水の国の王は転生者


 

プロローグ

 
前書き
 初めましての方は、初めまして。にじふぁんで見ていてくれた方は、お久しぶりです。

 色々ありまして、こちらの暁さんのサイトで連載させていいただきます。

 これから、どうぞご贔屓に、よろしくお願いします。 

 
「ん・・・・・・ここは・・・・・・どこだ?」

ふと目を覚ますと真っ白な地面と灰色の空の奇妙な空間に立っていた。

「お、目を覚ましたぞ」

「覚ましたんだな」

「ケケケ・・・・・・・ようこそ、迷える子羊よ」

声がする方向を見ると、マッチョとデブをチビの三人の男が立っていた。

「ウム、お前がここに呼び出されたのはほかでもない」

「き・・・君は人間界で死んじゃったけど、輪廻の輪から外れちゃって転生できなくなっちゃったんだな」

「普通、人間に限らず死後、輪廻転生によりさまざまな生物に転生するようになっているのだよ」

いきなり現れた三人組はそれぞれ好き勝手にしゃべりだした。

「ちょっ・・・ちょっとちょっと! いきなり何なんだよ! もうちょっと分かるように説明してくれよ!!」

「なんだ、せっかちな奴め、ようするにお前はとうの昔に死んで、ほかの生物に転生しようも輪廻の輪から外れて転生できなくなったと、そう言っとるのだ!」

「え? オレ・・・・・・死んじゃったの?」

「最初からそう言ってるんだな、オツムが弱いんだな」

ほっとけ! 
内心で愚痴をこぼす。

「ククク・・・・・・このまま転生できずに消滅するしかない君に我々がよい転生先を紹介しようと思ってね」

「転生できずに消滅!?」

「そうなんだな、ただし我々の出す条件を飲めば・・・・・・の話なんだな」

「左様、『神たる我々を楽しませる事!』・・・これが条件よ!」

「神だって? あんたたちが?」

『神』と、いう言葉に納得してしまう自分がいる。
なんというか・・・・・・こいつ等の思考回路が人間を超越してしまっていると思ってしまったからだ。

「楽しませるって具体的にはどうするの? 芸でもしろっていうのか?」

「我々、神にとっての最高の娯楽とは哀れな子羊たちの波乱万丈の人生、ワインを片手に見るそれは最高の娯楽! 最高の演劇なのだよ!」

地獄に落ちろ・・・・・・内心毒気づく。

「なんだ? その箱」

不良神三人組がそれぞれ一つずつの安っぽい箱を持っている。

「この箱にはお主が転生されるフィクションの世界」

「そして我々の持つ二つの箱は生まれもって得られる各種スキルを一つずつ」

「なんだな」

「んん!? フィクション? フィクションの世界ってなんだ!?」

「そのままの意味なんだな、マンガや小説の世界ってことなんだな」

「現実世界はお主の転生を受け入れる事はできない、現実世界ではない『架空の世界』ならばお主を転生させることが出来る・・・・・・と、まあそういうことだ」

「その架空の世界であんたたちを楽しませろ・・・・・・そういうことかい?」

「ククク・・・・・・そういうことだ、くじ引きとはいえ得られる各種スキルも凡人が人生をかけて鍛錬しても届くことが出来ない超能力と呼ぶにふさわしいものばかりだ」

「・・・・・・超能力」

「要領よく立ち回れば英雄にもなれるんだな、可愛い娘もいっぱいはべらせる事も出来るんだな」

「・・・・・・英雄」

不良神三人組に煽られ乗せられていると自分の冷静な部分が警告を発するも『スーパーパワーで英雄』という甘い言葉にオレは徐々にその気になってきた。
それに現実世界のオレは死んでしまっている、引くことは出来ない、ならば・・・・・・進むしかない!

「やるよ、もう進むしかないんだろ? だったらせいぜいあんたたちを楽しませてやるよ!」

不良神三人組がいかにも『計画どうり』といった笑みを浮かべるが、三人組をギロリと睨み返す。

「ガハハハハハ!・・・神を前によい根性をしとるわ!」

「契約成立なんだな、早速くじを引くんだな」

「では最初に私のくじから引くといい、能力のくじだ」

最初はチビ神がもつ箱に手を突っ込んだ。

ダララララララララララララ!
どこからともなく安っぽいドラムロールが鳴り響く。

「よっと・・・・・・『魔力無限』って書いてあるんだけど」

野球のボールぐらいの球を掲げる

「おめでとう、その能力は読んで字のごとく『魔力が無限』・・・・・・魔法を一日中使いっぱなしにしても魔力切れを起こさない・・・・・・と、いう意味だ、おめでとう!じつにおめでとう!! ケケケケケッ」

「魔力ってどういうの?RPGでいうMPで考えればいいのか?」

「そう考えてよい」

うん・・・・・・・いいね、無限に魔法を使い続けるなんて最強では? などと考えていると、いくつか疑問点が浮かんできた。

「ところでさ、転生した先で魔法とかそういう力が・・・・・・無い世界だったらどうするんだ?」

「その場合はご愁傷様なんだな、がんばって魔法の存在する世界を引き当てるんだな」

「ええっ!?」

「付け加えると魔法の使えない種族でもだめだ」

そんなのアリかよ! 思わず抗議しようとチビ神に詰め寄ろうするとデブ神がぬぬっと割り込んできた。

「早く次を引くんだな、早くしないとキミ・・・・・・消滅しちゃうんだな」

「なっ!?」

慌てて自分の身体を確かめるとたしかに。

「透けてる!?」

「ケケケ、早くクジを引かないと何もかもオシマイだぞぉ・・・・・・ケケケケケケ!」

憎たらしく笑うチビ神。

「くっ、くそっ!」

急かされるようにチビ神の持つ箱に手を突っ込んで最初に手に触れた球を掴み引き抜いた。

「むぅ・・・・・・・『目から破壊光線』とな」

「なんだよそれっ!!」

「まぁ、これで魔法無い世界でも上手くやっていけるんだな」

「ぐぬぬぬぬ・・・・・・・」

「さぁ! 最後は転生する世界、悔いの無いようにな!」

最後にマッチョ神が箱をさし出した。
オレは消滅の恐怖から逃げるように最後の箱に手を突っ込む。

「く、くそったれ! 何でもいいからまともな世界を引いてくれぇーーーーーー!」

オレは引いた球に書いてある転生先を確認しようとした。
すると、そこに書いてあった転生先は・・・・・・







『ゼロの使い魔』 

 

第一話 王子誕生

「おぎゃあああああぁ! あぎゃあああああぁ!」

いったい何がどうなってしまったんだろう。
確かめようとするがどういうわけか目が開かない。
口が勝手に悲鳴・・・・・・・と、いうか泣き声を上げる。
辛うじて俺の鳴き声に紛れて雑音のようなものが耳に届くぐらいだ、今置かれた状況を確かめるべく雑音に耳を傾けた。

「おめでとうございます! マリアンヌ王妃殿下」

「元気な男のお子様でございます、王子様でございます」

「王太子殿下万歳! トリステイン王国万歳!!」

「まもなく国王陛下も参りましょう」

「そうね、少し休ませてもらおうかしら」

どうやら転生には成功したらしい、先ほどの会話を聞くところによるとどうも・・・・・・・トリステンだか何かの国王と王妃との間に産まれた王子様らしい。
王子様・・・・・・・そう! セレブだ! 転生させてくれたとはいえあの不良神どものおもちゃにでもされるのではないかと戦々恐々だったのだ。



ふと、誰かの手だろうか? なにか柔らかいものがオレのほほをなでる。

「はじめまして、私の赤ちゃん、私があなたのお母さんよ」

「あー、うー」

うん・・・・・・・なにかすっごく温かいものがオレの小さな身体全体を駆け巡った。

「あー、あー」

オレは母を探そうと目を開けようとするが中々まぶたは開かない。

「もうすぐ、お父様が来るから」

父ちゃんか、国王ってくらいだから立派なヒゲでも生やしているんだろうか。
カイゼルヒゲを生やすいかにも国王! って感じのおっさんを想像して脳内で吹きかけた。
その後リラックスしたのか自然とまぶたが開き、初めて母を見た時はかなりヤバかった。
いくら美しいからってさ、いくらなんでも生んでくれた母親に惚れるわけには行かないからね
すかさず目を閉じて寝たふりを決め込んだんだ。








しばらくすると何やら廊下の辺りが騒がしい。
すると、いきなり派手でハンサムガイなおっさんが部屋に入ってきた。

「ああっ! 愛しのマリアンヌ! よくがんばったね!」

「陛下! 嗚呼・・・・・・陛下、私は今日この日ほど陛下と始祖ブリミルの愛に感謝したことはございません!」

「おお・・・・・・愛しのマリアンヌ、嬉しいことを言ってくれるね・・・・・・・でもそれだけじゃ足りないよ! 始祖ブリミルと僕、そして・・・・・・・キミの愛があったればこそさ!!」

「陛下ぁ!」

「マリアンヌッ!!」

はっしと抱き合い二人は深いほうのキスをした。

『トリステイン王国万歳! 国王陛下万歳!』

『トリステイン王国万歳! 王妃殿下万歳!』

『トリステイン王国万歳! 王太子殿下万歳!』

『バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!』

『ワアァァァァァァァァァァァァァァァァァ・・・・・・・』

首は回らないがおそらく窓の方向、やたらと歓声が聴こえる。
他にも室内にいた貴族っぽい服の男たちが数名と医師一人と助産婦一人、メイドが数名、それらが万歳三唱しているのだ。
逆に恐縮してしまうのは前世が日本人だからだろうか?
それと母さん! 父さんが登場するまですごくいい感じでいかにも『良妻賢母』って感じだったのに父さん登場と同時の『母』から『女』への変貌はすっごい幻滅した!
王太子の誕生とはいえこんなに派手なものなんだろうか?


なんかこう・・・・・・この国大丈夫か?







先ほどの馬鹿騒ぎは終わり王城内は静寂に包まれ当番の衛兵ぐらいしか人影はない。
いや、確認してないけどさ。
王太子誕生で急遽祝日にしたって父ちゃんが言ってた。
母さんはクィーンサイズか分からないがかなり大きい天幕ベッドに横になっている、ちなみに『女』から『母』の顔に戻っていた。
父さんは豪華なイスに座り、ニコニコしながらオレを抱いている。
二人とも普通だ、ひょっとしていままでのは演技だったのだろうか?
ちなみに室内には父さんと母さんそしてオレの三人しかいない、家族団らんを楽しみたいそうで他の人たちは部屋の外に下がらせたようだ。
何か異常があればすぐにでも飛び込んでくるそうだが、首のすわってない赤ん坊がいるのに大丈夫だろうか?

それはそうと、オレの名前が決定した。

『マクシミリアン・ド・トリステイン』

だ、そうだ。

愛称はマックス、マクシィ、ってところか。

『トリステイン』が姓で、先に『ド』の称号が付くならトリステインって国はフランス圏の王国なんだろうか?
ま、今考えても仕方が無い、後で調べるとしよう。

「そういえば・・・・・・ヴァリエール公爵夫人も近々二人目を出産するそうだ」

「そう、カリーヌ様が・・・・・・月日の経つのははやいものね」

母さんが複雑そうな、何かを懐かしむような顔をしていたがオレには意味が分からなかった、友達だったんだろうか?

「男子ならばよき友人になってくれるだろうし、女子ならば婚約を申し込んでみようか、ハハハ」

「まぁ、陛下いささか気が早いのではないですか?」

「そうかな? ハハハハハハ」

「うふふ」

なんか勝手に人生設計を決められてるような会話が聞こえるが、オレは今、とてつもなく眠い・・・・・・・
うん、もうだめだ・・・・・・おやすみ。






『おやすみ、私たちの天使』


なにか聞こえたような気がするが・・・・・・・よい響きだったね・・・・・・うん、こんどこそおやすみ





 

 

第二話 斜陽の王国

この数年、簡単な読み書きを習いつつ出来る範囲での情報収集をするといろいろなことが分かった、まず転生先はハルケギニアという名前で地図を見ると前世のヨーロッパによく似ている。

ちなみに我がトリステイン王国はというと小国と呼ぶにふさわしい国土しかなくガリア王国と帝政ゲルマニアという二大大国にはさまれる形になっている、もしガリアとゲルマニアが戦争状態になったら通り道にされるんじゃないかと不安になる・・・いやマジで洒落にならない。

父さんの実家であるアルビオン王国とは同盟を結んでいるらしいが期待しすぎるのは危険だ、有事の際、最初は一緒に戦ってくれるだろうが旗色が悪くなれば容赦なく切り捨てられるだろう、『国家に真の友人はいない』ってやつだ、いくら父さんが現アルビオン王国国王の弟とはいえ滅亡まで付き合ってくれるはずは無いのだ。

ロマリア連合皇国だが、前世で昔あった教皇領かバチカン市国みたいなものなのだろうか? みんなは口々に光の国と言ってそれ以上のことは教えてもらえなかった。

情報集めの結果、トリステイン貴族の大半はガリアはそれなりに警戒してるみたいなんだが、ゲルマニアの場合は無警戒というか明らかに馬鹿にしている。とある貴族にいたっては過去に起こった戦争をつらつらと読み上げトリステインの栄光をことさら強調し、別の貴族などは『数千年前にも勝ったのだから、もし明日にでも戦争がおこっても我々は勝利するだろう』などと正気を疑うような事を言ったやつもいた。むしろガリア・ゲルマニア以前にトリステイン貴族の堕落っぷりをどうにかしないと。
暗澹たる未来しか今のオレには見えなかった。



ちなみに子供の演技をしながら情報を集めたせいか演技力に磨きがかかった気がする。演劇好きが行き過ぎて事あるごとに寸劇をしだす両親の血のせいなんだろうか?









先日、五歳の誕生日を迎えたことから、父さんから魔法の勉強の許可が下りた。そこで今日非番のヒポグリフ隊の練兵場を借り切っての授業を行うことになったのだが、講師役の中年男がオレにヘラヘラと愛想を振りまいている。正直ウザい。

「初めまして王太子殿下、講師役を賜りました、バレーヌです。本日は基礎的なコモンマジックの習得を予定しています」

「今日はよろしくお願いしますバレーヌ先生」

「はは~っ」

子供の演技をしながら講師役の中年男を観察する。
オレの講師役を射止めるのにいったい、いくら賄賂に使ったんだろう。かなり失礼なことを内心グチる。

「まずは『ライト』から始めます」

「ライト?」

「初歩的なコモンマジックです、ようは杖が光ればよいのです」

「杖を光らせばいいの?」

「はい」

気を取り直して深呼吸をして、先日契約した杖を振るった。

「ライト!」

「・・・・・・・」

「あれっ? ラ、ライト!」

光らない!?
焦ってうろたえるオレに。

「殿下、魔法でもっとも重要なのはイメージです、先ほどの殿下はただライトと言っただけでイメージが出来てなかったのでしょう」

イメージか、もう一度深呼吸として。
・・・・・・光る、光る、光る、イメージは前世の小学生時代での理科の実験、ポッと小さな光を灯す豆電球。
このイメージ、行けるか!?

「ライト!」

すると杖の先に小さな光が灯った。

「やった! 光った!」

「お見事です殿下!」

「次の魔法を教えてよ」

「承知いたしました、次はロックとアンロックの授業をいたしましょう」

その後、鍵付きのドアのある場所へ移動し、ロック、アンロックなどいくつかのコモンマジックの練習をして本日は終了のかたちとなった。

最初は頼りない感じだったけど指導法もよかったしよい先生だった、評価を上方修正する。




「その殿下」

「バレーヌ先生、どうしたの?」

場内へと帰る途中、先生に呼び止められた。

「殿下ほどのお歳の場合はよく自分の精神力の限界が分からず精神力切れを起こし気絶する者が頻発するため、いろいろ気を使ったのですが、なにか他に身体に異常などはありませんでしたか?」

「そうなんだ、僕はなんとも無いよ」

「どうやら気苦労だったようですね」

「先生、次は何を教えてくれるの? 僕、早く系統魔法を使いたいな」

「その前に殿下の属性を調べなければいけません」

「属性?」

「系統魔法はは、火、水、風、土、そして伝説の虚無の五つの属性であるとされています。最後の虚無は始祖ブリミル以来使い手が現れていません、ので基本的に属性は虚無以外の四つで構成されているといってよいでしょう」


「それじゃ次は僕の属性を調べるんだよね」

「はい」

その後、いつものように五歳児の演技をしながら、2,3会話して別れた。


そうだった、『魔力無限』の能力のことを忘れていた。
不良神の説明では『魔力=MP』と言っていた、ハルケギニアでは『精神力=MP』という説明だったし『精神力=魔力』ってことで適応されたのかもしれない。






数日後、二回目の魔法の授業でオレに水と風の属性が確認された。
水のトリステインと風のアルビオン,二つの王家の血を引くオレが水と風の属性だということを知った両親はいつものように寸劇で喜びを表現していた。

こうも頻繁にしかも所かまわず寸劇をするので。

『そんなに演劇が好きなら王立劇場に出演してみたらどうか?』

という(むね)を残酷で無邪気な子供の演技で皮肉を言ったら。

『もう出演した』

と答えが返ってきた。
オレが生まれる前に二人で王城を抜け出ししかも身分を隠しての出演で観客や一部のスタッフ以外だれも気がつかなかったそうだ。後日、劇場での一件がばれてもう二度と似たようなことはしないと誓約書を書かされたそうだが、二人はよい思い出話のように語っていた。


オレは呆れつつも『仕方の無い人たちだ』と肩をすくめた。


 

 

第三話 王太子と貴族

先日、オレの五歳の誕生パーティー催され数多くの貴族たちが参加した。
さすが王太子の誕生パーティーといったところでパーティーは盛大に執り行われてオレもスピーチをさせられ、『ちょっと背伸びをした子供』の演技でスピーチしたらやたらと大きな歓声を上げられた。

『王太子殿下万歳!』

『トリステイン王国万歳!』

そのときのオレの心はどんよりとして今にも雨が降りそうだった。

原因は分かる、先日の魔法の授業で水と風の属性を発現した事と、それからわずか数週間でメキメキと力をつけ五歳児ながらドットからラインに届こうかということが王城内どころか全国に広まったからだ。
この情報で今までそれなりに敬意を払いつつも、よそよそしかった連中が我先にとおべっかを使い始めた。

『殿下! 今日は言い天気ですね』

『殿下! 今日はどちらへ?』

『殿下! 王立図書館へ行くのでしたら、(わたくし)めがお供いたしましょう!』

『いや! 私が』

『是非、小生をお供に』

『私が!』『私が!』『私が!』『私が!』『私が!』『私が!』


・・・うぜぇ。


『息つく暇も無い』とはこの事であろう、自室から廊下へ一歩でも外に出ると愛想笑いをした宮廷貴族が最低でも必ず二人は現れる、情報収集と勉強のために王立図書館に行こうとすると護衛と称して5、6人の宮廷貴族がぞろぞろと着いてくるのだ、こうも四六時中監視されてるとでストレスやその他諸々の悪感情でめまいが覚える始末だった。





数日後オレは父さんの私室を訪ねた。

「よろしいでしょうか父上」

「どうした? マクシミリアン、少し顔色が悪いぞ」

「ここ最近多くの貴族の人たちが事あるごとに僕の後についてきて大変困っているのです、これではろくに勉強できません何とかならないでしょうか?」

ついに我慢しきれずに父さんに泣きついた。

「そうか辛かっただろう、もう大丈夫だよマクシミリアン」

「ありがとうございます父上」

「私が皆によく言っておくから、しっかりと勉強しておくように」

「はい、父上」

父さんが何らかの命令をしたのか、数日後潮がサーっと引くようにおべっか使いや自称護衛などが現れなくなったがどこからか視線を感じる時がある、遠くから監視されているのだろう。

完全にストーカー被害は無くなったわけではないが、オレの心の中に貴族連中に対する強烈な警戒心が残った。

(あいつら実はオレの演技に気づいていて、おべっかのためにわざと気づいていないフリをしているんじゃないか?)

(それともオレに取り入って権勢を振るうつもりか? その手は食うかよ!)

(そもそも誰が味方で誰が敵なんだ?)

(トリステインに巣食う寄生虫どもめ)

(裏で散々私腹を肥やしてるんだろうがそうは行かないぞ)

(汚物は消毒だ!)


疑心暗鬼と悪感情のスパイラル・・・というべきか。
下手に精神が大人なものだから常軌を逸した監視や接触には耐えられないんだろう。まぁ、子供でもこいつは耐えられんかもしれんが。

しかしこの一件はオレにひとつの決意をさせた。

(王太子とはいえ、たかが五歳児の権力なんて微々たるもんだ、今は力を蓄える!)



(それと信頼できる仲間、トリステイン再生の戦略、他にもやる事はあるだろうが出来るところからやっていこう、徹底的に!)









一ヵ月後、オレは水と風のラインに上がった、だがまだ通過点だ驕らずにもっと精進しないと。


『ガリア王国のシャルル王子のようだ!』

『いや! それすらも凌駕する!』

『トリステイン王国万歳!!』


相変わらず外野はうるさいが、気にしないようにする。
自室でくつろいでいると、ノックとともに両親が入ってきた。

「マクシミリアン入っていいかい?」

もう入ってるだろうに。

「どうしました? 父上、母上」

「実はだなマクシミリアン、来週、ヴァリエール公爵の誕生パーティーが催されることになってな」

「誕生パーティーですか」

「マクシミリアンももう五歳だからな家族そろって行こうという事になったのだ」


国王一家ご来訪ってやつか? そのヴァリエール公爵って今頃すごい気合入れて準備してるんじゃなかろうか

「そのヴァリエール公爵の次女の子はあなたの婚約者なのよ」

「婚約者ですか?」

「ええ、でもその子は生まれつき体が弱くて、国中の腕のよい水メイジを頼んで治してもらってるのよ」

「なにかの病気なんですか?」

「詳しいことは分からないけど。でも、マクシミリアンが会って励ましてあげればきっと良くなるわ」

「そうですか。分かりました、元気になれるよう励ましてみます」


転生後初の旅行だ、トリスタニアどころか王城の敷地内から出たことが無いからから商業地や農地など見て回れたらいいんだが、それに婚約者はどんな娘なんだろうか、可愛い娘だといいな、あと病気だと聞いたけど早く良くなるといいけど、励ますったってどういう風に励まそうか。







また一ヵ月後、ヴァリエール公爵領へ出立の日。

オレの目の前にユニコーンが繋がれた8頭立てのやたらでかくて豪華な馬車があった。ユニコーンって男は駄目なんじゃなかったっけ? 調教したのか?
そんでこんなキラキラしたヤツで行くのか? もっと他に金の使い道があるだろうに。でもまぁ、王家ってのは大勢に見られてナンボか。


すると後ろから父さんの声が聞こえた。

「おはよう、マクシミリアン昨日は良く眠れたい?」

「おはようございます、父上いつも通りに眠れたと思います」

「そうか、父さんは初めての旅行の前日はぜんぜん眠れなかった覚えがあるぞ」

「そうなんですか」

「そろそろ母さんも来るころだ。いいかい? マクシミリアン、御婦人、つまりは女の子というものは大抵遅れてくるものだ。だから婚約者の娘が遅刻したりしてもあまり怒ってはいけないよ?」


いきなり何を言い出すかと思えば。


「分かりました、父上」

「うんうん」

「宮廷とベッドの上でも女の子には『やさしく』ですね?」

「う、いったいどこでそんな言葉を」

「たしか、ストーキン男爵が言ってました」

「む、そうか、マクシミリアン、その言葉は下品だ二度と使わないようにしなさい」

「はい、父上」


ちなみにストーキン男爵ってのはオレを頻繁にストーキングしていたヤツの事だ、もっとも男爵はそんな言葉は一言も言ってない。おかげでオレの心は久々に晴れ上がった。


「お待たせしました~」


ようやく、母さんがやって来た。後から大きなカバンをいくつも持ったメイドや執事が手馴れた感じでついてくる。

「マクシミアン、母さんの荷物が積み終わったら出発するから、馬車に入ってなさい」

「はい、父上」

トテトテと、馬車に近づくと白髪の執事が子供用の足場を置いてくれた。

「どうぞ、殿下」

「ありがとう」

足場を使って車内へ入る。
内装は豪華なソファが二つ向かい合うようにして置いてあり、内壁や天井には王家の紋章である白百合か描かれていて、簡易のワインセラーも付いてる。
こんな豪華な旅が出来るなんて感動だ。最近ストーキングされて少し鬱ぎみだったけどやっぱり王家って半端ない。

窓から外を見ると父さんが魔法衛士隊の隊長らしき人になにやら指示した後、母さんを伴って車内に入ってきた。

「そろそろ出発だ」


御者側のソファに父さん、反対側のソファにオレと母さんが座る。
しばらくするとトランペットらしき金管楽器の演奏が王城中に響き渡る・・・あ、今、音程外した。

「外したな」

「外したわね」

両親も気づいたらしい。何気にこの一家、演技をはじめ芸術方面でチートだったりする。


「陛下、出発いたします」

「うむ」

白髪の執事が馬車のドアを閉めると御者席に飛び乗った、御者席には御者の人と執事の二人が座っている。





やがて馬車はゆっくりと進み始めた。


 

 

第四話 ヴァリエール公爵家

ヴァリエール公爵の誕生パーティーに参加することになった国王一行は三つある魔法衛士隊の一つグリフォン隊を伴って、王都トリスタニアのメインストリートとされるブルドンネ街を通過していた。

しかし、このブルドンネ街の道幅はわずか5メートル・・・ハルケギニアでは5メイルか、わずか5メイルしかなく沿道には国王一家を一目見ようとかなりの数の市民が詰め掛けている、国王一家専用の巨大で豪華な馬車は衛兵たちが交通整理しながらなんとか通れている状態だ。

この時オレは沿道の市民たちに笑顔で手を振っていた。
これも王家に生まれたものの義務としてこれでもかと愛想を振りまく。

「今回は、平民らへのマクシミリアンの初お披露目も兼ねているからな、こんなにも人が多いのだろう」

それだけとは思えないが・・・メインストリートにしてはこの道は狭すぎる。
王都増築、もしくは新王都建設を計画しといたほうがいいかな、でも実行に移すとしても大金が要るな。

「マクシミリアン、疲れたら止めてもいいんだよ?」

「いえ、父上大丈夫です、まだまだ頑張れます」

「そう、でもあまり無理はしないでね?」

「はい、母上」


そうこうしてるうちにグリフォン隊と国王一家を乗せた馬車は王都トリスタニアを抜け街道に出た。

ヴァリエール公爵領は馬を飛ばして二日の所にあるそうだが一行は各封建貴族の領地を歴訪しながら五日のスケジュールで向かうそうな。





馬車は街道をゆく、両親はワインセラーのワインを飲みながら談笑している、オレはというと窓の外を眺めながら前世での世界史の授業を思い出そうとしていた。

そう、たしか三圃式農法までは思い出したのだが、その後の四圃式農法・・・だったっけ? たしか、大麦、小麦、カブとあと一つは何だったっけ? それとノーなんとか農法、ノースロップだったかノーザンライトだったか・・・駄目だ思い出せない。

「マクシミリアン、何を見てるの?」

母さんが話しかけてくる、邪魔しないで欲しいけど無下にも出来ない。

「農地を見てました」

「農地? 農地になにかあるのかい?」

「平民たちがどのような作物を育てているのか気になりまして」

「そんな事知ってどうするの?」

「それは・・・」

「マクシミリアンは勉強家だからな、王立図書館に入り浸っていると聞いたぞ。何か良い案でもあれば検討してもいいな、ははは」

思っても見ないチャンス! 上手くプレゼンできれば実験用の農地を回してくれるかも! ・・・肝心の農法はまだ思い出せてないけど。

「じつh・・・」

「陛下、まだこの子には早いんじゃない?」

「そうかもな」

・・・おのれー

「父上、母上、僕はまだ小さいですがトリステインを想う気持ちは大人にも負けません。今はまだ良い案はありませんがいつの日か必ずトリステイン中が驚くような妙案を・・・」

「おお!」

「ああ!」

なんだよ!? 人が喋ってる途中になにを。

「今のを聞いたか、マリアンヌ!」

「聞きましたわ、陛下!」

ま、まさか車内で寸劇をやるのか?

「始祖ブリミルよ私たちの子はこんなにも立派に育ってくれた!」

「このような過分なご加護をありがとうございます!」

いい加減にしてくれ・・・

「マリアンヌゥゥ!」

「陛下ァァ!」


・・・天井の白百合がピンク色に見えた。






国王一行は順調にスケジュールを半分消化しヴァリエール公爵領まであと二日の所まで近づいてる。途中、休憩を入れながらの長旅、やる事といえば景色を見る事と、両親との会話に参加すること、昼寝をすることぐらいだ、いい加減オレは暇を持て余す様になった。

「今日はグラモン伯爵領で一泊する予定になっている」

「はい、父上」

今日はどうやって暇をつぶすか、ワインを試してみようかとか、今度旅行するときは本を何冊かもって行こうなど、いろいろ思案していたところに一瞬、窓に黒く大きな影が横切った。

「ん?」

「どうしたの?」

母さんが何事かと聞いてくる。

「窓に一瞬、黒いものが見えたので」

「何だって?」

今度は父さんが聞き返す。

「見間違いじゃないのか?」

「黒い影のようなものが、窓を横切ったんだ」

「鳥か何かじゃないの?」

「鳥じゃないよ、かなり大きかったから」

「・・・ちょっと待っててくれ」

何やら思案した後、父さんは席を立つと御者に指示を出し次に小窓を開け馬車と併走していたグリフォン隊の隊長に停車を命じた。

『停ぇ~車ぁ~!』

隊長の命令で馬車とグリフォン隊は停止した。グリフォンから降りた隊長は駆け足で近づいてくる。

「陛下、いかがなさいました?」

「マクシミリアンが何か窓に黒いものを見たと言っている。グリフォン隊は馬車と周辺の捜索を命ずる」

「ははっ」

隊長は一礼すると各小隊に指示するために去っていった。

「私たちは捜索の邪魔にならないように外に出ていよう・・・念のため杖を手放さないように」

「はい」

「近くに原っぱがあるからそこで待ちましょう」

先に馬車から降り原っぱへ向かう母さんの後を追う、オレのすぐ後ろを警戒しながら父さんと護衛係のグリフォン隊隊員が着いてきた。

原っぱでは御者と白髪の執事が折り畳みイスを三つ用意し終わったところだった。

「座りながら捜索結果を待とうか」

「マクシミリアンも座ってていいのよ」

「はい」

折り畳みイスに腰を下ろし、さっき見た黒い影がどのような姿かたちをしていたか思い出そうとしたが、なにせ一瞬の事だったせいか中々思い出せなかった。

30分ほど捜索したが結局怪しいものは見つからなかったため、再び出発することとなった。

(あの影はオレの見間違いだったんだろうか?)

モヤモヤしたものを抱えながら、今日の宿泊地であるグラモン伯爵の屋敷に到着した。







グラモン伯爵の屋敷に到着した国王一行は贅を尽くしたもてなしを受けた。来る途中に領地を見たがあまり手入れをしてないせいのか痩せた土地の印象だった、グラモン領の財政は大丈夫なのか?

そんな中、晩餐会の会場にてグラモン伯爵に三男のジョルジュ君を紹介された、歳はオレと同い年の五歳だそうだ。

「は、初めまして、マクシミリアン殿下、ぼ、僕はグラモン伯爵の三男ジョルジュ・ド・グラモンです!」

元気いっぱいに挨拶された。

「初めまして、マクシミリアン・ド・トリステインです、ジョルジュ君のような歳の近いの子とほとんど遊んだことが無いんで、もしよかったら友達になってくれませんか?」

「は、はい!」

なんとも良い笑顔で返された。・・・失礼だが尻尾をパタパタ振る子犬を幻視してしまうような笑顔だった。



(えん)(たけなわ)になり、(あて)がわれた寝室へ向かう、オレと両親の三人で大きめの客室を使うことになっている。グラモン伯爵はそれぞれ個室を用意しようかと提案してきたが両親は断ったようだ、オレは個室がよかったんだが。

転生してからずっと寝起きは三人一緒だ、いい加減に個室が欲しいが両親は首を縦に振ってくれない。母さんなど泣いて止めに来る始末だ。二人ともオレを愛してくれているのは分かる、分かるが故にそろそろ耐えられなくなってきたのだ。
・・・実の親にすら演技で接するオレにその資格はあるのかと、ね。

幸い五歳児の身体はより多くの睡眠時間を要求する、そしてだんだんまぶたが重くなり昼間見た黒い影のことなど忘却してしまった。






旅行五日目、ようやく目的地であるヴァリエール公爵領に入った、途中、ヴァリエール公爵自ら少数の兵を率いて国王一行と合流し、西日が馬車内に差し込むころにヴァリエール公爵の屋敷、というより城に到着した。

屋敷内は誕生パーティーに招待された貴族たちが国王一行到着を今や遅しと待ち構えていた。

ヴァリエール公爵に伴われてパーティーの催される会場に入ると会場内を埋め尽くさんばかりの拍手で向かいいれられた。

『トリステイン王国万歳! 国王陛下万歳!』

『トリステイン王国万歳! 王妃殿下万歳!』

『トリステイン王国万歳! 王太子殿下万歳!』

定番の万歳三唱、いつもありがとうございます。

父さんが壇上に立ってスピーチをしている内容はどこにでもある様なスピーチらしいスピーチだ。

ふと、ヴァリエール公爵の方を見ると公爵の隣に奇妙なオーラを放つ女性がいる、あの人がヴァリエール公爵夫人か、さらに隣には二人の少女が、金髪の娘と桃色髪の娘、背の高さから金髪の娘がお姉さんぽい。

視線を壇上に戻し父さんを見るとワイングラスを片手に乾杯の音頭を取ろうとしていた。あわてて近くにあったリンゴジュースの手に取る。

「乾杯!」

『乾杯!』

宴が始まった。




顔と名前を覚えてもらおうと寄ってくる貴族連中を適当に(さば)きながら時間をつぶしていると、父さんとヴァリエール公爵が二人の娘を伴って近づいてきた。

「マクシミリアン、パーティーを楽しんでいるか?」

「はい、とても楽しんでいます」

「紹介しよう、こちらはヴァリエール公爵」

「初めまして、マクシリアン殿下。此度(こたび)は私の誕生パーティーにご足労頂き誠にありがとうございます」

「初めまして、とても楽しいパーティーです」

とりあえず、社交辞令。
すると、公爵は後ろに控えていた、二人の娘に前に出るように促した。

「殿下に私の娘を紹介します、二人とも殿下にあいさつを」

最初に金髪の娘が一歩前に出て可愛らしく両手でスカートの裾をつまみ、軽く持ち上げて一礼。

「エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールと申します。今日はマクシミリアン殿下にお会いできて大変光栄です」

ヴァリエール公爵の長女でオレの三つ年上の八歳。文句なしに可愛い。

「初めまして、マクシミリアン・ド・トリステインです、僕も会うことが出来てうれしいです」

次に桃色髪の娘が前に立つ、先ほどのエレオノール嬢と同じように一礼。次女の娘で同い年と聞いていたから、多分この娘がオレの婚約者なのだろう。

「カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します。マクシミリアン殿下にお会いすることができて大変光栄です」

「初めまして、マクシミリアン・ド・トリステインです、僕と同い年だと聞きましたこれからも仲良くしましょう」

挨拶としてはこんなものかな、父さんと公爵も微笑ましそうに見ているし、今日は顔見せ程度なんだろう。

「エレオノール、カトレアは殿下とお話があるから母さんの所に一緒に行こう」

「はい、父上。では、マクシミリアン殿下、また後で」

エレオノール嬢は一礼した後、公爵とともに去っていった。

「私もマリアンヌの所に行ってくる、マクシミリアン、カトレア嬢とお互いに親交を深めるように」

父さんも去っていった。残されるオレとカトレア嬢。

「ええっと、カトレア・・・さん」

「はい、何でしょう?」

「とりあえず、何か飲む? 僕はオレンジジュースを飲もうかな」

「それでは私も同じものを」

近くにいた給仕にジュースを二つ頼む。


・・・・・・


むむむ、五歳児相手に何を話せばいいんだ。

いろいろ考えているうちに給仕がジュースを持ってきた。

「それじゃ、今日の出会いとこれからのお付き合いに・・・その、乾杯!」

「うふふ、乾杯」


杯同士が重なってチンと軽く音を立てる。


いかん、笑われた。

「そのドレスとてもよく似合うよ」

「ありがとうございます、特別に仕立ててもらったドレスで初めて着るんですが気に入ってもらえたようで嬉しいです」

「うん、カトレアの魅力をよく引き立ててるよ」

我ながら臭いセリフ。

「・・・あ」

ポッと、頬を赤く染める。どうやらバッチリよい印象をあたえた様だ。


・・・・・・


お互いにこやかに談笑していると会場内で流れていた音楽が変わる。

「カトレアはダンスは踊れるの?」

「いえ、私は身体も弱いしダンスは・・・」

むむ、そうだった彼女は身体が弱いんだった。

「それじゃ、バルコニーへ行ってみようよ、月が綺麗だよ」

「はい!」

パッとカトレアの顔が華やいだ。

オレはカトレアの手をると、その手を引いてバルコニーへ向かう。



・・・・・・



バルコニーにて。

雲ひとつ無いいい夜だ、双月の光でお互いの顔が良く見える。

「月が綺麗だね」

「はい、とっても綺麗です」

「今日はカトレアにあえて嬉しかったよ」

「私も殿下に会うことができて嬉しいです」

「それよりもカトレアのこと何か聞かせてよ」

「私のこと?」

「そう、カトレアはどういったものが好きなのか気になってね」

「私は・・・動物が好きなんです」

「動物か、何か飼っているの?」

「インコと犬を飼ってるの」

「へぇ」

「あの、殿下はどういったものが好きなんですか?」

「僕は本を読むのが好きかな」

「御本ですか?」

「うん、歴史書なんか特にね」

「難しそうです・・・」

「そうかな? 歴史を物語として読めば、すごく分かりやすいんだけど」

「そういうものなんでしょうか?」

「そう思うよ、僕は」

その後も、とりとめのない会話を続けていると彼女が病に犯されていたことを思い出した。


「そういえば、カトレア」

「はい?」

「カトレアは病気だって聞いたんだけれど」

「はい、今日は体調が良くて、殿下のおかげかも」

双月を背にクスクスと笑う。うん、可愛い。むしろドキッときた。

前世のどこかで『月明かりは少女を女に映す』って聞いたような、どこだったかな?

「バルコニーは寒いだろうしそろそろ戻ろうか」

「はい」

カトレアの手を引いてパーティー会場に戻るさいにオレはカトレアに言った。

「カトレア、いつの日か病気が治ったら一緒にダンスを踊ろう」

「あ・・・はい」

互いににっこりと笑いあった



・・・・・・



パーティー終了後、寝室として宛がわれた部屋には巨大なキングサイズのベッドが一つ置いてあり、左から父さん、オレ、母さんの順に眠っている。

真夜中、ふと誰かの話し声で目と覚ました、父さんと母さんか?

「その話は本当なんですか?」

「ああ、本当だ、ヴァリエール公にも了承を得た」

「それじゃ、あまりにも不憫じゃないですか、この子が十二歳までに病気が治らなければ婚約解消だなんて」

「わざわざ病気持ちの娘を結婚相手に選べるのものか、王家はそう安いものではない、君だって分かっているはずだろう?」

「それはそうですけど」

「なにも今すぐに婚約解消と言っている訳ではない、その期間までに治ればよいのだ」

「・・・」


婚約解消・・・か。
双月を背に微笑むカトレアを思い出し、どうにか出来ないものか、と思い再び眠りに落ちた。

 

 

第五話 真夜中の襲撃

ヴァリエール公爵家滞在の日程を終えトリスタニアへ帰ることとなった国王一行は、五日間の日程を来たルートとは別ルートの貴族を歴訪しながら帰ることとなった。

ヴァリエール公爵家を出発して三日目、国王一家の乗る馬車内では両親は相変わらずワインを飲みながら談笑を続け、オレはジュースを飲みながらぼんやりと窓の外を眺めていた。


しばらくぼんやりしていると。

「そうそう、マクシミリアン、カトレアちゃんは可愛かったでしょ?」

「え?」

「何言ってるの、ヴァリエール家のカトレアちゃんよ、パーティーの時、バルコニーで何を話したの?」

「それは、是非私にも聞かせて欲しいな」

なんと父さんも参戦してくる。

「何を話したかって、それは・・・カトレアが好きなものとかさ」

「ふむ、で?」

「カトレアちゃんは何が好きなの?」

「それは・・・動物が好きっていってた。インコと犬を飼ってるってさ」

「なるほど、マクシミリアン今度カトレアに手紙を書いてあげなさい」

「ほほほほ、仲良くしてあげてね」

この空気を何とかしたいと思っていたら、思わぬところから救いの手が現れた。

『陛下、よろしいでしょうか? 陛下』

「ほ、ほら、父上、隊長さんが呼んでるよ」

「なんだ、いいところなのに」

父さんは隊長と話すべく席を立って小窓を開けた。

「何を話してるんだろう?」

「何かしらね。あ、マクシミリアン、ジュースのお代わりは?」

「いただきます」

その後、お代わりジュースを飲んでいると父さんが帰ってきた。

「どうしたの? 父上」

「ああ、この先の廃棄された砦にトロル鬼やオーク鬼が数十頭、棲みついたと報告があってな」

「まぁ、怖い」

「どうするんですか父上、放っておくんですか?」

オレとしては近隣住民のために是非とも退治しといてほしい。

「無論、退治するようにグリフォン隊に命令した」

そう宣言するやグリフォン隊が数十騎離れていった。

「・・・陛下、護衛の半数近くが離れていきましたが」

「これだけの戦力を投入すれば夕方までには帰ってくるだろう」

(まぁ、敵を過小評価して戦力を小出しにして逆襲を食らうよりはいいかも)

そう、父さんの判断を評価して離れていくグリフォン隊を車内で見送った。






夕方、今日の宿舎になる貴族の屋敷に到着、歓待を受けていた国王一行に討伐に派遣したグリフォン隊から連絡が入った。派遣隊は隊員の使い魔に手紙を括り付けて送ってきたのだ。


『報告よりも数倍の敵が潜んでいて時間がかかったが掃討に成功、このまま帰還すれば深夜には到着するが、夜間行軍は危険なので砦で一夜を明かし、日の出前に出発し途中で合流したい』

と、いう旨の連絡が入った。

父さんは少し考えたものの結局、承諾した。

「陛下、グリフォン隊が半数しかいないのでは屋敷の警備に支障が出るのでは?」

母さんが不安を口にするが。

「なに心配は無い、この屋敷や周辺の農村からも警備にいくらかの人員を出すそうだ」

と、のんきに構えている。

『まぁ、少々不安だが大丈夫だろう』

オレを含め多くの人たちが楽観的になっていた。







真夜中。

父さんと母さんの間に挟まれるような形で寝ていたオレは尿意を覚えて目を覚ました。どうやら昼間にジュースを飲みすぎたらしい。

ベッドから降りる為にもぞもぞしていた事で父上が目を覚ました。

「マクシミリアン、どうかしたのか?」

「ちょっとトイレに」

「そうか、廊下に出るとグリフォン隊が警備をしているから、その人に言ってトイレまで案内してもらうように頼みなさい」

「はい」

そう言い終わると再び寝息を立てる。

廊下に出ようとして、杖を忘れていることに気付き取りに戻った。なぜ杖が必要かというとトイレ使用後、後に使う人のために水魔法で軽く掃除するのが癖になってしまったのだ。
汚いトイレが我慢ならない元現代日本人の悲しい(さが)である。・・・潔癖症ともいうが。

それはともかく、杖を持ったオレは廊下に出ると警備をしていたグリフォン隊隊員に声を掛けられた。

「殿下、いかがなさいましたか?」

「トイレに行きたいから誰かに案内して欲しいんだ」

「かしこまりました。少々お待ちください」

隊員は軽く一礼するとオレ達が寝ていた部屋から二部屋ほど隣の部屋へ入っていった。どうもグリフォン隊の出直室らしい。

隊員は入って一分も経たないうちに、もう一人別の隊員を伴って現れた。

「お待たせいたしました。この者に案内をさせますのでご安心を」

『ご安心を』ってどういう意味だよ。一人でトイレも行けないと思われたんだろうか? ・・・まぁ、いいけどさ。

「初めまして殿下、ミランと申します」

歳は見た感じだと二十代後半から三十代前半で筋肉モリモリマッチョマンの隊員がにっこりと微笑んで敬礼した。
別に名前なんか聞いてないんだけど・・・まぁ、いいか。

「それよりも早く案内して欲しいんだけど」

「これは失礼しました。ささ、こちらへ」

とにかく彼についていく事にした。


このミランという隊員は見た目はゴツイが話の上手い男で、トイレまで魔法のランプぐらいしか明かりの無い薄暗い廊下も明るく感じる。

「それにしても遠いな」

「この屋敷はトイレにそれほど金を掛けてないそうで。貴族用のトイレが一つしかないそうです」

「平民はどうするんだい?」

「外で用を足すのではないでしょうか」

「・・・」

改めて感じる、このハルケギニアは魔法を使えるものと使えないものの格差が酷い。

格差を無くすと言っても具体的にどうすれば良いか、思案はしているものの魔法を持つ者と持たざる者、両者の隔たりは大きすぎて良い案が浮かばない。

「はぁ・・・」

思わず、ため息が出た。

「殿下、退屈な話でしたか?」

「あ、いや、なんでもない」

「そうですか」

「うん」

妙な方向へ思考が飛んでいた。気を取り直しミランにいろいろ質問してみる。

「ミランは家族とかはいるの?」

「家族ですか? そうですね妻と養女が一人います」

「結婚してたのか、それでその奥さんはどういう人なの?」

「その・・・ですね、その妻というのは実は平民でして」

「平民を!? それはまた珍しい」

「ハハハ・・・おかげで部隊内では鼻つまみ者ですが」

驚いた、というか貴族はみんなが平民を差別していると思っていた。
『貴族の中にもこういう人がいる!』貴族と平民との関係改善に悩んでいたオレは少し救われた気がした。

「で、次の養女を言うのは?」

「妻の遠縁の娘でして、1~2年前にどこかの村で大火事がありまして、村は壊滅して命からがら遠縁の妻を頼って来たっていう娘なんです」

「それは気の毒に」

「その娘・・・ああ、アニエスって言うんですが、どういう訳かメイジを嫌っていて中々私に懐いてくれないんです」

見た目はゴツイがいい感じの好青年が悲しみに歪む。

「メイジ嫌いね」

そうしている内にトイレに到着した。昔の田舎の家みたいに野外に設置してあるタイプだった。

「では殿下、ごゆっくり」

「うん」

さっさと済ましてしまおう。




・・・ふう。

水魔法で手を洗いついでにで掃除を始める。

『殿下、よろしいでしょうか』

ドアの外から声が聞こえた待たせたかな。

「もう少しで終わるから」

『いえ、先ほどから人の気配を感じないので』

「え?」

オレは驚いてトイレから出た。

「どういう事?」

「他にも見回りが要るはずなのです・・・殿下っ!?」

「どうしたの!? うわっ!」

突然ミランに突き飛ばされた。すると無数の影がミランに降りかかりミランの姿が見えなくなった。
この時の奇襲で軍杖を落としたらしく、地面に落ちていた。

突然の事でオレは気が動転していたらしく、ろくに動くこともできなかった。
それにしても・・・何だこの黒いヤツは。

「え・・・犬?」

ミランに覆いかぶさった無数の黒い犬。するとミランは咆哮を上げながら立ち上がり、トイレの壁に覆いかぶさった無数の犬ごと自らを叩き付けた。

「ミラン!」

壁に硬化を掛けてあったのかを突き破りこそしなかったが大きくひびが入った。ミランに覆いかぶさっていた犬たちは叩きつけられた衝撃でほとんどが死ぬか地面でノビていた。

「殿下、屋外は危険そうですから屋敷内に避難しましょう」

言い終わるや足元でノビている黒犬の首を思い切り踏みつけると乾いた音が辺りに広がった。

なんとか立ち直ろうと振る舞い、ようやく『分かった』と声を絞り出すことしか出来なかった。

ミランは落とした軍杖を拾おうと手を伸ばすと、その隙を突いてノビていた黒犬たちが次々に息を吹き返し、腕や肩、両足に食らい付いて転倒させた。

「うっ!? く、殿下、早くお逃げください!」」

「う・・・」

ミランを見捨てて逃げるのか?
でも、オレだって水と風のラインだ上手くやれば撃退できるかも。

「ミラン、僕もたたか・・・」

「馬鹿なこと言わないでください!!」

ミランに一喝される。

「犬どもが私に食らいついている間に早く!」

「で、でも!」

「早く!!」

凄まじい眼力をぶつけられる。

「わ、分かった、分かったよミラン。すぐに助けを呼んでくるから!」

そう言ってオレは屋敷内へと駆け出した。




人のいる場所を探しながら廊下を走る。

突然の襲撃と死の恐怖で少しパニック状態になっていたが徐々に冷静になっていく。

「あ、フライで飛んだほうが速いだろ」

うう、なんという大ポカを。
すかさずフライのスペルを唱えようとすると、後ろから無数の床を蹴る音が聞こえる、風メイジでもある為か音や気配に敏感なのだ。

「イル・フル・デラ・ソル・ウィンデ」

フライを唱え空中を走った。しかし速度はそれほど速くない、地面を走るよりまし・・・な程度であるが。

(これじゃ追いつかれるな)

後ろから聞こえる無数の足音は少しづつ近づいてくる。

(何かいい作戦は無いものか)

ちなみに屋敷内は異変を察知したのか、あちこちで笛や鐘の音が聞こえる。

(後ろのやつらをやり過ごせば助けを呼べる)

ミランは助かるかもしれない。そう信じて鐘の鳴る方向へ飛び続けるとそこは突き当たり・・・つまりは行き止まりだった。

「へ?」

着地すると思わず体中の力が抜けた。

「なな、何で? 冗談だろ?」

呆然としながらも鐘の鳴る方を見るとそこには鐘を打ち鳴らすガーゴイル人形の姿があるだけだった。

「ちくしょう、ちくしょう。どうしてこうも・・・ついてないんだ」

半泣きになりながらも辺りを見渡す。外へ脱出するための窓も身を隠すための場所すらない。

「退路も絶たれた。身を隠す場所も無い」

徐々に近づいてくる無数の足音に恐怖でガチガチと歯が鳴るが、『やるしかない』と心に決めると、歯を食いしばり恐怖を力ずくでねじ伏せる。

「・・・ラナ・デル・ウィンデ」

エアハンマーのスペルを唱えながら敵の襲来を待つ。すると三頭の黒犬が姿を表した。

『エアハンマー!』

先手必勝! 少し遠いがエアハンマーと放つ、たっぷりと精神力を加味した不可視の大槌が黒犬たちに襲い掛かり巨大な破砕音とともに大量の瓦礫と土煙が舞い上がる。

巨大な破砕音を出すことで、周囲に人が居ることを知らせる事も目的の一つだったけど・・・

「やっぱり魔法ってすごいな」

土煙がもうもうと立ち込め、魔法のランプもいくつかが破壊さた為に暗く感じる。
瞬間、一頭の黒犬が煙の中から飛び出してオレに襲い掛かってきた。

「うわわっ!?」

オレは飛び掛ってくる黒犬を避けようと、思わず持っていた杖を盾代わりに突き出すと黒犬は杖にがっちり食らいつき、そのままオレを押し倒した。

「は、離せよ!」

馬乗りにされたオレは黒犬から杖を取り戻そうと思い切り杖を引っ張るが、所詮は五歳児の腕力か瞬く間に黒犬の力に負け思わず杖を手から離してしまった。

勢いよく飛んだ杖はどこかの壁に当たって軽く音を立て床に落ちた。・・・万事休す。

(と、言いたいところだけど)

奥の手を使う覚悟を決める。『魔力無限』と後一つ、『目から破壊光線』・・・誰かにばれたら間違いなく異端確定だ。

辺りに人の気配がないか調べたいところだがそんな暇は無い、能力を使うべく黒犬を見ると目が合った。ん? こいつ口を歪ませだぞ!

「・・・喰らえ」

その時、オレの目から『金田(かなだ)ビーム』のエフェクトで二条の光線が発射され黒犬の顔面に命中した。

黒犬はもんどり打って倒れるもすぐに起き上がったが様子がおかしい。すると頭部が煮崩れしたかのようにボロリと崩れ落ち、次に崩れ落ちた頭部がパチパチと音を立てながら線香花火のような火花を立てて灰になった。頭部を失った黒犬はピクリとも動かなくなった・・・死んだみたいだ。

「初めて撃ってみたけど・・・」

レーザーみたいに貫通するタイプじゃなくて、照射した部分を破壊して最終的に灰にする謎の光線? それにしてもどういった原理の光線なのか・・・いや、あまり考えないようにしよう。

いろいろと破壊光線の考察をしていると、がやがやと騒がしくなってきた。どうやら救援がきたらしい。

「おお~い!」

『子供の声が聞こえたぞ! 殿下ではないのか?』

オレの声に気づいたらしく足音がだんだん近づいてくる。グリフォン隊の隊員が三人、駆け足でやって来た。

「殿下、ご無事でしたか」

「おかげ様で。それよりもトイレの近くでミランがまだ戦っているはずだ」

「はっ、ミランでしたら、先ほど重症のところを発見、治療を施しているところかと」

「生きてるんだね」

「はい、命には別状は無いかと思われます」

「よかった、彼がいなかったら今の僕はなかったよ」

「殿下、陛下が心配しておられます。こちらへどうぞ」

「うん」

こうして悪夢のような夜は終わりを告げた。
その後、父さんに心配され母さんに大いに泣きつかれた、心配させてごめんなさい。

それと襲ってきた黒犬だが数はそれほど多く無くて襲われたのはトイレ付近を警備していた数人とオレ達だけだったそうだ。

うすうす感ずいてはいたが数日前に見た黒い影って多分こいつ等のことだ、あの時からずっと付いて来ていて、それで昨夜護衛の数が少ないのと目をつけていた子供が『群れ』を離れた、このチャンスを逃すことは無い・・・って事が昨夜の真相かもな。

翌早朝、使い魔を通じて国王一家襲撃を知った討伐隊は救援に向かうべく野営を中止して夜間行軍を決行、一人の脱落者もなく国王一家が滞在する屋敷に到着して、がっちりと国王一家をガードしている。

国王一家襲撃で予定されていたスケジュールは全部キャンセルになり、トリスタニアから来た竜籠に乗って帰ることになった。その後、近くの諸侯が集まって大規模な山狩りが行われることになっている。

「マクシミリアン」

「何? 父上」

帰りの竜籠内で父さんが話しかけてきた。

「ヴァリエール公爵家のカトレアの事だが」

「カトレアが何?」

「病人を婚約者にしてしまって、お前には申し訳なく思っている」

「病人といっても治らない訳じゃ無いんでしょ?」

「うん、その事なんだがな。お前が十二歳の誕生日までにカトレアが治らなければ、この婚約は無かった事になっているんだ」

ああ、ここで話しちゃうんだ。

「婚約が無くなれば次はどうなるの?」

「姉のエレオノールはすでに他の婚約者がいるからな、今のところ候補はいないが・・・」

「父上、そんな先の事で頭を悩ませることも無いですし、カトレアだって病気が治らないわけではないでしょう?」

「フム・・・それもそうだな」

他に候補がいなければ次期トリステイン王妃のイスをめぐって様々な暗闘が繰り広げられる事になるんだろう。とはいえ当分先の話だ。

「子供のお前に諭されるとはな、マクシミリアン」

「『ものごとは、なるようになる』・・・と、王立図書館の本にも書いてありましたしね、父上」

「本ばかり読むのもよいが、頭でっかちになってもらっては困るぞ」

「・・・たまには外で遊ぶようにします」

「フフフ・・・それがよかろう」

『なるようになる』といっても、何もせずに結果を受け止めるという意味ではないけどね。そう、いつ何が起こってもすぐに対処できるように努力は続けよう。

・・・ひょっとしたら、オレがカトレアを治すはめになるかもしれないから。
 

 

第六話 アンリエッタ誕生

トリステイン王国はまもなく誕生する新たな命にお祝いムード一色だ。

オレもようやく七歳になり、身長も大分高くなったが、魔法に関しては水と風のラインのままだ。これには王立図書館に入り浸っての勉強や地球から流れてきた書物の閲覧などで忙しかったと弁明させてほしい。

そう、地球から流れてきた書物・・・このハルケギニアには書物のほかにも、様々な物が流れてきているらしい。そういうのを総じて『場違いな工芸品』と呼ぶそうだ。

王立図書館に保管されている地球の書物は漫画からグラビア雑誌に専門書など様々な種類があった・・・エロ本もあった。ちなみにある日、エロ本をパラパラと流し読みしていた所を司書に見つかり後日、両親にこっぴどく怒られたことがあった。



また七歳になってオレはようやく両親から私室を持つことを許された、といっても寝室ではまだで三人一緒に寝ている・・・近々、四人もしくは五、六人になるかもしれないが。

とにかく念願の私室だ、リラックスできる空間てすごく大切だね。内装はいうとあんまり豪華すぎると落ち着かないという事で、それなりに質素な内装にしてもらった。
上機嫌でヴァリエール公爵家のカトレアからの手紙を読む・・・カトレアからの手紙といっても代筆だけど。二年前のヴァリエール公の誕生パーティー以来、会って無いがこうやって文通を続ければお互いの絆も深まるだろう・・・とは父さんの言。まぁ文通も良いかな。

ちなみに手紙の内容は・・・

『新しく動物を飼い始めた』

『部屋の窓から見える花壇が花を咲かせた』

『仲良くしていたメイドが結婚してやめてしまった』

『評判の水メイジに治療してもらったが治らなかった』

『病気を治してオレとどこかに出かけてみたい』

『両親や姉に囲まれて幸せなこと』

『早く自分で手紙を書けるようになりたい』

などが書かれていた・・・



手紙を読み終えるとオレはイスを深めに座り直した。

「う~ん」

返事はどういう風に書こうか・・・

やっぱり、新しく生まれる弟か妹の事は外せない、父さん曰く数日中には生まれるらしいけど。後は王立図書館で見つけた本の事とか、最近聞いたマンティコア隊に語り継がれる伝説の鬼隊長の事とか、後は・・・そうだな。

いろいろ手紙のネタを考えているとノックがした。

「はい、どうぞ」

入室を許可すると、おそらく二十代前半ぐらいのメイドが入ってきた。

「失礼します殿下、まもなくミラン様がお越しになる時間です」

「ああ、今日はミランが来る日だった。ありがとう、すぐに行くよ」

「え? あ、はい・・・失礼しました」

そう言ってメイドは慌てた様子で退室した。
まさか王族に『ありがとう』と返されるとは思ってなかったらしい。両親や他の貴族にもよく注意されるが、別にお礼くらいいいと思うんだけど・・・



それはそうとミランの事だけど、二年前の襲撃事件で右足を失う重症を負った事でグリフォン隊を除隊せざるを得なくなった。そのため持っていたシュヴァリエの称号は除隊したことで剥奪されてしまった。

元々ミランは弱小貴族の三男坊で土地なんて持ってない。魔法衛士隊を除隊したため普通の騎士として再仕官する様になるみたいだけど、なにかと体面にこだわるトリステインが隻脚の騎士の仕官を許すかどうか・・・

平民を妻にしているという事で隊内での評判が悪かったと聞いているから再仕官は認められずそのままトリステインから追い出される可能性も十分高い。無職になっても当然というべきか失業保険なんて有る分けないし、飼育に何かと金がかかることから手持ちのグリフィンを手放したと後で聞いた。

収入といえば、奥さんがトリスタニアで花屋をやっているらしいが、命の恩人でもあり、平民を差別しない事から何かと好感を持っていたミランを無役にするのも気が引ける。何とかできないかと父さんに相談したら魔法の講師として雇ってもらえるようになったが、シュヴァリエへの復帰は認められなかった。

ちなみに前任のバレーヌ先生は栄転という形で次の任地にホクホク顔で旅立った。少しは残念そうな素振りをすると思ったんだけど、オレは都合のいい出世の踏み台だったらしい・・・かなりヘコむ。


気を取り直して授業を受けるため部屋を出る。途中、何人かの女官やらメイドが慌ただしく歩いていたことを見ても、母さんの出産が近いことを感じさせた。







魔法衛士隊の練兵場はどこも埋まっているため、室内練習場っぽい部屋を使うことになっている。

練習場へ向かう途中で一人の貴族とその後に続く取り巻きらしき貴族連中が視界に入った。

「あいつらはたしか・・・」

先頭を歩く貴族を思い出そうと頭をひねると該当する貴族がヒットした。

「たしか・・・リッシュモン・・・伯爵だったか?」

ここ数年で頭角を現してきた貴族だ、けっこう優秀らしいがちょっと腑に落ちない所もある。

噂だから何ともいえないがリッシュモンをプッシュする連中に宗教関係者が多い事がどうも引っかかった。これは日本人特有の宗教観が作用したのかもしれない、前世のオレは無神論者をいうより日本型仏教徒だった、正月にお盆にクリスマスとそれぞれ祝ったり楽しんだりしたし、ちゃんと墓参りもしたり気が向いたら仏壇に手を合わせたりした。ようするにオレにとっては始祖ブリミルも八百万の神々の一柱なのだ。

・・・まぁ、オレの宗教観なんぞどうでもいい。
つまり教会の権力を笠に出世していくリッシュモンはとてつもなく胡散臭く思えるのだ。

肩で風を切りながら歩くリッシュモン。何もかもが上手くいく・・・そんな時期なんだろう、うらやましい事だ。

(こういう先入観は良くないのは分かるのだが・・・)

どうしても警戒してしまう。オレは無言のままリッシュモン一派が通り過ぎるのを待った。

味方にするにしても敵対するにしても、今のオレには王太子としての権威しかなく権力は持ってないんだ、これではリッシュモンの相手にならない。

情報のソースが噂だけってのも問題がある。優秀な密偵を部下にほしいな。







室内練習場に着くとすでにミランが到着していて、杖を突きながらにっこりと笑ってこちらに近づいてきた。ちなみに杖は魔法の杖としても使用できる。

「ごめん、ミラン待たせたね」

「こんにちは殿下、私も今着たばかりです」

「そうなのか、それじゃ早速始めようか」

「はい殿下」

さっきも言ったけどミランは二年前の襲撃事件で片足を失った。
そのせいか激しい運動をしなくなり以前のような筋肉モリモリマッチョマンが細くなってしまった。

以前、細くなったことや魔法衛士隊を辞めた事などを気に病んでないか聞いてみたら。

『あの体型を維持するのにかなりの額の食費が掛かりまして、隊を辞めたら浮いた食費の分、生活が楽になりましたよ』

と、おどけてみせた。

・・・そんな事言うなよ。

エリートの魔法衛士隊を辞めさせられて平気な筈ないだろ?

まぁ、そういうやり取りがあった訳で、オレとしても何とかミランの力になってやりたいと思ったわけさ。






「・・・殿下、準備はよろしいでしょうか?」

「ああ、ごめん・・・すぐに始めよう」

まず水と風のラインスペルの復習・・・次に土と火のドットスペルの練習と続くのだが。

土の系統はドットスペルを成功させていたが問題は次の火の系統だ。

・・・オレは火の系統が苦手だった。

「殿下、もう一度です」

「分かってる。・・・ウル・カーノ!」

火の系統の基本的な術、『発火』のスペルを唱えたが何の反応もない。

「ウル・カーノ!」

「・・・」

「ウル・カーノ!!」

「もっとイメージを明確に」



・・・分かってるよ、集中、集中。




・・・深呼吸して。




「イメージ、イメージ・・・」




マッチ一本を擦って小さな火を灯すイメージ。




「ウル・カーノ!!」



・・・が、火は点かない。



「・・・殿下、今日はここまでにしておきましょう」

「ああ、分かったよ」



結局、『発火』は失敗だった。イメージは完璧だと思ったんだけど、うまくいかない。

「殿下、気を落とされないよう・・・日々鍛錬です!」

「そうだね、ありがとうミラン」

ミランは慰めてはくれたけど、やっぱり悔しい。






魔法の授業が終わると次は剣の修行だ、最初の頃は魔法の授業のみで剣の修行はプログラムに含まれてなかったし、当然というべきかミランは大反対した。

だが、オレも負けてはいない。

「剣術といっても、別に剣さばきの上達だけが目的じゃないよ、俊敏な足運びを学べば入浴中や首脳会談といった杖を持ち込めない状況で賊に襲われても、逃げるなり抵抗するなりとそれなりに動けるよ」

「かと言って、王族に・・・しかも次期国王へ剣術とは。いろいろ問題でしょうし、他の者たちも黙ってはいないでしょう・・・それに無駄ではないでしょうか?」

「世の中に無駄な努力とか、無駄な技術なんて存在しないよミラン。一見無駄な技術でもめぐりめぐって思わぬところで役に立つものさ」

「・・・はあ」

「次は・・・というか、こっちが本命なんだけど」

「何なんでしょうか?」

「実はね、美食と運動不足が祟ってさ、将来とってもグラマーになるんじゃないかと心配なんだよ」

「それは・・・」

太った王様なんてかっこ悪いから、グラマーな王様よりもスリムな王様のほうが国民の支持も高そうだしね、良くも悪くも人間は見た目で判断するから。

ミランは不満そうだったが基礎的な剣術を教えて本格的な訓練は様子を見てから・・・という事で約束してくれた。
残るは両親の説得だけど、痩せてた方が国民の印象も良くなると説得したら意外とすんなりOKがもらえた。母さんは心配そうな感じだったが、父さんは『むしろ当然!』といった雰囲気だったのが以外だった。
貴族については、すでに父さんの許可を得ているから放っておく事にした。






剣の修行とはいえすぐに剣を触らせてもらえるわけじゃない、まずは基本、ここ数ヶ月体力づくりばかりやっている。
とはいえ七歳児の身体であるため、お遊びみたいなトレーニングでヘロヘロになってしまう。

オレは動きやすい服に着替えて、室内練習場を延々と走っていた。

窓からは西日が差し込み直接、陽の光が当たることで息も絶え絶えに走るオレをさらに不快にさせる。

「殿下、あと二周で終わりです。もう少しの辛抱ですからがんばって下さい」

返事をするのもおっくうでなんとか『うん』と返すだけで精一杯だった。



走り終え、クールダウンのストレッチをしているとミランが不思議そうな顔をして話しかけてきた。

「殿下は以前から運動後に、見たこともない体操をされますが、なにかの儀式か何かなのですか?」

「ああ、王立図書館で見てね・・・こうやって身体を伸ばしたりすると疲れが取れ易くなるそうだよ」

「それはよい事を聞きました、今度私もやってみますかな」

「別にいいけど、あんまり激しいと逆効果だから、気をつけてね」

「なるほど気をつけましょう」

そうやって和気あいあいと雑談していると『そろそろ時間です』と言ってミランは帰っていった。



・・・風呂に入ろうか。

疲労と汗まみれの身体を引きずる様に、室内練習場を出て風呂場へ向かった。



・・・・・・



動きやすい服のままで風呂場へ向かう途中。

さすが王宮というべきか、廊下には照明の魔法のランプが所狭しと置かれていてまるで昼の様だ。

経費節約とランプの数を減らしても問題なさそうだが。

・・・それよりも今は風呂だ。剣の修行をする様になって分かったんだけど、実は汗っかきな体質でトレーニング後に風呂に入るか水魔法で汗を洗い流す日課になってきた。

それにトレーニング後にひとっ風呂浴びてビール・・・は無理だから牛乳を一杯ってのが、ここ最近の楽しみだ。

「~♪」

む、知らず知らずのうちに鼻歌を歌ってたらしい。

そのまま鼻歌を歌いながら廊下を歩いていると何やら騒がしくなり、女官やらメイドが小走りから明らかに走ってる者がいた。

「何事だろ? どこぞの貴族が階段から落ちたのかな?」

などと、ほざきながらその光景を眺めていると、お付の執事のセバスチャンがオレを見るなり走りよってきた。

「探しましたぞ殿下」

「やぁ、セバスチャン何かあったのかい?」

まず目に付く白髪頭に立派なヒゲ、痩せ型ノッポの初老の男・・・まさに執事!

「国王陛下より取り急ぎ王妃殿下の下へお越し下さるよう仰せでございます」

「母上の所へ? うん、分かったよ」

「ウィ、殿下」

いよいよ子供が産まれるようだ。

風呂はあきらめて母さんのところへ向かった・・・






母さんはここ数日、いつでも出産に対応できるように別室で寝泊りしている。

別室前に着くと多くの貴族やら女官やらが居て、父さんが玉座のような豪華な椅子にどっしり座っていた・・・ここは廊下だろ。

「父上、母上の容態はどうでしょう?」

「おお、マクシミリアンか、もう間もなく産まれるそうだ」

そうして隣にある子供サイズの玉座モドキに触れ『ここに座りなさい』と着席を促した。

「・・・はい父上」

とりあえず玉座モドキに座って辺りの様子を伺うと、緊張した空気が別室前に漂っていた。




・・・・・・




待つこと三十分、進展が無いようなので体操服?から代えの服に着替えておく。

すると別室内がにわかに慌しくなった!

『おお!?』

『御生まれに!?』

周りの貴族たちが活気付く。


・・・・・・


別室内でなにやら聞こえる

『・・・ぁ・・・ぁぁぁ・・・』

子供の泣き声!? 産まれた!?

周りの貴族たちも一斉に歓声を上げ、にわかに廊下が騒がしくなる、すると別室から中年の女官が出てきてうやうやしく頭を下げた。

「マリアンヌ王妃殿下、無事女児を出産されました」


おおおおおおおおおおお!


歓声がさらに高まり隣に座っていた父さんは我慢の限界が来たのか別室へ突入した。


『トリステイン王国万歳!』


『トリステイン王国万歳!』


『トリステイン王国万歳!』


ところどころで万歳三唱が聞こえる。

無事、妹が生まれた事で緊張の糸が切れたのか力が抜けてしまい背もたれに身体を預けた。

別室内では父さんと母さんの寸劇が行われているんだろう、嬌声のようなものが漏れ聞こえる。

「そうだ」

カトレアへの返事の手紙は新しく生まれた妹の事を書こうかな。


・・・・・・


「・・・さて」

オレも新しい家族に会いに行こう。

力の抜けた身体を引き締めなおすと玉座モドキから立ち上がり別室へ足を進めた。



・・・後に新しく生まれた妹は『アンリエッタ』と名づけられた。

 

 

第七話 王太子の秘薬作り

 
前書き

 今回から、一人称から三人称に変更になります。 

 
ある日のトリステイン王宮。

ジョルジュ・ド・グラモンはマクシミリアン御付の執事セバスチャンに伴われてマクシミリアンの私室へ向かっていた。

ここ数年、ジョルジュは王太子の遊び相手という事でグラモン伯爵が王宮へ登城するさいに一緒に着いて行っては、よくマクシミリアンの相手をしていた。
ジョルジュとマクシミリアンは供に10歳、幼い事からよく遊びよく学ぶ、そういう訳で二人は親友関係と言っていいだろう。

「今、殿下は何をされている?」

「殿下は水魔法の練習を兼ねて秘薬の作成をされてます」

「そうか分かった」

当初、マクシミリアンの魔法の授業は広く浅くの内容だったが、今では水魔法一本に絞っている。
そのおかげか、水のトライアングルまで到達し、あと数年もせずにスクウェアにも手が届くところまで成長していた。

(僕と同い年でトライアングル・・・マクシミリアンの様なメイジになりたいな)

あこがれとちょっとした寂しさを感じつつ、ジョルジュたちはマクシミリアンの私室へ足を進めた。





                      ☆        ☆        ☆ 




所変わってマクシミリアンの私室。

マクシミリアンの私室は以前の地味な雰囲気とは大きく様変わりした。
所々に秘薬入りの小瓶の置かれた棚があり、棚にはそれぞれ『傷薬』や『栄養剤』に『殺虫剤』などが書かれた張り紙で分類してあった。
だが、部屋のスペースを最も多く占領しているのは『感染症』の棚だ。
感染症の棚には百を超える小瓶が置かれているが、実のところ完成品は三割程度で他の七割は完治はせずに症状を抑える程度の未完成品である。

そうして今日も秘薬作りをするマクシミリアン。
スクウェアスペルに到達すれば治らない病気など無い・・・そう信じて。

「・・・むむむ」

なにやら唸りながら本と小瓶を交互に見るマクシミリアン。
現在、研究中の秘薬は『悪い虫だけ殺す殺虫剤』である。

「イル・ウォータル・・・」

秘薬の小瓶を左の手のひらに乗せ、右手に持った杖を振るいながら水のスペルを唱えた。

すると・・・。

ぼふんっ・・・という音と共に白い煙が噴き出した!

「おっと」

すかさず小瓶に蓋をかぶせる。

「ふふふ・・・完成だ!」

無色透明の液体が入った小瓶を天高く掲げる。

「ダニやゴキブリ、ノミにシラミ、蚊にカメムシなど家中のいや~な虫をまるごと退治! 名づけて・・・バ○サン!」

あまりのハイテンションに歌でも歌いそうな雰囲気だ。

「以前作った殺虫剤にディテクトマジックを加える事で悪い虫だけを狙い撃ち!」

マクシミリアンはあらかた騒ぐと妙に冷静になった。

「・・・ふぅ」

鼻をポリポリと掻きながら、誰もいないことを確認する。

「・・・何やってんだろオレ」

バル○ンの小瓶を『殺虫剤』の棚に収めようとするとノックの音が聞こえた。

「どうぞ、開いてるよ」

入室を促すとジョルジュが入ってきた、後ろにはセバスチャンが控えている。

「こんにちはマクシミリアン」

「やぁ、ジョルジュこんにちは」

「今日は帝王学の講義はいいの?」

「ああ、大丈夫大丈夫、今日は無いよ」

後ろに控えていたセバスチャンは一礼すると下がってドアを閉めた、室内にはマクシミリアンとジョルジュの二人だけだ。
ちなみにマクシミリアンはジョルジュに、公式の場所以外は自分のことを呼び捨てにすることを願い出ている。

「今日は何の秘薬を作ってたんだい?」

「ああ・・・これ、殺虫剤だ」

棚に収めようとした殺虫剤をジョルジュ見せる。

「うう、また殺虫剤かい?」

「何なら、また殺虫剤を撒きに行くかい?」

思わずジョルジュは顔を青ざめた。
あれは何ヶ月前だったか、二人で王宮を抜け出してブルドンネ街やチクトンネ街に足を運び、手製の殺虫剤をばら撒いて回った時の事を思い出したのだ。
その後、こっぴどく叱られた事は言うまでもない。

全方位で叱られた時の恐怖が蘇ったジョルジュは涙目になりながらマクシミリアンに抗議した。

「ぼぼ、僕はこの間みたいなことは絶対嫌だからね! 絶対イヤだ!!」

「大丈夫大丈夫、今度はちゃんと許可を取るから」

「そういう問題じゃないよ!」

散々わめき散らすジョルジュに辟易したのかマクシミリアンは話題を変えた。

「あー・・・ところで今日は何して遊ぶ? またチェス?」

グスグスと鼻をすすりながらジョルジュは・・・

「チェスで!」

と、八つ当たり気味に叫んだ。


・・・ちなみに殺虫剤の効果はあり、トリスタニアからノミやシラミといった害虫は激減した。




                      ☆        ☆        ☆ 





さすが武門の家系のグラモン家を言うべきか。
チェスのルールを覚えたばかりのジョルジュはマクシミリアンにいいように弄ばれていたが、ここ最近はメキメキと力を付け勝率を五割近くに戻していた。

「あははは、今日も勝つよー」

一転、上機嫌になったジョルジュ、先ほどの半べそが嘘のようである。

「はいはい、お相手しますよ」

と、少々投げやり気味のマクシミリアン。

(まぁ、接待ゲームみたいなものか)

あきらめてジョルジュの相手をすることにした。

ジョルジュのプレイスタイルは攻撃よりも防御を好んだ。
そのためマクシミリアンはジョルジュの組んだ配置を破るために苦心し『ここぞ』という戦機を嗅ぎ取る嗅覚が抜群に鋭くなり、ジョルジュもマクシミリアンの思考の隙を突いた攻勢を防ぐのにさらに慎重になり抜け目無くなった。

他人から見たら、とても10歳児同士とは思えない対局は数時間続いた。
結果は1勝2敗でマクシミリアンの負け越しだったが、ジョルジュは上機嫌なのでこれで良しとすることにした。

(10歳児に負けるのは悔しいけどね)

その後もジョルジュは事あるごとにチェスの勝負を挑んでは激闘を繰り返しお互いの実力を高め合った。





                      ☆        ☆        ☆ 





そろそろいい時間なのか、ジョルジュが帰り支度しようと席を立つとノックの音が聞こえた。

『殿下、よろしいでしょうか?』

「セバスチャンか、どうしたんだい?」

『アンリエッタ姫殿下が殿下とお会いしたいと、こちらに来ておられまして』

「ああ、ちょっと待っててくれ」

マクシミリアンは入室をいったん保留すると秘薬を棚に納め、すかさず指を鳴らした。
パチン、と室内に小気味好い音が響く、すると部屋中を占領していた秘薬の棚がズズズと音を立てて奥に引っ込み、秘薬の棚があった場所の床から別の棚がせり上がった。
新しく現れた全ての棚には本がぎっしり詰め込んであり、中には日本語で書かれた本も見受けられた。

「これはいったい・・・」

ジョルジュが呆れたようにつぶやいた。

「この部屋はね『魔法』の部屋なのさ」

「いままで何もこの部屋へ来たけど、こんな仕掛けが有ったなんて・・・」

「僕も最初はこんな装置いらないと思ってたけど、アンリエッタが出入りするようになってからは、この装置はよく利用するようになったよ、イタズラされたらいろいろとヤバイ秘薬もあるしね」

と、肩をすくめる。

「まぁ、いつまでも姫様を待たせるのも悪いし、僕はそろそろ帰るよ」

「そうか、それじゃジョルジュ、またな」

「また来るよマクシミリアン」

そう言って退室するジョルジュと入れ違いにアンリエッタが入ってきた。

「おにーたまー!」

「おおっと」

可愛らしいドレスに身を包んだアンリエッタがフライングボディアタックを仕掛けてきた。
避ける訳にもいかないため、そのままアンリエッタの小さな身体を受け止める。

「ぐぶぶっ」

いくら3歳児の身体でも10歳児の身体で受け止めるのはキツイ。
しかも兄の苦労など分からないのかアンリエッタはマクシミリアンの身体にしがみ付きながらキャーキャーと騒いでいる。

「ア、アンリエッタ、今日は何をしようか?」

「えーとね、ごほんよんでほしい」

「そうか、本を読んでほしいのか」

「うん!」

元気一杯なアンリエッタを下ろして、本棚に向かう。

(アンリエッタが好きそうな本は・・・と)

今年で3歳になるアンリエッタ。
愛すべき妹が好きそうな本を探すが本棚に置いてある物は、ほとんどが秘薬用の魔道書か地球の実用書や辞書など御堅い本ばかりで児童書など数えるほどしかない。
しかもその児童書もあらかた読み尽くしてしまったため、ネタ切れになってしまっていた。

(・・・イーヴァルディの勇者か、前にも読んであげたけど今日はこれで我慢してもらおう)

マクシミリアンは本棚からイーヴァルディの勇者を取り出す、すると、後ろからアンリエッタの声が聞こえた。

「おにーたま、これなーにー?」

(なんぞ見つけたか!?)

あわてて振り返るとアンリエッタは机の上に乗っかって皮羊紙で出来たレポート用紙をベタベタと触っていた。

「ダメだよアンリエッタ、それは大切な物なんだ」

杖を振るいレビテーションでアンリエッタを浮かして机から引き離す。

「ヤダヤダッ! ヤーダー!」

空中で駄々をこねるアンリエッタにマクシミリアンは優しく諭した。

「いいかい? アンリエッタ、これはね嘆願書といって、父上・・・おとーたまにお願いするために必要なものなんだよ」

「たんがんしょ?」

「そう、とっても大切な物なんだ、よい子だからイタズラしないでおくれ」

そう言って、アンリエッタを床に下ろした。
すると、アンリエッタはジッとマクシミリアンを見る。
少し不機嫌そうだ。

「むー」

「お願いだから」

「むぅー」

「ね?」

「わかった、いいこだからイタズラしない」

パッと花が咲いた。

「ははは、よい子だなアンリエッタは」

マクシミリアンはアンリエッタを抱き寄せると、ぷにぷにの頬っぺたに軽くキスをした。

「さ、本を読んであげようか」

「うん!」

部屋の中央にあるソファに腰掛けるとアンリエッタも続いて隣に座った。

「イーヴァルディの勇者でいいよね?」

「『いいばで』でいいよ」

(いいばで・・・って)

アンリエッタの頭を撫で。
内心、突っ込みながら本を読み始めた。





                      ☆        ☆        ☆ 




アンリエッタに本を読んで聞かせて、しばらく経った頃。

「ん?」

ふと、我に返ると隣で本の朗読を聞いていたアンリエッタは寝息を立てていた。

「あらら、寝ちゃったか」

くーくーと寝息を立てるアンリエッタの髪を手櫛ですいて頭をなでる。

「だれか!」

呼び鈴を鳴らすと部屋の外で待機していたセバスチャンが入ってきた。

「アンリエッタが寝てしまったから戻しておいてくれないか?」

「ウィ、殿下」

セバスチャンは一緒に待機していたアンリエッタ付の女官にアンリエッタを任せるように指示を出した。
すやすやを眠るアンリエッタを起こさない様に抱きかかえた女官はそのまま退室した。

「他に何か御用はありますか?」

「いや、今はいいよ。下がっていい」

「では、失礼します殿下」

一礼すると、セバスチャンも退室した。

一人残されたマクシミリアン。
部屋を戻すためにイーヴァルディの勇者を本棚に返し、指を鳴らした。
今度は本棚が床に引っ込んで部屋の奥に収納されていた秘薬棚が本棚があった地点に進んだ。
ちなみに秘薬瓶がひっくり返ることは無いように作られている。

本まみれの私室が一転、秘薬だらけの部屋に変わった。
先ほどアンリエッタに本を聞かせてやったソファにドッカリと座ったマクシミリアンは嘆願書の事を思い返した。

嘆願書の内容は新農法や新肥料の作成法などが書かれてあり、その対価にどこかの領主に封じてほしい・・・という旨だった。

(王太子といってもある程度自由にできる資金があるわけじゃない)

秘薬の材料も父王に頭を下げて調達したものだった。

(トライアングルスペルじゃ、ほとんどの感染症の類は完治はできないけど、予防なら可能だ。
そのための殺虫剤散布なんだけど・・・こういった目に見えない成果では理解されない可能性が高い)

事実、王宮をはじめトリステイン中に殺虫剤を撒いて回っても、害虫駆除という観点からは感謝されても感染症の予防という観点では理解されていない。
だからこそ、領主になって手腕を発揮したほうが手っ取り早く名声と権力を得ることができる。
・・・そうマクシミリアンは考えていた。

(世知辛いけど、やっぱり金と権力が必要だなぁ・・・)

内心、ため息をつく。
大貴族を相手にそれなりに立ち回るには今のマクシミリアンはあまりにも非力だ。

(どうも父さんは、オレを次期国王として鍛え上げるつもりのようだけど。
当然といえば当然か・・・こちらとしても望むところだけどね)

とは言え、不安が無いわけではない。
マクシミリアン自身、将来、トリステインをどういった国にしたいのかビジョンが見えてこないのだ。
最初、真っ先に頭に浮かんだのは、選挙ポスターに書いてあるような『綺麗事』ばかりで、実際、政策として行うにはどうにも不安だった。

(少しずつ、少しずつ未来のトリステイン像を構築していこうか)

いずれ背負う巨大な責任にマクシミリアンは思わず身を震わせた。
 

 

第八話 少女アニエス

トリステイン王国の首都であるトリスタニアには王城と貴族の屋敷が多く立ち並ぶ貴族街と、平民たちの住む下町の間に大きな川が流れている。
マクシミリアンは定期的に王宮を抜け出しては、件の川を始めとする水場を重点的に殺菌消毒を行っていた。

そして今日も身代わりのスキルニルを置いて王宮を抜け出していた。
ちなみにスキルニルとは古い魔法人形の事で人間の血を元にその人間の外見、性格を完全に複製するマジックアイテムだ。
マクシミリアンはミランを通じて、ブルドンネ街の古物商からスキルニルを購入していた。
代金は今まで作った秘薬を売って少しづつ貯めておいた貯金を利用した。
値は張ったものの、ささやかな自由を手にいてることができた。

(おかげでミランには苦労かけた・・・)

奔走してくれたミランに感謝しつつマクシミリアンは目的地へ向かった。

あらかじめ用意しておいた粗末な平民の服を着て秘薬の入った大き目の木製の箱をリュックサックのように背負う。
大き目の箱には『秘薬アリマス』と書かれた(のぼり)が一つ立っていた。

『奉公先で散々こき使われて秘薬売りの行商をさせられる平民の少年』

と、いう設定でトリスタニアの貴族街を歩くマクシミリアン。
当然、貴人とばれる様な演技はしない。
途中、顔見知りの貴族や貴族の屋敷に出入りする平民らとすれ違っても何の反応も無かった。

「何処をどう見ても、ただの行商人だ」

上手くいったと内心、ほくそ笑んだ。

石畳の敷かれた貴族街をさらに下町方面に進み貴族街と下町の境界線の橋を渡る。
川沿い眺めながらを歩いていると後方から誰かが走って来るのを感じた。
止まって振り返ると金髪を短く切った少女が全力疾走で近づいてくる。

マクシミリアンは邪魔にならないように慌てて道の端っこに移動した。

二人がすれ違う瞬間、お互いの目が合った。

(可愛いをいうよりも綺麗な感じ。けど青い目が妙にギラギラしてて怖いな)

すれ違った少女を勝手に品定めする。

「それにしても速いな。どれくらい全力疾走してるんだ? 疲れないのか?」

少女は、あっという間に見えなくなった。





                      ☆        ☆        ☆ 





目的地の空き地に到着すると、先客がいた。
誰かと思ったら先ほどすれ違った少女がストレッチをしている。
少女がやたらと熱心にストレッチをしているため、空き地に入るかどうしようか、一瞬迷ったが意を決して少女に話しかけた。

「こんにちは、ちょっと失礼させてもらうよ」

「え?」

少女は驚いたようにマクシミリアンを見た。

「別にいいよね?」

「え、うん、別に良いけど」

許可が出たため、堂々と空き地に入った。
少女はストレッチを止め、ジッとマクシミリアンを目で追っている。
この空き地やってきた目的は先日作った秘薬と空き地の向かい側にある川の水で初の広域魔法を発動させようとしていたのだが。

(大量の水を使った大規模魔法だから、集中するためにあまり人のいる所じゃ使いたくないんだよなぁ)

イメージもしっかり出来ているから失敗する事は無いと自信を持っているが。
万が一、失敗してもよい様に周りに被害が及ばないこの空き地を選んだのだが。

あきらめて、他の場所を探す・・・と、いう案を考えたものの不採用にした。

「・・・・・・」

(他の適当な場所は知らないし・・・・・・どうしたものかなー)

マクシミリアンはどうするべきか唸っていると、背後から何かが近づいてくる気配を感じた。

「ん? 何か用?」

「えっと、何してるかと思って」

への字口をしながらも近寄ってきた少女は戸惑いながらも答えた。

「休憩をかねて弁当を取ろうかと思ってね、それでこの空き地にやって来たんだ」

「そう・・・」

街の住人にとってマクシミリアンは『知る人ぞ知る』と言った存在なのだが、少女の前では正体の事は伏せることにした。

(仕方ない、適当にあしらって、早いとこ帰ってもらおう)

ちなみにこういった時のためにカモフラージュ用の弁当を用意してある。

「ところでキミ、何て名前?」

「えっと、アニエスだけど」

「アニエスね うん、いい名前だね」

「・・・ありがと」

はにかんだ笑顔にマクシミリアンも思わずほっこりとした。

(最初は何処か陰気な娘だと思ったけど、中々どうしていい娘じゃないか)

「貴方の名前は何?」

「僕? 僕の名前は・・・」

『マクシミリアン』と、言うと、いろいろ問題があるかと思って。

「・・・ナ、ナポレオンだよ」

・・・と、偽名を使うことにした。

「そう、珍しいけどいい名前なんじゃないかしら」

「ははは、ありがとうアニエス」

「ふふふ」

(・・・それにしても、咄嗟に出た名前とは言え『ナポレオン』とはね)

マクシミリアンは思わず口元を歪めた。



                      ☆        ☆        ☆ 




当初は追っ払う目的だったが、以外に会話は弾んだ。

「ところでアニエスは・・・」

「ん?」

マクシミリアンとアニエスは二人、空き地に置いてある木材に腰を下ろして弁当の黒パンを頬張っていた。
アニエスは当初、半分にした黒パンの片方をマクシミリアンに勧められたがこれを断った。
マクシミリアンも『一人で食べるのは味気ない』と半ば無理やり押し付け、アニエスも仕方なく付き合うことにした。

「この空き地で何やってたんだ?」

「何って、身体を鍛えていたのよ」

「身体を? 何で?」

「・・・別に、貴方には関係ないでしょ」

「え?」

「言いたくないの」

「あー・・・ええっと」

「・・・・・・」

「うん、確かに・・・もう聞かないよ」

何やら危険な雰囲気を感じたマクシミリアンは引っ込むことにした。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

会話が途切れて沈黙が空き地を覆った。
人があまり寄り付かない事もあって遠くで人々の喧騒が聞こえる。

(どうしたものか)

と、いろいろ思案していた所。

「・・・ごめん」

アニエスが謝って来た。

「え? アニエス?」

「・・・本当に言いたくなかったから。ごめんなさい」

「あー・・・何だ、僕も気にしてないから」

「うん、ありがとう」

「人間、誰しも秘密があるものさ。ま、いいって事よ」

こういったやり取りで微妙な雰囲気も何処かに吹き飛んでしまった。



その後、黒パンも食い終わり二人はいろいろと駄弁っていると。

「もう帰るよ。ナポレオン」

そう言うとアニエスは立ち上がりパンパンと尻を払う。

「あら、もう帰るのか?」

「まぁ・・・ね、ナポレオンもこんな所で油を売ってたら、店の人に怒られるんじゃ?」

「おおっと、それはいけない。僕もそろそろ仕事に戻らないと」

「それじゃ、ナポレオン、また会えるかな」

「そうだね、きっと会えるよ」

「うん、わたしはこっちだから・・・じゃあね」

そう言って、アニエスは走り出し路地裏へと消えていった。

「・・・・・・」

再び静寂が空き地を覆った。

「・・・またな、アニエス」

ぽつりをつぶやくと、空き地の隅っこに置いてある木箱へ足を進め、無色透明の液体が入った秘薬瓶を取り出した。

(だいぶ時間を食ってしまった。今日はまだ寄る所があるから早いとこ済ませてしまおう)

今度は川の側まで進んで秘薬瓶の栓を抜くと、たちまち白い煙がもうもうと吹き上がった。
次にマクシミリアンは秘薬の中身を川に流して、何処からとも無く杖を取り出しルーンを唱え始めた。

「イル・ウォータル・・・」

イメージはトリスタニアに降り注ぐ霧雨。

(王宮の噴水や他の水場の水量ではトリスタニア全体を補えないから・・・ね)

そうしてルーンを唱え終え、杖を天高く掲げた。
すると川の流れがピタリと止まり、次に止まった川から大量の『(もや)』の様な物がトリスタニア上空まで上って行き空を覆った。

靄はやがて霧雨に変わり、トリスタニアへと落ちていった。






                      ☆        ☆        ☆ 




アニエスにとってメイジとは敵だ。
彼らは突如として現れ、両親を友人を隣人をそして故郷を焼いた。
故郷ダングルテールの事は、今でも・・・そしてこれからも、そう、一生アニエスの心から決して離れない出来事なのだ。
あの日以来アニエスの内側に灯った黒い火は、自分一人だけ生き残って以来、生きる屍も同然だった幼いアニエスにとって生きる力になった。

(故郷を焼いたメイジを見つけ出して恨みを晴らす)

そう、心に決めた。

(他人の手を借りず、自分の手で・・・)


平民がメイジに対抗する方法を探すために強くならなければならない。
そう思ったアニエスは、自分を養女として引き取って養父になったメイジの男の部屋に忍び込んだ。
切っ掛けは養父がトリステインの王子の家庭教師として王宮に出入りしている事を、養母から聞いたからだ。

「武器か何か有ればいいんだけど」

武器になりそうな物は無かったが、変わりに授業内容の書かれた羊皮紙を盗み見ることが出来た。
そこに書かれていた内容・・・・・・『基礎をしっかりと固める』

(そんな都合のいいものなんて無いか)

この日からアニエスは徹底的に基礎体力から鍛えることにして今に至る。




そして9歳の時、いつもの様に足腰強化のジョギング・・・と、いう名の全力疾走をしていた時に一人の少年と出会った。

(・・・何処の田舎者だろう。でもカッコいいかも)

アニエスはその少年を始めて見たときの印象はあまりよい物ではなかった。
だが、アニエスもやっぱり年頃の女の子、よく見ると少年の整った顔立ちに胸がときめいたし、同年代の友達も欲しかった。
アニエスに友達がいない原因。それは近所の子供たちは狂ったように走るアニエスを怖がって誰も友達になろうと思わなかったからだ。
・・・むしろ近づこうともしなかった。

やがてアニエスは好奇心に負け少年に近づいていった。

アニエスとナポレオン・・・と、名乗ったマクシミリアンの交流は、途中、微妙な雰囲気になったが、すんなりと仲良くなることができた。

(嫌われると思ったけど、よかった)

トリスタニアに移り住んで始めての友達にアニエスは少しの間、復讐を忘れることができた。



ナポレオンと別れた後、アニエスは迷路のような路地裏を全速力で走り抜け、自宅あるブルドンネ街を目指した
途中、何度も通行人と激突しそうになるも、持ち前の運動神経と反射神経で避けながら駆け抜けた。
ちなみにこれも修行の一環だそうだ。通行人にとっては、はた迷惑この上ない。

「あれ?」

思わず、アニエスは足を止め空を見た。
空は雲ひとつ無く太陽が燦々と輝いているのに何処からとも無く霧雨が降り注いだからだ。
言うまでもなくマクシミリアンの殺菌殺虫魔法だがアニエスの知るところではない。

(なんて気味の悪い天気)

近くの家の軒下で雨宿りしようと足を進めると、一番会いたくない人とばったり出くわしてしまった。

「あ」

「ああ、アニエスか」

養父のミランだった。
思わずアニエスは口をつぐみ目をそらす。

「こ、こんな所で偶然だな」

一方、ミランも杖に体重を掛け、腫れ物に触るかのようにアニエスに話しかける。

「・・・・・・」

黙り込むアニエスにミランは何かと話題を振るが、のれんに腕押し・・・その全てを沈黙で返される。

(わたしなんて放っておけばいいのに)

アニエスはミランを本気で嫌っている訳ではない。

(メイジは敵だ。敵でなくてはならない)

自分自身に暗示を掛ける様につぶやく。

ミランの様な奇特なメイジは希少だ。
何時しか、アニエスはメイジを憎む事で心の平静を保っているという面倒な状態になっていた。
だが一方で、アニエス自身もミランの様なメイジは滅多にいない事も理解していたため、アニエスの心の中ではメイジへの憎しみとミランへの謝罪と後悔でぐちゃぐちゃになって、混乱にさらに拍車をかけていた。

(いっそ、そこら辺にいるメイジと同類なら、こんな思いしなくてすむのに)

霧雨はいつの間にか止んでいた。




                      ☆        ☆        ☆ 





ミランこと、ジャン=ポール・ド・ミランは、魔法衛士除隊後は王太子の魔法の家庭教師的な地位だったが。
その忠勤振りからマクシミリアン直属の家臣になり、シュヴァリエに復帰、ジャン=ポール・シュヴァリエ・ド・ミランに名を改めた。
家臣になった頃からマクシミリアンの魔法の授業は水魔法にみに変更しており、しかも水魔法の授業のほとんどの時間は秘薬作りになってしまった。
たまに剣の修行があるぐらいで、割と暇になってしまったかと思われた。

しかし、ミランに息つく暇はなかった。
今度は優秀な人材を捜索する仕事が舞い込んだからだ。
おかげで家を空けることが多くなったが、妻のマノンは程好く実った胸をたたいて。

「家の事は任せて!」

と、元気良く送り出してくれた。

マノンとの間にはまだ子供は授かってないが夫婦仲は大変良好だ。

夫婦仲こそ良好だが、問題が無いわけではない。
数年前に引き取った養女のアニエスの事だ。
引き取った当初からミランには中々懐こうとせずミランの憂鬱にさせた。
マノンには良く話しかけているのを見かけるが、ミランが近寄ると顔も合わせようともせずに、そそくさと何処かへ逃げるように去っていった。
後日、マノンに嫌われた原因は何か相談してみたら、どうもアニエスはメイジが嫌いらしい。
マノン自身もミランとアニエスの仲を気に病んでいたため、さらに掘り下げて聞いてみたが結局アニエスは詳しいことは教えてくれなかった。

数週間振りにトリスタニアへ帰ってきて、突然の霧雨に辺りを見渡し雨宿りしようと近くの軒先に向かうと、アニエスとばったり出くわしてしまった。

「あ」

「ああ、アニエスか」

アニエスも驚いた顔でミランを見ている。

(何か話しかけないと)

慌てて、アニエスに話題を振るも沈黙で返される。

(どうしたものか)

以前、さらに踏み込んで接しようとした時、アニエスに激しく拒絶され、それ以来、腫れ物に触れるような対応しか出来なくなってしまった。

ふと気付くと霧雨は止んでいた。
ミランは空を見上げると、アニエスはその隙をつく様に逃げ出した。

「アニエス!」

アニエスはあっという間に見えなくなり、路地裏の軒下に一人残される形になった。

「・・・情けない」

がっくりと肩を落とす。
追おうにもこの足では追いつけそうもないし、アニエス自身、9歳とは思えなくなるほど恐ろしく足が速くなりフライで追っても追いつけない可能性が高かった。

(それにこれから寄らなければならない所もある)

アニエスを追うことを諦める事にしたミラン。
いつもの明朗活発さは鳴りを潜め、何処か暗い雰囲気が辺りに漂っていた。







                      ☆        ☆        ☆ 





トリスタニアに局地的に降った霧雨は止み、川はいつもの様な緩やかな流れを取り戻していた。

その光景を見届けたマクシミリアンは空き地に戻ろうとすると、空き地に人影を見た。
最初は『アニエスが戻ってきたのか?』と、思ったが、よく見ると平民風の服を着た痩せた老人の男だった。

「流石は殿下、お見事ですな」

老人がしわがれた声でマクシミリアンを称える。

「・・・? ええっと、どなたでしょう?」

「えへへ、こいつぁ、失礼。この格好じゃ分からなかったですな」

「?」

老人は両手で顔を撫で始める。
すると顔か粘土細工のように、ぐにゃりと崩れた。

「ううっ!?」

あまりのキモさにマクシミリアンは顔をしかめた。
顔の変形だけでなく、身体もボキボキと音を立てて変形している。

「う、うげぇぇぇぇぇ!?」

あまりの酷さにマクシミリアンは口に手を当ててうずくまった。幸い、戻してはいない。

「うぐ、思い出した。こいつはクーペ・・・ジョゼフ・ド・クーペ!」

何とか立ち直り老人の方を見ると、老人の変わりに長身の青年が立っていた。

「どうですか? 思い出していただけましたが?」

「ああ、イヤでも思い出すよ、これは」

先ほどのしわがれ老人声から打って変わって、さわやか青年声のクーペはニコリと笑った。

(声まで変わるのか)

マクシミリアンがクーペを家臣に迎えたのは数ヶ月前のことで、腕利きの密偵が欲しかったマクシミリアンはミランを通して出会ったのだが、その時は今のような青年の風体をしていた。

「信用できませんが信頼できる奴が居まして・・・」

と、要領を得ない言葉で、ミランに紹介された。

クーペは隣の大国のガリア王国から流れてきた元貴族・・・と、いう触れ込みでやって来た。ついでにクーペ直属の密偵団も一緒になってやって来たため、『ガリアのあからさまな謀略では?』と、疑わざる得なかった。

(クーペとその密偵団は喉から手が出るほど欲しい・・・)

しかし、謀略を疑って手が出せない。

(逆に考えれば、本当に仕官しにやって来たのでは?)

その後、散々迷って、マクシミリアンはクーペとその一党を家臣に加えることにした。

クーペは密偵頭として密偵団を各地に放って情報集をさせつつ、自身も変身の秘術を使って密偵として動いている。
フェイス・チェンジという顔を変える風と水のスクウェアスペルが有るが、クーペの変身は魔法なのか非魔法なのか、それすら分からない、まさに秘術と呼ぶにふさわしかった。
その気になれば幼女から老人までなんにでも変身できるそうだ。
クーペの本当の顔はもちろんの事、年齢、性別、家族構成など誰も知らない。

(・・・化け物め)

内心、つぶやくしかなかった。

「・・・所で、何しにやってきたんだ?」

マクシミリアンはクーペに聞いてみた。ちなみにクーペは先ほどの老人姿に戻っている。

「へえ、先方の皆様方はすでに到着されてまして。へぇ、それと殿下にご機嫌伺いを」

「うん、そうか、ちょっと遅れてしまったか」

「まぁ、皆様方、久々のトリスタニアですので羽を伸ばしていると思いますがね」

「早いに越したことは無い。早速、出発しよう」

「へぇ、お供します」

マクシミリアンは少々早足で次の目的地へ向かう。後ろにはクーペも着いて来ていた。

十数年前、トリステインの国政を牛耳り辣腕を振るってトリステインを大いに富ませたエスターシュ大公。
その後、大逆罪に近い罪で失脚し、官職や財産を剥奪されエスターシュ大公も自身の領地から一歩も出ることを許されなくなった。
大公の下にいた貴族の大半は他の有力貴族に吸収される形でエスターシュ派は事実上消滅した。
だが、吸収されずにトリステイン各地に散らばって細々と暮らしていた者たちもいた。
マクシミリアンはそんな彼らに目をつけ、ミランやクーペら密偵団を使って、彼らを探し出し、口説き落とした。

(残り物には福がある・・・と、いうけど。最後まで吸収されずに残った彼らこそ『本物』にちがいない)

以前、トリステイン王国発行の貴族名鑑なる、全トリステイン貴族を記録した文章を見る機会があったが、エスターシュ時代に若くして要職に就いていた貴族が、今現在、貴族名鑑の何処にも載っていない事から見て、吸収されていない事が分かった。

(それも一人や二人ではない。オレに彼らが使いこなせるか・・・)

彼らが自分の器に入りきるかどうか、一抹の不安を残しつつ、マクシミリアンとクーペは早足でその会合場所へ向かった
 

 

第九話 再び、ヴァリエール家へ

その日の真夜中、カトレアは中々眠りにつく事が出来なかった。

寝返りを、右にうっても左にうっても、睡魔はやって来ない。
気分転換をしようと、スタンド型の魔法のランプを点け、ベッドの下に置いてある籠を取ろうとモゾモゾとベッドの上を這いつくばる。
側で寝ていた動物たちの何頭かがランプの明かりで起きて、ベッドの下の籠を取って上げた。

「わ、ありがとう」

カトレアのお礼に動物たちは、小さく鳴いて答えた。

起き上がって、籠に掛けてあった布を取ると、中には何十通もの手紙の束がきっちりを収まっていた。
カトレアは手紙の束の中から、一通取り出して読み出す。
手紙の送り主は婚約者のマクシミリアンで、それぞれの手紙には劣化しないように固定化の魔法が掛けられていて、送られた当時のままの姿を保っていた。
カトレアと婚約者であるトリステインの王子マクシミリアンとも文通は今現在でも続いていた。
最近起こった事や楽しい作り話、励まし言葉などの内容で、もう、お互い何年も会っていないが、カトレアはマクシミリアンの事を考えると思わず頬が熱くなった。

だが、先日届いた手紙はいつもと違った。
手紙の最後に『カトレアの病気を診る許可が下りたので、数日中にお邪魔します』と、書かれていたのだ。
カトレアにとっては嬉しさ半分、戸惑い半分だった。
何年ぶりかの再会の嬉しさに、熱を出して家族一同を心配させたりもした。
だが、いくらマクシミリアンが10歳でトライアングルになり、近々スクウェアに到達すると噂される天才と言っても、いくらなんでも若すぎる。

(ひょっとすると・・・)

カトレアには思い当たるものがあった。
最近、両親や姉、メイドたちの一挙手一投足に何か『ふくむもの』を感じたからだ。
それでも感じた当初はそれほど気にしていなかったが・・・

それがここにきて、マクシミリアンの手紙がカトレアの心に不安を植えつけた。

(破談が近いのかも・・・)

だから両親が『最後の思い出に・・・』と、マクシミリアンを呼んだのかもしれない。

「・・・」

手紙を見ながら沈黙がおちる。
そんなカトレアを見て心配したのか、ベッドの周りで寝ていた動物たちがカトレアに寄ってきた。

「みんな・・・ありがとう。もう大丈夫だから、起こしてごめんね」

読み直していた手紙を籠の中に戻してベッドの下に置いた。
ランプを消して。カトレアは布団を被り直す。
リスや猫といった小型の動物たちが添い寝するように布団の中に潜り込むと、安心したのかカトレアにようやく睡魔が襲ってきた。

「マクシミリアンさま・・・」

一言つぶやくと、カトレアは眠りに落ちていった。






                      ☆        ☆        ☆ 







トリスタニア上空に北東へと向かう竜籠とそれを護衛する5騎のグリフォン隊の編隊があった

竜籠にはマクシミリアンと執事のセバスチャンの二人だけ乗っていて、ラ・ヴァリエール公爵領へ婚約者のカトレアの病気の治療を行うの旅の途中だった。

マクシミリアンは家臣団から提出された報告書を読んでいた。
報告書にはそれぞれの分野の改革案が書かれていて、この旅から戻り次第、父王エドゥアール1世と協議を行う事になっている。

先日、行われた元エスターシュ派の旧臣らとの会合は成功裏に終わり。マクシミリアンは優秀な政策ブレーンを手に入れることができた。
そして更なる人材の確保を目指して、密偵団を使って諜報活動がてら人材の捜索を行っている。

「殿下、何かお飲み物はいかがでございましょうか?」

一息入れようとした所、セバスチャンが聞いてくる。

「紅茶を頼むよ、ミルクたっぷりで」

本当は、コーヒーが飲みたかったが無いみたいだったから紅茶にしておく。
セバスチャンは一礼するとキッチンへと去っていった。
ちなみに、この竜籠は王家専用で簡単な料理なら出せるちょっとしたキッチンがついていた。

しばらくして。出された紅茶を飲みながら下界を眺めると、真下に川が流れているのが見えた。
下に流れている川はヴァール川といって、上流ではメイン川と呼ばれる大河で、ガリア北東を水源としてガリアとゲルマニアと流れトリステイン北部へ入ると2分岐し、ヴァール川とレッグ川になりそれぞれ海へと流れる。
上流のメイン川はゲルマニア人には『父なる川』と呼ばれ親しまれている。
ちなみに上流のガリア、ゲルマニアからの生活用水が混じって流れてきていて、下流側のトリステインでは、川の水はとても飲めるような水質ではない。
飲み水といったら大抵は井戸水だった。そのせいかトリステインは飲み水よりもワインのほうが安いため、ワインの需要が高かった。

マクシミリアンは眼下に広がるヴァール川と無数に伸びる支流を見る。

(出発前にヴァール川・レッグ川流域の開発予算を請求したけど。全額は無理でも半分は欲しいなぁ)

それはマクシミリアンが直轄地で水資源の豊富なヴァール川・レッグ川流域がほとんど手付かずだった事に目を付けて、国内での実績作りと、建設業の育成のための下準備を家臣団に命令した。
予算が下りれば、すぐにでも始められるように土木関係者に話をつけたり測量が出来る者を抜擢したりと、ミランはじめ家臣団は大わらわだった。
ちなみに測量と同時進行で正確な地図作りもさせている。

(いわゆる、ゼネコンを真似して見ようと思ったんだけど・・・)

・・・本当の所は、公共事業を同時に減税を推し進めてトリステイン国内の景気を上げたかったのだが、そこまでの権限も発言力も今のマクシミリアンには無い。
そこで財務担当の貴族を説得してみたが、良い返事をもらう事が出来なかった。
トリステイン貴族は表面上は王家に対して、絶対的な忠誠を誓っているように見えるが、自身の利権が侵されようとすると激しく抵抗してくる。
ここで無理に王家の権威を振りかざして、貴族らの利権を切り取ろうとすれば、内乱が起きてしまうかも知れない。
仕方なく減税の条件として、その貴族所属する派閥の令嬢らと会食をする羽目になってしまった。
公共事業を推し進めても重税のままだったら、この開発事業は中途半端に終わる可能性が高い。
それを心配していたマクシミリアンは、仕方なく会食を承諾した。

(貴族連中は、オレが12歳になれば婚約が解消されるのを知っているんだな)

ため息をつきながらも会食の事について考える。
婚約が解消されるのを見越して、それどれの娘たちを紹介し始めた。

(でも、綺麗どころばかりみたいだし会うくらいなら、いいかな?)

・・・と、のん気に構えながらマクシミリアンはミルクティーを楽しんだ。









                      ☆        ☆        ☆ 







ラ・ヴァリエール公爵の屋敷に到着すると。ラ・ヴァリエール公爵を始めとする家人一同が盛大に出迎えてくれた。

「ヴァリエール公爵、今回は僕のわがままを聞いてくれて、ありがとうございます」

「殿下とカトレアの仲を思えばこそでございます。どうかカトレアをよろしくお願いします」

と、公爵は一礼した。

「カリーヌ夫人とミス・エレオノールも、ご無沙汰しています。短い間ですがお世話になります」

カリーヌ夫人とエレオノールにも挨拶をする。

「この度は、お越しいただきありがとうございます。家人一同、心より歓迎いたします」

「お久しぶりでございます、マクシミリアン殿下。カトレアの事、よろしくお願いします」

カリーヌ夫人とエレオノールも優雅に返した。

「時にヴァリエール公爵、今までカトレアを治療したメイジたちのカルテ・・・治療法とか記録した物があったら参考のため、見せていただきたいのですが」

「なるほど。分かりました、用意させましょう」

「ありがとうございます。治療は明日以降になると思いますので。短い間ですがお世話になります」

公爵とカリーヌ夫人とエレオノール、マクシミリアンの四人は和気あいあいとしながら廊下を歩く。

「殿下、早速、カトレアに会っていただけないでしょうか?」

と、カリーヌ夫人が言う。

(この人はいつも妙なオーラを放ってるなぁ)

どういう訳か、マクシミリアンに会うたびに奇妙なオーラを放つカリーヌ夫人。
そのためマクシミリアンはカリーヌ夫人に『嫌われているのか?』と、思って苦手意識を持つようになった。

「もう何年も会ってないですからね。是非とも合わせて下さい」

マクシミリアンも気にしないようにしながら承諾した。

・・・・・・

そうしてカトレアの部屋へ向かう途中。

「そういえば、ルイズ=フランソワーズに機会があれば会ってみたいのですが」

以前、カトレアの手紙に書いてあった、ラ・ヴァリエール公爵家の末娘の事で今年で2歳になる。

「そういえば、ルイズは何処いるのだ?」

「メイドたちに任せたはずですけど」

「メイドは全員、殿下のお出迎えに出払ってました。ひょっとしたらカトレアの所では?」

「多分、そうなのだろう。エレオノール、すぐに見に行ってきてくれ」

何やら3人でぼそぼそと話をしているが、マクシミリアンには丸聞こえだった。

「カトレアの所に居るのでしたら、ちょうど良いです。早速会いに行きましょう」

マクシミリアンは三人を急かす様に足早にカトレアの部屋へ向かった。





                      ☆        ☆        ☆ 





結論から言うとルイズはカトレアの部屋に居た。

ヴァリエール夫妻を廊下に残して、マクシミリアンとエレオノールの二人が部屋に入ると、ルイズは絨毯座って人形遊びを、カトレアは部屋に具えてある椅子に座ってルイズを見守っていた。

「マクシミリアンさま、ようこそ御越しいただき、ありがとうございます」

「カトレアいいかしら? 殿下が是非、ルイズにもご挨拶をされたいと、おっしゃっています。少しの間、ちびル・・・コホン。ルイズを貸してもらうわよ?」

エレオノールの宣言にもルイズは我関せず。エレオノールを無視して人形と遊んでいる。
無視された事で、エレオノールのこめかみに青筋が立った。

「ちびルイズ!」

青筋を立てたエレオノールの怒鳴り声にルイズはびっくりしてカトレアの足に引っ付いた。

「まぁまぁ、ミス・エレオノール。ここは僕に任せてください」

「・・・コホン、殿下が、そう、おっしゃるのでしたら」

エレオノールをなだめて、ルイズとカトレアに向かい合う。

ルイズはカトレアに、しがみ付くように抱きついていて離れようとしない。
一方、カトレアも『あらあらうふふ』と、言いながらルイズを愛でている。

「やぁ、カトレア、久しぶりだね。とっても綺麗になったよ。またこうやって会う事ができて嬉しいよ」

マクシミリアンはさわやかに挨拶した。

「わたしも嬉しいですわ。マクシミリアンさまの手紙はいつも楽しみにしてました」

「喜んでもらえて嬉しいよ」

二人は『あははうふふ』と、笑いあう。
そうしていると、カトレアの陰でルイズがジッと、マクシミリアンを見ていることに気付いた。

「ルイズに挨拶したいから、ちょっと失礼するよ」

マクシミリアンは片膝をついてカトレアにしがみついているルイズと同じ高さの目線になる。

「始めましてルイズ、僕はマクシミリアン。これから仲良くさせてもらって良いかな?」

にこやかに挨拶する。
一方、ルイズはジッと見つめながら、うーうー唸ってカトレアの側から動こうとしない。

(まだ、2歳だし仕方ないかな)

マクシミリアンはルイズの頭を撫で、手を差し出した。

「握手してもらっても良いかな?」

「ルイズ、マクシミリアンさまにご挨拶を・・・ね?」

カトレアはルイズに、優しく挨拶するように促した。

ルイズはマクシミリアンとカトレアを交互に見ると、おずおずとカトレアから離れ、差し出されたマクシミリアンの手をペタペタと触った。
マクシミリアンはルイズに受け入れられた事に、思わず胸をなでおろす。

「よろしくね、ルイズ」

ルイズの小さな手を握りなおし握手した。
にへらと、笑うルイズ。鼻水を垂らしていた為、ハンカチで拭いてやった。

「ちょっ!? ルイズ! 申し訳ございません殿下!」

「まっ、ルイズったら。はしたないわ」

エレオノールは頭を抱えながら、カトレアは少し困ったように言う。

「まぁまぁ、まだ2歳なんですし・・・」

マクシミリアンがフォローを入れて、この場は収まった。

(何はともあれ、ルイズに受け入れてもらえたようだ)

ホッと、胸を撫で下ろした。

・・・・・・

ルイズたちは去って、部屋には二人と動物たちだけが残った。

「それにしてもカトレア、動物がまた増えたみたいだね」

以前、会ってから5年近く経っているとは言え、カトレアの部屋はまるで動物園のようだった。

「怪我をして動けなくなったり、群れからはぐれてしまったりと、そう言った子たちを引き取ってたらこんなに多くなってしまって。でも、毎日が賑やかで、とっても楽しいですわ」

カトレアは、ポンと手を合わせてにっこりと笑った。


「そうなんだ。いつもながらカトレアは優しいなぁ」

ほんわかな雰囲気で二人とも笑顔になる。それに釣られて動物たちが騒ぎ出した。

「みんな、マクシミリアンさまを歓迎しているんですわ」

わんにゃんぶーと、騒ぐ動物たち。
マクシミリアンは一頭づつ、頭を撫でてやった。

「動物たちにも気に入ってもらえたようだ」

ちょっとおどけて言うと、カトレアは口に手を当てて笑った。
その後、二人は数年ぶりの再会を喜びながら会話に花を咲かせた。


・・・・・・


楽しい時間は早く感じるもの。
あらから喋ると、少し間をおいて、カトレアは神妙は顔つきになった。

「・・・マクシミリアンさま、この度はわたしの為に時間を割いていただいて、ありがとうございます」

改めて、カトレアはマクシミリアンが自分の治療の為にわざわざやってきた事について礼をした。

「気にしなくても良いよ。カトレアの力になりたくて来たんだから。それにね、僕はカトレアが好きだから・・・病気を治して、どこか旅行に行こう」

カトレアの両手を握って、領内からほとんど出た事の無いカトレアに旅行の約束と告白をした。
すると、カトレアはびっくりした顔をすると、たちまち目に涙を浮かべた。

「ありがとうございます・・・わたしなんかの為に、ありがとうございます。実はマクシミリアンさまが、わたしの病気を治しにお越しいただくと聞いて、婚約話が解消される前にせめてもの思い出作りを・・・と、ふとそう思い当たったのです」

溜まった涙はついに零れ落ち、頬を濡らした。

「婚約が解消されてしまったら、もうマクシミリアンさまに会えない。もう・・・手紙が届く事もなくなって。いつの日かみんなに見守られて死ぬ。でも、マクシミリアンさまは、そこにはいない、そういう人生をこれから送るとも思うと、怖くて、怖くて堪らないんです」

マクシミリアンは内心、唸った。

(カトレアは感が良く働くとは聞いてたけど。どうする? 婚約解消の期限、言うべきか・・・)

とはいえ、ぽろぽろと涙を流すカトレアをそのままにしておく訳にはいかない。
涙を流すカトレアを抱き寄せた。

「泣かないでカトレア、すぐに婚約解消になるはずないよ。僕はカトレアの涙は見たくないよ」

カトレアに胸を貸しながら慰める。
二人の周りでは動物たちが心配そうにしていた。

「それにみんなも心配してるよ?」

「・・・はい」

小康状態になったカトレアを背中を優しく叩く。

「それにカトレア、僕だって遊びに来たわけじゃないよ。きっとカトレアの病気を治して見せるから、一緒に頑張ろう」

「はい、わたしも・・・頑張ります」

カトレアは、弱々しくも励ましの言葉に答えた。
カトレアとマクシミリアンはにっこり笑いあった。

・・・結局、期限の事は言い出せなかった。





                      ☆        ☆        ☆ 






夕食後、マクシミリアンは宛がわれた部屋でカトレアのカルテの読んでいた。

カトレアの治療に対して、まず最初に行った事は、今までのメイジたちの治療法をよく吟味する事だ。
そうする事で、カトレアの治療のヒントを探すつもりだった。
ペラペラとカルテのページをめくると、とあるページに行き着いた。

(精霊の涙、もうすでに試した後だったか。有名な魔法の妙薬をヴァリエール公爵が知らないわけが無いと思っていたけど・・・)

そのページに書かれていたものは、『万病に効く』と、言われる秘薬、精霊の涙の事だった。
精霊の涙とはトリステインとガリアとの間にあるラグドリアン湖に住むといわれる水の精霊の身体の一部を使って作る最高の秘薬のことだ。
ヴァリエール公爵はもう何年も前に精霊の涙を手に入れ、カトレアに使ったようだったが、カルテを見る限りでは効き目が無かったようだ。

(秘薬中の秘薬をもってしても治らない病気っていったい何なんだ?)

ヴァリエール家が精霊の涙を使ってなかったら、何とかして手に入れてカトレアに施そうと計画を練っていたが、いきなり暗礁に乗ってしまい、頭を抱えるマクシミリアン。
しかし、『頭を抱える時間は無い』と、再びカルテのページをめくる。

・・・どのくらい時間が経っただろう。
一字一句、見落としが無いように食い入るようにカルテを見る。
しかし、これといって決め手になるような治療法は思いつかない。

(焦るな焦るな・・・まだ、一年以上の時間がある。明日、カトレアから血液と体液、その他諸々を採取して、じっくり調べ上げれば良い。努力はきっと報われる。あんな良い娘がいつまでも不幸であってたまるか!)

自らを鼓舞しながらページをめくる。

「ん?」

その後もカルテを読み続けると妙なページに行き着いた。

「何この中途半端なやつ」

それはページの半分程度しか書かれていない、まるで途中で放り出されたような感じのページだった。

(どんな治療法かな?)

と、半端なページを読む、すると見る見るうちにマクシミリアンの顔が険しくった。

「これは・・・治療というより、人体実験じゃないか!?」

思わず声を荒げる。
部屋の外で警護をしていた魔法衛士が異変と勘違いしたのか、ノックをしてマクシミリアンに応答を求めた。

「殿下? どうかなさいましたか?」

「いや、なんでもない。警護を続けてくれ」

「御意」

魔法衛士は警護に戻り、マクシミリアンも気を取り直して、再びカルテを見た。

(中途半端で終わっているのも、きっと途中でクビになったんだろう・・・)

そう思いながらも、何か引っかかるものを感じる。
どういった人が、この人体実験をやらかしたのか興味を持ったマクシミリアンは人名を検める。

そこにはフルネームではなく、『ワルド』と、簡単なサインが書かれてあるだけであった。
 

 

第十話 エレオノールの訪問

「はい、あーんして」

「あ、あーん」

ラ・ヴァリエール公爵家へ来て二日目。
早速、カトレアの治療を始めることになった。
まずは、午前中に簡単な検診から始め。次に採血、検尿とを行って。午後は採取した物をトライアングルスペルで出来る限りの検査をするつもりだった。

「うん、喉の腫れは無いみたい。ありがとう、もういいよ」

「……はい」

カトレアの自室内ではマクシミリアンとカトレア、ヴァリエール夫妻に助手役のセバスチャンの五人だけだった。

「次は聴診、その次に採血だ。セバスチャン、空瓶を用意しておいて」

「ウィ、殿下」

セバスチャンは片ひざを突いて、床に置いてあるクーラーボックスを開けた。
このクーラーボックス、城を抜け出したときトリスタニア市内の露天で売られていた物を買ったものだ。
魚を入れた状態でハルケギニアに飛ばされたのか、少々、生臭かったが、そこは魔法の世界、『消臭』の魔法で問題解決した。香水を使っても良かったが、持っていなかったし、そこまで気が回らなかった。

クーラーボックス内は大量の氷のうが入っていて、中のものがダメにならないようになっている。
『固定化』を使っても良かったのだが、どう変質するか分からなかった為、氷のうで冷やすようにしていた。

「え? 採血と言われますと、血を抜かれるのですか?」

声を上げたのはヴァリエール公爵だった。

「そうだよ、血液には人体の色々なデータが詰まっているからね。これを採取してカトレアの身体がどうなっているのか調べるのさ」

「し、しかし、そのような療法、大丈夫でしょうか?」

「ん? 血を抜くのは異端ではないか……って言う事ですか?」

「はい、我々も今まで様々なメイジに治療を行わせましたが、そのような療法初めてです」

「たしかに、初めてだと思います。魔法は色々と便利すぎますから。細菌とかそういった物質までは、たどり着いていないみたいですね」

昨日見たカルテには、国内外、超一流のメイジたちが名を連ねていたが、どのメイジたちもウィルスや細菌といった微生物の存在を臭わせる記述は無かった。
マクシミリアンは、ほんの最近だが微生物の存在を配下や親しいメイジらに教えることで、医療や醸造関係の世界ではちょっとした有名人になっていた。

「話がそれましたが、細菌の事でなくて、採血のことですけど、多分、大丈夫だと思いますよ?。なぜなら、彼らロマリア坊主どもはワインを『始祖ブリミルの血』と、言って毎日ガブガブ飲んでるじゃないか。それに聞くことによると、坊主どもは偉大なる始祖ブリミルの血で浴槽一杯にして風呂代わりにして遊んでいるのを聞いた事があります。坊主どもが文句を言ってきたらワイン風呂の事を引き合いに出して、『あなた方のように始祖ブリミルの血で遊ぶ事よりは、我々など可愛いものです』と、言ってやればいいのです連中、きっと黙りますよ。逆切れするかもしれませんがね」

マクシミリアンはロマリア僧侶への嫌悪感を隠さずに言い切った。

ちなみにワイン風呂の事は密偵頭のクーペから送られた情報だ。ちなみにワイン風呂の坊主は、急性アルコール中毒でぶっ倒れたそうな。

「そういう訳で、採血の件は大丈夫です。万が一、異端審問にかけようと言うのなら、カトレアは僕が責任を持って守りきって見せますよ」

そう宣言すると、夫妻はお互いの顔を見合わせながら『お願いします』と、頭を下げ。カトレアはというと顔を真っ赤にして身体をモジモジさせながら、目を潤ませていた。

「マクシミリアンさま……」

彼女はもう恋する乙女そのままの姿だった。

「と、まあ……そういう訳で次は聴診です。カトレア、胸をはだけて」

「え? 胸を……ですか?」

「そうだよ、そうしないと聴診できないからね」

「え、と、はい、分かりました」

恋の赤から羞恥の赤へ、カトレアの顔は急転直下の変化を見せた。

(……? ……ん? ……あ)

事ここに至って、ようやくマクシミリアンも今の状況を理解した。

(……リアルお医者さんごっこ)

……いろいろ台無しだった。







                      ☆        ☆        ☆ 







午後、マクシミリアンは自室にてカトレアの検診で採取した血液などを検査していた。

机の上に水の張ったボウルを置く。
ボウルの水面を杖で叩き、次に血液の入った小瓶を軽く叩くと、ボウルの水面に赤血球や白血球などが顕微鏡写真のように写った。

(……各種白血球は正常。赤血球、血小板ともに正常。その他……異常なし。)

一息つこうと杖を振るうと、ボウルの水面に写った写真が消え、透明な水面に戻った。

「うーん」

マクシミリアンはペチペチとタクト形の杖で頭を叩きながら唸った。

「何処が悪いのかさっぱり分からない」

杖を机の上において、ため息をついた。

(そもそも、精霊の涙で治らなかった病気だ、ちょっと血液を見た程度で分かるとは思っていなかったが)

他にもトライアングルスペルで出来る限りを手を尽くしたが病気の原因は分からなかった。

その後も他の治療法について、いろいろ考えていると、徐々に眠気が襲ってきた。

「あふ……」

あくびを噛み殺し、もう一度、読み直そうとカルテを取った。
夜遅くまでカルテを見ていたため、マクシミリアンは寝不足だった。

「殿下、お疲れのご様子でしたら、床を用意させますが」

「いや、そこまで眠くないよ。ちょっと小腹が空いたし軽く食べ物を。それと眠気覚ましになる物をを頼むよ」

「ウィ、殿下」

セバスチャンは一礼すると退室した。

マクシミリアンはカルテのページをペラペラと捲り、目当てのページに行き着いた。

『ワルド』と、いう人物がカトレア施した治療……というより人体実験。

『カトレアは魔法を使うと原因不明の発作を起こす』

そこに目を付けた『ワルド』は、妙な装置をカトレアに着けて魔法を使わせ、カトレアの体内でどの様な変化が起こっているのか検査する。そういう計画だった。
だが実際に、この人体実験が行われたのか、カルテには書かれていなかった……結果も書かれていない。
マクシミリアンもカトレアの発作の事は、どう扱ってよいやら悩んでいた為、この実験に関して興味を持った。

(この『ワルド』という人物。多分、ワルド子爵の事だろう。子爵の縁者かな?)

カルテを閉じ、目を瞑る。

(ともかくヴァリエール公爵に、この件について聞いてみよう……)

再びあくびを噛み殺しながら、カルテを棚に収めるとノックが聞こえた。

「ん……はい、どうぞ」

入室を許可すると、エレオノールが入ってきた。

「殿下、少しお時間をいただいてよろしいでしょうか」

「ミス・エレオノール。かまいませんよ。どうぞ」

マクシミリアンはエレオノールを日当たりの良いテーブルへと誘った。

「お疲れのところに尋ねてきてしまって、申し訳ございません」

「まぁ、気になさらずに。それでいったい何のようでしょう?」

「はい、それは……その……」

「?」

口ごもるエレオノールにマクシミリアンは不思議そうにしながらも、エレオノールが口を開くまで待ち続けた。

双方黙ったまま、五分くらいが過ぎた頃、ノックの後にカートを押したセバスチャンとヴァリエール家のメイドたちが入室してきた。

「ああ、セバスチャン、ミス・エレオノールにも何か飲み物を」

「ウィ、殿下」

メイドたちはカートに乗ったクックベリーパイを切り分けテーブルの二人に配った。

「ああ、ありがとう」

「……」

セバスチャンは紅茶を二人分淹れ、一礼するとメイドたちと供に退室した。

マクシミリアンは紅茶を一口すすると、濃い目の味で眠気が吹き飛んだ。

(……それにしても昨日、ルイズ相手に凄い剣幕で怒鳴っていたのが嘘のようだ)

テーブルの向かい側にいるエレオノールの少し物憂げな表情と、昨日の目の釣り上がったエレオノールとを脳内で比べていると。ついにエレオノールが口を開いた。

「殿下、カトレアとの婚約解消の期限はご存知でしょうか?」

「はい、知ってます。僕が12歳になったら……でしょ?」

「……そこで殿下、お願いがございます」

「……?」

「もし、カトレアと破談になったら……私と婚約して欲しいのです」

「んんっ!?」

マクシミリアンは思わず口のものを吹きそうになった。

「コホッ……本気ですか?」

「はい、本気です」

「たしか、ミス・エレオノールは他の方と婚約されてると聞いてますが? それはどうされるのですか?」

「それは……取り消してもらいます」

(それじゃ、先方は納得しないだろうに……)

エレオノールの稚拙な方法に内心呆れる。

「まあ、ミス・エレオノールの婚約話は置いておくとして。そもそも、何故そのような事を言い出したのです? ヴァリエール公爵は承知しているのですか?」

「いえ、お父様もお母様も知りません。まだ誰にも話していません」

「それなら……」

「もし、このカトレアとの婚約が破談になってしまったら、ラ・ヴァリエール公爵家はトリステイン中に恥をさらす事になります!」

いきなり怒鳴り声を上げたエレオノールに思わずびっくりしてしまった。

「ミス・エレオノール、落ち着いて……」

「私は、私はそれを避けたいんです!」

「……」

その後も、散々まくし立てるエレオノール、その口調も徐々に早口になる。
マクシミリアンはエレオノールに落ち着くよう説得しようとしたが、間に割り込む隙が無いままエレオノールの独演会になりかけていた。
しかし、息継ぎ無しで一気にまくし立てたため、エレオノールの独演会は終了、苦しそうに息を整える。
マクシミリアンはこの機を逃さず、話に割り込んだ。

「ミス・エレオノール」

「っく、は、はい」

「ミス・エレオノール、先ほどから聞いていれば、貴女は自分の事しか考えてないように聞こえます」

「それは……」

「ラ・ヴァリエール公爵家を救うために我が身を犠牲にする。貴族の娘として、大変、結構な事と思いますが……」

「……」

「もし、ミス・エレオノールと婚約したら、他の貴族は黙ってはいないでしょう。嫉妬に狂って『王権の私物化だ!』とか『ラ・ヴァリエール家の専横を許すな!』とか……散々騒ぎ立て返って、ラ・ヴァリエール公爵家とトリステイン王家を、ひいてはトリステイン王国全体を窮地に立たせかねません」

エレオノールは『ハッ』とした顔をして、マクシミリアンを見た。

「……ともかく。ミス・エレオノール、この話は聞かなかった事にしましょう。それに好きでもない男に嫁ぎたくないでしょう?」

エレオノールにウィンクして、この場を和ませようとした。






                      ☆        ☆        ☆ 








……しばらく経って。

『この話は無かった事にしよう』……そう言ったはずだった。
マクシミリアンは、目に見えて落ち込んでいるエレオノールに慰めの言葉を掛け続けていたが、無かった事にできなかったエレオノールの落ち込みっぷりは、逆に悪い事をしているのでは? と、思わせるほどだった。

(無かった事にしようって言ってるのに。真面目な人だなぁ)

マクシミリアンも、こういう、生真面目な人は嫌いじゃない。むしろ好意的に思っていた。
ともあれ、エレオノールをこのままにして置く訳にもいかない。

「ええっと、ミス・エレオノール。悲しいときは甘いものを食べると心が和らぐそうですよ」

その言葉を発した瞬間、マクシミリアンは心の中でポカポカと自分の頭を叩いていた。

(この馬鹿! もうちょっと気の利いたこと言えなかったのかよ!)

幸い、マクシミリアンの励ましに、ほんの少し元気付けられたのか。エレオノールは黙って頷きながら、モソモソとクックベリーパイを食べ始めた。

「……美味しいです」

「よかった、元気になったみたいで」

マクシミリアンもクックベリーパイを口に運んだ。

「うん、美味しい」

「……フフ」

エレオノールにようやく笑顔が戻って、マクシミリアンもホッと胸を撫で下ろした。






                      ☆        ☆        ☆ 






「……ところで、ミス・エレオノール」

「何でしょうか? 殿下」

立ち直ったエレオノールと談笑して数十分、マクシミリアンはワルド子爵の事について聞いてみる事にした。

「ミス・エレオノールは、ワルド子爵がカトレアの治療に関わっていた事を知ってましたか? もし、知っていたら、どの様な治療内容だったか教えて欲しいのですが」

「ワルド子爵がですか? ……そう……ですね。そういえば、今から何年前か忘れてしまいましたが、ワルド子爵夫人がカトレアの部屋に出入りしていた事は覚えています。ですが、治療内容までは……」

「なるほど、ワルド夫人が……ミス・エレオノール、ありがとうございました。大変、参考になりました」

「殿下のお力になる事ができて、嬉しいですわ」

『手がかりを掴んだ』……そう、実感するマクシミリアンだった。

その後も談笑を続けていると、ノックがしてセバスチャンが入ってきた。

「殿下、ラ・ヴァリエール公爵閣下がお呼びでございます」

「ヴァリエール公爵が?」

エレオノールと顔を見合わせた。

「ともかく分かったよ。すぐに行く」

「殿下、私も、そろそろお暇させていただきますね」

「ミス・エレオノール。楽しい一時でした。また今度。」

「はい、またお相手できる日をお待ちしています」

「では、途中まで一緒に行きましょうか」

「……あ、あの! マクシミリアン殿下!」

マクシミリアンがエレオノールを伴って部屋から出ようとドアの辺りまで進むと、エレオノールに呼び止められた。

「何でしょうか? ミス・エレオノール」

「カトレアの事、どうかよろしくお願いします!」

ペコリと、頭を下げた。

「殿下から手紙が届くたびに、あの子が、カトレアが、あんなに楽しそうにしているのを見て、私たち家族も、どれだけ励みになった事か。マクシミリアン殿下、どうか、どうかカトレアを救って下さい。幸せにしてあげて下さい」

再び、頭を下げ、去っていった。

「……」

エレオノールの言葉に、そして、家族の絆にマクシミリアンも思わず背筋がピンと、引き締まる思いだった。

「……任せてください。幸せにして見せますよ」

グッと拳に力をこめた。





                      ☆        ☆        ☆ 







ラ・ヴァリエール公爵に呼ばれ、公爵の私室へ向かうと、公爵の他にもう一人、見た事の無い貴族が立っていた。

「マクシミリアン殿下、わざわざお呼び出ししてしまいまして、大変、申し訳なく……」

「いえ、お気になさらずに。それよりも、そちらの方は?」

マクシミリアンが視線を貴族の男に向けると、男は一歩前に進み、一礼した。

「ご尊顔を拝しまして恐悦至極に存じます。私、ワルド子爵と申します。明日、我が屋敷にてパーティーを催す予定でございまして、是非、マクシミリアン王太子殿下にもご足労頂きたくお願いの使者として遣って来た次第にございます」

「私とワルド子爵とは、領地も隣接していますし軍務などで何かと一緒になる事が多いものでして……」

ヴァリエール公爵がワルド子爵との関係を説明していた。

「なるほど、では改めてまして……初めまして、ワルド子爵。パーティーの件ですが、飛び入りのようなタイミングで恐縮ですが、喜んで参加させていただきましょう」

「おお! 有り難き幸せ」

ワルド子爵とのやり取りで、肩がこりそうになったが。

(ワルド夫人に会えばカトレアの病気について何か手がかりを掴めるかも知れない。なにより渡りに船だ、利用しよう)

と、いう下心も有った為、パーティーに御呼ばれする事にした。
 

 

第十一話 ワルド夫人と虚無の復活

ラ・ヴァリエール公爵の屋敷に滞在して三日目。

ワルド子爵のパーティーに招待されたマクシミリアンは、ラ・ヴァリエール公爵と供に馬車でワルド子爵の屋敷へ向かっていた。
馬車にはマクシミリアンとラ・ヴァリエール公爵、そしてエレオノールの三人乗っていた。
ちなみにカトレアとルイズは当然不参加、カリーヌ夫人も不参加する事になった。

馬車での道中、ラ・ヴァリエール公爵にワルド夫人の治療について聞いてみる事にした。

「ヴァリエール公爵、以前、カトレアの治療を行ったワルド夫人について教えてもらいたい事があるのですが」

「ワルド夫人……で、ございますか?」

公爵が一瞬顔をしかめた。
やはり、カトレアの事で、過去に何かあったらしい。

「その様子だと、ワルド夫人に対し余り良い感情をお持ちでない様ですが」

「……お父様」

エレオノールは心配そうにラ・ヴァリエール公爵を見ている。

「いえ、殿下、私はワルド夫人に特別、悪い感情は持っていません」

ラ・ヴァリエール公爵は慌てて訂正した。

「と、言うと、どういう事ですか?」

「ワルド夫人は一部の貴族たちの中では、聖地狂い……と、余り良くない噂が立っていまして」

「聖地狂い? 聖地と、言いますと始祖ブリミルの聖地の事ですよね? どうして、そんな噂が……」

「ワルド夫人はある日を境に聖地奪還に傾倒していきまして。ですが、才女と名高いワルド夫人ならば……と、カトレアの治療を頼んでみたのですが……」

「それで……ワルド夫人の治療は行われたのでしょうか? カルテには結果が書かれていなかったものですから、気になっていまして。実の所、ワルド子爵のパーティーに参加したのは、このワルド夫人の治療内容を聞きたかったためですから」

「治療の件に関してですが……実の所、治療の途中で立ち会っていたワルド子爵が止めさせて欲しいと頭を下げてきまして。我々としても、カトレアに魔法を使わせるような事は避けたかった為、治療を途中で止めさせたのです」

「中止したのですか。……カトレアの事を思えば仕方の無い事でしょうね」

仕方が無い……と、言ったもののカトレアの病気に関しての情報が得るためにパーティーに参加したのだ。

(無駄足だったかも知れない)

マクシミリアンは何処か力が抜ける様な感覚を覚えた。

(とは言えせっかく来たんだし、会うだけ会って見よう)

馬車はマクミリアンたちを乗せ、快調に走り続けた。






                      ☆        ☆        ☆ 






その後、ワルド子爵の屋敷に到着したマクシミリアンはラ・ヴァリエール公爵らとは別の部屋を宛がわれた。

早く着きすぎたと言う事で、暇つぶしのため宛がわれた部屋で一人でチビチビと紅茶を飲んでいると、ノックと供にワルド子爵と中学生くらいの少年が入ってきた。

「マクシミリアン殿下、急なお誘いにも拘らず、御出で下さいましてありがとうございます。パーティーはもう間もなくですので、もうしばらくご辛抱して下さい」

「ありがとう、ワルド子爵。所で後ろに控えているのは子爵のご子息でしょうか? 是非、紹介してもらえないでしょうか?」

「かしこました。さ、殿下にご挨拶をしなさい」

ワルド子爵が後ろに控えていた少年に促した。

「ご尊顔を拝し恐悦至極に存じ奉り上げます。ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドと申します……」

「初めまして、ミスタ・ジャン。僕の1・2歳ほど年上見たいな感じですが何歳でしょうか?」

「はい、今年で12歳になります」

「なるほど。僕は同年代の男の子とは付き合いが少ないから、色々と話し相手になってくれると助かります」

「ははっ、身に余る光栄!」

・・・・・・などと、世間話をしていると、時間が過ぎていった。

ジャン少年は退室して、今は子爵がマクシミリアンの相手をしている。
マクシミリアンはワルド夫人の事について切り出す事にした。

「ワルド子爵、実はお願いしたい事がありまして……」

「ははっ。何なりと申し付け下さい」

「ワルド夫人……奥方に会わせて欲しいのです。夫人がカトレアの治療を行った際のデータを見れば何かヒントになるような事が書かれてあるかもしれない。ワルド子爵。どうかお願いします」

マクシミリアンは頭を下げた。
……王子が一貴族に頭を下げる。
封建社会では決して許されない行為だった。

「お、御止め下さい殿下!」

思わずうろたえるワルド子爵。
もし、この事が誰かに漏れでもしたら、ただでは済まない。
かと言って、聖地狂いの妻をマクシミリアンに会わせる訳にも行かない。

(もし、殿下に何かあったらワルド子爵家は破滅だ……)

ワルド子爵にとって、事あるごとに『聖地へ行かねば』と喚き散らす妻の姿は、他の者には見せたくない恥部と言えるものだった。
だからこそ、外の者と接触しないように屋敷の最深部の部屋に軟禁していたのだが。
どっちに転んでもワルド子爵に角が立つ。
しかたなくワルド子爵自身も同席する事を条件に了承する事にした。








                      ☆        ☆        ☆ 








ワルド子爵に連れられ屋敷の奥へと進む。
途中、パーティーで振舞われる料理を調理しているのか、良い匂いがマクシミリアンの鼻をくすぐった。

「……」

「……」

二人とも無言のまま、屋敷を奥へ奥へと進んだ。
さらに奥へ進むと、滅多に人が来ないのだろう。ひんやりとした空気が廊下に漂っていた。

冷たい空気の中を進むと、重厚な木製の扉が二人の行く手を塞いだ。

「お待たせいたしました」

ワルド子爵がマクシミリアンに一礼して、アンロックの魔法を扉にかけた。

「……?」

「どうかしたのかい?」

「は、すでにアンロックをかけた後のようでして……」

「誰かが、もう入ったって事?」

「……おそらくは」

ワルド子爵は首をひねりながらも扉を開けると。奥から誰かが言い争う声が漏れ聞こえた。

『……! ……!!』

『……!」

誰かが言い争う声に、マクシミリアンとワルド子爵は顔を見合わせる。

「これは……!?」

「ともかく参りましょう!」

駆け出すワルド子爵の後に続いてマクシミリアンも走り出した。
人を呼ぶべきなのだろうが、二人ともそこまで思考が及ばなかった。

「ジャン・ジャック退いて! マクシミリアン殿下がお見えになられているのなら、伝えないと行けないのよ!」

「母上、いい加減にしてくれ!」

言い争う声をたどって行くと、ちょうど階段の上でジャン少年と母上……と、言っていた事から、おそらくワルド夫人がもみ合っていた。

「あれは!?」

「二人とも何をしている! マクシミリアン殿下の御前であるぞ!」

ワルド子爵が一喝すると二人はピタリと止まって、声の有った方向を見た。

「父上! マクシミリアン殿下!」

ジャン少年は何処か『助かった』と、言った表情で二人の名を呼んだ。

「ジャン・ジャック、これはどういう事か」

「はい、母上が部屋から抜け出してしまいまして……」

ジャン少年がワルド子爵に説明をしている隙を突いて、ワルド夫人がマクシミリアンに駆け寄った。

「マクシミリアン殿下、お会いしとうございました!」

「あ、ああ、こちらこそ、初めましてワルド夫人」

駆け寄って、手を握るワルド夫人にマクシミリアンも苦笑いをするしかなかった。

「実は殿下にお知らせしたき事がございます。世界は今まさに崩壊の危機に瀕しています。どうか、どうか、殿下のお力をお借し下さい」

「へっ? え、えぇ~っと、崩壊の危機……ですか?」

ぶっ飛んだ、ワルド夫人の発言に思わず、引いてしまった。
若干、引き気味のマクシミリアンを差し置いて、ワルド夫人はベラベラと持論を展開した。

年々増大する精霊に比例して地下に眠る精霊石が膨張し、最後には全世界がアルビオン大陸の様に空に浮かぶ……と、ワルド夫人は言う。
そして、それを阻止するには伝説の虚無の復活を待ち、その虚無の使い手を連れて聖地へ行かねばならない。

マクシミリアンは余りの荒唐無稽さに口を歪ませた。
それに、マクシミリアンが欲しかったのはカトレアの治療法であって、嘘か真か分からない世界の危機の情報のなど欲しくなかった。
……少なくとも、今現在の優先順位は低かった。
ふと、視線を外し、ワルド父子の方を見ると、心配そうにしながら、いつでも介入できるように構えていた。
マクシミリアンは『大丈夫』と、手で制した。

「世界の危機の事は良く分かりました。心に留めて置きましょう。……話は変わりますが……」

適当に相槌を打って話題を変える。

「ワルド夫人はヴァリエール公爵家のカトレアを治療を請け負った事があると聞いたのですが。その時の資料を是非見せていただきたいのです」

「ヴァリエール公爵のミス・カトレア……ですか。……うん」

話を変えられ、ちょっと不機嫌になったが、それは、ほんの一瞬だけ。

「ワルド夫人、何か情報があるんですか?」

「はい、ミス・カトレアの病気の思う事がありまして。……ともかく、詳しい事は私の部屋で」

そう言って、サッと踵を返すワルド夫人。
マクシミリアンら三人も、ワルド夫人の後に続いた。









                      ☆        ☆        ☆







ワルド夫人の自室では大量の本棚や妙な機材が置いてあって、何処かマクシミリアンの部屋と似ていた。

「少しだけお待ち下さい」

そう言うと、ワルド夫人は本棚の中から、折り畳んだ一枚の白の布生地を取り出した。

「ワルド夫人、それは?」

「これは、ミス・カトレアの治療を行った際に撮った物でして……」

ワルド夫人は畳んだ布生地を広げると、子供ぐらいのシルエットの魚拓ならぬ人拓……が、黄色と赤のまだら模様で描かれていた。サーモグラフィと、思えば分かりやすいと思う。

「ミス・カトレアの体内でどの様な魔力の流れになっているか測った物です」

「……カトレアの治療は中止になったと聞いてましたが」

後ろで控えていたワルド子爵に聞いてみた。

「ミス・カトレアに魔法を使わせるのは、私が止めさせましたが……」

「中止する前に、魔法を使ってない状態のミス・カトレアを撮っておいたのです」

と、ワルド夫人が続く。

「……なるほど、分かりました。それで、カトレアの病気はどの様な物なのでしょうか?」

本題のカトレアの病気について聞いてみる。

「こちらをご覧ください」

ワルド夫人はシルエットの胸の部分を指差すと、ポッカリと穴が開いたように黒くなっていた。

「この穴のような物は?」

「それはですね……」

ワルド夫人が解説を始めた。
この布は特殊なマジックアイテムでカトレアの魔力を測ったもので、布に写っている赤や黄色といった色は『魔力の強さ』という意味で、サーモグラフィと同じように赤色に近づくほど数値は高くなる……と、いう仕組みになっている。
カトレアの場合、かなり強力な魔力を持って生まれた為、普通ではありえない数値を観測し、シルエットの色が赤と黄色のみで写ってしまった。
ワルド夫人が言うには、この数値は百年に一度の大メイジだ。と、やや興奮気味に語った。

「そして、この胸の部分の穴のようなもの……部分的には心臓部ですが」

話はカトレアの病気の原因に移る

「胸の部分だけがどういう訳か魔力が測れなくなっていまして、あのマジックアイテムは普通なら、身体全体の魔力が測れるように設計されています」

「それならば、なぜあのような穴みたいなものが?」

「それは、ミス・カトレアの心臓に原因があるかと……」

「先日、カトレアを調べた際、全身をくまなく調べました。もちろん、心臓もです。その時は健康で問題なし……と、判断したんですが」

「ミス・カトレアの心臓は、強力な魔力を持って生まれた割には魔力に対しては脆弱でして……」

「強力な魔力に心臓がついていけない……そういう訳ですか?」

「それも原因一つですが、それと、これは仮説ですが……」

と、前置きしながらワルド夫人が続ける。

「先ほど言いました、精霊の増大の話。年々増え続ける精霊にミス・カトレアの心臓も何らかの反応を起こしていると、私は考えています」

「何らかの反応? 拒否反応……と、言う事ですか?」

「拒否反応かどうかまでは……中止してしまった為、分かっていません」

「……うーん」

思わず考え込むマクシミリアン。後ろのワルド父子は話について行けなくなっていた。

(脆弱な心臓が持って生まれた強力な魔力に耐えられず。そして、日に日に高まる精霊の力にも耐えられなくなっている。病巣は心臓……と、いうことか?)

マクシミリアンは考えを、まとめながらも、解決策を模索し始めた。

「……う~ん」

「殿下、何か名案を?」

と、ワルド子爵が尋ねた。

「ああ、ワルド子爵。そうだね……う~ん、ちょっと整理中……かな」

「……そうですか」

邪魔にならない様に、後ろへ下がった

「ワルド夫人、質問したい事があるんだけど」

「はい、殿下。なんなりと」

「カトレアの病気の原因は魔法に脆弱な心臓。心臓が悪さをする……と、言う事で良い訳ですよね?」

「そういう……事になります……はい」

「それなら、別の心臓に取り替える……心臓移植なら、あるいは」

ワルド親子三人はギョッと驚いた顔をしてマクシミリアンを見た。

「心臓を……取り替えるのでございますか?」

「なるほど、それならば……」

ワルド子爵は驚きながら。そして、夫人の方は『その発想は無かった』と、何やら思案をめぐらせている。

「その、殿下、代わりの心臓は何処から?」

ジャン少年はある意味核心部分を聞いてくる。

「それは、これから考えます。場合によってはクローン心臓、心臓の複製も視野に入れています」

「そのような事が可能なのですか?」

「僕は可能を考えています」

とは言え、ドナーを一から探していたら時間なんてあっという間に過ぎてしまうだろう。

(時間的にギリギリだが『複製』の魔法の研究をすぐに始めよう」

魔法を持ってすれば……難しいが不可能ではない。
そんな状況にマクシミリアンは少しだけ気が楽になった。

「それと、ワルド夫人。増大する精霊と世界の危機について、ちゃんとした報告書でまとめて提出して下さい。それと、これからは僕のほうに報告をお願いします。そして、件の事は他には絶対に漏らさないように。下手をすればパニックになりますからね」

と、ワルド夫人に釘を刺した。

「分かりました」

ワルド夫人は頭を下げ了承した。
一方、ワルド子爵が恐る恐る聞いてきた。

「殿下はその……妻の話をお信じになられるのでございますか?」

「夫人の話を聞いていましたが、彼女は十分、理性的でしたし。今まで誰にも相談出来ずに切羽詰っていたんでしょう、そのせいで狂ったと勘違いされたんだと思います。それに一応、対策はとっておかないと、後で泣きを見るのは嫌ですから」

「殿下、ありがとうございます。それともう一つ……」

ワルド夫人が話しに入る。

「トリステイン西に、かつて存在した『ブリージュ』の街跡をお調べになられたらいかがでしょうか?」

「ブリージュ……ですか」

マクシミリアンは黙考して、脳内からブリージュの情報を引き出す。
ブリージュはかつて存在したトリステイン第三の都市で何百年か前の地殻変動で崩壊。数多くの犠牲者を出した。
その後、廃都となって、元住人たちは北のアントワッペンの街に移り住んだ。
そして現在、アントワッペンはトリステイン第二の都市にまで成長している。

「ブリージュの地殻変動は精霊石の仕業。と、そう仰るので?」

「私はそう考えています」

「……分かりました。今すぐ……とまでは行きませんが、考慮しておきます」

そう言って、退室しようと振り返る。

「ああ、忘れるところだった。ワルド夫人は僕の家臣団に入れますから、軟禁を解いてあげてくださいね? ワルド子爵」

その言葉と聞いた、ワルド子爵は頭を下げ了承した。










                      ☆        ☆        ☆








ワルド子爵主催のパーティーはマクシミリアン王子の飛び入り参加で、一子爵のパーティーにしては、かなりの盛況ぶりだった。

途中、ワルド夫人も現れ、一瞬、妙な雰囲気になったものの、狂人どころか知性に溢れる立ち振る舞いで『所詮、噂だった』と、参加した貴族たちは口々に言ったため、ワルド父子は胸を撫で下ろす事が出来た。

参加した貴族たちが引っ切り無しに挨拶をして来る為、中々、食事に有り付けなくなっている所に、知らないうちにワインを渡され、何杯か飲んでしまっていた。
10歳の身体と空きっ腹にワインを飲んでしまったため、マクシミリアンはすっかり出来上がってしまった。

「やぁ、ミス・エレオノール。ご機嫌いかが?」

「こんばんは、マクシミリアン殿下、楽しんでおりますわ」

べろんべろん……とは行かないまでも顔を真っ赤にしてエレオノールに挨拶する。

「ミス・エレオノールにお知らせしたい事がありましてね」

「まあ、何でしょうか?」

「カトレアの病気を治す目処が立ちましてね、ふふふ」

「ええっ!? それは、本当でございますか!?」

「本当ですとも、期待していて下さい」

にこやかに語らう二人。
だが、エレオノールの心に何かモヤモヤした物が出来た。
エレオノールが突如、沸いた感情を持て余していると、パーティー会場の音楽が変わる。
何人かの貴族たちが会場の中央に集まってダンスを始めた。

「ミス・エレオノールも一曲いかがですか?」

「えっ!? でも……よろしいのですか?」

エレオノールは一瞬、躊躇った。
妹のカトレアと話していたとき、カトレアが『ダンスを踊る約束をした』と、マクシミリアンとの約束を楽しそうに語ったのだが。

(妹を……カトレアを差し置いて私がダンスの相手をして良いのかしら……)

と、エレオノールは悩んだ。、
今までエレオノールはマクシミリアンの事を『畏れ多いが弟のような存在』と、思っていた。
だが、先日の一件でマクシミリアンの事を『弟のような』存在に見る事が出来なくなってしまった。
三歳も年下なのに、何処か年上に諭されるような感覚にエレオノールは混乱したからだ。

今まで、エレオノールが婚約者の貴族を始め出会った同世代の男の子たちは、ラ・ヴァリエール公爵の威信に顔色を伺う者たちばかりでウンザリしていたし、エレオノール自身も、ラ・ヴァリエール公爵家の長女として母のカリーヌ夫人から、威厳に満ちた立ち振る舞いを要求されストレスが溜まっていた。
いつの間にかエレオノールは、グイグイとリードしてくれる男性を欲する様になったのは、仕方の無い事なのかもしれない。

(殿下がこういったパーティーでダンスを踊られた、と、そういった話は聞いたことないし。カトレアとの予行演習の相手を勤めると、そう思えばいいのよ)

「どうでしょう? ミス・エレオノール」

「カトレアとの予行演習……と、言う形でよろしければ、喜んでお相手させていただきます」

と、自分自身に言い聞かせる様に、ダンスの相手を勤める事を了承した。
ゆったりとした音楽に合わせ、二人も貴族たちに混じって踊る。
エレオノールはダンスを踊りながらも、いつしか心の中のモヤモヤが恋に変わる事に気がつかなかった。

 

 

第十二話 改革の芽

時は過ぎ、マクシミリアンの歳は11歳と半年、婚約破談のタイムリミットまで、後、半年にまでなっていた。

トリスタニアの王宮にて、マクシミリアンの自室ではカトレアを救う為の心臓の『複製』の研究の真っ最中だった。

自室の中は昼間でもカーテンが閉めてあって薄暗い。
そして部屋の中央に巨大な水槽が設置されていて、水槽の中にはマクシミリアンが魔法で精製した培養液と『心臓のようなもの』が、ふよふよと浮んでいた。

カトレアの細胞で心臓を複製しても同じように脆弱な心臓が出来上がる可能性が有った為。
ワルド子爵のパーティーを終えた後、ラ・ヴァリエール公爵家全員をドナーとして適正が有るかを調べたが、残念ながら適正は無し。
時間もそんなに残されてなかった為、一か八か、カトレアの細胞でトライしようと思ったいた所にダメ元で自分の適正を調べてみたらピッタリ一致。
運命……と、いう奴を信じるタイプでは無かったマクシミリアンだったが、今回ばかりはその運命に感謝したい気分だった
最大の難問は突破したと、マクシミリアンはスクウェアスペルに成るため特訓を開始。
そして特訓の末、11歳を前にスクウェアスペルに到達、周囲に貴族たちを喜ばせたが、その周囲の賞賛の声を適当にあしらって、自室に篭もり複製の研究を開始して現在に至る。

ポコポコと音を立てる水槽の中には自分自身の心臓の複製が浮んでいた。
水槽に絶えず新しい培養液を循環させる作業に没頭するマクシミリアン。
少しでも循環が滞るとクローン心臓が劣化してしまう可能性があったからだ。
ちなみに古くなった培養液は捨てるのではなく、新しい培養液に精製し直して使うようにしている。
マクシミリアンの見立てでは、後、一ヶ月もあれば完成する。

「なあ、これも採決してもらえないかな?」

「今、手が離せないんだよ、変わり採決してくれ」

「本当はこういうのダメなんだけどな……」

ぶつぶつと文句を言いながら書類に判を押すマクシミリアン。

なんと、自室には二人のマクシミリアンが居た。

「スキルニルは基本的に疲れないんだろ? だったら問題ない」

「本当にひどい奴だな」

そう、スキルニルを使って分担して作業しているのだ。
培養液を循環させているのが本物、書類の採決をしているのがスキルニルだった。
スキルニルは、その人間を外見、性格、能力すべてを完全に複製するマジックアイテムだ。
流石に魔力無限と目から破壊光線は複製できなかったが、マクシミリアンが就寝中や王家の人間としてどうしても外せない行事など、そういった時、代わりに培養液の循環をさせていた。

それ以外は、ほとんど自室に篭もりっきりで食事も睡眠も自室で行っていた。
母マリアンヌはマクシミリアンが離れて寝るようになった事を嘆いたが、たまに時間を作って機嫌をとるようにしている。
それと、この作業が外部に漏れて異端認定されるのを嫌い、父王エドゥアール1世とラ・ヴァリエール公爵夫妻ぐらいしか、この研究を知らない。
ワルド子爵らにすでに知られているが、今まで噂にすら上がらなかったことから、喋る気はないらしい。

……ともかくマクシミリアンは最後の締めを行っていた。

「……」

「……」

二人とも無言のままそれぞれの作業に没頭していた。
ぽこぽこと水槽内の培養液が循環する音と、ぺらぺらと書類をめくる音が室内を支配していた。

「ん、北部開発の報告書が来てるよ」

「順調に行ってる?」

「まあ、順調だね」

およそ一年前、ラ・ヴァリエール公爵家から帰った後、北部開発の予算が下りたため、家臣団に指示して四輪作法を始めとする新農法と公共事業を実施した。
最初に取り掛かったのは食糧問題。四輪作法の実施一年目の為、目に見える成果はまだ無い。だが、四輪作法による生産力アップと減税によって、トリステイン国民全体に食料が安く行き届くようになり、わずかに人口増加の兆しを見せている。
以前にも解説したが、四輪作法、またの名をノーフォーク農法は、大麦→クローバー→小麦→かぶの順に4年周期で行う農法だ。
マクシミリアンはロマリアから『てんさい』……またの名を砂糖大根を大量に輸入して砂糖大根の栽培を奨励させた。
これはトリステイン王国にて、新たに製糖産業を興す為でもあり、トリステイン北西部のヴァール川河口付近に建設中の新都市に製糖工場を作る計画だった。
さらに、ヴァール川に運河を建設して各河川を水運で繋げる計画もあった。
次に、四輪作法で生産力アップで家畜用の牧草も大量に賄う事が出来るようになった為、羊や牛と言った家畜もその数を急激に増やした。結果、大量の羊毛が安く市場に出回り、トリステイン第二の都市で元々縫製職人が多かったアントワッペンは被服業や織物業といった軽工業のメッカに成りつつある。
これは、マクシミリアンも家臣団も、ノータッチでアントワッペンにやり手の商人が居る事を知った。
そして、本命の公共事業の内容は、道路、河川の整備である。追加の予算が得られれば、海岸部の干拓を行う予定だ。
高額の資金が動く公共事業によって、新たに発生した雇用を求めて北部および北西部に人々が移り住むようになった。
人々が集まれば、それらを当てにした新たな商売も次々と生まれる。

(金の巡りは血の巡り……ってね)

血が勢い良く巡るようになれば、身体が熱くなる。
永らく不景気に喘いでいたトリステイン王国は少しづつだが景気が好転してきた。

「……北部開発はオレがしゃしゃり出なくても家臣団に任せておけば大丈夫だろう」

「まぁ、そうだろうね。さて次、置き薬のテストだけど誤飲が目立ってるって」

「置き薬……か」

置き薬は日本独自の医薬品販売法で、販売員が消費者の家庭や企業を訪問し、医薬品の入った箱を配置し、次回の訪問時に使用した分の代金を精算し、集金する仕組みの事だ。
医師の居ない農村など、通院することが難しい地域や、軽度の風邪などで初期医療に関わる費用を軽減できるメリットに注目して、テストの名目でトリスタニア郊外の村々に配置したが、どうも誤飲が目立っているようだ。

「原因は?」

「……字が読めなくて、うろ覚えで選んでしまった為。だ、そうだ」

「それは……盲点だったな。この手の解説はちゃんとしてあるんだろ?」

「転売禁止も含めて、その辺はしっかりと教育してるようだが。薬なんて毎日使うわけでもないし……まぁ、忘れるよな」

「うーん」

「で? どうするの?」

「……そうだな。絵で解かり易くするのはどうだろう?」

「あ、良いね。『絵で解かり易くするように』って書いとくよ」

「任せた」

「ああ」

この後、置き薬システムはトリステイン全土に行き渡たり、多くのトリステイン国民を救う事になる。

こうやってスキルニルと話しながら、マクシミリアンは思う。

(こうやってタメ口で馬鹿を言い合えるのが、スキルニルで作った自分自身だけ、というのは悲しすぎる)

以前は、グラモン家のジョルジュが付き合ってくれたが、王子にタメ口を言う光景を見た、とある貴族が。

『不敬ではないか』

と、鬼の首を討ったかのように、グラモン家に『お伺い』をしてきた為、元に戻ってしまった。
王子と貴族の子供との身分の違いを考えれば正しいのだが、前世が平凡な一市民だったマクシミリアンにとっては馬鹿を言い合える友人が余所余所しくなったと感じ、少なからずショックを受けた。

「……王族ってのは、孤独なもんだな」

「ん? 何か言った?」

「いや、なんでもない」

「そう」

誤魔化す様に言うと作業に戻った。










                      ☆        ☆        ☆ 











……二人のマクシミリアンが黙々と作業を行っていた頃。

トリステイン王国国王エドゥアール1世は執務室で執務を行っていた。
エドゥアール王は、提出された報告書の一つ一つを吟味しながら採決している。
ちなみに、この報告書は、最近、開発されたばかりの木製紙を使った物だった
そして、報告書に書かれてある内容は、主に財政関連と北部開発関連で、トリステイン王国の財政が緩やかながら回復傾向にあることを示していた。

「流石はマクシミリアン殿下。この件で、トリステイン経済も回復の兆しを見せ始めました」

エドゥアール王とは、別の声が聞こえた。
執務室にはもう一人、聖職者のよく着るような法衣を纏った痩せた男が執務の補佐をしていた。

「マザリ-ニよ、あれだけの人材、どうやって集めたかは知らないし問うつもりも無いが、予算を出したからには結果を出しくれなければ困る」

と、エドゥアール王は、何処か突き放したような言い草だったが、嬉しさを隠し切れないのか口元が緩んでいた。
マザリーニと言われた男は、そんな、エドゥアール王を見てぎこちなく微笑む。
マザリーニはロマリア出身の僧侶で、その見識の高さをエドゥアール王に見込まれ、秘書兼相談役としてその手腕を振るっている。

エドゥアール王とマザリーニは、歳が近い事と外国人でありながらトリステイン王国のために骨身を削ってきた事から、お互い共感を持ち、身分を越えた友情を築いていた。

「ともかく、この四輪作法を我が直轄地でも実行できるように対応してくれ。マザリーニ」

「御意」

マザリーニは深々と頭を下げた。

「しかし……な、ふふ」

エドゥアール王は笑い出す。

「陛下? いかがいたしましたか?」

「いやな、マザリーニ。まさかこういう形で、改革の芽が出てくるとは思わなくてな……ふふ」

エドゥアール王は笑いを噛み殺しながら言った。
彼自身、何度も改革を行おうとしたが、その度にトリステイン貴族たちの妨害で頓挫してきたのだ。
しかし、感情的になってトリステイン貴族と対立して、内乱を起こさせる訳にも行かない
エドゥアール王にとって我慢の日々が続き、その為か、即位した頃より痩せてしまった。

「まさか、息子のおかげとはな」

「マクシミリアン殿下の事はいかがいたしましょう?」

「好きにやらせよう。我々は貴族たちの妨害がマクシミリアンに及ばないようにするのだ」

「御意」

……エドゥアール王は思う。
かつて憧れだった養父フィリップ3世。その亡霊とも言うべき守旧派……と、言われるトリステイン貴族の一派。
『古き良きトリステイン』を、守る為に活動する彼らにとって、マクシミリアンの改革は面白いはずは無い。

(必ず、何らかの動きを見せる)

と、そう思っていた。
エドゥアール王は、そういった貴族たちを監視し押さえつける事でトリステイン王国を治めてきた。
アルビオン王子エドワードからトリステイン王エドゥアール1世に成って十数年経つ。
今まで、多くのトリステイン貴族とやり合って、身も心もボロボロだが。

「報われる時がきた」

と、呟く。

「陛下? いかがなさいました?」

「いやな、我々の努力が報われる日が来ようとは……な」

エドゥアール王の言葉にマザリーニも神妙に頷いた。

「……畏れながら陛下、ここで感懐に耽って気を緩めるのも、いかがなものかと」

「……その通りだ、マザリーニ。よくぞ諫言した」

「ははっ」

エドゥアール王は、緩みかけた緊張感を再び引き締めた。



 

 

第十三話 オレのカトレア

 ……一ヶ月過ぎて、予定通りクローン心臓が完成。
 早速、移植手術をする為、ラ・ヴァリエール公爵領へと向かうと、出迎えたのカリーヌ夫人だった。

「こんにちは、カリーヌ夫人。お待たせしました、ようやくカトレアを治す事ができます」

「事前にお話を聞いて、まさか……とは思っていましたが」

「……ところで、ヴァリエール公爵が居ないみたいですが」

「はい、その事ですが……」

 カリーヌ夫人はラ・ヴァリエール公爵はマクシミリアンらが進める四輪作法を自身の領地で進める為の準備、長女 エレオノールは、来年トリステイン魔法学院に入学する為の準備でそれぞれ不在である事をマクシミリアンに告げた。

「二人とも夕方までには帰ってくると思いますので」

「分かりました、我々も準備がありまして、手術は明日の行う予定でした」

「我々……? で、ございますか?」

 カリーヌ夫人が不思議そうに言う。
 今回、マクシミリアンは、お供に護衛の魔法衛士ぐらいしか連れてきてなかった。
 この時、カリーヌ夫人は屈強な魔法衛士たちがマクシミリアンの助手を務めると思っていた。
 かつて、カリーヌ夫人は女である事を隠し、魔法衛士として活躍した事があって、『烈風カリン』の異名で恐れられた。
 その事もあってカリーヌ夫人は魔法衛士という物をよく知っている。

(殿下の助手が務まるほど、専門的な知識を持った者が居るのだろうか?)

 先代フィリップ3世の気風を受け継ぐ魔法衛士隊は、良く言えば勇猛果敢、悪く言えば脳筋……そんな、彼らにマクシミリアンの助手が務まるか心配だった。
 自分の事を棚に上げているが、カリーヌ夫人も十分脳筋なのは……言わぬが花だろう

「これです、スキルニルですよ。スキルニルを使って助手をさせます」

「なるほど、スキルニルですか」

 能力や知識など、あらゆる物を複製するスキルニルを取り出す。
 これには、カリーヌ夫人も納得した。








                      ☆        ☆        ☆








 その後、マクシミリアンらは簡易手術室用にと空き部屋を借りる事にした。
 ラ・ヴァリエール公爵家のメイドたちに天井を含めた室内を掃除してもらい、室内全面に新品のシーツを張って簡易手術室とした。

 夕方になると、ラ・ヴァリエール公爵たちも帰ってきた。
 夜、夕食を御馳走になっている時、挨拶がてらに明日の予定と手術の内容を解説した。

「言うまでも無い事ですが、この件がロマリア辺りに漏れるといろいろと面倒な事になりそうなので、他言無用でお願いします」

「分かりました。この件は決して誰にも……」

 そう言って、ラ・ヴァリエール公爵は頷いた。

「本当は楽しく食事……と、言いたい所ですが、僕は明日に具えて早めに休ませてもらいます」

「分かりました。お休みなさいませ、殿下」

 ラ・ヴァリエール公爵に続いて家人たちも次々と頭を下げた。

 退室後、マクシミリアンはカトレアに人目会うべくカトレアの部屋へ向かった。

「カトレア、居るかい? 入るよ」

 ノック後、入室するとカトレアは食事中だった。

「ああ、ごめん、食事中だったか」

「マクシミリアンさま。申し訳ございません、はしたない所を……」

「気にしなくて良いよ、ちょっと顔を見に来ただけだから」

 カトレアはメイドにお願いして食事を下げさせようとしたが、マクシミリアンは『時間をかけないから』と、制した。

「カトレア、いよいよ明日は手術の日だけど気分はどう? 何か気になる事はないかな?」

「なにも。それに、どの様な結果になっても私は後悔しません」

 11歳になって、少しだけ丸みを帯びた身体に成長したカトレア。
 そして、精神的にも成長したのか、凛とした受け答えをした。

「そうか、分かった。カトレア、明日の手術、僕は必ず成功させるよ」

「マクシミリアンさま……」

 マクシミリアンはくるりと踵を返し部屋を出た。
 そして、宛がわれた寝室へ向かう途中、カトレアの事についてに思いを馳せた。
 そう、カトレアはマクシミリアンが思っていた以上に、芯が強かったのだ。

(泣いているんじゃなかろうか、怯えているんじゃかなろうか……そうやって彼女の事を過小評価していたんだな、オレは)

 だが、彼女は強かった。
 泣くどころか、怯えるどころか、『後悔しない』……そう言ってカトレアはマクシミリアンに全てを委ねてくれた。

(必ず成功させるさ。もうね、カトレアじゃ無いとダメだ)

 改めて、カトレアの事が好きなんだと再確認した。










                      ☆        ☆        ☆ 





 そして、運命の朝を迎えた。
 マクシミリアンは起きるとすぐに顔を洗い、スキルニルを二つ使って手術の準備を命じ、本体はカトレアの状態を見る為に部屋を出た。

「おはようございます、マクシミリアン殿下」

 部屋を出てしばらく廊下を歩いていると、エレオノールが挨拶をしてきた。

「ああ、おはようございます、ミス・エレオノール」

「よくお眠りになられたでしょうか?」

「ええ、おかげさまで、よく眠れましたよ。ところで、ミス・エレオノールはどちらへ?」

「お父様から殿下の様子を見てくるようにと……」

「なるほど。僕はこれからカトレアの様子を見に行くところです。途中まで一緒にどうでしょう?」

「はい……お供いたします」

 そう言って、エレオノールはマクシミリアンの斜め後ろに移動した。

「ミス・エレオノール。後ろでなく隣なら、お互い喋りやすいのでは?」

「いえ、それは、その……不敬かと思いまして」

「む、そう……ですか、それなら仕方ないですね、分かりました」

 先日のジョルジュとの一件を思い出し、ナイーブになっていた所をほじくり返された感じになり、少しだけ落ち込んだ。

 その後、エレオノールを従えたような形で廊下を進むマクシミリアン。

「そういえば、ミス・エレオノール。眼鏡にしたんですね、良く似合ってますよ。デキる女……って感じです」

「あ、ありがとうございます」

 エレオノールは眼鏡に手を当て照れながらも、嬉しそうに微笑んだ。
 その後もいろいろと、お喋りしながらカトレアの部屋を目指した。

 カトレアの部屋に到着した二人はノック後、入室した。

「おはよう、カトレア。いよいよ今日だね、緊張してるかい?」

「おはようございます、マクシミリアンさま。そうですね……特には」

「なるほど、分かったよ。それじゃ、これから手術前の検査を行うからベッドに寝てくれないかな」

「分かりました」

 そう言ってカトレアは天蓋付きのベッドの横になった。
 マクシミリアンはベッドの横で検査の準備を始めた。
 ちなみにカトレアの飼っている動物たちは雑菌が付くといけないという事で、別のところに移してある。

「あの、マクシミリアン殿下。私にも何か手伝える事は有りませんか?

 と、エレオノールが聞いてきた。

「そうですね。それじゃ、カトレアの胸をはだけるのを手伝ってあげてもらえませんでしょうか?」

 一瞬、空気が凍った、が。

「わ、分かりました」

 口元をヒクヒクさせながらもエレオノールは従った。
 一方、カトレアは顔を真っ赤にしていた。

 ……その後、検査の大半を終え、次の検査の準備をしていると、魔法衛士が二人入ってきた。どうやら手術の準備が出来たようだった。

「それじゃ、行こうか、カトレア」

「……! はい!」

 マクシミリアンは、エレオノールに会釈すると、カトレアをストレッチャーに移し、魔法衛士たちに引かせて部屋を出て行った。










                      ☆        ☆        ☆







 手術は午前中に始まり、日もとっぷりと落ちた頃に終わった。

 ……マクシミリアンは心臓移植をやり遂げたのだった。

 マクシミリアンは宛がわれた部屋にて、極度の集中を強いた為に疲労した身体を休めていた。

(もう何もする気になれない)

 窓の外には二つの月が煌々と輝いている。
 マクシミリアンは椅子にだらしなく座り、だらだらと時間をつぶした。

(そろそろ寝ようか)

 と、ベッドに入ろうかと席を立つと、ノックの後に魔法衛士は入ってきてカトレアが目覚めたと言って来た。

 マクシミリアンは起きたカトレアの様子を見る為、重い身体を動かし部屋を出た。

 カトレアの部屋に向かう途中で多くのメイドといった家人たちに深々と頭と下げられた。
 ああいう性格のおかげなのか、メイドたちに慕われているようだった。
 マクシミリアンは返事を返す少なかった為、適当に手を振って答えた。

 さて、カトレアの部屋に到着すると部屋のドアの辺りに10人近い家人が中の様子を見守っていた。
 部屋の中から、ラ・ヴァリエール公爵たちの声が漏れ聞こえた。
 どうやら、目覚めたカトレアと手術成功を喜び合っているようだった。

(家族団らんを邪魔するのは気が引けるな)

 と、クールに去るべく踵を返そうとしたら、カリーヌ夫人が部屋から出てきた、マクシミリアンが来たのが気配で分かったらしい

「殿下、お疲れ様です。カトレアが目を覚ましましたので、どうか会ってあげて下さい」

 うっすらを目に涙を浮かべながらカリーヌ夫人はマクシミリアンを部屋に向かい入れた。

 部屋の中には、カトレアの他にラ・ヴァリエール公爵とエレオノールそしてルイズが居た。
 今年で3歳になるルイズは、マクシミリアンの事を覚えていたらしく、姿を見るとヒラヒラを手を振ってきた。
 そして、マクシミリアンも手を振り返す。

……うおっほん! と、ラ・ヴァリエール公爵が咳払いする。

「殿下、この度は真にありがとうございました。我々は、すでにカトレアと話し合いましたから、後は殿下にお任せいたします。さ、みんな出よう」

 そう言うと、マクシミリアンを残し部屋から出て行った
 カトレアの方を見るとベッドの上でモジモジとしていた。
 ちなみに手術痕はヒーリングで消えている為、激しい運動をしなければある程度、動いても大丈夫だ。

「……え~っと、カトレア、気分はどうだい?」

 すると、カトレアはおもむろに胸に手を当て。

「マクシミリアンさまの心臓が動いてくれているお陰で、すごく気分が良いんです」

 と、言った。

 意図的かそれとも無意識か男心をくすぐるカトレアの言葉に思わず鳥肌が立った。

(キスしたい。唇を貪りたい)

 湧き出るような欲望に身を引き裂かれそうになったが、何とか踏み止まった。

「はははっ、そういう言い方されると。嬉しくなっちゃうよ。そこの椅子、座ってもいいかな?」

「あ、はい、どうぞ」

 マクシミリアンはベッドの横の椅子に腰掛けた。
 椅子に座って、気付かれないように息を整える、が、ドクドクとマクシミリアンの心拍数は上がる一方だ。

「激しい運動はすぐには無理だけど、一週間ほど様子を見て少しづつ身体を慣らしていこう」

「分かりました。けど、一週間が待ちどうしいです。色々な所へ行って見たいわ」

「焦る事は無いよ、カトレアにはこれから新しい生活が始まるんだ」

「うふふ、そうですね……」

「……」

「……」

 ふと、会話が止まった。

「なぁ、カトレア。隣、いいかな?」

「はい、どうぞ」

 マクシミリアンはベッドに腰掛け、カトレアと肩が触れ合うほど接近した。
 自然と、頬と頬とが触れ合う。カトレアの心臓の音がドクドクと聞こえる。

「マクシミリアンさまの心臓……ドクドクいってます」

「カトレアのも……ね。この分なら術後の検査も早く済みそうだ」

「もう! そういう事が聞きたいんじゃないんです!」

 カトレアが拗ねてしまった。

「ははは……ごめんよ、カトレア」

「マクシミリアンさま。ちゃんと言ってくれないと不安になってしまいます」

「……うん、大好きだカトレア。キス……するよ?」

 と、耳元で呟いた

「わたしも……キスしたいです」

「カトレア」

「愛してますマクシミリアンさま」

 ……触れ合う唇。

 すると、廊下から歓声が上がった。
 聞き耳を立てている事はマクシミリアンも気付いていた。
 良い様にお膳立てされたのは気に食わないが、ようやく手に入れた愛しい人を、離すまいと強めに抱き寄せ、深く深くキスをした。
 

 

第十四話 新宮殿の主

 カトレアの病を治った事で、マクシミリアンとカトレアの婚約は正式に発表された。
 多くの貴族たちはこの発表に対し祝福の言葉を送ったが、一部の貴族の中に内心、舌打ちを打った者が居たのも事実だ。
 カトレアは次期王妃として、宮廷での礼儀作法の勉強の為、中々会う事が出来なくなった。
 二人は、『お互い立派になって、また再会しよう』と、誓い合ってそれぞれの生活に戻った。

 マクシミリアン12歳。優秀であれば多少性格に問題があろうが、(すね)に傷があろうがお構い無しに登用を繰り返した結果、マクシミリアンの家臣団は50人以上もの規模に膨れ上がった。
 その結果、家臣用の住居に事欠く様になり、このままではいけないと、父王に許可を取って、トリスタニア市内にある、とある廃れた宮殿を家臣団の新しい住居とし、マクシミリアン自身も王宮からこの宮殿に移り住み、政務を行う様になった。
 この廃れた宮殿はかつて栄華を誇ったエスターシュ大公の宮殿で市民たちからは『新宮殿』と、呼ばれていたが大公が失脚した後は十数年間、空き家のままだった。
 十数年もほったらかしにされた為、宮殿内の至る所でガラス戸などが数枚を残してほとんど盗難にあっていた。ちなみに調度品の類は大公失脚後、すべて王家に没収された。

(立地条件も良いし、どうして、こんな廃墟になるまで放って置かれたんだろうか?)

 と、この疑問をミランに言ってみると、エスターシュは母マリアンヌから激しく嫌われていて、他の貴族たちはマリアンヌの不興を買いたくなかった為に、この宮殿に手を付けなかったようだ。

 優秀であれば多少の問題も構わない……そんなマクシミリアンがエスターシュを放っておくはずが無い。
 飛び切り優秀だったが、野心家かつ陰謀家、しかもみんなの嫌われ者のエスターシュを登用すべく、それとなく活動を開始したが、、先代フィリップ3世の王命で一生謹慎処分のエスターシュを登用すれば、妙な問題を抱え込んで逆にピンチになりかねない。
 メリットよりもデメリットの方が、はるかに高かったし、家臣団からも中止の換言があったため、仕方なくエスターシュ再登用は当分先送りという事になった。

 マクシミリアンは、この件で家臣団の一部から人材コレクターと、揶揄される様になった。











                      ☆        ☆        ☆







 新宮殿に移り住んで数ヶ月。
 廃墟同然だった新宮殿は、補修工事を施し今ではすっかり、かつての輝きを取り戻した。
 新宮殿は四階建ての王宮と見間違えるような大きな屋敷で、最上階をマクシミリアンの部屋として使用し、下の階のそれぞれの部屋を会議室や執務室、貴人用の客室など様々な用途に割り振った。 
 広大な土地を誇る新宮殿は、別邸と呼ばれる屋敷が無数に有り、それらの屋敷を家臣団の住居用に開放した。
 それでも、土地が余っていたため、マクシミリアンは余った土地の半分を王宮に返還し、新宮殿内にある庭園の幾つかをトリスタニア市民に無料で開放して、市民の憩いの場を提供した。

 次に、新宮殿地下の事について。
 新宮殿の暗部ともいえる地下牢や秘密の通路はマクシミリアンの命で徹底的に掃除され、十数年間、しぶとく生き続けたモンスターたちは駆逐された。
 こうしてマクシミリアンたちによって、地下施設は再利用される事になった。
 地下通路はクーペの密偵団の行き来し、トリスタニア全体をカバーする諜報網を敷くことができるようになった。
 
 新宮殿、2階の大会議室にて……

 現在、大会議室ではマクシミリアンを含めた家臣団が、北部開発の現段階での報告と、これからの方針を話し合っていた。

「北部開発、開始から現在までの達成率は約40%です」

 進行役のミランがこれまでの進行状況を報告した。

「道路、農場の整備は完了。残るは、沿岸部、河川部の整備……か。むしろここからが本番だな」

 マクシミリアンが資料を見ながら呟いた。

「具体的には堤防とダム建設が主流になるでしょう」

 文官の一人がマクシミリアンの問いに答えた。

「それでは、沿岸部、低地地帯の干拓計画はどうなっている?」

「干拓堤防と水門の建設を予定しています。北西部沿岸のみの計画ですと完成までおよそ5年を予定しております。が、トリステイン王国の全ての沿岸部を干拓いたしますと、完成まで10年以上は掛かると思われます」

「ひょっとしたら建国以来の大プロジェクトになるかも知れないな……ともかく、予算のほうは心配ないから、しっかりやってくれ」

「ははっ」

「分かりましたっ」

 文官らがマクシミリアンの激励に答えた。

「続きまして、次の案件は……」

 その後も、会議は滞りなく進み、ヴァール川河口に建設中の新都市計画に議題が移った。

「殿下、現在建設中の新都市についてですが……」

 都市建設担当の文官が計画書を読み上げる。

 新都市は主に重工業を中心に発展させる予定である事。
 製鉄所など建設し冶金技術の向上に力を入れる事。
 大規模な造船所を建設し、空海軍増強の体勢を整える事。
 基本的にフネはガリア両用艦隊のように水上でも航行出来るように設計する事。

 ……などと、他にもいろいろあったが、掻い摘んで言うと、将来的に、この新都市から工業化をトリステイン中に伝播させる予定だ。

 説明が終わると、一人の文官が発言を求め、ミランはこれを承諾した。

「マクシミリアン殿下に、ご質問がございます。先ほど新都市計画にございました、製鉄所建設の件でございますが、殿下は、平民らに鉄を作らせる事が目的なのでございましょうか?」

「その通り、平民でも鉄や鋼が作る事が出来ようにするのが僕の目的だ」

「お言葉ですが、平民に任せずとも錬金の魔法で鉄や鋼はいくらでも作り出せるのではないでしょうか?」

 と、文官が言う。
 
「言われてみれば、その通りかも」

「平民に任せずとも我々だけで十分では?」

 ざわざわと、比較的静かだった大会議室はにわかに熱を帯び始めた。

「みんな聞いて欲しい。魔法を確かに便利だ、けど魔法によって出来る鉄や鋼は個々人の能力によって品質はバラバラだ、それでは工業化は成り立たない」

 魔法は便利だが、工業化を成すには大量生産と品質の安定が絶対条件である為、魔法のみでの工業化は難しいと、マクシミリアンは考えていた。

「僕たちメイジだけでは、トリステイン王国を大きくする事は難しい、だからこそ平民たちの力を借りる。平民の方がはるかに数か多いから生産体制が整えば、メイジ以上の働きをしてくれるだろう。そして、家臣団みんなにも意識改革をして欲しい、平民は搾取する為だけの存在で無く、我々のトリステイン王国を供に大きくする為の大切なパートナーだ」

 マクシミリアンは続ける。

「6000年経った、今までのやり方では、ガリア、またはゲルマニアの国力の前にトリステインはすり潰されるだろう。みんな、もう一度良く考えて欲しい、僕たちのトリステインを外敵から守る為に、そして未来への発展の為に、そろそろ変わるべきだ……違うかい?」

 大会議室は水を打ったように静まり返った。

 ……この日、マクシミリアンの言葉は家臣団それぞれの心に深く残った。

 マクシミリアンは家臣団の面々に現在のトリステインの取り巻く状況に、常に危機意識を持つように言ってきた。

『トリステインは小国だ。だからこそ、外敵から祖国を守る為には何でも利用する……』

 マクシミリアンと家臣団との間に、この共通意識が芽生えた。







                      ☆        ☆        ☆






 今年で5歳になる妹のアンリエッタは、1週間に1回の割合で新宮殿に遊びに来る様になった。
 外はすっかり暗くなり、現在、マクシミリアンは泊まりに来たアンリエッタと一緒に風呂に入っていた。

「あ゛~……いい湯だ~」

「あ~……いいゆだー?」

 マクシミリアンは、アンリエッタと二人、湯船にどっぷりと浸かっていた。
 風呂好きで知られるマクシミリアンは、新宮殿の内装には口を出さなかったが、大浴場には口を出した。
 

「あ~、所でアンリエッタ~」

「なーにー? おにーさま?」

「アンリエッタも、もう5歳だし魔法を習おうとか、そういう話は無いのか~?」

「ん~、分かんない~」

「そ~か~」

 と、同じ色の髪をクシャクシャと撫でる。
 和気あいあいと、湯に浸かりながらアンリエッタとたわいも無い話をした。

 その後、アンリエッタは風呂に飽きたのか、早々に上がってしまい、マクシミリアン一人が大浴場に残されてしまった。

「……もう少し、年をとれば色気づいたりするのかな?」

 と、独り言を言いながら、マクシミリアンは風呂に浸かる。

(ともあれ、工業化の件は家臣団に任せるとして、肝心の大隆起の事だが……)

 工業化やその他のインフラ整備などは家臣団に任せるとして、マクシミリアンは大隆起について手を打っておこうと思っていた。
 2年前、ワルド子爵家で告げられた、ハルケギニアの大隆起に関しては、ほんの一部の人しか知らない。
 父王にも伝えるべきかマクシミリアンは未だに悩んでいた。

(下手に、大隆起の事を伝えて、狂ったと誤解されれば、最悪、地下の座敷牢なんかに入れられるかも……)

 そうなってしまえば、これまでの努力が水の泡になるかもしれない。
 マクシミリアンは大隆起に関しては、ワルド夫人を連絡を取りつつ、独力で動く事にした。

(大隆起の研究はワルド夫人の任せるとして、オレはオレで試してみたい事がある)

 マクシミリアンが試してみたい事。
 それは、大隆起が止められなかった事に対しての、最悪の状況が起こった場合の対策だった。
 マクシミリアンは脳内でシミュレートする。

(ハルケギニア全体がアルビオン大陸のように空に浮かんでしまうとなれば、それぞれの国が生存する為に土地を求めて戦争になってしまう事は、簡単に想像がつく)

 そして、小国であるトリステイン王国は、ガリア、ゲルマニアといった大国にとっては手ごろな土地……と、見られて侵攻を受ける可能性が高い。
 
(誰も死にたくないからな、ガリア・ゲルマニアの軍隊だけじゃない、それぞれの国民すらも武器を手にとって、戦争に参加するかもしれない。そうなれば国力の差、総人口の差は絶望的だ)

 トリステイン国民は皆殺しになるかもしれない。

『逆にトリステイン側から侵攻する』

 と、いう案も考えたが、現実的ではないから却下した。

『ゲルマニアに侵攻したら、ガリアから侵攻を受けた』

 と、なったら目も当てられないからだ。

(工業化して、平民も戦力化すれば独立は守られるかもしれない)

 だが、それも難しいと、マクシミリアンは考えを改めた。
 先ほども言ったが、ガリア、ゲルマニアのそれぞれの国民が生きる為に武器を持って襲い掛かってくれば、圧倒的な数、人海戦術に、数で劣るトリステインは、やがて疲れ果て押し込まれるだろう。

『アルビオン王国と同盟を組んで三竦みの状況に持っていく』

 と、いう案もあった、アルビオンにとっても自国が侵攻を受ける可能性が高い、お互いの利害が一致して二大大国に対する、防衛処置と考えれば。

(一番、現実的か……)

 と、悪くない感触だった。
 だが、距離的に考えてトリステインはアルビオンの防波堤と化してしまい、戦争になればトリステインが主戦場となり国土が荒廃する、そういう可能性を考えれば、この案はトリステイン側にとって面白くなかった。
 そして、2人の王のどちらが主導権を握るかを巡って主導権争いが起きないとも限らない。
 絶望的な状況で人間の理性に期待する……なんて、博打は打ちたくなかった。
 
 結局、マクシミリアンは大隆起が起きてしまったら、トリステインにとっては『滅亡』の二文字しか考え付かなかった。









                      ☆        ☆        ☆









 深夜、4階マクシミリアンの部屋。

 マクシミリアンはバルコニーに出て、ワインの飲みながら、二つの月を眺めていた。
 部屋の中では天蓋付きの巨大なベッドの上ではアンリエッタが寝息を立てていた。

 実の所、マクシミリアンは大隆起の際に、トリステインがとるべき方策について一つの案が有った。
 それは、マクシミリアンの前世が地球人だった事から、思い浮かんだ案だった。

(地球のヨーロッパに良く似たハルケギニア、ならばトリステインから西へ突き進めば、北米大陸に相当する陸地が有るかも知れない)

 と、いう簡単な思い付きだった。
 そして、大隆起の前にトリステイン国民全員を新大陸に移住させる。そういう案を考えたが、考えれば考えるほど穴だらけの案だった。
 最初に、そういう陸地が有るかどうかも不明だったし、道中、巨大海獣が襲ってくるかもしれない、陸地が有ったとしても先住民との交渉が上手く行くかどうかも分からない、土地を手に入れても全国民を移住させる大量のフネも必要だ、そして何より他の国が黙って移住先へ行かせるかどうか。
 逃げ場があるのなら……と、われ先にトリステインに侵攻し、何もかもが滅茶苦茶なってしまうかもしれない。
 
(……だからと言って、始める前から諦めるのは、愚か者のする事だ)

 このまま、ハルケギニアに留まっていては滅亡を待つだけ、ワルド夫人に期待したいが、逃げ場所を確保していないと博打が打てない、慎重……と、言うより小心者のマクシミリアンは新大陸捜索に乗り気だった。

 これから、気が滅入るような。綱渡り的な行動を余儀なくされるかもしれない。
 だが、そんな事はどうでも良かった。
 そして、マクシミリアンは今更ながら思い知った。

(オレはトリステインが好きなんだ)

 王家の義務とかそういう奴ではなく、国が、国民が好きなのだと気付いた。


 

 

第十五話 陰謀の都市


 トリステイン西部の大都市アントワッペン。
 このトリステイン第二の都市は、マクシミリアンの改革の波に乗って更なる発展を遂げていた。

 そしてアントワッペン市は、代々トリステイン商人の根拠地でもある。
 アントワッペン市の大通りでは、大小様々な商館が立ち並んでいた。
 多く人々が行き交い出入りの激しい商館群とは、別に人の出入りがまったく無い商館があり、その商館の扉には『差し押さえ』と、張り紙がしてあった。

 この差し押さえの商館の主、アルデベルテ商会は改革で大打撃を受け来週には解散が決まっていた。
 かつては領主以上の権力を持ち、長年トリステイン商人の総元締めと言われていたが、今では滅びの時を待つだけであった。

 マクシミリアンの改革は全ての者たちに富を与えたわけではなかった。

 これまでアルデベルテ商会は主にアルビオンから羊毛の輸入を独占していた。
 多くのトリステイン商人は、羊毛をアルデベルテ商会から買って契約した縫製職人に買った羊毛を毛織物に加工させ、出来た毛織物ををハルケギニア中に売り歩いて生計を立てていた。
 そのため、アルデベルテ商会の機嫌を損ねる事で、羊毛の供給が断たれる事を恐れた商人たちはアルデベルテ商会に頭が上がらなかった。
 トリステイン産の羊毛は数も少なく品質も悪かった、そのせいか値段も微妙に高く、好んでトリステイン産の羊毛を買うような奇特な商人は居なかった。
 だが、マクシミリアンの改革で状況は一変する、生産力アップで家畜が大幅に増加しトリステイン産の羊毛は大量に市場に出回るようになった。しかも餌の向上で品質も良くなった。
 多くの商人はトリステイン産にシフトするようになった事で、大量の在庫を抱えたアルデベルテ商会は存続の危機に陥った。
 これに危機感を募らせたアルデベルテ商会は、縫製職人に金をばら撒き、賃金アップと『今まで通りアルビオン産でないと仕事しない』と、商人らに要求するように煽った。

「いくらなんでも馬鹿にしすぎだ」

 と、一部の職人らは呆れたが、それでも半数以上の職人がアルデベルテ商会の企みに乗った。
 その後、アントワッペンの縫製職人が次々と仕事をボイコットした事で都市全体が騒然とする中、とある縫製職人の工房でが『ミシン』と呼ばれる機械が導入されると、途方にくれていた商人たちが飛びついた。

『マダム・ド・ブラン』

 と、名乗った縫製職人は、ミシンの導入で急成長を遂げ、今では『マダム・ド・ブラン』の衣類はブランド化し、世の女性の憧れとなった。

 アルデベルテ商会は性懲りもなく、ヤクザ者に金を握らせ、マダム・ド・ブランと、その関係者たち、そしてミシンの破壊を命じた。
 しかし、マダム・ド・ブランはこの襲撃を撃退し、この襲撃をネタに逆にアルデベルテ商会を告発した。
 ここにアルデベルテ商会と縫製職人らの陰謀は潰える事になったが、話はここで終わらない、職と信頼を失った職人らがアルデベルテ商会に対して逆恨みの感情を持ち、会長のアルデベルテは元職人らの襲撃を恐れて一日中、商館内に篭もっていた。
 その後、告発されことで商人としての信頼を失い、商売も上手く行かなくなり、とうとう資金ぶりに行き詰ったアルデベルテ商会は解散の運びとなった。

 そんな中、一つの情報がアルデベルテの耳に入った。

「それは本当ですか? 本当にマクシミリアン殿下がアントワッペンにお越しになると?」

 その言葉を発した痩せ型の男、アルデベルテは驚きの声を上げた。
 かつてはトリステイン商人の総元締めといわれた男、その真鍮製の眼鏡の奥は焦燥で窪み血走っていた。

「はい、数日中にお越しになるそうです」

 アルデベルテ商会の番頭の男は、まるで騎士の様に片膝をついて答えた。

 かつては100人以上の奉公人でごった返していたアルデベルテ商会の中は閑散としている。
 ほぼ全ての奉公人は故郷に帰した為、アルデベルテと番頭他、数人しかいない。

「……これは……チャンスです」

 そう言うや、アルデベルテは番頭に近づいた。

「番頭さん、大至急……」

 アルデベルテに耳打ちされた番頭は頷くと外へと出て行った。








                      ☆        ☆        ☆







 この日、マクシミリアンはアントワッペン市へ向かう為に馬車に乗っていた。
 旅の目的は、改革によってアントワッペンを更に発展させた人物に会う事と、領主であるド・フランドール伯にアントワッペンから南に十数リーグの場所にある、廃都ブリージュの捜索許可を得る為である。
 許可なんて家臣に任せればいい……と、思うかもしれない、ブリージュでかつて起こった地殻変動はハルケギニアを崩壊させると言われている大隆起の手がかりになる可能性がある。
 大隆起の事は最高機密に類する為、マクシミリアンが直接動く事にした。 

 マクシミリアンは馬車から田園風景を眺めていた。
 農作業をする平民たちの顔は良く、少なくとも食うに困っていないことが良く分かった。
 健康状態も良さそうな為、初回無料で置き薬をトリステインの全世帯に配布した為、重病以外の病は抑制されている事に手ごたえを感じていた。

「平和だなぁ……」

 ポツリとつぶやき、マクシミリアンは座席に寝転んだ。
 かなり行儀が悪いがアントワッペンまで暇だったからだ。

(カトレアは、今ごろ何をしているだろうか?)

 婚約した男女が頻繁に会うのは良くない……と、いう良く分からない『しきたり』の為、二人は結婚式まで会う事ができなくなってしまった。
 元々、これまでの遅れを取り戻す為に、厳しい勉強の真っ最中で、中々会う機会が無かった事も重なり、二人が会う機会は更に減った。
 その為、カトレアとは手紙のやり取りしかしていない。

(同年代の女の子より、スタイル良かったからなぁ……今頃、どういう風に育ってるんだろう)

 ……12歳という年代は成長が著しい。
 マクシミリアンはビキニ姿のカトレアがキャッキャウフフと浜辺を走る姿を妄想する。
 胸がバインバインと跳ねるスタイル抜群のカトレアがこれ以上無い笑顔を向けた。

「う~ん、カトレアぁ~、むちゅちゅ~♪」

 妄想上のカトレアと、イチャイチャしながら座席の上を転がろうとして、勢い余って落ちてしまった。

 この光景をセバスチャンは馬車の御者台から見ていたが、黙っている事にした。
 見て見ぬ振りをするのも忠義だろう。










                      ☆        ☆        ☆









 その後、アントワッペン市に到着したマクシミリアンは、領主のド・フランドール伯の屋敷で催される歓迎パーティーに招待された。
 領主のド・フランドール伯はトリステイン建国以来の名家で、西部では屈指の実力を誇っていた。

 ド・フランドール伯ボードゥアンは、見た目二十台半ばの好青年で、数年前に先代の父親が亡くなり、その跡を継いでいた。

「ド・フランドール伯、この様なパーティーを開いて頂きまして、ありがとうございます」

 マクシミリアンは、にこやかに挨拶する。

「トリステイン経済を回復させた次代の名君と誉れ高いマクシミリアン殿下に、お越しいただくとは、今日という日を決して忘れる事は無いでしょう」

「いえいえ、伯爵もアントワッペンをここまで発展させた手腕を、僕も参考にしたいと思ってた所です」

 などなど、二人の会話は弾んだ。

「それと……失礼かを思われますが、なぜ、殿下は我が領内へお越しになろうと?

「……そうですね、伯爵の領内に立ち寄ったのは、訳がありまして……」

 と、マクシミリアンは旅の目的の一つのブリージュに立ち入る許可を得ようと、ド・フランドール伯に訳を話した。
 もちろん、大隆起の事は、ちゃんと誤魔化した。

「ブリージュ一帯の捜索の件は分かりました。それでしたら、我々も同行いたしましょうか?」

「いや、それには及ばないよ、行くときはちゃんとした準備をするからね。ともかく伯爵、心配してくれてありがとう」

「御意」

 そうして、ド・フランドール伯は頭を下げたが、まだ何か聞きたそうにしている。

「あの……殿下、目的はブリージュの件だけなのでしょうか?」

「うん? どういう事?」

「それは……その。ブリージュの捜索許可のみで殿下自らお越しになられるのは……その失礼ですが、おかしいと思いまして」

「その事か。いやね、トリステイン第二の都市を、一度見学したいと、常々思っていてね。良い機会だったからブリージュの件と合わせたのさ」

「左様でございましたか。大変失礼しました」

 ド・フランドール伯は納得したような素振りを見せた。が、何処か納得がいかない表情を一瞬見せた事に、マクシミリアンは気付かなかった。

 ……その後、マクシミリアンはド・フランドール伯と別れ、歓迎会に出席した貴族たちに愛想を振りまきながら時間をつぶす。
 愛想を振りまきながらも、マクシミリアンは貴族たちを観察する。

(改革によって、一番、恩恵を受けたのは平民だけど、平民たちが豊かになれば領地は豊かになり、領地は豊かになれば貴族たちも豊かになる。家臣団のみんなは分かってくれたみたいだけど……)

 参加した貴族らの表情を見れば見るほど、マクシミリアンの気分は暗くなる。
 貴族たち半数以上に、愛想を振りまきながら、意識改革とノブレス・オブリージュの徹底を説いて回ったが、のれんに腕押しで、彼らはいかに平民から搾取するか、そればかり考えていてマクシミリアンの話に耳を貸そうとしなかった。
 突如、振って沸いた好景気に便乗して己の欲望を満たそうとする姿は、さながら肉に群がる野獣を連想させた。

(貴族が聞いて呆れる……どこが貴いと言うのか。まったく……嫌だ嫌だ、早い事アントワッペン発展の鍵をつけたら帰ろう)

 その後も言い寄ってくる貴族たちの相手をしながら、時間をつぶし、パーティーはつつがなく終了した。










                      ☆        ☆        ☆







 パーティーの後、ひとっ風呂浴びたマクシミリアンは二人の魔法衛士を伴って廊下を歩いていた。
 酒に酔い風呂に入ってサッパリした為、パーティーの時の様な不機嫌さは若干和らいでいる。

「二人とも、今日はお疲れ様。僕はそろそろ休むから……」

「御意」

「お休みなさいませ」

 ド・フランドール伯に宛がわれた部屋に入ると人の気配がする。

「……ん?」

 真っ暗な部屋で目を凝らすと人影が見えた。
 人影は身動き一つしない。

「……」

「そこに居るのは誰か?」

 マクシミリアンは、杖を手に人影に尋ねる。

「畏れながら……」

 聞こえてきたのは若い女の声だった。

「女の人が僕の部屋に何の用か? 部屋を間違えたのなら、特別に不問にするから早く出て行ってもらえないかな」

 そう言って、ライトの魔法を唱えると、ハイティーンかもしくは20前後の美しい顔が映し出された。

「畏れながら殿下、私は部屋を間違えたわけでは有りません……夜伽に参りました」

「ぶふっ!」

 女の告白に、マクシミリアンは思わず噴き出した。

「よ……夜伽ぃ!?」

「御意」

 よく見ると女の格好は、とても『まともな』格好ではなかった。
 男を誘う為に作られた様な、布の面積の少ない服を着ていたからだ。

「そ、それは、その、誰に頼まれたのか? ド・フランドール伯か?」

「……御意」

 平静を保とうと、女に話しかけると、夜伽を命じたのはド・フランドール伯だと、答えが返ってきた。

「……ド・フランドール伯も意外と下衆な事をする」

 昼間の好青年のイメージがボロボロと崩れ落ちた。

「殿下、お情けを……頂けませんでしょうか?」

 女は急かす様に誘う。

 ……ゴクリ。

 と、思わず生唾を飲み込んだ。
 マクシミリアンは現在12歳半ばで精通はすでに済ませてあるし、性知識は前世の記憶を含めてしっかり備わっている。
 しかも、帝王学の一環に代々王家に伝わる、あっち関係の技術も叩き込まれた……実践はしてないが。

(実践のチャンスでは!?)

 と、本音では、この誘惑に乗りたかった。
 だが、あからさまな謀略への警戒心を抱き、徐々に冷静さを取り戻した。

「……」

 女は黙ってマクシミリアンを見ている。

 一方、マクシミリアンの脳裏に、カトレアの顔がよぎった。

(結婚前だ。せめて、操を立てよう)

 ついに女を抱く気が失せた。

 深呼吸して気分を落ち着ける。

「ごめん、取り乱してた」

「……いえ、お気になさらずに」

「まあ、何だ。抱かずに帰すって、選択肢は無いのかな?」

「それでは、私がお叱りを受けてします」

「それなら……」

 マクシミリアンは部屋の片隅に置いてあったワインボトルを手に取った。

「付き合ってくれないかな?」

「……それでしたら、お相手いたします」

 女は何処かホッとした様な雰囲気を出した。

(なんだ、やっぱり抱かれたくなかったんじゃないか)

 女の本音が少し見えた事で、気が楽になると別の疑問が浮かんできた。

(そういえば、護衛の魔法衛士が入ってこないな)

 いつもなら、部屋の異変を感じて一声かけるのだが、今回はそれが無い。

「ちょっと、待ってて、魔法衛士に話をつけるから。ミス……え~っと……名前を聞いてない」

「失礼いたしました、フランシーヌです。フランシーヌ・ド・フランドール」

「フランドール!?」

 マクシミリアンが驚きの声を上げると同時に、廊下側のドアから、見た事の無い男が数人ほど入ってきた。

「誰だ!」

 マクシミリアンが声を上げる杖を向けようとすると、雲のような物がマクシミリアンの周りを覆った。

「うう!? スリープ……クラウド」

 そう言ってマクシミリアンは昏倒した。
 昏倒する直前、杖を持ったフランシーヌが無機質ながらも何処か申し訳なさそうな顔が目に焼きついた。



 

 

第十六話 王子誘拐


「んん?」

 眠らされたマクシミリアンが、目を覚ましたのは空が白みがかる頃だった。

「お目覚めの様ですね……殿下」

 声のした方向を見ると、ド・フランドール伯が、にやにやと下卑た顔で笑っていた。
 さらに辺りを見渡すと、窓も何も無い小さな部屋に運ばれたようだった。
 動こうとするが、ロープでがっちりと縛られていて動けない。

「ド・フランドール伯。これはいったい何の真似か」

「何の真似かと申されますと、マクシミリアン殿下、貴方はやり過ぎたのですよ」

「やりすぎた? ……何をだ」

「お気づきになられないとは……ならば、お教えいたしましょう。マクシミリアン殿下、貴方が行った改革は多くの友人を路頭に迷わせる事になってしまったのです」

 ド・フランドール伯はチラリと後ろに控える男に目を向けた。
 マクシミリアンは知らないが、この男はアルデベルテ商会の番頭だ。

(それって、逆恨みじゃないのか?)

 マクシミリアンはゲンナリした顔でため息をついた。

「……はぁ、僕を捕まえて何をしようって言うのさ」

「殿下は、しばらくの間、アントワッペンに住んで頂きます」
 
「人質……って訳か。その後はどうするんだい? ガリアかアルビオンに鞍替えするつもりなのかい?」

 ド・フランドール伯の領地が、大都市アントワッペンがそっくりそのままガリア領、もしくはアルビオン領になったら、経済的にも国防的にも大打撃だ。

「鞍替え? ははっ、とんでもない……」

「それじゃ、目的は何なんだ?」

「殿下には関係の無い事です。おい、しっかりと見張っているんだ。間違って傷つけないように」

 ド・フランドール伯は、人相の悪い男数人に命じると部屋から出て行った。







                      ☆        ☆        ☆







 ド・フランドール伯が去った後、人相の悪い連中と取り残されたマクシミリアンは脱出方法について思案を巡らせていた。
 狭い部屋の中で後ろ手に縛られ、床に転がされた状態のマクシミリアンを、人相の悪い男たちはニヤニヤと見ている。

「天才と謳われたマクシミリアン殿下が、今では俺たちみたいなロクデナシの虜囚に落ちるとは、人生ってのは何が起こるか分かりませんなぁ? そうは思いませんか? 殿下?」

「……」

「へへへ……怯えてるんですか? 殿下?」

「……」

 この男たちは、どうやら平民らしく、手に持った前装式のピストルを、抵抗できないマクシミリアンにチラつかせて、強者の感覚に酔っている様だった。

(杖も何処かに持って行かれたみたいだし、どうやって、外部と連絡を取ろう……)

 と、脱出方法を考えていると、一つ、忘れていた事を思い出した。

「そうだ、キミたち。護衛の魔法衛士が二人居たはずだが、彼らもこの屋敷の何処かに捕まっているのかい?」

 と、刺激しないように、やんわりと聞いた。

「ガッハハハハ! やっぱり温室育ちの王子サマは一人じゃ何も出来ないみたいだなぁ~!」

(コイツは一体何なんだ)

 執拗に絡んでくる男たちに辟易するマクシミリアン。
 しかし、魔法衛士たちに安否が分からない為、何とかして聞き出そうと不本意ながらも、自慢の演技で聞き出そうと試みた。

「ううっ、ぐすっ」

「あーあー、泣かすなよ、後でどやされるぞ」

「うるせぇな、傷を付けるとは言ったが、泣かすなとは言ってねぇだろ!」

「ううっ、怖いよう怖いよう、誰か助けに来て……」

 ちょっと、子供っぽかったかな? と、思いつつも人間の加虐心に訴えかける様な演技に男たちは見事に引っかかった。

「ひひひ、王子サマ、残念だが助けは来ないぜ。アンタを守る魔法衛士はみんなヴァルハラへ旅立ったからな」

「ええっ!?」

「そうさ、誰も助けに来ないからな。せいぜい大人しくしてるんだな」

「うう、そんな……」

 演技をしながらも、マクシミリアンの腹の中は怒りと殺意でで真っ黒だった。

(よくも、優秀な人材を……)

 激情のまま、目の前の男たちを殺そうとしたが、何とか思いとどまった。

(こいつらはいつでも殺せる。今は状況の整理をしないと……)

 マクシミリアンは心に決める。

 ……しばらくして、人相の悪い連中は退屈したのか、色々とぼやき始めた。

「他の平民連中は、口を開けば、王子様王子様と……飼い慣らされやがって」

「こっちは王子サマのおかげで商売上がったりだぜ。糞が」

 どうやら、アンダーグランドの連中もマクシミリアンの改革で被害を被った様だ。

(そういえば、クーペの密偵団にマフィア等の反社会的勢力の監視と排除を指示してたっけ)

 マクシミリアンは、この誘拐事件の背後関係がおぼろげながら見えてきた気がした。

(オレの改革で職を奪われたり被害を受けたり。と、そういった連中が一発逆転の賭けて誘拐したって言うのか?)

 しかし、別の疑問も浮かぶ。

(それじゃ、何でド・フランドール伯はこの誘拐事件に関わったんだろう? アントワッペン市が潤えば領主のド・フランドール伯も、その恩恵に与れるはず……)

 色々と仮説が思い浮かんだが、直接聞いてみないことには何も分からない。

(直接、聞いてみるしかないな……)

 そう、決意して実行する事にした。
 まずマクシミリアンは最後通牒のつもりで、男たちをこちら側に引き込むことにした。

「キミたち」

「ああ?」

「何だよ王子サマ」

「キミたち。今、僕を開放すれば、キミたち二人は不問にしよう。

「何? なに言ってんだ? コイツ」

「ついに、恐怖で頭がおかしくなったか?」

「最後通牒だ。この要求が受け入れられない場合、非常手段を持ってキミたちを排除しよう」

「杖の無いメイジに何が出来るっていうんだ」

「王子サマよ。この銃が見えないのか?」

「要求は受け入れられないと?」

「当たり前だろ?」

「馬鹿言ってんじゃねぇ!」

「……残念だ」

 瞬間、マクシミリアンの目が光った!

「おおおおぅ!?」

 最初に、ピストルを手に持っている男を狙う。
 哀れ、男は足首から下を残し、紫色の灰になった。

「ま、魔法!? 何で???」

「キミで終わりだ」

「糞があああああああ!」

 もう一人の男は、腰に挿したピストルを取ろうと腰に手をかけたがそこまでだった。
 二つの光線を胸に受けた男は、この世のものとは思えない悲鳴を上げながら灰になった。

 久々に破壊光線を放ったマクシミリアンの顔は青くなっていた。

「うっ……に、人間の死に方じゃない」

 破壊光線を人間に放つのは初めてだったマクシミリアン。
 そして、人を殺めるのも初めてだった。
 嘔吐感を堪えながら、部屋の中を見渡すとロープが切れそうな包丁を見つけた。

「今更、人を殺したからって、何を吐きそうになってるんだ。今まで何人も間接的に殺してるだろうに……」

 と、包丁をロープを切りながら、マクシミリアンは呟いた。
 今までも、そしてこれからも、王家として為政者として、間接的に殺すであろう人々の数は星の数に上るかもしれない。
 殺すのが嫌だ。と言って、歩みを止めてしまったら、責任を放棄してしまったら、更に多くの人々を死なせる事になるだろう。

(引いても、止まっても、進んでも、間接的に人々を殺し続ける。人を殺さないやり方なんて無い。ならば……)

 そう、ならば。

『ならば進もう。死んでいった人々を背負ってトリステインを強くしよう……』

 そう、心に決めマクシミリアンは部屋から出て行った。

「あ、待てよ?」

 マクシミリアンは部屋に引き返すと、男たちが持っていた二丁のピストルと包丁一つを持って帰ってきた。

「……あんまり、急進的なのも考え物かもね」

 そう、ひとりごちた。

 

 

第十七話 アントワッペン騒乱

 時間は前後して、マクシミリアンが別室で眠っている頃。
 ド・フランドール伯の自室では、王子誘拐事件に賛同した人々が集まっていた。
 顔ぶれはド・フランドール伯を始め、アントワッペン市の裏社会に君臨して来た者たちが集まる層々たるメンバーだ。

「アルデベルテさんは、参加してない様だが……」

 一人の男が発言した

「そもそも、アルデベルテが音頭を取ったと言うのに……」

「仕方あるまい。先の騒動と襲撃で奴はアントワッペン中の縫製職人から恨まれているからな。商会から出て来れないのであろう」

 この発言に、一同、大笑いだった。
 いつもなら利権を奪い合う敵同士だった彼ら裏社会の重鎮たちはマクシミリアンの改革で損害を受け存続の危機に立たされた、だがアルデベルテの弁舌とそれぞれの思惑が見事に一致して誘拐作戦は発動される事になったのだ。

「……」

 ワインを飲みながら笑いあう、重鎮たちを尻目にド・フランドール伯はチビチビと飲んでいた。

(どうして、こんな事になってしまったんだろう……)

 ド・フランドール伯は今更ながら、王子誘拐の後の事を想像して恐怖を覚えた。

 トリステイン第二の都市アントワッペンを首府にする、ド・フランドール伯爵家はトリステイン王国建国以来の名家だという事は前々回に解説した。
 しかし、アントワッペンをここまで大きくしたのは、歴代のド・フランドール伯爵の力では無く、名も無き多くの商人なのだ。
 だからこそ、『商人の都市』などと言われていたが、それまで歴代のド・フランドール伯は何をしていたかと言うと……何もしていなかった。
 正確には何もさせて貰えなかった。が、正しい。
 歴代のド・フランドール伯は商人たちの接待漬けで政治への意欲を失わされていた。
 そうしている内に、数千年経ち、先々代あたりには裏社会の人間や商人たちとの利権構造でガッチガチにされ政治意欲もを失い弱みも握られ、そして今の代で、マクシミリアンの改革によって破滅を迎える事になる。
 ド・フランドール伯は生き残りを図る為、商人たちを切り捨てようとしたが、ご禁制品の密輸や人身売買などの先祖代々から続く弱みを握られているためそれも適わず、一蓮托生の状態になってしまった。

(あわよくば、フランシーヌを寵姫に送り込んで生き残りを図ろうと思ったが……)

 妹のフランシーヌに、夜伽を命じたがマクシミリアンは、これを断った。

(どうして、どうして、僕の代なんだ)

 歴代の当主たちは、豪華絢爛、贅沢に次ぐ贅沢で生を全うしてきた。
 だからこそ、『なぜ、自分なのだ』と、自分の運命に理不尽さを覚えた。
 しかし、今更嘆こうと、すでに賽は投げられたのだ。

「しかし、上手く事は運びますかね?」

 ド・フランドール伯は、重鎮たちに話を振った。

「マクシミリアン王子を手中に収めておけば、トリステインは手出しは出来まい。そうやって時間稼ぎをして、ガリアからの援軍を待てば、悠々と独立が出来ましょう」

「ガリアへの使者は誰を使わせたのか?」

「我々の手先の中から選りすぐりの者を送りました」

 重鎮は自信満々に言う。

 彼らはアントワッペン市を、一種の自由都市として独立させる事が目的だった。
 しかし、ド・フランドール伯は、この陰謀が上手く行くとは思っていなかった。
 大国ガリアが約束を守るとは思えなかったからだ。

(ガリアが援軍を寄越すとは思えないし、たとえ、寄越したとしても、そのまま居座って、独立を許さないかもしれない)

 様々なしがらみに縛られ、未来に絶望し引く事も出来なくなったド・フランドール伯は、事ここに至り……

(滅ぶのならば、いっその事……)
 
 弱気になった心を黒い感情で塗りつぶす。

(王子を巻き込み、コイツ等を巻き込み……盛大に滅んでやろう!)

 ついに、滅びの美学とは違う、何か別の境地に行き着き、ド・フランドール伯は黒い笑みを浮かべた。







                      ☆        ☆        ☆






 ……夜が明けた。
 アントワッペン市内にある、マダム・ド・ブランの工場では、朝早くから羊毛を積んだ馬車が引っ切り無しに行き来していた。

「皆さん、おはよう。今日は王子様が工場見学にお越しになる予定よ、普段道理で良いって仰っているみたいだけど、みんな粗相のないようにね?」

 そう発言したのは、マダム・ド・ブランの元締め、ド・ブラン夫人だ。
 彼女、ド・ブラン夫人の一度聞いたら忘れられない声が朝礼中の室内に響いた。
 もし、マクシミリアンがこの特徴のある声を聞いたら。

『先代の猫型ロボットみたいだ』

 と、評しただろう。

 声だけでは無い。
 ド・ブラン夫人は容姿も異形だった。
 歳は四十過ぎだが身長は130サントも満たない、横も広い、そして三頭身だ。
 そんな異形の容姿でも、機を見るに敏で、マクシミリアンの改革にいち早く対応して一財産築き上げた。

「……そんな所かしら。それじゃ皆さん、今日も怪我の無いようにね」

 朝礼が終わると、従業員たちがそれぞれの仕事場に移った。
 従業員の何人かを見ると女性が多く、男女比は半々だ。

 これは先の騒動。
 アントワッペン中の縫製職人が、大商人アルデベルテの口車に乗って一種のストライキを起こした時の事だ。
 ド・ブラン夫人はこの騒動に乗じてミシン機を使い、アントワッペンに於ける縫製事業のシェアの奪う為、行動を起こそうとしたが人が足りない。
 ここで、ド・ブラン夫人は知り合いの平民の主婦層に片っ端から声を掛けて、人集めをしたからだ。
 かくして、女性比の高いマダム・ド・ブランはントワッペンに於ける縫製事業のシェアをごっそり奪う事ができた。
 特にミシン機の性能は素晴らしく、ちょっと職業訓練した程度の者が、熟練の縫製職人にしか出来ない様な早さの仕事をこなせる様になったのは革命的だった。
 レースと言ったミシンでは加工できない様な物は熟練の手を借りなければならなかったが、ともかく、マダム・ド・ブランはアントワッペンで一番の縫製工場になった。
 だが、困った事もあった。それでも大多数の縫製職人が職を失ってしまったのだ。
 失業の恨みが従業員に向けられる事を恐れた、ド・ブラン夫人は職を失った縫製職人の何人かに声を掛け、マダム・ド・ブランに再就職するする様に進言した。
 何人かの職人は再就職したが、その他の職人は受け入れなかった。
 幸い、縫製職人の恨みは、この騒動を煽ったアルデベルテ商会に向けられるようになった。

 これで一件落着……と、なれば大変良かったが、そうは成らなかった。
 大商人アルデベルテが、十数名のヤクザ者を使って、マダム・ド・ブランの工場を襲撃してきたのだ。
 そんな時、『彼』の存在がなければマダム・ド・ブランとミシン機は破壊されていただろう。

ド・ブラン夫人は、三頭身の身体を揺らしながら工場から外に出て、離れの小屋に居る、件の『彼』に朝食を渡すべく、鼻歌を歌いながら向かった。

「おはよう、聞いていると思うけど、今日、トリステインの王子様が御出でになるの」

「……ああ」

 『彼』は、なにやら研究に没頭していた。

「朝食、ここに置いておくわ」

 ド・ブラン夫人は朝食の乗った盆をを空いていた机に置いた。

 彼こそ、ミシン機を発明し、アルデベルテ商会の襲撃を退ける武器を作り撃退の指揮を取った男、名前をラザールといった。
 名前はラザールのみ姓は無い。そう、彼は平民だった。
 ラザールは、科学者であり化学者、数学者で軍事にも明るい、謂わば万能の天才と呼ばれる男だった。
 出身地のカルノ村から取って、『カルノ村のラザール』と、名乗っていた。
 しかし、カルノ村では、変人のレッテルを貼られ、村はずれの小屋で細々と研究をしていたところをド・ブラン夫人に見出された。
 ラザールはド・ブラン夫人に囲われる様になったおかげで、研究に没頭できる様になった。
 一日に三回、ちゃんと食事が出るので、一種の生活破綻者であるラザールには大変助かった。
 カルノ村では、今日の糧を得る為に、研究を中断して慣れない野良仕事をしなければならなかったからだ。
 そういう事で、ラザールはド・ブラン夫人に感謝していた。
 ド・ブラン夫人の方はというと、『夫人』という様に既婚者だったが、夫に先立たれ、残った遺産をどう使おうかと悩んでいたときにラザールに出会ったのだ。
  ラザールは発明品などを提供し、ド・ブラン夫人は住居と食事を提供する、二人は恋愛感情の無いギブ&テイクの淡白な関係だった。

「奥様……先ほど、マクシミリアン殿下がお越しになられると聞きましたが」

「ええ、何でも、ミシン機を是非見たいと仰ってらしたわ」

「なるほど、ミシン機を……」

「粗相が無いように気をつけてね」

「努力はしますよ」

 などと、語らっていると、外からド・ブラン夫人を呼ぶ声が聞こえた。

「何かしら? ちょっと行って来るから朝食、食べててね」

 そう言って、小屋を出た。

 ド・ブラン夫人が小屋から出ると、従業員の一人が息せき切って駆けて来る。

「どうしたの? そんなに慌てて……」

「大変です、元締め。門が……どういう訳か街の門全てが閉じられたって、大騒ぎになっています!」

「なんですって!?」

 思わず、ド・ブラン夫人は声を上げた。










                      ☆        ☆        ☆









 ハルケギニアの都市は、基本的に都市の周りを城壁で囲み、正門や裏門といった門からしか行き来できないような構造になっている。
 衛兵が、、朝になれば門を開け、夜になれば門を閉じる。
 旅人や行商人は、何とか日暮れまでに衛兵から許可を得て都市に入らなければ、門の前で夜を明かさなければならなくなるのだ。
 その門が、日も出ているというのに閉じたまま、という事は、明らかに異変を現していた。

 事件は、アントワッペン市正門で起こった。
 普段なら市内の大聖堂の鐘が鳴ると、それを合図に正門と裏門が開けられる。
 だが、大聖堂の鐘が鳴っても門が開く気配が無かった。
 人々、特に商人たちは口々に『おかしいおかしい』と、言い合っている。
 痺れを切らした商人の何人かは反対側の裏門から出ようと、馬車を引いて裏門ヘ向かったが、裏門でも同じ事が起こっていた。

「衛兵は何してるんだ! 早く開けろ!」

「今日中に納品しないと大損害なんだ!」

 怒りが頂点に達した。
 正門前では千人を超す人々が集まり、暴動寸前だった。
 一方、門の外でも、アントワッペンに入城する為に夜を明かした人々で混雑が出来始めていた。

「なぁ? どうして開けちゃダメなんだ?」

「領主様が、何があっても絶対に開けるな……って、御触れが来てるんだよ」

 衛兵たちも、この異常事態にどうするべきか苦慮していた。
 このまま、いたずらに時間を浪費すれば、暴動になりかねない……一人の衛兵が屋敷へ走ろうとした時に異変は起こった。

「おらっ! 今日は門は開かない事になったんだ、散れ散れ!」

「なんだお前ら!? こっちは忙しいんだよ! お前らこそ退けよ!」

 門の内側では、人相の悪い男たちが門の前に割り込んで『門は開かない』と、触れ回り、気が立っていた商人たちと一食触発になる。

「おい! 何やってんだ、さっさと退け!」

 怒りは波のように他の人々に伝染して行き、所々でケンカが始まった。

「……ケンカが始まった」

「なあ? 俺たち、止めなくて良いのか?」

「ば、馬鹿、俺たち二人だけで何するって言うんだ」

 衛兵たちは、止めるべきか迷っていると。

 ……パァン!

 と、銃声が響いた。

 一瞬の静寂が辺りを包み、銃声がした方向を、この場に居合わせた全員が見た。
 そこには、ケンカでしこたま殴られたせいか、顔中に青タンを作った人相の悪い男が、肩で息をしながら銃を構えていた。
 一方で、商人風の男が地面に倒れている、顔を見ると目を見開いたままピクリとも動かない。

「ひ、人殺しだぁ~~!」

 この言葉をきっかけに、正門前はパニックに陥った。
 響く怒声、悲鳴があちこちで起き、逃げ惑う人々が押し合いへし合い、誤って倒れた人を踏み殺す事でパニックを更に助長させた。

 アントワッペンの最も長い一日はこうして幕を開けた。
 

 

第十八話 王子の目

 マクシミリアンが監禁されていた部屋を出て窓から外を見ると、太陽は真上辺りにまで昇っていた。

「……ド・フランドール伯は何処にいるんだ?」

 周囲に気を張りつつ廊下を進む。

「それにしても……くそっ」

 マクシミリアンは耐えられなくなって目をこすった。
 実は部屋を出た辺りから、目の奥がヒリヒリと軽い痛みを覚えていた。
 この症状に心当たりがあるとしたら、やはり破壊光線だろう。

(さっき、連発したせいなのか?)

 と、分析したが、今、真相を調べる状況ではない。
 破壊光線でこの場を切り開こうとした矢先に、この目の違和感にマクシミリアンは危機感を募らせた。
 魔法で治そうにも杖を奪われた状況では、不可能と言わざるをえない。

(武器はチンピラから奪ったピストル二挺と包丁一丁か)

 見つからない様に、空き部屋の隅に隠れて、痛みが引くのを待っていると、幸い30分程度で痛みは引いた。

(これからは、連発は禁止……だな)

 そう、心に決め。部屋を出ようとドアへ向かうと誰かの足音が聞こえる。どうやらこの部屋の主人のようだ。
 慌てて、クローゼット中に隠れると、女の声が聞こえてきた。

(あっ、この声は)

 昨日、夜伽にやって来たフランシーヌという女の声だ。

(たしか、ド・フランドールを名乗っていたな。伯爵の縁者か?)

 疑問に自問自答していると、フランシーヌはお付のメイドに。

「一人で着替えるから外で待ってて」

 と、言ってメイドたちを部屋の外に待たせ、部屋に入ってきた。どうやらフランシーヌの私室の様だ。
 フランシーヌはマクシミリアンが隠れているとも知らずに着替え始めた。
 クローゼットの隙間から覗いて見ると、程よく実った胸と、白いレースの下着が艶かしい。

(コイツは眼福だな……)

 などと、興に浸っているとフランシーヌがマクシミリアンが隠れているクローゼットに近づいてきた。

(おっと、サービスタイムは終了か)

 内心つぶやき、いつでも動けるように待ち構えた。見たところ下着のみで杖を持っていない。

 フランシーヌがクローゼットを開けると、待ち構えていたマクシミリアンと目が合う。
 驚きの声を上げようとした瞬間、ピストルの銃口を無理やり口に捻じ込まれ声をあげる事ができない。
 そしてマクシミリアンは銃口を銜えさせた状態でフランシーヌを無理やりクローゼットに引きずり込み、すかさずクローゼットの戸を閉めた。
 狭い空間に密着した状態の二人は、別々の反応を見せた。
 フランシーヌはとにかく驚きの表情を、マクシミリアンは無表情に見えるが目が据わっていた。

「え、えんは」

 殿下……と、言いたかったのだろう。

「こんにちは、ミス・フランドール。昨夜はよく眠れましたよ。

 皮肉を言いつつ、ニヤリと笑った。

「いろいろ、聞きたいことがあったんですよミス・フランドール」

「……うぐ」

「ド・フランドール伯は何を企んでいるのか、知っていたら是非教えて欲しいですね」

 マクシミリアンは、にっこりと笑った。

 一方、部屋の外では一向に出てこないフランシーヌを心配してメイドがノック後に入室してきた。
 しかし、室内には誰も居ない。慌てた、メイドはフランシーヌの名を呼んでも返事は返ってこなかった。

「妙な真似をしたら、この引き金が重いかそれとも軽いか……試してみる事になりますがよろしいですか?」

 座った目のままフランシーヌに聞いてみた。
 マクシミリアンの演技力が加味されたこの脅しに、フランシーヌは目じりに涙を浮かべ、首を小刻みに縦に振った。
 メイドは声を掛けるだけで室内を詳しく調べる事はせず、他の場所へ行ってしまった。

「早々に引き上げたな。信頼されているのか……それとも……ふふ」

「……うう」

「それとも、部屋のものに触ったら鞭で打つ……とでも言ってたのか?」

 なじる様にフランシーヌに問う。
 マクシミリアンは、味方と判断した者には優しく、敵と判断した者には、たとえ女であっても容赦しなかった。

 メイドの気配が完全に無くなったのを確認すると、ピストルを咥えさせた状態クローゼットの外に出てドアに鍵を掛けた。

 ここでようやくフランシーヌを解放した。
 フランシーヌは、床にへたり込んでゴホゴホと咳き込み、ついには泣き出してしまった。
 罪悪感がマクシミリアンを襲うが、心を鬼にして最後に仕上げに取り掛かった。

「ミス・フランドール」

「あっ」

 マクシミリアンは、にっこり笑うとフランシーヌの頭を抱き寄せ。

「ごめんね、本当にごめん。僕の本意ではなかったんだよ」

 ささやく様に耳元につぶやく。
 突然訪れた、死の恐怖に混乱したフランシーヌの心に優しい言葉を掛ける。
 飴と鞭……と、言うべきか。もしくは下げてから上げる、人身掌握術を披露した。
 幸い、効果は有った様で、フランシーヌは落ち着きを取り戻した。

「大丈夫だよ、フランアシーヌ。僕に任せておけば、万事大丈夫だ」

「殿下……」

 何が、どう大丈夫なのか……具体的に説明しない。
 だが、フランシーヌはそこまで考えが行き届かず、マクシミリアンを信用しきった様な顔を……
 地獄の中で仏に出会った様な顔を向けた。
 目の前に居る仏こそ地獄に突き落とした張本人なのだがフランシーヌは気付かない。

「人質である僕が逃げた事で、ド・フランドール伯の計画は頓挫してしまった」

「……」

「こうなってしまった以上、トリステイン王国は、決してド・フランドール伯を許さないだろうね」

「……」

 フランシーヌは黙ったままだが、徐々に未来へ絶望したような顔になる。

「フランシーヌはこの計画には反対じゃなかったのかな? ド・フランドール伯の命令で夜伽までさせられてさ」

「……殿下、私は」

 怯えるフランシーヌに逃げ場所を用意する。

「だから、フランシーヌは僕に協力してくれないかな? みんな、ド・フランドール伯が悪かった……そうだろ?」

「うう、殿下、マクシミリアン殿下! 申し訳ございませんでした!」

 フランシーヌは懺悔をしだした!
 ボロボロと涙と流すフランシーヌにマクシミリアンは……

(計画通り!)

 と、内心ほくそ笑んだものの……
 フランシーヌの、まるで神を見るような眼差しに。

(薬が効きすぎたか?)

 と、少しだけ後悔した。

「と、ともかく、事件解決に協力してくれれば、ド・フランドール伯は無理でもフランシーヌだけは助かるように執り成しますから。いわゆる司法取引という奴です」

「兄上は、助からないのですか?」

「兄上? やっぱり兄妹だったんだ。さっきも言ったけど、ド・フランドール伯の事は、こういう事になってしまった以上、極刑は免れないでしょう。ですが、フランシーヌが生き残ればド・フランドールの血は残ります」

「そう……ですか」

 フランシーヌは、そのまま黙り込んだ。








                      ☆        ☆        ☆







 多少問題があったが、フランシーヌの協力を取り付けたマクシミリアンは、情報収集を行った。

「それじゃ、昨日のパーティーに参加した、貴族たちは皆人質に?」

「はい、パーティー会場の大ホールに全員集められているようです。随伴の魔法衛士たちもそこに集められていると聞いています」

「殺されたのは、直接護衛していた二人だけだったのは、不幸中の幸いか」

「申し訳ございません。魔法衛士の皆様には、弁解の使用も無く……」

 そうして、ひたすら平謝りするフランシーヌに、いい加減、辟易してきたマクシミリアンは……

「ド・フランドール伯の責任であってフランソーヌの責任じゃないよ。それと、そう何度も頭を下げるのも無し……いいね?」

「……分かりました」

 フランシーヌは、そう言ってまた頭を下げた。

「……まぁ、ともかく」

 マクシミリアンは咳払いを一つした。

「まずは人質の救出が先だね、僕の杖は何処にあるか分かりますか?」

「殿下の杖の在り処は分かりませんが、人質たちの杖の場所は知っています」

「ひょっとしたら、僕の杖も一緒かも知れないね。案内してもらえますか?」

「分かりました。付いて来て下さい」

 そして、マクシミリアンはフランシーヌの後を付いて行った。

「そういえば……」

「何でございましょう?」

 警戒しながら、杖のある場所へ向かう途中、マクシミリアンは気になっていることを尋ねてみた。

「フランシーヌって、背が高いよね、一体どれくらいあるの?」

 と、失礼と思ったが質問した。

「前に測った時は、180サント程……でした」

 フランシーヌは顔を真っ赤にしながら答えた。
 だが、マクシミリアンは違和感を感じた。照れの赤ではなく羞恥の赤だったからだ。

(スーパーモデル並の体系なのに……)

 と、マクシミリアンは首を傾げたが、答えはすぐにフランシーヌの口から出た。

「やっぱり、おかしいですよね、私って……」

「どういうことですか?」

「実は私、今年で14なんです」

「えっ!?」

 マクシミリアンは思わず声を上げた。
 てっきり、20歳前後だと思っていたからだ。
 ちなみにマクシミリアンの身長は165サントだ。

「14なのに、こんなに大きくて……殿下、やっぱり、私っておかしいのでしょうか?」
 
「……ええっと」

 マクシミリアンは少し考え……

「世界中にはいろんな人が居ますから。フランシーヌの場合はむしろセクシーで羨ましいって思われるんじゃないかな?」

「そうでしょうか?」

「フランシーヌの事をおかしいって言う人が居たら、その人の見る目が無いのか、もしくは小さい子が好きなんだよ!」

「……」

 フランシーヌは黙って頷くと、

「ありがとう……ございます。少し元気が出ました」

 そう言って、ニコリと微笑んだ。
 あらゆる男を魅了して止まない色気と、何処が儚げな雰囲気とを持つアンバランスな少女に、マクシミリアンは目が離せなかった。










                      ☆        ☆        ☆





 フランシーヌに服を着せると、杖を保管している場所へと先導してもらう。
 途中、警護のヤクザ者をやり過ごし、運悪く、ばったりと出くわしたヤクザ者には、フランシーヌがスリープクラウドで眠らせた後、見つからないように近くの空き部屋に放り込んでおいた。

「そう言えば、あの人相の悪い連中。前々から付き合いがあったのか?」

「私も詳しい事は分かりません。ですが、以前ドレスを仕立ててもらった商人が、みかじめ料が高いとか何とか……そう言っていたのを覚えています」

「そうか、ショバ代を……ね」

「ショバ代?」

「ああ、こっちの話」

 マクシミリアンの脳内では、この状況を利用してアントワッペン内のヤクザ者を一掃させる事を考えていた。

「もうすぐ着きます」

 マクシミリアンが暴力団殲滅計画を練っていると、フランシーヌが到着した事を知らせてくれた。
 人気のまったく無い区画で、目的の部屋には人の気配がする。

「それじゃ、突入する前に室内の状況を調べよう」

 マクシミリアンは、ピストル2挺と包丁1本の他に、眠らせたヤクザ者から、さらにピストル1挺とダガーナイフを1本を奪っていた。

「殿下自ら戦わずとも良いのでは?」

「まだそんな事、言ってるのか。戦力は多いほうが良いだろう? それに……もう僕は、人を何人か殺してるんだ、この期に及んで、戦うなとか言うな」

 すこし怒気を孕んで言う。

「も、ももももも申し訳ございません!」

 フランシーヌは土下座しだした!

「ちょっと!? 声、声が大きいよ」

 マクシミリアンはオロオロとうろたえ、フランシーヌは顔を青くしたまま固まっている。

『ん? なんだ? 声が聞こえたぞ』

『ちょっと、見てきます』

 ヤクザ者の声が聞こえた。
 思いっきりばれたようだ。

(ヤバイヤバイ)

 辺りを見渡すと隠れられそうな部屋は無い、マクシミリアンは決断を迫られた。

(こうなったら!)

 トトトト……と、音を立てないように小走りで駆けると、近くのドアが開いて男が顔を出した。
 マクシミリアンは、立ち止まらずに腰に挿したダガーナイフを、男の右目、目掛けて付き立てた!

「うおっ……!」

 しかし、付き立てたダガーナイフは目標を外れ、両目の間の部分に刺った。
 ガキリと、骨の感触がナイフの柄から感じ取れた、だが勢いに乗ったナイフは骨をズルリと滑り、右目の奥へ奥へと突き刺さった!

(脳まで達した!)

 マクシミリアンは、刺さったダガーナイフの柄を、ぐるりと回転させ脳を破壊した。
 崩れ落ちた男は、びくんびくんと痙攣している、もう助からないし助けるつもりも無い。

「だ、誰だてめぇ!」

 もう一人の男は、絶叫に近い声を上げた。

(声は一つしかしなかった!)

 一応、絶対音感の持ち主のマクシミリアンは、男の声の他に別の声を感じなかった。

(見張りはこの二人だけだ!)

 瞬間、マクシミリアンの目が光った!
 本日、三回目の破壊光線である。
 二条の破壊光線は男の腹に当たり、絶叫を上げながら灰になった。

「……」

 室内に入ったマクシミリアンは周囲に気を張った。

「……」

 読み通り見張りは二人だけで、室内には人の気配は無い。

「殿下……」

「ああ、フランシーヌ。杖はこの部屋でいいのかい?」

「その……平気……なんですか?」

「平気? ん~……ああ、人殺して平気って意味か。そうだね……」

 マクシミリアンは少し考える素振りをした。

「相手の脳をえぐった感触は、まだ手に残っているよ。平気かって言われれば、そうだね……平気じゃない……かな」

 マクシミリアンは震える右手を押さえつけながら答えると、フランシーヌの後ろから抱きしめられた。

「ちょっと、なにしてんの?」

「殿下、泣いています」

「え?」

 マクシミリアンは、自分の頬を撫でると確かに涙が流れていた。

「あれ? 何で涙が?」

 涙と供に次第に痛みがぶり返してきて、目を開けることが出来なくなってしまった。

「お優しい殿下の御手を血で汚してしまうなんて……なんと、お詫びしたらよいか」

「いやいや、別に悲しいから泣いてるんじゃないから! 目にゴミが入っただけだから!」

 マクシミリアンは、この涙と痛みは破壊光線の副作用だろうと、結論付けた。
 幸い、先の大立ち回りのとき、最後に放った破壊光線はフランシーヌには見えてなかったようだが、だからと言って『破壊光線のせいです』……とは言えない。

「それよりも、ヒーリングは使えるかな? 使えたら、僕の目にかけて欲しいんだ」

 誤魔化しながら、フランシーヌに頼み込んだが……

「申し訳ございませんが、ヒーリング用の秘薬がありません」

「あら、それじゃいいや。時間が経てば治るからさ」

「差し出がましいかと思われますが……」

 妙に艶っぽく笑ったフランシーヌは、マクシミリアンの正面に立ち……

「じっとしていて下さいね……」

 マクシミリアンの、頭を固定して、目をぺろりと舐めた!

「な、なにすんの!?」

「目にゴミが入ったと仰ったので私の舌で清めようと……」

 フランシーヌのやわらかい舌が目蓋の中へと進入して眼球を撫でた。

「おおう。こ、これは……」

 マクシミリアンは、未知の感触に悶えてしまった。
 痛いかと思ったが痛くない。むしろ、マッサージみたいで気持ちいい。
 時間にすると10分程度、フランシーヌの舌はマクシミリアンの両眼を優しく洗い清めた。
 どういう訳か、痛みと涙はピタリと止まり、違和感も無くなった。

「……ックン。ご馳走様でした」

 マクシミリアンの涙は舐め取ったフランシーヌは満足そうに淫靡に微笑んだ。

「あ、ありがとうフランシーヌ」

「どうしたしまして、殿下のお役に立てて嬉しいです」

「でも……なんだ。嫁入り前の若い娘が、こういった事するのは、いかがなものかと」

「殿下がお困りのようでしたので……それに殿下の為なら、私……」

「……」

 フランシーヌは、何かのスイッチが入ったように積極的になり、匂い立つような色気を発した。

(このままでは非常にまずい)

 押さえが利かなくなってしまう……
 泣きそうなカトレアの姿を脳内に作り出し煩悩を押さえ込んだ。

「ととっ、ともかく! 人質のみんなを助ける為にも、杖を探そう!」

「……そうですね」

 何処か残念そうな顔をしながらマクシミリアンに続いた。

(フランシーヌって、こういう娘だったのか?)

 女の子って生き物が、ますます分からなくなった。


 

 

第十九話 風穴のジャコブ


「逃げられただと!? 見張りは一体何をやっていたんだ!」

 怒声が室内に響き渡った。

 マクシミリアンに逃げられた事を知ったド・フランドール伯は辺りに居た家人たちを散々罵倒して、一時は杖を抜きかねないほどだった。

「まぁまぁ、伯爵様、直接関係の無い彼らを責めても仕方の無い事でしょう。」

「そうですとも、まんまと逃がした連中はどうなったのですか?」

「それが……」

 報告に来た男は、不可解そうにしながらも、奇妙な色の灰しか残っていなかった事を告げた。

「……?」

「どういうことだ? 王子の杖は奪ったのだろう?」

「分かりません、ひょっとしたら見張っていた連中、逃げ出したのかも……」

「たしか、灰の中にフィリップの野郎の足がありました」

「それじゃ、王子は予備の杖を持っていたってのか?」

「おいおい、キミぃ、それを見逃したって事は、それじゃ責任問題になるぞ」

「責任問題だと!? お前、よくそんな事、俺に言えるな」

 たちまち言い争いが始まった。
 元々、自分が気に入らなければ腕力で解決してきたような、協調性の欠片も無い連中の集まりだ。
 ……烏合の衆と言ってよい。

(こんな奴らと運命を共にしなければならないとは!)

 ド・フランドール伯は、呆れつつもこの騒ぎを収めようとすると……

「いい加減にしろ!」

 と、聞いた事の無い声が室内に響きこの騒ぎを収めた。
 一喝した声の方を見ると、杖で机を叩きながら、鼻の長い、いかにも悪そうな男が不敵な笑みを浮かべていた。

「あの男、誰ですか?」

「風穴のジャコブっていう凄腕のメイジですよ。なんでも昔はトリステイン王国の騎士だったそうですが、上司を殺したついでに公金を奪って逃げ盗賊に身を落としたって、そういう触れ込みでした」

「そんな男が……」

「元騎士ですから、軍事にも明るいらしく独立が成った暁には、部隊を任せようっていう話を聞きましたよ」

 隣に居た、比較的まともそうな男が語った。

「おお! 風穴の旦那」

「この様な下らない事で仲間割れなどと、困りますな。もしよろしければ、王子捜索は、ワタクシにお任せいただけませんか?」

「風穴のジャコブなら大いに期待できるでしょう」

「私も賛成です」

 裏の重鎮たちは口々に、賛成を表明する。

「それでは、ジャコブ殿には王子捜索の任務に当たってもらう」

「了解した。なるべく穏便に済ませる為、努力します」

「頼みましたぞ」

「吉報をお待ち下さい」

 そう言って、ジャコブは部屋を出て行った。

 残された、重鎮たちは『彼ならば大丈夫だろう』と、異口同音に語り合う。ド・フランドール伯も、その一人だった。









                      ☆        ☆        ☆







 マクシミリアンは自身の杖を取り戻し、フランシーヌを伴って、多数の人質が居る大ホールを目指していた。

「この通路を行けば大ホールが一望できる場所へ行けます」

 フランシーヌに道案内を任せて二人は廊下を進む。
 先ほどのアブノーマルな雰囲気は消え去っていた。

 そして、マクシミリアンたちは大ホールを一望できる場所へと行き着いた。
 ここは、大ホールで演劇などを行う際に使う魔法の舞台装置を操作する場所で、数人の見張りが居たが、スリープクラウドで一網打尽にした。
 眠らせた見張りは、ロープでぐるぐる巻きにして部屋の隅に転がしておく。

「ここからなら、大ホールが一望できるのか?」

「はい、それと踏み込む場合は、隣に下へ降りる階段がございますので」

「フライで飛び降りればいいさ」

「そうですね」

 マクシミリアンとフランシーヌは、部屋についてある小窓から大ホールを覗き込むと、二十人ぐらいの武装したヤクザ者と五人のメイジ、少しは離れた所に十人近い貴族が縛られていた。

「よかった、セバスチャンと他の魔法衛士も居る」

 ひとまず無事を確認して胸を撫で下ろした。

「フランシーヌ。キミと僕のスリープクラウドで、あの連中全てを眠らせることは出来ると思うかい?」

「……そうですね。大ホール全体に散らばっているので、難しいのではないですか?」

「そうか……」

 無力化するのなら一網打尽に……しくじれば人質に被害が及ぶかもしれない。
 ……マクシミリアンは迷った。

「殿下、あれを……」

 フランシーヌが指差す方向を見ると、大ホールの隅の方で血まみれの貴族が二人倒れていた。

「あれは一体……何があったんだ?」

「私には分かりかねます……すみません」

「もしかしたら、見せしめかも」

 二人で血まみれの貴族について意見を出し合っていると。

「あれはですね……やれ開放しろ! だの、やれ不届き者! など散々、喚き散らしたものだから、リンチにされたんですよ」

 あらぬ方向から可愛らしい声がした瞬間、マクシミリアンは杖を抜いて戦闘状態に入った。

「ちょっとちょっと! 殿下、お待ち下さい」

 声の方向を見ると、メイドの少女が両手を上げて、無抵抗をアピールしていた。

「貴女、こんな所で何をしているの?」

「知り合いか?」

「わたし付きのメイドです。でも、こんな所で……何をやっていたの?」

 フランシーヌは責める様にメイドに言う。

「あはは、勘違いしないでいただきたいですね、ミス・フランドール。私ですよ、殿下」

 メイドはフランシーヌをあしらうと、悪びれもせず自分の鼻をグニグニを折り曲げた。

「その鼻。お前……クーペか?」

「正解です殿下♪」

 誰あろう、密偵頭のクーペだった。

「殿下のお知り合いですか?」

「直属の密偵頭クーペだ。彼? いや彼女か? ……とにかくコイツは変装の名人でね」

「……そうなのですか」

「ちなみに、この顔の少女は、ちょっと別室で眠っててもらってます。同じ顔の人間が二人もほっつき歩いていたら、色々面倒ですんでね」

「そうか……ともかく、お前が自ら動いたって事は、何かあったのか?」

「何かがあったも何も、殿下が捕まってしまってたじゃないですか。それで私自ら救出に動いたんですよ」

 自分の事などお構い無しの、マクシミリアンに流石のクーペも少々呆れ気味だ。

「それにしては、動くのはずいぶん早かったな、ひょっとしてド・フランドール伯のこと……何か掴んでいたのか?」

「いえね、私たち密偵団はアントワッペンの裏事業の連中を見張っていたんですが、まさか表のド・フランドール伯爵を使って堂々と、しかもこんな短いの準備期間で反乱を起こそうとは……いやいや、私も一本取られましたよ」

 ははは、と笑うクーペにマクシミリアンは違和感を感じた。

「ド・フランドール伯爵を使って……って、黒幕が他に居るのか?」

「ええ、居ますよ、大物が……もっとも、今では風前の灯ですが」

 クーペは、大商人アルデベルテが以前起こった騒動の事と、そのアルデベルテが裏家業の連中と連絡を取り合っていた事について説明した。

「それじゃ、この事件はアルデベルテっていう奴が、プロデュースしたって事か」

「左様でございます」

「この事をフランシーヌは……」

 マクシミリアンはフランシーヌに、この事について知っているか聞いてみようと思ったがが思いとどまった。
 フランシーヌは俯いていて表情こそ見えなかったが、明らかに怒りで震えていたからだ、

「コホン……この件の黒幕は分かった。話は変わるけど、人質の彼らはどうやって救出する?」

「密偵団が5人ほど屋敷を取り囲んでいて、突入のタイミングを計っています」

「5人か、少々心許無いな」

「何分、昨日の今日ですので……ですが、トリスタニアや周辺の貴族領には既に報告が届いている頃でしょうし、夜になれば密偵団が10人ほど、増援にやってくる事でしょう」

「潜んでいる密偵団員の練度は?」

「皆メイジですが、潜入や諜報といった事が専門ですので、荒事には向いていません」

「……そうか、余り無茶な事は出来ないな」

 ここは、大事を取って夜まで待とう……と、案を練っていると……

「それともう一つ、重大なことが有ります。現在、アントワッペン市内では市民による暴動が起こっています」

「なんだって!? 暴動って……何がどうなっているのさ?」

「市内の全ての門を閉鎖して、外部との連絡を絶とうとしたのでしょう」

「そ、そんな事をすれば、町中の商人は黙っていないでしょう!」

 フランシーヌが驚いたように声を上げた。

「……早い事、暴動を鎮圧しないと。クーペ、屋敷を囲っている密偵団員に暴徒鎮圧を命じてくれ」

「……彼ら、人質の事はよろしいのですか?」

「僕たちだけで人質救出に動いても、人員が少なすぎて手が回らず人質に被害が出るかもしれない。上手く立ち回れば良いんだろうが、そんな綱渡りみたいな……博打じみた事はできないよ」」

「……なるほど、状況が動かない人質救出よりも、早急な対処が必要な暴徒鎮圧を……」

「そんな所だ……それと、肝心な事を聞き忘れてたけど、団員はスリープクラウドとか魔法の道具とか使えるんだよね?」

「もちろんでございます」

 その後、マクシミリアンとクーペは、暴徒鎮圧について詰めの協議を行っている間、フランシーヌは大ホールを見張っていてもらっていると……

「あのっ、殿下、誰か来ます」

 と、フランシーヌが告げる。

「誰だ?」

「メイジみたいです」

 三人は小窓から覗き込むと、長い鼻のメイジが取り巻きと思われるメイジ数人と供に、警備の責任者と何やら話していた。

「まずいな、メイジの数が増えたぞ」

「いかがいたしましょう?」

「そうだな……」

 三人は小窓から離れ、マクシミリアンとフランシーヌが、増えたメイジたちについて思案を巡らせている、一方で、クーペは可愛いメイドの顔で難しそうな顔をしていた。

「どうしたクーペ」

「いえね、殿下。あの長鼻の男、多分ですが、風穴のジャコブっていう奴ですよ」

「かざあな? ああ、二つ名か」

「そうです、風穴の。あの男は以前トリステインの騎士だったそうですが……まあ、それと知れた悪党ですよ」

 クーペは、風穴のジャコブについて、上司殺しと公金横領等々を説明した。
 
「……そんな奴が居たのか」

「相手は腕利きです」

「う~ん……」

 マクシミリアンが小窓から、もう一度ジャコブを覗くと……

「あっ!?」

 突如、ジャコブは人質の貴族一人の頭を魔法で打ち抜いた!

「キャアアアア!」

「な、なんで?」

 人質たちの悲鳴が大ホールに響いた。

「王子! マクシミリアン王子! 聞こえるか!」

「あいつ……なんて事を!」

「そこから大ホールを見ているのは分かっている! 人質を殺されたくなくば速やかに出て来い! 王子一人が身代わりになればここに居る人質全員を解放すると約束しよう! ……しかし!」

 ジャコブは、もう一人の人質を魔法で打ち抜いた。
 再び、悲鳴が大ホールに響く。

「下手に、時間を稼ごうとすれば人質を一人ずつ殺していこう! 時間は無いぞ! 決断しろ!」

 ジャコブは、三度人質を殺そうと杖を少女に向けた。

「く……待て!」

 マクシミリアンは思わず声を上げた。

「すぐにそこへ行く! だから、その娘は殺すな!」

 マクシミリアンは控えている二人に目を向けた。
 だが、クーペは不満そうだった。

「殿下、言っては何ですが。たかが一貴族の命と王家の……しかも、王位継承権1位の命では重さが違うでしょう」

 クーペは苦言を呈したが、マクシミリアンは取り合わなかった。

「緊急事態だ。……後は頼む」

 一方的にそう告げて、マクシミリアンは部屋を出た。


 

 

第二十話 王子の願い


 人質を殺すと脅されたマクシミリアンは、風穴のジャコブの警告に従う事にした。

「これはこれは、マクシミリアン殿下、お初にお目にかかります」

「約束通り人質は開放してもらうぞ」

「もちろんです。ですが、その前に杖を出して頂きましょうか」

「……」

 マクシミリアンは無言のまま、金ピカの杖をジャコブの足元に放り投げた。

「……ふふ」

 ジャコブはニヤリと笑い、金ピカの杖を拾った。

「殊勝な心がけです……おい、お連れしろ」

「ははっ」

 マクシミリアンは取り巻きに四方を囲まれ、連れて行かれようとした所……

「ちょっと待て」

 と、ジャコブに呼び止められた。

「ひょっとしたら、この杖は偽物で本物を隠し身っているかもしれん。全身を踏まなく探せ」

「疑り深いんじゃないか? まあ、調べてもいいけど」

「自信がお有りの様で」

「当然だろう? 下手な事をすれば人質の命が危ないからな。それと……もう一度言うが人質は解放してくれよ」

「約束しましょう。ですが、彼ら魔法衛士の解放は認められない」

 魔法衛士は杖なしでも戦力になることが予想されるからであろう。

「……分かった。用件を飲もう」

「結構です。おい、よく調べろ」

「ははっ」

 取り巻きのメイジが服を脱がし杖を隠し持っていないかそ調べ始めた。
 だが、いくら探しても、杖は見つからなかった。

「これで、信用してもらえたかな?」

「ふむ……約束通り、人質は解放しましょう」

 取り巻きの一人がジャコブに駆け寄ってきた。

「ですが、よろしいのでしょうか? 勝手に開放してしまって」

「我々の任務は王子の捜索を確保だ。それにあの豚どもを永く飼っていたら、余りの五月蝿さについ皆殺しにしかねないからな……ふふ」

「そ、そうですか」

 取り巻きは思わず後ずさった。

 一方、マクシミリアンは貴族たちの所へ行き気遣いの言葉をかけていた……

「皆の解放を約束した。これで家に帰れるから、皆、希望を持とう」

「殿下!」

「嗚呼、マクシミリアン殿下……」

 人質の貴族たちが心配そうに見ている。

「大丈夫さ、よもや殺しはしないだろう」

 そう言って、貴族たちに愛想を振りまいていると、一人の少女が申し訳なさそうに現れた。

「キミはさっきの……」

「マクシミリアン殿下、ごめんなさい」

 その少女は、先ほどジャコブに殺されかけた少女だった。
 見た目の年齢はマクシミリアンと同じぐらいだろうか。

「キミ、名前は?」

「ミシェルの申します」

「よし、それじゃミシェル。ミシェルは、一度、死に掛けたが命を拾った。この幸運を胸に、今までのような貴族らしい貴族ではなく、別の……まったく新しい貴族を目指すようにして欲しい」

「新しい貴族とは何なのでしょうか?」

「新しい貴族とは……そうだね」

 マクシミリアンは少し考えて……

「僕の考える新しい貴族、それは『ノブレス・オブリージュ』……高貴さは義務を強制する。権力の上に胡坐を掻かず、社会的地位に見合った行動もしくは責任を自分自身に課す……と、言った所かな」

「???」

 ミシェルは理解できていないようだった。

「そうだね……要するに、貴族に生まれたからには、貴族であるからには、グータラな生活は許されない……って所かな」

 少し違うかな?……と、思いつつもミシェルに説明した。

「たくさん勉強すれば、いいのかしら」

「そうだね、それと社会奉仕とかもね」

 とりあえずミシェルに言い聞かせる。

「ミシェルだけじゃない! ここに居るみんなに、もう一度聞いて欲しい!」

 人質の貴族に向かって声を上げた。

(昨日はろくに取り合って貰えなかったが……)

 マクシミリアンは人質の貴族たちにもノブレス・オブリージュを説いたが、今回の貴族たちの反応はまちまちだった。

(昨日よりは上々の反応だったが……)

 マクシミリアンは心を静める。

(もし……これで変われなかったら。残念だが……もう駄目だ)

 粛清リスト入りである。

 マクシミリアンは、貴族たちがトリステインに有用な人材に成れるのであればチャンスを与えたかった。
 可哀想だから……と、いう意味ではなく。

(貴族ぐらいしかキチンとした教育を受けていないからな)

 という理由があった。

 現在、ちゃんとした教育を受けているのは貴族ぐらいで、平民にいたっては奇特な領主が読み書き程度の教育を施すぐらいだ。
 将来的に平民に教育を施す様に改革しても人材として使い物になるのは、例外を除いては数年、十数年先だと睨んでいた。
 トリステインは永い不況からようやく脱する事ができた。だが、もっと高く、もっと先へ行くには、もっともっと人材が必要だ。

(変われるなら変わって欲しい……)

 マクシミリアンの願いが彼らに届くかは神のみぞ知る。






 この光景を見ていたジャコブは長い鼻を揺らしながら寄って来た。

「見事な演説でしたな、殿下」

「……フン。そう思うんだったら、名演説に免じて僕も開放して欲しいものだね」

「それは聞けませんね。開放なんかしたら、それこそマヌケだ」

「そんな、マヌケじゃない貴方が、何故こんな失敗すると分かっている蜂起に手を貸したんだ?」

「別にどうもしませんよ。分け前が良かった。……それだけですよ」

「金が欲しかったら、僕の所へ来ないか? 働き次第では、懐も温まるし指名手配も消してやろう」

「ははは……止めておきましょう。実の所『こちら側』の水が合ってましてね」

「それは残念」

 承諾しない事を予想していたのか、マクシミリアンはあっさり引っ込んだ。

「さ、おしゃべりはここまで。……おい、お前ら連れて行け」

 マクシミリアンはジャコブを含めた取り巻き達に連れられて行かれた。

「……あ、そうそう」

 途中、四方を囲まれたマクシミリアンは何かを思い出したように言葉を発した。

「何かしましたか? 殿下」

「名前を聞いてなかった。なんていうんだい?」

「ジャコブと申します。巷では風穴のジャコブと云われていますよ」

「なるほど覚えておくよ。……最後にもう一つ」

「注文が多いですな」

「実は朝から何も食べてないんだよね。何か食べさせてよ」

「……分かりました。おい、お前、厨房にひとっ走りして、何か持ってこさせろ」

 ジャコブはそう言って、ヤクザ者数人を走らせた。






                      ☆        ☆        ☆





 マクシミリアンを見送るしかなかったクーペとフランシーヌは、一度、屋敷から撤退する事を決めた。
 屋敷から脱出した二人は、途中、密偵団員5人を合流、その内2人を屋敷の監視用に残し街中に消えていった。

「あの、えっと、ミスタ……で良かったのかしら? ミスタ・クーペ?」

「ええ、結構でございますよ、ミス・フランドール」

 傍から見れば貴族の令嬢とお付のメイドの関係だった。

「それで、ミスタ・クーペ。これからどうするのですか?」

「まずは市内の暴動を鎮圧しましょう。その際に力を借りたい人たちが居まして、これからその人たちの所へ向かいます。上手くすれば殿下救出にも力を貸してくれるかもしれません」

「その人たちって、どの様な人たちのですか?」

「ミス・フランドールも、よくご存知でしょう。マダム・ド・ブランの皆さんですよ」

「マダム・ド・ブラン……ですか? たしか最近急成長した所と聞いていましたが……」

「まあ、詳しい話は道すがら説明しましょう」

 密偵団員を含めた5人は騒然とする街中を進んだ。



 ……しばらく街中を行くと、フランシーヌはモクモクと空へと昇る黒煙を見た。

「煙? 火事かしら?」

 フランシーヌは黒煙の昇る方向を指差した。

「あらら、あの方向はひょっとしたら……」

「なにか心当たりでも?」

「ええ、あの方向はアルデベルテ商会の方向ですよ」

「ええっ!? 一体何が……」

 驚くフランシーヌ。だが、クーペは何処かこの状況を予想していたようだ。

「アルデベルテ商会が、この街の縫製職人から恨みを買っていたのは、知っていますよね?」

「はい、聞きました」

「この暴動のドサクサに紛れて、商会を襲撃したんでしょうね」

「だとしたら……」

 フランシーヌは思わず息を呑んだ。
 この反乱を画策した、男のあっけない末路にやるせなさを感じたのだ。

「いきなりですが、予定を変更してアルデベルテ商会まで行きましょう。生きていたら身柄を確保したいので……」

「裁判にかけるつもりかしら?」

「いえ、アルデベルテの弁舌の才は、是非とも欲しいと常々思っておりまして。身柄を確保したら殿下に推挙しようかと……」

「黒幕を味方に引き入れようって言うの!?」

 元凶を生かし、あまつさえマクシミリアンの家臣にしようと画策するクーペに、フランシーヌは不信感を顕わにした。

「殿下も、同じ事をお考えなさると私は思っていますがね。要は優秀か否かの違いでしかありません」

「だ、だからと言って……」

「ミス・フランドールも殿下のご寵愛を受けたいのでしたら、それなりに有能でなくてはいけません」

「……それとこれとは」

 論点をずらされたフランシーヌは顔を真っ赤にして俯くしかなかった。




 黒煙の昇る方向へ走ると、燃え盛る建物を群集が取り囲んでいた。
 更に群集が固まっている方向を見ると悲鳴の様な声が聞こえた。

「どうやら、アルデベルテ氏は生きているようです。早く助けましょう」

「……その様ですね……悪運の強い奴」

 フランシーヌは不穏な事を言っていた。

「よし、スープクラウドを」

 クーペが命令すると、3人の密偵団員が一斉にルーンを唱え始めた。
 たちまちスリープクラウドの雲が発生し、群集の周りを漂う。

「ん?」

「なんだこれ!?」

「うう、眠くなってきた」

 3人のスリープクラウドで群集はバタバタと倒れ、残されたアルデベルテは虫の息ながらも生きていた。

「彼に水の秘薬を」

「分かりました」

 団員がテキパキをアルデベルテに治療を施した。

 それに対して、アルデベルテに思うところのある、フランシーヌは遠巻きから見ているだけだ。

「おい! おまえら、なに勝手な事してんだ!」

「コイツは八つ裂きにされたって、文句は言えないんだよ!」

 スリープクラウドの範囲外だった群衆たちがアルデベルテを奪還しようとして、たちまちクーペたちを取り囲んだ。

「……ど、どうしよう」

 フランシーヌは遠巻きから見ていたおかげで、巻き込まれなかったが、このままにしては置けない。

「もう一度、スリープクラウドで……」

 そう言って杖を取り出すと……

「ちょっと、お嬢さん。これは一体どういう事? どうして火を消さないの?」

 と、後ろから奇妙な声が聞こえた。

 フランシーヌは声の方向へ振り向くと、そこには背が低く奇妙な体系の女と5台ほどの鉄張りの馬車があった。


 

 

第二十一話 反撃の炎

 燃え盛るアルデベルテ商会を目指してやってきたフランシーヌたち5人は、市民にリンチに遭っていたアルデベルテを救出したが、逆にクーペたちは取り囲まれてしまった。
 そこに登場した、奇妙な女性は何者であろうか?

「貴女はたしか……」

 奇妙な女は身体を揺らしながら、フランシーヌの前までやって来た。

「お嬢さん! 早く火を消さないと、周りに燃え広がっちゃうわ!」

 小さくでっぷりした身体で、身振り手振りで表現する姿は実にコミカルでフランシーヌは思わず笑いそうになるが、ここはグッと堪える。

「そ、そうです! 申し訳ございません! 後ろの方達の力を貸して貰えないでしょうか?」

 フランシーヌは鉄張りの馬車に乗っていた、屈強な男達に助けを求めた。

「あの火事を消すのね?」

「あ、いえ、それも大切ですが、私の連れが危ない事にに囲まれてしまいまして」

「連れ……って、あの人たちの事かしら? 大丈夫みたいだけど?」

「ええっ!?」

 フランシーヌはクーペたちの方を見ると、そこには寝息を立てている群衆とクーペらが居た。

「あれっ?」

「ミス・フランドール。我々はこれでもプロですよ、そうそう平民に後れを取りません」

 そういって、パンパンと手の埃を払うクーペ。
 外見は可愛らしいメイドの姿だが、妙に様になっていた。

「おや、そこのご夫人はもしやド・ブラン夫人では?」

「そういう、貴女は誰かしら? 初対面じゃなくて?」

 奇妙な女性……ド・ブラン夫人は逆にメイド姿のクーペに尋ねた。

「申し遅れました。私はマクシミリアン王太子殿下直属の密偵頭、ジョゼフ・ド・クーペにございます。以後、お見知りおきを……」

 クーペは、礼儀作法を完璧にこなして自己紹介をした。

「あら、王子様の……それにジョゼフって言うから男なのかしら?」

「一応は男を名乗らせていただいております」

「それじゃ、女なの?」

「いえ……『付いている日』もあれば『付いてない日』もございます。

「……性別不詳で通したいのね。まぁいいわ」

「理解していただきありがとうございます」

 二人の奇妙なやり取りを外野で見ていたフランシーヌはハッと正気に戻った。

「ああっ!? あのっ、火事を……火を消さなくて良いんですか?」

 その一言で周りの者達も正気に戻り、それぞれ道具を持ち寄ってアルデベルテ商会の火事の消火活動を始めた。




「市内の暴動なら私達が鎮圧したわ」

 消火活動を終え、次の暴動鎮圧の為の力を借りようと、ド・ブラン夫人に話を持ちかけると『鎮圧した』と、答えが返ってきた。

「おや、それは手間が省けました。お疲れ様でした」

「なんてこと無いわ。私達の街ですもの」

 フフンッ! と、ド・ブラン夫人は鼻息荒く胸を張った。

「折り入ってド・ブラン夫人にお頼みしたい事がございます」

 クーペはマクシミリアン救出の助力を願い出た。

「まぁ! 王子様が!? ……分かったわ、協力しましょう」

 そう言ってマクシミリアン救出を承諾してくれた。

 クーぺたちは、ド・ブラン夫人に紹介されたラザールと供に、マクシミリアン救出の作戦を練り始めた。
 ……日は西へと傾き夜が迫っていた。




 ……日は落ち、夜がやって来た。

 10人の増援は予定より早く到着し、クーペの指揮下に入っている。

 そして、フランシーヌたちはド・フランドール伯の屋敷にカチこむ為、ド・ブラン夫人の用意した馬車に乗り込んでいた。

「増援が来たとしても、密偵団員と私達、そしてド・ブラン夫人の私兵を合わせて50人程度、それで大丈夫なのかしら……」

 フランシーヌが心配そうにつぶやくと、向かい側に座っていたド・ブラン夫人が前を走っている鉄張りの馬車を指差した。

「大丈夫よ、ほら、あの鉄張りの馬車には、うちのラザールが作った色々な道具が入っているの」

「ラザール……さん……ですか? 一体どういう人なんです?」

「そうね……平民だけど独学で字を覚えた程の頭脳の持ち主ね。時々、よく分からないものを発明したり、道を歩いていたら、突然、地面に数字を書いたりして……チョメチョメと天才は紙一重って奴ね」

「は、はぁ……」

 フランシーヌは何と言ってよいか分からなくなり、米神辺りから汗を垂らして相槌を打った。

「あの馬車にはどういった物が乗っているんですか」

「火薬の詰まった細長いものよ。火をつけると飛ぶのよ」

「そのラザールさんはどうしてそんな物を作ろうと?」

「そう言えば、前に言っていたわね」

「何をですか?」

「何でも子供の頃、火薬の詰まった柱とそれを積んだ、馬を使わず進む馬車を見た事あるって」

「馬を使わない馬車って……どうやって進むのかしら」

「ラザール本人もどうやって進んだのか分からないって言ってたわ」

「フネみたいに、風に乗るのかしら?」

「さぁ? しかも、火薬の詰まった柱を荷台に積んでいて、その柱は火を噴いて飛んでオーク鬼を一撃で粉砕したって」

「火を噴いて飛ぶ柱って……」

 ついに許容範囲を超えたラザールの話に……

(狂ってるのかしら……)

 と、フランシーヌは、思わずそう評した。

「でも、その出来事が切欠でこっちの道に進んだって言ってたわ。いつの日か、その馬車と同じ物を作るって息巻いてたわ」

「あの鉄張りの馬車が、目標の馬車って事なのですか?」

「ラザールは『あんな物じゃなかった』って、言ってたけど、私としちゃ十分凄いと思うわよ」

「どういう物なのでしょう?」

「そこ答えは屋敷に仕掛ける時まで取っといて。それよりも……」

 ド・ブラン夫人はフランシーヌの全身を嘗め回すように見た。

「なな、何か?」

「貴女、スタイル良いわね。どう? 今度、私の新作のモデルになる気はない?」

 と、フランシーヌをスカウトしだした!

「モデルッ!? ……モデルって何ですか?」

「フフン、モデルっていうのはね、衣服や装飾品を身に付けて人前に出て、着ている衣服や装飾品を買って貰えるように世間に売り込む為の職業よ。で、どう? やってみる気ある?」

 ド・ブラン夫人は鼻息荒くフランシーヌに詰め寄った。

「え、でも私、人前に出るのはちょっと……それに私、身体が大きすぎてサイズに合うのが有るかどうか……」

 と、コンプレックスを刺激され消極的に拒絶するが、ド・ブラン夫人は何処吹く風だ。
 
「……君は実にバカだな。身体が大きいってことは恥じるような事じゃないのよ?」

「14歳で180サント越えなんて……」

 フランシーヌはこのやり取りをしながらマクシミリアンに励まされた事を思い出していた。

(マクシミリアン殿下も同じように励ましていただいたけど……)

 再びド・ブラン夫人にも励まされた事で、わずかだが自信に繋がった。

「関係ないわよ。綺麗なのは正義なんだから」

「あの……ちょっと考えさせて下さい」

「そう、分かったわ。私はピッタリだと思っているし自信も付くから、良い返事を期待してるわね」

「はい」

 などと一人足りないが二人が姦しく喋っている一方、御者台ではメイド姿のクーペとラザールが乗っていて、手綱はクーペが持っていた。

「ああいう事、言ってますが本当の事なんですかね?」

「少々、誇張がありますが概ね奥様の言う通りです」

 車内の会話はまる聞こえだった。

「でも、面白い話ですね。馬を使わず進む馬車に火を噴いて飛ぶ柱でですか……ふむ」

「こんな与太話を信じておいでですか?」

「夢や与太話で済ますには、あの鉄張りの馬車は大掛かり過ぎる。で、実際どういう状況だったんですか? 是非、聞かせて欲しいですね」

「先ほどの奥様の話と大して変わりませんよ。子供の頃、故郷の村でオーク鬼が群れで出たって話で……」

 ラザールは、例の謎の馬車の事について話し始めた。

 ラザールが子供の頃、故郷のカルノ村の森でオーク鬼が多数目撃されたと噂になった事で、オーク鬼を恐れて森へキノコや木の実といった食料を採りに行けなくなり、村全体が困窮するようになってしまった。
 ラザール少年は、家族に良いものを食べさせたいが為に、森の中に足を踏み入れ不思議な体験をした。
 森の中をしばらく歩き、そして見たものは、鉄で出来ていて馬で引いても居ないのに前に進む奇妙な馬車と、10を超えるオーク鬼の群れだった。
 奇妙な馬車に襲い掛かるオーク鬼たちに、荷台に積んであった見た事も無い装置から、甲高い音を立てて棒のような柱のような細長いモノが飛び出すと、オーク鬼目掛けて殺到し大爆発を起こした。
 オーク鬼の群れは文字通り粉砕されて森に静寂が戻った。
 呆然としていたラザール少年を尻目に、奇妙な馬車は何処かへと去っていって、その後の行方は知れない。

 その後、村へ戻ったラザール少年は大人たちに森での出来事を語ったが、誰にも信じて貰えず逆に嘘つき呼ばわりされてしまった。
 あの日の出来事が忘れられないラザール少年は、『信じて貰えないなら自分で作ろう!』と、村で唯一、字が読める村長に懇願して字を教えて貰い、独学で勉強をはじめるようになった。
 
「その後の事は、敢えて言うまでもないでしょう。奥様に見出されて、マダム・ド・ブランの発展に貢献するようになった」

「なるほど、実に面白い」

「信じるおつもりですか?」

「信じるに足る、実力をお持ちになった。そこで相談があるのですが、ミスタ・ラザール、マクシミリアン殿下の下で働いてみませんか?」」

 案の定、勧誘を始めた。

「マクシミリアン殿下の下で……ですか。大変、魅力的ですが拾って貰った奥様に恩がありますので、よく考えてから返事を出したいと思っております……待ってもらってよろしいですか?」

「分かりました」







                      ☆        ☆        ☆








 日はすでに暮れて数台の馬車は、夜のアントワッペン市を疾走していた。

「奥様! ミスタ・クーペ! 前の方に大量のかがり火が!」

 ラザールの声で一同は緊張状態になった。

「おお~い! 俺達も連れてってくれ~!」

 敵かと思ったら、マクシミリアンが捕まったと聞いて居ても立っても居られなくなった市民100人程だった。

「あら、どうしようかしら?」

「ド・ブラン夫人、私としては少しでも数が多いほうがいい。彼らを参加させるのに賛成です」

「そう、分かったわ。参加を認めましょう」

「ありがてぇ!」

「俺達の手で、王子様を助けるんだ!」

『おお~!』

 そんな、やり取りをして市民達は馬車に続くように追ってきた。

 やがて、従う市民の数が徐々に増えて、1000人を超えるようになった!

「ずいぶんと増えましたね」

「でも、助かったわ、私達だけじゃ心もとなかったもの」

 フランシーヌとド・ブラン夫人が、車窓を開けて様々な歓声を上げる市民達を見て感想を述べた。
 そこに、クーペが車窓から顔を出した。

「屋敷から密偵が戻りましたよ」

「え? なにか状況が動いたの?」

「はい、報告は二つ。まず、人質の貴族の皆さんが開放されるみたいです。人質の半数が荷馬車に乗せられているのが確認されました」

「それは、良い報告……と、言って良いのかしら」

「盾にされるよりはマシでしょう。それと、もう一つ、これは悪いニュースですが、向こうの兵隊はヤクザ者だけかと思っていましたが、それとは別にヘルヴェティア傭兵を100人以上雇ったみたいです」

「ヘルヴェティア傭兵?」

 フランシーヌの問いにド・ブラン夫人が答えた。

「ヘルヴェティア傭兵っていうのはね、ゲルマニア南西部の山岳地帯ヘルヴェティア辺境伯領が、外貨を稼ぐ為に行っている輸出産業のことよ」

「輸出産業? 人を輸出しているんですか?」

「そう、ヘルヴェティア辺境伯領は、山々の間にある高地地帯なものだから農業は余り発達してなくてね、外貨を稼ぐ為にゲルマニア皇帝から許可を得て傭兵として外国に出稼ぎに行ってるのよ」

「メイジが出稼ぎをしているってことですか?」

「そういう事ね、精強だけど普通の傭兵の5倍以上は費用がかかるって言うわ」

(そんな、ヘルヴェティア傭兵が100人も……)

 フランシーヌは思わずうつむいてしまった。

「風穴のジャコブも居るし、無謀なんじゃ……」

 と、弱音を吐いてしまう。

「今更、弱音を吐いても仕方が無いわ、もう後戻りは出来ない、行くところまで行くしかないのよ」

 ド・ブラン夫人はフランシーヌを叱咤した。

 一方、クーペとラザールは救出作戦の修正を協議していた。

「市民1000人で屋敷に雪崩れ込んでも、ヘルヴェティア傭兵に蹴散らされるのがオチですね」

「ミスタ・ラザール。なにか策はお有りで?」

「正面からぶつかっても勝ち目は無いですから……それに1000人の市民が逆に機動性を重くしている。」

「それならば、二手に分かれましょうか? 屋敷を包囲する部隊と潜入する部隊に」

「妥当な所でしょう。ミスタ・クーペが潜入部隊、我々が包囲部隊……と、いったところでしょう」

「分かりました……それと、人質の皆さんの事ですが、お任せしてもよろしいでしょうか?」

「気位の高い貴族様の相手をですか。正直、勘弁願いたいですね」

 ラザールは不満気だ。

「貴族の相手なら私に任せて、ラザールは指揮に専念して」

 ド・ブラン夫人が窓から顔を出し協議に加わった。

「あ、あの! 私も! 私も連れてって下さい!」

 フランシーヌもひょっこりと顔を出した。

「本当にいいの? 場合によっては貴女の屋敷もただでは済まないでしょ?」

「それに兄君の事も……」

「心配無用です。こうなってしまってはド・フランドールの家を失う事も覚悟の上です」

「……分かりました。ミス・フランドールは潜入部隊として密偵団と同行していただきます」

 一同は頷きあった。





 


                      ☆        ☆        ☆





 ド・フランドール伯の屋敷では、人質の貴族達が馬車に乗せられていた。

「痛い痛い、もう少し優しく乗せてくれたまえ」

 痛がる貴族を無理やり馬車に乗せた。

「それで最後だな」

「なぁ? 本当に開放していいのか?」

「心配ねぇよ、王子を捕まえれば他の連中は用済みだって、お上の連中が行ってたしな!」

「用済みって、まさか! 私達を殺すつもり!?」

「なんて奴だ! 殿下との約束を破るのか!」

 ヤクザ者の話を聞いていた、貴族達が騒ぎ始めた!
 反抗しようにも、貴族達は手足を縛られ荷馬車の荷台に放り込まれた状態なため、それもできない。

「だが、王子との約束もあるからな、生きて帰れるかはお前達の運次第だ。おい、やれ!」

「ハハッ」

 解放の指揮を取っていたジャコブが指示を出すと、ヤクザ者らが大量の麦わらを馬車に積まれた貴族達の上に積み始めた。

「これはいったい何の真似だ!」

「ただ、殺した後、解放するのでは芸が無いからな、麦わらに火を放って燃やした状態でお前達を解放すれば、きっと、賑やかな事になるだろう」

 貴族達の顔から血の気が失せた。

「なんて奴だ!」

「馬鹿め! 人質をすんなり解放するものか!」

 ジャコブは杖を手に取ると、同時に市内の方向から一発のファイアー・ボールが闇夜へと昇っていった。

「何だ!?」

「わ、分かりません!」

 この一瞬の隙を突いて、何者かが茂みから小瓶のようなものを放り投げた。
 放たれた小瓶が石畳で割れると中に入っていた液体が大量の煙幕を発生させた。

「何だと!?」

 ジャコブたちが煙幕に戸惑っている隙に、何者かは荷馬車の御者台へ飛び乗るとすぐさま発進させた!

「そう易々と逃がすか!」

 ジャコブは杖を振るい『ウィンド』を唱え、煙幕を払おうとしたが、どういう訳かウィンドに吹かれても煙幕は掻き消される様な事にはならなかった。

「何なんだ!? この煙は!」

 謎の人物、言わずもがな密偵団員が投じた小瓶は、マクシミリアンが開発した煙幕の秘薬で、よほど強力な風でないと掻き消えるような事はない特殊な煙幕だ。

 煙幕のせいで、混乱したヤクザ者達は四方に発砲し、同士討ちを始めてしまった。

「撃つな! 止めろ!」

 ジャコブが怒声を発し同士討ちを止めている内に、荷馬車は悠々と去っていった。
 そして、煙幕を発生させる液体も全て無くなった事で、ようやく煙幕も晴れた。

 だが、攻撃の手は止まる事はない。

「あれは!?」

 一人のヤクザ者が空を指差すと、そこには100を下らない大量の発光体が甲高い音を立てて屋敷目掛けて降り注ごうとしていた。

「ファ、ファイアー・ボールの一斉発射!? トリステインの援軍が到着したのか?」

 ジャコブは思わずつぶやく。

「くっ! 戦闘準備だ! 傭兵の連中を呼んで来い!」

 指示を飛ばし、物陰に隠れると、空から降り注ぐ発光体がついに着弾、小爆発を起こし屋敷の一部を燃やし始めた。

「ファイアー・ボールではない!?」

 ファイアー・ボールと思われた発光体の着弾点へと足を進めると、火薬の臭いが漂い、何かの燃えカスが散らばっていた。
 これこそ、かつてラザールが見た物を見よう見まねで再現した、ハルケギニア版多弾装ロケット砲だ。
 しかし、肝心の威力はというと、オモチャのロケット花火を少々強力にした程度に過ぎない。

「また来るぞ!」

 その言葉で、ハッとなったジャコブは再び物陰に避難すると、所々で爆発炎上し何人かのヤクザ者も巻き込まれていた。

「これじゃ、どうする事もできないぞ」

 そう言って、屋敷を見るをジャコブに、ハッと気付かせるものがあった。

「屋敷のほうには火の手は少ない、もしやこのファイアー・ボールもどきは囮で本命は王子奪還か!?」

 そう、答えを得るや否や、ジャコブは屋敷内へと駆け出した。




 

 

第二十二話 アントワッペン市街戦・前編


 時間は少し遡る。

 ジャコブに投降したマクシミリアンは、ヤクザ者たちに連れられて、二階の大広間の様な大き目の部屋に来た。
 そこには、ド・フランドール伯を始め、いかにも『裏社会の重鎮』と、いった者達が揃っていた。

「また、お会いしましたね、ド・フランドール伯。彼らが貴方の言う大切なお友達ですか?」

「よくもまぁ……ぬけぬけと!」

 『重鎮』の一人は、顔を歪ませた。

「マクシミリアン殿下、我々としては手荒な事はしたくないのですが、こうも好き勝手をやられると看過して置けません」

「どうするつもりだい?」

「この中に入っていただきます」

 パチンと、指を鳴らすと一人のヤクザ者が部屋の隅っこに有ったシーツを引っ張ると、そこに現れたのは、1メイル程度の小さな檻だった。

「……僕は獣かい?」

 さすがのマクシミリアンも米神をヒクヒクさせた。

「殿下が悪さをしないためです。さ、お入り下さい」

「分かったよ」

 マクシミリアンはため息をついて、檻の中に入った。

「やれやれ」

 と、マクシミリアンが檻の中で胡坐をかいていると、ヤクザ者が料理を持ってやって来た。

「どうした。だれも食事を頼んでないぞ」

 重鎮の一人が言うと、マクシミリアンが

「ああ、僕が頼んだ」

 と、答えた。

 室内では舌打ちの大合唱が聞こえる。

「さて、いただきます」

 重鎮達から嫌味たっぷりの視線を受けつつ、マクシミリアンは料理に手を付けた。
 献立は、温めたシチューにプレーンオムレツと白パン2個、水をコップ一杯だけだ。

「オムレツは好物なんだ」

「そうですか、良かったですね」

 あまりのふてぶてしさに、ド・フランドール伯も呆れ顔だ。
 マクシミリアンはナイフとフォークでオムレツの解体を始めると、ナイフに妙な手ごたえを感じた。

(……おや?)

 他の連中にばれないように、異物を検めると、オムレツの中か紙が出てきた。
 紙に書かれた内容は、これから起こる反抗作戦の詳細が簡単に書かれてあった。
 おそらく、密偵団が料理の中に混ぜたのだろう。

(……むぐぐ)

 マクシミリアンは証拠隠滅のため作戦書を食べ物と一緒に飲み込んだ。
 そして、水で流しこみ何食わぬ顔で他の料理に手を付けた。

 結局、この行動は不審に思われることは無く、マクシミリアンは反抗作戦開始まで待つことにした。


 ……


 ……待つこと数時間。
 重鎮達は、しばしば檻に入ったマクシミリアンを興に入った目で眺めていた。

「檻に入った僕は、そんなに珍しいかい?」

「トリステインの長い歴史の中で、檻に入れられた王子なんて聞いたこと無いですよね? ひょっとしたら初めての快挙なのでは?」

「悪趣味だな」

「お褒めに預かり恐悦至極……」

「ちぇっ」

 などと、嫌味合戦をしながら時間とつぶしていると、その時がやって来た。

 パンパンパンと、破裂音が何度も聞こえ屋敷周辺が騒然とし始めた。

「何の騒ぎだ?」

「どうした!?」

「お前ちょっと聞いて来い」

 大広間でも外の騒ぎが漏れ聞こえたのか、騒ぎになり始めていた。

(さて……オレもそろそろ動くか)

 マクシミリアンは一つ深呼吸すると、フォークを逆手に持って自分の左腕に突き刺した!

「お……おい、何やってんだ!」

「気が狂ったか!?」

「止めろ止めろ!」

 突然の行動に重鎮達はマクシミリアンの正気を疑った。

 ザクッザクッと、目じりに涙を溜めながらフォークを突き立てた。もう左腕は血まみれだ!
 そして、マクシミリアンは指を傷口に突っ込むと何かを引き抜いた。

「ああっ!?」

 左腕の中から引き抜いたもの。
 ……それは、タクト型の杖だった。
 マクシミリアンは投降する前に自分の杖を左腕の中に埋め込んでいたのだ。

「狂ってる!」

 唖然とする重鎮の一人は、率直な感想を言った。

「僕もそう思うよ。けどね、お前らの裏をかくには正気じゃ駄目なのさ」

 ヒーリングで左腕を治しながら言った。

「そして!」

 マクシミリアンは杖を振るうと、突如、室内に突風が吹きすさび、室内の調度品を滅茶苦茶にし、全ての窓ガラスを粉砕、ド・フランドール伯を含めた重鎮全員が壁に叩きつけられた。

「こんなふざけた反乱。とっとと終わらせるべきなのさ」

 『アンロック』で檻を開け、悠々と外に出ると、扉のところに風穴のジャコブが立っていた。

「やってくれましたな殿下。まんまと騙されましたよ」

「たしか、ジャコブだったか」

「覚えて御出ででしたか……それよりも」

 ジャコブはチラッと、壁に叩きつけられてノビている重鎮たちを見た。

「見事な『ストーム』ですな」

「ストーム? フフ、ちがうな!」

「?」

「さっきのは『ウィンド』だ!」

 啖呵を切ったマクシミリアンに、ジャコブはフハッと噴き出すと楽しそうに杖を向けた。






                      ☆        ☆        ☆





 ……所変わって。

 ド・フランドール伯の屋敷と市街地との間には大きな広場がある。

 ラザールが取った作戦はヘルヴェティア傭兵やヤクザ者達を遮蔽物の広場に誘き寄せ、クーペたち潜入部隊の屋敷内の活動を容易にする事が一つ。
 もう一つが、傭兵らを遮蔽物の少ない広場に誘き寄せ、自分達は住宅や鉄張りの馬車などを陣地化させて、陣地防御によって敵の数を減らしておく計画など。
 そして最後に、陣地を蜂起した後、狭い路地裏に誘き寄せゲリラ戦で疲れさせ包囲殲滅する事などの三項目を作戦に採用した。

「ミスタ! 『蜂の巣』は弾はこれで最後です!」

「ミスタ・ラザール、近隣住民の全員退去、終わりましたよ」

「ご苦労様、今度は罠を仕掛けるのを手伝ってくれ」

「分かりました」

 そう言って、去っていく市民達。
 ちなみに『蜂の巣』とは、ラザールが作った、ハルケギニア版多弾装ロケット砲の事で蜂の巣に似ていた事から名づけられた。

「後ろから出るガスに注意しろ」

「撃て!」

 『蜂の巣』のロケット弾十数発が、甲高い音を立てて、空へと昇っていく。
 空は厚い雲で双月の光は地上へ届かず、市内は真っ暗闇で『蜂の巣』のロケット弾の爆発で発生した炎が唯一の光だった。
 
「ミスタ・ラザール、話がしたいという連中が来てるんですが」

「話を? 何と言ってるんだ?」

「分かりません。ただ、責任者に会わせろと……どういう用件か聞いても、とにかく合わせろの一点張りで」

「この忙しいときに……分かった、とにかく会おう」

 ラザールが持ち場を離れ、会いたいという連中に会ってみると、10人程度の男達がラザールに詰め寄ってきた。

「お前が関係者か! お前は一体何を考えてるんだ! 俺達は王子様を助ける為に手を貸したんだ! なのに何でこんな所で油売ってるんだ!!」

 いきなりまくし立てられた!
 要はさっさとマクシミリアン奪還のために屋敷に突入すべきだ! という用件だった。
 戦略戦術が分からずに情熱だけで参加した市民たちに、ラザールはなるべく分かりやすく作戦を説明したが、理解できないのか市民達は不満げだ。

「相手はメイジです。メイジの恐ろしさは皆さんがよく知っている事でしょう? ですから作戦成功の為にも皆さんの力が必要なのです。王子様奪還の為にもどうか私の指示に従ってください」

 ラザールは重ねてお願いした。
 市民達も『もう一押し』と、いった感触だったが、ここで凶報が届いた。

「ラザールさん! 敵が来ましたよ!」

 息せき切って男がやって来た。

「……他の皆に戦闘準備を。それと皆さん、どうかよろしくお願いします」

「……ああ」

 文句を言いにきた連中は不承不承で頷き戻ったものの、不安を残しながらラザールは持ち場に戻った。








                      ☆        ☆        ☆





 暗闇の中で、今まさに戦闘が始まろうとしていた。
 指揮所代わりに借りた、二階建ての宿屋の屋根裏部屋にラザールは戻った。
 ここならば、戦場になる広場が一望できる。

「どうでしたか? どのくらいの数がいましたか?」

「それが……予想では100か200ぐらいと聞いていたんですが、それ以上の人影が見えました」

「まだ敵は戦力を隠し持っていたのか?」

 ラザールは唸った。
 その時、暗闇の先で何かが動いた。

「何か来る!」

「戦闘配置は?」

「完了しています」

 やがて夜目が利いてくると、敵の姿が分かるようになった。

「あれは……」

 ガチッガチッと、規則正しく行進する敵の姿はというと……

「ゴーレムだ! 人間と同じくらいの大きさのゴーレムが……500以上は居る!?」

 ヘルヴェティア傭兵が作り出した人間大の鉄製ゴーレムが500~1000体、戦列を組んで行進してきた。
 ゴーレム一体一体のデザインは違うが、全てのゴーレムに5メイル以上の長大な槍『パイク』を持たせていた。

「ゴーレムが多すぎる! ミスタ! あのゴーレムは術者を殺れば消えるんだよな!?」

 狙撃手役の男がマスケット銃を片手に効いてきた。

「おそらくは……ただ、この暗闇では誰が誰だか分からない」

「ん? あ! あいつら!」

 狙撃手役の男が声を上げ指差した。
 指先の向こう側には、市民兵100人程がゴーレムに突撃をかけ様としていた。
 その中に先ほど、ラザールに文句を言いにきた男たちも含まれていた。
 いや、むしろこの暴走を先導していた。

「何を勝手な事を! 今すぐ連れ戻すんだ!」

 しかし、時すでに遅し。
 突撃を察知したゴーレムたちは陣形を密集方陣に変えた。

 大量の槍衾に守られたヘルヴェティア傭兵に、真正面から突撃した市民達。
 先頭を走っていた一人の市民が、大量の槍衾に怖気づき足を止めてしまった。
 人は急に止まれない……なんて言葉があるように、後続の市民に押された形になった男はそのままパイクに串刺しになって死んだ。
 その後も、ある者はパイクで叩かれ死に、ある者は突かれ死んでいった。
 辛うじて生きながらえた者達も逃げる途中に、密集方陣の内側からのファイアー・ボールやエア・カッターで死んでいった。

 援護をしようと、屋根裏部屋からマスケット銃を方陣の内側に向けて放ったが、内側はエア・シールドに守られ効果を得なかった。
 外側は鉄製ゴーレムでガッチリと固めて内側のメイジたちへの侵入を防ぎ、状況に応じてヒーリングやエア・シールドなど魔法を駆使して補助する。
 彼らヘルヴェティア傭兵の中に勇者は居ない、ここで言う個人は組織という名の機械の歯車の一つでしかない。
 この鉄壁の布陣を前に暴走した市民は皆殺しにされ、メイジの放ったフレイム・ボールが次々と家屋やバリケードを燃やし破壊した。

「……」

「……」

 この一方的な光景に屋根裏部屋には沈黙が落ちた。

「やはり、メイジに勝つのは無理だ」

 ポツリと誰かがつぶやいた。
 この言葉が次々と伝染して行き見る見るうちに士気が下がっていく。

「みんな、戦いは始まったばかりだ。それに、あのヘルヴェティア傭兵の陣形に、何の備えも無く情熱のまま突っ込んだ彼らはハッキリ言えば愚かだ! だが、私は違う、あの陣形を破る方法を知っている、諦める前に私に指示に従って欲しい」

 ラザールの鼓舞で辛うじて崩壊は回避した。

「で、あの陣形を破る方法とは?」

「大して難しい事じゃない。あの広場だからこそあの陣形を張る事ができたんだ、陣形を張る事ができない路地裏に誘い込む。つまりは作戦の第三段階に移行するように各部署に通達を、バリケードは誘引用意外は放棄を」

 ラザールの言葉に活気を取り戻すと、市民達は伝達のために各部署へ散って行った。

 まだ戦いは始まったばかりだ。






                      ☆        ☆        ☆






 ド・フランドール伯の屋敷から脱出した、貴族達を積んだ荷馬車は降り注ぐロケット弾を、避けるように進路を取り無事に安全圏に退避した。

「皆様、大変ご苦労様でした」

 応対したド・ブラン夫人はユーモラスに一人一人に声を掛けた。
 気位の高い貴族の逆鱗に触れないように言葉を選ぶ。

「皆様の杖も取り戻しておきました……」

 奪われた杖を返した。

「まったく、あの不届き者ども……どうしてくれようか。後で首を切ってくれよう」

「それよりも、早くお風呂に入りたいわ」

「そうだな、なにかワインに合うものを食べたいな」

 死の危険から遠ざかった事で、好き勝手な事を言い始めた。

 一人の少女を除いては……

「ちょっと! ちょっと待ってよ!」

 少女が貴族達に言い寄った。

「今、マクシミリアン殿下を助ける為に民衆が命を賭けて戦っているのよ! それなら、貴族である私達も彼らに協力すべきよ!」

 声を荒げた少女は、マクシミリアンに命を助けられた少女ミシェルだった。

「この娘は何を言っているんだ?」

「この者はマクシミリアン殿下にお声を掛けられた少女では?」

「まあまあ、彼女はマクシミリアン殿下に直接お声を掛けて頂いた事で舞い上がっているのでしょう」

「若い者は、何かと新し物好きですから。殿下のあのような言葉を本気にしてしまったのでは?」

「まったく、殿下にも困ったものだ」

「まったくです」

 ベラベラと喋る貴族達に、ミシェルはわなわなと震え、その怒りは頂点に達した。

「貴方達は……貴方達は一体今まで何をやってたんですか!」

「いきなり何を……」

「さっきまでは、殿下の前では神妙そうに話を聞いていたのに! あれは嘘だったのかっ!!」

 ミシェルの言葉に徐々に剣呑になる貴族達。

「何処の木っ端貴族の娘か分からんが、無礼な!」

「何が無礼なもんか!」

「お嬢さん、そういう口の利き方は良くないよ」

 口の利き方をたしなめられながらも、ミシェルは民衆を助けようと説得をしたものの、多勢に無勢だった。

「……もういい! こうなったら私一人でも助けに行く!」

 痺れを切らしたミシェルが単騎での突撃を言い出した!

「え!? ちょっと待って」

「もう待たない! そこの人! 空いている馬か何か有りませんか?」

 ミシェルはド・ブラン夫人に聞いた。

「そうねえ、あの馬なんかどうかしら?」

 そう言って、馬小屋に繋がれている、数頭の馬を指差した。

「ありがとう!」

「けど、お勧めしないわ。死にに行くようなものよ?」

「こういう時こそ貴族の真価が問われるのよ。このまま民衆を見捨てたら貴族を名乗る資格は無いわ!」

「ちなみに馬には乗れるの?」

「たしなみ程度に!」

「そう、分かったわ。それと私も行くから」

「その身体で乗れるんですか?」

「貴女の後ろに乗せて貰うわ」

 身長が130サントぐらいででっぷりした身体では馬には乗れない。

「分かりました」

 手ごろな馬を引いてきたミシェルは、卸したてのドレスのスカートの裾を破って馬にまたがった。
 ド・ブラン夫人は杖を出してレビテーションで浮かびミシェルの後ろに乗った。

「僭越ながら、私めも連れて行ってはいただけませんか?」

 声を上げたのはマクシミリアン付きの執事セバスチャンだった。
 セバスチャンは前装ピストル2丁と銃剣を付けたマスケット銃で武装していた。

「心強いわ、ミスタ」

「失礼ですが、鉄砲を撃った事は?」

「若い頃はメイジ殺しとして、それなりに名前を売っていましたので力になれるかと……」

 そう言いながらセバスチャンも馬小屋から馬を引いて来た。

「分かりました、おねがいします……マクシミリアン殿下のお言葉が心に響いたのなら私に続け!」

 ミシェルは杖を天高く上げて叫んだ。

「民衆を救う事に古いも新しいもない! 貴族としての義務を果たすまでだ!」

 ミシェルの演説に心が動いた貴族が一人二人と現れた。

「ありがとう……行こう! 民衆を救う為に!」

 ミシェルとド・ブラン夫人を乗せた馬は駆け出す。
 それに続くセバスチャンと一部の貴族達……空はまだ暗いが少しづつ白みがかってきた。

 後に、マクシミリアン旗下で猛将と名を轟かす、ミシェル・ド・ネルの若き日の姿があった。

 

 

第二十三話 アントワッペン市街戦・後編

「軍師殿、追撃しようと思うんだが」

 ヘルヴェティア傭兵の本陣では、雇い主である重鎮の一人が追撃の相談をしていた。

「どう思う? アントワーヌ」

「わざわざ、不敗の陣形を崩すなんて馬鹿げてるよ、アンリ」

「うん、ぼくもそう思うよ、アントワーヌ」

『と、いう訳でボス。追撃はなりません』

 ヘルヴェティア傭兵の軍師、兄のアントワーヌ、弟のアンリの優男風のジェミニ兄弟は双子の特殊能力なのか見事にハモり、重鎮の案を否定した。

「なぁ!? 何故だ!?」

『陣形を崩すのは大変危険です』

「だが、相手は所詮平民だ、押し切れば問題なかろう」

 自身も平民なのを棚に上げて重鎮は言った。

『あの、ファイアー・ボールもどきの事もあります、平民と侮って力押しすれば痛い目を見る事になるやも知れません』

 長文も見事にハモった。

 普通なら傭兵隊長と呼ばれる者が傭兵らを指揮するはずだが、たまに傭兵を指揮して将軍気分を味わいたい雇い主が居た。
 そういう場合は軍師役の人物を同行させ、その軍師に様々な助言や編成、補給の手配など、その他諸々を行わせていて、その場合の費用は数倍高く設定されていた。
 これが割りと好評で、軍事に無知な雇い主は大抵、軍師の助言をそのまま取り入れた。こういう雇い主は傭兵にとってはありがたい存在で懐的にも美味しい相手だったが、下手に軍事をかじった雇い主は危険な存在だった。
 何かと自分の描いた戦法で戦いたがる雇い主のヘソを曲げさせないようにするために、軍師役には戦略や戦術以外に弁舌の能力が必要不可欠だった。

 しかし、ジェミニ兄弟は
戦略や戦術は超一流なのだが肝心の弁舌は壊滅的に駄目だった。

『そういう訳で陣形を崩すのは駄目です』

「……ぐぬぬ」

『何ですか? 分からないんですか? 1から10まで説明しないと駄目ですか?』

 プルプル震える重鎮を、再三なじるジェミニ兄弟についに我慢の限界が来た。

『ですが、我々に良い案が……』

「うるさいわっ! おっおのれーっ! ……クビだぁー! クビッ! クビィーッ!」

 ついに爆発した重鎮はクビをジェミニ兄弟に告げた。

『あっ』

 と、いう間に事態は急変した。
 クビになったジェミニ兄弟を置いて、ヘルヴェティア傭兵は陣形を崩し市内に突入した。

「また、やってしまったな、アントワーヌ」

「これからどうしようか? アンリ」

『はぁ……』

 ため息が漏れた。

「あ、そうだ、アンリ」

「どうしたんだい? アントワーヌ」

「聞くところによると、トリステインの王子は多少問題があっても有能なら雇ってくれるらしいよ、アンリ」

「聞いたことがあるよ、アントワーヌ」

『僕らを売り込みにいこうか』

 そう言ってジェミニ兄弟は屋敷の方向へ足を進めた。




                      ☆        ☆        ☆





 広場から去ったラザールたちは、ヘルヴェティア傭兵の追撃を今か今かと手ぐすね引いて待っていた。

「……さて、来てくれるかな?」

 ラザールは一人、明かりの無い部屋の中でつぶやいた。

「ミスタ、物見からの報告で、傭兵連中が来たそうです。陣形も崩しているようです」

「うん、それでは手はず通りに」

「はい」

 男は去っていき、再びラザール一人になった。

「上手くいってくれれば良いが……」

 ゆっくりと歩き窓を開けた。
 すると、暗い空の下、何処かの路地裏で閃光が走った。

「始まった!」

 ラザールは窓を閉め足早に部屋を出て行った。






                      ☆        ☆        ☆





 閃光が走り、数名のメイジが爆風で、壁に叩きつけられ動かなくなった。

「何があった!」

「分かりません、いきなり爆発して……」

 ジェミニ兄弟をクビにして市街地に突入したヘルヴェティア傭兵は、当初は何の抵抗も無く前進し続けた。
 しかし、迷路の様な市街地に気付かないうちに、兵力を分散していった。
 そして、先ほどの爆発でヘルヴェティア傭兵たちは悟った。

『自分達は罠にはまったのだ』

 だが、今更悔いても遅い。
 ヘルヴェティア傭兵は暗闇とトラップとゲリラ戦術の地獄の釜に放り込まれた。
 
 ……一方、別の場所では。

「誰かライトだ、ライトを使え、こう暗くちゃ何も分からん」

「了解だ」

 一人の傭兵がライトのルーンを唱えると、パッと、路地裏が明るくなった。
 だが、『それを待っていた』と、言わんばかりに、積まれた樽の影や塀の上や屋根の上などから銃撃やレンガ、家財道具が傭兵達へと降りそそいだ。 

「エア・シールド!」

「アース・ウォール!」

 傭兵達は魔法で防御してしのいだ。

「退け!」

 市民達はすかさず逃走した。

「逃がすな!」

「追え!」

 傭兵達も逃げる市民を追撃した。
 しかし、積まれた樽を通り過ぎようとすると、樽は大爆発を起こした!

「ぎゃああああ!」

「退けっ、罠だ!」

 数人は爆発に巻き込まれたり、別の数人は爆発で崩れた家屋の下敷きになった。

 こういった事は、路地裏のいたる所で起こった。

 ラザールの作った特製火薬にド・ブラン夫人がディテクトマジックを付加する事で完成した、この地雷はディテクトマジックの効力で人が近づくと作動する仕組みになっていた。
 主に樽や防火用の水桶などに中身を取り出し火薬を入れて地雷をすることにした。
 中には釘や針などを混ぜて即席の対人地雷にしたものもあった。

 街のあちこちで爆音が響き、メイジ相手に有利に戦えていた。

 ……しかし、数千年間、平民らを支配し続けていたメイジは、そう甘くは無かった。
 戦闘のプロは伊達ではないのか、緒戦の混乱から回復すると傭兵軍は徐々に反撃に転じ始めた。
 ファイア・ボールやフレイム・ボールが家屋を焼き、エア・カッターが逃げ遅れた市民を切り裂いた。
 そして、極めつけは……

「あれを見ろ!」

 一人の市民が窓から指を刺すと、そこには10メイル超の巨大なゴーレムが居た。
 ゴーレムはレンガ造りの家屋を次々と破壊して周り、家屋の中で待機していた市民も巻き込まれた。
 
「おい! 止めろ! 止めるんだ!」

 ゴーレムの足元辺りで重鎮が騒いでいた。

「こんなに壊したら、独立しても旨みが無いじゃないか!」

 独立後の事を考えて、なるべく都市を無傷のままで手に入れたかったらしい。

「止めろっ……止めろーっ!」

 重鎮はゴーレムの足にへばり付こうと飛びついたが、ゴーレムが足を上げたことで重鎮の身体は宙に舞った。

「ゴフッ、おお? 止め……!」

 そして、地面にキスした重鎮はゴーレムの足によって踏み潰され死んだ。

 現場は大混乱になった。
 巨大ゴーレムが暴れ周り、メイジの魔法が四方に飛んで家々を焼き、市民達は逃げ惑った。

「まずいな、これでは戦闘どころではない」

「ミスタ、大多数の傭兵は戦闘不能にしましがた、あのゴーレムのせいで現場は混乱。相手は降伏する気配はありません」

 傭兵を言うものは、良くも悪くも利に聡い人種だ、自分達が不利になれば、撤退などの何らかのアクションを起こすはずだったが、混乱の性でそれは見られない。
 ラザールは知らないが、傭兵軍はジェミニ兄弟をクビにした後、後任を任命することなく市内へ突入して、総大将の重鎮が死んでしまったために指揮系統が喪失して末端の傭兵達は状況が分からず独自の判断で行動していた。

 ラザールは少し考えて……

「あの、巨大ゴーレムを倒せば相手の戦意を挫く事が出来るかも……すまないが、みんなに頼んでありったけの火薬を用意するように伝えてくれ、場所はマダム・ド・ブランの裏倉庫にあるはずだ」

 と言った。

「分かりました」

 市民数人が去っていった。

「これだけ暴れれば、奥様も気付くはずだが……貴族達の相手に手間取っておられるのであろうか」






                      ☆        ☆        ☆






 一方、ミシェルやド・ブラン夫人の一団は市民達の救援のために馬を走らせていた。

「大変な事になっているみたいね」

「あのゴーレム……私達の力を結集すれば倒すことが出来るんでしょうか?」

 ミシェルが目を向けた先には、燃え盛る多くの家屋を背に暴れ回るゴーレムの姿だった。

「ゴーレムのことについては私に任せて、ミス・ネルは他のみんなと協力して市民達の救援を」

 ド・ブラン夫人はミシェルに言い聞かせ後ろを振り返ると、セバスチャンの他におよそ10騎のメイジが付き従っていた。

 時代が変わりつつある……
 今まで民衆の為、平民の為にと命を賭けようとする貴族は皆無だった。
 マクシミリアンの登場とその行動で、貴族の中に新たな価値観が生まれ始めた。
 ド・ブラン夫人は、時代の変革に立ち会うことが出来た感動に、思わず目を潤ませた。

「さぁ! 行くわよ…」

 ド・ブラン夫人はルーンを唱え杖を振るうと巨大なゴーレムが現れた。

「おお!」

「これなら!」

「さ、みんな、あのゴーレムは私に任せて!」

 ド・ブラン夫人はレビテーションを唱えて巨大ゴーレムの頭頂部に飛び乗った。

「ミス・ネル! 後は任せたわよ!」

「はい、みんな行こう!」

『おおーっ!』

 ミシェルたちはゴーレムに踏まれないように馬を駆り市民達の救援へと向かった。

「行ったわね、さぁ! あのゴーレムをやっつけるのよ!」

 地響きを立ててド・ブラン夫人のゴーレムは敵のゴーレムに襲い掛かった!

 ド・ブラン夫人のゴーレムは、敵ゴーレムに右のストレートを繰り出した。
 敵ゴーレムは、まともに食らいバランスを崩して瓦礫後に尻餅をついた。
 ド・ブラン夫人のゴーレムはそのまま組み付いた。

「うわぁ!」

「危ないぞ!」

 舞い散る砂埃や土砂に辺りの多くの市民達は巻き込まれそうになったが難を逃れた。
 組み付いた状態で敵ゴーレムを何度も殴ったがすぐに再生して決定打を与えられない。

「奥様! そのまま取り押さえておいて下さい!」

 ラザールが家屋の隅から現れて手を振ると、大きめの樽を抱えた市民達がワラワラを現れ組み付いた2体のゴーレムへと殺到した。

「分かったわ、ラザール! それと、私達の援軍に貴族のみんなが来てくれるわ! だからそれまで持たせて!」

「貴族が!? 援軍に!?」

「そうよ! 貴族が平民のために来てくれるのよ!」

 ザワ……と、その場の空気が変わった。

「本当か?」

「貴族が俺達のために?」

 市民も困惑気味だ。
 無理も無い、今までの貴族は平民にとって恐怖の対象でしかなかった。

(貴族が援軍に? 本当に来るのか?)

 市民達は困惑しながらも援軍を待つことにした。

 話は戻り、敵ゴーレムはド・ブラン夫人のゴーレムにガッチリと組み付かれた状態で動けない。

「お前ら! 根性入れろ! 行くぞぉぉぉぉ!」

『おお~っ!』

 工兵組の監督役が檄を飛ばし、多くの火薬樽を持った市民達もそれに続いて、2体のゴーレムの側までに近づくと火薬樽の設置を開始した。
 それを阻止しようと他の傭兵達が攻撃を開始、傭兵は数こそ少ないものの下手に火魔法を使われて火薬樽に誘爆されたら作戦は失敗だ。

 市民達は物陰に隠れながらもマスケット銃で応戦を開始し、傭兵との間で最後の戦闘が始まった。

「撃て撃て!」

「弾持ってこい、弾!」

 そんな中、悲鳴と怒号と銃声が飛び交う戦場に颯爽と現れた集団があった。

「よし、みんな市民を救うんだ!」

 ミシェル達、貴族がようやく到着したのだ。

「本当だ! 本当に来た!」

「うおおおお! トリステイン万歳!」

 喜びを爆発させた市民達。
 一方、貴族らはそれぞれ魔法を放ち傭兵らを追い詰める。
 12歳と幼少ながらも実質、貴族達を説得し、救援部隊の隊長として振舞った、ミシェルもドットスペルながらも奮戦した。
 元メイジ殺しのセバスチャンは2丁のピストルを2丁拳銃のように馬上で放ち、二人の傭兵の頭を打ち抜く離れ業を披露した。

 ……そして。

「設置完了だ! みんな離れろ!」

 火薬の設置を終えた工兵組がワラワラと離れ、ド・ブラン夫人を始め多くの市民が物陰に隠れた。

「あれ? どうしたんだ?」

 事情を知らないミシェルたちは取り残され、キョトンとした顔をしている。

「貴族様! こっちこっち!」

 何人かの市民が物陰から飛び出し、ミシェルらの馬を引いて退避を促した。

「何があったんだ?」

「貴族様、それよりも今は耳を塞いでいた方がいいでしょう」

「……!? こうか?」

 ミシェルが両耳を左右の手で塞ぐと同時に、大量に積まれた火薬樽は大爆発を起こしド・ブラン夫人のゴーレム諸共、敵ゴーレムを吹き飛ばした。

 キノコ雲が漆黒の空へと舞い上がる。

「……私たち何しに来たんだろう」

 ミシェルがポカンと口を開けていた後、ほどなく傭兵達は降伏した。

 ……

 ……そして戦闘後。

 路上には死亡した市民や傭兵達の遺体が並べられ、傷の手当のために降伏した傭兵の中からも水メイジを動員して治療に当たらせていた。
 ラザールは貴族達と供にド・フランドール伯の屋敷へ再突入するための編成を作戦立案に追われていた。

 とある路地裏では。

「ミス・ネル。本当にお疲れ様、気分はどう?」

 一人、空を見上げて呆けるミシェルにド・ブラン夫人は労いの言葉をかけた。

「ああ、ありがとうございます。気分は……ちょっと気が抜けちゃいました」

 そう言ってミシェルは年相応の笑顔を見せた。

「それにしても、あの頭の固い貴族連中相手によくもまぁ……あれだけの啖呵を切れたものだと感心したわ」

「あれはちょっと……我ながら出来すぎと言うか。きっと殿下が後押ししてくれたんだと思います。昨日までの私は死んで、今日別の私が生まれたんだと思います」

 数時間前に、風穴のジャコブによって死の淵に立たされていた事を思い出した。

(あの時、古い私は死んで、新しい私が生まれたんだ)

 そう思うと、何でも出来そうな気がする。

「きっと時代が変わろうとしているのね」

「時代が?」

「そうよ、今まで平民のために命を賭ける貴族なんて、皆無……とは言わないけど今までの人生じゃ5本の指で数える程度だったわ」

「……」

「それが、今日だけで10人近くも……こんな事、今まで無かったわ。だからよ、時代が変わるんじゃないかって、そう思ったのよ」」

 ド・ブラン夫人も空を見上げた。

「殿下が、マクシミリアン殿下が現れたからでしょうか?」

「ん~……分からないわね。時代が変わるためにあの方を生んだのか、あの方が生まれたから時代が変わろうとしているのか。そんな事、始祖ブリミルでなければ分からないわ」

「……そうね、そうですよね」

 結局答えは見つからず、二人して何も見えない空を見上げ続けた。


 

 

第二十四話 決闘

 ド・フランドール伯の屋敷は、驚くほどの静寂に包まれていた。
 コツコツと足音を響かせながら、廊下を歩くのは風穴のジャコブだった。

「……」

 何故、こういう状況になったかと言うと、マクシミリアンとジャコブが対峙した時、開幕一番にマクシミリアンが何処かへ逃げ出したのだ。
 一対一の決闘かと思った矢先にいきなり逃げ出すものだから、流石のジャコブも虚を付かれた形になった。
 ジャコブは四方を警戒しながらも、マクシミリアンを求めて歩く。

「ふっ!」

 突如、ジャコブが伏せると、頭があった部分に細い線の様な物が走った。
 すかさず杖を振るい細い線が放たれた空き室の隅をエア・ハンマーで破壊した。
 しかし、別の場所から同じ細い線が走り、ジャコブは無茶な回避行動を取らざるを得なかった。

「奇妙な魔法を使う!」

 多少、不恰好ながらも床に着地したジャコブは自分の二つ名、『風穴』の代名詞ともいえる『エア・バレット』を指から放ち、細い線を放った『水玉』を打ち抜いた。

 一息ついたジャコブは、再び四方を警戒しながら廊下を進んだ。

「子供と思ったら中々どうして……手ごわい」

 ジャコブはつぶやいた。

 ……

「反応が消えた……チッ、失敗か」

 一方、とある空き室ではマクシミリアンが舌打ちを打った。

「もう一度、作ろう……イル・ウォータル……」

 ルーンを唱え杖を振るうと、ソフトボール大の水玉が二つ現れた。
 この水玉は『ウォーター・ビット』という魔法で、某ロボットアニメの無線砲台を参考に、マクシミリアンガ編み出した新魔法だ。
 このウォーター・ビット一つ一つをコントロールするのは不可能な為、風の『ユビキタス』を参考にして、ビットに思考を持たせることに成功した。
 言わば、ウォーター・ビット一つ一つが、小マクシミリアンとして思考し活動する魔法だ。

 次にウォーター・ボールが放った細い線は『ウォーター・ショット』という水鉄砲の様に水流を放つ魔法だが、魔力無限というチート能力から生まれる膨大な精神力を加味したため、超圧縮から放たれた水流は簡単に肉を削ぎ骨を絶つ程の威力だ。

 ウォーター・ビットはウォーター・ショットを5発撃つと大抵、精神力切れを起こし消滅する。ただ浮遊し続けるだけでも精神力を消費するが、マクシミリアンの半径10メイル以内では魔力無限の恩恵のおかげか、精神力=魔力が供給され続けて、半径10メイル以内なら何発撃っても消滅しないようになっている。
 現在、ウォーター・ビットは残り精神力が少なくなると10メイル圏内に戻っては、精神力を補給し再び任務に行く、行動を取っていた。
 将来的にはこの10メイルの範囲をさらに伸ばしたいと鋭意研究中だ。

 そして、マクシミリアンはウォーター・ビットに対しウォーター・ショット以外の魔法も使えるようにしたり、1基のウォーター・ビットが探知した情報を全てのウォーター・ビットが共有できるシステム、いわゆるデータリンクなどの組織的な運用法なども研究中だった。

 他のウォーター・ビットの効果として、フライ中に他の魔法が使えないように、通常は同時に二つ以上の魔法は使えないが、風の『ユビキタス』の様に、あらかじめウォーター・ビットを展開しておけば、マクシミリアン自身も魔法の使用が可能だった。

 マクシミリアンはウォーター・ビットを最大8基まで作り出す事ができる。
 現在、マクシミリアンの周りには先ほど作った2基と含めた8基のウォーター・ビットが展開中だ。
 マクシミリアンはウォーター・ビットの8基の内、護衛の2基を残して6基にジャコブ襲撃を命令すると、6基のウォーター・ビットは浮遊しながら部屋から出て行った

 なぜこういった方法と取ったかというと、マクシミリアンとジャコブとでは戦闘技術の差が激しすぎて、まともに戦っても勝ち目が無いからだ。

(まともにやり合ったら、あの不可視の弾丸に打ち抜かれるのがオチだ)

 その為、自身は安全な場所に身を隠して、ウォーター・ビットでゲリラ戦をする戦術を採用した。

 ……

 30分程経ったが、部屋の外では何の音も聞こえない。どうやらウォーター・ビット達はジャコブを探しているようだ。
 マクシミリアンとウォーター・ビットとの間には『消えたか消えてないか』程度の感覚しか通っていない。
 例えれば、敵に攻撃されてウォーター・ビットが消滅しないと、敵と接触した事が分からないという欠点があった。
 それにウォーター・ビットは喋る事が出来ないため、更なるの研究が急務だった。

「……むむ」

 護衛のウォーター・ビットが『何か』に反応した。
 マクシミリアン自身も、首の裏がチリチリして危険を直感した。

(何か来る!)

 この時のマクシミリアンの行動は早かった。
 ウォーター・ビットがウォーター・ショットを放つと同時にエア・ハンマーで部屋の壁に穴を開け、そこに飛び込んだ!
 破砕音がド・フランドール伯の屋敷に響き、もうもうと土煙が廊下にまで舞った。
 パラパラと破片が落ち、土煙が廊下全体を覆う、その土煙の中からマクシミリアンがフライで飛びながら現れた。

「うおおおおっ!」

 マクシミリアンは素早く物陰に隠れると、今まで居た場所の床に無数の風穴が開いた。
 不可視の弾丸、風穴のジャコブの代名詞『エア・バレット』だ。

「殿下~、逃げないで下さいよぉ~」

 ジャコブは、ようやくマクシミリアンを見つけた喜びでハイテンションだ。

 コツコツとジャコブの足音が近づいてくる、ウォーター・ビット1基が物陰から出てウォーター・ショットを放ったが、エア・バレットで撃ち抜かれ、ウォーター・ビットは水に戻って床を濡らした。

(他のウォーター・ビットは、まだ帰ってこないのか……くっ)

 襲撃の為、出て行った6基の『ウォーター・ビット』はまだ帰ってこない。

「ラグーズ・ウォータル・イス……」

 マクシミリアンはルーンを唱える。

『ウィンディ・アイシクル!』

 無数の氷の矢がジャコブに襲い掛かった。

「ははっ……はははっ!」

 しかし、ジャコブは直撃コースの『ウィンディ・アイシクル』を『エア・バレット』で迎撃、傷一つ負わせる事も出来なかった。

「まだまだ! ……エア・カッター!」

『エア・シールドッ!』

 無数のエア・カッターは空気の壁に阻まれた。

「ならばこれで!」

 マクシミリアンはクリエイト・ゴーレムで、上半身は重騎士、下半身は軍馬の3メイル程の人馬ゴーレムを作成した。
 人馬ゴーレムは、左に盾を構え右に大型ランスを脇に抱える様に持ち、ランスの穂先をジャコブへ向けた。

「チャアアアァァァーーーージッ!!」

 マクシミリアンの号令で人馬ゴーレムは瞬時に加速、ランスチャージを敢行した。

『エア・バレット!』

 ジャコブのエア・バレットが人馬ゴーレムに当たったが、表面を数サント程削っただけだった。

「な!?」
 
 ジャコブはランスの穂先と巨弾と化した人馬ゴーレムを避けると、すれ違いざまに両前足の関節部分を打ち抜いた。

 前のめりに倒れた人馬ゴーレムは、調度品を巻き込みながら壁に激突すると、大量の瓦礫に埋まってしまい起き上がることが出来なくなった。

「危ない危ない……水、風、土、次は火の魔法ですか?」

「……」

 マクシミリアンは無言で返した。
 実はマクシミリアンは火の魔法がまったく使えない。
 いくら、特訓してもうんともすんとも反応が無いのだ。
 水はスクウェア、風はトライアングル、土はラインが、現在マクシミリアンが使える魔法だ。

「ふっ!」

 マクシミリアンは『エア・ハンマー』のルーンを唱えたが、ジャコブは難なく退けた。

 その後も、次々と魔法を放つがジャコブは巧みに退ける。
 絶望的な技術の差を補う為に火力と手数で勝負するものの、決定打を与えられない。

「しかし殿下、あれだけ魔法を連発しても精神力切れを起こさないのは、異常ですな」

「伊達に天才なんて言われてないからね! さぁ! コイツは強烈だぞ!」

 と、ウォーター・ショットのルーンを唱えた。
 マクシミリアン本人が唱えるウォーター・ショットは、ウォーター・ビットが放つ細い線の様なものではなく、まるで大砲の様な威力だ。
 圧縮させた水に、更にライフリングを加えるように回転させる。

『ウォーター・ショット!』

 ズガァァーーン!

 爆発音と同時に、錐揉み回転したウォーター・ショットが、ジャコブごと屋敷の一郭が吹き飛ばした。ウォーター・ショットが通った屋敷の壁には、ポッカリと穴が開き、瓦礫の外から深夜特有の冷たい空気が流れ込んできた。

「さしずめ、ウォーター・キャノン……と、言った所かな」

 フフン! ……と、鼻息を荒くした。

 屋敷は半壊、パラパラと破片が落ち、今にも崩れそうなほど危険な状態だ。
 マクシミリアンは、落ちてくる破片を気にしつつジャコブを仕留めたかどうか様子を伺おうとすると、

 ズドン!

 いきなり頭に衝撃を受けた。

「……う?」

 衝撃を受けた部分を手でさするとビショビショに濡れている。
 おもむろに濡れた手を見るとベッタリと血が付いていた。





                      ☆        ☆        ☆




 ゴトリと、マクシミリアンはうつぶせに倒れると、瓦礫の影から息も絶え絶えにジャコブが現れた。
 ジャコブは、遠目からマクシミリアンの頭に小さな穴が一つ付いている事を確認した。
 言うまでも無く、ジャコブの『エア・バレット』の弾痕だ。

「はははっ……殺っちまった」

 手ごたえを感じたジャコブは、殺したと確信した。

「トリステイン王家の報復は怖くないが、四六時中、命を狙われるのは億劫だ、何処か外国辺りでほとぼりが冷めるまで隠れていよう」

 市街地の方向を見ると巨大ゴーレムが暴れている。
 この混乱に乗じて逃げる為にジャコブが踵を返すと、6基のウォーター・ボールが囲むようにジャコブの周りを漂っていた。

「なん……だと!?」

 瞬間、ウォーター・ボールの集中攻撃にさらされたジャコブは、神業的な回避で致命傷こそ避けた物の身体中は裂傷で血まみれだ。

「クソッ!」

 反撃する事もできずに回避し続けていると、死んだはずのマクシミリアンがムクリと起き上がった。
 ウォーター・ボールの攻撃が止み、マクシミリアンの周りを守るように囲んでいる、

「上手い事、お前の注意を逸らす事ができたよ」

「……殺したと思ったんですが、一体、どんな魔法を?」

 身体中の傷を負ったジャコブは、息も絶え絶え質問した。

「水の秘法『水化』だ」

 『水化』とは身体を水のように変幻自在の変化させる魔法だ。
 某ターミ○ーター2の敵役をイメージして作った。

「水化? ……そんなバカな」

 ジャコブがいぶかしむのも無理は無い。
 そんな事が出来るのは、伝説の水の精霊ぐらいで人間が精霊の様に『水化』出来るとは到底思えない。

 『水化』の魔法自体は昔から良く知られていて、一種の戒めとしてハルケギニアに知られる有名な逸話があった。

 かつて大メイジと呼ばれた男が、マクシミリアンと同じように『水化』の魔法を編み出し、実験として『水化』を唱えたことがある、だがその男は水に変化する事には成功したが、精神力切れを起こし気絶、意識が戻る事無く永遠に水のままだった。

 という話だ。

 ジャコブはその逸話を思い出した。

 理論は出来ていても、実践すれば、たちまち精神切れを起こす机上の空論。

 ハルケギニアの全メイジを見渡しても、マクシミリアンにしか出来ない秘術。水化して元に戻る事ができる魔力無限の能力が可能にした、正に『秘法』だった。

 とは言え、問題もあった。

「今の僕じゃまだ未熟でね、身体の一部分しか水化できないから、どの部分が狙われるか迷いに迷ったけど……最後はジャコブ、君のプロ意識に助けられたよ」

 マクシミリアンは、杖で頭の弾痕を突くと波紋が顔中に広がり見る見るうちに弾痕が塞がった。

「プロ意識の高いジャコブなら、確実に仕留める為に頭を狙うと思っていたからね」

「……」

 黙ったジャコブにマクシミリアンは、止めを刺そうとルーンを唱えると、遥か市街地で大爆発が起こった。

「!?」

 マクシミリアンやウォーター・ボール全基が、ほんの一瞬、注意を市街地に取られると、ジャコブはチャンスとばかりに逃げ出した。

「ああっ!? ウォーター・ボール!」

 ウォーター・ボールに指令を出すと、ウォーター・ショットで逃げるジャコブを撃った。
 しかし、怪我を負いながらも巧みに避け続けたジャコブは、屋敷の外へ出ると『エア・ハンマー』で石畳の地面を破壊した。
 ぽっかり開いた地面の下は下水道になっていて、勢いよく汚水が流れていた。
 ジャコブは躊躇する事なく汚水に飛び込んだ。

「あいつ……!」

 ジャコブを追って穴の近くまで来たマクシミリアンは、ぽっかり空いた穴を覗き込むと漂う異臭に顔をしかめた。

「臭いはともかく、流れが早すぎる……このままでは逃げられるぞ」

 数秒ほど考えて、マクシミリアンは杖を振るった。

「ひどい、死に方をしてもらう!」

 ……

 一方、下水の流れに乗って逃亡に成功したジャコブは、逃走した後のプランを練っていた。

「何処かで傷を癒した後、外国でほとぼりが冷めるのを待つ……まぁ、当初の予定通りだな」

 そう言いながら流れに乗っていると、身体中がチリチリと痛い。

「うくっ……早く傷を癒さないと」

 ジャコブは、チリチリする痛みは傷から来る痛みかと思っていたが、時間がたつにつれ、それは勘違いだと思い知らされた。

「痛っ!? 熱い!? 何だこれは!」

 もがくジャコブは、自分の左腕を見るとドロドロに爛れている。
 パニックになったジャコブは、悲鳴を上げながら汚水と供に流れていった。
 
『塩酸』

 そう、マクシミリアンは汚水を塩酸に変えた。風穴のジャコブは生きながら塩酸に溶かされた。


 戦闘後。
 マクシミリアンは下水道に重曹を混ぜた水を流し塩酸を中和させる作業を行っていた。

「殿下! ご無事ですか!?」

 声の方向を見ると、クーぺや密偵団、魔法衛士たちが居た。

「皆、無事だったか」

「殿下、それどころではありません。あれをご覧下さい」

 クーペが指差す方向を見ると、フネが帆を立てて遠ざかるのが見えた。

「あれは? ……援軍が来たのか?」

「いえ、違います。首謀者連中は、あのフネで逃げようとしています」


 

 

第二十五話 断罪の剣

 時間は少しさかのぼる。

 マクシミリアンとジャコブが去った大広間は、嵐が去った後のように机や椅子などが滅茶苦茶に散らばっていた。

「……うう」

「おい、大丈夫か」

 マクシミリアンの『ウィンド』で、ノビていた重鎮たちが目を覚ました。

「……」

「貴族様も無事ですかい?」

 重鎮の一人が呆然としていた、ド・フランドール伯に呼びかけたが返事はない。

「貴族様? 何処か怪我は?」

「……」

「チッ、なんでぇ、人がせっかく声を掛けてやったってのに」

 重鎮はド・フランドール伯を無視して、その場を離れようとした所、ド・フランドール伯がゆっくりと立ち上がりルーンを唱え始めた。

「ん?」

「なんだなんだ?」

 ド・フランドール伯の不可思議な行動に、他の重鎮達も気が付きはじめる。

「ドイツもコイツも……ふざけるな……だから僕は反対だったんだ」

 ブツブツと独り言を言い出したド・フランドール伯はルーンを唱え終えると杖を振るった。

「ぎゃああああ!」

 悲鳴が大広間に響いた。
 一瞬の静寂の後、騒然になる大広間のその中心に『エア・カッター』で裂かれた重鎮の死体が転がっていた。

「ななっ、何をする!」

「コイツ、切れちまった」

「うるさい! ドイツもコイツも好き勝手しやがって!!」

 首が飛び、もう一つ死体ができた。





                      ☆        ☆        ☆







 クーペたち密偵団とフランシーヌは、マクシミリアン救出の為にド・フランドール伯の屋敷に潜入しのだったが……

 屋敷のいたる所で破砕音が聞こえ、調度品は滅茶苦茶だ。

 密偵団は、この混乱に乗じて捕まっていた魔法衛士の救出に成功した。
 魔法衛士はクーペらに同行して、ド・フランドール伯たちを求めて屋敷内を進んでいる。

 クーペはこの反乱をどういう形で終わらせるか考えていた。

 本当の黒幕である商人のアルデベルテでは黒幕としてはパンチが弱い、黒幕として周囲が納得するような、ビッグな黒幕を用意する必要があった。
 そういう訳で、代わりの……黒幕として遜色ない首謀者を用意したかった。

 そこでド・フランドール伯の名前が挙がった、建国以来の名家であるド・フランドール伯なら黒幕として申し分ないし、どの道、実行犯として極刑は免れない。

 クーペはフランシーヌの方をチラリと見た。

「? なんですか?」

「いえね、大変お綺麗ですのでね。目の保養ににと、ね」

「……」

 フランシーヌは恥ずかしそうに身をよじった。

 ……クーペはフランシーヌの兄のド・フランドール伯を生きたまま確保したかった。

 増援の密偵からもたらされた情報によると、アントワッペン市の反乱とマクシミリアン捕虜は、王家をはじめトリステイン王国全体に動揺をあたえた。
 ド・フランドール伯を捕らえ、『黒幕はド・フランドール伯とドコドコのダレダレでござ~い』と公表すれば、たとえ証拠が無くても、貴族や民衆、全トリステイン国民は支持するだろう。

 ド・フランドール伯の身柄は政敵を葬り去る強力なカードになる……と、クーペは確信していた。
 無法は百も承知だが、これからの改革の……いや、マクシミリアンの円滑な政治生活の為にも、是非とも手に入れたいカードだった。

(この事は、ミス・フランシーヌはもちろん殿下にも言うつもりはないですが)

 マクシミリアンには謀略などの黒い部分はあまり見せたくない……と、言うのがクーペなりの気の使い方だった。
 クーペはクーペなりにマクシミリアンに忠誠を誓っていた。

 ……

 クーペら密偵団が大広間に到着したときには、中は血を肉で滅茶苦茶な状態だった。

「これは……」

 フランシーヌは口を押さえ部屋の隅で喘いでいる。
 一方、クーペら密偵団は遺体を一つ一つ調べていた。

「ド・フランドール伯の遺体は無いですね。おや、この男は」

「知り合いですか?」

 魔法衛士の一人が聞いてくる。

「アルデベルテ商会の番頭ですよ。おそらく連絡役だったんでしょう」

 クーペは説明した。

「クーペ殿、暖炉の下にハシゴがあります」

 もう一人の魔法衛士が、暖炉の中に巧妙にハシゴが隠されてあった事を突き止めた。

「たしか屋敷の中には何処かに通じている秘密通路があると聞いたことがあります」

 フランシーヌが、口元を押さえながら言う。

「追いましょう。密偵団は残って屋敷内の制圧を」

 クーペの提案に一同頷いた。

 ……

 密偵団を置いて、クーペとフランシーヌと魔法衛士二人は隠し通路を『ライト』で照らしながら進む。

「少々、カビ臭いですね」

「私の知る限りでは、何年も使ってないです」

 クーペとフランシーヌの何気ない会話が通路内に響いた。
 さらに隠し通路を進むと、ド・フランドール伯に追いついた。

「兄上!」

 フランシーヌの呼びかけに、ド・フランドール伯は振り向くとその血走った目に思わず絶句した。

「フランシーヌか、この裏切り者……どのツラ下げて!」

 そう、毒気づいてフランシーヌの腕を掴んで引き込んだ。

「ふっ!」

 パァン! と、乾いた音が響く、フランシーヌの頬を張ったのだ。

「うう……」

「伯爵、お止めなさい。ご自分の妹君になんて事を!」

 魔法衛士がド・フランドール伯に抗議したが鼻で笑われた。

「ド・フランドール伯、諦めて降伏しなさい。あなた方が、ガリアへ送った使者は全員土の中ですよ」

「ミスタ! こいつの目は普通じゃない。早々に制圧すべきだ!」

 二人の魔法衛士が割り込むように前に出た。

「はははっ!」

 だが、ド・フランドール伯は一笑に付すと、壁に付いた出っ張りの様なものを押した。

 すると、魔法衛士の真上の天井が崩れ落ちた。

「危ない! 崩れるぞ!」

 魔法衛士が一人巻き込まれ、ド・フランドール伯はフランシーヌと供に奥へと消えた。

「通路が崩れ先に進めないし、この通路も危ない、こうなったら一度、戻りましょう」

 巻き込まれた魔法衛士を助けると秘密通路の入り口へと戻った。







                      ☆        ☆        ☆






 そして、時間は現在に戻る。
 クーペら密偵団と魔法衛士をと合流したマクシミリアンは、遁走するフネの説明を受けた。

「あのフネにド・フランドール伯とフランシーヌが乗っている訳ね」

「その事ですがド・フランドール伯は生かして捕らえたいのですが……」

「駄目だクーペ、そんな悠長な事やっていたら逃げられてしまう。もうフネは、城壁を超え街の外に出ているんだ」

 ド・フランドール伯らを乗せたフネは西へ進路を取り、海へと到達していた。
 これでは陸からの追跡は難しいし、雲で月明かりのない深夜の為、見失う可能性も高い。

「……やむを得ないですか、逃げられたら元も子もないでしょうし、ね」

 クーペは少し考えると、自身の企みを泣く泣く捨てた。

「……クーペ、後で何を企んでいたか聞かせてくれ」

「……殿下には、汚れ仕事は相応しくないのです。考え直しては頂けませんでしょうか?」

「クーペ、これからの将来、場合によっては謀略の一つも出来ないと生き残れない……と、そう思っている、クーペには僕の謀略の師となって貰いたいんだがね」

「ご冗談を殿下、先ほど言いましたが殿下には汚れ仕事は相応しくない」

「……はぁ、ともかく時間がない。後からついて来てくれ」

 埒が明かないと、マクシミリアンは会話を打ち切り、後の指示を出すとフライで城壁まで飛んだ。

 風切りながら、城壁まで飛んでいると眼下に破壊された市街地が見えた。

(復興するのに、いくらくらいの金がかかるやら……こんなふざけた反乱さっさと終わらせよう)

 その後、城壁へとたどり着いたものの、フネは遥かかなたに行ってしまい追跡には竜騎兵の力が必要だった。

(このまま逃がしてしまったら、後々まで禍根を残すだろう。フランシーヌは可哀想だが……)

 マクシミリアンは迷ったものの、答えを出すと『ブレイド』のルーンを唱えだした。
 流れる様にルーンを唱え、杖を空へと向ける。

 元になった魔法こそ、ただの『ブレイド』だが、マクシミリアンの無限の魔力だからこそ可能な、単純だが、マクシミリアンの使う中で最強の魔法。

『ギロチン』

 マクシミリアンの杖から眩いほどの青白い光の柱が天へと昇っていった。

 





                      ☆        ☆        ☆







 アントワッペン市から逃走する、ド・フランドール伯のフネからも確認できた。
 ド・フランドール伯が用意したフネは『ブリッグ』と呼ばれる2本マストのフネでド・フランドール伯は軍艦として使用していた。
 そのブリッグ艦船員たちは、後方の天へと昇る光の柱を見て騒いでいる。

 フランシーヌを別室に閉じ込めて尋問していると、ド・フランドール伯は報告を受けた。

「何事だ、騒がしい」

「とにかく見てください。凄い事になってるんです」

「……フランシーヌ、少し席をはずすが、お前への尋問はまだ終わらないからな」

 椅子に縛られたフランシーヌに顔を近づけて……

「覚悟しておくがいい!」

 と、脅した。

 ド・フランドール伯は去るとドアに鍵を掛けられフランシーヌ一人が残された。
 兄妹の仲はお世辞にも良くなかったが、兄の変貌にフランシーヌは悲しくなった。

(兄上は狂ってしまった。もう私の知っている兄上はいないのね」

 子供の頃を思い出しながら、自分自身の心に整理を付け始めた。

(兄上は嫌いではないけれど、このまま道連れにされたらたまった物じゃないわ)

 脱出を心に決めたフランシーヌ、しかし、杖を奪われロープで椅子に縛られた状態では、脱出もままならない。
 フランシーヌは部屋の中を見渡すとロープが切れそうな尖った調度品を発見した。
 

 ……


 ド・フランドール伯が甲板に出ると、その光の柱を見て絶句した。
 いや、絶句というよりもむしろ、恐怖を覚えた。

「逃がさない……逃がさないというのか! この僕を!!」

 光の柱へ向かって吼えたド・フランドール伯。
 その光の柱がゆっくりとド・フランドール伯のフネへと倒れ始めた。

「倒れるぞ……俺たちのフネに倒れてくる!」

 甲板上は、船員達が喚き散らしながら右往左往している。

 光の柱が厚い雲にまで届いていたのか、倒れる際に雲に亀裂を作るとその隙間から双月の光が漏れて地上を照らした。
 余りにも幻想的な光景は、深夜にも関わらずに起きていた、アントワッペン市民にも目撃された。

「……月の光が」

「すごい……綺麗」

 魔法こそ、ただの『ブレイド』だったが、闇夜を照らすその光は、反乱による破壊によって明日への不安を持っていた住人にとって、大変心強い、希望の光に思えた。

 一方、ド・フランドール伯たちにとって、その光は断罪の光だった。
 恐慌状態に陥ったブリッグ艦の船員達は、ある者は神に許しを請い、またある者は空中を航行しているにもかかわらずフネから飛び降りた。

 ド・フランドール伯には、ゆっくりした時間に思えた。
 光の柱がゆっくりと確実に自分に倒れ掛かってくるのだ、ド・フランドール伯も船員たちに習って逃げ出したかったが、狂っても僅かに残っていた貴族の誇りがそれを許さなかった。

「来るならこい!」

 ド・フランドール伯は『エア・シールド』で迎え撃ったが無意味な行動であった。
 光の柱は艦尾に立ったド・フランドール伯ごとブリッグ艦を両断した。

 艦首から艦尾へ綺麗に斬られたブリッグ艦。
 中に居たフランシーヌは、丁度縄を切って自由になったばかりだった。
 通路に出ようとした所に、ガクンと船体が揺れて思わず倒れそうになりながらも、何とか外に出ると通路が無かった。
 正確には、通路部分は光の柱によってブリッグ艦が斬られた際に消滅していた。
 それを知らないフランシーヌは勢い良く通路側に飛び出したものの、当然、通路側は無く、空中に飛び出した形になった。

「ええええっ!?」

 真っ二つにされたブリッグ艦はバラバラになって落下し、フランシーヌも混じって落ちていった。
 落ちてゆく時間が妙にゆっくりと感じながら、海の方向を見ると水の玉が数個見えた。
 水の玉……ウォーター・ボールは、フランシーヌの落下コースを読んで待機していたのだ。
 一つ目のウォーター・ボールが、フランシーヌにあたると破裂音と共に弾け、フランシーヌの落下速度を緩めた。
 そして、二つ三つ四つ五つ六つと、連続で弾けた為、落下速度は人が死ぬような速度ではなくなり、七つ八つで怪我も無くフランシーヌは海に着水した。

 その後、フランシーヌは海に浮かぶブリッグ艦の残骸によじ登り辺りを見渡した。
 バラバラになったフネの残骸と海に叩きつけられた船員の遺体が浮かんでいるのを見て、兄は死んだ事を直感した。
 厚い雲に隠れていたはずの双月が雲の隙間から見え、降り注ぐ月光の美しさにフランシーヌは知らず知らずのうちに涙を零した。

 

 

第二十六話 アントワッペン始末

 2週間後、トリステインを揺るがしたアントワッペンの事件は収束を迎えた。

 近隣の領地から次々と援軍がやってきたものの、当事者が一部を除いて殆どが死亡した為、事後の処理に何かと手間取ったが首謀者のド・フランドール伯の妹、フランシーヌが……

『全ては、兄とアントワッペン市の裏社会の重鎮らが企てたもの』

 と、証言した為にド・フランドール伯に責任を全て被せる形になった。

 ……

「そして、ド・フランドール伯爵家は取り潰し……か」

「御意」

 トリスタニアの新宮殿の自室にて、マクシミリアンはその後の報告を受けた。
 ちなみに報告している者はミランだった。

「で、ド・フランドール伯爵領は王領になるのかい?」

「王宮ではその様に手続きを取っているそうです。もう一つ、アントワッペンの件で報告がございます。一部のアントワッペン市民が現在、北西部に建設中の新都市への移住を求めています」

「まあ、あんな事件があった後だ、無理もない……移住の件は了承すると伝えてくれ」

「御意、報告は以上でございます」

「そうか、下がってよい。久々のトリステインだ、奥さんや娘さんにサービスしておく事だね」

「……ありがとうございます」

 ミランは踵を正すとキビキビと去っていった。
 杖無しではまともに歩く事もできなかったミランだったが、マクシミリアンの『複製』で新たな足を手に入れた。
 ミランは感激の余りに男泣きして、今まで以上に絶対の忠誠を誓った。

 クーペの報告でミランの養女が以前会って友人になった少女アニエスだった事も知ったし、親子間が上手くいってないことも知った。
 現在、ミランは人柄の好さを買われ官房長官的な役職に就いている。各部局の調整役でトリスタニアを離れる事が多く家にはろくに帰っていない。
 個人的な事柄なので口に出したりはしないが、マクシミリアンはあの親子が仲良くなる事を望んでいた。

 そして、アニエスの出身地のダングルテールで何が起こったか追加の探索も命じてある。

 ミランが去った後、マクシミリアンは席を立ち自室とは別の部屋の様子を伺った。
 現在、この部屋には妹のアンリエッタが魔法の勉強を行っているのだ。

 ……事は、数日前にさかのぼる。
 アンリエッタは何を思ったかマクシミリアンに……

『おにーさまに魔法を教えてほしい』

 と、言ってきたのだ。
 アンリエッタも5歳なのでマクシミリアンも、『そろそろ良い年頃かな?』 と思い父王にお伺いを立てると『承諾』と帰ってきた。

 アンリエッタは別室でライトの練習を行っているはずだ、マクシミリアンは別室の様子を伺ってみると、中からグスグスと鼻をすする音が聞こえる。
 実はこの部屋の中は暗室になっていて、しかも鍵が掛けられてあるのだ。

『怖い思いをしたほうが早く覚える』

 と、いう持論を実践中で、アンリエッタは暗闇に怯えながら必死に『ライト』を唱えていた。
 この部屋から出るには、『ライト』を唱えて部屋の何処かにある鍵を探すか、または『アンロック』を唱えて出るかの二つしかない。
 期限もあり、夕暮れまでに出られなければ、その日の夜はマクシミリアンとは別々の部屋で一人で寝なければならない。
 意外とマクシミリアンはスパルタだった。
 時折、『おにーさま助けて』、とか『暗いよう』とか、声が聞こえて、マクシミリアンは助けるべきかと大いに迷ったが何とか思いとどまった。

 ……しばらく時間がたったが、夕暮れまではまだ時間がある。
 マクシミリアンはドアの側に机を椅子を持ち出して政務を行い、時折、耳を澄まして、部屋の中を伺っていた。

「アンリエッタ、許してくれ。嗚呼、可哀想なアンリエッタ……アンリエッタェ……」

 ぶつぶつと独り言をしながら政務を行う、まったく仕事が手につかない。
 数十分後、ドアがガチャリと開いてポロポロ涙を流すアンリエッタが出てきた。

「おにーさま、『ライト』出来ましたぁ~」

「お、お、おぉぉーーーーっ、良くやったなアンリエッタ! よぉ~~~し、よしよしよしよしよしよしよしよしよしよし!」

「ぶえぇぇぇぇ~~~ん! おにーさまーーー!!」

「立派だぞアンリエッタ!!」

 泣きじゃくるアンリエッタを猫かわいがりするマクシミリアン。

「ぐすっ、今日はこれで終わり?」

「いや、今度は図書室で勉強だ」

「ふえぇ~……」

「大丈夫だよ、今度は僕も一緒にいるから」

「本当に? 一人にしない?」

「本当だよ、今日は一緒にいよう」

 アンリエッタを抱き寄せ頬にキスをした。

 ……

 アンリエッタの手を引いて新宮殿にある大図書室へ向かうと先客が居た。

『マクシミリアン殿下、アンリエッタ姫殿下、ご機嫌麗しゅう』

 見事にハモって二人に話しかけてきたのは、兄アントワーヌと弟アンリのジェミニ兄弟だ。
 アントワッペンでの一件では、ヘルヴェティア傭兵の軍師だったが、雇い主だった男に嫌われてクビになり、屋敷前でウロウロしていた所をマクシミリアンに拾われた。
 ゲルマニアに帰るか聞いてみたが、帰らずにマクシミリアンの家臣団へ仕官を願い出てきた。
 もちろん、マクシミリアンは二つ返事で承諾し、参謀本部にまわす予定だ。

「何を読んでたんだ?」

『実は禁書室を利用させていただきました』

「ん、そうか、しっかり知識を吸収してトリステインのために役立ててくれ」

 禁書室とは大図書室の奥にある階段で地下に降りた場所にある別室の事で、地球の書物をマクシミリアンが翻訳した書物が無数置かれている。
 誰でも閲覧できるという訳ではなく、家臣団の一員である事が絶対条件で二重三重もの『ディテクトマジック』が掛けられた通路を通らなければならなく、しかも、持ち出し禁止で、禁書を持ち出そうものなら『ディテクトマジック』の魔法が作動し、サイレンが鳴って衛兵が駆けつける仕掛けになっていて、最悪の場合、通路が崩れ落ちる仕掛けにもなっている。
 そして、一度でも禁書室に足を踏み入れた者が、他国に走ったりすれば漏れなく暗殺という惨めな末路が待っている。
 
「それにしても、カール・フォン・クラウゼヴィッツというゲルマニア人は聞いた事がないですが、会う機会がありましたら、是非ご一報を……」

「何日でも語り合いたいですね」

 ジェミニ兄弟が読んでいたのは、クラウゼヴィッツ著の『戦争論』のようだ。

「……ははは」

 マクシミリアンは乾いた笑いを浮かべた。

「他に誰か禁書室に居るのか?」

『はい、例のごとく、ミスタ・ラザールです』

 と、見事にハモり、『失礼します』と一礼して去っていった。

「……またか」

「おにーさま、お勉強しないの?」

「ああ、ごめん、行こうか」

「うん!」

 アンリエッタの手を引いて簡単な読み書きの出来る幼児向けの区画へ向かった。

(それにしても、よく身体がもつ物だ)

 アントワッペンの一件でもう一人家臣団入りした者が件の男ラザールで、平民出身だがあらゆる分野に精通する、万能の天才だった。
 発明家でもあるラザールに蒸気機関の研究をして貰おうと思ったものの、ここ1週間、禁書室に篭もって、様々な書物を読み漁っていた。
 身の回りの世話を殆ど省みないで読書に没頭していた為、せっかく登用したのに餓死されたら困ると、お付のメイドを一人置いて身の回りの世話をさせていた。

(ともあれ、仕事に取り掛かるまで、もう少し様子を見よう。天才と○○は紙一重っていうからね、束縛せずに好きにやらせていれば、面白い結果を生むかもしれない)

 後にマクシミリアンの予想は的中する事になる。

 アンリエッタに勉強を教えるわけになったのだが、勉強以上にアンリエッタに『王族たる者、進んで義務と責任を引き受けなければならない』と、マクシミリアンはフン族のアッティラ王の訓戒を少し改造した物を教えようと思っていた。

(国民の模範になるように、王族には貴族以上の責任が課せられる事を、アンリエッタにもしっかりと教えないとね)








                      ☆        ☆        ☆





 アントワッペンの一件で、判明した二つの能力の一つ破壊光線の不具合を新宮殿に帰った後に研究してみた。
 人目につかない様に、無数有る地下室で研究を開始した。
 まず一つ、破壊光線は一発撃つごとに10分ほど間隔を開ければ、不具合は起こらずに何度でも撃てる事。
 もう一つ、破壊光線を連発したときに起こる、眼球の異変時にヒーリングを掛けてみると、どういう訳か治りが遅かった。
 最後に、眼球の異変が起こった際にフランシーヌが眼球を舐めたらたちどころに治った……と、何ともコメント辛い件を研究するべく、とあるメイドに協力して貰う事になった。
 ただの平民のメイドが、トリステインの王子に『眼球を舐めろ』と言われて抗えるはずもなく……
 この日以来、メイドたちのマクシミリアンを見る目が変わった。

(アホみたいな設定をつけやがって……)

 マクシミリアンは三馬鹿神に唾を吐きかけたくなった。

 ともあれ、実験の成果もあった。
 実際、眼球の異変が起こった状態で眼球を舐めて貰ったら、たちまちに異変が治った。
 次に男に舐めて貰ったらどういう結果になるか、実験すべきだったが止めておいた。マクシミリアンにそっちの『ケ』は無いからである。

 ……

 数日後、密偵頭のクーペがアントワッペンから帰ってきた。

「お帰り、クーペ。アントワッペンの復興は順調だったかい?」

 執務室で青年姿のクーペを労った。

「ありがとうございます。商人という生き物は何かと強かなモノでした。我々が口に出さなくても、見る見るうちに復興が進んでましたよ」

 クーペの様子だと復興は順調のようだ。

「アルデベルテを北部開発の労役に送ったと聞いたのですが」

「ああ、無罪放免とは行かなかったからな、3年の労役後に家臣団入りで手を打った」

 クーペは、黒幕の大商人アルデベルテの弁舌の才を惜しんで家臣団にスカウトしたが、流石に無罪放免では示しがつかないという事で、マクシミリアンは労働力として3年間の労役を指示した。

「その事ですが、先の反乱に参加したヤクザ者の大半は労役刑に処されてますので、下手に顔を合わせたらアルデベルテは報復されるのではないでしょうか?」

「その心配はないよ、顔を合わせない為に別々にするようにと言ってある」

「それは、差し出がましい事をしました」

 数年後、無事刑期を終えてアルデベルテは家臣団入りする事になる。

「うん……話は変わるけど、彼女は元気だったかい?」

 マクシミリアンは話題をフランシーヌの件に変えた。
 ド・フランドール伯爵家は改易され平民落ちしたフランシーヌは、その後、マダム・ド・ブランのド・ブラン夫人勧めで夫人の養女になった。

「ド・ブラン夫人の下で経営の勉強をしているそうですよ」

「そうか、幸せになってくれればいいね」

「それにしても以外でしたね」

「何がさ」

「ミス・フランシーヌを妾に向かい入れなかったなかった事ですよ」

「そうか? そんなに以外か?」

「気に入っておられたと、思っていたので」

「まぁ……色々と助けて貰ったし、嫌いじゃないけどさ、まぁ……縁が無かったんだよ」

「そうですか……」

 クーぺはそれ以上言わなかった。

 かくして、アントワッペンの反乱は幕を閉じた。

 都市が破壊されたことで、アントワッペンを去る人々も出たが、『返って団結力がついた』と言って残る者の方が多かった。
 何より、王領になった事で、直接、改革に口を出せるようになった。
 マクシミリアンは、商人達に聖地経由で綿花と桑の苗の輸入と栽培を命じた。
 縫製業といった軽工業が発達したアントワッペンで綿畑を作らせて綿織物を製造させ、次の桑の苗は予め桑畑を作らせ、後で『蚕』を輸入飼育し絹織物を製造させる予定だった。
 綿織物や特に絹織物はハルケギニアではまったくと言っていいほど見た事がなかった為、トリステイン随一の名産にさせるべく力を入れる予定だ。

 ひどい目にあったマクシミリアンだが、『結果的には良い方向へ向かう事が出来た』と活論付けた。



 

 

第二十七話 マクシミリアン・シンドローム

 マクシミリアンは13歳の誕生日を迎える頃には、トリステイン王国は空前の好景気に沸いていた。

 公共事業によって生まれた雇用で失業者は減り。農業改革によって食物が多く採れて、値段が下がり餓死者は減った。

 しかし、それはあくまで王領や改革に肯定的な貴族達の領地での出来事だった。
 マクシミリアンの改革を良しとしない一部の貴族たちは、未だに重税を課して領民を苦しめていた。
 絶えかねた領民の一部は、先祖から受け継いだ田畑を捨て、王領……取り分け王都トリスタニアを目指した。

 そういった訳で、現在、トリスタニアでは大量の流民が問題になっていた。

 トリスタニアの城壁前ではトリステイン全土からやって来た大多数の流民がテントを張り生活していて、大貧民街といっても差し支えないほどの規模に膨れ上がっていた。
 マクシミリアンは父王エドゥアール1世と協力して、炊き出しの準備と移住先を探す様に指示した。
 ……と、言っても移住先は半ば決まっており、深刻な労働力不足の北部開発地区に人夫として移住させる予定だが、受け入れ準備が整うまで城門前に置く事になった。
 炊き出し用の備蓄は全員分に行き届くか微妙だったが、幸いな事に貴族の一部に炊き出しの援助をしたりする者が現れた事で無事、流民全員を賄うほどの食糧が確保できた。
 彼らは全てマクシミリアンの『ノブレス・オブリージュ』に感化された者達で、その数は日に日に増えていった。

 ……

 トリスタニア市内にある王立劇場では、先代のフィリップ3世の活躍を劇にした出し物が上演されていた。
 演目は『英雄王のロレーヌ戦役』で、永らくゲルマニアと領土問題になっていたロレーヌ地方に侵攻したゲルマニア軍に対し、それに立ち向かう英雄王フィリップ3世と屈強な魔法衛士たちの活躍を描いたものだ。

 劇場内の来賓室には、豪華な椅子に座って演劇を楽しむ老齢の貴族が5人居た。

「先代フィリップ3世陛下が崩御されて幾分か経ったが、最近の若い連中の現状を先王陛下がご覧になられたら、なんと御思いになられるか」

「本当に嘆かわしい。平民どもに媚を売る貴族のなんと多い事か……まったく、トリステイン貴族の風上にも置けん」

 最近、増えている『軟弱な貴族』を心底嫌い、こうやって集まっては愚痴を言い合っていた。
 彼らは自らを『古き良きトリステイン貴族』を守る貴族の中の貴族、と位置づけていてマクシミリアンの改革に何かと口を挟んで来たし、昨今増えているマクシミリアンに感化された者たちを『軟弱で精神のイカレた奴ら』といって嫌っていた。
 もっとも、マクシミリアンにとって彼らは『声のでかい老害』でゆくゆくは排除すべき存在だち考えていた。

「しかし、このままではフィリップ3世陛下が愛されたトリステイン王国は滅んでしまうぞ。何とかしなければ」

「甥の領地では平民どもが一家総出で逃げ出して、税の取立てに難儀しているそうな」

「まったく、甘やかすからこうなるのだ、見せしめに、二、三人殺せば平民どもも黙るだろう」

「おお、そろそろフィリップ3世陛下の突撃の場面だぞ」

「ああ、これを見ないと始まらないな」

 演劇は佳境に入っていた。

 彼らは先代のフィリップ3世の精神的後継者も名乗っていた。
 『古き良きトリステイン国王と貴族』を体現した先王とそれに付き従う魔法衛士達の姿は、先王死後、十数年経った今でも色あせる事は無く、彼らの心の中に今だに生き続けていた。

 演劇の題目になっている『ロレーヌ戦役』は2回あり、いずれも大勝利を収めたが、あくまで局地戦での勝利で、賠償金は取れず、戦後、財政を悪化させてしまった。1回目は宰相として辣腕を振るったエスターシュ大公の手腕で破綻は免れたものの、大公失脚後の2回目では財政破綻寸前の所を、後のクルデンホルフ大公が大量の持参金を持って支援し、その功績でクルデンホルフ大公国を誕生させてしまった。

 何よりロレーヌ地方を完全に統一したわけではなく、帝政ゲルマニアは東ロレーヌを『ロートリンゲン』と呼称していて、数万の軍と空軍を駐留させ虎視眈々と西側の動向をを伺っていた。
 一方トリステイン側も、統一をさせまいと少ない領地で孤軍奮闘していた『風の大家』のロレーヌ公爵に対し大幅に加増をしてゲルマニアに対抗していた。

 マクシミリアンにとっては、祖父である英雄王フィリップ3世は、そのカリスマ性を含めても一定の評価はしていたが、クルデンホルフ大公国など多大な負債を後の世に残し、死んでも影響を与え続ける大変厄介な存在である事などから常々苦々しく思っていた。

『生者が死者に勝つには何をすればいいのだろう……』

 というテーマが、最近のマクシミリアンの悩みだった。

 ……話を戻そう。

「さて……そこで、わしに良い考えがあるのだが……」

 一人の老害がしたり顔で、周りの老害たちと顔を寄せ合った。
 
「実はな……数日後に城壁前の流民どもをマクシミリアン殿下自らが視察される」

「うん」

「そこで哀れなマクシミリアン殿下は、流民の中に紛れていた暴漢に襲われて重症を負われるのだ」

「おお!」

「重症の度合いにもよるが、何らかの形で廃嫡できれば、我々はアンリエッタ姫殿下を擁立して……」

「そこまでだ! マクシミリアン殿下襲撃の協議の現行犯で逮捕する!」

 老害の陰謀は最後まで語られる事はなかった。
 突如、来賓室のドアが破られ、10人ほどの男達が雪崩れ込んできて老害5人をあっという間に拘束した。

「何者だ! 我々を誰だと思っている」

「そんな、聞かれていた!?」

「貴方達がどういう者か良く知っている、後は王宮の地下牢で聞こうか……連れて行け」

「待ってくれ! 高等法院に連絡を……」

「その必要は無い」

「横暴だ!」

「おお、おのれぇ~!」

 後日、老害たちの家は揃って取り潰しになった。
 マクシミリアンは改革する、一方で密偵団を強化して陰謀を未然に阻止する事にも力を入れていた。
 この一件は、ほんの一部……少しずつだが不貞貴族はその姿を消していった。






                      ☆        ☆        ☆





「経済は順調、次は富国強兵だ」

 マクシミリアンの命令でトリステイン中の銃職人が新宮殿に呼ばれ、とある一室に集められた、銃職人達に対してマクシミリアンは熱弁をふるった。

「みんな、僕の呼びかけに答えてくれてありがとう。みんなに集まって貰ったのは他でもない、新型の銃の製作を命じたいのだが、早速だがこれを見て欲しい」

 マクシミリアンの前には質素なテーブル置いてあり、そのテーブルの上には、これまで集めた『場違いな工芸品』が並べられていた。
 マクシミリアンは『場違いな工芸品』の中から一つの小銃を選んで職人たちに見せた。
 この小銃は『Kar98k』といって、地球では主にドイツ軍が使用したボルトアクションライフルの傑作だ。
 他にも『M1ガーランド』『ブローニングBAR』『RPD軽機関銃』などが置かれていた。

「この小銃と、皆が作っているマスケット銃を良く見比べてくれ、この小銃とマスケット銃、何がどう違うのか、良く観察・研究して少しでもこの『場違いな工芸品』に近づけるようにして欲しい。もちろん報酬は弾むし出来うる限りの支援は約束しよう、しかし、技術を他国に売り渡すような真似だけは止めてほしい」

 最後に『出来るだろうか?』と聞くと、職人達も魔法至上主義のトリステインで冷や飯食らい生活だった為に、やりがいのある仕事に飢えていてのだ。職人達は、既にやる気十分で二つ返事で引き受けてくれた。

 ……

 王立劇場での、マクシミリアン襲撃計画の発覚で未然に防いだものの、未だに、きな臭い感じのトリスタニアでは、マクシミリアンの安全を考慮して流民への視察は無期限の延期になった。
 執務室でマクシミリアンはクーペと流民の件で協議していた。

「例の襲撃計画、未然に防ぐ事ができてよかったです」

「おかげで民衆と触れ合う機会が無くなったよ」

「ですが、流民の数が多すぎて正確な数すら把握できていません。正直なところ視察が無期延期になってよかったですよ」

「流民の中にスパイが居る可能性があるって事か……その辺は上手くやってくれ」

「御意」

「ああ、例の計画書、読んだか?」

「トリスタニアのアンダーグラウンドを一掃する計画……でしたね」

「うん、アントワッペンの一件もそうだけど、ああいった連中が不貞貴族の手足となって、悪さをするのが通例だからね、だったら手足を切り取ってしまえば、そうそう悪さも出来ない」

「実は、殿下の御言いつけ通りに、現在、詰めの作業を行っているところです。朗報をお待ち下さい」

「そうか採用したのか、任せたよ」

「御意」

 数週間後、全密偵団員を動員してトリスタニアの『掃除』が行われる事になる。








                      ☆        ☆        ☆





 ひとまず、流民たちの受け入れの準備が出来たと報告があり、エドゥアール王は王軍の一部を護衛に付けさせた。
 この護衛には、マクシミリアンに感化された貴族……『マクシミリアン派』とでも言おうか、彼らも同行して事で貴族と民衆との間も狭まったように思えた。

 ミシェル・ド・ネルはアントワッペンの反乱以来、マクシミリアンの提唱する『ノブレス・オブリージュ』に傾倒し、勉強や魔法の鍛錬に明け暮れ、時間が空けば家人たちを連れて奉仕活動をしていた。
 当然、今回の流民騒ぎをミシェルは黙っているはずも無く、父に頼み倒して僅かな備蓄を持って駆けつけ炊き出しの指揮を取った。

「貴族様、大変ありがとうございます」

「ありがとうございました」

「ありがとう、貴族様!」

「そ、そうか、皆、向こうでも元気で」

 動き安いようにと男装姿のミシェルは、王軍に護衛され、新しい土地へと去って行く流民を眺めていると、老若男女、様々な人々から感謝の言葉を贈られた。
 照れながらも、手を振り返すミシェルに注がれる視線は暖かかった。

(私は間違ってはいなかった!)

 内心、握りこぶしを握っているとミシェルを呼ぶ声が聞こえた。

「ミス・ネルでございましょうか? 殿下がお会いしたいと仰っております。至急、新宮殿までお越し下さい」

「え? 殿下が……でございますか。分かりました、すぐに参ります」

 ミシェルは家人たちに後の事を任せると、持ってきた馬に飛び乗り新宮殿へと向かった。

 ……

 新宮殿に到着したミシェルは、謁見の間へ通された。

 謁見の間には、炊き出しに参加した貴族が数人居てお互い会釈をし合った。炊き出しの最中、友誼を結んだ者が居たからだ。

「マクシミリアン王太子殿下、ご入来!」

 家臣がマクシミリアンの入来を告げると、ミシェルを含めた貴族たちは一斉に頭を下げた。

「皆、この度の一件、真に大儀だった。民衆の護衛の為にこの場に居ない者たちを含めて、このマクシミリアンこの場を借りて礼を言おう」

 静寂が謁見の間を包み、マクシミリアンは続けた。

「多くの貴族が私財を提供してくれたおかげで、民衆は飢えることはなかった。父、エドゥアール1世陛下も大層お喜びだ。そして、その献身と忠誠に報いる為に諸君への謝状と金一封を預かっている。略式で恐縮だが、名前を呼ばれた者は、前に出て受け取って欲しい」

『ハハッ、ありがたき幸せにございます』

 家臣が一人一人名前を呼んで、マクシミリアンが謝状と金一封を渡した。

 入室したのが最後だった事で一番最後に呼ばれたミシェルは、ぎこちなくもマクシミリアンの前に出た。

「あの日以来だが、元気そうで良かったよ」

 ぼそっと周りに聞こえないように喋り、謝状と金一封を渡した。
 一方、ミシェルはマクシミリアンが覚えていてくれた事に感激する余り、それから後の事は覚えていなかった。

 この日以来、マクシミリアンに感化するものが更に増える事になった。
 当然、この状況を面白く思わない者も居るだろう。
 それらをいかに排除するか、マクシミリアンと彼の思想に傾倒した者達の奮闘は続く……

 

 

第二十八話 魅惑の妖精亭にて

 ある日のトリスタニア。

 執務室で政務を行っていたマクシミリアンは、婚約者のカトレアから手紙が届いた。
 ホクホク顔で届いた手紙を読むと奇妙な事が書かれていた。

 カトレアの妹のルイズ・フランソワーズが、今年、魔法の練習を始めたのだが、奇妙な事に唱える魔法全てが爆発するというのだ。
 これにマクシミリアンも大いに首を傾げた。

(失敗するのなら、普通は何の反応も無いはずだ)

 マクシミリアンの場合は火のルーンを唱えても何の反応も無い、その事と比べてもルイズの現象はまったく説明できない不可思議な現象だった。

(弱ったな、詳しく調べてみないと何も分からないぞ)

 どうした物かと頭をひねる。

(あ、ルイズを口実にカトレアに会いに行こうか)

 不届きな事を考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。

「どうぞ」

「失礼します」

 入室したのは、ワルド夫人だった。
 彼女は、虚無と大隆起の研究を一任されて、謎の隆起によって永らく廃都になっていたブリージュへの捜索チームに同行していた。

「ご苦労様、ブリージュの旅は如何でしたか?」

「地下を掘り進んでいましたら、大変、興味深い物が見つかりましたわ」

「へぇ、どういったものです?」

「3メイルはあろう巨大な風石です。余りに巨大なので運搬に難儀しておりまして、トリスタニアに到着するのは数日後の予定です」

「では、その巨大風石が大隆起の?」

「詳しく調べない事には何とも……ともかく、風石が到着次第、研究を始めたいと思います」

「ハルケギニアの未来がかかっています。どうか、手抜かりの無いよう、おねがいします」

「御意にございます」

 ワルド夫人が退出しようとすると、マクシミリアンは何かを思い出したように、夫人を呼び止めた。

「ああ、そうだ。ワルド夫人は、以前、王立魔法研究所に勤めていたのでしたよね?」

「はい、おっしゃる通りでございます」

「意見を聞きたい事がありまして。実は……」

 マクシミリアンはカトレアの妹、ルイズの謎の爆発について意見を求めた。
 ワルド夫人は、数分考えると口を開いた。

「詳しく調べた訳ではないですから、何とも言えませんが……もしかしたら、ミス・ルイズには何か秘められた力があるのかも知れません。例えば、まったく新しい系統、もしくは……虚無」

「虚無!?」

 マクシミリアンは驚きの声を上げた。

「以前、夫人は虚無が復活すると言っていましたが……よりによってルイズに?」

「ですが、まだ覚醒していない様に思われます」

「……とにかく様子を見よう、夫人は風石の調査と平行して虚無の研究をしてもらう。それと、この一件は口外しないように、もちろんルイズ本人にも」

「御意」

 ワルド夫人は一礼して執務室を退室した。

(どうしようか、大隆起を止める鍵になる虚無。その使い手の可能性のあるルイズを保護すべきか……う~ん)

 ルイズを手元に置くべきか、何よりワルド夫人の言葉を信じるか、散々悩むと、カトレアへの返事にルイズが虚無の使い手である事を匂わせる様に書いた。勘の鋭いカトレアなら気付くだろう。それと、ルイズの事を色々フォローするように付け加えた。
 返事を書き終わると無意識に窓から空を見上げた。

「虚無かぁ……はぁ、今のオレには虚無よりもカトレアだよ」

 手紙のやり取りはしていても、もう1年以上も会ってない。
 時間が空くと、空を見ながら溜め息をつく回数と比例して、酒量も多くなり家臣たちを心配させていた。








                      ☆        ☆        ☆






 数週間後、以前から計画されていた、トリスタニアの大掃除が決行された。

 最初に目を付けられたのは、裏通りのチクトンネ街。
 多数の酒場や賭博場に、たむろするヤクザ者を次々と取り締まり、他にも無届の娼館、ご禁制の秘薬を売る露天商等々を摘発していった。
 また、ホームレスといった者達もターゲットにされた。

 特に無届の娼館は、安く女を抱かせてくれる為、労働者には好評だったが、軒並み潰されてしまい一部の労働者から怨嗟の声が上がった。
 娼館で働いていた女達は、故郷に帰すか別の働き口を紹介した。

 この大掃除でヤクザ者と裏で繋がっていた不貞貴族も、ある程度摘発する事ができたが、ほとんどは脇の甘い連中ばかりで、大物を釣り上げる事は出来なかった。
 ちなみに捕まったヤクザ者やホームレスは、労働力として北部開発区の人足寄せ場に放り込まれた。
 人足寄せ場とは、犯罪者などを社会復帰させるために職業訓練を行う場所だ。

 少量の血が流れる事を覚悟していたが、その様な事は起こらず、結果的に、ヤクザ者や一部の不貞貴族を排除した事で、トリスタニアのアンダーグランドは人畜無害な連中ばかりになった。
 一方、民衆の反応はいうと、ヤクザ者と手を組んで儲けていた者も居たし、少々苛烈だった為か評価は半々だった。

 ともかく、不貞貴族の手足となる者たちは排除された。

 ……

 この日、マクシミリアンはチクトンネ街にある大衆酒場兼宿場『魅惑の妖精』亭の前に居た。
 この時はまだ『大掃除』の真っ最中で、市民に扮した密偵団員が秘密警察宜しくトリスタニア市内を歩き回っていた。

 マクシミリアンは『水化』の魔法を応用して、何処にでもいる様な普通の青年に姿を変えていた。

 何故、この様な所に居るかというと、カトレアに中々会えない寂しさを紛らわす為の気晴らしだった。

「あら~♪ ナポレオンちゃんいらっしゃ~い♪」

 『魅惑の妖精』亭の店主スカロンが、自慢の肉体をクネクネさせながら入店したマクシミリアンを迎え入れた。

下町(ブルドンネ)のナポレオン』

 と名乗り、マクシミリアンは『魅惑の妖精』亭の常連になっていた。

「こんにちは店長、今日も楽しませて貰うよ。コレ、ジェシカちゃんに渡してあげて」

 マクシミリアンはスカロンに安物のぬいぐるみを渡した。ちなみにジェシカとはスカロンの娘で今年で5歳になる。ルイズと同い年だ。

「トレビアァ~ン! ありがとうねぇ~ん、ジェシカも喜ぶわぁ~♪」

 先月、スカロンは妻を亡くし、その日以来オカマな物腰と言動の変態になってしまった。
 ジェシカも母を亡くしたショックで一時、塞ぎこんでいたが、生来の芯が強さとスカロンたちの励ましで、現在は元気を取り戻していた。

「いらっしゃいませ~、お席へどうぞ」

 スカロンと別れ、見目麗しい店員に案内されたマクシミリアンは一時の安息を楽しむ事にした。

 ……

「最近ね、チクトンネ街にマダム・ド・ブランの洋服を扱う店が出来たの」

 マクシミリアンに宛がわれた女の子は、マリーという名前で抜群のプロポーションを持ち、店では5本の指に数えられるほどの人気を誇っていた。
 ちなみにマクシミリアンは、ポケットマネーから酒代を出している。

「マダム・ド・ブランか、最近良く効く名前だな、そんなに良い服を扱っているのか?」

「なんでも、何人かの芸術家のパトロンをやっていて。その芸術家達にデザインを任せているそうよ」

「へー」

「ねぇ、ナポレオンさん、今度、その店を見に行かない?」

(要するに買えということか)

 もとよりマクシミリアンは、火遊びはするつもりは無い。

「そうだな~、どうしようかな」

 考えるそぶりをした。
 マリーを始めこの店の女は男を相手にするプロだ、この言葉で脈が無い、と踏んだ。

「あ、他のお客さんが呼んでるから、また指名してね」

「あらら、ふられちゃった」

 マリーは去り、マクシミリアンは一人酒をしていると、スカロンの娘ジェシカが寄って来た。

「おお、ジェシカ。元気になったみたいだな、お兄さん嬉しいよ」

「ナポレオンの兄さん、人形ありがとう、大事にするわ」

 ハルケギニアでは珍しい黒髪をなびかせ、ジェシカはマクシミリアンの隣に座った。

「お酌するわ」

「お、ありがとう」

 空になった木杯にワインを注いだ。

「美味しい?」

「……うん、美味いよ、何処のワイン?」

「タルブ村、私の実家がある所よ」

 相手は五歳という事もあって、ママゴトの延長みたいな酒の相手だったが、ジェシカは甲斐甲斐しくマクシミリアンの相手をした。傍から見れば年の離れた夫の世話を焼く幼な妻に見えたかもしれない。

 ……

 マクシミリアンが『魅惑の妖精』亭に出入りする様になった時期は、ちょうどジェシカの母が亡くなり塞ぎこんでいた頃だった。
 『水化』で変身して、酒の飲める場所を探していると、『魅惑の妖精』亭の前で一人の少女に出会った。

「そこのお嬢ちゃん、この店は飯も食えて酒も飲めるのか?」

「そうよ、看板見れば分かるでしょ。『魅惑の妖精』亭……何百年と続く店よ」

「そうか、ありがとう……ところで、何でそんなに暗い顔をしてるんだ?」

「別にどうもしないわ」

 目の前で泣きそうな娘が居たら、放っておけない性質のマクシミリアン。
 少女を励ます為に、水の魔法で作ったシャボン液と、道端に咲いていたタンポポの茎で作ったストローをプレゼントした。

「なにこれ?」

「シャボン玉だ、遊び方はこうやって……」

 シャボン液をそこら辺に転がっていた木杯に入れ、ストローでかき回した。
 マクシミリアンは、ストローを吹くとシャボン玉が屋根まで飛んだ。

「わぁ……」

 ジェシカは驚きの声を上げた。

「遊び方は分かったろう? ほら、あげる」

「いいの?」

「かまいやしないよ」

「ありがとう!」

 にっこりと子供らしい笑顔になった。

「名前教えて、『魅惑の妖精』亭で食べるんだったらサービスしてあげる。私、ジェシカ。この店の娘だから」

「親御さんに悪くないか? まあ……いいか、オレは下町(ブルドンネ)のナポレオンだ」

「変な名前」

「ほっとけ」

 ハハハ、と笑いあい。ジェシカはシャボン玉を吹こうとタンポポのストローに口をつけた。

「関節キスだね」

「ませた娘だな」

 ジェシカが作ったシャボン玉は、狭い路地裏から青い空へと昇っていった。

「……お母さんの所へ届くといいな」

 とつぶやいた事を、1ヶ月経った今でも覚えている。

 十分に料理と酒、女の子(幼女)を堪能したマクシミリアンは、支払いを済ませ『魅惑の妖精』亭を出た。

 店を出る際に、酒の相手をしてくれたジェシカにチップとしてエキュー金貨を1枚渡した。

「ほら、チップだ」

「ありがとう、また来てね、待ってるから」

「ああ、またな」

 ジェシカはマクシミリアンの姿が見えなくなるまで手を振り続けた。





                      ☆        ☆        ☆





 ほろ酔い気分でブルドンネ街を歩いていると、市民達が集まり騒ぎになっていた。

「あれはいったい、何の騒ぎだ?」

 遠巻きに見ていた市民達に聞いてみる。

「ついさっきまで、大捕り物があったんだ」

「いや、凄かった、まるで獣みたいな女の子だったよ」

「女の子?」

「ああ、散々暴れてな。大人数で押しつぶされて、あの馬車に放り込まれた」

「こっちに来る」

 人だかりを掻き分け、馬車が近づいてきた。
 マクシミリアンが、御者座を見ると知っている者が乗っていた。

(やっぱり『大掃除』に関係してるのか)

 そう判断し荷台の方を見ると、思わず目を疑った。

「あの女の子、アニエスか!?」

 ボロボロの擦り傷だらけだったが、見覚えのある短い金髪だった。

「おお~い! そこの馬車、待ってくれぇ~!」

 マクシミリアンは路上に飛び出し、馬車を止めようと前に躍り出た。

「おおおお! 馬鹿野郎! 死にたいか!」

 辛うじて止まった馬車。
 当然、御者はマクシミリアンを怒鳴りつけた。

「そこの女の子は、僕の知り合いだ、逮捕は待ってくれないか?」

「お前が誰かは知らんが、引き渡すわけにはいかん。ついでにお前もしょっ引くぞ」

 マクシミリアンは『水化』で変身中なのを思い出し懐中から杖を出して自分の頭を叩いた。
 叩いた箇所から波紋が発生し、元の姿に戻った。

「でで、殿下! 何故この様な所に!?」

 周囲の人々は驚いた顔で、マクシミリアンを見た。
 何よりアニエスの驚愕振りは凄まじい物だった。

 

 

第二十九話 思わぬ再会


 あの後、マクシミリアンは、アニエスを連れて新宮殿に戻った。
 道中、アニエスは一言、『王子だなんて』と呟くと、それから後は何も喋らず、マクシミリアンの後を付いて行くだけだった。

 尋問する別室に連れて行かれる前に、アニエスは服を脱がされ身を清められ傷も治療された。

「で、どうしてアニエスはヤクザ者と一緒に居たんだ?」

 別室では、真新しい服に着替えさせられたアニエスをマクシミリアンが問いただしていた。

「……」

「アニエスどうして何も喋らない」

「……」

 マクシミリアンはため息を吐き、控えていた家臣に報告をさせた。

「ヤクザ者たちを締め上げて聞き出した事によりますと、この少女はしばしば、ヤクザ者の溜まり場に顔を出し銃や剣の修行をしていたようです」

「銃や剣の?」

「御意」

「アニエス? 君は一体何をしようとしてたんだ?」

「……」

 だが、アニエスは喋らない。

「おい、殿下が聞いておられるのだ、言われた事はちゃんと答えろ」

 態度の悪いアニエスに家臣が注意した。

「まあ、彼女もこんな所に連れて来られて混乱してるんだろう」

 マクシミリアンはフォローを入れた。

(だが、どうしたものか……)

 と頭を捻っているとミランが息せき切って入ってきた。

 ミランが遅れたのは憲兵本部や密偵団に顔を出して平謝りしてきて遅れたからだ。

「殿下、このたびは、わが娘の不始末に対し……弁解の使用もありません。しばらく謹慎したく思います……許可を頂けませんでしょうか」

 ミランは沈んだ声で謹慎を申し出た。

「こんな大事な時期に馬鹿を言うな。まぁ……一先ず席に着け。で、アニエス、どうするつもりだ、このままでは埒が明かない」

「……」

「ならば……ダングルテールの大火の一件と何か関係あるのか?」

 マクシミリアンの問いに、アニエスはようやく重い口を開いた。

「あれは大火じゃ、大火事なんかじゃない!」

「お、ようやく喋ってくれたな。で、いったい何があったんだ」

「虐殺だ! 家族もみんな殺された!」

「……うん」

「それは本当か!?」

 ミランが驚きの声を上げた。
 アニエスはダングルテールで起こった事を語りだした。
 ダングルテールを突如襲った、謎の集団によって全滅した事等々、今まで溜め込んだモノを吐き出すように語った。

「……で、アニエスは故郷を全滅させた奴への復讐の為に剣や銃の鍛錬をしていたって事か」

「……」

 アニエスは俯いたまま、コクンと頷いた。

「ミランに、父親にこの事を相談せずに、事を始めたのか?」

「メイジは敵だから」

「アニエス……」

 ミランは悲しそうな顔をした。

「アニエス、君は復讐を諦めるつもりはないのか?」

「無いわ」

 ハッキリと言った。

「う~ん」

 マクシミリアンは椅子に深々と座り直した。
 妙に落ち着きを払っていたのは、予めクーペからダングルテールの件で報告書が届いていたからだ。

 報告書では王立魔法研究所(アカデミー)直属の『実験小隊』と呼ばれる特殊部隊が、新教徒狩りの為にダングルテールで虐殺行為を行った……と書かれていた。

 首謀者はリッシュモン伯爵でロマリアからの要請で行われた。この虐殺によってロマリアから多額の献金がリッシュモンに送られ、この金で高等法院の院長の椅子を買い、多数派の派閥の長になった。

(この情報は、リッシュモンの派閥を切り崩す武器になるんだが……)

 マクシミリアンは迷った。本心はアニエスの復讐の手助けをしてやりたいが、余りにも相手は巨大だ。下手に藪を突けば蛇が出てトリステインを二つに割るかもしれない。

 だからこそ、不貞貴族を取り締まり、リッシュモンら不貞貴族達権力をの少しずつ削って、いずれはトリステインに出血を課さない改革、もしくは少量の出血での改革がしたかった。

「はぁ……今日は、もう遅い。ここまでにしてまた明日にしよう」

 窓の外は暗くなっていた。
 結局、マクシミリアンは決断は出来なかった。

「アニエスを客室に通してくれ。それと、ミランは残ってくれ。では、解散」

 家臣たちは次々と退室して、アニエスも逃げないようにガッチリ警備されて退室した。
 部屋を出る途中、一瞬、マクシミリアンと目が合った。

 皆、退室し、部屋は二人だけになった。

「監督不行き届きだなミラン」

「……弁明の言葉もありません」

「それにまだ、仲良く出来てないか」

「どうも、嫌われているようでして」

「はぁ……、まぁいい、一つ聞きたいんだが、ミランはアニエスの復讐を手助けするつもりなのか?」

「私は……あの娘のためなら命を厭いません。許可を頂けるのでしたら、助太刀するつもりです」

 マクシミリアンは、意外に思った。てっきり復讐に反対かと思ったからだ。

「お前は要職についている、助太刀は許されないよ、やるなら彼女一人でだ。だけど今、リッシュモンを殺したら不貞貴族どもが反乱を起こすんじゃないか、僕はそれを懸念してる。」

 そして、『それに、今の彼女では返り討ちされるのがオチだ』と付け加えた。

「……」

「今、リッシュモンを殺るのは危険だ。もっと奴らの権力を削がないと」

「はい」

「そこでだ、しばらくアニエスを新宮殿に住まわせようと思う。これは彼女に勝手な事をさせない為の処置だ」

「……分かりました。アニエスの事、宜しくお願いします」

「ああ」

「アニエスが本懐を遂げましたら、後はあの子の好きなようにさせては頂けませんでしょうか?」

「ん、いいだろう、仕官でも婿探しでも、彼女の望みは叶えよう」

「ありがとうございます。世間一般ではわが子が復讐に燃えているのなら止めてやるのが筋でしょうが、私は背中を押してやる事を決めました、罰を受けるのならば家族一緒に受けます。どの様な結末になってもあの子は私達夫婦の娘ですから」

「君たち親子が、和解する事を祈っているよ」

 話も終わり、席を立とうとすると。

「……あの殿下、一つお聞きしてよろしいでしょうか?」

 ミランは質問を求めてきた。

「ああいいよ」

「前々から疑問に思っていたのですが、殿下はアニエスの事を知っておられるのですか?」

「ん? ああ……知ってるよ。ちょっと市内を探索していた時に、ね」

「そうでございましたか」

「アニエスは友達さ、だから何とかしてやりたいと思っている。浪花節で政治をするのは危険だがね」

「ナニワブシ?」

「ああ、こっちの話」

 



                      ☆        ☆        ☆ 





 夜は深まり新宮殿を始めトリスタニアの殆どの者が寝静まっていた。

 マクシミリアンの自室では、遊びと勉強に来ていたアンリエッタが、くーくーと寝息を立てていた。

 マクシミリアン本人はというと、バルコニーに出て『Marines' Hymn(アメリカ海兵隊賛歌)』を鼻歌で歌い、片手にワイングラスを持ワインを楽しんでいた。昼間に散々飲んだのにまだ飲み足りなかった。

 マクシミリアンは、ほろ酔い気分で歌を歌い夜風に涼んでいると、バルコニーの下の方から何かが落ちる音を聞いた。

 下の方を覗いてみると、何か黒い影が走って遠ざかっているのが見えた。
 マクシミリアンは、『ライト』を唱えたが、四階建ての高さからでは光は地上まで届かない。
 次にマクシミリアンは、『目からサーチライト』を発した。

 『目からサーチライト』とは『目から破壊光線』の応用で、その名のごとく目からサーチライトを出す事ができて、目にも優しい為、ちょっとした明かりが欲しい時など大変便利だった。

 走り去る影にサーチライトを当てると、そこの居たのはアニエスだった。

「あの馬鹿!」

 捕まって早々に逃げだしたアニエスに、マクシミリアンは呆れた。
 マクシミリアンは杖を出して、走るアニエスに対し『レビテーション』を唱えると、アニエスは走った状態で足をバタバタさせながら浮かんだ。

「離せ! 離せ!」

 アニエスはマクシミリアンの居る4階のバルコニーまで運ばれ、『レビテーション』を切ると、お尻から落ちた。

「痛たた」

「アニエス、馬鹿かお前は」

「ナポレ……!」

 痛そうにお尻をさするアニエスの前にしゃがみこみ、にらめ付ける様に目線を合わせた。

「せっかく丸く治めようってのに、僕を親父さんの努力を無駄にするつもりか」

「……どうして」

「ん?」

「どうして、メイジだって……よりよって王子だって黙ってたんだ。嘘を疲れてショックだった」

「それは……ん~、騙すつもりはなかったけど、結果的に騙す事になってしまった。ごめん」

「私は、私は嘘が嫌いなんだ」

「ああ」

「嫌いなんだ」

 アニエスはポロポロと涙をこぼした。

「……ごめん」

 マクシミリアンは胸を貸してると、アニエスは押し殺すようにマクシミリアンの胸の中で泣いた。

「なあ、アニエス」

「うん」

「聞いたよ、メイジが嫌いなんだって?」

「……うん」

「今までのメイジは、ろくでもない連中ばかりだったけど、最近のメイジは違うだろ? 平民を大事にする者たちも増えてきている、たとえばアニエスの親父さんとかさ……」

「……本当は嫌いじゃない」

「うん?」

「あの人の事、本当は嫌いじゃない」

「そうか、それなら仲直りできるよな?」

「……それは」

「今更、仲直りできないって言うのか?」

「きっと、あの人、私のこと嫌ってると思う」

(何なんだ、この親娘)

 マクシミリアンは思わず頭を抱えた。

「ミランはさ、アニエスが復讐に走る事を止めなかった。それどころか、積極的に支援したいってさ」

「……あの人が」

「それに、『どの様な結末になってもあの子は私達夫婦の娘ですから』だってさ良い親じゃないか」

「……」

「もう、この際だからはっきり言うけどさ、いい加減にお前ら仲直りしろ」

 キッパリと言った。

「……でも、あの人が」

「さっきから、あの人あの人って、うるせーよ! パパなり、お父さんなり言え」

「……ごめん」

「まったく……オレに謝るなっつーの。後で謝っておくようにな」

「分かったよ」

 マクシミリアンは、コホン、と一つ咳をした。

「話は戻るが、アニエスの言う『仇』だがな、僕達はその情報を掴んでいる」

「本当か!!」

「シッ、アンリエッタが起きる」

 マクシミリアンは人差し指を口に当てた。

「ご、ごめん」

「アニエスの仇は何人か候補が居る。一人目はロマリア教皇、『ダングルテールの虐殺』はロマリアの新教徒狩りが本来の目的だからな。二人目はトリステインのリッシュモン伯爵、この男がロマリアからの以来を受け『ダングルテールの虐殺』を首謀した男だ。三人目は魔法研究所(アカデミー)の実験小隊隊長コルベール。この男が『ダングルテールの虐殺』の実行犯だな」

「……」

 アニエスはギリリと歯噛みした。

「アニエスは誰を仇にするつもりだ? トリステインの王子として言わせてもらうがロマリア教皇を仇にするのは止めてほしいね。ロマリア教の腐敗振りはトリステインの貴族以上にひどいが、その権力は健在だ」

「実験小隊隊長コルベールという男。薄っすらだけど覚えがあるわ」

「コルベールの事だがな。虐殺後、小隊を脱走し世間から隠れるように魔法学院の教師をしているそうだ」

「脱走を?」

「そう、脱走。どうも(やっこ)さん、作戦内容を知らされてなかったらしい」

「……」

「自分のした事に、良心の呵責を覚えたのかもな。アニエスはどう思う?」

「私はあの日、誰かにおぶさっていた記憶があるわ」

「ひょっとしたら、アニエスをおぶっていた者はコルベールかもな」

「分からないわ」

「で、どうする? コルベールを仇に決めるかい? 実行犯だぞ」

「……最後の一人はどういう奴なの」

「最後のリッシュモン伯爵は、虐殺によってロマリアから多大な献金を受け取って自身の権力増大に役立てたやり手だな。現在、高等法院の院長で多数の貴族達を従えている、トリステイン切っての権力者だな。僕でも早々手出しできない」

「……リッシュモン!」

「今は無理だが、行く行くは仇討ちの機会を作ってやろう。どうするアニエス? どうしても今すぐ仇討ちがしたければ懺悔しているコルベールで手を打っておくか?」

「コルベールは、今でもあの日の事を悔やんでいるんでしょ? 私を試すような事言わないで」

「そうだったな」

「……リッシュモン、その男が」

 アニエスは討つべき相手を定めた。

 ……

「私はこれからどうなるの?」

「しばらくは新宮殿で寝泊りして貰う。希望するなら銃や剣の鍛錬に指導者を就けてもいい、以前にヤクザ者から教わっていても所詮は素人戦法だからな」

「うん、ありがとう……助かる」

「礼なんか言うなよ。勝手なことをしないように僕達の都合で引き入れたんだから」

「ナポレオン……じゃない。ええっと」

「マクシミリアンだ」

「その、マクシミリアン……殿下は、私の仇討ちに対してどう思われて……オラレルノデスカ?」

「そう畏まらなくて良いよ。そうだな友達が復讐に燃えているのは悲しいけど、何とかしてやりたいって思うよ」

「そう……」

「でもさ、アニエスが本懐を遂げたら、後はどうするんだ?」

「え? それは……考えた事もなかった」

「読み書きは出来るのか? 他に何か生活の糧になる特技はあるのか?」

「な、なにも」

「復讐に成功しても後の人生のダメダメなら、意味無いだろう。いい機会だから、貴婦人修行も予定に入れよう」

「い、いらないよそんなの」

「はっきり言うけどさ。アニエスは器量良しだぞ、きっと美人になる、保障するよ。その美人が口を開いた途端、メスゴリラに成るなんて、僕は耐えられないよ」

「メスゴリラが何か分からないけど、多分、馬鹿にされてるんだと思う」

「ははっ、それはさて置き、読み書き、計算、貴婦人修行を全部予定に入れるからな。真っ当な人間に戻ってもらわないとな」

「ええ~っ」

 そこには、復讐に人生を捧げた少女の姿は無く。何処にでも居る年頃の少女の姿があった。 

 

第三十話 アニエスの新生活


 次の日、新宮殿で寝泊りすることになったアニエスはメイドに案内され、とある部屋に到着した。

 部屋えはアンリエッタが椅子に座り足をパタパタさせ誰かを待っているようだった。

「おはよーございます。あなた誰?」

「お、おはようございます。アニエスと申し……マス」

「わたし、アンリエッタ!」

 元気良く言った。

「お、揃ってるな」

 遅れてマクシミリアンがやって来た。

「おにーさま、おは! よー! ございます!」

「おはよう、アンリエッタ。アニエスもな、おはよう」

「お、おはようございます」

「早速だが勉強会を始めよう。今日から一緒に勉強する事になったアニエスだ」

「よ、よろしくお願いします!」

「よろしくおねがいしまーす」

「うん、二人とも仲良くな。さて、アニエスが加わった事で授業内容を変更して、初歩的な読み書きに戻る。アンリエッタは前に習っていた箇所だけど、しっかり勉強していれば分かるはずだ。さ、始めよう」

 マクシミリアンは、パン、と拍手(かしわで)を打つと授業に取り掛かった。






                      ☆        ☆        ☆






 アニエスが新宮殿に住む様になり数日が経った。

 アンリエッタと仲良くなる事ができ、ある程度は読み書きが出来る様になったが、アニエスは不満だった。
 元々、仇討ちに必要な技術を得る為に、新宮殿に住むようになった筈だったが、一度も剣や銃の鍛錬の時間は割り当てられた事は無かった。
 仕方なく、空いた時間をジョギングなどの軽い運動に当てて身体が鈍るのを防いでいた。

「ミス・ミランは居られますかな?」

 マクシミリアンお付の執事、セバスチャンがアニエスの部屋にやって来た。
 最初、『ミス・ミラン』が誰か分からず、ポカンとしていたが、自分の事と分かるまで数秒掛かった。

「あ、スミマセン! 何か御用でしょうか?」

 多少の礼儀作法も叩き込まれていた。

「午後の予定ですが、マクシミリアン殿下は急遽、王宮へ向かう予定が入りまして、午後の勉強会は中止となりました」

「あ、そうですか。わざわざ、ありがとうございます」

「そこで、マクシミリアン殿下より、ミス・ミランを演習場へ案内するように仰せつかっております」

 セバスチャンの言葉に、アニエスは顔に喜色を浮かべた。

「いよいよ鍛錬させてもらえるんですか?」

「はい、動きやすい格好でお願いします。詳しい事は正面玄関前で説明いたします……では失礼します」

 それだけ言うと、セバスチャンは退室した。

 ……

 午後、新宮殿の正面玄関前で、アニエスは言われたとおりに、動きやすい格好でセバスチャンを待っていた。

 新宮殿はそれ自体が町の様なもので、大小、様々な建物が建っていた。
 立ち並ぶ建物の中で、一つだけモクモクと黒煙が昇る異彩を放つ建物があった。
 
「煙の昇ってる建物、ひょっとして火事なんじゃないですか?」

 アニエスは門の前に立っている衛兵に聞いてみたが、銅像の様にピクリとも動かない。

「あの建物は、ミスタ・ラザールの研究所です。火事ではありません」

 答えたのは、セバスチャンだった。
 セバスチャンは、一頭立ての小さな馬車に乗ってやって来た。

「研究所……ですか?」

「日々、怪しい研究が行われていると、もっぱらの噂です」

「大丈夫なんですか?」

「まぁ、『知らぬがブリミル』と殿下も申しておられましたし、我々が知る事ではないのでしょう。さ、早速参りましょう」

「はい」

 アニエスは助手席に座り、馬車は目的地に向かって走り出した。

 後にラザールの研究所は、『水蒸気機関』や『TNT火薬』など、様々な異色の発明品を魔法の世界に送り出す事になる。

 ……

 アニエス達を乗せた馬車は広い新宮殿の敷地を進む。

 敷地内にある広大な練兵場では、軍楽隊の行進曲(マーチ)に合わせて小銃を担いだ歩兵が行進していた。
 ちなみに行進曲は、マクシミリアンが前世で好きだった『La Victoire est a nous(勝利は我がもの)』を、持ち前の絶対音感で耳コピして発表していた。
 現在、『Kar98k』のコピー銃を作成中だが、時間がかかるため『つなぎ』として、既存のマスケット銃に改造が加えられた。
 改造例として、銃身内にライフリングが施され、円錐型の銃弾を採用し、地球で言う『ミニエー銃』に改造された。
 この改造によって、以前のマスケット銃では100メイルほどの射程だったが、ミニエー銃では400~500メイルに向上した。

 馬車は練兵場を過ぎて敷地の奥へ奥へと進む。

「……?」

 アニエスは不審に思った。
 先ほどから、すれ違う人がまったく居なくなったからだ。

「ここから先は、無断に入れば命の無い、トリステイン王国の秘密区画です」

「秘密区画……」

「ミス・ミラン。許可を出したマクシミリアン殿下の信頼を裏切るような行動は、どうか慎んで頂きたい」

「……」

 セバスチャンの言葉にアニエスは無言で頷いた。

 ……

 更に馬車は進み、地球で言う倉庫の様な巨大な施設に到着した。

「ここです」

 セバスチャンは馬車から降りると、倉庫前に行き、アニエスも慌てて後を追った。

 分厚い鉄製の扉の前では、7メイルほどの大型ゴーレムが衛兵を務めていた。
 アニエスたちが近づくと、ゴーレムは引き戸式の鉄扉を開け中に入るように促した。

「ミス・ミラン。ここから先はお一人で……」

「分かりました。ここまでの案内、ありがとうございました」
 
 アニエスは頭を下げると中に入っていった。
 倉庫の中は、地球で言うアスレチック施設の様なものがあり、何人かの男達がロープ渡りや、CQBなどの訓練を行っていた。
 だが、アニエスにはこれらが何の為の訓練なのか分からない。

「お、良く来たな、話は聞いている」

 近代的な軍服に身を包んだ、男がアニエスに近づいてきた。

「俺はコマンド隊隊長のド・ラ・レイだ」

「よ、よろしくお願いします!」

 前年のアントワッペンでの失敗を糧に、マクシミリアンの肝いりで結成された『コマンド』は隊員数僅か30名弱の小さな規模だが全員が『場違いな工芸品』で武装された特殊部隊だ。
 主な任務は、空挺作戦による強襲・後方かく乱・要人救出など、状況に応じて様々な任務が課せられる。

「さて、自己紹介は追々やるとして、まずは体力訓練から始めようか。ロープ渡り、ロープ登り等々、室内の施設を使って延々体力づくりだ」

「銃は撃たせて貰えないんですか?」

「いきなり、銃を撃たせるわけないだろ。それと、訓練期間中は俺の指示には絶対服従だ、一切の反論は許さない。分かったらさっさと始めろ時間が惜しい!」

「は、はい!」

「ここじゃ『はい』じゃなく『コマンドー』だ」

「え!? コマンドー?」

「つべこべ言うな、コマンドーだ」

「コ、コマンドー」

「声が小さい!」

「コマンドー!」

「もっと強く!」

「コマンドー!!」

「よし行け!」

「コマンドー!!」

 かくして、アニエスの地獄の訓練生活が幕を開けた。
 
 この倉庫の様な施設は秘密主義が徹底され、周辺を衛兵やメイジたちが巡回し、銃声などの音が外に漏れないように『サイレンス』が24時間かけられていた。
 他にも地下射撃場や地下演習場に『場違いな工芸品』の倉庫が有った。

 参謀本部は火器の高性能化によって、将来的に戦列歩兵といった密集陣形は廃れると判断し、軽歩兵による近代的な戦術の研究が求められた。
 マクシミリアンが地球から流れてきた歩兵操典の何冊かを翻訳すると、参謀本部によって研究は進められ、地下演習場ではメイジと『場違いな工芸品』とを共同で用いた新戦術の研究が行われていた。

 ……

 地下の演習場にて様々な研究が行われているとは、夢にも思っていないアニエスは息を切らせながら訓練を行っていた。
 今までのアニエスは、いわば瞬発力重視で耐久性は全く無く、訓練開始1時間で息切れを起こしていた。

「どうした! もっと気合を入れろ!」

「コ、コマンド~」

「声が小さい!」

「コマンドー!」

 ロープ渡りの最中、他の隊員はアニエスを追い抜く度に『コマンドー!』と元気付けてくれたが、今のアニエスにはそれすら苦痛だった。

 ……どれほど時間が経っただろうか。
 窓の無い室内の為、時間の感覚が分からずアニエスは、ひたすら訓練に没頭した。

「よし、今日はここまでだ」

「コ、コマンドー!」

 ド・ラ・レイ隊長は訓練の終了を告げ、アニエスは足をガクガクさせ、辛うじて立っているのがやっとだった。

「明日も同じ時間帯にまた来るがいい。では、解散」

「コマンド~!」

 アニエスは帰ろうと、疲労で重い身体を引きずりながら出口へ向かうと後ろから、ド・ラ・レイ隊長の声がかかった。

「キミの仇討ちが成功する事を願っている。では、また明日」

 それだけ言うとド・ラ・レイ隊長は踵を返し訓練に戻っていった。

「……」

 アニエスは何も言えなかった。
 今まで、アニエスは貴族を毛嫌いしていたものの、新宮殿に出入りする貴族の殆どがアニエスに対し好意的だった。
 
「……良い貴族も居るって事か」

 アニエスが倉庫を出ると、日は西に沈み掛かっていて、セバスチャンの乗った馬車が他の者の邪魔にならないように道の端っこに寄せられていた。

「ずっと、待っていてくれたんですか?」

「いえ、私も所用がありましたので。さ、帰りましょう」

 アニエスは行きと同じように助手席に乗った。

 馬車が発車すると、途端に眠気が襲ってきて、ヘトヘトに疲れていたアニエスは抗うことが出来ず眠りへと落ちていった。

 ……

「ミス・ミラン。起きて下さい」

「ふぇ?」

 どれ位寝たのだろうか、アニエスがセバスチャンの声で目を覚ますと、馬車は新宮殿の正門前に着いていた。

「馬車を戻しに行きますので、降りて貰えますか?」

「はい、ありがとうございました」

 馬車から降りると、疲労で身体が重く感じた。

「明日も今日と同じ時間にお願いします。失礼します」

「はい」

 セバスチャンは去り、アニエスは重い身体を引きずって新宮殿内に入った。

 新宮殿内では、家人たちが右へ左へ慌しく働いていたが、いつもと違い妙な熱気に包まれていた事に気付いた。

「……何かあったか知らないけど、今は何か食べたい」

 空腹を抑えてアニエスは食堂へ向かった。

 ……食堂に到着すると、数人のメイドが話をしていて、その内容が漏れ聞こえた。

「マクシミリアン殿下の御成婚の日時が本決まりですって」

「ホント? いついつ?」

「聞いた話じゃ3ヵ月後だったけど……」

 アニエスは、それ以上話を聞く事ができなかった。

「……結婚するんだ」

 アニエスは座席に座ると、天井のシャンデリアを見つめた。

 いつしかアニエスの空腹は消し飛んでいた。
 

 

第三十一話 リッシュモンの反撃


 真綿で首を絞めるが如く……

 高等法院院長リッシュモン伯爵の、今置かれた状況を表す言葉を捜せばこの言葉が上げられるだろう。

 マクシミリアンの『大掃除』でリッシュモンの手足となる者は粗方検挙された。
 高等法院とは、言わば貴族階級の特権を擁護する機関で、公平な裁判をする場所ではない。
 事ある事に高等法院の存在を無視した裁きにリッシュモンの怒りは最高潮に達していた。

 リッシュモンは生き残りの為、マクシミリアン失脚の為、トリスタニア市内の自分の屋敷にて次に打つ手を模索していた。

 そんな中、ノックの音が聞こえた。

「旦那様、平民の女が是非、旦那様にお会いしたいとそう申しているのですがいかがいたしましょう?」

 屋敷の執事がリッシュモンに報告してきた。

「馬鹿を言うな。なぜ、平民ごときに会わねばならんのだ。追い返せ」

「は、ですが女が言うには、『自分は新宮殿に奉公してるメイドだ、伯爵様に役立つ情報がある』と申しております」

「新宮殿だ?」

 リッシュモンは聞き返した。
 新宮殿といえば憎きマクシミリアンの住まいだ。

「何か面白い話を持って来たのかも知れないな。分かった会おう」

 リッシュモンは女に会うことにした。

 ……

 リッシュモンが女と顔を合わせてみると、顔は中の下だったが平民とは思えないほどの清潔な身なりをしていた。

(平民ごときを甘やかせおって)

 内心、苦々しく思いながらも応接室へ迎え入れた。

「で、このリッシュモンに役立つ情報とはなんだ。場合によっては褒美をやろう」

「は、はい実は……」

 女が言うには最近、平民の少女が新宮殿に寝泊りする様になり、しかも貴族と同等の扱いを受けているそうだ。

(つまらん、要はただの嫉妬か)

 リッシュモンの出した答えは正しかった。
 このメイドは自分は毎日汗水流して働いているのに、いきなりやって来て貴族と同等の扱いを受けている平民の少女に不公平感を覚え少女を追い出す為にリッシュモンの屋敷の裏口の戸を叩いたのだ。

「他には何か情報はあるか?」

「はい、もう一つ。しかもマクシミリアン殿下はアニエス……あ、これは平民の女の名前でして。そのアニエスとアンリエッタ姫殿下を同じ部屋で共に勉強を学ばせていまして……」

 瞬間、リッシュモンの背筋を電撃が走った!

(コレだ!)

 リッシュモンはマクシミリアン追い落としの策を閃いた。

「うんうん、これは良い事を聞いた」

「如何でしたでしょうか?」

「よろしい、誰か、この勇気ある者に褒美を……」

「ありがとうございます!」

「よしよし、まずはこのワインを楽しむがいい。中々手に入らぬ銘柄だぞ」

「は、はい」

 女は大事そうに両手でワイングラスを持つと、そのまま呷った。

「……う」

 呷った状態で後ろに倒れた女は、ピクリとも動かなくなった。

「どうだ、死ぬほど美味かっただろう?」

 毒ワインで死んだ女を蹴り付け、『ふん』と吐き捨てた。

「コレを王子の手の者に見つからない様に処分せよ。それと急ぎ馬車の準備を、これより登城する」

 リッシュモンはニヤリと笑い執事に命じた。






                      ☆        ☆        ☆





 王妃マリアンヌは退屈な毎日を過ごしていた。

 息子のマクシミリアンが新宮殿に移り住んで1年以上経ったが、マクシミリアンの後を追って娘のアンリエッタも新宮殿に入り浸るようになった。
 家族団らんで過ごす事も1年に数回程度になり。もっと子供達と遊びたいマリアンヌはそれが気に入らなかった。

(どうして二人とも、あんな屋敷に居られるのかしら)

 エスターシュ嫌いの急先鋒で知られるマリアンヌはエスターシュが建てた新宮殿すら嫌っていた。
 出来る事なら今すぐにでも、悪しき新宮殿から息子と娘を助け出したかった。

 そして、また家族4人で一つのベッドで寝る事を望んでいた。

「あ、5人も悪くないわね……フフフ」

 ちょうど今日、マクシミリアンとカトレアの結婚の日時が決定して、マクシミリアンは報告を聞きに登城していた。

「でも、5人で寝るとなると新婚生活を邪魔する事になっちゃうわね」

 数ヵ月後に加わる新たな家族にマリアンヌは少し機嫌を直した。

 そんな時だ、高等法院院長リッシュモン伯がマリアンヌに火急の面会を求めたのは……

 ……

「火急の面会をご承諾して頂きありがとうございます」

「今日は吉日。多少の事は目を瞑りましょう。それで、用件は?」

「はい、実は……」

 リッシュモンは新宮殿に現れた平民の少女が、愛するマリアンヌの子供達に近づいた事を、リッシュモンの都合の良いように言った。なるべくマリアンヌが激高するように。

「平民の娘が、易々と王家の者に声を掛けるなど由々しき事態です。アンリエッタ姫殿下の新宮殿の出入りを禁止すべきではないでしょうか?」

「そうね、アンリエッタは禁止すればそれで済むでしょう。ですが、マクシミリアンは? あの屋敷は、あの子の住まいなのよ?」

「そこは不肖、リッシュモンにお任せ下さい。必ずやマクシミリアン殿下を、マリアンヌ王妃殿下の下へお返し致しましょう。『リッシュモンに任す』、ただその一言でよいのです。どうか……どうか」

 リッシュモンは片膝を付き、頭を深々と下げた。

「……」

「……」

「……分かりました。リッシュモンに任せます。あの子を助けてあげて」

「御意」

 この時、リッシュモンは頭を深々と垂れながらほくそ笑んだ。







                      ☆        ☆        ☆






 1週間経った。

 マクシミリアンは3ヵ月後に控えたカトレアとの結婚式の為、各方面からのお祝いの手紙の返事を書いていた。

「マクシミリアン殿下、一大事です!」

 密偵頭のクーペが、ノックの後、執務室に入ってきた。

「クーペか、どうした?」

「はい、今入った情報によりますと、王宮にて貴族達が殿下を弾劾を叫んでいるとの事!」

「弾劾? 僕を?」

「しかも、マリアンヌ王妃殿下のお墨付きを得たとも叫んでいるそうです」

「母上のお墨付き?」

「はい」

「バカな……母上が政治的な事をするとは思えない。誰かに乗せられているんじゃないか? クーペ、急ぎ情報収集を。僕も急ぎ登城する」

「御意」

 クーペは一礼すると小走りに去っていった。

 マリアンヌは政治にまったく興味を持たず、本来なら先代フィリップ3世が崩御した後、女王に即位して夫のアルビオンのエドワードを宰相に就ける予定だったが、本人は即位を嫌がり急遽エドワードをエドゥアール王として即位させマリアンヌは王妃に納まった経緯がある。

「誰か、ダグー警備隊長とコマンド隊のド・ラ・レイ隊長を呼んでくれ。それとラザールにも」

 数分後、二人の男がマクシミリアンの前に居た。

「揃ったな、状況を説明する」

 マクシミリアンが王宮での異変を説明した。

「ダグー隊長は、僕の常備軍500人を指揮して新宮殿周辺を固めてくれ」

「御意」

 分厚い眼鏡で見えないが、常に仏教面のダグーはマクシミリアンの命令を了承した。

「殿下、質問の許可をお願いします」

「ん、許可する」

「王宮の軍勢がやって来た場合、先制攻撃の許可を頂けませんでしょうか?」

「……駄目だ、許可できない」

「御意。では、門は如何いたしましょう、全て閉めますか?」

「……門も閉めてはならない。王宮に間違ったメッセージを送る可能性がある。歩兵達も周囲から見えないように伏せさせてくれ」

「御意」

 それきりダグーは黙った。
 現在、最新の『ミニエー銃』を持つ軍勢はダグーに指揮権を譲ったマクシミリアン旗下の常備軍500名しか居ない。
 一応、王宮にも1千挺を献上したが、王軍の将軍たちには見向きされずに武器庫の中で眠っているそうだ。

「ド・ラ・レイ隊長はコマンド隊に出動準備を。命令があったらすぐに出られるように待機してくれ」

「御意。場合によっては例の少女も出しますがよろしいですか?」

「……僕の関知する事ではない」

「御意」

「話は以上だ。解散」

 二人とも一礼してそれぞれの持ち場に帰った。

 十数分後、ヒゲ塗れ垢塗れのラザールが遅れてやってきた。

「申し訳ございません。遅刻してしまいました」

「今回の様な不慮の事態に遅れては困るよ。まったく」

「面目ないです」

「次は頼むよ。あと、風呂は毎日とは言わないが、最低でも三日おきに入る事、いいね」

「分かりました」

「コホン……用件だが現在、王宮と緊張状態に入っている。念のためロケット砲の準備を命ずる」

「御意……して、照準は王宮でよろしいでございましょうか?」

(……血の気多い連中ばかりだ)

 内心、ため息を吐く。
 真っ先に戦闘準備を命じた自分の事はお構いなしだ。
 ちなみに当初、ロケット花火の王様の様だったラザールの多連装ロケット砲は新型火薬と大型化によって、口径約8サント、射程4~5リーグの強力な兵器に進化した

「却下、そもそも、王宮まで届かないだろうに。準備だけしていてくれ」

「御意」

 ラザールが退室するのと入れ違いに家人が入ってきた。

「で、殿下! 王宮から使者が参りました!」

「これから登城しようという矢先に……使者というなら無下にはできない、謁見の間に通してくれ」

「御意」

 マクシミリアンは、こうも早く使者がやって来た事に胸騒ぎを覚えていた。


 

 

第三十二話 改革の反動

 マリアンヌ王妃のお墨付きを得たリッシュモンは、早速、各地の諸侯に手紙を書いた。

 曰く、『王子追放の為に力を貸してほしい』と。

 そう、追放だ。

 リッシュモンはマリアンヌの願いを歪曲し、政敵マクシミリアンを中央政界から追放する腹積もりだった。

 密告者から、王族と平民が同じ部屋で勉強をする……と情報を得たリッシュモンは『この行為は身分制度の崩壊を意味する!』と諸侯達を煽りに煽ったがマクシミリアン追放の根拠としては弱い。
 精々、マクシミリアンからアンリエッタを引き離すぐらいが限界だ。

 そこでリッシュモンは、事の問題をマクシミリアンの改革そのものにすり替えた。
 マクシミリアンの改革は、トリステインの経済を回復させ各諸侯もその恩恵に与っていた。

 しかし、改革は徐々にエスカレートして行き、ついには『ノブレス・オブリージュ』を叫び出した。
 しかも、マクシミリアンの言葉に影響され、平民達に慈善活動をする貴族までも現れた。

 この改革は貴族と平民との絶対的な壁を打ち破りかねないと、諸侯の反応は警戒へと変わって行った事をリッシュモンは敏感に察知した。

 なにより、マクシミリアン自身も王族と貴族、平民との身分の違いに『ケジメ』とつける事を怠っていた。
 
 内心では追放ではなく殺してしまいたかったが、『王子を殺す』と言えば誰も支持しない。
 マリアンヌ王妃のお墨付きを盾にしての『罰』という形なら支持した諸侯の罪悪感は薄れる。上手く立ち回れば廃嫡の可能性もあるが、それはアンリエッタを擁立し時間をかけて空気作りをする予定だった。
 
 リッシュモン派閥の貴族を使って、改革に懐疑的な貴族を選んで手紙を送った。
 数年前まで『虚栄と怠惰』が支配していたトリステイン貴族は、『ノブレス・オブリージュ』を本音では嫌っていたが、マクシミリアンの手前、いい顔をして嵐が過ぎるのを待っていただけだった。
 誰も好き好んで責任など負いたくないし、平民に良い顔をしても煩わしいだけだ。
 他にも魔法至上主義のトリステインで、最新の火器を使用した軍を編成している事も一部の将軍から反感を買っていた。

 結果、多くのトリステイン貴族がマクシミリアン追放を支持した。

 人間は簡単には変わらない。
 明らかにマクシミリアンは、『やりすぎた』






                      ☆        ☆        ☆





 リッシュモンは思わずほくそ笑んだ。。
 マクシミリアン追放の為に、改革に懐疑的だったトリステイン貴族に協力を取り付けるはずだったが、予想通り、半数以上の七割の協力を取り付けることが出来た。

 計画ではゲルマニアとの間にロレーヌ地方など領土問題を持つトリステインの足元を見て、反乱のカードをチラつかせエドゥアール王に要求を飲ませるつもりだった。

「この数ならば、要求を飲ませられる。ククク」

 リッシュモンは湧き出す笑いを止められなかった。
 ちなみにリッシュモンはエドゥアール王に忠誠心も、ましてや愛国心も持っていない。有るのは自身の栄達と金銭への欲求が目的の売国奴だ。トリステインの永い歴史を紐解けば、貴族が連合して意にそぐわない王を無理矢理退位させた例は何度もある。

 しかし、危惧している事もある。
 リッシュモンは、相手が信用できるか否かを見極めて協力を要請したが、一部の貴族が怖気づいて政庁へ通報する事を危惧していた。

「……時間をかけたせいで、時期を逸するのも面白くない。ここは早急に事を始めよう」

 リッシュモンの決断は早かった。

 ……

「陛下ご決断を。これほどの貴族が殿下の改革に反対をしているのです。このままでは流石の私も暴発を止められません」

 リッシュモンはエドゥアール王に二人きりでの面会を求めると、トリステインの貴族の七割がマクシミリアン追放を要求している事を告げた。
 王宮ではリッシュモン派閥の貴族が、マクシミリアン追放と王妃マリアンヌのお墨付きを叫んでいた。

 もちろん、これらの事柄は全て事前に打ち合わせをしている。

「……」

 しかし、エドゥアール王は何も喋らない。
 リッシュモンは不審に思いながらも、エドゥアール王を脅すように語った。

「陛下、我々もこの様な事になるのを、残念に思っています。ですが、事は重大。このまま、行き過ぎた改革を進めれば、栄光あるトリステイン王国は、身分を弁えぬ憎き共和主義者の手に落ちてしまいかねません」

「……」

 まだ、エドゥアール王は何も言わない。

(何を考えているのだ、全貴族の七割が敵に回ろうとしているんだぞ?」

「幸い、殿下はまだ13歳でございます。政治や身分とはどういうものか、外国が何処かでゆっくり勉強を……」

「……もう十分、喋っただろう」

 エドゥアール王が手を上げると、衛兵達がドッと部屋の中へ雪崩れ込んできた。 

「な、何だお前達!」

「リッシュモンを逮捕せよ」

「ははっ」

 命令を受けた衛兵達はリッシュモンに詰めより、あっという間に拘束してしまった。

「な、何を考えていいる。反乱が怖くないのか」

 王に対して暴言を発している事にも気付かずに、リッシュモンは問うた。

「反乱か……フフ、マクシミリアンなどはお前達が暴発するのを極度に恐れていたようだが。私は違う……私はこの時を待っていた」

「……どういう意味でございますか!?」

「もう一度言わんと分からんか? 『この時を待っていた』と言ったのだ!」

 ようやく、リッシュモンは、自分が釣られた事に気がついた。

「なっ、まさか、王子を囮に!?」

「君が釣られたおかげで、不貞貴族を一掃出来る」

「勝てると思っているのか!? それにゲ、ゲルマニアが黙っていないぞ」

「チェルノボークへ送られる君が心配する事ではない」

「ぐうう……」

「現実に目を向けず理想のまま進めばどういう事なるか、マクシミリアンには良い勉強になっただろう。その点に関してはお前達に感謝する」

 エドゥアール王は最近のマクシミリアンを見て、一言注意しようと思っていた所だったが、リッシュモンの行動は息子にとって良い薬になると思っていた。
 もっとも、王妃マリアンヌの行動は読めなかったが。

「ああ、忘れていた」

 とエドゥアール王は、数枚の紙を取り出した。

「これは、君がロマリアとの密約で得た多額の献金の証拠だ」

「う!?」

 リッシュモンは再びうろたえた。
 まさか、ここまで緻密に調べられていた事に驚愕した。

「連れて行け」

「御意」

「おのれ~」

 リッシュモンは怨嗟の声を上げながら連れて行かれた。

「王宮内で乱痴気騒ぎをしている連中も全員逮捕しろ」

「ハハッ」

「王軍及び各諸侯に動員令を出せ。この期に乗じて反乱貴族を一掃する。それとマクシミリアンの所にも使者を送れ、事の成り行きを伝えろ、名誉挽回の機会を与える。とな……ああ、人選はマザリーニを、たしか初対面だったはずだ」

「御意!」

 エドゥアール王は、図らずも事件の中心人物になった王妃マリアンヌの元へ赴こうとした時、不意に耳鳴りと激しい頭痛がエドゥアール王を襲った。

「んんっ!」

「陛下!?」

「陛下! 誰か典医殿を!」

 家臣たちが騒ぐ中、エドゥアール王が頭を抑えて低く呻いていると、しばらくして耳鳴りと頭痛は嘘のように治まった。

「大事ない、収まったようだ」

 突然の苦痛に解放されたエドゥアール王と家臣達はホッとため息をついた。

「念のため、典医の診察を受けよう。その様に取り計らってくれ」

「御意」

 その後、典医の診察を受けると軽い過労と診察された。
 エドゥアール王も、後に控える討伐軍編成の忙しさに、やがて頭痛と耳鳴りの事は忘れてしまった。






                      ☆        ☆        ☆






「マクシミリアン殿下の御尊顔を配し恐悦至極……私はマザリーニと申します」

「前置きはいい、用件を伝えてくれ。これから登城しなければならない」

 王宮での異変を聞いたマクシミリアンは、登城する準備を進めていたが王宮からの使者がやって来た為、仕方なく謁見の間に向かい入れた。

「国王陛下より今日、王宮にて起こった事件の仔細を説明するように命令を受けております」

「うん」

「今日、王宮にてリッシュモンとその派閥の貴族達が王宮にて……」

 マザリーニは王宮でリッシュモンが起こした事件を説明した。

 ザワ……と謁見の間は、にわかに熱気に包まれた。

 マクシミリアンは片手を上げ、家臣団に落ち着くようにジェスチャーを送った。

「つまりだ、リッシュモンは僕を失脚させる為に陰謀をめぐらせた、と」

「御意にございます。ですが国王陛下はリッシュモンを逮捕し、反乱貴族を討伐する為、各地に動員令を発しました」

「僕にも参戦する様にと、国王陛下は申したのか?」

「御意、『名誉挽回の機会を与える』との事でございます」

「……謹んでお受けすると、国王陛下に伝えて欲しい」

「御意」

 マザリーニは一礼して去っていった。

「……」

「殿下」

 控えていたミランが声をかけてきた。

「ああ、すまない。防衛体制も解除だ、各部隊に伝えてくれ」

「御意」

「参謀本部には反乱貴族討伐の作戦案を提出させてくれ。後は任せる、解散」

「ははっ」

 それだけ言うとマクシミリアンは謁見の間を出て、自室に引き篭もってしまった。

 マザリーニに聞かされた、今回の事件の経緯を知りショックを受けた。トリステインにとって良いことだと信じてここまでやって来たが、貴族達にとっては大きなお世話だったのだ。
 いや、全ての改革が歓迎されるはずはない、と理解していたつもりだったが、過半数の貴族が反乱に回った事を知るのはショックだった。

 足元がグラつく様な感覚を覚えたマクシミリアンは、来ていた服を全部取っ払うとベッドに身体を放り投げた。

 しばらくの時間、目を瞑っていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。

「殿下、お休み中申し訳ございません。クーペでございます」

 声の主はクーペで、外を見ると既に暗くなっていた。

「入っていいよ」

 入室を許可すると メイド姿のクーペが入ってきた。

「ああ、クーペ何か分かったのか?」

 マクシミリアンは指を弾き、魔法のランプを灯した。

「半日、調べた程度で完全には把握できませんが、ある程度は……」

「聞こうか」

「御意」

 クーペは、情報収集の成果を聞かせた。
 内容は、この事件の切欠になった、アンリエッタとアニエスを同じ部屋で勉強させた事などで、メイドが一人、行方不明になっている事も知った。

「ああ、ありがとう。調査を続けてくれ」

「御意」

 クーペは去ると、マクシミリンは杖を振るい、青銅のゴーレムを一体作り出すと、そのゴーレムを思い切り殴りつけた。
 青銅ゴーレムには傷ひとつ無かったが、拳の骨は折れ外に飛び出るほどの重傷だった。
 痛みを感じない位マクシミリアンは(はらわた)が煮え繰り返りそうな程、怒りに震えていた。

(結局、オレの失策が原因じゃないか!)

 自分の甘さが迂闊さが、事件の引き金だった事を知り、マクシミリアンの心はどん底に叩き落された。
 重傷を負った拳にヒーリングを掛けると、ベッドに飛び込み布団の中に包まった。

(……今日はこのまま寝てしまおう。明日になればきっと立ち直るさ)

 明日から反乱貴族討伐の為の忙しい日々が始まる。
 一晩寝ればショックも薄れる事を期待して、そして決して今日の失敗を忘れないようにと心に決めたマクシミリアンは目を閉じた。


 

 

特別篇その1 王子の初陣


 マクシミリアンの改革の反動は、リッシュモン伯爵の謀略で内乱という形で現れた。
 だが、内乱の旗振り役のリッシュモンはエドゥアール王によって捕まり、旗振り役を失った反動貴族達は蜂起しトリステイン内乱が勃発した。

 トリステイン内乱は、実際のところはエドゥアール王の策謀で、まだ戦いの準備が出来ていない反乱貴族達は、準備不足のまま一斉に反乱の狼煙を上げさせられてしまった。

 この時、マクシミリアン本人は気が付かなかったが、マクシミリアンとエドゥアール王との、共同での粛清の幕開けともいえた。

 この日、王都トリスタニアの新宮殿内の練兵場には1千人を越す人々が集められていた。

「王太子殿下、警備隊と常備軍および予備役全員集合いたしました!」

「分かった。直ちに出発させてくれ。それとダグー、『警備隊と常備軍および予備役の軍』では締りが悪い、これからは『マクシミリアン軍』と呼称するように」

「御意! 『マクシミリアン軍』出発!」

 ダラララララ……ダン! ダダン!

 軍楽隊が一斉に太鼓を鳴らし、太鼓のリズムに合わせてマクシミリアン軍の歩兵1500人が、列を作って前に進み始めた。

「時間こそ僕達の最大の敵だ、快速を持って進軍せよ」

「御意!」

 馬に跨ったダグーが敬礼すると歩兵隊と共に大通りに出た。
 歩兵隊が去ると、次は6頭立ての馬車の荷台ににロケット砲を積んだハルケギニア版自走ロケット砲が現れた。

「ラザール。キミのロケット砲は僕達の切り札だ」

「ありがとうございます殿下。ですが、新型火薬の製造法は難しく、ロケット砲弾はあまり数も確保できませんでしたが、信頼に添えるよう努力いたします」

 ラザールは手をかざすと、自走ロケット隊は動き出し歩兵隊の後に続いて行軍を始めた。

 歩兵隊の先頭がチクトンネ街の大通りに入ったのか、大きなどよめきが新宮殿の方にも届いた。

「次に補給隊、最後に僕達の司令部だ。市民達にその勇姿を見せつけ、無用な心配をさせないように勤めてくれ」

「御意にございます。ラザール隊進め」

 ラザールは一礼すると馬車に乗り込み出発の命令を告げた。

 ラザール隊を新宮殿の敷地から出ると、馬上のマクシミリアンは杖を取り出しスペルを唱えだした。

 『クリエイト・ゴーレム』によって作られた人馬ゴーレム20体は、王を守護するかのように、マクシミリアンの周りに現れた。

「セバスチャン。出発するがよろしいな?」

「ウィ、殿下。既に準備は整っております」

 御付の執事であり、同時に凄腕の護衛でもあるセバスチャンは、自分の得物である『場違いな工芸品』の幾つかを木箱に入れ、1頭立ての馬車の荷台に納めてあった。

「結構……往こうみんな。トリステイン王国は今日変わる。出立!」

 人馬ゴーレムに守られたマクシミリアンは、住まいである新宮殿に別れを告げた。

 ……

 チクトンネ街の大通りは、多くの市民が列を成してきたマクシミリアン軍に驚き道を開けた。

「あれは何処の軍だ?」

「黒布に金の獅子は、マクシミリアン王太子殿下の旗だった筈だ」

「何々? 何が起こったの?」

「これじゃ商売上がったりだ」

 市民は戸惑いの声を挙げた。
 無理も無い。それほど広くない大通りにミニエー銃を担いだ歩兵隊が列を成して現れたからだ。
 そして、ほんの一日前に、このトリステインで内乱が勃発したという情報を、市民達は誰も知らないからだ。

 歩兵隊の次は自走ロケット隊、次に補給隊、そして最後に30騎の人馬ゴーレムに守られたマクシミリアンが現れると市民の喧騒は最高潮に達した。

「おお! 王子様だ!」

「まさか、王子様自らご出馬されるのか?」

「何処かと戦争をするのかのう……」

「戦争の噂なんて聞いたこと無いぜ?」

 市民は口々に噂をし始めた。
 ガチャガチャと音を立てながら人馬ゴーレムは行進し、それに続くマクシミリアンは手を振って応えた。

 ……

「いくらなんでも早すぎる!」

 トリスタニア市内に潜り込ませた有力反乱貴族のスパイは目の前の光景を見て驚いた。
 雇い主の命を受け、市内に潜入したその日に、もう反乱鎮圧の軍隊が出動をしたのだ。

「急いで知らせねば!」

 物乞いに変装していたスパイは、急いで路地裏に身を隠しトリスタニアから脱出を図ろうとした。
 だが、『ガクン』という音と共に、何かが自分の身体が空中で制止させた。

「あ、ぐ……?」

 細く見えない鉄糸が路地裏に張り巡らされていて、スパイはボンレスハムの様に鉄糸で雁字搦めにされ宙吊りになっていた。

「だ、誰か……」

 助けを求めようと大声を上げるが、声はハエの飛翔音並みの小さな声しか出ず、それ所か無理な体勢が祟って息も苦しくなって来た。

「……が、かはっ」

 鉄糸が身体に食い込み血が滴り落ちる。幸いにもスパイの苦しみが永遠に続くことは無かった。

「……」

 路地裏に居た『誰か』が鉄糸の一本を弦楽器の様に『ビン』と音を鳴らすと、鉄糸は凶器となって身体に食い込み、スパイは一瞬でミンチになってしまった。

 血煙が舞う路地の陰から現れたのは、下町辺りで地べたに座っていそうな、よぼよぼの老人だった。

 老人の枯れ木の様な指一本一本に指輪が嵌められていて、パチンと指を鳴らすと鉄糸は全て指輪の中に納まった。
 この惨劇の主犯はこの老人だった。
 そんな異常な空間に町人風の男がやって来た。
 男に気付いた老人は、歯の抜けた口でカラカラと笑った。

「やあ、ご苦労様。他に市内に入り込んだ連中の始末はどうなっておる」

「クーペ隊長。市内の掃除は滞りなく進んでおります」

 老人の正体はクーペだった。
 かつて『荒事は向かない』と言っていたが、それは貴族が好む正々堂々の戦いが苦手であって、逆に鉄糸を使った暗殺術を得意としていた。

「他にも紛れ込んでいるかも知れない。わしは他の所を回ろうと思う。悪いが後片付けを頼む」

「了解」

 老人に化けたクーペは、後片付けを部下達に任せると、他の路地裏へを姿を消した。

 結局、市内に潜り込んだスパイは、反乱貴族と他国の者を合わせて十人ほどで、情報の供給源を絶たれた反乱貴族にとっては、マクシミリアン率いる討伐軍の情報を得られなくなり、それが彼ら命取りになる。






                      ☆        ☆        ☆





 トリスタニアを出たマクシミリアン軍は、反乱貴族を求め南下を始めた。

 目指すはブラバンド公爵という貴族の領地で、クーペから早々にブラバンド公爵が傭兵を集めていると聞き、速攻で片を付けるために軍を進めた。

「で、ブラバンド公は、領内にて我がトリステインの旗を逆さに掲げ、叛意を示しているのだな?」

「御意にございます。さらに大勢の傭兵を集めており、既に五百を越す軍勢に膨れ上がっているそうにございます」

 マクシミリアンは密偵からの報告を受けると、『サイレント』が付加されたマジックアイテムの『防音テント』にダグーや参謀らを集め、作戦会議は執り行われる事になった。


「殿下、このまま手を拱いていれば、反乱軍はさらに数を増すことでしょう」

「ダグー殿の言う通りでございます。敵に時間を与えれば、景気付けにと周辺の村々を略奪して回る事も十分予想されます。早々に鎮圧するべきです」

 ダグーとラザールがそれぞれの考えを述べた。

「そうだな……ブラバンド公の軍勢は今何処にいる?」

 マクシミリアンは参謀のジェミニ兄弟に詳細を聞いた。

「傭兵団は無能にもブラバンド公から離れ」

「全軍の五百名が単独行動をとっております」

 交互に喋るジェミニ兄弟の報告を聞いて、ダグーが激高した。

「早速、略奪を働こうとしているに違いありません!」

「どうやらそのようだな……よし、敵の略奪をみすみす見逃す手は無いし、各個撃破のチャンスだ。急ぎ攻撃計画を練ってくれ」

「御意」

 ダグーはの部隊に帰り、ラザールとジェミニ兄弟ら参謀陣は攻撃計画を練るために防音テントに残った。
 マクシミリアンは『後学のために』と、テントに残り参謀達を見学する事にした。

「実はというとですね殿下」

「ん? どうしたんだ?」

 ジェミニ兄弟がマクシミリアンに語りだした。

「僕達、兄弟としては傭兵の略奪をある程度は見逃して」

「反乱軍の非道を国内に宣伝すべきと思うんですよ」

 などとジェミニ兄弟は言い出した。

「プロパガンダをやろうってのか? 残念だが却下だよ」

「殿下なら、そう仰ると思い」

「会議の場では言わなかったのですよ」

 ジェミニ兄弟は双子らしく同じ動作、同じタイミングで頭をかいた。

「私としても、『勝つだけ』なら同じような案も考えましたが、何にせよ採用しなくて良かったと思いますよ」

 平民出身のラザールも、この手のプロパガンダには反対だったようだ。

「そういう事だ。他国ならともかく自国内でそのような手をとる訳には行かない。参謀に皆には迅速に傭兵を倒す戦術を練ってほしい」

「御意」





                      ☆        ☆        ☆





 マクシミリアンが目標とする傭兵団は、その欲望を満たす為にブラバンド公爵の下から離れ、獲物を探すべく辺りをうろついていた。

「公爵サマも太っ腹だぜ!」

「まったくだ。自分の領内なのに略奪の許可をくれるんだからよ」

「ぎゃはははは」

 傭兵と言っても、戦争がなければ山賊と大して代わらない。
 腹を満たす為に略奪も平気でするし、道路のど真ん中に陣取って商人から通行料をせしめる事など平気でする。
 そこらの山賊よりは戦慣れしている為、山賊よりはタチが悪かった。
  
 ブラバンド公爵は彼ら傭兵を雇うと、トリステインの治世が上手く行っていない事を喧伝する為に公爵領内の村々に略奪を命した。
 自分の領地を略奪させるなど、タコが自分の手足を食うような愚かな行為だったが、ブラバンド公爵自身が玉座に座る為には何でもする積りだった。
 ブラバンド公が玉座に野心を持ったのは、リッシュモンに(そそのか)された訳でなく、純粋な野心からだった。
 この内乱自体、反乱貴族を燻り出し粛清する為のエドゥアール王の謀略だったが、とうのブラバンド公爵はエドゥアール王の手の平の上で踊っている事を知るよしもなかった

 獲物を求めてさまよう傭兵団は、遂に中規模の村を見つけた。

「お、美味しそうな村をはっけ~ん」

「いいか? 男は殺しても構わんが女は殺すなよ、後のお楽しみって奴だ」

「分かってるって!」

「金目の物は全員で山分けだ。行くぜぇ!」

『ひゃっは~~!!』

 傭兵達は、それぞれの得物を取り出すと舌なめずりをすると、村に向かって突撃した。

「ん?」

「なんだべ?」

 農作業をしていた村民達は、歓声の上がった方を見ると、傭兵達が大挙して押し寄せてきた。

『ヒャッハァ~~~!!』

「とと、盗賊だ!!」

「逃げろ!」

 農具を捨てて農民たちは逃げ出した。

「おらぁ! 殺せ殺せ!」

 それを追う傭兵達の横腹を突くように、丘の上から『La victoire a nous』の行進曲が流れると、ダグーら歩兵隊が現れ新型のミニエー銃で攻撃を加えた。

「ぎゃああああああ!!」

「なにぃ!?」

「何処の軍だ!?」

「糞が、撃ち返せ!」

 パパパパン、と傭兵達もマスケット銃を始めとする旧式銃で応戦したが、銃弾のほとんどは丘の上の歩兵隊に届かず地面に落ちた。

 前装式ながらもライフリングが施され、ドングリ型の銃弾を採用しているミニエー銃は、飛距離と命中率に優れ、傭兵の旧式銃を圧倒した。

「うわあ!」

 傭兵がいくら撃っても弾は歩兵隊に届くことはなく、一方的にミニエー銃弾に晒され、一人また一人と傭兵は倒れていった。

「弾が当たらないなら、丘まで駆け上がれ! 突撃っ突撃ぃ~~!」

 首領各の中年傭兵が、怒鳴り散らしながら丘への突撃を命令すると、他の傭兵達は不承不承ながらも丘の歩兵隊目掛けて死のマラソンを始めた。

『わあああぁぁ~~~!』

 剣や斧を持った傭兵達は、半ばヤケクソ気味に叫びながら丘まで駆け上がる。
 その傭兵達にダグーら歩兵隊は容赦なく銃撃を加え、小さな丘を血に染めた。

「ひるむな! 突撃、突撃だ!」

 首領各の中年傭兵は声を張り上げ突撃を命令した。
 だが、一発の銃弾が中年傭兵の脳天を撃ち抜くと、中年傭兵は草原の上で大の字になって倒れそのまま動かなくなった。
 丘の上では、スコープ付きのKar98kの持った執事のセバスチャンが居た。
 言わずもがな彼が中年傭兵を狙撃したのだ。

 指揮官が死んだ事で、丘への突撃は誰が決めた訳でもなく止まった。

「敵は止まったぞ、一斉射撃!」

 突撃が止まった所に歩兵隊の一斉射が放たれ、小さな丘には無数の死体が転がった。

「や、やべぇ……逃げろ!」

「勝てる訳無ぇ!」

 この一斉射で一部の傭兵の士気が崩壊し、傭兵達の中から逃げ出す者が現れた。

「おい、逃げるな!」

「やべぇ、俺も逃げるぜ……」

 士気の崩壊は瞬く間に傭兵団全体に伝染し、遂に全面敗走へと陥った。

 ……

「敵軍の戦線、崩壊します」

「オオ!」

「やったな!」

 小高い丘の上で、歩兵隊と傭兵団の戦闘を眺めていたマクシミリアンら司令部スタッフは、傭兵団の敗走を見て歓声を上げた。

「結構、追撃に移るがよろしいか?」

「殿下、追撃と言われましても、我々に竜騎兵などの機動戦力は持ち合わせてはおりません」

 マクシミリアンが追撃を提案するが、ラザールが追撃用の機動戦力が無い事を説明した。
 マクシミリアン軍は歩兵と砲兵、補給隊のみで編成されていて、騎兵と言った機動戦力が無い。

「僕の人馬ゴーレムを騎兵代わりに使う。それなら問題ないだろう?」

 マクシミリアンとラザールが話していると、ジェミニ兄弟が会話に入ってきた

『我らジェミニ兄弟は、殿下の案を指示いたします』

「だ、そうだ。ラザールどうする?」

「……分かりました。私も殿下の案を指示いたしましょう」

「ありがとう! 人馬ゴーレム達、追撃戦に移れ!」

 マクシミリアンが指令を出すと、上半身がウィング・フッサー、下半身が馬の人馬ゴーレム達は無言のまま丘の上に横一列に立ち、逃げる傭兵目掛けて逆落としを行った!

 逃げる傭兵達に追撃を行った10騎の人馬ゴーレムは、青銅製の羽飾りをジャラジャラ鳴らしながら一気に丘を駆け下りる。
 その速度はサラブレットよりは遅いものの、人間の足よりは遥かに速かった。

「何だあれは!?」

「追撃だ! 逃げろ逃げろ!」

 羽飾りの音と全長3メイルの人馬ゴーレムの姿は心理的効果抜群だった。

「敵の数が多すぎる。足や腰を狙って倒す事よりも動けなくする事を目的にするんだ!」

『……』

 人馬ゴーレムは、忠実な騎士の様にマクシミリアンの命令に従い、無言のまま得物をランスからサーベルに持ち替えると、逃げ遅れた傭兵の頭に振り下ろした。

「ぐえぇ!」

「ぎゃああああ!」

 傭兵達の悲鳴と、馬蹄が大地を蹴る音だけが、この小さな丘のBGMだった。

 武器はサーベルだけではない。
 ランスのまま、逃げる傭兵の背中を突き上げ空中へ放り上げられたり、青銅の馬蹄で背骨や頭蓋を砕かれたりして、傭兵たちは命を落としていった。

 ランスや馬蹄の一撃で即死できれば幸運で、死ねなければそのまま空中へ放り上げられ、何処かの骨を折って動けなくなった所を、遅れて追撃に来た歩兵隊に殺された。

 マクシミリアンの初陣は、ミニエー銃の性能で終始傭兵団を圧倒し、死者はゼロ、負傷者は射程距離を越え殺傷力の無くなったマスケット銃の銃弾でたんこぶを作ったり、転んで足の骨を折ったりと数人が負傷しただけだった。

 ……

 傭兵団は壊滅し、小さな村は間一髪のところを救われた。

 およそ三時間後。
 マクシミリアン軍が丘から去ると、次に動き出したのは今まで羊の様に怯えていた村人達だ。

 30人足らずの村人達は、国から支給された鉄製の農業フォークといった農具や斧を手に、落ち武者狩りに動き出した。

「おめぇら用意はいいだな?」

「早いとこいくべ。隣村の連中が、こっちに向かっているって聞いただ」

「酷い目にあったのはオラ達だ」

「そうだそうだ。全部オラ達のだ!」

 村人達はお互いに頷き合うと、数時間前まで戦闘がおこなれていた丘へと昇っていった。

 およそ20分。
 村人達が丘を昇ると、無数の傭兵達の死体が丘の所々に転がっていた。

「ひゃあ! こりゃいっぱい有るだな」

「服に鉄砲により取り見取りだ」

 村人達は一斉に傭兵達の死体に群がり、服や鎧、剣に槍にマスケット銃と死体から剥ぎ取り、下着まで剥ぎ取られた死体まであった。

「おおい! こっちに来てくれ!」

 一人の村人が声を上げた。

「どうしただ?」

「ホレ、見てみろ」

 何人かの村人が声の主の所へ行くと……

「はぁ……はぁ……ひぃ!」

 足の骨を折れたが運良くマクシミリアン軍に殺されなかった傭兵が、地面を這い蹲るように丘から逃げようとしていた。

「たまげた。生きとるわ」

「どうするべ?」

「知れたことだべ」

 村人達は『ニィ……』と笑いあい、這い蹲る傭兵へ一歩二歩と近づいていった。

 あの傭兵がどうなったか語るまでもないだろう。






                      ☆        ☆        ☆





 傭兵団を屠ったマクシミリアン軍は返す刀で、反乱を起こしたブラバンド公爵の立て篭もる屋敷に歩を進めた。

「ロケット砲の出番だな、ラザールの活躍に期待する」

「必ずや殿下のご期待に応えて見せましょう」

 屋敷を包囲し、虎の子の自走ロケット隊に砲撃準備を整えさせていると、屋敷から白旗を持った男がやって来た。

「降伏の申し出?」

「主力となる傭兵団が壊滅した為、勝ち目が無いと思ったのでしょう」

 マクシミリアンの疑問にダグーが答えた。

「……降伏するなら、始めから反乱など起こすなよ」

 声のトーンはいつも通りだったが、マクシミリアンは明らかに怒っていた。

「では、降伏の申し出を蹴って、攻撃を開始しましょうか?」

「僕は見せしめの為に、皆殺しにしたい気分なんだ」

 敵と判断した相手には一切容赦しない、マクシミリアンの冷酷な部分がここで現れた。

「お、お待ち下さい!」

 マクシミリアンとダグーの会話に、ラザールが慌てて入ってきた。

「確かにブラバンド公は反乱を起こし、あまつさえ自分の領土の民衆を殺害しようとしました。ですが降伏して来た者を赦さず殺してしまっては、これ以降、殿下に降伏せず死力を尽くして抵抗する者も現れましょう。早期鎮圧の為にもここは降伏を受け入れるべきでは……」

 マクシミリアンは少し黙考に入ると

「……ち」

 と舌打ちをした。

「ラザールいう事はもっともだ。使者に、『武装解除して屋敷から退去するに』と伝えろ」

「御意」

「ダグーは歩兵隊の何人かを同行させ、屋敷の接収しろ。『置き土産』の可能性もあるから、グリアルモントら工兵隊も連れて行け」

「御意」

「ラザール、トリスタニアに鷹便を送り、ブラバンド公爵が降伏した事を伝えろ」

「御意」

「重ねて二つ、降伏したブラバンド公爵一家の受け入れと、ブラバンド公爵領を守護する部隊を至急まわして欲しいとも伝えてくれ」

「御意にございます」

「ジェミニ兄弟、ブラバンド公が自領の民衆を殺そうとし、マクシミリアン軍に阻止された事を周辺の村々に宣伝し、反乱軍に大儀が無い事を大いに伝えろ」

『御意』

 かくしてブラバンド公爵は武装解除し降伏は受け入れられた。

 ……

 数時間後、トリスタニアから引継ぎの部隊が到着し、ブラバンド公爵一家もトリスタニアに移送される事になった。
 ブラバンド公爵は、見た目は四十過ぎの痩せ型の男で、逃げ出す事ができないように、魔法封じの手錠をはめられ、魔法封じの特殊な牢が付けられた馬車に入れられることになった。
 当然、杖を奪われているが、用心に越しての事だ。

 牢に入れられる際に、マクシミリアンの姿を見つけると、形振り構わず助命を乞うてきた。

「殿下、でんかぁ~! どうかお願いします。どうか命だけはお助け下さい。何でしたら我が娘と妻を差し上げます。どうか、どうか命だけはぁ~~~~~~!!」

 すぐ後ろで入牢の順番待ちをしていた妻と娘は、夫と父の醜態に当然ショックを受けていた。

「あなた……」

「お父様……」

 公爵家に嫁ぐぐらいだから、妻は美しく、娘も10歳前後と幼いながらも将来が楽しみな容姿だった。

 マクシミリアンはブラバンド公爵を汚物を見る様に見て、サッと手を振り払った。
 『さっさと連れて行け』というジェスチャーだ。

 ブラバンド公爵一家は牢付きの馬車に乗せられ、トリスタニアへと去った。

「胸糞悪りぃ」

「は、何か仰いましたか?」

「いや、なんでもない。直ちに出発すると全部隊に伝えてくれ」

「ウィ、殿下」

 セバスチャンは、マクシミリアンからの命令をダグーらに伝える為に離れた。

「あの母子、どうなるんだろ……」

 ブラバンド公爵の改易は確定だが、あの美しい母と娘があの後どういう人生を歩むか、少し心配になった。

「だからと言って囲うわけにも行かないし……ま、死ぬことは無いだろうから、彼女達に始祖ブリミルのご加護が在ることを祈ろうかね」

 移動の準備が出来たマクシミリアン軍は、次の獲物を求め移動を開始した。

 トリステイン内乱はまだ始まったばかりだ。

 

 

第三十三話 ラ・ロシェール強襲


 ……ヒュンヒュンと、ロケット砲の甲高い音が大空に響く。
 空高く昇ったロケットは、小高い丘の上に建つ石造りの城の城壁を飛び越え場内へと降り注ぎ爆炎を上げた。

「殿下、敵方の城より白旗が掲げられました」

「分かった。攻撃停止、降伏を受け入れると使いを送れ」

「御意」

 マクシミリアンの失策を利用し国内の反乱分子を炙り出したエドゥアール王は、各諸侯に動員令を発した。
 かくして、マクシミリアン婚礼三ヶ月前という微妙な時期にトリステイン王国の内乱は幕を開けた。

 先手を取ったのはトリステイン王党側で、マクシミリアンの常備軍500と王宮の地下で埃を被っていた『ミニエー銃』1000挺を予備兵に渡し、急遽1500の歩兵連隊を編成、ラザールのロケット砲部隊や工兵隊、補給隊など集めた『マクシミリアン軍』は、常備軍が無くまだ準備の整っていない有力反乱貴族に対し各個撃破して回った。

 電光石火、開戦2週間で多くの貴族は降伏し、マクシミリアンの武名を恐れて戦わずに降伏貴族も現れた。
 と、いってもマクシミリアンが軍を指揮している訳ではない。マクシミリアンは言わば『御輿(みこし)』で、軍はダグーら家臣団が指揮している。

 同じ頃、王軍も編成を終えて、各地の反乱軍討伐に加わっていた。
 一方、反乱軍はお粗末で大して戦略を持たずに、リッシュモンの言われるままに蜂起してしまった為、連携が取れず各個撃破の標的になった。
 本気で反乱を起こす気の無い貴族は、自分達が反乱軍に名を連ねている事に驚き、王党軍に組している親しい貴族を通じて恭順の意を伝えてくる者もいた。とはいえ、恭順を受け入れられた貴族は少数で、大半は赦されずに取り潰された。

「将軍、この場はお任せしても宜しいでしょうか?」

「御意にございます」

 幸い死傷者は無く、マクシミリアンは同行していた王軍の将軍に後始末を任せると、次の戦場へと移動を開始した。







                      ☆        ☆        ☆







 転戦、転戦、また転戦。

 開戦1ヶ月で、マクシミリアンは多くの戦場を経験した。
 ラザールのロケット砲は、どの戦場でも抜群の威力を発揮し、ダグー警備隊長改め連隊長に指揮された歩兵連隊も『ミニエー銃』の威力で連戦連勝を繰り返した。
 しかも反乱貴族側は兵の集まりが悪く、組織的な反撃が出来ない状態で、平民に人気のあるマクシミリアンと戦いたくない、という理由で徴兵を拒否して逃げ出す者が多発していた。

 マクシミリアンらの活躍で反乱貴族の中にも戦線離脱する者も増えだした。元々、烏合の衆に近い連中だったから尚更だ。

 そんな中、凶報がマクシミリアンらに知らされた。

 反乱首謀者のリッシュモンがチェルノボーグへ移送中に反乱貴族に奪還されたというのだ。
 エドゥアール王は、マクシミリアンを介して密偵団に対し、直ちにリッシュモンの行方を探す様に指示し、密偵団だけでなく王宮からも人を出して捜索に当たらせていた。

 その甲斐あってか、密偵団がリッシュモンの居場所を掴む事ができた。

 場所はトリステイン南部の町ラ・ロシェールで、山間の街で世界樹(イグドラシル)を桟橋代わりに利用した港町だ。
 どうやら、リッシュモンはフネでロマリアに逃げ込むようだった。

 転戦中にこの事を知ったマクシミリアンは、新宮殿で待機しているコマンド隊にリッシュモン追跡を命じた。

 ……

 コマンド隊を乗せたフネはラ・ロシェールへを目指して進路を南に向けた。

 船内では、詰めのミーティングが行われていて、その中にアニエスの姿があった。
 アニエスはこの内乱の引き金が自分にあったことを知らない。

『あえて、知らせる必要はない』

 と、隊長のド・ラ・レイは判断した。

 開戦から1ヶ月、地獄の訓練に耐えた結果、何とか実戦に耐えられる練度を判断され、アニエスに初陣の機会が回ってきた。
 ……とはいえ、下っ端でだが。

「密偵団からの情報では、ラ・ロシェール内の『女神の杵』亭に宿泊しているとの事、目標の捕縛もしくは殺害が許可されている。護衛のメイジは5人以上を確認。各員、気を抜かないように」

「降下予定地点はラ・ロシェールを10リーグ下った場所だ。これは敵に我々を察知されないための処置でもある」

「コマンドー!」

「1時間後に予定空域に到着する。全員降下準備後、待機だ」

「コマンドー!」

 各隊員は準備に取り掛かった。

 アニエスが準備をしていると、一人の男が声を掛けてきた。

「よう、アニエス。」

「ヒューゴさん」

 この男は、名前をヒューゴといって、アニエスが入隊するまでは一番年下の下っ端で、アニエスが入隊した事で下っ端から解放され、それ以来何かとアニエスに絡んでくる男だった。悪い男ではなく、愛嬌と菓子を奢ってやる程度の気前の良さをもっていた。

「意外だったな。一番下っ端のお前を連れてくるなんて」

「今まで訓練の手を抜いた事はありませんよ。多分、隊長もその辺を見ていてくれたんだと思います」

「まぁ、いつかは初陣を張らなきゃならないしな」

「がんばります」

 2人で、ワイワイやっていると。

「おい! お前ら早く仕度しろ!」

「ゲッ、副隊長!」

「すみません!」

 2人でくっちゃべっている所を、副隊長に見つかり怒られた。

 ……

 時間は深夜を少し回った頃だろう。
 降下予定空域上空に入ったフネはパラシュート降下に移ろうとしていた。

 隊員達はパラシュートを収納したリュックを背負い、それぞれ支給された。『場違いな工芸品』を持ち整列していた。

「時間だ。各員直ちに降下し、目標を確保せよ」

「コマンドー!」

「よし、行け!」

 次々とフネから飛び降りたコマンド隊隊員。
 ついにアニエスの番になった。アニエスには.38口径のリボルバーが支給されていた。訓練しているとはいえ12歳の女の子、ライフルを撃つのは無理と判断された結果だ。
 そして、実戦に耐えられるといっても、あくまで伝令役や給弾係などが主任務だった。

「よし、次!」

「コ、コマンドー!」

 アニエスは意を決して夜の空へと飛び出した。

 山間部ながらも幸い風も弱くアニエスは予定通りの場所へ着地し、素早くパラシュートを回収すると、他の隊員に混じって、ラ・ロシェールの街へと山道を登っていった。

 ……

 コマンド隊は『女神の杵』亭を囲むように配置を完了させた。

 後方で指揮を取る隊長のド・ラ・レイは、突入部隊を指揮する副隊長に使い魔の猿のボーマンを同行させた。
 使い魔のボーマンは字を書く事ができて、主人と使い魔との間にできる感覚の共有を組み合わせる事で、離れている隊長と隊員との意思の疎通が出来た。

「突入準備完了。目標の部屋割りも把握しています」

 副隊長が準備完了を使い魔のボーマンにいうと、ボーマン通じてド・ラ・レイに伝わった。

「よし、始めろ」

 ド・ラ・レイが作新開始を命じた。ちなみにアニエスは伝令役をしてド・ラ・レイの後ろに控えていた。

『ハジメロ』

 使い魔のボーマンの書いた文字を見て、一人の隊員がフクロウの鳴き真似で作戦開始を全隊員に伝えた。

 『女神の杵』亭はラ・ロシェールで一番上等な宿屋兼酒場で、1階部分が酒場、二階部分が宿屋になっていた。
 しかも深夜で内乱中とあって、客足は疎らで戦乱を嫌って国外に逃げる商人が数人居た位だったが、数人の貴族が商人を追っ払っていた為、店内には護衛の数人の貴族と店主しかいなかった。

 1階と2階、同時に突入しようとした矢先、酔った貴族が店の外へ出ようと席を出た。

『ホー、ホー』

 異常を察した鳴き役の隊員がハトの鳴き真似をした。ハトの鳴き真似は『待て』の意味が含まれて、間一髪、突入を踏み止まった。

 酔った貴族は店を出て、夜風に当たりながら散歩を洒落込もうとしていた。
 周りには誰もいない、一人だけだ。副隊長はアイコンタクトで隊員に貴族の始末を命じた。

 隠れている茂みから貴族までは50メイルと離れている。
 銃を使えば銃声であっという間にコマンド隊の存在を知られてしまう。サイレンサーなんて洒落た物は持っていない。そこで隊員はクロスボウと取り出した。
 無音武器のクロスボウなら気付かれずに殺る事ができる。隊員は散歩中の貴族を狙い、そして放った。

 (ボルト)は首の裏、延髄に刺さり、呻き声一つ出さずに道端に倒れ、すかさず別の隊員が死体を茂みの中に隠した。

「よし、いいな。突入」

 再び、『行け』もしくは『作戦開始』の意味を持つフクロウの鳴き真似をすると、コマンド隊員は一斉に『女神の杵』亭の1階、2階の両方に同時に突入した。

 1階の酒場に突入したコマンド隊に対し、酒を飲んでいた護衛の貴族達は咄嗟に反応できなかった。

「なっ!?」

 『何だお前ら!?』と言う事も出来ずに一人の貴族はトンプソン短機関銃で蜂の巣にされ息絶え、他の貴族全員も同じような末路をたどった。

「ひいい……」

 カウンターの裏で震えていた店主。

「すまない店主。請求は王宮までよろしく頼む」

「は、はい」

 2階でも始まったらしく、銃声と女の悲鳴が聞こえた。

 2階でもコマンド隊が突入。
 ロープの反動で窓ガラスを割って中に入り、ベッドで寝ていた貴族を拳銃やナイフで殺した。

 全ては順調……と思いきやトラブルが起きた。

「副隊長、大変です!」

「どうした」

「2階にて多数の民間人が……」

「民間人? 宿帳には貴族と商人以外、他に名前が無かったぞ」

 ちなみに商人たちは事前に退避させてある。

「どうも娼婦のようで、どうやら貴族の相手をしていた様です」

「娼婦か……このまま作戦領域内に居ても邪魔なだけだ、速やかに退去してもらおう」

 副隊長が、隊長と感覚を共有させる使い魔のボーマンに言うと、ボーマンが『ゴエイ、オクル』と書いた。
 娼婦を退去させるための護衛を送るらしい。

 数分後、アニエスを含む4人のコマンド隊員が遣わされた。

 ……

「まったく、ひどったらありゃしないわ。内乱が起こって以来の久々の上客だったのに」

 作戦領域外への道中、4人の娼婦の内の一人が隊員たちに向かって、延々と愚痴を漏らしていた。

「我々も、大変心苦しく思っております」

「だったら兵隊さん、私を買わない? 安くしとくわよ」

「勤務外でしたら嬉しかったのですが、残念ながら勤務中ですので遠慮しておきます」

「ケチ!」

 幸い、口の回る隊員が居て娼婦の相手になってくれていた。
 和気あいあいの一歩前の様な、和やかな雰囲気だった。

「なあ、あの姉ちゃんおかしくないか?」

 同僚のヒューゴがアニエスに寄って、異変を伝えた。

「あの姉ちゃん……て、どの人ですか?」

「一番右っ側の姉ちゃんだよ。あの分厚いバスローブを羽織った姉ちゃん」

 4人の娼婦は横並びで歩いていて、アニエスは後ろから見て右側の娼婦を見た。

「綺麗な人ですね」

「だろ? 綺麗なんだけど何か違うんだよ」

「どう違うんですか?」

「うなじが、さ……うなじが、そそらないんだ」

「はぁ?」

「おかしいだろ? あんなに美人なのに、もしかして顔から下は別人じゃないのか?」

 ヒューゴはヘラヘラ笑いながら喋っていたが、場の空気が妙な方向へ変わっていった。

「……」

「……」

 ベラベラ喋っていた娼婦は急に黙り込み、他の2人の娼婦も明らかに挙動がおかしい。
 不穏な空気を察した別の二人の隊員が腰に挿した銃に手をかけた。

「そこの人、ちょっといいか?」

「……」

「手を頭の後ろに」

「……」

「駄目よ! みんな逃げて!」

「助けて!」

 娼婦達の絶叫と同時に『おかしな娼婦』が魔法を放った。

 爆炎が周囲を包み、二人の隊員は炎に包まれアニエスたちも爆発の衝撃波で地面に叩きつけられた。
 3人の娼婦も衝撃波で倒れたが、見た限りでは気絶しただけだった。

「馬鹿共め!」

 『おかしな娼婦』は吐き捨てるように言うと、走り去っていった。

「おい、アニエス動けるか?」

「な、何とか。ヒューゴさんは?」

「俺は、足が折れたみたいだ。ドンさんとペリーさんも追えそうにない」

 ドンとペリーと呼ばれた二人の隊員は、全身に大火傷を負い、危険な状態だ。

「前に聞いた事がある、『フェイスチェンジ』って奴だ。多分中身は男だよ」

「え、男!?」

「アニエスは奴を追うんだ。ひょっとしたら大物かもしれない」

「わ、分かりました。後の事はお願いします!」

「おう」

 アニエスは全身の痛みを堪え立ち上がると、逃げた娼婦を追って走り出した。

 ……

 逃げた娼婦を追って、山道下っていくと、暗闇の中薄っすらと娼婦の後姿が見えた。

 アニエスは腰の.38口径の残弾を確認し、娼婦に向けて発砲した。
 弾は娼婦の足元に着弾した。

「おのれ!」

 娼婦は振り向きざまに『ファイア・ボール』を放った。

 アニエスは近くの岩陰に避難すると『ファイア・ボール』が岩を焦がした。
 すかさず.38口径で反撃、3発中1発が娼婦の手に当たった。
 幸運にも、マジックアイテムを破壊したのか、娼婦の顔が見る見るうちに男の顔に変わった。

「おのれ、よくも『フェイスチェンジの指輪』を」

「あの顔、たしか……」

 かつて、新宮殿で仇のリッシュモンの似顔絵を見せて貰った時の事を思い出した。

「リッシュモン!」

 『フェイスチェンジの指輪』を破壊されただけでなく手も負傷したリッシュモンは杖を持ち替え、再び『ファイア・ボール』を放った。

 先ほどと同じように岩陰に隠れ『ファイア・ボール』をしのぐと、また反撃したが、これは当たらなかった。
 
「くっ!」

 .38口径の給弾を手早く済ませ、3発発砲。が、当たらない。

「落ち着け落ち着け落ち着け」

 ブツブツと独り言を呟くアニエス。
 仇の男をこの手で殺す願ってもいない状況に恵まれた事で焦りが生まれていた。

「もう少し近づかないと」

 自分が焦っている事に気付かないアニエスは強硬手段を取ろうとしていた。

「魔法を撃ったら全速力……よし!」

 『ファイア・ボール』が岩に着弾したタイミングでアニエスは岩陰から出て全速力でリッシュモンに迫った。

「はああああっ!」

「子供か!」

 パンパンと.38口径を撃ちながらアニエスはリッシュモンに迫った。
 リッシュモンは腕や腹に銃弾を受けても、スペルを唱え続けた。全弾撃ちつくしたアニエスは.38口径を捨ててナイフを取り出しリッシュモンへ突き立てた。

 だが、アニエスのナイフが仇の身体に食い込む前に、リッシュモンは『ファイア・ボール』のスペルを唱え終えた。

「死ね!」

 杖から火球が発生しアニエスの身体を燃やした。

「うわああぁ!」

 アニエスの身体は炎に包まれ、炎を消す為に地面を転がった。。

 リッシュモンは転がるアニエスの元へ近づき、腹をつま先で蹴りつけた。

「ぐふっ」

「平民風情が調子に乗りおって! このっ、死ね!」

 ガスガスと何度も蹴りつけられ、アニエスは遂に動けなくなった。

「ううう……」

 動けなくなったが、まだアニエスは諦めてはいなかった。

「手間を取らせおって、今すぐ殺してやる」

 リッシュモンは杖を掲げ止めを刺そうとした瞬間。

 パァン!

 という音の後、杖を持ったリッシュモンの腕が吹き飛んだ。

「うぐおおぉぉ!」
 
「アニエス!」

 声の先にド・ラ・レイと数人のコマンド隊員が居た。
 先ほどの攻撃はド・ラ・レイの隣に.308口径の狙撃銃を持った隊員が放った一発だった。
 そして、次々と空へ向かって照明弾が打ち上げられ。さらに数人のコマンド隊が応援に駆けつけてくれた。

(チャンスは今しかない!)

 肘から先が吹き飛んだリッシュモンは、どうしたら良いかうろたえるばかりだった。その光景を見てアニエスは最後の力を振り絞って、身体ごとナイフをリッシュモンにぶつけた!

「うわああああああ!!」

 アニエスは吼え、ナイフはリッシュモンの胸に深々と刺さり、二人は転がるように緩やかな崖へと落ちていった。

 ……

「ん……あれ?」

 何かに揺られる様な感覚に、目を覚ますと、アニエスは担架に寝かされラ・ロシェールへ戻る道中だった。

「起きたか」

「隊長」

 ド・ラ・レイはアニエスのすぐ隣に歩調を合わせるように歩いていた。

「あの……リッシュモンはどうなりましたか?」

「死んだよ。心臓を一突きだ」

「そうですか」

 アニエスは全身の力が抜ける様な感覚を覚えた。
 アニエスからは見えないが、リッシュモンの死体は死体袋に入れられ隊員が運んでいる。

「あの他の人たちは、どうなったのでしょう?」

「ドンとペリーは重傷だが、命に別状はない。民間人3人は軽傷だ」

「あの、ヒューゴさんは?」

「ヒューゴの奴は足を捻挫しただけだ。本人は骨折したと言っていたが副隊長にどやされるとすぐさま起き上がって持ち場へ帰って行ったぞ」

「ハハハ……」

 乾いた笑いがアニエスから漏れた。

「さて……」

 ド・ラ・レイは神妙な顔つきになった。

「見事、本懐を遂げた訳だが、これからどうする? 除隊するか?」

「え……」

「マクシミリアン殿下からは、敵討ちの為の力を授けてほしいと、直々にお願いされていたからな」

「……」

「まぁ、答えを出すのは、今すぐでなくてもいい」

「いえ、答えはもう出してあります……もうしばらく、コマンド隊にご厄介させて貰えませんか?」

「断る理由が無い」

「これからも宜しくお願いします」

「うむ」

 アニエスは全身の虚脱感に身を任せ、そのまま眠りについた。


 

 

第三十四話 カトレアの家出


 内乱発生から1ヶ月。
 ラ・ヴァリエール公爵家はというと、当然と言うべきか、王党側に属しゲルマニアが介入しないように国境線に目を光らせていた。

 ラ・ヴァリエール公爵は毎日のように軍議を開き、積極的に中央と連絡を取り合っていた。
 カトレアの嫁入りも無期延期になり。ここ数日は、妹のルイズの面倒を見て1日を過ごしていた。

 現在、カトレアは動物達と共に遠乗りに出ていた。
 内乱中にも拘らず外出したのは、領民を不安にさせない為の配慮と今まで飼っていた動物達を自然に帰す為だった。
 内乱が王党側の勝利に終われば、予定通り王家に嫁入りする事になるが動物達も一緒に嫁入りするわけにはいかず、時間を見つけては動物達を野生に帰す活動をしていた。

 麦畑の沿道を馬に乗って進むカトレア。
 後には、多くの鹿、狐、鷹、熊、狼、等の猛獣が、土煙を上げ後を追う光景は、さながら百鬼夜行に思えた。

「おお、カトレア様じゃ」

「ウチの母ちゃんを治していただき、ありがとうございます」

 農民達が作業を止め、頭を下げてカトレア一行を見送る。カトレアもニッコリと微笑み返した。
 カトレアは時間を見つけては、薬箱では治せないような重病者を治して回る活動もしていた。
 そんな事もあって、心優しいカトレアは領民に女神の様に慕われていた。

 そんなカトレアがやがて王家に嫁ぐ。領民達は祝福しつつも、何処か寂しさを覚えていた。

 ……

 鬱蒼とした森林へと足を踏み入れたカトレアと動物達一行。

 カトレアは動物達の頭を撫で、森に帰るように促すと。一頭、また一頭と動物達はカトレアの方を何度も振り向きながら森の中へ帰っていった。

 やがて、最後の一頭が森へと帰りカトレアと馬だけになった。

「さようなら……」

 ポツリと呟き、ため息をついた。
 結婚式が内乱によって無期延期になった事は、カトレアにとって衝撃だった。
 そして、動物達との別れ……カトレアがこの森へ来る理由は領民を不安にさせない為の配慮と動物を自然に帰すこと、そして、もう一つの目的はこの森の中でで一人泣く事だった。

 カトレアは馬から降り、近くの大きな木の下にすがり付く様に膝をつき、そして……
 
「……会いたい、会いたいです、マクシミリアンさま」

 次期王妃の為の訓練の中で、人前では涙を決して見せてはならない。どうしても泣きたい時は国民の為に涙を流さなくてはならない。個人的な事でに泣く等持っての他。と強く言い聞かされていたカトレア。
 13歳の少女には無体な要求だったが、カトレアはそれを実践しようと努力していた。

 グッと声を押し殺して一頻り泣いたカトレアは屋敷に帰ろうと振り返ると、あらぬ方向から声がかかった。

「おっと、カトレアお嬢様。こんな所にお一人とは無用心ですな」

「フヒヒ……本当に居たな」

 カトレアが振り返ると木陰から2人の男が現れた。一人はよれよれの服を着た貴族、もう一人も貴族で友好的とは言いがたい雰囲気だ。

「……貴方がたは?」

「我々は、貴女の婚約者の卑怯な不意打ちによって、領地を追われた者ですよ。早速ですが我々と付き合っていただきます」

「まぁ、私を人質にしようと?」

「その通り!」

「でも、わたしが居なくなるとみんなが困るから遠慮しておくわ」

「そう遠慮せずとも、みんな仲良くしてくれますよ?」

「でも、駄目よ。私に何かあったら貴方達が危険だわ」

「……どういう事だ?」

 落ち武者ならぬ落ち貴族がカトレアに聞き返した。

「だ、旦那……」

「うるさいな、後にしろ」

「でも、旦那」

「何か後ろが……ヤバイ感じ」

「ああ~ん?」

 落ち貴族が後ろを振り返ると、鬱蒼とした暗い森の向こうから数百もの光る目がジッと落ち貴族達を見ていた。

「旦那、やっぱりマズイよ。逃げやしょう?」

「き、きき、気にしない! トリステイン貴族はうろたえない!」

 徐々に光る目は近づきさらに数を増やした。
 暗い森の先から見える数百の光の目は、まるで森その物が巨大な化け物の様に感じた。
 怯える2人を目掛けて、森の中から2頭の巨大な狼が落ち貴族に襲い掛かった。

「ア、アッー!」

「ああっ、旦那!?」

『グワォォァーーーッ!』

「ひぃーーー!」

 あわや、2体の惨殺死体が出来ると思われたが、カトレアが待ったをかけた。

「誘拐犯さん、こういう事言うと脅している様に思われるけど、私のお願い……聞いてくれないかしら?」

 カトレアは申し訳なさそうに、落ち貴族改め誘拐犯に頼み事をした。

「い、命だけは……」

「ガウワウ!」

「ヒィィーーッ!」

「駄目よ。みんな、お願い言う事聞いて」

 カトレアが誘拐犯の間に入る事で狼達は威嚇する事を止めた。

 ……

 カトレアは元々思慮深い少女だ。
 いつもなら森の中で一頻り泣いて、マクシミリアンへの気持ちを整理してから日常へと戻っていったが今回は違った。誘拐犯という非日常がやって来た事で上手く気持ちの整理がつかず、カトレア自身、思っても居なかった事を口走ってしまった。

 カトレア曰く、

「わたしをマクシミリアンさまの所へ連れて行って」

 口にした瞬間、『何て事を』と思ったが、不思議と後悔は無かった。それどころか、ダムが決壊するようにマクシミリアンへの気持ちが溢れ出て、自分自身を押さえ切れなかった。

「ええっ!? って、マクシミリアンってトリステイン王子のことだよな?」

「他にそんな珍しい名前知らないぜ?」

 カトレアの願いに毒気を抜かれた2人は、顔を向け合って、『どうしたものか』と考え込んだ。
 元々、虚栄心の高いトリステイン貴族だ。『可憐な少女の願いには何とか応えてやらねば男の恥』……と思ってしまうのは悲しき習性かも知れない。

 誘拐犯2人の後ろでは、2頭の狼が2人の頭を噛み砕くのを、今か今かと涎を垂らしながら待っている。

 下手に断れば待っているのは無残な死だ。事ここにいたり、誘拐犯たちはカトレアの願いを受け入れることにした。

「わ、分かりました。ミス、貴女の願いを叶えましょう」

 ちょっとキザな誘拐犯Aは怯えながらもキザったらしく言った。

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 ぽん、と手を合わせ、これ以上無い笑顔で喜びを表現した。

「かかっ……可憐だなぁ」

 ちょっと気弱な誘拐犯Bは、可憐な少女に恋をした。

 『婚約した男女は頻繁に会ってはならない』……なんて『しきたり』は、今のカトレアにとっては関係の無い事だった。

 動物達の盛大な見送りを得て森を出た一行は、近くを歩いていた農夫に『マクシミリアンさまの所に行って来ます。ごめんなさい』と書かれた手紙をラ・ヴァリーエル公爵家の屋敷へ渡すように頼み、心付けに1スゥ銀貨数枚を渡した。
 当然、その手紙を受け取ったラ・ヴァリーエル公爵家の面々は大騒ぎで追跡の部隊を送ったのは言うまでもない。

 かくしてカトレアとその乗馬、誘拐犯2人とお目付け役の狼2頭の奇妙な旅が始まった。








                      ☆        ☆        ☆






 カトレア一行が、ラ・ヴァリエール公爵領の首府ユトレイトから進路を南に取り3日経った。

 途中、2人の誘拐犯の為に馬を2頭買った。路銀は何かあったときの為に多少持っていたから問題なかった。

 誘拐犯2人は、道中何度も逃げ出すチャンスが有ったがどういう訳か、カトレアに従順だった。彼らが何故逃げなかったというと、お目付け役の狼達に命を狙われている事もあるが、旅の途中で反乱軍の連戦連敗の噂を聞いているうちに、『身の振り方を改めるべき』、と思い立ったからだ。上手くカトレアに協力すれば、その功績で領地を取り戻せるかもしれない……といった打算も働いたが、元々お気楽な性格なのか、美少女のカトレアと旅をするのが楽しくてたまらない感じだった。

 ラ・ヴァリエール公爵領を無事脱出して、初めて寄った宿場町で、マクシミリアンの居場所の情報収集をするとマクシミリアンはトリステイン東部の都市『リュエージュ』に駐屯している事が分かった。

「リュエージュはどの位の日数で到着するような距離なんですか?」

「馬で飛ばせば5日と掛からない距離ですが、なにせ内乱中です。検問やら何やら張っている事は十分考えられるでしょう。遅くも見積もっても10日以内には何とか……」

「それじゃ、早く出発しましょう」

 カトレアは、遅くとも10日でマクシミリアンに会えることが嬉しくて、他のみんなを急かした。

「今から出発すれば、日が暮れる頃には次の宿場町に着きます」

「喉が渇いたんだけど。少し休んでいかない?」

 のん気な誘拐犯Bが、休息を要求したが、

「今、休んでいたら日暮れまでに着かないだろ。早くいくぞ」

 と誘拐犯Aににべも無く却下された。

 日は西に落ちつつあったが、まだ日は高い。

 一行は次の宿場町に向けて出発した。

 ……

 カトレアは幸せだった。

 今までは病気や勉強で領内に篭もりっきりで、旅行の一つもできなかったが。こうして知らない土地の風景や人々に触れ合う事ができて、言いつけを破ってでも旅を出た価値はあったと思っていた。

 内乱中にも関わらず、国民達の顔に悲観的な色はなかった。
 物価も安定していて、行く先々で食料品といった必需品の価格は安定していた。こういった非常時に必需品を買い占めて価格を吊り上げようとする不届きな奴も居たが、家臣団が価格の安定に力を入れたおかげで、相場は変動せず逆に買い占めた者が大損した例があった。こういった所にも当局の努力の後が伺えた。

 マクシミリアンが駐屯しているというリュエージュへ向けて旅を続ける一行だが、日暮れまでに次の宿場町に着く事が出来ずに野宿する羽目になってしまった。
 カトレアは野宿すら楽しいのか目をキラキラさせて、夕食の準備の為に鍋の中に魔法で作った水を入れ、塩を香草とキャベツと干し肉をぶち込み、火魔法でコトコト煮始めた

「御嬢、料理出来るんで?」

「屋敷じゃ厨房に立たせてくれなくて。わたし料理って一度でいいからしてみたかったの」

「え? じゃあ、料理は初めてなんですか?」

「そうなの」

 カトレアはニッコリ笑い、狼達とじゃれ合いながら鍋をかき混ぜた。

「……」

「……」

「♪~」

 無言の誘拐犯とは対照的にカトレアは鼻歌を歌いながら料理を続けた。

 そして、十数分後カトレアのスープが出来上がった。

「さぁ、召し上がれ♪」

 カトレアは木椀にスープを盛り誘拐犯らに振舞った。ちなみに鍋や木椀といった道具は誘拐犯の所有物だ。

「い、いただきます」

「においは良さそう」

 誘拐犯たちは同時にスープを呷った。

「どうかしら?」

「……」

「……マズ」

 微妙な味だったらしい。

『ガウワウ!』

 後ろに控えていた狼達が、歯をガチガチ鳴らして『喰え』と脅し、2人は涙を流しながらスープを飲み干した。

「わたしもいただくわ」

 カトレアもスープ飲むと、ニコニコ顔が消えた。

「……余り美味しくないわ」

 不味いからといって捨てるつもりは無い。眉毛を『八の字』にして、残ったスープを飲み干した。
 カトレアの動物好きは有名だが、だからといって肉を一切食べない訳ではない。動物が好きだからこそ、食材になってくれた動植物に感謝して好き嫌いせずに何でも食べるのがカトレアのポリシーだった。

「ごめんなさい、余り美味しくなかったわね」

「まぁ、御嬢。気にせずに……」

「初めての料理なんでしょう? 次はがんばりましょう」

「ありがとう。がんばるわ」

 その後、残ったスープを3人で平らげ。明日の日の出と共に出発しようと早めに床に就く事にした。

 カトレアは護衛兼毛布代わりに狼達に包まって眠ることにした。
 誘拐犯2人は交代で1人が火の番をして、もう1人が休む事になった。

 ……数時間経っただろうか。

 誘拐犯Bが火の番をしていると、一行の頭上を何か『速いもの』が通過した。

「御嬢、起きて! 旦那も起きて!」

 誘拐犯Bはカトレアに声を掛け。誘拐犯Aを蹴飛ばして無理やり起こした。

「なにかしら?」

 のん気に呟き、カトレアは目を覚ました。傍らに居た狼たちは空に向けて唸っている。

 『速いもの』はカトレア一行の上空を数回ほど旋回すると、カトレアの前に降り立った。

 マンティコアに乗った仮面にピンクブロンドのメイジは仮面越しにカトレアをジッと見ていた。

 一方、カトレアは仮面のメイジの正体に気付いたのか、驚いたように、

「お母様!」

 と仮面の騎士に向かって叫んだ。 

 

第三十五話 母と娘


 誘拐犯を巻き込んでのカトレアの家出は、思わぬ形で佳境に入っていた。

 国境を守るラ・ヴァリエール公爵家は、農民を介して届けられたカトレアからの手紙に蜂の巣をつついた様な騒ぎになった。
 内乱発生で延期になったものの、婚礼前の花嫁が、しかも次期王妃が家出をしたのだ無理は無い。
 当然、追跡の部隊を出すべきだが、国境に睨みを利かせる為に、多くの人員を割く訳にはいかない。そこでラ・ヴァリエール公爵夫人のカリーヌが自ら出張ってカトレア追跡の任に就く事になった。

 カリーヌ夫人は自らマンティコアを駆り、カトレアを捜索して数日、遂にカトレアと貴族と思しき2人の男を発見した。

 カトレアの前に降り立ったカリーヌ夫人は、まずカトレアが乱暴された形跡は無いか調べたが、外見から見た限りではその形跡は無くホッと胸を撫で下ろした。

「カトレア。あの手紙は何なのですか。今、大事な時期なのは貴女にも分かっているでしょう」

「お母様。わたし帰りません。マクシミリアンさまに一目だけでもいい……お会いしたいんです」

 懇願するようなカトレアにカリーヌ夫人は仮面の裏で一つため息をついた。

「我侭を言ってはいけません」

「リュエージュは目の前なんです。せっかくここまで来たのに何もせずに帰るなんて嫌です」

「くどいですよカトレア。さ、帰りますよ。お父様にもきつくお叱りを頂かないと」

「……嫌です。マクシミリアンさまの下へ行かせてください」

 今度は懇願ではなくキッパリとカリーヌ夫人に言った。

「……ならば、強引にでも連れ戻す」

 カリーヌ夫人は、冷たくそして同時にマグマの様な熱を内封した声色で杖を実の娘であるカトレアに向けた。

「……」

 カトレアも両手に持った杖で祈るようにして胸の前に置き、そして杖の先をカリーヌ夫人に向けた。

 母と娘の戦いはこうして幕を開けた。

 ……

 日の暮れた街道近くの森の中では母と娘。2人のメイジの戦いが繰り広げられていた。暴風で木々は薙ぎ倒され。森の動物達は我先に逃げ惑っていた。

 2人の誘拐犯とカリーヌ夫人が乗って来たマンティコアも含めた動物達は薙ぎ倒された木の陰に隠れて2人の闘争が終わるのを待っていた。

「何てことだ。まるでこの世の終わりだ」

 誘拐犯Aは頭を抱えながら2人の戦いを見ていた。

 戦況はというと、何とカトレアの有利に思えた。
 風のラインメイジであるカトレアは短い詠唱の『ウィンド』や『ウィンド・ブレイク』などの手数でカリーヌ夫人を圧倒していた。

 元々、カトレアは魔法においては100年に一人の逸材だ、その強力すぎる魔力で心臓を病みマクシミリアンの心臓移植で救われた事は知る人ぞ知る。

 風のラインとはいえ、その膨大な魔力から発せられる魔法は強力で、瞬間的な爆発力においてはマクシミリアンをも上回った。

 一方、カリーヌ夫人はというと、流石は『烈風カリン』というべきか、カトレアの杖から発せられる暴風を見事に避けながら反撃の機会をうかがっていた。

「なるべく穏便に……怪我の無いように済ますつもりでしたが……しかたない」

 遂にカリーヌ夫人も反撃を開始した。
 杖から発せられた『ウィンド』は、カトレアの『ウィンド』と空中でぶつかり、空気の壁の様なものが出来た。

「ううっ」

「はあっ!」

 ぶつかり合う魔力。
 やがて壁は一つの圧縮された空気の塊になった。

 2つの『ウィンド』のぶつかり合いは『鍔迫り合い』にも似た状況で、圧縮された空気の塊は更に圧縮され、素人目にも2人の間に空間の揺らぎの様な空気の塊が見えた。

 数分ほど『鍔迫り合い』は続き、空気の塊の周りにつむじ風が発生しやがて竜巻にまで成長した。

「ひいいっ」

「これじゃ、俺達もお陀仏だ」

 竜巻は薙ぎ倒された木々を巻き込み空中へ放り上げた。
 逃げ場所を失った誘拐犯らは魔法で地面に穴を掘り始めた。穴の中に避難する為だ。

 やがて、5メイルほどの深さに掘り誘拐犯たちはその中に非難した。

「おい! お前達も中に入るんだ!」

 誘拐犯Aは動物達にも中に入るように言った。
 狼達や馬にマンティコアが、中に入ろうとするが狭くて全員は入らない。しかも、周辺の棲んでいた他の動物達も避難を求めてやってきた。

「もっと深く、広くだ!」

「分かってるよ!」

 誘拐犯Bは魔法でどんどん穴を深く広く広げていった。
 おかげで精神切れで倒れる頃には、穴は全員が避難できる広さと深さにまでなった。

「入れ入れ!」

 動物達はゾロゾロと穴の中に避難して行った。
 全員入りきった事を確認した誘拐犯Aは、穴の口からカトレアたちの対決を眺める事にした。他の動物たちも穴の口から頭だけ出した。

 カトレアとカリーヌ夫人の『鍔迫り合い』は、まだ続いていた。両者の間に発生した空気の塊を包むように竜巻も発生しそれは天をも衝かんばかりに成長していた。

「カトレア。いい加減に諦めなさい」

「……ッ、嫌ですお母様。わたしはマクシミリアンさまに会いたいんです。その為にここまでやって来たんです!」

 地力の差か。カトレアは徐々に押され気味になっていった。
 『鍔迫り合い』で両者の間に発生した空気の塊は巨大化しと竜巻は大災害レベルにまで成長していた。
 もし、どちらかが精神切れを起こすなりして『鍔迫り合い』を止めれば、超圧縮によって固められた空気の塊は力の行き場を失い大爆発を起こす可能性が高かった。
 そうなれば両者、ただでは済まないだろう。

 危険を感じたカリーヌ夫人はカトレアに警告を発した。

「カトレア! 気をしっかり持ちなさい! 少しづつ力を弱めて!」

 凄まじいまでの暴風はカリーヌ夫人の仮面を剥ぎ取り、その素顔をさらした。
 カトレアは魔法を最大出力で放つのはこれが初めてだった。そのせいか、徐々にカトレアは魔力のコントロールを失い制御不能に陥っていた。

「……うう!」

「しっかりしなさいカトレア!」

 このままでは膨大な魔力を放出し続け精神切れを起こし気絶してしまう。最早、決闘どころではなかった。

「もう一度言うわ! 精神を集中させて!!」

 カトレアに集中する様に伝えると、カトレアも目を瞑り集中し始めた。

 暴風は依然2人の周りを暴れ周り、カトレアの身体は細かい木によって出来た小さな傷で一杯だった。

「……はぁ……はぁ……ふぅ」

「いいですかカトレア。私が合図したら、あの空気の塊を空に向かって放り上げるのです」

 カトレアが息を整えたのを確認したカリーヌ夫人は、次にやるべき事を指示した。

「分かりました。お母様」

「よろしい。では行きますよ……3・2・1!」

『ハッ!』

 2人は同時に杖を上げると、間にあった空気の塊は空に向かって猛スピードで昇っていった。

 空に昇った空気の塊は、高度1万メイル上空で圧縮された力を解放した。

 ドォォォォン!

 凄まじい爆音が夜の空に轟く。衝撃波が地上に届くほどの威力だった。もし、地上付近で爆発させていたら大惨事になっれいただろう。

 空気の塊が空へと昇っていった事で竜巻も弱まりやがて消えていき、精根尽き果てたカトレアはその場に倒れた。









                      ☆        ☆        ☆









 カトレアらが戦った周りは木々が軒並み倒れ辺り一面更地の様な状態だった。
 その更地では戦闘は終わり再び静寂が訪れた。カリーヌ夫人は急ぎ倒れたカトレアの下へ寄って抱き起こした。

 カリーヌ夫人はカトレアのピンクブロンドの髪を手櫛ですいてやると、

「…・・・マクシミリアンさま」

 とむず痒そうに寝言を言った。

 夢の中までマクシミリアンの事を想っているカトレアに母親らしい微笑を向けた。

 だが、その微笑みは一瞬の事。
 再び、仏頂面に戻った。カリーヌ夫人は穴から顔を出してこちらの様子を伺っている1人の男に目を向けた。

「そこのお前! …・・・お前達がカトレアに妙な事を吹き込んだのか?」

 絶対零度の声色で誘拐犯にゆっくりと近づく。

「え? え?」

 誘拐犯Aは、いきなり殺気を向けられ混乱した。ちなみに誘拐犯Bは精神切れで気絶したままだ。

「お前がカトレアに家出するように吹き込んだのかと聞いている」

 誘拐犯Aは、冷や汗をだらだら垂らしながら、どう取り繕うか考えた。

(このままでは殺される…・・・!)

 考え抜いた末に誘拐犯Aは、カリーヌ夫人に土下座して釈明する事にした。
 逃げても追い付かれるだろうし、下手に抵抗しても返り討ちに遭う事は先ほどの戦闘で容易に想像できた。

「実はその事についてですが……」

 誘拐犯Aは土下座して事の成り行きを説明した。

「……で。カトレアの言うままに今まで供をしていたと?」

「そ、そのとおりでございます。マダム」

「お前にマダムと言われる筋合いは無い」

 低い声でカリーヌ夫人は言った。

「あ、いや、その……どうか命ばかりはご勘弁を」

 土下座した状態の誘拐犯Aは、額を地面にこすり付ける様に謝った。

「……フン、何処の木っ端貴族かは知らんが命だけは助けてやろう」

「あ、ありがとうございます!」

 カリーヌ夫人は路上の石ころを見るように誘拐犯Aを見ると、指笛を吹いて自分のマンティコアを呼び気絶したカトレアをマンティコアの背に乗せた。

「お、お待ち下さい! 御嬢……」

「御嬢?」

「いえ、カトレア殿を連れ戻すのは、どうか、どうかご勘弁願います! カトレア殿は王子に会いたい一心で、禁を破りここまでやって来たのです。どうか彼女の気持ちを汲んでください。それに……」

「それに? ……続けなさい」

 誘拐犯Aは、言うか言うまいか迷ったが、結局言う事にした。

「はい、実は我々と出会ったとき、カトレア殿は森の中で泣いていました」

「泣いていた? カトレアが?」

「はい、このまま有無を言わさず連れ帰るのは余りにも可哀想です。どうか彼女の願いをお聞き届けを……」

「……」

 カリーヌ夫人は沈黙した。

 カリーヌ夫人の様子を伺っていると、誘拐犯Aの両隣に気配を感じた。

「お前達……!」

 気配の正体はお供の狼達だった。
 2頭の狼は『伏せ』をした。どうやら土下座のつもりらしい。
 狼達だけではない。穴の中に非難していた動物達も恩を返そうというのか、誘拐犯Aの周りに集まり懇願する様にジッとカリーヌ夫人を見た。

「……ふぅ」

 カリーヌ夫人はため息をつき、空を見上げた。

「どうやら時間切れのようだ」

 そのセリフの後、5騎の軽竜騎兵がカリーヌ夫人らの上空を通過し、再び舞い戻って照明弾を投下した。

 軽竜騎兵とは風竜にスピード重視の為に軽装のメイジを乗せた竜騎兵で、主に遊撃や追撃、偵察などが任務だ。

 無数の照明弾が夜空を明るく照らし、5騎の旋回している竜騎兵のメイジらは地上のカリーヌたちを見ていた。
 カリーヌ夫人は上空の軽竜騎兵が黒地に金の獅子のエンブレムを着けている事を確認した。黒地に金の獅子の紋章はマクシミリアンの軍が使用している。
 あれだけの天変地異を起こしたからか、当然偵察を出したのだろう。カリーヌ夫人は上空の竜騎兵に手を挙げ降りて来るようにジェスチャーを送った。








                      ☆        ☆        ☆







 カトレアが目を覚ますと、知らない部屋のベッドに寝かされていた。

「ここは?」

 部屋の中を見渡すと、少し離れた所で椅子に座ったマクシミリアンが船を漕いでいた。

「マクシミリアンさま……!」

 カトレアの胸は高まった。およそ2年ぶりに再会した愛しい人は自分の想像以上に逞しく成長していて嬉しくなった。だが良く見てみると少しやつれ気味なのが気になった。

「少し、やつれた様な……」

 気絶している間に着替えさせられたのだろう、カトレアは寝巻き姿でベッドから降りマクシミリアンに近づいた。

 眠るマクシミリアンの頬に触れようと手を伸ばすと、マクシミリアンの手がカトレアの腕を掴み引っ張られるように引き寄せられ、カトレアはマクシミリアンの胸の中に納まった。

「きゃぁ!?」

「ん……カトレア、会いたかったよ」

「はい、カトレアです。マクシミリアンさま。起きていらしたのですね?」

「ついさっき起きたんだ。それでちょっとイタズラをしたくなってね」

「もう! びっくりしましたわ!」

「ごめんごめん。それにしてもカトレア……綺麗になった」

「マクシミリアンさまも逞しくなられなられましたわ」

「……」

「……」

 色々、話そうと思っていても、いざとその時となると話題が見つからない。
 カトレアも同じなのか、言いよどんでいた。

 今は言葉は要らない。2人は引き寄せられるようにキスをした。
 約2年の空白を埋めるように2人のキスは激しさを増していった。

「……ん……うう……ちゅ……」

 カトレアは顔を真っ赤にしながらキスをしている。

 マクシミリアンはむさぼる様にカトレアの舌を求める。カトレアもマクシミリアンの求めに応えようと舌を絡めた。

 やがて2人は熱を帯びていき、マクシミリアンはカトレアの寝巻きに手をかけた。カトレアも嫌がるそぶりを見せなかった。

 ……だがしかし。

「コラァァァーーーーーッ!!」

 カリーヌ夫人がドアを蹴破って入ってきた。

「お母様!」

「チッ、いい所だったのに」

「結婚もしてないのに、そういった関係に成るのは駄目です!」

「無粋ですよカリーヌ夫人」

「だまらっしゃい!」

 マクシミリアンは怒られてしまった。
 カトレアも勇気を出してこれからという所で邪魔が入り涙目になってカリーヌに詰め寄った。

「ひどいわ、お母様」

「カトレアも! そう簡単に身体を許してはいけません!」

「カトレアに子供が授かればトリステインも安泰だろうに……」

 口を『3の字』にして、不貞腐れたようにマクシミリアンが呟いた

「だまらっしゃい!」

 2度の『だまらっしゃい』を落としたカリーヌ夫人は、2人の間に割って入り2時間ほど姑のように説教をした。

 

 

第三十六話 要塞都市リュエージュ

 内乱発生から1ヶ月。
 反乱貴族が動員を完成させつつある事から、マクシミリアン軍は初戦の様な各個撃破戦術からゲリラ戦術に変更し反乱軍に出血を強いていた。
 森や、或いは岩場などに待ち伏せして、近づいてきた反乱軍に『ミニエー銃』で武装した歩兵連隊が一斉射撃し敵兵が混乱している中、指揮官である貴族を討ち取り、指揮官が居なくなった敵軍を吸収する方法を取っていた。
 元々、同じトリステイン人だ。同胞同士が戦う事を嫌ったマクシミリアンが提案した作戦だった。
 幸い、敵兵は無理やり徴兵されたり、兵達の給料が未払いだった事などから、吸収にすんなり従ってくれた。
 いつしかマクシミリアン軍の規模を大きくなり7千を超える軍勢に膨れ上がった。

 膨れ上がったマクシミリアン軍は、家臣団や吸収した軍から、マクシミリアンの人材センサー(仮)に引っ掛かった優秀な人材を登用して仕官や下士官を当てた。

 しかし、規模が大きくなった分、補給に困る事になった。
 反乱軍討伐を大儀に掲げるマクシミリアン軍にとって現地調達はもってのほか。大至急トリスタニアから補給物資を届けさせる事になった。
 その間、マクシミリアン軍がまったく動けなくなる事を嫌ったマクシミリアンは、新型銃を装備した主力歩兵連隊と一部の砲兵、工兵、補給兵を独立軍として切り離し、ダグーを独立軍の将軍に抜擢して再びゲリラ戦に投入することにした。

 ……

 トリステイン東部、ゲルマニアとの国境に近い、中規模都市『リュエージュ』にマクシミリアン軍は駐屯していた。

 リュエージュ市は古くからゲルマニアとの最前線だ。
 過去、ゲルマニアはトリステインへ3つのルートで侵攻してきた。
 1つはラ・ヴァリエール公爵領からの北東ルート。2つはロレーヌ公爵領からの南東ルート。そして最後のリュエージュからの東ルートだ。

 その為、リュエージュには対ゲルマニア用の堅牢な城壁がそびえ立っていて、城壁都市として名を馳せていた。

 現在、マクシミリアン軍は再編成の真っ最中である。軍隊が街中に駐屯する事を住民が不安がると思い、郊外の古城に駐屯していた。

 戦争は破壊とは別に時に特需を生む。
 一部の商魂たくましいリュエージュ市民は都市から徒歩数時間の道のりを歩き、古城に駐屯したマクシミリアン軍の兵士を相手に商売を始めた。
 兵士も金を落とす場所を求めていた事からリュエージュの街は7千人近い兵士達の落とした金で好景気に沸いていた。吸収した兵にも給料がしっかり払われていた事もこの特需を押し出す要因にもなった。

「兵が落とす金で景気が沸くならそれに越した事はないけど、妙なトラブルを起こさない様に目を光らせてくれ」

 マクシミリアンは軍の憲兵隊や士官、下士官に綱紀粛正を支持した。

 その甲斐あってかトラブルは無く、内乱中とは思えない平穏な時間をすごした。

 ……

 内乱発生から2ヶ月すると戦況は王党側に傾いていた。

 初戦でマクシミリアン軍が有力貴族を倒して回った為、連戦連敗の反乱軍に組しようという奇特な者は無く反乱軍の敗北は決定的になっていた。

 追い詰められた反乱軍を討伐すべく王軍も出動し各地での戦闘で反乱貴族の領地は全て占領された。
 その為、反乱軍は拠点になるものを失い各地で盗賊紛いの略奪を行い、討伐に来た王軍に蹴散らされ逃げ回っている始末だった。
 逃げ回っていても、依然反乱軍は有力な軍隊を有しており内乱が長引けば諸外国が介入してくる可能性もあり、早急に鎮圧する必要があった。

 そんな現在、マクシミリアン軍は編成を終えたものの、未だにリュエージュに駐屯中だ。
 内乱の隙を付いて国境のゲルマニア軍がそろそろ動き出しそうな雰囲気の為、国境の防衛という王宮側から正式な命令が届いた。

 別の見方をすれば、マクシミリアン軍は反乱鎮圧のメンバーから外されたとも言える。

 王子が頻繁に戦場に立つのは好まないと言った思惑が絡んだのだろうし、王軍の将軍達からすれば、自分達の活躍の場が奪われるのを懸念したのだろう。

 そこでマクシミリアンはこの期に、国境近くの要衝の街であるリュエージュに近代的な要塞を建設する事を打診し、王宮もこれを承諾し、建設用の物資を送ると通達があった。

 リュエージュ要塞建設の指揮を取るのは工兵隊隊長のグリアルモントという男だ。
 この男はかつてトリステイン全土を要塞化させようと王宮に陳情したが、突っぱねられてしまい、へそを曲げて軍を退役。軍事関係の同人誌を書いていた所をマクシミリアンの人材センサーに引っ掛かり工兵隊隊長として迎え入れられた経緯があった。

 現在の要塞建設の進行状況は0%で、計画に基ずいて縄張りの真っ最中だった。

 グリアルモントの計画ではリュエージュ市の周りに無数の要塞を立て、地下通路などでネットワークを構築し縦深防御を可能にする予定で、完成まで5~10年以上掛かると言われた。
 また、要塞建設に伴い地質調査をした結果、リュエージュ周辺は豊富な地下資源が眠っていることが分かった。
 以前から鉱山の可能性有りと報告は上がっていたが、かつての魔法至上主義のトリステインでは見向きされなかった。
 だがそれは昔の話。
 マクシミリアンの音頭で、要塞建設に利用される物資の調達の為、鉄の精錬や金属加工といった工業化が進み、戦後リュエージュは城塞都市と同時にトリステインでも指折りの工業都市として知られるようになる。







                      ☆        ☆        ☆






『反乱軍およそ2万、リュエージュに接近中』

 マクシミリアンの下に急報が届けられたのは、参謀らと共に古城の一室で会議を開いている時だった。

「本当か!? 誤報ではないな?」

「はい! 間違いありません!」

 兵士の話では、偵察の軽竜騎兵がリュエージュに近づく反乱軍と思しき所属不明の軍勢を発見したという。

「それにしても2万は多くないか? それだと反乱軍の総兵力になるけど」

『おそらく総兵力を投入したのでしょう』

「何の為に?」

『連戦連敗の反乱軍は、マクシミリアン殿下を人質にして講和に持ち込もうと思っているのでしょう』

 会議に参加していたジェミニ兄弟がマクシミリアンの疑問に答えた。

「反乱軍はそんなに追い詰められているのか」

『初戦で殿下に有力貴族の殆どを潰されましたからね。その性で反乱軍の評判はガタ落ち。負けると分かっている者に協力するような酔狂なものは居ませんよ。拠点の無い反乱軍にとって、今回の進軍は乾坤一擲の大博打であり、初戦の殿下への趣旨返しもあるのでしょう』

 ジェミニ兄弟は長文にもかかわらず、見事にハモって進言をやり通した。

「そうか……でも、これはチャンスだな」

「チャンス……ですか?」

 発言したのはカリーヌ夫人で、彼女も会議に参加をしていた。
 カトレアも同行してリュエージュ郊外の古城にカリーヌの監視付きで、さながら婚前旅行の様にマクシミリアンと同じ部屋で滞在していた。

『はい、この軍勢を打ち破れば、内乱は我らトリステイン王国の勝利です』

 だが、現在のマクシミリアン軍は独立軍を編成して切り離してしまった為、5千にも満たない。

「5千にも満たない軍勢で2万を迎え撃つのは……」

「迎え撃つ準備をする、至急グリアルモントを呼んでくれ。それと、この事を王宮と諸侯軍にも知らせ援軍を送るように要請を、上手く行けば反乱軍を逆に包囲殲滅する事ができる」

「御意」

 十数分後、工兵隊隊長のグリアルモントが会議室にやって来た。

「グリアルモント。話は聞いていると思うけど、反乱軍の軍勢2万がリュエージュに接近中だ。僕達はこれを迎え撃つ。そこでグリアルモントには防衛陣地の構築の指揮を執ってもらいたい」

「御意にございます」

「敵は数日中に来る。時間的に難しいから僕も協力しよう、扱き使ってくれ」

 王族である自分を扱き使うように命令した。

「早速ですが殿下……」

「ああ」

 普通の将官なら恐縮して何もさせようとしないが、気骨のあるグリアルモントは一瞬のためらいも無く防衛計画について語り始めた。

 ……

 その後、マクシミリアンはグリアルモントに着いて行き駐屯地の古城の外郭部分にやって来た。古城の城壁は朽ち果て城壁としての効果は失っていた。
 そこでは工兵隊の隊員達が金網と布で出来た『折り重なった奇妙なもの』を用意していた。

「これは?」

「これは『ヘスコ防壁』です。以前、地下図書室でこの存在を知って作らせておきました」

「そういえばそういった物も翻訳した覚えがある」

「これから城壁の変わりに『ヘスコ防壁』を作りますので、あの金網と布の箱の中にレビテーションなどで土砂を入れてください。それと他のメイジにも協力して貰いたいのですが」

「確かコンクリートは実用化されているはずだが」

「べトン(コンクリートの事)では、乾くのに時間が掛かります。よってこの方法で防壁を作ろうと思います」

「分かった。僕の名で命令を出しておこう」

「ありがとうございます。時間が無いので早速始めましょう」

 マクシミリアンの命令で各メイジも動員させ防衛陣地建設が開始された。

 マクシミリアンの命令で『手すきのメイジ全て』と明言された為、カリーヌ夫人やカトレアも駆り出される事なった。

「この箱の中に『レビテーション』で土を入れればいいのね?」

「はい、宜しくおねがいします」

 工兵の指示に従ってカトレアは『レビテーション』を唱え土砂を持ち上げた。

「カトレア。貴女は魔法の力は凄まじいですが細かいコントロールは下手です。いい機会ですから、この作業を利用して練習しなさい」

「はい、お母様」

 カリーヌ夫人も作業の傍らカトレアに目をかけていた。そしてカトレアは初めての経験に何処か嬉しそうだった。

『レビテーション!』

「おお~!」

「さすが貴族様」

 カトレアの『レビテーション』で巨大な土の塊が浮き上がった。全長20メイル近いの土の塊が浮かんだ事で工兵や兵士達がカトレアを称えた。

「カトレア。大きすぎです。これでは箱の中に入りません、もう少し力を弱めて」

「はいっ」

 カリーヌ夫人に駄目出しされたカトレアは魔力を調整し土の塊を小さくすると、それをヘスコの箱の中に流し込んだ。

「一先ず成功ですね。それにしてもカトレア。貴女は領民の治療に出張っていると耳にしましたが風メイジなのに水魔法の方が魔力の調整が上手いと言うのはどういうことですか」

「あれは、秘薬を媒体にしてますから上手く行くんです」

「まったく、今まで礼儀作法を重点に置いてましたが。やはり貴族は魔法が本分。帰ったらみっちり特訓しますよ」

「魔法は大事ですが、だからと言って結婚相手までも魔法で決めるわけではないでしょう。聞くところに寄ればエレオノールお姉様の婚約もこの内乱でご破算になったと聞きました。言いたくはありませんが完璧を着そうと鍛錬すればするほど、男の人は離れてゆくんじゃないかと心配になるんです」

「お黙りなさいカトレア。この話にエレオノールは関係ありません。それと王妃に成ろうとする者が魔法もろくに使えないでは諸外国から侮られますよ」

「……分かりましたお母様」

 カリーヌ夫人の威圧にカトレアはシュンとして小さくなった。

 その光景を遠目で見ていたマクシミリアンは『レビテーション』で土砂を持ち上げ、開かれた箱の中に適量の土砂を流し込んだ。

 『ヘスコ防壁』とは、分かりやすくいえば土嚢を巨大化させたものだ。金網と布で出来た底の無い箱に土砂を入れて、それを数珠繋ぎに設置して防壁にする。設置が簡単で、爆発に対してはコンクリート壁より強だ。

 城壁は見る見る内に完成していった。作業は深夜になっても続いていて、多くのメイジが精神切れを起こさない様にシフトを組んで当たらせた。

 古城の周りの堀は更に深く掘られ、敵に対し効果が期待された。
 平民の兵士達もメイジや工兵のアシストに回ったおかげで夜明けまでには堅牢な城砦へと姿を変えた。

 






                      ☆        ☆        ☆





 マクシミリアンはグリアルモントに今後の防衛計画の説明を受けていた。

「この完成した古城で反乱軍を迎え撃つのか?」

「いえ、この古城はあくまで支城で砲撃陣地として利用します。高い城壁を持つリュエージュに殿下と司令部は移っていただきます」

「と言う事は軍を分けるのか?」

「リュエージュ内にも砲撃陣地を構築し、相互に支援しあう事で敵を撃退する予定です」

「そうか……まぁ、いちいち口は挟まないよ。上手くやってくれ」

「御意」

 翌日、古城の城壁になるヘスコ防壁を完成させたマクシミリアン軍は古城にロケット砲撃陣地を構築し、ラザールを守将に置いた。

 マクシミリアンはラ・ヴァリエール母娘と共にリュエージュに移り司令部と本隊も移った。
 古城には守将にラザールとロケット砲部隊と1500の兵が残り計画通り相互に防衛しあう事になった。

 マクシミリアンはリュエージュ市民に戦場になるため何処かに避難することを勧めたが、市民達は拒否し逆に蓄えの食糧や武具を軍に提供した。

 これに対しマクシミリアンは

「ありがたいけど、大丈夫なのかな?」

 と呟き家臣に、戦後ある程度保障してやるように伝えた。

 ……

 リュエージュに移ったマクシミリアンに朗報がもたらされた。
 トリスタニアで新型銃を作成していた銃職人達がミニエー銃1000挺を持って応援に駆けつけたのだ。すぐさまミニエー銃を配備させマクシミリアン軍のリュエージュ防衛には、その威力を発揮すると期待された。
 銃職人たちは市内の鍛冶屋の工房を借りて既存のマスケット銃をミニエー銃に改造する作業に取り掛かった。1日20挺のペースでミニエー銃がもたらされおかげで時間が経てば経つほどマクシミリアン軍に有利にいくはずだ。
 ちなみに戦後、銃職人達はそのままリュエージュに残り新型銃の作成に取り掛かることになり、後に彼ら銃職人の協力で郊外に国営の兵器製造工場が建設される事になる。

 リュエージュ内にもに2000の兵を配備し、ロケット砲陣地を構築したマクシミリアンは軍に決戦前の休養を命じた。

 リュエージュは決戦前にも関わらず活気付き露天商が景気良く商売をしていた。

 マクシミリアンは、軍務で今まで余りかまってやれなかったカトレアを連れ出し、決戦前のデートと洒落込んでいた。
 とはいえ、王子の姿のままでは色々問題があろうと思われたため、マクシミリアンは『水化』で姿を変え、カトレアも『フェイスチェンジの指輪』で顔を変えていた。

「こうやって2人でデートするのは初めてだな」

「でもこんな時に悠長にデートなんて良いんでしょうか?」

「構わないさ。やる事はやったから、敵が来るまで暇なんだし、緊張を張り詰めてたら敵が来る前にばててしまうよ」

「うふふ……そうですね。それじゃ楽しみましょう」

 マクシミリアンはカトレアの手をとってエスコートにした。、
 カトレアも嬉しそうにマクシミリアンの手を握られたまま隣に立ち、露天をのぞいて回った。

「この店は手作りのアクセサリーを扱っているようだ」

「綺麗ですね。この指輪お揃いですよ」

「宝石にしては濁っているし石にしては綺麗な色だ、この石、何て言うの?」

「ウチの故郷で採れる石だけど、何の石かはよく分からないんだ。故郷じゃ恋人とかが、よく身に着けて歩いているよ」

 露天商の男は景気よく言った。

「いいね。お兄ちゃん、この指輪2つ」

「ヘイ! 毎度」

 露天商の男は代金を受け取り、よく分からない石を加工した指輪を2つマクシミリアンに手渡した。

「カトレア。指輪はめても良いかな?」

「はい、お願いします」

「左の薬指はめるけどいい?」

「? よろしくお願いします」

 キョトンとするカトレアにマクシミリアンは左の薬指に指輪をはめた。
 どうやらハルケギニアは婚約や結婚の際に左の薬指に指輪をはめる習慣が無いらしい。そういう訳でマクシミリアンは流行らす事にした。

「左手の薬指は心臓に一番近いっていうから、『あなたを生涯愛します』って意味で婚約・結婚の証とも愛の証しとも言うらしいね」

「まぁ……マクシミリアンさま」

 顔を真っ赤にしながら嬉しそうに微笑んだ。

「上等な宝石でも良かったんだけど、あんまり気負うのもあれかなと思ったんだ」

「わはしは気にしませんよ。マクシミリアンさまの指にも……」

「ああ、よろしく頼むよ」

 カトレアはマクシミリアンの左の薬指に指輪をはめた。

「はは、ありがとうカトレア。似合うかな?」

「よく似合ってますよ」

「アハハ」

「ウフフ」

 この時、2人の間から何ともいえない、砂糖を吐きそうな雰囲気が放出された。キャッキャウフフと笑いあう2人を微笑ましそうに羨ましそうに爆発して欲しそうに通行人は避けて歩いた。

 その後も2人は露天を見て回ったり、屋台で買い食いしたりと楽しいひと時を過ごした。

 そして夕方、宿舎になっていた、ホテルに戻る道中にマクシミリアンはカトレアに言った。

「明日明後日にもリュエージュは戦場になるだろう。カトレア、本当に帰らないつもりなのか?」

「マクシミリアンさまに、もしもの事があればわたしも生きていられません」

「……男としてこれほど嬉しい言葉を掛けられるとは、ね。分かったよカトレア。僕が勝つところを見ててくれ」

「はい、マクシミリアンさま」

 ギュッと、2人は手をつなぎ、マクシミリアンは勝利の女神を手放すまいと手に力を込めた。

 

 

第三十七話 リュエージュ防衛戦・前編

 反乱軍の軍勢がリュエージュに到着したのは、マクシミリアンとカトレアの2人がデートした日から1週間後の事だった。

 マクシミリアンは参謀のジェミニ兄弟をお供に、リュエージュ市自慢の高い城壁に上り、遥か彼方に見える行軍する反乱軍の砂塵を見ていた。

「思ったより遅かったな」

「反乱軍が遅れた理由ですが、独立軍のダグー連隊長が頻繁に遅延攻撃を行ったからだそうです」

「流石はダグーだな。陰気だけどやる事にソツが無い」

「……コホン。お陰でリュエージュの防衛体制は完璧です」

「今、ダグーの独立軍は何をしている?」

「現在、補給休養中です。他の援軍が来援するまで待機して、援軍が来援すればそれに呼応して攻撃に加わるとの事です」

「3000弱の軍勢では、いくらミニエー銃を有していても、数の差で苦戦は免れないしな」

『御意』

「よろしい。それと肝心の王軍と諸侯軍の動きは?」

「国王陛下御自ら御出馬されたと、戻った伝令が申しておりました。諸侯軍につきましてはグラモン伯爵の軍勢が強行軍でこちらに向っているとの事」

「来援した時には、精根尽き果てていた……なんて冗談じゃないから、少し行軍スピードを緩めるように伝えてくれ」

「それにつきましては、参謀本部が既に伝えていたようです」

「そうか。話は戻るが、後の無い反乱軍は間違いなく力攻めで来るだろう。各部署に伝令を、敵の第一撃を退ければこちらが有利になる、皆の健闘に期待すると、そう伝えてくれ」

『御意』

「それと市民の避難はどうなっている?」

「城塞都市と言うだけあって、各家々に避難用の地下室があるそうです」

「そういう訳で、市民は地下室に避難をしていると思われます」

 兄のアントワーヌと弟のアンリが、交互に解説した。

 間もなく戦いの火蓋は切られようとしていた。







                      ☆        ☆        ☆







 遂にリュエージュに到着した反乱軍は、十数リーグ先に陣取り、降伏の使者を送ってきた。

『マクシミリアン王太子殿下にご進言申す! 我が方の精兵はリュエージュ市を包囲せんとしている! トリステイン王国の未来の為にも潔く降伏されよ!』

 使者のメイジが『拡声』の魔法で、リュエージュ城塞内のマクシミリアン軍へ降伏勧告を行った。
 その降伏勧告に、マクシミリアン自ら城壁に昇り、同じく『拡声』の魔法で使者に反論した。

『馬鹿を言うな賊軍めら! 乱を引き起こした貴様ら全員、二度と太陽を拝む事は出来ないだろう……帰ってそう伝えろ!』

 いつもの口調と違い、相手を威圧するような口調で、使者に畳み掛ける。

『いくら王太子殿下とはいえ、我らを賊軍とは無礼ですぞ! 我らは道を踏み外した王国を正しき道へと戻す為に挙兵したのです! 言わば我らは世直しの為の正義の軍勢である!』

『正義の軍とは恐れ入る! その正義の軍はここまで連戦連敗、負けに負けて負け続け、略奪行為をするまでに落ちぶれた。そんな貴様らを支援しようと、どれ程の者が集まったか! 見ればガラの悪い傭兵ばかりではないか! 世直しの軍が聞いて呆れる! さあ皆! 笑ってやれ!』

 舌戦の総仕上げにマクシミリアンが、城壁の兵士達に促すと、数百人もの兵から反乱軍への侮蔑の笑い声が響いた。

『ハァ~ハッハッハッハ!』

『ウェヒヒッ』

『m9(^Д^)プギャーwww』

「おのれ! 言わせておけば! 首を洗って待っていろ!!」

 マクシミリアン軍の兵達に散々笑われた使者は、怒り心頭のまま馬を翻し敵本陣へと戻っていった。

「さぁ、来るぞ……戦闘準備!」

「御意! 殿下は安全な場所へお下がり下さい」

「早々に後ろへ下がったら士気に関わると思うんだがね……まぁ、ともかく後は任せたよ」

「御意」

 マクシミリアンは後方の見晴らしのよい塔に移動すると、塔の見張り台の所で執事のセバスチャンが対戦車ライフルに二脚(バイポット)を取り付けて狙撃の準備を行っていた。

「セバスチャン。指揮官を優先的に狙ってくれ」

「ウィ、殿下、お任せ下さい」

 マクシミリアンは食料や予備のライフルが入った木箱の上に乗り胡坐をかくと、それと同時にリュエージュ市内の鐘という鐘が一斉に鳴り響いた。

「いよいよ戦闘開始か。それにしてもうるさい」

 誰に聞かせる訳でもなく、マクシミリアンは独り言を言った。

 リュエージュの守将に抜擢されたグリアルモントは戦闘開始の号令を発すると、正門正面の陣取った反乱軍も20メイルの巨大ゴーレム5体が出現させた。

「ゴーレムだ! でっかい岩を持っている!」

 城壁の兵士達からどよめきが起こった

「先手必勝だ! 撃てぇーっ!」

「了解、一斉発射!」

 高い城壁の上に設置された前装24リーブル砲が次々にが火を噴き、数発の砲弾はゴーレムの足へ直撃し1体がバランスと崩し転倒した。ちなみに砲弾は、現代の様な爆発する特殊な砲弾ではなく、旧式のただの丸い鉛玉だ。

 転倒したゴーレムを除く4体のゴーレムはオーバーハンドの投球フォームで、手に持った岩を城壁目掛けて放り投げた。

「来るぞ!」

 兵士が声を上げると、岩は硬い城壁ぶつかったが城壁はびくともせず岩は砕け落ちた。

「弾込め急げ!」

 砲手は手馴れた手つきで再装填を行った。
 前装砲の為、普通なら時間が掛かるが、反乱軍が遅れたお陰か訓練時間を多く取る事ができた。

「撃てっ!」

 再び轟音。
 砲弾はゴーレムを外し地面をバウンド。後ろに控えていた敵戦列歩兵は地煙を上げて蹴散らされた。

「ギャーッ!」

「うわああ!」

 戦列を崩した兵士に代わり後ろに並んでいた兵士が、最前列に進み戦列を組み直した。

「前進!」

 巨大ゴーレムは投石器代わりに岩を投げ続け、後方の戦列歩兵はリュエージュ城壁に肉薄せんと前進を開始した。

 反乱軍は予想通りに、数に物を言わせて力攻めで来た。

 マクシミリアンは、リュエージュで最も高い塔に登り戦いの成り行きを見守っていた。

「敵は馬鹿か? あのゴーレムも一緒に前進させて弾除けに使えば効果的だと思うんだが」

『魔法至上主義の彼らでは、平民こそ弾除けにしかならないのでしょう』

 ジェミニ兄弟が塔にやって来て現状の報告を行っていた。

「敵失は歓迎すべきだな。ロケット砲陣地はどうなっている?」

『守将のラザール殿の判断で支援砲撃を行う予定です。』

「そうか」

『それと、間もなく300リーブル砲が発射準備を終えるそうです』

「あの1門しかないアホ大砲か」

 300リーブル砲とはリュエージュ防衛の切り札で、砲弾が300リーブル……140kg前後の巨大砲弾を打ち出す超重砲だ。
 数百年前、名のある土メイジがリュエージュ防衛用に作り、侵攻してきたゲルマニアの巨大ゴーレムを一撃で粉砕した戦果がある。それ以来、百年間この大砲を撃った記録は無く、一応は抑止力として機能していたようだ。
 
 対ゲルマニア用に東門に設置されていた300リーブル砲は、その向きを変え正門である南門からやってくる反乱軍に対し、轟音と共にその巨弾を撃ち出した。

 圧倒的な轟音が周辺に鳴り響き、衝撃波がリュエージュの家々を揺らした。

 300リーブルの砲弾は城壁を乗り越え反乱軍ゴーレムに迫った。しかし巨弾はゴーレムを外しあらぬ方向へ落ちて巨大な土煙を上げた。

(やっぱり使えない)

 マクシミリアンはそう思ったが、

「な、何だ今のは……」

「さ、300リーブル砲だ! あの砲が俺たちを狙っている……!」

 反乱軍に対してのプレッシャーは相当なもので、敵の士気を挫く事に十分な働きを見せた。

 城壁の上には砲兵の他にミニエー銃を持った兵士が詰めていて、すかさず敵の戦列歩兵に対して発砲を行った。

 既存のマスケット銃よりも数倍の射程距離を誇るミニエー銃はここでも抜群の威力を発揮した。とはいえ前装式の為、装填に時間がかかるが、その弱点を引いて余りあるほどの性能だった。

「ぎゃあ!」

「あんな所から届く鉄砲なんて聞いたことが無いぞ!」

「あんな新兵器があるなんて聞いてない!」

 動揺は広がり、やがて混乱になった。

「待て! 逃げるな!」

 指揮官の貴族の制止も聞かず、敵戦列歩兵は列を乱し壊走していった。

『意外と使い物になったようですね、あの大砲』

「そのようだね」

 マクシミリアンが率直な感想を述べていると、指揮官の貴族が杖を振り上げた。どうやら、逃亡を阻止する為に督戦しようとしているようだ。

「この腰抜けどもめ! 敵前逃亡がどうなるか思い知らせてやる!」

 督戦の貴族は杖を振り上げた……しかし、貴族の魔法は放たれる事はなかった。

 『パァン』という音の後、貴族は杖を振り上げた状態で仰向けに倒れた。

 狙撃は塔の上から行われ、スコープ付きKar98kを持った執事のセバスチャンが、無言のまま排莢を行い次の獲物を探した。
 
「見事な腕前だ!」

「ありがとうございます殿下。更なる戦果にご期待下さい」

 側に居たマクシミリアンは拍手で称えると、伏せ撃ち状態セバスチャンは一度立ち上がりマクシミリアンの方を向いて一礼すると再び戦闘へと戻っていった。

 督戦しようとした貴族を狙撃した結果。壊走する戦列歩兵を止める事はできずに多くの兵の逃亡を許した。
 戦後、逃亡兵が国境を越えてゲルマニア側で略奪行為を行いゲルマニアの政情不安に一躍買うことになる。

 結局、この日の反乱軍は大砲の射程距離外までゴーレム共々軍を退くと、日没による戦闘終了までマクシミリアン軍と睨み合いが続いた。

 ……

 日は西に沈み今日の戦闘をお開きになった。
 ハルケギニアでは滅多な事では夜戦は行われず、日没による戦闘終了は暗黙の領域になっていた。

 土メイジ数人は敵ゴーレムからの投石で崩れた城壁の修復の為に城外へ出て修復作業を行い。他のメイジたちも火薬の錬金や秘薬の作成などそれぞれの作業を行っていた。

 マクシミリアンら司令部は、リュエージュで最も大きな宿屋「山の翁」亭を宿舎兼司令部に借りていた。

「初日は僕達の有利で終わったようだね」

「左様にございます。ですが敵がどの様な策をろうじてくるか分かりません」

 マクシミリアンと守将のグリアルモントは、今日の戦況を話し合いながら宿舎に戻るとカトレアが出迎えてくれた。

「マクシミリアンさま、ご苦労様でした」

「僕は何もしてないけどね。カトレアは何をしていたんだ?」

「包帯の巻き方を教わっていました」

 カトレアも何かの役に立とうと、色々な事に挑戦していた。

「そうか、僕はそれから司令部に顔を出すから、後で夕食をとろう」

「はい、マクシミリアンさま」

 カトレアと夕食の約束をとり、マクシミリアンはグリアルモントと司令部ある部屋に向かった。

 司令室には数人の参謀が詰めていて、マクシミリアンが部屋に入ると、全員起立して礼をした。

「殿下」

「殿下、ご苦労様です」

「みんなご苦労様。反乱軍は大攻勢をかける事無く妙に消極的だったことが気になるんだけど。ひょっとしたら連中、リュエージュに対し何らかの工作を行っているのかもしれない。至急、探りを入れてくれ」

「工作ですか……」

「地面の下をトンネルで掘り進んで城壁を突破するとか色々ある。ともかく調べておいてくれ」

「御意」

「ご苦労様でした」

 マクシミリアンは気になっていた事を伝えると、食事を取る為に司令室を出た。

「これは殿下」

「こんばんは、カリーヌ夫人」

 食堂に向かう途中、カリーヌ夫人にばったり会った。

「殿下、少々、お話したい事があります」

 偶然の出会いではなかったようだ。

「何でしょうか? カトレアは結婚するまで手を出しませんよ」

「そういう事ではありません、今日の戦闘の事です。殿下は私がかつて『烈風カリン』を呼ばれていた事をご存知でございましょうか?」

「はい、知っていますよ」

「それならば話は早いです。明日の戦闘ですが、私の参戦を承諾して頂きたい」

「烈風カリンの力を持ってすれば、あの程度の軍勢など訳も無い……と言う事ですか?」

「御意」

「……う~ん」

 マクシミリアンは腕を組んで悩んだ。

「何故、迷う必要はあります?」

「ただ、『勝つ』だけなら、カリーヌ夫人の手を煩わさずとも、僕が何とかしてましたよ」

「他に何か『企み』がお有りで?」

「企み……というほどの物かは分かりませんが、圧倒的魔力で勝利してもそれは『個人的勝利』にしかならないと思っています。一握りの強力なメイジが戦局を左右する……だからこそ、始祖ブリミル以来6000年、ろくに変化せずにここまでやって来れたのしょう」

「では殿下は、この内乱を利用して何らかの変化を起こそうと?」

「それもありますが、僕はこの内乱を利用して貴族と平民。二つの身分との間にある負の関係と言うべきか、上手く言葉に言い表せないんですが……例えば貴族は平民を奴隷のように扱ったりする者が居ますが、僕は今回の内乱を利用して、二つの身分が協力し合い、行く行くはそれらの奴隷と主人の様な関係を正すようにしたいんです。だからこそ、この内乱を僕やカリーヌ夫人の勝利ではなく、トリステイン王国の勝利で終わらせたいのです」

「殿下が日ごろ言っているノブレス・オブリージュ……ですか?」

「僕の思うノブレス・オブリージュは、『貴族や金持ちはモラルを持ち、大衆の啓蒙を行って欲しい』という意味なんです」

「私は、正直なところ殿下の理念には大いに賛同しますが、部分的ですが反対の立場を取らせて頂いてます。反乱軍の様に平民を弾除けに使う訳ではありませんが、無学な平民はある程度貴族が教え導かねばならないと思っています。だからと言って平民と馴れ合う積りはありませんが……」

「う……」

 カリーヌ夫人はアニエスの事を言っているのだろう。

 マクシミリアンは良かれと思って、アニエスとアンリエッタを会わせ、同じ教育を施そうとしたが、それが原因で今回の内乱が発生した事に少なからずショックを受けていた。

 マクシミリアンは、ノブレス・オブリージュの名の下に平民を奴隷の様な解放すればそれは近代化か? と内乱勃発以来ずっと悩んでいた。
 カリーヌ夫人の言うように、無学な平民が大多数のトリステインでは、いきなり平民に権利を与えても上手く国が回るとは思えなかったからだ。
 数が月前のアントワッペンの一件で、貴族と平民がお互い助け合った事を聞いて、それをトリステイン中に広めたいと思っていたが……。

(何事も順序があるし、僕も急ぎすぎたか。う~ん)

 マクシミリアンが黙考に入った。
 こうなると中々、マクシミリアンは現実に戻ってこない。

「……か! でんか!」

「ハッ!?」

 カリーヌ夫人の大きな声で現実に引き戻された。

「ああ、カリーヌ夫人。失礼しました」

「それで殿下。明日の出撃は許可を頂けますでしょうか?」

「……条件が有ります。烈風カリンが投入されるのは戦闘終盤です。全面壊走する反乱軍に対しての追撃のみ許可します。それまで僕の軍だけで対応します」

「……分かりました」

 顔には出さなかったが不肖具象ながらもカリーヌ夫人は承諾し、マクシミリアンから去っていった。

 その後、マクシミリアンはカトレア一緒に夕食を取ったが……

「マクシミリアンさま、このスープ美味しいですね」

「……ああ」

「マクシミリアンさま、今日色々な事がありました」

「……そう、大変だったね」

 何処か上の空のマクシミリアンにカトレアが口を尖らせたのは別の話。

 

 

第三十八話 リュエージュ防衛戦・後編


 夜も開け切らない頃、リュエージュ市とそれを包囲する反乱軍との間の地中では、反乱軍がジャイアント・モールを呼ばれる巨大モグラを使役してリュエージュ地下に大きなトンネルを掘らせていた。

「よしよし、どんどん掘れ」

『ブキュ』

 マクシミリアンが指摘した通り反乱軍の工作部隊が、昼間の戦闘後にトンネルの掘削作業を開始し、日にちが変わる頃にはリュエージュ自慢の城壁まで数メイルまで迫っていた。

 だが、マクシミリアンはその工作作業を察知し早速工作部隊への襲撃を命じた。

 ゆっくりと城門が開けられ、十数名の襲撃部隊が出てくると、地面の下の僅かな音も逃さないように地面に耳を当て始めた。

「……何か聞こえるか」

「僅かですが聞こえます……真下です!」

「よし、直ちに攻撃開始!」

 襲撃部隊兵士は、魔法やスコップで地面に穴を掘り始めた。

 数分足らずで真下のトンネルにたどり着くと、それぞれの穴に松明と硫黄の入った袋を放り投げた。

 たちまちトンネル内に有毒なガスが充満し始める。

「ぐはぁっ! げほげほ!」

「目が、目がぁ~!」

 有毒ガスに耐えられなくなった敵工作隊は、襲撃部隊が掘った穴から一斉に顔を出した。

 顔を出した敵に襲撃部隊はスコップや大槌で殴りかかった……死のもぐら叩きの始まりだ。

「オラ、死ね!」

「ぎゃあ!」

 人間とは一方的な状況になると何処までも残忍になれる。
 襲撃部隊は愉しむように、死のもぐら叩きを続ける。
 その襲撃部隊には、先日カリーヌ夫人がカトレアと共に連れて来た元誘拐犯二人が居た。

「よし、この作戦の戦功で。かつての領地を取り戻すぞ!」

「おぉぉ~っ!」

「あわよくば褒美も貰おう。」

「皮算用だけど問題ないよね」

 2人はリュエージュ市に連れて来られたものの、何もすることが無く暇を持て余していた。このままではフェードアウトしてしまうと、危機感を募らせ今回の作戦に志願した次第だった。

『プギ?』

「あ、ジャイアント・モールだ!」

「大物だ! 殺れ!」

『プギィーッ!』

 ジャイアント・モールの悲鳴が闇夜に響く、哀れな工作部隊は穴からか頭を出して殴り殺されるか、トンネル内で松明の煙と硫黄で中毒にかかって死ぬかの二つしかなく、逃げ出せたものは一人も無く、襲撃部隊にジャイアント・モール共々血祭りに上げられた。

 ……

 反乱軍の企みに潰したマクシミリアン軍は、そのまま睨み合った状態で時間だけが経った。その間、マクシミリアン軍は城壁の修繕を終え、初戦での勝利とトンネル作戦を潰した事で兵の士気も高かった。

 そんな中、一向に動こうとしなかった反乱軍が突如動いたのは5日後の事だった。

 反乱軍は初戦の攻勢で多くの逃亡兵を出したが、未だに規模は大きく、マクシミリアン軍に最後の戦いを挑んできた形になった。

 反乱軍が動いたと聞いたマクシミリアンは、すぐさま司令部に顔を出すとグリアルモントが参謀らと協議を行っていた。

「敵の状況は?」

「反乱軍は西門方向に回り込み、大攻勢の様相を呈しています」

「大攻勢? 具体的には?」

「軽竜騎兵で偵察した所、反乱軍は航空兵力を全てを投入して、文字通りの大攻勢をかけてきました」

「敵は全兵力を投入したのか」

「御意。さらに敵は周辺の商人と接触して、竜や幻獣に食わせる食料の買い付けを行ったと、クーペ殿のスパイ網から報告が上がりました。その為、敵竜騎兵の士気は旺盛で、さらに精鋭を投入すると予想されます」

「詳細は分かった。それで我が軍の対策は?」

 マクシミリアンの問いにグリアルモントが答えた。

「敵の飛行を邪魔する為に、ラザール殿の協力を得て閉塞気球なるものを急遽作らせました」

 閉塞気球とは、航空機の針路を邪魔する為のアドバルーンの様なものだ。

「だが飛行の邪魔をするだけだろ?」

「ご安心下さい、閉塞気球を巧みに配置し、一部の閉塞気球に探知(ディテクトマジック)を施し敵が近づいたら爆発する実験兵器もございます。私に良い策がございますし、そして何より、我が軍の竜騎兵隊の士気は旺盛でございます」

「負ける要素は無いという事か」

「敵は侮ることは厳禁ですが、我が方の負ける要素はございません」

「結構……これが最後の戦いになるだろう。この戦いが我々の勝利に終われば新しい時代が来る。その為にも皆の奮闘努力を期待する」

『御意!』

 ……

 反乱軍は、情報どおり航空戦力で攻勢を仕掛けてきた。
 風竜や火竜にグリフォン、レアな物だとワイアームといった幻獣に乗って攻勢を仕掛けてきた貴族達。
 見た目は、いかにも大攻勢な雰囲気だったが、高スピードの風竜の隣に鈍重なバジリクスが平行して飛んでいるの見てマクシミリアンは、

「あれでは烏合の衆だ」

 と呟いた。

「その様ですね……直ちに迎撃を」

 グリアルモントは、相槌を打ち部下達に迎撃の命令を出した。

 対するマクシミリアン軍は、数では反乱軍に劣るものの、火竜と風竜を分けて編成し、風竜を駆る軽竜騎兵で撹乱し火竜や各幻獣を駆るメイジと地上の部隊とで攻撃する戦法を取った。

「あれは……」

 マクシミリアンが見た先には、先日と同じ塔に執事のセバスチャンが居た。彼が手に持っている銃は先日塔に配置していた対戦車ライフルだった。。
 マクシミリアンは知らなかったが、セバスチャンの得物は『ボーイズ対戦車ライフル』という場違いな工芸品で、.55口径のモンスターライフルだ。
 セバスチャンはあの対戦車ライフルで敵の航空戦力を狙撃するつもりのようだった。

 ……

 リュエージュ上空で、本日最初の戦闘が開始された。

 囮役の軽竜騎兵が、一撃離脱戦法を慣行すると、反乱軍は軽竜騎兵に釣られる形になり軽竜騎兵を追撃した。

「竜を任されているのに、早々に逃げ出すとは見下げ果てた奴らだ」

 敵竜騎兵が逃げ出した軽竜騎兵達を嗤った。
 空軍の花形である竜騎兵は、誰もがプライドが高く、指揮官の命令も平気で破る事も多々あった。
 マクシミリアンの編成した軽竜騎兵は、屈強さや魔法のレベルで選ばれたわけではなく、第一にいかなる命令にも服従する絶対的な忠誠心が必要とされた。

 軽竜騎兵は、リュエージュ上空に上げられた閉塞気球を避けながらある空域へ誘導する。
 敵航空戦力は、高い錬度を誇っていて閉塞気球を難なく避けて軽竜騎兵を追った。

 そんな時、敵の火竜騎兵が一つの閉塞気球を避けると、探知(ディテクトマジック)の施された閉塞気球が大爆発を起こした。

「うおおお!」

「なんだ!」

 爆風に巻き込まれた敵航空戦力はの一部は、リュエージュ市の塔や建物に激突し市内に被害が出てしまった。

「ちょ……」

「火薬が多すぎましたな。後でラザール殿に報告しないと」

 絶句するマクシミリアンの側で、グリアルモントは紙にレポートを書いた。

「被害が出たぞ、どうするんだこれ!」

「市内に被害が出たのは遺憾です」

「遺憾って……」

「お言葉ですが、一切被害を出さずに戦争に勝つなど不可能にございます」

「言ってる事は分かるが、僕達の過失で市内に被害を出しては信用に関わるだろうに」

「殿下、間もなく敵が我らの用意した罠に飛び込みますぞ」

(コイツ……)

 話を逸らしたグリアルモントに、内心舌打ちを打ったマクシミリアンは、視線を敵が飛び込んだ東門に向けた。

「グリアルモント、お前の言う秘策って何なんだ?」

「逆にお聞きしますが、殿下は東門に何がおありか覚えておいででしょうか?」

「東門というと……ああ、300リーブル砲か」

 グリアルモントは頷くと、マクシミリアンと同じように東門に目をやった。

 ……

 東門の城壁は、他の城壁より厚く作りがしっかりしている。
 その理由は300リーブル砲の巨砲の衝撃に耐えられるように設計されているからだ。

 その300リーブル砲の周りでは、すぐにでも発砲できるように砲兵達が物陰に隠れていた。

「敵、間もなく予定空域に到着します」

「仰角も全て計算どおりです」

「打ち合わせじゃ、味方の竜騎兵が急上昇したら発砲だ」

「了解」

 ジリジリとした焦燥感が砲兵達を襲う。
 そして、味方の軽竜騎兵が急上昇をして、敵航空戦力が300リーブル砲の射程内に現れた。

「撃てぇぇぇぇぇーーーー!」

 ズガァァァーーン! と腹の底が押し上げられるような衝撃が砲兵達を襲った。

 300リーブル砲の巨砲から放たれた砲弾は、『ぶどう弾』と呼ばれる一種の散弾で、マスケット銃の小弾が詰まっている様がぶどうに似ている事からそう呼ばれ、本来は近距離用の対人兵器でだった。

 大量の小弾は、空中の風竜やグリフォンなどの比較的外皮の薄い幻獣には効果覿面で、殆どの高スピード低装甲の幻獣が撃ち落された。

「よし、次のステップに入る」

 グリアルモントが命令を出すと、今まで逃げ回っていた軽竜騎兵が空中を返す刀で急降下し、混乱した敵の航空戦力に襲い掛かった。

 軽竜騎兵が襲撃を加えると、ミニエー銃を持った歩兵達が軽竜騎兵の攻撃の合間をぬって発砲し、息つく暇もない攻撃に戦力を減らしていった。

 セバスチャンの対戦車ライフルも火を噴いた。

 最初の標的は、鈍重で装甲の厚そうな巨大ドラゴンだ。他の幻獣とは一線を画しており、おそらく火竜種だと思われるがとても巨大だった。
 轟音と共に放たれた徹甲弾は、乗っていた貴族諸共ドラゴンを易々と貫通した。落ちてゆく貴族の上半身は無い、即死だろう。
 他にも数発、幻獣ごと貴族を狙撃するとマガジン内の弾を撃ち尽くしたのか『ボーイズ対戦車ライフル』を置き、別の大型ライフルを取り出した。場違いな工芸品は『拾い物』で、予備の弾薬は無く作る技術も確立されていない為、基本的に使い捨てだった。
 新たに取り出した場違いな工芸品は『デグチャレフPTRD1941』、地球の旧ソヴィエト製の対戦車ライフルだ。
 セバスチャンは先ほどを同じように全弾撃ち尽くしては、新たなライフルに変えて戦い続けた。

 各員の奮闘のおかげで、散々に打ちのめされた反乱軍は、退却しようにも軽竜騎兵が追撃を掛け、それぞれの魔法と銃身の短いカービン銃(非ライフリング)で反乱軍の航空戦力は完全に壊滅した。

 地上、空中の見事な連携にマクシミリアンもご満悦だった。

「お見事、と言っておこう」

「この戦闘で敵の航空戦力は壊滅したようです」

「これでリュエージュ市内に直接攻撃される事は無くなったな」

「御意」

「市内への被害の事だが、グリアルモントのいう事にも一理ある。よって被害に関しては王国の名の下に保障させる。これからもその辣腕を振るってくれ」

「ありがとうございます」





                      ☆        ☆        ☆







 翌日、航空戦力を失った反乱軍は、全ての軍勢を投入してきた。
 駆け足で城壁まで迫る敵兵達は、最早戦術も糞もなく何が何でも城壁にたどり着こうという、反乱軍司令官の思考放棄にすら見えた。

 そして、それを虎視眈々に待つマクシミリアン軍。そんな彼ら戦闘前カップ一杯のワインとドーナツが支給された。
 戦闘前だが少量のアルコールを摂取して、緊張を和らげる事が狙いだった。ドーナツは小麦で作った白パンを油で揚げ砂糖をまぶした簡単なものだ。
 兵士達の中には貧農出身の者も多く、祭りの時ぐらいしか甘いものが食べられない者も居た。その為、大変好評で士気も大いに高まった。

 いよいよ近づく反乱軍にマクシミリアン軍の戦意は上々だ。

「いいか、敵は絶え間なく突撃してくる。射程内に入り次第発砲せよ」

「了解!」

 下士官の命令に兵たちは応えたが、一部の兵士達は少し緊張していた。アルコールの力を持ってしても緊張とは無縁ではいられない様だった。

「そろそろだ。射撃用意っ」

 ……ゴクリ。と誰かが喉を鳴らした。

 土煙上げ駆け足でさらに近づく反乱軍。

「よし! 撃てーっ!」

 パパパパパン!

 ミニエー銃が一斉に火を噴いた。

「うわっ」

「ぐうっ」

 バタバタと倒れる敵兵達、しかし後ろから次々と別の兵士が迫ってきた。

「撃て撃て!」

 ……倒しても倒しても、次々を現れる敵兵。

 何度も言ったが、ミニエー銃は前装銃の為に連発は出来ない。
 そこで、マクシミリアンが、三段撃ちの戦法をグリアルモンドに提案した。

 リュエージュ城壁では、ミニエー銃を持った兵士が列をなしており、城壁や銃眼から発砲した兵士は最後尾に移動すると、後ろに控えていた第二列の兵士が前に出て発砲。第三列、第四列と、最終的に第六列まで戦列を作って攻撃させた。
 ライムラグの少ない射撃が、次々と火を噴き、敵兵が倒れていった。

 反乱軍も負けじと、倒しても倒しても次々兵士がと現れ、城壁との間隔は徐々に狭まってきた。

「メイジ隊、準備!」

 グリアルモントの命令で、メイジたちが銃兵の後ろに控えた。

「メイジ隊、『ファイヤー・ボール』詠唱始め!」

 メイジ達が一斉に『ファイヤー・ボール』の詠唱を始めた。

「次の銃兵の発砲後、敵最前列に対し『ファイヤー・ボール』一斉射!」

 パパパンッ!

 と銃兵が発砲を終え、控えていたメイジ達が前に出た。

「よし、『ファイヤー・ボール』放て!」

『ファイヤー・ボール!』

 放たれた魔法は駆け足で迫る敵兵に次々と直撃、多くの兵士が火達磨になった。

「我らもゴーレムを!」

 これに対抗して反乱軍側も5体の巨大ゴーレムを作り突撃させた。

「敵ゴーレム5体!」

「300リーブル砲は?」

「東門の300リーブル砲を、反対方向の西門へ向けて撃つのは無理だそうです」

「ならば24リーブル砲の水平反射を!」

「既に砲撃準備は整っています」

「では、砲撃開始!」

 24リーブル砲が次々と発射された。
 砲弾は8割がたゴーレムに当たったが、身体の一部が軽く崩れただけですぐに再生してしまった。

「駄目か!?」

「敵ゴーレム更に近づきます!」

「メイジ隊は『エア・シールド』で敵ゴーレムの城壁への到達を妨害せよ!」

『エア・シールド!』

 メイジ隊が共同詠唱で無数のエア・シールドを張り、敵ゴーレムが城壁に取り付く事を阻んだ。

「おお!」

「流石、貴族様」

「がんばれ! 貴族様!」

 やんややんやと兵士が、メイジ隊を応援した。

 以前のトリステイン、いやハルケギニアでは一切見られない光景だった。

 ゴーレムは城壁に取り付かこうと、エア・シールドで出来た空気の壁を押し潰そうと、押し合い圧し合いしていると一発の銃声が鳴り響いた。

 銃声の後、城壁に取り付こうとしたゴーレムを音を立てて崩れ落ちた。
 崩れた巨大ゴーレムの近くに、ゴーレムを作り出したメイジなのだろう。派手な服を着た男の死体が土山の隣に転がっていた。

「どうした!?」

「グリアルモント殿! あれを!」

 仕官の1人が市内の塔を指差すと、そこにマクシミリアンと執事のセバスチャンが居た。そしてセバスチャンの手には別の対戦車ライフルが持たれていた。対戦車ライフルで、しかも徹甲弾で人を撃つなど勿体無いし外道極まりない気もするが、先日使用していたスコープ付きKar98kは弾を撃ちつくしてしまい、他に狙撃できる銃が無かったからだった。

「先ほどの銃声は誰が?」

「執事のセバスチャン殿だろう。いやはや流石は元メイジ殺し、凄い腕前だ」

 セバスチャンは、次々とゴーレムを作ったメイジを狙撃した結果。5体居た巨大ゴーレムは全て土に戻った

「いいぞセバスチャン。これで敵ゴーレムは全滅だ」

「お褒めに預かり、恐悦至極……」

 塔の上のセバスチャンはマクシミリアンに向け一礼をした。

 マクシミリアンが塔の上から反乱軍の状況を見てみると、指揮官と思しき貴族達が動揺していた。

 どうやらあの5人のメイジは彼らにとっての切り札だったようだ。

「敵は浮き足立っている、畳み掛けるチャンスかも……」

 マクシミリアンは呟いた。

「殿下、例のロケット砲陣地より、狼煙が……」

「ラザールか、この状況を見て畳み掛けるつもりのようだな」

 マクシミリアンの言うとおり、地平線の先のロケット砲陣地から無数の煙が打ち上げられると、その煙は空中で弧を描く。
 ヒューヒューヒューと、甲高い唸り声を上げて百を越すロケット砲弾が反乱軍に向けて雨の様に降りかかってきた。

「うわぁぁぁぁーーーーっ!!」

「ぎゃぁぁぁぁーーーーっ!」

 『地獄』という言葉がこれほど似合う光景は無いだろう

 逃げようにも、ロケット弾の飽和攻撃に反乱軍は為す術もなく、ロケット弾の雨は、2万の反乱軍を貴賎問わず平等に肉片へと変えた。

 マクシミリアン軍が、目の前の惨状に呆然としている頃、グラモン伯爵に指揮された王党側の諸侯軍が来援した。

「諸侯軍参上! 栄光あるトリステイン王国に弓引く反乱軍ども! このグラモン伯が相手になるぞ覚悟は良いな!」

 と威勢よく口上を垂れたが、目の前の光景に振り上げた腕で頭を掻いた。

「……これでは、我々の出番が無いではないか」

 グラモン伯だけではない。
 モンモランシ、グランドプレ等々、王党側についた諸侯の面々がこの光景を見ていた。

「あれは魔法なのかね? グラモン伯」

 モンモランシ伯がグラモン伯に問うた。

「あれは魔法では無い。確か、『カガク』と言ったか」

「ううむ、凄まじい威力だが少々やり過ぎではなかろうか」

「……忌々しいが時代が変わったということか」

 困った顔でグラモン伯はそう答えた。

 諸侯軍が、反乱軍の状況を遠くから見て、手を(こまね)いていた時、援軍の来援を待っていたマクシミリアン軍の別働隊が攻勢をかけた。
 ダグーに率いられた別働隊は、6リーブル騎兵砲8門を素早く展開し、大混乱に陥っている反乱軍に砲撃を加えた。
 反乱軍にとっては泣きっ面に蜂だろう。

 ここでロケット砲陣地の放火が止んだ。どうやら備蓄のロケットを全て撃ち尽くした様だった。そこに、ダグーの絶妙のタイミングで、反乱軍に銃撃をかけた。

 地獄から開放されたと思った矢先の銃撃に、最早反乱軍に規律は存在しなかった。

 ……

「降伏だ! 降伏しよう!」

「何を勝手に降伏しようとしている! 我らはまだ戦えるぞ!」

「いやいや、ここはまず、逃げ……後退すべきだろう」

 元々、大して戦略も無く、無理やり蜂起させられた感のある反乱軍。軍内は常に意思の不一致が見られた。

「そもそも私は反乱なぞしたくなかったんだ!」

「何を今更! 栄光あるトリステイン貴族なら覚悟を決めろ!」

「何か食い物は無いか? ここ数日何も食べてないんだ」

 完全にグダグダの反乱軍。

「みんな、お前らの責任だ! 責任を取れ責任を!!」

 一人の貴族が杖を振るった。

「ぐわぁ!? 何をする!」

 そんな反乱軍幹部は、遂には内ゲバを始めた。

「……何やってんだ、あいつら」

 遠くから反乱軍の同士討ちを見て、思わず呟いたマクシミリアン。

「殿下、これは好機では?」

「これは、カリーヌ夫人」

 マクシミリアンの居る塔の天辺に、カリーヌ夫人がマンティコアを駆って現れた。

「そうですね……諸侯軍や別働隊も来ていますし、僕も好機だとは思います。ですが、この戦闘の責任者はグリアルモントです。彼の意見を聞きましょう」

「御意」

 マクシミリアンは、セバスチャンらを連れグリアルモントの居る司令部に移動した。

 司令部ではグリアルモントやジェミニ兄弟たち参謀らが追撃の為の協議をしていた所だった。

「これは殿下」

「状況は?」

「現在、敵追撃の編成中です」

「僕が言わずとも追撃するつもりの様だったね」

 そこに一人の家臣がやって来た。

「報告します! 王軍が来援! 国王陛下御自ら指揮されておられるようです!」

「父上まで来たか。グリアルモント!」

「御意、直ちに我々も打って出ましょう」

 いよいよ、戦闘は最終局面に入った。

 ……

 ロケット弾の飽和攻撃で大混乱に陥った反乱軍に、諸侯軍と王軍が雪崩れ込み、そこに烈風カリンと、リュエージュ市に篭もっていたマクシミリアン軍も加わった。

「賊軍よ! 王太子殿下の名の下に、我が杖によって成敗されるが良い!」

 仮面を被ったカリーヌ夫人はマクシミリアン軍の先鋒を請け負った。その状況を一言で現せば、それは『蹂躙(じゅうりん)』だった。

「うーむ、カリーヌ夫人張り切ってるな」

「お母様も今までの鬱憤が溜まっていたのでしょう」

 マクシミリアンが塔の上でカリーヌ夫人の武勇を見ていると白衣姿のカトレアが現れた。

「カトレア」

「申し訳ございませんマクシミリアンさま。駄目と言われているのに来てしまいました」

「ま、気持ちは分かるよ、僕も何度か会いに行きたかった事もある」

 クシミリアンは、自分が座る木箱の隣にハンカチを置いて、カトレアに座るように促した。

「お隣失礼いたします」

 カトレアはちょこんとマクシミリアンの隣に座った。

「僕らの結婚式は内乱のせいで延期になったけど、この戦いが終われば一緒になれるよ」

「そうですね。でも……」

 カトレアは、烈風カリンに蹴散らされる敵兵を見て悲しそうな顔をした。

「どうしたカトレア。人が死ぬところを見て気分が悪くなったか?」

「いいえ、マクシミリアンさま。この戦争は避けられなかったものなのか、それが気になりまして」

「う~ん、それは分からないな。そもそもこの戦争の発端は僕の責任だけど、だからと言って回避できたとは思えない。起こるべくして起きた……そう僕は思っている」

「避けられなかった戦争ですか?」

「まあね……敵もトリステインを愛していたんだ。彼らの犠牲は無駄にはしない」

 実際、反乱軍の幹部がトリステインを愛していたかは議論の余地があるが、マクシミリアンは敵の名誉のためにそういう事にしておいた。

 その間にも、烈風カリンの『カッター・トルネード』で兵士達は薙ぎ払われ、逃げようにも周りを王軍と諸侯軍に囲まれて逃げられない。

 完全に包囲された反乱軍は、貴族幹部は殆どが討ち死し、捕虜になった兵士達は、戦後労働力として例の如く北部開発区へと入れられた。
 一部の貴族は降伏してきたが裏切り者は赦される事は無く、結局処刑されこうしてトリステイン内乱は終わった。

 

 

第三十九話 蒔かれた種


 貴族の反乱軍はが鎮圧されトリステイン内乱は2ヶ月ほどで終わった。

 反乱軍に組した貴族は軒並み取り潰され、領地は王領になり、財産も没収され様々な事業の資金に回された。

 いわゆる、反抗勢力が全滅した為、エドゥアール王とマクシミリアンは、この期に様々な改革を断行した。

 その一つが軍制改革だ。
 傭兵に頼らない常備軍の編成や、王軍や諸侯軍と言った物を廃止し近代的な軍隊の編成を目指した。
 新たな部隊単位として『師団』を採用し編成に入った。ついでに反乱軍に組しなかった者で、人格、能力に問題のある将軍や法衣貴族を粛清し、閑職に置いた。
 貴族達は内乱では王党軍に味方したにもかかわらず、自分達に粛清の刃が振り下ろされると思わなかった。
 反抗しようにも、対抗勢力だった反乱軍は粛清され、結果王宮の権勢には逆らえず、泣く泣く首を縦に振った。
 これにより、中央集権化は急速に進む事になった。

 マクシミリアンがカトレアらと別れ、トリスタニアに帰還後、王宮に顔を出すと母のマリアンヌ王妃が泣きながら抱きついていた。
 貴族達にお墨付きを与えた事をエドゥアール王に、こっ酷く怒られたようで深く反省しているようだった。

「母上」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 すがり付くように泣くマリアンヌ。

「母上お気になさらずに、結果論ですが反乱が起こったことでトリステインの不安材料を減りました。これからは僕達の時代です」

 と謝り続けるマリアンヌ王妃を慰めると、エドゥアール王の下へ向かった。

 エドゥアール王と面会すると開口一番に、

「結婚式は来年にしよう」

 と言われた。

 一瞬、何の事か分からずに

「誰の結婚式ですか?」

 と答えてしまった。

「何を言っている? お前とカトレア嬢との結婚式だろう」

「え? ああ、そうでしたね。国内の貴族が半分以上減ったので、それらの事ばかり考えてすっかり忘れていました」

「内政の事も大切だが、伴侶をほったらかしにするのも考え物だぞ」

「肝に銘じていきます」

 そういう訳で、内乱で延期になったものの、来年2人は結婚する事になった。

 話題はアンリエッタの事に移った。

「それと、アンリエッタの事だが、結婚するに当たって、今までの様に毎日の様に入り浸るのも良くないし、精々、週に一回が妥当だろうと思うのだが?」

「そうですね」

「もう一つ、アンリエッタも来年で七歳だ。誰か友人になれる様な、同じくらいの年代の者を誰か知っているか?」

 マクシミリアンがグラモン家の三男ジョルジュと友人になったのと同じように、アンリエッタに友人を宛がいたいらしい。

「それなら、ラ・ヴァリエール家の三女ルイズ・フランソワーズなどは如何でしょう? 来年で六歳になります」

「もう、そんな歳か。しかし、あまりラ・ヴァリエール公爵に入れ込むと、よからぬ嫉妬を覚える輩も現れかねない。今回の内乱で多くの貴族を排除したとしても、な」

「そういう物ですか」

「そういう物だ。ともかく友人候補の件は保留にしよう」

「分かりました。とはいえ、結婚すればルイズは義理の妹になります。アンリエッタとは、まったく顔を合わさないようにする事は出来ませんし、子供同士、すんなりと仲良くなるかもしれません」

「我々が、どうこうするよりも、本人次第という訳か」

「そうですね」

 ……話題は変わり。

「父上、実は面白いものが手に入ったのです」

「面白いものとは一体なんだ?」

「これをご覧ください」

 マクシミリアンは数枚の羊皮紙をエドゥアール王に渡した。

「……これは」

「クルデンホルフ大公が反乱軍に献金していた動かぬ証拠ですよ」

「良く見つける事ができたな」

「先日逮捕した、魔法研究所(アカデミー)のゴンドランが責め立てたら、そいつの場所を吐きました」

「拷問したのか?」

「痛覚を消しダルマになった姿を鏡で見せたら、狂ったように吐きましたよ。後でちゃんと複製(クローン)で手足を元に戻しましたがね」

「……悪趣味だな」

「僕も一時は危なかったんです。『おあいこ』ですよ」

 敵には一切容赦しない。
 エドゥアール王は、息子にその片鱗を見て、少し心配になった。
 とはいえ、その気質のお陰で、有力諸侯の弱みを見つけることが出来て、マクシミリアンに強いことが言えなかった。

「それで、クルデンホルフ大公は取り潰すのか」

「それも一時は考えましたが。相手は一代で大公まで登り詰めた男です。取り潰して諸外国に流出させるより、潰さずに完全な従属国とし、徹底的に絞り尽くすのが妥当でしょう」

「具体的には?」

「年に数千万エキューの上納金。まぁ、上納金の正確な額はクルデンホルフ大公国の帳簿などを拝見して決めるとして、他に空中装甲騎士団など軍隊を解体させ、代わりにトリステイン軍の駐留させます。駐留しているトリステイン軍の維持費はクルデンホルフ大公国に支払わせます。万が一大公が不穏な動きを起こせばそれを口実に攻め滅ぼしましょう」

「それは……やりすぎではないか?」

 エドゥアール王は呆れたように言った。

「動かぬ証拠はこちらが掴んでいますし、『敵』には一切の容赦も必要ないでしょう、問題ありません。話は戻りますが、大公に誰か縁者を人質として要求しますか?」

「……」

 後日、クルデンホルフ大公はマクシミリアンの要求を泣く泣く受け入れた。代わりに反乱軍への献金は決して表に出る事はなかった。
 今までは独立国の色が強く形式上の属国だったクルデンホルフ大公国だったが、多額の上納金と軍隊の解体と廃止で事実上トリステイン王国の完全な属国へと成り下がった。





                      ☆        ☆        ☆






 とある日、マクシミリアンが新宮殿の執務室で政務を行っているとノックの音が聞こえた。

「誰だ」

「クーペでございます」

「おお、お帰り。入ってくれ」

 入室を許可すると、旅装姿の青年に変身したクーペが入ってきた。

「ご苦労様。首尾はどうかな?」

「上々でございます」

「そうか」

 反乱中、マクシミリアンはクーペにゲルマニア介入を妨害する為の工作を命じていた。
 その甲斐あってか、ゲルマニアは介入してこなかった。

 それともう一つ、クーペに命じた事があった。

 それはゲルマニアの内部分裂を引き起こす事だった。
 将来的にロレーヌ地方の統一と、巨大国家ゲルマニアと陸続きでいるという事は安全保障上看過できない問題で分裂が無理なら、せめて力を削ぎたいと思っていた。

 工作内容を説明する前に、帝政ゲルマニアのルーツを辿らなければならない。

 元々、ゲルマニア人はゲルマニア地方を含めたの広大な土地に、非ブリミル教の大小様々な部族が分布していた。
 だが、数千年前に東方から騎馬民族が流入し、東ゲルマニアは荒らされ、そこに住んでいた東ゲルマニア諸部族は西へ西へと逃げていった。

 これを、ゲルマニア民族の大移動という。

 危機感を募らせた、ゲルマニア西部の部族の族長らは、ガリアやトリステインといったブリミル教国家にブリミル教への帰依を条件に援軍を要請した。
 大量の帰依者を出す事からロマリアからの強い後押しもあり、ガリア王国・トリステイン王国は渋々快諾、かくしてブリミル教国家とゲルマン諸部族の連合軍と騎馬民族との会戦で騎馬民族を撃退することに成功した。

 魔法の威力をその目に焼き付けたゲルマニア諸部族は、魔法を得る為に貴族や元貴族との婚姻を奨励し、永い時間をかけて魔法を使えるようになりゲルマニア貴族が誕生した。部族はやがて都市国家になり、それら都市国家が集まることで現在の帝政ゲルマニアになった。
 この時の形振り構わない婚姻政策で、後に『ゲルマニア人は好色で多情』と言われる原因にもなった。

 撃退から千年後、帝政ゲルマニアは騎馬民族によって奪われた東ゲルマニアの奪還を目指したが、かつての自分達の土地には別の民族が住んでいた。
 彼らはスラヴ人といって、北方から流入してきた非ゲルマン民族で、騎馬民族が去り空白地帯となった東ゲルマニアを始め様々な土地に移り住み自分達の土地としていた。
 帝政ゲルマニアは彼らを征服しブリミル教徒化を行い、そしてかつて自分達が行ったようにスラヴ族の族長らに婚姻させゲルマニア化を図った。
 現在、スラヴ人はゲルマニア人として今を生きている。

 マクシミリアンは多民族国家であるゲルマニアの分裂を図る為、かつてのスラヴ人たちに民族主義を植え付けようとクーペを送り込んだ次第だった。

「今にもゲルマニアからの分離独立を図ろうとする者達ですが……」

「うん、どういった連中なのかな?」

「まず、現ゲルマニアの帝都が置かれます。帝都プラーカのスラヴ系チェック人」

「帝都が置かれている位だから、いい生活が出来ていると思っていたが」

「むしろ逆で、皇帝のお膝元だからこそ、ゲルマニア化してもスラヴ系とゲルマニア系で区別されているようです」

「なるほど」

「次にポラン地方のスラヴ系ポラン人」

「ヒポグリフの名産地で、軍事的にはヒポグリフを駆ったポラン騎兵が有名だな」

 スラヴ人と一言に言っても様々な部族があり、それぞれの部族は独立独歩の精神が強い。

「御意……続きまして、パンノニア及びダルマチア方面のスラヴ人も良い返答が頂けました」

「拡張主義も困ったものだな」

 パンノニア及びダルマチア方面は地球でいうバルカン半島辺りを指す。

「と言うより、彼らスラヴ人事態は同族同士が対立しあう気性が激しい部分があります。そんな彼らがいつまでもゲルマニアの支配に黙っているはずも無く、度々反乱を起こしては鎮圧される、といった事をここ数百年続けていたようです」

「そうか……また彼らが爆発しても僕達は動くことはできないし、さっきの話の様に爆発は小規模ですぐに鎮圧されると予想される。時間をかけて確実に、連鎖的に大爆発するように仕向けてくれ」

「スラヴ人たちの支援をなさいますか?」

「資金の援助のみね、武器は足がつくから駄目だ。ゲルマニア人とスラヴ人がお互い憎しみ合ってくれればトリステインの益になる」

「御意」

「言わずもがな、撲たちが工作した証拠は絶対に残さないように。資金もよく洗浄してトリステインから流れてきた証拠を掴ませない様にね」

「御意、お任せ下さい」

「国内の分離主義者は排除するが、外国の分離主義者は大いに支援する。でも、僕達自身は彼らスラヴ人とは関わりあいたくないのが本音だ。その辺は上手くやってくれ」

「フフフ……では失礼します」

 クーペはニヤリと笑い退室した。
 これらの蒔かれた種は数年後芽吹き、ゲルマニア分裂へと繋がる。

 マクシミリアンはクーペが退室した後、政務を行いながら、

「これは地獄行きだな」

 と呟いた。

 だが同時に

『為政者として正しい事だ』

 と自信を持って言えた。

 マクシミリアンは、世界平和なんて見えない物の為に、陰謀や軍備を怠り自国民を犠牲にするぐらいなら、陰謀を駆使して他国民を犠牲にし、自国民の利益に繋げる腹積もりだった。
 誰の言葉だったか忘れたが、為政者が天国へ行きたがって陰謀や軍備を怠れば、代わりにに国民が地獄を見る事になる。逆に為政者が地獄に落ちる覚悟で、事に及べば国民は天国を見ることがが出来る。

 例外もあるだろうが、マクシミリアンはこの言葉が頭から離れなかった。

 政務も粗方終わり、一息入れようとベランダに出ると、珍しいものを見た。

 新宮殿の敷地内をアニエスと養父のミランが並んで歩いていたからだ。

「……仲直りしたようだな」

 ウンウンと頷き、メイドに紅茶とワインを頼んでワインの紅茶割りを楽しむことにした。






                      ☆        ☆        ☆




 帝政ゲルマニアの帝都プラーカは、チェック人と呼ばれるスラヴ系の部族の集落が始まりと言われている。

 ゲルマニアに征服された後、選帝侯の一つ、ボヘニア王の首府としてプラーカは整備され、やがて『黄金のプラーカ』と呼ばれるまでに大都市に成長した。

 現ゲルマニア皇帝が風邪を拗らせ一時危篤状態に陥ったと聞き、皇帝の居城であるプラーカ城には珍しく選帝侯が勢ぞろいする事になった。

 選帝侯とは『皇帝を選ぶ為に選挙権を得た諸侯』の意味で、皇帝が死んだ場合、7つの選帝侯から一人、次期皇帝として選挙で選ぶ事になっている。
 元々、都市国家が集まって今のゲルマニアが出来た事情から、誰が一番偉いという訳ではなくその時その時代に最も強大な権力、国力を持つ選帝侯が大抵の場合、皇帝に選ばれていた。

 プラーカ城のとある一室には、6人の選帝侯が集まっていた。

 ゲルマニア皇帝でありボヘニア王を兼任するコンラート6世は今年78歳、80前の老人が風邪を引いたとなれば、ひょっとしたらひょっとするかもしれない。
 コンラート6世を除く6人の選帝侯はは長机を囲み、それぞれ難しそうな顔をしていた。
 オーストリ大公アルブレヒトは次期皇帝選挙の票集めの為、何より各選帝侯の出方を伺う為、プラーカにやって来た。
 オーストリ大公領の首府ヴィンドボナは帝都プラーカよりも栄えているという事で次期皇帝の最有力候補を言われていた。
 そのアルブレヒトの皇帝選出に待ったをかけるのは、北東部の雄ブランデルブルク辺境伯だった。
 彼の領地の北部はヴィンドボナのある南部と違って寒冷地という事もあり土地は痩せていて貧しかったが、ゲルマニア最強と名高いゲルマニア騎士団を配下にし、最も強大な軍事力を有していた。 

 二つの選帝侯が火花を散らしていた頃、不機嫌な選帝侯も存在した。

 それは、西部の雄フランケン大公だ。最も古いゲルマニア貴族で、多くの皇帝を輩出した名家だ。
 領地が西部であり、ガリアやトリステインと領地が隣接している事から、戦争になったら先鋒を務めることが多く、『ゲルマニアの壁』などと呼ばれる武門の家柄と言えた。

 そんな彼の機嫌が悪いのは、隣のトリステイン王国で内乱が発生した為、介入しようとした矢先に首府のオーノルツバッハで大火事が発生し都市の6割が消失した為、再建までの間フランケン大公領第二の都市フランクヴルトを仮の首府して、遷都の手続きが思いのほか手間取った事が一つ目の不機嫌の原因。
 二つ目、三つ目が、トリステイン内乱で逃げ出した逃亡兵が山賊化し領内を荒らしまわっていたり、妻が突然占い師に傾倒し、訳の分からないお告げを鵜呑みにして相手をするのに手間取ったりと、様々な出来事が連続して起きて介入どころでは無かったからだ。
 おかげでトリステイン内乱は鎮圧され、絶好の機会を失い面目も失った。

 選帝侯の一人、ザクソン大公はゲルマニア中央部から北西部までの広大な領地を持ち、トリステイン王国の有力貴族ラ・ヴァリエール公爵の宿敵ツェツプストー辺境伯はザクソン大公の分家筋に当たり、褐色の肌と赤い燃えるような髪が印象的だった。
 ザクソン大公は皇帝には興味は無く、オーストリ大公とブランデルブルク辺境泊のどちらに付くべきか品定めの真っ最中だった。

 選帝侯の一人、バウァリア大公は隣のオーストリ大公の繁栄のお零れに預かる事で繁栄してきた経緯から、オーストリ大公に頭が上がらず、いざ選挙となればオーストリ大公に票を手筈になっていた
 バウァリア大公は、プライドを捨ててまで繁栄させた首府ミュンヘを、いかにして戦火から守るかそればかり考えていた。  

 最後、6人目の選帝侯、メインツ大司教はゲルマニア貴族ではなくロマリアから派遣された大司教で、大司教区と呼ばれる土地の裁治権および統治権を有していた。メインツ大司教はゲルマニアにおける最高位の聖職者でロマリア教皇の代理人とされていた。
 ゲルマニア国内でロマリア教の影響力を保持する為に、ロマリアがマインツ大司教を無理矢理選帝侯に捻じ込んだ経緯があった。
 ゲルマニア貴族は、その決定を受け入れるしかなかった。強大な権力を持つロマリアを蔑ろにする事は出来なかったからだ。
 だが、ロマリア教の腐敗は年を重ねるほどに酷くなり、もっとも多くの『お布施』をした選帝侯に票を入れるのが通例になっていた。今ではロマリアの顔を立てるために設けられた接待用の席でしかない。
 
 この場には無く、城の奥で生死の境を彷徨っている7人目の選帝侯。
 ゲルマニア皇帝兼ボヘニア国王のコンラート6世を入れて7人がゲルマニア選帝侯だった。

 ……

 久しぶりに6人の選帝侯が集まったが、室内は重苦しい雰囲気に包まれていた。

「皇帝陛下はご無事だろうか……

「もしものときの事も考えておなければならない。これから我らは、どうするべきか……」

 皇帝の安否を心配しているのは、オーストリ大公とブランデルブルク辺境伯だった。

 表面上は深刻そうに心配している様に見えるが、本当は皇帝死後、次の皇帝選挙の際の腹の探りあいをしている事は他の選帝侯は知っていた。

「ったく、白々しい」

 吐き捨てたのはザクソン大公で、褐色の肌と燃え上がるような赤い髪が特徴の偉丈夫だった。

「皇帝陛下のご回復を我々で祈りましょう」

 でっぷり肥えた腹を揺らしメインツ大司教は言った。

売僧(まいす)も、いちいち五月蝿い」

 聞こえないようにザクソン大公は呟いた。

 バウァリア大公はヘラヘラと愛想を振りまいていた。彼は彼で頑張っているが印象が薄かった。

 一方、我関せずで、ブツブツと不機嫌に独り言を言いながら貧乏ゆすりをしている2メイルの大男はフランケン大公。
 戦場に出れば勇猛果敢で、かの烈風カリンと互角に渡り合ったという猛者だったが、戦場以外だとパッとせず、しかも恐妻家で知られていた。
 彼は、領内で起きた大火事や山賊被害に妻の事等々で事で頭が一杯で、選挙どころではなかった。

 コンラート6世の治世は60年以上で、息子の皇太子も子供を残すことなく親より先に死んでしまい、ボヘニア王家は断絶の危機にあった。
 野心家達にとって、これ以上無い好機だった。

「申し上げます!」

 家臣が部屋に駆け込んできた。

「どうした!」

 とうとう死んだか……とは言わない。

「典医殿のお話では、皇帝陛下は峠と超えたとの事」

「おおそうか、それは良かった」

 いい加減しぶとい……とは思っても言わない。

「ともかく、皇帝陛下のご回復を祝って一杯飲ろうではないか」

『おおーっ!』

 次期皇帝の駆け引きを続ける選帝侯の中で、マクシミリアンが内乱の種を蒔いた事に気付く者は誰も居なかった。

 

 

第四十話 結婚前

 内乱鎮圧から数ヵ月後、14歳になったマクシミリアンは、1週間後いよいよカトレアと結婚を迎える。

 王都トリスタニアは、内乱の影響もなんのその、次代の王妃の誕生にお祭り騒ぎだった。

 一方、マクシミリアンはというと、妹のアンリエッタの機嫌を直す事に全神経を注いでいた。
 原因は、新宮殿に遊びに来る事を週に一回に制限された事と、カトレアにマクシミリアンを取られると勘違いし嫉妬したのだろう。

「私、カトレアって人嫌いよ。お兄様を独り占めするつもりなんだもの」

 とアンリエッタは、頬を膨らませてプリプリと怒っている。

「そう怒らないでよアンリエッタ。カトレアはとっても優しい娘だからアンリエッタとも仲良く出来るよ」

「知らない! お兄様なんて嫌いよ!!」

「今日はアンリエッタをずっと一緒に居るから、機嫌を直してよ」

「むぅ~」

「ね?」

 これ以上無いほど頬を膨らませて

「それじゃ、ドムやって」

「ドム?」

「足から、ゴーゴーするやつ」

「ゴーゴー? ……ああ『エア・ジェット』の事か」

 『エア・ジェット』とは、マクシミリアンが『フライ』より速く飛ぶ方法を研究していたときに、試しに足の裏に空気の塊を発生させて、それを噴射して空を飛ぶ魔法の事だ。。
 最初は上手く飛べずに、ホバー走行みたいな感じになっていた時に『ドムみたいだ』と呟いたのがアンリエッタの耳に入ったのだろう。

「でも、『エア・ジェット』を使った後だと靴が駄目になるんだ」

「ヤダ! ヤダヤダ! ドムやって! ドムやって! ドムやって!」

 アンリエッタは床に倒れこんで手足をジタバタしだした。

「アンリエッタ……ドロワが丸見えだ」

 アンリエッタを諌めたが、聞く耳を持たない。

「ヤーダ! ヤーダ!」

「まいったなぁ」

 どうしたものか、と顔に手を当て改めてアンリエッタの方を見ると、アンリエッタをジタバタしながら、一瞬マクシミリアンをチラッと見た。

(……ん?)

 そしてもう一度、チラッとマクシミリアンを見た。明らかに様子を伺っている。

(コイツもしかして……)

 子供ゆえのしたたかさかアンリエッタは、演技で我侭に振舞うことでマクシミリアンに何らかの譲歩を引き出そうしている事に気付いた。

「アンリエッタ! 知らない間にずる賢くなったな!」

 マクシミリアンはアンリエッタの頭を掴むと『ウメボシ』をした。

「いやいや!  お兄様何するの!?」

「小賢しいぞ、アンリエッタ!」

 軽めだがグリグリと米神を責めると。

「うわーん! お兄様ごめんなさい!」

 と泣いて謝って来た。

 ……

 アンリエッタを『教育』したものの、身内に甘いマクシミリアンは結局アンリエッタに『エア・ジェット』の魔法で遊んでやる事にした。
 遊ぶと言ってもアンリエッタを肩車してホバー走行するだけなのだが。

 2人して新宮殿を出て練兵場向かう途中、軍服姿のアニエスに出くわした。

「あ! アニエスだ! おーいアニエスぅ~!」

 アンリエッタがアニエスを呼び止めた。

「これは、アンリエッタ姫殿下、それに王太子殿下も……」

 アニエスは敵討ちを遂げた後、コマンド隊に残り訓練の傍ら、礼儀作法など色々叩き込まれていた。

「アニエスも訓練ご苦労様」

「また、アニエスと一緒にお勉強できるの? お兄様?」

「それは、ちょっと難しいな」

「えー」

 王族と平民、その辺のケジメを曖昧にしてしまい、内乱を発生させてしまった事から、マクシミリアンは大いに反省し勉強会は中止ということになった。

「悪いねアニエス。色々としがらみって物があってね」

「気になさらないで下さい。私は気にしていません」

「そう言ってもらえると助かるよ」

「アンリエッタ姫殿下も、私のことなど忘れて勉強をがんばって下さい」

「つまんないわ。せっかくアニエスとお友達になれたのに、お兄様何とかならないの?」

「さっきも言ったように、しがらみとか色々あるんだよ。先の内乱で僕たちが勝っても、貴族と平民の確執が一掃された訳ではないんだ、人間、そう簡単に変わらないって事で、王族、貴族と平民が一つ屋根の下で勉強するようになるのは、もう少し時間が掛かると思う」

「お兄様の話は難しすぎるわ」

「ごめんなアニエス。いくらミラン家の養女でも、アニエスだけを特別扱いする訳にはいかないんだ」

「気になさらないで下さい。今の生活はとても充実しています。今のままで十分です」

 その後、アニエスは『訓練がありますので』と、一礼して去っていった。
 アニエスの背中を二人で眺めながら、アンリエッタがマクシミリアンを責める様に言い出した。

「お兄様の意気地無し。どうせならアニエスも一緒にお嫁にもらっちゃえば良かったのよ」

「人を物みたいに言うな。それにアニエスにも選ぶ権利もあるだろう」

「最近読んだ本だと、こういうの『忍ぶ恋』って言うのかしら」

「何を言ってるんだ?」

 7歳になったアンリエッタは、様々な本を読んできた結果、少々マセてきた。

「まぁいいか。行くぞアンリエッタ」

「はーい」

 マクシミリアンとアンリエッタは手をつないで練兵場へと向かった。







                      ☆        ☆        ☆






 所変わって、ここはラ・ヴァリエール公爵の館。

 屋敷ではメイドや召使いといった屋敷の住人が、総出で一人の少女の名前を呼んでいた。

「ルイズ、ルイズ、何処へ隠れたのです。いい加減に出てきなさい!」

 カリーヌ夫人もラ・ヴァリエール公爵の三女、ルイズ・フランソワーズの名を叫んだ。

 6歳になったルイズは、カリーヌ夫人らの英才教育を受けたが魔法に関しては、全く効果が見られず爆発ばかり起こして、その度に叱られるといった事を何度も繰り返していた。
 そして今回の様に度々姿をくらまし、ラ・ヴァリエール公爵家の人々を困らせていた。

「ルイズ様にも困ったものだ」

「本当に……カトレア様が来週には結婚式だというのに」

「そのルイズ様だが、最後までご結婚に反対されていたそうな」

「困ったお方だ。魔法も上手く行かず、爆発させては部屋や庭園を滅茶苦茶するお陰で仕事が増えるばかりだ」

「今日の仕事が残っているというのに、仕事そっちのけで探さなければならないとは」

「こうしていられん、早く探さなければ仕事に戻れないぞ」

「仕事が遅れれば旦那様に叱られる……」

 家人達が愚痴を言いながらもルイズを探していた。

 そのルイズはというと……
 ルイズは『秘密の場所』と呼んでいる中庭の池に浮かぶ一艘の小船の上で涙に濡れていた。

「うううっ、嫌い嫌いみんな嫌いよ」

 ルイズは悲しかった。毎日毎日、魔法の練習をしても失敗ばかりでその度、母に叱られ召使達には陰口を叩かれる。そんなルイズを優しく慰めてくれたのは姉のカトレアだけだった。
 その、大好きなカトレアが……『ちいねえさま』が、結婚して屋敷を出ると聞きルイズは絶望した。

(ちいねえさまが居なくなったら。一人ぼっちになっちゃう!)

 そして、一人になったルイズは、肉親からも家人からも嫌われ見捨てられ、暗い部屋の中で一人寂しく老いて死ぬのよ! ……と妄想するようになった。

 小船の上でグスグスと鼻をすすっていると、ルイズに影が差した。

「やっぱりここだったのねルイズ」

「……ちいねえさま」

 カトレアは『レビテーション』で空中に浮き、小船のルイズを見下ろしていた。

「ちいねえさま、どうして……」

「トリスタニアに行く前に、ゆっくりルイズとお話がしたかったのよ」

「ちいねえさま……」

「ルイズ、一緒に乗っていいかしら?」

「あ、はい、ちいねえさま!」

 ルイズは、グシグシと涙にまみれた顔を、服の裾でぬぐった。

「っと」

 カトレアの魔法のコントロールは相変わらずだが、今回は綺麗に小船に乗れた。

「ちいねえさま、わたし……」

「ルイズ。何が悲しくて泣いていたの? お母様に怒られたから?」

「ううっ、ちいねえさま!」

 ルイズは泣きながらカトレアの胸に飛び込んだ。

「ルイズ……」

「ちいねえさま! 行かないで! 結婚しないで! 一人にしないで!」

 ルイズは一気にまくし立てた。

「わたしがお嫁に行ってもお母様やお父様、エレオノール姉様もいらっしゃるわ。決して一人じゃないわ」

「嘘よ! 嘘嘘! きっと嘘! みんな私のこと嫌いなのよ! 魔法も失敗ばかりで痩せっぽちな私なんて! みんな影で馬鹿にして! 魔法が出来ない落ちこぼれって思ってるのよ! うわぁぁぁぁ~~ん!!」

 ルイズは、カトレアの胸の中で一気にまくし立て遂に大声で泣き出した。

 カトレアは迷った。マクシミリアンからの手紙ではルイズが伝説の虚無の系統かも知れないと書かれていたが、事が事だけに誰にも相談できずにいた。
 ルイズに虚無の可能性があることを伝えるべきか。
 マクシミリアンは、知らせずにフォローしてくれと言ったがそれに従うか否か。

「聞いてルイズ。ルイズはまだ自分の本当の系統に目覚めていないだけなの。ルイズが大きくなれば、わたしよりも凄いメイジに成れるわ。」

 カトレアはキュッとルイズを抱きしめた。

「ちいねえさまより、凄いメイジに? 私が?」

「そうよ、だからお願い絶望しないで」

「……ちいねえさま」

 ルイズはカトレア胸により強く顔を押し付けた。
 カトレアの甘い香りを肺一杯に吸い、ルイズに少しだけゆとりが出来き、いつの間にか涙は止まっていた。

「……ちいねえさま。わたしの我侭聞いて下さい」

「なぁに?」

「わたし、一杯一杯、勉強して手紙を書きます。ですから、ちいねえさまもお返事ください」

「もちろんよルイズ、約束よ。さ、お母様の所へ行きましょう、一緒に叱られてあげるわ」

「……はい。ちいねえさま、さっきはごめんなさい」

「気にしてないわ」

「幸せになって下さい、ちいねえさま」

「ありがとう、ルイズ」

「きっと手紙書きます。勉強もします!」

「応援してるわ。でも無理はしないでね」

 カトレアは妖精すら見とれる笑顔でルイズに頬ずりした。
 

 

第四十一話 二人の結婚

 マクシミリアンとカトレアの結婚式当日。
 天気は雲がどんよりとした生憎の空模様だったが、王都トリスタニアは多くの人々でごった返していた。

 新たに王太子妃になるカトレアは、ラ・ヴァリエール公爵家族と共に新たに編成された近衛軍に守られトリスタニアに到着し、トリスタニア市内の公爵の別邸にて挙式当日を待つことになった。
 
 各国の国賓も入国しており、アルビオン王国は国王のジェームズ王が、ガリア王国は国王が老齢と言う理由で、変わりに2人の王子がやって来た。ゲルマニアからは招待状を送ったが断りの返事が届いた。密偵団改め諜報部の調べでは、次期皇帝を選出する選帝侯の間で駆け引きが続いて、位の低い者を国賓として送ればゲルマニアの威信に関わるという事で、丁重に断ったとマクシミリアンは知った。

(むしろ、使者を送らないことが、威信に関わると思うんだけど……)

 と思ったが、所詮よそ様の事だ。関わらない事にした。

 現在、マクシミリアンは、トリスタニア市内にあるトリスタニア大聖堂で結婚式の打ち合わせをしていた。
 大聖堂で式を挙げ、馬車に乗って市内をパレード、王宮でパーティーといったスケジュールになっている。パーティーに至っては三日間続けられる予定だ。
 ちなみに、トリスタニア大聖堂に赴任している大司教も、ご多聞にもれず腐っているので、妙な事をロマリア本国に報告しないように酒と女漬けにして手懐けている。

 ハルケギニア屈指の権威を誇るロマリアが居る手前、マクシミリアンは宗教改革は時期尚早と考えていた。

 別邸に滞在していたカトレアらも、大聖堂の別室でウェディングドレスに身を包んで、式が始まるのを今か今かと待っているはずだ。

 打ち合わせを終えたマクシミリアンは、カトレアが居る別室へと向かった。

「カトレア居るかい?」

「あ、マクシミリアンさま」

 別室には、カトレアの他にカリーヌ夫人と長女のエレオノールが居た。

「殿下、ご機嫌麗しゅう」

「この度は、ご結婚おめでとうございます」

「カリーヌ夫人もミス・エレオノールも、今日はありがとうございます」

 先の内乱で、エレオノールの婚約者の家が反乱軍側に組した為、婚約者の家は取り潰され婚約は解消された。
 その為、エレオノールの機嫌は悪いが妹の晴れの舞台だ、決して表に出さないように勤めた。

「所でルイズ・フランソワーズも一緒だと聞いてるんだけど」

「ルイズは、大聖堂の外でアンリエッタ姫殿下と、遊んでいると思われますわ」

「そうか、結局仲良くなったんだな」

 マクシミリアンたちが、どうこうと頭を悩ませる必要も無くアンリエッタとルイズは友達になった。

「私達は部屋の外に出てますので、時間までカトレアと一緒に居てあげてください」

「ありがとう、カリーヌ夫人」

 カリーヌ夫人とエレオノールは部屋を出て行った。

「マクシミリアンさま、如何でしょうか、綺麗ですか?」

「カトレア、とっても綺麗だよ」

「ありがとうございます、マクシミリアンさま」

 カトレアは、ウェディングドレス姿で椅子に座り嬉しそうにはにかんだ。
 このウェディングドレスは、アントワッペンのマダム・ド・ブランの新作で、上等なシルクがふんだんに使われている。

「ここまで来るのに色々あったけど。ようやく、ここまで漕ぎつけたよ」

「わたし、もう……幸せすぎて、涙が出そうです」

「絶対に幸せにしてみせるよ」

「はい、幸せにして下さい」

 そう言って、軽くキスをした。

 そして、式の内容などスケジュールをカトレアと話していると、ノックと共に神官が入ってきた。いよいよ、二人の結婚式が始まる。
 







                      ☆        ☆        ☆







 厳かな雰囲気で結婚式は始まった。

 大聖堂には、エドゥアール王とマリアンヌ王妃のトリステイン国王夫妻と、アルビオン国王ジェームズ1世、ガリア王国の2人の王子を始め、多くの貴族が参列した。
 先の内乱で、大幅にその数を減らしたトリステイン貴族だったが、未だ多くの貴族が居た。
 もっとも、生き残った貴族のほぼ全ては、この結婚式に欠席して王家の不興を買いたくない一心で、この結婚式に参加した者ばかりだった。
 一方、国賓の者たちは、傾いた財政を復活させ、しかも大胆な改革を成功させ、先の内乱で雷名を轟かせたマクシミリアン『賢王子』に興味を示して、どういう人物は見定めようという目的で乗り込んできた。
 ちなみに『賢王子』とは、マクシミリアンに付いた二つ名だ。

 アンリエッタとルイズは、席を隣にして結婚式に参加していた。

「悔しいけど綺麗だわ」

「当たり前よ。何てったって、わたしのちいねえさまだからね」

 ルイズは、自分の事の様にフフンと無い胸を張り上げた。

「何よ、お兄様だってすごくカッコいいわよ!」

 とルイズの左右の頬を掴み横へと引っ張った。

「はいふうの!」

 何するの、と言いたかった様だ。
 アンリエッタとルイズは、ポカポカと可愛い殴り合いと始めた。

『いい加減になさい!』

 後ろに控えていたカリーヌ夫人が、二人の頭を掴み声を抑えながら少量の殺気を放ち二人を諌めた。

「ひい!」

「ごめんなさいお母様、ごめんなさいお母様、ごめんなさいお母様」

 生まれて初めて殺気という物を受けたアンリエッタは涙目で黙り込み、ルイズは念仏を唱えるように、ごめんなさいを言い続けた。

「ルイズ。カトレアの、貴女の姉の晴れ姿ですよ、無様な真似は止めなさい」

「ごめんな……は、はひ、お母様」

 ルイズは涙目ながらも復活し、結婚式は恙無く進行した。

「それでは、指輪の交換を……」

 アル中だったが無理矢理正常に戻された大司教は、長い口上を終えると、二人に指輪の交換を指示し、マクシミリアンはカトレアは言われたとおりに、それぞれの薬指に指輪をはめた。

「では最後に誓いのくちづけを……」

 マクシミリアンは、カトレアに顔を近づけ……

「この日を夢見てきてきたよ」

「わたしもです」

 周りに聞こえないように、ボソボソッとしゃべった後、二人はキスをした。

 ……

 式が終わると次は王宮までのパレードだ。
 沿道にはトリステイン各地から新しい王太子妃を一目見ようと多くの人々が詰め掛けて交通整理をする衛兵達を困らせていた。
 内乱の混乱は経済に打撃を与える事も無く、むしろ内乱を長引かせず、手早く老廃物の除去を行った事で、トリステインの経済は右肩上がりだった。
 その為、王都トリスタニアのメインストリートなどは、常に人でごった返していて大変不便で、新たな都市計画が求められた。

『トリステイン王国万歳!』

『マクシミリアン王太子殿下万歳!』

『カトレア王太子妃殿下万歳!』

 歓声が上がり、馬車に乗ったマクシミリアンとカトレアは、沿道の市民達に手を振って返した。

「カトレア大丈夫? 緊張してない?」

「わたしは大丈夫です」

「見世物になるのも王家の仕事だから」

「それは……うふふ、望むところですわ」

 そう言って、ニッコリ笑い沿道の市民へ手を振り返した。

(頼もしいねぇ)

 マクシミリアンも内心呟いて手を振り返した。王宮に到着するまで、市民の列は途絶える事はなく、多くの市民が二人を沿道から祝福した。





                      ☆        ☆        ☆







 その日の夜、王宮にて大々的なパーティーが開かれた。

 国賓の他にも、多くのトリステイン貴族がそれぞれ着飾り参加していた。

 その国賓の中で一際騒がしい男が居た。

「いや、めでたい。実にめでたい!」

 ガリア王家特有の青い髪の偉丈夫が、ワインを飲みながらでかい声で騒いでいた。
 ガリア王国第一王子ジョゼフ・ド・ガリアは、魔法が全く使えない事から、巷では『無能王子』と呼ばれガリア貴族から侮蔑の眼差しを受けていた。

「マクシミリアン王子、結婚おめでとう!」

「ありがとうございます、ジョゼフ王子」

「カトレア殿もおめでとう!」

「ありがとうございます」

 パーティーが始まって、マクシミリアンとカトレアは、アルビオンのジェームズ王など国賓に礼を言って回っていたが、途中ジョゼフに捕まり、子一時間ジョゼフのおしゃべりに付き合わされていた。

「先の戦いでの、マクシミリアン王子の電光石火の用兵には、このジョゼフ関心いたしましたぞ!」

「あはは、ありがとうございます」

「是非、この『無能王子』めに『賢王子』の成功の秘訣をご教授願いたいのだが」

「それは……」

 次から次へと尽きる事のない話題に、辟易し始めたが、マクシミリアンに助け舟をした者がいた。ガリア王国第二王子のオルレアン公シャルルだった。

「兄上、マクシミリアン王子が困っています。そろそろこの辺りにしては如何でしょう?」

「おお、シャルルか! これはマクシミリアン王子の事も考えずに失礼した。何しろ『無能王子』ゆえに、その辺の事が分からなかったのだ。マクシミリアン王子、申し訳なかった! ハハハハハハ!」

「いえ、お気になさらずに。大変面白いお話でした」

 何かにつけ自分の事を『無能王子』と卑下するジョゼフに違和感を感じながらも、当たり障りの無い返事を返した。

 ジョゼフは、ガハハと笑いながら去っていった。

「すまなかったね、マクシミリアン王子」

「オルレアン公」

「兄上は、先のトリステインの内乱でのマクシミリアン王子の活躍を聞いてから、何かと気にかけるようになってね」

 そう言ってジョゼフの方を見た。
 ジョゼフは、エドゥアール王やアルビオンのジェームズ王達と何やら楽しそうに話していたが、その一挙手一投足に王家としての教養は感じられず、周りにいた貴族達はジョゼフの行動を卑しそうに見ていた。

「……」

 マクシミリアンは、またも違和感を感じた。まるでサーカスのピエロの様に笑われることを目的としているように思えたからだ。
 そこから導き出された一つの人物像。若い頃は『うつけ』と言われ、後に大勢力までのし上がり、天下統一まで、あと一歩まで近づいたが部下の裏切りで非業の死を遂げた、マクシミリアンが大好き男。マクシミリアンはジョゼフが若い頃の織田信長の姿にダブって見えた。

 マクシミリアンは、ジョゼフへの警戒を一段階引き上げる。
 急に黙ったマクシミリアンに、心配そうな顔をしたカトレアが話しかけてきた。

「マクシミリアンさま?」

「ああ、ごめんカトレア」

「兄上がどうかしたのかな?」

「オルレアン公。ジョゼフ王子は、いつもああいう感じなのですか?」

「四六時中……という訳ではないけどね。けど勘違いしないで欲しいな。兄上は魔法こそ使えないが、皆が言うような『無能王子』などでは無いよ」

「そうなのですか?」

「ああ、本当は兄上は凄い人なんだよ」

「……そうなんですか」

「兄上が、いつの日か認められると確信しているよ。では、僕はこの辺で……」

「はい、パーティーを楽しんで下さい」

「ありがとう、二人ともお幸せに」

 そう言ってシャルルは、貴族達の中に消えた。

 暫く二人はパーティーを愉しんでいると、会場に流れていた音楽が変わった。
 これはダンスの合図だ、貴族の、取り分け男達は貴婦人らにダンスの申し込みをし始めた。

 このパーティーの主役であるマクシミリアンとカトレアは、次から次へと挨拶に来る貴族達の相手をしていた為かヘトヘトだった。

「カトレア、いつぞやの約束を果たそうか」

 マクシミリアンは仰々しくカトレアの前に立ち、

「僕とダンスを踊ってくれませんか?」

 と言った。

「喜んで……お受けいたしますわ」

 カトレアの目が少し潤んだ。

「泣くなよ」

「ごめんなさい、でも嬉しくて」

(結婚式では泣かなかったのに)

 そんなカトレアをマクシミリアンは、ますます好きになった。

「行こうカトレア。これから、もっと幸せになろう」

「はい、マクシミリアンさま」

 カトレアは差し出されたマクシミリアンの手をとった。

 ……

 ザワッ

 マクシミリアンが、カトレアの手を引いてダンスの輪に加わると場内の雰囲気が変わった。

 二人のダンスは完璧で、他の貴族達のダンスが霞むほどだった。

「上手いなカトレア」

「マクシミリアンさまこそ、大変お上手ですわ」

 ダンスを踊る二人を、周りの人々は羨む様に眺めた。

「仲の良い事だな」

 エドゥアール王は、遠巻きに見ながら言った。

「エドワード様、私達も二人の結婚を祝って、ダンスに参加しましょうか」

 隣のマリアンヌ王妃がダンスに誘った。

「うん……そうだな、久々に踊ろうか」

 ワッ、と貴族達から驚きの声が上がった。国王夫妻がダンスに参加したからだ。

「父上!?」

「マクシミリアン。我々も混ざろう」

「マリアンヌ王妃殿下!?」

「お養母様と呼んでもいいのよ?」

 他の貴族達は、4人の見事なダンスに拍手喝采だった。
 その後もパーティーが終わるまで4人は踊り続けた。
 







                      ☆        ☆        ☆







 パーティーが終わり、新居となる新宮殿へ戻ったマクシミリアンとカトレアの二人は、ダンスによる疲労とワインの酔いでフラフラになりながらも4階の自室へ戻った。
 自室のすみには、カトレアの嫁入り用に豪華な鏡台が新しく置かれていた

「いやはや、しこたま飲まされた上に子一時間のダンスは流石に無理があった。カトレア、疲れてない?」

「すごく疲れましたけど、とても楽しいひと時でした」

「そうか、良かった」

 着替えるのも億劫だった二人は、何とか服を脱ぐと、全裸に近い姿で巨大なベッドの上に寝転んだ。
 火照った身体にひんやりとしたシーツの冷たさが気持ちいい。

「よっと」

 マクシミリアンはカトレアの側まで近づくと、カトレアのピンクブロンドの髪に触れて指の間にからめて弄んだ。

「すごく綺麗な髪だよ」

「マクシミリアンさまも……」

 カトレアもお返しとばかりに、マクシミリアンの紫色の髪に触れた。

「汗で濡れてないかな」

「気にしませんよ」

 そして二人は合図が合ったわけでもなく、自然に抱き合った。

 胸と胸が重なり合いお互いの心音が感じられた。

「この心臓のお陰で、わたしは今も生きていられるんです」

「うん」

 その後も、二人は胸と胸とを重ねあい、お互いの心臓の鼓動を確かめ合った。
 例えれば子供の事、横断歩道の白い部分を踏まないように歩く遊戯的なものだったが、二人にとっては神聖な儀式の様に感じられた。
 二つの鼓動は違うリズムを刻んでいたが、いつしか同じリズムへと変化していった。

 やがて、二人から寝息が漏れ聞こえた。
 初夜にしては色気が無かったが、仲睦まじく二人は抱き合って寝た。

 

 

第四十二話 竜の羽衣

 マクシミリアンがカトレアと結婚して1週間、カトレアは新宮殿にて家臣やメイドたちと顔合わせを済ませ、王太子妃としての生活をスタートさせた。
 カトレアは典型的な貴族の様な偉ぶった所は無く、家臣たちの評判は上々だ。
 その噂はトリスタニア市内まで届き、市民の反応も良かった。

 この日、マクシミリアンは新宮殿の敷地にあるジョウスト場で、新魔法の訓練をしていた。
 新魔法とは『クリエイト・ゴーレム』の事で、マクシミリアンが土の系統のトライアングルに進んだことから、以前までの人馬ゴーレムの更に洗練させた。材質は鉄製になり上半身はウイング・フッサー、下半身が関節部分を強化した軍馬の形をした、新・人馬ゴーレムの作り出した。
 ジョウスト場の両端には、マクシミリアンが作り出した、それぞれ1体づつ配置されていた。

「よし、チャージ!」

 マクシミリアンの号令と同時に、2体の人馬ゴーレムは土を蹴り上げ駆け出した。
 新しい人馬ゴーレムは6メイルもある長大なランスを持ち、鉄製の羽飾りをジャラジャラ鳴らしながら、2体の人馬ゴーレムは見る見るうちに近づく。
 そして、スピードに乗った2体の人馬ゴーレムは同時にランスを突き立てた。

 ドガン!

 と車と車が正面衝突したような凄い音がジョウスト場に鳴り響き、重なった状態の2体の人馬ゴーレムの胸には6メイルのランスが深々と突き刺さり、2体とも鉄の身体はひしゃげ動かなくなった。
 結果は相打ちだった。

「う~ん、改良の余地有り……かな」

 マクシミリアンは、杖を振るうと2体の人馬ゴーレムはジョウスト場の土へと戻った。

「マクシミリアンさま~」

 手を振りながらカトレアが、バスケットを持ったメイド数人を伴ってジョウスト場やって来た。

「どうしたんだ、カトレア」

「そろそろ、お昼と思って昼食をお持ちしました」

「もうそんな時間か……ありがとう、いただこうか」

 メイドたちは、ジョウスト場の隣の芝生に、何処から持ち出したのか椅子とテーブルを設置し始めた。
 流石はプロと言ったところか、瞬く間に設置しテーブルクロスを掛けて終わりだ。

「みなさん、ありがとう。さ、マクシミリアンさま」

 マクシミリアンとカトレアは席に付き、持ってきたバスケットを開いた。天気も良いので絶好のランチ日和だ。
 バスケットの中にはオムレツに羊肉のソーセージに野菜サラダにチーズ、そして白パンとワインが付いていた

「マクシミリアンさまは、オムレツが好物でしたので厨房を使わせて貰って作ってみたんです」

 どうやらオムレツはカトレアの手作りのようだ。

「カトレアの手作りか。いいね美味しそうだ」

「いただきましょう」

「いただきますか」

 マクシミリアンとカトレアは食事をはじめた。

「早速、オムレツをいただこうかな」

「感想聞かせて下さいね」

 マクシミリアンはナイフとフォークでオムレツを切り分け口に運んだ。

「……」

「どうかしら?」

(これは……オムレツというより卵焼きだ)

 カトレアの作ったオムレツは、外も中も良く火の通ったオムレツ、というより卵焼きで、外はふんわり中はトロトロな一流シェフのオムレツばかり食べてきたせいか、マクシミリアンには残念な出来に感じられた。
 だが、『愛情』という調味料が入っていると無理やり自分を納得させオムレツを一気に平らげた

「どうかしら?」

 カトレアは心配そうに感想を聞いてきた。

「まぁ、次第点かな、不味くは無かったよ」

「そう……ですか」

 しょぼーん、とカトレアが小さくなったように見えた。

「次はがんばろうよ」

「そうですね。次こそは、マクシミリアンさまを唸らせて見せますわ」

 マクシミリアンの励ましで元気になったカトレアは雪辱を誓った。

 ……

 昼食を食べ終え、二人は食後のデザートを楽しんでいた。

「そう言えばカトレア」

「何でしょう?」

「明日か明後日に、地方の視察に行くんだけど。カトレアは着いて来る?」

「着いて行きますわ」

 カトレアは即答した。

「それじゃ、そのように伝えておくよ」

「それで、何処を視察されるんですか?」

「タルブ村、って所だ。あそこはワインの産地として知られているけど。新たにブランデーっていう酒の蒸留を年明けあたりから始めたんだ。今回の視察は、これらの進み具合を見学する為の視察なんだよ」

 マクシミリアンは、ハルケギニアにおいて酒と呼べるものは、ワインとエールが主流で、他にはリキュールなどが在ったが、それほど流通していなかった。
 これに目をつけ、ブランデーやウィスキー、ビールなどを開発して新たな産業にと目論んでいた。
 何より、酒飲みのマクシミリアン自身が飲みたいと思っていた。






                      ☆        ☆        ☆






「お、おお……王太子夫妻が、このタルブ村に!?」

 タルブ村の村長は、突如降って沸いたマクシミリアンらの視察に驚きの声を上げた。

「視察というから、てっきり官僚とかその辺りが来ると思ったのに」

「あの……村長、領主様にはどの様に報告を?」

 村長が、小間使いとして使っている男が申し訳なさそうに聞いてきた

「忘れたのか? 領主様は先の内乱で反乱軍側に付き、御家を取り潰されて、今では直轄地だということを」

「そうでした」

「と、ともかく大至急、全ての家々に連絡して歓迎の準備を! 若い衆にも声を掛けるんだ!」

「わ、分かりました村長。それと王太子夫妻は、この村にお泊りになられるのですか?」

「……え、日帰りでは無いのか……何処か一泊されるに相応しい場所を探さないと。馬小屋なんかに泊めたら打ち首だぞ」

 村長は顔を青くして頭を抱えた。

「前の領主様の館が空き家になってますが」

「そこだ! 王太子夫妻が寝泊りできるように今日明日中に大掃除を!」

 こうしてタルブ村の住人総出で、王太子夫妻の歓迎準備に取り掛かった。

 ……

 マクシミリアンとカトレアは、仕事目的という事で、馬車ではなく竜籠を使ってタルブ村まで行く事になった。
 竜籠の上でも二人はイチャイチャラブラブで、回りの者達はそんな若い夫婦を微笑ましく眺めていた。

 竜籠がタルブ村上空の到着すると、マクシミリアンは驚きの声を上げた。

「なんだあれ?」

「あれは……文字ですか?」

 カトレアが言った。

「まさか、こんな歓迎の仕方とは……」

 タルブの平原には、百人を超す多くの人々が人文字で

『トリステイン万歳』

 と、なるように立っていた。
 それも、一人一人が竜籠に向かって引きつった笑顔で手を振っている

「マスゲームなんて、何処の独裁者だよ」

 マクシミリアンは苦虫を噛み潰したような顔をした。
 マクシミリアンは知らなかったが、ここ最近、マクシミリアンの名声は本人の意思とは関係なく一人歩きし、貴族をはじめ多くの人々、特に政府関係者には畏怖を持って知られた。

 とある貴族曰く。

『マクシミリアン殿下に、ご不興を買おう物なら粛清される』

『先の内乱は、殿下御自らが囮となって反乱貴族を罠に嵌めたらしい』

『赦された一部の貴族は、トリスタニアにある秘密の地下室で人格を調整され以前とは別人の様になったらしい』

 等々、悪名を全て紹介したらキリが無い。

 そうこうしている内に、マクシミリアンらを乗せた竜籠は平原に着陸すると、村長を始めとする、タルブ村のお偉方がマクシミリアンらを出迎えた。

「遠路ご足労いただきありがとうございます。タルブ村の村長にございます」

「あのような歓迎は初めて見ました。」

 当たり障りの無い返答をしておく。

「気に入って頂き恐悦し至極です」

「ですが、観光で来た訳ではありませんので。早速、ブランデー関連の視察を始めたいんですが」

「かしこまりました。馬車を用意させます」

「いや、天気も良いし歩いて行こうと思う。いいよね? カトレア」

「わたしはかまいません。それと村長さん、いつまでも、あの人たちに手を振らせ続けるのは可哀想です。帰しても良いですよね?」

 カトレアの視線の向こうには、人文字を作りながら延々と手を振り続けるタルブ村の住人が居た。

「も、申し訳ござません、直ちに!」

 村長は、若い衆を伝令として送り、下手なマスゲームは終了を迎えた。

 ……

 試験目的だったがブランデー工場は順調だった。

「数年寝かせば、商品化にこぎつけるだろう。各蔵元のみんなにはがんばってほしい」

 とタルブ村中の蔵元の従業員を激励すると、それぞれの蔵元に特別ボーナスを渡し、視察は3時間程で終了した。
 タルブ村には大小様々なワイナリーがあり、腕の良いワイン職人達が日々精進していた。
 マクシミリアンの肝いりで行われた、ブランデー作りだったが、大手のワイナリーの職人達はあまり乗り気ではなく。比較的小さな蔵元が名乗りを上げていた。
 後に小さなワイン職人数名が、ハルケギニア有数のブランデー職人となり名声を得る事になる。

 視察を終え、宿泊先のかつての領主の館に向かう途中に奇妙なオブジェを見つけた。

 マクシミリアンが見たもの、それはこのハルケギニアには明らかにミスマッチな鳥居だった。

「村長、あの建物は誰が建てたんだ?」

 村長に聞いてみると、

「あの建物は、60年以上前に『竜の羽衣』と呼ばれる空飛ぶマジックアイテムに乗って来た男が建てた、え~と、たしか『トリイ』だったと思います」

 マクシミリアンは『もしや、日本人が建てたのでは?』と思い、詳細を聞いてみることにした。

「それで、その男の人は今もご健在か?」

「残念ですが、もう何十年も前に死にました」

「そうか……すまないが村長。あの建物を見学したいのだが良いだろうか?」

「は、はい、かしこまりました。ご案内いたします」

 突然の予定変更に村長は少し戸惑ったが、それをおくびに出さず村長はマクシミリアン夫妻を先導し、鳥居のある場所へ到着した。
 道中、村長は『竜の羽衣』と呼ばれる御神体について説明して、粗方の事情は理解した。

「それで、先の寺院には『竜の羽衣』と呼ばれる物が置いてあって、寺院を建てた男が60年前に空から舞い降りたと?」

「何しろ古い話でして、私も父から聞かされて詳しい事は分かりません。口の悪い村民などは、嘘ではないかと何度も急かして、男に竜の羽衣を飛ばせようとしましたが、結局飛ぶ事はなかったそうです」

「その後、その男の人はどうなったんですか?」

 カトレアが会話に加わった。

「一部の村民からは嘘つき呼ばわりされていましたが、働き者でしたので村に溶け込み、静かに余生を過ごしたそうです」

「……」

 マクシミリアンは無言で鳥居とその奥に建てられている寺院を見ていた。
 その寺院は木製で、外観は日本の神社に良く似ていた。

「で、殿下。何か気に入らない所がおありで?」

「いや、あの神社……じゃない。寺院の中も見学してもいいかな?」

「はい、かまいません」

「ありがとう村長。行こうかカトレア」

「はい、マクシミリアンさま」

 マクシミリアンに続くようにカトレアも、鳥居を潜り寺院の中に入った。

「あっ!」

 寺院内に入ってすぐに、『ある物』がマクシミリアンの目に入り思わず驚きの声を上げた。

「どうされたんですか?」

「あれ……あの緑色のヤツ」

「変わった物ですね。鳥か何かのオブジェ、あれが竜の羽衣でしょうか?」

「いや、これは……」

 マクシミリアンは、駆ける様に鳥のオブジェに近づいた。
 それは濃緑色の飛行機で、マクシミリアンはこの飛行機に見覚えがあった。

(この飛行機、見た事ある……翼の日の丸。そう、たしかゼロ戦だっけ?)

 マクシミリアンが、ゼロ戦に手を触れると、永い間眠っていた為かヒンヤリと冷たかった。

「村長!」

「は、はい!」

 後ろに控えていた村長が、ビクリと背筋を伸ばした。

「この竜の羽衣。僕に売っては貰えないでしょうか?」

 ……

 マクシミリアンの申し出を、村長は快く承諾した。

 ……と言うよりも、断りでもしたらどんな目に合わされるか怖くて、首を縦に振ったのが真相だった。

「竜の羽衣を、マクシミリアン殿下に売ることになってしまった。事後承諾になってしまったが、この通り、 承諾して欲しい!」

 村長は、竜の羽衣に乗って来たという男の子孫の家に出向き事の説明をした。

「頭を上げてくれよ村長。正直なところ竜の羽衣なんて俺は今まで忘れていたんだ。欲しいって言うんだったら、俺は構わないぜ。良いだろ? 母ちゃん」

「あたしも構わないよ。売るっていうんだったら、王子様はいくらで買ってくれるんだい?」

 時刻は夕方になり、男の子孫の家では夕飯の支度で女房やその子供たちが忙しそうにしていた。

「いやそれが……」

「言い値で買おう」

 出入り口から、手をヒラヒラさせてマクシミリアンとカトレアが現れた。

「どちらさんで?」

「ば、馬鹿! マクシミリアン王太子殿下とカトレア王太子妃殿下だ!」

『え、えぇぇ~~~!?』

 ドドッ、とそんなに大きくない民家の中は悲鳴に近い声が上がった。

『ははぁ~~!』

 家族全員がマクシミリアンらに土下座した。何故か村長も土下座に加わっていた。

「礼はいらないから顔を上げてくれ」

 マクシミリアンの言葉で一同顔を上げた。

(ムムッ)

 家族の中にハルケギニアでは珍しい黒髪の女の子を見つけた。

(あの黒髪……本当に日本人の末裔なのか)

 『魅惑の妖精』亭のジェシカが、『タルブ村に実家がある』と言っていた事を思い出し、

(彼女も日本人の末裔だったのか)

 と勝手に納得した。

 黒髪の少女と目が合い、マクシミリアンはニコリと微笑んだ。

「さっきも言ったけど言い値で構わない」

「は、はい……でしたら10エキューで……良いよな? 母ちゃん」

 最後の部分を小声で言い、女房はコクコクと小刻みに頷いた。

「安いな、本当に良いのか?」

「税も軽くなり十分に食べて行けます。なにより殿下のお陰でございます」

「欲が無いね。それじゃ、10エキュー、少し色を付けておいたから」

「ありがとうございます」

 マクシミリアンは懐から財布を出しエキュー金貨の入った布袋を木製のテーブルの上に置いた。

「マクシミリアンさま。余り長居するのも良くないかと思いますわ」

「そうだなカトレア。そろそろお(いとま)するよ」

 とマクシミリンは言ったものの、家の中から漂ってくる懐かしい匂いに帰る足も鈍った。
 永らくハルケギニアの生活に慣れ親しんできたが、魂に刻まれた『日本人的なもの』が醤油の匂いを嗅ぎ分けたのだ。

「いい匂いがするね。どんな調味料を使っているのか教えて欲しい」

「ウチのひい爺さんが作った調味料で、我が家に代々受け継がれた物です」

「その調味料の製法。これぐらいで売ってくれないか?」

 マクシミリアンは、財布からさっきの倍のエキュー金貨を鷲掴みして布袋の隣に置いた。







                      ☆        ☆        ☆





 夜になってマクシミリアンたちは、宿舎となる前の領主の館に泊まる事になり。そこで出された地元の名物の『ヨシェナヴェ』を食べる事になった。

「とっても美味しいですね」

 カトレアは、ニコニコしてヨシェナヴェに舌鼓を打っていた。
 一方、マクシミリアンは無言のまま黙々と食べていた。

「どうされたんですか? マクシミリアンさま。口に合わなかったのですか?」

「ん? ……ああ、美味しいよ」

「?」

 首を傾げたカトレアに、マクシミリアンは別の話題を挟んだ。

「タルブのワインは気に入った?」

「わたし、ワインを余り飲まないんですけど。とっても飲みやすくて美味しかったですわ」

「良かった。それじゃ、これからも贔屓にしようか」

「はい、マクシミリアンさま」

 賑やかさを取り戻し、マクシミリアンとカトレアは夕食を楽しんだ。

 ……

 床に入ったマクシミリアンとカトレアだったが、マクシミリアンはカトレアの胸に抱きつくようにして寝ていた。

「マクシミリアンさま如何されたんですか? 夕食辺りから何か変ですよ?」

「ごめん、カトレア。この夜だけは、このままにしておいてくれないかな。明日になればいつもの僕に戻っているから」

 14歳ながら見事なプロポーションのカトレアの胸の中でそう応えるだけだった。

 マクシミリアンの異変。それはホームシックだった。

 竜の羽衣に日本人の末裔、そして醤油ベースのヨシェナヴェと食べて、日本人だった前世をはっきりと思い出したからだ。

(カトレアの前だって言うのに情けない……ああもう、クソッタレ!)

 胸の中で唸っていると、ふわりと何かがマクシミリアンの頭を撫でた。

「カトレア?」

「夫婦なんですから相談の一つもして欲しかったですけど。何があったのかは聞きません。マクシミリアンさまが眠るまで、こうやって頭を撫でてますね」

「ああ、カトレア。愛してる」

「わたしもです。ずっと前から愛していました」

 カトレアの柔らかい手が、マクシミリアンの頭を撫でる度に、日本への恋しさと心の底から沸き上がる不安が和らいだ。

「マクシミリアンさま? 眠られましたか?」

「……」

 1時間ほど頭を撫で続けていると、マクシミリアンはカトレアの胸の中で寝息を立てていた。

「寂しかったのですね。マクシミリアンさま」

 カトレアは勘の鋭い少女だ。昼間の竜の羽衣を見た当たりから。マクシミリアンの妙な反応に気付いていたし、調味料の製法を買い取った辺りでは、物珍しさではなく懐かしさで行動していたのを感じ取った。
 そして夕食のヨシェナヴェで、遂に感情のダムが決壊した事を、これもカトレアは感付いたが、何故、トリステインの王子であるマクシミリアンが、異国の物に懐かしさを感じていた事までは分からなかった。

「マクシミリアンさま……」

 日中カトレアは、マクシミリアンに原因を聞こうと思ったが、虫が知らせたのか止めて置いた。

「マクシミリアンさまはマクシミリアンさまです。原因が何であってもわたしは絶対に気にしません」

 そういって包み込むようにマクシミリアンの頭を抱き、カトレアは目を瞑った。

(何故ならわたしは、あなたの妻なのですから……)

 やがて、カトレアも寝息を立て眠りだした。 

 

第四十三話 コルベール現る

 この日、マクシミリアンは王宮に訪れエドゥアール王に面会を求めると、政務を行っている執務室まで通された。

「どうしたのだマクシミリアン」

「来月の初め辺りに、カトレアと新婚旅行に行こうと思いまして。その報告に参上しました」

「シンコンリョコウ……とは何だ?」

「結婚した二人が、更なる愛を育む事を名目に旅行する事ですよ」

「また変わった事を……まあ、よかろう。で、何処に旅行するつもりなのだ?」

「アルビオン王国を予定しております」

「アルビオン……か」

 エドゥアール王にとってはかつての故国だが、妙に歯切れが悪い。

「どうかされましたか?」

「お前の事だから掴んでいるのだろう? 現在、アルビオン王国内部で反トリステインの機運が高まっている事に」

 先年のアントワッペンの反乱の原因の一つに、アルビオン産羊毛がトリステイン産羊毛に取って代わられ、輸入していた商人が大打撃を受けた。という物だった
 当然、アルビオンの輸出産業にも大打撃を与え、しかも最近のトリステインの好景気に押され、安くて品質の良いトリステイン産が幅を利かせるようになり。アルビオンの産業は停滞し経済摩擦になっていて、食べていけなくなった農民などは田畑を捨て都市部に流入して犯罪の温床になっていた。
 止めとばかりに、トリステインの資本がアルビオンに侵食を始め、アルビオンの国力を下げていた。
 トリステインとアルビオンとの間に交わされた同盟関係も、国力の差から以前はアルビオンが主導権を握っていたが、ここ数年で逆転しアルビオン貴族達から反トリステインの機運が高まっていた。

「はい、その情報は掴んでいます。ですから今回のアルビオンへの旅行も、その辺に釘を刺す為の旅行でもあります」

「掴んでいるのなら良いが、具体的にどうやって釘を刺すつもりなのだ?」

「先日、進水したフネを使わせて下さい」

「たしか、蒸気船だったか。お前の肝いりで建造されたフネだ、好きに使うといい」

「ありがとうございます」

 トリステイン北部のヴァール川河口に建設が進められた新都市は、好景気も合わさって僅か数年で大都市に成長した。
 家臣や官僚たちは、都市の名前を考える際、マクシミリアンの名を取って『マクシミリアム』と名付けられそうになったが、マクシミリアン本人が嫌がって代わりに別の案を提供した。マクシミリアンの案とは、ヴァール川に無数建てられたダムや閘門等といった物と合わせて、『ヴァールダム』という名前で提出した。官僚たちはこれを採用し、新都市の名は『ヴァールダム』となった。

 先日、ヴァールダムの造船場で1隻のフネが進水した。
 このフネは、蒸気機関を搭載した全長50メイルほどの木造のコルベット艦で、三本マストと空中と海上で併用して使えるように艦尾にスクリューとプロペラの両方をを取り付けた。いってみれば日本の咸臨丸の艦尾にプロペラを取り付けた容姿をしていた。
 プロペラに関しては、先日マクシミリアンがタルブ村で買い取った零戦のプロペラをモデルに作成した。

 艦名は『ベルギカ号』に決定し、近代的な軍組織に改革される空軍に練習艦として編入される事になっている。

 マクシミリアンはこの新造艦でアルビオンへ向かうつもりだった。






                      ☆        ☆        ☆





 王太子夫妻がアルビオンへ外遊すると発表があり。ベルギカ号の乗組員は僅か1ヶ月程度の短い期間でまともな操船が出来るように猛訓練が命じられた。しかも、ベルギカ号は進水したばかりで艤装もされていない状態だった。

 新都市ヴァールダムにある空軍の施設のとある一室にて、見た目は風采の上がらない青年のド・ローテルは訓練計画を立てながら、過密なスケジュールに頭を悩ませていた。
 ベルギカ号の艦長に就任した、ド・ローテルはこの無茶な命令に応えなければならなかった。

「乗組員を集めて風石に石炭、食料、衣料品、あと毛布、そうだ最低限の艤装もしないと。それらを終えるのに2週間以上掛かるぞ。出航したとしても訓練期間は精々1週間……」

 ぐしぐしと紙に書いては丸めゴミ箱へ捨てる。このサイクルを何度も繰り返していた。

「足りない、とてもじゃないが足りない!」

 当初、これまでに無い全く新しい新造艦の艦長に就任したときは、これ以上無いほどの有頂天だったが、王太子夫妻の外遊にベルギカ号を使う為、乗組員を使い物にしなくてはならなくなり、今では辞表を出して田舎に引っ込みたくて仕方が無かった。

「艦長。トランプ提督がお見えです」

 守衛が報告してきた。

「入らせて貰うよ」

 ひょっこりと白髪の混じった灰色の頭が入ってきた。

「トランプ提督、助けて下さい! こんな無茶苦茶なスケジュールどうやったって無理ですよ!」

「苦労していると思ってな、お邪魔させて貰った。」

 若いド・ローテルと、いかにもベテランといったトランプ。二人の関係はいわゆる師弟関係だった。

「そう思うんだったら、何とかして下さいよ」

「心配するな。風石に石炭、その他諸々1週間以内に出航できるように手配してある」

「助かります!」

 心底助かった様子で、ド・ローテルは頭をボリボリとかいた後、何度も頭を下げた。こうして、ベルギカ号の慣熟訓練の目処は立った。
 ド・ローテルは、戦略や戦術など『いかにして勝つか』の方法を実践するのは得意だったが、デスクワークは苦手だった。
 






                      ☆        ☆        ☆






 アルビオンへの新婚旅行出発まで1週間を切ったある日の事。
 マクシミリアンは、タルブ村で買い取った零戦の状況を見るために、新宮殿の敷地内にあるラザールの工房に足を運んだ。
 ハルケギニア初の蒸気機関が開発されたラザールの工房は、中小企業の工場を連想させる2階建てのレンガ造りの建物で、8割を巨大な工房に割り当てた構造になっていた。

 マクシミリアンは工房内に入ると、作業中に煙が篭もらない様に2階部分が無い高い天井が目を惹き、工場特有の鉄と油の臭いが鼻を突いた。他にも天井まで届く長い煙突とその下に、鉄を溶かす高炉らしきものや蒸気機関を動力とする作業機械がが見えた。
 ラザールの姿はすぐに見つかった。広い作業場の中央に置かれた零戦に張り付いて、新宮殿では見ない助手らしき男と何やら作業をしていた。

「ラザール、竜の羽衣はどの位調べた?」

「……あれでもない」

「……これでもないですぞ」

 マクシミリアンはラザールに声を掛けたが、助手の男共々、一心不乱に零戦を調べていた。
 
「邪魔するのも悪いか」

 マクシミリアンは、ガラクタらしき鉄屑に腰を下ろし二人の作業を見守ることにした。

「ミスタ・コルベール。竜の羽衣が何で動いていたか分かりましたか?」

「ミルタ・ラザール。これを……」

 助手の男はコルベールという名前で、髪が戦略的撤退をし始めた風采の上がらない男だった。コルベールは側においてあったカップに杖を振ると独特の臭いのするガソリンを錬金した。コルベールは燃料タンクの中に残っていた臭いや微量のガソリンなどを研究した結果、ガソリンの錬金に成功しのだった。

「素晴らしい! これで竜の羽衣は空を飛ぶ事ができるのですね」

「そうですね、早く動かしてみましょう。楽しみですなぁ!」

 二人は、マクシミリアンが見ているのも知らず、和気あいあいと零戦の燃料タンクに錬金したガソリンを注いだ。

(コルベール? 何処かで聞いた名前だが……)

 マクシミリアンは、記憶の中から該当する名前を捻り出した。

(そうだ、たしか魔法研究所(アカデミー)の実験小隊の……でも何でここに居るんだ? 魔法学院の教師じゃなかったっけ?)

 マクシミリアンが、黙々と考えていると、コルベールがマクシミリアンが居る事にようやく気付いた。

「もしや、マクシミリアン王太子殿下なので?」

「やあ、ようやく気付いたね」

 ガラクタの上で胡坐をかき、コルベールに向かって手を挙げた。

「ミスタ・ラザール! 王太子殿下が御出でですよ!」

 コルベールの声で、マクシミリアンが来ている事にようやく気づいたラザールは、マクシミリアンを零戦の前まで導いた。

「ようこそ殿下! 見て下さい。竜の羽衣はいよいよ飛ぶことが出来ますよ!」

 ラザールは年甲斐も無オくモチャを見せびらかす子供のようにウキウキしながら、マクシミリアンにあれこれ説明を始めた。

「その話の前に、こちらの人はどちらで? 良かったら紹介して欲しい」

 コルベールの方を見てマクシミリアンは言った。

「このお方は……」

「ミルタ・ラザール。私に言わせてください」

 コルベールは、礼に則って自己紹介を始めた。

「ジャン・コルベールを申します。トリステイン魔法学院にて教師をしております」

(やっぱりそうだったのか……)

「ミスタ・コルベールは、わざわざ魔法学院から暇を見ては、ウチの工房へ足を運んで私の研究を手伝ってくれるのです」

 ラザールが細かい事を説明してくれた。

「なるほど、事情は分かったよ。二人とも、トリステインの為にその才を貸して欲しい」

「御意」

「畏まりました」

 二人はマクシミリアンに膝をついた。

 ……

「ところで竜の羽衣の解析は済んだのか?」

「はい、一度分解して、今日ようやく復元が終わり。エンジンを動かそうと思っていたところに、殿下が参られたのです」

「良いタイミングだったという事か。僕も見物させて貰おう」

 ラザールは、零戦の風防を外し自らコックピットに乗り込み操縦桿を握った。

「ミスタ・コルベール。プロペラを回して下さい」

「承知しました」

「ラザールが乗るのか?」

「左様です殿下。危ないですので、少しばかり下がっていてください」

「分かった」

「ミスタ・ラザール。準備できました」

 コルベールは魔法でプロペラを回した。

「よし、行きます!」

 ラザールは元気良く宣言したが……

「……」

「……はて?」

「動かないのか?」

 零戦のエンジンは動かなかった。

「どどど、どういう事だ? 復元を間違えたか!?」

「ミスタ・ラザール。落ち着いて」

「こうしてはいられない! もう一度分解して復元のやり直しを」

「燃料は入ってたんだよね?」

「はい、殿下。燃料もちゃんと入っています」

「何が原因なのでしょう」

「分かりません。ともかくもう一度、良く調べて見ます」

「失敗は成功の母だ。ラザール、気を落とさないように」

「もちろんです殿下。この程度で気を落とすほどヤワではありませんぞ」

「頼もしい言葉だ」

 ……

 結局、ラザールは夜通し点検に図る事になった。
 マクシミリアンはお(いとま)し、コルベールも残りたがったが、魔法学院へ戻らなければならなかった為、泣く泣く工房を後にした。

「ミスタ・コルベール。途中まで一緒に行かないか? 色々話したいことがある」

「畏まりました。僭越ながらお相手いたします」

 マクシミリアンとコルベールは、新宮殿の門まで歩く事になった。

「ミスタ・コルベール。貴方と一度話がしたかった」

「恐縮でございます」

「何故、貴方ほどの人が、魔法学院の教師に甘んじているのか。ミスタ・コルベールが良かったらエリート街道への復帰の手続きをしてもいい」

 マクシミリアンの人材センサーはビンビンに反応していて、彼を手放すつもりは無かったが、コルベールは首を横に振った。

「ありがたき申し出ですが、私はもう中央に戻るつもりはありません。無礼を承知で言わせてもらえば、もう自分の魔法で家や人々を焼くのはウンザリなんです」

「ダングルテールの一件の調べは付いている。だがあれは偽情報とはいえ命令で行った事なのだろう? 命令に基づいて行動した貴方が責任を感じる事はない」

「……」

「ロマリアと共謀したリッシュモンの責任であり。ミスタの責任じゃない。そもそも軍隊という所はそういうものでは?」

「……確かにその通りです。ですが私は自分自身を許すことが出来ないのです」

 コルベールはそう言って目を瞑った。

「ふう……そうか、ミスタの人生だ、とやかく言わないさ。過去を振り返るのも悪くは無い。けどね、過去を振り返る事と過去に囚われる事はまったく別のじゃないかな?」

「殿下……」

「僕はなるべく未来を見たい。たまに過去を振り返って後悔する事もあるだろうけどね。もっとも、後悔しても止まることはないだろうけど。どうせなら僕に、王家に責任を擦り付けて楽になった方が良いよ」

 話しているうちに二人は、門の所まで到着した。

「ミスタ・コルベール。貴方はダングルテールで一人の少女を救った事を覚えておいでか?」

「覚えています。彼女の事は故郷を燃やしてしまった事へのせめてもの罪滅ぼしでした。もっとも彼女は今でも恨んでいることでしょうが」

「その事だがな、彼女は恨んでいない。もっとも、当初は全方位に恨みを振りまいていたが、彼女は仇討ちを果たし新しい人生をスタートさせた」

「仇討ち……ですか。あの娘が」

「ミスタ・コルベール。貴方が責任を感じる必要は無い。正直言うと彼女を仇討ちへと誘導したのは僕さ、認めるよ。けどね、仇討ちを止めて延々と恨みを腹の中に飼い続けるより、スパッと仇討ちをさせて再スタートをさせたほうが良かったと思ったんだ」

 そして最後にこう付け加えた。

「もし今後、リッシュモンの縁者を名乗る者が現れて、アニエス……その娘の名前ね。そのアニエスに仇討ちを仕掛けようとすれば、その時はそういう風に誘導した僕の責任で彼女を守るよ」

「う、ふふふ……いや、これは失礼しました。それでは愛の告白ですね」

「ん……そうか? そんなつもりは無いんだが」

「殿下、結婚したばかりだと言うのにそれではいけません」

「だから、そんなつもりは無いと言っているだろうに」

 ムスッと、眉間にしわを寄せた。

「そろそろ日も暮れてきたので、失礼させていただきます」

「そうか、また来て欲しい。ラザールも同類を見つけて嬉しそうだった」

「ありがとうございます。お言葉に甘えまして、これからも顔を出したいと思っています。魔法をもっと人々の役つことに使いたい。それが私の新しい人生のテーマなのですから」

「そうか、今度来たらアニエスに会わせようか?」

「それはご勘弁下さい。彼女も新しい人生をスタートさせたと聞きました。今更、顔を合わせても気まずいだけでしょう」

「そうか」

「では、失礼いたします」

 コルベールは礼をすると、学院から乗って来た馬に跨り夕日の中を駆けて行った。

「流石は元実験小隊隊長、馬が上手いな」

「ぶふっ!」

 門を守っていた衛兵が噴き出した。

(その程度の駄洒落で噴き出すなよな)

 何とも締まらない顔で、コルベールが去った方向を見続けた。
 

 

第四十四話 白の国へ

 ヴァール川河口に建設された新都市ヴァールダムは、大規模な造船業の他にも製鉄業や製糖業でハルケギニアで指折りの都市だ。
 現在進行中の北部開発で使用する物資の集積や、そこで働く労働者のベッドタウンとしての側面もあった。
 ヴァールダムからトリステインの各主要都市への道路も整備され、その道路を行き来するヒトやモノ、そしてカネが途絶える事はない。

 潮の香りが漂うヴァールダムの船着場では、一隻のフネが煙突から黒煙を上げ出航準備に取り掛かっていた。
 このフネは、アルビオンへ新婚旅行する為に、王太子夫妻の御召し艦として利用する事になったベルギカ号だ。

「ようこそ御出でくださいました。ベルギカ号の艦長、ド・ローテルです」

「艦長、進水から今日まで無茶なスケジュールだったと聞いている。ご苦労様」

「そのお言葉で十分でございます。出航まで時間がございますので、艦内をご案内いたします」

「ありがとうございます。艦長」

 マクシミリアンの側に控えていたカトレアが礼を言った。

 マクシミリアンとカトレアは、全長50メイルほどのベルギカ号の艦内を案内され、二人が利用する部屋に入った。

 内装は豪華とは程遠く。床には敷き物は無く申し訳程度のベッドと小さなテーブルと椅子、その他家具が置いてあるだけだった。

「申し訳ございません。何分、急な通達でしたので、御召し艦として相応しい内装に出来ませんでした」

「気にする事はない。元はといえば、僕が無茶な命令を出したのが悪い。艦長はベストを尽くした。それを称える事はあっても責めたりはしない。そうだよな? カトレア」

「その通りですわ。あまりお気になされないよう」

「ありがとうございます。それでは私は出航の準備がありますので失礼させていただきます。ごゆっくりとお寛ぎ下さい」

「ありがとう艦長。少し寛いだら甲板に出てても良いかな?」

「護衛と身の回りの世話に水兵を一人付けますので、その者にお命じ下さい」

「セバスチャンやメイド数人も乗り込んでいるし、その必要は無いと思うが艦長の言う通りにするよ」

「御意」

 ド・ローテルは、一礼すると去っていった。

 ……

 マクシミリアン達が、宛がわれた船室で寛いでいると出航を知らせる鐘の音が聞こえてきた。

「マクシミリアンさま! 出航するみたいですよ。甲板まで出ましょう!」

 カトレアは、マクシミリアンの手を引いて甲板に出るように誘った。

「そうだな、行こうか」

「行きましょう、早く早く! うふふふっ」

 はしゃぐカトレアに引っ張られ、マクシミリアンたちは部屋を出た。

「セバスチャンたちも護衛よろしく」

「ウィ、殿下」

 執事のセバスチャンをはじめ、見目麗しいメイドが二人マクシミリアンたちの後に続いた。

 狭い艦内を駆け甲板に出ると潮の香りが二人の鼻をついた。
 ベルギカ号は、蒸気機関の力でスクリューを回転させゆっくりと船着場を離れた。

「すごいですわ! フネが自分で動いている!」

 カモメがニャアニャアと鳴きながらベルギカ号の周りを飛び交い、カトレアの側を飛びぬけた。

「きゃあ!」

「大丈夫か? カトレア」

「大丈夫ですわ、マクシミリアンさま。でもちょっとビックリしました」

 マクシミリアンはカトレアの腰に手を回し抱き寄せた。

「これが、マクシミリアンさまの作ったフネなんですか?」

「僕が作ったわけじゃないけど、まあ……理論を提供したのは僕かな」

 ベルギカ号は、見る見るうちに沖へと進んだ。

 カトレアは、抱き寄せられながらマクシミリアンの手を撫で、遠くなるヴァールダムを見た。

「カトレア、不安かい?」

「不安半分、好奇半分を言った所でしょうか。アルビオン王国は確か『白の国』と呼ばれていましたわよね?」

「そうそう、浮遊大陸から流れ落ちた水が、白い霧となって見える事からそう呼ばれるようになったと聞いている」

「早く見てみたいですわ」

 しばらくマクシミリアンとカトレアは甲板で行き交う海鳥を見ていた。だいぶ沖まで船は進み、連絡役の若い水夫がやって来た。

「お楽しみの中、申し訳ございません。本艦は間もなく離水いたしますので、一度部屋に戻られますようお願い申し上げます」

「分かった。行こうかカトレア」

「はい、マクシミリアンさま。水夫さんご苦労様です」

「ありがとうございます! 王太子妃殿下も大変お美しいです!」

 そう言って、平民出身の水夫はカトレアの笑みに顔を真っ赤にして去っていった。

「……」

「もしかしたら妬きました?」

「バーロー、違うわい」

「ウフフ、妬いてくれて嬉しいです。妬かれもしなかったら、とても悲しいですから」

 そう言って、カトレアはマクシミリアンの腕に手を回し、腕に当たる胸の感触がマクシミリアンの脳を直撃した。

「おいおい、人が見てる」

「うふふふ」

 人目をはばからない若い夫婦を冷やかす様に海鳥達は空を舞い続けた。





                      ☆        ☆        ☆ 





 ベルギカ号で一泊したマクシミリアンとカトレアは、朝食に最近開発され、軍隊食としてトリステイン陸空軍に支給されるようになったポークビーンズの缶詰を試してみた。

『王族が食べるには不釣合いです』

 と、ド・ローテルは最初断ったがマクシミリンたっての願いで朝食に出された。
 ポークビーンズは、普通の献立ではトマトを使うがハルケギニアではトマトは無い為、他の食材で作られる事になった。

「うん、いける。カトレアはどう? 口に合うかい?」

「美味しいですけど、ちょっと味が濃いですね」

 カトレアの口にも、そこそこ合った様だった。

「セバスチャン。ロサイス港にはいつ頃着くだろうか?」

「予定では昼前には到着するとの事でございます」

「そうか、朝食が終わったら、また甲板に出ていようかと思っている」

「では、艦長殿にはそのように報告をさせておきます」

「うん、任せた」

 マクシミリアンは、早々にポークビーンズを平らげ、ナプキンで口元を拭いた。

「マクシミリアンさま、早いですわ」

「僕は、紅茶を飲んでいるからゆっくりと食べててよ」

「そうさせていただきますわ」

 カトレアは食事を続けた。

 ……

 カトレアも食べ終わり、二人で食後の紅茶を楽しんでいると、何やら艦内全体が騒がしくなり、ついには異常を知らせる鐘の音が鳴り響いた。

「マクシミリアンさま。これは……」

「何かあったようだ」

「王太子殿下、様子を見てきますので部屋でお待ちください」

「分かったセバスチャン。頼んだよ」

 セバスチャンは一礼すると部屋を出て行った。
 室内にはマクシミリアンとカトレア、そしてカトレアのメイドの二人が残された。

「何があったのでしょう……」

「分からないが、ただ事ではなさそうだ」

 10分ほど待っていると、セバスチャンが戻ってきた。

「どうだった?」

「大艦隊が我々の行く手を塞いでいる様でございます」

「大艦隊? アルビオン艦隊か?」

「おそらくは……」

「よし、甲板まで上がる」

「マクシミリアンさま。わたしも着いて行きます」

「分かった。行こうカトレア」

 二人は部屋を出て行くと、セバスチャンとメイド二人も後に続いた。

 甲板に出た二人は、ド・ローテルの姿を探すと彼は下士官達に指示を出していた。

「艦長! 先ほどの鐘は何事か!?」

「これは殿下。艦首前方をご覧下さい」

「あれは……」

 ベルギカ号の行く手には、大小合わせて100隻を越すアルビオン王国自慢の大艦隊が浮遊していた。

「すごい数ですね……」

「艦長、あの大艦隊の中、一際目を惹く巨艦。たしか『ロイヤル・ソヴリン号』だったな?」

「その通りにございます。ハルケギニア広しといえども、200メイルを越すあれほどの巨艦。まさしくロイヤル・ソヴリンに相違ないかと」

「雰囲気からして表面上は歓迎の形を取っているが、その本音は……」

「王太子殿下に対し、アルビオンの武威を示そうとしているのでしょう」

「やはりな……」

 マクシミリアンはニヤリと笑った。
 最近のトリステインとアルビオンの関係からして、

『血の気の多い貴族連中ならやりかねない』

 とある程度読んでいた。

 もっともアルビオン王国全体の姿勢とまでは思っていなかったが。

「艦長。『もし』……そう、もしロイヤル・ソヴリン号と一戦交えるとしたらどう戦う?」

「それは……」

 ド・ローレルは、あごに指を当て少し考え、そして……

「あの巨艦といえども所詮は木造です。火の魔法か、もしくは……」

 ド・ローレルは甲板に設置してある、とある装置に目を向けた。

「ロイヤル・ソヴリン号は見た目は大きくとても恐ろしく感じますが所詮は鈍足な帆走戦列艦。大砲の射程も短く既存の戦列艦では数を用意しないと攻略は難しいでしょう。しかし我がベルギカ号ならば、水蒸気機関の快速を生かして射程内に入らないよう翻弄し、本艦最大の牙である多弾装ロケット砲で敵の射程外から攻撃し続ければ、あの木造艦は良く燃えることでしょう」

「では竜巣艦からの竜騎兵が、ガッチリとロイヤル・ソヴリン号を守っていた場合はどうする?」

「その場合はお手上げです尻尾巻いて逃げます。あくまで艦と艦の一騎打ちという戦場では滅多にない状況での事ですので」

「そうか……」

 マクシミリアンとド・ローテルは、向かい合って苦笑いを浮かべた。

「あの、この状況、どうするつもりなんですか?」

 蚊帳の外だったカトレアが心配そうに言った。

「どうもしないよ、カトレア。敵はあくまで威圧のみだ。攻撃なんてしてこないよ。一発でも大砲を撃とう物ならそれこそ戦争だ。『一発だけなら誤射かもしれない』なんて寝言通じないよ」

「ですが、先ほど尻尾を巻いて逃げると艦長が……」

「王太子妃殿下。この状況でその様な戦闘状態に陥れば、アルビオン王国は全世界に恥をさらすことになります。国賓である王族を寄って集って攻撃するような国など、どの国も国交を結ぼうとは思わないでしょう? それどころか世界を敵に回しかねません」

「そういう事だカトレア。安心したかい?」

「はい、でもやっぱり怖いです」

「僕なんかワクワクするけどね」

「でしたら王太子妃殿下は部屋にお戻りになられたほうが……」

「そうだな、セバスチャン。カトレアを頼む」

「ウィ、殿下」

 カトレアはセバスチャンとメイドらに伴われ自室へ戻っていった。

「せっかく、アルビオン大陸に掛かる霧を、一緒に見られると思ったのに」

「心中、お察しいたします」

「ありがとう。でも、このままやられっぱなしなのは性にあわない」

「王太子殿下には、何やら秘策が御有りのようですが」

「艦長、知ってのとおり僕がアルビオンに来た理由は、表向きは新婚旅行だが、本当の理由はアルビオンに対し釘を刺すことだ。この様な真似を二度としないように、ね」

 そう言ってマクシミリアンはマストの天辺に付いている旗を見た。

「風が変わったようだ。ベルギカ号からは向かい風だな」

 呟くように言い、そして……

「艦長! ここは一つ、アルビオン艦隊の度肝を抜いてやるとしよう。風に逆らい全速力でアルビオン艦隊のど真ん中を突っ切る。出来るな?」

「もちろんにございます。あの連中の驚く顔が目に浮かびます。機関室に連絡、最大戦速だ!」

 ド・ローテルは不敵に笑い、下士官に命令を出した。







                      ☆        ☆        ☆






 アルビオン王立空軍に所属する64門戦列艦アガメムノン号の副長ヘンリ・ボーウッドは不審な報告を受けた。トリステインのフネから大量の黒煙が出たと報告が上がったのだ。

「火事を起こしたのか?」

「現在調査中ですが、そうとしか見えませんでした」

「分かった。下がってよい」

 報告を持ってきた水夫は、敬礼をして去っていった。

「艦長に報告しないと」

 ボーウッドは、最近トリステインから輸入されるようになった紙に報告内容を書き写し艦長室へと向かうべく甲板に上がった。

「これは艦長。甲板に出ておりましたか」

 艦長室へ向かう途中、アガメムノン艦長のネルトンは甲板から身を乗り出し黒煙を上げて進むベルギカ号を見ていた。

「ボーウッド、あれを見ろ」

 ボーウッドの方を見ずにベルギカ号を指差した。

「トリステインのフネですね。黒煙が上がっていると報告に上がろうと艦長室に向かう途中でした」

「手間が省けたな。それよりも……」

 ネルトン艦長は、ようやくボーウッドの方を顔を向けた。

「あのフネ、風に逆らって進んでいる」

「えっ!?」

 ボーウッドは思わず声を上げた。
 ネルトンの言うとおり、ベルギカ号は向かい風の中、アルビオン艦隊に向け進み続けていた。しかもかなり速い。

「本当だ、一体どうやって……」

「風魔法で進んでいる訳でもなさそうだ」

 風に逆らって進むベルギカ号に、アガメムノン号を始めアルビオン艦隊の各艦艇からも驚きの声が上がっていた。

『何がどうなっているのだ!?』

『魔法だろうよ。そうでないと説明がつかない』

『マストを見てみろ帆が張ってないぞ』

『それじゃ、どうやって進んでいるんだ?』

 アルビオン艦隊のど真ん中を、黒煙を上げて進むベルギカ号をアルビオン艦隊の全将兵は固唾を呑んで見守っていた。マクシミリアンの狙い通りアルビオン艦隊の度肝を抜く事に成功した。

「マクシミリアン賢王子、そしてトリステイン王国、侮ってはいかんと言う訳でしょうか」

「ボーウッド。後であのフネの秘密を聞きに言ったら教えてくれるだろうか?」

「艦長、それは無理でしょう」

「う~ん、俺も乗ってみたいな、あのフネ」

 ネルトンは、既存のフネとは違う全く新しいフネに興味心身だ。

「トリステイン王国に、我がアルビオン空軍の武威を示すつもりが。トリステインの最新鋭のフネにいい所を持って行かれてしまいました」

「そもそも、俺はこんな計画など大反対だったのだ。第一、やる事がせせこましいではないか」

「空軍卿(空軍大臣)自ら、計画を立てたそうですね」

「あの老人は、羊毛の商いで大損をしたからな。トリステインへの恨みも大きい」

「それは、逆恨みでしょう」

「まったくだ」

 ベルギカ号はアルビオン艦隊を突っ切ると無事ロサイス港に寄港し、マクシミリアンとカトレアの新婚旅行はこうして幕を開けた。

 

 

第四十五話 新婚旅行

 アルビオン王国に到着したマクシミリアンとカトレアは、アルビオン各地を歴訪しながら王都のロンディニウムを目指した。

 ロサイス港に停泊したベルギカ号の周辺には、機密漏えいを防ぐ為、諜報部を始めとする厳重な警備体制が敷かれ、使い魔一匹侵入する余地は無い。

 ロンディニウムへ向かう道中、用意された馬車の中でマクシミリアンは農地を眺めていた。

「マクシミリアンさま、何か気になることがおありで?」

「農地を見ていた。このアルビオン大陸は浮遊大陸という環境の為か、麦の背が低く余り育ちが良くないようだ」

「まあ、それでは農民の人たちは苦労している事でしょう」

「食糧事情も悪いようだ。まあ、そのお陰でアルビオンへの食料品輸出で、僕達のトリステインが潤うんだけどね」

「何とかならないんでしょうか。トリステインが支援か何か出来るように」

「悲しいけど、それは難しいな。僕と結婚した事でカトレアも王族に成ったんだ。僕達を養ってくれる国民の為にもなるべくトリステインの利益のなる様な事をすべきでは?」

「それでは、あまりにも……」

「ひどいと思うかい?」

「はい……マクシミリアンさま、どうにかならないんですか?」

「その国の民が苦しんでいるのは、その国の為政者の責任だ。僕達が、『これこれ、これが良い』と口を出せば、一部の者は有り難がるだろうが、そんなの全員じゃない。それを恥と思って僕達を恨む者が出るだろう。そして、なにより内政干渉になる」

「……はい」

「カトレアの、民を想う気持ちは万国共通と言ったところか……おいでカトレア」

 カトレアを抱き寄せ、柔らかい唇を吸った。

「優しいなカトレアは、そんな所も僕は大好きだ」

「マクシミリアンさま……」

 カトレアは、うっとりしながらマクシミリアンに、もたれ掛かった。

 そんなカトレアの頭を愛おしそうに撫でた。だが、その心中はと言うと……

(かつてのトリステインほどではないけど、アルビオンの貴族も大概の様だ。これらの内政の不備を放置し続けてくれれば、その分、トリステインのお得意様であり続ける……まあ、虫のいい話だがね)

 ちょっと黒い事を考えつつ、カトレアの体温を感じていた。







                      ☆        ☆        ☆






 王都ロンディニウムに到着したマクシミリアン一行は、アルビオン王ジェームズ1世に手厚く歓迎を受けた。

 ジェームズ王は、トリステイン王太子夫婦を自室へ招きアルビオン王としての威厳をたっぶり漂わせ、アルビオン製の紅茶と菓子を振舞った。

「マクシミリアン王子。遠路遥々ご苦労であった。我がアルビオン自慢の紅茶を堪能して欲しい」

「ありがとうございます、ジェームス陛下。大変、美味しいです」

「お菓子も、甘くてとても美味しいですわ」

 マクシミリアンとカトレアは、気に入ったようだった。
 ジェームス王と若い夫婦との間は、和やかな雰囲気になり会話も大いに弾んだ。だが、先の『盛大なお出迎え』の話題になるとジェームズ王は神妙な顔になった。

「王子、先日の、我がアルビオン空軍の無礼、この場を借りてお詫びしたい。申し訳なかった」

 そう言って頭を下げた。

「陛下、頭をお上げください」

「しかし、この無礼、捨て置くわけには行かない。早速、先の計画を立てた空軍卿を解任させたいと思う」

「最近、トリステインとアルビオンとの関係がギクシャクしている事を考えますと、もし解任された、アルビオン貴族内の反トリステインが一気に燃え上がりかねません。僕としてはそれは避けたい」

「王子はそれで良いかも知れぬが、それでは、示しがつかぬ」

「栄光あるアルビオン空軍に、汚点を残すような真似は、僕としても避けたいのです。アルビオン空軍はトリステイン空軍の目標ですから」

「……王子がそこまで言うのならば分かった。今回は訓告のみで済ませることにしよう」

「ありがとうございます」

 マクシミリアンは頭を下げた。

 ……実はこの話には裏がある。
 旅立ちの前に、諜報部に命じてアルビオン王国の各閣僚の情報を調べさせていたのだ。
 その情報によれば、空軍卿はハッキリ言えば無能で、政敵になりそうな者を蹴落としたり旧態依然とした人材を周辺に置いたりと、自分の権威の強化に腐心していた。
 現在、トリステイン空軍は再編の真っ最中である。優秀な人材なら平民でも艦長になれるよう取り計らったし、既存の戦列艦やフリゲート艦、その他の補助艦には、蒸気機関を取り付ける為に随時ドック入りし、昼夜問わず改装が行われていた。
 同盟関係とはいえ、ただでさえ強力なアルビオン空軍とトリステイン空軍とでは、艦艇の数に差がありすぎる。

 数の差を性能で補う為に、今回の空軍卿の解任を阻止したのは時間稼ぎの部分が大きい。

(器が小さいと言わば言え。トリステインの為なら、どんなセコイ事だってするさ)

 とマクシミリアンは開き直った。

 空軍卿は、マクシミリアンとジェームズ王の計らいで罪に問われる事はなかった。

 同盟関係とは、利害が一致した国と国が一時的に手を組んだ関係でしかなく、永遠に続くものではない。

 マクシミリアンにとって同盟国アルビオンですら仮想敵だった。

 ……

 ロンディニウムに到着したその日の夜。ジェームズ王は盛大な歓迎パーティーを催した。

 もちろん主役はマクシミリアンとカトレアだった。
 アルビオン貴族から発せられる、敵意の眼差し無視してカトレアとパーティーを楽しむつもりだったが、思わぬ人物の登場にその計画は脆くも崩れ去った。

「マクシミリアン殿! お聞きしたい事があります!」」

「これはウェールズ王子」

 ジェームズ王の息子のウェールズ皇太子が、マクシミリアンの事をまるで物語の中から現れた人物の様に偶像化させ、マクシミリアンの側から離れなかった。
 ウェールズはこの時、小学校低学年くらいの年齢で、妹のアンリエッタと大して年が変わらなかった。

「先の戦乱において、マクシミリアン殿の指揮する軍勢は電光石火の用兵で、並み居る反乱軍を蹴散らしたと聞きましたが、その時はどの様な事を考えていたのですか?」

「それはですね……」

 色々と尾ひれが付いて、どういう訳かマクシミリアンが指揮していた事になっていた。

「それとですね! ああ! せっかくお会いできたのに、聞きたいことが多すぎるっ!」

 ウェールズは、『嬉しさを抑えきれない』といった風に自慢の金髪をかき混ぜた。

「ウェールズ王子、時間はまだありますよ。落ち着いて」

「はい! ありがとうございます!」

「カトレア。そういう訳だから何処かで時間を……あれ?」

 マクシミリアンはカトレアの姿を探すと、離れた場所でカトレアは緑色の髪の少女をおしゃべりをしていた。

(そう言えばカトレアの同年代の友人の話は聞かないな)

 そう思い出して。楽しそうに語らうカトレアを温かく見守る事にした。

「あの! マクシミリアン殿!」

「ああ、ごめん。ウェールズ王子」

「実はお願いがあります!」

「僕に出来る事ならば良いけど」

「その……」

「……?」

「兄上と呼んで良いですか?」

「……へ?」

 素っ頓狂な声で、マクシミリアンは聞き返した。

「その、従兄弟同士ですし、僕には兄弟がいませんし、良いかな? と思ったんです」

「ああ、そういう事……うん、分かった。それじゃ僕もウェールズを呼んでも良いかな?」

「はい! もちろんです兄上!」

 そういう訳で、ウェールズはマクシミリアンの事を兄上と呼ぶようになった。

 その後も、ウェールズの相手をし続けたマクシミリアン。ウェールズは夜も遅いという事で引き上げてしまった。

 ようやく、解放されパーティー会場を見渡すと、周りの貴族達はマクシミリアンと一定の距離を取っていて中々近づいてこなかった。
 その周囲の空気を全く読まず、二人の男がマクシミリアンに近づいてきた。

「こんばんは! マクシミリアン王太子殿下!」

「こんばんは、初めてお会いしますよね?」

「これは、失礼しました! アルビオン空軍所属、戦列艦アガメムノン号艦長のホレイショ・ネルトンと申します。以後お見知りおきを」

「その副官のヘンリーボーウッドです」

「……よろしく」

 マクシミリアンは、先日の『盛大な出迎え』に関係していて、自分にケンカを売って来たと予想した。

「単刀直入に申し上げます、王太子殿下。あの煙を上げて進むフネに、一度で良いですから乗せて欲しいのです!」

 ……が、その予想は外れた。

「え~っと」

「是非、乗せて下さい。お願いします!」

 マクシミリアンは、自分の両手を握って迫るネルトンに、一瞬たじろいだ。

「ダメ」

 が、一言で突っぱねた。

「何故ですか! 嫌ですよ乗せて下さい」

「嫌って何だよ嫌って」

「一度で良いんです! ほんのちょっと!」

「機密なんだからダメ」

「艦長、いい加減に諦めましょうよ。これ以上は、外交問題になりかねません」

「うううう」

「ミスタ・ネルトン。どうしても乗りかかったらトリステインに鞍替えしますか? それなら乗れるようになります」

「むむ……それは」

 流石にネルトンは躊躇した。

「そちらの、ミスタ・ボーウッドもどうでしょう? 我がトリステイン王国は、優秀な人材を随時募集しています。国内外から老若男女、貴賎を問わず、ね」

「貴賎を問わず?」

「そうです、ミスタ・ボーウッド。優秀ならば平民でも艦長になれますよ」

「ううむ、どうしようか」

「ちょっ、艦長! マクシミリアン殿下、大変失礼しました。我々はこれで……」

 ボーウッドは、傾きかけたネルトンを羽交い絞めにして、マクシミリアンの前から去っていった。

「……もうちょっと、突っ込めば良かったかな?」

 優秀な人材を引き抜くことに失敗したマクシミリアンだったが、それほど気にしてなさそうだった。

 ……

 台風一過、人ごみから離れ、一人でアルビオンワインを傾けていると、カトレアと緑色の髪の少女が近寄ってきた。

「楽しんでるようだね、カトレア」

「マクシミリアンさま。ご紹介しますわ。こちら、サウスゴータ家の令嬢、マチルダ・オブ・サウスゴータさんです」

「ご紹介を賜りました、マチルダ・オブ・サウスゴータです。賢王子と名高いマクシミリアン殿下とお会いすることが出来て、大変、光栄です」

 マチルダは恭しく頭を下げた。

「よろしく、ミス・サウスゴータ。これからもカトレアと仲良くしてやってください」

「はい」

「マチルダさんとは、ファッション等、アルビオンで流行っている物を教えてただきましたわ」

「そうか、ありがとうミス・サウスゴータ」

「恐縮でございます。マクシミリアン殿下もカトレア様も、機会がありましたらシティ・オブ・サウスゴータへ是非お越しください」

「ありがとうございます、マチルダさん」

「たしか、この旅行の終盤にモード大公の領地に立ち寄るから、その時に寄らせてもらおう」

「まあ、そうでしたの。それじゃ、マチルダさん、お邪魔させていただこうかしら」

「お待ちしております」

 3人の談笑はパーティーが終わるまで続いた。

 

 

第四十六話 月に一番近い場所

 新婚旅行のスケジュールも順調に消化し、マクシミリアン一行は、最後の訪問地であるモード大公の領地に行く前に、シティ・オブ・サウスゴータに立ち寄った。

 始祖ブリミルが、アルビオン大陸の土を初めて踏んだ地が、このシティ・オブ・サウスゴータだと伝承にはある。

 先日の約束を果たす為か、マチルダはシティ・オブ・サウスゴータの案内を自ら買って出て、カトレアと市内の観光を楽しんでいた。
 一方、マクシミリアンは政務としてサウスゴータ家の屋敷に訪問した。
 用向きは、シティ・オブ・サウスゴータの近くにある山脈を地質調査する為の訪問だった。
 会談は一応は成功。鉄鉱山が眠っていることが分かり、採掘にも、一口かませてもらえる様になった。

 その後、アルビオン国内で、冷や飯を食らっていた優秀な人材のヘッドハンティングをした。
 職種は様々で、元アルビオン空軍の平民の下士官や、銃職人、元詐欺師といった者までも、マクシミリアンの誘いに応じた。

『トリステインは、平民でも出世できる』

 最近良く比較されるようになったトリステインとゲルマニアとの違いは、ゲルマニアは平民でも金さえ払えば貴族に成れるが、その恩恵に与る事が出来るのは、あくまで成功者のみで、能力があっても金の無い平民は対象外だった。この噂を聞きつけ、アルビオンのみならず、ガリア、ロマリア、そしてゲルマニアからトリステインで一旗揚げようと平民が押しかけてきた。
 当然、入国した人々の中には、ろくでもない者もいたし、弱い者を食い物にして利益を得ようとした下種野郎どもは、貴賎を問わず平等に土の中に埋まって貰った。

 ……

 シティ・オブ・サウスゴータを観光するカトレアは、マチルダに案内されるように市内を散策していた。

「シティ・オブ・サウスゴータは、始祖ブリミルがアルビオン大陸に最初に降り立った都市として知られています」

 マチルダは、カトレアにシティ・オブ・サウスゴータの説明した。

「アルビオン有数の大都市と聞いてますが、何処かのどかな雰囲気ですね」

 カトレアも、異国の街での散策を楽しんでいるようだった。

「カトレア妃殿下も、大変喜んでおられるようで、良かったわ」

「そうかしら? 私にはそういう風には見えないわ」

 カトレアたちの後ろには、二人のメイドが付き従っていた。
 前者の髪の長いメイドをベティ。後者の髪の短いメイドをフランカという名前で、このメイドたちは、王太子妃専用のメイドで、数ヶ月ほどコマンド隊に入隊して徹底的に訓練し、『場違いな工芸品』の携帯を許可され、『コルト・ガバメント』の名で知られるM1911自動拳銃を一丁ずつ長いスカートの裏に隠し持っており、場合によってはMG42汎用機関銃を振り回すトリステイン最強のメイドコンビだ。

 髪の短いフランカの言うとおり、カトレアは観光を楽しみながらも、心の奥底は沈んでいた。
 愛するマクシミリアンが、側に居ない事も原因の一つだが、先日のやり取りでマクシミリアンがアルビオンの内情に冷淡だったことにショックを受けたのだった。
 自分を救ってくれたマクシミリアンが、きっとハルケギニア全体をも救うと思っていたが、彼の優しさは、トリステインにのみ注がれる事を知り、それがとても悲しかった。内政干渉の問題で、トリステインは何も出来ないのは、カトレアも分かっていた。ならば、内政干渉せずに救う方法は無いか、カトレアは頭を捻らせていた。

「いい雰囲気のカッフェね」

「休んでいかれますか?」

「そうさせてもらいますわ」

 途中、良い雰囲気のカッフェを見つけ二人は、アルビオン自慢の紅茶を楽しんだ。
 これが気晴らしになったのか、マクシミリアンと合流する頃には、カトレアの沈んだ心も表面上だが元に戻っていた。







                      ☆        ☆        ☆





 

 シティ・オブ・サウスゴータでの観光を終えたマクシミリアン一行は、最後の宿泊地であるモード大公の城に到着した。
 モード大公の城で、まず目に付くのは、西、中央、東の3方向に聳え立つ3本の高い塔で、城下ではこの城の事を『塔の城』をいう異名で呼ばれていた。

「高い塔ですね」

「そうだな、何メイルぐらいあるかな~?」

 馬車は城門をくぐり、場内へと入っていった。

「良く来てくれたマクシミリアン殿」

「お初にお目にかかります叔父上。妻のカトレア共々、お世話になります」

「お世話になります」

 モード大公自ら、マクシミリアンらを出迎えた。

「一晩だけだが、自分の城を思ってゆっくりして欲しい」

「ありがとうございます。早速ですが、あの塔に登ってみたいのですが」

「んむう……そうだな。三つある塔の内、東側の塔には登らないと約束するなら許可しましょう」

「? ……分かりました。その様にします」

「それでは、部屋に案内させしょう。連日のパーティーで疲れているでしょうが、我が城においても歓迎パーティーを執り行う事になっています」

 マクシミリアンとカトレアは、城のメイドに案内され、宛がわれた部屋に入った。
 何故、東側の塔は立ち入りを禁じられているのか気になったが、この城のルールだと判断し、特に気にも留めなかった。

 連日のパーティーで疲れた二人は、メイドたちに『パーティーが始まるまでまで休む』と言い残し部屋の中へと消えた。

「こう毎日、歓迎パーティーばかりだと、心休まる時が無いよ」

「これも王族の役目……と言っていたのは、マクシミリアンさまですわ」

「そうだったかな」

「そうですよ」

「あはは」

「うふふ」

 二人は、天蓋付きキングサイズのベッドに横になった。

「あ~……いい気持ちだ」

 仕事帰りに馬車に揺られ、ようやく一息つけたマクシミリアンだったが、カトレアは、くつろぐ夫の姿に可笑しそうに手を口に当てて笑った。

「うふふ……まるで、お年寄りみたい」

「おいおい、そりゃないよ」

 マクシミリアンは、口を膨らませた。

「パーティーまで、時間もありますし、少しお眠りになられますか?」

「ん……そうだな、そうしようかな」

「添い寝してあげますね」

「お願いしようかな」

「マクシミリアンさま、おやすみなさい」

「ああ、お休みカトレア」

 こうして、マクシミリアンはカトレアに添い寝される事になった。

 ……

 一休みした二人はパーティーに予定通り参加し、程なくパーティーは終了した。

 ロンディニウムのパーティーで、カトレアと友達になったマチルダも参加して盛大に執り行われた。

 このパーティーでは、モード大公が気を利かせたのか、反トリステイン色の強い貴族は参加せずマクシミリアンは親トリステイン派の貴族と親睦を深める事が出来た。

 時刻は、もう深夜だがマクシミリアンたちは、昼寝をした為それほど眠くない。日中、塔に登る約束をしていたし、なにより双月が綺麗だった。

 マクシミリアンが昇ったのは、中央の塔で、アルビオンワインの瓶とグラスを二つ持ち、深夜の探検と洒落込もうも思った。

「こういう、深夜の探検も面白そうですね」

 カトレアは、わくわくしながら、マクシミリアンの後に続いた。

 塔の入り口には誰のいなかった。無用心に思いつつマクシミリアンが中に入ると、中は何も無く石造りの壁に沿って螺旋状の階段があるだけだった。

「中は、ガランドウだ」

「誰もいないなんて無用心ですね」

「歓迎パーティーで衛兵達にも、何かご馳走が振舞われていた様だったし……誰にも邪魔されずに、二人っきりなれるから別に良いだろ?」

「もう、マクシミリアンさまったら」

 カトレアも満更でもなさそうだった。

「ちょっと暗いな、『ライト』」

 塔内部は、申し訳程度の魔法のランプしか明かり無く、マクシミリアンはライトの魔法を唱え、螺旋状の階段の上っていった。

 階段を上り続けること十数分、二人はようやく最上階にたどり着いた。

「ふう、ふう……運動不足かな」

 マクシミリアンは息切れしながら、ようやく上りきった。
 最上階はちょっとした展望室の様になっていて、空一杯に双月と無数の星々がまるで二人に降って来る様だった。

「マクシミリアンさま! すごいですよ、今にも星も月も手に届きそうで!」

 一方、カトレアは息切れ一つせず、星空の下、両手を広げてくるくると回っていた。

「……ああ、とっても綺麗だ」

 月と星と愛する妻が、同時に目に飛び込んできて、マクシミリアンは言葉を失い、思わずくるくると回るカトレアを抱きとめ、その唇を奪った。

「ん……わたし、アルビオンに来て良かったです」

「喜んでもらえて嬉しいよ」

「聞いて下さいマクシミリアンさま、実は今日……」

「なんだい?」

 二人は、備え付けられたベンチに座り、持ってきたワイングラスを傾け、新婚旅行の思い出を語り合った。

 ちなみに、執事のセバスチャンとベティとフランカのメイドコンビは、西側の塔から二人に危害を加える者が無いように、MG42を固定させ目を光らせていた。役割はベティが射手フランカが給弾手、セバスチャンは周囲の警戒を担当していた。

「あんなに仲睦まじそうに……」

「私も彼氏欲しいな……」

「……」

 年頃の女の子らしく、二人は羨んでいた。一方のセバスチャンは、任務に忠実で黙ったまま周囲の警戒を行っていた。

 そうとも知らず、ワインとおしゃべりを楽しむマクシミリアンとカトレアだった。

 ……

 一時間ほど経ち、マクシミリアンとカトレアは、ベンチに座り夜空を眺め続けていた。

「カトレアは……さ」

「はい」

「あの星々の中に、僕たちの様に人間が、生命がいる星があると思う?」

「……あると思います」

「それはどうして?」

「わたし達が、こうしてここに居るんですもの。わたし達だけしか、この世界に居ない……なんて事は無いと思います」

「そうか……そう言ってくれるか。カトレア、実は……」

 マクシミリアンは、これまで何度も自分の正体について打ち明けようか迷ったが、打ち明けることが出来なかった。カトレアなら自分を受け入れてくれる決心し、新婚旅行の最後の訪問地で、ついに正体を明かそうと計画し実行しようとした……しかし。

「マクシミリアンさま」

「ん?」

 珍しくカトレアはマクシミリアンを遮った。

「マクシミリアンさまはトリステイン王国の王子様で、わたしの愛する御方です。」

「カトレア……」

「わたしも気にはなっていました。でも、そんな事はどうでもよくなったんです」

「それは何故?」

「貴方が何処から来たとしても関係無い。マクシミリアンさまに、初めて恋をした時の感情は嘘じゃない……愛する感情は嘘じゃない、そういう結論に行き着いたんです」

「そうか、うん……」

 マクシミリアンは一度深呼吸して気持ちを入れ替える。

「マクシミリアンさま……」

「なんでもないよ」

「でも、これで、本当の夫婦に成れたんですね」

「ああ、そうだな、これで夫婦に成れたんだな。愛してるカトレア。君で良かった」

「わたしも、愛しています」

 ……

 もうしばらく二人は夜空を観賞していた。するとマクシミリアンが、地球のジャズのとあるスタンダードナンバーを歌い始めた。新世紀に人造人間に乗って戦うTV版のED曲の超大御所Verだ。

「聴いた事のない歌ですね」

「あの、無数の星々の中にある、何処かの星の歌さ」

「素敵な歌です」

「あの月へは行く事は無理だけど、ここは月に一番近い場所だよ」

「マクシミリアンさま……」

 カトレアはうっとりと目を潤ませ、マクシミリアンにもたれ掛った。

 歌い終わっても、二人は部屋に戻ろうとしない。地球で言う午前二時は当に過ぎていた。

 この夜空の下、行為に及ぶのも悪くない……と、舌を絡めあう深い方のキスをした。

 そして、お互い高まりあい、行為に及ぼう……とした時、不意に気配を感じた。

「誰だっ!」

『ひぃ!』

 マクシミリアンが、気配の方へ怒鳴りつけると、可愛い悲鳴が聞こえた。

(……糞っ! またかよ!)

 せっかくの美味しい所を邪魔され、マクシミリアンが毒気付く。

「もう! マクシミリアンさま、びっくりしましたわ」

「悪かったよ、怒鳴って」

「先ほどの声、女の子の声でしたわ」

「ひん……ひん……」

 階段の方向からすすり泣く声が聞こえる。

「こんな夜中に……」

「大丈夫よ。怖くないから出てきて?」

 カトレアが優しい声で、女の子と思しき影のある階段の方向と語りかけた。

「……」

 階段の向こうから息を飲む気配を感じた。
 そして、薄っすらと少女のシルエットが現れた。

「どこの子だろう? ……ん? んん~?」

 頭の部分のシルエットが、普通の人間とは違う事に気付いた。

(あの尖がった耳……まさか)

「あら、あの耳」

 カトレアも気付いたようだった。

「……エルフ、か?」

 少女の耳は、エルフの様に尖っていた。
 

 

第四十七話 ハーフエルフの少女

 ……時間は少し遡る。

 城の者は、上るどころか近づく事すら許されない、東の塔。
 その東の塔の隠し部屋にて、何処からとも無く流れてきた歌声に、少女が目を覚ましたのは、城の誰もが寝静まった時刻だった。

 少女はむくりと起き上がり、何処からとも無く聞こえてくる歌声がとても気になった。

「変わった歌。どこで歌ってるんだろう……」

 この不思議な歌を側で聞いてみたい……少女は思ったが、隣のベッドで寝息を立てている母の言いつけを思い出した。

『いい? ティファニア。何があっても、この塔から出てはいけないわよ?』

 母が口を酸っぱくして、少女改めティファニアに言い聞かせていた。
 ティファニアは、親の躾が行き届いているのか、聞き分けの良い少女だったが、聞いた事の無い不思議な歌声に、好奇心が勝ってしまった。

 隣で寝る母に『ごめんなさい』と謝るとベッドから降りて窓を開けると、歌声は隣の塔から聞こえていた事に気付いた。
 ティファニアは、恐る恐る、部屋から出ようとドアを開けた。
 隠し部屋であるため、衛兵の類はいない。

(今なら、みんな寝てて、誰にも気付かれないかもしれない)

 ティファニアは、意を決して歌声の聞こえる中央の塔へと走り出した。

 自分の存在が、異端であることも知らずに……






                      ☆        ☆        ☆






 ……時間は、マクシミリアンとカトレアが、エルフと思しき少女ティファニアと遭遇した所まで戻る。

「エルフ……か?」

 戸惑うマクシミリアン。

「……ひう……ひう」

「大丈夫よ、怖くないから……」」

 一方、怯えるティファニアに、カトレアは優しい言葉を掛けた。

「カトレア。エルフかもしれないんだぞ?」

「でも、怯えていますわ。それにこんな子供が脅威とお思いですか?」

「それは、まあ……そうだな」

 カトレアに説得され、マクシミリアンもティファニアへの態度を軟化させた。

「キミ、名前は何ていうのかい?」

「大丈夫よ、このお兄さんも怖くないから……」

「……ティファニア」

「そう、良い名前ね、ティファニア」

「あ……えへへ」

 その場の雰囲気も良くなり、ティファニアに笑顔が戻った。

「ほら、危険なんて無かったでしょ? マクシミリアンさま」

「分かった分かった。悪かったよ、カトレア」

 階段付近に隠れていたティファニアは、マクシミリアン達に近づこうとしたその時、西側の塔から殺気が放たれた。

「!」

 マクシミリアンの背中、チリリと電気の様なものが走った。
 カトレアとティファニアは気付かなかったが、マクシミリアンはその殺気がティファニアに向けられている事に気付いた。
 瞬間、マクシミリアンらの上空に照明弾が放たれた。

「危ない!」

 マクシミリアンのエア・シールドと、西の塔頂上でマズルフラッシュの閃光が走ったのは、ほぼ同時だった。

 ……

 西の塔で、不審者に目を光らせていたセバスチャン達が、闖入者のティファニアを見逃すはずは無く。グロスフスMG42で攻撃の機会を窺っていた

「ミスタ・セバスチャン。何があったのですか?」

「暗くて何も見えないよ」

「うぅんむ……あの耳はまさか……」

 夜目の利くセバスチャンは、ティファニアの尖った耳を確認し思わず唸った。
 ベテランのセバスチャンが唸るのも仕方が無い。ハルケギニアの常識では、エルフは悪魔と同意語だ。

「エルフの少女に化けた暗殺者……かもしれない」

「エ、エルフ!?」

「それって、ヤバイんじゃないの!?」

 事情を知らないセバスチャン達は決断を迫られた。

「両殿下に何か有っては一大事、ここは撃とう」

 そう言って、セバスチャンはベティと射手を入れ替わり、ティファニアに照準を向け必中をこめて発砲した。

 ……

 ババババババババン!

「マクシミリアンさま!!」

『エア・シールドッ!』

 自然にマクシミリアンの身体が動いた。

 マクシミリアンは、ティファニアへと駆け、そのまま抱き寄せると『エア・シールド』を放った。

 山なり弾道で迫る銃弾は『エア・シールド』にぶつかると、『ぼふん』気の抜けるような音で出し『エア・シールド』を貫通した。

「やばっ!?」

 幸い銃弾はマクシミリアンとティファニアには当たらなかったが、二人のすぐ側を空気を裂く音と共に抜けていった。

「マクシミリアンさま!」

「来るな!」

 マクシミリアンはカトレアを制止した。

「嫌です!」

 カトレアは、マクシミリアンの制止を振り切って二人の側まで近づき、同じように『エア・シールド』を唱えた。
 一枚目のエア・シールドで減速した銃弾は二枚目のエア・シールドで弾かれた。
 二枚重ねのエア・シールドは、辛うじて銃弾を防ぐ事が出来た。

「ひううっ! ひうううっ!」

「よしよし、ティファニア、もう大丈夫だ」

 突如、降りかかった命の危険にティファニアは、マクシミリアンにしがみ付く様に泣きじゃくり、マクシミリアンは、そんなティファニアの頭を撫でて慰めた。
 やがて、銃撃は止み、静寂が訪れた。

「今の攻撃は、わたし達を狙った攻撃ではありませんでしたよ」

「ああ、分かっている。大方、ティファニアを有害なエルフと勘違いしたんだろう。カトレア、ティファニアを頼む」

「頼まれますけど。どうなさるつもりですか?」

「攻撃してきた奴と話をつける……今の攻撃はウチの連中だろう。それに……」

 先ほどの銃声でなのか、場内がにわかに騒々しくなってきた。

「騒ぎになったら色々とマズイな。カトレアはティファニアを……って、ティファニア。ティファニアは何処から来たんだい?」

「うう、ひぐ……ええっと、あっち」

 涙を流すティファニアは、東の塔を指差した。

「立ち入り禁止の東の塔か。なるほど……」

 マクシミリアンは、このティファニアがモード大公の縁者である事を直感した。

「カトレアはティファニアを、東の塔へ帰してやってくれ。衛兵に見られたら大問題だ」

「はい、マクシミリアンさま。ティファニア行きましょう?」

「うん」

「それじゃ、僕は西の塔へ行く」

 そう言ってマクシミリアンは『フライ』で空を飛び、西の塔へ向かった。
 二人の探検は可愛い闖入者の登場でお開きとなった。
 






                      ☆        ☆        ☆







 その後、ティファニアは無事に東の塔へ帰り、セバスチャンらの発砲も有耶無耶にして夜が明けた。

 城内はいつもと変わらず、衛兵や文官、メイドがそれぞれの仕事に行き来し、喧騒に包まれていた。
 しかし、その喧騒とは無縁の場所が城内に存在した。
 その場所とは、モード大公の執務室で、モード大公とマクシミリアンの二人だけしか居なかった。
 マクシミリアンは、帰国の前に昨夜の出来事を報告する為、モード大公に秘密の会談を申し入れ、それが承諾されたのだ。

 マクシミリアンは、予め『サイレント』を唱えておき、執務室から漏れる音は一切無くなった。

「さて……モード大公、昨夜の事ですが……」

 あえて、『叔父上』ではなく『モード大公』と呼んだ。

「分かっている。見たのだろう? あの子を」

「はい、ティファニアと名乗りました」

「あの子は、エルフの女との間に生まれた、私の娘だ」

「ハーフエルフ……という事ですか?」

「そういう事になる」

「しかし、わざわざエルフを囲うとは酔狂な……この事をロンディニウムのジェームズ王は?」

「知らない。知らせる訳にはいかない」

 当然だろう、悪魔と同意語のエルフを囲い、あまつさえ子供まで生まれてしまい、そしてその子はアルビオン王家の血を引いている……発覚したら醜聞どころではない、モード大公どころかアルビオンそのものもただでは済まない。

「知ってしまった僕とカトレアは、どうなるんでしょう? 口封じに殺されるのでしょうか?」

 マクシミリアンの周りの雰囲気が剣呑になった。
 彼としても、口封じの為にむざむざ殺される訳には行かない。
 この場に居ないカトレアの周辺には、セバスチャンと二人のメイドが武装して控えていて、血路を切り開く準備も出来ているし、最悪の場合、マクシミリアンとカトレアを逃がす為に殿(しんがり)も辞さない。

「ま、まあ、待ってくれ。私が口封じをする積もりなら、会談を承諾したりしない」

「そう思わせて……という場合もあります」

「絶対にそれは無い。最早、私達の運命を握っているのは、マクシミリアン殿なのだ」

「……ちょっと、脅かし過ぎましたか。申し訳ございませんでした」

 そう言うと、頭を下げるとマクシミリアンの雰囲気は和らいだ。

「ふう、勘弁して欲しい」

「すみませんね。さて、本題に入りましょうか。モード大公は、このままティファニアとその母親を隠し通せるとお思いですか?」

「昨夜の様な事が、また起きるとも限らない。正直な所、隠し通すのは無理だと思っている」

 モード大公が、エルフを匿っていた事が知れれば、これ程のスキャンダルは無い。

『アルビオンの王族がエルフと関係を持っていた』

 などと馬鹿正直に発表出来るはずもない。秘密裏に大公を謀殺する事も十分有りえた。
 そして、モード大公の命運を握るのはマクシミリアン。

(これをネタに脅して、モード大公を意のままに操ろうか……)

 マクシミリアンは黙考に入った。

(それとも、大公を謀殺させ、アルビオンの内情不安を煽り、それをトリステインの利益を引き出すことは可能だろうか……)

 マクシミリアンは黒い黙考は続く。

(オレにもアルビオン王家の血が流れている。上手く立ち回れば(ある)いは……)

 ……アルビオンを乗っ取る事が出来るかもしれない。

 徐々に妄想はエスカレートして行ったが、次の瞬間、マクシミリアンの脳裏にカトレアの憂いに満ちた表情が走った。

(……いかんいかん。オレは一体何を考えていたんだ)

 ブンブンと頭を振った。

「……何か?」

 モード大公は、不思議そうな顔をしていた。

「失礼しました。僕としての考えは、このまま城内に隠し通すのは無理だという事です。何処から漏れるか分かったものではないですからね」

「それでは、何処か別の場所に隠すと、そういう事、か。う~む」

「そうですね、問題は何処に隠すか……ですが。う~ん」

 お互いソファに座るモード大公とマクシミリアンは、同時に足を組み直した。

「隠し場所については、私に考えがある」

 モード大公が何らかの案を持っていた。

「何処か良い所がありますか」

「うむ、『ウェストウッド』という、人の行き来が余り無い寂れた村がある。そこに二人を隠そうと思う」

「良いと思います。この城に隠し続けていても、東の塔のみ立ち入り禁止という決まりが異質でしたから。何時ばれるか時間の問題でしたでしょう。客である僕ですら、おかしいと思っていたのです。城の者が気付かない筈はないでしょうしね」

「二人を移すにしても、何時ごろが良いだろうか?」

「なるべく、早い方が良いでしょう」

「そうか」

「それと、僕も適当な隠し場所を探しておきましょう。そのウェストウッドも、怪しくなったら新しい所に移すような感じで」

「うむ、よろしくお願いする」

 話はこれで終わり、とマクシミリアンは姿勢を崩した。
 一方のモード大公は、エルフの妾に未練があるのか、その表情は硬い。

「叔父上、お互い生きていれば、再会の機会は何時でもあるじゃないですか?」

「そうか、そうだな」

「そうですよ……さて、共犯者同士のお近づきの印に一杯、()りましょう」

 マクシミリアンは、懐から一本の瓶を取り出した。

「なんだろうか、ワインとは違う色のようだが」

「これはウィスキーという蒸留酒ですよ。僕としてはこの製法を叔父上に提供する用意があります」

「何が目的ですかな?」

「叔父上とは、これからも良い付き合いをしたい、という事です。この酒盃使ってもよろしいですよね?」

「構わないが……」

 許可を得たマクシミリアンは、執務室の端に備え付けられたミニバーからワイングラスではなく、銀製の酒盃を二つ取り出し、テーブルで待つモード大公の前に置いた。

「杖、失礼しますね」

 マクシミリアンは、杖を振るい水魔法で氷を作り出し、それぞれの酒盃に入れ、ウィスキーを注いだ。
 このウィスキーは、水魔法で無理やり蒸留させた代物だったが、酒飲みのマクシミリアンは魔法で酒を作る事を邪道だと思っていた。

「氷を入れて飲むものなのか」

「他にも色々と飲み方が在りますが、僕はロックが好みですね」

「そういう物なのか」

「それでは乾杯といきましょう」

「そうだな、乾杯」

「乾杯」

 二人をほぼ同時に酒盃を呷った。

「ごふぁあ!!」

 そして、モード大公はアルコール度数の強さに噴き出してしまった。

 マクシミリアンから、モルト・ウィスキーの製法を教わったモード大公は、早速、製造を開始し数年後には『モード・ウィスキー』の名でハルケギニア中に広まった。

 後日、ティファニアとその母親シャジャルは、ウェストウッド村へと落ち延び、一先(ひとま)ずの安息を得た。








                      ☆        ☆        ☆







 モード大公領からロサイス港に到着したマクシミリアン一行は、来た時と同じようにベルギカ号に乗艦し、後は出航を待つだけとなった。

 懸念された、モード大公の口封じも、マクシミリアンとモード大公の密約(?)で回避され、平穏無事に帰国する事が出来そうだった。

 マクシミリアンは、ド・ローテル艦長の下に行っており。カトレアは、来た時と同じ客室でメイドコンビが淹れた紅茶を飲みながら昨夜の事を思い出した。

 それは、ティファニアを抱えて、東の塔へ行った時、窓を開け優しく出迎えたくれたティファニアの母シャジャルが、カトレアの中にあったエルフ像を粉々に打ち砕いた。
 一言、二言しか喋る事が出来なかったが、感の良いカトレアはシャジャルの人柄を読み取り好感の持てる人物と判断した。
 そして、一つの夢に近い理想を持つようになった。それは……

(ひょっとしたら、ヒトとエルフとの和解が可能かもしれない……)

 数千年間、争い続けた二つの種族を和解させる可能性が、カトレアには見えた。

 暫くしてマクシミリアンが部屋に帰ってきた。

「おかえりなさいませ、マクシミリアンさま」

「やあ、カトレア。僕にも紅茶を」

「畏まりました」

 メイドコンビのフランカが、マクシミリアンの分の紅茶をカップに注いだ。

「新婚旅行も、とうとう終わりだ。カトレア、楽しんでもらえたかな?」

「はい、マクシミリアンさま。大変、有意義な旅でしたわ」

「よかった。喜んでもらえて嬉しいよ」

「マクシミリアンさまは、どうでしたでしょうか? わたしだけ楽しんだら、新婚旅行の意味がありませんわ」

「それもそうだ、まあ僕も楽しめたよ。色々な人材も手に入ったしね」

「まあ! ここでもお仕事ですか?」

「もちろん、カトレアとの旅が一番だったさ」

「お上手ですわね」

「本当の事だよ」

 二人は、テーブルを囲んで談笑に入った。

「実は、マクシミリアンさま、昨夜、例のシャジャルさんとお会いしました」

 ロサイス港を出航し暫くして、カトレアは語りだした。

「確かティファニアの母親だったな。どういう人だった?」

「わたし、今までエルフは、もっと怖い人々と思っていましたが、シャジャルさんは、優しそうな人でした」

「そうだったのか、まあ、ティファニアがあんな感じだったし、その母親もいい人っぽいと予想できたけどね」

「その時、わたしは思ったんです。ヒトとエルフの和解は可能なのではないか、と」

「エルフと和解か、う~~ん」

「何か気になる事が?」

「シャジャルさんのみ見て、全てのエルフもシャジャルさんの様だ、と断定するのは早計じゃないかな。ひょっとしたら、シャジャルさんが特別だっていう可能性もある」

 マクシミリアンは、諜報部員の何名かを、ブリミル教圏とサハラとの境界に在る自由都市ビザンティオンに派遣し、商人として交易を行う傍ら、諜報活動を行わせていた。当然、発覚すると色々と面倒な為、一部の者以外、秘密にしてあるが、ビザンテイオンから届いてくるエルフ像は、皆が皆、ヒトの事を『蛮人』と(あざけ)っている事だった。

「そうでしょうか……」

「そんな悲しい顔しないでよ。カトレアの言っている事は、とても大事なことだから。延々と憎みあうのは、非生産的だ。何らかの形で和解したいと、僕も思ってはいたさ……けどね」

「ブリミル教、取り分けロマリアは、エルフが占拠し続けている聖地を諦める事は無い、そういう事ですね?」

「そういう事、それに今更『エルフと仲良くしましょう』と言ったって、今の状況ではどれ位の人々が賛同してくれるか……最悪、ロマリアから破門宣告も有り得るし、各国から袋叩きになる可能性も高い。カトレア、悪いけど、この事は心に閉まって置いてくれ。けっして誰かに言ってはいけない。セバスチャンとメイドコンビもだ、この事は絶対に秘密だ、いいね?」

「ウィ、殿下。この事は決して誰にも漏らしません」

「わわっ、分かりました!」

「決して、秘密を口外しません」

 三人は、秘密を守ると誓った。

「モード大公の秘密を共有するのは、僕ら五人だけだ。事が事だけに、諜報部以外に情報の拡散をしないつもりだ。今後、アルビオンのエルフ関係でセバスチャンやキミ達メイドコンビにもアルビオンに飛んで貰う事もあり得るから。その辺の心構えはしておいてくれ」

「ベティもフランカも、わたしの事は気にせず、あの母子の為にどうか屈力して下さい」

『分かりました』

 ベティとフランカは、異口同音に了承した。

 こうして、新たな問題を抱えながらも、マクシミリアンらを乗せたベルギカ号はトリステインへと進路を向け出航した。

 

 

第四十八話 アトラス計画

 季節は廻り、マクシミリアンとカトレアは15歳になった。

 二人が結婚してから、もうすぐ一年が経とうとしてるが、夫婦仲は大変良好、仲睦まじい姿が度々目撃された。

 朝、カトレアは、新宮殿4階の寝室にてメイドコンビの一人、ベティに櫛で髪を梳かされていた。
 4階の寝室は、マクシミリアンとカトレアの二人が寝起きする場所だったが、マクシミリアンは仕事の為、早朝から王宮の方へ出張っていて、カトレア一人で朝を迎えていた。

「カトレア様の御髪(おぐし)は、とても長くて綺麗でございます」

「ベティの髪も長くて綺麗よ?」

「私の髪は、癖が強すぎますので、カトレア様がとても羨ましいです」

「そう、話は変わるけれど、フランカから連絡はあったかしら?」

「手紙の類は厳しく規制されていますので、『便りがないのは良い便り』言う事で心配はしていません」

「アルビオンは遠いわね。一人だと何かと手が回らない事もあるから、その時は相談してね」

「ありがとうございます、カトレア様」

 メイドコンビのフランカは、ティファニアとその母シャジャルの護衛の為、アルビオンへ主張中だった。
 モード大公も、もっと人員を派遣したかったが、信頼できる人材が居なかった為、トリステインが護衛を派遣する形になった。

「終わりました、カトレア様」

「ありがとう、ベティ。下がって良いわ」

「はい、失礼いたします、何か御用がございましたら、また、および下さい」

 そう言ってベティは退室した。

 カトレアはベランダに出て、活気に溢れる前のトリスタニア市内を一望した。

「今日も良い天気になりそう」

 そう言って、数枚の紙を取り出し、テーブルの上で広げた。
 それは、トリステイン魔法学院の詳細が書かれたレポートだった。
 実は前からカトレアは、学園生活という物を経験したくて、人を使って詳細を集めさせていたのだ。
 だが、カトレアは王族だ、王族に成った。過去、トリステインの王族がトリステイン魔法学院に通った記録は無い……否、訂正すれば『記録上』は無い。

「無理かもしれないけど、魔法学院の件、一度マクシミリアンさまにお願いしてみようかしら」

 そして、出来れば夫婦一緒に……

 カトレアの脳内では、魔法学院の制服を来て一緒に登校する、マクシミリアンとカトレアの姿が映し出された。





                      ☆        ☆        ☆




 所変わってトリステイン王宮では、エドゥアール王が参加しての御前会議が執り行われ、マクシミリアン王子から驚くべき議題が上がった。

「マクシミリアン、本気でこの計画を実行するつもりなのか?」

 エドゥアール王が、驚きと呆れが半分づつ入り混じった顔で、発案者のマクシミリアンに聞き返した
 マクシミリアンが上げた計画。それは『アトラス計画』と呼ばれ、アトランティクス洋(大西洋)を横断して北米大陸を目指す、壮大な計画だった。

「本気も本気です。我がトリステインは、好景気の真っ只中でありますが、他の国々よりも国土は狭く、あと、数十年もすれば国内は開発し尽くすと予想されます。ならば、海外に領土を置き、それぞれの地域から産出される珍しい品々取り寄せ、国内で加工し売買すれば、トリステインの富は永く続くことが出来るでしょう」

 参加した大臣、文官らが、ザワザワと話す声で、御前会議が一時中断してしまった。

「静粛に! 陛下の御前にあらせられるぞ!」

 会議の進行役を仰せ付かったマザリーニが、声を張り上げると会議室はシーンと水を打った様な静けさになった。

「質問がございます。よろしいでしょうか?」

 文官の一人が挙手して、質問を求めた。

 マザリーニはチラリとエドゥアール王に目配せした。

「うむ、発言を許す。良いな? マクシミリアン」

「はい、質問とは何でしょうか?」

「ありがとうございます。海外に領地を持つと言われましたが、どの様にして統治なさるおつもりなのでしょうか?」

「お答えします。適当な土地が見つかった場合、トリステイン国内で移民の募集をします。統治方法は、海外ということで直接統治は難しいと思われますので、誰か適当な人を総督に置いて統治します……以上です」

「ありがとうございました」

 質問の終わった文官は着席した。

「他に質問は? ……他に無いようでしたら陛下、ご採択を」

「うむ、余はこのアトラス計画の承認をここに宣言する」

 エドゥアール王は、高らかに宣言した。

 ……

 御前会議終了後、マクシミリアンはエドゥアール王の執務室に呼ばれた。

「父上、失礼いたします」

「よく来た、マクシミリアン。先の会議の事だが、あのまま終わらせて本当に良かったのか?」

「もちろんですとも、アトラス計画に、僕自ら参加すると聞けば、必ず反対する者が現れましょう」

「正直なところ、私も反対なのだが」

「その事については、事前に説明しましたでしょう? 未知の土地で、どの様な怪物や疫病が存在するか分かりません。この僕、マクシミリアン・ド・トリステインは、事、水魔法に関しては、ハルケギニアでもでも屈指の実力者と自負しております。僕が居なければこの計画は成功しないと思っております」

「分かってはいる。だが、お前の妻、カトレア殿はどうするのだ、長期間の不在は避けられないぞ? もしや連れて行くつもりか?」

「それは……」

 マクシミリアンは、言いよどんだ。

「それは?」

「連れて……連れて行かないつもりです。この計画は失敗の許されない、トリステインの未来の為にも、絶対に成功させなければならない部類のものです」

「報告にあった『大隆起』の事か、報告書を見たが、正直なところ眉唾モノなのだが……」

「何かあってからでは遅いのです。海外から得られる利益も大事ですが、本当に大隆起が起こった場合の為に、移住先を確保しておかなければならない」

 その後、マクシミリアンの説得に、エドゥアール王も徐々に傾き始めた。

「……分かった。お前の計画参加は認めよう。だが、カトレア殿の説得はお前自身がするんだ」

「承知しました」

 マクシミリアンは退室し廊下へ出た。

(カトレアの説得。むしろ、こちらの方が難題かも……)

 頑固な所のあるカトレアの説得に悩んだ。

(カトレアは笑顔で送り出してくれるだろうか?)

 それとも……と難しい顔で廊下を歩いていると、

「お兄様遊んでっ!」

 と、アンリエッタが胴タックルをかましてきた。

「ぅぐほぉっ!」

 声にならない声を上げ、マクシミリアンはマウントポジションを取られた。

「お兄様遊んで! お兄様~っ!」

「ぅぐっ、げほっげほっ、アンリエッタ、ちょっとどいて……」

「は~い☆」

 悪気は無かった様で、アンリエッタは素直にどいた。

(それにしても、アンリエッタが大きくなる度に、胴タックルの鋭さが増しているような)

 今年、8歳になるアンリエッタは、ますます、お転婆に磨きが掛かっていた。
 幸い、勉強はしっかりと行っている様で、魔法の成績も8歳で水のドットになり、更なる成長が見込まれた。

「どいたから遊んでくれる?」

「今は駄目。ちゃんと勉強したら遊んであげるよ」

「本当に? 勉強したら遊んでくれるのお兄様?」

「本当だよ、だから、しっかり勉強してね?」

「はぁ~い、お義姉様にもよろしくね」

 アンリエッタは、パタパタと走り去り、マクシミリアンはホッと息を吐いた。

(もし、オレに万が一の事があっても、アンリエッタがしっかりしてくれれば、トリステインは安泰だ)

 だが、今のアンリエッタを見ると、不安になる部分もあった。

「まだ、子供とはいえ、アンリエッタにも困ったものだ。王族としての心構えを覚えて貰わないと」

 『お前が言うな』と、何処からか聞こえてきそうだった。

「帰ろう……さて、カトレアにどう切り出したものか……」

 マクシミリアンが、少し早足でこの場を去ろうとすると、

「あら、マクシミリアン。せっかく来たのだし遊んでいかない?」

 アンリエッタが去った反対方向から現れたのは、母のマリアンヌだった。

「それとも、カトレアさんを呼んで、家族一緒に劇場まで足を伸ばさない?」

「母上……」

 アンリエッタとマリアンヌ……『母と娘はこうも似るものなのか』と、マクシミリアンは考えさせられた。





                      ☆        ☆        ☆





 その日の夜。マクシミリアンはカトレアとテーブルを囲んで夕食をとっていた。
 献立は、メインは鴨肉のオレンジソース掛けで、他に牡蠣のスープ、野菜サラダなどだ。

「マクシミリアンさま。実はお願いがあるのですが……」

「お願い? 何んだろ?」

 ナイフとフォークを置いて、カトレアは切り出した。

「わたし達、もう15歳ですので、トリステイン魔法学院に通ってみたいな……なんて思いまして。マクシミリアンさま、ご一緒に入学しませんか?」

「魔法学院か……う~ん」

 マクシミリアンも、ナイフとフォークを置き、ワインを呷って考えた。

「如何でしょうか? マクシミリアンさまも、同年代の皆さんと交友をもたれては?」

「まあ、王族が魔法学院に入っていけない、なんて法は無いし……」

「それではっ!」

 カトレアの顔がパッと華やいだ。

「けど、僕は駄目だ入学しない」

「え……」

 絶句したように、言葉につまるカトレア。

「実はカトレア。僕は近いうちに、トリステインから離れる事になったんだ」

 マクシミリアンは、ここで切り出すことにした。

「また、外遊でしょうか? それなら、わたしも……」

「カトレアは、連れて行くつもりは無かったんだ。任地は遠い外国……少なく見積もっても一年以上は不在になると思う」

「外国? 一年以上? マクシミリアンさま、ちょっと待って下さい。何がなんだか……ちゃんと説明して下さい」

「すまない、カトレア。ちょっと焦り過ぎた。ともかく、今は食事中だ夕食後に、ちゃんと説明するよ」

「分かりました。

 二人は食事を再開したが、カトレアは、突如、降って沸いた夫の不在の話に、気が動転して夕食の味が分からなくなっていた。

 ……

 夕食後、自室にてマクシミリアンは、カトレアにアトラス計画の詳細を掻い摘んで説明した。
 『大隆起』の事は話さなかったが、いずれは話すつもりだ。

「詳細は、分かりました。マクシミリアンさま自ら、この壮大な旅に参加されるというのですね?」

「そういう事だ。そういう訳で、カトレアには留守を預かって貰いたかったんだが……」

「留守を守る……ですか」

 一緒にいるだけが夫婦ではない。
 夫の不在の間、家を守る事も妻の務めである事を、カトレアは知ったが、魔法学院に共に通いたかったのは別の思惑があったからだ。

「魔法学院に入りたかったのなら、入学できるように僕が話をつけておこう」

「でも、マクシミリアンさま不在の新宮殿を留守を預かる事になれば、わたしだけが、おいそれと魔法学院に入学するわけにも……」

「父上や母上、それにアンリエッタが居るとはいえ、カトレアを、新宮殿に一人するのは忍びないと思っていたんだ……それに……」

「それに……?」

「カトレアは、王太子妃、行く行くは王妃だ。人生の大半を国の為、国民の為に捧げて貰う事になるだろうけど、今はまだ15歳の女の子だ。これを期に、休暇みたいなのを取って貰おうと思ったんだ」

 それと、マクシミリアンには気になる事があった。
 カトレアの幼年期は、病気の性で外には出られず、病気が治っても、今度は王太子妃として過密なスケジュールの中での勉強や礼儀作法の訓練などで、同年代の友人を作る暇など無かった。
 前年の新婚旅行の時に、マチルダと友人関係を作れたが、あくまで彼女は外国人、トリステイン国内で友人と呼べる者をマクシミリアンは知らなかった。

(これと期に、もっと友人と呼べる人々と縁を育んで欲しい。まあ、大きなお世話かもしれないけど、ね)

 マクシミリアンの想いとは別に、カトレアは今にも泣きそうな顔になった

「マクシミリアンさま……わたしの事はどうでも良いんです。わたしが、マクシミリアンさまと一緒に魔法学院に通いたかったのは、マクシミリアンさまに少しでも政務から離れて頂きたかったからです」

「え? 僕にかい?」

「だってそうじゃありませんか! わたしと同じ15歳なのに、幼い頃から政務に携わっていて! 毎日毎日、お忙しく、同じ年代の男の子と混じって遊ぶ時間も無くて! 軍歴もあって、巷では『賢王子』と呼ばれている! 素晴らしい為政者だと思います。ですが異常です! 15歳で遊ぶ事もせずに、政務を続けるなんて普通じゃないです!!」

 初めて見る、声を張り上げるカトレア。その両眼から涙がこぼれ出した。

「カトレア!? ほ、ほら、カトレアだって知っているんだろう? 僕がどういう人間なのかを?」

「だから……だから、どうだって言うんですか! 本当は、マクシミリアンさまに休暇を取って欲しくて魔法学院にお誘いしたのに! トリステインの為とはいえ、死ぬかもしれない旅に同行されるなんて! こんな、働きづめのガーゴイルみたいな人生あんまりだわ!!」

 カトレアは遂に泣き出した。
 カトレアの涙。それは、人生の全てをトリステインに捧げようとする、マクシミリアンへの慟哭だった。

『毎日、忙しい夫を無理矢理にでも休ませる為に……』

 それが、カトレアが魔法学院に通わせる為の真相だった。
 そして、カトレアの放った『ガーゴイルの様な人生』という言葉にマクシミリアンは。頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。

(ガーゴイルみないな……か。まいったな、でも言い得て妙かも)

 脇目もふらずトリステインの発展の為に尽力してきたのに、その結果が『ガーゴイルの様な人生』と評されたのがショックだった。だが、それ以上にカトレアの自分を心配する気持ちが嬉しかった。

(思えば、傾いたトリステインを立て直すために、ここまでやって来たんだっけか」

 以前の様な、貴族が平民を虐げるトリステイン王国は既に過去のもので、平民でも努力すれば報われる国へと変わった。
 その事に関しては、マクシミリアンは胸を張れた。

「カトレアは、僕に休めと、そう言いたいんだね?」

「そうです、お休みになられて下さい。今のマクシミリアンさまは、まるで生き急いでいるみたいです」

 カトレアは、マクシミリアンの胸に顔を埋め、マクシミリアンもそれを受け止めた。
 そして、マクシミリアンはカトレアの両耳を塞ぐように頭を持ち、軽くキスをした。

「約束をしよう。僕がこの旅から帰ってきたら、休むようにするから。今回ばかりは行かせて欲しい」

「約束……ですよ? マクシミリアンさまに、もしもの事があれば、わたしも生きて入られないのですから」

「ああ、絶対に……絶対帰ってくるよ」

「絶対ですよ? 帰ったら、ちゃんとした休暇を取って貰います。仕事も一切させません」

 マクシミリアンとカトレアは抱き合った。

 初めての夫婦喧嘩。
 色々あったが、カトレアはマクシミリアンの旅を認めてくれた。

 

 

第四十九話 カトレアの旅立ち

「う~~ん。朝か……ん?」

 朝、マクシミリアンが目を覚ますと、目の前にカトレアの顔があった。

「おはようございます、マクシミリアンさま」

「おはよう、カトレア」

 天蓋付きのベッドの上で仰向けのマクシミリアンに、覆いかぶさる形でカトレアが挨拶をした。
 二人とも、半裸状態だ。

「と言っても、もうお昼ですけどね」

「そんなに寝てたか」

 今日、カトレアは魔法学院の寮に入寮する為、新宮殿を離れる。
 昨夜は、二人が一年以上離れ離れになる事から、明け方まで求め合っていた。

「魔法学院には、いつごろ出立だっけ?」

「本当は、お昼前に出立の予定だったのですが……」

「あちゃ~、皆には申し訳ないことをしたな」

「家臣の皆さんに合わせようとするのは、とても、マクシミリアンさまらしいと思います」

「このまま待たす訳にもいかない。出立の準備をしようか」

「マクシミリアンさま、もう少しこのままで……」

 カトレアは、名残惜しそうに、舌先でマクシミリアンの胸板をツツツ、と走らせた。

「くすぐったいよ、カトレア」

「うふふ……マクシミリアンさま、可愛いです」

「カトレアも、『ツボ』を心得る様になった」

「何も知らなかったわたしに、色々な事を教えたのはマクシミリアンさまですよ?」

 普段は可憐なカトレアが、この時ばかりは百戦錬磨の娼婦に見えた。

「この淫乱ピンクめ! もう辛抱たまらん、ウオオオオオッ!」

「きゃ~っ、マクシミリアンさま~っ!」

 結局、この日は終日までイチャイチャしていて、カトレアの出立は次の日に延期になってしまった。

 ……

 改めて次の日、カトレアはエドゥアール王に挨拶をした後、新宮殿に一度戻り、魔法学院に出立する事になった。
 見送りは、マクシミリアンとアンリエッタに、数十人のメイドたちだ。

「カトレア義姉様。魔法学院でもお元気で」

 アンリエッタが、カトレアに言う。

 カトレアの人となりのお陰か、アンリエッタはカトレアに良く懐いていた。

「アンリエッタもお元気で。余り、我がままを言って、皆を困らせては駄目よ?」

「もう、分かってますよ、カトレア義姉様」

 同じような台詞は、兄のマクシミリアンに、いつも言い聞かせられた為、少し不機嫌になった。

「アンリエッタ。カトレアはお前を心配して言ってくれるんだぞ?」

「お兄様も、わたしの事より、義姉様の事を気になされば良いのに」

 マクシミリアンの言葉にも、アンリエッタは口を尖らせ、そっぽを向いてしまった。

「ごめんなさいね、怒らせちゃったかしら」

「カトレア。アンリエッタを余り、甘やかせないように。この娘はかなりしたたかだ」

「ひどいわ、お兄様!」

「あははは」

「うふふふ」

「むー!」

 頬を膨らませるアンリエッタを見て、マクシミリアンとカトレアは愛おしそうに笑いあった。

 ……

 楽しかった三人のお喋りも終わりを向かえ、カトレアが出立する時間になった。
 
「それじゃ、カトレア。魔法学院でも元気で、風邪など惹かない様にね」

「マクシミリアンさまも、お身体にお気をつけて。あまり、お酒も御召過ぎないように……」

「う、分かったよ」

「それとですね……」

「まだあるの?」

「離れ離れになっても、わたしたち夫婦はいつも心は一緒ですよ」

 カトレアは、マクシミリアンの手をとって自分の胸に当てた。

「……もちろんさ」

 マクシミリアンは、カトレアの胸を名残惜しそうに離した。

「それでは、いってきます」

「いってらっしゃい、カトレア。僕も二週間後に出発だ」

「ちょうど入学式の頃でしょうか」

「多分、そうだね」

「義姉様、わたしも!」

「アンリエッタも元気でね」

「はい、カトレア義姉様」

 カトレアは、二人に一礼すると、馬車の待つ正門まで進んだ。

『王太子妃殿下、いってらっしゃいませ』

 新宮殿正門前では数十人のメイドたちが列を二つ作り一斉に頭を下げた。
 カトレアは、メイドたちに向かい、にこやかに手を振りながら二つの列の間を歩き、王家御用達の豪華な馬車に乗った。

 馬車の窓からカトレアは手を振り、マクシミリアンとアンリエッタも手を振り返した。

 カトレアを乗せた馬車は、ゆっくりと走り出し、新宮殿から離れていき、ついには見えなくなった。

「さ、みんなご苦労様。仕事に戻ってくれ」

 残されたメイドたちに、仕事に戻るように命じた。

「承知いたしました」

 メイドたちが、一人一人頭を下げ仕事に戻っていき。マクシミリアンとアンリエッタだけが残された。

「ねえ、お兄様。わたし達も戻りましょ?」

「そうだな、戻ろうか」

 すると、アンリエッタがマクシミリンの腕に抱きついてきた。

「お兄様! 今日、お泊りしてもいい?」

「そうだな……」

「良いでしょ、お兄様。お願いよ」

 アンリエッタは、マクシミリアンの腕にしがみ付き、空中で足をバタバタさせた。

「分かった分かった。今日はアンリエッタはお泊りという事で王宮に使いを出してくよ。これで良いかい?」

「わ~い。お兄様、大好き!」

「やれやれ」

「お兄様、一緒に寝よ? 一緒にお風呂に入ろう?」

「分かった分かった。人の身体によじ登るな」

 旅立ったカトレアの感傷に浸る暇も無く。マクシミリアンはアンリエッタに振り回される事になった。







                      ☆        ☆        ☆







 カトレアを乗せた王家御用達の馬車は、数時間でトリステイン魔法学院に到着した。

 トリステイン魔法学院は、本塔と周囲を囲む壁と、魔法の象徴である5つの属性、水・土・火・風、そして虚無を表す5つの塔からなる。長い歴史を誇る由緒正しい魔法学校である。

『魔法学院では、王家の人間ではなく一生徒として扱う事』

 マクシミリアンが、事前に通達していた事から、出迎えもそれほどの人数ではなかった。

「ようこそ、御出で下さいました。学園長のオスマンで御座います」

 学園長のオールド・オスマンがわざわざ出迎えてくれた。

「始めましてオールド・オスマン。御高名はかねがね承っております。三年間の短い期間ですか、お世話になります」

「恐縮で御座います。王家の者としてではなく、一生徒として扱うよう、王太子殿下より承っております」

「わたしとしても、その様に扱っていただけると、気が楽になりますわ」

「まずは、女子寮のほうまでご案内いたします。誰か、王太子妃殿下を部屋までご案内するように」

 オスマンは、メイドに女子寮まで案内するように命じた。
 メイドに付き従われ部屋へと向かう際、カトレアは小さなネズミを踏みそうになったが、踏んでしまっては可哀想と、跨いで通った。
 その時、オールド・オスマンが、これ以上無い笑みを浮かべたが、気付くものは居なかった。

 ……

『王太子妃殿下が、魔法学院に入学するらしい』

 トリステイン魔法学院では、その話で持ち切りだった。

 女子寮の、最も奥の部屋を割り当てられたカトレアは、道すがら自分の事を好奇の目で見る生徒達に優しく微笑み手を振った。
 手を振られた生徒達は、次々に頭を下げ、逃げるように去って行った。

「嫌われているのかしら?」

「きっと、恥ずかしがっているのでしょう」

 カトレアの問いに答えたのは、メイドコンビの一人フランカだった。彼女も御付のメイド兼、護衛として魔法学院にやって来た。もう一人のベティは、アルビオンのティファニア母子の下にに派遣されている。

「そうかしら?」

「そうですよ、王太子妃殿下」

 などとお喋りをしているうちに、カトレア達は部屋にたどり着いた。

「たしか、内装は前日に運び入れていたのね?」

「はい、王太子妃殿下」

 部屋に入ると、これから三年間、王太子妃として劣らない豪華なベッドや調度品が置かれていて、荷解きも既に済ませてあった。

「荷解きをする必要は無さそうね」

「はい、万事、取り揃えております」

 荷解きをする予定がすることもなかった為、カトレアは魔法学院の制服に着替えた。

「この制服って、スカートの丈が短いわね」

「大変、よくお似合いですよ」

「ありがとう、フランカ。やる事もないし、一息入れようかしら」

「それでは、厨房で紅茶を貰って来ます。王太子妃殿下は、いかがなさいますか?」

「お隣様に挨拶をしてくるわ。ついでにお隣様をお茶に招待しようと思うの」

「では、多めに貰って来ます」

「お願いね」

 フランカが部屋を出た後、カトレアはお隣の生徒をお茶に誘うべく廊下に出た。
 いくら、入学式前とはいえ、人の気配の無い寮内は異様だった。

「みんな、何処かに出かけているのかしら?」

 不審に思いつつ、隣の部屋のドアをノックした。

「……」

 が、返事は無く、再度ノックしたが、これも返事が無かった。

「……留守かしら?」

 諦めて部屋に戻ろうとした時、フランカが戻ってきた。

「おかえりなさい、ずいぶん早かったですね」

「王太子妃殿下、食堂にて新入生が集まっていましたので、報告にと急ぎ戻ってまいりました」

「あら、だからみんな居なかったのね。それじゃ、わたしも顔を出そうかしら」

「紅茶はいかがいたしましょう?」

「もったいないけど、キャンセルでお願いね」

「畏まりました」





                      ☆        ☆        ☆






 トリステイン魔法学院の食堂では、今年入学する男女、十数人が集まって騒いでいた。

「諸君! 集まってくれてありがとう。今日のこの出会いを大切にしようではないか!」

 長テーブルに上り、エセ演説をぶつのはグラモン家の三男ジョルジュだ。

「何だよジョルジュ。僕らを呼んで何しようっていうんだ?」

「大方、この集まりを口実に、女の子を口説くつもりだろ」

「そうよ、貴方、いつからそんなに偉くなったのよ」

「ジョルジュ。この前、私を口説いていたけど。他の子も口説いていたそうね。どういうことよ?」

 四方から野次が飛ぶ。
 新入生だけで食堂に集まり、親交を暖めようと、この企画を実行したのはジョルジュだった。
 入寮してこの方、ジョルジュは片っ端から女の子に言い寄り、その都度、撃沈してきた事から、周りからお調子者の評価を受けていた。

「ま、まあまあ。それは置いといて、今日集まって貰ったのは他でもない。王太子妃殿下の事だ」

 カトレアの事が話題に上がると、野次を飛ばしていた連中は一斉に押し黙った。

「それは……」

「私達にとっては、雲の上の存在だから。どの様に接すれば良いか分からないわ」

 やはり、カトレアの事で、皆、戸惑っているようだった。

「つい先ほど、王太子妃殿下のメイドが、僕達を見て報告に戻った事から、まもなく王太子妃殿下も食堂に、お見えになられると思う。そこで皆で、盛大に歓迎しようと思う」

 ジョルジュの言葉に、一同が顔を見合わせた。

「良い考えだわ、私は賛成よ」

 一人の少女が立ち上がった。

「貴女は確か……」

「ミシェルよ。ミシェル・ド・ネル」

 かつて、アントワッペンの騒乱で、マクシミリアンに協力した少女ミシェルだった。

「ありがとう、ミス・ネル。トリステイン魔法学院では、全ての生徒は階級の上下も無く、一生徒として扱われるから、僕達のそれに習うべきでは?」

「しかし、カトレア王太子妃殿下を一生徒として扱えば、マクシミリアン王太子殿下に目を付けられて、実家が取り潰されるかも……」

 一人の男子生徒の発言で、食堂の温度は急降下した。

「た、たしかに……カトレア妃殿下の良い評判は聞くけど。王太子殿下は、恐ろしい評判しか聞かない」

「俺……前の内乱で、反乱軍に組した貴族は、王太子殿下の秘薬のモルモットになったって聞いた」

「私は、多すぎるトリステイン貴族を間引きする為に、ワザと反乱を起こさせたって聞いたわ」

「あ、それ、俺も聞いた」

「私も!」

 食堂は、マクシミリアンの悪名品評会になりかけた。

「いい加減にしたらどうかね?」

 だが、この流れに待ったをかけた者が居た。

「これは、ワルド子爵」

 ジョルジュが、ワルド子爵と呼んだ少年は、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだった。

 ジャンの父で先代のワルド子爵は、先の内乱の際に病で陣没し、その息子のジャンが新たなワルド子爵に就任したのだ。
 ここ、一昨年は、ワルド子爵領の内政や、その他の引継ぎの為、魔法学院への入学が遅れていたが、今年17歳にしてようやく入学が適ったのだった。

「粛清された貴族が、何故滅んだのか……それは、彼らが無能だったからだ。根も葉もない悪名に恐れを抱くより、大いに精進して、王太子殿下のお眼鏡に適えばよいのだ。これからのトリステインは、生まれの違いで評価されるのではなく。トリステインにとって有用か無用か、それで決まるのだからな」

「たしかに、ワルド子爵の言うとおりだ。今までのトリステイン王国の場合は、僕なんか伯爵の三男坊なものだから、何処か養子先を探さなきゃいけなかったけど、これからのトリステイン王国は、能力次第なら公爵だって夢じゃない」

 ジョルジュはワルドの言葉を聞き、頭をかいた。

「マクシミリアン殿下は気さくな御方です。よほど無礼を働かなければ、手打ちになることも無いですよ」

 悪名品評会になりかけた流れを変えるべく、ミシェルがフォローを入れた。

「それは、謝状を頂いた時にお会いした経験からかな?」

「そうです。良くご存知でしたね」

 ミシェルの企みに乗る形で、ワルドがミシェルに聞いた。

「謝状ってどういう事? ミス・ネル」

「あ、私も聞きたい!」

 マクシミリアンの悪名の話など何処かに飛んで行き、ワイワイと、ミシェルの話題で食堂は盛り上がった。

「どうやら、お見えになられたようだ」

 ワルドの言葉に、皆が一斉に食堂の出入り口を見ると、カトレアが中の様子を伺っていた。

「ようこそ、王太子妃殿下!」

「こちらへ、いらして下さい!」

 十数名の新入生は、温かくカトレアを迎え入れた。

「お邪魔じゃなかったかしら?」

「とんでもございません。これから声を掛けに行くところでした」

「これから、僕達は一緒に学ぶ仲間なんですから、遠慮なんて無用ですよ」

「そうですよ。王太子妃殿下」

「仲間……ですか。それじゃ、『王太子妃殿下』は止めて『カトレア』と呼んで下さい」

「呼び捨ては畏れ多いので、『カトレア様』でよろしいですか?」

「はい、皆さん、それから仲良くしましょうね?」

「は~い」

 いつしか、カトレアを中心に、ジョルジュ、ミシェル、ワルドや他の新入生達の輪が出来ていた。

 

 

第五十話 父と子

 王都トリスタニアに在るとある花屋。その店はアニエスの養母が営んでいた。
 養女のアニエスは、ここ数年、新宮殿で寝泊りしていて、週に一回の割合で、実家とも言えるこの花屋に帰っていた。

「た、ただいま」

「おかえり、アニエス」

 店先で養母のマノンが、笑顔でアニエスを出迎えた。

「洗濯物、持って帰ってきたんでしょ?」

「いつもすみません」

「いいのよ、親子なんだから」

 アニエスが週に一度、帰ってくるたびに下着などの洗濯物を持って帰ってきていた。

『新宮殿で洗濯してもらえばいいのに』

 と、同僚に言われたが、実家から足が遠のくのが嫌で実家に帰る口実にこういった処置をしたのだった。

「おばさん、後で話があるんだけど」

「話? 店があるから、終わったら聞くわ。そう言えば、近所に公衆浴場が出来たそうよ。疲れているでしょうから、入ってきなさい」

「うん」

 アニエスは、溜まりに溜まった洗濯物を洗濯場に置くと花屋を出て行った。

 ……

 その夜、養父のミランが珍しく帰ってきて三人でテーブルを囲って夕食を楽しんだ。
 養父のミランとの関係も修復し、少しづつであったが親子らしい会話もするようになっていた。

「その、おばさん、おじさん。聞いて欲しいことがあるんだ」

「そういえば昼間に、何か話があるって聞いたけど、その事?」

「実は……」

 アニエスは、スプーンを置いてマノンとミランを交互に見た。

「王太子殿下のアトラス計画に、コマンド隊も派遣される事になって、私も参加する事になったんだ……」

「待て、アトラス計画への参加は志願制と聞いたぞ」

 と、ミランが口を挟んだ。
 前人未到の海原を行く大冒険の為、参加者は原則、志願しなければならないはずだった。

「私……志願したんだ」

「どうして志願なんて、今の暮らしに不満があるのか?」

 ハルケギニアの人々にとって、海とはエルフと同等か、それ以上に恐怖の対象であり、無意識に避けていた。
 その為、海を渡る、という行為に恐れを抱く者や、遠く故郷を離れる為にホームシックに掛かって、本来の能力が発揮できない場合を踏まえ、能力以外にも心身ともに強い者を選定する為にマクシミリアンは志願制にした。

「不満は無いよ。けど、海の向こうに行ってみたいんだ」

「行ってみたいって。ピクニックに行く訳じゃないぞ?」

「分かってるよ」

「ううむ」

 ミランは、言葉につまった。
 ようやく、ちゃんとした会話が出来るようになって、ミランは公私共に充実していた時期だっただけに、アニエスが遠くへ行ってしまう事が怖かった。

「アトラス計画って、なぁに?」

 一人、蚊帳の外だったマノンが、二人に聞いてきた。
 庶民はこの計画の事を知らない。諸外国はアトラス計画はフネの海上運用法の実験航海と、諜報部がニセの情報を掴ませていた。
 庶民に真実を知らせないのは、庶民に広がった噂がロマリアに飛び、『布教したいから、同行させろ』と言う無理難題を吹っかけられるのを防ぐ為だ。
 
「それは……悪いがマノン。機密で詳細は言えないんだ」

「……まあ、お上のやる事に口出しするつもりも無いけど。最低限、相談して欲しいわ」

「すまないな、マノン」

「いいわよ。それで、アニエスの事だけど……」

 マノンはアニエスを見た。
 アニエスは、濡れそぼった猫の様に、心配そうにミランとマノンを交互に見ていた。
 その様子をも見て、マノンの脳裏には、アニエスがアトラス計画に、何故、参加しようとしたのか真相が見えた。

(海の向こうに行って見たい。と言ったけど、それは嘘のようね)

 そして、マノンが導き出した答え……それは『恋』だった。

(気になる人が、その計画に参加するから自分も着いて行きたいのね)

 マノンは、ホッと胸を撫で下ろしたい気分になった。
 コマンド隊に配属され数年。男所帯の職場に押し込まれ、『年頃の少女から懸け離れた性格になるのでは?』と心配していただけに、同じ女として、何より養女のアニエスの恋を応援したくなった。

「おばさん……」

「そうね、私は賛成という事にしておこうかしら」

「いいのか?」

「本人が行きたいと言ってるんだから」

「ありがとう、おばさん!」

「代わりに、私達のことを、お父さん、お母さんと言いなさい、ね?」

 マノンは、アニエスにウィンクをした。

「え、えええっ!?」

「早く早く!」

「ううう」

 アタフタとするアニエスに、マノンは更に迫った。

「さあさあ!」

「その……ありがとうございます。お養父さん(とう)、お養母さん(かあ)」

 アニエスは、顔を真っ赤にして言った。

「合格点には物足りない所だけど、、まあ十分ね。」

 マノンは満足したように、にっこりと微笑んだ。

「それじゃあ……!」

「いいわよ、行ってらっしゃいアニエス」

「おいおい、俺をほったらかしにして話を進めないでくれ」

 今度は、自分が蚊帳の外にされたミランが口を挟んだ。

「あら、いいじゃない。『可愛い子には旅をさせろ』と昔から言うじゃないの」

「少なくとも、私は聞いたことが無い」

 ミランは難色を示した。
 アニエスは、養父をどう説得するか、思案に移ろうとすると、マノンが耳打ちをしてきた。

「なんだ一体、何か悪巧みをしているのか?」

 ミランは、警戒しつつ二人を見た。

「あの、その、お養父さん、お願い行かせて下さい」

 アニエスは、両手を組み神に祈るようにしてミランに懇願した。
 その声色は、凛々しい雰囲気のアニエスとは真逆の、花も恥らう乙女を連想させた。

「うっうおっ、アニエス……何て可愛らしい……」

 親バカな所のあるミランには、効果はバツグンだ!

「う、うぉっほん! 仕方ないな、参加を許そう」

「ありがとう、お養父さん!」

 なし崩し的に折れたミランにアニエスは抱きついた。

(二人とも仲良くなれて本当に良かったわ……)

 マノンは、じゃれ合う二人を見てホッと胸を撫で下ろした。
 こうして、アニエスは養父母にアトラス計画参加を許されることになった。
 
 ちなみに、養母マノンはアニエスの想い人を聞こうと思ったが、野暮と思い聞く事が出来なかった。







                      ☆        ☆        ☆





 ……所変わって王宮では。

 マクシミリアンは、所用で応急に出向き、エドゥアール王の執務室で談笑をしていた。話の内容はマクシミリアンとカトレアとのちょっとした夫婦喧嘩の事だ。

「……と、いう事がありましてね、カトレアに泣かれてしまいました」

「そう言われて始めて気が付いた。幼い頃からお前を働かせてばかりだったな」

「僕は好きでやってる事なんですがね」

「いくら、王太子が、次期国王が私事(わたくしごと)を捨て、王国に尽くさねばならないとは言え、10も満たない歳から政治に参加させている事を許容したのは、大人として、何より父としての無能を痛感している」

 と、エドゥアール王は自嘲した。

「そう言わないで下さい。僕としては、好きにやらせてくれた事に感謝してますよ。自惚れるつもりはありませんが、そのお陰でトリステインは持ち直し、列強への階段を順調に上っています」

「そう言ってくれるか、マクシミリアン」

「歴史は父上を中興の(ちゅうこうのそ)を称えるでしょう」

「その名声は、お前にこそ、相応しいと思うが……」

「……?」

 妙に元気の無い父王に、マクシミリアンは気が付いた。

「父上、何処かお身体が悪いのですか?」

「ん? どうしてだ?」

「覇気と言いましょうか。とにかく生命力が薄く感じるのです」

「ハハハ、何だそれは。マクシミリアンよく見ろ、こうして父は生きているぞ?」

 エドゥアール王は、右腕で大して大きくもない力瘤(ちからこぶ)を作った。

「そうですか……とりあえず、滋養強壮の秘薬を出して置きますから、後で飲んで下さいね」

「分かった分かった」

 ……

 時は経ち、執務室の窓から西日が差し始めた。

「……さあ。出来たぞ」

「ありがとうございます」

 マクシミリアンが受け取った物。それは、新大陸が発見された場合に現地での、政治、軍事、外交と執り行うの全権委任状だった。
 言わば、マクシミリアンは新大陸の初代総督に任命された事になった。

「しかし、海の向こうに大陸があるのだろうか?」

「それは、何とも言えませんが、無ければ我がトリステイン王国は逃げ場を失います」

「大地の大隆起か……いつ聞いても眉唾物だな」

「大隆起の研究は、ワルド子爵の母君が責任者となって、日々研究を行っている所ですが、発生条件など、未だに分かっていません」

「そうか……とにかく無事に帰ってきてくれ」

「分かっていますよ。カトレアを早々に未亡人にするつもりはありません」

 マクシミリアンは力強く言った。
 
「……所で、出発は来週だったか。今日はどうするんだ。泊まって行くか?」」

「カトレアは居ませんし、一家団欒というのも悪くないですね」

「そうか、アンリエッタとマリアンヌも喜ぶだろう」

「一晩泊まって、明日、ヴァールダムへ発ち、出航まで、かの地で過ごします」

「では、今日明日でお前の顔も見納めか」

「母上やアンリエッタも大事ですが、僕は父上からアドバイスを頂けたら、大変助かります。新大陸を発見した場合に、総督として、何かと決断しなければならない事もあるでしょうしね」

「大したアドバイスは出来ないだろうが、私の経験談でよければ聞かせよう」

「ありがとうございます、父上」

 マクシミリアンとエドゥアール王は深夜まで語り合った。その間、アンリエッタとマリアンヌが、かまって欲しそうに、ちょっかいを掛けて来て、その度、中断してしまったが、父と子の語らいでマクシミリアンは多くのことを学んだ。






                      ☆        ☆        ☆





 そして次の日、マクシミリアンはトリスタニアを離れ、フネの待つヴァールダムへと発つ。
 一週間ほど、ヴァールダムで最後の調整をしてから、新大陸探索の旅へ出発するスケジュールだ。

「父上、母上、それにアンリエッタ、お元気で」

「達者でな、マクシミリアン」

「元気でね、危なくなったらすぐに帰ってくるのよ?」

 エドゥアール王をマリアンヌが別れの言葉をマクシミリアンに掛けた。特にマリアンヌは名残惜しそうにマクシミリアンの手を掴んで離さない。

「お兄様……」

「アンリエッタも、僕が居なくてもしっかりと勉強をして、僕が帰って来たら立派になった姿を見せて欲しい」

「……はい」

 目じりに涙と溜めたアンリエッタに、キスをしようとしたがマリアンヌが離してくれない。

「ちょ、母上離して」

「私にもキスして」

「ふぇっ!?」

 マリアンヌの言葉に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「じゃないと離さないから」

「ぐぬぬ……」

 アンリエッタの方を見ると、今にも涙がこぼれそうで、早く慰めないとと気が(はや)る。
 続けて、エドゥアール王の方を見ると、苦笑いをしていてマリアンヌを止める気配は無い。

(仕方ない)

 マクシミリアンは、マリアンヌに掴まれた手を口元まで持って行き、マリアンヌの手の甲に軽くキスをした。

「頬が良かったのに……」

「贅沢を言わないで下さい」

 マクシミリアンは掴まれた手をやんわりと解いた。

「さ、アンリエッタ」

 マクシミリアンは片膝を付いてアンリエッタを抱き寄せた。

「お兄様……」

「よしよし……アンリエッタ。別れが悲しいのは分かるけど、泣いてしまったら、せっかくの可愛い顔を台無しだぞ?」

「でもでも、ずっと会えなくなるなんて……」

「永遠に会えなくなる訳じゃないよ。精々、一年か二年か……とにかく、絶対帰ってくるから。それまで父上と母上を困らせるような事はしないように、な?」

「……はい、お兄様、アンリエッタは良い子にしています」

 何とか、愚図るアンリエッタを説得したマクシミリアン。

「では、改めて父上、母上、アンリエッタ、言って来ます」

 そう言ってマクシミリアンは竜籠に飛び乗った。

「達者でな、マクシミリアン」

「父上も。執務室に強壮の秘薬を置いておきましたので、、後で飲んでくださいね」

「心配かけてすまなかったな」

「父上も、ご自愛を……」

 ゆっくりと浮かぶ竜籠に多くの家臣たちが手を振って見送った。
 マクシミリアンも手を振り返し、やがて竜籠は空の彼方へと消えていった。

 これが父と子、二人の永遠の別れである事など誰も知るよしはない。

 

 

第五十一話 王子の旅立ち


 トリスタニアを発した次の日。
 ヴァールダムに到着したマクシミリアンは、その足で埠頭に停泊しているベルギカ号へ移った。
 一週間後の出航までに、宛がわれた自室に秘薬作成用の機材を入れる為、その指揮を取らなければならなかった。

「およそ、一年ぶりかな艦長。また厄介になる」

 艦長室に出向いたマクシミリアンは、艦長のド・ローテルに挨拶をした。
 艦長室の内装はマクシミリアンの宛がわれた部屋よりも豪華だった。
 これについて、マクシミリアンは特に言う事はない。何故ならば、このベルギカ号で一番偉いのは艦長で、マクシミリアンは『お客様』に過ぎない。指揮系統を一本化するために、国王だろうが教皇だろうが、艦長の指示に従わなくてはならないのが、新トリステイン空海軍の流儀だった。

「こちらこそ、王太子殿下」

「早速、仕事の話に移りたいのだが、通達しておいた物資は取り寄せて貰えたか?」

「キャベツの酢漬け(ザワークラフト)の他、多種多様な缶詰に乾パンに乾燥パスタ。日持ちしそうな食べ物は粗方、取り寄せていまして、現在、積み込みの真っ最中でございます」

「うん、結構。この旅は長期間の航海に発生する様々な事例を、実験検証する為の旅でもあるからね」

 長期の航海中に発生する病の代表格である壊血病は、地球の大航海時代においては原因不明の病で知られ、船乗り達の間では壊血病を海賊以上に恐れられていた。
 時代が下るにつれ壊血病の研究は進められ、イギリス海軍は壊血病予防の為にライムジュースを服用していた事から『ライム野郎(ライミー)』のスラングで呼ばれていた。ビタミンC不足と壊血病の関係が明らかになったのは1932年で、それまで決定的な原因究明は出来なかった。
 壊血病の他、脚気など、船の上という環境で起こりうる様々な病気を研究、治療するのがベルギカ号に於けるマクシミリアンの仕事だった。
 とはいえ、それらの病気は魔法使えば、たちどころに治ってしまうのだが、後学の為に死にいたる病以外に多用するつもりは無かった。

(魔法というものは本当に便利だ……しかし、あまり魔法に頼り切るのも良くはない。その辺のバランスがとても難しい)

 秘薬を使わない『医学』という分野が、急激に成長をしているのが現在のトリステインだ。
 急成長といっても魔法に比べたら児戯に等しかったが、将来の発展の為に保護してやる必要があり、このベルギカ号にも『医師の卵』というべき者達が数人乗り込んでいた。


「最後に、殿下の言いつけ通りに、ベルギカ号の一室を浴場に改造しておきました」

「貴重な部屋を、使わせてもらってありがとう。」

「失礼かと思われますが、殿下お一人で?」

「まさか、全乗組員に解放するよ。清潔にして、栄養を確り取っていれば、大抵の病気は寄って来ないからね」

「航海中は食事ぐらいしか、娯楽がありませんので、乗組員達には気晴らしになるでしょう」

「水に関してだが心配は無いよ。海水に魔法をかけて塩分を抜き取れば、飲料水としても使える」

「それでしたら、航海中の水の心配は要りませんね」

 マクシミリアンは舌の根の乾かないうちに、魔法に頼ってしまうだったが、

『魔法無しでは、この旅を成功させるのは不可能』

 とも思っていた。

「様はバランスなのだ」

「? 殿下、なにか仰いましたでしょうか?」

「なんでもない。所で冷凍室は作った?」

「言いつけ通りに作っておきました。先ほども言いましたが、この旅は実験的な要素も含まれますので、缶詰等の保存食で航海を進めますので、冷凍室は、精々釣った魚を保存するぐらいにしか使われないかと。あ、後はソーセージなど吊るしておきましょうか」

 ちなみ、冷凍室は魔法で部屋一面に氷を張らせ冷凍保存する仕組みになっていた。

「なるほど、分かった。ありがとう艦長、仕事に戻ってくれ」

「御意」

「……本当に魔法は便利すぎる。科学技術が魔法と肩を並べるには、まだ時間が掛かりそうだ」

 そう言ってマクシミリアンは艦長室を出た。






                      ☆        ☆        ☆







 先の内乱以降、大多数のトリステイン貴族が粛清された、過半数の反乱貴族は、戦死するか処刑されたりしたが、中には命は助かったものの『家名』と『領地』を失った元貴族が多く出た。
 今だ文字の読めない平民が大多数のトリステインにでは、依然、知識階級の元貴族を遊ばせておく余裕も無く、元貴族達には再就職先を斡旋してやった。もちろん、監視付きだが。
 そんな元貴族の中には、領地と階級を失ったことで、領地経営や他の貴族に見得を張る事から解放された事で、空いた時間を趣味に専念し大成した者も居た。

 出航三日前、元貴族で現在は学者の団体が、ベルギカ号に乗り込んできた。アトラス計画参加の為である。
 
「諸君、よく来てくれた」

 タラップの前で、マクシミリアンが学者達を出迎えた。

「王太子殿下、御自ら出迎えて頂けるとは光栄の至りです」

 元貴族の動物学者に植物学者、地理、地質、等々……各種様々な学者達が一斉に頭を下げた。

「この旅の為に、編成されたこの学術団の意義はとても大きい。その知識を大いに役立てて欲しい」

「御意。王太子殿下のご期待に沿えるよう、一掃努力いたします」

「詳しい部屋割りは、艦長に聞いて欲しい。案内するよ」

「殿下にご足労をお掛けするとは光栄の至り」

「気にするな」

 マクシミリアンは学術団も伴って、ベルギカ号は乗船した。

 軍艦であるベルギカ号には、最低限の空き室しかなく、十名近い学術団はいくつかの狭い部屋にギュウギュウ詰めに押し込まれる事になったが、その辺はマクシミリアンがフォローする事にした。

 ……

「それにしても……」

 学術団を伴って歩いている時、マクシミリアンは周りに聞こえないように呟いた。

(なんで、ミス・エレオノールが居るんだ?)

 学術団の中にカトレアの姉、そしてマクシミリアンにとっても義姉のエレオノールが居た。
 本人は、マクシミリアンの目に付かないように陰に居た積もりなのだろうが、その美貌は隠せなかった。

(オレへの当て付けか? と、言うよりラ・ヴァリエール家はこの事を把握しているのか?)

 マクシミリアンはカトレアから、エレオノールが過去三回、婚約を解消したと聞いていた。それも全て粛清の(あお)りを受けての婚約解消だった。
 婚約相手の家が、ことごとく取り潰され魔法学院を卒業しても嫁の貰い手が無く、屋敷で悶々とした生活を送っていた。地球風に言えばニートである。だからこそ、一瞬、当て付けと考えてしまった。

(ミス・エレオノールには悪い事をした……ひょっとしたら、僕の事を恨んでいるかも)

 だからと言って、粛清を悔いる積もりはマクシミリアンには無かった。

 学者達を連れたマクシミリアン一行は、カツカツと音を立てて廊下を歩き、学者達とド・ローテルを会わす為に艦長室へと目指した。

「ずいぶんと狭い廊下だな」

「……それに無骨な内装だな」

「軍艦だから仕方ないだろう」

 学者達は、物珍しそうに廊下などあちこちを見ていた。
 彼らの知的好奇心は旺盛である。

「さ、艦長室に着いた。僕を下がるが長い航海だ、お互い仲良くやっていこう」

「恐縮で御座います。殿下」

 リーダー格の学者が頭を下げた。
 マクシミリアンは、自室へ戻るべく足を進め、エレオノールとすれ違った。

 すれ違いざま、目と目が合わさったマクシミリアンとエレオノール。
 マクシミリアンはエレオノールにウィンクすると、エレオノールは恥ずかしそうに目を逸らした。

(今の反応だと、恨んでは居なさそうだ。ちょっと安心)








                      ☆        ☆        ☆








 出航が明日へと近づき、人夫が忙しそうにベルギカ号へ物資を積み込んでいた。
 その様子を、マクシミリアンとド・ローテルは甲板で見ていた。

「物資の積み込みは今日中に終わる予定です」

「それは良かった。ちなみにどれ程、積み込んだのかな?」

「それはですね。食料を六ヶ月分と水を一週間分ですね。後は風石に石炭、弾薬といった所です」

「水と石炭に関しては、学術団が協力してくれる手筈になっている。無論、僕も協力するけどね」

 前出したが、魔法で海水を飲料水に変える事で水の心配は要らなくなった。そして、蒸気機関に必要な石炭は『錬金』で作り出すことが可能だ。
 火の魔法の使えないマクシミリアンは、海水を飲料水に変えることは出来ても、水をお湯に変えることは出来ないし、鋼を錬金することが出来ても石炭は錬金することが出来なかった。
 魔力無限をいうチート能力でも、その辺りの事情は如何ともし難たかった。

「お陰で開いたスペースを食料に割り振ることが出来ました」

「未知の領域を旅する計画だからね。食料は大いに越したことは無い」

「そうですね」

 そんな時、マクシミリアンの目に奇妙なものが移った。

「ん? あれは馬か?」

 マクシミリアンが指差す方には、二頭の馬が人夫に手綱を引かれてタラップを上っていた。

「はい、馬も乗せます。陸では荷馬や馬車を引かせますし、場合によっては非常食として利用します」

「なるほど馬車も」

「御意」

 馬はベルギカ号の最深部に設けられた飼育室に入れられた。
 馬の他にも乳牛などの家畜も乗り込み、これで毎朝ミルクにありつける事が出来る。
 満足したマクシミリアンは自室に戻ろうとすると、見知った金髪頭が数人の男達と共にタラップを昇っているのを見た。

(あの金髪はアニエスか?)

「コマンド隊の面々ですね。任務は殿下の護衛と陸上での偵察と聞いております」

 マクシミリアンがタラップの方を見ているのを察し、ド・ローテルがマクシミリアンに教えた。

「僕の護衛? セバスチャンも居るから不用だと思うんだが……まあいいや、会ってみよう」

「では、その様に取り計らいます」

「任せるよ。しかし何だな。艦長もフネの仕事があるというのに、僕の秘書官みたいな事もさせて申し訳なく思っている」

「私は気にしていません。どうかお気になさらずに」

「すまない」

 こうして、出航前の喧騒は過ぎていった。
 マクシミリアン一行は、ベルギカ号に乗り、逃げ場所を探す為にアトランティウム洋を渡る旅はこうして始まる。

 

 

第五十二話 ドゥカーバンクの戦い・前編

 ヴァールダムを出航したベルギカ号は、進路を北西に取っていた。

 水兵たちが、いそいそと艦上勤務をしている中、『男子禁制』を書かれた看板が掲げていた部屋があった。
 この部屋は女性部屋で、出航の際、男所帯のベルギカ号に、アニエスやエレオノールが乗船した事から、ド・ローテル艦長は急遽女性用の部屋を設けた。
 女性部屋の中では、アニエスが一人ラフな格好で、ベッドの上で胡坐をかきながら銃を磨いていた。
 銃は、『場違いな工芸品』の銃ではなく、雷管を採用したハルケギニア初の後装式ライフルで、試験的にコマンド隊に配備されていた。ただ、真鍮製の薬莢はまだ開発中だった為、紙薬莢もままで更なる改良が求められた。他にも愛用の38口径リボルバーも持って来ている。

「……はあ」

 思わずため息が出た。

 実はアニエスは雑念を振り払う為に、いつもより入念に銃の掃除を行っていたが、雑念はそんな事お構い無しにアニエスに、ため息を吐かせた。

「私、何やってるんだろ……」

 王子様との身分違いの恋。などと言うのは、年頃の女の子が誰もが一度は描く夢想だったが、『男勝り』と養父母を心配させたアニエスにもその素養はあった。
 アニエスの場合は、その王子様が変装して町を散策中に出会い、友達の様に言葉まで交わした……これで夢想するな、と言うのが無理な話だ。
 だが、アニエスの恋は始まる前に終わっていた。王子様には将来を誓い合った女性が居たのだ。
 しかも、その女性は病に犯されていて、王子様は病を治す為に東奔西走。その結果、女性の病は治り、二人は永遠の愛を誓い合った……

 世の女性達はこの話を羨んだが、一方のアニエスのショックは言うまでも無い。

 その後、紆余曲折がありアニエスは、着かず離れず後ろからマクシミリアンを見ていた。たとえ、実らぬ恋でも後ろから見続けられれば満足、という心境へ変わったのだ。

 アニエスがベルギカ号に乗った理由は、未だマクシミリアンを諦めきれない部分がこの行動を起こした、と今になって気付き自己嫌悪に陥っていた。

「乗ってしまったのは仕方が無いし、腹を括ろうか」

 およそ、14歳とは思えない言葉がアニエスの口からこぼれた。これもコマンド隊での猛訓練の賜物か……

 アニエスが銃の掃除を再会して数十分後、女性部屋にエレオノールとエレオノールの雇い主『赤土』のシュヴルーズが入ってきた。二人とも髪が湿っていて風呂上りだった。

「おかえりなさい、お風呂どうでした?」

「ミス・ミラン。思っていたよりも広くて、ゆったり出来たわ。フネの中でお風呂に入れるなんて、殿下も女心が分かっているわね」

 シュヴルーズは、学者、著述家としては優秀で、好奇心はそれほど旺盛ではなかったが、先の粛清の呷りを食らって家を失い、再起の為にこのベルギカ号に乗り込んできた経緯があった。
 もし、粛清も無く、悠々自適に貴族生活を過ごしていたら、適当に結婚して学校の教師にでも納まっていたことだろう。
 アニエスは、気さくに話せるシュヴルーズに気を許していた。

 一方のエレオノールはというと……

「それにしても、召使いが居ないから、自分で着付けをしなくちゃいけないなんて不便だわ」

 と、不機嫌そうにベッドに腰を掛け、櫛で自分の長い髪をすいていた。
 ベルギカ号に乗っているのは女性はこの三人だけだった。

(この人は苦手だ)

 一昔前の貴族を、そのまま体現したようなエレオノールに、アニエスはシュヴルーズとは逆に苦手意識を持った。貴族嫌いの虫が騒いでケンカにならなかったのは成長の証しか。

「そういえば、ミス・ミラン」

「え、あ、はい?」

 エレオノールの声にアニエスは一瞬、身をたじろいだ。心の中を読まれたかと思ったからだ。

「コマンド隊は、会議室に集まるように通達があったわ」

「あ、ありがとうございます。すぐに向かいます」

 アニエスは銃を木製のケースにしまうと、逃げるように部屋を出て行った。

「……変な子ね」

 エレオノールは首を傾げた。

「緊張しているのよ。ミス・ヴァリエールは、語気が強すぎて相手を怖がらせてしまうのよ。もうちょっと、おっとり喋ればきっといい人にもめぐり合えるわ」

 エレオノールとシュヴルーズは、歳は10歳ぐらいしか違わないが、人生の先輩としてシュヴルーズはエレオノールにアドバイスをした。
 
「前慮はします」

 面と向かって言われるのか気に入らないのか、エレオノールは不機嫌になった。







                      ☆        ☆        ☆







 ベルギカ号内にある会議室では、マクシミリアンの他、艦長のド・ローテルにアニエス以外のコマンド隊隊員にベルギカ号の士官達が集まっていた。

「殿下。このまま、海を進み続けば海獣に襲われる危険がございます。浮上を提案いたします」

 士官の一人が、マクシミリアンに提案した。

「トリステインの北西の海域は、海獣の餌場なのか、度々海獣が目撃されていて、我が艦も襲われたことがございます」

 ド・ローテルが付け加えた。

「その時の被害は?」

「浮上する事で、海獣の攻撃を避ける事がが出来ました。被害はございません」

「それは良かった」

 ド・ローテルの答えにマクシミリアンは安心したように頷いた。
 海獣は基本的に海上を進む物しか襲わず、フネの様に空を進むを物は襲わなかった。

「……さて、僕の考えを言おう。新大陸探索の行きがけの駄賃として、この海獣問題を何とかしようと思う」

 マクシミリアンの言葉に会議室はザワついた。

「海獣が餌場とする海域は、逆に言えば豊富な漁場としてトリステイン財政と国民の胃袋を支えることになるだろう」

「海獣退治をなさろうと言うのですか? 具体的にはどの様に……」

 ド・ローテルはおずおずとマクシミリアンに聞いた。

「僕に考えがある。海獣を見つけたらベルギカ号は空に退避していてくれ」

「お待ちください! 殿下御一人で海獣に立ち向おうと仰るのですか?」

「無論だ」

「どうか、考え直して下さい。殿下に、もしもの事があれば、我々は国王陛下に顔向けできません」

 士官達は懇願するように、マクシミリアンを説得するが効果は見られない。

「大丈夫だ。僕に任せて欲しい」

「殿下の実力は、知らぬ者は居ません。ですが……」

「では聞くが、どうやって海獣を退ける? ベルギカ号のロケット砲で海獣を倒すことが出来るか怪しいし、ロケット弾の補給はトリステインに戻らなくては不可能ではないか? 言っておくが、僕は火薬の錬金は出来ない」

「ロケット弾は、時間は掛かりますが、我々が何とかして見せます。ですから、どうか無謀な事は……」

 ド・ローテルは何とか食い下がろうとするが、マクシミリアンの心は動かせない。

「海獣問題を解決しなければ、フネが自由に航行できないじゃないか」

「それは、時間を掛けて解決すればよろしいかと」

「クドイなぁ……」

 話し合いは傾向線をたどろうとしていた時、幸か不幸かアニエスが入室してきた。

「あ、失礼します」

「……」

「……」

 アニエスの登場は、話に水を指す形になった。

「そういう訳だから、ベルギカ号浮上の後は任せた」

「あ、殿下!」

 マクシミリアンは、席を立ち会議室を出て行く際に、アニエスとすれ違った。

「助かったよアニエス」

「あ……」

 僅か、それだけのやり取りだったが、アニエスの胸を大いに高鳴った。

 逃げ去る形でマクシミリアンは出て行き、艦長以下、士官達は重苦しい雰囲気に包まれていた。

「とりあえずは……浮上後の防衛体制の確認をしておこう」

「……了解です」

 結局、マクシミリアンの提言どおりに進め、ベルギカ号クルーは最低限サポートすることになった。

「場合によっては、殿下のお叱りを覚悟に介入もしよう。介入についてだが、コマンド隊に任せたいのだが」

「我ら、コマンド隊にお任せあれ」

 コマンド隊の派遣部隊隊長の、デヴィットという男が敬礼をして答えた。

「おい、アニエス、突っ立ってないで早く座れ」

 先輩格のヒューゴが、蚊帳の外のアニエスに手招いて席に座るように促した。

「りょ、了解」

 アニエスは、そそくさと空いた席に滑り込んだ。






                      ☆        ☆        ☆






 ベルギカ号は遂に海獣の領域とされる海域に到達した。

 水兵たちは、マストに登ったり海面を凝視したりと、海上及び海中の敵の襲撃を警戒していた。

 一方、マクシミリンはというと……

「いっちに~さんしっ、に~にっさんしっ」

 水着に着替え、艦尾で準備体操をしていた。
 そこに、アニエスを含めたコマンド隊の4人が現れた。

「諸君、お疲れ様」

「殿下、我々は既に問題の海域に入っています」

「分かった」

 マクシミリアンは、杖を取り出した。

『ウォーター・ビット!』

 マクシミリアンの唱えた『ウォーター・ビット』は、かつての8基から大幅に増え32基がマクシミリアンの周りを展開していた。

「ベルギカ号の周辺を警戒せよ」

 マクシミリアンの命令で、32基のウォーター・ビットが周辺の空域へ散って行った。

「これでよし、コマンド隊はすぐにでも浮上できるように、準備はしておいてくれ」

「了解です。アニエス、お前は殿下に着いていろ。我々は周囲の警戒をしてくる」

「了解」

 他の隊員は去り、アニエスとマクシミリアンだけになった。
 と言っても色気のある会話など無い。

「とりあえず、アニエスは見物していてくれ」

「……分かりました」

 アニエスも、色気のある会話を期待していたわけではないが、当てが外れ少し気が沈んだ。
 アニエスの変化に気づかないマクシミリアンは、おもむろに釣竿を取り出した。

「それは……?」

「海中の敵を探知する、魔法の釣竿だ」

 釣り針の変わりに丸い石のような物がぶら下がっていた。

『イル・ウォータル……』

 スペルを詠唱すると、釣竿を操作して丸い石を海中へ落とした。

「……」

 目を瞑って釣竿を垂らす姿は、何処かの釣り人のようだった。

「あの……」

「ごめん、ちょっと静かにしていてくれ」

「……あ、ごめんなさい」

 沈黙に耐えられなくなったアニエスは、マクシミリアンに話しかけたが怒られてしまった。

 マクシミリアンの魔法は、『ディテクトマジック』を応用して一種のソナーを模した魔法で、これで海中の敵を探すつもりだった。

「……」

 ソナーで得られた情報は、マクシミリアンの脳内で映像化されていた。

(すごいな、魚で一杯だ)

 数十万数百万もの魚が遊泳している姿がマクシミリアンの脳内に映し出された。
 魔法は魚群探知機の役割も持っていた。

「……」

「……」

 その後も、魔法で探索を続けるマクシミリアンにアニエスは、後ろに控え続けていた。

「あの……殿下」

「……ん?」

「寒くないですか?」

 水着姿で数時間いた為、アニエスはマクシミリアンを労わった。

「寒くはあるけど、我慢出来ないほどではないよ」

「それじゃあ……」

 アニエスは、近代的な軍服の上着を脱いでマクシミリアンの肩に着せた。アニエスは軍服に下に白い綿製のTシャツに似たインナーを着ていた。

「ありがとう、アニエス」

「いえ……」

 アニエスの残り香が残った上着を着て、釣り糸を垂らし続けると、ソナーは高速でこちらに殺到する無数の反応を察知した。

「これは……敵だ! 海獣だ!!」

「えっ!?」

 突然、大声を上げたマクシミリアンに、アニエスは驚きの声を上げた。

「敵だ! 艦長に急速浮上を要請! 急げ!」

「りょ、了解!」

 マクシミリアンがアニエスにせっつくと、彼女は艦長の元へと走っていった。

「間に合わないかもしれない」

 ベルギカ号の浮上と、魚雷の様な敵の突撃のスピードとを計算し間に合わないと判断した。

「ウォーター・ボール! 海面から飛び出した敵を狙い打て!」

 ウォーター・ボール達に命令したマクシミリアンは、アニエスの上着を甲板に置くと秘薬の入った瓶を呷った。
 この秘薬は、口の中に含み続ければ絶えず酸素を放出し続ける秘薬で、海中でも呼吸が可能だった。

「殿下!」

 士官の一人が、マクシミリアンに駆け寄ってきた。

「敵が来る。さっき艦長に使いは出したが、大至急浮上してくれ」

「あ、殿下、お待ちを!」
 
 仕官の制止を無視する形で、マクシミリアンは海に飛び込んだ。





                      ☆        ☆        ☆





 マクシミリアンが海中に入ると、海獣達はベルギカ号まで数百メイルの距離まで接近していた。

「こっちだ!」

 マクシミリアンは杖を振るい、スペルを唱えた。

『アイシクル・トーピード!』

 氷で出来た『トーピード』、すなわち氷の魚雷が10匹の海獣へ向けて発射された。
 アイシクル・トーピードは、水魔法の『ジャベリン』の応用で、1メイル程の氷の槍を生成し石突きの部分から水を放出する事で前進する水中専用の魔法だ。
 しかも、追尾性能もあり、6つの氷の槍は10匹の海獣の内、6匹に全弾命中した。
 命中と言っても爆発するわけでもなく、氷の槍は深々と海獣に突き刺さり10匹中6匹が脱落した。

 ベルギカ号に体当たりをかまそうとした4匹の海獣達は、邪魔されたのを怒ったのかマクシミリアンに狙いを定め進路を変えた。

(好都合だ!)

 杖を振るいスペルを唱える。秘薬のお陰で海中での呼吸や詠唱も可能だった。

『ウォーター・ジェット!』

 『ウォーター・ジェット』は『エア・ジェット』の応用で足裏から水を噴射することで、高速で水中を進むことが出来る魔法だ。

(着いて来い!)

 マクシミリアンは、なるべくベルギカ号から引き離そうと逆の方向へ進んだ。

(それにしても、あれが海獣か)

 マクシミリアンを追う怪獣を観察すると、地球で言う『イッカク』の様な外見で、3メイル程の巨大な角を一本生やし、身体の部分は2メイル程と角よりも小さい。だが海中でのスピードは時速80リーグとかなりの高速で、海の槍騎兵と呼ぶに相応しかった。

(イッカクのようでイッカクではない。これはもうイッカクモドキだな、うん、決めた)

 海獣達はイッカクモドキと名づけられた。
 その間にも、マクシミリアンを猛追する4匹のイッカクモドキとも差は、徐々に縮まっていた。

(流石に、向こうの方に分があるか)

 ジリジリと差を縮めるイッカクモドキに、マクシミリアンは次第に焦りの色が出始めた。

(一度に二つの魔法を使うことが出来ないから、敵に攻撃魔法をかけるには、ウォーター・ジェットを止めなければならない。だが、そんな事をすればたちまち、あの角の串刺しだ)

 術者から独立して行動する『ウォーター・ボール』はその性質上、水中では運用できない為、今のマクシミリアンに出来る事は逃げて時間を稼ぐ事だけだった。

(最後の頼みは『目から破壊光線』か……水中で使ったことが無いから、ぶっつけ本番は怖くて出来ないし連発も不可能だ)

 その間もマクシミリアンとイッカクモドキとの差は縮まるばかりだ。
 まるで刺客の様に、逃げるマクシミリアンを追い詰める。

 その時、ふと明暗が閃いた。

(これなら……!)

 マクシミリアンは、猛追するイッカクモドキの目を見る。そして、マクシミリアンの両眼が光った!

 カッ!

『グワワワッ!』

 一匹のイッカクモドキが、悲鳴を上げて追撃から脱落した。

(いけるぞ!)

 マクシミリアンの名案とは、『目から破壊光線』の応用、『目からサーチライト』をイッカクモドキの目に直接、叩き込むことだった。
 いくら攻撃力が無くても、一瞬の隙は作れる。マクシミリアンは残りのイッカクモドキの目にも『目からサーチライト』を叩き込んだ。
 残りのイッカクモドキも、次々と追撃から脱落していき、中には勢い余って他のイッカクモドキに突き刺さったものまでいた。

(よし、反撃だ!)

 海中で、のた打ち回るイッカクモドキに対し『ウォーター・ジェット』を止め、反撃のスペルを詠唱した。

大渦巻(メイルシュトローム)!!』

 マクシミリアンの魔法によって海流が変わり、この海域では有り得ない数リーグは在ろうかという巨大な渦巻きが発生した。
 余りの巨大さに遊泳していた魚達は危険を察知し我先に逃げたした。

 海中を、のた打ち回っていた5匹のイッカクモドキは、その大渦巻きの中心にて圧倒的な海流に揉まれ続けた。

『&%$#!』

 4匹のイッカクモドキは、大渦巻の海流でお互いの角で傷つけ合い、声にならない声を上げた。
 血塗れ傷だらけのイッカクモドキ達は、大渦巻の中心で哀れミンチになってしまった。

 だが、マクシミリアンにも代償はあった。

(ぐおおおぉ……頭がクラクラする)

 海中に居たマクシミリアンも、大渦巻の影響を受けて、身体を揉みくちゃにされた三半規管が滅茶苦茶になったのだ。

 耐えられなくなったマクシミリアンは大渦巻を止めた。暫くすれば海流は元に戻るだろう。

 次に状況を知る為に『ヒーリング』で狂った三半規管を治し、次に杖を振るいソナーで索敵をした。

(……海面にベルギカ号の反応は無し。無事に浮上したようだ……ん?)

 ソナーは、遥か遠方からマクシミリアンに近づく大きな魚群を探知した。
 入念にぞの魚群を調べると、魚群に守られる様に隠れていた巨大な影も探知した。

(デカイ! 200メイルはあるぞ!)

 暗い海の底から何か巨大なモノが、数千もの臣下を従えて、ゆっくりとマクシミリアンに近づくその姿は、王の行進と言うに相応しかった。

 ……北海の王が姿を現したのだ。

 

 

第五十三話 ドゥカーバンクの戦い・中編

 浮上したベルギカ号の甲板上は騒然としていた。

 すぐ下の大海原が突如荒れ、巨大な渦を作り出したのだ。

「各部署、被害を知らせ!」

 艦長のド・ローテルが士官たちに命令を出していた。

「一体、何がどうなっているのだ」

「艦長!」

「どうした!」

「殿下のお姿が見当たらないそうです!」

「むむ! という事はあの渦は殿下が!?」

 ド・ローテルは甲板から渦の渦巻く海を見下ろした。
 暫くして、数リーグ及ぶ大渦は小さくなって行きやがて消えてなくなった。

「これは、殿下はご無事であろうか……」

「艦長!」

「今度は何だ!」

 伝令の仕官が、ド・ローテルの下へ駆け寄ってきた。

「北の方角、水平線の向こう側で海獣と思しき物体を多数発見したとの事です」

「なんだとぉ!?」

 ド・ローテルは驚きの声を上げた。

「こうしてはいられない、戦闘準備だ!」

「了解!」

 ド・ローテルの命令で、仕官や水兵たちは別の生き物の様に顔付きが変わり艦内を走り回った。ベルギカ号は戦うフネに様変わりした。

「右舷全砲発射準備良し!」

「左舷も全砲発射準備良し!」

 次々と報告がド・ローテルに上がってきた。
 ベルギカ号には左右に8門づつの計16門の24リーブル前装砲が配備されている。大砲こそ旧式の前装砲だが冶金技術の向上で頑丈になり、より強力な火薬で遠くに砲弾を飛ばせるようになった。

「ロケット砲は?」

「現在、鋭意準備中との事です」

「急がせろ」

「了解!」

 ド・ローテルが水平線の向こうに視線を戻すと、数百もの海獣が白い尾を引いて海上を航行しているのが見えた。
 海獣一つ一つが全長は30メイルは下らない巨体を誇っている。

「これは……!」

 思わず生唾を飲み込んでしまう。
 あれだけの数を、相手にしなければならない事に、一瞬、絶望を覚えた。

 ……

 戦闘準備を示す鐘が、引っ切り無しに鳴らされていた。

「何かあったのかしら?」

 女性部屋に居たエレオノールは、ドアから顔を出して廊下の様子を伺っていた。

「何か異変が起こった様ね。私達は部屋に居て何らかの指示を待ちましょう」

 一方のシュヴルーズはというと、のん気に日記を書いていた。

「すみません! 失礼しますっ!」

 アニエスがノックも無く部屋に入ってきて、ベッドの側に置いてあった木製の武器ケースからライフル銃を取り出した。

「ミス・ミラン、この騒ぎは何? 何があったというの?」

「戦闘です! 皆さんは学術団の皆さんと一緒に、食堂で待機する様にお願いします」

「戦闘!? 一体何がどうなっているの?」

「詳しい事は食堂で。私はすぐに戻らないといけないので、すみませんが、早目に移動をお願いします」

 そう言って、アニエスはライフル銃を抱えて部屋を出て行った。

「……ああ、行ってしまったわ」

「兎も角。ミス・ヴァリエール、私達も移動しましょう」

 シュヴルーズは、書いていた日記を小脇に抱え、いそいそと必要な物をポケットに突っ込んでいた。







                      ☆        ☆        ☆







 先に戦端を開いたのは、海獣でもなくベルギカ号でもなく、ベルギカ号の周りを警戒していたウォーター・ビット達だった。
 ウォーター・ビット達は、一部をベルギカ号に護衛に残し、海獣の集団へと飛び去り海上を航行する海獣達に『ウォーター・ショット』を放った。

「ギャオオオオオッ!」

 最初の獲物はシー・サーペントで、ウォーターショットの集中砲火を浴び、血塗れになって海に没した。
 だが、海上を航行する海獣は今だ膨大で更に多種多様だった。前出のシー・サーペントもまだまだ数は多く、30メイルもあろうかという巨大なサメまで確認された。他にも魚型やトドに良く似た海獣も多く居た。海中で見えないが先ほどのイッカクモドキも、かなりの数が居た。

 ウォーター・ビット達はもぐら叩きの様に海上に現れた怪獣を片っ端から打ち抜いていった。

 しかし、多勢に無勢。一向に海獣の数は減らなかった。
 基本的に海獣は空を飛べない為、上空から一方的に攻撃する事が出来た。だが、マクシミリアンからの魔力供給も無く戦い続けた結果、一つまた一つとウォーター・ビットは魔力切れを起こし、ただの水に戻っていった。

 そんな時だった。
 海上に100メイル弱の氷山が現れたのは。

 突如、進行方向に氷山が現れた為、シー・サーペントの一匹が氷山に乗り上げてしまった。

「待たせたな。ここがお前達の墓場だ!」

 声の主はマクシミリアンだった。
 マクシミリアンは、氷山の中央の山頂付近に立ち、海獣達を挑発した。
 この氷山を作り出したのは彼だった。足場を作る事と自ら囮になることで、ベルギカ号に追っ手を差し向けさせない為でもある。
 新たにウォーター・ビットを唱えなおし、マクシミリアンの周りにはウォーター・ビットが近衛兵の様に周りを固めていた。しかもマクシミリアンからの魔力供給のお陰で魔力切れを起こす事はない。

 氷山に乗り上げたシー・サーペントは、突然の出来事で気が動転したのか、氷山の上で暴れ回っていた。

「せっかく作ったのに、壊れてしまうじゃないか」

 マクシミリアンは、スペルを唱え『アイス・ストーム』をシー・サーペントに放った。

 シー・サーペントは、アイス・ストームの暴風に巻き込まれると、氷の粒で傷つけられ、るとその巨体を空高く放り上げられてしまった。そして海に落ちる頃には既に絶命していた。

 それが呼び水だったのか、怪獣達は一斉にマクシミリアンの居る氷山へ襲い掛かった。

「ウォーター・ビットは、各個に迎撃!」

 マクシミリアンの指令でウォーター・ビット達は、近づく海獣達を狙撃した。

 ビシュッビシュッビシュッ!

 ウォーターショットの細い線が、氷山へと迫る海獣の頭や背びれに突き刺さる。
 海獣達は次々と脱落して行ったが、中には噴水の様に血を噴き出しながらも果敢に迫る魚型海獣が居た。

「魚の癖にいい根性をしているな!」

 マクシミリアンは、右手で杖を振るいスペルを唱え、左手でピストルの形を作った。

『ウォーター・ショット』

 『ズガン!』という、空気が爆発する音と共に強烈な水流が近くの海獣諸共、魚型海獣を襲った。
 マクシミリアン版ウォーター・ショット、別名ウォーター・キャノンの通った後には、原形を留めない肉塊だけが海上に漂い、氷山周辺の海は血に染まった。

 ……

 この時、上空のベルギカ号の甲板では、大きな歓声が上がっていた。

「圧倒的だ!」

「かの『烈風カリン』と良い勝負なのでは?」

「トリステイン王国万歳!」

 水兵達は、マクシミリアンの勇姿に拍手喝采だった。

 コマンド隊の面々もこの光景を見ていた。

「我々は必要ないのでは?」

 派遣部隊隊長のデヴィットがポツリと呟いた。

「殿下が特別なのですよ。全てのメイジがあの域に達する事は無いでしょう。そうですとも!」

 派遣部隊のムードメーカーのヒューゴが、鼻息荒く言った。
 もう一人、狙撃銃を持ちメインマストのてっぺんで執事のセバスチャンと周囲の警戒をしてる男が居た。彼はジャックという平民出身の元猟師で、ストイックな性格で取っ付きにくいがコマンド隊でも屈指の射撃、取り分け狙撃の名手だった。
 ジャックは、アニエスの様にトリステイン製ライフルを持たず『場違いな工芸品』で完全武装していた。トリステイン・ライフルは、まだ実験段階の言わば初期ロットで、予想される故障を嫌っての行動だった。
 彼ら三人とアニエスを加えての、計四名がコマンド隊の派遣部隊のメンバーだった。

 一方のアニエスはというと、水兵に混じってマクシミリアンの戦いを心配そうに見ていた。

「……がんばれ」

 言葉が口から漏れた事気付き周りを見る。幸い誰かの耳には入らなかったようだ。
 アニエスは、氷山の上で戦うマクシミリアンを祈るような目で見続けた。

『ウォォォーーッ!』

 ベルギカ号で、再び歓声が上がった。
 我らの王子様が、また巨大海獣を屠ったからだ。
 マクシミリアンは、20メイルもの巨大トドを『ジャベリン』の氷の槍でハリネズミにした。

 それでも海獣の数は一向に減らない。

「危ない!」

 アニエスは甲板から身を乗り出して叫んだ。
 マクシミリアンの居る氷山の真下に、不穏な黒い影を見たからだ。

 聴こえたのかどうかは定かではない。戦っていたマクシミリアンは真下を見ると、足の下から空気を噴き出して空へと逃げた。
 それと同時に、足場にしていた氷山が粉々に割れ、巨大な竜が飛び出してきた。

 海獣の中でも屈指の実力を持つ『水竜』が、マクシミリアンの前に現れたのだ。







                      ☆        ☆        ☆






 足下の氷山の下から殺気を感じたマクシミリアンは『エア・ジェット』で空へと逃げた。

 その直感は正しかった様で、氷山から離れると同時に粉々になり、巨大な竜が飛び出してきた。
 空へと逃げたマクシミリアンは、VTOL機の様に『エア・ジェット』によるホバリング状態で空中に立っていた。

「何だあれ!?」

 突如、現れた巨大な竜を見て驚いた。見た事も聞いた事もの無い種類の竜だったからだ

 水竜は、上空のマクシミリアンを、恐ろしい眼光を放ち睨みつけると、あんぐりと、その巨大な口を開くと細い水の線を放った。

「うおっ?」

 凄まじい水流が、マクシミリアンを襲い、マクシミリアンは更に上空へ吹き飛ばされてしまった。

(ウォーター・ショットと同じ原理か、だが肉を削ぐほどじゃない!)

 ここで再び、『エア・ジェット』を唱えたマクシミリアンは、空中でバランスを整え再びホバリング状態になった。

 海上の水竜は『こっちへ来い』と言わんばかりに、マクシミリアンに向け口をパクパクさせている。

「ウォーター・ビット!」

 マクシミリアンが号令を出すと、ベルギカ号の護衛を含めた32基、全てのウォーター・ビットがマクシミリアンの周りに展開した。

「一斉射!」

 ビシュシュッ!

 32の細い線が、一斉に水竜へ向けて放たれた。

 が、水竜の硬い皮膚に阻まれ効果は得られない。

「効かない!?」

 マクシミリアンのうろたえた顔を見て、気を良くした水竜がまた口を開けて水のブレスを吐いた。

「同じ手は食わない!」

 『エア・ジェット』で急加速したマクシミリアンは、水のブレスを難なく避けた。この間にもウォーター・ビット達は水竜に向けウォーター・ショットのつるべ撃ちで牽制する。

 だが、またも水竜の硬い皮膚に対しては傷一つ付かない。

「チッ」

 思わず舌打ちをした。

 チラリと上空のベルギカ号へ視線を向けると、甲板には多くの水兵や士官達がこの戦いを固唾を呑んで見守っていた。

「……よし!」

 事ここに至ってマクシミリアンは決心した。

「余り時間も掛けられない。オレ達の旅は始まったばかりだし、それに……」

 マクシミリアンは何を思ったのか、いきなり海面へ向けて急降下を始めた!

「寒いからな!」

 エア・ジェットを吹かして急行下したマクシミリアン。

 ドオオオォォォン!

 空気を裂く轟音が周辺に轟いた。音の壁を越えたマクシミリアンは更に速度を速める。
 急降下中のマクシミリアンは、あわや海面に激突する寸前に、水竜の方に方向を変えた。

 瞬間、凄まじい高さの水柱が起き、天高く跳ね上げられた海水は細かく空中に散らばって太陽光で蒸発し、霧の様な現象になった。

「何だこの霧!」

「見えないぞ!」

 上空のベルギカ号では、突如起こった異変に右往左往していた。

 この間にも、海面ギリギリをエア・ジェットへ滑空するマクシミリアン。
 水竜は、水のブレスを海水をマクシミリアンに放つが、既に見切られたのか、最小限の動きで難なくかわされた。

 獲物が海面に来たとあっては、他の海獣も黙ってはいない。
 マクシミリアンと水竜との間の海が突如盛り上がり、30メイルの巨大なサメが、鯨のブリーチングの様に海面に飛び上がり、迫るマクシミリアンに向け巨大な顎を開き捕食しようした。

「ウォーター・ビット!」

 マクシミリアンの後を追っていたウォーター・ビット達は、マクシミリアンの左右斜め上に展開しウォーター・ショットを発射、マクシミリアンの前方にウォーター・ショットで『網目』を作った。その『網目』に巨大なサメが突っ込んできて、哀れ巨大ザメは『ところてん』になる形で絶命した。

 血煙が舞い、マクシミリアンは血煙から飛び出す様に水竜へと迫る。

 水竜の長い首がボコリと風船の様に膨らんだ。最大出力の水のブレスを吐くつもりのようだ。

「!」

 マクシミリアンも水竜の意図を察し更に加速。ウォーター・ビット達は着いて行けなり、マクシミリアンとウォーター・ビットとの差が開いた。

 水竜の喉の膨らみは頂点に達し、遂に暴流ともいえる水のブレスを吐いた。
 
「ぐうううっ!」

 マクシミリアンは、身体を思い切り捻り回避しようとした。
 その際、回避する為に無茶な体勢をしてしまい、強烈なGを受け全身の骨という骨がが軋む。

「うおおおっ!!」

 痛い思いをしたお陰か、触れるもの全てを削ぎ落とす水のブレスは、マクシミリアンを掠め巨大な水柱を上げるだけに留まった。

 水竜の懐へと侵入したマクシミリアン。水竜を睨みつけると目と目が合った。

「悪いな……これも、トリステインの為だ、恨んでくれ!」

 マクシミリアンの両眼が光った。『伝家の宝刀』の二つの光線が水竜の顎に直撃。分厚い皮膚を灰にする。

「まだまだ!」

 さらに長く照射すると、破壊光線は周りの皮膚をじわじわと灰にし、内部の肉にまで達した。
 悲鳴を上げる機能すら灰になったのか、声を上げる事も無く水竜の頭部は灰となって崩れ落ち大海原へ散っていった。

 頭部を失った水竜は海へと沈んでいく。
 それを見て戦意を失ったのか定かではないが、海獣達が退いていった。

「……終わりか?」

 マクシミリアンは『エア・ジェット』を切って杖を振るい、足場となる1メイル程の小さな氷山を作ると、氷山の上に乗り腰を下ろした。 辺りには、強風をもいえる強い風が吹き、血で赤く染まった海と多くの海獣の死体が浮かんでいて、その光景と辺りに漂う強烈な血の臭いが、先ほどの死闘が夢ではない事を思い起こさせた。

(まだ、辺りに潜んでいるかもしれない)

 マクシミリアンは、左足を海に沈め目を瞑るとソナーを唱えた。

 左足からピンガーを発し、帰ってきた音が脳内で映像化される。

「……!」

 マクシミリアンの顔はみるみる青くなった。
 彼の真下に、200メイルもの巨大な物体を感じた。しかも、脳内に映った映像は、200メイルもの鯨がこちらに向けて巨大な口を開け氷山ごとマクシミリアンを飲み込もうと浮かび上がっている映像だった。

「ヤバイ!」

 瞬間。氷山も周りの海面から二つの顎が飛び出した。
 エア・ジェットで緊急離脱するが間に合わず、口だけでも数十メイルもある巨大な口にマクシミリアンは飲み込まれてしまった。
 
 

 

第五十四話 ドゥカーバンクの戦い・後編その1

 北の海には『王』が存在していた。

 『王』が精霊の力を使い周辺の海を制圧してから、およそ数千年。回遊魚達が出ていっては戻り、戻っては出てゆく事を何千回と繰り返し、『王』とその家臣達は栄華を極めていた。
 たまに迷いこんで来たモノも居たが、大抵は脅かせば怖がって近寄ってこなくなった。だが、ここ最近、堂々と侵入してきたモノ達がいた。

 いつもの様に、取り巻きを派遣し追っ払ってこれで解決、と思ったが再び奴らはやって来た。

『……今度も同じ目に遭わせてやろう』

 『王』は再び家臣達を派遣し、侵入者達を懲らしめようとしたが、今回は逃げる所か歯向かって来た。

 『王』は不思議に思った。
 今まで、この様な事態は一切無かったからだ。

 『王』は様子見を考えていたが、家臣達は『侵入者を討つべし!』と騒ぎたて、何度も『王』の周りを泳ぎ回った。
 硬い鱗を持ち、最も凶暴な家臣(水竜)は、本能のままに侵入者達に襲い掛かり、流されやすい家臣達もそれに釣られる様に侵入者の討伐に出て行ってしまった。あの凶暴な家臣は、度々問題を起こし『王』を悩ませていたが、実力は折り紙つきだった。

 ……だが、相手はさらに強かった。
 優秀な家臣達はことごとく侵入者に屠られ、凶暴な家臣も無残な死に方をした。

 この時、『王』は海底の奥底で、家臣と侵入者の戦いを『精霊』を通して見ていた。
 侵入者が放った光で家臣は死んでしまったが、同時に中継していた『精霊』も、あの光によって消滅してしまった。

『……アレは危険だ』

 空に海に大地に、太古の昔から存在し続ける不滅の存在であるはずの『精霊』を殺す謎の光……『王』はあの光を危険視し、侵入者を追い返すのではなく葬ろうと決意した。

 そこからの『王』のは早かった。
 海底に鎮座していた200メイルもの巨体を動かし、海面へと急浮上をする。
 そして、『王』は海面付近に居た侵入者を、その巨大な口で飲み込んでしまった。
 海面には何も残っていなかった。







                      ☆        ☆        ☆






 『王』に呑み込まれてしまったマクシミリアン。さながらウォータースライダーの様に食道を滑り落ち胃袋に転がり込んで、勢い余って胃の内容物に顔面から飛び込んでしまった。

「うぉぇっ、ぺっぺっ。何だこれ?」

 顔についたネバネバした内容物を取り払い、顔を洗おうと杖を探す。
 幸い、杖は落とす事は無く、一緒に胃袋に流れ聞いて、杖を探し当てると『コンデンセイション』で水を作り出し顔を洗った。

「……しかし、ここは何処だ? 飲み込まれたって事は胃袋の中なのか?」

 辺りを見ても真っ暗で生臭く、素足を通して床がビクンビクンと波打つのを感じた。
 マクシミリアンは、『ウォーター・ビット』を8基作り出し、次に『ライト』を唱えた。

 『ライト』によって辺りが明るくなり、マクシミリアンは胃袋内を見渡す事が出来た。

「……あ~。ピンクやら白いモノが辺り一面に……最悪」

 胃袋内の広さは小さな体育館程度で、肉の壁が『ライト』の反射で、てらてらと光るのがとても気持ち悪い。

「こんな所とは、早くおさらばしよう」

 杖をくるりと手の平の上で回す。

「……と、思ったけど良い事考えた」

 マクシミリアンは、悪い笑顔をした。

「まず、最初に血液を調べて……」

 マクシミリアンは、落ちていた魚の小骨で胃袋を引っかき血を出した。
 そして、採取した血液を『ディテクトマジック』で徹底的に調べ上げ、遺伝子情報を脳内に詰め込んだ。

「来い、ウォーター・ビット」

 ウォーター・ビットが8基全てが、マクシミリアンに近づき手の平の上に浮かぶ

「イル・ウォータル……」

 マクシミリアンがスペルを唱えると、手の上のウォーター・ボール達が『パン』と弾け水に戻ると、やがて血の様に赤く染まった。
 血の様な……と言ったが、これは血だ。しかも『王』の血だ。マクシミリアンが採取した血液から水魔法で『王』の血を作り出した。
 意思を持つウォーター・ボールから作り出した血を脳に送りこみ、どこぞの寄生虫の様にコントロールする。これがマクシミリアンが考え出した作戦だった。

(恐らく、オレを飲み込んだこの海獣は、この海域の(ぬし)なのだろう。殺すのは容易いが、殺せば別の海獣が主に納まってトリステインなりアルビオンなりのフネを荒らす。新たに討伐軍の編成をする、また別の海獣が主に納まる、そして、また討伐……無駄なサイクルを繰り返す事を考えれば、殺さずにコントロールした方が良い。最悪、コントロール出来なくても、トリステイン国籍のフネを襲わないように洗脳すれば、この海域の漁場を独占できる)

 黙考に入ったマクシミリアンは、何度もウンウンと頷いた。
 だが、黙考中のマクシミリアンを冷やかす様に、何でも溶かす胃液が胃袋内に浸み出してきた。

「んん?」

 胃液に気付いたマクシミリアン。

「なんというお約束!」

 こうしている間にも、胃液は辺りの内容物を溶かしマクシミリアンに迫り、有毒なガスまでも放出しだした。

「グズグズしている暇は無い……行け!」

 マクシミリアンの魔法で、『王』の血液となったウォーター・ビット達は、血を採取した時の傷口から入っていった。ウォーター・ビットは血管へと浸透し、血管を通って脳を目指す手はずだ。

「後はウォーター・ビット達に任せて、オレも脱出だ」

 マクシミリアンは杖を振るうと、『水化』のスペルを唱えた。
 マクシミリアンの身体が杖ごとスライムの様なゼリー状になり、やがて完全な水に変化した。
 だが、そこで終わらない。水化したマクシミリアンの色が、血の色へと変化した。先ほどのウォーター・ビットもそうだが、血に変化すれば拒否反応を出さずに体内を移動できた。

 やがて、マクシミリアンも傷口から浸透して行き、胃袋内にはマクシミリアンが履いていた海パンのみが残され、それもやがて胃液に溶かされてしまった。






                      ☆        ☆        ☆






 この時ベルギカ号は、飲み込まれたマクミリアンの復讐戦の為、『王』に対し砲火を交えようとしていた。

「右舷砲戦開始、撃てーっ!」

 ベルギカ号右舷から無数の砲煙が上がった。
 放たれた8発の砲弾は、海上に居座り続ける『王』へ吸い込まれる様に飛んでいった。
 だが、砲弾は『王』の周りの目に見えないバリアの様な力が働き、砲弾はベルギカ号へと跳ね返されてしまった。『王』は、周辺の精霊と契約し精霊魔法の『反射』を使ったのだ。
 幸い、ベルギカ号は空中を全速力で進んでいた為、跳ね返された砲弾は後方へ逸れ、一発も当たる事はなかった。

「もしかして、さっきの……」

「せ、先住魔法か!?」

 艦長のド・ローテルを始め、士官達は驚きの声を上げた。

「文献でしか見たことが無かったが、あの海獣は先住魔法を……」

 早々に『王』を倒し、マクシミリアンの救助活動の為にコマンド隊に準備をさせていたが、その目論見は脆くも崩れ去った。

「先住魔法が相手では、我々だけでは敵わないかも知れない……」

「諦めるな! ロケット砲の飽和攻撃ならば先住魔法を破られるかもしれない! 幸い、他の海獣引っ込んだまま出てこない。このチャンスを逃がすな!」

 ド・ローテルは、弱音を吐く士官達を一喝した。

「も、申し訳ありません!」

「直ちに攻撃開始だ! 気張れよ!」

 ド・ローテルの檄で、士気の高まった士官達は各部署へ散って行った。

 その間にもベルギカ号は、黒煙を上げながら空中を行く。
 コマンド隊の面々は、ベルギカ号艦首に集まりマクシミリアン救出作戦の準備に取り掛かっていた。

「救出作戦って言ったって、近づけなきゃ意味が無いだろ?」

 ヒューゴが、一人愚痴った。コマンド隊の面々も先ほどの『王』の反射を見ていた。

「愚痴るな。敵海獣への攻撃が上手く行けば、救出への算段がつく。準備を怠るな」

「了解」

 ヒューゴとアニエスが敬礼して答えた。

「ジャック。海獣の様子はどうだ?」

 一人、バウスプリット(船首に付いている棒みたいな奴)に乗り、下方の『王』の警戒をしているジャックに聞いた。

「どうも、嫌な『空気』がします」

「空気が? 嫌な感じという意味か?」

「攻撃が近いかと……」

 曖昧な予想だった。だが、コマンド隊の入る前は猟師として森を駆け、旧式マスケット銃一丁でオーク鬼と渡り合った経歴を持つジャックをデヴィットは信頼していた。

「……そうか、アニエス!」

「はい!」

「ひとっ走りして、艦長の海獣の攻撃が近い事を知らせろ!」

「了解!」

 アニエスが、ド・ローテルの下へ走ってすぐにベルギカ号は慌しくなった。そして……
 
『敵海獣の周辺に異変!』

 物見からの報告で、ベルギカ号は大きく舵を切った。回避行動の為である。
 それと同時に、『王』の周辺の気温が急降下し、空中には、バスケットボール大の氷の塊が浮遊しベルギカ号の狙いを定めた。これは、『王』が精霊の力を借りて起こした現象だ。

「攻撃来るぞ! メイジ組はエア・シールドを貼り機関を守れ!」

 ついに、百を越す大量の氷の塊が、ベルギカ号に向けて放たれた。
 メイジ達は、攻撃に対し蒸気機関を守るように『エア・シールド』を展開した。

「機関室、もっと石炭を食わせろ!」

「やってます!」

 ベルギカ号の要。機関室では、若い水兵達が煤塗れになりながらも、せっせと石炭を火室に放り込んでいた。
 煙突から黒煙が上がると、艦尾のプロペラが勢い良く回り、ベルギカ号は更に加速した。

 クククンッ!

 スピードに乗ったベルギカ号は、無事、回避したと思ったが、氷の塊はカーブを描き艦尾に殺到した。

「氷弾来まーーす!」

「曲がっただと!?」

 ガガガガガガン!

 氷の塊は艦尾を蜂の巣にし、氷の塊や壊れた木片で、作業をしていた水兵に負傷者を出した。

「艦尾に被弾っ! 負傷者多数!」

「直ちに負傷者の収容と、艦尾の応急処置を」

「了解!」

 ド・ローテルの周辺では、士官達が慌しく行き来していた。

「艦長。ロケット砲の準備が整いました」

「よし、直ちに発射せよ」

 ベルギカ号最大の牙。24連装ロケット砲が『王』に照準を合わせた。

 ……

『海上の目標に対しての攻撃だ。これより本艦は30度傾斜する。乗組員は何かに掴まれ』

 『拡声』の魔法で、艦内に警告を出す。

「戦闘。厳しいみたいね」

 食堂では、シュヴルーズがテーブルの下に隠れながらのん気に語った。他の学者達も各々が考えうる限りの方法で傾斜に備えていた。

「さ、さっき、血塗れの人が担がれて医務室の方へ向かっていました」

 エレオノールはガタガタと震えながら、シュヴルーズに習ってテーブルの下に隠れていた。

「怖いのかしら、ミス・ヴァリエール」

「こ、こここ、怖くないわ!」

 誰がどう見ても、やせ我慢だ。

 シュヴルーズは、(うずくま)った体勢のまま、怯えるエレオノールに接近し、おでことおでこが、くっ付くほどに近づいた。

「ごめんなさいね、ミス・ヴァリエール。私が誘ったばかりに怖い思いをさせてしまったようね」

「……ミス・シュヴルーズ」

 エレオノールを、この旅に誘ったのはシュヴルーズだ。
 シュヴルーズが、アトラス計画に参加する為の準備中だった時、寄宿舎に転がり込んで来たのを保護し助手として雇ったのが二人の出会いだった。

『女性でありながら高名な学者である、ミス・シュヴルーズのご指南を頂きたく参上いたしました!』

 何処かの時代劇の様な口上のエレオノールに、シュヴルーズは笑って迎え入れた。
 後で、エレオノールの素性を調べてシュヴルーズは引っくり返った。トリステイン王太子妃の姉で、トリステインでは『超』が付くほどの名家のラ・ヴァリエール公爵の長女だったからだ。

「富、名声、共に申し分ない名家の御長女がどうしてこんな所に……」

 とシュヴルーズは聞いた。将来的にはトリステイン王国の外戚として権力は思いのままなのに……とは口から出掛かったがそこは大人、何とか飲み込んだ。
 出航まで時間が無かった事で、結局エレオノールがラ・ヴァリエール家を出た事も説明せずに、二人はベルギカ号に飛び乗った。

 ……話を戻そう。

「ミス・ヴァリエール。この戦闘が終わったら貴女は帰りなさい。艦長には私から言っておきますから」

「だ、大丈夫です。本当に大丈夫ですから」

 エレオノールは懇願した。

「貴女……家出してきたのね」

「……私は!」

 シュヴルーズの言葉に、エレオノールは何か反論しようとしたが、ベルギカ号が傾斜を始め、反論の機会を逃してしまった。

「話は戦闘の後にしましょう」

「……はい」

 ベルギカ号は更に傾斜し、テーブルの上に乗っていた木杯や木の皿が床へと落ちた。
 食堂内の学者達は必死にテーブルなどにしがみ付いていた。

 ……

「照準良し!」

「撃て!」

 艦首中央に設置されたロケットポッドが火を噴き、24発の8サントロケット弾が『王』に向けて放たれた。
 火を噴いて進むロケット弾の金切り音が空に響く。

 しかし、24発全てのロケット弾は、『王』の先住魔法『反射』の見えない膜の様なモノにまで到達すると、爆発せずに、方向を変え四方八方へ飛んでいった。

「失敗……だと!」

 ド・ローテル周辺では、まさかの失敗に驚きの声を上げた。

「艦長! ロケット弾数発が本艦に向かっています。内一つは直撃コース!」

「いかん、緊急回避だ!」

「取ぉ~舵!」

 船員の必死の努力も回避は間に合わず。ロケット弾は艦首付近に被弾した。

 爆発はコマンド隊の近くに届き、隊員それぞれは爆発を避けるために蹲る。

「うわあぁ!」

「皆伏せろ!」

「……!」

「えっ?」

 他のコマンド隊隊員が甲板に伏せるが、アニエスは運悪く爆風に巻き込まれ、外に放り投げられた。

「うわあああああぁーーー!」

 ベルギカ号から放り投げられたアニエスは、冷たい海へと落ちていった。
 

 

第五十五話 ドゥカーバンクの戦い・後編その2

 ……『にょろり』という擬音ほど、この状況を表した言葉は無いだろう。
 『水化』したマクシミリアンが、正に『にょろり』と『王』の背中から現れた。

 スライム状のマクシミリアンは人の形になり、やがてスライムの身体は肉の身体に変わった……全裸だったが。

「……ふう」

 ようやく、外に出れて一息付こうと思ったが、状況がそれを許さなかった。
 反射で跳ね返されたロケット弾が、ベルギカ号艦首に命中しアニエスが放り出されたからだ。
 ゆっくりと落ちて行くアニエスの姿を見たマクシミリアンの身体は勝手に動いた。

 アニエスを受け止める為に『エア・ジェット』を唱え、マクシミリアンは宙に浮いた。

「うっ!?」

 突如、マクシミリアンの周りの気温が急激に氷点下へ下がった。

「寒っ!」

 全裸のマクシミリアンに、この寒さは堪えた。
 さらに、マクシミリアンを取り囲むように、3メイル程の氷の(かに)が現れた。
 氷の蟹は巨大なハサミを振り回し、マクシミリアンに襲い掛かった。

「お前らに構っている暇は無い!」

 『エア・ジェット』で天高く飛ぶと反転して急降下、氷の蟹に強烈な飛び蹴りをかました。
 しかも、足の裏には『エア・ジェット』を展開していた為、空気圧の衝撃も加味され、氷の蟹が粉々に砕け散った。
 再び、行く手を阻む蟹に急降下ドロップキックが炸裂、蟹は粉砕された。

 その間にも、アニエスは海面へと真っ逆さまに落ちている。これ以上蟹にかまって入られなかった。

「邪魔だぁぁーーーっ!!」

 カッ!

 『目から破壊光線』を最大出力で照射。
 通常なら両目から放たれる二つの光線は、一つの極太に光線に纏まり、行く手を遮っていた蟹を5体まとめて消滅し、どういう訳か包囲していて破壊光線に直接当たっていない他の蟹も消滅、『王』の背中にも噴気孔から尾びれに掛けて破壊光線の深い爪痕を残した。

 ……

『グオオオオオオ!』

 『王』は吼えた。
 噴気孔から尾びれに掛けての感覚が無い事と、先ほどの光で周辺の精霊が消滅したからだ。
 精霊が消滅した事で、周辺に張っていた反射も消失し、『王』は再び、反射を張る為に、再度精霊との契約をする羽目になった。

 この時、マクシミリアンは『王』の背中から離れ、全速力で落下するアニエスへ『エア・ジェット』を飛ばした。

『こわいよこわいよ』

『あの光はこわいよ』

 契約された精霊達が『王』の周りに集まる中、『王』には精霊達の悲鳴が伝わってきた。

『オオオ……哀れな……許さんぞ精霊殺し!』

 怒った『王』は、周辺の精霊と根こそぎ契約し、周辺の気温は更に低下した。
 『王』の皮膚の表面には氷がビッシリと張り付き、鎧の様になったと思ったら、氷の鎧は更に厚みを増し、『王』を中心に巨大な氷の塊になった。

『何千年、何万年掛かろうとも、お前を氷付けにしてやる』

 『王』の周りは、真冬の北極圏並みの気温に下がり海すらも凍っていく。
 この冷気は、やがて陸にも波及しハルケギニアは氷に包まれるであろう。
 思わぬ所から、ハルケギニアに滅亡の危機が迫っていた。





                      ☆        ☆        ☆





 海へと落下するアニエスを救う為、マクシミリアンは飛ぶ。

「あと少しだ、間に合え!」

 その時、落下するアニエスと目が合った。
 驚いた顔をしたアニエスに、マクシミリアンは手を伸ばした。

「うおおっ!」

 間一髪、海面に叩きつけられる寸での所で、アニエスを抱きとめた。

「ギリギリセーフ!」

「あ、ああ……」

 呆けた顔のアニエスに、コツンと軽く頭突きをした。両手が塞がっていた為、頬をなでるなど簡単なコミュニケーションを取る事が出来なかったからだ。

「痛っ、ありがとう……ございます」

「気にするな。とにかくアニエスが無事でよかった」

 間一髪、助けられたアニエスだったが、太ももに妙な感触を覚えた。

「この感触は……?」

 アニエスが太ももに視線を移すと、マクシミリアンが全裸だった事に気が付いた。
 しかも、マクシミリアンのシンボルが、アニエスの太ももにベッタリと触れていた。

「え、ええぇぇ~~~~!?」

「どうした!? 敵の攻撃か?」

「いえ、その、あの……足が……」

「足?」

 マクシミリアンも、ようやく自分が全裸だった事に気付いた。

「一度、ベルギカ号に帰ろう……よっと」

 マクシミリアンは、アニエスをお姫様抱っこに変えて、上空のベルギカ号へと昇っていった。

「ちょ、離して下さい恥ずかしいです!」

「こら動くな、落としてしまうだろ!」
 
 マクシミリアンと、顔を真っ赤にしたアニエスがベルギカ号の甲板に降り立つと、水兵達が歓声をあげ、ド・ローテルが駆け寄ってきた。

「殿下、ご無事でしたか」

「艦長、心配を掛けたような」

「誰か、殿下に着る物を」

 暫くして、執事のセバスチャンがガウンを持ってきた。

「あの、下ろして下さい」

 公衆の面前で、お姫様抱っこされるのが恥ずかしくなったのか、アニエスは下ろすよう言った。

「ああ、悪かった」

 アニエスを下ろすと、セバスチャンが目にも留まらぬ早さでガウンを着せ、マクシミリアンは全裸から解放された。

「……さて、一息つきたい所だが戦闘中だ、被害はどれくらい出た?」

「幸い、死者は出ていませんが、重傷者が5人ほど……」

「そうか、後で特製の秘薬を作ろう」

「兵も喜ぶでしょう。それと、もう一つ報告がございます」

「なにか?」

「あの海獣は、先住魔法を使います。我々の攻撃は悉く跳ね返されてしまいました」

 ド・ローテルは先の戦闘の詳細を語った。

「先住魔法か、う~ん」

「このままでは(らち)が明きません。撤退を開始しますが宜しいですね?」

 ド・ローテルは、撤退する事をマクシミリアンに伝えた。
 あくまで指揮官は、ド・ローテルだからだ。

「その心配は無いよ。あの海獣はもうすぐ僕達の言いなりになる」

「それはどういう事でしょうか?」

「詳細は言えないが、海獣から脱出する際に『仕掛け』を施したんだ」

 血液に変化させたビット達が、脳に到達すればマクシミリアンの勝利だ。

「……そうですか、敵の攻撃範囲外へ退避し、仕掛けの効果が現れるまで観察に切り替えます」

「任せ……いや待て」

 マクシミリアンが『王』の方を見ると、そこには『王』の姿は無く巨大な氷の島が在った。

「これは……」

 氷の島は見る見るうちに大きくなり、3リーグを越す程の大きさに成長していた。

「艦長!」

 仕官が大慌てで、ド・ローテルへ報告に来た。

「どうした?」

「艦の底が凍りついています!」

「何だと?」

 余りの寒さに空中のベルギカ号まで影響を受けていた。

「確かにこの寒さを異常だぞ?」

「殿下、ガウンだけでは寒いでしょう、何か羽織るものを持ってきます」

 セバスチャンが、船室に戻っていった。
 他の水兵達も寒そうに身を震わせている。

「アニエスは寒くないか?」

「大丈夫です」

 マクシミリアンはアニエスを気遣った。そこに、別の仕官が報告に来た。

「艦長、報告が!」

「今度は何だ?」

「機関室より報告、急激な気温の低下で蒸気機関が不調に陥ったとのことです!」

「何にぃ?」

 ド・ローテルは、驚きの声を上げた。

(この気温の低下で、海獣の血流が滞っているのかも)

 そうなれば、血液に変化したウォーター・ビットは、血流が滞る事で脳に届く事は無く魔力切れを起こしマクシミリアンの『仕込み』も不発に終わる可能性が高かった。
 マクシミリアンの予想通り、既にウォーター・ビットは魔力切れを起こし、ただの水に戻ってしまっていた。

 そして何より……

「あの海獣をどうにかしなければ、僕達の旅もここで終わりだ」

「何か策が御有りで?」

「ある事はある……再びロケット砲の用意と、二、三分程時間をくれ」

 そう言ってマクシミリアンは、アニエスの手を引いて人気の無い所へ連れて行った






                      ☆        ☆        ☆






 人気の無い所に着いたマクシミリアンは開口一番に……

「僕の目を舐めてくれ」

 と、言った。

「は……はああぁぁぁぁ!? アンタ、何言ってんの!?」

 アニエスは、思わず素が出た。

「……」

「あ……も、申し訳ございません!」

 シュンとなるアニエス。だが、マクシミリアンは気にしなかった。

「年頃の女の子に、こんな事をさせるのを僕も申し訳なく思っている。けど、時間が無いんだ、頼むアニエス」

「どうしてそんな事を」

「詳しい事は言えないけど。この状況を打開する為には必要な事なんだ」

 精霊魔法を使う海獣に対抗するには、『目から破壊光線』の力が必要だとマクシミリアンは思った。

(アニエスを救う為に、海獣の背中から飛び出した時は気付かなかったが、あの時、破壊光線に当たっていない蟹もどういう訳か消滅した。ひょっとしたら破壊光線は先住魔法に効果があるのかも……)

 まだ仮説の段階だったが、マクシミリアンは試してみるつもりだった。
 破壊光線照射から10分は、とうに過ぎていたが最大出力での照射だった為、保険の為に女性に眼球を舐めてもらう事にした。

「……うう」

「頼むよ」

 悩むアニエスに、マクシミリアンは懇願した。

「……分かりました。危ない所を助けていただいた恩もあります」

「ありがとう、アニエス」

「っと、よろしいでしょうか?」

「ん、いいよ」

 アニエスは、マクシミリアンに顔を近づけた。
 目と目が合い、アニエスの血圧が急激に上昇し、恥ずかしさの余り目じりに薄っすらと涙が溜まる。

「行きます!」

「大声を掛けなくても聞こえているよ」

「分かっています! 気合を入れただけです!」

 アニエスは、ガシッとマクシミリアンの頭を抑え、ピンク色の舌を震わせて目に近づけた。

「ンンッ」

 ペロッ

 アニエスの舌がマクシミリアンの右目を優しく撫でた。

「おおえふか(どうですか)?」

「もうちょっと、舌で眼球をマッサージする様に」

「ふぁい」

 アニエスは言われたとおりにマッサージする様にマクシミリアンの眼球を舐めた。
 この時、マクシミリアンは目を踏むってアニエスに身を委ねていた。

(……可愛い)

 アニエスは今、羞恥心の余り顔を真っ赤にしながらも献身的に奉仕している姿が、目で見なくても分かった。それがマクシミリアンには愛おしく思えた。

 時間は2分ほどだった。

「……あの、終わりました」

「ありがとうアニエス。これを取っておいてくれ」

 そう言って秘薬の瓶をアニエスに手渡した。

「……これは?」

「嫌なモノを舐めただろう? うがい用の秘薬さ」

「いえ、私はその様な事は……」

「まあまあ、取っておけって」

 そう言って、秘薬を返そうとするアニエスの手に無理矢理捻じ込んだ。

「あっ」

「それじゃ、僕は行くよ。アニエスのお陰でトリステインは助かる」

 それだけ言って、マクシミリアンは逃げるようにして去った。
 アニエスが頑張ってくれたというのに、いささか冷たいのでは? と、マクシミリアンも十分に理解していたが、妻がいるにも関わらず、アニエスにときめいてしまった自分が許せなかったからだ。

(オレって多情なのかも……)

 マクシミリアンの本心はカトレア一筋だが、この性質がトリステイン王家の血の宿命なのか、それとも呪いなのか……この後も様々な女性関係はマクシミリアンを悩ませる事になる。






                      ☆        ☆        ☆





 ガウンから動きやすい服に着替えたマクシミリアンは、颯爽とベルギカ号から飛び降りた。

「さ、寒っ!」

 だが、眼下の大海原は『王』の精霊魔法に寄って、氷の大地と化していた。気温はマイナス50度は下回っているだろう。
 風雪はこの海域では考えられないほど吹雪き、マクシミリアンは氷の大地へと降りていった。

 氷の大地へ降り立つと、何処からとも無く声が聞こえてきた。

『待っていたぞ精霊殺し』

「!」

 マクシミリアンは戦闘体勢を取った。
 周辺を警戒するが、謎の声は全方位360度から響いてきて、声の主が何処にいるか分からない。
 『王』は精霊の力を使いテレパシーに似た能力で、マクシミリアンに話しかけていた。

『お前にたどり着くまで、全ての物を氷に変える積りだったが手間が省けた』

「それは良かったな……一つ聞きたい。さっき言った精霊殺しとは何だ?」

『お前の事だ。お前の目から出る光は精霊を死なせる。お前はこの世に存在してはいけないのだ』

「なるほど……合点がいった」

 マクシミリアンは、自身の破壊光線が精霊魔法に対し効果的である事を確信した。

『そして、多くの家臣の敵も取らせてもらう』

「お、家臣の事を想うなんて、暴君じゃなく、意外と名君なのか」

『減らず口を、すぐにでもその口を氷漬けにしてやろう』

「オレとしても、さっさと終わらせて旅の続きがしたいんだ」

『お前を氷漬けにした暁には、海底深く沈め、二度と蘇らぬ様にしてやるぞ、精霊殺し! 』

「馬鹿が、人が蘇るか!」

 言葉のドッヂボールは終わり、『王』とマクシミリアンの戦いの幕が切って落とされた。

 ……

 氷の大地から、氷の蟹がワラワラと現れた。その数、およそ一千。

「懲りもせず、また氷の蟹か!」

 マクシミリアンが杖を振るい、左手でピストルを作った。
 マクシミリアン版ウォーター・ショット、『ウォーター・キャノン』だ。

 ズドンと、空気が破裂し強烈な水流が、氷の蟹ごと氷の大地に打ち込まれ、氷の蟹が数百個粉々になり、後には巨大なクレーターが出来ただけだった。

「チッ、こんなのは不毛だ」

 マクシミリアンは、自分の不利は最初から分かっていた。
 『王』は、数リーグもの巨大な氷の大地の何処かに身を潜めているのだから。氷の蟹をいくら倒しても、マクシミリアンが有利になることは無かった。

 精霊の力で次々と生産される氷の蟹は、人海戦術でマクシミリアンに迫る。

「ウォーター・ビット!」

 マクシミリアンは、24基のビットを作り出した。

「迎撃!」

 ビット達はそれぞれウォーター・ショットを発射、蟹を水圧で粉砕、切断してゆく。

「人海戦術には人海戦術! 来い、人馬ゴーレム!」

 マクシミリアンは、杖を振るい『クリエイト・ゴーレム』を唱えると、氷の人馬ゴーレムを300騎作り出した。

「水だけは、いくらでも有るからな」

 6メイルの大型ランスを構えた人馬ゴーレム達は、スパイク付きの馬蹄で氷の地面をガリガリと削り足場を確かめた。

「チャァーーーーージッ!」

 300騎の人馬ゴーレムが、氷の大地を踏み砕き蟹の群れへと突進した。

「……」

 物言わぬ騎兵達は、6メイルの大型ランスで氷の蟹を突き砕き、馬蹄で踏み砕いた。蹂躙(じゅうりん)と言っていい。

「いいぞ、人馬ゴーレム! ウォーター・ボール達は海獣の本体を探せ!」

 ビット達は、氷の中に隠れた『王』を探す為、四方へと飛んでいった。

 その間にも人馬ゴーレムのランスチャージは氷の蟹を蹂躙し続け、その数を四分の一にまで減らした。

「……ん、これは?」

 マクシミリアンは、辺りがダイヤモンドダストに似た現象が起こって事に気付いた。
 それはダイヤモンドダストの原因は、粉砕された氷の蟹の破片で、周辺を漂い、気温を更に下げた。
 キラキラした氷の結晶が、マクシミリアンの手足に張り付き凍傷を起こさせ、徐々に強くなる吹雪が手足を凍りつかせる。
 『王』が反撃を開始した。

「これは、まずい……!」

 凍りついた手を暖める為、抱きかかえる様に姿勢を変えると、凍結が更に広がり身動きが取れなくなった。
 次に、ゴトリとビットの1基が凍りつき氷の大地に落ちた。偵察に行った他のウォーター・ビットも、次々と凍りつき地面へと落ちていった。

 吹き荒れる吹雪は、マクシミリアンの頭を除き、完全に凍結させる。

「ゴーレム達、オレを乗せて何処か退避を……!」

 だが、人馬ゴーレム達は、各関節が完全に凍りつき身動きが取れなくなった所を、生き残りの氷の蟹の鋏が次々と砕いていき、遂にマクシミリアンのみが残されてしまった。
 ワラワラと氷の蟹達が、凍結したマクシミリアンを取り囲んだ。

「ぐぅぅぅ、死んで、死んでたまるかぁぁぁーーーーっ!」

 マクシミリアンの両眼が光った。
 またも、最大出力の破壊光線を、地平線の先に向かって放った。

 囲んでいた蟹の群れは瞬時に吹き飛び、マイナス80度もの気温は現象を起こしていた精霊が、破壊光線によって死滅した為、この季節の平均的な気温へと戻り吹雪も止んだ。
 精霊が死滅した為、『王』の声は聞こえない。だが、悲鳴を上げているのは想像できた。

「オオォォッ!」

 マクシミリアンを捕らえていた氷はバリバリと崩れた。

「このチャンスは逃さない!」

 マクシミリアンは杖を天高く掲げ、そして唱えた。

『ギロチン!』

 杖から発生した光の柱が、雲を貫き天高くそびえ立った。

「島ごとぶった切る!」

 マクシミリアンは『ギロチン』を氷の大地目掛けて振り下ろした。 

 振り下ろされた光の柱は、氷の大地を到達し、ビキビキと亀裂が入る。

「うおおおおおおっ!」

 吼えるマクシミリアンに呼応するように、更に太く長くなった『ギロチン』は大地を砕き、やがて両断した。
 大量の氷と海水とが混ざり合い、巨大な渦を作り出す。『王』はその渦の中心に居た。

「ベルギカ号、今だ!」

 マクシミリアンは、即席で作った狼煙魔法を、上空のベルギカ号へ向けて放った。

 ドン!

 狼煙魔法はベルギカ号の近くで炸裂し、予め打ち合わせをしていたベルギカ号はロケット砲一斉射の為に、再び傾斜を始めた。

『撃てーっ!』

 ド・ローテルの声が、拡声の魔法で周辺に流れた。
 24連装ロケットポッドからロケット弾が全弾発射され、渦の中心でノビている『王』に殺到した。

 ズドドドドドドドドドーン!

 24発のロケット弾が、200メイルの『王』の巨体に次々と炸裂した。
 ベルギカ号からは歓声が上がり、大量の爆煙『王』の巨体を隠す。
 風が吹き爆煙が散ると、『王』の血塗れの巨体が海へと沈む姿が見えた。

 上空のベルギカ号は裏腹に、マクシミリアンは苦い顔をした。

(あの海獣を死なせたら、復讐に燃える他の海獣どもと骨肉の争いを繰り広げる事になる。何とか説得できないものか……)

 マクシミリアンは、エア・ジェットで沈む『王』に飛び乗ると、杖を振るい『ヒーリング』を唱えた。

(傷を治したからと言って、どうなるという訳でも無いが。さて、どうしたものか……)

 マクシミリアンが思案していると、脳内に『王』の声が聞こえた。

『何故、助けた』

「ん? ……ああ、喋れるようになったのか」

『再び精霊の力で、お前に話しかけている』

「なるほど、先住魔法ってのは便利だ。話を戻すが、助けた理由はお前を殺しても他の海獣が、この一体の主に納まり僕達を襲う可能性があったからな、無駄な事はしたくないし、何より……話が通じると思ったからな」

 『お前を洗脳、コントールする為だった』とは口が裂けても言えない。

『敵に情けを掛けられるとは……負けたな』

 『王』は何か染み入るように呟いた。

「この海域の主よ、一つ取引がしたい」

『取引?』

「そうだ、我々は、この付近一帯の魚資源を目に付けている。トリステイン王国の、周辺海域での漁を認めてもらいたい」

『……認めるも何も、我々のものではない。欲しければ勝手に獲っていけば良かろう』

「ならば主よ。我々の漁と航海の安全の為に南下を控えて貰いたい。その代わり、我々は貴方達の領域には決して足を踏み入れない。不可侵条約だ」

『お前との戦いで、有力な家臣は粗方死んでしまった。回復するには数百年掛かるだろう。そして、何より……我らは負け、情けを掛けられたのだ……勝者に従おう』

「ありがとう、北海の王よ!」

 こうして、トリステイン王国と北海の王との間に交わされた盟約で、ドゥカーバンク海域の安全な漁業権、航行権を得る事に成功した。

 北海の王が北へと去る際に、マクシミリンに呟いた。

『お前のその精霊を殺す光、今でも恐ろしいと、この世にあってはならぬ物だと思っている。他の精霊を統べる者たちは、お前を決して許しはしなだろう』

「……」

『さらばだ精霊殺し。二度と会うことはあるまい』

 北海の王は、傷ついた家臣達を引き連れ北の海へと去っていった。
 交わされた盟約はマクシミリアンの死後も効果を持ち続け、北極海を本拠にする北海の王は決して南下をしようとはしなかった。そして、人類も北極海を犯すことは無く、何千年経っても、北極は聖域であり続けた。 

 

第五十六話 波を掻き分けて

 北海の王との戦闘を終えたベルギカ号は、ドゥカーバンク海域に留まり、艦の修理と怪我人の治療を行っていた。
 被弾した箇所で最も被害を受けた艦尾では、ド・ローテルが修理の監督をしていた。

「では、この書簡を父上へ渡してくれ」

「御意」

 マクシミリアンは、停泊期間を利用して連絡用に飼育室に入れていた風竜を使い、北海の王との間に交わされた盟約の詳細をエドゥアール王に報告した。

「艦長、出発しますが宜しいでしょうか?」

「離艦する者はいない様だ。よろしい、出発してくれ」

「了解」

「クエーッ!」

 連絡員を乗せた風竜は一つ嘶くと、バサバサと翼を羽ばたかせ飛んでいってしまった。

「……」

 マクシミリアンは、風竜が去った空を見続けた。実は、エドゥアール王の書簡と一緒に妻のカトレアへの手紙も手渡したからだ。

「さて、これからどうしよう?」

 負傷者用の秘薬は既に作り終えてしまい、手持ち無沙汰になったマクシミリアン