいかな。間違ってはいないから」

 少し困ったように笑いながら、あだ名呼びOKの許可を貰う。事実大量の紅茶パックの隙間から見えるのは、野球のボールやグラブオイルなどの野球用品。さらにあまりに着こなし過ぎていて違和感がなかったが、彼が着ているのはユニフォームのようだ。

 そんなアリシアの彼の第1印象は、紅茶と野球が大好きな優しそうなお兄さんとなった。ちなみにアルヴィンの第2印象が、好青年から完全に野球青年に変貌してしまったお兄さん。彼に野球を進めたのは確かに自分なので、微妙に罪悪感がよぎる。でも本人楽しそうだからいいか、と相変わらずの結果オーライ思考で納得した。


「しかしすごい野球グッズですね。試合とかもできそう」

 アルヴィンは感心しながら男性の買い物かごの中を確認する。もともと趣味がなく、幼い頃から仕事一筋だったお兄さん。そんな時初めて触れた野球というスポーツに興味を抱き、そして趣味へと昇華されたのだ。

 趣味は人の心を豊かにする。さすがに野球は地球のスポーツなので、ミッドではできないだろう。だけど、ちきゅうやで野球を観戦したり、キャッチボールぐらいなら一緒にできるかな、とアルヴィンは微笑ましそうに想像していた。

「あぁ、ありがとう。実際、今度の休みに対戦するからね」
「…………え?」

 アルヴィンの顔が今日初めて引きつった。それに気づかず嬉しそうに話を進めるお兄さん。アリシアは珍しい兄の表情を逃さずにスケッチする。各自本当に自由である。

 対戦する。アルヴィンの中でこの単語がリフレインする。今までの会話の流れから対戦内容は野球だろう。だけど野球には9人のチームメンバーと、さらに対戦する相手が必要なのだ。人数は多少減ってもできるが、少なくとも1人ではできない。それはつまり、野球ができる仲間がいたということになる。


「最初は大変だったよ。やってみようと思っても、ミッドでは野球がほとんど知られていなかったからね」

 だが、彼は諦めきれなかった。賛同者が得られるのかはわからない、成功するのかもわからない。しかし彼の持つ幸運とその執念が見事に花を咲かせてみせたのだ。同じちきゅうやの常連客から密かに攻略を始めていき、その次にその賛同者たちとともに仕事場にも浸食した。彼の武勇伝を聞きながら、アルヴィンは素で冷や汗を流した。

「ちきゅうやで、地球の日本出身のご先祖様を持つ人物と接触できたのも大きかった。彼には十代の息子さんもいるみたいで、家族みんなで積極的に参加してくれたんだ。野球のルールもご先祖様関係で知っていたみたいだし」
「そ、それでチーム作っちゃったんですか…」

 何がやばいか具体的にはわからないが、とにかくとんでもない方向に変化球が打ち込まれているのは理解したアルヴィン。なんか俺、ノリで押してはいけないスイッチ起動させちゃったんじゃね、と少し反省していた。

「わぁ、チームってなんだかすごそう」
「はは、ここまで来るのになかなか大変だったんだよ。でも、そんな時間が楽しくもあったかな。チーム名を考える時も、みんなで相談し合ったのはいい思い出さ」
「そうなんだ」
「うん。そうだ、もしよかったら君たちも野球を一緒にしないかい? 仕事場から引っ張ってきた人が多いから子どもは少ないが、きっと楽しめるよ」

 そう言って、ズボンのポケットからチームのロゴと練習場所が書かれた名刺のようなものがわたされる。2人はそれを受け取り、実に対照的な表情を取った。キラキラと目を輝かせる妹と、おい嘘だろと現実逃避したくなった兄であった。


『管理キャットファイターズ』

 練習場所は管理局本局の練習施設。そこには野球帽子をかぶったかわいらしい猫がマスコットとして描かれていた。アリシアの中で、野球とお兄さんの好感度が猫でクライマックスになった。


「あの、お兄さん。『管理』ってついていますけど、まさかお兄さんが呼び込んだ仲間の人って管理局の人じゃ……」
「ん、そうだよ。管理局のみんなで始めたんだ」

 あぁ、やっぱり。小さくつぶやかれたアルヴィンの言葉は、誰にも聞こえずに消えていった。それから少しの間、腕を組んで沈黙する。考えて考えて、アルヴィンは導き出した結論に1つうなずいた。

「……うん。頑張ってくださいね、お兄さん! 買い物する時は、ちきゅうやに団体さんで来てくれると、もしかしたら割引がつくかもしれないですよ!」
「お、商売上手だね。楽しみにしているよ」
「はい、楽しみにしていてください!」

 もう色々手遅れっぽいし、それなら売上貢献だけでも頑張ろう。野球のように投げる結論を出したアルヴィンの顔は、とても清々しかった。やけになったともいう。

 アリシアはそんな兄を見ながら、お兄ちゃんは商売上手としっかりメモをしておく。この後、なんか没頭しないとやっていられるかッ! という具合に卵かけごはんに向かって一心不乱にのめり込んだ少年。そんな執心する息子の様子を見ながら、こういうところはお母さんそっくりねー、と微笑ましそうにプレシアは卵かけごはんを作ってあげた。

 いつも通り、テスタロッサ家はやはりどこかずれていた。



******



 そして次の日。学校では昨日出された宿題の発表会が行われていた。アリシアは自分が書いた用紙に描かれてある、大きな花丸に笑みを浮かべる。彼女の発表の後、お兄ちゃんが大好きなのね、と先生に褒められたのだ。お母さんとリニスたちにも見せなくちゃ、とアリシアは幸せな気分でいた。

「ここで注目してほしいのは、新鮮な生卵の甘みに醤油のコクが最も大切であることだ。だが、確かに他にも醤油の代わりに味塩をかける場合や麺つゆなどといった最高の組み合わせもある。そうこれは、1つの可能性を追い求めることは大切だが、新たな可能性を見つけ出すことも大切だと卵かけごはんが訴えてきているんだ!」

 ダンッ、と黒板の前に立って熱弁する少年。彼の後ろには先日映像記録として撮った、様々な卵かけごはんの魅力を余すことなく公開している。あと無駄にクオリティーが高い。これを撮ったコーラルというデバイスが、師と仰ぐ誰かさんの影響であったり、マスターのおかげで向上し、趣味とかしてふっきれた盗撮スキルのおかげだろう。

「アツアツのご飯を用意し、真ん中をくぼませる。さらにそこに溶いた卵を注ぎ込み、ご飯全体へと万遍なく行き渡らせる。とろっとした黄色いじゅうたん。かき混ぜることで起こる、箸から響く軽快なリズムと濃厚な香り。まさに卵とご飯のハーモニー!」

 少年の言葉はさらに力強いものとなっていく。引き込まれるクラスの子ども達。4時間目の授業ということもあり、先ほどから鳴り響く空腹という名の合唱。そして昨日のアルヴィンのように、どことなく冷や汗を流す担任の先生であった。

「想像してみてくれ。箸で1口掻き込む。口の中に広がるそのうまさ。止まらない食欲。それはまさに至高の1品。……だが、これだけではまだ終われない。こいつには最高の相棒たちがいる。共に掻き込むことで起こるシンフォニーはそれこそ―――」

 たまたま1年生の授業を見学に来ていた校長先生は、その瞳から一滴の感動を流した。


 それから数日後、学校の給食に卵かけごはんが出るようになったらしい。

 
 

 
後書き
Q:この小説でミッドチルダがオーバーテクノロジーだとちょこちょこ押していた理由は?

A:全ては給食で卵かけごはんを実現して欲しい! という作者の願望により衛生面を克服するための伏線だった。
 

 

第三十四話 少年期⑰



 春の優しく包みこむような陽気な暖かさから、お前ケンカ売ってるだろと言いたくなるような暑さへと変化してきた季節。学校ではそろそろプールが始まりそうな、そんな炎天下の昼下がりである。

 今日は休日のため学校はお休み。なので本来なら、こんな日のこんな時間はエアコンのガンガンにきいた部屋で涼みながら、そうめんをちゅるちゅると食べたい。それか川遊びや山の空気のおいしいところに行って、遊んでみてもいいかもしれないなー。あははは……とにかく建物の中とかに入りたいです。

「あー、あそこのお店涼しそうだなー」
「日陰で我慢しろ」
「いや昨今の熱中症をなめていませんか、副官さん。すごいですよやつらは」
「お前ならなんか大丈夫だろ」
「わーい、副官さんからの絶大なるしんらーい! って、俺ならとかなんかって何ですか!?」 

 頭がちょっとボォーとしすぎていて、危うくうなずきかけてしまった。俺が6歳児の子どもに見られていないことはわかる。だけど副官さんと同じ人間という生命体ではありますよ? 最近の俺に対する副官さんの言葉が、果てしなく疑問なんですけど。

「大きな声を出すな。なんで俺たちがこんなことをしていると思っているんだ」
「え? そりゃストーカーをするた―――」
「ミッドの平和のためだろう」

 自分で聞いといてさえぎってきたよ、この人。俺は半眼で見上げてみるが、全くダメージを受けた様子はなく、先ほどと同じように壁からひっそりと覗く作業に戻っている。傍から見たら完全に不審者である。もうやだ、帰りたい。

 本当になんでこんなことになっているんだろう。途中までは普通に涼しいお店に入って、ランチを食べようとしていたじゃん。ほんの数十分前は、冷たいそばや辛いカレーとかもいいよねー、って夢をふくらませることができたのに。なんでこんな炎天直下の中で、男2人で尾行なんかしているんだっけ。

「……っ! 動きがあったぞ。おい、今度はあっちの建物の裏に転移しろ」
「副官さんって、今更だけど向こう見ずな性格だよね…」

 俺はとぼとぼと歩いて近づき、副官さんの服の袖を掴む。これが終わったら俺、特別給として『特大ギガウマアイス』という名前の未知の食べ物を奢ってもらうんだ。さすがに自分のお金で買うには怖かったので。

 そんなことを考えながら、俺は今まで隠れていた場所から移動するために転移を発動した。



******



 ―――今日俺は、地上部隊の方に足を運んでいた。

「それじゃあ、次はこの物資をミッドの東支部に送り届けてくれ。先方には事前に知らせておるからの」
「わかりました。えーと、地図地図っと…」

 総司令官に指示された場所を、もらった地図を眺めながら確認する。大雑把に適当なところへ転移させたらまずいため、初めて送る場所にはだいたいこんな風な作業をしている。自分ではなく、人や物だけを送る場合は、特に気を付けないとまずい。

 自分の家とか今いる地上本部みたいな俺がよく知っている場所。というか俺が訪れたことのある場所なら、こんな風に準備をする必要はない。頭の中でここらへんって目星が付くし、俺のイメージにそって転移してくれるからだ。

 でも初めての場所だと、細かい調整ができない。今だってもしミッドの東支部に行ってこーい、なんて感じで転移させたら、下手したら物資が届かない可能性が出てくる。管理局が管理している支部は1つではないため、うっかり届け先と違う別の東支部に送ってしまうかもしれない。もしうまく届いても、東支部のどっかに届きました、になったら局員全員で宝探し開始である。

 なので、まずは地図でしっかり場所を頭の中に叩き込み、次に総司令官から指定場所の情報と届け先の写真などをもらうことにしている。イメージが深まれば、届けてほしい場所に早く正確に送れるのだ。これはこの仕事を始めて、俺が知ったことだ。

 今まで初めていく場所には、旅行パンフレットなどで事前に調べてから転移していたけど……これは適当に転移しなくてよかったかもしれない。アリシアがいたから、危険がないようにかなり吟味していたからな。無意識のうちにイメージが深まっていたのだろう。実際事故直後に無我夢中で転移を発動させたときは、どことも知れぬ森の中だったし。


 あと俺の転移は、どうやら場所を基点として転移するらしい。これもここに来て気づかされたことだ。総司令官から「誰かに向けて送ることや誰かの傍に転移はできるのか?」と質問されて、試してみたができなかったのだ。俺が見える範囲でならできたけどね。

 副官さんに手伝ってもらい、俺の目の離れた場所に移動してもらう。そのあと、副官さんに向けてとぶように転移を発動したら、不発で終わってしまった。でも副官さんがいる場所を教えてもらった後ならしっかり発動したのだ。まぁ確かに、思えば俺が冒険したいがためにもらったものだからな。生き物を基点にはできないらしい。

「できたら次元犯罪者どもを一網打尽にできたというのに……」
「目の前に次々と管理局員が送られるって、犯罪者にとって超悪夢ですね」

 俺はおじいちゃんのその発想に超びびったよ。もしそうなっていたら、俺は絶対に働きづめにされていたな。


「ほい、転移っと。……総司令官届きましたか?」
「うむ、今連絡をもらった。無事届いたみたいじゃな」

 おじいちゃんのその言葉に俺は安堵に息を吐いた。さっきまで頭の中で思っていたことは、実際にやらかしてしまった失敗談だったからな。別のところに届けるとか、宝探しをさせてしまったとか。

 おじいちゃんは「始めは失敗が付きものじゃ」と笑ってくれたが、迷惑をかけてしまったことに変わりはない。謝罪文を総司令官に書かせてしまったことも事実だ。仕事をすると決めたのは俺なんだから、責任は持たなくてはならない。

「そんなに肩に力を入れ過ぎると疲れるぞ。緊張するなとは言わんが、適度に余裕をもっておらんとな」
「それはそうなんですけど」
「失敗しないように気を配るのは当然じゃ。そのために努力をするのもな。だが、人間は失敗をしてしまうものだ。そんな時ぐらい上司を利用しろ。少なくともお前の上司は、頑張っとるやつを無下にはせん、できるやつじゃからのぉ」

 かっかっか、と豪快に笑う総司令官に俺はくすりと笑ってしまう。それ自分のことできる上司だぞー、っていうことですよね。確かにそうなんだけど、それ自分で言っちゃいます? 俺はそれがおかしくて、また笑ってしまった。

 ……本当に、こういうところが総司令官らしいや。


「とりあえず、これで今日のお前さんに頼むものは終わりだ」
「あ、はい。了解です」

 結構早めに終わったな、と思いながら俺は近くのソファに座り込む。この地上本部に来て以来、ずっと座らせてもらっているが相変わらずのフカフカさ。絶対これ高級なものだ。うん、というわけで遠慮なく堪能させてもらおう。

 それにしても、地上部隊で活動するようになってもう半年ぐらいになるのか。俺ももうすぐ誕生日をむかえるし、早いと言うべきかようやくと言うべきか。ヒュードラの事故があったのは、ちょうど今日のような暑い日だったな。……そうか、あれからもう1年経ったということか。

 ヒュードラの暴走事故。これは、物語にとっても俺にとっても大きな転換期となった。俺の生活なんてそれこそガラッと変わった。クラナガンに引っ越して、友達ができて、学校に行って、管理局と関わりを持っている。

 俺の家族だって、アリシアは友達と一緒に遊びに行ったり、母さんは生き生きと魔力駆動炉の開発を続けているし、リニスはこのクラナガンの動物たちの元締め姉御として君臨している。……正直誰でもいいから、降伏ポーズを見せる動物の群れの中心に、家の猫を見つけてしまった時の俺の気持ちを考えてほしい。リニスと交渉したらそいつらもふれるかな、と1番に考えてしまった俺が言うのもなんだが。


「失礼します。ただ今戻りました」
「ん、ご苦労だったなゲイズ」
「あ、おかえりなさい。副官さん」

 執務室にノックが響き、そこから見慣れた人物が入室してきた。防衛長官の秘書であり、右腕である副官のゲイズさんである。ちなみに俺が珍しくちゃんと名前を憶えているのは、おじいちゃんが呼んでいるからという簡単な理由。副官さんから呼び方を注意されたことがないので、俺はいつも通りに呼ばせてもらっているけど。

「なんだ。アッシーは終わったのか」
「なんか俺のレアスキルが、どっかの湖に出没しそうな呼び方で定着しそうになっている」

 能力名が『瞬間転移(アッシー)』になったらマジで恨む自信あるぞ、俺。

「実際、局員の移動や荷物を転移で送り届けるのが仕事だろ。それにクラナガンで犯罪が起きた時は、すぐに局員を現場に派遣できる」
「そりゃ、クラナガンの地図を覚えろって1番最初に無茶ぶり言われて頑張りましたからね。地理は好きだったからいいですけど」

 さすがに整備されていない場所や裏道は無理だが、だいたいの場所は頭の中に入れることはできた。クラナガンの中でなら、好きな場所に転移できるし、送り込むことができる。総司令官と副官さんにここは特に力を入れて教え込まれたからな。人を送るのだからなおさらだろう。

「かっかっか。そうふて腐れるな、おかげで検挙率は上がったんだ。それに荷物の護送や移動手段、物資の補給などに経費や人材をさく必要も減った。十分助かっとるわい」

 俺としても能力のことを新しく知れたり、給料はもらえるし、長時間拘束されることもない。総司令官なりに配慮もしてくれるから、大変な作業だってこなそうと頑張れる。それに目に見えて成果が出てきてくれるのはやはり嬉しいものだ。

 俺のレアスキルの使い方もそうだが、この人は人を使うのが上手いと思う。それに飄々とした食えない性格。さすがは噂で、地上本部の狸爺と言われているだけある。そういえば、Stsではやてさんが狸って言われていた気がする。それってこの人の後任になるような感じなのかな。

 副官さんなんだかんだで、おじいちゃんのことを尊敬しているからな。もしかしたら俺の知らないところで、原作でははやてさんを目の敵にしていた、なんてことがあったりしたのかな。小娘がその程度で狸を受け継ぐつもりか! って。……さすがにそれはないか。ツンデレな副官さんとかキャラが濃すぎるだろ。さすがにそんな原作の方がいたら、俺だって覚えているはずだ。


「そうだ。そろそろ儂らも休憩時間じゃな。昼食でも食べるとするか」
「そういえば、お腹が空いてきましたね」

 部屋にかけられている時計を確認すると、確かにそれぐらいの時間になっていた。総司令官と副官さんも俺と同じように時計を見て、それから手にしていた書類や資料の片付けに入る。俺はお昼ご飯をどうしようか悩んでいると、ふと思いついたかのようにおじいちゃんが俺と副官さんの方に振り向いた。

「そうじゃ。せっかくだから、2人で一緒に飯でも食いに行ったらどうだ?」
「「えっ」」

 反射といってもいいぐらいのスピードで2人同時にハモった。

「いえ、総司令官それは……」
「儂なら気にするな。かわいい孫が作ってくれた弁当があるからの」
「えっ、副官さんがお弁当を!?」
「作ってないッ! 孫=俺という認識をいい加減取り消せ!!」

 おじいちゃんが今言ったお孫さんは、正真正銘血のつながったお孫さんらしい。なんでも副官さんと年が近い方のようだ。へぇー、どんな人なんだろう。

「でもお昼を一緒とかいいんですか?」
「かっかっか、子どもが遠慮なんかするでない。儂から2人にお小遣いもやるから、おいしいものでも食べに行ったらいいさ」
「奢り! おじいちゃん太っ腹!」
「本人無視して話を進めないでください。そして私はお小遣いをもらう年ではないですから!」


 そんな感じで色々あったが、休憩時間がもったいないのとお腹がすいたままなのはあれなので、一緒にお昼ご飯を食べにクラナガンの街へ出ることになった。今から食堂だと混雑しているらしいし、転移があるから行き返りも楽なため外に出ることにしたのだ。日差しが暑いので、早めに店を見つけようと思う。

 俺と同じように店探しのためにきょろきょろしていた副官さん。すると、その目がふいにピタッと止まった。歩みも止まり、立ち尽くす副官さんにいい店が見つかったのかと嬉々として俺は声をかけた。

「どこか良さそうなお店が見つかりまし―――ぐほッ!」

 いきなりヘッドロックをかまされた。

「あいつは確か…」
「え、何? 副官さんの知りあ―――うごッ!」

 さらに襟首を掴まれ、壁の方へずるずると引きずられた。これ完全に誘拐現場です。お巡りさん助けてくださーい。……いや、わかっているよ。この人がお巡りさんであることは。

 よくわからないが俺絶対何かに巻き込まれている。ようやく動きが止まって解放された俺は、掴まれていた襟首を直し、いつも通りの副官さんをにらみつける。こんにゃろう。さっきおじいちゃんと2人きりの時に教えてもらった『副官さんドッキリわくわくお誕生日パーティー』をさらに盛大なものにしてやる。

「副官さん、いきなりどうしたんですか」
「……間違いない。ブラックリストに載っていたやつだ」
「リストって」

 それってつまり次元犯罪者がいたってことか。俺は副官さんのように身を潜め、そっと窺ってみる。そこにはたった今店から出てきた副官さんよりも背が高く、大柄な男が現れた。フードをかぶっていたため顔はちらっとしか見えないが、確かになんか怖そうな人だ。その人を副官さんは射抜くように見ている。

 え、これまずくない。俺はサッと血の気が引いた。ここで物語の主人公とかなら犯罪者成敗! みたいな感じで戦って勝利するとか考えられるだろう。でも、俺はそんなことできない。襲われたら一溜まりもない。しかももし相手が魔導師だったら? 犯罪者が非殺傷設定をしたまま魔法を放つわけがない。これは早く逃げた方がいいんじゃないか。

「副官さんここは……」
「……お前は転移を使って家に帰れ」
「え、あ、副官さんは?」
「俺は管理局員だぞ。みすみす見逃す理由がない」


『残念だったな。俺にはリンカーコア自体がないんだ』

 バリアジャケットの案を聞いていた時に副官さんが発した言葉。それが本当なら、彼にできることはほとんどない。拳銃のような装備は質量兵器に入るため、任務や申請書を出さない限り使うことはできない。任務中ならいざ知らず、今は休憩時間だ。武器がなければ、相手を威嚇することも反撃することもできない。自分の身を守ることだってできない。

 なのに、この人の目には一切迷いがなかった。


「……いえ、これって緊急性の任務に該当しますよね」
「おい」
「コーラルがいないので魔法は期待しないでください。でもレアスキルは使えます。役には立つはずですし、もしもの時は一緒に逃げられます」

 たぶんこの人は止まらない。怖いのは事実だが、ここで逃げてもしこの人の身に何かあったら……俺は絶対に後悔する。副官さんに転移を使って無理やりここから引き離す方法もあるが、おそらくそれは彼の思いを侮辱することになる。俺が逃げたら後悔すると思ったように、副官さんもここで逃げたら後悔するだろう。

 なら、ぎりぎりまで付き合おう。さすがにこれ以上はやばいとわかれば、転移で無理やり逃げることに異論はないはずだ。俺からの返事に副官さんは眉をひそめる。俺は正式な局員じゃないし、戦闘関連などの危ない仕事はさせないと契約している。なによりなんだかんだ言って、子どもの俺を危険にさらしたくはないのだろう。転移の有用性がわかっていても、損得だけで動くにはこの人の管理局員としての誇り(プライド)がそれを許せないのだろう。

 だけど、悪いけどこっちも引けない。

「ほら、あの人移動してますよ。追いかけないとまずいです」
「お前は」
「後で特別ボーナスをもらいますよ。こんな暑い中で仕事するんですから」

 俺は副官さんの服をつかみ、いつでも転移が発動できるようにする。この辺りの地図は頭に入っているから、死角に移動していくのはそう難しくない。俺の言葉と行動から帰る気がないとわかったのか、言っても無駄だと悟ったのかはわからないけど、副官さんは難しい顔をしながら俺が服をつかむことを受け入れてくれた。

「俺は帰れと言ったからな。レアスキルが使えるなら遠慮なく使うぞ」
「はいはい。アッシー君、出撃ってね」

 こうして、俺たちの炎天下でのストーカーが始まったのであった。



******



「……うん。あの時の俺は間違いなくハイになっていたんだろうな。やっぱりあの時点で副官さんつれて転移しとくべきだったか」
「何をぶつぶつ言っている。見失ったら今までのこのくそ熱い中での尾行が水の泡だぞ」

 副官さんも結構イライラしていますよね。暑さで頭がオーバーヒートしていたが、頬を両手で1回叩いて正気に戻す。最初は無言で追いかけ、緊張の糸を張り続けていた。でもおじいちゃんにも言われたが、緊張ばかりでは持たない。だけど、先ほどまでの軽口を言い合えるぐらいには、お互いに余裕が生まれてきたって感じかな。

「ムカつくのはなんであの人、フードかぶっていながら涼しげなんだ」
「おそらくだが、魔法だろうな」
「うへぇ。魔導師の可能性大か」

 コーラルがいれば、もう少し詳しいことがわかったんだろうけどな。今のところ相手に気づかれた様子はない。これでもサーチ関係には力を入れているんだ。サーチャーが発動されているかぐらいなら俺にだってわかる。だけど、このままの状態だといずれ気づかれてもおかしくない。でも、下手に動くこともできない。

 俺と副官さんがこうして大人しく尾行しているのは、相手を現行犯で捕まえるためだ。あのフードの人はそれなりにやり手らしく、管理局でも証拠をつかむことができていないらしい。限りなく黒に近い灰色。あと一歩で追い詰められるが、その一歩が遠い。なんとか捕まえさえすれば、埃がいくらでも出そうな人物らしいけど。

「やっぱり応援を呼びましょうよ。絶対に俺たちが捕まえないといけないわけではないですよね。というか相手が魔導師なら無理でしょ」
「人数が増えれば気づかれる可能性が増える。それにどちらにしても証拠がなければ意味がない」
「それはそうなんですけど」

 俺は顎の方に流れてきた汗を手で拭いながら、小さく肩をすくめる。やっぱり諦めてくれないか。レアスキルのある俺だって怖いのに、ほぼ一般人の副官さんがこれだもんな。怖くないのか? 正義のためって言えば聞こえはいいけど、俺には絶対に無理だ。

 なんせエイカの時だって、本当はびくびくしまくっていたんだぞ。あの時は事前に防御魔法を張ったり、相手の攻撃手段がわかっていたからなんとかできたんだ。もちろんアンノウンと相対することだってあるだろう。でも、そんなの極力避けるべきことなんだ。


「副官さんってなんでこんなに頑張るんですか」

 あっ、と言ってしまってから慌てて口をふさぐ。まずい、意識せずにしゃべってしまっていた。俺はちらりと副官さんを見ると、バッチリと目があってしまう。これはさすがに聞かれたか。かなり不躾すぎた。でも、副官さんはクッ、と口元に笑みを浮かべるだけだった。

「その質問はわざとか?」
「え?」
「いや、いい。なんで頑張るのかか…」

 副官さんは一度深く目をつぶり、すぐにそのまま視線を壁の向こうへと向ける。俺もつられてそちらに視線を移すが特に変わりはないようだ。どうやら相手は端末を使い、どこかに連絡をとっているらしい。さすがにこれ以上近づいたらばれる為、様子を見るしかないけどな。


「―――憧れたんだ」


 沈黙を破った副官さんの声に、俺はそちらへと顔を向ける。そして目を見開いた。眩しいものを見るような、一途な思いが伝わってくるようなそんな目。これは彼の本心なのだとそれだけでわかる、真っ直ぐな目。

「最初は魔力がないことに絶望した。直接自分の手で救えない現実に腹が立った。だからたとえ魔力がなくても救える側の人間になれることを、周りに証明したかった。俺の手は特別な力を持つ者よりも優れているんだと……」

 魔力がないこと。このミッドチルダは別に魔力を持たないものを差別なんてしないし、優劣をつけるようなことはしない。現に管理世界で偉い役職についている人の中には、魔力がない人だっているんだから。

 それでも、魔力があることで決まる世界はある。守られるものと守るもの。管理世界は質量兵器を禁じ、魔法を積極的に取り入れている。それはつまり、魔導師でなければ誰かを直接守ることができないということだ。もちろん間接的に助けることや、魔力とは違う別の力で助けることはできるだろう。それでも、魔力がない者が伸ばせる手は限られてしまう。

 ……そう考えると俺は、かなりズルい人間だ。転生して魔力をもらうことが決まっていた人間。本当に魔法の力がほしい人にではなく、ただ使ってみたいと思っただけのことで得てしまった魔法の力。俺が魔力を持たなかったからって、副官さんが魔法を使えるわけじゃない。魔力を持っている人だって大勢いる。珍しいということでもない。だけど―――

「そんな風に俺は……昔は思っていた」
「昔?」
「総司令官の副官になった時、チャンスだと思った。歴戦の魔導師として有名だったあの人を超えられれば、証明できると思ったからだ。だから、有能さを見せ、時に刃向って、そして―――」


「一蹴された」
「え、えぇー」

 何したんだ、おじいちゃん。

「その後大笑いされたな。笑われたことにキレた俺が殴り掛かってしまったが」
「ちょっ、アグレッシブすぎるよ。しかも相手は一応おじいちゃんだよ」
「若かったんだ。あとそこは心配なかった。カウンターで逆に殴り飛ばされた」

 本当に元気だね、おじいちゃん!

「その後も色々ぶつかったが、あの人は1度も魔法を使うことなく俺をのしてしまったな」

 懐かしそうに、煤けたように笑う副官さん。あなた方も結構自由の人だったんですね、と俺は心から思ったけど。たぶん今の形に収まるまで、その後も色々あったんだろうな。副官さん諦め悪そうだし。

「まぁ、それのおかげかその後にあったゴタゴタかはわからないが。魔力があるなしとかものすごく小さな悩みだった気がしてきてな。あの人に勝つために悩んでいた俺からしたら」
「大きな悩みができると、それより小さいやつはどうでもよくなる感じですね」

 ある意味納得してしまった。俺もあのおじいちゃんに勝てる気がしない。

「いらないことまでしゃべったな。なんだ、結局俺は魔導師に認められるよりも、あの人に認めてほしいと思った。総司令官ならきっと俺と同じ状況になっても、切り抜けられる。魔法が使えようと使えなかろうと、持てる方法すべてを使って乗り越えて救ってみせる」

 総司令官のようになりたい。憧れの人に認められたい。……なんだ、この人もちゃんと18歳の少年だったんだな。正義のためっていう答えよりも、俺はこっちの方が好きだ。あと、副官さんの強さの一部を見れた気がする。この人の図太さと強引さは確実におじいちゃんの影響だ。


「総司令官ならこの状況でもきっと乗り越えていける。このまま野放しにしてもいい方向には進まない。ならこちらから仕掛けるしかないな」
「仕掛けるですか。……でも直接接触するのは無謀ですよね」
「いっそお前が大声で、『この人に誘拐されました』と喚いてみるか。証拠をこちらで出させるとか」
「それ警察のセリフではないですよね」

 さっきからすごく饒舌だと思っていたけど、この人もしかして暑さで思考力低下しているんじゃね。滝のように汗を流しているし、否定できない。たぶん副官さんの現在のテンションは突き抜けてしまっている。こりゃ何をするかわからないかもしれない。

 しかし、こちらででっち上げるか。さすがに誘拐は難しいな。事情聴取はできるかもしれないが、逃げられる可能性がある。確実に相手が犯罪を犯したという証拠を作らないとダメだろう。俺にできることは転移だけだ。周りに怪しまれず、あの人がいくら否定しても逃れられない罪状を作り出すなんて……。


 ……あっ。どうしよう、思いついちゃった。


「あの、副官さん。要はあの人を捕まえられる理由があればいいんですよね」
「そうだが。しかし、それができれば苦労は」
「1つだけあったりするんですけど」

 俺と副官さんは無言で見つめあう。正直俺もこの方法はどうかと思うが、ほかにいい方法が思いつかない。俺たちで捕まえることが難しいなら、別の方面から攻めるべきだ。足りないならよそから持ってくるしかない。

「それが本当なら早く実行すればいい」
「それはそうなんですけど、その……本気でやりたいですか」
「犯罪者を捕まえることをためらう必要がどこにある」
「その捕まえる方法が、俺たちも犯罪を犯すことだったとしても?」

 副官さんの言葉が止まった。不機嫌そうだった表情が、さらに悪くなっていく。犯罪者を捕まえるために犯罪を犯す。これって漫画とかだと必要悪って言うんだっけ。


「俺は……できますよ。考えたのは俺なので責任は持ちます。それに初めてってわけではないですから」

 なんせ俺は盗撮という立派な行為をしていたからな。母さんたちを助けるために、上層部や関係者を無断で撮り続けていたんだ。抵抗だってあったけど、俺のちっぽけな脳みそじゃ他に思いつかなかった。ならやるしかない。何があっても、みんなを救いたかったんだから。

「綺麗ごとばかりで生きていくなんてできない。必要だから犯すことに俺はとやかくいうつもりもない」
「それは必要なら犯罪を犯してもいいということか?」
「わからないです。けどこれだけは言えます」

 あの時の俺の判断が間違っているとは思っていない。上層部のやつらに一切同情もしていない。それでも、これだけは言える。

「やったことに後悔をしてはならない。そして、最悪なことをした自覚は決して忘れてはいけない」

 必要だから―――この言葉を当たり前にはしたくないし、絶対にしてほしくない。誰かを救うために犯し続ければ、必ずいつかすべて零れ落ちる。

 副官さんは静かに腕を組み、沈黙する。それは数秒だったかもしれないし、数分ぐらい経っていたのかもしれない。双方にとって長く、遠い時間。暑くて眩しかった日差しや、どこかで鳴いていたセミの鳴き声すら忘れてしまうようなそんな時間だった。

 そして、副官さんは組んでいた腕を解いた。その顔には先ほどまでの不機嫌さはなく、落ち着いた表情だった。鷹のように鋭い目は凛と前を向き、しっかりとうなずいてみせた。


「……やろう」
「……はい」

 これ以上言葉はいらなかった。俺は副官さんに魔導師の派遣をお願いする。あと数刻で犯罪者となる男を捕らえてもらうために。俺は下準備のために転移で一時離れ、副官さんには見張りを続けてもらう。そして俺が戻ってきたことで作戦を開始した。

 副官さんの的確な指示と見通す目、そして俺のレアスキルが組み合わさる時、奇跡は起きたのだった。



******



『えー、それでは次のニュースです。今日のお昼頃にクラナガンにて下着泥棒が捕まりました。犯人はフードをかぶった大柄な男で、通報を受けて現場に駆け付けた局員に取り押さえられたそうです。最初男は暴れていたようですが、それによって服の隙間から出るわ出るわ下着の山。彼の持っていたカバンにも余すことなく下着が詰め込まれていたそうです。途端に男は突如暴れるのをやめ、呆然と下着を見つめていましたが、急に「俺はやっていない!」と錯乱し始めました。「さすがに無理がある」とその場にいた局員の誰もが口を揃えたところ、突如泣き出したとのことで―――』


「……俺は一体あの時何をしていたんだろう。相手は犯罪者なのに、この胸に渦巻く罪悪感はなんだ」
「きっとこれが罪の意識なんですよ。……あと同情」
「必要悪の恐ろしさがわかった。あと、今までの犯罪はきっちり償わせるが、……下着に関してはちょっと弁護しに行ってやろうと思う」
「はい、いってらっしゃい」

 

 

第三十五話 少年期⑱



「それにしても、夏休みまであっという間だったな」
「6月ぐらいの時は、夏休みまでまだまだ先だと思っていたのにね」
「そうだよねー」

 ちりんちりん、とちきゅうやで買った風鈴の音が家に鳴り響く。開け放たれた窓から入るそよそよした風を受けながら、現在友人たちと一緒に夏休みの宿題に取り組んでいる。今までの復習が主なので難しくないが、その分数が多いからやっかいだ。

 俺の言葉に同意を示した少年Bとアリシアは、切りのいいところまで終わったのか母さんが用意してくれたお茶を飲んで休憩している。俺も残り1問が終わったら休憩に入るかな、と鉛筆を持つ手に力をこめた。

「えっと、メリニス。この写真の生き物の名前って、ベルカウサギモドキでいいんだよね」
「おしいわね、アレックス。ベルカウサギモドキには翼はないの。あれは耳で空を飛ぶから」
「……あっ、そうか! つまりこれはベルカトビウサギだな」

 先生役であるメェーちゃん教導のもと、アレックスとランディが奮闘している。魔法の知識に関しては家族や管理局のお姉さんに鍛えられたから、俺とアリシアに一日の長がある。でも、一般教養についてはメェーちゃんが一番詳しい。さすがは『歩く本棚少女』(命名俺)。あと数年後には『歩く図書館少女』に進化すると俺は思っている。

 しかし俺もその問題解いたけど、不思議生物多すぎだろ異世界さんよ。ちなみにベルカトビウサギはまだ一般的な生き物として認知されている。ミッドチルダの南部の森にパタパタ飛んでいるらしいし、授業の時間に本物を触らせてもらったこともある。もちろん普通のウサギはちゃんといるけど。

 異世界生物は物語の中だけにいそうな生き物から、これ生物なの!? と言いたくなるようなものまで多種多様なのだ。なんせ有名どころのドラゴンやユニコーンなどの存在が確認されている世界だ。これはゲームとかの生き物がいてもおかしくないよな。というかいてほしい。

 モンスターボールとか投げてみたい。ギザールの野菜とか投げてみたい。ジャスタウェイとか投げてみたい。俺の妄想は溢れんばかりだ。おかげで異世界生物に関しては、辞典や図鑑でよく読んだからそれなりに頭の中に入っていたりする。

「ベルカウサギモドキって確か、保護対象にされていて密猟者に狙われないように管理局の自然保護隊の人が守っている動物だったよな。モドキとついている通り、実はウサギではないらしく、まだまだ研究中の生き物である……って学校では習った気がする」
「正解よ。あと主な生息場所は第61管理世界『スプールス』。その小型な体型と飛行能力を生かして、崖の隙間に巣を作ることで有名ね」
「そこまではさすがに覚えていなかった。メェーちゃんってすごいな」

 恐るべき文学少女。時々暴走してしまう時があるけど、本当に知識を集めるのが好きなんだなとわかる。彼女の話を素直に聞けるのは、デバイスを作っている時の父さんと同じように、その目がキラキラ輝いているからだろう。

 そして俺からの賛辞に頬を赤く染めて「あうあう」言っているのが面白い。めっちゃ新鮮な反応である。メェーちゃんは真っ直ぐに褒められると照れるようで、謙遜してしまうらしい。女の子組は褒めた時の反応がそれぞれ違うからちょっと楽しい。


「というか、なんでアルヴィンはそこまで終わっているんだよ。お前は俺の仲間だと思っていたのに…」
「ははは。残念だったな、ランディ改め少年C。俺が持つ人生の経験値の方が高かったというわけだ」
「俺の方が誕生日は早いはずなんだが」

 納得いかないように唇をとがらせる友人に、俺は笑顔でガンバレー、と応援を送っておく。理数は確かに苦手だが、さすがに初等部1年生の勉強でつまずく訳にはいかない。なにより経験は本当に役に立つ。異世界の生き物や生活など、みんなと同じスタートの学習はあるが、俺の場合勉強の仕方を知っているからな。教科書の見方や辞書の引き方はわかっているし、問題の出されやすい傾向に当たりもつけられる。

 なにより勉強が面白いのだ。地球にはなかった教科に、その傾向が特に強く出る。あとは社会人になったら、学生時代にもっと勉強したり、遊んでおけばよかったって大抵後悔した。だから後悔しないように、俺は積極的に取り組むと決めているのだ。

 ……だってこういう姿勢で頑張らないと、理数なんて特に手をつけようなんて本気で思わないからな。うん。


「誕生日といえば、アルヴィンとアリシアってこの前7歳になったんだよね」
「うん! 家族みんなでクラナガンの海にお出かけに行ったんだ」
「へぇー、海かー」

 少年Bの言うとおり、俺とアリシアは少し前にめでたく7歳になった。そういえば、昔どこかで『女は7の倍数、男は8の倍数』が人生の節目だと聞いたことがある。つまり妹は今年身長が伸びたり、考え方に変化があるかもしれないということか。男の成長ってなんで遅いんだ。

 横目で妹の身長と俺の身長を見比べる。7歳じゃまだそこまで大きな差はお互いにない。でも、少女Dはぐんぐん伸びたからな。今では友人の中で一番背が高い。次に高いのは少年Aになる。さっき話していた3人がその後に続き、俺とアリシアという順番だ。やばい、このままだと俺が一番下になる可能性が!?

 これは無限書庫で対策を講じるべきか、とちょっと焦ってしまった。だがふと目に映ったものに気づいて、その焦りは俺の中から消えていった。あぁ、そうだ。大丈夫、俺はまだやれる。伸びの運動とカルシウムは取っておこうと誓いながら、俺はすぐ傍にある棚に入っていたお菓子を手に取った。

「……! お菓子」
「うん、食っていいぞ、少年E。でも食べ過ぎて俺より大きくならないようにな」
「……うん?」

 俺たちが騒いでいる中、黙々と宿題に取り組んでいた少年E。こいつほとんどしゃべらないからな。しかもちんまりしているから余計に。でもそのコンパクトさに今は癒された。お礼にお菓子をやるとおいしそうに食べてくれました。



「みんな宿題が一区切りついたところで、レッツ休憩ターイム!」
「アルヴィンはさっきからずっと休憩していたじゃないか」

 そういう少年Bもアリシアとずっと駄弁っていただろうが。先ほどまで並べていた勉強道具は片づけられ、みんなで床にごろごろしている。つまり盛大に暇なのだ。

「健全な小学生7人が集まってやることが、雑魚寝とはこれいかに」
「否定はしないけど。じゃあ、何か話題とかある?」
「お、じゃあ夏らしく怖い話でもしないか。昔どっかで聞いたんだけど、ミッドチルダの海の底には謎の海底洞窟があるらしいんだ。そこには封印されたはずの古代ベルカ時代の亡霊が夜な夜な血を求めてさまよ―――」
「ピギャーー!」

 妹が暴走した。みんなで少年Cに黙祷をささげた。

「夏と言えば、もうすぐクラナガンで夏祭りが行われるよね」
「そういえばもうそんな時期になるのか」
「……出店いっぱい」
「え、ミッドってちゃんと行事らしいものがあったんだ」

 ランディを除く男連中の会話に興味を持つ。去年のこの時期は、管理局の保護施設の中で暮らしていたから、外の情報がほとんど入ってこなかった。詳しく聞いてみたら、どうやら地球でやっている夏祭りと同じような感じらしい。それは普通に楽しみだ。

「アルヴィン、ちゃんとした行事ってどういう意味? ミッドにはしっかり行事があるじゃない」
「メェーちゃん、違うんだよ。俺は地球でやっているような、みんなで騒げるやつがいいんだ。日本のクリスマスとかお正月とか節分とかバレンタインとか…」
「初めて聞いたよ、そんな行事」
「た、他世界の行事なんてよく覚えているわね」

 少年Aの感心した声と、メェーちゃんからは知識で負けた……、って感じの若干落ち込んだ声が聞こえた。アリシアがいい子いい子、と頭を撫でて慰めている。

 しかし、ミッドチルダの行事って淡泊なのが多いんだよな。5月にはゴールデンウィークっぽい3連休があるけど、あれは『新暦記念日』の休みだし。日本で8月になると戦争のことが話されるように、この3日間は古代ベルカ戦争の歴史についてやそこで亡くなった方達を悼む感じだな。一応新しい歴史の始まりとして祝うこともあるが、正直ハメ外して騒いじゃ駄目な雰囲気がある。

 他にも『聖誕祭』とかいう聖王様の誕生日を祝うお祭りがあるけど、あれもしんみりと粛々に行われているからな。聖王教会主催だから、本気度が半端ない。これは去年の秋にやっていたから見れたけど、たくさんのシスターさんたちを間近で見られた貴重な体験だ。

「あのシスターさんたちはよかったよな」
「少年Cよ。ナチュラルに話に入ってきたけど、その言葉に肯定したら俺の中の何かが失われる気がするのでスルーするぞ」
「男なんだから正直になれよ。あっ、そうだ。夏祭りには俺の師匠が店を出すからみんなも来てくれよな」

 少年Cの師匠? 初めて聞いた話に俺は頭の中に疑問符が浮かぶ。周りを見回してみても俺と同じような反応はいないみたいだ。アリシアも知っていそうだから、俺が聞き逃していただけか?

「なぁ、少年C。その師匠さんって誰のことだ? 俺の知っている人?」
「誰って、前に遊んだ時に紹介……そういえばあの時アルヴィンっていなかったか」
「そういえば、お兄ちゃんいなかった気がする」
「え、いなかったっけ」
「……あれ?」
「ほら、アルヴィンってどこにでも現れそうな気がするし」
「あぁ、じゃあ勘違いしても仕方がないか」

 よーし、お前ら。後で覚悟してろよ。油断してる背中に氷転移してやる。

「いいなぁ、アルヴィン。いないのに存在感あって」

 少年Aからボソッとつぶやく声が聞こえた。……とりあえず、聞こえなかったふりをした。



******



 あの後少年Cに説明をしてもらい、夏祭りはみんなで賑わおうと約束した。話が終わったから、「せっかくだからアイス持ってくるな」と俺は笑顔で一言声をかけて、どさくさで氷転移させて阿鼻叫喚にしてやった午前が終わった。

 それから昼食後はどうするかという話になったが、俺は行くところがあるからとやんわり断っておいた。思えばこんな風に、俺だけ抜けることがちょこちょこあったから師匠さんの話とか聞けなかったのだろう。みんなに不思議そうにされたが、個人的な用事があると言って内容は言っていない。

 俺が主に抜ける理由は3つ。1つ目は地上部隊に用事がある場合。管理局と関わりがあることを大っぴらにするつもりはないからだ。絶対に隠さないとダメだと言うほどでもないが、説明がめんどくさい。本当のことは話せないのだし、嘘をつくぐらいなら黙秘するしかないだろう。

 2つ目は無限書庫で調べ物をする場合。たぶんこの理由で抜けることが一番多い。夏休みを使えば、長い時間集中して作業をすることができる。まだまだ拙い検索魔法だけど、少しずつ出力も上がってきている。この場所も説明がめんどくさいので黙秘権を行使することになった。

 そして、最後の3つ目が今日の午後の用事に当てはまる。


「それでは問題です。俺たちの住むこのミッドチルダは、全部でいくつの地域に分けられているでしょう?」
「……確か5つだったか」
「正解。ちなみにそれぞれの地域の特徴とかわかるか」

 俺からの追加質問にエイカは目をつぶり、今までの学習を思い出しているのかシンキングタイムとなった。考え事をするエイカの指が3本立っているから、おそらく3つの地域はわかるが残り2つがなかなか思い出せないという感じか。一緒に勉強を始めてそれなりになるから癖とかも大体わかってきた。

「エイカ。とりあえず、まずはわかっている範囲で答えてもらっていいか」
「……あぁ。まずは俺たちが住んでいる中央区間。首都クラナガンがあり、時空管理局の本部があるミッドで最も発達した場所。次にミッドチルダ北部は聖王教会があり、その信徒やベルカに由来する者たちが多く住む宗教関係の強い場所。そしてミッドチルダ西部は他世界からの移住者やミッドに出稼ぎに行く人たちが住む、住宅地のような所が多い場所」
「おぉ、さすが」

 3つとも完答だな、よく特徴を覚えている。もう少しアバウトな感じで答えが返って来るかと思っていたけど、かなり詳しく概要も話してくれた。エイカって記憶力は悪くないんだよな。暗記系の問題とかすらすらできるから。ただ、なんでも丸暗記しようとするところがある。それだと、覚えきるのはちょっと大変だぞ。

「くそっ、あと2つ…」
「東側は地形に特徴があって、あと今度新しい事業も開始される。南側は管理局関連があって―――」
「あっ!」

 俺からのヒントにバッと顔を上げ、思い出した答えをまたすらすらと答えてくれた。それもしっかり合っていたので、俺は笑みを浮かべる。ただ俺の言葉できっかけを掴めたからか、エイカはちょっと悔しそう。十分よくできていると思うが、ここで慰めるのは逆効果なので、次の問題を出すことにした。

「じゃあ次、1+9+3は?」
「は?」
「1+9+3」
「え、13」
「残念、答えは一休さ―――あいてッ!」

 間違えたからってやつあたりは禁止だー。



『アル坊はどうしたいんだ』
『俺がどうしたい?』

 学校が始まって2ヶ月ぐらい経った頃に、俺はちきゅうやの店主に相談をしていた。学校が始まったことで、以前に比べてエイカと会える回数は減ってしまった。一応みんなで遊ぶときは必ず声をかけるし、俺からちきゅうやに遊びに行ったりすることで会うことはできる。でも、学校についてあまり話せない分、やはり会話の内容も減ってしまっていた。

 なぜなんだろう? そんな疑問がいくつも浮かぶのに、それを相手に向かって口にすることができない。口が悪くて、ツッコミ体質で、花に詳しくて、負けず嫌いで、面白くて……そんな情報ならいくらでも出てくるのに。なのに、俺はエイカのことを全然知らない。

 では聞くべきなんだろうか。知らないなら知ろうと思うことは間違いではないだろう。そんな風に何度も思ったけど、結局俺は何も言わずにいつも通りに振る舞った。いつもの様に笑っていた。

 聞けば相手を傷つけてしまうかもしれない。なにより聞いてどうにかなるのだろうか。そんな冷めた考えがよぎる。聞いて満足するのは、俺だけだ。話を聞いて、それで終わりじゃない。話を聞かせてもらった俺は、相手に何を返せる? 聞いて同情してやるだけ? 俺1人が聞いたところでその問題は解決するのか?

 言えば相手はすっきりするかもしれないという思いはある。だけど、むしろ逆に追い詰めてしまうだけの結果になる可能性もあった。……そんな賭けみたいな質問、できるわけがない。だけどこのままズルズルといることが、本当にいいことなのかもわからなかった。

『アル坊ってあれだろ。ネガティブなことをずっと考えていると、とことん悪い方に考えがいってしまうタイプだろ』

 店主さんにそんな感じで相談したら、帰ってきた第一声である。基本俺ポジティブなんだけど、と返すと人間波があって当然だと答えられた。変にない頭を使ってぐるぐる考えているから落ち込むんだ、と笑われる。なんだよ、エイカのこと俺の次に詳しいのはこの人だから相談したのに。

 店主さんは気にならないんですか? と不機嫌そうに俺が漏らした言葉。それに彼は一つ息をはくと、先ほどのニヤニヤした感じではない芯のおびた言葉を俺に返した。それが冒頭の言葉だった。


『アル坊が何をしたいのか。相手に何をしてあげたいのか。それは「聞く聞かない」だけが答えじゃないだろう。他にもできる方法はいっぱいあるはずだ』
『……いっぱい?』
『おう。今みたいに「誰かに相談する」というのも一つの方法だな。人間関係に二者択一の答えなんてものはない。自分で気づかないだけで、実は答えなんてものはいっぱいある』

 「俺今良いこと言った」と自慢げにあご髭をさすりながら言うから色々台無しだが、店主さんの言うとおり、確かに俺は視野が狭かったのかもしれない。

 エイカに話を聞くこと。だけど、これはそんなに大切なことなのだろうか。確かに大切なことだと思うけど、それは今じゃなければいけないのか。待つことは本当にできない?

 たぶん俺は、もしエイカから話を切り出されたのなら、迷わず聞くことができる。

『……エイカから話を待つことって逃げとかじゃないのかな。ずっと話してくれない可能性もあるし』
『ただ待つだけなら話してくれないかもしれないな。逃げにもなるかもしれない。だが―――』
『それならただ待つだけじゃない。踏み込んでくれるように、あいつにとって少しでも肩の荷が下りてくれるように一緒に頑張っていく……か』

 具体的な方法はまだ思いつかない。けれど焦っても仕方がないのはわかった。話してくれるのは、もしかしたら1ヶ月後かもしれない。1年後かもしれない。数十年後かもしれない。じいさんになった時かもしれない。そんな先まで俺は待てるのか? そんなにも長い間一緒にいられるのか? 自分に問いかけて、うなずいた。

 きっと、なんとかなるだろう。


『俺さ、本当はエイカに学校のこと色々話したかったんだ。少年Cの珍事件とか、少年Eのゼリー事件とか、メェーちゃんの本の虫がどれだけすごいかとか。あとこんな勉強していて、大変なんだぞーってさ』

 俺が悩んでいたのは、きっとそれだけの理由。最初にあった時のようなあんな冷たい目をしたエイカじゃなくて、バカだろって突っ込まれながらおかしそうに笑う友人と一緒にいたい。大概呆れられた目だけど。俺がやりたいことなんて、ただそれだけだ。

『学校のことか…。いいだろ、俺が一肌脱いでやる』
『え?』

 店主さんからさっきまでの真面目な表情は消え、いつもの様な胡散臭いおっさんに戻っていた。いいんですか、と尋ねた俺に店主さんは一言だけ告げると楽しそうに笑って店の奥に去って行った。

 俺は子どもがバカやって、笑っているのを眺めるのが楽しいんだよ、とそれだけ言って。



******



「今の答えは絶対に13だ。裏回答とか学校でそんなこと習わねぇだろ」
「ふっ、甘いなエイカ。知っていても人生の役に立たない。でも知っていたら楽しいってとある番組でも―――」
「やっぱり出ねぇんだな」

 そんな身もふたもない。

 俺とエイカは、ちきゅうやの店の奥にある部屋を借りさせてもらっている。というか店主さんたちの家のリビングとでも言うべきだろうか。ここ居住スペースだし。そしてまさか部屋の中が畳になっているとは思っていなかった。ナイス、店主さん。

 ちゃぶ台の上に俺の教科書を開き、そばには資料集や辞書などを置いている。エイカの机の前にはノートが置かれており、まさに勉強風景。午前午後と続けて勉強する俺、超真面目。みんなにはエイカとの勉強会のことを告げてもいいのだが、エイカに口止めされているので言っていない。その理由はなんとなくわかるので俺も了承している。ほら、エイカ負けず嫌いだから。

「あぁー、ちくしょう。勉強とかめんどくせぇー」
「そう言いながら結構頑張るよね、エイカって」
「お前より頭が悪いとか、人として恥ずかしいじゃねぇか」

 よし、言いたいことはわかった。店主さんの家にも冷凍庫があることを俺は横目で確認した。

「店主のやつ横暴だろ。何が『仕入れの銭勘定とか物流方面にも力を入れたいな。よし、バイトどもよ、よく聞け。このちきゅうやを盛り上げる、そして俺を楽させるためにいっぱい勉強するんだ。そしたらお前らの給料2倍な』だ。ちくしょう…」
「まぁまぁ、俺も給料2倍に踊らされたし。それなら2人で勉強した方が効率いいだろ。俺はエイカに勉強を教えることで復習できるからさ」
「……ぜってぇ、抜かす」

 俺もエイカにだけは、なんか抜かされたくない。最初は算数だけの勉強会だったが、勉強関連で学校のことを色々話すようになって、他の教科のことで俺に知識で負けたのがよほど悔しかったらしい。それからは他の教科も合わせながら勉強し、エイカはメキメキと力をつけていった。

 今では学校のことを話すことにそれほど抵抗はない。同じ勉強をするという共通点ができたこと。そこから話を繋げやすくなった。魔法の授業の話は特に盛り上がった。先生から「防御魔法を突破するにはどんな方法があるでしょう」って問題が出されたので、アリシアが「リニスのパンチです!」と真顔で答えて何故か固まった先生の顔とか。

 その後に「その証拠映像ありますけど」と言った俺に、少年Bから「これ以上燃料投下するな!」と何故か怒られた話もした。リニスってどれだけやばいやつなんだ…、とエイカが途中から話を聞いてくれてなかったけど。ちなみにエイカのトリップは、背中に箒突っ込んだら戻ってきてくれました。


「そういえば、魔法はどんな感じなんだ。そろそろ防御魔法ぐらいは習ったのか」
「エイカって魔法の話好きだよね。夏休み中、俺の魔法の教科書勝手に借パクしていったし」
「俺にもリンカーコアがあるってあのデバイスが言っていたからな」

 自分には魔力がある、そのことをエイカは誰よりも喜んでいた。最初は俺もそれを伝えたコーラルもそんなにも喜んでくれるなら、と微笑ましく祝福できた。だけど、その気持ちは少しずつ疑問へと変わっていった。純粋に魔法が使えることへの喜び。それなら俺にもわかる。だけどエイカは、たぶん違う。

「エイカは、やっぱり魔法を使いたいのか?」
「当たり前だろ。魔法が使えるのなら俺だって……強くなれるんだ」

 グッと拳を握り、うっすらと笑う友人に俺はどこかで怖いという思いがあった。魔法を使えば強くなれる。そのことは間違いではないし、強くなりたいと思うことは不思議じゃない。だから、この思いがただの杞憂であればいい。そうであってほしいと思う。

「……そっか。あぁ、習った魔法の話だっけ。一応、この前バリアジャケットがようやく完成してさ。それからちょっとだけだけど、母さんに魔法を見てもらえるようになったんだ」
「バリアジャケットって、前にお前が考えていたやつか」
「うん、ちきゅうやの常連客のお姉さんと一緒に色々考えたんだ。今度お礼しにいかないとなー。色は黒と俺の魔方陣の色と同じ藍色を使った感じのセイクリッドタイプ。サブとしてプロフェッサーとしての能力もサポートできるようには組んであるんだ」
「セイクリッド? プロフェッサー?」

 初めて聞いた単語に訝しげな表情を作るエイカ。これバリアジャケットの専門用語だからわからなくて当然だろう。俺も初めてお姉さんに教えてもらった時は驚いた。簡単に言えば、セイクリッドは防御主体のことで、プロフェッサーは援護や索敵など補助に力を入れたものである。原作でいうところの、なのはさんにシャマルさんのような補助が少し入ったような感じだろう。

 俺の現在のスタイルは、フェイトさんよりも3人娘の中ならばなのはさんよりだ。サブを入れたからなのはさんよりも若干防御力は劣っているが、移動手段のレアスキルを使って死角へと潜り込み、固定砲弾になれる。時には遊撃となって雷で攪乱することもできるし、なにより逃げやすい。

 まぁまずは敵性とエンカウントすることから避ける必要があるため、索敵は必須だったんだけどね。もしエンカウントしても、一撃で落とされないためにセイクリッドを選んだんだし。

「ふーん。とりあえず、お前がとことんヘタレであることは分かった」
「作戦名、『いのちをだいじに』なもので。だがここで俺がヘタレである、で終わるには……そうは問屋は下ろさない! なんと、母さんに教えてもらったことでついに俺は、攻撃魔法を1つ習得したのだからな!」
「え、お前がッ!?」

 そう、攻撃魔法の習得。ゲームでなら序盤の間ずっと足をひっぱっていたキャラが、攻撃魔法という存在を得たことにより一気に切り札や戦術の要に早変わりという感じだ。しかも射撃系ですよ。射撃系。

「ふはははは、ついに魔法(笑)とか、リリカルな世界なのにこんちくしょうとか思い続けてきた過去からおさらばできたのだ! 見せてやろうエイカ、これぞ俺の新しき力!! 打ち抜く閃光『フォトンバレッ―――』」
「人の家のど真ん中で何やっとるんだ、お前は」

 パシーンッ、と店主さんが持つハリセンが俺の頭に見事ハリセンスマッシュされた。さすがにコーラルがいないから、そんな大したことはできないつもりだったけど……せめて発動ぐらいはさせてくれてもいいじゃないですか! あとやめて! そのハリセン、前に家の妹が店先においてあったから面白そうにパシンパシンしていたんだぞ。これ以上俺の家族を汚染しないでくれ!!

「たくっ、音量がでかいぞ。もう少し下げろよ、アル坊、嬢ちゃん」
「すいませんでしたー。……いつも非常識やっているのは自分の癖に」
「嬢ちゃん言うな。……いつも奥さんの尻に敷かれている癖に」
「よーし、アル坊は俺のハリセンさばきがまだ見たいとみえる。あと嬢ちゃんは、後で家内におめかしでも頼んでおくか」
「何!? それはコーラルを連れてきてからやってもら―――」
「先手必勝!!」

 エイカさんストップ! ここは力を合わせて悪と戦うところだよね!? つい口を滑らせてしまった俺もあれだけどさッ!!


 それから数分後。家の中でドッタンバッタンして、俺とエイカは店主さんの奥さんに怒られました。こっそり爆笑していた店主さんは、その後ニッコリ笑った奥さんにドナドナされていきました。めでたしめでたし。

「……そういえばエイカ。今度夏祭りがあるらしいんだけど、一緒に行かね?」
「……まぁ、面白そうだから行ってもいいが」
「あと着物とか着ない? 似合うと思うけど」
「アホ」

 店主さんのことはお互いになかったことにして、その後も2人でぐだぐだおしゃべりしながら勉強しました。

 

 

第三十六話 少年期⑲



 夏休みってどうして早く過ぎ去ってしまうのだろう。

 ミッドにも日本と同じように四季がある。そのため、日本より短いがミッドの学校にも夏休みがちゃんとあるわけだ。友人と一緒に宿題をしていたころは、俺たちの夏休みはこれからだぜ! という感じだったのに。日が経つごとに夏休みが終わっていくと思うと、寂しい気持ちが生まれてくる。

 学校は好きだけど、これはやっぱり気持ち的な問題だよな。『休暇』って言葉を聞くと、超テンションが上がるのは人として仕方がない。そして休んでいる間の月日の流れが早く感じるのも仕方がないことだとわかる。

 だからこそ俺は思う。せっかくの休暇なんだから羽目を外さんでどうすると。俺は現在ピチピチの7歳の子どもである。これは全力少年のように駆け抜けなければ、夏を満喫しなければもったいないではないか!

「いや、お前普段から羽目外しまくっているから」
「アルヴィンには休みとか年齢とか関係ないよね」
「……人を年がら年中お祭り男扱いするのは」
「「事実」」

 そこで2人してハモるなよ。

 日が傾き、そろそろ夜の帳が下りてくるような時間帯。普段ならとっくに家に帰っている時間なのだが、今日は友達と一緒ならと特別に出歩く許可をもらっている。ちきゅうやに寄ってエイカと合流し、その後家が近所の少年Bと落ち合った。

 風があるからそこまで暑くはないが、ムッとした熱気を肌に感じる。日の落ちた道を3人で駄弁って歩きながら目的地へと向かっていた。俺の格好は、半袖のシャツとハーフパンツにビーチサンダルというザ・夏スタイル。2人も似たような感じで、身軽な服装をしていた。

「……そういえば、エイカの服って男物が多いよな。というか、スカートをはいたところなんて見たことないけど」
「あんなひらひらしたもの着れるか。服なんか動きやすければなんでもいいだろ」
「あ、そこは共感できる。でも女の子がそれでいいのか。パッと見は男と思うぞ」

 好みは人それぞれだからうるさく言うつもりはないけど、ちょっともったいない。アリシアはおしゃれが好きだから、小物1つでも結構こだわりを持っている。実際おめかしした妹は、家族の俺から見てもかわいいと思うし。エイカもはねている髪を整えたり、服装を変えればかなり違うだろう。

 正直に言えば、俺が最初にエイカに会った時は本気で男だと思っていた。口調もあれだったし。俺だって女の子だとわかっていたら、咄嗟とはいえコーラルをブン投げるまではさすがにしなかったと思う。俺が気づいたのだって、何度か話をしていてやっとのことだったのだから。

 まぁ今更女の子扱いするのは、俺もエイカも腕をさする様なことになりそうなのでそんなに気にしないことにしている。俺自身優しい口調でふわふわした感じの服を着たエイカは想像できない。だから俺がそこまで本気で言っていないとエイカもわかっているからこそ、俺の意見に鼻を鳴らすだけでいるんだろう。


「はいはい、2人ともそこまで。ほら、目的地の1つに着いたよ」
「おぉ、さすがは怪奇現象の十八番と呼ばれる場所。雰囲気あるねぇ」
「……普通に学校なんだけど」
「お前の中の学校のイメージってどうなっているんだ」

 夜の学校は怪奇現象と切っては切り離せないことを知らんのか。今度ちきゅうやでトイレシリーズ的なのがあったら見せてやろう。あれ地味に怖いし。しかし思うんだけど、ツッコミ2人とかなんかズルくね。

「とにかくあれだ。俺が言いたいのは学校には怪談がつきものなんだよ、ってことだ」
「え、階段があるのは当たり前だと思うけど?」
「……ちくしょう。これがジェネレーションギャップとかカルチャーショックみたいなものなのか」

 ガクリと落ち込む俺に、少年Bが「え? えっ?」と俺と学校を何度も見ながら困惑している。その様子にエイカが「こいつが意味わからないのはいつものことだろ?」と少年Bの肩をたたいて珍しく慰めていた。……すいません、俺の扱いが本気でひどいと思うんだけど。俺は何も間違ったことは言っていないのに。

 だって「夏」の「夜」の「学校」だぞ。ここまでキーワードが出てくれば、ぐぐっちんぐな先生なら一発で見つけてきてくれるぞ。異世界だけど、地球とはそれほど文化的な違いはないんだから、今は少数派の俺の意見だって多数派に呼び込める可能性はきっとあるはずだ。

「そうだよ。今までの会話のどこにもおかしなところはない。それなら俺が間違っていないことをちゃんと証明するべきじゃないか!」
「おい、また何かおかしな方向に話を進めているぞ」
「ほら、アルヴィンってだいたい本筋からいつの間にか脱線していて、そのまま気づかずに突っ走るところがあるから」
「あぁ、なるほど。ちなみに学校でもこれなのか」
「……うん」

 なにやら小声で話をしている2人。……なぜかお互いに肩を叩き合ってるし、お前らそんなに仲がよかったっけ。


「そんなこんなで、今から俺が言っていたことが間違いでないことを証明したいと思います」
「なんでこんな流れになった」
「エイカが僕らの学校を見たことがないって話になって、それなら目的地に行く途中に学校の前を通ることができるから、ついでに見てみようかっていうのが最初の流れだったと思う」
「完璧にその流れから脱線してるぞ」

 とにもかくにも、リアル学校の怪談を知ってもらおうとやる気を出す俺です。さっそく舞台となる場所をチェックしようと思う。このクラ校は、さすがは初等部と中等部が一緒になっているだけあって建物は大きい。その外観だって小学校を簡略化させた凸みたいな感じではなく、大学のキャンパスにいるような綺麗な白亜が並んでいる。

 俺の目の前には頑丈な鉄製の門があり、しっかり鍵がかけられている。その学校を取り囲むように俺の身長の3倍はあるだろう塀がぐるっと周りを囲っていた。さらに塀の上にはどうやら結界が張られているらしく、侵入者を防いでいるようだ。そのさらに周りには小型の機械が見張りをしていて、まさに魔法と化学のコラボ警備体制。……ちょっと待って、何この安全性。

「どうしよう、侵入できねぇ」
「お前の頭がどうしようだよ」
「な、なんで冷静なんだよ! このままじゃ肝試しができないんだぞ!?」
「不法侵入してまでやる必要があるのか!?」
「というより、アルヴィンが一番冷静になろうよ」

 なんということだ、異世界のセ○ムを舐めていた。学校の怪談を体験してもらおうと思っていたのに、学校に入ることすらできないとは。俺が子どもの時にやっておきたいランキングの上位が、学校で肝試しをすることだったのに。

「なんのための夏の学校だよ…」
「少なくとも肝試しをするためにではないよ」

 少年Bに呆れたように言われた。むぅ、このメンバーで肝試しはやはり難しかったのだろうか。アリシアは少女Dたちと一緒に先に行って、別行動になったからチャンスだと思ったのに。少年Cあたりならノッてくれたかな。でもあいつ俺以上に羽目を外しそうだわ。

「ほら学校には入れないんだから、予定通り夏祭りに行こうよ」
「最初から最後までそれしか予定はなかったけどな」
「えー。……ハッ、そうか。こんなときこそ転移を使えば簡単に侵入を―――」
「「もう少しまともなレアスキルの使い方を考えろッ!」」



******



 
 結局ズルズルと2人に引きずられること、10分弱。俺たちの周りにはたくさんの人で溢れていた。親子連れやカップルらしき男女、俺たちと同じように友人同士で来ているものなど様々である。人混みがすごいため、流されないように気をつけて歩いていた。

 今日は待ちに待ったミッドチルダの夏祭りの日である。日本の祭りの様に屋台があり、後半には花火も打ち上げられる。ちなみにミッドのお祭りはもともと他世界の人々との交流の場として作られた行事らしく、他の管理世界の食べ物や衣装、小物などが売られている。この祭りの間は他世界のものを身近で見れ、買うこともできるため多くの人々が訪れる一大イベントになっているようだ。

 なので普段以上に、カラフルな髪や見慣れない肌の色をした人が目に入る。屋台で自分の世界の食べ物や商品を売る人、自分たちの世界について知ってもらおうとその世界の歴史について話をする人もいる。奥に作られた特設ステージでは、民族衣装の披露や踊り、芸など様々なことが行われているようだった。

 俺の想像していた夏祭りとはなんだか違うところはあるけど、面白そうな行事だから俺としてはいいかなと思っている。あれだ、万国博覧会風なお祭りって感じ。世界単位での交流だとこういうのもあるのか、と俺自身かなり興奮していた。

「やっぱり、祭りの雰囲気って好きだなー」
「そうだね。人ごみはすごいけど、僕も毎年ここには来てるよ」

 友人とはぐれないように気を付けながら祭りの中を進んでいく。きょろきょろ見渡すと、夏祭りの定番であるラムネとか焼き鳥、ベビーカステラなどが売られており、さらにヨーヨーすくいやくじ引きといったゲームも見つけることができた。嗅いだことのないおいしそうな食べ物もあるし、これは迷うな。

「せっかくだから何か食べるか。エイカは何か食べてみたいものはあるか?」

 俺と同じようにミッドチルダの夏祭りは初めてだと聞いていたので、俺はエイカに気になったものがないか尋ねる。しかしエイカは目をしきりに左右に動かし、そわそわしている。俺の声も聞こえていないみたいだし、もしかして人ごみとか祭りに緊張でもしているのか?

 初めて会ったのが人ごみの中だったから、大丈夫だろうと思っていたけどもし気分が悪くなったら大変だ。少年Bも俺と同じように気づいたため、2人で少し後ろを歩くエイカに近づくため、歩調を緩めながら顔色を窺った。

「……あそこの屋台はかき氷か。味が色々あるが値段が少し割高になっていると。こっちは味は定番の3種類だが値段が安く、しかも練乳入りだと。なかなか…。あっちはフランクフルトで、値段はさっきの店より安いが、大きさが足りないな。金額は大切だが、質を落とし過ぎるのも問題だ。事前にちきゅうやで聞き込みをしておいたリサーチの結果と総合するとここはやはり―――」

 とりあえず、猫だましを食らわせました。


「ん、あそこにいるのはランディたちか?」
「え、まじで?」

 猫だましを発動させてから数刻後。エイカからのおすすめ情報から選んだかき氷を、みんなで食べ歩きしていた。それにしてもエイカさん、実はお祭りめちゃくちゃ楽しみにしていたのね。実は浮き足立っていたのね。食べ物系統しかリサーチしてなかったのはエイカらしかったけど。

 そんな風に歩いていたら、少年Bから声がかかった。みんなで視線を向けてみると、確かに見覚えのあるいつもの3人組が屋台から少し離れたところで焼きそばを食っているようだった。

「おー、少年A、C、Eたちも来てたのか」
「なぁ、そのあだ名混乱しねぇか。誰が誰だかわけわかんねぇんだけど」
「え、そう? 少年Aが頭文字通りアレックスで、少年Cがランディだろ。あと今焼きそばを詰め込み過ぎて、喉に詰まらせているのが少年Eのリトス」
「あ、アルヴィンもちゃんとみんなの名前を覚えてたん…………って、リトスーー!?」

 少年Bことティオールが大急ぎで水を買って、走っていった。さすがは学校で1年生のお母さんと言われているだけあるな。俺はその様子にうんうんとうなずき、エイカは同情の眼差しを向けていた。


「よっ、3人とも。お前らももう祭りに来ていたんだな」
「おっす、少年C。もうちょっとしたら端末で連絡しようかと思っていたけど、手間が省けてよかったよ」

 もともと夏祭りで会う約束をしていたので、3人に会えたのは運がよかった。約束していた時間までまだ少しあったが、このまま一緒に祭りを回ることにする。後は先にお祭りに突撃しにいったアリシアたちと合流すればいいだけなので、みんなでぶらぶらしながら待ち合わせ場所に向かっていた。

 向かう場所は以前少年Cが話していた師匠さんがいる屋台である。店は特設ステージよりさらに奥にあり、こちら側は食べ物よりゲーム関係が多いコーナーのようだ。実際その人の店もゲーム系らしいので、せっかくなら楽しもうと思う。ふふふ、腕が鳴るぜ。

「そういえば、少年Cは師匠って呼んでるけど体術とか魔法とかの先生なのか? 前はあんまり詳しく聞ける時間がなかったから、聞いてなかったけど」
「そんな大層なものじゃないさ。ただ俺が勝手に尊敬しているだけだよ」
「へぇー。でもそんな風に尊敬できる人がいるってすごいことだと思うぞ」

 尊敬できる人は誰ですか? って質問されてパッと答えるのは結構難しいよな。今の俺なら両親だったり総司令官だとか言えるけど、それって俺がそれなりに年を重ねた記憶があるからっていう側面が大きい。大人の大変さを知っているし。まぁ、歴史上の人物やスポーツ選手に憧れる場合もあるけど。

 だから俺としては、これぐらいの年でしっかり目標となる人がいるって感心できることだった。ちょっとランディのこと見直したなー、とそんな風に俺は思っていた。

「え、俺が尊敬している方は人じゃねぇけど?」
「……え?」
「あと師匠は、俺に女の子の良さや紳士の嗜みを教えてくれたナイスガイでな。俺に男としての生き方を伝えてくれたすごい方なんだぜ!」
「へぇー、そうなんだー。…………とりあえず、さっきのすごい云々は前言撤回していいか」

 なるほど、つまりランディの現在の性格形成を作らせた方ってことね。なんてことしてんだ。


「わぁ、クーちゃんすごーい!」
「そうかな。ありがとう、アリシア」
「あ…、やぶれちゃった」

 おしゃべりをしていたら、どうやら目的地に着いたようだ。そこで女の子3人組を発見した。水色のワンピースに、いつもと違い髪をストレートに下ろしたアリシア。メェーちゃんも普段は流している髪を一つ括りにしており、レースの付いたシースルーを着ていてかわいらしい感じだ。

 あと、学校が違うため放課後や夏休みに遊んでいた少女D。彼女は普段通りやや巻き毛な青く長い髪をリボンで結び、ポニーテールにしている。背が高く、落ち着いた感じの服も合わさってちょっとお姉さんっぽいな。

「お、本当だ。少女D大量じゃん」
「あ、お兄ちゃん」
「こんばんは、アル。時間があったから先に遊ばせてもらっているわよ」

 俺が声をかけると嬉しそうに笑顔を向けてくれるアリシア。俺も笑みを浮かべながら、彼女たちがやっているゲームを眺める。それは限定された場所で逃げ惑う獲物を追いつめ、捕獲するゲームであった。少女Dはまたしても武器を手に滑らせ、鮮やかに次々と獲物を捕らえていく。実に容赦がない。

「これぞまさにリアル鬼ごっこ」
「ただの金魚すくいなんだけど…」

 少女Dよ、細かいことは気にするな。

「よーし、俺も捕まえたる。すいませーん、ポイ一つください」

 そう言って看板に書かれている通りの金額を出して、金魚屋のおやじさんに渡す。すると少し逡巡した後、おやじさんはポイを渡してくれた。ちょっと疑問に思ったが、まぁいいか。

 そこそこ広い水槽の前に立ち、アリシアたちの隣に座る。入れ物を左手に持ち、ポイを片手にいざ出陣。夏の特番で見た名人さんの技術を頭の中で反芻させる。目指す目標は10匹以上! それでは、尋常にしょう――「ビリッ」――ビリッ?

「あ、やぶれた」
「いやいや、まだ水にすらつけていないよ!?」

 アリシアの言うとおり、俺の持つポイには真ん中にでかでかと穴が開いていた。学校でできなかった怪奇体験がまさかの金魚すくいで実現した。えっ、実は金魚すくいって心霊スポットだったの? これがミッドチルダの怪談だったのかよ!

「じゃない! ちょっとおやじさんどういうことですか! 新手のポイポイ詐欺ですか!?」
「悪いな、坊や。ここはある意味いわくつきなんだ」

 俺のクレームにふっ、と小さく笑みをこぼしたおじさん。なんだこの凄みは。ここには一体何があるっていうんだ。俺は静かに視線を彷徨わせ、辺りを観察するがどこにでもある普通の屋台だ。アリシアたちは今も金魚すくいを楽しんでいるし、少女Dの入れ物の中には金魚が積み重なっている。新しい入れ物に変えてあげた方がいいと思う。

 俺は自分が持っていた入れ物を、少女Dに渡しながら考える。一体どういうことだろう。俺と彼女たちと何が違う。なぜ俺の身にこんなことが起こった。わからないなら聞くしかない。俺は金魚屋のおじさんと目を合わせた。

「いわくって一体」
「ここはな……女の子しか遊べないんだ」
「すいません、ワンモア」
「男はどっかいけ」

 ドストレートに返してきやがったよ、この人。

「いやいやいや、なにその理論。女の子だけってそこは混浴にしようよ!」
「おじちゃんも混浴したかったが、だめだった。最近の温泉には存在すらしていないんだ」
「誰もおやじの話は聞いてない」

 まさかこの人、魔法か何かでポイに穴を開けた? だけど魔方陣は展開しなかったし、魔法もそこまで万能じゃない。それにそんなことをしたらさすがに詐欺になってしまう。だとすると、本当に男のポイはやぶれるという怪奇現象が実在するというのか。

「おやじさん、相変わらずですねー。師匠も元気そうだし」
「おい、少年C。まさかお前が言う師匠ってポイに穴開けている正体か」
「え、おう。アルヴィンも会ってみるか?」

 そう言って、おやじからポイを一つ受け取る少年C。俺は正体を見極めるために目を凝らしてポイを見つめる。さっきの俺と同じように水につけようとした瞬間、それは現れた。静かな水面から突如水飛沫をあげて飛び上がり、ポイの中を貫通して去っていった。

 目で追いかけることすら困難な早業。だが確かに俺はその正体を見極めることができた。単純だ。おやじさんは何もしていない。あといるのは金魚だけだ。逃げ惑うことしかできないはずの金魚たちだけ。だがそれが間違いだったのだとしたら。逃げ惑うだけが金魚でなかったのだとしたら。

「し、進撃の金魚だと…」

 怪奇現象の正体は金魚だった。新たに金魚すくいをするために入ってきたカップルのお客さん。その男性のポイだけ狙って突撃していた。女の人はそのまま楽しそうにすくっており、男の人は呆然と突如やぶれたポイを見つめていた。

 間違いない、あの金魚は男のポイだけを狙ってやがる。あいつ以外は地球の金魚と変わりなさそうだが、あの金魚には確かな意思が見えた。雨パに大切な特性のようにすいすい泳ぐやつと、俺は一瞬だけ目があった。

『はっ、男は全員どっかいけ』
「…………」

 おい、こいつ金魚じゃないだろ。あれは金魚っていうかわいらしいカテゴリーに入れたらあかんやつだろ。見た目は金魚だけど、絶対何かおかしいだろ。少なくともこのおやじさんと意気投合できそうな性格っぽいのはわかった。


「あの、おやじさん。あの金魚なんですか。金魚にチートつけてどうするんですか」
「俺の相棒さ。女性という神秘をともに分かち合おうと誓い合ったな」
「すいません、他に会話ができる人はいませんか」

 少年Cが手を挙げてくれた。金魚を師匠と呼ぶやつだが、一応話は聞こうと思う。

「去年初めて会った時に教えてもらったんだけど、師匠はかなり辺境の水の中で暮らしていた新種だったらしい。そこにたまたま神隠しにあったおやじさんが現れて、連れて帰ったんだってさ。萌えというものに共鳴し合った2人は、女の人と自然に接点を作れる方法を考えた。そして、それを実行するために金魚すくい屋を始めたって教えてもらった」
「エイカ、要約するとどういう意味?」
「関わっても碌なことにはならない」

 そう言いながら、普通に金魚すくいしているエイカ。例の金魚が一瞬動きかけたが、すぐに去っていった。まさかエイカが女の子だと一発で見分けたのか。ちょっと畏怖を感じてしまった。

「懐かしいな。2年前に夢に破れ、のどかな牧場で傷を癒していた俺が、ふと子どもの声が聞こえたと思った瞬間、神隠しに突然あった時はどうしようかと思ったな。だが、そのおかげで相棒に出会うことができた。人生何が起こるかわからないものさ」
「さっきは聞こえなかったことにしてましたけど、神隠しってやばくないですか。普通にホラーですよ」
「当時は何かに巻き込まれたのかと思ったが、場所が移動しただけだったみたいだからな。もしかしたら次元が歪んでいたのかもしれない。何があるかわからない時もあるから、坊やたちも気をつけろよ」

 色々ツッコミどころのありすぎるおじさんだけど、悪い人ではないのだろう。友人から聞くには、これはこれで人気のお祭りスポットらしいし。なんでもリピーターがかなりの数いるみたいだからだ、男の。さっきのポイに穴をあけられたカップルらしき男性が、すごい真剣な顔で金魚すくいに挑み続けている。そりゃなんか悔しいよな。

 そんな敗北した男たちが毎年列をなして金魚すくいに挑みに来ているらしい。その金魚無双の噂を聞きつけ、猛者たちが集う。これおやじさんと金魚の計画逆に破綻してね? 己を鍛えるためにと管理局員やら教会の騎士さんたちも訓練感覚で訪れるらしい。金魚すくいってなんだっけ?

 しかし、確かにこの金魚無双を止めたい気持ちはわかる。俺もそれなりに火が付いたのだ。これは男としての戦いなんだ。俺はもう一度おじさんにお金を払い、ポイを片手に気合を入れる。やつはいつどこから襲いかかって来るかわからない。隙ができればすぐにでもやられるだろう。なるほど、この緊張感は今までに感じたことがない。俺はごくりと唾を飲み込んだ。

 俺はまだやつのスピードを捕らえることができていない。なら受け身で待ち続けるより、ここは攻めの一手を投じるべきだろうか。カウンターを返すにしても、この防御力ではすぐに破られる。ならば、やつのホームへと自ら向かっていくしかない。他の金魚に紛れ、息を潜め気配を絶つ相手。なんて強敵なんだ。

「くっ、いいだろう。その誘いにのってやろうじゃねぇか!」
「お、お兄ちゃんが燃えている」
「なんて男同士の熱い展開……!」
「相手金魚なんだが」

「来たな。くらえェ!」
『―――ふっ、残像だ』
「なん…だと……」
「あ、あぁ! お兄ちゃーん!」
「俺は負けたのか…。だけど、このままじゃ諦めきれねェ! 必ずお前を超えてみせる!」
「こ、これが本で見たライバルフラグってものなのね!」
「相手金魚なんだが」

 それからも何度か挑んだが、結局やつを捕らえることはできなかった。後ろで応援してくれたアリシアとメェーちゃんには申し訳なかった。さすがにこれ以上するのは俺のお小遣いがピンチになる。だが、俺は再戦を誓った。来年こそは俺が勝ってみせるぞ!



******



「わぁ、これが花火なんだー」
「アリシアは花火を見るの初めてだったな。綺麗だろ?」
「うん!」

 嬉しそうな妹の表情に俺も笑みが浮かぶ。空に打ち上げられる色とりどりの花火を友人たちと見物している。縁日から少し外れたところで、金魚屋のおやじさんから穴場を教えてもらったのだ。遮蔽物も人も少ないのですごくよく見える。

 俺自身もアリシアと同じように、この世界で初めて眺める花火に気分が高揚した。周りを見渡すと、友人たちも思い思いに花火を楽しんでいるらしい。笑いながらおしゃべりしたり、屋台で買った食べ物をおいしそうに食べている。しかし少女Dよ、その大盛りの焼きそばは女の子としていいのか。エイカと少年Eが羨ましそうに見ていたけど、真似したらダメだぞ。

「もう夏も終わりか…。そろそろ生活のリズムを整えておかないとな」
「えへへ、つい夜更かししちゃったり、お寝坊さんになっちゃっていたもんね」
「そうだなー」

 今までの休みの様子を振り返ると、確かに結構だれてしまっている。これは気を付けないと、寝坊しそうだ。早起きを一緒に頑張ろうと妹と約束を交わした。


「あっ、次の花火は15分間のメッセージ花火ショーなんだって」
「お、もうそんな時間か」

 アレックスが祭りのプログラムを見ながら呟いた言葉に、俺は携帯用端末の電源を入れる。メールでそろそろ時間だと知らせると、すぐに返信メールが返ってきた。ターゲットを花火が見える場所に誘導してくれたらしい。よしよし。

「何やっているんだ、お前?」
「ん、あぁちょっとしたサプライズイベントだよ。実は今回のメッセージ花火なんだけど、ある人への俺と協力者なりのささやかなプレゼントなんだー」
「は?」

 不思議そうに首を傾げるエイカに、もう少しでわかるよと声をかけておく。いやぁ、相手にばれないようにあの日から密かに計画をたててきたが、ようやく報われるな。痕跡を辿られないように転移で移動したし、お金や書類などの手回しにも気を使った。別に悪いことはしていないんだし、問題はないよねー。

「あ、始まった!」
「本当だ。綺麗に花火の中心に文字が浮き上がってくるんだな」
「へぇー、どれどれ」

 これから始まるのは小さなエピソードも交えた、たった1人のためのメッセージ。このクラナガン中の人々がそれを見つめている。そこに綴られるお祝いの言葉は彼に届くだろうか。届いたらどんな反応をしてくれるだろうか。これは、俺なりの精一杯の感謝の気持ちを込めた盛大なるプレゼントだった。

「えーと、ゲ・イ・ズ・た・ん・じ・ょ・う・び・お・め……なるほど誕生日花火ってことか」
「わぁ、派手だな。そのゲイズさんって人、すごくお祝いされているんだね」
「俺たちも『おめでとう』って空に向かって叫んでみる?」
「面白そう。おめでとー、ゲイズさん!」
「おめでとー!」

 その夜、クラナガンの街に『誕生日おめでとう』というコールが数分間響き渡ったという。

「……おい、さっきからお前の端末が引っ切り無しに鳴っているんだが」
「心配しなくて大丈夫だよ、エイカ。相手わかっているし、盛大なるお祝いが終わったら出るさ」

 

 

第三十七話 少年期⑳



 まだまだ日中の暑さを感じるものの、 空に浮かぶ雲を見ていると秋に入ったんだなぁ、とちょっと感慨深くなる。今日浮いているのは鰯雲だろうか。うろこ雲にしては大きさが小さいからたぶんそうだろうな。千切れたような細かい雲の群生が空を覆っている。

 なんとなくだけど、こんな風に景色を眺めるのは好きな分類に入る。ふらふらすることで次々と変わっていく様子を楽しむのも、一ヶ所をただじっと眺めて過ごすのも方向性は違うが面白いと俺は思っている。特に秋の空は見ていて楽しい。

 空が高く感じるし、ころころと姿を変えていく。台風は普通に困るが、少しぐらいの天気の崩れなら俺としては全然許容範囲だ。まぁ一番好きな天気は、やっぱり今みたいに雲がかかった晴れ模様なんだけどね。こんな天気だとやる気が出る。秋ってイベントがいっぱいだから、暑すぎず寒すぎずの方がのびのびできるというものだ。

「なぁなぁ、お前らにとって秋のイベントは? って言われたら何を思い浮かべる?」
「読書じゃない?」
「……食欲」
「スポーツだろ」

 定番の3つをありがとう。上からメェーちゃん、少年E、少年Cだ。見事にわかりやすい。

「芸術の秋とかも聞いたことあるよね」
「アリシアは確かにそっちかもな。じゃあ俺は行楽の秋かなー」
「え、俺は……俺に似合う秋ってなんだろう…」
「アレックス、秋は感じて見つけるものだから。自分に当てはめるものじゃないから」

 いつでもどこでも平常運転なツッコミおかん少年B。でも少年Aに思い浮かぶ秋が、俺もなかなか思いつかない。もうさ、変にとがってないことが特徴でいいんじゃね。直接言ったら泣きそうだから言わないけど。

 思えばみんなと最初に出会ったのは、エイカと初めてエンカウントした日と同じだから、もう友達になって1年になるのか。長かったような、短かったような。ヒュードラの事故以降、色々なことが俺の中で1周年記念を迎えている気がする。6歳まで本当に狭いところで生活していたんだなぁ、とちょっとしみじみしてしまった。


 さて、気を取り直して夏休みが終わり、学校が始まって早数日。クラス全員欠席もなく、言っちゃなんだがすごいパワフルである。どこにそんな元気があるの? と俺ですら時々思ってしまうぐらいには。そんなクラスをまとめているのが、意外にも少年Cだったりする。少年Bはどちらかと言えばストッパーな感じだ。

 俺も前に立って先導することはあるけれど、たぶん少年Cの方が上手い。あいつはなんだかんだで表裏がない真っ直ぐな性格だからな。その方向性が色々問題ではあるが、長所であることにかわりはない。だから、俺が夏休み前にもらった所見に『マイペース』と相変わらず書かれていたけど、これも長所と言っていいのだろう。うんうん。

「あ、そろそろホームルームが始まりそうな時間だし、席に着いとく?」
「そうだな。おーい、先生がそろそろ来そうだから座っとこうぜー」

 少年Cがクラスのみんなに声をかけると、教室でおしゃべりをしていた子たちがうなずき合う。そのまま席に座りに行くあたり、素直な子が多いと思う。その分、俺のちきゅうや布教だったり、少年Cの師匠譲りの宣伝が広く行き渡りやすかったのかもしれないけど。

「皆さん、おはようございます。今日もきちんと席につけていて偉いわね」

 担任の先生が教室に入ってくると、みんなできちんと挨拶を返す。『カオスなりに秩序の保たれた不思議な学級』がこのクラスの別名とされているらしい。まぁかなり自由なやつが多いけど、誰も先生を困らせたい訳ではないし、先生も先生で叱ると褒めるを公正にしてくれるから保たれるバランスなんだろうな。

 そんな風にどうでもいいことを考えていたら、先生の話が進んでしまっていたらしい。慌てて話に耳を傾けると、どうやら秋の一大イベントの説明に入っていたようだ。そういえば、学校の行事に関しては意外と地球にあったものとかぶりやすい。おかげで想像するのは簡単で助かるんだよな。

「秋といえば、やっぱり運動会か」

 少年Cが言っていたスポーツの秋。それはミッドチルダでもしっかり当てはまるらしい。ただ異世界だけあって、競技の内容に魔法を使ったものもあれば、地球と同じような身体能力だけで競うものもあるらしい。俺たち1年生はまだ魔法については座学が主なので、競技自体は魔法なしのものが多い。

 初等部と中等部が合体したこの学校は当然参加人数も多く、様々な競技が行われる。なんと2日間という時間を使って競い合うらしい。学校内で赤組とか白組みたいにわかれるのだろうか、と思っていたがどうやら俺の想像を超えた競争相手だったようだ。

「まさか、学校VS学校同士の闘いとは」
「クーちゃんの学校と闘うんだよね」

 俺たちが通っているクラ校は、ミッド式の魔法を主軸に置いた学校である。だがもう一つ、ベルカ時代古来の戦闘技術や近接戦を主軸に置いた学校がある。それがミッドの中央区より北に位置しており、少女Dが通っているベルカ式の学校であった。クラ校は管理局に務める割合が多いのに反して、あっちの学校は聖王教会に進路を進める人が多いらしい。

 少女Dの場合、彼女の持つデバイスがベルカ式の方が合っているからという理由で、向こうの学校に行ったとは聞いている。彼女自身は教会に就職するとは今は考えていないようだけど。少女Dはさっぱりした性格だから、向こうでも友達を作って楽しんでいると聞いていた。体育祭の時にでも紹介してもらえるだろうか。

「今年の体育祭は私たちの学校で開かれます。毎年開催場所を交代で利用しているため、来年はあちらの学校で行われることになるから覚えておいてね」

 先生からの説明でこの体育祭の規模の大きさを改めて感じた。もちろん学校内だけで体育祭を開くところもあるらしいが、うちの学校のように他校と競い合うところも多いらしい。理由の1つとしては、今回の様にミッド式とベルカ式の交流を図るためという意図もあるようだ。

 それに参加人数が多ければ、その分大きな競技内容が開催できる。有名どころとしては、初等部と中等部の高学年で行われる『魔法合戦』だろう。これは兄や姉を持っているクラスメイトから聞いた噂だ。どんな競技なのかはわからないが、かなり派手で一番の見どころだと教えてもらった。

「去年は残念ながらあと1歩だったけれど、今年は私たちが優勝を狙っていきましょう。怪我や無理はダメだけど、本番まで頑張りましょうね」

 先生の掛け声にクラス全員で「おぉー!」と元気よく返事を返した。全体のプログラムはまだできていないみたいだが、俺たちが参加する競技は決まっているようだ。だいたい去年と同じような内容らしく、定番のかけっこや表現運動もある。なんだけど、俺は競技内容の1つにどうリアクションを取ればいいのかわからないものがあった。

「……なぁ、少年A。この『ぷにゅぷにゅ競争』ってなんだろう。名前のかわいさの中にどことなく怖さもあるんだが」
「俺もちょっとどういうリアクションをとればいいか悩んでいた」

 俺と同じ気持ちを持っている同士がいてくれてよかった。どうやらこの『ぷにゅぷにゅ』なるものはほとんどの児童が知らないようだ。先生もあえてなのか、これがどういうものなのか教えてくれなかった。

「『ぷにゅぷにゅ』は生き物の名前ですよ?」
「さすがは安定のメェーちゃん」

 しかし生き物の名前だったのか。新たにできた疑問として、どうしてそんな安直な名前をとは思ったけど。もう少し他に名前はなかったのか。ポ○モンでももう少し捻って……いや、あれも鳴き声とかまんまだったか? 別にわかりやすいから、悪いわけではないんだけどさ。

「しかしそっか。こうなってくると、少女Dと勝負することになるのか」
「確かに彼女なら勝負しようって嬉しそうにいいそうだね。負けず嫌いなところがあるから」
「む、クーちゃんが相手でも負けないよ!」

 少年Bからの言葉にアリシアはやる気を出す。それを聞いたクラスメイト達も大きくうなずき、せっかくなので円陣でも組んで意気込みを出そうということになった。先生も一緒にやろうとみんなでお誘いすると、ちょっと恥ずかしそうに頬を掻きながら参加してくれました。そして、円陣発案者である少年Cは胸いっぱいに息を吸い込み、精一杯に声を張り上げた。

「それじゃあいくぞ! 勝利の栄光をわが校に!」
「わが学校に、栄光あれーー!」
『ジーク・クラ校ッ!!』
「え、えっ…?」

「……うちのクラス色々染まりすぎてしまったけど大丈夫だろうか」
「君がそれを言うの」

 クラスの掛け声に超困惑しながらも、「じ、じーく・くらこー?」と一生懸命な子どもたちに合わせてくれる担任の先生を巻き込みながら、時間は過ぎていった。



******



「へぇー、やっぱりベルカ式は近接系統が主なんだ」

 俺はクラ校の図書室でパラパラと本を読んでいた。周りには他にも児童が何人かいるが、それぞれ思い思いに過ごしている。現在は選択授業である『古代ベルカ時代の歴史』の時間であり、今日は図書室で資料を見つけ、レポートとして提出するように歴史学の先生に言われていた。

 選択授業では一応学年ごとに課題の量や内容は違ってくるが、習う内容はほとんど同じものとなっている。なので、新入生と高学年が同じ教室で授業を受けるという奇妙な空間が出来上がるのだ。歴史学系は新入生にはあまり人気がない授業なので、かなり人数が少なかったりする。今もそっと首を巡らせてみても、見えるのは高学年ばかりであった。

 そんな環境だから、1人寂しく独り言を言いながら勉強をしています……という訳ではない。ちゃんと話し相手はいるので心配無用だ。

「そうだな。もしミッド式とベルカ式が闘う場合、いかに相手との間合いを掴むかが鍵になってくるというわけだ」
「そうなんだ。あれ? でも確か、昔はベルカ式が主流だったんですよね。そうなると、遠距離で攻撃する手段ってどうしていたんですか? これだと複数の相手と戦うのも難しいんじゃ」
「別に遠距離を攻撃する魔法がなかったわけではないぞ。ベルカ式にも射撃魔法や広域攻撃魔法はある。だが、昔は質量兵器を使った闘いが当たり前だったんだ。射程距離や威力の関係で、遠距離の攻撃は兵器を使うというのが主流になっていただけというわけだ」
「なるほど。だからベルカ式は近接戦に特化していたのか。そして現在は質量兵器