亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)


 

第一話 亡命者

宇宙暦 792年 5月 20日  ハイネセン 後方勤務本部 アレックス・キャゼルヌ



「まったくなんだってこんなに書類が多いんだ」
俺のボヤキに周囲はまったく反応しなかった。まあ無理も無い、此処最近、口を開けば出るのはボヤキばかりだ。皆慣れている。そして大量の書類を抱えているのは皆同じだ。答える気にもならんのだろう。

宇宙暦792年 5月 6日に始まった第五次イゼルローン要塞攻略戦は残念な事だが失敗した。後方勤務本部はその後始末のためてんてこ舞いの状況にある。それは俺が所属する補給担当部第一局第一課も同様だ。普段から仕事が多いのに堪ったものではない。

それでも医療衛生部よりはましだろう。あっちは多分地獄のはずだ。今回の戦いでもかなりの負傷者が出たようだからな。収容施設の手配から医師の手配、そして墓地の手配までしなければならん。葬儀屋が大もうけだ。帝国との戦争で一番儲けているのが葬儀屋だろう。

そろそろ人員の増員を本気で考えてもらわなければならん。これまでにも何度か要請したがどいつもこいつも最前線に人を送る事ばかり考えて後方に人を配置する事をまったく軽視している。最前線で戦う人間を支えているのが後方で補給を担当する人間だというのがまったく分かっていない。

「まったく、何とかして欲しいものだな!」
愚痴が出た。自分から後方勤務を志願したとはいえ、こうなると元の統合作戦本部参事官のほうが精神的には良かったかもしれん。そんな事を考えているとデスクの上のTV電話から呼び出し音が響いた。

「キャゼルヌ大佐、ロックウェル少将がお呼びです。至急、局長室においで下さい」
「了解した」
やれやれ、補給担当部第一局局長ロックウェル少将のお呼びか……。この忙しい時に何の用だ。

人員の増員の件なら大喜びなのだが、まず有り得んな。上の顔色しか見ないような局長だ、どうせ厄介事の押し付けだろう、これまでにも何度か有った。
「まったく……」
いかん、また愚痴が出た……。


局長室に行くとそこには既に先客が居た。若い男女が一組、ソファーに座っている。局長はと言えばデスクで不機嫌そうな表情をしている。やはり厄介事らしい。
「ロックウェル局長、お呼びと聞きましたが?」
用が無いなら帰るぞ、俺は忙しいんだ。

「キャゼルヌ大佐、貴官は人員の増員を要求していたな」
「はい」
「貴官のところに二人、新たに配属させる。詳しい事はそこに居るバグダッシュ大尉に聞いてくれ、以上だ」

そう言うとまるで犬でも追い払うかのように手を振った。二人増員? 有難い話だが、局長の様子からすると素直には喜べない。問題はソファーに座った二人だ、この二人、一体どんな厄介ごとを持ち込んできた?

二人に視線を向けるとソファーに座った若い男が苦笑を浮かべながら席を立った。この男が多分バグダッシュ大尉だろう。そして隣に居た若い女性兵士もつられた用に立ち上がった。

「キャゼルヌ大佐、申し訳ありませんが内密な話が出来る場所を用意していただけませんか。どうやら此処はそれが出来る場所ではないようですので」
バグダッシュ大尉はチラっとロックウェル少将を見ながら皮肉を言ったが少将は不機嫌な表情を浮かべたまま無言だった。早く出て行けということらしい。

「分かった、私の部屋で話そう。では局長、失礼します」
部屋を出るとバグダッシュ大尉が声をかけてきた。
「まったく、気の小さなお人ですな。話にならない」
大尉が少将を非難するか、しかも声を低めようともしない、とんでもない男だな。

「厄介ごとのようだな」
「さよう、いささか困惑しております。詳細は大佐の部屋で」
今度は大尉の声が小さくなった。どうやらかなり大きな厄介事らしい、面倒な……。

「承知した。ところで貴官、何処の人間だ」
「情報部です」
やはりそうか、この男には何となく油断できない雰囲気がある。しかし要員の増員とどう関係してくるのか……。

「情報部の何処だ」
「……防諜課」
防諜課、つまりスパイハンターか。となると俺のところにスパイがいるか、或いは送られてくる二人がスパイなのか、そのどちらかだな。やる事は監視、或いは欺瞞情報を渡しての逆利用、そんなところか。道理で局長が不機嫌なわけだ。気の小さな局長ではいささか荷が重い。

俺の私室に入り適当に座ってもらった。部屋はそれほど大きくはないし、ソファーもない。俺のデスクの他には簡易の折りたたみの椅子が有るだけだ。殺風景だし、余り良いもてなしとも言えないが二人とも文句も言わずに椅子に座った。

改めて二人を見る。バグダッシュ大尉は二十台半ばから後半だろう。口髭を綺麗に整えている。全体に不敵というか横着というか、独特の雰囲気のある男だ。もう一人の若い女性兵士は二十歳になったかどうかというところだろう。柔らかい笑みを浮かべている。俺の視線をどう思ったのか、彼女が名乗ってきた。

「ミハマ・サアヤ少尉です。情報部に所属しております」
そう言うとニッコリと笑った。E式か、となると元は東洋系のようだ。ミハマ少尉と呼ぶべきなのだろう。

笑うと目が細くなりエクボが両頬に出来る。可愛らしい感じの女性だ。声も何処と無く甘えるような感じに聞こえる。情報部と言ったがあまりそんな感じはしない。少尉という事は士官学校を卒業してから一年と経っていないということだ。その所為かもしれない。

「それで話を聞こうか」
「第五次イゼルローン要塞攻略戦が失敗しました。並行追撃作戦は上手く行ったかのように見えましたが最終的には帝国の蛮勇の前に失敗した」

バグダッシュ大尉の言葉に俺は無言で頷いた。第五次イゼルローン要塞攻防戦は同盟軍の兵力は艦艇約五万隻、帝国軍はイゼルローン要塞とその駐留艦隊約一万三千隻で行われたが、その結末は悲惨なものだった。

帝国艦隊全体が要塞に向って後退を始めた時、同盟軍は並行追撃作戦を行い両軍の艦艇が入り乱れる乱戦状態になった。射程内でありながらトール・ハンマーが撃てないという事態を生み出した同盟軍は一気に要塞を攻略しようと攻勢を強めたが、進退窮まった帝国軍はトール・ハンマーの発射を命令、味方の帝国軍艦艇ごと同盟軍の艦隊を粉砕した。

並行追撃作戦は失敗に終わり、同盟軍は残存兵力をまとめて撤退している。同盟軍総司令官シトレ大将は無念だったろう。まさか帝国軍が味方殺しをするとは思わなかったはずだ。あれさえなければイゼルローン要塞は攻略できたかもしれない。

「撤退中の同盟軍に一人の帝国軍人が亡命を希望してきました」
「亡命者……」
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉。兵站統括部に所属しているそうです」
なるほど、帝国側の後方勤務士官か。俺の所に来るのはそれか……。

「お分かりかと思いますが、大佐のところに配属になるのは彼です」
「となるともう一人は」
俺はミハマ少尉を見た。彼女はちょっと困ったような表情を見せた。

「お察しの通り、ミハマ少尉です。彼女がヴァレンシュタイン中尉の監視役になります」
二人増員と言っても一人はスパイで一人は監視役か、話にならんな。思わず溜息が出た。

「やれやれだな、大尉。増員を希望したが一人はスパイで一人は監視役か、まったく愚痴も出んよ」
俺の言葉にバグダッシュ大尉はちょっと困ったような表情を見せた。そんな顔をしても無駄だぞ、大尉。

「確かに彼女は監視役ですが、ヴァレンシュタイン中尉は未だスパイとは決まったわけではありません」
「そうかな。同盟軍が戻って来るまであと二週間はかかる。いまの時点でその中尉の受け入れ先を整えているという事はかなりの確度で彼はスパイの疑いが有るという事だろう」

「そうではないんです、大佐。実のところ彼がスパイか、そうでないのか判断がつかないのですよ」
「判断がつかない?」
俺の言葉にバグダッシュ大尉は頷いた。生真面目な表情だ、嘘ではないように見えるが相手は情報部だ。簡単には信じられない。

「現時点で遠征軍総旗艦へクトルで彼への調査が行なわれていますが、皆判断が出来ずにいるのです。調査内容は情報部にも送られてきましたがこちらも判断できない……」
「冗談だろう……」
遠征軍だけでなく情報部も判断できない? そんな事を信じろというのか、目の前の男は。

俺が唖然としているとミハマ少尉が笑みを浮かべながら口を開いた。
「ヴァレンシュタイン中尉ですが、彼は士官学校で兵站を四年間専攻しています。大佐もご存知かと思いますが、帝国では補給担当士官の地位は極端に低い。兵站を四年間専攻と言えば間違いなく落ちこぼれです」

彼女の言う通りだ。まず間違いなくヴァレンシュタイン中尉は落ちこぼれだろう。大した情報など持っていないし、そんな落ちこぼれをスパイにするとは思えない。おそらくは偽の身分だろう。

「ところが中尉の士官学校の卒業成績は五番でした。しかも帝国高等文官試験に合格しています。年齢は今現在で十七歳。十二歳で士官学校に入学し十六歳で卒業しています。どう見ても落ちこぼれには見えません」
「……」

同感だ、どう見てもおかしい。困惑する俺に今度はバグダッシュ大尉が話しかけてきた。
「そういうことなのですよ、大佐。スパイならできるだけこちらを信用させようとする。であればこんなちぐはぐな偽の身分は作らないでしょう」

「亡命の理由は」
「殺されかかったそうです。相手は貴族の命令を受けた男だったらしい。その男を返り討ちにしましたが、これ以上帝国にいるのは危険だと判断したそうです」

平民の中尉が貴族に殺されかかる? 一体何をやった?
「彼の両親が或る貴族の相続問題でその親族に殺されたそうです。今回の一件もそれに絡んでいるのではないかと彼は言っています」
「本当なのか、それは」

俺の問いかけにバグダッシュ大尉とミハマ少尉は顔を見合わせた。そして今度は少尉が後を続ける。
「フェザーン経由で事件を問い合わせました。確かに五年前、コンラート・ヴァレンシュタイン、ヘレーネ・ヴァレンシュタインの両名が殺されています。彼らは弁護士と司法書士で或る貴族の相続問題に関わり殺されたとされています」
「……」

「当時帝国ではかなり有名な事件だったようです。二人の間にエーリッヒという息子が居た事も確認できています。年齢は当時十二歳、生きていれば十七歳です。亡命してきたヴァレンシュタイン中尉と一致します」
「……本当なのか」

「彼の所持品の中にフェザーンの銀行カードがありました」
「銀行カード?」
「ええ、二百万帝国マルクの預金が入っています」
「冗談だろう……」
声が震えた。平民の中尉が二百万帝国マルク? 一体何の金だ?

俺の困惑を他所にミハマ少尉が平静な口調で話を続ける。しかし少尉の顔には先程まで有った笑みは無い。
「両親が死んだ後、相続問題で世話になり、その事で彼の両親を死なせてしまった事を悔やんだ貴族が彼に与えたそうです」

「信じられるのか? 兵站統括部は補給担当だ。横流し、横領などその気になれば私腹はいくらでも肥やせるだろう」
だとすると犯罪を咎められそうになり亡命したということではないのか? そんな男をうちに入れたら今度はこっちで私腹を肥やすだろう、冗談じゃない!

「確かにそうですが、金額が大きすぎます。それにその口座が開設されたのは五年前です。二百万帝国マルクもそのときに入金されています。入金者はリメス男爵、ヴァレンシュタイン中尉の証言に間違いはありません」

部屋に沈黙が落ちた。どう判断して良いのか分からない、それがようやく分かった。なんとも妙な亡命者だ。一つ一つが有り得ないことなのだが、理由を聞けば確かに正しいように見える。しかしその理由が最初から用意されたものだとしたら……。いや、大体こんなおかしな身分を用意してスパイに仕立て上げるだろうか……。

「もし、彼がスパイなら五年前から帝国は彼を用意した事になります。しかし、そんな事がありえるとは思えない。と言って彼が本当に亡命者なのかと言えば、それにも疑問が出てくる。判断できないのですよ」

バグダッシュ大尉の言葉に自然と俺は頷いた。
「我々にとってスパイは恐ろしい存在ではありません。それが分かっていれば監視も出来ますし利用も出来る。しかし分からないというのは困ります」
「だから俺のところで監視するという事か」

バグダッシュ大尉が頷いた。
「ヴァレンシュタイン中尉はハイネセンに到着後、約一ヶ月の間、情報部で調査を受けます。それまでにミハマ少尉を有る程度の補給担当士官にして欲しいのです。中尉の配属後は彼女を補佐役に付けてください」

俺がミハマ少尉に視線を向けると彼女は笑みを浮かべて頭を下げた。
「よろしく御願いします」
「分かった、そうしよう」
「彼女の配属は明日にも内示がおりますが、その時点でそちらに送ります」
「了解だ」

話が終わったと判断したのだろう。二人が帰ろうとしたが、帰り間際にバグダッシュ大尉が妙な事を言い出した。
「そう言えば、大佐はヤン中佐と親しかったですな」
「そうだが、それが何か」


「ヴァレンシュタイン中尉とヤン中佐が戦術シミュレーションで対戦したそうです」
「!」
対戦、ヤンがヴァレンシュタイン中尉と?

「どうなったかな」
「それが……」
バグダッシュが困惑したような声を出した。妙だな、勝ったのではないのか。ヤンが負ける? それこそ有り得ん話だが……。

「妙な結果になったそうです。小官にも良く分かりません。いずれ中佐が帰ってきたら直接尋ねてみてください。私も知りたいと思っています」
そう言うとバグダッシュ大尉は部屋を出ていった。妙な話だ、何が起きた?





 

 

第二話 監視役

宇宙暦 792年 5月 20日 同盟軍総旗艦へクトル シドニー・シトレ


トントンとドアをノックする音が聞こえると続けて声がした。
「ヤン・ウェンリーです。入ります」
「うむ」

ドアを開けてヤン中佐が入ってきた。中肉中背、何処といって目立つところの無い青年だ。普段は穏やかな表情をしているのだが今は多少の不機嫌さが見える。
「未だ怒っているのかね、ヤン中佐」
「……」

やれやれ、返事は無しか。
「ヴァレンシュタイン中尉は困っている。貴官を怒らせたのではないかとね。彼は亡命者(おきゃくさん)なのだ、困らせてはいかんな」

「……別に彼に対して怒っているわけではありません」
ようやく口を開いたか……。
「では何に対して怒っているのかね?」
「……」
また無言か、よほど怒っている、或いは鬱屈しているらしい。珍しい事だ。

第五次イゼルローン要塞攻略戦は失敗に終わった。本来なら艦の雰囲気は暗いものであってもおかしくは無い。しかし、一人の亡命者の存在がその暗さを吹き飛ばしている。

撤退中の艦隊に対して亡命を希望してきた連絡艇があった。連絡艇に乗っていたのはエーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉、一瞬女性かと思わせるほど華奢で顔立ちの整った若い士官だった。彼は一体本当に亡命者なのか、それとも亡命者を装ったスパイなのか? 総旗艦ヘクトルの中はその話題で持ちきりだ。

彼の話を聞けば聞くほど分からなくなった。彼の話すこと、一つ一つが有り得ないことなのだが、理由を聞けば確かに正しいように見える。情報部でもお手上げのようだ。

なにより気になったのは妙に落ち着いている事だ。普通亡命者なら自分が受け入れられるか心配になるはずだが彼にはそんな様子が無い。ごく自然体で振舞っている。こちらの質問にも隠し事をするような気配は無い。彼が唯一感情を見せたのは両親の事だけだ。

貴族に殺されたのは、相続に関して何らかの不正行為に手を染めたからではないのか? 取調官がそう言ったとき、ヴァレンシュタイン中尉は目の前の取調官に対して飛び掛っていた。周囲が中尉を取り押さえなければ乱闘になっていただろう。取り押さえられた中尉は身を捩り涙を流して怒りを示していた。“馬鹿にするな、お前達に一体何が分かる!”

演技か、それとも真実か、それ自体がまた問題になった。こちらの同情を引こうとしているのではないか……。疑えばきりが無い。分かることを確認しようと一昨日、ヴァレンシュタイン中尉の戦術能力を確認する事になった。士官学校を五番で卒業というのは本当か? 戦術シミュレーションの実施で多少は判断できるかもしれない。

中尉は当初それを嫌がった。“自分は戦術シミュレーションは嫌いです。戦争の基本は戦略と補給です。戦術シミュレーションを重視するとそれを軽視する人間が出てくる”

一理有るがこちらとしては彼の能力確認のためのテストだ、拒否は許さない。再度戦術シミュレーションの実施を命じると溜息を吐いて“一度だけだ”と言ってきた。そして驚いた事に対戦相手にヤン中佐を指名してきた。

当初予定していたのはワイドボーン中佐か、フォーク大尉だった。ヤン中佐は面倒だといって辞退していたのだ。そのヤン中佐をヴァレンシュタイン中尉が指名した……。ワイドボーン、フォーク、彼らでは駄目なのかと尋ねるとただ一言“エル・ファシルの英雄が良い”、そう言って笑みを浮かべた。

シミュレーションは遭遇戦の形で行なわれた。純粋に戦術能力を確認するためだ。周囲が見守る中、シミュレーションルームに両名が入り対戦が開始された。対戦は当初、ヤン中佐とヴァレンシュタイン中尉の両者が攻め合う形で進んだ。だが一時間も経つとヤン中佐が優勢になった。ヤン中佐が攻め、ヴァレンシュタイン中尉が後退しながら受ける形勢になる。

そのまま一時間も経っただろうか、突然シミュレーションが打ち切られた。最初はヴァレンシュタイン中尉が打ち切ったのかと思ったがそうではなかった。優勢に進めていたヤン中佐が打ち切っていた。

皆が訝しげな表情をする中、シミュレーションルームから表情を強張らせてヤン中佐が出てきた。そして幾分困惑を浮かべながらヴァレンシュタイン中尉が出てくる。
「参りました。勉強になりました」

中尉はヤン中佐にそう告げると頭を下げた。しかしヤン中佐は無言でヴァレンシュタイン中尉を見ている。中尉が困ったように笑みを浮かべるのが見えた。まるで悪戯が見つかって謝っている子供とその悪戯を見つけた怖い父親のような二人だった。

勝っていたのはヤン中佐だ。だがシミュレーションを打ち切ったのもヤン中佐だ。そして終了後の二人はまるで勝者はヴァレンシュタイン中尉だとでも言っているかのようだった。皆がヤンに何故シミュレーションを打ち切ったのかを尋ねたが彼は無言で首を振るだけだった。一体何が有ったのか……。

「あのシミュレーションで一体何があったのかな。皆不思議に思っているのだが」
私の問いかけにヤン中佐はしばらく黙っていたが溜息を一つ吐くと話し始めた。
「あのシミュレーションですが、私は勝っていません」
「勝っていない……、しかしどう見ても君が優勢だったが?」

私の言葉にヤン中佐が表情を顰めた。
「そう見えただけです。ヴァレンシュタイン中尉が本気で攻めてきたのは最初の三十分です。あとは防御に、いや後退に専念していました。彼は勝つ気が無かったんです。いかに自軍の損害を少なくして撤退するかを実行していました」
「君の思い過ごしではないのかね?」

ヤン中佐がそれは無いというように首を振った。
「私は攻勢をかけながら時折隙を見せ、陽動をかけることで相手を翻弄し時に逆撃を誘いました。しかし彼はそれに見向きもしなかった。ただただ自軍を混乱させずに後退させる、そのことのみに専念していたんです」

「だからシミュレーションを打ち切ったのかね」
「ええ、そうです。意味がありません」
「なるほど」

勝敗を決めるシミュレーションで最初から撤退、つまり敗北を選択している。敵わないと見たからなのか、それとも他に理由があるのか……。
「彼は何故そんな事をしたのだと思うかね」
私の問いかけにヤン中佐は躊躇いがちに言葉を出した。

「ヴァレンシュタイン中尉はシミュレーションは嫌いだと言ったと聞きましたが?」
「そうだが、それが関係有るのかね」
「シミュレーションに一喜一憂する人間を嘲笑ったのかもしれません。勝を求めず如何に上手く撤退するかを検討するのもシミュレーションだと」
「……」

「実際に損害は少なかったはずです。あれが実戦だったらとても勝ったとは喜べません」
「なるほど……。つまり彼はかなり出来るのだな」
「ええ、おそらく実戦のほうがより手強いでしょう」

なるほど、道理でヤン中佐が話さないわけだ。シミュレーションに一喜一憂する人間を嘲笑った等と言ったら、それこそ大変な騒ぎになるだろう。馬鹿にするのかと息巻くものも出るに違いない。そしてヤン中佐が顔を強張らせたのも今なら分かる。

もう少しで自分もシミュレーションに一喜一憂する人間になるところだったと思っているのだろう。勝利者の名を得る一方でヴァレンシュタイン中尉から軽蔑をされていた……。その思いがあるのに違いない。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉か……。外見からは想像もつかないが一筋縄ではいかない男のようだ。確かに手強いだろう。





宇宙暦 792年 7月 3日 ハイネセン 後方勤務本部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ようやく情報部から解放された。これで俺も自由惑星同盟軍、補給担当部第一局第一課員エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉だ。いやあ長かった、本当に長かった。宇宙では総旗艦ヘクトルで、ハイネセンでは情報部で約一ヵ月半の間ずっと取調べだ。

連中、俺が兵站専攻だというのがどうしても信じられないらしい。士官学校を五番で卒業する能力を持ちながらどうして兵站なんだと何度も聞きやがる。前線に出たくないからとは言えんよな、身体が弱いからだといったがどうにも信じない。

両親の事や例の二百万帝国マルクの事を聞いてきたがこいつもなかなか納得してくれない。俺がリメス男爵の孫だなんて言わなくて良かった。誰も信じないし返って胡散臭く思われるだけだ。

おまけにシミュレーションだなんて、俺はシミュレーションが嫌いなんだ。なんだって人が嫌がることをさせようとする。おまけに相手がワイドボーンにフォーク? 嫌がらせか? 冗談じゃない、あんまり勝敗には拘らないヤンを御願いしたよ。

どうせ負けるのは分かっているからな、最初から撤退戦だ。向こうも気付いたみたいだ、途中で打ち切ってきた。いや助かったよ、あんな撤退戦だなんて辛気臭いシミュレーションは何時までもやりたくない。

しかし、なんだってあんなに俺を睨むのかね。やる気が無いのを怒ったのか? あんただって非常勤参謀と言われているんだからそんなに怒ることは無いだろう。俺はあんたのファンなんだからもう少し大事にしてくれ。今の時点であんたのファンは俺、アッテンボロー、フレデリカ、そんなもんだ。ユリアンはまだ引き取っていないんだからな。

しかし、最初の配属先の上長がキャゼルヌ大佐か、ラッキーとしか言いようがないね。そのうち家に招待してもらってオルタンスさんの手料理をご馳走になりたいもんだ。

「申告します、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉です。本日付で補給担当部第一局第一課員を命じられました」
補給担当部第一局第一課課長補佐、それが俺の目の前に座っているキャゼルヌ大佐の役職だ。俺が申告すると大佐は立ち上がって答えてくれた。

「うむ、よろしく頼む」
良いね、キャゼルヌ大佐の声は明るい、そして力強さを感じる。こういう声の男には悪人は居ないだろう。そう思わせる声だ。

「ヴァレンシュタイン中尉はミハマ少尉の隣に座ってくれ。分からない事は彼女に訊いて貰えば良い。ミハマ少尉、こっちへ来てくれ」
キャゼルヌ大佐の声に若い女性が立ち上がって近付いて来た。年齢は二十歳前後、両頬にエクボが出来ている。可愛らしい感じの女性だ。

「ミハマ少尉、ヴァレンシュタイン中尉だ。中尉は亡命者だからな、分からない事が多々有ると思う。相談に乗ってやってくれ」
「はい、ミハマ・サアヤ少尉です。よろしく御願いします」
「こちらこそよろしく御願いします」

ミハマ・サアヤ……、美浜、御浜かな、沙綾、紗綾、それともアヤは彩だろうか。元をたどれば日系か。何となく親近感が湧いた。眼は黒で髪は少し明るい茶色だ。元の世界でなら染めてるのかと思ったに違いない。

笑顔も可愛いけれど声も可愛らしい女性だ。うん、良いね、楽しくなりそうな予感だ。俺もにっこりと微笑んだ。不謹慎だと思うなかれ、命からがら亡命したのだ、そのくらいの御褒美はあっても良い。

イゼルローン要塞で殺されそうになった。俺を殺そうとしたのはカール・フォン・フロトー中佐、カストロプ公の命令だと言っていた。そして俺の両親を殺したのも自分だと……。妙な話だ、あれはリメス男爵家の親族がやったのだと俺は思っていた。だがそうではなかったらしい。

カストロプ公が何故俺の両親を殺したのか、よく分からない。何らかのトラブルが有った筈だがそれがなんなのか……。カストロプ公は強欲な男だ、おそらくは財産、利権、賄賂が何らかの形で絡んだはずだが、俺の両親がその何処に絡むのか、さっぱりだ。帝国ならともかく、同盟では探る手段は無い……。情けない話だ。

ミュラー、元気でいるか。今は何処にいる、オーディンか、それともフェザーンか……。お前がフロトーを撃ち殺してくれたから俺は生きている。そうでなければ俺は死んでいたはずだ。感謝している。

お前は自分が証人になる、フロトーが俺を殺そうとしたことを証言すると言ってくれた。でも駄目だ、相手はカストロプ公なんだからな。平民の証言など揉み消されてしまうだろう、その命もだ。お前を死なせる事は出来ない。

別れる時、俺は決してお前のことを忘れないと言った。お前も同じ事を言ったな、ミュラー。だがな、そんな事は駄目だ。俺は味方を撃ち殺して亡命する裏切り者なのだ、直ぐに忘れろと言った。泣きそうな顔をしていたな、ミュラー。ミュラー、そんな顔をするな、お前は鉄壁ミュラーと呼ばれる男になるんだ、そんな顔はするんじゃない……。



宇宙暦 792年 7月 7日 ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ



ヴァレンシュタイン中尉が補給担当部第一局第一課に配属されてきました。予定通りです。私はこの一ヶ月半の間、此処で後方支援担当士官として研鑽を重ねてきました。決して覚えの悪い士官ではなかったと思います。

ヴァレンシュタイン中尉は当初私の指示を受けながら作業を行なっていましたが、あっという間に私の指示無しで仕事をするようになりました。中尉の話では、帝国も同盟も補給のやり方そのものは変わらないそうです。最近では私のほうが指示を仰いでいます、その方が仕事が速く済むんです。

穏やかな笑みを浮かべながら書類を確認していきます。楽しそうに仕事をしている。私の仕事は彼の監視なのですが、それでも楽しそうに仕事をしている中尉を見ると心が和みます。とてもスパイには見えません。

配属後、二日もかからずに彼は第一課の女性職員から受け入れられました。彼が亡命者だと言う事はまったく問題になりません。女性職員達の評価は真面目で仕事も出来るし、性格もいい。笑顔が素敵ではにかんだ顔も優しく微笑む顔も甘党でココアが大好きなのも全部素敵……、そう言う事でした。おかげで一緒に居る事が多い私には視線がきついです。

「ミハマ少尉、少尉は以前何処にいたのです。最近異動になったと聞きましたが?」
「以前は基地運営部です。此処へは五月の中旬に異動になりました」
「五月の中旬ですか……」
嘘ではありません、少なくとも人事記録上はそうなっています。ミハマ・サアヤは士官学校卒業後、基地運営部に配属、その後補給担当部に異動になった……。

ヴァレンシュタイン中尉は小首を傾げています。手に書類を持っているが読もうとはしません。やがてクスクスと笑い始めました。
「あの……」
声をかけても中尉は笑いを止めません。こちらをおかしそうに見ています。

「あの……、バレました?」
思い切って小声で尋ねると中尉は笑いながら頷きました。そして中尉も小声で話しかけてきました。
「補給担当部でも基地運営部でも後方支援には変わりはありません。それなのに少尉の仕事振りは後方支援の人間としては失礼ですが御粗末です。元は後方支援とは無縁の職場ですね」

バレてます。私が情報部の人間だと言うこともわかったでしょう。
「私には隠す事は有りませんから自由に調べてください、遠慮は要りませんよ。それと貴女の上司にも報告したほうが良いでしょう。そうじゃないと私と通じたと疑われますから」

そう言うと中尉はまたクスクスと笑いながら書類の確認を行い始めました。通じたって、私が中尉に情報を漏らしたって事? それとも男女の仲になった? 思わず顔が熱くなりました。どうしよう、バグダッシュ大尉になんて言えばいいのか……。



宇宙暦 792年 7月 7日 ハイネセン 情報部 バグダッシュ大尉


「どうした、ミハマ少尉」
『あの……』
スクリーンに映るミハマ少尉は顔を赤らめてモジモジしている。連絡を入れてきて何をやっている。ヴァレンシュタイン中尉に告白でもされたか? 全く男の一人や二人あしらえなくてどうする。

「少尉、はっきりしたまえ、何か有ったのか?」
『あの、……ました』
小声で言うな、聞こえんだろう。

「はあ、今なんと言った? もう少し大声で言え」
『バレました!』
馬鹿、でかすぎだ。

『私が情報部の人間だとヴァレンシュタイン中尉にバレました。中尉は隠す事は無いから自由に調べてくれとの事です。上司にもそう報告しろと言われました』
全部話してすっきりしたのだろう。顔が晴れ晴れとしている。

『あの、これからどうしましょう?』
どうしましょう? 僅か四日で素性がばれる情報部員に何をどうしろと言うのだ。いっそこのまま後方支援に無期レンタルにするか? キャゼルヌ大佐も喜ぶだろう。

「少尉、任務は継続だ。監視役がそこに居るという事が大事なのだ。中尉にも警告になるだろう。決して気を緩めず、任務に励みたまえ。それとキャゼルヌ大佐の好意に応えるためにも日々の業務にも励むんだ。分かったな」
『はい』

ミハマ少尉が嬉しそうに頷いた。多分自分が首にならなかったと思って安心したのだろう。まったく、あのドジっ娘(こ)なら相手も騙されるだろうと思ったのだがそうはいかなかったか……。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、スパイかどうかは未だ判断できないが、かなり出来る奴だ。こちらに報告しろと言ったのは本気でかかって来いということだろうが甘いよ、そんな挑発に乗ると思ったのか。

先ずは相手があのドジっ娘(こ)をどう扱うかを拝見させてもらおう。無視するか、自分の手駒にするか。手駒にするとしたらどのようにするのか……。監視役が要るな、しかし今の時点で人を送れば当然疑われるだろう。となると……、うん、キャゼルヌ大佐に頼むしかないか。まあ、あのドジっ娘(こ)の無期レンタルで交渉すればなんとかなるだろう。しかし監視役にさらに監視役とは、一体どうなっているんだ?



 

 

第三話 弱いんです

宇宙暦 792年 7月 9日 ハイネセン 後方勤務本部 バグダッシュ大尉



「どうですか、ヴァレンシュタイン中尉は? 大佐の目から見ておかしな点は有りますか?」
「今のところはない。出来るね、彼がミハマ少尉に頼っていたのは最初の二日ぐらいだ。その後は彼が少尉に指示を出している。他の部署との調整も無難にこなしているよ」
「ふむ……」

そんな話は聞いていないな、あの小娘、肝心な事を報告してこない……。後方支援の練達者か……。少なくともその点については彼の経歴と能力に不審な点はないという事になる。
「出来ますか?」
「出来る、あれだけ優秀な男は見た事が無い」

そう言うとキャゼルヌ大佐はコーヒーを一口飲んだ。俺も一口飲む。余り美味くは無いが文句は言えんだろう。此処は大佐の私室でこのコーヒーは大佐が自ら淹れてくれたものだ。

「しかし、そう簡単にこなせるものなのですか?」
「俺も不思議に思って聞いたのだがな、彼に言わせると帝国も同盟も補給そのものは何の変わりも無いらしい。となれば後は後方勤務本部と兵站統括本部の組織図を比較すれば大体何処の部署が何をやっているかは想像が付くそうだ」

なるほど、確かに補給そのものは帝国でも同盟でもやっている、想像は付くか……。考えてみれば戦争も同じだ、今日帝国から亡命し、明日同盟の艦隊を率いて帝国と戦えと言われて出来ないという軍人がいるだろうか? 艦隊指揮そのものは帝国も同盟も変わらない、問題は感情面と人間関係だろう。

「彼は本当にスパイなのかね、ただの亡命者なら有難いのだが……」
「……」
「貴官のところには少尉から報告が行っているのだろう?」
期待するかのような声と表情だ。どうやらヴァレンシュタイン中尉はキャゼルヌ大佐の心を捉えたらしい。

「実は、ミハマ少尉の素性が中尉にばれました」
「……やはりな、そうなったか」
「?」
どういうことだ、キャゼルヌ大佐は驚いていない、むしろ納得している。俺の訝しげな表情に気付いたのだろう、説明を始めた。

「彼は後方支援の練達者だ。その彼から見てミハマ少尉の力量がどう見えたか……。彼女の経歴は士官学校卒業後、基地運営部に配属、そして此処に異動……。後方支援一筋という事になっているがとてもそうは見えなかっただろう。となれば……」
「素性を偽っている、情報部からの監視者ですか……」

キャゼルヌ大佐が俺の言葉に頷いた。何の事は無い、ドジを踏んだのは俺か……。少尉のカバーストーリーを間違えたのだ。いっそ宇宙艦隊司令部からの転属とでもすれば良かったか。いや、任官一年目で宇宙艦隊司令部から後方勤務本部はちょっと無理があるだろう。つまり少尉を監視者に選んだ時点で間違えたという事だ。

歳が近いほうが、女性であるほうが付け込み易いだろうと思ったが、肝心の彼が後方支援の練達者である可能性を見過ごした……。彼女の素性がばれた事は俺のミスだ。そしてヴァレンシュタイン中尉が彼女の素性に気付いたのも後方支援の練達者であるからだ。彼がスパイだからだというわけではない……。

また振り出しに戻ったか……。ミハマ少尉を責める事は出来んし、後方勤務本部への無期レンタルも撤回だな。

「それで、どうする。彼女は引き揚げるか?」
「いえ、このまま」
「このまま? 警告か……」
「はい」

キャゼルヌ大佐が顔を顰めた。おそらく大佐はヴァレンシュタイン中尉をスパイだとは思いたくは無いのだろう。しかしまだ確証があるわけではない。

「実は統合作戦本部の一部にアルレスハイム方面に艦隊を出すべきだという意見があります」
「アルレスハイムか……。ヴァンフリートだな、陽動か?」
「はい」

キャゼルヌ大佐は一瞬訝しげな声を出したが直ぐに納得したように頷いた。今現在ヴァンフリート星系において同盟軍は極秘に後方基地を建設している。出来上がるのは今年の暮れになるだろう。こちらとしてはしばらくの間は帝国に知られたくない。そこでアルレスハイムに兵を出し帝国の眼を惹きつけたいという案が出たのだ。

「キャゼルヌ大佐、ヴァンフリートの基地建設は基地運営部が担当している、補給担当部は全く関知していないと聞いていますが?」
「その通りだ。基地の建設自体、知っている人間はごく一部だ」

「具体的にはどの程度います?」
「課長補佐以上、それ以外は知らんはずだ」
「当然ですがヴァレンシュタイン中尉は知らない……」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は頷いた。

「それで?」
「ヴァレンシュタイン中尉をその艦隊に乗せようと思っています」
「……」

「彼がスパイなら当然帝国の眼はアルレスハイムに向きます。そして此処にいない以上、ヴァンフリートの件が知られる事も無い」
「……」
キャゼルヌ大佐がそこまでやる必要が有るのか? そんな表情で俺を見てきた。

「彼がスパイかどうかは分かりません。しかし念を入れておくべきだと考えています」
キャゼルヌ大佐が渋々といった様子で頷いた。



宇宙暦 792年 7月 9日 ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ




私の隣にはヴァレンシュタイン中尉が居ます。中尉は私が情報部の人間だと知っても態度を変える事はありません。いつも穏やかに微笑みながら仕事をしています。本人はスパイではないと言っていますがこの人はとても鋭い……。本当にただの亡命者なのか、とても疑問です。

少しずつ彼の事が分かってきました。普段は穏やかな表情で楽しそうに書類を見ています。ココアを少しずつ飲みながら書類を見るのです。考え事をするときはココアではなく水を飲みます。そして少し小首を傾げて考える。ここ数日は小首を傾げる事が多いです。後方勤務本部の女性職員がカワイイと騒ぐのも無理は無いと思います。私だって抱きしめたくなるから。

バグダッシュ大尉がキャゼルヌ大佐の私室から出てきました。私の方を見ることも無くゆっくりとした足取りで通り過ぎてゆきます。此処に来た時も同様でした、面識などないかのように無視してキャゼルヌ大佐の私室に行きました。

私の事をキャゼルヌ大佐に話したのだろうか? 監視対象者から監視者だと見抜かれてしまった私……。なんて惨めなんでしょう。おそらくキャゼルヌ大佐にも私の事が伝わったはずです。大佐は私をどう思ったか……。

「ミハマ少尉、少し付き合っていただけますか?」
「は、はい」
ヴァレンシュタイン中尉は席を立つと外へと向かって歩き出しました。私もその後を追います。周囲の視線が私達に集まりました。

通路に出るとバグダッシュ大尉が私達に背を向けて歩いていました。中尉がにこやかに笑みを浮かべながら私を見ます。そして少し顔を寄せて小声で話しかけてきました。
「あの方が少尉の本当の上司ですか?」
「!」

思わず、中尉の顔をまじまじと見てしまいました。中尉はそんな私を悪戯な表情を浮かべおかしそうに見ています。そしてクスクスと笑い声を上げ始めました。あの時と一緒です、思わず背筋に悪寒が走りました。
「違います、そんな事は有りません」
小声で抗議しました。

「あの人は此処へ来た時も帰る時も私を見ようとはしなかった。此処へ来る人は皆私を一度は見るのにです」
「偶然です、おかしな事ではないでしょう」
そう、偶然で言い張らなくてはいけません。これ以上の失敗は許されないのです。ヴァレンシュタイン中尉が私の言葉に頷きました。ほっとした瞬間です、中尉の声が私の耳に入りました。

「そうですね、それだけならおかしなことでは有りません。ですがあの人がキャゼルヌ大佐の私室に入った時、行きも帰りも少尉は僅かに緊張していました。何故です?」
「……」

ヴァレンシュタイン中尉が私に微笑みかけてきます。周囲の視線が気になりました。通路を歩く人達が皆チラチラとこちらを見ています。仕事の打ち合わせと思っているでしょうか? とてもそうは見えないと思います、顔を寄せ合い小声で話し合っているのですから。

「今も通路に出ると貴女は彼の後姿を眼で追いました。……彼の名前を教えてください」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら中尉が答えを迫ってきます。バグダッシュ大尉、ヴァレンシュタイン中尉はサドです。私を追い詰め苛めて喜んでいます。そして私は抵抗できそうにありません……。

「……バグダッシュ大尉です」
「なるほど、バグダッシュ大尉ですか……」
ヴァレンシュタイン中尉は何度か頷いています。大尉を知っているのかしら?

「少尉、バグダッシュ大尉に伝えてください。監視者は一人で十分、増やすのは無意味だと」
「増やす?」
増やすって誰を? 新しく此処に誰か来るのでしょうか? 疑問に思っているとヴァレンシュタイン中尉がにっこりと微笑を浮かべました。怖いです、どうして笑顔が怖いんでしょう。

「少尉が監視者だとばれた以上、私に利用されないようにキャゼルヌ大佐に監視を御願いしたという事です。少尉も監視されるのは嫌でしょう? 言ってくれますよね」
「……はい」
段々逆らえなくなります、どうしよう……。



宇宙暦 792年 7月 9日 ハイネセン 情報部 バグダッシュ大尉



「どうした、ミハマ少尉」
『あの……』
スクリーンに映るミハマ少尉は泣き出しそうな顔をしている。はて、何が有った?

「少尉、はっきりしたまえ、何か有ったのか? 具合でも悪いのか?」
『あの、バレました』
「少尉の正体がばれたのなら一昨日聞いた」
『そうじゃ有りません。大尉が私の上司だとばれたんです』
「……」

なんでそれがばれる。どういうことだ? そう思っているとスクリーンに映るミハマ少尉がマシンガンのように話し始めた。俺が一度もヴァレンシュタイン中尉を見ないから不審に思われた、自分が緊張感を見せたから気付かれた、キャゼルヌ大佐に監視役を頼むのは自分が頼りないからなのかとか、泣きじゃくりながら訴えてくる。俺としては呆然と聞いているしかない。

『それに、ヴァレンシュタイン中尉はサドなんです』
「サド? 少尉、貴官は変なプレイを強要されたのか?」
思わず縄で縛られている少尉の姿が眼に浮かんだ。うむ、なかなかいける。

『変なプレイ? 変なプレイって、そんなものされてません!』
ミハマ少尉が顔を真っ赤にして抗議してきた。だったら問題ないだろう。なんだってそんなに騒ぐんだ。

『ヴァレンシュタイン中尉は私を苛めて喜んでいるんです』
「……」
『三つも年下の男の子に苛められるんですよ、大尉』
ぎゃあぎゃあ騒ぐな、大した事は無いじゃないか。

『それに私、苛められると段々抵抗できなくなるんです』
向こうがSならこっちはMか……。それのが問題だろう、早く言え! お前はいつも肝心なことを最後に言う。

「少尉、若い男というものは身近にいる美人をつい苛めたくなるのだ。特に相手が年上なら尚更だ。余り気にせず、もっとおおらかに構えるんだ」
『おおらかに、ですか』

「そうだ、僕チャン可愛いわね、お姉さんが良いこと教えてあげるぐらい言ってやれ。向こうも喜ぶぞ」
『そうでしょうか』
「そうだとも、俺が保証する」
但し、貴官がそれを言えたならだ。

それから五分くらい愚痴をこぼしてからミハマ少尉は通信を切った。思わず溜息が出た。サディストの亡命者とマゾヒストの監視役? いったい何の冗談だ? 何時から俺は彼女の専属のカウンセラーになった? こんな日がこれからも続くのか……。

それにしてもヴァレンシュタイン中尉はサドか……。彼のファイルに記載するべきかな? まあ少尉も少し興奮していたようだし様子を見たほうが良いだろう。



宇宙暦 792年 7月20日 ハイネセン 後方勤務本部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


ミハマ少尉、いやサアヤが俺の隣で仕事をしている。可愛いんだな、彼女。笑顔も良いし、甘やかな声も良い。一生懸命なんだけど所々抜けてるところも良い、癒し系そのものだよ。俺より三歳年上だけどそんな感じは全然しない。

情報部って感じじゃないよ。お嫁さん向きだ。帝国にいたアデーレ・ビエラー伍長を思い出す。彼女も面倒見が良くてお嫁さん向きだったな。随分と良くしてもらったっけ……。今頃どうしているのか……。

サアヤが俺に笑顔を向けてきた。俺も笑顔で答える。最初の頃は俺もちょっと問い詰めちゃって怖い思いをさせたみたいだけど最近は大丈夫だ。俺がスパイじゃないっていうのも分かってきただろう、そろそろお別れかな、寂しくなるな。

「ヴァレンシュタイン中尉、ミハマ少尉、ちょっと来てくれ」
キャゼルヌ大佐が俺達を呼んだ。思わずサアヤと顔を見合わせ、キャゼルヌ大佐の下に行こうとすると彼は席を立ち私室へと向かった。

俺はもう一度サアヤと顔を見合わせてからキャゼルヌ大佐の私室へと向かった。私室での話か……、周囲には聞かれたくないということだな。サアヤが情報部に戻るということかな、ついにその時が来たか……。

部屋に入り簡易の折りたたみ椅子に腰を降ろすとキャゼルヌ大佐が話を始めた。
「今度、第四艦隊がアルレスハイム星域に向けて哨戒任務にでる。貴官達は第四艦隊の補給担当参謀として旗艦レオニダスに乗り込んで欲しい」

第四艦隊? パストーレ中将かよ、あの無能の代名詞の。しかもアルレスハイム? バグダッシュの野郎、何考えたんだか想像がつくが全く碌でもないことをしてくれる。俺は前線になんか出たくないんだ。

後方勤務で適当に仕事をしながら弁護士資格を取る。大体三年だな、三年で弁護士になる。その後は軍を辞め弁護士稼業を始める。そして帝国がラインハルトの手で改革を行ない始めたらフェザーン経由で帝国に戻ろう。そして改革の手伝いをする。それが俺の青写真なんだ。

「小官は艦隊司令部勤務などはした事が有りません。補給担当参謀と言っても何をすれば良いのか分かりません。足手まといにしかなりませんが?」
「心配は要らない、第四艦隊のタナンチャイ少将が貴官等に教えてくれるはずだ。今回は研修のようなものだ。勉強だと思え」

変更の余地無しか……随分と手際がいいじゃないか。覚えてろよ、この野郎。バグダッシュ、お前もだ。俺はやられた事は数倍にして返さないと気がすまないんだ。俺を第四艦隊に放り込んだ事を後悔させてやる。



 

 

第四話 アルレスハイム星域の会戦

宇宙暦 792年 8月 10日 第四艦隊旗艦 レオニダス  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「いいんですか、ヴァレンシュタイン中尉? 毎日こんな事をしていて」
「いいと思いますよ、命令に従っているだけですから」
そう言うと俺はココアを一口飲んだ。サアヤはクッキーを手にとって口に入れる。“美味しい”と眼を細めた、猫みたいだ。

第四艦隊は八月一日にハイネセンを出立した。俺とサアヤはそれ以来仕事らしい仕事は何もしていない。キャゼルヌ大佐の話では参謀長のタナンチャイ少将が色々と教えてくれる事になっていたが、少将にはそんな気はまるでなさそうだった。

パストーレ中将に着任を申告する俺達に向かって“貴官等は何もする事は無い、邪魔をせず大人しくしていろ”とだけ言うと後は無視だった。パストーレ中将も何も言わない、かくて俺とサアヤのアルレスハイムへの優雅なる観光旅行が始まった。

毎日厨房を借りてクッキーやケーキを作る。そしてサアヤや他のレオニダスに乗り込んでいる女性兵士をお茶に誘って食堂で無駄話をするのが日課だ。一度タナンチャイが食堂まで来て嫌味ったらしく咳をするから“仕事、したほうが良いですか”と聞くと何も言わずに帰りやがった。ちなみに今日はサアヤと二人でお茶だ。

「こんな日が何時まで続くんでしょうね?」
マッタリとした口調でサアヤが尋ねてきた。また一つクッキーを口に入れる。この観光旅行を満喫しているのは俺よりもサアヤだろう。俺がお茶の用意ができたと誘うと嬉しそうに食堂についてくる。

「ずっとですよ、あの人達は亡命者が嫌いらしいですからね」
真実は違う、亡命者が嫌いなんじゃない、スパイが嫌いなんだ。或いはスパイの疑いの有る人間が嫌いか……。

「お勉強、進んでますか?」
「ええ、まあ」
俺は暇な時間は弁護士になるための勉強をしている。おかげでまったく退屈はしない。暇を持て余しているのはサアヤのほうだ。他の女性兵士と話をしているようだが、時々戦術シミュレーションをやろうと俺を誘ってくる。可哀想なのでこれまで二回ほど相手をした。

「んー、美味しい。これならいくらでも食べられそう」
「それは良かった」
「良くありません、太っちゃう」
そう言うとサアヤはエクボを浮かべてニコニコした。可愛いんだよな、大丈夫、まだまだいける。全然太ってない。

同盟は今ヴァンフリート4=2において後方基地を建設している。この基地建設には補給担当部はまったく関わっていない。基地を建設しているのは基地運営部だ。物資の手配から輸送船の運航まで全て基地運営部が行なっている。

輸送計画も緻密なものだ、ヴァンフリートまで直接行く輸送船は無い。少なくとも二回は物資を積み替えて運ぶ用心深さだ。原作知識が無ければ到底分からなかっただろう。輸送計画をヴァンフリートから逆に追う事でようやく理解できた。大したもんだ、計画したのはシンクレア・セレブレッセ中将かな?

まあそんな訳で同盟としては帝国にヴァンフリートの基地建設を気付いて欲しくない。だから帝国の眼をヴァンフリートから逸らすためにアルレスハイムへ艦隊を動かしたわけだが、此処で俺を役立てようと考えた人間が居る。あの根性悪でお調子者のバグダッシュだろう。

俺がスパイなら当然帝国軍の眼はアルレスハイムに行くだろう、ヴァンフリートは安全だ。それに俺にハイネセンでスパイ活動をされるのも面白くない。第四艦隊に隔離したほうが安全だ、そんな事を考えたに違いない。

当然だが第四艦隊司令部にも俺の事は伝えたのだろう。スパイの可能性が有る俺が居る以上、何時帝国軍が攻撃をかけてくるか分からないと。おかげで第四艦隊司令部の俺を見る眼は冷たい。というわけで俺は日々御菓子を作ってお茶を飲んでいるのだ。

残念だな、バグダッシュ。俺はスパイじゃない、だから帝国軍の眼はアルレスハイムには向かない。しかし此処でカイザーリングが出てくるはずだ。サイオキシン麻薬でラリパッパのアホ艦隊だ。

宇宙暦792年、帝国軍カイザーリング中将の艦隊がアルレスハイム星域で自分たちより優勢な同盟軍を発見した。カイザーリングは奇襲をかけようとしたが、艦隊の一部が命令を待たずに暴走、数で劣る帝国軍艦隊は同盟軍艦隊の反撃に遭い、6割の損傷を出して敗走している。

暴走の原因だが補給責任者であるクリストファー・フォン・バーゼル少将が艦隊にサイオキシン麻薬を持ち込み、それが気化したことから兵士が急性中毒患者となったためだ。

原作どおりに行けば同盟軍の大勝利で終わるだろう。俺も異存は無い、同盟の勝利は望むところだ。勝利はお前らにくれてやる、俺は別なものを貰う。どっちが得をするのか、後の楽しみだな。



宇宙暦 792年 8月30日 第四艦隊旗艦 レオニダス  ミハマ・サアヤ



「完勝だな」
「はい、こうまで楽に勝てるとは思いませんでした」
第四艦隊司令官パストーレ中将と参謀長のタナンチャイ少将が話しています。二人の声は何処か弾んでいて艦橋の雰囲気も極めて明るい。私も実戦は初めてだけど、初陣が勝利なのは素直に嬉しいです。

スクリーンには破壊され放棄された帝国軍艦艇が映っています。アルレスハイム星域で同盟軍第四艦隊は帝国軍と接触しました。同盟軍第四艦隊九千隻に対し帝国軍は六千隻。第四艦隊は一部が別行動を取っていたけれどもそれでも敵の五割増しの兵力、勝利は戦う前から見えていました。

あっけない勝利だったと思います。初陣の私でもそう思える勝利です。戦闘が始まるや否や帝国軍艦隊の一部が他の部隊を考慮しない形で同盟軍に突進、攻撃を開始してきました。統制の取れていない攻撃、数で劣る帝国軍艦隊は第四艦隊の反撃に遭い潰走しました。

ヴァレンシュタイン中尉は平静な表情で戦況を見ていました、周囲の興奮からはまるで無縁です。既に戦闘は終了しています。どんな気持なのだろう、かつての味方が敗北するところを見たのは……。そう考えていると中尉が口を開きました。

「司令官閣下、捕虜に対して確認していただきたい事が有ります」
艦橋の人間の視線が中尉に集中しました。
「何を確認したいのだ、ヴァレンシュタイン中尉」

「帝国軍の統制の取れていない攻撃はあまりにも不自然です。あるいは何らかの要因で興奮状態にあったのかもしれません」
「何らかの要因とはなんだね? 敵を見て興奮したとでも言うのかね」
パストーレ提督の嫌味っぽい言葉に追従するかのように笑い声が起きました。皆中尉を馬鹿にしています。

「薬物等による興奮状態が引き起こした可能性があります。例えばですがサイオキシン麻薬……」
ヴァレンシュタイン中尉の声が艦橋に響きました。声からは中尉の感情は分からないけど、平静で落ち着いた声です。

今度は皆が視線を交し合っています。パストーレ中将もタナンチャイ少将も困惑を隠そうとしません。サイオキシン麻薬?

パストーレ中将とタナンチャイ少将が顔を見合わせています。ややあってパストーレ中将が捕虜の薬物検査を命じました。結果が分かるまでに三十分以上かかりましたが居心地は悪かったです。司令部の人間がこちらをチラチラと見ます。しかしヴァレンシュタイン中尉は平然としていました。

通信士のナン少佐が報告を受けています。受けながらヴァレンシュタイン中尉を見ていました。報告を受け終わったときにはナン少佐の顔面は強張っていました。
「閣下、軍医から報告がありました。ヴァレンシュタイン中尉の言う通り捕虜にサイオキシン麻薬の中毒症状を起している兵士が居るようです」
「……」

「それも一人や二人では有りません。かなりの人数が中毒症状を起しているそうです。中尉の推測は当たっているようです、敵の一部が暴走したのはサイオキシン麻薬が原因だと思われます」
「……」

皆居心地が悪そうにしています。先程まで有った勝利の高揚感は何処にもありません。時折ヴァレンシュタイン中尉を見ていますが中尉は平然としています。タナンチャイ少将が困惑したような声を出しました。
「どういうことだ? サイオキシン麻薬などを服用すれば戦闘にならん事は分かっているだろう。それなのに何故……」

「彼らにとっても予想外の事だったのでしょう」
「予想外?」
タナンチャイ少将が鸚鵡返しに問い返すとヴァレンシュタイン中尉は頷きました。

「たまたま戦闘前に気化したサイオキシン麻薬が艦内に流れ出した。かなりの艦が同じ状態になったことを考えるとサイオキシン麻薬の保管装置の設定は旗艦で行っていたのかもしれません。その設定を誤った、だから同時に気化した……」

「しかし、何故サイオキシン麻薬など積んでいる?」
「売るためでしょうね」
「売るだと?」
パストーレ中将が驚いています。

「ええ、代償は貴金属、アクセサリー、或いは情報……」
「情報!」
「サイオキシン麻薬を同盟に流す事で同盟の社会の弱体化を図る、代償として同盟の機密情報を入手する。一石二鳥ですね、帝国軍の極秘作戦か、或いはあの艦隊が勝手にやったのか……」

艦橋が静まり返りました。皆顔面を蒼白にしています。そんな中で中尉の表情だけが変わりません。いえ、むしろ微かに笑みを浮かべています。嫌な予感がするのは何故でしょう。
「早急に周辺の星域を警察に調べさせたほうが良いでしょう。おそらくは帝国軍からサイオキシン麻薬を購入しようとした人間がいるはずです」

パストーレ中将がナン少佐に視線を向けました。ナン少佐が慌てて何処かに連絡を取り始めます。多分近くの警察でしょう。
「しかし困りましたね。一体何処から情報を得ようとしていたのか?」
「どういうことだ? 何が言いたい」

唸るような声でパストーレ中将が問いかけました。不機嫌さが面に出ています。でもヴァレンシュタイン中尉は気にする様子もなく言葉を続けました。もしかすると面白がってる?

「敵の領内にサイオキシン麻薬を持ち込むなどキチガイ沙汰です。戦闘中に被弾して麻薬が漏れればそれだけで大変な事になる。にもかかわらず帝国軍はサイオキシン麻薬を持ち込んだ……」
「……」

「同盟軍に見つかる危険性が無いと思っていたのでしょう。おそらくは取引相手から同盟軍の情報を得ていた。問題は取引相手が誰から同盟軍の情報を得ていたかです。同盟軍の艦隊の配置を知る事ができる立場にある人間、或いはその周辺……」
「……」

誰も何も言いません、いや、言えません。顔面を蒼白にして沈黙しています。中尉の言うとおりなら軍の中枢部に情報漏洩者がいる事になります。重苦しい雰囲気の中、中尉だけが笑みを浮かべて話し続けました。

「今回のアルレスハイムへの哨戒任務は極秘だったと聞きました。情報源はその事を知る事ができなかった。当然取引相手も情報を得る事が出来なかった。そして今回の戦闘が起きた……」
「もういい!」

パストーレ中将が顔面を震わせています。
「小官は少し疲れましたので部屋で休ませてもらいます、宜しいでしょうか」
ヴァレンシュタイン中尉が退出を求めました。誰も何も言わないけど中尉は気にする事も無く艦橋から出て行きます。パストーレ中将が床を強く蹴るのが見えました。慌てて私は中尉の後を追いました。こんなところに居たくない……。


「中尉、待ってください」
「食堂へ行きましょう」
私が呼びかけるとヴァレンシュタイン中尉は振り返る事無く返事をしてきました。食堂に行くと適当なテーブルに座ります。

「あれは、本当の事なのですか?」
「あれと言うのは情報漏洩者の事ですか?」
私が頷くと中尉は微かに苦笑を浮かべました。

「さあ、どうでしょう。本当かもしれませんし嘘かもしれない。私は可能性を指摘しただけです」
「可能性……」

「今、同盟軍はヴァンフリート4=2において後方基地を建設しています。ヴァンフリートはイゼルローン回廊に近い、イゼルローン要塞攻略の戦略拠点にするつもりなのでしょう」
「本当なのですか、私は知りませんが」
本当だ、とでも言うように中尉は頷きました。

「この基地建設には補給担当部はまったく関わっていません。基地を建設しているのは基地運営部です。物資の手配から輸送船の運航まで全て基地運営部が行なっています。そして極秘扱いとされている」
「……極秘ですか」

「おかしいですね、少尉が知らないのは。少尉は以前は基地運営部に居たと思いましたが?」
「……意地悪です、中尉」
中尉はニコニコしています。私が基地運営部に居なかった事を中尉は知っているのに。相変わらず意地悪です。しかし、どうやって知ったのでしょう? まさか、やはり中尉は……。

「違いますよ、私はスパイじゃ有りません。物資の流れと輸送船の動きに不自然な点があったので調べたのです。膨大な量の資材がヴァンフリート4=2に送られている。そして管理しているのは基地運営部、となれば基地を建設しているという答えが出ます」

いつも思うのだけれど、中尉はとても他人の心を読むのが上手です。それとも私は表情が出やすいの?
「同盟軍は帝国の眼をヴァンフリートから遠ざけたい、だからアルレスハイムへ艦隊を動かしました。御丁寧にスパイの可能性がある私まで乗せてです。バグダッシュ大尉はまだ私を疑っているようですね。私がスパイなら帝国の注意はアルレスハイムに向くと考えた。キャゼルヌ大佐もそれに同意した……」
「……全部分かっていたのですね、あの艦隊の事も知っていたのですか?」

私は今、恐ろしい事を考えています。この戦闘は全て中尉が演出したのではないでしょうか?
「さあどうでしょう」
ヴァレンシュタイン中尉が柔らかく笑みを浮かべました。有り得ない、有り得ないと思うけどそれでも疑念が湧いてきます。

「まあ、今回の件で大尉も私に関わっている暇は無くなるでしょう。軍の中枢部にスパイが居る可能性が出てきたのですからね。その可能性の真偽を確認するまでは同盟軍は思い切った軍事行動など出来ません。情報部は必死になるはずです」
「……」

「少尉、バグダッシュ大尉に伝えてください。大分暇なようなので仕事を作って差し上げた、気に入っていただければ幸いだと。そして私がヴァンフリート4=2について知っていたと。大尉もキャゼルヌ大佐も明日からは当分眠れない日々が続くでしょう。今回の件のお返しです」
そう言うとヴァレンシュタイン中尉はクスクスと笑い始めました。

バグダッシュ大尉、ヴァレンシュタイン中尉は間違いなく破壊工作員です。帝国のスパイかどうかは分かりません。もしかすると余りにも危険なので帝国から追放されたのかもしれません。有り得る話だと私は思います。

彼は最強にして最凶、最悪な存在なのです。人類史上、彼ほど危険な人物は居ません。能力もそうですが何より性格が危険です。意地悪でサディスト、他人を追い詰め苛めるのを何よりも楽しみにしています。私達が苦しんでいるのを見て喜んでいるのです。

でも誰もそれに気付こうとはしません。彼は天性の偽善者で自分を有能で誠実で信頼できる人間だと周囲に思わせるのです。そして女性にはあの優しげな微笑を向けることで虜にしてしまいます。

中尉が私にお茶にしましょうと優しく誘ってきます。私は断わる事ができません。美味しいお茶と美味しいお菓子、そして優しげな微笑……。危険だと分かっていても断わる事ができないのです。私が断われば彼は他の女性を誘うでしょう。犠牲者を最小限にするには私が犠牲になるしか有りません……。

艦隊がハイネセンに戻るのが何時になるのか分かりません。ですがその間、ミハマ・サアヤ少尉はヴァレンシュタイン中尉とお茶を飲み続けます。それが私の任務だと信じています……。


 

 

第五話 パンドラ文書

宇宙暦 792年 9月 7日  ハイネセン 後方勤務本部 バグダッシュ大尉


後方勤務本部補給担当部第一局第一課を訪ねた。何処となく部屋の中はピリピリしている。正面にはキャゼルヌ大佐が疲れたような表情で座っていた。俺の顔を見ると溜息をついて立ち上がる。そして私室へと足を運びはじめた。俺も後を追う。

部屋に入り折り畳みの簡易椅子に座る。俺が座るのを待ちかねたようにキャゼルヌ大佐が疲れたような声を出した。
「そっちは大変じゃないのか?」

「蜂の巣を突いたような騒ぎですよ。情報部だけじゃありません、憲兵隊、監察もこの件を捜査する事になりました」
キャゼルヌ大佐が溜息を吐いた。溜息を吐きたいのはこっちも同じだ。

「この件はシトレ統合作戦本部長が責任者となります」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は眼を剥いた。
「本当か?」

「そうでもなければ捜査が滅茶苦茶になりかねません。全ての捜査情報は本部長に集められます。この捜査に混乱は許されない」
「……」
大勝利の直後にスパイ摘発のために統合作戦本部の本部長が捜査の指揮を執る。おそらく同盟軍史上最初で最後の事だろう。

「軍内部だけじゃありません。外に対しても本部長の力が必要なんです」
「? 外?」
「警察もこの件に関心を抱いています。元々サイオキシン麻薬の取り締まりは警察の仕事です。おそらく縄張り争いになる、こちらが一つにまとまっていないと足元を掬われかねない」

俺の言葉にキャゼルヌ大佐が顔を顰めた。
「会戦の直後、第四艦隊があの星域の警察に連絡を取りました。その所為で警察はかなり強硬になっています」
「また面倒な事を、なんだって警察なんかに……」

キャゼルヌ大佐が呆れたような声を出した。同感だ、軍の警備部隊でも使えばよかったのだ。軍上層部でも第四艦隊が警察に連絡した事を問題視する人間は多い。だが警察に連絡しろと助言した人間がいる……。ヴァレンシュタイン、彼がその人間だと知ったら大佐は如何思うだろうか……。

「大佐、軍上層部が何を心配しているか分かりますか?」
「いや……」
「この問題が政界に繋がっているんじゃないかと恐れています」
キャゼルヌ大佐が眼を見開いた。そして“本当か?”と小声で尋ねてきた。

「艦隊の配置状況を容易に知る事ができる者、しかし今回の極秘情報を知る事が出来なかった者……。軍令の上層部ではない、実戦部隊の上層部でもない……。もしかすると国防委員会、政治家が絡んでいるのではないか……。そんな恐れを皆が持っているんです。それもあって本部長を上に持ってきた……」
キャゼルヌ大佐が溜息を吐いた。

「……とんでもない事になったな」
「藪を突いて蛇を出したような気分ですよ、しかもこの蛇、何処にいるのか、どれだけ大きいのか、誰も分からない……」
「知りたくもない……」
首を振りつつ大佐が呟く。陰々滅々、そんな言葉が頭に浮かんだ。

「大佐のほうは大丈夫だったんですか?」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は“なんとかな”と頷いた。
「ヴァンフリート4=2の件をヴァレンシュタイン中尉が知っていた、一昨日の情報部からの通知で情報源は俺じゃないかと最初疑われた」

「それで?」
「だが俺は中尉と話すときはミハマ少尉を必ず同席させていたし、彼がスパイの可能性があると知っていたからな……。俺が漏らした可能性は先ず無いと判断されたよ、ミハマ少尉には感謝している」
思わず安堵の溜息が出た。

「それを聞いて安心しましたよ」
「問題は俺以外に機密を漏らした人間が居た事だ」
「……」

「“君だけに話すんだが”、そんな事を言って機密を漏らした馬鹿が三人居た。他にも似たような例があるんじゃないかと密かに調査が行なわれている」
なるほど、部屋に入った時ピリピリした感じがしたのはその所為か……。

「そいつらは次の異動で左遷だ、まあ当然の処置ではあるが……」
少しの間沈黙が落ちた。おそらく大佐は左遷される人間たちの事を思ったのかもしれない。“君だけに話すんだが”、この特権を使用する優越感はかなりのものだ。大佐だって一度ぐらいはそんな経験が有るのかもしれない。

「大佐、ヴァレンシュタイン中尉はヴァンフリート4=2の件を自分で調べたと言っていますが……」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐が頷いた。

「彼のデータへのアクセス記録を調べた。此処へ配属されてから一週間ほどでヴァンフリート4=2の事を調べている。いささか早すぎるのが気になるが事実だ。それとかなりあっさりとヴァンフリート4=2で基地を建設していると見破っているな」

僅かに考え込むような表情をした。何処となく面白くなさそうに見える、あるいは輸送計画にはキャゼルヌ大佐も関わったのかもしれない。だとしたら確かに面白くは無いだろう。

「有り得るのですか、そんな事が。配属されて一週間でしょう?」
「いささか腑に落ちんが有り得るのだろうな」
「……大佐、見ていただきたいものが有ります」
「?」

俺はキャゼルヌ大佐に持ってきた報告書を差し出した。A4用紙で五枚程度の報告書だ。大佐は受け取る事無く報告書を見ている。
「これは?」

「ミハマ少尉がアルレスハイム会戦後に送ってきたものです。通称”ミハマレポート”、もっとも情報部では”パンドラ文書”と呼ばれています。」
「パンドラ文書?」

「読んでいただければ分かります。いや、大佐には読んでもらわなければなりません」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は幾分訝しげな表情を見せたが、報告書を受け取って読み始めた。

読み進むにつれて大佐の顔が強張る、手が震え始めた。ミハマ少尉が送ってきたレポートは大きく分けて三つの構成からなっている。最初にアルレスハイム会戦の詳細、次にヴァレンシュタイン中尉とミハマ少尉との会話、最後にミハマ少尉によるヴァレンシュタイン中尉への観察……。

「冗談だろう! 全て分かっていたというのか! 今回の騒ぎは俺と大尉に対する仕返しだと!」
最後まで読んではいないだろう。というより最後まで落ち着いて読む事のできる人間が居るとは思えない。レポートは大佐の手でクシャクシャになっている。

落ち着かせなくてはならない。
「この報告書は一昨日、情報部に届きました。当然ですが情報部だけではなく、憲兵隊、監察にも、シトレ本部長にもコピーが渡されました」
「シトレ本部長にも?」

俺は黙って頷いた。大佐は首を括って自殺しそうな表情をしている。気持は分かる、俺もこのレポートを読んだ時には死にたくなった……。
「彼方此方で怒号と悲鳴が起きましたよ、シトレ本部長は机を叩いて激怒したそうです」
「……」

パンドラ文書だ、この報告書には災厄が詰まっている。報告書を読んだ人間は全てを呪い恨むだろう。そして何故この文書を読んだのかと後悔することになる。パンドラの箱には希望が残ったが、この文書には希望など欠片も無い。エーリッヒ・ヴァレンシュタインとミハマ・サアヤ、事件関係者にとってこの二人の名前は今や災厄と同義語だ。

「無理も有りませんよ、軍内部をまとめ、警察対策、政治家対策を考えている最中にこの事件が我々に対するしっぺ返しだと分かったんですからね」
「死にたくなってきた……」
頼むから死なないでくれ、大佐が死んだら俺まで後を追わなきゃならなくなる。俺はまだ死にたくない。

「有り得るのか、こんな事が……、彼は未だ十七歳だろう。士官学校を卒業して二年に満たない。その彼が同盟軍を振り回している」
「……」

「これからどうなる?」
「このままです。確かにヴァレンシュタイン中尉の狙いは我々に対するしっぺ返しかもしれません。しかし、同盟軍の上層部にスパイが居る可能性がなくなったわけではありません。彼にとっては遊びでも我々にとっては重大な問題です」

情報部でも憲兵隊でもヴァレンシュタイン中尉の危険性を訴え、彼の排除を声高に叫ぶ連中が出た。しかしヴァレンシュタインは可能性を指摘したのだ。それがどんな動機からだろうとその可能性を否定はできない。

ヴァレンシュタイン中尉が指摘しなければ第四艦隊は何も気付かずに終わった可能性が高いのだ。それを思えばヴァレンシュタインは同盟に警告を発したとも言える……。

「ヴァレンシュタイン中尉の昇進が決まりました」
「昇進か、ヴァレンシュタイン大尉になるのか……」
何処となく面白くなさそうだ。無理もない、俺も必ずしも面白いとは思えない。

「帝国軍はヴァンフリート4=2に来ませんでした。ヴァレンシュタイン中尉は帝国に情報を漏らしてはいなかった……。そして今回、スパイの可能性を指摘した。完全とは言えませんが彼がスパイの可能性は低いだろうというのが情報部の見解です」
キャゼルヌ大佐が渋々ではあるが頷いた。

「同盟軍は今回のサイオキシン麻薬の件を帝国の陰謀として徹底的に利用する事に決めました。ヴァレンシュタイン中尉にも協力してもらいます」
「協力?」

「帝国の陰謀を見破ったのはヴァレンシュタイン中尉です。彼は両親を帝国貴族に殺され、自身も殺されそうになった。その悲劇の人物が帝国の陰謀を見抜いた、そういうことになります。本人は嫌がるかもしれませんがこの程度は協力してもらいましょう」
キャゼルヌ大佐が溜息を吐いた。
「狸と狐の化かしあいだな……」
全くだ。俺は黙って頷いた。


宇宙暦 792年 9月24日 後方勤務本部  ミハマ・サアヤ


昇進してしまいました。今日から私はミハマ・サアヤ中尉です。アルレスハイムの会戦の大勝利、帝国の陰謀を暴いた事がその理由だという事だけど私は何にもしていません。

戦闘をしたのは第四艦隊の人達でサイオキシン麻薬を見破ったのはヴァレンシュタイン中尉、いえ大尉。私は大尉の作るクッキーを食べお茶を飲んでいただけ……。出世ってこんな簡単なものなの?

アルレスハイムの会戦後、第四艦隊の人達の私達に対する態度は一変しました。それまでは全く無視だったのに、会戦以後はチラチラ見ながらこちらから声をかけようとすると避けようとします。そんな変な態度で終始しました。

ヴァレンシュタイン大尉はそんな周囲に全く無関心でした。毎日勉強とお菓子作り、そしてお茶。どう見ても有能な士官には見えません、やる気ゼロの落ちこぼれ士官です。そんな大尉と一緒にお茶を飲んでいた私は色気より食い気の新米士官、駄目駄目コンビです。

士官学校を卒業し少尉に任官すると一年後には自動的に中尉になります。いわゆる万歳昇進ですが、私はその前に昇進しました。これって凄いアドバンテージなのです。今後のキャリアで誰かと昇進で競い合う事になった時、自力で中尉に昇進した、少尉任官後一年以内で功績を立てたとして優遇されます。

士官学校の同期生からも一杯メールが来ました。皆から“おめでとう、サアヤ”、“やったね、サアヤ”ってたくさん来ました、嬉しかった。ヴァレンシュタイン大尉はそういう事ってないんだろうな。ちょっと可哀想、だから私がメールを送ってあげました。次の日、大尉がちょっと恥ずかしそうに“有難う”と言ってきました。そうしていれば、可愛いのに。

大尉はハイネセンに戻ってからは大変忙しい日々を送っています。毎日のように軍の広報課に頼まれマスコミのインタビューに答えているのです。大尉は帝国の陰謀を見破った英雄で、両親を貴族に殺され本人も殺されかけて亡命した悲劇の英雄と言う事になっています。

私は大尉の素顔を知っているからちょっと複雑な気分。友人達からも“ヴァレンシュタイン大尉ってどんな人”って聞かれるけど根性悪でサドとはちょっと言えません。おかげで“まあ、良い人よ”と当たり障りのない答えを返しています。

大尉はマスコミが嫌いみたいです。仕事が終った後は輸送担当課に疲れたような顔をして戻ってきます。そして溜息をついて水を飲むのです。うんざりしているのでしょう。

今日はキャゼルヌ大佐からヴァレンシュタイン大尉と共に私室に来るようにと言われています。私はちょっと気が重い、なんと言っても例の伝言はバグダッシュ大尉からキャゼルヌ大佐に行っているのです。大佐は私達に何の隔意も表さないけど本当はどう思っているか……。

大尉が部屋をノックして中に入りました。私も後に続きます。中には先客が居ました。後姿しか見えませんが未だ若い男性のようです。

「キャゼルヌ大佐、お客様のようですのでまた後で来ます。中尉、出直しましょう」
「はい」
帰ろうとするとキャゼルヌ大佐が声をかけてきました。

「二人とも気にしなくていい」
「?」
「ヴァレンシュタイン大尉、大尉は既に面識が有ったな。ミハマ中尉、紹介しよう、ヤン中佐だ」

大佐の紹介と共に後姿の男性が振り返りました。中肉中背の若い男性です。これがヤン中佐? エル・ファシルの英雄なの? ヴァレンシュタイン大尉とは違う、本物の英雄に出会えた。今日は凄くラッキー。

大尉を見ると大尉も嬉しそうに笑顔を浮かべています。
「ヤン中佐、久しぶりです」
「そうだね、久しぶりだ」

ヤン中佐とヴァレンシュタイン大尉が話しています。大尉は嬉しそうなのに中佐は何処となく構えるような表情です。大尉も笑みを浮かべるのを止めました。この二人、顔見知りのようだけど一体何が有ったのか? 部屋に何となく重い空気が落ちました。大尉、貴方一体何をやったんです?

 

 

第六話 フェザーンにて

宇宙暦 792年 9月24日 後方勤務本部  ミハマ・サアヤ



部屋には重い空気が漂っています。大尉は何処か困ったような表情をしていました。ヤン中佐に会った当初の嬉しそうな笑みはありません。キャゼルヌ大佐が場をとりなすかのように声を出しました。

「さあ、立ってないで座ってくれ、それでは話もできん」
ヴァレンシュタイン大尉は私を見ると微かに頷きました。そして折り畳みの簡易椅子を二つ用意してくれます。こういうところは割りと優しい、というか口を開かなければかなり優しいように思えます。

ヤン中佐は私達が座ると椅子に腰を降ろしました。表情は相変わらず硬いです。
「ミハマ中尉ですね、ヤン・ウェンリーです」
「お会いできて光栄です、ヤン中佐」
ニッコリと微笑むとヤン中佐もぎこちなくだけど笑顔を浮かべてくれました。

ヤン中佐、エル・ファシルの英雄。宇宙暦七百八十八年、エル・ファシル星系で帝国軍との間に戦闘が起きたけど同盟軍は敗北、惑星エル・ファシルは帝国軍に包囲されました。その時、帝国軍の目を欺きエル・ファシルの住民三百万を脱出させたのが、当時未だ中尉だったヤン中佐です。あの時私は士官学校の生徒だったけど若い英雄の誕生に本当に興奮した事を今でも覚えています。

場の空気がほぐれたと思ったのでしょうか、キャゼルヌ大佐が話し始めました。
「貴官らに来てもらったのは新しい任務に就いてもらうためだ」
新しい任務……、一体なんだろう? また何処かの艦隊に乗り込むのでしょうか? そして帝国軍の眼を引き寄せるための囮? 何となく嫌な予感がしました。

ヴァレンシュタイン大尉はキャゼルヌ大佐とヤン中佐を交互に見ています。少し小首を傾げているから納得できていないのでしょう。私と同じような疑問を抱いているのかもしれません。

「フェザーンに行ってもらう。大尉がマスコミにうんざりしているのは分かっているからな。ほとぼりを冷ますためにしばらくハイネセンを離れたほうが良いだろう」
「……」
大尉は黙って聞いています。

「昔こいつもエル・ファシルで英雄扱いされて大分苦労した。あの時もほとぼりを冷ますのにいろんな事をやらせたな」
「……」
ヴァレンシュタイン大尉もヤン中佐も沈黙しています。空気が重いです……。キャゼルヌ大佐も困っています。

「いろんな事ですか?」
思い切って尋ねてみると大佐が救われたように言葉を続けてきました。
「そう、ブルース・アッシュビー元帥の事とかね……」
「アッシュビー元帥!」

ブルース・アッシュビー元帥! 帝国とは長い年月を戦っているけど、その戦争の中で最も活躍した軍人の一人です、数々の伝記や映画が製作されているし、元帥が戦死した十二月十一日は戦勝記念日として休日となっています……。

アッシュビー元帥の事って何だろう? 何か調べ物? 訊いてみようと思ったときでした。ヴァレンシュタイン大尉が口を開きました。
「フェザーンには何の用でしょう」

静かな声です。だけど声には何処か苛立たしげな響きがありました。大尉にとってはアッシュビー元帥の事などどうでも良い事なのでしょう。それともヤン中佐の沈黙が気になるのかもしれません。

「物資の調達だ。それほど難しい仕事ではない、あくまでほとぼりを冷ますための仕事だ。往復で約二ヶ月、十分だろう」
「了解しました。では小官はこれで失礼します」

大尉が椅子から立ち上がり敬礼しました、私も慌ててそれに倣います。その時です、それまで沈黙していたヤン中佐が話しかけてきました。
「ヴァレンシュタイン大尉、貴官はアッシュビー元帥をどう思う?」

問いかけられた事が意外だったのかもしれません、大尉は困惑したように少しの間ヤン中佐を見詰めました。
「どう思うですか、御質問の意味が良く分かりませんが?」
「いや、用兵家としてのアッシュビー元帥を貴官はどう思うかと思ってね」
「……亡命者の大尉に国民的な英雄であるアッシュビー元帥を評価しろと?」

部屋の空気がまた重くなりました。ヤン中佐もヴァレンシュタイン大尉も静かな、穏やかな声で話しているのに空気が重くなっていきます。キャゼルヌ大佐が厳しい表情をしているのが見えました。

「難しく考えないでくれ、ただ貴官の意見が聞きたいだけだ」
「……優れた戦術家だと思います、情報の重要性を理解していた人でもある……。宜しいですか?」
「ああ、有難う」

答え終わってもヴァレンシュタイン大尉はヤン中佐から視線を外しません。今度はヤン中佐が困惑を表情に浮かべました。
「ヤン中佐、私はスパイでは有りませんよ。中佐の敵でもない。もう少し信じて欲しいですね」
「そうであって欲しいと私も思うよ。貴官は敵に回すには危険な人物だからね」

ヴァレンシュタイン大尉は椅子を片付けると“失礼します”と言って部屋を出て行きました。私もその後を追います。
「どうも誤解されてる、困りました」
呟くような声でした。本当に困っているのかもしれません。

大尉、残念ですが誤解されるのは日頃の行いが悪い所為です。誰のせいでも有りません、大尉御自身の悪行が誤解を招いているんです。それにあながちヤン中佐が誤っているとも思えません。大尉が危険人物なのは間違いないのですから……。



帝国暦 483年10月 6日 オーディン  ギュンター・キスリング


店のドアを開けると部屋の奥のテーブルから手を挙げる男が見えた。そちらに向かって歩く。小さな店だ、直ぐに彼の前に着いた。彼の正面に座ると冷やかすような声がした。

「随分遅かったじゃないか、ギュンター」
「分かりづらい店だ、随分と探した」
俺の言葉に目の前の男、アントン・フェルナーは苦笑を漏らした。

「憲兵隊、ギュンター・キスリング中尉でも迷うか? まあその分安全だと思ってくれ。此処は俺の知り合いがやってる店なんだ。多少の我儘は聞いてもらえる」
分かっている。今俺達に必要なのは安全だ。敵は強大で危険だ、臆病なほどに慎重で良い。

「ギュンター、例のサイオキシン麻薬の件、本当なのか?」
俺は黙って頷いた。アントンが呆れたように溜息を漏らす。“信じられんな”そう呟く声が聞こえた。同感だ、全く信じられない、呆れた話だ。

アルレスハイム星域で帝国と自由惑星同盟を名乗る反乱軍との間で戦闘が起きた。そして、その戦いで帝国軍は一方的に敗れた。残念な事ではある、しかしこれまで敗北が一度もなかったわけではない。数ある敗北の一つで終わるはずだった。

だが、今回の敗北は数ある敗北の一つでは終わらなかった。反乱軍は帝国軍がサイオキシン麻薬を所持していた事、そのサイオキシン麻薬を同盟領にばら撒こうとしていたと非難した。

“サイオキシン麻薬は人類の敵であり、それを兵器として利用した帝国軍の非道は到底許されるものではない……”。帝国にとっては寝耳に水だった。否定は容易い、だが否定して良いのか? 此処近年、帝国の辺境ではサイオキシン麻薬の汚染が確実に広まっている。今回の一件が何処かでそれに絡んでいないか……。イゼルローン要塞に帰還した艦隊の残存部隊に対して調査が行なわれた。

「辺境星域にボルソルン補給基地が有る。此処にサイオキシン麻薬の製造工場があった。無人惑星の上、辺境に有るため人もあまり来ない。犯罪を行なうには理想的な場所だな」

「酷い話だ、軍人が私腹を肥やすために麻薬ビジネスに手を染めるとは……」
アントンが顔を歪めた。
「憲兵隊は今回の件を徹底的に調べるように命じられた。帝国軍上層部はこれを機に辺境にはびこるサイオキシン麻薬を一掃するつもりだ」

サイオキシン麻薬の撲滅は軍の上層部が強く願ったらしい。放置すればまた同じ事件が起きかねない。軍上層部にとっては悪夢だろう。日頃仲の悪い帝国軍三長官―軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官―が一致して行動を起した。徹底的に捜査する事になるだろう。

「ギュンター、エーリッヒは元気そうだな」
「ああ、元気そうだ。安心したよ」
少しの間無言になった。俺はエーリッヒのことを考えた。こいつは……、こいつもそうなのかもしれない。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、士官学校の同期生にして親友。誰よりも信頼できる男だったが、約五ヶ月前反乱軍に亡命した。それ以後、あいつの消息は分からなかった。だが今回の会戦で帝国軍がサイオキシン麻薬を扱っている事を暴いたのはエーリッヒだった。

反乱軍はエーリッヒが両親を貴族に殺されたこと、彼自身も殺されかけたことを宣伝している。帝国に裏切られた少年、その彼が帝国の非人道的な陰謀を暴いた。エーリッヒは悲劇の英雄で暴虐なる帝国の犠牲者として宣伝されている。

「例の件、何か分かったか」
アントンが声を潜めて尋ねてきた。俺は黙って首を横に振る。アントンの顔が歪むのが見えた。
「駄目だな、何も分からない。情報が有るとしたら憲兵隊ではなく内務省だろう」
「内務省、つまりは警察か……」

エーリッヒの両親を財務尚書カストロプ公が殺した。そしてエーリッヒ自身もカストロプ公の部下によって殺されかけた。エーリッヒを帝国に戻すためにはカストロプ公の犯罪を暴き、エーリッヒの亡命が止むを得ないものだったと周囲に納得させるしかない……。

エーリッヒの両親が誰に、何故殺されたのか? 今俺とアントンはそれを調べている。俺は憲兵隊の力を利用して、そしてアントンは仕えているブラウンシュバイク公の影響力を利用して……。

「アントン、一つ気になった事がある」
「なんだ?」
「エーリッヒの両親が殺されたときなんだが、当時の司法尚書ルーゲ伯爵が辞任している」

アントンは訝しげな表情をしている。そして小さく“辞任”と呟いた。
「ルーゲ伯爵は権力を利用して私腹を肥やす事にしか興味を示さないカストロプ公に強い反感を持っていたらしい。彼のやり方を“見事な奇術”と皮肉っていたそうだ」

「そのルーゲ伯爵が辞任した……。関係が有るのかな?」
「分からん、しかし気になる。確認してくれないか」
憲兵隊の一中尉が尋ねたところで門前払いが落ちだろう。しかし皇帝の娘婿であるブラウンシュバイク公の部下が尋ねれば或いは話してくれるかもしれない。何か知っているのであれば……。

「分かった、やってみよう」
そう言うとアントンは力強く頷いた。



宇宙暦 792年10月27日 フェザーン ミハマ・サアヤ


今、同盟軍中尉ミハマ・サアヤはフェザーンに到着しました。当然ですがヴァレンシュタイン大尉も一緒です。これから私達は同盟の高等弁務官府に行き挨拶をしなければなりません。

私と大尉がフェザーンに行くという事は周囲にはちょっとした騒ぎを引き起しました。第四艦隊に乗り込んだときは一応任務? だったけど、今回は半分以上遊びである事は衆目の一致するところです。なんと言ってもフェザーンまでは民間船を使っての移動です。観光旅行といわれても仕方がありません。後方勤務の女性士官からはかなり盛大にブーイングが出ました。

士官学校の同期生からも冷やかしの連絡が有りました。ヴァレンシュタイン大尉は同盟の英雄、その英雄とフェザーンへ旅行……、婚前旅行じゃないのとか冷やかされました。まあ誰だって怒るだろうし、冷やかしたくなるに違いありません。でも私は大尉の素顔を知っています。

どうしようもないほど意地悪でサディスト、偽善者……。私は彼の作るお菓子は好きだけど彼自身には警戒心を解いたことはありません……、時々美味しいお茶の時間を過ごすと怪しいけれど、それでも時々です……。

大体私が一緒と言う事は情報部は未だ大尉をスパイとして疑っているということです。バグダッシュ大尉に聞いてもヴァレンシュタイン大尉から眼を離すな、どんな小さなことでも必ず報告しろと言われています。何時までこの任務は続くのか……。まさかとは思うけど、ずっと?

フェザーン、帝国と同盟の中間にある中立国家。表向き帝国の自治領となっているけど実質は独立国家である事は皆が知っています。戦争をする帝国と同盟の間で利を追求する事に専念するフェザーンには多くの同盟人が良い感情を持っていません。それは帝国も同様でしょう。

ハイネセンでは目立たない軍服もフェザーンではかなり目立ちます。ヴァレンシュタイン大尉の軍服が周囲から奇異の目で見られました。私にも視線が集まります。余り面白くはありません。私はベレー帽をかぶっていますが大尉はかぶっていません。ヴァレンシュタイン大尉が軍服を着てベレー帽をかぶると可笑しなくらい可愛くなってしまうのです。本人もそれを気にしているのでしょう、大尉がベレー帽をかぶる事は滅多にありません。

弁務官府に着くと早速部屋に案内されました。どうやらキャゼルヌ大佐が弁務官府の人達に私達に十分に良くしてくれるようにと頼んでくれたようです。おかげで私達に用意された部屋は本来なら将官クラスの人が使う部屋でした。キャゼルヌ大佐、有難うございます。

その後、首席駐在武官のヴィオラ大佐のところへ挨拶に行きました。大佐は長身で肥満しています、それなのに余り重そうな印象を受けません。妙な人です。
「明日から一週間ほどフェザーンに滞在すると聞いている。分からない事が有ったら何でも聞いてくれ、キャゼルヌ大佐からも協力して欲しいといわれている」

「有難うございます、その時はよろしく御願いします」
ヴィオラ大佐とヴァレンシュタイン大尉が話しています。こうしていると大尉は誠実で生真面目な少年にしか見えません。この偽善者め、私は騙されないから。

挨拶が終わり、部屋に戻ろうとしたときでした。ヴァレンシュタイン大尉が不思議そうな声を出しました。
「ヴィオラ大佐、その招待状は何でしょう、帝国の物のように見えますが?」
私は慌ててヴィオラ大佐の机の上を見ました。確かに帝国の紋章の入った招待状が有ります。

「その通りだよ、ヴァレンシュタイン大尉。帝国の高等弁務官府からの招待状だ。今夜弁務官府でパーティを開くらしい」
「行かれるのですか?」
大尉の質問にヴィオラ大佐が大声で笑い声を上げました。

「まさか、行くわけがない」
「……では、小官がその招待状を頂いても構いませんか?」
え? と私は思いました。私だけじゃありません、ヴィオラ大佐も驚いています。大尉、分かってます? 貴方のスパイ容疑は消えたわけではないんです、それなのにパーティに行く? 一体何を考えてるの?

 

 

第七話 切なさと温かさ

宇宙暦 792年10月27日 フェザーン ミハマ・サアヤ


「大尉、本当に行くのですか?」
「ええ、本当に行きます。分かっていると思いますが中尉は私の婚約者と言う事になります。話を合わせてくださいよ」
「はい……」

思わず溜息が出ました。大尉、分かってます? そりゃ十七歳でも婚約は出来ます。でもその婚約者が私? 三歳も年下の婚約者を持つなんて……。周囲はどう思うか……。色仕掛けでたらしこんだ、そう思う人間も居るでしょう。

大尉がパーティに行くと言い出した時、当然ですが私もヴィオラ大佐も反対しました。私は大尉のスパイ容疑が完全に晴れていないのにそんな疑いを招くような事は危険だと思って反対しました。

一方ヴィオラ大佐は亡命者である大尉が帝国高等弁務官府に行くのは危険だという理由でした。帝国は今サイオキシン麻薬事件でピリピリしているようです。まして大尉はそのサイオキシン麻薬事件の当事者です。行くべきではないと反対しました。

しかし大尉は譲りません。“どうしてですか”と問いかけると大尉は“私が無事だということを帝国の連中に見せなければなりませんから”と言って口を噤みました。
嫌がらせ? そんなことをしなくてもいいのに……。

結局私が同行する事になりました。私の役目は監視役、これまでと変わりません。でも今度は敵地での監視役です。まさか自分が帝国高等弁務官府で諜報戦を行う事になるなんて……。“ミハマ・サアヤ中尉、危機一髪”、“愛と陰謀のフェザーン”、そんな言葉が脳裏に浮かびました。

そして今、私と大尉は帝国高等弁務官府に向かって歩いています。婚約者らしく大尉と腕を組んで……。あと百メートルほどで帝国高等弁務官府に着くでしょう。すれ違う人達が私と大尉を見ます。私達は軍服を着ていません。パーティに出席するためにドレスアップをしています。

大尉は黒のフォーマル、私は赤のドレスに藤色のショール、そして黒のハイヒールを履き、ブランド物のバック、ネックレス、指輪、イヤリングを身につけています。もちろん自分のものではありません、大尉が私に買ってくれたものです。男の人にこんなに買ってもらうのなんて初めて! 素直に御礼を言ってしまいました。でも胸が半分くらい見えるなんてちょっとエッチ……。

私の給料の三か月分ほどの費用がかかったのですが大尉は平然としたものでした。お金持ちなのよね、二百万帝国マルクも持っているんだもん、女の子が騒ぐわけですよ。可愛いし、お金持ちだし、英雄……。大尉に色々買ってもらったと皆に知られたらまたやっかまれるな、どうしよう……。

帝国高等弁務官府の入り口はパーティに出席する男女で混雑していました。多分、このフェザーンに居る帝国人の名士、それとフェザーンの名士が集まっているのでしょう。皆それなりに年配の人が多いです。私と大尉のように若いカップルは他には見当たりません。周囲も訝しげに私達を見ています。

大尉は気にすることもなく受付に向かいました。いつも思うのだけれどヴァレンシュタイン大尉は驚くとか慌てるとかが全くありません。何でそんなに落ち着いてるんだろう。私には到底真似できそうにありません。そんなところが可愛げが無いように思えます。

ヴァレンシュタイン大尉が内ポケットから招待状を出し、受付係に差し出しました。受付係が招待状を確認し始めます、大丈夫かしら? 私にはあの招待状が死刑執行命令書にしか思えません。

受付係の若い女性はにこやかにヴァレンシュタイン大尉に話しかけてきました。
「失礼ですがお名前をお教えいただけますか?」
大尉は受付係に劣らず笑みを浮かべています。
「自由惑星同盟軍、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大尉です」

その瞬間に私達の周囲が凍りつきました。皆が化け物でも見るかのように私達を見ています。そして私達から距離を取り始めました。受付係の女性も表情を強張らせて私達を見ています。多分私の顔も引き攣っているでしょう。笑みを浮かべているのはヴァレンシュタイン大尉だけです。

「その招待状に不審な点でも有りますか?」
にこやかにヴァレンシュタイン大尉が問いかけました。
「い、いえそうでは有りません。少々お待ちいただけますか」

受付係の女性が慌てて奥へ走って行きます。多分上に報告に行くのでしょう。まあ無理もありません、これまで同盟からパーティに出席者が来るなんて一度もなかったんだから。

受付係が戻ってくるまで十分ほどかかりました。その十分間はなんとも言えない十分間でした。誰も私達の傍に寄ろうとはしませんし視線を合わせようともしません。でも間違いなく私達を意識しています。いたたまれないような十分間でした。

受付係が顔を強張らせたまま戻ってきました。御願い、御願いだからパーティへの参加は認められないと言って下さい。私は喜んで婚約者を連れて帰ります。服も買ってもらったし、アクセサリーも買ってもらいました。私には何の不満もありません。

「お待たせしました、ヴァレンシュタイン大尉、そちらの御婦人のお名前を教えていただけますでしょうか?」
「ミハマ・サアヤ、私の婚約者です」
「有難うございます、どうぞお入りください」

世の中不公平だと思う。私の願いは滅多に叶わないのに大尉の願いは何だってこんなに簡単に叶うのでしょう。神様が贔屓しているとしか思えません。それとも贔屓しているのは悪魔?

パーティ会場に入りました。大きな会場だったけど私達が入った瞬間に会場の人間が皆、私達に視線を向けてきたのが分かりました。視線が痛い……。そしてここでも私達の傍には誰も寄ろうとはしないし、話しかけても来ません。遠巻きにして見ています、聞き耳を立てているだけです。

その状態はパーティが始まっても変わりませんでした。大尉はにこやかに笑みを浮かべながらオレンジジュースを飲んでいます。未成年だからお酒を飲まないのではありません、パーティ会場は敵地だからと言ってヴィオラ大佐が忠告してくれたのです。だから私もオレンジジュースを飲んでいます。

しばらくしてからでした。大尉が突然“踊りましょう”と私を誘いました。ちょっと戸惑ったけど小声で“婚約者らしくしてください”と大尉に言われては断われません。ホールに出て一曲だけダンスを踊りました。

踊り終えてホールから戻ってくると大尉が私に話しかけてきました。
「それにしても帝国人というのは女性に対するマナーがなっていませんね、貴女にダンスを申し込んでくる人間が一人も居ない、失礼な話です」

決して大きな声ではありません、でも聞き耳を立てている周囲には十分に聞こえる声だったと思います。直ぐに私達に声をかけてきた男性が居ました。
「ヴァレンシュタイン大尉、そちらのフロイラインにダンスを申し込みたいのですが?」

ダンスを申し込んできたのは長身の若い軍人でした。砂色の髪と砂色の瞳が印象的な士官です。結構イケメン、優しそうな表情をしています。
「貴官の名は?」
「申し遅れました、小官はナイトハルト・ミュラー中尉です」

ヴァレンシュタイン大尉は私とミュラー中尉を見て頷きました。ミュラー中尉に許したのか、それとも私に対して踊って来いという事なのか、よく分からないでいるとミュラー中尉が私をホールへと誘ってきました。

良いのでしょうか? 私達がダンスをしている間に大尉が誰かと接触したら? さっきの大尉の言葉はそのため? 有り得ない話じゃありません、そう思って躊躇っていると
「大丈夫ですよ、心配は要りません。楽しんでいらっしゃい」
と大尉の声が聞こえました。その声に押されるように私はミュラー中尉とホールに向かいました。

ミュラー中尉と踊り始めたけど私は大尉の事が気になって仕方がありません。本当に大丈夫? そう思っているとミュラー中尉の声が聞こえました。
「フロイライン、貴女は本当にエーリッヒの婚約者なのですか?」
「……エーリッヒ?」

思わずミュラー中尉の顔を見てしまいました。中尉は穏やかに微笑んでいます。エーリッヒ? 大尉の事? この人、大尉の知り合い?
「どうやら違うようですね。まあ、あの朴念仁にそう簡単に恋人ができるわけが無いか……」
「あの、ミュラー中尉、貴方は……」

「エーリッヒとは士官学校で同期生でした。彼は私の親友です」
「……」
「エーリッヒは皆に受け入れられていますか?」
「ええ」
嘘じゃありません、後方勤務本部の女性兵士は皆彼に夢中だもの。

「そうですか、良かった、それだけが心配でした」
「……」
「私は彼を守れなかった。だからあいつは亡命した、私に迷惑はかけられないといって……」

切なくなるような口調でした。この人は自分を責めています。大尉を守れなかったと後悔している。でも守れなかった? だから大尉は亡命した? どういうこと? 大尉は殺されかかって亡命したんじゃないの。迷惑をかけられない?

「こんな事を貴女に頼むべきではないのかもしれない。でも貴女しか頼める人はいない。あいつに伝えてもらえますか」
ミュラー中尉はじっと私を見詰めてきました。こんな眼で見詰められたら到底断われません。

「何をでしょう」
「アントンとギュンターが例の件を調べている。必ずお前を帝国に戻してやる。だから元気でいろと……。御願いします」

私は黙って頷くのが精一杯でした。帝国には大尉の帰還を待っている人がいます。それだけじゃありません、そのために動いている人がいるようです。多分大尉もそれを知っているのでしょう。いつか大尉は帝国に戻る……。だから前線に出たがらない、帝国軍との戦いを彼は望んでいない……。

大尉が此処へ来たわけも何となくわかりました。大尉は自分が無事だという事をミュラー中尉に見せたかったのでしょう。あの時、二人はまるで初対面のように会話をしていました。どれだけ二人で話をしたかったのか……。

でも大尉は直接ミュラー中尉とは話せません、話せばお互いに厄介な事になります。だからダンスを利用して私とミュラー中尉を接触させた。私を通して自分が元気でやっていると知らせたかった。そして中尉は私に大尉への伝言を依頼しようとしている……。

これが諜報戦? 派手なアクションも陰謀も冷酷さも無い。有るのは切なさと親友を思う気持、それだけが溢れています。なんて温かいんだろう、なんて切ないんだろう……。そしてそれに触れた私はどうすれば良いのだろう……。

ダンスが終わりました。私とミュラー中尉はヴァレンシュタイン大尉のところに戻りました。大尉は穏やかな表情でオレンジジュースを飲んでいます。
「ヴァレンシュタイン大尉、フロイラインをお返しします」

ミュラー中尉の言葉にヴァレンシュタイン大尉は黙って頷いただけです。ミュラー中尉も何も言わずに私達から離れていきます。二人ともどんな思いなのか……。堪らなかった、思わず口走っていました。
「大尉、宜しいのですか?」

ミュラー中尉にも聞こえたと思います、でも中尉が足を止める事はありませんでした。そしてヴァレンシュタイン大尉もオレンジジュースを穏やかな表情で飲んでいます。切なくて涙が出そうです。

でも泣けません、私が泣けば皆が不審に思うでしょう。そうなれば大尉にも中尉にも迷惑がかかります、だから泣かない……。それから何人かの帝国軍人が、フェザーン人がダンスを申し込んできました。私はその全てに笑顔で答え、ダンスを踊りました。

パーティが終わり、同盟の高等弁務官府に戻る途中、歩きながら大尉が尋ねてきました。
「中尉、ナイトハルトは何か言っていましたか?」
「大尉の事を心配していました。それとアントンとギュンターが例の件を調べている。必ず大尉を帝国に戻してやると……」

大尉は黙って聞いています。
「それと、大尉を守れなかったと言って後悔していました」
「……」
一体二人の間に何が有ったのです、そう聞きたかった。でも聞けませんでした。大尉は少し俯き加減に歩いています、聞けませんでした……。

「大尉のことをエーリッヒと呼んでいましたよ、親友だと言っていました」
深い意味は無かったと思います、ただ何か喋らなければ遣り切れなくて喋っていました。それなのにヴァレンシュタイン大尉は足を止めました。私も足を止めます。正面を見たまま大尉が虚ろな表情で話し始めました。私が横に居ると分かっているのでしょうか?

「エーリッヒ、ですか……。私をそう呼んでくれる人は同盟には居ません」
「……」
「名前を呼んでくれる人が居ない、それがこんなにも寂しい事だとは思いませんでした」
「……」

大尉がまた歩き出しました、私も後を追います。
「五年前、私は両親を貴族に殺されました。あの時、私は全てを失ったと思いました。もう失うものなど無いと……」

「でもそうじゃなかった……。私にはまだ大切なものが有った……。ナイトハルト、アントン、ギュンター、私は寂しい、卿らに会えない事が本当に寂しい……。でも、頼むから無理はしないでくれ。卿らが生きていてくれればそれだけで私は十分だ。だから、私の事など忘れてくれ……」

そう言うと大尉は俯きながら足を速めました。もしかすると泣いているのかもしれません。少し離れて大尉の後を追いました。私は大尉の泣いている姿など見たくありません。大尉には笑顔が似合うと思います。たとえその笑顔を怖いと思っても笑顔のほうが絶対に似合う……。

私はこれまで大尉のことを亡命者だと認識していました。でも亡命者という存在が何なのか分かっていなかったと思います。亡命者が捨てるのは国だけじゃない、友人も思い出も全てを失う。それがどれほど寂しい事か……。大尉はいつも笑顔を浮かべているけどどんな気持で笑顔を浮かべているのか……。


バグダッシュ大尉、今日ミハマ・サアヤ中尉は帝国を相手に初めて諜報戦を行ないました。諜報戦は私の想像とはまるで違いました。温かくて切なくて泣きたくなる、そんな諜報戦でした。

大尉、今日のことを私は報告しません。裏切ったわけでは有りません。ただ報告したくないんです。どれほど言葉を尽くしても彼らの温かさ、切なさを説明できるとは思えませんし、彼らの想いを汚したくないんです。そしてそれは情報部員としては間違っていても人としては正しい姿なのだと私は思います……。


 

 

第八話 ポイント・オブ・ノーリターン

宇宙暦 794年 1月30日 ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ



私と大尉がフェザーンから戻ったのは宇宙暦七百九十二年の暮れでした。七百九十二年が終わり七百九十三年が始まったけど宇宙暦七百九十三年、この年は良く分からないうちに終わった記憶が有ります。戦争は無かったけどやたらと慌ただしい一年でした。

戦争が無かった理由は同盟も帝国も戦争をしている余裕が無かったからです。帝国はサイオキシン麻薬の根絶と宇宙艦隊の再編、同盟はサイオキシン麻薬の売人組織の根絶、そして同盟内にいるであろう情報漏洩者の追跡……。両国とも国内に地雷を抱えている事が分かったため、地雷の撤去を優先したということらしいです。おかげでこの年は戦死者ゼロという珍しい年になりました。

情報漏洩者の追跡は決して簡単ではありませんでした。理由は情報漏洩者に関しては最高機密として一般市民はおろか、警察、いや政府にも知らせなかった所為だと思います。そのため警察は麻薬の売人組織の捜査は警察の仕事だとして譲りませんでした。国内の捜査体制が統一出来なかったのです。最初から事情を説明していれば協力体制を作れたかもしれません……。

軍が政府に知らせなかったのは政府内部にその情報漏洩者がいるのではないかと疑った所為です。でも結局どうにもならなくてシトレ本部長がトリューニヒト国防委員長に事情を説明し、国防委員長から法秩序委員長へ、法秩序委員長から警察へと事情が伝わりました。

でも此処で予想外、或いは予想通りの事が起きました。警察が情報漏洩者の捜査も自分達が行なうと言い出したことです。そして法秩序委員長もそれを支持したため国防委員長と法秩序委員長の間で軍、警察のどちらが捜査するかで争いが起きました。

お互い意地と面子をかけてのぶつかり合いです。国防委員長は軍に対して影響力を強めるため、法秩序委員長は警察に対して影響力を強めるため……。そして両者とも情報漏洩者を突き止めた功績を自分のものにしようと必死でした。

両者が言い争っているうちにマスコミに情報漏洩者の件が漏れてしまいました。たちまち大騒ぎになったけど国防委員長と法秩序委員長の主導権争いは収まりません。マスコミは二人の争いを仁義無き戦いと言って面白おかしくはやし立てました。

収拾の気配の見えない争いを収めたのはフェザーンから戻ってきたヴァレンシュタイン大尉です。会見を開きマスコミの前で情報漏洩者が居る可能性を指摘し第四艦隊司令部に警察へ知らせるようにと進言したのは自分だと明かしました。そして薄っすらと涙を浮かべたのです。

“こんな事になるとは思いませんでした。帝国と同盟は違います、自分は警察が軍に協力してくれると思っていたのです。第四艦隊司令部もそう考えたのだと思います。それなのに……、残念です”

はい、この会見で勝負ありました、警察の負けです。瞬間視聴率八十九パーセント、会見の直後から警察の通信回線はパンクしました。

“馬鹿やろー、ふざけんじゃねーぞ”
“お前らそれでも国を愛しているのか”
“税金返せ、この税金ドロボーが”

一時間後には法秩序委員長が記者会見を開いて次のように言っていました。
“決して軍の、ヴァレンシュタイン大尉の配慮を無にするような事はしない”
事実上の敗北宣言です。一説によると警察は反対したらしいのですが法秩序委員長は“俺が選挙で落選したらどうする、お前ら責任取れるのか”と怒鳴りつけたと言われています……。

軍の対応も早かったです。法秩序委員長の記者会見後、シトレ本部長がヴァレンシュタイン大尉を本部長室に呼び
「軍を代表して貴官の行動に感謝する、貴官の勇気ある行動が我々を窮地から、そして同盟を危機から救ってくれた」
そう言って大尉の肩を強く叩くと自分のほうに抱き寄せました。

トリューニヒト国防委員長も負けずと記者会見を行ないました。
「彼は亡命者かもしれないが優れた愛国者である。人は生まれではなく行動によって自己を主張する。その行動こそがその人を判断する基準なのだ。ヴァレンシュタイン大尉はそのことを我々に教えてくれた」

「私は彼が亡命者だからといって不利益を被るような事がないように注意するつもりだ。それは彼だけの問題ではない、全ての亡命者に言えることでもある。同盟は帝国とは違う、生まれや身分で人を差別する事はしない。たとえ帝国に生まれようと同盟を想う気持があるなら立派な同盟市民である」

御見事です、大尉。私はあの一件がバグダッシュ大尉とキャゼルヌ大佐に対する仕返しだと知っています。同盟を混乱の極地に突き落としておき、二進も三進も行かなくなってからウルトラCの大技で大逆転する。魔界の大魔王も裸足で逃げ出すほどの悪辣さです。貴方には誰も勝てません。

シトレ本部長を始め同盟軍の上層部は大尉の本当の姿を知っているけどそれでも大尉に感謝せざるを得ません。シトレ本部長が大尉の肩を強く叩いたのは半分くらい“コン畜生”という気持があったんだと思います。バグダッシュ大尉も“やってくれるよな”とぼやいていました。

毒食わば皿まで、軍上層部はそう考えたんだと思います。ヴァレンシュタイン大尉を情報部に出向という形で捜査に加えました。私もそれに同行しました。丁度その頃フェザーンのパーティに出席した事がマスコミに放送され周囲の視線が痛かったから。

マスコミは好意的に取ってくれました。
“ヴァレンシュタイン大尉、帝国に宣戦布告、その健在をアピール”
“たった一人の戦い、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン。その素顔”

そんな題名でマスコミは面白おかしく記事を書いていました。それによると大尉は外見は華奢だけれど内面は剛毅な悲劇の英雄で私は彼を公私にわたって献身的に支える健気な女性のようです。イメージって怖い。

体制が整うと捜査そのものは順調に進みました。情報漏洩者は国防委員会に居ました。当初、国防委員会が情報の漏洩源だと分かった時、捜査本部は緊張に包まれたのですが情報漏洩者は政治家でも軍人でもありませんでした。民間から採用されていた女性事務職員で、彼女には恋人が居たのだけれどその恋人が麻薬の密売組織と繋がっていたのです。

政治的な背景は無かったし彼女はスパイでもありませんでした。
「悪い事だとは思っていたけれど彼を失いたくなかった」
逮捕された直後の彼女の言葉です。彼女は既に三十歳を過ぎて独身でした。恋人を失いたくない、そんな思いを利用されたのです。

愚かだとは思うけれど彼女を軽蔑は出来ません。一会戦あたり最低でも二十万、多いときは百万単位で若い男性が戦死するのです。長い戦争で男性が女性に比べ圧倒的に少なくなっています。結婚できない女性が増え続けているんです。

政府の一部には重婚、一夫多妻制そのものを認めるべきだという意見すら出ていますが、女性を馬鹿にするようなものだと反対する意見も有ります。でも実際に現状をどうするかと問われればなかなか答える事が出来ません。今回の事件は現在の社会矛盾が生み出したものなのでしょう。ただ愚かだと言って済ます事は出来無いと思います……。

情報漏洩者は逮捕、麻薬の売人組織は主だったものを逮捕し組織は壊滅……。捜査が終わって後方勤務本部に戻るとヴァレンシュタイン大尉はヴァレンシュタイン少佐になっていました。事件解決のために大きな働きをしたということです。

どうやらトリューニヒト国防委員長の強い推薦が有ったらしいです。私は中尉のままだけど不満はありません、あまり大した事はしなかったし此処で昇進なんかしたら益々周囲の視線が痛くなります。

ヴァレンシュタイン少佐は私の隣で仕事をしています。にこやかな笑みを浮かべながらココアを飲んでいる。この根性悪のサディスト! 今回の事件は少佐の一人勝ちでした。フェザーンでは可哀想な人だと想ったけど、今回の一件で私の少佐に対する評価は最強、最凶、最悪に極悪非道、諸悪の根源を追加する事になりました。

「少佐、そろそろお時間です」
「分かりました、行きましょうか」
私と少佐はキャゼルヌ大佐の私室に呼ばれています。あまり良い予感はしません、あそこに呼ばれるときは必ず碌でもない事を命じられる時です。第四艦隊、フェザーン……。

部屋に入るとキャゼルヌ大佐に椅子に座るように促がされました。今日はヤン中佐は居ません。何となくほっとしました。ヴァレンシュタイン少佐とヤン中佐は何処と無く牽制し合うようなところが有って傍に居ると酷く疲れるんです。

「ヴァレンシュタイン少佐、ミハマ中尉、貴官達にはヴァンフリート4=2にある後方基地に行ってもらう」
その瞬間、ヴァレンシュタイン少佐の表情が強張りました。やはり少佐は前線に出るのを望んでいません。何時かは帝国に戻るためでしょう。

「最近、帝国軍がヴァンフリート星系の近辺に哨戒部隊を頻繁に出しているそうだ。後方基地を造って以来、我が軍の艦艇もヴァンフリート星系に頻繁に出入りしている。基地があるとは分かっていないだろうが我々がヴァンフリート星系を基点に何らかの軍事行動を起そうと考えている、帝国軍がそう思ったとしても不思議ではない」

少佐は何も言わずに黙ってキャゼルヌ大佐の言葉を聞いています。表情を強張らせたままです。
「基地司令官はシンクレア・セレブレッゼ中将だが、中将は後方支援は他者に劣るものではないが実戦の経験は殆ど無い。そこで戦闘になったときのために有能な作戦参謀が欲しいと言ってきた」
つまりその作戦参謀が少佐と私?

「基地には既に頼りになる防御指揮官達がいるのでは有りませんか?」
ヴァレンシュタイン少佐の問いかけにキャゼルヌ大佐は首を横に振りました。
「確かに居るが彼らは実戦経験の無いセレブレッゼ中将に必ずしも心服していない。中将自身がそれを感じている」

つまり中将を助け、防御指揮官達を命令に従わせるのが仕事? それを少佐に? ちょっと階級が低すぎない?
「小官は未だ少佐です。そのような調整役は難しいと思いますが?」
「貴官は同盟の英雄だ。防御指揮官達も貴官を無視できるとは思えんな」

少佐は黙って唇を噛み締めています。ややあってゆっくりと話し始めました。
「小官は身体が丈夫では有りません。戦闘ともなれば肉体的に無理をしなければならないときも有るでしょう。それが出来ない、返って周囲に迷惑をかけかねません、そう思ったから補給担当の士官になったのです」

ヴァレンシュタイン少佐の言うとおり、少佐は決して丈夫なほうではありません。月に一度ぐらいは体調不良で仕事を休んでいます。
「他に人が居ないのだ、少佐。後方支援の能力、そして作戦参謀としての能力、その両方を高いレベルで備えた士官となるとな……。セレブレッゼ中将はそういう人物を望んでいる。それにこれは打診ではない、決定だ。シトレ本部長が推薦しトリューニヒト国防委員長も賛成した。拒否は出来ない」

「……」
「少佐、貴官はこれを意趣返しだと思っているかもしれない。だがそれは誤解だ。確かにあの時我々は貴官に対して腹を立てた。だが怒っていたのは貴官も同様だろう、どれほどスパイではないと言っても我々は信じなかったのだからな」

キャゼルヌ大佐の話を少佐は黙って聞いています。
「普通の人間なら腹は立っても我慢して耐えるだけだろう。だが貴官には反撃するだけの力が有った……。そして最終的には我々を助けてくれた。確かに貴官は我々の敵ではない」

「……小官の実戦指揮能力などたいしたものでは有りませんよ」
「そんな事は無い、貴官はミハマ中尉と戦術シミュレーションをしているな。彼女の能力は決して低くない、だが貴官はその彼女をあっさりと破っている」

少佐が私をジロリと見ました。思わず身がすくむような視線でした。
「軍上層部は貴官の能力を高く評価している。そしてその能力を同盟のために積極的に遣うべきだと考えているのだ」
「……」

しばらくの間沈黙がありました。少佐は俯いて目を閉じています。眠っているのかと思えるほど静かだけど両手は何かに耐えるかのようにきつく握り締められています。
「小官が要求するものは全て用意してもらえますか?」
「全て?」
「物資、武器、人……、全てです」

キャゼルヌ大佐は頷くとゆっくりとした口調で少佐に答えました。
「分かった、約束しよう。必ず用意する」
「……ヴァンフリート4=2に行きます」
そう言うと少佐は立ち上がってキャゼルヌ大佐に敬礼しました。私も慌てて席を立ち敬礼します。私の敬礼が終わる前に少佐は身を翻して部屋を出ようとしていました。



宇宙暦 794年 1月30日 ハイネセン 後方勤務本部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



本気か? 本気でヴァンフリート4=2に行くのか? 行けばラインハルトと戦う事になる、それでも行くのか? 未来の銀河帝国皇帝と戦う? 正気じゃないな……。あの男に勝てるとでも思っているのか? うぬぼれるな、お前などあの黄金獅子の前では無力なウサギのようなものだ……。

行くしかないだろう……。どれほど望まなくとも命令とあれば行かざるをえない。まして命令は必ずしも理不尽なものではない。キャゼルヌ大佐はこちらの要求を全て受け入れると言っている。

ヴァンフリート4=2か……。基地にはヘルマン・フォン・リューネブルク、ラインハルト・フォン・ミューゼル、ジークフリード・キルヒアイスが攻めてくる。彼らと戦う……。

原作どおりに行くのなら俺は戦死か捕虜だろう。捕虜と言っても亡命者だ、帝国にとっては裏切り者、となれば嬲り殺しだな。そしてサアヤも捕虜になる。若い女性の捕虜では待っている未来は決して明るくない、悲惨なものだろう……。

殺されるのか? それで良いのか? 俺が死ねばどうなる? カストロプは喜ぶだろう、そして多くの帝国人は裏切り者が死んだと喜ぶに違いない。悲しんでくれるのはミュラーを含むほんの数人だろう……。

シトレやトリューニヒトは表面上は悲しむだろうが、俺の死を利用する事を考えるだろう。生きている英雄よりも死んだ英雄のほうが従順で利用し易いというわけだ、クソッタレが……。

……死ねないな、連中を喜ばせるような事など絶対に出来ない。俺は勝つ、絶対に勝つ。ラインハルトは戦争の天才かもしれないが今は未だ准将だ。二百隻ほどの小艦隊を率いる指揮官に過ぎない。それに必ずしも上から信頼されているわけでもない。やり方次第では勝てるはずだ。

もしかすると歴史を変える事になるかもしれない。だがそれがどうしたというのだ? 皇帝は宇宙に一人しか居ない、楽に皇帝になれるはずがないのだ。ラインハルトも分かっているだろう。俺に踏み潰されるならラインハルトもそれまでの男という事だ。皇帝になるなど痴人の戯言だ……。

戻れなくなるな、多分俺は帝国に戻れなくなる。ミュラー、フェルナー、キスリング、済まない。どうやらお前達の努力は無駄になりそうだ。だが、それでも俺は死ねないんだ、生きなければならないんだ。だから、戦場で出会ったら俺を殺すことを躊躇うんじゃない、俺も躊躇わない、これからは本当に敵になるんだ……。



宇宙暦 794年 1月30日 ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ



キャゼルヌ大佐の私室から自分のデスクに戻るとヴァレンシュタイン少佐は両手を組み、額を押し付け目を閉じました。まるで祈りを捧げるかの様な姿です。もしかすると本当に祈っているのかもしれません。帝国と戦わざるを得なくなった自分の運命を呪っているのかもしれない。

まさかこんなところであのシミュレーションの結果が利用されるとは思いませんでした。多分少佐は私のことを怒っているに違いありません。祈り続ける少佐を私は見ていられません、自然と項垂れていました。

どのくらい経ったでしょう、少佐の声が聞こえました。
「ミハマ中尉、これから言うものをリストアップしてください。そしてキャゼルヌ大佐に届けるんです。ヴァレンシュタインが要求しているといって……」

顔を上げると少佐が私を見ています。顔面は蒼白、でもその顔には笑顔が有りました。いつもの穏やかな笑顔じゃありません、痛々しい泣き出しそうな笑顔です。見ていられない、顔を伏せ、小声で答えるのが精一杯です。
「はい……」

少佐が必要なものを言い始めました。無機的な口調で膨大な量の兵器、物資、人間の名前を言い始めます。少佐は本気で戦おうとしています。戦争が始まるのだと改めて実感しました……。


 

 

第九話 獅子搏兎

宇宙暦 794年 2月 1日  ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ


キャゼルヌ大佐の私室の雰囲気は非常に気まずいものでした。私の目の前で大佐が苦虫を潰したような表情をしています。そして時々私を親の仇を見るような眼で見るのです。大佐、私が悪いんじゃ有りません。悪いのはヴァレンシュタイン少佐です。そして少佐をヴァンフリート4=2へ放り込もうとしている大佐達です。

「ヴァレンシュタイン少佐はこれが必要だというのだな」
「はい」
キャゼルヌ大佐がリストを睨んでいます。その気持はとっても分かる。少佐が要求した兵器、物資の一覧は膨大なものだから。もう直ぐ年度末だから在庫整理でもやるんじゃないかと思えるくらいです。

「……分かった、約束だからな、用意しよう」
「有難うございます、それと……」
「何だ、未だ有るのか」
「はい、これらの部隊をヴァンフリート4=2へ」

部隊の記されたリストを大佐に恐る恐る差し出すと大佐は睨むような眼でリストを見ながら受け取りました。
「……第三十一戦略爆撃航空団、第三十三戦略爆撃航空団、第五十二制空戦闘航空団、第十八攻撃航空団……。ヴァンフリート4=2で何をやるつもりだ? 正気なのか? いや、正気なのだろうな……。分かった、用意しよう」

御願いです、溜息交じりに答えないでください。なんか凄い罪悪感です。でも未だ有るんです、大佐……。
「それと、これらの人をヴァンフリート4=2へ」
「……分かった」
大佐は私が差し出したリストを見ることも無くOKしました。諦めたみたい……。

「それから……」
「未だ有るのか……」
御願いだから溜息を吐かないでください、大佐。それと恨めしそうに私を見るのも駄目です。私はただの御使いです。

「ヤン中佐を第五艦隊の作戦参謀に……」
「……第五艦隊? 今回の出撃に加えろというのだな?」
「はい」
大佐が私を睨んでいます。針の筵ってこういうのを言うんだ、納得。

「……後でヤンをそっちに行かせる。奴は怠け者だからな、仕事をさせたかったら自分で説得しろと少佐に言え。第五艦隊への転属は承知した、他には」
「もう有りません……。有難うございました、失礼します」
私は急いで部屋を出ました。大佐、私が悪いんじゃありません、何度も言いますが悪いのはヴァレンシュタイン少佐です。

少佐の元に戻ると少佐はヴァンフリート星系の星系図、ヴァンフリート4=2の地図、そして基地の設計図を見ていました。時折コンピュータで何かを確認しています。そして私の方を見ることも無く問いかけて来ました。

「キャゼルヌ大佐は何と?」
「少佐の要求は全て受け入れてくれるそうです。但し、ヤン中佐に事情を説明して欲しいと言っています」

少佐は黙って頷きました。私、嘘は吐いていません。
「ミハマ中尉、情報部のバグダッシュ少佐に連絡を取ってください。そして帝国軍の遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストを要求してください」
「将官以上ですか?」

各艦隊の司令官というなら分かります、でも将官以上? そんな思いがつい口に出ました。少佐が私を見ました、冷たい眼です。すみません、私、間違ってました。でも謝る前に冷たい声が聞こえました。
「将官以上です」
「はい……」

身が竦みました。ヴァンフリート4=2に行くと決めて以来ヴァレンシュタイン少佐の表情は変わりました。それまではいつもにこやかに笑みを浮かべていたのに、昨日から少佐の顔には笑みが有りません。そして目は凍てつくように冷たい……。

雰囲気も変りました。これまでの穏やかで暖かい雰囲気は有りません。何処か周囲を拒絶するかのような厳しい雰囲気を身にまとっています。以前の少佐が陽だまりなら今はブリザードです。補給担当部の人間は少佐の変貌に皆驚いているけど、ヴァンフリート4=2に行くのだと知って皆納得しています。戦場に赴くので緊張しているのだろうと……。

そうじゃないんです。少佐は本当は帝国と戦いたくなかったんです。いつか帝国に戻るために戦いたくなかった。それが戦う事になってしまった……。多分心を殺しているんだと思う。そうでなければ戦う事など出来ないから。

少佐が心を殺したから私の知っている少佐も死んでしまった……。いつも穏やかで優しい微笑を浮かべていた少佐、意地悪でサディストでどうしようもない根性悪だけど、それでも今の少佐よりずっと、ずっと良い、ずっと人間らしかった……。もう会えないのだろうか……。


バグダッシュ少佐は昨年のスパイ騒動の解決で大尉から少佐に昇進しました。もっとも少佐への昇進はスムーズに決まったわけではありません。例のスパイ騒動がバグダッシュ少佐とキャゼルヌ大佐への仕返しだという事が問題視されたのです。

昇進はしたが他の人よりも三日遅れの昇進でした。バグダッシュ少佐は“まあ昇進できたんだからな、それでよしとしよう”と言っていたけどそんな単純な問題じゃありません。

この後も三日遅れの昇進というのは付いて回るし、その度に情報漏洩事件の事が蒸し返されるでしょう。他の人との出世競争では一歩とは言えなくても半歩くらいは不利になります。

少佐に連絡を取るとすぐにTV電話のスクリーンに少佐が現れました。以前は情報部に連絡を取ることなど出来なかったけど、例の事件で情報部に出向という形を取っています。私が情報部に連絡を取っても誰も不審には思わないし私の素性がばれる事もありません。

「バグダッシュ少佐、お久しぶりです」
『ミハマ中尉か、久しぶりだ。元気かな』
「はい、おかげさまで」
嘘です、昨日も連絡を取りました。バグダッシュ少佐は私達がヴァンフリート4=2に行く事を知っています。ヴァレンシュタイン少佐が怒っている事もです。

『それで、何の用かな、中尉』
「実は今回、私とヴァレンシュタイン少佐はヴァンフリート4=2に行く事になりました」
『そうか、大変だな』

「それでヴァレンシュタイン少佐が帝国軍の遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストを頂きたいと……」
『将官以上? 正気か? どれだけ手間がかかると思っている』
お願いです、そんな呆れたような声を出さないでください。困った事にバグダッシュ少佐からはヴァレンシュタイン少佐が見えません、私は身を竦めました。

「ミハマ中尉、通信を切りなさい」
ブリザードが吹雪きました。スクリーンに映るバグダッシュ少佐の顔が驚愕に歪みます。
『彼が其処に居るのか?』
小さな声でした。私も小さな声で答えました。
「はい……」

「私も中尉も戦場に行くんです、少しでも生き残る可能性を高くしておきたい。しかしハイネセンで陰謀ごっこをしている人達にはそのあたりが理解できないようです。話すだけ無駄です、切りなさい」

ヴァレンシュタイン少佐の声だけが部屋に響きます。嘲笑も揶揄も有りません、その声には切り捨てるような冷たさだけが有りました。周囲の人間も皆、顔を伏せています。誰も私達のほうを見ようとはしません。どこかでTV電話の呼び出し音が鳴りました。でも誰も出ようとしません。補給担当部はヴァレンシュタイン少佐の前に凍りついています。

『待て、ヴァレンシュタイン少佐』
「話はヴァンフリート4=2から戻ってから聞きます。生きていればですけどね」
声に冷笑が有りました。その事が更に私の身を竦ませます。
『よ、用意しよう、貴官がハイネセンを発つ前に必ず届ける、必ずだ』
「二週間です。それ以上は待てません。よろしく御願いします」
『分かった』

バグダッシュ少佐は逃げるように通信を切りました。ずるいです、少佐。私も逃げたい……。少佐はヴァンフリート4=2の地図、そして基地の設計図を見ています。そして時折溜息を吐く。私への指示はヴァンフリート4=2への輸送計画の作成でした。

こんな膨大な量の物資の輸送計画なんて私には無理! そう思ったけど口答えは出来ません。途方に暮れながら過去の輸送計画を参考に仕事を始めました。ヤン中佐が補給担当部に来たのは二時間程経って頃です。もっと早く来てください、中佐。今の少佐と仕事をするのは辛いんです。

ヤン中佐が部屋に入ってくるとヴァレンシュタイン少佐は中佐を会議室へ案内しました。私も会議室に呼ばれたけど正直勘弁して欲しいです。ヤン中佐とヴァレンシュタイン少佐は必ずしも上手くいっていません。どちらかと言えばヤン中佐がヴァレンシュタイン少佐を危険視している感じがあるんだけど、どうにも二人の間の空気は微妙です。今日もまたその間で居たたまれない思いをするのかと思うと……。

会議室の中は何時にも増して空気が重かったです。ヤン中佐は何処と無く不機嫌そうに、そしてヴァレンシュタイン少佐は無表情に席に座っています。
「私を第五艦隊の作戦参謀に推薦したそうだね、ヴァレンシュタイン少佐」
「ええ」

「一体どういうことかな、何を考えている?」
「勝つ事を考えています」
「勝つ事?」
ヴァレンシュタイン少佐はヤン中佐の問いかけに無言で頷きました。

「ヤン中佐、今回の戦いにおける同盟軍の目的はなんだと思います?」
「……ヴァンフリート4=2の基地の防衛、かな」
「そうですね、此処で基地を防衛し次のイゼルローン要塞攻防戦に利用する、そんなところでしょう」
ヤン中佐が頷きます。

「では帝国軍の目的は?」
「当然だが基地の破壊、或いは無害化だろうね」
「基地の存在を知っていればそうなります。しかし帝国が基地の存在を知っているという確証はありません。もし彼らが基地の存在を知らなければ……」
「同盟軍の撃破か……」

今度はヴァレンシュタイン少佐が頷きました。二人ともニコリともしません。親密さなんて欠片も感じさせないけどお互いに相手の力量に関しては認めている、そんな感じです。

「問題は帝国軍が戦闘の最中にヴァンフリート4=2の基地に気付いた場合です。帝国軍は今回の戦闘の目的を同盟軍の撃破から基地の破壊に切り替えるでしょう、そうは思いませんか?」
「……なるほど、それで?」

「その場合問題になるのは同盟軍が帝国軍の行動に適切に対応できるかです。基地防衛を忘れて敵艦隊の撃破を優先しないか……。そうなればヴァンフリート4=2の基地は危機的な状況になります」
「確かにそうだな……」

会議室に静寂が落ちました。ヤン中佐は少し俯き加減に考え込んでいます。そしてヴァレンシュタイン少佐はそんなヤン中佐を黙って見ていました。
「貴官の危惧は理解した。私を第五艦隊に送ったのは、第五艦隊は作戦目的を間違うな、間違いそうになった時は止めろ、そう言う事と理解して良いか……」
「はい」

「何故私の送り先が第五艦隊なのかな、総司令部でも良いはずだが?」
「中佐は必ずしも総司令部の受けが良いとも思えません、ビュコック提督なら中佐の意見を受け入れてくれるでしょう」
「……」

ヴァレンシュタイン少佐の言葉にヤン中佐が苦笑しました。総司令部の受けが悪い、どう見ても褒め言葉じゃないけどヤン中佐は苦笑で済ませ、ヴァレンシュタイン少佐は平然としています。

「それにヴァンフリート星系は必ずしも戦い易い場所ではありません。戦闘は混戦になる可能性があります。混戦になれば総司令部は全軍の統制が取れなくなる。そうなれば各艦隊は独自の判断で動かざるを得ません。つまり、階級ではなく実力が物を言う事になる」

ヤン中佐は沈黙しています。そしてヴァレンシュタイン少佐をじっと見詰めている。少佐もその視線を正面から受け止めている。やがてヴァレンシュタイン少佐が話し始めました。

「ヤン中佐、私は亡命者です。亡命者は捕虜になる事は出来ません。帝国にとって亡命者は裏切り者なんです。捕まれば嬲り殺しにされるでしょう。私だけじゃありません。そこに居るミハマ中尉も悲惨な事になります」

ヤン中佐とヴァレンシュタイン少佐の視線が私に向けられました。私? それは捕虜にはなりたくないけど……。

「帝国には捕虜収容所などというものは有りません。あるのは矯正区ですが殆ど捕虜を野放しです。規律も規制も無い、そんなところに若い女性を送ればどうなるか……。或いはどこかの貴族が彼女を慰み者にするかもしれない。飽きれば何処かに売られるでしょうね」

「売られる?」
思わず問い返した私にヴァレンシュタイン少佐が頷きました。
「帝国には同盟に家族を殺された人間が腐るほど居るんです。彼らが貴女を買った後どうするか……」

急に怖くなりました。ヴァレンシュタイン少佐は哀れむような目で私を見ています。そしてヤン中佐は私とは視線を合わせようとはしません。見かねたのでしょうか、ヴァレンシュタイン少佐が言葉をかけてきました。

「勝てば問題はありません。勝てば……」
そう言って少佐はヤン中佐を見ました。私もつられてヤン中佐に視線を向けます。縋るよう視線だったかもしれません。ヤン中佐がほっと溜息を吐きました。

「貴官を敵にはしたくないな、ヴァレンシュタイン少佐」
「私は敵じゃありません。前から言っています」
「そうだね……。貴官の考えは理解した、出来る限りの事はしよう」
「御願いします」

ヤン中佐が会議室を出て行きました。二人とも握手も敬礼もしません。ヤン中佐は複雑な表情で部屋を出て行き、ヴァレンシュタイン少佐は無表情に中佐を見送りました。

“貴官を敵にはしたくないな”、ヤン中佐の言葉が耳に蘇りました。私もそう思います、ヴァレンシュタイン少佐を敵に回したくは無い……。ヴァンフリート4=2に行く事が決まったのは昨日でした。

それなのに少佐は僅か二日で戦争の展開をシミュレートしています。かなり精密に予測しているのは間違いないでしょう。そうでもなければこれだけの手を打てるわけがありません。おそらく宇宙艦隊の総司令部でも少佐ほどヴァンフリートで起きる戦闘をシミュレートしている参謀は居ないと思います。

物資、武器、部隊……。それらの手配をすると共にヤン中佐を第五艦隊に配属しました。そして帝国軍の将官リスト……。ヴァレンシュタイン少佐はどんな些細な事にも手を抜かずに勝とうとしています。

獅子搏兎、そんな言葉が脳裏に浮かびました。獅子は兎のような弱い動物を捕まえるのにも全力を尽くす、そんな意味だったと思います。帝国軍が弱いとは思いません、でも例え帝国軍が弱くても少佐は勝つために全力を尽くすでしょう。少佐の本当の姿を見たような気がしました……。


 

 

第十話 思惑

宇宙暦 794年 2月 4日  ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ


ヴァンフリート4=2への輸送計画が完成しました。周囲の人に聞きながらようやく完成した輸送計画です。ヴァレンシュタイン少佐に見せると一読した後、キャゼルヌ大佐に見せるようにと言われました。大佐は席に居ません、私室に居ます。はっきり言います、あの部屋には行きたくない……。

でも私の隣には絶対零度の大魔王が居ます。言う事をきかないと瞬時にしてブリザードが……。ブリザードが発生すれば私だけでなく周囲も凍りつくでしょう。周りに迷惑をかける前に大佐の私室に向かいました。

「大佐、ヴァンフリート4=2への輸送計画が完成しました。確認を御願いします」
私の御願いに大佐は黙って手を差し出し計画書を受け取りました。そして輸送計画書を見て少しだけ考え込みます。

「中尉、ヴァレンシュタイン少佐はこの計画書を見ているのか?」
「はい、大佐にお見せするようにと」
「……」
なんか嫌な感じ……。

「あの、何かおかしいのでしょうか?」
「いや、そうじゃない……。もっと輸送計画を複雑に、分かり難くするかと思ったのでね」
すみません、どうせ私は単純です。口には出せないので心の中で毒づきました。

「少佐は急いでいるようだな、戦争が始まるのは間近だと見ているようだ」
「……」
「厳しい戦いになるかもしれん……。中尉、必ず戻って来いよ」
「……はい」

思わず身が引き締まりました。私が経験した戦争はアルレスハイムの会戦のみ……、あれは戦いと言えるようなものじゃありません。一方的にサイオキシン麻薬で混乱する敵を叩きのめしただけ。ヴァンフリートではそうはならない事は少佐の様子を見れば想像はつきます……。生きて戻れるかどうか……。

私達が出立するのは二月十五日です。後残り十一日……。



宇宙暦 794年 2月 6日  ハイネセン 統合作戦本部 アレックス・キャゼルヌ



「随分参っているようだな、キャゼルヌ」
「色んな所から責められています。あんなに物資を使ってどうするつもりだ、どうして貴官が部隊移動に口を出すのだと。実際閉店間際の在庫処分みたいなものですよ」

俺の言葉にシトレ本部長は軽く苦笑した。この狸親父、誰の所為で俺が苦労していると思っている……。

今回、ヴァレンシュタインの要求は最優先で叶えられている。一少佐の要求が最優先で叶えられる事など本来ありえない。その有り得ない事が起きている理由は全てを本部長命令として行なっているからだ。俺はその命令の伝達者だと周囲からは思われている。

「本部長には文句が言えませんからね、皆私に言うんです」
「そうか、御苦労だな、大佐」
今度は声を上げてシトレ本部長が笑った。全く気楽なもんだ。よく見ると本部長につられて笑っている人間が二人居る。

「楽しそうだな、ヤン、バグダッシュ少佐」
俺の言葉に二人がバツが悪そうに笑いを収めた。
「まあ、出来る部下を持つと色々と大変ですな、大佐」
バグダッシュ少佐が堪えられないというように笑い声を上げた。ヤンは笑いを噛み殺している。

こっちは笑い事じゃない、ヴァレンシュタインはヴァンフリートのセレブレッゼ中将に飛行場を造るように要請した。基地から離れた場所で数箇所造れと……。要請とは言っても俺はシトレ本部長の名を使っているのだ、事実上命令と言って良い。今頃セレブレッゼ中将は必死で飛行場を造っているだろう。

「バグダッシュ少佐、そっちはどうなんだ。遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストを要求されたのだろう?」
「うちは防諜課ですからね。その件については調査課に頼んであります」

暢気な声だ。表情にも緊張感は欠片もない、思わず皮肉が出た。
「大丈夫か? 信用できるのか、調査課は。連中、ヴァレンシュタインに良い感情は持っていないだろう」
「確かに良い感情は持っていません。しかし彼の実力は分かっている」
「……」

「情報と言うのはそれを扱う人間によってダイヤモンドにもなれば石ころにもなる。彼は帝国人です。我々などより遥かに帝国軍人に関しては詳しい。彼がその情報を今回の戦いの中でどう使うのか、皆それを知りたがっているんです。問題は有りません」

自信有りげなバグダッシュ少佐の声だった。シトレ本部長が満足そうに頷く。視線をヤンのほうに向けた。
「ヤン中佐、ヴァレンシュタインは今回の戦いがどうなると考えているか、分かるかね?」

シトレ本部長の問いかけにヤンは頭を掻きながら答えた。
「ヴァンフリート4=2へ送られた物資を見ると彼はヴァンフリート4=2で地上戦が発生すると見ているように思えます。しかし私と話した時、彼は帝国軍が基地の存在を知らない可能性が有る、その可能性が高いと見ていました」
「……矛盾するな、それは」

シトレ本部長の言葉に皆が頷いた。確かにそうだ、基地を知らなければヴァンフリート4=2で地上戦など発生しない……。皆の視線がヤンに集中した。それを受けてヤンが口を開いた。

「基地の存在を知らなければ帝国軍は同盟軍の撃破を目的とします。当然艦隊決戦が生じますが、少佐は混戦になり決着は着かないだろうと見ています。そしてその混戦の中で基地が帝国軍に発見されるのではないかと考えている……」

「なるほど……、基地が発見されれば当然だが攻略しようとするか……」
「問題はその時です、同盟軍は基地を守れるか、守ろうとするか、少佐はそれを危ぶんでいるように見えました」
シトレ本部長が考え込んでいる。それなりに思うところが有るのだろう。しかし、どうも俺にはよく分からない。

「総司令部が基地を守れと言えば済む話じゃないのか?」
俺の問いかけにヤンが首を振った。
「そう簡単には行かないと少佐は見ています。おそらく敵味方の艦隊が混じり合い統制など取れなくなると見ている、そうなれば基地は孤立する可能性が高い……」

部屋に沈黙が落ちた。
「……それで中佐を第五艦隊にという事ですか」
「そういうことだね、バグダッシュ少佐。基地を守る事を優先するようにということだ。だがそれだけではないかもしれない……」
「?」

皆が疑問の視線をヤンに向けた。
「もしかすると彼は別な事を考えているかもしれません」
「別な事とは」
シトレ本部長の問いかけに一瞬、ヤンは躊躇いを見せた。

「……例えばですが、基地を囮にしてヴァンフリート4=2で艦隊決戦を演出する……」
「!」
「混戦になり敵味方共が混乱している時、そんな時にヴァンフリート4=2に基地が有ると分かれば帝国軍は必ずヴァンフリート4=2に来ます。それを積極的に利用して同盟軍をヴァンフリート4=2に誘引する……」

「馬鹿な、基地を危険に晒すというのか?」
思わず声が震えた、だがヤンは動じていない、冷静な口調で話を続けた。
「危険ではありますが、宇宙艦隊の支援を受けられます。孤立するよりは良い……。彼が恐れているのは孤立して基地単独で帝国軍と戦う事でしょう」
「……」

部屋に沈黙が落ちた。皆が考え込んでいる。ヤンの考えが正しいとすればヴァレンシュタインは基地防衛だけではなく、ヴァンフリートの会戦そのものを自らコントロールしようとしている。

クスクスと笑い声が聞こえた。シトレ本部長が楽しそうに笑っている。
「楽しくなってきたな。ヴァレンシュタイン少佐がヴァンフリートの会戦を演出するか……。もしそうなら我々は益々彼を手放す事は出来ない、帝国に返すなどもっての外だ。そうだろう、バグダッシュ少佐」
「その通りです、本部長」

帝国に返す? どういうことだ? シトレ本部長とバグダッシュ少佐は笑みを浮かべている、ヤンは訝しげな表情だ。
「それはどういう意味です、本部長?」
俺の問いかけに本部長はニヤニヤと笑みを浮かべるだけで答えない。答えたのはバグダッシュ少佐だった。

「その通りの言葉ですよ、大佐。ヴァレンシュタイン少佐は帝国に帰りたがっている。そして帝国では彼を帰還させようと動いている人間が居るんです」
「……始めて聞く話だな、バグダッシュ少佐」
俺の皮肉にもバグダッシュ少佐は肩を竦めただけだった。可愛げのない奴だ。

「昨年のフェザーン出張、あの時ヴァレンシュタイン少佐は帝国高等弁務官主催のパーティに出ていますが、それで分かりました」
「ヴァレンシュタイン少佐は帝国と接触したのですか? バグダッシュ少佐」
訝しげに問いかけたのはヤンだ。スパイではないと思っていたのだろう。俺も同感だ、奴は本当はスパイなのか?

「いえ、接触したのはミハマ中尉です。彼女にナイトハルト・ミュラー中尉という帝国軍人が接触してきました。彼はヴァレンシュタイン少佐とは士官学校の同期生で親友だと説明し、ミハマ中尉にこう言ったそうです」
「……」

「“私は彼を守れなかった。だからあいつは亡命した、私に迷惑はかけられないといって”……そしてこうも言ったそうです。“アントンとギュンターが例の件を調べている。必ずお前を帝国に戻してやる”」

ヴァレンシュタインは亡命者だった。だが帝国に戻るという希望を持った亡命者だったということだろうか。ヤンが深刻な表情をしている。ヤンはヴァレンシュタインを危ぶんでいた。

亡命者らしくない、用兵家としての能力があるにもかかわらず、それを隠そうとする。そのくせ全てを見通しているかのような動きをする……。余りにもちぐはぐで何を考えているのかが分からない……。もしそれが帝国に戻るという希望を持った所為だとしたら……。

「我々はミュラー中尉を調べ、彼の言葉に有ったアントンとギュンターという人物に注目しました」
「分かったのか、彼らが何者か」
俺の問いかけにバグダッシュ少佐が頷いた。

「ミュラー中尉はヴァレンシュタイン少佐と士官学校で同期生です。となるとアントンとギュンターの二人も同期生の可能性が強い。浮かび上がったのは、アントン・フェルナー、ギュンター・キスリングの二人です」

「ギュンター・キスリングは憲兵隊に居ます。問題はアントン・フェルナーです。彼はブラウンシュバイク公に仕え、その側近として周囲から認められつつある」
「ブラウンシュバイク公……」
俺とヤンが同時に呟き、バグダッシュ少佐が“そう、ブラウンシュバイク公です”と言って頷いた。

ブラウンシュバイク公、オットー・フォン・ブラウンシュバイク、現皇帝フリードリヒ四世の娘と結婚し女婿として大きな影響力を持っている。フリードリヒ四世は後継者を決めていない、ブラウンシュバイク公の娘、エリザベートは皇帝の孫、次期皇帝の有力候補だ。

「ブラウンシュバイク公の影響力を持ってすれば、ヴァレンシュタイン少佐を呼び戻す事など簡単な筈です。ところが未だ少佐は同盟に居る……」
「おかしな話だな、他の誰かと間違っているんじゃないか?」

俺の言葉にバグダッシュ少佐は頷かなかった。首を横に振って話を続けた。
「此処で気になるのはミュラー中尉が言った“例の件を調べている”です」
「例の件……」

「調べがつかないのか、或いはブラウンシュバイク公も手出しできない程の大きな問題なのか……。少佐が戻れない事、そして亡命した真の原因は遺産相続などではない、その“例の件”が抱える秘密が原因なのではないか、情報部ではそう考えています……」

「馬鹿な、ブラウンシュバイク公も手出しできないだと? 亡命した時、彼は兵站統括部の一中尉だった。その“例の件”にどんな秘密が有るというのだ」
俺の言葉にバグダッシュ少佐は落ち着けと言う様に手を前に出した。

「キャゼルヌ大佐、ヴァレンシュタイン少佐は僅か一週間で同盟の極秘事項であるヴァンフリート4=2に気付いているんです。帝国でも何かに気付いた、そしてそれを快く思わない人物が居た……。有り得ない話ではありません」
「……」

重苦しい沈黙が部屋に落ちた。確かに有り得ない話ではない。兵站統括部で何かに気付いた、汚職か、あるいは横領か……。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、お前は一体何に気付いた? どんな秘密を抱えている?

「……まあそのくらいにしておけ」
シトレ本部長の低い声が沈黙を破った。ヤンは何処かでほっとしたような表情をしている。おそらくは俺も同様だろう。バグダッシュ少佐が首を一つ振って話し始めた。

「問題は彼が五年後、十年後に帝国に戻った時です、何が起きるか……」
「……同盟の事情に詳しい人間が帝国に戻るか」
「それだけではありません、彼は自分の帰還に尽力したブラウンシュバイク公の傍に戻る事になる。公の娘、エリザベートが女帝になれば彼は帝国の軍事活動に大きな影響力を持つ事になるでしょう。恐ろしくはありませんか? 大佐」
「……」

「彼は帝国には戻せない。彼が戻ろうとするなら殺さざるをえん……」
シトレ本部長が重い口調で呟いた。バグダッシュ少佐も無表情に頷く。
「だが殺すには惜しい人物だ。味方にしてこそ意味があるだろう。彼には帝国と戦ってもらう、補給担当将校ではなく用兵家としてだ。本当の意味で同盟人になってもらわなければならん……」

なるほど、そういうわけか……。シトレ本部長、そしてバグダッシュ少佐が何を考えているのかが分かった。彼を帝国と戦わせる、大きな功績を挙げれば帝国も彼を敵だと認識するだろう。彼は帝国に帰り辛くなる、そして帝国は彼を戻し辛くなる……。

そしてヴァレンシュタインはそれを理解している。だからあんなにも変わってしまった。彼の心を占めているのは絶望だろう……。

「ヴァレンシュタインが変わったのは、それが原因ですか……。帝国と戦う、帝国に帰れなくなる、だから……」
「……」
皆沈黙している。シトレ本部長、バグダッシュ少佐、そしてヤン……。皆無表情に沈黙している。

「哀れな……」
ヤンが首を振って呟いた。
「惨い事をしているとは理解している。しかし、彼がこの国で生きていくにはその道しかないのだ。彼はそれを理解しなければならん……。彼は我々を憎むだろう、嫌悪するかもしれん。だが、この先私は常に彼をバックアップしていくつもりだ、彼を孤立させるような事はしない。貴官らも覚えておいてくれ」

シトレ本部長の言葉に皆が頷いた。ヴァレンシュタイン、辛いだろうな、苦しいだろう。だが少なくとも此処に居る四人は貴官の味方だ。貴官はそう思わんかもしれん、しかし俺はそう思っている。

話を変えたほうが良いな……。
「しかし、フェザーンでそんな事が有ったとは……。ミハマ中尉が諜報活動を行うとは驚いたよ」
「彼女は報告しませんでしたよ、大佐」

バグダッシュ少佐の答えに俺は思わず少佐の顔を見た。ヤンも驚いて少佐を見ている。そしてバグダッシュ少佐はおかしそうに笑みを浮かべている。バグダッシュ少佐、今なんと言った? 報告しなかった? 彼女は監視役だぞ、何を言っているのか分かっているのか?


 

 

第十一話 トラブルメーカー達

宇宙暦 794年 3月10日  ヴァンフリート4=2 ミハマ・サアヤ



ヴァンフリート星系はイゼルローン回廊の同盟側に位置する恒星系です。八個の大惑星、三百余りの小惑星、二十六個の衛星が有るけど無人のまま放置されています。一つには酸素と水に恵まれない所為だけど、帝国との境界に近いため何時侵攻を受けるか分からないという危険性があったから。そんな危険性を無視してまで開発するような魅力はヴァンフリート星系にはありません。

恒星ヴァンフリート、つまり太陽の事だけど、この恒星ヴァンフリートも非常に不安定でそれもヴァンフリート星系が放置された一因だと言われています。それにしても人類は未だに恒星のことを太陽と呼ぶ。太陽なんてもう関係ないのに。

帝国と同盟が戦争を始めて百五十年になりますがヴァンフリート星系が戦場になった事は一度も有りません。そのくらい何の価値も無い星系です。つまりどうしようもない僻地だったという事、ついこの間まではそうでした。

このヴァンフリート星系に基地が作られたのはイゼルローン要塞攻略戦のため以外の何物でもありません。ヴァンフリートはイゼルローン要塞から極めて近い、此処に基地を造りイゼルローン要塞攻略戦の後方支援基地にする。それが同盟軍の狙いです。

基地はヴァンフリート4=2の南半球側にあります。ヴァンフリートのように無人の恒星系では惑星や衛星には名前が付けられない事が多々あります。ヴァンフリート4=2とはヴァンフリート星系の第四惑星に所属する第二衛星の事です。

直径2、260キロ、氷と硫黄酸化物と火山性岩石におおわれた不毛な衛星で重力は0.25G、離着陸時の負担は比較的少ない。大気は微量で窒素が主成分。自由惑星同盟が基地を作り、私達が守るためにやって来たのはそんなところでした。

「申告します、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン少佐です。この度セレブレッゼ中将の指揮下に入るように命じられました」
「ミハマ・サアヤ中尉です。同じくセレブレッゼ中将の指揮下に入るように命じられました」
「情報部から来ましたバグダッシュ少佐です。ヴァレンシュタイン少佐の手伝いをするようにと言われています」

「うむ、三人ともよく来てくれた。よろしく頼む」
セレブレッゼ中将が嬉しそうな口調で私達を労りました。もっとも中将は幾分訝しげにバグダッシュ少佐を見ています。何でこんなところに情報部が、そんな気持ちが有るのかもしれません。

セレブレッゼ中将は四〇代後半の男性です。実戦指揮よりも後方勤務の経験の長い軍官僚で基地運営部長としてヴァンフリート4=2の基地を建設、建設後は基地司令官として赴任しています。

今回の戦いで基地を守り、次に行なわれるであろうイゼルローン要塞攻略戦を大過なく努めればハイネセンに戻って後方勤務本部の次長になるだろうと言われているそうです。

中将にとってはこの防衛戦は今後の未来を決めるものです。当然勝ちたい、そう思っているのでしょうが困った事は中将には実戦経験がほとんどありません。中将の周囲もその事で中将に不安を持っています。

中将も当然それを理解しています。そして中将はそれを見返したい、それを可能としてくれる有能な参謀が傍に欲しいと思ったのだそうです。特に中将が望んだのは後方勤務出身の参謀でした。

統合作戦本部、宇宙艦隊出身のエリート参謀では自分を馬鹿にするかもしれません。それでは意味は無い、自分を親身に補佐してくれるのは後方勤務出身の参謀……。中将は軍上層部に後方勤務出身の参謀の派遣を要請しました。そしてヴァレンシュタイン少佐と私が選ばれたそうです。バグダッシュ少佐が教えてくれました。

セレブレッゼ中将が表情を一変させ心配そうな表情で尋ねてきました。
「状況は聞いているかね、ヴァレンシュタイン少佐」
「はっ、今月に入って帝国軍はイゼルローン要塞に集結中と聞いています。近日中にヴァンフリート星系に押し寄せるものかと想定されます」

少佐の言葉にセレブレッゼ中将の顔がますます曇りました。
「目的はこの基地の破壊か……」
「その確証は有りません。或いは帝国軍は基地の存在を知らない可能性も有るでしょう。同盟軍がこの星系に居る、ただそれだけで攻め寄せる可能性もあります」

ヴァレンシュタイン少佐が平静な口調で中将に答えました。中将は“その可能性もあるか”と言うと何度か頷いています。そして少佐はそんな中将を黙って見ていました。少佐の視線に気付いたのでしょう、セレブレッゼ中将が小声で問いかけてきました。

「しかしあれだけの装備を持ってきたのだ。本当は攻め寄せてくると思っているのだろう? 少佐。本当の事を教えてくれんか?」
何処となく内緒話をするような口調です。でもヴァレンシュタイン少佐は表情を変えませんでした。

「帝国軍が攻めてくるかどうかは現時点でははっきりしません。ですが何時までも基地の存在を隠せるわけではありません、いずれは帝国軍に見つかります。今回使う事は無くとも必要になる装備です」

「なるほど……」
ちょっと中将はがっかりしたようです。少佐が“実は……”と言ってくれるのを期待していたのかもしれません。

「閣下、装備の確認をしたいと思いますので……」
「ああ、分かった、行ってくれ。貴官達があの装備を持って来てくれた事で皆の士気も上がっている。頼りにしている」
「はっ」

セレブレッゼ中将の元を退出するとヴァレンシュタイン少佐は基地の保管庫に向かいました。私とバグダッシュ少佐もその後を追います。保管庫には多機能複合弾、近接防御火器システム、地対地ミサイル、集束爆弾等が運び込まれていました。

私達以外にも何人かが搬入を見ています。私達が近付くと視線をこちらに向けて来ましたがヴァレンシュタイン少佐は気にすることも無く武器の搬入を見始めました。私とバグダッシュ少佐は少し離れた位置で武器の搬入を見ます。

「凄い量だな」
バグダッシュ少佐が感歎の声を漏らしました。同感です、本当に凄い量です。ヴァレンシュタイン少佐は一体これで何をしようというのか……。

バグダッシュ少佐は今回、急遽私達に同行しヴァンフリート4=2の防衛戦に加わると言い出しました。表向きの理由はヴァレンシュタイン少佐に陰謀ごっこと非難されたのを共に戦う事で払拭したいそうです。

もっとも本当の理由は別にあります。ヴァレンシュタイン少佐がどんな戦いをするのか、それを確認するのだそうです。一つ間違えば戦闘に巻き込まれ戦死するかもしれません。しかしバグダッシュ少佐は“ヴァレンシュタイン少佐の傍に居るのが一番安全かもしれん”と言っています。

ヴァレンシュタイン少佐はバグダッシュ少佐の同行に何も言いませんでした。勝手にしろと言わんばかりです。ハイネセンからこのヴァンフリート4=2まで少佐は殆ど部屋に篭りきりです。たまに部屋を出てきても無表情に何かを考えています。私達にまるで関心を持ちません。

食事の時もそれは変わりませんでした。まるで周囲との接触を故意に避けているかのようにも見えます。以前は第四艦隊に居た時もフェザーンに行くときに民間船に乗った時も少佐はお菓子を作ってお茶に誘ってくれました。クッキーやケーキやパイ……、特に少佐の作るアップルパイは絶品です。それが楽しみだったのですが今回は有りません。寂しいです……。

今も私とバグダッシュ少佐が傍に居るにもかかわらず、少佐は無表情に保管庫に運び込まれる兵器を見ています。

「いやあ、これは凄い、こんなのは始めて見るな」
声がした方を見ると二人の若い男性が居ました。一人は明るい褐色の髪をした瀟洒な男性です。もう一人は明るい髪をした男性でした。さっきまでは居ませんでしたから私達の後から来たのでしょう。

どうやら声を発したのは明るい褐色の髪の男性のようです。彼はこちらを見るとにこやかに笑いながら声をかけてきました。
「ミハマ中尉、小官はオリビエ・ポプラン少尉であります」

この人、私の事を知ってる?
「そう驚かなくても良いでしょう、以前から中尉の事が気になっていたのですよ。どうです、今夜、時間を取ってもらえませんか? それともヴァレンシュタイン少佐の許可が必要ですか?」

ちょっと私を挑発するかのような言い方です。ヴァレンシュタイン少佐を見ました。少佐は無表情に武器の搬入を見ています。もう少し何か反応が有っても良いでしょう! ポプラン少尉の誘いに乗っちゃおうかな? そう思ったけど止めました、私の隣でバグダッシュ少佐がニヤニヤして私を見ています。

「お嬢さん、そんなミエミエの挑発に乗ってはいけないな」
「……」
別な男の人が声をかけてきました。

ヴァレンシュタイン少佐から少し離れた場所で武器の搬入を見ていた男性です。グレーがかったブラウンの髪をしています。長身で彫りの深い顔立ちですが何処か不敵で不遜……、ちょっと不良っぽい感じに見えました。

「ヴァレンシュタイン少佐、その女性は貴官に止めて欲しそうだ」
その男性が皮肉な笑みを浮かべて少佐に声をかけました。別に止めて欲しかったわけじゃありません! ただもう少し反応が有ってもいいと思ったんです! 間違わないでください!

「シェーンコップ中佐、私はミハマ中尉の保護者ではありません、被保護者でもない……」
ちょっとそれどういう意味です? 私だって少佐みたいな保護者なんて要りませんし被保護者も要りません。第一もう少し言いようが有るでしょう。ところでシェーンコップ中佐? 知り合い? でもシェーンコップ中佐も驚いてる……。

「高名な少佐が小官をご存知とは光栄ですな」
「……」
「地上戦の装備が多いようだが、果たして地上戦が起きますかな? 艦隊がわざわざ地上に降りるとは思えませんが」

シェーンコップ中佐が皮肉な笑みを浮かべてヴァレンシュタイン少佐を見ています。挑発しているのかもしれません。でもヴァレンシュタイン少佐は気にした様子も無く武器の搬入を見ています。

無視されたシェーンコップ中佐はどうするだろう、気になって中佐を見ました。その時中佐の紋章が見えました、この人、ローゼンリッターです!

ローゼンリッターは同盟軍において、帝国からの亡命者の子弟で構成されている連隊の名称です。同盟最強の白兵戦部隊であり、その戦闘能力は1個連隊で1個師団に匹敵すると言われる程。

しかし問題も多く有ります、戦闘中に敵と味方を取替え、帝国軍に寝返った者もいるのです。歴代連隊長十一名のうち、三名は帝国軍との戦闘で死亡、二名は将官に昇進した後退役、あとの六名は同盟を裏切り帝国へ逆亡命……。実力はあっても何処か危険視され迫害される……、ローゼンリッターとはそんな部隊です。

もしかすると中佐には少佐への反発があるのかもしれません。中佐はローゼンリッターとして周囲から危険視される存在。一方の少佐は英雄として軍上層部から評価される存在。面白くないと思っても不思議ではありません。

武器の搬入を見ていた少佐が視線をシェーンコップ中佐に向け問いかけました。
「私を挑発するのは楽しいですか、シェーンコップ中佐?」
「結構楽しいですな」
シェーンコップ中佐が笑みを浮かべながら答えました。

その瞬間です、ヴァレンシュタイン少佐が薄っすらと笑みを浮かべました。何処か禍々しさを感じさせる笑みです。思わず隣に居たバグダッシュ少佐と顔を見合わせました。少佐も驚いています。

「もっと楽しくなりますよ、中佐。遠征軍の中にヘルマン・フォン・リューネブルク准将の名前が有りました」
「まさか、リューネブルク……」
シェーンコップ中佐が呻くようにその名前を口にしました。

第十一代ローゼンリッター連隊長リューネブルクは帝国に逆亡命した人物です。歴代連隊長十二人のうち同盟を裏切って帝国に亡命した連隊長は六名……、その一人がヘルマン・フォン・リューネブルク……。

シェーンコップ中佐にとっては許せる相手ではありません。リューネブルク准将が亡命した所為でローゼンリッターは軍上層部から危険視される事になったのです。不倶戴天の敵という言葉はまさに彼らのために有ると言っていいでしょう。

「そう、リューネブルク准将です。懐かしいでしょう、中佐。彼が此処を攻めてくれば楽しくなりますね。賭けましょうか、リューネブルク准将がこの基地を攻めに来るかどうか」
「……」

ヴァレンシュタイン少佐が笑みを浮かべつつシェーンコップ中佐に話し続けます。シェーンコップ中佐の顔には先程まで有った笑みは今では有りません。
「私はこのヴァンフリート4=2に彼が来ると思います。そのためにこの武器を用意しました。中佐、せいぜいもてなして上げて下さい」

「……なるほど、そうしましょう」
シェーンコップ中佐が笑みを浮かべて答えましたがヴァレンシュタイン少佐は中佐から関心を無くしたかのように今度は視線をポプラン少尉達に向けました。

「ポプラン少尉、貴官を此処に呼んだのは私です」
「……」
「理由はただ一つ、貴官が優れたパイロットだから」
「それはどうも」

ヴァレンシュタイン少佐が笑みを浮かべながらポプラン少尉に話しかけています。ポプラン少尉はちょっと引き気味です。今の少佐の笑みは何処と無く怖い……。

「貴官がどうしようもないトラブルメーカーで女好きでも全然構わない、敵の戦闘艇を叩き落してくれるのであればね。私が必要とするのは貴官のパイロットとしての才能であって貴官の人間性や人格ではない」
「……」

「貴官が戦死しても構いません、誰も悲しみませんからね。トラブルメーカーが居なくなったと皆、喜んでくれるでしょう」

酷い言い方です。ポプラン少尉の顔が引き攣っています。それでも小声で抗議しました。
「俺が居なくなったらハイネセンで俺を待ってる女たちが……」

「安心してください。彼女達は直ぐに新しい恋人を見つけますよ。もしかするともう見つけてるかもしれませんが……」
ポプラン少尉を絶句させるとヴァレンシュタイン少佐は保管庫から立ち去りました。私はバグダッシュ少佐と顔を見合わせ、その後を追いました。

大人しそうな外見に騙されがちですがヴァレンシュタイン少佐の性格は結構激しいです。やられたら必ずやり返す、それを理解していないと痛い目にあいます。この基地の住人は早速痛い目にあったようです。これからは少佐に対して馬鹿な事は考えないでしょう。




 

 

第十二話 ヴァンフリート星域の会戦

宇宙暦 794年 3月26日  ヴァンフリート4=2 ミハマ・サアヤ



「どうやら酷い戦いになりそうね」
隣に居る女性が話しかけてきました。長身で赤みを帯びた褐色の髪の美人です。彼女の表情は決して明るくありません。本当にそう思っているのでしょう。私も彼女に同感です、本当に酷い戦いになりそうです……。

彼女の名前はヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中尉、対空迎撃システムのオペレータです。もう一つ言うとローゼンリッターのシェーンコップ中佐の恋人です。あの人結構女たらしみたい。ポプラン少尉といい勝負のようです。出来るだけ傍に寄らないようにしないと。

この基地に来てから私はフィッツシモンズ中尉と親しくなりました。どうやらシェーンコップ中佐はヴァレンシュタイン少佐の事を彼女に話したようです。“見かけによらず怖い坊やだ”それがきっかけでフィッツシモンズ中尉が私に近付いてきました。

彼女は一度離婚歴が有ります。年上ですし人生経験も豊富なので色々と教わる事も多いです。俗に言う“良い女”って彼女のような女性を言うのでしょう。羨ましい限りです。

ヴァレンシュタイン少佐の事も話しました。この基地に来る事になってから人が変わってしまったと……。フィッツシモンズ中尉は黙って聞いていましたが最後に“貴女も苦労するわね”と言われました。

三月二十一日二時四十分、ヴァンフリート星域の会戦が始まりました。同盟軍の動員した艦隊は三個艦隊、第五、第六、第十二艦隊です。そして第五艦隊にはヴァレンシュタイン少佐の依頼で配属されたヤン中佐がいます。帝国軍の戦力も同盟軍とほぼ同規模のようです。

戦況ははっきりしませんが酷い混戦になっている事は事実です。この基地の司令室でも時々味方の通信を傍受することができましたが滅茶苦茶です。
“第六艦隊、応答せよ、第六艦隊、応答せよ”
“こちら総司令部、第十二艦隊、現在位置を報告せよ”
“こちら第五艦隊、現在位置、不明”

同盟軍の艦隊は皆バラバラです。総司令部は艦隊を統率出来ていません。総司令官ロボス元帥も頭を抱えていると思います。それでも同盟軍が帝国軍に負けずにいるのは帝国軍も似たような状況にあるからだと思います。

基地の司令室の中でも皆が戦闘の状況に呆れてます。
「これは駄目だね」
「このまま勝負無しかな」
「ダラダラやっていると消耗戦になるぞ」

基地が安全だという事、軍の戦い方が拙劣だという事、その所為でしょう、司令室の雰囲気は決してよく有りません。士気は弛緩しています。そんな中、バグダッシュ少佐が私達に話しかけてきました。
「もう少しましな戦いをして欲しいもんだ。これではヴァレンシュタイン少佐もやりきれんだろう」

バグダッシュ少佐の言葉にヴァレンシュタイン少佐を見ました。少佐は周囲の弛緩した雰囲気に混じることなく私達から少し離れた場所で戦闘の状況を追いかけています。総司令部も混乱しているのです、簡単な事ではありません。それでも傍受する事が出来た通信内容から大体の事は分かったようです。私達にも教えてくれました。

開戦後、同盟軍も帝国軍も互いの戦力から大きな部分を割いて繞回進撃を試みたそうです。つまり敵陣の周縁部を迂回してその背後を撃つ。成功すれば前後から攻撃出来、大勝利を得られます。それを狙ったのでしょう。

ですが繞回運動には危険があります。繞回運動を行なう部隊と主力部隊の間によほどの堅密な連携が維持できないと敵によって各個撃破されてしまうのです。しかしヴァンフリート星域の会戦はそれより酷い事になりました。両軍が繞回運動を行なったためただひたすら混乱し騒いでいるだけです。

“繞回運動による敵の挟撃、成功すれば華麗な勝利を得られますからね。それを狙ったのでしょうが、この星域の戦い辛さを両軍とも過小評価したようです。勝つ事よりも生き残る事が大事なのに……”

そう言った少佐に表情には暗い笑みが有りました。多分憎悪だったと思います。自分を最前線の基地に放り込んでおきながら役に立たない作戦で混乱している同盟軍を心底憎んだのでしょう。

ヴァレンシュタイン少佐はセレブレッゼ中将に状況を報告しています。
「帝国軍は同盟との艦隊決戦を望みました。どうやら帝国軍は基地の存在には気付いていないようです」
セレブレッゼ中将がほっとしたような表情を見せました。基地は安全だと思ったのでしょう。

「それで」
「艦隊決戦で同盟軍が勝てば問題は無かったのですが、現在両軍は混戦による混乱状態にあります。帝国軍の艦隊は敵を求めてヴァンフリート星域を彷徨っている状態です。場合によっては此処に気付くかもしれません」

セレブレッゼ中将の顔が歪みました。ヴァレンシュタイン少佐、やっぱり少佐はサディストです。私にはわざとセレブレッゼ中将を苛めているようにしか見えません。

少佐が戻ってきました。
「少佐、酷い戦ですがこれからどうなるでしょう」
私が問いかけると少佐は微かに微笑みました。もっとも眼は笑っていません。冷たく光っています。

「これからですか……。これからはもっと酷くなりますよ」
私は少佐の言う事を信じません。酷くなるんじゃありません、少佐が酷くするんです。そうでしょう、ヴァレンシュタイン少佐?



宇宙暦 794年 3月26日  ヴァンフリート4=2 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


サアヤが俺を胡散臭そうな眼で見ている。心外だな、俺は嘘を言っていない。ヴァンフリート星域の会戦はこれからが本番だ。これまではただ混乱していただけだが此処からは悲惨な結果になる。

此処までは特に原作との乖離は無い。両軍が繞回運動を行なった事、混乱した事、原作どおりだ。酷い戦だよ、ヴァンフリートのような戦い辛い場所で繞回運動だなんて帝国軍も同盟軍も何考えてるんだか……。

特にロボス、同盟軍の総司令官なのに基地の事なんて何も考えていないだろう。目先の勝利に夢中になってるとしか思えん。こいつが元帥で宇宙艦隊司令長官なんだからな、同盟の未来は暗いよ。

もう直ぐ此処へグリンメルスハウゼンがやってくる。ミュッケンベルガーから疎まれ、役に立たぬと判断されて此処へ追放されるのだが、問題は此処に同盟の基地があった事だ。

ヴァンフリート星域の会戦はここからが第二部の始まりだ。グリンメルスハウゼン艦隊、一万二千隻は二十七日、つまり明日にはヴァンフリート4=2の北半球を占拠する。この基地は南半球にあるから帝国と同盟でヴァンフリート4=2を半分ずつ占領したような形になる。

此処に基地がある事はラインハルトが気付く、それが二十九日。そして四月の六日には帝国軍がこの基地を攻撃、セレブレッゼ中将は捕虜になり基地は破壊される。原作どおりなら俺も死ぬ事になるだろう……。



宇宙暦 794年 4月 3日  ヴァンフリート4=2 ミハマ・サアヤ


大変な事になりました。帝国軍が此処へ攻めてきます。三月二十七日、帝国軍がヴァンフリート4=2の北半球に艦隊を降下させたのです。艦隊の規模は一個艦隊、一万隻を超えます。しかも私達がそれを知ったのは帝国軍が艦隊を降下させた後でした。

帝国軍の艦隊がヴァンフリート4=2に接近している事を同盟軍の艦隊は知っていたようです。私達に帝国軍の接近を知らせなかったのは通信をすることで自軍の所在地が帝国軍に知られるのを恐れたからだとか……。酷い話です、艦隊は逃げられますけど、基地は逃げられません。その辺りをどう考えているのか。まるで見殺しです。

帝国軍、一個艦隊がヴァンフリート4=2の北半球を占拠したと聞いた時のセレブレッゼ中将の混乱は大変なものでした。帝国軍が此処に来たのは基地の存在を知ってのことではないかと何度もヴァレンシュタイン少佐に問いかけたのです。一個艦隊を派遣し基地を占拠、或いは破壊し帝国軍の恒久的な基地を建設するのではないか……。

中将の不安も無理もありません、帝国軍と基地の間は直線にして約二千四百キロ、単座戦闘艇スパルタニアンを使えば三十分以内でたどり着くのです。地上装甲車を使って大規模侵攻を行なっても三十時間もあれば十分に着きます。攻撃は直ぐにでも始まるかもしれない、そう思ったのでしょう。

それに同盟軍が基地を軽視しているのではないかと思えるような行動をとっている事も中将の不安を大きくしたと思います。全く味方の不安を煽るようなことをするなんて宇宙艦隊は何を考えているのか!

説明を求められたヴァレンシュタイン少佐は落ち着いたものでした。少佐は帝国軍がこの基地の事を知っていたのであれば上空から攻撃をかけてきたはずだと中将に説明したのです。

確かにその通りです、上空から攻撃したほうが効果的です。もっともこの基地の周囲には少佐が運び込んだ対空システム四千基が設置されています。不用意に近付けば大損害を受けます。

さらにヴァレンシュタイン少佐は帝国軍は現時点では基地の存在を知らないがいずれ気付き、攻撃をかけてくると言いました。そして直ちに迎撃態勢を取り味方に救援要請をするべきだと進言したのです。

中将は少佐の意見を受け入れました。今現在、基地は少佐の指示に従って迎撃態勢を取っています。少佐の予想では帝国軍が準備を整え攻め寄せてくるのは四月の五日から七日ごろだそうです。

ヴァレンシュタイン少佐は今、味方に救援要請を出そうとしています。これには反対する人も多いです。なんと言っても基地の存在を敵に知られる可能性が有ります。場合によっては他の敵艦隊も来るかもしれません。

「ヴァレンシュタイン少佐、通信はしないほうが良いのではないか? ヴァンフリート4=2の敵がこちらに気付いたとは限らない、余計な事はしないほうが良いだろう、救援要請は彼らが攻めてきてからのほうが良いのではないかな」

ヴァーンシャッフェ大佐がヴァレンシュタイン少佐に話しています。ヴァーンシャッフェ大佐はローゼンリッターの連隊長です。地上戦となれば最前線で戦う事になるでしょう。戦えば犠牲が出ます、無理はしたくないのかもしれません。

「敵は攻めてきますよ、大佐。彼らがこのヴァンフリート4=2に降下する直前ですが、この基地から同盟軍総司令部に向けて通信を送りました。彼らがそれに気付かなかったとも思えません。此処に同盟の活動拠点があると気付いたはずです。偵察も済ませたかもしれませんね」
「……」

大佐は憮然としています。ヴァレンシュタイン少佐はそんな大佐の様子を気にする事も無く話を続けました。
「大佐、敵艦隊の司令官が誰か、分かりますか?」
「いや、分からん。貴官は分かるのか?」

ヴァーンシャッフェ大佐の問いかけにヴァレンシュタイン少佐は頷きました。
「帝国軍中将、グリンメルスハウゼン子爵です」
「……」
何故そんな事が分かるのか……。私だけじゃありません、傍にいるフィッツシモンズ中尉、バグダッシュ少佐も訝しげな表情をしています。

「彼は以前皇帝の侍従武官をしていました。その所為で皇帝の信頼は厚い。彼は軍人としては無能と言って良いのですがそれでも周囲は彼をお払い箱に出来ずにいる」
「……」

「おそらく今回の戦いでも何の役にも立たなかったのでしょう。ミュッケンベルガー元帥は彼を足手まといにしかならないと判断した。下手にうろうろされて同盟軍に撃破されては叶わない、そう思ってこのヴァンフリート4=2に送った。詰まる所は厄介払いです」
「……」

「彼の配下にはリューネブルク准将がいるのですよ、ヴァーンシャッフェ大佐」
「リューネブルク……」
ヴァーンシャッフェ大佐が呻き声を上げました。私もバグダッシュ少佐も驚いています。フィッツシモンズ中尉も蒼白になっています。シェーンコップ中佐から聞いているのでしょう。

この基地に着任した時、少佐はシェーンコップ中佐と話していました。リューネブルク准将がこの基地を攻めに来るかどうか、賭けようと。そして少佐はリューネブルク准将がこのヴァンフリート4=2に来ると言っていた……。

「彼は亡命してから三年、一度も戦場に出ていません。言ってみれば飼い殺しです。しかしこのヴァンフリート4=2でようやく武勲をあげる機会を得た。必ず陸戦隊を率いて攻めてきます」
「……」

「そこを叩くのです。地上部隊を叩き、艦隊を叩く。そのためには味方の増援が必要です」
誰も口を開こうとしません。少佐の声だけが聞こえます。ヴァレンシュタイン少佐が薄っすらと頬に笑みを浮かべました。例の怖いと思わせる笑みです。

「ミュッケンベルガー元帥は致命的な過ちを犯しました」
「……過ちですか?」
バグダッシュ少佐が問いかけるとヴァレンシュタイン少佐は無言で頷きました。

「グリンメルスハウゼン子爵は確かに無能で役に立たない、しかし何の価値も無いというわけではない。ある意味、グリンメルスハウゼン子爵ほど重要人物はいません。私なら彼を身近に置きます。間違っても単独にはしない」
「……」
少佐の言う意味が私には分かりません、皆も訝しげな表情をしています。

「彼は皇帝の信頼が厚いのですよ。その人物を見殺しにすればミュッケンベルガー元帥は周囲になんと言われるか……。そしてあの艦隊にはラインハルト・フォン・ミューゼル准将もいます。彼の姉は皇帝の寵姫、グリューネワルト伯爵夫人です」
「……」

「彼らを死なせればミュッケンベルガー元帥は皇帝に対し二重に失態を犯した事になる。ミュッケンベルガー元帥は必ず此処へ来ます。必ず彼らを助けようとする、そこを撃つ!」
「……」

ようやく分かりました。少佐が帝国軍の艦隊編制と将官以上のリストを要求したわけが。少佐は誰が帝国軍の弱点になるのかを知ろうとしていたのです。そしてその弱点が少佐の下に飛び込んできた……。

偶然なのでしょうか、それとも少佐は最初から分かっていたのでしょうか。アルレスハイムのときも同じ疑問を持ちました。少佐は他の人とは何処か違います、天賦の才とかではなく、何かが違う。何か違和感を感じさせるのです。バグダッシュ少佐の顔は青褪めています。おそらく私も似たようなものでしょう。

「このヴァンフリート4=2が帝国と同盟の決戦の場になるでしょう。どちらが勝つかでこの基地の運命も決まります」
ヴァレンシュタイン少佐が暗い瞳で微笑んでいます。私の予想は当たりそうです。この戦いはこれから酷くなります。目の前で微笑む少佐が酷いものにするはずです……。

 

 

第十三話 兵は詭道なり

宇宙暦 794年 4月 6日  ヴァンフリート4=2 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


帝国軍が攻めてきた、その兵力は十万。もう直ぐこの基地に攻めかかるだろう。通信を傍受して分かったのだが指揮官はやはりリューネブルクらしい。となると次席指揮官はラインハルトだと見ていい、原作どおりだ。

連中が原作どおり攻めてくるなら同盟軍は勝てる、勝てるはずだ。だが勝てばどうなる? 場合によってはラインハルトは死ぬだろう、いやかなりの確率で死ぬはずだ。

ラインハルトが死ねば帝国による宇宙の統一は無くなる。結果的に戦争は長く続くだろう、百年か、それとも二百年か……。俺が何時まで生きているかは分からないが、生きている間に戦争がなくなる事は無いかもしれない……。あるいは戦争が無くなる前に同盟と帝国の両国が崩壊するかもしれない。残るのはフェザーンとそれを操る地球教か……。笑える未来だ。

死ねばいい、俺が此処で死ねばラインハルトは皇帝になり宇宙を統一するだろう。人類全体のためを思えばそうするべきだろう。だが俺は死にたくない、利己主義といわれようが身勝手といわれようが俺は死にたくない。他人のために死ぬなんて真っ平だ。この世界に生まれて両親を奪われた、帝国からも追われた、おまけに訳の分からん戦争に放り込まれた。どうして俺だけが犠牲にならなきゃならない。ふざけるな!

思い切れ、詰まらない事を考えるな! ただ勝つ事を考えろ、生き延びるんだ。何のために生き延びるのかは生きているうちに分かるだろう。そう信じて生きるんだ。笑え、お前は勝てる、歴史を変える事が出来る事を喜ぶんだ……。後の事などどうなろうと知った事か!

不安そうな眼でセレブレッゼ中将が俺を見ている。そんな顔をしなくてもいい、俺がこの戦いを勝たせてやる。あんたの一生も変わる、原作ではこの戦いで捕虜になるが、俺があんたを勝利者にしてやる。後方勤務本部次長だろうが本部長だろうが好きなものになれば良い。だからあんたは俺に指揮権を預けてくれればいいんだ……。

「閣下、帝国軍が攻めてきました。迎撃の指示を出しますが、宜しいですか」
「うむ、宜しい、少佐」
「各戦闘区域は帝国軍が攻撃範囲内に入りしだい攻撃せよ、第三十一、第三十三戦略爆撃航空団は集束弾を搭載、第十八攻撃航空団は対艦ミサイルを搭載、第五十二制空戦闘航空団は空戦準備、別命あるまでいずれも待機せよ」
ヴァンフリート4=2の戦が始まった……。全ては此処から始まるだろう……。



宇宙暦 794年 4月 6日  ヴァンフリート4=2  ミハマ・サアヤ


戦闘が始まって既に十二時間が経ちました。基地からは同盟軍に対して悲鳴のような救援要請が出ています。“帝国軍が大規模陸上部隊をもって基地を攻撃中。被害甚大、至急救援を請う、急がれたし”

司令室のスクリーンには第一から第八まである戦闘区域の状況が映っています。帝国軍の攻撃は必ずしも上手く行ってはいません。というより守っている同盟軍のほうが圧倒的に有利です。帝国軍は既に二度攻撃を中止し体勢を立て直して三度目の攻撃をかけてきました。もう止めたほうが良いのに……。

私達は皆、装甲服を着ています。ヴァレンシュタイン少佐も装甲服を着ています。華奢で小柄な少佐が装甲服を着ていると着ぐるみを着ているみたいです。皆もこっそり笑っています。万一の場合には基地内での戦闘も有り得ますから当然なのですが、実際に基地内で戦闘になるなど誰も考えていないでしょう。そのくらいこちらが優勢です。

低空から地上攻撃メカが基地に突入しようとしますが、突入以前に同盟側の近接防御火器システムに撃破されています。滅茶苦茶凄いです、圧倒的に地上攻撃メカを撃破してしまうのでなんか映画でも見てるんじゃないかと勘違いしそうです。

近接防御火器システム、六銃身のレーザー砲に捜索・追跡・火器管制システムを一体化した完全自動の防御システムです。今回ヴァレンシュタイン少佐が大量に運び込んだ武器の一つですが基地防御に大きく役立っています。

もしそれが無ければ、同盟の防御陣はたちまち地上攻撃メカによって蹂躙されていたでしょう。そうなれば当然ですが反撃力も減少します。帝国軍が突入してくるのも時間の問題だったはずです。

地上攻撃メカが撃破された事で無傷の同盟側の防御陣からは帝国軍に向けて次々に多機能複合弾が打ち込まれます。装甲地上車が破壊され兵士の身体が宙に舞いました。とても正視できません、酷いです。

逃げ出した兵士達には長距離狙撃型ライフル銃による狙撃が待っています。助かったと思う間も無く狙撃され殺されるのです、帝国軍の兵士にとっては地獄です。

もう分かったと思います。あの救援要請は嘘です、被害甚大なのは帝国軍のほうです。救援を欲しがっているのも帝国軍でしょう。実際、この救援要請を出した通信オペレータは笑い過ぎて涙を流していました。今年最大の冗談だそうです。実際今も一時間おきに救援要請を出しますがその度に司令室には笑い声が起きます。

こんな悪質な冗談を命じる人間は当然ですがヴァレンシュタイン少佐です。
“どうしてこんな救援要請を出すのか”
セレブレッゼ中将が尋ねると少佐はこう答えました。
“こちらが優勢だと通信すると宇宙艦隊の来援が遅くなる可能性が有ります”

確かにそれは有ります。でも私もバグダッシュ少佐もそれだけとは考えていません。ヴァレンシュタイン少佐はそんな単純な人じゃないんです。こっそり問い詰めると少佐はにっこりと笑いました。

“敵の攻撃部隊の指揮官はリューネブルク准将です。彼はグリンメルスハウゼン艦隊の中で孤立しています、亡命者ですからね。その彼が増援の要請を出しても、基地からは被害甚大との通信が流れていれば司令部は信用しないでしょう。わざと激戦を装い武勲を過大なものにしようとしていると判断します。当然増援は拒否か、或いは微少なものになるはずです……”

酷いです、よくもそんな酷い事を考え付くものです。私もバグダッシュ少佐も呆れました。ですが同時に恐怖も感じています。

敵の攻撃部隊の指揮官はやはりリューネブルク准将でした。つまり此処に来たのはグリンメルスハウゼン中将です。少佐の推測は完全に当たっていた事になります。そして全てはヴァレンシュタイン少佐の思うとおりに動いている……。

戦闘開始直後から少佐はセレブレッゼ中将に代わって防衛戦の指示を出しています。自分の用意した武器が役立っているのが嬉しいのでしょうか、ヴァレンシュタイン少佐は微かに笑みを浮かべながら戦闘を見ています。怖いです。

司令室の中は同盟軍が優位に戦闘を進めている所為でしょう、比較的落ち着いています。何よりもセレブレッゼ中将が落ち着いています。帝国軍がヴァンフリート4=2に降下した直後は興奮していましたが今はニコニコして笑い声を上げる事も有ります。

ヴァレンシュタイン少佐に対する信頼も益々厚くなりました。少佐の進言に対してはほぼ無条件にOKを出してます。セレブレッゼ司令官の機嫌が良いため皆も不必要に緊張する必要がありません。多少戦闘の酷さに顔を顰める人間もいますが、味方が酷い目にあっているわけではないですし、ところどころで笑い声も聞こえます。

「帝国軍の単座戦闘艇(ワルキューレ)が近付きつつあります、数、約二百機!」
オペレータが緊張した声をあげました。司令室の中にも緊張が走ります。帝国軍の狙いは明らかです。単座戦闘艇(ワルキューレ)を使用して近接防御火器システムを潰そうというのでしょう。

近接防御火器システムを潰せば地上攻撃メカが威力を発揮します。そうすれば形勢逆転も可能、そう考えているのは間違いありません。視線がヴァレンシュタイン少佐に集まりました。少佐が微かに冷笑を浮かべました。

「ようやく来ましたか、少し遅い、それに少ない……。第五十二制空戦闘航空団に迎撃命令を」
「はっ」
「対空迎撃システム、作動開始」
「対空迎撃システム、作動開始します」

「酷いな、これは……。帝国軍の損害は増える一方だろう」
バグダッシュ少佐が呟くように言葉を出しました。全く同感です。第五十二制空戦闘航空団は約四百機の単座戦闘艇、スパルタニアンを所持しているのです。帝国軍の二倍の兵力です。そして対空迎撃システム……。おそらくあっという間に敵の単座戦闘艇(ワルキューレ)、二百機は壊滅状態になるでしょう。帝国軍に同情するわけではありませんがちょっと酷すぎます。
「まだ、引き上げないのでしょうか?」
「敵の指揮官はリューネブルク准将だ。簡単には引き上げられんだろうな」
バグダッシュ少佐が何処か同情するような口調で答えました。

「彼にとってはこれが浮かび上がるチャンスだ。何とかして物にしたい、そう思っているだろう。ヴァレンシュタイン少佐はそれを上手く利用している。本当なら戦略爆撃航空団を使えば簡単に地上部隊を叩き潰せたんだからな」

「酷いですね、そんな弄ぶような事をしなくても……。何故ヴァレンシュタイン少佐は戦略爆撃航空団を使わないのでしょう」
「さあ、何故かな。俺にもわからん」

ヴァレンシュタイン少佐を見ました。少佐は司令部のスクリーンを見ています。私の視線に気付いたのでしょうか、こちらを見ました。慌てて視線を外しましたけど少佐は何かを感じたようです。私のところに歩いてきます。拙いです、思わず身体が強張りました……。



宇宙暦 794年 4月 6日  ヴァンフリート4=2 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


サアヤとバグダッシュが俺を見ている。何となく非難するような視線だ。俺のやる事に文句でもあるらしい、俺が視線を向けると顔を背けやがった。話でも聞いてやるか……。

「何か聞きたい事でも有りますか?」
「あ、いえ、その」
「ああ、ヴァレンシュタイン少佐、その、何故、戦略爆撃航空団を使わないのかと思ってね」
「そうです、これじゃまるで弄んでいるみたいです」

しどろもどろで答えてきた。つまり俺が酷い人間だと言いたいわけか……。分かっているのか、こいつら……。俺達がやっているのは戦争だって事が。
「帝国軍が可哀想だとでも?」
「そうは言いません。ただ、あの地獄を何時まで続けるんです?」

サアヤがスクリーンを見た。スクリーンには宙に舞う帝国軍兵士が映っている。これがサアヤの言う地獄か・・・・・・、ただの戦闘だろう、こんなもの!

「地獄ですか、これが……」
「ええ、そう思います」
「甘いですね、本当の地獄はこんなものじゃありませんよ」
サアヤとバグダッシュが怯えたような表情で俺を見ている。そうだろうな、今の俺は多分どうしようもないほど怒っているに違いない。

「私は第五次イゼルローン要塞攻略戦に参加しました。あの戦いは酷かった。同盟軍の並行追撃作戦を潰すために帝国軍は味方もろとも同盟軍を攻撃した。戦闘終了後、要塞内は味方の攻撃で負傷した人間で一杯でした……」
「……」

「私の周りは血の臭いで充満していましたよ。あの独特な鼻を突く臭い……。腕の無い人間、足の無い人間、火傷をした人間、そんな人間が周りにゴロゴロしていたんです……。悲鳴、怒声、呻き声、泣き声、そして怨嗟……。“何故味方を撃つんだ”、“こんな死に方をしたくない”、声が出ている間は生きています、死んだら何も聞こえなくなる……」

「……」
周りが俺の話を聞いているのが分かった。だが止まらなかった。止める気も無かった。あの地獄を俺以外の誰かに教えてやりたかった。

「私は何も出来ませんでした。血の臭いに嘔吐し、負傷者の声に怯えていました。何故自分は無傷なのか、どうして自分も負傷しなかったのか、そうすれば彼らと一緒に誰かを恨み、呪う事が出来たのにと、それだけを考えていました。あのままだったら私は狂っていたかもしれない……」

そう、狂っていたかもしれない。そして自分で自分を傷付けていたかもしれない。それをナイトハルト・ミュラーが助けてくれた。
「あの時、私が狂わずに済んだのはナイトハルトが居たからです。彼は怯え、泣きながら嘔吐していた私を助けてくれた。背中をさすり励ましてくれた。彼自身が負傷していたにもかかわらず、役立たずな私を守ってくれた。だから今の私が居る……。あれに比べればこんなのは地獄じゃない、ただの戦闘です」

サアヤとバグダッシュが顔を強張らせて聞いている。そうか、そういうことか……。
「バグダッシュ少佐、少佐はナイトハルト・ミュラーをご存知のようですね。少しも訝しげな表情をしていない。ミハマ中尉から聞きましたか?」

俺の問いかけに二人はハッとしたような表情を見せた。
「違います、私、話していません」
「別に構いませんよ、私は口止めをしていない。ただ貴女が話さないだろうと勝手に思っただけです」

つまり俺が馬鹿だったというわけか……。彼女が情報部の人間だと分かっていて信用した。何となくスパイらしくないと思った。彼女はそんな俺を利用した、つまり正しい事をしたわけだ。

サアヤが泣きそうな表情をしている。
「違います、私、本当に話していません、信じてください、少佐」
何を信じるんだ? 俺には信じるべき何物も無い。有るのは現実だけだ、そして現実は彼女が情報をバグダッシュに知らせたと言っている。

俺が此処に来たのはそれが理由か。俺が帝国に帰ろうとしている事を望まない人間が居るわけだ。そして帰さないために最前線に出した。死んでも構わない、生き残ればさらに出世させて最前線に出す。そういうことだろう……。ローゼンリッターと同じだ、危険なところに出して遣い潰す、これこそまさに地獄だな……。

「待ってくれ少佐、ミハマ中尉は我々に報告していない」
顔を青褪めさせてバグダッシュがサアヤを庇った。
「では、何故知っているんです?」
沈黙か、上手い手じゃないな、バグダッシュ。

「……フェザーンのヴィオラ大佐に頼んで盗聴器を彼女に仕掛けた。それで分かったんだ」
「……盗聴器! 酷い! 酷いです、バグダッシュ少佐!」
「それが私の仕事だ。たとえ味方でも疑ってかかる。それが情報部だ!」
「!」

ヴィオラ大佐か、あの空気デブにそんな芸当が出来たのか……。一本取られたな、フェザーンの首席駐在武官は伊達ではなかったという事か。バグダッシュを睨んでいるサアヤを見ながら思った。世の中は驚きに満ちている……。馬鹿馬鹿しいほど可笑しくなった。

「話を戻しましょう、何故、戦略爆撃航空団を使わないのか、でしたね?」
「そうです。あれを使えば簡単に勝敗が付いた。今でも圧倒的に優勢ですが犠牲は出ている。何故です?」

スクリーンに単座戦闘艇(ワルキューレ)が映った。対空迎撃システムを避けるためだろう、低空飛行をしている。そしてその上から単座戦闘艇(スパルタニアン)が襲い掛かった。一機、また一機と撃墜されていく。到底基地への攻撃など出来まい。

「簡単に勝敗が付く、それが問題なのですよ」
「?」
二人とも訝しげな表情をしている。困った奴らだ、戦闘に勝つのと戦争に勝つのは別だという事が理解できていない。局地戦で勝っても戦争全体で見れば負けるなんて事は良くある事だ。

「戦略爆撃航空団が有る以上、地上攻撃は簡単に成功しない。グリンメルスハウゼン艦隊がそう判断すれば、彼らは艦隊を基地の上空に持ってきて攻撃をするでしょう。対空迎撃システムは有りますが、それでも一個艦隊による上空からの攻撃では持ちません。基地は破壊されます」
「……」

「戦略爆撃航空団を使うのは、味方の艦隊がヴァンフリート4=2に来てからです。彼らにグリンメルスハウゼン艦隊を攻撃させ、こちらは敵の地上攻撃部隊に対して戦略爆撃航空団を使って攻撃を加える。それまではこのままで行くしかありません。それ以外に勝つ方法は無いんです」

だからあの馬鹿げた救援要請を出しているのだ。グリンメルスハウゼン艦隊に自分達が優勢に攻めていると勘違いさせる。勘違いしている限り奴等は動かない。有り難い事にリューネブルクもラインハルトもあの艦隊の中では嫌われているし信用もされていない。

兵は詭道なり……。詭道とは人をいつわる手段、人をあざむくような方法を言う。騙すほうが悪いのではない、騙されるほうが悪いのだ。何故なら騙される事によって何十万、何百万という犠牲者が出るのだから……。



 

 

第十四話 信頼

帝国暦 485年 4月 6日  ヴァンフリート4=2 ジークフリード・キルヒアイス


「どうにもならないな」
「ええ、そうですね、ラインハルト様」
「後は単座戦闘艇(ワルキューレ)を待つだけか……」
遣る瀬無さそうに呟くラインハルト様に私は無言で頷いた。

ヴァンフリート4=2にある自由惑星同盟を名乗る反乱軍の基地は恐ろしいほどに頑強だった。攻撃開始から十二時間、帝国軍はこの基地を攻めあぐねている、いや、この基地に翻弄されている。

当初の想定では苦も無く攻略できるはずだった。地上攻撃メカを投入し、制空権を奪い敵基地に侵入する。二十四時間とかからずに基地の攻略は終了するだろう、皆がそう予想していた。的外れな予想だとは思わない。ラインハルト様も基地攻略は問題無いと考えていた。問題が有るとすれば敵艦隊の増援だろうと……。こんな事になるとは誰も予想していなかった……。

だが、地上攻撃メカは近接防御火器システムの前に破壊され、敵の多機能複合弾によってこちらの装甲地上車は次々に破壊されていく。一方的に帝国軍が反乱軍から攻撃を受けている。私もラインハルト様も装甲地上車に乗っていない、装甲地上車は危険なのだ。反乱軍は片端から装甲地上車を撃破している。今私達は装甲地上車の陰に仮の指揮所を設けて戦闘を統率している。

なんとも厭らしい敵だ。相手はしきりに救援要請を出している。しかもその通信内容は全くのでたらめだ。“我が軍は被害甚大”、“敵は基地に侵入したが何とか撃退した”、“敵に制空権を取られた”等……。

この通信は艦隊司令部でも傍受している。おかげでこちらがどれだけ司令部に苦境を訴えても誰も信用してくれない。それほどまでに武勲を過大に評価させたいのか、そんな風に取られている。実際にこの基地を攻略できたら勲功第一だろうとラインハルト様はぼやいている。

攻撃部隊の指揮官、リューネブルク准将も頭を抱えている。それでも准将は司令部とかけあい単座戦闘艇(ワルキューレ)の投入を勝ち取ってきた。その努力と粘りはラインハルト様も高く評価している。

“嫌な奴だが出来るやつだ、戦場では頼りになる”、それがラインハルト様のリューネブルク准将に対する評価だ。攻撃前に有った彼に対する悪感情もこの苦境をともにすることで大分変ったらしい。

もっともそれはリューネブルク准将も同様だ。かつては露骨に目下扱いしていたラインハルト様を相手に司令部の愚痴を言うこともある。そしてラインハルト様もそれに対して頷いている。強力な敵と無能な味方……、頼れるのはどれほど不本意でも共に戦場に居る相手しかいない……。

「単座戦闘艇(ワルキューレ)が来れば近接防御火器システムを潰せる。それさえ出来れば……」
呻くようなラインハルト様の言葉だ。この戦いは地上戦であることと言い、苦戦している事と言い不本意の極みなのだろう。

単座戦闘艇(ワルキューレ)が上空に現れたのはそれから十分程経った頃だった。総勢二百機の単座戦闘艇(ワルキューレ)が基地を目指す。近接防御火器システムを全て潰す必要はない。何処か一箇所、集中的に破壊してくれれば良いのだ。後はそこから地上攻撃メカを投入すれば良い。

敵の対空防御システムが動いた。レーザー砲が単座戦闘艇(ワルキューレ)を狙うが単座戦闘艇(ワルキューレ)は低空飛行に切り替え基地を目指す。もう少し、もう少しで基地にたどり着く。その時だった、ラインハルト様が絶望の声を上げた。

「駄目だ、キルヒアイス。あれを見ろ」
ラインハルト様が指さす方向には同盟の単座戦闘艇、スパルタ二アンが編隊を組んでこちらに向かってくるのが見えた。
その数はどう見ても単座戦闘艇(ワルキューレ)よりも多い、おそらくは倍はあるだろう。単座戦闘艇(スパルタニアン)が上空から一方的に攻撃をかけてきた。単座戦闘艇(ワルキューレ)は抵抗できない、上空に向かえば対空防御システムの砲火を浴びるだろう。彼らに出来るのはただひたすらに基地を目指して進む事だけだ。そして多分、基地にたどり着く事は出来ない……。

指揮所の中から兵士が通信が入っていると伝えてきた。
『ミューゼル准将、応答してくれ、リューネブルクだ』
小型の通信機からリューネブルク准将の声が聞こえた。ちょっとざらついて聞こえる。電波の状態が良くないらしい。ラインハルト様が答えた。

「こちらミューゼル、リューネブルク准将、今連絡しようと思っていたところだ」
『気が合うな、ミューゼル准将』
苦笑交じりのリューネブルク准将の声が聞こえた。

『単座戦闘艇(ワルキューレ)による攻撃は失敗したようだ』
「残念ではあるが同意する」
二人の声は苦い。基地攻撃の手段が失われたのだ、無理もない。

『卿はあの単座戦闘艇(スパルタニアン)が何処から来たと思う? 敵の艦隊から来たと思うか?』
「いや、敵の艦隊が来たなら司令部が騒ぐはずだ。あれは敵の基地が寄越したものだろう。基地の向こう側に別に飛行基地が有ると思う」
『同感だ。では何故敵は今まで単座戦闘艇(スパルタニアン)を出さなかった?』
リューネブルク准将の声には笑いが有る。この状況で笑えるとはたいしたものだ。

「時間稼ぎだ。敵の増援が来るまでの時間稼ぎだろう。あの救援要請もそれが目的だ。我々はどうやら敵の罠に落ちたようだ」
『卿は話が早くて助かる。となるとこれからの事だが司令部に増援を求めても無理だろう。上空からの攻撃も受け入れてくれるとは思えん』
リューネブルク准将の言葉にラインハルト様の表情が歪んだ。

リューネブルク准将もラインハルト様も何度か艦隊による基地の攻撃を要請した。だが司令部は頷かない。”基地攻略など大した事は無いといったではないか”そう言って嘲笑するだけだ。ラインハルト様もリューネブルク准将も司令部では孤立している。そして司令官、グリンメルスハウゼン中将は全く頼りにならない。基地攻撃部隊は完全に孤立している。

『それに敵の増援部隊が近くまで迫っているかもしれん、最悪だな……、』
リューネブルク准将の声が一瞬途絶えた。攻撃する手段が無い以上、敵の増援部隊が近くまで迫っている可能が有る以上、取るべき道は決まっている、撤退しかない。このまま攻撃を続けても犠牲が増えるだけだろう。

だがリューネブルク准将はそれをラインハルト様から言わせようとしているのだろうか。撤退はミューゼル准将の進言によるとするつもりなのか、思わず身体が緊張した。ラインハルト様も表情が厳しい。

『撤退する。貴官は次席指揮官だ、俺の指示に従ってくれ』
「……」
ラインハルト様が私を見た。目には複雑な色が有る。リューネブルク准将を疑った事を恥じているのかもしれない。

「宜しいのか、それで」
ここで撤退すれば敗退ということになる。当然だが経歴には傷がつく。三年振りに戦場に出たリューネブルク准将にとってはこれが最後の戦場になるかもしれない。

勝ちたいという気持ち、敗戦の責任は取りたくないという気持ちは誰よりも強いだろう……。ラインハルト様が声をかけたのは自分も責任を分かち合うという意思表示だ。ラインハルト様らしいと言えるし、私もそうするべきだと思う。

『卿の好意には感謝する。だが負け戦の責任くらいは一人で取れそうだ、心配は無用だ』
どこか含み笑いを込めた声だった。

『それより撤退を急ごう、敵の艦隊が到着すればおそらく連中は全面的に反転攻勢に出る。追い打ちはきついものになるだろう。それまでにどれだけ基地から離れられるか、それが生死を分ける事になる』
「……」

『卿が先に行け、俺が殿を務める』
「しかし、それは」
『ぐずぐずするな、ミューゼル。一分一秒が生死を分けるのだ』



宇宙暦 794年 4月 6日  ヴァンフリート4=2  ミハマ・サアヤ



酷い話です、バグダッシュ少佐は私まで疑っていました。でも実際疑われても仕方の無いところもあります。私はフェザーンでの一件を報告しませんでした。でも、あれは報告すべきものではないと思ったのです、汚してはいけないと。

今でもその事は後悔していません。ヴァレンシュタイン少佐も私が情報部に報告しないと思ったからあの場に連れて行ったのでしょう。盗聴器を付けられていた、自分の一語一句を記録されていた、寒気がします。何ておぞましいことか……。私は一生このおぞましさを忘れる事は無いでしょう。

自分がこれまでしてきた事を考えると心が凍りそうです。ヴァレンシュタイン少佐の傍に常に寄り添い、その一部始終を監視していた……。少佐には私がどう見えたか……。自分の周りをうろつき、臭いを嗅ぎまわる薄汚い犬に見えたでしょう。一体少佐はどんな気持ちでいたのか……。

そしてあの時の少佐の目、蔑むような眼でした。人の情を理解しない女、筋金入りの情報部員、そんな眼でした……。私はこれまであんな眼で見られた事は有りません。でもこれからは常にそう見られるのでしょう。所詮は情報部の人間で本人がどう思っていようと危険な女なのだと……。

私はこれまで自分のしてきた事に罪悪感を感じずにいました。多分ヴァレンシュタイン少佐が感じさせずにいてくれたのだと思います。少佐は私に隔意なく接してくれました。あくまで補給担当部の同僚として接してくれたのです。だから私もあまり少佐を監視するという意識を持たずに済みました。

少佐は意地悪でサディストで、どうしようもない根性悪ですけど私の事を気遣ってくれたのだと思います。アルレスハイムでもフェザーンでも私は少佐と一緒にいる事を楽しむ事が出来ました。少佐が私を警戒していれば私はいやでも自分が監視者なのだと気付かされたはずです。楽しむなどと言う事は無かった……。

司令室の中は静寂に満ちています。先程までの緊張や興奮は有りません。私達の会話を聞いたのです、無理も無いでしょう。皆私とバグダッシュ少佐からは視線を逸らしています。

司令室が沈黙に支配される中、ヴァレンシュタイン少佐はスクリーンを見ていました。スクリーンには単座戦闘艇(スパルタニアン)に撃墜される単座戦闘艇(ワルキューレ)が映っています。一方的な展開です。基地までたどり着ける単座戦闘艇(ワルキューレ)は皆無に近いでしょう。

「バグダッシュ少佐」
私は小声で少佐に話しかけました。少佐が“どうした”というような視線で私を見ます。
「私はフェザーンの件を報告しませんでした。情報部はクビですか?」
クビでも構いません、味方まで疑うなんてうんざりです。後方勤務本部のほうが気が楽です。

「それは無い、私は中尉のした事が間違っているとは思わない」
「……」
思わず少佐の顔を見ました。冗談を言っているのではないようです。

「貴官のように監視者だと監視対象者に知られてしまうと、監視者としては余り役に立たない。相手が警戒し交流が無くなる、つまり情報は断片的にしか入ってこなくなるからだ。監視対象者がスパイであるか否かは関係無くね」
「……」

「だが貴官は違った。監視者だと知られてからもヴァレンシュタイン少佐との間に良好な関係を築いた。もちろん少佐が貴官を敵視しなかった事が大きいのだろうが、貴官も不必要に少佐を疑わなかったからだと思っている。おかげで我々は貴官を通して少佐の事を知る事が出来た」

本当でしょうか、私には自信がありません。でも少佐の表情には冷やかしや軽侮はありませんでした。
「……でも私はフェザーンの件を報告しませんでした。監視者としては失格では有りませんか」

「少佐は貴官になら話しても良いと考えた。貴官は少佐のために他者には話すべきではないと考えた……。そうだな」
「はい」
私の返事に少佐は柔らかい笑みを見せました。

「貴官達には信頼関係が有ったのだと思う、人としてのね。それはどんなものよりも大切なものだ。貴官はそれを守った、間違った事はしていない」
間違った事はしていない? なら何故盗聴器を?

「貴官は間違った事はしていない。だから我々が汚れ仕事を引き受ける。監視者も監視対象者も人なのだ、その事を忘れては生きた情報など得る事は出来ない」
「……生きた情報」
よく分かりません。私は生きた情報を送ったのでしょうか? 私はいつも失敗ばかりしてヴァレンシュタイン少佐に圧倒されていました。それが生きた情報?

「貴官には酷い事をしたと思う。許してくれと言うつもりは無い、理解してくれと言うつもりも無い。ただ……」
「ただ?」

「ヴァレンシュタイン少佐との関係を維持して欲しいと思う。ヴィオラ大佐が言っていたよ、二人は本当に楽しそうだったと、とても監視者と監視対象者には見えなかったとね」
「……」

楽しかったです。フェザーンだけじゃ有りません、アルレスハイムも楽しかった。その前からずっと楽しかったんです、少佐と一緒にいる事が……。今とは雲泥の差です、思わず鼻の奥に痛みが走りました。

「彼は今一人だ。全てのものから背を向けようとしている。だが、それでは何時か壊れてしまうだろう。だから貴官が手を差し伸べて欲しい。いつか彼は必ず助けを必要とするはずだ」
「……私に出来るでしょうか」

私の問いかけにバグダッシュ少佐は軽く笑みを浮かべて首を横に振りました。
「私には分からない、貴官にも分からないだろう。だから信じるんだ、いつか彼が必ず助けを必要とすると、自分が彼を助けるんだと」

今のような怖い少佐ではなく、昔の少佐に戻ってくれるのならと思います。たとえ意地悪でサディストで、どうしようもない根性悪でも、優しい笑顔を浮かべてくれる少佐のほうが私は好きです。少佐、戻ってきてください、お願いですから、戻ってきて……。

眼から涙がポロポロと落ちます。私は自分が何を失ったのかようやく分かりました。私が失ったのは信頼だったのです。帝国と戦うと決めたときから少佐は人の心を捨てました。そして信頼も捨てたのです。それを取り戻さない限り、私の知っている少佐は戻ってきません……。

 

 

第十五話 心が闇に染まりし時

宇宙暦 794年 4月 6日  ヴァンフリート4=2  バグダッシュ



単座戦闘艇(ワルキューレ)は単座戦闘艇(スパルタニアン)と対空防御システムの前に駆逐された。基地の上空には単座戦闘艇(スパルタニアン)の姿しかない。
「閣下、第五十二制空戦闘航空団司令部が命令を求めています」

通信オペレータの声に司令室の住人の視線がセレブレッゼ中将とヴァレンシュタイン少佐に向かった。命令を求める、第五十二制空戦闘航空団司令部は地上部隊への攻撃命令を欲しがっている。単座戦闘艇(スパルタニアン)を使えば敵に大きな打撃を与える事が出来るだろう。

「少佐、どうすべきかな」
「半数は上空にて警戒態勢を、残り半数は飛行場にて待機させてください。以後二時間おきに交代させるべきかと思います」
ヴァレンシュタイン少佐の進言にセレブレッゼ中将が頷いた。そして通信オペレータに中将が視線を向けると通信オペレータが一つ頷いて指示を出し始めた。

少佐は時間稼ぎをしている、俺やミハマ中尉に話したとおりだ。 隣にいるミハマ中尉を見た。中尉は俯いて涙を流している。哀れだと思う、彼女は監視者には向いていない。彼女の本質は分析官だ。彼女を監視者にしたのは正しかったのか、誤っていたのか……。

歳の近い若い女性、スパイ活動には向いていない女性の方が彼には疑われないだろうと思った、彼の心に入れるのではないかと考えた。確かに彼女はヴァレンシュタイン少佐との間に信頼関係を築くことが出来た、そしてその事が彼女を苦しめている……。

必要な事だった、やらねばならない事だった、そう思っても心は痛む。まさかここまで酷いことになるとは思わなかった。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、外見からは想像つかないが、その内面は予想以上に激しい男だ。帝国軍と戦うと決めてからは全てを断ち切った。彼は自分が死地に落とされたと思っているのだろう。今彼の心を占めているのは憎悪と怒り、そして恐怖……。

もしかすると彼の本質は臆病なのなのかもしれないと俺は考えている、そして臆病であるがゆえに誰よりも苛烈になる……。おそらくは自己防衛の本能なのだろう、敵対しようとする者に対する警告だ。怪我をしたくなければ手出しするな、そう彼は行動で示している……。

間違ったのだろうか? 彼を素直に帝国に帰した方が良かったのだろうか……。 考えても仕方ないことだ、既に賽は振られた……。 我々はルビコンを越えたのだ。どのような結果が出ようとその結果は甘んじて受けなければならない。だが出来る事なら隣で泣いている彼女にはこれ以上辛い思いはさせたくない……。

「帝国軍が撤退します!」
オペレータの驚いたような声が司令室に響いた。皆信じられないのだろう、顔を見合わせている。ミハマ中尉も顔をあげてスクリーンを見ている。そしてヴァレンシュタイン少佐は一人苦笑していた。

「手強いですね、もう少し勝利にこだわるかと思いましたが……。ヘルマン・フォン・リューネブルク、予想以上に手強い。それともミューゼル准将が説得したか……」

その言葉にようやく帝国軍が撤退したという実感が湧いたのだろう。司令室の中に歓声が上がった。セレブレッゼ中将も顔をほころばせている。喜びに沸く司令室の中で通信オペレータが声を上げた。

「ローゼンリッターのヴァーンシャッフェ大佐が追撃の許可を要請しています」
「第五十二制空戦闘航空団司令部もです」
セレブレッゼ中将が困ったような表情を少佐に向けた。 中将は敵を撃退した、基地を守った、それだけで満足しているのかもしれない。

「閣下、現状にて待機するようにと命じてください」
「うむ、現状にて待機」
中将の言葉をオペレータがヴァーンシャッフェ大佐、第五十二制空戦闘航空団司令部に告げた。その瞬間だった、司令室のスクリーンの一つにヴァーンシャッフェ大佐が映った。

「司令官閣下、攻撃の許可を頂きたい!」
「……」
「リューネブルクは我々にとって不倶戴天の仇です。我々にリューネブルクを倒す機会を頂きたい!」

セレブレッゼ司令官が困ったようにヴァレンシュタイン少佐を見た。ヴァーンシャッフェ大佐が言葉を続けた。
「ヴァレンシュタイン少佐、貴官からも司令官閣下に口添えしてくれ。我々ローゼンリッターはあの男と決着をつけねばならんのだ!」

先代の連隊長、リューネブルクが帝国に亡命して以来、軍上層部のローゼンリッターを見る眼は冷たい。同盟を裏切ったリューネブルクを倒せば、ローゼンリッターに対する周囲の目も変わる。おそらくヴァーンシャッフェ大佐はそう考えているのだろう。

「敵が撤退するのに何の備えもしていないとは思えません。今の時点でリスクを犯す必要は無いと思いますが」
「第五十二制空戦闘航空団と共同すればリスクは少ないはずだ。そうではないか、少佐」
どうやら大佐は第五十二制空戦闘航空団と示し合わせてこちらへ連絡してきたらしい。

「……敵地上部隊に対する攻撃は味方艦隊の増援が来てからです。それまでは攻撃は許可できません。また攻撃は戦略爆撃航空団が行ないます」
一瞬の沈黙の後、ヴァレンシュタイン少佐の口から出された言葉はヴァーンシャッフェ大佐には無情なものだった。

「それでは我々ローゼンリッターの名誉は」
逆上するヴァーンシャッフェ大佐にヴァレンシュタイン少佐が冷酷といって良い口調で答える。

「ヴァーンシャッフェ大佐、私が戦うのは勝つため、生き残るためです。名誉とか決着とか、そんな物のために戦うほど私は酔狂じゃありません。司令官閣下への口添えなど御免です」
「少佐!」

スクリーンに映るヴァーンシャッフェ大佐が吼えた。しかしヴァレンシュタイン少佐の口調は変わらなかった。
「ローゼンリッターは帝国軍の侵攻から基地を守った。それで十分に連隊の名誉は守られるはずです。それ以上は欲張りですよ、大佐」

ヴァーンシャッフェ大佐が口篭もった。
「……しかし、艦隊が来るのは何時になるか分かるまい。今すぐ攻撃するべきではないのか」

ヴァーンシャッフェ大佐の言葉にヴァレンシュタイン少佐が苦笑した。
「敵の攻撃部隊が艦隊に戻るまで三十時間はかかります。そして戦略爆撃航空団は三十分で敵艦隊の停泊地にまで行けます。時間は十分に有る、問題は有りません」

勝負有ったとセレブレッゼ中将は見たのだろう、ヴァーンシャッフェ大佐を押さえにかかった。
「そういうことだ、大佐。貴官と貴官の連隊は十分に戦った。その働きには感謝している。現状を維持し、部隊に休息を与えたまえ」
「……はっ」

不承不承では有るがヴァーンシャッフェ大佐は頷いた。スクリーンから大佐の顔が消える。それを見届けてからセレブレッゼ中将が溜息混じりにヴァレンシュタイン少佐に声をかけた。

「良く抑えてくれた、ヴァレンシュタイン少佐。連中の気持は分かるが、ああまでむきになられるとどうもな……。私にはついて行けんよ……」
「大佐もお辛い立場なのでしょう。ですが反転攻勢は味方増援が来てからだと考えます」

セレブレッゼ中将がヴァレンシュタイン少佐の言葉に頷いた。少佐の言葉が続く。
「小官の予測では第五艦隊が最初にこの地にやってくるはずです。それまで我々に出来る事は警戒態勢を維持する事しか有りません。閣下、お疲れでしょう、少しお休みください」

セレブレッゼ中将は少し迷ったが少佐の勧めに従った。司令室を出る直前、少佐に対して“貴官も適当に休め、あまり根を詰めるな”と言い、ヴァレンシュタイン少佐も“有難うございます”と答えた。

セレブレッゼ中将が司令室から出るとヴァレンシュタイン少佐は司令室に居た人間に交代で休むようにと伝え、自分は椅子に腰掛けた。そして何か有ったら直ぐに起すようにと言って身体を背もたれに預け、目を閉じた。

眼を閉じたヴァレンシュタイン少佐の横顔が見える。亡命当初に比べてかなりやつれているようだ、そして疲労の色も濃い。此処最近、少佐の表情が厳しく見えたのはその所為も有るのだろう。我々がそこまで追い詰めてしまったという事か、それとも自ら追い詰めたという事か……。



宇宙暦 794年 4月 6日  ヴァンフリート4=2  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



とりあえず地上部隊からは基地を守った。此処までは予定通りだ。ラインハルトもリューネブルクも今頃は悔しがっているだろう。どうやら俺は歴史の流れを変える事に成功したらしい。たとえ現状で帝国軍の来援が来て基地が落ちる事が有ってもラインハルト達の昇進は無い。

それにしてもあそこで兵を退いたか。リューネブルク、ラインハルト、彼らの立場からすれば兵は退きにくかったはずだが、それでも兵を退いた。多分連中は俺の考えをほぼ察しているに違いない。さすがと言うべきか、それとも当然と言うべきか……。

残念だが基地の安全は未だ確保されたわけではない。味方艦隊がヴァンフリート4=2に来ない。本当なら第五艦隊が来るはずだが、未だ来ない……。第五艦隊より帝国軍が先に来るようだと危険だ。いや、危険というより必敗、必死だな……。

原作では同盟軍第五艦隊がヴァンフリート4=2に最初に来た。第五艦隊司令官ビュコックの判断によるものだった。念のためにヤン・ウェンリーを第五艦隊に置いたが、失敗だったか……。原作どおりビュコックだけにしたほうが良かったか……。

それともヤンはあえて艦隊の移動を遅らせて帝国に俺を殺させる事を考えたか……。帝国軍が俺を殺した後に第五艦隊がその仇を撃つ。勝利も得られるし、目障りな俺も消せる……。有り得ないことではないな、俺がヤンを第五艦隊に送った事を利用してシトレあたりが考えたか……。

ヤンは必要以上に犠牲を払う事を嫌うはずだ。そう思ったから第五艦隊に送ったが誤ったか……。信じべからざるものを信じた、そう言うことか……。慌てるな、此処まできたら第五艦隊が来る事を信じるしかないんだ。

ヤンが信じられないならビュコック第五艦隊司令官を信じろ! 士官学校を卒業していないにもかかわらず、戦場で武勲を挙げる事だけで艦隊司令官にまで出世したあの老人を信じるんだ。あの老人なら味方を見殺しにするような事はしない。

焦るな、俺が焦れば周囲にも焦りが伝染する。第五艦隊が来るのを信じて耐えるんだ。今俺に出来るのは味方艦隊の来援を信じて待つ事だ。ラインハルトのことを考えろ、俺はラインハルトに勝った。歴史を変える事に成功したんだ。きっと上手くいく、そう信じて味方の来援を待つんだ。少し休め、お前は疲れている……。



宇宙暦 794年 4月 7日  ヴァンフリート4=2  ミハマ・サアヤ



「上空に味方艦隊来援! 第五艦隊、ビュコック提督です!」
オペレータの声が司令室に響きました。それと同時に司令室に大きな歓声が上がります。来ました、第五艦隊がきたのです!

ようやく味方の来援が来たといっていいでしょう。敵の地上部隊が退却してから十時間近くが経っています。この間基地は帝国軍の来援と同盟軍の来援、どちらが先に来るかで不安に晒されました。落ち着いていたのはヴァレンシュタイン少佐だけです。

何度もセレブレッゼ中将は味方は何時来るのかと問いかけました。それに対し少佐は“ビュコック中将は歴戦の名将です、必ず来援します”そう言って中将を落ち着かせました。少佐がいなければセレブレッゼ中将は周囲に当り散らしていたかもしれません。少佐の実績、帝国軍地上部隊を撃退した実績が大きかったと思います。

少佐の予測はまた当たりました。司令室の人間は皆少佐を崇拝するような眼で見ています、セレブレッゼ中将もです。何故少佐はそこまで予測できるのか、私は少し怖いです。バグダッシュ少佐も“ここまで来ると神がかっているな”と呟いています。私とバグダッシュ少佐だけが喜びにひたれない……、勝てるのは嬉しいのですが素直に喜べない……。

「司令官閣下、第三十一、第三十三戦略爆撃航空団、第五十二制空戦闘航空団、第十八攻撃航空団に攻撃命令を頂きたいと思います。それと第五艦隊に攻撃要請を」
周囲の喧騒の中、ヴァレンシュタイン少佐の落ち着いた声が聞こえました。まるで少佐だけが別世界にいるようです。

「うむ、良いだろう」
少佐の言葉にセレブレッゼ中将が頷きました。そして少佐が通信オペレータのほうを見ます。オペレータが喜びに満ちた眼で少佐を見返しています。ようやく反撃できる、勝てる、そんな思いが有るのかもしれません。

「第五艦隊に攻撃要請を、敵主力部隊が来援する前にヴァンフリート4=2に停泊中の眼下の敵を攻撃されたし」
「はっ」

「第三十一、第三十三戦略爆撃航空団に命令、撤退する敵地上部隊を攻撃せよ。待機中の第五十二制空戦闘航空団は彼らを援護、戦略爆撃航空団の攻撃終了後は残存する敵地上部隊を掃討せよ」
「はっ」

「第十八攻撃航空団は第五艦隊の攻撃終了後、第五艦隊が打ち漏らした艦を攻撃、敵艦隊を殲滅せよ」
「はっ」
通信オペレータが次々と発せられる少佐の命令を第五艦隊、各部隊に伝え始めました。

「第五艦隊から通信です! 了解、これより攻撃を開始する!」
興奮したような通信オペレータの声です、司令室に歓声が沸きあがりました。そして続けて入った“第五艦隊が攻撃を開始しました!”の報告にさらに歓声が沸きあがりました。司令室はまるでお祭りのようです。皆抱き合い、肩を叩き合って喜んでいます。

ヴァレンシュタイン少佐がこちらに近付いてきます。表情には笑みが有りました。少佐も勝利を喜んでいる、そう私が思ったときです。
「バグダッシュ少佐、ミハマ中尉、帝国軍にとってはこれからが地獄ですよ。このヴァンフリート4=2からどうやって抜け出すか、それだけを望むに違いありません……。彼らはヴァンフリート4=2に来た事を生涯後悔、いえ憎悪する事になるでしょう」

「……」
少佐の口調には間違いなく嘲笑が有りました。私もバグダッシュ少佐も何も言えません。ただ呆然として少佐を見詰めました。そんな私達を見て少佐の笑みが益々大きくなります……。

「酷いと思いますか? でもこれは勝敗の問題じゃないんです。生きるか死ぬかの問題です。私は生き残る事を選んだ、そのためなら全宇宙を地獄に叩き込む事さえ躊躇わない……。付き合ってもらいますよ、私が生み出す地獄へ……」

ヴァレンシュタイン少佐が微笑んでいます。私の目の前にいるのは勝利を喜ぶ軍人では有りませんでした。地獄を生み出した事を喜び、私達を地獄に引き摺りこんだ事を喜んでいる魔王です。

地獄とは戦争や兵器が生み出すものでは有りません、人の心が闇に染まった時生み出されるのです。少佐は私達によって人の心を捨ててしまいました。私達はヴァレンシュタイン少佐の心を闇に染めてしまったのです……。ヴァンフリート4=2は間違いなく地獄になるでしょう……。

 

 

第十六話 疑惑

宇宙暦 794年 4月12日  ヴァンフリート4=2  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


ヴァンフリート4=2の戦いは原作とは違い同盟軍の勝利で終わった。グリンメルスハウゼン艦隊は同盟軍第五艦隊、第十八攻撃航空団の攻撃を受け壊滅。司令官グリンメルスハウゼン中将は旗艦オストファーレンもろとも爆死した。

地上部隊は第三十一、第三十三戦略爆撃航空団の集束爆弾による絨毯爆撃攻撃を受けこちらも壊滅、最終的にヴァンフリート4=2を脱出出来たのは約五百隻、兵は五万人に満たない数だろう。当初グリンメルスハウゼン艦隊は一万二千隻の兵力を有し兵員数は百二十万人はいたはずだ。その九割以上がヴァンフリート4=2で戦死したことになる。

帝国軍主力部隊がヴァンフリート4=2に来襲したのはグリンメルスハウゼン艦隊が壊滅した後だった。第五艦隊、そして第五艦隊に続けて来援した第十二艦隊と帝国軍主力部隊は衝突。ヴァンフリート4=2の上空で艦隊決戦が始まった。

帝国軍総司令官ミュッケンベルガーはグリンメルスハウゼンを殺されたことで怒り狂っていたのだろう、或いは自分の立場が危うくなった事を認識し恐怖に駆られたのかもしれない。凄まじい勢いで同盟軍を攻め立てた。

同盟軍第五艦隊はグリンメルスハウゼン艦隊を攻撃した直後に来襲された事で艦隊の隊形を十分に整える事が出来なかった。そのため同盟軍は当初劣勢にたたされた。ミュッケンベルガーは勝てると思っただろう。

残念だったな、ミュッケンベルガー。お前は艦隊決戦にこだわり過ぎた。地上基地の危険性を見過ごしたのだ。当然だがそのつけはおまえ自身が払わなければならない。

同盟軍の危機を救ったのは基地に配備された四千基の対空防御システムだった。対空防御システムは一基あたり三門のレーザー砲を持つ。その対空防御システムから放たれた一万二千のレーザーが帝国軍を襲った。

損害は大きくはなかったが帝国軍は混乱した、そしてビュコック、ボロディンの両提督にとってはその混乱だけで十分だった。第五艦隊、第十二艦隊は混乱した帝国軍を逆撃、帝国軍は大きな損害をだして後退した。

最終的には帝国軍はグリンメルスハウゼン艦隊を含めれば全軍で五割近い損害を出してヴァンフリート4=2から撤退した。そして今ヴァンフリート星域からも帝国軍は撤退しつつある。文字通り帝国軍は同盟軍によってヴァンフリート星域から叩き出されたと言って良いだろう。

同盟軍の大勝利だ。基地は守られ敵艦隊には大打撃を与えた。俺の周囲も皆喜んでいる。しかし俺は喜べない、俺だけは喜べない。ヴァンフリート4=2から逃げ出した五百隻の敗残部隊の中にタンホイザーが有った。どうやら俺はラインハルトを殺す事に失敗したらしい。

おかげで俺は何を食べても美味いと感じられない。今も士官用の食堂で食事をしているのだがフォークでポテトサラダを突くばかりで少しも口に入れる気になれない。溜息ばかりが出る。

どう考えてもおかしい。第五艦隊がヴァンフリート4=2に来るのが俺の予想より一時間遅かった。原作ではミュッケンベルガーがヴァンフリート4=2に向かうのが三時間遅かったとある。三時間有れば余裕を持って第五艦隊を待ち受けられたということだろう。

艦隊の布陣を整えるのに一時間かけたとする。だとすると同盟軍第五艦隊は帝国軍主力部隊が来る二時間前にはヴァンフリート4=2に来た事になる。だがこの世界では同盟軍が来たのは帝国軍主力部隊が来る一時間前だ。

二時間あればヴァンフリート4=2に停泊中のグリンメルスハウゼン艦隊を殲滅できた。行き場を失ったラインハルトも捕殺できたはずだ……。だが現実にはラインハルトは逃げている……。

俺の記憶違いなのか? それともこの世界では同盟軍第五艦隊が遅れる要因、或いは帝国軍が原作より早くやってくる何かが有ったのか……。気になるのはヤンだ、俺が戦闘中に感じたヤンへの疑惑……。俺を殺すために敢えて艦隊の移動を遅らせた……。

否定したいと思う、ヤンがそんな事をするはずがない。しかし俺の知る限り原作とこの世界の違いといえば第五艦隊のヤンの存在しかない……。奴を第五艦隊に配属させたのが失敗だったという事か……。

「少佐、ヴァレンシュタイン少佐」
気がつくとテーブルを挟んで正面にセレブレッゼ中将が座っていた。どうやら俺はポテトサラダを突きながら思考の海に沈んでいたらしい。

シンクレア・セレブレッゼ、今回の勝利を一番喜んでいるのは目の前のこの男だろう。次に行なわれるイゼルローン要塞攻略戦で余程のヘマをしない限り後方勤務本部の次長になる事は間違いないのだ。

この男の将来は確定された、いずれは後方勤務本部の次長から本部長へとなり後方支援業務のトップになるのだろう。まあロックウェルが後方勤務本部の本部長になるよりはましなはずだ。

「申し訳ありません、閣下。少し考え事をしておりました」
「構わんよ、少佐。それより邪魔をしてしまったかな」
「いえ、大丈夫です。もうそろそろ終わりにしようかと考えていました」

セレブレッゼが困惑したような表情で俺とテーブルの上に有る食事の乗ったトレイを見た。中将が困惑するのも無理はない、殆ど手をつけていない……。だがどうにも食べる気になれない……。

「少し話しをしたいのだが、構わんかね」
「はい」
「こんな事を言うのはなんだが、貴官は帝国との戦争を望んでいない、そうではないかな?」
「……」

俺は周囲を見た。傍には誰もいない、この男が人払いをしたのだろう。遠巻きに何人かがこちらを見ているだけだ。俺が返事をせずにいると中将は一つ頷いて話を続けた。

「私はいずれハイネセンに戻る事になるだろう」
「後方勤務本部の次長になられると伺っております。御慶び申し上げます」
「ああ、有難う。いや、まあ」
「?」

セレブレッゼの表情には困惑というか照れのようなものが有る。
「どうかな、少佐。私の直属の部下にならんか。そうなれば貴官も前線に出ずに済む、帝国軍と直接戦わずに済むだろう。それに後方勤務本部には後方支援の能力だけではなく用兵家としての才能もある人物が必要だ」
「……」

「どうかな、少佐。私のところに来れば、今の様に苦しまずに済むと思うのだが」
「有難うございます。ですが小官の事はどうか、ご放念ください」
「少佐?」

「今回の小官の人事にはシトレ統合作戦本部長の意向があるようです」
「シトレ本部長?」
「ええ、本部長は小官をこれからも帝国との最前線で使おうとするに違いありません。閣下が小官を庇おうとすれば閣下のお立場が悪くなります」
「……」

セレブレッゼ中将の顔が暗くなった。軍のトップであるシトレ元帥を相手にする、出来ることではない、俺がどういう立場にあるかようやく分かったらしい。
「これからの同盟には閣下のお力が必要となります。どうか小官の事はご放念ください」

「……そうか、残念な事だ……。ヴァレンシュタイン少佐、私の力が必要な時は何時でも言ってくれ。私は貴官の味方だ」
「……」

「貴官が此処に来てくれた事には感謝している。貴官がいなければ私は戦死するか捕虜になっていただろう、この基地が守られたのは貴官のお蔭だ」
「……そのような事は」
セレブレッゼ中将が首を横に振った。

「私には用兵家としての能力は無かった。だから後方支援に進んだ。後方支援がなければ軍は戦えん、我々こそ軍を支える力だと自負した。だが前線での武勲が欲しくなかったと言えば嘘になる。その想いを貴官が叶えてくれた。しかもこれ以上はないという勝利でな。礼を言わせてくれ、有難う、少佐」

セレブレッゼが俺に頭を下げた。
「お止め下さい、閣下。小官は当然の事をしたまでです。むしろどこまで閣下を御支えする事が出来たのか、心許なく思っております」

セレブレッゼが俺に笑顔を見せた。五十近い男の笑顔なのにどういうわけか可愛いと思える笑顔だった。
「貴官は私を十分に補佐してくれた。少佐、私にはハイネセンに孫がいる。その子に今回の戦の事を話してやるつもりだ。貴官が私を誠実に補佐してくれた事、それ無しでは勝利は得られなかった事をな。あの子はきっと喜んでくれると思う」

そう言うとセレブレッゼ中将は席を立った。そして出口に向かって歩き始めたが直ぐに立ち止まった。
「ヴァレンシュタイン少佐、死に急ぐなよ。私はそれだけが心配だ。この国は貴官にとって決して居心地の良い場所ではないかもしれん。しかし貴官が死んだら同盟にも悲しむ人間が居るという事を忘れんでくれ、私だけではない、この基地に居る皆がそう思っている……」

セレブレッゼ中将がまた歩き始めた。難しい事を言ってくれる、俺に死ぬなとか味方だとか……。ヤンへの疑惑が事実なら、おそらく命じたのはシトレだろう。軍のトップが俺を抹殺したがっている。俺に関わるのは危険なのだ。

俺はポケットから認識票とロケットペンダントを取り出した。ジークフリード・キルヒアイス、帝国暦四百六十七年一月十四日生まれ……。認識票にはそう記載されている。そしてペンダントには赤い髪の毛が収められていた。

両方死ぬか、両方生きていれば未だましだった。だが現実は最悪な形での勝利だった。キルヒアイスが死にラインハルトは生きている。これが本当に勝利の名に値するのかどうか、俺にはさっぱり分からない。分かっている事はラインハルトは決して俺を許さないだろうという事だ。

死に急いでいるつもりは無い。しかし死のほうが俺に近付いてくるだろう。ポテトサラダを見詰めた。食べなければならん、どれほど食欲がなかろうと食べなければ……。俺は未だ死ねんのだ、少しでも生き延びる努力をしなければ……。だが、何のために生きるのだろう、溜息が出た。



宇宙暦 794年 4月25日  ヴァンフリート4=2  ミハマ・サアヤ



「寂しくなるな、貴官が居なくなると」
「閣下」
セレブレッゼ中将とヴァレンシュタイン少佐が話をしています。中将は本当に名残惜しそうですし、少佐は少し照れたような、面映そうな表情をしています。

私は中将を羨ましく思いました。今では見る事が出来なくなってしまいましたが以前は時折私にも見せてくれた表情です。少佐はまだそういう表情を浮かべる事が出来る、少し寂しいけどそれだけで満足するべきなのかもしれません。

ヴァンフリート4=2の地上戦はヴァレンシュタイン少佐の言葉どおり、帝国軍にとって地獄になりました。地獄から生還できた帝国軍は一割に届きません。そして捕虜も居ません、徹底的な絨毯爆撃攻撃と地上掃討によって捕虜になる前に皆戦死しました。

戦が終わった後、少佐は以前にも増して無口になりました。そして周囲に関心を払わなくなったと思います。一人で何か考え込み、時々溜息を漏らしています。食事も余り取っていません。余程気にかかる事が有るようです。身体を壊さなければ良いのですが……。

今回の戦い、同盟軍が勝利を得られたのはひとえに少佐の働きによるものです。誰もがそれを分かっています。皆が少佐と話をしたい、親しくなりたいと考えていますが少佐が暗い表情で考え込んでいるので話しかける事が出来ません……。私も少佐に話しかける事が出来ずにいます。もしかするとやり過ぎたと考えているのかもしれません。

私とヴァレンシュタイン少佐、バグダッシュ少佐はハイネセンに戻る事になりました。元々帝国軍がヴァンフリートに来襲するからという事で臨時に基地に配属された私達です。帝国軍を撃退した以上、ハイネセンに戻るのは当然といえるでしょう。

もっとも私達をハイネセンに運ぶのが第五艦隊というのは異例です。本当なら輸送船で移動なのに帝国軍への追撃を終了した第五艦隊が私達をハイネセンに運ぶ……。

第五艦隊は今回帝国軍を打ち破った殊勲艦隊です。その第五艦隊がわざわざヴァンフリート4=2まで私達を拾うためにやってくる……。統合作戦本部からの命令だそうですが全くもって特別扱いです。

少佐の帰還を誰よりも残念に思ったのはセレブレッゼ中将でしょう。中将の少佐への信頼は基地防衛戦以降、益々厚くなりました。少佐がヴァンフリート4=2の戦後処理を一手に引き受けて行なったからです。

死体の収容、撃破された装甲地上車、艦隊の残骸の撤去、そして消費した物資の補充の手配……。セレブレッゼ中将の手を煩わせる事無く少佐は全てを差配し、中将も何一つ口を挟む事無く少佐に全てを任せました。

それらを通して中将は少佐が用兵家としてだけではなく、後方支援能力、事務処理能力にも優れている事を確認したのだと思います。或いは自分の後継者に、と考えたのかもしれません。それほど中将の少佐に対する信頼は厚いものでした。

「では少佐、気をつけてな。例の約束を忘れんでくれよ」
「はい、有難うございます。閣下もお気をつけて」
「うむ」

例の約束? 一体何の事かと思いましたが、中将も少佐もお互いに穏やかな表情を浮かべています。やましい事ではないのでしょう。敢えて詮索する事は止めようと思います。私は少佐を必要以上に疑いたくありません、信じたいんです。

第五艦隊からは連絡艇が基地に来ています。私達はその連絡艇に乗り第五艦隊旗艦、リオ・グランデに移りました。艦橋に案内されビュコック提督が直ぐに私達に会ってくれました。艦橋にはヤン中佐も居ます。一通り挨拶が終わった後、ビュコック提督がヴァレンシュタイン少佐に話しかけました。

「貴官がヴァレンシュタイン少佐か、心から歓迎するよ」
「有難うございます、提督」
「今回の戦では貴官には随分と世話になった。対空防御システムで敵を叩いてくれなかったら危ないところだったよ」

ビュコック提督はヴァレンシュタイン少佐を高く評価しているようです。提督は明るい表情でヴァレンシュタイン少佐を見ていますし少佐も穏やかな笑みを浮かべています。どうも少佐は同年代の人よりかなり年長の人に対して心を開くようです。

「ハイネセンまでは二十日以上かかるだろう、ゆっくりしてくれ」
「有難うございます、提督」

私達を部屋に案内してくれたのはヤン中佐でした。一人一室ですが私達の部屋は私、ヴァレンシュタイン少佐、バグダッシュ少佐の順で並んでいます。どうやら三部屋無理を言って用意してくれたようです。

部屋に入ろうとしたときでした。ヴァレンシュタイン少佐が私達に話しかけてきました。
「少し皆さんにお話したい事があるんです。私の部屋で話しませんか? ヤン中佐も一緒に」

珍しい事です、少佐が私達を誘ってきました。思わず少佐を見ると少佐は笑みを浮かべてこちらを見返してきました。ヴァンフリート4=2を離れてヴァレンシュタイン少佐も少し気分が軽くなったのかもしれません。

私、バグダッシュ少佐、ヤン中佐の順で部屋に入りました。そして最後にヴァレンシュタイン少佐が入りドアに背を預ける形で立ちます。部屋の中にはベッドと簡易机と椅子があります。私は椅子に、バグダッシュ少佐とヤン中佐はベッドに腰を降ろしました。

「ヤン中佐、教えて欲しい事が有るんです」
「何かな、少佐」
「第五艦隊のヴァンフリート4=2への来援が私の予想より一時間遅かった。ヤン中佐、何故です?」

ヤン中佐の表情が強張るのが見えました。
「何の話かな、意味が良く分からないが」
「ヴァンフリート4=2への来援をビュコック提督に要請してくれたのか、私との約束を守ってくれたのか、そう聞いているんです」
「……」
「それとも私達を見殺しにしようとした、そういうことですか?」

部屋に緊張が走りました。私は良く分からず周りを見るばかりです。ヴァレンシュタイン少佐はもう笑みを浮かべてはいませんでした。冷たい視線でヤン中佐を見据えています。そして私の目の前には蒼白になるヤン中佐が居ました。


 

 

第十七話 一時間がもたらすもの

宇宙暦 794年 4月25日  第五艦隊旗艦 リオ・グランデ  バグダッシュ


「馬鹿なことを言うな、ヴァレンシュタイン少佐。ヤン中佐が我々を見殺しにするなど有り得ん事だ」
俺は強い口調でヴァレンシュタインを窘めた。

一体何でそんな事を考えるのだ、中佐が我々を見殺しにするなど有り得ない。しかしヴァレンシュタインはこちらをちらりとも見なかった。ドアに背を預けたままヤン中佐を見据えている。

「ビュコック提督は先程ヤン中佐の事を何も言いませんでした。中佐の進言でヴァンフリート4=2への転進を進めていたなら提督はその事を言ったはずです。そして私は中佐に礼を言っていた」
「……」

冷静というより冷酷といって良い口調だ。だがそれ以上にヤン中佐を見るヴァレンシュタインの視線は冷たかった。ミハマ中尉が不安そうな表情で俺を、そしてヤン中佐を見ている。重苦しい雰囲気に部屋が包まれた。

思わず表情が動きそうになったが耐えた。俺が動揺すればミハマ中尉は俺以上に動揺するだろう。ヴァレンシュタイン少佐の思い過ごしだ、そんな事は有り得ない、有り得るはずが無い……。

「しかしビュコック提督は何も言わなかった。中佐がヴァンフリート4=2への転進を勧めなかったか、或いは勧めたとしてもそれほど強いものではなかったか……」
「……」

「どちらにしてもビュコック提督にとって中佐の存在は重いものではなかった、だから私達に話さなかった。つまりこの会戦で中佐の果たした役割はかなり小さい……。違いますか、ヤン中佐?」
「……」

中佐は無言のままだ、黙って少佐の話を聞いている。
「シトレ元帥に見殺しにしろと頼まれましたか?」
「そんな事は無い」
ヴァレンシュタインの問いかけに愕然とするミハマ中尉が見えた。

「待て、ヴァレンシュタイン少佐。ヤン中佐の言う通りだ、そんなことはあり得ない。シトレ元帥は貴官に最大限の助力をするようにと我々に言ったんだ。貴官をこれからもバックアップするとな」

ヴァレンシュタインが薄く笑った。
「なるほど、ではヤン中佐の独断ですか……」
「馬鹿な事を言うな! ヴァレンシュタイン少佐! 一体何が気に入らないんだ。戦争は勝ったんだ、一時間の遅延など目くじらを立てるほどのことでもないだろう」

俺の叱責にもヴァレンシュタインは笑みを消さなかった。
「勝ったと喜べる気分じゃないんですよ、バグダッシュ少佐。エル・ファシルでも一度有りましたね、中佐。あの時も中佐は味方を見殺しにした」
今度はエル・ファシルか、何故そんなに絡む? 一体何が気に入らないんだ……。

「何を言っている、あれはリンチ少将達がヤン中佐に民間人を押し付けて逃げたんだ。見殺しにされたのはヤン中佐のほうだろう」
俺はヤン中佐を弁護しながら横目で中佐を見た。中佐の身体が微かに震えている。怒り? それとも恐怖?

「バグダッシュ少佐、ヤン中佐は知っていましたよ、リンチ少将が自分達を置き去りにして逃げることをね。その上で彼らを利用したんです。リンチ少将のした事とヤン中佐のした事にどれだけの違いがあるんです。五十歩百歩でしょう」

何て事を言うんだ、本気か? ミハマ中尉が驚いた表情でヤン中佐を見ている。はっきり否定しなければならん。
「いい加減にしろ、少佐! リンチ少将は守るべき民間人を見捨てた卑怯者だ。中佐は民間人を守ったのだ、それを誹謗する事は許さん!」

「話を戻そう、あの基地はイゼルローン要塞攻略戦では重要な役割を果たす。貴官はヤン中佐がそれを分からないほど愚かだと言うつもりか?」
「落ちませんよ、イゼルローンは」
「!」

ヴァレンシュタインは笑っていた。明らかに嘲笑と分かる笑みを浮かべている。
「イゼルローン要塞は後方に一つぐらい基地が有ったからといって落ちる程ヤワな要塞じゃありません。だったら敵を誘引して目障りな連中もろとも始末したほうがましです、そうでしょう、ヤン中佐?」
「……」

優しい声だった、だがその声には明らかに毒があった。そしてヴァレンシュタインは毒を吐き続けた。
「私はヤン中佐は必要以上に犠牲を払う事を嫌う人だと思っていました。だから第五艦隊に行ってもらったのですが、どうやら私は貴方にとって必要な犠牲だったらしい」

「嘘です、そんな事嘘です。嘘だと言ってください、中佐」
ミハマ中尉が泣き出しそうな表情でヤン中佐に話しかけた。思わず俺はミハマ中尉を、ヴァレンシュタインを怒鳴りつけていた。
「嘘に決まっている! 少佐、一体何が気に入らないんだ、邪推にも程が有るぞ!」

「何故怒るんです、バグダッシュ少佐。必要な犠牲の中には少佐も、そしてミハマ中尉も含まれているんです。怒るなら私にではなくヤン中佐にしてください。それにしても随分と嫌われたものだ」

冷笑、そして嘲笑。ヴァレンシュタイン少佐の言葉にヤン中佐の表情が歪んだ。そして少し俯くと溜息を吐く。中佐がヴァレンシュタイン少佐に視線を向けた。瞳には後悔の色が有る。まさか、事実なのか……。

「そうじゃない、そうじゃないんだ、ヴァレンシュタイン少佐。私はヴァンフリート4=2への転進を勧めたが司令部の他の参謀に反対され意見を通せなかった。最終的にはビュコック提督が決断し、ヴァンフリート4=2へ向かったが一時間はロスしただろう。貴官の言う通りだ……」

沈黙が落ちた。ヤン中佐は視線を落としミハマ中尉は安心したような、困ったような顔をしている。そしてヴァレンシュタインの表情は厳しいままだ。他の参謀に反対された、新参者という事で部外者扱いされたという事か……。或いは中佐の配属そのものを自分達への不信と受け取ったか……。それで故意に反対した、有りそうな話だ。

「申し訳ない……。貴官に約束しておきながら私は役立たずだった。一つ間違えば基地は帝国軍に破壊されていただろう。貴官が疑うのも怒るのも無理は無い、だがこれが事実だ。私もシトレ元帥も貴官を謀殺しようなどとはしていない。その事は信じて欲しい」

ヤン中佐がヴァレンシュタイン少佐に頭を下げて謝罪した。
「少佐、ヤン中佐の言う通りだ。我々が貴官を謀殺するなど有り得ん事だ。幸い戦は勝ったんだ、ヤン中佐を責めるのはもう止めろ」

「そうです、少佐。少しは私達を信じてください」
俺とミハマ中尉が声をかけたがヴァレンシュタインは表情を緩める事無くヤン中佐を見ている。彼が納得していないのが分かった。きちんと話すべきだろう。

「ヴァレンシュタイン少佐、良く聞いて欲しい。我々は貴官を戦場へ送り出した。だがそれは貴官を謀殺するためじゃない、本当の意味で同盟市民になって欲しかったからだ」
「……」

「貴官は帝国に帰りたいのだろう。だが我々にはそれを認める事は出来ないのだ。酷い事をしているのは分かっている。だが貴官が帝国に戻り、ブラウンシュバイク公の腹心になられては……」

「何の話です? そのブラウンシュバイク公というのは……」
ヴァレンシュタインが訝しそうな表情をしている。何故隠す、もう隠さなくても良いんだ。貴官はブラウンシュバイク公の助けを待っていた、そうだろう……。

「隠さなくても良いだろう、貴官を帝国に戻そうと動いているアントン・フェルナーはブラウンシュバイク公の側近だ」
俺の言葉にミハマ中尉が驚いたような表情を見せた。彼女はアントン・フェルナーがブラウンシュバイク公の側近だという事を知らない……。

「私がブラウンシュバイク公の腹心? それを防ぐために私をヴァンフリートに送った?」
低い笑い声が聞こえた。ヴァレンシュタイン少佐が笑っている。だがその眼には見間違えようがない憎悪が有った。

笑いを収めるとヴァレンシュタインは冷たい目で俺達を見据えた。
「私がブラウンシュバイク公の腹心になるなど有り得ない」
「しかし、フェルナーは」
俺の言葉にヴァレンシュタインは頬に冷笑を浮かべた。

「彼は私が門閥貴族を憎んでいる事を、叩き潰してやりたいと考えている事を理解している。間違ってもブラウンシュバイク公に仕えろなどとは言わない」
「……」
違う、演技じゃない。彼は本心を語っている。我々は何か間違えたのか?

「よくもそんな愚劣な事を考えたものだ。自分達が何をしたのか、まるで分かっていない」
「少佐……」
ヴァレンシュタインの口調が変わった。口調だけではない、表情も変わった。さっきまで有った冷笑は無い、有るのは侮蔑と憎悪だけだ。その変化に皆が息を呑んだ。

「私はヴァンフリート4=2へ行きたくなかった。行けばあの男と戦う事になる。だから行きたくなかった」
「あの男?」
恐る恐るといった感じのミハマ中尉の問いかけにヴァレンシュタインは黙って頷いた。

「ラインハルト・フォン・ミューゼル准将、戦争の天才、覇王の才を持つ男……。門閥貴族を憎み、帝国を変える事が出来る男です。私の望みは彼と共に帝国を変える事だった」
「……」

ラインハルト・フォン・ミューゼル、その名前に思わずミハマ中尉と顔を見合わせた。彼は皇帝の寵姫、グリューネワルト伯爵夫人の弟だったはずだ。それが戦争の天才? 覇王の才を持つ男?

「彼を相手に中途半端な勝利など有り得ない、彼の自尊心を傷つけ怒りを買うだけです。私は未だ死にたくない、だから彼を殺してでも自分が生き残る道を選んだ。たとえ自分の夢を捨てる事になっても」
「……」

「幸い彼は未だ階級が低くその能力を十分に発揮できない。だから必ず勝てる、必ず彼を殺せるだけの手を打った……。おそらく最初で最後のチャンスだったはずです。それなのに……」

ヴァレンシュタインが唇を噛み締めている。そして睨み据えるようにヤン中佐を見ていた。俺もヤン中佐も、そしてミハマ中尉も何も言えずにヴァレンシュタイン少佐を見ている。

「第五艦隊の来援が一時間遅れた……。あの一時間が有ればグリンメルスハウゼン艦隊を殲滅できた、逃げ場を失ったラインハルトを捕殺できたはずだった」
ヴァレンシュタインは呻くように言って天を仰いだ。両手は強く握り締められている。

「最悪の結果ですよ、ラインハルト・フォン・ミューゼルは脱出しジークフリード・キルヒアイスは戦死した。ラインハルトは絶対私を許さない」
ジークフリード・キルヒアイス? その名前に不審を感じたのは俺だけではなかった。他の二人も訝しそうな表情をしている。俺達の様子に気付いたのだろう、ヴァレンシュタインが冷笑を浮かべながら話し始めた。

「ジークフリード・キルヒアイスはラインハルトの副官です。ラインハルトには及ばなくともいずれは宇宙艦隊を率いるだけの力量の持ち主だった。そして親友であり腹心であり、彼の半身でも有った……」
「……」

少しの間沈黙が落ちた。ヴァレンシュタインはポケットから何かを取り出しじっと見ている。ロケットペンダント? そして顔を上げるとノロノロとした口調で話し出した。

「ラインハルトは私を許さない。彼にとって私は不倶戴天の仇であり帝国を捨てた裏切者です。今回は私の前に敗れたがそのままで済ます男じゃありません。必ず私を殺す事に執念を燃やすでしょう」
「……」

「彼が武勲を上げ地位が上がれば、その分だけ彼の持つ権限も大きくなる。そして何時か私を殺す……」
ヴァレンシュタインが暗い笑みを浮かべた。自嘲だろうか?

「悲観し過ぎだ、貴官なら勝てるだろう?」
励まそうと思って故意に明るい声を出した。だがヴァレンシュタインは何処か投げやりな口調で答えた。

「勝てませんね、私など彼の前では無力なウサギのようなものです。これから先、彼が力をつければ益々私は勝てなくなる。それどころか簡単に踏み潰されるでしょう、賭けても良い」
「……」

部屋に不自然な沈黙が落ちた。ヤン中佐の顔面は蒼白だ。一時間の遅れ、それが何を引き起こしたか、何故ヴァレンシュタインがあれほど自分に絡んだかが分かったのだろう。そしてミハマ中尉は泣き出しそうな顔でヴァレンシュタインを見ている。

「シトレ元帥はこれからも私を最前線で使いたがるでしょうね。そうなればラインハルトと出会う機会も増える……」
その後をヴァレンシュタインは言わなかった。だが皆がその先を理解しただろう。何時かはラインハルト・フォン・ミューゼルに殺される……。

「貴官らの愚劣さによって私は地獄に落とされた。唯一掴んだ蜘蛛の糸もそこに居るヤン中佐が断ち切った。貴官らは私の死刑執行命令書にサインをしたわけです。これがヴァンフリート星域の会戦の真実ですよ。ハイネセンに戻ったらシトレ本部長に伝えて下さい、ヴァレンシュタインを地獄に叩き落したと」
冷笑と諦観、相容れないはずの二つが入り混じった不思議な口調だった。

「少佐、我々は」
俺は何を言おうとしたのだろう。訳もわからず声をかけたが返ってきたのは冷酷なまでの拒絶だった。

「聞きたくありませんし聞いても何の意味もない。話は終わりました、出て行ってください。私は不愉快だ、もっとも私の立場になって不愉快にならない人間が居るとも思えないが……」

そう言うとヴァレンシュタインは笑い始めた。希望を無くした人間だけが上げる虚ろな笑い声だった……。その笑い声と共に声が聞こえた。
「同盟市民になって欲しいか……。その結果がこれか……。笑うしかないな、馬鹿馬鹿しくて笑うしかない……」


 

 

第十八話 その死の意味するところ

宇宙暦 794年 4月25日  ヴァンフリート4=2  ワルター・フォン・シェーンコップ


「行っちゃいましたね、中佐」
「そうだな」
俺はリンツに答えながらスクリーンを見ていた。俺達――俺、リンツ、ブルームハルト、デア・デッケン――だけじゃない、大勢の人間が司令室のスクリーンを見ている。スクリーンにはヴァンフリート4=2から離れて行く連絡艇が映っていた。

「寂しくなりますね、少佐が居なくなると」
「リンツ、お前、少佐と親しいのか?」
俺の質問にリンツは手を振って否定した。

「とんでもありません、少佐は周りに人を寄せ付けませんよ。そうじゃなくて、少佐は目立つから……、居れば自然と眼が行きます。もうそれも無いと思うと……」

少し照れたような表情をリンツが見せた。目立つか……、確かに目立つ若者だった。未だ大人になりきれない、少年めいた容貌に張り詰めたような緊張感を漂わせていた。今なら分かる、あれは獲物を待ち受ける緊張感だったのだろう。

「美人だったな、何というかちょっと怖いところがある美人だった。気にはなるが手は出せない、そんな感じだな」
俺の言葉に三人は呆れたような顔をして、そして顔を見合わせて小さく苦笑した。

「戦争が終わってからは、元気がありませんでしたね」
リンツの言う通りだ、戦争が終わってからは妙に元気が無かった。戦争の結果に満足できなかったとは思えない。自分の作り出した地獄に嫌気がさしたのか……。

「少佐の知り合いが敵の地上部隊に居たようです」
思いがけない言葉だった。皆の視線がデア・デッケンに向かった。彼は言うべきではなかったと思ったのか、困ったような表情をしている。

「何か知っているのか?」
「まあ、その、……」
「デア・デッケン」
俺の問いかけにデア・デッケンは諦めたように溜息を吐いた。

「夜中に少佐が遺体置き場に行くのを見たんです」
「それで?」
「それで……、少佐がある遺体をじっと見ていました。一時間ぐらい見ていたと思います。その後で遺体から認識票と髪の毛を切り取るのを見ました」

思わずリンツ、ブルームハルトと視線を交わした。彼らも顔に驚きを浮かべている。
「デア・デッケン、お前、その遺体を見たのか?」
ブルームハルトの問いかけにデア・デッケンは一瞬途惑いを見せたが頷いた。

「多分、まだ若い士官だと思います、髪は綺麗な赤毛でした」
「多分?」
「良く分からなかったんです。顔は酷く損傷していて、それに遺体はもう傷んでいました……。少佐が一時間もあそこにいたことのほうが驚きでした」

遺体は傷んでいた、おそらくは腐臭を放っていただろう。だがヴァレンシュタインはその遺体と一時間向き合っていた。何を考えていたのだろう? 後悔か、それとも懺悔か……。

「ヴァレンシュタイン少佐は冷たそうに見えるけど本当は優しい人なんだと思いますよ。時々ロケットペンダントを見て溜息を吐いていましたけど、多分あれは遺髪を入れたんじゃないかな……。死んだのは余程親しい人だったんでしょう」

デア・デッケンの言葉に皆が黙り込んだ。誰よりも冷徹に、冷酷に戦争を指揮した男だった。彼が指揮を執ったから損害は驚くほど少なかった。ローゼンリッターの戦死者は十人に満たない。

彼はヴァーンシャッフェ大佐の追撃要請をにべも無く断わった。彼が追撃を許していればローゼンリッターの戦死者の数は格段に跳ね上がっただろう。
“名誉とか決着とか、そんな物のために戦うほど私は酔狂じゃありません”

その非情さ、冷徹さはいっそ爽快なほどだったが、それは仮面だというのか……。仮面をかぶる事で味方を救った。そして今彼はたった一人で仮面の下で苦しんでいる……。

スクリーンを見た。連絡艇はかなり小さくなっている。眼を凝らさなければ見えない。重苦しい空気を振り払おうとするかのようにリンツが頭を振った。そして場違いとも言える明るい声を出す。

「第五艦隊が出迎えですか、凄いですね。最高評議会議長だって有り得ないでしょう。皇帝並みの待遇だな」
皇帝並みの待遇、リンツの言葉に皆が苦笑した。この同盟で皇帝並みの待遇、確かに有り得ない。

「何でも統合作戦本部長、シトレ元帥の命令だそうだ。ヴァレンシュタイン少佐はシトレ元帥のお気に入り、というか秘蔵っ子らしいな」
俺の言葉にリンツがおどけたようなしぐさで口笛を吹いた。ブルームハルトとデア・デッケンが再び苦笑した。

皆分かっている。リンツがおどける事で皆の気持を軽くしようとしている事を。馬鹿なのではない、馬鹿を演じているだけだ。演じる事で周りの気持を切り替えさせようとしている……。本当は誰よりも熱い心を持っている男だ。誰よりもヴァレンシュタインの事を心配しているだろう。

リンツが表情を変えた。
「我々も移動が近いと聞きましたが?」
「来週には輸送船が迎えに来る。準備をしておけ」
俺の返事にリンツは頷くとまた問いかけて来た。

「次はイゼルローン要塞ですか」
「おそらくそうだろう。今回の戦いで相手にかなりの打撃を与えた。上層部としては一気にイゼルローン要塞を攻略、そう考えてもおかしくない」

皆黙り込んだ。イゼルローン要塞を落とす、その難しさを思ったのだろう。
「落ちますかね、あれが」
そんな深刻そうな顔をするな、デア・デッケン。

「分からんな、まあ、俺達は給料分の仕事をするだけだ」
「まあ、そうですね」
デア・デッケンが笑みを浮かべた。そうそう、それで良いんだ、デア・デッケン。余り難しく考えるな。

ブルームハルトも同じ事を考えたのだろう。陽気な声で話題を変えてきた。
「それにしても俺達は輸送船、ヴァレンシュタイン少佐は第五艦隊、偉い違いだ」

「第五艦隊も文句は言えんさ。なんと言っても同盟軍が勝てたのは少佐の用意した対空防御システムのおかげだからな。あれが無ければ良くて引き分け、悪けりゃ負けた上にこの基地も破壊されていた」

俺の言葉に三人が頷いた。いや三人だけじゃない、周囲に居る人間も頷いている。ヴァンフリート4=2の戦いはヴァレンシュタイン少佐の力で勝った。その事を疑う人間は居ない。

「またあの人と一緒に戦いたいですね、あの人の指揮なら長生きできそうだ」
ブルームハルトの言葉に思わず苦笑した。まるでヴァーンシャッフェ大佐の指揮では長生きできないと言っているように聞こえる。そして俺はそれを否定できない。

「何時かはそんな日が来るさ、だから生き延びろよ、ブルームハルト」
「それ、結構難しそうですよ、中佐」
「だが不可能じゃない、そうだろう?」
俺の言葉にブルームハルトは苦笑交じりに頷いた……。




帝国暦 485 4月25日  イゼルローン要塞  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「大丈夫か、ミューゼル准将」
「大丈夫だ、リューネブルク准将」
俺の言葉にリューネブルクは少しの間黙って俺を見ていた。キルヒアイスの死後、リューネブルクが俺を心配そうに見ている事は分かっていた。だが声をかけてきたのは今日が始めてだ。

リューネブルクの眼には明らかに俺を気遣う色が有る。何処かで煩わしく思いながら、それでも受け入れている自分が居た。妙な気分だ、初めて会ったときは嫌な奴としか思わなかったのに……。

しかし、俺が生きているのは間違いなくこの男のおかげだ。この男が地上部隊の総指揮官でなければ俺は死んでいただろう、キルヒアイスと一緒に……。あの撤退からもう二十日近く経つ、今でもあの四月六日、七日の事は鮮明に思い出す……。




反乱軍はこちらの撤退に追撃を仕掛けては来なかった。撤退は何の支障も無く、一人の犠牲も無く行なわれた。問題が有るとすれば何の支障も無く撤退できた事だろう。何故敵は追撃してこないのか?

『ミューゼル准将、応答してくれ』
「こちらミューゼル」
乗り心地の悪い装甲地上車に揺られながら通信機に答えた。

『敵は追撃してこない、卿はこれをどう思う?』
「可能性は二つ。一つ、敵にはこちらを追撃するだけの戦力は無い」
『却下する、そんなひ弱な敵なら俺達は退却などせん。もう一つは?』

「こちらをいつでも殲滅できるだけの戦力を持っている。おそらくは膨大な航空戦力を持っていると思う」
何度か舌を噛みそうになりながらリューネブルクに答えた。全くこの乗り心地の悪さは何とかならないのか。

『同感だ、全く可愛げの無い敵だ。追撃でもしてくれれば少しは安心できるのだがな。常にこちらの嫌がる事ばかりする。そうは思わんか?』
「同意する」

全くだ。この敵は手強いだけではない、辛辣で執拗なのだ。常にこちらの先を読み苛立たせる。そのくせこちらの息の根を止めようとはしない。まるで猫が鼠を弄ぶような戦い方をする。連中が俺たちに与えるのは不安と絶望だ。今も俺達は未だ見ぬ敵の航空兵力に怯えている。

『ミューゼル准将、連絡艇を呼べ』
「連絡艇?」
『そうだ、その連絡艇で卿は先に艦隊に戻れ』
「……」
戻れ? どういう事だ? 俺に部隊を捨てろというのか? 思わずキルヒアイスの顔を見た。キルヒアイスも訝しげな表情を浮かべている。

『司令部に敵基地の攻撃を頼むのは無理だろう。卿の艦隊でも基地を攻撃するのは不可能だ。対空砲火であっという間に撃破される。だが我々を迎えに来る事は可能なはずだ』

「艦隊を動かすとなれば司令部の許可が要る。彼らがそれを許すと思うか、リューネブルク准将」
『おそらくは許すまい。だから部隊の収容をしやすくするために移動すると言え。それなら司令部も許すはずだ』

何を考えている? リューネブルク。
「しかし、それでは部隊の収容には向かえない。意味が無い……」
『卿は自分の艦隊を出来るだけ本隊から離せ。そして見つからんように上手く隠すのだ』
「!」

『敵の増援が来れば艦隊は上空から一方的に攻撃され全滅する。そして基地は膨大な航空戦力で俺達を攻撃するだろう。地上部隊は壊滅状態になるに違いない。だが生き残る兵も居るはずだ、彼らをこのヴァンフリート4=2から脱出させる艦が要る……』

そうか、そういう事か……、勝つためではなく生き残るために戻れというのか。俺の艦隊は二百隻、それほど多くの兵を収容できるわけではない。だが敵の攻撃を受ければ地上部隊で生き残れるのはその二百隻でも十分に収容できるだけの人数になっているだろう。

「……しかし、部隊の指揮は」
『俺が指揮を執る。幸い敵は追撃してこない、特に問題は無いはずだ』
「……」

『俺達を見捨てるなどと思うな、俺達を救うために艦に戻るのだ。躊躇うな、ミューゼル。俺達は指揮官として部下を一人でも多く救わねばならん、そうだろう?』

キルヒアイスを見た。キルヒアイスが俺に頷く。
「分かった、連絡艇を呼ぼう」
「リューネブルク准将、小官はキルヒアイス大尉です。小官は此処に残り、閣下のお役に立ちたいと思います。お許しを頂けるでしょうか?」

思わずキルヒアイスの顔を見た。しかしキルヒアイスは俺を見ない。通信機を見ている。
「何を言う、キルヒアイス。お前も一緒に……」
最後まで言えなかった。キルヒアイスが首を振って俺を止めた。

「私まで部隊を離れれば、兵は本当に見捨てられたと思うでしょう。私は残らなければなりません。……リューネブルク准将、お許しを頂きたい!」
『……了解した、キルヒアイス大尉、よろしく頼む。……ミューゼル准将、卿は良い副官を持った。キルヒアイス大尉の想いを無駄にするなよ』

連絡艇が来たのは三十分後だった。必ずタンホイザーに戻ると言ってキルヒアイスは笑顔を見せた。そしてそれがキルヒアイスを見た最後になった……。

タンホイザーに戻り、なんとか司令部を説得して自分の艦隊を目立たないところに移動させる事が出来た。上空に敵艦隊が現れた時はただただ見つからないようにと祈った。死ねなかった、キルヒアイス達をこのヴァンフリート4=2から脱出させるためには死ねなかった……。

幸いにも敵艦隊の、基地からの航空機による攻撃は一時間で終了した。帝国軍主力部隊が来援したのだ。その後、艦隊を動かし地上部隊を収容したが、その数は一万人に満たなかった……。

そして収容している最中に帝国軍主力部隊が基地の対空防御システムによって混乱するのを見た。その後は反乱軍によって帝国軍は一方的に叩かれ続けた……。




キルヒアイスの死を知ったのはヴァンフリート4=2を脱出し、反乱軍からの追撃を避け安全になってからだった。それまではキルヒアイスの安否を確認する余裕など無かった。いや、もしかすると故意に確認をしなかったのかもしれない。

涙は出なかった、何処かで俺はキルヒアイスの死を覚悟していたのだろう。ただ怒りだけがあった。ヴァンフリート4=2の敵、お前がキルヒアイスを殺した。お前が俺からキルヒアイスを奪った……。

これまで俺の望みは皇帝になり、姉上を救い出す事だった。だがもう一つ望み、いや義務が出来た。ヴァンフリート4=2の敵、お前を殺すことだ。そしてその首をキルヒアイスの墓前に供える。その時、俺は心からキルヒアイスのために泣けるだろう……。




 

 

第十九話 帰還

宇宙暦 794年 5月 23日  ハイネセン 統合作戦本部 本部長室  アレックス・キャゼルヌ



「状況は理解している。ミハマ中尉からの報告書を読んだ。酷い事になったようだな」
シトレ本部長が低い声で問いかけて来た。本部長室には本部長と俺の他にヤンとバグダッシュ少佐がいる。

ヴァンフリート星域の会戦後、バグダッシュ少佐はミハマ中尉に報告書を書かせた。ハイネセンで戦争準備をするところを起点とした報告書だ。戦闘詳報ではない、ヴァレンシュタインの行動記録と言って良い。その報告書は今、本部長の机の上に有る。

「申し訳ありません、どうやら酷い勘違いをしたようです。ヴァレンシュタイン少佐はブラウンシュバイク公とは無関係でした……」
バグダッシュ少佐が頭を下げた。

「気にしなくて良い、勘違いかもしれんが今となっては彼を帝国に帰せないのは事実なのだ。それよりヤン中佐、例の一時間だが本当に故意ではないんだね」
シトレ本部長の言葉にヤンが顔を顰めた。

「故意では有りません。本当に第五艦隊司令部の幕僚に反対されたんです。ただ……」
「ただ?」

「私は強く勧めなかった。ヴァレンシュタイン少佐が膨大な兵器を基地に持ち込んだのを知っていました。だから簡単に基地が落ちる事は無いと思ったんです。何処かで甘く見ていたんでしょう。彼が怒ったのもおそらくその辺りを察したんだと思います」

シトレ本部長はヤンの言葉にゆっくりと頷いた。
「分かった。故意ではないのなら問題は無い。後は中佐がヴァレンシュタイン少佐の信頼をどうやって勝ち取るかだ。彼とはこのままの関係で良いというなら別だが」

ヤンが顔を顰めた。対人関係を築くのはヤンがもっとも苦手とする分野だ。本部長もそれを知っている。なかなか意地の悪い事だ。

「ところで今回の戦いだが、ヴァレンシュタイン少佐をどう思った」
シトレ元帥の言葉に皆が顔を見合わせた。そしてバグダッシュ少佐が咳払いをして話し始めた。

「情報部は大騒ぎですよ。余りにも帝国軍の内情に詳しすぎる。もう一度彼を調べ、帝国の内情を調べるべきだ、そんな声も出ています」
バグダッシュ少佐の声にシトレ元帥が含み笑いを漏らした。

「話にならんな、ヴァンフリートの英雄を取り調べる? 気が狂ったかと言われるだろう」
シトレ本部長の言葉にバグダッシュが肩を竦めた。周囲から苦笑が漏れる。

「正直言って神がかっていますよ。何故あそこまで予測できるのか……、味方でさえ恐ろしく思うんです、敵にしてみれば恐怖以外の何物でもないでしょう。情報部が彼を取り調べろというのも無理はありません」

「その気持は良く分かる。後方勤務本部にいた時も似たような思いをした。何故そこまで分かるのか? どうしてそれを知っているのか? そうだろうバグダッシュ少佐」
俺の言葉にバグダッシュが頷いた。

「ヤン中佐、貴官はどう思う?」
シトレ本部長の言葉にヤンは躊躇いがちに口を開いた。
「私は、ヴァレンシュタイン少佐は帝国に協力者がいるんじゃないかと考えています」

協力者、その言葉に皆が顔を見合わせた。
「一時間遅れた……。おかしいんです、あの言葉は第五艦隊の動きだけじゃない、帝国軍の行動も知っていなければ出ない言葉です。協力者から情報を得た、そう考えれば彼の神がかり的な予測も説明できます」

バグダッシュが首を振っている。有り得ないということなのか、それとも別に意味があるのか……。
「私が気になるのは少佐が門閥貴族を打倒しようと考えていた事です。少佐は反帝国活動グループの一員なのかもしれない……」

ヤンが俺を見ている。なるほど、そういう事か……。かつてヤンはブルース・アッシュビー元帥の事を調べた。その時アッシュビー元帥が帝国の共和主義者から情報を得ていたと推測した。元帥の華麗な勝利はその情報があったからだと……。元帥の死後、その情報網がどうなったかは誰も分からない。つまりヴァレンシュタインはその情報網の、或いは似たような組織のメンバーという事か……。

「有り得ませんね、ヤン中佐。私もミハマ中尉もずっとヴァレンシュタイン少佐と一緒に居ました。彼が外部と連絡を取り合った形跡は無いんです」
「……」
ヤンが不満そうに顔を顰めた。納得がいかないのかもしれない。確かにヤンの推理には問題点が有る。ヴァレンシュタインの神がかり的な予測は帝国だけに対してではない、同盟に対しても行なっている。

「彼が有能である事には疑問は無いんだな?」
シトレ本部長の言葉に皆が頷いた。
「ならば彼の言っていたミューゼル准将の事だが何か分かったかね?」

皆の視線がバグダッシュ少佐に向かった。
「ラインハルト・フォン・ミューゼル准将、皇帝フリードリヒ四世の寵姫、グリューネワルト伯爵夫人の弟です。現在十八歳、若すぎる年齢から彼の出世はグリューネワルト伯爵夫人が後ろ盾になっているのだろうと情報部は考えていました」

バグダッシュの言葉に皆が頷いている。
「今回、改めて調査課が彼について調べました。彼は軍幼年学校を首席で卒業しています。それ以後も常に戦場に出ている、武勲を上げて出世をしているんです。少佐の言うように天才かどうかは分かりませんが、無能ではないのは事実です。注意する必要があるでしょう……」




宇宙暦 794年 5月 24日  ハイネセン   ミハマ・サアヤ


私達が第五艦隊と共にハイネセンに戻ったのは五月二十一日の事です。首都星ハイネセンはヴァンフリート星域の会戦の勝利で歓喜の嵐の中にありました。無理もないと思います、帝国との戦争は百五十年も続いていますがその中で勝敗が明確についた戦いよりつかなかった戦いのほうが多いのです。

前回、アルレスハイム星域の会戦でも同盟軍が圧倒的な勝利を収めましたが、あれは遭遇戦でしかも会戦の規模は両軍合わせても一万五千隻程です。政府や軍は大勝利と宣伝しましたが同盟市民にとってはそれほど感銘を受けるものではなかったでしょう。むしろサイオキシン麻薬を使った帝国の陰謀を打ち破った戦い、というのが同盟市民の一般的な受け取り方です。

それに比べれば今回は両軍合わせて約六万隻の艦隊がヴァンフリート星域で対決したのです。そして帝国側は基地の存在を知らなかったようですが同盟側の目的ははっきりしていました。

基地を守り次のイゼルローン要塞攻略へ繋げる、言わば第六次イゼルローン要塞攻略戦の前哨戦と認識していたのです。この会戦の結果次第では第六次イゼルローン要塞攻略戦は延期という事もあったはずです。

しかしヴァンフリート星域の会戦は同盟軍の大勝利で終わりました。ヴァンフリート4=2の基地は守られ最終的には帝国軍は五割近い損害を出して敗北したのです。

この会戦の勝利の立役者は間違いなくヴァレンシュタイン少佐です。少佐の存在無しではヴァンフリート星域の会戦はどうなっていたか……。基地は破壊され同盟軍は敗北していたかもしれません。

ハイネセンのマスコミはヴァレンシュタイン少佐の活躍、孤立した基地を守り味方増援が来てから反撃した沈着さと用意周到さを絶賛しています。そして少佐を登用したシトレ元帥の識見をこれでもかというほどに賞賛しています。もっとも今回は少佐がマスコミに答える事はありません。体調不良ということで全て断わっています。

ヴァレンシュタイン少佐は第五艦隊旗艦リオ・グランデに居る間、貧血で倒れました。リオ・グランデの軍医の診断によれば原因は睡眠不足と栄養失調だそうです。しばらくは安静にする必要があるとの事でした。そしてハイネセン到着後は市内の軍中央病院で入院しています。

今、私の目の前にはベッドに横たわる少佐がいます。顔色はよく有りません、蒼白い顔をしています、呼吸も浅く少し苦しそうです。疲れているとは思っていました、でも倒れるほどに追い詰められているとは思っていませんでした……。

“貴官らの愚劣さによって私は地獄に落とされた。唯一掴んだ蜘蛛の糸もそこに居るヤン中佐が断ち切った。貴官らは私の死刑執行命令書にサインをしたわけです。これがヴァンフリート星域の会戦の真実ですよ。ハイネセンに戻ったらシトレ本部長に伝えて下さい、ヴァレンシュタインを地獄に叩き落したと”

あの時の少佐の言葉が胸に刺さったまま取れません。少佐の言ったことが真実なのかどうかは分かりません、或いは少佐の勘違いなのかもしれないと思います。ですが少佐が地獄に叩き落されたと信じているのは事実です。

あと一時間、一時間早く第五艦隊がヴァンフリート4=2に来ていれば……。言っても仕方ない事ですがそう思わざるを得ません。たった一時間です、その一時間が少佐を絶望させている……。

あれ以来、少佐は私達を以前にも増して避けるようになりました。いえ、一人でいる事を望みました。そしてハイネセン到着間際になって、姿が見えないこと、艦内放送での呼び出しにも答えない事から艦内を捜索した結果、部屋で倒れている少佐を発見したのです。

倒れている少佐を見たとき、私は足が竦んで動けませんでした。少佐が自殺したのではないかと思ったのです。バグダッシュ少佐に叱責され、ようやく少佐の傍に行く事が出来ました……。

どうすれば少佐を絶望から助けられるのか……。いくら信じてくれと言っても少佐の言う事が真実なら同盟は取り返しのつかない過ちを犯した事になります。簡単に許してくれるとは思えません。それを思うと溜息しか出ない……。

「何か用ですか、中尉」
いつの間にか少佐が眼を覚ましていました。ベッドに横たわったままこちらを見ています。笑顔はありません、ですが声をかけてくれるだけましです。

「少佐の昇進が決まりました。それをお知らせしようと思ったのです」
「……昇進ですか」
皮肉を帯びた口調でした。内心、気持が萎えかかりましたがこの程度で挫けていては少佐の信頼を取り戻すなど夢物語でしょう。

「少佐は大佐に昇進します。明日の九時に中佐に、そして午後一時に大佐に昇進するそうです。おめでとうございます」
「……」
少佐は少しも感情を見せませんでした、無表情なままです。喜ぶとは思いませんでしたが少しくらい驚いてくれたら……、内心で溜息を吐きました。

銀河帝国では大きな武勲を上げた軍人に対して時折二階級昇進があるそうです。ですが自由惑星同盟では二階級昇進は戦死者に対してのみ行なわれます。生者に対しては行なわれません。ですから今回のように時間をずらして昇進させます。

もっともこんな事は極めて異例です。以前、こんな形で二階級昇進したのはヤン中佐だけです。エル・ファシルで民間人三百万人を救った事に対して行なわれました……。

同盟軍が今回の少佐の働きをどれだけ高く評価しているかが分かります。もっとも昇進すればさらに戦場に出る事になるでしょう、少佐はその事を考えているのかもしれません。であれば喜べないのも無理はありません。

「私も昇進する事になりました。明日付けでミハマ大尉になります」
「……おめでとう」
「有難うございます! 少佐」

小さな声でした、何処か投げやりな感じにも聞こえましたがそれでも祝ってくれたのです。思いっきりお礼を言いました。少佐は今度は苦笑していました。馬鹿みたいだけどとっても嬉しかった。

「少佐は昇進と共に異動になります。今度の配属先は宇宙艦隊司令部の作戦参謀です。私も同じところに配属が決まりました」
「……」
「最初の任務はイゼルローン要塞攻略戦になるそうです」

少佐は無言でした。軍の上層部は少佐を前線に送ろうとしています。ある意味止むを得ない部分もあるのです。少佐を後方勤務本部に置けば何故軍はヴァンフリートの英雄を前線に出さないのかと市民の批判を受けるのは間違いありません。

前線に行くとなれば宇宙艦隊司令部というのは比較的安全な場所です。ただヴァレンシュタイン少佐にとって居心地は良くないかもしれません。私にとってもです。

今回のヴァンフリート星域の会戦で全く活躍しなかった人物が二人います。一人は第六艦隊司令官ムーア中将、そしてもう一人は宇宙艦隊司令長官ロボス元帥です。

開戦直後、繞回進撃を試みた事で同盟軍は混乱しました。その混乱の中で第五艦隊のビュコック提督、第十二艦隊のボロディン提督はヴァンフリート4=2に来援、帝国軍を撃破しました。ですがその間、第六艦隊司令官ムーア中将とロボス元帥はヴァンフリート星域を当ても無く彷徨っていたのです。

当然ですがロボス元帥に対する評価は散々なものです。
“迷子の総司令官”
“総司令官が居ないほうが同盟は勝てるんじゃないか”
戦争そのものは勝ったので進退問題にはなりませんが周囲からは笑われています。

大勝利だったのです。もしヴァレンシュタイン少佐が基地に居らず、ロボス元帥が宇宙艦隊を率いてヴァンフリート4=2に来援していれば、帝国軍を撃ち破っていれば、ロボス元帥の功績として認められたでしょう。その場合、シトレ元帥は勇退しロボス元帥の統合作戦本部長への昇進も認められたかもしれません。

しかし、現実にはヴァンフリート星域の会戦の勝利の立役者はヴァレンシュタイン少佐です。当然ですが少佐を登用したシトレ元帥の立場は強化されました。ロボス元帥にとってヴァレンシュタイン少佐は目障りなシトレ元帥の手下にしか見えないと思います。

少佐も同じような事を考えたのでしょう。呟くように声を出しました。
「ライバル争いですか、馬鹿馬鹿しい。いい迷惑だ」
「……少佐、イゼルローン要塞は攻略できますか?」
「……」

私の問いに少佐は無言でした。黙って天井を見ています。
「少佐はイゼルローン要塞は後方に一つぐらい基地が有ったからといって落ちる程ヤワな要塞じゃないと仰いました。やはり無理なのでしょうか?」
「……」

答えは有りません、やはり無理なのか、それとも答えたくないのか……。諦めて帰ろうとしたときです。
「イゼルローン要塞攻略のカギを握るのは同盟では有りません、帝国でしょう」
「……」

カギを握るのは帝国? どういう意味なのか……、聞こうと思った時には少佐は目を閉じていました……。





 

 

第二十話 マルコム・ワイドボーン

帝国暦 485年 6月25日  オーディン  ラインハルト・フォン・ミューゼル



軍務省人事局に行くと新しい人事を言い渡された。帝国宇宙艦隊総司令部付、それが新しい役職だった。いや、正式には役職とは言えない。所属が明確になっただけだ。だが俺は満足している。これは次の征戦までの臨時の席だからだ。つまり、俺は次の戦にも参加できる……。

イゼルローンからオーディンに戻ったのが六月十日、そして今が二十五日。この二週間は良く分からないうちに過ぎた……。最初にした事はキルヒアイスの両親に会うことだった。

二人とも既にキルヒアイスの死を知っていた。まだ二人とも五十歳前後のはずだが俺には六十近い老人に見えた。怒鳴られても仕方ない、殴られても仕方ない、そう思っていた。俺がキルヒアイスをこの二人から奪った。俺が誘わなければキルヒアイスは軍人にはならなかっただろう。学校の教師か、或いは官史か……。戦死する事も無かったはずだ。

二人は俺を責めなかった、泣くことも無かった、ただキルヒアイスの話を聞きたがった。家を辞去する時、最後に両親はキルヒアイスの遺体はどうなったのかと訊いてきた。答えられなかった、ただ黙って俯く俺の耳に母親の泣き声と父親が慰める声が聞こえた……。

姉上には会えない。皇帝の寵姫である姉上には皇帝の許しが要る。だが今は許しが無い事が有り難い。一体姉上になんと言えば良いのか……。その日が来れば俺は姉上の前で何も言えずに俯いているかもしれない……。

「ミューゼル准将」
「リューネブルク准将……」
気がつくと軍務省を出るところだった。リューネブルクが片手を上げてこちらに近付いて来た。いつの間にか考え込んでいたらしい。最近そういう事が多い……。

並んで歩き出す、リューネブルクが話しかけてきた。
「新しい人事が出たそうだな」
「ああ、帝国宇宙艦隊総司令部付。どうやら次の征戦にも参加できそうだ」
「俺もだ、イゼルローン要塞への出兵を命じられた」
「そうか」

反乱軍はイゼルローン要塞攻略を考えているらしい。ヴァンフリート星域の会戦で勝利を収めた事で意気が上がっている。一気に要塞を攻略しようというのだろう。

「ミュッケンベルガー元帥も正念場だな、イゼルローンにはオフレッサー上級大将も行くそうだ」
「……」
オフレッサー……、あの人を殺すしか能の無い野蛮人もか。

稀に見る大敗、そしてグリンメルスハウゼン子爵の戦死。当然だがミュッケンベルガー元帥の進退問題が浮上した。だが反乱軍がイゼルローン要塞攻略を考えている、その事がミュッケンベルガーの首を繋いだ。

現時点での宇宙艦隊司令長官の交代は敵を利するのみ……。軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥、両者の弁護が有ったと言われている。ミュッケンベルガーの責が問われなかった事は俺達の責任問題にも影響した。責任を問わず、次の会戦で雪辱させるべし……。当然武勲を上げなければ今度は責任を問われるだろう。ミュッケンベルガーも俺達も……

「ヴァンフリート4=2の敵のこと、聞いたか?」
「いや」
「情報が遅いな」
「……」

情報が遅い、耳が痛い言葉だ。分かっている、キルヒアイスが居なくなった所為だ。これまではキルヒアイスが俺を助けてくれた。だが今では全てを自分でやらなければならない。その事の弊害が出ている。早急に有能で信頼できる副官が要る。しかし、そんな人物が居るのか……。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタインがあの基地に居たそうだ」
「ヴァレンシュタイン……、あの男が……」
「? 会った事でもあるのか?」
リューネブルクが訝しげな表情で尋ねてきた。

「一度見た事が有る、第五次イゼルローン要塞攻防戦で一緒だった。イゼルローンへは補給状況の査察で来ていたと聞いている」
「なるほど、その時に亡命したか」
リューネブルクが二度、三度と頷いている。

「反乱軍の並行追撃作戦を見破って要塞司令官クライスト大将、駐留艦隊司令官ヴァルテンベルク大将に進言したらしい。もっとも二人は無視したと聞いているが……。兵站出身なのに出来る男が居るものだと思った。あの男がヴァンフリート4=2に……」

「おい、ミューゼル」
「?」
肩をリューネブルクに掴まれた。リューネブルクが厳しい顔をしている。

「ヴァレンシュタインが反乱軍の並行追撃作戦を見破った、というのは本当か?」
「ああ、そう聞いている」
益々表情が厳しくなった。

「余りその事は言わんほうが良いぞ」
「?」
「あの亡命には不審な点があると聞いた事がある。ある士官を殺害して逃げたらしいがその理由がはっきりしないらしい。あるいは口封じだったのかもしれん」

リューネブルクの声が小さくなった。口封じ? クライスト、ヴァルテンベルクの二人が隠蔽工作を行ったという事か?
「並行追撃作戦の可能性を知りながら無視した。それによって味方殺しが発生した。それが上に知られれば……。分かるだろう?」

「クライスト、ヴァルテンベルク大将はあの後、味方殺しの責任を取らされてイゼルローン要塞の防衛から外されている。考えすぎだと思うが?」
「並行追撃作戦の可能性を指摘した士官が居るとは聞いていない。それが事実なら軍法会議ものだぞ」

「……」
「ありえない話じゃない、あまり周囲には話さんことだ」
「分かった、気をつけよう」

リューネブルクは頷くと肩から手を離した。ヴァレンシュタイン、たとえどんな理由があろうとキルヒアイスを殺したのはお前だ。そのことは変わらない、俺は必ずお前を殺す……。



宇宙暦 794年 7月10日  ハイネセン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


ヴァンフリート星域の会戦の勝利で大佐に昇進した。俺以外にもサアヤ、バグダッシュ、ヤンが一階級昇進している。ビュコック、ボロディンも昇進した。残念だったが、いや当然なのかもしれないがムーアは昇進しなかった。

他にもローゼンリッターやセレブレッゼ中将が昇進している。まあヴァンフリート星域に行った連中は一握りを除いて昇進したという事だ。意外なところではキャゼルヌが昇進している。俺の戦争準備はその殆どをキャゼルヌが手配した。その事が評価されたらしい、まあ妥当なところだろう。

俺は六月の五日から宇宙艦隊司令部に出仕した。宇宙艦隊司令部は今第六次イゼルローン要塞攻略戦に向けて準備を進めている。司令部の参謀チームは膨大な人数になっている。俺とサアヤの他にもバグダッシュも参加している。百人を超えるだろう。

前回のヴァンフリートでロボスはドジを踏んでいる。それもあって参謀はかなり多めに集められたようだ。原作でも九十人近く集められたがそれより多い。余程ロボスが心配なのだろう。参謀チームのトップはドワイト・グリーンヒル大将だが、まあこれは原作どおりだ。

いろんな所で原作とは差異が出ている。この差異がこれからの未来にどういう変化をもたらすかだが、はっきりいって分からん。ロボスの影響力が原作より低下しているし、ビュコック、ボロディンが大将になっている。

帝国もだ、どうやらミュッケンベルガーは失脚はしなかったようだが、やはり影響力の低下は否めないだろう。ラインハルトも昇進は出来なかったはずだ。これがこの先どう影響するか……。

ラインハルトがこのまま終わるとは思えない、終わるはずが無い。キルヒアイスが死んだことで精神的な自立が早まるかもしれん。となると原作より昇進は遅くなるかもしれんが、より手強くなる可能性は十分にある。

それとラインハルトの目が外に向く事になるだろう。これまではキルヒアイスに頼りがちだったが、彼を失った以上、それに代わる人材を求めるはずだ。原作より早い時点で彼の下に人材が集まる可能性がある。

厄介だな、より手強く、地に足をつけたラインハルトか……。とてもではないが勝てる気がしない。ラインハルトが病死するのが二十五歳、あと七年もある。滅入る一方だ……。

頭を切り替えよう、参謀は百人は居るのだが俺が居る部屋には三人しか居ない。俺とサアヤとヤンだ。部屋が狭いわけではない、少なくともあと五十人くらいは入りそうな部屋なのだが三人……。滅入るよな。

想像はつくだろう。ロボス元帥に追っ払われたわけだ。彼はヴァンフリートで俺達に赤っ恥をかかされたと思っている。バグダッシュは相変わらず世渡り上手なんだな、上手い事ロボスの機嫌を取ったらしい、あの横着者め。グリーンヒル参謀長は俺達のことをとりなそうとしてくれたようだが無駄だった。

心の狭い男だ、ドジを踏んだのは自分だろう。それなのに他人に当たるとは……。宇宙艦隊司令長官がそれで務まるのかよ。笑って許すぐらいの器量は欲しいもんだ。

まあ、俺も他人の事は言えない。今回はヤンにかなり当り散らした。分かっているんだ、ヤンは反対されると強く押し切れないタイプだって事は。でもな、あそこまで俺を警戒しておいて、それで約束したのに一時間遅れた。おまけに結果は最悪、そのくせ周囲は大勝利だと浮かれている。何処が嬉しいんだ? ぶち切れたくもなる。

しかしね、まあちょっとやりすぎたのは事実だ、反省もしている。おまけにロボスに疎まれて俺と同室になった。ヤンにしてみれば踏んだり蹴ったりだろう。悪いと思っている。

おかげで今、凄くこの部屋に居づらい。仕事があれば良いんだが仕事なんてものは無い。つまり、男女三人がする事も無く気まずい雰囲気の中、部屋にいることになる。

仕方が無いんで俺は弁護士の勉強をしている、ヤンは紅茶を飲みながら本を読むか、昼寝だ。サアヤはする事も無くボーッとしている。まあ和解のメッセージじゃないが俺は毎日クッキーを作っている。

サアヤは喜んでいるし、ヤンもクッキーを食べながら紅茶を飲んでいる。会話など殆ど無いが冷戦ではないし熱戦でもない、強いて言えば雪解け間近、そんなところか。雪崩が起きないようにしたいもんだ。

ドアが開く音がした。バグダッシュだろう、奴は時々情報収集をして来たと言って要塞攻略戦の準備状況を教えてくれる。それによれば八月の初旬には出兵する事になるらしい。

「ヴァレンシュタイン大佐、あー、その、クッキーを貰っても良いかな」
「……」
目の前に居たのはバグダッシュではなかった。マルコム・ワイドボーン大佐、ヤンとは士官学校の同期生で十年来の秀才といわれた男だ。

こいつ、甘党か? そんな感じには見えんがな。背も高いし、がっちりしている。眉は太いし、どちらかと言えば男くさい顔立ちなんだが、それがクッキー?
「駄目か?」

こいつも本当ならどっかの艦隊の参謀長になっているはずなんだが、司令部に参謀として召集されている。原作だと今度の第六次イゼルローン要塞攻略戦でラインハルトの前に敗れて戦死するんだが……。

「私は構わない、後はその二人に訊いてください」
俺はヤンとサアヤを見た。二人とも顔を見合わせてからワイドボーンに頷く。それを見てワイドボーンがクッキーに手を伸ばした。

「美味いな、貴官が作ったクッキーは美味いと聞いていたが、本当だ。やはり仕事をして疲れたときには甘いものが一番だ」

こいつ喧嘩売ってんのか? 俺は構わんがヤンとサアヤにとっては嫌味にしか聞こえんぞ。さっさとクッキー食ったら帰れ。
「酷いです、ヴァレシュタイン大佐。何故私を見るんです」

サアヤが口を尖らせて抗議してきた。俺が誰を見ようと俺の勝手だろう。なんだってそんなに過剰に反応するんだ。
「……別に」



宇宙暦 794年 7月25日  ハイネセン 宇宙艦隊司令部 ミハマ・サアヤ


暇です、毎日が暇です。宇宙艦隊司令部に配属されてから暇な日が毎日続いています。私達に仕事はありません、ロボス元帥が“あいつらは居ないものと考えろ”そう言ったそうです。

広い部屋に私とヤン大佐とヴァレンシュタイン大佐の三人、最初は凄く気まずかったです。ヤン大佐も困惑していました。平然としていたのはヴァレンシュタイン大佐だけです。相変わらず無表情で弁護士の勉強をしています。

それでも今回は毎日クッキーを焼いてくれます。同じクッキーが二日続く事はありませんから気を遣ってくれているのでしょう。ヤン大佐も“気を遣っているみたいだね”と言っています。会話は有りませんが穏やかな日が続いています。

最近ではワイドボーン大佐がこの部屋に毎日来ます。クッキーを食べに来るんですが、私の見るところ目的はそれだけではありません。ヴァレンシュタイン大佐に関心が有るようです。

最初にこの部屋に来た時、クッキーを食べた後ワイドボーン大佐はヴァレンシュタイン大佐にシミュレーションをしようと言い出しました。そのときのヴァレンシュタイン大佐の返事は酷いものでした。

“貴官は将来、なんになりたいのです”
“もちろん宇宙艦隊司令長官を経て統合作戦本部長だな”
“シミュレーションに拘るから艦隊司令官かと思いましたよ”

ワイドボーン大佐は憮然としヤン大佐は苦笑、そしてヴァレンシュタイン大佐は面白くもなさそうな表情で勉強をしていました。相変わらず大佐は性格が悪いです。なんであんなに美味しいクッキーが作れるんだろう?

手酷くあしらわれたんです、もう二度とワイドボーン大佐は来ないと思いました。でもそれから大佐は毎日来ます。クッキーを食べた後、何かとヴァレンシュタイン大佐に話しかけてきます。そして素気無くあしらわれてヤン大佐に笑われている。

ワイドボーン大佐が帰った後の私とヴァレンシュタイン大佐の会話です。
“空気を読めない人だ”
“嫌いなんですか? ワイドボーン大佐が”
“……背の高い男に見下ろされるのは嫌いなんです”
その瞬間私とヤン大佐は笑い出し、ヴァレンシュタイン大佐に睨まれました。

「よう、元気か」
ワイドボーン大佐が来ました。ヴァレンシュタイン大佐は関心がないように勉強しています、いつもの事です。私とヤン大佐は顔を見合わせ苦笑しました、これもいつもの事です。

ワイドボーン大佐は段ボール箱を抱えていました
「どうしたんだい、ワイドボーン、その箱は?」
「荷物だ、今日からおれも席はこっちになった」
「はあ?」

ヤン大佐とワイドボーン大佐が話しています。でも意味が良く分かりません。ヴァレンシュタイン大佐も眉を寄せてワイドボーン大佐を見ています。

「ロボス元帥は俺がちょくちょくこっちに来ている事が気に入らないらしい。そんなに気になるのなら向こうに行ってはどうかと言われた」
「それで」

「分かりました、行かせて貰います。そう言ったよ」
ワイドボーン大佐が胸を張りました。ヤン大佐は呆れたような顔を、ヴァレンシュタイン大佐は口をへの字に曲げました。

「まあ、向こうに居るよりこっちのほうが楽しそうだしな」
「楽しそうって、貴官はヴァレンシュタイン大佐に相手にされていないだろう」
呆れたようにヤン大佐が言っています。私も全く同感です。

「本当は俺と仲良くしたいんだ、ツンデレなのさ。そうだろう、ヴァレンシュタイン大佐?」
「……自信過剰と馬鹿は同義語だ……」
「まあそういうわけだ、よろしく頼む」

変な人です、ヴァレンシュタイン大佐もヤン大佐も呆れたような表情をしています。士官学校を首席で卒業、十年来の秀才って本当でしょうか? ヴァレンシュタイン大佐の言うとおり、全く空気の読めない人です。たとえ将来性は有望でも絶対彼氏にはしたくない、マルコム・ワイドボーン大佐はそんなタイプの男性でした……。



 

 

第二十一話 作戦計画書

宇宙暦 794年 7月26日  ハイネセン 宇宙艦隊司令部 ミハマ・サアヤ


「ちょっとこれを見てくれないか」
ワイドボーン大佐が私達にA4用紙十枚程の文書を渡しました。表紙には「第六次イゼルローン要塞攻略作戦」と書いてあります。

思わず私は周囲を見ました。ヤン大佐は困惑していますが、ヴァレンシュタイン大佐は興味なさそうです。一瞬視線を文書に向けましたが、直ぐ司法試験の参考書に戻しました。

「良いのかい、こんな物を見せて。極秘だろう?」
「宇宙艦隊司令部の中で作戦参謀が見ているんだ、問題ないさ」
「なるほど、そう言えば作戦参謀だったか……」

ヤン大佐が納得したように頷いています。ワイドボーン大佐の言う通りです。私達は作戦参謀でした、名前だけですけど。
「まあ、ちょっと見てみようか」

ヤン大佐が声をかけてきました。私にというよりヴァレンシュタイン大佐に対してだと思います。大佐もそれが分かったのでしょう。一つ溜息を吐くと無言で計画書を手に取り、読み始めました。

ヤン大佐が私を見て笑みを浮かべました。“素直じゃないね”でしょうか、それとも“困ったものだね”でしょうか。ヤン大佐とヴァレンシュタイン大佐の関係はヴァンフリート星域の会戦直後から比べるとかなり良好になりました。

会話を交わすわけでは有りませんが、相手を避けるようなそぶりは有りません。少しずつですが良い方向に向かっていると思います。このまま良い方向に向かってくれれば……。あとはあのミューゼル准将の事が大佐の思い過ごしであることを祈るだけです。私もちょっと笑みを浮かべてから計画書を読み始めました。

読み出すにつれ、ドキドキしました。作戦計画書なんて読むのは初めてです。しかも第六次イゼルローン要塞攻略作戦、味わうようにじっくりと読みました、楽しいです。ところが私が半分も読み終わらないうちにパサッという音が聞こえました。

不審に思って音のした方を見るとヴァレンシュタイン大佐が作戦計画書をテーブルに置いた音でした。もう読み終わった? 私が半分も読み終わらないのに? 大佐は無表情にテーブルの上の作戦計画書を見ています。

私も驚きましたがヤン大佐もワイドボーン大佐も驚いています。顔を見合わせているとヴァレンシュタイン大佐がこちらを見ました。
「読みましたよ、ちゃんと」
「わ、分かった、こっちも急いで読もう」
「その必要は有りません。ゆっくり読んでください」

ヴァレンシュタイン大佐がヤン大佐と話しています。ゆっくり読んで良いと言われましたが、とてもそんな事は出来ません。大急ぎで残りを読みました。読み終わったのはヤン大佐と殆ど同時だったと思います。

私達が読み終わったのを見てワイドボーン大佐が話しかけてきました。
「で、この作戦計画だがどう思った?」
「悪くないね」
「悪くないか」
ヤン大佐が頷きました。

悪くない? そうでしょうか? 私には良く分かりません。ミサイルでイゼルローン要塞に穴を開けるなど簡単に出来るのか? 帝国軍がそれをやすやすと許すのか? ちょっと質問したいと思いましたが、気が引けました。

なんと言ってもこの部屋に居るのはヴァンフリートの英雄、エル・ファシルの英雄と士官学校で十年に一人の秀才と言われた人物達です。お馬鹿な質問をしたら笑われるでしょう。もっともヴァンフリートの英雄は今ひとつやる気が見えませんが……。

「ミハマ大尉、納得がいかないという顔をしているな」
「あ、それは……」
「構わんよ、疑問があるなら言うと良い」
ワイドボーン大佐が質問を促がします。私なんかが話して良いのかどうか、迷いましたが思い切って聞きました。

「総司令部は艦隊主力を囮にしようとしているんですよね」
「うむ、そうなるな」
ワイドボーン大佐が答えてくれます。そしてヴァレンシュタイン大佐は無言のままです。話を聞いているのかどうか……。

「そんな簡単に帝国軍がこちらの思い通りに引っかかるんでしょうか? よく分からないんですが……」
ワイドボーン大佐とヤン大佐が顔を見合わせました。ヤン大佐が一つ頷いて話しを始めました。

「イゼルローン要塞攻略の鍵は要塞主砲(トール・ハンマー)を使用させない事、或いは無力化する事、この二点をどうやって実現するかだった。第五次イゼルローン要塞攻防戦で行なわれた並行追撃作戦もそこから来ている」
ヤン大佐の言葉にワイドボーン大佐が頷いています。

「あの作戦は帝国軍の味方殺しの前に潰えたが、あれは同盟だけじゃない、帝国にとっても悪夢だっただろう。二度と繰り返したくは無いはずだ……」
「うむ」

私もあの戦いの事は聞いています。もう少しでイゼルローン要塞に攻め込める、そう思ったときに帝国軍は要塞主砲(トール・ハンマー)、で味方の帝国軍艦艇ごと同盟軍を吹き飛ばしたのです。同盟軍は余りの凄惨さに攻撃を断念したと言われています。

「当然だが今回同盟軍が攻め寄せれば帝国軍はイゼルローン要塞のメイン・ポートの正面に配置されたこちらの主力艦隊の動向に注目する、並行追撃作戦を恐れてね。その分だけミサイル艇に対する帝国の注意は薄れるだろう。相手の恐怖心を煽る事で他への注意を逸らす、狙いとしては悪くないのさ……」

なるほど、と思いました。私はイゼルローン要塞攻防戦には参加した事が有りませんし、実戦経験も少ないです。おまけに戦いはいつも勝ち戦で酷い経験をした事が有りません。

ですから並行追撃作戦に、味方殺しに対して帝国軍がどんな感情を持っているのか、今ひとつ分かりませんでした。ヴァレンシュタイン大佐から地獄だと言われましたが、その地獄というのが戦争にどういう影響を与えるのかが分からなかったのです。作戦計画書にもその辺りを書いてくれればもっと分かり易いのに……。

「上手く行けば、こじ開けた穴に強襲揚陸艦を付け陸戦隊を送り込む。要塞内部を制圧しようという訳だが……」
「当然帝国軍が許すわけがない。彼らは慌ててミサイル艇と強襲揚陸艦を排除しようと艦隊を動かすはずだ。その艦隊をミサイル艇と主力部隊で挟撃できれば面白い事になる、そうだろう、ヤン」

凄いです、ようやく私にも分かってきました。もしかすると、本当にイゼルローン要塞を落とす事が出来るかもしれません。私は疑問を解いてくれたヤン大佐とワイドボーン大佐を感動して見ていました。

そしてヴァレンシュタイン大佐は……、相変わらず無関心、やる気ゼロです。何考えてるんだろう、こんな凄い作戦を聞いても感動しないなんて、不貞腐れているのでしょうか? いい加減にして欲しいと思います。

「ヴァレンシュタイン大佐、貴官はどう思う?」
ヤン大佐がちょっと躊躇いがちに声をかけました。ヴァレンシュタイン大佐はまだ一言も意見を述べていません。大体作戦計画書だって真面目に読んだのかも怪しいです。適当に答えて終わりにするつもりでしょう。聞くだけ無駄です。

ヴァレンシュタイン大佐が私を見て薄っすらと笑みを浮かべました! 怖いです、この笑みを大佐が浮かべると大体において碌な事が有りません。
“お前が何を考えたか、分かっているぞ”
とでも言っているようです。謝ります、私が間違ってました。だから笑うのは止めてください。

「ミハマ大尉、スクリーンにイゼルローン要塞を映してもらえますか」
「は、はい」
この部屋の正面には会議用の大スクリーンがあります。私は慌ててスクリーンを操作してイゼルローン要塞を映しました。五分くらいかかったと思います。手に汗がびっしょりです。

スクリーンにイゼルローン要塞が映るとヴァレンシュタイン大佐はスクリーンに向かいました。そしてスクリーンに付いている指示棒を手に取るとスクリーンのある部分を指しました。イゼルローン要塞の正面です。

「要塞主砲(トール・ハンマー)の射程範囲外ぎりぎりのラインに同盟軍艦艇が展開。帝国軍艦艇は同盟軍を要塞主砲(トール・ハンマー)の射程範囲内に引きずり込もうと同盟軍を挑発……」
「……」
部屋にヴァレンシュタイン大佐の声が流れます。ワイドボーン大佐もヤン大佐も難しい顔をしています。指示棒が別の場所を指し示しました。

「要塞主砲(トール・ハンマー)の死角からミサイル艇による攻撃、悪くありません。ミサイル艇は三千から四千隻程度でしょう。それ以上では帝国軍の注意を引く」
悪くありません? 脅かさないでください、もったいぶって!

「しかし、私ならこの位置に三千隻ほどの艦隊を置きます。それでこの作戦を潰せるでしょう」
思わずヴァレンシュタイン大佐を見ました。大佐は無表情にこちらを見ています。

「ミサイル艇を側面から攻撃、防御力の弱いミサイル艇はひとたまりも無い……。そのまま天底方面に移動、要塞主砲(トール・ハンマー)の射程範囲外に展開した同盟軍を攻撃する」

“うーん”という声が聞こえました。ヤン大佐です。
「それをやられると確かに拙いな」
「拙いのか?」
「ああ」
「……なるほど、確かに拙いな」

ヤン大佐とワイドボーン大佐が顔を顰めています。
「あの、何処が拙いんでしょう。相手は三千隻なんですから攻撃すればいいんじゃ……」

私の問いにヤン大佐が頭を掻きました。
「それが出来ないんだ。この攻撃を回避して敵を攻撃しようとすれば艦隊を移動させなければならない。そうすると要塞の主砲射程内に入ってしまうんだ」
「要塞主砲(トール・ハンマー)の一撃で勝負有りだな」
「同盟軍が後退すれば帝国軍主力部隊が追撃してくるだろう。同盟軍は正面と下から攻撃を受ける事になる」
「はあ、そんなあ」

思わず声が出ました。三千隻です。たった三千隻の小艦隊が有るだけで作戦が失敗? そんなの有り? 到底信じられません。いえ、それよりヴァレンシュタイン大佐です。なんでそんな事を考え付くの?

まともに作戦計画書を読んだとも思えません。それなのになんで? ヤン大佐もワイドボーン大佐も気の抜けたような顔をしています。そしてヴァレンシュタイン大佐は詰まらなさそうにスクリーンを見詰めている……。

こっちをやり込めて“どうだ”とでも得意げになるのなら、可愛げは有りませんが人間味は有ります。それなのに無表情で今にも“何処が面白いんです”とでも言い出しそうです。根性悪のサディスト! 同盟軍の敵は帝国じゃなく、ヴァレンシュタイン大佐のように思えてきました。 

「ヴァレンシュタイン大佐、帝国はそれに気付くかな?」
気を取り直したようにワイドボーン大佐が問いかけました。
「気付く人物は居るでしょう。ただ……、実施できるかどうか……」

ヴァレンシュタイン大佐は答えた後考え込んでいます。そんな大佐にヤン大佐が戸惑いがちに声をかけました。
「ああ、その、ミューゼル准将なら気付くかな?」

問われたヴァレンシュタイン大佐より私のほうがびっくりしたと思います。思わずヤン大佐とヴァレンシュタイン大佐を交互に見ていました。ヴァレンシュタイン大佐は私がキョロキョロしているのには気付かなかったようです。考え込みながらヤン大佐に答えました。

「間違いなく気付くでしょうね、気付かないはずが無い。ただ彼は前回の戦いで功績を挙げる事が出来なかった。昇進は出来なかったはずです。彼が率いる艦隊は二百隻程度でしょう。それでは気付いても脅威にはならない……」
「……」

「それに彼は周囲から孤立しています。彼の意見を上層部が簡単に受け入れるとは思えません。また周囲が彼に協力するとも思えない。油断は出来ませんが脅威は小さいでしょう……。それに今回の戦いに参加するかどうか……」

ヤン大佐とワイドボーン大佐が顔を見合わせました。今度はワイドボーン大佐が問いかけてきました。
「他に気付きそうな人物は?」
「……メルカッツ提督、かな。彼なら気付いてもおかしくない」

ヴァレンシュタイン大佐の言葉にワイドボーン大佐とヤン大佐がまた顔を見合わせました。そして躊躇いがちにワイドボーン大佐が口を開きました。
「メルカッツ提督か……。派手さは無いが堅実で隙の無い用兵をすると聞いている。ヤン、気付くかな?」
「ヴァレンシュタイン大佐の言う通り、気付いてもおかしくは無いだろうね」

ワイドボーン大佐が溜息を吐きました。
「まあ、俺が立てた作戦じゃないからな……、俺が落ち込んでもしょうがないんだが……」
その気持、とってもよく分かります。私だって落ち込んでいる。落ち込んでいないのは根性悪の大佐だけです。大きな声では言えないけれど、きっと先の尖った黒い尻尾が付いてるんです……。

「メルカッツ提督がイゼルローン要塞に来るとは限りません」
「?」
ワイドボーン大佐とヤン大佐が顔を見合わせています。根性悪の大佐は独り言を呟くように話を続けました。

「メルカッツ提督は軍上層部の受けが必ずしも良く有りません。特にミュッケンベルガー元帥との関係は良くない。用兵家としてはメルカッツ提督のほうが上だという評価が有りますからね。ミュッケンベルガー元帥が彼をイゼルローンに呼ぶかどうか……」
「……」

「彼の働きで勝つような事があるとミュッケンベルガー元帥の地位は益々低下しかねない。場合によっては地位を奪われる事もある」
「しかしミュッケンベルガー元帥にとっては今回の戦いは正念場のはずだ。多少の事には眼をつぶるんじゃないか?」

ヴァレンシュタイン大佐が薄っすらと笑みを浮かべました。拙いです、悪魔モード全開です。
「そうとも言えませんよ、ワイドボーン大佐。要塞攻防戦は圧倒的に守備側が優位なんです。メルカッツ提督の力など必要ない、そう思っても不思議じゃありません」

ワイドボーン大佐とヤン大佐がまた顔を見合わせました。これで何度目でしょう、一回、二回……、四回? 今日は顔を見合わせてばかりです。二人ともどう判断すべきか困っているのかもしれません。それよりどう考えても不思議です。どうしてヴァレンシュタイン大佐はそんなに帝国軍の内情に詳しいのか……。

帝国に居たからだけではないと思います。軍上層部の事とか人間関係とかどう考えても変です。兵站統括部の新米士官が何でそんなに詳しいの?

「ミサイル艇での攻撃は上手く行くかもしれません。しかし要塞内部の占拠は難しいと思いますよ」
「?」
またヴァレンシュタイン大佐が妙な事を言い出しました。

「イゼルローン要塞にはオフレッサー上級大将が来るはずです」
「オフレッサー!」
「あのミンチメーカーが? 冗談は止めてくれ」
二人の大佐がうんざりしたように声を上げました。私も内心うんざりです。

オフレッサー上級大将、帝国軍装甲擲弾兵総監、帝国の陸戦部隊の第一人者です。身長二メートル、三次元的な骨格を有する宇宙最強の野蛮人……、白兵戦、つまり肉弾戦で人を殺すことで帝国軍の最高幹部になった人です。どうして帝国って人間離れした人が多いんだろう、遺伝子操作とかしてるとか……。

「冗談じゃ有りません。オフレッサー上級大将とミュッケンベルガー元帥は比較的親しいんです。一つにはオフレッサーは地上戦の専門家ですからミュッケンベルガー元帥にとって競争相手にはならない。一緒に仕事がし易いんですよ」
「……」

「攻める事は向こうに任せてこっちは撤退の事を考えたほうが良いと思いますよ。多分落ちないでしょうから……」
げんなりしました。相変わらずの根性悪です。今から負けたときの準備だなんて……。

以前、ヴァレンシュタイン大佐が言った言葉を思い出しました。
“イゼルローン要塞攻略のカギを握るのは同盟では有りません、帝国でしょう”
確かにカギは帝国が握っているようです。

大佐は同盟軍の力では落ちないと見ています。落ちるとすれば帝国側の失敗があったときなのでしょう。気が重い戦いになりそうです……。


 

 

第二十二話 戦場を支配するもの

宇宙暦 794年 7月26日  ハイネセン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



だるい、はっきり言ってやる気が出ない。スランプって言うものが有るのなら今の俺は間違いなく大スランプだろう。理由は分かっている。自分のやっている事に自信が無いから、確信が持てないからだ。

ヴァンフリートに送られたときには歴史を変えても生き残ると意気込んだが、実際に変えてみても全然嬉しくない。分かっているんだ、俺は歴史を変えたんじゃない、歴史を壊したんだ。

ラインハルトが皇帝になり宇宙を統一する歴史を壊した。多少の流血はあるが宇宙が平和になる未来を壊したんだ。そして俺はそれに変わる未来を示せない。落ち込むよ、このままズルズルと百年、二百年と戦争が続く事になるんじゃないかという恐怖がある。

おまけにキルヒアイスを殺した。どうにも気が重い。ラインハルトも殺していれば気が晴れたかと何度も考えたが、どうもそうじゃないな。要するに俺はあいつらと戦いたくなかったんだろう。それなのに戦った、キルヒアイスを殺した……。

ラインハルトと戦いたくないな、勝てるわけないし、向こうは俺を殺す気満々で来るだろうし……。滅入るよ……。司法試験の勉強も全然進まない、参考書を開いているだけだ。勉強する振りをして落ち込んでいる……。

ワイドボーンが作戦計画書を持ってきた。上手く行かないだろうから退却戦の準備をしとけと言ったけど、何の意味が有るんだよ、馬鹿馬鹿しい。これから先何十年も戦争が続くかもしれないのに此処で犠牲を少なくする事に何の意味があるんだ?

ラインハルトが皇帝になれるか、宇宙を統一できるかだが、難しいんだよな。此処での足踏みは大きい。それに次の戦いでミュッケンベルガーがコケるとさらに帝国は混乱するだろう。頭が痛いよ……。俺、何やってるんだろう……。

おまけにヤンもサアヤも何かにつけて俺を胡散臭そうな眼で見る。何でそんな事を知っている? お前は何者だ? 口には出さないけどな、分かるんだよ……。しょうがないだろう、転生者なんだから……。

せっかく教えてやっても感謝される事なんて無い。縁起の悪い事を言うやつは歓迎されない。そのうちカサンドラのようになるかもしれない。疎まれて殺されるか……。ヴァンフリートで死んでれば良かったか……。そうなればラインハルトが皇帝になって宇宙を統一した。その方がましだったな……。人類にとっても俺にとっても。

いっそ転生者だと言ってみるか……。そんな事言ったって誰も信じないよな。八方塞だ……。俺、何やってんだろう……。段々馬鹿らしくなって来た。具合悪いって言って早退するか?

仕事もないし、撤退戦の準備なんて気が滅入るだけだ。俺は忠告した、後はこいつらに任せよう。そうしよう、そう決めた……。後は家で不貞寝だ。残り少ない人生だ、有意義に使おう。


宇宙暦 794年 7月26日  ハイネセン 宇宙艦隊司令部 ミハマ・サアヤ


「ヴァレンシュタイン大佐、貴官ならイゼルローン要塞を落とせるかな?」
「……どうでしょう、そんな事考えた事が無かったですからね」
「考えてみてくれないかな」
「……気が向いたらですね。それにイゼルローンを落とさないほうが同盟のためかもしれないし……」

ヴァレンシュタイン大佐とワイドボーン大佐が会話しています。ワイドボーン大佐は熱心にヴァレンシュタイン大佐に話しかけていますが、ヴァレンシュタイン大佐はまるでやる気無しです。何を考えたのか机の上を片付け始めました。

少し酷いです、ワイドボーン大佐に失礼だと思います。空気が読めないなんて言ってますが、大佐だって人のことは言えません。

「申し訳ありませんが、私は体調が優れないのでこれで早退させていただきます」
そう言うとヴァレンシュタイン大佐はカバンを持って席を立ちました。私もヤン大佐もワイドボーン大佐もちょっと眼が点です。

「ああ、気をつけてな。ゆっくり休めよ」
ワイドボーン大佐が声をかけるとヴァレンシュタイン大佐が軽く頭を下げて部屋を出て行きました。本当に具合が悪いのでしょうか、とてもそんな風には見えません。皆黙って部屋を出て行く大佐を見送りました。

「あの、済みません、ワイドボーン大佐。ヴァレンシュタイン大佐が失礼な事を……」
どうして私が謝るんだろ、納得が行きませんが、仕方ありません。私が一番付き合いが長いし、一番階級が下です。

「別に失礼じゃないさ、彼はちゃんと答えたじゃないか」
ワイドボーン大佐が屈託無く答えました。思わず間抜けな声が出ました。
「はあ? あれがですか?」
この人、よく分かりません。やっぱり空気が読めないんでしょうか?

「気が向けば考えると言っていただろう?」
「はあ」
「それに、落とさないほうが同盟のためかもしれないと言っていた」
「……」

それがちゃんと答えた事になるのでしょうか? 思わずヤン大佐の方を見ました。ヤン大佐は困ったような顔をしています。

「落とさないほうが同盟のためかもしれない、つまり要塞を落として帝国領へ踏み込んで戦うよりも、同盟領で戦うほうが良い、そういうことだろう」
「そうなんでしょうか」
「少なくとも地の利は有る、それに戦力も集中し易い、そういうことだろうな」
「はあ」

そういう考えも有るんだ、素直にそう思いました。でも本当にヴァレンシュタイン大佐がそう思ったのか、どうか……。私には半分以上は投げやりな口調に聞こえたんですが……。ワイドボーン大佐は無理に好意的に取ろうとしている?

「それより貴官達、ヴァレンシュタインを胡散臭そうに見るのを止めろ」
一転して表情を厳しくしてワイドボーン大佐が言いました。
「別にそんな事は……」
「しているぞ、ヤン」

ワイドボーン大佐にヤン大佐が注意されています。私も思い当たる節はありますからちょっとバツが悪いです。

「奴が作戦案を提示したとき、帝国軍の内情を説明したとき、胡散臭そうな表情をした。奴は味方だろう、それとも敵なのか?」
「いや、味方だよ。そう思っている」

ワイドボーン大佐がこちらを見ました。眼が厳しいです、思わず身体が強張りました。
「ミハマ大尉はどうだ?」
「私も味方だと思っています」
「思っているだけでは駄目だ、奴を受け入れろ!」
「……」

「奴は帝国人だ、帝国の内情に詳しいのは当たり前だろう」
「しかしね、ワイドボーン。彼は少し詳しすぎると思うんだけどね」
ヤン大佐の言うとおりです。何処かヴァレンシュタイン大佐はおかしいです、違和感を感じます。

「それは奴が有能だからだ。それが有るからヴァレンシュタインなんだ。それを認められなければ、何時まで経っても奴を受け入れられんぞ」
「……」

「今日は未だこちらの問いに答えてくれた。作戦案を提示してきた。だがな、このまま疑い続ければ奴はそのうち何も喋らなくなる」
「……」
耳が痛いです、大佐が私達に心を閉ざしたのは何故だったのか……。

「ここ数日、奴は参考書の同じページを繰り返し見ている」
「?」
「あれは勉強などしていない、勉強している振りをしているだけだ。かなり精神的に参っている。早退したのも嫌気がさしたのだろう」

思わずヤン大佐と顔を見合わせました。私は気付かなかった、ヤン大佐も同様でしょう。それなのにワイドボーン大佐は気付いた。私は何処かでヴァレンシュタイン大佐が少しずつ心を開いてくれていると思っていました。勘違いだったのでしょうか……。

「ワイドボーン、君が作戦計画書を持ってきたのは」
「そうだ、奴の気分転換になればと思ったんだ。だがそれも無駄になった、お前らが胡散臭そうに奴を見るからな!」

ワイドボーン大佐が声を荒げました。情けなくてワイドボーン大佐を見る事が出来ません。ヴァレンシュタイン大佐を気付かないうちに追い詰めていました。一体何をしていたのか……。

「ヤン、ヴァンフリートで奴が何故お前を怒ったか、分かっているのか?」
「ミハマ大尉の報告書を読んだのか……」
「ああ、読んだ。バグダッシュ中佐からも色々と聞いている」
ヤン大佐が溜息を吐きました。

「彼が私を怒ったのは第五艦隊が一時間遅れたからだ。私の説得が不調に終わった……」
「違うな、そんな事じゃない。奴が怒ったのはお前が奴の信頼を裏切ったからだ」
ヤン大佐の顔が強張りました。

「奴はお前が自分を疑っている事を知っていた。だが勝つためになら協力してくれると信じた、お前を信頼したんだ。だがお前はその信頼に応えなかった。だから怒ったんだ、そうだろう」
「……」

「信頼というのはどちらか一方が寄せるものじゃない、相互に寄せ合って初めて成立するものだ。奴は何度もお前と信頼関係を結ぼうとしたはずだ。だがいつもお前はそれを拒否した!」

「そうじゃない! そういうつもりじゃなかった!」
「だが結果としてそうなった! それを認めないのか!」
「……」
怒鳴りあいに近い言い合いでした。二人とも席を立って睨み合っています。先に視線を逸らしたのはヤン大佐でした。

「奴は亡命者だ。この国に友人などいない。このままで行けば奴はローゼンリッターと同じになるぞ。信頼関係など無く、利用だけする。磨り潰されればそれまでだ。だから逆亡命者が出る……」
「……」

ヤン大佐が無言で席を立ちました。そして部屋を出て行きます。ワイドボーン大佐は止めませんでした。
「あの、良いんですか?」

私の問いかけにワイドボーン大佐が手のひらを振りました。
「気にしなくて良い、奴も分かっているのさ。だが認められなかった。だから俺がそいつを奴に見せた。それだけだ」
「……」

「頭が良すぎるんだな、だから色々と考えてしまう。参謀としては得がたい才能なのかもしれないが生きていくには面倒かもしれん。動くよりも考えてしまう……。ヴァレンシュタインも同じだろう、似たもの同士だ」

あの二人が似たもの同士? 似ているような気もしますがそうじゃないような気もします。
「ヤン大佐はヴァレンシュタイン大佐ほど人が悪いようには見えませんけど……」

私の言葉にワイドボーン大佐が笑い出しました。
「戦争の上手な奴に人の良い奴なんていないよ。そんな奴は長生きできないからな」
「はあ」
分かるよう気もしますし、分からないような気もします、妙な気分です。

「あの、済みませんでした。私も何処かでヴァレンシュタイン大佐を信じていなかったと思います」
「まあ簡単な事じゃないからな、でも気をつけてくれよ。バグダッシュ中佐がヴァレンシュタインは臆病だと言っていたからな」

臆病? あの大佐が?
「臆病で人が悪い。だから追い詰められればとんでもない反撃に出る。厄介な相手だ、味方にしないとこっちが危ない」

「ワイドボーン大佐も人が悪いんですか? 士官学校を首席で卒業ですけど」
「残念だが士官学校を首席で卒業しても戦争が上手とは限らない」
「はあ」
私の間の抜けた声に大佐が笑い出しました。

「士官学校時代、ヤンにシミュレーションで負けた事がある。納得いかなかった。お世辞にも優秀とは言えない奴に十年来の秀才と言われた俺が何故負けるのだと。逃げていただけだと奴を非難した。負け惜しみだな」
「……」
ワイドボーン大佐がまた笑いました。

「だが、エル・ファシルの奇跡で分かった。俺にはあれは出来ない。士官学校で首席でも戦場で生き残れるとは限らないとね」
「……」

「ごくまれにだが、戦場をコントロール出来る人間がいる。ヤンがそうだな。周囲が不可能と思うことを可能にしてしまう。戦争を自分の思うように動かしてしまうんだ。反則だよな」
「……」
またワイドボーン大佐が笑いました。でも悔しそうには見えません。心底おかしそうです。

「ヴァレンシュタインもそうだ。ヴァンフリートは前半はロボス元帥が指揮を執ったが酷いものだった、ぐだぐださ。後半、ヴァレンシュタインはあの戦いを勝利に持っていった。俺には出来ない、他の奴にも出来ないだろう。ヤン同様、戦場をコントロールできるのさ」

大佐の言っていることは分かります。確かにヴァレンシュタイン大佐は戦場を支配していました。でも、そうなると士官学校の卒業順位って何の意味があるんでしょう。あの順位で配属先も決まるのに……。

「大佐、士官学校を首席で卒業って意味が無いんでしょうか? なんかそんな風に仰っているように聞こえるんですが……」
私の言葉に大佐は今度はクスクス笑いました。

「そうでもない。士官学校を首席で卒業ってのは便利でな。これでも俺は未来の宇宙艦隊司令長官、統合作戦本部長候補と言われている。ヤンやヴァレンシュタインでは無理だな。片方は怠け者だし、もう一人は亡命者だ。あの二人では無理だ」
「はあ」

「だからだ、俺が偉くなってあの二人を引き立ててやる。ピッピとこき使ってやるさ。俺は良い宇宙艦隊司令長官、統合作戦本部長になるぞ。多分同盟軍史上最高の宇宙艦隊司令長官、統合作戦本部長だ。有能な人材を引き立て同盟軍の黄金時代を作り出したとな。どうだ、凄いだろう」

そう言うとワイドボーン大佐は笑い出しました。私もつられて笑いました。やっぱりこの人は変です。でも、この人ならヤン大佐やヴァレンシュタイン大佐を使えるかもしれません。それともいつも頭を抱えて悩んでいるか……。どちらも有りそうです、そう思うとおかしくて笑いが止まりませんでした。


 

 

第二十三話 イゼルローン要塞攻略作戦

宇宙暦 794年 9月 5日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


第六次イゼルローン要塞攻略戦が始まった。正確に言うと始まりつつある、そんなところだ。遠征軍はイゼルローン回廊の同盟側の出入り口を首尾よく押さえた。幸先は良いだろう。問題は終わりが良いかだ。竜頭蛇尾の言葉もある。

原作よりかなり早いように思う。原作だと十月を過ぎてからのはずなんだが、この世界では一ヶ月以上早い。動員した艦隊は第七、第八、第九の三個艦隊だ。総勢五万隻、こいつも原作とは違う。少し多い、無駄に気合が入っている。

帝国軍がヴァンフリートで負った損害から回復しないうちに、混乱を引き摺っているうちにイゼルローン要塞を攻略しようという事らしい。あんまり意味は無いと思うんだがな。

帝国にとってもイゼルローン要塞防衛は最重要事項だ。同盟が攻めるとなればどんな無理をしてでも出張ってくるのは確かだ。だからといって損害とか混乱とか最初から期待するのは危険だ。そんなのは有れば儲けものぐらいに考えたほうが良い。

今現在、回廊の同盟側の入り口周辺で小規模な戦闘が連続して行なわれている。まあどちらかと言えば同盟側が優勢なようだ。どうやらラインハルトは出撃していないらしい。

バグダッシュが出撃前に帝国軍の編制表と将官リストを持ってきた。それによるとラインハルトは確かに遠征軍に参加している。しかし当然だが昇進はしていない。

まあ准将では率いる艦隊は二百隻前後だ。ミュッケンベルガーは出撃を許していないのだろう。或いはグリンメルスハウゼンを喪った、この上ラインハルトまで喪う事は出来ないと考えているのかもしれない。足枷ぐらいに思っている可能性もある。だとすればラインハルトはさぞかし不満に思っているだろう……。

そしてメルカッツも参加していない。どうやらミュッケンベルガーは要塞防御戦なら帝国に分があると考えたようだ。ミサイル艇による攻撃は上手く行くかもしれない。

同盟軍は例のミサイル艇による攻撃を実行する事に決定した。あの作戦計画書は正式に攻撃案として認められたわけだ。間違いとは言えない、問題はその後だろう。

編制表にはオフレッサー、リューネブルクの名前が有った。二人とも陸戦のスペシャリストだ。陸戦隊を要塞内に送り込んでも占拠は難しいだろう……。一体どうするのやら……。

ヤンとワイドボーンは撤退をどうするかを話し合っていたが、有効な手は無かったな。大体総司令官のロボスが戦争継続を簡単に諦めるのかという問題が有る。難しいだろう、犠牲は原作より増えるかもしれない。気が滅入るよ……。

総旗艦アイアースはアキレウス級大型戦艦の一隻だ。同盟軍の正規艦隊の旗艦は殆どがこのアキレウス級大型戦艦を使っている。大型戦艦というだけあって結構でかい。そして俺はそのでかい戦艦のサロンで椅子に座ってココアを飲んでいる。

一応作戦参謀なので本当は艦橋にいる必要があるのだろう。だが参謀は百人以上いる。いくらでかい戦艦の艦橋でも百人は収容できない。という事で参謀チームは二つに分かれている。ロボスのお気に入りが艦橋に、それ以外は会議室だ。

当然だが俺は会議室組みだ。会議室組みも二つに分かれている。仕事をして忙しくしている人間と暇な人間だ。もっとも暇な人間は二人しかいない。俺とヤンだ。サアヤは周囲から色々と便利屋的に使われているらしい。忙しくて良い事だ。

俺は一日の殆どをこのサロンで過ごす、ヤンは一応会議室で紅茶を飲みながら昼寝だ。ヤンは非常勤参謀と呼ばれているが俺は幽霊参謀らしい。ワイドボーンが言っていた。だからどうした、俺に仕事しろってか、冗談は止せ、大体ロボスが嫌がるだろう。

三日前だがロボスと廊下でばったり会った。腹を突き出し気味に歩いていたが、あれはメタボだな。お供にアンドリュー・フォーク中佐を連れていたが俺を見ると顔を露骨に顰めた。上等じゃないか、そっちがそう出るなら俺にも考えがある、必殺微笑返しで対応してやった。ザマーミロ、参ったか!

フォークがすれ違いザマに“仕事が無いと暇でしょう、羨ましい事です、ヴァレンシュタイン大佐”と言ってきた。仕事なんか有ったってお前らのためになんか働くか、このボケ。

“貴官は仕事をしないと給料を貰えないようですが私は仕事をしなくとも給料が貰えるんです。頑張ってください”と言ってやった。顔を引き攣らせていたな。ロボスが“中佐、行くぞ、我々は忙しいのだ”なんて言ってたが、忙しくしていれば要塞を落とせるわけでもないだろう。無駄な努力だ。

余程に頭に来ていたらしい、早速嫌がらせの報復が来た。クッキーを作るのは禁止だそうだ。“軍人はその職務に誇りを持つべし”、その職務って何だ? 人殺しか? 誇りを持て? 馬鹿じゃないのか、と言うより馬鹿なんだろう、こいつらは。

「ヴァレンシュタイン大佐、座ってもいいか」
俺に声をかける奴が居る、ワイドボーンだ。こいつ、どういうわけか俺を構うんだよな。原作だとエリートを鼻にかけたような奴に見えるんだが、そういうわけでもないらしい。

なんか一生懸命俺とヤンの間を取り持とうとしている。でもなあ、ヤンもサアヤも変に俺を意識している様子が見えるしやり辛いんだよ。俺がサロンに居座っているのもその所為なんだ。

ワイドボーンは一人じゃなかった。隣に初老の紳士が居る。まあ見なかった事にしておこう。俺が無言でいると二人は顔を見合わせて苦笑した。ワイドボーンが連れに椅子を進め自分も座る。相変わらず空気が読めない男だ、座るのかよ……。

「ヴァレンシュタイン、参謀長に挨拶くらいしたらどうだ」
「眼の錯覚だと思ったんです、失礼しました。グリーンヒル参謀長」
俺の答えにまた二人が苦笑した。
「構わんよ、ヴァレンシュタイン大佐。貴官達にはすまないと思っているんだ」

グリーンヒル参謀長が済まなさそうな表情をした。
「気にしないでください。小官は今の境遇に極めて満足しています」
グリーンヒル参謀長とワイドボーンがまた苦笑した。本気だぞ、俺に不満は無い。

多分グリーンヒル参謀長は俺が彼を気遣っていると思っただろう。それくらいグリーンヒル参謀長の立場は厄介だ。俺なら金を払ってでもグリーンヒル参謀長の立場にはなりたくない。

ヴァンフリート星域の会戦にはグリーンヒル参謀長は参加しなかった。おかげであの戦ではロボス一人が笑い者になった。統合作戦本部も国防委員会もロボスの事を不安に思って参謀長にグリーンヒル参謀長をさらに大勢の参謀を遠征軍に配置した。

当然だがロボスは面白くない、そしてヴァンフリート星域の会戦に参加した参謀達も面白くない。ロボスの失敗は自分達の失敗なのだ。フォーク中佐はその一人だ。連中はグリーンヒル参謀長を、そして新しく配属された参謀達を疎んじている。

グリーンヒル参謀長にしてみればいい加減にして欲しいだろう。イゼルローン要塞を落とすチャンスなのだ。それなのに味方同士で足を引っ張ってどうする。そう思っているはずだ。そういうわけで遠征軍の司令部は二つに分かれている。

グリーンヒル参謀長はそれを何とか一つにまとめようとしているようだが苦労しているようだ。敵と戦う前に仲間内で争っている。こんなので勝てるとおもっているとしたら脳味噌が腐っているのだろう。だが現実には脳味噌が腐っている連中が艦橋でふんぞり返っている。お笑いだ。

「ワイドボーン大佐から聞いている。我々の作戦案を鼻で笑って叩き潰したとね」
「それは事実とは違います。小官は鼻で笑ってなどおりません」
ワイドボーン、どういうつもりだ。俺が睨みつけると奴は肩を竦めた。

「俺にはそう見えたがな、良くもこんな愚案を考えたもんだ、そんな感じだったぞ」
「愚案とは言っていません。悪くないと言ったはずです」
俺を悪者にして何が楽しいんだ? この野郎。

「そうかな、今も馬鹿馬鹿しくて仕事をしないんだろう?」
「そうじゃ有りません。ただ仕事をしたくないんです。それだけですよ」
「皆はそう思っている」
「皆?」
ワイドボーン、ニヤニヤ笑うのは止めろ。

「遠征軍の参謀達だ」
「話したんですか、あれを」
「当然だろう、皆感心していたよ。面白く思っていない奴も居たようだがな」
「余計な事を……」

感心していたのは新しく配属された参謀だろう。面白く思って居なかったのはロボスを先頭にヴァンフリートに参加した連中だ。道理でフォークが絡んでくるはずだ、あのミサイル艇による攻撃案を考えたのは奴だからな。赤っ恥をかかされたと思っただろう。

グリーンヒル参謀長は俺とワイドボーンの言い合いを見て苦笑いを浮かべていた。
「ミサイル艇による攻撃は上手く行くだろうと私は見ている、ワイドボーン大佐もだ」
「……」

上手く行く可能性は高いだろう。俺もそう思う。しかしこんな所で話して良いのか? まあ周囲には幸い人は居ないが……。

「問題はその後だ、陸戦隊を要塞に送り込み占領する。上手く行くとは思えない、貴官の意見はそうだね」
「そうです、先ず失敗するでしょう」
グリーンヒル参謀長が頷いた。表情は渋い。

「私もそう思っている」
良いのかね、参謀長がそんなことを言って。
「出来れば避けたいと思っている。しかし上手く行く可能性が無いわけじゃない、やってみるべきだと言うんだ」

ロボスがそう言っている訳か。
「万一上手く行かなくとも要塞内に陸戦隊を送り込んだという事実は残る……」

冗談言ってるのか? グリーンヒル参謀長の顔を見たが至って真面目だ。ワイドボーンの顔にも笑いは無い。つまり本気か……。要塞内に陸戦隊を送り込んだ、それが実績か、今一歩で要塞を占領できるところまで敵を追い込んだ。そう言いたいのか……。失敗前提の作戦? 何考えてるんだ? 俺にはさっぱり分からん。

「イゼルローン要塞を落とせるかね?」
「?」
グリーンヒル参謀長が俺に問いかけて来た。落とせるも何も今難しいと話している最中だろう。

「前に頼んだよな、イゼルローン要塞を落とす方法を考えてくれと」
「……」
今度はワイドボーンが俺に話しかけてきた。そういえばそんな事も話したような気がするな。あれ本気だったのか……。

「もうあれから一ヶ月以上経った。何か考えてくれただろう? 仕事も無かったんだ」
「……」
グリーンヒル参謀長とワイドボーンが俺を見ている。困ったな、どうする? 有りませんと答えるか? でも信じるかどうかだな……。

正直に知ってる事を話すか? 面倒なことになりそうな気がする。いっそ思いっきり駄法螺を吹いて煙に巻くか、その方が良さそうな気がするな。それで行くか。

「駐留艦隊を撃破しイゼルローン要塞を攻略するのにどの程度の戦力を必要とします?」
俺の問いかけにグリーンヒル参謀長とワイドボーンが顔を見合わせた。ややあってワイドボーンが答えた。

「大体三個艦隊、そんなところだろう。今回も三個艦隊動員している」
グリーンヒルが隣で頷いている。同感だ、原作でロイエンタールがイゼルローン要塞を攻めたときも三個艦隊だった。おかしな答えではない。

「残念ですが三個艦隊ではイゼルローン要塞は落ちませんね」
「……」
「理由は一つ、敵の増援を考えていない」
俺の答えに二人の顔が渋くなった。

「敵の増援が二個艦隊有ったとします。駐留艦隊と合わせて三個艦隊、それらを排除しなければ要塞攻略は難しいんです。敵は要塞主砲(トール・ハンマー)を利用して要塞を防御します。簡単に艦隊決戦にはならない、つまり敵艦隊を撃破し排除するのは難しいんです。当然要塞を落とす事はさらに難しい」

「……こちらの遠征軍の規模が大きくなれば、帝国軍も増援の規模を大きくする……。イゼルローン要塞は落とせないという事か……」
ワイドボーンが呟く。グリーンヒル参謀長が大きく溜息をついた。

「イゼルローン要塞を落とすためには帝国の眼をイゼルローンから逸らす必要がありますね」
「逸らす?」
ワイドボーンが問い返してきた。グリーンヒル参謀長も期待するように俺を見ている。喰い付いて来たか……。

「逸らすと言ってもどうやるんだ、ヴァレンシュタイン」
「良い質問だね、ワイドボーン大佐。フェザーンを攻める」
俺の言葉に二人が息を呑んだ。

「本気か?」
ワイドボーンが小声で訊いてきた。おいおい緊張しているのか、らしくないぞ、ワイドボーン。グリーンヒル参謀長も驚きを顔に浮かべて俺を見ている。

「本気です。フェザーンは帝国と同盟の戦争の長期化を望んでいます。同盟が軍事行動を起せば必ず帝国に伝えるんです。だから帝国軍は早期に増援を送る事が出来るんです。イゼルローン要塞の帝国軍の戦力を固定するにはフェザーン方面で軍事行動を起し、帝国の眼とフェザーンの眼をイゼルローン要塞から逸らす必要があるでしょう」

「しかし、フェザーン方面で軍事行動を起すとなれば後々厄介な事になるはずだ。フェザーンが帝国と協力関係を密にする可能性もある。危険じゃないか」
汗を拭け、ワイドボーン。

「中途半端な軍事行動は危険です。だからこの際フェザーンを占領するんです。イゼルローン要塞を攻めると見せてフェザーンを攻める。帝国が驚いてフェザーン方面に出兵しようとしたとき、同盟はイゼルローン要塞を攻める……」
「……」
ワイドボーンもグリーンヒル参謀長も顔が強張っている。

「軍の動員は最低でも八個艦隊、いや十個艦隊は必要でしょうね。イゼルローン要塞に五個艦隊、フェザーン回廊に五個艦隊。成功すれば同盟は両回廊を占領し、帝国に対し圧倒的に優位に立てます。フェザーンの経済力も手に入る……」

「しかし、失敗したら」
「その場合は同盟の屋台骨が揺らぐでしょうね。それだけのリスクを背負うだけのメリットが有るか、それとも無いか。難しい判断ではあります」

ワイドボーンもグリーンヒル参謀長も顔を蒼白にしていた。まあ駄法螺だが不可能じゃない。しばらくはそれで悩むんだな。悩むのは良いが本当に実行しようとするなよ。失敗しても知らんからな……。



 

 

第二十四話 口は災いの元

宇宙暦 794年 9月 6日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース  ミハマ・サアヤ



「おい、ヤン、ミハマ大尉、荷物をまとめるんだ。艦橋へ行くぞ」
「艦橋? 一体何の話だい、ワイドボーン」
「だから、俺もお前も、そしてミハマ大尉も今日から艦橋で仕事だ」
「はあ?」

ヤン大佐が思いっきり不審そうな表情をしました。私も同感です、私達はロボス元帥に思いっきり嫌われているんです。それなのに艦橋に? まず有り得ないことです。

会議室には他にも人が居ます。そのほとんどが私達ほどではなくともロボス元帥からは余り歓迎されていない人達です。私達が艦橋に行くくらいなら他の人が行ってもおかしくありません。周囲の人間も訝しげな表情で私達を見ています。からかわれているのかと思いましたがワイドボーン大佐からはそんな様子は窺えません。

「グリーンヒル参謀長がすぐ来いと言っているんだ。早くしろ」
グリーンヒル参謀長? ますます変です。参謀長が何で私達を? ヤン大佐、ワイドボーン大佐はともかく何で私???

「あの、どういうことなんでしょう?」
「訳を話してほしいな、ワイドボーン」
私とヤン大佐が納得しないと見たのでしょう、ワイドボーン大佐は“しかたないな”と呟くとおもむろに話し始めました。

「昨日の事だ、グリーンヒル参謀長がヴァレンシュタイン大佐と話をした。参謀長はいたくヴァレンシュタイン大佐の才能に感心してな、艦橋に来るようにと言ったんだ。だが彼は嫌だと言った」
「はあ」

ワイドボーン大佐の話は良くわかりません。その代わりに私達、そういうことなのでしょうか? 私はヤン大佐を見ました、大佐も今一つ理解できないような表情をしています。周囲の人達が見ない振りをして私達の様子を窺っています。ちょっと気が重いです。

「グリーンヒル参謀長は諦めなかった。何度もヴァレンシュタインを説得してな、とうとうヴァレンシュタインに条件付きで首を縦に振らせた。条件は一つ、自分の他に俺、ヤン、そしてミハマ大尉の席を用意して欲しい、ということだった」

ワイドボーン大佐が分かったか、と言うように私達を見ました。何のことはありません、私達はおまけの様なものです。本命はヴァレンシュタイン大佐でした。まあそうでもなければ私までということはないでしょう。

「まあ、経緯は分かったがね、大丈夫なのかな? ロボス元帥は私達が艦橋に行くのを喜ばんだろう」
「それについては参謀長が既にロボス元帥の了解を取った。問題はない」

ヤン大佐が“はあ”と溜息をついて頭を搔きました。
「分かっているんだろう、ワイドボーン。ヴァレンシュタイン大佐が私達を呼ぶ事を条件に付けたのは、ロボス元帥が承諾しないと見たからだ。私達が艦橋に行ってもヴァレンシュタイン大佐も喜ばなければロボス元帥も喜ばない、行かないほうが良いと思うがね」

「それは関係ない、ヴァレンシュタインは条件を出した、そしてグリーンヒル参謀長はその条件を満たした。それだけだ、さあ、準備をしろ」

ヤン大佐がまた溜息を吐きました。
「分かったよ、行けばいいんだろう。だがね、ワイドボーン。グリーンヒル参謀長とヴァレンシュタイン大佐は一体何を話したんだい。それを教えて欲しいな」

ヤン大佐の言葉にワイドボーン大佐は少し考え込みました。ヤン大佐と私の顔を交互に見ます。
「良いだろう、だが此処では話しにくいな。場所を変えよう」

大佐が私達を誘ったのはサロンでした。サロンには人が数人いましたがヴァレンシュタイン大佐の姿は見えません。ワイドボーン大佐に尋ねるとヴァレンシュタイン大佐は既に艦橋に向かったそうです。大佐は私達を人気のない所へと連れて行きました。

「ヴァレンシュタインとグリーンヒル参謀長が話した内容はイゼルローン要塞攻略についてだ」
「……」
思わず私はワイドボーン大佐の顔を見ました。ヴァレンシュタイン大佐が今回の要塞攻略について反対しているのは皆が知っています。それをまた話した? そしてグリーンヒル参謀長が高く評価した?

「勘違いするなよ、今回の攻略戦についてじゃない、ヴァレンシュタインならどう要塞を攻略するか? 以前俺が奴に出した宿題さ、その答えを聞いたんだ」
ワイドボーン大佐がちょっと笑いを含んだ様な声を出しました。私の勘違いを面白がっているようです。大佐も結構人が悪い、ヤン大佐やヴァレンシュタイン大佐の事は言えないと思います。

「面白いね、彼は何て答えたんだい」
ヤン大佐の声が変わりました。明らかに大佐は関心を持っています。
「十個艦隊を動員する」
「十個艦隊?」
私とヤン大佐は思わず声を上げていました。ワイドボーン大佐はそんな私達を面白そうに見ています。

「そう、十個艦隊だ。そのうち五個艦隊を使ってイゼルローン要塞を攻めると見せてフェザーンを攻略、帝国が慌ててフェザーンに軍を動かそうとした時に残りの五個艦隊でイゼルローン要塞を攻略する」
「!」

私は驚きで声が出ません。十個艦隊の動員だけでもびっくりなのにフェザーンを攻める? フェザーンは中立のはずです、それを攻める? そんな事許されるのでしょうか?

「上手くいけば同盟はイゼルローン要塞とフェザーンの両方を得ることができるだろう。そういうことだったな」
ワイドボーン大佐の言葉にヤン大佐は考え込んでいました。やはり大佐は反対なのでしょう、十個艦隊の動員と言い、フェザーンを攻める事と言い正気じゃ有りません。

「なるほど、十個艦隊を動員することで二正面作戦を可能とし帝国の眼とフェザーンの眼をイゼルローン要塞から逸らすということか」
「そうだ、そうすることでイゼルローン方面の軍事力を要塞と駐留艦隊のみにする。それなら要塞攻略は可能だとヴァレンシュタインは見ている」

「あの……」
二人の視線が私に集中しました。ちょっと怖かったです、でも思い切って訊いてみました。
「フェザーンを攻めるのはどうなんでしょう、中立は無視するのですか?」

私の質問に二人の大佐は顔を見合わせちょっと苦笑しました。
「まあ、そのあたりは余り考えなくてもいいと思うね。同盟もそしておそらくは帝国もフェザーンを信用などしていない。フェザーンもそれは分かっているだろう。フェザーンの中立が守られているのはそのほうが都合が良いからだ。当然都合が悪くなれば破られる……」

そんなものなのでしょうか? 別段フェザーンの肩を持つわけではありません。私もフェザーンはどちらかといえば嫌いです、でも中立を破るということがどうにも引っかかるのです。そんな簡単に破って後々問題にならないのか、そう思ってしまいます。

「どう思う、ヤン。可能だと思うか?」
ワイドボーン大佐の言葉にヤン大佐はほんの少し考えてから答えました。
「問題は実行できるかだな。この作戦は秘匿が要求される。作戦の目的がフェザーンに知られればその時点で作戦は失敗に終わるだろう。それが可能かどうか……」

ヤン大佐の言葉にワイドボーン大佐が頷きました。私も同じ思いです、中立国を攻める等ということが事前に漏れたら大変なことになるでしょう。同盟内部だけではありません、宇宙全体が大騒ぎになります。

「イゼルローン要塞を落とすにはフェザーンの介入を排除する必要が有るとは私も思っていた。そのためにはフェザーンの注意を引かないように小規模の兵力で要塞を落とすことが出来ないかと考えていたんだが……、大兵力を用いるか……」

ヤン大佐が頭を搔きながら呟きました。一本取られた、そんな感じです。
「お前なら出来るだろう、奴が言っていたぞ、ヤン大佐なら一個艦隊でイゼルローン要塞を落とすだろうとな」
「……過大評価だよ、まだ何も考えつかないんだ」

ヤン大佐が困惑したような表情を見せています。そんな大佐をワイドボーン大佐は面白そうに見ていました。
「だがこうも言っていた。ヤン大佐は落とした後のことを考えているのかとね」
「?」

「イゼルローン要塞を落とせば必ず帝国領への大規模出兵を声高に叫ぶ人間が現れる。その危険性を認識しているのか、一つ間違うと同盟は滅亡への道を歩み始めるだろうと……」

「なるほど、だから大兵力を使うか……。両回廊を押さえれば当然だが帝国は奪回作戦を起こす。同盟は帝国領への出兵よりも防衛に力を注がなくてはならない……。攻め込むよりも防衛戦のほうが分が有る、そういうことか……」

呻くような口調でした。ワイドボーン大佐はもう面白そうな表情は見せていません。生真面目な表情をしています。そしてヤン大佐は顔を強張らせていました。

「……怖い男だ。常に私の一歩先を見ている。あの男が敵だったら……」
「止せ、奴は敵じゃない」
「分かっているよ、ワイドボーン。でもね、それでも私は怖いと思ってしまうんだ……」
「……」

嫌な沈黙が落ちました。ヤン大佐は表情を強張らせワイドボーン大佐は困ったような表情をしています。

「とにかく、お前が知りたがったことは話した。艦橋へ行くんだ、それとヴァレンシュタインは敵じゃない、忘れるなよ」
「ああ」



宇宙暦 794年 10月 17日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


艦橋のスクリーンにはイゼルローン要塞が映っている。九月初旬から十月初旬にかけてイゼルローン回廊の同盟側入り口付近で同盟軍と帝国軍は小規模な艦隊による執拗な戦闘を何度も連続して繰り返した。

俺に言わせれば何の意味が有るのかと言いたいのだが、両軍とも少しでも自軍を優位に導きたいと言う想いがある。戦闘で勝てば士気も上がる、相手の戦力を削ぐ事にもなる。お互いに必死だ。

俺は今艦橋に居る。一時的にという事ではない。例のイゼルローン要塞攻略作戦、俺に言わせれば壮大なる駄法螺作戦なのだが、それを聞いたグリーンヒル参謀長が妙に感動してしまって俺の席を艦橋に用意したのだ。

当然だが俺は拒否した。俺はニートでフリーなサロン生活が気に入っていたのだ。なんだって艦橋なんかに行かなきゃならん。大体そんな所に行ったらロボスとかフォークが嫌がるだろう。他人の嫌がる事はしちゃいかんのだ。

だが参謀長は強硬だった。どうしても艦橋に来いと言い張る。仕方が無いんでヤンとワイドボーン、それにサアヤが一緒ならと条件を付けた。なんと言ってもヤンは非常勤参謀だからな、それにサアヤは俺の付録だと思われている、ヤン以上に無理だ。それを理由に断わろうと思ったのだが、グリーンヒル参謀長殿は席を四つ用意した。

おまけに席の位置が凄い、参謀長の直ぐ傍だ。参謀たちに用意された席はロボスを中央にして二列用意されている。グリーンヒル参謀長の席はロボスから見て右側の一番手前の席だ。その隣に俺、ワイドボーン、ヤンと続く。流石にサアヤは末席だった。ちなみにフォークは反対側の席の真ん中辺りに座っている。

いいのかよ、これ。この席順って普通は階級順、或いは役職順だろう。それをまるっきり無視だ。この席順だと俺はグリーンヒル参謀長に次ぐ立場という事になる。おかしいだろう、それは。しかしワイドボーンに訊いてみても“問題ない”の一言だ。

アンドリュー・フォークの評判が良くない。ロボスの威光を借りて自分の思うようにやっているらしい。困った事はロボスがそれを許している事だ。ようするに原作の帝国領侵攻作戦と同じ状況になっている。ヴァンフリートの屈辱がこの二人の連帯を必要以上に強めてしまったらしい。

参謀達が席順に文句を言わなかったのもそれが原因だ。新しく入ってきた参謀達、そして元々居た参謀達の中にもフォークを不愉快に思い、それを許しているロボスに不満がある連中がいる。そういう連中が俺を艦橋に呼ぶことに賛成し席順にも同意した。

皆内心ではこの戦いは上手く行かないと感じ始めている。何処かで撤退をと言わなければならないだろうとも感じている。そしてロボスがなかなか同意しないだろう事も……。

そんな時、グリーンヒル参謀長が俺をやたらと褒め始めた。例の駄法螺作戦を聞いた後だが、“ヴァレンシュタイン大佐は凄い”、“当代随一の戦略家だろう”なんて言い始めた。そこで俺に目をつけた。

彼らにとって俺はフォークの愚案を三分で叩き潰した男らしい。おまけにメルカッツは来ないがオフレッサーは来るという予想も当たった。アイアースに乗り込んでからは一向に仕事をしない。明らかにロボスやフォークに反抗している。

誰だって撤退しようとは言い辛い。皆が俺に期待しているのはその言い辛い事を言って欲しいという事のようだ。子供か? 自分で言えよな、そんな事。頭痛いよ。

ロボスは頑なに俺の方を見ない。フォークは俺を見ると口元を歪める。俺って何でこんなに嫌われてるんだろう。そんなに嫌な奴かね、どうも納得がいかない。世の中は不条理だ。

グリーンヒル参謀長は時折俺に意見を求めるが俺はその殆どをワイドボーンとヤンに振っている。俺は二人が答えた後に自分も同意見です、で終わりだ。大体あの二人の言う事は殆ど間違っていない、問題は無い。

一度ロボスが“貴官はいつも自分も同意見です、だな。自分の意見というものは無いのかね”と皮肉たっぷりに言ってきた。フォークは口元を歪めて笑っている。あんまり子供じみているんで思わずこっちも笑ったぜ。

“言うべき時が来たら言います。今は未だその時ではないようです”
俺がそう言ったら周りがシーンとした。ロボスは顔を強張らせているし、フォークは顔面蒼白だ。撤退進言は俺がしてやる、お前らに引導を渡してやるから安心しろ……。良く考えればそう言ったようなもんだ。余計な事をした。口は災いの元だな。

これからアイアースの会議室で将官会議が開かれる。俺は将官ではないが司令部参謀として参加が命じられている。気が重いよ、グリーンヒル参謀長は“宜しく頼むよ”と言ってきた。

何をどう宜しくするのか、グリーンヒル参謀長が何を期待しているのか想像はつくが、うんざりだ。あの駄法螺作戦の所為だな……。あれはラグナロック作戦のパクリなのだが、あれを同盟が実施できる可能性はまずない。不可能ではないのだが成功する見込みは限りなく低いだろう。理由は二つある。

一つは誰でも分かる、作戦目的を秘匿出来るかだ。少しでもフェザーン、帝国に知られれば作戦は失敗する……。帝国ならともかく同盟では難しいだろう。

もう一つは人的要因だ。原作のラグナロック作戦はラインハルトの指揮の下、帝国軍の名将達が作戦を実行した。イゼルローン方面はロイエンタールが指揮を執り、フェザーン方面はミッターマイヤーが中心となった。

ロイエンタールもミッターマイヤーも名将だ。ラインハルトは言うまでもない。彼らが協力することでラグナロック作戦は成功した。同盟があの駄法螺作戦を実行した場合、一体誰が総指揮を執り、誰がイゼルローンを、フェザーンを落とすのか……。

帝国軍が健在である以上、作戦の難易度はラグナロック作戦よりも高いだろう。余程の人材を配置する必要が有る。能力があり強い信頼関係を持った人間達だ。残念だが今の同盟では無理だ……。

そろそろ会議室に行くか。どうせ愚にもつかない会議になるだろうが、始めなくては終わらない。ちゃっちゃと終わらせよう。俺が席を立つとワイドボーンとヤンが後に続いた……。






 

 

第二十五話 将官会議

宇宙暦 794年 10月 17日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



総旗艦アイアースの会議室に大勢の人間が集まっている。総司令部、第七、第八、第九艦隊から有資格者が集まった。大体百人くらいだろう。普通百人もいれば会議室はざわめくもんだがどういうわけか皆静まり返っている。

「ヴァレンシュタイン大佐」
隣にいるグリーンヒル参謀長が話しかけてきた。ちなみに俺のもう一人の隣人はワイドボーンだ。

「今日の会議では忌憚ない意見を述べてくれ」
「はい」
忌憚ない意見か……。参謀長の自分は正面から反対はできない、お前が代わりに反対しろって事だな。わざわざ念押しするなよ。それとも適当に修正案を出せって事か? 良く分からんが、まあ好きにやって良いという事にしておくか……、面倒なことだ。

会議室にロボス元帥が入ってきた。周囲の人間が起立し敬礼した。仕方がない、俺も起立し敬礼する。その後ろをフォーク中佐が続く。腹を突き出し気味に歩くロボスと顔色の悪いフォーク。ウシガエルと青ガエルみたいな組み合わせだな。これからの呼び名はカエルコンビだ。

ロボス元帥が答礼し席に着いた、俺達も席に着く。
「これからイゼルローン要塞攻略作戦について説明する。フォーク中佐、始めたまえ」
「はっ」

ウシガエルの言葉に青ガエルが起立した。こいつあんまり眼つきが良くないんだよな。なんかすくいあげるような上目使いでこっちを見るし、口元が歪んでいる。なんか馬鹿にしているような感じがする。お前は嫌いだ。

「過去のイゼルローン要塞攻略法は要塞主砲(トール・ハンマー)を使用させない、あるいは無力化する、この二点に尽きるものと過去には思われていました。小官はここにあらたな一案を提出します」

フォーク中佐が一瞬だが俺を見た。頼むからその変な眼つきは止めろ。気分が悪くなる。ついでに言うとこの案はお前の独創じゃないだろう、ホーランドもからんでいるはずだ。

「艦隊主力を囮とします。攻撃の主力はミサイル艇が行います。我々が攻め寄せれば帝国軍は並行追撃作戦を恐れてイゼルローン要塞の正面に配置されたこちらの主力艦隊の動向に注目します。その分だけミサイル艇に対する帝国の注意は薄れるでしょう」

やっぱりあの作戦案を提出するのか……。まあ作戦案そのものは悪くないからな。もっとも上手くいかない可能性のほうが高い作戦案だが……。

「ミサイル艇は要塞主砲(トール・ハンマー)の死角よりイゼルローン要塞に肉薄、要塞の各処にミサイルを集中攻撃します。火力の滝をもってイゼルローン要塞の鉄壁に穴を開けるのです。その後は陸戦隊を送り込みイゼルローン要塞を内部より制圧します」

作戦内容を話すとフォークは作戦を自画自賛し始めた。武人の名誉とか同盟開闢以来の壮挙とか言っている。自画自賛すれば作戦案も洗練されるとでも思っているんだろう。意味ないぞ。

周囲もどこか醒めた様な表情をしている。満足しているのはロボスだけだ。フォークの演説に満足そうに頷いている。グリーンヒル参謀長が咳払いをして口を開いた。

「フォーク中佐の述べた作戦案の討議に入ろう。活発な提案と討論を行ってほしい」
なんか皆が俺の方を見ている。グリーンヒル参謀長もワイドボーンもだ。何でこうなるかな、知らないぞ、どうなっても……。俺はロボスもフォークも嫌いなんだ。グチャグチャになるからな。



宇宙暦 794年 10月 17日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース  マルコム・ワイドボーン


フォーク中佐が作戦案を述べている間、ヴァレンシュタインは詰まらなさそうにしていた。手元のメモ帳に落書きをしている、カエルの絵だ。大きな腹の突き出たカエルと貧相な小さなカエルが描かれている。

大きなカエルには髭が描かれていた。ロボスのつもりか? となると小さいカエルはフォークか。思わず失笑しそうになって慌てて堪えた。グリーンヒル参謀長を見ると参謀長も顔を歪めている。どうやら俺と同じものを見たらしい。隣のヤンが俺を不思議そうに見た。慌てて顔を引き締めた。

参謀長が咳払いをした。どうやら始めるらしい。
「フォーク中佐の述べた作戦案の討議に入ろう。活発な提案と討論を行ってほしい」

皆がヴァレンシュタインを見ている。ヴァレンシュタインは迷惑そうな表情で俺を、そしてグリーンヒル参謀長を見る。参謀長が頷くのが見えた。ヴァレンシュタインは一つ溜息を吐くと右手を挙げた。
「発言を求めます」

誰も何も言わなかった。ロボス元帥もグリーンヒル参謀長も沈黙している。これからヴァレンシュタインとフォークの論戦が始まる。言ってみればグリーンヒル参謀長とロボス元帥の代理戦争の様なものだ。皆それが分かっている。微妙な空気が漂ったがヴァレンシュタインは気にすることもなく発言を続けた。

「その作戦案ですが狙いは悪くないと思います」
「……」
本当にそう思っているのか? そんな事を思わせる口調だ。フォークの顔が微かに引き攣るのが見えた。

「しかし先日、此処にいるワイドボーン大佐、ヤン大佐にも話したのですが敵がこちらの考えを見破れば危険な状況に置かれるのは同盟軍です。フォーク中佐もそれはご存じでしょう。そのあたりをどう考えているのか、答えていただきたい」

「敵がこちらの作戦を見破ると決まったわけではありません。ヴァレンシュタイン大佐の危惧はいささか度が過ぎるものと思いますが?」
小馬鹿にしたような表情だ。真面目に取り合おうとはしていない。大体今回の作戦が敵に見破られるなどとは考えていないのだ。対処法などあるわけがない。

「そうかもしれません。しかし作戦を実施する以上、万一敵が艦隊を配置した場合の事を考慮するのは当然の事でしょう。答えてください」
「……その場合は高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処することになります」

高度な柔軟性? 臨機応変? なんだそれは? 行き当たりばったりということか? 嘘でもいいからもう少しまともな答えを出せ。
「それは作戦の実施を見合わせる事も有り得るという事ですか、フォーク中佐?」

どこか笑いを含んだヴァレンシュタインの言葉にフォークの唇が歪んだ。ロボス元帥も渋い表情をしている。
「……そうでは有りません。何らかの手段を講じて作戦を実施するという事です」

「何らかの手段とは?」
「それは……」
フォークの唇がさらに歪んだ。馬鹿が、一時しのぎで答えるから突っ込まれるのだ。

「その辺にしておけ、ヴァレンシュタイン大佐。それ以上は戦闘になってみなければわかるまい」
ロボス元帥が不機嫌そうな声で助け船を出した。フォークの顔が屈辱でさらに歪む、助かったという思いより面子を潰されたと思ったのかもしれない。第一ラウンドはヴァレンシュタインの勝利だな。それにしても戦闘になってみなければわからない? 総司令官の言葉とは思えんな……。

周囲は皆無言だ。私語ひとつ聞こえない。第七艦隊司令官ホーウッド中将、第八艦隊司令官アップルトン中将、第九艦隊司令官アル・サレム中将も沈黙を保っている。話に加わっても碌なことにはならないと考えているのだろう。賢明な判断だ。

「ではもう一つ答えていただきたいことがあります」
ヴァレンシュタインの言葉にロボスとフォークが露骨に嫌な顔をした。質問は打ち切ったつもりだったのかもしれない。残念だが第二ラウンドの開始だ。ヴァレンシュタインがゴングを鳴らした。

「陸戦隊を送り込んだ場合ですが敵の防戦により要塞の占拠が不可能と判断された場合、陸戦隊の撤退はどのように行われるのかをお聞きしたい。要塞占拠に手間取れば艦隊戦闘は混戦になっている可能性がある。撤退する味方をどう援護するのか……」

意地の悪い質問だが至極当然の質問でもある。今回の作戦はおそらく要塞内に陸戦隊を送り込むことは可能だ。だが要塞を占拠できるかと言われれば難しいと言わざるを得ない。その場合送り込んだ陸戦隊をどう撤退させるか、ヤンとも話したがお手上げだった。艦隊戦闘がどうなっているか分からない、不確定要素が多すぎるのだ。最悪の場合見殺しというのもあり得るだろう。

「なぜ失敗する危険性のみを強調するのです。ミサイル攻撃が成功すれば敵は混乱して効果的な防御などできるはずがありません。取るに足りぬ杞憂です」
自信満々でフォークが断言した。隣のヤンが呆れた様な表情をしている。えらいもんだ、よくそこまで楽観論が展開できるな。フォーク中佐、お前さんには頭が下がるよ。

「イゼルローン要塞にはオフレッサー上級大将、リューネブルク准将がいることが分かっています。彼らが簡単に要塞の占拠を許すとは思えません。もう少し慎重に考えるべきではありませんか」

フォークが呆れたというように首を振った。そして芝居気たっぷりに周囲を見渡した。
「小官にはどうしてヴァレンシュタイン大佐がそのように敵を恐れるのか、理由が分かりません。オフレッサーなどただの野蛮人、リューネブルクはこずるい裏切り者に過ぎないではありませんか」
「……」

「敵を過大評価し必要以上に恐れるのは武人として最も恥ずべきところ。ましてそれが味方の士気を削ぎ、その決断と行動を鈍らせるとあっては意図すると否とに関わらず結果として利敵行為に類するものとなりましょう。どうか注意されたい」

決めつけるような言い方だった。フォークは会心の表情をしてロボス元帥を見た。ロボス元帥も満足そうな表情だ。そして笑い声が聞こえた。ヴァレンシュタインだ。会議室の人間がぎょっとした表情でヴァレンシュタインを見た。

「ここは作戦会議の場ですよ、フォーク中佐。疑問点があれば問いただし、作戦の不備を修正し成功の可能性を高めるのが目的の場です。それを利敵行為とは……」
ヴァレンシュタインは笑うのを止めない。フォークの顔がまた屈辱に歪むのが見えた。

「小官は注意していただきたいと言ったのです。利敵行為と断言……」
「利敵行為というのがどういうものか、中佐に教えてあげますよ」
「……」
ヴァレンシュタインは笑うのを止めない。嘲笑でも冷笑でもない、心底可笑しそうに笑っている。

「基地を守るという作戦目的を忘れ、艦隊決戦に血眼になる。戦場を理解せず繞回運動等という馬鹿げた戦術行動を執る。おまけに迷子になって艦隊決戦に間に合わない……。総司令部が迷子? 前代未聞の利敵行為ですよ」

フォークの顔が強張った。ロボス元帥の顔が真っ赤になっている。そして会議室の人間は皆凍り付いていた。聞こえるのはヴァレンシュタインの笑い声だけだ。目の前でここまで愚弄された総司令官などまさに前代未聞だろう。

「フォーク中佐、貴官は士官学校を首席で卒業したそうですが何かの間違いでしょう。もし事実なら同盟軍の人材不足も酷いものですね。貴官が首席とは……、帝国なら落第間違いなしですよ」
「な、何を、私は本当に」

言い返そうとしたフォークの言葉をヴァレンシュタインが遮った。
「フォーク中佐、貴官の軍人としての能力など誰も評価していません。それなのに何故ロボス元帥に重用されるか、小官が教えてあげましょう。貴官には分からないでしょうからね」
「……」

フォークは小刻みに震えている。落ち着きなくロボスとヴァレンシュタインを交互に見ている。そしてヴァレンシュタインは明らかに楽しんでいた。
「楽なのですよ、貴官がいると。自分のミスを他人に押し付けてくれるのですから」
「……」

「悪いのは総司令部じゃない、悪いのは敵を打ち破れない味方です。迷子になったのは味方がきちんと連絡を入れないからです。それに戦場があまりにも混乱していました……」
「……」

先程まで真っ赤になっていたロボスの表情は今は蒼白になっている。体が小刻みに震えているのが俺の席からも分かった。フォークは落ち着きなくキョトキョトしている。ロボスの思惑が気になるのだろう。

「今度の作戦もそうでしょう。陸戦隊をイゼルローン要塞に送り込む。要塞を占拠できなかったのは陸戦隊が不甲斐ないからで総司令部の責任ではない、総司令部は最善を尽くした。違いますか?」
「そ、そんな事は」

「そんな事はありませんか? 作戦は必ず成功すると?」
「も、もちろんです。必ず要塞は占拠できます」
馬鹿が、挑発に乗ってどうする。隣でヤンが溜息を吐くのが聞こえた。

「ならば陸戦隊を自ら率いてはどうです」
「!」
「必ず成功するのでしょう。武勲第一位ですね」

フォークの表情が引き攣った。顔面は蒼白になっている。そしてもうロボスを見る余裕もない。
「できもしないことを言わないでください」

「不可能事を言い立てるのは貴官の方でしょう。しかも安全な場所から動かずにね、恥知らずが」
「小官を侮辱するのですか」

「大言壮語を聞くのに飽きただけです。貴官は自己の才能を示すのに他者を貶めるのではなく実績を持ってすべきでしょう。他人に命じることが自分にできるのか、やってみてはどうかと言っています」
「……」
「陸戦隊を指揮しなさい、オフレッサーなどただの野蛮人、リューネブルクはこずるい裏切り者。そうでしょう、フォーク中佐」

突然、フォークが悲鳴を上げ蹲った。会議室の人間は皆顔を見合わせている。
「フォーク中佐、どうした」
ロボス元帥の声にもフォークは答えない。ただ“ヒーッ”という悲鳴が聞こえるだけだ。ようやく会議室にざわめきが起きた。

「誰か軍医を呼んでください」
ヴァレンシュタインの声に末席にいた参謀が慌ててTV電話で軍医を呼び始めた。

「ヴァレンシュタイン、貴官、一体」
「落ち着いてください、元帥。今軍医が来ます。我々が騒いでも何の役にも立ちません」

激高するロボス元帥をヴァレンシュタインは冷酷と言っていい口調で黙らせた。フォークの異常な様子にもヴァレンシュタインは全く驚いていない。平然としている。その姿に会議室のざわめきが収まった。誰もが皆顔を引き攣らせている。

軍医が来たのは五分ほどたってからだった。診断は転換性ヒステリーによる神経性盲目。我儘一杯に育った幼児に時としてみられる症状なのだという。治療法は彼に逆らわないこと、冗談としか思えない話だった。皆余りの事にどう判断してよいのか分からず顔を見合わせている。

困惑する中、笑い声が聞こえた。ヴァレンシュタインが可笑しそうに笑っている。
「何が可笑しいのだ、貴官は人の不幸がそんなに可笑しいのか!」
唸るような口調と刺すような視線でロボス元帥が非難した。

「チョコレートを欲しがって泣き喚く幼児と同じ程度のメンタリティしかもたない人物が総司令官の信頼厚い作戦参謀とは……。ジョークなら笑えませんが現実なら笑うしかありませんね」

露骨なまでの侮蔑だった。ロボス元帥の顔が小刻みに震えている。視線で人を殺せるならヴァレンシュタインは瞬殺されていただろう。
「本当に笑えますよ、彼を満足させるために一体どれだけの人間が死ななければならないのかと思うと。本当に不幸なのはその人達ではありませんか?」

ヴァレンシュタインが笑いながらロボス元帥を見た。ロボス元帥は憤怒の形相でヴァレンシュタインは明らかに侮蔑の表情を浮かべている。

ロボス元帥が机を叩くと席を立った。
「会議はこれで終了とする。ご苦労だった」
吐き捨てるように言うとロボス元帥は足早に会議室を出て行った。皆が困惑する中ヴァレンシュタインの笑い声だけが会議室に流れた……。


 

 

第二十六話 遠征軍の混乱

宇宙暦 794年 10月 17日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース  ワルター・フォン・シェーンコップ



会議室からロボス元帥が出てきた。敬礼したが全くこちらを見ることもなく足早に去って行く。明らかに元帥は怒っていた。何が有ったのやら……。
「シェーンコップ大佐、元帥閣下は御機嫌斜めでしたね」
「そうだな、ブルームハルト」

「さっきストレッチャーで運ばれていったの、あれ、作戦参謀のフォーク中佐ですよね」
「そのようだな」
ブルームハルトの口調は歯切れがよくない。何処となくこちらを窺うような口調だ。

会議室の前には何人かの士官が集まっていた。各艦隊の司令部要員、或いは副官だろう。そして俺、ブルームハルト、デア・デッケンも会議室の前にいる。リンツは連隊で留守番だ。

今日の将官会議は始まる前から大荒れが予想されていた。総司令官ロボス元帥に対してグリーンヒル参謀長が強い不満を持っている……。イゼルローン要塞攻略を円滑ならしめるためグリーンヒル参謀長は努力してきたがロボス元帥はそれを認めず自分を無能扱いする行為だと邪推している……。

ロボス元帥が心から信頼するのはフォーク中佐でフォーク中佐はそれを良い事に今回のイゼルローン要塞攻略を自分の考えた作戦案で行おうと考えている。その作戦案はヴァレンシュタイン大佐により成功よりも失敗の可能性が高いと指摘された。そして多くの参謀がその指摘を妥当なものだと考えている……。

グリーンヒル参謀長がヴァレンシュタイン大佐にフォーク中佐の作戦案を叩かせよう、それによって作戦案を修正し成功率の高いものにしようとしている。将官会議は酷く荒れたものになるだろう……。どうやらその通りになったようだ。

会議室のドアが開き士官がぞろぞろと出てきた。皆顔色が優れない、何処となく鬱屈したような顔をしている。外で待っていた士官達が近寄るが表情は変わらない……。幾つかのグループに分かれ小声で話し合い始めた。

ヴァーンシャッフェ連隊長が会議室から出てきた。表情は……、苦虫を潰したような表情だ。
「連隊長、会議は如何でしたか」
「……」

連隊長は口をへの字にしたまま俺の問いには答えなかった。あまり機嫌は良くない様だ。フォーク中佐の作戦案が採用されれば一番その被害を受けるのはローゼンリッターだろうと言われていた。

もっともヴァーンシャッフェ連隊長は武勲を挙げる機会だと張り切っていた。という事はフォーク中佐の作戦案は却下されたという事か……。まあストレッチャーで本人が運ばれたのだ、採用されるわけがないか。

会議室から小柄な士官が出てきた。ヴァレンシュタイン大佐だ。彼が出てくると廊下にいた士官達が会話を止めた。視線を合わせることを避けてはいるが意識はしている。明らかに周囲は彼を畏れている。ヴァーンシャッフェ連隊長も彼を一瞬だけ見たが直ぐ視線を外した。

ヴァレンシュタイン大佐は周囲を気にすることなくこちらに向かって歩いて来た。一瞬だけ俺達を見たが直ぐ視線を外し無表情に歩く。
「ヴァレンシュタイン大佐」

俺がヴァレンシュタイン大佐を呼び止めるとヴァーンシャッフェ連隊長が顔を顰めるのが分かった。構うものか。ヴァレンシュタインは足を止めこちらに視線を向けた。

「作戦案はまとまりましたか」
俺の問いにヴァレンシュタインは無言で首を横に振った。そして微かに笑みを浮かべながら近づいてきた。

「何も決まりません、元々作戦案など有って無いような物ですからね。笑い話のような会議でしたよ」
笑い話のような会議? その言葉にヴァーンシャッフェ連隊長がますます顔を顰めた。そしてブルームハルト、デア・デッケンは訝しげな表情をしている。

「先程ストレッチャーで運ばれていったのは……」
「ああ、あれですか、五月蠅い小バエが飛んでいたので追い払っただけです。まあ、あれはしつこいですからね。いずれはまた現れるでしょうが当分は大丈夫でしょう。幸いこれから寒くなりますし……」
そう言うと可笑しそうにクスクスと笑い始めた。

ヴァーンシャッフェ連隊長がさらに顔を顰めた。周囲の人間も俺達を見ている。何処か恐々といった感じだ。その気持ちは分かる、美人だが怖いところのある美人、それが俺のヴァレンシュタイン評だ。まともな男なら近づかんだろう。だが俺はまともじゃないんでな。全然問題ない。

たぶんフォーク中佐を叩き潰してロボス元帥を怒らせたのだろう。他の軍人なら自分のしたことに蒼褪めているはずだ。だが目の前の彼は楽しそうに笑っている……。

見たかったな、どんなふうにあの男を叩き潰したのか……。優雅に、辛辣に、そして容赦なく叩き潰したに違いない。俺はその姿に魅入られたように喝采を送っていただろう……。

「ヴァレンシュタイン大佐」
声をかけてくる男達がいた、二人だ。三十には間が有るだろう、一人は長身で体格の良い男だ、そしてもう一人は中肉中背……。ヴァレンシュタインはチラっと彼らを見ると笑みを収め溜息を吐いた。どうやら苦手な相手らしい。

「紹介しましょう。彼らは作戦参謀のワイドボーン大佐、ヤン大佐です」
ヴァレンシュタインの言葉に二人が挨拶をしてきた。長身の男がワイドボーン、中肉中背がヤン。

片方は十年来の秀才、もう片方はエル・ファシルの英雄か。なかなか豪華な顔ぶれだ。ここ最近ヴァレンシュタインと組んでいると聞いている。グリーンヒル参謀長の信頼が厚いとも……。

「ワイドボーン大佐、ヤン大佐、こちらはローゼンリッターのヴァーンシャッフェ准将、シェーンコップ大佐、ブルームハルト大尉、デア・デッケン大尉、ヴァンフリートで一緒でした」

ヴァーンシャッフェ准将の表情は渋いままだ。どうやら准将はこの二人も嫌いらしい。つまり俺の判断ではこの二人はまともだという事だろう。

「ヴァレンシュタイン大佐から聞きましたが作戦案は纏まらなかったそうですな」
俺の言葉に二人が何とも言えない顔をした。困っているような呆れているような。

「仕方ありませんね。能力は有るんだがヤル気のない奴が多すぎる。もう少しヤル気を出してくれれば作戦案も簡単にまとまるんだが……」
ワイドボーン大佐の言葉に皆の視線がヴァレンシュタインに向かった。

「人違いですね、能力は有ってもヤル気がないのはヤン大佐です、小官は能力もヤル気も有りません……。用事が有るので小官はこれで」
面白くもなさそうにそう言うとヴァレンシュタインは歩き出した。その姿にワイドボーンとヤンが困ったような表情をしている。ヤン大佐が頭を掻いた。

「どうやら御機嫌を損ねたようだ」
「確かに……、なかなか扱いが難しい。外見は可愛い子猫だが内面は空腹を抱えているライオン並みに危険だ」
「面白い例えですな、ワイドボーン大佐」
顔を見合わせてお互いに苦笑した。どうやらこの男とは気が合いそうだ。

面白くなかったのだろう、ヴァーンシャッフェ准将が先に行くと言って歩き出した。本当なら後に続くべきだが、もう少しワイドボーン、ヤンと話をしたかった。俺が残るとブルームハルトとデア・デッケンも残った。同じ思いなのだろう。この二人もヴァレンシュタインには思い入れがある。

「実際のところ、何が有ったのです?」
俺の問いかけにワイドボーン大佐が困ったような笑みを見せた。
「最初は問題なかった。フォーク中佐が作戦案を説明しヴァレンシュタインが作戦案の不備を指摘した」
「……」

「フォーク中佐はまともに返答をしなかったがそれもグリーンヒル参謀長の想定内だった。大事なのは作戦案には不備があるという事を指摘することだったんだ。会議の最後で参謀長は衆議にかけたはずだ。このまま作戦を実施するべきか否かとね」

「なるほど」
「おそらく皆賛成はしなかったはずだ。そうなればフォーク中佐を信頼するロボス元帥も無理強いは出来ない。改めて作戦案の練り直しを命じただろう。そういう方向になる、参謀長も俺達もそういうシナリオを作っていたんだが……」

「上手くいかなかったのですな?」
ワイドボーン大佐が溜息を吐いて頷いた。
「上手くいかなかった……。フォークの馬鹿が自分の作戦案を通そうとしてヴァレンシュタインを露骨に侮辱した。そこからは流れが変わった。ヴァレンシュタインは明らかにフォークを潰しにかかった……」

「フォーク中佐だけじゃないさ、ロボス元帥もだ。ヴァレンシュタイン大佐は明らかにあの二人を標的にした……」
「そうだな、ヤンの言うとおりだ」

ワイドボーン大佐とヤン大佐が暗い表情で頷いている。気を取り直したようにワイドボーン大佐が話を続けた。
「フォークは簡単にヴァレンシュタインの挑発に乗った。その後は猫が鼠をいたぶる様なものだ、フォークは自滅、ロボス元帥はブチ切れて終わった。皆蒼褪めていたよ、笑っていたのはヴァレンシュタインだけだった……」

怖い美人だ、自分より下の階級の人間だけではなく宇宙艦隊司令長官を標的にしたか……。体は小さくとも狙いは大きい。間違いなくヴァレンシュタインは肉食獣だ。獰猛で誇り高い肉食獣……。

「ヴァレンシュタイン大佐にはシナリオを話していなかったのですか?」
ブルームハルトがおずおずと言った口調で問いかけるとワイドボーン大佐が頷いた。
「話していなかった。変に振付をするより自由にやらせた方が良いと思ったんだが裏目に出た……。フォークの馬鹿が!」

吐き捨てるようなワイドボーン大佐の言葉にヤン大佐が話を続けた。
「多分ヴァレンシュタイン大佐はこちらのシナリオをある程度は理解していたと思う」
シナリオを理解していた? 俺だけではない、ワイドボーン大佐もヤン大佐を見た。

「ヤン、ヴァレンシュタインは何故シナリオをぶち壊すようなことをしたんだ?」
「彼はロボス元帥を排除すべきだと考えたんじゃないかな。こんなやり方は迂遠だと思った。根本的な問題の解決にならないと思った……」
「……」

皆が沈黙する中、ヤン大佐の声が続く。
「今日の会議で皆がフォーク中佐には幻滅しただろうし、彼を重用するロボス元帥にも愛想を尽かしたはずだ。次に失敗すれば更迭は間違いないだろう」
「……」

「これからどうなると」
俺の問いにワイドボーン大佐とヤン大佐が顔を見合わせた。二人とも溜息を吐いている。

「分からない、ロボス元帥がどう判断するか……。場合によっては意地になって作戦を実施しようとするかもしれない……」
「失敗すれば……」

「ロボス元帥は更迭されるだろうな……。ヤンの考えが正しければヴァレンシュタインの思い通りだ」
皆が溜息を吐いた。怖い美人だ……。



宇宙暦 794年 10月 17日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



グリーンヒル参謀長も今日の会議には当てが外れただろう。俺があまりにもやりすぎた。顔が引き攣っていたからな。しかしロボスもフォークもまともに取り合う気はなかった。

あの二人は作戦案の修正など認めなかっただろう。やるだけ無駄だ。少なくともフォークは排除した、それだけでも総司令部の風通しはかなり良くなるはずだ。参謀長にはそれで我慢してもらうしかないな。

今思い出しても酷い会議だった、うんざりだ。フォークの馬鹿は原作通りだ。他人をけなすことでしか自分の存在をアピールできない。ロボスは自分の出世に夢中で周囲が見えていない。あの二人が遠征軍を動かす? 冗談としか思えんな。

フォークは軍人としては終わりだな。恐らく病気療養で予備役だ。当分は出てこられない。出てきても作戦参謀になることはないだろう。その方が本人にも周囲の人間にも良い。あの男に作戦立案を任せるのは危険すぎる。

問題はロボスだな……。今回の会議で考えを改めればよいが果たしてどうなるか……。頭を冷やして冷静になれば出来るはずだ。だが出世にのみ囚われると視野が狭くなる……。

難しい事じゃないんだ、下の人間を上手く使う、そう思うだけで良い。そう思えればグリーンヒル参謀長とも上手くいくはずなんだが、シトレとロボスの立ち位置があまりにも違いすぎる事がそれを阻んでいる。

シトレが強すぎるんだ、ロボスはどうしても自分の力で勝ちたいと思ってしまうのだろう。だから素直にグリーンヒルの協力を得られない。そうなるとあの作戦案をそのまま実施する可能性が出てくる……。

問題は撤退作戦だ。イゼルローン要塞から陸戦隊をどうやって撤収させるか……。いっそ無視するという手もある。犠牲を出させ、その責をロボスに問う……。イゼルローン要塞に陸戦隊を送り込んだことを功績とせず見殺しにしたことを責める……。

今日の会議でその危険性を俺が指摘した。にもかかわらずロボスはそれを軽視、いたずらに犠牲を大きくした……。ローゼンリッターを見殺しにするか……、だがそうなればいずれ行われるはずの第七次イゼルローン要塞攻略戦は出来なくなるだろう。当然だがあの無謀な帝国領侵攻作戦もなくなる……。トータルで見れば人的損害は軽微といえる……。

戦争である以上損害は出る。問題はどれだけ味方の損害を少なくできるか、つまり味方をどれだけ効率よく犠牲にできるかだ。採算は取れる、取れすぎるくらいだ。後はロボスがどう動くか、そして実行できるか……。

それにしても酷い遠征だ。敵を目前にして味方の意志が統一されていない。こんな遠征軍が存在するなんてありえん話だ。何でこんなことになったのか、さっぱりだ。ヴァンフリートで勝ったことが拙かったのかもしれない。あそこで負けていたほうが同盟軍のまとまりは良かった可能性がある……。やはり俺のせいなのかな……。まったくうんざりだな。ボヤキしか出てこない。




 

 

第二十七話 イゼルローン要塞へ

宇宙暦 794年 10月 18日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース  ミハマ・サアヤ



将官会議から一日が経ちました。会議中に倒れたフォーク中佐は病気療養中という事で医務室で静養中です。その後は自室で待機になるそうです。ワイドボーン大佐の話ではハイネセンに戻った後は予備役編入になるだろうという事でした。

正直に言います、皆喜んでいますし私も喜んでいます。フォーク中佐の専断には皆がうんざりしていました。ロボス元帥の権威を借りて好き放題していた中佐が居なくなってようやく仕事が出来ると考えている人も結構います。

総旗艦アイアースの艦橋は静かです、そして何処となく緊張しています。皆、ヴァレンシュタイン大佐に遠慮しているのです。昨日の会議でフォーク中佐を、そしてロボス元帥をやり込めた大佐に酷く怯えています。相変わらず大佐は容赦が有りません。私もワイドボーン大佐に話しを聞いて怖いと思いました。

もっともヴァレンシュタイン大佐の様子は昨日までと少しも変わりません。相変わらず無関心というかヤル気ゼロというか……、一人押し黙って考え事をしています。一体何を考えているのか、私には今一つよく分かりません。

もっとも分からないと言えば、これからイゼルローン要塞攻略作戦がどうなるのかも全く分かりません。作戦案を一部修正するのか、全面的に作り直すのか、それとも現状のまま実施するのか……。

皆がその事を不安に思っています。もしかすると大佐もそれを考えているのかもしれません。分かっているのはロボス元帥が艦橋に現れた時にはっきりするだろうという事です。一体ロボス元帥はどういう判断を下すのか……。

ロボス元帥が現れたのはお昼間近になってからの事でした。表情を強張らせた元帥が艦橋に現れると艦橋の空気は一気に緊張しました。皆、ロボス元帥を正面から見ようとはしません。元帥の表情を見ればあまり状況がよくなるとは思えないのでしょう。私も同感です。

ロボス元帥は艦橋の人間を一瞥するとグリーンヒル参謀長をそしてヴァレンシュタイン大佐を睨み据えて命令を下しました。

「イゼルローン要塞へ向けて艦隊を進めたまえ」
「しかし閣下、作戦案は未だ検討が済んでいません」
「構わん。艦隊を進めたまえ、参謀長」

ロボス元帥は厳しい表情のままグリーンヒル参謀長に命じました。グリーンヒル参謀長は微かに困惑しています。そしてヴァレンシュタイン大佐は無表情にロボス元帥を見ていました。

「閣下、イゼルローン要塞は目の前です。作戦も決まらぬうちにこれ以上進むのは得策とは言えません。先ずは作戦案の策定をするべきかと思います」
グリーンヒル参謀長の言うとおりです。大体スクリーンには小さくは有りますがイゼルローン要塞が映っているんです。何の作戦も無しにあの要塞に向かう? 自殺行為です。

「作戦案は変更しない、あの作戦案で行く」
「しかし、あの作戦案には欠点が……」
「反対なら代案を出せ」
「……」

ロボス元帥は顔に厭な笑みを浮かべながらグリーンヒル参謀長を見ました。参謀長は顔を強張らせています。ワイドボーン大佐もヤン大佐も顔を顰めています。代案なんてそんな簡単に出るわけが有りません。

「代案がないなら口を出すな!」
「……」
勝ち誇ったようにロボス元帥が言い放ちました。そして満足そうに艦橋を見渡します。自分の思うようにできて満足なのでしょう。まるで子供です。

「撤退を進言します」
「!」
周囲の驚く中、ヴァレンシュタイン大佐が無表情にロボス元帥を見ていました。グリーンヒル参謀長もワイドボーン大佐もヤン大佐もそしてロボス元帥も呆然としています。

「撤退だと、気は確かか、ヴァレンシュタイン」
「正気です、撤退と言っても戦略的撤退です」
「……」
心底呆れたように言うロボス元帥にヴァレンシュタイン大佐は冷静に答えました。

戦略的撤退? 皆が訝しげな顔をしています。周囲が疑問に思う中、大佐の声が流れました。
「一旦イゼルローン要塞に接近します。その上で帝国軍に艦隊決戦を申し込むのです。決戦の場はティアマトかアルレスハイム。我が軍は決戦の場まで後退します」

「馬鹿馬鹿しい、帝国軍がそんな児戯にも等しい挑発行為に乗ると思っているのか」
吐き捨てるようにロボス元帥が言いました。周囲にも頷く人間がいます。私もそう思います、大佐らしくありません。一体何が目的なのか……。

「敵が挑発に乗るようであれば艦隊決戦を行い、敵を撃破、損害の度合いにもよりますが余勢を駆ってイゼルローン要塞の攻略を実施するのです。つまり敵を分断し、各個に撃破することになります」
「!」

皆が顔を見合わせています。納得したようなしないような妙な表情です。各個撃破は分かりますがそれは敵がこちらの挑発に乗ればです。そう上手く行くとはとても思えません。皆も同じ思いなのでしょう。

「馬鹿馬鹿しい、何度も言うが帝国軍が挑発行為に乗ると思っているのか? 貴官はそれほどまでに帝国のミュッケンベルガーを愚かだと思うのか、話にならん。大体帝国軍が挑発に乗らなかったらどうするのだ」

「その時はハイネセンに戻ります」
「ハイネセンに戻る? 馬鹿か、貴官は。一体何を考えている。話にならん。グリーンヒル参謀長、よくもこんな馬鹿を重用しているな、呆れたぞ」

ロボス元帥はここぞとばかりヴァレンシュタイン大佐を罵倒しました。グリーンヒル参謀長も困惑を隠しません。でも大佐は平然としています。まるで自分が罵倒されているとは理解していないように見えます。

「ハイネセンに戻ったらフェザーン経由で帝国に噂を流します。帝国のミュッケンベルガー元帥はヴァンフリート星域の会戦で敗れてから艦隊決戦に自信を無くしている。同盟軍が艦隊決戦を望んでも彼は要塞に籠ったまま出てこなかった……」
「!」

ワイドボーン大佐とヤン大佐が顔を見合わせています。私には二人が互いに目で何かを話しているように見えます。他にも何人かが頷きながら考え込んでいました。

「ミュッケンベルガー元帥は誇り高い人物です。次は必ず艦隊決戦を望んでくるでしょう。そこを万全の態勢で迎え撃つ」
「……」
大佐の言葉に頷く人間が増えてきました。

「帝国軍が敗北すればミュッケンベルガー元帥は失脚せざるを得ません、当然帝国軍は誰が宇宙艦隊司令長官になるかで混乱します。例え新司令長官が決まっても体制が固まるまでは時間がかかるでしょう」
「……」

「その時点でイゼルローン要塞攻略作戦を発動するのです。要塞攻略作戦はそれまでに策定すれば良い、今焦って攻撃する必要はありません。場合によっては今の作戦案をそのまま使うことが出来るかもしれません。次に来る時にはオフレッサーが居ない可能性もあります……」

あちこちで呻くような声と小声で話し合う声が聞こえました。艦橋の空気は先程までとは一変しています。重苦しい雰囲気から明らかに高揚した雰囲気に変わっていました。

凄いです! 今回のイゼルローン要塞攻略戦、とても成功するとは思えませんでした。ですが大佐はそれを逆に利用して敵を謀略にかけようとしています。作戦案に不安がある以上、無理な力攻めは皆したくないでしょう。大佐の考えに賛成する人は多いはずです。

何といっても要塞攻略の作戦案を今慌てて立てる必要はないのです。それに撤退してもこれなら周囲から責められることは有りません。ロボス元帥も受け入れやすいはずです。興奮しました、私だけじゃありません、皆興奮しています。周囲の声が徐々に大きくなりました。

私はヴァレンシュタイン大佐がロボス元帥を嫌っていると思っていました。将官会議でロボス元帥をやり込めたのもそれが有るからだろうと。でも大佐はちゃんと代案を考えていたんです。同盟軍が勝つための代案を……。

大佐は個人的な感情で作戦参謀としての任務を忘れるようなことはなかった。それどころかこんな凄い作戦案を考えるなんて、本当に凄いです。軍人として能力だけじゃなく、その姿勢まで本当に凄いんだと思いました。

こんな凄い人が帝国に居たんだと思うと恐ろしくなります。少なくとも私の知る限り同盟には大佐に匹敵するような人がいるとは思えません。

グリーンヒル参謀長も頻りに頷いています。顔面が紅潮していますから参謀長も興奮しているのでしょう。ワイドボーン大佐もヤン大佐も言葉を交わしながら頻りに頷いています。

「面白い作戦案だな、ヴァレンシュタイン大佐」
言葉とは裏腹に好意の欠片も感じられない口調でした。ロボス元帥が顔を歪めてヴァレンシュタイン大佐を見ています。その姿に艦橋の興奮は瞬時に消えました。

「全く面白い作戦案だ。ところで一つ確認したいことが有る」
「なんでしょうか」
「次の艦隊決戦だが総司令官は誰だ?」
「……」

ヴァレンシュタイン大佐は沈黙しています。その姿にロボス元帥が顔を歪めて笑いました。
「そこにいるグリーンヒル参謀長か?」
「閣下、何を言うのです」

ロボス元帥の言葉にグリーンヒル参謀長が顔を強張らせて抗議しました。ですがロボス元帥は厭な眼でグリーンヒル参謀長を見ています。その視線にグリーンヒル参謀長は口籠りました。

「……失礼ですが小官には人事権は有りませんので分かりかねます」
ヴァレンシュタイン大佐の言葉にロボス元帥がまた笑いました。明らかにロボス元帥はヴァレンシュタイン大佐を嘲笑しています。

「そうかな、貴官はシトレ本部長ともトリューニヒト国防委員長とも親しい。貴官が進言すれば私を首にして参謀長を総司令官にすることも容易いのではないかな」

ロボス元帥の言葉にヴァレンシュタイン大佐は何の感情も読み取れない声で答えました。
「何か誤解があるようです。小官はシトレ本部長ともトリューニヒト国防委員長とも親しくは有りません」

「ヴァンフリートでは貴官の望みは全てかなえられた。そして会戦後は二階級昇進だ。それでも親しくはないと?」
「何度でも言いますが親しくは有りません」

ロボス元帥とヴァレンシュタイン大佐は互いの顔を見ていました。元帥は明らかに敵意を持って、そして大佐は無表情に相手を見ています。ロボス元帥が低い声で笑い声を上げました。

「確かに面白い作戦案だ。だが、敵がこちらの思惑通りに動くとは限らん。貴官の作戦案は総司令官として却下する。グリーンヒル参謀長、イゼルローン要塞へ向けて艦隊を進めたまえ。これは命令だ!」

重苦しい空気の中、グリーンヒル参謀長が艦隊をイゼルローン方面に進めるように指示を出しました。ロボス元帥はそれを見届け、微かに唇を歪めてから指揮官席に腰を下ろします。艦橋に居る参謀達は皆、暗い表情で顔を合わせようとはしません。

ワイドボーン大佐もヤン大佐も同じです。そしてヴァレンシュタイン大佐は無言で席を立つと艦橋を出て行こうとしました。ロボス元帥がそれを見て低く笑い声を上げます。大佐にも聞こえたはずですが、大佐は振り返ることなく艦橋を出ていきました。



なかなか帰ってこないヴァレンシュタイン大佐が心配になって、探しに行ったのは三十分程経ってからの事でした。大佐はサロンに居ました。怒っている様子は有りません、どちらかと言えば悩んでいる感じです。椅子に腰かけ少し顔を俯き加減にしています。

声をかけ辛い雰囲気が有って少し離れた所で大佐を見ていると、大佐は私に気付いたようです。私を見て困ったように溜息を漏らしました。ですがそれがきっかけで大佐に近づくことが出来ました。

「あの、さっきの作戦案、凄かったです。あんな作戦案が有るなんて……」
気が付けばそんな事を言っていました。大佐は不愉快になるかと思いましたがそんな事は有りませんでした。微かに苦笑を浮かべただけです。

「本当は陸戦隊を見殺しにするつもりだったんです。その責めをロボス元帥に負わせ失脚させる……。その方が同盟のためになると思いました。今ここで失脚させておいた方が将来的にはプラスだろうと」
「……」

そうかもしれません。今日のロボス元帥の様子を見れば誰だって大佐と同じことを考えると思います。とても遠征軍の総司令官に相応しい振る舞いとは思えません。

「ですが、それではフォーク中佐やロボス元帥となんら変わりは無いと思いました。犠牲が出ると分かっていながら自分の利益のために見殺しにする……。寒気がしましたよ」

「ですが、大佐は同盟のためを思って……」
「綺麗ごとですよ、切り捨てられる方にとってはね。自分達を見殺しにするんですから……。一瞬でもあんな事を考えたのは許されることじゃない……」
大佐は暗い表情をしていました。自分を許せないと思っているのでしょう。

「でも、あの作戦案は本当に凄いです。私だけじゃありません。皆そう思っているはずです」
私は慰めを言ったつもりは有りません。本当にそう思ったんです。ですがヴァレンシュタイン大佐は私の言葉に苦笑しただけでした。

「何も考えつかなかったんです。もうどうにもならない、思い切って撤退を進言しようと……。そこまで考えて、もしかしたらと思いました……」
「……」
大佐が溜息を吐いて天井を見ました。

「あの作戦案を採用しても帝国との間に艦隊決戦が起きるという保証は有りません。そして勝てるという保証もない。あれはイゼルローン要塞攻略を先延ばしにしただけなんです。上手く行けば要塞攻略が出来る、その程度のものです」
「……」

「それでも作戦案としては壮大ですし、見栄えも良い。ロボス元帥としても勝算の少ない作戦案にかけるよりは受け入れやすいと思ったのですが、まさか自分が更迭されることをあそこまで恐れていたとは……」
大佐が疲れたような声を出して首を横に振りました。

「ヴァンフリートで勝ったのは失敗でした」
「大佐……」
「あそこで負けておけばロボス元帥もああまで思い込むことはなかった……」
ヴァレンシュタイン大佐の声は呟くように小さくなりました。納得いきません、あそこで負ければ大勢の戦死者が出ていたはずです。

「大佐、ヴァンフリートで負ければ皆死んでいました。あそこで勝ったから私達は此処にいるんです。違いますか?」
私はあの勝利をヴァレンシュタイン大佐に後悔してほしくありません。

私はヴァレンシュタイン大佐がどんな思いをして戦ったか知っています。色々有りました、大佐にとっては不愉快な戦いかもしれません。それでもあの戦いに勝ったことを後悔してほしくありません……。あの戦いは大佐の力で勝ったんです。だから私達は生き延びることが出来た……。

「基地を放棄すれば良かったんです。そうすれば基地の失陥は同盟軍全体の失態となったはずです。基地上空での艦隊決戦も発生しなかった……、ロボス元帥も面目を失うことはなかった。それなのに私は勝つ事に拘ってしまった。多分怖かったんでしょう……」
「……」

「一番拙い勝ち方になりました。そのツケを私達は今払わされている。一体私は何をやっているのか……」
そう言うとヴァレンシュタイン大佐は大きく溜息を吐きました。

私は何も言えませんでした。大佐はただ後悔していました。慰めも同情も必要とはしていません、ただ後悔していたのです。私には黙って大佐を見ている事しかできませんでした……。

 

 

第二十八話 第六次イゼルローン要塞攻略戦

宇宙暦 794年 10月 20日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


艦橋の雰囲気はどんよりとしている、はっきり言って暗い。グリーンヒル参謀長を頂点に皆が冴えない顔をしている。まるで葬式に参列しているような感じだ。

ロボスの表情だって明るくない。周囲が皆反対だと分かっているせいだろう、不機嫌そうな表情で指揮官席に座っている。これで戦争するってか? 何の冗談だと言いたくなる。

ワイドボーンとヤンが俺を見ている。この二人は俺が撤退案を出してから俺と話したがっている。しかし俺は考えたい事があると言って断っている。言い訳じゃない、実際どうやって要塞内に侵攻した陸戦隊を撤収させるかを考えているのだ。

難しい問題だ、要塞外での艦隊戦がどうなっているか分からない。そしてロボスが撤収を認めるかどうかも分からない。手が全くないわけじゃない、だがそれにはかなりの覚悟がいる。

もしかするとワイドボーンとヤンも陸戦隊の撤収方法を考えているのかもしれない。それを俺に相談しようとしているのかも……。であればなおさらこの二人とは話は出来ない……。

それにしても何で俺がこんな苦労をしなければならんのか。俺は亡命者だろう? その俺が頭を抱えていて、ロボスだのフォークなんていう馬鹿どもが好き勝手やっている。どういう訳だ? 俺はそんなに前世で悪いことをしたか? 三十前に死んでるんだがな、何なんだこれは、頭痛いよ。

「参謀長、始めたまえ」
「……はあ、……宜しいのですか?」
ロボスが作戦の開始を命じたがグリーンヒル参謀長はロボスに再確認した。気持ちは分かる。一旦始まったら途中で止める事は出来ない。止めるときは敗北を認める時だ。ロボスに再考を促したのだろう。

「何をぐずぐずしている! 始めたまえ!」
ロボスが額に青筋を立ててグリーンヒルを怒鳴りつけた。うんざりした、思わず溜息が出たよ。ロボスが俺を睨んだが知ったことか、ここまでくるとなんかの祟りか呪いじゃないかと思いたくなる。

「作戦を開始する、各艦隊に所定の位置につくように伝えてくれ」
「はっ、各艦隊に連絡します」
グリーンヒル参謀長の声もそれに答えたオペレータの声も生気がない。連絡を受けた各艦隊も似たようなもんだろう。まるで死人の艦隊だ。

同盟軍が布陣を整えイゼルローン要塞から約7光秒ほどの距離に迫ったのは三時間後の事だった。艦隊は未だ要塞主砲(トール・ハンマー)の射程外にある。要塞の外には帝国軍艦隊が展開していた。ざっと二万隻は有るだろう。要塞にはさらに後二万隻程度は有るはずだ。合計約四万隻、楽な戦じゃないな。

帝国軍二万隻がこちらに向けて攻撃をかけてくる。本気の攻撃じゃない、同盟軍を要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内に引き摺り込むための挑発行為だ。もちろん同盟軍もその辺は分かっている。要塞主砲(トール・ハンマー)の射程限界、その線上を出入りして敵の突出を狙う。

「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」、同盟軍が血の教訓によって得た艦隊運動の粋だ。タイミングがずれれば、要塞主砲(トール・ハンマー)の一撃で艦隊が撃滅されてしまう。

そして帝国軍は同盟軍をD線上の内側に引きずり込もうとする。その際、自分たちまで要塞主砲(トール・ハンマー)に撃たれてはならないから、退避する準備も怠らない。D線、まさにデッド・ラインだ。

両軍ともに虚々実々の駆け引きが続くが、これは兵士たちにとって恐ろしいほどの消耗を強いる事になる。イゼルローン要塞攻防戦は同盟にとっても帝国にとっても地獄だ。

「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」が始まって二時間、ミサイル艇の攻撃を阻む位置に帝国軍艦隊の姿は無い。やはりラインハルトはミュッケンベルガーに受け入れられていない。ロボスも艦隊が居ないことを確認したのだろう。グリーンヒル参謀長に攻撃命令を出した。

「グリーンヒル参謀長、そろそろ攻撃を始めたまえ」
「……はっ」
グリーンヒル参謀長がロボス元帥の命令に頷いた。

妙な感じだ、普通なら参謀長が司令官に提案する形で積極的に作戦実行に関わっていく。ところがグリーンヒルは全く関わろうとしない。ロボスの命令を嫌々実行している。馬鹿馬鹿しくてやってられないのだろう。ロボスもそのあたりは分かっている。不満そうな表情でグリーンヒルを見ている。

帝国軍の艦隊は同盟軍主力部隊の動きを牽制しつつこちらを要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内に引きづり込もうとしている。同盟軍主力部隊もそれに応じつつ敵を牽制している。そして、その陰でミサイル艇三千隻が動き出した。要塞主砲(トール・ハンマー)の死角からイゼルローン要塞に対してミサイル攻撃をかけた。

イゼルローン要塞表面の数か所のポイントに数千発のミサイルが集中し次々に爆発した。おそらく要塞内部では混乱で大騒ぎだろう。要塞表面が白く輝く。その姿に艦橋内部でも嘆声が上がった。
「続けてミサイル艇に攻撃させよ! 強襲揚陸艦発進準備! どうだ、見たか!」

ロボスが興奮した声を出した。最後の言葉は誰に向かって言った? 帝国軍か、それとも俺達に対してか? 戦いはまだ始まったばかりだ、総司令官がこの程度で喜んでどうする、馬鹿が。行きはよいよい、帰りは恐い、問題はこれからだ。



宇宙暦 794年 10月 20日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース  マルコム・ワイドボーン



艦橋が歓声に沸く中、ヴァレンシュタインは冷静にスクリーンを見ていた。周囲の興奮からは全く距離を置いている。やはりヴァレンシュタインは攻める事よりも退く事を考えているのだろう。どうやって陸戦隊を撤収させるか、それを考えているのに違いない。

昨日、ヴァレンシュタインが撤退案を出した。ヤンの感想は“惜しい”だった。“イゼルローン要塞を攻略に来て何もせずに帰る……。ロボス元帥でなくても難しいだろう。ましてロボス元帥の立場は余りにも弱すぎる、そしてロボス元帥とシトレ元帥は反目している。ロボス元帥の立場が強ければ、或いはロボス、シトレ両元帥が協力体制にあれば、撤退案は受け入れられたかもしれない……”

フォークの作戦案が実行される以上、問題になるのは陸戦隊の撤収だ。その問題を話し合おうと何度かヴァレンシュタインに声をかけたが彼は言を左右にして話し合いに加わらなかった。

“無理に誘うのは止めよう。彼は彼なりに撤収案を考えているのかもしれない”
“しかし、それなら一緒に考えた方が効率が良いだろう”
“彼だってそれは分かっているだろう、その上で一人で考えているのかもしれないよ”
“……”
“そうする必要が有る、彼はそう思っているのかもしれない……”

イゼルローン要塞の表面がまた爆発した。ミサイル艇が再攻撃をかけたらしい。スクリーンには要塞に向けて進撃する強襲揚陸艦の姿が映っている。艦橋では参謀達が興奮した声を上げている。或いは作戦が上手く行くと考え始めたのかもしれない。

「強襲揚陸艦がイゼルローン要塞に接岸しました!」
オペレータの声に艦橋が更に沸いた。
「陸戦隊を要塞内に突入させろ、イゼルローン要塞を奪うのだ!」
「はっ」
ロボス元帥が上機嫌で命令を下した。

陸戦隊か、ローゼンリッターもあの中にいるだろう。シェーンコップ大佐も突入を控えて興奮しているのだろうか……。気持ちの良い男だった、出来れば無事に戻ってきて欲しいものだ。

本当ならあの男が連隊長になるはずだった。だがヴァーンシャッフェ連隊長が准将に昇進しても異動しなかった。本当なら何処かの旅団長になってもおかしくなかったのだがリューネブルクの逆亡命がまだ尾を引いていたようだ。表向きは適当な旅団長職が無いという事だったが連隊長のまま据え置かれた……。

ヴァーンシャッフェがヴァレンシュタインに好意を持たないのもそれが原因だ。ヴァンフリートでリューネブルクを殺しておけば或いは旅団長になれたかもしれない、そう考えているのだろう。そして今回のイゼルローン要塞攻略戦でも要塞内への突入を危険だとするヴァレンシュタインを忌諱している。自分の出世を邪魔する人間だと見ているようだ……。

馬鹿な話だ、ヴァレンシュタインは損害を少なくしようとしただけだ。誰かの出世を阻もうとしたことなどないだろう。彼はフォークとは違う、ヴァーンシャッフェはそのあたりが分かっていない。いや、人間出世や欲が絡むと真実が見えなくなるのかもしれない。自分の都合の良いようにしか見えなくなる……、俺も気を付けなければ……。

「ローゼンリッターが要塞内に突入しました。続けて第三混成旅団が突入します」
「うむ、イゼルローン要塞攻略も間近だ!」
ロボス元帥が顔面を紅潮させて叫んだ。こちらを見て嘲笑うかのような表情をしている。馬鹿が、問題はこれからだろう。

艦橋の中で興奮と無縁なのは六人だけだ。グリーンヒル参謀長、ヴァレンシュタイン、ヤン、俺、そしてバグダッシュとミハマ大尉だ。俺達は皆スクリーンを見ているがミハマ大尉はどちらかと言えば俺達を見ている。もしかすると心配しているのかもしれない。要塞が落ちたら俺達の立場が無いだろうと。

ローゼンリッターが要塞内に突入してから三十分が経った。艦橋が陸戦隊からの朗報を待つ中、陸戦隊から連絡が入った。
「ローゼンリッターから連絡です」
「どうした」

「我、敵の伏撃を受けり! ヴァーンシャッフェ准将、戦死!」
「!」
瞬時にして艦橋の空気が凍った。皆顔を見合わせている。

「馬鹿な、伏撃など有り得ん! 苦し紛れの反撃ではないのか!」
ロボス元帥が顔を引き攣らせて問いかけたが誰も答えられない。伏撃、つまり待ち伏せされた。しかもローゼンリッターの連隊長が戦死している。損害は決して小さいものではあるまい。苦し紛れの反撃と断言できるのか……。周到な用意をしていたとみるべきではないのか。

グリーンヒル参謀長は表情を強張らせている、ヤンも顔面が蒼白だ。そしてヴァレンシュタインは目を閉じていた、表情は硬い……。

「ローゼンリッターは現在シェーンコップ大佐が指揮、後退中とのことです」
「後退だと! 馬鹿な、後退など認めん!」
「敵の指揮官はオフレッサー上級大将! リューネブルク准将!」

オフレッサー上級大将! リューネブルク准将! 偶発的な遭遇戦じゃない。明らかに敵は十分な用意をして待ち伏せをしていた。自分の顔が強張るのが分かった。参謀達も皆顔を引き攣らせている。

「元帥閣下、敵は十分な用意をもってこちらを待ち伏せていました。我々の作戦は見破られていたのです。陸戦隊の撤収を進言します」
静かな声だった、だがヴァレンシュタインの撤退進言は艦橋をさらに凍り付かせた。

「ば、馬鹿な、そんな事は有り得ん。ミサイル艇の攻撃は成功したではないか。何故待ち伏せが出来るのだ。そんな事は有り得ん」
ロボス元帥の声が震えている、顔面は蒼白だ。

「帝国軍は宇宙艦隊をミュッケンベルガーが、陸戦隊をオフレッサーが指揮しています。ミュッケンベルガーはこちらに作戦に気付かなかった。しかしオフレッサーは気付いたのです」
「何を言っている……、オフレッサーが気付くなど有り得ん。あの野蛮人に我々の作戦案を見破ることなど……」

ロボス元帥の呻くような口調にヴァレンシュタインが顔を顰めた。こうなることは分かっていた。それなのに今更何を……。そんな気持ちなのかもしれない。

「気付いたのは別の人間でしょう。その人間がオフレッサーに忠告したのです」
「別の人間?」
「ラインハルト・フォン・ミューゼル准将です」

ラインハルト・フォン・ミューゼル、ヴァレンシュタインの口調は苦い。そしてヤンの表情が強張るのが見えた。バグダッシュ中佐、ミハマ大尉も蒼白になっている……。

「彼は天才です。こちらの作戦に気付いた、しかし彼はミュッケンベルガーの信頼を得ていない。その意見は無視されたか、或いは最初から進言などしなかったのでしょう」
「何を言っている……」
ロボス元帥が訝しげに問いかけた。しかしヴァレンシュタインは静かな声で話し続けた。

「彼はヴァンフリート4=2でリューネブルクと共に基地を攻めました。そして地獄を見た。おそらくそこで繋がりが出来たのでしょう。何よりあの二人には後が無い、もう失敗は出来ないんです。その事が二人を協力させた」
「だから何を言っているのだ!」

激高するロボスをヴァレンシュタインは冷たい視線で見た。
「まだ分かりませんか? ミューゼル准将がこちらの作戦を見破りリューネブルク准将に知らせた。リューネブルクはそれをオフレッサーに知らせた。オフレッサーは半信半疑だったでしょうが、念のため伏撃態勢をとった。そこに陸戦隊が突っ込んだ、そういう事です」

「……有り得ん」
ロボス元帥は首を振っている。未だ事実を認められずにいる。そしてヴァレンシュタインがもう一度撤退を進言した。

「陸戦隊の撤退を進言します。このままでは損害が増えるだけです。要塞占拠が不可能な今、速やかに撤収させ損害を少なくするべきです」
「総司令官閣下、小官も同意見です。これ以上の戦闘は無益です」
グリーンヒル参謀長がヴァレンシュタインに同調した。反対する参謀はいない、皆視線を合わすことなく俯いている。

「駄目だ、撤退は認められん。態勢を整え再突入するのだ!」
「閣下、ローゼンリッターは連隊長が戦死しているのです。損害は小さなものでは有りません。再突入など無理です」
再突入を叫ぶロボス元帥をグリーンヒル参謀長が諌めている。

「ローゼンリッターなど磨り潰しても構わん! 再突入させよ!」
「!」
信じられない言葉だった。グリーンヒル参謀長が唖然とした表情でロボス元帥を見ている。参謀長だけではない、皆がロボス元帥を見ていた。そしてロボス元帥は目を血走らせてグリーンヒル参謀長を睨んでいる。

「再突入だ!」
「……」
皆、沈黙している。再突入を叫ぶ総司令官、沈黙して立ち尽くす参謀長……。

「参謀長閣下」
ヴァレンシュタインがグリーンヒル参謀長に声をかけた。救われたように参謀長がヴァレンシュタインに視線を向ける。ヴァレンシュタインは無表情に参謀長を見ていた。

「何かな、ヴァレンシュタイン大佐」
「小官は自由惑星同盟軍規定、第二百十四条に基づき、ロボス元帥閣下を総司令官職より解任することを進言します」
ヴァレンシュタインの静かな声が雷鳴のように艦橋に鳴り響いた。

 

 

第二十九話 第二百十四条

宇宙暦 794年 10月20日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース ミハマ・サアヤ


「小官は自由惑星同盟軍規定、第二百十四条に基づき、ロボス元帥閣下を総司令官職より解任することを進言します」
ヴァレンシュタイン大佐の声が艦橋に流れました。静かな声です、ですが私の耳にはこれ以上無いくらいに大きく響きました。

艦橋は静まり返っています。ヤン大佐もワイドボーン大佐も蒼白になっています。グリーンヒル参謀長は大きな音を立てて唾を飲み込みました。艦橋に居る人間すべてがその音を聞いたでしょう。よく見ると参謀長の身体が小刻みに震えているのが見えました。

自由惑星同盟軍規定、第二百十四条……。細かな文言は忘れましたが戦闘中、或いはそれに準ずる非常事態(宇宙嵐、乱気流等の自然災害に巻き込まれた時を含む)において指揮官が精神的、肉体的な要因で指揮を執れない、或いは指揮を執るには不適格だと判断された場合(指揮官が指揮を執ることで味方に重大な損害を与えかねない場合だそうです)、その指揮下に有る部下が指揮官を解任する権利を有するといった内容の条文です。

一種の緊急避難と言って良いでしょう。この規定を運用できるのは次席指揮官、或いは幕僚長の地位にある人間だけです。そして決断した者が新たな指揮官としてその任を引き継ぎます。この場で言えばグリーンヒル参謀長です。参謀長が緊張するのも無理は有りません。

「第二百十四条だと? 馬鹿か貴様は。参謀長、こんな馬鹿の言う事など真に受けるな。それとも貴官は軍法会議を望むのか? これまでの全てを無にするのか?」
「……」

ロボス元帥がヴァレンシュタイン大佐を嘲笑いながら参謀長に問いかけました。グリーンヒル参謀長の顔がますます強張ります。そして艦橋に居る人間は皆押し黙って参謀長を見ていました。

第二百十四条が適用された場合、後日その判断の是非を巡って軍法会議が開かれることになります。第二百十四条は緊急避難なのですからその判断の妥当性が軍法会議で問われるのです。軍の命令系統は上意下達、それを揺るがす様な事は避けなければなりません。そうでなければ第二百十四条は悪用されかねないのです。

解任に正当な理由が有ると判断されれば問題はありません。しかし正当な理由が無いと判断された場合は抗命罪が適用されます。今は戦闘中ですから抗命罪の中でも一番重い敵前抗命罪、さらに徒党を組んだとして党与抗命罪が適用されるでしょう。最悪の場合死罪もあり得ます。ロボス元帥の言う全てを無にするのかという言葉は誇張ではないのです。

グリーンヒル参謀長だけでは有りません。ヴァレンシュタイン大佐も第二百十四条の適用を勧めたとして罪に問われます。グリーンヒル参謀長が第二百十四条を行使しなくてもです。

この第二百十四条が適用されるのは主として陸戦隊が多いと聞いています。凄惨な白兵戦を展開している中で指揮官が錯乱し判断力を失う……。特に実戦経験の少ない新米指揮官に良く起こるそうです。

もっとも宇宙空間での戦闘では白兵戦そのものがあまり有りませんから第二百十四条が適用された事など殆どありません。まして宇宙艦隊で総司令官の解任が進言される等前代未聞です。グリーンヒル参謀長が決断できないのも仕方ないのかもしれません。

ロボス元帥が大きな笑い声を上げました。その眼には勝ち誇ったような色が有ります。ヤン大佐が溜息を吐くのが聞こえました。私も同じ思いです。第二百十四条は部下が上官の愚行を防ぐ最後の手段なのです。

それが無になった……。ヴァレンシュタイン大佐は戦闘中に第二百十四条を上官に進めた。軍を無意味に混乱させたとして罪に問われるでしょう。反逆者と呼ばれることになります。

私はヴァレンシュタイン大佐の顔を見ることが出来ませんでした。大佐は反逆者と呼ばれる危険を冒してまで将兵を危機から救おうとしました。同盟の人じゃない、亡命者なのに同盟の将兵を救おうとしている。それなのにその全てが無に帰そうとしている……。

悩んだでしょう、苦しんだと思います。何故自分がそんな危険を冒さなければならないのかと……。それでも大佐は目の前の危機を見過ごすことが出来なかった……。大佐の言葉を思い出しました。”犠牲が出ると分かっていながら自分の利益のために見殺しにする……。寒気がしましたよ”

私は馬鹿です、どうしようもない愚か者です。大佐が帝国の内情に詳しいからと言ってそれを訝しんだり畏れたりしました。一体それが何なのでしょう、ワイドボーン大佐が言うように多少知識が豊富だというだけです。それなのに……。

大佐の心は誰よりも暖かく誠実なのに、そこから目を逸らしていました。ロボス元帥やフォーク中佐のように自分の出世や野心のために人の命を踏みにじる人間こそが化け物です。大佐は、大佐は、間違いなく人間です。目の前で危険にさらされる人を見過ごせない普通の人間です。

「参謀長、攻撃の続行だ!」
高らかに命じるロボス元帥を憎みました。第二百十四条を行使しないグリーンヒル参謀長を憎みました。それほどまでに自分の地位が大事なのか、人として恥ずかしくないのかと……。

私も第二百十四条の行使を進言しようと思いました。意味は無いかもしれません、でももしかすると他にも私と同じように参謀長に進言してくれる人が居るかもしれません。そうなれば参謀長も受け入れてくれるかもしれないと思ったのです。

例え居なくても大佐に同盟人は恥知らずばかりだとは思われたくは有りません。少しでも大佐の前で顔を上げて立ちたい……。そう思った時です、グリーンヒル参謀長がゆっくりとした口調でロボス元帥の命令を拒否しました。

「……残念ですが、それは出来ません」
「なんだと、貴様……」
ロボス元帥が信じられないと言った表情でグリーンヒル参謀長を見ています。そして参謀長はロボス元帥を沈痛な表情で見ていました。

「自由惑星同盟軍規定、第二百十四条に基づき、ロボス元帥閣下の総司令官職を解任します」
「……馬鹿な……、気でも狂ったか! グリーンヒル!」

ロボス元帥が怒声を上げました。元帥の顔には先程までの勝ち誇った色は有りません。そして参謀長が苦渋に満ちた声を出しました。
「正気です。もっと早く決断すべきだったと後悔しています」

思わず私は胸の前で両手を合わせていました。とりあえず大佐は罪人になることを免れました。軍法会議は残っていますが、少なくとも大佐の想いを参謀長は受け入れてくれたのです。

「馬鹿な……、何を言っている。冗談だろう、グリーンヒル」
「冗談ではありません。もっと早く決断すべきだったと言っているのです!」
何かを断ち切る様な声でした。そして大きく息を吸い込み艦橋の参謀達を見ました。

「この件については貴官達の判断は必要としない。私の判断で行う、指示に従ってくれ」
参謀達が黙って頷きました。その様子をロボス元帥が唖然として見ています。

第二百十四条を行使する場合、次席指揮官が独断で判断して行使する場合と周囲の過半数の賛同を得てから行使する場合が有ります。元々は戦闘中では過半数を求めているような余裕が無いことから定められた規定でした。

ですが今では違う意味があります。独断で行う、つまり周囲には累を及ぼさないという意味です。参謀長の言葉で、この後軍法会議が行われても査問の対象となるのは解任されたロボス元帥、解任を決断したグリーンヒル参謀長、そして第二百十四条の行使を勧めたヴァレンシュタイン大佐の三人だけとなりました。

グリーンヒル参謀長が保安主任を呼びました。そしてロボス元帥を自室に連れて行くように命じました。
「分かっているのか、グリーンヒル! お前は終わりだぞ、今なら間に合う、考え直せ!」

艦橋から連れ出される直前のロボス元帥の言葉です。身を捩りながら悲鳴のような叫びでした……。終わりなのはロボス元帥です。部下から第二百十四条を突きつけられるような人間に軍での将来は有りません……。

艦橋は静まり返っていました。
「済まんな、ヴァレンシュタイン大佐。私がもう少し早く決断していれば貴官を巻き込まずに済んだ……」
「……いえ、お気になさらずに」

グリーンヒル参謀長とヴァレンシュタイン大佐が話しています。参謀長は沈痛な表情をしていましたが、無表情に返事をする大佐に微かに苦笑を漏らしました。

「閣下! 帝国軍が強襲揚陸艦に向かっています!」
静まり返った艦橋にオペレータが警告を発しました。瞬時に艦橋は緊張に包まれました。皆が戦術コンピュータとスクリーンを交互に見ています。

「ミサイル艇だけでは防げない、艦隊を動かして混戦に持ち込もう」
「それしかないね」
ワイドボーン大佐とヤン大佐が話し合っています。多くの参謀がその言葉に頷きました。私も同感です、混戦状態なら敵の進撃を止めることが出来ます。それに敵は要塞主砲(トール・ハンマー)を打てません。安全に味方の撤収を進めることが出来るのです。

「駄目です、揚陸艦を廃棄させてください。それとミサイル艇の撤収を」
「何を言っているんだ、ヴァレンシュタイン」
大佐、どうしたんです、一体。艦を廃棄だなんておかしいです。皆が訝しげに見る中、ヴァレンシュタイン大佐は頑迷に揚陸艦の廃棄を主張しました。

「揚陸艦を廃棄させ、ミサイル艇を撤収させろと言っているんです。強襲揚陸艦の乗組員はイゼルローン要塞に退避させてください」
「……」
「訳は後で話します、早く!」

大佐の強い口調にグリーンヒル参謀長がミサイル艇の退避、強襲揚陸艦の廃棄と乗組員のイゼルローン要塞への退避を命じました。そしてヴァレンシュタイン大佐へ視線を向けました。

「何故かね大佐?」
「ここで混戦状態を作り出せばミュッケンベルガー元帥は味方殺しをする恐れがあります」
「!」

味方殺し、その言葉に皆がギョッとしたような表情になりました。
「馬鹿な、こちらは撤退しようとしているんだぞ、味方殺しをする必要がどこにある?」

ワイドボーン大佐が幾分震え気味の声で問いかけます。そしてヴァレンシュタイン大佐が明らかに冷笑と分かる笑みを浮かべました。そんな顔をするから大佐は怖がられるんです。

「勝っているのはオフレッサーですよ、ワイドボーン大佐。ミュッケンベルガーは要塞に陸戦隊を送り込まれるという失態を犯しました。自分が勝っているなどとは思っていないでしょう。もしかすると辞職さえ考えているかもしれない」
「……」

「こんな時に混戦状態を作り出したらどうなります? ミュッケンベルガーは同盟軍が帝国軍の動きを封じ、新たな攻撃をかけてくると判断するでしょう。これ以上の失態は許されない、要塞を守らなければならない。追い込まれたミュッケンベルガーが何を考えるか……」
ヴァレンシュタイン大佐の言葉に艦橋の彼方此方で呻き声が聞こえました。

「しかし、だからと言って味方殺しを……」
参謀の一人が弱々しい声で抗議しましたがヴァレンシュタイン大佐が睨みつけて黙らせました。

「ロボス元帥はどうでした? 彼は味方を磨り潰すことさえ躊躇わなかった。ミュッケンベルガーの立場はロボス元帥より悪いんです。彼が味方殺しを躊躇う理由は有りません。彼にはどんな犠牲を払おうと要塞を守るしか道は無いんです」
「……」

大佐の言うとおりです。追い込まれた人間がどれだけ危険かは私達自身が今経験したばかりの事です。そしてその後始末のために私達は苦労している……。皆その事を思ったのでしょう、何人かの参謀がやりきれないような表情で誰もいない指揮官席を見ました。

しばらく沈黙が落ちた後、ヴァレンシュタイン大佐が何かを振り払うかのように首を一度横に振りました。そして考えをまとめるような口調で話し始めます。皆が黙ってそれを聞きました。

「要塞内にはまだ二万隻は有るはずです。味方殺しをした後にその二万隻を出撃させる、そして強襲揚陸艦を、ミサイル艇を攻撃する……。味方にそれを防ぐことが出来ますか?」
「……」

皆、何も言いません。黙って視線を逸らすだけです。到底出来る事ではないと思ったのでしょう。その様子を見てヴァレンシュタイン大佐が言葉を続けました。

「もう一度混戦状態を作りだせますか? 味方殺しを目の前で見てその上で混戦状態に持ち込めと言っても味方は二の足を踏むでしょう。なすすべもなく強襲揚陸艦とミサイル艇は撃破される」
「……」

「ヴァレンシュタイン大佐の言うとおりだ。ミュッケンベルガー元帥は追い込まれている。味方殺しをするかもしれない。混戦状態は作り出せない……」
ヤン大佐が顔を顰めて溜息を吐きました。その声に促されるかのように何人かが頷いています。

「要塞内の味方を撤収させる方法は? 何か考えが有るかね?」
グリーンヒル参謀長が問いかけました。
「……百隻程度の小艦隊で目立たないように接岸し収容するしかありません。一度ではむりでしょう、最低でも二度は行う必要が有ります」

彼方此方から溜息が聞こえました。百隻程度の艦隊では敵の攻撃を受ければ一たまりもありません。しかも混戦状態に出来ない以上、味方は牽制程度の攻撃しかできないのです。

敵が収容用の艦隊を攻撃しようとした時は要塞に近づき敵を牽制する。しかし不用意に要塞に近づけば要塞主砲(トール・ハンマー)の一撃を受けます。同盟軍は厳しい状況に追い込まれました。

ヴァレンシュタイン大佐の言葉にヤン大佐が続けました。
「味方の主力艦隊はミュッケンベルガー元帥の注意を、敵艦隊の注意を引く必要が有るな、結構難しい戦術行動を強いられそうだ……。ミサイル艇を他の場所で使用してミュッケンベルガー元帥の注意を逸らすか……」

「簡単じゃないぞ、ヤン」
「だがやらなければならない。そうだろう、ワイドボーン」
ワイドボーン大佐が溜息を吐き、ヤン大佐は頭を掻いています。

「敵艦隊が強襲揚陸艦を攻撃します」
オペレータの声に皆がスクリーンを見ました。スクリーンには敵の攻撃を受け爆発する強襲揚陸艦の姿が映っています。その様子を見ながらヴァレンシュタイン大佐がグリーンヒル参謀長に意見を述べました。

「味方の収容を行う艦隊を至急用意してください。小官が作戦の指揮を執ります……」


 

 

第三十話 救出作戦

宇宙暦 794年 10月20日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース ミハマ・サアヤ



「味方の収容を行う艦隊を至急用意してください。小官が作戦の指揮を執ります……」
ヴァレンシュタイン大佐の言葉に艦橋に居る全員が大佐を見ました。皆驚いています。

「何を言っている。貴官は艦隊の指揮などした事はないだろう」
ワイドボーン大佐がヴァレンシュタイン大佐を咎めました。小規模の艦隊を率いてイゼルローン要塞に接岸するのです。艦隊運用の未経験者に任せられる事ではありません。ワイドボーン大佐が怒るのは当たり前です。

それに場合によっては敵の攻撃を受ける事もあります。そうなったら僅か百隻程度の艦隊では全滅する可能性が高いのです。ワイドボーン大佐はヴァレンシュタイン大佐を失いたくないと思ったのでしょう。他にも頷いている人が何人か居ます、同じ気持ちなのだと思います。

「艦隊の指揮を執るとは言っていません。救出作戦の指揮を執らせてくれと言っています」
「しかし」
ワイドボーン大佐がグリーンヒル参謀長に視線を向けました。止めて欲しいという視線です、ですがヴァレンシュタイン大佐は自分が指揮を執ると言い募りました。

「救出作戦は一度では終わりません。二度、三度と行うことになる。小官はイゼルローンに残り彼らの撤収を最後まで見届けます」
「!」
その言葉にまた艦橋の皆が驚きました。

「馬鹿な、自分の言っている事が分かっているのか? 最後尾を務めると言っているのと同じだぞ!」
「ワイドボーンの言うとおりだ、危険すぎる」
ヤン大佐がワイドボーン大佐に同調しました。私も同感です、危険すぎます。

最後尾を務める、場合によっては救出が間に合わず敵に捕捉、殲滅される恐れもあります。ヴァレンシュタイン大佐は亡命者です。亡命者は捕虜になる事は出来ない、そう言ったのはヴァンフリートで戦った大佐自身です。それなのに何故そんな危険な事をするのか……。

「救出活動は一度では終わりません。当然ですが最後尾には苦しい戦いを強いる事になるでしょう。位置から言ってローゼンリッターが務める事になります」
「……」
ローゼンリッター、その名前に皆の表情が曇りました。

帝国軍も最後尾を務めるのがローゼンリッターと知れば激しく攻めてくるでしょう。帝国軍にとってローゼンリッターは敵ではありません、忌むべき裏切り者の集団なのです。連隊長を失い多大な被害を受けたであろう彼らにとっては酷過ぎる戦場になるのは間違いありません。

「彼らに事情を話し必ず救出するから時間を稼いでくれと説明しなければなりません。小規模艦隊での救出を提案したのは小官です。小官には彼らに説明する義務が有ります」
「しかし……」

ワイドボーン大佐が反論しようとしましたが口籠ってしまいました。ヤン大佐がワイドボーン大佐の肩に手をかけます。大佐がヤン大佐を見ました。ヤン大佐は黙って首を横に振ります。ワイドボーン大佐が悔しげに唇をかむ姿が見えました。

「総司令部は今回の攻略戦で将兵の信頼を失いました。その信頼を取り戻すには総司令部の人間が犠牲になる覚悟を示す必要が有ります。小官は亡命者でもあります。小官が残れば彼らも信じてくれると思います」

道理だと思います、しかし何故大佐がとも思います。皆同じ思いなのでしょう、遣る瀬無い表情をしています。ワイドボーン大佐は顔を顰めヤン大佐は何度も首を振りました。

「閣下、小官はフォーク中佐のようにはなりたくありません。救出作戦の指揮を執らせてください」
ヴァレンシュタイン大佐がグリーンヒル参謀長に訴えました。参謀長は目を閉じて考えています。そして目を開いた時、参謀長の目は真っ赤でした。

「救出作戦の指揮はヴァレンシュタイン大佐が執る」
「閣下!」
掠れた声でした、そしてその掠れたような声にワイドボーン大佐の悲鳴が重なります。ですがグリーンヒル参謀長が命令を覆すことは有りませんでした。

「救出用の艦隊を選抜してくれ……。ヴァレンシュタイン大佐、貴官には苦労をかける……」
「……小官は準備が有りますのでこれで失礼します」

ヴァレンシュタイン大佐が敬礼するとグリーンヒル参謀長が答礼を返しました。参謀長の答礼は心なしか長かったような気がします。踵を返して艦橋を出ようとする大佐の行く手をワイドボーン大佐が塞ぎました。

「ヴァレンシュタイン、答えてくれ。昨日、俺達と話をしなかったのは第二百十四条の所為か……。俺達を巻き込むまいと考えたのか……」
「……」
呻くような声でした。周りも皆俯いています。ヴァレンシュタイン大佐は無表情にワイドボーン大佐を見ていました。

「何故だ、何故俺達に相談しない……」
何かを堪えるような、絞り出すような声です。
「……急ぐんです、そこを退いてください」
ヴァレンシュタイン大佐の声は何の感情も見えない機械的な声でした。

「……お前は何時もそうだ。何故だ、ヴァレンシュタイン……」
ワイドボーン大佐は退こうとしません。そしてヴァレンシュタイン大佐は微かに苛立ちを見せると低く、凄みさえ感じさせる声を出しました。
「そこを退きなさい……。 私は急ぐんです!」

そう言うとヴァレンシュタイン大佐はワイドボーン大佐を押し退け、足早に艦橋を出て行きました。押し退けられた大佐は切なそうにヴァレンシュタイン大佐の出て行った方を見ています。そしてヤン大佐の方を見ました。

「ヤン、お前は気付いていたのか?」
「……ああ、もしかしたらとは思っていた」
「何故言わなかった!」
ワイドボーン大佐が激昂しました。

「言えばどうした? 彼と共に第二百十四条を進言したのかい? そんな事を彼が望んだと思うのか」
「……」
ワイドボーン大佐が唇を悔しげに噛みました。そしてヤン大佐はワイドボーン大佐から視線を逸らしました。

「彼が我々に話さない以上、我々に出来る事は無いんだ」
「……お前はいつもそうだ、気付いているのに何も言わない……」
「……」
ワイドボーン大佐は振り返るとグリーンヒル参謀長に話しかけました。

「閣下、閣下はヴァレンシュタインから相談を受けていたのですか?」
「昨日の事だ、少し無茶をするかもしれないと言っていた。それだけだ……」
「……少し無茶……」

ワイドボーン大佐が首を振っています。私も同じ思いです、第二百十四条の行使の進言が少し無茶……。一体大佐は何を考えているのか……。
「その後どういうわけか娘の話になった。大事にして下さいと言われたよ」
「……」
微かに参謀長が苦笑を洩らしました。

「今日、彼が第二百十四条を持ち出した時正直迷った。軍法会議で有罪になればどうなる、全てを失うだけじゃない、フレデリカも反逆者の娘と蔑視される、そう思うと正直迷った……」
「……」

艦橋ではグリーンヒル参謀長を責めるようなそぶりをする人間はいません。ただ黙って参謀長の話を聞いています。私はあの時参謀長を憎みました。でも今の参謀長の想いをあの時知っていたらどうだったでしょう。参謀長を憎む事が出来たでしょうか……。憎むより恨んだかもしれません。何故こんな事になったのかと……。

「正直彼を恨んだよ、何故そんなものを持ち出すのだとね。彼を見た時、全くの無表情だった。縋るような色も怒りの色も無かった。ただ無表情に私を見ていた。その時彼が何故娘の話を持ち出したのか分かった。例え私が二百十四条を受け入れなくても恨みはしない、そういうことだったのだと思う……」
「……」

「そう思った時、私は無性に自分が恥ずかしくなった。出世や保身のために将兵を見殺しにする人間と家族可愛さにそれを許してしまう人間との間にどれだけの違いが有るのだろうと……。そんな父親を娘は誇りに思えるのかとね……」
「……」

「ヴァレンシュタイン大佐には済まない事をしたと思っている。本当なら彼の進言が有る前に私が自分で決断すべきだった。だが私には第二百十四条の行使を考えることができなかった。その所為で彼を巻き込んでしまった……」

静まり返った艦橋に参謀長の声だけが流れます。静かな落ち着いた声ですが悲しそうに聞こえました。でもその思いに達するまでの葛藤がどんなものだったのか……。私にはとても想像できません。

「ハイネセンに戻れば軍法会議が待っている。娘には正直に全てを話すつもりだ。どんな結果になるかは分からないがきっと理解してくれると思っている……」
「……」

「ワイドボーン大佐」
「はい」
「彼を水臭いとは思うな。いざとなれば全てを自分が被る。彼はそう考えてしまう人間なのだ」

労わる様な声です。参謀長は優しそうな笑みを浮かべていました。
「だから悔しいんです。自分はまだ彼から信頼されていないのかと思うと……、情けないんです……。あいつが心配です、また無理をするんじゃないかと……」

切なさが溢れてくるような声でした。ワイドボーン大佐が以前言った言葉を思い出しました。
“信頼というのはどちらか一方が寄せるものじゃない、相互に寄せ合って初めて成立するものだ”

ワイドボーン大佐はヴァレンシュタイン大佐との間に信頼を結びたがっています。でもその信頼を結ぶことが出来ずに苦しんでいる……。今更ながら信頼を結ぶという事の難しさを思い知らされました。

「私も行きましょう」
「バグダッシュ中佐……」
陽気な声でした。中佐の顔には笑みが有ります。参謀長と同じ笑みでした。

「彼とは長い付き合いです、嫌がるかもしれませんが私も行きますよ。大丈夫、必ず彼を連れ帰ってきます。それに此処にいるより彼の傍にいる方が安全かもしれない。彼は無敵ですからね」
おどけたようなその言葉にようやく艦橋に笑い声が上がりました。

「すまん、バグダッシュ中佐」
ワイドボーン大佐が頭を下げました。笑わなかったのは大佐だけだと思います。小さな声でした。

「私も、私も行きます」
「ミハマ大尉……」
「お願いです、私も行かせてください」

気がつくと私はバグダッシュ中佐に、ワイドボーン大佐に頼んでいました。私に何が出来るか分かりません。でも行きたい、行かなければならないと思いました。大佐の前で俯くようなことはしたくない、正面から大佐を見る事が出来る人間になりたいと思ったんです。

嫌われてもかまいません、憎まれてもいい。でも信頼はされたい……。いざという時、逃げるような人間じゃない、そう思われたかったんです。大佐が二百十四条を出した時、私は何もできなかった。あんな思いはもうしたくありません。

「此処にいる方が安全だ」
「ヴァレンシュタイン大佐の傍の方が安全です」
私の言葉にバグダッシュ中佐が苦笑しました。

「少しは出来るようになったか……。良いだろう、付いてこい。但し自分の面倒は自分で見ろよ。それが良い女の条件だ。閣下、お許しを頂けますか? もっとも駄目と言われても行きますが……」

グリーンヒル参謀長が苦笑しました。
「否も応も無いな。二人とも気を付けて行け」
そう言うと参謀長はまた苦笑しました。

バグダッシュ中佐が歩き出しました。私もその後に続きます。危険極まりない所へ行くのに私の歩みは可笑しなくらい弾んでいました。ようやく私は最初の一歩を踏み出すことが出来たのです。そして歩き続ければ、ヴァレンシュタイン大佐がそれを認めてくれれば何時か信頼を得られるはずです……。


 

 

第三十一話 イゼルローンにて(その1)

宇宙暦 794年 10月20日  イゼルローン要塞 バグダッシュ



艦隊がイゼルローン要塞に接岸し、要塞内部に入ると早速第三混成旅団から四、五人の出迎えがやってきた。どうやら旅団長自ら来たらしい、余程に焦っているようだ。気密服とヘルメットで表情は見えないが歩き方に余裕が無い。戦況は厳しいのだろう。

「第三混成旅団、旅団長のシャープ准将だ」
拙いな、上級者である向こうから声をかけてきた。普通はこちらが切り出すのを待つもんだが……。そんな余裕もないほど追いつめられているという事か……。或いは実戦経験が少ないのかもしれん。だとすると多少パニック気味という事もあるのだろう。

「総司令部から来ましたヴァレンシュタイン大佐です。こちらはバグダッシュ中佐、ミハマ大尉です」
「うむ、撤退命令が出たようだがどうなっている?」

訝しげな声だ。無理もない、撤退というのに要塞に接岸したのは百隻程度の小艦隊だ。イゼルローン要塞にはローゼンリッター、第三混成旅団、そして強襲揚陸艦からの脱出者を含めれば一万人を超える人間が助けを待っている。輸送船、あるいは揚陸艦で一気に撤退すると考えているのだろう。

「あの艦隊で撤退していただきます」
「何だと?」
シャープ准将が驚きの声を出したが、ヴァレンシュタイン大佐は全くかまわなかった。

「詳しい話はバグダッシュ中佐から聞いてください」
「待て、大佐」
「小官はローゼンリッターに最後尾を務めるように伝えなければならないのです。そこの貴官、案内を頼めますか」

そう言うとヴァレンシュタインはシャープ准将と共に出迎えた士官に案内をさせて立ち去った。シャープ准将は訳が分からないといった表情で俺を見ている。やれやれ後始末は俺か……。まあここに来た甲斐が有ったと考えるとするか……。

「撤退の順は、先ず負傷者を最優先とします。次に強襲揚陸艦の乗組員、第三混成旅団、最後にローゼンリッターとなります」
「待て、あの艦隊では運びきれんぞ。輸送船か揚陸艦を何故用意しない、いや通常の艦を使うなら何故もっと大規模にしない、何を考えている?」

シャープ准将は唾を飛ばしそうな勢いで問いかけてきた。やはりこいつにロボス元帥解任の件は話せんな。話したら自分が納得するまで質問攻めだろう。悪いがそんな暇はない。

「総司令部の判断です。大規模な撤退作戦は敵の注意を引き徒に撤退行動を危険に曝すだろうと総司令部は考えています。そのため小規模艦隊による順次撤退作戦を総司令部は考えました。すでに総司令部は次の撤退作戦を実施する艦隊を用意しています。我々が乗ってきた艦隊が撤収すると直ぐにこちらに向かってくるはずです。時間にして三十分とは待たないはずです」

こういう時には総司令部の名を連呼することだ。しつこく質問すれば総司令部に不満を持っていると思われるのではないか、相手にそう思わせることで口を噤ませる……。案の定、シャープ准将は不満そうでは有ったが、口には出さなかった。

「最優先で撤退させるのは負傷者となりますが?」
「問題ない、第三混成旅団もローゼンリッターも負傷者は一つにまとめている、最優先で撤退させる必要が有るからな」
胸を張って言わんでくれ。大して自慢になることでもない。

「ではその後に強襲揚陸艦の乗組員、第三混成旅団となります」
「……第三混成旅団は一度では運べんな……」
「そうですね、閣下には次の艦隊で撤収という事になります」
シャープ准将が顔を顰めるのが見えた。指揮官なんだから当然だろう、そんな顔をするな、情けない……。

「……やむを得んな。総司令部の決定とあれば」
「宜しくお願いします。小官はヴァレンシュタイン大佐の後を追わねばなりません。ではこれで」
「うむ」
そうそう、それでこそ指揮官だ。頑張ってくれよ、シャープ准将。ああ、それから案内を付けてもらわないと……。


ローゼンリッターのシェーンコップ大佐は仮の司令部を設置して部隊に指示を出していた。傍にいるのはブルームハルト大尉か。しかし大佐は居ない……。思わずミハマ大尉と顔を見合わせた。大尉も訝しげな表情をしている。

「よう、来たな。ヴァレンシュタイン大佐から貴官達の事は聞いている」
陽気な声をシェーンコップ大佐が答えた。ヴァレンシュタイン大佐が此処に来たのは間違いないようだ。であれば先ずは……。

「ヴァーンシャッフェ准将の事、残念でした」
俺の言葉にシェーンコップ大佐とブルームハルト大尉が表情を改めた。
「ああ、お気遣い痛み入る。だが此処は戦場だ、それ以上は後日にしよう」

「そうですな、先ずは生きている人間を何とかしなければ」
「全くだ、特に生きている敵を何とかしなければな」
シェーンコップ大佐が不敵な笑みを浮かべた。頼りになる男だ、苦境でこういう笑みを浮かべることが出来るとは……。

「ヴァレンシュタイン大佐はどちらに」
ミハマ大尉が問いかけた。
「捕虜を調べている、帝国軍の情報を得ようとしているようだ」
「捕虜?」

押されているのはこっちだ、捕虜が居るのか? 俺だけじゃない、ミハマ大尉も訝しげな表情をしている。そんな俺達が可笑しかったのだろう、シェーンコップ大佐が笑い声を上げた。ブルームハルト大尉と顔を見合わせている。

「十発ぐらいは殴られたが、こっちも三発ぐらいは殴り返した。そうじゃなければ連隊は壊滅しているさ」
「なるほど、さすがはローゼンリッターですな」
「世辞は良い」
世辞じゃない。伏撃を受け、連隊長を失ったのだ。一方的に叩かれてもおかしくはなかった。戦闘力は一個師団に相当する、その評価は伊達じゃない。

「損害は大きかったのですか?」
「伏撃を受けた、一方的に攻撃を受けたんだ。場所もよくなかった。狭い通路で身を隠すところが無かったからな。あっという間だったよ、百人ほどが死んだ……」
シェーンコップ大佐が顔を苦痛に歪めている。

「ヴァーンシャッフェ准将もその時に戦死しました。ローゼンリッターは指揮官を失いさらに混乱した……」
ブルームハルト大尉の声は淡々としていた。しかし表情はシェーンコップ大佐同様、苦痛に歪んでいる。

「ヴァーンシャッフェ准将を責められん。要塞に入ってからほとんど抵抗を受けなかった。奇襲は完全に成功した、連隊長はそう思ったんだ、俺もそう思った。あそこで伏撃など誰も考えていなかっただろう」
本心から言っているのか、それとも死者の名誉を守ろうとしたのか、或いはその両方か……。話を変えた方がよいだろう。

「……シェーンコップ大佐が無事だったのは幸いでした」
「俺は後方にいたからな、運が良かった、それとも悪かったのかな。崩れたつ味方をなんとかまとめるので精一杯だった。結局三百人程が戦死しただろう。重傷者も似たようなものだ、部隊は約五分の一を失った……」

その状態で逆撃をかけた、簡単にできる事じゃない。ヴァーンシャッフェ准将を失い、連隊も大損害を出した。それでもシェーンコップ大佐という新しい指揮官を得ることが出来た……。

「ところで最後尾の件、お聞きになっていますか?」
「聞いている。まあ俺達がやることになるだろうとは思っていた、予想通りだな」
「……」
淡々とした口調だった。ブルームハルト大尉も平然としている。これまでにも似た様な事は有ったのかもしれない。

「予想が外れた部分もある」
「と言うと?」
「貴官達が最後まで付き合うという事だな。物好きなことだ」
そう言うとシェーンコップ大佐とブルームハルト大尉が笑い声を上げた。思わず俺も笑い声を上げた。ミハマ大尉も苦笑している。

「ロボス元帥が解任されたことは?」
「それも聞いた、ローゼンリッターなど磨り潰しても構わん、そう言ったそうだな。それでグリーンヒル大将が二百十四条を行使したと……、違うのか?」

俺達の表情に気付いたのだろう、シェーンコップ大佐が尋ねてきた。
「正確にはヴァレンシュタイン大佐が二百十四条の行使を進言したのですよ。それなしではロボス元帥の解任は無かったでしょう」
「……」

「その上で此処に来ることを志願しました。一つ間違えば捕虜になる危険性が有る。ですが総司令部が将兵の信頼を得るためには総司令部の人間が犠牲になる覚悟を示す必要が有ると言って此処に来たんです」
「……それでは堪りませんな」

ブルームハルト大尉が呟くように言葉を出した。その通りだ、総司令部はまるでお通夜の様だった。全てを彼に負わせてしまったのだ。ワイドボーン大佐の嘆きは彼一人のものじゃない。皆が自己嫌悪に陥っている。彼を死なせることは出来ない。

「ヴァレンシュタイン大佐を死なせることは出来ません。だから私はここに来ました。戦闘では役に立たないと思います、でもいざという時は弾除けの代わりくらいにはなれると思います。本当は生きて帰りたいですけど」

ミハマ大尉が明るい声で話している。自分で言っていて可笑しくなったのだろう、彼女が笑い声を上げた。全く同感だ、俺も笑い声を上げていた。

「……随分と想い入れが有るようだ」
シェーンコップ大佐がこちらを見定めるような視線を向けてきた。
「そうですね。彼とは長い付き合いです、色々と想いは有ります……。問題はそれが片想いだという事なんですよ」

片想いか、戦場には似つかわしくない言葉だ。だが今のヴァレンシュタイン大佐は周囲と関わりを持つのを避けようとしている。ワイドボーン大佐も俺もミハマ大尉もその事で苦しんでいる。もしかするとヴァレンシュタインも苦しんでいるのかもしれない。まさに片想い以外の何物でもない……。

「情の強い人ですからね」
「意地悪で根性悪ですし」
「それに怖い所のある美人だ」
「本当は優しい人ですよ、大佐は」

気が付くと皆で笑っていた。全く此処にいるのはどうしようもない連中だ。俺も含めて度し難い馬鹿ばかりだ。しかし、それも悪くない……。



宇宙暦 794年 10月20日  イゼルローン要塞 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「ヴァレンシュタイン大佐、こっちです」
リンツが俺を小部屋に案内した。多分物置部屋かなんかだろう。此処がイゼルローン要塞のどのあたりになるのか、今一つよく分からん。

「武装は解除していますが気を付けてくださいよ。大佐に万一の事が有ったらシェーンコップ大佐に殺されますからね」
「大げさですね」
「とんでもない、本心ですよ」
分かった、分かった。だから荷電粒子ライフルも持っているじゃないか、安心しろ。

部屋の中に入ると兵士が三人、こちらに敬礼してきた。どうやら見張りのようだ。答礼しつつ部屋の中を見渡すと四人の帝国人が居た。四人とも気密服は着ているがヘルメットはしていない。三人は座っているが一人は横になって蹲って腕で顔を隠すようにしている。

肝が太いのか、それとも負傷しているのか……。多分負傷だろう。寝ている奴がいるとしたらアントン・フェルナーぐらいのものだ。少し離れたところからさりげなくライフルを構えた。三人の顔に緊張が走る。

「教えてほしい事が有ります。答えてください」
「……」
問いかけると三人が俺を胡散臭そうな表情で見た。一人は長身のようだ、もう一人は腕に怪我をしている。後の一人はかなり体格が良い。こいつらの胡散臭そうな顔を見ると気が滅入るよ……。

「卿らの指揮官は誰です」
「……」
今度はお互いに顔を見合わせた。利敵行為になるんじゃないかと心配でもしているのか……。

「オフレッサー上級大将が居るのは分かっています、リューネブルク准将もね。他には?」
また顔を見合わせた。皆訝しげな表情をしている。

「他には居ない。二人だけだ」
長身が答えた。少し訛りが有る、おそらくは辺境出身だろう。
「間違いありませんか?」

俺の問いかけに長身は頷いた。ラインハルトの名前が出ない、俺の勘違いか……。だとすると誰があのミサイル艇の攻撃を見破った? リューネブルク? いや、見破ったのはラインハルトのはずだ。だが此処にいないとすれば奴は何処にいる?

まさかとは思うがミュッケンベルガーの傍か……。だとするとこちらの撤収作戦を見抜くのは間違いない。作戦は失敗か? どうする? 別な脱出法を考えるか? このままだとラインハルトは俺達を餌に同盟の主力艦隊をおびき寄せようとするかもしれん……。

「あの人の事を言ってるのかな?」
怪我をしている男が首を傾げながら呟いた。
「あの人とは誰です?」

俺の問いかけにまた三人が顔を見合わせた。
「あれは艦隊指揮官だろう、装甲擲弾兵とは関係ない」
「そうだぜ、大体あれは飾りだろう? 艦隊指揮官なのに出撃も許されないそうじゃねえか」

長身と体格の良い男が口々に否定した。なるほど彼らの間ではラインハルトは飾りか……。だから居ないと言ったのか……。
「もう一人いるのですね。誰です、それは」

「……ミューゼル准将。でもただの飾りだ、出撃を許されなくてリューネブルク准将とつるんでいる」
「姉が皇帝陛下の寵姫だからな。小僧のくせに准将閣下だぜ」
「リューネブルク准将は亡命者だから友達がいないのさ、だからあんな小僧とつるんでいるんだ」

相変わらず人望が無いな、ラインハルト。だが問題はそこじゃない、ラインハルトはやはりリューネブルクと繋がりを持った。どういう関係になるのかは分からないが厄介だな……。

「今、彼は、ミューゼル准将は何処にいます?」
「オフレッサー閣下、リューネブルク閣下と一緒にいるさ」
「装甲擲弾兵を指揮しているのですね」
「指揮なんかしてないさ、小僧に出来るかよ」

体格の良い男が露骨にラインハルトに対して反感を表した。今のラインハルトには実績は無い。出撃を止められおまけにまだ准将という中途半端な地位だ。この男が反感を示すのも無理はないだろう。

知りたいことは分かった。今のところはこちらの想定内だ。ラインハルトはミュッケンベルガーに対して影響力は持っていない。とりあえず此処を凌げば撤収は可能だろう。後はシェーンコップの力量次第だ、心配はない。

寝てる奴、顔だけでも見ていくか。俺がその男に近づくとリンツが厳しい声を出した。
「大佐、気を付けてください」
「ええ」

俺が大佐と呼ばれたことが意外だったようだ。三人が驚いたような表情を見せた。人を驚かすのは悪い気分じゃない、そう思いながら寝ている男の腕を荷電粒子ライフルで動かした。その男の顔を見た瞬間、息が止まった。

「ギュンター! ギュンター・キスリング!」
何でお前が此処にいる。お前はオーディンで憲兵隊のはずだ。一体何が起きた?





 

 

第三十二話 イゼルローンにて(その2)

宇宙暦 794年 10月20日  イゼルローン要塞 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


目の前でギュンター・キスリングが倒れている。どういう事だ? こいつはオーディンで憲兵隊にいるはずだ。異動? まさかとは思うが志願した?
「大佐、その男をご存じなのですか?」

呆然としている俺にリンツが問いかけてきた。訝しげな表情をしている。慌てて周囲を見た、リンツだけじゃない、三人の捕虜も同じような表情だ。無理もない、反乱軍の大佐と捕虜が知り合い? 有りえん話だ。

「ええ、士官学校で同期生でした。私の親友です」
「そうですか……」
リンツが他の兵士と顔を見合わせ困ったような顔をしている。親友が捕虜、おまけに負傷している、怪我は決して軽傷じゃない。なかなかドラマチックな展開だ……。大丈夫、俺はまだ現状を冷静に把握している。

キスリングの体を確認した。気密服の左脇腹の下辺りに怪我をしている。撃たれた傷じゃない、刺された傷だ。手当はしてあるようだ。もっとも手当と言っても応急手当だ。自軍の負傷者の手当てだけで手一杯だっただろう、応急手当てをしてあるだけでもましな方だ。本格的な治療をしないと長くは持たない……。

「……あんた、今キスリング少佐の親友だって言ったよな、大佐。……ローゼンリッターじゃないのか?」
体格の良い男が俺を値踏みするような、探る様な目で見ている。他の二人も似たような目だ……。嫌な目だ、俺はさりげなくキスリングから離れ連中から距離を取った。

「彼は所属が憲兵隊だと聞いていましたが?」
「異動になったんだとさ。なんか上に睨まれたらしいぜ」
体格の良い男が面白くもなさそうな口調で答えた。上に睨まれた……。おそらくはカストロプ公に睨まれ、飛ばされたのだろう。

「アントン・フェルナーを知っていますか?」
三人が顔を見合わせ、訝しげな表情をした。どうやらフェルナーは此処には居ない、ブラウンシュバイク公の下に居るようだ。

フロトー中佐は俺の両親を殺すように命じたのはカストロプ公だと言った。そして俺をも殺せと言ったと。だが理由は言わなかった。何故俺の両親を殺したのか、未だに分からん。

ミュラーが言っていたがキスリングとフェルナーは俺の両親が殺された件を調べた、そして何かを掴んだ……。不愉快に思ったカストロプ公はそれを止めさせようとした。しかし彼はフェルナーには手を出せなかった、出せば帝国一の実力者であるブラウンシュバイク公を怒らせることになる。そこで立場の弱いキスリングが狙われた……、そういう事か。

フェルナーは当然だがキスリングを助けようとしたはずだ。ブラウンシュバイク公を動かそうとしたに違いない。だがキスリングを助けることは出来なかった。つまりブラウンシュバイク公でも助けることは出来なかったという事か……。

カストロプ公か……。彼については色々と思うところは有る、しかし何故俺の両親を殺した? 動機が分からん。どうせ何らかの利権が絡んでいるとは思うが……。

「あんた、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大佐か?」
いつの間にか思考の海に沈んでいたらしい。気が付くと体格の良い男が俺が絡むような口調で問いかけてきていた。

「……そうです」
俺が答えるのと同時だった。そいつが吠えるような声を上げていきなり飛びかかってきた。でかいクマが飛びかかってきたような感じだ。

しゃがみこんでそいつの足に荷電粒子銃の柄を思いっきり叩きつけた。悲鳴を上げて横倒しにそいつが倒れる。馬鹿が! 身体が華奢だから白兵戦技の成績は良くなかったが、嫌いじゃなかった。舐めるんじゃない。お前みたいに向う脛を払われて涙目になった奴は一人や二人じゃないんだ。

立ち上がって荷電粒子銃をそいつに突きつける。他の二名は既にローゼンリッターの見張りが荷電粒子銃を突きつけていた。
「ヴァレンシュタイン大佐! 大丈夫ですか!」
「大丈夫ですよ、リンツ少佐」

「貴様、一体どういうつもりだ! 死にたいのか!」
リンツが体格の良い男、クマ男を怒鳴りつけた。
「う、うるせえー。ヴァンフリートの虐殺者、血塗れのヴァレンシュタイン!俺の義理の兄貴はヴァンフリート4=2でお前に殺された。姉は自殺したぜ、この裏切り者が!」

クマ男の叫び声に部屋の人間が皆凍り付いた。姉が自殺? こいつもシスコンかよ、うんざりだな。思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキはうんざりだ。どうせ義兄が生きている時は目障りだとでも思っていたんだろう。

「ヴァンフリートの虐殺者、血塗れのヴァレンシュタインですか……。痛くも痒くも有りませんね」
俺はわざと声に笑みを含ませてクマ男に話しかけた。周囲の人間がギョッとした表情で俺を見ている。クマ男は蒼白だ。

「き、貴様」
「軍人なんです、人を殺して何ぼの仕事なんです。最高の褒め言葉ですね。ですが私を恨むのは筋違いです。恨むのならヴァンフリート4=2の指揮官を恨みなさい。部下の命を無駄に磨り潰した馬鹿な指揮官を」

その通り、戦場で勝敗を分けるのはどちらが良い手を打ったかじゃない。どちらがミスを多く犯したか、それを利用されたかだ。敵の有能を恨むより味方の無能を恨め。今の俺を見ろ、ウシガエル・ロボスの尻拭いをしている。馬鹿馬鹿しいにもほどが有るだろう。

「裏切り者は事実だろう!」
笑い声が聞こえた、俺だった。馬鹿みたいに笑っている。笑いを収めて蒼白になっているクマ男に答えた。
「私が裏切ったんじゃありません、帝国が私を裏切ったんです。恥じる事など一つも有りません」

呆然としているクマ男を放り出してリンツに近づいた。リンツは心配そうな表情で何処かオドオドしながら俺に話しかけてきた。
「大佐、あまり気にしないでください」
「大丈夫です、気にしていませんよ」

リンツが俺の顔を見ている。思わず苦笑が漏れた、俺はどうやら情緒不安定に見えるらしい。リンツが小声で話しかけてきた。
「先程の大佐の親友の方ですが……」
「……」
「あれは刺し傷でした。我々がやったものではありません」
「!」

キスリングは味方に刺された、そういう事か……。思わずリンツの顔を見詰めた。リンツは俺に答えるかのように無言で頷く。
「あの三人の中に犯人が居る可能性もあります」

思わず溜息が出た。敵と戦う……、だがその敵とは誰なのか。一体どれだけの人間が味方と思っていた人間に殺されたのか……。おそらくキスリングを殺そうとしたのはカストロプ公だろう。フェルナーに対する警告だ……。

部屋を出て仮の司令部に向かいながらリンツに話しかけた。
「シェーンコップ大佐は捕虜をどうするか言っていましたか?」
「いえ、何も言っていません。ですが逃げるのに精一杯ですからね、余程の大物でもなければ、多分放置していくことになるでしょう」

キスリングをどうするか……。此処に放置するのは危険だ、あの三人が殺す可能性もある。カストロプの意を受けているかもしれんし、俺に対する反感から殺す可能性もある。

捕虜として同盟に連れて行く? 気が進まんな、収容所生活は決して楽じゃないはずだ。捕虜交換だっていつあるか分からない……。亡命者として扱う……、無理だな、ハイネセンに戻ったら軍法会議だ。今無茶をすればキスリングだけじゃない、グリーンヒルの立場も危うくする。

残る手段は帝国側の信頼できる人物にキスリングを預けるか……。オフレッサー、リューネブルク、ラインハルト……。どいつもこいつも癖は有るだろうが信頼は出来るだろう、少なくとも部下を見殺しにする人間じゃない。問題はどうするかだな……。

死なせることは出来ない……。俺の所為でお前を死なせることは出来ない。キスリング、必ず助けてやる。



宇宙暦 794年 10月20日  イゼルローン要塞 ミハマ・サアヤ


ヴァレンシュタイン大佐がリンツ少佐と共に戻ってきました。大佐の表情は硬いです。そしてリンツ少佐が何処となく大佐を気遣うような表情をしています。
「何かわかりましたか?」

シェーンコップ大佐が問いかけるとヴァレンシュタイン大佐は頷きました。
「敵の指揮官ですが、オフレッサー上級大将、リューネブルク准将、それとミューゼル准将だそうです」

思わず横にいるバグダッシュ中佐と顔を見合わせました。中佐も表情を強張らせています。ラインハルト・フォン・ミューゼル准将……。大佐がヴァンフリートで何が何でも殺そうとした人物です。

大佐は天才だと言っていました。外れてくれればと思っていましたがやはり大佐の言った通りだったようです。こちらの作戦を見破って伏撃を仕掛けてきた……。大佐が自嘲交じりの口調で言葉を続けました。

「悪い予想が当たりました。やはりミューゼル准将がこちらの作戦を見破ったようです。唯一の気休めはミュッケンベルガー元帥は彼を無視している。そんなところですね」

シェーンコップ大佐が頷きながらヴァレンシュタイン大佐に問いかけた。
「出来るのですな、その男」
「出来ます……、こちらの状況はどうです」

シェーンコップ大佐がこちらに視線を向けました。釣られたようにヴァレンシュタイン大佐もこちらを見ます。バグダッシュ中佐が私を見ました。私は一つ頷いて大佐の問いに答えました。

「艦隊は負傷者、強襲揚陸艦の乗組員、そして第三混成旅団の約半数を収容しイゼルローン要塞を離れました。おそらく後三十分もすれば第二次撤収部隊がイゼルローンに到着します」

「問題は無い、そう見て良いのでしょうか?」
「問題は有る、敵がこちらの撤退に気付いた。攻撃が激しくなっている。艦隊が来ても撤退できるかどうか……」
苦渋に満ちたシェーンコップ大佐の声です。ヴァレンシュタイン大佐が顔を顰めました。

「此処から艦隊の到着場所までどんなに急いでも十分はかかる。艦に乗り込むまでにさらに十分、撤収作業には合計二十分はかかることになる」
「間違いありませんか?」
「間違いない、ミハマ大尉が撤収の所要時間をシャープ准将に確認した」

大したことではありません。シャープ准将と別れるときに撤収作業の時間を計って欲しいと頼んだだけです。第一次撤収作業は負傷者の搬送も含んでいます。おそらく第二次撤収作業は時間を短縮できるでしょう。それでもせいぜい二、三分です。やはり撤収作業には二十分かかると見た方がよいでしょう。

「大部分の兵を後退させ、少数の兵で時間を稼ぐ。タイミングを見計らって撤退し途中に仕掛けた爆弾で時間を稼ぐ……。今爆弾を仕掛けさせている。後十分もすれば終わるだろう」

シェーンコップ大佐の声は苦渋に満ちています。おそらく時間を稼いだ少数の兵が戻れる可能性はほとんどないと見ているのでしょう。

「私は最後まで残りますよ」
「ヴァレンシュタイン大佐!」
「シェーンコップ大佐は最後まで残るのでしょう。であれば私も残ります」
シェーンコップ大佐が一瞬口籠りました。

「……ヴァレンシュタイン大佐、貴官は戻ってくれ。貴官が戻っても誰も総司令部が、貴官が我々を見殺しにしたとは言わん。だから戻ってくれ」
何処か懇願するような響きのある口調でした。

「そうじゃ有りません。もしかすると味方の損害をもっと少なくできるかもしれないんです。だから此処に残ります」
ヴァレンシュタイン大佐は穏やかな笑みを浮かべていました。



宇宙暦 794年 10月20日  イゼルローン要塞 バグダッシュ


第二次撤収部隊がイゼルローン要塞に接岸した。シェーンコップ大佐は大部分の兵に後退命令を出し、自ら時間稼ぎをするために前線に出ようとしている。ヴァレンシュタイン大佐はリンツ少佐に捕虜を連れてくるようにと言うとシェーンコップ大佐の後を追った。

時間稼ぎをする場所は通路がコの字に曲がっている場所だった。百メートルほどの距離をおいて帝国軍と同盟軍が銃だけを突出し敵を牽制している。なるほど、此処なら敵を防げる。

しかし此処を撤退すれば、後は時間稼ぎを出来る場所はほとんどない。一気に帝国軍は攻撃をかけてくるだろう。後十五分程度は此処で時間稼ぎをする必要が有る。

「デア・デッケン、状況はどうだ?」
シェーンコップ大佐が話しかけたのは大柄な男だった。背はシェーンコップ大佐とほぼ同じか、だが厚みははるかに有る。

「向こうは戦意旺盛ですよ、大佐。何度かこちらへ突入しようとしました。まあ、撃退しましたが」
「当たり前だ、ここなら何時間でも連中に付き合えるさ」

リンツ少佐が捕虜を連れてきた。三人、いや四人だ。但し一人は背負われている。意識が無いようだ。
「ヴァレンシュタイン大佐、連れてきました」
「有難う、リンツ少佐」

「ヴァレンシュタイン大佐、彼らをどうするつもりです」
シェーンコップ大佐の問いかけにヴァレンシュタイン大佐は穏やかに笑みを浮かべた。
「彼らを帝国軍に返します。同盟に連れて行くような余裕はないですし捕虜を殺すのは気が引けますからね。此処で返します、それで時間を稼ぐ」

皆が訝しげな表情をした。捕虜の返還などそれほど時間稼ぎにはならない。だが大佐は少しも気にしなかった。
「後五分ほどしたら帝国軍に伝えてもらえますか、捕虜を返すから撃つなと」
シェーンコップ大佐がデア・デッケン大尉を見て頷いた。

五分後、デア・デッケン大尉が大声で捕虜を返すから撃つなと声を出した。
「さてと、卿らは一人ずつゆっくりと通路に出るんです。慌てて動くと敵と思われて撃たれますよ、良いですか?」
ヴァレンシュタイン大佐の言葉に三人が頷いた。そして大柄な男が問いかけてきた。

「キスリング少佐はどうする」
「卿らは向こうに着いたらこう言って下さい。もう一人動けない男が居る、その男は同盟の軍人が運んでくると。さあ行きなさい」

ヴァレンシュタイン大佐の言葉に三人が一人ずつゆっくりと通路に出る。緊張の一瞬だ、撃たれるのは帝国人だと分かっていても緊張する。幸い帝国軍は発砲しなかった。だがこれで稼げるのはせいぜい二分だ。しかし、キスリング? 何か引っかかるが……。

いや、問題は捕虜の返還だ。もっと後の方が良かったのではないだろうか、時間ぎりぎりに返す。連中はゆっくりと戻るはずだ、その隙に撤収する……。もう一人はこの場で置き去りにする。そこでも時間を稼げるだろう。そして最後は爆弾で敵の追い足を防ぐ……。

「シェーンコップ大佐、兵を撤退させてください」
「しかし、まだ時間が足りない。後五分は此処で防がないと……」
「後は彼を運ぶ事で時間を稼ぎます」
そう言うとヴァレンシュタイン大佐はキスリング少佐を見た。

「本当に運ぶのですか、運ぶと言って時間を稼ぐのではなく」
「運びますよ」
俺の問いかけにヴァレンシュタイン大佐が答えた。何気ない口調だ、隣家にお土産を持っていく、そんな感じだった。

「でも誰が運ぶんです」
ミハマ大尉が厳しい表情で尋ねた。おそらくは戻ってこれない、殺されるだろう。相手がこちらの意気を感じて戻してくれるという事も有り得るがあまり期待は出来ない。

「私が運びます。ギュンター・キスリングは私の親友ですからね」
「!」
キスリングとはあのキスリングか! 憲兵隊の彼が何故此処に……。驚く俺にミハマ大尉の呟く声が聞こえた。
「ギュンター……」





 

 

第三十三話 イゼルローンにて(その3)

宇宙暦 794年 10月20日  イゼルローン要塞 バグダッシュ



「馬鹿な、何を言っているんです。分かっているんですか、自分の立場が」
「分かっていますよ、そんな事は」
「分かっていません、行けば殺されます」

俺の言葉にヴァレンシュタイン大佐は何の感銘も受けた様子はなかった。平然としている。本当に分かっているのか? 俺と同じ疑問を持ったのだろう。ミハマ大尉が言葉を続けた。

「大佐、バグダッシュ中佐の言うとおりです。無茶です」
「もう決めたことです。我々は時間を稼がなくてはならない、私は彼を助けなくてはならない。だから部隊は私が彼を運んでいる間に逃げればいい」
まるで他人事の様な口調だった。本当に分かっているのか? いや分かっていないはずはない。ならば大佐は全てを捨てている……。そういう事なのか……。

シェーンコップ大佐がむっとしたような表情でヴァレンシュタイン大佐を見ている。ローゼンリッターの誇りを傷つけられたと思っているのだろう。俺がその立場でも同じことを思うはずだ。

「馬鹿なことを、貴官は我々に貴官を犠牲にして逃げろと言うのか」
押し殺したような口調だった。しかしヴァレンシュタイン大佐は相変わらず他人事の様な口調でシェーンコップ大佐に話しかけた。

「犠牲無しでの撤退は無理です。問題は誰が犠牲になるかでしょう……、私が志願すると言っている。それに上手く行けば帰って来れないとも限らない。犠牲が最少で済む可能性は一番高いんです」
「……しかし……」

シェーンコップ大佐が口籠った。確かにそうかもしれない。しかし、ヴァレンシュタイン大佐を犠牲にできるのか? 彼を犠牲にしてよいのか? 出来るわけがない、能力がどうこうという問題ではないのだ、我々はヴァレンシュタイン大佐に必要以上に犠牲を強いている。誰もがそれを負い目に感じているのだ。

「軍法会議も有るんですよ、大佐。グリーンヒル参謀長に全てを押し付けてそれで済ますつもりですか」
何としても彼をここから無事に連れて帰らなければならない。ヴァレンシュタイン大佐は責任感の強い男だ、他人に全てを押し付けて終わらせるようなことは出来ないだろう。

「私が死ねば、撤退作戦は総司令部の参謀が戦死するほどの難行だったとなります。撤退作戦をまるで検討しなかったロボス元帥は言い訳できませんよ。特に彼が切り捨てようとした亡命者が犠牲を払ったとなれば余計です」
「……」

「それにシトレ元帥は必ず私の死を利用します。ロボス元帥が軍法会議で勝つ可能性はゼロですね」
そう言うと大佐は微かに苦笑を漏らした。

「……大佐、大佐は勘違いしていますよ。シトレ元帥はそんな人じゃない。元帥は誰よりも大佐を高く評価しているんです。大佐の死を利用するなど……」
最後まで言う事は出来なかった。ヴァレンシュタイン大佐の笑い声がそれを止めた。

「私もシトレ元帥を高く評価していますよ、強かで計算高い……。シトレ元帥は喜んでくれますよ、生きてる英雄よりも死んでる英雄の方が利用しやすい。文句を言いませんからね」
そういうとヴァレンシュタイン大佐は今度はクスクスと笑い声を上げた。そして笑い終えると生真面目な表情を作った。

どうにもならない、大佐の我々に対する不信感には根強いものが有る。或いは我々と言うより彼を利用しようという国家に対しての不信感なのかもしれない。帝国を理不尽に追われた、その事が権力者に対して強い不信感を持たせている。そしてそれに代わる個人の友誼、信頼関係を結べずにいる。だから彼は痛々しいほどに孤独だ。

「確かに大佐にとって同盟での人生は望んだものではなかったかもしれません。不本意なものだったと思います。そしてその不本意な部分に我々が絡んでいるのも事実……」
「……」
大佐は微かに苦笑を浮かべた。その笑みが俺の心を重くさせる。

「ですが、分かって欲しいのです。我々は大佐を必要としているんです。そして大佐に我々に頼って欲しいと思っている。今の大佐は見ていられんのです……」

そう、頼って欲しいのだ。自分だけで抱え込まないでほしい。ワイドボーン大佐もそれを願っている。皆がそう願っている。

「……ギュンター・キスリングはこんなところで死んではいけないんです。彼は生きなければならない」
「それはヴァレンシュタイン大佐も同じでしょう」
ミハマ大尉が縋る様な口調で説得しようとした。しかしヴァレンシュタイン大佐は苦笑すると説得を拒否した。

「私は本当はこの世界に居ない人間だったんです。生まれた直後ですが一度呼吸が止まりました。そう、一度死んだんですよ、私は。それをどういう訳か今日まで生きてきた……、運命の悪戯でね」
「……」

ヴァレンシュタイン大佐がキスリングに視線を向けた。
「卿はいつも要領が悪い。アントンの悪戯で酷い目にあうのは何時も卿だ。その度に私が卿を助けた。今回もそうだ、私は亡命しているんだぞ。それなのにまた私に後始末をさせる……。これが最後だ、次は無いからな。自分で何とかしろ……」

優しい声だった、優しい目だった。大佐の本当の素顔はこれなのだ。同盟では誰も見たことは無いだろう。ミハマ大尉も無いに違いない……。堪らなかった、思わず声を出していた。

「大佐、小官が行きましょう」
ヴァレンシュタイン大佐が首を横に振った。
「残念ですが、それは駄目です、バグダッシュ中佐。私が行くことで時間を稼げる。貴官では時間を稼ぐことが出来ない」
「……」

確かにそうかもしれない。俺ではキスリングを運んだ瞬間に殺されかねない。しかしヴァレンシュタイン大佐なら向こうも多少は話そうとするだろう、時間を稼ぐことになる……。どうして、どうしてこうなる……。

「時間が有りません、これ以上ぐずぐずしていると帝国軍が怪しみます。私の指示に従ってください」
「しかし」
「救出作戦の指揮官は私です、私の指示に従いなさい」

皆が沈黙した。ヴァレンシュタイン大佐は正しいのかもしれない、しかし誰も納得していない。この遣る瀬無さは何なのか……。

「私は大佐についていきます」
「ミハマ大尉!」
驚いたような声をヴァレンシュタイン大佐が出した。

「時間が有りません。ぐずぐずしていると帝国軍が怪しみます。さあ行きましょう」
そうだ、止められないのなら付いていくしかない。

「小官も同行させていただく。大佐だけを死なせることは出来ません。同盟にも人はいる、亡命者だけに犠牲を払わせる事は出来ませんからな」
結局俺にはこれしかできない……。


帝国暦 485年 10月20日  イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル


「撃つな! 今負傷者を運ぶ! 撃つなよ!」
大声と共にゆっくりと人が出てきた。一人ではない、三人だ。三人が一人を支えている。支えられているのが負傷者か……。確かキスリング少佐と言っていた。

三人のうち一人は中肉中背だが後の二人は小柄だ。反乱軍には女性兵が居る、或いは女性兵かもしれない。女なら殺されるようなことは無い、惨いことはされないと考えたか……。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、奴が反乱軍の陸戦隊にいる。戻ってきた捕虜がそう言っていた。敵の陸戦隊はローゼンリッターだ。併せて捕殺すればこれ以上の武勲は無いだろう。ヴァンフリートでの借りも返せる。

だが敵もしぶとい。負傷者の返還はおそらくは撤退の時間稼ぎだろう。だが拒絶は出来ない、そんなことをすれば兵の士気にかかわる。大丈夫だ、こっちが圧倒的に優位なのだ、逃がしはしない。

いきなり銃声が聞こえると小柄な兵士が後ろに倒れた! 馬鹿な、誰が撃った? 相手は女だぞ。
「誰が撃った! 撃つなと言ったはずだぞ!」
オフレッサーが怒声を上げた。二メートルの巨体が吼えるとさすがに迫力が有る。

「あれはヴァレンシュタインだ! ヴァンフリートの虐殺者だ!俺は仇を取っただけだ!」
あの小柄な兵がヴァレンシュタイン? 叫んでいる男を見た。さっき戻ってきた男だ、オフレッサーほどではないが体格の良い男が叫んでいる。その男をオフレッサーが大股に近付くとものも言わずに殴り倒した。

「この恥知らずが! 誰かあの男達を連れてこい、武器は置いていけ、両手を上げてゆっくりと近づくんだ、早く行け! 丁重にだぞ、乱暴にするな」
滅茶苦茶な命令だったが言いたい事は分かる。相手に敬意を払えという事だろう。それと早く連れてこいという事だ。

「全く、これで借りが一つだ」
オフレッサーが面白くなさそうに呟いた。その様に思わずリューネブルクと顔を見合わせた。彼も何処か可笑しそうな表情を堪えている。

妙な男だ、ただの人殺しかと思ったが妙に憎めないところが有る。それがあるから部下からも慕われているのだろう。但し陸戦隊の指揮官としては二流だろう、リューネブルクには及ばない。

撃たれた兵、ヴァレンシュタインの傍に兵士が寄り添っている。ヴァレンシュタインは動いている。どうやら生きているようだ、怪我の度合いは此処からでは分からない……。しかし本当にヴァレンシュタインなのか?

帝国軍の兵士が両手を上げながらゆっくりと近づく。敵意は無いと理解したのだろう。ヴァレンシュタインとキスリングを帝国軍の兵士が抱えて歩き始めた。どうやら撃たれたのは肩のようだ。

兵士達がヴァレンシュタイン達を運んで来た。ヴァレンシュタインとキスリングをゆっくりと床に下ろす。ヘルメット越しに顔を見た。間違いない、ヴァレンシュタインだ。一度このイゼルローンで見たことが有る、写真は何度も見た。夢でも見たのだ。この男を殺す夢だった。

他の二人、一人は女だったが直ぐヴァレンシュタインの両脇に付いた。こちらに対する警戒心を隠さない。落ち着いているのはヴァレンシュタインだけだ。
「オフレッサーだ。先ず撃った事を詫びる、済まん。俺の命令が徹底しなかった」
オフレッサーの言葉にヴァレンシュタインは微かに笑みを浮かべた。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタインです。ギュンター・キスリング少佐をお返しします」
「確かに、受け取った」
オフレッサーが重々しく頷いた。

「何故此処に来た? 無事に帰れると思ったのか」
その言葉に両脇の二人が表情を強張らせた。
「彼は私の士官学校時代の同期生です。そして親友でもある」
「命を捨てる価値が有ると」

オフレッサーの言葉にヴァレンシュタインが微かに笑みを浮かべた。親友、その言葉にキルヒアイスを思い出した。キルヒアイスは俺のために命を落とした。今ヴァレンシュタインはキスリングのために命を捨てようとしている。親友、
たった二文字だ、だがその文字の重さは何物にも比較できない……。

オフレッサーが鼻を鳴らした。下品な男だ、この男には親友などいないだろう。
「キスリングを守ってください。彼の怪我は同盟軍が負わせたものではない」
その言葉にオフレッサーが厳しい表情を見せた。リューネブルクも同様だ。

「どういう事だ」
「傷を負わせたのは帝国軍の兵士です、彼は有る秘密を知っている。それが理由で憲兵隊から追われ、殺されかかった。彼を助けてほしい、それが出来ないなら同盟に連れて帰ります」

オフレッサーが吼えるような声で笑った。
「連れて帰るか、面白い男だ……、キスリングの事は心配するな。この俺が確かに預かった」
「感謝します」

「さて、次は卿の処遇だな」
「覚悟は出来ています。ただお願いが有ります。この二人を帰してほしい」
「大佐!」
「ヴァレンシュタイン大佐!」
両脇の二人が抗議の声を上げた。

「この二人は情報部なんです。私が帝国に同盟の情報を漏らすのではないかと恐れている」
「何を言うんです、そんな事は」
女が抗議した。

「だから私を殺したら彼らを帰してほしい。私がスパイではないと証明してくれるでしょう」
「馬鹿なことを、そんな事は誰も思っていない。いい加減にしろ! 大佐!」
今度は男が抗議した。

「お願いです、大佐を殺さないでください。大佐は帝国と戦いたくなかったんです」
「止めなさい、ミハマ大尉」
女が身を乗り出して命乞いを始めた。ヴァレンシュタインは顔を顰めている。

「私達が大佐を戦争に引きずり込んだんです。悪いのは私達なんです」
「止めなさい!」
「……」

ヴァレンシュタインが微かに苦笑を漏らした。
「リューネブルク准将、女と言うのはどうにも面倒な生き物だと思いませんか?」
「同感だが、何故俺に訊く」
「女運が悪そうだ」

オフレッサーが吼えるように笑い声を上げた。リューネブルクもヴァレンシュタインも苦笑している。一瞬だが和やかな空気が流れた。戦場とは思えないほどだ。だがヴァレンシュタインの言葉に和んだ空気が固まった。

「ミューゼル准将、私を殺しなさい」
「……」
「准将には私を殺す理由が有る、そうでしょう」
淡々とした声だった。ヴァンフリートの事を言っているのか、それともキルヒアイスの事を言っているのか……。

「戦争だからなどと言い訳はしない。私は皆殺しにするつもりで作戦を立てた……。ジークフリード・キルヒアイス、ラインハルト・フォン・ミューゼル、ヘルマン・フォン・リューネブルク、皆殺すつもりだった。だが失敗した……」

「運が良かった。後三十分、本隊が来るのが遅れれば私は死んでいた」
嘘偽りなくそう思う。後三十分、反乱軍に余裕が有れば俺は死んでいた。そしてリューネブルクも捕殺されていただろう。

「運じゃありません、実力です。私の計算ではあと一時間早く第五艦隊が来るはずだった、だが遅れた……。やはり私は貴方には及ばない、だから貴方は此処にいる。私が此処で死ぬのも必然でしょう」
彼の声に悔しさは感じなかった。ただ淡々としていた。この男がキルヒアイスを殺した、そう思ったが実感が湧かなかった。俺が勝った、それも思えなかった。

「ミューゼル准将、受け取って欲しいものが有ります」
「……」
「私の胸ポケットを探って欲しい」
どうすべきか迷った。だがヴァレンシュタインには敵意は感じられない。

「何故自分でやらない」
俺の問いかけにヴァレンシュタインは微かに苦笑を浮かべた。そして血塗れの両手を俺に差し出した。
「この通りです、血で汚したくない」

傍によって胸ポケットを探った。出てきたのは認識票、そしてロケットペンダント……。
「これは、キルヒアイスの」
声が掠れた。

認識票はキルヒアイスの認識票だった。ペンダントを見た、ヴァレンシュタインの声が聞こえた。
「そのペンダントにはキルヒアイス大尉の遺髪が入っています。受け取ってください」

「何故、卿が……」
「貴方に渡すことは無いだろうと思っていました。ですが最後に願いがかなった。もう思い残すことは無い……」
ヴァレンシュタインは俺の前で柔らかく微笑んでいた。俺にこの男を殺せるのだろうか……。



 

 

第三十四話 イゼルローンにて(その4)

帝国暦 485年 10月20日  イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル



「さあ、私を殺しなさい」
「……」
ヴァレンシュタインが自分を殺せと言った。この男の言うとおりだ、この男は敵なのだ、キルヒアイスを殺した男でもある……。

「貴方にはやるべき事が有るはずです。私の死を踏み台にして上に行きなさい。それがジークフリード・キルヒアイスの望みでもある……」
「!」

何を言った? 何故それを知っている? 偶然か? 俺とキルヒアイスの望み、何時か姉上を取り戻し、銀河帝国を簒奪する。新たな帝国を創る。ルドルフに出来たことが事が俺に出来ないわけはない……。

ヴァレンシュタインを見た。彼は穏やかな笑みを浮かべている……。どこまで、何を知っている? 殺せ、殺すんだ。この男は危険だ、間違いなく危険だ。この男の穏やかな笑みに騙されるな。

自分の死を踏み台にして上に行け……、確かにこの男を殺せばその武勲は比類ないものとなるだろう。裏切り者、ヴァンフリートの虐殺者、血塗れのヴァレンシュタイン……。

殺すべきだ、殺すべきなのだ……。俺は昇進し、また一歩夢に近づく……。ブラスターを抜いた、一発で苦しまずに終わらせる。それが俺がこの男にかけられるせめてもの情けだ。

「殺さないで! お願いだから殺さないで!」
女がヴァレンシュタインの前に転がり出た。両腕を開いてヴァレンシュタインを守ろうとしている。

「退きなさい、ミハマ大尉」
「退きません、大佐を守るって決めたんです。弾よけになるって決めたんです。退きません!」
ヴァレンシュタインがミハマ大尉と呼んだ女はボロボロ涙をこぼしていた。怖いのだろう、ブルブル震えてもいる。それでも彼女は俺を睨みヴァレンシュタインを守ろうとしていた。

「何を馬鹿な事を……、退きなさい、ミハマ大尉!」
「嫌です、退きません!」
「自分も彼女と同じ思いです。大佐を殺すなら、その前に俺を殺してもらおう。俺が生きているうちは貴方を殺させない!」

低くどすの利いた声で男が前に出てきた。両手を後ろに組み、胸で俺を押すようにして女と俺の間に入ろうとする。抵抗はしない、しかしむざむざとヴァレンシュタインを殺させもしない、男は全身でそう言っている。

「大佐は本当は貴方と一緒に戦いたかったんです。この人を殺さないで……。殺すくらいなら帝国に連れて帰って。……お願い……」
俺と一緒に戦いたかった? 愕然としてヴァレンシュタインを見た、彼は苛立たしげな表情をしている。本当なのか? だとすればこの男は俺の何を知っているのだ? 背筋にチリチリと嫌なものが走った……。

「退きなさい! バクダッシュ中佐、ミハマ大尉、貴方達は関係ない! これは私とミューゼル准将の問題です!」
「その通りです、私達には関係ありません。これは私とミハマ大尉が勝手に決めた事です。貴方には関係ない」
「そうです、大佐には関係ありません」
「何を馬鹿な事を……、理屈になっていない!」

ヴァレンシュタインが首を振って吐き捨てるように声を出した。その途端、バグダッシュ中佐と呼ばれた男が弾ける様に笑い声を上げ始めた。
「我々の気持ちが分かっていただけましたか、大佐は何時も一人で全てを背負ってしまう。我々がそれをどれだけ情けなく思っているか……」
「そうです、中佐のいうとおりです」

今度はミハマ大尉が笑い始めた、泣きながら笑っている、バグダッシュ中佐も一緒に笑っている。滅茶苦茶だ、正直途方に暮れた。この状況でどうやってヴァレンシュタインを殺すのだ? リューネブルクを見ると彼も呆れたような表情をしている。

オフレッサーが太い声で笑い出した。頭をのけぞらせて笑っている。その声の大きさに男も女も笑うのを止めた。オフレッサーは一頻り笑うと真顔になった。
「俺も随分と修羅場をくぐったが、これほど馬鹿馬鹿しい修羅場は初めてだな。長生きはするものだ」
オフレッサーがまた笑った。

「ミューゼル准将、ブラスターを収めろ」
「し、しかし」
「命令に従え、ブラスターを収めろ」
厳しい目でオフレッサーが俺を睨んだ。

「ミューゼル准将、ブラスターをしまえ」
リューネブルクが俺を目と声で窘めた。仕方なかった、ブラスターをしまった。だがどこかでほっとしている自分が居た。その事に困惑した、俺はヴァレンシュタインを殺すべきだと思っていたはずだ。

「二人ともヴァレンシュタインを連れて帰れ」
「……」
「聞こえなかったか、ヴァレンシュタイン大佐を連れて帰れ」
バグダッシュ中佐が無言でオフレッサーに敬礼した。そしてミハマ大尉がそれに続いた。オフレッサーも答礼する。誰も喋らなかった。

「ヴァレンシュタイン、今回だけだ。次に会う時は……、容赦はせん!」
押し殺した声だった。言外に殺気が漂う……。皆が凍りつく中、ヴァレンシュタインが立ち上がった。

「次は出会わないように注意します。御好意、感謝します」
「うむ」
ヴァレンシュタインが敬礼をした。オフレッサーがそれに応える。礼の交換が終わりヴァレンシュタインが踵を返した。ふらつく彼を両脇から男と女が支える。ゆっくりと、ゆっくりと三人が去っていく。

「閣下、宜しいのですか、あの男を返してしまって……。あの男を捕え、敵を追撃するべきでは有りませんか」
リューネブルクがオフレッサーの傍に近付き問いかけた。オフレッサーは無言で腕を組んでいる。そして立ち去るヴァレンシュタインを見ていた。

「……リューネブルク准将、卿はヴァンフリートの仇を討ちたいのか?」
「そうでは有りません、後々閣下のお立場が困ったことにならないかと案じているのです」
オフレッサーは一瞬だけリューネブルクを見た。そして“そうか……”と呟くとまたヴァレンシュタインを見た。

リューネブルクの言うとおりだ。ヴァレンシュタインを返したとなれば必ずそれをとがめる人間が出るだろう。やはりヴァレンシュタインは殺すべきだったのだ。後味は悪いかもしれない、しかし殺すべきだった……。

そして敵を追うべきなのだ、多分敵はもう撤収しているだろう。だが敵を追ったという事実が残る。このままではヴァレンシュタインを逃がし、侵入してきた敵も逃がしたことになる……。

追うべきなのだ、ヴァレンシュタインの姿が見える。追えば間に合う、オフレッサーは望んでいない様だが進言すべきだろう……、リューネブルクも賛成してくれるはずだ。傍に行くか、そう思った時だった……。

「……装甲擲弾兵は己の身体を武器として敵と戦う。トマホークを構えた敵と向き合う恐怖は言葉には表せん……。その恐怖を押し殺して敵と戦う……、臆病者には出来んことだ。俺は装甲擲弾兵こそ勇者の中の勇者だと思っている……」
「……」

オフレッサーが前を見ながら話し始めた、低く呟くように……。リューネブルクはそんなオフレッサーの横顔を見ている。そして俺は何となく傍に行けず黙って二人を見ていた。

「だが軍のエリート参謀や貴族達の中には俺達を野蛮人、人殺しと蔑む人間もいる……。口惜しいことだとは思わんか?」
「それは……」

リューネブルクが口籠り溜息を吐いた。内心忸怩たるものが有った。俺もその一人だ、装甲擲弾兵の重要性は理解しても何処かで野蛮だと、時代遅れだと蔑んでいた。

「俺達は野蛮人でも人殺しでもない、帝国を守る軍人であり武人(もののふ)なのだ。だからその誇りと矜持を失ってはならん。それを失えば装甲擲弾兵はただの人殺しに、野蛮人になってしまう……」
「……」
リューネブルクがオフレッサーの言葉に頷いている。リューネブルクも装甲擲弾兵だ、オフレッサーの言葉に感じるものが有るのだろう。

「あの男は死を覚悟して負傷者を運んで来た。それを殺せばどうなる? 武勲欲しさにヴァレンシュタインを殺した、恨みに狂ってあの男を殺したと言われるだろう。それではただの人殺しだ……。俺は装甲擲弾兵総監だ、装甲擲弾兵の名誉を汚す様な事は出来ん……」
そう言うとオフレッサーは太い息を吐いた。

名誉を汚す、その言葉が胸に響いた。俺はあの男を殺すべきだと思った。だがオフレッサーは殺すべきではないと考えた。何故殺すべきだと考えた? 武勲か? 恨みか? それとも恐怖か……。

あの時、確かに俺はヴァレンシュタインを怖いと思った。恐怖から殺そうとしたのか? だとすれば俺は何とも情けない男だ。これから先一生後悔しながら生きる事になっただろう。俺はオフレッサーに感謝すべきなのか?

「心無いことを言いました、お許しください」
リューネブルクが頭を下げた。そしてオフレッサーは溜息を吐いて首を横に振った。
「いや、卿の心遣いには感謝する。だが俺はこういう生き方しかできんのだ……」

リューネブルクは少しの間俯いて黙っていた。
「……装甲擲弾兵はイゼルローン要塞に侵入した反乱軍を撃退しました。そしてローゼンリッターの隊長を斃したのです。我々は十分にその役目を果たしました。誰もそれを非難することは出来無いでしょう」

リューネブルクの言葉にオフレッサーが苦笑した。リューネブルクも苦笑している。そして苦笑を収めると二人は前を見た。ヴァレンシュタインの姿が小さくなっている。

「ミューゼル准将、リューネブルク准将」
「はっ」
オフレッサーが俺達の名を呼んだ。先程までの沈んだ口調ではない、太く力強い声だ。

「今回、敵を撃退出来たのは卿らの進言によるところが大きかった。ミュッケンベルガー元帥にも伝えておく。元帥閣下も喜んで下さるだろう」
「はっ」

オフレッサーが俺達を気遣ってくれているのが分かった。ヴァレンシュタインを逃がしたこと、敵の撤退を許したことは自分の判断だと言うのだろう。そして敵の作戦を見破ったことは俺達の功績だと報告するに違いない。

妙な男だ、一兵士としては無敵だろうが、陸戦隊の指揮官としては二流だろう。おまけに不器用で融通が利かない、どう見ても立ちまわりが上手いとは言えない。

しかし悪い男ではないようにも見える。少なくとも俺とリューネブルクの意見を受け入れて伏撃を成功させた。そして卑怯な男ではない。俺は間違いなくこの男に救われたのだ。一体この男をどう評価すればよいのか……。

「ミューゼル准将」
「はっ」
「卿はヴァレンシュタインと因縁が有るようだな」
オフレッサーが問いかけてきた。どう答えれば良いのか迷ったがリューネブルクも知っている事だ、正直に答えるべきだろうと思った。

「ヴァンフリートの戦いで小官の副官が戦死しました。ジークフリート・キルヒアイス大尉、小官にとっては信頼できる部下であり同時にかけがえのない親友でもありました」
「……そうか」

そのままオフレッサーはしばらくの間俺を見ていた。居心地が悪かったがオフレッサーからは悪意は感じられない。ただじっと俺を見ている。向こうは上級大将、こちらは准将、耐えるべきだろう。

「卿、ヴァレンシュタインに勝てるか?」
オフレッサーが低い声で問いかけてきた。
「それは……」

分からなかった。ヴァンフリートでは負けた、今回は相手の作戦を俺が見破った。次はどうなるか……。分かっているのは厄介な相手だという事だ。油断はできない……。

「分からんか」
「はい」
「あの男は自分が卿に及ばないと言っていたな」
「はい」

確かに俺に及ばないと言っていた。しかし本当にそうなのか、分からないところだ。……それにしても妙な感じだ、オフレッサーは面白がっているわけではなかった。俺を見て何か考えている。リューネブルクを見たが彼も困惑している。俺とヴァレンシュタインを比較でもしているのか?

「あの男は手強いぞ」
「……」
そんな事は分かっている。あの男は間違いなく手強い。用兵家としての力量はミュッケンベルガーなどよりはるかに上だろう。だがその後に続いたオフレッサーの言葉は意外なものだった。

「用兵家としての力量以前の問題だ」
「……」
用兵家としての力量以前の問題……、どういう意味なのだ? 大体オフレッサーに用兵家としての力量以前の問題と言われてもピンとこない。

「あの男は誰かのために命を投げ出すことが出来る。そしてあの男のために命を投げ出す人間が居る……。そういう男は手強いのだ、周りの人間の力を一つにすることが出来るからな」
「……」
あの二人の姿を思い出した。ヴァレンシュタインを必死でかばった二人……。

「卿にそれが出来るか?」
「……」
「卿とあの男の勝敗は能力以外のところでつくかもしれんな……」
オフレッサーが溜息を吐いた。俺はただ黙ってオフレッサーの言葉の意味を考えていた……。

 

 

第三十五話 秘密

帝国暦 485年 10月21日  イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル



反乱軍は陸戦隊を収容するとイゼルローン要塞攻略を諦め撤退した。イゼルローン要塞は未だ緊張感に包まれてはいるが、戦闘中のひりつく様な緊迫感は無い。将兵の表情にも時折笑顔が浮かぶ。

宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥は先程、勝利宣言を出した。イゼルローン要塞を死守し、反乱軍を撃退したのだから帝国軍が勝ったのは間違いない。勝利宣言は当然と言える。しかしミュッケンベルガー元帥にとっては苦い勝利宣言だろう。

反乱軍に要塞内に侵入された、明らかに反乱軍にしてやられた。侵入した陸戦隊の撃退はオフレッサーの功であってミュッケンベルガーに有るのは敵にしてやられた罪のみと言って良い。

反乱軍に大きな損害を与えられたのなら良かったが、反乱軍は陸戦隊によるイゼルローン要塞奪取が不可能と判断すると撤収作戦を実施した。彼らの艦隊はこちらの艦隊の動きを牽制するだけで大規模な艦隊決戦は無かった。

正しい選択ではあるだろう、要塞が攻略できない以上、必要以上に要塞付近に留まる事は意味は無い。徒に兵を失い消耗するだけだ。しかしミュッケンベルガーにとっては失態を回復する機会を失ったということでもある。

ミュッケンベルガーはオーディンに戻れば辞職するかもしれない。そういう噂が流れている。辞意を漏らしたという噂もある。有り得ない事ではないだろう。今回の勝利は勝利と言うには余りにも御粗末と言って良い。前回のヴァンフリートの敗戦を思えば、今回の勝利は敗戦に近い評価しか受けないだろう……。

ミュッケンベルガーは戦いたかっただろう、だが彼は撤退する反乱軍に対して攻撃をかけようとはしなかった。反乱軍につけ込む隙が無かったというのもあるだろうが、それでも俺はミュッケンベルガーを立派だと思う。

もしかするとミュッケンベルガーはここで大勝利を得ても辞任するつもりだったのかもしれない。だとすれば最後に心置きなく戦えなかったのは無念だったに違いない……。

ギュンター・キスリングが目を覚ました。これから彼の病室に行く。オフレッサー、そしてリューネブルクも来る事になっている。味方に殺されかかったと言うがいったいどんな秘密を持っているのか……。

いや、大体秘密を持っているという事が真実なのかどうか……。誤って味方が傷つけた、或いは反乱軍が傷つけたというのが真実ではないのか、たかが一少佐が戦場で命を狙われるような秘密、どうもしっくりこない。

キスリングには他にも聞きたい事が有る。ヴァレンシュタインの事だ、彼は一体どんな人間なのか、何を考えているのか、彼の親友であるキスリングに聞きたい。ヴァレンシュタインが返してくれたキルヒアイスの認識票、そしてロケットペンダント、それを見る度にオフレッサーの声が耳に聞こえてくる……。

“用兵家としての力量以前の問題だ”

“あの男は誰かのために命を投げ出すことが出来る。そしてあの男のために命を投げ出す人間が居る……。そういう男は手強いのだ、周りの人間の力を一つにすることが出来るからな”

“卿にそれが出来るか?”

“卿とあの男の勝敗は能力以外のところでつくかもしれんな……”

そしてその度に自分を殺せと言ったヴァレンシュタインの穏やかな顔が浮かんでくるのだ。何度追い払っても浮かんでくる。今、こうして病室に向かう時でさえ浮かぶ、何故彼はあんな顔が出来たのか……。

「ミューゼル准将」
「リューネブルク准将……」
気が付けば横にリューネブルクが居た。どうも最近考え事をしていて周囲に注意が向かない。気を付けなければ……。

「どうした、浮かない顔をしているが」
リューネブルク准将が気遣うような表情で俺を見た。煩わしいとは思うが無下には出来ない。彼が俺を親身に心配しているのが分かる。そんな人間は俺の周りには何人もいない。

「いや、オフレッサー閣下に言われたことを考えていた」
「そうか……」
「よく分からない、分からないが気になる。無視できない……」
俺の言葉にリューネブルクは笑い出した。

「当然だ、相手は卿が生まれる前から戦場にいるのだ。卿に見えないものが見えても不思議じゃない」
「……」

「所詮は野蛮人、とでも思ったか?」
リューネブルクが皮肉な笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んだ。
「そういう訳ではない、……だがどこかで軽んじていたかもしれない」
リューネブルクが笑い声を上げた。そして俺の肩を叩く。

「気を付ける事だ、ヴァレンシュタインも手強いだろうが、閣下も手強い、甘く見て良い人物じゃない」
全く同感だ。人はみかけによらない、オフレッサーは石器時代の勇者では無い。俺は黙って頷いた。

キスリングの病室の前には装甲擲弾兵が二人、護衛に立っていた。俺達が近づくと敬礼をしてきた、答礼を返す。
「既に総監閣下は中でお待ちです。どうぞ」
護衛はその言葉と共にドアを開けた。

病室にはベッドに横たわる男とその横で両腕を組んで椅子に座っているオフレッサーが居た。俺達が中に入るとオフレッサーが無言で頷いた。傍に近づくと
「礼はいらん、卿らの事は話してある、適当に座れ。キスリング少佐も見下ろされるのは好むまい」
と太い声で言った。

リューネブルクと顔を見合わせ病人を挟む形でオフレッサーと向き合う。それを見届けてからオフレッサーが口を開いた。
「キスリング少佐、何が有ったか覚えているか?」

「反乱軍が要塞に侵入してきました。それを迎え撃ちましたが、突然脇腹に痛みが走って気を失いました」
キスリングが顔を顰めた。しかし声はしっかりとしている。

「敵に刺されたのか?」
「……いえ、そうでは有りません。あの位置に敵は居なかった……」
「味方に刺されたというのだな」

キスリングが頷いた。オフレッサーが俺達を見る。確かにヴァレンシュタインは嘘をついては居ない。キスリングは味方に刺された。問題はそれが誤っての事か、それとも故意にかだ……。

「故意か、それとも誤りか、卿の考えは」
「……」
「心当たりが有るようだな、少佐」

キスリングは何も答えず天井を見ている。オフレッサーがまた俺達を見た。そして微かに頷く……。キスリングは確かに何かを知っている。そして味方に刺される心当たりも有る……。病室の空気が重くなったように感じられた。

「負傷した卿は捕虜になった。覚えているか?」
「何とはなくですが、覚えています」
「では、何故今ここにいると思う?」

「味方が奪還したのだと思っていますが?」
「そうではない、反乱軍が撤退するときに捕虜を返した。意識の無かった卿は反乱軍の士官が運んで来た」
「……」

「その士官の名はエーリッヒ・ヴァレンシュタイン……」
「!」
キスリングが愕然としてオフレッサーを見た、そして俺を、リューネブルクを見る。

「馬鹿な、何を考えている。エーリッヒは、ヴァレンシュタインは何処に居ます? まさか……」
キスリングの顔が強張った。身体を起こそうとして痛みが走ったのだろう、眉を顰め苦痛を浮かべた。

「安心しろ、少佐。奴は反乱軍の元に戻った」
「……エーリッヒ」
オフレッサーの声に安心したのだろう、キスリングは身体から緊張を解いてベッドに横たわっている。

「奴が俺に頼んだ、卿は秘密を持っている。その秘密故に命を狙われた。卿を守ってくれとな」
「……」
キスリングが目を閉じた。

「無事に帰れるとは思っていなかったかもしれん。だがそれでも奴は卿を救うために命を懸けた」
「……馬鹿が……、何故そんな事をする……。俺の事など捨ておけば良いのだ……」
呟くような声だった。

「俺は卿を守らねばならん、約束だからな。だがそのためには卿の知っている秘密が何なのか、俺も知っておく必要が有る」
「……」
キスリングが表情に苦悩の色を見せた。彼は迷っている……、もうひと押しだろう。リューネブルクが俺を見た、俺が頷く。

「少佐、話してくれないか。閣下だけではない、俺もミューゼル准将も力になろう」
リューネブルクの言葉にキスリングがこちらを見た。その表情には未だ迷いが有る。一体この男の抱える秘密とは何なのか……。

「……最初に断っておきます。この秘密を知れば必ず後悔します。何故知ったのかと……。それでも知りたいと?」
意味深な言葉だ。思わずオフレッサーを、リューネブルクを見た。二人とも厳しい表情をしている。どうやら想像以上にキスリングの抱える秘密は大きいらしい。

「そうだ、それでも知りたい。俺はあの男と約束した。あの男はその約束のために命を懸けたのだ」
太く響く声だった。キスリングがオフレッサーを見る。少しの間二人は見つめあった。

「話してくれ、少佐」
オフレッサーが低い声で勧めた、そしてキスリングが一つ溜息を吐いた。キスリングは視線を天井に向けゆっくりと話し始めた。

「……帝国歴四百八十三年、第五次イゼルローン要塞攻防戦が有りました。その戦いの中でエーリッヒ・ヴァレンシュタインはカール・フォン・フロトー中佐を殺害し同盟に亡命しました。その殺害理由は未だに判明していません……」

その通りだ、ヴァレンシュタインが何故フロトーを殺したのかははっきりしていない。二人の間に接点は無い、怨恨、金銭トラブル等は無かった……。フロトーはカストロプ公に仕えているがカストロプ公とヴァレンシュタインの間にも何の関係もない。

大体片方は財務尚書を務める大貴族、もう片方は兵站統括部の一中尉、どう見ても関係は無い、結局戦闘中に両者の間に何らかのトラブルが生じ殺人事件になったのだろうと言われている。

「フロトー中佐がエーリッヒを殺そうとしました。カストロプ公の命令です。そして今から八年前に起きたエーリッヒの両親が殺された事件もその首謀者はカストロプ公、実行者はフロトー中佐でした。フロトー中佐がエーリッヒにそう言いました」
「!」

信じられない話だった。オフレッサーもリューネブルクも信じられないと言った表情をしている。無理もない、八年前の事件、そして二年前に事件、その二つが繋がっていた。そして首謀者はカストロプ公……。評判の良くない男だ、地位を利用した職権乱用によって私腹を肥やしていると聞く。しかし……。

「卿、何故それを知っている? ヴァレンシュタインはその場から亡命した。卿に伝える余裕など有るまい」
俺の質問にキスリングは微かに笑みを浮かべた。

「その場にはもう一人居たのです。そしてフロトー中佐を殺したのはエーリッヒではありません、その男です、ナイトハルト・ミュラー。私同様エーリッヒの親友です」

「……それは、フェザーン駐在武官を務めたミュラーの事か?」
「そうです」
俺とキスリングの会話にリューネブルクが加わった。
「卿、知っているのか?」
「以前、ある任務で世話になった。信頼できる人物だ」

意外な繋がりだ、ヴァレンシュタインとミュラーが親友、そしてあの事件にミュラーが絡んでいた……。

「ナイトハルトは憲兵隊に全てを話そうと提案しました。しかしエーリッヒはそれを拒否した。相手は大貴族です、告発はかえって危険だと考えた。そして帝国に居る事はもっと危険だと考えたのです」

「だから反乱軍に亡命した。その際フロトーを殺したのはヴァレンシュタインだという事にしたのか……」
「そうです、エーリッヒがそれを理由として亡命すると言ったのです」
オフレッサーの問いにキスリングが答えた。

リューネブルクが首を捻りながら問いかけた。
「よく分からんな、何故カストロプ公はヴァレンシュタインを殺そうとするのだ? まるで根絶やしにするのを望んでいるように見えるが……」
同感だ、何故大貴族のカストロプ公が平民のヴァレンシュタインを殺そうとするのだ。しかも親子二代にわたって……。

「我々もそれを調べました。エーリッヒを帝国に戻すにはカストロプ公を失脚させることが必要でした。そして失脚させるためにはカストロプ公が何故エーリッヒの両親を殺しエーリッヒまでも殺そうとしているのか、それが鍵になると思ったのです」

「我々とは? 卿とミュラーの他にもいるのか?」
「アントン・フェルナー、士官学校の同期生です。今はブラウンシュバイク公に仕えています」

また予想外の答えだった。ブラウンシュバイク公の下にもヴァレンシュタインの友人が居た。もし、ヴァレンシュタインが亡命などしなかったらどうなっただろう。

キスリングは憲兵隊で順調に昇進しただろう、フェルナーはブラウンシュバイク公の腹心に、ミュラーも極めて有能な人物だった。そしてヴァレンシュタイン……。彼らが一つにまとまり、ブラウンシュバイク公の下に結集したら……。微かに背中が粟立つのが分かった……。

「それで?」
オフレッサーが太い声で先を促した。
「最初は何も分かりませんでした。八年前の事件はあくまで民間の事件とされていました、憲兵隊には情報が無かった……」
キスリングが首を振った。

「しかし何かを掴んだのだな、少佐?」
リューネブルクの問いかけにキスリングが頷いた。
「エーリッヒの両親が殺された直後ですが、当時の司法尚書ルーゲ伯爵が辞任しています」

八年前だ、司法尚書の辞任と言われてもピンとこない。リューネブルクも同様だ、大体彼はそのころは反乱軍に居た。知るわけがない。
「ルーゲ伯爵か、確かカストロプ公に強い敵意を持っていた人物ではなかったかな?」

オフレッサーが記憶を確かめる様な口調でキスリングに問いかけた。意外だった、宮中の内情に等興味が無いように見えたのだが、そうでもないのか……。それとも装甲擲弾兵総監ともなれば、否応なく知らざるを得ないという事か……。リューネブルクも少し意外そうな表情でオフレッサーを見ている。

「そうです、あの事件にカストロプ公が関与しているのであれば、伯の辞任もあの事件に関係あるのではないかと思って接触しました。接触したのはアントンですが、ルーゲ伯は何も言わなかった……。しかし、アントンの見たところでは伯は明らかに何かを知っていました……」
「……」

「何度か我々は伯に接触しましたが伯は教えてくれませんでした。諦めかけていた時、伯から連絡が有ったのです。今年の六月、ヴァンフリート星域の会戦後の事です。私達は期待に胸を弾ませて彼のところに行きました。それが何を意味するのかも知らずに、我々はパンドラの箱を開けたのです……」
そう言うとキスリングは微かに笑みを浮かべた、見る者をぞっとさせるような暗い笑みだった……。




 

 

第三十六話 真実

帝国暦 485年 10月21日  イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル



パンドラの箱……。大袈裟な言い方をする、そう思ったがキスリングの笑みは心が冷えるような笑みだった。リューネブルクを見た、彼も何処となく居心地の悪そうな表情をしている。

キスリングが水を求めた。リューネブルクが水差しからコップに水を注ぎ彼に渡す。キスリングが美味そうに水を飲んだ。それを見て俺も喉が渇いているのに気付いた。そしていつの間にかペンダントを握りしめている。

飲み終わったキスリングにコップを借りて俺も水を飲む。美味いと思った、気付かないうちに緊張していたのだろう。キスリングが俺を見ている、試す様な視線だ。下腹に力を入れる。情けない姿は見せられない。

「ルーゲ伯はヴァレンシュタイン夫妻とは親しい関係に有ったそうです。伯はヴァレンシュタイン夫妻を殺したのも、エーリッヒを殺そうとしたのも、カストロプ公で間違いないと話してくれました」
「……理由は」
声が掠れていた、水を飲んだのにどういう訳だ?

「ヴァレンシュタイン夫妻を殺したのはカストロプ公によるキュンメル男爵家の財産横領が目的です」
「……」
「カストロプ公爵家は大貴族です。当然ですが親族も多い。彼の親族の一つにキュンメル男爵家という家があります」

聞いたことのない名前だ、リューネブルクも訝しげな顔をしている。オフレッサーが太い息を吐く音が聞こえた。
「キュンメル男爵家の当主は未だ十代だが生まれつき病弱で、確か宮中には一度も出た事が無いはずだ、違ったか、キスリング少佐」
「その通りです」

オフレッサーが俺とリューネブルクを見た。
「少しは周囲に注意を払え、俺より物を知らんとは……」
気が付けばリューネブルクと一緒に頭を下げていた。まるで先生に怒られた生徒のようだ……。

「キュンメル男爵家は二代続けて病弱な当主を得ました。先代のキュンメル男爵も体の弱い人で亡くなる前に病弱な息子の事を親族の一人であるマリーンドルフ伯爵に頼んだのです」
「カストロプ公は面白くなかっただろうな」

オフレッサーの言葉にキスリングが頷いた。よく分からない、リューネブルクに視線を向けるとリューネブルクは苦笑した。
「貴族の格で言えばマリーンドルフ伯よりもカストロプ公の方が上だ、政府閣僚でもある。こういう場合はカストロプ公に後見を頼むのが普通だ」

なるほど、そういうものか。俺なら信頼できる人物を選ぶ。カストロプ公の評判は悪いがマリーンドルフ伯の悪い噂は聞かない。俺なら信頼できるだろうマリーンドルフ伯を選ぶ、先代のキュンメル男爵もそうしたのだろう……。気が付くとオフレッサーとキスリングが俺を見ている。思わず咳払いをした。

「しかし正しい選択ではあったでしょう。カストロプ公に頼めば、あっという間にキュンメル男爵家は無くなり、カストロプ公爵家が肥るだけです」
「……」
オフレッサーがその言葉に頷いた。

「頼られたマリーンドルフ伯爵はキュンメル男爵の頼みを引き受けました。しかしどうすれば良いか困惑した。それでマリーンドルフ伯爵は友人であったヴェストパーレ男爵に相談した……」
ヴェストパーレ男爵? 男爵夫人の父親か……。数年前に亡くなったと聞いているが……。妙なところで人と人が繋がっているな。

「相談を受けたヴェストパーレ男爵は自分の弁護士であったコンラート・ヴァレンシュタインをマリーンドルフ伯爵に紹介したのです。コンラート・ヴァレンシュタイン、エーリッヒの父親です」
「……」
思わずリューネブルク、オフレッサーの顔を見た。二人とも難しい顔をしている。

「コンラート・ヴァレンシュタインは有能でした。キュンメル男爵家の財産を守る傍ら、領内を見て回り経営を改善したのです。そのためキュンメル男爵家は当主が病弱にも関わらず財産は増え豊かになった」
「……」

「しかしその事はキュンメル男爵家に不快感を抱いていたカストロプ公の欲心を刺激する事になってしまった。そしてあの事件が起きたのです」
「リメス男爵家の相続争いか……。カストロプ公はリメス男爵家の騒動を隠れ蓑にキュンメル男爵家の財産を狙ったと言う事だな」
オフレッサーの言葉にキスリングが頷いた。

信じられない思いだ。リメス男爵家の相続争いは俺も知っている。ヴァレンシュタインの事を調べれば嫌でも知ることになる。リメス男爵家の財産を巡り親族であるヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家が争った。

その争いに巻き込まれヴァレンシュタインの両親は殺された。誰もが知る事実だ。だがその事実の裏にカストロプ公によるキュンメル男爵家の財産横領という真実が隠れていた……。

「ヴァレンシュタイン夫妻の死後、カストロプ公はキュンメル男爵家の財産の横領を図りました、しかし実現はしなかった。コンラート・ヴァレンシュタインは全てを予測していたのです。彼は自分に万一の事が有った場合はカストロプ公を抑えて欲しいとルーゲ伯に頼んでいました」

「なるほど、そういう事か。だが疑問が有る、何故ルーゲ伯はカストロプ公を告発しなかった? 何故辞任したのだ? 勝ったのはルーゲ伯だろう、カストロプ公に罪を償わせるのは難しくなかったはずだ」

オフレッサーの言うとおりだ。だが現実はルーゲ伯は辞任しカストロプ公は財務尚書として勢威を振るっている……。どういう事だ?
「それに何故ヴァレンシュタインを殺そうとするのか、キュンメル男爵家が絡むとも思えんし理由が分からんな」

リューネブルクも訝しげな声を出した。俺も同感だ、どうも腑に落ちない。キスリングを見た、彼は笑みを浮かべている。

「疑問はもっともです。何故カストロプ公がエーリッヒを殺そうとしたのか、先ずそれを話しましょう」
キスリングの言葉に皆が頷いた。

「理由は恐怖です」
「恐怖?」
オフレッサーが訝しげな声を出した。俺も納得がいかない、ヴァレンシュタインは亡命したとき、兵站統括部の一中尉に過ぎなかった。カストロプ公が何を恐れると言うのだ?

「エーリッヒはリメス男爵の孫なのです」
「!」
「リメス男爵は当初、ヴァレンシュタイン夫妻の死をリメス男爵家の相続争いが原因だと思っていました。しかし真実をヴェストパーレ男爵とルーゲ伯が話しました。その時、リメス男爵は二人にエーリッヒが自分の孫だと話したのです。男爵が亡くなる三日前の事でした」

意外な事実だった。ヴァレンシュタインがリメス男爵の孫? 驚く俺達の耳にキスリングの声が流れる。
「エーリッヒが帝国文官試験に合格し、士官学校を優秀な成績で卒業したとき、ヴェストパーレ男爵は一つの考えを持つようになりました」
「……それは?」
分かるような気がする、しかし俺は敢えてキスリングに問いかけた。

「エーリッヒにリメス男爵家を再興させるという事です。そしてカストロプ公はそれを恐れた」
「冗談は止せ、少佐。ヴァレンシュタインがリメス男爵家を再興したからといってカストロプ公が何を恐れるのだ。無力な一男爵にしか過ぎんだろう」

リューネブルクが呆れた様な声を出した。だがキスリングはそんなリューネブルクに冷笑を浴びせた。
「確かに再興した時点ではそうでしょう。しかし十年後はどうです?」
「十年後?」
リューネブルクが訝しげな声を出した。

「ええ、なんなら二十年後でもいい。リメス男爵は無力な存在だと思いますか」
「……」
リューネブルクが押し黙った。キスリングは視線を俺に、そしてオフレッサーに向けた。誰も口を挟まない……。

「ヴェストパーレ男爵はリメス男爵に対する贖罪からエーリッヒにリメス男爵家を再興させようとしたわけではありません。男爵は政府中枢部にはそれなりに識見を持った人間が必要だと考えていたのです。カストロプ公のように私腹を肥やすことしか能のない人物など排除すべきだと」
「……」
当たり前のことではある、だがその当たり前の事が帝国では実現できていない。

「帝国文官試験に合格し、士官学校を優秀な成績で卒業したエーリッヒはヴェストパーレ男爵の目には最適な人物に映った……。足りないのは爵位だけです、幸い彼はリメス男爵の血を引いている。男爵は密かにリメス男爵家の再興を画策し始めた……」
「……」

「ルーゲ伯は男爵を止めました。本人の意思も確認せずにするべきではないと。しかし男爵は聞かなかった。十年後、二十年後の帝国にはエーリッヒのような人間こそが政権の中枢にいるべきだと主張して退かなかったのです。男爵は当時健康を損ねていました。或いはそれも影響したのかもしれません」

「カストロプ公は気付いたのだな」
オフレッサーが低い声で問いかけた。キスリングが頷く、そして口を開いた。
「気付きました。そしてヴェストパーレ男爵が何を考えているのかも理解したのです。自分が殺した人間の息子が自分を追い落とすための存在になろうとしている。カストロプ公は明確にエーリッヒを敵だと認識した」
「……」

「カストロプ公には敵が多かった。それだけに自分にとって危険だと思える人間に対しては容赦が無かった。カストロプ公はエーリッヒを排除するべきだと判断したのです」
「……」

「爵位を持つ貴族が死ねば典礼省より検死官が来ます。死体に異常があれば当然調査が入る。カストロプ公がエーリッヒを排除するのはエーリッヒがリメス男爵家を再興する前でなければならなかった」

「それが第五次イゼルローン要塞攻略戦か……」
「そうです。エーリッヒは亡命しヴェストパーレ男爵はその直後、病死しました。伯によれば最後までカストロプ公を憎悪していたそうです。憤死と言って良いでしょう」

思わず溜息が出た。死屍累々、そんな言葉が浮かんでくる。カストロプ公一人のためにどれだけの人間が非業の死を迎えたのか……。皆同じ気持ちなのだろう、リューネブルクは俯き、オフレッサーは目を閉じている。

オフレッサーが目を開いた。
「まだ聞くことが有ったな、キスリング少佐」
「はい、何故ルーゲ伯はカストロプ公を告発しなかったか? 何故辞任したのか? ですね」
「うむ」

キスリングが笑みを浮かべた。冷ややかな笑みだ。そしてオフレッサー、リューネブルク、俺を見渡した。
「ルーゲ伯はヴァレンシュタイン夫妻殺害事件の一件でカストロプ公を断罪しようとしました。殺されたのは平民ですがキュンメル男爵家の財産横領が目的の殺人です。十分に可能でした」

「しかし現実にはそうならなかった」
俺の言葉にキスリングが頷いた。
「ルーゲ伯を止めた人間が居ます」

司法尚書を止める? それなりの影響力を持つ人間だろうが誰だ?
「国務尚書、クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵……」
「!」
キスリングの言葉に病室の空気が固まった。

「馬鹿な、何故そんな事を」
喘ぐようにリューネブルグが声を出す。同感だ、国務尚書として国政の最高責任者の地位にあるリヒテンラーデ侯が何故カストロプ公を庇うのか、一つ間違えば自分自身が失脚することになるだろう。

「カストロプ公爵家は贄なのです」
「贄……」
キスリングが何を言っているのか分からなかった。オフレッサー、リューネブルクも訝しげな顔をしている。そしてキスリングは相変わらず冷ややかな笑みを浮かべている。

「少佐、贄とは生贄の事か?」
オフレッサーが低い声で確かめた。
「そうです。平民達の帝国への不満が高まったとき、カストロプ公を処罰して不満を収める。そのために用意された贄です……」

何を言った? 今キスリングは何を言った? 分からない、だがどうしようもないほど悪寒が走った。リューネブルクも顔を引き攣らせている。オフレッサーは、オフレッサーも顔を引き攣らせている。俺は一体何を聞いた?

「カストロプ公は自分が何をやっても許されると思っているでしょう。その通りです、彼にはすべてが許される。彼が悪事を重ねれれば重ねるほど平民達は彼を憎む。そして彼が処罰された時、喝采を送るでしょう……。カストロプ公は一歩一歩破滅へと向かっている。本人だけが分かっていない。牛や豚と同じですよ、太らせてから食う、しかし彼らにはそれが分からない……」

キスリングが笑い出した。可笑しくて堪らないと言うように笑っている。
「笑うのを止めろ、少佐、笑いごとではあるまい」
リューネブルクが顔を蒼褪めさせて叱責した。しかしキスリングは笑うのを止めない。

「ルーゲ伯も私達の前で笑っていました、気が狂ったように……。そして泣いていました。ヴァンフリートで三百万人近い死者が出たのは自分の所為だと。あの時カストロプ公を断罪しておけばこんなことにはならなかったと、そして自分を許してくれと……」
「……」

キスリングが笑いを収めた。そして沈鬱な表情で語りだす。
「屋敷を辞去するとき使用人に聞きました。ヴァンフリート会戦以降、伯は毎日酒を浴びるように飲み、泣き喚き、狂ったように笑っていたそうです。このイゼルローンに来てからですが伯が自殺したとオーディンのアントンから連絡が有りました。また一人、贄のために犠牲が出た……」

病室に沈黙が落ちた。聞きたくなかった、あの敗戦にそんな秘密が有ったなど知りたくなかった。三百万の将兵が死んだ原因が贄だと言うのか? キルヒアイスは、キルヒアイスはそんなことのために死んだのか?

帝国が楽園だなどとは思っていない、しかしここまで腐っているとは思わなかった。俺はいったい何を見てきたのだ?
“……最初に断っておきます。この秘密を知れば必ず後悔します。何故知ったのかと……”
キスリングの言葉が今更ながら思い出された。その通りだ、知りたくなかった、しかし知ってしまった。これからどうすれば良い……。

「我々は全てをブラウンシュバイク公に話しました。そしてカストロプ公の断罪とエーリッヒの帰還を求めたのです」
「どうなった」
低い声でオフレッサーが問いかけた。

「ブラウンシュバイク公とリヒテンラーデ侯の間で話し合いが持たれました。そしてカストロプ公の断罪が決まりました。おそらく我々がオーディンに戻れば間を置かずに処断されるはずです」
「……」

「エーリッヒの帰還は認められませんでした。それを認めるには全てを公表する必要が有ります。カストロプ公という贄の所為で三百万もの将兵が死んだと……。それを認められるくらいなら最初から贄等必要とはしない……」
キスリングの声には侮蔑の響きが有った。彼が蔑んでいるのはカストロプ公か、それともリヒテンラーデ侯か、或いは帝国か……。

「エーリッヒは裏切り者であり、ヴァンフリートの虐殺者である。それが帝国の公式見解です。カストロプ公が処断されてもそれは変わりません。真実が表に出る事は無い……」

「キスリング少佐、卿を襲わせたのは……」
躊躇いがちにリューネブルクが問いかけた。

「リヒテンラーデ侯でしょう。ブラウンシュバイク公とアントンに対する警告です。これ以上この件に関わるな、というね。これが我々が住む帝国の真の姿です、地獄ですよ」
キスリングがまた笑い出した。虚ろな笑いだ、地獄を見た人間の笑い声だと思った……。





 

 

第三十七話 転機

帝国暦 485年 10月21日  イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル


全てを聞き終わり、キスリングの病室から出た時、俺は自分がひどく疲れている事に気付いた。リューネブルク、オフレッサーも同じだろう、表情には疲労の色が有る。皆無言で歩いた、オフレッサーとは途中で別れた。

別れ際にオフレッサーは俺達にこの件を外に漏らす事は許さないと口止めした。言われるまでもなかった。こんなおぞましい話を一体誰にするのか? 聞くことですら厭わしいのにそれを話すなど……。

帝国を守るためにカストロプ公という犠牲を用意した。しかしその犠牲はさらに犠牲を必要とした。気が付けば三百万人以上の犠牲が発生していたのだ。キルヒアイスもその一人だ。そして三百万人を殺したヴァレンシュタインでさえその犠牲の一人でしかなかった……。

俺は姉を皇帝に奪われた。だが殺されたわけではなかった。許可が必要だが会う事も出来た。だがあの男は両親を殺された。そして命を狙われ国を追われた。全てを失ったのだ。今では裏切り者と蔑まれ、虐殺者、血塗れなどと呼ばれて忌み嫌われている……。

あの男はそれに相応しい男ではない。あの男は皆から敬意を払われるべき人間なのだ。有能で誠実で信義を重んじる男……。もっとあの男と話をしたかった。何を考え、何を望んでいるのか、もっとよく知りたかった。

あの時、俺はあの男を殺すべきだと思いそれのみに囚われていた……。殺さなくて良かった、もし殺していたら俺は自分を許せなかっただろう。オフレッサーが止めてくれたことに感謝している。

“俺達は野蛮人でも人殺しでもない、帝国を守る軍人であり武人(もののふ)なのだ。だからその誇りと矜持を失ってはならん。それを失えば装甲擲弾兵はただの人殺しに、野蛮人になってしまう……”

その通りだ、装甲擲弾兵だけの事ではない。軍人は人を殺す、だからこそ、誇りと矜持を失ってはいけない。今回俺はその過ちを犯さずに済んだ。僥倖と言って良いだろう。だが僥倖は二度も続くとは限らない。これからは俺自身が気をつけなくてはならない。

そしてもう一つ気付いたことが有る。俺は軍で武勲を挙げ昇進する事のみを考えていた。そして武力をもって皇帝になると……。だがそれだけでは駄目だ、帝国は俺が思っている以上に複雑で危険だ。帝国の持つ暗黒面を理解する必要が有る。

リヒテンラーデ侯のように帝国を守るために贄を用意するなどと考える人間もいる。俺がこれから上を目指すのであればそういう人間達と互角に渡り合える能力を持つか、そういう能力を持つ人間を味方にしなければならない……。誇りや矜持などとは無縁の男達と互角に渡り合う事が要求される日が来るだろう……。俺はそういう男達と渡り合いながら、誇りと矜持を持ち続けなければならない。



宇宙暦 794年 10月22日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



眼が覚めると目の前には白い天井が映っていた。多分病室だろう、病室の天井というのはどういう訳か白が多い。起き上がろうとして右の肩が痛んだ、思い出した、俺はイゼルローン要塞で撃たれた。痛むのはその傷だ。

「大佐、ヴァレンシュタイン大佐、目が覚めたんですね」
サアヤの声だ。横を向くとサアヤが座っているのが見えた。ラインハルトの前から立ち去った後の記憶が無い。どうやら俺は気を失ったのだろう。出血による意識不明か……。あまり自慢にはならんな。うんざりだ。

サアヤが俺の顔を覗き込んできた。酷い顔だ、目の下に隈が出来ている。これじゃパンダだ。
「此処は、何処です?」
「総旗艦、アイアースです。大佐は、撤退中に気を失いました。覚えていませんか?」
俺は無言で首を横に振った。気を失ったんだ、覚えているはずがないだろう……。

「どのくらい寝ていました?」
「今日は二十二日です。大佐は約一日半、寝ていました」
一日半か……。結構眠っていたようだ。サアヤが医師に連絡を入れている、そして艦橋にも連絡を入れているのが聞こえた……。確認する事が有る、しかし、先ずはサアヤが連絡を追えるのを待つか……。

「撤退作戦はどうなりました」
連絡を終えたサアヤに問いかけた。
「問題なく終了しました、第一次撤退も、私達の第二次撤退も敵の攻撃を受けることなく撤退しました」

サアヤの表情には笑みが有る。嘘ではない様だ。撤退作戦は問題なく終了した。つまりロボスの解任はその点に関しては間違っていなかったという事になるだろう。問題は戦闘がどうなったかだ……。

「戦闘はどうなりました?」
「本隊は撤退作戦の支援に全力を注ぎました。味方に大きな損害は出ていません。当然ですが敵にも大きな損害は有りません」
サアヤの顔から笑みは消えたが嘘はついている様子は無い。敵に損害を与えられなかったのが残念だという事だろう。ほっとした、思わず溜息が漏れた……。

「大尉はずっとここに居たのですか?」
「ええ、ご迷惑でしたか?」
「いえ、そんな事は有りません。疲れただろうと思ったのです。私は大丈夫ですから休んでください」

俺の言葉にサアヤは嬉しそうに笑みを漏らした。そして医師の診断が終わったら休みます、と答えた。全く酷い顔だ、自分がどんな顔をしているのかもわかっていないのだろう……。

医師が来た。三十代前半のようだが息を切らしている。走ってきたのかもしれない。サアヤが席を外すとそこに座りいきなり俺の脈を計りだした、俺は肩を撃たれただけだ、脈なんか計ってどうする? そう思っていると出血が多かったとか、俺の身体が丈夫じゃないとか、休息をちゃんと取れとか言い始めた。

余計な御世話だ、そんな事はとっくに分かっている。腹が立ったが無視することにした。こんな阿呆の事はどうでもいい、俺には考えなくてはならないことが有る。

第二百十四条を進言したのは止むを得なかった。ロボスは明らかに総司令官に必要な冷徹さを失っていた。俺の撤退案を使わないと言うならそれも良い、フォークの提案を使うと言うならそれをもっと詰めるべきだった。冷静さを示すべきだったのだ。それなのに自分の願望を優先した。

そして現実と願望が一致しなくなったとき、それでも願望を優先させようとした。あのまま戦い続ければロボスは勝算も無しに陸戦隊を要塞内へ次々と送り続けただろう。

そして要塞の外では要塞への突入口を確保するために同盟軍と帝国軍が激しい戦いを行うことになったはずだ。損害ばかりが増え、終結の見通しのつかない戦闘が延々と続いただろう。場合によってはその戦闘の中で味方殺しが起きたかもしれない……。

敵味方共に損害は軽微か……。悪くない結果だ、敵艦隊に大きな損害を与えていれば陸戦隊の撤退を疑問視する人間が出る。逆にこちらが損害を受けていれば解任そのものを疑問視する人間が出るに違いない。損害は軽微、両者とも出辛い状況だ。

ヤンとワイドボーンは混戦状態を作ることで撤退作戦を援護しようとした。だがそれでは駄目なのだ。混戦状態は消耗戦になる、当然被害は大きい。そして味方殺しをミュッケンベルガーが実施すればさらに被害が大きくなる。撤退そのものが非難されるだろう。陸戦隊を見殺しにした方が損害が少なかったと言われるに違いない。結果論としてロボスは正しかったと言われかねない……。

ミュッケンベルガーが味方殺しをしたかどうかは分からない。やったかもしれないしやらなかったかもしれない……。しかしミュッケンベルガーは追い込まれていた。味方殺しをした可能性は有る、それを防ぐには混戦状態は作り出せない、十分な理由だ、皆が納得するだろう。

問題は消極的に過ぎると言われた場合だ。当然非難は撤収を進言した俺に向かうだろう。亡命者だから帝国軍との戦いを避けたのではないかと言う奴が必ず出る。少なくともロボスやフォークならそう指摘する。

だから撤退作戦を指揮する必要が有った、イゼルローン要塞に行く必要が有った。最前線で味方を救うために危険を冒す。これなら消極的だと非難は出来ない。キスリングが居た事だけが予想外だった。

キスリングを救うには直接ラインハルト達に頼むしかなかった。危険ではあったが勝算は有った。彼らが嫌うのは卑怯未練な振る舞いだ、そして称賛するのは勇気ある行動と信義……、敵であろうが味方であろうが変わらない。大体七割程度の確率で助かるだろうと考えていた。

バグダッシュとサアヤがついて来たのは予想外だったが、それも良い方向に転んだ。ちょっとラインハルトを挑発しすぎたからな、あの二人のおかげで向こうは気を削がれたようだ。俺も唖然としたよ、笑いを堪えるのに必死だった。撃たれたことも悪くなかった、前線で命を懸けて戦ったと皆が思うだろう。

ロボスだのフォークのために軍法会議で銃殺刑なんかにされてたまるか! 処罰を受けるのはカエルどもの方だ。ウシガエルは間違いなく退役だな、青ガエルは病気療養、予備役編入だ。病院から出てきても誰も相手にはしないだろう。その方が世の中のためだ。

キスリング、お前は今どうしている? 無事か、苦しんではいないか? お前と話が出来なかったのが残念だ。もう二度と会う事は無いだろう……。俺は帝国には戻れない……。

“ヴァンフリートの虐殺者”、“血塗れのヴァレンシュタイン” クマ男の声を思い出す。憎悪に溢れた声だった。ヴァンフリートで帝国人を三百万は殺しただろう、そう言われるのも無理は無い。俺がクマ男の立場でも同じ事を言うはずだ。

サアヤが俺を帝国に連れて帰れと言った。だがオフレッサーもリューネブルクもラインハルトも一顧だにしなかった……。今更だが俺は元帝国人であって帝国人ではないのだ。厳しい現実だ。

俺は帝国に戻りたかった。帝国に戻れないのが分かっていても戻りたかった。多分、俺は無意識にその事実から目を逸らしていたのだろう。だから今回のイゼルローン要塞攻略戦にも今一つ真剣になれなかった……。

俺にはもう行くところは無い、この国で生きていかなければならない。その事を肝に銘じるんだ。そうでなければ同盟人としての第一歩を踏み出せない……。これ以上の躊躇は許されないだろう。

「ヴァレンシュタインが目を覚ましたって?」
ドアを勢いよく開けて入ってきた男が居る。やれやれだ、さっそく同盟人として生きる覚悟を試されることになった。此処は病室だぞ、阿呆。少しは気遣いが出来ないのか、お前は……。適当に相手をして追っ払うか……、こいつが役に立つな……。



宇宙暦 794年 10月22日  宇宙艦隊総旗艦 アイアース ミハマ・サアヤ


ドアを勢いよく開けてワイドボーン大佐が入ってきました。その後にヤン大佐が続きます。ワイドボーン大佐が私に大声で問いかけてきました。
「ヴァレンシュタインが目を覚ましたって?」
「はい、今軍医の診察を受けているところです」

大佐は私の言葉に不満そうでしたがその場に立ち止まりました。軍医の診察を待とうと言うのでしょう。私の位置からは、ワイドボーン大佐もヴァレンシュタイン大佐の顔も見えます。それまでにこやかに笑みを浮かべて軍医の言葉を聞いていたヴァレンシュタイン大佐が顔を顰めて溜息を吐きました。

ヴァレンシュタイン大佐と軍医が何かを話しています。どうやら診察を終えたようです。軍医が私達に近づいてきました。
「ヴァレンシュタイン大佐は元々体が丈夫とは言えないようです。あまり無理はさせないほうが良いでしょう。くれぐれも安静にしてゆっくりと休息をとることです……、では」
そう言うと軍医は立ち去りました。

安静にと言うのが気に入らなかったのかもしれません。忌々しそうな表情を浮かべてワイドボーン大佐がヴァレンシュタイン大佐に近づきました。そして押し殺した声で問いかけました。

「おい、あれはどういうことだ?」
「あれ?」
「自ら捕虜交換をしたことだ、一つ間違えば死ぬところだぞ!」

ワイドボーン大佐が怒っています。そうです、もっと怒ってください、ヴァレンシュタイン大佐は本当に無茶ばかりするんです!
「生きていますよ、この通り」

緊張感の欠片もない声でした。ヤン大佐が後ろで呆れています。
「結果論だ、運が良かったに過ぎない」
「そうじゃありません、勝算が有ったからやったんです」

嘘です、絶対に嘘です。大体ヴァレンシュタイン大佐は銃で撃たれているんです。それに大佐はミューゼル准将に自分を撃てと言っていました。准将はもう少しで大佐を撃つところだったんです。どうみても自分の命を粗末にしているとしか思えません。

「勝算だと?」
「ええ、百パーセント勝てると思っていましたよ」
「百パーセント? 嘘を吐くな、バグダッシュ中佐とミハマ大尉から聞いている。もう少しで殺されるところだったとな」

そうです、もっと言って下さい。大変だったんです。私もバグダッシュ中佐もあの時は死を覚悟しました。今こうして生きているのが不思議なくらいです。それに帰りは大佐は意識を失ってしまい、死んだのではないかと本当に心配しました。私はワンワン泣いてしまい、中佐に怒られながら大佐を運んだんです。中佐だって半べそをかいていました。

「殺されそうにはなりました。でも生きています、問題は有りません。バグダッシュ中佐とミハマ大尉には感謝していますよ、生存率百パーセントが百二十パーセントくらいになりましたからね」

ヴァレンシュタイン大佐が笑顔で話しかけます。ワイドボーン大佐は目を怒らせ、ヤン大佐は苦笑していました。

「まあ無茶をするのは今回だけです、これからはしませんから安心してください……。私は少し眠くなりました、先程軍医からもらった薬の所為でしょう。少し休みますので一人にしてください。軍医からはくれぐれも安静にするようにと言われているんです」

そう言うとヴァレンシュタイン大佐は目を閉じました。軍医に安静にと言わせたのは間違いなくヴァレンシュタイン大佐です。ワイドボーン大佐に責められるのを防ぐためにそうしたに決まっています。そのくらい大佐は油断のならない根性悪なんです。

 

 

第三十八話 軍法会議

宇宙暦 794年 12月 5日  ハイネセン  統合作戦本部 ミハマ・サアヤ



遠征軍がハイネセンに帰還したのは十一月十五日の事ですが、そのころにはハイネセンはロボス元帥の解任事件で大騒ぎになっていました。ロボス元帥は遠征軍の総司令官ですが宇宙艦隊司令長官でもあります。実動部隊の最高責任者が解任されたのです。それに比べればイゼルローン要塞攻略失敗の事など些細な事に思えたのでしょう。

ハイネセンでは無責任な噂が飛び交っていました。
“ロボス元帥が解任されたのはシトレ元帥の差し金だ、ロボス元帥にイゼルローン要塞を攻略されては面白くないのでヴァレンシュタイン大佐を使って解任した”

“ロボス元帥解任はグリーンヒル大将とヴァレンシュタイン大佐の陰謀だ、グリーンヒル大将は自分が宇宙艦隊司令長官になりたいのでロボス元帥を十分に補佐せず、その欠点を周囲に見せつけた後でヴァレンシュタイン大佐を使って解任した”
他にもフォーク中佐とワイドボーン大佐の出世争いとかも噂になっています。

無責任です、あの事件はそんなものじゃありません。要塞内で伏撃に遭い取り残された陸戦隊を守るためにはロボス元帥を解任するしかありませんでした。噂で取りざたされているような出世争いなんかじゃないんです。

マスコミはセンセーショナルに騒ぎ立てドキュメンタリー風の番組なども作っています。将官会議の様子や、解任の様子、そしてイゼルローン要塞からの撤退……。そこには私も登場していますが、すごく格好良いです。見ていて恥ずかしいですし、士官学校の同期生からも冷やかされました。

無責任な放送ではありますがどの放送もグリーンヒル大将とヴァレンシュタイン大佐に好意的です。一部には撤退を決めるのが早すぎるとして消極的ではないかという意見もありますが作戦参謀が自ら最前線で撤退作戦の指揮を執った、その事には皆が称賛を送っています。

遠征軍がハイネセンに帰還すると直ぐ調査委員会が開かれました。調査委員会は軍法会議を開く前に行われるものですが証拠集めや調書の作成などが行われます。この調査委員会で軍法会議で審議するほどの重大な事件では無いと判断されることもありますが、第二百十四条ではそれは有り得ません。

軍法会議は大きく分けて高等・特別・簡易の三種類の会議が有ります。高等軍法会議は将官以上の階級を持つものが被告の場合です、特別軍法会議は最前線などで簡易に処罰を行うために設置されます。その対象となる行為は敵前逃亡や抗命などの重罪である場合がほとんどです。それ以外のものが簡易軍法会議となります。今回は高等軍法会議です。

審判は五名の判士によって結審されます。そのうち四名は法曹資格を持つ士官が選出されますが、判士長には統合作戦本部長、すなわちシトレ元帥が着く事が決まっています。言ってみれば軍の最高責任者が判決を下す、そういう形をとるのです。

今回、原告はロボス元帥、被告はグリーンヒル大将、ヴァレンシュタイン大佐になります。容疑は抗命罪です。私はグリーンヒル大将もヴァレンシュタイン大佐も間違ったことをしたとは思っていません。しかしそれでも不安です。

もうすぐ地下の大会議室で軍法会議が始まります。今日で七回目ですが今回はヴァレンシュタイン大佐が証言を求められています。第三回では私も証言を求められました。

残りはグリーンヒル大将とロボス元帥だけです。軍法会議も終わりが近づいています。私は今回、傍聴席で裁判の様子を見る事にしました。ヴァレンシュタイン大佐の宣誓が始まります。緊張している様子は有りません、表情はとても穏やかです。

「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓 います」
声は震えていません。大したものです、私の時は緊張で声が震えました。私だけじゃ有りません、私以外の証言者もこの宣誓をするときは緊張したと言っています。

「偽りを述べると偽証罪として罰せられます、何事も偽りなく陳述するように」
判士長であるシトレ元帥が低く太い声で忠告し、ヴァレンシュタイン大佐が頷きました。私の時もありましたが身体が引き締まった覚えがあります。

宣誓が終わると早速検察官が質問を始めました。眼鏡をかけた痩身の少佐です。ちょっと神経質そうで好きになれない感じです。大佐を見る目も当然ですが好意的ではありません。何処か爬虫類のような目で大佐を見ています。

無理もないと思います。これまで開かれた六回の審理では原告側はまるで良い所が有りません。いずれも皆、ロボス元帥の解任は至当という証言をしているのです。特に“ローゼンリッターなど磨り潰しても構わん! 再突入させよ!” その言葉には皆が厳しい批判をしました。検察官が口籠ることもしばしばです。

「ヴァレンシュタイン大佐、貴方とヤン大佐、ワイドボーン大佐、そしてミハマ大尉は総司令部の作戦参謀として当初仕事が無かった、そうですね?」
「そうです」

「詰まらなかった、不満には思いませんでしたか?」
「いいえ、思いませんでした」
大佐の言葉に検察官が眉を寄せました。不満に思っているという答えを期待していたのでしょう、その気持ちが二百十四条の行使に繋がったと持っていきたいのだと思います。

「おかしいですね、ヴァレンシュタイン大佐は極めて有能な参謀です。それが全く無視されている。不満に思わなかったというのは不自然じゃありませんか?」
ヴァレンシュタイン大佐が微かに苦笑を浮かべました。

「仕事をせずに給料を貰うのは気が引けますが、人殺しをせずに給料を貰えると思えば悪い気持ちはしません。仕事が無い? 大歓迎です。小官には不満など有りません」
その言葉に傍聴席から笑い声が起きました。検察官が渋い表情で傍聴席を睨みます。

「静粛に」
シトレ元帥が傍聴席に向かって静かにするようにと注意しました。検察官が幾分満足げに頷きながら傍聴席から視線を外しました。そして表情を改めヴァレンシュタイン大佐を見ました。

「少し発言には注意してください、場合によっては法廷侮辱罪が適用されることもあります」
「小官は宣誓に従って真実を話しているだけです。侮辱するような意志は有りません」
ヴァレンシュタイン大佐の答えに検察官がまた渋い表情をしました。咳払いをして質問を続けます。

「大佐はグリーンヒル大将によって総旗艦アイアースの艦橋に席を用意された。そうですね?」
「そうです」

「当然ですがグリーンヒル大将に感謝した、そうですね」
「いいえ、それは有りません」
「?」
「余計なことをすると思いました。小官は無駄飯を食べるのが好きなのです」
そう言うと大佐はクスクスと笑い出しました。

傍聴席からもまた笑い声が上がります。一番大きな声で笑っているのは私の隣にいるシェーンコップ大佐です。この人、ヴァレンシュタイン大佐と親しいのですが性格も何処か似ているようです。根性悪で不謹慎、大佐はヴァレンシュタイン大佐を心配するより面白がっています。

シェーンコップ大佐も第三回の軍法会議に証人として出廷していますがその証言は酷いものでした。どう見てもロボス元帥と検察官を小馬鹿にしたもので何度も審理が止まったほどです。

検察官が傍聴席を、シェーンコップ大佐を睨む前にシトレ元帥の太い声が法廷に流れました。
「静粛に」

検察官はシェーンコップ大佐を一瞬睨んだ後、視線をヴァレンシュタイン大佐に戻しました。厳しい目です、一方大佐は笑いを収め生真面目な表情をしていました。多分猫を被っています。

「不謹慎ではありませんか? 作戦参謀でありながら仕事をしないのが楽しいなどとは。その職務を果たしているとは思えませんが?」
少し粘つくような口調です。ようやく突破口を見つけた、そう思っているのかもしれません。

「小官が仕事をすると嫌がる人が居るのです。小官は他人に嫌がられるような事はしたくありません。特に相手が総司令官であればなおさらです。小官が仕事をしないことで総司令官が精神の安定を保てるというなら喜んで仕事をしません。それも職務でしょう」
そう言うと大佐は僅かに肩をすくめるしぐさを見せました。その姿にまた傍聴席から笑い声が起きました。

嘘です、絶対嘘。必要とあれば大佐は周囲の思惑など無視して動きます。大佐が仕事をしなかったのはロボス元帥に遠慮したからではありません。仕事をする気が無かったからです。馬鹿馬鹿しかったのだと思います。それと恥ずかしい話ですが私達が大佐を本当の意味で受け入れようとしなかったことで嫌気がさしていたのだと思います。大佐が言葉を続けました。

「それに総司令部の作戦案についてはその問題点を七月の末に指摘しています。それを修正していない人達の方が問題ではありませんか?」
検察官の表情が歪みました。そして傍聴席からはまた笑い声が上がります。

これまでの審理で作戦案の修正を拒んだのはフォーク中佐とロボス元帥である事が判明しています。検察官にしてみればせっかく見つけた突破口が自分の失点になって返ってきたのです。表情も渋くなるでしょう。検察官が表情を改めました。

「十月に行われた将官会議についてお聞きします。会議が始まる前にグリーンヒル大将から事前に相談が有りましたか?」
「いいえ、有りません」
その言葉に検察官の目が僅かに細まりました。

「嘘はいけませんね、大佐。グリーンヒル大将が大佐に、忌憚ない意見を述べるように、そう言っているはずです」
「そうですが、それは相談などではありません。小官が普段ロボス元帥に遠慮して自分の意見を言わないのを心配しての注意です。いや、注意でもありませんね、意見を述べろなどごく当たり前の事ですから」

検察官がまた表情を顰めました。検察官も気の毒です、聞くところによると彼はこの軍法会議で検察官になるのを嫌がったそうです。どうみても勝ち目がないと思ったのでしょう。ですが他になり手が無く、仕方なく引き受けたと聞いています。

「大佐はどのように受け取りましたか?」
「その通りに受け取りました。将官会議は作戦会議なのです、疑義が有ればそれを正すのは当然の事です。そうでなければ不必要に犠牲が出ます」
検察官がヴァレンシュタイン大佐の言葉に一つ頷きました。

「ヴァレンシュタイン大佐、大佐は将官会議でフォーク中佐を故意に侮辱し、会議を終了させたと言われています。今の答えとは違うようですが」
低い声で検察官が問いかけます。勝負所と思ったのかもしれません。

傍聴席がざわめきました。この遠征で大佐が行った行動のうち唯一非難が出るのがこの将官会議での振る舞いです。私はその席に居ませんでしたが色々と話は聞いています。確かに少し酷いですし怖いと思いました。

大佐は傍聴席のざわめきに全く無関心でした。検察官が低い声を出したのにも気付いていないようです。穏やかな表情をしています。
「確かに小官はフォーク中佐を故意に侮辱しました。しかし将官会議を侮辱したわけではありません。フォーク中佐とロボス元帥は将官会議そのものを侮辱しました」

「発言には注意してください! 名誉棄損で訴えることになりますぞ!」
検察官がヴァレンシュタイン大佐を強い声で叱責しました。ですが大佐は先程までとは違い薄らと笑みを浮かべて検察官を見ています。思わず身震いしました、大佐がこの笑みを浮かべるときは危険です。

「将官会議では作戦の不備を指摘しそれを修正することで作戦成功の可能性を高めます。あの作戦案には不備が有りました、その事は既に七月に指摘してあります。にもかかわらずフォーク中佐は何の修正もしていなかった。小官がそれを指摘してもはぐらかすだけでまともな答えは返ってこなかった」
「……」

「フォーク中佐は作戦案をより完成度の高いものにすることを望んでいたのではありません。彼は作戦案をそのまま実施することを望んでいたのです。そしてロボス元帥はそれを認め擁護した……」
「……」

「 彼らは将官会議を開いたという事実だけが欲しかったのです。そんな会議に何の意味が有ります? 彼らは将官会議を侮辱した、だから小官はフォーク中佐を挑発し侮辱することで会議を滅茶苦茶にした。こんな将官会議など何の意味もないと周囲に認めさせたのです。それが名誉棄損になるなら、どうぞとしか言いようが有りません。訴えていただいて結構です」

検察官が渋い表情で沈黙しています。名誉棄損という言葉にヴァレンシュタイン大佐が怯むのを期待したのかもしれません。甘いです、大佐はそんなやわな人じゃありません。外見で判断すると痛い目を見ます。外見は砂糖菓子でも内面は劇薬です。

「フォーク中佐は健康を損ねて入院していますが……」
「フォーク中佐個人にとっては不幸かもしれませんが、軍にとってはプラスだと思います」
大佐の言葉に傍聴席がざわめきました。酷いことを言っているというより、正直すぎると感じているのだと思います。

「検察官はフォーク中佐の病名を知っていますか?」
「転換性ヒステリーによる神経性盲目です……」
「我儘一杯に育った幼児に時としてみられる症状なのだそうです。治療法は彼に逆らわないこと……。彼が作戦を立案すると誰もその不備を指摘できない。作戦が失敗しても自分の非は認めない。そして作戦を成功させるために将兵を必要以上に死地に追いやるでしょう」

法廷が静まりました。隣にいるシェーンコップ大佐も表情を改めています。
「フォーク中佐に作戦参謀など無理です。彼に彼以外の人間の命を委ねるのは危険すぎます」
「……」

「そしてその事はロボス元帥にも言えるでしょう。自分の野心のために不適切な作戦を実施し、将兵を無駄に戦死させた。そしてその現実を認められずさらに犠牲を増やすところだった……」
「ヴァレンシュタイン大佐!」
検察官が大佐を止めようとしました、しかし大佐は右手を検察官の方にだし押さえました。

「もう少し話させてください、検察官」
「……」
「ロボス元帥に軍を率いる資格など有りません。それを認めればロボス元帥はこれからも自分の野心のために犠牲者を増やし続けるでしょう。第二百十四条を進言したことは間違っていなかったと思っています」

この発言が全てを決めたと思います。検察官はこれ以後も質問をしましたが明らかに精彩を欠いていました。おそらく敗北を覚悟したのでしょう。


軍法会議が全ての審理を終え判決が出たのはそれから十日後の事でした。グリーンヒル参謀長とヴァレンシュタイン大佐は無罪、そしてロボス元帥には厳しい判決が待っていました。

「指揮官はいかなる意味でも将兵を己個人の野心のために危険にさらす事は許されない。今回の件は指揮官の能力以前の問題である。そこには情状酌量の余地は無い」

普通、第二百十四条の事件では判決の最後に原告に対して情状酌量の余地は有ったという文言が付きます。これは原告の名誉を守るためです。第二百十四条を使われた以上、原告は指揮官としては先ず復帰できません。ですが指揮官以外では軍務につくことも可能です。あくまで指揮官としては不運であったという言い方をするのです。また、なんらかの事情で指揮官として復帰するときにはこの情状酌量の余地は有ったという言葉がその根拠になります。

今回の判決にはその言葉が有りませんでした。また指揮官の能力以前の問題と言われたのです。ロボス元帥は指揮官として、軍人としての復帰を完全に断たれました。シトレ元帥が読み上げる判決を聞くロボス元帥の顔は屈辱にまみれていました。ロボス元帥が退役したのはその翌日の事です。第六次イゼルローン要塞攻略戦はこうして終わりました……。

 

 

第三十九話 互角

帝国暦 485年 12月20日  オーディン ラインハルト・フォン・ミューゼル



オーディンについて十日が経った。この十日の間にイゼルローン要塞攻防戦の軍功が評価され新たな人事が発表された。少将に昇進した。イゼルローン要塞攻防戦で敵の作戦を見破り、陸戦隊の迎撃に功が有ったと評価されたらしい。まあ当然ではあるが、それでもやはり昇進は嬉しい。

役職は帝国宇宙艦隊総司令部付、以前と変わらない。つまり次の出征までの臨時の席だ。一つ間違えば装甲擲弾兵の指揮官という可能性もあったはずだ、そうならなかった事にホッとしている。装甲擲弾兵を馬鹿にするつもりはないがやはり俺は艦隊を率いて宇宙で戦いたい。

「リューネブルク少将」
「ああ、ミューゼル少将か」
軍務省から出てきたところをみると新たな辞令を受けたのだろう。表情が明るい、悪い人事ではなかったようだ。昇進しても閑職に回されるということもある。特に彼は亡命者だ、不安が有っただろう。

「新たな辞令を受けたのかな」
「うむ、装甲擲弾兵第二十一師団の師団長を命じられた」
「ほう、それはそれは、……近来稀にみる名人事だ」

俺の言葉にリューネブルク少将は苦笑交じりに“からかうな”と言ったが頬は緩んでいる。俺はからかったつもりは無い、リューネブルクの陸戦隊指揮官としての能力は傑出したものだ。間違いなく近来稀にみる名人事だろう。

それに少将で師団長というのは間違いなく抜擢だ。本来なら副師団長と言ったところだ。上層部、いやこの場合はオフレッサーだろうが彼はリューネブルクを高く評価している。リューネブルクにとっても悪いことではない。オフレッサーは信頼できる男だ。彼の頬が緩んでいるのもそれが分かっているからだろう。

「卿はどうなのだ、昇進はしたが新たな役職は決まったのか」
「総司令部付だ、但し艦隊は三千隻を率いる事になった」
「良かったではないか、上層部は卿の才幹を正しく評価しているようだ」
「それでも卿には及ばない、卿は一個師団を率いるのに俺は三千隻だからな」

俺の言葉にリューネブルクが笑い声をあげた。
「率いる将兵の数は卿の方が多いのだぞ、それだけの責任を持てる男だと評価されたのだ。文句を言うな」
「そうだな、愚かな事を言った。忘れてくれれば有りがたい」

俺の言葉にリューネブルクは笑いながら肩を叩く事で答えた。多少痛かったが我慢した。昇進し評価されたにもかかわらず、それに不満のある様な言動をする、危険な事だ。リューネブルクは冗談交じりにそれを窘めてくれたのだろう。

良い男と知り合う事が出来た。何故昔はこの男を嫌ったのか、今では不思議な思いがする。俺が変わったのか、それともリューネブルクが変わったのか、或いは両方か……。良く分からない、いや分からなくても良い、今が有る、それで十分だろう。思わず苦笑が漏れた。

「どうした?」
「いや、なんでもない。それよりこれからどうするのだ。予定が有るのか?」
「オフレッサー閣下のところに行こうかと思っている。御礼と御祝いの挨拶だ。卿もどうだ?」

リューネブルクが誘ってきた。確かに今回の戦いではオフレッサーに随分と世話になっている。挨拶に行くべきだろう。それとキスリングの事を聞かねばならない。彼の処遇はどうなるのか、リューネブルクも知りたいと思っているはずだ……。

「そうだな、俺一人では行き辛いが卿が一緒なら助かる。そうしよう」
「艦隊指揮官にとっては装甲擲弾兵総監部は行き辛いか」
「まあそうだ、イゼルローン要塞では装甲擲弾兵に胡散臭そうに見られて正直腐った」
俺の言葉にリューネブルクが笑い声を上げた。気が付けば俺も笑っていた。

オフレッサーは今回のイゼルローン要塞攻防戦での功績が認められ元帥に昇進することが決まった。宮廷の一部にはオフレッサーがヴァレンシュタインを帰した事で反対する意見もあったらしい。

だが軍務尚書エーレンベルグ元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥がオフレッサーの行為を擁護した。

“オフレッサー上級大将の行動は帝国軍人の矜持を守ったものである。それを認めねば帝国軍人はこれ以後何を規範として戦うのか? 我らをただの人殺しにするつもりか?“

両元帥の擁護によりオフレッサーは帝国元帥になることが決まった。陸戦隊の指揮官が元帥になるのは帝国の歴史の中でも数えるほどしかない。宇宙空間での戦いは艦隊戦が中心となる。そんな中で地上戦を主任務とする陸戦隊の活躍の場は極めて少ない。元帥にまで登りつめたオフレッサーは稀有の存在と言える。

悪い人事ではない、素直にそう思える自分が居た。以前なら石器時代の原始人が元帥かと冷笑しただろう。良く知りもせず、一部分だけでその人物を判断しようとしていた。オフレッサーも、そしてヴァレンシュタインも……。

気が付けばペンダントを握りしめていた。キルヒアイス、俺は大丈夫だ。お前が居なくなった事はどうしようもなく寂しい。だが俺はまた一歩前に進むことが出来た。これからも進み続けるだろう、だから俺を見守ってくれ……。


装甲擲弾兵総監部の総監室を訪ねると、二十分程待たされた。どうやら俺達以外にも祝辞を述べに来た人間が居るらしい。まあ無理もない、帝国元帥と上級大将では一階級の違いしかないがその影響力には雲泥の差が有る。

年額二百五十万帝国マルクにのぼる終身年金、大逆罪以外の犯罪については刑法を以って処罰される事は無く元帥府を開設して自由に幕僚を任免する事が出来る特権を持つ……。金、名誉、地位、特権、それを利用しようと近づく人間は当然いるだろう……。

部屋に入り、挨拶をしようとするとオフレッサーが吼えるような大声を出してソファーを指差した。
「礼など要らんし、祝いの言葉も無用だ、話が有る、そこに座れ。おい、しばらくの間誰も入れるな!」

相変わらず滅茶苦茶な男だと思ったが悪い気分はしなかった。リューネブルクを見ると彼も笑っている。考えてみれば俺達に祝いの言葉を述べられて照れているオフレッサーというのは想像がつかない。この方がいかにもオフレッサーらしい。

ソファーに座るとオフレッサーが忌々しそうに話しかけてきた。
「全く面倒なことだな、元帥になると決まったら訳の分からん連中が次から次へと来る。戦場に出たこともない奴にちやほやされてもな、うんざりだ」

心底嫌そうな表情をしている。耐えられなかった、思わず笑い声が出た。オフレッサーを笑うなどキチガイ沙汰だがそれでも止まらなかった。リューネブルクも笑っている。そんな俺達をオフレッサーが忌々しそうに見ている。それがまた可笑しかった。

一頻り笑い終えた後だった。オフレッサーが俺達を見てぽつりと呟いた。
「変わったな……」
「?」

「俺は卿らが嫌いだった。生意気で常に周囲を見下すような目をしていた。そう、卿らは周囲を蔑んでいたのだ。自分だけが正しいのだ、自分はもっと上に行くべき人間なのだと言う目をしていた。鼻持ちならない嫌な奴だ、そう思っていた」
「……」

「だがヴァンフリートで変わったな。あの敗戦で卿らは変わった。まああれだけ叩き潰されれば変わるのも当たり前か……。そして今も変わりつつある……。ミュッケンベルガー元帥に感謝するのだな」
「?」
ミュッケンベルガーに感謝? 良く分からない、思わずリューネブルクを見たが彼も訝しげな表情をしている。

宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥は先日辞職願を皇帝に提出した。皇帝フリードリヒ四世はその場での受理はしなかった。しかし今回の戦い振りが必ずしも芳しくなかったこと、ミュッケンベルガー本人の辞意が固い事から、その辞職は止むを得ないものと周囲には受け取られている……。

変わったと言うのは何となくわかるような気もする。以前に比べれば帝国の闇を知ったし、人というものを一面で判断してはならないとも理解した。なによりリューネブルクとこうして二人で居る事が出来る、以前なら有り得ないことだ。

オフレッサーが以前は俺を嫌っていたというのも分からないでもない。彼の俺を見る目は決して好意的なものではなかった。いや、俺に好意的な視線を向けた人間が居たか……、居なかったと思う。彼だけの問題ではない。だがミュッケンベルガー?

「ヴァンフリートの敗戦後の事だ、卿ら二人を死罪にすべしという声が上がったのだ」
「!」
思わず、オフレッサーの顔を見詰めた。オフレッサーは昏い目で俺達を見ている。

「グリンメルスハウゼン艦隊は壊滅した。生き残ったのは卿らを含めほんの僅かだ。味方を見捨てて逃げたと言われても否定はできまい」
「……」

オフレッサーの声は低く重い、のしかかってくるような声だ。確かに否定できない。あの時俺とリューネブルクは何よりも生き残る事を優先した。グリンメルスハウゼン艦隊が壊滅するであろうことを確信し、その上で生き残る事を選択したのだ。

あの艦隊の司令部は俺達の指摘する危険性を全く無視した。あのような馬鹿どもに付き合って死ねるか、そんな気持ちが有ったのは事実だ。見殺しにしたと言われても否定できない。いや、あれは見殺しにしたのだ。

「卿らを処断する事で味方の士気を引き締め、二度の敗戦は許さぬと皆に知らしめる……、誰もが納得するだろう。卿がグリューネワルト伯爵夫人の弟という事は関係ない、いやこの場合はむしろ好都合だろうな。寵姫の弟であろうと特別扱いはしない、軍律の前には皆が平等であるという事だからな」

知らなかった、そんな事が話し合われているとは全然知らなかった。知らなかったのは俺だけではない、リューネブルクの顔も引き攣っている。どのレベルで話されたのか、帝国軍三長官、そしてそれに準ずる男達、そんなところか……。

「だがミュッケンベルガー元帥はそれを拒否した……」
戦場で混乱したこと、グリンメルスハウゼン艦隊を救援できなかったこと、そして艦隊決戦で勝てなかったこと……。そのいずれもが自分の罪でありあの両名の罪ではない。

軍の拠って立つ処は信賞必罰に有る。罪なき者に責めを負わせてはその信賞必罰が崩れる事になる。責めを負わせることで軍の引き締めを図るのであれば、責めを負うのは自分であり、あの両名ではない……。

「卿らはミュッケンベルガー元帥に救われたのだ。当たり前の事だと思うなよ、反乱軍の事は聞いていよう」
俺もリューネブルクも頷いた。反乱軍の総司令官ロボス元帥は己個人の野心を優先させようとしたとの嫌疑で戦闘中に総司令官職を解任された。帰国後の裁判でも解任は正しかったとされロボスは失脚している。

運が良かった、ミュッケンベルガーとロボスが逆なら俺とリューネブルクは死んでいただろう。ミュッケンベルガーの矜持と識見に救われたのだ。ミュッケンベルガーは宇宙艦隊司令長官としては不運だったかもしれない。

しかし、イゼルローンで無理をせず撤退したことといい、他者に罪を押付けなかったことといい、容易にできる事ではない。見事な進退ではないか、ロボスを非難する人間は今後も現れるだろうが、ミュッケンベルガーを非難する人間が現れることはないだろう。

「俺は明日、ミュッケンベルガー元帥の屋敷に挨拶に行く、卿らも同行しろ」
「はっ」
俺達が頷くとオフレッサーも重々しく頷いた。

「説教は終わりだ、卿らの知りたがっていることを話してやる。キスリングの事をリヒテンラーデ侯と話した」
リューネブルクが俺を見た。そして躊躇いがちに問いかけた。
「如何でしたか」

「知らぬと言っていたな」
リューネブルクを見た、彼も俺に視線を向けている。どう思う? そんな感じだ。オフレッサーは憮然としている。思い切って問いかけてみた。
「嘘をついているのでしょうか?」
俺の言葉にオフレッサーは首を横に振った。

「分からんな、俺の頭ではそこまでは分からん……、食えぬ老人だからな。それによくよく考えれば他に候補者が居ないわけでもない」
「候補者ですか……、カストロプ公?」
俺が問いかけるとオフレッサーが苦笑した。どうやら外れたらしい、しかし他に誰が……。リューネブルクも訝しげな表情をしている。つまり俺と同レベルだ。

「例えば、ブラウンシュバイク公だな」
「!」
さらりとした言い方だった。確かにブラウンシュバイク公は贄の秘密を知っている。しかし、彼はキスリングの依頼を受けてリヒテンラーデ侯と折衝したはずだ。それなのにキスリングを殺す?

俺達が驚いているのが可笑しかったのかもしれない、オフレッサーが表情に人の悪い笑みを浮かべた。悪人面のオフレッサーがその笑みを浮かべると今にも人を殺しそうに見える。正直、勘弁してほしかった。

「公の娘は次の皇帝候補者の一人だ。贄の秘密が表に漏れればどうなる。一つ間違えば革命騒ぎになりかねん。公にとっては秘密を知る人間など皆殺しにしたかろうな」
「……」

笑いを含んだ声だが物騒な内容だ。つまり、キスリングだけではない、俺もリューネブルクもオフレッサーも危険だという事か。今更ながらキスリングの言った聞けば後悔すると言う言葉の意味が理解できた。あれは命の危険も含んでいたのだ。

俺達の沈黙をどう受け取ったのか、オフレッサーが楽しそうに言葉を続けた。
「候補者はもう一人いるぞ」
もう一人? 一体誰が? 秘密を知ったのは他にはフェルナーだけのはずだ。その彼が親友のキスリングを殺す?

「どうやらその様子では分かっておらんな、リッテンハイム侯だ」
「しかしリッテンハイム侯は秘密を知らぬ……」
リューネブルクが抗議したが最後まで言えず途中で止まった。オフレッサーはもう笑みを浮かべてはいない、厳しい表情で俺達を見ている。

「少しは脳味噌を使え、卿らの脳味噌は戦争以外には使えんのか」
「……申し訳ありません」
思わずリューネブルクと共に頭を下げていた。

しかしリッテンハイム侯? 彼とブラウンシュバイク公は次期皇帝の座を巡ってライバル関係に有る。秘密を共有するとは思えない。そしてリヒテンラーデ侯は秘密の共有者を増やしたいとは思っていないはずだ……。

オフレッサーが唸るような口調で話し始めた。呆れているのかもしれない。
「カストロプ公は大貴族だ、そして財務尚書でもある。彼を排除するとなれば事前に根回しが要るだろうが」
「……」

「いざ潰すという時になってリッテンハイム侯が反対したらどうなる? その時点で贄の秘密を話すのか? 侯はへそを曲げるぞ、何故前もって教えなかったとな。それに後任の財務尚書の事もある。おそらくは既にリヒテンラーデ侯、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の三者で話し合いがもたれたはずだ、その中で全ての秘密が共有され、そして後任の財務尚書も決まった……」

リッテンハイム侯も娘が次の皇帝候補者の一人だ。贄の秘密など表に漏れて欲しくは有るまい。つまりキスリングを殺す動機が有るという事か……。そして今では俺達を殺す動機を持つという事だ……。気が付けば俺は帝国の闇に首までどっぷりと漬かっていたらしい……。

「ミューゼル、リューネブルク」
「はっ」
思考の海に沈んでいた俺をオフレッサーの声が引き上げた。

「俺は元帥府を開く、卿らは俺の元帥府に加われ」
「はっ」
リューネブルクは躊躇う事無く答えたが俺は正直即答できなかった。オフレッサーの幕僚になるという事は陸戦隊指揮官になるという事だろう。それは俺の望むところではない。

「安心しろ、ミューゼル。卿に装甲擲弾兵を指揮しろとは言わん。これまで通り艦隊を指揮できるように交渉してやる。卿の後ろには俺が居るとはっきりさせた方がいい、そういう意味だ。孤立はもはや許されんと思え」
「はっ」

確かにそうだ、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、そしてリヒテンラーデ侯、その誰もが俺を殺そうとしてもおかしくない。そしてオフレッサーは陸戦隊の頂点にある。彼を敵に回すにはそれなりの覚悟が要る。場合によってはこのオーディンで地上戦を起こす覚悟が必要だろう。後ろ盾には最高の人物と言って良い、だが……。

「閣下、一つ教えていただきたいことが有ります」
「何だ?」
「何故、小官にそこまで御配慮下さるのか、教えていただけますか」
俺の言葉にオフレッサーはしばらくの間沈黙した。そして低い声で問いかけてきた。

「卿、先日の反乱軍の作戦、ミサイル艇を使っての攻撃をどう思った?」
おかしな展開だ。俺の質問に質問で返した。オフレッサーらしくない。
「狙いは悪くないと思いました。帝国軍が並行追撃作戦を恐れれば、どうしても注意は正面の艦隊に向きます」

俺の答えにオフレッサーは無言で頷いた。そしてソファーから立ち上がると総監室のスクリーンを操作しイゼルローン要塞を映した。
「卿がもし三千隻の艦隊の指揮官だとしてあそこにいた場合、どうする?」
妙なことを言う男だ。表情から判断すると俺をからかっているわけではない様だ。となると試しているのか……。だが何のために試す? 分からないが答える必要は有るだろう、俺はスクリーンに近づいた。俺につられるようにリューネブルクもスクリーンに近づく。

「小官ならこの位置に艦隊を置きます。ミサイル艇を側面から攻撃、防御力の弱いミサイル艇を撃破、その勢いのまま天底方面に移動、要塞主砲(トール・ハンマー)の射程範囲外に展開した反乱軍を攻撃する……」

「互角か……」
オフレッサーが呟いた。互角? 一体何を言っている? リューネブルクを見た、彼も訝しげな表情をしている。

「ミューゼル、反乱軍のミサイル艇による攻撃だが、それはヴァレンシュタインが考えたものではない。反乱軍のある参謀が考えたものだ。ヴァレンシュタインはその作戦案を見たとき、即座に三千隻で潰せると言ったそうだ」
「!」

オフレッサーが、リューネブルクが俺を見ていた。だが俺は何もできなかった、話すことも頷くことも。そしてオフレッサーが言葉を続けた。
「情報部がフェザーン経由で入手した情報だ。統帥本部の参謀は三千隻で何故その作戦が潰せるのかが当初分からなかった。分かった時には感嘆したそうだ、見事だとな。俺も卿に同じ言葉を贈ろう、見事だ、この宇宙で二人だけが同じ事を考えた」

オフレッサーが俺を褒めている。しかし俺は喜ぶことなどできない。無意識にロケットペンダントを握っていた。
「そしてヴァレンシュタインはこう言ったそうだ。帝国にはラインハルト・フォン・ミューゼルが居る。彼なら必ずこれに気付くと……」
「!」

背筋に悪寒が走った。真綿で喉を絞められるような恐怖感だ。オフレッサーの言った互角と言う言葉の意味がようやく分かった。だが本当に互角か? 負けられないという思いと勝てるのかという疑問が何度も胸に湧きあがった……。


 

 

第四十話 司令長官

帝国暦 485年 12月21日  オーディン ラインハルト・フォン・ミューゼル



ミュッケンベルガー元帥の屋敷は軍の名門貴族らしく大きくはあるが華美ではなかった。どことなく重厚な雰囲気を漂わせている。人が屋敷を造るが同時に屋敷が人を造るということもあるのかもしれない、そんな事を考えた。

オフレッサー、リューネブルクと共に来訪を告げると若い女性が応接室へと案内してくれた。目鼻立ちの整った細面の顔に黒髪、グリーンの瞳をしている。身なりからして使用人では無い。娘にしては若すぎるが孫にしては大きすぎるだろう。まさかとは思うが愛人か? リューネブルクも幾分不審げな表情をしている。

「少しお待ちください、今養父が参りますので」
その言葉で娘だと分かった。しかし養女? 彼女が応接室を出ていくとオフレッサーが小声で話しかけてきた。

「彼女の名はユスティーナだ、元帥とは縁戚関係に有る。元々はケルトリング家の人間だ。良く覚えておけ、そしてその事には触れるなよ」
ケルトリング家か……、かつては軍務尚書まで輩出した軍の名家といって良い。ミュッケンベルガー家より格が上だったはずだ。

しかし同盟軍にブルース・アッシュビーが現れた事がケルトリング家を没落させた。何人もの男子がアッシュビーの前に倒れ、それ以後ケルトリング家は立ち上がる事が出来なかった。

ミュッケンベルガー元帥も確か父親をアッシュビーに殺されている。だがミュッケンベルガー家は元帥によって見事に立ち上がった。なるほど元帥にとっては彼女は縁戚と言うだけではないのだろう。一つ間違えばミュッケンベルガー家も似たような境遇になっていたかもしれない、そう思ったのかもしれない。オフレッサーが触れるなというのもそのあたりを考えての事か。

そんな事を考えているとミュッケンベルガー元帥が応接室に入ってきた。立ち上がり、互いに敬礼をしてソファーに座る。
「待たせたかな」
「いえ、そのような事は」

ミュッケンベルガーとオフレッサーの会話を聞きながらミュッケンベルガーの様子を見た。辞任するはずだが、その事が元帥の外見に与えた影響は見えない。普段通りの威厳に溢れた姿だ。

「元帥への昇進、おめでとう」
低く穏やかな口調だ。口元に笑みが有る。
「有難うございます、閣下のお口添えが有ったと軍務尚書、統帥本部総長から伺いました。御礼を申し上げます」
「何の、私は当然のことをしたまでだ。礼には及ばん」

オフレッサーがミュッケンベルガーの前で畏まっているのに驚いたが、その話の内容にも驚いた。オフレッサーの昇進にはミュッケンベルガーの口添えが有った。そして軍務尚書も統帥本部総長もそれを受け入れている。

帝国軍三長官といえば以前は犬猿の仲だったと聞いているが、今は違うらしい。サイオキシン麻薬の一件で協力体制を築いたと聞いていたが、元帥への昇進問題まで協力しているとなるとかなり緊密なもののようだ。

「それだけではありません。この二人の命も……」
オフレッサーの言葉に俺とリューネブルクが頭を下げた。その頭上をミュッケンベルガーの苦笑交じりの声が通り過ぎた。

「そのような事は止めよ、それも当然のことをしたまでだ」
顔を上げ元帥を見た。やはり苦笑している。本心からそう思っているのだと分かった。
「それでも元帥閣下が我ら両名の命を救われた事は事実です。有難うございます」
リューネブルクが礼を言い、また一礼した。俺も頭を下げた。

「二人とも頭を上げろ、それでは話が出来ん」
俺とリューネブルクが頭を上げるとミュッケンベルガーが口を開いた。

「罪はこの私に有る。陛下よりグリンメルスハウゼンの遠征軍への参加を命じられた時、それを断れなかった。受け入れておきながら戦場では邪魔になると追い払った。愚かであった、そこを敵に突かれた……。敗戦は誰の罪でもない、このミュッケンベルガーの罪なのだ」
元帥が太い息を吐いた。

「あの敗戦の後、内密にバラ園で陛下に拝謁した。グリンメルスハウゼン子爵は陛下がお若い時分、侍従武官として御傍にあった、さぞかし叱責されるだろうと覚悟した、死をも覚悟した……」
「しかし、それは」
「控えよ、ミューゼル!」
「……」

俺が理不尽を言おうとするとオフレッサーが低い声で叱責した。不敬罪を冒すとでも思ったのかもしれない。俺は黙って頭をさげた。実際口を開けば皇帝に対する批判が出ただろう。

「済まぬと言われた、許せと……」
「!」
「自分の我儘故にそちの立場を危うくした、三百万もの将兵を死なせた、許せと……。陛下は泣いておられた……。畏れ多い事ではあるが陛下を御恨みしなかったと言えば嘘になる。だがあの時、陛下は私に頭を下げられたのだ……」

全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝、その皇帝が、フリードリヒ四世が泣いて頭を下げた……。ミュッケンベルガーは何かに耐えるかのように目を強く閉じている。

「誰よりも陛下が御自身の罪を愧じておいでであった。私が罰せられなかったのもそれ故の事。ならばどうして私が卿らの処罰を見過ごすことが出来る。それをすればもはや人ではあるまい……」
「……」

俺の命はミュッケンベルガーに救われた。そのミュッケンベルガーはフリードリヒ四世に救われた。つまり俺は皇帝に命を救われたという事か……。あの男に命を救われた……。

あの男は自分の罪を知っていた。ならば俺はどうだろう、オフレッサーにグリンメルスハウゼンを見殺しにしたと言われるまでその事に気付きもしなかった。罪悪感も感じなかった。俺は一体何を考えていた?

ミュッケンベルガーが目を開いた、僅かだが潤みを帯びているように見えた。見てはいけない、そう思ってすぐ下を向いた。

「私が愚かであった。あの時、宇宙艦隊司令長官としてグリンメルスハウゼンの遠征軍参加を拒絶すべきであった。それをせぬばかりに大敗を喫し陛下をも苦しめる事になった……」
「……」

「再戦を命じられた時、私は思った。陛下のお優しさに甘えてはならぬと。この身には宇宙艦隊司令長官の、いや帝国軍人たるの資格無し。この一戦にて軍を退くと……」
「閣下……」

オフレッサーの呻くような声が聞こえた。俺ならどうしただろう、グリンメルスハウゼンの同行を拒絶できただろうか、敗戦においてミュッケンベルガーのように己を厳しく律することが出来ただろうか……。また思った、俺は一体何を考えていた?

顔を上げることが出来なかった。何をどう考えて良いのか分からず只々俯いていた。フリードリヒ四世が怠惰な凡人なら俺は何だ? 味方を見殺しにした卑怯な恥知らずではないか。

あの男に犯した罪悪に相応しい死に様をさせてやると思った。ならば俺に相応しい死に様とは何だ? 俺は一体これまで何をしてきたのだ? 自然と手がロケットペンダントを握っていた。

キルヒアイスが居ればと思い、慌てて首を振った。自分で考えるのだ、フリードリヒ四世もミュッケンベルガーも苦しみながら自分で答えを出した。その答えが俺をリューネブルクを生かしている。キルヒアイスに頼るな、キルヒアイスには俺の生き様を見てもらうのだ。そしてその生き様は自分で考えるのだ……。

「閣下、次の宇宙艦隊司令長官は決まりましたか?」
オフレッサーの声が聞こえた。慌てて顔を上げた、一体どのくらい時間が経ったのか……。俺の目の前に首を横に振るミュッケンベルガーの姿が有った。

「残念だが未だ決まらん」
「メルカッツ提督ではいけませんか」
「うむ、副司令長官なら良いが司令長官となるとな、いささか不安が有る」
宇宙艦隊司令長官が決まらない? メルカッツではない? 能力、人望ともにメルカッツ以外に適任者がいるとは思えない。何故だ?

俺の疑問を読み取ったのかもしれない、ミュッケンベルガーが微かに笑みを浮かべながら教えてくれた。
「一個艦隊の指揮なら私よりも上手いだろうな、だが艦隊司令官と宇宙艦隊司令長官は違うのだ」

艦隊司令官と宇宙艦隊司令長官は違う? 当たり前の事ではある、それをあえて言うとはどういう事だ? 考えているとミュッケンベルガーが俺に話しかけてきた。

「卿はあの男をどう思う?」
「は? メルカッツ提督の事でありますか?」
「違うな、エーリッヒ・ヴァレンシュタインの事だ」
思わず顔が強張るのが分かった。

「向こうは卿を天才だと評しているそうだが……」
素直には受け取れなかった。手強いとは思っていた。油断できないとも思っていた。だが昨日あの男に感じた恐怖感はどう表現すればよいのだろう。

「恐ろしい男です、正直体が震えるほどの恐怖を感じます。一体どこまで此方の事を知っているのか……」
「……」
「向こうは此方を見切っている。しかし此方は向こうを見切れていない、今一つ掴みきれない……。上手く言えませんがそんなもどかしさが有ります」

そう、怖いのだ……。あの男は俺の全てを知っている。いや知っているように思える。何とも言えない不気味さだ。そして俺はあの男の事をほとんど知らない。俺よりも上のように思える、しかしあの男は俺に敵わないと言い、俺を天才だと評している。何処までが本当なのか、あの男の底が見えない……。

「恐ろしいか……、それで良いのだ」
「?」
「問題はその先だ。恐怖に蹲るか、それとも恐怖を堪えて反撃するか……。反撃するのであれば相手を知らねばならん。蹲れば死ぬだけだ。卿はどちらだ?」

ミュッケンベルガーが俺を見ている、気が付けばオフレッサーが、リューネブルクが俺を見ていた。
「……反撃します」

「容易なことではないぞ、骨が鳴るほどの恐怖に襲われても堪えねばならん。死ぬ方がましだと思う事も有ろう、堪えられるか?」
「……堪えられると思います」

俺の言葉にミュッケンベルガーが満足げに頷くのが見えた。リューネブルク、オフレッサーも頷いている。思うのでは駄目だ、堪えられる、堪えなければならない。そうでなければあの男には勝てない……。
「堪えられます」



宇宙暦 794年 12月 28日  ハイネセン  宇宙艦隊総司令部 ミハマ・サアヤ



今年もそろそろ終わろうとしています。ですが同盟軍は未だに宇宙艦隊司令長官が決まっていません。前任者、ロボス元帥があのような形で解任されましたので後任者の選定には慎重になっているようです。噂では決まるのは年が明けてからだろうと言われています、年内の決定は無さそうです。

宇宙艦隊総司令部ではこれまで居た百人以上の参謀はその殆どが総司令部の参謀職を離れました。今では僅かに残った参謀が宇宙艦隊の維持運営のために日々仕事をしています。

その僅かな参謀の中にヴァレンシュタイン准将、ワイドボーン准将、ヤン准将がいます。三人とも昇進しました、それぞれ撤収作戦、その支援作戦に功績が有ったという事を評価されての事です。

私とバグダッシュ中佐も昇進しました。今ではミハマ少佐とバグダッシュ大佐です。ヴァレンシュタイン准将を無事に連れて帰ってきた、その事を評価されたそうです。

弾除けぐらいにしかならないと覚悟して行ったのに昇進? そう思いましたが、ワイドボーン准将もヤン准将も生きて戻ってきたのは大したものだと言ってくれました。

くれると言うものは貰っておきなさいと言ったのはヴァレンシュタイン准将です。でもその後、にっこりと笑って最近肌が荒れ気味だから良い化粧品を買いなさい、そのくらいはお給料もアップするでしょうと続けました。

余計なお世話です! これでも気にしてるんです。私は敏感肌でなかなか合う化粧品が有りません。ちょっとした環境の変化や季節の変わり目でも結構苦労します。寒くなってきましたし、空気も乾燥するので大変です。

総司令部の最高責任者は現在ではグリーンヒル参謀長です。その次に来るのがヴァレンシュタイン准将、ワイドボーン准将、ヤン准将になります。元々は三人よりも上級者が居たのですが、皆総司令部から離れました。

いずれ新しい司令長官と新しい参謀長が決まります。総司令部の参謀はその時点で新たに選抜するそうです。ヴァレンシュタイン准将、ワイドボーン准将、ヤン准将が残っているのは昇進したのだからその分仕事をしろという事のようです。

多分当たっているのでしょう、私とバグダッシュ大佐も居残り組ですから……。その他に十人程、参謀が残っています。いずれも皆尉官です。つまり雑用係という訳ですがこれが結構大変です。

宇宙艦隊全体の決裁文書、連絡文書が来るんです。半端な量ではありません。皆毎日書類に追われています。私と言えば以前後方勤務に居た経験を買われて主として補給関係の書類の確認を行っています。

総司令部で三人の准将の役割は決まっています。文書のほとんどの決裁は事前にヴァレンシュタイン准将が確認してからグリーンヒル参謀長に届きます。他所からの連絡、問い合わせ等に関してはワイドボーン准将が行い、そしてヤン准将は昼寝か読書です。

ヤン准将に事務処理など無理、ヴァレンシュタイン准将とワイドボーン准将の言葉です。ちょっと酷いと思いましたが、ヤン准将は文句を言いません。言われた通り昼寝と読書をしています。一度仕事を手伝ってもらいましたが納得です。反って時間がかかりました。

三人の准将の机はほぼ三メートルおきに並んで置いてあるのですが、ヴァレンシュタイン准将の机には書類が山積みになっています。ワイドボーン准将の机にも多少ありますがヤン准将の机には書類は有りません。

ワイドボーン准将によるとヤン准将は平時では役に立たないのだそうです。“昼寝をしているのが奴も含めてみんなのためだ”と言っていました。ヤン准将はエル・ファシルで全ての勤勉さを使い果たしたと言っています。

ドアが開いてバグダッシュ大佐が入ってきました。少し早足でヴァレンシュタイン准将に近づきます。ワイドボーン准将もヤン准将も視線を大佐に向けました。

「オフレッサーが元帥府を開きました。その元帥府にミューゼル少将、リューネブルク少将、キスリング少佐の名前が有ります」
「……」

ヤン准将とワイドボーン准将が視線を合わせました。そしてワイドボーン准将が口を開きました。
「ミューゼル少将は陸戦隊の指揮官に移るということかな」
「さあ、どう考えれば良いのか……」

ミューゼル少将はヴァレンシュタイン准将が天才と評する人物です。イゼルローン要塞攻防戦でもこちらの作戦を見破りました。厄介な相手ですがその彼が陸戦隊の指揮官になる……、こちらとしては悪い話ではありません。

「宇宙艦隊司令長官は誰に決まりましたか?」
「まだ決まりません。どうも揉めているようですな」
「メルカッツ提督ではないのですか」
「ええ」

ヴァレンシュタイン准将とバグダッシュ大佐が話しています。准将はミューゼル少将の処遇よりも次の宇宙艦隊司令長官の方に関心が有るようです。准将が目を閉じて左手で右肩を押さえました。

右肩はイゼルローン要塞で負傷した場所です。あれ以来准将は考え事をする時は目を閉じ、肩を押さえ擦るようになりました。まるで負傷した傷跡に相談するかのようです。

「メルカッツ提督は生粋の武人です、政治的な行動などする人ではない。軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥にとっても扱い易い相手のはずです」
「他に反対している人が居ると?」
バグダッシュ大佐の問いかけに准将は首を横に振りました。右肩を押さえるのを止め大佐に答えます。

「例えそうであっても軍事に関しては両元帥の意見が重視されます」
「では?」
「……反対しているのはエーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥かもしれません」
意外な言葉です、皆が顔を見合わせました。

「ミュッケンベルガー元帥は威に溢れた司令長官でした。それに比べるとメルカッツ提督は明らかに威が足りない……。艦隊司令官としては有能かもしれない、副司令長官も十分にこなすでしょう、しかし司令長官ではいささか不安が有る……、これは私の想像ですがそう思ったのかもしれません」

“威”というはっきりしないもののために帝国は司令長官を決められずにいる、准将の言う通りならそういう事になります。ワイドボーン准将もヤン准将も曖昧な表情をしています、どう捉えて良いのか分からないのかもしれません。私達の困惑をどう思ったのか、准将は苦笑しながら言葉を続けました。

「同盟にも威に溢れた司令長官が居ましたよ、彼が指揮を執れば必ず勝つと周囲に確信させた……。ブルース・アッシュビー元帥……」
「なるほど、そういう事か……」
バグダッシュ大佐が頷きました。周囲でも頷いている人が何人かいます。

「となると帝国はしばらくの間、司令長官に人を得ず混乱する、そう見て良いのかな?」
「そうなる可能性が有ります」
「チャンスだな、ミューゼル少将は居らず帝国軍は混乱、攻勢をかけるチャンスだ」

ワイドボーン准将が興奮したように声を出しました。周囲もその興奮に同調する中、ヴァレンシュタイン准将だけが冷静でした。
「一、二度は勝てるでしょう、でもその後は最悪でしょうね」
「?」
「帝国は強力な司令長官を任命するはずです」

ワイドボーン准将とヤン准将が顔を見合わせています。
「ミュッケンベルガー元帥が復帰する、そういう事かな?」
問いかけたヤン准将にヴァレンシュタイン准将が笑みを浮かべました。
「違いますよ、ヤン准将。オフレッサーが宇宙艦隊司令長官になる、そう言っているんです」
「!」

その瞬間に部屋の空気が固まりました。クスクスと准将の笑い声だけが聞こえます。
「な、何を言っている。オフレッサーは地上戦が主体だろう、宇宙艦隊司令長官など……」
「総参謀長にはラインハルト・フォン・ミューゼルが就きます。それでも無理ですか、ワイドボーン准将」
「……」

「しかし、そんな事が」
「地上戦でも宇宙空間でも戦争をしていることには変わりはありません。別な何かをしているわけじゃないんです。オフレッサーは軍人ですよ、自分が何をするべきかは分かっている」
「……」
准将が笑うのを止めました。

「敵を叩き潰す、ミューゼル少将に作戦を立案させ各艦隊司令官にその作戦を実行させる、難しいことじゃない……」
「……」

部屋が静まり返りました。准将のいう事は分かりますが私にはどうしても納得いかないことが有ります。
「准将、周囲の提督達はどうでしょう。素直に命令に従うんでしょうか?」

私の問いかけに何人かが頷きました。そうです、いきなり陸戦部隊の指揮官が司令長官になると言っても提督達は納得できないと思うのです。准将は私の質問に軽く頷きました。

「従わなければ首にすれば良い。そして若い指揮官を抜擢すれば良いんです」
「若い指揮官?」
「ええ、今帝国で本当に実力が有るのは大佐から少将クラスに集中しているんです。彼らを抜擢して新たな宇宙艦隊を編成すればいい」
「……」

そう言うと准将は名前を並べ始めました。
”ロイエンタール、ミッターマイヤー、ビッテンフェルト、ワーレン、ミュラー、ルッツ……”全部で十人以上は居たでしょう。

「いずれも有能極まりない男達です。精強無比な艦隊が出来るでしょう。オフレッサーが陸戦、艦隊戦、その両方の最高司令官になるんです。そしてその傍にはミューゼル少将がいる。最悪ですよ……」
そう言うと准将はまた眼を閉じて肩を撫で始めました。







 

 

第四十一話 威

帝国暦 485年 12月29日  オーディン 軍務省人事局長室 ラインハルト・フォン・ミューゼル



目の前に厚さ十五センチほどのファイルが有った。
「これがヴァレンシュタインの士官候補生時代の成績ですか?」
四年間の成績にしては随分と分厚い。不思議に思って隣に居るリューネブルクを見た。彼も不思議そうな顔をしている。

俺達の前に座っている男、人事局長ハウプト中将が答えた。
「成績の他に彼が提出したレポート等が入っている。彼の事が知りたいのだろう?」
「頂いても宜しいのですか?」

ハウプト中将は苦笑を洩らした。
「何を今更……、オフレッサー元帥閣下から是非にと言われている、否も応も無い。但し、扱いには注意してほしい。外部へ漏らしてもらっては困る」
「……」
ハウプト中将が表情を改めた、もう彼は笑ってはいない。

「ヴァレンシュタイン候補生は極めて優秀な学生だった。成績の評価欄には彼を好意的に評価した人間の名前が入っている。彼らに迷惑がかかる様な事が有ってはならんからな」
「了解しました。注意します」

ヴァレンシュタインの事を知らなければならない。そう思った俺は先ず彼の学生時代の事を知ろうと思った。彼が士官学校で何を学び何を考えたか……。キスリングから彼の事を聞く前に先ずは自分で出来る限りの事は調べるべきだと思ったのだ。しかし、彼に関する資料は士官学校からは消えていた。

彼が反乱軍に亡命した時点でその資料は軍務省の人事局に送られたのだという。人事局に閲覧を申し込んだが拒絶された。ハウプト中将の言葉によればヴァレンシュタインに関する情報はヴァンフリートの会戦以来、最高機密扱いとされているらしい。

閲覧が可能な人間は上級大将以上の階級を持つ人間だけだという。情報部に同じものがあるらしいが、おそらくこちらは情報部の内部資料で外部には公開しないだろうということだった。

困った俺を助けてくれたのはオフレッサーだった。彼がエーレンベルク元帥に掛け合い、資料の複写とその供出をもぎ取ってきてくれた。今更ながらだがオフレッサーの影響力の大きさというものに感心した。

確かにこのオーディンで最大の地上戦力を持つのだ、どんな相手でもオフレッサーを無下には出来ない。その影響力のおかげで俺とリューネブルクは人事局長室で資料を受け取ることが出来る。

「それにしても惜しい事だ。彼が亡命とは……」
「ご存知なのですか、ヴァレンシュタインを」
「直接の面識は無いが、彼の上司になった人物が私の友人だった」
思い入れが有りそうな口調だ。

「彼が良く言っていた、将来が楽しみだとね……。二人ともヴァレンシュタインの事を良く知る人物と会いたいのではないかね?」
「出来る事なら」
リューネブルクが答え、俺が頷いた。

願ってもない事ではある、だが正直期待はしていなかった。おそらくは無理だろう……、亡命者との関わりなど積極的に話す人間などそう多くは無い。まして相手がヴァンフリートの虐殺者として忌み嫌われているとなればなおさらだ。

「私の知る限りヴァレンシュタインの事を良く知っている人間が二人いる」
「二人と言いますと」
「一人はアルベルト・クレメンツ准将、もう一人はアルバート・フォン・ディーケン少将だ」
俺はその二人とは面識はない、リューネブルクを見ると彼も心許なさそうな表情をしている。おそらくは知らないのだろう。

「しかし、話してくれるでしょうか」
「そうだな、今では皆が彼を裏切り者として蔑むだけだ。だがディーケンなら大丈夫だろう。彼は今兵站統括部第三局第一課にいる」

では彼がヴァレンシュタインの上司だったと言う人物か……。
「もう一人のクレメンツ准将は?」
「辺境星域で哨戒任務に就いている。彼は元士官学校の教官でヴァレンシュタインを教えていた。彼を極めて高く評価していた……」

クレメンツから話を聞くことは難しいだろう、初対面の男がいきなりTV電話でヴァレンシュタインの事を教えてくれと言っても警戒するだけだ。まして辺境星域で哨戒任務という事は平民だから追いやられた可能性もある。何処かの馬鹿貴族を怒らせたか……。

ハウプト中将にディーケン少将への口添えを頼むと中将は快く引き受けてくれた。その場でディーケン少将に連絡を取り、面会の予約を取り付けてくれた。ディーケン少将はすぐ来てくれれば、一時間ほどなら時間が有ると言う。俺はリューネブルクと共にハウプト中将に礼を言って人事局長室を出た。

兵站統括部は軍務省の直ぐ傍にある。組織図上でも軍務省の管轄下に有ることを考えれば当然と言って良いだろう。第三局第一課はイゼルローン方面への補給を担当する部署で兵站統括部の中では主流と言えるだろう。

ディーケン少将は四十前後のごく目立たない風貌の人物だった。第三局第一課課長、五年前からその職に有るとのことだった。課長室に通されソファーに座ると向こうから話しかけてきた。

「ヴァレンシュタインの事を聞きたいとのことだが、何を知りたいのかな?」
「彼はどんな士官だったのでしょう」
ごくありきたりな質問になった。ディーケン少将もそう思ったのだろう、僅かに苦笑を漏らした。

「優秀な士官だった。仕事を覚えるのも早かったし、周囲との協調性も有った……。兵站統括部にはなかなか優秀な士官は配属されてこない。そんなところに彼がやってきたのだ。いずれは兵站統括部を背負って立つ男になるだろうと思った」

兵站統括部は決してエリートが集まる部署ではない。将来性など皆無の男たちか、貴族の次男、三男坊で戦場になど出たくないという人間が集まる。いわば帝国でも最もヤル気のない人間達が集まる部署だ。

鈍才が平凡に、平凡が優秀になる。そんなところに本当に優秀な人間がやってきた。周囲の期待は大きかっただろう……。

「書類を読むのを苦にしていなかった。楽しそうに読んでいたな、良い意味で軍官僚として大成するだろうと思った。書類を読むことを苦にする人間には事務処理など無理だからな」
リューネブルクが隣で居心地が悪そうに身動ぎした。俺も事務処理は苦手だし書類を読むのも決して好きではない。居心地が悪かった。

「彼はシミュレーションなどは此処ではやらなかったのですか?」
「やらなかった。少なくとも私の知る限り、彼が誰かとシミュレーションをしているところを見たことは無いし聞いたこともない」

ディーケン少将は俺の質問に断定するように答えた、自信が有るのだろう。あの男が用兵家としての才能に恵まれている事は分かっている。だが此処ではその素振りも見せていない。見えてくるのは軍官僚としての姿だけだ。用兵家、ヴァレンシュタインの姿は何処にもない……。

「イゼルローンに行かせたのは失敗だった。焦ることは無かった、もう少し後でも良かったのだ……」
呟くようにディーケン少将が言葉を出した。何処となく後悔しているようにも見える。同じ事をリューネブルクも思ったのだろう。ディーケン少将に問いかけた。

「それはどういう事です」
「イゼルローン要塞には補給状況の視察で行かせた。普通その仕事はもっと階級が上の人間が行う事になっている……」
つまりあの時は特別だった、そういう事か……。リューネブルクも興味深げにディーケン少将を見ている。

「つまり、異例だった……。何故です?」
「……顔見せのつもりだった。彼が有能だという事はイゼルローンの補給担当者にも直ぐ分かったはずだ。後二、三年もすれば彼が兵站統括部のキーマンの一人になると分かっただろう」
「……」

「此処は鈍才が平凡に見え平凡が優秀に見えるところだ。此処で物事をスピーディに動かそうとしたらキーマンになる人物を押さえるしかない。そしてイゼルローンは最前線だ、補給が緊急に必要になる場合もある。向こう側にキーマンを教えるのは必要なことなんだ。彼にとってもイゼルローンと強い繋がりが出来るのは悪い事じゃない」

皮肉だった、ヴァレンシュタインが有能だったから、ディーケン少将がほんの少し焦ったからイゼルローン要塞に行くことになった。そしてあの事件が起きた。イゼルローンに行かなければ亡命することは無く彼がリメス男爵になったかもしれない。或いは軍官僚として活躍したか……。幾つかの偶然がヴァレンシュタインを反乱軍へと押しやり、そして今が有る……。

ディーケン少将との会話はそれからも続いたが、そこに見えるヴァレンシュタインはあくまでも軍官僚としてのヴァレンシュタインだった。用兵家としてのヴァレンシュタインの姿は何処にもなかった。

帰り間際、ある女性下士官の机の上に有った写真が俺の足を止めた。何人かの女性下士官と一緒にケーキを食べるヴァレンシュタインの写真だ。楽しそうな、暖かい笑顔を見せている。女性下士官は俺に気付いたのだろう、無言で写真を伏せた。

他でも同じように写真を伏せる女性下士官が何人か居る。リューネブルクも気付いただろう、本当なら叱責すべきなのかもしれない。だが俺達は顔を見合わせると何も気付かなかったかのように歩きだした……。彼女達の知っているヴァレンシュタインは俺の知りたいヴァレンシュタインじゃない、今の彼は昔の彼に非ず……。



宇宙暦 794年 12月 30日  ハイネセン  宇宙艦隊総司部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



宇宙艦隊の総司令部に有る食堂で一人食事をしていると目の前にトレイを持った男が立っている。
「此処、良いか」

駄目と言っても座るだろう。時刻は二時近い、この時間になれば食堂はガラガラだ。目の前の男は食欲旺盛な男だ、この時間まで食事をしていないのは不自然だ。この時間に俺が食事をするのを確認してから来たのだろう。そして空席の目立つ食堂でわざわざ俺の前に来た。
「どうぞ、ワイドボーン准将」

ワイドボーンは席に座るとハンバーグ定食を食べ始めた。ちなみに俺はロールキャベツ定食を食べている。此処の料理は味は今一つだが量が多い。俺は小食だから量よりも味を良くして欲しいといつも思う。今もロールキャベツを少し持て余している。

「昨日、シトレ元帥と会った」
「……」
「例のオフレッサーの件を話したよ」
ワイドボーンがハンバーグを食べながら話す。視線をこちらに向けないのは故意か、それとも偶然か……。

「考え込んでいたな、お前の考えを聞いてこいと言われた。次の同盟の司令長官は誰にすべきか」
「……」
「上層部では次の司令長官にビュコック提督を考えているらしい。総参謀長にグリーンヒル大将だ」

今度はパンを食べ始めた。お前、味わって食べているか? どう見ても俺にはそうは見えないが……。
「考え直す余地はあるという事ですか?」
「まだ公になっていないからな」
「……貴官はどう思うんです。ビュコック提督で良いと思っていますか?」

ワイドボーンが口をナプキンで拭った。コーヒーを一口飲むと俺を見た。こいつ、初めて俺と視線を合わせたな。
「今の同盟ではベストの選択だろう。ビュコック提督は将兵の人望が厚いし、グリーンヒル大将も極めて堅実な人だ。ロボス元帥の失敗の後任としては最適だし上手く行くと思う」

「本気でそう思っているんだとしたら、貴方は馬鹿だ。私の言ったことをまるで理解していない」
「……随分な言い方だな」
「本当にそう思っているんです、何も分かっていないと」

ワイドボーンがむっとしているのが分かった。だがそれがどうした、怒っているのはこっちも同じだ。どいつもこいつも何も分かっていない。
「……言ってみろ、俺は何を分かっていない」

「帝国軍には二つの序列が有るんです。それが何か分かりますか?」
「……いや、分からない」
「一つは軍の序列、いわば階級です。そしてもう一つは宮廷序列、爵位や或いは有力者に繋がっているか……」
「……」
「軍での序列は低いが宮廷序列は高い、そんな連中が帝国には居るんです」

フレーゲル男爵がそうだ、軍では予備役少将……、言わばその他大勢の一人だ。だがミュッケンベルガーも彼を無視することは出来なかった。何故なら宮廷序列では男爵でありブラウンシュバイク公の甥でもあるからだ。極めて高い地位を持っている。

「そういう連中を指揮するんです。宇宙艦隊司令長官には“威”が必要なんです。宮廷序列を押さえて軍序列を守らせるだけの“威”が。それだけの“威”が無ければ大艦隊を指揮できない、帝国軍の上層部はそう考えている」

「……メルカッツ提督にはその“威”が無い。それは分かった、だが俺が聞いているのはビュコック提督の事だ」
「同じですよ、ビュコック提督にも“威”が無い」

俺の言葉にワイドボーンが顔を歪めた。
「何を言っている、ビュコック提督ほど兵の信望が厚い人は居ない、同じことを言ってやる。お前は何も分かっていない!」

「兵の信望は有るかもしれない、しかし将の信望はどうです」
「何?」
「宇宙艦隊司令長官は将の将です。ビュコック提督に将の将としての信望が有るかと聞いています」
「……」

「彼は士官学校を出ていない。周囲から用兵家として一目は置かれても各艦隊司令官が素直にその命令に従うと思いますか。従うのはウランフ提督、ボロディン提督ぐらいのものでしょう」

原作における第三次ティアマト会戦を思えばわかる。同盟軍第十一艦隊司令官ウィレム・ホーランド中将は先任であるビュコックの命令を無視、帝国軍に無謀な攻撃を仕掛け戦死した。

ホーランドだけの問題じゃない、ビュコックが会戦においてともに行動した指揮官を見るとウランフかボロディンがほとんどだ。おそらくは他の指揮官が嫌がったのではないかと考えている。実力は認める、宿将として尊敬もする。しかし士官学校を卒業していない奴に指揮などされたくない、そんなところだろう。

周囲が彼を司令長官として認めるのはおそらくは状況が悪化してどうにもならなくなってからだろう。原作で言えばアムリッツア以降だ。あの時点で宇宙艦隊司令長官など罰ゲームに近い。俺なら御免だ。

「ビュコック提督には周囲を抑えるだけの“威”が無いんです。否定できますか、ワイドボーン准将」
「……」
ワイドボーンは顔を強張らせている。

分かったか、ワイドボーン。お前がビュコックを評価しても仕方がないんだ。問題は各艦隊司令官がビュコック司令長官の命令を受け入れるかどうかなんだ。ビュコックは司令長官にするより艦隊司令官にとどめた方が良い。その方が同盟の戦力になる。

「それにグリーンヒル総参謀長も良くありません」
「……」
「あの人は穏健な常識人です。反抗的な艦隊司令官や参謀を押さえる事が出来ない。それが出来るくらいならフォーク中佐があそこまで好き勝手に振る舞う事は無かった……」

グリーンヒルはいかにも参謀向きの人物だ。但し指揮官が有能な人物でないと機能しないタイプだろう。上が馬鹿だったり、或いは弱いタイプだと十分に実力を発揮できないタイプだ。つまりビュコックとの組み合わせは良いとは言えない。能力はあるが周囲に弱い司令長官と総参謀長になる。ストレスがたまる一方だろう。

「なら、お前は誰が司令長官に相応しいと思うんだ」
「シトレ元帥です」
「な、お前何を言っているのか、分かっているのか?」
ワイドボーンの声が上ずった。まあ驚くのも無理はないが……。

軍人トップの統合作戦本部長、シトレ元帥が将兵の信頼を取り戻すためナンバー・ツーの宇宙艦隊司令長官に降格する。本来ありえない人事だ。だがだからこそ良い、周囲もシトレが本気だと思うだろう。彼の“威”はおそらく同盟全軍を覆うはずだ。その前で反抗するような馬鹿な指揮官など現れるはずがない。オフレッサーにも十分に対抗できるだろう。

俺がその事を話すとワイドボーンは唸り声をあげて考え込んだ。
「これがベストの選択ですよ」
「それをシトレ元帥に伝えろと言うのか?」
「私は意見を求められたから答えただけです。どうするかは准将が決めれば良い。伝えるか、握りつぶすか……」
「……」

「これから自由惑星同盟軍は強大な敵を迎える事になる。保身が大切なら統合作戦本部長に留まれば良い。同盟が大切なら自ら火の粉を被るぐらいの覚悟を見せて欲しいですね」

蒼白になっているワイドボーンを見ながら思った。シトレ、俺がお前を信用できない理由、それはお前が他人を利用しようとばかり考えることだ。他人を死地に追いやることばかり考えていないで、たまには自分で死地に立ってみろ。お前が宇宙艦隊司令長官になるなら少しは信頼しても良い……。






 

 

第四十二話 予感

帝国暦 485年 12月30日  オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル



「どうも気になるな」
「ミューゼル少将、何か分かったか」
「分かったというより、気になる」
俺の言葉にリューネブルク少将が眉を寄せた。

「今ヴァレンシュタインの成績表を見ているがどうにも腑に落ちないことが有る」
「と言うと?」
「シミュレーションの対戦数が妙に少ない……」

ヴァレンシュタインの成績表にはシミュレーションの成績も記載されていた。授業で行われたものだけではない。授業終了後にヴァレンシュタイン候補生がシミュレーションマシンを使用してゲームを行った記録も含まれている。その数が妙に少ないのだ。

士官候補生は皆シミュレーションを好んで行う。それによって戦術能力を高めるという事もあるが何よりも勝敗がきちんと分かる事、ゲーム感覚で行える事が好んで行われる理由になっている。ある意味遊びも兼ねていると言って良いだろう。

一日に一回から二回、授業も含めれば三回も行う時が有る。レポートや宿題をしなければならない時もあるが、平均して週に八~十回程は行うだろう。年間約五十週、夏季休暇等の休みを除いても四十週程度は有るはずだ。となれば年間で三百~四百、四年間の士官候補生時代では千二百~千六百程度のシミュレーションをこなすことになる。

「どのくらい少ないのだ?」
「普通、どんなに少なくても千二百程度はこなすはずだ、だが彼は八百回程度しかやっていない。多くこなす人間に比べれば半分程度だろう」

リューネブルクが俺の言葉に考え込んだ。
「確かに少ないな……。だが戦績はどうなのだ? 数をこなせばよいと言うものじゃないだろう」

戦績か……。それがまた俺を悩ませている。
「敗戦が三百以上ある……」
「本当か?」

リューネブルクの問いかけに黙って頷いた。リューネブルクも不審げな表情をしている。八百三十六戦して五百三勝三百三十三敗、勝率は六割を超えはするが決して優秀とは言えない。

「戦術家としての能力が無い、そういう事かな」
何処か戸惑いがちにリューネブルクが問いかけてきた。
「しかしヴァンフリートでは大敗を喫した……」

うーん、とリューネブルクが呻いた。俺も呻きたい気分だ、どう考えても納得がいかない。ヴァンフリートで戦ったから分かる。成績表と対戦したイメージが一致しない。

俺の持つヴァレンシュタインのイメージは辛辣で執拗で常にこちらの一枚上を行く強力な敵だ。ヴァンフリートではその辛辣さに何度か心が折れそうになった。折れれば戦死していただろう。

「武器、兵器の準備はしたが、戦闘指揮は別の人間が執ったと言う事は無いか? いや無いな、イゼルローンでミサイル艇による攻撃の欠点を見つけた男だ。戦術指揮能力が無いとは思えん」

リューネブルクが首を捻っている。その通りだ、どうにも腑に落ちない。反乱軍に加わってから戦術指揮能力を磨いた、そういう事か? どうもおかしい、俺は何か見落としているのか……。成績表を見直した。ヴァレンシュタインの戦術シミュレーションの成績は悪くない……、悪くない? どういう事だ?

「……なるほど、そういう事か……」
「何か分かったか」
リューネブルクが期待するような表情をした。思わず可笑しくなったが、笑いごとではなかった。俺の考えが正しければヴァレンシュタインはやはりとんでもない男だ。

「ヴァレンシュタインの戦術シミュレーションの評価は悪くない、いや、非常に高い。それなのにマシンを使っての戦績は悪い……」
「どういう意味だ、よく分からんが」
リューネブルクが困惑したような表情を見せた。

「授業では勝った、授業以外で負けた、そういう事だろう」
「授業では勝った、授業以外で負けた……、なるほど、そういう事か」
リューネブルクが頻りに頷いている。彼も納得したらしい。シミュレーションの成績と戦績が一致しないのはそのせいだ。

「問題はその授業以外で負けたシミュレーションだ、一体どんな内容だったのか、負けの数が多すぎる事を考えると……」
「……まともなシミュレーションではないな。勝算が極端に少ないケース、或いは皆無のケースだろう」

リューネブルクと視線が合った。難しい顔をしている。どうやら俺が気付いたことに彼も気付いたようだ。
「私もそう思う。おそらく対戦相手はコンピュータだろう。特殊な条件を付けたシミュレーションだ。リューネブルク少将、ヴァレンシュタインはどんな条件を付けたと思う?」

リューネブルクが俺を睨むような目で見た。そして低い声でゆっくりと答えた。
「敵が味方より遥かに強大か、或いは撤退戦だな。勝つ事よりも生き延びる事を選ばざるを得んような撤退……、ヴァンフリートだ!」

最後は吐き捨てるような口調になった。あの戦いを思い出したのだろう。
「私もそう思う。あの男は他の学生が勝敗を競っている時に生き残るためのシミュレーションをしていたのだと思う」

異様と言って良いだろう。俺も随分とシミュレーションは行った。撤退戦もかなりの数をこなした覚えはある。だが三百敗もするほど厳しい条件の撤退戦を行ったことは無い。生き残るという事に異常なほどに執着している。

彼にとって勝利とは生き残ることなのだろう。生き残るために戦う、そして負ける時は死ぬ時……。それは相手に対しても言えるに違いない。自らが生き残るために相手を殺す……、それこそが彼にとっての勝利なのだ。

勝敗ではなく生死を賭ける。ヴァンフリートでの三百万人の戦死がそれを証明している。自らを基地において囮にし、こちらを誘引することで殲滅することを計った……。

背筋が凍った。反乱軍との戦いはこれから烈しさを増すだろう。彼、ヴァレンシュタインが苛烈なものにする。そして宇宙は流血に朱く染まるだろう……。

「ミューゼル少将」
「?」
考えに耽っているとリューネブルクがこちらを心配そうな顔で見ていた。

「済まない、ちょっと考え事をしていた」
「そうか……、クレメンツ准将を呼んではどうだ?」
「呼ぶ? この元帥府にか?」
俺の言葉にリューネブルクが頷いた。

「ヴァレンシュタインの事を良く知っているというのも有るが、この元帥府は陸戦隊の人間が主だ。彼を呼べば卿の相談相手にもなってくれるだろう。士官学校の教官でもあったのだ、呼ぶだけの価値はあると思う」

「……なるほど」
確かにそうだ、此処では俺の相談に乗ってくれる人間は極端に少ない。リューネブルクは信頼できるが陸戦隊の指揮官だ。艦隊についての相談は出来ない。問題は彼がこの元帥府に来ることを是とするかだな。

「それとミュラーという人物だが、彼も呼んだ方が良い。例の一件を知っているのだろう、万一という事が有る」
「……」
その事は自分も考えなかったわけじゃない。しかし……。

「ヴァレンシュタインと戦う事になるかもしれない、彼の親友を巻き込みたくない、そう思っているのか」
「……」
俺の沈黙にリューネブルクは一つ鼻を鳴らした。だんだんオフレッサーに似てくるな。

「ヴァレンシュタインが反乱軍に居てミュラーが帝国軍にいる以上、何処かで戦う事になる。卿が心配する事じゃない。そんな心配をするより奴の身の安全を計ってやれ」
「……分かった」
強引なところも似てきた……。



宇宙暦 795年 1月 3日  ハイネセン   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


年が明けたが宇宙艦隊司令長官はまだ決まらない。誰がなるかの噂も流れてこない。ワイドボーンがシトレ元帥に言ったのかどうかもわからない。まあ分からないことばかりだ。

という事で、俺は毎日書類の整理を行い、不味い食堂の飯を食べる日々を送っている。今日はハンバーグ定食を食べたがやっぱり美味くなかった。ワイドボーンは美味そうに食べていたが、あいつは味覚音痴なんだろう。デリケートさなんて欠片もなさそうな男だからな。明日は肉は止めて魚でも食べてみるか。

今日も俺が一番最後に帰宅だ。時刻は二十一時を過ぎている、つい書類整理に夢中になってしまった。周囲にはきりが悪いから残業すると言っているが本当は楽しいからだ。

ヤンは定時になるとさっさと帰宅する。ワイドボーンもそれほど遅くまで居るわけじゃない。サアヤは俺を手伝って残ろうとするが、遅くとも夜七時までには帰宅させるようにしている。一生懸命俺を手伝おうとしているようだが、俺は好きで残業しているんだ、付き合うことは無い。

残業は苦にならないんだが、問題は夕食だ。家に帰ってから作って食べるのは面倒だ、だが何処かで食べるのもな、俺は食が細いから外で食べるのはちょっと気後れする、量が多いのだ。何処かでサンドイッチでも買って帰るか……。

宇宙艦隊総司令部を出て家に向かって歩き出すと目の前に地上車が止まった。一瞬ロボスとかフォークが逆恨みして襲い掛かってくるのかと思って身構えたがそうではなかった。

「ヴァレンシュタイン准将、乗りたまえ」
ドアが開くと中から声が聞こえた。独特の低く渋い声だ。ごく自然に他人に命令することになれた声でもある。誰が乗っているかはすぐに分かった。断るわけにもいかない。今日はどうやら夕食抜きらしい。

「失礼します」
そう言うと車に乗った。中には初老の男性が一人乗っている。黒人、大きな口と頑丈そうな顎、シドニー・シトレ統合作戦本部長だった。ドアが閉まり車が動き出す。

「これから或る所に行く。話はそこに着いてからにしよう」
「分かりました」
或る所か、そこに誰が居るかだな。おそらくは先日の宇宙艦隊司令長官の件が話されるはずだ。シトレが人事問題を相談する人物……、さて、誰か……。

車はハイネセンでも郊外の割と静かな地域に向かっているのが分かった。小一時間程走っただろう、一軒の大きな家、いや屋敷の前に止まった。降りるのかと思ったが、シトレは何も言わない。と言うより俺が車に乗ってから一言も喋らない。感じの悪い男だ。

屋敷の門が開いた。地上車がそのまま中に入る。夜目にも瀟洒な建物が見えてきた。だが建物の周囲には警備する人間の姿が有る。軍服は着ていないが動きがきびきびしているところを見ると年寄りのガードマンと言う訳じゃない。それなりに訓練された人間達だ。

シトレが車を降りて建物の中に入った、俺もその後に続く。警備兵は咎めなかった、ボディチェックもしない。こちらを信用しているという事だろう。或いはそう見せているだけか……。
屋敷に入って思った。不思議な屋敷だ、どうみても綺麗すぎるし生活感があまり感じられない。普段は人が住んでいないのかもしれない。或いはここ最近人が住み始めたか……。正面に大きなドアが見える。招待者はあの中か……。

シトレがドアを開けて中に入った、その後を俺が入る。
「やあ、よく来てくれたね。ヴァレンシュタイン准将」
愛想の良い声だった。声の主に視線を向けると声同様愛想の良い笑顔が有った。誠意など欠片もない愛想の良い笑顔だ。

「お招き、有難うございます。トリューニヒト国防委員長」
トリューニヒトは部屋の中央に有るテーブルの椅子に座っていた。テーブルにはサンドイッチ等の軽食が置いてある。シトレが目で俺を促した、そしてテーブルに近づき席に着いた。俺も席に着く、トリューニヒトとシトレが向き合い、俺はシトレの横だ。トリューニヒトは俺の斜め横になる。

トリューニヒトが笑みを浮かべながら“遠慮なく食べてくれ、夕食は未だだろう”と声をかけてきた。遠慮なくいただくことにした。テーブルにはサンドイッチの他にサラダ、チーズ、揚げ物が置いてある。飲み物はワインと水だ。サンドイッチを取りグラスには水を注いだ。

「ヴァレンシュタイン准将、君は少しも驚いていない様だね」
「そんな事は有りません、大変驚いています。良識派と言われるシトレ元帥と主戦論を煽る扇動政治家が裏で繋がっていたのですから」

俺の言葉にシトレとトリューニヒトが顔を見合わせて苦笑するのが見えた。間違いない、この二人はかなり親しい。シトレに呼ばれた以上、話は宇宙艦隊司令長官の件だろう。となれば話に加わるのは国防委員会の有力者、又は政府の実力者だ。可能性としては先ずジョアン・レベロと考えていた。

トリューニヒトも考えないではなかったが、シトレと二人で俺を呼ぶことは無いと考えていた。誰か仲立ちが居るはずだと……、だがこの部屋には、トリューニヒト、シトレ、俺の他には誰もいない。この二人の繋がりは昨日今日のものじゃない。サンドイッチを頬張りながらそう思った。

「私がシトレ元帥と親しくなったのは君のおかげだよ、准将」
「?」
「例の情報漏洩事件だ。あの件では私もシトレ元帥も随分と苦労した。お互い面子も有ったが危機感も有った。一日も早く情報漏洩者を押さえなければ大変なことになったからね」

「もっとも私も委員長も余り役には立たなかった。事件が解決できたのは貴官のおかげだ」
あれか……、警察と軍でどちらが主導権を握るかで身動きできなくなった件だな。あんまり酷いんで俺も少し手伝ったが、あれがこの二人を近づけたか……。

なるほど、そういう事か……。ロボスはこの二人が繋がっているのではないかと疑った、或いは気付いた。そして繋げたのは俺だと邪推した。全くの邪推でもない、結果として俺がこの二人を結びつけたのは事実だ。但し、俺の知らないところでだが……。

となるとロボスが俺を嫌ったのはヴァンフリートが原因じゃない、いやそれも有っただろうがむしろこっちの方が主だっただろう。ロボスは何時気付いたのだろう、ヴァンフリートの会戦の前だろうか?

だとするとヴァンフリートでロボスが基地防衛よりも艦隊決戦に固執したのも或いは俺を見殺しにするつもりだったのかもしれない。原作通りの流れではあるが、動機は別という事は十分あり得る。どうやら俺は知らぬ間に軍上層部のパワーゲームに巻き込まれていたらしい。

道理でロボスが更迭されることを恐れたはずだ。トリューニヒトとシトレが結びついた。そしてグリーンヒルが参謀長として付けられ、グリーンヒルは俺を重用し始めた。流れとしてみれば自分が更迭され後任にグリーンヒルを持ってくる、そう見えたとしてもおかしくは無い。

溜息が出る思いだった。発端はアルレスハイム星域の会戦だった。あそこでサイオキシン麻薬の件を俺が指摘した。その事がこの二人を結びつけロボスの失脚に繋がった。何のことは無い、俺が此処にいるのは必然だったのだ。にこやかに俺を見るトリューニヒトとシトレを見て思った、俺も同じ穴のムジナだと……。


 

 

第四十三話 帝国領侵攻

宇宙暦 795年 1月 3日  ハイネセン   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「なるほど、お二人が親しくなったのでロボス元帥が弾き出された……。そういう事ですか、トリューニヒト委員長?」
「酷い言い方をするね、君は」
俺の言葉にトリューニヒト苦笑を漏らした。どんな言い方をしても事実は変わらないだろうが。

「これでも分かりやすく力学的な言い方をしたつもりですが、御気に召しませんでしたか」
俺はにっこり笑ってサンドイッチをつまんだ。卵サンドだ、なかなかいける。腹が減っていると人間、攻撃的になるな。

トリューニヒトもサンドイッチをつまんだ。そしてワインを一口飲む。シトレは無言だ。ただ黙って食べているが口元には笑みが有る。食えない親父だ。だんだんこいつが嫌いになってきた。いや、元から嫌いだったか……。

「彼には正直失望した。あの情報漏洩事件を個人的な野心のために利用しようとしたのだ。あの事件の危険性を全く分かっていなかった」
トリューニヒトが首を振っている。ワインの不味さを嘆いている感じだな。シトレが顔を顰めた。つまりシトレにも関わりが有る……。

ロボスはあの事件をシトレの追い落としのために利用しようとしたという事か。何をした? まさかとは思うが警察と通じたか? 俺が疑問に思っているとトリューニヒトが言葉を続けた。

「自分の野心を果たそうとするのは結構だが、せめて国家の利益を優先するぐらいの節度は持って欲しいよ。そうじゃないかね、准将」
節度なんて持ってんのか、お前が。持っているのは変節度だろう。

しかし国家の利益という事は単純にトリューニヒトの所に駆け込んでこの件でシトレに責任を取らせ自分を統合作戦本部長にと言ったわけではないな。警察と裏で通じた……、一つ間違えば軍を叩きだされるだろう。となると捜査妨害、そんなところか……。

「節度がどうかは分かりませんが、国家の利益を図りつつ自分の野心も果たす。上に立とうとするならその程度の器量は欲しいですね」
「全くだ。その点君は違う。あの時私達を助けてくれたからね。国家の危機を放置しなかった。大したものだと思ったよ」

突き落としたのも俺だけどね。大笑いだったな、全員あの件で地獄を見ただろう。訳もなく人を疑うからだ、少しは反省しろ。まあ俺も痛い目を見たけどな。俺はもう一度笑みを浮かべてサンドイッチをつまんだ。今度はハムサンドだ。マスタードが結構効いてる。

「ロボス元帥に呆れている時にシトレ元帥と親しくなれたのだ。君ならどうするかね」
俺を試してどうするつもりだ、トリューニヒト。弟子にでもするつもりか。
「ロボス元帥は道具として使いますね、手を組むならシトレ元帥でしょう」

ウシガエルは使い勝手が悪くなればいつでも切り捨てる。道具とは本来そういうものだからな。俺の答えにトリューニヒトはシトレと顔を見合わせ楽しそうに笑った。

「見事だ、君は軍人より政治家に向いているよ。私もそうしたのだがね、困った事にロボス元帥が私と彼の仲に気付いたのだ」
三角関係か、モテる男は辛いな、羨ましい限りだよ、トリューニヒト君。但し、三角関係を上手くさばけないようではちょっと不安だな。色男としては二流だ。もっとも政治家としては三流だからな、まだましか。

ロボスの耳元で“頼りにしているよ”とか囁いてやれば良かったんだ。豚もおだてりゃ木に登るじゃないがウシガエルは有能な道具になってくれただろう。

「それでロボス元帥は焦ったのですね」
「道具であることに満足していれば良かったのだがね」
「全く同感です」

おかげでこっちがえらい迷惑をした。そしてトリューニヒトはシトレを使って馬鹿な道具を切り捨てたと言う訳か。俺はそのお手伝いをしたわけだな、腐臭が漂ってきた、うんざりだ。

しばらくの間無言が続いた。皆食べる事に専念している。どうやらこの二人も食べていなかったらしい。まさかとは思うが俺を待っていたのか? そう思っているとドアが開いた。

「遅いぞ、レベロ」
「すまんな、シトレ、トリューニヒト。パーティが長引いた」
驚きはしなかった。やはり来たかという感じだ。ジョアン・レベロ、財政委員長だ。まあ戦争には金がかかる、軍と財政は仲が悪いものだが原作では戦争反対派だった、生真面目でその所為で最後は貧乏くじを引いた。

シトレとは幼馴染のはずだ。となるとトリューニヒトとレベロを結びつけたのはシトレか。しかし生真面目な財政家と良識派の軍人が裏で主戦論を煽る扇動政治家と組んでいる? 魑魅魍魎の世界だな。

レベロがトリューニヒトの横に座った、俺の正面だ。トリューニヒトとレベロの間には緊張感は感じられない、ごく自然な感じだ。この二人もかなり以前から親密な関係に有るのは間違いない。となると此処にはいないがホアン・ルイも関係している可能性が有るだろう。

何がどうなっているのか今一つ分からない。レベロとシトレなら分かる、そこにホアンが加わっても分かる、良識派の集まりだ。だがトリューニヒトが絡んでいる、単純な話ではないだろう。

こいつらは何かを目的として組んでいるはずだ。単純に権力の維持が目的というわけではなさそうだ。となると俺を呼んだ理由も司令長官の人事だけではなさそうだな。他に何か有るに違いない。

「君がヴァレンシュタイン准将か。噂は色々と聞いている」
「恐れ入ります、レベロ委員長」
どんな噂だか知らないが碌なもんじゃないのは間違いない。首切りヴァレンシュタインか、血塗れヴァレンシュタインか……。同盟でも帝国でも血腥い噂だろうな。食欲が無くなってきた。

レベロがグラスに水を注いで一口飲んだ。フーッと息を吐いている。
「はじめてもいいか、レベロ」
「ああ、構わんよ」
レベロとトリューニヒトの会話でも分かる、この二人は対等の関係だ、どちらかが主導権を握っているわけではない。この三人の共通の目的……、さて……。

「ヴァレンシュタイン准将、自由惑星同盟は帝国に勝てるかね?」
「……」
これまた、ど真ん中に直球を放り込んできたな、トリューニヒト。さて、どう答える?

「勝つという事の定義にもよりますね。オーディンに攻め込んで城下の誓いをさせると言うなら、まず無理です。同盟を帝国に認めさせる、対等の国家関係を築く事を勝利とするなら、まだ可能性は有ります、少ないですけどね」

俺の答えに三人は顔を見合わせた。
「軍事的な勝利が得られないと言うのはイゼルローン要塞が原因かね」
「違いますよ、レベロ委員長。同盟は帝国に勝てないようにできてるんです」

俺の言葉にトリューニヒトとレベロの顔が歪んだ。それにしてもどうして対帝国戦って言うとイゼルローン要塞攻略戦になるのかね。条件反射みたいなもんだな、パブロフの犬か。

「仮にですがイゼルローン要塞を攻略したとします。この後同盟が帝国に軍事行動をかけるとすると方法は二つです。一気に敵の中心部、オーディンを攻めるか、または周辺地域から少しずつ攻略するかです」

喉が渇いたな、水を一口飲んだ。レベロとトリューニヒトは先を聞きたくてもどかしそうな顔をしているがシトレは面白そうな顔をしている。やっぱりこいつは性格が悪いに違いない、嫌いだ。サンドイッチを一つつまんでまた水を飲んだ。

「准将、話を続けたまえ」
せっかちな男だな、レベロ。そうイラついた顔をするんじゃない。余裕が無い男は嫌われるぞ。
「一気に敵の中心部を突く、話としては面白いんですが問題は帝国軍の方が兵力が多い事です。正規艦隊の戦力は同盟軍は帝国軍の三分の二しかありません。攻め込めば補給線も伸びますし、軍事上の観点から見た星域情報もない。補給線を切られ大軍に囲まれて袋叩きに遭うのが関の山ですね。少ない兵力はさらに少なくなる。国防そのものが危険な状態になるでしょう」

レベロが面白くなさそうに息を吐いた。そんな様子を見てシトレが含み笑いを漏らした。
「まあ、大軍を用いることで敵を占領できるのならとうの昔に同盟は帝国に占領されているだろう」

分かってるんなら自分で説明しろよ。何で俺にさせるんだ、今度はハムチーズサンドだ。怒ると腹減るな、自棄食いってのはこれか。
「もし万一、同盟が帝国を下したとして、その後の占領計画のような物は有るのですか? 政府は打倒帝国と声を張り上げていますが?」

俺の質問にレベロとトリューニヒトが顔を顰めた。
「残念だが、そんなものは無い」
「嘘はいけませんね、無いのではなくて作れないのでは有りませんか、レベロ委員長」
「……」
今度は無言でレベロがサンドイッチを食べた。お前も自棄食いか、レベロ。

元々同盟は帝国より弱小だった。何とか追いつこうと必死だったはずだ。その時点で占領計画など作れるわけがない。ようやく国家体制が整ってきた頃にはイゼルローン要塞が同盟の前に塞がった。占領計画はイゼルローン要塞を落としてからと考えたのだろう。

と言うより、そうするしかできなかったのだと思う。同盟の人口は百三十億、帝国は二百四十億、倍近い人口を持つ帝国を占領して治めるなど、どう考えれば良いのか……、どれだけの費用が発生するのか……。おまけに政治体制も文化もまるで違う上に情報も不十分だ。占領計画など作りたくても作れなかった。イゼルローン要塞を落としてからという先送りで誤魔化すしかなかった、そんなところだろう。

「准将、では周辺地域から少しずつ攻略した場合はどうかね」
レベロ君、もう一つハムチーズサンドを食べて水を飲んだら答えよう。少し待ちなさい。ついでに卵サンドだ、水も一口。

「その場合はもっと酷くなりますね。おそらく財政破綻と国内分裂で同盟は滅茶苦茶になるでしょう。それはレベロ委員長が一番分かっている事のはずです」
「……」

レベロが不機嫌そうに顔を顰めた。やはり図星か、感情がもろに顔に出るんだな、レベロ君。それでも政治家かね、君は。しかし分かっていて問いかけてくるとは根性悪にも程が有るな。それともまさか本当に分からない? 一応説明しておくか……。

辺境星域を少しずつ浸食する、堅実に見えるが結果は碌でもないものだろう。帝国政府は領土の侵食など名誉にかけて受け入れられない。だがそれ以上に民主共和政が領内に蔓延ることを許さない。一つ間違えば辺境星域で平民による革命騒ぎが発生するだろう、危険なのだ。

イゼルローン要塞の建造は同盟領への侵攻の拠点の確立、そして帝国領の防衛拠点の確立でもあるが、もう一つ、イゼルローン要塞を置くことで回廊を軍事回廊に限定するという考えが有ったのではないかと俺は考えている。要塞を置くことで民間船の航行を阻止し民主共和政という思想が帝国領内に入るのを防ぐ。

帝国にとっては民主共和政という思想は感染力が高く、致死率も高い厄介な病原菌のような物だっただろう。帝国を病原菌から隔離するためにイゼルローン要塞というマスクを用意した。

帝国にとってはこちらの方が切実だったはずだ。帝国の統治者達が恐れたのは何よりも革命が起きる事で政治体制がひっくり返ることだったろう。そうなれば失脚するだけではない、財産も命もすべて失う事になりかねない。

もう一度言う、帝国が帝国領内に民主共和政主義者の拠点など許すはずがない。帝国軍は同盟が得た辺境領に対して激しい攻撃をかけてくる。軍だけじゃない、貴族も軍を率いて攻めてくる。多分こちらの方が激しく攻めてくるだろう。

同盟軍は防衛に追われまくることになる。レベロが原作で言っていた財政事情が許す範囲での制限戦争なんてもんは無くなる。後先考えない全面戦争だ、そいつが何をもたらすか……。

辺境を守るためにどの程度の戦力が必要か……。辺境には少なくとも三個艦隊は必要になるだろう。さらに治安維持、防衛のための陸戦隊の配備。そしてイゼルローン要塞と辺境を往復する輸送船、護衛艦の配備。さらにイゼルローン要塞にも駐留艦隊以外に最低でも一個艦隊、いや二個艦隊は置かなければならないはずだ。

戦闘が激化するとなればイゼルローン要塞の傍に補給基地の建設、まあこれはヴァンフリートが有るとしても他に損害を受けた艦船の修理をするドックや負傷した兵を収容する病院もいるだろう。戦争する以上損害は生じる。問題はどれだけ早く損害を回復できるかだ。そうでなければ効率的に戦争できない。

膨大な費用が発生する。軍事費は増加する一方だろう。さらに辺境への開発投資費用も考えなければならない。帝国と同盟は違う、同盟は平民を搾取するようなことはしない、それを証明するために辺境に資金を投入し続けなければならない。後々帝国中心部への侵攻時に後方基地として使うためにも開発は必要だ。打倒帝国を叫ぶ以上どうしてもそうなる。

金が出ていく一方で戦争は激化し終焉は見えない。同盟市民は重税と戦争に喘ぐだろう。そしてどこかで辺境領の放棄と言う意見が出る。その中で帝国との和平を唱える者も出るだろう。そして国内は分裂するに違いない、撤退を支持するものと拒否するものに……。

撤退を選択すればイゼルローン要塞を拠点としての防衛戦が同盟の国防方針になる。戦争は多少沈静化するだろうがそれは帝国の辺境を見捨てた代償だ、後ろめたい代償で喜べるものではない。なにより同盟市民は打倒帝国という国是を捨てたのだ、国家の存在意義を問い直すことになるだろう。

長い混乱が発生するに違いない。その中で再度の帝国領侵攻も実行されるかもしれない。国家方針が定まらず混乱する国家ほど国力をロスするものは無い。戦争で弱体化した国力が回復するには時間がかかるだろう。回復できればだが……。

それに戦争は沈静化はしてもなくなるわけではない。なにより帝国は同盟の危険性を再認識したはずだ。イゼルローン要塞の奪回を執拗に繰り返すだろう。戦争は続くのだ。

そして帝国の辺境星域では住民達が同盟に対して、民主共和政に対して強い不信、不満を持つだろう。同盟が再度辺境星域に侵攻しても今度は以前ほど住民の協力は得られないはずだ。撤退を受け入れれば戦争の沈静化と混乱が、拒否すれば果てしない戦争の激化と重税……。退くも地獄なら進むも地獄だ。

俺が話し終わっても誰も口を利かなかった。トリューニヒトは無表情に黙ってグラスを口にしている。レベロは沈鬱な表情だ、そしてシトレは目を閉じて腕を組んでいる。俺は卵サンドを口に入れて水を飲んだ。喋ると腹が減る。

この三人は俺が話している間一言も喋らなかった。似た様な事を考えたことが有るからだろう。シトレとレベロは分かる。この二人が軍事、財政の面から帝国領侵攻について話し合ったとしてもおかしくない。その中で似たような結論を出したとみて良い。

だが問題はトリューニヒトだ。イケイケドンドンの主戦論者が黙って聞いている。怒るそぶりもない。どう考える? 所詮主戦論などトリューニヒトにとっては票集めの一手段という事か……。

「帝国人の君から見ても同盟の勝ち目は低いか……。となるとイゼルローン要塞を奪取して防衛体制を整えるしかないな」
「そんな簡単に落ちる要塞ではないぞ、トリューニヒト」
「しかしやらなければ効率が悪い。軍事費を抑えたいのだろう、レベロ」
「……」

レベロが顔を顰めた。しかし問題はトリューニヒトだ、今何と言った? 軍事費を抑えたい? 主戦論者が軍事費の削減を考える?
「失礼ですが、小官はイゼルローン要塞攻略には反対です」
「何故だね」
分からないのかね、トリューニヒト君。仕方がない、君のために謎解きをしてあげよう。俺が原作知識を持っている事に感謝したまえ。

「イゼルローンを取れば同盟市民は必ず帝国領侵攻を大声で叫びますよ。それを抑えられますか?」
「……」
そんな怖い顔で俺を睨むなよ、レベロ。トリューニヒトとシトレを見習え、奴らにはまだ余裕が有るぞ。根性が悪いだけかもしれんが。

「まず無理ですね。これまで百五十年間、一方的に攻め込まれていたんです。攻め込むことが出来るようになった時、同盟市民が最初に考えるのはようやくこれで仕返しができる、今度はこっちの番だ、そんなところです。間違ってもイゼルローン要塞で敵を待ち受けようなどとは考えません」
「……」

「トリューニヒト委員長、主戦論者の貴方に彼らを抑える事が出来ますか? 裏切り者と呼ばれるでしょうね。もっともどうやら既に裏切っているようですが……」

俺の目の前で苦笑するトリューニヒトが見えた。どうやら図星らしい。どんな言い訳をするのやらだな。俺はにっこり笑うとハムサンドを一つ口に運んだ。もう十一時だ、早く結論を出して話を終わらせよう。


 

 

第四十四話 和平の可能性

宇宙暦 795年 1月 3日  ハイネセン   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「先程から聞いていると君は身も蓋もない言い方をするね、准将」
苦笑交じりにトリューニヒトが答えた。レベロは渋い顔をシトレは笑みを浮かべている。やはりこの中ではトリューニヒトとシトレがしぶとい。レベロはまだ青いな、いや正直と言うべきか。

「言葉を飾っても事実は変わりませんし、小官は委員長を責めているつもりも有りません。口から出した言葉と考えている事が違う政治家など珍しくもないでしょう」
「……」

そう嫌な顔をするなよ、レベロ君。別に政治家が皆嘘吐きだと言ってるわけじゃない。嘘吐きが多いと言ってるだけだ。中には正直な政治家もいる、もっとも俺はまだ見たことは無いがね、残念なことにあんたも含めてだが。

いい加減、ハムチーズサンドと卵サンドは飽きたな。次はコンビーフとツナで攻めてみるか。一口サイズだからいくらでも入る。俺がコンビーフとツナを取るとトリューニヒトも釣られたように同じものを取った。気が合うな、でも手加減はしないぞ、トリューニヒト、覚悟しろ。

「政治は結果です。結果さえ出していただければプロセスに関して文句は言いません……。ところで小官の質問に答えていただきたいのですが」
トリューニヒトがまた苦笑した。そしてレベロ、シトレへと視線を向ける。一つ頷いてから話し始めた。

「私は主戦論を唱えているが主戦論者と言う訳ではない」
トリューニヒトが俺を見つめながら言う。俺はその気はないぞ、他を当たれ。あんたが必要とするのは権力であって主義主張じゃないって事だろう。市民が望む言葉を言うだけだ。このコンビーフは結構いける。マヨネーズが良い。

「私は自由惑星同盟を民主共和政を愛している。それを守りたいと思っている」
ちょっと違うな。あんたは他人から称賛される事で生きていることを実感できる人間なんだ。そのために一番分かりやすい政治制度は議会制民主主義だ。つまり自由惑星同盟はあんたの生存圏なわけだ。あんたは自由惑星同盟を愛しているのではなく自らの生存圏を必要としているだけだ、とおれは思っているよ。

「それでこの集まりはなんです?」
「帝国との和平を考えている集団だ」
トリューニヒト君が厳かに答えた。断っておくが俺はメンバーに入れるなよ。死んだ母さんから悪い人と付き合っちゃいけないと言われているんだ。お前らなんかと一緒にいると母さんが嘆くだろう。“私のかわいいエーリッヒが、何でこんな悪い人達と”ってな。

まあ、少なくとも打倒帝国を企む正義の秘密結社なんて言われるよりは納得がいく。しかし自由惑星同盟で政府閣僚と統合作戦本部長が密かに和平を画策するか。なかなか楽しいお話だ。うん、ツナサンド、美味しい。ハートマークを付けたくなった。宇宙艦隊司令部の食堂もこれぐらいのサンドイッチを作って欲しいもんだ。

「私とレベロは以前から密かに協力し合う仲だった。君が言ったように同盟は帝国には勝てない、勝てない以上、戦争を続ける事は無益だし危険でもある。何とか帝国との間に和平をと考えているのだ」

最初はレベロとトリューニヒトか……。意外ではあるな、レベロとシトレかと思っていた。シトレが加わったのはアルレスハイムの会戦以降、レベロとトリューニヒトの繋がりはそれ以前から……。この連中はそれなりに本気で和平を考えている、そういう事かな……。

「私が主戦論を唱えた理由は二つある。一つは主戦論を唱える事で軍内部の主戦論者を私の下に引き寄せコントロールすることが目的だった。彼らを野放しにすれば何時暴発するか分からない、それを避けるためだ」

世も末だな、クーデターが怖くてごますりかよ。主戦論者なんて声のでかい阿呆以外の何物でもないだろう。馬鹿で阿呆な軍人などさっさと首にすればいい。最前線に送り込んで物理的に抹殺するか、退役させるか。最前線送りの方がベターだろうな。

まあ遺族年金という出費が発生するが後々面倒が無くて良い。金でケリがつくならその方が楽だ、死人は悪さはしない。惑星カプチェランカに送って全員凍死させてやれ。

「もう一つは主戦論を唱えていた方が和平に賛成したときに周囲に与えるインパクトが大きいと思ったのだ。最も強硬な主戦論者が和平を支持した。戦争よりも和平の方が同盟のためになる、周囲にそう思わせることが出来るだろう」

なるほど、それは有るかもしれないな。問題は自分の役に取り込まれないようにすることだ。主戦論者のまま身動きできないようになったら間抜け以外の何物でもない。

しかし扇動政治家トリューニヒトが和平を考えるか、冗談なら笑えないし、真実ならもっと笑えない。原作ではどうだったのかな、トリューニヒトとレベロは連携していたのか……、トリューニヒトの後はレベロが最高評議会議長になった。他に人が居なかったと言うのも有るだろうが、あえてレベロが貧乏くじを引いたのはトリューニヒトに後事を託されたとも考えられる。いかん、ツナサンドが止まらん。

さて、どうする。連中が俺に和平の件を話すと言う事は俺の帝国人としての知識を利用したいという事が有るだろう。そして和平の実現に力を貸せ、仲間になれという事だ。どうする、受けるか、拒絶か……。レベロ、シトレ、トリューニヒト、信用できるのか、信用してよいのか、一つ間違えば帝国と内通という疑いをかけられるだろう。特に俺は亡命者だ、危険と言える。

「君は先程同盟を帝国に認めさせる、対等の国家関係を築く事は可能だと言っていたね」
「そんな事は言っていませんよ、レベロ委員長。可能性は有ります、少ないですけどねと言ったんです」

シトレとトリューニヒトが笑い声を上げた。レベロの顔が歪み、俺をきつい目で睨んだ。睨んでも無駄だよ、レベロ。自分の都合の良いように取るんじゃない。お前ら政治家の悪い癖だ。どうして政治家って奴は皆そうなのかね。頭が悪いのか、耳が悪いのか、多分根性が悪いんだろう。

いや、それよりどうするかだ。和平そのものは悪くない、いや大歓迎だ。これ以上戦争を続ければ何処かでラインハルトとぶつかる。それは避けたい、とても勝てるとは思えないのだ、結果は戦死だろう。戦って勝てないのなら戦わないようにするのも一つの手だ。三十六計、逃げるに如かずと言う言葉も有る。そういう意味では和平と言うのは十分魅力的だ。

「その可能性とは」
どうする、乗るか? 乗るのなら真面目に答える必要が有る……。この連中を信じるのか? 信じられるのか? ……かけてみるか? 血塗れとか虐殺者とか言われながらこのまま当てもなく戦い続けるよりは良い……、最後は間違いなく戦死だろう。

同盟が滅べば俺には居場所は無いだろう。生きるために和平にかけるか……。宇宙は分裂したままだな、生きるために宇宙の統一を阻む。一殺多生ならぬ他殺一生か、外道の極みだな、だがそれでも和平にかけてみるか……。

「准将、どうかしたのかね」
気が付くとレベロが心配そうな顔をしていた。トリューニヒトもシトレも訝しそうな表情をしている。どうやら俺は思考の海に沈んでいたようだ。

「いえ、何でもありません。簡単なことです、殺しまくることですよ、レベロ委員長」
振り返るな、サンドイッチを食べるんだ。周囲を不安にさせるような行動はすべきじゃない。連中に俺を信じさせるんだ。今度はトマトとチーズのサンドイッチだ。チーズはモッツァレッラ、バジリコも入っている。インサラータ・カプレーゼか、これは絶品だな。

「殺しまくるって、君……」
そんな呆れたような声を出すなよ、レベロ。いかんな、トリューニヒトもシトレも似たような表情だ。俺の答えに呆れたという事はこいつら根本的な部分で帝国が分かっていない。分かっていないから和平なんて事を考えたか。知っていれば考えなかったかもしれん。早まったか? 違う、だから俺の知識が必要なのだ! 振り返らずに前に進め!

「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝……。分かりますか、帝国は対等の存在など認めていないんです。彼らを和平の席に着かせるには帝国軍の将兵を殺しまくってこれ以上戦争は出来ないと思わせるしかありません」

部屋に沈黙が落ちた。俺は極端なことを言っているつもりはない。どんな戦争でも限度と言うものは有る。帝国と同盟の戦争で帝国が許容できない損害とは何か?

同盟領内部で戦うのだから領土は論外だ。となれば後はどれだけ帝国軍の兵士を殺したか、帝国の軍事費を膨大なものにしたかという事になる。戦死者に対する遺族年金もその一つだ。簡単に言えばアムリッツアを帝国相手に実施することだ。二千万人も殺せばいくら帝国でも当分戦争は出来ない。和平という事も考える可能性はある。

考えなければその時点でイゼルローン要塞攻略を実施しても良い。その上で帝国領侵攻を匂わせる……。或いは辺境星域に対して一個艦隊による通商破壊作戦を実施する。帝国も本気で和平を考えるだろう。問題は本気で帝国領侵攻なんて馬鹿なことをしないことだな。

テーブルの上にはサンドイッチが残っている。皆なんで食べないのかね、残しても仕方ないぞ。俺はインサラータ・カプレーゼをもう一つ頂こう、実に美味い。

「イゼルローン要塞を攻略すれば帝国領への侵攻という最悪の選択肢が待っています。となれば同盟領内で帝国軍の殲滅を繰り返すしかないんです。違いますか?」
「……」

殺せ、ただひたすら殺せか……。なんとも血腥い話だな、うんざりする。血塗れのヴァレンシュタイン……、そのうち赤ワインの代わりに帝国軍人の生き血を啜って生きているとか言われそうだ。

「他に選択肢は無いのかね」
低く押し殺した声でシトレが問いかけてきた。真打登場か、シトレ。
「選択肢は有りませんね、ただ……」
「ただ?」
「ただ……、現時点で帝国には不確定要因が有ります。それによっては別な選択肢が発生する可能性はあるでしょう……」

俺の言葉にトリューニヒト、レベロ、シトレが顔を見合わせた。トリューニヒトがこちらを窺うように問いかけてきた。
「その不確定要因とは、何かね」

「皇帝フリードリヒ四世の寿命です」
俺の言葉にトリューニヒト、レベロ、シトレがまた顔を見合わせた。この三人が全くそれを検討したことが無いとも思えない。だがどこまで検討したか……。

「皇帝フリードリヒ四世は後継者を定めていません。皇帝が死ねば帝国は皇帝の座を巡って内乱が発生する可能性が有ります」
「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯か」
トリューニヒトが呟きレベロとシトレがそれぞれの表情で頷いている。やはりな。この三人は内乱を検討している。

「それだけとは限りません」
「?」
「次の皇帝候補者はブラウンシュバイク公爵家のエリザベート、リッテンハイム侯爵家のサビーネ、そしてエルウィン・ヨーゼフ……」

「エルウィン・ヨーゼフ? しかし彼には有力な後ろ盾が無いだろう」
甘いな、シトレ。どうやらお前達は皇帝フリードリヒ四世の死後を検討はしたがブラウンシュバイクとリッテンハイムの内乱で終わりのようだな。おそらくはブラウンシュバイク公が有利、そんなところか。原作知識が有るせいかもしれないが酷く心許ない。

「彼は亡くなったルードヴィヒ皇太子の息子です。三人の中では一番血筋が良い、おまけに男子です」
「しかし」
「彼には後ろ盾が無い、逆に言えば誰もが後ろ盾になれる。そういう事です」
「!」

トリューニヒト、レベロ、シトレが顔を見合わせた。そして今度は俺を見ている。なんか嫌な感じだな、俺は無視して水を飲んだ。今度はレベロが俺に問いかけてきた。

「しかしブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を敵に回すだけの実力を持った貴族などいるのかね。両家とも親族が多く兵力も多い、そう簡単に敵に回せる相手ではないが」
シトレが頷きトリューニヒトは考え込んでいる。

「軍を味方に付ければ可能でしょう。誰が軍の実戦部隊を握っているか、それを利用しようとする人間が現れるか、それによって内乱の行方は変わります。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯の争いで終わるのか、それとも軍も加わって帝国を二分、三分する大乱になるのか……。その中で選択肢が発生する可能性が有ると思います」

三人が考え込んでいる。選択肢について考えているのだろう。原作ではラインハルトが軍の実戦部隊を握った。リヒテンラーデ侯がラインハルトと手を組みブラウンシュバイク、リッテンハイム連合を破った。そしてその後、ラインハルトによってリヒテンラーデ侯が粛清された。

この世界ではどうなるのか……。先ず皇帝がいつ死ぬかだな、原作通りなら来年の十月だ。問題はそれまでにラインハルトが軍を掌握できるかだが、ちょっと難しいだろう。ヴァンフリートの敗戦が効いている、あそこで足踏みしたことは大きい。

となるとリヒテンラーデ侯は誰と組む? 場合によっては最初から皇位継承争いから降りる可能性もあるな。ブラウンシュバイク、リッテンハイムの一騎打ちか。勝った方にラインハルトを粛清させる……。ブラウンシュバイク公が勝てばフレーゲル辺りを焚きつけるか。場合によってはアンネローゼがフリードリヒ四世を殺したという噂を流すのも良いだろう。

帝国の分割統治という方法はないかな、なんならエルウィン・ヨーゼフを入れて三分割でもいい。イゼルローン方面を抑えた勢力と和を結ぶ。帝国の分裂状態を固定化できればそれだけで自由惑星同盟は平和を享受できる……。

先走るな、自分に都合のいいことばかり考えるんじゃない。ラインハルトに代わる人物が出るかもしれないし、或いはラインハルトが誰かを担いで帝国の覇権を握ろうとするかもしれない。そうであれば必ずしも軍を掌握している必要は無い……。

分からんな、いくつかの選択肢が見えて来るんだろうが今の時点では分からない。ただ分かっている事は皇帝が早く死んだ方がベターだという事だ。遅くなればラインハルトの地位が上がる。場合によっては軍を掌握している可能性もある。その場合は原作とほとんど変わらない流れになるだろう。一番避けたいケースだ。

「フリードリヒ四世の死か……。一体何時の事なのか……」
トリューニヒトが呟く。頼りない不確定要因だと思ったのだろう。フリードリヒ四世は未だ十分に若い。今の時点で彼が近未来に死ぬと予測している人間など居ない筈だ。

「皇帝は必ずしも健康ではありません。意外に早いかもしれませんよ」
俺の言葉に三人が顔を見合わせた。実際早くなってほしいもんだ。
「我々が今準備する事は?」
トリューニヒトが囁くような声で問いかけてきた。

「軍を精強ならしめる事です」
「……シトレ元帥の宇宙艦隊司令長官への就任だね」
「ええ」

トリューニヒトがシトレと視線を交わす。互いに頷くとトリューニヒトは俺を見た。
「シトレ元帥を宇宙艦隊司令長官にしよう。後任の本部長はグリーンヒル大将だ。但し、彼は代理という事になる」

なるほど、統合作戦本部長の椅子はシトレのものと言う訳か。これは一時的な処置という事だな。結構、大いに結構だ。その方がシトレの権威はより増すだろう……。



宇宙暦 795年 1月 4日  ハイネセン   シドニー・シトレ


会合が終わったのは日付が変わって三十分も経ったころだった。私は地上車で自宅に戻る途中だ。隣にはヴァレンシュタイン准将が居る。地上車に乗ってから彼は一言も口を利かない。ただ黙って何かを考えている。

「何を考えているのかね」
「……未来を」
「未来か、どんな未来かね」
彼が考える未来とはどんな未来なのか、少し興味が有った。和平を結び退役して何かやりたい事でもあるのだろうか……。

「帝国史上最大の裏切り者、銀河史上最大の大量殺人者、私がそう蔑まれる未来とはどんなものかを考えていました」
「……」
冷静な声だった。顔を見たが感情は見えなかった。皮肉を言っているわけではなかった。自分を蔑んでいるわけでもなかった……。

帝国軍を殺しまくる。和平のために殺しまくる。確かに彼は帝国史上最大の裏切り者、銀河史上最大の大量殺人者、そう呼ばれることになるかもしれない……。気が重くなった、そう仕向けたのは私だがそれでも、いやそれだからこそ気が重い。

「元帥」
「何かな、准将」
「宇宙艦隊の司令官を交代させてください。今のままでは信用できません。まともに戦えるのは第五、第十、第十二くらいのものです」

ビュコック、ウランフ、ボロディンか……。確かにそうだな、後使えるのと言えば第一のクブルスリーだが、名前は出なかったな。
「交代と言っても後任者はどうする」
「先ず、ラルフ・カールセン、ライオネル・モートンの両名を艦隊司令官にしてください。後は徐々に入れ替えましょう」

なるほどカールセン、モートンか。両名とも士官学校を出ていないが実力は確かだ。ロボスの失態で下がった兵の士気を叩き上げの両名を司令官にすることで上げようという事か。一石二鳥、悪くない案だ。

「良いだろう、トリューニヒト委員長に相談しよう。だが何故先程言わなかったのかね?」
「貴方の周囲は馬鹿ばかりです、そう言っては委員長閣下も気を悪くするでしょう」
余りの言い様に失笑した。この青年はこれでもトリューニヒトに気を使ったらしい。

「それとヤン准将を昇進させて正規艦隊の司令官にしてください」
「ヤン准将を、しかし」
「次の会戦が終わったらで構いません。適当な理由で彼を中将にしてください」

二階級昇進させろと言うのか……。
「准将、彼は参謀の方が向いているのではないかね」
ヤン・ウェンリーを指揮官? 参謀が向いているとは言えないが、指揮官はもっと向いていないだろう。

私の言葉にヴァレンシュタイン准将は薄らと笑みを浮かべた。
「違いますね、彼は指揮官の方が向いています」
「?」
私は納得できないという表情をしていただろう。ヴァレンシュタインは私の顔を面白そうに見ている。

「ヤン准将は天才です。そうであるが故に彼を部下に持った指揮官は彼を理解できず使いこなせない。参謀としては一番不適格なんです。悪い事にあの人は事務処理が出来ないから周囲はどうしても軽んじる。そしてあの人自身戦争を嫌っている所為か積極的に戦争に取り組もうとしない」
「……」

「彼を本気にさせ、実力を発揮させるには頂点に据えるしかないんです。エル・ファシルがそうです。全権を預ければ奇跡を起こせる……。一個艦隊、百五十万人の命を預ければ、本気になるでしょう。奇跡の(ミラクル)ヤンと呼ばれる日が来ますよ」

なるほど、そういう見方もあるのか……。確かに指揮官として試してみる価値は有るのかもしれない。それにしても随分と詳しい、ヤンの事だけではない、カールセン、モートン、何時の間にそこまで調べたのか……。

「君はヤン准将を高く評価しているのだね」
私の言葉にヴァレンシュタインは頷いた。不思議だった、ヤンとヴァレンシュタインは今一つ上手く行っていないと聞いている。しかし、ヴァレンシュタインのヤンに対する評価は非常に高い。冷徹、そんな言葉が胸に浮かんだ。

「評価しています、ラインハルト・フォン・ミューゼルに対抗できるのは彼だけでしょう。ある程度、武勲を挙げたら総司令部に戻して総参謀長、或いは司令長官にすることです」

ラインハルト・フォン・ミューゼル、ヴァレンシュタインが天才だと評している人物……。
「私には君も天才だと思えるがね」
私の言葉にヴァレンシュタインは微かに頬を歪めた、自嘲か?

「買い被りですね。私はあの二人には到底及びません。自分の力量は自分がよく分かっています」
「しかし……」
会合での君は十分にその才能を我々に見せつけた、ヴァンフリートではミューゼルをもう一歩まで追い詰めた、そう言おうとした私を彼は遮った。

「閣下はまだあの二人の真の姿を知らないだけです。あの二人に比べれば私など……、居ても居なくても良い存在です、いや居なかった方が良かったのかもしれない……」

そう言うと彼は大きく息を吐いて目を閉じた。地上車が彼の官舎の前に止まるまで彼が目を開けることは無かった……。

 

 

第四十五話 クラーゼン元帥

宇宙暦 795年 1月 4日  ハイネセン   ミハマ・サアヤ



「サアヤ、いつまでもTVを見ていないで、そろそろ準備をしなさい。遅刻するわよ」
「はあい、母さん」

時刻は七時二十分です。後十分経ったら準備を始めます。支度に三十分、ここから宇宙艦隊司令部まで歩いて三十分、八時半には職場に着きます。夏はちょっと暑くて閉口ですが今の時期なら歩くのは問題は有りません。ダイエットのために歩いています。

就業開始時刻は九時ですから十分余裕が有ります。母もそれは分かっているのですが、必ずこの時間になると私に準備をしろと言います。母にとって私はちょっと抜けていて頼りない所のある娘なのです。私も反論はしません、全くの事実ですし、反論しても言い負かされるだけです。これまで勝った事が有りません。

ミハマ家はハイネセンではどこにでもあるごく普通の家だと思います。母と私と弟、父はいません。宇宙歴七百八十一年、イゼルローン回廊付近で起きた帝国軍との遭遇戦で父は戦死しました。

名前もつかないような戦いで戦死したのですがそれも珍しい事ではありません。遭遇戦は年に何度か起きるのです、その度に戦死者が出ますし、多い時は万単位で戦死者が出ます。

私と五歳年下の弟、幼い子供二人を抱えた母の苦労は大変なものだったと思います。母は腕の良い美容師でしたし、父の死後に支払われた生命保険、遺族年金のおかげで家が困窮するようなことは有りませんでした。ですが決して生活は楽では無かった……。精神的な面での母の苦労と言うのは決して小さくなかったと思います。

私は中学を卒業すると士官学校に進むことを選択しました。士官学校はお金がかかりませんし、それに全寮制です。母の負担を少しでも軽くしたい、そう思ったのです。これも珍しい事ではありません。

中学の同級生の中でも多くの生徒が私と同じ選択をしました。士官学校ではなくても下士官専門学校や軍関係の専門学校に行ったのです。家族を奪った帝国軍に対する憎しみが無かったとは言いません、ですがそれ以上に母親に負担をかけたくない、そういう気持ちが皆強かったと思います。

私が士官学校に行きたいと言うと母はもの凄く反対しました。普段は私の頼りない所も“女の子はそのくらいで良いの、男の人が放っておけない、そう思えるぐらいの方が”と明るく励ましてくれるのですが、この時は“あんたみたいな頼りない子が軍人になったって無駄死するだけだからやめなさい”と散々でした。

それでも私は母の反対を押し切って士官学校に行き無事卒業して任官しました。情報部に配属でしたが母は安心したようです。最前線で戦わずに済む、そう思ったのでしょう。ですから私がヴァンフリート4=2、そして宇宙艦隊総司令部に行ったことはショックだったようです。

無理もないと思います。弟も士官学校に行きましたから私が戦争に行けば母は家に一人なのです。どうしても戦場にいる私の事を考えてしまうのでしょう。私が昇進しても最近では喜んでくれません。それだけ危険なことをしていると思っているのです。

特に前回のイゼルローン要塞攻略戦では撤退作戦に参加しました。あの時の様子はマスコミが大きく報道しましたから私が負傷者の返還に関わったと母も知っています。一つ間違えば死ぬところだった、そう思うと胸が潰れるような思いをしたそうです。帰還した私の顔を見た母は、何も言わずに私を抱きしめ泣き出しました。私は何もできずただ母に抱かれているだけでした。

“大丈夫、ヴァレンシュタイン准将と一緒なら心配いらない。今回もちゃんと帰ってきたでしょう” 私はそう言って母を安心させようとするのですが、なかなか納得してくれません。母にとってヴァレンシュタイン准将は英雄ではなく娘を危険に曝す悪い男なのです。

七時半になりました、そろそろ支度を始める時間です。席を立とうとした私の耳にTVの女性アナウンサーが気になることを言いました。
『今日の午前一時半の事ですが、ヴァレンシュタイン准将が有る人物と密会をしていたことが分かりました』

え、密会? 相手は誰だろう? 司令部の女性兵士か、それとも後方勤務の女性か……。准将はエリートですし、外見も可愛いですから女性からは人気が有ります。相手に困る様な事はないでしょう。でも何時の間に? いつも最後まで残業していたのはデートを隠すため?

「サアヤ、早くしなさい」
「うん、すぐ支度する」
『二人はどこかに行っていたようです』
そんな事より相手は誰? 時間なんだから焦らさないで早く教えて!
『准将の官舎の前で地上車が止まったのですが、中に居たのはヴァレンシュタイン准将と……』

准将と? 誰? 早くしなさい!
『統合作戦本部長、シドニー・シトレ元帥でした』
……まさか、そういう関係だったの?



帝国暦 486年 1月 7日  オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル



元帥府に有るリューネブルクの私室で俺は彼とワインを飲んでいた。どうしてそうなったのか良く分からない。気がつけば赤ワインが用意され、気がつけばなんとなく飲んでいた。まあ時刻は六時を過ぎているし、問題は無い。こういう時も有るのだろう。

年を越したが宇宙艦隊司令長官の人事は未だ決まらない。反乱軍も宇宙艦隊司令長官が決まらない。お互いに相手の人事が決まらないから焦る必要は無いと考えているのかもしれない。このままで行くといつ決まるのやら……。

カストロプ公の処断は宇宙艦隊司令長官の人事が決まってからとなっているらしい。場合によっては叛乱ということもある。実戦部隊の最高指揮官を決めてから処断するというのは正しいのだろうがどうにももどかしいような気もする。

あんな男が息をしている事自体許しがたい事だ。あの男の所為でどれだけの人間が犠牲になったか……。決して表には出ない事だがそれだけに許しがたいという気持ちは強くなる。

ミュラーとクレメンツがオフレッサー元帥府に来る事になった。少しずつだが艦隊の陣容も整いつつある。もう少し手を広げるべきだろう、有能な男達を元帥府に引き入れるべきだ。

オフレッサーは下級貴族の出身だけに平民や下級貴族出身の男達を元帥府に入れる事にあまり抵抗は無いようだ。実際装甲擲弾兵に名門貴族出身者など居ない。能力さえあれば受け入れるのに抵抗は無いのだろう。

考えてみれば俺やリューネブルクを元帥府に入れた事も普通なら有りえない事だ。俺は皇帝の寵姫の弟、リューネブルクは亡命者、どちらも好まれる存在ではない。おかしな男だ、オフレッサーは自分自身の事をどう思っているのか……。

ドアがいきなり開いた。眼を向けるとオフレッサーだった。拙い所を見つかったか、そう思っていると
「俺にも飲ませろ」
そう言って近づいてきた。表情が険しい、何か面白くないことでもあったか? 俺達を怒っているようではない様子だが……。

リューネブルクがテーブルにグラスを用意する。俺がワインを注ぐと椅子に座ったオフレッサーが物も言わずにワインを飲みほした。少しは味わえよ、それだから装甲擲弾兵は野蛮人だと言われるんだ。もう一杯注いだ。

「司令長官が決まったぞ」
「!」
唸るような声だった。俺を睨むような目で見ている。思うような人事ではなかったか、一体誰だ? メルカッツではないな。

「どなたに決まったのです?」
リューネブルクの問いかけにオフレッサーは鼻を鳴らした。
「クラーゼン元帥だ」

クラーゼン? 思わずリューネブルクと顔を見合わせた。リューネブルクも訝しげな表情をしている。思わずオフレッサーに問いかけた。
「幕僚総監ですか?」
「そうだ、他に誰が居る」
「……」

幕僚総監、クラーゼン元帥。元帥の地位には有るが何の実権もない幕僚総監と言う名誉職についている。彼が姿を現すのは儀式、式典などの時だけだ。能力が有るのかどうかも分からない。その彼が宇宙艦隊司令長官?

「メルカッツ提督ではないのですか」
リューネブルクの問いにオフレッサーはジロリと視線を向けた。
「メルカッツ提督には威が無いからな」
“威”、不思議な言葉だ。一体どういう事なのか……。俺の疑問を感じ取ったのかもしれない、オフレッサーが口を開いた。

「帝国軍には二つの序列が有る、分かるか?」
「……いえ、分かりません」
俺の答えにオフレッサーはまた鼻を鳴らした。頼むからそれは止めてくれ、そのうちリューネブルクだけじゃなく俺まで真似しそうだ。

「軍の序列である階級と宮廷序列だ。軍での序列は低いが宮廷での序列は高い、と言う連中は少なくない。宇宙艦隊司令長官はそういう連中を指揮しなくてはならん。宇宙艦隊司令長官には“威”が必要なのだ。宮廷序列を押さえて軍序列を守らせるだけの“威”がな。それだけの“威”が無ければ大艦隊は指揮できん」

なるほど、“威”か……。メルカッツにはその“威”が無いという事か。確かに誠実そうでは有るが強さは感じられない。その所為で宇宙艦隊司令長官の人事が難航していたのか……。

ミュッケンベルガー元帥の屋敷で話したことを思い出した。 “一個艦隊の指揮なら私よりも上手いだろうな、だが艦隊司令官と宇宙艦隊司令長官は違うのだ” ミュッケンベルガー元帥の言葉、その意味がようやく分かった。

「この“威”と言うのは厄介でな。誰もが最初から持っているわけではない。ごく一握りの人間だけが戦いの中で徐々に身に着け、大きくしていく……。軍務尚書も統帥本部総長もメルカッツ提督の力量は認めていた。しかしメルカッツ提督はもう五十を超えている。これから“威”を身に着けるという事は不可能だろう……。残念なことだ」

そう言うとオフレッサーはワインを一口飲んだ。嘆くような口調だ。オフレッサーはメルカッツを惜しんでいる。“威”か……確かにそういう何かが宇宙艦隊司令長官には必要なのかもしれない。しかし、クラーゼンにその“威”が有るのか?

「閣下、クラーゼン元帥にその“威”が有るのでしょうか?」
俺の問いかけにオフレッサーは俺を見た。詰まらない事は聞くな、と言うような目をしている。

「そんなものは無いな、いや俺には見えんと言うべきか……」
「では何故?」
「……」
オフレッサーが憮然としている。どうもおかしい、何が有った?

「宇宙艦隊司令長官に俺をと言う話が有った」
「閣下を?」
思わずオフレッサーの顔をまじまじと見た。オフレッサーが面白くもなさそうに俺を見返す。慌てて視線をリューネブルクの方に逸らした。彼も呆然としている。

「メルカッツ提督を副司令長官にして実際の指揮を取らせる。要するに俺なら我儘な連中を制御できるだろう、そういう事だ」
「なるほど」
思わず声が出た。必要とされたのは才能ではなく“威”か……。旗艦の艦橋で仁王立ちになるオフレッサーを思った。この男に怒鳴りつけられたら家柄自慢の馬鹿貴族どもも震え上がるだろう。リューネブルクも何度か頷いている。

「だがそれが拙かった。艦隊戦の素人を司令長官にするとは何事、それくらいなら自分が司令長官になるとな……」
「クラーゼン元帥ですか」
俺の言葉にオフレッサーが渋い表情で頷いた。そしてワインを飲み干すとグラスを俺に差し出してきた。慌ててワインを注いだ。道理でオフレッサーが渋い顔をするはずだ。自分がきっかけで酷い事になったと思っているのかもしれない。

「軍務尚書も統帥本部総長も止めたのだがな。言う事をきかん。艦隊戦は殴り合いとは違うと言いおった……。そういう事ではないのだが……」
「……“威”の事は」

リューネブルクの躊躇いがちな問いかけにオフレッサーが首を振った。
「形のないものだからな、確かめることは出来ん。自分には“威”が無いと言うのか、そう言われては……」
「……」
思わずため息が出た。まるで子供だ。オフレッサーも遣る瀬無さそうな表情をしている。

「最後は喧嘩別れのようなものだ、そう思うならやってみろ、ああ分かった、やってやる、とな……。まあ艦隊戦に関しては俺は素人だ。その俺を司令長官にするのは確かにおかしかろう」

確かにおかしい……、しかしオフレッサーを宇宙艦隊司令長官か……。面白いと言うか型破りな事を考える人間が居る。軍務尚書か、統帥本部総長か、或いはミュッケンベルガーか……。指揮官が全てを考える必要はない、参謀を上手く使う事が出来るのであれば……、決断できるのであれば……、そういう事か……。

「それでクラーゼン元帥が……」
「そうだ、クラーゼン元帥が司令長官に、メルカッツ提督が副司令長官になる……。まあ上手くいって欲しいものだが」
そう言うとオフレッサーは渋い表情でワインを一口飲んだ。

オフレッサーは危惧している。どうやら帝国軍は余り良い司令長官を得られなかったようだ。もしかするとクラーゼン元帥は最初から宇宙艦隊司令長官の座を狙っていたのかもしれない。元帥であるのに実権のない幕僚総監という閑職にあることを不満に思っていたのかもしれない。だとしたらオフレッサーを宇宙艦隊司令長官にというのはクラーゼンにとって好機だったのではないだろうか……。

危険だな、クラーゼンは危険だ。ミュッケンベルガー元帥とはまるで違う、何となく反乱軍のロボス元帥に重なって見えた。自分の野心のために無茶をするような感じがする。こうなると気になるのは反乱軍だ。連中が誰を司令長官にするか、そして誰が司令長官を支えるのか……。十分に注意する必要が有るだろう……。
 

 

第四十六話 新人事の波紋

宇宙暦 795年 1月12日  ハイネセン  宇宙艦隊総司令部 フレデリカ・グリーンヒル



「申告します、宇宙艦隊総司令部付参謀を命じられました、フレデリカ・グリーンヒル少尉です」
「歓迎するよ、グリーンヒル少尉。貴官の事は大将閣下より聞いている」

マルコム・ワイドボーン准将が私の申告を受けてくれた。准将は士官学校では十年来の秀才と言われている。私も士官候補生時代、教官から何度かそれを聞いたけどあまり秀才臭さは感じられない。背が高く、明朗快活で頼りになる感じだ。

「残念だがシトレ元帥は未だ統合作戦本部にいる。貴官のお父上と引き継ぎをしているようだ。あと二日はかかるだろう。いずれ引き合わせよう」
「はい、宜しくお願いします」

「おい、ヤン、ヴァレンシュタイン、グリーンヒル少尉だ」
ワイドボーン准将の声にデスクで仕事をしていた二人の男性が顔を上げた。二人とも良く知っている。一人はヤン准将、黒髪、黒目、ちょっと頼りなさそうに見えるけどエル・ファシルの英雄だ。

私が今此処にいるのはヤン准将のおかげ。エル・ファシルで准将に救われた三百万の民間人の一人が私だった。准将がサンドイッチを咽喉に詰まらせたときコーヒーを持って行ったけれど、多分准将はあの時の私の事など忘れているだろう。“コーヒー嫌いだから紅茶にしてくれたほうがよかった” あの時の言葉を私は今でも覚えている。

そしてもう一人はヴァレンシュタイン准将。近年英雄として騒がれているけど小柄で優しそうな表情をしている。私と同い年、そして亡命者なのに既に准将の階級を得ている。切れ者の参謀としてシトレ元帥の懐刀とも言われている。

「ああ、宜しく頼むよ、グリーンヒル少尉」
「宜しくお願いします、少尉」
「こちらこそ宜しくお願いします」

一昨日の十日、自由惑星同盟軍で大規模な人事異動の発令が有った。中でも驚いたのは統合作戦本部長シトレ元帥が宇宙艦隊司令長官に就任したこと。軍のナンバー・ワンからナンバー・ツーに降格。それだけでも驚きなのにシトレ元帥が自らそれを望んだと聞いた時には皆が驚愕した。

“宇宙艦隊の信用を回復するために私自ら司令長官の職に就く”
元帥のその言葉を皆が歓迎した。ナンバー・ワンからナンバー・ツーへの降格など簡単に出来ることではない。シトレ元帥は本気で宇宙艦隊を立て直そうとしている……。

トリューニヒト国防委員長もシトレ元帥の宇宙艦隊司令長官への就任を支持した。
“軍の信頼回復は急務であり、シトレ元帥の英断に対して心から敬意を表する。私は元帥の決意に最大限の協力をするつもりだ。それこそが打倒帝国への第一歩だと思っている”

嘘ではなかった。統合作戦本部長には私の父がシトレ元帥の代理という形で就任、軍の頂点はシトレ元帥だという事を改めて周囲に印象付けた。また第四艦隊司令官パストーレ中将、第六艦隊司令官ムーア中将が最高幕僚会議議員に異動し代わりに第四艦隊にはモートン少将が、第六艦隊にはカールセン少将がそれぞれ中将に昇進して艦隊司令官になっている。

二人とも兵卒上がりで政治色は無い。実力は有りながらも士官学校を卒業していないということで必ずしも場所を得ていなかった。その二人がパストーレ中将、ムーア中将に代わって艦隊司令官になった。パストーレ中将、ムーア中将はあまり実権の無い最高幕僚会議議員に異動……。

本来なら有りえない人事だ、パストーレ中将、ムーア中将はトリューニヒト国防委員長に近い人物と考えられていた。誰かが強くトリューニヒト委員長に要請したから実現できた人事だろう。父もそう言っていた、誰かが動いたと……。

そしてその全てにヴァレンシュタイン准将が絡んでいるのではないかと言われている。先日のシトレ元帥との密会騒動。一部の報道の中には二人が男色関係に有るのではないかとの報道も有った。

シトレ元帥は身長二メートルを超える偉丈夫だし准将は小柄で華奢な身体をしている。何かにつけて英雄と呼ばれる彼にやっかみの声が有ってもおかしくは無い。しかしその憶測も人事異動の発令と共に消えた。

おそらく二人が話し合ったのは今回の人事の事、そしてトリューニヒト国防委員長に対しての根回し……。ロボス元帥の失脚さえ二人がシナリオを書いたのではないかと言われている……。

ヤン准将もヴァレンシュタイン准将も挨拶を済ますとそのまま作業に戻った。ヴァレンシュタイン准将は書類の確認、そしてヤン准将は……読書? 准将が読んでいるのはどう見ても仕事に関係した本ではなかった。歴史の本だった……。仕事は? 思わず周囲を見たけれど皆何も言わない。不思議だった。

新人の私の指導係になったのはミハマ・サアヤ少佐だった。私より三歳年上だけど既に少佐になっている。ヴァンフリート、イゼルローン、二度の戦いを最前戦で戦い昇進した。イゼルローンでは危険な撤退作戦にも従事している。ヴァレンシュタイン准将の信頼厚い女性士官だ。

“私はおまけで昇進したの、何にもしてないのよ”
私が尊敬していると言うと少佐は困ったような笑みを浮かべて答えてくれた。謙遜? それとも本心?

私が少佐について最初に教わったのは補給関係の書類の確認だった。私は此処に来る前は情報分析課にいたから補給関係の仕事は初めてだった。少佐は元々後方勤務本部にいたからこの仕事には慣れているらしい。戸惑う私にミハマ少佐は親切かつ丁寧に教えてくれた。

「とても分かり易いです。有難うございます」
「私もそういう風に教わったの、ヴァレンシュタイン准将にね」
「准将に、ですか?」

ミハマ少佐は私の問いかけに笑って頷いた。准将が用兵家として優れた人物であることは分かっている。でも補給も?
「そう、嫌になるわよね、用兵も事務処理もどちらも完璧なんだから。何でも一人で出来るから何でも一人でやっちゃう。傍にいると時々落ち込むわ……」
「……」

私がどう答えて良いか分からず沈黙していると少佐は優しい笑顔を私に見せた。
「気を付けてね」
「?」
「准将は意地悪でサディストで根性悪で、とても鋭い人だから……。でも本当は誠実で優しい人なの。信頼できる人よ」
「……」

言っている意味がよく分からなかった。サディストで根性悪、誠実で優しい人……。ただ印象的だったのは少佐の笑顔がとても優しそうに見えたことだった。よく分からないまま私は頷き作業に取り掛かった。

作業中も時々ヤン准将を見た。周囲が忙しそうに働く中で准将だけが本を読んでいる。良いのだろうか? 周囲から疎まれたりしないのだろうか? 皆、何故何も言わないのだろう? 准将の事を皆無視している?

書類の確認が終わった事をミハマ少佐に告げると、少佐はヴァレンシュタイン准将に提出するようにと指示を出した。書類を持ち、ヴァレンシュタイン准将のデスクに近づく。ヤン准将は私に気付く様子もなく本を読んでいる。

「ヴァレンシュタイン准将、書類の確認をお願いします」
「分かりました、そこに置いてください」
書類を置いて席に戻ろうと踵を返した時だった。ヴァレンシュタイン准将の声が聞こえた。

「ヤン准将が気になりますか?」
驚いて振り返った。ヴァレンシュタイン准将は書類を見ている。ヤン准将が訝しげに私を見ていた。そしてヴァレンシュタイン准将が言葉を続けた。

「周囲が忙しそうに仕事をしているのにヤン准将だけが仕事をせず本を読んでいる。どういう事なのか、そう思っているのでしょう?」
「……」

ヴァレンシュタイン准将が顔を上げて私を見た。表情には笑みが有る。
「確かに忙しいですが、ヤン准将に事務処理をさせるほど私もワイドボーン准将も馬鹿じゃありません」
「……」
ヤン准将が苦笑した。その事が私を微かに苛立たせた。

「命の恩人を馬鹿にされて怒りましたか?」
「!」
「命の恩人? どういう事だ、ヴァレンシュタイン」
私達の遣り取りを聞いていたワイドボーン准将が問いかけてきた。

「簡単ですよ、グリーンヒル少尉はエル・ファシルに居た。ヤン准将は命の恩人なんです、そうでしょう?」
「そうなのか、ヤン」
「いや、そう言われても……」
ヤン准将は困惑している。やはり私の事は覚えていない、予想していたことだけれど微かに胸が痛んだ。

「今度は悲しそうですね、少尉」
「……」
悲しそうとは言う言葉とは裏腹に准将は笑顔を見せている。
“准将は意地悪でサディストで根性悪で、とても鋭い人だから……“

「この通り、ヤン准将は薄情な人ですからね。いつか思い出してくれるだろうとは思わないことです。はっきり伝えた方が良いですよ」
気遣ってくれている? 誠実で優しい人?

「御存じだったのですか、ヴァレンシュタイン准将?」
私はその事を周囲に話したことは無い。父から聞いたのだろうか? 准将と父はイゼルローン要塞攻略戦では苦労を共にした仲だ。もしかすると私の事が話題になったのかもしれない……。

「私もワイドボーン准将もヤン准将を馬鹿にしているつもりは有りません。人には向き不向きが有りますからね。ヤン准将には用兵家としての才能は有りますが事務処理の才能は有りません、戦争になったらヤン准将に働いてもらいます」

そういうとヴァレンシュタイン准将は書類に視線を戻した。ヤン准将が困ったような顔で私を見ている。凄く居づらいというか気まずい。やっぱりヴァレンシュタイン准将は意地悪でサディストで根性悪だ……。

「エル・ファシルでヤン准将に助けていただきました。有難うございました」
「ああ、そう」
ヤン准将は困惑している。私も困った、会話が続かない。そしてヴァレンシュタイン准将は微かに肩を震わせている。笑ってる? 笑ってる!



宇宙暦 795年 1月12日  ハイネセン  宇宙艦隊総司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



いやあ、青春だな。なんとも不器用で初々しくて、甘くて切ない……。トリューニヒトだのシトレだの相手にしていると世も末だけど不器用な二人を見ているとおじさんは嬉しくなってしまうよ。

もう少しからかいたかったが総司令部にバグダッシュが入ってきた。急ぎ足でこちらに近づいて来る。
「帝国の宇宙艦隊司令長官が決まりました、クラーゼン元帥です」
その声に皆が手を停めた。

「クラーゼン……、幕僚総監か、彼が宇宙艦隊司令長官に。……バグダッシュ大佐、メルカッツ提督は?」
「副司令長官ですよ、ワイドボーン准将」

ワイドボーンとバグダッシュが話している。クラーゼン幕僚総監か……。 実権は無い、飾り物の元帥が宇宙艦隊司令長官になった。そして副司令長官にメルカッツ、こいつをどう判断するか……。

ワイドボーンが俺を見ている、ワイドボーンだけじゃない、皆が俺を見ている。
「どう思う?」
「初々しくて心が洗われる思いですよ」

俺の言葉にフレデリカが唇を強く結んだ。いかんな、シャレが通じないのは。ワイドボーンが呆れたような声を出した。
「そうじゃない、帝国の人事だ」

分かってるよ、そんな事は。ここにもシャレの通じない奴が居た。優等生とか秀才っていうのはこれだから困る。
「酷い人事だと思いますよ」

クラーゼンが飾り物の元帥だという事は同盟でも分かっている。幕僚総監などと言っても何の実権もないのだ。儀式、式典に出席する事だけが仕事だ。これで用兵家としての能力に溢れている、司令長官としての“威”を持っている、そんな事が有るはずがない。

「酷い人事か……、彼が予想外の切れ者という可能性は?」
「有りませんね」
俺が断言するとワイドボーンとヤンは顔を見合わせた。

有りえない。彼が有能なら幕僚総監などという何の実権もない名誉職に就いているはずが無い。それにヴァンフリートの敗戦後もミュッケンベルガーが司令長官職に留まっている。クラーゼンに力量があるのならその時点で彼が司令長官になっていてもおかしくないのだ。

そして今回の人事も決定まで時間がかかりすぎている。クラーゼンに宇宙艦隊司令長官としての能力が有るとは帝国軍の上層部は思っていなかった。大揉めに揉めて決まったのだろう。

或いはエーレンベルク、シュタインホフに疎まれている、そういう事が有るのかもしれない。それゆえに司令長官就任までに時間がかかったという可能性も有る。だがクラーゼンが有能だという可能性は無い。

原作を見れば分かる。フリードリヒ四世死後、貴族連合も総司令官にメルカッツを起用しているが、クラーゼンが有能なら彼が総司令官になっていてもおかしくは無い。だがクラーゼンは何の動きも見せていない。おそらく周囲は誰もクラーゼンに利用価値、つまり軍事的な才能を見出さなかったのだろう……。

「本当に無いか?」
ワイドボーンが俺に念押しをしてきた。面倒だが答えるか……。
「有りません。ヴァンフリートの敗戦後もミュッケンベルガー元帥が司令長官職に留まっています。そして今回の人事も決定まで時間がかかりすぎている。いずれも彼が宇宙艦隊司令長官に相応しくないことを示している……」

少々端折ったが十分だろう。あんまり説明したくないんだよ、妙な目で俺を見る奴が必ず出るからな。俺の答えにワイドボーン、ヤン、バグダッシュが顔を見合わせた。

「となるとクラーゼンはどう出るかな」
「実績を挙げて地位を盤石なものにしたいだろうね」
「早急に軍事行動を起こすという事ですか」

おそらくそうなるだろう、ワイドボーン、ヤン、バグダッシュの会話を聞きながら思った。クラーゼンは必ず出撃してくる。
「バグダッシュ大佐」
「何です、ヴァレンシュタイン准将」

「情報部でミューゼル少将の動きを追って下さい。クラーゼンとの関係はどうか、遠征軍に参加するのか……、それとクラーゼンの総司令部に誰が居るのか、それが知りたい」
「分かりました。調査課の尻を叩きましょう」

「それと、帝国軍の遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストを」
「……分かりました。必ず用意させます」
バグダッシュが緊張した声を出した。おそらくヴァンフリートの事を思い出したのだろう。

俺が知りたいのはラインハルトの覇業を助けた男達が何人参加するかだ。そいつらを殺す、連中がラインハルトの下に集まる前に殺す。何人殺せるかでこれからの戦いが変わってくるだろう。

単なる撃破では駄目だ。シトレにも言ったがやはり殲滅戦を仕掛けなければならない。戦場が問題だな、ティアマト、アルレスハイム、ヴァンフリート……。大軍を動かしやすいのはティアマト、アルレスハイムだが敵を誘引しやすいのは基地が有るヴァンフリートだろう。さて、どうするか……。

 

 

第四十七話 敗戦の余波

帝国暦 486年 1月 20日  オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル



一月十一日にクラーゼン元帥が宇宙艦隊司令長官に正式に親補された。そして反乱軍でも宇宙艦隊司令長官が決まったことが分かった。新しい宇宙艦隊司令長官はシドニー・シトレ元帥、統合作戦本部長からの異動だった。

それを聞いた時、俺も驚いたがリューネブルクは俺以上に驚いていた。統合作戦本部長は帝国で言えば統帥本部総長に相当する。軍令を統括する部署である以上実戦部隊の責任者である宇宙艦隊司令長官よりも格は上と言って良い。その統合作戦本部長が宇宙艦隊司令長官に降格した。

“有り得ん人事だな。ここ最近反乱軍は優勢に戦いを進めている。ロボス元帥が解任されたがそれは彼個人の責任だった、シトレ元帥に関係は無い。それが宇宙艦隊司令長官? 有り得ん……”

その有り得ない人事が起きた。シトレ元帥は以前にも宇宙艦隊司令長官を務めている。その時には第五次イゼルローン要塞攻防戦で並行追撃作戦で帝国軍を味方殺しにまで追い込んだ。厄介な敵だ、少なくとも反乱軍は帝国より宇宙艦隊司令長官の人事で上を行ったようだ。

同時に艦隊司令官の交代も発表されている。二人交代したが新任の司令官はリューネブルクも知らなかった。情報部に確認してみると士官学校を出ていないため人事面では冷遇されていたらしい。それを艦隊司令官に抜擢した、という事は実力を買っての事なのだろう。反乱軍は着々と体制を整えつつある。

クラーゼン元帥は宇宙艦隊総司令部に入り、艦隊司令官、幕僚等の選抜を行っているようだ。基本的にはミュッケンベルガー元帥の幕僚を引き継ぐような人事を行っているため混乱は少ないようだ。少なくとも全くの素人に任せるわけではない。その点は評価できるのかもしれない。そして体制が整えばカストロプ公の処断となる。おそらくその時期は遠くは無いはずだ。

噂ではクラーゼン元帥は早期の出兵を考えているらしい。焦っているようだ。実績を上げて自分の地位を安定させたいのだろう。ヴァレンシュタインはクラーゼンの事は良く知っているだろう。クラーゼンの焦りも当然分かっているに違いない。そして反乱軍のシトレは実績が有るだけに余裕があるはずだ。ヴァレンシュタインとシトレか……、嫌な予感がする。

アルベルト・クレメンツ准将が辺境から帰還した。彼はオフレッサー元帥に挨拶をした後、俺のところにやってきた。話をするならリューネブルクも一緒の方が良いだろう。彼を呼び三人で話をすることにした。長くなるだろう、コーヒーを用意させ、ソファーに座った。

「よく来てくれた、クレメンツ准将。何といってもこの元帥府は装甲擲弾兵の臭いが強すぎる。卿が敬遠するのではないかと心配していた」
俺の言葉にリューネブルグが苦笑を漏らした。

「そんな事は有りません。あの退屈な辺境警備に比べれば天国と言ってよいでしょう」
「安心してくれ、クレメンツ准将。ミューゼル少将は冗談が下手でな、装甲擲弾兵は貴官を差別するようなことはせんよ」
リューネブルクの言葉にクレメンツは笑みを浮かべている。笑顔は悪くない、変な癖のある人物ではなさそうだ。

「これからはこの元帥府も陸戦だけではなく艦隊戦もこなせるだけの陣容を整えたいと思っている。協力してほしい」
俺の言葉にクレメンツは笑顔を大きくした。
「元帥閣下からもミューゼル少将に協力してほしいと言われております。小官に出来る事で有ればなんなりと……」

クレメンツの答えが嬉しかった。だが同時に少し意外な思いがした。オフレッサーも艦隊戦の陣容を整えようとしている。あるいはいずれ宇宙艦隊司令長官、という事が頭に有るのか……。リューネブルクも何やら考え込んでいる。俺と同じ事かもしれない。

「ミュラー大佐とは会ったかな? 卿の教え子だと聞いたが」
「ええ、会いました。良い軍人になりました。キスリング中佐もです」
「そうか、……実は卿に教えてもらいたい事が有る。……エーリッヒ・ヴァレンシュタインの事だ」

俺の問いかけにクレメンツはそれまで浮かべていた笑みを消した。コーヒーを一口飲む。
「何故でしょう?」
「前回のイゼルローン要塞攻防戦だが、ミサイル艇の件、聞いているかな?」

俺の問いかけにクレメンツは頷いた。
「ええ、聞いています。閣下であれば見破るだろうとヴァレンシュタインが警告したと……」

「元帥閣下にあの男と互角と言われた。だが私はそうは思えない。ヴァレンシュタインは私があの作戦を見破ると考えた。だが私はあの作戦をヴァレンシュタインが考えたのだと思ったのだ。本当に互角ならあの作戦はヴァレンシュタインが考えたものではない、そう考えるはずだ……」
「……」

口の中が苦い。負けるという事、それ以上に及ばぬのではないかという思いが口中を苦くする。コーヒーを一口飲んだ、どちらが苦いだろう? 分からなかった。
「あの男は私の事を良く知っている。あるいは私以上に知っているのではないかと思えるときが有る。だが私は彼の事をほとんど知らない、その事がどうしようもなく恐ろしい……」

クレメンツが俺を見ている。嘘は吐きたくなかった。これからは彼の力を必要とする事が多くなるだろう。正直に話そうと思った。
「だからあの男の事を知ろうとした。そしてあの男の事を知る度に怖いと思う気持ちが強くなるのだ、勝てるのかと不安になる。それでもあの男の事を知らねばならないと思う」
恐怖を感じて蹲るか、それとも戦おうとするか……。俺は戦わなくてはならない……。

「……勝つために、ですか」
「そう、勝つために……。いやそれだけではないな、私はあの男をもっと良く知りたいのだと思う。イゼルローンで会ったが不思議な男だった、一体あれはどういう男なのか……」

この男がキルヒアイスを殺した、そう思ったが実感が湧かなかった。俺が勝った、それも思えなかった……。後に残ったのはあの男に対する恐怖だけだった……。そして時が経つにつれてその想いは強くなる。

「……因縁ですな、二人とも未だ階級は低い。しかし帝国を、反乱軍を動かす人間になっている。戦うのは必然ということですか……」
クレメンツが首を振りつつ呟くように吐いた。妙な事を言うと思った。帝国を動かす?

「それはどういう意味かな、准将」
リューネブルクが訝しげにクレメンツに問いかけた。
「今回、クラーゼン元帥が宇宙艦隊司令長官になったのは、元はと言えばミューゼル少将とヴァレンシュタインが原因なのですよ」

思わずクレメンツの顔をまじまじと見た。嘘を吐いている様子は無い、リューネブルクの顔を見た。彼も困惑を顔に浮かべている。そんな俺達をクレメンツが黙って見ている。

「よく分からない、分かるように教えてくれないか、准将」
俺の問いかけにクレメンツはコーヒーを一口飲んでから答えた。
「今回、クラーゼン元帥が宇宙艦隊司令長官になったのは自らそれを望んだからですが、そこにはクラーゼン元帥を焚き付ける人物が居たからです」

意外な話だ。リューネブルクも不思議そうな顔をしている。
「それは?」
「シュターデン少将です」
「シュターデン……、宇宙艦隊総司令部の作戦参謀だが、それが?」
問いかけるとクレメンツは無言で頷いた。

どういう事だ? クラーゼンの宇宙艦隊司令長官就任には俺が関係しているとクレメンツは言っている。そしてシュターデンがクラーゼンを焚き付けた……、だが俺には両者とも接点は無い。何故俺に繋がる? 俺達が困惑しているのがおかしかったのか、クレメンツは微かに苦笑を浮かべている。

「シュターデン少将はお二人を恨んでいるのですよ、そしてヴァレンシュタインの事も……」
「……」

またクレメンツが妙なことを言った。ヴァレンシュタインは敵だから分からないでもない。だが何故俺とリューネブルクがシュターデンに恨まれるのか……。彼とは特に因縁らしきものは無い。リューネブルクも困惑している、つまり彼も心当たりがないという事だろう。

シュターデン少将、不機嫌そうな表情をした男だ。眼の前のクレメンツとは違い癖の有りそうな男に見える。主として参謀として軍歴を重ねてきている。戦場を共にする事は有っても共に戦ったという意識は無い。恨みを買う? 今一つピンとこない。

「彼はヴァンフリートで帝国軍が反乱軍に敗れたのはお二人の所為だと思っているのです」
「……」
リューネブルクを見た、憮然としている。確かに俺達は基地を攻略できなかった、だからと言って帝国軍の敗戦が俺達の所為とは極論……、ではないか、そうか、そういう事か!

「お分かりになったようですな」
「ああ、分かった」
「ミューゼル少将、どういう事だ?」

リューネブルクが俺を見ている。訝しげな表情だ。俺がシュターデンの立場ならやはり俺達を恨むだろう。そして今訝しげな表情をしているリューネブルクを憎むに違いない。

リューネブルクは分からないだろう。あの時、彼は反乱軍の航空攻撃を受け命からがら逃げていたはずだ。周囲を見る余裕などなかったに違いない。だが俺はあの時、味方主力部隊が敗れる所を見ていた……。確かにシュターデンが敗戦の責任は俺達に有ると思うのも無理はない。思わず溜息が出た。

「ヴァンフリート4=2に反乱軍が来た時、グリンメルスハウゼン艦隊は為すすべも無く撃破された。ミュッケンベルガー元帥率いる帝国軍主力部隊は仇を討つべく反乱軍に攻撃をかけた。当初は優勢に攻撃をかけていたんだ、あのままなら勝利を得る事が出来たかもしれない。だが基地からの対空防御システムがミュッケンベルガー元帥を襲った。あれで形勢が逆転した……」

「つまり俺達が基地を攻略していれば帝国軍は負けずに済んだと、シュターデンはそう考えているという事か……」
「そういうことだ」
また溜息が出た。リューネブルクも首を振っている。敗戦の重さというのがひしひしと感じられた。敗戦直後よりも時が経ってたらの方が重く感じる。どういうことだろう……。

「シュターデン少将は敗戦の責任はお二人に有ると考えた。ところが次のイゼルローン要塞攻防戦ではその二人が最大の功績を挙げたと称賛され、総司令部に居た自分は反乱軍の計略に引っかかり要塞に侵入を許したと非難された。ミュッケンベルガー元帥はその責任を取って辞任した……」
「……」

元帥の辞任はそれが理由ではない。だが表面的に見ればその通りだろう。俺も当初はそう思っていた……。

「シュターデンにとって許せなかった事はお二人がオフレッサー元帥の元帥府に招聘されたこと、そしてミューゼル少将の用兵家としての評価が上がったことです。敗戦の元凶にも関わらず軍内部において確実に地位を確立しつつあると考えた」
「……」

用兵家としての評価が上がったか……。味方ではなく敵が評価することで上がった。公論は敵讐より出ずるに如かず、そういうことかもしれない。だが苦い評価だ、俺には少しも喜べない評価だがそれを知る人間はごく僅かだろう……。当然だがシュターデンも知らなかった、知っていればどうしただろう、それでも俺を恨んだだろうか……。

俺の想いをよそにクレメンツの言葉が部屋に流れた。
「そしてオフレッサー元帥を宇宙艦隊司令長官にという話が出た。もし、それが実現すれば新しい宇宙艦隊総司令部はミューゼル少将を中心に編成されると彼は考えた……」
「シュターデン少将はそれが許せなかった、そういう事か……」

クレメンツとリューネブルクの会話が聞こえる。シュターデンは納得がいかなかった。何故ヴァンフリートで失敗した俺が総司令部を仕切るのか……、だからクラーゼンを焚き付け宇宙艦隊司令長官にした……。なるほど確かに今回の人事は俺が引き金になったのは間違いない。

「ヴァレンシュタインが絡んだのもシュターデンを強硬にしたのだと思います」
「どういう事だ、それは」
「シュターデン少将も小官と同時期に士官学校の教官を務めたのですよ」
意外な事実だ、思わずリューネブルクと顔を見合わせた。彼も驚いている。

「しかしヴァレンシュタインの成績やレポートの評価欄にはシュターデンの名前は無かったが……」
リューネブルクが首を傾げながら問いかけた。その通りだ、シュターデンの名前は無かった。有るのはクレメンツがほとんどだ。リューネブルクの問いかけにクレメンツが苦笑交じりに答えた。

「シュターデン少将が彼を嫌ったのですよ。いや、それ以上にヴァレンシュタインがシュターデン少将を嫌ったと言った方が良いでしょうね。おかげで彼に対する評価は小官が行う事になりました」

またしても意外な事実だ、だから評価欄にはクレメンツの名前が多かったのだ。ハウプト中将がクレメンツの名前を挙げたのもその所為だろう。
「……何故そのような事に?」

「……シュターデン少将は戦術にこだわり、戦術シミュレーションでの勝利を重視しました。戦場では戦術能力の優劣が勝敗を決定すると。しかしヴァレンシュタインは戦争の基本は戦略と補給だと考えていたのですよ。戦術シミュレーションでの勝利にこだわる事は無意味であり、有る意味危険だと彼は考えていた」

確かにそうだろう、生き残ることにあれほど執着を見せたヴァレンシュタインだ。戦略的な優位を確立したうえで戦う事を重視しただろうし、それが出来ないなら、勝てないなら退却を選ぶ事を迷わないに違いない。三百敗のシミュレーションがそれを証明している。

「彼の戦術シミュレーションが拙劣なものならば負け犬の遠吠えでした。しかし彼は非常に優秀だったのです。兵站科を専攻した彼が戦略科のエリート達を片端から破った、にも拘らず彼は戦術シミュレーションでの勝利を重視しなかった……。シュターデンは何時しか彼を嫌い疎むようになった」
「……」

部屋に沈黙が降りた。リューネブルクも俺もクレメンツも黙っている。コーヒーを一口飲んだ。冷めかけたぬるいコーヒーだ。苦さだけが口に残った。

「シュターデン少将にとってヴァンフリートの戦いはヴァレンシュタインとミューゼル少将の所為で敗れたようなものでした。そしてイゼルローン要塞攻防戦でも名を上げたのはヴァレンシュタインとミューゼル少将だった……」

「シュターデン少将は私達を許せないと思い、クラーゼン元帥を宇宙艦隊司令長官にした。彼の狙いは自らの手で反乱軍、いや、ヴァレンシュタインに勝利する事か……」
「その通りです」

酷い戦いになる、そんな気がした。実績を上げたがる司令長官と復仇に囚われる参謀……。この二人が組んだ時、一体どんな軍事行動を起こすのか……。積極的というよりは無謀に近い行動をするのではないだろうか? そしてヴァレンシュタインはそれを見逃すほど甘くは無い……。

「酷い戦いになるな……」
思わず呟いていた。そしてリューネブルクとクレメンツが厳しい表情で頷くのが見えた。酷い戦いになる……。







 

 

第四十八話 最悪の予想

宇宙暦 795年 1月25日  ハイネセン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「ではクラーゼン元帥は早い時期に出征するということか」
「おそらくは」
シトレとバグダッシュが話している。シトレは両手を組んで顎を乗せている。お得意のポーズだ。顔には人の悪い笑みが有る。やっぱりこいつは嫌いだ。性格の悪さが顔に滲み出ている。

「好機と見るべきなのかな?」
低く太いシトレの声に周囲の目が俺に集中したが敢えて無視だ。ここはヤンとワイドボーンに答えさせよう。俺には考える事が有る、今日の昼をどうするかだ。

ここの食堂の魚料理はやはり今一つだった。肉が駄目、魚が駄目となれば残りは麺類しかない。中華にするか、洋食にするか。中華で餡かけというのもいいな……、それともスパゲッティか。ここが思案のしどころだな……、餡かけなんか有ったかな?

「……クラーゼン元帥は自分の地位を安定させるため戦果を挙げたいと考えていると我々は推測しています。或る意味焦りが有ると言えるでしょう。そこを上手く突けば大きな戦果を挙げられる、そう我々は考えています」

良いぞワイドボーン、さすが士官学校首席だ。上はそういうそつの無い優等生的な答えを喜ぶものだ。俺が答えると可愛げがないとか身も蓋もないとか言い出すからな……。ここの食堂って和食は有ったかな? 寿司とか有ればそっちでも良いか……。蕎麦とかうどんでも良い。とにかく肉と魚は駄目だ。

「なるほど、確かにそうかもしれない。他に懸念事項は無いのかね?」
懸念事項は有る。肉と魚の傾向からして麺類も余り期待できそうにない事だ。寿司も同様だろう。訳の分らんネタが出てきたらドン引きだ。

ハイネセン特産、深海魚のにぎり……、ゲロゲロだな。だが先ずは試してみる事が大事だ。ここの食堂は麺類が美味い、和食が美味いという可能性は有るのだ。頭から否定するべきではない。

「ヴァレンシュタイン准将はミューゼル少将の動向を気にしています。我々もその点については十分な注意が必要だと考えます」
「情報部はヴァレンシュタイン准将の要請を受けミューゼル少将の動向を鋭意調査中です。また帝国軍総司令部の要員、遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストも判明次第、お渡しします」

ワイドボーンとバグダッシュがシトレに説明している。それは良いんだが、俺の名前を出すな。それとヤン、なんか発言しろ。寝るんじゃない。この会議室にはシトレ、マリネスク、ワイドボーン、ヤン、バグダッシュ、俺の六人しかいないんだ。目立つだろう。事務処理をしろとは言わないから、こんなときぐらいは存在感を出してくれ。

トリューニヒトがまた俺を呼んでくれないかな。野郎の顔なんて見たくないが、あのサンドイッチは食べたい。あれが食べられるならトリューニヒト、レベロ、シトレの三点セットだって十分我慢できる。ホアンがおまけでついても問題なしだ。それにあいつらの顔を見ていると妙に腹が減る。サンドイッチが美味しいんだ。

「ヴァレンシュタイン准将、ミューゼル少将が遠征軍に参加した場合、どの程度危険かね」
俺に聞くんじゃない、俺は目を開けてテーブルを睨んでいるんだ。目を閉じて船を漕いでいる奴に質問しろ。

食堂は止めだ、売店に行ってサンドイッチを買ってこよう。そのほうが良さそうな気がする。飲み物はオレンジジュースだ。それにしてもシトレの野郎、ヤンには甘いんだよな。奴が寝てても文句を言わない。俺なんか夜中一時過ぎまで仕事をさせられるのにえらい違いだ。

やっぱりさっさと昇進させて一個艦隊を預けるべきだ。そうじゃないとヤンはいつまでも非常勤参謀のままに違いない。ついでにフレデリカも付けて公私ともに充実させてやる、寝ている暇が無いくらいにな。幸せ一杯胸一杯だろう。最後はラインハルトと直接対決させて用兵家として最高の幸せを味あわせてやる、頑張れ!

「危険の度合いはミューゼル少将の意見が遠征軍においてどの程度重要視されるかで変わってきます。彼がただの実戦指揮官であると言うのなら厄介ではありますが同盟軍が帝国軍に勝つ可能性は有ります」
「それで?」

「もし彼の意見が全面的に受け入れられるのであれば、同盟軍に勝ち目はほとんどありません。損害を出来るだけ少なくして撤退することを勧めます」
俺の言葉にシトレが苦笑した。他の連中は顔を顰めている。そしてヤンだけは昼寝だ。

ラインハルトは少将に昇進した。率いる艦隊は多分三千隻程度だろう。厄介な存在ではあるが致命的な存在ではない。取扱に注意すれば十分にその脅威には対応可能だ。ラインハルトが実戦指揮官にとどまるのであれば帝国軍に勝つことは不可能じゃない。

「身も蓋も無い言い方だな。他に手は無いのかね」
「そこで寝ているヤン准将がやる気を出してくれれば多少は勝ち目が出ます。起こしますか?」

シトレが渋い表情でヤンを見た。ワイドボーンがヤンを小突く。ヤンが“なんだ?”と言うような表情を見せた。頭痛いよ、これで本当に奇跡が起こせるのか? その方が奇跡に思えてきた……。はやくヤンに一個艦隊を指揮させよう、そうじゃないと俺までヤンを非常勤参謀とか罵りそうだ。

問題は遠征軍司令部が、クラーゼンがラインハルトの意見を受け入れるかどうかだ。多分ラインハルトの意見が受け入れられることは無いと思うんだがな。ラインハルトはエリートからの受けは良くない。ついでに軍上層部からの受けも良くない。彼が孤立しているのであれば問題は無い……。

気になるのはオフレッサーの元帥府にラインハルトが入ったことだ。ラインハルトを無視はできてもオフレッサーは無視できない、クラーゼンがそう考えると多少はクラーゼンに対して影響力が出るかもしれない。多少はだ、絶対的にではない。

他に宇宙艦隊でラインハルトを受け入れそうな人物がいるとすればメルカッツだろう。となるとメルカッツが遠征軍の中でどの程度の影響力を持っているかだ。クラーゼンがメルカッツを協力者として使うか、いずれは自分の地位を脅かすライバルとしてみるか、それによってメルカッツの影響力は違ってくる。

結局のところ遠征軍の総司令部で誰が力を持つかだ。クラーゼンが誰を頼りにするか、誰の影響を受けるか、それで遠征軍の手強さが決まる……。

俺がその事を言うとシトレが溜息を吐いた。
「やれやれだな、となると帝国軍の総司令部がどういう編成になるか、それを待つしかないか……」
「絶対とは言えませんが、それで少しは見えてきます」

味方の強さではなく相手の弱さに付け込んで勝つ。まあ戦争なんてそんなもんだが人間不信になるよな。こんな事百五十年もやってれば相手に対して憎悪しか生まれないって。溜息が出てきた。

結局会議はそれが結論になって終了した。帝国軍の殲滅を狙う以上、相手の姿が見えないとこちらも手の打ちようがない。バグダッシュは調査課の尻を叩くと言っていたが、冗談抜きでひっぱたいてほしいもんだ。

今度の戦いは出来る事なら殲滅戦を仕掛ける。帝国との間に和平を結ぶにはそれしかないということも有るがラインハルトの覇業を助けた連中を排除する必要がある。どう見ても同盟は人材面で帝国に劣る。それを解消するには戦場で補殺しなければならない。

いずれも戦術能力の高い連中だ。正面からの撃破では生き残る確率が高い、となればどうしても包囲するか二方向からの挟撃が必要だろう。何人出てくるか、何人殺せるか、それによって後の戦いが変わる。殺して殺して殺し尽くすか……、うんざりだな。

俺が自分の席に戻ろうとするとバグダッシュが相談したい事があると言ってきた。余り周囲には聞かれたくない話らしい、ということで宇宙艦隊司令部内に有るサロンに行くことにした。アイアースに有ったサロンも広かったが、こっちはさらに広い。周囲に人のいない場所を探すのは難しくなかった。

バグダッシュが周囲をはばかるように声を低めてきた。
「ミハマ少佐の事なのですが……」
「……」
サアヤの事? なんだ、またなんか訳の分からない報告書でも書いたか、俺は知らんぞ。

「彼女はこれまで情報部に所属していました。宇宙艦隊司令部の作戦参謀ではありましたが、あくまで所属は情報部という扱いだったのです」
「……」
まあそうだろうな、身分を隠して情報を入手する。まさにスパイ活動だ。その任務は多分、俺の監視かな。

「しかし本人は納得がいかなかったのでしょう。情報部の仕事は自分には合わない、人を疑うのはもうやめたいと何度か異動願いが出ていたのです。ワイドボーン准将に閣下を疑うなと言われたことも堪えたようです」
「……」

ワイドボーンか、まあ何が有ったかは想像がつく。それに例のフェザーンでの盗聴の件も有った。若い女性には厳しかっただろう。味方だと思っていた人間に裏切られたのだから……。

「彼女は今回正式に宇宙艦隊司令部の作戦参謀になります。情報部は以後彼女とは何の関わりも有りません」
「……」

本当かね、手駒は多い方が良い、本人は切れたと思っても実際には切れていなかった、なんてことはいくらでもある。彼女が協力したくないと思っても協力させる方法もいくらでもあるだろう。

「それを私に言う理由は?」
「彼女を司令部要員として育てていただきたいのです」
「……」

なるほど、そう来たか。関係は切りました、そう言ってこちらの内懐に食い込ませようという事か。しかしちょっと拙劣じゃないのか、見え見えだろう、バグダッシュ。思わず苦笑が漏れた。

「お疑いはごもっともです。しかしこれには何の裏も有りません。信じてください」
はい、分かりました、そんな答えが出せると思うのか? 俺の苦笑は酷くなる一方だ。

「彼女をキャゼルヌ准将の所に送ることも考えました。彼女からはそういう希望も出ていたんです。しかしそれでは閣下の周りに閣下の事を良く知る人間が居なくなってしまう……」
今度は俺のためか……。

「こんな事を言うのは何ですが、閣下は孤独だ。我々がそう仕向けたと言われれば言葉も有りません。だから……」
「だから彼女を傍にと?」

「そうです、他の人間では閣下を怖がるでしょう。彼女ならそれは無いと思います」
「……」
不愉快な現実だな、俺はそんなに怖いかね。まあ怖がらせたことは有るかもしれないが……。

「ミハマ少佐は階級の割に司令部要員としての経験を積んでいません。本人もその事を気にしています。自分が此処に居る事に不安を感じている。彼女を後方支援参謀として作戦参謀として育ててはいただけませんか?」

「育ててどうします?」
「いずれ閣下を理解し、支える士官が誕生する事になります。これからの帝国との戦いにおいて、ミューゼル少将との戦いにおいて、必要ではありませんか」
「……」



宇宙暦 795年 2月 5日  ハイネセン  宇宙艦隊司令部 ミハマ・サアヤ



ここ最近ヴァレンシュタイン准将は星系図を見ている事が多いです。ヴァンフリート、ティアマト、アルレスハイム、パランティア……。次の戦争はそのいずれかで行われると見ているのでしょう。准将が今何よりも知りたがっているのは帝国軍の総司令部がどのような人達によって編成されるかです。

“戦争というのは或る意味心理戦の部分が有りますからね”
准将の言葉ですが、確かに准将ほど相手の心を的確に読んで作戦を立てる人はいません。その事はヴァンフリートで、イゼルローンでよく分かっています。

忙しいです、とっても忙しいです。情報部から開放されほっとしたのもつかの間、私とグリーンヒル少尉はヴァレンシュタイン准将の直属の部下として日々仕事に追われています。これまでやっていた補給関係の書類の確認の他、宇宙艦隊への周知文書の作成、連絡、会議資料の作成等の作業を行っています。

ヴァレンシュタイン准将は私達を鍛えようとしています。有りがたい事です。バグダッシュ大佐の口添えが有ったようですが、准将も忙しいのですから断ることもできたはずです。それなのに私達のために時間を割いてくれる……。グリーンヒル少尉とも話したのですが頑張らなければと思っています。

ここ最近ではヴァレンシュタイン准将の口利きでヤン准将とシミュレーションをしています。ヴァレンシュタイン准将曰く、“自分は忙しいからそこの暇人に鍛えてもらいなさい” 私も少尉も散々な結果ですが大変勉強になります。改めてヤン准将の凄さも理解できました。

三日前はヴァンフリートに基地を造る時の輸送計画の説明をしてくれました。私もグリーンヒル少尉もその複雑さにただただ感心して聞いていると“感心していないで少しは覚えなさい”と怒られました。もっとも准将は声を荒げるような事は有りません。冷たく見据えられるだけです。でもその時は身が竦みます。

今も私とグリーンヒル少尉は身を竦めています。先程バグダッシュ大佐から連絡が有り、帝国側の動きが有る程度分かったらしいのです。もうすぐバグダッシュ大佐が情報を持ってくるのですが、連絡が有ってから明らかにヴァレンシュタイン准将は緊張を漂わせています。

ドアを開けてバグダッシュ大佐が入ってきました。早足でヴァレシュタイン准将に近づいてきます。准将が椅子から立ち上がりました。ワイドボーン准将、ヤン准将も席を立って近づいてきます、やはり関心が有るのでしょう。バグダッシュ大佐が脇に抱えていたファイルをヴァレンシュタイン准将に渡しました。
「帝国軍の司令部の編成が分かりましたぞ」

准将がファイルを受け取り内容を確認します。皆が准将を取り囲みました。
「力を持っているのはシュターデン少将のようです。クラーゼン元帥も彼を頼りにしているとか」

「シュターデン少将……、知っているか?」
ワイドボーン准将が窺うような口調で問いかけました。
「知っていますよ、士官学校では教官でしたからね。お前は戦術の重要性を理解していないと随分嫌味を言われました」

准将はファイルを読むのを止め苦笑していますが、ちょっと驚きです。准将に嫌味を言うような人がいる? とても私には考えられません。帝国には凄い人がいるようです。

「どんな奴だ、出来るのか」
ワイドボーン准将の重ねての問いかけに准将の苦笑がさらに大きくなりました。
「柔軟性は無いですね、常識的な発想が主で臨機応変に対応できない。注意は必要でしょうが恐れる事は無いでしょう。帝国軍が彼の作戦で動くのならその動きを読むことは難しくない」

准将のその言葉に皆が顔を見合わせました。ワイドボーン准将もヤン准将もバグダッシュ大佐も頷いています。ヴァレンシュタイン准将の人物評価が外れたことはこれまでありません。勝てると思ったのでしょう。

「遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストも判明次第お渡しします。もう少しお待ちください」
ヴァレンシュタイン准将は頷くとまたファイルに視線を向けましたが直ぐにファイルをバグダッシュ大佐に差出し訝しげな声を出しました。

「……バグダッシュ大佐、このリストは? 遠征軍の参加者ではないのですか?」
「お気付きになられましたか、彼らはオフレッサー元帥府に新しく参加した人物です。少々気になる名前が有ります、確認していただけませんか……」

その言葉にヴァレンシュタイン准将の表情が変わりました。ファイルを睨み据え厳しい表情をしています。
「どうした、ヴァレンシュタイン?」
ヴァレンシュタイン准将の様子にワイドボーン准将が声をかけました。ヴァレンシュタイン准将が乱暴にファイルを差し出します。

ワイドボーン准将は無言でファイルを受け取ると声を出して読み始めました。
「アルベルト・クレメンツ、エルネスト・メックリンガー、アウグスト・ザムエル・ワーレン、エルンスト・フォン・アイゼナッハ、ナイトハルト・ミュラー、ウルリッヒ・ケスラー……、おい、この名前は!」

ヴァレンシュタイン准将だけでは有りません、ワイドボーン准将もヤン准将もバグダッシュ大佐も厳しい表情をしています。そして多分私も同じ表情をしているでしょう。

以前准将が言った帝国で本当に実力のある人達です。その彼らがミューゼル少将の下に集まりつつある……。元帥府に集まりつつあるという事はオフレッサー元帥の了承の下、集められたという事でしょう。それが何を意味するのか?

おそらくオフレッサー元帥はいずれは自分が宇宙艦隊を率いるときが来ると考えているのだと思います、そのために必要な人材を確保しようとしている。どうやらヴァレンシュタイン准将が言った最悪の予想が現実になりそうです……。




 

 

第四十九話 教官と教え子

帝国暦 486年 1月 31日  オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル



オフレッサーの執務室のドアをノックし中に入ると部屋の主は不機嫌そうな表情で机の上の書類にサインをしていた。俺を認めるとよく来たと言うように頷く、いやそれとももっと早く来いだろうか……、急いでオフレッサーに近寄った。

「トマホークを重いと感じたことは無いがどうしてペンだと重く感じるのかな? どうも肩が凝る……」
「はあ」
ジョークなのだろうか? それとも本心か……。忌々しそうにサインをしている武骨で大きな手、そして小さなペン。その気になればペンなど簡単に握りつぶせるだろう。

オフレッサーがフンと鼻を鳴らした。
「卿は詰まらん男だな、それとも詰まらんのは俺のジョークか……」
「申し訳ありません」
やはりジョークか……。

最近オフレッサーは俺にはよく分からないジョークを言って俺の反応を楽しんでいる。いい加減にしてくれと思うのだが、この親父はそのあたりの空気を読むのが実に上手い。抗議しようと思うとするりと躱す。

「カストロプ公が明日、自領に戻る」
「……」
「公がカストロプにたどり着くことは無い、オーディンからカストロプの途中で事故が起きるだろう」
「!」

思わずオフレッサーの顔を凝視した。オフレッサーが俺を見て頷く。そして忌々しそうに書類を見てサインをした。
「彼のこれまでの悪行を公にし、その罪を償わせるのではないのですか?」
俺の問いかけにオフレッサーは首を横に振った。

「それは出来ん。カストロプ公の罪を公にすれば帝国政府は今まで何をやっていたのかと非難を受けるだろう」
「……」
しかしそれではただの事故死で終わってしまう。一体何のための贄だったのか。贄という発想を認めるわけではない、しかし……。納得できないでいる俺にオフレッサーが言葉を続けた。

「カストロプ公には息子がいる、マクシミリアンと言うのだが彼が公爵家を継ぐことは無い。カストロプ公爵家は潰されることになる、反乱を起こしたとしてな」
「!」

カストロプ公を断罪する、ブラウンシュバイク公とリヒテンラーデ侯の間で決まったと聞いた。それはカストロプ公を裁いて取り潰す事ではなくカストロプ公爵家を反逆者として潰すという事か……。

オフレッサーを見ると彼は静かに頷いた。
「そういう事なのですか……」
「そういう事だ」
「……」
反逆者となる以上、以後カストロプの名は銀河帝国が続く限り忌み嫌われるだろう。断罪、まさにカストロプ公爵家は断罪されることになる。

「カストロプ公の死後、帝国政府はその相続を認めず財務省の調査が入る。不正に蓄財した分を政府に返還させるということだが、マクシミリアンには耐えられまい、反発するはずだ」
「それを帝国に対する反乱として討伐する……」

堪えられない、いや堪えようとしても堪えられないように持っていくのだろう。必要以上にマクシミリアンを挑発し、暴発させる。暴発しないのであればほんのちょっとした言葉尻を捉えて帝国政府に対して叛意有りとする……。マクシミリアンが反乱を起こす、それが前提の調査……。

「いささかあざといような気がしますが」
「あざといか……、他人事のように言うな」
オフレッサーが顔を顰め唸るような声を出した。

「と言いますと?」
「反乱討伐の指揮官はミューゼル少将、卿だ」
「!」

オフレッサーが厳しい表情をしている。自然とこちらも身体が引き締まった。
「反乱が起きるまで一ヶ月とはかかるまい、討伐の準備をしておけ。カストロプはオーディンに近い、カストロプ公は叛意を疑われることを恐れそれほど大規模な軍事力は持っておらん。しかし失敗はもちろん、手間取ることも許さん」
「はっ、承知しました」

「反乱鎮圧に成功すれば中将に昇進だ、率いる艦隊も一万隻となる。既に帝国軍三長官の同意も得ている」
「その艦隊を率いて遠征軍に参加しろという事ですね」
一万隻、それだけの戦力が有れば戦局を左右する事は十分に可能だ。欲を言えばきりがないがそれでもこれまでにない強い立場で俺はあの男と戦えるだろう。

「違う」
「違う?」
意気込みを外されたような気がして思わず問いかけるとオフレッサーは渋い表情で頷いた。

「遠征軍はカストロプの反乱が鎮圧された時点で出征する。卿の艦隊は十分に訓練されていない、足手まといになるから今回の遠征には加えられない」
「……」
「クラーゼン元帥はそう言っている」

クラーゼン元帥というよりシュターデンだろう、俺が邪魔なのだ。ヴァレンシュタインは俺を高く評価している。そのヴァレンシュタインを破り、ヴァレンシュタインなど大したことは無い、彼が評価する俺も大したことは無い、そう言いたいのだ。

愚かにも程が有る、シュターデンはヴァレンシュタインの恐ろしさが分かっていない。いや、分からないからこそクラーゼンを宇宙艦隊司令長官になどと考えた……。

「反乱鎮圧には卿が集めた男達を連れて行け、鎮圧後にはまとめて昇進させる。……少しでも卿らの立場を強くしておく必要が有るからな」
最後は呟くような声だった。もしかするとオフレッサーは自分が艦隊を率いるときの事を考えているのかもしれない。その時のために自分の手勢の立場を強化しようとしている……。

「……閣下、遠征軍は勝てるでしょうか」
俺の問いかけにオフレッサーは即答しなかった、そして溜息を吐いた。
「……勝って欲しいと思っている」

やはりオフレッサーは遠征軍が勝てるとは思っていない。俺が遠征軍に参加できないのもシュターデンの忌諱だけが原因ではないのかもしれない。オフレッサーが俺を温存したという事も有るのだろう……。オフレッサーは次の戦いを半ば以上捨てている、彼の眼は次の次の戦いを見据えているようだ。

「閣下、直ちに反乱鎮圧の準備にかかります」
「うむ、頼むぞ」
「はっ」

執務室を出ると会議室に新たに集めた人間を招集した。ケスラー准将、クレメンツ准将、メックリンガー准将、アイゼナッハ准将、ビッテンフェルト准将、ロイエンタール准将、ワーレン准将、ミッターマイヤー准将、ミュラー大佐。

人材はそろっている。政略面でケスラー、戦略面ではメックリンガー、クレメンツ、実戦指揮官としてアイゼナッハ、ビッテンフェルト、ロイエンタール、ワーレン、ミッターマイヤー、ミュラー。ミュラーを除けば皆二百隻から三百隻ほどの艦隊を指揮している。俺の艦隊と合わせれば五千隻ほどの規模になる。

ミュラーだけはまだ艦隊を指揮していないが俺は彼の能力を疑うつもりはない。キスリングの話ではヴァレンシュタインはミュラーを評して“良将”と言ったらしい。ヴァレンシュタインが言うのであれば間違いはない。他の誰の評価よりも信じられる。

ワーレンとアイゼナッハは俺が呼んだ。この二人は巡航艦ヘーシュリッヒ・エンチェンによる同盟領への単独潜入で知り合った。メックリンガー、ビッテンフェルト、ロイエンタール、ミッターマイヤーはクレメンツが推薦してきた。そしてケスラー……、彼は政略面で頼りになる人物をと探しているとキスリングが推薦してくれた。

「ミューゼル少将、何か有りましたか?」
クレメンツが問いかけてきた。皆も興味深げな表情で俺を見ている。
「次の遠征だが、我々は参加しないことになった」

俺の言葉に皆が顔を見合わせた。
「シュターデン少将の差し金ですか、嫉まれてますな」
ケスラーが苦笑交じりに声を出すと皆が笑い声を上げた。笑えないのは俺だけだ。

「しかしシュターデン少将の指揮で戦わずに済むというのは有りがたい、彼の指揮で戦えば生存率が三割は下がります」
「ミッターマイヤー、卿は優しいな。俺なら五割は下がると言うところだ」
「一応士官学校では恩師だからな、卿もそうだろう、ロイエンタール」
「恩師でなければ七割と言っているさ」
ロイエンタールとミッターマイヤーの軽口に皆が笑った。今度は俺も笑えた。

「俺なら九割と言うところだがな、シュターデンの指揮ではすりつぶされかねん。まして相手はヴァレンシュタインだ、生き残るのは難しかろう」
ビッテンフェルトの言葉に皆が沈黙した。本人は冗談のつもりで言ったのかもしれないが誰も笑えずにいる。分かっているのだ、ヴァレンシュタインの恐ろしさを……。

「まあ武勲を挙げる場を失ったのは残念ですが、ビッテンフェルト准将の言う通り下手に参加するとシュターデン少将に磨り潰される可能性が有ります。敢えて危険を冒す必要はないでしょう」
「いや、ケスラー准将。武勲を挙げる場は有る」

俺の言葉に皆が訝しげな顔をした。
「これは未だ極秘だが、間もなく国内で或る貴族が反乱を起こす」
「!」
皆が顔を見合わせた。緊張した表情をしている。
「討伐軍の指揮官は私だ、卿らにも反乱鎮圧に参加してもらう」



帝国暦 486年 1月 31日  オーディン  ゼーアドラー(海鷲)   アウグスト・ザムエル・ワーレン



「勝てるかな、遠征軍は……」
ミッターマイヤーが呟くと皆がその言葉に顔を見合わせた。ケスラー、クレメンツ、メックリンガー、アイゼナッハ、ビッテンフェルト、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ミュラー、そして俺。あの会議室に居た人間で此処に居ないのはミューゼル少将だけだ。

答えようがなかった。元帥府の中ならともかくゼーアドラー(海鷲)の中では周囲に対して多少憚りは有る。特にオフレッサー元帥府にいる我々は宇宙艦隊司令部の受けは良くない。負けるなどと言ったと知られたらそれだけで大問題になるだろう。

「済まない、馬鹿なことを言ったようだ」
ミッターマイヤーが頭を掻いた。その姿に皆がまた顔を見合わせた。誰かがクスッと笑うとそれを機に皆が苦笑した。ミッターマイヤーも苦笑している。

「まあ俺達に出来るのは遠征軍が無事に戻ってくることを祈ることだけだ。それ以上は遠征軍が自ら決めるだろう」
ロイエンタールの言葉に皆が頷く。確かにその通りだ、冷たいようだが俺達に出来るのは祈ることぐらいしかない。

それにしても無事に戻ってくる事を祈るか……。相変わらず皮肉な物言いをする男だ。ロイエンタールは遠征軍が負けると見ている。その損害が小さい事を望んでいるということだろう。そして皆がそれに頷いている。

今一つ盛り上がらない。遠征軍に参加できないという事が皆の心に引っかかっているのだ。巻き添えにならずに済むという思いと見殺しにする事になるという思いがせめぎ合っている。そう、皆が遠征軍は敗北するだろうと思っているのだ。

入口がざわめいている。視線を向けると数人の男達が入ってくるところだった。クレメンツ准将が微かに顔を顰めている。近づいて来る男達の中に不機嫌そうな表情をした男が居た。シュターデンだ。こちらに気付かなければと思ったがどうやら我々に気付いたらしい。不機嫌そうな表情のまま近づいて来る。そして俺達の席の前で足を止めた。

「残念だな、クレメンツ准将。今回の出征に参加できないとは」
「……」
嫌味な奴だ、黙って通り過ぎれば良いものを……。士官学校の教官時代から変わらない。おかげで皆から嫌われた。

「クレメンツ准将、卿はヴァレンシュタインを高く評価していたな」
「優秀な生徒でした」
「優秀な生徒か……、今では反逆者だ、そして忌むべき裏切り者でもある」
嘲笑交じりの声だった。嘲笑の相手はクレメンツ准将か、或いはヴァレンシュタインか……。

「シュターデン少将、次の戦いは勝てますかな?」
「勝てる、今回は味方の足を引っ張る連中がいないからな。あの小僧に戦術のなんたるかを教えてやろう、楽しみな事だ」
そうクレメンツ准将の問いに答えるとシュターデン少将は笑い声を上げて去って行った。

その後ろ姿にクレメンツ准将が首を振って溜息を洩らした。
「駄目だな、ヴァンフリートで何故負けたのか、何も分かっていない。味方に足を引っ張られた等と……。あの戦いはヴァレンシュタインにしてやられたのだ、それ以外の何物でもないのに……」
「……」

「あれは戦争の基本は戦略と補給だと言っていた。戦略的優位を確立し万全の補給体制を整えて戦う、つまり勝てるだけの準備をしてから戦う……、その男が反乱軍の中枢にいる……」
勝てるだけの準備をしてから戦う、その言葉がやけに大きく聞こえた。当たり前のことではあるがその当たり前のことをどれだけの人間が真摯に行うか……。

「遠征軍が勝てる、いや優勢に戦える方法は?」
勝てる可能性が有りますかと問いかけて慌てて言い直した。俺の問いかけにクレメンツ准将が少し考えてから答えた。

「……イゼルローン要塞を利用した要塞攻防戦だろう。それならお互いに打つ手は限られてくる。大勝利は望めないかもしれないが、撃退することは難しくない。しかし……」

クレメンツ准将が口籠った。難しいだろう、ミュッケンベルガー元帥は前回の戦いで要塞攻防戦を行い不十分な戦果しか挙げられなかった。そして宇宙艦隊司令長官を辞職、退役している。それを思えばクラーゼン元帥にとってイゼルローン要塞での攻防戦は望むところではあるまい。元帥は華々しい戦果を望んでいる……。

「出来る教え子を持つと苦労するな、クレメンツ」
「からかうな、メックリンガー」
クレメンツ准将とメックリンガー准将の遣り取りに皆が笑いを誘われた。クレメンツ准将も苦笑している。しかし直ぐに笑いを収めた。

「優秀な生徒だった、非常に意志の強い、なにか心に期する物があると感じさせる生徒だった。だが私には彼がどのような軍人になるかは想像がつかなかった、まさかこんなことになるとは……」
「……」

「次の戦いの結末を良く見ておく事だ。ヴァレンシュタインがどんな男か、良く分かるだろう。その恐ろしさもな……」
クレメンツ准将はそう言うとグラスを一息に呷った。

四日後、財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ公爵が宇宙船の事故で死亡した。遺児、マクシミリアン・フォン・カストロプが帝国に対して反乱を起こしたのはその約二週間後、二月十七日の事だった。





 

 

第五十話 ヴァンフリート4=2 再び

帝国暦 486年 3月 15日  オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル



「ご苦労だったな、ミューゼル少将。良くやってくれた」
「はっ、有難うございます。皆が良く働いてくれました」
「うむ、そうか。これからも期待できるのだな」
「はい」

カストロプの反乱鎮圧の報告をする俺の目の前でオフレッサーはいかつい顔を綻ばせて頷いている。意外と悪い表情ではない、何処となく可愛げがある。ブルドックが餌を貰って喜んでいるような表情だ。

「それにしても反乱鎮圧に九日か……。実質戦ったのは半日と聞いた、見事だ」
「恐れ入ります」
「ミサイル艇の一件をまぐれと言っていた連中も今回の卿の手腕には一言もないようだ。もう一度言う、良くやった」
「はっ」
嬉しいのは分かるが頼むから肩をバシバシ強く叩かないでくれ、痛いだろう。

マクシミリアン・フォン・カストロプが反乱を起こしたのが二月の十七日。俺が討伐軍の指揮官に任命され約五千隻の艦隊を率いてオーディンを発ったのが三月一日……。本当はもっと早く鎮圧に向かいたかったのだが、あまりに早く動いては最初からカストロプ公爵家を潰すのが目的だと周囲に悟られかねない。出立は三月一日になった。

マクシミリアン・フォン・カストロプは突発的に反乱を起こしたため十分な兵力を用意できなかったはずだがそれでも約七千隻の艦隊を編成し、カストロプ星系の外延部で俺を迎え撃った。自領近くでの会戦を望んだのは自領を離れるのが怖かったのだろう。自分の留守中に部下に背かれるのではないかと不安だったに違いない。

マクシミリアンは兵力差を利用してこちらを押し崩そうとしたが、こちらはそれを逆手に取り縦深陣に引きずり込んでマクシミリアンを叩いた。マクシミリアンの艦隊は耐えきれずに潰走、彼自身は罪が軽くなることを望んだ部下の手で殺され、他の者は降伏した。

反乱鎮圧の要した期間は九日間、オーディンからカストロプまでの六日間、戦闘に半日、残りはカストロプでの事後処理だった。自慢するわけではないが手際よく片づけられたと思う。

「卿は明日付で中将に昇進する。一緒に行った連中も皆昇進だ。至急、艦隊を編成しろ。最優先で用意してもらえることになっている」
「はっ」
分かっていたことではあったが、やはり嬉しかった。ようやく一万隻の艦隊を指揮できる。しかも最優先で用意してもらえるとは……、オフレッサーの影響力の大きさをまた一つ見せられた思いだ。

「遠征軍は既に出征したと聞きましたが?」
「カストロプの反乱が鎮圧されたと知った翌日にはオーディンを発った。シュターデン少将は余程卿の凱旋姿を見たくなかったらしい、大分嫌われているな」
オフレッサーが底意地の悪そうな顔で笑った。今度は悪人面だ、ブルドックが憎々しげに笑っている。酷い顔なのに可愛げのある顔と悪人面と両方が出来るのはどういう訳だろう。

「遠征軍の目的地はどちらに?」
「ヴァンフリートだ」
「ヴァンフリート……」
オフレッサーが頷いた。ヴァンフリート、胸が痛んだ。初めての敗北、キルヒアイスの喪失、あそこで全てが変わった……。

「卿も知ってのとおり、今年になってから反乱軍の艦艇がイゼルローン要塞付近に頻繁に出没している。特にここ二月ほどは酷いな。実害は出ていないが鬱陶しい存在であることは間違いない。反乱軍がイゼルローン要塞を攻略する前準備ではないか、徐々にではあるがイゼルローン回廊の制宙権の確保が危うくなるのではないかという声も上がっている」

オフレッサーの言葉に俺は頷いた。
「ヴァンフリート4=2の基地が反乱軍の戦略拠点になっている事は間違いない。今回の遠征軍の狙いは二つ、一つはヴァンフリート4=2の基地を潰す事、そしてもう一つはそれを阻止しようとするであろう反乱軍の艦隊を撃破する事だ」

おかしな考えではない、最前線にある敵の基地など厄介な存在でしかない。出来る事なら早期に排除すると言うのは当たり前の考えだ。しかしシュターデンには前回のヴァンフリートでの敗戦の雪辱をしたいという思いが有るはずだ。それをうまく反乱軍に利用されたという事は無いのだろうか。

「罠という事は考えられませんか?」
「反乱軍がこちらを誘っているという事か?」
オフレッサーが顔を顰めた。しかし意外そうな表情をしていない、つまりオフレッサーも似た様な事は考えたのだろう。敵は頻繁に艦艇をイゼルローン方面で動かし帝国を挑発している……。

「ヴァンフリート4=2の基地を巡っての攻略戦、艦隊決戦となれば前回の戦いと同じ展開になります。反乱軍がもう一度基地を利用して帝国軍を誘引しようとしている、そうは考えられないでしょうか」
自分で言っていてなんだがどうにも違和感が有る。ヴァレンシュタインが同じ戦場で同じ手を続けて使うだろうか?

「確かにその点は遠征軍の司令部の中でも検討されたらしい。だが罠と知らずに行くのと罠と知って行くのは違う。それに敵が艦隊決戦を望むのであればむしろ好都合だろうと遠征軍は考えている。何と言っても敵は基地を守らねばならんのだ、その分だけ行動が制限されるだろう」

基地を守るか……。行動が制限される……。
「反乱軍が基地を放棄するという事は考えられないでしょうか?」
「基地を放棄する? ヴァンフリート4=2の基地をか?」
「はい」

オフレッサーが手を顎にやった。顎を撫でながら考えている。俺は突拍子も無い事を言ったつもりはない。ヴァンフリート4=2の基地は存在そのものは厄介ではある。だが厄介ではあっても危険ではないのだ。あの基地の存在がイゼルローン要塞を危うくするようなことは無い。

前回の敗戦の所為だろうが遠征軍は、いや帝国軍は必要以上にあの基地を過大評価しているのではないだろうか。反乱軍があの基地を放棄するとなれば反乱軍はその行動においてなんら制限されることは無い。むしろ基地を破壊するという目的を持つ分だけ帝国軍は動きを読まれやすくなる。

ヴァンフリート星系は決して戦いやすい場所ではない。前回の戦いでは味方の艦隊の位置を確認する事すら出来なくなった。それほど戦い辛い場所だ。しかし相手が何処に向かうかが分かってさえいればある意味伏撃をかけやすい場所だともいえる。

ヴァレンシュタインはそれを狙っているとは考えられないだろうか。だからここ二ヶ月ほど反乱軍の動きが積極的なのだ。ヴァンフリート4=2の基地を必要以上にこちらに印象付けようとしている。攻撃対象と認定させるために……。帝国軍を引き寄せるために……。

「その場合は、反乱軍の狙いは……」
「遠征軍の撃破、ではないかと考えます」
オフレッサーが大きく頷いた、そしてフンと鼻を鳴らす。頼むからそれは止めてくれ、うつりそうで怖い。

「……有りえん話ではないだろうな。基地が必要なら遠征軍を撃破した後、もう一度造れば良いのだからな……。分かった、遠征軍には軍務尚書から警告を発してもらおう」

オフレッサーがそれで良いか、と言う風に俺を見たので頷いた。実際それがどの程度の意味を持つかは遠征軍司令部の判断次第だ。それ以上の事はこちらには出来ない。だが彼らの頭の片隅にでもあれば多少は違うだろう。敵が必ず基地を守るなどという固定観念を持たれるよりは遥かにましだ。

「ミューゼル少将、艦隊を編成したらすぐ訓練に入れ。出来るだけイゼルローン回廊に近い辺境で行うのだ」
「遠征軍が危険だとお考えですか?」
俺の問いかけにオフレッサーは首を横に振った。

「分からん……。あくまで念のためだ……。何もない事を俺は大神オーディンに祈っている」
念のため、しかし訓練には直ぐ入れと言った。そして場所は辺境……。

戦争に関してこの親父のカンが外れる事は滅多にない、そうでなければイゼルローンで俺達の進言を受け入れて伏撃など実施する事は無かったはずだ。理屈では無い、感覚で戦争というものを把握している。そのオフレッサーが事態をかなり危険だと考えている。急ぐ必要があるだろう、俺も嫌な予感に捉われている。直ぐに艦隊を編成しなければならない。



帝国暦 486年 4月 27日 08:00 ヴァンフリート4  帝国軍総旗艦 ヴィーダル   シュターデン



遠征軍は順調にヴァンフリート4=2の反乱軍の基地に向かって進んでいる。三月上旬にオーディンを出立、イゼルローン要塞で補給及び休息を取り、要塞司令官シュトックハウゼン大将、駐留艦隊司令官ゼークト大将より反乱軍の動向を確認した。

両大将の話では反乱軍は相変わらず艦艇をイゼルローン回廊内に送り込んでくるとのことだった。実際に遠征軍も何度か回廊内で反乱軍の艦艇に接触している。そしてそれはヴァンフリート星域に着くまで続いた。敵、いや反乱軍はかなりこちらの動向に神経質になっている。

「シュターデン少将、ヴァンフリート4=2の反乱軍の基地まであとどのくらいかな?」
「はっ、約三時間程度かと思います」
「ふむ、反乱軍の艦隊の動向は?」
「未だ分かりません」

クラーゼン元帥が渋い表情をした。反乱軍以上に神経質になっているのがクラーゼン元帥だ。反乱軍の動向が分からないことが不安らしい。まあ無理もない事ではある、戦場に出ることなど久しぶりなのだからな。だから何かと私を頼ってくる。こちらとしては願ってもない事で思うように指揮を執れるのだが何とも鬱陶しい。

「ご安心ください、周囲には哨戒部隊を出しております。彼らからは反乱軍の哨戒部隊との接触を告げる報告は有りますが、それだけです。反乱軍の艦隊についての報告は未だありません。連中が哨戒部隊に気付かれずに艦隊に接近することは不可能です。おそらく反乱軍は手をこまねいているのでしょう」

「そうだな」
私の言葉にクラーゼン元帥が同意した。どちらかと言えば自分を納得させようとしているような口調だ。まだ十分に納得はしていない、もうひと押し必要だろう。

「オーディンから連絡が有りましたが、或いは反乱軍は基地を囮として使い我々を誘引して不意を衝こうと考えているのかもしれませんが、十分に警戒態勢をとっていれば不意を衝かれるようなことは有りません。必要以上に恐れる事は無いと考えます」
「うむ、その通りだな、少将」

クラーゼン元帥が大きく頷いた。どうやら安心したようだ、敵と戦うよりも味方を宥める事の方が手がかかるとは……。心配はいらないのだ、味方の兵力は五万隻を超える、我々を攻撃しようとすれば反乱軍もそれなりの兵力を用意しなければならない、となれば味方の哨戒部隊に引っかからずに艦隊に接近することは不可能だ。

三時間後、ヴァンフリート4=2を間近に捉えても反乱軍の艦隊は現れなかった。どうやら反乱軍は基地を放棄するらしい。或いはこちらの艦隊に隙が無いため襲撃できず放棄せざるを得なくなったか、もしかすると連中の兵力はこちらよりも少ないのかもしれない、それが原因で思い切った行動が取れずにいる……。まあどうでも良い、あの忌々しい基地がなくなるのであればな。

「シュターデン少将、反乱軍はやはり基地を放棄したようだな」
「はっ」
「反乱軍の艦隊が近くにいるかもしれん、警戒を厳重にするように命令してくれ」

ウンザリした、哨戒部隊を出しているのにこれ以上何を警戒するのだ。実戦経験が少ないからというより臆病なのだろう。怯える事よりも敵が何故攻撃を仕掛けてこないかを少しは考えてくれ、所詮は儀礼式典用の飾り物か、真の軍人では無い。

「承知しました、哨戒部隊に注意しておきましょう。元帥閣下、反乱軍の基地に対して攻撃命令を頂きたいと思いますが」
「うむ、攻撃を許可する」
「はっ。オペレータ、全艦に命令、対空防御システムに注意しつつヴァンフリート4=2の基地を攻撃せよ。さらに哨戒部隊には警戒を厳重にするようにと伝えろ」

艦隊に攻撃命令を出すと艦隊が基地に近づき攻撃を開始した。五万隻を超える艦隊が攻撃するのだ、瞬時にして基地は破壊された。あっけない結果に皆白けたような表情をしている。艦隊はそのまま基地から少し離れた場所にある飛行場を攻撃したがこちらも瞬時にして破壊された。

他愛無い結果だ、何故こんな基地の攻略にグリンメルスハウゼン艦隊は、あのミューゼルの小僧は手間取ったのだ。あいつらが自分の仕事をきちんとしていればあの敗戦は無かったのだ、何が天才だ、役立たずが!

クラーゼン元帥を見た。破壊された基地を、飛行場を見て他愛なく喜んでいる。まだ今回の遠征の目的の半分しか、それも容易い方しか達成していない、それなのに他愛なく喜んでいる。一体何を考えているのか……。

問題はこれからどうするかだ、反乱軍が何処にいるか……、こちらから積極的に索敵するか、それとも哨戒部隊の報告を待つか……。敵が発見できないようであればより反乱軍の勢力圏内奥深くに侵攻するというのも選択肢の一つだろう。敵中奥深く侵攻し否応なく反乱軍を決戦の場に引き摺り出す……。戦場はティアマトか、アルレスハイムか……。

「イゼルローン要塞より緊急入電です!」
オペレータの緊張した声に皆の視線が集中した。イゼルローン要塞? 何が有った?
「反乱軍が大軍をもって襲来! 至急来援を請う!」
悲鳴のような声だった。その声に艦橋が凍りつくのが分かった。

皆、誰も声を出さない。出さないのか、それとも出せないのか……。イゼルローン要塞が落ちれば遠征軍は反乱軍の勢力圏内に取り残されることになる。イゼルローン回廊には要塞と要塞を攻略した艦隊が待ち受けているはずだ。無理に押し通ろうとすれば遠征軍は手酷い損害を受けるだろう。しかし、それを恐れて愚図愚図すれば敵中で補給切れという事になりかねない。

「シュ、シュターデン……」
総司令官がそのような情けない顔を周囲に見せるな! 馬鹿者が!
「落ち着いてください、元帥閣下」
そうだ、まず落ち着くのだ。この男の所為で慌てる事が出来ない。良い事なのだろうが、腹立たしさが募る。

「しかし」
「イゼルローン要塞は難攻不落です。そう簡単には落ちません。八日、八日持ち堪えれば我々と駐留艦隊で反乱軍を挟撃できます」
「そ、そうだな」
思わず強い口調で話した私に阿るようにクラーゼンが同意した。本来なら逆だろう、慌てふためく我々をお前が窘めるのだ。それなのに……。

「それに、これが反乱軍の罠ということも有り得ます」
「罠だと?」
キョトンとしたクラーゼンの表情に驚くよりも呆れる思いだった。この程度の事も考えつかないとは……。私が焚き付けたとはいえ、良くも宇宙艦隊司令長官になろうと考えたものだ。

「オペレータ、先程の通信だが間違いなくイゼルローン要塞からのものか?」
「それは、通信はあまり良い状態では有りませんでしたので……」
オペレータは自信がなさそうだった。事が事だ、慎重になっているのかもしれない。

「判断が出来ないか」
「はい、申し訳ありません」
言葉だけではなく真実申し訳なさそうにオペレータが答えた。やはりそうか、オペレータは確証が持てずにいる。罠の可能性が有ると見て良い。

「シュターデン少将、これは反乱軍の罠なのか?」
「分かりません、ヴァンフリートは通信の送受信が極めてしづらい星域です。反乱軍がこちらを混乱させようと偽電を仕掛けた可能性は有ります。それを想定して動かなければならないでしょう」
クラーゼンが不安そうな表情を見せた。罠の有無などどうでもよいのだ、この場合は罠が有ると考えて行動しなければならない。

「では、どうする」
「先ずヴァンフリート星域から離脱します。罠の可能性が有りますから離脱には十分な注意が必要です。そして通信の真偽を確かめます。真実であればイゼルローン要塞へ至急戻らなければなりません。偽りであれば、敵が近くにいる可能性が有ります、引っ掛かった振りをして敵を待ち受けましょう」

断定はできないがおそらくは偽電だろう。ここからイゼルローン要塞までは八日も有れば戻る事は可能だ。イゼルローン要塞を攻略するには時間が足りない。リスクが大きくそれに比べて成功の可能性は決して大きくは無い。

余りにも無謀すぎる。おそらくは我々が慌てて戻ろうとするところを後背から奇襲をかける、そう考えているはずだ。それならば十分に対処は可能だ。問題は先程の通信が事実であった場合だろう。反乱軍がリスクを理解したうえで要塞攻略を選んだとなるとそれなりに成算があると見なければならない。その成算とは何か……。

反乱軍の艦艇がイゼルローン要塞を出立後何度も接触してきた。あれはこちらの目をヴァンフリートに向けるためだったのか。こちらの目がヴァンフリートに向いている間に反乱軍はティアマト、アルレスハイムのどちらかからイゼルローン回廊に侵入した……。

「もし、通信が真実として反乱軍がイゼルローン要塞に押し寄せていた場合、要塞は我々が戻るまで持つか?」
そんな事は反乱軍に訊いてくれ、どうやって落とすのか教えてくださいとでも言ってな!

「先程も言いましたがイゼルローン要塞は難攻不落です。必ず我々の来援を待っています。急いで戻りましょう」
それ以外我々に何が出来ると言うのだ、分かりきったことを訊かないでくれ。

偽電でなかった場合、反乱軍は短期間に要塞を攻略する成算が有ると見なければならない。となればイゼルローン要塞が落ちている可能性はある。だからこそ急がなくてはならない。落ちた直後なら反乱軍は十分な防衛体制を取れていないはずだ、そこを衝いて要塞を奪回する。十分に可能だ。時間が全てを決めるだろう。急がなくてはならない。

 

 

第五十一話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その1)

帝国暦 486年 4月 27日 07:00 イゼルローン要塞  トーマ・フォン・シュトックハウゼン



司令室には緊張感と不安感が漂っていた。オペレータ達は忙しそうに仕事をしているが参謀達は皆押し黙ったまま口を開こうとはしない。時折視線を交わしているだけだ。

司令室のドアが開きイゼルローン駐留艦隊司令官、ハンス・ディートリッヒ・フォン・ゼークト大将が参謀達を連れて入ってきた。その瞬間私の周囲に居る参謀達が顔を顰めるのが見えた。しようの無い奴らだ!

このイゼルローン要塞には要塞司令官の私と駐留艦隊司令官のゼークト大将がいる。我々には上下関係は無い、イゼルローン要塞の防衛戦において我々は同格の立場で反乱軍と戦うことになる。

同じ職場に同格に大将が二人いるのだ、当然だが仲は良くない。いやそれ以上に周囲の参謀達の仲が悪い。顔を顰める事など日常茶飯事で驚く様な事でもない。

ゼークト大将がこちらに早足で近づいてくると噛み付くような声で問いかけてきた。
「緊急の呼び出しとは穏やかではないな、一体何が有ったのだ」
言外につまらぬ事で呼び出したのならタダでは済まぬと言っているのが分かる。部下の前だからといって凄む事もないだろう。

「回廊内に反乱軍がいるようだ、あと六時間もすれば肉眼で見える様になるだろう」
私の言葉にゼークトの眉が跳ね上がった。彼の参謀達も驚きを露わにしている。
「馬鹿な、どういう事だ、それは」

「先程、駆逐艦ヴェルフェンから緊急連絡が入った。“反乱軍の艦隊を発見、規模、約五万隻”、その直後連絡が途絶えた。こちらから呼びかけても応答は無い。おそらく撃沈されたのだろう」
「……」

ゼークトが部下達と顔を見合わせている。信じられないという思いが有るのだろう。自分も同感だ、反乱軍はヴァンフリートで遠征軍を待ちうけているのではないかと思っていた。だがどうやら違ったらしい。彼らの狙いはイゼルローン要塞の攻略だ。

「私の独断で遠征軍、そしてオーディンに通報を入れた。至急来援を請う、とな」
ゼークトの眉がまた上がったが何も言わなかった。“俺に断りもなしに”などと言っている場合ではないと思ったのだろう。その点は認めてやる、良く抑えた。

「……オーディンはともかく、遠征軍には届くかな?」
ゼークトが覚束なげな表情で問い掛けてきた。思わず自分の口元が歪むのが分かった。確かにその点については不安が有る。

「十分おきに通信を送れとオペレータには言ってある」
「そうか……」
「遠征軍が戻るまで八日はかかるだろう。足止めを食らえばさらに日数は延びる」

私の言葉にゼークトが顔をしかめた。
「つまり、最低でも八日は我々だけで五万隻を率いる反乱軍と対峙しなければならんということか」
「そういうことになるな」

「他愛も有りませんな。イゼルローン要塞は難攻不落、恐れる必要など全くありません。しかも十日にも満たぬ期間を守れば良いのです。反乱軍は六度の敗戦が七度の敗戦になるだけです」
要塞司令部の参謀が詰らぬといった風情で大言壮語した。しかしそれを咎める人間はいない。皆同意するかのように頷いている。

誰もがイゼルローン要塞の堅牢さを信じ切っているのだ。“イゼルローン回廊は反乱軍兵士の死屍をもって舗装されたり” 帝国軍兵士が好んで使う言葉だ。私が問題提起をするほかあるまい。

「私はそうは思わんな、反乱軍を甘く見る事は危険だ」
「閣下!」
何人かの参謀が私を咎めるように声を出した、主に私の部下だ。残りは冷たい視線を向けている。

「どういう事かな、要塞司令官」
ゼークトが低い押し殺したような声で問いかけてきた。どうやらこの男も私の意見に不満のようだ。

「反乱軍が何の勝算も無しにイゼルローン要塞に押し寄せてくることは無い。前回はミサイル艇による攻撃、前々回は並行追撃作戦を考案してきた。二度とも失敗したが我々は危険な状態にまで追い込まれたのだ、油断はできない」
周囲を見渡したが皆不満そうな表情をしている。要塞の堅牢さを否定されたことがそんなにも面白くないのか。

「しかし、今回は僅か八日守れば……」
「だから危険なのだ!」
抗議しようとする参謀の口を封じた。こいつらは全くわかっていない。
「遠征軍が早ければ八日で戻ってくることは反乱軍とて分かっているはずだ。にもかかわらず要塞を攻略しようとするのは何故か?」

「……反乱軍は要塞を落とす自信が有る、卿はそう言いたいのだな」
「その通りだ、ゼークト提督。或いはかなりの長期間、遠征軍を足止めする自信が有るのだろう。そう考えて対処するべきだと思う」
「うむ」

最悪の場合は足止めどころか全滅という事も有るだろう。だがそれをここで言えば混乱するだけに違いない。今言えるのはこれが限度だ。ゼークトが腕を組み俯いて考え込んでいる。どうやらこの男も反乱軍が危険であることは理解したらしい。まあこの程度の事を理解できないようでは最前線の指揮官など務まる筈もない、当然か。ゼークトが腕を解いた。

「艦隊は要塞の外に置く、要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内にて待機、反乱軍の動きを見る。直ちに準備にかかれ」
「はっ」
ゼークトの部下たちが敬礼をすると司令室を出て行った。それを見送ってからゼークトが私に視線を向けてきた。

何を話しかけてくるのか、或いは何を話すべきなのか、そう考えているとゼークトが声をかけてきた。
「反乱軍が要塞を攻略しようとすれば艦隊の無力化を図る可能性が有るだろう。要塞内に艦隊を保全した場合、メインポートを破壊されれば艦隊の出撃は出来ん。要塞司令官である卿を信用しないわけではないが、艦隊は出撃し反乱軍の動きに対応しようと思うが?」
一応こちらに了解を取ろうという気持ちが有るらしい。さすがに不安なのだろう、協力体制を取りたいという事か。

「承知した。こちらは要塞内に陸戦隊を配備する。また反乱軍がミサイル艇で攻撃してこないとも限らんからな」
「うむ、出来る限り反乱軍の動きを牽制するつもりだが、本格的な反撃は遠征軍が戻ってからになるだろう」
問題は無い、変に突撃されるよりもはるかにましだ。

「戻ってくると思うか?」
自然と小声になった。ゼークトは厳しい目で私を見たがそれだけだった。彼も不安に思っているのだろう。

オペレータが躊躇いがちに声をかけてきた。
「閣下、オーディンから連絡が」
「……分かった」

スクリーンにエーレンベルク、シュタインホフ両元帥の姿が映った。敬礼をすると向こうも答礼してきた。
『遠征軍との間に連絡はついたか?』

エーレンベルク元帥の言葉に視線をオペレータに向けるとオペレータは首を横に振った。
「残念ですがまだ連絡がつきません。こちらの送信を受信したかどうかも不明です」

私の言葉に両元帥の顔が歪んだ。私の責任ではないがそれでも身の置き所が無い思いだ。ゼークトも同様なのだろう、面目なさそうな顔をしている。

『こちらからも増援を送る』
シュタインホフ元帥が苦虫を潰したような表情で言葉を出した。
「増援ですか、しかしオーディンからでは」

オーディンからでは此処まで来るのに四十日はかかる。増援が来るまでに要塞攻防戦は終わっているだろう。今回のような急場には役に立たない。ゼークトも同じ思いなのだろう、眉を寄せて何か言いたそうな表情をしている。

『卿の言いたい事は分かる。今現在ミューゼル中将の艦隊がボーデン星系で訓練を行っている、兵力は約三万隻、至急そちらに向かうように指示を出した。約二週間でそちらに着くはずだ』

二週間、遠征軍が八日で戻ればこちらが優勢になった時点でミューゼル中将がイゼルローン要塞に着くことになる。反乱軍は間違いなく撤退するだろう。しかし遠征軍が足止めを食らえばミューゼル中将の艦隊が先に要塞に来る可能性が高くなる。

約三万隻の艦艇……、かなり状況は改善する。駐留艦隊と合流すれば帝国側が有利になるだろう。つまり八日ではない、最低二週間を耐える覚悟をする必要が有るという事だ。不満に思うな、当てにならない八日よりも確実な二週間だ。場合によっては遠征軍は反乱軍に敗れ戻って来ない可能性も有るのだ。

オーディンは最善の手を打ってくれている。我々は不利な状況にあるが孤立してはいない。気を強く持て。ゼークトも何度か頷いている、増援が来る目処がついたことで精神的に楽になったのかもしれない。

「了解しました、迅速な御手配、有難うございます」
私が両元帥に礼を言うとゼークトも礼を言った。それを聞いてからエーレンベルク元帥が厳しい表情で我々を注意した。

『後は遠征軍が戻るのを待つのみだ、それまでの間、両名は協力してイゼルローン要塞を守れ』
「はっ」

やれやれだ、そう思うのなら指揮系統を統一してほしい。同じ職場に同格の司令官を置くなど嫌がらせにしか思えん。毎回反乱軍が押し寄せる度に協力して戦えと注意するつもりか? 馬鹿げているだろう、隣にいるゼークトの顔を見て思わず溜息が出そうになった……。



帝国暦 486年 4月 27日 08:00   ボーデン星系   ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー ラインハルト・フォン・ミューゼル



「それにしてもイゼルローン要塞を攻略とは……」
「意表を突かれましたな、参謀長」
ケスラーとクレメンツが話しているのを聞いて思った。同感だ、確かに意表を突かれた。

中将に昇進後、一万隻の艦隊を率いる事になった。その他にメックリンガー少将、アイゼナッハ少将、ビッテンフェルト少将、ロイエンタール少将、ワーレン少将、ミッターマイヤー少将が三千隻を率いている。ミュラー准将は俺の艦隊の分艦隊司令官として三百隻を率いる事になった。

司令部の要員も新たに編成しなおした。当初メックリンガーを参謀長にという事も考えたがケスラー、メックリンガー、クレメンツと話し合い参謀長にケスラー、副参謀長にクレメンツと言う布陣になった。

政略面でケスラー、戦略戦術面でクレメンツ、そういう事だ。ケスラー、メックリンガーという組み合わせも考えたがクレメンツの方がヴァレンシュタインの事を良く知っているという事でケスラー、クレメンツの組み合わせになった。

皆、真の敵が誰なのか分かっている。今回の反乱軍の動きもあの男の考えだろう。遠征軍の撃破と見せかけて、イゼルローン要塞の攻略を狙っていた。
「問題は遠征軍が何時イゼルローン要塞に戻ってくるかだが……」
ケスラーの言葉にクレメンツが顔を顰めた。おそらくは俺も同様だろう。

「卿らは遠征軍が戻って来られると思うか?」
「……」
俺の問いかけにケスラーもクレメンツも黙して答えない、いや答えられない。

皆、厳しいだろうと考えているのだ。当然だが反乱軍、いやヴァレンシュタインは戻ろうとする遠征軍を足止めしようとするはずだ。かなりの大軍を動かしているだろう、遠征軍は簡単にはイゼルローン要塞には戻れない、時間だけが過ぎてゆくことになる。

「時間が経てば経つほどイゼルローン要塞が陥落する可能性が高くなる。遠征軍には焦りが出るはずだ」
俺の言葉にケスラー、クレメンツの二人が頷いた。イゼルローン要塞が落ちれば遠征軍は帰路を断たれる。その恐怖感は時間が経つにつれ大きくなるだろう。

「当然ですが遠征軍は無理をしてでも撤退しようとするでしょう」
「こちらも当然ですが反乱軍はそこを撃つはずです」
「手酷い損害を受けるだろうな」
遠征軍の来援は期待できない、場合によっては敗残兵となって戻ってくる可能性も有る。思わず溜息が出た。

「あの男らしいやり方だ。戦力的に優位を築くだけではなく、相手を精神的に追い詰めて行く。そして気が付けばあの男の掌の上で踊らされている。ヴァンフリートで嫌と言うほど思い知らされた」

俺の言葉にケスラーとクレメンツが顔を見合わせた。二人とも深刻な表情をしている。ヴァンフリートで俺が味わったあの思いを分かって貰えただろうか。しばらくの間沈黙が落ちた、そして空気が重くなっていく。

「彼にとって誤算が出るとしたら我々の存在でしょう。二週間、イゼルローン要塞が堪えてくれれば要塞を守ることは可能です」
ケスラーが重苦しい空気を振り払うかのように明るい予測を口に出した。だが遠征軍の事は触れていない。偶然か、それとも既に見切っているのか……。

「参謀長の言うとおりですが戦う事は出来るだけ避けるべきです。今の艦隊の状態では戦闘はリスクが大きすぎます。要塞、そして駐留艦隊と協力しつつ反乱軍を打ち破るのではなく彼らに撤退を選択させる、その方向で戦うしかありません」

クレメンツの言う通りだ。この艦隊は未だ十分に訓練を積んでいるとは言えない。後二週間、いや一週間欲しかった。シュターデンが俺達がカストロプから戻るまで出立を待っていてくれれば……、また溜息が出た。

そうであれば艦隊の状態にもう少し自信を持てただろう。戦闘にも自信を持てたはずだ。どうにも上手く行かない、ケスラーは俺達の存在がヴァレンシュタインにとって誤算だと言っていたが本当にそうなのか、どこかチグハグな感じがしてならない。

「今我々が最優先ですべきことはイゼルローン要塞に向かう事、駐留艦隊と合流することです。急ぎましょう。向かっている途中で要塞から詳しい情報も入るはずです。戦闘の予測はそれからにした方が良い、今ここで考えても不確実な情報では不安感が増すばかりです」

ケスラーの言葉にクレメンツが頷く。確かにその通りだ、今ここで悩んでも仕方がない。出来る事を一つ一つ片付けていく、先ずはイゼルローンへ急ぐことだ。その事があの男の誤算になることを信じよう……。


 

 

第五十二話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その2)

帝国暦 486年 4月 27日 13:00 イゼルローン要塞  トーマ・フォン・シュトックハウゼン



「司令官閣下!」
オペレータが緊張した声を上げた。おそらくは反乱軍の艦隊を確認したのだろう。五万隻の大軍、落ち着け、周囲に不安を与えるような言動はするな。

「どうした?」
「反乱軍を確認しました、規模、約七万!」
「七万だと……」
気が付けば呻くような声が出ていた。周囲にも小声で話し合っている部下がいる。そしてオペレータは蒼白な顔をしていた。

「スクリーンに映します!」
オペレータの掠れるような声と共にスクリーンに反乱軍の大軍が映った。見たことも無いような大艦隊だ。七万隻、その数字が実感できた。

「オーディンへ連絡を入れろ、ミューゼル中将にもだ」
「はっ」
「それと遠征軍にも伝えるのだ」
「ですが、遠征軍は」

遠征軍にはまだ連絡がつかない。こちらの通信を受信しているのかもしれないが、向こうから返信が無い。いや、反乱軍が通信を妨害している可能性も有るだろう。となれば遠征軍はまだこちらの状況を知らないのかもしれない。背筋が凍りつくような恐怖感に襲われた。落ち着け、私は要塞司令官なのだ、落ち着くのだ。

「オペレータ、これまで通り、遠征軍には十分おきに連絡を入れるのだ、そこに敵情を追加しろ」
ゆっくりと、そしてはっきりと指示を出した。オペレータが大きく頷いた。

「はっ」
「それと念のため、ゼークト提督にも伝えるのだ」
「ゼークト提督にもですか?」
「そうだ、ゼークト提督にもだ。忘れるな」

オペレータが手分けしてオーディン、ミューゼル中将、遠征軍、そしてゼークトに連絡を入れ始めた。おそらくゼークトは既に知っているだろう。だが連絡を入れたという事が大事なのだ。協力体制を執る、口だけではなく姿勢を示さなければならない。相手は七万隻の大軍なのだ、間違いは許されない。

七万隻、その事が胸に重くのしかかってきた。反乱軍がイゼルローン要塞攻略に七万隻もの艦艇を動員したことは無い。本気という言い方はおかしいが反乱軍が今回の攻略戦にかなりの覚悟で臨んでいるのは間違いない、要塞攻略の成算もあるのだろう。胸が痛むような緊張感が襲ってきた。

「反乱軍の陣容を調べてくれ、一体誰が艦隊を指揮しているのかを知りたい」
「承知しました」
慌てるな、七万隻とは言っても数を揃えただけという事も有るだろう。誰が艦隊司令官として参加しているのか、そこまで確認すべきだ。

この七万隻が囮という事も考えなければならない。もし遠征軍がイゼルローン要塞が七万隻の大軍に攻撃を受けていると知れば、気もそぞろで撤退するに違いない。当然後背に対する注意も疎かになるはずだ。それを狙っているという可能性も無いとは言えないだろう。

反乱軍で精鋭部隊と言えば、第五、第十、第十二艦隊だ。司令官はビュコック、ウランフ、ボロディン。彼らが参加しているようなら間違いなく反乱軍は本気でイゼルローン要塞を落とそうとしている。要塞は危険極まりない状況に有る事になる。

逆に彼らが居なければ彼らは遠征軍を狙っている可能性が高い。目の前の七万隻は張り子の虎とは言わないが二線級だろう。……そうか、ビュコック達が遠征軍を潰した後、こちらに合流する、その可能性が有るか……。その場合、反乱軍の兵力は十万隻に近い数字になるだろう。最悪と言って良い。

「司令官閣下、反乱軍は五つの艦隊を動員しています。戦艦リオ・グランデ、戦艦ペルーン、戦艦盤古、戦艦ヘクトルを確認しましたが残り一個艦隊の旗艦は分かりません」

一個艦隊は分からない……。新編成の艦隊だろうか? しかしそんな話は無かったはずだ、となると艦隊司令官が変わった第四、第六のどちらかということか。これが初陣という事だな。士官学校を卒業しておらず兵卒上がりと聞いた、実力を買われての登用だろう、油断は出来ない。

戦艦リオ・グランデは第五艦隊の旗艦のはずだ、戦艦ペルーンは第十二、戦艦盤古は第十艦隊の旗艦、つまり反乱軍は精鋭部隊を送りこんできたという事になる。しかし戦艦ヘクトル? オペレータがわざわざ報告する以上、それなりに意味が有るはずだが一体……。

「……オペレータ、戦艦ヘクトルというのは?」
私の問いかけにオペレータがちょっと困ったような表情を見せた。
「第五次イゼルローン要塞攻防戦時における反乱軍の総旗艦です」
「そうか」

なるほど、そういうことか。第五次イゼルローン要塞攻防戦時の総司令官はシトレ元帥だった。統合作戦本部長から宇宙艦隊司令長官に異動して以前の総旗艦をまた使っているということか。ここへ赴任したのが第五次イゼルローン要塞攻防戦の後だったから分からなかった。このオペレータはここが長いのだろうか、まだ若いところを見ると気が利くのか……。

「卿、名前は」
「ヨハン・マテウス一等兵であります」
「うむ」
今後は注意して見るとするか。

ここに精鋭部隊を用意しているという事は、遠征軍には二線級を当てて時間稼ぎという事だな。遠征軍が何時戻ってくるかでイゼルローン要塞の命運も決まるだろう。もうすぐ戦闘が始まる、反乱軍も時間が無い事は分かっているはずだ。戦いは厳しいものになるだろう。



帝国暦 486年 4月 29日 14:00 ヴァンフリート  帝国軍総旗艦 ヴィーダル   シュターデン



「哨戒部隊からの報告は無いか、シュターデン少将」
「現時点では敵艦隊発見の報告は有りません」
「そうか」

クラーゼン元帥がほっとした表情を見せた。遠征軍はヴァンフリート星系を抜け出しつつある。反乱軍の奇襲を受ける確率が減ったと思っているのだろうが、困ったものだ、問題はこれからなのに……。

反乱軍が通信妨害をしているせいだろう、イゼルローン要塞からは途切れ途切れに連絡が入ってくる。だがそれでもおおよその事が分かった。それによれば反乱軍の兵力は五個艦隊、七万隻という大規模なものらしい。しかも総司令官はシトレ元帥、配下には第五、第十、第十二等の精鋭部隊が揃っている。

要塞攻防戦は二十七日の午後から始まったようだがかなり激しいものだったようだ。遠征軍でも要塞からの悲鳴のような連絡を何度か受け取っている。しかしイゼルローン要塞は反乱軍の攻撃を凌ぎきった。大丈夫だ、イゼルローン要塞は難攻不落、そう簡単に落ちるような要塞では無い。

今の時点では反乱軍も攻撃を中止し、戦力を再編しているらしい。クラーゼンが安堵の表情を見せているのにはそれも有るだろう。要塞が防戦をしている間は何度も要塞は大丈夫かと煩かった。大丈夫も何もこちらには信じる事しか出来ないではないか、馬鹿馬鹿しい。

状況は厳しいが不利とは言えない。反乱軍の妨害さえ無ければイゼルローン要塞にはあと六日も有れば辿り着くはずだ。そうすれば要塞駐留艦隊と協力して反乱軍を挟撃できるだろう。退路を断たれた反乱軍は壊滅、大勝利は間違い無しだ。

気になるのはミューゼルの小僧だ、あの小僧が三万隻の艦隊を率いて要塞に向かっているらしい。連中はあと十日ちょっとで要塞に着く、我々との差は六日程度だ。間違っても連中より遅れる事は出来ない、あの小僧より先に要塞に着いて反乱軍を叩きのめさなければ……。

もし連中に先を越されるような事が有ればあの小僧は益々付け上がるだろう。オフレッサー元帥を利用して好き放題に軍を動かすに違いない。幼年学校を出ただけの、前線指揮しかしたことのない小僧に何が出来ると言うのだ。こうなって見るとオーディンを早く出たのは正解だったようだ。

問題は遠征軍を足止めしようとする反乱軍だ。ヴァンフリートにはいなかった。となるとヴァンフリートの外で待ち受けているのかと思ったがそうでもないらしい。後方の哨戒部隊からも敵艦隊発見の報告は無い。

残る選択肢はイゼルローン要塞へ戻る途中での伏撃だ、哨戒部隊を前方に多めに配置する必要があるだろう。時間との勝負だ、急がなければならない。イゼルローン要塞の危機を救い、ヴァレンシュタインを補殺し反乱軍を壊滅させる。そうなればその武勲の前に帝国軍人全てがひれ伏すだろう。あの金髪の小僧もただただ頭を下げるだけに違いない。小僧達の鼻を明かす最大の好機だ。



宇宙暦 795年 5月 2日  宇宙艦隊総旗艦 ヘクトル  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「ヴァレンシュタイン准将、順調と言って良いのかな」
「そうですね、特に問題は無いと思います」
「ふむ、しかしミューゼル中将が三万隻を率いてこちらに向かっているようだが?」

シトレは両手を組んで顎を乗せている。お得意のポーズでどこか揶揄する様な声とからかうような笑みを浮かべている。性格悪いよな、そんなに予定外の事が起きるのが楽しいか? お前も当事者なんだぞ。

「問題有りません。彼がイゼルローン要塞にたどり着く頃には全てが終わっているはずです」
「うむ」
今度は本当に満足そうな表情を見せた。こいつ、俺を試して喜んでるな。俺が慌てふためくところを見たいらしい、糞爺が。

オイゲン・フォン・カストロプが死んだ、宇宙船の事故による死亡だった。そして息子のマクシミリアンが反乱を起こし討伐された。それを聞いた時には思わず笑ったよ。やはりカストロプ公爵家は平民達の帝国に対する不満へのガス抜きに利用されたらしい。

原作より早い時点での処分だが、まあヴァンフリートで大敗しているしイゼルローンでも勝ったと言えるような戦果じゃなかったからな。この辺が使い時だと帝国上層部は考えたのだろう。つまり俺が奴に引導を渡したわけだ。そして反乱討伐の指揮官はヴァンフリートで敗れたラインハルト……。

ラインハルトは反乱鎮圧に成功し昇進した。元帥府に参集したケスラー達も反乱鎮圧に加わり昇進だ。もしかするとカストロプを潰したのはこのためかもしれない。ラインハルトは今三万隻の艦隊を率いてイゼルローン要塞に向かっている。要塞を守り、俺を斃す為だろう。因果は巡るとは良く言ったものだ。もっとも今回の戦いでラインハルトに俺を斃せるかどうかは疑問だが。

今、同盟軍は五個艦隊で要塞を包囲している。第一、第五、第十、第十二、そしてシトレの直率部隊だ。しかし表向き動員したのは第五、第十、第十二艦隊と直率部隊となっている。第一艦隊はバーラト星系で海賊退治だ。そういう事にしてマスコミの目を誤魔化した。

イゼルローン要塞に対する攻撃は四月二十七日から始め翌二十八日には一旦打ち切った。そして三十日に再開し五月一日に終わらせている。攻撃そのものに目新しいものは無い。これまでの攻撃パターンの集大成の様なものだ。

「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」を踊りながら帝国軍を挑発する、ミサイル艇を使って攻撃を加える、無人艦を突入させる等だ。派手にやってる割には戦果は少ないし、こちらの犠牲も少ない。

もっとも要塞からは攻撃を受ける度に悲鳴のような救援要請が遠征軍やラインハルトに対して出されている。来援を急がせようとしているのだろう。それ以外はちょっと考えられない。

或いは本当に圧力を感じているのか……。何と言ってもこちらは七万隻だ。こちらが囁いたつもりでも相手は怒鳴られているように感じるという事は十分に有りえる。まあ悪い事じゃない、シュターデンが焦ってくれればそれに越したことは無い。

遠征軍の動きを見る限り、こちらの動員兵力を知らなかったと見て良い。知っていればヴァンフリートにのこのこ出てはこなかっただろう。フェザーンも騙されたようだ。後々帝国とフェザーンの関係が難しくなりそうだがそれも今回の戦いの狙いの一つではある。

いずれ帝国との間に和平を結ぶ、となれば仲介者が必要だ。それも出来ればこちらに好意的な仲介者が良いだろう。日露戦争の時のアメリカのような。

シュターデン、残念だな、遠征軍は一週間動くのが早かった。後一週間遅ければラインハルトの艦隊と共同して同盟軍を叩けたのだ。そうすれば勝利は帝国のものだった。

最初、ラインハルトが増援として来ると聞いた時はこちらの作戦が読まれたのかと思い、目の前が真っ暗になったが一週間のずれが有ることでそうじゃない事が分かった。安心したよ、本当に安心した。それにしてもラインハルトが辺境に居た……、偶然じゃないだろうな。

誰かが念のためにラインハルトを辺境に派遣した、一体誰が手を打ったのか……。エーレンベルク、シュタインホフ、或いはオフレッサー、それともラインハルト自身か、なんとも帝国には手強い相手がいる。厄介な事だ。

イゼルローン要塞からは定期的に遠征軍、ラインハルトに対して送信が行われている。内容は戦闘の状況、それに伴う被害、そしてイゼルローン要塞への到着日時の確認だ。“遠征軍は五月六日に到着は間違いないか、増援軍は五月十四日の到着で間違いないか”必ずそれを通信している。

半分以上は同盟軍に聞かせるのが目的だろう。もうすぐ味方が来る、撤退するなら今のうちだ、要塞を攻め落とすというのなら急がないと間に合わないぞ、そう言いたいのだ。こちらの焦りを誘い無理攻めをさせたいらしい。失敗すれば損害を与えられるし時間も稼げる。

おそらくは要塞司令官シュトックハウゼンの策だろう。上手い手だ、俺もその立場なら同じ事をやるだろう。だが残念だな、シュトックハウゼン。今回ばかりは策が裏目に出た。一週間のずれが俺に見えてしまったのだ。

それが無ければ俺はシトレに撤退を進言していただろう。俺は要塞攻略には興味が無い、狙いは遠征軍の殲滅だ。そして出来る事ならイゼルローン駐留艦隊も叩き潰したい、そう思っている。そしてそれは十分に可能だ。ラインハルトの増援がそれを可能にしてくれる。

上手くいけばラインハルトも叩けるかもしれない。まあこっちは期待薄ではあるな。その程度の相手なら恐れる必要など無い。だがせっかく来てくれるのだ、それなりのもてなしはしなければならんだろう。一体どうやってもてなしてやるか……。

戦闘では無理だな、戦闘以外でもてなすべきだろう。帝国軍に、ラインハルトにダメージを与える、毒を流し込む……。今後の戦いを考えれば絶対に必要だ。シュターデンが戻ってくるまでに考えなければならん。残りあと四日、楽しみだな、ラインハルト。その時が楽しみだ……。



 

 

第五十三話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その3)

帝国暦 486年 5月 6日 10:00 イゼルローン要塞  トーマ・フォン・シュトックハウゼン



イゼルローン要塞の司令室は困惑、苛立ち、焦燥の空気に満ちていた。
「どう思う、ゼークト提督」
「分からんな、……遠征軍が近くまで戻っているのは間違いないのか、要塞司令官」

「途切れ途切れではあるが二日程前から遠征軍の通信が入ってくる、それによれば近くまで来ているらしい。不思議な事ではあるがな」
私の言葉にゼークトは唸り声をあげて考え込んだ。気持ちは分かる、こちらも唸りたい気分だ。

反乱軍はこれまで三度にわたってイゼルローン要塞に攻撃をかけてきた。第一回目の攻撃は四月二十七日から翌二十八日の二日間で行われた。「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」で駐留艦隊を挑発しつつ、艦隊の一部を要塞主砲の死角に回し攻撃をかける。そして合間合間にミサイル艇を使って要塞に攻撃を加える。

此方はまた強襲揚陸艦を使って陸戦部隊を要塞内に送り込んでくるのかとその度にヒヤヒヤした。ゼークトは何度かこちらを援護しようとしたが駐留艦隊の正面には常に反乱軍が倍以上の兵力で圧力をかけている。思い切った行動はとれない。イゼルローン要塞は反撃の手段を奪われ殆どなすすべもなく防戦に専念せざるを得なかった。

反乱軍は陣容を再編すると第二回目の攻撃を四月三十日から五月一日に行った。攻撃内容は殆ど前回と変わらなかったが、この時は無人艦をメインポートに突入させ艦隊の出入り口を塞ごうとした。

駐留艦隊は要塞外に出ていたが、要塞への出入りを封じられては補給、損傷艦の修理が出来なくなる。艦隊は痩せ細る一方だ。ゼークトと協力して防いだがヘトヘトだった。七万隻の大軍、その圧力は尋常なものではない。

第三回目の攻撃は五月四日に行われた。だがこの三回目の攻撃はそれまでの二回の攻撃に比べればかなり淡白なものだった。攻撃時間も半日程度で終わっている。いささか拍子抜けしたほどだ。

そして今日、五月六日は予定では遠征軍が戻って来る日だ。本来なら喜ぶべき日だが私もゼークトも困惑を隠せずにいる。先程まで要塞を包囲していた反乱軍が撤退したのだ。どう考えるべきか、ゼークトは部下とともに要塞に戻り司令室で我々と状況を検討している。

「遠征軍が戻ってきたのではないでしょうか、だから反乱軍は後背を衝かれることを恐れて撤退した。或いは遠征軍を撃破しようと向かった」
ゼークトの部下が意見を出した。分かっている、彼は出撃したいのだ。これまでの攻防戦で駐留艦隊は殆ど活躍できなかった。その鬱憤を晴らしたいのだろう。しかし他の者は皆微妙な表情をしている。ゼークトが顔を顰めた。

「その場合、反乱軍は遠征軍に対して何の足止めもしなかったという事になるな。果たしてそんな事が有るのか……」
私の言葉にゼークトの渋面がさらに酷くなった。意見を出したゼークトの部下も面目なさそうにしている。考え無しの阿呆、鬱憤晴らしで戦争をするな。

遠征軍が今日戻ってくると言うのは我々の予想だ。遠征軍から知らせが有ったわけではない。もちろん今日遠征軍が戻ってくるのはおかしな話ではない。反乱軍が遠征軍の邪魔をしなければという条件付きだが……。

「要塞司令官、卿は反乱軍の撤退が駐留艦隊を誘き出す罠ではないかと考えているのだな」
「その通りだ、ゼークト提督。駐留艦隊を引き摺り出して叩く、艦隊が無くなれば反乱軍にとってイゼルローン要塞を落とす事はさほど難しくは有るまい」

何人かの士官が頷いている、ゼークトもだ。どう見てもこの意見の方が妥当性が有る。反乱軍が遠征軍をすんなり帰すなどという事が有るはずが無い。伏撃をかけ撃破するか、或いは足止めするか、どちらかをするはずだ。となれば遠征軍が今日、此処に来るわけがない。すなわち、反乱軍の撤退は罠という事になる。

「要塞司令官、遠征軍からあった通信は反乱軍の欺瞞という事かな……」
「……そうなるのだろうが、どうもおかしい……」
「……欺瞞にしては余りにも拙いか……」
「うむ……」

私とゼークトの会話に皆が困惑の表情を見せた。ゼークトの言う通りなのだ。これが反乱軍の欺瞞工作だとしたら余りに拙い。ミューゼル中将が近づいているので時間が無いと考えているのかもしれない。しかし余りにも拙い。こんな拙い欺瞞工作に引っかかると反乱軍は考えているのだろうか……。

「どうも分からんな」
「全くだ、どうも分からん」
お互い首を傾げざるを得ない。遠征軍が戻ってきたとは思えない、しかし反乱軍の欺瞞工作にしては拙すぎる。さっぱりわからない。

もし遠征軍が戻ってきたのだとすれば放置はできない。遠征軍は五万隻強、反乱軍は七万隻。戦力では遠征軍が不利なのだ。その不利を覆すためには駐留艦隊の兵力が要る。駐留艦隊が反乱軍の後背を衝けば前後から挟撃された反乱軍を壊滅状態に追い込むことも可能だ。

「おそらくは罠だろうが、念のため索敵部隊を出そう」
「それが良いだろうな、駐留艦隊はどうする」
「要塞主砲(トール・ハンマー)の射程外で結果を待つ。罠ならば射程内に戻る、真実遠征軍が戻ったのなら反乱軍の後背を衝く」
「……分かった、十分に注意してくれ」

部下を従えゼークトが司令室を出ていく。その後ろ姿を見ながら思わず溜息を吐いた。どうにも妙な具合だ。反乱軍が何を考えているのか分からない、いやそれ以上に遠征軍がどうなっているのか分からない。その事が状況を混乱させている。

ゼークト、無茶はしないでくれよ……。卿を失えばイゼルローン要塞は孤立する。反乱軍から要塞を守り抜くのは難しいだろう。そして要塞を失えば帝国軍は駐留艦隊、遠征軍の合計七万隻の艦艇を失うのだ。



帝国暦 486年 5月 6日 13:00 イゼルローン回廊  帝国軍総旗艦 ヴィーダル   シュターデン



遠征軍は反乱軍の伏撃にも足止めにも合わずにイゼルローン回廊に到達した。回廊に入るまでは総旗艦ヴィーダルの艦橋は緊迫感に溢れていた。回廊に入りやや緩んだが今はまた緊迫感に溢れている。

現在遠征軍は回廊をイゼルローン要塞に向けて進んでいる。あと四時間もすれば要塞を確認できるだろう。つまり反乱軍の後背に出る事になる。戦いが始まる事を皆が理解している。大きな戦いになるだろう、両軍合わせて十万隻を超える艦隊が戦う事になる。

これまで遠征軍はイゼルローン要塞に向けて通信を行わなかった。通信を行えば反乱軍に傍受され位置を特定される。伏撃、足止めを食らえばそれだけイゼルローン要塞に辿り着くのが遅くなる。一日も早くイゼルローンに辿り着くべきで、そのためには通信はすべきではないと言うクラーゼンの指示に従ったのだ。

間違いではない、反対する理由は無かった。要塞に対して通信を行いだしたのは二日前からだ。クラーゼンはここまで反乱軍と出くわさなかった事を喜んでいる。通信をしなかった事が正しかったのだと自慢しているが、本心は足止めを、伏撃を受けるのが怖かったのだと思っている。

要塞救援に間に合わず反乱軍にイゼルローン要塞を奪われれば遠征軍は反乱軍の勢力範囲で孤立する。補給もままならず、悲惨な結末が待っている。それをクラーゼンは何よりも恐れていた……。

クラーゼンは反乱軍の攻撃を受けなかった事を、敵の後背に出られる事を単純に喜んでいるがどうもおかしい……。我々を回廊内に入れれば反乱軍は前後から攻撃を受ける事になる。本当なら反乱軍の勢力圏内で攻撃が有ったはずだ。何が何でも我々を撃破しようとしただろう、それなのに攻撃は無かった……、これをどう考えるべきか……。

クラーゼンを見た。多少の緊張は有るようだが反乱軍を挟撃できる、イゼルローン要塞を守る事が出来ると喜んでいる。反乱軍の攻撃を何故受けなかったか、まるで疑問に思っていない。単純に無線封鎖をしたからだと思っているのだろう。

戦いが終わればその事を声高に自慢するに違いない。うんざりした、何だってこんな馬鹿を担ごうと考えたのか……。他に人が居ないと思ったからか? そうじゃない、分かっている、こんな馬鹿だと思わなかったのだ。それが理由だ。

反乱軍は精鋭を揃えている、兵力は七万隻……。遠征軍は五万隻、イゼルローン要塞の駐留艦隊を加えても帝国軍は七万隻には届かない、こちらを撃破出来ると考えているのだろうか? いや、待て、手間取ればミューゼルが来ることを反乱軍は知っているはずだ。ヴァレンシュタインはあの小僧を天才だと評していた。笑止な事だが、その天才が来ることを知って敢えて危うい道を選ぶだろうか……。

有り得ない、あれは何とも腹立たしい小僧だが手を抜くような男ではない。となれば、ミューゼルの小僧が来るまでにこちらを撃破する何らかの手段を講じているはずだ。一体それは何か……。

……やはり挟撃だろう、反乱軍には別働隊がいるのだ。だがその戦力は決して大きくは無かったのだ。伏撃、足止めをするには不十分な兵力だが挟撃用なら、背後から敵を衝くなら十分な兵力……。

三個艦隊なら正面から戦える、二個艦隊なら伏撃、足止めが可能だろう、となると一個艦隊か……。なるほど、反乱軍には司令官が新しくなった艦隊が参加していると要塞から報告が有ったな。司令官が変わったのはもう一個艦隊有ったはずだ。挟撃用の艦隊はそれだろう。

戦場がイゼルローン回廊なのも説明がつく、此処なら前後から敵を挟撃しやすい。伏撃、足止めが無かったのは偶然でもなければこちらが躱したのでもない。必然だったのだ。反乱軍はイゼルローン回廊内での艦隊決戦を狙っている。

クラーゼンの馬鹿め、反乱軍に遭遇しなかったのを喜んでいる場合か! こちらが反乱軍を挟撃しようとしているように反乱軍もこちらを挟撃しようとしているのだ!

どうするか……、お互いに相手の後背を衝き合う形になるがこうなると兵力が多い分だけ反乱軍が有利だ。……止むを得んな、ミューゼルの小僧の力を借りるか。不本意ではあるが負けるよりはましだろう。一週間だな、一週間堪える。少々厳しいがそこは戦術能力で補うしかない。

「前方に大規模な艦隊を発見!」
考え事をしているとオペレータが悲鳴のような声で報告してきた。おそらくは反乱軍だろう、こちらの接近を知って迎撃に出てきたか。上手く行けば各個撃破出来ると考えたのだろうな、悪い考えではない。それにしても大規模? 何を考えている!

「大規模とはどういう事だ、正確な数字を出せ!」
私が叱責するとオペレータが赤面して俯いた。全く、最近の若い連中は報告一つまともに出来んのか、情けない。

「閣下、約七万隻です!」
七万隻、その言葉に艦橋の空気が瞬時に緊迫した。
「シュ、シュターデン少将、どうする?」
どうする? 戦うに決まっているだろう、それとも降伏でもすると言うのか? 情けない顔をするな、卿は総司令官だろう!

「直ちに戦闘準備を命じてください。それと一部隊を後方に置いて反乱軍に備える必要が有ります」
「後方だと?」
キョトンとしたクラーゼンの表情が癇に障ったが何とか抑えた。

「我々が反乱軍を挟撃しようと考えているように反乱軍も我々を挟撃する可能性が有ります。それに備えなければなりません」
「一部隊と言っても誰を置く」
「メルカッツ副司令長官にお願いしましょう」

私の言葉にクラーゼンが露骨に嫌な表情を見せたが気付かないふりをした。功績を立てさせると競争相手になると考えているのだろうが負けたら全てが終わるのだ、それよりはましだろう。メルカッツは一万隻を率いている。彼ならどんな相手でも多少の戦力差などものともしないはずだ。

問題は反乱軍だ、向こうがどんな陣立てで来るか。こちら同様後方に部隊を置くかどうか……。戦術コンピュータを見ると向こうも後方に二個艦隊置いている。となると正面は約四万隻か……、こちらとほぼ同数だな。ミューゼルが来援するまで十分に耐えられる、勝機は有る。

「オペレータ、イゼルローン要塞に通信を。我、反乱軍と接触セリ。至急来援を請う」
「はっ」
後はミューゼルの小僧を待つだけだ。急いでくれよ、小僧。間違っても迷子になるんじゃないぞ。



帝国暦 486年 5月  7日 01:00   アムリッツア星系   ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「遠征軍が戻ってきた? しかも無傷だと? おまけにイゼルローン回廊で反乱軍と交戦中?」
通信オペレータの報告にクレメンツが何処か調子が外れた様な声を出した。そしてそのまま俺とケスラーに視線を向けてきた。

クレメンツの表情には何処か信じられないと言った色が有る。ケスラーも信じられないと言った表情をしている。俺も信じられない、遠征軍が無傷で戻ってきた? 一体何の冗談だ? この時期に戻って来るという事は反乱軍との戦闘は無かったという事になる、どういう事だ?

オペレータの報告が続いた。それによれば反乱軍はイゼルローン要塞の包囲を解き遠征軍の迎撃に出たようだ。そして駐留艦隊はその後背を衝く形で戦闘に加わっているらしい。

さっぱり訳が分からない、クラーゼン、シュターデンの二人は俺が考えるよりはるかに有能で反乱軍を煙に巻いて戻ってきたという事なのだろうか。有り得ないと思うのだが実際にイゼルローン要塞の包囲は解かれた。一時的な事かもしれんが要塞陥落の危機が去った事は間違いない。

「考えられる事は二つです。一つは遠征軍が自力で戻ってきた。もう一つは反乱軍が故意に見逃した」
ケスラーがゆっくりと発言した。まるで自分の言葉を検証するかのようだ。故意に見逃した、何故見逃す? そこにどんな利益が有る……。利益など無いではないか、帝国軍は反乱軍目指して集結しつつある……。

「そうか、そういう事か……。ケスラー、クレメンツ、ヴァレンシュタインの狙いはイゼルローン要塞ではない。遠征軍、そして駐留艦隊の撃滅だ」
俺の言葉にケスラーとクレメンツが顔を見合わせた。

ヴァレンシュタインはイゼルローン要塞を攻める事で遠征軍の恐怖心を煽った。同時に挟撃すれば勝てるという希望も与えた。遠征軍は否応なくイゼルローンに誘引されたのだ。実際には遠征軍はヴァレンシュタインが用意した別働隊に後背を衝かれることになるだろう。

そして駐留艦隊も挟撃すれば勝てるという誘惑に引き摺り出された。要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内という絶対安全な巣穴から引き摺り出されたのだ。遠征軍が不利になればなるほど駐留艦隊は退く事が出来なくなる。味方を助けるために留まろうとして損害を増大させるだろう。

本来、敵は各個に撃破するのが用兵の常道だ、だがヴァレンシュタインはその逆を行おうとしている。自らを囮に敵を一か所に集める事で撃滅する……。蟻地獄だ、ヴァレンシュタインはイゼルローン回廊に巨大な蟻地獄を作ろうとしている。

遠征軍五万隻、駐留艦隊一万五千隻、それらを全て飲み込む巨大な蟻地獄……。急がなければならない、俺の艦隊が要塞に着くまであと七日、間に合うだろうか? 絶望が胸をどす黒く染め上げた……。


 

 

第五十四話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その4)

帝国暦 486年 5月  7日 03:00   アムリッツア星系   ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー  ラインハルト・フォン・ミューゼル



眼の前のスクリーンには顔面を蒼白にしているエーレンベルク軍務尚書、シュタインホフ統帥本部総長、そしてオフレッサーが映っている。この肝っ玉親父が顔面を蒼白にしているのを見るのはこれが二度目だ。最初の時は例の贄の話を聞いた時だった。

『シュターデンは気付いていないのか、反乱軍の狙いに』
軍務尚書エーレンベルク元帥が掠れたような声で問いかけてきた。
「全く気付いていないとも思えません。ですがそれ以上にイゼルローン要塞を落とされる、敵中に孤立する、その恐怖感の方が強いのでしょう。それに上手くいけば反乱軍を挟撃できる、そういう思いも有る筈です」

『恐怖と欲か……』
「遠征軍はイゼルローン要塞を見殺しには出来ない、駐留艦隊は遠征軍を見殺しには出来ない、見殺しにすれば次に滅ぶのは自分です。ヴァレンシュタインは七万隻の艦隊をイゼルローン回廊に置くことで帝国軍を誘き寄せているのです」

『蟻地獄か……』
『軍務尚書、とんでもない事になった、このままでは……』
軍務尚書と統帥本部総長の声が聞こえた。二人の声には紛れもない怯えが有る。彼らを臆病だとは非難できない。俺だとて怖いのだ。遠征軍が、駐留艦隊が全滅すればどうなるのか……。

『帝国は六万五千隻の艦隊、約七百万の将兵を失うことになります。補充には時間がかかるでしょう』
まるで俺の心を読んだかのようにオフレッサーの声が重く響いた。そして軍務尚書と統帥本部総長の表情が強張る。

『簡単に言うな。時間だけではない、費用もかかる。艦を造り、人を育てる。そして戦死した人間の家族には遺族年金を出さねばならん。ゲルラッハ子爵も大変だろう、財務尚書就任直後にこれでは……。怒鳴りこんでくるやもしれんな』

軍務尚書の口調はどこか投げやりだったが非難する人間はいなかった。俺だって軍務尚書の立場なら同じような態度を取ったかもしれない。とにかくどうにもならない、無力感だけが募っていく。

以前思った事はやはり間違っていなかった。反乱軍との戦いはこれから苛烈さを増す。彼、ヴァレンシュタインが苛烈なものにする。これからは勝敗ではなく生死を賭ける戦いになる。そして宇宙は流血に朱く染まるだろう……。その通りだ、イゼルローン回廊は七百万人の血によって赤く染め上げられるに違いない。

『ミューゼル中将、要塞司令官、シュトックハウゼンには知らせたか?』
「知らせました、要塞司令官は駐留艦隊に連絡を取ろうとしたようですが反乱軍による通信妨害が酷く出来なかったようです。どうにもならないと言っていました」

『何という事だ、……ミューゼル中将、卿の艦隊は間に合わんか?』
縋る様な口調でシュタインホフ元帥が問いかけてきた。気持は分かる、シュタインホフもどうにもならないと分かっていて、それでも訊いているのだろう。

だが本当にどうにもならない。俺の力でどうにかなるのだったら相談などしていない。用兵の問題ではないのだ、単純な時間の問題なのだ。シュターデンがあと一週間遅く軍を動かしていれば……。溜息が出た。

「残念ですが間に合いません。小官がイゼルローン要塞に着くのは十四日になります。あと一週間は有るのです。我々が要塞に着くまでに戦闘は終了しているでしょう」

『……どうにもならんか』
「イゼルローン要塞すら落ちている可能性が有ります。……或いは多少は残っている艦艇が有るかも知れませんが、その場合はこちらをおびき寄せる罠の可能性が高いでしょう」
呻き声が聞こえた。エーレンベルクかシュタインホフか、或いは二人一緒かもしれない。

『有り得ない話ではないでしょう。地上戦では時折起きるのです。負傷した敵を殺さずに放置し救出しようとする敵をおびき寄せる……。厭らしい手ではありますが効果的ではある。見殺しにすれば士気が落ち、助けようとすれば損害が増える……、地獄です』

また呻き声が聞こえた。
『呪われろ、ヴァレンシュタイン! 忌まわしいガルムめ、いったいどれだけの帝国軍将兵の血を飲み干せば気が済むのだ!』

エーレンベルクが顔を震わせてヴァレンシュタインを罵った。彼は多分カストロプの一件を知らない。知っている俺にはヴァレンシュタインを罵る事が出来ない。エーレンベルクが羨ましかった。今更ながら知れば後悔すると言われた事を思い出した。

「我々の任務を、……確認したいと思います。我々が最優先で守るべきものはイゼルローン要塞、そういうことで宜しいでしょうか?」
途切れがちに出した俺の言葉にスクリーンの三人が顔を見合わせた。酷い話だ、俺は味方を見殺しにする許可を得ようとしている。

『……良いだろう、最優先はイゼルローン要塞の保持とする』
絞り出すようなエーレンベルクの答えだった。断腸の思いだろう、この瞬間帝国軍将兵七百万人が切り捨てられた。だが俺はもう一つ酷い事を訊かねばならない。

「万一、要塞が反乱軍の攻撃により陥落していた場合は?」
俺の言葉にエーレンベルクが目を瞑った。疲れ切った表情をしている。何とも言えない罪悪感が胸に満ちた。

『……無理をせず撤退せよ』
「はっ、了解しました」
これで味方を見殺しにするのは二度目だ。最初は見殺しにしたとは思わなかった。今回は見殺しにする事を自分から要請した。段々酷くなる。次は自らの決断で味方を見殺しにするかもしれない。

以前は戦う事に昂揚する自分がいたが最近ではそれも無くなった。多分もう二度とそんな事は無いのだろう。あれは暑く眩しい夏のような季節だった。そして今はヴァレンシュタインが支配する寒く陰鬱な冬の季節だ……。彼、ヴァレンシュタインを倒さない限りこの冬は終わらないだろう……。



宇宙暦 795年 5月 7日 11:00 宇宙艦隊総旗艦 ヘクトル  ミハマ・サアヤ



戦闘が開始されたのは五月六日の十八時二十三分、イゼルローン要塞駐留艦隊が同盟軍の後背を衝こうと押し寄せてきたのが同六日の二十二時三十八分でした。それ以降、約十二時間が経ちますが戦線は膠着しています。

同盟軍は正面の帝国軍遠征軍には第五、第十、そしてシトレ元帥の直率部隊を当てています。中央にシトレ元帥、右翼に第五、左翼に第十艦隊です。後背から来た駐留艦隊には第一、第十二艦隊が対応しています。

帝国軍遠征軍も後方に約一万隻の艦隊を置いています。おそらくは同盟領からやってくる新手の部隊に対応させるためでしょう。そのため帝国軍の正面兵力は四万隻程度、同盟軍とほぼ同数ですから膠着状態になるのは止むをえません。

総旗艦ヘクトルの艦橋には穏やかな空気が漂っています。とても戦闘中とは思えませんが作戦が順調に進んでいる所為でしょう。唯一、想定外だったのはミューゼル中将の存在ですが、それも作戦の遂行には問題ありません。少なくともヴァレンシュタイン准将はそう考えています。

艦橋の会議卓にはシトレ元帥を囲んでマリネスク准将、ワイドボーン准将、ヤン准将、ヴァレンシュタイン准将がいます。私とグリーンヒル中尉――この四月で中尉に昇進しました、万歳昇進です――も席に着くことを許されました。皆、適当に飲み物を飲みながらスクリーンと戦術コンピュータを見ています。

「結構激しく駐留艦隊は攻めてくるな」
「第一、 第十二艦隊を自分の方に引き付けておきたいんだろうね」
「手を抜くとどちらかを遠征軍の方に向けられると考えているか……」
ワイドボーン准将とヤン准将が戦術コンピュータを見ながら話しています。

「やはり第一艦隊は少し動きが鈍いようだな」
シトレ元帥がコーヒーを飲みながら話しかけてきました。元帥の表情はちょっと面白くなさそうです。確かに駐留艦隊が激しく攻めてくるのに対して第一艦隊は少し持て余しているように見えます。第十二艦隊が一緒でなければ結構苦しかったかもしれません。

「止むを得ないでしょう。第一艦隊は首都警備と国内治安を主任務としてきました。帝国軍との戦いなどもう随分としていません、実戦経験など皆無に近い……」
「……」
マリネスク准将の言葉に皆が頷きました、ヴァレンシュタイン准将もです。

「一番頭を痛めているのがクブルスリー提督でしょう」
「それはそうだ、いずれは軍の最高峰に登ると見做されているのに此処でこけたら左遷だからな、おまけに総司令部には相手が誰だろうと容赦しない怖い男がいる」
ヤン准将の言葉にワイドボーン准将が揶揄するような口調で続けました。視線はヴァレンシュタイン准将に向けられています。

みんながヴァレンシュタイン准将を見ましたが准将は全く無視です。そんな准将を見てシトレ元帥が苦笑して言葉をかけました。
「ヴァレンシュタイン准将、何か言ったらどうかね」
「ハイネセンに戻ったらクブルスリー提督には訓練に励んでもらった方が良いでしょう。これからは第一艦隊にも戦場に出てもらうべきです」

他人事のような口調にシトレ元帥がまた苦笑しました。元帥は多分ワイドボーン准将に反論しろと言ったのだと思います。それなのに……多分わざとです。
「今回は見逃すという事か、クブルスリーも必死になるだろうな」

「そういう意味では有りません、毎回第五、第十、第十二艦隊に頼ることは出来ないと言っているのです」
面白くもなさそうに答える准将の言葉にシトレ元帥が渋い表情をしました。元帥だけではありません、皆が渋い表情をしています。皆、艦隊司令官が頼りにならない、そう思っているのでしょう。

「分かっている、私もその事は考えているよ」
シトレ元帥の言葉にヴァレンシュタイン准将を除く全員が顔を見合わせました。考えている、つまり元帥は艦隊司令官を代える事を考えている……。

前回は第四、第六艦隊の司令官が交代しました。今度交代になるのは誰か? 第一艦隊のクブルスリー提督はこれまでの会話からその地位に留まりそうです。おそらくは第二、第三、第七、第八、第九、第十一から選ばれるのだと思いますが一体誰がその後任になるのか……。

クブルスリー提督がこの話を聞いたらほっとするでしょう。此処で交代などとなったら無能と烙印を押されたようなものです。この先の出世は先ず望めません。明らかに同盟軍は実力重視の戦う集団に変わりつつある、そう思いました。

「ミハマ少佐、別働隊が来るまであとどのくらいかな?」
シトレ元帥が低い声で問いかけてきました。相変わらず渋くて格好いいです。グリーンヒル中尉も時々“渋いですよね”と言っています。

「あと八時間ほどでこちらに合流する予定です」
「そうか……、あと八時間で勝敗が決まるわけだな」
呟く様な元帥の声でした。私には何処となく不安そうに聞こえました。

「大丈夫です、我々は必ず勝てます」
私と同じことを思ったのでしょう、ワイドボーン准将が元帥を励ましましたが元帥は溜息を吐きました。
「勝ってもらわなければ困る、十万隻もの大軍を動かしたのだからな。政府を説得するのも大変だった」

「上手く行けば帝国軍艦艇約七万隻、兵員約七百万を捕殺できます。チマチマ艦隊を動かすよりはずっと効率的です。費用対効果で言えば十分に採算は取れると言って良いでしょう。結果が出れば政府も文句は言わないはずです」
クールな声でした。まるで経営コンサルタントみたいな言い方です。ヴァレンシュタイン准将の言葉にシトレ元帥が憮然としました。

「君が羨ましいよ、どうしたらそう平然としていられるのか……、帝国軍はこちらの狙いに気付いたかな、ヴァレンシュタイン准将」
「気付いても問題ありません。彼らにはこちらの想定通りに動くしか手が無いんです」

ヴァレンシュタイン准将が冷徹と言って良い口調で元帥に答えました。元帥がまた溜息を吐いています。そしてヤン准将が苦笑を浮かべて言葉を続けました。
「故に我戦わんと欲すれば、我と戦わざるを得ざるは、その必ず救う所を攻むればなり、か……」

古代の兵法書、孫子の一節です。こちらが戦いを望んだ時、こちらと戦わなければならないのは、そこを攻めれば相手が必ず救出に向かう所を攻めるからだと言っています。この作戦の説明を受けた時、ヴァレンシュタイン准将が教えてくれました。

「最初にイゼルローン要塞、次に遠征軍、帝国軍はそのどちらも見殺しには出来ない……。見事だよ、ヴァレンシュタイン准将」
ヤン准将の感嘆にヴァレンシュタイン准将は無言でした。褒められたんですから少しは喜んでも良いと思うのですけど、この二人の関係はどうも微妙です。

グリーンヒル中尉もそれについては酷く心配しています。いつかヤン准将がヴァレンシュタイン准将に排斥されるのではないかと思っているようです。私はヴァレンシュタイン准将がヤン准将を高く評価しているのを知っていますからそれは無いと思っています。

ただ、もう少しヤン准将がヴァレンシュタイン准将に協力してくれればとは思います。今回の作戦案もその殆どをヴァレンシュタイン准将が考えました。私とグリーンヒル中尉が手伝ったのですが、作戦案の他にヴァンフリート4=2の基地の撤退、艦隊の動員計画、補給計画と大変でした。

ワイドボーン准将が作戦案を計画書にまとめ、それを最後にヤン准将が確認しました。ヤン准将が事務処理が出来ないのは分かっていますが、それでももう少し、と思ってしまいます。ヴァレンシュタイン准将にもそういう気持ちが有るのかもしれません。

お茶の時間はそれから三十分程で終了しました。ヤン准将は仮眠をとるために自室へ、私とヴァレンシュタイン准将は昼食を摂るために食堂に行きました。昼食にあまり時間はかけられません。私達の後に交代でワイドボーン准将とグリーンヒル中尉が昼食を摂るのです。

このまま戦闘が推移するなら多分もう一度食事を摂り、仮眠もとれるでしょう。その後はタンクベッド睡眠だけが休息をとる手段となるはずです。別働隊が来るまで残り七時間を切りました……。



 

 

第五十五話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その5) 

帝国暦 486年 5月  7日 17:00   イゼルローン回廊    帝国軍総旗艦 ヴィーダル   シュターデン



戦況は膠着状態に有る。此処までは特に問題は無い、想定通りと言って良いだろう。これから先問題になるポイントは二つだ。一つは我々の後背を衝くであろう反乱軍の別働隊がいつ来るか、そしてその攻撃を抑えられるかだ。抑えにはメルカッツ提督を置いた。多少の兵力差なら戦術能力でカバーできるはずだ。それだけの力量は有る。

もう一つはミューゼルの小僧がいつ来るかだ。予定では十四日だが本当にその日に来るのか、こちらも決して余裕のある状態ではない。イゼルローン要塞で足踏みなどされては堪らん。この二つ、この二つを乗り切れば帝国は反乱軍に勝てる。

ゼークト提督率いる駐留艦隊は良くやってくれている。反乱軍の二個艦隊を引き付けこちらの負担を減らしてくれている。この後、反乱軍の別動隊に後背を衝かれるこちらとしては反乱軍の正面戦力が一個艦隊少ないと言うのは有りがたい。

駐留艦隊が相手にしている二個艦隊の内、片方の艦隊はいささか動きが鈍い。おそらく艦隊司令官が代わった艦隊だろう。まだ艦隊を十分に掌握していない様だ。それが艦隊の動きに表れている。残念だったな、ヴァレンシュタイン。あの艦隊が精鋭だったら今の時点で駐留艦隊は撤退し遠征軍は敗北していただろう。

「シュターデン少将、反乱軍の別動隊と言うのは本当に来るのか?」
不安そうな表情でクラーゼンが問いかけてきた。もうこれで何度目だろう……。総司令官なのだ、もう少し落ち着いてくれ。周囲に与える影響もある、総司令官が不安そうにキョロキョロしているなど話にならんだろう。

「先ず間違いなく別働隊は存在します。我々を目指して行動しているはずです」
「そうか……、大丈夫なのか、メルカッツの艦隊は一万隻だろう、反乱軍を抑えられるのか」
またこの話だ。クラーゼンは必ずこの話をする。不安なのか、それともメルカッツ提督の力を借りるのが不満なのか、或いはその両方なのかもしれないが、今は勝つことを優先すべきだろう。

「反乱軍の別動隊はおそらく一個艦隊です。もし三個艦隊なら正面から我々を阻止できたはずです。二個艦隊なら伏撃、足止めが可能でしょう。それが出来ないからこそ背後からの挟撃、……反乱軍の別働隊は一個艦隊です」
「そうか、……そうだな」
クラーゼンが頷いている。この話も何度もした、そして何度も納得している。

「同数の兵力、いえ五割増しまでならメルカッツ提督は互角以上に戦えます」
「そうか、しかしもう少し兵力を増やした方が……」
この馬鹿! 自分が何を言っているのか分かっているのか? どこから兵を引き抜くのだ? 正面から兵を引き抜けるのか? お前にそれが我慢できるのか?

「では、正面の兵力を少し後背に回しましょう」
私の言葉にクラーゼンはギョッとしたような表情をした。
「いや、それには及ばない。メルカッツの手腕を信じている」
「了解しました」
頼む、この話はもうこれくらいにしてくれ……。

うんざりだった。顔に感情が出ないようにするのが精一杯だった。腹立たしさを抑えているとオペレータが緊張した声を出した。
「後背に艦隊、反乱軍です!」

艦橋の空気が瞬時に緊迫した。皆の顔が緊張に包まれている。クラーゼンがオドオドした表情でこちらを見ている。いい加減にしろ! 怒りを押し殺してオペレータに問いかけた。

「反乱軍の規模は?」
「二個艦隊、約三万!」
「さ、三万? 馬鹿な……」
顔から血が引くのが分かった。三万? どういう事だ……。周囲の人間達も皆凍り付いている。

「シュ、シュターデン……」
クラーゼンが縋りつくような声を出したが構っていられなかった。どういう事だ? 何故三万隻もの艦隊がここにいる……。

二個艦隊有るのであれば遠征軍を足止めし反乱軍の本隊はイゼルローン要塞の攻略に専念する事が出来たはずだ。わざわざ包囲を崩しこちらに向かってくる必要など無い。おまけに一時的とはいえ帝国軍に挟撃される危険が有るのだ。兵力に余裕があるとはいえ正しい選択とは言えない。

「シュ、シュターデン、話が違うではないか」
黙れ! 私は考え事をしているのだ! 何故だ? 何故足止めしなかった? 何故伏撃をかけなかった? 一週間もすればミューゼルの小僧が来る。此処で勝ってもイゼルローン要塞を攻略できない可能性が出るではないか、それでは本末転倒だろう、艦隊を撃破しても肝心の要塞の攻略に失敗する……。本末転倒? もし本末転倒で無いとしたら? これが最初からの狙いだとしたら……。

「シュ、シュターデン……」
「……正面から数千隻程引き抜き、メルカッツ提督の指揮下に置きます」
押し殺したような声だった、とても自分の出した声とは思えない。その声にクラーゼンが怯んだような表情を見せた。

多分無駄だろう……。オペレータに指示を出しながら思った。してやられた、ヴァレンシュタインの狙いはイゼルローン要塞では無い、我々遠征軍、そしてイゼルローン要塞駐留艦隊の殲滅だ……。

「オペレータ、駐留艦隊に撤退するように伝えてくれ」
「閣下?」
「シュ、シュターデン、何を言うのだ、それでは我々は……」
クラーゼンが蒼白になっている。哀れな男だ、この男は此処で死なねばならない、宇宙艦隊司令長官が戦死……、悲惨な事になった。

「反乱軍の狙いは遠征軍、そして駐留艦隊の殲滅です。今のままではイゼルローン要塞は丸裸になってしまいます。我々は逃げられませんが駐留艦隊は撤退が可能です。撤退させイゼルローン要塞の防衛に当たらせましょう。あと七日でミューゼル中将が来ます。要塞の保持は可能です」

クラーゼンが全身を震わせている。キョトキョトと周囲に視線を向けていたが、誰も彼と視線を合わせようとしない。何度も唾を飲み込む音がした。
「シュターデン、我々はどうするのだ、降伏するのか」

「……残念ですが現時点では降伏は出来ません。今我々が降伏すれば駐留艦隊は反乱軍の大軍に追撃を受け甚大な被害をこうむるでしょう。イゼルローン要塞の保持もおぼつかなくなります。我々は此処で反乱軍を引き付けなければならないのです」
「……」
全滅するまで戦う、一分一秒でも長く戦う、それだけが要塞を救うだろう。

「或いは駐留艦隊の撤退も不可能かもしれません。その場合は我々同様、此処で反乱軍を引き付ける役を担って貰いましょう」
クラーゼンは蒼白になって震えている。嫌悪よりも哀れさが込み上げてきた。何故この男を担ごうとしたのか……。オーディンで飾り物として儀式にだけ参加させておけば良かったのだ。私がこの男を地獄に突き落とした……。

「シュターデン閣下、残念ですが駐留艦隊には連絡が」
「つかんか」
「はい……」
オペレータが項垂れた。八方ふさがりだ、気落ちしているのだろう。だが、私にはそんな事は許されん。何としても要塞を守る、あれが有れば帝国は守勢をとりつつ戦力の回復を図る事は難しくは無いのだ。

「ワルキューレを全機出せ、連絡艇として使うのだ。一人でも突破し駐留艦隊に辿り着けばよい」
「はっ」
「それから、駐留艦隊に辿り着いたら、戻る事は不要と伝えよ」
「……了解しました」
難しいかもしれない。反乱軍の大軍をすり抜け駐留艦隊に辿り着く……、溜息が出そうになった。

「元帥閣下、小官が反乱軍の作戦目的を読み違えた事については幾重にもお詫びいたします。ですがこの上は帝国元帥、宇宙艦隊司令長官としての職務と責任を全うして頂きたいと思います」
私の言葉にクラーゼンが指揮官席で震えている。近づいて小声で囁いた。

「指揮は小官が執ります。元帥閣下におかれましては暫くの間、御辛抱下さい」
「シュターデン……、私は何をすれば良い」
恨み事を言われるかと思ったがそうではなかった。無能かもしれないが、軍人では有ったのか……。どうやら私は最後まで人を見る目が無いらしい。

「難しい事ではありません。将兵達の戦いを、その死に様を見届けてください。それが指揮官の務めです。そしてヴァルハラで良く戦ったと誉めてやってください……」
「分かった、それなら私でも出来そうだ」
蒼白になりながら引き攣った笑みをクラーゼンが浮かべた。

耐えきれずに頭を下げた。指揮を執らなければならない、何時までも頭を下げてはいられない。だが込み上げてくるものが有った。
「シュターデン、指揮を頼む」
「はっ」



宇宙暦 795年 5月 7日 18:00 宇宙艦隊総旗艦 ヘクトル  フレデリカ・グリーンヒル



第四、第六艦隊が帝国軍の後背に着いた。これで同盟軍の勝利が確定した。帝国の遠征軍は前後七万の艦隊に挟撃され、イゼルローン要塞駐留艦隊は二倍の敵、第一、第十二艦隊を相手にしている。ミューゼル中将の艦隊が来るまであと一週間はかかる。帝国軍が逆転できる可能性は無い。

帝国の遠征軍は後背の同盟軍に対抗するため正面戦力を減らし後方に回した。少しでも長く持ち堪え、包囲を突破するチャンスを窺おうと言うのだろう。だが正面の兵力を少なくした分だけ正面から押し込まれている。状況は徐々に帝国軍にとって厳しいものになっていく。

先程、帝国軍が単座戦闘艇(ワルキューレ)の大編隊を発進させた。少しでもこちらに損害を与え包囲を突破しようと考えているのだろう。こちらも単座戦闘艇(スパルタニアン)に迎撃を命じている。その所為で宇宙空間ではお互いの単座戦闘艇による激しい格闘戦が行われている。大丈夫、帝国軍がこの罠から抜け出せる可能性は無い、私は断言する。

今回の戦いで一番苦労したのが動員兵力の秘匿だった。公表では五万五千隻、第五、第十、第十二の三個艦隊、そしてシトレ元帥の直率部隊、これが内訳だ。その他に密かに動員したのが第一、第四、第六の三個艦隊。第一艦隊は海賊組織の討伐という名目で艦隊を動かし、第四、第六の両艦隊は艦隊司令官が代わったことで訓練に出ている事になっている。

第四、第六艦隊が到着すると総旗艦ヘクトルの艦橋は爆発するような喜びの声で満ち溢れた。ベレー帽が宙を飛び、其処此処でハイタッチをする姿が見られた。シトレ元帥も満面の笑みを浮かべワイドボーン准将、ヤン准将もにこやかに会話をしている。私もミハマ少佐と喜びを分かち合っていた。何と言っても五万隻の遠征軍を挟撃することが出来たのだ。

そんな中でヴァレンシュタイン准将だけが一人冷静さを保っていた。周囲の喧騒に加わることなく、戦術コンピュータとスクリーンを見比べていた。ワイドボーン准将が“これで勝った、少しは喜べ”と言ったのに対し“未だ終わっていません”とにべもなく切り捨てた。

何時しか艦橋から喧騒は去っていた。皆がヴァレンシュタイン准将の冷静さに圧倒されている。今回の作戦は准将が立案したものでその作戦が成功しつつある。全てが成功すれば帝国軍は大打撃を被るだろう、にもかかわらず准将は無表情に戦況の推移を見守っている……。どうしてそんなにも冷静でいられるのか……。この勝利を少しも喜んでいない様にも見える。やはり帝国人を殺す事に忸怩たるものが有るのだろうか。

「単座戦闘艇(ワルキューレ)が攻撃してきません。後方にすり抜けようとしています」
オペレータが困惑した様な声を出した。単座戦闘艇(スパルタニアン)の迎撃を突破した単座戦闘艇(ワルキューレ)がいるようだ。しかし後方にすり抜ける? 第一、第十二艦隊に向かっているのだろうか。

「第一、 第十二に向かうのかな」
「或いは駐留艦隊に向かうのか……」
「遠征軍はもう助からないと見たか……、だとすれば有り得るな」
ワイドボーン准将とヤン准将が会議卓の椅子に座り、スクリーンを見ながら話している。ヴァレンシュタイン准将はその傍で無言でスクリーンを見ている。狙いは第一艦隊だろうか、帝国軍は単座戦闘艇(ワルキューレ)が第一艦隊を混乱させれば駐留艦隊の突破は可能だと考えている? 突破して同盟軍本隊の後背を衝く?

「元帥閣下、通信妨害を解除しては如何でしょう」
ヴァレンシュタイン准将がシトレ元帥の元に近づき通信妨害の解除を進言した。シトレ元帥はスクリーンを見ていたが、ヴァレンシュタイン准将に視線を向けると大きく頷いた。
「そうしよう」

相手に対して奇襲、或いは孤立させるには通信妨害が必要になる。しかし挟撃が成功した以上、ここから必要になるのは各艦隊との連携になる……。通信妨害は総旗艦ヘクトルの他にも何隻かの艦で共同して行っている。それをやめさせるには連絡艇を使って各艦に伝えなければならない。これには結構時間がかかる。最終的に全ての艦が通信妨害を解除するには三十分はかかるだろう。

「それと第一、第十二艦隊に駐留艦隊を撃滅せよと改めて命じてください。このままでは取り逃がしかねない」
ヴァレンシュタイン准将の声には幾分苛立たしげな響きが有った。シトレ元帥も同じ事を感じたのだろう、微かに苦笑を浮かべている。

「いいだろう。十万隻動員したのだ、戦果は多いほど良い。ボロディンとクブルスリーには連絡艇を出そう」
「宜しくお願いします」

ヴァレンシュタイン准将が席に戻るとヤン准将が困惑したような表情で話しかけ始めた。
「駐留艦隊を無理に殲滅する必要は無いんじゃないかな、イゼルローン要塞は攻略しないんだろう? 余りやりすぎると帝国軍の恨みを不必要に買いかねない。適当な所で切り上げた方が……」

ヤン准将は最後まで話すことは出来なかった。ヴァレンシュタイン准将が冷たい目でヤン准将を見据えている。
「不必要に恨みを買う? 百五十年も戦争をしているんです、恨みなら十二分に買っていますよ。この上どんな不必要な恨みを買うと言うんです?」
「……」

「遊びじゃありません、これは同盟と帝国の戦争なんです。もう少し当事者意識を持って欲しいですね。何故亡命者の私が必死になって戦い、同盟人の貴方が他人事な物言いをするのか、不愉快ですよ」
「……」

ヤン准将は反論しなかった。口を閉じ無言でヴァレンシュタイン准将を見ている。その事がヴァレンシュタイン准将を苛立たせたのかもしれない。准将は冷笑を浮かべるとさらに言い募った。

「亡命者に行き場は無い、利用できるだけ利用すれば良い、その間は高みの見物ですか、良い御身分だ」
「そこまでだ、ヴァレンシュタイン、言い過ぎだぞ」
ワイドボーン准将がヴァレンシュタイン准将を窘めた。ヴァレンシュタイン准将が納得していないと思ったのだろう、低い声でもう一度窘めた。
「そこまでにしておけ」

ヴァレンシュタイン准将はワイドボーン准将を睨んでいたが“少し席を外します”と言うと艦橋を出て行った。その後を気遣わしげな表情でミハマ少佐が追う。二人の姿が見えなくなるとヤン准将はほっとした表情でワイドボーン准将に話しかけた。

「有難う、助かったよ」
「勘違いするなよ、俺は“言い過ぎだ”と言ったんだ。間違いだと言ったわけじゃない」
「……」

「奴はお前を高く評価している。それなのにお前はその評価に応えていない」
ワイドボーン准将の口調は決してヤン准将に対して好意的なものではなかった。そしてヤン准将を見る目も厳しい。ヤン准将もそれを感じたのだろう、戸惑うような表情をしている。

「そうは言ってもね、私はどうも軍人には向いていない」
「軍を辞めるつもりか? そんな事が出来るのか? 無責任だぞ、ヤン」
「……」
准将の視線が更に厳しくなったように感じた。

「ラインハルト・フォン・ミューゼルは着実に帝国で力を付けつつある。彼の元に人も集まっている、厄介な存在になりつつあるんだ。どうしてそうなった? ヴァンフリートの一時間から目を逸らすつもりか?」
「……」

ワイドボーン准将の言葉が続く中シトレ元帥は目を閉じていた。戦闘中に眠るなど有りえない、参謀達の口論を許す事も有りえない。眼をつぶり眠ったふりをすることでワイドボーン准将の言葉を黙認するという事だろうか……。つまり元帥もワイドボーン准将と同じ事を思っている?

ヤン准将が顔面を蒼白にしている。ヴァンフリートの一時間、一体何のことだろう……。
「お前がヴァレンシュタインより先に軍を辞める事など許されない。それでも辞めたければミューゼルを殺してこい。それがせめてもの奴への礼儀だろう。俺達が奴を苦しめている事を忘れるな」

そう言うとワイドボーン准将は視線を戦術コンピュータに戻した。遠征軍は次第に前後から追い詰められて行く。戦況は圧倒的に同盟軍の優位だった。そして総旗艦ヘクトルの艦橋は凍りついたように静かだった……。


 

 

第五十六話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その6) 

宇宙暦 795年 5月 7日 19:00 宇宙艦隊総旗艦 ヘクトル  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



結局来るところは此処か。司令部参謀が戦闘中にサロンで時間つぶし……、何やってんだか。許されることじゃないよな、シトレもワイドボーンも何も言わなかった。頭冷やしてこい、そんなところだろう。まあ、幸い戦争は勝っている。無理に俺が居る必要もないだろう。

別に好きで七百万人殺そうとしているわけじゃない。殺す必要が有るから殺すんだ。まあ最終的な目標が和平だというのはヤンは知らないからな、あんな事を言ったんだろう。人を殺すことで和平を求めるか……外道の極み、いやもっとも原始的な解決法と言うべきかな。ヤンじゃなくても顔を顰めるだろう。

分かってはいるんだ、ヤンがああいう奴だってのは……。ヤンは戦争が嫌いなんじゃない、戦争によって人が死ぬのが嫌いなんだ。だからあんな事を言い出した。でもな、帝国と同盟じゃ動員兵力だって圧倒的に帝国の方が有利なんだ。そんな状況で敵兵を殺す機会を見逃す……。有り得んだろう、後で苦労するのは同盟だ、そのあたりをまるで考えていない。

結局他人事だ。つくづく参謀には向いていないよな。誰よりも能力が有るのにその能力を誰かのために積極的に使おうとしない。俺が居るのも良くないのかもしれない。ヤンにしてみれば自分がやらなくても俺がやってくれると思っているんだろう。

参謀はスタッフだ、スタッフは何人もいる。全てを自分がやる必要は無い。つまり非常勤参謀の誕生だ。ヤンは指揮官にしてトップに据えないと使い道が無い。お前の判断ミスで人が死んだ、そういう立場にならないと本気を出さない。良い悪いじゃない、そういう人間なんだ。どうにもならない。

あんな事は言いたくなかったんだけどな、俺の気持ちも知らないでと思ったらつい言ってしまった、落ち込むよ……。“亡命者に行き場は無い、利用できるだけ利用すれば良い、その間は高みの見物ですか、良い御身分だ”

そんな人間じゃない、ヤンはそんな卑しい心は持っていない、卑しいのはそんな事を言う俺の心だ。後で謝るか……、謝るべきだろうな、俺はヤンを汚い言葉で不当に貶めたんだ。ワイドボーンが止めてくれなかったら一体何を言っていたか……。

「こちらだったんですか、准将」
サアヤが目の前にいた、どうやら俺の事を心配してきたらしい。余計な御世話だと言いたいところだが現実がこれではな……。馬鹿な子供の世話は疲れるよな、サアヤ。

「酷い事をヤン准将に言ってしまいましたよ」
「……そうですね、あとで謝った方が良いと思います」
「そうします」
俺の答えにサアヤはクスッと笑いを漏らした。

「そろそろ爆発するんじゃないかと思っていました。ずっと無理をしていましたから」
「……」
「何でも出来るから何でも一人でやろうとする。准将の悪い癖です」

そんなつもりは無い、手伝ってくれる人間がいればと何度も思うさ。だがラインハルトの恐ろしさをどう説明すれば良い? 彼が皇帝になるなどと言っても誰も信じないだろう。

「ヤン准将を高く評価しているから歯痒い、違いますか?」
「そうですね、でも仕方ありません。ヤン准将はそういう人なんですから」
「そうやってまた自分を抑える」
「……」

サアヤは今度は困ったような笑みを浮かべた。
「グリーンヒル中尉も心配しています」
心配? フレデリカが俺を? なんかの間違いだろう? 俺は訝しげな表情をしていたのだろう。サアヤがおかしそうに笑った。

「そうじゃありません、彼女が心配しているのはヤン准将の事です。准将がヤン准将を何時か排斥するのではないかと心配しているんです。怖がられていますよ、ヴァレンシュタイン准将。准将がそうやって自分を抑えてしまうから……」

馬鹿馬鹿しい話だ、何で俺がヤンを排斥する。ヤンの事が好きだからと言って俺を敵視するのは止めて欲しいよ。対ラインハルトの切り札を自分で捨てる馬鹿が何処にいる。

「そんな事はしませんよ、ミューゼル中将と互角に戦える人物が同盟にいるとすればヤン准将だけです。私はミューゼル中将にもヤン准将にも及びません。私はヤン准将の力を必要としているんです」
俺の言葉にサアヤは可笑しそうに笑った。
「准将だけです、そんな事を言うのは。他の人は准将ならミューゼル中将に勝てると思っています」

阿呆が、俺は天才じゃない、原作知識を上手く利用しているだけだ。どいつもこいつも何も分かっていない、俺は独創性なんぞ欠片もない凡才だという事は誰よりも自分が一番良く分かっている。

「ミハマ少佐もそう思いますか?」
サアヤはちょっと困ったような表情を見せた。
「さあ、私には分かりません。准将の言葉が外れたことは有りませんけどミューゼル中将の天才を見たことも有りませんから」
「……」

そうなんだよな、まだラインハルトの天才をほとんどの人が知らない。原作だって彼が天才だと皆が認識したのはアスターテ以後だ。俺が騒いでも深刻にはとられない。何人かが認識し始めた、そんなところだ。それでも原作よりはましではある。ヤンもまだラインハルトの天才を本当に認識しているとは言い難い。だから何処か切迫感が無い。その事が余計に俺を苛立たせる。

「ヤン准将ですよ」
サロンの入り口にヤンが居た。困ったように頭を掻いている。やれやれだ、向こうも謝りに来たらしい。ワイドボーンに何か言われたか……。さて何と言って謝るか……、サアヤがにこにこしている。何となく面白くなかった。



宇宙暦 795年 5月 7日 19:00 宇宙艦隊総旗艦 ヘクトル  フレデリカ・グリーンヒル



「随分と厳しい事を言っていたな」
「そうでしょうか、拙かったと思われますか」
「……まあ多少は良いだろう。少しは作戦参謀として働いてもらわないと」
シトレ元帥とワイドボーン准将が話している。ヤン准将は艦橋を出て行った。多分、ヴァレンシュタイン准将の所に謝罪に行っているのだろう。上手く出来れば良いのだけれど……。

ワイドボーン准将が溜息を一つ吐いた。
「歯痒いんですよ、ヴァレンシュタインが本当に頼りにしたいと思っているのは私じゃ有りません、ヤンなんです、それだけの実力もある。それなのに……、あれではヴァレンシュタインが可哀想ですよ」

「面白くないかね、何故自分を頼ってくれないかと」
「まあ、多少はそういうところも有ります」
「八つ当たりはいかんな」
シトレ元帥が苦笑交じりにワイドボーン准将を窘めた。ワイドボーン准将も苦笑している。

「そうですね、後で謝ります」
「勝ち戦と言うのも困ったものだな。余裕が有りすぎて参謀達が戦争よりも内輪もめに夢中になる」
「内輪もめですか、確かに困ったものですがヴァレンシュタインが一緒だと負ける気がしません。余裕も出ますよ」

ワイドボーン准将がおどけたように言うとシトレ元帥が大きな笑い声を上げた。
「まあ確かに負ける気がせんな」
ワイドボーン准将も笑う。二人とも戦争をしているとは思えないほど表情が寛いでいる、それほど同盟軍は優勢だ。

「ヤン准将の事だが心配はいらない。いずれ彼には十二分に働いてもらう、今はその前の準備期間中といったところだ」
元帥の言葉にワイドボーン准将が“ほう”といったような表情をした。

「何かお考えが有るのですね」
ワイドボーン准将の問いかけにシトレ元帥が頷いた、元帥は悪戯っぽい笑みを見せている。
「この戦いが終わってからの事だがね、楽しみにして欲しいな」
「なるほど、それは楽しみですね。ではこの戦いはさっさと終わらせないと」
「そうだな」

シトレ元帥はヤン准将を切り捨てるつもりは無いようだ。それどころかこれからもっと准将を活用しようとしている。ほっとした、准将が不当に扱われることは無い。艦橋にヤン准将が戻ってきた、その後ろからヴァレンシュタイン准将とミハマ少佐が見えた。

ミハマ少佐は可笑しそうな、そしてヤン准将とヴァレンシュタイン准将は二人ともちょっと困ったような表情を浮かべている。どうやら上手く仲直りできたらしい。ミハマ少佐、有難うございます、感謝です。



帝国暦 486年 5月 9日 14:00   イゼルローン要塞  トーマ・フォン・シュトックハウゼン



『それで遠征軍、駐留艦隊の状況は如何です』
「良くないな、反乱軍は総勢で十万隻もの艦隊で味方を攻めている。おまけに遠征軍は前後から挟撃されているのだ」

私の言葉にスクリーンに映る青年は沈痛な表情を見せた。そして一瞬躊躇いを見せた後、問いかけてきた。
『……駐留艦隊を戻すことは出来ませんか』

思わず溜息とともに首を横に振った。
「……遠征軍からは駐留艦隊に撤退するようにと連絡が有ったそうだ。だが現実問題として駐留艦隊も二倍の兵力を持つ反乱軍を相手にしている。簡単には撤退は出来ない、いや向こうが撤退させようとはしない。それにゼークト提督自身、撤退を良しとするには抵抗が有るのだろう」

私の言葉にミューゼル中将が溜息を漏らすのが見えた。
「連中の考えははっきりしている。帝国軍を撃破ではない、殲滅しようとしているのだ、本当は撤退するべきだと思うのだがな」

当初、罠ではないかと思われた反乱軍の撤退は罠ではなかった。帝国軍遠征軍は確かにイゼルローン回廊を要塞に向けて帰還中だった。反乱軍は艦隊を二分し遠征軍と駐留艦隊に対応した。勝機だった、遠征軍、駐留艦隊、どちらかが反乱軍を突破すれば七万隻の反乱軍を撃破出来る、皆がそう思っただろう。

だがやはり罠だった。反乱軍はさらにイゼルローン回廊の外から二個艦隊、三万隻の大軍を用意していたのだ。遠征軍、駐留艦隊、合計六万五千隻の帝国軍は極めて危険な状況に有る。

今、反乱軍は通信妨害を行っていない。イゼルローン要塞には遠征軍、駐留艦隊の悲鳴のような戦況報告が入ってくる。その所為で司令室にいる人間は皆蒼白になっている。駐留艦隊と不仲とはいえ、誰も彼らが殲滅されることなど望んではいない。そして艦隊が殲滅されれば次の攻撃対象は要塞だ。

「遠征軍はメルカッツ提督が後背を守っているようだ。今は未だ耐えているがメルカッツ提督が崩れれば遠征軍は一気に崩れるだろう」
どうにもならない、メルカッツ提督は二倍の反乱軍を相手にしているのだ。遠征軍の後背を守ると言えば聞こえは良いが現実には楯になれということだ。

遠征軍の後背を反乱軍に曝す事は出来ない。戦術行動は著しく制限されるだろう。ただ守り続ける、撃ち減らされる自軍を叱咤しつつ少しでも崩壊を先延ばしする。辛く惨めな戦いだ。おそらくメルカッツ提督にとっては最後の戦いだろうがそれがこんな戦いになってしまった。

だがそれでも耐えてもらわなければならない。遠征軍には一分一秒でも長く敵を引き留めてもらわなければならない。それが遠征軍にとってはどれほど辛く惨めな事であろうとも、このイゼルローン要塞を守るには遠征軍の犠牲が必要なのだ。

「ミューゼル中将、卿がイゼルローン要塞に到着するのは十四日で間違いないかな」
間違いだと言ってくれ、もっと早く着くと……。分かっている、そんな事は有り得ない、それでも何処かで奇跡を願っている……。

『間違いありません。残念ですが我々がイゼルローン要塞に到着するのはどんなに急いでもそれが限界です』
「分かった。卿の来援を待っている」

それを機にミューゼル中将との通信を終えた。ミューゼル中将は十四日に来る。となると遠征軍には最低でも十二日までは耐えてもらわなければならない。残り三日、到底耐えられるとは思えない。溜息が出そうになった。

「司令官閣下、遠征軍から連絡が」
「何と言ってきた」
「後方を崩されたそうです。メルカッツ提督が戦死したと」

オペレータの声が震えを帯びている。目の前が真っ暗になった。後背が崩されたとなれば遠征軍の壊滅は時間の問題だろう。先ず間違いなくミューゼル中将は間に合わない……。

「ミューゼル中将に連絡を……、遠征軍は後方を崩された。メルカッツ提督、戦死」
急がれたし、とは言わなかった。言うまでもない事だ、そして間に合う事もない。帝国最大の危機がイゼルローン要塞を襲おうとしている……。







 

 

第五十七話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その7) 

宇宙暦 795年 5月 11日 9:00 第一艦隊旗艦  アエネアース  クブルスリー-



『こちらから第十艦隊をそちらに差し向けます』
「そうか……」
スクリーンに黒髪、黒目の若者が映っている。冷静で落ち着いた表情と声だ。しかしおそらく内心は強い苛立ちが有るに違いない。滅多に表には出さないが外見に似合わぬ激しい気性をしていると聞いている。

『第十艦隊は駐留艦隊の後方に回り込み、第一、第十二艦隊と協力して敵を包囲殲滅する陣形を取ります。第一艦隊もそれに動きを合わせてください』
「うむ」
内容は結構厳しい。第一艦隊も動きを合わせろとわざわざ言ってきた。つまりこれまでの第一艦隊の動きは総司令部の期待に沿うものではないという事だ。

『総司令官シトレ元帥は必ず駐留艦隊を殲滅させるようにと言っておられます。第十艦隊がそちらに行くまでの間、駐留艦隊を逃がさぬようにして下さい』
「了解した」
駄目押しだ。第十二艦隊のボロディン提督にはおそらくこんな命令は出ていまい。第一艦隊は明らかにお荷物になっている。

スクリーンが切れ、ヴァレンシュタイン准将の姿が消えると副官ウィッティ中佐が躊躇いがちに声をかけてきた。
「……本隊より第十艦隊がこちらの支援に来ます」
「……そうか」

ウィッティ中佐の報告にげんなりした。おそらくはウィッティ中佐も私と同じ思いだろう、表情が冴えない。戦術コンピュータには艦隊がこちらに向かってくる様子が映っている。溜息が出そうになったがなんとか堪えた。

敵本隊は既に三万隻を切り味方は挟撃から包囲殲滅にと陣形を変えている。敵本隊を殲滅するのも時間の問題だろう。そして総司令部は優位に戦闘を進めているとは言え決定的な勝利を確定できずにいるこちらに第十艦隊を応援に寄こした。総司令部は第一艦隊の不甲斐なさに苛立っている……。

自分の率いる艦隊とはいえ目を覆わんばかりの惨状だ。どうしてこうなったのか……、理由は簡単だ、国内警備という緊張感のない任務に慣れてしまった所為だ。兵だけではない、兵を率いる指揮官もそれに慣れてしまった。情けない話だが私自身もその一人だ。今のままでは第一艦隊は張り子の虎だ、何の役にも立たない!

そんな不甲斐ない第一艦隊に比べて第四、第六艦隊の働きは見事としか言いようが無い。既に敵の一個艦隊を壊滅させ、敵本隊の後背に襲いかかっている。彼らが攻撃に加わったのは我々よりも遥かに後なのだ、にも拘らず既に一個艦隊を撃破している。彼らが敵本隊の後背に襲いかかったことで勝敗は決した。

当初今回の作戦に参加を命じられた時、第一艦隊の動きに不安を持つ人間はいなかっただろう。皆の不安は司令官が交代した第四、第六艦隊に向かっていたはずだ。士官学校を卒業していないモートン中将、カールセン中将に艦隊が扱えるのか、足手まといになるのではないか、皆そう思っていた。

しかしモートン中将、カールセン中将はその不安を見事に払拭した。敵艦隊を壊滅させ味方の勝利を決定づけている。それに比べて私の第一艦隊は……、ボロディン提督も第一艦隊に足を引っ張られると頭を抱えているだろう。ボロディン提督だけではない、ウランフ、ビュコック、シトレ元帥も第一艦隊の不甲斐ない有様に顔を顰めているはずだ。そしてヴァレンシュタイン……、今回の作戦を台無しにしかねない我々に強い憤りを感じているに違いない。

シトレ元帥が司令長官に就任してから艦隊司令官に対する信賞必罰が厳しくなった。パストーレ中将はアルレスハイムの会戦で勝利を収めたにも関わらず更迭された。理由はアルレスハイムの会戦時の対応が不適切だったからだと言われている。

帝国軍がサイオキシン麻薬を使用していることにヴァレンシュタイン准将に指摘されるまで気付かなかった、また警察に知らせるなど後の混乱の原因を作った事が正規艦隊の司令官としては頼りないと見られた。

ムーア中将は言うまでもないだろう。ヴァンフリートの会戦において迷子になり決戦の場に間に合わなかった。ビュコック提督、ボロディン提督はヴァンフリート4=2で帝国軍と戦い勝利を収めたのだ。その二人に比べれば明らかに指揮能力に問題ありと判断されても仕方がない。

今回の会戦の勝利は明らかに総司令部の作戦と敵の後背を衝いたモートン中将、カールセン中将の働きによるものだ。当然だが彼らを抜擢したシトレ元帥の権威は今以上に上がるだろう。そして人事に対するシトレ元帥の意向は最優先で実現されるに違いない。

第一艦隊の司令官は首都ハイネセンを守る役割を担っている。能力、忠誠心において優れている人間だけが就ける司令官職だった。私もそう評価されていたはずだがおそらく今回の戦いが終われば更迭の対象となるだろう。そしてモートン、カールセンは昇進……、艦隊司令官達の間では戦慄が走るに違いない、評価されるのは実力で有って学歴ではないという事がより徹底される。士官学校卒業など何ほどの意味も無い事が証明されるだろう……。

「閣下、敵が後退しようとしています」
「食らい付け! 後退を許してはならん!」
ぼっとしている暇は無い! 今は戦闘の最中だ、何を考えている! この敵を逃がす事など絶対に許されない! せめてその程度は出来る事を証明しなければハイネセンに戻る事さえ出来ないだろう……。



帝国暦 486年 5月11日  12:00   イゼルローン回廊    ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「遠征軍だけでなく駐留艦隊も反乱軍に包囲されたとなると帝国軍の殲滅は時間の問題ですな」
ケスラーの言葉に俺は黙って頷いた。帝国軍艦艇六万五千隻、兵員七百万の運命は確定した。彼らに残された道は戦死か、捕虜になるか……。だがイゼルローン要塞の事を考えれば少しでも長く抵抗を続けるだろう、つまり戦死だ。

「あとどの程度抵抗できるかな」
俺の問いかけにケスラーとクレメンツが顔を見合わせた。おそらく彼らの間では既に検討されているはずだ。俺の見込みではあと半日……、二人の考えはどうか、俺と同じか、それとも違うのか……。この二人の能力をどの程度信じられるのか、今、この場で確認しなければならない。場合によってはイゼルローン要塞付近で戦闘と言うこともあり得るのだ。

ケスラーが言い辛そうに答えた。
「……長くても今日中でしょう、それ以上は……」
同じだ、俺と同じ予測をしている。その事に安堵したが見込みには溜息が出た。俺だけではない、クレメンツも溜息を吐いている。余りにも悲惨な未来だ。

「反乱軍は移動を含めても十三日にはイゼルローン要塞の攻略が可能となるでしょう。果たして我々が到着するまで要塞は持ち堪える事が出来るかどうか……」
ケスラーが言い終えてから顔を顰めた。最短でも二十四時間は要塞単独で反乱軍の攻撃を凌がなければならない。十万隻の大軍を相手に可能だろうか……。

「いや、参謀長、反乱軍は要塞を攻めずに我々を待ち受けるかもしれません。その場合、我々は酷い窮地に追い込まれるでしょう。遠征軍や駐留艦隊同様殲滅されかねない……」
「……」

クレメンツの言うとおりだ。これまでの反乱軍の動きを見れば明らかに彼らは艦隊戦力の殲滅を狙っている。我々が救援に行くのが分かっている以上、待ち受けて殲滅を狙う可能性は高い。相手は精鋭十万隻、こちらは訓練不足の三万隻、要塞を攻めている背後を衝くならともかく待ち受けられてはとても勝負にはならない。

「しかしイゼルローン要塞を見捨てるわけにはいかない、十万隻の大軍に囲まれた要塞を見捨てれば、それだけで将兵の士気はどん底に落ちるだろう。帝国軍は要塞を失った上に軍の統制さえも取れなくなる恐れがある」
ケスラーが沈痛な表情をしている。

「我々が全滅してもそれは変わりません。むしろ我々が無駄死にし損害が大きくなるだけです。反乱軍は我々を殲滅した後、イゼルローン要塞を攻略するでしょう。撤退するべきではないでしょうか。この状態では撤退してもやむを得ない、上層部も分かってくれるはずです」

クレメンツが苦渋を浮かべている。味方を見殺しにしろなどとは言いたくないだろう。だがそれでも感情を押し殺して俺に進言してくれる。ケスラーもクレメンツも能力だけではなく人間としても信頼できる男達だ。

「……卿の懸念は分かる、それは私の懸念でもある。だが、イゼルローン要塞を見捨てる事は出来ない。軍務尚書からもイゼルローン要塞を何としてでも守れと言われている」

……但し要塞が陥落していれば話は別だ。いっそ要塞が陥落してくれれば……、そうであればこちらもオーディンに撤退できるのだが……。今のままでは俺の率いる三万隻も殲滅されかねない。

溜息が出た。俺だけではない、ケスラーもクレメンツも誘われたように溜息を吐いている。ヴァレンシュタインはイゼルローン要塞を囮にして帝国軍艦艇を次々に引き寄せ各個に殲滅している。蟻地獄、巨大な蟻地獄に俺達を引き摺り込もうとしている。

「反乱軍が要塞を攻略しているなら上手く行けば後背を衝けるだろう。もし我々を待ち受けているなら……、戦闘に入る前に撤退するしかないだろうな……」
後背を衝くなど先ず不可能だ、ヴァレンシュタインはそんな甘い敵ではない。だが最初からその可能性を否定して撤退する事は出来ない。イゼルローン要塞に行くしかない、そして味方を見殺しにする判断をすることになるだろう……。



宇宙暦 795年 5月 14日 10:00 宇宙艦隊総旗艦 ヘクトル  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



目の前にイゼルローン要塞が有る、艦隊戦力を失った要塞だ。攻撃する最大のチャンスなのだが同盟軍は要塞から距離を置き、包囲するでもなく遠巻きにイゼルローン要塞を見ている。

普通なら各艦隊司令官から攻撃要請が出ても良いのだが誰も総司令部に要請をしてこない。七万隻近い敵の大軍を殲滅した、その事実が艦隊司令官達を大人しくさせている。良い傾向だ、馬鹿で我儘で自分勝手な艦隊司令官等不要だ。総司令部の威権は確立された。

既にこの状態で二十四時間が過ぎた。要塞を攻撃するつもりは無い、要塞など攻略しても同盟にとっては一文の得にもならない。帝国は要塞を国防の最前線基地として使うつもりだろうが俺にとっては要塞はあくまで敵艦隊を誘引するための餌だ。敵を釣る餌を自分で食う馬鹿は居ない。

もう間もなくラインハルトの艦隊が此処に現れるはずだ、味方は十万隻、ラインハルトは三万隻、叩き潰すチャンスだがラインハルトがまともに戦うはずはないな。いざとなれば帝国領に撤退、いや後退戦をしかけようとするかもしれない。まあいい、無理に殲滅することは無い。ラインハルトの艦隊は生かして利用する。今回はそれが出来る。

遠征軍と駐留艦隊は殆ど全滅するまで戦った。一度、降伏勧告を出したが受け入れられることは無かった。クラーゼン、シュターデン、ゼークト、全て戦死するまで戦った。彼らが何を考えたかは分からないでもない。イゼルローン要塞を守るためには少しで長く俺達を引き留めなければならない。その一心で戦った……。

こちらには要塞を攻略する考えは無いのだが、そんな事は向こうには分かるはずもない。最後まで自分達の戦いが帝国の利益に叶うと信じて戦ったのだろう……。気の重い戦いだった。ヤンもワイドボーンもうんざりしたような表情をしていた。俺もうんざりだ、あとどれだけこんな思いをするのか……。

捕虜が少ない事で喜ぶのはレベロだけだろう、捕虜なんか食わせるのに金がかかるだけだ、殺した方が経費削減になる。銭勘定に執着が過ぎると血も涙もなくなる。嫌な話だ……。

第四、第六艦隊は十分以上に働いてくれた。モートン、カールセンの二人は信頼できる。これで使えるのは第四、第五、第六、第十、第十二の五個艦隊か……。第一は引き締めが必要だ。クブルスリーの能力以前に艦隊の練度が低すぎる、話にならない。

まあ原作でもそんな傾向は有った。ランテマリオ星域の会戦では同盟軍は帝国軍相手に暴走しまくった。あの時の同盟軍は第一、第十四、第十五艦隊だった。あれは同盟の命運を決める一戦に興奮したわけではなかった。練度不足、実戦不足がもろに出たわけだ。

第一艦隊の練度を上げれば使える艦隊は六個艦隊だが、それでも宇宙艦隊の全戦力の半分だ、残り半分は当てにならないって一体この国はどうなってるんだ。早急に残り半分もどうにかしなくてはならんが誰を後任に持ってくるか……。一人はヤンとして他をどうする? どう考えても艦隊司令官が足りない。

これから見つけていくしかないな、多少強引でも引き立てて艦隊司令官にする。候補者はコクラン、デュドネイ、ブレツェリ、ビューフォート、デッシュ、アッテンボロー、ラップ……。そんなところかな。能力を確認しつつ昇進させていく、時間はかかるかもしれんがやらないとな。戦争は何年続くか分からん。人材の確保も戦争の行方を左右する大きな要因だ、手を抜くことはできん。

「敵艦隊を確認しました! 兵力、約三万隻!」
オペレータが緊張を帯びた声で報告してきた。どうやらラインハルト登場か。艦橋にも緊張した空気が流れる。

「全艦に戦闘準備を、但し別命あるまでその場にて待機」
シトレの低い声が艦橋に響く。オペレータが各艦隊に命令を出し始めた。おそらく各艦隊司令官も期待に胸を躍らせているだろう。勝ち戦ほど士気を高める物は無い。

ラインハルトの艦隊は近づいてこない。本当なら要塞主砲の射程内に入りたいだろうが近づいてこない。こちらと戦う事になるのを恐れている。やはりこちらの狙いが要塞ではなく艦隊決戦による殲滅戦だという事を理解しているようだ。先ずこれでは戦闘にはならないだろう。

シトレに視線を向けた、向こうも俺を見ている。そして軽く頷いた、俺もそれに頷き返す。
「オペレータ、敵艦隊に通信を。ミューゼル中将に私が話をしたいと言っていると伝えてください」

俺の言葉にオペレータが困ったような表情をしている。そしてチラっとシトレを見た。確かに指揮官の許可なしに敵との通信などは出来んな、俺とシトレの間では話はついているんだが、こいつがそれを知るわけがない。
「准将の言う通りにしたまえ」
「はっ」

ラインハルトとの通信が繋がったのは十分程してからだった。スクリーンにラインハルト、ケスラー、クレメンツの姿が映っている。皆表情が硬い、状況は良くないからな、降伏勧告でもされると思ったか……。

降伏勧告などしても受け入れないだろう、俺は無駄なことはしない主義だ。戦いはまだ終わっていない。ドンパチだけが戦争じゃない、口喧嘩も立派な戦争だ。今度は俺が帝国に戦いをしかける番だ、帝国とラインハルトにたっぷりと毒を流し込んでやる……。



 

 

第五十八話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その8)

宇宙暦 795年 5月 14日 10:00 宇宙艦隊総旗艦 ヘクトル  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



スクリーンの前に立った。向こうは三人そろって俺を見ている。俺が敬礼すると向こうも答礼してきた。彼らは黒の軍服を着ている、俺も数年前まではその軍服を着ていた。本当なら一緒に戦えるはずだった。だが今の俺はグリーンの軍服を身に着けている。そしてその軍服にも慣れた……、身も心もだ。

「久しぶりですね、ミューゼル中将」
『久しぶりだ、ヴァレンシュタイン』
表情が硬いな、もう少し余裕を見せないと相手に主導権を握られるぞ。まあこの状況で余裕を出せる奴がいるとも思えん、いやトリューニヒトなら出すかな。あのロクデナシなら出来るかもしれん。

「ケスラー少将ですね、ヴァレンシュタインです」
『……』
ケスラーは無言だ。まあ初対面の亡命者ににこやかに挨拶されても困るだろう。これから宜しく、そんなところだ。後で手荒く行かせてもらう。

「クレメンツ教官、御無沙汰しています。こういう形でお会いするとは思いませんでした。お元気そうで何よりです」
『……そうだな、出来ればこういう形では会いたくなかった』
沈鬱な表情をしている。この人には随分と世話になった。俺もこういう形では会いたくは無かった。今でも俺の事を心配しているのかもしれない……。

「挨拶もなかなか難しいですね、昔のようにはいかない。今の私は亡命者でヴァンフリートの虐殺者です、この戦いの後、何と呼ばれるのか……」
『……』
どうせ碌でもない呼び名だろうが付けるのは帝国だ。連中のネーミングセンスには期待していない。

「最初に言っておきましょう、同盟軍はイゼルローン要塞を攻撃する意思は有りません。そしてそちらの艦隊を攻撃する意思もない」
『……では何故卿らは此処にいる』
幾分か掠れた様な声だった。疑うのは当然だがそんな胡散臭そうな顔をするな、ラインハルト。良い男が台無しだぞ。

「昇進されたと聞いたのでお祝いをと思ったのですよ。シトレ元帥閣下に相談したところ、良いだろうと許してくれました。話が終われば同盟軍はハイネセンに帰還します。持つべきものは話の分かる上官ですね」

ラインハルト達が顔を見合わせた、そして俺に視線を向けてくる。おそらく俺の後ろでシトレは苦笑しているだろう。通信を聞いている各艦隊司令官は目を白黒させているに違いない。帝国軍も状況は似た様なものだろうな。

この状況で攻撃しないと言っても誰も信じない。だからこそ意味が有る、ヴァレンシュタインは嘘は吐かない、皆がそう思うはずだ。この通信は同盟、帝国、合わせて千三百万を超える人間が見ている。俺は出来るだけ穏やかに微笑みを浮かべた。

「改めてお祝いを申し上げます、カストロプの反乱を鎮圧し中将へ昇進、おめでとうございます」
『ああ、有難う』
「カストロプ公もついにお役御免ですか、それともようやく帝国の役に立ったと言うべきかな」

ラインハルトの秀麗な顔に翳が落ちた、ケスラーも少し表情が硬い。なるほど、この二人は知っている。情報源はキスリングだな。クレメンツは訝しげな表情をしている、クレメンツは知らない……。悪いが利用させてもらう、恨んでもらって結構だ。俺達は敵同士なのだ、教官と士官候補生じゃない。

「しかし、惜しい事です。どうせならこの会戦の後に処分した方が良かった。平民達のゴールデンバウム王朝に対する不満を頂点で払拭できた。そうでは有りませんか、クレメンツ教官?」

『何の事だ、ヴァレンシュタイン』
喰い付いて来た。クレメンツは訝しげな表情をしている、そしてラインハルトとケスラーの表情が強張るのが見えた。秘密にしておきたかったのだろう、気持ちは分かる、だがそれが裏目に出たな。

「御存じないのですか、……カストロプ公爵家は帝国への不満を持つ人間を宥めるための道具だったのですよ」
『……』
俺の背後でざわめく気配がした。おそらくここに集結している十三万隻の艦艇全てで同じようにざわめいているだろう。

「カストロプ公は十年以上、財務尚書の地位に有りました。その間何度も疑獄事件にかかわりましたが処罰されることは無かった。疑獄事件だけじゃありません、彼は殺人事件にもかかわっていますが処罰されなかった。帝国の為政者達、おそらくはリヒテンラーデ侯でしょうが、侯はカストロプ公を生かしておけば平民達の帝国へ不満が皇帝にではなくカストロプ公に向かうと思ったのです。そして平民達の不満が溜まりに溜まった時点でカストロプ公を処断する」
『馬鹿な』

クレメンツが蒼白になっている。ラインハルトとケスラーも蒼白になっている。クレメンツは驚きだろうが、あとの二人は全てが明るみに出るという恐怖だろう。俺の背後のざわめきが大きくなった。後で質問攻めだな、これは。

「ミューゼル中将とケスラー少将はご存じのようですよ、クレメンツ教官」
クレメンツがラインハルトを、そしてケスラーを見た。“事実なのですか”とクレメンツが訊いているが二人は無言だ。スクリーンには驚愕を浮かべるクレメンツと顔を強張らせるラインハルト、ケスラーの姿が映っている。この映像だけで俺の話が真実だと皆信じるだろう。

「ヴァンフリートの敗戦が有りましたからね、その不満を抑える必要が有ったという事でしょう。宇宙船での事故死だそうですが仕組んだのは情報部かな、それとも内務省か……。相続問題でカストロプ公爵家を反乱に追い込むとは……、見事ですよ」

俺が笑い声を上げたが誰も一緒に笑おうとしない。面白い話なんだがな、それとも面白いと思っているには俺だけか……。これからもっと面白くなる、多分最後は皆笑えるだろう。

「私がカストロプ公を殺したという事かな、だとすると因果応報というところですね」
『因果応報? どういう事だ?』
『クレメンツ少将、戯言だ、相手にするな』
必死だな、ケスラー、だがもう遅い。

「戯言ですか、ケスラー少将。真実を戯言として葬り去る……、余程に都合が悪いようですね。貴方も御存じなのでしょう、私の両親を殺したのがカストロプ公だという事を、それも戯言ですか」
ケスラーが顔を強張らせて沈黙した。お前の負けだ、ケスラー。真実に勝る武器は無し、俺は剣を持ちお前達には楯は無い。黙って切り刻まれろ。

『馬鹿な、あれはリメス男爵家の……』
喘ぐようにクレメンツが言葉を出した。
「違いますよ、カストロプ公です。イゼルローン要塞でフロトー中佐に言われました。“カストロプ公にお前を殺せと言われた。因縁だな、お前の両親も俺が殺した。お前達親子はとことんカストロプ公に嫌われたらしい”とね」

「多分何処かの貴族の相続問題にでも絡んでの事でしょう。あの業突張りのロクデナシが。他人を踏み潰すことを何とも思わない、まさに門閥貴族の典型ですよ」

母さん、ごめん。俺もどうしようもないロクデナシでクズだ。母さんを利用させてもらう。
「フロトー中佐が言っていました。“お前は母親に似ている。あれは好い女だった”と、あのクズが!」
『止せ! ヴァレンシュタイン』

止めたのはラインハルトだった。ブルブルと震えている。
「リヒテンラーデ侯は帝国を守るためにカストロプ公を用意した。カストロプ公は悪業の限りを尽くし私の両親を殺し私も殺そうとした。私は同盟に亡命しヴァンフリートで三百万人殺した。そしてカストロプ公はその責めを負わされた。今度はイゼルローンで七百万人殺しました。リヒテンラーデ侯はどうするかな? 平民から憎まれている貴族を二人か三人、殺すか……。それで平民の不満を抑えられて帝国が守れるなら安いものか」

『もう止せ! ヴァレンシュタイン!』
「……そうですね、この話は余り面白いものじゃない。特に帝国人にとっては惨めな話でしょう。自分達の住む国の為政者が弱者を犠牲にすることで王朝を守ろうとしているのですからね。何のためにこの国を守るのか……、皆疑問に思うでしょう」

俺の言葉にスクリーンの三人が顔を強張らせた。分かったか、これは戦争なんだ。しかも圧倒的にお前達に分の悪い戦争だ。だが通信を切ることは出来ない、切ればその時点で敗北が決定する。

聞くのが辛いか、ラインハルト。そうだろうな、お前ならそうだろう。だがな、俺はお前にじゃなくお前以外の帝国人に聞かせたいんだ、帝国を分裂させる、平民対貴族、そして貴族対貴族、不和の種をばらまいてやる、それが目的なのだ。まあお前は十分に協力してくれた。ファースト・ステージは終了だ、今度はセカンド・ステージだ。

「宇宙艦隊の中核は全滅しました。新たに再建するとなれば穴を埋めるのは貴方達という事になりますね。新司令長官はオフレッサー元帥か、手強い相手になりそうだ……。クレメンツ教官、私は良い教え子だと思いますよ、教官を宇宙艦隊の中核に押し込んだんですからね」
『馬鹿な』
クレメンツが顔を顰めた。

「それにしてもクレメンツ教官、余計な事をしてくれましたね」
俺の言葉にクレメンツが身構えるのが分かった。俺が怖いのかな、だとしたら良い傾向だ。

『余計な事とは?』
「オフレッサー元帥府に帝国でも一線級の指揮官を集めた、ロイエンタール、ビッテンフェルト、ワーレン、ミッターマイヤー、ミュラー……、皆貴方の教え子です、そうでしょう」
『……それがどうかしたか』

「何のためにイゼルローンで七百万人を捕殺したと思っているんです? 彼らを殺す為ですよ」
『馬鹿な、何を言っている……』
クレメンツの声が震えている。ラインハルトとケスラーがギョッとした表情で俺を見ている。まだまだ、これからだ。

「彼らは有能です。馬鹿な指揮官では彼らは使えない、いずれ彼らはミューゼル提督の所に行く。だからその前に殺してしまおうと思ったのです。ミューゼル提督と彼らが一緒になれば厄介ですからね。それなのに……、シュターデン教官も役に立たない、戦術が重要だと言いながら戦術能力に優れた人物を簡単に手放してしまうのですから……。所詮は理論だけの人だ」

『そのために七百万の帝国人を捕殺したと言うのか』
震えているのは声か、体か、それとも心か……。
「帝国軍に打撃を与えると言う目的も有りました。でも主目的はそちらです。捕殺できたのはメルカッツ、ケンプ、ルッツ、ファーレンハイト……。皆教官と接点の無い人ばかりですよ。当初の予定の半分にも満たない。おまけに気が付けばあなたの他にケスラー、メックリンガー、アイゼナッハまで揃っている」
全くだ、バグダッシュからリストを見せられた時はうんざりした。クレメンツ教官、あんたは本当に余計な事をしてくれたよ。

『……ヴァレンシュタイン』
『騙されるな、クレメンツ少将。ハッタリだ』
ケスラーが厳しい表情で俺を睨んでいる。クレメンツがハッとした表情を見せた。ケスラー、カストロプの話が終わって少しは元気が出たか。それとも此処で俺をやり込めてカストロプの話も出鱈目だと持っていくつもりかな。

「おやおや、私を嘘吐き呼ばわりですか、ケスラー少将」
『卿は我々の事など碌に知るまい。適当な事を言って我々を捕殺された将兵の家族に恨まれるようにしようとしている。そうだろう』

クレメンツが、そしてラインハルトが俺を見た。先程まであった恐怖は無い、良い仕事をするな、ケスラー。だがな、俺は本心なんだ。嘘吐き呼ばわりの代償は払ってもらう。

世の中には不思議な事がたくさんある。知らないはずの事を知っている人間がいるんだ。特に原作知識なんていう訳の分からんものを持っている人間がいる。可笑しかった、思わず笑い声が出た。そんな俺をスクリーンに映る三人が胡散臭そうに見ている。

「なかなか鋭いですね、でも適当な事など言っていませんよ、ウルリッヒ兄様」
『ウルリッヒ兄様だと、馴れ馴れしく呼ぶな、無礼だろう』
ケスラーが眉を顰めた。昔はそう呼ばれて喜んでいたんだけどな。もう忘れたのか? 思い出させてやろう。

「かつて貴方をそう呼んだ人が居ましたね」
俺の言葉にケスラーが黙り込んだ。そして小さく呟く。“ハッタリだ……”。
「ハッタリじゃ有りませんよ、私は貴方達を良く知っているんです。辺境にクラインゲルトという子爵家が有ります。そこにケスラー少将をウルリッヒ兄様と呼んだ人物がいる」

ラインハルトとクレメンツがケスラーを心配そうに見ている。そしてケスラーは顔を強張らせていた。
「どうしました、ケスラー少将。先程までの勢いが有りませんが……。フィーアに会いたくありませんか」
『……』
ケスラーの顔が蒼白になった、微かに震えているのが分かった。俺を嘘吐き呼ばわりした罰だ、そこで震えていろ。

「世の中には不思議な事がたくさんあるのですよ。知らないはずの事を知っている人間がいる。私もその一人です」
もう一度笑い声を上げた。これで皆俺の言う事を真実だと思っただろう。カストロプの事もだ。セカンド・ステージ終了だな、次はファイナルだ。

スクリーンには蒼白になっている三人が居る。
「ミューゼル中将、教えて欲しい事が有ります」
『……何を聞きたい』
そう警戒するな、ラインハルト。警戒しても無駄だからな。

「私の両親の墓の事です。無事ですか?」
『……』
ラインハルトの蒼白な顔が更に白くなった。正直な男だな、ラインハルト。知らないと言えば良かったのだ。この場合の沈黙は知っているが答え辛いと言っているようなものだ。この通信を見ている人間全てが墓は破壊されたと分かっただろう。

俺は答えを既に知っている。バグダッシュが教えてくれた。フェザーン経由で調べたらしい。覚悟はしていたがそれでもショックだった。
「答えが有りませんね、正直に答えてください、墓は壊されたのですね?」
『……そうだ』
ラインハルトは目を閉じている。この男はそういう下劣さとは無縁だ。少し胸が痛んだがやらねばならない。

「遺体はどうなりました。無事ですか」
『……残念だが、掘り出されて遺棄されたと聞いている』
遺棄じゃない、罪人扱いされて死刑になった罪人の遺体同様に打ち捨てられた。ヴァンフリートの戦死者の遺族がそれを望み、政府がそれを率先して行ったらしい。政府にしてみればそれで遺族が納得してくれれば安いものだと思ったのだろう。カストロプの真実は話せないからな。

「帝国は私から全てを奪った、両親、家、そして友……。それだけでは足りず私の両親の安眠と名誉も奪ったという事ですか。……つまり私はルドルフの墓を暴く権利を得たわけだ、鞭打つ権利を」
笑い声が出た。計算して出した笑い声じゃない、自然と出た。

『ヴァレンシュタイン!』
「何です、クレメンツ教官。不敬罪ですか、名誉なことですよ、今の私は反逆者なんですから。これからも何百万、何千万人の帝国人を殺してあげますよ。帝国の為政者達に自分達が何をしたのかを分からせるためにね……、悪夢の中でのたうつと良い」
笑い声が止まらない、スクリーンの三人が顔を強張らせて俺を見ている。

「私を止めたければ、私を殺すか、帝国を変える事です。言っている意味は分かるでしょう、ミューゼル中将。貴方もそれを望んでいるはずだ」
『……』
ラインハルトの顔が歪んだ。あとの二人が驚愕の表情でラインハルトを見ている。

「貴方がどちらを選ぶか、楽しみですね。私を殺す事を選んだ時は注意することです、弱者を踏み躙る事で帝国を守ろうとする為政者のために戦うという事なんですから。私と戦う事に夢中になっていると後ろから刺されますよ。連中を守るためになど戦いたく無いと言われてね、気を付ける事です」

ラインハルト達が震えているのが分かった。恐怖か、それとも怒りか……。
「また会いましょう。次に会う時は殺し合いですね、こんな風には話せない。楽しかったですよ、ミューゼル中将、ケスラー少将、クレメンツ教官」

通信を切らせた。敬礼はしなかった、必要ないだろう。振り返ると皆が俺を見ていたが直ぐに視線を伏せた。シトレも視線を伏せ黙り込んでいる。やれやれだ、空気が重い。そんな中でサアヤだけが蒼白な顔で俺を見ていた。

彼女は俺が近づいても視線を逸らさなかった。無理をするな、サアヤ。
「ミハマ少佐、私が怖くありませんか」
「……怖いです」
「でも私を見ている……」
「前回のイゼルローン要塞攻略戦で誓ったんです。准将の前で俯くようなことはしたくない、正面から准将を見る事が出来る人間になりたいと……」

必死に笑みを浮かべている。困ったものだ、無下に出来ん。バグダッシュに上手く嵌められたかな、まあ仕方ない。
「私は喉が渇いたのでサロンに行こうと思っています。一緒に行きますか」
「はい!」

大声を出すな、全く。どういう訳か笑い声が出た。まあ良い、犬を一匹飼ったと思おう。犬は飼い主の性格なんて関係ないからな。オーベルシュタインだって犬を飼っていた。サアヤは……、ちょっと毛色の変わった犬だと思おう。飼ったのだから面倒は見ないとな。後でクッキーでも焼いてやるか……。

 

 

第五十九話 皇帝崩御

帝国暦 486年 5月14日  12:00   オーディン 軍務省 尚書室 オフレッサー



「何だと、一体何の冗談だ、そのカストロプの話は!」
「悪辣にも程が有る。あの小僧、一体何処まで帝国を貶める気だ!」
目の前でエーレンベルク、シュタインホフ両元帥が激高していた。無理もない、俺がその立場ならやはり激高しただろう。

イゼルローン要塞は守られた。遠征軍、要塞駐留艦隊は全滅したがイゼルローン要塞が反乱軍の手に渡ることは無かった。反乱軍は撤退し最悪の事態は避けられたように見える。しかし、俺に言わせればイゼルローン要塞が反乱軍の手に渡り、ミューゼルの艦隊も全滅していた方がまだましだった。

ヴァレンシュタイン、あの小僧がとんでもない事をしでかした。カストロプの秘密を帝国軍将兵、反乱軍将兵の前でぶちまけた。おまけに反帝国感情を煽る様な言動までしている。

ミューゼルはエーレンベルク、シュタインホフ両元帥にではなく俺に連絡を取ってきた。奴も事態の深刻さを理解している、直接両元帥に話しを持っていけば混乱するだけだと思ったのだろう。カストロプの秘密を知っている俺に話すことを優先した。その判断は褒めてやるが俺にとっては嬉しい事ではない、厄介ごとを押付けられた気分だ。

「残念ですが、冗談ではありません」
俺の言葉にエーレンベルク、シュタインホフが鋭い視線を向けてきた。
「どういう意味だ、オフレッサー元帥」
「冗談ではない、そう申し上げているのです、軍務尚書」

エーレンベルク、シュタインホフが顔を見合わせた。そしてまた視線をこちらに向けた。
「卿、何を知っている」
低い声でエーレンベルク元帥が問いかけてきた。

「知っている事は全てお話致します。しばらくの間、何も言わずにお聞きください」
エーレンベルク、シュタインホフがまた顔を見合わせた。
「良いだろう、全て話してもらおう」


全て話すのに小一時間かかった。途中何度か話が中断されかかったがその度に二人を宥めて話し続けた。カストロプの事、そしてヴァレンシュタインの毒……。両元帥とも話が進むにつれ無口になり今では蒼白になって黙り込んでいる。

「この件は表に出れば大変な事になります、極秘とされ口外することは禁じられていました。知っていたのは帝国でもごく一握りの人間だけでしたが今では帝国だけでも五百万人以上、反乱軍を入れれば千五百万の人間が知っています……」

呻き声が聞こえた、エーレンベルク元帥が髪を掻き毟っている。
「何という事をしてくれたのだ、帝国を守る贄だと、その贄が原因でヴァレンシュタインが生まれたと言うのか、あの忌まわしいガルムが! その所為で帝国軍将兵一千万人が死んだというのか、何という事をしてくれたのだ! リヒテンラーデ侯……」

「リヒテンラーデ侯はこの事態を知っているのか、オフレッサー元帥」
「此処に来る前に知らせました。侯は陛下に御報告すると」
「そうか」
シュタインホフも生気が無い。もっとも生気が有る人間などこの部屋には居ない。皆、この先の展望が見えずにいる。

ヴァレンシュタインは帝国軍将兵の心に毒を植え付けた。将兵達は帝国そのものに、何のために戦うのかに疑問を持ち続けるだろう。そしてその疑問は将兵から帝国臣民全体に広まる……。帝国は革命という巨大な爆薬を背負わされて焚火の周りを歩いているようなものだ。一つ間違えば革命は爆発し帝国は吹き飛ぶだろう。

TV電話が呼び出し音を奏でた。エーレンベルクがのろのろと受信スイッチを押す。スクリーンにリヒテンラーデ侯の顔が映った。

「リヒテンラーデ侯、何という事を」
『後にしろ、軍務尚書』
「何を言って」
『後にしろと言っているのだ!』

リヒテンラーデ侯の激しい言葉にエーレンベルク元帥が口籠った。
『陛下が先程、御倒れになった』
「な、なんと」
『陛下が御倒れになったのだ、軍務尚書!』

尚書室が凍りついた。
『陛下は後継者を定めておらん。陛下に万一の事が有れば皇位を巡って内乱が起きかねぬ。何としてもそれは防がねばならん。軍の力をあてにしてよいか?』

エーレンベルクもシュタインホフも黙り込んだ。宇宙艦隊は司令部が壊滅状態、そして中核である精鋭部隊も全滅。その状態で内乱を防ぐと言っても簡単な事ではない。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も自前の軍を持っているのだ。一月前なら恐れることは無かった。だが今は……。

「帝都防衛についてはお任せください、オーディンで地上戦は起こさせません」
躊躇うな、今は最善を尽くすしかない。俺の言葉にエーレンベルクが頷いた。
「軍は最善を尽くします。しかし、例の件については納得のいく説明をしてもらいますぞ」
『分かっている、頼む』

スクリーンからリヒテンラーデ侯の姿が消えた。
「オフレッサー元帥、帝都防衛は卿に頼む。宇宙艦隊の再編はシュタインホフ元帥、お手数だが卿に頼みたい」
「承知した。して、軍務尚書は如何なされる」

シュタインホフの言葉にエーレンベルクは忌々しそうに吐き出した。
「例の件、説明はともかく後始末は急がねばなるまい。事は軍だけの問題ではない、国務尚書と善後策を検討しなければならんだろう。一つ間違うとイゼルローンで反乱が起きかねん。反乱軍に寝返ったりしたらとんでもない事になる」
シュタインホフ元帥が顔を顰めるのが見えた。なるほど、確かに有り得る。駐留艦隊が全滅した、そんな時に例の一件の真実を聞いたのだ。要塞守備兵の士気は最悪だろう。シュタインホフ元帥が俺を見た。こちらも異存はない、黙って頷いた。

「イゼルローンの駐留艦隊ですが、そちらも私が再編してよろしいかな」
「そうだな、そうしてもらおうか。再編が終わるまではミューゼル中将をイゼルローンに置く事にしたい。どうかな、オフレッサー元帥」
「異存有りません」

今はイゼルローン要塞に残留させた方が良いだろう。こちらに戻すのは例の一件の対処をどうするか、はっきり決めてからで良い。下手に戻すと新たな火種になりかねん。唯一心配なのはあの艦隊が反乱を起こす事だが、まああの連中なら心配はいらんだろう。しばらくは向こうで訓練に専念させることだ。

「それにしてもこれから先、帝国はどうなるのか……」
呟く様な軍務尚書の声だった。まったく同感だ、これから先帝国はどうなるのか、想像もつかない……。



帝国暦 486年 5月25日  10:00   イゼルローン回廊    ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「それで、次の皇帝陛下はどなたに」
『エルウィン・ヨーゼフ殿下が即位される、エルウィン・ヨーゼフ二世陛下としてな』
「それは……」

予想外の言葉に思わず絶句した。目の前のスクリーンにはオフレッサーが映っている。オフレッサーも難しい表情をしていた。彼にとっても予想外の結果だったのだろう。

皇帝フリードリヒ四世は今月の十四日、帝国軍大敗の報を受けショックで倒れた。一説には例のカストロプの一件の報告を受け倒れたとも言われているが真相は分からない。だがほとんどの人間はそれを信じている、いや信じたがっている。

一度は持ち直したがその三日後、十七日の朝にはベッドで冷たくなっているフリードリヒ四世が発見された。死因は心不全、幸いだったのは皇帝が姉の所で死んだのではないことだ。もしそうなったら何処かの馬鹿貴族が姉が殺したと騒ぎ立てただろう。

自然死ではある、だが多くの者がそれを信じていない。ヴァレンシュタインに呪い殺されたのだと信じている。“悪夢の中でのたうつと良い” 笑いながら放たれたヴァレンシュタインの言葉だ。

フリードリヒ四世はベッドの中で悪夢にのたうちまわりながら死んだ。“ヴァレンシュタインの呪いの最初の犠牲者”、それが兵士達がフリードリヒ四世に付けた異称だ。そして次の犠牲者は誰かと噂をしている。

“ヴァレンシュタインの呪い”、現実に帝国はその呪いの所為で混乱している。誰もが帝国の統治者に不信を抱き、反乱軍との戦争に疑問を抱いているのだ。そして政治体制そのものに疑問を抱き始めている。一つ間違えば革命が起きるだろう。イゼルローン要塞でも、そして俺の艦隊でも不穏とは言えないまでも微妙な空気が漂っている。非常に危険だと言える。

フリードリヒ四世は後継者を定めていなかった、その事が混乱に拍車をかけている。候補者は三人、皇太孫エルウィン・ヨーゼフ、外孫エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク公爵令嬢、同じく外孫サビーネ・フォン・リッテンハイム侯爵令嬢。

外孫二人がいずれも大貴族の娘であるのに対し、エルウィン・ヨーゼフは嫡孫とはいえ有力な後ろ盾は居ない。ましてエルウィン・ヨーゼフは未だ五歳にもなっていないはずだ。それに対し外孫二人は十歳は超えている。五歳に満たない幼帝が即位するには圧倒的に不利な状況と言って良い。だが現実には両者を抑えてエルウィン・ヨーゼフが皇帝として即位する。

リヒテンラーデ侯が両家を抑えたという事だろうか。己の権力を維持するために傀儡の皇帝を擁立した。彼にとっては皇帝は幼いほどやりやすいだろう。それほどまでに権力を維持したいのか、今は非常時、保身よりも大事なことが有るだろう。このままではヴァレンシュタインの思う壺だ、リヒテンラーデ侯はあの男の恐ろしさを理解していない。焼け付くような焦燥感が起きた。

「リヒテンラーデ侯がブラウンシュバイク、リッテンハイム両家を抑えたという事でしょうか? 本来なら両家の協力を得る事が必要なはずですが……」
俺の問いかけにスクリーンのオフレッサーは首を横に振って否定した。

『そうではない、リヒテンラーデ侯は両家の協力を求めたのだ。より露骨に言えば次の皇帝はエリザベート・フォン・ブラウンシュバイクに、そしてブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に帝国宰相、副宰相になってもらいたいとな』

だが現実にはエルウィン・ヨーゼフが帝位についた……。リッテンハイム侯が納得しなかったという事だろうか。
「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は帝国宰相、副宰相に就任されるのでしょうか」

『残念だがそれもない』
どういう事だ、帝位も宰相の座も要らない? 何かがおかしい。スクリーンのオフレッサーは厳しい表情をしている。俺は何を見落としている?

俺の気持ちを読んだのだろうか、オフレッサーが微かに唇を曲げて問いかけてきた。
『両家が何を考えているのか、分からんか?』
「……分かりません」

『両家とも帝位を望むのは危険だと思っているのだ。革命が起きるのではないかと恐れている』
「まさか……、そこまで」
思わず声が震えた。ブラウンシュバイク、リッテンハイム、両家とも帝国屈指の実力者だ。その両家が革命が起きると恐れている。

『当家の娘は外孫、皇位は嫡孫であるエルウィン・ヨーゼフ殿下こそがお継ぎになるべき……。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が言った言葉だ。正論ではあるがこれまで事あるごとに帝位を巡って争ってきた両家が言う台詞ではないな』

皮肉交じりのオフレッサーの言葉に俺は頷いた。両家が次期皇帝の座を狙っていたことは子供でも知っている事だった。つまり建前であって本音ではない。

『革命が起きれば皇帝はその命を狙われることになるが、だからと言って皇帝は逃げる事は出来ん。だが外孫ならば話は別だ、場合によっては革命勢力に味方することも出来るし亡命と言う手も有る。生き延びるという点に関しては皇帝になるよりもはるかに有利なのだ……』

「つまり、ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家は……」
『新帝を見放した、そういう事だ。いや、見放したのは帝国の未来かもしれんな』
「……」

帝国屈指の大貴族が帝国の未来に絶望している、となれば他の有力貴族も似たようなものなのだろうか……。イゼルローンでは分からないが、オーディンでは今回の一件は俺が考える以上に深刻に捉えられているのかもしれない

『リヒテンラーデ侯に対して新帝を担いで事態を収拾してみろ、そんな気持ちも有るのかもしれん。例の一件の首謀者はリヒテンラーデ侯だからな、責任を取らせるという事だろう』

その裏には自分達にその責任を押付けるなという気持ちが有るだろう。同時に例の一件はあくまでリヒテンラーデ侯の独断で自分達は関係ないと主張している。いざとなれば新帝とリヒテンラーデ侯を不満分子に売り渡して不満を解消させる。その後、自分の娘を担いで事態の収拾を図る……、そんなところか。

「ではリヒテンラーデ侯は国務尚書に留任ですか」
『例の一件はあくまでヴァレンシュタインの邪推であって真実ではない、それが帝国の公式見解だ。そうである以上、リヒテンラーデ侯が引退する理由は無い。侯が生き残るためには新帝陛下を担いでこの難局を乗り切るしかない』

新帝とリヒテンラーデ侯にとっては地獄だろう。ヴァレンシュタインの呪いの犠牲者、二人がそう呼ばれるのも遠い日ではないかもしれない。

『伝えておくことが有る』
「はっ」
『要塞駐留艦隊の司令官だがグライフス大将に決まった。一週間後にはオーディンを発つはずだ』
「はっ」

新たな駐留艦隊が此方に着くのは大体二月後か、俺がオーディンに戻るのは九月の中旬から下旬だな……。新司令官はグライフス、ヴァンフリートの会戦時の参謀長だった。この時期にイゼルローン要塞駐留艦隊司令官か、素直に喜べる人事ではないだろうな。

『ミューゼル、分かっているだろうが帝国を安定させるためには軍事的勝利が必要だ。少なくともリヒテンラーデ侯はそう考えている。これについては軍務尚書、統帥本部総長も同じ考えだ。帝国の安定だけでなく軍内部の統制を保つためにも勝利が必要だとな……。卿は配下の艦隊の練度を上げておけ。場合によってはオーディンに戻ることなく出撃という事も有る』

「しかし、それは」
この状況で反乱軍に戦争を仕掛ける? あまりにも危険が大きすぎるだろう。負ければ一気に帝国内には革命気運が強まるに違いない。しかしオフレッサーは最後まで俺に話させなかった。

『言い忘れたが、新任の宇宙艦隊司令長官は俺に決まった。卿だけに責任は負わせん、出撃には俺も同行する。頼りにしているぞ』
「はっ」

どうやら次の一戦が帝国の命運を分ける戦いになりそうだ。負ければ帝国は間違いなく革命の嵐に揺れるだろう。俺もオフレッサーも敗戦の責を取らされるに違いない、おそらくは死……。背水、そんな言葉が頭に浮かんだ。帝国も俺も後が無い状況で戦いを迎える事になるだろう……。

 

 

第六十話 ニーズホッグ、又の名を嘲笑する虐殺者

帝国暦 486年 5月25日    イゼルローン回廊    ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー  アルベルト・クレメンツ



旗艦タンホイザーの会議室にオフレッサー元帥府の将官達が集められた。先程ミューゼル中将にオフレッサー元帥より連絡が有ったから多分それに絡んでの事だろう。おそらくは新皇帝が決まったという連絡のはずだ。

会議室の空気は酷く暗い。ケスラー、メックリンガー、アイゼナッハ、ロイエンタール、ワーレン、ビッテンフェルト、ミッターマイヤー……、皆押し黙り視線を交わすだけだ。かつての闊達さは何処にもない、五月十四日からそれは失われた。

「おそらく皇帝陛下になられる方が決まったのだと思うが、どちらかな」
「多分、ブラウンシュバイク公爵家の令嬢だと思うが」
「リッテンハイム侯が納得するかな」
「さあ、どうかな」

ミッターマイヤーとロイエンタールが話している。しかし互いに何処か上の空のような口調だ。本心から心配しているわけではないだろう。我々が此処で気を揉んでもどうにもならない。何となく間が持たずに会話をしている、そんな感じだ。そして周囲の者も会話に加わることは無い。

皆、今の状況に不安を感じているのだ。ヴァレンシュタインの毒により艦隊の士気は著しく下がった。訓練を行ってはいるが時折とんでもないミスが発生する事が有る。兵達の間に自分が戦う事について疑問を感じている人間が出始めている。

我々に対する視線も厳しい。イゼルローンで七百万人が死んだのは俺達が原因だと考えている兵が多いのだ。例のヴァレンシュタインの言葉が影響している。あれが本心なのかそれとも我々に対する謀略なのかは分からない。おそらくは謀略だろう、だが真に受けている人間が少なくない。その毒は確実に艦隊を蝕んでいる。

今なら何故我々が、イゼルローン要塞が無事だったのか分かる。ミューゼル中将への昇進祝いなどではない、我々に毒を植え付けるためだ。殲滅するより生かして利用しようとした。そして毒は恐ろしいほどに強力で確実に帝国を蝕み始めている。

単なる軍人ではないと思っていた。だが此処まで凄まじいとは……。おそらくヴァレンシュタインは当代きっての戦略家、そして謀略家だろう。よりによって我々は一番敵にしてはいけない人間を敵にしてしまった。我々は日に日にその凄みを実感しつつある。

会議室のドアが開いてミューゼル中将が入ってきた。起立して迎え敬礼をする、ミューゼル中将は答礼すると席に座った。そして俺達も席に座る。中将は多少躊躇った後、話を始めた。

「先程オフレッサー元帥から連絡が有った。次の皇帝はエルウィン・ヨーゼフ殿下と決まった」
会議室に驚きが走った。皆顔を見合わせている。そんな我々を見てミューゼル中将が言葉を続けた。

「誤解のないように言っておく。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も火中の栗を拾う気は無いという事だ」
その言葉にまた視線が会議室を交差する。

「つまり娘を皇帝にするのは危険だと見ている、そういう事ですか」
「そういう事だ、クレメンツ副参謀長」
会議室の中に緊張が走った。皇帝にするのは危険、両家とも反政府活動が酷くなり革命が起きるのではないかと恐れている。オーディンの政治状況は我々の想像もつかないほど厳しいものなのかもしれない。

「では例のカストロプの件は真実なのですな」
「……」
「閣下はカストロプの反乱について事前に御存じだった。この秘密も御存じだったのでは有りませんか」

ロイエンタール少将の言葉にミューゼル中将の、そしてケスラー少将の表情が歪んだ。俺があの時問いかけ答えて貰えなかった質問だ。カストロプの件はあくまでヴァレンシュタインの邪推であって真実ではない、それが帝国の公式見解だ。だがその見解には誰もが疑問を抱いている。

ミューゼル中将とケスラー少将が視線を合わせた。溜息を吐いてミューゼル中将が話し始めた。
「詳しい事は言えないが真実だ、全てを知るのは帝国でもほんの一握りの人間だけのはずだ。私も全てを知っているとは言い難い」

「不思議なのはヴァレンシュタインです、彼はどうやってそれを知ったのでしょう」
メックリンガーが訝しげに問いかけてきた。俺も同感だ、亡命者の彼が何故それを知っていたのか……。

「彼はカストロプ公が自分の両親を殺したことを知っていた。多分そこから辿ったのだろうが……」
「しかし、それだけではいささか……」
ミューゼル中将とメックリンガーの言葉は歯切れが悪い。

「知らないはずの事を知っている人間がいる、ですか」
ワーレンが両腕を組んで呟くように吐いた。その言葉に皆が考え込む表情になった。そして時折ケスラー参謀長に視線を向ける。

「参謀長、訊き辛いのだが……」
「フィーアの事かな、ビッテンフェルト少将」
ケスラー少将の言葉にビッテンフェルトが済まなさそうに頷いた。それを見てケスラー少将が大きく息を吐く。あまり楽しい話ではないのだろう。

「彼女は私の幼馴染でお互いに好意を持っていた間柄だった。だが彼女は貴族だった、平民の私とでは身分の壁が有った。士官学校を卒業と同時に私は彼女から離れた。そして疎遠になった……」

「ヴァレンシュタインの言ったクラインゲルト子爵家を調べた。確かに辺境に存在した。フィーアもそこにいたよ。当主の息子と結婚している、男の子が生まれたそうだ」

皆複雑な表情をしている。ヴァレンシュタインの言葉が事実であったこと、そしてケスラーの気持ちを忖度したのだろう。ケスラーも複雑な表情をしている。
「夫である男性は軍人だった。今回の遠征軍に参加していたそうだ」
会議室が凍りついた。皆息を凝らしてケスラー少将を見ている。

「で、では」
「おそらく、戦死しただろう」
喘ぐように問い掛けたビッテンフェルトにケスラー少将は感情のこもらない声で答えた。それきりしばらくの間沈黙が会議室を支配した。

「……どうもおかしい、ヴァレンシュタインは何故フィーアの事を知っていたのか……。彼女とのことは十年以上前、ヴァレンシュタインが士官学校に入る前の事のはずだ、それを何故知っている……」
誰も答えられない、おそらく、皆の脳裏に有るのは“知らないはずの事を知っている人間がいる”、その言葉だろう……。

重苦しい空気を払拭するかのようにミューゼル中将が咳払いをした。
「オフレッサー元帥からは他にも話が有った。新宇宙艦隊司令長官にはオフレッサー元帥が就任する事になった」

皆がそれぞれの表情で頷いた。単純な喜びの色は無い。おそらくヴァレンシュタインの予測通りになったことに対して怖れを感じているのだろう。
「要塞駐留艦隊の司令官もグライフス大将に決まった。艦隊がイゼルローン要塞に着くのは大体二ヶ月後になるだろう」

「では我々がオーディンに戻るのはその後ですか」
ミッターマイヤー少将の言葉にミューゼル中将は首を横に振った。
「いや、それは分からない。帝国は早期出兵を考えている、我々はオーディンに戻ることなく反乱軍と戦うという事も有り得る」
皆が信じられないと言った表情で中将を見た。

「まさか……、本気ですか」
俺の質問はかなり失礼なものだったろう、だが誰もそれを咎めなかった。ミューゼル中将もだ。幾分表情に苦みを湛えて言葉を続けた。
「帝国は早期に勝利を収める事が国内安定に、軍の統制を保つために必要だと考えている。出撃にはオフレッサー元帥も同行するだろう。元帥は本気だ、艦隊の練度を上げておいてくれ。次の戦いは負けられん……」

会議を終えミューゼル中将が居なくなった。会議室には未だ皆が残っている。
「この状況で戦うのか、厳しいな」
「無茶だ、到底勝てるとは思えん」
ロイエンタール、ミッターマイヤーの言葉に会議室の中で同意する声が上がった。俺も同感だ、あまりにも危険すぎる。

「出兵よりも国内を変える事は出来んのか、平民達の権利を拡大し、二度とカストロプの一件のような事を起こらないようにする。その方が国内も安定するし兵の士気も上がるだろう。変革の宣言をするだけでも違うはずだ、戦争はその後で良い」

「ワーレン少将の言う通りだろうが難しいな。貴族達は革命は恐ろしいが特権も放棄したくない、そんなところだろう。勝てば状況は好転する、そう思っているに違いない」
ケスラー参謀長の言葉に彼方此方で不満そうなつぶやきが漏れた。

「自分では犠牲を払わず、我々に押し付けようという事ですか、いい気なものだ」
「自分の手を汚さないのは連中の得意技だろう、ロイエンタール」
ミッターマイヤー少将が珍しく嘲笑を込めて言い放つ。同意するかのように会議室に嘲笑が起きた。無口なアイゼナッハも顔を歪めている。

「ミューゼル中将はどうお考えなのかな」
ビッテンフェルト少将の問いかけに会議室に沈黙が落ちた。皆が窺うように顔を見合わせている。中将自身、帝国を変える事を望んでいるとヴァレンシュタインが指摘した。あれは真実なのか……。

「分からんな、だが変えたいと思っているにしろ現状では無理だ。地位も権限も低すぎる。そういう意味でも次の戦い、勝つ必要が有るだろう」
ケスラー少将の言葉に皆が溜息を吐いた。

「ヴァレンシュタインが出てくるな、ニーズホッグが出てくる。奴、間違いなく俺達を殺しに来るぞ」
苦虫を潰したようなワーレンの声だった。

ニーズホッグ、いつの間にか兵達がヴァレンシュタインに付けた異称だ。ニーズホッグは黒い飛龍であり北欧神話においては最も邪悪な存在だとされている。古代ノルド語で“怒りに燃えてうずくまる存在”という意味を持ち、“嘲笑する虐殺者”、”恐るべき咬む者“という異名も持っている。

ニーズホッグは世界樹ユグドラシルの根から世界の滋養を奪い世界に暗い影を及ぼしているがその滋養だけでは飽き足らず、死者を喰らい、その血を啜るとされている。そして世界の終末ラグナロクの日には、世界樹ユグドラシル全体を倒してしまう……。

世界樹ユグドラシルを帝国に替えればそのままヴァレンシュタインに当てはまるだろう。“怒りに燃えてうずくまる存在”、“嘲笑する虐殺者”、”恐るべき咬む者“ まさにヴァレンシュタインだ。ヴァレンシュタインこそがニーズホッグだろう。

世界の終末ラグナロクを生き延びた邪悪なる魔龍ニーズホッグ。我々はこれからその邪悪なる魔龍を相手に戦わなくてはならない……。



帝国暦 486年 5月25日    イゼルローン回廊    ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー  ラインハルト・フォン・ミューゼル



皆、納得していなかった。私室に向かいながら会議室での会話を思い出し溜息が出た。無理もない、俺自身納得しているとは言い難いのだ。他者に納得しろと言う方が無理だろう。

軍事的勝利、一体どの程度の勝利を求めているのか……。大艦隊による艦隊決戦か、それとも単なる局地戦での勝利で良いのか……。オフレッサーがどの程度の艦隊を率いてくるかにもよるだろうが、今の帝国に大規模な出兵が可能なのか。宇宙艦隊は司令部が全滅、そして精鋭部隊も全滅しているのだ。

不安要素しかない、また溜息が出た。部屋に戻るとTV電話の受信ランプが点滅していた。誰かが連絡してきたらしい。オフレッサーかと思ったがリューネブルクだった。連絡をくれと伝言が入っている。通信を入れると直ぐにスクリーンにリューネブルクが映った。

「リューネブルク少将、ミューゼルだ」
『ああ、忙しい所を済まんな。訓練は順調か?』
「順調とは言い難い、何より兵の士気が下がっている。それが問題だ」
俺の言葉にリューネブルクが渋い表情で頷いた。おそらく彼の率いる装甲擲弾兵第二十一師団でも同じ悩みが発生しているのかもしれない。

『グリューネワルト伯爵夫人だが、先程宮中から退出した』
「色々と御手数をかけた。感謝する」
ようやく長年の願いが叶った。これからは姉上には苦労はさせない。オーディンに戻ったら姉上と色々話さなければ……。キルヒアイスの事、フリードリヒ四世の事……。鼻の奥に痛みが走った。

『気にするな、俺は大した事はしていない。ヴェストパーレ男爵夫人が随分と骨を折ってくれた。後で夫人に礼を言うのだな』
「そうしよう、それで姉上は何処に」
『とりあえず男爵夫人の屋敷にいる。卿の姉上は静かな所で暮らしたいと言っているが今は時期が良くない、危険だ。しばらくは男爵夫人の所に居るのが良いだろう。夫人もその方が良いと言っている』
「分かった。宜しくお願いする」

スクリーンのリューネブルクが笑いかけてきた。
『運が良かったな、ミューゼル中将』
「ああ、陛下が姉上の所で倒れたらどうなっていたか……」
『それだけではないさ』
「?」

リューネブルクはもう笑っていない。妙に深刻な表情をしている。
『卿が中将で良かったと言っているのだ。これが大将や上級大将であってみろ、間違いなく卿は粛清されていただろう』
「……どういう事だ、それは」

『貴族どもはかなり神経質になっている。元々卿に対して良い感情は持っていなかったがヴァレンシュタインの所為でそれに拍車がかかった』
「と言うと」
リューネブルクは渋い表情をしている。貴族達は何に反応した? ヴァレンシュタインの所為とは一体……。

『“卿が帝国を変えたがっている”、その言葉に反応した。国を変えるとは何か? 謀反を起こすのではないか、とな』
「……」
言葉が出なかった。危険だ、これまで俺の思いはキルヒアイスしか知る者は居なかった。だがそれをヴァレンシュタインが白日の下にさらした。そしてオーディンでは貴族達が反応している……。

『オフレッサー元帥がそれを抑えた、これはヴァレンシュタインの謀略だと言ってな。奴はミューゼル中将を天才だと評している。自らの手ではなく、帝国の手でミューゼル中将を斃そうとしている。その手に乗ってはならない……』
リューネブルクを見た、それに応えてリューネブルクが頷く。

『今回の出兵も貴族達が絡んでいる』
「どういう事だ、それは」
リューネブルクが溜息を一つ吐いた。

『当初軍は十分な準備をしてから遠征軍を出す予定だった。出征は少なくとも半年は先と見ていたんだ。その間に政府に国内の情勢を安定させる、そういう心づもりだった』
「それが何故?」

リューネブルクの表情が歪んだ。どうやら予想以上に酷い事らしい。
『……貴族達が自分達が軍を出すと騒ぎだした』
「馬鹿な……」
『事実だ、平民達を黙らせるために反乱軍を叩く。軍が出征に時間がかかるのなら自分達がそれを行うと……』

「……怯えているのか、貴族達は」
気が付けば声が掠れていた。
『そうだ、怯えている。カストロプの一件が原因で一千万人が死んだのだ。どんな豪胆な貴族でも震え上がるだろう。しかも一千万で終わると言う保証は無い、これからも殺し続けるとヴァレンシュタインは言っているんだ』

『連中の出征など到底認められない。実戦経験など皆無の連中だ。そんな連中が同盟に勝てると思うか』
嘲笑交じりの声だった。リューネブルクは顔を歪めて笑っている。

「無理だ、到底勝てない」
『その通りだ、間違いなく殲滅される。だがそうなれば国内情勢はどうなる。より一層不安定なものになるだろう』
「だから早急に軍を出すと……」
『そういう事だ』

貴族を宥めるために否応なく早急に軍を出さなければならない、そういう事か……。となれば大軍を率いてという訳にはいかない、主力は俺の艦隊か……。今度こそあの男と戦う事になる。

『負けられんぞ、ミューゼル中将。負ければ全てが終わる、帝国も卿もだ』
その通りだ、負けることは出来ない。だがこの状況で勝てるのだろうか? 負けられないという思いと勝てるのかという疑問が何度も胸に湧きあがった。

ヴァレンシュタインと対峙するときはいつも同じ思いをする。これから先もそうなのだろうか、いやこれから先が有るのだろうか……。馬鹿な、何を考えている。必ず勝つのだ。勝たなければならない……。


 

 

第六十一話 密謀

宇宙暦 795年 6月 17日  ハイネセン ミハマ・サアヤ



五月十七日、皇帝フリードリヒ四世が亡くなりました。帝国がそれを公式に認め発表したのは十八日ですが、そのニュースはその日のうちにオーディンからフェザーン、フェザーンからハイネセンへと伝わり最後に宇宙艦隊総旗艦ヘクトルに伝えられました。

そのニュースに接した時、総旗艦ヘクトルは一種異様な沈黙に包まれました。ヴァレンシュタイン准将が帝国軍に言い放った言葉“悪夢の中でのたうつと良い”、皆それを思い出したのだと思います。そしてフリードリヒ四世はヴァレンシュタイン准将に呪い殺されたのではないかと思った……。

非科学的な話です。現実にそんな事は有り得ません。そう思いますがそれでも思ってしまうのです、フリードリヒ四世は呪い殺されたのではないかと。そう思わせるほどヴァレンシュタイン准将とミューゼル中将達の会話は准将が圧倒しました。言葉だけで相手を身動きできなくする、言葉そのものにまるで力が有るかのように……。

あの会話が始まった時、多くの将兵が何故イゼルローン要塞を攻めないのか、何故ミューゼル中将の艦隊を攻めないのか、そう思ったはずです。余りにも同盟が有利な状況だったのです。攻めないことを皆不満に思ったでしょう。

ですが会話が終わるころには総旗艦ヘクトルの艦橋は皆が凍りついていました。准将は敵だけでなく味方さえも震え上がらせたのです。あの時、准将は間違いなくあの場を絶対的な力で支配していました。それは人の力ではない何か別のもの、魔力としか言いようの無いものだと思います。

ヴァレンシュタイン准将はフリードリヒ四世の死を知っても少しも驚く様子を見せません。僅かに小首をかしげるだけでその後は無言でした。そして艦橋を離れサロンで一人何かを考えていたのが印象に残っています。

何度か話しかけようかと思いましたが、その度に邪魔をするべきではないと思いとどまりました。後継者がエルウィン・ヨーゼフに決まったと分かった時も同じです。一人で何かを考え、そして時々薄く微笑を浮かべています。或いは嘲笑だったのかも……。

首都星ハイネセンは今回の戦いの結果を知ると嵐のような歓喜に包まれたそうです。先日の不名誉な第六次イゼルローン要塞攻略戦の結末は忘れられ今回の第七次イゼルローン要塞攻略戦の戦果にハイネセンは、いえ同盟そのものが勝利に酔ったように喜びを爆発させたと母が言っていました。

艦艇六万五千隻、兵員七百万人を捕殺。ヴァンフリート星域の会戦の倍の戦果です。しかも完璧なまでの包囲殲滅戦……、同盟市民が興奮するのも無理はありません。“ダゴン殲滅戦を超える戦果”とマスコミは騒ぎましたし続けてもたらされた皇帝フリードリヒ四世の死にも“わが軍の放った一弾は皇帝の心臓を撃ちぬいた”とセンセーショナルに書き立てたそうです。

もちろん賞賛だけではありません。イゼルローン要塞を何故攻略しなかったのか? 新たに援軍に来た三万隻の艦隊を何故殲滅しなかったのか、当然ですが非難が出ました。完勝出来るのにその機会を逃がしてしまったと……。

そんな非難を抑えたのがトリューニヒト国防委員長でした。
「今回の戦争の目的は遠征軍の殲滅とイゼルローン要塞駐留艦隊の殲滅であり、シトレ元帥率いる宇宙艦隊はその作戦目的を完璧なまでに達成した。作戦目的以外の事で詳細な事情も知らずに非難することは不当である」

このトリューニヒト委員長の発言は多くの人に驚きを持って迎えられたそうです。委員長とシトレ元帥が協力体制を取っている事は皆が知っていますが、今回の大勝利で委員長がシトレ元帥に嫉妬するのではないか、協力体制が崩れるのではないかと思ったのでしょう。

トリューニヒト委員長はシトレ元帥との協力体制を維持することを選びました。シトレ元帥の軍事的成功を背景に自らの政治家としての影響力を拡大する。そしていずれは最高評議会議長へ……、それが委員長の青写真なのだとマスコミは報じています。そして予想以上にトリューニヒト・シトレの協力体制は強固だと……。

宇宙艦隊への非難もすぐに収まりました。イゼルローン要塞を攻略しなかったのも、敵艦隊を攻撃しなかったのも彼らを利用して帝国内部を混乱させようというヴァレンシュタイン准将の謀略だと理解したからです。

そしてカストロプ公の事は皆が驚きました。あの会談は同盟全土に流れたそうですが、ヴァレンシュタイン准将の言葉の前に蒼白になるミューゼル中将を始めとする帝国軍士官達が映っています。あれを見れば謀略ではありましたが事実の公表でもあると皆が理解しました。事実であればこそ効果は大きいと思います。

これまでヴァレンシュタイン准将は自分の両親の死に関して貴族の相続争いに巻き込まれたとは言っていましたが、帝国の為政者達によって用意された道具に殺されたなどとは一言も言っていませんでした。改めて帝国の統治の酷さが同盟軍、そして帝国軍将兵の前で明らかになったのです。多くの帝国人は自分達が何のために戦うのか、疑問に思うでしょう。おそらく帝国はこれから混乱するはずです。

六月十二日、首都星ハイネセンは帰還した宇宙艦隊を嵐のような歓喜の声で迎えてくれました。同盟市民は口々にシトレ元帥、ビュコック提督を初めとして各艦隊司令官、そしてヴァレンシュタイン准将、ワイドボーン准将、ヤン准将の名を讃えました。戦闘詳報はヴァレンシュタイン准将が作ったのですが、そこではヤン准将がシトレ元帥に対して的確な助言を行ったことになっています。

どうして、そのような事実とは違う事を記載するのか……。ヴァレンシュタイン准将に問いかけると准将は溜息交じりにこう言いました。“出世させて責任を持つ立場にしないとヤン准将は何時までも仕事をしませんからね”

ヤン准将は戦闘詳報の内容に不満そうでした。シトレ元帥が戦闘詳報を承認するのを苦虫を潰したような表情で見ていたのです。ヴァレンシュタイン准将はヤン准将の表情に気付いていたはずですが素知らぬふりでした。ワイドボーン准将も同じです。

どうやら出世させて責任を持つ立場にしないとヤン准将は何時までも仕事をしない、と言うのはヴァレンシュタイン准将だけではなくシトレ元帥、ワイドボーン准将も同意見のようです。

言わせてもらえば私も同感です。どう見ても今回の戦争ではヤン准将にはヤル気が感じられませんでした。能力は素晴らしいものが有るのですから否応なくその能力を使わざるを得ないようにする。ヴァレンシュタイン准将にとっては自分だって否応なく帝国との戦争に放り込まれたのだからヤン准将だって……、そんな気持ちが有るのかもしれません……。



宇宙暦 795年 6月 20日  ハイネセン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「君がヴァレンシュタイン准将か、話はこの二人から聞いている。若いがなかなかの人物だとね」
目の前に座った男は飄々とした感じで話しながら横に座っている二人に視線を向けた。彼の視線の先には愛想の良い笑顔を浮かべた男と渋い表情をした男がいる。

ヨブ・トリューニヒト、ジョアン・レベロ、ホアン・ルイ、そして反対側に座っている俺の隣にはシドニー・シトレ……。この四人が俺の協力者という事になるのだろうが、まあ何と言うか一癖も二癖も有る連中だ。プライベートで仲良くしたい連中じゃない。

しかし問題はそこではない。問題は此処にサンドイッチが無い事だ。何故だ? 前回同様シトレに拉致同然に連れ出された。連れて行かれた場所も同じだ。時間帯もほとんど同じ……。それなのにサンドイッチが無い! 俺の楽しみを何処にやった!

代わりに置いてあるのがピザだ。ピザが二枚置いてある。こいつらは客のもてなし方を知らん。ピザなんぞ冷めたら美味くないだろうが、それとも冷める前に話しが終わるという保証が有るのか? おまけに飲み物はコーヒーと水か……。ピザには合うのかもしれんが俺はコーヒーは嫌いだ。それに比べればサンドイッチは……。

「今回の作戦は完璧すぎるほどに上手く行った。人事面でモートン中将、カールセン中将を抜擢したことに不満を漏らした人間も大人しくなるだろう」
仕方がない、ピザを食べるか。二つのピザの内一つはツナ、もう一つはミートソースが主体のナスのピザだ、先ずはツナを一切れ……。

うむ、マヨネーズが、ベーコンが美味い! それとコーンだな、やっぱりツナとコーンはマヨネーズが合う。問題は、手が油でべとべとする事だ、だからピザは嫌なんだ。でも美味いんだな、冷める前に食べよう!

「もっともあまりに完勝すぎて何故イゼルローン要塞を攻略しないのかと不満が出たのには参ったがね」
トリューニヒトが俺を見て軽く苦笑を漏らす。文句あんのかよ、要塞は攻めない、そう決めただろ。俺がむっとするとトリューニヒトは直ぐに顔を引き締めた。

「イゼルローン要塞を攻略して帝国領へ攻め込む千載一遇のチャンスだと、そのチャンスを失ったと何人もの人間が不満を言ってきた。実際にイゼルローン要塞を攻略していれば専守防衛どころか大規模な出兵案が出ていたかもしれない。危ない所だった……」
トリューニヒトが溜息を吐いた。

「イゼルローン要塞はビンの蓋だ。あれが有るから帝国領出兵などという馬鹿げた案は抑えられているが、蓋が無くなればあっという間に出兵論は壜から吹き出す、気が付けばビンは空になっているだろう」
今度はレベロが首を振っている。

「まあ連中も君が帝国に毒を流し込んだと分かってからは大人しくなったがね。それにしても随分ときつい毒を流し込んだものだ」
「毒かもしれませんが真実でもあります」
だからこそ効き目が有る。トリューニヒト、お前さんに皮肉られても痛くも痒くもないな。嬉しそうな顔をしても無駄だ。

「知らないほうが幸せだと言う真実も有る、違うかね」
「だから一生盲目の奴隷で居ろと……。民主共和政を信奉する政治家の言葉とは思えませんね。専制君主の有能な忠臣の言葉ですよ、それは。第二のリヒテンラーデ侯です」
俺の皮肉にトリューニヒトは苦笑を漏らした。他の三人も苦笑している。ピザが美味いぜ。

原作では出兵案が出ている。その所為で同盟は亡国への道を歩き始めた。イゼルローン要塞は同盟にとっては鬼門と言って良いだろう。それがようやくこの連中にも実感できたらしい。結構な事だ。

少しの間沈黙が有った。皆が難しそうな表情をしている。流石に俺もピザを食べるのは控えた。誰か沈黙を破れよ、ピザが冷めるぞ!

「さて、ヴァレンシュタイン准将、以前君が言っていた不確定要因、フリードリヒ四世が死んだ。世間では君が呪い殺したと言っているようだが、この後君は帝国はどうなると見ている?」

嬉しそうに聞こえたのは俺の耳がおかしい所為かな、トリューニヒト君? 君の笑顔を見るとおかしいのは君の根性のように思えるんだがね、このロクデナシが! 何が呪い殺しただ、俺は右手に水晶、左手に骸骨を持った未開部族の呪術師か? お前を呪い殺してやりたくなってきたぞ、トリューニヒト。 俺は腹立ちまぎれにミートソースのピザを一口食べて、水を飲んだ。少し塩辛い感じがする。釣られたのか、他の四人も思い思いにピザを手に取った。

「帝国は混乱するでしょうね」
俺の言葉にトリューニヒト、レベロ、ホアン、シトレが顔を見合わせた。ピザを食べながら微かに目で何かを話し合っている。こいつら、既にある程度話し合っているな。これが最初と言う訳じゃない。

「先ず現状を確認しましょう。本来ならエリザベート・フォン・ブラウンシュバイク、サビーネ・フォン・リッテンハイムのどちらかが女帝になるはずでした。その過程で帝国内で内乱が起きる可能性が有った……」

「そうなれば良かったんだがな。しかしエルウィン・ヨーゼフ二世が即位した。内乱は回避された……」
レベロが探りを入れるように呟いた。口の周りが油でギトギトしている。レベロ、髭にミートソースが着いているぞ、ナプキンで拭えよ。

「エルウィン・ヨーゼフ二世が即位した、いや即位できた……、考えられる可能性は二つです。一つはブラウンシュバイク、リッテンハイム両家に匹敵する有力者が後見に付いた。或いはブラウンシュバイク、リッテンハイム両家が皇位を望まなかったか……」
俺の言葉に四人がそれぞれの表情で頷いた。

「今回の場合はどちらか……。まず、有力者が後見に付いたと仮定した場合ですがエルウィン・ヨーゼフ二世の後見についているのはリヒテンラーデ侯だと思われます」
「待て、それ以外の有力貴族が後見についている可能性は無いか」

「有りませんね、レベロ委員長。もしそうならリヒテンラーデ侯は既に失脚していますよ。後見に付いた有力貴族はそうすることで国内の不満を多少なりとも抑えようとするでしょう」
レベロが唸り声を上げた。

おそらくそれに反対する貴族は居ないはずだ。そして国内の不満が収まったと見ればブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は皇位を望むだろう。つまりエルウィン・ヨーゼフの後見に付くにはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を敵に回せるだけの力が要る。とてもじゃないがそんな貴族はいない。

今時点で両者がリヒテンラーデ侯を粛清しないのは何故か? 考えられる理由は一つだ、リヒテンラーデ侯を粛清するだけで国内の不満が収まるかどうか確信が持てない、それだろう。

つまり帝国内部はかなり不安定な状況に有ると見て良い。そしてリヒテンラーデ侯を粛清すれば次に矢面に立つのは粛清した人間になる。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の両者はリヒテンラーデ侯粛清後の帝国の舵取りに自信が持てずにいる……。

不満を抑える方法は有るのだ、国内の政治改革を行えばよい。平民の権利を拡大し貴族達の権利を抑制する。だがそれをやれば貴族達の反発は必至だろう、やらなければ平民達の不満が少しずつ臨界点に近づいていく。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も身動きが取れずにいる……。

だがそれも今だけだ。どう動くかは別としていずれは彼らは動かざるを得なくなる。そしてその時がリヒテンラーデ侯の最後だろう。今度はリヒテンラーデ侯が帝国を守るための犠牲になるという事だ。因果応報だな、リヒテンラーデ侯。もっとも本人はある程度覚悟の上だろう。

「ではリヒテンラーデ侯は軍と手を組んだという事かな? 君は以前、それならブラウンシュバイク、リッテンハイムを抑えることも可能だと言っていた」
レベロ……。こいつは財政家としては有能なのかもしれないが、この手のパワーゲームについてはセンスゼロだな。道理で原作じゃ酷い事になったはずだ。

「それも有りません、カストロプの一件で軍は一千万以上の戦死者を出しているんです。おまけにミュッケンベルガー元帥は責任を取って退役、クラーゼン元帥は戦死です。この状況でリヒテンラーデ侯に協力できると思いますか? 無理ですよ。何より帝国の宇宙艦隊は精鋭部隊を失っています。今現在、軍がブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を敵に回してまでリヒテンラーデ侯に協力するとは思えません」

「軍が優先するのは宇宙艦隊の再建だろう。この上戦力を磨り潰すような事はしたがらない筈だ」
シトレが低い声で俺の考えを支持した。もっともピザを食べながらだ、行儀悪い。だから会議には一口サイズのサンドイッチの方が向いているんだ。

「となるとエルウィン・ヨーゼフの即位はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が皇位を望まなかったから、君はそう思うのだね」
「その通りです、国防委員長。エルウィン・ヨーゼフはリヒテンラーデ侯という極めて弱い後見人に担がれた皇帝なんです。リヒテンラーデ侯も仕方無く彼を担いでいる。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は何時でも彼らを排除することが出来ます……」

トリューニヒトが頷いている。他のメンバーも驚いたような表情はしていない。レベロも納得したような表情だ。或る程度見当はつけていた、ただ確証が無かった。そんなところか……。

「彼らがそれをしないのは……、今後の帝国統治に自信が持てないから、かね」
窺うようにホアンが問いかけてきた。皆の視線が俺に集まっている。
「おそらくはそうでしょう、それ以外に彼らが躊躇う理由は無いと思いますよ」
俺が頷くと周囲から溜息が漏れた。帝国の内情が予想以上に酷いと認識したのだろう。

「現状は理解した。我々も大体そうではないかと思っていたが、君と話をして確信が深まった。帝国は混乱しつつある、我々にとって悪い状況ではない。ただこの混乱がどう動くのか、我々はどう動くべきなのか、君の考えを聞きたい」
トリューニヒトが珍しく生真面目な表情を見せた。明日は雨だな、洗濯は明後日だ……。


 

 

第六十二話 蛟竜

帝国暦 486年 6月25日    オーディン オフレッサー元帥府     オフレッサー



目の前に銀河星系図が有る。帝国、イゼルローン回廊、要塞、反乱軍、フェザーン……。早期に勝利を求めるか……、反乱軍が要塞に攻め寄せて来るなら難しい事ではなかろう。イゼルローン要塞に籠って防衛戦を展開すれば良い。だがそうでなければ敵を求めて反乱軍の勢力範囲に踏み込んで戦わねばなるまい。敵を引き摺り出して戦う。

ミューゼル中将の艦隊が三万隻、新規編成したイゼルローン要塞駐留艦隊が一万五千隻、そして今編成中の艦隊が二個艦隊三万隻……。イゼルローン方面に集められる兵力は合計七万五千隻か……。

反乱軍はどの程度の兵力を動かすか……。前回の戦いでは十万隻を動かした、向こうはそれほど大きな損害を受けていない。となれば同数、或いはそれ以上という事も有り得るだろう。

それに対してこちらは最低でも二個艦隊、三万隻はイゼルローン要塞に張り付ける必要が有ると統帥本部は警告している。一個艦隊、一万五千隻では敵が前回と同じ作戦を取る可能性がある、場合によっては本気でイゼルローン要塞を攻略する可能性も有ると……。

厄介な事だ、これまでとは状況が違う。これまではどれほど兵力的に不利だろうとイゼルローン要塞の堅固さを信じて兵は戦った。だが今なら圧倒的に不利な状況で要塞攻防戦を行えば、要塞内で反乱軍に通じる者が出る可能性も有るだろう。統帥本部の警告を無視はできない。

三万隻をイゼルローン要塞に残すとなれば侵攻用の兵力は四万五千隻、反乱軍の動員兵力の半分以下という事になる。何より今は帝国軍将兵の士気は嫌になるほど低い、帝国で最精鋭と言えばミューゼルの率いる三万隻の艦隊だろうが、その部隊でさえ士気の維持には苦労している。

この状況で二倍の反乱軍と戦うなどと知ったら逃亡兵が続出するだろう、特に相手がヴァレンシュタインともなればなおさらだ。反乱軍と戦う前に艦隊は融けかねない、銀河帝国史上、いや人類史上でも前代未聞の珍事だろう……。

勝算を高くするには兵力は集中して使う必要が有る。となれば敵をイゼルローン回廊内に引き摺り込むしかない。引き摺り込んで要塞攻防戦に持ち込む……。ある程度の兵力を擁しての要塞攻防戦なら兵も安心するだろう、士気を上げる事は難しくないはずだ。

駄目だな、敵がそれに乗ると言う保証は何処にも無い。そんな馬鹿が相手ならあのような大敗などしない。お手上げだ……、どうにも勝算が立たない。兵力、練度、士気、いずれも反乱軍の方が勝っている。おまけに敵は兵力を集中しやすく、こちらは兵力を集中し辛いという状況に有る。唯一互角と思えるのは指揮官だけか……。

イゼルローン要塞が足枷になっている。要塞を守るために兵力を割かなければならない。だがこの状況では兵力の分散、遊兵化でしかない。思わず溜息が出た、出兵を決めて以来、この事を何度も考えている。そして結論は出ない、出ないからまた考える。同じ事の繰り返しだ。

「殺しておくべきだったか……。馬鹿な、何を考えている」
またこの言葉を呟いてしまった。前回の敗戦から何度も考えてしまう。殺しておけばあの敗戦は無かったと。誇りと矜持、そのためにあの男を反乱軍の元に帰した。あれは間違っていたのか……。だが俺にあの男を殺せただろうか? 殺せば俺は俺ではなくなっていただろう。

このオーディンでもあの男を帰したことを非難する人間が居る。無理もない、あの男一人に帝国は滅茶苦茶にされているのだ。帝国は舵を失った船のように右往左往している。非難が出なければその方がおかしい……。また溜息が出た。

澄んだ目の男だった、緊張も怯えもなく自然だった。何処かで自分の命を見切っているようにも見えた。誰かのために命を投げ出すことが出来る男だった、そしてあの男のために命を投げ出す人間が居た。手強い相手だとは分かっていた、危険な男だと言うのも分かっていた。だがまさかここまで酷くなろうとは……。

考えるな、考えても仕方がない事だ。起きてしまったことを後悔しても何にもならん。死んだ者は生き返らん、生きている人間の事を考えろ。ミューゼルは良くやっている。反乱軍と戦うにはあの男の力が必要だ。出来るだけ後ろ盾になってやらねばならん。

あの男を殺さねばならない、その事がこれからの俺の責務になるだろう。宇宙艦隊司令長官……、そのための地位も権限も得た。そして頼りになる部下もいる。どうやら俺の死に場所は地上ではなく宇宙空間で艦の中になりそうだ。おそらくトマホークを振るうことなく死ぬことになるだろう、それもまた運命か……。



宇宙暦 795年 6月 26日  ハイネセン  ユリアン・ミンツ



「准将、良いんですか?」
「たまには外で食べるのも良いさ。ユリアンにはいつも食事の用意をさせてるからね。今日は家事から解放してあげるよ」
「はあ」

眼の前にあるレストラン、三月兎亭はハイネセンでも美味しい事で有名なレストランのはず。当然だけど値段もそれなりに高いと思う。ヤン准将は若いけどお給料は多くもらっているはずだから大丈夫だろうけど良いのかな、こんな贅沢して……。

ヤン准将は僕の心配なんか気にする様子もなくレストランの中に入っていく。後を付いて行くと威厳と体格、美髯に恵まれた老ウェイターが出てきた。
「二名様でいらっしゃいますね、申し訳ありませんがただ今満席でしてしばらくお待ちいただくことになりますが……」
「どのくらいかな」
「二時間程度はお待ちいただくかと」

どうやら准将は予約を入れていなかったらしい。
「平日だから大丈夫かと思ったんだが」
「申し訳ありません」

准将が頭を掻いている。困ったときの准将の癖だ。僕の方を見ると僅かに肩を竦めた。
「仕方ないね、他を当たろうか」

「ヤン准将」
帰りかけた僕達を止めたのは女の人の声だった。振り返ると赤いドレスを着た若い女性が微笑んでいた。准将の知り合いかな? でも准将も驚いた表情で女性を見ている……。

「ミハマ少佐……」
「よろしければ御一緒に……、ヴァレンシュタイン准将もそう言っています」
「ヴァレンシュタイン准将が……」

ヤン准将が困ったような表情で店内に視線を向け、誰かを探すようにして一点で止まった。薄暗い照明の下で全てのテーブルにはキャンドルが灯されている。僕もヤン准将と同じ方向に視線を向けると奥のテーブルから若い男性がこちらを見ていた。ヴァレンシュタイン准将だ、何度かTVで見たことが有る。

「いや、しかし、御邪魔だろう」
「そんな事は有りません。さあ、遠慮なさらずに」
ヤン准将が困ったような表情で僕を見た。ミハマ少佐はドレスアップしている。とっても綺麗だ。もしかするとヴァレンシュタイン准将とデートなのかもしれない。ヤン准将もそう思っているんだと思う。

困ったな、邪魔しちゃ悪いだろうけどヴァレンシュタイン准将にも会いたい。それにヤン准将、ヴァレンシュタイン准将と一緒に食事なんて夢みたいだ。もじもじしているとヴァレンシュタイン准将が席を立ってこちらに歩いて来た。小柄で華奢な姿は軍人には見えない。准将は黒のフォーマルを着ている。やっぱりデートだったのかな、邪魔しちゃった?

「ヤン准将、遠慮なさらずに」
「しかし、迷惑では……」
「そんな事は有りません、さあ」
ヴァレンシュタイン准将は優しく微笑みながら僕達を誘ってくれた。ヤン准将は困ったようだったけど最後には頷いて“では御好意に甘えようか”と言ってテーブルに向かった。

テーブルには手編みのクロスが掛かっていてキャンドルが置いてあった。薄暗い照明の下でキャンドルの火が灯っていると何とも言えず幻想的な感じがする。同盟でも最も高名な軍人二人と一緒に居るんだという事が余計にそんな気持ちにさせた。席に着くと直ぐにヴァレンシュタイン准将が話しかけてきた。

「君がユリアン君だね、フライング・ボールのジュニア級で活躍していると聞いている。年間得点王は取れそうかな?」
「このままいけば取れるんじゃないかと思います」
驚いた、ヴァレンシュタイン准将は僕の事を知っている。絶対に年間得点王にならなきゃ。

「そうなのか、ユリアン」
「御存じなかったのですか、ヤン准将。ユリアン君はこの都市ではちょっとした有名人ですよ」
ミハマ少佐がちょっとヤン准将を冷やかすとヴァレンシュタイン准将がクスクスと笑いだし、ヤン准将が面目なさげに頭を掻いた。

老ウェイターが注文を取りに来た。僕とヤン准将は肉をメインに、ヴァレンシュタイン准将とミハマ少佐は魚をメインのコースを頼んだ。飲み物は二杯の七百六十年産の赤ワインと二杯のジンジャーエール。

「ユリアン君が年間得点王を取れる事を祈って、その時にはまたこうして集まってお祝いしましょう」
「はい、有難うございます」
ヴァレンシュタイン准将がジンジャーエールのグラスを掲げて言葉をかけてくれた。皆が軽くグラスを掲げて僕に言葉をかけてくれた。“頑張ってね”、“頑張れよ”、……絶対に年間得点王になる、もう一度誓った。

「ところで今日は何か御祝い事でも有ったのですか?」
そうヤン准将がヴァレンシュタイン准将に問いかけたのは何皿目かの料理が運ばれた時だった。デートだと思うんだけど准将はそうは思わなかったのかな、でもさっき躊躇っていたけどあれは何でだろう? 邪魔しちゃ悪いと思ったんじゃないの。

僕の疑問を他所にヴァレンシュタイン准将とミハマ少佐は顔を見合わせ微かに苦笑を漏らした。ほらね、准将も鈍い。
「御目出度い事が有ったのです、それで御祝いを」
「喜んでいるのは少佐だけです、私にはとてもそうは思えない」
「そんな事は有りません。御目出度い事です」

ヴァレンシュタイン准将とミハマ少佐が話している。准将は半ばぼやくように、少佐は宥めるような口調だ。デートじゃないみたいだ、ヤン准将が正しいの?

「御目出度い事ですか、何かな」
ヤン准将が重ねて問いかけるとヴァレンシュタイン准将が困ったような表情を見せた。
「まだ内定ですが今度中将に昇進する事になりました。私だけじゃありませんよ、ヤン准将とワイドボーン准将もそうです」

眼が点になった。二回、ヤン准将とヴァレンシュタイン准将を交互に見てしまった。ヤン准将も唖然としている。
「私達三人は昇進とともに司令部参謀から艦隊司令官に転出することになります。ミハマ少佐、いやもうすぐミハマ中佐ですが彼女は目出度い事だと言っているんです」
またびっくりだ、ヤン准将が中将になって艦隊司令官? 凄いや!

「よろしいんですか、そんな事を言って。まだ極秘では?」
ヤン准将が周囲を憚るように声を潜めた。僕も慌てて周囲を見た。大丈夫、誰も気付いていないみたいだ。

「明日にも内示が出るそうです。そうなれば同盟中に広まるでしょうね」
何処か他人事みたいな口調だった。ヴァレンシュタイン准将は不満なのかな、昇進だし、出世だと思うのだけれど。

前回の戦いでヤン准将、ヴァレンシュタイン准将、ワイドボーン准将が作戦立案、実行において大活躍したことは知っている。二階級昇進するんじゃないか、そんな事を言う人もいるけどまさか本当にそうなるなんて……。

「しかし、貴官は司令部に居た方が良いのでは。前線指揮官よりも参謀としてシトレ元帥の補佐の方が合っているように思うが」
ヤン准将が困惑したような声を出すとヴァレンシュタイン准将が首を横に振った。

「面白くないのでしょうね、二十歳そこそこの若造に指示されるのが……。結構反発が有るようです。それを抑えるためにも……」
「前線で苦労をして来いと……」
「私だけじゃありません、ヤン准将、ワイドボーン准将もです」

「……しかし貴官はヴァンフリートでもイゼルローン要塞でも最前線で戦った。その事は誰もが知っている」
そうだ、ヤン准将の言うとおりだ。ヴァレンシュタイン准将がフォーク中佐などとは違い最前線で戦う事を厭わない軍人だという事は皆が知っている。

「艦隊を指揮したこともない人間が艦隊司令官の人事に口を出している。国防委員長の元には結構苦情が出ているようです。委員長はそれを逆手に取った、司令部から外し二階級昇進させて艦隊司令官にした。シトレ元帥の要請も有ったようです」
「……トリューニヒト国防委員長ですか」

ヤン准将の口調が渋くなった。准将はトリューニヒト委員長が嫌いだ。委員長がTVに映ると直ぐにチャンネルを変えてしまうくらい嫌っている。
「ヤン准将は国防委員長が嫌いですか」
「嫌いですね、あの男の下品な扇動演説を聞くとうんざりする。シトレ元帥もいつか後悔しなければ良いが」

露骨に顔を顰めたヤン准将を見てヴァレンシュタイン准将が笑った。
「本人と話したことは無いのでしょう」
「もちろん」
「政治家なんて外見と中身は違いますよ」
そう言うとヴァレンシュタイン准将はもう一度笑った。ヤン准将はますます顔を顰めている。

「ヴァレンシュタイン准将はトリューニヒト委員長と親しいのですか」
「親しくは有りませんね。ただヤン准将よりは知っています。なかなか他人を利用することが上手だ。今回も上手くしてやられました。私が艦隊司令官とは……」

「軍も政府も准将を高く評価しているんです。艦隊司令官になるのは准将の本意ではないかもしれませんがもう少し喜んではと申し上げています。せめて今日だけでも……」
ミハマ少佐はヴァレンシュタイン准将を宥めるように話している。そして准将がまた苦笑を漏らした。

「私にはそうは思えません……、理由はお分かりでしょう。ミューゼル中将と直接戦う事になる」
ヴァレンシュタイン准将の言葉にヤン准将もミハマ少佐も黙り込んでしまった。ミューゼル中将? 確か帝国軍の指揮官だったはず、有能だって言われているけど……。

「あの、ミューゼル中将というのはそれほど強い指揮官なのですか?」
「ユリアン」
僕の質問にヤン准将が少し強い声を出した。訊いちゃいけなかった? でもヴァレンシュタイン准将は僕を見ると僅かに微笑んでくれた。

「彼が戦場で敗北するところを私は想定することが出来ません。それほどの名将です。そして彼の周りには彼を助ける有能な人間が集まりつつある。徐々に彼は力を蓄えつつある」
思わず、音を立てて唾を飲んでしまった。英雄とまで言われるヴァレンシュタイン准将がそこまで言うなんて信じられない!

「でも今は同盟が圧倒的に優勢でしょう。軍事的なダメージだけじゃない、貴官の謀略により政治的にも帝国は混乱している。それにフリードリヒ四世が亡くなった……」
ヤン准将が説得するような口調でヴァレンシュタイン准将に話しかけている。ミハマ少佐は黙って聞いているけど少し表情は暗い感じだ。ヤン准将に同意していない?

「帝国がどうなるか、はっきりと予測できる人間は居ないでしょう。余りにも不確定要素が多すぎるし、判断材料が少なすぎる。……混乱しているからこそ混乱を収める人間が必要とされる。場合によっては蛟竜雲雨を得れば、終に池中の物に非ざるなり、そんな事になるかもしれない……」
溜息交じりの口調だった。“蛟竜雲雨を得れば”と言うのは良く分からなかったけど多分ミューゼル中将の事だと思う。

その後、ほとんど会話が無いままに食事は終わって散会した。
“蛟竜雲雨を得れば、終に池中の物に非ざるなり”
ヤン准将に聞いたら人類が地球を唯一の住処としていたころのことわざだった。小さな水たまりにいる蛟や竜は、雲や雨水を得ると天に上り強大な力を発揮する。それと同様に英雄が好機をつかんで力を発揮する事を言うらしい。ヴァレンシュタイン准将はミューゼル中将を時期を得ていない英雄だと思っているみたいだ。

家に帰る途中、ヤン准将が星を見て呟くのが聞こえた。
「彼だけに背負わせるわけにはいかないか……。確かにその通りだ、ワイドボーン。ヴァンフリートの一時間から目をそらすことはできない……」






 

 

第六十三話 第一特設艦隊

宇宙暦 795年 7月 15日  ハイネセン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



七月五日、今回の戦いの論功行賞、そしてそれに伴う人事異動が発表された。ビュコック、ボロディン両大将が元帥に昇進した。当初、二人を昇進させるとシトレと同じ階級になる、後々シトレが遣り辛いのではないかという事で勲章だけで済まそうと言う話が国防委員会で有ったらしい。

だがシトレはそれを一笑に付した。“ビュコック、ボロディンは階級を利用して総司令官の権威を危うくするような人間ではない、心配はいらない”その言葉でビュコック、ボロディン両大将の元帥昇進が決まった。

上手いもんだ、二人を昇進させて恩を売るとともにちゃんと枷を付けた。これであの二人がシトレに逆らうことは無いだろう。おまけに自分の評価も急上昇だ。同盟市民のシトレに対する評価は“将の将たる器”、だそうだ。狸めが良くやるよ!

ウランフ、カールセン、モートン、クブルスリーの四人も大将に昇進した。もっともクブルスリーにとっては素直には喜べない昇進だろう。他の三人が功績を立てたのに対してクブルスリー率いる第一艦隊は明らかに動きが鈍かった。当然働きも良くない。周囲の昇進のおこぼれに預かったようなものだ。

俺、ヤン、ワイドボーンも昇進した、皆二階級昇進だ。そして宇宙艦隊司令部参謀から艦隊司令官へと異動になった。ヤンとワイドボーンは良い、でも俺も艦隊司令官に転出? 亡命者に艦隊を任せるなんて何考えてるんだか……、さっぱり分からん。原作ではメルカッツだって客将だ、ヤンの代理で艦隊は指揮したが司令官では無かった。

俺が艦隊司令官の人事に関与していると文句を言っている連中が居るらしい。本当はトリューニヒトとシトレに言いたいんだろうが二人とも実力者だ。正面切っては言い辛い、そこで俺を非難することで自分達が不満を持っているとアピールしたのだろう。

だがな、トリューニヒトとシトレの方が一枚上手だ。俺達を昇進させて司令部から追い出す、そう見せておいて艦隊司令官に押し込んだ。司令部でふんぞり返っている若造に前線指揮官の苦労を理解させる、そう言われれば反対する人間は居ない。

おかげで艦隊司令官はかなりの異動が有った。ワイドボーンは第一艦隊の司令官になった。そして元第一艦隊司令官のクブルスリーは第十一艦隊司令官に異動だ。こいつはクブルスリーにとっては結構厳しい。昇進はさせる、艦隊司令官としても留任はさせる、但し第一艦隊は任せられない、そういう意味だ。

第一艦隊は首都警備を任務としている。言ってみれば近衛部隊のような物だ。つまりクブルスリーは近衛部隊の指揮官としては失格だと判断された。但し、艦隊司令官としては留任させ名誉挽回のチャンスを与えるとしている。そして近衛部隊である第一艦隊の立て直しはワイドボーンの役目になる。

ワイドボーンは士官学校首席だし、十年来の秀才と言われた男だ。第一艦隊の司令官としては適任だという事だろう。クブルスリーも文句は言えない、艦隊司令官としては留任できるのだから名誉挽回のチャンスは十分にある。それに第一であろうと第十一であろうと宇宙艦隊の正規艦隊の一つであることには違いない。近衛のような物、というのはあくまで意識だけだ。基本的に両者の間には差は無い。

第十一艦隊の旧司令官はスティーブ・カント中将、六十を超えた老人なのだが、あまり体調が良くない。以前から交代を希望していたらしいが適当な人間がいなかったので今日まで留任していたようだ。交代が決まったと知った時にはさぞかし喜んだだろう。そのまま療養生活に入っている。原作でも出てこないわけだよ。

第十一艦隊は原作だとこの時期はウィレム・ホーランドが司令官になって第三次ティアマト会戦で戦死した後だ。艦隊の再建はルグランジュに任されたのだがこちらの世界では第六次イゼルローン要塞攻防戦が殆ど戦いらしい戦いもなく終了した。そのためホーランドは武勲を挙げられず未だに少将のままだ。

ヤン・ウェンリーは第三艦隊の司令官に親補された。原作でのヤン艦隊のメンバーは集められん。あれは第四、第六の敗残部隊の寄せ集めだからな。まあ副官がフレデリカというのは一緒らしい。仲良くやってくれ。ちなみに前任のルフェーブル中将は同盟軍最高幕僚会議議員に転出だ。段々増えてくるが最高幕僚会議議員って定員って有るのかな、有るとしたら何人なんだろう。大体何をやっているのか分からんという謎の組織だ。そのうち悪だくみとかしなければ良いんだが……。

俺も艦隊司令官になった。驚いたことに俺に用意されたのは新設の艦隊だった。名前は第一特設艦隊……。それを聞いた時には何の冗談だと思ったが、冗談じゃなかった。正規艦隊は十二個しかない。俺を艦隊司令官にしようとすれば誰かを首にするしかないのだが、それでは反発が厳しいと見たらしい。亡命者を正規艦隊の司令官にするとは何事か! そんなところだろう。

そこで艦隊を新設し俺を司令官にした。艦隊の新設なら司令官職のポストが一つ増えるのだからあまり反発は無い、むしろ歓迎されるだろうと言う訳だ。反対するなら十二個の司令官職のどれかに就かせると言われれば反対は出来ない。多少の不満は有っても認めるしかない。

トリューニヒトもシトレも遣り方が上手いよ、連中が反対できないように持っていく。ついでに言えば特設だから正規艦隊ではない、いざとなれば解体も簡単だ。つまり正規艦隊司令官に比べれば艦隊司令官としての格は下という事になる。

俺の艦隊となった第一特設艦隊だが艦艇数は二万隻も有る。普通多くても一万五千隻だから五千隻以上多い。つまり俺は国内最大の武力集団を率いる事になったわけだ。一応理由は有る、帝国軍は俺を集中的に狙うだろうから、兵力を多くしておいた方が効率よく帝国軍を叩けるだろうということだ。

だがトリューニヒト、シトレの狙いはそこではないだろう。例え艦隊司令官の格は下でも国内最大の艦隊を率いさせる、それだけ信頼をしている、そんなところだ。実際に他の艦隊司令官にとって二万隻の艦隊を率いるというのは羨望以外の何物でもないはずだ。

二万隻もの兵力をどこから持ってきたんだとトリューニヒトに訊いたら新造艦と国内の哨戒部隊、各星系の警備隊、星間警備隊から持ってきたと言いやがった。何のことは無い、原作の第十四、第十五艦隊と同じだ。まあ新造艦や哨戒部隊が入っている、原作ほど酷くは無いだろう。

しかしね、艦隊を増やせば当然軍事費は増大する、レベロが嫌な顔をするかと思ったがそうでもなかった。ここ最近同盟は勝ち戦続きだ。戦死者も少なければ艦の損失も少ない。当然だが戦争による費用はレベロの予想よりも少なかった。レベロにしてみれば出来れば金はかけたくないが、元々ある艦と人員を再編成しただけだ。それほど目くじらを立てる事でもない、そう思ったようだ。それにここが勝負どころだと思っているのかもしれない。

第一特設艦隊の陣容は以下の通りだ。

司令官:エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将
副司令官:ワーツ少将
参謀長:チュン少将
副参謀長:ブレツェリ准将
作戦主任参謀:デッシュ大佐
作戦参謀:ラップ少佐
情報主任参謀:ビロライネン准将
情報参謀:ニコルスキー少佐
後方主任参謀:コクラン大佐
後方参謀:ウノ少佐
分艦隊司令官:マスカーニ少将
分艦隊司令官:キャボット少将
分艦隊司令官:ホーランド少将
副官:ミハマ中佐
旗艦艦長:シャルチアン中佐
ローゼンリッター:シェーンコップ准将
他にも二百隻程を率いる分艦隊司令官としてデュドネイ准将、ビューフォート准将、スコット准将、マリネッティ准将がいる。

微妙な面子だ。頼りになる人間とどう受け取って良いか分からない人間が居る。特に酷いのが実際に艦隊を率いる副司令官、分艦隊司令官だ。原作を読む限りどう見ても頼りにならない。過度な期待は禁物だろう。戦術レベルで競い合うような戦いは出来ないし手綱は引き締めておく必要がある。ホーランドとマスカーニなんて自信過剰の馬鹿と間抜けの代名詞に近い。

サアヤの処遇はちょっと迷った。副官にするか、それとも後方参謀にするか……。情報参謀、作戦参謀でも良かった。彼女は元々情報部だし、戦術シミュレーションも下手じゃないからな。だが結局は副官にした。気心も知れているし、他の奴を新たに副官に任命しても下手に怖がられては仕事にならない。最近俺を怖がる人間が増えて困っている。敵はともかく味方まで怖がるってどういう事だ? 俺は化け物か? 母さんが泣いてるよ、私の可愛いエーリッヒがって。

ローゼンリッターだがシェーンコップが自分で売り込んできた。こいつは准将になったのだから何処かの旅団長になってもおかしくないのだが例の軍法会議での態度が悪かったのが影響したのか連隊長のままだ。周囲も腫れものを扱うような調子で遇するため本人も面白くないのだろう。

俺の見るところこの男は軍人という職業が嫌いなのではない、自分を十二分に使ってくれる人間がいないのが不満なのだ。ついでに言えば自分の予測を超える事をしてくれる上官を望んでいる。驚かせてもらってその実現のために自分の能力を使う、そんなところだな。

“艦隊司令官になった以上、陸戦隊が必要でしょう。我々を使ってくれませんか、閣下を失望させるような事は無いと保証します”
“私のところに来ると亡命者が集まって何を企むかと皆が心配しますよ。ローゼンリッターにとっては後々困った事になりませんか”

“ヴァンフリート、イゼルローン……、我々は閣下に大きな借りが有りますからな、それを返したいんです”
“帝国軍は私を目の敵にして斃しに来る。巻き添えを食う事は無い……”
“それも良いでしょう、所詮人生は一度です。納得できる生き方、死に方ができるか……。貴方なら最高の舞台を用意してくれそうだ”

馬鹿に付ける薬は無いよな、配属を願う馬鹿とそれを受け入れる馬鹿、本当にそう思う、何で受け入れたんだろう。シトレにローゼンリッターの配属を頼むと直ぐに配属が決まった。上層部も連中の処遇には頭を痛めていたようだ。これ幸い、そんなところだな。

多分他にも同盟中の厄介者を第一特設艦隊に集めたのだろう、ポプランだのコーネフなんて言う名前も有ったからな。全部まとめて俺に押し付ける気に違いない。派手に戦死者を出しても何処からも苦情は出なさそうだ、やれやれ。

俺の乗艦だが戦艦ハトホルと決まった、パトロクロス級の一隻だ。ハトホルというのはエジプト神話に出てくる愛と美の女神で喜びの女主人とか呼ばれている。血腥い野郎とか化け物の名前なんてまっぴらだからな、俺はハトホルに十分に満足している。

もう少し後ならトリグラフ級というのも有っただろうが俺自身はパトロクロス級で問題は無い。というよりトリグラフ級は嫌だ。全幅二百十メートルって何だよ、パトロクロス級の三倍は有る。軍港には係留し辛いとか何でそんな艦造ったんだか、さっぱりわからん。同盟も末期で造艦技術者も頭がおかしくなっていたんだろうとしか思えない。

本当はヒューベリオン級が欲しかったが、あれは俺には使いこなせないからな、諦めるしかない……。ヒューベリオン級は一世代前の旧式艦だ。精々数千隻程度の艦隊しか指揮統率できないという欠点を持っている。半個艦隊とはいえ制式艦隊である第十三艦隊の旗艦に就役する際には指揮性能を上げるため急遽改造したらしいがそれでも一万数千隻の指揮は無理だったらしい。

結局第十三艦隊はヒューベリオン単艦による第十三艦隊全体の統括指揮は不可能だったため、分艦隊の機能を強化する事で対応したと読んだことが有る。普通はそんな事をしたら艦隊運用に置いてはマイナスどころか致命的な欠点になるんだが、そのあたりがヤンの凄い所だよな、フィッシャーの艦隊運用能力、アッテンボローの戦術指揮能力にも助けられたんだろうが破綻することなく同盟軍最強の艦隊としてあり続けた。当然だが旗艦であるヒューベリオンも帝国軍にとっては畏怖すべき存在だった……。

俺には無理だ、そんなことは出来ない。おまけにこの艦隊の分艦隊司令官がどこまで信用できるかはなはだ心もとない……。見栄を張っても仕方ないからな、喜んでパトロクロス級を使わせてもらう。一応改造をしてもらった。指揮性能を上げるためだがアンテナを増設してもらったのだ。旗艦に必要なのは最後まで生き残って指揮を執り続ける事だ。

さて、そろそろ幹部連中を集めて会議を行うとするか……。やらなければならない事はたくさんある。最近勝利続きで浮かれている連中が多いがそんな暇は無いのだ。連中にもそれを徹底しないと……。



宇宙暦 795年 7月 15日  ハイネセン  宇宙艦隊司令部  オーブリー・コクラン



会議室にはコの字型に机が並べられていた。正面に有るヴァレンシュタイン司令官とミハマ中佐の席を除いて第一特設艦隊の幹部が向かい合わせに座っている。皆、緊張しているのだろう、表情が硬い。

七月五日、今回の人事が発令された。それ以前から第一特設艦隊の準備は出来ていたのだろう。十二日には編成を終えた艦隊がハイネセンに集結し最終的な補給及び乗員の乗り組みを待つばかりになっている。

補給作業は順調に進んでいる。後方勤務本部のセレブレッゼ大将が何かと便宜を図ってくれるのだ。大将はヴァンフリートの戦いでヴァレンシュタイン中将と共に戦った、言わば戦友だ。中将を高く評価しているし、信頼もしている。そして中将の艦隊司令官就任をとても喜んでいる。

艦隊の幹部が全員揃うのはこれが二度目だ。最初は人事が発令された翌日、七月六日に召集された。その場では簡単な自己紹介と今後のスケジュールについて説明が有った。七月十日前後に艦隊がハイネセンに集結する事、その後は第一、第三艦隊とともに訓練を行う事、訓練計画はヴァレンシュタイン中将がワイドボーン中将、ヤン中将とともに作成する事……。

誰かが溜息を吐く音が聞こえた。見渡すと分艦隊司令官、ホーランド少将が溜息を吐いている。皆の視線が自分に集中したのが分かったのだろう、多少バツが悪そうな表情をした。

「いや、司令官閣下がなかなか来られないのでな」
「集合は十四時です。十四時までまだ十二分も時間が有りますよ」
チュン参謀長の言葉に皆が頷いた。おっとりした口調だ、パン屋の二代目と言われた人物に相応しい口調だろう。

本当なら笑いが起きてもおかしくないところだが誰も笑わない、黙って頷いている。そして会議室には十五分も前に全員が集まった。ここに居ないのはヴァレンシュタイン司令官とミハマ中佐だけだ。

皆、新司令官を畏れている。用兵家、謀略家としての実力もさることながら皆が畏れているのはその厳しさ、冷徹さに対してだ。無能に対しては容赦が無い、俊秀を謳われたフォーク中佐は病気療養中、ロボス元帥は総司令官職を解任された。ムーア中将、パストーレ中将の更迭にも関与していると言われているがその事を疑う人間は誰も居ない。

そして勝ち戦でも喜び浮かれるという事が無い、周囲が鼻白むほどに冷静だと聞いた事が有る。実際ミハマ中佐もヴァレンシュタイン中将が驚くところを見た事が無いと言っている。

おそらく事実だろう。何度か決裁を貰いに行った事が有るが驚くほど冷静だ。まだ二十歳を超えたばかりの若者が艦隊司令官になったのだ、普通なら何処かで喜びや覇気、気負いを出してもよいのだがそれが無い。十年以上も艦隊司令官を務めているような落ち着きを周囲に見せている……。

十四時五分前、会議室のドアが開きヴァレンシュタイン司令官が入ってきた。後ろにはミハマ中佐が付いている。全員が起立して司令官を迎えた。何処かで大きな音がする、視線を向けるとマスカーニ少将が顔面を紅潮させて立ち上がるところだった。どうやら上手く立てなかったらしい。皆も気付いたはずだが、表情を崩す人間は居なかった。

ヴァレンシュタイン司令官が正面に立つと皆が一斉に敬礼した。司令官が答礼する。司令官が椅子に座るのを見届けてから皆が席に着いた。
「定刻前ですが全員揃っているようです。会議を始めましょう。コクラン大佐、補給の状況は?」
「はっ、明日には作業を完了する予定です」
私の言葉に司令官が頷いた。

「第一特設艦隊はこれより訓練に入ります。出立は七月二十日、09:00時、目的地はランテマリオ星系となります。ハイネセンへの帰還は三か月半後、十一月初旬になるでしょう」
ハイネセンからランテマリオまでは約一ヶ月かかる。つまり訓練自体は一ヶ月半を想定しているという事か。

「第一艦隊、第三艦隊も我々と前後してハイネセンを出立します。但し、彼らが味方なのはバーラト星系を出るまでです。それ以後は敵となります」
会議室がざわめいた。皆が顔を見合わせている。

「バーラト星系を出た時点から訓練が始まるという事ですか」
チュン参謀長が驚いたような口調で問いかけるとヴァレンシュタイン司令官が頷いた。チュン参謀長は天井に視線を向け何かを考えている。そして司令官が口を開いた。

「ランテマリオ星系には八月二十五日までに着くことが必須条件となります。それまでの間、それぞれ航行中の艦隊を敵と認識し発見次第奇襲攻撃をかける訓練を行います。妨害電波を敵艦隊にかけた時点で奇襲は成功、奇襲を受けた艦隊はその場で二十四時間の待機……」

また会議室がざわめいた。ランテマリオまでの所要日数を三十日とすれば六日の余裕が有る。だが奇襲を受ければその時点で一日ロスする。相手は第一、第三の二個艦隊、それぞれが三回奇襲を成功させればそれだけで六日ロスだ。奇襲を避けようとすれば当然哨戒活動を厳重に行い慎重に進まなければなるまい。だがその事が兵に与える緊張、疲労はどれほどのものになるか……。皆同じことを考えたのだろう、顔面が強張っている。

「閣下、ランテマリオまでの航路はどのルートを」
チュン参謀長が司令官に問いかけた。バーラトからランテマリオに行くにはいくつかのルートが有る。大きく分けてもリオ・ヴェルデ方面とケリム方面に分かれるが一体どのルートを辿るのか……。

「航路は各艦隊で自由に設定して構いません。場合によっては一度も敵と遭遇することなくランテマリオに着く事も有り得るでしょうし、三艦隊が同じルートを選ぶことも有り得ます」
三度、会議室がざわめいた。皆が小声で話している。おそらくどのルートを選ぶのが良いのかを話しているのだろう。

「参謀長、皆と話し合って航路を選定してください。それと哨戒活動、索敵活動をどのように行うのかを決めてください」
「承知しました」
参謀長の答えに司令官が笑みを見せた。珍しい事だ、我々を励まそうとでもいうのだろうか。

「気を付けてくださいよ、第一艦隊は前回の戦いで良い所が有りませんでした。当然ですがその鬱憤を晴らそうとするはずです。そして第三艦隊のヤン中将は用兵家としての力量は私などより遥かに上です。非常勤参謀などと甘く見ていると痛い目を見ますよ」

励ましなどでは無かった、ドジを踏むなという警告だ。皆が表情を強張らせる中ヴァレンシュタイン司令官は席を立った。慌てて起立し司令官の退出を見送る。司令官の退出後、席に着くと彼方此方で溜息が聞こえた。

「八月二十五日までにランテマリオ星系に必着ですか、奇襲さえ受けなければ十分可能だとは思いますが」
「そうでもないぞ、ラップ少佐。考えたくない事だが、迷子になる艦が出るかもしれん。この艦隊が寄せ集めである事を忘れてはいかん」
副参謀長、ブレツェリ准将の言葉に皆がうんざりした表情を見せた。

「哨戒部隊が迷子になどなったりしたら……、考えたく有りませんな」
「迷子の捜索と奇襲への手配、大騒ぎだろう。司令官閣下がどう思うか……」
チュン参謀長とワーツ副司令官の遣り取りに何人かが溜息を吐く、私もその一人だ。

どう見ても我々の艦隊が一番不利だ。第一特設艦隊は艦隊の錬度、まとまりが他の艦隊に比べて圧倒的に低い。おそらくこの訓練はそれを見越してのものなのだろうが訓練は予想以上に厳しいものになりそうだ……。

“司令官閣下が笑顔を見せたら要注意です、碌な事は有りません。震え上がるか、逃げ出したくなるかのどちらかです”
ミハマ中佐の警告を思い出した。貴官の言うとおりだ、ミハマ中佐。逃げ出したくなったよ、私は……。





 

 

第六十四話 訓練

宇宙暦 795年 7月 22日  第一特設艦隊旗艦 ハトホル  ジャン・ロベール・ラップ



「どういう事だ、これは!」
艦橋にチュン参謀長の怒声が響き渡った。
「訓練が始まって未だ二日目だぞ、バーラト星系を出たばかりだ。何故ここで奇襲を受ける! 哨戒部隊は何をやっていた! 眠っていたのか!」

誰も答えられない。状況を確認したくとも妨害電波が酷く確認できないのだ。バツの悪い表情をする人間が多い中、ヴァレンシュタイン司令官だけが指揮官席に座り無表情に戦術コンピュータを見ている。

「妨害電波が止まりました、通信機能回復します」
「司令官閣下、通信が入っています。スクリーンに映します」
オペレータが妨害電波の停止と通信機能の回復を告げ、さらに通信が入っている事を告げた。おそらくは敵の指揮官だろう。ワイドボーンか、ヤンか……。

『やあ、ヴァレンシュタイン提督、残念だな』
ワイドボーンが満面に笑みを浮かべてスクリーンに映った。この野郎、こっちの気も知らないで……、ヤンなら済まなさそうな顔をするだろう。ワイドボーン、お前を一発殴ってやりたい気分だ。そう思っていると奴が俺を見てニヤリと笑った。絶対一発殴ってやる。

「御見事、と言った方が良いのかな、ワイドボーン提督」
『どちらかと言うとそちらの錬度の低さが原因だな。こうまで簡単に奇襲が成功するとは思わなかった』

余計な御世話だ、この野郎。お前は昔からそういう嫌味な奴だ。チュン参謀長はこめかみを引き攣らせていたが、奇襲を受けた原因を調べるべく哨戒部隊に連絡を取り始めた。 俺もその作業を手伝う、参謀長だけに負担はかけられないし、奴の顔など見るのも嫌だ。

「仕方が無いでしょう。寄せ集めですからね、現状ではこんなものです」
本当にそう思っているのだろうか、そう思わせる口調だった。まるで他人事のようだ、感情が見えない。いかんな、聞こうとは思わないのだが聞こえてくる。作業に集中できない。さっさと通信を切れ、ワイドボーン。
『まあそうだな、……だがいつまでもそれに甘えてはいられん。戦場に出れば帝国軍は待ってくれんからな』

ワイドボーンの声が真剣なものになり、ヴァレンシュタイン司令官が頷いているのが見えた。確かに何時までも寄せ集めという現状に甘えてはいられない。でもな、お前に言われたくないんだよ、ワイドボーン。いかんな、どうしても視線がそちらに行く。

「そうですね、帝国軍は待ってはくれない……。第一特設艦隊が戦場に出れば帝国軍は我々を叩き潰そうと躍起になるはずです。私を殺そうと次から次へと押し寄せるに違いない……」
司令官の声に司令部の要員が顔を見合わせた。今更ながらヴァレンシュタイン司令官が帝国から憎まれているのだという事を認識した。

スクリーンに映るワイドボーンが頷いている、そして面白くもなさそうな口調で話しだした。
『その通りだ、今のままではあっという間に二階級特進だ。同盟史上最年少の元帥の誕生だな』
ヴァレンシュタイン司令官が微かに苦笑を漏らした。

「ブルース・アッシュビー、リン・パオ、ユースフ・トパロウルを超えますね……。同盟史上最大の英雄、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン元帥は帝国からの亡命者か、なかなか笑えますよ」
ヴァレンシュタイン司令官が笑いだした。笑い声が耳に痛い。

『冗談を言っている場合か、お前、どうかしてるぞ、ヴァレンシュタイン』
呆れたような口調と表情だった。ミハマ中佐が二人の会話をクスクス笑いながら聞いている。良い度胸だ。

「冗談を言うことぐらいしか出来そうな事は有りませんからね。……第一特設艦隊は二十四時間、現場にて待機します」
『……了解した、こちらは先に行っている』
通信が切れるとヴァレンシュタイン司令官がチュン参謀長に顔を向けた。

「奇襲を受けた原因は?」
司令官の問いかけに参謀長の顔が歪む。無理もない、原因は碌でもないものだったのだ。
「哨戒網に穴が有ったようです。哨戒部隊の一つが担当範囲とは別の場所を哨戒していたと……。第一艦隊にはその穴を突かれました。ただ、何故そうなったかはまだ不明です」

周囲から溜息が洩れる音がした。おそらく呆れたのだろう、そしてやはりという思いも有るはずだ。哨戒部隊が迷子になるのではないかという不安は当たりはしなかったが見当はずれでもなかった。役に立たない哨戒に何の意味が有るのか……。

報告を聞いてもヴァレンシュタイン司令官の表情が変わることは無かった。目を閉じて左手で右肩を押さえ摩る様にしている。以前負傷した場所だと聞いているが痛むのだろうか?

「会議を開いて原因の特定と対応策を検討してください。急ぐ必要は有りません、二時間ほど休息を入れてからの方が落ち着いて出来るでしょう」
「了解しました」

「我々は二十四時間ここで待機することになります。乗組員には交代で休息を取らせてください、貴官達も会議終了後は交代で休息を取ってください」
「待機時間終了は明日の十五時になります。十三時には総員を配置につかせ出航に備えさせます。宜しいでしょうか」

参謀長の問いかけにヴァレンシュタイン司令官は頷いた。相変わらず目は閉じたままだ。左手で右肩を摩るのも変わらない。
「哨戒活動はこのまま続けさせてください」
「続けるのですか? 待機中ですが」

訝しそうにチュン参謀長が声を出すとヴァレンシュタイン司令官は肩を摩るのを止め閉じていた眼を開けて参謀長を見た。
「待機中ではありますが訓練を中断したわけではありません。第一艦隊が再度奇襲をかけてこないとは限らない。それに……、第三艦隊の所在は確認できているのですか?」

参謀長がきまり悪げな表情を浮かべた。
「いえ、確認は出来ていません」
ヴァレンシュタイン司令官の眼が僅かにきつくなった様に見えた。

「二十四時間の待機は二十四時間の休息ではありません。奇襲を受け損害を出した艦隊が再編するのに二十四時間を必要とする、そういう事です。再編中に周囲を警戒しないなど有りえません。第一、第三艦隊は敵です、これは実戦を想定した訓練なのです。総員にそれを徹底させてください、そうでないと何のための訓練か分からなくなる」

眼だけではない、声も先程までとは違う。明らかに司令官は怒っている。ミスを犯した事よりも訓練の意味が理解出来ていない事を重視しているようだ。司令官が視線を我々司令部要員に移した。皆気まり悪げにしている。

「しばらく此処を離れます。後をお願いします」
「……閣下、会議には参加いただけるのでしょうか?」
立ち去りかけたヴァレンシュタイン中将が足を止めチュン参謀長に視線を向けた。

「……私が居ないほうが話しやすいでしょう」
「ですが」
「私が会議に入るのはもう少し後の方が良いでしょうね。今入ってもプラスにはならないと思います」
「……」

さりげない口調だったがチュン参謀長を口籠らせるのには十分な内容だった。おそらく我々の意識が低すぎて話しにならないと見ているのだろう。そしてその事は自分の口から言うよりもチュン参謀長の口から言わせた方が良いと判断したに違いない。飾らずに言えば相手に出来るレベルでは無い、そういう事だ。

「怒っているのでしょうか」
デッシュ大佐が口を開いたのは司令官が艦橋から立ち去ってからだった。それまでは口を開くことを憚るような空気が艦橋に有った。

「怒っているだろうな……、それに呆れているかもしれん」
チュン参謀長の言葉に彼方此方で溜息を吐く音が聞こえた。訓練二日目で奇襲を受けている、呆れられても仕方がないだろう。しかも哨戒する場所を間違えたなど怒る以前の問題だと思っているかもしれない。そして我々の意識の低さも問題だと思っているだろう、情けない限りだ。

「ミハマ中佐、貴官はどう思う」
デッシュ大佐が問いかけると中佐はクスクス笑いだした。
「司令官閣下はそれほど怒ってはいないと思いますよ」
皆が戸惑った様な表情をした。あれで怒っていない? それは無いだろう。

「そうかな、結構きつい事を言われたと思うんだが」
「あれは注意しただけです、とても怒ったとは言えません。デッシュ大佐、司令官が本当に怒ったときは冷たく見据えられるか、笑顔になります。笑い声を上げたら最悪ですよ、皆凍りつきますから。ブリザードが吹き荒れるんです」
司令部要員全員の顔が引き攣った。頼むからニコニコしながら怖い事は言わんでくれ。想像したくない……。


二時間後、旗艦ハトホルの会議室に司令部要員、分艦隊司令官が集まった。コの字型に並べられた会議卓、その正面にはヴァレンシュタイン司令官の姿は無い。怖い司令官が居ないのだ、会議室の雰囲気は明るいとは言えなくともごく普通であって良いはずだ。だが、現実には全員が苦虫を潰したような表情をしている。司令官が居たら皆無表情になっていただろう。

「つまり何か、哨戒任務などやったことのないど素人が哨戒任務を行ったという事か、しかも御丁寧に座標を間違った……」
チュン参謀長がうんざりした口調で吐き捨てた。頭が痛いのだろう、しきりにこめかみのあたりを指で揉んでいる。

「無理も有りませんよ、元は星系警備隊、星間警備隊なんです。哨戒任務なんて真面目にやったことは無い、極端な事を言えば、せいぜいその辺をぶらついていただけです。今回の訓練もその調子で行った。で、いきなり奇襲を食らって慌てている……」
ブレツェリ副参謀長も同じようにうんざりしているのが分かる口調だ。

「国内の警備隊などそんなものでしょう。軍の艦を襲うものなどいない、哨戒などする必要が無いんです。同じ軍でも実戦経験が有るか無いかで全然違う」
スコット准将だ。元々国内の補給部隊の警備が主任務だったと聞いている。実情は良く知っているという事か。だったらもっと早く言ってくれればよいのに……。

「念のため、奇襲を受けた時点での各哨戒部隊の位置を確認しました。八つ有る哨戒部隊の内三つが本来居るべき位置に居ませんでした、今回の奇襲は偶然では有りません、必然と言って良いでしょう」
俺の報告に会議室の彼方此方で溜息が洩れた。天井を見る者、俯く者、頭を抱える者、皆様々だが笑顔だけは無い。

テーブルの上にはコーヒーが用意されているが誰も飲もうとはしない、そんな気分にはなれないのだろう。喜びの女主人の会議室は陰鬱な空気に染まっていた。

「ラップ少佐、今は大丈夫なんだろうな。また訳のわからん所を哨戒している、そんな事は無いだろうな。ここで奇襲を受けたら司令官閣下がどう思うか……」
「御安心ください、参謀長。会議が始まる前に位置を確認しました。問題は有りません」
誰も安心したような表情をしていない。まあ当然だろう、哨戒部隊の位置を司令部が一々確認しなければならないとは……、呆れてものが言えない。

「錬度が低すぎる、寄せ集めである事は分かっていたが此処まで酷いとは……。この状態で戦場に出たらあっという間に二階級特進だな。この艦隊が帝国軍から眼の敵にされるだろうという事を皆分かっていない」

「ここ最近大きな勝利が続いているからな。二万隻という数にも安心しているのだろう」
ホーランド少将、ワーツ副司令官がぼやく様な口調で話している。会議室の空気が更に暗くなった。陰々滅々、そんな感じだ。皆、現状の悲惨さに頭を抱えている。二階級特進、現実味を帯びてきた。ジェシカ、どうしよう……。

「司令官閣下は御存じなのかな、この現状を」
キャボット少将の言葉に皆が顔を見合わせた。自然と視線がチュン参謀長に向かう。参謀長が渋い表情で答えた。

「或る程度の予想はつけていたと思う。会議への参加を要請したが自分が居ない方が話しやすいだろうと言われた。自分が会議に参加するのはもう少し後の方が良いだろうと……」

「どうやら気遣って貰ったらしいな。確かに司令官閣下の前でこんな情けない話は出来ん、首を括りたくなる……」
ビロライネン准将が溜息交じりの口調でぼやく、周りからも溜息が聞こえた。

会議室のドアが開いた、ミハマ中佐が笑顔を浮かべながら中に入ってくる。会議室が緊張に包まれた。中佐は司令官から何か言われてきたのかもしれない、皆そう考えたのだろう。

中佐は手に結構大きいサイズのピクニックバスケットを持っていた。会議卓に近づくと“ヴァレンシュタイン提督からの差し入れです”と言ってバスケットの中から小さな菓子入れを取り出してテーブルの上に置いていく。全部で四つ、俺の前にも一つ置かれた。中にはクッキーが入っている、美味しそうだ。

「中佐、提督からの差し入れと言ったが貴官が作ったのかね」
「いいえ、提督が作ったんですよ、コクラン大佐。とっても美味しいんです」
ミハマ中佐の答えに皆の視線がクッキーに集中した。一瞬にしろ毒入りかと思ったのは俺だけではないだろう。皆が厳しい視線でクッキーを見ている。

「提督からの伝言が有ります。急ぐ必要は有るが焦る必要は無いとのことです。艦隊を精強ならしめるのは訓練が終了するまでに実現できれば良いと……。先ずは現状をきちんと把握して欲しいと言っておいででした」
そう言うとミハマ中佐は軽く一礼して会議室を出て行った。後にはクッキーと困惑した空気が残っている。

皆が顔を見合わせた。
「……残すのは拙いでしょうな、……捨てるわけにもいかない」
沈黙の後に悲痛とも言える声を出したのは俺の隣に座っていたウノ少佐だった。クッキーをじっと見ている。確かに残すのは拙い、捨てるのも論外だ。となれば食べるしかない。会議室の空気が更に重くなった。

「小官が先陣を切ります、後を頼みます」
待て、ウノ少佐、後を頼むとはどういう事だ? 食べてくれという事か? 大体何でクッキーを持つ手が震えている?

クッキーがウノ少佐の口の中に入った。皆、じっとウノ少佐を見ている。
「……美味しい、ですな」
どっと疲れた。俺だけではあるまい、皆気が抜けたような表情をしている。

「そ、そうか、美味しいか。では私も一つ頂いてみよう」
チュン参謀長がクッキーを一つ掴む。少しの間クッキーを見ていたが口の中に運んだ。
「うむ、大丈夫だ、確かに美味しい。提督からの差し入れだ、皆も食べてくれ」

大丈夫とはどういう意味だろう、一瞬そう思ったが考えるのは止めた。そんな事よりも俺もクッキーを食べなければならない。一つ手にとって口に運んだ、確かに美味しい。彼方此方で美味しいという声が上がった。

少し休憩を入れようと参謀長が提案し、皆が賛成した。冷めたコーヒーを熱いコーヒーに代え、クッキーをつまむ。うむ、間違いなく美味しい。あの冷徹、非情、峻厳と言われる司令官がクッキーを作る……。エプロンを着たのだろうか、それとも割烹着か……。似合いすぎる、思わず噴き出しそうになった。

「急ぐ必要は有るが焦る必要は無いのだ。提督の仰る通り、先ずは現状を把握する事だ」
「参謀長の仰る通りですな。そこから問題を片付けていけば良いでしょう、幸い提督は現状をきちんと認識しているようだ。無理な事は言わないと思います」
チュン参謀長とブレツェリ副参謀長がクッキーをつまみながら話している。先程とは違って表情が明るい。

「今の第一特設艦隊は最低のレベルに有ると思う事だ。これから先は上がるだけだと思えば良いだろう、我々が暗い顔をしては兵達の士気が下がる一方ではないか」
「同感だ、良い酒を作るには時間がかかる。焦らずじっくりと仕込めば良い」
デュドネイ准将とビューフォート准将だ。その隣でマリネッティ准将が頷いている。マリネッティ准将だけではない、皆が頷いていた。


会議が終わったのはそれから二時間後の事だった。休憩後は嘆く事よりもどうすれば現状を変えられるかを中心に皆が意見を出した。参考になったのはスコット准将の経験だ。国内の補給部隊の警備が主任務だった准将の話を皆が聞きたがった。准将も最初は恥ずかしがっていたが徐々に話してくれた。

実りある会議だったと言えるだろう。会議が終わった時には皆がこれからなのだと口々に言った。俺もそう思う、第一特設艦隊が精強になるのはこれからなのだ。ワイドボーン、いずれは借りを返してやる、倍にしてな。

クッキーは全てきれいに無くなっていた……。


 

 

第六十五話 地雷

宇宙暦 795年 7月 23日  第一特設艦隊旗艦 ハトホル  ミハマ・サアヤ



二十三日の十四時、出航一時間前になりました。出航に備え総員が配置に付いたのは更に一時間前の十三時の事です。当然ですが艦橋にはそれ以前に司令部要員全員が揃っています。そして各分艦隊からは十三時を過ぎると待ちかねたように“出航準備良し”という連絡が入ってきました。

艦橋では司令部要員が忙しく情報を確認しています。各哨戒部隊の位置、報告の確認、さらに哨戒のローテーション、補給位置の確認……。チュン参謀長、ブレツェリ副参謀長の元にそれらが集められ、二人が最終確認を行う……。

良い意味で艦橋には緊張感が満ちています。昨日有った何処かヴァレンシュタイン提督に遠慮するような、萎縮するような空気は何処にも有りません。おそらく、そんな余裕は無いのでしょう。それほど第一特設艦隊には問題が有るのです。そしてそれを皆が理解している……。

そんな彼らをヴァレンシュタイン提督は指揮官席に座って黙って見ています。色々と思うところは有ると思います、自ら作業の指揮を執りたいとも思っているでしょう。誰よりも仕事が好きな司令官にとって黙って見ているのは苦痛だと思いますが、それでも口を出すことはしません。私は昨日この艦橋で有った事を思い出しました。




ヴァレンシュタイン提督の命令で会議室にクッキーを運んだ後、艦橋に戻ると提督はシェーンコップ准将と三次元チェスをしていました。ヴァレンシュタイン提督が仕事をせずに遊びに興じているのは珍しい事です。

「閣下、会議室にクッキーを置いてきました」
「有難う、で、どうでした、様子は……」
「あまり良い雰囲気ではなかったと感じました」
私の言葉にヴァレンシュタイン提督は少し苦い表情で“まあそんなものでしょう”と呟きました。

「歯痒いのではありませんかな」
幾分冷やかす様な、茶化す様な口調でシェーンコップ准将が提督に話しかけました。そして駒を動かします、もしかして心理戦をしかけているつもり? ちょっと可笑しくなりました。提督がこの手の心理戦で負けるとは思えなかったからです。

ヴァレンシュタイン提督が無言で駒を動かしました、シェーンコップ准将が一瞬提督を見てから駒を動かします。状況は提督が有利のようです。提督相手に心理戦は無謀ですよ、シェーンコップ准将。

「何故、御自身で指示を出さないのです。その方が効率は良いと思いますが……」
「それでは駄目なんです。それではこの艦隊は地雷を抱えたままですから」
地雷? その言葉に私とシェーンコップ准将は顔を見合わせました。

私達の様子が可笑しかったのでしょう、ヴァレンシュタイン提督はクスッと笑いましたが表情を改めると駒を動かしてから話し始めました。
「この艦隊の地雷が何か、分かりますか?」

シェーンコップ准将が難しい顔をしてチェス盤を見ています。動かした駒を見ているのか、それとも地雷の事を考えているのか……。
「この艦隊が寄せ集めの集団だ、などという事ではなさそうですな」
「それは既に見えています、そして皆が除去しようとしている。確かに地雷かもしれませんが危険度は少なくなりつつある。いずれはゼロになるでしょう」

准将がチェス盤から視線を私に向けました。
「中佐、貴官は分かるかね?」
「……皆が提督を必要以上に怖がっている事でしょうか?」
私の答えに提督は傷ついたような表情を浮かべ、シェーンコップ准将は大きな声で笑い出しました。

「なるほど、確かにそれは有りそうだな」
シェーンコップ准将がちょっと冷やかす様な口調で提督を見ています。そしてさりげなく駒を動かしました。提督は何か言いかけて口を閉じ苦笑してから話し始めました。もっとも視線はチェス盤を見ています。

「この艦隊の地雷が私、という事では合っていますね。私は指揮官としては失格なんです、それがこの艦隊の地雷です」
シェーンコップ准将がちょっと驚いたような表情をしています。私も多分似たような表情をしているでしょう。提督が指揮官に向いていない?

「よく分かりませんな、私は貴方ほど指揮官に向いている人は居ないと思いますよ。貴方は状況判断が的確だし運も良い、何より貴方は常にクールだ。貴方の下に居れば武勲が立たないまでも長生きが出来そうだとおもっているんですが……」

シェーンコップ准将が上官の品定めを本人の目の前で行いました。大胆というか何と言うか、ヴァレンシュタイン提督は苦笑していますが本来こんな事は許されない事です。ですが評価そのものは私も間違っているとは思いません。

確かに提督ほど指揮官に向いている人は居ないと思います。何よりも兵の命を大切にする気持ちの強さはどんな提督も及ばないでしょう。誰よりも指揮官に相応しい人だと思います。

「過大評価ですね、その評価はヤン提督にこそ相応しいでしょう。まあ、それはともかく私は身体が丈夫じゃないんです、月に一度は寝込んでいる。もし戦闘中にそんな事が起きたらどうします?」
「……」

「指揮官の役割は決断する事です。その指揮官が居なくなる……、艦隊は混乱するでしょうね」
私もシェーンコップ准将も言葉が有りません。提督は笑顔を浮かべています。その口調は冗談を言っているように軽やかでしたが笑顔は何処か寂しそうに見えました。

私はずっと提督の傍に居ました。だから提督の事は良く知っているつもりです。前線、後方の両方で傑出した能力を持っている提督は軍人としては完璧に近いと思っています。多少身体が丈夫ではない所もそれほどハンデになるとは思っていませんでした。でも提督自身はそうは思っていなかった……。周囲には悟らせませんでしたがいつも何処かで自分の身体の事を遣る瀬無い気持ちで思っていたのかもしれません。

「参謀であれば問題は有りませんでした。私が倒れてもヤン提督、ワイドボーン提督が穴を埋めてくれたはずです。実際私はこれまでかなり無理をしたと思います、多分あの二人を無意識のうちに頼っていたのでしょう」
「……」

「ですが今度はそうはいきません。あの二人を頼ることは出来ない……。この艦隊の中でその危機を凌がなければなりません。そのためにもチュン参謀長を中心にまとまって貰わなければならない……、チェックですよ、准将」

シェーンコップ准将が難しい顔をしてチェス盤とヴァレンシュタイン提督を見ています。先程までの面白がるような表情は有りません。低い声でゆっくりとヴァレンシュタイン提督に問い掛けました。

「だから会議の中に入らないと?」
「そうです」
「……この実戦を想定した訓練もそれが理由ですか、バラバラな彼らをまとめるには敵が必要だ。単にこの艦隊の欠点を見つけるという事だけではなく敵を与えその敵と戦う事で一つにまとめる……」
シェーンコップ准将が駒を動かしました。

私は提督と准将を交互に見ました。准将は険しい表情を、ヴァレンシュタイン提督は嬉しそうに笑みを浮かべています。
「鋭いですね、シェーンコップ准将。ならばもう少し推理を働かせてみてはどうです?」

「推理?」
シェーンコップ准将が訝しげな表情をしています。私にも分かりません、一体提督は何を推理しろというのか……。
「第三艦隊が何処に居るか……、分かりませんか?」
「第三艦隊……」

シェーンコップ准将が考え込んでいます。第三艦隊は私達同様ランテマリオを目指しているはずです。ただどのルートを使うかは分かりません。私達はリオ・ヴェルデ経由でランテマリオを目指そうとし第一艦隊の奇襲を受けました。同じようにリオ・ヴェルデ経由を使うのか、それともケリム経由か。

第一艦隊の奇襲を受けた直後の提督を思い出しました。哨戒活動の継続を命じる提督に対しチュン少将が疑問を呈した時の事です。“第三艦隊の所在は確認できているのですか”。提督は第三艦隊の所在を知っているようです。

提督が私と准将を交互に見ました。悪戯っぽい笑みを浮かべています。
「ヒントを差し上げましょう、ワイドボーン提督もヤン提督も第一特設艦隊が寄せ集めの烏合の衆だという事を知っています、それが危険だという事も……。この訓練はそれを克服するために用意されました。訓練の最大の目的は第一特設艦隊を精強ならしめる事……」

「訓練の最大の目的は第一特設艦隊を精強ならしめる事、ですか……。そうか、ケリム星系、そういう事か……」
呻くようなシェーンコップ准将の言葉でした。私にもようやく分かりました。第三艦隊はケリム星系に向かっています。

提督が嬉しそうに笑い声を上げました。
「その通りです、第一艦隊はリオ・ヴェルデ星系、第三艦隊はケリム星系の二手に分かれて第一特設艦隊を鍛える役を担っているのですよ。私達がどちらの航路を選んでも奇襲できるように」

「ワイドボーン提督が我々を挑発するような物言いをしたのもわざとですか。敢えて悪役を演じる事で敵対意識を煽った……、第一特設艦隊を一つにするために……」
呆れたような准将の口調でした。提督は嬉しそうに笑みを浮かべて准将を見ています。

「ワイドボーン提督は良い仕事をしてくれましたよ。ヤン提督ではああはいかない」
そう言うと提督がまた笑い声を上げました。

「やれやれ、酷い話ですな。ミハマ中佐、そうは思わないか」
「酷いですが、提督らしいと思います」
シェーンコップ准将が笑い出しました。私も笑うしかありません。提督も苦笑しています。
「一番酷いのは貴女ですよ、ミハマ中佐」
提督のその言葉にまた准将の笑い声が上がりました。

一頻り笑うと提督は表情を改めました。笑みを収め厳しい表情をしています。
「リオ・ヴェルデに向かうまでに最低でもあと一度は奇襲をかけてくるでしょう。その後はワイドボーン提督次第ですね。リオ・ヴェルデ以降は航路が複数に分かれます。こちらの進路をどう読むか、向こうも決して楽な訓練ではない……」

提督の言葉にシェーンコップ准将が頷きました。ヴァレンシュタイン提督、ワイドボーン提督、ヤン提督。今回新たに艦隊司令官になった三人はいずれも若いのです。それだけに周囲の反発は必至でしょう。それを跳ね返すのは実力だけです、抜擢に応える事でしか跳ね返せません。訓練をおろそかには出来ません……。





「閣下、出航時間まであと一時間です。出航準備整いました」
チュン参謀長の報告にヴァレンシュタイン提督が頷きました。
「哨戒部隊からの報告は?」
「異常ありません。第一、第三艦隊が至近に居る形跡は有りません」

「哨戒部隊は後方にも配置していますか?」
「配置してあります」
チュン参謀長は落ち着いています。それだけ自信が有るのでしょう。提督もそれが分かったのだと思います、微かに笑みを浮かべました。何となく嫌な予感が……。

「注意してくださいよ、第三艦隊は我々の後方に居る可能性が有ります。第一艦隊は最低でももう一度は奇襲をかけてくるでしょう。奇襲が成功すればその時点で第一艦隊に奇襲をかける……。二個艦隊が二十四時間待機になるのです。後はランテマリオを目指せば良い……」

「なるほど」
参謀長が提督の指摘に頷きました。他の司令部要員も顔を見合わせて頷いています。確かに有り得る話だと思います。私も第三艦隊がケリム星域に向かっている事を知らなければ頷いていたでしょう。

「或いはその逆のパターンも考えられますな。我々が第一艦隊に奇襲をかけた直後に第三艦隊が我々を襲う……」
シェーンコップ准将です。不敵な笑みを浮かべていますが表情だけでなく内心でも面白がっているに違いありません。此処にも根性悪が居ました。

「確かに……。もう一度哨戒を徹底させます。此処は敵地なのだと念を入れましょう」
チュン参謀長の言葉にブレツェリ准将、デッシュ大佐、ラップ少佐達が哨戒部隊に連絡を入れ始めました。それを満足そうに提督と准将が見ています。多分第一特設艦隊の司令部はこれからもヴァレンシュタイン提督とシェーンコップ准将に苛められるのでしょう……。














 

 

第六十六話 苦悩

帝国暦 486年 7月 25日  イゼルローン要塞  ラインハルト・フォン・ミューゼル



イゼルローン要塞駐留艦隊司令官の私室で、新司令官、グライフス大将に俺は挨拶をしていた。
「グライフス閣下、イゼルローン要塞への無事着任、心からお喜び申し上げます。それと遅くなりましたがイゼルローン要塞駐留艦隊司令官への就任、おめでとうございます」

「有難う、ミューゼル中将。卿と卿の艦隊には随分と苦労をかけた。感謝している、ご苦労だった」
「はっ、有難うございます」

新任の要塞駐留艦隊司令官グライフス大将は穏やかな表情をした五十代の男だった。参謀としての軍歴が長いようだが、いかにもと思わせる容貌だ。勇猛さよりも思慮深さが持ち味の男だろう。

俺は心にもない挨拶をしたつもりは無い。この時期にイゼルローン要塞に詰めると言う事は並大抵の苦労ではない筈だ。難攻不落を謳われたイゼルローン要塞は内部崩壊という危機に襲われている。今ここに反乱軍が大軍をもって攻めよせたらどうなるか、考えたくない事だ。

要塞司令官シュトックハウゼン大将はこの二ヵ月で随分と老けこんだ。要塞内部を引き締め、兵の士気を保とうとしたが崩壊を防ぐのが精一杯だ。兵達の間には最前線を守ったかつての士気の高さは何処にもない……。目の前で七百万人が戦死し、それが馬鹿げた生贄の所為だと知ったら誰でもやる気を失くすだろう。兵達を責める事は出来ない。

いくらグライフスが温厚そうに見えても同じ職場に自分より兵力の多い人間が居るのは望むまい、ましてその男が自分より階級が下、年齢が下だとなれば望まぬどころか不愉快の極みだろう。俺としては挨拶が済んだら辞去しようと思っていたのだが、不思議な事にグライフスは俺と話したがった。俺に悪い感情を持っていないらしい、以前と違って最近ではそういう人間が増えてきた。特に年長者に多い、不思議な事だ。

グライフスと話せるのは或る意味好都合ではある。此処にいてはオーディンの状況が良く分からない。リューネブルクが時々連絡をくれるが、彼もこちらを心配させたくないのだろう、どうしても内容は抑えたものになる。

「司令長官閣下がオーディンを発たれたのは七月初旬、イゼルローンに到着されるまであと三週間はかかるだろう」
「はい」
あと三週間も有る、頭の痛い事だ。

「オーディンは何かと煩いからな、離れる事が出来てほっとしておられるかもしれん。卿は知らんかもしれんが、オーディンでは元帥閣下を誹謗する者どもが少なからず居る、馬鹿どもが!」

不愉快そうな口調だ。その地位に相応しからず、そう思っている人間が居るという事だろうか。陸戦部隊出身のオフレッサーが宇宙艦隊司令長官に就任した事に不満を持っている人間が居る。有りそうな事ではある、第二、第三のクラーゼン、シュターデンか。それとも……。

「あの時、ヴァレンシュタインを殺しておくべきだったと言ってな……」
「……」
やはりそれか……。あの時、イゼルローン要塞内であの男と対峙した時か。しかし、それは……。

「卿の言いたい事は分かっている」
口を開きかけた俺をグライフスが押しとどめた。
「あれは正しかったと私も思っている。あそこでヴァレンシュタインを殺していれば、それはそれで問題になっていただろう……。ヴァレンシュタインを返したのは正しかった、だが……、上手く行かぬものだ」
首を振ってグライフスは嘆いている。

確かに上手く行かない、返したばかりに七百万人が死んだのだ。殺すべきだと思った、だが殺すのは誤りだと思った。そして今、やはり殺すべきだったのかと迷っている。愚かな話だ、振り返っても戻れるはずが無いのに振り返っている。俺だけではあるまい、オフレッサーもリューネブルクも同じ想いを抱いているに違いない。だからオフレッサーの苦しみが俺には分かる。

苦しんでいるだろう、悩んでもいるだろう、責任も感じているに違いない。だがあの男の事だ、それを外には出すとも思えない。一人心の中にしまい動ぜぬ姿を見せているのだろう。だがその事がまた周囲の反発を生む……。不器用で誇り高い野蛮人……。

しばらくの間、お互い無言だった。前任者、ゼークトの私物は片付けたのだろう。部屋は殺風景と言って良いほどに片付いている。その事が余計に気持ちを落ち込ませた。

「ミューゼル中将、卿の艦隊だが状態はどうかね。大分訓練を積んだと聞いているが」
「練度は上がったと思います、しかし艦隊の状態は良好とは言えません」
「そうか、卿の艦隊もか……」
俺の答えにグライフスは顔を顰めて頷いた。“卿の艦隊もか”、彼自身自分の艦隊で思い当たる節が有るのだろう。

俺の率いる艦隊は確かに練度は上がった、しかし士気を戻すことは出来なかった、下がったままだ。普通、艦隊の練度が上がれば士気も上がる、それが上がらない。そして艦隊は既に四か月も訓練と称して行動中だ。兵達の間にはその事にも不満が募りつつある。このまま遠征するとなればその不満はさらに高まるだろう。爆発の臨界点は少しずつ迫っている。

グライフスの艦隊も似たような状況なのだろう。オーディンからいきなり最前線に送られた。帝国を守れと言われても何故守らなければならないのかが分からない。そんな状況では兵達の士気など上がるはずが無い。

「卿の艦隊はおそらく帝国では最精鋭と言って良いはずだ。その艦隊でさえ状態は良くない……。リヒテンラーデ侯も愚かな事をしてくれた」
グライフスの言葉に思わず頷きそうになった。余りにも切実な口調だったのだ。

「閣下、あまり滅多な事を申されましては……」
帝国政府は公式にはヴァレンシュタインの言ったカストロプの件を否定している。イゼルローン要塞で帝国の防衛の第一線を受け持つ艦隊司令官が言って良い事ではない。だがグライフスは首を横に振った。

「構わんよ、オーディンでは誰も政府の言う事を信じていない。カストロプの一件はヴァレンシュタインの言う通りだろうと見ている」
「……」
グライフスが溜息を吐いた。溜息が深い、オーディンの状況はこちらが思っている以上に良くないのかもしれない。

「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も政府に積極的に協力しようとはしない。そして貴族達はリヒテンラーデ侯が平民達に迎合するために自分達を犠牲にするのではないかと疑っている。政府の威信は日に日に落ちるばかりだ。一体帝国はどうなってしまうのか……」

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はリヒテンラーデ侯を切り捨てようとしている、オフレッサーの言ったとおりだ。そしてヴァレンシュタインは帝国貴族の間にも毒を流した。その毒が更に政府の求心力を低下させている。

「ところで中将は反乱軍に大きな人事異動が有ったのは知っているかな」
溜息を吐いた後、グライフスが首を振って話題を変えてきた。
「はい、ヴァレンシュタインが中将に昇進し艦隊司令官になったと聞いています」

グライフスが頷いている、表情が渋い。
「他にも艦隊司令官になった人間が居る。マルコム・ワイドボーン、ヤン・ウェンリーだ。ワイドボーンは早くから将来を嘱望されていた人物らしい、ヤン・ウェンリーは……」

「エル・ファシルの英雄ですね」
エル・ファシルの奇跡、帝国にとっては屈辱だがそれが有った時、俺は未だ幼年学校の生徒だった。面白い男が居るものだとキルヒアイスと感心したものだが、その男が今敵となって立ち塞がろうとしている。ヴァレンシュタインも厄介だがヤン・ウェンリーも厄介だ。そしてマルコム・ワイドボーン……、無能ではあるまい。

「厄介な男達が艦隊司令官になった。三人とも反乱軍の司令長官シトレ元帥の信頼が厚いらしい。ワイドボーンやヤンはともかく亡命者のヴァレンシュタインがな……。卿はあの男の艦隊の事を聞いたか?」

「兵力が二万隻だという事なら聞いています」
ヴァレンシュタインの率いる艦隊の兵力は二万隻と言われている。反乱軍では通常一個艦隊の兵力は一万五千隻、それよりも五千隻多い。厄介な話だ、その三人だけでも五万隻近い兵力を持つ。

「それだけではない、ヴァレンシュタインの率いる艦隊は宇宙艦隊の正規艦隊ではない。それとは別にあつらえたものだ。二万隻もの兵力といい亡命者に対する扱いではないな。あの男、反乱軍では余程に信頼されているらしい……」
「……」

信頼されるのも無理は無いだろう。ここ最近の帝国軍の損害はあの男がもたらしたものなのだ。艦艇十万隻、兵員一千万、将兵が彼をニーズホッグと呼ぶはずだ。


結局グライフスとは一時間程も話していた。どちらかと言えば向こうが話しこちらが相槌を打つといった感じだ。話の内容は現状への憂い、憤懣だ。何故俺に、と思ったが考えてみればグライフスには他に話せる人間が居ないのだろう。

艦隊司令官が部下の前で国家に対する不満を言う事は出来ない。一つ間違えば部下の反乱を誘発しかねない、その時担がれるのはグライフス自身だ……。俺自身その事では不自由な思いをしている。

シュトックハウゼンには話し辛いのだろう。グライフスはシュトックハウゼンの憔悴ぶりに驚いたようだ。これから共に最前線を守る事になる相手に負担になる様な愚痴を言うべきではないと考えているらしい。だからと言って俺に愚痴をこぼされても困るのだが……。

イゼルローン要塞に与えられた部屋に戻るとそこにはケスラーとクレメンツが待っていた。
「グライフス司令官とはお話が弾んだようですが」
クレメンツの言葉に思わず苦笑が漏れた。どうやらこの二人もオーディンの情報を知りたがっている。二人にソファーに座るように勧めた。三人でコーヒーを飲みながら話す。

「半分ぐらいは愚痴であった。だが、なんとも身につまされる愚痴であったな。もっとも今の帝国で愚痴の出ない指揮官が居るとも思えないが……」
ケスラーとクレメンツが顔を見合わせて苦笑している。

「グライフス提督の艦隊も状態は良くない様だ。おそらくは我々と似たような悩みを持っているのだろう、口振りからそれが分かった」
「では司令長官の艦隊も」
「似た様なものでしょうな……」
俺の言葉にケスラー、クレメンツが言葉を続けた。二人とも言葉に力が無い。コーヒーが苦い、ミルクを少し足した。

「ワーレン少将が国内の改革を優先することは出来ぬものかと言っていました。改革の宣言だけでも良い、それだけで大分兵の士気は変わるはずだと」
「参謀長、それは無理だ。リヒテンラーデ侯は殆ど孤立しているらしい。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯だけではない、グライフス提督の話では他の貴族達も反発しているようだ」

「となりますと」
「大胆な改革は出来ない、そういう事だな」
「しかし、それでは」
クレメンツが何かを言いかけ、溜息を吐いて口を噤んだ。

「このままでは反乱軍には勝てませんな。負ければ平民達の不満は募ります、いずれは爆発する。最初は暴動かもしれません、鎮圧も可能でしょう。ですがそれが革命への流れに繋がるのは避けられますまい。過去の歴史がそれを証明しています」

冷徹、と言って良いほどに未来図を描いたのはケスラーだった。そして言葉を続けた。
「勝つためには国内の改革が必要です、改革を行うためには強力な政府が要る。そのためには……」
「政府を支える強大な軍事力が要る、そういう事だろう。力なき正義など何の意味もない」

俺の言葉にケスラーが、クレメンツが頷いた。問題なのはその軍事力が無い事だ。軍は今再建途中だ、とても国内の貴族達を敵に回してリヒテンラーデ侯を助けることなどできない。ましてカストロプの一件がリヒテンラーデ侯の考えのもとに行われたとすれば協力などもってのほかだ。俺としても彼に協力するなど御免だ、あの男の所為でヴァレンシュタインが敵になりキルヒアイスは死んだ……。

もどかしい事だ、俺に力が有れば、俺に権力が有ればと思ってしまう。皇帝になりたいと思った、皇帝になれると思った。それほどたやすい事ではないとも知った。そして俺に皇帝になる資格が有るのかとも悩んだ。

だが今は力が欲しい、何者であれひれ伏すだけの力が。そうであれば国内を改革し反対するものを叩き潰し帝国を一つにまとめる。そうなればヴァレンシュタインとも互角以上に渡り合えるだろう。

それには最低でも宇宙艦隊司令長官の地位が要る。つまり武勲を挙げなければならない……。そして今の帝国は戦争が出来るような状態ではない……。堂々巡りだ、出口が見えない。もどかしさだけが募っていく。

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯がどう考えているのか……。改革の意志があるのか、無いのか……。皇帝位を望まなかった事を考えれば単なる権力亡者ではないのだろう。現状をどの程度正しく認識しているのか、そしてどう展望を持っているのか……。

「メックリンガーが言っておりましたな。かつて革命で滅びた専制国家が何故改革を行う事で延命を図らなかったか不思議だった、だが今の銀河帝国を見れば何となく分かる様な気がする、と。改革を行いたくても出来なかった、人を得なかったか、地位を得なかったか、或いは時を得なかったのか……」

時を得ていないし、地位も得ていない。いっそオフレッサーを担いで改革を推し進めるか……。難しい事ではある、しかしオフレッサーもこのままでは帝国が崩壊するとは理解しているだろう。

俺が率いる三万隻、オフレッサーが率いる三万隻、計六万隻をもってオーディンへ進撃する。リヒテンラーデ侯、エルウィン・ヨーゼフを排し国政を改革すると言えば兵の士気も上がるだろう。幸いオフレッサーは装甲擲弾兵総監でもある。オーディンを制圧するのは難しくない。

ブラウンシュバイク、リッテンハイムの両者、或いはどちらかと手を組む。そしてどちらかの娘を皇帝にし改革を推し進める。嫌がるかもしれんが、成果が出れば渋々ではあれ受け入れるはずだ。

問題はそれ以外の貴族達だろう。何かにつけて不満を漏らすだろうが不満を漏らす奴は容赦なく潰す。それによって政府の力を強め、平民達の支持を維持する……。場合によっては大規模な内乱に発展するかもしれない、上手くいくだろうか……。

「元帥閣下はあと三週間もすればイゼルローン要塞に到着される。それまでの間、軍の士気を保つ事に力を注いでくれ」
俺の言葉にケスラーとクレメンツが頷いた。この二人にも話さなくてはなるまい。もう少し考えてみよう、一度話せば後戻りはできないのだ。オフレッサーが来るまであと、三週間……。


 

 

第六十七話 クーデター計画

帝国暦 486年 8月 1日  オーディン ブラウンシュバイク公爵邸  
オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「伯父上、盛況ですな」
「そうだな」
邸内には着飾った夫人、それをエスコートする貴族、軍人達が溢れている。いずれもブラウンシュバイク公爵家に招待された客だ。

「これを見ればリヒテンラーデ侯もブラウンシュバイク公爵家の勢威を思い知るでしょう」
フレーゲルが邸内を見渡し得意げな、満足げな表情をしている。それに相槌を打ちながら内心で溜息を吐いた。有象無象が集まってどうなるというのだ、大事なのは核になる人間が居るかどうかだ……。未だあの男は来ない……。

フレーゲルが何かと話しかけてくる。おそらくは周囲にわしと親密な所を見せつけたいのであろう。それによって自分を重要人物だと認めさせようとしている。適当に相手をしていたがいい加減うんざりした。少し一人にしてくれと言って追い払う。フレーゲルが残念そうな顔をしたが気付かぬふりをした。

先帝フリードリヒ四世が崩御してから二月半、これまでオーディンではパーティや観劇の類は自然と自粛された。代替わりには良くあることだ、三十年前、オトフリート五世が崩御しフリードリヒ四世が皇位に就かれた時も同じだった。

だがあの時とは違う事も有る。帝都オーディンの空気が重い。邸内の空気も何処か鈍重だ、皆笑顔を見せながらも時折不安そうな表情をしている。今日は久々のパーティであり陛下の御臨席も賜る。本来ならもっと華やかに軽やかに会話が弾んでいいのだが、どこか周囲を憚るような雰囲気に包まれている。皆先が読めないことに不安を隠せずにいる。ここに来たのも少なからず周りがどう考えるかを窺いに来たのだろう。

「ブラウンシュバイク公」
名を呼ばれて振り返るとリッテンハイム侯がいた。ようやく来たか……。
「盛会だな、喜ばしい事だ」
「うむ、何よりも卿が来てくれたのは嬉しい事だ」

リッテンハイム侯が笑い出した。
「陛下が見えられるのだ、来ぬわけにもいくまい。違うかな?」
「まあ、それもそうか」
こちらも釣られて笑いが出た。妙な話だが甥であるフレーゲルよりもこの男の前の方が素直になれる。おそらく同じ立場にあることが理由だろう。

「少し公と話がしたいのだがな、場所と時間を用意してもらえんかな」
リッテンハイム侯は顔に笑みは浮かべているが眼は笑っていない。場所と時間か、望むところではある、こちらも侯と話をしたい。

「わしも侯と話したい事が有った。ついて参られよ」
邸内の一室を目指す。皆が我らに注目するのが見えた。もっともこちらが視線を向けると顔を背け知らぬ振りをする。我らが居なくなれば大騒ぎだろう、やれやれだ。

「狭い部屋だが許してほしい」
「いや、構わんよ」
案内したのは十メートル四方ほどの小さな部屋だった。薄暗い部屋で小さな丸いテーブルと椅子が幾つかあるだけだ。主に密談用に使っている、防音装置が施され盗聴器の有無の検査も日々行われている。この部屋には呼ばれるまで誰も入ってこない……。

部屋に置いてあるグラスとワインをテーブルに置いた。ワインをグラスに注ぐ。向き合う形で椅子に座ると早速侯が話しかけてきた。余談無しだ、リッテンハイム侯も追い詰められている……。
「これからの事だが、考えは決まったかな」
「……決めかねている」

「……公は革命が起きると思われるか?」
顔が強張るのが分かった。“馬鹿な”と否定したかったが出来ない。侯の顔も引き攣っているのが分かった。
「リヒテンラーデ侯は馬鹿げたことをしたが、無能とは思わん。その侯が革命を恐れてカストロプ公を利用しようとした……」

わしの言葉にリッテンハイム侯が頷いた。そしてこちらの顔色を見定める様にじっと見詰めた。
「正直に答えて欲しい、公は改革に反対か?」
「いや、ここまできたら何らかの改革をせねばなるまい。ただ……」
「ただ……、ただ何処まで改革を行って良いか決めかねている、か……」

その通りだ、侯の言葉に頷いた。侯も頷いている。お互い未だワインには口を付けていない……。
「侯はカール・ブラッケ、オイゲン・リヒターを知っているか?」
「知っている。改革派として有名だからな」

カール・ブラッケ、オイゲン・リヒター、どちらも元は名前にフォンが付く貴族だった。だが平民達の権利を拡大し社会の不公正を無くすを主張し、改革派として活動を始めた。その時に名前からもフォンの称号を取っている。

「彼らと内密に会った。そして彼らの考える改革案、その草案を貰ったのだが……。とてもそのまま受け入れる事は出来ん。あっという間に暴動が起きるだろうな」
溜息が出た。あの草案の事は考えたくない、しかし無視することはもっとできない。

「考える事は同じか……」
「?」
「私も彼らに会った。改革案を貰ったよ」
思わずまじまじとリッテンハイム侯の顔を見た。侯は苦笑している。釣られたようにわしも苦笑していたが苦笑していたのは長い時間ではなかった。

「平民達の不満は高まっている、その事に貴族達も苛立っている……」
「平民達は現状に不満を持ち、貴族達は現状を維持しようとしている……、そういう事だな」

わしの言葉をリッテンハイム侯が別な言葉で言い換えた。また溜息が出た。侯も同じように溜息を吐いている。帝国の二大貴族が薄暗い部屋で溜息を吐いて現状を憂いている。ちょっと前なら有り得ないことだった。一体どういう事だろう。

「ブラウンシュバイク公、軍の事、聞かれたかな」
「士気が上がらぬという事か」
リッテンハイム侯が頷いた。こいつも頭の痛い問題だ、軍の士気が上がらない、艦隊の維持が難しいほどに士気が下がっている。

厄介な事になりつつある。軍は艦隊の維持が難しいほど弱体化している。つまり兵達は銀河帝国のために命を捨てる事に疑問を感じ始めている、そういう事だ。帝国は国家としての尊厳と統制力を失いつつある。

そして愚かな事に貴族達の間にはそれを歓迎する空気が有る。軍の力が弱ければ政府の力が弱まる。政府の力が弱まれば貴族達の力を無視し辛くなる、そう見ているのだ。

そしてそれはリヒテンラーデ侯だけではなく、わしやリッテンハイム侯への牽制でもある。自分達を無視することは許さない、そういう事だ。貴族制度の存続も帝国有っての事、帝国が揺らげば貴族制度も揺らぐという事を理解していない。

政権を安定させ、貴族達を抑えるためには軍の協力が要る、精強な軍の協力が……。そのためにはやはり改革が必要となってくる。だがそれをやれば貴族達が反発するのは必至だ。問題は貴族達に勝てるか、という事だ。

軍が今自由に動かせるのはオフレッサー率いる三万隻、ミューゼル中将率いる三万隻、合わせても六万隻だ。ブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家の持つ兵力と合わせても約十二万隻。一方の貴族達は二十万隻は擁するだろう……。

「エーレンベルク、シュタインホフ元帥の話ではオフレッサー元帥率いる艦隊の士気はどうにもならぬらしい。オフレッサーは今回の遠征に全く勝算を持てずにいるようだ。唯一の頼みはミューゼル中将の艦隊らしいが、それが駄目なら遠征を取りやめるかもしれんと言っていた」

「残念だがミューゼル中将の艦隊も当てにはならん。わしの所にいるフェルナー中佐がミューゼル艦隊の分艦隊司令官ミュラー准将と士官学校以来の付き合いでな、准将はどうにもならんとぼやいているそうだ」

リッテンハイム侯が顔を顰めた。そして強く肘掛を叩く、バチンという音が部屋に響いた。
「では遠征は取りやめか……。勝つか負けるかはっきりしてくれれば手の打ちようも有るが、取りやめとは……。一番始末が悪いな」

確かに始末が悪い……。勝てば政権の安定度が増す。つまり今しばらくはリヒテンラーデ侯に政権を委ねておけるだろう。こちらとしては様子見が出来るわけだ。リヒテンラーデ侯に改革の口火を切らせるか、或いは平民達に圧力をかけさせるか、状況を見ながら判断すればよい……。

逆に負ければリヒテンラーデ侯は失脚、いや没落する。多少は平民の不満も晴れるだろう。改革案もお茶を濁すとは言わんが、貴族達にも受け入れやすいものに出来るかもしれん。もっとも戦死者の多寡にもよるだろう。それ次第では平民の不満はさらに高まる可能性は有る……。どうなるかは分からない、だが進むべき方向性は見えてくるはずだった。

コンコンとドアを叩く音がした。視線を向けるとドアが開き、アンスバッハが済まなさそうな顔をして立っていた。
「御要談中の所を申し訳ありません。陛下がお見えになりました、リヒテンラーデ侯も御一緒です」
リッテンハイム侯と顔を見合わせた。侯が不満そうな顔をしている。話を中断されるのが面白くないのだろう。

「我らはもう少しここで話している。適当に繕っていてくれ」
「……承知しました」
アンスバッハが何か言いかけたが、一礼しドアを閉めた。リッテンハイム侯が何処か面白がるような表情をしている。

「よろしいのかな、ブラウンシュバイク公。屋敷の主が陛下を御出迎えせぬとは……。不敬罪を問われかねぬが」
「構わんよ。あの老人の所為でえらい迷惑だ。少しぐらい嫌がらせをしたからと言ってなんだというのだ。それより、侯と話さねばならんことが有る。こちらの方が大事だ」

リッテンハイム侯の顔が引き締まった。ここからが本番だ。
「遠征が取りやめとなれば、もっと厄介な事が起きるかもしれん」
「?」
「オフレッサーがクーデター紛いの事をする可能性が有る」
「……」
リッテンハイム侯の顔が蒼褪めた。

「イゼルローン要塞に六万隻の艦隊が集まる。指揮官達は皆兵の士気の低下を危ぶんでいるのだ。士気を回復し軍を維持するには改革を実行するしかない。それを実施しようとしない政府、貴族達に不満を持っている」
「……しかし、だからと言ってクーデターなど……」
リッテンハイム侯が肘掛を強く握っている。震えを帯びた声だ。

「戦場に出て戦うのは彼らだ。戦っている最中に兵達が逃亡したらどうなる? 逃亡ならまだ良い、反乱を起こしたら……」
「……」
「碌に戦うことも出来ずに死ぬことになる。最前線の指揮官達はそれを恐れているのだ。改革の実施を求めてイゼルローンからオーディンへ進軍する。改革のために戦うとなれば兵は従うだろう、貴族達が敵対するかもしれんが反乱軍と戦うより勝算はある」

「……勝算と言っても貴族達は二十万隻は動かす、三倍以上の敵を相手に勝てると考えているのか」
呆れた様な声と表情だ。
「オフレッサーは装甲擲弾兵総監だ。部隊を動かしてオーディンを制圧すればどうだ。貴族達の身柄を拘束すれば動かせる兵力はぐんと減る」

リッテンハイム侯が呻いた。額には汗が浮いている。わしの掌も汗で濡れている。おそらく侯も同様だろう。
「それに、我らがそこに加わればどうだ。兵力は十万隻を超えるだろう。それでも勝算は無いかな?」

気が付けば囁くような声になっていた。喉がひりつく様に渇く、グラスを一息に呷った。リッテンハイム侯も同様だ。グラスが二つ、空になった。ワインを注ぐ。味など分からなかったが喉の渇きは止まった。

「まさか、ブラウンシュバイク公、……公は、……」
「フェルナーがミュラー准将と連絡を取っている。正確には向こうから接触してきた。ミューゼル中将の考えだそうだ。どうかな、リッテンハイム侯、手を組まぬか」

「手を組む?」
「このままでは貴族と平民の間で身動きが取れん、周りに流されていくだけだろう。それは余りにも危険すぎる」
「だからと言って……」
リッテンハイム侯が胸を喘がせている。侯がまたグラスを呷った。カチカチと歯とグラスのぶつかる音が聞こえた。空になったグラスにまたワインを注いだ。

「貴族達の機嫌を取っても帝国は安定するまい。連中は図に乗り平民達は不満を募らせるだけだ」
「……」
「このあたりで貴族たちを一度強く叩くべきだとわしは思う。連中と共に自滅するつもりなら別だが」

リッテンハイム侯が激しく首を振った。
「それは出来ぬ。我らは帝室の藩屏として存在してきた、他の貴族達とは違うのだ! 我らが滅びるという事はゴールデンバウム王朝そのものが危機に瀕するという事であろう、そのようなことは出来ぬ!」

「ならば協力してくれるか、侯が味方に付いてくれれば心強い」
「……信じられるのか、ミューゼル中将を。危険ではないのか、あの男は……」
「野心家だというのだな、そして我らを敵視していると」
リッテンハイム侯が頷いた。確かに危険はあるだろう、否定はできない。

「場合によっては始末するか、或いは取り込むかだな」
「取り込む?」
「我らには娘しかおらん、婿の決まっていない娘しかな」
侯の目が大きく見開かれた。そして囁くように問い掛けてきた、

「本気か? 爵位も持たぬ小僧だぞ、それを婿にするというのか」
「軍の中では有力者になりつつある。下手に有力貴族から婿を決めるよりも良かろう、平民達を刺激せずに済む。それに……」
「それに?」
「娘を守る番犬だと思えば腹も立たぬさ」

思わず笑い声が出た、低い嘲笑うかのような笑い声だ。自分で言っていて自分で嘲笑っている、馬鹿げた話だ。リッテンハイム侯がわしを呆れた様な顔で見ていた。その顔が可笑しかった、また笑い声が出た。

そろそろ会場に戻らねばなるまい、リヒテンラーデ侯が待っているだろう……。

 

 

第六十八話 流血の幕開け

帝国暦 486年 8月 1日  オーディン ブラウンシュバイク公爵邸  
オットー・フォン・ブラウンシュバイク



リッテンハイム侯との話は終わった。侯は考えさせて欲しいと言って結論を出さなかったが感触は悪くなかった。まだ時間は有る、焦る事は無い。おそらくこちらに味方するだろう、間違ってもリヒテンラーデ侯に協力することは無いのだ。

部屋を出て大広間に向かおうとした時だった、突然大きな音と衝撃が走った。爆発だ! テロか? 始まったというのか、平民達の不満が爆発したのか……。
「公!」

リッテンハイム侯の顔が歪んでいる。そして声は掠れていた。まさか、わしが仕掛けたとでも思っているのか。
「わしではないぞ、リッテンハイム侯」
「分かっている、始まった」
同じ事を考えたか……。

早足で大広間に急ぐ。あの音と衝撃だ、爆発は決して小さくは無い。一体どれだけの惨事になっているか、そして陛下とリヒテンラーデ侯は無事なのか、嫌な想像だけが脳裏に浮かぶ。大広間に近づくにつれ焦げ付く様な臭いと煙が漂ってきた。

大広間は酷い有様だった。瓦礫と調度品の残骸、そして人間の死体……。五体満足な死体は少なかろう、ところどころに腕や足、首が落ちている。そして時折聞こえる呻き声……。
「これは、酷いな」
嫌悪、それとも恐怖だろうか、リッテンハイム侯の声は震えていた。

「ブラウンシュバイク公」
名を呼ばれて視線を向けるとシュトライトとフェルナーだった。二人とも酷い有様だ、黒の軍服が埃で白っぽく汚れている。両者とも頭から出血しているし、フェルナーは右腕を三角巾で吊っている。だが無事なようだ、何よりだ。

「シュトライト、フェルナー、無事だったか」
アンスバッハはどうしたと聞きたかった。だが聞くのが怖かった。躊躇っているとシュトライトが蒼白な表情で話しかけてきた。

「申し訳ありません、陛下が」
「……陛下が」
「お亡くなりになられました」
リッテンハイム侯と顔を見合わせた。侯の顔は引き攣っている。おそらくわしも同様だろう。

ブスブスとくすぶる音のする中、重い沈黙が落ちた。瓦礫と死体に満ちた大広間でわしもリッテンハイム侯も無言で立ち尽くしている。エルウィン・ヨーゼフ二世が死んだ……。次の皇帝はエリザベートかサビーネだ。こればかりは避けようがない。

クーデター計画は潰えた、あれはリヒテンラーデ侯とエルウィン・ヨーゼフが健在である事が前提だった。クーデターを起こし貴族達を抑えリヒテンラーデ侯を失脚させる。当然だがエルウィン・ヨーゼフは廃立する。そうすることで平民達の支持を得る、政権の安定化を図るつもりだったが無駄になった……。

このまま何の見通しも策もなく娘を女帝の座に就けるのか……。次に瓦礫の中で横たわるのは……。見たくない幻を止めたのはフェルナーの声だった。
「リヒテンラーデ侯が御二方にお話しがしたいと仰られています」
「無事なのか、侯は」
「重傷を負っておられます、御急ぎください」

重傷か、あるいは死に瀕しているのかもしれない。リッテンハイム侯と顔を見合わせた。侯が頷くとそれを見たのだろう、シュトライトとフェルナーが歩き始めた。後を追う。

リヒテンラーデ侯は大広間の片隅に横たわっていた。腹部に大きな石の破片が突き刺さっている。おそらくは大理石の彫像の一部だろう。他にも傷を負っているようだ。侯の傍には医師らしい男が居て懸命に手当てをしている。

そして侯の傍にはアンスバッハが横たわっていた。眼を見開いているが光は無い……、死んでいるのだろう。分かっている、アンスバッハは生きていれば必ずわしのところに来る。来ないという事は負傷して動けぬか、死んだかだ。鼻の奥にツンとした痛みが走った。

「遅いではないか、屋敷の主人が客を待たせるとは、なっておらんの」
喘ぎながら老人が声を出した。顔色が悪い、出血が酷いのだろう、だが表情には皮肉を湛えた笑みが有る。相変わらず可愛げなど欠片もない老人だ。
「教えてくれ、陛下は如何された、誰も答えてはくれんのだ。卿らなら答えてくれよう、亡くなられたのか」

「……陛下は亡くなられた」
わしの言葉にリヒテンラーデ侯が目を閉じた。
「そうか、亡くなられたか……。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、人払いをしてくれんか。……卿も外してくれ、私の事はもう良い」

リヒテンラーデ侯の言葉に手当をしていた男が血相を変えて抗議した。
「何を仰られます、私は」
「良いのだ、陛下が亡くなられたのだ、わしも幕を引く時だろう。これまで御苦労だった」
「……はっ」

男がうなだれて侯の傍を離れた。そして離れたところからこちらを思い詰めた表情で見ている。
「リヒテンラーデ侯、あの男は」
「我が家の使用人での、あれが医師になるまで援助し続けた。それに恩義を感じているらしい、困ったものだ」
苦笑交じりの声だ、時折咳き込む。

「あの男に手当をさせてはどうだ、死に急ぐことは有るまい」
ここで生き延びても皇帝が死んだ以上待っているのは失脚、そして死という事になる。そして死を命じるのはわしかリッテンハイム侯……。我ながら白々しさに嫌気がさした。

「本来なら皇位に就かれる方ではなかった。私の過ちが無ければ権力には無縁でも安楽な一生を終えられる方だった……。陛下はまだ幼い、私が手を引いてやらねば御一人ではヴァルハラに行けまい……」
「……」

リヒテンラーデ侯の口調には哀しみが有った。らしくない口調に胸を衝かれる様な想いがした。幼児を担ぐしかなかった、その結末がどうなるかも或る程度は見えていただろう。これまでどんな想いでエルウィン・ヨーゼフを見てきたのか……。そしてその想いを今度はわしとリッテンハイム侯が引き継ぐことになる。エリザベート、サビーネ……。

「二人とも近寄ってくれ」
リッテンハイム侯と顔を見合わせた。そして二人でリヒテンラーデ侯に近づいた。侯の傍に膝をつく。この老人の遺言をわしとリッテンハイム侯が聞く事になるとは……。

「遠征軍を撤収させろ、理由は皇帝死去、喪に服すと言えば良い」
「分かった」
異存は無かった。今となってはイゼルローン要塞に兵力を集中させるのは反って危険だろう。兵達がこの混乱に乗じて妙な事を考えかねない。むしろ撤収は早期に実施する必要がある。

「改革を実行しろ、それ以外に帝国を救う手は無い」
囁くような声だ、苦しいのか、それとも周囲の耳を憚っているのか。
「帝国は五百年続いた、だがその寿命は限界に近づいている。私は少しでも帝国を安定させようとしたが裏目に出た……。このままでは帝国は滅ぶ、改革を実施するのだ。さすれば帝国は新たな命を得る事が出来よう」

「出来ぬとは言わさぬ。卿らはカール・ブラッケ、オイゲン・リヒターに会ったはずだ。何のために会った?」
そう言うとリヒテンラーデ侯は呻いた。食えぬ、油断ならぬ老人だ。身辺には注意したつもりだが知られたか。或いは見張っていたのはブラッケ、リヒターの方か。

「しかし、貴族達が反発しよう。抑えきれぬ」
リッテンハイム侯の答えにリヒテンラーデ侯が薄く笑いを浮かべた、何処か禍々しい笑いだ。そして傷が痛むのかまた小さく呻いた、額には汗が浮いている。

「反乱軍にぶつけろ、ニーズホッグが片付けてくれる。奴、喜んで貴族達を殺してくれよう。毒をもって毒を制す、よ」
「……」
毒か、確かにヴァレンシュタインも毒なら貴族達も毒だろう。帝国は国内、国外の毒に蝕まれている。それを噛み合わせるか……。どちらか一方が無くなればそれだけでも帝国にとってはプラスではある。

「しかし貴族達が敗れればそれだけでも革命に火が付きかねん……」
「貴族達が敗れた時点で改革を宣言するのだ。連中が敗れれば兵力はかなり減る。卿らの兵力と軍の兵力を合わせれば十分に対応可能であろう。貴族達も卿らと軍と平民、その全てを敵にする事は出来まい」

リッテンハイム侯が厳しい表情をしている。危険だと思っているのだろう。わしも同感だ、危険が大きすぎる。一つ間違えば貴族達と平民達の両方を敵に回しかねない。当然だがその時は軍も当てには出来ないだろう。

我らが無言でいるとリヒテンラーデ侯が低い声で笑い出した。
「危険だと思っておるか、しかし他に道が有るか? 有るまい。卿らは一本道を進むほか生き残る術は無いのだ。私が逃げられなかったように卿らにも逃げ場は無い。それに、私の見通しが甘かった、改革をせぬ限り、軍は使い物にならん……。このままでは卿らは孤立するぞ」

孤立、その言葉が重く響いた。例え貴族寄りの立場を取ろうと貴族達は己の利を追うばかりで信用は出来ん。そしてこのまま無為に時を過ごせば平民達から憎悪の対象となるだろう。誰も我らを助けようとはしまい……。

「……しかし、貴族達の出兵は卿が止めたばかりであろう。出兵の名目が立つまい」
リッテンハイム侯が戸惑うような口調で問いかけた。
「私が死ねば方針が変わってもおかしくは無い。改革に反対するのであれば軍に代わって反乱軍を討伐してみよ、連中にはそう言えば良かろう」

貴族達と反乱軍を噛み合わせる……。上手くいけば共倒れという事も有り得るだろうが侯は貴族達は反乱軍に、ヴァレンシュタインに勝てぬと見ているようだ。悪い手ではない、しかし……。

「しかし、そう上手く行くか? 連中とてヴァレンシュタインの手強さは分かっていよう。イゼルローン要塞で防衛戦のみしていれば良いと言われればそれまでではないか」
わしの隣でリッテンハイム侯が頷いている。

「勝つことでしか平民達を抑えられぬと言え。貴族達の武力が恐るべきものだと平民達に認識させなければ平民達は大人しくならぬと。そのためには勝利が必要だと」
「……それは分かるが」
口籠る我らに対しリヒテンラーデ侯が口を歪めた。嘲笑か、或いは冷笑か。

「それでも動かねば、ヴァレンシュタインを斃せば娘の婿に考えても良いと言えば良かろう」
「娘を餌に使えというのか」
思わず非難がましい口調になった。だが横たわる老人は動じなかった。今度は明らかに嘲笑と分かる笑みを浮かべている。

「慾の皮の突っ張った連中だ。甘い夢を見て眼の色を変えて出兵するであろうよ」
「しかし……」
「娘など他に役に立つまい、違うか?」
「……」
リヒテンラーデ侯が咳込んだ。わしもリッテンハイム侯も黙って侯を見ている。

「今宵、ここでテロが起きた。次に犠牲になるのは卿らぞ、非常のとき、非情の策を用いよ。情に囚われていては滅びの道を選ぶ事になる。卿らが滅びるときは帝国が滅びるとき、それで良いのか?」

二人とも声が出ない。ただただ眼の前で横たわるリヒテンラーデ侯に気圧されている。
「ヴァレンシュタインを甘く見るな。彼奴、わざとイゼルローン要塞を取らなんだ」
「どういう事だ、リヒテンラーデ侯」

わしの問いかけにリヒテンラーデ侯が蒼白な顔に凄みのある笑みを浮かべた。
「イゼルローン要塞を取れば帝国が改革やむなしで一つにまとまると見たのであろう。敢えて取らずに帝国を分裂させおった」

「まさか……」
「他には考えられぬ。要塞が無事だった事を皆が喜んでいるが、あの要塞が無ければ帝国は一つにまとまったかもしれぬ……」
「信じられぬ……」

リッテンハイム侯の声が震えを帯びている。確かに言われてみれば思い当たる節は有る。イゼルローン要塞が反乱軍の手に渡っていれば貴族達とて強気に出られたか……。反乱軍が攻め寄せればそれに同調して平民達が蜂起しかねないのだ。妥協する可能性は有った……。しかし、それでも、あの要塞を取らずにいられるものなのか……。

「奴から眼を離すな。あれは単なる戦上手では無い、この帝国の弱点を知り尽くした男だ。恐るべき男を敵にしてしまった。まさかあのような男が居るとは思わなんだ……」
「……」

「私が死ねば平民達は少しの間は大人しくなろう。その間に覚悟を決める事だ。亡命してもよいぞ、命が惜しいならな……」


リヒテンラーデ侯が死んだのはそれから間もなくのことだった。大勢の人間が大広間を片付けている。少しずつ部屋は奇麗になっていく。リヒテンラーデ侯の遺体も片付けられた。
「どうする、ブラウンシュバイク公」
「逃げるか、踏み止まって戦うかだが……」

リッテンハイム侯がわしの顔をじっと見た。
「戦うようだな」
「今更逃げる事も出来まい……。侯はどうする」

わしの問いかけに侯は面白くもなさそうに笑った。
「公が逃げぬのだ、私も逃げられまい。これまで何かと張り合ってきたのだからな」
「それは、つまらぬ意地の張り合いであったな」
「全くだ」

リッテンハイム侯が笑う、わしも笑った。死臭と血臭の漂う部屋で二人だけが笑っている。どうやら我らの未来は血塗られた物になりそうだ。貴族の血か、平民の血か、我らの血か……。或いはヴァレンシュタイン、卿の血か……。何者の血であれ流れる血の量は決して少なくは有るまい、今から血の匂いに慣れておく必要が有りそうだ……。





 

 

第六十九話 波紋

帝国暦 486年 8月 2日  イゼルローン要塞  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「なんと仰られました」
『遠征は中止となった』
遠征は中止……。どういう事だ、計画がばれたのか? 突然の通信、人払いの要請、そして遠征の中止……。私室のスクリーンに映るオフレッサーは沈痛な表情をしている。何か嫌なものが腹の中を動いているような感じがした。

『オーディンで陛下が亡くなられた、リヒテンラーデ侯もだ』
「……ま、まさか、真でございますか」
『詳しい事は分からぬがブラウンシュバイク公邸で行われたパーティに出席されたところ爆弾テロに遭われたらしい。他にも犠牲者がかなり出ているようだ、オーディンは大変な騒ぎらしいな』

爆弾テロ……。ブラウンシュバイク公が自ら手を下した? いや、有り得ない。それでは何の意味もない。俺達とクーデターを行った方が遥かに状況は良くなるはずだ。では本当にテロが起きたのか……。計画がばれなかったのは幸いだ。しかし平民達の不満が爆発した、次の標的は……。

「……犯人は分かっているのでしょうか」
『いや、オーディンからの知らせでは未だはっきりした事は分からんと言っていた』
はっきりした事は分からない、……或る程度の目星は付いている、そういうことだろうか。

『どうした、顔色が悪いが』
「いえ、これから先どうなるかと思うと……」
『そうだな、正直先が読めん、厄介な事になった』

オフレッサーが溜息交じりに言葉を出した。全く同感だ、クーデターへの道筋を付けた。これなら帝国を再生の方向へ進める事が出来るはずだった。それが一瞬で潰えた……。考える時は長く潰える時は一瞬か……。上手くいかない、思わず溜息が出た。

『だがこれで勝算の少ない、いや言葉を飾っても仕方ないな、勝ち目の無い戦いをせずに済む』
「確かに、そうです」
オフレッサーはほっとしているようだ。一つ難問を切り抜けたと思っているのだろう。問題はこの後、帝国が改革へ踏み出せるかだ。貴族達の反発が今回のテロでどう変化するか、あるいは変化しないのか……。

『俺はオーディンに戻る、卿もオーディンに戻れ』
「承知しました。グライフス駐留艦隊司令官、シュトックハウゼン要塞司令官には小官からお伝えしますか?」
俺の問いかけにオフレッサーは首を横に振った。

『二人には軍務尚書閣下から連絡が行くはずだ、卿は何もしなくて良い』
「はっ、部下達に陛下が亡くなられたことを話しても宜しいのでしょうか」
『構わん、今更隠しても仕方がない事だ、直ぐに分かる。ミューゼル中将、オーディンで待っているぞ』
「はっ」

オフレッサーとの通信が終わるとケスラーとクレメンツを呼んだ。五分ほどでケスラーが、そしてクレメンツが部屋に入ってきた。ケスラーが落ち着いた穏やかな声で問いかけてくる。

「如何なされました、ミューゼル提督」
この男の声を聞くと気分が落ち着く、それだけでも傍に置く価値が有るだろう。
「今、オフレッサー元帥より連絡が有った。出兵は中止となった。至急、オーディンに戻れとの事だ」

ケスラーとクレメンツが顔を見合わせている。二人とも緊張した表情だ。
「それはどういうことでしょう。例の計画が漏れたのでしょうか」
ケスラーが珍しく硬い声を出している。俺もオフレッサーにこんな声を出していたのかもしれない、そう思うと可笑しかった。

「いや、そうではない。エルウィン・ヨーゼフ二世陛下とリヒテンラーデ侯が亡くなられた」
「まさか……」
「詳しい事は分からないがブラウンシュバイク公邸で行われたパーティで爆破事件が有った、それの犠牲になったようだ」

ケスラーとクレメンツが顔を見合わせている。ややあってクレメンツが口を開いた。
「犯人は分かっているのでしょうか」
「まだ分からないらしい。犠牲者がかなり出たようだな、オーディンは大騒ぎだと元帥閣下が言っておられた」

「計画がばれたわけではないのですな」
ケスラーの問いに頷いた。ケスラーは確かめるような口調で言葉を続けた。
「しかし計画は潰えた……」
「そういう事だな。また振り出しに戻った」

振り出し、その言葉にケスラーとクレメンツが渋い表情をした。現状はとても満足できるものではない、打開策が見つかったと思ったのも束の間、あっという間に元に戻っている。いや、テロの事を思えば状況はさらに悪化していると言って良い。

この一週間は何だったのか……。クーデター計画をケスラー、クレメンツに話し、両者の同意を得た。計画を詰めミュラーを通してブラウンシュバイク公の反応を探った。ようやく協力できると判断し計画を打ち明けた……。

後はこちらが分艦隊司令官への説得とオフレッサーの説得をする。ブラウンシュバイク公はリッテンハイム侯の説得をする。それで準備は完了だった。もう少し、もう少しだった……。

「問題はこれからですな。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯、この二人が協力できるかどうか、それによって帝国の行く末が決まります」
クレメンツがケスラーの言葉に頷いている。

この二人が協力し合えるのであれば、そこに軍も加われば十万以上の兵力となる。貴族達の動員兵力に比べれば半分とはいえ決して小さい数字ではない。それに軍は今兵の再編中だ。時がたてば兵力が増える。改革を実施してくれれば精強な軍となる。

だがブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯、この二人が決裂するのは最悪だ。ブラウンシュバイク公は改革には反対していない、となると反対するのはリッテンハイム侯だが、貴族達に集結する核を与える事になる。極めて厄介な事態になるだろう。

ブラウンシュバイク公か……、改革には反対しなかった。あの尊大な男が、とも思ったがあれは周囲へのポーズなのかもしれない。リッテンハイム侯も公に負けず劣らずの尊大な男だが、果たして真の姿はどうなのか……。虚飾を剥ぎ取れば案外聡明な男なのかもしれない。少なくともフリードリヒ四世死後、帝位を望まなかった事は評価して良い。

宮中に味方が欲しい、切実にそう思った。能力があり、信頼できる味方……。今ならヴェストパーレ男爵がヴァレンシュタインにリメス男爵家を再興させようとした気持ちが痛いほどに分かる。男爵は間違いなく正しかった。

もしヴァレンシュタインが、いや彼と同じ能力を持つ人間が今オーディンに居たらどうだろう、自分の味方だったら……。政治、軍事に優れた見識を持つ彼ならブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を説得して積極的に改革を実施してくれるかもしれない。彼が政治面で主導的な役割を果たしてくれるなら俺は軍事に専念できる……。本当ならそうなるはずだった、そして俺の隣にはキルヒアイスが居たはずだった。

トントンとドアを叩く音が聞こえた。入室を許可するとミュラーだった。表情が硬い、おそらくはオーディンのフェルナーから連絡が有ったのだろう。
「オーディンからの報せか、ミュラー准将」
「御存じなのですか、ミューゼル提督」

「陛下とリヒテンラーデ侯がテロに遭われたという事は知っている。御二方が無くなられたという事もだ」
「他には」
「オーディンへの帰還命令が出た。それだけだ」
俺の言葉にミュラーが何度か頷いた。

「小官はもう少し詳しい事情を知っています」
「……」
「現在、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が今後の事について調整をしているとのことです」

調整……。誰が皇位を継ぐかという事か、ここで権力争いをするようだと……。
「それは誰が皇位を継ぐかという事か、ミュラー准将」
「それも有りますが、どのような形で改革を実施するかについて話し合っているようです」

ミュラーの言葉にケスラーとクレメンツが俺に視線を向けた。二人とも驚いたような表情をしている。どうやら二人は協調体制を取るらしい。悪い事ではない、帝国の二大貴族が協力するのだ。それなりに周囲に影響は有るだろう。

リッテンハイム侯は愚物では無かったという事か、或いはそれほどまでに危機感が強いという事か……。テロが有ったのだ、そちらかもしれない。とにかく、彼らが改革を実施するならそれに協力する事だ。クーデターは潰えた、しかし協力体制まで無になったわけではない。これからもミュラーとフェルナーには連絡を密にしてもらわなければならない。

「フェルナー中佐からの伝言です。計画は潰えたが我らの関係が途切れたわけではない、これからもミューゼル中将とは堅密な関係を維持して行きたいと」
フェルナー中佐からの伝言、つまりブラウンシュバイク公からのメッセージか……。悪くない、少なくともここで関係が途切れるよりはずっとましだ。
「了解した、フェルナー中佐にそう伝えてくれ」

「それと、今回のテロの犯人が分かりました。犯人はクロプシュトック侯です」
クロプシュトック侯? 聞き覚えの無い名前だ、しかも犯人は貴族? 不審に思いケスラーとクレメンツに視線を向けた。クレメンツは俺と同じように困惑している。しかしケスラーは顔を強張らせていた。どうやら心当たりが有るらしい……。



宇宙暦 795年 8月 3日  第一特設艦隊旗艦 ハトホル    エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



宇宙艦隊司令部から連絡が入ってきた。艦橋に居る人間は殆どが迷惑そうな顔をしている。無理もないだろう、第一特設艦隊は第一、第三艦隊に見つからないように行動しているのだ。そんなときに長距離通信などどう見ても有難い事ではない。

おそらく宇宙艦隊司令部の参謀が通常業務の連絡でも入れてきたと思っているのだろう。内心では俺達は忙しいんだ、暇人の相手などしていられるかと毒づいているに違いない。まあ、俺自身は三割ぐらいはシトレからの連絡かなと思っている。その場合は帝国で何か起きたか、イゼルローン方面でラインハルトが攻めてきたかだろう。

現実には作戦行動中に上級司令部からの通信が有る事は珍しい事じゃない、頻繁とは言わないがしばしばある事だ。上級司令部が下級司令部の都合を考えることなど無いだろう。訓練の一環だと思えば良いのだが第一特設艦隊は既に二回も第一艦隊の奇襲を受けている。これがきっかけで三度目の奇襲になったらと皆考えているのだ。

訓練なんだからともう少し割り切れれば良いんだが、艦隊の錬度が余りに低いのでそこまで余裕が持てないでいる。それでも少しずつだが良くはなってきているし、成果が上がっているのも確かだ。余裕が出るのはもう少し時間がかかるだろう。

平然としているのは俺とサアヤ、嬉しそうにしているのはシェーンコップだ。こいつの性格の悪さは原作で良く分かっている。可愛げなんてものは欠片も持っていない男だ。何でこいつが俺みたいな真面目人間に近づくのかさっぱり分からん。

スクリーンに人が映った、シトレだ。宇宙艦隊司令長官自らの連絡か、どうやら何か起きたらしい。席を立ち敬礼すると皆がそれに続いた。
『訓練中に済まない、さぞかし迷惑だったろう。少し長くなるかもしれん、座ってくれ』

低い声には幾分笑いの成分が含まれている。参謀長達の考えなど御見通し、そんなところだろう。皆バツが悪そうな表情をしているが遠慮しなくていいんだ、迷惑なのは事実なんだからな。皆の代わりに俺が言ってやろう。

「お気になさらないでください、訓練の一環だと思えば良い事です。下級司令部の都合を上級司令部が気にする事など滅多に有りませんから」
座りながら答えるとシトレがクスクス笑い出した。

『相変わらずだな、君は。私はもう慣れたから良いが、君の幕僚達は皆困っているようだ』
「皆の気持ちを代弁しただけです。感謝されると思いますよ」
シトレが耐えきれないといったように大きな声で笑い出した。チュン参謀長は天を仰いでいる。なんでそんな事をする、俺は皆の気持ちを上に伝えたんだぞ。握りつぶした方が良いのかね、その方が問題だと思うんだが。

『本題に入ろう、一昨日オーディンで政変が有った。エルウィン・ヨーゼフ二世、国務尚書リヒテンラーデ侯が殺された』
艦橋に声なき驚愕が溢れた。皆顔を見合わせている。幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世が即位してから未だ二ヵ月ほどしか経っていない。皆が驚くのも無理は無いだろう。

『驚いていないようだな』
「驚いていますよ、予想外に早かった……。次の皇帝は決まりましたか」
俺の言葉に皆がぎょっとしたような表情を見せた。嘘じゃないぞ、俺はもう少し持つと思ったのだがな。手を下したのはブラウンシュバイク公か、或いはリッテンハイム侯か……。彼らがやったのなら次の皇帝が決まるのは早いはずだ。問題は反政府主義者が犯人の場合だ、この場合は結構揉めるだろう。

『いや、まだ決まっていないようだな、揉めているのかもしれん……。犯人はクロプシュトック侯との事だ。ブラウンシュバイク公爵の屋敷で行われたパーティに爆弾を仕掛けたらしい。他にも犠牲者が大勢出ているようだな』

「なるほど、クロプシュトック侯ですか……。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は無事なのですね」
クロプシュトック侯事件か……、それが有ったな。どうやら原作同様息子が死んだらしい、殺したのは多分俺だな……。

『無事だ。ブラウンシュバイク公が、或いはリッテンハイム侯かもしれんがクロプシュトック侯の後ろで糸を引いていた、そういう事は有りえんかね?』
「有りえませんね、糸を引いていたのなら皇帝はもう決まっているはずです。それにクロプシュトック侯が彼らの手先になるなどあり得ません。……クロプシュトック侯の事ですがそちらに情報は無いのですか?」

どうやら無いらしい、俺の問いかけにシトレは幾分バツが悪そうにしている。
『クロプシュトック侯爵家がかつては皇后を出したことも有る名門貴族だという事は分かっている。ここ三十年ほどは全く目立った動きもない事も。君は何か知っているのかね』

やれやれだな、三十年以上前の事だし両国は交流が無い。それにあの当時の帝国は後継者問題で混乱していたはずだ。情報が錯綜していたとすれば仕方が無いのかもしれん。

「クロプシュトック侯は後継者争いに関与して失脚したのです。先帝、いえ先々帝フリードリヒ四世には兄と弟が一人ずついました。リヒャルト皇太子、クレメンツ大公です。この二人は皇帝の座を巡って激しく争ったのですが、結局は両者共倒れといった形で決着がついた。皇帝の座に就いたのは周囲からは凡庸と見られ誰からも相手にされなかったフリードリヒ四世でした」
『なるほど、確かにあの当時、帝国はざわついていたな』
シトレが思い出したといったように頷いている。

「クロプシュトック侯はクレメンツ大公の支持者だったのです。そして凡庸と言われたフリードリヒ四世を散々愚弄した。そのためフリードリヒ四世の即位後は三十年にわたって冷遇されました……。まあそれでも命が有っただけましでしょう。あの後継者争いでは二百名以上の廷臣が処刑されましたから」

後継者争いで二百名以上が死んだ。帝国では有りがちな出来事だが同盟では有りえない出来事だ。チュン参謀長も何とも言えない様な表情をしている。

『そうすると今回の事件は恨みか、しかし三十年も前の事を今になってというのは解せんな』
そうじゃない、クロプシュトック侯は三十年前の事件の恨みを今晴らそうとしたわけじゃない。彼に有ったのは絶望だろう。

もしフリードリヒ四世の性格が執拗で恨みを忘れないといった様なものだったらクロプシュトック侯は一族皆殺しになっていてもおかしくなかった。彼が冷遇はされても無事だったのはフリードリヒ四世が寛容だったから、或いは無関心だったからだ。その事はクロプシュトック侯も分かっていただろう。軽蔑はしていたかもしれないがその点に関しては感謝もしていたはずだ。

「貴族にとって最も大事なことは家を守る事、存続させることです。反逆を起こせばその家を潰されます。三十年干されたからといってそんな事で反逆を起こしたりはしません」
まともな貴族ならそうだ。まともじゃない貴族だけがトチ狂って反逆を起こす。反逆を起こされた方も戸惑うだろう。“え、何で反逆するの? 家が潰れちゃうけど良いの?”

『では、他に理由が有るというのかね』
「反逆を起こしたという事は家を潰しても良いという覚悟が出来た、或いは家を存続させる必要が無くなったという事です」

俺の言葉にシトレは考え込んでいる。答えたのはしばらくしてからだった。
『後継者を失ったか……』
「おそらく。クロプシュトック侯には軍人になった息子が居たはずです。前回の戦いでその息子を失ったのでしょう」
『……』

「クロプシュトック侯はフリードリヒ四世を侮蔑していました。リヒテンラーデ侯はそのフリードリヒ四世を守るためにカストロプ公を利用し結果として私が同盟に亡命した。そしてあの殲滅戦が起きた……」

『息子をあの戦いで失ったとしたら許せなかっただろうな』
俺の言葉にシトレが大きく頷いた。しんみりとした表情をしている。そう言えばシトレには息子はいないのかな、もしかすると戦死したのかもしれない。キャゼルヌやヤンを可愛がったのは息子の代わりか……。

「皇帝になったのは軽蔑するフリードリヒ四世の血を引く唯一の男子、そしてその皇帝を支えるのが全ての元凶であるリヒテンラーデ侯……。クロプシュトック侯がテロに走ってもおかしくは無いでしょう」
『……』

「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も頭が痛いでしょう。彼らにとってエルウィン・ヨーゼフ二世、リヒテンラーデ侯の死は予想外の事だったはずです。これから帝国がどう動くか、要注意ですね」

『君はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が改革を進める可能性は有ると思うかね』
“要注意ですね”の言葉にようやくシトレは反応を見せた。頼むよ、しっかりしてくれ。俺は以前よりはあんたを高く評価しているんだからな。食えないところが良い、上に立つのはそのくらいじゃないと駄目だ。

「有ると思います。彼らの周辺にカール・ブラッケ、オイゲン・リヒターの名前が有るか確認してください」
『カール・ブラッケ、オイゲン・リヒター……、何者かね、平民のようだが』

「帝国では改革派として有名な人物です。元は貴族でしたが自らフォンの称号を取り平民として改革の必要性を訴えている。彼らを登用するのであれば本気で改革を行おうとしている、そう見て良いでしょう」
俺の言葉にシトレがゆっくりと頷いた。
『これからだな、帝国も同盟もこれからが本当の勝負だ』
その通りだ、これからが本当の勝負だろう……。



 

 

第七十話 混迷

帝国暦 486年 8月 4日  オーディン  リッテンハイム侯邸  クリスティーネ・フォン・リッテンハイム



「お帰りなさいませ」
「うむ」
夫、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世は疲れた表情をしている。八月一日に起きた爆弾テロ以来、夫は連日遅くまで新無憂宮に詰めている。

エルウィン・ヨーゼフ二世の葬儀をどうするか、次の皇帝は誰になるのか、リヒテンラーデ侯が死んだ以上次の政府首班を誰にするかの問題も有る。思うように決まらないのか、或いは次から次へと問題が起きているのか、夫の顔色が晴れることは無い。

夫は居間に行くとソファーに腰を下ろした。
「クリスティーネ、済まんが酒、いや水を用意してくれんか」
「お水で宜しいのですか?」
私の問いかけに夫は無言で頷いた。疲れているのならお酒を一口飲んで休んだ方が良い。いや、水をと言ったという事はこれからまだ考える事でもあるのだろうか。

侍女には用意させなかった。何の役にも立てないが心配しているという事だけは分かって貰いたい。グラスに氷を入れ冷えた水を入れて夫に渡した。受け取った夫は微かに笑みを浮かべて一口水を飲んだ。

「クリスティーネ、話が有る、ここに座ってくれ」
夫が指差したのは夫の正面ではなく隣だった。余り人には知られたくないという事なのだろう。侍女達に先に休むように命じ、夫の隣に座る。夫はもう笑みを消していた、憂鬱そうな横顔を見せている。

「次の皇帝が決まった」
「……エリザベートですか」
「……」
夫は答えない。黙ってグラスを見ている。

「……サビーネなのですか」
テロが有ったばかりだ。今度はサビーネがその標的になる……。そう思うと声が震えた。
「いや、ブラウンシュバイク公爵夫人が女帝として即位する」
「お姉様が……」
私の呟きに夫が頷いた。夫が見せている憂鬱そうな表情は不満なのだろうか。

「お前も帝国の現状は分かっているな」
「はい」
帝国は今不安定な状況にある。リヒテンラーデ侯が行ったカストロプの一件、あれの所為で平民達の不満がかつてないほどに高まった。エルウィン・ヨーゼフ二世が殺された時も最初は反政府主義者、平民によるテロだと思ったほどだ。

「帝国の政情安らかならず、幼帝の即位を許す様な状況にはない、たとえ女性であろうと、いや女性であればこそ成人した大人を皇帝として仰ぐべき……。それがブラウンシュバイク公と私の考えだ」
夫が私を見た、分かるなと言っている。

「それでお姉様を」
「最初はお前をという話も有った、ブラウンシュバイク公は今回のテロ事件の責任を取りたいと言ってな。だが私がそれを抑えた。何故か分かるか?」

「私の身が危険だと思ったのですか、テロの標的になると」
「そうではない、いやそれも有るが……、ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家では僅かにブラウンシュバイク公爵家の方が実力は上だ。お前が女帝となれば馬鹿どもがブラウンシュバイク公が不満を持っていると騒ぎだすだろう」

夫は遣る瀬無さそうな表情をしている。そしてまた一口水を飲んだ。
「それを恐れたのですか」
「場合によってはあのテロ事件も私が後ろで糸を引いていたなどと言い出しかねん。だからな、私がブラウンシュバイク公に譲る姿勢を見せる事でそれを防いだのだ。我らは協力しなければならん、周囲に隙を見せてはならんのだ」

言い聞かせるような口調だった。私が思う以上に帝国は不安定なのかもしれない、夫がそこまで配慮しなければならないとは……。
「お疲れでしょう、貴方」

私の労りに夫は少し照れたように笑みを浮かべた。髭を生やした夫が困ったような笑みを浮かべている。私はこの笑みが好きだ。
「ブラウンシュバイク公は女帝夫君として女帝陛下の統治を助ける事になる。私も内務尚書として女帝陛下を助ける事になった」

内務尚書? 国務尚書ではなく? 私の表情を見て夫が笑い声を上げた。私は考えていることがすぐ顔に出るらしい。
「内務省は警察、そして社会秩序維持局があるからな。思慮の足りない者に任せると訳も分からず平民達を弾圧しかねん。私も思慮深いという訳ではないが、他に任せられる人間がおらんのでな。ブラウンシュバイク公に是非にと頼まれた……、断れん……」

最後は溜息を吐いた。夫は本心からブラウンシュバイク公を助けようとしている。それほどまでに帝国の状況は良くない、そういう事なのだろう。妙な話だ、夫がブラウンシュバイク公を助けて内務尚書になるなど今まで考えたこともなかった、今でも半信半疑だ。

「一年前なら公と張り合ったのだがな、今の帝国ではそんな余裕は無い」
ぽつんと寂しそうな口調に胸を衝かれる様な思いがした。いつもなら“何を言っているのです!”と叱咤したかもしれない。夫は“そう言うな”と私を宥めただろう。でも今はとてもそんな気にはなれない、少しの間沈黙が落ちた……。

「ブラウンシュバイク公は改革を行うつもりだ。私もそれに協力する事になる」
驚いて夫を見た。夫は水の入ったグラスを見ている。
「大丈夫ですか、貴族達が反発するのでは?」
「反発するであろうな、だがこれ以上放置すれば帝国が崩壊しかねん」
夫がまた溜息を吐いた。

「軍がどうにもならん、聞いているか?」
「軍が? いえ聞いていませんが」
「兵達の士気が下がって戦える状態ではないそうだ」
「オフレッサーは何をしているのです! エーレンベルクは、シュタインホフは!」
私が怒りの声を上げると夫が笑い出した。

「貴方!」
「許せ、ようやくお前らしくなったと思ったのだ」
「まあ」
夫は可笑しそうに笑っている。腹が立ったが沈んでいる夫よりは良い、我慢する事にしよう。それより軍がどうにもならないとは、一体……。

「軍がどうにもならないと聞きましたが?」
「カストロプの件でヴァレンシュタインが反乱軍に亡命した。それがきっかけでヴァンフリート、イゼルローンで一千万人以上が死んでいる。兵達にしてみれば何故彼らが死んだのか納得がいくまい。兵達は帝国に幻滅しているのだ」
先程までの軽やかな笑いは無い、何処か自らを嘲笑うかのような笑いがある。

「帝国内で反政府活動が激しくなれば我々は孤立しかねん。軍は当てにならんどころか反政府勢力に同調するだろう」
「貴族達は、貴族達は当てにはなりませんか」
私の言葉に夫は昏い笑みを見せた。滅多に見せたことのない笑み……。

「自分の利益の事しか頭にない連中だ、当てにはならん。おそらくは自領の反政府勢力を押さえる事に軍を使うだろう。我らのためになど援軍は出さん、たとえそれが帝国の滅亡につながると分かってもな」
「……」

「今回のテロ、犯人がクロプシュトック侯で良かった」
「どういう事です、貴方」
意味深な言葉だ、どういう意味だろう。クロプシュトック侯なら良かった? 犯人が他の誰かなら都合が悪かった?

「平民が犯人であってみよ、改革を行うのは難しい事になる。テロが改革を呼んだと思わせてはならぬ。平民達に自分達の要求を通すにはテロしかないと思わせてはならぬのだ……、犯人がクロプシュトック侯で有ったのは僥倖だった……」

厳しい声だった。夫は思いつめた様な目をしている。また一口水を飲んだ。
「……次は無い、そう仰るのですね」
夫が頷いた。私の声が掠れているのに気付いたのだろう。夫がグラスを私に差し出してきた。一口飲んで思ったより喉が渇いている事に気付いた。もう一口飲んで夫にグラスを返した。夫が残った水を飲み干しグラスをテーブルの上に置いた。

「危うい所であった……。反政府活動を抑えるためには改革を行うしかない。それによって彼らを抑え兵の帝国への忠誠心を取り戻す……。それしか帝国が生き延びる道は無い」
帝国が生き延びる道……、即ち私達が生き延びる道という事か。夫が私を見た、厳しい視線だ。思わず姿勢を正した。

「女帝陛下がテロに倒れれば、その時はお前が新たな女帝として立つことになる。当然だがお前を危険な目に遭わせる事になるだろう……」
「……」
「それでも私はお前に頼まざるを得ん、帝国を守るために女帝になってくれと……」

私はこれまでこんな厳しい表情をした夫を見たことは無い。頷くことも出来ずにただ夫を見ていた。そんな私に夫の言葉が続く。
「その時はお前の事を思い遣る様な、気遣うような余裕は有るまい。だから今謝っておく、済まぬ、……許せ」

夫が私の目で頭を下げている、そしてそのまま上げようとしない。その事が無性に悲しかった。夫の肩に縋りついた、夫が私の背に手を回してくる。暖かい手だった、その事が嬉しかった。きっとこの手が私を守ってくれる、守りきれない時は運命だと受け入れよう、決して夫を恨むようなことはすまい……。



宇宙暦 795年 8月 4日  ハイネセン  最高評議会ビル   ジョアン・レベロ



自由惑星同盟最高評議会は十一名の評議員から構成されている。
最高評議会議長ロイヤル・サンフォード
副議長兼国務委員長ジョージ・ターレル
書記トーマス・リウ
情報交通委員長シャルル・バラース
地域社会開発委員長ダスティ・ラウド
天然資源委員長ガイ・マクワイヤー
法秩序委員長ライアン・ボローン
人的資源委員長ホアン・ルイ
経済開発委員長エドワード・トレル
国防委員長ヨブ・トリューニヒト
そして財政委員長である私、ジョアン・レベロ

今日は緊急の会議が開かれている。帝国で起きた皇帝暗殺事件、この事件の詳細を知るためだ。説明者はトリューニヒト国防委員長、皆彼の説明を神妙な面持ちで聞いている。幼帝が僅か即位二ヶ月で暗殺など尋常な事ではない。皆が今帝国で何が起きているかを知りたがっている。

「では今回のテロ事件は反政府活動ではなく、クロプシュトック侯の個人的な恨みによる犯行だというのだね。政治的な意味は無いと」
「その通りです」

トリューニヒトがサンフォード議長の質問に答えている。自信に溢れた姿だが、その答えのほとんどはヴァレンシュタインからシトレへ、そしてトリューニヒトへと伝わったものだ。私もホアンも知っている事だが、初めて聞くような顔をして聞いている。時折相槌を打ったり、驚いたり、面倒な事だ。

「なるほど、よく分かった。それにしても短期間の間に良く調べたものだ」
サンフォード議長の称賛にトリューニヒトが満面の笑みを浮かべた。それをボローン法秩序委員長が忌々しそうな表情で見ている。

例のスパイ事件で面子を潰されたと思っているのだろう。そしてあの事件以降、軍はヴァンフリート、イゼルローンで大勝利を収めている。当然だがトリューニヒトの政治的地位は高まった。益々面白くないに違いない。

「次の皇帝が誰か分かるかね、国防委員長」
問い掛けたのは副議長兼国務委員長のジョージ・ターレルだ。意地の悪い表情をしている。この男もトリューニヒトに良い感情を持っていない。次の議長職を狙っているのだろう、予測が外れれば大声で言いふらすに違いない。嫌な男だ。

「ブラウンシュバイク公爵家か、リッテンハイム侯爵家から出るとは思いますがどちらとはまだ言えません。帝国は今国内が不安定な状態にあります、両家とも皇帝を出すことが必ずしも自家の利益になるとは考えていない節が有ります」

彼方此方でざわめきが起きた。中には信じられないというように首を振る者もいる。
「帝国が混乱しているならイゼルローン要塞を攻略するべきではありませんか。帝国は敗戦により兵を大量に失っている。効果的な防衛は難しいのでは? イゼルローン要塞を奪取するチャンスです」

ガイ・マクワイヤー天然資源委員長だ。顔面が紅潮している、興奮しているのだろう。トリューニヒトの顔からは先程までの得意げな表情は無い。面倒な事を言い出したと思っているのだろう。

「軍はイゼルローン要塞攻略を考えていない。軍の基本方針は敵兵力の撃破だ。要塞攻略よりも敵兵力の撃破の方が帝国に効率良く損害を与えられると考えている。前回の戦いを振り返って見れば妥当な考えと言って良い」

「方針を変えるべきではないかね。帝国を打倒するのであれば待ち受けるのではなく踏み込むべきだろう」
阿呆、それをやれば同盟は破滅する、分からないのか。いや、分からないのだろうな、私もヴァレンシュタインに指摘されるまでイゼルローン要塞攻略が危険であることを理解していなかった。

「前回の戦いでイゼルローン要塞を攻略するべきだったのだ。そうしていれば今回の混乱に乗じて帝国に大きな打撃を与える事も可能だっただろう」
ボローン法秩序委員長が意地の悪そうな笑顔を見せている。この男はトリューニヒトを困らせるためなら裸踊りだってするだろう。

「要塞を攻略しなかったのは軍の謀略の一環でもあったのだ、あれが有ったから今の帝国の混乱が有る。それを無視してもらっては困る」
トリューニヒトが部屋を見回しながら言った。ボローンに同調する人間が現れる事を防ぐつもりだろう。

「私は軍の方針を支持します。待ち受けて撃滅する、大いに結構。これ以上の戦争拡大は反対ですな。これ以上戦火が拡大すれば国家財政とそれを支える経済が破綻する、到底賛成できない」

「しかしこれは絶対君主制に対する正義の戦争だ。不経済だからと言ってただ敵を待つというのはどうだろう。多少の無理をしても踏み込むべきではないのか」
頼むから口を閉じてくれ、マクワイヤー。それと皆こいつの馬鹿な意見に同調するな、頷くんじゃない!

「私も戦争拡大には反対だ。戦争が拡大すれば現在減りつつある教育や職業訓練に対する投資が更に削減されるだろう。今でさえ労働者の熟練度が低くなり社会機構全体にわたってソフトウェアの弱体化が進んでいるのだ。これ以上弱体化が進めば社会機構の維持そのものが難しくなる」

やれやれだ、私とホアンがトリューニヒトを援護するとは。出来るだけトリューニヒトとは距離を置くようにしていたのだが……。しかし戦争拡大論を放置は出来ん。

「そこで提案するのだが軍に徴用されている技術者、輸送および通信関係者の内から四百万人を民間に復帰させてほしい。これは最低限の数字だ」
ホアンが皆を見渡しながら言った。いいぞ、ホアン、戦争拡大など論外だと連中に分からせてやれ。

「無理を言わないで欲しい。それだけの人数を後方勤務から外されたら軍組織は崩壊してしまう」
トリューニヒトが苦虫を潰したような表情で答えた。内心では感謝しているだろう。戦争拡大はトリューニヒトも望むところではない。

ホアンはまだ周囲を納得させるには十分ではないと判断したようだ。そのあとも事例を挙げてソフトウェアの弱体化を訴えた。トリューニヒトを責める形にはなったが周囲も問題だとは認識しただろう。いずれ和平論を持ち出すときに役に立つ。良いタイミングで出したと言える。

結局結論は出なかった。サンフォード議長が今すぐ決めなくても良いだろうと先送りして終わりだ。有耶無耶にするつもりかもしれんがイゼルローン要塞攻略が無くなるなら願ったりかなったりだ。

会議終了後、ホアンが近づいてきた。小声で話しかけてきた。
「拙いな、少々勝ち過ぎたか」
「そうは思わんが現状を認識していない阿呆が多すぎる」

同じように小声で答えながら思った。帝国に戦争継続の意思を捨てさせるまで叩く、その考えに間違いは無い。問題は勝利というものが余りにも甘美で有りすぎる事だ。皆がそれに酔って現実が見えていない。

目の前をトリューニヒトが歩き去ってゆく。そして何人かが私とホアンを見ながら部屋を出て行った。多分私達に戦争反対派とレッテルを張っただろう。その通りだ、それのどこが悪い。

「このままではまたイゼルローン攻略論が出るだろうな」
「一度、四人で集まるか」
「四人か、五人でないところが痛いな」

ホアンが顔を顰めている。そのとおりだ、あの若造は生意気で人を人とも思わないなんとも忌々しい若造だが嫌になるほど頼りにはなる。シトレはヴァレンシュタインが傍に居ると負ける気がしないと言っていたがその気持ちが良く分かる。

なんであの男があと三人居ないんだ? あと三人いれば私とホアンとトリューニヒトの所に一人ずつ置けるのだ。そうすればホアンは抜け毛の心配をせずに済むし私だって血圧の心配をせずに済む。トリューニヒトだって白髪が増えずに済むだろう。シトレだけが楽をしている。後で文句の一つも言ってやらねばなるまい……。

 

 

第七十一話 口喧嘩

宇宙暦 795年 8月 5日  ハイネセン   ジョアン・レベロ



テーブルの上には大皿が二つ、サンドイッチが山盛りになっておかれている。そして他にはグラスが幾つかと水、ワインが用意されていた。
「今日はサンドイッチか、ヴァレンシュタインが怒るぞ、トリューニヒト。自分が居ない時にサンドイッチを出したと」
私の言葉にトリューニヒトが笑い出した。

「ではピザにするかね」
その言葉に皆が渋い表情をした。
「ピザだと? 冗談は止せ、あれが冷めると美味くないのは前回で実証済みだろう、ピザは会議には向かんよ。それならドーナツの方がまだましだ」

私の言葉にシトレが顔を顰めて反対した。
「ドーナツは止めてくれ、私は甘いものは苦手だ。大体ドーナツにワインが合うのかね」
「その時はコーヒーにするさ」

「レベロ、それこそヴァレンシュタインが怒るぞ。あの男はコーヒーが嫌いだからな」
面倒な小僧だ、コーヒーは嫌い、酒も飲めない。好きなものはココアだと、ココアなんか会議室で飲めるか! 匂いだけでウンザリする。

「皆、その辺にしておけ。さっさと会議を始めようじゃないか」
呆れた様なホアンの声に皆が苦笑しながら席に着いた。私とホアンが並びその対面にトリューニヒトとシトレが並んでいる。軍関係者対内政関係者か……、ごく自然に席が決まった。

「で、どういう事なんだ。私はその場には居なかったんだが」
シトレがグラスにワインを注ぎながら問いかけてきた。視線は私とホアンを交互に見ている。

「帝国は混乱している。これに乗じてイゼルローン要塞を攻略するべきではないか、そういう意見が出た」
グラスを取り一口飲んでから答えた。酸味が強く感じるのは話題のせいかもしれない。
「軍の方針は説明したのだろう」

シトレは今度はトリューニヒトを見ている。ちゃんと仕事をしているのか、そんな視線だ。
「もちろんだ。その有効性も説明したよ」

トリューニヒトは心外だと言わんばかりだ。サンドイッチを一つとり口に運んだ。そしてげんなりした口調で言葉を続けた。
「しかし、納得はしていないだろうな」

納得はしていない、その通りだ。ホアンがサンドイッチを味わうと言うより考え込むように食べている。ワインを一口飲むと話し始めた。
「軍を責めるわけではないが少し派手に勝ちすぎた。それに帝国の混乱が予想以上に酷い。その事が皆を好戦的にしているんだと思うね」
ホアンの言葉に皆が頷いた。

「フリードリヒ四世、エルウィン・ヨーゼフ二世……、まさか立て続けに死ぬとは思わなかった……。戦争による損失よりも政治的な混乱の方が帝国に深刻な影響を与えているようだ」
トリューニヒトが呟くとまた皆が頷く。

そのまま皆黙っている。以前此処でヴァレンシュタインと話した時、彼は皇帝の寿命が帝国の不確定要因だと言った。それによっては別な選択肢が出るだろうと……。

人の寿命など分かるはずもない、一体何時の事だと思ったがこうも早く現実になるとは思わなかった。帝国はその現実に対応できずにいる。そして我々もその事態に追い付けずにいる。あっという間に世の中が動き始めた。急激に、独楽が回転するように動き我々は振り回されている。

「今回は私とホアンが反対して有耶無耶になったが、いずれまたイゼルローン要塞攻略論は出てくるだろうな」
トリューニヒト、ホアンが頷いた。シトレは渋い顔をしている。

「厄介なのはトリューニヒトへの反感から出兵論を唱えている人間が居る事だ。理性ではなく感情の問題だからな、始末が悪い」
「どういう事だ、レベロ」

「副議長兼国務委員長ジョージ・ターレル、法秩序委員長ライアン・ボローン。この二人がトリューニヒトに反発している、理由は分かるな」
シトレが横を向いてトリューニヒトを見た。トリューニヒトはウンザリした様な表情をしている。

「連中の魂胆は分かっている。イゼルローン要塞を攻略させる。成功すれば軍の方針を変更させたと言って自分達の功績を声高に言い募るのだ、失敗すれば私とシトレ元帥の責任を問うつもりだろう」

「連中にとってはどちらに転んでも損は無い。しかし国家にとっては……」
トリューニヒトが語尾を濁した。それを見てシトレが口を開いた。
「どちらに転んでも損だな。負ければ兵が大勢死ぬ、勝てば帝国領出兵が現実のものとなる」
トリューニヒトが大きく溜息を吐いた。この男らしくない事だ。

腹が減ったな、サンドイッチを一つ摘んだ。他の三人も思い出したようにサンドイッチを手に取る。暫くの間、皆が無言でサンドイッチを食べ続けた。

「実際のところ、どうなのだね? 帝国は混乱していると言うがイゼルローン要塞を落とせるのかな。あれは難攻不落なのだろう?」
ホアンの質問にトリューニヒトとシトレが顔を見合わせた。ややあってシトレが自分の考えを確かめる様な口調で話し始めた。

「確かに難攻不落ではある。しかし確証は無いのだが帝国軍の士気はかなり下がっているのではないかと軍情報部では見ているんだ」
「……では実際に要塞が落ちる可能性が有ると?」
「うむ、かなりの確率でな」

シトレとホアンの会話に皆気が重そうな顔をしている。馬鹿げている、何故我々がイゼルローン要塞の陥落を心配しなくてはならないのか……。

「帝国領への大規模侵攻か、それさえなければ要塞を取っても良いのだがな」
「いや、それは駄目だ、レベロ。要塞攻略はいかなる意味でも拙い」
シトレが首を横に振って否定した。

「例のカストロプの一件で帝国の統治力は酷く不安定になっている。そんなときにイゼルローン要塞を攻略して見ろ、辺境では独立運動が起きかねん。救援を要請されたら今の政府が断ると思うか? なし崩しに帝国領への関与が深まるだろう」
「……」

帝国領への関与、つまり金、物資、兵の投入か。以前ヴァレンシュタインが言った際限の無い介入と国力の疲弊……。考えているとトリューニヒトの声が聞こえた。

「帝国がどうなるのかは分からない。崩壊か分裂か、或いは再生か……。帝国が再生するなら和平を結ぶべきだ、しかし崩壊か分裂なら放置して同盟の安全のみを考えるべきだと思う」

和平ではなく安全か……。例え帝国が地獄になろうと放っておくと言う事か……。エゴイズムと言って良いのだろう、だが同盟市民をその地獄に巻き込む事は出来ない。であればトリューニヒトの言う事は正しい……。

少しの間沈黙が落ちた。多分皆が安全という言葉が持つ意味について考えていたのだろう、その冷酷さを。

「何らかの理由を付けてイゼルローン要塞攻略に反対しなければならんだろうな……。どういう理由が有る? 今回はどんな理由を付けたんだ?」

「経済と財政が破綻する……」
「社会機構の維持が出来なくなる……」
シトレの問いに私とホアンが答えた。辛気臭い答えだ、部屋の空気がさらに重くなったように感じられた。

「ホアンが良くやったよ、軍から民間へ四百万人戻せと言ったからな」
私の言葉におどけたようにホアンが肩を竦めた。そのしぐさに部屋の空気が僅かに緩んだがその事がホアンには面白くなかったらしい。冗談と取られたと思ったようだ。

「冗談では無いよ、私は本気で言ってるんだ。今すぐにでも人を民間に戻すべきなんだ。」
「今は無理だ、そんな事をしたら軍組織が崩壊する」
ホアンがキッとなってトリューニヒトを見た。
「だがこのままでは国家が崩壊する」
いかんな、トリューニヒトとホアンが睨みあっている。二人とも思うようにいかず苛立っている。

「落ち着けよ、二人とも。だから和平を、そうだろう」
私の言葉に二人がバツが悪そうに頷いた。それをシトレが面白そうに見ている。馬鹿野郎、笑い事じゃないんだぞ、シトレ。

「帝国軍が攻めてくる可能性は無いのかな、それなら今の軍の方針が有効だと説得できるだろう」
ホアンがトリューニヒト、シトレに視線を送りながら尋ねた。トリューニヒトとシトレが顔を見合わせている。溜息を吐いてシトレが話し始めた。

「残念だが、イゼルローン方面に居たミューゼル中将の艦隊はエルウィン・ヨーゼフ二世の死と共にオーディンへ向けて帰還したそうだ。当分帝国軍が攻めてくる事は無いだろう」

「他の艦隊が攻めてくる可能性は」
私の質問にシトレは力なく首を横に振った。
「無い、と見ていいだろう……。ミューゼル中将の艦隊は帝国でも最も危険な艦隊だと軍は見ている。帝国はこれ以上の敗戦には耐えられない筈だ。出兵となれば必ずあの艦隊が主力になる。彼らがオーディンへ帰還する以上、出兵は先ず無いと見て良い」

出兵は無いか、それにしても危険?
「危険とはどういう意味かな、シトレ」
「帝国でも最精鋭の部隊だ。そして指揮官のミューゼル中将は天才だとヴァレンシュタインは言っている。彼はミューゼル中将を酷く畏れて居るよ、自分など到底及ばないと……」

皆、顔を見合わせた。全員が、口に出したシトレでさえ半信半疑な表情をしている。ヴァレンシュタインが到底及ばない? あの男がか?
「冗談だろう、シトレ」

気が付けばシトレを気遣う様な口調になっていた。シトレは苦笑している。
「私もそう思うのだがね、彼は本心からそう言っているし、彼が嘘を吐いた事は無い。実際ミューゼル中将に関してはかなり出来るだろうと軍の情報部でも見ている。オフレッサーの信頼も厚いようだし、彼の下に人も集まっている。天才かどうかはともかくかなり手強いだろうな」

シトレは最初は苦笑していたが最後は生真面目な表情をしていた。その事でまた皆が顔を見合わせた。躊躇いがちにホアンがシトレに問いかけた。
「ミューゼルというのはヴァレンシュタインが話をしていた男だろう、まだ若いようだったが……」

「グリューネワルト伯爵夫人の弟だ。その所為で最初、軍は彼を全くマークしていなかった。軍が彼に関心を持つようになったのはヴァレンシュタインが彼を天才と評価していることを知ってからだ」

グリューネワルト伯爵夫人か、皇帝の寵姫、つまり彼は皇帝の寵姫の弟だった。だから軍は彼を評価しなかった。出世はコネによるものだと思った、そういう事か。

「しかし、あの話し合いの中では一方的にヴァレンシュタインが優位だったようだが……」
私の言葉にシトレが苦笑を漏らした。
「口喧嘩なら誰にも負けないそうだ」

部屋に笑い声が満ちた。
「確かに勝てる人間が居るとは思えんな」
「その事はレベロ、君が一番よく分かっているんじゃないかね」
「余計な御世話だ、トリューニヒト」
一頻り笑い声が部屋に満ちた。

「まあ冗談はさておき、帝国軍が攻めてくるという事は無いだろう。対策はそれを前提に考えなくてはいかんな」
「しかし上手い手が有るかね、トリューニヒト」

ホアンの問いかけにトリューニヒトとシトレが顔を見合わせている、そして微かに頷き合うとシトレがゆっくりとした口調で話し始めた。
「イゼルローン要塞から皆の眼を逸らす……、それしかないだろう」

「逸らす、と言うと」
私が問いかけるとシトレとトリューニヒトがまた顔を見合わせた。どういう事だ、この二人は既に対策を検討しているのか? シトレが言葉を続けた。

「フェザーンだ」
「フェザーン?」
私とホアンの声が重なる。トリューニヒトもシトレも生真面目な表情をしている、冗談を言っているわけではないようだ。ホアンの顔を見た、腑に落ちないといった表情をしている。多分自分も同様だろう。今度はトリューニヒトが言葉を続けた。

「フェザーンを帝国の自治領ではなく、正式に独立させる。こちら側に引き寄せるのさ」
またホアンと顔を見合わせた。今度は難しい表情をしている。

「本気か? トリューニヒト」
「本気だよ、ホアン。今ヴァレンシュタイン達が艦隊を率いて訓練に向かっている。場所はランテマリオ、フェザーンからは遠くない。ヴァレンシュタインはルビンスキーと接触するつもりだ」

「つまり、これはヴァレンシュタインの考えなのか」
声が掠れた。慌ててワインを一口飲んだ。そんな私をトリューニヒトとシトレが笑みを浮かべて見ている。

「その通りだ、彼はフェザーンを取り込もうと考えている」
「可能なのか、そんな事が」
「さあ、どうかな。ただ彼は口喧嘩では誰にも負けないからな」
そう言うとシトレが笑い出した。トリューニヒトも笑っている。私とホアンは笑えずにいる。

一頻り笑った後、シトレが表情を改めた。
「帝国がこちらの動きに気付けば、次の戦いはフェザーンを巡る戦いになるだろう。大きな戦いになるだろうな、イゼルローン要塞等どうでも良いくらいの大きな戦いだ」

そう言うとシトレが笑い出した。そして笑いながら言葉を続けた。
「故に我戦わんと欲すれば、我と戦わざるを得ざるは、その必ず救う所を攻むればなりだ。あの男は根性悪の天才戦略家さ、帝国軍を無理やり引き摺りだして決戦するつもりだ。レベロ、戦費の調達を頼む、ケチるなよ、賭け金はフェザーンとフェザーン回廊なんだからな」






 

 

第七十二話 目的と手段

宇宙暦 795年 8月 5日  ハイネセン   ジョアン・レベロ



シトレが笑っている、トリューニヒトも笑っている。賭け金はフェザーンとフェザーン回廊? 一体何を言っている。ホアンの顔を見た、彼も訳が分からないといった表情をしている。

「待ってくれ、本気で言っているのか? フェザーンを賭けの対象にする? 正気とは思えんな。大体独立とは何だ、政府に断りもなく勝手に出来る事ではないぞ。必ず反対が出る」

「レベロの言うとおりだ。フェザーンとはさまざまな形で政財界は繋がっている。フェザーンを利用しようと言うのは危険だろう。まして軍を派遣するなど……」
私とホアンの問い、いや詰問にも二人は動じた姿を見せなかった。相変わらず笑みを浮かべている。

「シトレ! トリューニヒト! 一つ間違えばフェザーンを帝国に押しやることになるぞ」
「落ち着けよ、レベロ」
シトレの顔から笑みは消えない、トリューニヒトの顔からもだ。その事が無性に腹立たしかった。一体二人とも何を考えている。

「落ち着けと言ってるんだ」
「……」
「サンドイッチでも食べたらどうだ、少しは落ち着くぞ」
何がサンドイッチだ、そんなもので落ち着くか、サンドイッチを二つ口に入れ、ワインを飲む。落ち着け、ジョアン・レベロ。

私の様子を見て二人が苦笑している、本当に腹の立つ奴らだ。
「落ち着いたぞ、どういう事だ、説明しろ」
二人の苦笑がさらに大きくなった、ホアンまで笑っている。

シトレとトリューニヒトが顔を見合わせた。微かに頷いている。トリューニヒトが話し始めた。

「誤解してほしくないんだが、我々はフェザーンを占領しようと考えているわけじゃない」
「しかし、フェザーン方面で戦争という事は軍を派遣するのだろう」
「軍は派遣する事になるかもしれんが、フェザーンからの依頼を受けてからになるだろうな」

小首を傾げながらトリューニヒトが答えた。つまり帝国軍に先に攻めさせるという事か。
「しかし、そう上手く行くか? 帝国だとてフェザーンを攻める事の危険性は分かっているだろう」
ホアンも小首を傾げて言う、私も同感だ。フェザーンを同盟に押しやることになる。帝国にそれが分からないとは思えない。

「レベロ、ホアン、フェザーンが今一番恐れている事は何だと思う?」
一番恐れている事? 今度はシトレが妙な事を言い出した。ホアンを見ると彼もちょっと戸惑った表情をしている。話の流れからすれば……。

「兵を向けられる、という事か? 中立が破られると」
私の言葉にシトレは首を横に振った。
「少し違うな、フェザーンが恐れているのは中立の前提となる条件が崩れる事だ」
シトレが一つサンドイッチを口に入れた。いける、と言った表情をしている。ワインを一口飲んで話を続けた。

「中立には二つのパターンが有る。一つは自ら強力な力を持ち中立を宣言する事だ。もう一つは周辺の国の勢力均衡を利用して自らの中立を周囲に認めさせる事……」
「フェザーンは後者だな」
私の言葉にシトレ、トリューニヒトが頷く。

「その通りだ、フェザーンは帝国と同盟の軍事的均衡を利用して中立を両国に認めさせ維持してきた」
「……」
シトレの表情が厳しくなった、トリューニヒトもだ。
「しかし、今、その均衡が崩れようとしている……」
「……」

今度はシトレに代わってトリューニヒトが話し始めた。
「軍事的に帝国が劣勢に立ったという事だけじゃない。帝国は今国内が極めて不安定な状態にある。或いは帝国は分裂する、崩壊するという事になるかもしれない」
「……つまり、帝国はフェザーンの中立を保障できなくなりつつある、或いは中立を保証してきた帝国そのものが存在しなくなる、そういう事か」

ホアンが呟くように吐く。それきり部屋が静かになった。皆顔を見合わせ黙っている。なるほど目の前の二人、いやヴァレンシュタインはフェザーンの中立が成り立たない事態が来ると見ているという事か……。

トリューニヒトがワインを一口飲んだ。そして話を続ける。
「フェザーンにとって帝国の崩壊は悪夢だ。帝国が崩壊すれば有力貴族、軍人達は独立し地方政権を作るだろう。彼らは自らの手で帝国の再統一を目指すはずだ。その時必要になるのが金だ」

「当然だろうな、軍備は金がかかるし戦争はさらに金がかかる。経済力の裏付け無しに戦争など出来ない。嫌と言うほど知っているよ」
「私も分かっている、顔を見れば軍事費を削れと言われるからな」
「私もだ、戦争屋と呼ばれて国家財政を考えていないと貶されるよ」
トリューニヒトとシトレが私の顔をニヤニヤしながら見た。

「仕方がないだろう、金が無いのは事実なんだ!」
憤然として言うとホアンが笑いだした。トリューニヒトとシトレも笑う。面白くない奴らだ。笑い終えるとトリューニヒトが口を開いた。

「彼らが簡単に金を手に入れようとすれば、当然だがその眼はフェザーンに行く。彼らは先を争ってフェザーンを自分のものにしようとするか、軍事的な圧力をかける事で金を毟り取る事を考えるだろう」

「……まるで犯罪組織だな」
「国家なんて多かれ少なかれそんなところは有るよ。いざとなったら同盟だって同じ事をやるだろう」
「他人事みたいに言うな、お前さんはその同盟の政治家なんだぞ」
トリューニヒトが肩を竦めて見せた。そして今度はシトレが話し出す。

「そうなった時、フェザーンが頼れるのは同盟だけだ」
「つまりヴァレンシュタインは……」
「フェザーンの中立、いや安全を保持したければ同盟寄りの姿勢を取れ、ルビンスキーにそう脅しをかけるという事だ」

言っている意味は分かる、しかし……。
「上手く行くのか? 仮にも黒狐と言われた男だ、ルビンスキーは一筋縄でいく男ではないぞ」
私の言葉にシトレとトリューニヒトが笑い出した。笑いながらトリューニヒトが口を開いた。

「上手くいかなくてもいいのさ、問題は帝国だ。帝国がどう受け取るかだ」
帝国がどう受け取るか? ホアンと顔を見合わせた、彼が少し考えるような風情を見せて話し出した。

「……中立の前提が崩れつつある、フェザーンがそれを見越して同盟に擦り寄っている……、そう帝国に思わせるという事か」
「そういう事だ、ルビンスキーは否定するかもしれん。しかし否定すればするほど帝国は疑うだろう。レベロ、ホアン、帝国はフェザーンの離反を受け入れられるかな?」

無理だ、先ず受け入れられない、トリューニヒトの話を聞きながら思った。彼の言葉が続く。
「先ず受け入れられないだろう。となれば帝国は自分達がフェザーンの中立を保障する力が有る、それを証明しようとするはずだ」
「つまり、戦争だな」

ホアンの言葉にトリューニヒトが頷いた。
「連中が何処から攻めてくるかは分からない。イゼルローンかもしれないしフェザーンかもしれない、しかしその戦いはフェザーンの帰属を賭けた戦いになるだろう」
「……政府に了承を取る必要は無いのか、事が事だぞ」

私の問いかけにトリューニヒトは首を横に振った。
「君の言うとおり事が事だからな、事前に説明するとフェザーンに漏れかねん。あくまで帝国軍を引き摺り出す事を目的とした軍の謀略として行う。フェザーンの独立はそのための手段だ」
「……」
「但し、いずれは目的と手段が入れ替わるかもしれん……」



帝国暦 486年 8月 6日 ミュラー艦隊旗艦バイロイト ナイトハルト・ミュラー



「ではクロプシュトック侯は……」
『そうだ、前回の戦いで息子を亡くしている。後継者を失った事、それがリヒテンラーデ侯の所為だと知った事が今回の爆破事件に繋がった』
目の前のアントンはやり切れないといった様な表情をしている。以前は頭部に包帯を巻いていたが今は無い。右腕は三角巾で釣ったままだ。

『皆言っているよ、エーリッヒの呪いだとね』
「……」
『無理もないさ、立て続けに皇帝が死んだ。皆フリードリヒ四世陛下もエルウィン・ヨーゼフ二世陛下もエーリッヒに殺されたと思っているんだ。当然だがリヒテンラーデ侯もね……』
「……」

アントンが遣る瀬無さそうに話す。呪いなどと馬鹿げているだろう、本当なら否定すべきなのかもしれない。だが俺は否定できない。艦隊の中でも同じような事を言っている人間が殆どなのだ。そして艦隊の現状を見ればまさに呪いとしか言いようのない状況だ。

「……クロプシュトック侯は、今は何を」
『領地に戻って徹底抗戦の姿勢を見せている。討伐軍が編成された』
「討伐軍? そんな兵力が有るのか?」
俺の問いにアントンは顔を顰めた。

『貴族達が連合して討伐軍を出す』
「はあ、なんだそれは。連中は反乱軍にぶつけるのだろう」
『あの爆破事件で身内を殺された貴族が大勢いる。その貴族達が復讐したいと言っているのさ』
吐き捨てるような口調だ、アントンは納得していない。

「ブラウンシュバイク公はそれを許したのか」
『許した。こちらは改革を如何進めるか、何の準備も出来ていないんだ。今の状態では貴族達を反乱軍にぶつける事は出来ない、少なくとも改革の理念と内容を貴族達に示さなければ……』
「……」
アントンの表情が沈痛なものになった。こんな顔をする奴じゃない、オーディンの状況は決してよくない。

『現状では小煩い貴族達が一人でもオーディンから居なくなってくれるなら大歓迎と言う訳さ。現実にクロプシュトック侯の反逆を放置できないと言う理由も有る』
「……だからと言って」

『連中、恐れているんだ。この件で平民達がテロに走るのを恐れている。徹底的に叩き潰して、平民達に恐怖心を植え付ける。それが目的だ』
吐き捨てるような口調だった。余程に嫌な思いをしたのだろう。貴族達はブラウンシュバイク公に詰め寄ったはずだ、その相手をさせられたのかもしれない。

「……大丈夫なのか」
俺の問いかけにアントンは肩を竦めるしぐさをした。
『さあな、鎮圧に時間がかかっても構わない、ブラウンシュバイク公はそう思っているようだ。その方が時間が稼げるからな』
「……」
溜息が出た。

『一ヶ月早かった……、あと一ヶ月あれば如何改革を進めるか、準備できたんだ……。おかげで今、後手後手に回っている。我々は改革をどう進めるか、検討に入ったところだが、事が事だ、貴族達に知られぬようにこっそりと行わざるを得ない、当然だが進みは遅い……。余計な事をしてくれたよ、クロプシュトック侯は……』

呻くような声だ。あの計画が上手く行けば、クロプシュトック侯の事件さえなければ、そんな思いがアントンにはあるのだろう。その思いは俺にも、ミューゼル提督にも有る。全く余計な事をしてくれた。

「……上手くやってくれとしか言いようがない、こっちはもう如何にもならないんだ。軍は戦争なんか出来る状態じゃない。指揮官達は皆頭を抱えている……」
俺の訴えにアントンの顔が辛そうに歪んだ。

『分かっている、公もそれは理解しているんだ。そして軍が頼りにならなければ皇帝の座がいかに危険かも理解している。必ず改革は行う、だからもう少し我慢してくれ』
「頼む」

溜息が出た。軍はもうどうにもならない。戦えない軍など軍ではない……。指揮官達は皆、自分達の存在意義さえ見失いかけている。

『ナイトハルト、気になることが有る』
アントンが浮かない表情で話しかけてきた。
「何だ、一体」
『反乱軍、いや、エーリッヒが次にどう出るかだ』

「……今度こそ反乱軍はイゼルローン要塞の攻略をするんじゃないか」
俺の問いかけにアントンが首を横に振った。
『とは限らない、リヒテンラーデ侯が死ぬ間際にブラウンシュバイク公に言った言葉が有る』
「……リヒテンラーデ侯?」

『エーリッヒがわざとイゼルローン要塞を取らなかったと侯は言ったんだ。イゼルローン要塞を取れば帝国が改革やむなしで一つにまとまる、だから敢えて要塞を取らずに帝国を分裂させようとしたと……』
「まさか……」
声が震えた。考えられない、そんな事が……。

『俺もまさかと思いたい。だが現状はリヒテンラーデ侯の言ったとおりだ、どうしても気になる。もしそれが事実ならエーリッヒの次の狙いは何か……』
アントンが俺を見ている。深刻な表情だ、かなり思いつめている。

「……イゼルローン要塞攻略は反乱軍にとっては悲願だろう、それを止める事が出来るのかな……。それにあいつは司令部参謀から艦隊司令官に転出した。反乱軍の作戦に関与できるのか?」
俺の問いかけにアントンは大きく息を吐いた。

『分からん、だが前回はイゼルローンを落とせたのに何もせずに軍を返した。エーリッヒはかなり反乱軍の上層部に信頼されているんだと思う。だとすれば作戦に関与してもおかしくは無い……』
「……もし、そうだとすれば厄介だな」
『ああ、厄介だ』

俺もアントンも、そしてギュンターも分かっている、エーリッヒは出来る。エーリッヒを嫌っていたシュターデンでさえそれを否定はしなかった。そのエーリッヒの口癖は“戦争の基本は戦略と補給”だ。目先の勝利には拘らない、戦争の目的を定め、万全の準備をしてから戦う。だとすれば……。

前回、反乱軍がイゼルローン要塞を落とさなかったことをもっと重視するべきなのかもしれない。亡命者だから、いやエーリッヒだからイゼルローン要塞に拘らなかった……。だとすればエーリッヒはかなり反乱軍に信頼されている、いやエーリッヒが反乱軍を動かしている可能性も有るだろう。亡命者にそんな事が出来るのかとは思う。本来なら有り得ない事だ、しかし……。

俺が考えているとアントンの声が聞こえた。
『もう一つ気になる事が有る。エーリッヒは何故カストロプの件を知っているんだ? 俺達はあの件をルーゲ伯に聞くまで知る事が出来なかった。だがエーリッヒは知っていた……、何故だ?』
「……」

アントンが俺を探るような表情で見ている。
『エーリッヒはカストロプ公が贄であることを最初から気付いていたんじゃないか』
「馬鹿な、そんな事が有り得るはずが無い」

『だったら何故亡命した? 卿は憲兵隊に全てを話そうと提案したがエーリッヒはそれを拒絶した。確証は無かったかもしれんがうすうす気付いていたんじゃないかと俺は思っている』
「……」

イゼルローンでの出来事を思い出した。俺は憲兵隊に全てを話そうと提案した、だがエーリッヒは頑なに拒んだ。そして亡命することを選んだ……。あの時の事が鮮明に蘇った。エーリッヒの声が聞こえる……。

“ナイトハルト、私は決して卿のことを忘れない”
“俺もだ、俺も決して卿のことを忘れない”
“それは駄目だ、私は味方を撃ち殺して亡命する裏切り者なんだ、直ぐに忘れてくれ”

『ナイトハルト、俺の考えが正しければエーリッヒにはかなりの謀才も有るぞ。ただの戦略家じゃない、注意が必要だ』
アントンの声が俺を現実に戻した。その通りだ、注意が必要だ。感傷に浸る暇は無い……。ミューゼル提督にも話しておく必要が有るだろう……。




 

 

第七十三話 虚実

帝国暦 486年 8月 6日 ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「如何思われますか」
ケスラーが俺の表情を窺う様に問いかけてきた。クレメンツは難しい表情をして何事か考えている。
「そうだな……、有り得ない、とは言えないだろうな」
俺の答えにクレメンツとケスラーが深い溜息を吐いた。俺も誘われたように溜息を吐く。旗艦タンホイザーの会議室には重い空気が漂った。

つい先程までこの会議室にはミュラー准将が居た。彼はオーディンのフェルナー中佐と連絡を取っているがこれは俺の方からミュラー准将に頼んでいる事だ。宇宙に居るとどうしてもオーディンの情勢に疎くなる。そして今、帝国は極めて不安定な状態に有るのだ。情報に疎いという事は非常に危険であり例えてみれば目隠しをしたまま歩いているに等しい。

ミュラー准将がこの会議室で話した事は極めて重大な事だった。大まかに分けて二つある。一つは帝国、オーディンの情勢、そしてもう一つは反乱軍、ヴァレンシュタインの動向……。

帝国、オーディンの情勢だが碌なものではなかった。
・テロを起こしたクロプシュトック侯が自領に戻り徹底抗戦の構えを見せている事。
・反乱を鎮圧するため貴族の連合軍が派遣される事。
・貴族達が平民によるテロ活動を怖れ、反乱の鎮圧は過激なものになりかねない事。
・ブラウンシュバイク公は改革の準備を進めるため敢えて貴族による反乱鎮圧を認めた事。
・改革の開始まで今少し時間がかかる事。

唯一慰めになるのはブラウンシュバイク公が改革を実施する意志が有る事を再確認出来た事だけだ。それ以外は頭の痛い事しかない。

そしてそれ以上に問題なのは反乱軍、ヴァレンシュタインの動向だ。フェルナー中佐はリヒテンラーデ侯の遺言だとしてとんでもない事を伝えてきた。ヴァレンシュタインは帝国を混乱させる事を目論んでいる。そのためにはイゼルローン要塞を攻略しない方が得策だと考えている可能性が有る、それはそのまま反乱軍の軍事方針では無いのか……。

「我々を生かしておいたのはカストロプの件の生き証人にするつもりだと思ったのですが……」
「私もそう思った。しかし考えてみれば生き証人なら我々だけでも良かったはずだ。要塞は攻略できた……」
クレメンツとケスラーが呟いた。二人とも表情がさえない。

「イゼルローン要塞が落ちたとする。そうなると平民達が暴動を起こした時、反乱軍が支援する、或いは反乱軍の支援で暴動が起きる可能性が有ったという事か。そうであれば貴族達も渋々ながらも改革の実施に同意した可能性は有るだろう」
俺の言葉に二人が頷いた。

「しかし、イゼルローン要塞が健在となれば仮に暴動が起きても鎮圧は可能、ならば改革など不要だと貴族達が考える、いや考えたがるのは必然だろうな……」
「確かにその通りですな」
「小官もそう思います」
二人に同意されても少しも喜べない。有るのは苦い思いだけだ。またしてもしてやられた……。

「リヒテンラーデ侯の言う通りかもしれない、ヴァレンシュタインは敢えて帝国を混乱させるためにイゼルローン要塞を取らなかった。我々はカストロプの件に気を取られ過ぎた。あの件の生き証人だと言う事に納得してしまい要塞を攻略しなかった事に何の疑問も持たなかった……」

厄介な相手だ。相手の手を読んだつもりでも更にその裏が有ったとは。イゼルローン要塞に居ては分からなかったが、オーディンからなら見えたという事か。政権首班として帝国の混乱を目の当たりにしたリヒテンラーデ侯だから見えたのだろうが、さすがと言うべきだろう。長年宮中で生き抜いてきただけの事は有る。だが、その侯も死んだ……。

クロプシュトック侯が何故テロを起こしたかを考えれば、リヒテンラーデ侯はヴァレンシュタインの前に敗れたという事だろう……。フリードリヒ四世を打ちのめしリヒテンラーデ侯と幼帝を捻り潰した、ヴァレンシュタインの手は恐ろしく長く強力だ。払い除けるのは容易ではない。

己の思考の海に沈んでいるとクレメンツの声が聞こえた。
「こうなるとヴァレンシュタインが反乱軍を動かしているというのは十分根拠が有りそうです」
「……参謀として作戦立案に関わっていただけではない、そういう事だな」
有り得ん事だ、だがどうしてもそういう結論が出てくる。

「小官が思うに事態はもっと深刻かもしれません」
「?」
言葉通り、クレメンツは深刻な表情をしている。クレメンツは何に気付いた?ケスラーを見た、彼はクレメンツを見ている。

「第六次イゼルローン要塞攻略戦で反乱軍の総司令官、ロボス元帥を解任したのは参謀長のグリーンヒル大将と言われていますが、それを提案したのはヴァレンシュタインです」
クレメンツの声が会議室に流れる。何かを確かめるような声だ、そして表情も厳しい。

「軍法会議ではロボス元帥は軍の勝利よりも己個人の野心を優先させようとした、従って解任は止むを得ないものと判断されました」
「それがどうかしたか」
俺の問いかけにクレメンツが俺を、ケスラーを交互に見た。

「ロボス元帥解任後、宇宙艦隊司令長官になったのはシトレ元帥……。これが最初から仕組まれたものだとしたら……」
「……仕組まれた……、どういう事だ、副参謀長……」
ケスラーの声が震えている。クレメンツがまた俺を、そしてケスラーを見た。昏い眼だ、どこか怯えのような色が有る様に見えたのは気のせいだろうか。

「ロボス元帥が解任された遠因はヴァンフリート星域の会戦に有ると小官は考えています。あの戦いはヴァレンシュタインの作戦により反乱軍の勝利に終わりました。しかし、あの戦いでロボス元帥は決戦に間に合わず面目を潰した……」

「覚えている、ヴァンフリート4=2に来た反乱軍は第五艦隊、そして第十二艦隊の二個艦隊だった。総司令官であるロボス元帥はあそこには来なかった。何度も戦闘詳報を読んだから覚えている……」

味方を収容して逃げる俺には状況を確認する余裕などなかった。何が起きたのかを知るため何度も戦闘詳報を読んだ。読む度に体が震えた、負けるとはこういう事なのかと思った。苦い思い出だ。

「面目を潰されたロボス元帥は第六次イゼルローン要塞攻略戦で焦りから不適切な命令を出し解任されました、解任の提案者はヴァレンシュタイン……」
クレメンツの声が続く。ヴァンフリート星域会戦を勝利に導いたのはヴァレンシュタイン、そして第六次イゼルローン要塞攻略戦でロボス元帥の解任を提案したのもヴァレンシュタイン……。

「……ロボス元帥は嵌められたと卿は考えているのか?」
「そうとしか思えません」
俺の問いかけにクレメンツが頷いた。

「有り得ない、総司令官を嵌めるなど……」
ケスラーが呻くような口調で呟いている。俺も同感だ、そんな事が有るとは思えない。
「卿の考えすぎではないか」
しかしクレメンツはそうではないと言うように首を横に振った。

「彼一人でやったわけではないでしょう、ヴァンフリートにヴァレンシュタインを派遣したのはシトレ元帥です」
「つまり、シトレ元帥とヴァレンシュタインが手を組んでロボス元帥を陥れた……」
声が掠れた。そんな俺をクレメンツが見ている、そして頷いた。

「第五次イゼルローン要塞攻略戦、ヴァレンシュタインが亡命した戦いですが、この時の反乱軍の総司令官がシトレ元帥です。あの二人はそこで出会っているのですよ……」
顔が強張る、ケスラーも顔が強張っている。有り得ない、有り得ない事だ。しかし……その有り得ない事を行ってきたのがヴァレンシュタインではなかったか……。クレメンツの声が続いた。

「小官はこう考えています。ヴァレンシュタインは両親を殺害された後、士官学校に入校しました。理由は貴族達への復讐と帝国の改革のためだったと思います。そのためには力が必要だと思ったのでしょう」
「……」

ごく自然に頷けた。俺も力が欲しかった。姉上を救い、皇帝になるために……。だから力を得るために軍に入った。俺もヴァレンシュタインも無力な存在だ、力を得ようと思えば考える事は同じだ。クレメンツの声が続く、ゆっくりと自分の考えを確かめながら話しているような口調だ。

「ですが彼は身体が弱かった。だから頂点に立とうとは思わなかった。自分と同じ望みを持つ人間を見つけ、その人物を助ける事で自分の望みを果たそうとしたのでしょう。ケスラー参謀長の事を知っていたのも協力者として仲間に引き込もうとしていたのだと思います」
「……」
ケスラーは小首を傾げ考え込んでいる。納得は出来ないのかもしれない、しかし反論も出来ない、そんなところか……。

ヴァレンシュタインが帝国に居れば、彼が多くの人間を俺に引き合わせたという事だろうか。ルッツ、ケンプ、ファーレンハイト……。戦いの後、彼らの事を調べたがいずれも力量のある男達だった。彼らを元帥府に引き入れられなかったのは失敗だった……。

「そう考えていくとヴァレンシュタインが兵站科を専攻した理由も分かります。戦争の基本は戦略と補給、彼の口癖ですがそれだけではなく考える時間が欲しかったのではないかと……」
「……考える時間?」
ケスラーの問いかけにクレメンツが頷いた。

「そうです。帝国を変えるためにはどうすれば良いか、それを考える時間を必要としたのだと思います。兵站科なら戦略科に比べ自由になる時間が有る。彼は良く図書室で本を読み、考え事をしていました。彼が帝国文官試験に合格したのも資格を取るのが目的ではなかったでしょう……」
「どういう事だ、クレメンツ」
資格を取るのが目的ではない、では何のために……。

「行政官としての目を持つ事、法律家としての目を持つ事が狙いだったと思うのです。だから彼はエリートコースである軍務省官房局にも法務局にも進まなかった。比較的余裕のできる兵站統括部で軍人として行政官として法律家として様々な目で帝国を分析した。どうすれば自分の望みを叶えることが出来るかと……」

戦慄が体を走った。ケスラーが呻いている。俺は皇帝になろうと思った。だがクレメンツの言う事が事実ならヴァレンシュタイン程帝国を理解しようとしただろうか? 軍で昇進し、実力を付ければ皇帝になれると簡単に思っていなかったか……。

「リヒテンラーデ侯がヴァレンシュタインは帝国の弱点を知り尽くしていると言ったのは大袈裟では有りません、至極当然の事なのです。彼ほど帝国を知悉している人間は居ません。帝国を変えるために帝国を知り尽くした……」
「……」

「そして敵対するであろう貴族とは何なのか、その弱点は何処に有るのかを知ろうとした……。おそらくカストロプ公の事もその時に気付いたのでしょう。自分の両親を殺したとは分からなかったでしょうが、カストロプ公はリヒテンラーデ侯の用意した生贄だと推測したのだと思います……」

知らないはずの事を知っている人間がいる、そうヴァレンシュタインは言っていた。知らないはずの事を知っていたのではない、クレメンツの推測が正しければ俺達が知ろうとしなかった事を知っていたのだ。

一体どれだけの時間を知るために費やしたのか……、ヴァレンシュタインは唯一人帝国の闇を探り続けた。それが帝国の、貴族達の弱点だから。そのために帝国の闇を見続けた……。

信じられない思いが有る、そんな事が有るのか? そんな事が出来るのか? だがこれまでの事を考えればクレメンツの言葉には十分に信憑性が有る。第一にあの男を常識で図るのは危険だ。

「シトレ元帥はそんなヴァレンシュタインの力を見抜いたのだと思います。そして積極的に彼を受け入れるべきだと考えた。しかしロボス元帥は違った。彼はシトレ元帥とは敵対していた。当然ヴァレンシュタインに対する扱いも違ったのでしょう」

「シトレ元帥はそんなロボス元帥に不満を持った、卿はそういうのだな」
俺の問いかけにクレメンツは無言で頷いた。確かにシトレは不満に思っただろう。ヴァレンシュタインを用いれば帝国との戦いを有利に進められる、そう思ったはずだ。そしてヴァレンシュタインを活用できるのは自分だけだと思った……。

「シトレ元帥だけではないでしょう、ヴァレンシュタインも同様だったはずです。彼はカストロプ公によって全てを失った。それがリヒテンラーデ侯の、帝国の方針だと知っていた……」
「……」

「である以上、彼はカストロプ公が粛清されるまで自分が帝国に戻れる可能性は無いと思ったはずです。そして何よりもヴァレンシュタインのカストロプ公、リヒテンラーデ侯への恨みは強かったでしょう。彼に残されたのは帝国への報復しかなかった。そして彼が帝国に報復するには同盟の力を借りるしかない……」

「シトレ元帥とヴァレンシュタイン……、この二人が結びつくのは必然という事か」
「その通りです、ケスラー参謀長」
クレメンツとケスラーが顔を見合わせて頷き合っている。二人とも顔色が良くない。

虎視眈々、そんな言葉が浮かんだ。虎は己の野望を遂げるためじっと機会を狙っていた。しかし時と場所を得ず虎は帝国を去った……。そして新たな地で虎は大きな力を得ようとしている……。

「ヴァンフリート以降、シトレ元帥とヴァレンシュタインは二人三脚で戦ってきた、シトレ元帥が総参謀長を置かないのもヴァレンシュタインが総参謀長の役割を果たしてきたからだと思います。フェルナー中佐の言うとおり、今の反乱軍を動かしているのはヴァレンシュタインでしょう……」
クレメンツが話し終わると会議室に沈黙が落ちた。皆、顔を見合わせている。ややあってケスラーが口を開いた。

「だとすると反乱軍は今後もイゼルローン要塞を攻略しない可能性が有る」
「問題は反乱軍がどう動くかですが……」
「可能性は二つだな」
俺の言葉にケスラーとクレメンツがこちらを見た。

「一つはイゼルローン要塞を攻める、そして帝国軍を誘引して撃滅する」
「しかし、それは」
「効率が悪い、そう言いたいのだろう、ケスラー」
俺の言葉にケスラーが頷いた。そう、確かに効率が悪い。帝国軍は要塞主砲の射程内で反乱軍を迎え撃つとなれば効果的な損害は与え辛い。ヴァレンシュタインがそれを選ぶ可能性は低いはずだ。となれば……。

「もう一つは、フェザーンだろう」
「フェザーン?」
ケスラーとクレメンツの声が重なった。二人は顔を見合わせている……。フェザーンを狙うと見せかけて帝国軍をフェザーン回廊へ誘引するのがヴァレンシュタインの狙いだろう。そしてフェザーンそのものも反乱軍へ引き寄せる事を考えているはずだ……。



 

 

第七十四話 肉を斬らせる

帝国暦 486年 8月 7日 オーディン  新無憂宮  オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「それで、ミューゼル中将は何と言っておるのだ」
『ミュラー准将の話では反乱軍は、いえヴァレンシュタインはフェザーンを狙うのではないかと』
「フェザーンだと」
わしとリッテンハイム侯が声を同じくして問い返すとスクリーンに映っているフェルナーは無言で頷いた。侯に視線を向けると侯もこちらを見ている。多少困惑しているようだ、わしも困惑を隠せない。

「有り得るかな?」
「ふむ」
正直リッテンハイム侯の問いかけに答えられなかった。フェザーンを狙う……。そんな話はこれまで聞いたことが無い、想定外の話だ。フェザーンの中立を冒すなど、そんな事が許されるのか……。

『リヒテンラーデ侯はヴァレンシュタインが帝国を混乱させるために敢えてイゼルローン要塞を攻略しなかったと言い残したと聞きました』
「うむ」
フェルナーの言葉にリッテンハイム侯が頷く。

「回廊は二つ、二引く一は一……。手をこまねいていればいずれ帝国は体制を立て直す、それを黙って見過ごすとも思えん。となれば……」
リッテンハイム侯がわしを見た。
「ブラウンシュバイク公、有り得る話だと思うが……」
「……」

有り得る話か……、確かに有り得る話ではある。しかしフェザーンの中立を侵すとなればそれなりにリスクを伴う。一つ間違えばフェザーンを帝国側に押しやる事になりかねない。その辺りをどう見ているのか……。

「公、ヴァレンシュタインが今何をしているか知っているか?」
気が付けばリッテンハイム侯が腕を組み険しい顔をしている。はて、何か気に障る事でもあったか……。

「新たに指揮を執る事になった艦隊の訓練をしていると聞いたが、違ったかな?」
「いや、その通りだ。ヴァレンシュタインだけではない、今回新たに司令官になった二人も一緒だ」
リッテンハイム侯の表情は険しいままだ。

「それがどうかしたか」
「連中の訓練の場所がフェザーン方面らしい」
「馬鹿な……」
『本当ですか』
唖然とした。そんなわしにリッテンハイム侯が頷く。

「事実だ。先日、シュタインホフから聞いた。はっきりとは分からないがイゼルローン方面ではない、フェザーン方面だと聞いた。訓練の最中に帝国との遭遇戦を怖れたのかと安易に考えていたが、どうやら甘かったようだ。訓練は隠れ蓑だろう。彼奴、もう動いている」
吐き捨てる様な口調だ。半ばは自分の迂闊さに対する物かもしれない……。

『リッテンハイム侯の仰る通りだと思います。エーリッヒ、いえヴァレンシュタインは動いていると見た方が宜しいでしょう』
「……フェザーンか……」

思わず顔を顰めた。次から次へと事が多すぎる。四日後にはアマーリエの即位式が行われる。時局重大な折、大袈裟な式典は控えるべし、そういう事で式は控えめなものになる……。実際は式典を盛大にすればそれだけテロの危険度が増す、それを恐れての事だ。

貴族達はその式典に出席した後、クロプシュトック侯の反乱鎮圧に向かう。身内を殺された怒りをクロプシュトック侯に対する報復で晴らそうとしている。だが内心では反乱を徹底的に叩き潰して、平民達に恐怖心を植え付けるのが狙いだろう。

だがこちらも好都合だった、彼らがクロプシュトック侯にかかずらわっている間に軍の再編を進め改革の内容をまとめる事が出来る、そう考えていたのに……、ヴァレンシュタイン、嫌らしいところを突いて来る。

「どうしたものかな、軍を動かすべきだと思うか?」
「……」
わしの問いかけにリッテンハイム侯もフェルナーも答えない、二人とも渋い表情をして口を閉じている。帝国軍は今戦える状態には無いのだ。

敵の意図が読めてもそれを防げない、無力感が全身を包んだ。嫌な沈黙が続いた後、リッテンハイム侯が口を開いた。囁く様な口調だ、目には強い力が有る、睨む様な視線をこちらに向けてきた。

「一つ考えが有るのだがな」
「……」
「いささか非常識な案ではあるのだが……」
「……その非常識な案を聞かせて貰おうか」
わしの言葉にリッテンハイム侯が暗い笑みを浮かべた。



帝国暦 486年 8月 7日 ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「知らぬ振り? どういう事だ、それは。フェザーンを捨てると言うのか」
会議室に俺の声が響いた。思ったより声が響く、ケスラーとクレメンツが心配そうな表情で俺を見ているのが分かった。少し興奮したようだ。

『捨てるのではありません、この状況を利用するのです。反乱軍がフェザーンをどうするのかは分かりません。征服するのか、或いは協力体制を結ぶのか……。ですがどちらにしろそれを理由に貴族達を反乱軍にぶつける事が出来る。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はそう考えています』
「……」

『フェザーンとは特別な繋がりを持つ貴族達が多いのです。彼らはフェザーンを失う事に耐えられないはずだと御二方は見ています』
「それを利用すると言う事か」
フェルナー中佐が頷いた。

『その通りです、単純に出兵しろと言っても彼らは嫌がるかもしれません。ならばこれを利用するべきではないかと……』
「……そうかもしれない、知らぬ振りか……」
『はい、それに今軍を出すことは危険でしょう』
「……」
フェルナー中佐の言葉にケスラーとクレメンツが顔を顰めるのが見えた。

敢えて見過ごすことでその状況を利用するか……。というよりそれしか方法が無い、そういう事だろう。フェルナー中佐が言ったように軍を出すのは危険だ。となれば先手は取れない、面白くは無いが相手の作り出す状況を利用するしかない。

「しかし、良いのか。貴族達が敗れれば帝国の劣勢は誰が見ても明らかになるだろう。フェザーンは帝国から距離を置くかもしれんが」
ケスラーの言葉にクレメンツが頷いている。

『今帝国が何よりも優先しなければならないのは改革を実施する事でしょう。それなしでは帝国は安定しない、そのためには邪魔になるものを排除しなければなりません。それを優先すべきです』
「……」
『それにフェザーンは交易国家です。反乱軍に付こうと交易そのものが止まることは無い』

フェザーンを失っても邪魔者を排除するか……。肉を斬らせて骨を断つという言葉が有るがこの場合ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯はフェザーンが肉だと判断したという事か……。非情、冷徹、そんな言葉が頭をよぎった。二人とも腹を据えてかかっている、

考えている事は理解できる、その狙いもだ。現状ではそれが最善の策だろう。問題が有るとすれば主導権を持てない事だ。主導権はヴァレンシュタインが持っている。それが帝国に何をもたらすか、それだけが不安だ……。



宇宙暦 795年 8月 16日  第一特設艦隊旗艦 ハトホル  ワルター・フォン・シェーンコップ



第一特設艦隊はリオ・ヴェルデ、ロフォーテン、バーミリオン星域を通過してランテマリオ星域を目指している。予定では二十三日にはランテマリオ星域に到着するだろう。残り一週間の日程だ。到着期限は二十五日だから二日程余裕が有る。十分間に合うだろう。

旗艦ハトホルの艦橋には落ち着いた雰囲気が漂っている。期限前に到着できるという事も有るのだろうが、最近では哨戒部隊がきちんと任務を果たすことが出来ているのが大きいだろう。当然ではあるが哨戒部隊が機能してからは奇襲を受けていない。ようやく第一特設艦隊は艦隊として機能しつつある。チュン参謀長を始め幕僚の多くがそう考えている。

「参謀長、各哨戒グループの位置を確認しました、特に問題は有りません」
「うむ、御苦労」
チュン参謀長がラップ少佐の報告に頷いている。周囲も問題なしの報告を当然として受け取っている。四時間おきに少佐は哨戒グループの位置を確認しているが訓練当初と違い問題有りの報告が上がることは無い。今でこそ皆平然としているが以前は問題ないと分かると露骨にほっとした表情を見せたものだ。

司令部は少なくとも通常の艦隊行動については問題ないだろうと考えている。次の課題は戦闘訓練と見ているようだ、俺もその点については同感だ。果たして分艦隊司令官達は司令部の命令通りに動けるか、自らの判断で戦局を優勢に運べるか、そして司令部は適切な命令を下せるか……。

ヴァレンシュタイン提督は指揮官席に静かに座っている。彼が指示を出すことは滅多にない。ただ黙って司令部要員達の仕事振りを見ている。そして司令部要員達もそれは分かっている。時折ではあるがチラと見るときが有る。例えば今のラップ少佐の報告の時だ。何人かが提督に視線を向けた。

ヴァレンシュタイン提督もそれは分かっているだろう。しかし提督がその視線に応えることは無い。視線を向ける事もないし表情を変える事もない。ごく当たり前の事であって驚く事ではないし、周囲に声をかける必要もない、そう思っているのだろう。もしかするとそんなつまらない事で一々自分の顔色を窺うな、そう思っているのかもしれない。

自分が居なくても問題なく艦隊が機能するように鍛える。それを知っているのは俺とミハマ中佐だけだが司令部はチュン参謀長を中心にまとまりつつあるようだ。後は皆が思っているように戦闘訓練だけだろう。しかし、提督はどうするつもりなのか、戦闘訓練も参謀長に一任するのか、それとも……。

「参謀長、シェーンコップ准将」
ヴァレンシュタイン提督が俺と参謀長に声をかけた。
「少し話したい事が有ります。私のプライベート・ルームに来てください。ミハマ中佐も」
そう言うと提督は席を立ち歩き始めた。

ミハマ中佐が後を追う。参謀長に視線を向けると向こうも訝しそうな顔をしてこちらを見ている。俺に思い当たる節は無いが向こうにも無いらしい。周囲も困惑した表情で俺達を見ている。視線から逃げるようにチュン参謀長が司令官の後を追い、その後を俺が追った。

提督のプライベート・ルームに入るとソファーに座る様に指示された。俺と参謀長が隣同士、提督とミハマ中佐が隣同士だ。そして俺の正面にはミハマ中佐が、斜め右には提督がテーブルを挟んで座った。

「ヴァレンシュタイン提督、お話と言うのは何でしょうか」
チュン参謀長が問いかけた。
「ランテマリオに着いたら、私は艦隊を離れる事になります」
艦隊を離れる? チュン参謀長が困惑した表情を見せた。ミハマ中佐もだ、彼女も初耳らしい。

「それはどういう事でしょう? 向こうでは戦闘訓練をする予定ですが」
「戦闘訓練は参謀長を中心に行ってもらう事になりますね」
チュン参謀長の困惑が益々大きくなった。例の自分が居なくても動けるように、そのためか……。中佐も同じ事を考えたのだろう、チラとこちらを見た。

「しかし、訓練は第一艦隊、第三艦隊との共同訓練のはず、ワイドボーン提督、ヤン提督には何と説明します」
参謀長の困ったような声にヴァレンシュタイン提督は微かに笑みを浮かべた。
「心配はいりません。私が居なくなる事はあの二人も了承済みです」

「それはどういう事なのでしょう、事情をお話しいただけませんか」
「軍の極秘任務でフェザーンに行きます」
「フェザーン……」
眉を寄せて参謀長が呟く、提督がそれに頷いた。

「フェザーンに赴き、アドリアン・ルビンスキーと接触するのです」
「黒狐とですか」
驚いたのだろう、参謀長は目を見張ってフェザーンの自治領主の異称を口にした。そして何か考えている。

極秘任務、フェザーンに赴きルビンスキーと会う……。なるほど、艦隊を離れるのは単純に第一特設艦隊を、司令部を鍛える事だけが目的では無いというわけか。となると俺が此処に呼ばれたわけは同行して護衛をしろと言う事だろう。つまりフェザーン行はそれなりに危険が有るとヴァレンシュタイン提督は見ている。

「巡航艦を一隻用意してください。艦も艦長も信頼できる艦が良いですね」
「それは構いませんが、もう少し説明を願えませんか。ルビンスキーとの接触とは政府の命令なのでしょうか」
チュン参謀長の問いかけにヴァレンシュタイン提督は静かに首を横に振った。

「そうでは有りません、政府の命令ではなく軍の命令、極秘作戦です」
極秘作戦、その言葉に部屋の空気が重くなった。チュン参謀長が一瞬目を逸らし考え込む姿を見せた。

「極秘作戦というと」
「帝国軍を同盟領内に大規模出兵させる、それを目的とした挑発行為です。今帝国は極度に不安定な状態にあります、余り出兵はしたくないと考えている。ルビンスキーと接触する事で同盟はフェザーンを取り込もうとしている……、そう帝国に思わせるのが目的です」

なるほど、帝国は今不安定な状況に有る。出来れば出兵などは避けたいだろう。しかし帝国はフェザーンの離反を放置はできない。それを防ごうとするならば同盟軍を叩くしかない……。嫌がる帝国軍を引き摺りだそうと言うわけか……。

「しかし、宜しいのですか。政府の許可なしでフェザーンの自治領主に接触するなど……、後々厄介な事になりませんか。今更ですがフェザーンに接触するよりイゼルローン要塞を攻撃する、その姿勢を見せる事で帝国軍の出兵を狙った方が良かったのではと思いますが……」

チュン参謀長は表情を曇らせている。フェザーンは経済面で同盟と密接に絡んでいる。政府もそれには配慮しなくてはならない。軍が勝手にフェザーンに対して行動を起こして良いのか? もっともな懸念だろう。

「要塞攻防戦は効率が悪いですからね」
「いっそイゼルローン要塞を落としてそこで防衛戦と言うのはどうです。帝国はイゼルローンを必ず奪回しようとするでしょう。そちらの方が効率は良いと思いますがね」

俺の言葉にチュン参謀長が鋭い視線を向けてきた。
「簡単に言わないでもらおう、あれはそう容易く落ちる代物ではない」
いかんな、声が低い、怒っているのか? 僅かに肩を竦める仕草をした。半分はジョークだ、あれが簡単に落ちる代物では無い事は俺も理解している。ちょっと雰囲気を変えようとしただけなんだが……。

ヴァレンシュタイン提督がクスクスと笑いだし部屋の空気が幾分軽くなった。チュン参謀長も困った様なバツが悪そうな表情をしている。
「まあ落とす事は可能なんですけどね」
「……」

何気ない、さらっとした口調だった。俺も参謀長もミハマ中佐も唖然として提督を見ていた。提督はそんな俺達を見て悪戯っぽく笑い声を上げた。
「では何故イゼルローン要塞を落とさないのです。先程も言いましたが要塞での防衛戦の方が有利に戦えると思いますが」

今度はチュン参謀長も何も言わない。黙って提督を見ている。
「イゼルローン要塞を落とすと帝国領へ攻め込めと言う意見が出そうです。防衛戦どころか侵攻作戦になりかねない……」
「……」
「十分な戦力が有るのなら戦争は防衛戦の方が有利なんです、地の利が有りますからね。戦力を集中しやすいし補給の負担も少なくて済む」

なるほど、だからフェザーンか……。イゼルローン要塞方面での戦闘では帝国軍は要塞周辺での防御戦を行うだろう。それでは帝国軍に大きな損害を与え辛い。要塞を落とせば帝国領への侵攻作戦になる。どちらも同盟にとってはリスクが高い割にはリターンが小さい……。

「参謀長が政府の許可を得なくて良いのかと言っていましたが、これは帝国軍を誘引する軍の謀略として行う、それがトリューニヒト国防委員長、シトレ元帥の御考えです」

政府内で了承を取ろうとすれば必ずフェザーンに漏れる、それを怖れての事だろう。国防委員長、シトレ元帥の考えと言っているが、ヴァレンシュタイン提督もそれに関与しているはずだ。いやイニシアチブを取ったのは提督だろう。

「小官が此処に呼ばれているのは護衛という事ですか?」
俺の質問にヴァレンシュタイン提督が頷いた。
「そうです、フェザーンでは何が有るか分かりません。頼りになる人間を十人ほど用意して欲しいですね」

「了解しました。当然ですが小官が護衛の指揮を執ります。ミハマ中佐はどうします?」
「小官も同行します、宜しいですよね、提督」
俺の問いかけに慌てたように中佐が答えた。睨むように提督を見ている。
「良いですよ、多分、一生の思い出になるでしょう。楽しみですね」
そう言うとヴァレンシュタイン提督は笑みを浮かべた。怖い美人の笑顔だ、どうやらフェザーンでは余程の修羅場が待っているらしい。

 

 

第七十五話 繁栄と衰退、そして……

帝国暦 486年 8月25日 オーディン  新無憂宮  オットー・フォン・ブラウンシュバイク



どうも落ち着かない。ソファーに座り部屋を、調度品を見ながら思った。新無憂宮、南苑にある一室……。アマーリエが即位してから我ら夫婦は此処で寝起きしているが未だにこの部屋に慣れる事が出来ずにいる。おかげで本を読んでいても今一つ集中できない。

アマーリエの即位式が終わり、クロプシュトック侯の反乱を鎮圧するため貴族連合軍がオーディンを出発した。ここ二週間ほど帝都オーディンは喧騒とは無縁な静けさに包まれている、有りがたい事だ。

もっとも不用心と言えないことは無い。今、オーディンを守る兵力は陸戦部隊だけだ。艦隊戦力は皆無と言って良い。オフレッサーの艦隊がオーディンに戻るまでには約十日程かかる。ミューゼル中将の艦隊が戻るには三週間程かかるだろう。

女帝夫君か……、楽では無いな。帝国の統治に関わる様になってようやく分かった。帝国は膨大な財政赤字に悩まされている。原因は大きく分けて二つある。一つは戦争だ、これは誰でも分かる。百五十年も戦争をしていれば嫌でもそうなるだろう。

もう一つが貴族の存在だ。貴族に対しては課税できない、そして貴族達は有り余った財力を遊興に、私兵の増強に、或いは財産を増やすことに費やしている。貴族が財産を増やせば、その分だけ帝国の税収が減るのだ。

戦争という難事は帝国に任せ貴族達は繁栄を謳歌している。そして帝国は負担に耐えかねて喘ぎそれを横目に貴族達は自由を満喫しているのだ。言ってみれば帝国は腹中に獅子身中の虫を抱えているようなものだ。

リヒテンラーデ侯は改革を進め貴族達を潰せと言った。今なら侯の気持ちが分かる。侯は貴族を憎んでいたのだろう、わしやリッテンハイム侯を中心とした貴族を。帝国の困窮を他所に己が繁栄だけを願う貴族を……。だからカストロプ公を生贄とする様な策も考えることが出来たのだ。

侯にしてみれば外戚として娘を皇帝に就ける事で権力を得ようとしたわしやリッテンハイム侯など笑止の限りだったはずだ。侯の最後の言葉を思いだす、“亡命してもよいぞ、命が惜しいならな……”、あの時は皮肉かと思った。だが今はそうは思わない、あれは本心だった。それほどまでに帝国を統治するとは難事だ。

「貴方、どうなさいましたの。怖い顔をなさって」
気が付けば隣に妻が座っていた。
「これはこれは、女帝陛下に御心配いただくとは、ブラウンシュバイク公オットー、恐縮の極み……」

照れ隠しに戯れると妻がしかつめらしい表情を浮かべて
「公は帝国の重臣、心配するのは当然でありましょう」
と答えた。だが耐えきれなくなったのだろう、次の瞬間には声を上げて笑い出す。わしも笑った。

一頻り笑った後、妻が問いかけてきた。
「本当にどうなさいましたの、怖い顔をなさって……。本を読んでいるようには見えませんでしたけど……」

そう言って本に視線を向けた。わしも釣られたように視線を本に落とす。
「うむ、どうもこの部屋は落ち着かん。この本を読みたいと思ったのだが集中できん、読むのは二度目だからかな」

わしの言葉に妻は部屋を見回した。
「そうですわね、私もこの部屋は落ち着きませんわ」
口調からするとわしを気遣っての事でもない様だ。はて、妙な事を……。
「お前は昔、この南苑に住んでいただろう」

「そうですけど、今では他所の家ですわね。私はブラウンシュバイク公爵夫人ですから」
そういうと妻は肩を竦めた。
「女帝陛下だ。……お前はこの国で一番偉いのだぞ、何時までも公爵夫人では困る」
わしが溜息を吐くと妻がまた笑い出した。困ったものだ、朗らかすぎる妻を持つとそれ自体が悩みの種になる。

「それで、その本は何ですの。貴方が本を読むなんて珍しい事ですけど」
「失敬な、わしだとてたまには本を読む」
「たまには?」
妻が屈託なく笑う、やれやれ、わし自身が墓穴を掘ったか……。

「“銀河連邦の終焉と帝国の成立”……、少し奇妙な本ですわね。帝国の本ですの?」
小首を傾げるようにして妻が問いかけてきた。
「いや、フェザーンで書かれた本だ。二十年ほど前にな」
妻が納得したように頷く。

“銀河連邦の終焉と帝国の成立”、銀河連邦が停滞を始めた頃、宇宙歴二百五十年から始まり帝国歴四十二年、ルドルフ大帝の崩御までの約百年を記述した歴史書だ。

妻が不審を抱いたのには理由が有る。連邦末期から帝国成立期というのは帝国の歴史家にとって非常に書き辛いのだ。この時代の事を書こうとすればどうしてもルドルフ大帝の事を書くことになる。そして大帝の事を書くとなればあくまで帝国の正史に準拠した書き方しかできない。

正史はルドルフ大帝の生誕から始まる。大帝の皇帝即位が帝国歴一年となるため、それ以前は帝国歴前××年という書き方になる。正史の始まりは帝国歴前四十二年からだ。そしてその内容は当時の連邦が腐敗、堕落しそれを憂いた大帝が神の如き指導力で一掃した。そして市民達の支持を受けて帝国を建国したと言うものだ。

独自の解釈による記述、そんな事をすればたちまち非難を受け社会治安維持局に逮捕されるだろう……。つまりこの時代の事は誰が書いても内容は同じで極めて詰まらない本になる。“この時代の事は正史があれば十分”という歴史学者達の皮肉はそこから来ている。

「宜しいのですの、貴方のお立場ではそのような本を読むのはいささか……」
妻が気遣うような視線を向けてきた。フェザーンで書かれたとなれば内容にはルドルフ大帝にいささか都合の悪い記述もあるだろう、そんな本を読んで良いのか? そういう事だろう。実際、記述内容にはかなりルドルフ大帝を批判的に書いた部分がある。

「構わん、元々は士官学校に有ったものだからな」
「士官学校? その本が士官学校に有りましたの?」
「うむ、ある生徒が学校にこれを取り寄せてくれと頼んだそうだ」
わしが本を手で弄ぶと妻は黙ってそれを見ている。ややあって躊躇いがちに問いかけてきた。

「その生徒というのは……」
「お前も想像はつくだろう、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、あの男だ」
「……」

リヒテンラーデ侯はあの男は帝国の弱点を知り尽くしていると言った。だからかもしれん、あの男の事を知らねばならないと思った。フェルナーに尋ねるといつも図書館で本を読んでいた、何かを考えていたと答えた。多分帝国とは何なのかを考えていたのだろう……。

気になってあの男の読んだ本を調べた。色々な本を読んでいる、軍事関係以外にも法律、経済、政治、歴史、社会……、幅広く読んでいた。確かに、あの男は帝国を知ろうとしていたようだ。

幾つか気になった本が有った。その内の一冊がこの本だ、本来なら士官学校には存在しないはずの本……。ヴァレンシュタインが学校側に取り寄せを頼まなければ存在しない本だった。取り寄せの理由は民主共和政の欠点を理解するため……。

本来なら取り寄せは不可能だった。だがヴァレンシュタインが優秀な生徒で有った事がそれを可能とした。士官学校二回生の時点で既に物流技術管理士、船舶運行管理者の資格を取得していたのだと言う……。ちなみにその翌年、彼は星間物流管理士の資格を取得、さらに翌々年には帝国文官試験に合格した……。

「どんなことが書いてありますの?」
「銀河連邦末期のさまざまな問題、そしてルドルフ大帝がそれに対してどのような対策を取ったか。それによる成果とそれが現在にどのような影響を与えているか……、そんなところだな」

「……貴方はそれを読んでどう思われたのです」
「そうだな、……貴族など滅ぼすべきだと思った」
わしの言葉に妻が驚いたように目を見張った。その表情が可笑しかった、わしが笑っている事に安心したのだろう。妻がほっとした様な表情を見せた。

「……過激ですわね、貴方らしくもない……」
「そうかもしれん、ここ最近貴族というものにうんざりしているからな。 だがわしがそう思ったのだ、あの男も同じ事を思ったはずだ」
「……ヴァレンシュタイン、ですか……」

「そうだ。……そしてルドルフ大帝が今の世をご覧になれば、やはり同じ事を考えられたに違いない」
「貴方……」
妻がまた驚いている。だがわしは取り消すつもりは無い。大帝がこの場におられれば間違いなく貴族を滅ぼしたはずだ。
「アマーリエ、まあ聞いてくれるか」

銀河連邦末期、連邦政府の統治力は著しく衰えていた。統治者達は利権と政争にのみ関心を持つ衆愚政治に堕落した。本来なら選挙という手段で政治家達を選択できる連邦市民もその権利を放棄した、能力有る政治家を選べなかったのか、或いは存在しなかったのか。民主共和政は自浄能力を失っていた……。

ルドルフ大帝が生まれたのはそういう時代だった。大帝が現状に不満を持ったことは間違いない。何とかしなければ、そう思った事だろう。強力な政府を、強力な指導者を、社会に秩序と活力を……。そう唱えた大帝に連邦市民は終身執政官として連邦の統治を預けた。だが大帝が選んだのは民主共和政による統治ではなく専制君主制による統治だった。

終身執政官として民主共和政を維持する事も出来たはずだ。それなのに何故大帝は専制君主制を選んだのか? 多くの歴史家が自己の無謬性を過信した独裁者が専制君主制を選んだのは当然だと答えている。

だがわしはそうは思わん。大帝は民主共和政を否定したのではない、当時の銀河連邦市民を、人類を否定したのだと思う。人類、未だ民主共和政を運用するに能わず、人類が己の手で統治者を選ぶなど無謀なりと……。終身執政官では自分の死後、また銀河連邦は衆愚政治に戻るかもしれないと考えたのだと思う。

それを防ぐには連邦市民の支持を必要としない指導者が必要だと考えた。もっとはっきり言えば連邦市民に主権など不要だと考えた。秀でた人物が頂点に立ち、その人物が他の優れた人物を選抜して一握りの優秀な人間達が統治者として国を治めるべきだと考えたのだ。その他大勢は黙って従えばよい、ルドルフ大帝が専制君主制を選んだ理由はそれだと思う。

大帝は己の無謬性を過信した独裁者だったのではない、人類を信じる事が出来なかっただけなのだ。逆に言えば銀河連邦末期の衆愚政治はそれほどまでに酷かったと言える。

大帝は連邦においては一政治家として活動もした。その時何度も腹立たしい思い、嫌な思いをしただろう。そして民主共和政という衆愚政治に、それを生み出した連邦市民、共和主義者に幻滅したに違いない……。

大帝が共和主義者を弾圧したのもそれが理由だろう、劣悪遺伝子排除法に反対した事はきっかけでしかなかった。大帝を弾圧に駆り立てたのは人類を信じ民主共和政を信じる者達への憎悪だったとわしは思っている。それほどまでに衆愚政治を望むのかと……。

貴族制度を作ったのも帝室を守る藩屏を作る事だけが目的では無いだろう。指導者層を固定化し、爵位を与える事で誇りと矜持を持たせようとした。それによって衆愚政治を防ぐのが真の目的だったとわしは考えている。

当然だが領地を与え、非課税にしたのも恩賞ではない。統治の一端を任せたと考えるべきだ。星系レベルでの統治を行わせることで行政官としての、統治者としての能力を向上させたのだ。その事が帝国の重臣としての識見に繋がると大帝は考えた……。

そして帝政初期においてそれは上手く行ったと言える。当時は共和主義者の反乱は有っても貴族の統治に対する反乱は無かった。政治制度に対する不満であって統治に対する不満ではなかったのだ。帝政の有効性、貴族制度の有効性は誰もが認める所だったはずだ……。

この統治体制に誤りが有ったとすれば、貴族制度をあまりにも固定化し過ぎた事だろう。特に爵位を持つ貴族を優遇しすぎた事が他の貴族、平民を排他することになった。階級間の流動性が失われるとどうなるか? 簡単だ、流動性が失われれば閉鎖的になり、閉鎖的になった階級は活力を失い階級内部に閉じこもる事になる。それが帝国の統治を担うべき大貴族の間に起きた……。

「つまり貴族達は民を顧みず、国を顧みず己が権勢と利権にのみ関心を持って行動している。何処かで聞いたような話だとは思わんか?」
わしが問いかけると妻は頷き、そして躊躇いがちに話しかけてきた。

「貴方はルドルフ大帝が誤ったとお考えですの」
「随分と大胆な意見だな、アマーリエ」
わしが大袈裟に驚いた振りをすると妻はすました表情で答えた。

「悪い夫を持った所為ですわ」
「女帝陛下の夫としては不届きなる者ですな、それは。後ほどきつく叱っておきましょう」
妻がわしを叩く様なそぶりをする。“参った”と言って両手を上げて降参すると笑い出した。

「それで、どうお思いですの」
「この本の中では間接的にだが誤ったと書いてあるな。だがわしに言わせればいささか酷だと思う。少なくとも帝政初期においては貴族制度は極めて上手く機能していたのだ。死後の事まで責任を持てというのはな……。それは生きている人間の責任だろう」

妻は頷いている。そして少し俯いて話しかけてきた。
「貴族達を滅ぼすというのは本気なのですね?」
「……」
「だから私にお話になったのでしょう?」

妻はもう俯いていない。わしの目を覗き込もうとするかのようにじっと見ている。
「アマーリエ、軍は貴族、下級貴族、平民の交流が活発だとは思わんか。政治の世界、貴族社会に比べれば遥かに開かれているし活力に満ちている。宇宙艦隊司令長官はオフレッサー元帥、そして宇宙艦隊で頭角を現してきたのはミューゼル中将だが彼は平民にも劣るほどの貧しい家に生まれた。完全にとは言わんがある程度の実力主義は成立している」
「……そうですわね」

「何故だか分かるか?」
「……」
「今から五十年ほど前の事だ、反乱軍の手で貴族出身の将官が大量に戦死した」
「ブルース・アッシュビーの事ですね」
「そうだ」

ブルース・アッシュビー、反乱軍が生んだ用兵の天才。ファイアザード星域会戦、ドラゴニア会戦、第二次ティアマト星域会戦等において帝国軍に損害を与えた……。特に第二次ティアマト星域会戦では僅か四十分程の間に将官約六十名が戦死した。いわゆる軍務省にとって涙すべき四十分だ。戦死した将官は殆どが貴族だった。

「貴族達は大量に戦死した将官の補充が出来なかった。その補充を行ったのは主として平民だった……」
「……かつて軍で起きた事を政治の世界でも起こそうと言うのですね」
「……」

わしは答えなかった、答える必要も無かっただろう。妻も敢えて答えを求めようとはしなかった。ただ二人でソファーに座っていた。妻がわしの持っている本に手を伸ばしてきた。そして題名を指でなぞる……“銀河連邦の終焉と帝国の成立”。

「いつかこんな本が出版されますわ」
「ん?」
悪戯を思いついたような表情だ。はて、何を考えついた?

「銀河帝国の衰退と再生……、素敵な題名だと思いません?」
意表を突かれた。妻はこういう言い方でわしの考えに賛成してくれたのだろう、有り難かった。
「そうだな、出来れば生きている間にその本を読みたいものだ……」
「読めますわ、きっと」

妻が指を絡めてきた、華奢で滑らかな白い指だ。その指を握り返しながら思った。本当にそうであれば嬉しいと……。


 

 

第七十六話 懺悔

宇宙暦 795年 8月 27日  第一特設艦隊旗艦 ハトホル  ジャン・ロベール・ラップ



「どういう事なんだ、ヤン。何故ヴァレンシュタイン提督がフェザーンに行く?」
俺が詰め寄るとヤンは後ずさりながら困ったように頭を掻いた。
「だからさっきの合同会議で彼が説明したように軍の極秘作戦……」
「そんな事は聞いていない!」

俺が声を荒げるとヤンは押し黙った。そして困ったように隣にいるワイドボーンへと視線を向ける。こいつに口を開かせると厄介だ。
「俺はお前には聞いていないぞ、ワイドボーン」
口を開こうとしたワイドボーンが苦笑を浮かべるのが見えた。ザマーミロ、訓練の時のお返しだ。

つい十五分ほど前まで第一特設艦隊旗艦ハトホルの会議室で第一特設艦隊司令部とヤン、ワイドボーン両提督との合同会議が有った。その席でヴァレンシュタイン提督が軍の極秘作戦でフェザーンに行くと告げられた。そのため訓練はチュン参謀長が司令官代理として指揮を執ると……。

会議終了後、ヤンを捕まえると自分の部屋に引き摺りこんだ。俺はヤンと二人で話したかったのだが、どういうわけかワイドボーンも一緒についてきた。相変わらず空気が読めないというか 厚かましいというか、だから俺はお前の事が嫌いなんだ!

「狙いは分かる、分かりすぎるほどだ。フェザーンに圧力をかけることで亀のように首を引込めている帝国軍を引き摺り出そうと言うのだろう。だが何故ヴァレンシュタイン提督なのだ。危険すぎるだろう」
「……」
ヤンもワイドボーンも渋い表情をして答えようとしない。

「フェザーンには帝国の高等弁務官府も有る。ヴァレンシュタイン提督が来ていると分かれば何をしてくるか分からんぞ。フェザーンが点数稼ぎに提督を帝国に売ると言う可能性もある。敢えてルビンスキーに接触しなくともフェザーンを利用して帝国に圧力をかける方法は他にも有ったはずだ」

そう、いくらでも有るのだ。艦隊の訓練をフェザーン近辺で行うだけでも良い、三個艦隊、五万隻の艦隊がフェザーン近辺で訓練すれば十分に圧力になるだろう。後はフェザーンの弁務官府に任せれば良い。

「お前ら、提督を利用していないか?」
「利用?」
ヤンが困惑したように呟きワイドボーンと顔を見合わせた。

「おかしいだろう、前回の戦いでは提督が帝国軍に対して謀略を仕掛けた。そして二階級昇進させて二万隻もの艦隊を率いさせている。どう見ても帝国の目を故意にヴァレンシュタイン提督に向けさせようとしているとしか思えない。そして今度はフェザーンへの潜入だ、俺には提督を利用しようと考えているとしか思えんな」
ヤンとワイドボーンが顔を顰めた。

「いいか、利用されるのは提督だけじゃない、第一特設艦隊二万隻、二百万人の将兵も利用されるという事だ。わざわざ寄せ集めの艦隊を作ったのもそれが理由か? 利用というより貧乏くじを引かせようというのだろう、損害担当艦隊を一個編成したってわけだな、第一特設艦隊は帝国軍の眼の前にぶら下げたニンジンか!」

「ちょっと待ってくれ、ラップ。第一特設艦隊の設立には俺もヤンも絡んでいない」
大分慌てているな、図星か、ワイドボーン。
「だが上層部はそう考えている、そういう事だろう。違うと言えるのか、ヤン、ワイドボーン?」
二人がまた渋い表情をした。

「分からんよ、俺達には。お前さんの言う通り、そういう狙いも有るのかもしれないが上層部がヴァレンシュタインを高く評価しているのも事実なんだ。第一特設艦隊の司令官にしたのも正規艦隊の司令官では風当たりが強いだろうと配慮したとも考えられるしな……」
ワイドボーンの言葉にヤンが頷いている。本気で言っているのか? ワイドボーンを睨むと奴が俺から視線を逸らした。

「実際、俺達よりもヴァレンシュタインの方が上層部とは強く繋がっているんだ。お前さんが言う様な単純な話じゃない、上層部が一方的にヴァレンシュタインを利用しているとは言えない……」
不機嫌そうな、何処か自嘲を含んだ口調……。

「だが今回のフェザーン行きは明らかに危険だ、そうだろう」
「ああ、その通りだ。俺もヤンもフェザーン行きは危険だと止めたんだよ」
「……」
今度はワイドボーンがイライラと頭を掻き毟った。本当か、それとも演技か。

「そんな目で見るな、本当だ。だがヴァレンシュタインは俺達の言う事を聞かないんだ。既に決まった事だと言ってな」
処置なし、そんな感じでワイドボーンが首を振った。

「既に決まった? どういう事だ、それは。お前達は事前にヴァレンシュタイン提督と話し合ったんじゃないのか」
俺の質問に二人の顔が益々渋いものになる。

「俺もヤンも決定事項を告げられただけだ。この件はヴァレンシュタイン、シトレ元帥、トリューニヒト委員長の間で決められたらしい」
「らしい?」
二人が渋い表情で頷く。

「シトレ元帥から俺達に告げられた事はヴァレンシュタインがフェザーンで軍の極秘作戦に従事するという事だけだ。ルビンスキーと接触すると言っているが具体的にどうするのか、何をやるのかは我々には何も知らされていない……」

ワイドボーンが俺に笑いかけた。冷笑? それとも嘲笑か……。あまり感じの良い笑いではない。
「ラップ、言っただろう? 俺達よりもヴァレンシュタインの方が上層部との繋がりは強いと」
「……」

「ヴァレンシュタインが第一特設艦隊の司令官になったのも、元はと言えば彼の進言が原因なんだ」
「どういう事だ」
俺の質問にワイドボーンが溜息交じりに答えた。

「今のままじゃ帝国軍とは戦えない、艦隊司令官を入れ替えろ、そう言ったのさ」
「あの噂は本当なのか……」
ヤンとワイドボーンが頷く。いくら英雄と称されているとはいえ、亡命者の意見で艦隊司令官の首がすげ替えられた……。

「モートン提督、カールセン提督が正規艦隊司令官になったのがその第一弾、俺達が第二弾さ。そうじゃなきゃ三人も二階級昇進するはずが無いだろう。戦闘詳報を偽造してまで俺達を昇進させたんだ」
「……」
戦闘詳報を偽造……。言葉の出ない俺にワイドボーンが言い募った。

「分かるか、ラップ? 首になった司令官は皆トリューニヒト委員長と親しい人物だった。俺達が昇進したって事はシトレ元帥だけじゃない、トリューニヒト国防委員長もヴァレンシュタインの意見に同意したって事だ」
「……」

「俺の見るところ、今の同盟の軍事を動かしているのはシトレ元帥でもトリューニヒト国防委員長でもない、ヴァレンシュタインだ。今回のフェザーン行も上からの命令ではなくヴァレンシュタインがそれを望んだからだと判断すべきだろう。俺達を責めるのはお門違いだ」

部屋に沈黙が落ちた。ワイドボーンは不満そうに、遣る瀬無さそうにしている。どうやら嘘は吐いていないようだ、まあヤンも居るのだ、嘘を吐いても直ぐばれる事だが……。

「二人とも随分信頼されているんだな。ずっと一緒に居たんだ、もう少し信頼関係が有るのかと思ったが」
俺の皮肉にヤンとワイドボーンが顔を顰めた。

「色々と有るんだ、お前には分からんだろうがな。そうだろう、ヤン」
ワイドボーンの苛立たしげな口調にヤンが嫌そうな表情をした。
「なんでそんな事を……。ラップ、ヴァレンシュタイン提督には帝国軍の挑発以外に何か狙いが有るのかもしれないよ」

「狙い? 何だ、それは」
ヤンが首を横に振る。
「それは分からない、彼は滅多に心の内を見せる事は無いからね。しかしあそこまで自ら行く事に固執するんだ。何かが有るのかもしれない、私達には分からない何かが……」
そう言うとヤンは溜息を吐いた。

妙な感じだ。この二人はヴァレンシュタイン提督と共に第六次、第七次イゼルローン要塞攻防戦を戦ったはずだ。三人のチームワークで第六次イゼルローン要塞攻防戦を切り抜け、七次イゼルローン要塞攻防戦では勝利を得た。今回も合同で訓練を行っている。それなのにまるで連携が取れていない、どういう事だ……。



宇宙暦 795年 8月 27日  フレデリカ・グリーンヒル



第一特設艦隊旗艦ハトホルから私達が乗った連絡艇が発進した。ヤン提督は座席シートに憂欝そうな表情で座っている、そして時々溜息を吐く……。合同会議までは何ともなかった。おかしくなったのは第一特設艦隊のラップ少佐との話し合いの後だ。一体少佐の部屋で何を話したのか……。

連絡艇の窓からハトホルが見える。第三艦隊旗艦ク・ホリンに比べるとアンテナが多い、通信機能を充実したようだ。ハトホルを見ているとヤン提督の呟きが聞こえた。
「ヴァンフリートの一時間か……」

驚いて提督に視線を向けると提督は私に気付いたのだろう、視線を避ける様に顔を背けた。“ヴァンフリートの一時間”、以前にも聞いた事が有る。あれは第七次イゼルローン要塞攻略戦でのことだった。あの時、ワイドボーン提督がヤン提督に言った言葉だった。“ヴァンフリートの一時間から目を逸らすつもりか?”……。一体どういう意味なのか、分かっているのはそれがヴァレンシュタイン提督に関係しているという事だけだ……。

ヤン提督が私を見た、そしてまた視線を逸らした。気にはなる、でも聞くべきではないのだろう、そう思った時だった。
「気になるかな、グリーンヒル大尉」
「あ、いえ」

戸惑う私にヤン提督は困ったように笑いかけた。そして笑いを収めると話し始めた。
「知っていてもらった方が良いだろう……。ヴァンフリート星域の会戦は同盟の大勝利で終わった」
「はい」
私の返事にヤン提督が頷いた。

「だが何人かにとっては勝利とは言えない結果になった」
「……ロボス元帥、フォーク中佐の事でしょうか」
「いやヴァレンシュタイン提督、バグダッシュ准将、ミハマ中佐、そして私……」

どういう意味だろう、ヴァンフリート星域の会戦は誰が見ても大勝利だったはずだ、それが勝利ではない? 決戦の場に間に合わなかったロボス元帥、フォーク中佐ならともかく、ヴァレンシュタイン提督まで? 不思議に思っていると提督が溜息を吐いた。

「あの戦いでヴァレンシュタイン提督はヴァンフリート4=2の基地に配属された。その目的は二つ、一つは彼の用兵家としての力量を確認する事。もう一つは彼を帝国軍と直接戦闘させることで帝国への帰還を諦めさせること……」

「帰還を諦めさせる……」
思わず言葉に出した。ヤン提督が頷く、でも提督は私を見てはいない。連絡艇の窓からハトホルを見ている。そして呟くように話し出した。

「そう、シトレ元帥は彼が帝国の有力者と繋がりが有ると考えていた。結局それは過ちだったが当時は彼が帝国に戻れば同盟の機密が帝国に筒抜けになると皆が心配したんだ。過剰反応だとは思わない、彼は鋭すぎた……」

ヤン提督が首を横に振っている。ミハマ中佐の言葉を思い出した。宇宙艦隊司令部に赴任した時の中佐の言葉、“とても鋭い人”、彼女はヴァレンシュタイン提督をそう評していた。私自身何度かヴァレンシュタイン提督の鋭さに驚いた覚えが有る。シトレ元帥の恐れが杞憂だと笑うことは出来ないだろう。

「その、帝国の有力者と言うのは……」
私の質問にヤン提督は一瞬口籠った。
「……ブラウンシュバイク公だ。当時、次期皇帝の最有力候補は彼の娘だった。ブラウンシュバイク公がヴァレンシュタイン提督を登用すればどうなるか……。それを皆が恐れたんだ」

溜息が出そうになった。ブラウンシュバイク公と繋がりが有る……。現在では女帝夫君として帝国の統治に関わっている。当時だけじゃない、英雄と称される現在でも公との繋がりなど到底放置できなかっただろう。帝国への帰還など論外と言って良い。

「ヴァレンシュタイン提督はヴァンフリート4=2に行くことを嫌がった。彼は帝国に戻る事を望んでいたのだと思う。しかし最終的には行くことに同意した、彼の要求を最優先で叶えることを条件に……」
「……」

「私は当時第八艦隊司令部に居た。だがヴァレンシュタイン提督の要請で第五艦隊司令部に異動になった」
「第五艦隊?」
ヤン提督が頷いた。提督の表情は暗い。

第五艦隊はヴァンフリート星域の会戦に参加している。ヤン提督はヴァレンシュタイン提督の要請で第五艦隊に異動になった……。つまりヤン提督の協力が必要だったという事だろう……。ヤン提督は憂欝そうな表情をしている。提督は協力できなかった、そういう事なのだろうか? しかし戦争は同盟の大勝利で終わっている。第五艦隊は決戦の場で活躍した殊勲艦隊のはずだ。ヴァンフリートの一時間、一体何を意味するのか……。

「ヴァレンシュタイン提督は戦いが酷い混戦になるだろうと想定していた。おそらくロボス総司令官は軍を把握できなくなると……。そしてヴァンフリート4=2が最終的に決戦の場になるとも想定していた。いや、正確には決戦の場にする事で自らが戦争をコントロールしようとした、私はそう思っている」
「……そんな事が可能なのでしょうか」

ヴァレンシュタイン提督は当時まだ少佐だったはずだ。しかも総司令部の参謀でもなかった……。
「可能だと思ったのだろうね。そして実際に会戦はヴァレンシュタイン提督のコントロール下に置かれた……。彼が私に望んだ事はロボス総司令官が軍を把握できなくなった場合、そして帝国軍がヴァンフリート4=2に襲来した場合、第五艦隊を速やかにヴァンフリート4=2へ導く事だった……」

ヤン提督はそれきり黙り込んだ。憂鬱そうな横顔だ、視線は小さくなりつつあるハトホルに向けられている。
「……一時間と言うのは……」
私が問いかけるとヤン提督は微かに横顔に笑みを浮かべた。苦笑? 自嘲だろうか、そして口を開いた。

「そう、ヴァンフリート4=2への移動が一時間遅れた。第五艦隊が基地からの救援要請を受け取った時、私は基地の救援をビュコック提督に進言したんだが第五艦隊司令部の参謀達がそれに反対した……。最終的にはビュコック提督が基地の救援を命じたが一時間はロスしただろう」

ヤン提督はまだ笑みを浮かべている。多分自嘲だろう、提督はヴァレンシュタイン提督の期待に応えられなかった……。ヤン提督が私を見た、そして直ぐに視線を逸らした。まるで逃げるかのように……。

「会戦後、ヴァレンシュタイン提督に自分の予測より一時間来援が遅いと指摘されたよ。そしてエル・ファシルで味方を見殺しにしたように自分達を見殺しにするつもりだったのかと非難された……」

「そんな! あれはリンチ少将が私達を見捨てたのです。提督は私達を救ってくれました。非難されるなど不当です! 何も知らないくせに!」
許せない! あの時の私達の不安、絶望を知らないくせに……。リンチ少将、あの恥知らずが逃げた時、ヤン提督が居なければ私達は皆帝国に連れ去られていた。それがどれほど怖かったか……。私の身体は小刻みに震えていた、怒り、恐怖、そしてヴァレンシュタイン提督への憎悪……。

「彼の言うとおりだ」
「提督!」
驚いて提督を見た。ヤン提督は薄い笑みを浮かべている。
「提督……」

「彼の言うとおりなんだ。私はリンチ少将が私達を見捨てる事を知っていた。そしてそれを利用した。私のした事はリンチ少将のした事と何ら変わらない……。今、リンチ少将がここに居たら私は彼と目を合わせる事が出来ないだろう、やましさからね。……私は、……私は英雄なんかじゃない!」
「……」

吐き捨てるような口調だった。ヤン提督は苦しんでいる、でも私は何も言えなかった……。どれほど提督に非が無いと私が言っても提督は納得しないだろう。それでも無言で居る事は耐えられなかった。なんとか提督を救いたい、そんな気持ちで言葉を出した。
「ですが……、ヴァンフリート星域の会戦は同盟軍の勝利で終わりました。その一時間が問題になるとは思えないのですが……」

ヤン提督が私を見て苦笑を漏らした。
「バグダッシュ准将が大尉と同じ事を言ったよ。戦争は勝った、何故その一時間に拘るのかと」
「……」

「第五艦隊はヴァンフリート4=2に停泊中のグリンメルスハウゼン艦隊を撃破した。一万二千隻程の敵艦隊の内、逃れる事が出来たのは五百隻程度だったはずだ。本来なら大勝利と言って良い、だがその五百隻の中にラインハルト・フォン・ミューゼルの艦隊が有ったんだ……」
「!」

ラインハルト・フォン・ミューゼル、ヴァレンシュタイン中将が天才だと評し恐れている人物。その人物がヴァンフリート4=2に居た、そして逃げた……。彼は今帝国軍中将になり宇宙艦隊司令長官、オフレッサー元帥の信頼が厚いと聞く。驚愕する私の耳朶にヤン提督の自嘲交じりの声が聞こえる。

「ヴァレンシュタイン中将は私達にこう言った。彼を相手に中途半端な勝利など有り得ない、だが彼は未だ階級が低くその能力を十分に発揮できない。だから必ず勝てる、必ず彼を殺せるだけの手を打った。おそらく最初で最後のチャンスだったはずだと……。そしてこのチャンスを逃した以上、いずれ自分は彼に殺されるだろうと……」
「……」

必死に驚愕を押さえヤン提督を見た。提督は昏い眼をしている。
「第五艦隊の来援が一時間早ければグリンメルスハウゼン艦隊を殲滅し、逃げ場を失ったミューゼル中将を捕殺できたはずだった。だがそのチャンスを私が潰してしまった」
提督の声は苦みに満ちていた……。

ヴァンフリートの一時間、その意味がようやく分かった。ヴァレンシュタイン提督が何故ヤン提督を非難したかも、そしてヤン提督が何故反論しないのかも……。第六次イゼルローン要塞攻防戦でこちらの作戦を見破ったのはミューゼル中将だった。あの一時間が全てを変えた……。

「ですが、戦争をしている以上、勝つことも有れば負ける事も有ります。いくらなんでも一度の敗戦がきっかけでヴァレンシュタイン中将を殺すなど……」
私の言葉にヤン提督が首を横に振った。

「ヴァンフリートでは彼の副官が戦死している。ミューゼル中将の親友であり分身だそうだ。ミューゼル中将にとって自分は不倶戴天の仇であり帝国を捨てた裏切者、決して自分を許さないだろうと言っていた……」
「……」

「第六次イゼルローン要塞攻略戦ではミューゼル中将がこちらの作戦を見破った。ヴァレンシュタイン中将は要塞に取り残された味方を救うためにロボス元帥を解任した。そして味方を救うために自ら前線に出た。多分、死ぬことも覚悟していただろう、軍法会議も有った……。ミューゼル中将が居なければそんな事をせずに済んだはずだ。何で自分がという気持ちも有っただろう、だがそれでも彼は味方を救うために行動した……。私とはえらい違いだ」
ヤン提督は自らを嘲笑うかのように笑い声を上げた。一頻り笑うと昏い眼で私を見た。

「彼に言われたよ。“貴官らの愚劣さによって私は地獄に落とされた。唯一掴んだ蜘蛛の糸もそこに居るヤン中佐が断ち切った。貴官らは私の死刑執行命令書にサインをしたわけです。これがヴァンフリート星域の会戦の真実ですよ”と……」

溜息が出そうになって慌てて堪えた。何という皮肉だろう。全軍が勝利の喜びに沸く中で最大の功労者が絶望に喘いでいる。先程まで有ったヴァレンシュタイン提督への怒りは消え遣る瀬無さだけが有る。あの一時間をどんな思いで待っていたのか、ミューゼル提督を取り逃がしたと分かった時、どれほどの絶望が彼の心を捉えたのか……。

「……提督の責任ではないでしょう。提督は基地への救援を進言したのです、でも受け入れられなかった。決して味方を見捨てたわけでは……」
続けられなかった。ヤン提督がそうじゃない、という様に首を振っている。口を噤んだ私に提督が視線を向けてきた。何の感情も見えない眼だった。

「あの時、私はもっと強く主張すべきだった。それなのに私は反対されるとあっさりと自分の主張を取り下げた……。ヴァレンシュタイン提督の言うとおりだ、私は彼を無意識のうちに見殺しにしようとしたのかもしれない……」
「提督……」

止めるべきだと思った。注意すべきだと思った。でも何故か出来なかった。提督は淡々と話している。
「彼は私と親しくなりたがっていた。何度も自分は敵ではないと私に言った。でも私は彼を受け入れる事が出来なかった……。彼が怖かった、そう、私は彼が怖かったんだと思う。何というか得体のしれない不気味さ、それを彼に感じていた。いや、今でも感じるときが有る。だから私は彼を排除しようと……」
「提督、もうその辺で……」

止めようとして出した声だった。でも提督は話すのを止めない。首を横に振りノロノロとした口調で話し続けた。
「あれ以来彼は変わった。心を閉ざし他者を受け入れなくなった。そして誰よりも苛烈になった。今では皆が彼を怖れている……。私が彼を受け入れなかったばかりにそうなってしまった。私の所為だ……、私の」
「提督……」

私の声など聞えていないのかもしれない。
「彼を見ているのが辛かった。だから軍を辞めたいと思った。軍人に向いていないと言う理由で自分を欺いてね。ワイドボーンの言うとおりだ、私は無責任な卑怯者だ……」
「もうお止め下さい!」

悲鳴のような私の声だった。堪え切れなかった、もう聞きたくなかった。ヤン提督が私を見ている、何の感情も見えない顔だ。慌てて顔を背けた。
「……済まない、大尉」
私の目から涙が零れた……。





 

 

第七十七話 情報部の憂鬱

宇宙暦 795年 9月 1日   ハイネセン 統合作戦本部  バグダッシュ



統合作戦本部の廊下を力なく歩いている男がいる。見慣れた後ろ姿だ。
「ザックス」
俺が声をかけると男は振り返り微かに笑みを浮かべた。良い笑顔だ。追い付いて肩を並べて歩き出す。

ピーター・ザックス中佐。士官学校では同期生だった。成績は抜きつ抜かれつ、いや抜かれている事の方が多かったか……。それでも俺とザックスは結構ウマが合った。一緒につるんで良く悪さをしたものだ。士官学校卒業後は二人とも情報部に配属された。俺は防諜課、ザックスは調査課。数少ない信頼できる友人だ。

「元気そうだな、バグダッシュ。いやバグダッシュ准将閣下と言うべきかな」
「よせよ、ザックス。俺達の仲でそれは無いだろう」
肩を叩くとザックスの笑みが大きくなった。もしかすると苦笑かな。

「すまん、馬鹿な事を言った。……やはり風当たりは強いか」
「それはそうだ、お前さんが中佐で俺が准将……。皆おかしいと思っているさ、俺を含めてな」
俺が笑うとつられたようにザックスも笑った。

「最前線で戦ったんだ、一つ間違えば戦死という事も有り得たし功績も立てている、昇進は当然の事だろう」
俺は肩をすくめて見せた。そう言ってくれるのはお前だけだ、ザックス。周囲はそうは見てくれない。武勲を上げたのは俺じゃない、ヴァレンシュタイン中将なのだ。こっちはお裾分けを貰っただけでしかない。

少し話をしようと言ってラウンジに誘った。喫茶店に入りテーブル席に座る。時刻は夕方の三時、客はまばらだ。まだ若いウェイトレスが注文を取りに来た、おそらくはアルバイトだろう。多分父親は軍人で戦死しているに違いない。軍は遺族を優先的に雇用するようにしている。ザックスも俺もコーヒーを頼んだ。

「忙しいのか、疲れているようだが」
問いかけるとザックスはちょっと困ったような表情を見せた。そしてウンザリした様な口調で話しだす。
「ああ、ブロンズ部長から特命を受けていてな。今も報告を求められて途中経過を報告したんだが早く調査を終わらせろと叱責されたよ」

「特命って言うと……」
ザックスが苦い表情でうなずく。
「シトレ元帥からの特命さ。最近は特命が多くて参っている」
「そうか……」

シトレ元帥からの特命、つまりはヴァレンシュタイン中将絡みの案件か……。依頼に対する調査、裏付け調査、継続調査……。調査対象は帝国の何かに対してだろう。フェザーン経由での調査ともなれば決して楽ではない。調査課に対する負担は大きいはずだ。

ウェイトレスがコーヒーを持ってきた。手際よく飲み物をテーブルに置いてゆく。愛想良く”ごゆっくりどうぞ“という言葉に俺もザックスも笑顔で答えたが彼女が立去るとザックスの表情からは笑みが消えた。そしてどこか疲れた様な色だけが残っている。

「これまでは情報部からシトレ元帥に情報を上げるのがメインだった。だが今はシトレ元帥からオーダーが来る。おまけに俺達が知らない事を元帥の方が知っていてそれに対して調べろと来るんだからな……」
「……」

「ブロンズ中将も立場が無いさ。でも俺達に当たられても……」
「ミューゼル中将の件か」
俺が尋ねるとザックスは“まあそれも有る”と曖昧に頷いた。

ヴァンフリート星域の会戦前、ヴァレンシュタイン中将は遠征に参加する帝国軍将官の情報を要求してきた。情報部は当然ではあるが将官達に対して評価も付与してヴァレンシュタイン中将に渡した。その際、ミューゼル中将に対する評価はグリューネワルト伯爵夫人の弟、それだけだった。つまり姉の七光りで将官になっている、そう判断したわけだ。

会戦後、ヴァレンシュタイン中将が彼を天才だと評しているのを知った情報部は改めてミューゼル中将に対する調査を行った。そして分かった事は彼が幼年学校を首席で卒業している事、任官後は常に前線に出ている事だった。情報部の彼に対する評価はかなり出来るに変わった。つまり当初の評価は誤りだったと認めたのだ。

だがその評価も甘かった。第六次イゼルローン要塞攻防戦で同盟軍のフォーク中佐が立てた作戦を見破ったのはヴァレンシュタイン中将の予想通りミューゼル中将だった。帝国軍が彼を十二分に活用しなかったから同盟軍の損害は軽微なもので済んだがそうでなければ同盟軍は大敗北を喫していたかもしれない。

第六次イゼルローン要塞攻防戦後、情報部はその点について非難を浴びた。ヴァレンシュタイン中将がミューゼル中将を天才と評していたにもかかわらず情報部はそれを軽視した。情報部がその脅威を正しく認識しロボス元帥に警告していればもっと違った結果になったのではないか……。

いささか酷な批判だ。ヴァンフリート星域の会戦後ではミューゼル中将の天才を証明するものはヴァレンシュタイン中将の評価を除けば何もなかった。彼の天才が証明されたのは第六次イゼルローン要塞攻防戦が終わってからだ。ヴァンフリート星域の会戦後ではかなりできると評するのが精一杯だっただろう。

軍法会議でも一度論争になったが情報部に責任は無いと判断されそれ以上論争にはならなかった。だが責任が無い事と面目を保つことはイコールではない。情報部に対する周囲の目は決して温かくはない……。

「正直きついよな。ミューゼル中将の件も有るがクロプシュトック侯の一件も俺達には何の情報も無かった。シトレ元帥からヴァレンシュタイン中将の推論を聞き、それを後追いで確認したよ。まあ中将の考え通りだったけどな」
「……」
ザックスが溜息を吐いた。そして俺の顔を窺うように見ながら話しだす。

「クロプシュトック侯が失脚したのは三十年も前の事だ。自分が生まれる前の事をなんでそんなに詳しく知っているのか……」
「……調べてみたいか」
ザックスが頷きながらコーヒーを飲んだ。

「調査課の連中は皆そう言っているよ。一体どれだけの情報を持っているのか……。戦場に出して戦死でもされたら大損害だってね」
「……まあそうだな。しかし中将の用兵家としての力量は軍だけではなく同盟市民も認めるところだ。今更情報部へと言われても誰も納得しないだろう」
ザックスが顔を顰めた。

ザックスが落ち込むのも理解ができる。情報部の人間なら誰でもヴァレンシュタイン中将から情報を引き出したいと思うだろう。そして引き出した情報を分析し帝国の動向を予測したいと思うに違いない、或いはそれを基に謀略をしかけるか……。第七次イゼルローン要塞攻防戦でヴァレンシュタイン中将が行った謀略、情報部の人間にとっては羨望以外の何物でもないだろう。

だが情報部はそのどちらも出来ない。全ては中将自身が行っている。情報部の役割はそのアシストか或いは確認だけだ。頭脳ではなくあくまで手足……、ストレスが溜まる一方だろう。
「今俺が何を調べているか分かるか、バグダッシュ」
「いや、分からん」

ザックスが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「オイゲン・リヒター、カール・ブラッケ、この二人を調べている」
オイゲン・リヒター? カール・ブラッケ? 聞いたことのない名前だ。
「何者だ、その二人は」
ザックスが今度は溜息を吐いた。

「……帝国の国政改革派と言うべき人間らしい」
「改革派?」
「その二人がブラウンシュバイク公の傍に居ないかを調べろと言われている。帝国が改革を実施するかどうかがそれで分かると」

今度は俺が溜息を吐いた。たった二人の人間を調べるだけで帝国の動向を知ることが出来る。何故そんな事を知っているのか……。そして他者からそれを告げられたザックスの気持ち……。

「それで、分かったのか」
「オイゲン・リヒター、カール・ブラッケという人物が居る事は分かった。彼らが改革派であることも確認が取れた。現状ではそこまでだ、ブラウンシュバイク公との関わりは未だ確認が取れない」

「そうか……」
「嫌になるよな」
「ザックス……」
それきり会話は途絶えた、コーヒーを飲み終えるまで……。



宇宙暦 795年 9月10日    巡航艦パルマ  ワルター・フォン・シェーンコップ



「ヴァレンシュタイン提督、航海は順調です。巡航艦パルマは予定通り二日後にはフェザーン回廊の入り口に到着します」
巡航艦パルマの艦長、ゼノ中佐の報告にヴァレンシュタイン提督は無言で頷いた。

俺達は今巡航艦パルマに乗艦してフェザーンに向かっている。各自部屋を用意してもらっているのだが、部屋に籠りきりと言うのもいささか辛い。かといって艦橋にいては迷惑以外の何物でも無いだろう。

艦長ともなれば一国一城の主だ。そこに自分より階級が上の人間がやってくれば遣り辛いに違いない。そこで暇なときは食堂に集まって時間を潰しているのだがゼノ中佐は一日一度は此処に現れて提督に状況を報告している。律儀な男だ。

「来ているでしょうか、ベリョースカ号は」
「フェザーン商人ですからね、遅れることは無いでしょう」
巡航艦パルマはフェザーン回廊の入り口でフェザーンの独立商船ベリョースカ号と落ち合う。そして俺達はそこからはベリョースカ号でフェザーンに向かう事になっている。巡航艦パルマは我々が戻って来るまでその場で待機だ。

「信用できるとお考えですか?」
「契約は守ってくれますよ、商人は信用が第一ですから」
「信用が第一ですか……」
提督の言葉にゼノ中佐は不得要領気味な表情で頷いた。どうやらゼノ中佐は幾分困惑しているようだ。そしてそれを隠そうともしない……。

「御不自由をおかけしますがもうしばらくの御辛抱です」
「大丈夫です、不自由は感じていません。私達の事は気にしないでください、艦長」
「はっ。では小官は艦橋に戻らせていただきます」
ゼノ中佐が敬礼をすると食堂を出て行った。

「どうも中佐はフェザーン人をあまり信用してはいないようですな」
俺が問いかけると提督は微かに笑みを浮かべた。
「悪いイメージが強いですからね。主義主張もなく金儲けだけに勤しむ拝金主義者……。実際には人によると思うのですが……」

提督の言葉に皆が頷いた。だがゼノ中佐の心配はそれだけではあるまい。おそらくは俺達に対する不安も有るだろう。提督も我々も同じ亡命者ではある。しかし提督は英雄とまで評価されているが我々はそうではない。いつも何処かで裏切るのではないかと危険視されている……。

不思議なのはヴァレンシュタイン提督がその辺りを何も感じていないことだ。俺達を無防備なまでに信頼している。妙な話だ。辛辣なのに何処か抜けているところがある。だがそれも悪くない……。

「ベリョースカ号の船長は信用できるんでしょうか? 確かボリス・コーネフと言いましたか?」
「ええ、まあここまで来たら信用するしかないですね」
質問したリンツが顔を顰めると提督が笑った。皆も釣られて笑う。

巡航艦パルマに乗ってからのヴァレンシュタイン提督はごく穏やかな青年の顔を見せている。戦場で見せた厳しさや峻烈さを表に出す事は無い。時折厨房を借りて甘いものや軽い食事を作るときも有る。隊員達も最初は緊張していたが今ではリラックスして接している。

「問題は無事入国できるかどうかですが……」
「確かに。門前払いも有りうるだろうし場合によっては提督を捕えて帝国へ引き渡すことも有るでしょう」
リンツ、ブルームハルトが不安を口にすると皆が頷いた。それぞれに不安そうな表情をしている。そんな彼らを見て提督がクスッと笑い声をたてた。

「心外ですね、それほど私は危険ですか」
ヴァレンシュタイン提督の言葉に皆が唖然とした視線を向けた。提督は面白そうに彼らを見ている。

「危険ですな、全宇宙で一番危険でしょう」
「酷い話だ、せめて二番目くらいにしてくれませんか」
俺と提督の掛け合いにミハマ中佐がクスクス笑い出した。リンツ達は顔を見合わせ呆れたように苦笑している。先程まで有った不安は消えていた。

笑いが収まると提督が口を開いた。
「ベリョースカ号はフェザーンにある同盟の弁務官府の依頼で私達をフェザーンに運ぶ事になります。入国に関しては最大限の便宜を図ってもらえるでしょう」
「……」

「それに帝国が混乱している今、同盟を怒らせることが危険な事はフェザーンも理解しているはず、入国拒否は有るかもしれませんが捕えられるという事は先ず無いでしょうね」
「なるほど」
リンツが声に出すと何人かが頷いた。

「しかし楽しみですね、提督と一緒にフェザーンに行くのは。一体何が起きるのか……」
「ピクニックに行くんじゃないんだぞ、ブルームハルト」
「分かっていますよ、准将」
俺とブルームハルトの遣り取りにリンツが“本当か”とチャチャを入れた。頭を掻くブルームハルトに皆が笑い声を上げる。

「多分一生の想い出になりますよ、忘れる事は無いでしょうね」
提督の言葉に皆が顔を見合わせた。そんな俺達にヴァレンシュタイン提督が柔らかく微笑む。

「私の予想通りに進むのならこの宇宙は全てが変わり、何も変わらないはずです。そして宇宙には呪いが満ち溢れ、人類は恐怖と怒りに震える事になる。一生の想い出になるでしょう」
怖い美人の笑顔だ。背中がぞくぞくする。だが、楽しくなりそうだ……。
 

 

第七十八話 ゼーアドラー(海鷲)



帝国暦 486年 9月14日 オーディン  ヴェストパーレ男爵夫人邸    ラインハルト・フォン・ミューゼル



「ようやく戻って来れたわね、ラインハルト」
「色々と御配慮頂き何と言って良いか……」
「いいのよ、そんな事は。アンネローゼは友達ですもの。それより大変だったようね。無事に戻って来られて何よりだったわ」
「……」

屈託無く話しかけてくるヴェストパーレ男爵夫人を見て、そしてその隣で微笑んでいる姉を見て、ようやく自分の心がほぐれてくるのを感じた。やっとオーディンに帰ってきた……。

「どうした、言葉を忘れたか、ミューゼル中将」
リューネブルク少将がニヤニヤと笑いながら俺をからかう。
「そんな事は無い。……姉上、ただ今戻りました」
「お帰りなさい、ラインハルト」

懐かしい姉の声だ。ようやくこの声を聞くことが出来た。
「昨日帰ってきたのでしょう、すぐ来るかと思っていたのよ」
「申し訳ありません。色々と有って……」
俺の言葉にリューネブルク少将が頷いた。先程までの笑みは消えている。

オーディンに帰還したのは昨日の夕方だった。オフレッサーに帰還の挨拶をするとその場からエーレンベルク、シュタインホフの両元帥の所に連れて行かれた。その後ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯とも会談し全てが終わったのはもう夜も遅い時間だった。

話の内容は艦隊の士気、ヴァレンシュタインの動向、そしてクロプシュトック侯の反乱鎮圧についてだ。どれも明るいものではなかった。クロプシュトック侯の反乱鎮圧は今月になって始まったがまだ鎮圧の目処が立っていないらしい。どうも指揮系統が滅茶苦茶なようだ。

「立ち話もなんだわ、向こうへ行きましょう。お茶の用意がしてあるの、アンネローゼのケーキも有るわよ」
「はい」
男爵夫人が俺達をサンルームに案内した。秋の柔らかい、そして何処か寂しげな日差しが降り注ぐ。穏やかな秋の一日だ、昨日までの無機質な戦艦の中では有り得ない風景……。帰ってきた、また思った。

暫くの間、他愛ない会話でお茶を飲む時間が過ぎた。俺がそれを口に出したのは一杯目のコーヒーを飲み終え、お代わりを貰った直後だった。
「姉上、キルヒアイスが戦死しました」
「……」

サンルームの日差しが急に冷えた様な気がした。姉は無言だ。男爵夫人もリューネブルク少将も口を閉ざしている。
「私の身代わりになって死んだんです」
「……」

ヴァンフリート4=2で何が有ったかを話した。強力な敵、無能な味方。苦闘、撤退……。その中で生き延びるためにキルヒアイスを置き去りにした事……。思ったよりも淡々と話す自分が居た。苦しみが無いわけじゃない、哀しみが無いわけでもない、だが怒りは無かった。有るのは切なさと遣る瀬無さ……、そしてキルヒアイスが居ないという寂しさ……。

「ジークの御両親にはお会いしたの」
少し掠れ気味の声だった。
「はい、ヴァンフリートから帰還した後、訪ねました」
「そう……」
また会話が途絶えた。姉の顔を見ることが出来ず俯きながら話を続けた。

「正直、責められると思いました。殴られても仕方ないと思いました。キルヒアイスを軍に誘ったのは私です。そして私の身代わりになって死んだ……。でも責められませんでした。二人ともただキルヒアイスの事を聞くだけで……」
「……」

あの日の事を思いだした。キルヒアイスの両親に“遺体は”と問われ俯いていた自分、そして母親の泣き声とそれを慰める父親の声。突然目の前がぼやけた、涙が零れ落ちそうになる。慌てて目を手で拭う。話しを続けようとして姉と男爵夫人が目をハンカチで押さえているのが見えた。

ポケットから認識票とペンダントを出してテーブルの上に置いた。ヴァレンシュタインから渡されたキルヒアイスの遺品。
「それは?」
「キルヒアイスの認識票と遺髪が入ったペンダントです」

二人の視線がテーブルの上に向かった。
「どうしてそれをあなたが持っているの? ジークの遺体は見つからなかったはず」
姉が訝しげに訪ねてきた。男爵夫人も不思議そうな顔をしている。

「第六次イゼルローン要塞攻防戦で敵が返してくれました。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、ヴァンフリートで我々を敗北に追い込んだ男です。彼は私とキルヒアイスの事を良く知っていて、それでそれを保管し返してくれたんです」
「……」

姉と男爵夫人は複雑な表情をしている。ヴェストパーレ男爵家はヴァレンシュタインとは関わりが有った。男爵夫人は当然全てを知っているだろう。姉上にも話したのかもしれない。単純に敵と憎むことは出来ないだろう。俺自身、ヴァレンシュタインを敵と認識しても憎むことは出来ない。むしろ何故敵なのかと遣る瀬無さが募る。

「これをキルヒアイスの御両親に渡してこようと思っています。二人とも遺体が戻らなかったことを悲しんでいました。せめてこれだけでも……」
また声が湿った。大丈夫だ、涙は流れない。

「そう……、それが良いわね。……でも貴方は大丈夫なの? それが無くて寂しくは無い?」
姉が心配そうに問いかけてきた。俺の顔をじっと見ている。俺は右手を胸に当てた。
「大丈夫です。キルヒアイスはここに居ます。ここに居て私を見守ってくれる。だから寂しくは有りません……」

姉と男爵夫人が顔を見合わせ、そして微笑んだ。二人ともずっとキルヒアイスを失った事を哀しみ、俺の事を心配していたのだろう。
「強くなったわね、ラインハルト。……私も一緒に行っていいかしら」
「ええ、キルヒアイスも喜ぶと思います」



帝国暦 486年 9月14日 オーディン ゼーアドラー(海鷲)   アウグスト・ザムエル・ワーレン



「ここに来るのも随分と久しぶりだな」
「そうだな、最後に飲んだのはカストロプの反乱征伐の前だから、もう半年になるか……」
俺とビッテンフェルトが話していると皆が口々に感慨深そうな声を出した。もっともカストロプの名前には微妙な表情をした人間もいる。

ケスラー、クレメンツ、メックリンガー、アイゼナッハ、ビッテンフェルト、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ミュラー、そして俺。あの時もこの面子で飲んだ、あれから半年……、今一つピンと来ない。

「あれから半年か……。とてもそうは思えんな」
ミッターマイヤーがそう呟くとウィスキーを一口飲んだ。大きな声ではないが妙に響いて聞こえた。

「同感だ、とてもそうは思えん。十年ぐらい経ったような気がする」
ロイエンタールの言葉に同感だ、皆も頷いている。確かに十年ぐらい経ったような気がする。とにかくこの半年は事が多かった。

「代替わりが二度有ったからな、その上即位されたのが女帝陛下だ。普通なら政変でも有ったのかと思うところだろう」
ケスラー参謀長の言うとおりだ。僅か半年の間に皇帝が二人死んだ。一人は心臓発作と言われているが呪い殺されたと噂されている。もう一人はテロによる爆殺だった。どちらも尋常な死とは言えないだろう。

「随分と人が少なくなったな」
ミッターマイヤーが店内を見渡して呟いた。確かに客が少ないようだ、以前はもっと人が多かった。決して煩くは無かったが店内には活気というか華やかさが有ったはずだ。今は閑散としている。

「七百万人も死んだからな、寂しくもなるさ」
ロイエンタールがウィスキーを一口呷った。七百万、その数字に皆黙り込む。重い数字だ、やりきれない、俺も一口グラスを呷った。皆も同じようにグラスを呷っている。思いは同じなのだろう。

「良く生きて帰ってきた、そう思うべきなのかな」
「そう思うべきだろうな。正直何度か死を覚悟した」
メックリンガーとクレメンツ副参謀長が話している。同感だ、少なくとも俺は二度、死を覚悟した。一度目はイゼルローンで反乱軍と相対したとき、もう一度は帰還せずに反乱軍の勢力圏内に出征すると告げられた時……。

「運が良かった。幾つかの偶然が無ければ我々は此処に居なかっただろう。ヴァルハラで酒を飲んでいるところだ」
「運か……、頼りない話ですな、ケスラー参謀長」
納得がいかないのだろう、ビッテンフェルトがフンと鼻を鳴らした。

「そう言うな、ビッテンフェルト少将。どれほど能力が有っても運の悪い奴は生き残れん。我々は生き残るべくして生き残った、そう思う事だ」
ケスラー参謀長の言葉に皆が苦笑を浮かべた。アイゼナッハがビッテンフェルトの肩を叩く。ビッテンフェルトが不得要領に頷いた。その有様にまた笑いが起きた。

「ミュラー准将、卿はヴァレンシュタインとは士官学校で親しかったと聞いている。卿から見てヴァレンシュタインとはどんな男かな」
話題を変えた方が良いだろう。こういう時は皆が関心のある話題が一番だ。俺自身彼の事を知りたい。だがミュラー准将にとっては答え辛い質問だったようだ、表情に困惑を浮かべた。

「エーリッヒ、いえヴァレンシュタイン……」
「エーリッヒで良いさ、俺達に気を遣うことは無いぞ、ミュラー准将」
ビッテンフェルトが言い直そうとしたミュラーに声をかけた。皆も頷く。気が楽になったのだろう、ミュラーは一口ウィスキーを飲むと話し始めた。

「エーリッヒは人間として信頼できる男です。軍人としては戦術よりも戦略を、補給を重視していました」
ミュラーの答えに皆の様子を窺った。皆が顔を見合わせている。だがクレメンツ副参謀長だけは身じろぎもせずにグラスを口にしていた。

「卿とはどうだ、その、シミュレーションは」
ビッテンフェルトが少し躊躇いがちに問いかけた。ミュラーの面子を慮ったのかもしれない。ミュラーもそう思ったのだろう、微かに苦笑を浮かべた。

「小官よりもずっと上ですよ、ビッテンフェルト少将。士官学校時代、小官は殆ど勝てませんでした」
その言葉に皆がクレメンツ副参謀長に視線を向けた。士官学校時代の教官に確認を取ろうと言うのだろう。副参謀長が苦笑を浮かべて頷いた。

ミュラーよりも上か……、やれやれだな。俺が彼と対戦してほぼ互角だ。もちろん実戦とシミュレーションは違う、しかし軽視できる話ではない。
「ミュラー准将よりも上か。どうやら運だけでは生き残れそうにないな、ロイエンタール」

肩を竦めたミッターマイヤーの言葉にロイエンタールが苦笑を浮かべた。
「全くだ。皆、遺書と墓碑銘の用意をした方が良さそうだな」
ロイエンタールの言葉に皆が苦笑した。ビッテンフェルトは口の中でぶつぶつ呟いている。“他人を誉めるときは大声で、悪口を言うときはもっと大声で、いかんな”と声が聞こえた。

こいつ本気で墓碑銘を考えるつもりか? 俺の同期は碌なのが居ない、女たらしで皮肉屋のロイエンタールと猪突猛進で単純なビッテンフェルト……。まともなのは俺だけだ。ミュラーも同期の事では苦労している、何となく彼に親近感を感じた。彼に視線を向けるとミュラーは困ったような顔をしている。何か言いかけて口を閉じた。

「どうした、ミュラー准将。なにか言いたそうだが」
「……」
俺が声をかけてもミュラーは黙っている。彼はこの中で唯一人階級が准将だ、遠慮が有るのだろう。

「遠慮はいらん、言ってくれ」
「ワーレン少将の言うとおりだ、俺達は仲間なのだからな、遠慮はいらんぞ」
ビッテンフェルトが太い声で促した。周りも皆頷いている。ミュラーはちょっと迷うそぶりを見せたが一つ息を吐くと話し始めた。

「エーリッヒはここにいる皆さんの事を良く知っています」
「それはそうだろう、俺達はミューゼル提督の下に居るのだからな」
ビッテンフェルトの言葉にミュラーは首を横に振った。そしてノロノロとした口調で言葉をだした。

「そうじゃないんです。エーリッヒは士官学校時代、皆さんのシミュレーションデータをダウンロードしていたんです。そしてそのデータを分析していた」
皆が凍りついた。信じられない物を見たようにミュラーを、そして皆を見ている。

「馬鹿な……、どういう事だ、ミュラー准将」
呻くようにメックリンガー少将が問いかけた。
「エーリッヒは士官学校のシミュレーションシステムに蓄積されているデータからこれはと思う人物のデータをダウンロードしていました。大体三十人程のデータを落としていた。その中でも良く見ていたのは……」

「良く見ていたのは……」
ビッテンフェルトが促す。それに応えるようにミュラーが有る方向に視線を向けた。皆も釣られたように視線を向ける、そこには……。
「ロイエンタール少将とミッターマイヤー少将です」

ロイエンタールとミッターマイヤーは沈黙している。何を言って良いのか分からないのだろう。皆が沈黙する中、ミュラーの声が流れた。
「攻守柔軟にして知勇のバランスが良い、そう言ってロイエンタール少将を絶賛していました。そして同じように絶賛していたのがミッターマイヤー少将です。神速にして理に適う、そう言っていました」
「……」

攻守柔軟、神速にして理に適う。確かにその通りだ、ロイエンタール、ミッターマイヤーの用兵を評するのにそれ以上の言葉は見当たらないだろう。
「高く評価されている。喜ぶべきなのだろうな」
ロイエンタールがようやく口を開いた。絞り出す様な口調だ。そして視線はグラスに固定されている。

「他にもワーレン少将、ビッテンフェルト少将、そして……」
ミュラーが俺とビッテンフェルトを見て口籠った。俺もビッテンフェルトもヴァレンシュタインに注目されていた。背中に悪寒が走った。夢中で手に有ったグラスを口に運ぶ。咳き込みそうになったが必死で耐えた。ミュラーを見据えて答えを促した。
「そして?」

「……ルッツ少将、ファーレンハイト少将のデータを良く見ていました」
「!」
驚愕が皆の顔に浮かぶ。ルッツ、ファーレンハイト……、二人とも前回の戦いで戦死した。ヴァレンシュタインがいずれ邪魔になるから殺したと言っていた……。

「馬鹿な、一体どれだけのデータをダウンロードしたと言うのだ。それを全部検証したと言うのか? そんな事が……」
メックリンガー少将が呻いた、語尾が震えている。その呻き声を押さえつけるかのように低く底冷えのする声が聞こえた。

「細かいところまで見る必要はない。相手の用兵の癖が分かればいいんだ。データ量はむしろ多い方が良い」
「クレメンツ……」
クレメンツ副参謀長はテーブルに置いてあるグラスを見据えていた。そしてミュラー准将の声が耳に流れた。

「その通りです、エーリッヒは言っていました。自分が宇宙艦隊司令長官ならビッテンフェルト少将とファーレンハイト少将を戦略予備として扱うと。最終局面で投入すればどんな敵も粉砕してくれるだろうと……」
「……」

皆、顔を見合わせていた。誰も口を開こうとしない。評価されたビッテンフェルトさえ黙っている。十を数えるほど時間が経ってからロイエンタールが口を開いた。

「どうやら冗談ではなく本当に遺書と墓碑銘が要るようだ」
誰も笑わなかった。否定もしなかった。ただ黙って聞いていた……。皆俺と同じ事を考えていただろう。ヴァレンシュタインを相手に勝つ事は難しいだろう。そして生き残るのは勝つ事以上に難しいに違いない……。



 

 

第七十九話 フェザーン謀略戦(その1)



宇宙暦 795年 9月14日    ベリョースカ号  ミハマ・サアヤ



「明後日、八時にフェザーンに着きます。予定通りです」
コーネフ船長の言葉にヴァレンシュタイン提督が無言で頷きました。コーネフ船長も話しづらいでしょう、頷くだけでなく声も出せば良いのに、そう思いましたが船長は気にする様子もなく話を続けました。この人、まだ若いのに結構肝が据わっているようです。

一昨日、フェザーン回廊の入り口で私達は巡航艦パルマから交易船ベリョースカ号に乗り込みました。提督の言った通り、フェザーン商人は契約を守りました。乗り移ってからの私達はやはり食堂に集まっています。そして巡航艦パルマに居た時同様、船長がこうして時々話に来るのです。

「そちらからご要望の有った品を用意しておきました。先ずはこれですな」
そう言うと船長はズボンのポケットから丸い化粧コンパクトの様なものを取り出し提督に渡しました。提督は笑みを浮かべていますがローゼンリッターのメンバーは厳しい表情をしています。何だろう、何か思い当たる事でもあるのかしら。

「扱いには注意してくださいよ」
コンパクトを眺めている提督に船長が心配そうに声をかけました。提督は苦笑を浮かべています。そしてコンパクトをポケットにしまいました。爆弾か何か? ちょっと物騒な感じです。ローゼンリッターが厳しい表情をしているのもそれが理由でしょう。

「地上車は用意して頂けましたか」
「倉庫に置いてあります。全部で五台、いずれもサンルーフが付いています」
「有難うございます、お手数をおかけしました」
「いやいや、これも商売ですからね」
大した事は無い、そんな感じに聞こえました。こういう時って嫌な人だと恩着せがましくするんですけどコーネフ船長は違いました。うん、良い感じです、信用できそう。

「提督、我々は宇宙港の特別区画で待機していますが、どのくらいで戻られますか」
「その特別区画というのは?」
提督が訝しげに問いかけると船長がいささか慌てたように答えました。

「ああ、失礼しました。帝国、同盟、フェザーンの政府専用船、或いはそれに準ずる船が停泊する場所です。一般の民間船、交易船とは区別しているのですよ」
「なるほど」

「今回ベリョースカ号は同盟の弁務官府からの依頼を受けていますのでそちらを使わせて貰えるのです。当然ですが入国に関してもほぼフリーパスなはずです」
自信満々な口調で船長が保証しました。提督が笑みを浮かべています、一瞬ですがチラっとシェーンコップ准将を見ました。

「それで、どのくらいで戻られますか」
「そうですね、宇宙港から目的地まで往復で二時間半、仕事そのものに二時間程度、合わせて大体五時間程度でしょう。しかし予定が変わる場合も有ります。補給は二時間で済ませてください。それとエンジンは切らずに」

「二時間ですか、それは……」
コーネフ船長は何か言いかけ口を閉じました。そして大きく息を吐いて提督をちらちらと見ながら話を続けました。

「分かりました、マリネスクの尻を叩きましょう。しかし特別手当が要りますな、役人どもに袖の下を使わないと……」
船長は言い辛そうです。もしかすると提督が潔癖症だとでも思ったのかもしれません。軍人で若いからその手の事は嫌がると……。

フッ、甘いです。ヴァレンシュタイン提督にはそんなナイーブさは欠片も有りません。提督は地獄の悪魔にだって平然と賄賂を贈る、いえ、それどころか賄賂を要求するでしょう。悪魔達だって黙って貢物を差し出すはずです。何と言ってもヴァレンシュタイン提督は氷雪地獄の大魔王なんです。

逆らったらブリザードが吹き荒れ、氷柱で串刺しです。しかも刺されても死なないんです、痛みだけを感じる。何度も何度も突き刺され悲鳴を上げ続ける事になります。その悲鳴を大魔王は嬉しそうに聞いているんです。私が経験してるんですから間違いありません。

「高等弁務官府のヴィオラ大佐に請求してください、払ってくれるはずです。埒が明かない時は私に言って下さい」
「……分かりました」
ほらね、思った通りです。提督はそんな甘ちゃんじゃありません。

ローゼンリッターがチラチラと提督を見ています。補給は二時間、エンジンは切らずに、その言葉に反応しているのでしょう。皆が提督に視線を向け、そして顔を見合わせています。フェザーンで何をするかについては未だ提督から何の説明も有りません。

ですがフェザーン滞在は短時間のようですし、エンジンを切るなという事はまず間違いなく追われることになるという事でしょう。コーネフ船長が口籠ったのも危険を感じたからだと思います。それにしても危険料って……、コーネフ船長、御愁傷様です。

「しかし高名なヴァレンシュタイン提督をこの船に乗せているとは光栄ですね……、ヤン・ウェンリーは元気ですか」
船長の言葉に皆が“えっ”というような表情を浮かべました。もしかして知り合い? コーネフ船長は皆の反応を見てちょっと得意そうです。

「元気ですよ、今は第三艦隊の司令官として訓練に励んでいるはずです」
ヴァレンシュタイン提督がニコニコ笑いながら答えました。提督は驚いていません。最初から知っていた?

「どうやら提督は私とヤンが旧知なのを御存じだったようですね」
コーネフ船長がちょっと残念そうな口調で、がっかりした様な表情で提督を見ています。船長も私と同じ事を思ったようです。

「そんなことは有りません」
「ほう」
船長はちょっと疑わしそうに提督を見ていますが提督は知らんぷりです。相変わらず可愛げがありません。

「船長とヤン提督はどういう御関係なのです」
私が問いかけると嬉しそうに顔を綻ばせました。質問を待ってた?
「幼馴染ですよ。ヤンの父親は交易商人で彼は幼い頃は父親と一緒に交易商船に乗っていたんです。フェザーンにも良く来ました」

懐かしそうです、いいなあ、幼馴染か……。
「まあ他にも従兄弟が同盟にいます。軍人になったと聞いていますが……」
「イワン・コーネフ大尉ですか」
提督が問いかけるとコーネフ船長が驚いたように提督を見ました。え、そうなの、コーネフ大尉が従兄弟?

「ええ、そうです。提督はご存知ですか」
「私の艦隊に居ますよ、優秀なパイロットです」
「そうですか」
「大尉の事はミハマ中佐も良く知っていますよ」

提督の言葉にコーネフ船長が私を見ました。ちょっと困惑です、コーネフ大尉の事は知っています。ポプラン大尉と何時も一緒にいるのです。二人とも非常に優秀なパイロットで艦隊ではエースの称号を持っています。

問題はポプラン大尉が今でも時々私に声をかけてくることです。私は全部断っていますけどその度にコーネフ大尉がポプラン大尉を笑っています。提督もそれを知っているから私が良く知っているなどと言うのでしょう。相変わらず性格が悪いです。

「色々と縁が有りますね、ヴァレンシュタイン提督」
「そうですね」
コーネフ船長もヴァレンシュタイン提督も嬉しそうに話しています。船長、騙されちゃ駄目です。でももう遅いみたい……。あんなにニコニコして……。

「さて、私は艦橋に戻らせていただきます。何か有りましたら声をかけてください」
船長の言葉に提督が笑顔で答えるとコーネフ船長も笑みを浮かべてから食堂を出ていきました。

コーネフ船長がいなくなると提督は笑みを消しました。ベリョースカ号に移ってからの提督は巡航艦パルマに居た時とは違います。無口、無表情で周囲と目を合わせようとしません。今も視線を落とし例のコンパクトを見ています。シェーンコップ准将がそんな提督をじっと見ていましたが静かに問いかけました。

「ゼッフル粒子の発生装置ですか」
提督が黙って頷きました。ゼッフル粒子! ちょっと何でそんなもの……。慌てて皆を見ましたがローゼンリッターのメンバーは誰も驚いていません。顔を見合わせ頷いています。ちょっと気を削がれました。

「そろそろ閣下の御考えを聞かせてください。閣下から我々にあった命令は護衛をしろ、装備は市街戦を想定した物を用意しろとの事でした。ゼッフル粒子を用意するという事はかなり危険という事でしょう。アドリアン・ルビンスキーと接触するというのは分かっています。他には何を?」
「……」

食堂の空気がピンと張りつめました。皆が提督に視線を向けています。ですが提督は気付かないかのようにコンパクトを触っていました。
「自治領主府に向かいます。フェザーン駐在武官のヴィオラ大佐が十時にルビンスキー自治領主との面会予約を取り付けています。我々はそれに同行する。大佐とは宇宙港で落ち合う予定です」
ヴィオラ大佐……、ちょっと複雑です。あんまり会いたい人じゃありません。

「……他には」
「自治領主府でルビンスキーと会談し帰る事になります。問題は帰りでしょう、簡単には帰れない、我々はルビンスキーを人質にして撤退する事になります」
「なるほど、結構楽しくなりそうですな」
楽しくなんて有りません! ルビンスキーを人質にして撤退って一体何考えてるんですか! それじゃあ私達、お尋ね者です。それなのに准将は本当に楽しそうに笑ってる……。

「しかし、我々はフェザーンの地理に明るくありません。行きも帰りもその点が不安ですが」
リンツ中佐の言葉にローゼンリッターのメンバーが頷きました。私も不安です、土地勘が無ければ逃げる事も戦う事も出来ません。

「心配ありません。運転手はヴィオラ大佐が用意します」
「それは助かりますな」
シェーンコップ准将が頷くと他の皆に視線を向けました。皆がそれぞれの表情で頷いています。

「他にも御客さんが来るかもしれません」
「客?」
問い掛けた准将にヴァレンシュタイン提督が笑みを向けました。ちょっと、怖いです。
「銀河帝国フェザーン駐在高等弁務官、ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵……」

一瞬間が有った後、シェーンコップ准将がクスッと笑いました。提督もクスッと笑います。
「なるほど……、丁重におもてなしをしないと」
「そうです、伯爵閣下は貴族に相応しい最高級のもてなしを要求すると思います。失礼の無いようにしないと」

二人の笑みがだんだん大きくなります。拙いです、最悪です。私は貴族なんて好きじゃありませんし、レムシャイド伯なんて知りませんがそれでも伯爵が可哀想に思えてきました。皆も呆れたように二人を見ています。

「ゼッフル粒子を使う場面が出そうですな」
「その場合は火器が使えません。全員ナイフを二本用意させてください。一本はサバイバル、もう一本はバリステックを」
「了解しました」
バリステック? 何だろう、サバイバルは分かるけど……。全員って私も持つのかな? 持つんだろうな、私、ナイフは自信ないんだけど……。

「あの……、バリステックって何でしょう」
質問するんじゃなかった。皆の視線が痛い……、でも本当に知らないんです。ややあってリンツ中佐が口を開きました。

「ミハマ中佐、バリステックナイフというのは刀身を前方に射出することができるナイフだ。大体十メートルぐらいの距離ならば相手を殺せる。ゼッフル粒子を使えば火器は使えん、火器の代わりにバリステックナイフを使う、そういう事だ」
なるほど、あれか……。聞いた事は有ります、あれってバリステックナイフって言うんだ、でも私に使えるかどうか……。

私が不安に思っていると
「クロスボウはどうしますか」
「全員が持つ必要はないが多少は用意した方が良いだろう」
とリンツ中佐とシェーンコップ准将が話しています。どうしよう、私が悩んでいると提督の声が聞こえました。

「ミハマ中佐もナイフとブラスターは持ってください。ですが実際に使う事は無いでしょう。中佐にはビデオを録画してもらいます」
「ビデオ、ですか」
「ええ、私とルビンスキーの会談を録画してください。後々、証拠になりますからね」

正直ホッとしました。慣れないナイフなんて使いたくありません。そう思っていると提督がクスクス笑い出しました。
「大根もまともに切れない女性にナイフは使わせませんよ」
「大根ぐらい切れます!」

提督の笑いは益々大きくなりました。
「そうですか、でも魚の三枚おろしは出来ない、そうでしょう?」
「……それは」
痛いです。とっても痛いところを突かれました。気が付くと皆が憐れむような目で私を見ていました。

なんで皆そんな目で私を見るんです! 私だって何度も挑戦したんです。でも私がやるとどうしても中骨に肉が多く付いてしまって……。母には何時もそれで溜息を吐かれました。
“女の子が余ってるっていうのに……。まあ、あんたみたいな女の子がいるからスーパーで魚をさばく仕事が有るのよね……”

「ハイネセンに戻ったら私が教えてあげますよ」
「……」
「遠慮する事は有りません。三枚おろしは基本ですからね、それが出来ればどんな魚でも下ろせます。好きな男性に魚料理を作ってあげられますよ」
「……はい、お願いします」
ついでにクッキーも教えて貰おう。

「提督、地上車にはサンルーフが有りますな」
「ええ、ロケットランチャー、狙撃用ライフル、自動小銃、必要なものを用意してください」
「了解しました、手榴弾も用意しましょう」

頭が痛くなりました。二人とも遠足にでも行くように楽しそうに話しています。でも話の内容はどう見ても市街戦、カーチェイス、銃撃戦を想定しています。自分がそれに巻き込まれる? 今一つ実感が湧きません。念のため、念のためよ。提督は用心深いんだから……。



宇宙暦 795年 9月16日    フェザーン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



予定通りベリョースカ号は九月十六日、八時にフェザーンに着いた。宇宙港の特別区画にはこれも予定通りヴィオラ大佐が五人の部下と待っている。彼らはベリョースカ号が到着すると早速船に乗り込んできた。

「お待ちしていました、ヴァレンシュタイン提督」
「ご苦労様です、今日は宜しくお願いします」
互いに敬礼をして挨拶をする。前に会ってから三年か……。相変わらず太ってるな。ダイエットとかはまるで考えていないのだろう。

「入国の手続きは既に済んでいます、急ぎましょう」
そう言うとヴィオラ大佐が部下達に頷いた。部下達が車の運転席に向かう、ローゼンリッターが近寄りキーを渡した。

エンジンが始動し皆が乗り込む。俺が乗ったのは二台目、一緒に乗ったのはシェーンコップ、サアヤ。ヴィオラ大佐は先頭の車に乗った。次々に車がベリョースカ号を後にする。今日、この日から宇宙が変わる。人類の記憶に残る一日になるだろう。自然と笑みが浮かんだ。

「楽しそうですな、提督」
「楽しいですよ、今日は狐狩りの日ですからね」
俺の言葉にシェーンコップが笑いサアヤが呆れた様な顔をした。狐狩りだ、黒と白、そして地球という穴に籠った化け狐を狩り立ててやる……。




 

 

第八十話 フェザーン謀略戦(その2)




宇宙暦 795年 9月16日    フェザーン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



フェザーンは帝国と同盟を結ぶフェザーン回廊の中に有るフェザーン星系の第二惑星に作られた商業と交易の惑星国家だ。フェザーン星系において人類が居住可能な惑星は第二惑星しかない、そのため通常フェザーンと言えばフェザーン星系ではなく第二惑星そのものを指す。

このフェザーンは地球出身の大商人、レオポルド・ラ―プが賄賂と嘆願によって帝国を説得し、宇宙暦六百八十二年(帝国暦三百七十三年)に帝国の自治領として成立した。つまり建国して既に百年以上経つ事になる。それとも未だ百年ほどしか経っていないと言うべきか……。

国家元首は自治領主と呼ばれ、初代レオポルド・ラープ以来五代にわたり当地を治めている。当代の自治領主がアドリアン・ルビンスキー、黒狐の異名を持つ男だ。宇宙暦七百九十一年、四年前から自治領主の地位に有る。前任者、第四代自治領主であるワレンコフは急死した。

フェザーンは帝国の自治領とは言っても実質的には独立国だ。イゼルローン回廊が軍事用として使われるなか、もう一つのフェザーン回廊を利用して帝国と同盟の間で中継貿易を実施してきた。その利益は膨大なものだ、僅か一つの惑星しか領土を持たず、人口比でも五%弱に過ぎないにもかかわらず、銀河系全体の一割以上の富を独占している。だがそれ以上に大きいのはその金融、輸送力だろう。金の流れ、物の流れにおいて大きな影響力を持っている。

もっとも経済力は大きいが軍事力は微々たるものだ。そのため帝国も同盟もフェザーンを脅威だとは感じていない。その経済力を羨望する事は有ってもフェザーンに恐怖を感じる事は無い……。昨日までは……。

フェザーンについて考えていると耳につけた通信機のイヤホンからヴィオラ大佐の声が聞こえた。
『ヴァレンシュタイン提督、もう間もなく自治領主府に着きます』
「分かりました」
もう間もなくか……、隣に居るシェーンコップに視線を送る、彼がニヤリと笑うのが見えた。こういう時は頼りになるよな。サアヤは表情が硬い、やはり不安なんだろう。俺はどんな表情をしているのやら……。

目の前に大きな建物が見えてきた、自治領主府だ。先導するヴィオラ大佐の車が敷地内に入った、そして地下の駐車場に向かう。駐車場は地上にもあるはずだが人目に触れる事を嫌ったのだろう。俺の乗っている車もその後を追った。地下の駐車場は確か三階まで有るはずだ。脱出を考えると駐車場は地下一階がベストだろう。

地下一階の駐車場は決して大きくは無かった。車が四十台程しか止められないだろう。まばらにスペースが空いている。五台まとまって止まるのは無理か、そう思っていると隅の一角から駐車していた車が次々と発進した。ヴィオラ大佐の先導車が空いたスペースに向かう。

「ヴィオラ大佐、今出て行った車は」
『こちらで用意した車です。彼らはこの後地上で我々のバックアップに回ります』
「了解」
場所取りか、やるな、太っちょヴィオラ。その腹は伊達ではないという事か。脂肪の代わりに知謀が詰っている! 頼もしいぞ! 段々ハイになってきた。

車をスペースに止めて気付いた。止めた場所は庁舎への出入り口のすぐ傍に有る。ぬかりない奴だ、段々デブが好きになってきた。シェーンコップも“ヴィオラ大佐はやりますな”なんて言っている。

車を降りると全員の時計の時間を合わせた、九時四十分。そしてヴィオラ大佐を除いて全員がサングラスをかける。本来は俺だけで良いのだが、それをやると逆に目立ってしまうからな。このほうが目立たずに済む。俺、サアヤ、ヴィオラ大佐、そしてシェーンコップを含めてローゼンリッターが十人……、全て合わせて十三人。縁起の良い数字だ、必ず上手くいく、そう念じて庁舎の中に入った。

フェザーン自治領主府、一階から三階までは一般市民に対して公開されている。主に行政のサービスを提供しているのだ。そのため人の出入りは比較的自由で俺が歩いていても咎められる事は無いはずだ。俺がヴァレンシュタインだと分からなければだが……。

四階から上は三階までとは違う。ここからは入退出用のセキュリティカードを持つ職員か受付でカードを貸し出して貰った外来者以外は入れない。そして四階より上に行くためには一階の受付の傍に有るエレベータからでしか行く事は出来ないのだ。このエレベータは二階、三階には止まらない、つまり入口は一階の受付の傍にしかない。そしてルビンスキーの執務室は七階に有る……。

非常階段も有るのだがこいつも一階から三階までとは別なものになっている。つまり一階から三階の人間は非常階段を使って上に行く事は出来ない。そして非常階段の最終的な出口は一階の警備室の隣になっている。警備室の眼を盗んで勝手に使う事は出来ない。

ヴィオラ大佐が受付で話をしている。アポは取ってあるのだ、問題は無いだろう。有るとすれば人数が多い事だが何と言って説得するかはヴィオラ大佐に任せるしかない。全員武器はアタッシュケースに入れて持ち歩いている。ローゼンリッターはエンブレムを外しているから判別は出来ない。ここを切り抜けられるか否かが第一関門だ。大丈夫だ、上手くいく。

ヴィオラ大佐が戻ってきた。顔には笑みが有る、小声で話しかけてきた。
「上手くいきました。まあ強盗や人攫いがここに来るはずが有りませんからな」
「そうですね」
イゼルローン要塞と同じか、IDカードを偽造しても調べられる事は無かった。ここに敵が来るはずが無い、その固定観念が警備を形骸化させている……。

「帝国の高等弁務官事務所に連絡を入れてもらえますか」
「承知しました。外にいる連中にやらせます」
俺の言葉にヴィオラ大佐が頷いた。時間は九時四十六分。ヴィオラ大佐が“白狐を誘き出せ”と指示を出している。思わず笑みが漏れた。さて、出てくるかな、白狐。早ければここには十分程で来るはずだ。

エレベータは二回に分けていく事になった。ヴィオラ大佐は一回目、俺はシェーンコップと一緒に二回目で七階に上がった。俺が七階に着くとヴィオラ大佐が近づいてきた。既に七階の警備兵が二名、床に倒されている。リンツとブルームハルトがサムズアップをしてきた。シェーンコップがサムズアップで応える。仕事が早いよな。

「我々の前の面会がまだ終わっていないようです、どうしますか」
「面会者は?」
「二人、或る財団の理事と秘書です」
時間を確認した。九時五十二分、約束の面会時間まで後十分、レムシャイド伯が来るとすれば後五分から十分だろう。シェーンコップと顔を見合わせた、彼が頷く。

「入りましょう、あまり時間が無い」
俺の言葉にヴィオラ大佐が頷いた。武装を整え執務室の中に入ったのは九時五十五分だった。

中に入ると三人の男性がソファーに座っていた。ルビンスキーと初老の男性、そして若い男だった。武装した俺達の姿を見てもルビンスキーは表情を変えなかった。老人は眉をひそめている。二人とも結構おちついているな。落ち着きが無いのは若い男だ、多分秘書だろうがキョロキョロしている。
「一体何だね、失礼だろう」

大したもんだ。老人の声はしっかりとしていてパニックを表すものは欠片も無かった。秘書の視線がキョロキョロと定まらない事を考えれば拍手してやりたいくらいだ。若い頃は商船を駆って危ない橋も渡ったのかもしれない。海千山千のしたたか者だったろう。俺はそういう男が嫌いじゃない。素直に好感を持った。

「申し訳ありません。そちらの自治領主閣下に緊急の用件が有りまして……」
「待てないというのかね」
「その通りです、貴方を巻き込みたくありませんので退室していただきたい。お願いします」
俺の言葉に老人はじっと俺を見た。そして一つ溜息を吐く。

「自治領主閣下、また出直して参ります。……若、帰りますよ」
???だった。皆も狐につままれたような顔をしている。どうやらボンボンの二代目としっかり者の番頭だったらしい。フェザーンでも時代劇みたいな設定が有るんだと素直に感動した。

老人が席を立ちドアに向かって歩き出すと若い主人がその後に続いた。悪いな、御老体。しかしあんたを巻き込みたくないというのは本当だ、大人しく出て行ってくれるのには感謝するよ。あんたの大事な若を大切にな……。

老人達が出て行ったがルビンスキーはソファーから動かなかった。面白そうな表情で俺達を見ている。こういうところが可愛げがないんだよな。
「何の用かな、ヴァレンシュタイン中将。訓練ではなかったのかね」
「近くまで来たので表敬訪問ですよ、自治領主閣下」

俺の動向は調べてあるという事か。まあ当然だろうな。となればこっちの狙いもある程度は察しているだろう、フェザーンの独立、そんなところか……。さて、どうなるかな。とりあえず、俺も座らせてもらおう。ルビンスキーにだけ楽をさせておく必要は無い。ルビンスキーの正面の椅子に腰を下ろすのとイヤホンから声が流れるのが同時だった。

『レムシャイド伯が到着しました。護衛は十人、今建物に入ります』
「了解」
ヴィオラ大佐が答えながら視線を皆に向けた。皆がそれぞれの表情で頷く。サアヤが多少緊張しているがローゼンリッターは不敵な笑みを浮かべていた。

「小官が出迎えに行きましょう」
シェーンコップがドアの外に向かう。ルビンスキーが微かに眉を寄せた。どうやらレムシャイド伯が来るのを察したらしい。伯がここに来るまであと三分程か。レムシャイド伯、大分急いできたようだが飛んで火に入る夏の虫だな。狐はもう少し用心深い動物なんだが……。

「改めて御挨拶を。自由惑星同盟軍中将、エーリッヒ・ヴァレンシュタインです」
「フェザーン自治領主、アドリアン・ルビンスキーだ。それで、何の用だね、ヴァレンシュタイン中将」

低く渋い声だ。声だけなら好感が持てるな。何となくシトレの事を思った。
「随分と余裕ですね、驚くそぶりも慌てるそぶりも無い。私を危険だとは思わないのですか」
「思わない、私は君を高く評価している。私に危害を加える様な事は無いだろうし、殺す事も無いだろう。何の用だね」

思わず苦笑が出た。ルビンスキーの俺に対する危険度評価はゼロのようだ。随分と舐めてくれる。手をポケットに入れた、ゼッフル粒子の発生装置の冷たい感触が気持ち良かった。

「確かに自治領主閣下を殺す事は有りません。でも殺す意思が無いからといって危険がないとは限りませんよ」
「なるほど、確かにそうだ」
ルビンスキーは落ち着いているし楽しげでもある。俺も楽しくなった、こいつの顔色が変るところが見られるはずだ。腹の皮が捩れるほど笑えるだろう。

「もう少し待ちましょう。話は一度で済ませたい」
「レムシャイド伯かね。良いだろう、彼を待とうか」
お互いにこにこしながらレムシャイド伯を待った。皆が呆れた様な表情をしている。その事がまた楽しかった。楽しいよな、ルビンスキー。

それほど待つこともなくドアが開きシェーンコップが両手を上げて入ってきた。その後から帝国軍の軍服を着た男達がぞろぞろと十人ほど入って来る。全員銃を構えている。“手を上げろ”、“抵抗しても無駄だ”などと言いながら銃を向けてくる。シェーンコップが俺を見て片目を瞑った。迎えに行くって、これかよ……、困った奴。

ローゼンリッターは呆れた様な表情で大人しく両手を上げている。サアヤもヴィオラ大佐もだ。仕方ない、俺も驚いたような表情をした。騙されてくれるかな、少し自信が無い。レムシャイド伯は一番最後に入ってきた。よく来てくれたな、レムシャイド伯……。これで役者が揃った。

帝国軍人達を押し分けるようにしてレムシャイド伯が前に出てきた。
「ここで何をしているのですかな、自治領主閣下、ヴァレンシュタイン」
口調は穏やかだが視線は鋭い。ルビンスキーが肩を竦めた、そして俺に視線を向ける。

「ヴァレンシュタイン中将がいきなり訪ねてきたのです。どうやら私達三人で話をしたいらしい」
今度はレムシャイド伯が俺に視線を向けた。好意の一欠けらもない視線だ。居心地悪い? とんでもない、嬉しくてぞくぞくする。

「そんな必要は有りませんな。ヴァレンシュタイン、卿の負けだ。帝国に来てもらおうか」
「ここは中立国ですよ、随分と無茶な事を……」
気弱な表情を見せた。
「勘違いするな、ヴァレンシュタイン。フェザーンは帝国の自治領だ。反乱軍との交易は認めても中立など認めておらん」

レムシャイド伯は俺とルビンスキーを交互に見た。おやおや、半分以上はルビンスキーへの警告か。帝国に隠れて同盟に近づくな、独立など許さん、同盟に付く事も許さん、そんなところだな。上手くいけば功績第一、フェザーンの白狐の異名は高まるだろう、少しの間夢を見させてやるか……。

わざとらしく大きく息を吐いた。そして哀れっぽく哀願する。
「これまでか……、私だけにしてください。彼らは帰してやって欲しいのです」
「……良いだろう、卿に比べればゴミのようなものだ。取るに足りぬ」

出たよ、門閥貴族の傲岸さが。ゴミ扱いされたシェーンコップを見た。口元がひくついている。必死に笑いを堪えているのだろう。俺を見てまた片目を瞑った。駄目だ、堪えられん、笑い声が出た、哄笑と言って良い笑い声だ。

「何が可笑しい! 気が狂ったか! ヴァレンシュタイン!」
レムシャイド伯が声を荒げた。門閥貴族だな、笑う事には慣れていても笑われることには慣れていない。そう思うとさらに笑い声が上がった。気が付けば俺だけじゃないシェーンコップもリンツもブルームハルトも皆が笑っている。サアヤも太っちょヴィオラもだ。そしてルビンスキーも笑っていた。しょうもない奴らだ。

「気が狂ったんです、恐怖のあまりね。これが何だか分かりますか」
ポケットからゼッフル粒子の発生装置を取り出した。帝国軍兵士の間に動揺が走る。皆、顔を見合わせている。大体の想像はついたのだろう。

「ここにスイッチが有ります。これを押すと……」
「……」
スイッチを押した。カチッと音が部屋に響く。
「ゼッフル粒子が出るんです、銃を撃つとボン!」
「……貴様……」

レムシャイド伯が顔を青褪めさせながら呻いた。
「全員銃を捨てなさい、死にたくないでしょう」
「……」
兵士達は顔を見合わせている。判断がつかないか……、厄介な奴らだ。

「彼らはローゼンリッターです。そしてナイフを持っている。銃を捨てないと殺されますよ、彼らは貴方達を切り刻みたくて仕方ないんですから」
「……」
俺の言葉に帝国軍兵士がぎょっとした表情でシェーンコップ達を見た。見られた方はニヤリと笑い返した。帝国軍兵士の顔が青ざめていく。可愛くないな、シェーンコップ……、美味しいところを全部持っていく。

「シェーンコップ准将、銃を捨てない人は切り刻んでください。得意ですし大好きでしょう」
「楽しみを作っていただいて有難いですな」
シェーンコップが苦笑しながらナイフを抜く。リンツ、ブルームハルト達が続いた。帝国軍兵士達が慌てて銃を捨て始めた。

ローゼンリッターの評価は決まった。今日この日から加虐趣味の変態ナイフ愛好者同好会だ、俺がそう決めた。反論は許さん。




 

 

第八十一話 フェザーン謀略戦(その3)



宇宙暦 795年 9月16日    フェザーン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



目の前で帝国軍兵士が手際よく拘束されていく。変態ナイフ愛好者同好会のメンバーは緊縛プレイ愛好者同好会のメンバーでもあった。奴らのアタッシュケースには拘束用の紐(特注だそうだ、人間に力ではまずちぎれない)が入っていたのだ。プライベートでも使っているのは間違いない。要するにこいつらは異常者、変態の集まりなのだ。ローゼンリッターが危険視され敬遠されるのも本当の原因はそれだろう。サアヤにも注意しておかないと……。

「レムシャイド伯、こちらにどうぞ」
俺はルビンスキーの隣の席を指し示した。しかし伯は蒼褪めたまま動こうとしない。多分自分がどんなふうに責められるか怯えているんだろう。安心して良い、俺はお前達貴族とは違う。他人を苛めて喜ぶような趣味は無い。ちょっと協力してもらいたいだけだ。仲良くしようと言っている。

「さあ、こちらへ。そこでは話も出来ない」
ぎこちなく伯爵が動き出した。そしてルビンスキーの隣に腰を下ろす。そう、それで良い。大丈夫、ただ話がしたいだけだ。

リンツ、ブルームハルトがルビンスキー、レムシャイド伯の後ろに立った。ルビンスキーは平然としているがレムシャイド伯は居心地が悪そうだ。そしてデア・デッケンが俺の後ろに立つ。俺の身を案じてだという事は分かっている。でもどうも後ろに立たれると落ち着かないんだよな。

こっちも準備をしよう。アタッシュケースを開くとレムシャイド伯が不安そうな表情を見せた。安心しろ、ペットボトルを取り出すだけだ。長くなるからな、喉が渇くだろう。取り出したペットボトルの口を切り、一口飲んでからテーブルの上に置いた。これで良い。

サアヤが少し立つ位置を変えた。録画し易い場所を選んだようだ。もっともサアヤが録画しているとはルビンスキーもレムシャイド伯も分からないだろう。サアヤが使用しているのは盗撮用の超小型ビデオだ。彼女の軍服の胸ポケットの部分にちょっと見には分からないように取り付けられている。サアヤが俺を見て軽く頷いた。OK、良い子だ、しっかり頼むぞ。

レムシャイド伯の視線が俺の右手に向かっている。なるほどゼッフル粒子の発生装置か、まあ気になるのが当たり前だな。発生装置をポケットに入れた。レムシャイド伯がほっとした表情を見せた。装置は既にゼッフル粒子の発生を止めている。ゼッフル粒子を出していた時間はそれほど長くはなかった。部屋の中は空調が効いている、時間がたてば危険は無くなるはずだ。

「さて、自治領主閣下。私からの提案なのですが独立しませんか?」
俺の問いかけにレムシャイド伯が厳しい視線を向けてきた。ルビンスキーは平然としている。御手並み拝見か? いいぞ、ルビンスキー。そのふてぶてしい可愛げのなさこそが黒狐の真骨頂だ。

「それは自由惑星同盟政府からの正式な提案なのかな」
黒狐が低く渋い声で問い掛けてきた。もっとも声に何処か面白がっている響きを感じたのは俺だけではないだろう。

「いいえ、私個人の提案ですよ。自治領主閣下」
「なるほど、では答える必要は……」
試す様な口調と視線だ。にっこり笑みを浮かべた。そして朗らかに答える。
「全然有りません」

ルビンスキーが俺を見る、俺も奴を見返した。一瞬間が有った後ルビンスキーが笑い出し俺も笑った。皆が呆れた様な表情をしている中、レムシャイド伯だけが白い眼で俺とルビンスキーを見ている。笑い終えるとルビンスキーがチラと横のレムシャイド伯を見た。

「答える必要は無いが伯爵閣下に変な誤解はされたくない。ヴァレンシュタイン中将、君の質問に答えよう」
俺は軽く一礼した。そんな俺をルビンスキーが満足そうに見ている。どっちが相手を思い通りに操っているのだろう。まるで狸と狐だな。となると俺は狸か……。

良いんじゃないか、狐より可愛いし、愛嬌も有る。それに化かし合いでは狸が勝っている。愛らしさ、実力、ともに狐より上だ……。必殺技は死んだふりか……、そこは今一つだな。

「帝国から独立しろとのことだが意味が無いな、今でもフェザーンは名目はともかく実質は独立国と言って良い」
ルビンスキーがチラっとレムシャイド伯を見た。目に皮肉な色が有る。さっきレムシャイド伯が言った“フェザーンは帝国の自治領”を意識しての言葉だな。後々この件で帝国から責められてもあの場はそう言うしかなかったとか言うつもりだろう。レムシャイド伯も忌々しそうな顔をしている。

「フェザーンは商人の国だ。商人は実を重んじ、意味のない名目などには興味が無い。今のままでフェザーンは十分に満足している。……せっかくここまで来てもらったのに君の期待には応えられない様だ。残念だな、ヴァレンシュタイン中将」

言葉とは裏腹に嬉しそうだな、ルビンスキー。主導権を取ったつもりか? もう少し残念そうな顔をしないと興醒めだな。お前の欠点は他者の上に立ちたがり過ぎる事だ、だから芝居が酷くなる。まあ良い、これからが勝負だ。ルビンスキーは楽しそうに俺を見ている。何時までそうしていられるかな、俺は笑みを浮かべた。

「自治領主閣下、私は独立してはどうかとは言いましたが帝国からとは一言も言っていませんよ」
ルビンスキーの表情が変わった。予想外の返答だったのだろう、笑みを消しこちらをじっと見ている。そしてレムシャイド伯を始め他の連中は訝しげな表情だ。

「帝国から独立しろと言って、“はい、分かりました”なんて貴方が答えると私が考えたと思うんですか、レムシャイド伯が居るこの場で。甘く見ないで欲しいですね」
「……」
あらあら、黒狐が黙り込んじゃったよ。妙な目で俺を見てるな、猜疑心全開だ。な~んか嫌な感じ~。思いっきり笑顔を作った。

「貴方はこう考えているのではありませんか? 私がここに来たのはフェザーンを同盟側に引き寄せるためではない、そうみせかけることによって国内に引っ込んだままの帝国軍を誘き寄せようとしているのだと」
「……」

ルビンスキーは無言、無表情だ。甘いよ、ルビンスキー。無言である事、無表情である事が感情を消すとは限らない。自信家のお前が感情を消した……、今のお前は主導権を取ることが出来ずに不安に駆られている。何かがおかしいと不安に駆られている。

そしてこちらの言う事を必死に考え、有り得ないと否定している……。残念だな、最初から主導権は俺に有るのだ。お前は俺の掌で踊っているだけだ、俺の望むように。あとはどれだけ上手に踊ってくれるかだ……。

「条件さえそろえばフェザーンは同盟に擦り寄るのは目に見えている。現時点で独立など持ちかける必要は無い。私の目的は帝国軍を振り回す為であってフェザーンの独立など本当はどうでも良い事なのだと……。そのためにレムシャイド伯に連絡を入れここに呼び寄せたのだと……。伯に猜疑心を植え付けるために……、如何です?」

「あの通信は卿の差し金だったのか……」
呻くようにレムシャイド伯が呟いた。恨みがましい目をしている。少し慰めてやるか。

「ええ、そうです。エーリッヒ・ヴァレンシュタインが同盟政府の命令で密かに自治領主と接触している。目立つことを避けるため少人数で来ている。今すぐ自治領主府に行けばヴァレンシュタインの身柄を抑え、ルビンスキーの背信を咎め帝国の威を示すことが出来るだろう。ヴァレンシュタインはヴィオラ大佐の名前で面会をしている、急がれたし……。発信者は亡命者の専横を憎む者、確かそんな通信だったはずです、そうでは有りませんか?」
「……」

「功を焦りましたね。こちらの不意を突けると思い、碌に準備もせずにここに来た」
レムシャイド伯が顔を歪めている。慰めにならなかったな、かえって傷つけてしまったか……。でも今度は大丈夫だ。
「私と自治領主閣下、そしてレムシャイド伯の三人で話す必要が有りました。ですがお話ししましょうと誘っても断られると思ったので……」

吹き出す音が聞こえた。シェーンコップが笑っている、彼だけじゃないルビンスキーを除く皆が笑っていた。リンツ、ブルームハルトもそうだが、俺の後ろでも笑い声が聞こえる。デア・デッケン、お前もか……。

俺がせっかく伯爵を慰めようと努力しているのにお前らはそれを笑うのか! レムシャイド伯を見ろ、傷付いているだろう! この根性悪のロクデナシども! サアヤ、お前も根性悪の仲間入りか? 嫁に行けなくなるぞ。

「話を戻しましょう」
俺が咳払いをして言うと皆が笑うのを止めた。そうだ、お前ら笑うのを止めろ。俺は真面目な話をしているのだ。ペットボトルの水を一口飲んだ。温くなっていたが美味かった。

「帝国に疑いを抱かせる、それだけが目的なら私がここに来る必要は無いんです。やりようはいくらでも有る。そうでは有りませんか」
「……」
また無言か、ルビンスキー。シェーンコップ達も顔を見合わせている。黒狐よ、狸の攻撃を受けるが良い。俺はにっこりとルビンスキーに微笑みかけた。

「もう一度言いましょうか、独立しませんか、自治領主閣下。貴方にはこの言葉の意味が分かるはずだ」
「……」
ルビンスキーの顔が強張った。レムシャイド伯が俺と黒狐の顔を交互に見ている。

「地球から独立しないかと言っています」
俺の言葉に執務室がざわめいた。
「馬鹿な、何を言っているのだ!」
ルビンスキーがざわめきを打ち消すように声を出した。だが皆がルビンスキーを訝しそうに見ている。

残念だな、それはお前の声じゃないんだよ。お前に会った人間なら誰もがお前の声を意識に刻み込むだろう。自信と傲岸さ、ふてぶてしさに溢れた声だ。今のお前の声は大きな声では有った。だが自信も傲岸さも無かった、ふてぶてしさもな……。

「隠しても無駄ですよ。私は全てを知っているんです。前回の戦いで私が言った言葉を知っているでしょう」
「……」
俺の言葉にルビンスキーの視線が泳いだ。微かに“馬鹿な”と呟く。俺がクスッと笑うとギョッとしたような視線を向けてきた。可笑しかった、今度は笑い声が出た。

「“世の中には不思議な事がたくさんあるのですよ。知らないはずの事を知っている人間がいる。私もその一人です”。それは帝国の事だけじゃ有りません、私はフェザーンの事も知っています」
「馬鹿な、何を言っているのだ……」
語尾が弱い、どうした、ルビンスキー。

「貴方はフェザーンの支配者などではない。雇われマダムですらない、精々主人の留守を守る有能な奴隷、そんなところです。貴方自身それを分かっているはずだ」
「……」

ルビンスキーの顔が朱に染まった。色黒の男が顔を朱に染めると屈辱感がより強調されるな。自分では分かっていても普段はそれを押し殺していたのだろう。自分こそがフェザーンの支配者だと自負してきた。それが虚飾に過ぎないと俺に指摘された……。屈辱だろうな、ルビンスキー。

「一体何の話だ、ヴァレンシュタイン」
レムシャイド伯が問いかけてきた。混乱しているな。しきりに俺とルビンスキーの顔を見ている。伯だけじゃない、皆が混乱していた。

「簡単な話ですよ、レムシャイド伯。フェザーンの真の支配者は地球なんです。そしてその地球を支配するのが地球教の総大主教。自治領主閣下はその奴隷にしか過ぎない。そう言っています」
黒狐の顔が更に朱に染まった。そして身体が強張っている。

皆が困惑した表情をしている。ルビンスキーの様子から嘘ではないのだろうと思っているのだろうが、今一つピンと来ないのだろう。ま、そうだろうな、地球など過去の遺物だ。それがフェザーンの支配者? まるで幽霊でも見た気分だろう。

「皆、説明を求めているようです。どうします、貴方が説明しますか、アドリアン・ルビンスキー」
俺は敢えて名前を呼んだ、お前など自治領主の名に値しない、そういう事だ。その意味が分かったのだろう。ルビンスキーの顔が屈辱に歪んだ、身体が微かに震えている。もうひと押しだな。

「その状態では説明は無理ですね、良いでしょう、私が説明しましょう」
俺はわざと肩を竦めた。その瞬間、ルビンスキーが掴みかかってきた。リンツが抑える前に、デア・デッケンが防ぐ前に、俺の拳がルビンスキーの鼻に炸裂した。

痛みに怯んだルビンスキーをリンツがソファーに押さえつけた。ブルームハルトがレムシャイド伯の肩に手をかける。騒ぎに便乗させない、そういう事だろう。残念だったな、ルビンスキー。何のためにお前を挑発し続けたと思っている。暴発させるためだ。今の姿はサアヤがしっかりと録画した。お前が地球の傀儡であることの何よりの証拠だ。俺はこれが欲しかったんだ。ルビンスキー、所詮お前は狐だ、狸の敵じゃない。

ルビンスキーが鼻から血を出している。レムシャイド伯が信じられない物を見たように首を横に振った。リンツ、ブルームハルトも困惑を隠さない。二人の上司は面白そうな表情をしていた……。なんでだ?

「ヴァレンシュタイン、地球がフェザーンの真の支配者とはどういう事だ。説明してくれ」
レムシャイド伯が困惑を隠さずに問いかけてきた。さっきまでの屈辱など吹っ飛んでしまったようだ。悔しそうなそぶりは毛ほども見えない。

「地球は人類発祥の星でした。しかしその傲慢さが憎まれシリウス戦役によって完膚なきまでに叩き潰されました。それにより政治的、経済的に実力も潜在力も喪失した……。銀河連邦が成立する百年ほど前の事です」
「……」

「銀河連邦も、その後地球を支配下に置いた銀河帝国も地球には何の関心も抱かなかった。地球に住む人間達が地球こそ人類発祥の地であり敬意を払われるべき存在、いや人類の中心であるべきだと思っても銀河の支配者達は全く関心を持たなかった。彼らにとって地球は資源を使い果たし人口も少なく何の価値もない老廃国家でしかなかった……」

レムシャイド伯に視線を向けた。ここまでは良いか、そんなつもりだったが伯も同じ想いだったのだろう。俺に視線を当てたままゆっくりと頷いた。俺も伯に頷き返した。ルビンスキーは顔を顰めて俺を見ている。リンツが肩に手をかけている。指が肩に食い込んでいた。

「当然ですが彼らはその事を恨んだでしょう。そして地球の復権を考えた。そんな地球にとって一つの転機が訪れます。宇宙暦六百四十年、帝国歴三百十一年に起きたダゴン星域の会戦です。それまで人類社会は帝国の下に一つだと思われていました。しかし自由惑星同盟が存在する事が分かり、人類社会は二つに分かれている事が分かったのです。地球は自由惑星同盟を利用して地球の復権を図ろうとした」

レムシャイド伯は俺が自由惑星同盟の名称を使っても何も言わなかった。本当なら“反乱軍と呼べ”とか叱責が来るところなんだがどうやらそんな余裕は無いらしい。しきりに“ウム”とか相槌を打っている。

「ダゴン星域の会戦後、自由惑星同盟は国力の上昇に努めました。一方帝国は深刻な混乱期を迎えます」
「暗赤色の六年間か……」
レムシャイド伯が悲痛な声を出す。 暗赤色の六年間……、陰謀、暗殺、疑獄事件。あの時帝国は崩壊しかかっていた、マクシミリアン・ヨーゼフが登場しなければ帝国は解体していただろう。

「マクシミリアン・ヨーゼフ帝によって帝国は立て直されますが、彼は外征を行ないませんでした。簡単に同盟を征服できるとは思わなかったのでしょう」
「距離の暴虐だな」

距離の暴虐、レムシャイド伯の言った言葉はマクシミリアン・ヨーゼフ帝に仕えた司法尚書ミュンツァーの言葉だ。彼は自由惑星同盟が帝国本土から遠く離れている事が帝国軍の兵站や連絡、将兵の士気の維持を難しくさせると皇帝に説いた。実際彼の言うとおりだろう、戦争は未だにだらだらと続いている。

「帝国が外征を行なうのは次のコルネリアス帝になってからです。地球はこの時期に自由惑星同盟と独自に接触しようと航路を探索した……」
「そしてフェザーン回廊を見つけた……」
呻くような口調だ。そしてレムシャイド伯は俺を見て“続けよ”と急き立てた。命令口調なのは気に入らないが真剣に捉えてはいる。

「そうです。そして彼らは考えた。フェザーンに中立の通商国家を造り富を集める。その一方で同盟と帝国を相争わせ共倒れさせる。その後はフェザーンの富を利用して地球の復権を遂げると」
今度こそレムシャイド伯の呻き声が聞こえた……。


 

 

第八十二話 フェザーン謀略戦(その4)




宇宙暦 795年 9月16日    フェザーン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



レムシャイド伯が呻いている。
「如何です、帝国と同盟、その二国が争っているのを人知れずほくそ笑んで見ている存在が有ると言うのは」
「……」

「しかも彼らは帝国と同盟の共倒れを望んでいる」
多少皮肉を込めたつもりだったがレムシャイド伯は気付かなかった。そんな余裕などないのだろう。

「信じられん、信じられんが……」
そう言うとレムシャイド伯はルビンスキーに視線を向けた。ルビンスキーは気付かないように正面を見ている。といっても俺とは視線を合わせようとはしない。鼻から血が出ているが気にした様子もない。可愛くない奴。

「本当か、本当なのか」
「……出鱈目だ。そんな事は有り得ない」
それはそうだろう。ルビンスキーの立場ではそういうしかない。というわけで俺が往生際の悪い黒狐に追い打ちをかける事になる。

「フェザーンは通商国家、交易国家です。中継貿易によって巨利を得ている。酷い言い方をすればフェザーンは帝国と同盟に寄生していると言っていい、自分一人では繁栄できません」
ルビンスキーの顔が歪んだ。俺が何を言い出すのか想像がついたらしい。俺はにっこりと微笑んでやった。

「長期にわたって戦争が続いたことで帝国、同盟の経済活動は低下しています。何より戦争によって人が死ねばそれだけ市場が小さくなる。かつて銀河には三千億の人間がいましたが今では四百億しかいません」
「……」

レムシャイド伯がまた“ウム”と頷いた。眉が寄って難しい顔をしている。三千億の人間が四百億に減少した。多少なりとも脳味噌の有る人間なら考え込まざるを得ないだろう。にもかかわらず帝国が、同盟が、人類が戦争を止めないのはそこから目を逸らしているからだ。見たくない現実から目を背け見たい現実だけを見ている。阿呆どもが! だから地球なんぞという亡霊に付け込まれるんだ! 俺がお祓いしてやる。

「そんな中でフェザーンだけが繁栄している。このままいけば帝国、同盟の市場は縮小し続け、フェザーンの商人だけが増え続ける事になります。分かりますか? 需要者が減り続け供給者が増え続ける、フェザーンの商人にとって生き辛い時代が来るんです。にも関わらずフェザーンの自治領主は何もしようとはしない。何故です?」
「……」

皆の視線がルビンスキーに向かった。ルビンスキーは無言だ。リンツの指に力がこもった。しかしルビンスキーは無言を貫いている。
「レムシャイド伯、伯が自治領主ならこの状況、どうします? 放置しますか? 放置できますか?」
「……いや、それは……」
「出来ませんか」
俺の問いかけに渋々と言った風情でレムシャイド伯は頷いた。

「では、どうします」
「……和平、か」
絞り出す様な声だった。その声に周囲がざわめく。同盟との和平、帝国貴族である彼にとっては仮定の質問でも答え辛いものだっただろう。

「そうなりますね、帝国と同盟の間で和平、或いは休戦条約を結ばせようとするでしょう……。しかしアドリアン・ルビンスキー、彼は何もしていない。その理由は?」
「……」
俺が問いかけてもレムシャイド伯は沈黙するだけだ。答えるのが怖いのか……。

「気付かないほど愚かなのか、或いは彼にとってはフェザーンの繁栄は絶対のものではなく他に優先すべきものが有るのか……、どちらだと思います?」
誰もが同じ答えを出すだろう、ルビンスキーは愚物ではない……。

レムシャイド伯が唸り声を上げた。そして俺に視線を向けた。
「ヴァレンシュタイン、かの亡命帝、マンフレート二世陛下が暗殺されし時、その背後にフェザーンがいると噂されたそうだがあれは事実という事か……」
「そういうことでしょうね」
俺と伯の会話に皆がざわめいた。ローゼンリッターだけじゃない、拘束されている帝国軍兵士も驚きの声を上げている。

「事実なのか、事実なのだな、ルビンスキー」
押し殺した低い声だ、怒りに沸騰しそうなほどに煮えたぎっている。しかしルビンスキーは動じなかった。無表情に正面を見ている。

「中継貿易の利を独占するためと噂されたが真実は帝国、そして同盟を共倒れさせるためか!」
レムシャイド伯は吐き捨てる様に言うと隣に座るルビンスキーを睨み据えた。視線で人を焼き殺せるならルビンスキーは焼死していただろう。それほど激しい視線だ。

「いや、レムシャイド伯、事態はもっと深刻だったと思いますよ、地球にとっては」
「深刻? どういう事だ、ヴァレンシュタイン。一体何が有ったのだ」
訝しそうな声だ、そして不安に溢れている。

喉が渇いた、ペットボトルから水を一口飲む。レムシャイド伯が俺を見ていた、ペットボトルをレムシャイド伯に差し出すと伯はちょっと戸惑った様子を見せたが受け取って一口、二口と水を飲んでから俺に返した。

お互い無言だ、会釈もなければ愛想も無い。それでも伯からは敵意のようなものは感じられなかった。今の彼にとって敵はルビンスキーであり、俺は三割くらいは味方だろう。

「マンフレート二世は亡命者でした。幼少時に暗殺者の手を逃れ自由惑星同盟で育った。彼の持つ価値観は帝国人よりも同盟人に近かったでしょう。或いは同盟人そのものだったかもしれない。当時の同盟の政治家達がマンフレート二世を帝国に送り返す事で和平を、帝国の国政改革を期待した事を考えるとそう判断せざるを得ません」

「……なるほど、それで」
レムシャイド伯が先を促す。気が付けば伯は身を乗り出していた。切迫感もあるのだろうが元々この手の歴史関係の話が好きなのかもしれない。

「もしマンフレート二世が国政改革を行ったとすればどのようなものであったか……。おそらく同盟をモデルにしたものであったでしょう。貴族達の専横を押さえ平民達の権利を保障し手厚く保護する。平民達の地位を向上させようとしたのではないかと思います」
「うむ」

「今現在、同盟政府が市民を鼓舞する際使う言葉として“暴虐なるゴールデンバウム王朝を撃て”という言葉が有ります。これはルドルフ大帝が社会秩序維持局を使って平民を弾圧した事を非難し、その政治が今も続いていると非難しているのです。そしてそのような帝国を撃つ事こそが銀河連邦の後継者である我々の使命だと言って市民の戦意をかきたてている」
「……」
レムシャイド伯が顔を顰めた。帝国貴族である伯にとっては聞き辛い事だろう。だがな、俺だってルドルフに大帝なんて付けてるんだ。少しは我慢しろ。

「もしマンフレート二世の国政改革が実施されればどうなったか……。平民達の権利が保障されその地位が向上されればどうなったか……」
問い掛けたわけではなかったがレムシャイド伯が答えた。
「なるほど、誹謗は出来なくなるな……。戦争をし辛くなるという事か」
その通りだ、戦争はし辛くなる。ルドルフ的な物が無くなれば何故戦うのかという疑問が出てくるだろう。

「改革が進めば進むほど戦争はし辛くなります。和平交渉が上手く行くかどうかは分かりません。しかし上手く行かなくても自然と休戦状態にはなったかもしれない」
「うむ」

喉が渇いたからペットボトルから水を一口飲んだ。レムシャイド伯が黙って手を出してくる。ペットボトルを渡すと無言で一口飲んでから返してきた。もう友達だな。でも有難うくらい言えよ。親しき仲にも礼儀有りだぞ。

「既に一度その例が有るのです」
「……そうか、晴眼帝の事だな」
「はい」
レムシャイド伯が唸っている。さっきまでは身を乗り出していたが今は両腕を組み背を反らして唸っている。なんか憎めない爺さんだな。

晴眼帝、マクシミリアン・ヨーゼフ二世の時代、帝国と同盟の間には戦争は無かった。帝国は国内の改革で、同盟は国力の伸長に手一杯で戦争をしている余裕が無かったのは確かだ。だが同盟は次のコルネリウス一世の時には帝国の軍事力に対抗できるだけの力は有る、そう政治家達が自信を持つだけの軍事力を持っていた。マクシミリアン・ヨーゼフ二世の晩年に何も出来ないほど無力だったとは思えない。では何故軍事行動を起こさなかったか……。

やはりマクシミリアン・ヨーゼフ二世が名君として帝国を統治していたことが大きいと思う。主戦論者が“暴君を斃せ”、“暴虐なる君主制専制政治を打倒しろ”と言っても同盟市民の多くは首を傾げただろう。“改革して帝国の政治が良い方向に向かっているのに何で?” 主戦論は多数派にはならなかったのだと思う。

「私はこう思うのですよ、レムシャイド伯」
「なんだ」
また身を乗り出してきた。
「同盟の政治家達がマンフレート二世に望んだのは和平よりも国内改革ではなかったかと」
「……休戦状態か……」
「はい」
レムシャイド伯が目を瞑ってウームと唸っている。面白い爺さんだ、ルビンスキーの事など眼中から無くなっている。

「同盟は和平は難しいと考えたのではないかと思うのですよ。帝国は対等の存在を認めない。和平を結ぼうとすれば必ず従属を求めてくると……」
「同盟はそれを嫌った……、卿はそう言うのだな」

「はい。無理に対等の和平を求めればマンフレート二世の立場を弱めかねない。同盟政府が名目だけの従属を選択しても市民は反発するだろうと考えた。つまり和平は長続きしない、であるならば休戦状態による共存を考えるべきではないか……」
またレムシャイド伯が唸った。いや伯だけじゃない、彼方此方で唸り声が上がっている。

「マンフレート二世が暗殺されなければ彼の後は息子が就いていたはずです。そうであれば改革も継続され休戦状態も続いた可能性が有る。国交は無いかもしれませんが共存は出来た。和平を結んだのと同じ状態でしょう」
「うむ」

議会民主制では主として選挙によって政権交代が起きる。選挙では当然だが相手の政策の不備をあげつらう事になる。となればその貶した政策を引き継ぐのはなかなか難しい。相手を貶して政権を取りながら実際の政策は貶した相手の政策を継承する。政権交代の意味は何だ? となるだろう。

一方君主制であれば失政が有れば暗殺される危険が有るというのは誰でも分かっている。死にたくなければ安全な実績のある政策を採るのが一番なのだ。父親が善政を布いていれば周囲には父の政治を受け継ぐと言えばよい、親孝行な息子だと周囲の好感を得ることも出来るだろう……。改革が成果を上げていればその政策が継続された可能性はかなり高い。

「地球にとっては最悪の状況でしょうね。帝国と同盟が戦争をすることなく共存し繁栄していく。フェザーンは中継貿易で繁栄する事は出来るかもしれないが地球が復権する可能性は低くなる。マンフレート二世が暗殺されたのは和平よりも改革が原因でしょう。地球はマクシミリアン・ヨーゼフ二世の時に有った休戦状態が来るのを恐れた……」
「……」

「マンフレート二世暗殺後、同盟は帝国との和平を諦め戦争を選択します。和平だけでなく休戦の可能性も無くなったことで戦争を選択するしかなかったのでしょう。つまり共倒れの道を歩み始める事になった……」
執務室の中に沈黙が落ちた。張りつめた静けさだ、痛いほどに部屋は緊張している。

「そうか、そういう事なのか、ルビンスキー」
押し殺した低い声だ、怒りに沸騰しそうなほどに煮えたぎっている。しかしルビンスキーは動じなかった。

「全て推測だ、何の証拠もない」
平然と言い切った。正面を向いたままレムシャイド伯を見ようともしない。見事なもんだ、ここまで来てふてぶてしさを取り戻したか。もっとも証拠が無い、というのはいただけないな。疑わしきは罰せずは刑事裁判の世界では通用するかもしれんが政治の世界、マキャベリズムの世界では通用しない。やられる前にやれが鉄則だ。間違っていたならその後で泣けば良い。

「そうですね、全て推測です」
「……」
ルビンスキーとレムシャイド伯が俺を見た。リンツ、ブルームハルトも俺を見ている。多分皆俺を見ているのだろう。折角だ、にっこりと笑みを浮かべてやった。

「アドリアン・ルビンスキー、もう少し私の推測に付き合ってもらいましょうか」
ルビンスキーの視線が動いた。動揺しているな、必死にそれを押し隠そうとしている。堪えられるかな、ルビンスキー。

「マンフレート二世の時代から四十年ほどさかのぼりますがマクシミリアン・ヨーゼフ帝の死後、コルネリアス一世が帝位に就きました。そして大親征が起きますが、この戦いで同盟軍は二度に亘って大敗北を喫しています。オーディンで宮中クーデターが発生しなければ宇宙はコルネリアス一世によって統一されていたでしょう。さて、このクーデター、偶然ですか?」
執務室がざわめきに満ちた。シェーンコップも愕然とした表情をしている。

「まさか、卿はあの宮中クーデターは地球の仕業だと言うのか?」
喘ぐような口調だった。レムシャイド伯の両手は硬く握られている。俺が微笑みかけると伯が怯えた様な表情をした。おいおい俺達は友達だろう、そんなに怯えるなよ、悲しいじゃないか。

「さあ、どうでしょう。しかしあの時期、地球は既にフェザーン回廊を発見していたはずです。そしてフェザーンを創設し同盟と帝国を共倒れさせるという方針も確立していた。自由惑星同盟が滅びていればフェザーン回廊など何の意味も無かった。当然ですがフェザーンも存在していない……」
「馬鹿な……、そんな事が……」

あのクーデターについては何も分かっていない。原作を読んでも宮中でクーデターが起きたとしか書いていない。この世界で調べても分からなかった。クーデターを起こした人間は皇帝コルネリアス一世の信頼が厚かったらしい。クーデターを起こしたためかなり悪く書かれているが有能であったことも分かる。

クーデターを起こした人間は皇帝の信頼厚い有能な重臣だった。当然ではある、皇帝が留守を任せるのだ、馬鹿や信頼できない奴に任せるはずが無い……、にも拘らず彼はクーデターを起こした。何故か……、その理由が分からない。

クーデター鎮圧後、皇帝コルネリアス一世は再親征を行わなかった。財政的、軍事的な余裕が無かったからだと言われている。だが本当にそうだろうか? 余裕が無かったのは二度も大敗を喫した同盟も同じだろう。むしろ損害の度合いは同盟の方が酷かったに違いない。

多少の無理は押しても再親征すべきだったと思う。同盟にもう一撃加えれば同盟の方から和を乞うてきた可能性も有ったはずだ。親征が出来なくても臣下に大軍を与え遠征させるべきだった。それが出来なかったのはやはり信頼する重臣の反乱が影響していたと思う。

皇帝コルネリアス一世は周りを信じられなくなっていたのだ。目の前で震えているレムシャイド伯同様怯えていたのだと思う。だから親征できなかった。臣下に巨大な兵権を預けるのも危険だと思った、だから同盟に対して止めを刺せなかった……。俺はそう推理している。そして百二十七年前にもそうなるだろうと推理した奴が地球に居たのかもしれない……。

「証拠は有りません。アドリアン・ルビンスキーの言う通りですよ、証拠は何もないんです。出鱈目だと言われても反論できない」
「……」
俺の言葉に皆の視線がルビンスキーに向かう。レムシャイド伯を除く皆が不審の目で見ていた、そして伯は両眼に憎悪を込めている。ルビンスキー、お前がどれほど無罪を叫んでも皆がお前を有罪だと言っている。日頃の行いの所為だ、反省するんだな。ペットボトルの水を一口飲んだ。これからだ。

「亡命して分かったのですがあの当時の事は今でも良くTVで放送されています。同盟は軍の再建が思うように進まずかなり苦労したようです。そんな時に地球はレオポルド・ラープを使って同盟政府と秘密裏に接触した、イゼルローン回廊以外にも使える回廊が有ると言って……」
「……」
ローゼンリッター、そしてサアヤが頷いている。彼らも俺と同じものを見たはずだ。俺の言う事に共感するところが有るのだろう。

「もし帝国が両回廊から攻め寄せてきたらどうなるか? 当時の同盟政府にとっては悪夢だったはずです。頭を抱える同盟の為政者に対してラープは中立国家フェザーンを創る事を提案した。地球の事は伏せ、あくまで利を追及する商人としてです。当時の同盟の為政者はそれに乗った。中立国家フェザーンを創ることで帝国の侵攻路をイゼルローン一本に絞る……」

「馬鹿な、そんな話が反乱軍ではあるのか」
反乱軍か……、何時もの呼び名が出たと言う訳か……。レムシャイド伯に視線を向けた。伯は震えていた、怒り、恐怖、怯え、その全てが混じっているに違いない。

「有りませんよ、有るはずが無い。もしこの事実が帝国に知られればフェザーンはあっという間に帝国によって滅ぼされました。そしてフェザーン回廊から帝国軍が押し寄せてきた……。同盟政府もレオポルド・ラープも必死になって接触した形跡を消したはずです」
「……」

震えているレムシャイド伯に笑いかけた。伯がまた怯えた様な表情をした。失礼な、今度は友達をリラックスさせてやろうと思ったのに。
「証拠は有りません、有るはずが無いんです。だから証拠が無い事が出鱈目だとは限らない、そうでしょう?」
そう言うと俺はルビンスキーに視線を向けた。にっこりと笑みを浮かべて……。



 

 

第八十三話 フェザーン謀略戦(その5)




宇宙暦 795年 9月16日    フェザーン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



皆の視線がルビンスキーに向いている。しかしルビンスキーは微動だにしなかった。
「出鱈目だ」
「証拠が無ければ認めませんか」
「当然だろう」

ルビンスキーが俺に笑いかけた。勝ち誇ったような顔だが鼻血が出ている、滑稽なだけだ。
「残念だな、中将。良く出来た推理だとは思う。地球などという良く分からぬものを使ってフェザーンを貶め、フェザーンの中立を無効にしようとしたのだろう。レオポルド・ラープは地球出身だからな、推理は成り立つ。それによって帝国軍を誘き出すか……。見事ではある、だが証拠が無い」

皆が感嘆の表情でルビンスキーを見ている。全く俺も同感だ、大したものだ、ルビンスキー、なかなかしぶとい。まあこいつも命がかかっている、必死という事か。失敗すればたちまち地球に消されるだろう。現自治領主から故自治領主に名義変更というわけだ。もっとも俺を甘く見たことは死ぬほど後悔させてやる。

「では、貴方は地球とは全く関係ないと?」
「当然だ」
「そうですか、それは残念です。後悔しますよ、私を甘く見た事を」
自信満々だな、ルビンスキー。可笑しくて思わず笑い声が出た。そんな俺をシェーンコップが面白そうに、サアヤが呆れたように見ている。

「貴方の自宅には変わった部屋が有りますね」
「……」
俺の問いかけに皆が不思議そうな顔をした。何故話題が変わったのか理解できなかったのだろう。ルビンスキーだけがこちらを窺うような表情をしている。

「窓が無く分厚い鉛の壁で閉じられている……」
ルビンスキーが顔を蒼褪めさせた。信じられないと言った風情で俺を見ている。形勢逆転だな、ルビンスキー。俺はにっこりとルビンスキーに微笑みかけた。ルビンスキーの顔が更に蒼褪めた。

「どうしました、顔色が悪い。先程までの元気が無いようですが」
「……」
皆が俺とルビンスキーを見ている。訝しげな表情だ。不思議なのだろう、部屋の話をしただけでルビンスキーが蒼褪めているのだから。

「部屋自体が通信室になっている。しかも声を出す必要もない。貴方の思念を特殊な波長に変えて送り出している……。さて、受け手は誰です、アドリアン・ルビンスキー」
「……馬鹿な、何故それを」
ルビンスキーが喘いでいるのを見て声を出して笑った。幽霊でも見たような表情で俺を見ている。余程にショックだったらしい。

「証拠が無いと言いましたね。貴方の家の通信室を起動してみましょうか、一体誰が出てくるのか」
「……」
ルビンスキーの身体が小刻みに震えだした。先程までの傲岸さなど欠片も無い、怯えたように震え俯いている。そして周囲ではざわめきが起きた。

「私です。お応え下さい」
「……」
ルビンスキーが弾かれた様に顔を上げ俺を見た。にっこりと笑ってみせると慌てて視線を逸らす。レムシャイド伯が目を見張って俺とルビンスキーを見ていた。

「私とはどの私だ」
「……」
今度は肩がぴくっと動いた。“馬鹿な……”、ルビンスキーが呟くのが聞こえた。

「フェザーンの自治領主、ルビンスキーです。総大主教猊下には御機嫌うるわしくあられましょうか」
「……」
周囲がざわめく。おそらく皆顔を見合わせあっているだろう。ルビンスキーは顔を伏せたまま動かない、そして震えている。故意に笑い声を上げた。さてルビンスキーにはどう聞こえているか……。

「随分と低姿勢ではありませんか、アドリアン・ルビンスキー。何時もの貴方らしくない、自信も無ければ傲岸さもない。まるで主人に対する奴隷のようだ」
「……」

嘲笑を込めて言い放つとルビンスキーの身体の震えが更に酷くなった。レムシャイド伯に視線を向けた、伯も蒼白になっている。リンツ、ブルームハルトも貧血でも起こしたような顔色だ。可笑しかった、訳もなく笑い声が出た。その声に更に皆の顔が蒼褪めるのが見えた。

「大変でしょう、自分の心を押し殺すのは……。言葉ではなく思念が相手に届いてしまうのですからね。常に奴隷として振る舞わなくてはならない。野心家の貴方にとっては非常な苦痛だ」
「……」
ゴクッと喉が鳴る音がした。誰かが唾を飲みこんだのだろう。その音だけが部屋に響く。

「しかし失敗すれば貴方に待っているのは死だ。彼らは裏切りを許さない、貴方の前任者、ワレンコフのように急死する事になる」
周囲がまたざわめく中、ルビンスキーが顔を上げた。
「……馬鹿な、貴様、一体……」

「何者だ? それとも何故知っている、ですか。詰まらない質問だ、……言ったでしょう、世の中には不思議な事がたくさんあると」
思わず笑ってしまった。転生者に何者と聞いてどうする。何故知っていると聞いてどうする。答えられるわけがない、ただ笑うだけだ。周囲が俺を怯えたように見ているのが分かった、それでも俺は笑うしかない。そしてルビンスキーはさらに怯えた表情を見せた。

笑い終わってルビンスキーの顔を覗き込んだ。ルビンスキーは俺と目を合わせようとしない。
「通信が終わると貴方はこう考える。自分は地球を支配する者達にとって一介の下僕でしかない。しかし、未来永劫にわたってそうだろうか? そうであらねばならぬ正当な理由は何処にもない……」
「……止めろ」
ルビンスキーが呻いだ。

「さて、誰が勝ち残るかな」
「止せ……」
「帝国か、同盟か、地球か……」
「止めるんだ……」
ルビンスキーが俯いたまま呻く。

「それとも、俺か……」
「止めてくれ!」
最後は絶叫だった。頭を抱えて呻いている。凍り付いたような部屋にルビンスキーの呻き声だけが響いた。笑った、思いっきり笑った。俺はその声が聞きたかったんだ、ルビンスキー。

「顔を上げなさい」
ルビンスキーがイヤイヤをするように首を振った。リンツに視線を向ける、リンツが慌てて嫌がるルビンスキーの顔を上向かせた。しかし目を合わせようとしない。

「私を見なさい、アドリアン・ルビンスキー」
「……」
「私を見なさい!」
奴の目を見る、明らかな怯えが有った。顔を近づけて低い声で囁いた。

「私を甘く見るんじゃない、分かりましたか」
ルビンスキーが震えながら頷いた。少し威かし過ぎたか……、だがこれで馬鹿な事は考えないだろう……。時刻を確認した、十一時十八分。

立ち上がって全員を見た。皆姿勢を正して無表情に俺を見ている。命令を待つ姿だ。
「撤収します。アドリアン・ルビンスキーを拘束してください。人質として連れて行きます」
リンツがルビンスキーを引き立ててもルビンスキーは抵抗しなかった。良い傾向だ。

「私はどうするのだ、ヴァレンシュタイン」
半分以上諦めの口調でレムシャイド伯が問いかけてきた。まあ人質に取られると思うのは当然だろう。俺もそれを否定はしない、しかし話の持って行き方が有る。この爺様にはもう少し協力してもらわないと……。

「私達と同行してもらいます」
「人質か……」
「いえ、フェザーンは危険です。何処に地球教の人間が居るか分かりません。イゼルローン経由で帝国に戻ってください」

俺の言葉にレムシャイド伯が考え込んだ。それを見たシェーンコップが伯に声をかけた。
「提督の言うとおりですな、我々と同行した方が良い。最悪の場合、連中は閣下を暗殺しその罪を我々に擦り付けるかもしれない」
「なるほど、フェザーンは危険か」

「それも有りますが、地球対策は帝国と同盟がバラバラに行うのではなく協力して行う必要が有ります。そのためには伯の力が必要です。我々がいくら帝国に訴えても帝国はなかなか信用しないでしょう。伯に死なれては困るのですよ」
「分かった、ところで部下達はどうする」
レムシャイド伯が拘束され転がされている部下達を目で指し示した。

「この場で開放します」
俺の言葉に皆が不安そうな表情を見せた。今一つ信用できない、そう考えているのだろう。そして拘束されている帝国人達も妙な目で俺を見ている。

「良いのか?」
レムシャイド伯も皆の不安を感じ取ったのだろう。幾分こちらを気遣う様な表情で質問してきた。良い傾向だな、少なくともチャンスとは捉えていない。協力的だ。

「ええ、彼らにはやってもらいたい事が有ります」
「?」
「ルビンスキーの自宅へ行って欲しいのですよ」
「なるほど、通信室か、それが有ったか……」
「証拠を押さえる必要が有りますからね」
レムシャイド伯が何度か頷いていたが顔を俺に向けると妙な眼で俺を見た。

「しかし、卿、それを何処で知った?」
「……さあ、随分と昔の事なので覚えていませんよ」
「ふむ、答えたくないと言う事か」
今度は納得したような表情をしている。思わず苦笑が漏れた。

「レムシャイド伯、彼らには伯から命じてください」
「分かった」
「シェーンコップ准将、彼らの拘束を解いてください」
「はっ」

全てを終え、部屋を出たのは十一時二十八分だった。



宇宙暦 795年 9月16日    フェザーン  ミハマ・サアヤ



「どうも目障りですな」
シェーンコップ准将の声と口調は不機嫌そのものでしたが提督は気にすることもなくシートに座っていました。チラッと准将を見ます。

「攻撃はしてこないのでしょう」
「まあ、そうです。しかし気持ちの良いものではありません。尾行(つけ)られる事も見下ろされることも」
「仕方ないでしょう、ルビンスキーを攫われたのですから向こうも必死です」

思わず溜息が出ました。他人事みたいな口調ですがルビンスキーを攫った首謀者は他でもないヴァレンシュタイン提督です。今の話を相手が聞いたら頭から湯気を立てて怒るでしょう。でも提督の事です、“何で怒るの”とか平然と訊きそう……。可哀想に……。

私達は今宇宙港に向かっています。私達が宇宙港から乗ってきた五台の地上車の他ヴィオラ大佐が地下の駐車場に用意した五台の地上車、合わせて十台の地上車が宇宙港に向かって疾走している。まるで映画のようです。知らない人が見たら映画の撮影でもしてるのかと勘違いするでしょう。何事も無ければ後三十分程で宇宙港に着くはずです。

当然ですが全車地上交通管制センターのコントロールをカットして手動運転です。法定制限速度なんて無視、周りの地上車を弾き飛ばすような勢いで十台の車が爆走しています。そんな私達に周囲の車は逃げるように道を譲るのです、凄い快感! 私、段々物騒な女になりそう……。

先頭車はデア・デッケン少佐が乗車しています。そして最後尾はリンツ中佐、私達はその手前にいます。ちなみにレムシャイド伯爵はヴィオラ大佐と共に私達の前の地上車にいます。そしてそんな私達を警察のヘリが上空から監視している……。

シェーンコップ准将が目障りと言ったのはこのヘリの事です。もっともヘリは必要以上に近づきませんし攻撃もしてきません。私達が危険だと分かっているのでしょう。既にフェザーンの警察は嫌というほど痛い目に遭っています。

最初に私達を追ってきたのは警察のパトカーです。しつこく追ってくるパトカーをリンツ中佐がロケットランチャーで破壊しました。酷かったです、破壊されたパトカーに後続のパトカーが突っ込みたちまち二重、三重の衝突事故が発生しました。突っ込んだパトカーが宙に舞ったほどです。そんなの初めて見ました。

その後は前方にパトカーのバリケードを敷いて私達を止めようとしましたが、それもデア・デッケン少佐が多機能複合弾で一蹴しました。破壊されスクラップになったパトカーをデア・デッケン少佐の地上車が弾き飛ばし、その突破口を私達が走り抜けました。あれも凄かったです。

警察は私達が自由惑星同盟の危険極まりない破壊工作員でルビンスキーだけでなくレムシャイド伯も拉致したと考えているようです。何度も二人を開放して投降しろとヘリが呼びかけていますし今も呼びかけています。

愚か者共め。私達は破壊工作員などではありません。氷雪地獄の大魔王、エーリッヒ様とその忠実なる眷族達です。このフェザーンには大魔王様を侮る愚かな妖狐、白狐と黒狐を懲らしめるために来ました。

降伏を勧めたにもかかわらず黒狐は愚かにも大魔王様に逆らいました。地球などという良く分からないものに忠義だてしたのです。大魔王様のブリザードが吹き荒れました、黒狐は大魔王様の氷柱で串刺しにされ悲鳴を上げて降伏しました。鎧袖一触です。愚かな黒狐は全ての魔力を奪われただの狐になってしまいました。今は囚われの身です。口を利く事も出来ぬ程打ちひしがれています。

白狐は賢明にも直ぐに降伏しました。大魔王様はそれを受けあまつさえ白狐を眷族に加えるという好意を示しました。固めの杯まで交わしたのです。白狐は大いに喜び大魔王様に忠誠を誓っています。白狐の部下達も大魔王様に忠誠を誓いました。彼らは今、黒狐の屋敷に戦利品を奪いに行っています。

イゼルローンに続きフェザーンの妖狐を下した事で大魔王様の悪名、いえ勇名はまた一段と上がりました。いずれ全銀河が大魔王様の前にひれ伏すでしょう。その時宇宙は平和になると思います……。作り話に思えないところが怖い……。


「やれやれ、自治領主閣下はともかくレムシャイド伯は自由意志で我々に同行しているのですが」
シェーンコップ准将が肩を竦める仕草をするとヴァレンシュタイン提督がチラと准将を見ました。

「一人攫うのも二人攫うのも同じ事です、気にすることは有りません。好都合でしょう、連中は我々が協力体制を取っている事を知らずにいる」
「……まあ、そうですな。ルビンスキーの自宅ですか」
提督が無言で頷きました。そしてシェーンコップ准将に顔を向けました。強い視線で准将を見ています。准将もその視線に気圧されるかのように姿勢を正しました。

「シェーンコップ准将、どんな手段を使っても構いません。私を無事にベリョースカ号まで運びなさい。私はまだ死ぬわけにはいかないんです」
准将が微かに目を見張り、そして口元に笑みを浮かべました。

「お任せあれ、必ずや閣下をベリョースカ号へお連れ致しましょう、ローゼンリッターの名誉にかけて!」
そう言うとローゼンリッター第十三代連隊長は楽しそうに笑い声を上げました。残り、約二十五分……。






 

 

第八十四話 フェザーン謀略戦(その6)



宇宙暦 795年 9月16日    フェザーン  ベリョースカ号     ワルター・フォン・シェーンコップ



「コーネフ船長、発進してください」
追跡者達を振り切って艦橋に飛び込むなりヴァレンシュタイン提督がコーネフ船長に話しかけた。しかしコーネフ船長は噛みつく様な勢いでヴァレンシュタイン提督に問い返してきた。

「発進? 発進だと、一体全体何がどうなってるんだ! ルビンスキーを攫った? 何を考えている!」
「後で話します、先ずは発進してください。契約は守ってもらいますよ」
コーネフ船長は顔を真っ赤に染めて怒っていたがヴァレンシュタイン提督は気にすることもなく悪戯っぽい表情で船長に話しかけた。

船長が怒るのも無理はないだろう、俺達が宇宙港に着いた時ベリョースカ号は警察に包囲され身動きが出来ないようになっていた。ルビンスキーとレムシャイド伯の頭にブラスターを突きつける事で包囲を解かせたが、それまでは気が気ではなかったはずだ。

「ふざけるな! コーネフ家は……」
「この二百年間犯罪者と役人を身内から出していない、でしょう。貴方の口癖は知っています」
「……」
絶句したコーネフ船長を見てヴァレンシュタイン提督が可笑しそうに笑った。

「ヴァレンシュタイン家も代々弁護士の家系でした。ですが私は亡命者で反逆者で大量殺人者、それだけでは足りずに今回フェザーンで初めて人攫いもしました。誰でも、どんな家でも最初というのは有りますよ。驚く様な事じゃありません。それにやってみれば結構楽しい」
彼方此方で失笑が起きた。ますます船長の顔が赤くなる。

「船長、卿が怒るのは分かる。だが容易ならぬ事が起きているのだ。私がこの男と共に居る事で分かるだろう。直ぐに発進してくれ」
レムシャイド伯が笑いを堪えながら船長に船を出すように頼んだ。この老人も結構変わっている。宇宙港ではブラスターを頭に突きつけられる哀れな人質の役を喜んでやっていた。

「後で説明してもらいますよ!」
忌々しそうな口調でそう言うとコーネフ船長は発進準備にかかった。それを見てレムシャイド伯とヴァレンシュタイン提督が顔を見合わせて苦笑する。
「困った男だな」
「それは私ですか、それともコーネフ船長?」
「……」
「……」
さてどちらだろう……。

「……レムシャイド伯、フェザーン回廊の入り口に巡航艦を待機させています。発進次第、連絡を取って迎えに来させましょう。二日も有れば合流できると思います。それと訓練中の艦隊もこちらに呼びます」
「うむ、我らに妙な事をすると後が怖いという事か……。しかし艦隊の派遣は帝国が納得するまい」
レムシャイド伯が首を傾げた。

「先程の執務室での遣り取りですが一部始終を録画してあります。あれを帝国、同盟の上層部に見せようと思うのです。私達はここで死ぬわけにはいかない」
「なるほど、確かにその方が話が早かろうな」
レムシャイド伯が顎に手をやって考えている。

「私の方はトリューニヒト国防委員長、シトレ元帥に連絡をとります。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に連絡を取っていただけませんか」
「もちろんだ。これだけの大事だ、あの二人に話さざるを得ん。しかし最高評議会議長、だったかな、彼ではないのか」
ヴァレンシュタイン提督が微かに苦笑を浮かべた。

「まあ議長よりもあの二人の方が良いでしょう、喰えませんし強かです」
「それは褒め言葉なのか」
「人間としてはクズですが指導者としては二重丸という意味です。人間としても指導者としてもクズよりはましでしょう」
「なるほど、褒めとらんな。あるいはそういう褒め言葉も有るという事か……。卿と一緒にいると勉強になるな、実に刺激的だ」

苦笑交じりのレムシャイド伯の言葉に皆が笑い出した。どうやらヴァレンシュタイン提督はサンフォード議長を信用していないらしい。二人の会話に皆が笑っているとその後の提督の言葉に今度は皆が驚いた。

「四人に一度に見せようと思います」
「一度にか!」
「前に話しましたが地球対策は帝国、同盟が協力する必要が有ります。見せた後でそのまま対策を話し合ってもらった方が良い」
「混乱せんかな……」
レムシャイド伯が危ぶんでいる。

「一度の方が良いと小官も思いますね。どちらかを先にすると後回しにされた方が顔を潰されたなどと騒ぐかもしれません」
「なるほど、有りそうだな……。一度の方が良いか」
レムシャイド伯が頷いている。貴族だけにその種の面子問題には敏感なのだろう。レムシャイド伯が頷くのを見てヴァレンシュタイン提督がミハマ中佐に通信の用意を命じた。

「ハイネセンはともかくオーディンは……」
「そちらはレムシャイド伯にお願いします」
「それと、この船は民間船です。ハイネセンまでは通信波が届きません、途中で中継してもらわないと……」
ミハマ中佐が困惑したような表情をしている。なるほど民間船では軍とは違いそこまで強力な通信装置は持っていない、この船も然り……。

「訓練中の艦隊に中継を頼みましょう。後で迎えに来るように頼みます、その時一緒にお願いしましょう」
「分かりました」
ミハマ中佐が席に座り通信の準備を始めた。

「こちらも中継してもらう必要が有るか、さて何処にするかな……」
「ガルミッシュ要塞は如何です」
「なるほど、良いだろう。やってみよう」
「それと通信は広域通信でお願いします。ミハマ中佐も」
提督の言葉にレムシャイド伯もミハマ中佐も訝しげな表情をした。二人だけではない、皆が訝しげな表情をしている。

「広域通信ともなれば部外者にも聞かれてしまうぞ」
「それが提督の狙いですかな。地球の、フェザーンの正体を皆が知る事になる。信者も離れるでしょう」
「ふむ」
俺の言葉にレムシャイド伯が頷いた。ヴァレンシュタイン提督が笑みを浮かべている。合格かな。

「それも有りますが、周囲の誤解を受けるような事は避けた方がよろしいでしょう」
誤解? 説明が足りないと思ったのか、提督が言葉を続けた。
「帝国、同盟、両国はこれまで国交が有りません。今、両国首脳が密かに接触すればどうなるか? 地球の事を言っても皆半信半疑でしょうね。痛くもない腹を探られ政敵に攻撃されることになる。そうでは有りませんか」

「なるほど、何処の世界でも猜疑心の強い人間は居るか……」
レムシャイド伯が頷いている。やれやれだな、まだ彼の思考には追いつけない……。もっともそう簡単に追いつけても詰まらんのも確か……。

地球の存在を暴き、ルビンスキーを追い詰めて行く彼の思考は将に圧巻だった。何故知っているのかは問うまい。問うても無駄、いやむしろ軽蔑されるだけだろう……。そしてあの思考の鋭さ、深さ、誰も追いつけないだろうと思った。感嘆しそれ以上に不安になった。

今のままでは誰もが彼の命を受けるだけになるだろう。彼は孤独だ、非凡である事が彼の孤独を深めている……。対等の立場で話を出来る人間が必要だ。ワイドボーン、ヤン、あの二人が傍に居ない以上、その代りを務める人間が要る。俺にその役が務まるかどうか……。

ベリョースカ号が発進した。ふわりと船体が浮き少しずつ上昇していく……。



宇宙暦 795年 9月16日    ベリョースカ号   ミハマ・サアヤ



通信の準備が出来ました。レムシャイド伯はガルミッシュ要塞に、そして私達は訓練を中止しこちらに向かっている第一艦隊に中継を頼んでいます。急ぐ必要が有ります。フェザーンの警備部隊が私達を追っているようです。フェザーンの軍事力は無いに等しいものですがそれでもベリョースカ号にとっては危険です。

レムシャイド伯の方は問題ありませんでした。ガルミッシュ要塞はオーディンへの中継を快く引き受けてくれました。レムシャイド伯の名前が物を言ったようです。帝国ってやはり貴族の力が大きいんだと素直に感心しました。

同盟側ですがワイドボーン提督もヤン提督も中継を快く引き受けてくれました。フェザーン回廊へ向かう事についても特に反対しません。二人ともある程度こういう事も有りうると想定していたのか、或いは事前にヴァレンシュタイン提督と打ち合わせが出来ていたのかもしれません。

「オーディンが通じました」
私が答えるとレムシャイド伯が“映してくれ”と言いました。伯の前に置いてあるコンソールに壮年の二人の男性が映ります。一人はブラウンシュバイク公、もう一人はリッテンハイム侯です。凄い! 本当に帝国の重要人物が映ってる! コーネフ船長が口笛を吹きました。行儀悪いです。幸い私達の姿は二人からは見えません。二人に見えているのはレムシャイド伯だけです。

『レムシャイド伯か、一体何事だ、広域通信を行うなど何を考えている』
ブラウンシュバイク公の声は低く太い声でした。いかにも人に命令する事に慣れた声です。
「御不審はごもっとも。されど今しばらくお待ちいただきたい」

『待てというか、我らとて暇ではないぞ』
今度は髭のリッテンハイム侯です。ブラウンシュバイク公ほど渋い声ではありませんが十分に良く通る声でした。
「重々承知。今しばらく、このままにて」
『……』

レムシャイド伯の返答に二人が顔を見合わせています。うーん、何て言うか、帝国貴族の遣り取りってなんか格好良いです。渋くて重みが有る。あ、ハイネセンから連絡が来ました。

「ハイネセン、繋がりました」
ヴァレンシュタイン提督の前に有るコンソールにトリューニヒト国防委員長とシトレ元帥が映りました。
『ヴァレンシュタイン提督、一体どうなっている、フェザーンから抗議が来たぞ。ルビンスキーを、レムシャイド伯を拉致したとな』
拙いです、国防委員長は怒っています。シトレ元帥も厳しい表情です。

『ヴァレンシュタイン? ルビンスキーを攫った? レムシャイド伯、今の声は何だ?』
ブラウンシュバイク公が怪訝な声を上げました。今度はそれにトリューニヒト委員長が反応します。
『レムシャイド伯? 何だ今の声は? ヴァレンシュタイン提督、分かるように説明したまえ』

「ミハマ中佐、中央のスクリーンにまとめて映してください」
「はい」
中央のスクリーンに四人の顔が映りました。四人とも驚いたような表情をしています。
『どういう事だ、これは』
何人かの声が重なりました。それを見てヴァレンシュタイン提督が可笑しそうに笑い声を上げました。相変わらず性格が悪いです。

「先ずは自己紹介から始めましょう。私はエーリッヒ・ヴァレンシュタインです」
『ヴァレンシュタイン……』
呟く様な声が聞こえました。でも提督はそれを無視してレムシャイド伯爵に視線を向けます。レムシャイド伯が苦笑を浮かべました。
「ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵、銀河帝国フェザーン駐在高等弁務官」

スクリーンの四人が互いに相手を窺うような表情をしました。そしてシトレ元帥が咳払いをして自己紹介を始めます。
「自由惑星同盟軍、宇宙艦隊司令長官シドニー・シトレ元帥」
「国防委員長、ヨブ・トリューニヒト」
「……オットー・フォン・ブラウンシュバイク公爵」
「内務尚書、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵」

自己紹介が終わると一瞬間が有りましたが低い声でブラウンシュバイク公が問いかけました。視線が厳しいです。
『レムシャイド伯爵、卿は自分の意志で我らを呼び出したのか? それとも誰かに強制されたのか?』

「自分の判断です。我々は協力し合わなければならない状況に有ります」
『協力だと、何を馬鹿な』
リッテンハイム侯が吐き捨てるように言い捨てました。

『あー、ヴァレンシュタイン中将、君は強制されているのかな?』
「そう見えますか、委員長閣下」
『……いや、そうは見えない』
「御不審はごもっともです。これからある映像を流します。それを御覧いただければレムシャイド伯と小官が何故協力しているのか、理解していただけると思います」

そう言うとヴァレンシュタイン提督は私に右手を挙げて合図しました。録画した映像を流し始めます。あの執務室での一部始終がスクリーンの一角に流れ始めました。スクリーンの四人は最初、詰まらなさそうに見ていました。コーネフ船長も似たような表情をしています。彼らの表情が変わったのは地球の話が出てからでした。

『そうです。そして彼らは考えた。フェザーンに中立の通商国家を造り富を集める。その一方で同盟と帝国を相争わせ共倒れさせる。その後はフェザーンの富を利用して地球の復権を遂げると』

『馬鹿な……』
『有り得ない……』
『地球……』
『信じられん……』
皆スクリーンに流れる提督の言葉に愕然としています。そして話が進むにつれ蒼白になって黙り込みました。コーネフ船長は頻りに首を振っています。

「船長」
「なんだ、マリネスク」
「他の宇宙船から問い合わせが……、あれは真実かと」
マリネスク事務長がスクリーンに視線を向け困惑気味にコーネフ船長に問いかけました。コーネフ船長がこちらを見ました。コーネフ船長にも判断がつかないのでしょう。

「真実ですよ、コーネフ船長」
ヴァレンシュタイン提督が笑いながら答えるとコーネフ船長は忌々しそうな表情をしました。
「マリネスク、全部真実だと答えろ」
「分かりました」

「ミハマ中佐、映像を止めてください」
え、止めるの、そう思いましたがもちろん逆らったりしません。素直に映像を止めました。逆らうなんてトンデモナイ。大魔王様が降臨してしまいます。そうなったら私は忠実な眷属に変わらなければなりません。……あれ、今でも余り変わらない?

『何故止める』
『これで終わりという訳ではあるまい』
当然ですがスクリーンから映像を止めた事に対して抗議が起きました。皆が不満そうな表情をしていますしレムシャイド伯も訝しげな表情を見せています。

「終わりではありません。続きはお見せします。ですがその前に我々の安全を保障してください」
『安全だと』
ブラウンシュバイク公です。うん、渋い。

「我々はフェザーンではお尋ね者です。今も追われている。場合によっては問答無用で撃沈される可能性も有ります」
『口封じかね、追手の中に地球の手の者がいると』
「可能性は有るでしょう。帝国、同盟がこのベリョースカ号の安全に関心を持っている、フェザーンはベリョースカ号の安全と航行の自由を保障する義務が有ると声明を出してください」

提督の言葉にスクリーンの四人が顔を見合わせました。
『良いだろう、……そちらはどうかな』
『異存ありませんな』
ブラウンシュバイク公とトリューニヒト委員長が同意しました。それを見てヴァレンシュタイン提督が言葉を続けました。

「現在同盟の三個艦隊、五万隻がフェザーンに向かっています。もし我々の安全が脅かされた場合、同盟軍三個艦隊にフェザーン本星を攻撃させる、それも宣言してください」

『フェザーンを攻撃だと。しかも卿ら反乱軍に委ねるというのか』
ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が顔を顰めています。コーネフ船長も“馬鹿な、何を考えている!”と詰め寄ろうとしシェーンコップ准将に取り押さえられました。

「帝国、同盟がフェザーンに対しベリョースカ号の安全と航行の自由を保障するように命じたにもかかわらずフェザーンがそれを守らなかった。当然ですがそれに対しては報復が必要になるでしょう、それを同盟軍が行う」
『……』

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が沈黙する中、口を開いたのはシトレ元帥でした。
『貴官は何を言っているのか分かっているのか? フェザーン本星を攻撃させる? 無抵抗の民間人を攻撃するというのか。どれだけの人間が死ぬと思う、それを我が軍の兵士にやらせる? 大量虐殺だぞ、分かっているのか?』

『シトレ元帥の言う通りだ。フェザーンは我が帝国の自治領でもある。そんな事は許すことは出来ん』
ブラウンシュバイク公がシトレ元帥に同意しました。他の二人も頷いています。旗色が悪いです。

皆が反対するのは分かります。民間人の大量虐殺なんて少しも名誉になりません。でも私達の命もかかってるんです。そんな頭ごなしに反対しなくても良いでしょう。まるで私達などどうなっても良いと考えているみたいです。思わず反発を覚えました。

そんな中ヴァレンシュタイン提督が笑みを浮かべました! 大魔王様降臨です。これで私達は助かりました。当然です、大魔王様が私達眷族を見殺しにするはずが有りません。大魔王様は敵には容赦有りませんが味方にはとても情が厚いのです。

「続き、見ずとも宜しいのですか?」
優しい声でした。ですが間違いなく大魔王様の声です、スクリーンの四人は顔を顰めました。
『……』

「今こうしている間にも我々は攻撃されるかもしれないのです。ベリョースカ号が攻撃され撃沈されればフェザーンと地球の秘密は何も分からなくなる。生き証人のルビンスキーも失われます。それで宜しいのですか」
ますます四人の顔が渋いものとなりました。そして大魔王様の笑みはますます大きくなります。

「皆さんが責任を負うのは帝国人二百四十億人、同盟市民百三十億人に対してのはずです。フェザーン人二十億人のために同盟、帝国合わせて三百五十億以上の人間の運命を変えるかもしれない秘密を放置しますか? この通信を聞いているのは、見ているのは私達だけではないという事を忘れないでください」
『……』

そうです、私達を見殺しにするのは極論すれば三百五十億以上の人間を見殺しにすることになるのです。大魔王様が広域通信を選んだわけが分かりました。なんという深謀遠慮! 愚かな人間共よ、大魔王様の前にひれ伏すが良い!

ブラウンシュバイク公が溜息を吐きました。疲れた様な表情をしています。当然です、人間風情が大魔王様に敵うわけがないのです。
『……良いだろう、認めよう』
『公!』
リッテンハイム侯がブラウンシュバイク公を止めようとしましたが公はそれを抑えました。

『リッテンハイム侯、続きを聞こう』
『……』
『トリューニヒト国防委員長、帝国は卿らがフェザーンを攻撃する事を認める』
ブラウンシュバイク公の言葉に今度はトリューニヒト国防委員長が溜息を吐きました。

『止むを得ませんな……。ベリョースカ号の安全が脅かされた場合は同盟軍はフェザーンに対して報復を行う。帝国はそれに対し異議を唱えない、宜しいですな』
『同意する。後はフェザーンが愚かな事をしないことを神に祈るだけだ』
『同感ですな』

やはり人類は愚かです。どうして神などという目に見えない物に祈るのか、目の前の大魔王様にこそ祈りを捧げなさい。そうすれば必ず御加護が有ります。スクリーンの四人がそれぞれの表情で神に祈る中、大魔王様の声が流れました。優しく何処か笑みを含んだような声です。
「それでは続きをお楽しみください」


 

 

第八十五話 余波(その1)




宇宙暦 795年 9月16日    ハイネセン  最高評議会ビル    ジョアン・レベロ



「どういう事だね、あれは! 国防委員長! シトレ元帥! 君達は知っていたのかね!」
最高評議会議長、ロイヤル・サンフォード氏が額に青筋を立てて怒っている。普段、事なかれ主義の影の薄い最高評議会議長にしては珍しい事だ。もっとも此処にいる人間で腹を立てていない人間など皆無だろう。多かれ少なかれ、理由は違えども皆腹を立てているに違いない。中でもとりわけ腹を立てているのが今名指しされた二人のはずだ。

「知っていたとも言えますし、知らなかったとも言えます」
「ふざけているのかね、君は」
「そういうわけではありません」
神妙な口調と表情ではあったがトリューニヒトの答えはお世辞にも誠意が有るとは言えなかった。もう少しまともに答えろ、馬鹿を煽ってどうする。

「シトレ元帥、君はどうだね。ヴァレンシュタインは君の秘蔵っ子だそうじゃないか、知っていたのかね」
シトレが顔を顰めた。秘蔵っ子と言うのが不本意なのだろう。本来ならシトレはここに居る事は無いのだが今日は特別に出席を命じられている。彼にとっては有難い事ではないはずだ。

「軍の謀略の一環としてヴァレンシュタイン中将がルビンスキーと接触する事を認めました」
「軍の謀略? トリューニヒト君、君は知っていたのかね」
「知っていました」

二人とも平然としている。面憎いばかりだ。トリューニヒトが言葉を続けた。
「以前にも話しましたが軍の基本方針は敵兵力の撃破です。イゼルローン要塞攻略は損害が多く非効率だと見ている。この方針の問題点は唯一つ、敵が出撃してこないと行えないという事です」

「そんな事は分かっている。当たり前の事だろう」
意地の悪そうな表情で言ったのは法秩序委員長、ライアン・ボローンだった。トリューニヒトがサンフォード議長に叱責されているのが嬉しいらしい。ましてその原因がヴァレンシュタインとなれば飛び上がりたいほどだろう。口元が緩んでいる、いや緩みきっている。不愉快な奴だがトリューニヒトは気にすることもなく話を続けた。

「敵が出てこない以上、こちらとしては引き摺り出すしかない。ヴァレンシュタイン中将がフェザーンに行ったのはルビンスキーと接触する事で帝国にフェザーンが同盟に接近しようとしていると思わせる事が狙いでした。帝国はそれを許せないはずです、となれば必ず軍事行動に出る」

「しかし現実には少し違う展開になっているな」
今度はジョージ・ターレルか……。この副議長兼国務委員長も皮肉たっぷりな笑みを浮かべてトリューニヒトを見ている。どうしようもないクズだな。トリューニヒトが憮然とするのを見て今度はシトレが口を開いた。

「今にして思うとヴァレンシュタイン中将はフェザーンに対してその真の姿は地球なのではないかと疑いを持っていたようです。ただ確証が無かった。そのため我々にはそれを話しませんでした」
「どうしてだね」

「証拠も無しに言えるような事ではないと判断したのしょう。或いは言っても信用してもらえないと思ったか……。我々に言ったのはフェザーンにはどうも不審な点がある。或いはそれを確認するために少し無茶をするかもしれないという事でした」
まるで不始末をしでかした息子を庇っている父親のような口調だな、シトレ。あのバカ息子に少しは親の苦労を教えてやりたい気分だ。

「少し無茶? あれのどこが少し無茶だね。アドリアン・ルビンスキー、レムシャイド伯を拉致し、カーチェイスでは十人以上の警官を病院送りにした。死人が出なかったのは奇跡だそうだ。おまけに最後はフェザーンを攻撃しろだと? 全銀河の人間があれを聞いたのだぞ!」

興奮するなよ、シャルル・バラース。お前はサンフォード議長の腰巾着だから点数を稼ぎたいんだろうが見え見えで興醒めする。
「それは正確ではないな。レムシャイド伯は自分の意志でヴァレンシュタイン中将に同行している。それにフェザーンを攻撃しろと言ったのはあくまで自己防衛のためだ。フェザーンが彼を攻撃しなければこちらもフェザーンを攻撃しない」

トリューニヒトが片眉を上げて間違いを訂正した。逆効果だろうな、バラースの顔が朱に染まった、大当たりだ。
「だからなんだと言うんだね! 大したことではないとでも言うのかね!」
火に油だ、トリューニヒトは無表情にバラースを見ている。内心では呆れているか、舌でも出しているだろう。

「フェザーンからは強い抗議が来ている。早急にルビンスキーをフェザーンに戻したまえ!」
強い口調だ、明らかに議長は興奮している。皆がサンフォードの言葉に困惑を浮かべた。当然だろう、この状況でルビンスキーを返す? 状況が分かっているのか、この男。

「それは得策とは言えません。今ルビンスキーをフェザーンに返せば地球について何も分からなくなります。彼は生証人ですよ」
「あんなでたらめを真に受けるのかね、君は」
トリューニヒトの言葉にサンフォードがむきになって言い返した。らしくないな。

「国防委員長の言う通りです。同盟市民はあの通信でフェザーン、地球に対し強い不信と疑問を持ったはずです。ルビンスキーを返すという事は市民の不安に答えないと政府が宣言したも同然です。滅茶苦茶になりますな」
私の言葉にサンフォードが顔を顰めた。シャルル・バラースがサンフォードの顔色を窺うように見ている。しようの無い奴、この期に及んでなおも御機嫌取りか。

「もう少し建設的な話をしませんか」
ホアンが何処かのんびりした口調で間を取った。いいぞ、ホアン。
「建設的だと!」
「そうです、ルビンスキーを返すなど論外だと思います。むしろこれからどうするかを話し合うべきではありませんか。事は起きてしまったのです」

青筋を立てているサンフォード議長にホアンが冷静に指摘した。その通りだ、問題はこれからだ。どれ、私も手助けするか。シトレが父親なら私の役どころは近所の心優しい小父さんかな。
「先ずは地球教だな、帝国との取り決めでは至急取り締まる、だったな。国防委員長」
私の言葉にトリューニヒトが頷いた。

「待て、帝国との取り決め? 帝国に協力すると言うのかね」
「そういう約束のはずだ、マクワイヤー天然資源委員長」
「馬鹿な、帝国に協力など」
何人かがマクワイヤーに同意するかのように頷いた。

「では反故にすると言うのかね。どれだけの人間があの通信を聞いていたと思うんだ? 第一、これは帝国だけの問題じゃない、同盟の問題でもある。同盟にも地球教は浸透しているんだ」
私の後にホアンが続いた。

「財政委員長の言う通りだ。だからヴァレンシュタイン中将は両国の首脳を引き合わせたのだろう。レムシャイド伯が協力したのもこれは帝国、同盟共通の問題だと認識したからだ」
皆が顔を見合わせている。周りを窺うような表情だ。ヴァレンシュタイン、ホアンに感謝しろ、ここにも優しい小父さんが居た。

「取り決めと言うがトリューニヒト国防委員長にもシトレ元帥にも帝国と取り決めを結ぶ権限などないはずだ」
自信無さげな声だな、トレル。もう少しましな意見を出せ。経済開発委員長か……、長い戦争で大規模開発プロジェクトなど予算不足、人員不足で行われていない、開店休業の状態だ。おかげでこんな馬鹿でも委員長が務まる。これも戦争の弊害だ。

「そんな事を言っている場合かね。同盟と帝国が共倒れになるのを笑いながら見ている連中がいるんだ。それを無視して戦争を続けるのかね、馬鹿馬鹿しい」
ホアンが激しく机を叩いた。トレルがバツが悪そうに俯く。

「しかし、あれは本当なのか?」
周囲を窺いながら問いかけたのは地域社会開発委員長のダスティ・ラウドだ。彼の言葉に皆が困惑を浮かべた。ターレルやボローンも笑みを消している。自然と皆の視線がトリューニヒト、シトレの二人に向かった。

「本当、と思わざるを得んな。あの通信を見て居た人間なら分かるだろうが、レムシャイド伯の部下達がルビンスキーの私邸を捜索した。そして地球との通信に使用していたと思われる通信室を発見したのだからな」

あの通信の後半にさしかかる頃だったろうか、ルビンスキーの私邸に向かった帝国兵からレムシャイド伯爵に通信室を見つけたと報告が入った。起動すると地球教の総大主教と思われる人間とコンタクト出来たらしい。思念だけで映像が無いためそれ以上は確認できなかった。しかし、その報告を聞いた時のトリューニヒト達四人の顔は引き攣っていた事が印象に残っている。おそらくは自分も同様だっただろう。

「警察の仕事になるな、国内保安法の適用か……、初めてのケースだろう」
ラウドがボローンに顔を向けた。皆も自然とそれに倣う。法秩序委員長ライアン・ボローンの顔は引き攣っていた。
「国内保安法だと? 馬鹿な」
吐き捨てる様なボローンの口調だった。気持は分かる、誰だって国内保安法の適用など考えたくは無い……。

国内保安法は暴力主義的破壊活動を行った団体に対して規制措置を定め、その活動に関する刑罰を規定した法律だ。同盟成立後、比較的早い時点で成立した法律だが評判が悪い。言論、表現の自由が制限されるのではないか、政治団体の活動を制限する物ではないかと市民だけではなく政治家達からも評判が悪かった。その所為だろう、これまで国内保安法が適用された事は無い。

「警察が動かないというなら軍が動く事になるがそれで良いか、ボローン法秩序委員長」
「馬鹿な、何を考えている」
トリューニヒトの言葉にボローンが驚いたように声を出した。ボローンだけじゃない、他のメンバーも驚いている。

トリューニヒトが周囲を睨むように見ながら口を開く。
「地球を軽視すべきではないと思う。彼らは帝国と同盟を共倒れさせようとしている。フェザーンの経済力と地球教という宗教で人類を支配しようとしているんだ。これは戦争だ、警察が動かないというなら軍が動く」

トリューニヒトの横でシトレが頷いた。既にこの二人は話し合っているのだろう。ボローンがトリューニヒトへの反発から、或いは国内保安法を適用することへの不安から動かない可能性を考慮したに違いない。皆はどう判断して良いかわからず困惑している。

「その方が良いと思う」
ホアンだった。皆が驚く中ホアンはゆっくりとした口調で話しだした。
「相手は宗教団体だ、国内保安法を持ち出せば反対する口実を与える様なものだ。当然地球教側もそれを言うに違いない、不当な弾圧だとね。むしろ敵と断定して軍を動かした方がはっきりして良いと思う」

「しかし、はっきり敵と決まったわけでは」
反対するマクワイヤーにホアンがうんざりした様な表情を見せた。
「天然資源委員長、もうそんな事を言っている場合じゃない」
「……」

「我々は行動するしかないんだ。確かにあの通信が出鱈目なら政権は吹っ飛ぶだろう。しかし躊躇して判断を先送りにすれば同盟市民は政府の統治能力に深刻な不安を抱くに違いない、自分達を守る意思が有るのかとね、政府は二進も三進も行かなくなるぞ、結局は総辞職だ。我々はこの問題を最優先で解決しなければならないんだ」

なるほど、確かにその通りだ。我々には行動するしかない。
「私も人的資源委員長に賛成する。我々は行動するべきだ、躊躇は許されない。同盟市民百三十億の視線が我々を見て居る事を銘記すべきだ」
彼方此方から呻き声が起きた。しかし反対する声は上がらなかった……。

会議が終わったのはそれから一時間程が過ぎてからの事だった。席を立ち帰ろうとするとシトレが声をかけてきた。
「レベロ」
「なんだ、戦争屋」
敢えてシトレを貶す様な言葉を使った。シトレが苦笑している。

「上にヘリを待たせてある、乗っていかないか。国防委員長も一緒だが……」
「貴様らと一緒にか」
顔を顰めて見せた、シトレの苦笑が益々大きくなった。
「今外に出たらマスコミに滅茶苦茶にされるぞ。ピラニアの群れに生肉を投げ込むようなもんだ。悪い事は言わん、乗って行け」

なるほど、確かにそうだ。良い口実だな。ではこちらも一芝居打つか。
「もう一人良いか?」
「構わんよ」
「ホアン、君もどうだ。戦争屋のヘリに乗るのは癪だがピラニアの群れに襲われるよりはましだろう」
「やれやれ、究極の選択だな。そうさせてもらおうか」

ヘリに乗ると早速話が始まった。ヘリの音がうるさい、顔を寄せ合い大きな声で話す事になった。
「予想外な展開だな、シトレ」
「まったくだよ、レベロ。こんな事になるとは思わなかった」
「さっきは不始末を仕出かした息子を庇う父親みたいだったぞ」
私の言葉に皆が笑い出した。

「不始末じゃないさ。出来が良すぎて理解されない息子を弁護しただけだ」
その答えにまた笑い声が上がる。一頻り笑った後、ホアンが問いかけた。
「これからどうなる」
会議では軍が責任を負う事になった。サンフォードもボローンも軍に責任を押し付けたといえる。シトレとトリューニヒトはこの事態をどう見ているか。

「さて、どうなるかな。だが悪くないと私は考えている」
「悪くないか」
「ああ、悪くないと思うよ、ホアン」
トリューニヒトはそういうと私達を見た。

「帝国と同盟に共通の敵が出来た。そして帝国のトップと顔をつなぐ事が出来たんだ。悪くないだろう」
「おそらくヴァレンシュタインの狙いはそこだと思う。上手くいけば和平交渉のとっかかりになる」

トリューニヒト、シトレの顔には笑みが有った。ホアンに視線を向けると彼は私に頷いて見せた。やはり皆考える事は同じか……。
「サンフォード議長もボローンも我々に責任を押し付けたつもりかもしれない。
だがこちらもそれは望むところだ。むしろここで出なければヴァレンシュタインに笑われるだろう。せっかくお膳立てしてやったのに何をしているのか、役に立たん奴らだと」

トリューニヒトの言葉に皆が笑い出した。トリューニヒトも笑っている。全くあの小僧はとんでもない奴だ。フェザーンに居ながら我々を操っている。
「それで、これからどうする」
私の問いかけにトリューニヒトが笑顔を浮かべた。

「先ずは我々の出来の良い息子殿の考えを聞こうじゃないか。多分彼は我々からの連絡を待っているんじゃないかと思う」
「賛成だな」
私の言葉にシトレ、ホアンが頷いた。皆表情に活気が有る。ほんの少し前まで影も形も見えなかった和平がほんの少しだが顔をのぞかせた。これからだ……。

 

 

第八十六話 余波(その2)


帝国暦 486年 9月16日    オーディン  新無憂宮  オットー・フォン・ブラウンシュバイク



リッテンハイム侯と共に部屋に入ると帝国軍三長官がソファーに座って待っていた。三人が一斉に起立し我らに敬意を表す。それに応えソファーに座った。こちらに向けてくる三人の視線が厳しい。物問いたげな表情だが口は開かない、こちらがしゃべるのを待っている。こういう辺りは焦って話しかけてくる馬鹿な若造などより遥かに好もしいし頼もしくもある。

「待たせたな、今陛下に全てを御報告してきた」
「それで陛下は?」
「全てを我らに任せると。一々上奏に及ばずとのことだ」
わしとエーレンベルク元帥の会話にシュタインホフ、オフレッサーの二人が頷いた。

「既に私の方で警察を動かした。今、カッセル街にある地球教団支部に向かっている。確か十九番地だったな」
「どの程度の人間を動かしたのです? 武装は?」
「約千名、軽火器を装備している。十分だろう」
「……憲兵隊、装甲擲弾兵を動員した方が良いのではありませんか? 準備は出来ておりますが……」

エーレンベルク元帥がわしとリッテンハイム侯の顔を交互に見ながら話すとリッテンハイム侯がわしに視線を向けてきた。悪い案では無い、念には念を入れるべきだろう。軍と警察が協力しているという姿を見せる事にも意味が有るはずだ。わしが頷くと侯も頷いた。同じ事を考えたか……。リッテンハイム侯が口を開いた。

「軍務尚書の提案を受けよう。但し、軍は警察の支援だ。本件は警察の主管とする。それより軍にはやってもらわなければならんことが有る」
「地球、ですな。リッテンハイム侯」
「その通りだ、シュタインホフ元帥」

帝国軍三長官が顔を見合わせた。エーレンベルク元帥が口を開く。
「その件につきましてはこちらでも検討済みです。ミューゼル中将の艦隊、装甲擲弾兵一個師団を派遣しましょう。それと鎮圧後に地球を調査するために情報部からも人を出すことになっています」

「こちらも教団支部を制圧後は調査、取り調べ、情報収集を行う事になる。分かった事は直ぐ軍にも報せる。地球制圧にも関わる事が出てくるかもしれんからな」
「そうですな、そうしていただけると助かります。こちらも地球制圧後に得た情報は内務省に報せます。情報の分析は軍と警察が共同して行った方が良いでしょう」
「うむ」

リッテンハイム侯がわしを見て頷いた。
「良いだろう、直ぐに準備に取り掛かってくれ」
「頼むぞ」
帝国軍三長官が立ち上がり敬礼をして部屋を出て行った。

三人が出て行ったあとしばらく部屋に沈黙が落ちた。わしとリッテンハイム侯、並んで座っていても視線を向ける事は無い。暫くしてリッテンハイム侯が溜息を一つ吐き話しかけてきた。

「とんでもないお化けが出てきたな、ブラウンシュバイク公」
「全くだ、昨日までなら地球? 一体何の冗談だと言っていたのだが……」
「同感だが冗談ではなくなった、そうだろう」
「うむ」

侯がチラっと視線を向けてきた。
「あの小僧、妙な事を言っていた……。そうは思われんか」
「妙な事か」
「うむ」

妙な事か……、全てが妙な事ではあるが……。
「侯が言っているのは改革が行われれば戦争はしづらい、その事かな」
「うむ…….どう受け取るべきか……」
お互い歯切れが悪い。

「妙な事はもう一つあるとわしは思う」
「と言うと」
「向こう側の出席者は国防委員長と宇宙艦隊司令長官だった、妙であろう」
「……なるほど、言われてみれば確かに……」
リッテンハイム侯が頷いている。確かに妙なのだ。

帝国に例えればエーレンベルクとオフレッサーが出てきた様なものだ。最高評議会議長、だったか、何故それが出てこないのか……。帝国側は我ら二人、言ってみれば帝国のトップを選んだ。にもかかわらず向こうは軍の代表者でしかない……。

格が釣り合わぬ、しかしそれに気付かぬとも思えん。第一、レムシャイド伯もそこに居たのだ、当然だが指摘しただろう。だが出てきたのはあの二人……。レムシャイド伯も同意しての選択と言う事になる。リッテンハイム侯に視線を向けた、侯もこちらを見返してくる。

「侯は偶然だと思われるか?」
わしの問いかけにリッテンハイム侯が首を横に振った。
「いや、それは有るまい。話の内容があれだ、偶然はない」

「うむ、と言う事は敢えてあの二人を選んだという事になる……」
「そうなるな。嫌がらせや侮辱でも無い、他に何か意図が有る……」
侯の眼には困惑が有る。おそらくはわしも同様だろう。

「誰の意図かな。会談の流れからすればどうやらヴァレンシュタインの考えのようだが……」
「おそらくはそうであろう、何らかの意図が有るのは確かだろうがどうにも読めぬ」
「全くだ」

妙な事は他にもある。あそこで話した内容は地球の事だったが亡命帝、晴眼帝にかこつけて和平、共存についても触れている。向こう側の二人は軍の代表者だ。今現在優勢に戦いを進めているのは反乱軍、にもかかわらず黙って聞いていた……。どうも妙だ。

リッテンハイム侯が溜息を吐いた。
「厄介な相手だ、常に主導権を握ってこちらを振り回してくる……」
「確かに、侯の言う通りだな、……レムシャイド伯に探らせるか」
「探らせるとは?」
侯が訝しそうな顔をしている。

「向こうに直接ぶつからせる」
「本気か? ニーズホッグに良い様に利用されかねんぞ」
目を見張った侯の表情が可笑しかった。思わず笑い声が出た。ずいぶん久しぶりに笑った様な気がする。

「構うまい、今のままでは訳も分からずに暗闇を歩いている様なものだ。どんな小さな灯りでも良い、我らには足元を照らす灯りが必要であろう」
「言い得て妙だな。訳も分からずに落とし穴に落ちるよりはましか」
侯が苦笑を浮かべた。酷い例えだ、しかし侯の言葉を借りれば確かに言い得て妙ではある。わしも釣られたかのように苦笑いしていた。

笑いを収めるとリッテンハイム侯が話しかけてきた。
「レムシャイド伯にはハイネセンに行って貰った方が良くはないかな」
「なるほど、向こうの状況を探らせるか……。どうせだ、そこまでやらせるか。名目は対地球教の調整担当者、そんなところだな……」

「そんなところだ。フェザーンには別な人間を送れば良い」
「うむ」
侯の考えは悪くない。いや、むしろ必要不可欠な一手だろう。帝国は弱者なのだ、であればこそ兎のように長い耳が要る。その一つがレムシャイド伯……。フェザーンにも早急に人を送らねばならん。さて、誰を送るか……。

「侯、クロプシュトックに向かった連中に注意を払ってくれ」
「今回の件でどう反応するかだな」
「うむ。フェザーンの件は連中にとっても他人事ではない筈だ。必ず何らかの動きが有る、見逃すことは出来ん……」

リッテンハイム侯がわしの顔をじっと見つめた。
「フェザーンに送り出すか……」
「……それも選択肢の一つだな」
邪魔だな、どう考えても貴族が邪魔になる。改革の邪魔、反乱軍との協力にも不満を漏らすだろう、そしてフェザーン……。

地球の事が有る以上反乱軍との協力体制は維持せねばならん。それを行いつつ貴族どもを反乱軍にぶつける……。さて、可能かどうか……。鍵を握るのはレムシャイド伯だな、何処まで連中の真意を探れるか、何処まで此方の意図を伝えられるか……、溜息が出た。



宇宙暦 795年 9月16日  フェザーン  ベリョースカ号     ワルター・フォン・シェーンコップ



交易船ベリョースカ号の窓から外を見ていると後ろから声をかけられた。
「ヴァレンシュタイン提督はどちらに」
「自室でお偉方と話し合っていますよ、マリネスク事務長」
「そうですか、いやまさかこんなことになるとは思いませんでしたな」
「まあそうですな、しかし悪い事ばかりじゃない。今のところベリョースカ号は安全だ」

マリネスクは俺の言葉に頷きながら外を見ている。表情は決して明るくない。交易船ベリョースカ号はフェザーン回廊を自由惑星同盟側に向かって航行しているがその周囲には七隻のフェザーンの交易船が同じように航行している。広域通信でベリョースカ号が攻撃されればフェザーンが報復を受けると知ったフェザーン商人が自主的にベリョースカ号の護衛をしているのだ。

「あの話は本当なのですか」
「地球の件ですかな」
「ええ」
外を見ながら問いかけてきた。覚束ない表情だ。想像を超える事態に困惑しているのだろう。

「事実でしょう、証拠も出た」
「通信室ですか」
「ええ、レムシャイド伯の部下が確認しましたからな」

今度はハアと溜息を吐いた。重症だな、これは。マリネスクは信じたくは無いのだろうがフェザーン商船が七隻も自主的に護衛をしている。一抹の疑いは有るだろうが真実だと思っている人間は多いだろう。それほどあの通信のインパクトは大きかった。

「どうしました、こんなところで」
声のした方向に視線を向けるとヴィオラ大佐が大きな腹を揺すりながら近づいてきた。面白い男だ、外見と中身がこれほど違う男も居ないだろう。切れる男には見えないがこの男の協力無しにはフェザーンでの作戦は成功しなかった。

「いや、これからどうなるのかと思いまして……」
「どうもなりませんな、マリネスク事務長。提督が言っていましたが、宇宙は全てが変わり、何も変わらないそうです」
そして宇宙には呪いが満ち溢れ、人類は恐怖と怒りに震える事になる。この部分は言わない方が良いだろう。

マリネスクは妙な顔をしたが諦めたように首を振って去って行く。その後ろ姿を見ながらヴィオラ大佐が話しかけてきた。
「大分参っているようですな」
「無理もない、フェザーン人にとっては天地がひっくり返った様なものだろう」
「天地がひっくり返ったですか、確かにそんな感じですな」

「良いのか、弁務官府の方は貴官が居なくなって大変だろう。心配じゃないのか」
俺の質問にヴィオラ大佐は肩を竦めた。
「構いませんよ、どうせ何も出来はしないんです。今頃はハイネセンにお伺いを立てているでしょう」

ヴィオラ大佐が冷笑を浮かべた。
「ヘンスロー弁務官の事を御存知ですか」
「いや、知らない」
「あるオーナー企業の二代目なのですがね、余りに無能なので重役達が持参金付きでフェザーンの高等弁務官に就任させたのですよ」

「持参金と言うのは」
「政治献金……、しこたませしめたでしょうな。そうでもなければあんな馬鹿を弁務官になどしません」
「……」
ヴィオラ大佐の冷笑が更に酷くなった。

「あの馬鹿、フェザーンで何をしていたか知っていますか?」
「いや」
「毎日愛人の家に入り浸りですよ。その女はルビンスキーが用意しました。ルビンスキーの飼い犬ですな、それで満足しているのですから愚劣にも程が有る!」

吐き捨てる様な強い口調だった。余程に耐えがたかったのだろう。
「貴官が今回の件に加わったのはそれが理由か」
「ルビンスキーに一泡吹かせると聞いてそれで協力する事に決めました。どうなろうとあのままフェザーンで腐っていくよりは遥かに良い。まあ結果は予想以上ですな、あの馬鹿も今頃は蒼くなっているでしょう」

ヴィオラ大佐が俺に視線を向けた。冷笑は無い、楽しそうな笑みを浮かべている。分かる、貴官の想いが俺には良く分かる。
「なかなか楽しませてくれる方だ、そうは思いませんか」
「同感だ、良い玩具を見つけた子供の様な気分だな」
俺が笑い声を上げるとヴィオラ大佐も笑い出した。



宇宙暦 795年 9月16日  ハイネセン  統合作戦本部  ジョアン・レベロ



「大変だったよ、議長を始め皆が君を非難した」
『そうですか』
「そうですかって、それだけかね。私もシトレ元帥も君を弁護するのに大変だったんだが」

ヴァレンシュタインのそっけない返事にトリューニヒトが不満そうな表情をした。シトレも同意するかのように頷いている。親の心子知らず、そんなところだな、トリューニヒト、シトレ。全く可愛げのない小僧だ。

『半分くらいは私を責める事で委員長閣下を責めたのではありませんか』
「……」
『いけませんね、他人の所為にするのは政治家の悪い癖です。自分の責任を認めようとしない、それなのに功だけは声高に言い立てる。困ったものです』

平然としたものだ、思わず失笑が漏れた。私だけじゃない、皆笑っている。トリューニヒトでさえ苦笑していた。残念だな、トリューニヒト、出来の良すぎる息子は親の欠点を親以上に知っているようだ。

「つくづく思うのだが君は政治家になるべきだよ、必ず大成する事は間違いない、保証する」
『冗談はやめてください、私は軍人でさえ嫌々やっているんです』
「その割にはなかなかのものだが」

シトレの言葉にヴァレンシュタインが顔を顰めた。もったいないな、確かにこの男は政治家向きだ。それなのに彼は政治家という職業に対してネガティブな感情を持っている。

「政治家は軍人よりも嫌かね」
『大量殺人者と大量殺人教唆者とどっちが良いかと訊かれているような気分ですよ、国防委員長。ついでに言えば百三十億の同盟市民の面倒などとてもみる事は出来ません。私はそこまでお人好しじゃない』
憮然とした口調と表情にまた失笑が起きた。それにしても大量殺人教唆者か、主戦論を吐くトリューニヒトへの当てつけだな。

「君と話すのは本当に楽しいよ、これは冗談ではないよ。私の周囲には君の様に面白い人間はどういう訳かいないんだ、何故かな?」
『私に聞かないでください、興味ありません』
にべもない返事だ。トリューニヒトとシトレが顔を見合わせる。トリューニヒトが肩を竦めるとシトレが首を横に振った。

「さてそろそろ本題に入ろう。例の件だが私とシトレ元帥、つまり軍が担当することになった」
トリューニヒトの言葉にスクリーンに映るヴァレンシュタインは微かに笑みを浮かべた。

ここからの会話は細心の注意がいる。ヴァレンシュタインの乗っている船、ベリョースカ号は民間船だ。スクランブラーの機能が無いか、有っても脆弱なはずだ。盗聴しようとすれば難しくは無いだろう。奴が同盟軍の艦に移るまでは歯痒くても遠回しな表現をしなければならない。

もっとも話をするのはトリューニヒトとシトレだけだ。私とホアンは話はおろかスクリーンにも映ってはいない。トリューニヒト達からは少し離れた場所に居る。我々四人、いやヴァレンシュタインも入れれば五人の繋がりを周囲に知られてはならない……。

『反乱軍の首魁である最高評議会議長は如何されたのです? 法秩序委員長もですが……』
「暴虐なる帝国人とは関わりたくないそうだ」
『残念ですね、それは』
ヴァレンシュタインの笑みが大きくなった。どうやら嘲笑だな、議長が嫌いらしい。

「まあ最初に帝国側と接触したのは私とシトレ元帥だ。その方が良いだろう、変な混乱をせずに済む」
『そう言って貰えるとお引合せした甲斐が有ったというものです』
「喜んで貰えて嬉しいよ。君を失望させたくは無いからな」

トリューニヒト、シトレ、ヴァレンシュタインの三人が笑みを浮かべている。やはりヴァレンシュタインは軍が全面に出る事を望んでいる。ホアンに視線を向けると彼は大きく頷いた、私も頷く。先ずは想定通りだ。しかし、狸と狐の化かし合いだな、酷い会話だ。

『しかし、いずれは最高評議会議長の職責に有る方が交渉に臨むべきだと思いますね』
「……」
トリューニヒトの顔から笑みが消えた。ヴァレンシュタインが何も気付かぬように言葉を続けた。

『あちらに対して失礼ですし、それにトップ会談の方が物事を決めやすいという利点が有ります。特に大きな問題ほどそうです』
「なるほど」
『まあこれは私の私見ですが』
「いや、私も同意見だよ、ヴァレンシュタイン提督」

トリューニヒトがまた笑みを浮かべている。ヴァレンシュタインも同様だ。政権を取ると言う事か、いや政権を取らなければ和平は難しいという事だな。確かにサンフォードでは和平は無理だろう。ホアンが私に“時が来たようだな”と囁いた。同感だ、確かに時は来ている。

「帝国側とは色々と相談しながら事を進めていくことになりそうだ」
トリューニヒトが“色々”という部分に少し力を入れた。あるいは入れたように思えただけかもしれない。しかしその“色々”には地球の他に和平の事も含まれているはずだ。

『そうですね、両国の未来に関わる問題です、十分に話し合う事が必要でしょう。何と言っても同盟と帝国が協力する事には反対する人が多い、そうではありませんか』
確かにその通りだ。ヴァレンシュタインの言葉にトリューニヒト、シトレが頷いた。顔を見合わせた後、今度はシトレが口を開いた。

「確かに君の言うとおりだ。今日も反対が酷かった」
『やはりそうですか……。しかし同盟よりも帝国の方が深刻でしょう。反対する人達は武力を持っています』
武力、貴族か……。

「一筋縄ではいかないか……」
『ええ、不満には思わせても怒らせるわけにはいきません』
「なるほど、確かに」
不満には思わせても怒らせるわけにはいかない。怒らせれば場合によっては内乱になるか……。地球対策でさえ不満は出るだろう、和平となればその比ではないはずだ。……内乱、十分に有り得る。
どう考えるべきかな、内乱になれば当然だが和平は結べない。しかし帝国側から攻め込んでくることは無くなるはずだ。こちらから攻め込もうなどと考えなければ戦争はいったん休戦状態にはなるだろう。零点とは言えない、点数は休戦状態がどの程度続くかで変わるだろう……。

だが先ずはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が和平についてどう考えているのかを知る事だな。いや最初に知るべき事はあの二人が帝国をどの方向に導こうとしているのか、先ずはそこからだろう……。



 

 

第八十七話 余波(その3)



宇宙暦 795年 9月16日  ハイネセン  統合作戦本部  ジョアン・レベロ



「和平のチャンス、そういう事だな」
「しかしハードルは高い」
「うむ」
シトレが低い声で指摘するとトリューニヒトが顔を顰めた。スクリーンにはヴァレンシュタインは映っていない。通信は五分ほど前に終了した。

主として会話はトリューニヒトとヴァレンシュタインの間で行われた。あからさまには話せない、お互いの発言はオブラートに包んだようなものになったがそれでも話すだけの価値は有っただろう。もっとも聞いているこちらはもどかしい事この上なかったが……。

「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯、あの二人が何を考えているかだな」
「シトレの言うとおりだ、それによって変わってくる」
皆考える事は同じか、トリューニヒトもホアンも神妙な顔で頷いている。

シトレが自分の考えを確かめるようにゆっくりと重々しい口調で話し始めた。
「帝国は今不安定な状況にある。平民達が不満を持ち改革を望んでいる。しかし貴族達はそれを押さえようとしているらしい。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も両者の間で動きが取れずにいるんじゃないかと私は思っている」

なるほど、平民達が爆発すれば暴動から革命……。貴族達が暴発すれば内乱、場合によっては帝国は分裂へと向かうかもしれない……。いや、それは革命でも同じ事か……。だとすればあの二人はかなり追い込まれている。

「問題は貴族だな、厄介な事に連中は軍事力を持っている」
「それだけじゃないぞ、レベロ。厄介なのは帝国の政治体制が平民を抑えつける事で成り立っている事だ。それを最も強く意識しているのが貴族だろう。連中にとって平民への妥協など受け入れられるものではない」
シトレの言葉に皆が顔を顰めた。ルドルフの馬鹿野郎と言いたい気分だろう。何だってそんな馬鹿げた政治体制を作ったのか……。

「改革か……、及び腰の改革という事も有り得るんじゃないか」
トリューニヒトが皆の顔を見回しながら話すとホアンが眉を寄せて答えた。納得していない時のホアンの癖だ。
「その場合貴族、平民の両者が納得するまい。中途半端な改革はむしろ両方から反発を招くことになる。一つ間違うと政府は統制力を失い帝国は内乱と革命に揺らぐことになるんじゃないかな」
ホアンの言う事はもっともだ。両者から不信をかえば帝国は統制力を失い一気に崩壊という事も有り得る。

「内乱と革命か……、単純には喜べんな。帝国領へ出兵しろと騒ぐ馬鹿共が出てくるだろう、賭けても良い。馬鹿共の顔が目に浮かぶよ。そうなれば戦火は拡大し同盟は今以上に疲弊する、一つ間違えば共倒れだな」
トリューニヒトが顔を顰めて吐き捨てた。全く同感だ、地球教は無くなっても帝国と同盟は共倒れになりかねない。馬鹿げている。

和平のチャンスではある、しかしシトレの言うとおりハードルは高い。少しの間皆がそのハードルの高さを自問するかのように沈黙した。ややあって話し始めたのはシトレだった。

「帝国にとっての懸案事項の一つは国防委員長も指摘したが、帝国が混乱した時同盟が攻勢を強めるのではないかという事だろう」
「イゼルローン要塞を中心とした攻防戦か……」
私の言葉にシトレが首を横に振った。

「レベロ、これまではそれで良かったかもしれん。しかし今日からは違う、フェザーン回廊が有る」
「なるほど、フェザーンか……」
思わず顔を顰めた。どうも悪い材料ばかり出てくる。

同盟軍は今フェザーン回廊を目指して航行している。場合によっては攻撃する事も有り得る。つまりフェザーン回廊の中立は失われたわけだ。同盟も帝国も今後はイゼルローン、フェザーン両回廊を考慮しなければならない……。

「それにヴァレンシュタインは以前フェザーン回廊を利用したイゼルローン要塞攻略作戦をグリーンヒル大将に話している。私も聞いたが作戦案としては秀逸だと思った。ただ当時は政治状況がフェザーンに兵を向ける事を許すかどうか分からなかった。それもあって実現はしなかったが……」

「今は実現可能と言うわけか」
「あの作戦案を聞いた人間は他にも居る。あれが上手くいけばイゼルローン、フェザーン、両回廊が同盟の手に入るんだ。作戦の実施をと叫ぶ人間が出るのは確実だろうな」
シトレの表情も渋い。皮肉な事だ、和平の可能性が見えてきた今になってイゼルローン要塞を攻略する可能性が出てきた。

「帝国としては国内の混乱に同盟が介入してくるのは避けたいはずだ。となれば……」
「どの程度の物かは別としてあの二人は改革を選ぶ可能性が有る、そういう事だな」
シトレの後をトリューニヒトが続けた。皆、顔を見合わせている。

「晴眼帝と亡命帝の事か……」
「その通りだ、ホアン。帝国にとっては同盟との休戦は何物にも代えがたいだろう。国内問題に専念できるんだからな。これからの交渉の中であの二人は必ずその辺りを確認してくるはずだ。改革の内容次第では休戦は可能だと答える事だ。和平を切り出すのはその後だろう」

トリューニヒトの言う通りだろう。表向きは地球教対策、裏では休戦の取り決め、改革の深度、そして和平を話し合う。
「ヴァレンシュタインの言う通りだ、政権を取る必要が有るな。帝国側は必ず最高評議会議長の言質を欲しがるはずだ。サンフォードでは無理だ、我々が政権を取らなければならん」
私の言葉に皆が頷いた。

スクリーンの呼び出し音が鳴って受信ランプが点滅した。ヴァレンシュタインか? シトレが受信ボタンを押下するとスクリーンにグリーンヒルが映った。厳しい表情をしている、顔色も良くない。シトレが我々を一度見てからスクリーンに視線を向けた。

「何事かね、グリーンヒル大将」
『先程、憲兵隊によって地球教団支部を捜索しようとしたところ、教団側は反発し火器によって攻撃してきたそうです。現在、地球教団支部にて憲兵隊と地球教徒との間で激しい戦闘が起きています』

「分かった。手を緩めることなく取り締まってほしい」
『はっ』
スクリーンが切れた。シトレが我々に視線を向ける。
「これで地球教の有罪が確定した。我々は帝国との協力体制を維持しなければならない」
その言葉に皆が頷いた……。



帝国暦 486年 9月16日    オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル



オフレッサーは宮中から戻ると俺とリューネブルクを自室へ呼びつけた。部屋に入るとジロリとこちらを睨む。酷い悪人面だ、機嫌が悪いのが一目で分かる。機嫌が良い時はブルドックが餌を貰ったような表情になるのだ。つまり目尻が垂れる。俺は地球教徒じゃないぞ、多分リューネブルクも。だからそんな腹を減らしたブルドックのように喰い付きそうな目で見ないでくれ。

「今警察が地球教団支部に向かっている。理由は分かるな?」
「例の一件ですね。フェザーンの背後に地球教が有り帝国、反乱軍の共倒れを狙っている……」
俺の答えにオフレッサーが鼻を鳴らした。その通りだという事かな……。

「その通りだ。軍も警察を支援することになった。憲兵隊、装甲擲弾兵が教団支部に向かっている。まあそれは良い、卿らには別にやってもらう事が有る、地球教団本部の制圧だ」
間違っていなかったようだ。

「我々に地球へ赴けと」
「そうだ、ミューゼルが制宙権の確保、リューネブルクが地上制圧。両名で地球教を制圧しろ」
リューネブルクと顔を見合わせた。彼が微かに頷く。

「何時出立出来る?」
「小官は明後日には……」
俺の答えにリューネブルクも頷く。それを見てオフレッサーが“明後日だな”と呟いた。

「それでは準備にかかります」
「うむ、制圧後の調査のために情報部の人間も同行する。連れて行くのを忘れるな」
「はっ」

オフレッサーの部屋を出るとリューネブルクが溜息を吐いた。
「どうかしたか、リューネブルク少将」
「いや、久しぶりの任務だ、地上制圧、それ自体は不満ではないが相手がな……、地球教? どんな相手か想像がつかん、気が進まんよ。反乱軍を相手にしている方が気が楽だ」

「なるほど」
リューネブルクは白兵戦が主体だ。直接敵と向き合って戦うことになる。相手の素性がはっきりしないと言うのは不安なのだろう。そういう意味では艦隊指揮官というのは楽だろう。自分の指揮で誰を殺したのかなどと悩まずに済む。但し死傷者の数はこちらの方が上だ、何百倍、何千倍も。

「不安なのはもう一つ理由が有る。この件、ヴァレンシュタインが絡んでいる。嫌な予感がする、何か裏が有るんじゃないかと思うんだ。……卿はどう思う」
リューネブルクが俺に視線を向けた。瞳に不安の色が有る。怯えているのかもしれない、しかしそれを揶揄する気にはなれない。

リューネブルクは怯懦とは無縁な男だ。一戦士としても白兵戦指揮官としても十分な勇気と胆力を持っているし無謀でもない。装甲擲弾兵を指揮させれば帝国でも屈指の男だという事はヴァンフリート、イゼルローンで共に戦ったから分かっている。だがそんな男でもヴァレンシュタインを恐れている……。

今回の一件、イゼルローンでの通信を思い出した。ルビンスキーを追い込んでいくヴァレンシュタインの姿は見ていて寒気がした。俺もルビンスキー同様ヴァレンシュタインの前にただ震えていた。彼の言葉に打ちのめされないように立っているのが精一杯だった。今でも夢に見るときが有る、起きた時は冷たい汗をびっしょりとかいている……。

「正直不安は有る。しかしフェザーンと地球教が繋がっているのは事実だろう。そして帝国と反乱軍の共倒れを狙った事も……。となれば地球教そのものは潰さなければならない。そのためには帝国、反乱軍の協力が必要だ」
リューネブルクが俺の言葉を反芻するかのように頷いている。

「では裏は無いと?」
「いや、相手が相手だ、油断は出来ない。ただ現状ではヴァレンシュタインの敷いたレールに乗らざるを得ないのも事実だ」
俺の言葉にリューネブルクが溜息を吐いた。俺も溜息を吐く、非常に不本意だ。また奴に主導権を取られている。

「問題が有るとすれば地球教を潰した後、反乱軍と協力した後か」
「おそらく……、フェザーンを利用して何らかの罠をしかけてくるだろうな」
リューネブルクがまた溜息を吐いた。

「厄介な相手だ。……ミューゼル、笑うなよ。俺は奴が怖い、どうしようもなくな」
「私もだ」
顔を見合わせて互いに小さく笑った。大丈夫だ、まだ笑える。

リューネブルクが笑いを収めた。
「気になるのは奴がどうやって地球教の事を知ったのかだ。それに例のルビンスキーの通信の内容……。卿はどう思う」
「……」

どう答えるかと悩んでいると俺の自室の前に来た。寄って行くかとリューネブルクに聞くと自室に戻ると答えが返ってきた。
「では後で合同の打ち合わせをしよう」
「一時間後に会議室で」
「良いだろう、では」
「では」

結局それまでだった。質問に答えられなかったがリューネブルクも答えは求めていなかったのかもしれない。自分の部屋に戻りケスラー、クレメンツを呼ぶ。三分と待たずに二人がやってきた。おそらくは俺が呼び出された事を知り、部屋で待機していたのだろう。途中でリューネブルクと会ったかもしれない。

「地球制圧を命じられた。出撃は明後日、地上制圧部隊としてリューネブルク少将の装甲擲弾兵第二十一師団が同行する」
俺の言葉に二人が頷く。ケスラーが口を開いた。
「先程、カッセル街にある地球教団支部で地球教徒と警察が銃撃戦になったそうです。憲兵隊に知り合いが居るのですが彼が教えてくれました」
「そうか……」

始まった、と思った。何が始まったのだろう、地球教の鎮圧か? よく分からないが何かが始まったと思った。
「一時間後に会議室で第二十一師団と合同作戦会議を行う。準備を頼む」
「はっ」



帝国暦 486年 9月16日    オーディン オフレッサー元帥府 ウルリッヒ・ケスラー



ミューゼル提督の私室を出るとクレメンツが話しかけてきた。
「地球制圧ですか……。あの星には軍事力は殆ど無いはずです。制宙権の確保は難しくは無いと思いますが……」
「私もそう思う。油断はできないがどちらかと言えば問題は地上制圧だろう。あの星の大地はシリウス戦役以来汚染されたままだと聞いている……」

クレメンツが溜息を吐いた。
「情報が有りませんな。地球教団の自治に任せたため地球については殆ど何も分からない」
「止むを得んさ。何の価値もない星だ、少なくともこれまではそう思われてきた……」

太陽系第三惑星地球。銀河連邦、銀河帝国時代を通じて自治権が認められた。人類の母星として尊重されたのではない。シリウス戦役後の地球は壊滅的打撃を被り人口は大激減、既に資源は枯渇し産業も存在しない無価値な惑星でしかなかった。

銀河連邦、銀河帝国、そのどちらの統治者達も無価値となったかつての人類の母星を自治を認めるという形で放置した。下手に関わり合えば「人類の母星」という言葉を振りかざし何かにつけて特別扱いを求めるだろう。自治は地球に対する丁重な絶縁状だったと言っても過言ではない。地球は九百年間無視され続けてきた。

「それでもヴァレンシュタインと戦うよりはましですかな」
「それを言うな、副参謀長」
「そうでした、申し訳ありません」
クレメンツがバツの悪そうな表情をしている。溜息が出そうになるのを懸命に堪えた。

ヴァレンシュタインが我々のシミュレーションデータをダウンロードしていた。あの第七次イゼルローン要塞攻防戦で彼が言った言葉、我々を皆殺しにするつもりだったという言葉は嘘ではなかった。少なくとも否定は出来なくなった。

あのゼーアドラー(海鷲)での衝撃以来、誰が音頭を取ったわけではないが自然とヴァレンシュタインの事を調べ始めていた。幸い資料はミューゼル提督が持っていた、我々が資料を見たいと言うと提督は一瞬考えるそぶりを見せたが“口外するな”と言って閲覧を許可してくれた。

八百三十六戦して五百三勝、三百三十三敗。ヴァレンシュタインのシミュレーションの成績だ。平凡と言って良い、良く言って中の上、そんなところだろう。皆が彼のシミュレーションの成績を知って首を傾げた……。

しかしシミュレーションの内容を調べるにつれて皆の顔が強張った。三百敗以上の敗戦の殆どが圧倒的なまでに戦力差が有る中での撤退戦、防御戦だったのだ。

“俺はこんな馬鹿げたシミュレーションは見たことが無い”
“卿は奴を馬鹿だと思うのか”
ビッテンフェルトとロイエンタールの会話だ。おそらく皆の気持ちを代弁していただろう。それ以上は誰も何も喋らずに解散した。

あのシミュレーションは一体何のためなのか……。生き残るため、ごく普通に考えればそうなる。だが本当にそれだけか……。隣を歩くクレメンツを見た。憂鬱そうな表情をしている。

彼が言った言葉を思い出す。第七次イゼルローン要塞攻防戦の前の事だった。シュターデン少将がヴァレンシュタインを軽視するかのような発言をした時の事だ。
“あれは戦争の基本は戦略と補給だと言っていた。戦略的優位を確立し万全の補給体制を整えて戦う、つまり勝てるだけの準備をしてから戦う……”

確認したのか、それを……。自らシミュレーションで三百敗する事でそれを確認したのではないだろうか。理論をシミュレーションで確認し第七次イゼルローン要塞攻防戦で実践した。戦略的に圧倒的な優位を確立し帝国軍を殲滅した……。

「どうしました、参謀長?」
クレメンツが訝しげな表情で私を見ている。何時の間にか考え込んでいたらしい。
「いや、なんでもない。……地球の事を考えていた」

余計な事は考えるな、今は地球制圧の事だけを考えろ。地球までは約二週間、地上制圧に五日かかったとしても約一ヶ月後にはオーディンに戻れるだろう。そしてその時には銀河はまた新たな局面を迎えているに違いない……。




 

 

第八十八話 余波(その4)




宇宙暦 795年 9月16日    ハイネセン 統合作戦本部  バグダッシュ



情報部防諜課のドアが激しい音と共に開けられた。
「バグダッシュ!」
大声を上げてピーター・ザックス中佐が入ってきた。表情が硬い、怒っているな、眦が吊り上っている。皆が唖然とする中、ザックスは突進するような勢いで真っ直ぐに俺のデスクに向かって来た。やれやれだ、来るとは思っていたが予想以上に早かった。

お前の気持ちはとっても良く分かる。しかしな、ザックス、一応俺は准将で防諜課第三係の係長なんだ。士官学校同期生の気安さが有るのは分かるが准将か、係長か、どちらかを付けて呼んで欲しかった。例え声が怒鳴り声でも、いや怒鳴り声ならなおさらな……。

俺の部下達が慌ててザックスを遮ろうとする。有難い話だ、持つべきものは忠誠心溢れる部下だな。しかし残念なことは世の中は忠誠心溢れる部下よりも何を考えているか分からない上官の方が圧倒的に多いという事だ。ザックス、お前も俺もその被害者なんだ、だから俺に当たるのは止せ。俺に当たっても意味は無いぞ。

「良いんだ、皆、そのまま仕事を続けてくれ。……予想外に早かったな、ザックス」
「おい、あれはどういう事だ!」
「落ち着けよ、ザックス」
「ふざけるな!」

ザックスが俺のデスクの前に立った。いかんな、目が血走っている。かなり頭にきているようだ。
「向こうで話そう。その方が良い」
「……」
無言で立ち尽くすザックスを置いて席を立った。頼むから黙って付いて来てくれよ、いきなり後ろから殴りかかるのは無しだぞ。

有難い事にザックスは黙って付いて来た。俺の心の中の祈りが通じたらしい。会議室に入り席に着くと早速ザックスが身を乗り出すようにして話しかけてきた。同じ言葉だが口調はさっきとは違う、押し殺した低い声だ。さっきよりも怒っているのか?

「おい、あれはどういう事だ」
「お前さんが言っているのがフェザーンの一件、いや地球教の一件なら俺もどういう事だと聞きたい気分なんだがな」

「ふざけるな! ヴァレンシュタイン中将とヴィオラ大佐を繋げたのはお前だろう、こっちは調べたんだ!」
ザックスが激しい勢いで机を叩いた。頼むから落ち着けよ、と言っても難しいだろうな。溜息が出そうだ。

「確かに繋げたのは俺だ、シトレ元帥の依頼だった。しかしそれ以上はタッチしていない、これは本当だ」
「……」
おいおい、頼むからそんな睨むなよ。睨んでも答えは変わらんぞ、俺は嘘を言っていない。

「信じて欲しいな、こっちも今地球教のことで大騒ぎなんだ。知っていればこんな騒ぎにはなっていない」
俺の言葉にザックスは憤懣遣かたない、そんな感じで息を吐いた。

「……先日話した時、どうしてフェザーンで何か有ると言ってくれなかった。分かっていたんだろう、フェザーンで何か動きがあると……。俺達がどれほどヴァレンシュタイン中将の動きに注目しているか知らなかったとでも言うつもりか?」

そんな恨みがましい目で見るなよ、ザックス。後で酒の一杯も奢る必要があるな、或いは殴り合いか……。殴り合いの方が後腐れ無さそうだ。五、六発、いや二、三発多めに殴られれば良いか……。こいつとの殴り合いは士官学校以来だが、懐かしいとは言えないだろうな。

「知っていたさ、だからと言ってペラペラ喋れると思うか? ヴィオラ大佐との繋ぎはシトレ元帥直々の依頼によるものだ。そこから先は極秘だと言われ何も聞かされていない。例え俺とお前の仲でも喋れる様な事じゃない、違うか? お前が俺だったらどうする、喋ったか?」
「……」
ザックスは無言で俺を睨んでいる。理解は出来ても納得は出来ない、そんな感じだな。時間が経てば納得するだろう。

「ザックス、調査課はヴァレンシュタイン中将の動きに何も気付いていなかったのか?」
ザックスがきつい目で俺を睨んだ。済まないな、ザックス。しかし調査課がどういう状況に有るかを知るのも俺達の仕事でな。悪く思わないでくれよ、せっかく防諜課に来てもらったんだ、土産一つ貰わずにお前を帰すことは出来ない……。

「気付かなかった。艦隊司令官になって訓練に出ているからな、当分動きは無いものと思っていた。甘かったよ……、まさかフェザーンとは……」
確かに甘かった。訓練というのを真に受け過ぎたのだろう。動くとすれば出撃の前後と見たか……。残念だな、ヴァレンシュタイン中将を知ろうとするなら動きの有る時より動きの無い時を注視すべきだ。動いてからでは遅すぎる……。

「それで、調査課はどう見ているんだ、あれを」
俺の言葉にザックスが視線を逸らした。答えたくない、いや答えられないと言ったところか……。どうやら調査課ではまだ意見がまとまっていないらしい。となるとザックスがここに来たのは……。

「お前はどう思うんだ、ザックス」
「……ある程度、いや、かなりの部分が真実なのだと思う。俺の周囲にはそう考える人間が多い。だとすると厄介な事になると思う、形の無い敵を相手にする事になる。……防諜課は如何なんだ」

ザックスがちらりと俺を見た。今度はそちらが御土産を仕入れる番という事だな。なるほど、目的はむしろこちらか……。ザックスはこっちが、いや俺が情報を持っていると見た。それを入手するために敢えて怒っている振りをしたか……。ザックス、まさかお前と駆け引きをする事になるとはな、やれやれだ。

いや、怒っているのは本当かもしれんが、それだけではないという事だな。素直に頭を下げて教えて下さいとは言えんか。ザックスはともかく、調査課にも面子が有るからな。まあ分からないでもないが、そんな事を言っている状況じゃないとも思うんだが……。

「控えめに言っても深刻と言って良い状況だろうな。表では今も地球教団と憲兵隊が撃ち合っている。昨日まではちょっと変わったところは有るが善良な市民だと思っていた地球教徒が実は破壊工作員だと分かったんだ。もちろん全ての教徒が破壊工作員という訳ではないだろうが、見極めが難しい。うちの人間は皆頭を抱えている」
「……」

「……フェザーン方面で何らかの行動を起こす。おそらくはフェザーンを独立させる、或いはそう見せかけて帝国軍を混乱させる、そんなところだろうとは思ったが、まさかこんなことになるとは思わなかった。とんでもない事になったよ」
「本当にそう思っているのか?」
いかんな、ザックス。それじゃこっちを探りに来たのがバレバレだぞ。

「本当だ、そんな疑い深い目で見るな、ザックス。大体シトレ元帥も何処まで知っていたのか疑問だな……。もし地球教の事を事前に知っていたのなら防諜課に対して何らかの指示が出ていてもおかしくない、そうじゃないか」
「出ていないのか?」
「言っただろう、皆頭を抱えていると」

俺の言葉にザックスはホッとしたような表情を見せた。やれやれだな、シトレ元帥が何処まで知っているのか、本人には確認できんからな。まあこれだけでも十分な収穫だろう。

「調査課に戻ったらどうだ」
「……」
「御土産は十分に渡したはずだ。これ以上の事が知りたいならヴァレンシュタイン中将に直接訊く事だな。もっとも訊けるのならだが……」

ムッとするかと思ったがザックス中佐は苦笑して頷いた。
「気を付けろよ、バグダッシュ。調査課にはお前がヴァレンシュタイン中将と組んで調査課を出し抜いたんじゃないかと疑っている人間が居る」
「……」

「嘘じゃないぞ。先日、俺がお前と話していたことで俺が本当は知っていたんじゃないかと疑っている奴さえいる始末だ」
「……それで此処に怒鳴り込んできたのか」
ザックスが頷いた、もう笑ってはいない。

「それだけじゃない、お前は嫉まれているんだ、出世したからな。お前を凹ませたいと考えている連中がいる。調査課だけじゃないぞ、防諜課にもいる。今回の一件にお前が絡んでいるという情報も防諜課から調査課に流れた可能性が有る」
「まさか……」
ザックスが肩を竦めた。

「お前がヴァレンシュタイン中将と親しい事に目を付けた連中がいる。中将の動きを補足するためにお前を監視している連中がいるんだ。連中の情報源はお前を快く思っていない防諜課の人間だ。思い当たる節は有るだろう」
「……」

無いとは言えない。階級が上がった事で今の地位に就いたことは事実だ。本来なら俺の代わりに係長になっていたかもしれない人間も何人かいる……。俺が監視対象か……。ゾクッとするものが背中を走った。

「気を付けた方が良い。……少しヴァレンシュタイン中将に怒るんだな。自分も被害者だと周囲にアピールした方が良い、そうじゃないと情報部での立場が無くなるぞ」
「……」
「忠告はしたからな」
そう言うとザックスは席を立ち部屋を出て行った。足音荒く大きな音を立てて……。



宇宙暦 795年 9月17日     巡航艦パルマ      エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ベリョースカ号から巡航艦パルマに移乗するとゼノ中佐が艦橋で俺達を待っていた。敬礼と共に俺達を迎えてくれる。嬉しいよね、こういう風に迎えて貰えると。思わず顔が綻んだよ。シェーンコップ達も笑みを浮かべている。やっぱり商船より軍艦の方が身体が慣れているのかな。

「ヴァレンシュタイン提督がこの艦に無事戻られた事を何よりも嬉しく思います」
「有難う、ゼノ艦長。人数が少し増えましたが宜しくお願いします」
「はっ」

ゼノ艦長は嬉しそうだな。俺が戻ってホッとした、そんなところだろう。死なれたら責任重大だからな。……いかん、大事な事を忘れる所だった。
「それとベリョースカ号、その他の商船に対して感謝を伝えてください。彼らには随分と御世話になりました」
「承知しました」

ようやく帰ってきた、そんな感じだな。何と言ってもベリョースカ号はちょっと居辛かった。コーネフもマリネスクも露骨には出さないが俺には関わり合いになりたくない、そんな感じだったからな。まあ俺達がフェザーンでした事を思えばそういう態度も仕方ないんだが……。

最後のお別れの時も俺が“色々と御世話になりました。感謝します”と言っても二人とも“どうも”とか“まあ、その”とかだからな。最後なんだし、もう二度と会えないかもしれないんだからにこやかに別れたかったよ。その程度の雅量も無いようじゃ立派な船長にはなれないぞ、コーネフ君。

「閣下、チュン参謀長から連絡が欲しいと有りましたが如何されますか、着いたばかりですし少し時間を置いてからにされますか」
ゼノ艦長が気遣わしげな表情を見せている。俺が疲れていると思っているのかな。まるで久しぶりに戻った息子を気遣う母親みたいだ。

「艦長はハトホルと連絡を取るのでしょう?」
「はい、これから閣下が無事パルマに移乗された事を伝えます」
「ではその時に私も参謀長と話しましょう。その方が二度手間にならずに済む」
「はっ、了解しました」

多分お小言だろう。チュン参謀長にしてみればあんな騒動を起こすとは思っていなかったに違いない。ゼノ艦長がハトホルに連絡を入れると直ぐに繋がった。正面のスクリーンにチュン参謀長が姿を現す。いかんな、額に皺が寄っている、大分気を揉んだのだろう。

「巡航艦パルマ艦長、ゼノ中佐であります」
「うむ、参謀長のチュン少将だ」
チュン少将が俺の方をチラリと見た。認識はしたのだろうが先ずはゼノ艦長の報告を受けようというのだろう。視線をゼノ艦長に戻している。

「ヴァレンシュタイン提督を当艦にお迎えしました」
「そうか、何か問題は有るかな」
「小官の知る限りにおいては有りません」
「うむ、御苦労だった、ゼノ艦長。ではヴァレンシュタイン提督に代わってもらえるかな」
チュン少将が満足そうに頷くとゼノ艦長がホッとした様な表情を見せた。

互いに敬礼するとチュン参謀長が話しかけてきた。
「御無事で何よりです、ヴァレンシュタイン提督」
「心配をかけたようですが、この通り無事です」
俺の周囲で苦笑する音が聞こえた。ローゼンリッターだな、悪い奴だ。後で御仕置きをしないと。

「余り無茶をされては困ります。我々の艦隊は第一特設艦隊なのです、常設の艦隊ではありません。閣下にもしものことがあればどうなるか……。これまでの訓練が全て無意味なものになりかねません」
「……」

参謀長が心配そうな顔をしている。なるほど、確かにそうだな。場合によっては解体という事も有り得る。それは避けたいだろうな、二万隻の艦隊の司令部要員ってのはやはり周囲からは羨望の的だろうし、やりがいも有るはずだ。本来なら俺を怒鳴りつけたい気分だろう。

「以後はお立場を考え、今回のような無茶はなさらないでください」
「分かりました、気を付けます」
素直に答えるとチュン参謀長は満足そうに頷いた。そうか、ゼノ中佐が嬉しそうなのも艦隊が解体されずに済むと思ったからかもしれない。俺ならこんな死亡率が高そうな艦隊に居るのは嫌だけどな。

「巡航艦パルマがこちらと合流するにはあと一週間ほどかかると思います。おそらくはポレビト星系付近での合流になるでしょう」
「……」
ちょうどいい、色々と考える必要が有る。ハトホルでは一人で考えるなんてなかなか時間が取れないからな。

「合流するまでの間、油断は出来ません。くれぐれも無茶をなさらないでください」
「参謀長の言うとおりにしますよ」
俺の返事に参謀長はゼノ艦長の方に視線を向けた。
「ゼノ艦長、必ず提督を我々に送り届けるのだ。巡航艦パルマの指揮権は貴官にあることを忘れないように」
「はっ」
俺、あんまり信用されていないな、何でだろう……。多分周りにいる人間が悪いんだな。きっとそうに違いない。俺の所為じゃないさ……。




 

 

第八十九話 余波(その5)



宇宙暦 795年 9月17日    第一艦隊旗艦  アエネアース   マルコム・ワイドボーン  



『先程、巡航艦パルマより連絡が有りました。巡航艦パルマはベリョースカ号と接触、ヴァレンシュタイン提督を無事収容したとのことです。小官もヴァレンシュタイン提督を確認しました』
「御苦労だった、チュン少将」

第一特設艦隊の参謀長、チュン少将がスクリーンから話しかけてきた。表情が明るい、ヴァレンシュタインの無事を確認出来た事でホッとしているようだ。前に話した時は顔面蒼白で顔が強張っていた。全く、あいつめ、何時も周りに心配ばかりさせている。

『我々が巡航艦パルマと合流するにはあと一週間ほどかかると思います。おそらくはポレビト星系付近での合流になるでしょう』
「おそらくはそうなるだろうな。合流するまでの間、巡航艦パルマは何処からも支援を受ける事が出来ない、危険なのはむしろこれからだろう。無事に合流できれば良いんだが……」

チュン少将の表情が曇った。
「第一特設艦隊は先行してくれ。何としても奴を、巡航艦パルマを無事保護して欲しい」
『承知しました』
「頼む。では、これで」

敬礼をして通信を切る。思わず溜息が出た。そんな俺を励まそうというのだろうか。副官のスールズカリッター大尉が話しかけてきた。
「まだ安全とは言えませんが、民間船に居るよりは安心できると思いますが」

スールズカリッター大尉、艦隊司令官になったと同時に俺の副官になった。予備役に編入されたフォーク中佐とは士官学校で同期生だったらしい。俺より三期下のはずだが士官学校では見た覚えがない。もっともそれはフォークも同様だ。才気走った所は無いが手堅い仕事ぶりで今のところ不満を感じた事は無い。

「気休め程度にはなるな」
「はあ」
「今奴を失う事は出来ん。それなのに……、全くもどかしい事だ。あいつには何時もハラハラさせられる。椅子に縛り付けておきたい気分だ」
「……」

スールズカリッター大尉が妙な目で俺を見ている。俺が酷い事を言っていると思っているのだろう。だがな、奴が無茶をやって周りを振り回すのは何時もの事なのだ。将官会議の事とかイゼルローン要塞からの撤退戦とか……。いつも周りを混乱させて自分だけは涼しい顔をしている……。

段々酷くなるし規模も大きくなってくるな。そのうち宇宙が転覆する騒ぎを起こすに違いない、いやもう起こしているか……。まったくとんでもない騒ぎを起こしてくれた。これから宇宙はどうなるのか……。

「第三艦隊のヤン提督と話しがしたい、繋いでくれ」
「はっ」
スールズカリッター大尉がオペレータに指示を出す、少しの間が有ってスクリーンにヤンの顔が映った。

『やあ、ワイドボーン、何かな』
何かな? 相変わらず暢気な奴だ、緊張感の欠片も無い表情をしている。ヤンといい、ヴァレンシュタインといいどうして俺の周りには変な奴が多いんだろう。しかも変な奴に限って出世している。何でだ?

「今、チュン少将と話をした。ヴァレンシュタインは巡航艦パルマに移ったそうだ。合流地点はポレビト星系付近、大体一週間後になるだろうな」
『なるほど、とりあえず一安心か』
ヤンが頷いている。

「まだまだ油断は出来んさ、奴が危険な状況にある事は間違いない」
『無事であって欲しいよ、間違ってもフェザーン本星への攻撃なんてしたくない……』
ヤンが顔を顰めた。そんな情けない声を出すなよ、こっちも滅入るだろう。

「俺も同感だ、それを考えると今すぐ辞表を書きたくなる。……ヤン、少し話せるか」
俺の問いかけにヤンはちょっと考える様なそぶりを見せた。

『……二人きりでかな』
「ああ、二人きりでだ」
『そうだね、私も君と話したいと思っていた』
「気が合うな、では決まりだ、こちらから連絡する」

話したいと思っていたか、考える事は同じだな。通信が切れスクリーンに何も映さなくなった。
「大尉、そういうわけだ。俺は暫くの間自室に居る。何かあったら遠慮なく連絡を入れてくれ」

俺の言葉にスールズカリッター大尉は“承知しました”と答えた。自室に戻るために艦橋を離れる。ヤンの言うとおりだな、フェザーン攻撃なんて冗談じゃない、現実になったらどうするべきか、未だに判断がつかない。攻撃できるんだろうか……。無差別に民間人を殺しまくる? 溜息が出た。

ヴァレンシュタインめ、全く碌でもない事を言いだす奴だ。部屋に戻りヤンを呼び出すと直ぐに通信が繋がった。珍しい事だ、奴は俺より先に部屋に着いて待っていたらしい。

「今回の件、どう思う?」
俺の問いかけにヤンが苦笑した。
『随分と抽象的な質問だね、ワイドボーン』
「思った事を言えということさ。で、どう思う?」
ヤンが髪の毛を掻き回した。

『そうだな、……まず偶然じゃない。フェザーン行は帝国軍を引き摺り出す為の謀略と言っていたが真の狙いはこっちだろう』
「同感だな、ところで地球の事はどう思う」
『ルビンスキーの様子を見れば事実という事だろうね。拝金主義者の裏の顔が狂信者か……。思ってもみなかったよ』
溜息交じりの言葉だ。

『国防委員長もシトレ元帥もそれについては知らなかったようだ。ヴァレンシュタイン中将は事前に説明はしなかったようだ』
「あいつの悪い癖だな、なんでも一人だ。肝心な事は周りには教えない」
俺の言葉にヤンが困ったような表情を見せた。

『まあ事前に説明しても受け入れられるとは思わなかったのかもしれないよ。それに説明すれば万一の場合二人にも累が及ぶ、そう考えた可能性も有る』
「そうかもしれないな、だとしたら余計に始末が悪いさ」
だから強く文句を言えない。あの知能犯め、いつもこちらに恩を着せる形を作るのだ。

『以前、彼に訊いたことが有る。用兵家としてのアッシュビー元帥をどう思うかとね。確かアルレスハイムの会戦の後だったかな』
「ほう、面白い質問だな。奴は何と答えた」
俺の問いかけにヤンが微かに笑みを浮かべた。

『彼は優れた戦術家であり情報の重要性を理解していたと答えたよ。……まあ大体予想通り、だったね』
ヤンが俺を見ていた。俺の答えが欲しいらしい。

「褒めているように聞こえるな、他の人間が言ったのなら」
『そうだね、褒めているように聞こえる』
俺の言葉にヤンが頷いた。口元に笑みが有る、おそらくは苦笑だろう。或いは冷笑か……。

アッシュビー元帥は優れた戦術家か……。確かにその通りではある、他の者が言えば正当な評価、褒め言葉だと言えるだろう。しかしヴァレンシュタインが言ったとなると単純に褒め言葉とは取れない。不思議な事にいささか複雑な色を帯びて聞こえてくる。

「ヴァレンシュタインは戦略家だ。その奴が戦術家とアッシュビー元帥を評した、いや貶めたか」
『酷い言い方をするね、ワイドボーン』
「そう言うお前も顔が笑っているぞ」
俺の指摘にヤンの笑いがますます大きくなった。

ヴァレンシュタインが戦略家ならヤンも戦略家だ。二人にとってアッシュビー元帥は優れた戦術家ではあっても戦略家ではなかった。ましてアッシュビー元帥は宇宙艦隊司令長官だったのだ、物足りなさを感じてもおかしくは無いだろう。

『私はずっと不思議に思っていた。ヴァレンシュタイン中将の狙いは何なのかとね。彼は戦略家だ、その戦略目的は何なのか……。或いは戦略など無くただ復讐のために戦っているのか……』
「確かに気になるな。……ヤン、今回の一件で何か見えてきたか? 俺には朧げにだが見える、いや感じる物があるんだが」

ヤンの顔から笑みは消えている。生真面目な学究的な人間の表情だ。普段から今の表情をしていれば非常勤参謀などと言われずに済むのに……。普段はどうみてもやる気なしのぼんくら参謀だからな。

『彼はイゼルローン要塞攻略、そして帝国領への侵攻を危険視している。彼の作戦案の根本にあるのは同盟領での迎撃だ。しかし敵を打ち破るだけではアッシュビー元帥となんら変わるところは無い』

前回のイゼルローン回廊での戦い、奴がグリーンヒル大将に提示したイゼルローン、フェザーン両回廊制圧作戦、そのどちらにもそれが有る。いや、それ以前にも帝国領へ踏み込んで戦う事に対して否定的な考えを示している。帝国出身者だけに帝国領侵攻の持つ危険性を同盟人よりも重く見ているのだろう。

「……確かにそうだな。ヴァレンシュタインの作戦の根本にあるのは同盟領での迎撃であり、敵兵力の殲滅だ」
俺の言葉にヤンが笑みを浮かべた。

『そう、それだよ、ワイドボーン』
「……殲滅か」
俺の言葉にヤンが頷いた。
『彼は情け容赦なく帝国軍を殲滅している。そして謀略を仕掛け国内を混乱させた。混乱はこちらの予想以上に酷いらしいね。現時点では帝国軍は外征が困難な状況にある』
「敵の継戦能力を削ぐという意味では完璧と言って良いだろうな」

ヤンが頷いている。ここまでならヴァレンシュタインの戦略は敵兵力の撃滅による継戦意志、能力の消滅だろう。こちらからは侵攻しないが攻め込んで来れば容赦なく叩き潰す。実際に歴史を振り返って見ても例は有る。戦争を仕掛けたが手酷い敗北により継戦意志、能力を失う。そしてその先に有るのは停戦、和平……。

『私は帝国軍が外征を行えるようになるまで最低でも五年はかかるだろうと見ていた』
「五年か……」
『最低でも五年だ。帝国人の政府への不信を解消し政権を安定させ軍を再編するには最低でも三年はかかるだろう。そして戦争準備に二年、負ける事は許されないからね、そのくらいはかかると思ったんだ』

五年か……。その期間を同盟がどう過ごすかだな……。軍の再編、整備はもちろんだが経済を中心とした内政問題……。上手く行けば実りのある五年になるだろう。帝国軍の再侵攻を万全の状態で迎え撃てる。或いは帝国側が再侵攻を延期せざるを得ない状況まで持って行けるかもしれない……。

『彼がフェザーンに行くと聞いた時、私が思ったのは彼は帝国を崩壊させるまで叩くつもりではないのか、彼の心の奥底には帝国への強い恨みが有るのではないかという事だった。……或るいはミューゼル提督への恐怖の所為かもしれないと……』

ヤンが目を伏せ気味にし、抑揚の無い口調で話している。ミューゼル提督の事はヴァレンシュタインだけじゃない、あの時ヴァンフリートに居た人間にとって拭い去りようの無い悪夢になっている……。

「或いはトリューニヒト国防委員長がそれを望んだという事も有り得るだろう。しかしどうやら違うようだな」
『そうだね、別な目的が有ったようだ』
「フェザーン、地球か……。帝国、同盟にとって共通の敵が出来たな」
ヤンが頷いている。

『それに対応するために帝国と同盟で協力体制が出来た』
「それが奴の狙いだとすると……」
『行きつく先は和平、或いは休戦状態……。帝国は国内体制を整えたいと考えているはずだ。同盟との和平、或いは休戦状態は望むところだろう』

暫くの間互いの顔を見つめ合った。やがてヤンが一つ大きく息を吐いて視線を逸らす。
「とんでもない奴だな」
『そうだね、一体彼には何が見えているのか……。時々恐ろしくなるよ』

普段なら窘めていただろう、だが今はそんな気になれない。第一窘める事に効果が有るとも思えない。しかし、話は変えた方が良いだろう。
「ヤン、お前、トリューニヒト国防委員長は今回の件をどう考えると思う」
『……』

「おれはどうも国防委員長は単純な主戦派とは言えないんじゃないかと思うんだが」
ヤンが髪の毛を掻き回している。困惑かな。
『何故そう思うんだい、ワイドボーン』
おいおい、今度は俺が答える番か……。

「トリューニヒト委員長とシトレ元帥は密接に協力し合っている。軍政、軍令のトップが協力し合うのは当たり前だがそうなったのは最近だ。ヤン、シトレ元帥が単純な主戦派に協力するかな」
『同感だね、私もトリューニヒト委員長は主戦派ではないと思っている』

「その根拠は」
『ヴァレンシュタイン中将がトリューニヒト委員長について言った言葉が有る。外見と中身は違うってね。なかなか他人を利用することが上手だとも言っていた』

なるほど、外見と中身は違うか。そして他人を利用することが上手……。単なる主戦派では無いという事かな、主戦派という顔で皆を騙し利用している……。主戦派というのは受けが良いからな。

『ロボス元帥がトリューニヒト委員長、シトレ元帥、ヴァレンシュタイン中将が繋がっていると言った事を覚えているかい』
「ああ、覚えている。しかし、あれは……」
ロボス元帥の被害妄想に近い思い込みだったはずだ、そう言おうとして言葉に詰まった。ヤンもじっと俺を見ている。まさか……。

『正しかったのかもしれない……。私はあの三人が協力し合うようになったのはロボス元帥の失脚後だと思った。あの軍法会議の一件で軍の威信は低下した。それを回復するためにヴァレンシュタイン中将がシトレ元帥を宇宙艦隊司令長官に推した。軍の威信回復のためシトレ元帥もトリューニヒト委員長もそれを受け入れた、協力し始めた、そう思っていたんだが……』

「違うという事か……。シトレ元帥は何らかの事情でトリューニヒト委員長が単なる主戦派ではないと知った、そして協力体制を築いた。そうなると二人にとってむやみに戦いたがるロボス元帥は邪魔になった……」
ヤンが黙って頷いた。

辻褄は合う。しかし……。
「しかし、あの当時ヴァレンシュタインは全くやる気を喪失していた。協力体制を築いていたとは思えんな」
『うーん、あるいは中将は後からその中に入ったのかもしれない……』
また髪の毛を掻き回しだした。自信が無いか、分かり易い奴だ。

「これからどうなるかな、和平は可能だと思うか」
『分からない。帝国、同盟、フェザーン……。帝国と同盟はいがみ合いフェザーンは中立を守る、それがこの宇宙の秩序だった。その秩序が跡形もなく全て崩れたんだ』
「……」

『宇宙は今混沌の中にある。人類は一から秩序を築き上げる事になるだろう。どんなことでも可能だし、どんなことが起きても不思議じゃない。これまでの常識はもう通用しない……』
ヤンが難しい表情で呟いた。独り言のような口調だ。おそらく俺の事など忘れているに違いない。

エーリッヒ・ヴァレンシュタインか……。とんでもない奴だな、奴と同時代に生まれたことは幸運だったのか不運だったのか……。少なくとも同じ陣営に居るのだ、幸運なのだろう。

どんなことでも可能だし、どんなことが起きても不思議じゃない、か……。これからどうなるか、まずはヴァレンシュタイン、奴を捕まえる事だな。ここまで来たら奴の考えを全て聞き出さなければ……。


 

 

第九十話 孤立無援



宇宙暦 795年 9月18日    巡航艦パルマ  ヨッフェン・フォン・レムシャイド



『ようやく卿を捕まえる事が出来たな、レムシャイド伯』
スクリーンには幾分疲れた様な表情のブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が映っていた。表情だけでは無い、声にも疲労感が現れている。どうやら私を捕まえるのにかなり手間取ったらしい。いかんな、帝国の二大実力者を振り回してしまったようだ。

「申し訳ありません。艦を乗り換えた事をお伝えするのを忘れていました」
形だけでは無い、本心から恐縮した。
『事が多すぎるのだ、忘れることも有るだろう……。ところで話せるのか』
ブラウンシュバイク公が声を落とした。内密に話したいという思いが声に出たのだろう。

「ヴァレンシュタインは特に盗聴などはしないと言っておりましたな」
『信じられるのか、それを』
今度はリッテンハイム侯が問いかけてきた。こちらも小さな声だ。何となく楽しくなった。帝国の実力者達が私と内密の話をしたがっている。長生きはするものだ。

「さて……、何分底が見えぬ男です。本当のようにも思えますし嘘かもしれません。咎めても平然と言うでしょうな、“まさか本当に信じたのですか”と。それにスクランブラーはかけていますがこの艦のシステムです。その気になれば盗聴は難しくない、防ぎようが有りません」

スクリーンの二人が顔を見合わせた。そして微かに頷き合う。何かを確かめた様だ。はて? 疑問に思っているとブラウンシュバイク公が低い声で話し始めた。
『これから言う事を良く聞いて欲しい』
「はっ」

『卿はこのまま彼らに同行しハイネセンまで行って欲しい。フェザーンにはこちらから卿の後任者を送る』
「それは……」
抗議しようとした私をブラウンシュバイク公が手を上げて押しとどめた。

『レムシャイド伯、地球、フェザーンへの対応は反乱軍、いや同盟と呼ぶべきだな、彼らと協力して行う必要が有るだろう。卿には我々の目、耳、そして代理人になって欲しいのだ。向こうが何をどう考えているか、我々に伝えて欲しい』
「……」

『残念な話ではあるが帝国は今極めて不安定な状況にある。対応を間違える事は非常に危険な状況を帝国にもたらしかねん。卿には我々に判断するだけの情報を伝えて欲しいのだ』
身体に震えが走った。ブラウンシュバイク公は、リッテンハイム侯は事の重大さが分かっているのか? 私一人に情報の収集を任せる? 情報に偏りが出かねない、いやそれ以上に危険だ。

「……危険ですぞ。彼らは私を通して帝国を操る事も打撃を与える事も可能という事になります。情報源が複数ならともかく私だけでは……」
敢えて首を横に振って見せた。フェザーンの高等弁務官を務めたから分かっている。検証手段の無い情報というのは鵜呑みには出来ない、扱いが極めて難しいのだ。

『分かっている。しかし現時点では我々は何の情報も無いに等しい。闇夜を明かりも無しに歩いている様なものだ。これでは何時躓くか分からぬ』
沈痛と言って良い声だ。ブラウンシュバイク公の声は低く沈んでいる。追い詰められている、帝国最大の実力者が追い詰められている……。

「しかし、間違った情報を送ればそれだけで躓きますぞ」
『それも分かっている。危険が有るのは承知の上で卿に頼んでいる』
「……」
私が黙っていると今度はリッテンハイム侯が口を開いた。

『卿が不安に思うのも無理は無い。しかし判断するのは我らだ。卿に責めを負わせるような事はせぬ。頼む、我らを助けて欲しい』
已むを得ぬか……。
「……分かりました。どこまでお役にたてるかは分かりませんが微力を尽くしましょう」
『うむ、済まぬ』

帝国は不安定な状況にあると二人は言った。地球教への対応は反乱軍、いや同盟との協力が必要とも言った。つまり地球教対策を利用して協調体制を築く、共通の敵を叩く間に国内体制を安定させる、そういう事だろう……。生きて帝国には帰れないかもしれない、ふとそう思った。

例え責めはせぬと言われても己にも矜持というものが有る。場合によっては死を以って償う事になるかもしれん……。出来る事ならもう一度オーディンに戻りたかった……。しかしフェザーンで死ぬことも有り得たのだ、どうやら異郷の地で一人果てるのが自分の運命なのかもしれん……。

私もよくよく運のない男だな、……それも已むを得ぬ事か……。


感慨に耽っているとブラウンシュバイク公の声が聞こえてきた。
『早速だが卿に聞きたい事が有る』
「はい」
『先日の話し合いだが反乱軍、いや同盟だったな、あちらの代表がトリューニヒト国防委員長とシトレ元帥だった。どういう事だ? 何故最高評議会議長ではないのだ? わしもリッテンハイム侯もいささか不審に思っているのだ』

『レムシャイド伯、勘違いはするなよ。私もブラウンシュバイク公も格が釣り合わぬと卿を責めているのではない。そこに何らかの意味が有るのではないかと思っているのだ。これからの事を考えれば読み間違いは出来ぬ、どんな些細な意味でも誤りなく読み取らねばな』

なるほど、そこに不審を感じたという事は同盟との協調体制を重視する、そういう事だな。判断は間違っていなかったようだ……。二人とも厳しい表情をしている、意味を読み取るというのは嘘ではあるまい。

「トリューニヒト国防委員長とシトレ元帥を選んだのはヴァレンシュタインです。私も御二方と同じ疑問を抱き彼に問いただしました」
私の答えに二人は顔を見合わせた。そして公が問いかけてきた。

『それで、何と言った』
「最高評議会議長よりもあの二人の方が良いと言いましたな、喰えませんし強かですと……」
『喰えぬか……、強かとな……』
「はい」
“ウーム”とブラウンシュバイク公が唸っている。そしてチラリとリッテンハイム侯を見た。侯もそれを受けて大きな息を吐いた。

「これは私の得た感触ですが、ヴァレンシュタインはあの二人の事を詳しく知っていたのではないかと思います。何らかの繋がりも有るのでしょう。その一方で最高評議会議長の事は知らなかった。いえ、それだけでは有りません。どうも信用できない、頼りにならないと判断したのではないか私は考えています」

またブラウンシュバイク公が唸り声を上げた。大きく息を吐くとゆっくりとした口調で問い掛けてきた。
『つまり、格ではなく人物で選んだという事か』
「私にはそのように見えましたな」
ブラウンシュバイク公が三度唸り声を上げた。

「ヴァレンシュタインから聞いたのですが対地球教に関してはトリューニヒト国防委員長、シトレ元帥が責任者となるそうです」
ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯がまた顔を見合わせた。そして私に視線を向けた。厳しい視線だ、身が引き締まった。

『軍が全面に出るという事か……』
「そう言う事になりますな」
『地球、そしてフェザーンを敵と認識した、そう言う事だな、……敵か……』
呟く様な公の声だった。

『もう一つ気になる事が有る。トリューニヒト国防委員長だが主戦派と聞いている。私も公も彼は反帝国感情が強い人物なのではないかと懸念している。これからの協力に支障が出る危険は無いか、レムシャイド伯』

「その事ですが不思議に思った事が有ります。例の晴眼帝、亡命帝の話ですが同盟側の二人は興味深げに聞いておりましたな。単純な主戦派ではないか、或いは外と内が違うのかもしれません」
二人が考え込んでいる。はて、何に反応した? 外と内か、それとも……。

「同盟は帝国と違い選挙というもので政治家が選ばれます。平民達の支持を得なければ政治家に成れぬのです。その辺りも考慮しなければなりますまい」
『なるほど。我らとは国体が違うか……』
「はい」
公は何かを思うかのように頷いている。

『卿は当然だが彼らと、そして最高評議会議長とも会うはずだ。どういう人物か良く見極めて欲しい。それと同盟の平民達が何を考えるかもだ』
侯の言うとおりだ、同盟は帝国とは国体が違う。我々は政治家、軍人だけではなく同盟の平民達を注視しなければならない。つまり百三十億人を相手にする事になる……。一対百三十億か……、分の悪い戦いだ。

「承知しました。私からもお聞きしたい事が有ります」
『何かな』
「地球、フェザーンについてどの程度危険だとお考えですか」

私の問いかけに二人が顔を見合わせ、そしてリッテンハイム侯が口を開いた。
『極めて危険だと考えている。オーディンでは地球教の支部を警察に捜索させたが教徒達と銃撃戦になった。ただの宗教集団ではあるまい、今内務省と軍が協力して押収物、捕縛者を調べている』

「同盟でも軍と地球教徒の間で銃撃戦が発生したそうです。それ以上の詳細は分かりませんが……」
『……そうか、では帝国、同盟その両国が地球教の危険性を認識した、そういう事だな』

ブラウンシュバイク公が頷いている。帝国、同盟共に地球教の危険性を認識した、その認識が有る限り協力体制を維持する事は可能……。何処か声に満足げな響きが有るのは一安心という思いが出たのだろう。だがこの二人が気付いていない危険が有る。極めて大きな危険だ。

「問題はヴァレンシュタインが地球教の危険性をどう見ているかだと思います」
『どういうことだ、レムシャイド伯』
リッテンハイム侯が訝しげな声を出した。ブラウンシュバイク公も不審を表情に浮かべている。

「彼はフェザーンの裏の顔が地球である事を知っていました。おそらくその危険性についても我々などよりずっと深く認識しているはずです。その限度も……」
『……』
「我々は今慌てふためいています。しかし彼にとってはそれほどの事でもないのかもしれないのです」

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が揃って溜息を吐いた。二人とも疲れた表情をしている。私の心配が二人にも分かったのだろう。
「これまでのところ彼の行動は帝国にとって不利益をもたらすものではありません。しかし彼が帝国に良い感情を持っていないのも事実……。彼の言葉一つで同盟が帝国との協調体制を打ち切る事は十分あり得るでしょう」

『地球教、これ自体がヴァレンシュタインの罠という可能性も有るか……』
『厄介な男を敵にしてしまった。帝国の弱点を知り尽くした男か……、知っていたのは帝国だけではなかったか……』
リッテンハイム侯、ブラウンシュバイク公が呟く。

「まずはそこの見極めが必要となります」
『難しいとは思うが卿に頼むしかない』
果たして自分にあの男を読み切れるだろうか。いや、これからは時に協力し、時に戦うことになるだろう……。容易ならぬ相手だ、果たして自分にそれが可能か……。迷うな、自分しかいないのだ。

「ところで例の晴眼帝、亡命帝の話ですが如何思われました。面白いとお考えでしょうか、それとも下らぬと。ハイネセンに赴けば必ず問われましょう、お二方の考えを聞いておきたいと思います」

『例の話か……。今は気になる、としか言えぬ。我らとしても同盟がどう思うか知りたいものだ』
「なるほど……、確認してみましょう」
『うむ、頼む』

相手の考えに関心が有る、つまりこちらの答えはそれによって変わる可能性が有るという事か……。通信が終わったのはそれからさらに二十分程が経ってからだった。厄介な任務を引き受ける事になった。あの二人と話している時よりも一人の今の方がその困難さに溜息が出る……。

帝国を安定させるためには同盟との協力体制が必要……。対地球教だけでは協力体制の維持は難しいかもしれん。カードは多い方が良い、となると帝国が切れるカードは……。気になるか……、場合によってはもう一歩踏み込む必要が有るだろう。先ずはあの男が何を考えているかだが……、私にあの男の腹の内が何処まで読めるか……。また溜息が出た。



帝国暦 486年 9月18日    オーディン 新無憂宮   オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「レムシャイド伯には苦労をかける事になるな。貧乏くじを引かせてしまった」
「そうだな、しかし公、我らほど酷いくじは引いていまい」
「確かにそうだな」
自分の事でなければ笑うことが出来ただろう。しかし笑う事の出来ない現実がここにある。

「問題はやはりヴァレンシュタインか……。あの男が何を考えているのか……」
「厄介な男を敵に回してしまったな」
「うむ」
なんとかこちらに引き寄せる事は出来ないものか……。或いは何らかの手段を構じて消す……。

こちらの手で殺す事に拘る必要は無い、反乱軍に殺させると言う手も有る……。こちらに寝返ろうとしている、そう思わせるだけでも不和を起こさせることは可能だろう。影響力を低下させられるはずだ……。考えているとリッテンハイム侯がわしの顔を覗き込むように見た。

「公、何を考えている?」
「うむ、いや、ヴァレンシュタインの両親だが遺体は墓から掘り起こされ打ち捨てられたと聞いた。回収は可能かな」
「さて、確認してみるか?」
「うむ、そうしてもらえるか」

先ずは両親の名誉回復、そこからだな……。その次は彼の財産の補償、及び返還か。……リメス男爵家を再興させ彼に後を継がせると言う手も有るな。いや、そういう噂を流すだけでも効果は有るはずだ。今回の地球教の件は人類全体の問題だ、それを提起した功を理由に……。

目の前のTV電話の受信ランプが点滅した。はて誰かな、受信すると目の前に福々しい顔をした男が現れた。
『内務省社会秩序維持局局長、ハイドリッヒ・ラングと言います。そちらにリッテンハイム侯はおいででしょうか』

顔に似合わぬ荘重な声だ。可笑しみを覚えつつ侯に視線を向けると侯も笑みを浮かべている。どうやらわしと同じ想いらしい。
「何用かな、ラング局長」

リッテンハイム侯が答えるとラングは恐縮した様な様子を見せた。
『御要談中の所、申し訳ありません。いささか奇妙な事態が判明しました』
「それは地球教に関してか」
『はい、地球教に関してです。恐れ入りますが早急に内務省にお戻り頂きたいのですが』

侯がわしを見た。
「ここで話を聞こう。ブラウンシュバイク公もいる、その方が良いだろう」
『……分かりました』
「で、何が分かった」

『捕縛した地球教徒ですがサイオキシン麻薬の禁断症状を起こしている者がいます。それも一人や二人ではありません。禁断症状を生存者の半数近くが起こしています』
「サイオキシン麻薬だと……。間違いではないのか」
『間違いではありません、サイオキシン麻薬です』

侯がわしを見た。信じられないといった表情をしている。
『症状から見ますとかなり長期に亘って使用していたと思われます。また遺体からもサイオキシン麻薬が検出されました』
「馬鹿な……、長期に亘って? 何処からサイオキシン麻薬を入手したのだ……」

呻く様な侯の口調だ。
「ラング局長、訊きたい事が有る」
『はい』
「教団からの押収物の中にサイオキシン麻薬は有ったのか?」

わしの問いかけにラングが面目なさそうな表情を見せた。
『当初、警察はサイオキシン麻薬を見つける事は出来ませんでした。しかし再度捜索したところ……』
「捜索したところ?」
『大量のサイオキシン麻薬を処分したと思われる痕跡を発見しました』
「馬鹿な……、有り得ぬ」

侯が呻く様な口調で吐いた。同感だ、アルレスハイムの敗戦後、帝国、同盟、共にサイオキシン麻薬の撲滅に躍起になった。密造組織、密売組織、使用者、その全てを叩いたはずだ。あれから三年、地球教は大量のサイオキシン麻薬を所持していた。何処から入手した? 生き延びた組織が有ったという事か?

『残念ですが入手先については未だ判明しておりません』
「軍は何と言っている?」
『いえ、まだ知らせていません……』
「何をしている! 協力しろと言ったはずだぞ!」

リッテンハイム侯の怒声にラングが謝りつつも言い訳をしようとする。侯がそれを遮った。
「三年前のサイオキシン麻薬対策は憲兵隊が主力となった、何らかの情報を持っているかもしれん。直ぐに問い合わせろ! この件が帝国の、いや人類の大事だという事を忘れるな!」

ラングが直ぐ軍に問い合わせると言って通信を切った。それを見て侯が腹立たしげに舌打ちした。
「全く馬鹿どもが何も分かっていない」
「内も外も敵だらけだな、侯」
「全くだ」

暫く無言のままだった。侯は気を静めようとしたのかもしれない。口を開いたのは大きく息を吐いた後だった。
「サイオキシン麻薬か……、公、同盟にも知らせた方が良くは無いかな。協力する必要性を訴える事になると思うのだが」
「なるほど、悪くない考えだ。レムシャイド伯を通して知らせよう……」
これで同盟側でもサイオキシン麻薬が見つかれば言う事無しだな。


 

 

第九十一話 現実は予測を上回る



宇宙暦 795年 9月18日    巡航艦パルマ  ヨッフェン・フォン・レムシャイド



『なるほど、帝国でも地球教団支部からサイオキシン麻薬が出たか……』
「どういう事ですかな、トリューニヒト委員長。そちらでもサイオキシン麻薬が発見されたのですか」
予想された事ではある、しかしそれでも声が強張った。

『その通りです、レムシャイド伯。同盟でも地球教徒がサイオキシン麻薬を使用している事が分かりました』
スクリーンに映るトリューニヒト委員長の表情は厳しい。同盟側でも地球教はサイオキシン麻薬を使用していた。つまりこれは偶然ではない。地球教は何らかの目的が有ってサイオキシン麻薬を使用している。

スクリーンに映るトリューニヒト委員長、シトレ元帥は厳しい表情をしている。おそらく私も同様だろう。そして一人ヴァレンシュタインだけが平静な表情をしている。多分彼にとっては想定の内だったという事だろう。ブラウンシュバイク公達と話したことを思い出した。彼にとっては地球教の脅威は全て想定内なのかもしれない。

「卿は知っていたのか、驚いてはいない様だが」
「古来、宗教と麻薬は切っても切れない関係に有ります。今更驚く様な事ではないでしょう」
幾分皮肉を込めて訊いてもヴァレンシュタインは全く動じなかった。知っていたのか、それとも冷徹なのか……。

『相変わらずだな、君は。だから可愛げがないのだ、少しは驚く振りでも見せたまえ』
トリューニヒト委員長の苦笑交じりの言葉にヴァレンシュタインが微かに笑みを漏らした。冷笑か? いや、そんな事よりも先ずは確認する事が有る。

「不思議な事が有ります。三年前のアルレスハイム星域の会戦、あの件で帝国は国内のサイオキシン麻薬の密造組織、売人組織、使用者を徹底的に取り締まりました。地球教は一体何処から大量のサイオキシン麻薬を入手したのか、心当たりは有りませんか」

言外に同盟領からサイオキシン麻薬を入手した可能性が有るのではないかと問いかけてみた。トリューニヒト委員長とシトレ元帥が顔を見合わせた。トリューニヒト委員長が首を横に振りシトレ元帥が低い声で答えた。

『同じように三年前、こちらもサイオキシン麻薬を軍が主力となって取り締まりました。可能性はゼロとは言わないが……、まず有り得ないことです。我々はむしろ帝国から入手したのではないかと考えていました。』
なるほど、状況は帝国と同じか……。どちらもサイオキシン麻薬の入手経路について心当たりがない。消去法で相手ではないかと疑っている。

「地球でしょう」
ココアを飲みながら事もなげな口調で答えたのはヴァレンシュタインだった。トリューニヒト委員長、シトレ元帥、そして私が顔を見合わせた。地球?
『アルレスハイム星域の会戦後、地球が自らサイオキシン麻薬を作ったと言うのかね?』

「そうじゃ有りません。アルレスハイム星域の会戦の前からですよ、トリューニヒト委員長。宗教団体がサイオキシン麻薬を犯罪組織から買えば何かと利用される。或いは噂が流れ警察に目を付けられる、そのくらいなら自分達で製造した方が良い、そう思ったのでしょう」
ヴァレンシュタインは苦笑している。

「馬鹿な、そんな事は……。帝国内での捜査は非常に厳しいものだったと聞いている。それをすり抜けたと卿は言うのか」
チラリとヴァレンシュタインが私を見た。未だ苦笑を浮かべている。そしてココアをもう一口飲むとカップをテーブルに戻した。顔から笑みが消えた。

「地球教が何のためにサイオキシン麻薬を所持していたと思います?」
「……」
『……』
トリューニヒト委員長、シトレ元帥、私、三人が無言で視線を交わし、そしてヴァレンシュタインを見た。

『教徒に与えていた……。市民を地球教徒にするために与えていた、そんなところか』
シトレ本部長の言葉にヴァレンシュタインが頷いた。

「最初にサイオキシン麻薬を与えたのは地球で、でしょうね」
「地球?」
「聖地巡礼、聞いたことは有りませんか? 一般市民、或いは地球教徒が地球へ巡礼にいく……」
聞いたことは有る。フェザーンからかなりの巡礼団が地球に行っている。随分と地球教が信徒を増やしていると思った事も有る……。

『そこでサイオキシン麻薬を投与したと君は言うのかね?』
「そうだと思いますよ、シトレ元帥。サイオキシン麻薬中毒者にした上で洗脳する。筋金入りの地球教徒の完成ですね。教団の命令なら何でもするでしょう、人殺しでもね」
蔑むような口調だった。顔に冷笑を浮かべている。話の内容よりもその口調と冷笑に息を呑んだ。

「巡礼者全てに与えたわけではないでしょう。多分、家族が無いものとか周囲に不審を抱かれることの少ない人間を選んだはずです」
『だから帝国でも同盟でも気付かれなかった、そう言うのかね、君は』
トリューニヒト委員長が微かに首を傾げている。それだけで国家の目を眩ませたのか、そう言いたげな表情だ。私も同感だ、それだけですり抜けられるとは到底思えない。

「彼らはサイオキシン麻薬を利益を得るために作ったんじゃないんです。売人も必要なければサイオキシン麻薬の使用者を探す必要もなかった。取引が無い以上、人も動かなければ金も動かない。どうやって見つけるんです?」
『……』
「……」

『君の言う通りなら地球教は地球で教徒をサイオキシン麻薬中毒者にしたことになる。帝国人なら分かる、しかし同盟人には不可能だろう』
トリューニヒト委員長の言うとおりだ。地球は帝国内にある、同盟人を麻薬中毒者にする事は不可能だ。だがヴァレンシュタインはクスクスと笑い出した。

「同盟から帝国に行こうとすればフェザーンを使うしかありません。そして地球とフェザーンは裏で繋がっています。どうして不可能なのです?」
スクリーンから唸り声が聞こえた。いや、自分も唸り声を上げている。そしてヴァレンシュタインはそんな私達を面白そうに見ていた。

「フェザーン起点の地球巡礼がどのような形で行われているか知っていますか? 客船じゃありません、貨物船を使うんです。つまり法的には人間を運ぶのではなく貨物を運ぶ。何処の誰なんて事は関係ありません。皆帝国人を運んでいる、或いはフェザーン人を運んでいると思っているでしょうがその中に同盟人が居てもおかしくは無い、違いますか?」

『何という事だ……』
トリューニヒト委員長が疲れた様に呟きシトレ元帥がブツブツと何か呟きながら首を横に振っている。
「まあ、今のは私の推測です。あとでルビンスキーに確認してみましょう。それで真実が分かるはずです」

そうか、ルビンスキーか、先にそちらに確認すれば良かったか……。どうしてもルビンスキーと地球、フェザーンと地球が結びつかない……。
『そうだな、そうしてくれるか……。レムシャイド伯、帝国は地球に対して武力討伐を実施すると聞いていますが』

「そう聞いております、トリューニヒト委員長」
『決して逃がさぬように願いますぞ。彼らは非常に危険です、逃亡を許してはとんでもない事になる』
「分かりました。本国に改めて念押ししましょう」

「討伐軍の指揮官は誰です? ミューゼル中将ですか?」
「いや、指揮官の名前までは聞いておらぬが……」
ヴァレンシュタインの問いかけにトリューニヒト委員長、シトレ元帥が表情を変えた。ヴァレンシュタインは表情を消している。はて、ミューゼル中将に関心が有るのか?

「気を付ける事です」
「?」
「地球教の軍事力は無きに等しい。そんな彼らが取る手段はテロしかありません。殺人、爆破……、幸い彼らには死ぬ事を恐れない狂信者がいます。戦う事に熱中していると後ろから刺されますよ」

テロの言葉にトリューニヒト委員長、シトレ元帥が顔を顰めた。当然ではある、政府、軍の中枢にある彼らにしてみればテロなどおぞましい代物以外の何物でもあるまい。私だとて彼の言葉に嫌悪感しか感じられない。もしテロが実際に行われれば地球教の連中に対して憎悪を抱くだろう。

「ミューゼル提督を殺す事で討伐軍を混乱、いや麻痺させようというのだな」
「その通りです。彼に警告する事ですね、一つ貸しだと言っておいてください、必ず返せとね」
ヴァレンシュタインがクスッと笑った。その事に神経が苛立った、妙に反発したくなった。

「……卿の言う事が当たるかどうか、分かるまい」
子供じみた反発だ、馬鹿げている。しかし押さえられなかった……。ヴァレンシュタインも私の感情は分かっただろう、しかし何の反応も見せなかった、私の反発など彼にとってはどうでも良い事なのかもしれない。

『君はミューゼル中将の死を望んでいるのだと思っていたが』
「!」
「そうですね、望んでいます。死んでくれればと思っていますよ」
困惑した様なシトレ元帥の問いかけと何の感情も見えないヴァレンシュタインの答え……。混乱した、訳も分からずスクリーンとヴァレンシュタインを見た。

『では何故警告するのかね』
「さあ、良く分かりません。何でかな……。多分、馬鹿なんでしょう……、感傷を切り捨てられない。……愚劣にも程が有るな、いつか自分を殺すかもしれない人間に忠告するなど……。自分がエーリッヒ・ヴァレンシュタインとして此処で生きているという事を未だに理解できずにいる……」

トリューニヒト委員長、シトレ元帥、私……。皆が困惑する中ヴァレンシュタインだけが無表情にココアを飲んでいる。心此処に在らず、そんな風情だ。先程まで彼に感じた反発は消えていた。この男をどう捉えれば良いのか、まるで分からない……。

『ヴァレンシュタイン中将……』
トリューニヒト委員長が躊躇いがちに声をかけた。しかしそれを遮るようにヴァレンシュタインが話しだした。多分故意にだろう、何か言われるのを嫌ったのかもしれない。

「ミューゼル中将だけじゃありません。テロを効率よく行うには組織の頂点を狙うのがベストです。帝国も同盟も政府、軍の上層部は非常に危険な状況にある。身辺警護が必要です」
『なるほど、私達も要注意か。しかし一番危険なのはヴァレンシュタイン中将、君だろう』

シトレ元帥の言葉にヴァレンシュタインが僅かに首を傾げた。
「私ですか? 非正規の艦隊司令官を殺しても余り意味は無いでしょう」
『報復という意味が有るだろう。それに君を一個艦隊の司令官にすぎないとは誰も思っていないよ』
『シトレ元帥の言う通りだ。君に死なれては困る』

スクリーンの二人がヴァレンシュタインの身を気遣っている。二人とも深刻な表情をしているのを見れば口だけでは無い事が分かる。やはりこの三人は密接に繋がっていると見て良い。そして核になるのはヴァレンシュタインだろう。彼が何を考えているのか、それが帝国の未来に大きく影響するのは間違いない、早急に確認しなければ……。そしてミューゼル中将との関わり、こちらも確認する必要が有るだろう……。



宇宙暦 795年 9月18日    ハイネセン  最高評議会ビル    ジョアン・レベロ



「馬鹿な、何かの間違いではないのかね、国防委員長」
最高評議会議長、ロイヤル・サンフォードの声は疑念と猜疑に満ちていた。そして他のメンバーも信じられないといった表情でざわめいている。彼方此方で”有り得ない“、”冗談だろう“という私語が聞こえた。

「間違いではありません。同盟でも帝国でも地球教団支部はサイオキシン麻薬を使用していました。地球教そのものが何らかの目的のためにサイオキシン麻薬を使用していたという事でしょう。しかも生存者の中毒症状から推測するとかなり以前から使用していたようです」

トリューニヒトの沈痛と言ってよい口調に皆が沈黙した。しかし未だ信じられないといった表情をしている。無理もないだろう、宗教団体がサイオキシン麻薬を使用していたなどあり得ない事だ。あれは人を破壊する毒薬だ、まともな人間、組織なら使うはずは無い。

「連中は一体何処からサイオキシン麻薬を入手したのだ? あの騒ぎ以来、サイオキシン麻薬については厳しく取り締まりを行っている。サイオキシン麻薬が流通しているなどという話は聞いた事が無い」
法秩序委員長、ライアン・ボローンが首を横に振っている。

警察を配下に置いている彼にとって例のサイオキシン麻薬、スパイ事件は思い出したくもない悪夢のはずだ。しかしそれ以上に今現在サイオキシン麻薬が流通しているという事が信じられずにいる。私もトリューニヒトから聞いた時には信じられなかったから分かる。しかし現実は常に予測を上回る、悪い現実ほどそうだ。そしてその現実を的確に予測する人間も居る、ヴァレンシュタイン……。

「地球だよ、法秩序委員長。彼らは地球でサイオキシン麻薬を製造しているのだ。ルビンスキーから聞き出したから間違いは無い」
彼方此方で呻き声が上がり部屋の空気が一気に重くなった。サンフォード議長の顔が蒼白になっている。事無かれ主義のこの男には刺激が強すぎるか……。やはりこの男では和平は無理だ。ホアンを見た、微かに首を横に振っている。どうやら同じ事を考えたらしい。

「彼らは地球に信者を送り込みそこでサイオキシン麻薬を与え洗脳した。自分達の意のままに動く狂信者を作りだしたのだ」
トリューニヒトの言葉が続く。事実を告げただけだが冷酷と言って良い程の威力だ。皆、凍りついている。

「馬鹿な! そんな事は有り得ない!」
「分かっている。同盟から帝国領に在る地球になど行けるはずがない、そう言いたいのだろう、ターレル副議長」
「その通りだ! 君はルビンスキーに騙されているのだ!」

副議長兼国務委員長、ジョージ・ターレルは噛み付かんばかりの勢いでトリューニヒトを責めた。愚かな、この時点でルビンスキーがトリューニヒトを騙す理由が何処にある。今のルビンスキーは同盟政府が見捨てればあっという間に地球教徒に殺されるだろう、裏切り者として……。

「同盟から地球に行くにはフェザーンを経由するしかない。そしてフェザーンと地球は裏で繋がっている。それでも不可能だと?」
「それは……」
ターレルが絶句した。俯いて黙り込んでいる。

「ルビンスキーによればフェザーンから地球に人を運ぶ仕事はフェザーン商人にとって最も堅実な仕事だそうだ。行きも帰りも人を運ぶ、それだけで金が入る……。地球はフェザーンを利用して帝国、同盟に勢力を植え付け、浸食してきたのだよ」
政敵をやりこめた得意げな口調では無い、むしろ不快そうな口調だ。それだけに事態は深刻だと皆が感じただろう。

「しかし、何のためにサイオキシン麻薬を与えるのだ? 狂信者を造り出す事に何の意味が有る?」
サンフォード議長がトリューニヒトに問いかけた。想像力の欠片もない男だ、よく議長が務まる。トリューニヒトが微妙に片眉を上げた、多分呆れているのだろう。溜息が出た。

「混乱させるためです。殺人、爆破、テロにより社会を混乱させる。それにより現実に失望させ宗教に縋りつかせる……、宗教が力を得るには社会が混乱している方が望ましい。そのために狂信者が要る……。そうじゃないかね、国防委員長」
私の言葉にトリューニヒトが無言で頷いた。彼方此方で呻き声が起きた。おそらく皆が恐怖に囚われているだろう。

「だがこうして地球教の陰謀が明らかになった今、彼らの計画は潰えた、そう見ていいのではないか」
ガイ・マクワイヤー天然資源委員長が周囲を窺いながら発言した。少しでも事態を楽観視したいのだろう。ここにも想像力が欠片もない人間が居た。最高評議会の十一人の中に二人だ、最近では想像力は必要とされないらしい。

「確かに彼らの計画は潰えた。しかし危険性は少しも減らない。今後彼らは生き残りのためにテロを仕掛けてくる可能性が有る。標的は政府、軍部の頂点に居る人間達だ」
トリューニヒトの言葉に皆がギョッとした表情を見せた。

「我々が標的になるというのかね」
「その通りです、議長。先ず狙われるのは貴方と私、そしてボローン法秩序委員長ですな。理由はお分かりでしょう」
議長が顔を強張らせている。想像力だけじゃない、胆力もないらしい。また溜息が出そうになって慌てて堪えた……。

「評議会のメンバーに護衛を付ける必要が有るな、それと警備をこれまで以上に厳重にする必要が有る。こいつは警察の仕事だが、さてどうする。ボローン委員長、対地球教対策として軍に任せるかね」
ホアンの言葉にボローンの顔が引き攣った。

軍に任せれば警察の面目は丸潰れ、警察が担当すれば万一の場合は責任問題。二者択一、究極の選択だろう。緊張のあまり目が飛び出しそうになっている。
「……軍は必要ない、警備は警察が行う」
絞り出す様な声だった。周囲を睨むように見ている。

「宜しく頼むよ、ボローン委員長。こちらも出来る限りの協力はする」
「分かった」
トリューニヒトの言葉にムッとした口調でボローンが答えた。
「それと私の警備は軍の方で行うから無用だ。警察を信用していないのではないが軍にも面子というものが有るのでね、分かってくれたまえ」
ボローンが無言で頷いた。おそらくは腹の中は煮えくり返っているだろう。

ホアン、トリューニヒトと視線を交わした。ホアンが微かに頷いた。上手く警備をボローンに押し付けることが出来た。軍が行うと言えば何かと反発して邪魔するだろう。だがこれで奴も自分の事で手一杯になる。こちらの邪魔などしている余裕は無くなるはずだ。

さて、この後はレムシャイド伯の受け入れの提案か……。まず問題は無いだろう。地球教の脅威は現実なのだ、そして我々にとって彼は和平への糸口でもある。少しずつ、少しずつ前へ進んでいる、少しずつだ……。



 

 

第九十二話 改革へ

帝国暦 486年 9月20日    オーディン 新無憂宮   オイゲン・リヒター



「どういう事かな、リヒター」
「さて、私も同じ事を卿に聞きたい気分なのだがな」
私の答えにブラッケがフンと鼻を鳴らした。さっきからしきりに周囲を見渡しては溜息を吐いている。少しは落ち着け。

もっともブラッケがソワソワするのも分からないでは無い。夜遅く新無憂宮に呼び出され南苑に通されれば誰でも驚くだろう。南苑は皇帝が私生活を過ごす場だ、本来廷臣が足を踏み込める場所では無い。つまり我々は非公式に呼び出されたという事になる。

呼び出された理由は何か、何故南苑に通されたのか……、ブラウンシュバイク公とはこれが初対面と言うわけではない。公からの依頼で一度改革について話をしている。まだ女帝陛下が公爵夫人で有ったころだ……。反応は良くも無ければ悪くもない、そんな感じだった。そして同時期にリッテンハイム侯からも改革について問い合わせを受けている……。

その二人が今国政の頂点に居る。多分改革についての話だろうが家具、調度の見事さが更に不安感を煽る。どうにも場違いな場所に居る……。またブラッケが溜息を吐いた。思わずこちらも溜息が出る。どんな話になるのかは分からないがさっさと要件を済まして帰りたいものだ。

「待たせた様だな」
ドアが開いて男が入ってきた。間違いない、ブラウンシュバイク公だ。その後ろを女性が付いてくる。女帝陛下だ、ブラッケと顔を見合わせ慌てて椅子から立ち上がり頭を下げた。

「それでは話が出来ん、座ってくれ」
公の声が聞こえたが、だからと言って“はい分かりました”と座ることなど出来ない。二人が座るのを待って五つ数えてから頭を上げて座った。ブラッケも一拍遅れて座る。

「二人とも初めてだな、女帝陛下だ。わしにとっては家の中で主君であったのだが最近では家の外でも主君であらせられる。二十四時間、頭の上がらぬお方だ」
公が笑い声を上げ女帝陛下も苦笑している。多分冗談なのだろうがとても笑う事など出来ない。私もブラッケも顔を引き攣らせているだけだ。もしかすると笑っているように見えるかもしれない。

「アマーリエ、二人を紹介しよう。カール・ブラッケ、オイゲン・リヒターだ。この二人は帝国には社会改革が必要だという開明派でな、元は貴族であったが今ではフォンの称号を捨てている。昔はどうにも変わり者だと思ったが、最近では先見の明が有るのだと感心している。革命が起こっても殺される事は有るまい、我らと違ってな」

答えに窮していると女帝陛下が公を窘めた。
「貴方、二人が困っておりますよ。ヘル・ブラッケ、ヘル・リヒター、夜遅く、苦労をかけます。夫の冗談を悪く取らないでくださいね」
女帝陛下が目で謝罪してくる! 勘弁してくれ!

「そのような事は……、カール・ブラッケでございます」
「オ、オイゲン・リヒターでございます」
しどろもどろの我らの挨拶に女帝陛下は軽く笑みを浮かべて頷いた。やはり育ちが違うな、自然と頭が下がってしまう。

「本来ならリッテンハイム侯も此処に来るはずだったのだがな……」
公が幾分表情を曇らせた。どうやらリッテンハイム侯は改革に反対らしい、だとすると改革の実現は難しいのかもしれない。ブラッケに視線を向けると彼も同じ思いなのだろう、眉間にしわを寄せている。

「地球教の件で手が離せんのだ、済まんな」
「はあ」
拍子抜けした。ブラッケも顔から力が抜けている。地球教か……、確かにリッテンハイム侯は内務尚書だ、担当者ではあるが……。

「そのように厄介な相手なのでしょうか? 既にオーディンでは支部も壊滅しあとは地球制圧だけと伺っておりますが」
私の問いかけに公が顔を顰めた。女帝陛下も憂欝そうな表情をしている。どうやら私の考えは浅はからしい。

「日に日に厄介さ、おぞましさが増してくる。なんとも薄気味悪い連中だ。あの連中、何をしていたと思う」
「……何をと言われましても」
「地球教の信者にサイオキシン麻薬を与えていた」
「サイオキシン麻薬?」
私の言葉にブラウンシュバイク公が頷く。ブラッケに視線を向けた、ブラッケは呆然としている。

「しかし、何のために? そのような事をすれば信者を徒にサイオキシン麻薬の中毒患者にしてしまいますが……」
気を取り直して問いかけたブラッケの言葉に公が頷き笑みを浮かべた。何処か怖い様な笑みだ。
「ヘル・ブラッケの言う通りだ。信者はサイオキシン麻薬の中毒患者になってしまう。そのうえで洗脳する……」

ブラウンシュバイク公が何を言ったのかよく分からなかった。ブラッケと顔を見合わせたが彼も困惑したような表情をしている。止むを得ず公と女帝陛下の顔を交互に見ながら問いかけた。
「洗脳、ですか?」

「そうだ、洗脳だ。最近の宗教は人を救う事よりも人を奴隷、いやロボットにする事を選ぶらしい。ロボットは文句を言わんからな。善悪の判断もない、命じられたことを実行するだけだ。まあ悩みが無くなって良いのかもしれん、救いと言えば救いだな。どうだ、便利だろう」
ブラウンシュバイク公が笑っているが私には笑うことは出来ない、ブラッケも顔を強張らせている。

「貴方、笑うのはお止めになって。お二人が困っていらっしゃるわ。第一不謹慎です」
公を窘める女帝陛下の言葉によく分からないうちに頭を下げていた。
「そうだな、笑いごとではないな……」
ブラウンシュバイク公が笑うのを止めた。そして深い溜息を吐く。

「連中、反乱軍、いや自由惑星同盟でも同じ事をしていた。自由惑星同盟でも皆連中のおぞましさに震え上がっている。最近ではわしはトリューニヒト委員長、シトレ元帥の両名と随分と親しくなったような気がするよ。あのおぞましい連中に比べれば彼らは叛徒かもしれんが人間だからな、地球教の化け物よりはましだ」

疲れた様な口調だ。いやブラウンシュバイク公は間違いなく疲れているのだろう。女帝陛下も痛ましそうな目で公を見ている……。しかし何時までもこうしては居られない……。
「……それで、我々を此処へ招かれた理由ですが……」
「うむ、そうだな、ぼやいていても始まらんな」

ブラウンシュバイク公が女帝陛下と顔を見合わせた。陛下が頷く、それを見て公も頷いた。公が我々に視線を向ける、強く、そして厳しい視線だ。ゆっくりと口を開いた……。
「以前改革案を貰ったな。それを実施しようと考えている」

ブラッケに視線を向けた。彼も私を見ている。瞳に有るのは喜びと不安だ。ブラウンシュバイク公は何処まで本気なのか……。また何故改革を行うのか、確認しなければならない。

「その理由は?」
私の問いかけにブラウンシュバイク公は沈黙した。視線を伏せ俯き加減に考え込んでいる。
「ブラウンシュバイク公……」
ブラッケが問いかけたが肘を掴んで止めた。ブラッケが私を見る、首を振って止めるとブラッケは強い目で私を見たが不承不承口を噤んだ。

一分、二分……、どのくらい経ったか、五分程も過ぎた頃だろうか、公が顔を上げた。
「以前から改革が必要だとは考えていた。だがどう進めればよいか正直迷っていた。しかし地球教の所為で迷っている暇はなくなった。このままでは帝国は連中に潰されるだろう……」
「まさか……」
「事実だ、リヒター。……帝国は連中に間違いなく滅ぼされるだろう。帝国は悲惨な状況になる」
嘘ではないだろう、公の声は悲痛と言って良かった。そして女帝陛下は無言で公に寄り添っている。

「帝国は今不安定な状況にある。例のカストロプの一件で平民達の不満はかつてないほど高まっている。……リヒテンラーデ侯が死んでくれたのは幸いだった。そうでなければ暴動が起きていたかもしれん」
首を振りながら話すブラウンシュバイク公に頷いた。否定はできない、あのカストロプの一件にはどんな人間でも怒りを覚えるだろう。あれほど権力者の身勝手さが露わになったことは無い。

「地球教は帝国でも自由惑星同盟でも排撃されている。連中には行き場は無いのだ、となれば生き残るために何をするか……。卿らにも簡単に想像がつくだろう」
なるほど、そう言う事か……。念のために口に出して確認してみた。

「つまり平民達を使嗾し、国内を混乱させるというのですな」
そうではない、と言うようにブラウンシュバイク公は首を横に振った。
「混乱で済むかな、リヒター、その見方は甘いだろう。連中が狙うのは革命のはずだ。何らかの形で政府、或いは貴族と平民を衝突させる。その後は両者を煽り……いや煽る必要もないかもしれん。お互いに恐怖から勝手に衝突をエスカレートさせるだろうな。行きつく先は革命だ」

黙っているとブラウンシュバイク公が言葉を続けた。
「革命が終わった後、地球教がどうなっているか……。或いは生き残っているかもしれんな。誰にも気づかれないように細々と生き残っているかもしれん。だが我々は如何だろう、まず間違いなく滅んでいるだろうな」

ブラッケがチラッと私を見た。
「……リッテンハイム侯もそうお考えなのですな。地球教の策動を防ぐために、滅ばぬために改革が必要だと」
「そうだ、同じ考えだ、ヘル・ブラッケ。帝国を守り繁栄させるには、我らが明日を生きるためには改革が必要だと考えている」

ブラッケがまたチラッと私を見た。
「他の貴族達はどう思うでしょう?」
「改革には反対するだろうな。しかし彼らの事は気にしなくて良い、こちらで対処する。平民達の不満を解消するには何から始めれば良い」
「……」

気にしなくて良いか……。それなりの対策が有るという事だな。ブラッケと顔を見合わせた。彼の目に力が籠っている。どうやらこちらも性根をすえて取り掛かる必要が有るようだ。
「分かりました、では先ず……」



宇宙歴 795年 9月24日    第一特設艦隊旗艦 ハトホル ジャン・ロベール・ラップ



ようやく第一特設艦隊が巡航艦パルマと合流した。もうすぐ連絡艇でヴァレンシュタイン提督がハトホルに戻られるだろう。提督の帰還を聞いて旗艦ハトホルの艦橋にはホッとした様な空気が流れている。皆の表情、雰囲気には緊張は見られない。

我々にとってはフェザーンと地球の関係も気掛かりだったがそれ以上にヴァレンシュタイン提督の安否が気掛かりだった。だがそれもようやく終わる。提督がこの艦に戻れば安心だ。チュン少将もようやく安心したのだろう。周囲に笑顔を見せている。

この一週間、特設第一艦隊の司令部は気が気ではなかった。ヴァレンシュタイン提督にもしもの事が有れば一体我々はどうなるのか……。最悪の場合は艦隊の解体という事も有り得る。それでは一体何のためにこれまで訓練をしてきたのか分からない。ようやく艦隊として機能し始めた第一特設艦隊が何の意味もなく消滅してしまう。

ヴァレンシュタイン提督が旗艦ハトホルの艦橋に現れたのは巡航艦パルマが第一特設艦隊に合流したと報告が有ってから三十分程経ってからだった。副官のミハマ中佐、ローゼンリッター、それと見慣れない同盟の軍人達、さらに銀河帝国のレムシャイド伯、そして憔悴した様子のフェザーン自治領主ルビンスキーが一緒だった。

「閣下、御無事でのお戻り、心からお慶び申し上げます」
チュン参謀長が敬礼と共に無事を喜ぶと皆も一斉に敬礼した。提督が答礼をする。
「心配をかけた事、謝ります」
「以後はこのような事はなさらないでください。閣下のお命は閣下御一人の物ではないのです。余りにも無謀過ぎます」

チュン参謀長がヴァレンシュタイン提督に注意をした。少し緊張している。参謀長だけではない、皆も緊張している。年が若いとはいえ相手は上官なのだ、機嫌を損ねるのではないかという懸念が有る。
「有難う、以後は気を付けます」

皆の緊張が解けた。何人かが顔を見合わせ頷いている。安心したのだろう、ヴァレンシュタイン提督は自らの非を認め素直にチュン参謀長の忠告を受け入れてくれた。峻厳と言われる提督だが他者の忠告を受け入れない方ではない、それが確認できたのが嬉しいに違いない。俺も同感だ、他者を責めるだけで自分の非を認められないなど暴君以外の何物でも無いだろう。

その後、ヴァレンシュタイン提督が一緒に艦橋に入って来た人間を紹介してくれた。見慣れない同盟の軍人はフェザーン駐在武官のヴィオラ大佐とその部下達だった。ミハマ中佐に部屋の割り当てを命じると提督はチュン参謀長に問いかけた。

「戦闘訓練の結果は如何ですか」
「はっ、当初予定した戦闘訓練メニューは半分が終了しています」
止むを得ない事だ、提督を迎えに行くために訓練は中断された。そして結果は必ずしも良いとは言えなかった。相手は正規艦隊だったのだ、元々の練度が違う。チュン参謀長の表情も決して良くない。

「そうですか、後で訓練結果の映像を見せてください」
「承知しました」
多分提督は顔を顰めるに違いない。しかし提督はハイネセンに戻らざるを得ない。訓練は戻ってからハイネセン近郊で行う事になるだろう。司令部ではそう見ている。

「私に何か連絡が入っていますか」
「第一特設艦隊には帰還命令が出ています。それとトリューニヒト国防委員長、シトレ元帥から連絡が欲しいと」
「なるほど、他には」
普通は此処で直ぐ連絡をするものなんだがな。こんな事は慣れているのかもしれない。

「ワイドボーン提督、ヤン提督より戻り次第連絡が欲しいと、会って話がしたいそうです」
「……他には」
少し顔を顰めたな。どうやら厄介だと思っているのかもしれない。多分後回しだな。

「情報部のバグダッシュ准将より連絡が有りました。戻られたら連絡が欲しいと」
提督が考えている。はて、何か引っかかるものが有るのか……。
「他には何か有りますか」
「いえ、有りません」

「そうですか、……私は部屋に戻ります。ワイドボーン提督、ヤン提督には明日、ハトホルで会いたいと参謀長から伝えてください」
「承知しました」
やはり後回しか。残念だったな、ヤン、ワイドボーン。それにしても提督が気にかけたのはバグダッシュ准将からの連絡だったな。情報部か、一体何が有ったのか……。



 

 

第九十三話 前途多難




宇宙歴 795年 9月24日    ハイネセン 統合作戦本部  バグダッシュ



目の前のTV電話が受信音を立てると周囲の部下達がこちらに視線を向けた。スクリーンに表示された番号から第一特設艦隊旗艦ハトホルからだという事が分かる。おそらくはヴァレンシュタイン中将からだろう。保留ボタンを押下した。
「少し席を外す、これは別室で取る」

俺の言葉に部下達が黙ってうなずく。連中にも周囲に訊かれたくない内容だと、知られたくない相手だと理解しただろう。まあ情報部ならこんな事は珍しくない。特に詮索することなく部下達は黙って仕事を続けだした。それを見てから席を立つ。

部下達の前で聞くのは拙いだろうな、彼らを信じないわけではないが念には念を入れた方が良い。中将から連絡が有った事はいずれ彼らにも分かるはずだ。そして俺を監視している連中にも分かるだろう……。後々探りを入れられた時、部下達も何も知らない方が答えやすい筈だ。

別室、周囲を防音壁に囲まれた小さな部屋だ。この別室の中で交わされた内容は外には聞こえない。情報部には幾つかそういう部屋が有る。周囲の視線を感じつつ部屋に入り受信ボタンを押下した。目の前に若い男性が映る、ヴァレンシュタイン中将だ。

「ハトホルに戻られたのですな」
『ええ、ついさっき』
「御無事で何よりです、気が気ではありませんでしたよ」
俺の言葉に中将は軽く笑みを漏らした。

『それで、何か』
相変わらずクールだ。もっとも嫌なクールさじゃない。上に立つ人間は何処か底の知れなさが有った方が良い。
「御依頼の件、御報告を」
中将が頷いた。

「先ず憂国騎士団ですがかなりバタついています。地球教徒がかなり組織に浸透していました。今回の一件で地球教徒は居なくなりましたが彼らと親しかった連中はかなりいます、事態が急激に動いたので付いて行けずに右往左往していますよ。誰を信じて良いか分からず皆、疑心暗鬼になっている。当分混乱は収まらないでしょう」
「……」

「次にトリューニヒト国防委員長ですが、憂国騎士団とは僅かに接触が有りますが切り捨てられるレベルの物です。実際国防委員長は切り捨てにかかっています。そして地球教との間に関係は全く有りません。この件で国防委員長が周囲から非難されるようなことは無いでしょう。政治生命に影響は無いと判断しています」
中将が頷いた。

『軍人は如何です』
「地球教の正体が分かった時点で誰も教団には近づかなくなりました。憂国騎士団にもです。皆、後難を恐れています。経済人達も同様ですな、皆息を潜めています」
中将が笑みを浮かべた。予想通りか……。

『憲兵隊の動きは』
「今の所地球教だけで手一杯です。それ以上は……」
『なるほど……』
僅かに目を伏せ気味にして考えている。さて、どうする?

これまで地球教や憂国騎士団を監視対象として見ていた組織は無かった。唯一それをやったのが防諜課第三係、俺の所だ。中将からの依頼を受けて密かに監視を行ってきた。何かあるとは思っていたがまさかこんな事になるとは……、中将が顔を上げた。

『准将の押さえている情報をシトレ元帥に伝えてください』
「全てですか」
『全てです。連中と親しくしていた軍人、経済人の情報も出してください。帝国と協力するのに馬鹿な主戦派など不要、元帥にはそう伝えて貰えますか』
「分かりました」

なるほど、段々見えてきたな。目の前の男が何を考えているのか、そしてシトレ元帥、トリューニヒト委員長が何を考えているのか。面白いな、軍人達が和平を考えるか。どれだけの人間が気付いているかな……、これだからヴァレンシュタインに協力するのは止められん。

「しかし、出来れば事前に教えていただきたかったですな」
『不満ですか』
「多少は有ります」
中将が俺の言葉にクスッと笑った。

『言えば信じましたか』
「さて、事が事ですから何とも」
『今は』
「もちろん信じていますとも」
また中将がクスッと笑った。

『問題は無いと思いますが』
「……まあ、そうですな」
やれやれだな、またあしらわれた。思わず苦笑すると向こうも笑っている。悪くない、何となくそう思った。

「この後は如何しますか」
『そうですね、当たり前の話ですが帝国の情報とフェザーンの情報が欲しいと思います』
「なるほど……、実はその件で少々問題が発生しました。ヴァレンシュタイン提督にも御協力頂きたいのですが……」
『……なんです』

「今回の一件で調査課がかなり苛立っています。連中、私にも監視を付けたようですな」
中将が一瞬目を見張った。そして笑い声を上げる。
『それはそれは、准将は重要人物になったという事です。おめでとうと言うべきでしょうね』
なるほど、そう言う考え方も有るか。こちらも釣られて笑った。

「実際問題、調査課の協力が得辛くなっています。この辺でガス抜きが必要と思いますが」
『調査課と話をしろという事ですか。……面倒ですね、シトレ元帥経由で入手しますか』
ヴァレンシュタイン中将が眉を顰めている。詮索されるのは誰だって好きではない。気持ちは分かるが取引は必要だ。調査課は敵に回すより味方に付けた方が得だ。

「反発が強くなります、お奨めは出来ません」
『……』
「私も同席します。無茶はさせません、如何です」
『……そうですね、……そうしますか。但し、場所はハトホルにしてください。それ以外は認めないと』
「承知しました」

話を終えて部屋の外に出ると見慣れた顔が有った。
「ザックス、どうしたんだ、こんなところで」
「バグダッシュ准将が誰かと内緒話を始めたと聞いたのでね。……誰と話をしていたのかな」

おいおい、顔が引き攣っているぞ、そんな怖い顔をするな、ザックス。それにしても誰がこいつに注進した? スパイは俺の傍近くに居るようだな……。まさかとは思うが俺の部下か? 可能性はあるな……。ここはとりあえず能天気に明るく行くか。

「もちろんヴァレンシュタイン中将さ」
「……」
「お前さんの言うとおり、思いっきり文句を言ってやったぞ。俺の立場も考えてくれってな」
今度は胡散臭そうな顔か、白々しかったかな。

「そんな声は聞こえなかったがな」
「そりゃあ防音壁だからな、聞こえないのも仕方ないさ」
大丈夫、今お土産をやるからな、ザックス。とびっきりのお土産だ、飛び上がって喜ぶぞ。

「ヴァレンシュタイン中将が調査課の人間と話をしても良いと言ってたぞ」
「本当か?」
「ああ、本当だ。調査課の協力が欲しいようだな。ギブ・アンド・テイク、良い機会じゃないか。色々と訊いたら良いさ」
「なるほど……」

考え込んでいるな、ザックス。もっと素直に喜べよ。
「どうだ、ザックス。俺は良い友人だろう。何と言っても俺とお前さんは士官学校で同期生だったんだからな」
「……そういう事も有ったな、今思い出したよ」
「……有難う、思い出してくれて……」
昔はもっと素直だったんだがな、俺もお前も……。



宇宙歴 795年 9月24日    第一特設艦隊旗艦 ハトホル エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



バグダッシュとの話は終わった、大体予想通りだ。これから和平を進めるにあたって邪魔になるのは主戦派だろう。この機会に出来るだけ叩いておいた方が良い。もう少しで地球教にしてやられるところだった、それを強調することだ。主戦派を復活させてはいけない。

明日はヤンとワイドボーンを相手にしなくてはならない、厄介だな。まあ嘘を吐いても仕方がないし、嘘が通用する相手でもない。ある程度は正直に話すとするか。責められたらごめんなさいの一手だな。ワイドボーンはともかくヤンは煩く言わないだろう。

ここまでは想定通りかな。帝国との間にパイプを作った。ある程度帝国に対しては和平と言う言葉も印象付けたはずだ。ここから先は帝国がどう動くかによる。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯か……。どう動くかな、今の所権力争いをしているような形跡は無い。そこまで馬鹿じゃない、そう取って良いのかな。

レムシャイド伯がハイネセンに来るという事は和平を結ぶ意志有りという事かもしれない。表向きは対地球教、裏で和平か……。こちらとしてはそう受け取りたいところだが焦るのは禁物だ。相手の出方をじっくりと見ないと……。考えていても仕方ないな。喰えない狸どもに連絡を入れるか。

『ヴァレンシュタイン中将か』
スクリーンにシトレが映った、低い声で話しかけてくる。
「はい」
『少し待ってくれ。今トリューニヒト委員長を呼び出す』

少しと言ったが結構時間がかかった。やがて現れたシトレが済まなさそうな声を出した。
『済まんな、どうやら最高評議会に出ているらしい』
「そうですか」
『ここ最近は連日でな。毎日のように最高評議会を開いているよ。評議会も日に日に地球教の厄介さを感じているようだ。そう言う意味では悪くは無いな』
「確かに」

仕事をするのは良い事だ、特に上の人間が仕事をするのはな。但し会議ばかり開いて何も決まらないと言うのでは困るが……。シトレが笑みを見せた。
『ようやく君と忌憚なく話せるな』
「そうですね、腹の探り合いの様な会話は食傷しましたよ」
シトレが声を上げて笑った、俺もだ。

『お互い暇じゃない、話を進めよう。これからだが我々が気を付けなければならない事は何かな』
良いね、こういうのは。フェザーンでの一件をグズグズ言わない。優先順位をはっきりさせてくる。こっちもやりやすい。

「二つ有りますね。一つは地球教によるテロを防ぐことです。トリューニヒト国防委員長、レベロ財政委員長、ホアン人的資源委員長、そしてシトレ元帥。気を付けてくださいよ、和平を前にして死なれては困ります」
俺の言葉にシトレがまた笑い声を上げた。

『君が心配してくれるとは有り難いな。皆にも伝えておこう』
「冗談ではありませんよ」
『分かっているよ、ここで死ぬことは出来ない、皆が分かっている。だから君も気を付けてくれ、我々は君を失うことは出来ないんだ』
何を言ってやがる、この狸親父。油断も隙もないな、俺を懐柔しようってか。

「もう一つは主戦派です。帝国が混乱しフェザーンが地球教の根拠地だと分かった以上その中立を守る必要性は無くなりました。そして帝国は軍事力が弱体化している。主戦派がフェザーン侵攻、イゼルローン要塞攻略を唱える危険性があります」
『我々もそれを心配している』
シトレが顔を顰めた。おそらくトリューニヒト達とも話したのだろう。やはり主戦派がネックだ。

「特に今、主戦派は危機感を抱いているはずですよ」
『危機感? どういう事だね?』
「主戦派を占める人達はどのような人達です?」
シトレが眉を顰めた、少し間をおいてからゆっくりと答えた。

『……軍人、軍事産業に関わる人間が主体だな』
「彼らは帝国と戦う事は地球教の思う壺だ、そういう意見が出る事を恐れている。いや、実際出ているのかもしれませんがそれが同盟市民の間に定着するのを怖れている。そうは思いませんか」
『……なるほど、確かにそうだな。戦争が出来ない、出世が出来ない、儲けが出ないか……。いや、何より裏切り者と言われかねんか……』

呟く様な口調だな。どうやら気付いていなかったらしい。戦争は膨大な資源を消費する。軍事産業にとってはこれくらい旨味の有るビジネスは無い。そしてそれが百五十年続いてきた。おそらく軍事産業は戦争有りきのビジネススタイルになっている。和平なんて事になったらお先真っ暗だろう。そしてその事を怖れている。

シトレ達は戦争の中で生まれ育った。だからその辺りの感覚が鈍いのだ、これが常態だと思っている。戦争終結後の経済振興政策が必要だな、多くの軍人を民間に戻す事になるから受け皿も必要だ。公共事業による惑星開発か……。レベロはどう考えているかな、その辺りを考えておかないと失業者があふれる事になる。ハイネセンに戻ったら相談して見るか……。いかんな、今は話に専念しないと。

「彼らにしてみれば帝国に対して、或いはフェザーンに対して一大軍事攻勢をかける機会でしょう。武勲は挙げ放題、物資、兵器は売り放題ですよ。その機会を失おうとしているんです」
『我慢出来んだろうな』
シトレが溜息を吐いた。そんな顔をするな、こっちまで滅入ってくるじゃないか。

「それを防ぐために事更に主戦論を唱える可能性が有ります。おそらくはフェザーン侵攻でしょう。対地球教対策の一環として唱えやすい、経済的な利益も有る。フェザーンを得れば目の前に有るのは帝国領です」

『地球教の根拠地の一つであるフェザーンを潰した以上、問題は無い。後は帝国を倒せば良い……。そう言う事だな』
「そう言う事です」
目の前でシトレが“うーん”と唸っている。

『どうすれば良いかな。貴官がそこまで考えている以上、なんらかの対策が有るのだろう』
俺ばっかり頼るんじゃない、俺は魔法の壺を持っているわけじゃないぞ。まあ原作知識ってのはそれに近いものが有るかもしれないがな……。

「バグダッシュ准将に地球教、それと連中と親しかった憂国騎士団を調べさせて有ります。そこに出入りしていた人間もです。もうすぐそちらに情報が届きます。片っ端から憲兵隊に取り調べさせるんですね。そしてそれをマスコミに流す……」
『主戦派の中に地球教の手先が居る……、そういうことだな』

「そういう事です。現状ではそれくらいしか手が有りません。後はトリューニヒト委員長にフェザーンの件は帝国との調整が必要、そう言って貰うしかないと思います」
『そうだな』
なんとも貧弱な手だな、溜息が出そうだ。

「それと、最高評議会議長のポストが必要ですね」
俺の言葉にシトレの視線が厳しくなった。声を顰めて話しかけてきた、囁く様な口調だ。
『何時かな、それは』

「帝国に和平の意志あり、そう確信できた時です。或いは帝国が崩壊すると確信できた時」
『つまり戦争をやめるか、戦争を止めるかがはっきりした時だな』
「ええ、そういう事になります」
シトレが二度、三度と頷いた。

『見極めが難しいな。一つ間違うと同盟は泥沼に踏み込む事になる』
「そうですね」
泥沼なら良い、まだ抜け出せるだろう。最悪の場合は蟻地獄に落ちる事になる。そうなったら同盟も帝国も共倒れだろう……。


 

 

第九十四話 終焉



宇宙歴 795年 9月25日    第一特設艦隊旗艦  ハトホル  ヨッフェン・フォン・レムシャイド


ハトホルの艦橋で三人の軍人が話し合っていた。一人は長身、もう一人は中肉中背、そして最後の一人は小柄……。
「良いか、ヴァレンシュタイン。俺は納得したわけじゃないぞ」
長身の男の声に小柄な男が肩を竦めた。

「いくら凄まれてもこれ以上は何も出ませんよ」
「本当にそうなら良いんだがな。……ヤン、戻ろうか」
「……そうだね」
長身の男と中背の男が小柄な男を置いて歩き出した。

二人が艦橋から出て行く。その姿を小柄な男、ヴァレンシュタインは黙って見ていた。二人の姿が見えなくなるとホッと息を吐く。フム、疲れているか……、ヴァレンシュタインがこちらに視線を向けてきた。或いは気になっていたのかもしれない。

「どうかしましたか、レムシャイド伯爵」
「いや、少し卿と話したいと思っていたのだが……、どうやら疲れているのではないかな」
「それほどでも有りませんが……」

話しは長くなるだろう、今日でなくともよいか……。今もあの二人に二時間近く捕まっていたのだ、肉体的な疲れは無くとも精神的な疲れは有るだろう。明日にするか……。
「会議室に行きますか?」
「明日でも良いのだが……」

私の言葉にヴァレンシュタインが笑みを浮かべた。
「明日は明日で色々と有るかもしれません。今はまだ時間が有ります、遠慮は要りません」
「少し長くなるかもしれんが?」
「構いませんよ」
「……では、会議室に行くとするか」
ヴァレンシュタインが頷いた。

「それでしたら私も同席させていただきます」
声を出したのはミハマ中佐だった。
「お二人だけでは後々詰らない疑いが掛かりかねません」
心配そうな表情をしている。ヴァレンシュタインに視線を向けると苦笑をしていた。

「そうですね、同席してもらいましょうか」
「そうだな、その方がよかろう」
「有難うございます」
不便な事だ、とは思わなかった。帝国と同盟は戦争をしておりヴァレンシュタインは亡命者なのだ、当然の用心ではある。彼女はフェザーンでヴァレンシュタインと行動を共にした女性だ、それなりに信じても良かろう。

ヴァレンシュタインが歩き出した、その後を私が歩く。さらにその後ろにミハマ中佐が続いた。ヴァレンシュタインは無防備なまでに華奢な背中を見せている、私を危険だとは思わないのか、或いはミハマ中佐を信頼していると言う事なのか、……妙な男だ、思わず首を振っていた……。

会議室では私とヴァレンシュタインが向き合い、ミハマ中佐がヴァレンシュタインの隣に座った。中佐が飲み物を用意するのを待ってから話し始めた。三人とも飲み物は水だ。
「大分絞られていたようだが」
「そうですね」

苦笑している。ヴァレンシュタインだけではない、ミハマ中佐もだ。
「無茶ばかりするからであろう」
「それも有るでしょう。しかし本当のところは先が見えない事への不安が原因だと思います。同盟、帝国、フェザーン、そして地球、全てが混沌としています。……この先どうなるのか、どう動くのか、それを私に訊かれても困るのですけどね」

やれやれ、予防線を張られたか……。
「長身の士官が随分と息まいておったようだが……、あれがワイドボーン中将か」
「ええ、……まあワイドボーン中将は良いのですよ、彼はね。厄介なのはもう一人の方です」
「エル・ファシルの英雄だな……」
ヴァレンシュタインが無言で頷いた。

「ふむ、ヤン・ウェンリーとは肌が合わぬか」
「そういう訳では有りませんが……」
「有りませんが?」
「向こうは何処かで私を警戒していると思います。なかなか警戒を解いてくれない……」
またヴァレンシュタインが苦笑した。今度はミハマ中佐は笑わない。なるほど、微妙な空気が有るらしい。

「……帝国へ戻ってはどうだ」
「帝国へ?」
「同盟ではどれほど功を立てようと亡命者であろう。なかなか受け入れられぬのではないかな」

半分は本心だ、後の半分は……、さて何だろう? 策か? どうも違うような気がするが……。不思議な事にミハマ中佐は何の感情も見せなかった、ただ黙って聞いている。そしてヴァレンシュタインも彼女を気にするそぶりを見せない。この二人にはかなり強い信頼関係が有るようだ。

「私は反逆者ですよ、レムシャイド伯」
ヴァレンシュタインが楽しそうに笑い声を上げた。私も釣られて笑い声を上げた。
「言われてみればそうであったな。しかし、卿が反逆者だとは誰も思ってはいまい、むしろ卿は犠牲者であろう。それに今では地球教の陰謀を暴いた功労者でもある」
実際リヒテンラーデ侯がカストロプ公を利用しようとさえしなければこの男は帝国に居たはずだ。

「帝国に戻っても三日生きていられたら奇跡でしょうね、私は帝国人を一千万人も殺したんですから」
「……」
「……」
沈黙が落ちた。一千万人という数字が重く圧し掛かる。

「……もう少し減らす事は出来なかったのか、一桁数字が違えばかなり違ったと思うのだが」
冗談めかして問い掛けた。自然と小声になっていた。何処か秘密めいた口調だった。
「難しいですね、五百万人ぐらいなら簡単に増やせるのですが、減らすのはちょっと……」
同じように冗談めかして答えてきた。

「困った男だな」
「困った男です」
ヴァレンシュタインが声を上げて笑ったが私には共に笑うことは出来なかった。何処か痛々しい。ミハマ中佐も切なそうにヴァレンシュタインを見ている、彼女も笑うことが出来ない……。

ヴァレンシュタインが笑い終えると会議室はシンと静まった。この男が極めて危険で手強い相手だという事は分かっている。だが何処か無防備で脆いようにも見える。ギラついた部分が有れば反発できるのかもしれないがそれも無い。野心など欠片も無い男なのだろう、なんとなく放っておいて良いのかという思いにさせる……。帝国に戻らないかと言ったのもその所為かもしれん、困った男だ……。

「帝国本土から連絡が有った、ミューゼル提督を襲った者が出たようだ。だが卿の忠告のおかげで掠り傷一つ負う事無くその男を取り押えることが出来た。卿に礼を言ってくれとの事だ」
「そうですか」
ヴァレンシュタインは余り興味を示さなかったが横に居るミハマ中佐がこちらを見た、訝しげな表情をしている。

私がヴァレンシュタインが地球討伐に向かっているミューゼル中将に警告を発した事を説明すると一瞬だけヴァレンシュタインに視線を向け、その後感心しないと言ったように首を横に振った。多分彼女もヴァレンシュタインがミューゼル中将を恐れている事を知っているのだろう。

ヴァレンシュタインがそれを見て困ったように苦笑を浮かべている。“気に入りませんか”とヴァレンシュタインが問いかけると“ええ、気に入りません”と彼女が答えた。ヴァレンシュタインの苦笑が更に大きくなった……。

「かなりサイオキシン麻薬を投与されていたらしい」
「……」
「厄介な連中よ、一体何処まで手を伸ばしてくるのか……。こうなると安全な所など無きに等しかろう、たとえ新無憂宮の中でもな」

「そうですね、用心をする事です。宗教関係者と言うのは手段を選ばない、どんな卑劣な手段でも神の名前を唱えれば許されると思っている」
その通りだ、サイオキシン麻薬を使って人を操ろうなどと卑劣以外の何ものでもない、まして人を殺させようとは……。そろそろ本題に入るか、一口水を飲んだ。

「卿に訊きたい事が有る」
「……」
「答えたくなければ答えなくとも良い。ただ、嘘は無しという事にしよう。どうかな?」
「その方が助かりますね」
ヴァレンシュタインが苦笑を浮かべて頷いた。

「トリューニヒト国防委員長とシトレ元帥だが、卿は親しいようだがあの二人は何を考えているのかな」
「……」
「我ら帝国人に対し少しも嫌悪感を示さぬ、単純な主戦派とも思えぬが……」
ヴァレンシュタインがまた苦笑を浮かべた。

「答える前に教えてください。それを聞いてどうします」
「……本国に伝える」
「ブラウンシュバイク公が知りたがっていますか?」
「当然だろう。公もリッテンハイム侯もこれからの協力に支障が出る危険は無いか、非常に心配している」
「なるほど……」

少し考え込む様子を見せた。
「戦争を止めたがっているようですね」
「!」
何気ない、他人事のような口調だったが私とミハマ中佐を驚かせるには十分な言葉だった。

「まあ私にはそのように見えました。しかし勝手に止める事も出来ませんし、簡単に口に出せる事でもない。どうなる事やら……」
ヴァレンシュタインが笑みを浮かべてこちらを見ている。どう答えるか……、それとも無視するか……、相手の本心を探るつもりが何時の間にか探られている。試されている、そんな感じがした。

「ブラウンシュバイク公は気になると言っていたな」
避ける事は許されぬ、下腹に力を入れて答えた。向こうが一歩踏み込んできた以上、こちらもそれに応えて踏み込まなければ勝負にならん。ミハマ中佐が全身に緊張感を漂わせているのが見えた。

「気になる、ですか」
「うむ、晴眼帝、亡命帝の事だが……」
「いずれも過去の事ですね、未来の事ではないし現在の事でもない」
「……今のところはそうだな」

押されている、分が悪い。
「今のところは、ですか……。まあ、トリューニヒト委員長もシトレ元帥も今のところは政府の一委員長、一軍人でしかありません。同盟の最高権力者と言うわけではない……」
「なるほど……」

トリューニヒト、シトレは戦争を止めたがっている。しかし、それを言い出すには地位も時も得ていない、そう言う事か……。帝国側の様子を見ている、そう言う事だな。お互いに手探りで相手を探っている……。
「これ以上は直接お訊きになっては如何です」
「そうだな、その方が良かろう」

ほっと息を吐いた。掌に汗をかいている、思った以上に緊張していたようだ。押されはしたがなんとか踏み止まった、そんなところか……。水を一口飲んだ、ミハマ中佐もホッとした様な表情をしている。……問題は目の前のこの男だな。今度はこの男の考えを聞かなければならん。もう一度下腹に力を入れた。

「これからどうなるかな」
「随分と抽象的ですね」
ヴァレンシュタインが苦笑した。言われてみればその通りだ、こちらも思わず苦笑が出た。
「では、帝国はどうなると思う、卿の考えを教えてくれぬか」

私の言葉にヴァレンシュタインがじっとこちらを見た。負けられないと思い目に力を入れて見返す。ヴァレンシュタインはスッと視線を逸らし水を飲んだ。ホッと息を吐いた時、声が聞こえた。
「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム体制の終焉……」
「!」

愕然として彼を見ると彼もこちらを見ていた。
「私は反逆者です、ルドルフに対して敬意など払いません」
「……どういう事だ?」
非礼を咎めるべきなのだろう、だがそれ以上に言葉の重みに気圧された。先を聞くべきだと思った。

「彼は一部の有能な人間を貴族とし、帝室の守護と統治の全てを与えました。貴族達はある時期までは軍人、政治家、官僚として彼の期待に応える事が出来た。しかし徐々にですがその期待に応えられなくなった。体制に綻びが生じたのです。そして今、ルドルフの作った体制は終焉の時を迎えようとしている……」

「馬鹿な……」
私の言葉にヴァレンシュタインは首を二、三度横に振った。
「私の考えでは五十年ほど前からそれは始まっています」
五十年前……、五十年も前から始まっている……。

「同盟軍にブルース・アッシュビーが登場した事で帝国軍の指揮官に戦死者が多く出ました、その大部分が貴族です。損失の穴埋めは平民、下級貴族によって行われました、本来なら貴族が埋めるべきだったのにそれが出来なかった……、貴族はルドルフの期待に応えられなかったのです」

……そうかもしれない。軍事に練達した貴族が全く居なかったわけではないだろう、だが貴族達は戦場に出る事よりもオーディンで安楽な生活を送る事を望んだ。帝国のために先頭に立って戦う事を拒否した……。能力だけではなく意志の面でもルドルフ大帝の期待を裏切った……。

「貴族達が享楽に耽り義務を果たさなくなった、その義務を平民、下級貴族に押し付けたにもかかわらず代償としての権利は与えず踏み躙り続けた。平民、下級貴族の不満、怒りは限界に来ている」
「……」

ヴァレンシュタインが一口水を飲んだ。私も水を飲む、ミハマ中佐も水を飲んだ。
「リヒテンラーデ侯はその事に気付いていたと思います」
「リヒテンラーデ侯……」
鸚鵡返しに呟く私にヴァレンシュタインは頷いた。

「だからカストロプ公を平民、下級貴族の憎悪の対象として用意したのでしょう。貴族達がルドルフの期待に応えられなくなった以上、リヒテンラーデ侯には生贄を作る事でしか帝国を守る術を見い出せなかったのだと思います……、哀れな話ですよ」
嘲りは感じられなかった。ヴァレンシュタインは心底リヒテンラーデ侯を哀れんでいる。

「……終焉の後に来るものは」
声が掠れた。
「再生か、崩壊か……。帝国が再生するには思い切った改革が必要です。それが出来なければ為す術もなく混乱し崩壊するしかない」
「……改革か」

「鍵を握るのは貴族でしょう、ルドルフの遺産と言っても良い。遺産を受け取って改革を行うのか、それとも負の遺産として切り捨てるのか……。当たり前の事ですが、どういう決断をするのかで帝国の未来は変わるでしょう……」
そう言うとヴァレンシュタインはまた水を一口飲んだ。

つまりルドルフ大帝を認めるのか、否定するのかという事か……。そして血統を重視するのか能力を重視するのかと言うことでもある。なるほど、和平にも関わってくるか……。改革は帝国だけではなく同盟の未来にも関わる、注意すべきであろう……。


 

 

第九十五話 揺らめき




宇宙歴 795年 9月26日    第一特設艦隊旗艦  ハトホル  ヨッフェン・フォン・レムシャイド



『戦争を止めたいか……』
「はい、そう言いましたな」
『うーむ』
スクリーンには唸り声を上げながら眉を寄せ目を閉じているブラウンシュバイク公の姿が映っていた。

『想像しないでもなかったが改めて卿から聞くと唸らざるを得ん。戦争を止めるか……、それをあの二人が考えた……』
また唸り声を上げた。確かに予想はしていたがそれでも驚かざるを得ない。ブラウンシュバイク公が唸るのも良く分かる。

「いささか不思議ではありますな」
『うむ、しかし悪い話では無い』
「と言いますと」
私が問いかけるとブラウンシュバイク公がニヤッと笑みを浮かべた。何処か人の悪さを感じさせる笑みだ。

『レムシャイド伯、わしとリッテンハイム侯は改革を実施しようと思っている、いや準備している』
「まことですか?」
『うむ』

今度はこちらが唸り声を上げた。どうもここ最近、宇宙は予想外の事ばかり起こる。なんとも落ち着かない事だがそれだけ世の中が不安定になっている、そういう事なのかもしれない。或いは時の流れるのが速過ぎるのか……。だとすればその時の流れに追い付けない人間が出てくるかもしれん、そういう人間はどうなるのか……。

『もはや改革をせねばどうにもならんのだ。帝国の状況はそこまで悪化している、躊躇は出来ん。それがわしとリッテンハイム侯の考えだ。その事は陛下にもお話し御理解を得ている』
「陛下も同じお考えだと!」
『うむ』
驚く私にブラウンシュバイク公が頷いた。

『反乱軍の中に、しかも最も強硬派であるはずの軍の中に戦争を止めたいと考えている人間が居る。悪くない、いや心強いと言っても良いな。意外な所で味方を見つけた思いだ』
もう公は笑っていない。酷く生真面目な表情だ。それだけ状況は厳しいという事か……。

改革を行う、陛下もそれを支持している。つまり勅命という形で反対を抑えようという事だろう。しかし果たして何処まで踏み込んで改革を行うのか、それによっては勅命といえども反対する貴族達が現れよう。その辺りを公はどう考えているのか……。

『ちょうど良い、卿に伝えておこう。明日、帝国は国内に改革を行う事を宣言する』
「なんと……」
『宣言の中では直接税、間接税の引き下げ、さらに裁判制度の見直しについて触れる事になっている』
「具体的に何処まで踏み込まれるのです」
恐る恐るといった口調になった。少しの間ブラウンシュバイク公はじっと私を見ていた。話すべきかどうか考えたのかもしれない。

『……貴族達の直接税の徴収に歯止めをかける。政府が上限を設定しそれを越えた徴収を行った場合は厳しい罰を与える。また収入が一定額以上に達し無い人間に対しては税の徴収を禁止する。それと税が徴収できない低所得者が或る一定の割合を越える貴族領についてはその施政権を停止し一時的に政府の直轄領とする』
「……」
かなり厳しい……、貴族達の反発は必至だろう。

『また裁判については貴族領の平民達にも帝国政府への控訴権を認める。先ずはそんなところだな』
「……」
つまり貴族達が恣意的に領民達を処罰するのを規制するということか。税と裁判、どちらも統治の根源に関わる。これを制限するという事は貴族の権力の縮小以外の何物でも無い。

『来年一月から実施する予定だ。改革はそれで終わりではない、それ以降も順次進めて行く。その分については今改革派の者達に案を練らせている。これでなんとか平民達に希望を与える事が出来るだろう、平民達も希望が有るうちは暴発などはするまい』
「……それはそうですが」

『卿は不満かな』
ブラウンシュバイク公が覗き込むようにこちらを見ている。はて、不満だろうか? 今でも領地を離れ経営など他人任せの状態だ。構わぬと言えば構わぬ。だが問題は……。
「……私は構いませぬが他の貴族達の反発を呼びましょう。上手く行きましょうか?」
思わず恐る恐ると言った口調になった。

『上手く行かせる、不満を言うものは切り捨てる』
「……」
『手をこまねいていれば座して死を待つ事になろう。帝国が生き残るためには不要なものを切り捨て、変わらねばならんのだ』
ゆっくりとした口調だった。自らに言い聞かせる様な口調だ。貴族を切り捨てるという事か……、ルドルフの負の遺産……。ブラウンシュバイク公はヴァレンシュタインと同じ事を言っている。

「……ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム体制の終焉……」
『……何と言った、レムシャイド伯』
気が付けば呟いていたようだ。
「あ、いえ……」
『如何した』
「……ヴァレンシュタインが言っておりましたな。この後、帝国ではルドルフ大帝の造った政治体制が終焉するだろうと……」

叱責されると思った。しかしブラウンシュバイク公は何か意表を突かれたような表情で私を見ている、止むを得ず言葉を続けた。
「彼の考えでは五十年程前からルドルフ大帝の作った政治体制の終焉が始まっているそうです。貴族を中心とした……」
『そうか、そうだな、あの男ならそう言うだろうな』
「……」
話を遮られた。妙な話だ、公は一人納得している。私が何を言おうとしたのか分かると言うのだろうか?

『銀河連邦の終焉と帝国の成立という本が有る。二十年ほど前にフェザーンで書かれた本だ』
「……それが何か」
『その本を読んで思った、役に立たぬ貴族など滅ぼしてしまえと……』
「!」

呆然としてスクリーンを見るとブラウンシュバイク公が可笑しそうに笑い出した。
『ヴァレンシュタインもその本を読んでいる、士官候補生時代にな』
「……まさか」
『あの男の事が知りたくて読んだのだ。……統治者は優秀でなければならない、その優秀な統治者を生み出す階級が必要だ、即ちそれが貴族……。ルドルフ大帝の考えだ』

『だが現状はその優秀であるべき統治者を貴族は生み出すことが出来なくなった。となれば貴族には存在価値など有るまい、貴族階級など害有って益無きものよ……』
「ブラウンシュバイク公……」
声が震えていた、そんな私を見て公は今度はクックッと笑いを堪えている。

『分かるぞ、ヴァレンシュタイン。卿が何を思ったか、何を考えたか、よく分かる。わしも同じ想いだ、……まさに終焉、その通りよ!』
ブラウンシュバイク公が哄笑と言って良い笑い声を上げていた。同じ本を読んだ、同じ考えを持った、そして誰よりも相手を理解している……。

『なんとも皮肉な話だ、本当ならあの男がやるはずだった仕事をわしがやっている』
妙な言葉だ。
「……それはどういう意味です?」
チラッと公が私を見た、ブラウンシュバイク公は未だ可笑しそうな表情をしている。

『あの男はリメス男爵の孫なのだ。母親が男爵と平民の女との間に出来た娘だった』
「!」
では、あのリメス男爵の相続事件で死んだ弁護士夫妻はリメス男爵の娘夫婦だったという事か。ヴァレンシュタインはあの事件で両親を失い、その直後に祖父を失った……。

『ある貴族がヴァレンシュタインにリメス男爵家を再興させようとしたのだがな……』
「……再興」
『士官学校を卒業し帝文に合格したヴァレンシュタインはリメス男爵として帝国の政(まつりごと)を担うべき……、その貴族はそう考えたのだ。そうなっていればリメス男爵が改革を行っていただろう。わしなど切り捨てられていたかもしれん……、皮肉であろう?』
「……」
そう言うとブラウンシュバイク公がまた笑い出した、私には黙って見ている事しかできない。

『ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム体制の終焉か……。良いだろう、わしが終わらせてやろう。しかし帝国の終焉にはさせん……』
「ブラウンシュバイク公……」
底響きのするような公の声だった。私ではない、ヴァレンシュタインに言っている……。

『レムシャイド伯』
「はっ」
『明日以降、トリューニヒト委員長、或いはシトレ元帥と連絡を取ってくれぬか。今回の改革の宣言をどう受け取ったか、確認して欲しい』
「承知しました」
おそらくは何らかの反応が有るはずだ、そこを見極める事で相手の本気度が或る程度は見えてくるだろう。

『それとヴァレンシュタインにわしがあの本を読んだと伝えてくれ』
「宜しいのですか」
余り良い事とは思えない、報せればヴァレンシュタインはブラウンシュバイク公を警戒するかもしれない。
『構わぬ、その方が面白かろう』
「……」
面白い、そういう問題では無いと思うが……。

『フェザーンの高等弁務官だがマリーンドルフ伯が務める事になった』
「マリーンドルフ伯が……」
悪い人事ではない、誠実で常識のある人間だ。だが機略には乏しいだろう、その辺りをどうするのか。フェザーンはこれから混乱するはずだ、その中でマリーンドルフ伯の力量が試されるかもしれない……。

『それとクロプシュトック侯の反乱だがそろそろ鎮圧されそうだ。遅くとも今月内には鎮圧されるだろうとリッテンハイム侯から報せがあった』
「なんと」
何時かは鎮圧されると思っていた。だがこの時期に貴族達が戻って来る……。

『ミューゼル提督の地球鎮圧もそろそろ始まるはずだ。始まればそれほど手間は取るまい。こちらも今月内には片付くだろう』
「……」
貴族達も帰って来るが軍も帰って来るか……。そうか、改革実施の宣言はそれを見据えての事か。

先に既成事実を作っておこうと言う事だな。となると貴族達がどう巻き返しを図るか、軍の力を背景にブラウンシュバイク公達がそれをどう押さえつけるか……。これからが本番だろう、激しい駆け引きが続くはずだ。私の想いを読み取ったのだろうか。
『騒がしくなるな』
ブラウンシュバイク公が厳しい表情で吐いた。

通信を終えるとヴァレンシュタインを探した。艦橋で指揮官席に座りココアを飲んでいる姿が見えた。近づくと向こうから声をかけてきた。
「ブラウンシュバイク公と話したのですか」
「うむ、今終わった」
「そうですか」

それだけだ。ヴァレンシュタインはココアを飲むことに専念しこちらには関心を示さない、視線を向ける事も無かった。何となく神経がささくれ立った。幸い周囲には誰もいない、二人だけだった。
「卿はリメス男爵の孫だそうだな」
「……ブラウンシュバイク公から聞いたのですか」
「……そうだ」

平然としている、相変わらず視線を向ける事も無ければココアを飲むことを止めようともしない。変化が有ったとすれば答えるまでに僅かに間が有った事だけだった。
「一度だけ会いました。両親が死んだ直後です。孫として会ったんじゃありません、死んだ弁護士の遺児として会ったんです。その時ですよ、血が繋がっていると知ったのは。……葬式にも参列しました、弁護士の遺児としてね。寂しい葬式でした、リメス男爵家の親族は誰もいなかった……」
親族でありながら親族として参列できなかった……。

「……男爵を恨んでいるのか」
ヴァレンシュタインが私に視線を向けた、何の感情も見えなかった。
「……男爵の最後の頼みは私に御祖父さんと呼んで欲しいという事でした。私が御祖父さんと呼ぶと本当に嬉しそうだった」
淡々としている。まるで他人の事のようだ。だが話の内容は哀れとしか言いようが無かった。訊くべきではなかったと後悔した。

「……ブラウンシュバイク公から卿に伝えてくれと言われた事がある」
「……」
「銀河連邦の終焉と帝国の成立、ブラウンシュバイク公も読んだそうだ。卿の事を知りたくて読んだと言っていたな」

ヴァレンシュタインがこちらを面白いものを見つけた様な表情で見ている。ようやく表情に反応がでた。
「あれを読んだのですか。帝国貴族、女帝夫君たるブラウンシュバイク公の読む本ではないでしょうに……」
「……」

「あれはルドルフ大帝の事を巧妙に非難しているんです。そして現状の帝国の統治体制をさりげなく批判している。面白かったですよ、内容そのものは当たり前のことを書いているだけですが、こういう書き方、読ませ方もあるのかと思いました」
上機嫌だ、ココアを飲みながら笑みを浮かべている。

「公が言っていた。現状の統治体制は終わらせると……。しかし帝国の終焉にはさせないと」
ヴァレンシュタインが僅かに目を見張った。そしてクスッと笑いを漏らした。
「……なるほど、改革を実施しますか。しかし上手く行くかどうか……。貴族達は武力を持っています、場合によっては内乱になりますよ」
「……」

「帝国が動きますか……、となると同盟も動くことになるでしょうね。一波わずかに動いて万波随うか、さてどうなるのか……」
そう言うとヴァレンシュタインはココアを一口飲んだ。確かにヴァレンシュタインの言う通りだ、これからの宇宙は全てが激しく動くだろう……。


 

 

第九十六話  攻防

帝国暦 486年 9月26日    オーディン 新無憂宮   アマーリエ・フォン・ゴールデンバウム



夫が部屋に戻ってきた、表情には疲れが有る。でもその顔からは生気は失われていなかった。どうやらレムシャイド伯との話し合いは悪い結果ではなかったらしい。ここ最近悪い報せばかりが続いている、夫の様子にホッとする自分がいた。
「お話は終わったのですか」
「うむ」

夫は頷きながら私の隣に座った。侍女達に夫のためにコーヒーを用意させる。その後は彼女達に下がるように命じ人払いをした。一応信頼できるものだけを集めてはいるが不必要に危険を冒すことは無い。侍女達が居なくなると夫は一口コーヒーを飲んでホッと息を漏らした。

「如何でした、レムシャイド伯とのお話は」
「反乱軍、いや自由惑星同盟と言うべきだな。向こうの政府内部でも戦争を止めたいと考えている人間が居るようだ」
「まあ」
「或いはそうではないかと思っていたが間違ってはいなかったようだ」

夫の声は明るい。改革を行わなければ帝国は生き延びることが出来ない、改革に専念したいと考える夫にとって同盟との和平、或いは休戦状態は是非とも実現したい事だろう。なにより現状では帝国軍は反乱軍と戦える状態には無い、その事も夫に和平を考えさせている。

「それは良い報せですわ、心強いですわね」
「そうだな。しかし問題が無いわけでもない。我々の友人は少数派のようだ、そして有力者ではあるが最高権力者と言う訳でもない……」
「……」

幾分苦笑を浮かべている。
「まあ我々も多数派というわけではない。お互い様というところだな」
「そうですわね、味方が無いというよりはずっとましですわ」
私の言葉に夫は“そうだな”と言って大声で笑いだした。大丈夫だ、私達はまだ笑うことが出来る。

「もう一つ、明るい材料が有る」
「と言いますと?」
私の問いかけに夫がニヤッと笑った。悪戯っ子のような笑みだ、余程良い事なのだろう。

「ヴァレンシュタインは和平派に繋がっているらしい」
「まあ、本当ですの」
私の言葉に夫が頷いた。ヴァレンシュタイン、あの男が和平派に繋がっている?帝国兵をあれだけ殺した彼が……。

「どうも同盟の和平派を動かしているのはあの男ではないかな。フェザーンの一件を考えるとそう思わざるを得んのだ」
夫がちょっと小首を傾げるようなそぶりを見せた。
「……地球教という共通の敵を作ったという事ですか?」
夫が頷いた、そしてコーヒーカップを口元に運ぶ。一口飲んでフッと息を吐いた。

「地球教の存在が分かった今、帝国と同盟が戦うのは愚かであろう。徐々に徐々にだがあの男は帝国と同盟が戦い辛い状況を作り出しているようだ」
「なるほど」
帝国を改革せざるを得ない状況に追い込んだのもあの男、そう考えるとあの男が和平派を動かしているというのは十分にあり得る。だとすると全てはあの男の……。

不意に凍えるほどの恐怖感に身体が包まれた。
「あの男が怖いか?」
「……」
驚いて夫に視線を向けると夫はじっと私を見ていた。労わるような、哀しむような切ない視線だ。

「今、震えていたな」
「……ええ、怖いと思いました。申し訳ありません、私は皇帝で怯えることなど許されない立場なのに」
夫が首を横に振った。

「お前を責めはせぬ、わしも怖いと思うのだ。我らだけではあるまい、敵も味方も皆あの男を恐れているだろう。まるであの男が怪物でもあるかのように……」
敵も味方も……、ヴァレンシュタインは辛くは無いのだろうか。私は夫が支えてくれていても辛いと思う。

「……ヴァレンシュタインは辛くはないのでしょうか?」
「辛かろうな、だがそれでもあの男は戦っている」
「……」
夫が一つ溜息を吐いた。深く、そして大きく……、そしてまた一口コーヒーを飲んだ。

「あの男は全てを帝国に奪われた。家族を、家を、名誉を……。多分、自分のような人間をこれ以上生み出さぬために戦っているのではないかな。自分のために戦うのではない、だから強い、だから哀れでもある……。罪深い事だ、我らの愚かさがあの男を怪物にしてしまった……」
「……」
夫の視線が何故哀しそうな色を湛えているのか、ようやく分かった。夫はヴァレンシュタインを哀れんでいる、そして自分を責めている……。夫が何かを振り払うかのように首を横に振った、

「あの男が和平派に繋がっているとなれば同盟の和平派は決して弱い存在ではない」
「はい」
「我らが改革を行えば和平への流れはより強まる……」
「明日ですね」
「そうだ、明日だ」
夫と私、互いの顔を見ている。どちらの視線が強いだろう……。

「レムシャイド伯には同盟側の感触を探れと命じてある。我らの動きに同盟にいる和平派はどう応えるか、主戦派はどう反応するか、見極めなければならん……」
「それと貴族達がどう反応するか……」
私の言葉に夫が頷いた。

「アマーリエ、場合によってはエリザベートを道具として使うことになるかもしれん。だがそうでなければ帝国も我らもエリザベートも生き残れぬ」
「分かっております。エリザベートもその事は分かっております」
「そうか……、辛い思いをさせるな」
夫が大きく息を吐いた。

おそらく貴族達は強硬に反対するだろう、私達の命にも危険が迫るかもしれない。しかし私達には怯える事も立ち止まる事も許されない。帝国を護り私達自身が生き残るためには今歩んでいる道を進まなければならないのだ……。夫にとって娘を道具として使う事は辛い事だろう。だがエリザベートは覚悟をしている、私達は前へ進むのだ、生き残るために、帝国を護るために……。



宇宙歴 795年 9月26日    第一特設艦隊旗艦  ハトホル  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



『では帝国は改革を行うというのかね』
「レムシャイド伯の言葉を信じれば、そう言う事になりますね。明日、帝国政府から発表が有るそうです」
俺がトリューニヒトの質問に答えるとシトレ、レベロ、ホアンの三人が唸り声を上げた。

そんなに驚く事かな? 十分想定できたことだろう。なんか不安になって来た、大丈夫だろうな、こいつら。
『まさか本当にこんな日が来るとは……』
レベロが呟くと残りの三人が頷いた。なるほど、考えてみればこいつらの人生は帝国との戦争が常態だった。和平を想定していても信じられない、そういう事か。分からないでもないな。

「それで、こちらは如何します」
「……」
スクリーンの四人が不得要領な表情をした。何を訊かれたかピンと来ない、そんな感じだ。四人がお互いに顔を見合わせている。端折りすぎたかな、それともこいつら、本当に分からないのか?

「帝国は同盟政府内部に和平を考えている人間が居ると知った。それに対して改革を行うという答えを返してきた。つまり自分達も和平を望んでいると答えてきたんです、それも公式に。さて、こちらは如何します」
俺の問いかけに四人が顔を顰めた。

『……改革を支持する、そう言えれば良いのだが……』
『しかし改革の詳しい内容も分からん状況ではそこまで踏み込めんだろう。第一、改革が上手く行くかどうかという問題も有る……』
『それに残念だが我々は政権の一閣僚に過ぎない。もっと早く政権を奪取するべきだったかな、機を逸したか……』

トリューニヒト、ホアン、レベロが悔やむような口調で呟いた。声を出さないシトレも渋い表情で頷いている。やれやれだな、こいつらは外交交渉が下手だ。いや、帝国が改革を行うと早々に言ってきたため冷静な判断が出来なくなっているのかもしれない。焦る必要は無いんだ。

「現時点で政権を奪取している必要は無いでしょう」
俺の言葉に皆が訝しげな表情をしている。
「外交交渉というのは野球と同じですよ。一回の表裏、二回の表裏、それぞれ得点を入れ合う。交渉はまだ始まったばかりです、改革の内容さえはっきりとは分からないんですよ、焦る必要は有りません」
四人がフムフムといった様子で頷いた。

「良い交渉というのは十対零で勝つ交渉ではありません、それでは負けた方は交渉そのものを打ち切ってしまいます。お互いに小刻みに得点をし十対十の引き分け、いやお互いに自分が十対九で勝ったと思える交渉こそが望ましいんです。その方が交渉によって解決しようという意識を長期にわたって持たせる事が出来ますし、結果的には得るものも多い」
『なるほど、その通りだな』
トリューニヒトが相槌を打つと他の三人もようやく表情から渋さが消えた。

『我々は焦り過ぎか……』
「私にはそう見えますね」
『では我々は何をすれば良いかな、ヴァレンシュタイン中将』
ようやく落ち着いてきたようだな。トリューニヒトの口調、表情には微かに笑いの成分が有る。喰えない男、復活か……、可愛くないな、落ち込んでる方がまだ可愛げがある。少し苛めてやるか。



宇宙歴 795年 9月27日    ハイネセン  最高評議会ビル    ジョアン・レベロ



最高評議会が開かれている会議室のスクリーンには帝国政府が発表した改革案を伝えるアナウンサーの姿が有った。改革の内容が一つ一つ発表されていく。
直接税、間接税の引き下げ、裁判制度の見直し……。そこから読み取れるのは貴族の権利の抑制と平民の権利の拡大だ。

「改革を行うというのか、帝国は」
副議長兼国務委員長のジョージ・ターレルが呟いた。声には信じられないと言った響きが有る。他のメンバーも困惑した様な表情をしている、ターレル同様帝国が改革を行うという事が信じられないのだろう。表情に変化が無いのはトリューニヒトとホアンぐらいのものだ。多分、私もそうだろう。彼らの気持ちが分からないでもない、我々も最初は信じられなかった、想定していても信じられなかったのだ。

「しかし税率の上限の数字など決まっていない事が多いが……」
「改革の実施は来年からだ、数字はそれまでに決めるのだろうな」
不安そうな表情で問い掛けたのはダスティ・ラウド地域社会開発委員長、答えたのはガイ・マクワイヤー天然資源委員長……。

「貴族達の反応が分からない所為だろう、踏み込めずにいるのだ」
皆がトリューニヒトに視線を向けた。その視線に応えるように言葉が続く。
「貴族達の多くがクロプシュトック侯の反乱鎮圧のためにオーディンを留守にしている。彼らがどう反応するかで数字は変わるだろうな」

「では場合によっては改革は形だけのものになる可能性もあると?」
「その可能性が有ると私は考えているよ、地域社会開発委員長」
「……」
ラウドが沈黙した、ラウドだけでは無い、皆が沈黙している。将来図が描けない、そんなところだろう。

「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は改革をしなければ帝国は持たない、一つ間違えば革命が起きるのではないかと危惧しているようだ。しかし大貴族達は自らの既得権益を制限されたくは無いと考えている、両者のせめぎ合いになるのではないかな、前途多難だ」
トリューニヒトの言葉に皆が顔を見合わせた。

「革命か……、君主制独裁政治が民衆の力で倒れる、悪い事ではないと思うが……」
シャルル・バラース情報交通委員長が皆に話しかけた。幾分頬を上気させている、多少興奮しているようだ。皆もバラースの言葉に頷いている、好い気なものだ。

「どうかな、問題が無いとは言えないと思うがね」
ホアンが興奮している連中を窘めた、連中が不満そうにホアンに視線を向けたがホアンは気にすることもなく言葉を続けた。
「革命で帝国が混乱すれば地球教は帝国領内で生き延びるかもしれない、違うかね」

バラース達が表情に困惑を浮かべた。こいつらも地球教は怖いらしい、或いは気味が悪いのか。
「それに革命が起きた後、民主共和制が誕生するという保証は何処にも無いだろう」
「それは……」
「フランス革命を考えてみたまえ、ジャコバン派による恐怖政治を経てナポレオンによる独裁政治に移った。ロシア革命も同様だ、一党独裁などという訳の分からん物を生み出した。それでも素直に喜べるかね、君達は」
「……」

ホアンの皮肉に満ちた言葉に皆が黙り込んだ。もっとも表情は必ずしも納得したものではない。不満は有るが反論できない、そんなところだろう。皆、革命が起きれば君主制独裁政治が倒れ民主共和政に移ると信じたいのだ。自由惑星同盟が勝ったと思いたいのに違いない。

「ならば我々の手で彼らを民主共和制へ導くべきではないかな。イゼルローン要塞を攻略し帝国辺境と直接接する事が出来るようになれば可能なはずだ。帝国の改革など待つ必要は無いだろう」
経済開発委員長エドワード・トレルの言葉に参加者の多くが頷いた。やれやれだな、誰かが言うとは思ったがお前だったか、この馬鹿トレル! 皆も頷くんじゃない! ウンザリするな、溜息が出そうだ……。

こいつらは何も分かっていない、自分に都合のよい夢ばかり見てそこに潜む危険性をなんら読み取ろうとしない。トリューニヒトの眉が微かに動くのが見えた。多分私と同じ思いだろう。議長のサンフォードは無表情に皆を見ている、どうやら様子見をしているようだ、やはりこの男に定見は無い……。

「国防委員長、イゼルローン要塞攻略を考えるべきではないかな。以前ヴァレンシュタイン中将が攻略作戦案を提示したと聞いている。実現性が高いそうじゃないか」
ボローンか、お前がその作戦案を持ち出すという事は何処かの主戦論者に焚き付けられたな。お前は警備をしっかりやれば良いんだ、余計な事は考えるな、この間抜け!

「その事は私も聞いている。トリューニヒト国防委員長はイゼルローン要塞攻略に消極的なようだがそろそろ方針を転換するべきだろう、時が来ていると私は考えるのだが」
時が来ているというターレルの言葉に何人かが強く頷いた。胸に響く良い言葉だ、この役立たずが! ターレル、お前もボローンの仲間か。お前のその口にマスタードを思いっきり塗りつけてやりたいよ、そうすれば少しは気が晴れるだろう。

皆の視線はトリューニヒトに向かっている。サンフォードも興味深げだ。出兵論が優勢と見たか。視線を向けられたトリューニヒトは幾分迷惑そうな表情をしている。狸め、なかなかの役者ぶりだな、トリューニヒト。上手くこいつらをあしらってくれよ。昨日、あれだけヴァレンシュタインと予習したのだからな。

「まず言っておきたい、私はイゼルローン要塞攻略には反対だ。余りにも危険が、不確定要因が多すぎると考えている。これは私だけでは無い、シトレ元帥、ヴァレンシュタイン中将も同意見だ。軍の方針は帝国軍を同盟領へ引きずり込んでの撃破という事に変化は無い」

トリューニヒトが周囲を見渡すと何人かが不安そうな表情を、残りは不満そうな表情を見せた。出だしは良好だな、最初に先制パンチだ。
「諸君には私の危惧する所を聞いてもらった方が良いだろう」
「……」

「まずヴァレンシュタイン中将の作戦案だが必ず成功するとは限らない。何の作戦も無く正面から攻めるよりは勝算が有る、その程度のものだ。過度の期待は危険だ」
トリューニヒトの言葉に皆が不満そうな表情をした、特にターレル、ボローンの渋面は酷い。ヴァレンシュタインの作戦案だからな、必ず勝つと期待していたのだろう。或いはそういう風に誰かに吹きこまれたか……。

「それにイゼルローン要塞を攻略すればブラウンシュバイク公達の政治的立場は弱体化する。彼らが行おうとしている改革は失敗するだろう」
「……」
トリューニヒトが周囲を見回したが誰も口を開こうとしない。意味が分かっているのだろうか……。

「帝国は今純粋に兵力が足りない。この状態でイゼルローン要塞が奪われればブラウンシュバイク公達は貴族の兵力を当てにせざるを得ない。つまり貴族達の発言力が強まり改革は骨抜きになるという事だ。我々は貴族達の応援をして改革を潰している様なものだな、帝国の平民は同盟を怨むだろう。この状況で革命が起きても彼らが民主共和制を選択するとは思えない」
トリューニヒトの言葉に皆が困惑した様な表情を見せた。“貴族達の応援をしている様なものだ”、“民主共和制を選択するとは思えない”が効いた様だ。

「イゼルローン要塞を攻略すれば帝国辺境と接する事になるが辺境は極めて貧しい。彼らが我々に近付くとすれば民主共和制の導入よりも経済面での援助を求めての事だろう。そして貴族達はそれを防ごうとする。戦争と経済援助、膨大な出費が発生するだろうな」

トリューニヒトが私を見た。御苦労さん、今度は私の番だな。もっとも周囲にはトリューニヒトが私の意見を聞きたがっている、そう見えるだろう。敢えてトリューニヒトを睨み据えた。
「冗談ではないぞ、国防委員長。そんな金は何処にもない! イゼルローン要塞攻略など論外だ!」

「国債を発行してはどうかね」
良い質問だな、バラース。ところでお前、国債が借金だと分かっているか? そののんびりした口調からはとてもそうは思えんが。
「現状でも一杯一杯だ。この上国債など発行してみろ、償還のためにさらなる増税が必要になる。同盟市民から怨嗟の声が上がるだろう。今でさえ市民には重い負担を強いているんだ。帝国よりも先に同盟で革命が起きるだろうよ! 我々は全員断頭台行きだ!」

つっけんどんに言い放つとバラースはバツが悪そうな表情を浮かべた。他の連中も似た様な表情だ。馬鹿どもが、金がないという現実を思い知れ。
「聞いての通りだ、出兵には軍事的、政治的、そして経済的に大きな危険が伴う。帝国も同盟も滅茶苦茶になるだろう、それでもやるかね」
「……」

トリューニヒトの発言に皆が顔を見合わせた。だが誰も発言しようとしない、サンフォード議長は表情を消している。また日和見か、だがそれが何時までも許されると思うな。
「皆、意見が無い様だ。ではサンフォード議長の御判断を仰ぎたい」
「私の?」

トリューニヒトがサンフォード議長に話を振ると議長は露骨に嫌な顔をした。
「サンフォード議長の御判断を仰ぐまでも無い、イゼルローン要塞攻略など論外だ!」
「明確に反対しているのは私と君だけだ。だから議長に国政の最高責任者として決断してもらおうと言っている」

トリューニヒトと私が睨みあった。一、二、三……。会議室の空気が緊張する。トリューニヒトがサンフォード議長に視線を向けた、私も議長に視線を向け彼を睨む。議長が憐れなほどに狼狽した。周囲に助けを求めるかのように視線を投げたが誰も答えようとはしない。さりげなく視線を外している。それを見て更に狼狽が酷くなった、しきりに汗を拭っている。

「二人とも落ち着いてはどうだね」
ホアンが声を発すると会議室にホッとしたような空気が流れた。議長も救われた様にホアンを見ている。正義の味方、参上だな。
「改革はまだ始まってもいないのだ、今決断する事は無いだろう」

「決断を先送りするというのかね、正しい選択とは思えないが」
私がホアンを咎めると彼は肩を竦めてみせた。内心では面白がっているだろう。
「先送りするわけじゃない、私もイゼルローン要塞攻略には反対だ。だが先ずは地球教への対応を優先するべきではないかね。あれを片付けるまでは帝国と事を構えるべきではないと思うんだ」
「……」
「優先順位は地球教対策の方が高いと言っている」

「ホアン委員長の言う通りだ。今は地球教対策を優先するべきだろう、帝国にどう対応するかはその後で良い、そのころには帝国の改革もどのようなものかはっきりするだろう、判断するのはそれからにしよう」
先送りその物だったがサンフォード議長の言葉に誰も反対はしなかった。

とりあえずこれで主戦派を押さえる事が出来るだろう。サンフォード議長の言質を取ったのだ。日和見で多数に乗る事が得意な議長は自分一人では決断できない、必ず誰かの意見に乗る。そして大きな責任を取らされる事を望まない。私とトリューニヒトが追い詰めた所でホアンが助け船を出す。予想通り、喰い付いてきた。

これで帝国に対して当分出兵は無いと伝える事が出来るだろう。同盟に居る和平派は最終決定権は持っていないが決して脆弱な存在では無い、それなりに力を持っている。そうアピールできるはずだ。次は帝国の番だな、どんなカードを切って来るか……。


 

 

第九十七話  休戦か和平か



帝国暦 486年 9月28日    オーディン 新無憂宮   オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「さて、彼らはどう反応するかな」
リッテンハイム侯が問いかけてきた。
「休戦は受け入れるだろうが和平となると渋るかもしれんな」
わしが応えるとリッテンハイム侯が“厄介だな”と言って頷いた。

わしも全く同感だ、厄介としか言いようがない。しかし帝国は現状では戦える状態にはない。そして改革は長期に亘るだろう、何時戦争になるか分からぬ自然休戦では無く和平条約を結んで改革を実施すべきだ。アマーリエもそれを望んでいる。

十分ほどすると帝国軍三長官、エーレンベルク、シュタインホフ、オフレッサーの三元帥が現れた。ソファーに座る事を勧め、飲み物を用意させた。三人とも少し緊張している。ここ(南苑)に呼ばれた理由が分からないのだろう。誰一人として用意したコーヒーを飲もうとしない。ややあってからエーレンベルクが問いかけてきた。

「お話が有るとのことでしたがここ(南苑)に呼ばれたという事は他聞を憚る内容、という事でしょうか」
低い声だ、視線も厳しい。エーレンベルクだけではない、シュタインホフ、オフレッサーも同様に厳しい視線を向けてきた。気圧されるような思いがした。

「その通りだ。ここで話したこと、他所で話す事は許さん」
「……」
わしの答えを聞いても三人は微動だにしない。ただ黙ってこちらを見ている。流石に軍のトップを占めるだけの事は有る、その辺の馬鹿貴族共とは胆力が違うようだ。

「陛下は御出でにはならぬのですかな」
ややあってシュタインホフが問い掛けてきたが
「我らに任せるとの仰せだ」
とリッテンハイム侯が答えると黙って頷いた。いずれ分かる、何故ここに居ないのか……、或いは卿らにとっては残酷な仕打ちになるかもしれぬ……。

「既に卿らも知っている事だがわしとリッテンハイム侯はレムシャイド伯を通して反乱軍の動きを探っている」
わしが三人に視線を向けると三人は黙って頷いた。
「こちらの改革の宣言に対して向こうがどう考えているか、レムシャイド伯から連絡が有った」

三人の視線が強まった。彼らにとっても改革の実施とそれに対する反乱軍の反応は気になるところだ。改革が実施されなければ兵達の士気は回復しない、軍の再建には改革が不可欠だ。そしてその期間、反乱軍がどう出てくるか……。出来る事なら戦争は避けたい、そう思っているはずだ。

「我らの改革を待つことなくイゼルローン要塞を攻略し帝国に損害を与え革命を起こさせるべきではないか、反乱軍主導の革命政権を樹立させるべきではないか、当初彼らの政府内部ではそういう意見が出たらしい」
「馬鹿な、何を考えているのか」
シュタインホフが吐き捨てた。眉間に皺が寄っている。他の二人も同様だ、不愉快の極み、そんなところか。

「心配は要らぬ、最終的に反乱軍は我々と協力して地球教対策を行う事を優先すると決定した。改革については当分見守る方針のようだ、不明な所が多すぎ現状では判断できない、そういう事だな」
三人が顔を見合わせた。

「見守るですか……、それは戦争になる可能性もあるという事ですか」
念を押すような口調だった。
「改革が不十分、或いは形だけのものだと彼らが判断すればそうなるだろうな、軍務尚書」

リッテンハイム侯が答えると軍務尚書、エーレンベルクが二度三度と頷く。それを見てリッテンハイム侯が笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「もう少し彼らの内情を教えよう。彼らの中には主戦論を唱える人間と非戦論を唱える人間が居るという事だ。主戦論者は革命を唱え非戦論者が地球教対策の優先を唱えた。今回は非戦論者の主張が通った」

「うーむ、非戦論者ですか」
エーレンベルクが唸りながら他の二人に視線を向けた。二人も意外そうな表情をしている。確かに意外だろう、現状では反乱軍が優位なのだ。非戦を考える人間が居ると言うのはちょっと信じられないに違いない。ここからが本番だ。リッテンハイム侯がわしを見た、腹に力を入れた。

「驚いたかな、だがもっと驚く事が有るぞ」
「……」
「トリューニヒト国防委員長とシトレ元帥は非戦論者だ」
「まさか……」
わしの言葉にエーレンベルクが呆然として呟いた。他の二人も眼を見開いてわしを見ている。無理もない、帝国で例えれば帝国軍三長官が非戦論者と言っているに等しい。可笑しかった、彼らの顔も、その皮肉さも可笑しかった。自然と笑っていた。わしだけでは無い、リッテンハイム侯もだ。

「彼ら非戦論者の力は決して弱くは無い、おそらくは他にも賛同者がいると見て良いだろう。そしてその一人がヴァレンシュタインだ」
「!」
三人が声も無くわしを見詰めている。誰かがごくりと喉を鳴らした。

「信じて宜しいのですか、罠という事は有りませんか」
太く低い声でオフレッサーが質してきた。他の二人も頷く。帝国に打撃を与え続けてきたヴァレンシュタインが非戦論者と言うのは俄かには信じがたいのだろう。

「その恐れが無いとは言わない、しかし可能性は低いと見ている。イゼルローンからフェザーンまでのあの男の動きをみると帝国と反乱軍が戦い辛い状況を少しずつ作りだしていると思う」
「我々もそれについては訝しく思っておりましたが……、信じてよろしいのですな?」
オフレッサーが念を押してきた。

「うむ、向こうからは形だけの改革にはするなと警告が来ている。罠ならそのような事は言うまい」
沈黙が落ちた。眼の前の三人に不満そうな表情は無い、ただ何かを考えている。悪い兆候ではない。一つ関門を突破したようだ、問題は次だな……。リッテンハイム侯と顔を見合わせた、侯が頷く。

「良く聞いて欲しい、わしとリッテンハイム侯はこの機会に反乱軍との間に和平を結ぼうと考えている。卿らはどう思うかな?」
眼の前の三人が顔を見合わせた。驚きは見せていない、つまりこの三人はこの問いを想定した事が有ると言う事か……。

「休戦ではなく和平を、と言うのですな」
確かめるかのように我らを交互に見ながらエーレンベルクが問いかけてきた。低く重い声だ、そして視線は厳しい……。
「そうだ、和平だ」
リッテンハイム侯が答えるとまた三人が顔を見合わせた。どうやら納得はしていない。

「改革の実施は急務だ、平民達の不満が爆発する前に、地球教をはじめとする反帝国勢力が彼らを煽る前に行わなくてはならん。そして損害を受けた宇宙艦隊の再建には時間がかかるだろう、短兵急に行えば平民達に負担をかける事になる。それでは意味が無い。先ずは改革を優先し宇宙艦隊の再建は焦らずに行うべきだと思うのだ。どうかな?」
「……」

三人ともわしの問いかけに応えようとしない、もうひと押しが必要か……。
「そのためには帝国は反乱軍との間に和平を結ぶべきだと思うのだが」
エーレンベルクが太い息を吐いた。そして自分の考えを纏めるかのようにゆっくりと話し出した。

「……確かに宇宙艦隊の再建は平民への負担を無視して行っても五年はかかるでしょう。改革を行いながら、平民への負担を軽減しながら行うとなれば十年、事によっては十五年はかかるかもしれません」
エーレンベルクの口調は苦渋に満ちている。現実の厳しさがそうさせているのだろう。

「……しかし和平ですか、休戦ではなく……」
「マクシミリアン・ヨーゼフII世陛下の御代も現在と似ていると言えるでしょう。あの折は和平を結ぶ事無く改革を実施する事で帝国の再建を果たしました。今回もそれでいけると思うのですが……」

エーレンベルク、シュタインホフが休戦を推してきた。オフレッサーは無言だ、やはり彼も和平には消極的なようだ。分からないでは無い、これまで反乱軍として扱い戦ってきた相手なのだ。和平を結ぶとなれば対等の相手として認める事になる。納得がいかない、何故そこまで、そんな気持ちが有るのだろう。

自然休戦、そして向こうが攻めてくればイゼルローン要塞で防衛戦を行う、それで十分対処出来るのではないか……。そう思っているに違いない……。溜息が出た、それでは駄目なのだ、それでは戦争を防げない……。気が付けば首を横に振っていた。

「あの時とは情勢が違う。当時の反乱軍はダゴン星域で勝ったとはいえ帝国に侵攻するほどの力は無かった。だから帝国は反乱軍を気にすることなく改革に専念できたのだ。だが今は違う、反乱軍は十三個艦隊からなる宇宙艦隊を保持している」
「……」
三人が苦いものを呑み込んだような表情をした。

「それに、これからの帝国は長期にわたって女帝が統治する状態が続く。アマーリエ、クリスティーネ、エリザベート、ザビーネ……。彼女達は愚かではないが政治的手腕に優れているとは言えない。その事は彼女達が自ら認識している。戦争の危機が迫った時、交渉によってそれを避ける自信が無いのだ。そしてなし崩しに戦火が拡大し改革が中途半端に終わるのを怖れている……」
呻き声が聞こえた。一人では無い、三人。

帝国の抱える弱点だ。強い皇帝を持てない、そして弱い皇帝を支えて行かざるを得ない……。今はまだ良い、わしが居てリッテンハイム侯が居る。反乱軍にも和平を望む者達が居る、しかもその力は決して弱くない。戦争を避ける事は十分に可能だ。

しかし五年後、十年後はどうか……。我らは生きておらず反乱軍の和平派も存在しているかどうか分からないという事も有り得る。その時、アマーリエ達に交渉によって戦争を避ける事が出来るだろうか? 極めて難しいと言わざるを得ないのだ。

戦火が拡大すれば改革は中断しかねない。解消されかけた平民達の不満はまた帝国中に鬱積していくだろう、そして何時か爆発する。それを防ぐには和平を結び、和平によって得られる利益を、繁栄と安定という利益を帝国と反乱軍、いや自由惑星同盟に示し続けなければならないだろう。

故ヴェストパーレ男爵は正しかった。ヴァレンシュタイン程の男が帝国に居れば、あの男が政府閣僚に居れば何の心配も無かった。エリザベートの配偶者に迎え、帝国の全てを委ねる事が出来ただろう。弱い皇帝を心身共に支える有能で誠実な廷臣を得る事が出来たはずだった、全てが帝国にとって裏目に出た……。

「貴族達は反対するだろう、だがあの連中は反乱軍にぶつける事で始末する。その上で連中の領地を帝国政府の直轄領とし直接支配する。政府の力が強くなれば残った貴族達も改革に反対は出来んだろう。反対するようなら容赦なく潰す」
「……しかし……」

「エーレンベルク元帥、改革に反対する貴族は排除する、そうでなければ帝国は再生できんのだ」
何かを言いかけたエーレンベルクはわしに遮られて押し黙った。シュタインホフ、オフレッサーも黙っている。

「陛下の御意志は和平に有る。本来なら卿らには勅命として命じれば済む話だ。だが陛下は卿らに説明したうえで判断させよと仰せられた。長年戦ってきた相手と簡単には和平は結べまい、和平に反対なら辞職せよ、不満には思わぬと……」
「それは……」
エーレンベルクの顔が歪んだ。他の二人も顔を歪めている。

「自分の前では反対できまい、それゆえ我らに確認せよとの仰せだ。如何する?」
辛かろうな、命じられた方が楽なのだ。だが自分が弱い故に無理を強いる、嫌々協力はさせたくない、それがアマーリエの意思だった……。

エーレンベルクが何かを言いかけ口を噤んだ。そして他の二人に視線を向けた。
「……私は陛下の御意志に従う事に決めた、反乱軍、いや自由惑星同盟と和を結ぶ……」
二人が黙って頷く。それを見てエーレンベルクがこちらに視線を向けた。
「軍は陛下の御意志に従うとお伝えください」
「分かった、そのように伝えよう……」

三人が退出した後、わしとリッテンハイム侯はソファーに並んで座っていた。軍の協力が得られる事の安堵感、そして一仕事終えた後の疲労感が身体を包む……。結局誰一人としてコーヒーを飲まなかった。そんな余裕は誰にもなかった……、やれやれだな。これからもこんな緊張が続くのか……。

「取り敢えず一つ終わった。次は貴族達だな、公」
「そうなるな、クロプシュトック侯の反乱の鎮圧は時間の問題だそうだ。連中、もうすぐ戻って来るだろう」
お互い顔は合わせない、正面を向いたままだ。

「連中を反乱軍にぶつけるか……」
「説得は無理、押さえつける事も難しい、となれば死地に送って潰すほかは有るまい」
「……どのくらい死ぬかな?」
「さあ、見当もつかんな」

どれほどの人間が死ぬのか……。五百万か、或いは一千万を超えるのか……。帝国五百年の負の遺産、何とも重いものだ。そしてそれを行おうとする我らの罪深さ……。多くの人間が我らを責めるだろう。言い訳はするまい、する事に意味があるとも思えん。罪は誰よりも自分が分かっている。

「フレーゲル男爵はどうされる、オーディンに留めるのか」
「いや、あれも送り出す。そうでなければ皆が不審に思うだろう」
リッテンハイム侯がこちらに視線を向けた。
「そうか……。辛い事だな、公」
「……」

可愛がった甥ではある。だが私情は挟めぬ。あれの性質では必ず出撃を望むだろう。望み通り死地に送る、フレーゲルよ、死んで帝国再生のために肥やしとなれ……。おそらくお前は死の間際になってわしを恨むだろう。だがわしは許しは請わぬ、お前のために涙も流さぬ。恨むがよい……。

「最近リヒテンラーデ侯の事をしきりに思い出すようになった」
「……」
「生きている時は何とも目障りな老人だったが苦労していたのだろうな、我らを抑えてよく帝国を纏めていたものだ」
リッテンハイム侯に視線を向けた。侯は正面を向いて懐かしそうな表情をしている。見てはいけないものを見た様な気がした。正面に視線を戻した。

「……生きていれば、そう思うのかな、リッテンハイム侯」
「うむ」
「そうか……、死ぬなよ、侯。わしはそんな風に侯を思い出したくはない」
「……公も死ぬなよ、懐かしむのは一人で十分だ」
アマーリエに軍の事を報告しなければならんな。しかし、もう少しこうしていよう。何時か、二人でこの日の事を話せるはずだ、互いに苦笑を浮かべながら……。


 

 

第九十八話  汚染


宇宙暦 795年 10月 1日    ハイネセン  統合作戦本部  ジョアン・レベロ



朝八時に統合作戦本部の本部長室に四人が集まった。トリューニヒト、ホアン、私、シトレ。
「どうしたのだ、シトレ、こんな早くに呼び出して」
「ヴァレンシュタインが話したい事が有るそうだ。君達を呼んでくれと言われた」
まあ、そんな事だとは思った。ホアンに視線を向けると彼が肩を竦めた、そして“嫌な予感がする”と言った。同感だ。

シトレが通信を始めた、直ぐに繋がってスクリーンにヴァレンシュタインの顔が映った。
『お早うございます、朝早くに済みません』
「いや、急ぎの用事なのだろう、何かね?」
『アドリアン・ルビンスキーですが、彼の身柄はどうなりますか?』
ヴァレンシュタインのシトレの遣り取りに皆が顔を見合わせた。どうなる? トリューニヒトが答えた。

「どういう意味かな、彼の処罰という意味か?」
『いや、そうでは有りません。彼の身柄を何処が預かるかですが……』
また四人で顔を見合わせた、考えた事も無かったな。
「この場合、軍で良いのかな?」
「いや、相手は自治領主だったんだ、政府の方が良いんじゃないか?」
トリューニヒトとホアンが話しているとヴァレンシュタインが“未だ決まっていないのですね”と言った。

「決まってはいない、それがどうかしたかね?」
私が問い掛けると
『ルビンスキーの身柄は地球教対策の一環として軍が預かるとして下さい』
と答えた。強い口調だ、何か有るらしい。

「何か有るのかね? 政府預かりでは不都合が」
問い掛けるとヴァレンシュタインが頷いた。
『有ります。ルビンスキーは政府預かりになれば命が危ういと怯えています』
物騒な話だ、また皆で顔を見合わせた。

『彼の話では最高評議会にはフェザーンの金が流れているそうです。それを知られることを恐れる人間がルビンスキーを殺そうとするでしょう』
「馬鹿な! 冗談だろう!」
ホアンが叫んだ。だがヴァレンシュタインは首を横に振った。
『冗談ではありません、ルビンスキーは政府に引き渡さないでくれと言っているんです。今彼が一番信じているのは他でもない、私ですよ』

また皆で顔を見合わせた。今日何度目だろう?
「一体誰だ、金を受け取っているのは?」
トリューニヒトが問い掛けるとヴァレンシュタインは“驚きますよ”と笑った。嫌な予感がした、こいつが笑うと碌な事が無い。
『窓口は情報交通委員長シャルル・バラース、受取人は最高評議会議長ロイヤル・サンフォード』
「!」

声が出なかった、皆凍り付いたように固まっている。
『ルビンスキーが押さえていたのはそこまでです。サンフォード議長が誰に金を送ったかは分かりません。しかしサンフォード政権の誕生から今まで、政権を安定させてきた一つの要因がフェザーンからの資金援助なのでしょう。彼はそれを使って味方を増やしたんです』

「馬鹿な! 冗談だろう! 最高評議会議長がフェザーンの飼犬だというのか、高等弁務官じゃないんだぞ、最高評議会議長だ!」
ホアンが吐き捨てた。事実なら同盟政府はフェザーンのコントロール下に有ったという事になる。ホアンの身体が震えている、怒りか、それとも恐怖か。

「可能性は有るな……」
シトレが低い声で呟いた。そして驚く皆を見ながら言葉を続けた。
「地球教の事を知った時の評議会の事を覚えているか? サンフォード議長はルビンスキーをフェザーンに戻せと言っただろう」
「なるほど、あれか、……皆呆れていたな」
トリューニヒトが頷いた。確かにあれが有った……。

「こう言ってはなんだが議長の政治家としての能力に対する評価は決して高くない。最高評議会議長に選ばれたのもなり手がいなかったからから消去法で選ばれた、いやむしろ偶然と言われていたくらいだ。もしかすると代議員に金を送って票を買い取ったのかもしれん。その方が納得がいく……」
シトレの言葉に皆が顔を見合わせるとホアンが“世も末だな”とぼやいた。

「ヴァレンシュタイン中将の言うようにサンフォード議長から金が流れていた、それが政権安定の一因だとすると厄介だな、フェザーンの毒が何処まで回っているか……」
「いや、レベロ、貰った方はフェザーンからとは思っていないだろう、議長からだと思ったはずだ」
「なるほど、多少は気休めになるな」
私の答えにトリューニヒトが苦笑を浮かべた。

『フェザーンからの資金提供はフェザーン自治領主府が所有するダミー会社、複数を使って行われているようです』
「ダミー会社? 会社名は分かるかね」
私が問い掛けるとヴァレンシュタインが首を横に振った。
『実務は補佐官がやっていたようで全ては把握していないそうです。ただフレディロジスティクス、アランコーポレーションは間違いないと言っています。使っている銀行はクレイトン銀行だとか』

ヴァレンシュタインの言葉に皆が顔を見合わせた。
「どうやら本当の様だな」
「確認をする必要は有るだろう、レベロ、出来るか?」
「財政委員会を甘く見ないで欲しいな、ホアン。企業名と使用銀行が分かっているなら難しくは無い、やってみよう」
私が答えると皆が頷いた。

「ルビンスキーの身柄は軍で預かろう。シトレ元帥、そちらでお願いできるかな」
「国防委員会では無く?」
「こっちには金を受け取った人間が居るかもしれない、信用出来んよ。こうなると誰が味方なのかさっぱりだ」
トリューニヒトとシトレの遣り取りにヴァレンシュタインが“世も末ですね”と笑った。ホアンは嘆いたがこの根性悪は笑っている、とんでもない奴だ。溜息が出た。

「いっそ君の船で身柄を預かるというのはどうかね、その方が安全なような気がするが……」
『ハトホルでですか? まあ私は構いませんが他が納得するでしょうか? ルビンスキーを調べたがる人間は多いと思うんですが』
シトレが顔を顰めた。
「まあ君が戻るまで時間は有る。その間に考えよう」

「それよりこれはサンフォードを引き摺り下ろして政権を取るチャンスだと思うが……」
私が提示すると皆が無言で互いの顔を見合った。
「確かにそうだが受取人はバラースだ。サンフォードまで辿り付けるかな」
「ルビンスキーの証言だけではな、難しいかもしれん。バラースが吐けばいいが……、他にも証拠がいるだろう」
なるほど、トリューニヒト、ホアンの言う通りかもしれん。今一つ何かが要る。

「もう一つ問題が有るぞ、レベロ。サンフォードを引き摺り下ろしたとしてその後どうやって政権を取るかだ」
シトレの指摘に皆が顔を見合わせた。
「……暫定政権だな、取り敢えずは。評議会内での支持を取り付け最終的には同盟議会で承認を得る」

「君の考えだと多数派工作が要るな、トリューニヒト」
『そういう事になりますね。評議会は十一人、二人外れますから九人です。過半数を取るには最低でもあと二人の支持は要る。誰を取り込むか……』
私とヴァレンシュタインの指摘に皆が沈黙した。

副議長兼国務委員長ジョージ・ターレル、書記トーマス・リウ、地域社会開発委員長ダスティ・ラウド、天然資源委員長ガイ・マクワイヤー、法秩序委員長ライアン・ボローン、経済開発委員長エドワード・トレル、この六人の内二人を取り込まなくてはならない。

「ターレルとボローンは難しいだろう。トリューニヒトに強い敵対心を持っている。選ぶのなら他の四人だな」
「四人の内二人か、厳しいな。しかも頼りになるとも思えん連中だ。やる気が失せるよ」
ホアンと私の会話に皆が失笑した。シトレが“口の悪い奴だ”と言うから“悪い連中とばかり付き合ったせいだ”と言い返した。ヴァレンシュタイン、心当たりが有るだろう。

『いっそ面倒な二人を取り込んでは如何です?』
「正気か、ヴァレンシュタイン」
『正気ですよ、レベロ委員長。厄介な二人を取り込めば後の四人は済し崩しに味方に付く、そうじゃありませんか。後々の政権運営も楽です』
皆で顔を見合わせた。なるほど、流石に悪い奴だ、碌でもない事ばかり考え付く。トリューニヒトが笑い出した。

「面白い考えだ、やってみる価値は有るな」
「勝算が有るのか、トリューニヒト」
私が問い掛けるとトリューニヒトが頷いた。
「ターレルはともかくボローンは可能性が有る。フェザーンから金が流れていた事が事実ならこいつは警察が動くのが筋だ。それを利用して取引できるかもしれない」

なるほど、奴の面子を立ててやろうというわけだ。元々は面子を潰された事がトリューニヒトへの反発の一因になっている。そこを解消するか……。可能性は有るな、ならばこちらも早急に調べなければ……。一気に事態が動くかもしれない……。



帝国暦 486年 10月 10日    オーディン 新無憂宮  オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「伯父上、何故あのような改革案など発表したのです! 改革など必要ありません!」
「……」
「伯父上!」
「……」
フレーゲルが顔を真っ赤にしている。無視される事に慣れていないせいだろう、貴族として我儘一杯に育ってしまった。本来ならこれから忍耐を、時に退く事を教えなければならないのだが……。

「伯父上! 税の徴収は我ら貴族に与えられた特権、ルドルフ大帝が下された権利なのです。それに制限を加えるなど……」
口惜しそうに顔を歪めている。その通りだ、フレーゲル。税の徴収はルドルフ大帝が下された特権だ。

だが帝国はそのルドルフ大帝の作った制度を捨てなければ生き残れぬのだ。お前は貴族の権利は知っている様だが帝国の現状は分からぬらしい。お前に世の中を見る目を与えなかったわしの所為だな。或いはお前自身がそれを持とうとしなかったのか……、哀れな奴……。

「改革を行う事は既に勅令として発表した事だ。取り消しは無い」
「伯父上!」
「取り消しは無いのだ! フレーゲル」
反駁しようとするフレーゲルの口を封じた。悔しいか、フレーゲル。怒れ、もっと怒るのだ、フレーゲル、まだまだ足りぬ。

「帝国軍はここ近年の敗戦で大きな損害を受けた。おまけに例のカストロプの一件で士気の低下が酷い、到底使い物にならん。帝国の武威は衰えたのだ。そして平民達は政府に大きな不満を持っている。軍が使い物にならん以上、国内を安定させる事も同盟に対しても攻勢に出る事も出来ん」
「ですが……」
言葉を続けようとするフレーゲルに手を振って黙らせた。

「おまけに地球教などと言う訳の分からぬ物まで飛び出してきた。現状では自由惑星同盟と協力する事で安全保障を確立し改革によって国内を安定させる。それによって帝国を再建するしかないのだ」
分かったか、そう言うようにフレーゲルを見据えた。フレーゲルが顔を悔しそうに歪めた。

「そんな必要は有りません! 我ら貴族がいます! 反乱軍と協力など、阿る事など有りません!」
「何が出来るのだ、貴族に」
嘲笑した。フレーゲルが一歩近付いた。身振り手振りで訴えてくるつもりだろう。昔から芝居がかった事が好きな奴だった。
「我らが反乱軍を打ち破ります。帝国の武威は我ら貴族が輝かせて見せましょう。さすれば改革など必要ない! 伯父上!」

「本気か? お前達がクロプシュトック侯の反乱鎮圧にどれだけの時間をかけたのだ。あの無様さで同盟と戦うとだと? 向こうにはヴァレンシュタインが居るのだぞ、一千万の兵を殺した男が居るのだ、分かっているのか? お前などあっという間に捻り潰してしまうだろう、話にならんな」
想定内の答えだったが敢えて呆れた様な声を出した。フレーゲルの顔が屈辱に歪んだ。

「あれは本気では無かったのです。本気ならもっと早く片付けられました!」
「だから戦わせろというのか? 今度は本気を出すと?」
「そうです!」
「当てになるとは思えんな、相手は戦争の専門家でさえ恐れる男だ。素人のお前達に勝てるものか、命を落とすだけだ、止めておけ」

「勝てます! 我らが本気になれば、勝てます!」
「……」
「勝てるのです! 伯父上!」
またフレーゲルが一歩近付いた。
「……勝てるのか? 本当に?」
「勝てます!」
希望が見えたか、眼が輝いている。甘いぞ、フレーゲル、だからお前は駄目なのだ。

「同盟は十万以上の兵力を動かす、お前にそれだけの仲間を集められるのか?」
「……それは……」
「なら無理だな、軍は一兵たりとも動かせん」
「伯父上!」
口惜しそうな表情だ。

「……目覚ましい武勲を上げ、ヴァレンシュタインを殺したならエリザベートの婿に考えても良い」
「おお、伯父上!」
「但し、失敗は許さん。それだけは覚えておけ!」
「必ずや、ヴァレンシュタインを!」
「うむ、期待している」
昂揚したフレーゲルの顔を見ると少しだけ胸が痛んだ……。

弾むような足取りでフレーゲルがわしの執務室を出て行くと入れ替わる様にリッテンハイム侯が入って来た。沈痛な表情をしている。
「今フレーゲル男爵に会った」
「そうか」
「エリザベートの事、聞いた」
「そうか」

少しの間沈黙が有った。
「公に力添えしてもらったと大分喜んでいたのでな、武勲第二位の男はサビーネの婿にすると励ましてやった」
「……そうか」
「……公だけに背負わせはせんよ」
「……済まぬな、リッテンハイム侯」
リッテンハイム侯が気にするなというように首を横に振った。

「今夜、久しぶりにどうかな? これは」
リッテンハイム侯がグラスを干す仕草をした。
「そうだな、久しぶりに飲むか」
「では決まりだ、酒は私が用意する」
「楽しみだな、つまみはわしが用意しよう」
楽しい会話だ、久しぶりに酒が飲める。それなのにリッテンハイム侯は哀しそうな顔をしていた……。



 

 

第九十九話  終焉の地




帝国暦 486年 10月13日    第一特設艦隊旗艦 ハトホル     ヨッフェン・フォン・レムシャイド



「では貴族連合軍を編成すると?」
『うむ、そちらに送りだす』
ブラウンシュバイク公が頷いた。
「しかしそれは……」
『そういう形で淘汰するしかない。そう考えている』
私が黙り込むとブラウンシュバイク公が言葉を続けた。

『改革は急務だ、そして反対する貴族達は多すぎる、しかも軍は再建途上で使う事は出来ぬ。それらを考えれば貴族達はそちらに送りだして始末してもらうほかないという結論になる、そうであろう』
「……」
その通りだ、言葉が出ない。

ブラウンシュバイク公の言う事は分かる。現状を考えればそれしかないだろう。改革を行うには力が要る、しかし軍が再建途上で有る以上、政府には十分な力が無いのだ。となれば帝国政府に代わって誰かに貴族達を始末してもらうしかない、それが自由惑星同盟軍というわけだ……。

部屋の空気がのしかかるかのように重くなった。第一特設艦隊旗艦ハトホルに用意された私の部屋。VIP用の部屋なのだという、机やテーブルの他にソファーも有る。今この部屋には私の他には誰も居ない、スクリーンに映るブラウンシュバイク公が居るだけだ。にもかかわらず何故こんなにも空気が重いのか……。

「兵力はどの程度になるのでしょう?」
『参加者は結構な数になるようだ。十万隻は超えるだろうな、十五万隻に達するかもしれん。何と言っても武勲を上げればエリザベート、サビーネの婿になれるかもしれんと貴族達は張り切っている。慾の皮の突っ張った奴らだ、そうは思わんか?』
「なんと、御息女を餌、いや利用されるのですか?」
『餌にするくらいしか役に立たん』

そっけない、そして露骨すぎる言い方だ。
「総司令官はどなたに?」
『さて誰になるかな、ブルクハウゼン侯爵かジンデフィンゲン伯爵か……。まあ誰でも良いな』
気の無い返事だった。ブラウンシュバイク公にとっては誰が率いるかはどうでもよい事なのだろう。

『いずれ出兵の詳細が決まれば連絡する。だがその前にトリューニヒト国防委員長達にこちらの考えを伝えて欲しい』
「邪魔だから潰して欲しいと?」
『そうだ。それと和平を諦めないで欲しいと』
「いささか虫が良すぎますな」
私の返答にブラウンシュバイク公が憮然とした。

『分かっている、そこを頼む』
「……」
『あの連中が居たのでは改革も和平も進まぬのだ。同盟の和平派にとっても邪魔な筈だ』
「……確かにそれは有るかもしれません。なんとか交渉して見ます」
『うむ、頼む』
通信が切れた途端溜息が出た。さてどうする? 厄介な問題だ、先ずはヴァレンシュタインと話すべきか……。


部屋にヴァレンシュタインを呼ぶと五分ほどでミハマ中佐とともに現れた。ヴァレンシュタインは何時も通りの平静な表情だがミハマ中佐は多少緊張している。
「済まぬな、忙しいであろうに呼び立ててしまった。だが艦橋では話せぬ事なのでな、こちらへ」
ソファーに座る事を進めると
「いえ、構いませんよ。後四日ほどでハイネセンに着きます。私が艦橋に四六時中張り付く必要性は有りません」
と答えながら座った。

「実は今ブラウンシュバイク公と話していたのだが帝国では厄介な事になっているようだ」
「厄介ですか」
ミハマ中佐の表情が曇ったがヴァレンシュタインの表情は少しも変わらない。なんとも可愛げがないというか遣り辛いというか……。

「貴族達が軍事行動を起こそうとしているらしい」
「内乱ですか?」
「いや、同盟に攻め込もうとしているようだ。勝利を得る事によって武威を振りかざし改革を廃止させようとしている。不満を抱く平民達を戦果によって威圧しようとしているようだ」

ミハマ中佐が驚いている。そんな彼女を見てヴァレンシュタインが楽しそうに笑い出した。
「中佐、騙されてはいけません。貴族達が、なんて言っていますがそういう風にし向けたんです。そうでしょう、レムシャイド伯」
ミハマ中佐が益々驚いて私とヴァレンシュタインの顔を交互に見た。ヴァレンシュタインは笑うのを止めない。

「今の帝国軍は再建途上ですからね、邪魔な貴族は私達に殺させる事で無力化しようとしている。まあ強かというか非情というか、ブラウンシュバイク公もやりますね、リヒテンラーデ侯に負けてはいません」
「……その辺にしてくれんか」
「お気に障りましたか、でも褒めているんですよ」
げんなりした。ミハマ中佐が溜息を吐いた。

「そちらの本心を言えば帝国としては邪魔な貴族達を同盟に始末して貰いたい、そういう事ですね?」
ヴァレンシュタインが念を押してきた。ニコニコしている。
「まあ、そうだ」
「ハイネセンに連絡しては如何です?」

「卿はどう思うのだ?」
「基本的に賛成ですよ、説得には協力します」
とりあえず第一関門は突破か、良い兆候なのだろうか、そう思いつつハイネセンのトリューニヒト国防委員長に連絡を取った。

『何用ですかな、レムシャイド伯爵。ヴァレンシュタイン中将、君もか。ん、そちらに居る女性は?』
「ミハマ中佐、私の副官です」
ミハマ中佐が頭を下げるとトリューニヒト国防委員長が頷いた。特に驚いた様な表情は無い、彼もミハマ中佐の事は知っているようだ。

『それで?』
ヴァレンシュタインは何も言わない、帝国政府の案件だ、私から言えという事だろう。今度は言葉を飾らずに話す事にした。
「実は貴族達が同盟に向けて出兵します。兵力は十万隻を超え十五万隻に近いと思います。政府がそういう風にし向けました。彼らは和平を結ぶにも改革を行うにも邪魔です。その始末を同盟軍にお願いしたい、ブラウンシュバイク公はそのように考えています。本来なら帝国軍が行うべき事です。しかし残念ですが帝国軍にはその力が無いのです」

トリューニヒト国防委員長が息を吐いた。
『随分と虫の良い依頼ですな。和平を結びたければ連中を始末しろ、そう仰るのですか』
「虫の良い願いだというのは分かっております。しかしくどいようですが我々が和平を結びこの宇宙から戦争を無くすには彼らの存在は邪魔です。帝国はルドルフ大帝の負の遺産を切り捨てたい、そう考えているのです」
トリューニヒト国防委員長が唸り声を上げた。

『しかし貴族達が攻めてくれば主戦派を勢い付かせる事になりかねん。……ヴァレンシュタイン中将、君はどう思うかね?』
「例のレベロ財政委員長が請け負った調査依頼ですが結果は如何なのでしょう?」
『あれか、事実だったようだな』
はて? と思った。二人とも私には分からない話をしている。ミハマ中佐も不思議そうな表情だ。いやトリューニヒト国防委員長も訝しげな表情をしている。ここで問われるのは想定外だったか。

「となると、後は送り主と本当の受取人の繋がりを暴くだけだと思いますが……」
『それはそうだが……、何を言いたいのかね?』
「貴族達にはフェザーン回廊経由で同盟に攻め込ませてはどうかと思うのです……」
『フェザーン経由で? ……なるほど、そういう事か……』
トリューニヒト国防委員長が唸り声を上げている。

「帝国も同盟も全部纏めて邪魔な連中を潰しましょう。一気に仕上げにかかるべきですよ」
『……分かった、他の連中にも話してみよう。レムシャイド伯、我々の正式回答にはもう少し時間を頂きたい』

「分かりました、ところで今の話だと攻め口はフェザーン回廊の方が宜しいのかな?」
『多分、そうなるでしょうがそれも含めて回答します』
「分かりました、良い返事をお待ちしておりますぞ」
トリューニヒト国防委員長が頷いた。

『ヴァレンシュタイン中将、済まないが後で連絡する』
「分かりました、お待ちしています」
通信が切れてスクリーンが真っ暗になった。ヴァレンシュタインに視線を向けると彼が肩を竦めた。

「ま、なんとかなりますよ」
「そのようだな」
「但し、始末料は頂きますよ、レムシャイド伯」
含み笑いをしている。嫌な予感がした。
「あまり高額にはしないでくれ」
ヴァレンシュタインが声を上げて笑い出した。

「けちけちしないでください。貴族達を始末すればその財産だけで帝国の財政は改善します。平民達の鬱憤も解消する、帝国の抱える問題の半分くらいは解決したも同然ですよ、そうでしょう?」
「……まあそうかもしれん」
「おまけに自分の手は汚さない」
「……」
溜息が出た、私だけじゃない、ミハマ中佐もだ。悪魔と取引するのはこんな感じかもしれない……。



宇宙歴 795年 10月13日    第一特設艦隊旗艦 ハトホル     エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



レムシャイド伯に呼ばれた三時間後、俺は自室でトリューニヒト、レベロ、ホアンの悪徳政治家、それプラス嘘吐き軍人のシトレと話し合っていた。俺は性格的にこいつらと仲が良いわけではないんだが、仕事だからな。宇宙の平和のためにやむなく悪党共と協力している。

『トリューニヒトから話しは聞いた。貴族達をフェザーンに攻め込ませる事でボルテックをサンフォード議長に泣き付かせようという事か……』
「まあそんなところです」
俺の言葉にレベロがウーンと声を上げた。

『上手く行くかな、皆心配しているのだ。一つ間違うと主戦派を勢いづかせるだけだろう』
今度はホアンだ。
「上手く行かせるんです。向こうは本気ですよ、一千万人以上切り捨てる覚悟をしています。虫のいい願いかもしれませんが何処かであの連中は無力化しなければならないのも事実なんです。同盟領に攻め込んでくれるのなら大助かりですよ」
皆渋い顔だ。ノリの悪い奴は嫌われるぞ。

「貴族達が同盟に攻め込もうとしていると同盟側に正式に伝わった時点で最高評議会で同盟領内で迎撃すると宣言してください。その上で貴族達をフェザーンに攻め込ませるんです。サンフォード議長はなんとかフェザーンを救おうとするでしょうが兵の運用は軍に一任という事で突っぱねてください」
『……』

「ボルテックはサンフォード議長が当てにならないとなればトリューニヒト国防委員長に接触する筈です。何とか助けてくれと泣きついて来る。そこでボルテックにサンフォード議長を切らせるんです。助けて欲しければサンフォード失脚の材料を提供しろと言うのですよ。それを利用してサンフォード議長を失脚させる、そして政権を取る!」
四人が唸っている。“なるほど”、“上手く行くかも”等と言っている。

『実際には貴族達がフェザーンに攻め込む前に帝国領へ踏み込んでの迎撃戦という事かね?』
「いえ、フェザーンは一度貴族達に占領させます」
シトレと俺の遣り取りに他の三人が、いやシトレを含めて四人が驚いた様な表情を見せた。

『正気かね、君は』
レベロが俺を非難した。
「正気です、その方が勝ち易いですからね」
『しかし』
言い募ろうとするレベロを遮った。

「レベロ委員長、貴族連合なんて烏合の衆ですよ、軍規なんて欠片も有りません。フェザーンを占領したら連中遣りたい放題でしょうね。略奪、暴行、殺人、破壊、フェザーンは無法地帯になります。フェザーン人は大勢死ぬでしょうが心配はいりません。来年はそれを補う子供が沢山生まれます、父親は不明ですが」

四人の顔が引き攣っている。
「もしかするとフェザーンでは貴族達とフェザーン人の間で抗争が起きるかもしれません。結構ですね、大いに結構です。こちらは連中に気付かれる事無く近付く事が出来ますしフェザーンには我々は解放軍だと宣伝出来ます。歓迎されるでしょう、真実を知るまでは」

『君は、正気かね』
声が震えていた。その言葉は二度目だぞ、レベロ。
「正気です、一度フェザーンを根本から叩き潰さなければなりません。何故なら今のフェザーンは地球教が創ったフェザーンだからです」
『……』

「帝国を見れば分かるでしょう、彼らはルドルフの負の遺産を切り捨てようとしている。一千万人以上殺す事で新しい帝国を創ろうとしているんです。それがどれほど苦しくて痛みを伴う事か……。しかしフェザーンは違う」
『……』
「フェザーンは変わろうとしていません、自分達が繁栄している所為で危機感が全く無いんです。危険ですよ、このままでは地球教はフェザーンで生き残りかねない」
四人が沈黙した、唸り声さえ上げない。

『……だから潰すというのかね』
「その通りです、シトレ元帥。彼らが自らの意思で変わろうとしない以上、我々が潰すしかない。一度叩き潰して彼らに自分達の手で新しい国家を創らせるんです。そうでなければフェザーンは普通の国家になりません」

地球教とは無関係の人間が何人、いや何万と死ぬだろう。怨め、憎め、罵れ、だが俺は退くつもりは無い。ここまで来た以上、中途半端に終わらせる事は出来ない。貴族達がルドルフの負の遺産なら地球教と連中が作ったフェザーンは人類の負の遺産に等しい。切り捨て、叩き潰さなければならない……。

フェザーン劫掠、だな。貴族達にとっては人生最大のそして最後の楽しみだろう。その思い出を持って地獄に行け、俺は親切な男なのだ、あの世で退屈しないように思い出を作らせてやる。そして精々派手に楽しめ、その事がフェザーンを崩壊させるだろう、フェザーンは貴族と地球教の終焉の地となる……。俺はお前達の最後の饗宴を楽しく拝見させてもらう、それがどれほど醜悪で有ろうとも……。



 

 

第百話 異質




宇宙歴 795年 10月17日    ハイネセン   統合作戦本部    ピーター・ザックス



あらゆる組織に共通する事だと思うが公式には存在しない物が存在する事が有る。人、物、金、情報、エトセトラ……。情報部にも存在しない物が有る。それは部屋だ、俺が今向かおうとしている機密閲覧室、通称ゴーストハウス。情報部が収集した機密情報がその部屋に収納されている。

ゴーストハウスは地下五階と六階の間に有る。このフロアーに有る部屋は全て情報部の所有するものだ。部外者がこのフロアーを訪れる事は滅多に無い。何故ならこのフロアー自体存在しない事になっていてここに来るには幾つかの許可が必要とされるからだ。その許可を得るのは容易な事ではない。

通路には二十メートルおきに警備兵が無表情に立っていた。ゴーストハウスの前に立ちIDカード、そして虹彩認証システムで本人確認を行うとドアが開いた。中に入り受付の前に立つ。若い女性の受付係が応対してくれた。
「ピーター・ザックス中佐ですね。アクセス権限はレベル・スリーになります」
「分かった」
「それから情報の複写、この部屋からの持ち出しは厳禁です」
「それも分かっている」

受付係は頷くと青いアクセスカードを俺に差し出した。それを受け取り五つ有るマシン室の一つに入る。この部屋は外部とは接続していない。この部屋だけで一つのネットワークシステムを構築している。つまり外部からこの部屋に有る情報にはアクセス出来ないのだ。そこに有るがそこに無い、まさにゴーストだ。

情報を見るにはこの部屋に来てアクセスカードを貰わなければならない。設置されているモニターにアクセスカードを差し込む。モニターが起動し検索用の画面が立ち上がった。“エーリッヒ・ヴァレンシュタイン”と入力すると彼に関する情報が表示された。

ヴァレンシュタイン中将本人の情報、ミハマ中佐が作成したパンドラ文書、ヴァンフリート星域会戦における報告書、バグダッシュが作成した第六次イゼルローン要塞攻略戦の報告書、さらに第七次イゼルローン要塞攻略戦の報告書、今回のフェザーンでの一連の出来事……。

ヴァレンシュタイン中将がハイネセンに戻ってきた、彼と会う前に少しでも彼を知っておきたいと思ったのだが何処まで見ることが出来るか……。アクセス権限、レベルごとに閲覧情報に制限がかかる。レベル・スリーではあまり多くの情報は得られない、せめてレベル・フォーのアクセス権限が有れば……。

通常下士官から中尉まではレベル・ワンとして赤いアクセスカードが渡される。大尉、少佐はレベル・ツー、グリーンのアクセスカードだ。中佐、大佐はレベル・スリー、俺が持っている青いアクセスカード。准将、少将はレベル・フォー、紫のアクセスカード。中将以上はレベル・ファイブ、シルバーのアクセスカード。

そして極稀にゴールドのアクセスカードを渡される者もいる。ゴールドのアクセスカードは制限なしだ。使用許可権限を与えられているのはシトレ元帥、グリーンヒル大将の二人。もっともその二人が此処に来た事が有るのかどうか……。ここに来るのは基本的に情報部の人間だけだ。情報部以外の人間がアクセスするには統合作戦本部長の許可と情報部長の許可が要る。

ヴァレンシュタイン中将本人の情報にアクセスした。というより他の情報は文書自体にアクセスできない、かつて情報部、監察、憲兵隊に配布されたパンドラ文書、軍を震撼させたあの文書は今では全て回収されアクセスするにはレベル・フォーのアクセス権限が必要だ。

失敗だった、ヴァレンシュタイン中将の調査は調査課が行うべきだった。防諜課が行ったせいで調査課には見えない事が多すぎる。調査課が調べようと思っても防諜課の目を気にせざるを得ず思うように調べられない。そしてこれまでの資料を作ってきたのは防諜課だ。情報自体が防諜課によって秘匿隠蔽された可能性も有る。

顔写真と経歴が表示された。帝国では兵站統括部に所属している。少尉任官後一年で中尉昇進。帝国では後方支援に対する評価は酷く低い、にもかかわらず一年で昇進している。有能だったのだろう、だが用兵家としての力量は更に上だ、何故帝国は彼を用兵家として用いなかった?

士官学校の卒業成績は五番、しかも帝国高等文官試験に合格している。用兵家としても軍官僚としても前途洋々だったはずだ、何故後方支援なのか……。健康に自信が無いと言っているが同盟では前線で活躍している、本心からとはとても思えない。何故だ? そして帝国は何故彼を後方支援に送った? 何故前線、或いは軍中央で使用しようとは思わなかった? 不自然としか言いようがない。

そして帝国の内情に詳し過ぎる。軍だけでは無い、軍以外の事に付いても異様に詳しい。彼が暴いたカストロプ公の事は帝国でも最高レベルの機密だったはずだ。何故それを知っているのだ? 自分が生まれる前の事すら詳細に知っている、何故だ? ……情報源が有ったはずだ、帝国でもトップクラスの情報源。しかし彼の交友関係についての記述は同盟におけるものだけだ。帝国人ヴァレンシュタインの交友関係は全く記述されていない……。

有り得ない事だ、ミハマ中佐、バグダッシュが調べなかったとは思えない。いや何より第六次イゼルローン要塞攻防戦では彼らは要塞内で帝国軍と接触している。だがそれについても記述が無い、おそらく俺ではアクセス出来ないという事なのだろう。表には出せない何かが有るという事だ。

もし情報源が有るのだとすれば今でもその情報源とはパイプが有るという事だろうか? 帝国内部に独自のネットワークを持っている? しかし彼が亡命した時は未だ十七歳だった。十七で独自のネットワークを持っていた? それも考えられない……。

同盟における交友関係も殆ど記述が無い。記載されているのは軍務に関する物だけだ。ヤン・ウェンリー中将、マルコム・ワイドボーン中将、ローゼンリッター、バグダッシュ、ミハマ中佐……。プライベートでの付き合いは記載されていない。調査課で調べても何も浮かんでこない。どう見ても他者との接触を拒んでいるようにしか見えない……。

情報量の多さは情報源がどれだけ多いかによる。そして情報の質の高さは情報源がどれだけ信用できるかで決まる。情報源と情報、それをさまざまに比較し分析する事で正しい解を導き出す。それが情報を扱うという事だ。だがヴァレンシュタイン中将の場合はそれが見えない、そして常に正しい解を持っている、何故だ? 余りにも異質であり過ぎる……。

ここ最近、政府内部ではトリューニヒト国防委員長の力が強まっているらしい。国防委員長は対地球教対策のため帝国との交渉を一手に引き受けた。周りは厄介事を押付けたつもりかもしれないが現実には帝国との交渉権を握る事で国防委員長の力が増していると聞いている。

トリューニヒト国防委員長はシトレ元帥と親しく元帥とヴァレンシュタイン中将が密接に繋がっているのは間違いない。つまり一連の動きは中将がシナリオを書いたという事だろう。狙いは何だ? 帝国と同盟に地球教という共通の敵が出来たが和平を考えているのか? 主戦派の国防委員長が和平?

分からない事が多すぎる、だがヴァレンシュタイン中将の力は最高評議会にまで及んでいるのは間違いない。彼は何を考えている? 同盟を何処へ導こうとしている? そこを見極めないと先が見えてこない。バグダッシュには見えているのだろうか……。いや、それ以前に亡命者にそこまで力を持たせて良いのか? 民主共和政、同盟市民が主権者である自由惑星同盟を亡命者が動かしている? 正しい姿と言えるのか?

異質、と思った。あらゆる事において彼、エーリッヒ・ヴァレンシュタインは異質で有り過ぎる。同盟だから異質に感じるのか? いや、そうでは有るまい、帝国でもあれでは異質に思われたはずだ。冷徹、慎重、周到、明晰、評価欄には幾つかの言葉が有った。いずれも賛辞と言って良いだろう。だがそれに続けて奇妙な文字が有る。不可解、恐怖、孤独、臆病……。

“エーリッヒ・ヴァレンシュタインから受ける印象は不可解と恐怖、そして孤独である。彼が有能さを顕せば顕すほど彼から受ける印象は讃嘆では無く不可解さと恐怖になる。特に彼の身近な人間ほどその印象は強まるだろう、そして彼との間に距離を置き始める。彼は他者との密接な関係を持たないのではない、持てずにいると考えるべきである。亡命直後、彼が後方支援で周囲と友好的な関係を結べたのは彼が自分の能力を隠したからに他ならない”

“エーリッヒ・ヴァレンシュタインを形成する重要な要素は臆病である。彼の持つ苛烈さは自己防衛本能が強過ぎる事が引き起こしているものと思われる。彼と接触する者は彼への敵対行為は極めて危険である事を理解しなければならない”
臆病? 何の冗談だ、これは……。



帝国暦 486年 10月17日    ハイネセン    第一特設艦隊旗艦 ハトホル  ヨッフェン・フォン・レムシャイド



第一特設艦隊がハイネセンに到着すると夜になるまでハトホルに留め置かれた。そして夜になるとヴァレンシュタインと共に迎えに来た地上車で移動した。どうやらトリューニヒト国防委員長、シトレ元帥と会うらしい。少しずつだが車は静かな地域に向かっているようだ。ハイネセンの中心地からは離れているのだろう。会見は極秘という事らしい。

一時間程走っただろう、ある屋敷の前に止まった。決して大きくは無い、いや同盟では大きいのだろうか? 屋敷の門が開き地上車がそのまま中に入ると帝国とは様式の違う建物が見えた。どちらかと言えばフェザーンの家屋に似ているだろう。割と瀟洒な感じのする屋敷だ。

屋敷の周囲には警備の人間が居た。動きがきびきびしている、かなりの精鋭だろう、軍服は着ていないが軍人かもしれない。ヴァレンシュタインと共に車を降りて建物の中に入った。ヴァレンシュタインの動きには戸惑いが無い、何度か来た事が有るらしい。警備兵も何の動きも見せない、私は彼らにとって敵ではないようだ。

ヴァレンシュタインの後に続き屋敷に入る。廊下を歩くと正面にドアが有った。ドアを開けて中には居ると部屋には四人の男が居た。トリューニヒト国防委員長、シトレ元帥、他にスーツ姿の男性が二人。多分和平派の人間だろう。トリューニヒト国防委員長が愛想よく話しかけてきた。

「ようこそ、レムシャイド伯爵。亡命者以外でハイネセンを訪れた帝国貴族は閣下が始めてですな」
「光栄ですな、お招き有難うございます。トリューニヒト国防委員長」
「紹介しましょう、彼はジョアン・レベロ財政委員長、こちらはホアン・ルイ人的資源委員長です。彼はE式なのでホアンと呼んでください」

トリューニヒト国防委員長の紹介に二人の男が軽く会釈をしてきた。髪のふさふさとした髭の生えた人物がジョアン・レベロ、髪の毛の薄い人物がホアン・ルイ、分かり易い二人だ。こちらも軽く会釈した。
「立ち話もなんです、あちらに座りましょう」

トリューニヒト国防委員長が指し示した方向、部屋の中央にはテーブルが有った。テーブルにはサンドイッチ等の軽食とワイン、ジュース等が置いてある。私を取り囲むような形で席に着いた。私の左隣にシトレ元帥、右隣にヴァレンシュタイン、正面にトリューニヒト国防委員長、右斜めにレベロ委員長、左斜めにホアン委員長……。

五つのグラスにワインが注がれ、一つのグラスにオレンジジュースが注がれた。一口味わう、なるほど同盟産のワインも悪くは無い。
「トリューニヒト国防委員長、ここに集まったのは和平派の方々、そう思って宜しいのかな?」
「その通りです、今はこれだけですがこれからは徐々に増えるでしょうな」
国防委員長に気負った様子は無い、他の四人も同様だ、自信が有るのだろう。

「レムシャイド伯、明日はサンフォード最高評議会議長に会っていただきます」
「それは楽しみですな」
最高評議会議長、同盟の最高権力者に会う、どのような人物か、ヴァレンシュタインはあまり評価していない様だが……。

「あまり期待はしないでください、彼は同盟の最高評議会議長ですが同時にフェザーンの飼犬でもある」
飼犬? 金で買われたフェザーンの協力者という事か。トリューニヒト委員長の言葉に他の五人を見たが誰も驚いていない。“お恥ずかしい話です”とレベロ委員長が言った。

「宜しいのですかな、そのような人物が最高評議会議長で」
「良くは有りません、いずれ始末します」
「……なるほど、それでフェザーンに貴族連合軍を攻め込ませるのですな」
「まあ、そんなところです」
トリューニヒト委員長が微かに笑みを浮かべている。愛想の良い男だとは思っていたが直接会ってよく分かった。にこやかに笑みを浮かべながら怖い事を平然と言う、油断は出来ない。

「貴族連合軍はどの程度の兵力になるのですかな、十五万隻に近いと聞きましたが事実ですか?」
「事実です、レベロ委員長。ブラウンシュバイク公から連絡が有りました。十五万隻を超えるのは間違いないそうです」
私が答えると一人を除いて呆れた様な表情を見せた。

「卿は驚いていないようだな」
「まあ、そんなものでしょう。貴族の持つ総兵力はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も加われば二十万隻は超えます。宇宙艦隊がもうワンセット有る様なものですよ」
そういうとヴァレンシュタインはサンドイッチを口に運んだ。やれやれだ、全く可愛げがない。私も一口サンドイッチは食べた、コンビーフとマヨネーズか、これも悪くない。もう一口ワインを飲んだ。

「ところで、勝てるのですかな。その辺りが気になるのですが……」
私が問い掛けると皆がヴァレンシュタインに視線を向けた。
「勝てますよ、彼らをフェザーンに侵攻させてもらえれば十五万隻の帝国軍を殲滅する事は難しくありません。前回のイゼルローン要塞攻防戦を上回りますね、死傷者は一千万人を軽く超えるでしょう」
平静な口調で答えるとヴァレンシュタインがサンドイッチを口に運んだ。死傷者が一千万人、一瞬だが自分の言った事が分かっているのだろうかと思った……。

「しかし、フェザーンに貴族連合を攻め込ませるとなると帝国はフェザーンに恨まれますな」
「同盟も恨まれる事では大して変わりません。一時的にしろフェザーンを見殺しにするのですからな」
私とシトレ元帥の会話に皆が沈んだような表情を見せた。ヴァレンシュタインだけは自分は無関係だとでも言うように食事を進めている。

「フェザーンを一度叩き潰すというのは分かるが他に手は無いのかね? このままでは全く無関係の人間まで巻き添えを喰う事になるが」
「有りませんね」
「……」
レベロ委員長の問い掛けにヴァレンシュタインが冷淡に答えた。絶句する委員長を見ながら一口オレンジジュースを飲むとフッとヴァレンシュタインが嗤った。

「貴族連合軍をフェザーンに誘引するのは政治的な理由だけじゃ有りません、軍事的にもフェザーンに誘引せざるを得ないんです、そうしないと勝てません」
「……」
「貴族連合軍を殲滅するには彼らを一カ所に集めておく必要が有ります。最善の手は彼らを同盟領に引き摺り込み包囲して殲滅する事ですが彼らにそれが通用するかどうか……」

皆が顔を見合わせた。ややあってホアン委員長が口を開いた。
「通用しないのかね?」
「その可能性が有ります。彼らは軍を率いていますが軍人ではない、軍事常識が通用しないんです」
「……」

「彼らにはまともな戦略目標などないし作戦も無い。基本的に彼らは烏合の衆です、纏まって行動するなどという発想は皆無に等しい。イゼルローン要塞経由で同盟領に誘引すればイゼルローン回廊を出た瞬間にバラバラに散りかねない」
「それは……」
シトレ元帥が顔を顰めた。

「そうなったら同盟軍はバラバラに散った貴族連合軍を追いかけなければなりません。同盟領内で追いかけっこが始まりますよ。但し、遊びじゃありません、命懸けの追いかけっこです。一つでも取り逃がせばどうなるか……、有人惑星に辿り着けばあの馬鹿共は核攻撃をしかねません」
「馬鹿な!」
レベロ委員長が吐き捨てたがヴァレンシュタインは苦笑を浮かべてオレンジジュースを一口飲んだ。

「馬鹿なじゃありません、彼らにとって同盟市民は憎むべき叛徒であり抹殺すべき存在なんです。核攻撃は有り得ない事じゃありません。そしてそうなったら和平など吹き飛んでしまいます。あとは泥沼の戦争が続くでしょう……」
皆が黙り込んだ。確かに和平は吹き飛ぶだろう、そして核攻撃は有り得ない事ではない……。

「確実に勝つためには彼らを一カ所に集める場所が必要です」
ヴァレンシュタインが皆を見回した。
「それがフェザーンです、連中は甘い果実に集まる虫の様にフェザーンに群がるでしょう。そこを一網打尽にする……。詰まらない感傷は捨ててください、命取りになりますよ。同盟領には一隻たりとも侵入を許すことは出来ないんですから」
そう言うとヴァレンシュタインはまたサンドイッチを口に運んだ……。


 

 

第百一話 不可知




宇宙歴 795年 10月18日    ハイネセン     ピーター・ザックス



第一特設艦隊旗艦ハトホルには三人で行く事になった。バグダッシュ、俺、メアリー・ホワイト中尉の三人、ホワイト中尉は調査課の任官三年目の士官だ、今回は俺の補佐役として付いて行く。地上車の中でバグダッシュが話しかけてきた。
「ザックス、昨日はゴーストハウスに行ったようだな」
「……」
バグダッシュがニヤニヤと笑っていた。

「あの文書にアクセスした人間が居ると俺に報せが届くようになっているんだ。誰がアクセスしたのかと思ったがお前さんだと知って納得したよ。少しは役に立ったかな」
「……疑問が増えただけだ。益々分からなくなった」
バグダッシュが声を上げて笑った。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタインとは一体何者か? この宇宙の謎の一つだな」
「……」
「一つだけ忠告しておく。質問するなとは言わんが間違っても中将を怒らせるなよ。そうなったら俺は取りなしたりはしない、お前さんを置いて逃げるからな」
冗談かと思ったがバグダッシュは笑っていなかった。ホワイト中尉と顔を見合わせたが中尉は顔を強張らせている。

“彼と接触する者は彼への敵対行為は極めて危険である事を理解しなければならない”
怒らせる事は危険か、確かにロボスやフォークの事を考えれば危険なのだろう。しかしだからと言って質問しないわけにもいかない。

ハトホルに着くと直ぐに会議室に通された。部屋には既にヴァレンシュタイン提督が居た。飲み物が出された、コーヒーが三つとココアが一つ、部屋の中にココアの甘い香りが漂った。
「彼は調査課のピーター・ザックス中佐です、そちらはホワイト中尉。ザックスは私とは士官学校で同期生でした」
バグダッシュが我々を紹介するとヴァレンシュタイン中将が頷いた。

「腹の探り合いの様な会話は止めましょう、最近その手の会話には飽き飽きしています。調査課は何を知りたいのです?」
直球ど真ん中だ。但し、口調は決して友好的では無かった。
「ああ、それと馬鹿な質問はしないでくださいよ、不愉快になる」
今度は釘を刺された。しかし馬鹿な質問とは何だろう? 答えられない事は訊くなと言う事だろうか、或いは分かり切った事? それともヴァレンシュタイン中将個人の事か……。ホワイト中尉と顔を見合わせた、俺が頷くと中尉が質問を始めた。

「帝国は改革の実施を宣言しましたが本気で行うつもりでしょうか?」
「カール・ブラッケ、オイゲン・リヒターはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の傍に居たのでしょう?」
「それは居ましたが……、しかし貴族達がそれに賛成するとも思えません。改革が実行されれば貴族の特権は制限されます」
ホワイト中尉が疑問を呈したが中将は詰まらなさそうな表情をしている。中将がチラッと一瞬だがバグダッシュに視線を向けた。バグダッシュは何の反応も見せない。

「そんな事はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も知っている事です。あの二人は貴族の中の貴族ですよ、誰よりも良く理解している。それでも改革を実施すると宣言した、そうしなければ帝国は持たない、そう判断したからです」
「しかし貴族達の反対は如何するつもりでしょう、一つ間違えば内乱という事にもなりかねないと調査課では見ているのですが……」

「さあ、何か手が有るのでしょうね」
「何か?」
ホワイト中尉が問い掛けるとヴァレンシュタイン中将がフッと嗤った。
「或いは内乱も覚悟したか……。あの二人を甘く見ない事です。思いの外に手強いし肚も座っている。少し予想外でしたね、もうちょっと馬鹿かと思っていたのですが……」

何処か楽しそうな表情だ、予想が外れたのが嬉しいのだろうか? どうもよく分からない。
「権力欲に取りつかれた馬鹿なら殺し合いをしている、臆病なら逃げ出す。あの二人が馬鹿か臆病なら帝国は二分、三分される可能性も有ったのですが踏み止まって協力して帝国を変えようとしている。あの二人は馬鹿ではない、それなりに覚悟も有れば成算も有るのでしょう」

「成算と言いますと?」
「……」
問い掛けたが無言でココアを飲んでいる。視線を俺に向ける事も無い。
「お答えいただけませんか、提督?」
俺を見た。
「知りたければ私にではなく直接ブラウンシュバイク公に問うのですね、もっとも教えてくれるかどうか……」
中将がクスクスと笑い出した。知っているのだろうか? 或いは想定しているのか? 何処かであしらわれている、そう思った。

ヴァレンシュタイン中将は改革が実施される、成功する可能性が高い、そう見ているようだ。何らかの情報を持っている可能性も有る、レムシャイド伯から聞いているのかもしれない。となると同盟と帝国の関係はどうなるのか、改革を進めれば帝国の国力は増大するだろう。改革を潰す方向で動くのか、それとも支援して友好関係を築くのか……。

それと気を付けなければならないのはブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯だ、中将はかなり高く評価している。それなりに能力が有ると見るべきだろう。彼らが一体何を考えるか、その動向を掴む事が必要になる……。ホワイト中尉が俺を見た、次の質問に移って良いか、そんなところだろう。頷く事で許可した。

「帝国と同盟は現在協力体制を執っています。ヴァレンシュタイン提督はこの状況が何時まで続くとお考えでしょうか、帝国との間に和平という事も有り得ると思われますか?」
ホワイト中尉が質問するとヴァレンシュタイン中将が苦笑を浮かべた。
「無理ですね」
にべもない口調だ。我々を見て嗤っている。

「百五十年も戦っているんですよ、そうそう簡単に和平など結べません。和平を結ぶには相当な政治的力量が必要になります」
「……」
「残念ですがサンフォード最高評議会議長にはそんな力量は有りません、そうでは有りませんか?」
隣で失笑する音が聞こえた、バグダッシュが顔を歪めている。

「それに最近の同盟は勝利続きで政権は極めて安定している。サンフォード議長は無理をする事は無い、今のままで十分と思っているでしょう。地球教対策では帝国と協力するでしょうがそれが終わったらダラダラと戦争を続けるでしょうね」
サンフォード政権では和平は無理、ヴァレンシュタイン中将はそう見ている。

では国防委員長との繋がりは軍事に関するもの、そういう事だろうか……。どうもしっくりこない、共通の敵を作って協力体制を執らせたのは休戦、或いは和平のためではないのか……。しかし現状ではサンフォード政権が安定しているのも事実、トリューニヒト国防委員長は実力者だが最高評議会議長になるにはまだまだ時間がかかるだろう。

「では提督は和平については如何御考えでしょう」
俺が踏み込むと中将は俺をじっと見た。
「賛成しますよ、私は戦争が嫌いですから」
戦争が嫌い? 冗談かと思ったが相手はニコリともしない。困惑していると哀れむような視線を向けられた。

「中佐は戦場に出た事は有りますか?」
「いえ、小官は情報部一筋ですので」
いささか忸怩たる思いを抱いて答えると中将が頷いた。
「自分の考えた作戦で大勢の敵を殺す。用兵家としては立派なのでしょうが人間としてはクズですね。私は勝利を嬉しいと思った事は有りません。前線に出ない事を恥じる人もいますがその方が良いと思います。戦争なんて無い方が良いんですから……」

亡命者だからだろうか、殺しているのが帝国人だから素直に喜べない? それとも本心から戦争が嫌いなのか……。正直困惑した、ホワイト中尉も困惑を浮かべている。帝国で後方に居たのはそれが理由なのだろうか、だとするとヴァレンシュタイン中将にとって前線で戦うのは本意ではないのかもしれない……。

「どうも情報部は肝心な事が分かっていないようです。枝葉の部分にばかり気を取られている、困った事だ」
中将が俺とホワイト中尉を見ながら言った。嘲りではない、本心から俺達が肝心な部分を理解していないと思っているらしい。俺は何を分かっていないのだろう。何を見落としているのだろうか……。

「貴官達は帝国が行う改革の意味が分かっていない」
「一体何が分かっていないのでしょう?」
「フランツ・オットー大公、皇帝オトフリート二世、アウグスト一世、マクシミリアン・ヨーゼフ二世、帝国の歴史の中で何人か改革と言って良い政治を行った人物が居ます。しかし彼らとブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が行おうとしている改革は別な物です。それを理解していない」
別な物? 一体何処が違うのか……。

「彼らは綱紀粛正、財政再建をしましたがあくまでそれは体制内の改革です。体制そのものを強化しようとしたのであって変えようとしたわけではない。ですがブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は貴族階級を抑え平民階級の権利を拡大しようとしている。政治体制そのものを変えようとしているんです。その意味が分かりますか?」
「……」

「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの作った政治体制を終わらせようとしているという事です」
ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの作った政治体制を終わらせる? 思わずホワイト中尉、バグダッシュと顔を見合わせた。二人とも驚愕を顔に浮かべている。

「それは、大袈裟なのでは……」
ホワイト中尉が声を上げると中将がフッと嗤った。
「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの政治体制は支配階級を貴族として固定し確保する事でした、目的は衆愚政治を防ぐためです。帝国では貴族でなければ政治、軍の上層部には入れません。被支配者階級である平民には何の政治的権利も無い、彼らはただ税を納めるだけの存在です。ルドルフはその方が政治的な混乱は少ない、そう思ったのでしょう」

「しかし改革案を作ったであろうカール・ブラッケ、オイゲン・リヒターは貴族で有ったにもかかわらずフォンの称号を捨て平民になった。そして社会改革の必要性を訴え平民の権利の拡大を訴えてきた人達です。極端な事を言えば彼らは反体制派と言って良い」
「……」

「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は彼らの改革案を受け入れ平民の権利を拡大しようとしている。理由は支配者階級としての貴族が役に立たなくなったからです、つまりルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの作った政治体制を否定しているのですよ、あの二人は。在野の人間ではない、政権中枢の人間がそう考えて行動している。終焉を迎えようとしているとはそういうことです」
“なるほど”という声が聞こえた。バグダッシュが頷いている。

「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯はそれを理解しているのでしょうか? 自分達がルドルフの作った政治体制を終わらせようとしていると、それを理解した上で改革を行おうとしているのでしょうか?」
ホワイト中尉が質問すると中将が頷いた。

「貴族達は誰も自分達が役立たずだとは思わない。しかし統治者の立場になってみれば分かる、貴族達が支配者として不適格だと……。帝国の統治体制はもう限界にきているんです。だからリヒテンラーデ侯はあんな事を考えた。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯も同じ認識を持ったから改革を実行しようとしている。分かっていないのは貴族だけですよ、現状では軍も改革無しでは使い物にならないほど士気が低下している……」
「……」

「そこを理解しないと帝国の動きは読めません。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が何を考え、どう動くかもです」
「なるほど」
なるほど、と思った。中将が我々の問いに不満そうな様子を見せるわけだ。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の真意も理解せずに状況を分析し未来を推測しようとしている。事前に馬鹿な質問をするなと言われたが確かに俺達は馬鹿な質問をしていたのだろう、胸に苦いものが満ちた……。

「今度はこちらの問いに答えて下さい。帝国では何か変わった動きは有りませんか?」
「クロプシュトック侯の反乱鎮圧に向かっていた貴族達が戻ってきました。地球討伐に向かっていたミューゼル提督も同時期に戻ってきています」
ホワイト中尉が答えるとヴァレンシュタイン中将が頷いて“他には?”と問い掛けた。ホワイト中尉が首を横に振る、フェザーンで騒動が起きてからフェザーン経由で情報を得ることが難しくなっているのだ。不満そうな表情を見せるかと思ったが中将は表情を変えることなくフェザーンの情報を要求した。

「御存知かと思いますがニコラス・ボルテックが自治領主になっています」
「他には?」
「帝国の高等弁務官が今月末にはフェザーンに到着します。マリーンドルフ伯爵です」
ホワイト中尉の言葉に中将の表情が厳しくなった。ホワイト中尉、バグダッシュがそれを見て緊張している。

「レムシャイド伯からはお聞きになっていないのですか?」
俺が問い掛けると中将が頷いた。
「聞いていません。マリーンドルフ伯は温厚な常識人です、機略の人ではない。フェザーンの高等弁務官といっても形だけ、おそらく報せる必要は無いと思ったのでしょう……」
機略の人ではない、しかし中将の表情は厳しいままだ。

「マリーンドルフ伯に何か有るのですか?」
「彼には娘がいます」
「娘?」
問い返すと中将が頷いた。
「ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ、彼女が同行しているなら話は違う。政略家としては帝国でも屈指の才能の持ち主です」
中将の言葉に皆が息を呑んだ。彼の人物評価が誤ったことは無い。

「では真の高等弁務官は彼女ですか?」
声が掠れた、俺の問いに中将が首を横に振った。
「いや、帝国では女性の地位は低い。彼女の才能を見抜いての事ではないでしょう。フェザーンに送れる信頼できる人間がマリーンドルフ伯以外に居なかった、そういう事なのでしょうが……」
では偶然か……。
「マリーンドルフ伯の周辺を探ってください。同行者が誰か、知っておきたい」

「分かりました、早急に調査します。ところで、その伯爵令嬢は今何歳なのです?」
中将が小首を傾げた。
「私よりは三歳下のはずだから十八歳かな」
十八歳? 中将の言葉に皆が顔を見合わせた。どういう事だ? 中将が亡命した時は十七歳、四年前だ。その時彼女は十四歳、その時点で彼女の才能を見抜けるのか?

「面識は御有りですか?」
俺が問い掛けると中将が苦笑した。
「帝国では伯爵家の一人娘と平民の息子が親しく知りあう機会など有り得ません。それに、好みのタイプじゃないんです、私はもう少し普通の女性が良い」
そう言うと中将が声を上げて笑った。

「何故彼女の事を……」
中将が俺を見た、そして微かに笑みを浮かべた。
「世の中には不思議な事がたくさんあるのですよ。知らないはずの事を知っている人間がいる」
「それは……」

あの時の言葉だ、イゼルローン要塞で中将が帝国軍に言った言葉……。中将が俺を見ている、冷たい目だ、もう笑ってはいない。背筋が凍るような恐怖を感じた。
「馬鹿な質問は止めてくださいよ、ザックス中佐。マリーンドルフ伯の同行者の件、早めに調べてください。これからフェザーンは騒がしくなる」
そう言うと中将はココアを一口飲んだ。


 

 

第百二話 没落の始まり


帝国暦 486年 10月18日    ハイネセン     ヨッフェン・フォン・レムシャイド



何時までもハトホルに仮住まいというわけにも行くまい、という事で新たに事務所兼住居が同盟政府から提供された。名称は大使館に決まった。弁務官府にならなかったのはフェザーンの弁務官府と区別するためと公式に言われているが他にも非公式な理由が有る。

弁務官府には宗主国が植民地に置いた施政の最高機関という意味合いが有るので同盟市民の中から反対する声が上がったのだ。同盟市民にとっては帝国と同盟は対等であり弁務官府では同盟を格下に見ている事になる、そう感じられるらしい。まあ帝国も彼らを反乱軍と呼んでいるのだ、過敏になるのも分からないでは無い。同盟政府はそういう同盟市民の感情を考慮したようだ。この国の主権者が同盟市民だという事がよく分かる。

目の前に四人の男性と一人の女性がいた。いずれも軍服を着ているがこの五人が同盟政府から私に対してスタッフとして提供された。
「小官はアラン・バセット大尉です。閣下の副官、いえ秘書官という事になります。宜しくお願いします」
バセット大尉は穏やかな表情と声の男性だった。三十歳には未だ間が有るだろう。

「他にクリス・ラフォード中尉、ビル・ボーンズ軍曹、ジョン・コート軍曹がスタッフとして閣下のサポートを致します」
三人の男性が軽く頭を下げた。ラフォード中尉は二十代前半、他の二人は三十台の前半から半ばといったところか。

「それとマリア・クランベルツ軍曹、彼女は閣下のお身の周りのお世話をします」
「身の回り?」
クランベルツ軍曹を見た。二十代後半? 三十代の前半だろうか? ふっくらとした頬が印象的な女性が微笑んでいる。美人とは言えないが好感のもてる女性だ、笑顔が良い。

「炊事、洗濯、掃除です、御不自由ではありませんか?」
「なるほど、それは助かる」
「それ以上の事は御二人で話し合ってください。この国は自由の国です、無理強いは許されませんが合意の上なら問題は有りません。ちなみに彼女は戦争未亡人です、子供はいません」
「なるほど」
もう一度彼女を見た、笑みを浮かべたままだ。こういう場合、誘うのが礼儀なのだろうか? 私も独身だから問題は無い筈だが……。

「卿らは軍人のようだが所属は何処かね?」
「我々は情報部防諜課に所属しております」
情報部防諜課? 名称からすればスパイ活動の防止、摘発が仕事だろう。私の監視役というところか……。まあ監視が付くのは当たり前だが帝国との連絡は遣り辛くなるな。

「御心配には及びません。我々は閣下の監視を命じられてはいません。上官からは誠意を以って閣下にお仕えするように、探るような事はするなと言われております」
「妙な事を言う、卿らの上官とは誰かな?」
「バグダッシュ准将ですがこの命令の大本はシトレ元帥閣下より出ております」
なるほどと思った。和平交渉の邪魔になる様な事はしないという事か。

「しかし、それでは仕事になるまい。違うかな?」
「その代わりと言っては何ですがルビンスキーの取り調べを防諜課が行う事になりました。もっとも取り調べはヴァレンシュタイン中将、バグダッシュ准将が必ず立ちあう事になりますが……」
「そちらが有ったか」
私の言葉にバセット大尉が頷いた。

「現時点においては最優先で得るべきは地球教の情報だと我々は認識しています。国内で彼らの暗躍を許す事は出来ません。帝国から地球教の情報を得るためにも閣下の行動を監視する様な事はしません」
バセット大尉が笑みを浮かべた。やれやれだ、自由は保障するから情報を寄こせ、そういう事だな……。



帝国暦 486年 10月20日    オーディン   オフレッサー元帥府  ラインハルト・フォン・ミューゼル



すぐ来い、と言われてオフレッサーの執務室に行くと既にリューネブルクが部屋に居た。ソファーにオフレッサーと差向いで座っている。オフレッサーが俺を見て頷いた。座れ、という事だろう。軽く会釈をするとリューネブルクの隣に座った。

「話しておくことが有って来てもらった。少し長くなるだろう、楽にしろ」
長くなる? チラっとリューネブルクを見たが彼も訝しげな表情をしている。どうやら何も聞いていないらしい。
「今回の地球討伐だが卿らは昇進はしない、勲章の授与となった」

その事は聞いている、同時期にクロプシュトック侯の反乱が有りそれを貴族達が鎮圧したのだがその手際が酷かった。そのため彼らには恩賞らしい恩賞は無い、その一方で俺達を昇進させれば当然だが反発が生まれる。そのため勲章だけで済ますらしい。

「卿らが地球教の地下本部から持ち帰ったサーバーだが情報部と社会秩序維持局が調べている。一度地中に埋まったせいで損傷が酷いらしい。残念だが完全な復元は無理だそうだ」
「……」

オフレッサーは面白くなさそうな顔をしている。しかしこればかりはどうしようもない、こちらも最善を尽くしたが連中は自らの手で地下本部を爆破したのだ。掘り出すのにも一苦労だった。制圧よりもそちらの方が時間がかかった。戦争では無く土木作業にでも来たようなものだと俺とリューネブルクはぼやいたくらいだ。

「それでも部分的に復元できたところも有る。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が喜んでいた。反乱軍、いや同盟との取引に使えるだろうとな、良くやってくれた」
褒められるとは思っていなかったから意外な思いがした。どうやら知らないうちに金鉱を探し当てていたらしい。

「……取引ですか?」
リューネブルクが問い掛けるとオフレッサーが頷いた。
「卿らには言っておく、他言は無用だぞ。政府は同盟と和平を結ぶつもりだ」
リューネブルクと顔を見合わせた。そしてオフレッサーに視線を向けるとオフレッサーが頷いた。
「軍は政府の方針に従う、帝国軍三長官の決定事項だ」

「しかし、貴族達が出征しますが?」
小声でリューネブルクが問い掛けるとオフレッサーが微かに笑みを浮かべた。
「あの連中を同盟の手を使って始末する」
またリューネブルクと顔を見合わせた。リューネブルクの顔には驚愕が浮かんでいる、おそらくは俺も同様だろう。

「だから武勲を上げれば皇女殿下方の婿にすると?」
俺も小声になっていた。
「そういう事だ、ミューゼル。大物を釣るにはそれなりに餌も良い物を使わんとな。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も本気で連中を始末するつもりだ。改革、和平、どちらを行うにしても連中は邪魔だと判断された」

非情な話だ、これまで帝国の藩屏として存在した貴族達が今では邪魔だと判断され始末されようとしている。そして貴族達はその事に気付いていない。何時の間にか時代が動いていた、そしてその動きに貴族達は適合出来なかった、そういう事なのだろう。

「しかし和平と仰いますが反乱軍、いえ同盟はどう考えているのです? 帝国だけでは和平は不可能ですが……」
俺が問い掛けるとオフレッサーがニヤリと笑った。悪相が酷い、子供なら泣き出すかひきつけを起こすだろう。

「あちらにも帝国との和平を願う勢力が有る。まだ政権を担当しているわけではないがその力は決して弱くは無いようだ。今なら彼らとの間に和平を結ぶことが可能、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はそう考えた様だな」
「……」
しかし政権を担当していないという事は確実な話ではないようにも思えるが……。

「貴族達の出兵もあちらには伝えてある。和平の邪魔だという事で意見が一致した。出兵先をフェザーンにというのは向こうからの要求だ。同盟政府ではないぞ、和平派からの要求だ」
驚いた、俺だけではない、リューネブルクも驚いている、今日は驚かされてばかりだ。和平を結ぶ、そのために帝国政府と反乱軍の一部勢力が協力している。しかもその協力は密接と言って良いだろう。何時の間に……。

「ヴァレンシュタインは和平派の主要メンバーだ」
「まさか……」
俺が声を出すとオフレッサーが”事実だ”と言った。あの男が和平派? 確かに帝国と反乱軍が戦い辛い状況を作り出しているが……。

「あの男、これを機に貴族連合を利用してフェザーンを叩き潰すつもりだ。地球教の根拠地を放置しないという事だろう」
「なるほど」
リューネブルクが頷いた。俺もなるほどと思った。帝国は反乱軍を利用して貴族連合を潰す。反乱軍、いやあの男は貴族連合を利用してフェザーンを潰す……。貴族連合も地球教の手先であるフェザーンも和平には邪魔だとヴァレンシュタインは判断している。

「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が和平に踏み切ったのもあの男の存在が大きいと思っている。あの男を敵に回すのは危険だからな」
確かにそれは有る。和平を結べばあの男と戦う事は無くなる。改革を行い軍を再建するとなれば対外的には安定が必要だ。厄介な相手を無力化する手段は戦闘だけとは限らない。厄介な敵で有れば有るほど味方にすれば効果は大きい。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はそう考えたのだろう。

「貴族連合軍が敗北すればそれを理由に取り潰す。当然だが連中は抵抗するだろう。お前達はその討伐を行うことになる。まあ掃討戦に近いだろうが準備だけは怠るな」
「はっ」

オフレッサーがリューネブルクに視線を向けた。
「特にリューネブルク、その時は艦隊戦よりも地上制圧戦が主体となる可能性が高い、頼むぞ」
「はっ」



宇宙歴 795年 10月21日    最高評議会ビル    ジョアン・レベロ



最高評議会においてトリューニヒトが貴族連合軍が攻め寄せてくると伝えると皆が驚いたような声を上げた。地球教問題で協力している以上、両国が戦争になる事は無いと考えていたのだろう。戦争は地球教対策が済んでからと思っていたはずだ。貴族達がフェザーン方面に攻め寄せてくると伝えたら騒ぎはもっと大きくなったに違いない。

「では帝国軍が攻め寄せてくると言うのか? 帝国との協力など当てにならんな、トリューニヒト国防委員長」
ジョージ・ターレル副議長兼国務委員長が皮肉たっぷりに言葉を発すると最高評議会のメンバーがざわめいた。
「正確には軍ではない、貴族の有志による連合軍だ。帝国政府は関係ない、そう考えてもらいたい」

トリューニヒトがターレルの言葉を訂正すると彼方此方から不満そうな声が上がった。
「そんな事を言っても帝国が攻めてくるという事実は変わらんだろう。そうではないかな、トリューニヒト国防委員長」
ボローン法秩序委員長の言葉にも棘が有る、こいつらはトリューニヒトを蹴落としたくて仕方がないらしい。同じ思いなのだろう、ホアンが微かに苦笑していた。

「確かにその通りだ、ボローン法秩序委員長。帝国から貴族達が兵を率いて攻めてくる、十五万隻を超える大軍だそうだ」
“十五万隻”、彼方此方から声が上がった。皆が顔を見合わせている。私とホアンも驚いたような声を出した。トリューニヒトが言葉を続けた。

「貴族達は我々に勝つ事でその武威を見せつけ改革を阻止しようと考えている様だ。本来なら帝国軍がそれを止めなければならないのだが彼らは我々との戦いで大きな損害を受けた。今は再建途上で戦える状況にない。帝国政府には彼らの専横を止める術がないのだ。ブラウンシュバイク公も頭を痛めている……」
「……」
トリューニヒトが首を振っている。役者だな、お前さんがサンフォード議長を嵌めようとしているなど誰も思わないだろう。

“十五万隻か、大軍だな”と呟く声が聞こえた。トレルか、それともラウドか。二人とも深刻そうな表情をしている。
「こちらも全戦力を上げて貴族連合軍を迎撃する」
トリューニヒトが発言すると皆が彼に視線を向けた。

「幸い連中は同盟領内へ侵攻してくれるのです、引き摺り込んでこれを殲滅する。シトレ元帥からはそのように防衛方針を定めたいと要望が出ています。宜しいですな、サンフォード議長」
サンフォード議長が周囲を見回した。何人かが頷いた、それを見てサンフォード議長が頷いた。

「良いだろう」
「では防衛の基本方針が決まった以上、兵の運用に関しては軍に一任する。そういう事で宜しいですな」
トリューニヒトがサンフォード議長に念押しすると議長が不思議そうな表情をした。

「敢えて聞く事でも無いと思うが?」
「いえ、今回貴族連合軍は十五万隻の大軍です。少しの乱れが敗北につながる恐れが有ります。そうなれば同盟は非常な危険に陥るでしょう。軍を混乱させるような事は慎むべきだと念を押しております」

トリューニヒトの言葉に皆が頷いた。敵意を隠さないターレル、バラースも頷いている。敗北すれば自分達の身も危険だ、そう思っているのだろう。大軍で攻めてくるというのも悪い事ばかりではなさそうだ。
「分かった、後は軍の仕事だ。必ず敵を撃破してもらいたい。頼むよ、トリューニヒト国防委員長」
「シトレ元帥にそのように伝えます」

サンフォード議長が頷いている。これでサンフォード議長は軍の作戦に口出しは出来なくなった。フェザーンが助けを求めて来ても議長には打つ手が無い。例え命令してきてもトリューニヒトは今回の事を言いたてて拒絶することが出来る。今後、主導権はトリューニヒトが、和平派が握る事になるだろう。

サンフォード議長もフェザーンのボルテック自治領主も身動きが出来なくなるはずだ。どの時点でボルテックがサンフォード議長を切り捨てトリューニヒトに乗り換えるか、その時が勝負だな。それまでにターレル、バラースをこちらの味方に付ける……。

気が付けばトリューニヒトがこちらを見ていた。視線をターレル、バラースに向けてからトリューニヒトに戻す。トリューニヒトが微かに頷いた。分かっている、そういう事だろう。へまをするなよ、トリューニヒト。多分、これが最初のチャンスだ。そして最後のチャンスかもしれないのだから……。


 

 

第百三話 戦時から平時へ



帝国暦 486年 10月30日    ハイネセン  大使館   ヨッフェン・フォン・レムシャイド



「如何ですか、こちらは」
「悪くはない、それに卿が頼りになるスタッフを用意してくれたので助かっている」
「それは良かった、御役に立てたようで何よりです」
大使館の応接室でバグダッシュ准将が嬉しそうな声を出した。

社交辞令ではない、バセット大尉を始めとして五人のスタッフは十分に私を補佐してくれている。特に貴族連合が同盟に攻め込もうとしていると分かってからも彼らの私に対する態度は変わらなかった。私も貴族なのだ、中々出来る事では無いだろう。彼らには感謝している。

「しかし良いのかな? 私に便宜を図り過ぎると卿にとっては色々と不都合な事が有るのではないかと心配になるのだが……」
私が問い掛けるとバグダッシュ准将が苦笑を浮かべた。
「煩く干渉してくる人間は居ますが適当に追い払っています。御心配には及びません。閣下は御自身の仕事をなさってください」

干渉か、大丈夫か? まだ若いが准将という事はそれなりにやっかみも有るだろう。風当たりは強いと思うが……。その事を問うとバグダッシュ准将が頷いた。
「確かに小官の事を忌々しく思っている人間が居る事は事実です。……例えば小官の上司、ブロンズ情報部長とか」

直属の上司に睨まれている? 相手は情報部長? 思わず目を瞠ってしまった。今度はバグダッシュ准将が声を上げて笑った。
「大丈夫なのか? 直属の上司に睨まれるとは穏やかではないが……」
「まあ大丈夫でしょう、忌々しく思っても処分は出来ない。こちらの後ろ盾は大物ですからね」

「後ろ盾というのはシトレ元帥かな、バグダッシュ准将」
「正確にはシトレ元帥とヴァレンシュタイン中将です。シトレ元帥は軍のトップですし情報部はヴァレンシュタイン中将には及び腰です。下手に怒らせれば赤っ恥をかかされますからね」
「なるほど、十分有り得るな」
二人で声を上げて笑った。つまり、この男は和平派に繋がっているという事か。

「世の中が動き出しましたが中々それを認められない人が居る。しかもその数は決して少なくない、帝国でも同盟でも……、そうではありませんか?」
バグダッシュ准将が話しかけてきた。もう笑ってはいない。動き出したというのは帝国、同盟、フェザーンのこれまでの関係が崩壊した、新たに構築する時が来た、そう言いたいのだろう。

「そうだな、私もそう思う。しかし世の中が変わる時というのはそんなものなのかもしれん。変えようとする力、それを否定する力、その二つが鬩ぎ合って世の中を或る方向に動かしていく……」
准将が大きく頷いた。

「なるほど、そうかもしれません。だからこそ混乱が起きる」
「今回は変化の幅が非常に大きい。或いは人類史上最大の変化かもしれないと私は考えている。それだけに混乱は大きい」
「どちらかと言えば帝国の方が混乱は大きいのではありませんか?」
バグダッシュ准将が問い掛けて来た。生真面目な表情をしている。帝国の情報収集というわけでは無さそうだ。

「確かに帝国の方が混乱は大きい、厳しい状況に有る。しかし帝国は敗北続きで変化を受け入れなければどうにもならないところにまで来ている。そして帝国の指導者達、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は変化を受け入れる覚悟をしている。混乱はあるだろうが耐えられるだろう。帝国の再生は可能だと私は考えている」
「……」
私の言葉に准将は黙り込んだ。

「勝利続きの同盟の方が変化を受け入れ辛かろうな。特に同盟市民に主権が有るというのが厄介だ」
「確かに……、政府は市民感情を無視出来ません」
「そうだ、……敗北した国家が敗北を糧に力強く羽ばたく事は珍しくない。勝利者こそ勝った後の事が難しい。歴史がそれを示している」
バグダッシュ准将が大きく息を吐いた。

「同盟市民にどうやって変化を受け入れさせるかという事ですな。……ヴァレンシュタイン中将はその辺りをどう考えているのか……」
「さて、気付いていないとも思えんが変化を受け入れさせるには余程の荒療治が必要だろう。その時こそ同盟は大きく混乱するのではないかと私は考えている。……帝国はヴァレンシュタイン中将に感謝すべきかもしれんな。徹底的に負けたからこそ生まれ変わる事を選ばざるを得なくなった……」

同盟は帝国とは違う。帝国は皇帝主権でありトップダウンで物事を進められる。しかし同盟は市民に主権が有る。百億以上の人間が主権者なのだ、この主権者をどうやって納得させるのか……。
「まだまだ一波乱、二波乱有る、閣下はそうお考えなのですな」
「そうだ、それに地球教、フェザーンがこのまま大人しくしているとも思えん」
「なるほど、前途多難ですな」

前途多難か……、陳腐な台詞ではあるが確かにその通りだ。百五十年続いた戦争を終結し和平を結ぶ。容易なことではあるまい。しかし今を逃せば戦争は更に続くだろう。大きな滝に落ちないように懸命に川を遡ろうとしている、そんな思いがした……。



宇宙歴 795年 11月 5日    ハイネセン  財政委員会    ジョアン・レベロ



「良いのかね、こんなところに居て。出兵の準備で忙しいのではないかな?」
「部下達に任せておいても大丈夫ですよ。皆、慣れていますからね」
「いや、シトレ元帥が君を必要としているんじゃないかと思うんだが」
ホアンの言葉にヴァレンシュタインが肩を竦めた。

「大まかな作戦案はシトレ元帥と打ち合わせをしています。しかし、皆の前で話せる事ではありませんからね、最終的には出兵後に細部を詰める事になるでしょう。現時点でしっかりやっておく事は部隊編成と補給、通信等の後方支援の体制作りです。私は必ずしも必要ではありません」
若いのに平然としている。大したものだと思うべきなのだろうがどうも可愛げが無い。仲間だから頼りになると思うが自分の息子だったら反発しそうだな。能力は認めるがウマが合わないとか言って。

「まあ確かにそうだな、サンフォード議長を引き摺り下ろす為の作戦案など大っぴらに話せる事ではないだろう。それで我々に話しが有るという事だが?」
トリューニヒトが問い掛けるとヴァレンシュタインが“大事な話です”と言って頷いた。表情が硬い、嫌な予感がした、背筋に寒気が走った。

財政委員長の執務室に四人の人間が集まっている。私、ホアン、トリューニヒト、ヴァレンシュタイン。トリューニヒトは今度の防衛戦の戦費の件でここに来たことになっている。ヴァレンシュタインはシトレの代理人としてトリューニヒトの応援役だ。ホアンは教育関係の予算増額について私と交渉するためにここに来た。表向きはそうなっている。

「和平を結んだ後の事を考えて欲しいのです」
「和平を結んだ後……」
よく分からない、ホアンを見た、彼も訝しそうな表情をしている。トリューニヒトも同様だ。

「いささか気が早いんじゃないか? 先ずは今度の防衛戦の事、政権奪取に集中すべきだと思うが」
トリューニヒトの言葉にヴァレンシュタインが首を横に振った。
「今でも遅いくらいです。一つ間違うと和平が吹き飛びかねません。時間が無い」
トリューニヒト、ホアンの顔を見た、二人もこちらを見ている。嫌な予感がますます強まった、ヴァレンシュタインは何が言いたいのか……。トリューニヒトが口を開いた。

「どういう事かね、中将」
「和平が結ばれれば戦争が無くなるんです。その事が社会に、経済に、同盟市民にどう影響するか、考えた事が有りますか?」
また三人で顔を見合わせた。トリューニヒトとホアンが探るような目で私を見ている。多分私も似た様な目をしているだろう。ヴァレンシュタインが溜息を吐いた、嫌な事をしないでくれ。

「今の同盟は戦時体制に有るんです。帝国との戦争を行い勝利する事を目的に国家が運営されている。和平を結べばその戦争が終結する、つまり同盟は平時体制に戻る事になります、百五十年振りにです。その時、政府は同盟市民から何を要求されるか……」
「……社会の安定と経済の発展か……」
私が答えるとヴァレンシュタインが頷いた。

「その通りです、市民に対して富と繁栄を与えなければならない。大変ですよ、これまでは軍が優先されてきましたが和平が結ばれれば民を優先する事になるんです。特に問題になるのは経済活動ですね。今は軍関係の企業が繁栄していますがこれらは和平が結ばれればあっという間に業績が悪化するはずです」
「なるほど」
ホアンが頷いた、苦虫を潰したような顔をしている。

「軍の予算も削減され動員も解除されるとなれば……」
「戦争が無ければ物資の消費も減少する、補充は微々たるものになるだろう。なるほど、軍に物を収める事で儲けている企業はあっという間に経営が傾くだろうな」

トリューニヒトがウンザリした様な口調でヴァレンシュタインの危惧を肯定した。軍は巨大組織だ、そこに関わっている企業は膨大な数になるだろう。造船、武器、エネルギー、食糧、衣服……。それが縮小される、活動が停滞するとなれば重大な影響が出るのは間違いない。

「それを避けるためには軍需から民需への切り替え、事業の多角化、それとリストラか……」
「ホアン、リストラはともかく切り替えと多角化は簡単にはいかんだろう。失業者の増大と業績の悪化か、……とんでもない不況になりかねんな」
嫌な予感が当たった、頭の痛い問題だ。皆が苦い表情をしている、ヴァレンシュタインもだ。

「和平を結んだが故に不況になったとなれば、戦争を望む声が上がりかねん。確かにヴァレンシュタイン中将の言う通りだ、和平が吹き飛びかねない」
トリューニヒトの言葉に皆が頷いた。
「和平の事を真剣に考えている人間など我々以外には居ません。当然ですが和平後の事を考えている人間も居ない。私達が考えるしかないんです」
そうだな、ヴァレンシュタイン。お前さんの言う通りだ。

「政府主導で雇用対策、景気昂揚対策を実施しなければならんだろう、公共事業による大規模な経済発展計画か。資源開発、地域開発、惑星開発か……、しかし財源が……」
財源が無い、今でさえ一杯一杯だ。私の言葉にホアンもトリューニヒトも顔を顰めた。この二人も同盟の財政状態は良く分かっている。だから和平を選択した。

「軍事費は多少削減できるはずです。それと動員の解除は徐々に行うべきでしょう、大規模にやると混乱する可能性が高い、少しずつ吐き出すしかありません」
「……」
「財源は無視して先ずは計画を立ててください」
不思議な事を言う、また三人で顔を見合わせた。

「財源が無ければ意味の無い計画になりかねんが……」
「レベロ委員長、財源については私も多少思う所が有ります。とりあえず計画をお願いします」
思う所? フェザーンを利用するつもりか? まあこの男が言うのであれば何か成算が有るのだろうが……。

「……やってみるか」
私が言うとトリューニヒト、ホアンが“そうだな”、“やってみるか”と声を出した。
「地域社会開発、天然資源、経済開発とかちあうな。出来れば協力体制を取りたいが……」
「無理だよ、トリューニヒト。ラウド、マクワイヤー、トレルは頼りにはならん。こちらで主導権を取って財政委員会主導、或いは議長主導で行うしかない」

ホアンの指摘にトリューニヒトが溜息を吐いた。私もホアンの指摘に同意見だ、あの三人は頼りにならない。こちらの下部組織として扱うしかないだろう。
「軍の動員解除だが技能や資格の有る人間から民間に戻していこう」
「こちらも技能習得機関の充実に力を入れる。出来れば君の所と協力したいな、トリューニヒト」
ホアンの言葉にトリューニヒトが頷いた。

「悪く無い考えだ、戦う事しかできない戦闘馬鹿を民間に戻すことは出来ないからな。技能を習得させたうえで民間に戻す。動員解除も進むし兵の能力向上にも繋がるだろう」
確かに悪く無い考えだ、教育費がかかるという事を考えなければだが。溜息が出た、何をするにも金がかかる。

「その技能習得の件ですが軍将兵の能力を向上させるという事を前面に出すべきです。動員を徐々に解除する、量は減るが質は変わらない、その辺りをアピールすることで同盟市民を安心させるとともに主戦派の口出しを防ぐことが必要です」
“なるほど”とトリューニヒトが頷いた。

「それとトリューニヒト委員長、補給基地も整理の対象としてください。維持費や管理費がかなり浮くはずです。それを使ってガンダルヴァ星域の惑星ウルヴァシーに新たな補給基地をお願いします」
「ウルヴァシー?」
トリューニヒトが訝しげな声を出した。そして私とホアンに視線を向けてきた。

「ウルヴァシーか、確か居住可能惑星の筈だ。惑星開発が失敗したため放置されたはずだが……」
ホアンが覚束なげに言うとヴァレンシュタインが頷いた。
「その通りです。今後はフェザーン方面も防衛体制を構築する必要が有ります。ウルヴァシーに補給基地を作り軍人、民間人を入植させフェザーン方面の重要な戦略拠点として開発、発展させるんです。雇用の確保を図れますし主戦派達からの安全保障をないがしろにしているという非難を防げるでしょう」

“うーむ”とトリューニヒトが唸り声を上げた。気持ちは分かる、私も唸りたい思いだ。和平後の事といい、ウルヴァシーの事といいなんでそんな事を考え付くのだ?
「とにかく和平を結ぶ事も重要ですが和平を維持する事も重要です。一旦崩れたら再構築は難しい、細心の注意が必要です」
同感だ、皆が頷いた。

「中将、やはり君は政治家になるべきだよ。和平が結ばれたらこっちに来給え」
トリューニヒトの誘いにヴァレンシュタインが顔を顰めた。
「冗談はやめてください、人を騙したり脅したりする阿漕な仕事はもう御免ですよ。和平が結ばれたら軍を辞めて真人間になります」

余りの言葉に皆が笑った。部屋の空気が僅かに和んだ、その時だった、執務室のTV電話が受信音を鳴らした。皆に断ってから受信ボタンを押した。スクリーンに軍人が映った、顔が強張っている、グリーンヒル統合作戦本部長代理? 何故ここに? 何が起きた? また嫌な予感がした……。



 

 

第百四話 最高のカード




宇宙歴 795年 11月 5日    ハイネセン  財政委員会    エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



目の前のスクリーンにグリーンヒル大将が映っている。顔色が良くない、何かが起きた。皆もそれが分かったのだろう、財政委員長の執務室には緊張が走った。
『グリーンヒルです、トリューニヒト国防委員長がレベロ財政委員長を訪ねているかと思います。至急連絡を取りたいのですが』

グリーンヒル大将からは見えない位置にトリューニヒトは居る。レベロがトリューニヒトに視線を向けるとトリューニヒトがスクリーンの前に立った。
「何かな、グリーンヒル大将」
『問題が起きました。お伝えしても宜しいですか?』
「構わない、ここには信頼出来ない人間は居ない」
格好良いな、トリューニヒト国防委員長。でも俺はお前さんを信頼していないぞ。

『シトレ元帥が襲われ重傷を負いました』
「シトレが!」
部屋が凍りついた。シトレが襲われた? 地球教? フェザーンか?
「重傷……、大丈夫なのか? 命に別状は……」
『それは大丈夫です。しかし暫くは安静が必要です』
皆が顔を見合わせた。どの顔にも恐怖が有る。

「……つまり迎撃の指揮は執れないと?」
『はい、早急に新たな総司令官を決めなければなりません』
拙いな、こちらの作戦が滅茶苦茶になる。今回の迎撃戦は単純に敵を打ち破れば良いというものじゃないんだ。フェザーンでは政治的な駆け引きが必要になる、だから身辺には気を付けろと言ったのに……。レベロとホアンがブツブツ何か呟いている、俺も愚痴を言いたい気分だ。

『襲ったのはアンドリュー・フォーク予備役中佐、直接シトレ元帥に現役復帰を願い、それを拒絶された事で逆上したようです』
「余計な事を!」
トリューニヒトが吐き捨てた。同感だ、全く余計な事をしてくれた。あの時息の根を止めておけば良かった。しかしフォークがテロを起こしたという事は背後に誰かが居る可能性が有るな。誰が使嗾した?

「グリーンヒル大将、ヴァレンシュタインです。フォーク予備役中佐はどうなりましたか?」
『憲兵隊で身柄を確保している。今、取り調べを行っているところだ』
「思い込みの激しい人物です。彼の供述は当てになりません」
俺の言葉に皆が顔を顰めた。

「背後関係を調べてください。彼の供述ではなく行動を確認して欲しいのです。例の一件で入院してから誰と会っていたのか……」
『貴官はフォーク中佐は洗脳された、使嗾されたというのか?』
「その可能性が有ります」
あらあら今度は皆が顔を見合わせている。

『地球教か、可能性は有るな。分かった、貴官の言うとおりにしよう』
「宜しくお願いします」
「グリーンヒル大将、新たな総司令官については後程連絡する」
『分かりました。ではこれで』
「ああ、御苦労だった」
スクリーンが切れるとトリューニヒトが溜息を吐いた。

「地球教か、嫌な事をするな」
「地球教とは限りません。現在同盟は帝国と協力体制を築きつつあります。その事に反対する人間が行った可能性も有るでしょう」
「主戦派だな」
トリューニヒトの口調は苦い。軍はシトレが掌握している。それを崩して自分達の意見を通そうとする勢力が背後に居たとしてもおかしくは無い。主戦派だけとは限らないだろう。

「どうする、拙い事態になった」
「このままでは和平は……」
レベロ、ホアンが不安そうな声を出した。二人ともトリューニヒトと俺を見ている。
「順当にいけば総司令官はビュコック元帥、ボロディン元帥のどちらかだが……」

トリューニヒトの語尾が消えた。無理もない、二人とも和平については何も知らない、それに政治的な駆け引きは不得手だろう。説明しても上手く行くかどうか……。已むを得んな、俺がやるしかない。
「私が軍を率いるしかないと思いますが」

俺を除く三人が顔を見合わせた。トリューニヒトが息を吐いてから言葉を出した。
「確かにそうだが、階級が……。せめて大将になっていれば……。新任の中将では難しいだろう。おまけに君は亡命者だ。参謀長はどうかな? 上にビュコック元帥かボロディン元帥を持ってくる」

今度は俺が息を吐いた。
「難しいですね、今度の戦いではかなり微妙な駆け引きが必要とされると思います。一々総司令官に伺いを立てるのは、……私が疲れてしまいますよ。出来れば全権が欲しいと思います」
「……」

トリューニヒトは無言だ。そうだよな、難しいよな、参謀長で我慢するか、そう思った時だった。ホアンが何時ものようにトボケタ口調で提案してきた。
「総司令官はシトレ元帥で良いんじゃないか」
「……」
「シトレ元帥がヴァレンシュタイン中将を総司令官代理に任命すれば」

一瞬だがまじまじとホアンの顔を見た。俺だけじゃない、トリューニヒトもレベロも見ている。
「駄目かね?」
「いや、何とも判断しかねるな。シトレ元帥と相談してみよう。まあ代理にするとしてもビュコック元帥、ボロディン元帥の同意は必要だろうな」

なんとかなるかな、ビュコックもボロディンも野心の強い人間じゃない。後はトリューニヒトに任せよう。それより気になるのはフォークだな、奴の背後に居るのが誰なのか……、地球教なら問題ないが軍内部の勢力だとするとシトレの後釜に立候補してくる可能性はある。かなり厄介な事態になるだろう。バグダッシュにも調査を依頼してみるか……。



宇宙歴 795年 11月 7日    第一特設艦隊旗艦 ハトホル   ミハマ・サアヤ



「そろそろ時間かな」
「そうですね、今十四時五十五分です」
チュン参謀長とブレツェリ副参謀長が話しています。私はスクリーンをTV受信に切り替えました。今日午後三時に国防委員会から重大発表が有るから必ずニュースを見るようにと通達が有ったのです。第一特設艦隊の司令部要員は皆旗艦ハトホルの艦橋に集まっています。

「重大発表か、何かな?」
デュドネイ准将が問い掛けるとビューフォート准将が
「多分総司令官人事の発表だと思うが最近は騒々しい事ばかりだからな」
と答えました。司令部要員は皆頷いています。

「ビュコック提督かな? それともボロディン提督か……」
「さあ、甲乙付けがたいな。トリューニヒト国防委員長も頭が痛いだろう」
ウノ少佐とラップ少佐が話しています。何処か面白がっている感じがします。ちょっと不謹慎です。

でも仕方のない事でもあります。シトレ元帥が重傷を負って入院してから次の総司令官は誰なのかというのは軍人、いえ同盟市民の最大の関心事なのです。私の母だって心配しています。賭けの対象にまでなっているのです。本命はビュコック提督、対抗馬はボロディン提督、大穴がグリーンヒル大将。三人とも用兵家としての評価は高いです。誰が総司令官になってもおかしくは有りません。

帝国の貴族連合軍は十五万隻を超えます。同盟軍も第一特設艦隊を含む十三個艦隊を動員して迎撃することになりました。マスコミは史上最大の決戦が迫っていると騒ぎ立てています。その事も総司令官人事に関心が集中する要因の一つです。もっとも貴族連合軍はちょっと可哀想。帝国政府から邪魔者扱いされているという事を私は知っています。

「本当ならヴァレンシュタイン提督が最適任だと小官は思うのですがね」
「まあそうだが、ちょっと難しいだろう」
シェーンコップ准将の発言にチュン参謀長が困ったような声を出しました。チラッ、チラッと提督に視線を向けます。参謀長だけじゃありません、皆がです。

確かにマスコミの中には提督こそが適任だと主張する意見も有ります。ですがその殆どが階級が低いから総司令官は難しい、参謀長にと続きます。実際そうなるかもしれません。その場合第一特設艦隊はどうなるのか、皆が不安に思っています。もっとも肝心の提督は全くの無関心です。指揮官席で黙ってスクリーンに視線を向けています。相変わらずクールです。

それにしてもフォーク中佐がシトレ元帥を襲った事には驚きました。皆が“碌な事をしない”、“あれで士官学校首席?”、“馬鹿じゃないのか?”と言っています。シェーンコップ准将は“イゼルローン要塞で息の根を止めておけば良かったんですよ”とヴァレンシュタイン提督に言っていました。提督の答えは“殺人罪に問われなければやっていました”、です。多分本心でしょう、眼が笑っていませんでした。

スクリーンに国防委員会のプレスルームが映りました。大勢のマスコミ関係者が映っています。そしてトリューニヒト国防委員長がプレスルームに入ってきました。その後ろをビュコック提督、ボロディン提督が続きます。フラッシュが凄いです。
「こりゃあれかな、どちらかが総司令官でもう片方が副司令官かな」
マスカーニ少将が小首を傾げています。彼方此方から“うーん”という声が聞こえました。

『国防委員会から発表します。一昨日、シトレ元帥が暴漢に襲われ負傷した事で貴族連合軍の迎撃を誰が指揮するのかが問題になっていました。同盟市民にも大変大きな不安を抱かせたと思う。ここで改めて同盟軍の体制を発表させていただく』
トリューニヒト国防委員長が言葉を切り周囲を見廻しました。しーんとしています。皆固唾をのんで後任の総司令官の名前が告げられるのを待っています。

『総司令官はシドニー・シトレ元帥』
ざわめきがスクリーンから聞こえてきました。艦橋でも彼方此方で声がします。
「重傷じゃなかったんですね」
「みたいだな」
ラップ少佐とデッシュ大佐が話すと皆が頷きました。表情が明るいです、安心したのでしょう。何と言ってもシトレ元帥は“将の将たる器”と言われているんですから。

『しかしシトレ元帥は療養中のためエーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将が総司令官代理として全軍の指揮を執る』
えっ、と思いました。スクリーンからもざわめきが聞こえます。皆が顔を見合わせそれからヴァレンシュタイン提督に視線を向けました。提督は無言でスクリーンを見ています。表情に変化は有りません。

『しかしヴァレンシュタイン中将は階級が……、それに亡命者です。軍の秩序が乱れるのではありませんか?』
質問が上がりました。うん、私もそう思うっていうか皆頷いています。軍は階級社会です、それを乱せば上意下達が崩れてしまいます。滅茶苦茶になるでしょう。

『彼以上の適任者が居ますか?』
『……』
トリューニヒト国防委員長が問い掛けましたが誰も答えません。沈黙しています。周囲を見廻してから国防委員長が言葉を続けました。

『この人事については私、シトレ元帥、ビュコック元帥、ボロディン元帥の四人で話し合って決めました。貴族連合軍は十五万隻を超える大軍です。この一戦に負ける事は出来ません、負ければ同盟の存続にも関わる大事になるでしょう』
「……」

『我々は常識にとらわれず最高のカードを切らなければならないのです。その観点で話し合った結果、ヴァレンシュタイン中将に指揮権を委ねるべきだとなりました』
しーんとしました。スクリーンも艦橋も先程までのざわめきはありません。カタンと音がしました。気が付くと提督が立ち上がっています。

「御存じだったのですな、提督が総司令官代理になると」
「……」
「楽しくなりそうですな、提督」
シェーンコップ准将が問い掛けるとヴァレンシュタイン提督は微かに笑みを浮かべました、怖いです。
「ええ、楽しくなりますよ、間違いなくね」
気が付けば全員が提督に対し敬礼をしていました、私もです。ヴァレンシュタイン提督は答礼すると無言で艦橋を出て行きました。



宇宙歴 795年 11月 12日    ハイネセン  統合作戦本部   マルコム・ワイドボーン



統合作戦本部のラウンジに有る喫茶店では皆がスクリーンを見ながらひそひそと話し合っていた。何人かは信じられないという様に首を振っている。
「驚いたな、あいつが総司令官代理とは」
「ああ、私も驚いたよ」
驚いたと言っているが隣に座っているヤンの表情に驚愕は無い、有るのは厳しさだけだ。

「どう思う? ヤン」
顔を寄せ小声で話しかけた。本音が聞きたい、ヤンも俺の気持ちが分かったのだろう、同じように小声で答えてきた。
「動き出したね」

「動き出したか……、俺もそう思う」
ヤンが俺を見た。そして髪の毛を掻き回した。
「四人で話し合ったと言っているが本当の所はトリューニヒト国防委員長とシトレ元帥が残りの二人を説得したのだと思う」

「同感だ、しかしここでヴァレンシュタインに指揮権を預ける理由は? ビュコック元帥、ボロディン元帥でも十分勝てると思うんだが」
宇宙艦隊は変わった。今なら各艦隊司令官はビュコック元帥が総司令官になっても従うはずだ。ウランフ、ボロディン、クブルスリー、モートン、カールセン、ヤン、ヴァレンシュタイン、そして俺。戦場では実力が全てだと理解している人間達だ。

「私もそう思う。しかしトリューニヒト国防委員長はヴァレンシュタイン中将を総司令官代理に選んだ。或いはヴァレンシュタイン中将自身がそれを望んだのだろう。だとすると……」
「だとすると……、次の戦いは単純な迎撃戦では無い、そういう事か」
「そういう事になるね」

“うーん”と思わず唸り声が出た。
「何を考えているのかな?」
ヤンが首を横に振った。
「分からない。しかし何か狙いが有るのは間違いない。そしてそれは和平に繋がっているはずだ……」
ヤンが俺を見た、俺もヤンを見る。

「分かっている事も有るさ」
「何かな?」
「奴が指揮を執る以上、今回の戦いは凄絶な物になるだろう。貴族連合軍は地獄に叩き落されるだろうな」
俺の言葉にヤンが無言で頷いた。





 

 

第百五話 嘲笑する虐殺者



帝国暦 486年 11月18日    オーディン  新無憂宮  ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世



「では我らはフェザーンに向けて出撃します」
貴族連合軍総司令官ブルクハウゼン侯爵が誇らしげに出撃を告げた。その後ろにはビーレフェルト伯爵、ヒルデスハイム伯爵等十人程の貴族が居る。貴族連合軍の総勢は十五万隻を超え十八万隻以上になった、誇らしくもなるだろう。ブラウンシュバイク公が頷いた。

「そうか、武運を祈るとは言わぬ。卿らの出兵はあくまで有志によるもの、政府は関係ないからな」
「分かっております」
「反乱軍はシトレ元帥が負傷しヴァレンシュタインが総司令官代理になるそうだ、知っているかな」
「……知っております」
ブルクハウゼン侯爵が僅かに緊張を見せた。流石にニーズホッグは怖いらしい。

「恐れる事は有りません。あの男は亡命者です。総司令官代理になったものの周囲からは受け入れられずにいるとか。何程のことも出来ますまい」
嘲笑交じりの声を出したのはフレーゲル男爵だった。その声に貴族達が同意の声を上げる。ブルクハウゼン侯爵の顔から緊張が消えた。ブラウンシュバイク公は憮然としている。

「フェザーンを征服し反乱軍を打ち破り宇宙を統一する。十八万隻を超える大軍なのです。不可能ではない」
「何を言う、フレーゲル男爵。不可能ではない等と弱気な。我らなら十分に可能だ」
「その通りだ、我らの手で宇宙を統一するのだ」

景気の良い言葉だ、意気軒昂、気宇壮大なのか。それとも馬鹿なだけか……、考えるまでも無いな。参加者が多くなったのは武勲を上げる事よりもフェザーンで略奪出来ると期待しての事だ。クロプシュトック侯の反乱鎮圧で略奪の味を占めたらしい。

「以前にも言ったが武勲目覚ましい者はエリザベートの婿にすることを考えている。わしだけではない、リッテンハイム侯もサビーネの婿にと考えている。我らには娘しかいないからな」
ブラウンシュバイク公の言葉に皆が貪欲そうな表情を見せた。獲物を見つけた肉食獣のような笑みだ。サビーネの父親としては余り面白い笑みではない、ブラウンシュバイク公も不愉快だろう。

ブルクハウゼン侯爵達が去るとブラウンシュバイク公が溜息を吐いた。
「よくもまああそこまで自分達に都合よく考えられるものだ」
「そう言うな、公。気宇壮大な馬鹿なのだ。付ける薬は無い」
公が私を見た、そして笑い出す。私も笑った。

「酷い事を言うな、侯」
「仕方あるまい、ああも簡単に引っかかるとは」
「まあそれもそうだな」
また二人で笑った。

同盟軍は総司令官代理にヴァレンシュタインを任命した。レムシャイド伯からの連絡ではヴァレンシュタインの総司令官代理就任に同盟市民の多くは賛成の様だ、好意的に受け取られている。帝国内でヴァレンシュタインが周囲から受け入れられず孤立しているとの噂が流れているが内務省、軍情報部が流した偽情報だ。貴族達がヴァレンシュタインに怯えないようにと考えての事だった。

「もう少し胸が痛むかと思ったがそうでも無かったな」
「私もだ、娘を持つ父親としてはああもぎらついた欲心を見せられると嫌悪感が湧くのだろう。罪悪感より嫌悪感が上回った、いや罪悪感など消し飛んでしまったよ」
ブラウンシュバイク公が私を見て頷いた。

「まだ生きているからな。だが連中が死ねば罪悪感を感じるのだろう。おそらく一生消える事は有るまい……」
「……忘れてはなるまい。忘れぬ事が我らの務めだろう、彼らの屍を肥やしとして新たな帝国を創る。違うかな、公?」
ブラウンシュバイク公が大きく息を吐いた。十八万隻を超える艦隊……、大軍ではある。しかしどれだけの将兵が無事に戻ってこれるだろう……。気が付けば私も息を吐いていた……。

「そうだな、新たな帝国を創る、それで許されるわけではないがそれしか我らには出来ぬのも事実、そしてあの者達には新たな帝国を創る力は無い……」
最後は呟く様な口調だった。そう、連中には新たな帝国を創る力は無い。だから古き帝国の担い手として滅びるしかない。切り捨てる痛みと切り捨てられる痛み、どちらが痛いのか……。

考えるまでも無いな、切り捨てる痛み等所詮は偽善でしかない。我らは生きて新たな帝国の誕生を見る事が出来る、満足して死んでいけるだろう。だがあの者達は己の運命を、そして彼らを切り捨てた我らを呪うだけに違いない……。



宇宙歴 795年 11月 19日    ハイネセン  統合作戦本部   アレックス・キャゼルヌ



統合作戦本部の地下にある会議室に四十名近い将官が集められた。これから貴族連合軍に対してどう戦うか、その作戦会議が開かれる。十五万隻を超える大軍を迎え撃つ。誰にとっても初めての事だ、会議室の彼方此方から興奮した様な声が聞こえた。俺自身多少興奮しているという自覚が有る。

同盟軍の陣容はいささか変則的ではある。総司令官はシトレ元帥が務めるが療養のため一時的にヴァレンシュタイン中将に指揮権を委譲したという形を取っている。当然健康になれば指揮権はシトレ元帥に返上される。その方が戦争が長期に亘った場合混乱が少ない。能力以外にもその点が考慮されてヴァレンシュタイン中将を総司令官代理に任命した。

総司令部は以下の通りだ。
総司令官:宇宙艦隊司令長官シトレ元帥
総司令官代理:ヴァレンシュタイン中将(特設第一艦隊司令官兼任)
総参謀長:チュン少将(特設第一艦隊参謀長兼任)
副参謀長:ブレツェリ准将(特設第一艦隊副参謀長兼任)
作戦主任参謀:デッシュ大佐(特設第一艦隊作戦主任参謀兼任)
情報主任参謀:ビロライネン准将(特設第一艦隊情報主任参謀兼任)
後方主任参謀:キャゼルヌ准将

基本的に特設第一艦隊の司令部が総司令部を兼任している。俺が後方主任参謀になったのは特設第一艦隊作戦主任参謀のコクラン大佐がその膨大な作業に悲鳴を上げたからだ。同盟軍の補給に関しては俺が前線で、セレブレッセ後方勤務本部次長が後方で責任を持つ事になっている。他にも総司令部には多くの参謀が臨時で配属されている。全部で七十名程になるだろう。

第一艦隊 マルコム・ワイドボーン中将
第二艦隊 パエッタ中将
第三艦隊 ヤン・ウェンリー中将
第四艦隊 ライオネル・モートン大将
第五艦隊 アレクサンドル・ビュコック元帥
第六艦隊 ラルフ・カールセン大将
第七艦隊 ホーウッド中将
第八艦隊 アップルトン中将
第九艦隊 アル・サレム中将
第十艦隊 ウランフ大将
第十一艦隊 クブルスリー大将
第十二艦隊 ボロディン元帥
特設第一艦隊 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将

実働兵力は十三個艦隊、約十九万隻の大軍だ。同盟の全戦力を挙げての迎撃になる。動員されないのは地方の警備艦隊、哨戒艦隊等の小規模艦隊だけだ。その他に若干の陸上戦力が動員されている。もっとも宇宙空間の戦闘でどれだけの働きの場が有るのかは疑問だ。有るとすれば貴族連合軍の占領地の奪回作戦だろうが、総司令官代理は何処まで貴族連合軍を同盟領に引き摺りこむつもりなのか……。

会議室には統合作戦本部長代理グリーンヒル大将も居る。後はヴァレンシュタイン総司令官代理を待つだけだ。定刻には未だ間が有るが参加者の中で最年少の彼が他の皆を待たせている。普通なら先に来て少しでも反発を小さいものにしようと考えそうなものだが……。そんな事は考えないのだろうな。

会議室にヴァレンシュタイン中将が入って来た、後ろにはミハマ中佐が続く。二人とも若い。総司令官代理とその副官……、しかし外見は何処となく頼りなげな若手士官にしか見えない。だが会議室のざわめきはピタリと止まった。ビュコック、ボロディン両元帥が起立した。他の士官達もそれに続く。

皆が起立する中、ヴァレンシュタイン総司令官代理は特に急ぐ事なく正面の席に向かった。内心ではその事に不満を持った士官も居るだろう。古参の指揮官達の間で不満を漏らす人間が居るという噂も有る。まあ三十歳以上年下の上官など中々受け入れ辛いのは間違いない。

総司令官代理が正面の席に着くと皆が敬礼した。総司令官代理がそれに応えて答礼する。……答礼を解かない、答礼したままじっと会議室を見回した。そして微かに口元に笑みを浮かべる、ゾクッとするような笑みだ。嘲笑、或いは冷笑か。答礼を解いた、笑みは残っている。皆も敬礼を解くが会議室には異様な空気が漂った。皆居心地が悪そうに席に着く。

「貴族連合軍が攻め寄せてきます。昨日、オーディンを出立しました」
「……」
「レムシャイド伯の話では貴族連合軍の総兵力は十八万隻を超えたそうです」
“十八万隻!“、”増えているぞ“と彼方此方から驚きの声が聞こえた。俺も驚いている。十五万隻を想定していた。数の優位を保つために全艦隊を動員したのに優位が保てない、貴族連合軍の兵力は同盟軍とほぼ同数に近い。

「総司令官代理、それは確かな話なのでしょうか?」
ビュコック元帥が問い掛けるとヴァレンシュタイン総司令官代理が頷いた。
「レムシャイド伯はブラウンシュバイク公から伝えられたそうです。帝国貴族四千家、その総力を上げれば二十万隻は軽く超えるはずです。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が参加していないのですから十八万隻というのはおかしな数字ではありません」

彼方此方から呻き声が漏れた。貴族達の強大さを今更ながら理解した、そんなところだろう。皆の表情が強張る中ヴァレンシュタイン総司令官代理だけが謎めいた笑みを口元に浮かべている。慌てふためく我々を嗤っているのだろうか……。
「十八万隻を超えるとなれば将兵は二千万人に近いでしょうね」
「……」
「殺しがいが有る」

ギョッとした。思わず総司令官代理を見た。俺だけじゃない、皆が見ている。総司令官代理の笑みが大きくなった。嗤っているのではない! 喜んでいるのだ! 心臓を鷲掴みされたような恐怖を感じた。俺だけではないだろう、誰かがゴクリと唾を飲み込む音がした。

「どうしたのです? そんな顔をして」
「……」
誰も口を開く事が出来ない。ただ上機嫌な総司令官代理を見ている。
「戦争に勝つという事は如何に敵兵を多く殺すか、そういう事でしょう。驚く様な事では無い筈ですよ」
「……」
会議室に総司令官代理の声だけが流れた。平静で柔らかな口調だ。そして口調と内容がまるで一致していない。本当に理解して言っているのだろうか……。

「まして相手は貴族連合軍、あのルドルフが帝国を護る藩屏として創った連中です。五百年間好き勝手してきたのですからね、手心を加える必要はありません」
「……」
「鏖殺します」
“鏖殺します”、その言葉がやけに重く響いた。また誰かがゴクリと唾を飲み込む音がした。総司令官代理がクスクスと笑い声を上げた。会議室が凍りついた、金縛りにでもあったようだ、身動ぎ一つ出来ない。彼は貴族連合軍の皆殺しを望んでいる……。ニーズホッグ、嘲笑する虐殺者……。

「貴族連合軍はフェザーン方面から同盟領侵攻を図るようです」
フェザーン? ようやくその言葉に皆が反応した。本当か? と確認するかのように顔を見合わせている。何処からか“フェザーン回廊は中立のはずだ”という声が聞こえた。何人かが頷いている。総司令官代理が笑い声を上げた、明らかに嘲笑だった。

「ルビンスキーを拉致して以来、フェザーンの中立等という物は存在しません。地球教が創ったフェザーンは中立国家では無い、敵性国家です」
その通りだ、現状ではフェザーンを中立国家として認める事は難しい。同盟軍内部でもフェザーン侵攻作戦が語られる時が有る。それでも長年の習慣で中立と思ってしまうのかもしれない。総司令官代理にとっては笑止な事だろう。

「パエッタ中将」
「はっ」
ヴァレンシュタイン総司令官代理に名前を呼ばれて返事をしたがパエッタ中将の表情は硬い。ヴァレンシュタイン中将が総司令官代理になった事に面白くないと不満を言っている一人だ。親友であるパストーレ中将が艦隊司令官から外された事にも不満を持っている。その事に総司令官代理が絡んでいると噂されている事にも……。

「これからフェザーン方面に出撃しますがパエッタ中将は先行してフェザーン回廊の出入り口を封鎖してください」
「はっ」
「フェザーンから同盟領へ、同盟領からフェザーンへと通航する船は軍民を問わず拿捕、抵抗する場合は撃沈してください」
皆が顔を見合わせている。

「民間船を撃沈するのですか? それは……」
パエッタ中将が迷惑そうな表情をした。無抵抗の民間人を殺す等気が進まない、そんなところだろう。
「近日中に国防委員会からフェザーン回廊を封鎖する事、フェザーンに滞在中の同盟市民には同盟への帰還命令が出ます。これに従わない場合、貴族連合軍の協力者として同盟市民の権利は剥奪されます。つまり同盟政府は生命の安全、財産の保全に関し責任を負わない、敵性国民として扱うという事です」

彼方此方でざわめきが起きた。フェザーンが、フェザーン回廊が戦場になるという事を実感したのだろう。だが言われてみれば当然のことではある。会議室のメンバーの中にも頷いている人間も居る。しかしパエッタ中将は迷惑そうな表情をしたままだ。任務の内容が気に入らないのか、年下の上司に命じられたのが気に入らないのか。総司令官代理が苦笑を浮かべた、後者だと受け取っただろう。

「気が進みませんか?」
「はあ、あ、いえ……」
煮え切らない返事だ、ヴァレンシュタイン中将は総司令官代理なのだというのに何を考えているのか……。本来なら二つ返事で応えるところだろう。相手がシトレ元帥ならこんな曖昧な態度など許されないし許すはずもない。

「分かりました、人を替えます」
パエッタ中将がほっとしたような表情をしている。しかし良いのか? そんな簡単に自分の意見を引っ込めて。相手は付けあがるぞ、後々遣り辛くなると思うが……。周囲も訝しげな表情をしている。

「クビになるのがそんなに嬉しいですか、パエッタ中将」
パエッタ中将がギョッとした表情で総司令官代理を見た。総司令官代理は冷ややかな笑みを口元に浮かべていた。周囲は総司令官代理と中将を交互に見ている。
「私は人を替えると言ったんです、艦隊を替えるとは言っていません。意味は分かりますね?」
パエッタ中将の顔が強張った。会議室の空気もだ。

「馬鹿な……」
パエッタ中将が喘ぐ。
「馬鹿?」
総司令官代理が楽しそうに笑う。
「いえ、いくらなんでもそれは、……無茶では……」
笑い声が更に大きくなった。パエッタ中将の顔面が紅潮している。屈辱を感じているのだろう、若年の総司令官代理に侮辱されたと思っている。

「馬鹿は貴官ですよ、パエッタ中将。何も分かっていない」
「……」
パエッタ中将の表情が歪んだ。総司令官代理はもう笑ってはいない、厳しい眼でパエッタ中将を見据えている。
「最年少の亡命者に全軍の指揮権を委ねた。前代未聞の出来事です、こんな無茶が今まで有りましたか? 私が総司令官代理に就任した時点で同盟軍はどんな無茶でも許される組織になったのです。そうではありませんか、グリーンヒル本部長代理」

全員の視線がグリーンヒル大将に向かった。グリーンヒル大将は一瞬だけ煩わしそうな表情をしたがパエッタ中将に視線を当てた。表情には好意を示す物は欠片も無い。
「パエッタ中将、私はトリューニヒト国防委員長、シトレ総司令官よりヴァレンシュタイン総司令官代理の要求は最優先で叶えられるべきものであると聞いている」

パエッタ中将の顔が紙の様に白くなった。とりなしを頼むかのように周囲に視線を向けたが誰もがその視線を避けた。馬鹿な話だ、今頃になって慌てふためいている。ヴァレンシュタイン中将を総司令官代理に任命したのはトリューニヒト国防委員長とシトレ元帥なのだ。総司令官代理に敵意を表すという事は軍の二大実力者、トリューニヒト国防委員長とシトレ元帥を敵に回すという事なのにその事がまるで分っていない。確かに馬鹿と言われても仕方ないだろう。

「パエッタ中将、もう一度命じます。先行してフェザーン回廊の出入り口を封鎖してください。封鎖を破ろうとする船は軍民を問わず拿捕、抵抗する場合は撃沈してください」
「はっ」
パエッタ中将が顔を引き攣らせながら命令を受諾した。容赦はしない、そんな感じだな。これで総司令官代理の威権は確立された。誰も彼に逆らおうとはしないだろう。

「カールセン大将」
「はっ」
偉丈夫のカールセン大将が総司令官代理に軽く頭を下げて恭しい態度を取った。明らかにその威権を認める態度だ。
「大将にもフェザーン回廊の封鎖をお願いします」
「承知しました」
皆が驚いている。パエッタ中将だけでなくカールセン大将も?

「回廊封鎖の責任者はカールセン大将、パエッタ中将はカールセン大将の指示に従うように」
「……」
屈辱かもしれない、兵卒上がりのカールセン大将の指揮下に入るというのは。パエッタ中将の顔は歪んでいる。周囲もそれが分かったのだろう、複雑な表情だ。

「カールセン大将、封鎖中、問題が生じた場合には直ぐ報告を下さい。こちらで早急に対処します」
カールセン大将への言葉だが総司令官代理はパエッタ中将に視線を向けている。好意など欠片も無い視線だ。問題はお前なのだ、ふざけた真似をすれば何時でも交代させてやるという恫喝だ。パエッタ中将もそれが分かったのだろう、俯いて顔を上げる事が出来ずにいる。何とも気不味い事だがこれでパエッタ中将も本気になるに違いない。

その後は作戦会議は直ぐに終わった。総司令官代理が全軍をランテマリオ星系に集結させる事、ガンダルヴァ星系の惑星ウルヴァシーを補給拠点として使用する事を言っただけだ。総司令官代理は意見を求めたが異議を唱える人間は居なかった。そして全軍に出撃命令が下された。





 

 

第百六話 掣肘




宇宙歴 795年 12月 28日    第一特設艦隊旗艦 ハトホル   ミハマ・サアヤ



第一特設艦隊旗艦ハトホルは同盟軍の総旗艦も務めています。当然ですが総司令部としての機能を持ったわけで大勢の参謀が一時的に配属されました。元々の司令部要員と新たに配属された総司令部要員が一緒に居るのですが今のところ大きなトラブルは有りません。上手くやっています。

貴族連合軍は大軍ですし何と言っても怖い人が総司令官代理として君臨しているのです。出撃前の作戦会議でパエッタ中将がこっぴどくとっちめられた事は皆が知っています。あんな思いはしたくない、誰だってそう思うでしょう。私は会議に参加していましたが少々気の毒に思いました。三十も年下の総司令官代理に皆の前で“馬鹿は貴官ですよ”と言われたのですから。

カールセン大将とパエッタ中将はフェザーン回廊を封鎖しています。封鎖直後、何隻か封鎖を突破しようとした商船が有ったようですが全て拿捕されました。それ以後封鎖を破ろうとした船は無かったのですがここ二、三日また封鎖を突破しようする船が現れ、拿捕されています。貴族連合軍がフェザーンを占領した事で危険を感じて逃げ出したようです。

フェザーンの状況は酷いです。フェザーンから流れてくるニュース放送を受信しているのですが貴族連合軍は軍というよりならず者の集団に近いでしょう。暴行、略奪、殺人……、フェザーンは無法地帯になっています。実際殺人シーンの映像も流れました。同盟軍に助けを求めての放送だろうと皮肉な口調で言ったのはシェーンコップ准将です。ヴァレンシュタイン総司令官代理は興味無さそうでした。

我々同盟軍はランテマリオ星域に集結後、ゆっくりとフェザーン回廊に向かっています。既にポレヴィト星域も通過しました。もっともフェザーン回廊に向かっている事は緘口令が布かれており政府でさえ知りません。そのため公式には同盟軍はランテマリオ星域で貴族連合軍を待ちうけ待機中となっています。ヴァレンシュタイン総司令官代理は同盟軍の動きを貴族連合軍に知られる事を酷く警戒している、いえ怖れています。もしかすると同盟政府をも警戒しているのかもしれません。

今、ヴァレンシュタイン総司令官代理はヴィオラ大佐、シェーンコップ准将の三人で話をしています。どうやらフェザーン占領を考えているようです。スクリーンにフェザーンの地図を映しだしヴィオラ大佐に色々と確認しています。攻略目標は自治領主府、帝国高等弁務官府、航路局、公共放送センター、中央通信局、宇宙港を六ヶ所、物資流通センター、治安警察本部、地上交通制御センター、水素動力センター、エネルギー公団……。総司令部の参謀達もスクリーンを見ていますが口は出しません。地理に不案内ですし陸戦です、自分達の管轄ではないと思っているのでしょう。

「軌道エレベータは如何しますか?」
シェーンコップ准将が問い掛けるとヴィオラ大佐が顔を顰めました。
「本来なら占拠すべきですが貴族連合軍との戦闘に巻き込まれれば破壊されるという事も有りえます。占拠は少々危険です」
そうですよね、ヴィオラ大佐の言う通りです。戦闘中はどんな事でも有り得ます。でもあの軌道エレベータが破壊される? 大惨事でしょう。想像したくない。

「戦局がどのように推移するかによりますね。それによって占拠出来る可能性は変化する……。出来れば破壊される事無く占拠したいと思います、難しいかな……。占拠対象として準備を整えてください。最終決断は私が下します」
ヴァレンシュタイン総司令官代理の言葉に准将と大佐が頷いた。

戦局の推移……、どうなるんだろう? 多分貴族連合軍が回廊から出て来てそれを同盟軍が撃破、そのまま追撃戦でフェザーン回廊に突入してフェザーンを制圧、そんな感じかな……。だとすると貴族連合軍も逃げるので精一杯だから軌道エレベーターも問題無く占拠出来るかもしれません。

オペレーターが“ハイネセンから総司令官代理に通信です”と声を上げました。声を上げたオペレーターはちょっと緊張しています。怖がられている? 違いました、驚きです。相手はサンフォード最高評議会議長だったのです。皆、驚いていましたが一人だけ無反応でした。相変らず可愛くないです。

サンフォード議長は不機嫌そうな顔をしています、なんだろう?
『ヴァレンシュタイン中将か、今貴官達は何処にいるのかね』
「ランテマリオ星域で貴族連合軍を待っています」
サンフォード議長が顔を顰めました。あのー、本当は嘘ですけど……。
『何故フェザーンに行かんのかね、貴族連合軍はフェザーンに居るのだろう?』
「フェザーンから出て来るのを待っています。待ち受けて戦った方が有利ですから」
議長が益々顔を顰めました。あれかな、自分は機嫌悪いんだってアピールしてるのかな、だとしたら意味無いんですけど……。

『フェザーンからの放送は見たかね?』
「ええ、見ました」
『酷いものだ、何の罪も無い民間人が大勢犠牲になっている。貴官は如何思うかね?』
要するにアレ? 早くフェザーンに攻め込めって事?

「酷いものですね」
『そうだろう、そうだろう』
アラ? 何か嬉しそうなんですけど。犠牲になった人を悼んでいるんじゃないの?
「しかしサンフォード議長閣下が心配する事ではないと思いますよ。フェザーンにはボルテック自治領主が居ます。彼が何とかするでしょう、それが彼の仕事ですから」
議長の顔が歪みました、紅潮しています。総司令官代理はニコニコしていました。性格悪いです。

『ヴァレンシュタイン中将、私は最高評議会議長なのだがね、理解しているかな?』
押し殺したような口調です。明らかに怒っている。
「もちろん理解しています。ですからフェザーン人の事よりも同盟市民の事を考えるべきだと申し上げているのです。お分かりいただけましたか?」
『……』

あ、議長のこめかみがピクピクしてるように見えるんですけど錯覚? 錯覚よね、映りが悪いんだわ。艦橋の総司令部要員は皆気まずそうな表情をしています。大丈夫、気にしない、気にしない。総司令官代理を見習いなさい、世の中には何の問題も無いような顔をしているから。実際問題は無いんだろうな、彼にとっては……。

「議長閣下は軍をフェザーンに攻め込ませたい意向をお持ちなのですか?」
『……そうは言っていない』
「安心しました。念のため忠告致しますが攻め込んで負けたりすると政府の支持率が下がるのは間違いありません。口出しはお止めになった方が宜しいかと思いますよ。議長閣下の命令で攻め込んで大敗などしたら閣下の進退問題にまで発展するでしょう」
心配そうな口調ですけど火に油を注いでいるような……。あ、ピクピクがはっきり見えました。映りが悪いんじゃないようです。

「トリューニヒト国防委員長からは政府は軍の作戦に口出しはしない、その事は最高評議会で確認したと伺っております。閣下、軽率とも取られかねない行動は御慎み下さい……」
『……』
「御用が無ければ小官は忙しいのでこれで失礼させていただきます」
総司令官代理がオペレーターに“切りなさい”と命じました。オペレーター達が顔を見合わせている間に通信が切れました。議長が切ったのでしょう、“不愉快な”と吐き捨てる声がしましたから。

皆、顔を見合わせています。最高評議会議長を怒らせてしまったけど良いのかな、そんな感じです。でも軍の作戦に口を出すなと言うのは正しいでしょう。基本方針は≪貴族連合を同盟領に引き寄せ迎撃する≫で決まっているのです。細部は軍人に任せるべきです。総司令官代理がトリューニヒト国防委員長への通信を命じました。クレームかな。

『どうしたのかね、ヴァレンシュタイン中将』
相変らず格好良いです、トリューニヒト国防委員長。スマートで女性層に人気が有るのも分かるなあ、私の母もフアンです。でも声はシトレ元帥の方が渋くて素敵です。
「今、サンフォード最高評議会議長から通信が有りました」
国防委員長の表情が厳しくなりました。
『それで、サンフォード議長は何と?』

「露骨には言いませんでしたがフェザーンに攻め込ませたかったようですね」
『そうか……』
「基本方針に変化が有ったのですか?」
総司令官代理の問い掛けにトリューニヒト国防委員長が片眉を僅かに上げました。
『いや、変化は無い。同盟領に引き摺り込んでの迎撃だ』

「困りますね、基本方針を無視して政治家達が恣意的に軍に圧力をかけるのは。これ以上の軍への介入は現場を混乱させるだけですよ。勝てるものも勝てなくなります、そうなれば同盟の存続にも大きな影響が出るでしょう」
トリューニヒト国防委員長が頷きました。

『君の言う通りだ、最高評議会できちんと釘を刺しておこう』
「宜しくお願いします」
『他のメンバーにも相談しておくよ。協力してくれるだろう』
「……」
『正念場だね、ヴァレンシュタイン中将』
「そうですね、期待しております」
う、怖いです。二人とも口元に笑みが有るのに目は笑っていません。肉食獣が獲物を見つけた様な目です。

通信が終わると総司令官代理は“少し自室に戻ります”と言って艦橋を後にしました。
「昨日もこの時間に部屋に戻ったな」
「一昨日もですよ、デッシュ大佐」
ラップ少佐の言葉に皆が何とも言えない様な表情をしました。何処かに連絡でもしてるのかしら……。直ぐにコソコソし始めるんだから。また何か考えているんだわ、きっと。



宇宙歴 795年 12月30日    最高評議会ビル    ジョアン・レベロ



そろそろ宇宙歴七百九十五年も終わる。今年もこれまで通り戦争で始まって戦争で終わる一年になりそうだ。だが例年とは違うところも有る。帝国との和平、戦争の終結が見え始めている。来年は良い年にしたいものだ。そんな事を考えていると情報交通委員長シャルル・バラースがフェザーンの事を話し始めた。

「フェザーンは随分と酷い事になっているようだが」
チラ、チラとサンフォード議長に視線を向けながら話す、どうやら議長から命じられたらしい。もっともバラース本人もフェザーンから金を受け取っている、議長に頼まれなくても動いたかもしれん。或いはボルテックがせっついたかな、奴もフェザーンが占領されては必至だろう。

「確かに酷いな。略奪、暴行、殺人か……、貴族連合軍はならず者の集まりだな、あれで軍と言えるのかね」
「貴族達の私兵だからな、正規軍じゃない。統制は緩いのだろう、そういう軍は始末が悪いよ」
マクワイヤー天然資源委員長とトレル経済開発委員長の言葉に皆が頷いた。

「このままで良いのかな?」
「……」
「フェザーンに軍を送り貴族連合軍を追い払うべきじゃないか? そうすればフェザーンも同盟に感謝するだろう。色々とやり易くなると思うんだが」
バラースの言葉に皆が顔を見合わせた。

「それは同盟領へ引き摺りこんで迎撃するという基本方針を変更するという事かな」
「そういう事になるかな」
バラースがラウド地域社会開発委員長の問いに答えると皆がトリューニヒトに視線を向けた。だがトリューニヒトは無言だ、まるで関心を示さない。サンフォード議長が面白くなさそうな表情をしている。バラースは面子を潰されたと思ったのだろう、トリューニヒトに向ける視線が鋭くなった。

「国防委員長、如何かな?」
「何をかね?」
気の無さそうなトリューニヒトの返事にバラースが全身に力を入れるのが分かった。激発を堪えた、そんなところか。しかしな、この程度の挑発に乗ってどうする、阿呆。

「軍の基本方針を変えてはどうかと……」
「却下だな」
「しかし……」
バラースは最後まで言えなかった。トリューニヒトに睨みつけられて口籠っている。

「却下だ」
「……」
「二十万隻もの大軍なのだぞ、一旦決めた基本方針を簡単に変えられては軍が混乱する。少し考えて口を開いて欲しいな」
バラースの顔が紅潮している。馬鹿扱いされて屈辱を感じたのだろう。しかしな、トリューニヒトに好意を持たないターレル副議長兼国務委員長、ボローン法秩序委員長もお前に同調しない。馬鹿扱いされても仕方が無いだろう。

「しかし、人道的な見地からあの様な蛮行は……」
「フェザーンの事はボルテックに任せればいい。安っぽいヒューマニズムを振りかざすのは止めてくれないか、バラース委員長。我々は勝たなければならないんだ。それにあそこは地球教の根拠地だ、甘く見るのは危険だ」
「……」
ウンザリした様な口調で遮るとバラースの顔が強張った。皆気付いていないようだがサンフォードは不機嫌そうにしている。思うようにいかない、そんなところか。

「攻め込んで待ち伏せされていたらどうする。大変な損害を受けるぞ。君はその危険性を考えているのか?」
「……しかしフェザーンを助ければ経済面での利得は計り知れない。人道だけじゃない、実利も有るだろう」
バラースの言葉にサンフォードが微かに頷いた、微かにだ。

「議長閣下も同意見ですか?」
トリューニヒトが幾分丁重な口調で問い掛けた。サンフォードが目をキョロキョロしている。積極的に自分から火の粉を被ろうとはしない男だ。火の粉がかかりそうで慌てているらしい。
「頷いておいででしたが?」
トリューニヒトも見ていたようだ。意地悪く指摘した。

「そんな事は無い。確かに軍の方針を変えるのは大変かもしれないがバラース君の意見にも一理あるのではないかね。検討の余地は有ると思うが……」
苦労しているな、そんな言い方で中立を保ったつもりか? 決定的な言質を与えず望みの方向に誘導する。まるでフェザーンだな、議長。おまけに地球教の脅威については全くの無視か。何を考えている! 

「フェザーンを甘く見てもらっては困りますな」
トリューニヒトが言うとサンフォード議長は居心地が悪そうに身動ぎした。標的はバラースから議長になった。ホアンが微かに笑みを浮かべている。結末は見えた。
「貴族連合軍とフェザーンが組んでいるとは御考えにならないのですか?」
誰かが“組んでいる?”と呟いた。皆は顔を見合わせている。

「あの放送は“やらせ”だと言うのかね、国防委員長」
「いや、そうは言いません。実際に被害は出ているのでしょう。しかし貴族連合軍とボルテック自治領主が組んでいる可能性は有る。議長、私はそう考えていますよ」
「……」
サンフォードは不満そうな表情だ。馬鹿な奴、フェザーンが味方だと思っているのか? お前はフェザーンの駒の一つでしかないのだ。もう直ぐそれが分かるだろう。

「我々に助けてもらってもフェザーンにとってはメリットは有りません。貴族連合軍に痛めつけられ我々からは恩を着せられ報酬を毟られるだけです。フェザーンの政治的な地位は低下するだけですな」
トリューニヒトの言葉に何人かが頷いた。もちろんその何人かにはサンフォードとバラースは入っていない。

「しかし貴族連合軍と組んで同盟軍を叩ければどうか? 当然ですが貴族連合軍からは感謝される。特にヴァレンシュタイン中将を戦場で殺す事が出来れば帝国内ではその武勲は空前絶後の評価を受けるでしょう。大きな恩を売れます。それに貴族連合軍の力が強くなれば政府の力は相対的に弱体化する。当然だが帝国での改革は失敗、いや廃止されるでしょう」
「……」
彼方此方で唸り声が起こった。顔を寄せ合って囁き合っている人間も居る。反論は出ない、否定出来ないのだ。

「そうなれば帝国は政府、貴族、平民の間で緊張が高まるはずです。場合によっては内乱、革命という事も有り得る。そして同盟は敗戦により政治的、軍事的に酷い混乱が生じるはずです。帝国も同盟も積極的な軍事行動を執る事は到底無理でしょう。フェザーンの、いや地球教の一人勝ちです」

トリューニヒトが声を上げて笑った。明らかに嘲笑と分かる笑い声だ。サンフォード、バラースの顔が歪む。いや、二人だけじゃない、他のメンバーも表情が強張っている。
「トリューニヒト国防委員長の言う通りフェザーン侵攻は危険だと思う。同盟領内での迎撃という基本方針を守るべきだ、変更すべきではない」
私の言葉に皆が同意の声を上げた。

「サンフォード議長、宜しいですな?」
トリューニヒトが問い掛けるとサンフォードも渋々頷いた。
「それと先日、議長はヴァレンシュタイン中将に直接連絡をしたと聞いていますが」
「……」
皆の視線がサンフォードに向かった。おそらく通信の内容も想像出来た筈だ。サンフォードが気まずそうな表情をしている。

「中将が困惑していました。議長閣下が自分に何をさせたいのかがさっぱり分からないと。フェザーンに攻め込ませようとなさったのですか?」
「そのようなことは無い。今どのあたりに居るのかと気になっただけだ」
誰も信じないだろうな。だがトリューニヒトは頷いた。

「なるほど、そうでしたか。軍はランテマリオ星域で貴族連合軍を待ち受けています。御心配には及びません」
「……」
「それと今後は直接連絡を取るのはお止め下さい。軍を混乱させるだけです。宜しいですな、皆さん」
トリューニヒトの呼び掛けに皆が頷いた。

これでサンフォードの動きは封じることが出来た。ボルテックもサンフォードは役に立たないと理解するだろう。奴がトリューニヒトに接触を図るのも間近の筈だ。その前に多数派工作をしないと……、来年こそは和平を実現するのだから……。





 

 

第百七話 説得




宇宙歴 795年 12月30日    ハイネセン    ジョアン・レベロ



いつもの隠れ家に新たな客人が二人来ていた。ジョージ・ターレル副議長兼国務委員長とライアン・ボローン法秩序委員長の二人だ。二人とも幾分こちらを警戒している。まあ仲が良いとは言えない間柄だからな、無理もない。安心しろ、取って食ったりはしない。ちょっと仲良くなりたいだけだ。トリューニヒトが二人に声をかけた。
「まあ、遠慮せずに食べてくれたまえ。話しをしながら食べるにはこれが一番だ。それとアルコールは用意していない、飲んで出来る話では無いのでね」

テーブルのこちら側にはトリューニヒトを中心に私とホアン、反対側にはターレルとボローンが座っている。二人がじっとトリューニヒトを、そして私とホアンを見てからテーブルに視線を移した。テーブルにはサンドイッチ、鳥の唐揚げ、ポテトフライ等の揚げ物、サラダ、フルーツ、水、ジンジャーエールが置いてある。ヴァレンシュタインが見れば大喜びだろう。

ターレルとボローンが顔を見合わせた。“折角だから頂こうか”、“そうだな”と言って食べ始めた。こちらも負けじと食べ始める。やっぱりコンビーフとマヨネーズのサンドイッチは美味い、これが一番だな。トリューニヒトはタマゴサンド、ホアンはクリームチーズとハムとトマトの薄切りを挟んだサンドイッチが好みだ。

ターレルは美味しそうにサンドイッチを食べている。ボローンはポテトフライが好みの様だ。それにしてもこの二人、喰えない奴らだ。普通なら“話は何だ?”と言いそうなものだが無心に食事を楽しんでいる、いや振りをしているだけかな。しかし食事を楽しんでばかりもいられない、トリューニヒトに視線を向けると彼が頷いた。どうやら同じ事を考えていてようだ。

「今日の事だが、君達は如何思った? 二人とも何も言わなかったが」
「フェザーン侵攻か? 馬鹿げているな。攻め込むより待ち受ける方が有利なのは事実だ。危ない橋を渡る必要は無いだろう」
「サンフォード議長もバラースも何とか攻め込ませようと焦っていたな。何処かの企業にでも泣き付かれたかもしれん」
そっけない口調だった。ターレルとボローンは二人ともこちらに視線を向けようとはしない、関心が無さそうな態度で食事を続けている。

「当たりだよ、ボローン。あの二人はフェザーンの企業から金を受け取っている」
二人は食べるのを止めない。
「問題はその企業がフェザーン自治領主府の所有するダミー会社だという事だな」
二人がトリューニヒトを見た。視線を外してターレルが水を飲んだ。ボローンはまたポテトフライを口に入れた。

「本当なのか?」
「本当だ、ルビンスキーが証言した」
トリューニヒトがターレルに答えると今度はボローンが問い掛けてきた。
「ルビンスキーが嘘を言ったという可能性も有るだろう」

「その可能性は無い、彼は我々を頼る他に生き残る術が無いんだ。我々に嘘を吐けば命が危うい事を理解している」
「我々?」
「私、シトレ元帥、ヴァレンシュタイン中将だよ、ボローン。我々が見捨てればあっという間に地球教の手によって命を失う事になる」

その通りだ、フェザーン、地球教にとってルビンスキーは抹殺しなければならない存在だ。特に地球教にとっては失敗者であり裏切り者に等しい存在だろう。そしてサンフォードも出来る事ならルビンスキーの口を封じたいと思っているはずだ。ルビンスキーは我々を裏切る事は出来ない。

「ルビンスキーと話は出来るか?」
ターレルが問い掛けたがトリューニヒトは首を横に振った。
「無理だ、彼はハイネセンには居ない。ここは危険すぎる」
また二人が顔を見合わせた。
「何処に居るんだ?」
トリューニヒトがまた首を横に振った。

「残念だが教えられない。君達を信用しないわけではない。だが何処に敵が居るか分からない状況だからな。君達も知らない方が良い」
ターレルもボローンも不満そうな表情をした。ルビンスキーはハイネセン到着後軍の或る施設に移送された。その後、戦艦ハトホルに密かに戻され匿われている。後方のハイネセンに居るより戦場の方が安全だと判断された。ルビンスキー自身もそれを望んだ、皮肉な話だ。

「シトレ元帥も襲われた、念には念を入れておきたいんだ」
「あれは精神異常者の犯行だろう?」
「……」
「違うのか?」
「実行者は精神異常者かもしれない、しかし何者かに使嗾された可能性が有る。誰が裏に居たのやら……」
ターレルが愕然としている。ボローンは唸り声をあげ“信じられん”と呟くとサンドイッチを一口つまんだ。何かを考えながら咀嚼している。

「しかし、本当なのか? いくらなんでもフェザーンそのものが議長を買収していたなど……」
「ターレル副議長、レベロ財政委員長が裏を取った。間違い無い」
トリューニヒトが私を見ると二人も私を見た。
「間違い無い、フェザーンのある企業から金が送られている。その企業だがフェザーン政府主導の開発事業に絡んではいるが実態は殆ど無い。株式会社の形態をとっているが株を所有しているのはフェザーン政府が百パーセント出資している国営事業会社だった」

ターレルとボローンが顔を見合わせた。
「ルビンスキーを拉致して以来、フェザーンが絡むとサンフォード議長の言動には不可解な点が多かった。君達も思い当たるフシは有るだろう。彼がフェザーンの紐付きだと分かれば合点がいく」
ホアンの言葉にターレルが大きく息を吐いた。

「世も末だな。最高評議会議長がフェザーンの飼犬か。しかしそこまで分かっているなら何故あの二人を弾劾しないんだ? 追い落とすのは簡単だろう」
「ターレル副議長の言う通りだ。地球教の問題も有る。同盟にとっては安全保障上の一大事だ。猶予は出来ない、何をグズグズしている」
この二人、サンフォードの排除には賛成の様だ。弱みを握って傀儡として操るというのは考えないらしい。

「そう簡単には行かない。金を受け取っているのはバラースでありサンフォード議長は表向き関係ないんだ。ルビンスキーの証言だけでは信憑性に欠けると言われるだろう。おそらく万一の時にはバラースに全て押付けて切り捨てるつもりじゃないかと考えている。サンフォード議長はなかなか狡猾だよ」
トリューニヒトが嘲笑交じりに答えるとターレルとボローンがまた顔を見合わせた。

「実際にサンフォード議長が関係無い、収賄はバラース一人の問題という可能性は無いか? ……いや、無いか。バラースは常に議長の顔色を窺っている。フェザーンに攻め込めというのも明らかに議長の意向だろう。となるとやはりバラースは隠れ蓑で真の受取人はサンフォード議長か……」
ボローンが考えながら話すとターレルがウンウンというように二度頷いた。

「となるとバラースを寝返らせるしかないな」
チラッとボローンがターレルを見た。同意を求めたのだろうがターレルは首を横に振った。
「上手く行くかな? 議長の後ろ盾が無ければ誰も相手にしない奴だ。バラース本人もそれは分かっている。裏切るかどうか……」
ボローンが顔を顰めた。ターレルの言う通りだ、バラースが裏切る可能性は決して高くない。

「説得に手間取ってサンフォード議長に気付かれるとバラースの命も危ないだろう」
「……」
「サンフォード議長、いや地球教が動きかねない。彼が殺されれば全てが闇の中だ」
私とホアンが指摘すると二人がギョッとしたような表情を見せた。

「ではどうする? このまま放置は出来んぞ」
挑むような目と口調でボローンが問い掛けてきた。
「確かに放置は出来ない、フェザーンにサンフォード議長を切り捨てさせる事を狙っている」
トリューニヒトが答えるとターレルとボローンが顔を見合わせた。

「フェザーンは貴族連合軍を同盟の力を使って追い払いたがっている。そのためにサンフォード議長をせっついているのだろう。だがサンフォード議長に軍を動かす力が無いと判断すれば……」
「……ボルテックはサンフォード議長では無く国防委員長である君に接触してくる、そこでサンフォード議長失脚の証拠を提出させる。そういう事だな、トリューニヒト」
「そう言う事だ、ボローン。その後は君にあの二人を預ける事になる」
ボローンが目を細めた。点数を稼げると思ったか。

「そこまでシナリオが出来ているなら何故私達をここに呼んだのだ?」
ターレルがじっとトリューニヒトを見た。ボローンも同様だ。二人とも強い視線だがトリューニヒトは怯まずに見返した。
「その後の事を決めておきたいんだ、君達とね」
益々二人の視線が強まった。何を言いたいのかが分かったのだろう。

「会戦が迫っている。とりあえず暫定政権で会戦を乗り切るしかない」
「……」
「私が最高評議会議長になる。ホアンとレベロは協力してくれる。君達も私に協力して欲しい」
最高評議会で互選により議長を選び暫定政権を発足させる。戦争に勝てば暫定政権から暫定の文字が消えるだろう。

ターレルが私とホアンに視線を向けた。
「何時からだ、何時から君達はトリューニヒトと組んでいる?」
さて、何と答えよう? ホアンに視線を向けたが彼は苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「それが大事な事かな、ターレル副議長、ボローン法秩序委員長。私、トリューニヒト、レベロの三人は協力体制に有る。或る目的のためにね。そちらの方が大事だと思うが……」
二人がホアンに視線を向けた。睨むように彼を見ている。

「……では、その目的とは」
「和平だよ、ターレル副議長、ボローン法秩序委員長」
トリューニヒトがターレルの問い掛けに答えると部屋に沈黙が落ちた。五人が微動だにせず沈黙している。こちらは手の内を晒した、相手はどう出る……。

「本気で言っているのか? トリューニヒト」
「本気だ。君は一度もその事を考えた事が無いのか、ボローン」
「……」
答えが無い。しかし表情は沈痛と言って良かった。やはり一度は考えた事が有るのだ。

「ヴァレンシュタイン中将とレムシャイド伯の会話を君も見た筈だ。このままでいいのか?」
ボローンが大きく息を吐いた。ターレルが水を飲もうとしてグラスを取ったが途中で止めた。

「君達も分かっているはずだ。同盟はもう限界に近い。増税による市民への負担増、そして働き盛りの三十代、四十代の男性の減少、それによる出生率の低下……。年々人口は減少しそれによって税収も減少している、しかし軍事費は増加する一方だ」
「……」

「国債の発行により不足分を補っているが何のことは無い、借金を減少していく次の世代に残しているだけだ。負担はより大きいものになるだろう。このままでは国家が戦争によって喰い潰されかねない。同盟は破滅へと疾走しているんだ。戦争を止めるしか破滅を回避する方法は無い」
「……」

「レベロの言う通りだ。同盟はもう限界だ。今は戦争に勝っているから市民はそれを直視しようとはしない。しかし我々はそれで良いのか? 国政の担当者としてそれが許されるのか? ターレル副議長、ボローン法秩序委員長、君達は今同盟が抱える危機を見過ごす事が正しいと思うのか?」
「……」

二人とも無言のままだ。私の言葉にもホアンの言葉にも何の反応も示さない。ただ黙って何かを考えている。ようやくボローンが視線を上げた。
「……出来ると思うのか? この勝ち戦続きの中、同盟市民が和平を受け入れると思うのか?」
ボローンが発言するとターレルが大きく息を吐いた。

「ボローンの言う通りだ。確かに地球教の存在が有る以上同盟市民も和平という選択肢が有る事は認めるだろう。だが選択肢を認める事と受け入れる事は別だ」
ホアンが突然テーブルを叩いた。
「私が聞きたいのは君達が和平の必要性を認識しているかどうかだ! 実現の可能性がどうかじゃない! どう思っているんだ?」

ホアンが怒鳴る様な口調で問うと二人がそれぞれ必要だと思うと答えた。
「ならば我々は協力するべきだ。状況は厳しいかもしれない、しかし今を逃がせばさらに状況は厳しくなるだろう。手を拱いているべきじゃない」
戸惑っている。実現性に自信が持てないのだ。失敗すれば政治生命を失いかねない事が二人を臆病にしている。トリューニヒトに視線を向けると大きく頷いた。

「和平が必要だと思うなら、私に協力してくれ。私には和平を実現させる成算が有る。最高評議会議長にさえなれば和平は可能だ」
「……」
「帝国のブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も和平を結びたがっている」
「……」
「これが最初で最後のチャンスかもしれないんだぞ。君達も分かるだろう?」
「……」



『それで、上手く行ったのですか?』
「ターレルもボローンもなんとか協力してくれる事になったよ。それと例の件を話したからね。二人とも驚いていた、これ以上戦争を続けるべきではないと彼らも強く思ったようだ」
トリューニヒトが答えるとスクリーンに映るヴァレンシュタインが頷いた。内密の話しだ、自室から連絡しているらしい。

「まあ何時までも戦争をしているような状況じゃない、そんな事はちょっと考えれば分かる事だ。ただそこから目を逸らしているにすぎない」
『現実を見るのではなく見たいと思う現実を見る……、そういう事ですか』
「そういう事だね。戦争に疲弊している現実では無く戦争に勝っている現実を見ている」
トリューニヒトが首を横に振った。見たいと思う現実か……、確かにその通りだな。

『後はボルテックからの接触待ちですか』
「そうなるね」
『ボルテックにはフェザーン侵攻の言質は与えないでくださいよ。あくまでサンフォード議長失脚の材料を提出させる事が先だと突っぱねてください』
「当然だな」

『議長就任後、改めてボルテックとの交渉の場を設けてください。交渉は私が行います。フェザーンへ攻め込む前に確認しなければならない事があるんです』
トリューニヒトが私とホアンを見た、どうする? と訊いている。
「良いんじゃないか、作戦に関する事なら必要な事だ」
私が答えるとホアンも頷いた。

「良いだろう、君に任せるよ。精々ボルテックをきりきり舞いさせてくれ」
トリューニヒトの言葉にヴァレンシュタインがニッコリと笑みを浮かべた。邪気のない笑顔なのに寒気を感じるのは何故だろう?
『期待に添えるように頑張ります』
寒気が強まった、今年一番の冷え込みだな。来年は暖かくなって欲しいものだ……。



 

 

第百八話 クーデター



宇宙歴 796年 1月 3日    ハイネセン  最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



臨時に最高評議会が開かれる事になった。会議室にはサンフォード議長とバラースが未だ来ていない。ラウド、トレル、マクワイヤー、リウの四人は不安そうな表情をしている。会議招集を要請したのはトリューニヒトだ、迎撃軍に何か有ったのかと思っているのだろう。

サンフォード議長が会議室に入って来た。後ろにはバラースが付いている。いつもの事だ、この二人は最後に入って来る。議長は自分が偉いのだと言いたいらしい。そしてバラースは自分は議長の腹心なのだとアピールしているのだろう、笑止な……。ターンテーブルに十一人が席に着いた。一人ずつ参加者の顔を見た。

最高評議会議長ロイヤル・サンフォード
副議長兼国務委員長ジョージ・ターレル
書記トーマス・リウ
情報交通委員長シャルル・バラース
地域社会開発委員長ダスティ・ラウド
天然資源委員長ガイ・マクワイヤー
法秩序委員長ライアン・ボローン
人的資源委員長ホアン・ルイ
経済開発委員長エドワード・トレル
国防委員長ヨブ・トリューニヒト
財政委員長ジョアン・レベロ
この十一人で会議を行うのも今日が最後だろう。

「一体何事かね、トリューニヒト国防委員長。緊急の会議要請とは穏やかではないがフェザーン方面で何か有ったのか」
サンフォード議長が不機嫌そうな表情で問いかけた。ボルテックに役立たずとでも罵られているのだろうな。まあ金は貰っているのに要求に応えないではそう言われても仕方が無い。

「いささかフェザーン関係で厄介な事態が発生しました」
深刻そうな表情でトリューニヒトが答えるとラウド達四人が益々不安そうな表情をした。役者だな、トリューニヒト。演技過剰になるなよ、お前さんは自分の演技に酔う癖が有るからな、抑えて行くんだぞ。

「それは一体何かね?」
「このメンバーの中にフェザーンの企業から資金提供を受けている人間が居ます」
皆が顔を見合わせた。ラウド達四人はサンフォード議長とバラースを遠慮がちに見ている。やはりこの二人は怪しいと思われたようだ。サンフォードは顔を強張らせバラースはキョロキョロしている。

「困った事にその企業、実はフェザーン政府の所有会社なのですよ。つまり資金の提供者はフェザーン政府という事になります」
「……」
会議室の空気が息苦しいものになった。

「バラース情報交通委員長、君の事なのだがね」
「……証拠が有るのかね」
声が擦れているぞ、バラース。
「もちろんだよ、レベロ財政委員長が調べてくれた」
トリューニヒトが私に視線を向けた。皆も私を見ている。

「フェザーンから君に資金提供がされている。確認したよ」
ファイルケースから書類を取り出し“見るかね?”とバラースに問い掛けたが固まったままだ。サンフォード議長は表情を消している。おそらくはバラースを切り捨てて逃げるつもりだろう。

「認めるかね、バラース情報交通委員長」
「……」
トリューニヒトが問い掛けてもバラースは答えない。チラッとサンフォード議長を見たが議長はそれに応えなかった。それを見てトリューニヒトが苦笑を浮かべた。

「議長を庇っても無駄だよ、バラース。君が受け取った金はサンフォード議長に流れている。そうだね?」
「……」
「彼はもう終わりだ、君を助けることは出来ない」
ラウド達四人が驚いたようにトリューニヒトとサンフォード議長、バラースを見ている。バラースは蒼白になって小刻みに震えている。サンフォードは眼が飛び出そうな表情だ。

「な、何を言うのだね、トリューニヒト国防委員長。私が金を受け取っているなど馬鹿な事を言うのは止めたまえ」
トリューニヒトが苦笑を浮かべてファイルケースから書類を取り出した。
「この書類はフェザーンから提供されたものです。ここにはサンフォード議長、貴方とフェザーン自治領主府との遣り取りが記載されています。これだけじゃありません、通話記録の録画も有ります。貴方がフェザーンの飼犬である事の証拠です」
今度はサンフォード議長の顔が蒼白になった。会議室が騒がしくなった、ラウド達が小声で話し合っている。ターレルとボローンはさっきからずっと無言だ。

「馬鹿な……、何故そんな物が……」
「未だ分かりませんか? 貴方はフェザーンに切り捨てられたのです」
“切り捨てられた?”と議長が呟いた。困惑している、何が起きているのか理解できていない様だ。トリューニヒトがこちらを見た、私が首を振ると微かに苦笑を浮かべた。

「貴方はフェザーンを救うために軍を動かすことが出来なかった。ボルテック自治領主はフェザーンを救うためには、自由惑星同盟軍を動かすには貴方ではなく他の人間に頼るしかないと判断したのです」
「……君を選んだのか……、ボルテックは私を裏切ったのか」
呆然自失、そんな声だ。トリューニヒトが笑い出した。侮蔑が込められた笑いだ。

一頻り笑うとトリューニヒトが生真面目な表情になった。憐れむような視線を議長に送っている。
「ボルテックは裏切っていませんよ、サンフォード議長。貴方はフェザーンにとっては道具でしかありません。ボルテックはフェザーンのために用済みになった道具を捨てただけです。仲間だと思っていたのは貴方だけですよ」
「……」

「先程裏切ったと仰っていましたが裏切ったのは貴方でしょう。同盟を、同盟市民を裏切っていた。最高評議会議長である貴方が」
トリューニヒトが非難しても反応が無かった。聞こえなかったのかもしれない。トリューニヒトが溜息を吐いてボローンに視線を向けるとボローンが席を立った。そして会議室の出入り口に向かう。

ドアを開けると私服の男達が六人、中に入って来た。警察関係者だろう、六人とも緊張しているが最高評議会の開催中に入って来たのだ、無理もない。
「サンフォード議長、バラース情報交通委員長、お二人には国家機密漏洩罪、収賄の疑いが有ります。捜査に御協力願います」
ボローンが言ったが二人とも反応が無い、虚脱している。“連れて行きたまえ、丁重にな”とボローンが言うと二人を席から立たせ会議室から出て行った。

二人が出て行くのを見届けるとボローンが席に戻り大きく息を吐いた。一仕事終わった、そんな感じだ。ラウド達は未だ状況が掴めていないのだろう、落ち着きなく周囲をキョロキョロしている。
「サンフォード議長とバラース情報交通委員長の解任動議を出す必要が有るかな? 賛否を問う必要が有るかという意味でだが」
「その必要は無いだろう、ターレル副議長。あの二人が国家を裏切っていたのは事実だ」

ホアンが答えるとターレル副議長が頷いた。
「現状では政治的な空白期間を作る事は避けるべきだろう。我々の中から暫定で最高評議会議長を選出し、フェザーン方面での戦争が終結後、改めて同盟議会に図り最高評議会議長を選出しなおす。そういう事にしたいが」
ターレル副議長が皆の顔を見回す。反対する人間は居なかった。

「では先ず私から推薦させてもらおう。トリューニヒト国防委員長に最高評議会議長をお願いしたい」
ターレルがトリューニヒトを推薦するとラウド達がギョッとするのが分かった。聞き間違いとでも思ったのだろう。頻りにターレルとトリューニヒトを見ている。

「賛成する」
「私も賛成だ」
「トリューニヒト国防委員長にお願いしたい」
私、ホアン、ボローンが口々にトリューニヒトを支持するとラウド達の顔が強張った。我々が事前に根回ししていた事、これが周到に準備されたクーデターだと理解できたのだろう。四人が顔を強張らせながらトリューニヒト支持を表明した。

全員がトリューニヒトの議長就任を支持した。トリューニヒトが席を立ち神妙な表情で“責任を持って議長の職責を果たしたい、同盟は今難しい状況に有る、これからも皆さんからの御助力を頂きたい“と言うと皆が拍手をしてトリューニヒトの最高評議会議長就任を祝福した。席に座ったトリューニヒトの頬に赤みが差した。

「さて、先ずは欠員となった国防委員長と情報交通委員長の後任者だが混乱を避けるためにも国防委員長は私が兼任したい、如何かな?」
トリューニヒトの提案に皆が頷いた。フェザーン方面で戦争が始まるのだ、今この時点ではトリューニヒトの提案がベストだろう。

「情報交通委員長だが誰か適任者が居るかな?」
トリューニヒトが問い掛けるとターレル副議長が
「ピエール・シャノン代議員は如何だろう?」
と推薦してきた。ピエール・シャノン? 国防委員会に所属していたはずだがトリューニヒトのシンパでは無かったはずだ。ターレルは親しいのか……。

「シャノン代議員か、誠実な男だ。……他に誰か候補者が居るかな? 居なければシャノンにするが……。居ない様だな、シャノン代議員を情報交通委員長にしよう。次の最高評議会から参加してもらう事にする」
トリューニヒトの言葉に皆が頷いた。

「これから皆に私が信頼する友人を紹介したいと思う」
ボルテックの事か?
「少々、いやかなり口は悪い、性格もね。だが能力は信頼できる。その誠実さもだ」
ヴァレンシュタインか……。ホアンが肩を竦めるのが見えた。他のメンバーは訝しげな表情をしている。

スクリーンにヴァレンシュタインが映った。他にも軍人が映っているところを見るとどうやら自室ではないらしい。
「やあ、ヴァレンシュタイン中将。忙しいところを悪いね」
『大丈夫です、それほど忙しくは有りません』

ヴァレンシュタインは無表情にこちらを見ている。愛想の無い男だ。こちらが最高評議会の最中だと気付いているだろうが気にした様子も無い。周囲は緊張しているぞ、ヴァレンシュタイン。平静なのはお前だけだ。愛想だけじゃない、可愛げも無い。

「紹介しよう、最高評議会のメンバーだ」
『ヴァレンシュタインです』
トリューニヒトの言葉にヴァレンシュタインが軽く頭を下げた、軽くだ。おそらく不満に思っている人間も居るだろう。筆頭はヴァレンシュタイン自身だろうな、馬鹿共を紹介してどうする、そう思っているに違いない。

「サンフォード議長が失脚した。今は私が暫定ではあるが最高評議会議長になっている」
『……』
ヴァレンシュタインの周囲が驚いている。隣に小声で話しかける者、周囲に視線を向ける者、様々だ。だがヴァレンシュタインが平静を保っている姿に気付くと慌てて驚きを隠した。なるほど、指揮官は常に沈着でなければならないという事か……。

「祝ってはくれないのかね?」
トリューニヒトが幾分不満そうに言うとヴァレンシュタインが口元に微笑みを浮かべた。
『最高評議会議長になるのは手段であって目的では無いと思っていました。目的が達成されていないのに何故祝うのです? それとも私は間違っていたのかな? だとすれば興醒めですが』

皆がギョッとした表情になった。会議室も、スクリーンの中もだ。まさか同盟の最高権力者になった男に期待外れと罵倒する人間が居るとは思わなかったのだろう。トリューニヒトが声を上げて笑い出した。
「君らしい祝辞だな、この程度で浮かれるなという事か」
ヴァレンシュタインの笑みが幾分大きくなったように見えた。この二人、性格の悪さでは甲乙付けがたいな。

「感謝するよ、中将。確かに少し浮かれていたようだ。我々は武器を得ただけで目的は何も達成していない」
『ようやくスタートラインに辿り着いた、そんなところですね』
「スタートラインか、確かにそうだな」
トリューニヒトが頷いた。同感だ、ようやくここまで来たが未だここまでしか来ていないとも言える。

『まあここまで来るのは結構大変でしたからね。多少浮かれるのも仕方がないかもしれません。議長就任、おめでとうございます』
ここで御祝いの言葉か、溜息が出た。トリューニヒトがまた笑い出した。皆に“私の言った通りだろう。口が悪いし性格も悪い”と言った。どっちもどっちだ、皆が呆れているぞ、トリューニヒト。それにしてもお前、貶されて喜ぶとはマゾだったか……。

「君に連絡を取ったのは議長就任の報告をしたかったからじゃない。ボルテックとこれから連絡を取る。君がまず交渉を行う」
トリューニヒトの言葉に会議室がざわめいた。彼方此方から“良いのか?”、“それは……”、“しかし……”等という声が聞こえた。

「トリューニヒト議長、その交渉には我々も参加できるのかね」
ターレル副議長が問い掛けた。不信感が表情に溢れている。無理もない、海千山千のフェザーン人に二十歳を超えたばかりの若造をぶつけようというのだ。不信感が出なければおかしいだろう。彼らはヴァレンシュタインがどういう人間か知らない。

『構いませんよ。但し、発言は私の許可を得てからにしてもらいます。こちらが混乱していると思われるのは得策じゃありません』
「だそうだ、良いかね?」
トリューニヒトが確認を取ると皆が多少不満そうな表情を見せたが同意した。これで思った事の半分も言えんだろうな。

スクリーンが二分割されフェザーン自治領主ニコラス・ボルテックが映った。
「お待たせした、ボルテック自治領主閣下。トリューニヒト最高評議会議長です」
『おめでとう、トリューニヒト議長。資料が役に立ったようだですな。議長とは協力し合う事で良い関係を作りたいと思っています』
嬉しそうな表情だ。恩を着せようというのか、或いはようやく貴族連合軍を追い払う目処が付いたと考えているのか。

「フェザーンを貴族連合軍から救って欲しいとの事ですがそれに関しては私の代理人と交渉して欲しい」
『代理人?』
『私ですよ、ボルテック自治領主閣下。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将です』
ヴァレンシュタインが名乗るとボルテックの顔が露骨に歪んだ。嫌悪か、それとも恐怖か、多分両方だろう。

『ヴァレンシュタイン中将、こちらはトリューニヒト議長に協力しているのだ。今度はそちらが我々の苦境を救うべきだと思うが』
ボルテックが露骨にトリューニヒトとの関係を強調してきた。交渉を優位に進めようというのだろうがヴァレンシュタインは鼻で笑った。

『ふざけないで欲しいですね、自治領主閣下。貴方は役に立たなくなったサンフォード議長を切り捨てただけじゃありませんか。それを恩に着せて交渉の主導権を取ろうとするとは……、笑わせないでください』
彼方此方から失笑が漏れた。ボルテックが苦虫を潰したような顔をしている。

『同盟政府はフェザーンが地球教の根拠地だと考えています。自治領主府は地球教の手先だと。その疑惑が払拭されるまでは救援など無理ですね』
『我々は地球教とは無関係だ!』
ボルテックが吐き捨てるような口調で地球教との関係を否定した。それを見てまたヴァレンシュタインが露骨に嘲笑した。

『貴方は長老委員会で選ばれて自治領主になった。地球教はその長老委員会を支配下に置いている。そして代々自分達の言う事を聞く奴隷を自治領主にしてきた。貴方もその奴隷の一人だ。それでも無関係ですか?』
皆が顔を見合わせた。ボルテックの顔が強張っている、どうやらヴァレンシュタインの指摘は事実らしい。

『私は彼らとは手を切った! これは本当の事だ! 信じてくれ』
『無理です、貴方がどれほど無関係だと言っても信じることは出来ません。信じて欲しいなら行動で示してください』
手を切った可能性は有る、だが事実は分からない。ヴァレンシュタインの言う通り信じることは出来ない。しかし行動? 一体何を……。

『……私に何をしろというのだね』
唸るような口調で問い掛けてきた。
『二つあります。先ず一つは同盟政府が発行した国債、約十五兆ディナール。それと帝国政府が発行した国債、約十二兆帝国マルク。これらを全て同盟政府に譲渡する事……』

会議室の中が凍り付いた。皆固まっている。ボルテックは眼が飛び出そうな表情だが彼も凍り付いている。
『……馬鹿な、そんな事は』
『出来ませんか? 出来なければフェザーンはそれらの国債を利用して同盟、帝国を思うままに動かそうとしていると判断するだけです。救援は出来ません』
『……』

皆が沈黙する中、ヴァレンシュタインが言葉を続けた。
『いずれ貴族連合軍はフェザーンに居座るのに飽きて同盟領に進撃してくるでしょう。ボルテック自治領主、それまで何もせず待つという手も有りますよ』
『……』
『まあ余りお勧めは出来ません。なぜなら同盟軍は貴族連合軍を殲滅した後はフェザーンに進撃し地球教の根拠地であるフェザーンをこの宇宙から抹殺する事になるからです。完全包囲して二カ月間の持久戦の後に全面攻撃……』

『それは……』
ボルテックが喘いだ。ヴァレンシュタインが笑い声を上げた。
『かつてブラック・フラッグ・フォースが地球攻略戦で使用した作戦です。地球にとって最も残酷な結果になったと聞いています。地球教の根拠地であるフェザーンの最後に相応しい作戦でしょう』
皆が凍り付く中、ヴァレンシュタインの笑い声だけが流れた……。


 

 

第百九話 踏絵




宇宙歴 796年 1月 3日    ハイネセン  最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



ヴァレンシュタインが笑っている。皆が凍り付く中、一人だけ笑っている。地球教と手を切った証を示すか、それとも同盟に滅ぼされるか、ボルテックに選べと突き付けている。“馬鹿な、……何を考えている”、呻くように呟いた後、ボルテックは何かに気付いたように慌ててトリューニヒトに視線を向けた。

『トリューニヒト議長、議長はどうお考えなのか? 議長の御意見を伺いたい』
ヴァレンシュタインよりもトリューニヒトの方が与し易いと考えたか。或いは二人の間隙を突く事で交渉を有利に導くつもりか。どうする、トリューニヒト。正念場だぞ、誤った対応は交渉だけじゃない、ヴァレンシュタインの信頼も失うだろう。

「ボルテック自治領主閣下。ヴァレンシュタイン中将は私の代理人だ。中将の言葉は私の言葉でもある」
『……』
ボルテックの顔が歪んだ。まあ無難な答えだ、ぎりぎり合格だな、トリューニヒト。

「地球教は同盟、帝国の双方から人類共通の敵であると認定されている。フェザーンが地球教との関係を断絶したという証拠を示さない限りフェザーンは人類共通の敵に与する存在だと認定する。そして私は最高評議会議長として軍をフェザーンに派遣しフェザーンをこの宇宙から消滅させるだろう」
低い声だった。ゆっくりと噛み締めるようにトリューニヒトは話した。

何時もと違うと思ったのだろう。皆がトリューニヒトに視線を集めた。トリューニヒトはその視線を受け止め一人ずつ視線を返す。会議室の空気が固まった、誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。トリューニヒトがターレルに視線を向けた。
「ターレル副議長、副議長はこの件についてどうお考えかな?」
「……私も議長閣下の御考えに賛同します」
トリューニヒトが頷いた。そしてボローンに視線を向けた。ボローンの顔が強張った。

「ボローン法秩序委員長は?」
「……私も議長閣下の御考えに賛成です」
会議室の空気が痛い程に強張った。トリューニヒトは本気だ、本気でフェザーンを叩き潰すつもりでいる。そして皆から言質を取ろうとしている。反対は出来ない、やればフェザーンに付け入る隙を見せた、利敵行為と非難され排除されるだろう。何時の間にこんな凄味を身につけたのか……。

当然だが全員がトリューニヒトに賛成した。ラウド達四人は蒼白になっている。トリューニヒトの凄みを畏れたのか、それともフェザーン攻撃に賛成した事を畏れたのか……。そしてヴァレンシュタインの周囲に居る軍人達も蒼白になっていた。フェザーン人二十億人を殺す、想像するだけで悪夢、いや地獄だろう。

「ボルテック自治領主、聞いての通りだ。フェザーンが地球教との関係を断絶したという証拠を示さない限りフェザーンは人類共通の敵に与する存在だと認定する。そしてこの宇宙から消滅させる、これは同盟政府の総意だ。ヴァレンシュタイン中将はそれを言っているに過ぎない」

ボルテックの顔が強張った。目論見が外れたか。
『……馬鹿な、何を言っているのか分かっているのか? フェザーン人の殆どが地球教とは無関係なのだ。それを問答無用で殺すと言うのか』
『殺しますよ、貴方が証拠を示さない限り殺します。貴方が殺させるんです』
ヴァレンシュタインの言葉にボルテックが“卑怯な”と呻き声を上げた。ヴァレンシュタインが声を上げて笑った。トリューニヒトも笑う。鬼畜の笑いだ。

『その言葉はそのまま貴方にお返ししますよ、ボルテック自治領主閣下。ところで如何なのです、未だ回答を頂いていませんが』
ヴァレンシュタインが回答を促すとボルテックがもう一度呻いた。
『……分かった、国債は全て同盟に譲渡する』
約十五兆ディナールの国債と約十二兆帝国マルクの国債か……。とんでもないシロモノだな。どう考えれば良いのか……、彼方此方で息を吐く音が聞こえた。

『ではもう一つです。フェザーン政府が所有するダミー会社、全て同盟政府に譲渡する事。意味は分かりますね?』
『……』
ダミー会社? そんなものを貰って何の意味が有るのだ? だがボルテックは顔を強張らせている。何か有るのか? 訝しいと思ったのだろう、皆が顔を見合わせた。

「ヴァレンシュタイン中将、そのダミー会社とは何かね?」
ヴァレンシュタインが発言者をジロリと見た。
『発言は私の許可を得てからと言ったはずですが』
トレルがバツの悪そうな表情をした。ヴァレンシュタインが冷たい目で見ている。まあ悪いのはトレルだが相変わらずきついな。
『フェザーンはダミー会社を利用して同盟、帝国、フェザーンにおける基幹企業、利権をフェザーンの支配下に置こうとしたのですよ』

“馬鹿な!”、“本当か!”、“何を考えている!”という声が彼方此方から上がった。スクリーンからもだ。私自身叫んでいた。
『フェザーンは国債を買う事で財政面から同盟、帝国を絡め取りダミー会社を使って基幹企業を支配下に置く事で経済面から同盟、帝国を自由に操ろうとした。何のためかは言うまでも無い。そうですよね、ボルテック自治領主閣下』

皆がスクリーンに映るボルテックを見た。顔面が蒼白になっている。ヴァレンシュタインの言った事は事実なのだろう。漠然とだが経済面でフェザーンの影響力が拡大している事は分かっていた。だが具体的に脅威が明らかにされた事は無かった。そうか、国債と基幹産業か……、それによって財政、経済を支配しようとした。フェザーンの傀儡になるまであとどれくらいの猶予が有ったのだろう? 五年か、それとも十年か……、背筋に寒気が走った。

『如何しますか、ボルテック自治領主。国債は渡してもダミー会社は、いや正確には株と利権ですね、それは譲渡出来ませんか? 中途半端では意味が有りませんが』
『……分かった。全てそちらに譲渡する』
全面降伏だな、ボルテックは完全に打ちひしがれている。しかしこれでフェザーンの脅威からは解放された。

会議室には奇妙な空気が広がっていた。フェザーンの脅威から解放された安堵とヴァレンシュタインに対する畏怖。皆が顔を見合わせ時折ヴァレンシュタインを伏し目がちに見る事を繰り返した。畏れている、明らかに畏れている。私、トリューニヒト、ホアンの三人は多少は慣れている。しかし他のメンバーにとっては強烈なまでの洗礼だろう。

『それで、助けてくれるのだろうね』
もうボルテックには駆け引きをしようというような姿勢は見えない。敗北を認めフェザーンを貴族連合軍の横暴から解放する事だけを考えている様だ。だがヴァレンシュタインはそんなボルテックを無情に突き放した。

『これからそれを決めるんです』
皆が驚いたようにヴァレンシュタインを見た。条件はクリアした、そう思ったのだろう。
『……』
『勘違いしないでください。さっきの二条件の承諾はフェザーンが地球教と繋がっていないという事の証明でしかありません。こんなのは我々に助けを求める前に片付けておくべき問題ですよ』

スクリーンに映るヴァレンシュタインは冷たい眼をしていた。ボルテックに甘えるなと言いたいのか、或いは我々に甘いと言いたいのか。
『フェザーンは我々に何を提供できるのです? 或いはフェザーンを救う事にどんなメリットが有るのです? それによってフェザーンを救うか見捨てるかを決めます』
ボルテックが呻いた。眼が充血している、泣いているのか?

『君は未だ我々から血肉を毟ろうというのか、……君には良心という物が無いのか』
怨嗟、苦渋、絶望、血涙、言葉に表せばそうなるだろう。心の底から絞り出す様な声だった。だがヴァレンシュタインは
『良心? 外交交渉の場で良心とは……。呆れますね、自治領主閣下』
と笑いながらボルテックを一蹴した。演技では有るまい、本当におかしそうに笑っている。

『ボルテック自治領主、貴方は私の良識に訴えようとしたようですが良識とは受身に立たされた弱者の使う言葉なのですよ。行動の主導権をにぎった強者は常に非常識に行動します』
もう笑ってはいない。ヴァレンシュタインは冷めた目でボルテックを見ていた。それを見て誰かがごくりと喉を鳴らす。ここまであからさまに強者の論理を振りかざすとは思っていなかったのだろう。

『今のフェザーンは貴族連合軍に踏み躙られ帝国、同盟からも敵視されている。誰もフェザーンを救おうという者は居ません。フェザーンは孤立した弱者なのです。図らずも貴方自身の言葉がそれを証明した。そして今フェザーンを救うことが出来る強者は同盟だけです。だから我々は非常識に行動する』
ヴァレンシュタインが笑う、ボルテックが天を仰いで絶望の呻き声を上げた。

『二千億ディナール用意してください』
『……』
『フェザーンは同盟軍の軍事行動に対して二千億ディナールを前払いで全額払う』
『……』
ボルテックは唇を噛み締めたまま無言だ。払えない金額ではない、屈辱が素直にウンと言わせないのだろう。ヴァレンシュタインが若いという事も影響しているかもしれない。

『フェザーンの人口は二十億人です。一人頭百ディナール払えば貴族連合軍を打ち払える事になります』
『……分かった。二千億ディナールを用意する』
已むを得ない、そんな心の声が聞こえそうな口調だった。それにしても完勝、だな……。

『先の二条件の実行、そして二千億ディナールが同盟政府に支払われた段階でフェザーンに進撃します。大体二週間程度で着くでしょう、貴族達には同盟軍が進撃を開始した、三週間後にフェザーンに来ると教えてください』
『分かった』
ボルテックが答えるとヴァレンシュタインがトリューニヒトに視線を向けた。

『私からは以上です』
トリューニヒトが皆を見回した。誰も口を開かなかった。いや視線を合わせる事を避けている人間も居た。
「御苦労だった、ヴァレンシュタイン中将。ボルテック自治領主閣下、早速だが中将との約束を果たして欲しい。こちら側の実務担当者はレベロ財政委員長だ。レベロ、頼むよ」

頷いてからスクリーンに視線を向けるとボルテックと眼が合った。ボルテックは準備が有るからこれで失礼すると言って通信を切った。恨めしそうに私を見ていたと思う。後で愚痴でも聞かされるかもしれない。公人としては間違った事をしたとは思わないが何とも後味の悪い事だ。

少しの間沈黙が有った。多分私と同じように後味の悪さを皆が感じていたのかもしれない。嫌な空気を振り払うように頭を振るとトリューニヒトが話し始めた。
「十二兆帝国マルクの国債か。膨大なものだがこれはどうなのかな、償還されるのか? 所詮は紙切れという事か?」
「まあ確かに帝国が同盟に対して十二兆帝国マルクも払うとは思えんな」
ボローンが答えると皆が頷いた。確かに有り得ない。今回はフェザーンに利用されなかった事で良しとすべきなのだろう。

『そんな事は有りません。払える状況を整えれば良いのです。状況が整えば帝国は払いますよ。難しい事じゃない』
ヴァレンシュタインの言葉に皆が顔を見合わせた。我々だけじゃない、スクリーンの中の軍人達も驚愕している。

「正気かね、中将。いや、君を疑う訳じゃないが信じられんのだが」
「状況とはどういう状況かね?」
ホアン、トレルが疑問を呈するとヴァレンシュタインは“それほど難しくは有りません”と容易で有る事をもう一度言った。

『先ず今回の戦争で貴族連合軍を殲滅する事です。最低でも八割は撃滅する必要が有りますね。それと帝国との間に和平を結ぶ事。それが出来れば国債の償還は可能です』
“和平等馬鹿な”、“論外”と言う意見が何処からか出そうなものだが十二兆帝国マルクが絡んでいる。皆、無言で顔を見合わせていた。

「どういう事かな、もう少し詳しく説明してくれないか」
トリューニヒトが問い掛けるとヴァレンシュタインが軽く笑みを浮かべた。
『貴族連合軍を殲滅すれば門閥貴族は決定的に力を失います。そうなれば弱体化した帝国の正規軍でも十分に勝てる。帝国政府は門閥貴族を取り潰し彼らの領地、財産を接収するでしょう。帝国の財政状況は一気に好転します』
「……」

『償還期限は有りますが個人じゃありません、国家なんです。厳密にこだわらなくても良いでしょう。こちらが無理な償還を求めず毎年二千億帝国マルク程度の償還にすれば十分に国債の償還は可能だと思いますよ。完済するのは六十年後ですね、一千にすれば百二十年です』
なるほど、そういう事か。言っている事は分かる。しかし完済に六十年? 百二十年? 途方もない話だ、思わず溜息が出た。私だけじゃない、皆が溜息を吐いている。

「しかし払う能力が有るのと払う意思が有るのは別だろう。誰だって無駄な金は払いたくない、そうじゃないか」
私が疑問を提示するとヴァレンシュタインが苦笑を浮かべた。
『確かに無駄な支払いは誰もしたくないですね。ならば意味の有る支払いにすればいいでしょう』

意味の有る支払い?
『帝国は今政治的に不安定な状況に有ります。ブラウンシュバイク公達には戦争をしているような余裕は無いんです。同盟と和平を結び国内問題に専念し帝国を立て直したいと考えている。そのために邪魔な門閥貴族をフェザーンに送り込み同盟の手で片付けようとしています』
その通りだ、皆が頷いている。

『改革は長期間に亘って行われるはずです。その間帝国は和平を必要とする。和平を結びながら国債の償還を拒否すれば両国の関係は悪化しかねない、特に同盟市民が騒ぐでしょう。帝国にとっては払った方が和平を維持しやすいのです、同盟も和平の維持を市民に説得しやすい。まあ安全保障費とでも考えれば良いですね』

なるほど、和平を維持すれば金が入って来るが戦争を選べば出費が増える。和平を維持した方が暮らしが楽になるという事か。帝国も和平を維持した方が改革に専念できる、国内が安定する。金で和平が買えるなら、それによって国家が豊かになるなら二千億帝国マルクは高いものだとは言えない……。

なるほど、同盟市民にどうやって和平を受け入れさせるかという問題があったが六十年間帝国から金が貰えるというのは悪くない。実際に二千億帝国マルクが入ってくれば経済振興政策の財源にも出来る。帝国の金で発展出来るのだ、同盟市民のプライドをくすぐるだろう。

「しかし毎年二千億帝国マルクを払ったとしても六十年だ。帝国は嫌にならんかね、払い続けるのを屈辱に感じるんじゃないかと思うが」
リウが問い掛けると彼方此方で頷く姿が有った。同感だ、同盟市民の優越感はそのまま帝国の屈辱になる。リウの心配はおかしなものではない。ヴァレンシュタインはどう考えているのか。様子を窺うと彼は苦笑を浮かべていた。どうやら失望しているらしい。

『十年後の宇宙を想像した事が有りますか?』
「……」
皆が顔を見合わせた。
『和平を結べば十年後には間違いなく人類の総人口は増加しているでしょう。経済活動も盛んになっているはずです。それが何を意味するか? ……帝国も同盟も税収は増えている。そして和平が長く続けば続くほど人口は増加し税収も増加する。それに反比例して国家予算における国債償還額の占める割合は小さくなっていく』

彼方此方で唸り声が聞こえた。戦争が無くなれば戦死者が居なくなる。つまり働き盛りの三十代、四十代の人口が増え続けるという事か。間違いなく税収はアップするだろう。ホアンの心配する熟練者の空洞化も解消する。
『僅かな金額を払う事を止めれば両国の信頼関係が悪化します。場合によっては戦争という事にもなりかねない。その事に意味が有りますか?』
また唸り声が聞こえた。

『意味が有りませんね。国債の償還は和平が長く続けば続くほど金額よりも和平の象徴としての意味合いが強くなるでしょう。先程言いましたが安全保障費の意味合いが強くなる。まともな判断力があれば払い続けますよ。それを打ち切るような馬鹿であれば最初から和平など無理です』
彼方此方で溜息を吐く姿が見えた。和平が明確に見えてきた、そう思った。



 

 

第百十話 一年



宇宙歴 796年 1月 3日    ハイネセン  最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



通信は終了しヴァレンシュタインの姿がスクリーンから消えると会議室には重苦しい空気が漂った。最高評議会のメンバーは口を噤んだまま顔を見合わせている。そんな皆にトリューニヒトが苦笑を漏らした。そして“どうしたのかね”と問い掛けた。性格が悪いぞ、トリューニヒト。皆が何を考えているか分かっているだろう。

「いや、彼は何者なのかと思ってね?」
トレルが問い掛けるとトリューニヒトはまた苦笑を浮かべた。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将。同盟軍史上最年少の将官だ。おそらくはリン・パオ、ユースフ・トパロウル、ブルース・アッシュビー元帥よりも早く元帥になるだろう」

「そうではないんだ、議長。私が言いたいのは……」
トリューニヒトが手を上げてトレルを遮った。
「分かっている、分かっているよ、トレル経済開発委員長。君の言いたい事、いや君達の言いたい事は。彼が怖い、恐ろしい、そうだろう?」
トリューニヒトが見回すと皆が頷いた。

「君は、いや議長は恐ろしくは無いのか?」
恐る恐ると言った感じでラウドが問い掛けるとトリューニヒトは首を横に振った。
「恐ろしくは無いな。彼に野心が有るならあの才能は危険だが彼には野心が無い。必要以上に恐れる事は無い」

「そう言いきれるほど彼を理解していると?」
ボローンが質問するとトリューニヒトは天を仰いで“ウーン”と唸った。
「多分ね。まあ例えてみれば彼は切れ味の良すぎる名剣かな。余りに切れ味が良すぎるので周囲からは魔剣ではないかと疑われているようなものだ」

皆が顔を見合わせている。半信半疑、そんな感じだな。私自身は結構的を射た評価だと思う。あの小僧は口は悪いし性格も悪い、しかし野心や邪気は感じられない。生意気で腹立たしい小僧ではあるが危険な若造ではない。いや危険は有るかな? まるで手品のようにフェザーンから金を巻き上げた。阿漕なやり方だが政府に金が無いから非難も出来ん。多分和平終結後の経済振興対策に使われることになるだろう。気に入らないのはあいつがいると自分が馬鹿になったような気がするからだ、不愉快ではあるな。

「ボローン、君は彼の所為で痛い目を見ているだろう?」
ボローンが顔を顰めた。例の情報漏洩の件か。
「私もあの件では彼に苦汁を飲まされた覚えがある。シトレ元帥も机を叩いて激怒したそうだ。しかし事が終わって振り返ってみれば彼のした事は間違いではなかったと思う。少なくとも国家にとっての不利益では無かった。その辺りの配慮は出来る男だよ」
「ふむ、……そうかもしれん」
ボローンの答えにトリューニヒトが声をあげて笑った。

「まあ付き合うのは大変だ。口は悪いし、性格も悪い、おまけに振り回されるからね。しかし頼りになるし信頼もできる。一日会わなくても平気だが三日会わないと不安になるな。二人では多いが一人くらいはそういう友人が居ても良いだろう。あまり心配は要らないよ」
トリューニヒトの言葉にターレルが“褒めているのか貶しているのか良く分からん評価だな”と皮肉った。皆が笑い出す、ようやく嫌な空気がほぐれた。

「ところでトリューニヒト議長、議長は本気で和平をお考えなのかな?」
リウが問い掛けると皆がトリューニヒトに視線を向けた。興味半分の問いではあるまい、政権の基本方針を確認しようということだろう。少なくとも皆はそう思ったはずだ。

「和平を考えている。同盟はもう限界だよ、いや同盟だけじゃない帝国もだ。戦争をしているような状況じゃない。その事は今日一日で良く分かっただろう。最高評議会議長がフェザーンの操り人形だったなど有り得ん事さ。その有り得ん事が現実に起きた。国内立て直しは帝国だけの問題じゃない、同盟も国内の立て直しを図るべきだ、そうだろう?」
トリューニヒトが私を見た。

「議長の言うとおりだ、あの馬鹿げた国債の額を君達も聞いただろう、十五兆ディナールだ。長い戦争の所為で人口が減少し税収も減り続けている。それを補うために増税し国債を発行し続けた。もう少しでフェザーンと地球教にしてやられるところだったんだ」
皆が頷いている。声を上げて和平に反対する人間はいない。フェザーンの脅威を現実に認識した、そんなところか。

「しかし和平か、誰よりも帝国人との戦いで武勲を挙げている彼が和平……」
トレルが不思議そうな声を出した。何人かが頷いている。
「戦争が好きで武勲を挙げているわけではない。彼にとって戦争は仕事なんだ。それも已むを得ずしている仕事だ。シトレ元帥に聞いたが勝っても喜ぶということは無いらしい、内心ではウンザリしているんだろうな」
皆が顔を見合わせた。思いがけないことを聞いた、そんな表情をしている。

「ちょうど一年前の今日、一月三日、ヴァレンシュタイン中将と話をした。私とレベロ、シトレ元帥の三人でね。帝国に勝てるか? 和平は可能か? ……覚えているか? レベロ」
「覚えているよ。……そうか、あれは一月三日だったか……」
トリューニヒトが深く頷いた。丁度一年だ。あの日から一年が経った……。

「帝国に勝つ事は不可能だと言われた。そして対等の国家関係を築き和平を結ぶ事なら可能性が有ると言われた。そのためには同盟領内で帝国軍将兵を殺しまくるしかないとも言われた。そうする事で帝国の継戦能力を、意思を挫くしかないと……」
「……」

「ありきたりな答えだ、失望が無かったとは言えない。しかし彼は妙な事を言った」
「妙な事?」
ターレルが問い掛けるとトリューニヒトは頷いた。
「帝国には不確定要因が有る。それによっては別な選択肢が発生する可能性が有ると」
トリューニヒトが私を見た。続きを話すのは私か。

「皇帝フリードリヒ四世の寿命だったな。フリードリヒ四世は後継者を定めておらず死後は混乱が発生する。場合によっては帝国を二分、三分する内乱になる。そして皇帝は必ずしも健康ではない。その死は予想外に早いかもしれない、そう言ったよ」
“それは……”ボローンが何か言いかけて口を閉じた。皆が複雑そうな表情をしている。やはり怖いか……。

実際半年と経たずに皇帝は死んだ。エルウィン・ヨーゼフも殺され帝国は国内改革のために和平を必要としている。未だ一年しか経っていない、不思議な事ではある……。恐怖を抱くなというのは難しいだろう。
「まあそういうことだ。怖いところは有るが信頼は出来る。その内君達も彼に会いたがるよ。怖いもの見たさにね」
トリューニヒトが笑い出した。気楽なもんだな……。



宇宙歴 796年 1月 3日    第一特設艦隊旗艦 ハトホル   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



通信を終えた後、艦橋に居た総司令部要員は顔を見合わせていた。少ししてチュン総参謀長が恐る恐るといった感じで話しかけてきた。
「閣下、本当に和平は可能なのでしょうか?」
「可能ですよ」
皆がまた顔を見合わせている。まあ気持ちは分からないでもない。百五十年戦争が続いている。戦争が有る世界が常態になっているのだ。戦争の無い世界が来るのが信じられないのだろう。

“専制国家が信じられるのだろうか”、“和平を結んでも直ぐに破られるのでは”、そんな意見が出ている。専制国家って信用無いよな。しかし、俺が考えるにこれからの銀河帝国はかなり穏健な顔を持つ国家になる筈だ。同盟よりも信頼出来るだろう。

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯は和平を結び国内の改革を行うために門閥貴族達を叩き潰す事を選択した。そうでなければ帝国は崩壊すると考えたからだ。その判断は正しい。だが門閥貴族を叩き潰した時、帝政にどういう変化が生じるかをあの二人は考えていないだろうな。

門閥貴族の存在意義とは何か? ルドルフが貴族を作り出した理由は二つある。一つは選挙等に頼らず優秀な支配者階級を作り維持する事だ。まあこいつは失敗した、ブラウンシュバイク公達が叩き潰そうとしているくらいだからな。いや五百年持ったのだから失敗とは言えないのかもしれん。金属疲労を起こして使えなくなった、そんなところか……。

もう一つの理由は平民達から皇帝を護る緩衝材として存在する事だ。元々銀河連邦市民として主権在民を当然の権利として受け止めていた平民階級は皇帝達にとっては何時革命を起こすか分からない潜在的な敵だった。貴族達はその潜在的な敵から皇帝を護るために創られた存在だったのだ。帝国の統治が平民達に厳しく貴族達に甘かったのはそのためだ。

その貴族の存在が無くなればどうなるか? 緩衝材が無くなる以上、皇帝は自ら平民達と向き合わなければならない。つまり失政に対する平民達の批判は直接皇帝に向けられるという事になる。ここで厄介なのが皇帝は終身職だという事だ。同盟と違って選挙で皇帝を政権から叩き落すという事が出来ない。

そういう意味では帝政は自浄能力が極めて低い政体だと言わざるを得ないだろう。皇帝の権力が強ければ強い程その傾向が強くなる。そして銀河帝国は皇帝の権力が非常に強い国家だ。皇帝の権力行使に対するチェック機能、抑止機能がまるでない。ルドルフの馬鹿が議会を解散するからだ。残しておいてチェック機能を与えた方がずっと国家としては健全性を保てたのに……。

平民達が政策の変更を求めても皇帝がそれを受け入れなければどうにもならないとなれば平民達にとって政策の変更はイコール皇帝の暗殺という結論に行きつく。皇帝だろうが乞食だろうが命は一つだ。殺されたくなければ皇帝は平民達の反応を常に気にしなければならなくなる。

これから先、帝国は同盟との間に和平を結び国内の改革を実施する筈だ。となると帝国側から和平を破棄して戦争というのは非常にリスクが大きい。改革が中断しかねないし敗戦となればその面でも平民達から非難を浴びかねない。ロマノフ朝ロシア、ドイツ第二帝国、いずれも敗戦によって帝政が終了した。

帝国は国債を償還して和平を維持するだろうと俺が言ったのは戦争というのは余りにもリスクが大き過ぎるからだ。最高評議会議長は戦争で負けても政治家としての生命を失うだけで済む。しかし皇帝は生物としての生命を失いかねない、場合によっては帝政そのものを失いかねない。同盟より帝国の方が指導者に降りかかるリスクは大きい。当然慎重にならざるを得ない。となれば後継者選定も慎重にならざるを得ないというところまで行き着くはずだ。馬鹿や異常者には帝国は任せられないということになる。皇帝だけじゃない、平民達もそう思うだろう。

「和平が結ばれなかったら如何されるのです?」
ラップ少佐が俺に問いかけてきた。心配そうな顔をしている。好感の持てる男だ、周囲からも信頼が厚い。ジェシカとはどうなっているんだろう? そういう話は聞いたこと無いな。今度訊いてみるか、いやプライベートを訊くのは拙いかな。

「退役しますよ」
俺が答えると皆が驚いたように俺を見た。信じられない事を聞いた、そんな感じだ。
「この先さらに戦争を継続するなどという馬鹿げた行為には付き合いきれません。退役します」

あらあら今度は固まっている。そんなに変なこと言ったか? この先戦争をするとなればイゼルローン要塞攻略か、フェザーンから帝国領へ侵攻しての戦いになる。碌なことにはならないだろう、どちらも御免だ。
「……退役など出来るのでしょうか?」
「そうです、とても許されるとは思えませんが」
サアヤが疑問を呈するとデッシュ大佐もそれを支持した。

まあそうだな、許されるとは思えない。となると逃げるしかないんだが何処に逃げれば良いんだろう? 帝国は論外だしフェザーンも今回痛めつけた。行くところが無いな。つまり何が何でも和平を結ぶ必要が有るということだ。あるいは顔を変えて何処かでひっそりと暮らすか……。どうにもならなくなったらレムシャイド伯に相談してみるという手も有るな、力になってくれるかもしれない……。

「まあ、なんとかなるでしょう。……全軍をフェザーン回廊へ突入させて下さい。順番は第十艦隊、第十一艦隊、第十二艦隊、第四艦隊、第五艦隊、第六艦隊、特設第一艦隊、第七艦隊、第八艦隊、第九艦隊、第一艦隊、第二艦隊、第三艦隊の順とします」
俺が命令を出すと皆が驚いた。チュン総参謀長が政府からの手続き完了報告を待たないのですか? と訊いてきた。

「待つ必要は有りません。我々が貴族連合軍に攻めかかる前に手続きは終了するはずです。交渉が纏まった以上、出来るだけ早くフェザーン市民の苦痛を終わらせたい……」
早く終わらせたいよ、何もかもね。俺だって苦痛を感じないわけじゃないんだ……。



宇宙歴 796年 1月 6日    ハイネセン    ジョアン・レベロ



耳元で音がする。TV電話の音か、煩いな。時刻は三時……、眼が良く開かん、五分か……。妻とは寝室を別にしている。政治家の妻になると睡眠不足になるそうだ。否定は出来ない。スクリーンに表示されているナンバーはトリューニヒトのものだった。厄介なことが起きたか、起きなければならん。

「こんな時間になんだ」
『フェザーンで戦争が始まった』
完全に目が覚めた。スクリーンに映るトリューニヒトの目は充血している。どうやらこの男も今起きたばかりらしい。

「戦争? どういうことだ? フェザーン市民と門閥貴族がぶつかった、市街戦が始まった、そういうことか?」
私が問い掛けるとトリューニヒトが首を横に振った。
『違う、同盟軍と貴族連合軍の戦いが始まったんだ』
「!」

「馬鹿な、国債やダミー会社の手続きが済んだのが一昨日だぞ。連中はランテマリオに……、まさか……」
トリューニヒトが頷いた。
『そのまさかだ。ヴァレンシュタインはランテマリオには居なかった。フェザーン回廊の入り口に移動していたのさ』
「なんてこった」
あの小僧、またやりやがった。これで出し抜かれるのは何度目だ?

『レベロ、最高評議会を開く、直ぐ来てくれ』
「分かった、着替えたら……」
『その必要はない、そのまま来てくれ』
「……」
正気か? と思ったがトリューニヒトは大まじめだ。

『新政権は初動が遅い、危機意識が足りない等と言われたくない。着替えは後で家人か秘書にでも用意させればいい、直ぐ来てくれ』
「分かった」
エライことになった。夜中にパジャマで最高評議会か……、前代未聞だな。パジャマの上にナイトガウンを羽織ると慌てて寝室を出た。急がなければならん……。


 

 

第百十一話 解放の時




宇宙歴 796年 1月 6日    ハイネセン    ジョアン・レベロ



最高評議会の会議室に小走りに急ぐと後ろから“レベロ財政委員長”と声をかけられた。振り返ると三人の男が急ぎ足で近づいて来る。ターレル、シャノン、ラウドの三人だった。三人ともパジャマの上にナイトガウンを羽織っている。合流して会議室に急いだ。

「まさかこの格好で最高評議会に出る事になるとはな、前代未聞だろう」
「こんなのは序の口だ、これからもっと振り回される事になる。覚悟しておいたほうが良い」
ターレルと私の会話にシャノンとラウドがげんなりした様な表情を見せた。

会議室のドアを開けた。
『第三混成旅団第二十五連隊より報告!水素動力センターを占領!』
『同じく第三十七連隊より物資流通センターを占領との報告が有りました!』
『良し! 第八十三連隊は如何した! 治安警察本部を未だ押さえていないのか! 遅れているぞ!』
『第八十三連隊は治安警察本部前で戦闘状態!』
『状況は!』
『圧倒的に有利です!』

圧倒された、足が止まった。会議室が戦場になっていた。スクリーンから溢れ出る凄まじい熱気、歓声、興奮……。“座ってくれ”と声がした。トリューニヒトだ。部屋の中を改めて見ると六人の男が居た。どうやら我々が最後らしい。皆、ナイトガウンを羽織っている。

『第七、第八艦隊がフェザーン地表上の貴族連合軍に対して攻撃を開始しました!』
スクリーンからどよめきが聞こえた。会議室もどよめている。席に座りながらトリューニヒトに問い掛けた。
「こちらが有利なようだな?」
「有利だよ、圧倒的にね」
興奮を隠しきれない、そんな口調だった。

スクリーンを見た。総旗艦ハトホルの艦橋だろう、ヴァレンシュタインの姿が見えた。大勢の人間が動き報告と命令する声が飛び交っている。トリューニヒトが“レベロ”と話しかけてきた。
「戦闘は宇宙空間と地表の両方で行われている。宇宙空間では包囲戦になりそうだ。今第一、第二、第三の三個艦隊が戦場を迂回しながら貴族連合軍の後方に出ようとしている。成功すれば包囲網が完成する」

「大丈夫か? その前に相手は逃げるんじゃないのか?」
私が問い掛けるとトリューニヒトが首を横に振った。
「逃げられないんだ。連中の通信を傍受したらしいがそれによると貴族達の殆どが地表にいたらしい」
「なるほど、艦の中よりも地表のほうが楽しいか……」
「彼らを回収出来ない以上艦隊は逃げる事は出来ない」
トリューニヒトがニヤリと笑った。

「それに同盟軍は包囲網が完成するまでは本気で貴族連合軍を攻撃しない、適当にあしらっている。その事も連中を戦場に留めている」
「なるほど」
「既に地表では宇宙港、軌道エレベータ、地上交通制御センターを陸戦部隊が抑えた。貴族達に逃げる手段は無い、それに第七、第八艦隊の攻撃も始まった。このままいけば貴族連合軍は殲滅されるぞ」
第七、第八艦隊の攻撃にどよめきが起きたのはそれが理由か。貴族達は逃走手段を奪われ為す術も無く撃滅されつつある。

「特設第一艦隊も戦闘しているのか? あまり戦っているようには見えないが」
「直接には戦闘に参加していない。後方に有ってヴァレンシュタインは全軍の指揮を執っている。予備としての役割も有るだろう」
予備か、二万隻の艦隊を予備にしている、余裕だな。それも不意を突いたからか……。

『第三混成旅団第八十三連隊、治安警察本部を占領!』
『ローゼンリッター、自治領主府を占領!』
一際大きく歓声が上がった。
『第一、 第二、第三艦隊が迂回に成功! 後方を遮断しつつあります!』
さらに歓声が大きくなった。会議室でも興奮した様な声が彼方此方から上がった。

『全艦隊に命令を出してください。包囲網が完成するまで気を抜くな。目標は貴族連合軍の撃破では無く殲滅であると徹底してください』
ヴァレンシュタインの声だ。微塵も昂ぶりは感じられない。スクリーンから歓声が消えた。会議室からも消えた。スクリーンに映るヴァレンシュタインは平静、いや無表情に近い。
『た、直ちに全軍に徹底します』
静まり返った会議室に幕僚の緊張した声が鮮明に流れた。先程までの喧騒は綺麗に消えている。

『ヴィオラ大佐、地上制圧の進捗状況は?』
ヴァレンシュタインに問い掛けられて肥満体の士官が緊張を露わにした。
『はっ、幾分遅れております。貴族連合軍は思ったよりも多くの人数が地上に降りていたようです。陸戦部隊はそれらとの戦闘で想定外の時間を取られています。それとフェザーン市民と貴族連合軍が彼方此方で衝突しています。その事も遅れの一因になっているようです』
ヴァレンシュタインが頷いた。

『増援は必要ですか?』
『いえ、今の所各部隊から増援の要請は有りません。進捗は遅れておりますが予想外の損害が出ているわけではありません。貴族連合軍は指揮系統を確立出来ず抵抗は秩序だったものとはなっていないようです。現時点では増援は必要ないものと判断します』
ヴァレンシュタインがまた頷いた。

『念のため準備だけはしておいてください。それと公共放送センター、中央通信局の制圧を急がせるように。制圧後は我々が解放軍であり善良なフェザーン市民に対して危害を加えることはないと周知を。不必要な衝突は避けたい』
『はっ。制圧を急ぐように命じます』
ヴァレンシュタインが三度頷いた。冷静だな、本当に戦争をしているのか、いや勝っているのかと聞きたくなるくらいだ。

「ヴァレンシュタイン中将、今良いかね?」
ボローンが問い掛けると“どうぞ”と答えが有った。
「先程自治領主府を制圧したと報告があったがボルテック自治領主はどうなったのかな?」
ヴァレンシュタインがこちらに視線を向けた。冷たい視線だった。

『……死んだでしょうね、生きていれば彼の方から連絡を入れて来るはずです』
「……」
『我々が貴族連合軍に奇襲をかけた時点で貴族達はボルテックが我々に通じたと判断したのだと思います。生かしておけば利用出来たものを……、逆上して殺したのでしょう』
淡々としている、他人事の様だ。その口調に心がささくれだった。そこまで追い込んだのはお前だろう。

「全て思い通りかね、中将」
私の皮肉にもヴァレンシュタインは何の反応も示さなかった。いや、口元に笑みが浮かんでいる。ゾッとする様な冷やかさだ。だからお前は皆に怖がられるのだ。少しは傷付いたような表情を見せれば良いのに……。
『地上制圧が遅れている事を除けば想定内ですね』

ヴァレンシュタインは否定しなかった。皆が顔を見合わせその殆どが引き攣ったような表情をしている。それを見てヴァレンシュタインは苦笑を浮かべた。
『哀れだと思いますよ。地球教の正体を皆に知られた以上フェザーンの自治領主になるのは危険でした。その事に彼が気付かなかったとは思えません。ですが彼以外に適任者が居なかったのも事実です。已むを得ずに引き受けたのでしょう』

『地球教と手を切ったというのも事実かもしれません。しかしどうせなら彼の手で地球教を叩き潰すぐらいの事をすべきでした。そして新たなフェザーンを彼の手で創り上げるべきだった。そうであれば彼も、新たなフェザーンも生き残れたかもしれない。……中途半端でしたね、おかげでこちらが後始末をする事になる』

中途半端か……。フェザーンに貴族連合軍を誘引したのはヴァレンシュタインだった。理由の一つがフェザーンを叩き潰す必要が有るからという物だった。哀れだと言ったのもボルテックの動き次第では生き残れたかもしれないと言ったのも本心かもしれない。或いは嘆きか? 何故そこまで遣らないのか? 何故自分に遣らせるのか? 最後は遣る瀬無さそうな口調だった。

女性士官が“提督”と声をかけてからヴァレンシュタインの耳元で何事か囁いている。ヴァレンシュタインが頷いた。
『今ローゼンリッターから報告が有りました。ボルテック自治領主の遺体を確認したそうです。射殺されたようですね』
「……」
誰かが溜息を吐いた。

その後もスクリーンからは引っ切り無しに戦況報告と命令指示の遣り取りが聞こえた。戦況は有利だ、しかし何処か喜びに浸り切れない。なんとなく皆が顔を見合わせあい居心地の悪い時間が過ぎていく。

『第一、第二、第三艦隊が貴族連合軍の後方を完全に遮断! 包囲網が完成しました!』
流石に会議室に歓声が沸いた。スクリーンからも歓声が上がっている。
『全軍に通信を』
ヴァレンシュタインの言葉に艦橋が静まり返った。

『第一命令、殲滅せよ。第二命令、殲滅せよ。第三命令、殲滅せよ。フェザーンを門閥貴族終焉の地とせよ』
『……』
声が出ない。皆固まっている。平静な口調とは裏腹な過激な内容に付いていけずにいる。

『復唱します! 第一命令、殲滅せよ! 第二命令、殲滅せよ! 第三命令、殲滅せよ! フェザーンを門閥貴族終焉の地とせよ!』
若い女性士官が叫ぶ様に復唱した。蒼白になりながら叫んでいる。先ほどヴァレンシュタインにボルテックの死を伝えた士官だ。皆が口々に“殲滅だ”、“叩き潰せ”と叫びながら弾かれた様に動き出した、フェザーンを門閥貴族終焉の地とするために……。



宇宙歴 796年 1月 6日    第一特設艦隊旗艦 ハトホル   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



戦況は圧倒的に同盟軍が有利だ。貴族連合軍の艦隊は同盟軍に包囲され殲滅されつつある。もう残っているのは八万隻程だ、半分以上撃破した。元々寄せ集めの集団だ、組織的、効果的な反撃は無い。少しずつ確実に戦力は殺ぎ落とされていく。フェザーン停泊中の艦隊も第七、第八艦隊が撃破した。この宇宙から貴族連合軍の艦艇は跡形もなく消えるだろう。

地上部隊も必要な施設は全て占拠した。残っているのは高等弁務官府だけだ。門閥貴族の一部が逃げ込んだようだが陸戦隊の一部が封鎖している。後で引き渡しの交渉をしなければならん。面倒な話だがあの連中を放置するわけにはいかない。それにマリーンドルフ伯では連中を上手くさばけない可能性がある。

高等弁務官府に逃げ込めた奴は運が良かった。次に運が良かったのは陸戦隊に捕殺された奴だな。最悪はフェザーン市民に捕まり嬲り殺しにされた連中だろう。シェーンコップからは襤褸雑巾みたいな死体が幾つも有ると報告が上がっている。余程に恨みを買いまくっていたらしい。因果応報、自業自得だ。同情する気にはなれない。

艦橋は落ち着いている。先程まで有った喧騒は綺麗に消えていた。戦争の帰趨は見えている、軍人達が騒ぐのは戦局が流動的な時だけだ。今俺達に出来るのは黙って戦局を見詰める事だけでしかない。後は時折“気を抜くな”と各艦隊に命令すれば良い。政府との通信も包囲網が完成した後で終わらせた。

トリューニヒトはパジャマ姿でマスコミに大勝利を報告すると言っていたな。なかなか楽しい演出だ。支持率のアップに繋がれば良いが……。貴族連合軍に降伏する様子はない。面子があるのだろう、さっさと降伏すればいいんだが誰かが最初に降伏してくれないと恥ずかしくて降伏出来ないというわけだ。もしかすると一番運が悪いのはこいつらかもしれない、じりじりと近付く死をただ待っている。

ボルテックが死んだ。貴族達に殺されたようだ。もっともそういう風に持って行ったのは俺だ。俺がボルテックを殺したと言って良いだろう。否定はしないしするつもりもない。ボルテックは邪魔なのだ。奴は自分がフェザーン市民から信頼されていない事を理解していた筈だ。

貴族連合軍を押さえる事が出来ずフェザーン市民の安全を守れなかった。そして同盟軍を呼び寄せるために膨大な資産を同盟に譲渡した。ボルテックにとってはどうにもならない事ではある。だがフェザーン市民にとってボルテックの行動は裏切り行為でしかない。彼が生きていればフェザーン市民は彼の死を望むはずだ。

ボルテックが生き残るためには同盟を頼るしかない。同盟の力を背景にフェザーンを統治する。傀儡になるか、実力ある支配者になるかは分からない。しかし生き残るにはそれしか方法は無い。そして同盟にとってボルテックを受け入れる事にメリットは無い。少なくとも俺には見つけられない。

ボルテックを受け入れればフェザーン市民はボルテックの後ろ盾となった同盟を恨む。そして帝国も同盟はフェザーンの間接支配を目論んでいると不審を抱くに違いない。何よりも同盟の政治家達の中にはフェザーンから金を受け取った人間が居るはずだ。そいつらに対して妙な影響力を振るいかねない。極めて厄介な存在になる。

ボルテックを見殺しにしても結果が良くなるとは思えない。毟るだけ毟って見殺しにした、同盟は信用できない、フェザーン市民からはそう非難されるだろう。事実だから否定も出来ない。しかし亡命を認めればボルテックを匿ったとフェザーン市民に恨まれる。ボルテックは存在自体が不安定要因なのだ。

どうにもならん、だから死んでもらう。そしてフェザーンの独立を保証する。それがボルテックと同盟政府との間で結ばれた約束だとフェザーン市民に伝えるのだ。ボルテックは不運であり無力であったかもしれない。しかし最後までフェザーンの行末を案じていた。その独立を守るために尽力していた。ボルテックは帝国貴族に殺されたが同盟はその約束を守る。

フェザーン人の恨みは貴族連合軍に留まりボルテックに向かうことは無いだろう。そして同盟は貴族連合軍を打ち破りボルテックとの約束を守る事でフェザーン人から恨まれることは無い。これがベストだ。同盟内部にはフェザーンの実効支配を望む人間が居るかもしれない。しかしフェザーンは独立させ帝国との緩衝地帯として利用したほうが得策だ。帝国も安心する。

レベロは不満そうだったな、ボルテックが哀れだとでも思ったのだろう。国債や株の譲渡でカウンターパートナーだったから情が移ったのかもしれない。人間としては悪くないが政治家としては聊か冷徹さが足りない。トリューニヒトやホアンは醒めた表情をしていたぞ。あの二人はボルテックの死に何の痛痒も感じていなかった。いや死ぬのが当然だと思っていたのかもしれない。

トリューニヒトの政権がどの程度続くかな。三年か、いやまだ若いからな、最低でも五年は続いて欲しいものだ。その後をホアンが同じ程度政権を担当する。十年平和が続けば戦争では無く平和が常態となる。だがそこに行くまでは細心の注意が必要だろう。冷徹さに欠けるレベロが政権に就くのはその後で良い。

第十一艦隊は良くやっているな。前回クブルスリーは第一艦隊を率いて良いところがなかった。今回は必死のようだ。そして第一艦隊は敵の後方を遮断して包囲網を完成させた。士官学校首席卒業は伊達じゃないか。心配だったのは第二艦隊のパエッタだったがワイドボーンとヤンに挟まれている。今のところ目立った問題は無い。

ヤンは内心でぼやいているかもしれない。気が重いとかもう沢山とか……。しかしな、こいつは遊びじゃない、戦争なんだ。必要なのは好き嫌いの感情ではなく冷徹さと計算高さだ。人を殺す以上それなりのリターンを得なければ何の意味もない。貴族連合軍を殲滅する事によってルドルフの創った国家制度を叩き潰す。帝国を、いや宇宙をルドルフの呪縛から解き放つ……。

あと六万隻程か……。もう少しだ、もう少しで五百年の呪縛が解ける……。



 

 

第百十二話 奈落

帝国暦 487年  1月 6日    オーディン  オフレッサー元帥府  アウグスト・ザムエル・ワーレン



元帥府に出仕すると会議室に集まる様にと周知が出ていた。同僚達は既に会議室に向かったらしい、慌てて俺も会議室に向かった。会議室にはメックリンガー、アイゼナッハ、ロイエンタール、ビッテンフェルト、ミッターマイヤー、ミュラーが揃っていた。

席に座ると隣のミュラーに話しかけた。
「何が有った?」
「小官も分かりません。どうやらフェザーン方面で動きが有ったようですが……」
ミュラーが首を振って語尾を濁した。フェザーンか、貴族連合軍が好き勝手にやっているらしい。フェザーン人が暴動でも起こしたか。

皆が苦い表情をしている。可能性は有るな。連中、クロプシュトックでも略奪が酷かったと聞いている。フェザーン人が耐えきれなくなって暴動を起こしたとしてもおかしくは無い。ドアが開いた、入って来たのはオフレッサー元帥だった。その後にミューゼル提督、ケスラー参謀長、クレメンツ副参謀長が続く。慌てて起立して敬礼で迎えた。

皆、緊張している。これまでオフレッサー元帥が俺達と直接接することは無かった。常にミューゼル提督を通して命令は下された。それなのに……、暴動ではないかもしれん。答礼が終わり皆が席に着くとオフレッサー元帥が話し始めた。
「本六日未明、フェザーンで戦闘が始まった」
皆が顔を見合わせた。戦闘が始まった?

「貴族連合軍に対して自由惑星同盟軍が襲い掛かった」
「……」
「貴族連合軍は不意を突かれ圧倒的に劣勢の様だ」
「同盟軍は自領内部に貴族連合軍を誘引すると聞いていましたが?」
メックリンガー少将が訪ねるとオフレッサー元帥がフンと鼻を鳴らした。機嫌は良くない。

「そう思わせて密かにフェザーンに近付いていたのだろうな。まんまと騙されたわけだ」
「……」
皆が顔を見合わせた。引き摺り込んで叩く、戦争の常道ではある。そう思わせておいて不意を突いたという事か。

「或いは艦隊をフェザーンへ一瞬で移動させたか。あの男なら出来るかもしれんな」
「……」
「冗談だ、面白く無かったか」
冗談だとは分かっている。しかし俺は笑えない、皆も笑わない。黙って顔を見合わせている。元帥がフンと鼻を鳴らした。

「戦況は貴族連合軍の劣勢との事ですが……」
「貴族連合軍は包囲された。どの程度生き残れるか……、全滅でも俺は驚かんな」
ロイエンタール少将と元帥の会話に皆が顔を引き攣らせた。全滅? 戦死者は二千万を超えるぞ。

「冗談ではないぞ。ブルクハウゼン侯達は地表に降りていた様だ。艦隊は指揮官無しでバラバラに戦っている。ヴァレンシュタインを相手に生き残るのは難しいだろう」
「まさか、本当ですか、それは」
元帥の言葉にミューゼル提督が驚いている。艦隊は指揮官無しでバラバラに戦っている? どうやら提督も知らなかったらしい。

「フェザーンのマリーンドルフ伯から連絡が有った。主だった貴族達は地表に居た様だ。今は同盟軍に追われて高等弁務官府に逃げ込んでいる。既に周囲は包囲されたようだな。逃げ出す事は難しいだろう」
「……」
誰かが溜息を吐いた。

「もっとも同盟軍の包囲が無ければフェザーン市民が襲撃しているだろうとマリーンドルフ伯は報告している。市内の彼方此方で貴族連合軍とフェザーン市民が衝突しているらしい。同盟軍に叩かれフェザーン市民に襲われ状況は最悪だな」
「……」
皆、苦い表情をしている。予想はついた事だが貴族連合軍はフェザーン市民の恨みを買いまくっていたらしい。

「既にミューゼル中将には話してあるが今回遠征に参加した貴族達には敗戦の責任を取ってもらう事になっている。領地、財産の没収と爵位の剥奪だ」
皆がまた顔を見合わせた。貴族達が素直に従う事は無い、当然だが抵抗するだろう。

「出撃の準備をしておけ」
そう言うとオフレッサー元帥が席を立った。皆が起立して敬礼を送る。元帥はそれに応えることなく部屋を出て行った。



宇宙歴 796年 1月 6日    フェザーン  帝国高等弁務官府   ミハマ・サアヤ



「ここに来るのは久しぶりですね、ミハマ中佐」
「はい、この前来てから三年が過ぎました」
私が答えるとヴァレンシュタイン総司令官代理は目の前に有る帝国高等弁務官府を懐かしそうに見ました。“そんなになりますか”と呟いています。

私はちょっと複雑です。この高等弁務官府で開かれたパーティに出た事を忘れた事は有りません。温かくて切なかったパーティ。ですが後にはあのパーティに出た事を酷く後悔しました。私が情報部から離れたのもあのパーティが切欠です。温かさと切なさの陰に有ったのはおぞましさと嫌悪でした。

貴族連合軍との戦闘は既に終結しています。あっけない程の包囲殲滅戦でした。包囲するまでも容易でしたが包囲してからも貴族連合軍からは手強さはまるで感じられなかった。兵力は膨大でしたが纏まりが無く連携の取れた反撃は無かった。同盟軍の攻撃の前に為すすべも無く撃破されていきました。貴族連合軍は数だけは多い烏合の衆だったのです。

最終的に貴族連合軍は残り三万隻を切った時点で降伏してきました。それも全体で降伏したのではなく疎らにバラバラと降伏してきたのです。全軍を指揮する総司令官も居ないまま戦っていた。総司令官であるブルクハウゼン侯爵は地表に降りていた。結局戦闘中は連絡が取れなかったとか。余りの惨状に皆が呆れていました。

地上戦も終結しています。こちらは艦隊戦よりも早く決着が着きました。貴族連合軍はブラスター等の軽火器しか持っていなかったのです。完全装備の陸戦隊の前に為すすべも無く圧倒され降伏しました。残っているのは目の前に有る高等弁務官府に逃げ込んだ貴族達だけです。

「如何しますかな? 我々は何時でも踏み込めますが」
シェーンコップ准将が総司令官代理に問い掛けました。楽しそうな声です。
「話し合いで解決します。これから私が中に入ると伝えてください」
「……」

はあ? 眼が点です。私だけじゃありません、シェーンコップ准将、リンツ中佐、ブルームハルト少佐、デア・デッケン少佐……。閣下、分かっています? 貴方は総司令官代理で貴族連合軍を叩き潰した張本人なんです。貴族達にとって閣下程憎い存在は他に無い筈です。それなのに中に入る?

「あそこにはマリーンドルフ伯が居ますし彼には娘が居ます。困った事にここへ同行している。戦闘になれば巻き添えになりかねません。話し合いで解決します」
意志は固そうです。シェーンコップ准将が肩を竦めました。総司令官代理が外見からは想像できないほど頑固な事を准将は知っています。私も知っています。

三十分後、総司令官代理、シェーンコップ准将、ブルームハルト少佐、デア・デッケン少佐、私の五人は高等弁務官府の中に入っていました。通されたのはあのパーティが開かれた部屋です。あの時は着飾った招待客が大勢いましたが今は目を血走らせた人間が……。気が重いです、嫌な感じがします。それなのに総司令官代理はにこやかな表情をしている、なんで?

「良く来たな、ヴァレンシュタイン」
言葉は歓迎していましたが粘つく様な口調には憎悪が有りました。変な髪形をした血色の悪い男性が総司令官代理を睨むような目で見ていました。それを見て総司令官代理がクスッと笑いました。

「ミハマ中佐、あの人はフレーゲル男爵です。ブラウンシュバイク公の甥にあたりフレーゲル男爵自身もそれを誇りに思っています」
フレーゲル男爵がちょっと誇らしげな表情を浮かべました。
「もっとも他に取り柄は有りません。髪型も変ですし」
シェーンコップ准将達が失笑しました。私も吹き出しました。フレーゲル男爵が顔を真っ赤にしています。

「貴様、殺されたいのか!」
フレーゲル男爵が脅迫してきましたがヴァレンシュタイン総司令官代理は“怖いですねぇ”と茶化しました。
「でも止めた方が良いと思いますよ。私を殺すと大変な事になる」
「……」
怖いです、総司令官代理が楽しそうに笑っています。

「同盟軍は包囲を解きますからね、フェザーン市民がここに押し寄せてくることになる」
貴族達がギョッとしたような表情を浮かべました。
「暴徒というのは軍隊とは違う、非常に残忍です。嬲り殺しにされますよ、ボロ雑巾みたいになります。マリーンドルフ伯、貴方も、貴方の御息女もです」

総司令官代理が視線を向けた方向には初老の紳士と若い女性が居ました。二人とも顔が強張っています。初老の紳士が咳払いしました。
「フレーゲル男爵、自重して頂こう。私が卿らを此処に入れたのはあくまで一時的な避難として認めただけだ。我らの安全を脅かす行動を取るというなら出て行って頂く」

「我らを追い出すというのか!」
フレーゲル男爵とは別な貴族が激高しました。
「卿らの出兵は政府とは無関係に行われたものだ。である以上ここに匿う義務は無いものと私は考える。違いますかな、ブルクハウゼン侯」
「……」

あらあら仲間割れ? マリーンドルフ伯の言葉に貴族達が渋い顔をしている。それにしてもあの激高した人がブルクハウゼン侯? 貴族連合軍の総司令官がこんなところで隠れていたなんて……。ちょっと無責任じゃないのかしら。戦死した兵士が可哀想……。

「心配ない、マリーンドルフ伯。あの男を人質にすればよい。船を用意させ帝国に帰るのだ。あの男を連れて帰れば伯父上も御喜びになるだろう」
フレーゲル男爵が厭な笑みを浮かべながら総司令官代理を指差しました。周囲の貴族達が口々にフレーゲル男爵を褒めています。

「無駄ですよ、そんな事をしても」
総司令官代理の言葉に貴族達が不満そうな表情を見せた。
「同盟政府は私諸共始末しろと命じるはずです」
「……」
「亡命者にしては武勲を挙げすぎましたからね。目障りなのですよ、私は。死んでくれた方が同盟にとっては望ましいのです」
「……」

「ヴァレンシュタイン中将は人質になりながらも卑劣な貴族達に屈せず自分諸共攻撃するように命じた。同盟政府はそう発表するでしょう。そうは思いませんか、フロイライン・マリーンドルフ」
総司令官代理が伯爵令嬢に問い掛けると彼女が頷きました。

「その可能性は有ると思います」
「分かりましたか?」
総司令官代理の言葉に貴族達が渋い表情になりました。シェーンコップ准将も“有り得ますな”と頷いています。確かに有り得ないとは言えません。

「安心しなさい、帝国に帰してあげます」
総司令官代理が含み笑いを漏らしました。怖いです、間違いなく何か良からぬ事を考えています。貴族達も何か禍々しいものを感じたのでしょう、不安そうな表情をしています。

「どういう事だ。何故我らを帰す?」
或る貴族が疑い深そうに問い掛けてきました。総司令官代理が名を問うとシャイド男爵と答えました。この人もブラウンシュバイク公の甥だそうです。
「女帝夫君であるブラウンシュバイク公の親族が居ますからね。これからの両国の関係を考えれば殺すのは控えた方が良いでしょう。それに貴方方を殺す事にそれほど意味が有るとも思えません。ああも戦下手では……」
総司令官代理が笑い声を上げました。

「降伏しなさい」
「……」
「マリーンドルフ伯、貴方にも降伏して貰います。降伏すれば同盟軍の庇護を受けられる。それ以外にここで安全を得る方法は有りません。フェザーン人に嬲り殺しにされるだけです」
貴族達が顔を見合わせました。躊躇っています。

「降伏した後は輸送船でイゼルローン要塞に移送します。そこからオーディンに戻れば良い」
「……船を寄越せば我々だけで帝国へ戻る。イゼルローンに行く必要は無い」
総司令官代理が笑い声を上げました。
「ブルクハウゼン侯、貴方達に船を与えて逃がしたらフェザーン人が後を追いかけますよ、貴方達を殺そうとして」
貴族達が顔を引き攣らせました。

「同盟軍の捕虜になり同盟軍がイゼルローン要塞に移送する。当然ですが護衛を付けます。そうなればフェザーン人達は何も出来ません。イゼルローン要塞に着けば後は帝国軍が貴方方の安全を保障するでしょう。如何です?」
「……」


貴族達を乗せた輸送船がゆっくりと宇宙港から浮上しました。護衛の駆逐艦が五隻、上空から周囲を警戒しています。
「宜しかったのですか?」
シェーンコップ准将が問い掛けるとヴァレンシュタイン総司令官代理は微かに苦笑を浮かべました。
「心配ですか?」
「ええ、後々政府から何か言われるかもしれません」
総司令官代理の苦笑が大きくなりました。

「ブラウンシュバイク公の甥が二人いますからね。殺すのは拙いし見殺しにするのも良くありません」
チラっと准将が総司令官代理を見ました。
「捕虜として同盟に留めるのは拙いのですか?」
「拙いですね。この後同盟と帝国の間で交渉が行われるでしょうがあの二人を使って交渉を有利に運んだ等と言われては将来的に面白くありません」
シェーンコップ准将が“なるほど”と頷きました。輸送船が徐々に上空に上がっていきます。少しずつ小さくなっていく。

「心配は要りません。あの連中はもう終わりです。ブラウンシュバイク公は門閥貴族達を排除したいと考えている。今回の敗戦は良い口実になるでしょう。彼らは抵抗したくても兵を失っています、何も出来ない。滑稽な事に彼らはその事に何も気付いていない」
「……」

「それに彼らを処断する事はフェザーンに対する謝罪にもなる。我々が手を下してブラウンシュバイク公に恨まれる事は有りません。フェザーンもあの連中を殺して恨まれることは無い。ブラウンシュバイク公に任せておきましょう。政府にもそう伝えます」

なるほど、と思いました。甥二人を処断すればブラウンシュバイク公は情に流されない公正な人物だと評価されます、平民達からも信頼もされるでしょう。押付けられた事を不満に思ってもこちらを恨むことは出来ませんし効果を考えればあの二人を処断せざるを得ない……。

相変らず性格が悪いです。呆れて顔を見ていると視線に気付いたのでしょう、私を見て困った様な表情をしました。そんな顔をしてもダメです、私は騙されません。これまでに何度も騙されてきたんですから……。

 

 

第百十三話 暗部

 
前書き
遺伝子の事は良く分かりませんのであまり深く突っ込まないでください。 

 


宇宙歴 796年 1月 7日    ハイネセン 統合作戦本部  バグダッシュ



「大勝利、おめでとうございます」
俺が祝いの言葉を述べるとスクリーンのヴァレンシュタイン総司令官代理は軽く笑みを浮かべた。機嫌は悪くない、フェザーンでは順調なのだろう。
『同盟市民の様子は如何です?』
「驚いています、大騒ぎですよ」
総司令官代理が頷いた。

「トリューニヒト議長が夜中にパジャマ姿で会見したのも大騒ぎでしたがフェザーンで大勝利を収めた事にも驚いています。総司令官代理が軍を密かにフェザーン方面に動かしているとは知りませんでしたからね。市民は戦争はもう少し先のことだと思っていたようです」
総司令官代理がまた頷いた。皆驚いている、俺もだ。全く気付かなかった。

「しかし何と言ってもトリューニヒト議長が帝国との和平を検討していると公式に表明したのが同盟市民にとっては驚きだったようです」
『反応は如何です?』
「賛否両論、そんなところです。まあ多くは理性では分かるが感情では……、そんなところでしょう。大勝利の後です、何故今? そんな想いもあると思います」

総司令官代理は不満そうな表情を見せていない。ちょっと意外ではある。
「宜しいのですか?」
総司令官代理が微かに笑みを浮かべた。
『最高評議会議長が公式に和平を検討していることを表明した、そして同盟市民は頭から和平論を否定しているわけではない。現時点では十分でしょう、和平論は市民権をようやく得たと言って良い』

なるほど、確かにそうだな。これまでなら最高評議会議長が和平論を表明する事など出来なかった。一つ間違えば政治生命の終了に繋がっただろう。だが地球教の陰謀、帝国の改革、そしてサンフォード議長のスパイ容疑……。特にフェザーンが国債と株を使って同盟、帝国を思うように操ろうとしていた事は衝撃だった。同盟市民の間にはこのまま戦争をしていて良いのかという疑義が生まれつつある。

「しかし未だ弱いですな。このままでは主戦論が勢いを盛り返しかねません」
『そうですね、攻勢をかけて圧倒する必要があります』
さてどうする、何を考えているのか……。現状で使える手といえばフェザーンで地球教の残党狩りを行うぐらいしか見えてこないが……。

『レムシャイド伯に会って貰えますか』
「……」
ほう、帝国に何かをさせるか。
『ブラウンシュバイク公に劣悪遺伝子排除法を廃法にして欲しいと伝えてほしいのです』
「!」
劣悪遺伝子排除法を廃法?

「し、しかし可能でしょうか? あれは……」
俺が口籠ると総司令官代理が軽く笑い声を上げた。
『ルドルフ大帝が創った帝国の祖法だと言うのでしょう。晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世が有名無実化していますよ。廃法にしても社会に混乱は起きません。それに文句を言いそうな貴族達は叩き潰しました』
「確かにそうですが……」
また総司令官代理が笑った。

『ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も内心では劣悪遺伝子排除法を疎ましく思っている筈です』
「それは如何いうわけでしょう?」
『ゴールデンバウムの血は弱体化しているのです。子が生まれない、特に男子が生まれない。帝国が後継者問題で揺れたのもそれが原因です』

なるほど、ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もそれぞれ娘が一人しかいない。生殖能力が衰えているという事か。遺伝子的には弱者と評価せざるを得ないな。劣悪遺伝子と判断されてもおかしくは無い。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にそれを説けば廃法にする事は可能だと総司令官代理は考えている……。

帝国が劣悪遺伝子排除法を廃法にすれば影響は確かに大きい。有名無実とはいえルドルフが創った法なのだ。そして銀河帝国が暴虐と非難される根拠の一つでもある。共和主義者を弾圧し人類が帝国と同盟に二分される遠因にもなった。それが廃法になる……。帝国での影響は小さいかもしれない、しかし同盟に対するインパクトは大きい。改革も行うとなれば主戦派も帝国を暴虐とは非難し辛い。

『まあヘルクスハイマーの事も有りますしね。あの二人も嫌とは言わないでしょう』
ヘルクスハイマー? 総司令官代理の顔を見たがそれ以上は何も言わない、謎めいた笑みを浮かべている。俺が知る必要はないという事か? 或いはレムシャイド伯にそれとなく伝えろという事か……。どちらもありそうだな。

『ところで例の人達は如何しています?』
「一番慌てているのは彼らかもしれません。予定が狂った、そんな感じですな。今日も会合を開いているようです」
『どう出るかな。……動くか、それとも諦めるか……』
総司令官代理が笑みを浮かべて俺を見ている。

「諦めるというのは無いでしょう。彼らにとっては最も動き易い状況下にあります。問題は準備が間に合うか、だと思いますね」
『粗雑になってくれれば良いのですがね。そのために全艦隊に通信の封鎖を命じたのですから』
「なるほど」
敵は貴族連合軍だけではない、そこまで見越しての通信封鎖か……。

『シトレ元帥は何と言っていますか?』
「閣下の事を悪知恵の働く奴だと褒めています」
総司令官代理が苦笑を浮かべた。
『真の悪人は別にいますけどね、目立たないように隠れている』
誰の事だろう、シトレ元帥? 或いは俺か。

『タイミングを間違えないでくれと伝えてください』
「承知しました。ところで劣悪遺伝子排除法の件は如何しますか?」
『それも元帥に伝えてください。トリューニヒト議長にはシトレ元帥から伝えてもらいましょう。レムシャイド伯に伝えるのはその後で』
「はっ」

ヴァレンシュタイン総司令官代理がじっと俺を見た。
『准将、後は頼みますよ』
「分かっております。こちらも準備を整えます」
総司令官代理が幾分目を細めて頷いた。獲物を視界に入れた時の肉食獣の目だ。シェーンコップ准将が見たら喜びそうだなと思った。



帝国暦 487年 1月 8日    オーディン  新無憂宮  オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「劣悪遺伝子排除法を廃法にしろと言うのか」
『はい。既にトリューニヒト議長にも話は伝わっています。議長もそれが出来るなら望ましいと。あの法は同盟でも評判が芳しくありません』
リッテンハイム侯が驚いている。侯がわしに視線を向けてきた。侯が何を考えているのか分かる。どう答えれば良いのか……。曖昧な表情をするしかなかった。

『バグダッシュ准将によればヴァレンシュタインは劣悪遺伝子排除法は既に有名無実化されている。廃法にしても問題は無い筈だと言ったとか』
レムシャイド伯の言葉にリッテンハイム侯が“確かにそうだが……”と語尾を濁した。確かにそうだ、だがルドルフ大帝が創った法であり遺伝子と血統を重視する帝国の基盤となった法でもある。ある意味帝国の国是の否定とも言えるだろう。リッテンハイム侯の歯切れが悪くなりわしが無口になるのも当然と言える。

スクリーンから咳払いが聞こえた。レムシャイド伯が言い辛そうな表情をしている。
『御二方もお困りなのではないかとバグダッシュ准将が言っていました』
「どういう事かな、それは」
わしが問い掛けるとレムシャイド伯は視線を伏せた。
『御二方とも御息女が御一人しかおられません。皇族が少なくなっている。その辺りの事を言っているようです』

リッテンハイム侯が嫌そうな表情をした。おそらくはわしも同様だろう。ヴァレンシュタインはバグダッシュ准将を通してゴールデンバウムの血が弱まっていると指摘している。レムシャイド伯は遠回しに言っているが本人はバグダッシュからもっと露骨に言われたのだろう。言い辛そうにしている。

「つまり廃法にしたほうが我らのためになるという事か。我らには劣悪遺伝子排除法を維持するだけの資格は無いと」
わしの言葉にリッテンハイム侯は憮然としている。面白くなさそうだ。レムシャイド伯が慌てた。

『そのような事は……、そう言えばバグダッシュ准将が妙な事を言っておりました』
「……」
『ヘルクスハイマーの一件もあると。どういう事なのか質しましたが准将も知らない様です。ヴァレンシュタインに伝えるようにと言われた様ですな』
ヘルクスハイマー? 確かに妙な事を言うな、ヘルクスハイマー伯の事か? 何だ? リッテンハイム侯が顔を引き攣らせている。

「侯?」
「ああ、なんでもない。……今すぐ返事をすることは出来まい。廃法にするのであれば陛下のお許しも得なければならん。そうではないかな、ブラウンシュバイク公?」
「まあ、そうだな。レムシャイド伯、同盟側の意向は分かった。少し検討する時間が必要だ」
『はっ』
レムシャイド伯はほっとしたような表情をしている。通信を切った。

「侯、何か有るのか?」
「……」
「ヘルクスハイマーというのはヘルクスハイマー伯の事だと思うが……」
わしの問い掛けにリッテンハイム侯が太く息を吐いた。そして“ああ、そうだ”と頷く。やはり何か有る、そして侯は何かを知っている。

「あれは何時の事だったかな? ヘルクスハイマー伯がオーディンを逃げ出したのは」
「四百八十三年の暮れの事だ。もう三年が過ぎた」
「そうか、三年か」
もう三年が過ぎたか……。ヘルクスハイマー伯が逃げ出した後、伯の邸には夫人の遺体が有った。死因は毒殺、そして伯もその家族も逃亡中に死んだ。その事でオーディンでは様々な噂が流れた。

「ヘルクスハイマー伯爵夫人を殺したのは私だ。正確にはヘルクスハイマー伯を殺すように指示を出したのだが誤って伯爵夫人を殺す事になった。ヘルクスハイマー伯はそれでオーディンを逃げ出した。本来なら伯だけの死で済むはずだったのだが……」
「……」
リッテンハイム侯の表情は苦い、予想外の結末は不本意だったのだろう。しかし何故殺そうとした?

「恣意ではない、先々帝フリードリヒ四世陛下のお許しを得ての事だ」
「……どういう事だ」
ヘルクスハイマー伯はリッテンハイム侯の取り巻きの一人だった。その伯を陛下のお許しを得て殺そうとした? 私事ではないな、何が有った?

「当時ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家は次の帝位を巡って競い合う関係に有った。ヘルクスハイマー伯は己の勢力伸張のために何とかサビーネを次の女帝にと考えた。そして或る秘密を探り出した」
「秘密?」
リッテンハイム侯が頷いた。

「怒らずに聞いてほしい。ヘルクスハイマー伯はエリザベートの遺伝子を密かに鑑定させたのだ」
「まさか」
馬鹿な、エリザベートは王家の血を引いているのだ。それを許しも無く遺伝子を鑑定させた? 事実なら不敬罪で処罰されるところだ。伯が死ぬことになったのはそれが理由か?

「その結果、エリザベートはX連鎖優性遺伝病を引き起こす因子を保持している事が分かった」
「……それはどういう事だ?」
リッテンハイム侯が辛そうな表情をした。エリザベートの遺伝子に問題があるという事か。

「数学的な確率の問題になるがその因子を持っている女性が妊娠した場合、女児の五十パーセントは発病し男児の五十パーセントは胎内死亡により出生しない。したがって流死産の可能性が多く、生まれてくる子供は女児が男児より二倍は多いという計算になる」
「リッテンハイム侯!」
わしが声を張り上げるとリッテンハイム侯が“最後まで聞いてくれ、頼む”と言った。表情は苦しげだ。

「それを聞いた時、私が最初に思ったのはそれが突然変異なのか遺伝として引き継がれた物なのかという疑問だった。その疑問の持つ意味に気付いた時、私は震えあがったよ。ヘルクスハイマー伯は何も気付いていなかったがな。気付いていれば私に教えぬだろうし伯も死なずに済んだ筈だ」
「……まさか」
声が震えた。リッテンハイム侯が頷いた。
「サビーネの遺伝子を密かに鑑定させた。結果はサビーネもX連鎖優性遺伝病を引き起こす因子を保持していた」
気が付けば呻き声が出ていた。

「母親が姉妹である二人の娘が同じ因子を保持していた。突然変異ではない、母親から引き継がれたものだ。どうすべきか迷った。公に相談すべきかとも思ったが先ずは先々帝陛下に報告しなければと思った。エルウィン・ヨーゼフ殿下の事も有った。保有者は先々帝陛下なのか、皇后陛下なのか……、正直に言おう、死も覚悟した」
「……」

侯だけではない、わしも死ぬ事になったかもしれない。王家に遺伝子の疾患など有ってはならぬ。原因はわしとリッテンハイム侯という事になったはずだ。
「先々帝陛下はご存じであられた。保有者は皇后陛下だった」
「まさか」
リッテンハイム侯が首を横に振った。“事実だ”と吐く。

「ベーネミュンデ侯爵夫人が何度か流産したであろう。あの件で不審に思い密かに調べたらしい。その際我らに子が一人しかおらぬ事で念のために調べたそうだ。先々帝陛下にもベーネミュンデ侯爵夫人にも問題はなかった。流産には別な原因が有ったようだ、教えては貰えなかったがな。だが皮肉な事に我らの妻と娘には異常が検出された。皇后陛下が保有者であったとしか思えぬとの事であった」
疲れた様な表情、疲れた様な声だ。

「どうも分からぬ。皇后陛下は王家に迎え入れられる時点で検査を受けた筈だ。遺伝子に問題が有れば事前に分かったはずだが……」
わしの問いにリッテンハイム侯が首を振った
「先々帝陛下は本来皇帝に就かれる方ではなかった。そのため検査はおざなりなものであったらしい」
溜息が出た。起こり得ぬ事が起きた、そういう事か。

「陛下がグリューネワルト伯爵夫人に子を産ませなかったのはそれが理由ではないかと考えている」
「……」
「伯爵夫人との間にできた子は健常者として生まれてくる。そうなれば後継者はグリューネワルト伯爵夫人の子とせねばならん。だがそれは新たな混乱を生み出すはずだ。それを恐れたのだと思う」
また溜息が出た。

「わしが知らされなかった理由は?」
「陛下が公には知らせるに及ばぬと。娘の遺伝子に異常が有るなどと父親は知りたくないものだと仰せられた。同感だ、私も知りたくはなかった」
「そうだな、その通りだ……」
知りたくはなかった。そして誰にも知られたくはない。だからヘルクスハイマー伯は死んだ。死なねばならなかった。

「済まぬな、侯。侯にばかり嫌な仕事を押し付けてしまったようだ」
「気にすることは無い、公が同じ立場になれば同じ事をしたであろう。それだけの事だ」
「……」
スクリーンが灰色に鈍く光っている。その姿さえ疎ましく思えた。

「ヴァレンシュタインはこの件を知っているようだ。ヘルクスハイマー伯の一族は皆死んだと思っていたが……」
「生き残りが居たのだろう。そこから漏れたのだと思う」
リッテンハイム侯は憂鬱そうな表情をしていた。おそらくはわしもだろう。守ってきた秘密が一番知られたくない相手に知られた。

「已むを得ぬな。侯、劣悪遺伝子排除法を廃法にしよう」
「そうだな、そうするか」
「幸い反対するであろう貴族達は没落した。政治的な問題は無いはずだ」
政治的な問題は無い、だがリッテンハイム侯の顔色は優れなかった。多分夫人とサビーネにどう話すか、或いは無言を貫くかを考えているのだろう。わしも同じだ、頭が痛い。

門閥貴族が滅び劣悪遺伝子排除法が廃法になる。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム体制の終焉だな。ついにその時が来た……。五百年も続いたとみるべきか五百年しか続かなかったとみるべきか。人の一生を思えば長いのだろうが国家の盛衰を思えば大した事では無かろう。五百年以上続いた国家はざらに有る。その幕引きを女帝夫君であるわしが行うことになろうとは一年前には考えもしなかった事だな……。





 

 

第百十四話 暗闘




宇宙歴 796年 1月 10日  フェザーン  第一艦隊旗艦  アエネアース   マルコム・ワイドボーン  



「慌ただしくなってきたな、ヤン」
『そうだね、思った以上に慌ただしくなっている。もっともある意志の元に慌ただしくなっているけどね』
「……」
『見ていると面白いよ。誰が何を考えているかを想像するとね』
スクリーンに映るヤンは笑みを浮かべている。面白がっている場合か! 当事者意識の欠片も無い奴だ。

年が明けてから慌ただしくなっている。一月三日、サンフォード議長がサンフォード前議長になった。理由はフェザーンへの国家機密漏洩罪、それと収賄。後任の議長はトリューニヒト国防委員長が就任した。一月六日、同盟軍はフェザーンにて門閥貴族連合軍を叩き潰した。そしてハイネセンではトリューニヒト議長が勝利報告と帝国との講和論をブチ上げている。

七日には同盟軍はフェザーンの八十人委員会、別名長老委員会のメンバーを地球教の関係者として全て逮捕した。同日、ハイネセンではトリューニヒト議長がフェザーンを占領するつもりはない事、その独立を保証することを宣言。そして八日、帝国は劣悪遺伝子排除法を廃法にする事、国内改革を推し進める事を宣言した……。それにしても不便だな、人目を避けて自室で通信をしているとは。

「ここで講和論を言い出すとは思わなかったな。もっと政権基盤を固めてからだと俺は思っていたんだが」
ヤンが髪の毛を掻き回した。予想外の事態か。
『私もそう思った。だがここで言ったという事は政府内部はある程度帝国と和平を結ぶという事で纏まっているんじゃないかと思う。実際閣僚から反対意見が出ているとは聞かない』
そうだな、その通りだ。

「トリューニヒト政権の基盤は意外に強固か」
ヤンが頷いた。
『サンフォード前議長の解任以前からトリューニヒト国防委員長を議長へという合意が最高評議会内部で有ったんじゃないかな。おそらく合意事項の中には帝国との和平も含まれていたのだと思う、そう考えないと手際が良すぎるし不自然過ぎるよ』

確かに手際が良すぎる。サンフォード前議長時代、最高評議会内部は必ずしも纏まってはいなかった。トリューニヒト議長とターレル副議長、ボローン法秩序委員長の関係は決して良くなかった。結構激しい対立が有ったと聞く。だが今はそれが見えない、対立は解消している。

政治家達は戦争から平和へと舵を切ろうとしているようだ。サンフォード前議長がフェザーンに通じていたという事は予想以上に政治家達の心を震え上がらせたのかもしれない。今更ながらだが地球教の恐ろしさを再認識したか。同盟市民の間でも問題視している声が有ると聞く。

「しかしこのタイミングで和平論を公表するか……。勝ち戦の喜びなんてぶっ飛ぶな」
ヤンが苦笑を浮かべた。
『まあ負けてから和平を結ぶより勝っているうちに和平を結んだほうが有利なのは確かだ。そういう意味では言い出すタイミングは間違っていない。なかなか難しい事だけどね』

ヤンの言う事は正しいだろう。負けてからの講和は極めて難しい。条件が厳しくなるのだ。それは講和に納得出来ない強硬派をより強硬にさせるだけだ。
『それに放置すれば主戦派が帝国領侵攻を主張すると危惧したのかもしれないよ。同盟市民もそれに同調するんじゃないかとね。だから先手を打って和平論を打ち上げたのかも』

「なるほど。しかし主戦派はどう出るかな? このまま和平をすんなり認めるとも思えんが……」
『巻き返しは有るだろうね。戦争継続を訴える筈だ。簡単に和平とはいかないはずだ』
ヤンが難しい顔をしている。トリューニヒト議長は如何考えているのか、そしてヴァレンシュタインは……。

「よく分からんのがフェザーンの扱いだな。ボルテックは死んだし八十人委員会は事実上消滅した。どうなるんだ?」
ヤンが“うーん”と唸って髪の毛を掻き回した。

『自治領主を選出する事が出来なくなった。統治者が居ない以上占領して併合するのかと思ったけど政府は独立を保証すると言っている。しかしだからと言って総司令官代理はフェザーンの統治者を選定しているような気配もないようだ。政府からの指示待ちかな?』
「ほう、間違いないのか?」
『選定しているような気配がないのは事実だと思うよ。キャゼルヌ先輩が言っていたからね。先輩も困惑していたよ』

「政府と総司令官代理の間で意見の相違が有るのかな? 一致していたのは地球教の排除までだったとか」
ヤンがまた唸った。
『なるほど、その場合対立点は真に独立させるか、それとも傀儡を立てて名目だけの独立にさせるか、そんなところだろう』
「……どっちがどっちかな?」
『さあ、どっちがどっちかな?』

お互い、はっきりしない言い様だ。だが大体は想像がつく。おそらく政府は傀儡を立てることを望んでいるのだろう。フェザーンの経済権益を手中にしたいに違いない。ヴァレンシュタインはそれに反対している。だから傀儡を選ぶようなこともしていない。しかしこのまま放置するのか? それはそれで問題が有りそうだが……。

「帝国が劣悪遺伝子排除法を廃法にしたな。随分と踏み込んだものだ」
『門閥貴族が没落し帝国政府は遺伝子の妄信を否定した。同盟から見れば和平のハードルはかなり低くなった。同盟市民への説得もし易い。それにしてもフェザーンの独立を保証した直後の発表というのが意味深だね』
ヤンが含み笑いを漏らした。
「確かに」

『多分総司令官代理は帝国との間に和平を結ぶことを優先させるべきだと考えているんじゃないかな。フェザーンの経済権益を得ても戦争が続いては意味が無い』
「戦争の継続か……。ヤン、フェザーンの属領化を望んでいるのは政府では無く主戦派という事は考えられないか。表向きは経済的権益を主張しつつ真の狙いは帝国領侵攻……」
俺の指摘にヤンが“なるほど”と頷いた。

『可能性は有るね。政府、或いは産業界の一部がそれに同調しているのかもしれない。だとすればトリューニヒト議長も思うように身動きが出来ない可能性は有る。劣悪遺伝子排除法の廃法は帝国からトリューニヒト議長への援護射撃か。こっちが本筋かな?』

そうかもしれない、首を傾げるヤンを見ながらそう思った。フェザーンの扱いが今一つはっきりしないのもその所為だろう。まるで三次元チェスだな。同盟、帝国が一手一手相手の動きを確かめながら手を進めている。ヴァレンシュタインは如何考えているかな。俺やヤンが気付いた点に奴が気付いていないとは思えない。政府から状況報告が無いとも思えん。

単純ではないな。三次元チェスと違う部分が有るとすれば奴の存在だろう。個人でありながら何処かで同盟、帝国の動きに絡んでいる。そして十三個艦隊を率いてフェザーンに居る。まるで帝国、同盟の動きを見定めようとしているようにも見える。同盟、帝国、そして主戦派、いずれも奴を無視できんはずだ。

受信ランプが点滅している。
「ヤン、通信が入った。一旦保留にするぞ」
『こっちもだよ、ワイドボーン』
お互いまじまじと顔を見合った。偶然か、それとも必然か。ヤンとの通信を保留にしてから受信ボタンを押下する。映ったのは副官のスールズカリッター大尉だった。総司令部から至急ハトホルに出頭するようにと連絡が有ったようだ。ヤンも同じ話だった。俺達二人だけか、それとも艦隊司令官全員にか……。


ハトホルに出頭したのは俺とヤンだけだった。妙な事に艦橋にヴァレンシュタインは居ない。訝しんでるとミハマ中佐が“総司令官代理は自室で提督方を御待ちです”と言って案内してくれた。どうやら今日は訪問客が多いらしい、中佐の話ではほんの少し前までパエッタ中将がハトホルに来ていたようだ。どんな話をしたのやら、さぞかし居心地が悪かっただろう。

彼女に礼を言って部屋の中に入る。先客が居た、ビュコック元帥とボロディン元帥だった。三人でソファーに座っている。ビュコック元帥がヴァレンシュタインと並んで座りその正面にボロディン元帥が居た。ヴァレンシュタインは俺達を見ると“こちらへ”と言って前を、ボロディン元帥の隣を指した。ヤンと顔を見合わせた、嫌な予感がしたが断ることは出来ない。“失礼します”と言ってボロディン元帥の隣に座った。

「第一艦隊の状態は如何です?」
「補給は済んでいます。先の会戦で破損した艦の修理が済んでいませんがそれを除けば何時でも艦隊を動かす事は可能です」
俺が答えるとヴァレンシュタインが視線をヤンに向けた。ヤンが“第三艦隊も同様です”と答えた。第一、第三両艦隊は後方遮断に就いたため破損した艦はそれほど多くない。ヴァレンシュタインがビュコック元帥、ボロディン元帥に視線を向けた。二人の元帥が頷く、本題か。

「貴官達には私と共にウルヴァシーに行って貰う」
ボロディン元帥が言った。ウルヴァシー? 今回の戦いでは補給拠点として使っている所だが現時点でウルヴァシーに艦隊を動かすというのはどういう事だ? 単なる警備とも思えんが何か問題でもあるのだろうか? ヤンも訝しそうな表情をしている。それに“私”と言った。ビュコック元帥は関係ないのか?

元帥達は訝しんでいる俺達を見ていたが顔を見合わせると微かに苦笑を浮かべた。ヴァレンシュタインも苦笑を浮かべている。立ち上がると執務机に向かい引き出しから何かを取り出した。封筒の様だ。ソファーに戻って来るとその封筒を俺に差し出した。

嫌な予感は強まる一方だが拒絶は出来ない。受け取って中の紙を取り出した。……なるほど、三個艦隊を動かす理由はこれか。有り得ないことじゃないな。ここで選ばれたという事はそれなりに信頼されているという事だろう。ヤンが俺と紙を気遣わしげに見ている。喜べ、お前さんも信頼されているらしい。紙をヤンに差し出した。



宇宙歴 796年 1月 30日  フェザーン  第一特設艦隊旗艦 ハトホル   ジャン・ロベール・ラップ



「どうなるんですかねぇ」
「さあ、どうなるのかな」
コクラン大佐とウノ少佐が首を傾げながら話している。二人だけじゃない、ハトホルの艦橋には他にも首を傾げている人間が居た。俺も首を傾げたい、これからどうなるのか……。総司令官代理が居れば尋ねるのだがあいにくと自室に籠っている。

「我々は何時になったらハイネセンに帰れるんです?」
「政府から帰還命令が出れば帰れるよ」
「出るんですか、それ」
ウノ少佐が疑わしげな声を出すとコクラン大佐が“さあね”と肩を竦めた。艦橋には脱力感が漂っている。

「今のままじゃ帰還は難しいだろうな、フェザーンの扱いだって決まっていないし」
コクラン大佐の答えに皆が顔を顰めた。フェザーンをどうするのか、政府の方針ははっきりとは決まっていない。同盟政府はフェザーンの独立を保証するとは言ったがそれ以上の事は何もしていない。

「このまま帝国領に攻め込めとか無いですよね」
「……ハイネセンにはそう考えている連中もいるみたいだな」
「戦争継続となったら総司令官代理は如何するんですかね。この間は辞めると仰っていましたが」
「難しいだろう、軍が簡単に総司令官代理の退役を認めるとは思えんよ」
「そうですよね」
コクラン大佐とウノ少佐の会話が続いている。皆が頷いている。

「総司令官代理の気持ちも分からんでもないよ。この戦いだけでも二千万人近くが死んでいる。イゼルローンやヴァンフリートを入れれば死者は三千万人近いだろう。いい加減嫌になるさ、そうじゃなきゃおかしいよ」
ブレツェリ准将の言葉に彼方此方から溜息が出た。俺も溜息を吐きたい、三千万人? 途方もない数字だ。

「しかしハイネセンでは主戦論が勢いを増しているようだ。フェザーンの扱いが決まらないのも帰還命令が出ないのも今が帝国領へ攻め込むチャンスだと考えている人間が少なくない所為だろうな」
チュン総参謀長の言葉に皆が顔を見合わせた。渋い表情をしている人間が多い。俺も当分は戦争をしたくない、もう沢山だ。

現在銀河帝国は混乱状態にある。帝国政府は今回の貴族連合軍に参加した貴族達に対して敗戦の責任を取らせると声明を出した。具体的には爵位、領地の剥奪だ。そして貴族連合軍に参加した貴族達、より正確には貴族達の遺族や親族は納得がいかないと政府に対して抵抗している。それを帝国の正規軍が討伐している。主戦派の言い分はその混乱に付け込もうというものらしい……。

「先日、電子新聞に亡命者を軍の重要な地位に就けて良いのかって書かれてましたよ。所詮は帝国人で信用できないとか。どう見ても総司令官代理の事ですよ、あれは。書かせたのは主戦派でしょう。ヴァレンシュタイン総司令官代理が和平派に繋がっている事が面白くないらしい」

「まあ繋がっているというより和平派の中核という評価が正しいだろう。だから邪魔なんだろうな。気にすることは無い、面と向かって総司令官代理を非難出来ないから陰口を叩いているだけだ」
ブレツェリ准将と総参謀長の遣り取りに皆が頷いた。戦えば必ず勝つ指揮官を非難できる奴等確かに居ない。むしろ睨まれれば口籠って俯くだけだろう。俺もその記事を読んだが余りに露骨で馬鹿げていて幼稚なのに呆れた。

「大体攻め込む必要が有るんですかねえ、このままいけば総司令官代理の言った通りになるんじゃないですか?」
ビロライネン准将が皆に同意を求めるかのように問い掛けた。何人かが頷いた、それを見て准将が言葉を続けた。

「十二兆帝国マルクですよ? あれって国債の償還とは言ってますけど実際には賠償金みたいなもんでしょう。貴族は壊滅状態で帝国政府は改革を行うと宣言している。劣悪遺伝子排除法は廃法、国債の償還という形で賠償金を払う。これ同盟が勝ったって事ですよ、帝国は負けを認めたんです。もう十分でしょう、帝国が改革を進めるなら攻め込む事なんて無いですよ」
“そうだよな”、“俺もそう思う”という声が彼方此方から上がった。

「主戦派は国債が償還されるとは思っていないようだな。それよりも同盟政府の発行した十五兆ディナールの国債が事実上無くなった事の方が嬉しいらしい。借金が無くなったんだからその分軍事費を増やして帝国領へ攻め込めという事のようだ。二千億ディナールの臨時収入も有った……」

「二千億ディナールか、大きいですな、総参謀長。今回の軍事行動ですが政府は一千億ディナールを予算として計上していました。純粋に経済活動としてみれば黒字ですよ。国債の件も含めればぼったくりに近いです。主戦派が喜ぶのも無理はない」
キャゼルヌ先輩の言葉に彼方此方から溜息が漏れた。戦争で儲ける? 一体何時の話だ?

「それ、みんな総司令官代理がやった事ですよ」
「……」
「まあぼったくりというか火事場泥棒みたいなものですけど本人は和平のためにやったのにそれで戦争継続とか……、自分だって辞めたくなりますよ」
ブレツェリ准将のぼやく様な言葉に皆が頷いた。同感だ、俺も一言言わせてもらおう。

「大体何時まで戦争するんです? 今和平が見えているのに戦争継続しろって言うなら終わりを示してもらわないと……。このままズルズル行くのは御免ですよ、命が幾つ有っても足りやしない。自分は未だ死にたくありません、婚約者が居るんですから」
俺の言葉に彼方此方から同意する声が上がった。皆和平が見えてきた事で死にたくないという思いが強くなっている。

「まあトリューニヒト議長は戦争継続には反対の様だ。議長の踏ん張りに期待するしかないな」
「当てになると思いますか、総参謀長。元は主戦派ですよ、あの人。どこまで主戦派を抑えられるのか……」
俺の言葉にチュン総参謀長が肩を竦めた。

「頑張っているみたいだぞ。主戦派はかなり苛立っているとセレブレッセ大将から聞いた。電子新聞の件も連中の苛立ちが原因だろう。ストレス発散だな、憤懣をハイネセンに居ない人間にぶつけたのさ。大体あれを書いたのはイエローペーパーの類だ、誰も信用せんよ」
キャゼルヌ先輩の言葉に皆が曖昧な表情で頷いた。今一つ信用出来ない、そんな感じだ。

「緊急通信です!」
突然オペレータが大きな声を張り上げた。顔が引き攣っている、良くない兆候だ、何かが起きた。瞬時に艦橋の空気が緊張した。帝国領侵攻、その言葉が頭の中にチラつく。俺だけではないだろう、皆が苦い表情をしている。総参謀長が“何が有った”と声をかけた。
「ハイネセンでクーデターが起きました!」
クーデター? 皆が顔を見合わせた……。



 

 

第百十五話 大義と利




宇宙歴 796年 1月 30日  フェザーン  第一特設艦隊旗艦 ハトホル   アレックス・キャゼルヌ 



ハイネセンでクーデターが発生した。おそらく主戦派が引き起こしたものだろう、それ以外には考えられない。ハイネセンは酷く混乱しているようだ。クーデター発生の第一報から三時間程経ったが詳細は未だに分からない。クーデターを起こした連中が自由惑星同盟愛国委員会と名乗っている事は分かっているが首謀者が誰かも分からないのが現状だ。

こちらから連絡を取ろうとしてもハイネセンとの通信は途絶している、もどかしいことだ。オルタンスは無事だろうか、娘達は……、大丈夫だとは思うが心配だ。ヤンもユリアンの事が心配だろう。ラップもジェシカの事を酷く心配している。意外に向う見ずなところが有るらしい。

ヴァレンシュタイン総司令官代理はクーデター発生を知ると直ぐに全艦隊に対して徒に騒ぐ事無く総司令部の指示に従うようにと命令を出しハトホルの会議室で将官会議を開く事を決定した。会議室には各艦隊から将官達が、そして総司令部の要員が集まっている。ここに居ないのは第一、第三、第十二艦隊の人間だけだ。
「そろそろ三時間ですか、意外に手際が悪いですな」

ウランフ提督のぼやきに近い口調に会議室には失笑が起こった。会議室に緊張感は欠片も無い。コーヒーを飲みながら続報を待っているうちにそんなものは何処かに行ってしまった。居眠りをしている人間が居ない事が奇跡に近いだろう。だがあと一時間もこのままなら俺が最初に眠りそうだ。

「準備期間が短かったのかもしれん。軍服を着てクーデター計画を練ったのだろう、パジャマにすべきだったな」
ビュコック元帥の言葉にさらに失笑が起きた。トリューニヒト議長がパジャマ姿で最高評議会を行って以来、同盟ではそれをネタにしたパロディやジョークが流行っている。

「近頃ハイネセンではデザインや材質に凝った高級パジャマとナイトガウンが売れているようですよ、ビュコック元帥」
「ほう、それはどういう事かな」
「身嗜みですよ、何時深夜に呼び出されても良い様にだそうです」

カールセン提督の答えに皆が笑い出した。俺もこの話は知っている。この話のオチはそれにかこつけて奥方達が自分の新しい寝衣をちゃっかり買っているというのが真相だというところだ。デパートや衣料店が奥様族をターゲットに売り込みをかけているらしい。商魂逞しい事だ。

「我々もパジャマを買った方が良いのかな?」
また笑い声が起きた。
「その必要は無いと思いますよ、ウランフ提督。帝国と和平を結べば平和がやってきます。そうなれば夜中に叩き起こされる事も無くなるでしょう」
総司令官代理の言葉に皆が口を噤んだ。クーデターが起きたのはその和平が原因の筈だ。その事を思ったのだろう。

ハイネセンから広域通信が入った。弛緩していた会議室の空気がたちまち引き締まった。スクリーンには壮年の軍人が映っている。
『ここに宣言する。宇宙歴七百九十六年一月三十日、自由惑星同盟愛国委員会は首都ハイネセンを実効支配の元に置いた。同盟憲章は廃止され愛国委員会の決定と指示が全ての法に優先する』

“見た事が有るな”という声が聞こえた、ブレツェリ准将だ。何人か頷いている人間も居る。“エベンス大佐じゃないか”という声が聞こえた。どうやら映っている人間はそれなりに有名らしい。
『同盟憲章に代わる新たな方針を発表する。一つ、銀河帝国打倒という崇高な目的に向かっての挙国一致体制の確立』

分かっていた事だが最初に和平を否定してきた。皆が総司令官代理を見たが総司令官代理は怒る事も無く黙ってスクリーンを見ている。
『二つ、フェザーンとの新たな外交関係の構築』
新たな外交関係の構築? 何だそれは? 独立ではないな、それならトリューニヒト議長が既に言っているから敢えて言う必要は無い、となると併合か?

考えている間にも方針の発表が続く。言論の統制、軍人への司法警察権付与、無期限の戒厳令布告、議会の停止、反戦、反軍部思想を持つ者の公職追放、恒星間輸送、通信の全面国営化、良心的兵役拒否の刑罰化、政治家及び公務員の汚職に対する刑罰の強化、有害な娯楽の追放、必要を超えた弱者救済の廃止……。

途中から総司令官代理がクスクス笑い始めた。発表が終わりスクリーンが切れてもクスクス笑っている。
「帝国はルドルフの亡霊から逃れようとしているのに同盟はその亡霊に執り付かれようとしている。亡霊はしぶといですね、お祓いが必要だな」

なるほど、確かにそうだな。愛国委員会がやろうとしている事はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが行った事と同じだ。皆も頷いている。それにしても総司令官代理は余裕が有る。またハイネセンから通信が入った。広域ではない、直接の様だ。おそらくは愛国委員会の決定に従えというのだろう。スクリーンにさっきの男が映った。

『自由惑星同盟愛国委員会、エベンス大佐である。ヴァレンシュタイン中将、貴官の総司令官代理の任を解く。以後各艦隊司令官は愛国委員会の指示に従うように』
随分と上から目線だな。会議室の中には不愉快そうな表情をしている人間も居る。しかし総司令官代理に反発している人間は如何思っているか。場合によっては軍が割れる可能性も有る……。

「条件次第では従っても良いですよ、エベンス大佐」
『……条件とは』
総司令官代理はニコニコしている。エベンス大佐は訝しげだ。
「愛国委員会の代表は誰です? 信頼出来る人物が代表なら私だけじゃない、皆も安心して指示に従うでしょう」
エベンス大佐の顔から表情が消えた。

『……委員会は合議によって全てを決めている』
会議室がざわめいた。代表が居ない? ざわめきの中でエベンス大佐は無表情を保ったままだ。総司令官代理が笑い出した。
「なるほど、代表を務めるだけの人材が居ませんか。或いは調整不足で一本化出来なかったかな。どちらにしろ決定権を持つ人間が居ないとは組織としては問題です、それでは不安ですね」
エベンス大佐の顔面が強張った、顎に不自然なほどに力が入っている。どうやら総司令官代理の指摘は図星らしい。

「トリューニヒト議長は当然ですが最高評議会のメンバーを拘束出来ましたか?」
『……』
「シトレ元帥、グリーンヒル大将は如何です?」
『……』
ざわめきがさらに大きくなった。政府、軍の重要人物を拘束できていない。これではクーデターに成功したとは言えまい。随分と上から目線だったがあれは虚勢だろうな、そうとしか思えん。

「おやおや、クーデターは起こしたが政府、軍の要人拘束には失敗しましたか。クーデター発生の第一報から随分と時間がかかっていますが善後策を検討したが決定権を持つ人間が居ないため右往左往した、そんなところでしょう。これでは私だけじゃない、誰も愛国委員会に参加しないと思いますよ。良くそれでクーデターを起こしましたね」
総司令官代理の嘲笑にエベンス大佐の顔が引き攣った。

『黙れ。我々を貶めて優位に立とうというのか? そんな小細工は通用せんぞ。艦隊司令官達は貴官の指示には従わん。貴官は嫌われているからな』
エベンス大佐が憎々しげに言うとヴァレンシュタイン総司令官代理が声を上げて笑い出した。

「嫌われている? そんな事は大佐に言われなくても分かっています。誰が私のような若造に命令されて喜ぶと思っているんです。私はそこまで御目出度くは有りません」
『……』
「ですが人間というのは好き嫌いの感情だけで行動する生き物ではないのですよ、エベンス大佐。貴官はその事が分かっていないようだ」
明らかに馬鹿扱いされてエベンス大佐の体が強張った。懸命に怒りを抑えているらしい。

「人間というのは地位や名誉を得れば無意識にそれを守りたいと思うものです。同時に自分の行動が功利的に見える事を酷く恐れる。自分の判断、行動が正当なものであるという大義名分を欲しがるのです。人を動かすには利と大義、その二つを用意すれば良い。そしてそれを得た後の安定を保証できれば言う事無しです」
皆が顔を見合わせた。困ったような表情をしている。気持ちは分かる。そこまで露骨に言わなくても、そう思っているのだろう。

総司令官代理が書類を手に取った。ミハマ中佐に “読んでください”と言って差し出す。中佐は書類を受け取ると文面を確認したが驚いている。総司令官代理とエベンス大佐を交互に見た後、声を出して読み始めた。

「発、宇宙艦隊司令長官シドニー・シトレ元帥。
 宛、第一特設艦隊司令官エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中将。
本官が負傷療養中の間、貴官を総司令官代理に任命する。貴官には直属の第一特設艦隊、並びに宇宙艦隊に対しての指揮権を委ねる」

「宇宙艦隊行動命令、貴官は委ねられた指揮権を用いて以下の命令を果たすべし。
一、 ヴァレンシュタイン総司令官代理は旗下の艦隊を率い貴族連合軍を撃破、自由惑星同盟の安全を確保する事。
二、 貴族連合軍撃破後、貴官はフェザーンへ進駐し地球教を根絶せしめる事。
三、 同盟領内にて政治的、軍事的に混乱が生じた場合、貴官はその持てる全ての兵力を使用して混乱を収め法秩序を回復させる事。尚、貴官が執る全ての行動はすべからく承認されるものである。貴官は最善と思われる行動を執られたし」

彼方此方からざわめきが起きた。反乱は予測されていた? ミハマ中佐が読み終えると総司令官代理はエベンス大佐に見せるようにと命じた。中佐が命令書をスクリーンに向ける。呻き声が上がった。
『馬鹿な、どういう事だ、それは。……何故そんなものがそこに有る』
エベンス大佐が喘いだ。同感だ、俺も驚いている。だが妙なのは艦隊司令官達には驚いている人間が居ない事だ。知っていた?

「シトレ元帥がフォーク中佐に襲われた時、裏に地球教が居るのではないかと思いました。狙いは同盟の混乱でしょう。追い詰められた地球教は同盟を混乱させる事に活路を求めた。指揮系統が混乱し貴族連合軍と潰し合ってくれればと考えたのだと思います」
『……何を言っている? 何故そんなものが有るのかを訊いているのだ』
エベンス大佐が反問したが総司令官代理は意に介さなかった。

「当然ですがそれが上手く行かなかった時は如何するかを考えたでしょう。帝国が当てにならない以上、次に狙うのは主戦派を煽っての同盟の混乱かテロによる混乱しかありません。どちらにしろ軍において絶対の存在であるシトレ元帥は邪魔だった。だからあの事件が起きた。……分かりましたか? 貴方達は利用されたのです」
エベンス大佐が愕然としている。無理も無い、総司令官代理の言葉が真実ならエベンス大佐達はうまうまと操られた事になる。

『馬鹿な、そんな事は有り得ない、有り得ない! 我々は崇高な大義の元に決起したのだ! 出鱈目を言うな!』
悲鳴のような声だった。総司令官代理が苦笑を浮かべた。
「出鱈目ですか、そう思いたければそう思えば良いでしょう。しかし愚かである事は認めたほうが良いですね。トリューニヒト議長が和平を、フェザーンの独立を表明したのは帝国との和平を本気で考えていたからですが同時に貴方達を焦らせ暴発させるためでもあった。トリューニヒト議長は全て知っています、だから貴方方は誰も拘束出来なかった……」

エベンス大佐は口を開け、そして閉じた。呆然としている。総司令官代理は憐れむような目でスクリーンを見ていた。その事がエベンス大佐を激高させた。
『そんな目で見るな! 我々の大義に偽りはない! 各艦隊司令官は愛国委員会の指示に従う事を表明せよ!』

エベンス大佐の言葉に反応する指揮官は居なかった。無言でスクリーンを見ている。
『何故だ、何故何も言わない! パエッタ中将、貴官はこの男を憎んでいるはずだ。ビュコック元帥、本来なら総司令官代理には元帥かボロディン元帥が就くはずだった。何故皆何も言わない! ヴァレンシュタインの事を嫌いだと言っていたはずだ! あれは嘘だったのか! こんな若造の指揮に従うというのか、何故だ!』
眼が血走り髪を振り乱している。無駄だ、この状況で愛国委員会に参加するなど有り得ない。自ら滅亡を選択する様なものだ。

「無駄ですよ、エベンス大佐。各艦隊司令官にはフェザーン占領後全てを話しました。彼らは愛国委員会のクーデターが利用されたものだと知っているのです。そして反乱討伐の大義名分が私に有る事も理解している。内乱終結後、ハイネセンに戻れば昇進も待っている」
『……』

「愛国委員会は彼らに利と大義を用意する事が出来なかった。そして私はその両方を用意する事が出来た。貴方方は敗れたのです」
『しかし、我々の接触には……』
足掻くエベンス大佐に総司令官代理が手を振って遮った。

「未だ分かりませんか? 貴方達から接触が有った場合、私に対して反発している事、帝国との和平に反対である事を言うように命じたのです」
彼方此方からざわめきが起きた。黙っているのは艦隊司令官だけだ。
『貴様ら、俺を嵌めたのか!』
怒声が響いた。スクリーンではエベンス大佐が血走った目でこちらを睨んでいた。

「このまま戦争を続ければ同盟も帝国も共倒れです、何処かで戦争を終わらせるしかありません」
『だから国力を結集して帝国を潰すのだ、今なら出来るはずだ!』
力説するエベンス大佐に総司令官代理は“無理です”と否定した。

「人口百三十億の同盟が二百四十億の帝国を征服するなど不可能ですよ。同盟の国力では宇宙を統一する事は出来ない、反って混乱するだけです。となれば和平による共存を選ぶしか有りません。帝国貴族は叩き潰しました、地球教も力を失った。和平を結ぶのに残っている障害は同盟に居る主戦派だけです。それも今回の反乱で力を失う」

ダーンという激しい音がスクリーンから聞こえた。エベンス大佐が両拳を握りしめ振り上げるともう一度机に叩き付けた。
『貴様、卑怯な……』
総司令官代理が笑い声を上げた。皆が驚いて総司令官代理に視線を向けた。総司令官代理は心底可笑しそうに笑っている。

「卑怯? 卑怯というのは正規な手段に寄らず違法な手段で政権を奪取し市民を支配する人間の事を言うのです」
『……』
「貴官達は民主共和政の軍人でありながら掲げた施政方針はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの行ったものと同じでした。弱者の切り捨てと力による圧政、不見識にも程が有る。貴官達を嵌めた事に罪悪感など感じませんし憐れみも感じない。いっそ清々しい気分ですよ、私はルドルフが大嫌いなんです。貴官達は出来の悪い模造品かな」

『……我々にはアルテミスの首飾りが有る』
ねっとりと絡みつくような口調だった。妄執、そう思った。
「アルテミスの首飾りは防御兵器です。ハイネセンは守れても自由惑星同盟全土は守れない。愛国委員会は自由惑星同盟の掌握に失敗したのです」

エベンス大佐がまた呻き声を上げた。総司令官代理が立ち上がった。表情には笑みが有る。震え上がる様な恐怖を感じながら起立した。
「これより愛国委員会を名乗りハイネセンを圧政下に置く反逆者を討伐する。全軍バーラト星系に向けて出撃せよ」
「はっ」
全員が敬礼で総司令官代理に応えた。エベンス大佐の蒼白になった顔がスクリーンに映っていた。


 

 

第百十六話 遺書と墓碑銘




宇宙歴 796年 1月 30日  フェザーン  第一特設艦隊旗艦 ハトホル   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「何ともお粗末な連中ですな」
シェーンコップの言葉に皆が頷いた。ハトホルの艦橋は出撃準備で慌ただしい空気が溢れている。
「まあ時間が無かったですからね。貴族連合軍の撃滅から和平、フェザーンの独立とあっという間でした。焦ったのだと思いますよ」

本心ではない、時間が有っても失敗しただろう。貴族連合軍を撃滅した時点でパエッタを始め俺に面白く無い感情を抱いていた連中も大人しくなった。軍人ならば勝てる指揮官を欲する。勝ち方が鮮やかで徹底したものであれば好んで敵に回そうとは思わない。まして反乱に加担して敵対など愚劣としか思えまい。帰還すれば昇進が待っているのだ、反乱に加担して全てを失うリスクを冒す馬鹿は居ない。言ってもいいが自慢と取られそうで止めた。

連中が暴発する前に憲兵を使って取り押さえる手もあった。しかし駄目なんだな、これは。それだと和平を推進するトリューニヒト政権が邪魔な主戦派を陥れた、そんな陰謀説が出かねない。トリューニヒト政権を弱めかねない。和平を結ぶには強力な政権基盤が要る以上その手は取れない。

あの馬鹿共を暴発させた上で鎮圧する。どうせあいつらがルドルフの真似をする事は分かっているんだ。ならばそれを同盟市民に見せてやれば良い。同盟市民も主戦派が危険な存在だと理解するだろう。主戦論が力を失い相対的に和平論が力を増す。トリューニヒト政権にとっては追い風になるはずだ。

「フェザーンに誰も残さなくて宜しいのですか?」
「構いません。フェザーンは独立させますからね。反乱鎮圧に全力を注ぐ、その名目で放棄します。下手に残すと後々面倒ですから」
チュン総参謀長がなるほどと頷いた。

「しかし反同盟活動を行うのでは? 後方を攪乱する可能性が有りますが」
「こちらが撤退するのにか?」
「地球教の残党がフェザーン市民を煽る可能性は有るでしょう」
「なるほど」
チュン総参謀長とビロライネン准将の遣り取りに皆が頷いた。顔を顰めている人間も居る。

「最後尾は我々が務めます。十分に気を付けて撤退しましょう」
「分かりました。しかし攪乱が有った場合は如何しますか?」
チュン総参謀長が問い掛けてきた。皆不安そうな表情をしている。大した事じゃないんだけどな。フェザーンには軍事力は無い、それに補給はウルヴァシーに十分に有る。攪乱など嫌がらせにもならない。

「先ずは内乱の鎮圧を優先します」
俺が答えると皆がホッとしたような表情を浮かべた。……何だ、それ。フェザーンじゃなくて俺が心配だったのか? 俺がフェザーンに核ミサイルでも打ち込むと思ったのかな、不愉快な! 俺はそんな事はしないぞ、する必要も無い。俺は無駄な事はしないのだ。

「内乱を鎮圧すればフェザーンの方から謝ってきますよ。多分金で片付けようとするでしょうね」
皆が頷いた。表情には蔑みの色が有る。フェザーン人って嫌われているよな。まあ俺も好きとは言えない。

「いずれ帝国との間に和平が結ばれればイゼルローン回廊も解放されるでしょう。そうなれば同盟、帝国の商船が直接両国を行き来する事になる。フェザーンの戦略的価値は半減しますし中継貿易の利益も失う事になります」
「フェザーンにとっては生存環境が厳しくなりますな。なるほど、それがフェザーンに対する報復ですか」

そうじゃない、フェザーンがイニシアチブを執って宇宙を支配しようなんて考える事は無くなると言いたかったんだ。同盟と帝国が手を結んでいる限りフェザーンは大人しくなる。宇宙は安定する筈だ。そして同盟も帝国も国内の再建と安定を必要としている。未開発地も沢山あるのだ。公共事業による景気高揚が続くだろう。

高度成長時代を実現出来ればフェザーンもそれの恩恵を受けることが出来る。そうなればフェザーンは両国を争わせるのではなく協調させる事で繁栄出来る事を理解するだろう。フェザーンだけが繁栄するのではなく共に繁栄する。共存共栄が出来ればフェザーンも守銭奴とか金の亡者とは言われなくなるはずだ。まあそこまで行くには時間がかかるが。

トリューニヒトは如何してるかな。頼むから上手く脱出してくれよ。ここまで御膳立てしたのだから後はお前さん次第だ。いずれトリューニヒトは救国の英雄、民主共和制の擁護者、自由の守護者なんて呼ばれる事になるだろう。笑えるな、原作を知ってる俺には悪い冗談としか思えん。ヤンは白目を剥くだろう、毛布を頭から被って寝込むかもしれない。ま、それも悪くない。



宇宙歴 796年 2月  4日  リオ・ヴェルデ星域  第一艦隊旗艦  アエネアース  スーン・スールズカリッター



「ワイドボーン提督、御苦労だな」
「はっ。元帥閣下をアエネアースに御迎え出来た事を心から嬉しく思います」
ワイドボーン提督がガチガチに緊張している。提督だけじゃない、艦橋にいる人間は皆ガチガチだ。無理もない、首都ハイネセンを脱出してきたシトレ元帥を迎えたのだが同行者が凄い事になっている。

グリーンヒル大将、それに見覚えのない軍人が数人、いずれも将官だ。それとトリューニヒト最高評議会議長を含む最高評議会のメンバー。自由惑星同盟の政府軍部のトップがアエネアースに集結している。まるで政府がここに移動したようなものだ。それに帝国のレムシャイド伯爵も居る。

「ワイドボーン提督、少しの間厄介になるよ」
「はっ、何分軍艦ですので十分な御持て成しは出来かねます。御不自由をおかけしますが御容赦を願います」
「いや、ここなら安全だ。それ以上の持て成しは無いよ、そうだろう?」
議長が問い掛けると同意を表す声が彼方此方から上がった。流石に商船での脱出は不安だったらしい。

ワイドボーン提督が総司令部との間に通信を開くように命じた。少しの間が有ってスクリーンにヴァレンシュタイン総司令官代理が映った。ワイドボーン提督が敬礼すると総司令官代理も答礼した。
「トリューニヒト議長閣下、シトレ元帥閣下を含む政府、軍の方々を無事収容しました」

『御苦労様でした。何か問題は有りますか?』
「いえ、特に有りません」
『では早急に第三艦隊と合流して下さい』
「はっ」
総司令官代理が頷いた。そしてシトレ元帥とトリューニヒト議長と話したいと要求した。俺より若いんだが平然としているな。

「何かな、ヴァレンシュタイン中将」
『御身体の具合は如何ですか、シトレ元帥』
「問題は無い。心配してくれるのかね、中将」
嬉しそうにシトレ元帥が言うと総司令官代理が苦笑を浮かべた。

『そうじゃありません。仕事が出来るか確認させて貰ったのです』
げっ、何て事を言うんだろう。シトレ元帥とトリューニヒト議長が顔を見合わせて苦笑している。ワイドボーン提督は目を剥いているし俺もびっくりだ。
『総司令官閣下、お預かりしていた指揮権をお返しします』
「なるほど、それが有ったな。確かに指揮権を受け取った」
総司令官代理が敬礼するとシトレ元帥が答礼した。

『早速ですがお二人にはやって頂きたい事が有ります』
「やれやれ人使いが荒いな、ようやく落ち着けると思ったのに」
トリューニヒト議長がぼやいたが総司令官代理、いやヴァレンシュタイン提督は意に介さなかった。
『先ず政府、軍首脳部が第一艦隊と合流した事、指揮権が私からシトレ元帥に返還されたことを表明してください』
提督の言葉に“分かった”とシトレ元帥が頷いた。

『次にお二人には広域通信で健在ぶりをアピールしてもらいます。その際トリューニヒト議長閣下には愛国委員会がルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの出来の悪いコピーであり民主共和制の精神を汚すものだと激しく弾劾してください』
「うむ」

『長い戦争が人心を荒ませこのような愚かしい人間を作り出してしまった。自由惑星同盟は、いえ人類は和平による安息を必要としている。自分は最高評議会議長として必ず彼らを粉砕し秩序と安定を取り戻すだろうと宣言して頂きます』
トリューニヒト議長が大きく頷いた。

「その事は私も考えていた。和平を実現するには市民にその必要性を理解させなければならない。今回の一件で同盟市民も戦争継続には大いに疑問を抱くだろう。クーデターが成功すれば民主共和制は廃止されるところだったのだからね。同盟市民に和平の必要性を理解させる良い機会だ」
あ、議長だけじゃない。他の政治家達も頷いている。

『それと各星系、自治体、軍組織に旗幟を明らかにするように命じてください。そして愛国委員会に味方する勢力は決して許さないと言って欲しいのです』
「愛国委員会を孤立させるのだね」
『それも有りますが議長閣下に味方するという事は和平を支持するという事です。後々和平を推進する時には皆が和平を支持してくれたと言う事が出来ます』

“君は相変わらず抜け目がないね”とトリューニヒト議長が笑い出した。シトレ元帥も笑っている。上層部では帝国との和平は既定路線らしい、本当に宇宙が平和になる時が近付いている。それにしてもヴァレンシュタイン提督が和平派の中心人物という噂は本当のようだ。提督は薄く笑みを浮かべている。いかにも謀将、そんな感じだ。

『ハイネセンは第一、第三艦隊で解放します』
彼方此方で驚きの声が上がった。
「君達を待たずにかね?」
ヴァレンシュタイン提督が“そうです”と頷いた。
『元帥、我々が合流するのを待っていては時間がかかります。ハイネセンの市民に負担をかける事になるでしょう。クーデターは早期に鎮圧しなければなりません。そうでなければ政府、軍に対してハイネセンの市民から不満が噴出するでしょう』

シトレ元帥が難しい顔をしている。
「貴官の言う事は分かる、その理が正しい事も認める。しかし二個艦隊ではアルテミスの首飾りは攻略出来んだろう。せめて第十二艦隊を待つべきではないかな。失敗すればそれこそ主戦派を勢い付かせることになる」
シトレ元帥の言葉に皆が頷いた。

『戦力が大きくなれば、愛国委員会は当然ですが警戒します。時が経てばそれだけ防衛体制を整える事になる。場合によっては市民を人質に取る可能性も出て来るでしょう。この時期に二個艦隊ならばそこまでは警戒しませんし準備も出来ません。まして艦隊司令官は二人とも新任の中将です、特にヤン中将は非常勤参謀とまで言われた人ですからね、愛国委員会が市民を人質に取る可能性は少ない。今攻略するべきです』

言っている事は分かる。確かにそうだがアルテミスの首飾りが有る……。誰もが不安そうな表情をしていた。
『ご安心ください、ハイネセン奪還作戦は既に策定済みです。ヤン中将がアルテミスの首飾り攻略を、ワイドボーン提督がハイネセン制圧戦を行う事になります。元帥閣下は作戦の総指揮をお執り下さい』
どよめきが起きた。皆が驚いている、いや、ワイドボーン提督だけは驚いていない。知っていたな、これは。まあ当然か。

「可能なのかね、アルテミスの首飾りを攻略する事が」
元帥が問い掛けるとヴァレンシュタイン提督が軽く笑い声を上げた。
『ヤン中将はエル・ファシルの英雄です。彼の前ではアルテミスの首飾りは脅威になりません』
またどよめきが起きた。シトレ元帥がワイドボーン提督に視線を向けた。提督が頷くと元帥も大きく頷いた。

「分かった。ハイネセン奪還作戦を実行しよう」
シトレ元帥の言葉に艦橋が三度どよめいた。
『宜しくお願いします。それとトリューニヒト議長を始め最高評議会の方々には地上制圧戦に参加して頂きます』
おいおい本気か? 皆目が点になってるぞ。

『作戦実施までに装甲服に慣れておいてください。制圧目標は最高評議会ビルです。反逆者達に占拠された最高評議会ビルを奪回して貰います』
「ちょっと待ってくれ、本気かね、君は」
政治家が一人慌てた声を出した。
『本気ですよ、レベロ財政委員長。このままでは最高評議会はハイネセンの市民を見捨てて逃げた等と言われかねません。それでは困るのです』
ウーンという声が彼方此方から聞こえた。

『皆さんにハイネセンを脱出してもらったのは人質にされるのを防ぐため、愛国委員会にクーデターが失敗した事を理解させるためです。兵に戦えと言うのではなく兵と共に戦って下さい。そうでなければトリューニヒト政権は市民の支持を集められません』
その通りだ、ヴァレンシュタイン提督の言葉は間違っていない。

「楽は出来んな」
トリューニヒト議長が肩を竦めた。
「やるのかね」
「ここまで来たらやらざるを得んだろう。それとも逃げるかね?」
「……やれやれだな」
議長とターレル副議長が話している。他の委員長達もやれやれといった表情だ。ヴァレンシュタイン提督が笑い出した。

『悪い事ばかりじゃありません。メリットも十分に有ります。生き残れれば向こう十年は選挙で落選する心配は無いでしょう。大量得票で当選です。選挙で落選の心配が無いというのは大きいと思いますよ』
「生き残れればね。死んだらどうなるのかな?」
マクワイヤー天然資源委員長が不安そうな表情でヴァレンシュタイン提督に問い掛けた。気楽な事を言うな、そんな感じだ。

『アーレ・ハイネセン程じゃありませんが立派な銅像が立ちますよ。自由と民主共和制を守るために倒れた勇気ある政治家として。自由惑星同盟で歴史上もっとも有名な政治家の一人に選ばれるでしょうしテレビドラマや映画にも登場します。主人公かそれに次ぐ立場ですね。このまま何事もなく生きているよりも有名になれるかもしれません、悪くないでしょう』

マクワイヤー委員長が溜息を吐いた。
「そういう意味じゃないんだが……」
気持ちは分かる、滅茶苦茶だ。死んだ方が評価が高くなると言っているに等しい。皆呆れた様な顔をしている。ワイドボーン提督は天を仰いだ。

『ああ、葬儀の事なら心配は要りません。国葬になります。葬儀委員長はトリューニヒト議長が務める事になるでしょう。閣下を悼む感動的な弔辞を読み上げてくれると思います。それと棺は議長を始め最高評議会の方々が担いでくれます。あとは何か有るかな……』
首を傾げている。

「いや、もう十分だよ、ヴァレンシュタイン中将。死んだらどうなるか、良く分かった。良い事尽くめだが死なないように気を付けるよ」
げんなりした口調だった。何か本当に死んでしまいそうだな。
『そうですね、死なない程度に頑張ってください。それと念のために遺書と墓碑銘は用意しておいてください。大丈夫です、あくまで念のためですから』
何処からか溜息を吐く音が聞こえた。

「彼の言う通りにしよう。それから頼むから皆死なないでくれ。私は葬儀委員長なんて務めたくないし君達の弔辞も読みたくないからな」
トリューニヒト議長の言葉に皆が頷いた。誰かが“読まれたくないし聞きたくもない”と言った。もしかするとハイネセンを逃げ出した事を後悔しているのかもしれない。政治家も楽じゃないな、ホント同情するよ……。





 

 

第百十七話 憂鬱な人々



帝国暦 487年 2月 10日  ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー  ラインハルト・フォン・ミューゼル



『状況は如何だ?』
「想定された事ではありますが掃討戦と言えば一番しっくりくるかと思います。当主が居ませんので核になる人物が居ません、バラバラです。それだけに厄介とも言えます」
『そうか』
俺が答えるとスクリーンに映っているオフレッサーが顔を顰めた。ブルドックがエサの不味さに顔を顰めている、そんな感じだ。実際声にも苦渋が滲んでいる。

「幸いなのはこちらに損害が殆ど無い事です。彼らも勝てると思っているわけではないのでしょう。感情面で納得がいかない、面子が立たない、それで抵抗しているのだと思います。我々の姿を認めれば直ぐに降伏してくれます」
『そうか』
ブルドックは喜ばない。リューネブルク、卿の与えたエサでは不満そうだぞ。気が重くなった。

帝国は今軽い混乱状態にある。貴族連合軍がフェザーンで大敗を喫したことにより帝国政府は遠征軍に加わった貴族達の爵位、領地の剥奪を宣言した。当然だが貴族達、正確には遺族、親族、家臣は反発し抵抗している。そして俺達がそれを鎮圧しているのだが思ったよりも時間がかかっている。

当主は皆フェザーンで戦死するか捕虜になった。そのため反乱を纏める人物がいない。逃げてくれれば良いのだがそれが出来ない。同盟にはヴァレンシュタインが居る、そしてフェザーンはあの遠征以来反帝国、いや反貴族感情が非常に強い。逃げ込めばその場で殺されるだろう。彼らには何処にも逃げ場がないのだ。それに当主が居ない今、勝手に逃げ出すことも出来ずにいる。当主が戻って来る可能性を否定しきれないのだろう。

厄介な事だ。本当ならある程度纏まった勢力を撃破していった方が効率的なのだがそれが出来ない。やっていることは絨毯爆撃、ローラー作戦に近い。オーディンから辺境に向けて少しずつ貴族領を平定している。平定作戦を開始してから約一カ月が経つが平定した領域は帝国の四分の一にも満たない。非効率的でなんとも気が重い状況になっている。オフレッサー同様俺も顔を顰めたい。

『自由惑星同盟で起きていた反乱だが、……鎮圧された。あっけなかったな』
鎮圧された? 早いな、早すぎる。リューネブルクと顔を見合わせたが彼も驚いている。ケスラー、クレメンツも同様だ。クーデターが起きて十日程しか経っていない。それが鎮圧された?

「同盟軍の主力はフェザーンに居たはずですが……」
俺が問い掛けるとオフレッサーが頷いた。
『殆どがフェザーンに居た。ハイネセンは二個艦隊で攻略した』
「二個艦隊? 妙ですな、ハイネセンにはアルテミスの首飾りが有る筈です……」
リューネブルクが首を傾げながら呟いた。オフレッサーがまた頷いた。

『アルテミスの首飾りは役に立たなかったようだ。ヤン・ウェンリーがハイネセンを攻略したらしい、犠牲者は殆ど無かったと聞いている』
「ヤン・ウェンリー……、エル・ファシルの英雄ですか」
ざわめきが起きた。ヤンの名前にか、それとも犠牲者が殆ど無かった事に対してか。

『どうやらエル・ファシルの奇跡はまぐれではなかったらしい。ヴァレンシュタインだけでも持て余しているのに厄介な事だ』
確かにその通りだ。オフレッサーが不機嫌なのはその所為かもしれない。ヤン・ウェンリーか、あの当時は面白い男が居るものだと思ったが面白がってばかりも居られなくなった。

『ヴァレンシュタインはクーデターが起きる事を想定していたようだ。予め二個艦隊をハイネセンの近くに戻していた。レムシャイド伯からの報せだから間違いあるまい。可愛げの無い奴だな』
オフレッサーが鼻を鳴らした。気持ちは分かるが頼むからそれは止めてくれ。うつりそうで怖い。

「隙を見せて暴発させた、そんなところですか」
『そのようだ』
「クーデター勢力はアルテミスの首飾りを頼りにしたのでしょうが……」
『意味が無かったな』
またオフレッサーが鼻を鳴らした。最近ではリューネブルクも同じような事をするようになった。次は俺かもしれない、悪夢だ。

ヴァレンシュタインから見ればクーデター勢力がアルテミスの首飾りを当てにするのは見えている。反乱を長引かせ同調者を増やす、そんなところだろう。それが潰えた、そしてあっけなく鎮圧された。クーデター勢力はハードウェアに頼り過ぎたな、難攻は有っても不落は無い。帝国もイゼルローン要塞に頼り過ぎるのは危険だ。それにしてもどうやってアルテミスの首飾りを攻略したのか、知りたいものだ。

『同盟の混乱は終結した。トリューニヒト議長は和平を唱えているが油断は出来ん。国内が混乱していれば何かと不利に働くだろう。足元を見られて和平の条件そのものが厳しくなる可能性もある。平定を急いでくれ」
「はっ」
『イゼルローン要塞に送り届けられた貴族達はマリーンドルフ伯を除いて全員自裁した』
オフレッサーの言葉に艦橋の空気が強張った。自裁とは言っているが実際には強制だろう。自ら死を選ぶのなら捕虜になることなくフェザーンで死んだはずだ。

「その中にはフレーゲル男爵、シャイド男爵も居るのでしょうか?」
『リューネブルク、例外は無い』
オフレッサーの答えに皆が顔を見合わせた。
『これで抵抗している連中も諦めるだろう。平定も楽になる筈だ、頼むぞ』
「はっ」

「ブラウンシュバイク公も非情の決断ですな。あの二人を切るとは」
ケスラーが嘆息したのは通信が切れた後だった。俺も多少の驚きは有る、シャイド男爵は知らないがフレーゲル男爵に対するブラウンシュバイク公の扱いは良く知っている。息子の様に扱っていた。それを殺した……。

「急がねばなりません。公がそこまでの姿勢を示した以上、我々も結果を出さなければ」
クレメンツが厳しい声を出した。
「そうだな、急ごう」
俺が答えるとリューネブルク、ケスラーも頷いた。急がなければならない、ブラウンシュバイク公があの二人を切ったのは我々に対する援護であり早く混乱を収めろという叱咤でもある筈だ……。



宇宙歴 796年 3月 9日  ハイネセン  三月兎亭  ミハマ・サアヤ



ウェイターが注文を取りに来ました。私と母は魚がメインのコース、弟のシェインは肉がメインのコースを頼みました。飲み物は私と母は白ワイン、弟はウーロン茶です。シェインは寮生活ですから赤い顔をして戻るわけにはいきません。一つ間違えると退学処分になります。

「姉さん、ここ結構高いんだろ」
「気にしないの。こうして三人で食事するのは久しぶりなんだから」
「そうだけどさ、士官候補生じゃ入れないところだから気になるよ」
弟は周囲をキョロキョロと見回しました。あんたね、もう少し落ち着きなさい。ヴァレンシュタイン提督みたいになれとは言わないけど。それじゃ戦場では最初に戦死するわよ。

母はちょっと不機嫌そうです。“たまには良いでしょう”と言うと“まあたまにはね”と不承不承母は頷きました。
「卒業したらまた此処でお祝いしてあげるわ」
弟のシェインが嬉しそうに“有難う”と言いました。素直で宜しい。

今日は私がハイネセンに戻ってきて最初の日曜日です。という事で家族皆で夕食を食べようという事になりました。支払いは私です、ちょっと奮発して三月兎亭を予約したんですけど母はそれが気に入らないようです。もっと安いところで良いのにと思っているのだと思います。

「姉さん、昇進するの?」
「みたいね」
「はあ、ミハマ大佐か。姉さん、凄いな」
弟のシェインが溜息を吐きました。正直に言うと私も溜息を吐きたい。何時の間にか大佐になってしまいました。どう見てもエリート高級士官です。同期でも私以上に出世している人間は居ません。戦死者を含めてもです。もっともこれから先は厳しいだろうという事も分かってはいます。

「じゃあ今日は御祝いだね。良いのかな、姉さんの奢りで」
「良いのよ、お給料上がるんだから。それに出兵したから手当も出るし気にしないの」
出兵すると危険手当が支給されるのですがこれが結構な金額になります。戦争したがる軍人が減らないのはこれが有るからかもしれません。戦死する危険性を考えなければ戦争は結構割の良い仕事と言えるでしょう。おまけに勝てば昇進してお給料アップです。

「ヴァレンシュタイン提督は?」
シェインの質問に母がピクッと反応しました。母は提督の事を良く思っていません。あえて気付かないふりをしました
「昇進するわよ、ヴァレンシュタイン大将ね」
「二階級特進じゃないんだ。ヤン提督は? アルテミスの首飾りを攻略したけど」

「ヴァレンシュタイン提督、ヤン提督、ワイドボーン提督の三人は大将に昇進、それと勲章の授与。自由戦士一等勲章か共和国栄誉章だと思う。もしかするとハイネセン記念特別勲功大章かもしれないわね」
弟がまた溜息を吐きました。名を上げた勲章はいずれも大きな勲功を上げた人物に対して授与される物です。三人とも二十代ですから異例の事でしょう。弟が身を乗り出してきました。

「トリューニヒト議長達が地上制圧戦に加わったって本当なの? 宣伝じゃないかって言われてるけど」
「本当よ、グリーンヒル大尉から聞いたから間違いないわ」
「グリーンヒル大尉?」
「ヤン提督の副官、グリーンヒル統合作戦本部長代理のお嬢さんよ。以前宇宙艦隊総司令部で一緒だったの」
弟が上半身を仰け反らせて“へえー”と声を上げました。

ハイネセンではトリューニヒト議長達が装甲服を着て地上制圧戦に加わった事が大きな話題になっています。クーデターを起こした愛国委員会を激しく糾弾して許さないと宣言した事も有り戦う議長、有言実行の政治家と評価されました。その所為でしょう、クーデター鎮圧後トリューニヒト議長は改めて最高評議会議長に選出されています。

もっとも私は何が有ったか知っていますから評価するよりも政治家も楽じゃないなとしか思えません。実際制圧戦に加わった事で議長達がハイネセン市民を置き去りにして逃げたという批判は殆ど有りません。市民に犠牲が無かった事も有り、あれは緊急避難で已むを得ない事だと市民達は思っているようです。何処かの誰かの思惑通りです。

愛国委員会は殆ど何も出来ませんでした。こちらが二個艦隊で攻め寄せて来るとは思っていなかったのも有りますがアルテミスの首飾りが何の役にも立たなかった事が信じられなかったようです。殆どがショック状態、虚脱状態で為す術も無く制圧され拘束されました。まあ氷で首飾りを壊すなんて彼らじゃなくてもショック状態になるでしょう。

料理が出てきたので食べ始めました。美味しいです、メインの魚料理はスズキのパイ包みですがソースが絶品です。サクサクするパイ皮も最高! パンプキンのスープも大変美味です。母も“美味しい!”と声を上げました。今からデザートのケーキが楽しみ。弟のメインはカルボナード・フラマンド、牛肉を黒ビールで煮込んだ料理ですがこちらも美味しそうです。 

「姉さん、本当に和平が来るのかな?」
弟が和平の事を口にしたのは食事も大分進んだ頃でした。ちょっと不安そうな表情をしています。
「多分そうなるわね。帝国は和平を望んでいるし同盟も和平を望んでいる。理由は分かるでしょう?」
“うん”と弟のシェインが頷きました。

「軍人だけじゃなく政治家や財界人までクーデターに参加してた。直ぐに鎮圧されたけどクーデターの規模は大きかった、今は戦争よりも和平を結んで国内、人心を安定させる事を優先するべきだ、だろ」
「酷い話しよね、和平が来れば出世出来なくなる、経営が厳しくなる、誰も儲からない、だから戦争するべきだって言うんだから」
弟は憂鬱そうですが母の口調には憤懣が有りました。

あっけなく鎮圧されましたがクーデターの規模は大きかったと思います。軍人はエベンス大佐の他に情報部長のブロンズ中将、ムーア中将、パストーレ中将、ルグランジュ中将、ベイ大佐、クリスチアン大佐、マロン大佐、ハーベイ大佐らの高級軍人が参加していました。驚いた事にロボス元帥も参加していました。もっとも周囲からは余り相手にされていなかったようです。

財界人は殆どが軍事産業の経営者です。取り調べに対して和平が実現すれば経営が悪化する、その事を恐れたと供述しています。フェザーンを属領化し経済的な権益を得たい、そういう考えも有ったようです。彼らに親しい政治家達がクーデターに参加しました。その殆どが何らかの形で財界人から金銭面での見返りを受けていました。軍産複合体による私的利益を追求したクーデターだとマスコミは批判しています。

「俺、どうなるのかな。六月に卒業だけど和平が結ばれたら……。士官学校でも皆が心配しているよ、将来の事を。今年から入学者数も減らすって話も出てるしね……」
シェインがウーロン茶を一口飲みました。

「帝国が存在する以上急激に減らす事は無いし無制限に減らす事も無いと思うわ。でも色々な面で影響は出るわね。一番大きいのは出世が遅くなる事かな。戦争が無くなれば手当も減るから他の職業に比べてお給料も決して良いとは言えなくなると思う。まあ斜陽産業ね」
「はあ、参ったなあ」
弟が太い息を吐きました。

「何言ってるの。戦死する事が無くなったのよ、こんな有難い事無いじゃない。お給料が安いくらいで文句言うんじゃありません」
「それはそうだけど」
母に怒られて弟がボソボソと答えました。まあ母の気持ちは分かるけどお給料が安いのはちょっと辛い。それでも弟は男だし士官だからまだ恵まれている。少なくとも結婚には苦労しない筈。一番不利なのは独身の女性下士官だと思う。

「まさかとは思うけど任官拒否とか考えてるの?」
私が問うとシェインは驚いたような表情を浮かべて首を横に振りました。
「いや、それは無いよ。不名誉だからね。でも周囲には考えている人間も居るみたいだ。先が見えないから……」
「任官拒否は止めなさいね、詐欺師扱いされるから。後々不利になるわ」
弟は“うん”と言って頷きました。

任官拒否、士官学校の候補生が卒業後、軍隊へ任官するのを自発的に拒否する事です。市民の税金で学び給料を貰う、にも拘らず任官しない。養成課程で生じた費用は全て無駄になってしまうため甘い汁を吸い義務を果たさず恩を仇で返す詐欺的行為として著しい不名誉とされています。民間で就職しようとしても任官拒否に正当な理由がなければ拒否される事が多いでしょう。特に軍、政府と関係の深い企業、公共機関はその傾向が強いと言われています。

弟が憂鬱になる気持ちも分からないではありません。私は今年二十五歳ですが大佐に昇進します。戦時とはいえ非常に若い大佐でしょう。今後平時になれば昇進はかなり遅くなります。おそらく任官後一年で中尉に昇進する万歳昇進も無くなるかもしれません。弟が二十五歳の時の階級は多分中尉か大尉のはずです。少佐になるのは三十歳を超えてからでしょう。

自分が少佐にもなれないのに目の前には二十台の大佐が居る、さらに上を見れば二十台の大将までいる。納得が行かないだろうなと思います。武勲を上げたのだから昇進は当然と思いますが弟達には武勲を上げるチャンスが無いのです。不公平感は当然出ると思います。

ヴァレンシュタイン提督は主戦派を叩き潰しました。和平を結ぶのも難しくは無いでしょう。ですが和平が根付くまでにはまだまだ問題が多いですし時間がかかりそうです……。



 

 

第百十八話 諮問委員会




宇宙歴 796年 3月 20日  ハイネセン  宇宙艦隊司令部  シドニー・シトレ



『やあシトレ、今話せるか?』
「残念だが忙しい。調査委員会からの報告書や各艦隊から決裁文書が山積みになっている。入院していた頃が懐かしいよ、レベロ。我が人生最良の日々だな、失われた黄金の日々だ」
レベロが頭をのけ反らせて笑い出した。

冗談を言ったつもりはないのだがな。今回のクーデターは軍だけではなく政財界にまで参加者が及んでいた。よって彼らを調べる調査委員会のメンバーは軍、法秩序委員会の合同チームになっている。かれらの罪状は国家反逆罪になるから裁くのは同盟議会という事になるだろう。おそらくは私も証言を求められるはず、面倒な事だ。

『では気分転換に私の話を聞くというのは如何だ?』
「気分転換? 転換になるのかな? まあ良いだろう。で、何の話だ?」
『パレードだの式典だのショーが終わってようやく最高評議会でも和平を検討するようになった』
「良い事だ、まじめに仕事に取り掛かったという事だろう」
『その通りだ』
レベロが頷いた。

『検討していく段階で直ぐ不都合に気付いた』
「ふむ、何かな?」
『驚くなよ、……外交を司る官庁、つまり外交委員会が存在しない』
「はあ?」
思わず声を上げ、そして失笑した。

『笑うな、シトレ。我々は本気で困っているんだ』
「そうは言ってもな、これまで帝国との間に外交など無かった。所轄官庁が無くても不思議じゃないさ。誰も困らない」
駄目だ、笑いが止まらない。レベロも笑い出した。
『戦争が続いたのはそれが無かった所為かもしれん。有れば仕事をしたとは思わないか』
「否定は出来んな」
一頻り二人で笑った。

自由惑星同盟が成立した時、いずれは帝国と接触する事が有ると当時の為政者達は考えた筈だ。戦争になると思っただろう、だが戦争を終結させるという事は考えなかったのだろうか? 彼らは国防委員会は創っても外交委員会は創らなかった。帝国と接触するのが何時になるかは誰も分からなかった。外交委員会など創っても開店休業状態になるだけだと思ったのかもしれない。同盟市民からは税金の無駄だと非難を浴びると思った可能性も有る。

しかし戦争が百五十年も続くと考えただろうか。もし百五十年続くと分かっていたらどうしただろう、それでも外交委員会を創らなかっただろうか? 仮定の話だが非難を浴びても外交委員会を創り存続させていたら同盟市民の頭には常に和平という文字が有った筈だ。和平は無理でも休戦を作り出す事は出来たかもしれない。

『これまでは良かった。しかし帝国との間に和平を結ぶ、それを恒久的なものにするのであれば所轄官庁は絶対に必要だ。金食い虫の役人が増えるのは面白く無いが所轄官庁が無いのは困る』
「まあ、そうだな」
新たな官庁が出来ればそれだけ金がかかる。財政委員長としては面白くないところだろう。しかしな、レベロ、問題は金をかけただけのリターンが有るかどうかだ。百五十年続いた戦争が終わるのなら、平和を維持できるのなら安いものだ。

「必要性は認める。しかしこれから創ると言っても時間がかかるだろう。和平問題は急ぐ必要がある。一時的に何処かの委員会に委託せざるを得ないと思うが?」
レベロが首を横に振った。
『事務方は何処も引き受けたがらない。皆自分のところの問題で手一杯なんだ。和平が結ばれれば国内開発に予算が充てられる。地域社会開発委員会、天然資源委員会、経済開発委員会は当然だが他の委員会も自分のところの予算取りで必死だよ』

「和平問題は同盟の安全保障に関わる問題だ、国防委員会に委託しては如何だ、嫌とは言えんだろう」
『無理だな、新任の委員長は自分のところの予算を守るのと軍の再編問題で手一杯だ。ネグロポンティと国防委員会にそんな余裕は無い』
「……」
沈黙する私にレベロがニヤッと笑った。

『国防費は大幅ダウンだぞ、シトレ。戦争が無くなれば武器弾薬の消費は減る、艦船の修理費も減るし損失艦の補充も減るから新造艦の建艦計画も見直しだ。手当も減るから人件費も削減出来るし、ああそれから負傷者が居ないから医薬品も減るな』
「おいおい」
止めようとしたが止まらない。

『アルテミスの首飾りが無くなったのも大きい。あれの維持費がゼロだからな。年に二回のメンテナンスと運用訓練、馬鹿にならん。一回も役に立たなかったな、建設費を入れればどれだけ無駄になったか……』
「ヴァレンシュタインが言っていたよ。あれが無ければ主戦派は暴発しなかった可能性もある。ハイネセン防衛には役立たなかったが全くの無駄と考える事も無いだろうと」
『気休めにもならんな』
レベロがフンと鼻を鳴らした。

『そんなわけでな、各委員会には和平問題を扱う余裕は無い。今は五月迄の暫定予算を議会に提出しているがこいつは問題無く承認されるだろう。問題はその後だ、五月迄には本予算を編成するが何処も皆予算獲得のために血眼になるぞ。まあ財政委員会ではある程度の試案は出来ている。それと突き合わせて予算の編成になるが戦争みたいな騒ぎになるだろう。場合によってはもう一カ月暫定予算を組む事になるかもしれない』

戦争か、確かにそうだな。どこの委員会も予算は欲しい。これまでは戦争の所為で軍が優先されていた。それが無くなるとなればこれまで抑えられていた分だけ予算を要求するだろう。軍にとっては冬の到来だが已むを得ない事ではある。戦死者が出ないだけましと思うしかない。

「それで和平問題はどうする? 何処も引き受けないとなるとトリューニヒト議長に預けるのが良いような気もするが」
『その事は我々も考えたんだが……』
歯切れが悪い、レベロは顔を顰めている。
「拙いのか?」
『拙い事になりつつある、議会が動いているんだ。トリューニヒトも頭を抱えている』
議会? 同盟議会が動いている? どういうことだ?

『議会の一部に和平問題を検討しようという動きが有る。具体的には外交審議部会を立ち上げそこで和平問題を検討して政府に意見を提案しようとしている』
「……和平交渉に絡みたいという事か、意見を吸い上げるという意味では悪い事じゃないと思うが。議会に対してガス抜きにもなるだろう」
レベロが肩を竦めた。
『それならいいんだがな』
「違うのか」
私の問いかけに渋い表情で頷いた。

『連中の狙いは人気取りさ。主戦論が同盟市民に受け入れられなくなったとみて和平論でポイントを上げようとしている。連中の考える和平論がどんなものか分かるか?』
「いや、想像が付かんな」
レベロがフンと鼻を鳴らした。

『主だったところではイゼルローン要塞の明け渡し、フェザーンの割譲、立憲君主制への移行だな。到底ガス抜きとは言えん』
溜息が出た。主だったところというからには細かい要求はもっとあるのだろう。なるほど、主戦論が力を失った以上別なスローガンが要るという事か。それが少しでも帝国から利を得たい、利を得るべきだ……。

「無理だな、帝国が受け入れるはずが無い。一体何を考えているのか」
『何も考えてはいないさ。ただ騒いで目立ちたいだけだ。同盟市民に耳触りの良い事を言ってな』
「……」
『トリューニヒトに和平問題を預ければ連中は猪みたいにトリューニヒトに突っかかるだろう。言葉尻を捕えて騒ぎまくるのは目に見えている。クレーマーと同じだよ。各委員会が引き受けないのにはそれもあるんだ。面倒事はご免だというわけさ』
「ではどうする?」
レベロが口元に笑みを浮かべた。

『最高評議会直属の諮問機関を作ろうと思っている』
「そこで和平問題を検討させると?」
『そうだ。そして諮問機関の責任者には政府の討議に加わり議長の楯になってもらう』
「つまり外交委員会の代わりか」
『それだけとは言えない』

『諮問機関には和平問題だけではなく様々な問題を検討させようと思っている』
「様々というと?」
『和平が実現すれば同盟は大きく変わる。政治、経済、軍、社会、様々な分野に影響が及ぶだろう。それを検討させ政府に助言させる』
「常設の組織にするというのか」
レベロが頷いた。

『名称は最高評議会諮問委員会。メンバーは各委員会から一名、書記局から一名。それとは別に軍から一名、委員長は最高評議会が選出する』
「……」
『委員長は最高評議会に常時出席する。発言権は有るが議決権は無い。あくまでアドバイザーとして最高評議会に参加する』
……なるほど、そういう事か。政治家というのは喰えない連中だな。

「これから先色んな問題が出るだろうな。諮問委員会からの提言という形で政府が直接言い難い事を言わせるのか。議長の楯じゃないだろう、政府の楯だろう」
『まあそういう部分もあるかもしれない』
ホアンじゃないんだ、惚けるのは下手だな。

「しかし常設ともなれば議会の承認が必要だろう、大丈夫なのか?」
『それは何とかなる。議会も和平が結ばれれば世の中が大きく変わる事は理解している。諮問委員会の必要性を訴えれば反対はし難い。下手に反対して社会が混乱した場合、議会の非協力的な態度が混乱を招いた等と非難されたくは無い筈だ』
なるほど、諮問委員会を創らせておいて失敗が有れば政府を非難する、そんなところか。安全な場所からチクチク刺して楽しむという奴だ。非難はしても責任は取らない……。

「一つ気になる事が有る」
『何かな』
「発言権は有っても議決権は無いと言ったな。それでは諮問委員会からの提言が無責任なものにならないか? どうせなら議決権も与えて責任を負わせた方が良いと思うが」
『……なるほど、一理あるな。こちらは議決権が無い方が議会に説明しやすいと思ったんだが……、そこは検討してみよう』
レベロがウンウンと頷いた。

「まあ上手くやってくれとしか言いようがないな」
国防費は予算削減か、分かっていた事だが頭の痛い事だ。煩く騒ぐ連中が居る事だろう。主戦派を潰しておいて正解だな。
『それでだ、シトレ。委員長にはヴァレンシュタインをと考えているんだが君は如何思う?』
唸り声が出ていた。

「彼は亡命者だぞ。和平問題を扱わせるのは難しいだろう。それに歳が若すぎる」
何かにつけて議会の馬鹿共から亡命者だから帝国に甘い、若いから未熟だと非難が出るに違いない。
『しかし彼以上の適任者が居ると思うか? 和平を実現するためには帝国と同盟の内情を知っている人間が必要だ』

「それはそうだが……、レベロ、ヴァレンシュタインを委員長にというのは君だけの意見なのか?」
レベロが首を横に振った。
『いや、最高評議会の総意だ。君が如何思うか聞きたいと皆が言っている。付き合いは一番長いからな』
また唸り声が出た。長いからと言って心を許しているとは限らないんだが……。

『和平を結ぶとなればレムシャイド伯と下交渉を行う事になる。伯爵に話したのだが妙な人間と交渉するよりはヴァレンシュタインの方が有り難いと言っていた。手強いが交渉の出来る相手だとね』
「なるほど」
レムシャイド伯が恐れるのは交渉の出来ない相手、つまり頑迷な教条主義者、或いは世論に押されて自分の意志で判断出来ない人物だろう。議会の馬鹿共など論外だな。

「確かに適任かもしれない。しかしな、本人は嫌がるぞ、政治に関わりたいとは思っていないからな。“ここまで来たんだ、後は自分達でやれ”、そう言いかねん男だ」
レベロが失笑した。
『確かにそうかもしれない。しかし最高評議会としては彼をこちら側に取り込みたいと思っているんだ。分かるだろう?』
「……」

『皆が彼の力量を認めている、そして懼れている。彼を敵に回したくないんだよ』
「穏やかじゃないな、敵に回すとは」
私が笑ってもレベロは笑わなかった。
『二個艦隊で早期にハイネセンを解放したのは正解だった。制圧戦に参加したのもね。あれのおかげで我々の政治的基盤は盤石といって良い。彼が単なる軍人じゃない、政治センスの豊かな政略家、戦略家だという事は皆が理解している』
「……」

『シトレ、議会内に彼を利用しようとしている勢力が有る』
「……まさか」
『利用しやすいんだ、英雄というのは。連中だけじゃない、他にも彼を利用しようとする者は多いだろう。妙な事になる前にこちら側に彼を取り込みたい、彼を守ることにもなる』
何時の間のか小声で話していた。

取り込みたい、守ることにもなる。嘘ではないだろう、かつて私も同じ事を考えたのだ。帝国に戻す事は出来なかった、殺すには惜しかった。同盟に取り込み活かす事で彼を守ろうとした……。代議員だけじゃない、彼らにもヴァレンシュタインを利用したいという思いはあるとみてよい。やっている事は皆同じだ。だが彼の力量を知っているだけ議員達よりレベロ達の方がましではある。彼の力を国家のために利用するだろう。

「そっとしておくというのは無理なのだろうな」
レベロが首を横に振った。
『無理だ、悪い事に彼は若い。利用し易いと思われがちだ』
「……反対はしない、但し彼の説得はそちらでやってくれ」
『そう言わずに手伝ってくれ、いつもの家で、な、頼むよ』
情けない顔をするな、レベロ。溜息が出た。



 

 

第百十九話 洗礼



宇宙歴 796年 3月 27日  ハイネセン  最高評議会ビル  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



最高評議会ビルのプレスルームには大勢のマスコミ関係者が集まっていた。俺とトリューニヒトが中に入るとカメラマンがパシャパシャと写真を撮りだした。眩しいな、これだから写真は、いやマスコミは好きじゃないんだ。トリューニヒトが壇上に上がる、俺は後方で控えた。

「本日、同盟議会において最高評議会諮問委員会の創設が承認されました」
また一段とフラッシュが激しく焚かれた。慣れてるな、トリューニヒト。落ち着いてフラッシュが弱まるのを待っている。眩しそうなそぶりも見せない。俺なら顔を露骨に顰めるところだ。

「既に皆さんも御存じのように同盟は、いや宇宙はこれから大きな変化に見舞われます。その変化に適切に対処するためには官庁の持つセクショナリズムに囚われない広い視野が必要になるでしょう」
どんな時代のどんな国も官僚の縄張り意識ってのは酷いよな。特に新参者は苛められるっていうのに何で俺に……。

「私はその広い視野を最高評議会諮問委員会に期待しています。各委員会から優秀な人材を集め様々な観点から問題を検討する事で最高評議会の新たな戦力になって貰いたい、そう考えています」
各委員会から優秀な人材って本当に来るのか? 厄介者を寄越して終わりじゃないの? そうなっても俺は全然驚かないね。期待しない方が良いぞ。

「初代最高評議会諮問委員会委員長を紹介させていただきましょう。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大将です」
トリューニヒトが俺の方を見て腕を指し延ばした。にこやかな笑み、バラエティ番組の司会みたいだな。フラッシュがまた焚かれた、眩しいんだよ、不愉快だ。少し顔を顰めながらトリューニヒトの傍に寄るとトリューニヒトが俺の肩に手を回して迎え入れた。親しさを表したつもりか? 俺達は仲良しじゃないぞ。

「議長、ヴァレンシュタイン大将は最高評議会諮問委員長に就任するわけですが軍を退役するという事でしょうか?」
「そういう事になります。しかし一朝事有れば現役復帰し軍務に就いてもらうことになるでしょう」
何処かの記者、眼鏡をかけた神経質そうな男とトリューニヒトの遣り取りに彼方此方からざわめきが起きた。

退役って言ってもね、形だけなんだな、これが。第一特設艦隊の後任司令官は決まっていないんだ。チュン参謀長が一時的に司令官代理を務めるらしいが後任を決める様子が全然ないんだ。おかしいだろう、どう見たって俺のために席を空けているとしか見えない。俺は無理だって言ったんだ。こんなのは良くないって。でも聞かないんだよ、皆。

「いささか年齢が若すぎるのではないかという懸念が一部識者から上がっていますが?」
今度は七三分けの中年か。面白くなさそうな表情で俺を見ている。
「私にはそのような懸念の声は聞こえませんが、どなたが仰っているのかな?」
「……」
「彼の若さが職務において障害になるとは思えません。地球教、フェザーンの危険性を最初に指摘したのはヴァレンシュタイン大将ですよ。その事を忘れないで頂きたい」

七三分け! 一部識者なんて曖昧な言い方するんじゃない! 若すぎるから不安だ、嫌いだって正直に言えばいいじゃないか。小細工するからトリューニヒトに良い様にあしらわれるんだ。全く使えない。俺はこんな仕事やりたくないんだ、もっとガンガン言えよ。何時でも辞めてやるから。

「政府の最大の懸案事項は帝国との和平ですが最高評議会諮問委員会がそれを受け持つと聞いています、間違いありませんか?」
「間違いありません。外交委員会が立ち上がるまで諮問委員会がその職務を代行する事になるでしょう」
ざわめきが起きた。多分、“あんな若造に出来るのか”なんて言ってるのだろうな。

「政府は帝国との和平を考えていますがヴァレンシュタイン大将は亡命者です。その事が和平問題に与える影響をトリューニヒト議長は如何お考えになりますか?」
また眼鏡だ。
「影響と言いますと?」
にこやかにトリューニヒトが問い掛けた。タヌキだよな、記者が何を言いたいか分かっているだろうに。

「言い辛い事ですが和平交渉に置いて帝国側に有利になる様な行為をするのではないか、そういう事です」
言い辛い? とてもそんな風には見えん、眼鏡は皮肉に満ちた表情をしている。俺の事、嫌いなんだろうな。亡命者の若造が軍、政府の上層部に居るなんて面白く無いんだろう。トリューニヒトが笑い出した。

「彼が軍において挙げた功績をお忘れかな。武勲だけではない、兵を守るために総司令官を解任することまでした。保身や私利私欲を図る人間に出来る事ではない。私は彼ほど誠実で勇気のある人間を知らない」
彼方此方でウンウンと頷く姿が有る。お前らなあ、トリューニヒトに簡単に説得されるなよ。

俺は本当に最高評議会諮問委員会委員長なんてのはやりたくないんだ。それを皆で押付けやがって。ここで見離すのは酷いだの、俺の協力が必要だの言っているが詰まる所は面倒な事は俺に押し付けようって事だろう。断りたかった、でも出来なかった。連中はレムシャイド伯まで用意して俺を説得したんだ。

“帝国人三千万人の死を無駄にしないためにも卿の協力が要るのだ。トリューニヒト議長達だけではない、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も卿の協力が必要だと言っている”
三千万人か、断れないよ。生きてる奴の事より自分が殺した人間の事を言われた方が堪える。三千万人という数字を俺は一生忘れる事は無いんだろうな。

「ヴァレンシュタイン大将、貴方は和平について如何お考えですか?」
質問してきたのは中年の女性記者だ。なんか目付きが厭だな、変に絡むような目で俺を見ている。時々いるんだよ、こういう目をしている奴。こっちを困らせて喜ぶんだ。猫が鼠をいたぶって喜ぶ感じかな。さりげなく答えるか。

「戦争を何時までも続けている事は出来ませんから政府が帝国との間に和平をと考えるのは当然の事だと思います」
「貴方は熱心な和平推進派だと聞きましたが」
「熱心かどうかは知りませんが宇宙が平和になってくれればと願っています」
あ、嬉しそうな顔をしている。変なスイッチを押したか?

「それは貴方が亡命者である事と関係が有るのでしょうか?」
俺が亡命者だからこれ以上帝国人を殺したくない、だから和平を願っている、そうしたいみたいだな。私情で動いている、そう叩きたいんだろう。うんざりだな、クズ共が。トリューニヒト、お前さんは偉いよ。こんなクズ共を相手にして曲がりなりにも政治家をやっているんだから。俺には到底無理だ。にっこりオバサンに微笑んだ。

「残念ですが関係ありませんね。人を殺し過ぎて戦争に飽きた、人殺しにウンザリした、それが和平を望む理由です」
「……それは」
鼻白んでるな、ザマアミロ。もう一押ししてやるか。

「ジョークです。面白くありませんでしたか?」
「……」
困ったような表情をしている。笑って良いのか判断出来ないらしい。
「本当はこれ以上戦争を続けると人殺しが大好きになりそうで怖くなったからです。あれはクセになりますからね」
フフフっと含み笑いを漏らした。顔面蒼白、快感だな、これこそクセになりそうだ。トリューニヒトは苦笑している。やっぱりお前は性格が悪いよ。

その後は面倒な質問は出なかった。適当に切り上げて最高評議会の会議室にトリューニヒトと二人で向かう。時々トリューニヒトがクスクスと笑った。やっぱり俺はこいつが嫌いだ、俺で遊ぼうとするからな。会議室の中に入ると拍手で迎えられたが無視して円卓テーブルの席に着いた。

「お見事。マスコミの連中も君には一目置くだろう」
「言っただろう、レベロ。彼は政治家に向いているって。私の考えでは軍人より政治家の方が適性が優れていると思うね」
レベロとトリューニヒトの会話に皆が頷いた。人殺しよりも嘘吐きの方が向いていると言われても少しも嬉しくないんだが……、溜息が出そうだ。

「ところで諮問委員長に尋ねたいのだが帝国との和平交渉、君はこれを如何考えているのかな。具体的にどう進めるつもりなのか確認したいのだが」
ネグロポンティが窺うような表情で確認してきた。和平がどうなるかは軍の予算を左右する。国防委員長としては気になるところだよな。他の連中も俺に視線を集中してきた。内心では“予算が~”と叫んでいるだろう。

「和平交渉は迅速に行い条約を締結させる必要が有ります。交渉が長引くと市民の間から和平に対して疑義が出かねません、交渉の打ち切り等と言う声が出る可能性も有ります。ですので和平交渉そのものよりも両国首脳によるトップ会談を優先させるべきだと考えています」
あら、視線が強まったな。

「首脳会談で和平条約の大枠を合意する。後はその合意に沿って交渉を進めれば良いでしょう。その方がスムーズに和平交渉が進むと思います。出来れば八月までに首脳会談を行いたいですね」
皆が顔を見合わせている。少し間が有ってからターレル副議長が咳払いをした。

「確かに首脳会談で合意が出来ればそれに越したことは無い。しかし可能だろうか? これまで国交が無かったのだ、いきなり首脳会談といっても帝国は二の足を踏むのではないかな。こちらも市民が騒ぐだろうし議会も煩いだろう、色々と条件を押付けようとするに違いない。簡単には行かないと思うが……」
ウンウンと皆が頷いている。安心し給え、俺が知恵を貸してあげよう。原作知識と言う知恵を。

「首脳会談の名目は和平交渉に拘る事は有りません。同盟市民、帝国臣民が納得する名目であれば良いでしょう」
皆、訝しげな表情だ。
「そんな名目が有るかね?」
「有りますよ、ターレル副議長」
フッ、聞いて驚け。

「捕虜交換です」
俺が宣言すると何人かが“捕虜交換”と呟いた。アレ、反応は今一つだな。どうやら分からないらしい。
「同盟、帝国には捕虜がそれぞれ二百万人程居るはずです。それを交換するのです。捕虜交換は軍では無く政府が行う、調印式はイゼルローン要塞で両国首脳により行われます。如何です?」

彼方此方から“ウーン”という呻き声が聞こえた。ようやく納得が行ったらしい。
「なるほど、捕虜交換か。調印式にかこつけて首脳会談を行うという事か」
「これなら同盟市民も反対しない、いや大賛成だろう」
「帝国もだ」
「議会も賛成せざるを得ない」
興奮するなよ、そんなに。

「しかし大丈夫か? イゼルローン要塞に行くのは危険じゃないか? 場合によっては囚われるという事も有るぞ」
「大丈夫だろう、調印式が無事に終了しなければ捕虜交換は行われないのだ」
「なるほど、そうだな」
その通り、問題は無い。今の帝国に捕虜交換を反故にするような余裕は無い。平民達を踏み付けにする事が出来る位なら貴族達をフェザーンで始末しようとは考えない。むしろ捕虜交換は政府の求心力が高まると喜ぶだろう。

「宜しければ捕虜交換と首脳会談の件、レムシャイド伯に相談したいと思いますが」
俺が問い掛けると皆がトリューニヒトに視線を向けた。それを受けてトリューニヒトが頷いた。
「良いだろう、上手く行けば一気に和平が近付く。交渉してみてくれ」

「分かりました。進展が有りましたら御報告します。それと諮問委員会は表向きは外交委員会、通商委員会の起ち上げ準備を行うという事にします。和平交渉はその目処が立ってから。マスコミに知られると面白くありませんので……」
「分かった。それで構わない。皆、良いね?」
トリューニヒトが念を押すと皆が頷いた。まあこれで少しは騙せるだろう。



宇宙歴 796年 3月 27日  ハイネセン  ユリアン・ミンツ



「提督、何をお考えですか?」
「うん、まあ色々とね」
リビングで提督が紅茶を飲みながら答えた。さっきまでヤン提督はTVを見ていた。TVにはトリューニヒト議長が映っていたんだけどチャンネルを変えずにずっと見ていた。議長嫌いの提督には珍しい事だ。ヴァレンシュタイン提督が出ていたからかな。

「ヴァレンシュタイン提督は退役しちゃったんですね」
「うん」
「軍にとっては痛手ですね、提督」
「それはどうかな」
アレ、違うのかな。痛手じゃないの。

「第一特設艦隊の後任司令官は決まっていないんだ。普通なら有り得ない事だね」
「それって」
「そう、ヴァレンシュタイン大将のために用意しているんだと思う。議長が言った一朝事有らば現役復帰というのは嘘じゃない」
そうなんだ。

「もっとも現役復帰する様な事態になるかどうか……」
「和平ですか?」
「うん、ヴァレンシュタイン大将は熱心な和平推進派だからね。彼が居なければここまで来ることは無かった。その事は誰もが認めている」
ヤン提督が一口紅茶を飲んだ。なんか心ここに非ず、そんな感じだ。何を考えているんだろう。

「軍にとっては和平の方が痛手だろうね。政府内部では今から予算の事で大騒ぎらしい」
「国防費の削減ですか?」
ヤン提督が頷いた。僕もその話は聞いている。和平が結ばれれば国防費が削減出来る。国防委員会は何とか予算を守ろうとし他の委員会は予算を奪おうとしている……。

「ネグロポンティ委員長は新任だからね。どうしても力関係では他の委員長に押されがちだろう。国防費を守る事が出来るかどうか……、特にレベロ財政委員長は昔から国防費が財政を圧迫していると声高に主張していた人だから……」
「国防費、削られちゃいますね」
“そうだね”と提督が頷いた。

「ネグロポンティ委員長が頼りにならないと見れば軍はヴァレンシュタイン大将に頼る事になるかもしれない。彼の軍における影響力は辞める前より強まるかもしれないよ」
それかな、ヤン提督が考えているのは。提督はヴァレンシュタイン大将の影響力が強まる事を心配しているのかもしれない。

「でもヴァレンシュタイン大将は和平推進派なんですよね。軍にとっては予算削減を引き起こした人物で煙たい人なんじゃありませんか?」
だから軍を退役させて政府に押し付けたんじゃないかな?
「逆だよ、ユリアン。和平が実現すればヴァレンシュタイン大将の政府における存在感はかつてない程大きくなるだろう。軍は好む好まないに拘わらず彼に近付かざるを得ない状況になる」
提督は憂鬱そうな顔をしている。話題を変えた方が良いかな?

「提督、学校でも皆が言っていますけど本当に和平なんて有るんでしょうか? ピンと来ないんですけど」
僕の言葉にヤン提督がちょっと困った様に笑った。
「そうだね、百五十年も戦争していたんだ、和平と言われても戸惑うのも無理はないかもしれない。でもね、ユリアン」
「はい」
提督が怖いくらいに真顔になった。じっと僕を見つめている。

「ヴァレンシュタイン大将は本気だよ。彼は本気で和平を結ぼうと考えている。そして彼が本気になったらそれを阻める人が居るとは思えない」
「……」
「私の考え過ぎかな、それなら良いんだが……」
ヤン提督が溜息交じりに呟いた。考え過ぎ? 何を? 訊きたかったけど怖くて訊けなかった。こんな事初めてだ。



 

 

第百二十話 皇帝の地位



帝国暦 487年 3月 30日  オーディン  新無憂宮  オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「首脳会談か」
『はい。同盟側は事務方に予備交渉をさせるよりも首脳会談を行う事で和平を既成事実にしてしまおうと考えているようです』
「条約はその後で結べば良いという事だな」
『はい』
スクリーンに映るレムシャイド伯が頷いた。

チラッとリッテンハイム侯を見た。侯も頷いている。
「どうかな、侯。今のレムシャイド伯の話だが」
「悪い話ではないな。確かに首脳会談を先に行った方が混乱は少なかろう」
「同感だ。となると問題は首脳会談の名目だな。いきなり和平とは言えまい」
「まあそうだな」
面倒な事だ。人間というのはどうして本音と建前が有るのか。

『その事ですがヴァレンシュタインから捕虜交換を行いたいと提案が有りました』
「捕虜交換?」
どういう事だ? 捕虜? よく分からんな。リッテンハイム侯も困惑している。我らの困惑を見てレムシャイド伯が言葉を続けた。

『お分かりにならないのも無理は有りません。私も説明を聞くまで分かりませんでした。帝国、同盟はこれまでの戦いでそれぞれ約二百万から三百万の捕虜を抱えているとの事です』
「捕虜が二百万から三百万も居るというのか、信じられんな」
リッテンハイム侯が嘆息した。

わしも信じられん思いだ。捕虜の数が二百万から三百万? 最近負け続けているがそれでも二百万もいるというのか。それより人口の少ない有人惑星は幾らでも有る。だが毎年戦争をしている事を考えればおかしな数字ではないのかもしれない。リッテンハイム侯が首を横に振っている。なかなか受け入れ辛い事実だ。政治に関わらなければ一生気付かぬ事実だろう。

「レムシャイド伯、ヴァレンシュタインはその捕虜交換を名目に首脳会談を行いたいと言うのだな」
『はい、捕虜交換では調印式を行います。両国首脳が調印を行いその際、首脳会談を行ってはどうかと』
なるほど、首脳会談の成果はどうあれ捕虜交換という実は手に入るな。悪い話ではない、いや旨味の有る話だ。

帝国はようやく貴族達の抵抗が終結した。改革に反対する勢力は潰えた。平民達はその事を喜んではいるが政府に全幅の信頼を寄せているとは言えない。その大部分は様子見だろう。捕虜の多くは平民の筈だ。ここで捕虜交換を行えば平民達は政府に対して好感を持つだろう。首脳会談を抜きにしても実施したい案だ。

「ブラウンシュバイク公、面白い話だと思うが」
「うむ、なかなかに面白い。良く考えたものだ」
「乗るか?」
リッテンハイム侯が悪童めいた笑みを見せた。
「そうだな、乗ってみよう」
侯が頷いた。レムシャイド伯に視線を向けると伯は“それが宜しいでしょう”と賛成した。

『調印式はイゼルローン要塞で行いたいとヴァレンシュタインは言っております』
「フェザーンではないのか」
リッテンハイム侯が妙な顔をしている。
『ヴァレンシュタインはフェザーンは反帝国感情が強すぎるから調印式の場としては不適当だと言っておりましたな。それと政情が不安定な事も避ける理由として有るようですが和平にはいかなる形でもフェザーンを関わらせたくないとも言っておりました』

なるほど。フェザーンは今混乱状態にある。ボルテックが死んだ事、自治領主を選出する八十人委員会が壊滅した事で自治領主府は完全に機能不全になった。現時点では一般市民の間から新たな政治体制を構築するべきだという動きが出ているらしい。

貴族連合軍によって酷い目に有った事でフェザーン人の間で政治に対する関心が強まっているようだ。面白く無い事だが場合によっては反帝国感情の強い政府が出来る可能性も有る。確かに調印式の場には相応しくないだろう。しかし和平に関わらせたくないというのはどういう事だ? 何か狙いがあるのか?

疑問に思っているとリッテンハイム侯がその事をレムシャイド伯に訊ねた。
「レムシャイド伯、フェザーンを和平に関わらせたくないと言うのはどういう事だ?」
『今後の宇宙、いえ人類社会は同盟と帝国の協調体制によって動く。その事を両国は行動に示すべきだと言っておりました』
分かる様な気もするが今一つだな。レムシャイド伯が咳払いをした、どうやらこちらが納得していないと判断したらしい。

『これは私の考えですがフェザーン抜きでも宇宙は動く、それをフェザーンに理解させる必要が有るという事ではありますまいか。これまでの様に帝国と同盟を操って利を得るような事はさせぬという警告かと』
「なるほど」
思わず声が出た。なるほど、それなら分かる。リッテンハイム侯も頷いている。

「ブラウンシュバイク公、捕虜交換の調印式はイゼルローン要塞が良かろう。安全でもある」
「まあ我らは安全かもしれんが向こうの安全には気を付けねばならん。血迷った馬鹿者が居ないとも限らんからな」
「確かに、それは有るな」
リッテンハイム侯がウンザリしている。レムシャイド伯が咳払いをした。気不味そうな表情をしている。どうやら言い辛い事が有るらしい。

『宜しいでしょうか?』
「うむ、何かな」
『ヴァレンシュタインが……』
「? ヴァレンシュタインが如何した?」
『捕虜交換の調印はアマーリエ陛下に御願いしたいと言っております』
「なんと……」

言葉が続かない、アマーリエにイゼルローン要塞へ赴けというのか。皇帝にイゼルローンまで赴けと……。リッテンハイム侯を見た、侯も厳しい表情をしている。
「わしやリッテンハイム侯ではいかんのか?」
『……首脳会談はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯でも問題は無いと申しております』
調印はアマーリエというのは譲れぬという事か……。

「レムシャイド伯、理由は何だ? 何が有る?」
あの男が拘る以上何らかの意味が有る筈だ。スクリーンに映るレムシャイド伯が目に見えて緊張を露わにした。
『同盟からはトリューニヒト議長が調印するそうです。国家元首同士による調印にしたいと』
思わず唸り声が出た。

「つまり格という事か。ブラウンシュバイク公や私はあくまで臣下。トリューニヒト最高評議会議長とは格が釣り合わぬと」
リッテンハイム侯の問いにレムシャイド伯の顔が歪んだ。
『言い難い事ですが』
また唸り声が出た。今度はリッテンハイム侯だ。

実務レベルの会談は実力者同士で構わぬという事だな。だが調印式というセレモニーは形式を整えたいという事か。
「どう思う、ブラウンシュバイク公」
「うむ、……我らはこれまで同盟を反乱軍として蔑んできた。和平を結ぶとなれば対等の関係を求めてくるのは道理だ。それを受け入れるかどうか、その事を調印式で示せという事だろう」
“私もそう思う”とリッテンハイム侯が頷いた。

神聖不可侵、全宇宙の支配者、それが銀河帝国皇帝だ。対等の者など有り得ない。だが同盟と和平を結ぶとなれば当然だが対等の関係という事になる。実際和平交渉ではその部分をどうするかが一番揉めるところになる筈だ。ヴァレンシュタインは調印式でその障害を取り除けと言っている。

『ヴァレンシュタインはこちらが帝国の領土であるイゼルローン要塞に赴くのだという事に留意して貰いたいと言っておりました』
「なるほどな、こちらの顔は立てたという事か」
『はい』
溜息が出た。リッテンハイム侯が顔を顰めてわしを見ている。

帝国領内で調印式をするとなれば形式的には同盟側が捕虜交換を請うという形になるだろう。調印式の式場として他に候補地が無いという事も有るが立場はこちらが上と見る事も出来る。帝国において不平を持つ人間にも説得は出来るだろうという事か。

トリューニヒト議長への遇し方が悪ければ彼の体面を潰す事になる。今後の事を考えればそのような事は避けるべきだ。賓客として遇すべきだろう。最高級のもてなしをするとなれば主人自らのもてなしである事は間違いない。帝国の主人、つまりアマーリエだ。そういう形をとることで後々問題になるだろう障害を取り除けとヴァレンシュタインは言っている。

「手強い相手だな。調印式にここまで意味を持たせるとは」
溜息が出た。
「同感だが、如何する、公」
「さて……」
結論は見えている、和平を望むのであれば避けては通れぬ事だ。だが口にする事が出来ぬ。銀河帝国皇帝の尊厳に関わる事なのだ。五百年間守られてきた唯一無二の地位が揺らごうとしている。一度口に出せば戻る事は出来ぬ。

『宜しいでしょうか』
レムシャイド伯がこちらを見ている。頷くと居住まいを正して話し始めた。
『帝国と同盟が百五十年に亘って戦争をしてきた原因の一つが共に相手を認めぬという事に有ると私は思っております』
「うむ」

『帝国は同盟を反徒と蔑み同盟は帝国を簒奪者と罵りました。百五十年です、両国にはそれがこびり付いております。ご不興を被る事を覚悟の上で申し上げます。これを払拭するには余程の覚悟が必要でありましょう。その覚悟が無ければいずれ両国は再び戦争への道を歩む事になると私は思っております』
「……」

『こちらにとってリスクが大きいと御考えかもしれません。しかし同盟側にとってもリスクは大きいと思います。簒奪者として罵ってきた相手を国家元首として認める事になるのです。帝国を国家として認めることになるのです。ヴァレンシュタインは両国が相手を対等の相手と認められなければ、受け入れられなければ、和平は難しいと考えています』

レムシャイド伯がこちらを見ている。視線を逸らそうとはしない。なるほど、覚悟か。この男はその覚悟を持っている様だ。トリューニヒト議長もその覚悟を決めている。後は我らにその覚悟が有るかだな。

「……卿はヴァレンシュタインからの提案を受け入れろというのだな」
『はっ、畏れ多い事ではありますが』
「ブラウンシュバイク公……」
「リッテンハイム侯、已むを得ぬな。……レムシャイド伯、調印は皇帝陛下が行う。そう同盟側に伝えてくれ」
『はっ、確と伝えます』

その後、二、三の確認をして通信が終わった。
「リッテンハイム侯、イゼルローンにはわしと皇帝陛下で行く。侯にはオーディンで留守を頼む」
「承知した、エリザベートは如何する、連れて行くのかな?」
そうか、エリザベートの件が有ったな。

「……今後の事も有る、連れて行こうと思う」
「分かった。では陛下の下に行こうか。私も事情を説明する」
驚いて侯を見ると軽く苦笑をしていた。
「公だけに押し付けはせんよ」
「済まんな」



宇宙歴 796年 4月 3日  ハイネセン  最高評議会ビル  ミハマ・サアヤ



「組織作り、外枠だけと言ってもなあ」
「難しいですよね」
「総務、人事、財務、広報は問題ないよね、他の委員会にも有るんだし」
「その辺りの組織は他の委員会の組織図を丸々コピーで良いんじゃないの。問題は外務委員会、通商委員会独自の組織よ。何が必要かしら」
彼方此方から溜息が出ました。

私達、最高評議会諮問委員会のメンバーは委員長のヴァレンシュタイン大将を除いて諮問委員会の執務室に集まっています。円卓のテーブルに十一人が座っていますがこのテーブル、最高評議会で使っているものと同じだそうです。それを聞いた時には皆が“ゲッ”と言いそうな表情をしました。

最高評議会諮問委員会は委員長と各委員会、そして軍からの出向者、合わせて十二名の委員から構成されます。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン委員長
グレアム・リード(国務委員会)
グレアム・エバード・ノエルベーカー(書記局)
カレン・アブローズ(情報交通委員会) 
イワン・キリレンコ(地域社会開発委員会)
チャン・ディーレン(天然資源委員会) 
エロール・クライ(法秩序委員会) 
エドナ・パール(人的資源委員会) 
ジャン・バーバー(経済開発委員会) 
アルバート・デロリアン(国防委員会)
クロード・モンテイユ(財政委員会)
ミハマ・サアヤ(軍)

少ないです、これしか居ないんですから。ヴァレンシュタイン委員長の考えでは各委員には部屋を与え数名のスタッフを付けるそうです。実際に部屋は結構大きめの部屋をもらっています。後はスタッフの用意ですがどうするのか……。民間から採るのかそれとも出向元から呼ぶのか……。ヴァレンシュタイン委員長がトリューニヒト議長と調整しています。ちなみに私が軍からの出向者に選ばれたのは委員長を怖がらない極めて希な存在だからだそうです。私だって怖いと思う事は一杯有るのに。

諮問委員会は他の委員会と違って独自の庁舎を持ちません。最高評議会ビルの一角を使用し総務、財務的な雑務は最高評議会の内部部局が担当しています。その程度の軽い存在と見るべきか、それとも議長の一番近くに居る事を重視すべきか、同盟市民も判断に迷っているようです。もちろん私達も迷っています。

「外交委員会なんだから条約局って必要だよね?」
「必要だろうね。最初の仕事って帝国との和平条約になるのかな?」
リード委員とキリレンコ委員の遣り取りに彼方此方から“うーん”という声が上がりました。不信感が一杯です。

「本当に和平とか可能なのかしら? 凄い疑問なんだけど、私」
「ですよね。帝国ってそういうの認めそうに有りませんし」
「自然休戦が良いところじゃないの」
今度はパール、クライ、ノエルベーカー。皆頷いてます。

「国防委員会は和平なんて御免でしょ、予算削られちゃうもんね」
アブローズ委員が悪戯っぽい笑みを浮かべながら問い掛けるとデロリアン委員はちょっと困ったような表情をしました。
「この状況で和平は嫌だとは言えませんよ。馬鹿共が盛大に暴発しましたからね。まあウチは大所帯なんで予算を減らさないで欲しいというのが本音です。食費を削られると皆ピーピー泣くんですよ。それさえ守られるなら和平でも構いません。違うかな、ミハマ大佐」

「そうですね、戦争が無くなれば死なずに済むのですから和平を望む人は軍人にも多いと思います。ですが軍に関わる事で生計を立てている人も居ます。平和になれば国防費の削減で生活が苦しくなるのではないかという不安感を持っている人はそれ以上に多いでしょう。」
私が答えると彼方此方から“ジレンマだな”、“その気持ち、分かるよ”という声が上がりました。

「でもどこの委員会も国防費を狙っているからね。厳しいと思うよ」
モンテイユ委員が言うと会議室に笑い声が上がりました。デロリアン委員も苦笑を浮かべながら“勘弁して欲しいなあ”と言いました。私も勘弁して欲しいです。戦争をしたいとは思いませんが不景気は困ります。

「増やせとは言いませんよ。でも前年度並みぐらいには欲しいです。二千億ディナールの臨時収入も有ったんですし国債だって減ったでしょう。実質増収じゃないですか。和平も決まったわけじゃないんだから国防費削減は気が早すぎるんじゃないですかねえ」
「まあ今までが多すぎたからね、どうしても目の敵にされるよ。でも和平が確定していないのも事実だ。どうなるかな」
デロリアン委員とディーレン委員の会話に皆が頷きました。

「旗色悪いですよね。ネグロポンティ委員長は新任だし今一つ押しが弱いから……、前任者がやり手過ぎたからなあ、やり手過ぎて議長になっちゃった」
皆が笑いましたがデロリアン委員は情けなさそうな表情をしています。中年サラリーマンの悲哀、そんな感じです。

「まあパジャマ着てないし装甲服も着てない。スーツだけでこの難局に向かうのはちょっと厳しいよなあ」
リード委員の言葉にさらに笑い声が募りました。デロリアン委員も今度は“酷いなあ”と言いながらも笑っています。

TV電話の呼び出し音が鳴りました。何だろうと思いながら受信すると最高評議会の広報担当から“重大な政府発表が十五時から有るから必ずニュースを聞くように”と連絡が有りました。最近政府発表が多いです。皆も“なんですかね”、“十五時ってもうすぐですよ”と話しています。チャンネルをFBC(自由惑星同盟放送協会)に合わせました。

十五時になると画面が切り替わって何処かのプレスルームが映りました。
「これってここじゃありませんか?」
「みたいですね」
「トリューニヒト議長? まさかウチの委員長って事は無いわよね?」
アブローズ委員の問い掛けに皆が顔を見合わせました。

嫌な予感がします。ヴァレンシュタイン委員長は隠密行動が得意なんです。もしかすると私達に外交委員会、通商委員会の組織作りをさせ本人は別の事をしていた可能性は十分に有るでしょう。この場合の別な事とはおそらくは和平に関する事のはずです。

プレスルームに議長が入ってきました。その後ろにヴァレンシュタイン委員長もいます。どうやら予感は当たりそうです。議長がマイクの前に立ちました。
『えー、皆さん。これから非常に重大な事を御報せします。自由惑星同盟と銀河帝国は両国が抱える二百万人以上の捕虜を交換することで合意しました』

スクリーンからどよめきが聞こえました。トリューニヒト議長の顔がフラッシュで何度も白く光ります。
「捕虜交換? これって和平交渉と繋がってるよね」
「多分ね。仕掛けたのはヴァレンシュタイン委員長だろう。あそこで控えている」
ノエルベーカー委員とバーバー委員の会話に皆が頷きました。

「ミハマ大佐、国防費、減りそうだね。組織作りも急いだ方が良さそうだ」
「そうですね、デロリアン委員。皆さん、仕事をしましょうか」
デロリアン委員が溜息を吐きました。私も溜息を吐きました。
「そうだね、仕事をしようか」
リード委員が声をかけると皆が頷きました。



 

 

第百二十一話 責任と自覚



宇宙歴 796年 4月 10日  ハイネセン  最高評議会ビル  マルコム・ワイドボーン



ミハマ大佐がテーブルにグラスを二つ置いて部屋を出て行った。グラスには水が入っている。
「スーツか、似合わないな。未だ軍服の方がましだ」
最高評議会諮問委員長の執務室、濃紺のスーツ姿でソファーに座るヴァレンシュタインはどうにも様にならなかった。企業の採用面接なら外見だけで不採用になっただろう。頼りなさが全身から出ている。

「仕方ありませんよ、退役したのですから軍服を着ることは出来ません。それにあの服、あまり好きじゃないんです。どちらかというと帝国の軍服の方が好きですね」
「おいおい、妙な事を言うな。今のお前さんは最高評議会諮問委員長なんだぞ。それと残念だが誰もお前さんが本当に退役したとは信じていない。俺も含めてな」
ヴァレンシュタインは顔を顰めた。

「人事発令は出たはずですよ、見てないんですか?」
「見た様な気がするな」
「トリューニヒト議長も私は退役したとマスコミの前で言いました」
「一朝事有れば現役復帰とも言っていたな」
またヴァレンシュタインが顔を顰めた。第一特設艦隊は後任の司令官が未だ決まっていない、これでは誰も信じないだろう。

「で、今日は何の話です?」
「グリーンヒル本部長代理から命令された。六月十五日に捕虜交換の調印式がイゼルローン要塞で行われる。俺とヤン、ウランフ提督に調印式に赴く政府代表を護衛しろとのことだ」
“それはそれは、ご苦労様です”とヴァレンシュタインが頷きながら言った。誠意がこもっていないな。

「お前さんもイゼルローン要塞に行くと聞いた。本当か?」
「政府代表の陣容については未だ極秘扱いなんですけど……」
「そんな事を言ってる場合じゃないだろう。お前、殺されるぞ」
ヴァレンシュタインが“はあ”と言うような表情をした。

「まさか、来てくれって言ったのは向こうですよ。呼びつけておいて殺すなんて無いでしょう。そんな事をすれば国家としての信用を無くします。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もそこまで愚かじゃありませんよ」
こいつは何も分かっていない。

「イゼルローン要塞にどれだけの兵士が居ると思っている。軽く見積もっても三百万は居るんだぞ。まさか連中に欠片も恨まれていないと思っているわけじゃないだろう」
ヴァレンシュタインが苦笑を浮かべた。

「それは有りません、恨まれていると思いますよ。ですが私を殺せば捕虜交換は吹き飛びます。自分達の仲間が帰って来られなくなるんです。それでも私を殺せますか?」
「さあな、俺には分からん。血迷った馬鹿者は何処にでもいる」
「そんな事を言ったら何処に居ても安全じゃありません」
駄目だな、これは。ここまで言い張るという事は向こうからの要請だけじゃない、他に何か行く必要が有るのだ。

「調印だけじゃないんだな。和平か、何処まで詰めるつもりだ」
「……まあ色々有ります」
「色々?」
「ええ、帝国が発行した国債、それから企業の株をどうするか、イゼルローン回廊の開放、それと今後の同盟と帝国の協力体制の確認、フェザーンの独立、……色々です」

溜息が出た。一口水を飲んだ、ヴァレンシュタインも水を飲んでいる。
「和平条約の叩き台を作るつもりか?」
「そこまではいきません。まあ精々ガイドラインになればと思っています」
「……」
「これは他の人には任せられないんです。市民に迎合して不必要に条件を厳しくしかねない人には任せられません」

「どういう事だ?」
ヴァレンシュタインが苦笑を浮かべた。
「戦争し和平を結ぶ、そしてまた戦争。歴史上そういう例は沢山有ります。何故だと思います?」
「……対立要因が残ったという事か?」

「より正確に言えば対立要因の解消を怠った、自国の利益を追求する事を優先し過ぎた、そんなところですね」
「……」
「危険なんです、民主共和政国家ではどうしても政治家は市民の声を無視出来ない。そして市民は戦争の代償を過大に求めたがる。目先の利益を追求し将来の事を考えない」
なるほどな、そういう事か。ヴァレンシュタインは沈痛な顔をしている。それがせめてもの救いだな。

「レムシャイド伯も言っていましたよ。民主共和政は市民の声を取り入れるという意味では優れた政治体制かもしれないが市民が聡明で常に正しい判断をするという事が前提になっていると。ルドルフ大帝はその市民を信用出来なかった、前提そのものが間違っていると思ったのではないかと。自分にも市民がそこまで聡明だとは思えないと。……私にはレムシャイド伯の言葉を否定出来ませんでしたね、ワイドボーン提督、貴方には出来ますか?」
「……」

否定しなければならなかった、だが出来なかった。百パーセント正しいとは言わないが幾分かの真実がそこには含まれている。口籠る俺をヴァレンシュタインは嗤わなかった、蔑みもしなかった。ただ哀しそうな表情をしていた。
「自分に何が出来るかは分かりません。ですが私は帝国を知っていますし同盟も知っている。平和が続くには両国の協調関係が必要だという事も分かっています。他の人よりも適任でしょう」
溜息が出た。それを不同意と思ったのだろう、ヴァレンシュタインが言葉を続けた。

「帝国は門閥貴族が滅びました。これ以後帝国は政府の元に一つに纏まります。あっという間に国力は増大しますよ。元々帝国の方が同盟より倍近い人間が居るんです。その気になれば三十個艦隊を編成する事も簡単でしょう。戦争になったら今度は同盟が苦しみます。何故あの時しっかりと協調体制を取らなかったのかと悔やむことになる」
淡々と言葉が続く。不幸だなと思った。この男は先が見え過ぎる。そしてもう一人先が見え過ぎる男が居る……。

「お前さんが組んでいるのはレムシャイド伯だな。伯と組んで帝国側から自分が政府代表に加わる様にした」
「否定はしません。伯も次の戦争を避けたいと思っています。あの人も帝国、同盟の両国を見た。国は違っても住んでいる人間に変わりは無い。帝国が劣悪遺伝子排除法を廃法にした以上共存共栄は可能だと見ています。何より両国が争えばまた地球教のような存在が現れるのではないかと恐れている」
大きく息を吐いた。この男が不幸なのは先が見える事だけじゃない、それを放置出来ない事だ。その事が更に不幸を呼びかねないのに。悪循環だな。

「ヤンが心配しているぞ」
ヴァレンシュタインが苦笑を浮かべた。
「ヤン提督も私の命が危ないと?」
「そうじゃない。ヤンはお前が民主共和政にとって危険な存在になりかねないと心配しているんだ」
ヴァレンシュタインがこちらをじっと見た。もう笑みは浮かべていない。

「意味が分かりませんね」
「本当に分からないか? 軍だけでなく政府でも力を延ばし始めた。その内お前さんが政府、軍を自由に動かす存在になるんじゃないかとヤンは危惧しているんだ」
「面倒な人だ。独裁者になるとでも? 馬鹿馬鹿しい」
吐き捨てた、不愉快そうな表情だ。内容か、それともヤンに対してか。

「俺も馬鹿馬鹿しいと思っていた。しかしお前さんと話してちょっと不安になった。お前さん、民主共和政を何処かで侮蔑していないか? だとすればそんな人間が民主共和政で力を付けるのは危険だと考えるのは可笑しな事じゃ無いだろう。ヤンの疑念の底に有るのもそれじゃないかと俺は思うんだが」
ヴァレンシュタインがフッと息を吐いた。

「私が理解しているのは民主共和政も君主独裁政もそれぞれに利点と欠点が有る、完璧な統治体制など無いという事です。所詮は人間が運用する物で運用する人間が愚かなら悲惨な結果になる。違いますか?」
「……お前、もしかして人間を信用していないのか? だとすればそれはルドルフと同じだぞ」
ヴァレンシュタインは少し驚いたような表情をしたが直ぐ苦笑を浮かべた。

「そうですね、そうかもしれない。ですがルドルフの様に自分を無謬だと過信してもいません。自分も愚かな一人の人間だと思っています。安心しましたか?」
「……気休め程度には」
「猜疑心が強いのは美点とは言えませんね」
「ほっとけ」
ヴァレンシュタインが声を上げて笑った。笑える奴は良いよな。なんで俺が心配しなければならんのか。



宇宙歴 796年 4月 20日  ハイネセン  同盟議会  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「今回の捕虜交換ですがこれは和平交渉の一環と見て良いのでしょうか? トリューニヒト議長、お答えください」
カマキリみたいにひょろひょろした奴が質問すると議会議長がトリューニヒトに答えるように指示した。トリューニヒトが答弁席に向かう。

「えー、捕虜交換は人道的な見地から行われます。政府はこれまで戦争を継続してきた以上、利無くして捕虜になった兵士をその家族の元に帰す義務が有ります。政府はその義務を果たそうとしているという事です」
民主主義国家ってのはどこも同じだな。アホな質問をする議員と建前で答える政府。茶番だよな。でも一番の茶番は俺が政府閣僚として質問に答える立場だって事だ。

政府閣僚は二列六席で座っている。前列には議長、副議長、書記、国防委員長、財政委員長、法秩序委員長が座る。後列には情報交通委員長、地域社会開発委員長、天然資源委員長、人的資源委員長、経済開発委員長、諮問委員長。つまり俺は末席というわけだ。俺の隣はトレル、前の席にはボローン、斜め前にレベロが座っている。

“あの質問している議員は誰です”と小声でトレルに訊ねると惑星シャンプール選出のバリード代議員だと教えてくれた。シャンプールは前線に近い、そのためシャンプールは反帝国感情が強いそうだ。バリードも和平に対して必ずしも積極的ではないらしい。トリューニヒトが人道を持ち出したのもその所為だろう。

「ではヴァレンシュタイン諮問委員長に御訊きしたい。この捕虜交換は貴方の提案だと聞いています。そして帝国との和平交渉も貴方の担当だとか。和平と捕虜交換は本当に関係ないのでしょうか」
関係有るって言っちゃいけないのかな。小声でレベロに訊ねたら面倒な事になるから駄目だって言われた。認めると和平について煩く訊いて来る、条約にあれこれ注文を付けるって事らしい。政府を困らせるのが生きがいみたいだ。

「諮問委員長、お答えください」
仕方ないな、席を立って答弁席に向かった。レベロに向けて軽くウィンクした。
「捕虜交換は二つの理由から提案しました。一つは人道面です。私も軍人でしたから捕虜の事は以前から気になっていました。政府の一員になった事で人道的な見地から捕虜交換を提案したという事です」

「もう一つは何でしょう?」
嬉しそうだな。和平と関係が有ると言って欲しいらしい。
「もう一つは財政問題です。レベロ財政委員長は常々財源が無いと嘆いていました。捕虜を交換すれば捕虜を扶養するための予算が不要になります。少しでも財政委員長の負担を軽減しようと考え捕虜交換を提案させていただきました」

口惜しそうな表情のバリードを後に席に戻った。トリューニヒトは笑いを噛み殺しているしレベロは目を剥いている。自分を捲き込むな、そんなところだろう。他の委員長は呆れた様な表情をしている。でも支出が減るのは事実だし選挙でも有利になるぞ。家族票も入れれば最低でも五百万票は政府に味方する筈だ。

それにしてもなんであんな奴を相手にしなきゃならんのか。ウンザリだよな。馬鹿馬鹿しくてやってられん。帝国と和平を結ぶ、条件は緩めにして協調体制を確立する。その方が同盟にとって利が大きい。人口二百億を超える新市場が目の前に有るんだ。ちょっと考えれば分かる事なんだが目先の事、いや帝国に対する反感が視野を狭くしている。

それともこれが普通で俺が可笑しいのかな。亡命者だから何処かで帝国を憎み切れない、或いは転生者だから何処かで醒めているのか。分からんな、いや、俺だって両親を殺されて復讐すると誓ったんだから他人の事は言えん。しかし大多数の人間が過去に囚われて未来を見る事が出来ないなら民主共和政は政治体制としては極めて運用が難しいんじゃないかな。一部のエリートが国を動かすべきだと考えたルドルフの方が理に適っている事になる。

或いは国政に対して責任を明確にする事が指導者としての自覚を持たせる事になるのか。そうだとすればエリートによる支配階級の創立は意味が有ると言える。もちろん弊害も有る、支配階級が特権階級になれば腐敗しやすいという事だ。ルドルフの失敗は支配階級を血で固定してしまった事だ。おかげで支配階級が門閥貴族と言う特権階級になってしまった。

血では無く実力を基準とし支配階級を流動的なものにすればルドルフによる銀河帝国創立は共和政ローマから帝政ローマへの移行に匹敵する政治的傑作と言われたかもしれない。いや、駄目だな。ルドルフが血に拘ったからゴールデンバウム王朝は成立した。帝位はルドルフの血でスムーズに継承された。

もし血を否定すれば帝位そのものを実力で争う時代が来たはずだ。皇帝が死ぬ度に内乱が起きた可能性が有る。ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスも血統による皇位継承に異常なほど拘っている。スムーズな帝位継承こそが帝国を安定させ繁栄に繋がると思っていたからだろう。だとするとルドルフの失敗は血に拘った事ではない、支配階級の流動性を考慮しなかったことだろう。

民主共和政では国民主権だ、つまり百億以上の人間が同盟の未来に対して責任を持つ事になる。だがそんな事を考えている人間がどれだけいるだろう。政治など議員や政府に任せて終わり、そんなところだろう。責任を意識しない以上自覚など有る筈もない。民主共和政国家においては政治家達の質は市民の質に比例する。市民が責任も自覚も持たなければ政治家達がそれに準ずるのは当たり前だ。

つまり帝国も同盟も支配階級の成立に失敗した事になる。ヤンに訊きたいな、あんたはこれでも民主共和政を素晴らしいものだと褒め称えるのかと。ラインハルトに専制政治の罪は人民が政治の害悪を他人の所為に出来る事だと言っていたな。だが民主共和政だって同じさ。市民は馬鹿を政治家に選んだ事を反省するよりも選んだ奴が馬鹿をやったと罵るだけだろう。

それなのに俺が独裁的な存在になるなんて疑って何考えてるんだ? この国の主権は市民に有るんだ。独裁者になるもならないも市民が決める事で俺がどうこう出来る事じゃない。市民が俺を独裁者にするのならルドルフで懲りていないって事だ。つまり市民は反省など欠片もしていないって事だろう。ヤン自身それを何処かで感じているんじゃないか。だから俺を疑っている。ま、安心して良いさ、心配はいらない。独裁者なんてガラじゃない。頼まれても速攻で逃げるからな。


 

 

第百二十二話 国防委員長



宇宙歴 796年 4月 30日  ハイネセン  最高評議会ビル  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「国防委員長、捕虜の件はどうなっているかな?」
ここ最近、最高評議会での最大の関心事は捕虜交換だ。これが上手くいくかどうかで和平の首尾も決まる、つまり国防費の削減も決まると皆が見ている。皆がネグロポンティに視線を向けた。既に捕虜交換は実務レベルでの交渉に入り同盟ではネグロポンティ国防委員長が担当者になっている。

「同盟、帝国の両国が抱える捕虜の名簿を交換しました。現在帝国に抑留されている同盟兵捕虜が約二百二十万、同盟に抑留されている帝国兵捕虜が約二百七十五万となっています」
トリューニヒトの質問にネグロポンティが手元の資料を見ながら答えた。周囲は捕虜の数に呆れた様な表情をしている。

偉いよな、ネグロポンティは最高評議会では新参者だからいつも山の様に資料を持ってくる。俺も新参者だが資料など持ってきたためしがない。時々ネグロポンティが恨めしそうに俺を見る事が有る、今度から資料らしきものを持ってきた方が良いかもしれない。

「それで彼らへの補償は?」
「はい、先ず抑留期間が十年以内の将兵については一階級昇進させます。さらに十年以上の将兵についてはもう一階級昇進させます。但し帝国では捕虜の扱いが劣悪なため十年以上抑留されていた将兵はそれほど多く有りません。特に抑留期間が十五年以上になると激減します。生き残った者はその多くが若く体力が有った者、当然ですが階級が低かった者です」

「なるほど、こちらの捕虜が少ないのはその所為か。戦いを有利に進めているからというわけでは無いのだな」
「明確に有利になったのは近年だ。それに捕虜は少なかったはずだ」
シャノンとターレルが話している。皆がどういうわけか俺に視線を向けてきた。不愉快だな、俺が殺しまくったとでも言いたいのか? 敢えて気付かない振りをしよう。

「それと補償には彼らが捕虜であった期間の給与の支払いも含まれます。捕虜であった期間は休職中という事になりますので一年目は基本給の七割を、二年目以降は五割を支払う事になります。但し、捕虜の家族が遺族年金を受け取っていた場合はその分を差し引きます」

トリューニヒトがウンウンと頷いている。まあ死んだか捕虜になったかは判断が難しい。という事で明確に戦死、或いは捕虜になった事が分からない行方不明者は戦死扱いにされる。同盟、帝国の間には国交が無いから確認のしようが無い、帝国では捕虜なんて管理して無いに等しいから戦死扱いにするしか仕方が無いらしい。

「それで、どの程度の金額になるのかな? かなりのものだと思うが」
トリューニヒトに問われたネグロポンティがちょっと周囲を憚るような素振りを見せた。金額がデカいからな、言い辛いよ。
「計算したのですがざっと六百億ディナールが必要となります」
トリューニヒトとネグロポンティの遣り取りに彼方此方から溜息が出た。皆の視線がレベロに向かう。それを受けてレベロが口を開いた。

「ネグロポンティ国防委員長より話は聞いている。六月以降の暫定予算に組み込みたい。国のために苦労したのだ、報いるのが当然だろう。それに彼らを無一文で放り出せばそれこそ犯罪等の問題を起こしかねん。それでは捕虜交換の意味が無い」
皆が頷いている。ボローンが“全く同感だ”と言った。法秩序委員長としては治安の悪化は避けたいだろう。

「嫌がるかと思ったがね」
ホアンが冷やかすとレベロがフンと鼻を鳴らした。
「捕虜を抱えていれば彼らを喰わせるために年間約二百億ディナールの金が出て行く。三年で六百億ディナールだ、それを考えればここで捕虜交換のために六百億ディナールを用意するのはおかしな話じゃない。三年でペイ出来るのだからな。それに捕虜と違って労働力、消費者、納税者として期待出来る。財政委員長としては反対する理由は無い」

レベロが太っ腹なところを見せると彼方此方で同意する声が聞こえた。
「捕虜交換は財政問題か、確かに言い得て妙だな」
「全くだ。ここまで金が絡むとは思わなかったよ。人道も和平も金無しでは進まない、厳しい現実だな」
ターレルとボローンの会話に笑い声が起こった。俺が議会で捕虜交換は財政問題の解決策の一つだと言って以来、政府の公式見解は人道と財政問題の解決策になっている。和平なんてどこにも出てこない。冗談だったんだけどな。

ちなみに予算編成はまるで進まない。捕虜交換、首脳会談の成果次第で和平の進展具合が決まると見ているため誰も積極的に動こうとしないのだ。通常暫定予算は一カ月から二カ月だが今回は八月一杯まで、五カ月間を暫定予算で行こうという話になっている。前代未聞の事だそうだ。議会が突っ込みそうなもんだが議会も薄々は気付いているらしい、余り騒ぎ立てる事も無い。

皆が笑う中、ネグロポンティだけは神妙な顔をしている。トリューニヒトが皆に確認を取ったが誰も反対はしなかった。問題の一つが解決した。ホッとしたようなネグロポンティが俺に視線を向けてきたが知らぬ振りをした。ネグロポンティ、いやネグポン。俺を見るんじゃない、怪しむ奴が出るだろう。

俺はこの件では無関係なんだ。真っ青な顔で諮問委員会に飛び込んできて“思った以上に金がかかる。レベロ財政委員長を説得するのを手伝って欲しい”とか“トリューニヒト議長の手を煩わせたくない”とか“受け入れられなければ国防委員会や軍に面子が立たない”とか言って俺に泣き付くんじゃない。

レベロは金に煩いが本質は善良な男だ。金を払った方が利が有る、市民のためになると言えば渋るかもしれないが最終的には納得する。今回は俺が動いたが次からは自分で解決しろ。俺を頼るんじゃないぞ。それじゃなくても俺の事を胡散臭い眼で見る奴が多いんだ、痛くもない腹を探られたくない。

「戻ってきた捕虜は軍の方に復帰させます。捕虜という特異な環境での生活から元に戻るには時間がかかる可能性が有る。特に抑留期間が長ければ長いほど社会に適合し辛くなっていると想定されている。カウンセリングは当然の事だが技能訓練等を行いつつ焦る事なく社会に復帰させたい」

「国防委員長の仰る事は理解出来るがそうなると軍の人員削減などはまだまだ先の事だな」
トレルの口調は残念そうだった。多分国防費の削減は難しい、経済開発委員会に回ってくる予算は少ないと思ったのだろう。他にも面白くなさそうな表情をしている人間が少なからずいる。

「その事だが軍は今後五年間で四百万人の技術者、輸送および通信関係者を民間に戻そうと考えている。以前から社会機構全体に亘ってソフトウェアの弱体化が進んでいると人的資源委員長から指摘が上がっていた。国防委員会としても無視は出来ない。なんとか歯止めをかけたいと考えている」
ネグポンが発言すると“ほう”という声が彼方此方で上がった。皆がホアンの顔を見た。ホアンが咳払いをした。

「出来る事なら今すぐ四百万人を民間に戻して貰いたいと言いたい。しかしそれをやれば軍組織が滅茶苦茶になるのも事実だ。五年間で四百万人を民間に戻す、国防委員長からの提案を受け入れようと思う。但し、受け入れるには条件が有る」
ホアンが皆を見回すと会議室に緊張が走った。このあたりが実力政治家の凄味だな。残念だがネグポンにはまだそれは無い。

「和平を結び、戦争を終結して欲しい。戦争が無くなれば技術者を軍に徴用される事も無くなる。技術者達のスキルの向上、蓄積を図れるのだ。ソフトウェアの弱体化を防ぐ事が出来る」
「分かっているよ、ホアン。そのための第一歩が捕虜交換なのだ。必ず成功させる」
トリューニヒトが答えると皆が頷いた。

「しかし、軍は大丈夫なのかね。五年とはいえ四百万人を民間に戻すのだろう。実際に出来るのか?」
シャノンがネグポンに問い掛けた。他のメンバーも首を傾げている。
「現時点で大規模な軍事衝突が起きる可能性は極めて少ないと判断できる。この機会に軍は組織のスリム化と支出の削減を図ろうと考えている」
“オー”とか“ウム”とか声が上がった。歓迎されているぞ、ネグポン。

「先ず動員の解除だが技能や資格の有る人間から民間に戻していく。軍に残った者に対しても技能を習得させる事を積極的に行っていく。人数は減らすが質を向上させる事で戦力の維持を図るつもりだ」
彼方此方で頷く姿が有った。ネグポンも余裕が出て来たようだ。声に張りが出てきた。

「さらに国内に有る八十四ヶ所の補給基地を整理統廃合する。大凡の計画ではあるが十五ヶ所を廃し三ヶ所を新たに設けたいと考えている」
「新たに三ヶ所というのは?」
ラウドが問い掛けた。地域社会開発委員長だからな、有人惑星に基地が造られれば自分にも関係するとでも思ったか。或いは増やすことなど無いと考えたか。

「今後、軍はイゼルローン方面だけではなくフェザーン方面の防衛体制も考慮した防衛計画を策定しなければならない。新たな三ヶ所の基地は何れもフェザーン方面に設立する。その内の一ヶ所は惑星ウルヴァシーを想定している」
“ウルヴァシーか”と誰かが言った。皆ウルヴァシーが前の戦争で後方支援の拠点になったことは知っている筈だ。ラウドはちょっと残念そうだ、あそこは居住可能だが無人惑星だからな。

「軍は惑星ウルヴァシーをフェザーン方面の重要な戦略拠点にしたいと考えている。出来れば同盟市民を入植させ生産機能も持たせたい」
ネグポンの言葉に皆が顔を見合わせた。
「良い案だと思う、居住可能惑星を放り捨てておく必要はない」
「同感だな」
ラウドとトレルが積極的に賛成した。

まあこれでネグポンも最高評議会で上手くやっていけるだろう。どうしても他の委員長達に押されがちなんだよな。おまけに和平が近付いたことで予算の削減を迫られている。その所為で国防委員会、軍内部にネグポンの力量を不安視する人間がいるらしい。上手く立場を創ってやらないと政府でも軍でもネグポンは居場所が無くなる。国防委員長は実力者のポストなんだ、それなりにどっしりと構えてもらう必要がある。

取り敢えず捕虜に払う予算は確保した、その分人員の削減は受け入れる。但し五年で四百万、捕虜の受け入れを考慮すれば実際には二百万だ。軍だって人員の削減は受け入れなければならない事は分かっている。五年で二百万なら文句は言えないだろう。まあこの辺りは既にトリューニヒトとホアンで話はついているんだけどな。今日正式にネグポンから最高評議会に提案された事になる。なかなかの仕事ぶりだと思われただろう。ネグポンには政府と軍の仲介役になってもらわなければならん。

「ところで、皆フェザーンの状況は知っていると思うが?」
トリューニヒトが皆を見回しながら問い掛けると何人かが頷いた。不審そうな表情をしている人間は居ない。先日、フェザーンでは暫定政権が発足した。名前はフェザーン臨時政府と表明している。

代表者はマルティン・ペイワード、元々は第四代自治領主ワレンコフの元で補佐官を務めていたらしい。ルビンスキーが第五代自治領主に就任した時点で補佐官を辞任し民間に戻った。どうもワレンコフの死に不審を感じた様だ。ルビンスキーに殺されたとでも思ったのだろう。地球教の事は知らなかったと表明している様だが真実は分からない。

ペイワードはフェザーンの現状を憂いて自らフェザーン人達に自分に一時的にフェザーンを預けてくれと説得したらしい。独立商人達がその声に応えた様だ。ペイワードは彼らの支持を起点に他の勢力の支持を得ることに成功した。今の所暫定政権にあからさまな敵意を示す勢力は無い。それなりにフェザーンを掌握していると考えて良いのだろうとバグダッシュは分析している。

「一昨日、そのフェザーン臨時政府のペイワード代表から私に連絡が有った」
“ほう”という声が上がった。皆興味津々だな。
「自分がフェザーン臨時政府の代表である事、地球教とは関係ないので信じて欲しいと言っていた」
ボルテックも同じ事を言っていた。

「他には何を?」
ターレルが問い掛けた。
「三つ有った。先ずフェザーンでは多くの人間が統治の形態を変える必要があると考えているらしい。これまでのように自治領主にすべてを任せていてはとんでもない事になる、為政者の行動をもっと監視すべきだと」

「それは議会制民主主義を導入しようというのかな?」
「はっきりとは言わなかったがそれらしい事を匂わせていた」
トリューニヒトとターレルの遣り取りに会議室がざわめいた。仲間が増えた、嬉しい、そんな感じだな。水でもぶっかけてやるか。

「こちらの好意を得ようとして耳障りの良い事を言っている、その可能性も有るでしょう」
皆が不満そうにこちらを見た。可愛げがないと思ったか。だがトリューニヒトが“その可能性は確かにある”と俺を擁護した。

「二つ目はフェザーンの独立についてだ。同盟政府は現時点でもフェザーンの独立を認めるのかを確認してきた。これについては認めると答えた」
トリューニヒトの答えに反対する人間は居ない。フェザーンは独立させ帝国との緩衝地帯として利用する。その事は同盟の安全保障の基本方針だ。

「最後の三つ目だがペイワード代表は正式に国交を樹立したいと言ってきた」
うん、ちょっと微妙な空気だな。皆困惑している。
「諮問委員長のいう耳触りの良い事というのは当たっているかもしれん」
「確かに、条約を少しでも有利にと思った可能性はあるな」
トレルとマクワイヤーの遣り取りに皆も頷いている。

「ペイワード代表には後で返答すると答えて通信を切った。後は諮問委員長、君から頼む」
どうせなら最後まで説明してくれればいいのに……。これじゃ俺がトリューニヒトの腹心みたいじゃないか。非常に不本意だ。
「議長から相談を受けて一番最初に考えた事はフェザーンが帝国にも接触しているのではないかという事です。同盟と帝国、その両者を上手く操り少しでも有利な条約を結ぼうとしているのではないか……」

俺が周囲を見回しながら言うとホアンが“フェザーンのお家芸だな”と皮肉った。好感度低いよな、フェザーンは。
「レムシャイド伯を通して帝国政府に確認しました。フェザーンは帝国に接触していません。ブラウンシュバイク公は酷く驚いていました」
皆が妙な表情をした。有り得ないことが起きた、そんな感じだ。

「本来なら帝国にも接触して同盟、帝国を上手く操って利を得ようとするはずだが……」
「どういう事かな」
レベロ、ボローンが首を傾げている。
「帝国に接触しないのはそれが危険だと考えているからだと思います」
あらあら今度は皆が首を傾げている。ニコニコしているのはトリューニヒトだけだ。こいつ、相変わらず性格が悪いな。

「フェザーンは帝国が独立を認めないと判断しているのではないかと思います。帝国に知られれば再度軍を派遣するのではないかと恐れているのでしょう。酷い目に遭いましたからね」
「なるほどな、可能性は有る。ブラウンシュバイク公はその辺り、如何考えているのかね? フェザーンの独立を許すのかな?」
リウが問い掛けてきた。視線が俺に集中する。

「さあ、迷っているようでした。自治領とは言っても内実は独立国です。しかし独立を認めては面子が立ちません、かといって今のフェザーンは反帝国感情が強い。自治領に留め置いても厄介な事になっては……」
誰かが“ウーン”と声を上げた。

「フェザーンが先に同盟との国交の樹立を求めたのは独立を既成事実にするためでしょう。おそらくはフェザーンの独立が脅かされた時は同盟が軍を派遣してフェザーンを守る、そういう形での安全保障条約を結ぼうとすると思います。その上で帝国との交渉に臨む、そんなところでしょうね」
皆が渋い顔をした。まあしょうがないだろう、フェザーンには軍事力が無いんだから。

「こちらとしては帝国との和平交渉を優先させるべきだと思います。フェザーンとの交渉はその後という事にした方が良いでしょう。帝国側も同盟との交渉を優先したいと望んでいます」
彼方此方から“それが良い”、“そうすべきだ”、“利用されずに済む”と声が上がった。ホント、フェザーンって嫌われてるよ、少し可哀想だな。




 

 

第百二十三話 要塞建設




宇宙歴 796年 4月 30日  ハイネセン  最高評議会ビル  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「諮問委員長、我が国としてはフェザーンを独立させフェザーン回廊を緩衝地帯にしたいという考えだが帝国はフェザーンの独立を許すかな? 先程の君の話しではブラウンシュバイク公は迷っている様だが……」
「難しいところです。しかし迷っているのです、可能性は有るでしょう。問題は独立の代償だと思いますよ、リウ書記」

リウが“代償か”と吐いた。トーマス・リウ、最高評議会では書記の役職に就いている。この書記っていうのが良く分からず調べたんだが最高評議会における書記の役割は結構複雑で重要だ。機密文書の管掌、最高評議会の庶務の統理、最高評議会が発信する公式の文書に署名する事と定められている。

機密文書の管掌は良い、何となく分かる。よく分からんのが最高評議会の庶務の統理だ。規定では最高評議会議長の監督の下に最高評議会の事務を統理するとなっている。つまり最高評議会の構成員である委員長が職務を遂行するために必要となる事務全てを書記が統括するという事らしい。

実際には書記は最高評議会事務局の長として議長の監督の下に局中一切の事務を統理し所属職員を監督している。諮問委員会なんて自前の内部部局を持たないし庁舎も持っていない、何から何まで書記の世話になりっぱなしだ。頭が上がらん。

最後の最高評議会が発信する公式の文書に署名する事だがこれは文字通り公文書に署名する事だが最高評議会議長との連署になる。つまり理論上はトリューニヒトが署名してもリウが署名しなければ公文書としては認められない、リウの同意なしでは公文書は発信出来ないという事になる。リウは実力者なのだ。

「代償というがそんなものが有るかね? フェザーンに用意出来るかな? 容易ではないと思うんだが……」
トレルが疑問を呈すると皆が同意の声を上げた。そりゃそうだよな、この手の独立問題は昔から厄介で混乱すると相場が決まっている。

「諮問委員長、如何かな?」
トレルが問い掛けてきた。なんか厄介事は全部俺へ、そんな感じだな。
「フェザーンに無ければ同盟が用意しても良いでしょう。上手くいくかどうか分かりませんが試してみる手は有ると思います」
「……」
「フェザーンから譲渡させた企業の株ですがその中にはフェザーンの物も含まれています。それを使っては如何かと」

俺の言葉にレベロとトリューニヒトを除く委員長達が困惑を浮かべた。ターレルが“そんなものが有るのか”とレベロに問い掛けた。レベロは顔を顰めている。
「有る。皆には黙っていたがフェザーンの自治領主府は同盟、帝国だけでなくフェザーン企業の株も取得していた。その殆どが金融、物流、エネルギー関係の大手企業の株だ。フェザーン経済の動向を左右すると言っても差し支えない。黙っていたのはあの当時これを公にすれば騒動の本になると考えたからだ。いや、今でも騒動の本だろう」
何人かが溜息を吐いた。

「同盟の対外純資産高はとんでもない数字になっている。同盟が発行した国債はその殆どが消えた。その代わりに帝国の国債と株が入ってきたのだからな。実体経済とまるで一致していない。役人達は頭を痛めている、景気動向の判断材料には使えないと言っているよ。数字を信じるなら同盟は今空前の好景気という事になる。有り得ん話だ」
ぼやくなよ、レベロ。俺の所為じゃないぞ。大体借金が無くなったって喜んだのはお前だろう。人間って贅沢だよな、常に不満を持つんだから。

「しかしその株を如何使うのかね?」
ホアンが首を傾げている。
「フェザーンでは先日の貴族連合軍の横暴に対して損害賠償を求めるべきだという声が上がっているそうです。加害者の貴族達は滅んでいますから帝国政府を相手に請求する事になるでしょう。二千万人が好き勝手やったんです。ボルテックも殺されている。かなりの額になるでしょうね」
「……」
話についてこれない、そんな感じだな。トリューニヒトだけは楽しそうだ。

「同盟がフェザーンに株を返します。そしてフェザーンはその代償として帝国に対する損害賠償の請求を放棄する」
「……帝国はそれに対してフェザーンの独立を認めるか……」
ホアンの言葉に“ウム”、“なるほど”といった声が上がった。

「或いは株の半分を帝国に譲渡します。経済面で同盟と帝国がフェザーンを支配下に置く。その上で独立を認める」
「なるほど、独立の名誉は与えるが実利は同盟と帝国が握るという事か。君は辛辣だな、フェザーン人にとっては最大の屈辱だろう」
ターレルの言葉に皆が失笑した。別にそういうわけじゃない、どうしてそう捻くれてとるかな……。

「私としては株をフェザーンに返還する方を奨めます。株を持ち続けるのは同盟にとって必ずしも得策ではありません」
皆が不審そうな表情をしている。
「あの株は地球教に利用されないために同盟が接収したという形になっています。地球教の脅威が無くなれば必ず返せとフェザーンは言ってきます。同盟、帝国の分はともかくフェザーンの株は必ず返せと言ってくる。あの株を同盟に握られてはフェザーンは首根っこを押さえ付けられたも同然です。独立など形だけにものになる」
何人かが頷いた。

「フェザーンが議会制民主主義を導入しようとしているのもそれに関係あると考えています」
「……なるほど、個人の独裁を許さない、地球教に付け込まれることは無い、そういう事か」
ホアンが納得したというように声を出した。

「それだけじゃありません。拒否すればフェザーンは同盟は自らの政治体制を信じていないのかと非難してきます。こっちは言い訳が出来ない、一方的に責められて終わるでしょう。そんな事になる前に何らかの取引に使った方が得策だと言っています」
彼方此方から唸り声が起きた。

「私は既にヴァレンシュタイン諮問委員長からこの話を聞いていたのだがもっともだと思う。株を保有し続けるのは後々面倒なことになるかもしれん。フェザーンだけではない、帝国も不快に思うだろう。それならば株を使ってフェザーンを独立させ緩衝地帯として利用した方が得策だと思うんだが」
トリューニヒトが問い掛けると皆が頷いた。

「惜しいような気もするが」
「しかし後々面倒になるのは目に見えているからな」
「確かに」
「交渉のカードに使った方が良かろう。その方が後腐れが無い」
様々な声が上がった。トリューニヒトが交渉のカードに使ってよいかと念を押すと皆が頷いた。

「だとすると帝国の株は如何するのかな? こちらも返すのか?」
小首を傾げながらマクワイヤーが疑問を呈した。皆の視線がトリューニヒトと俺に集中した。なんか不本意だなあ、なんでだろう?
「その事だが諮問委員長から提案がある、聞いて欲しい」
トリューニヒトの言葉に俺だけに視線が集中した。こいつ、やり方が上手いよな……。



宇宙歴 796年 5月 15日  ハイネセン  最高評議会ビル  ミハマ・サアヤ



「ようやく終わりましたね」
「そうね、外交委員会は総合外交政策局、銀河帝国局、フェザーン局、経済局、国際協力局、国際法整備局、国際情報分析局、それと対外交流審議会。結構大きいわね」
私とアブローズ委員の会話に諮問委員会の皆が頷きました。確かに大きいです、発足すれば一大官庁の誕生でしょう。

「通商委員会はそれほどでもありませんね。通商政策局、貿易経済協力局、通商情報分析局、商取引監督局、通商機構整備局、それに輸出入取引審議会」
「管轄が通商だけだからね、範囲が狭いよ。但し影響力は結構大きそうだ。企業は通商委員会の顔色を窺いそうだな」
パール委員とリード委員の言葉にまた皆が頷きました。

「後は捕虜交換、首脳会談が終わってからか」
「出立は五日後でしたね」
「首脳会談、上手く行きますかね」
「行くだろう、向こうは皇帝陛下が自ら調印に臨むんだ。本気だよ」
「同盟市民もかなり期待していますよ。やっぱり皇帝っていうのは凄いんだな、実感しましたよ」
一仕事終わった所為で気が楽になったのでしょう。とりとめのない会話に会議室に笑い声が満ちました。“同盟市民らしくない言葉だぞ”という皮肉に笑い声が更に大きくなりました。

「ヴァレンシュタイン委員長も同行するそうですけど大丈夫ですかね」
「大丈夫でしょう、滅多な事はしないわよ」
「しかし今じゃ自由惑星同盟きっての実力者ですからね、万一の事が有ったら大変ですよ」
「護衛に三個艦隊を動員するそうです。ウランフ元帥、ヤン大将、ワイドボーン大将です」

私が答えるとディーレン委員が口笛を吹きました。“勇将ウランフ元帥と知将ヤン大将か”と言ったのはクライ委員です。ワイドボーン大将だって凄いんですよ、ヴァレンシュタイン大将は“攻守のバランスが良い、良将だね”と評価していました。士官学校首席は伊達じゃありません。

「まあ当然よね、軍にとっては恩人だし国防委員会だって頭が上がらないんでしょう?」
アブローズ委員の問い掛けに皆の視線が私とデロリアン委員に集中しました。デロリアン委員が“否定はしません”と答えました。
「捕虜交換の予算を取ってくれましたしフェザーン回廊の入り口に要塞建設も決めてくれた。軍も国防委員会も感謝してます。頼りになりますよ」

「あーあ、国防費の削減は無しか……」
ノエルベーカー委員が嘆息すると皆が遣る瀬無さそうな表情をしました。困ったな、また軍が予算を取ってると思われてる。
「そんな事は有りません。予算は減りますよ」
デロリアン委員も困ったような表情をしています。

「国防委員会の友人に聞いたのですがね、補給基地の統廃合、人員の整理、それに戦争が無くなれば人件費、武器弾薬の補充も減少します。新たな軍艦の建造も当分は老朽艦の代替えだけになる。今年度は捕虜交換で予想外の出費が有った所為でほぼ去年並みですが来年度以降は人員の整理と補給基地の統廃合が進めば最低でも一千億ディナールは減るそうです」
皆がちょっと驚いています。“本当?”という声も上がりました。

「でもフェザーン回廊の入り口に要塞を造るんだろう?」
「造ると言っても七年がかりですよ。確かに巨額の予算ですが単年で計算すればちょっと多いな、と思うレベルです」
デロリアン委員がリード委員に応えると“ふーん”という感じになりました。

「まあ国防費の削減が出来なくても各委員会の予算は増える筈ですよ」
幾分笑いながら皆に言ったのはモンテイユ委員です。
「どういう事です、それは?」
「簡単ですよ、クライ委員。国債の償還が無くなったんです。その分余裕が出た。個人に例えればローンの返済が終わって可処分所得が増えた、そんなところです」

なるほどと思いました。私だけじゃありません、皆も納得顔です。
「財政委員会では来年度からは減税も考えています。まだ検討段階ですけどね」
“へぇー”という声が上がりました。私も声を上げたい、税金なんて上がる事は有っても下がる事なんて無かったんですから。本当にそんな事になるのかしら。

「しかし、軍は満足しているのかな。もっと軍艦を造れとか言いそうなものだけど」
ディーレン委員がちょっと心配そうに言うとデロリアン委員が苦笑しました。
「今造っても使い道が無いですよ。新しく艦隊を編成するわけにもいきませんしね。それなら要塞を造って貰った方が同盟の安全保障のためになります。軍人達は満足していますよ。彼らが恐れているのは和平ムードに浸って国防が疎かになる事なんです」

アブローズ委員が“そうなの?”と私に問いかけてきました。
「そうですね。フェザーン回廊の出口に要塞が有れば帝国軍はそれを無視は出来ません。攻略するか、或いは抑えの艦隊を残して同盟領に侵攻するかです。侵攻する場合には抑えの艦隊は最低でも二個艦隊は必要です。そうなれば遠征軍の総兵力は最低でも四個艦隊から五個艦隊は必要になる。コストパフォーマンスを考えればかなり効率が悪いといえます」
皆が頷いています。もうちょっと続けよう。

「それにもし侵攻した帝国軍が敗北すると最悪の場合追撃してきた同盟軍と要塞にいる同盟軍によって挟撃されかねません。大敗北を喫する危険性が出てきます。となると要塞を攻略するのがベストなんですが十分な艦隊戦力がある要塞は攻略が難しいんです。イゼルローン要塞がそれを証明しています。抑止力としては十分だと思います」
“なるほどねえ”という声が聞こえました。凄い、私。皆に感心されてる。でも半分以上ヴァレンシュタイン大将に教えられた事なのよね……。

「軍事産業も喜んでいますよ。軍艦の建造なんて何時打ち切りになるか分かりません、極めて不安定です。それに比べれば要塞建設は七年かかりますし一旦始まれば打ち切られる事も無い。この七年の間に経営を軍需中心から民需中心に切り替えられます。企業の救済っていう意味も有るんです」

「となると要塞建造は必要不可欠か。道理でヴァレンシュタイン委員長の所に国防委員会や軍事産業の人間が最近来るわけだ」
バーバー委員が呟くとデロリアン委員が“頼りになりますからね”と答えました。実際国防費に目を尖らせるレベロ委員長もヴァレンシュタイン委員長には一目も二目も置いています。ネグロポンティ委員長が頼りにするのも無理は有りません。

「しかしフェザーンは如何思うだろう、当然だけど面白く無いわよね?」
「確かに面白くは無いでしょう。しかしですね、パール委員。これは受け入れざるを得ないんですよ。それがフェザーンの安全と中立を保障する事になるんですから」

デロリアン委員の言う通りです。要塞を造るのは同盟だけではありません。帝国もフェザーン回廊の帝国側に要塞を造る事で合意が出来ています。そうする事でお互いに攻め込み辛くする。その事がフェザーンの安全と中立を保障するのです。

「ウチの委員長はなかなか強かで辛辣ですよ。安全と中立を保障するとは言っていますが要塞が出来上がれば帝国、同盟は何時でも回廊を封鎖してフェザーンを締め上げる事が出来るんです。フェザーンは生殺与奪の権を握られた、そんなところですね」
皆頷いています。

「そうなるとイゼルローンはどうなるんです。要塞は置かないのかな?」
「考えているみたいですよ、バーバー委員。最近国防委員会からウチの委員長に面会が多いのもそれが理由でしょう。ただ色々と有るみたいですね。和平を結ぶんですから帝国を余り刺激はしたくないでしょうし簡単ではないようです」

まあそうなんですけどね。でも皆分かっていません。そういう難しい問題を簡単に解決しちゃうのがヴァレンシュタイン大将なんです。なんと言っても大魔王様なんですから……。




 

 

第百二十四話 主権者



宇宙歴 796年 5月 30日  第三艦隊旗艦ク・ホリン  フレデリカ・グリーンヒル



第一艦隊、第三艦隊、そして第十艦隊は捕虜交換の調印式のためにイゼルローン要塞に向かっている。先頭は第十艦隊、真ん中に第一艦隊、最後尾は第三艦隊。調印式に参列する使節団は事故などの万一の事を考慮しそれぞれ各艦隊の旗艦に分散して乗っている。

第十艦隊にはトリューニヒト議長とレムシャイド伯、使節団の事務方の一部。第一艦隊にはホアン・ルイ人的資源委員長とその秘書官と使節団の事務方の一部、そして第三艦隊にはヴァレンシュタイン最高評議会諮問委員長とミハマ大佐。ちょっと気が重い。嫌いではないのだけれど私はヴァレンシュタイン委員長が苦手だ。そしてその想いはヤン提督も同様だろう。

ミハマ大佐が教えてくれた。ヴァレンシュタイン委員長がこの艦に乗っているのは委員長自身の希望によるものらしい。当初トリューニヒト議長がこの艦に乗りたがっていた。ヤン提督に関心が有ったのだとか。しかしヤン提督には政治家の相手など無理だと言ってヴァレンシュタイン委員長がこの艦に乗ったのだという。

気遣ってくれたのだろうか? 確かにヤン提督に政治家の相手は難しいだろう。でもヴァレンシュタイン委員長の相手を望むとも思えない。向こうもそれを理解しているのかもしれない。ヴァレンシュタイン委員長が艦橋に来る事は無い。殆どの時間を用意された部屋かサロンで過ごしている。食事も食堂で済ませてしまっているから極めて手のかからない賓客だ。

でもその所為で少々困ったことになっている。艦内でヤン提督とヴァレンシュタイン委員長が不仲なのではないかと噂が流れているのだ。参謀長のザーニアル中将、副参謀長のカルロス少将も酷く心配している。相手は政府の実力者で国防委員会、軍にも強い影響力を持っている。ヤン提督だけでは無く第三艦隊にとっても良くないと考えているのだ。

という事で二人の食事を私がセッティングする事になった。ヤン提督は迷惑そうだったけど“仕方ないね”と言ってくれた。ヴァレンシュタイン委員長へのお願いはミハマ大佐に頼んだ。大佐は直ぐにヴァレンシュタイン委員長の了解を取ってくれたが条件が有った、私とミハマ大佐が同席する事……。向こうも二人きりは気不味いと思っているのかもしれない。

食事は艦内の貴賓室で行うことになった。ヤン提督とヴァレンシュタイン委員長が向き合う形で座りその隣に私とミハマ大佐が座る。委員長はスーツ姿だが何となく違和感が有って落ち着かない。料理が運ばれて来た、美味しそうだ。飲み物はヴァレンシュタイン委員長がジンジャーエール、他の三人は赤ワインを頼んだ。

「帝国風の料理ですね、美味しそうだ」
「そうなのですか?」
「ええ、ターフェルシュピッツ、ヴァルマー・クラウトサラート、ブラントヴァインスッペ、白アスパラガスとジャガイモのオランデーズソース添え。帝国では良く食べる料理です」
ヴァレンシュタイン委員長とミハマ大佐の会話を聞きながらそうなのかと思った。料理長は客が委員長だと知って気を使ってくれたらしい。

「懐かしいな、ブラントヴァインスッペか。このスープは滋養が有るんです。昔は出産直後の妊婦の体力回復用に使われたと言われています。良く飲みましたね」
「委員長がですか?」
思わず問い掛けると委員長が頷いた。
「私は体が弱かった。母はそれを酷く心配して……、これを良く作ってくれたんです」

穏やかに昔を懐かしむ表情は委員長の持つ苛烈さとはかけ離れたものだった。どちらが本当の委員長なのだろう。以前ヤン提督が言った言葉を思い出した、“あれ以来彼は変わった。心を閉ざし他者を受け入れなくなった。そして誰よりも苛烈になった”。ヤン提督は何の反応も見せない、私だけがあたふたしているような気がした。

委員長が“頂きましょうか”と言って食事が始まった。美味しいと思う。メインはターフェルシュピッツ。スパイス、レモンの皮などで味つけし茹でた牛肉。付け合せのアプフェルクレンという甘辛いソースで食べると何とも言えない、つい頬がほころぶ。でも会話が弾まない。時々美味しいという声とそれに相槌を打つ声が出るくらいだ。私とミハマ大佐が美味しいと言い委員長とヤン提督が相槌を打つ。仕方ない、私が話しかけないと。

「首脳会談は三日に亘って行われると聞きましたが」
「そうです。一応非公式ですが晩餐会のようなものも有ります。まあ主人役は向こうでこちらは客ですから余り心配はしていません。今頃向こうは準備で大変でしょうね、主人役は色々と気を使いますから。その辺りの事はグリーンヒル少佐には分かるでしょう?」

私が“はい”と答えると委員長が“御苦労様ですね”と労ってくれた。でも悪戯っぽい笑みを浮かべているから面白がっているのかもしれない。チラッとミハマ大佐を見ると困ったような表情をしていた。どうやら私の思いは当たっていたらしい。ヤン提督は特に反応を見せない。聞いてはいるのだろうけど黙って食事をしている。

「やはり和平の事を話すのでしょうか?」
「少し違いますね。正確に言うとこれからの宇宙をどのようにするかを話す事になります」
「……」
漠然としている、そう思った。委員長が私を見て軽く笑い声を上げた。

「分かり辛かったようですね。これからの宇宙は同盟と帝国の協力によって動く。その事を認識してもらい協力していく事を確認して貰うという事です。和平交渉はその中の一つです」
なるほど、と思った。和平だけではなく今後の協力体制を築くという事か……。委員長は和平を一時的なものではなく恒久的なものにしたいと考えているのだろう。

「フェザーンの問題もそうですか?」
ミハマ大佐が質問するとヴァレンシュタイン委員長が“そうです”と頷いた。ジャガイモを口に入れ“うん、美味しい”と言う。私もジャガイモを口に運ぶ、確かに美味しい。アスパラを口に入れた、柔らかくて何とも言えない、オランデーズソースも良い。私はこちらの方が好みだ。これなら私にも作れるかも……。

「独立させるのでしょうか?」
私が問うと委員長は“ええ”と答えてジンジャーエールを一口飲んだ。
「フェザーンは独立します。自治領などにして帝国の陰に隠れる等という事を今後は許しません。不都合が有れば何時でも叩き潰します。独立させた方が扱い易いのですよ、フェザーンも普通の国になるでしょう」

穏やかな口調だけどヒヤリとする冷たさが有った。感情が冷たいのではない、理性が冷たいのだと思う。冷酷では無く冷徹なのだ。この人はどれほど不愉快でも必要とあれば受け入れるだろう。そしてどれほど愛着が有っても不必要となれば切り捨てるに違いない。ヤン提督の事を思った。委員長がヤン提督を切り捨てる日が来るのだろうか……。

「要塞建設はフェザーンに対する警告、なのですね」
私が問うと委員長がクスッと笑った。
「それだけではありませんけどね。……一部では評判が悪いようです。軍に媚びているとか軍需産業に甘いとか。私が彼らに影響力を及ぼそうとしている、そんな声も有るらしい。如何思います、ヤン提督」

ヤン提督がちょっと戸惑うような表情を見せた。
「ヤン提督もそう思っているのでしょう。ワイドボーン提督から貴方が危惧していると聞きました」
えっと思った。私だけじゃない、ミハマ大佐も驚いている。ヴァレンシュタイン委員長が驚く私達を見て軽く笑い声を上げた。

「ワイドボーン提督に話したのも彼なら私に話すと思っての事でしょう。結構面倒見が良いですからね、彼は。貴方なりの遠回しの警告というわけだ。良い機会です、こうして一緒に食事をしているんです。回りくどい事をせず思った事を自らの口で言った方が良い。これでも聞く耳は有りますよ」
ヴァレンシュタイン委員長がこの艦に乗ったのはこれが目的だったのかもしれない……。相手はこの機会を待っていた、嫌な予感がした。ヤン提督が私達を見て一つ息を吐いた。

「要塞建設については反対ではありません。同盟、帝国がそれぞれ要塞を造る事でフェザーンとフェザーン回廊を中立化し緩衝地帯とする。今やらなくてもいずれはそういう話は出たでしょう。ならば同盟と帝国が合意の上で建設した方が問題は少ないと思います」
「なるほど、それで?」
ヴァレンシュタイン委員長が先を促すとヤン提督がちょっと困ったような表情を見せてから話し始めた。

「影響力については危惧しています。本来民主共和政は一人の傑出した人間ではなく複数の人間が責任を分かち合う制度です。委員長は軍だけではなく政府でも大きな影響力を持ち始めた、経済界にもです。危惧せざるを得ない、これはおかしな事でしょうか?」
「なるほど」
頷いてはいるが何の感銘も与えていないのが分かった。ヤン提督が眉を顰めた。委員長の反応が不愉快だったのだろう。

「委員長、貴方は典型的な帝国風のエリートなのではないかと私は思います。民主共和政国家ではなく専制君主政国家でこそ力量を発揮する。つまり権限が大きくなればなるほど力量を発揮する。ヴァンフリート、イゼルローン、フェザーン、貴方が大きな権限を持った時、同盟は勝利した。違うと言えますか? 私には今の貴方は窮屈そうに見えますが……」
委員長がジンジャーエールを一口飲んだ。

「権限が大きくなればなるほど力量を発揮する。別に私だけの事ではないでしょう。確かに今私は窮屈だと感じていますがそれは政治家に成りたくなかったからです。自分の持つ権限に不満が有っての事じゃありません」
ヴァレンシュタイン委員長は苦笑を浮かべている。ヤン提督は納得したようには見えない。

「影響力と言いますが人間が共同体を形成する以上、影響力を有する人間が出るのは已むを得ない事でしょう。動物だって群れを造ればボスが居るんです。大きすぎるとか強すぎるとか言って危惧するのはナンセンスですよ。危惧するべきは影響力を持った人間がその共同体をどのような方向に導こうとしているかではありませんか?」
「……」
委員長の苦笑は止まらない。そしてヤン提督も納得はしていない。

“どう思います?”と委員長がミハマ大佐と私に問いかけてきた。ミハマ大佐は“少々危惧が過ぎると思います”と申し訳なさそうに答えた。私は“分かりません”と言って答えを濁した。正直私も危惧が過ぎると思わないでもない。しかしヴァレンシュタイン委員長の力量が尋常なものではないのも事実だ。

彼は未だ二十二歳、私と同い年なのにその知力と識見の深さはヤン提督を凌ぐだろう。トリューニヒト議長も委員長を頼りにしていると言われている。父、グリーンヒル本部長代理も言っていた、到底自分は委員長に及ばないと。ヤン提督の危惧が杞憂と言い切れるだろうか?

「例えばです。今影響力を持っている人間がアーレ・ハイネセン、グエン・キム・ホアだったらどうします? それでも貴方は危険視しますか?」
「……」
ヤン提督の表情が険しくなった。じっと委員長を見ている。
「しないでしょうね。つまり貴方が危険視しているのは影響力じゃない、私という個人でしょう。私に対する不信感を影響力と言って危惧しているだけだ。正直じゃありませんね、不愉快ですよ」

音が消えた。先程まで有った食事をする音が。皆手を止めて黙っている。ヤン提督は顔を強張らせていた。そんな提督を委員長は醒めた目で見ている。私とミハマ大佐は動く事が出来ずにいた。委員長がジャガイモを一口食べた。私とミハマ大佐に視線を向けた。笑みが有る、凍り付きそうな恐怖を感じた。
「美味しいですね、食べないんですか」

慌ててナイフとフォークを動かした。ヤン提督とヴァレンシュタイン委員長を正視出来ない。チラチラと窺うのが精一杯だ。
「フェザーンに要塞を造るのは同盟市民を落ち着かせるという狙いも有るんです。民主共和政国家は市民の声が強い。帝国が突然同盟領に攻め込んで来るなどという事は無いのだと安心させないと……。馬鹿に煽られてヒステリックにキャンキャン騒がれると厄介ですからね」
微かにだが冷笑の色が有った。提督のナイフとフォークを握る手が強張った。挑発している?

「少し言い過ぎでは有りませんか。委員長は民主共和政国家の政府閣僚なのです。主権者である同盟市民を愚弄するかのような言葉は控えるべきでしょう」
きつい口調だった。間違いなくヤン提督は怒っている。委員長が肩を竦めるような素振りを見せた。

「なるほど、では言い直しましょう。民主共和政国家における政府と市民の関係は羊飼いと羊のそれに等しい。羊飼いは羊達を安心させなければならない。そうでなければ羊達は混乱し群れは四散してしまう。……如何です?」
ヤン提督が委員長を睨んだ。その視線を受け止めながら委員長がまた料理を一口食べた。

「やはりそうか、貴方は人間を蔑んでいる。……貴方は、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムと一緒だ!」
ヤン提督が大きな声を出した。ヴァレンシュタイン委員長が笑い声を上げた。やはり挑発だ、委員長はヤン提督を挑発して怒らせようとしている。

「違いますね。私は人間を蔑んでいるんじゃありません。現実を見ているのです」
「……」
「ヤン提督、貴方こそ現実を見るべきですよ。理想に酔って自分を誤魔化すのは止めて欲しいですね」
笑い終えた委員長がヤン提督をじっと見た。男二人が正面から睨み合っている。

いつかこんな日が来るのではないかと思っていた。二人とも互いの力量を認めている。でも何処かで反発しているように見えた。決裂しなかったのは帝国という敵がいたからだろう。或いは決裂する事を恐れていたのかもしれない。でも戦争は終わりを告げようとしている。決裂する事を恐れる必要は無くなった。それはヴァレンシュタイン委員長だけではなくヤン提督も同じ思いなのかもしれない。

止めるべきだろうか? ミハマ大佐を見た。止めて欲しい、そう思ったが大佐は動かなかった。私を見て微かに首を横に振ると無言で食事を続けた。大佐は徹底的にやりあった方が良いと思っている。中途半端は反って良くないと判断したのだろう。そうかもしれない、これまでは多少の軋轢は有っても決定的な破綻は無かった。でも破綻の後には何が残るのだろう……。

「ヤン提督、貴方は民主共和政を信奉している。何よりも尊いものだと信じている。そうでしょう?」
「ええそうです、当然でしょう」
提督が答えるとヴァレンシュタイン委員長は微かに笑った。牙を剥いた、そう思った。
「では私の質問に答えてくれませんか」
「……」

「民主共和政国家では主権者である市民が為政者を選び政策を選択する。そうですね?」
「そうです」
「失政が起きれば市民は自らの選択を反省し次の選挙でそれを正す」
「そうです。民主共和政においては失政は誰の責任でもない、市民の責任なのです。君主独裁政のように無責任に為政者を批判する立場にいる事は許されない」
委員長の顔からは笑みが消えない。彼は本当に楽しんでいる。ヤン提督とこういう場を持つ事を望んでいたのだろう。

「つまり市民には正しい選択をする判断力と自らの過ちを反省する謙虚さが必要というわけです」
「……ええ」
「しかし古来より為政者達が必読書として愛読するのはマキャベリ、韓非子です。これは民主共和政国家でも変わらない。そしてマキャベリ、韓非子の思想の根底にあるのは性悪説だ。如何思います、これを」
「……」

ヤン提督が答えずにいるとヴァレンシュタイン委員長が“答えられませんか”と言った。
「人間という生物は正しい選択をする判断力と自らの過ちを反省する謙虚さ等というものは持ち合わせていないという事です。その本質は極めて無責任で愚かで傲慢だ」
ヤン提督が唇を噛んだ。怒っている。しかし委員長は気にする事も無くサラダを食べ始めた。食べながら頷いている、気に入ったらしい。

「全ての人が愚かとは限らないでしょう。それに常に愚かな選択をするというわけでもない」
ヤン提督の異議に委員長が頷いた。
「その通りですね。しかし民主共和政では多数決で物事を決定する。馬鹿が多ければ誤った決定をする事が多いという事です。そして一度の愚かな決定によって国が傾く事も有る。貴方の言った事は気休めにもならない。貴方だってそれは分かっている筈だ」

醒めている、そう思った。帝国からの亡命者だからだろうか。酷く醒めた目で民主共和政を見ている。いや見ているのは人間かもしれない。根本には人間に対する不信が有るようにも思える。委員長の言う事を否定したかったが出来なかった。何処かで頷いている自分がいる。

「従って民主共和政国家では為政者は主権者である市民が誤った方向に進まないように腐心する事になる。民主共和政国家の理念と現実の相違、それこそが民主共和政国家が不安定である理由ですよ」
「……では君主独裁政国家は如何なのです?」
ヤン提督が質問すると委員長は声を上げて笑った。

「ヤン提督、まさかとは思いますが貴方は私が君主独裁政を擁護している、そう思っているんじゃないでしょうね」
「そうは言いません。ヴァレンシュタイン委員長が君主独裁政を如何思っているのか、それを聞きたいのです」
委員長がじっとヤン提督を見た。そして“良いでしょう”と答えた。

「君主独裁政では一人の主権者に全ての権力を集中させる。強大な権力を持った主権者は常に正しい判断と公正さで臣下を繁栄に導くという責任を果たす、これが君主独裁政の理念です。しかしここでも理念と現実にはギャップが生じる。往々にして凡庸な主権者の失政を防ぐために臣下達は主権者をコントロールしなければならなくなる。そのコントロールには主権者を殺すという非常手段さえ含まれる……」
委員長が私達を見た。そして“分かりますか?”と言った。

「主権者が馬鹿であれば失政が起きるという事では民主共和政も君主独裁政も変わりは有りません。政治制度としてはどちらも同じ欠点を持っているのです。違いが有るとすれば主権者が多数か一人かの違いだけでしかない。ヤン提督、貴方が民主共和政を信奉するのはそれが正しいからではない、あくまで貴方の嗜好の問題だ、しかも人間の本質を無視してです。違いますか?」
「……」
ヤン提督が唇を噛んだ。ヴァレンシュタイン委員長は笑みを浮かべたまま提督を見ていた。





 

 

第百二十五話 酔う


宇宙歴 796年 5月 30日  第三艦隊旗艦ク・ホリン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ヤンが唇を噛んでいる。サアヤもフレデリカも無言だ。そんなにショックかねえ。俺はごく当たり前の事を言っただけなんだが……。
「人類は民主共和政、君主独裁政を理念通り運用できるほど成熟していなかった。そして自らの未熟さをカバー出来るだけの政治体制を生み出すだけの聡明さも持ち合わせていなかった。失政が起きる原因は政治体制に有るのではない、人類の未熟さに有るのです。紛れも無く人災ですよ、これは」
「……」

「まあ貴方は民主共和政国家で生まれた人間だ。民主共和政を好むのは当然と言える。おかしな話ではないしその事を責めるつもりもありません。ただ、民主共和政を絶対の存在だとは思って欲しくないですね。それは正しいとは言えないし危険でもある」
フレデリカが“危険ですか?”と問い掛けてきた。ちょっと腑に落ちない、そんな感じだな。

「帝国とは和平を結ぶのです。これからは同盟と帝国は協力して平和を維持しなければなりません。相手に対する無知や偏見は許される事ではない。帝国は劣悪遺伝子排除法を廃し国内を改革しようとしています。彼らを暴虐などとはもう言えません。君主独裁政が悪だというのも同様です」
「……」
何だかなあ、皆俺を見ている。そんなに不満か? ターフェルシュピッツを一切れ食べた。怒ると腹が減るな、今日は食が進む。

「帝国を好きになれとは言いません、敬意を払えと言っています。今回の捕虜交換、帝国は皇帝アマーリエ陛下が調印します。その意味が分かりますか?」
「……」
「皇帝は同盟を対等の相手として認めると言っているんです。神聖不可侵の銀河帝国皇帝がです。向こうはこちらに敬意を払っているんですよ。同盟はそれを理解し帝国に対し敬意を払うべきだと言っています、そうでは有りませんか?」
不承不承といった感じで皆が頷いた。

どいつもこいつも何も分かっていない! この件を俺とレムシャイド伯がどんな想いで実現したと思っている。あの爺さん、一つ間違えば反逆者として死ぬ可能性も有った。だから俺がブラウンシュバイク公に直接話すと言った、俺の方が適任だって何度も言ってな。

それなのにこれは帝国貴族である自分の仕事だと言ってブラウンシュバイク公達を説得してくれた。亡命者で平民のお前じゃ駄目だって言って。あのジジイ、これ以上若い者が先に死に年寄りが生き残る馬鹿げた世の中を続けてはいけない、同盟に来た時から死は覚悟していた、ここで死んでも無駄死にとは思わない、命の良い捨て時だろうって言いやがった。

偉いジジイだよ、腹を括った奴は強いと本当に思った。地位も名誉も捨てて命一つで勝負するんだからな。ブラウンシュバイク公達の説得に成功したと知った時、俺は爺さんの前で泣いたよ。笑われたけど涙が止まらなかった。爺さんも泣いてたな。

戦争の所為だな、同盟は帝国と戦争を百五十年してきた。簒奪者を斃せ、君主独裁政を斃せ、民主共和政国家である自由惑星同盟こそが銀河連邦の正統な後継者なのだと言い続けて戦ってきた。そう言い続ける事で自らの正当性を主張してきた。

殆どの同盟市民が政治家に不満は持っても自らの政治体制に不満を持つことは無い。民主共和政は絶対に正しいのだと政治家達は言い続けた。それが崩れれば帝国との戦争において何を大義として戦うのかという深刻な疑義が生じかねなかった。同盟市民は不満を持つ事は許されなかったのだ。まるで洗脳だ、これでも民主主義国家かね、馬鹿馬鹿しい。

ヤンだって最悪の民主政治でも最良の専制政治に優るなんて言い出すんだからな。俺なら最悪の民主政治は最悪の専制政治に劣ると言うところだ。専制政治なら馬鹿な支配者を殺せば済む。だが民主政治の場合は如何すれば良いんだ? 統治者を変える? 変えて悪政が止まらなかったら如何する、馬鹿な市民を皆殺しにでもするのか? 解決策を聞きたいよ、そんなものが有ればだが。

不思議なんだよな。ヤンは専制政治を毛嫌いしているがラインハルトの事は高く評価しているし敬意も払っている。でもこの世界ではブラウンシュバイク公の事など何とも思っていない様だ。良くやっていると思うんだがな、一つ間違えば帝国は崩壊する可能性も有った、宇宙はより混乱する可能性も有ったんだから。

結局のところヤンに有るのは反特権階級感情なのかな。同盟でも帝国でも特権階級を嫌った。ラインハルトは実力で成り上がった、だから嫌わなかった……、しっくりくるな。じゃあなんで俺を嫌うんだろう、俺は立派な平民で不当な扱いを受けた被害者なんだけど。ウマが合わないってやつかな、少しは同情してくれてもいいと思うんだけど……。

ヤンを見た。面白くなさそうにヴァルマー・クラウトサラートを食べている。冷めてしまったからな、美味くないのだろう、と思うのは無理があるな。どう見ても俺に言われた事が面白くないらしい。フレデリカも時折心配そうにヤンを見ている。そりゃそうだな、客をもてなす主人の態度じゃない。自棄だな、思っている事全部言ってやるか。

「ヤン提督、先程貴方は私の事をルドルフだと言った。でも私には貴方こそルドルフに似ていると思いますね」
「私がルドルフと似ている? どういう意味です、それは」
侮辱と取ったのだろう、声が尖っている。笑えるよ、俺にはあんたもルドルフも同類に見えるけどね。俺が笑い声を上げるとサアヤとフレデリカがアタフタした。

「委員長閣下、少し御言葉が過ぎます」
「このあたりでもう……」
「いやミハマ大佐、グリーンヒル少佐、止めないで欲しい。ヴァレンシュタイン委員長、続けて下さい。何処が似ているのです?」
女性二人が止めようとしたがヤンは受け入れなかった。意趣返しとでも思ったか……。

「意趣返しじゃありませんよ、嫌がらせでもない。……似ていると思うんです。二人とも現実を見る目を持っている。そして理想を持ちその理想に酔っている。私にはそう見えますね、本当に良く似ています」
「……理想に酔う」
ヤンが呟いた。眉を顰めながら考えている、多少は思い当たる節でも有るか。サアヤとフレデリカは諦めモードだ。

「ルドルフは銀河連邦が衆愚政治に陥った事で民主共和政に限界を見た。そして銀河帝国を創立した。当時の連邦市民の殆どが帝国の創立を望んだ事を考えると連邦市民は民主共和政に幻滅していたのでしょう。市民から見捨てられた連邦は国家としての寿命を使い果たしていたのだと思います。そういう意味ではルドルフが銀河帝国を創立した事は間違ってはいない」
サアヤが顔を強張らせて“閣下”と俺を窘めた。ウンザリだな、地位が上がると言いたい事も言えなくなる。

「しかし彼は劣悪遺伝子排除法を制定し暴政を布いた。それでも間違っていないと言えますか?」
おいおい、そんなムッとするなよ。
「間違ったのではない、酔ったのですよ。ルドルフは自分の理想に酔った。そして現実を見失い悲劇、いや惨劇が起きた」
「……」

「彼には理想が有った。一握りのエリートが国を統治しその他大勢はそれに従う社会。極めて効率的で管理された無駄のない社会、それこそが彼の理想だった。その理想の中では救済を望む弱者は無駄でしかなかった。淘汰されてしかるべきものだった」
「しかし、そんな事は……」
「ええ、本来許される事ではありません。現実を見据えていれば弱者の切り捨てなど出来ない。だからルドルフは理想に酔ったと言っています」
ようやくサアヤとフレデリカも話に関心を持ち始めた。

「統治者が理想を持つ事は悪い事では有りません。理想を持ち現実を憂いその落差を埋める、それが統治者の責務でありどのように実現するかが統治者の力量と言えるでしょう。そして力量を正しく発揮するには冷徹さが必要だ、しかし理想に酔ってしまえば冷徹さは失われる。冷徹さの無い力量は暴政を引き起こしかねない……。それがルドルフの場合は劣悪遺伝子排除法になった、ルドルフは理想に酔ったんです」

或いは酔ったのは自分に対してかもしれない。まあどっちでも同じだな。ラリパッパの頭で統治なんて危険以外の何物でも無い。
「ヤン提督、私には貴方も理想に酔っているように見えます。民主共和政の理念という理想にね。本来なら貴方が危惧するのは民主共和政の持つ脆弱さと同盟市民の成熟度でなければならない筈です。だが貴方はそれを無視し私を不安視し危惧している。民主共和政の理念に酔っている、否定できますか?」
「……」
あらあら顔面蒼白になっちゃった。サアヤもフレデリカも顔を強張らせている。そろそろ終わりにするか。

「私はかつて貴方は政治指導者になるべき人物だと思っていました。多少怠惰なところは有るが現実を見る目は持っている。野心も無い、良い指導者になるだろうと……。でも今は違う、貴方は政治指導者になるべきではない。もしなれば、それは貴方にとっても同盟市民にとっても不幸だ。貴方は理想のために何百万もの人間を死地に落しかねない。戦争が嫌いだと言いながら、民主共和政を守るために已むを得ないと言いながらね」
「……」

ヤンが視線を伏せた。サアヤとフレデリカは何度も俺とヤンを交互に見ている。原作を読んで思ったのはヤンに対する歯痒さとヤンの民主主義に対する想いへの讃嘆だ。そしてヤンの誠実さと不器用さに好感を持った。民主主義国家の軍人としては最高の存在だろうと思った。

だがこの世界に来てから、より正確に言えば亡命して和平を考えるようになってからだが疑問を持ち始めた。バーミリオン星域会戦以降に起きた数多の戦争、第二次ラグナロック作戦、回廊の戦い、第十一次イゼルローン攻防戦、シヴァ星域会戦は本当に必要だったのか、避ける事は出来なかったのかと……。

ヤンは何故ラインハルトに仕官しなかったのだろう。俺がヤンなら喜んで仕官する。仕官する前にレベロと話すだろう。同盟は滅んでも民主共和政国家を残すべきだと説得する。そして帝国の内部から民主共和政の理念を説き君主独裁政の暴政を防ぐための防壁としての必要性を説く。

上手くいけば交渉で民主共和政国家の成立が出来たかもしれない。ラインハルトはヤンに好意を持っていた。そして帝国では軍の力が強かった。その軍人達の殆どが平民なのだ。どういう結果になったかは分からないが帝国が善政を続けるために民主共和政国家が必要だと説く事は出来たはずだ。何故それをしなかったか……。戦争はその結果が出てからでも良かった筈だ。

目的は民主共和政国家の存続だった。手段として交渉による民主共和政国家の樹立と武力による民主共和政国家の樹立が有った筈だ。だがヤンは前者を全く検討していない。帝国の内部情報を知る、その一点だけでも仕官は有効だった筈だ。何故ヤンは仕官をしなかったのか……。単純に専制君主に仕える事を是としなかったというのは余りにも短絡過ぎるだろう。

同盟軍十三個艦隊を率いても帝国との和平は容易では無かった。相手がラインハルトでは無くても楽では無かった。何故ヤンはあの小勢で大軍を擁するラインハルトに立ち向かったのか……。やはり自分の理想に酔っていたのだとしか俺には思えないのだ。民主共和政国家は帝国から与えられるものではなく自らの力で、市民の力で勝ち取るものだと酔っていた……。

始末が悪いよな、戦争が嫌い、人が死ぬのが嫌い、人を殺すのが嫌い、政治には関わりたくない、そう言いながら民主共和政のために戦った。ラインハルトを高く評価しながらも彼と戦い続けた。そして何百万人も殺した。あの戦いは本当に避けられなかったのだろうか……。

「ミハマ大佐、そろそろ失礼しましょうか」
「は、はい」
「ヤン提督、グリーンヒル少佐、おもてなし有難うございました。ヤン提督、貴方と話が出来て良かったと思います。これは本心ですよ、皮肉ではありません。では失礼します」
俺とサアヤが席を立ってもヤンは俯いて座ったままだった。そんなに落ち込むなよ、落ち込みたいのは俺の方なんだから……。



宇宙歴 796年 5月 30日  第三艦隊旗艦ク・ホリン  フレデリカ・グリーンヒル



トントンとミハマ大佐がヴァレンシュタイン委員長の部屋をノックした。少ししてドアが開いた。現れた委員長は未だ平服のままだった。良かった、休んではいなかったようだ。
「如何したのです?」
「グリーンヒル少佐が閣下とお話をしたいと……」
委員長が私に視線を向けてきたので“お願いします”と軽く頭を下げた。

ヴァレンシュタイン委員長はちょっと困ったような表情を見せたが“サロンに行きましょう”と言って歩き始めた。私とミハマ大佐も後に続く。委員長も独身だが私達も独身だ。遅い時間だから部屋の中に私達を入れるは避けたのだろう。サロンに向かう途中私達三人は誰も口を開かなかった。

夕食は酷いものだった。親睦を深めるため、不仲説を払拭させるために行ったのに結果はその全てを裏切るものになった。ヤン提督とヴァレンシュタイン委員長の関係があそこまで冷え切っているとは全然気付かなかった。ミハマ大佐も驚いていた。何時の間にあそこまで冷え切ったのか……。今日の話から判断すれば最近、フェザーンでの戦い頃からだろうか。

サロンには殆ど人気が無かった。僅かに十五人程の人間が五つのグループに分かれて静かに談笑している。私達を見ると皆が驚いたような視線を向けてきた。その視線を無視し人気の無い一角に私達は歩いた。委員長が“ここにしましょう”と言って椅子に座る。私とミハマ大佐も椅子に座った。

「今日は大変申し訳ありませんでした。さぞ御不快な想いをされたと思います」
私が謝罪すると委員長は手を振って
「謝らなければならないのはこちらの方です。グリーンヒル少佐の配慮を無駄にしてしまった。ミハマ大佐にも嫌な想いをさせてしまいました。申し訳ありません」
と言った。困ったような顔をしている。

「もっと早い時点でヤン提督と話をしていれば良かったのですけどね、それが出来なかった。多分、ヤン提督と言い合うのが嫌だったのだと思います。あの人が好きだから喧嘩したくなかった。その所為で憤懣が溜まってしまい、結局は爆発した。ヤン提督も言いたい事が言えず溜まっていたのだと思います。そして貴方達に心配をかけている。まるで子供ですね、私達は。情けない話ですよ」
委員長は本心からそう思っている様だ。今の彼は政府の実力者というよりごく普通の若者にしか見えない。それにしてもヤン提督が好き? 本当だろうか。

「いつもそのくらい素直ならいいんです。少佐は心配していますよ。閣下がヤン提督を排除するんじゃないかって」
「私が、ですか?」
大佐の言葉に委員長が意外そうな声を出した。
「ええ、今の閣下はそれを容易く出来るだけの実力を持っています。そして帝国との間に和平を結ぼうとしている。少佐が心配するのは当然だと思います」
委員長が困惑気味に私を見た。そして溜息を一つ吐く。

「そういう事はしません」
「……」
「同盟と帝国は和平を結びますが同盟関係を結ぶわけではない。私は同盟と帝国が協力し合って宇宙の安定と人類の繁栄をもたらす事を望んでいますしそのために努力しますが、それが絶対に可能だとは盲信していない。自分の理想に酔ってはいません」
酔ってはいません、と言った時の委員長の表情は厳しかった。ヤン提督の事を思い出したのかもしれない。

「たとえ和平を結んでも帝国は戦争勃発の可能性がある仮想敵国として存在します。当然ですが同盟はそれに対して備えなくてはならない。抑止力が必要なのです。フェザーン方面に要塞を置こうというのもその一つです」
それは分かる。だが要塞を置けばかなり戦争の危険は減るだろう。つまりヤン提督の必要性はかなり減るのではないだろうか。

「ヤン提督も抑止力の一つです。アルテミスの首飾りを攻略した彼は帝国でも最も注目され危険視される指揮官でしょう。そういう指揮官を排除するなど有り得ません。彼にはこれからも働いて貰わなければならない、同盟を守る抑止力としてね。私はそう考えています」

きっぱりとした迷いの無い口調だった。ミハマ大佐が私を見た。目が大丈夫でしょう? と言っている。有難うございます、大佐。これまで何度もヤン提督が排除されるのではないかと危惧してきた。相談する度に大佐に否定されてきた。今日、ようやくそれを信じる事が出来た。

目の前の委員長は冷徹ではあっても冷酷ではなかった。そして理想にも酔ってはいない。極めつけのリアリストだった。ヤン提督を排除するよりも利用する事を考えるだろう、たとえそれがどれほど不愉快であろうとも……。



 

 

第百二十六話 調印式



宇宙歴 796年 6月 15日  巡航艦オーロラ  ミハマ・サアヤ



宇宙歴七百九十六年六月十五日十四時三十分、自由惑星同盟捕虜交換使節団はイゼルローン要塞至近に到着しました。三隻に分かれて乗っていた使節団は巡航艦オーロラに集結、帝国の巡航艦エルベの先導に従い要塞内に向かっています。同盟の艦艇でイゼルローン要塞内に最初に入る栄誉は巡航艦オーロラのものです。

「イゼルローン要塞か、こうして間近に見るとやはり大きいな」
「難攻不落と言われるのも無理は無いね、攻めなかったのは正解だよ」
「私もそう思うよ、ホアン」
トリューニヒト議長とホアン・ルイ人的資源委員長がスクリーンに映る要塞を見ながら話しています。ヴァレンシュタイン委員長もレムシャイド伯と要塞を見ていました。

「ヴァレンシュタイン、卿はイゼルローン要塞に入るのは何度目かな」
「三度目ですね、最初は五年前、二度目は第六次イゼルローン要塞攻略戦の時ですから一年半程前の事でした。レムシャイド伯は如何なのです?」
「私は初めてだ、確かにトリューニヒト議長の言う通り、予想以上に大きい」
同感です、私も見る度に大きいと思います。

イゼルローン要塞の周囲には同盟、帝国の艦艇が集結しています。その数は大凡十万隻に近いでしょう。イゼルローン要塞を中心に睨み合うような形で向き合っています。巡航艦オーロラとエルベはその中をイゼルローン要塞に向かって行く。ちょっと壮観です。

イゼルローン要塞のメインポートが口を開きました。エルベが先に入りオーロラが続きました。要塞内に入った時には艦橋では歓声が上がりました。要塞からの指示に従ってオーロラは中をゆっくりと進みます。桟橋に接舷すると艦橋では大きな拍手が湧き上がりました。これって多分歴史に残るんだろうな。母さんとシェインにも教えなくっちゃ。

桟橋ではブラウンシュバイク公が私達を待っていました。吃驚です。
「ようこそ、トリューニヒト議長」
「ブラウンシュバイク公、お出迎え、痛み入ります」
「こうして卿と直接会う日が来ようとは思わなかった」
「私も思いませんでした」
「確かに」
二人とも感慨深げです。いいなあ、同盟、帝国の二大実力者が感慨深げにしている。渋いです、絵になります。

トリューニヒト議長がホアン・ルイ人的資源委員長とヴァレンシュタイン最高評議会諮問委員長を紹介しました。ブラウンシュバイク公は頷いていましたけどヴァレンシュタイン委員長を見る目は鋭かったと思います。その後、ブラウンシュバイク公がレムシャイド伯を労い挨拶は一通り終わりました。

「さて、では参ろうか。女帝陛下をお待たせする事は出来ん」
「そうですな、いかなる場合でも女性を待たせる事は得策ではありません。ましてそれがやんごとなき御方であれば」
ブラウンシュバイク公とトリューニヒト議長の遣り取りに笑い声が上がりました。良い雰囲気です。ちなみに議長と二人の委員長はモーニングコートを着た正装です。他の随行員も文官はスーツ、武官は礼装を纏っています。私も白の礼装を着ていますがこれを着るのは特設第一艦隊の結成式以来です。

ブラウンシュバイク公が先導しトリューニヒト議長、ホアン委員長、レムシャイド伯、ヴァレンシュタイン委員長が続きます。私達随行員はその後を歩きました。そして私達の周囲を帝国軍人が包囲するような形で警護しています。彼方此方から私達を見ている人間もいます、ヒソヒソ話している人間もいる。ちょっと怖いです、落ち着きません。

ヴァレンシュタイン委員長の傍に両側から挟むように二人の軍人が近付きました。危ない! そう思って割り込もうとすると“エーリッヒ”と話しかけるのが聞こえました。
「アントン、ギュンター、久しぶりだ」
アントン? ギュンター? 嬉しそうな声です、知り合い?

「本当に久しぶりだ。それにしても良く来たな、無謀だぞ」
「仕方ないさ、来る必要が有ったんだ」
「安心しろ、卿の安全は俺が命に代えても守る」
そう言うと左側の男性が委員長の肩を叩きました。

「ギュンター・キスリングにそう言って貰えるとは……、心強い限りだ」
「俺が今生きているのは卿の御蔭だ」
「イゼルローンで助けた卿に今度はそのイゼルローンで助けられるか、人生は面白いね」
「馬鹿、笑っている場合か」
そう言いながら笑っています。ようやく分かりました。ギュンター・キスリング、イゼルローンで負傷していた捕虜です。もう一人のアントンはアントン・フェルナーでしょう。二人とも委員長の親友です、ホッとしました。

「しかし、こうしてまた会えるとは思えなかった」
「そうだね、私も難しいと思っていた」
「ナイトハルトも会いたがっていた。残念だが奴は艦隊を率いる立場だからな」
「晩餐会には奴も参加する。そこで会えるさ」
「そうか、楽しみだね」
ナイトハルト・ミュラー准将、門閥貴族の残党を制圧した功績で少将に昇進したと聞いています。帝国軍の若手指揮官では結構有名なようです。ダンスをした事を思い出しました。なかなかの好男子だったと思います。

桟橋から通路に出て本当の意味で要塞内部に入りました。エスカレーターを使って階を移動します。厳戒態勢です、大勢の帝国軍人が警戒し指揮官らしい人物が厳しい目で周囲を睨んでいました。時折“ヴァレンシュタイン”、“ニーズホッグ”等という声が聞こえます。さらに通路を歩くと調印式が行われる大広間に到着しました。大勢の帝国人が私達を待っています。

私達が大広間に到着すると激しいフラッシュが焚かれました。要塞には同盟、帝国からマスコミが要塞に来ています。大広間の一角、調印式の場からは少し離れた所に彼らの居場所が有りました。但し要塞内の取材、撮影は大広間と臨時にあつらえたプレスルームを除けば厳禁です。

これを犯した場合はスパイ容疑で逮捕される事になります。この事は事前にマスコミには通知されていて同盟政府はこの件に関して一切マスコミに便宜を図らない、帝国政府に抗議するような事はしないと警告しています。つまり余計な事はするな、揉め事を起こすな、そういう事です。

ブラウンシュバイク公が“トリューニヒト議長、こちらへ”と言って議長を大広間の中央へ誘いました。中央には調印式で使用するテーブルと椅子が用意されています。その近くに正装した女性が居ました。銀河帝国皇帝アマーリエ陛下です。ブラウンシュバイク公と議長はそちらに歩いていきます。残りは私も含めて大広間の端の方に移動しました。

妙な配置です、女帝陛下を中心に正三角形を作るような形で同盟の随行員、帝国の随行員、マスコミが居ました。それぞれ一緒になると揉め事が起きかねないという事で分けたようです。もっともマスコミは同盟、帝国、フェザーン、皆一緒です。

ブラウンシュバイク公とトリューニヒト議長がアマーリエ陛下に近付きました。ブラウンシュバイク公が横にズレ道を譲るとトリューニヒト議長が前に進み女帝陛下の前で跪きました。“おお”という声とフラッシュが凄いです。跪くのは帝国風の最敬礼です。帝国では誰もが女帝陛下の前で跪きますが同盟ではそのような礼は有りません。トリューニヒト議長が帝国風の礼を取った事で同盟が帝国の権威を認めた、女帝陛下の権威を認めたという事になります。

女帝陛下がトリューニヒト議長に近付き議長の身体に手をかけ立たせました。またフラッシュが焚かれました。女帝陛下がトリューニヒト議長を自ら立たせたという事は議長は臣下ではない、そのような礼をする必要は無いという事の表明です。つまり今度は帝国が同盟の権威を認めた、最高評議会議長の権威を認めた事になるのです。

多寡が儀礼上の挨拶ですが一つ一つの行為に重い意味が有ります。そして今回の事例が前例となってこれ以降の帝国と同盟の儀礼になるのです、このあたりの手順はヴァレンシュタイン委員長とレムシャイド伯が事前に調整し両国の了解を取ったそうです。それを聞いた時にはあまりの面倒臭さに溜息が出ました。ヴァレンシュタイン委員長は苦笑していましたけど。

アマーリエ女帝陛下がトリューニヒト議長を調印式のテーブルに笑顔で誘います。議長も笑顔でそれに応えました。二人が並んで椅子に座ります。またフラッシュが焚かれました。銀河帝国皇帝と最高評議会議長が並んで座る、ここでも両者が対等の存在である事を表明しています。

テーブルの上には捕虜交換の帝国用、同盟用協定文書が置かれていました。それぞれ文書に署名すると二人が握手をします。またフラッシュが焚かれます、女帝陛下と議長はそれを気にする事無く使用したペンを交換するとにこやかに話し合っています。

この話し合いの内容も事前に決められています。
“こうして皇帝陛下に御会い出来た事を大変嬉しく思っております”
“私も同じ想いです。議長、良く来て下さいました”
“我々は捕虜交換において協力し合う事が出来ました。それ以外でも協力し合う事が出来るのではないかと考えています”
“その通りです。私達は人類の未来と繁栄について責任ある行動を執らなければなりません。もっと協力し合うべきだと思います”

調印式が終わるとトリューニヒト議長は記者会見ですが、そこではアマーリエ陛下との会話の内容が発表されます。分かると思いますが両国トップが同盟、帝国は人類の未来と繁栄について協力する事で合意したことになります。調印式は形式的なものですが明日以降行われる首脳会談はこの形式を踏まえた上で行われるのです。つまり首脳会談の内容は両国がどういう協力が出来るかを話し合うという事になります。和平という言葉は何処にも出ていません。そうです、和平は協力の中の一部でしかないのです。

二人が立ち上がりました。トリューニヒト議長が深々と頭を下げます、今度は跪きません。女帝陛下も軽く頷いて礼を受けました。そして別々にそれぞれの随行員の所に戻りました。次からは最高評議会議長は跪きません、頭を深く下げるだけです。但し他の人間は何者であろうと女帝陛下の前では跪く事が要求されます。つまりこの銀河で皇帝に跪かない唯一の存在が最高評議会議長なのです。

「御苦労様、疲れたかね?」
「ああ、予想以上に疲れたよ」
戻ってきたトリューニヒト議長をホアン委員長が労っています。
「これから記者会見だ。もうひと頑張りしてくれ」
「分かっている、記者会見が終われば晩餐会だ。それを楽しみに頑張るさ、さあ行こうか」
議長を先頭に大広間を出ると帝国の護衛兵が周囲を固めました。議長が“プレスルームへ”と言って場所を指定します。護衛兵達が歩き始めました。




帝国暦 487年 6月 16日  イゼルローン要塞    オットー・フォン・ブラウンシュバイク



イゼルローン要塞の一室に帝国、同盟の人間が集まっていた。中央のテーブルに六人、帝国からは統帥本部総長シュタインホフ元帥、財務尚書ゲルラッハ子爵、そして女帝夫君であるオットー・フォン・ブラウンシュバイク、つまりわしだ。同盟からはトリューニヒト議長、ホアン・ルイ人的資源委員長、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン最高評議会諮問委員長が座った。

それぞれの後方には随行員が控えている。レムシャイド伯も後ろに居る。会議の雰囲気は悪くない。捕虜交換が無事終了したこと、そして昨夜の晩餐会が和やかな雰囲気の中で終わった事が影響している。だが何より大きいのは調印式が同盟側で好意的に受け取られている事だ。

トリューニヒト議長の記者会見が上手くいったらしい。議長はアマーリエに対する印象を好意的に語った。その事で同盟市民からのアマーリエに対する好感度は非常に高い。悪くないな、帝国内部でも好意的に見られている。アマーリエが自らイゼルローンに足を運んだ事は捕虜を戻すために皇帝が尽力していると平民達、軍人達から受け取られたようだ。アマーリエに調印を頼んだのは賭けだったが成功したと言って良いだろう。調印式は帝国、同盟両国で好意的に受け取られている。

調印式は上々の首尾だったが帝国と同盟の間にはまだまだ解決しなければならない問題が有る。フェザーンの独立問題、帝国の企業の株、帝国が発行した国債、和平条約の概要の確認と共同宣言の文言……、問題は山積みだ。今はフェザーンの独立問題を討議している。これには貴族連合が起こした暴行に対する損害賠償請求も絡んでいる。細心の注意が必要だ。

「フェザーンは独立させる、そういう事で宜しいのですな?」
「うむ、構わない。自治領と言っても形だけのものだ。独立させた方が紛れが無い、後々扱い易いだろうというそちらの意見に同意する」
わしがトリューニヒト議長に答えると席の後ろから息を吐く音が幾つか聞こえた。不満が有るらしい、だがわしが後ろを振り返ると顔を強張らせて姿勢を正した。

貴族連合軍が馬鹿をやってくれた。フェザーン人に対して乱暴狼藉だけに留まらずボルテックまで殺した。フェザーン人達は帝国に対して損害賠償をと騒いでいる。ペイワードが焚き付けているという可能性も有る。帝国に対して少しでも優位に立とうというのだろう。そんな油断のならない反帝国感情に溢れた二十億の住人など誰が欲しいか! 少し考えろ!

「それで、例の件は間違いないのかな?」
わしが問い掛けるとトリューニヒト議長が大きく頷いた。
「大丈夫です、我々がフェザーンに対してフェザーン企業の株を返却する。そしてフェザーンは帝国に対して貴族連合軍が行った蛮行に対する賠償の請求を放棄する。既にペイワード氏は同意しております」

「独立後、フェザーンが約束を破るという事は? ペイワードはともかく他のフェザーン人が納得しないという事も有ると思うが……」
ゲルラッハ財務尚書が質問するとトリューニヒト議長がヴァレンシュタインに視線を向けた。皆の視線がヴァレンシュタインに向かった。

「フェザーンの独立は同盟と帝国がそれを認めるという形を取ります。つまり条約を結ぶ事でフェザーンの独立を認める。条約には同盟がフェザーンに対して企業の株を返却する事、それに対してフェザーンが帝国への賠償請求を放棄する事が、帝国がフェザーンの独立を認める前提である事を明記する。フェザーンが帝国への賠償請求をすれば独立そのものが否定されます」
ゲルラッハがわしの顔を見た。

「なるほど、では具体的にはどういう事になるのかな」
わしが問い掛けるとヴァレンシュタインがにこやかな笑みを浮かべた。
「同盟はフェザーンの独立のために努力してきました。フェザーンがその努力を踏み躙る様な行為をするのであれば当然ですが同盟はフェザーンに対して報復する事になります」
「……」

「同盟は帝国に対してフェザーンへの共同出兵を提案します」
ヴァレンシュタインの答えにゲルラッハ、シュタインホフと顔を見合わせた。ここまでは想定内だ。
「出兵の後は如何する、占領するのか? 何かと面倒だと思うが……」
軍からは共同占領は新たな紛争の種になりかねないと警告が出ている。帝国対フェザーン、帝国対同盟、火種は有るのだ。

「占領はしません。フェザーン本土を直接叩くだけです。フェザーンが自らの口で賠償請求を放棄すると宣言しない限り何度でも攻撃を続けます」
「一般人にも被害が及ぶぞ、卿は分かっているのか?」
シュタインホフが顔を顰めながら問う、いや誹謗するとヴァレンシュタインは“已むを得ません”と言った。

「フェザーンは民主共和政を選ぶようです。つまり賠償請求はフェザーン市民の意思という事でしょう。ならばフェザーン市民に条約を破るという事がどういう事態を引き起こすか、理解させるべきだと思います」
「……」
トリューニヒト議長もホアン委員長も表情に変化は無い、同意見という事か。

「フェザーンの独立は帝国と同盟の支持が有って成り立つもの、それを失えば独立も失う、そういう事だな」
わしが問い掛けるとヴァレンシュタインが頷いた。なるほど、帝国と同盟が手を結んでいる限りフェザーンは何も出来ぬか。これまでのように両国の中間で漁夫の利を得るような事は許さぬという事だな。フェザーンも勝手が違うだろう。

ゲルラッハ、シュタインホフに視線を向けると二人とも軽く頷いた。悪い話ではない、帝国にとっては十分に利の有る話だ。
「良く分かった。疑念は晴れた。後はフェザーン回廊の出口にそれぞれ要塞を建設する事でフェザーン回廊の中立化を図る、そういう事だな」
「そうです、両国ともほぼ同じサイズの要塞を設置する。直径四十キロ、帝国に有るガイエスブルク要塞を参考にしたいと思います」

ヴァレンシュタインが答えると皆が頷いた。先ず一つ解決か。
「では次に同盟が所持している帝国企業の株について話し合いたい」
ゲルラッハが次の議題を提示した。溜息が出そうになったが慌てて堪えた。




 

 

第百二十七話 国際協力都市




宇宙歴 796年 6月 16日  イゼルローン要塞  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「自由惑星同盟が帝国の経済を支える優良企業の株をフェザーンより入手した事は分かっている。帝国はこの事に付いて深い懸念を抱いている」
ゲルラッハが俺を睨んでいる。感じ悪いな、そうか、こいつリヒテンラーデ侯と親しかったな。俺があのジジイを殺したとでも思ってるのかもしれん。

その通りだ、俺があのジジイを殺したよ。直接じゃないけど死地に追い込んだ。そしてエルウィン・ヨーゼフと一緒に捻り潰した。文句有るのか? 俺だって両親を殺された、俺自身も殺されかけた。お互い様だろう、嫌味の一つも言ってやるか。
「妙ですね、フェザーンが所持している時は帝国政府は懸念など持っていなかったようですが」

ゲルラッハが言葉に詰まった。そして俺の後ろからは失笑する音が聞こえた。ゲルラッハがジロリと音がした方を睨んだ。視線を俺に戻す。
「皮肉は止めて貰いたい。我々は帝国の安全保障に関わる重大な問題だと危惧しているのだ。ヴォンドラチェク重工業、キスク化学、コーネン、インゴルシュタットの金属ラジウム工場、第七辺境星域の農業開発計画……、まだ不足かね?」

凄いな、全部覚えているのか? 不足だと言って全部言わせてみるか? トリューニヒトとホアンに視線を向けた。どうする? トリューニヒトとホアンが顔を見合わせた。トリューニヒトが口を開いた。
「その件については同盟政府から提案が有ります。ヴァレンシュタイン諮問委員長」

また俺? たまにはそっちで説明してくれよ。ゲルラッハが俺を睨んでいるだろう。顔を顰めるとホアンが“ゲルラッハ子爵”と声をかけた。アレ? 説明してくれるのかな?
「ゲルラッハ子爵、ヴァレンシュタイン委員長を睨むのは止めて頂けませんかな」
あらら、説明じゃないの。

「私は睨んでなど……」
「子爵閣下のためになりません。ヴァレンシュタイン委員長は自身に向けられる敵意には極めて敏感なのですよ。おまけに一発殴られれば十発以上殴り返さないと納得しないという厄介な性格なのです。お分かりいただけますかな」
ゲルラッハがきまり悪そうな顔をしている。不本意だな、俺ってそんな風に思われてるの? いやホアンはゲルラッハをちょっとからかっただけさ、そうに違いない。ホアンが俺に話しをするようにと声をかけた。

「帝国側の懸念については同盟政府でも理解しています。幾つかの条件を帝国が飲んでくれるのなら株はそちらに返しても良い、同盟政府はそう考えています」
俺の言葉に“条件とは”とブラウンシュバイク公が喰い付いた。
「いささか心情的に受け入れ辛い事かもしれません。しかし実害は無いですし長期的な視野に立てば帝国にとっても利の有る事です」

まずイゼルローン回廊を全面開放する。そして回廊の両端にガイエスブルク要塞と同形の要塞を置く。これによってイゼルローン回廊を使用しての侵攻作戦がし辛い状況を作る。つまりイゼルローン回廊の中立化だ。ここまではフェザーンと変わる事は無い。

問題はイゼルローン要塞だ。このイゼルローン要塞を軍事要塞から国際協力都市へと変身させる。
「国際協力都市?」
ブラウンシュバイク公が訝しげに問い掛けてきた。その隣に居るシュタインホフは顔を顰めている。イゼルローン要塞を弄られるのが気に入らないのだろう。

「そうです。同盟と帝国は和平を結びますがその和平を持続させるためには両国の交流が必要です。物、金、人、その交流を図るためにイゼルローン要塞を軍事要塞から国際協力都市へ変えようと言っています」
「馬鹿な、イゼルローン要塞を何だと思っているのだ!」
シュタインホフが吐き捨てた。

「イゼルローン回廊の出入り口に要塞を置けば、帝国の安全保障においてそれほど問題は生じません。違いますか、シュタインホフ元帥」
「……」
「こちらは帝国に対してイゼルローン要塞を譲れと言っているわけではありません。要塞を帝国と同盟の交流のために役立てようと言っています。交流を密なるものに出来ればそれ自体が両国の安全保障に繋がるでしょう。国境を閉じるだけが国を守るという事では有りますまい」

帝国側の人間は皆、考え込んでいる。ブラウンシュバイク公が俺を見た。
「物、金、人か、それは分かるが」
「両国の中間にあるイゼルローン要塞を交流の基点とするのです。先ず両国の公的協力機関を設置します。警察、軍、経済、通商における各機関は絶対に必要です」
公が“ウーン”と唸った。シュタインホフとゲルラッハは今一つ不満そうな表情だ。いかんな、端折り過ぎたか。

「例えばですが両国の間で人的交流が進めば当然ですが両国間に跨った犯罪も起きるでしょう。良い例が地球教やサイオキシン麻薬です。そのような犯罪や薬物に対処するために合同の警察組織が必要ではありませんか? そういう協力機関をイゼルローン要塞、いや国際協力都市イゼルローンに作るべきだと思うのです」
「……なるほど」
ブラウンシュバイク公が頷いた。今度はシュタインホフ、ゲルラッハも頷いている。地球教が効いたかな。

「軍なら兵器管理、軍縮を話し合いましょう。戦争が無くなれば兵器が余る。特に大量破壊兵器は管理が必要です。それらが流出しテロにでも使用されればとんでもない事になる。さらにこれまでの戦争を互いに検証する事で戦史研究も進みます。そして捕虜の取り扱い、大量破壊兵器の取り扱いなど条約で定めなければならない事も有ります。そうではありませんか?」
シュタインホフがバツの悪そうな顔をしている。捕虜の待遇は帝国の泣き所だよな。

「他にも医療、科学、芸術、学問などの分野における研究機関、教育機関などを作り人的交流を図るのです。協力出来る分野は沢山有る筈です」
「……」
「それにイゼルローン回廊を全面開放すればこの回廊を使って貿易が行われます。当然ですがイゼルローン要塞は中継基地となる。このイゼルローン要塞を利用しての交易、商業活動も盛んになるでしょう。人が集まり物が動けば金も動きます。このイゼルローンを同盟と帝国の物流の中心、金融の中心にするのです」

ブラウンシュバイク公が“ウーム”と唸った。
「卿はこのイゼルローン要塞をもう一つのフェザーンにしようと考えているのか」
「そう言えるかもしれません。しかし公的協力機関はフェザーンには有りません。いずれフェザーンもイゼルローンにある公的協力機関に参加するでしょう。そうなれば本当の意味でイゼルローンは国際協力都市になります」

ブラウンシュバイク公がまた“ウーム”と唸った。いや公だけじゃない、シュタインホフ、ゲルラッハ、随行員の中からも唸り声が聞こえる。
「イゼルローン要塞を国際協力都市にか……」
「しかしイゼルローン要塞は……」
「うーむ」

ブラウンシュバイク公は天井を見、シュタインホフは首を振っている。ゲルラッハは唸るばかりだ。
「イゼルローン要塞を軍事要塞から人工都市にする事に抵抗が有るかもしれません。しかし国際協力都市にした方が帝国にとってもメリットが有ります。帝国は物流、交易、金融の中心都市を所持するのです。言ってみればフェザーンを所持するに等しい」

イゼルローン要塞は人口五百万が収容可能な人工都市だ。このうち百五十万程は駐留艦隊の乗組員だろう。そして要塞守備兵がほぼ同数ぐらいは居るに違いない。残り二百万が軍属、民間人だろう。人工都市へ変わるとなれば駐留艦隊は必要ない、周囲へ派遣する哨戒部隊だけで十分だ、五千隻も有れば足りるだろう。そして要塞守備兵も大幅に削減出来るはずだ。軍属も必要無くなる。国際協力都市として十分に使える。

いずれはイゼルローン要塞だけでは狭くなるだろう、その時は新たに要塞を造って増設すればいい。徐々に徐々にだがイゼルローン回廊は帝国と同盟を繋ぐ交易、物流の大動脈になる筈だ。そして国際協力都市イゼルローンは平和の象徴になる。イゼルローン回廊を使用しての戦争はし辛くなるのだ。同盟市民もイゼルローンが無力化されたとなれば大いに喜ぶだろう。



帝国暦 487年 6月 16日  イゼルローン要塞  アマーリエ・フォン・ゴールデンバウム



「陛下、ブラウンシュバイク公が御戻りです。ゲルラッハ財務尚書、シュタインホフ統帥本部総長、レムシャイド伯を伴っておいでです」
「分かりました。飲み物の用意を」
「はい」
侍女が私の前を下がった。エリザベートが嬉しそうな顔をしている。父親が戻ってきて嬉しいのだろう。財務尚書と統帥本部総長を伴ったという事は首脳会談は決して楽観出来る状況ではないという事なのに……。

夫達が現れた。表情は硬い、予想以上に状況は良くないのだろうか? 身体が強張るような感じがした。
「御苦労です、遠慮は要りません、こちらへ」
私がソファーを指し示すと夫達が“恐れ入りまする”と身を屈めた。全く、夫婦なのになんと馬鹿げた事をしているのか……。夫達がソファーに座り侍女達がコーヒーを出した。部屋にコーヒーの香りが漂う。夫達の顔に僅かにホッとしたような表情が見えた。

「大事な話が有ります。皆、下がりなさい」
私の言葉に十人連れてきた侍女達が頭を下げて下がった。エリザベートが不安そうな顔をしている。
「エリザベートはここに居なさい。但し、口を挟む事は許しません」
「はい」
ちょっと怯えたような顔をしたが娘は素直に頷いた。

「楽に行きましょう。どうなのです、貴方。思わしくないのですか?」
夫が“うむ”と頷いてコーヒーを一口飲んだ。後の三人もコーヒーを口に運ぶ。
「まあ簡単ではないな。なかなか手強い」
「……」
「思いがけない事を提案されたのだがどうすれば良いのか分からぬ。いや、利が有るのは理解出来る、踏ん切りが付かぬという事かな」
夫が嘆息すると他の三人がそれぞれの表情で同意した。

「フェザーンの独立の件はまあ問題は無いだろう。向こうもフェザーンには気を許していない。こちらと手を取り合ってやっていこうと考えているからな」
「では問題とは? 株ですか、それとも国債?」
私が問い掛けると夫が渋い表情で“両方だ”と言った。

「株はちと厄介だ、国債から話そう。返還を求めたのだがな、断られた。無理な償還は求めない、毎年一千億帝国マルク、百二十年かけて償還してもらえば良いと言いおった」
「一千億帝国マルク? 百二十年?」
私が訊き直すと夫が頷いた。ゲルラッハ、シュタインホフ、レムシャイドの顔を見たが皆渋い表情をしている。エリザベートは目が点だ。

十二兆帝国マルクの国債、使い様によっては帝国を崩壊させかねない危険極まりない爆弾だ。償還そのものを拒否するという案も検討されたが財務省は反対した。国債を持っているのは同盟だけではない、フェザーンにも帝国の中にもいる。償還を拒否すればそれらの人間は帝国に騙されたと恨むだろう。そして今後、帝国が発行する国債を購入する人間は居なくなる。長期的に見れば百害あって一利もない、というものだった。皆が納得せざるを得なかった。

同盟からの償還のみ拒否してはどうかという意見も出た。しかし同盟が国債を第三者に売った場合には意味が無くなるという点が指摘された。ただ徒に同盟の敵意を買うだけだろうと。結局のところ同盟から返還してもらうしかないのだが取引の材料が無い。八方塞に近かった。

「財務尚書は如何思うのです?」
私が問い掛けるとゲルラッハ子爵は“はっ”と畏まった。もっとも表情は苦しげだ。言葉を選ぶような口調で話し始めた。
「同盟からの申し出は償還の条件としては極めて帝国に有利としか言いようが有りません。今の一千億帝国マルクと百二十年後の一千億帝国マルクはまるで価値が違うはずです、目減りしているでしょう。もし、臣が国債の保有者ならそのような条件は到底認めません」

「償還を断ればどうなります。元々同盟の物ではない、強奪に近い形で奪った物、不当に取得した以上償還の義務は無いと言っては」
結局のところ帝国が償還を渋るのは同盟に対する反発と国債を得た手段が強奪と言って良い程に不当だった所為だ。何故償還しなければならないのか、帝国に返還するべきではないか、そういう感情が皆に有る。帝国人二百四十億の殆どが濃淡は有れ同じ思いを持っている筈だ。ゲルラッハが有利と言いながらも同盟からの提案を受け入れるべきだと言わないのもそこに理由が有る。

「その場合は元の持ち主に返却するとのことです」
「元の持ち主? フェザーンですか?」
私が問い掛けるとゲルラッハが頷いた。
「はい、そうなると償還条件はかなり厳しくなるでしょう。現状でも償還期限を過ぎている国債が三千億帝国マルク程有ります。フェザーンは直ぐに償還を求める筈です。帝国は十二兆帝国マルクをきっちりとフェザーンに償還する事になります。あまり喜ばしい状況では有りません」
夫が顔を顰めた。フェザーンは例の貴族連合軍の一件で帝国を酷く恨んでいる。十分に有り得る。

「借りた以上返すのは当たり前、であれば有利な条件で返すのが賢明だと言われました」
ゲルラッハが太い息を吐いた。面白くなさそうな顔をしている。シュタインホフが“他にもございます”と後を続けた。
「門閥貴族が没落した事によって帝国の財政は一気に改善した。政府の力も強まり改革も支障なく進む筈。自らの手を汚す事無く代償も支払わぬのはいささか虫が良過ぎはせぬかと……」

皆が渋い表情をしている。私も顔を顰めてしまった。相手の言う事は事実だ。こちらの状況を見透かされている。何ともやり辛い。聞いていてもやり辛いと思うのだ、実際に交渉をした夫達の苦労はどれほどだったか……。溜息が出そうになった。

「同盟はこの件では譲りますまい。現状では同盟が有利に戦争を進めています。何らかの形で戦争に勝ったという事を市民に証明しなければ暴動が起きるでしょう。とてもではありませんが和平など結べません」
「それで国債の償還が必要だというのですか? レムシャイド伯」
レムシャイド伯が頷いた。

「帝国には借りたものを返すだけと要求し、同盟市民には賠償金のようなものと説明出来ます。極めて都合が良い。こちらとしても国債を発行したのは事実である以上償還しないとは言えません。となればヴァレンシュタインの言うようにどれだけ有利な条件で償還するか、という事になります。そして同盟からの条件は財務尚書が申し上げましたが帝国にとって非常に有利です。彼らにとっては帝国が金を払ったという事実が大事なのだと思います。目減りなどどうでも良い事でしょうな」
溜息が出た。“強かですね”と言うと皆が頷く。

同盟からの提案を受け入れるべきだろう。だが誰も口に出せずにいる。十二兆帝国マルク、大き過ぎる金額だ。そして他でもない同盟に払うという事、帝国臣民の感情、それらが皆の口を重くしている。
「……已むを得ませんね。同盟からの提案を受け入れましょう」
「しかし……」
「これは皇帝としての決断です」
皆が私を見た。非難する視線ではない。謝罪が半分、安堵が半分だろうか。

「……すまぬな、お前に辛い決断をさせてしまった」
夫が頭を下げた、他の三人もそれに倣う。
「そんな事は有りません。皆が苦労しているのです。私もそれを分かち合おうと思っただけです。頭を上げてください」
決断して良かったと思った。皇帝になった以上、飾りであってはならない。エリザベートを見た、目を丸くしている。いずれはこの娘も皇帝になるだろう、飾りにしてはならない……。

夫が大きく息を吐いた。
「ならばもう少し粘ってみるか。十二兆はいささかきつい、なんとか一桁、九兆か八兆に出来ぬかとな。周囲に与える印象は随分と違うはずだ」
「なるほど、同盟が金額ではなく帝国が国債を償還したという事実に重きを置くのであれば可能かもしれませんな」
「八兆まで減額出来れば、目減り分を入れれば実質償還するのは約半分と皆に言えましょう。交渉に勝ったとは言えなくても負けてはいないと言えます」

夫の言葉にレムシャイド、ゲルラッハが続いた。シュタインホフが“戦争と同じですな、勝ってなくても負けていないと抗弁する。良くやったものです”と言って嘆息した。皆が笑い出した、シュタインホフも笑った。大丈夫だ、私達は未だ笑う事が出来るのだから。


 

 

第百二十八話 新秩序



宇宙歴 796年 6月 20日  ハイネセン  最高評議会ビル ジョアン・レベロ



「首脳会談だが同盟市民からの反応も良いようだ。一安心だな」
ターレル副議長の発言に皆が頷いた。
「国債もそうだがイゼルローン要塞が軍事要塞ではなくなる、帝国の防衛線がイゼルローン回廊の帝国側まで下がるというのが市民にとっては嬉しいらしい」
「フェザーンが帝国から独立したという事もね」
トレルとマクワイヤーが後に続いた。皆も満足そうだ。最高評議会の空気は極めて明るい。

捕虜交換、首脳会談が終了した。捕虜交換と晩餐会で一日、首脳会談で三日、三日のうち討議は二日間、残り一日は共同声明の作成と発表に費やされた。共同声明ではフェザーンの独立、イゼルローン要塞の平和利用、国債の償還、株の返還などの事が発表された。そして同盟と帝国は人類の繁栄と宇宙の平和について協力して行く事が確認された。事実上和平は成立した、そう言って良いだろう。

「国債の償還は九兆帝国マルクか、十二兆丸々とは行かなかったようだな」
ボローンが私に問い掛けた。
「なに、償還が実行されるだけでも大したものさ、そうだろう?」
「まあそれはそうだがね」
ボローンが笑いながら頷いた。元々フェザーンの物なのだ、払ってもらえるだけましだ。最初は誰も払って貰えるとは思っていなかった

「私はイゼルローン方面に要塞を建設出来る事が嬉しいですよ。しっかりとした防衛ラインが設定出来ますし戦争が起きる可能性はかなり低くなりました」
ネグロポンティが満足そうに言った。
「どうするのかね、一気に二つ造るのかな?」
リウが問い掛けるとネグロポンティが首を横に振った。

「いえ、順に造ります。何と言っても同盟はこの手の要塞を造るのは初めてです。一つ造ってその経験を二つ目に生かしたいと考えています」
嘘では無い、しかし理由は他にも二つ有る。一つは国防費の突出を抑えたいと国防委員会は考えている。和平が来たのに何故国防費が多いのかと責められるのを避けたいのだ。

そしてもう一つは軍需産業からの懇願だ。戦争が無くなる以上彼らは軍需から民需へ事業の比重を重くしなければならない。しかしその転換には時間がかかると見ている。出来るだけ軍需で食い繋ぎたいのだ。つまり太く短くではなく細く長くを望んでいる。国防委員会も彼らが潰れる事は望んでいない。受け入れざるを得ない。

「さて我々も仕事にかかろう。首脳会談が成功した以上同盟議会に外交委員会と通商委員会の設立法案を提出し承認を求めたい。トリューニヒト議長からも自分が戻る前に成立させて欲しいと連絡が有った」
ターレルの言葉に皆が頷いた。

「同盟市民も今回の首脳会談には満足している。特に問題は無いだろう」
「そうだな、委員長ポストが二つ増えるのだ。議会も嫌とは言わんさ」
ラウドとボローンの遣り取りに皆が笑い声を上げた。外交委員会も通商委員会もこれからは何かとスポットライトを浴びるポストだ、新設のポストに抜擢される可能性が出てきたとなれば議員達も嬉しいだろう。

「問題は法案の成立よりも委員長の人選と委員会の立ち上げだな」
「庁舎は大丈夫なのかな?」
「外交委員会と通商委員会は合同庁舎になる。出来上がるのには三年はかかるだろうな。それまでは外交委員会は国防委員会、通商委員会は財政委員会、経済開発委員会の所で下宿生活になる」
マクワイヤーとラウドの問いにターレルが答えた。

「人選は? 委員長もそうだが委員会のメンバー、職員は?」
「シャロン委員長、主にだが外交委員会は国防委員会、軍から人を出す事になるだろう。通商委員会は財政委員会、経済開発委員会からだ。だから一緒にさせた」
ターレルが答えると皆が頷いた。

「となると後は委員長の人選か。難しいな、特に外交委員長だ。帝国との交渉役だからな、硬軟を使い分けられる人物でないといかん。それに帝国の事情に詳しい事が必要だが……」
ボローンの首を傾げながらの呟きに彼方此方から唸り声が起きた。気持ちは分かる、帝国の内情に詳しい人物など皆無に等しい。

「適任は諮問委員長だが……」
「それは無理だよ、シャロン委員長。諮問委員長という良く分からないシロモノでも結構反発が出た。外交委員長などに就任したら亡命者だから帝国に甘いと必ず非難が出るぞ」
私が反対すると誰かが“そうだな”と相槌を打った。皆も頷いている。シャロン自身も頷いているから本人も難しいと思っていたのだろう。

「委員長の人選についてはトリューニヒト議長が戻ってからでも良いだろう。議長に意中の人が居るかもしれん。我々が先走る事は無い」
ターレルの提案に皆が頷いた。まあ体の良い先送りだな。しかし適任者が直ぐには見つかりそうにないのも事実だ。



宇宙歴 796年 6月 25日  第一艦隊旗艦  アエネアース   マルコム・ワイドボーン  



艦橋にスーツ姿の男が入って来た、ヴァレンシュタインだ。その事に気付いた人間が慌てて姿勢を正してヴァレンシュタインを迎えた。奴は“気にせず仕事をしてください”と言って俺の方に向かってきた。
「如何した?」
「偶にはワイドボーン提督と話をしてはどうかとミハマ大佐に言われました」
思わず失笑が漏れた。ヴァレンシュタインは憮然としている。周囲の人間に少し席を外してくれと頼んだ。ヴァレンシュタインが手近な席に腰を下ろした。

イゼルローン要塞に来る時にはヴァレンシュタインは第三艦隊に乗っていた。だがヤンと激しく口論した。そのためミハマ大佐とグリーンヒル少佐が心配して俺の所に相談に来た。というよりも帰りはヴァレンシュタインを第一艦隊に乗せてくれと頼みに来たというのが本心だった。俺はホアン委員長とも相談して交換してもらった。まあホアン委員長もヤンと話してみたいという思いが有るらしい。交換はスムーズに行った。

「大佐も御守りが大変だよな」
「ヤン提督と話したんですか?」
「話した。ミハマ大佐やグリーンヒル少佐とも話したから何が有ったかは知っている」
“そうですか”と言ってヴァレンシュタインが頷いた。

「ヤンの奴は大分気にしていたぞ、お前さんに理想に酔うと言われた事をな」
「……如何思いますか、ワイドボーン提督は。見当外れだと?」
「酔っているかどうかは分からんが考え過ぎる所は有るだろうな。でもそれはお前さんも同じだろう」
ヴァレンシュタインが首を傾げた。

「考えはしますけどね、あそこまで疑い深くは有りません。ヤン提督は悪い方へ悪い方へと取りますよ。痛くも無い腹を探られるのは面白くありません」
実際面白くなさそうな表情をしている。周囲の人間がこちらをチラチラと見ているのが分かった。俺とヴァレンシュタインの仲を心配しているのかもしれない。艦隊の中ではヴァレンシュタインとヤンが激しい口論をしたという噂が流れているらしい。教えてくれたスールズカリッター少佐を窘めておいたが……。

「不安なんだろう。奴にはお前さんが人間不信になっているように見えるんだ。そしてその原因が自分に有ると思っている。お前さんの影響力が強まるにつれ責任と不安を感じるのさ。もしかすると第二のルドルフになるのではないかとな」
「自分が怪物を生んでしまったと? まるでフランケンシュタインですね。私は彼が生み出した怪物ですか」
ヴァレンシュタインは薄い笑みを浮かべていた。今更何を言っているのか、そんな気持ちが有るのかもしれない。胸が痛んだ。

「そんな言い方をするな。奴はお前さんにルドルフになって欲しくないんだ。お前さんの力量を認めているからな。だから心配している」
「……」
「本当だぞ、今回の首脳会談が上手く行ったのもお前さんの力量によるものだ。ようやく戦争が終わる。ヤンはその事を喜んでいるよ」
納得した様な表情ではない、しかしさっきまで有った笑みは消えていた。多少は効果が有ったようだ。話を変えた方が良いだろう。

「それにしても帝国は良くこちらの言い分を受け入れたな」
「負けていませんからね、受け入れやすいんです」
妙な事を言うな、負けていない? 俺が疑問に思っているとヴァレンシュタインがクスッと笑った。

「どういう意味だ、帝国が負けていないとは。あの首脳会談は同盟の負けだとでも?」
「そうじゃありません。同盟も帝国も負けていないんです」
「……敗者は居なかった?」
「いいえ、居ますよ」
「……同盟も帝国も負けていない、敗者は居る……、フェザーンか」
ヴァレンシュタインが頷いた。

「しかしフェザーンは独立しただろう。勝者じゃないのか? 敗者とは言えないはずだ」
ヴァレンシュタインが今度は声を上げて笑った。
「今回の首脳会談は宇宙の、人類の未来を変える会談だったんです。しかしその場にフェザーンのペイワードは居ない。同盟も帝国もフェザーン抜きで未来を決めました、フェザーンを独立させるという事を含めてね。フェザーンは独立を勝ち取ったんじゃない、与えられたんです。それでも勝者ですか?」
思わず唸り声が出た。そういう見方が有ったか。

「それにフェザーンは自治領といっても内実は独立国でした。帝国にとってフェザーンを失う事は致命傷でもなんでも無い」
「……」
元々フェザーンにとって独立は必要不可欠なものでは無かった。自治領で十分だったのだとヴァレンシュタインは話し始めた。

フェザーンが独立を求めたのは同盟軍がフェザーンを占領した後に独立を保障すると声明を出した事、そして帝国に対する反発からだった。帝国の自治領である事に感情面で我慢が出来なくなったのだ。だがそのためにフェザーンは様々な物を失う事になった。自治領に甘んじていれば帝国に対しては損害賠償の請求権、同盟に対しては国債の返還を求める事が出来ただろう。だが独立を望んだが故にそれらは全て放棄させられた……。

「しかしそれで帝国が勝ったと言えるのか? フェザーンからの損害賠償の請求は無くなったが同盟に対しては国債を償還するんだろう。向こうにとっては屈辱だと思うが……」
ヴァレンシュタインがまた声を上げて笑った。

「賠償金じゃありません、国債の償還です。借りたものを返す、当たり前の事ですよ」
「それは分かるが」
「十二兆帝国マルクの内償還するのは九兆帝国マルク、しかも償還には九十年かけます。戦争が無くなれば人口も増加する、当然ですが通貨の供給量も増えますし物価の上昇も有る。九兆帝国マルクの国債とは言いますが実際の貨幣価値はもっと下がるでしょう。それでも屈辱ですか?」

なるほど、そういう事か。同盟は自国の国債を回収し帝国から国債の償還を受け取る。帝国は自国の発行した国債を圧倒的に有利な条件で償還する。そしてフェザーンは国債を全て失った。同盟、帝国が実利を得ているのに対してフェザーンは形ばかりの独立という名を得ただけだ。確かにフェザーンは勝者とは言えない。

「イゼルローン要塞はどうなんだ?」
「戦争が無くなれば軍事要塞の価値は激減します。国際協力都市と利用した方が遥かにメリットが有りますよ。商船が入港するだけで入港料を取れるんですから」
「……」
俺が納得していないと見たのだろう、ヴァレンシュタインが言葉を続けた。

「イゼルローン回廊を全面開放すれば同盟も帝国も目の前に巨大な新市場が現れるんです。企業も商人も積極的にイゼルローン国際協力都市を利用するでしょう。帝国にとっては金の卵を産むニワトリみたいな存在になります」
「なるほど、そしてフェザーンは中間貿易で得ていた利益を独占する事が出来なくなった……」
「ええ」
ここでもフェザーンは敗者になっている。同盟と帝国が新たな市場を獲得したのに対してフェザーンは市場の独占を奪われた。

「イゼルローン国際協力都市が栄えれば栄えるほど帝国にとってその重要性は高まります。そしてその繁栄を維持しようと努めるはずです」
「つまり平和の維持か」
ヴァレンシュタインが首を横に振った。

「それだけでは有りません。もし同盟、帝国間で軍事的な緊張が発生しても帝国はイゼルローン方面での軍事行動は挑発や威嚇でさえも控えるでしょう。おそらくは同盟も同じです」
「……という事は、……フェザーンか!」
ヴァレンシュタインが頷いた。

「ええ、フェザーンを独立させたことで帝国も同盟も変なしがらみに囚われることなく軍事行動を起こせます。フェザーン回廊で多少の小競り合いを起こしながらイゼルローン国際協力都市で落としどころを探る、そうなるでしょう。幸いイゼルローンには両国の政府機関が有る。様々なレベルで交渉は可能です。そういう意味でもイゼルローン回廊では軍事行動が起こし難くなる」
「なんてこった」

気が付けばイゼルローン回廊は中立が望まれフェザーン回廊が紛争地帯になろうとしている。当然だがフェザーンとフェザーン商人達の負うリスクは高まる事になる。確かにフェザーンは敗者だ。何一つとして利を得ていない。思わず溜息が出た。そんな俺を見てヴァレンシュタインが声を上げて笑った。酷い奴だ。

ヤンが言った事を思い出した。
“宇宙は今混沌の中にある。人類は一から秩序を築き上げる事になるだろう。どんなことでも可能だし、どんなことが起きても不思議じゃない。これまでの常識はもう通用しない……”
奴の言った通りになった。俺の目の前にいる男がその秩序を作り上げた。また溜息が出た。どれだけの人間が宇宙に新秩序が出来たと理解しているだろう?

「ペイワードは失敗したんです」
「そうだな」
「独立を求めるよりも自らのイニシアチブで同盟、帝国、フェザーンの首脳会談をフェザーンで行うべきでした。そして帝国に対して損害賠償請求を取り下げる代わりに同盟に対して共同で対処しようと提案するべきだったんです」

確かにその通りだ。
「株の返還は上手く行ったでしょうね。国債の返還も全額は難しいでしょうが或る程度は戻ってきた可能性は有る。フェザーン回廊を全面開放して同盟、帝国の直接の交易を認めればイゼルローン回廊を軍事用の回廊に留めおく事も出来たでしょう。そうなれば中間貿易で得ていた利益は減少したかもしれませんがフェザーンは交易の中心でいられた筈です。政治的な影響力も多少は維持出来たかもしれない」

「かもしれない。だが難しいだろうな、お前さんがそれを許すはずもない、違うか?」
「そうですね。それに平和が続けばフェザーンの影響力は減少します。いずれは無力な交易都市になったでしょう」
どういう意味だ? 説明を求めるとヴァレンシュタインは“喉が渇きました”と水を求めた。俺も喉が渇いていた。スールズカリッター少佐に水を用意させた。

水を飲むとヴァレンシュタインが話し始めた。
「人口の問題です」
「人口?」
俺が問い掛けるとヴァレンシュタインは頷いた。

「フェザーンには居住可能惑星は一つしか有りません。フェザーンが抱えられる人口は精々百億が限度でしょう」
「そうだろうな。今フェザーンの人口は二十億程度だから後八十億は余裕が有る。何が問題なんだ?」
ヴァレンシュタインがちょっと困ったような表情をした。いかんな、どうやら俺は的を外したらしい。

「同盟と帝国はそれぞれ三千億ぐらいまでは人口を増やす事が出来ます。両国を合わせれば六千億です。それに比べればフェザーンの百億というのは余りにも少な過ぎます。人口というのは国力に直結しやすい。とてもでは有りませんがフェザーンは影響力など発揮出来ないでしょう」
「なるほど、確かにそうだな。平和が続けば人口が増加する。平和が続くほどフェザーンの影響力は小さくなるか……」
ヴァレンシュタインが頷いた。

「フェザーンが同盟、帝国に伍して行けたのは同盟と帝国が戦争状態にあったから、フェザーンの中立が保障されていたからなんです。特殊な状態下でのみ起こり得た状況だった。それが無くなった以上フェザーンの地位が低下するのは已むを得ません。フェザーンはこれからも或る程度は繁栄するでしょうが影響力は徐々に失うはずです」

徒花だな、と思った。フェザーンは人類の混乱の中でのみ人の血を吸って咲き誇った徒花だった。種をまいたのは地球教、最初から豊かな実など付ける事の無い徒花……。人類が混乱から醒めた以上これからのフェザーンは無力な花になるだろう……。



 

 

第百二十九話  権威




宇宙歴 796年 6月 28日  第三艦隊旗艦ク・ホリン  フレデリカ・グリーンヒル



貴賓室では食事が終り三人でお茶を飲んでいる。ヤン提督は紅茶、私とホアン委員長はコーヒー。穏やかな時間が過ぎていた。結構人見知りするヤン提督も飄々とした人柄のホアン委員長との会食は負担に感じなかったようだ。ヴァレンシュタイン委員長との会食とはまるで様子が違う。

やはり乗艦を変えて貰って良かった。ヴァレンシュタイン諮問委員長との会食の後、ヤン提督と委員長が激しい口論をしたという噂が流れた。多分サロンに人が居たから私達の会話に聞き耳を立てていたのだろう。私達の様子にトラブルが有ったと判断したのかもしれない。

或いはザーニアル参謀長、カルロス副参謀長の周辺からだろうか。会食の後、二人には事情を説明しておいた。多少の言い合いが有った事、しかしヴァレンシュタイン委員長はその事を気にしていない事、むしろ大人げない事をしたと謝罪された事などだ。二人は不安そうだったが委員長は私情で動く様な人ではないと説明すると納得してくれた。

ホアン委員長が捕虜交換の調印式の裏話を話してくれている。それによるとトリューニヒト議長はハイネセンで何度もリハーサルをしたらしい。その度に最高評議会の委員長達は皆がアマーリエ陛下の役をやりたがったのだとか。議長に片膝を着かせるのが楽しかったようだ。“皇帝になったような気分だったよ”と言ってホアン委員長が笑い声を上げた。

「ところでヤン提督はイゼルローンに来る途中ヴァレンシュタイン委員長と遣り合ったそうだね」
「御存じなのですか?」
「知っている、ワイドボーン提督に聞いたからね。いかんなあ、若い女性に心配をかけては。早く老けてしまうよ」

ホアン委員長が私に視線を向けるとヤン提督が困ったような表情で“済まない、グリーンヒル少佐”と謝罪してきた。私は“いえ、そのような事は”と言うのが精一杯だった。ホアン委員長が声を上げて笑った。飄々としているけどちょっと意地悪なところが有る。でも不愉快には感じない、人徳だろう、羨ましい事だ。

「それにしても大したものだ、彼と遣り合うとはね。ヤン提督は見かけによらず図太い」
ホアン委員長がヤン提督を褒めた。もしかすると皮肉っているのだろうか? 提督も困惑している。
「そんな事は有りません」
「そうかね、私ならさっさと逃げ出すが」
「本当は私も逃げ出したかったんです」
ホアン委員長が一瞬目を見張った後笑い出した。ヤン提督も苦笑している。私も笑わせてもらった。久しぶりに笑った様な気がする。

「心配かね、彼が」
笑い終えたホアン委員長が問い掛けるとヤン提督が少し間をおいて頷いた。
「……諮問委員長は人間不信に陥っています。そして民主共和政にもかなり醒めた、いや否定的な見方をしている。そういう人物が大きな影響力を持って自由惑星同盟を動かしている。不安に思うのはおかしいのでしょうか?」
「……」

「彼が人間不信に陥ったのは私にも責任が有ります。いや私の所為だと言い切っても良いでしょう。私には彼の人間に対する不信感を非難する資格は無いと言われれば一言も有りません。しかし、だからかもしれませんが不安になるんです。……ホアン委員長は一緒に仕事をしていて不安を感じる事は有りませんか? 私は感じ過ぎなのでしょうか?」
ヤン提督に問われホアン委員長が“ふむ”と声を出した。コーヒーを口に運ぶ。

「ヤン提督はヴァレンシュタイン委員長が独裁者になると思っているのかな? 話し合いではその事が出たそうだが」
「いえ、そうは思いません。彼は亡命者です、独裁者になろうとはしないでしょうしなれるとも思えません。でも独裁的な影響力を持つ事は無いと言えるでしょうか? 彼の一言で全てが決まってしまう、そんな影響力。それは民主共和政国家では不健全だと思うのですが……」
「独裁的な影響力か、面白い表現だな」
冷やかしている感じではなかった。感心している、そんな感じだ。

「軍では上意下達です。その所為で余り気付きませんでした。しかし政治家になってからも大きな影響力を維持している、いえ影響力は増大している。何処か不自然な感じがするのですが……」
ヤン提督がもどかしそうにしている。上手く説明できない、そう思っているのだろう。

「独裁ではない、少なくとも法の下では同等である。そして権力者としても法を超えることは無い。しかし実質は他者を従わせる、他者の上に立つ独裁的な影響力を持つか……。或いは権威のようなものと言い換えても良いかもしれんな」
ホアン委員長がウンウンと頷いている。ホアン委員長がヤン提督に視線を向けた。

「ヤン提督、君はヴァレンシュタイン委員長がある種の権威を持ち始めたのではないか、そう考えているのかね?」
「権威ですか、そこまで明確に考えていたわけでは有りません……」
ヤン提督は首を振って言葉を濁したがアン委員長は気にした様子を見せなかった。

「もしそうだとすれば、ヴァレンシュタイン委員長が権力を求めれば危険だと言えるな」
「やはり、危険ですか」
ヤン提督の表情は暗かった。あのヴァンフリートでの一時間の事を思っているのだろうか……。

「権力と権威の融合、その融合が進めば進む程ヴァレンシュタイン委員長は危険な存在になるだろう。表向きは共和政でも内実は独裁政に近くなる可能性が有る。まるでペリクレスだな」
「……」
ヤン提督が溜息を吐いた。

ペリクレスとは何だろう? ヤン提督は分かった様だ。人の名前、おそらくは政治家の名前の様だが……。私が疑問に思っているとヤン提督が
”ペリクレスは人類が地球を住処としていたころ、古代ギリシャの政治家だった。彼が統治者であった時代のギリシャは外観は民主政だが内実は唯一人が支配する国と言われた”
と説明してくれた。なるほど、意味が分かった。

「珍しいケースでは有る。独裁者というのは独善的でも良いから揺るぎない信念と使命感、自己の正義を最大限に表現する能力、敵対者を自己の敵では無く社会の敵であると見做す主観の強さが必要だ」
「……なるほど」
ホアン委員長がコーヒーを一口飲んだ。

「しかし権威者にはそのような物は必要ない。何故なら周囲がその権威を認めるなら反対など起きないからだ。権威者が権力を求めた場合、もちろんその権力を正しく行使する能力が必要だがごく自然に独裁が成立している可能性が有る」
「……」
ヤン提督が深刻そうな表情になった。ホアン委員長がそんなヤン提督を見てクスッと笑った。

「しかし、彼は本当に権威を身に着けたのだろうか? 疑問ではあるな」
「疑問ですか」
「うむ、確かに彼の影響力は強い。しかしそれは彼の能力が必要とされているだけともいえる。今、同盟は帝国とともに新たな秩序を作ろうとしている、それ故かもしれない。彼ほど明確なビジョンを持っている人間はいないからね」
「なるほど」
頷くヤン提督を見てホアン委員長が軽く笑い声を上げた。

「秩序を作り終えれば影響力は縮小、或いは消滅する可能性も有るだろう。それに彼は権力を求めていない。多分、多少影響力の有る一政治家、それで終わるのではないかと私は思うね」
「私は心配し過ぎなのでしょうか?」
「君がヴァレンシュタイン委員長に負い目を持っているならそれが不安を増大させているとも考えられる。まあ余り深刻に考えないことだ」
ホアン委員長が“コーヒーをもう一杯貰おうか”と言った。



宇宙歴 796年 7月 15日  最高評議会ビル エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



最高評議会ビルの廊下を議長の執務室に向かって歩く。近付くにつれて徐々に警備が厳しくなっていった。執務室の前の待合室には陳情者が十人近くいた。どんな時代でも同じだな、権力者に近付く事が利益に直接つながる。俺が来訪を受け付けに伝えると直ぐに執務室の中に通された。陳情者が恨めしそうな表情で俺を見る。結構待っているのだろう、恨むなら俺じゃなくトリューニヒトにしてくれ。

部屋に入るとトリューニヒトが満面の笑みで俺を迎えてくれた。御機嫌なのも無理は無い。トリューニヒト政権に対する支持率は七十パーセントを超え八十パーセントに迫る勢いだ。近年稀に見る高い支持率だと言われている。まあフェザーンでの戦争は勝ったし愛国委員会のクーデターも潰した。捕虜交換を実施して首脳会談も成功した。支持率が高いのもおかしくは無い。我が世の春だな。後は帝国との和平条約だがこいつは外交委員会の初仕事になる。首脳会談で揉めそうなところは潰しておいた。それほど難しい仕事じゃないから初仕事にはうってつけだろう。

部屋にはターレルとネグポンが居た、議会対策でもやっていたか、或いは留守中の出来事の報告か。ちなみに捕虜を乗せた輸送船は既にイゼルローンに向かって出発している。同盟側が先ずイゼルローン要塞経由で帝国に返還しその後帝国側から同盟に対して捕虜を返還するという順序になる。

「諮問委員長、忙しいところを済まない」
「いえ、お気になさらずに」
また厄介事だろうな。心は憂鬱、でも顔は笑顔だ。宮仕えは辛いよ。四人でソファーに座った。トリューニヒトの隣にターレル。俺とネグポンが並んで正面に座る形だ。トリューニヒトが表情を改めた。

「フェザーンに行くのは明後日だったね。戻ってきたばかりで疲れているだろうが宜しく頼むよ」
「戦争に比べればずっとましです。それに艦隊を率いるわけではありませんから」
「そうか、そう言って貰えると助かる」
トリューニヒトが幾分ホッとしたような表情を見せた。まあ演技でも嬉しくは有るな。

首脳会談でフェザーンの独立が決まった。その条約終結のために俺はフェザーンに行く事になっている。帝国からの出席者はマリーンドルフ伯だ。ここでもフェザーンの政治的地位が地盤沈下していることが分かる。本来ならトリューニヒトかターレル、帝国ではブラウンシュバイク公かリッテンハイム侯が出席するところなのに明らかに格下の俺やマリーンドルフ伯が出席している。

条約終結のためだけにフェザーンに行くわけではない、他にも用事は有る。フェザーン高等弁務官の交代だ。ヘンスロー高等弁務官は退任し新たにアブドーラ・ハルディーンが高等弁務官になる。良く分からん人物だがホアンの推薦という事だからそれなりの人物なのだろう。

俺の仕事は退任するヘンスローを連れ帰ることだ。こいつがフェザーンの飼い犬だったことは分かっている。フェザーンに亡命する等と言い出す前に出来の悪い犬を引き取らなければ……。トリューニヒトが宜しく頼むと言ったのはその辺りの事も含んでいる。

そして首席駐在武官にはヴィオラ准将が復帰する。本来首席駐在武官は大佐が任命されるんだが高等弁務官が新任で首席駐在武官が新任という事になるとかなり高等弁務官府は弱体化する。それは避けたいという事でヴィオラ准将が異例では有るが首席駐在武官に就任する事になった……。つらつらと考えているとトリューニヒトが話し始めた。

「外交委員会と通商委員会の設立が正式に認められた。首脳会談が成功に終わった以上、議会もすんなりと法案を可決してくれたようだ」
「……」
「順調と言って良いが問題が無いわけではない。委員長の人選だ。通商委員長は財界から選ぼうと思っている、それなりにあても有る。問題は外交委員長だ、適任者が居ない」

トリューニヒトが渋い表情をしている。そうなんだよな、外交委員長の適任者がなかなか見つからないんだ。何と言っても百五十年も戦争だけしてきた、外交という概念は非常に希薄だ。馬鹿げているんだが元の世界は様々な国が有った所為で外交が成立したがこの世界ではそれが成立しない。おかげで外交の分かる人間が非常に少ないという奇妙な事態が発生している。

「ターレル副議長とネグロポンティ国防委員長は君とシトレ元帥のいずれかをと言っているんだが如何かな?」
二人を見たがちょっと困ったような顔をしている。気持ちは分かる、俺とシトレの二人を推しているが実際にはシトレの一推しなのだ。おそらくトリューニヒトにはシトレの方が周りからの受けが良いと言った筈だ。俺では周囲に納得しない奴が少なくない。

歳が若いし亡命者だ。外交問題でちょっとでも帝国と取引すればそれだけで経験不足だ、譲歩し過ぎだと騒ぐ奴が出るだろう。実際九兆帝国マルクの国債の償還についても十二兆帝国マルク全額償還させるべきだ、年間一千億帝国マルクの償還は甘いと騒いでいる奴がいるらしい。そいつらは俺の事を帝国に甘過ぎると見ている。

その点シトレは年齢、実績共に十分だ。俺には文句を言う奴もシトレには言わない。それにブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯にも顔を知られている。シトレ本人に問題は全く無い。
「私が外交委員長では色々と煩いでしょう」
「ではシトレ元帥で良いかな?」
「適任とは思いますが、現状では必ずしも最善とは言えないと思います」
俺が答えるとトリューニヒト、ターレル、ネグポンが訝しげな表情をした。“拙いかね”とトリューニヒトが問い掛けてきた。

「戦争が無くなった事で軍内部が揺れる可能性が有ります。軍を一つに纏めるにはシトレ元帥の権威が必要ではないでしょうか」
俺が指摘するとトリューニヒト達が顔を見合わせた。
「軍の混乱か、……無いとは言えないな」
トリューニヒトが呟いた。ターレルとネグポンは渋い顔をしている。気持ちは分かる、適材適所なのだが別な不安要素がそれを妨げてしまう。世の中には時々そういう事が有る。ネグポンは特に不愉快だろう、国防委員長なのだから。

「では誰が適任かな? 君の考えは?」
トリューニヒトが質問するとターレルとネグポンが俺に視線を向けてきた。ちょっと緊張するな。
「私はグリーンヒル大将を推薦します。視野も広いですし誠実な人柄です。帝国も信頼するでしょう」
トリューニヒトが“グリーンヒル大将か”と声を出した。そしてチラッとターレルとネグポンに視線を向けた。二人とも特に反応は無い。反対では無いようだ。

「グリーンヒル大将か、その場合統合作戦本部長をどうするかという問題が発生するね」
「シトレ元帥に復帰して頂いては如何でしょう?」
「シトレ元帥に?」
「元々元帥が宇宙艦隊司令長官に就任したのは宇宙艦隊の立て直しのためでした。その目的は十分に達成されたと思います、軍のトップである統合作戦本部長に戻られるべきかと思います」
“なるほど”とトリューニヒトが頷いた。他の二人も頷いている。

シトレを統合作戦本部長に戻す。後任の宇宙艦隊司令長官はビュコックにし、副司令長官にボロディンを持ってくる。これからの同盟はイゼルローン方面とフェザーン方面の二正面での戦争を想定しなければならん。司令長官と副司令長官で分担すれば良いだろう。まあ細かいところはネグポンとシトレにお任せだな。



 

 

第百三十話  手荒い歓迎



宇宙歴 796年 8月 5日  最高評議会ビル ミハマ・シェイン



「シェイン、こちらはデロリアン委員。諮問委員会で一緒に仕事をしているの。国防委員会の方よ。デロリアン委員、弟のミハマ・シェイン少尉です」
「やあ、少尉。今日は会えて嬉しいよ」
「こちらこそ、会えて嬉しいです。デロリアン委員」
最高評議会ビルのホールで三人の男女が出会った。俺は顔が引き攣るのが分かった。姉さん、相変わらずの天然だ。とんでもない事をしてくれる。

お昼を一緒に食べようというのは良い。最高評議会ビルで食べようというのも我慢出来る。でもね、相伴者が最高評議会諮問委員で国防委員会からの出向者って何だよ。俺達軍人にとってはスーパー・ウルトラ・デラックスなお役人様じゃないか。この上って言ったらヴァレンシュタイン委員長ぐらいだ。あの人だったらゴージャスが追加されるな。

「じゃあお昼にしようか。このビルに入っているレストランは五軒有るんだが何れも美味しいと評判なんだよ」
「……あの小官は軍人なのですが最高評議会ビルの中で食事をしても宜しいのでしょうか?」
暗に遠慮したいと告げたのだがデロリアン委員は全く気にしなかった。この人も天然なのかもしれない。
「大丈夫だよ、我々と一緒だからね」
いや、それが困るんだが……。
「そうよ、シェイン。さあ行きましょう」
「……はい」

最高評議会諮問委員会、当初海の物とも山の物とも分からなかったこの委員会を現時点で侮る人間は同盟全土の何処を探しても居ないだろう。政府内の統合作戦本部と言われトリューニヒト議長のシンクタンクと評価されている。僅か十二人、いや外交委員会と通商委員会からも人が入ったから十四人の小さな組織だがその実力を疑う者は無い……。

「中華で良いかな?」
「はい」
もちろんです、こんな時に異議を唱えるほど俺は阿呆じゃありません。食い物の恨みは恐ろしいのだ。ホイコーローは嫌いだけれど中華料理は他にもある。例えホイコーローしかなくても俺は美味そうに食べるだろう。ペーペーの新米少尉に出来る事は耐える事だけだ。

軍内部にはヴァレンシュタイン委員長を諮問委員長にしたのはシトレ元帥の深謀遠慮だという噂が有る。和平が成立すれば軍は何かと不利益を被りかねない。そしてネグロポンティ国防委員長は新任のため最高評議会では十分に軍の意向を主張してくれるかどうか不安が有った。そこで腹心のヴァレンシュタイン大将を諮問委員長に送り込んだのだと。

本当かどうかは分からない。でもヴァレンシュタイン大将の説得にはシトレ元帥の力が大きかったと言われている。そして捕虜交換から首脳会談までの演出をしたのはヴァレンシュタイン委員長でその間、軍は殆ど不利益を被ってはいない。

特にイゼルローン回廊における帝国の防衛線が下がった事は大きく歓迎されている。同盟側が勝利した事の象徴だと言うのだ。軍のヴァレンシュタイン委員長に対する信頼は非常に大きい。軍はネグロポンティ国防委員長とヴァレンシュタイン諮問委員長という二人の代弁者を得たと言われている。

店の中は余り混んでいなかった。中央に有る四人掛けのテーブルにデロリアン委員が向かったので後に続く。席は姉さんとデロリアン委員が正対し俺が横に座る形になった。ウェイトレスが来てメニューと水を置いて行った。姉さんは麻婆豆腐定食、デロリアン委員はチャーハンと揚げ春巻き、俺は酢豚定食を頼んだ。

「少尉は所属は何処かな?」
「後方勤務本部基地運営部です」
「ほう、それでは忙しいだろう」
「はい、忙しいです」
俺が答えるとデロリアン委員と姉さんがウンウンと頷いた。

戦争が無くなった。軍人は暇になるのかと思ったがそうではなかった。補給基地の統廃合、新基地の建設、そして新たに建設する軍事要塞、周りの人に聞いたが以前はこんなに忙しくなかったそうだ。戦争が無くなったのに仕事が増えたと言って皆苦笑している。

「まあ仕方ないね。これからはイゼルローン回廊だけではなくフェザーン回廊も防衛の対象になる。フェザーン方面はこれまで殆ど手付かずだった、色々と整備しないと」
「そうですね、宇宙艦隊もそれに合わせて動いていますし」
デロリアン委員と姉さんの遣り取りに俺も頷いた。防衛線が一つ増えたんだ、忙しくなるのは已むを得ない。基地運営部だけではなく軍全体がそれによって大きな影響を受けている。

当然だが宇宙艦隊も例外ではない。シトレ元帥が統合作戦本部長に復帰した。そしてグリーンヒル本部長代理が外交委員長に就任。同盟市民の間では安全保障問題は軍が独占したともっぱらの評判だ。シトレ元帥の後任の司令長官はビュコック元帥、副司令長官にボロディン元帥が就任した。兵卒上がりの宇宙艦隊司令長官だ、皆が驚いている。

宇宙艦隊は方面軍のようなものを編成するらしい。イゼルローン方面軍、フェザーン方面軍だ。ビュコック元帥がイゼルローンを担当しボロディン元帥がフェザーンを担当する。全軍の統括はもちろんビュコック元帥が行うから完全に分離したわけではない。艦隊もきっちり二つに分けるという事ではないようだ。変な派閥や対抗意識が出ないように適当に入れ替えをするらしい。緊急時に対応し易くする、そんなところだと言われている。ヴァレンシュタイン委員長から提案があったようだ。

「委員会もお忙しいのでしょう?」
「他の委員会は忙しいね」
「帝国と協力する部署を作ったりイゼルローン要塞に行く人間を選抜したり、帝国と何が協力出来るかを検討したり……。予算編成も大詰めですし大変ですよね」
デロリアン委員と姉さんは顔を見合わせて苦笑を浮かべた。

「諮問委員会はそうでもないんですか?」
「まあウチはそれほど予算を使う事は無いからね、財政委員会も我々には無関心だよ。行政機関というよりシンクタンクのようなものだから帝国と協調する部署を作る必要もない。おそらく同盟で一番暇な委員会だろう」
「はあ」
何か意外だな、もっと忙しいのかと思っていたんだが。

「ヴァレンシュタイン委員長もフェザーンに行ってしまいましたし……」
「そうだね。……そうか、忙しくは無いだろうが大変な思いをしている委員はいるね、モンテイユ委員とか。ヴァレンシュタイン委員長と一緒だから緊張しているだろう」

姉さんが“そうですね”と言って笑った。デロリアン委員も笑っている。良いよな、笑えるんだから。俺には到底笑う事なんて出来ない。相手はヴァレンシュタイン委員長なんだから。今回は姉さんが一緒じゃなかったけど姉さんと委員長って如何なんだろう? ちょっと気になるけど訊くのは気が引けるな。

食事が運ばれてきた。目の前に皿が並べられた。なるほど、確かに美味しそうだ。チャーハンの香ばしい香りが……、しまったな、俺もチャーハンにすれば良かった。
「さあ、食べようか」
デロリアン委員の声に俺と姉さんが“いただきます”と唱和した。



宇宙歴 796年 8月 25日  フェザーン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



マリネッティ少将率いる六百隻の艦隊はフェザーンに到着した。俺、モンテイユ、アブドーラ・ハルディーン、そしてヴィオラ准将を含むフェザーン駐在員を無事送り届けるのが少将の仕事だ。後は俺とヘンスローをハイネセンへ連れ帰るという仕事がまだ残っている。

当初一個艦隊を動かすという話が有った。何考えてるんだよと思ったが軍としては仕事をしていると周囲に印象付けたかったようだ。しかしフェザーンを独立させるんだから軍事力を誇示してフェザーンを威圧しているととられかねないような行動は避けるべきだ。そう言って断った。その結果マリネッティ少将が俺の移送役に抜擢されたわけだ。運が悪かったな、マリネッティ。

「御苦労様でした、マリネッティ少将」
「はっ、恐れ入ります」
マリネッティ少将はガチガチに緊張している。もう軍の上官じゃないんだからそんなに緊張しなくても良いんだけど……。

「条約の締結は九月一日になります。締結後、私は直ぐにハイネセンに戻りますので準備を宜しくお願いします」
「はっ、必ずそのように致します。閣下も御身辺にお気を付け下さい。良からぬ事を考える者が居ないとも限りません」
「分かりました、気を付けます」
マリネッティがチラっとヴィオラ准将を見るのが、そして准将が頷くのが分かった。どうも俺って信用が無いな。

マリネッティの艦隊は六百隻、小勢と言って良いが武力を持たないフェザーンにとっては十分な脅威だろう。フェザーンは独立するが軍事力は如何するのか、その辺りも気になるところだ。フェザーン回廊を警備する小艦隊を持つ事に留めるのか、それとも正規艦隊を保有するのか……。

旗艦ロスタムを降り空港内部に入ると一般客とは別なルートに案内された。入国審査も殆ど無し、まあ事前にこちらの事は伝えてあるからかもしれないがこれって一種の外交官特権なんだろうな。審査を終えてゲートを出るといきなりパシャパシャと写真を撮られた。一般人じゃない、報道関係者だ、大勢集まっている。俺に近付いてきたが直ぐに同行したヴィオラの部下達が俺の周囲を固めて阻んだ。

「遅くなりまして申し訳ありません」
ヨタヨタと近付いてきたのはヘンスロー高等弁務官だった。しきりに顔の汗をハンカチで拭っている。遅いし手際が悪い。本当ならマスコミなんか事前に排除しておくべきだろう。ヴィオラ准将が顔を顰めるのが見えた。仲悪いんだな、この二人。ヘンスローがぐだぐだと挨拶しようとしたが止めさせて歩き出した。

地上車十台で弁務官府に向かう。危険分散のため主だった者は別々に乗った。本当なら俺はヘンスローと一緒に地上車に乗って話をするべきなんだがヘンスローにはあまり期待は出来そうにない。という事で俺が同乗者に選んだのはモンテイユだ。

大らかな性格で気遣いせずに済むのが有り難い。モンテイユだけじゃなく諮問委員会の他の委員も結構良い人間が送られてきている。厄介者を押し付けられるかと思ったがそうでもなさそうだ。たまにはサアヤ以外の人間と一緒というのも悪くない。帰りにはお土産を買っていくか、皆の分が要るな、日持ちのする焼き菓子の類が良いだろう。

「繁栄していますね、貴族連合軍に酷い目にあったと聞いていたのですが……」
「そうですね、繁栄しています。何も無かったようです」
地上車から見えるフェザーンは十分に賑わっていた。数ヶ月前、貴族連合軍の前に怯えていたフェザーンの姿は何処にもない。まあ街を破壊されたわけでは無いからな、何も無かったように見えるのだろう。

もっとも人の心が受けた傷は目には見えない。このフェザーンには苦しんでいる人間達がいるはずだ。妻を、夫を、家族を失った者……。哀れだとは思わない、同情もしない。同盟にも帝国にも長い戦争の間に家族を失った者は大勢いる。その陰でフェザーンの自治領主府は陰謀を企みフェザーン市民は金儲けに勤しんでいたのだ。自業自得とは言わないが憐れみや同情はするべきではない。

高等弁務官府に着くと直ぐにヘンスローが傍に寄ってきた。相変らずヘンスローは頻りに汗を拭っている。見ているだけで暑苦しい。
「お疲れでは有りませんか、ヴァレンシュタイン委員長。少し休まれては如何でしょう?」
「いえ、少しお話したい事が有ります。話が出来る部屋を用意してください」
ヘンスローは鼻白んだが執務室へと俺を案内した。同行者はハルディーンとヴィオラだ。ヘンスローは面白く無いだろうな、俺みたいな若造にペコペコするのは。

ヘンスローには油断は出来ない。貴族連合軍がフェザーンを占拠した時、ヘンスローは連中に殺されてもおかしくは無かった。だがヘンスローは殺される事無く生きている。彼を守ったのはボルテックだろう、他には考えられない。つまりルビンスキー拉致後もヘンスローはフェザーン自治領主府と繋がりが有ったという事だ。そして今も有るのかもしれない。

失敗だったかな、フェザーンを占領した時、ヘンスローを拘束するという手も有った。しかし後任者が居なかった。それにあの時点では主戦派の暴発と鎮圧が最優先事項だった。自然とヘンスローへの対応は後回しになってしまった……。ヘンスローの執務室で話を始めた。こいつ、この部屋で仕事をした事が有るんだろうか、妙に小奇麗な部屋だ。

「ヘンスロー弁務官、これから政府の決定を伝えます。貴方の弁務官としての任務は九月一日の条約調印式に参列する事を以て終了します。後任の弁務官はアブドーラ・ハルディーン氏です」
「……」
ハルディーンが挨拶したがヘンスローは眼が飛び出そうな表情をしている。まあいきなり聞けばそうなるよな。

「調印終了後、貴方は私と一緒にハイネセンに帰還する事になります。九月一日までに身辺整理とハルディーン氏との引継ぎを終了させて下さい」
「九月一日……、それは、いくらなんでも。もう少し時間を……」
眼が泳いでいる。愛人の事でも考えてるのかな。最後に思いっきり楽しみたいとか? 往生際が悪いよ、止めを刺すか。

「残念ですがそれは認められません。ヘンスロー弁務官、同盟政府は貴方がフェザーンの自治領主府と親しくなり過ぎたと認識しています。これ以上貴方を高等弁務官の地位に置くのは同盟の国益を損ずる事になると考えているのです。私が何を言っているか、お分かりですね?」
「わ、私は、国益を、損ずるなど」
また汗を拭いだした。

「否定しても無駄ですよ、同盟政府は全てを知っています。アドリアン・ルビンスキーが政府の保護下に有る事を忘れないでもらいましょう」
今度はガタガタ震えだした。忙しい奴だな、しかしパニックになられても厄介だ、馬鹿げた事を仕出かしかねない。

「安心してください、ヘンスロー弁務官。ハイネセンに戻っても貴方が処罰を受ける事は有りません」
露骨にホッとしている。
「但し、今後は貴方の行動は二十四時間、同盟政府の監視下に置かれます。貴方を利用しようとする勢力が接触を図るかもしれません。それを防ぐためです、理解してください」
ヘンスローの顔が引き攣った。散々楽しんだんだ、もう十分だろう。

「九月一日までの貴方の行動はヴィオラ准将の監視下に置かれます。准将の指示に従って下さい。それと外出は調印式まで禁止です」
ヘンスローは情けなさそうな表情で俺、ヴィオラ、ハルディーンを見た。ウンザリした、ヴィオラとハルディーンも不愉快そうな表情をしている。まあこれでハルディーンはフェザーンの誘惑に乗ることは無いだろう。

ヘンスローがヴィオラに付き添われて部屋を出て行く。俺とハルディーンが部屋に残った。
「今後は貴方がこの部屋に詰めてください。ヴィオラ准将に協力してもらって職務の把握を、不明点はヘンスロー弁務官に確認してください」
「分かりました」
まあヘンスローに確認するのは無駄かもしれん、ハルディーンも期待はしていないだろう。

ドアをノックする音が聞こえた。誰だ? ヴィオラにしては早すぎる。入室を許可するとモンテイユが入って来た。緊張しているな、何か有ったようだ。
「どうかしましたか?」
「ハイネセンから連絡が有りました。イゼルローン要塞で反乱が起こったそうです。トリューニヒト議長が至急ヴァレンシュタイン委員長と連絡を取りたいと」

ハルディーンが“馬鹿な”と呟いた。気持ちは分かる、フェザーン到着日にイゼルローン要塞で反乱か。手荒い歓迎だな、ハルディーンにとっては生涯忘れられない一日になるだろう。俺も忘れる事は無さそうだ。さて、イゼルローン要塞で反乱か。どの程度のものなのか……。

既にイゼルローン要塞を制圧したのか、それとも要塞内部で戦闘中なのか……。ハイネセンから連絡が有ったという事は反乱は大規模なのかもしれない。裏で糸を引いてる奴が居るかもしれん、地球教、そしてフェザーン。まさかとは思うが地球教とペイワードが手を組んだ? 取り敢えずトリューニヒトに連絡をするか……。

 

 

第百三十一話  反乱



宇宙歴 796年 8月 25日  フェザーン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ハイネセンに連絡する前にヴィオラを執務室に呼んだ。イゼルローン要塞で反乱が起きた事を話すと“何と!”と驚いていた。気になる事が有った。フェザーンに到着した時報道関係者が押し寄せて来た。この件の所為だと思うかとヴィオラに確認したがそれは無いと断言した。そうだよな、知っていたならもっと大騒ぎになったはずだ。

いや、この高等弁務官府は大勢のマスコミ関係者に取り囲まれているだろう。という事はフェザーン人は未だ反乱の事実を知らないと見て良い。しかしそれも時間の問題だろう。喜ぶだろうな、フェザーン人は。反乱が長引けば長引くほどフェザーン回廊の重要性は高まるのだから。

執務室のTV電話からハイネセンの最高評議会議長室に連絡をしたがトリューニヒトは不在だった。秘書の話では臨時の最高評議会を開いているらしい、そのまま会議室に転送された。スクリーンにトリューニヒトが映った。トリューニヒトの後ろには最高評議会のメンバーが何人か映っている。
『君か、ヴァレンシュタイン委員長、待っていたよ』
良くないな、トリューニヒトはかなり困惑している。事態は深刻らしい。

「イゼルローン要塞で反乱が起きたと聞きましたが要塞は占拠されたのですか?」
トリューニヒトが頷くとヴィオラが太い息を吐いた。
『つい一時間前、レムシャイド伯から連絡が有った。要塞は既に占拠されたらしい。昨日、首謀者から帝国政府に対して連絡が有ったそうだ』
昨日? 連絡が遅い! 自分達だけで解決しようとした、反乱をやめるように説得したが失敗した。そして説得は不可能と見てこっちに連絡してきたか。非常時の連絡体制が不十分だ、もう少し緊密さを持たないと……。もっとも反乱が起きましたなんてなかなか言えないか。

『駐留艦隊も反乱に同調しているそうだ』
顔は見えないがネグポンの声だった。駐留艦隊も反乱に同調しているとなるとかなりの規模だな。今度はハルディーンが太い息を吐いた。
「首謀者は誰なのです? 要塞司令官、駐留艦隊司令官ですか?」

『いや、彼らは拘束されたそうだ。反乱の首謀者は要塞司令部、駐留艦隊司令部の参謀達らしい。それに兵達が同調したようだ』
今度はグリーンヒルだ。運が悪いな、就任早々大問題だ。それにしても常日頃仲の悪い連中が手を組んだか、結構深刻だな。いや待て、艦隊が配備されたのは一年ほど前だ。仲はそれほど悪くないのかもしれん。

「反乱者達の要求は?」
『イゼルローン要塞を国際協力都市にする事を白紙撤回する事だ。連中は同盟がイゼルローン要塞を攻略する事が出来ないから交渉で無力化しようとした、そう考えている。それが我慢ならないらしい』
トリューニヒトが遣る瀬無さそうに答えた。要塞を敢えて攻略しなかった事がこの事態を引き起こした、上手く行かない、そう思っているのだろう。

難攻不落、イゼルローン要塞か。帝国軍人、いや帝国人にとっては誇りだろう。駐留艦隊も要塞守備兵も仲は悪くてもイゼルローン要塞には愛着が有ったという事か、それを見落としたな……。国際協力都市、いずれは帝国にとってなくてはならない都市になる筈だったんだが……。

帝国人にとってはそんな事ではイゼルローン要塞を失う屈辱は我慢出来なかったという事だ。特に要塞を守っている連中にとってイゼルローン要塞に対する想いは反乱を起こさせる程に強かった……。ヤンを笑えないな、理想に酔ったとは思いたくないが人間の感情を、誇りを軽視した。理と利を追及しすぎて情を無視したわけだ。俺はオーベルシュタインか、落ち込むわ……。

『こちらからは捕虜を返したが帝国からは捕虜が返っていない。反乱者達は帝国政府に対して捕虜の返還を取り消すようにと要求している。連中は同盟と帝国が協力するのが我慢出来ないようだ』
そう言えば第七次イゼルローン要塞攻略戦では要塞の目の前で遠征軍と駐留艦隊を殲滅したな、恨み骨髄か。それも見落としたな。

「議長、帝国政府はこの事態に何と言っているのです?」
トリューニヒトが軽く息を吐くのが分かった。
『レムシャイド伯の言葉によれば反乱は許される事ではないと言っている。捕虜はフェザーン回廊経由で返還するとの事だ』
なるほど、今の所帝国政府が反乱勢力に同調する心配は無いか。良いニュースを初めて聞いたな。しかし長引けばどうなるか分からん。モンテイユがホッと息を吐くのが分かった。

「フェザーンの独立については何か言っていますか?」
『いや、それについては何も言っていない。……ヴァレンシュタイン委員長、君は疑っているのかね?』
「ええ、疑っています」
俺が答えるとトリューニヒトが顔を顰めた。

『我々の間でもその事が指摘された。何処かでフェザーン、或いは地球教が絡んでいるのではないかとね。今関係が無くても反乱が長引けば何処かで絡んでくるのではないかと見ている。レムシャイド伯も同じ事を危惧していた。厄介な事だ』
「レムシャイド伯は反乱鎮圧の目処について何か言っていましたか?」
トリューニヒトが首を横に振った。

『いや、何も言わなかった。鎮圧する目処が立たんのだろう、何と言っても難攻不落だからな』
「そうでしょうね。大体帝国軍はイゼルローン要塞攻略なんて考えた事は無いでしょう。そのうち同盟軍に攻略方法を聞きに来るかもしれません」
俺が答えるとスクリーンから力の無い笑い声が聞こえた。いかんな、冗談を言ったのに反応が弱い。皆気落ちしている。

「同盟市民は反乱の事実を知っているのですか?」
『未だ知らないが時間の問題だろうな。蜂の巣を突いた様な騒ぎになるだろう。……フェザーンは如何かね?』
「こちらも知らないようですが、同じように時間の問題でしょう」
『厄介だな、政府発表をしなければならんがどういう発表にするかで悩んでいる。頭が痛いよ』
おいおい、そんなに顔を顰めなさんな。顔面神経痛にでもなったんじゃないかと心配するじゃないか。

「嘘を吐いても仕方ありません。正直に話すべきでしょう」
『そうは言うがね、反乱が起きた事、捕虜はフェザーン経由で返還される事は問題無い。しかし反乱鎮圧の目処は如何するかね? 必ず訊かれると思うが』
スクリーンからトリューニヒトに同意する声が聞こえた。そんなの知った事か、帝国に聞いてくれ、って言うのは駄目なのかな? ……駄目だろうな。長引かせる事は出来ない、帝国と同盟の協力にも影響が出かねない。妙な事を考える奴が出る可能性も有る。仕方ない、あれをやるか。イゼルローン要塞の難攻不落伝説にピリオドを打ってやる。

「反乱は半年以内に鎮圧されると発表してください」
あ、皆が俺を見ている。何言ってるんだ、こいつ。そんな感じだな。
『根拠が有るのかね? 半年以内に鎮圧出来なければ問題になるが』
「有ります。こちらからイゼルローン要塞攻略案を帝国に提示しましょう。準備に時間はかかりますが攻略そのものは難しくありません」
どよめきが起きた。“おー”とか“まさか”とか騒いでいる。

『本当かね、それは』
「本当ですよ、トリューニヒト議長。イゼルローン要塞攻略案はこちらで作成してハイネセンに送ります。そちらで内容を確認して頂きレムシャイド伯経由で帝国に送って貰いましょう。如何ですか?」

俺が問い掛けるとトリューニヒトが周囲に確認を取った。どうやら反対意見は出なかったようだ。シャフトに感謝だな、この世界では移動要塞の提案者は俺という事になる。ところであいつ、この世界でもフェザーンと繋がりが有るのかな? 注意は必要だな。

『良いだろう、早急に攻略案を用意して欲しい』
「分かりました、遅くとも明日にはお渡しします」
声が明るくなったな、良い傾向だ。
『ところで一つ訊いていいかな、ヴァレンシュタイン委員長』
ターレルが問い掛けてきた。大体何を訊きたいかは分かる。だが“どうぞ”と促した。

『そんなに容易くイゼルローン要塞を落とせるならどうして攻略しなかったのかね』
「簡単です、同盟はその攻略方法を使う事が出来なかったからです。まあ例え可能でも攻略には反対しました。その辺りは議長閣下に聞いてください。私は準備が有りますのでこれで」
詮索されるのは苦手だ、さっさと仕事にかかるか。



帝国暦 487年 8月 26日  オーディン  ゼーアドラー(海鷲) アウグスト・ザムエル・ワーレン



「まさかイゼルローン要塞で反乱とは」
「首脳会談も無事終わりこれから国内改革に専念出来るというのに」
「軍も同様だ。戦争が無くなりようやく再建出来る、そう思った矢先だ」
「厄介な事になった」
ロイエンタールとミッターマイヤーの会話に皆が頷いた。

「卿ら、艦隊の状況は?」
ビッテンフェルトの問い掛けに皆が顔を顰めた。
「訊くな、ビッテンフェルト提督。まだまだ訓練不足だ、皆もそうだろう?」
俺が尋ねると皆の表情が更に渋いものになった。

今夜はメックリンガー、クレメンツ、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ビッテンフェルト、アイゼナッハ、俺の七人で飲みに来ている。俺達は貴族連合軍の残党の掃討で中将に昇進し宇宙艦隊の正規艦隊司令官になった。ここには居ないがミューゼル大将は宇宙艦隊総参謀長に、そしてケスラー中将が副参謀長になっている。下級貴族、平民である俺達にとっては順風満帆、我が世の春なのだがどう見てもそうは思えない。泥濘に足を取られ頭のてっぺんから爪先まで泥に塗れてもがいている様な気がする。不幸感で胸が一杯だ。

「参ったな、今の状況でイゼルローン要塞を攻略しろと言われても……」
「攻略出来たとしてもこちらの損害も無視出来ないものになるだろう」
「そうだな、……大体そんな簡単に攻略出来る物ならとっくに持ち主は変わっている筈だ」
いかんな、現状を憂いるというより泣き言と愚痴になっている。陰々滅々、そんな感じになってきた。

しかし現状は悲惨というより陰惨だ。宇宙艦隊は約一万隻程度の正規艦隊を七個保有しているに過ぎない。総兵力は八万隻を僅かに超えただけで兵力も質も再建はこれからなのだ。そんな中、イゼルローン要塞と駐留艦隊が反乱を起こした。駐留艦隊だけでも一万五千隻を超える。失う事は帝国にとって大き過ぎる損失だ。おまけに要塞攻略の目処も立たない。攻略に失敗すれば大損害を被るだろう、軍の再建がそれだけ遅れる事になる。

「いっそ反乱軍、いや同盟軍にイゼルローンを攻略してもらっては如何だ?」
「はあ、ビッテンフェルト提督。卿、一体何を言っているのだ? 正気か」
俺がビッテンフェルトを窘めるとメックリンガー提督が“いや、待て”と俺を止めた。皆も不思議そうな表情でメックリンガー提督を見ている。ビッテンフェルトもだ、こいつ、何を考えてるんだ? さっぱり分からん。

「面白い、一理あるな」
「……」
大丈夫か、メックリンガー提督。皆が心配そうに彼を見た。一番心配そうに見ているのはクレメンツ提督だった。それに気付いたのだろう、メックリンガー提督が苦笑を浮かべた。
「そんな顔をするな、私は正気だ。我々にはイゼルローン要塞攻略の経験は無い。当然だがノウハウも無い。だが同盟軍には失敗したとはいえ経験が有る。入手出来るのなら入手した方が良いだろう。要塞攻略に繋がる何かが有るかもしれんし損害を軽減出来る筈だ」

なるほど、言われてみればその通りだ。皆も頷いている。
「いっそヴァレンシュタインを連れて来ては如何だ?」
「また卿は突飛な事を」
「今回の反乱はイゼルローン要塞を国際協力都市にしようとしたのが原因だろう。ならば奴にも責任は有る、そうではないか?」
真顔で問うな、ビッテンフェルト。皆が困っているだろう。

「まあ難しいだろうな」
「しかし実現すれば面白いな。奴がどんな作戦を考えるのか興味が有る」
ロイエンタール、ミッターマイヤーの会話に皆が頷いた。
「落とせるかな、あれを」
俺が問い掛けると皆が唸った。

「分からんな、増援は無いから大軍を用いれば、……そういう思いはある。しかしそれでも可能だろうかという疑問も有る」
皆がクレメンツ提督の意見に頷いた。それから暫くの間は“落とせる”、“落とせない”、“兵力は?”等と喋った。現実逃避かもしれないが少し楽しかった。俺だけではないだろう、皆も楽しかった筈だ。何度か笑い声も上がった、アイゼナッハも声を出さずに笑った。

「お客様、ミュラー少将から連絡が入っております」
ウェイターが声をかけてきたのは話が一段落ついた時だった。皆が顔を見合わせた。“厄介事かもしれんな、私が出よう”、そういうとメックリンガー提督がTV電話の有る方へと向かった。クレメンツ提督が“すまんが冷たい水を七人分頼む、急いでな”とウェイターに頼んだ。

メックリンガー提督が戻ってくるのとウェイターが水を持って来たのは殆ど同時だった。メックリンガー提督は席に座ろうとしない。召集がかかったか。何かが起きたようだ。
「何か有ったか、メックリンガー提督」
ビッテンフェルト提督が問い掛けると“うむ”と頷いた。

「宇宙艦隊司令部に集まれとの事だ。要塞攻略について作戦会議を始めるらしい」
「今からか?」
思わず声が高くなっていたがメックリンガー提督は無言で頷いた。そして立ったまま水を飲み始めた。皆顔を見合わせた、そして急いで水を飲んだ。急がなくてはならない。

宇宙艦隊司令部に行くと直ぐに会議室に行くようにと指示された。会議室にはオフレッサー元帥、ミューゼル総参謀長、ケスラー副参謀長が既に居た。元帥は不機嫌そうな表情をしている。良くない傾向だ、待たせた事を詫び席に着いた。
「揃ったようだな、ではこれからイゼルローン要塞攻略について作戦会議を始める」

オフレッサー元帥の発言を聞きながら妙だと思った。そう思っているのは俺だけでは有るまい。ミューゼル総参謀長もケスラー副参謀長も訝しそうな表情をしている。つまりこの二人も会議の内容を何も知らないという事だ。オフレッサー元帥が自分で攻略案を考えたのか? それともこれから皆で検討する? どちらもピンと来ない。

「自由惑星同盟からイゼルローン要塞の攻略案が送られてきた。攻略案を考えたのはヴァレンシュタインらしい」
彼方此方から声が上がった。皆驚いている、酒場の冗談が本当になった。体に残っていたアルコールの残滓がきれいに抜けたような気がした。

「いささか突拍子もない案だ。政府は酷く混乱している。財務省、軍務省、統帥本部、それと俺達に攻略案を検討しろと命令が有った。ああ、それから科学技術総監部もだな」
また皆が顔を見合わせた。軍務省、統帥本部、宇宙艦隊司令部は分かる。科学技術総監部? 財務省? なんだそれは。

「作戦案の根幹にあるのは要塞には要塞を以って対抗するという事だ」
「……」
はあ? なんだそれは。ヴァレンシュタインは何を考えた?
「ガイエスブルグ要塞をもってイゼルローン要塞を攻略する」
ガイエスブルグ要塞? 駄目だ、さっぱり分からん……。唯一の救いは皆が困惑している事だ。元帥は何を言っているのだ?



 

 

第百三十二話 要塞攻略案



帝国暦 487年 8月 27日  オーディン  宇宙艦隊司令部 アウグスト・ザムエル・ワーレン



八月二十六日から二十七日へと日付が変わった。作戦会議は終了しオフレッサー元帥、ミューゼル総参謀長、ケスラー副参謀長は既に退席している。残った俺達の席の前にはコーヒーが置いてあった。先程ミュラー少将が持ってきてくれたものだ。だが誰も口を付けようとしない。無言で考え込んでいる。コーヒーを持ってきたミュラーも含めて……。

メックリンガー提督がフーッと太い息を吐いた。
「クレメンツ、卿は如何思うのだ、元教え子の作戦案を。採点してくれんかな」
「からかうな、メックリンガー。今ではこちらが教えを請いたいくらいだ」
クレメンツ提督がほろ苦く笑った。そして”途方もない事を考える男だ”と言って真顔になった。

確かに途方もない事を考える男だ。ここに居る男達はいずれも胆力に優れた男達だ。そうでなければ百万以上の将兵の命を預かる事など出来ん。だがヴァレンシュタインの提示した作戦案の前に皆が沈黙している。度胆を抜かれたとしか言いようがない。退席したオフレッサー元帥、ミューゼル総参謀長、ケスラー副参謀長も何処か気落ちした様な表情をしていた。

”作戦案の根幹にあるのは要塞には要塞を以って対抗するという事だ”
” ガイエスブルグ要塞をもってイゼルローン要塞を攻略する”
オフレッサー元帥が何を言っているのか、ヴァレンシュタインが何を考えたのか、さっぱり分からなかった。まさか要塞にワープエンジンと通常航行用エンジンを取り付けイゼルローン回廊まで運ぶとは……。

「ガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊まで運べるかどうかは技術的な問題だ。そこは置いておこう。それ以外の攻略案に関して言えば極めて理に適っていると私は思う」
クレメンツ提督が考えながら、言葉を選びながら話し出した。

「理に適っているか?」
「うむ。イゼルローン要塞を難攻不落たらしめているのは三つの要因によるものだ。一つ、要塞の持つ堅固な外壁。二つ、トール・ハンマーの持つ圧倒的な破壊力。三つ、動けない要塞を助ける機動力を有する駐留艦隊。その三つの要因が有機的に結合する事でイゼルローン要塞は難攻不落となった」
皆が頷いた。

「同盟軍はイゼルローン要塞を攻めたが攻略する事は出来なかった。ヴァレンシュタインは過去の失敗から艦隊戦力を以てしてはイゼルローン要塞を攻略する事は極めて困難であると考えたのではないかと思う。艦隊戦力だけでは三つの要因を打ち砕く事は出来ないと。第七次イゼルローン要塞攻略戦が要塞の攻略では無く艦隊戦力の撃滅になったのもその認識が有ったからだと私は考えている」
彼方此方から唸り声が起きた。

「そう考えると今回のガイエスブルク要塞の利用の意味が良く分かると思う。ヴァレンシュタインはイゼルローン要塞を難攻不落たらしめている三つの要因を無力化しようとしているのだ。ガイエスブルク要塞と圧倒的な艦隊戦力が有ればそれが可能だと考えている。彼が示した四つの攻略案はいずれもその事を示しているだろう」
「なるほど」
メックリンガー提督が相槌を打った。皆も頷いている。

攻略案は四つあった。一つ目はガイエスブルク要塞をトール・ハンマーの死角に運びそこから要塞主砲で攻撃するというものだ。反乱軍がそれを妨害しようと駐留艦隊を出撃させてもこちらの方が兵力は多い、簡単に撃滅出来る。連中にはイゼルローン要塞が破壊される前に降伏するしか生き残る道は無い。

二つ目はガイエスブルク要塞の主砲を以ってイゼルローン要塞のメインポートを射程範囲内に捉えるというものだ。そうする事で駐留艦隊の出撃を封じる。そしてこちらの艦隊を以ってイゼルローン要塞の外壁を破壊しそこから陸戦隊を送り込んで内部から制圧する。自由惑星同盟が第六次攻防戦で行った戦法だ。制圧目標は司令部、又は核融合炉になる。

三つ目はガイエスブルク要塞をイゼルローン要塞にぶつけるというもの。これが一番驚いた。説明を受けているときも“馬鹿な”、“正気か”という声が出たほどだ。但し作戦にはぶつけると言って降伏させろと書いてあったらしい。主目的はぶつける事よりも降伏を促す事なのだろう。そして四つ目は上記三案を反乱者達に通知し降伏を促すというものだった。

「ガイエスブルク要塞を見れば、そしてガイエスブルク要塞の主砲で一撃されれば、それだけで連中は戦意を喪失するかもしれん。連中が反乱を起こしたのもイゼルローン要塞が難攻不落だと思えばこそだ。それが崩れれば反乱は早期に終結する可能性が有るな」
「というより内部分裂が起きる可能性も有るんじゃないか」
ロイエンタールとミッターマイヤーの遣り取りに皆が頷いた。

「ガイエスブルク要塞の改修には結構時間がかかる筈だ。その間はこちらも艦隊訓練に専念できる。そういう意味でも有り難いな」
「そうだな、ワーレン提督の言う通りだ。どのくらい改修に時間がかかるか分からんが一月という事は有るまい、もっとかかる筈だ。反乱鎮圧には万全の状態で取り掛かれるだろう」
満足そうだな、ビッテンフェルト。

先程からミュラーは会話に加わらず深刻そうな表情で何かを考えている。彼とアイゼナッハだけが何も喋らない。
「ミュラー少将、何か気になる事でもあるのか?」
声をかけるとミュラーは困ったような表情を浮かべた。

「クレメンツ提督、提督はエーリッヒがあの作戦案を考えたのは亡命してからだと思いますか?」
クレメンツ提督が訝しげな表情を浮かべた。
「……違うというのかな、ミュラー少将」
ミュラーが“ええ”と頷いた。

「エーリッヒの作戦案を小官も見ましたが余りにも詳細に過ぎると思うのです。今回の反乱を契機に考えたとは思えないのですが……」
会議室の空気が重くなった。皆も考え込んでいる。
「ガイエスブルク要塞の事など小官はこれまで気にした事は有りませんでした。具体的な要塞の性能など何も知らなかった。しかしあの作戦案にはガイエスブルクの持つ性能が記載されています。同盟に居たエーリッヒにガイエスブルク要塞の事が分かったとは思えません。それなのに何故あの作戦案が出て来るのか……」

「帝国に居た時に考えた、そう思うのだな?」
クレメンツ提督が答えるとミュラーが“ええ、そうとしか思えません”と頷いた。呻き声が起きた、ビッテンフェルトが“馬鹿な”と呟いた。俺も馬鹿なと思った。帝国に居て何故イゼルローン要塞攻略を考えるのだ?

「そうですね、馬鹿げています。しかしどう考えてもそうなるんです。……あいつ、一体何を思ってイゼルローン要塞攻略を考えていたのか……」
最後は呟く様なミュラーの口調だった。皆が顔を見合わせた。
「ゲーム、かな」
ロイエンタールが呟いた。皆の視線がロイエンタールに集中する。ロイエンタールが困惑を見せた。

「いや、何となくそう思ったのだ。難攻不落など無い、ただそれを証明したかったんじゃないかと」
「……」
「馬鹿げているかな?」
俺には答えられなかった。そして誰もロイエンタールの問いに答えなかった。



帝国暦 487年 8月 30日  オーディン  新無憂宮  オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「皆、御苦労である。これよりイゼルローン要塞攻略の作戦会議を始める。始める前に注意しておく。今回の一件、帝国の一大事である。故に陛下の御臨席を願った。皆、忌憚無い意見を述べるように」
新無憂宮の一室で会議の開催を宣言すると出席者がそれぞれの表情で頷いた。

軍からは軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥、宇宙艦隊司令長官オフレッサー元帥、宇宙艦隊総参謀長ミューゼル大将、科学技術総監シャフト大将。他には内務尚書リッテンハイム侯、財務尚書ゲルラッハ子爵が出席している。そしてアマーリエとわしの合計九人。

場合によってはイゼルローン要塞の破壊を選択するという事も有り得るだろう。アマーリエがここに居るのは皇帝も了承しているという事を示すためだ。それほどまでに今回の反乱鎮圧は厄介で複雑な事になっている。何と言っても攻略案を示してきたのは同盟なのだ。

「先ず、ガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊まで移動させる事が可能かどうか、シャフト技術大将、科学技術総監部の意見を聞きたい」
皆の視線がシャフト技術大将に向かった。同盟からの連絡にはシャフトがフェザーンと通じている可能性が有るとの指摘も有った。

シャフト本人もそれを認めた。もっともフェザーンと地球教の関係を知ってからは恐ろしくなって手を切ったと言っている。フェザーンも混乱した所為でそれ以降の接触は無くなったとも。現時点においてシャフトは憲兵隊、内務省の監視下に置かれている。本人もその事は分かっている。

「ガイエスブルク要塞に通常航行用エンジンとワープエンジンを取り付けさらに進路方向制御用の補助エンジンを側面に取り付ける事で軍事移動要塞とする。理論上は十分可能であると言えます」
皆が頷いた。理論上は可能だろう、ワープ航法は既に確立された技術だ。要塞を運ぶなど突拍子もない案だが考えてみれば運ぶ物が大きくなっただけだ。不可能ではあるまい。

「問題は実現性です。まず第一に質量とエンジン出力を調整しなくてはなりません。約四十兆トンの質量を持つガイエスブルク要塞を動かす事が可能なだけのエンジン出力が必要となるのです。膨大なエネルギーと言ってよいでしょう」
シャフトの説明に何人かが太い息を吐いた。アマーリエも小さく息を吐いている。

イゼルローン要塞の反乱が無ければ、こんな話を聞いたら馬鹿馬鹿しいと一喝しただろう。未だにこの話している内容が信じられない思いがする。悪い夢でも見ているのではないだろうか? いやイゼルローン要塞の反乱そのものが悪夢であることを考えれば解決策が悪夢になるのは当然か。まして解決策を提示したのがニーズ・ホッグであれば……。

「これを実現するためには同盟からの作戦案に有りましたようにそれぞれ十二基の通常航行用エンジンとワープエンジンを取り付ける必要があるでしょう。これの制御が技術面における問題になります」
「……」

「複数のエンジンを使う以上完全に連動させなければなりません。ワープエンジンの出力にばらつきがあれば、またその同期にばらつきがあれば、どのような結果になるか……。ガイエスブルク要塞は亜空間で行方を絶つか原子に還元してしまうという事も有り得ます」
シャフトの説明に皆が顔を顰めた。実現出来るのか、そう思ったのだろう。

「通常航行用のエンジンについても同様です。これらの出力にばらつきが有れば要塞は進路を保てません。バランスを崩し非常に危険です。先程も言いましたがガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊に運ぶにはこのエンジンの制御が技術面における最大の問題になります」

「そして宇宙工学的な問題も有ります」
「工学的?」
アマーリエが声を出すとシャフトが“はい”と頷いた。
「質量四十兆トンを超えるガイエスブルク要塞がワープ・イン、ワープ・アウトした場合、それが一体通常空間にどのような影響を及ぼすのか。時空震の発生が致命的なものにならないか、その検証が必要です」
溜息が出た。わしだけではない、皆が溜息を吐いている。

「科学技術総監部としてはそれらの問題は解決可能だと考えているのかな、答えてくれ」
リッテンハイム侯が質問するとシャフトが僅かに姿勢を正した。
「解決は可能だと考えています」
「時間はどの程度かかる?」
「改修、試験運用に約三カ月を想定しています。もちろんこれは現時点においてです。新たな問題点が発見されればその分だけ時間は伸びます」

「統帥本部はどのように考えるか? シュタインホフ元帥」
アマーリエがシュタインホフに答えを促した。
「はっ。技術的な問題が解消されガイエスブルク要塞をイゼルローン回廊に運ぶ事が可能であるならば、同盟より提示されました作戦案を実行するべきかと考えます。実際問題としてそれ以上の攻略案を我々は持ちませぬ」
渋い表情だ、攻略案を提示されるなど屈辱でしかないのだろう。

「宇宙艦隊は如何思うか?」
アマーリエの問いが続く、オフレッサーが僅かに頭を下げた。
「宇宙艦隊も統帥本部と考えを同じく致します」
「では具体的にはどの攻略案を採るのか?」
「それにつきましてはミューゼル総参謀長よりお答えします」
オフレッサーの答えにミューゼルが頭を下げた。

「帝国の現状を考えますと出来れば戦う前に降伏させたいと思います。帝国軍同士での戦力の潰し合いは避けるべきでしょう」
ミューゼルの言葉に皆が頷いた。ふむ、以前はもっとぎらついた目をする男だったが少し変わったな。
「先ず第四案を使い反乱者達に降伏を促します。降伏しなかった場合は第一案から第三案のいずれかによってイゼルローン要塞を攻略する事になります」

「第三案は止めて貰いたい。イゼルローン要塞とガイエスブルク要塞を両方失うのは余りにも痛すぎる」
ゲルラッハが渋い表情で言った。
「財務省は国際協力都市イゼルローンに期待している。金銭的なものだけではない、イゼルローンから得られる利益は非常に大きいと見ているのだ。辺境星域も大きく発展するだろう。財務省はこれを機に積極的に辺境星域を開発するべきだと考えている」
財務省だけではない、わしもリッテンハイム侯も同じ考えを持っている。政府の公式見解と言って良い。

「軍務省も第三案は避けて貰いたいと思っている。ガイエスブルク要塞が動くのであればイゼルローン方面の要塞にも使える。そうなれば新たな要塞建設はフェザーン方面だけで済む。帝国の防衛体制は早期に完成するだろう。後はゆっくりと宇宙艦隊の編成を行えばよい。だが第三案を採れば先ずイゼルローン要塞の建設から始めねばならん」
エーレンベルクがゲルラッハに続いた。

同盟からは新たなイゼルローン要塞の建設には同盟も資金を出すと言っている、共同で建設しようと。正直有難くない申し出だ。そうなればイゼルローンから帝国が得られる利益は格段に減るだろう、うかうかとは乗れない。しかし断れば帝国の防衛体制に遅れが出るのも事実。反乱など起こした馬鹿共を絞め殺してやりたい思いだ。

「もちろんその辺りの事情は宇宙艦隊も分かっております。第三案を採るのは最後の手段です。攻略には第一案、第二案を優先して使用します」
「……」
「成功率が高いのは第一案ですがイゼルローン要塞の損傷が酷いのも第一案です。第二案はイゼルローン要塞の損傷は比較的軽微に済みますが作戦の成功率は第一案に比べれば格段に落ちます。同盟も一度要塞内部に兵を送り込んだ事が有りますが要塞制圧に失敗、撤退しました」

沈痛と言って良いミューゼルの口調に皆が顔を顰めた。ただ落せというなら難しくは有るまい。だが出来るだけ損害を少なくという条件が付けばとてつもなく難しくなる。オフレッサーもミューゼルも表情が厳しい。無理難題を押付けられている、そう思っているのだろう。

「これ以上宇宙艦隊に注文を付けるのは彼らの手足を縛る様なものではないかな。宇宙艦隊は状況を良く理解している様だ。彼らの判断に任せるべきだと思うが? 攻略案のどれを使用するかはイゼルローン回廊に行ってみなければ分からぬという事も有ろう」
「……」
わしの言葉に皆が渋々ながら頷いた。オフレッサー、ミューゼルの二人の表情が少し和らいだ。

ガイエスブルク要塞の改修に三月はかかる。その間に状況が変わるという事も有り得るだろう。反乱を起こした馬鹿共が反省して降伏する、又は伝染病で全員死んでしまうとかだ。ヴァレンシュタインに呪い殺させるという手も有るな、頼んでみるか。現実逃避かな、それとも名案か、呪殺料は一億帝国マルク、そんなところだろう。誰が反乱の首謀者か、確認しておくか……。



 

 

第百三十三話 フェザーン独立


宇宙歴 796年 9月 1日  フェザーン  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ペイワードとマリーンドルフ伯が見守る中、俺はサラサラと文書にサインした。フェザーンの独立を認める条約文書だ。文書はフェザーンが独立すると宣言し同盟と帝国がそれを認めるという形をとっている。但し条件付きだ。同盟がフェザーンに対して企業の株を返却した事、それに対してフェザーンが帝国への賠償請求を放棄した事。それにより帝国がフェザーンの独立を認める事……。

俺の名前の上にはペイワードとマリーンドルフ伯の名前が有る。ペイワードが一番上、二番目がマリーンドルフ伯、そして俺の順番だ。二日前、マリーンドルフ伯に頼まれた。ペイワードの次は自分にしてくれって。フェザーンの宣言に対して帝国と同盟のどちらが先に承認するかだがこういうのは上に有る方が有力者、あるいは強国とされている。

銀河帝国としては面子が有るからな。ここは譲れないという事だ。帝国はイゼルローン要塞が反乱を起こしているという状況だ。ここで面子を立てて貰わなければ反乱を起こしている奴に同調者を生み出しかねない、勢いを与えかねないと恐れている。特にフェザーンの独立だからな、帝国としては自治領の独立を帝国主導で行った、そういう形にしたいわけだ。

まあ同盟としては譲っても全然構わない。同盟市民の多くは帝国がフェザーンを手放したって事で満足している。そんな細かい事でグチャグチャ言わんさ。トリューニヒトにも確認を取ったが譲ってやろうと言って笑っていた。余裕だよな、フンフンと鼻歌でも歌いそうな感じだった。

調印式場は旧自治領主府の大広間で行っている。署名が終わると参列者から拍手が起こった。その中にはヘンスローも居る。彼にとっては最後の公務だ、ちゃんと拍手しろよ、それが仕事なんだから。三人で握手をした。ペイワードとマリーンドルフ伯、そして俺とペイワード。それぞれにフラッシュが焚かれ写真が撮られ拍手が起こった。ウンザリだよな、面白くも無いのにニコニコしながら握手して写真とか。ホント、政治家やってると人間不信になりそうだ。

調印が終わればハイネセンに帰国だ。御土産を用意した、フェザーンでは結構有名な菓子メーカーが作ったクッキーだ、きっと喜んでもらえるだろう。最高評議会、書記局、諮問委員会、統合作戦本部、宇宙艦隊司令部、後方勤務本部、第一特設艦隊、それとバグダッシュの所とローゼンリッターにそれぞれ二箱ずつ。あとワイドボーンとヤンとレムシャイド伯にも一箱送っといた。配達を頼んだから俺が帰る前には届くはずだ。

結構大量に買ったから店員さんが驚いていたな。いやそれとも配達先に驚いたのか。人の良さそうなおばちゃんだった。貴族連合に占領されている時は商売にならなかった、追い払ってくれて有難うと言われたが少々複雑な気分だった。フェザーンに向かわせろと頼んだのは俺だからな。大量に買ったのはそのせいかもしれない。

レムシャイド伯とシェーンコップとバグダッシュには特別にブランデーを一本送った。帝国産のブランデーだ。貴族が道楽で造ったブランデーなんだがそれだけに上物らしい。一本三千ディナールだがあの三人にはそれなりに面倒もかけている。それにどう見てもクッキーを喜ぶような可愛げは無い。たまには贅沢も良いだろう。爺さんは懐かしい味だと泣くかもしれんな。

「これでフェザーンは独立した。そういう事ですな」
ペイワードがにこやかに話しかけてきた。こいつも嬉しそうだが独立した事が嬉しいのかは疑問だ。多分別な事で帝国と同盟に対して優越感に浸っているのだろうと思う。平たく言えばザマアミロ、そんなところだ。

最近のフェザーンのマスコミの論調を見るとイゼルローン要塞の反乱は長期化するんじゃないかというものが多い。イゼルローン回廊を使った交易は当分不可能でフェザーンの地位は安泰だというわけだ。つまりイゼルローン要塞の反乱を歓迎している。連中の見解は推測というより願望に近いがこれまでの要塞攻略戦の実情からみれば荒唐無稽というわけでもない。

「そうですね、フェザーンは独立しました。フェザーン共和国の成立、心からお祝いを申し上げます」
「有難うございます、ヴァレンシュタイン委員長」
「フェザーンは自らの力で独立に責任を持つ事になりました。大変とは思いますがペイワード国家主席なら問題無くその責務を果たされると思います。そうではありませんか、マリーンドルフ伯」
「委員長閣下の言う通りですな」

あらあら、マリーンドルフ伯の視線がちょっと冷たい。独立で浮かれるフェザーンが面憎いのかもしれない。ペイワードも察したかな、頬が微妙に引き攣っている。でもね、あまり誤解をして欲しくない。俺が言ったのは一般論だよ、一般論。安全保障は統治者の大事な仕事だ、それを忘れるなと言っているだけだ。だからイゼルローン方面で妙な事をするんじゃないぞ。

「御教示、有難うございます。心しましょう」
ペイワード国家主席が軽く頭を下げた。フェザーンはフェザーン国家主席を国家元首とする民主共和政国家、フェザーン共和国に生まれ変わった。国家主席はフェザーン市民による直接選挙によって選出される。任期は五年、再選は何度でも構わない。

フェザーンには閣僚は居ない。一人の国家主席を十人の補佐官が助ける。この辺りはかつての自治領主府に良く似ている。国家主席は極めて独裁色の強い統治者だがその国家主席の暴走を抑える役目を持つのがフェザーン共和国市民会議だ。フェザーン市民から選ばれた約四百名の代議員から構成され彼らの三分の二が賛成すれば国家主席を罷免することが出来る。要するに強い統治者は必要だが暴走は許さない、そういう事だろう。

「ところでヴァレンシュタイン委員長、高名な軍人でもある委員長にお尋ねしたいのですが?」
「なんでしょう」
大体想像は付く。何と言っても質問しながらマリーンドルフ伯にチラッと視線を向けたからな。マリーンドルフ伯も想像出来たのだろう、ちょっと表情が渋い。

「イゼルローン要塞で反乱が起きていますが鎮圧は可能でしょうか? あの要塞は難攻不落と聞きますが」
「……」
マリーンドルフ伯が憮然としているぞ。そんなに嫌がらせをして楽しいか? 性格が悪いな、或いはそこまで帝国に対する感情が悪いと見るべきかな。俺が黙っているとペイワードが言葉を続けた。

「フェザーンには軍事面で高い見識を持つ人間が居ないのです。今後の政治経済に大きな影響を与える事ですので委員長の御考えを是非教えていただきたいのです」
「鎮圧には半年もかからないでしょう」
「半年ですか……」
不満そうだな、ペイワード。マリーンドルフ伯は驚いてはいない、既に知っていたな。

「帝国政府から同盟政府にそのように連絡が有ったそうです。帝国政府は反乱の鎮圧に自信が有るようですね」
「……」
「楽しみです、どのようにしてあの要塞を攻略するのか」
俺が笑いかけるとペイワードも“そうですな”と言ってふてぶてしく笑った。不可能だと思っているのだろうな。マリーンドルフ伯は困ったような表情だ。作戦案を考えたのは俺だと知っているのか、それとも半年で鎮圧するという事が信じられないのか……。

「ところで今度、自由惑星同盟の高等弁務官が交代する事になりました」
「……そうですか」
「ヘンスロー高等弁務官にとっては今日の調印式への参加が最後の公務になります」
「……」
ペイワードがヘンスローに視線を向けた。ヘンスローは精彩の無いしょぼくれた表情をしている。隣にはヴィオラ准将、反対側にはモンテイユが居た。ヴィオラ准将はフェザーンでは俺と並んでもっとも危険な人物と評価されているらしい。破壊工作の専門家だそうだ。まるでオットー・スコルツェニーだな。その内、映画の主人公になるかもしれない。

「ヘンスロー高等弁務官はそちらに随分と御迷惑をおかけしたようですね。彼はその事を非常に後悔しております。そちらの厚意に不必要に甘えてしまったと」
「……」
マリーンドルフ伯がちょっと面白そうな表情を浮かべてペイワードを見ている。他人の不幸は蜜の味だよな。まして相手が嫌な奴ならなおさらだ。伯爵は人格者かもしれないが聖人君子じゃないんだから、喜んだって誰も責めたりはしないさ。

「後任のハルディーン氏にはそのような事はしないようにときつく注意して有ります。ですから主席閣下、あまり度の過ぎたお気遣いは御無用に願います。自由惑星同盟、フェザーン、両国のためになりません。御理解いただきたいと思います、主席閣下」
ペイワードが顔を引き攣らせた。良くない傾向だな、皆が見ているんだぞ。

「それとヘンスロー高等弁務官はハイネセンに帰還後は二十四時間体制で護衛が付くそうです、意味はお分かりいただけますね?」
「……」
「主席閣下、スマイルですよ、スマイル。皆が見ております、さあにこやかに」
マリーンドルフ伯が笑い出しペイワードが泣き笑いのような笑みを見せた。何だよ、それは。人の親切を無にする奴だな、俺はお前を苛めていないぞ、励ましているんだ。勘違いするなよ、ペイワード。

不愉快な調印式が終わり高等弁務官府に戻ると直ぐにハイネセンのトリューニヒトに連絡を入れた。スクリーンにトリューニヒトの顔が映る、ペイワードの顔よりも可愛げがある様に見えた。多分気のせいだろうな。
『調印式は終わったのかね』
「ええ、無事終了しました。そちらは如何ですか?」
『経済界から反乱は本当に半年で鎮圧出来るのかと質問攻めだよ。彼らは新たなビジネスチャンスを早くものにしたいらしい』
そう言うとトリューニヒトが苦笑を浮かべた。

実は俺の考案した作戦案は俺が考案したという事も含めて公にはされていない。帝国から公表するのは待って欲しいと懇願されたのだ。反乱だけでも面目丸潰れなのに攻略案まで作って貰ったとなっては帝国の威信はガタ落ちだ、反発が出る可能性も有る。という事で表向きは帝国政府から鎮圧には半年かかると同盟政府に連絡が有ったという事になっている。反乱鎮圧後、帝国側から真実を公表する事になっている。面倒な話だよ、全く。

「辛い立場ですね、話せないとは」
『全くだ。何と言っても相手がイゼルローン要塞だ。なかなか納得してくれない。経済界からは反乱鎮圧には同盟軍を動かしてはどうかという声も有る。君を現役復帰させてね』
意味有りげな笑みをトリューニヒトが浮かべた。
「面白い冗談ですね」
『連中は結構本気だよ』
楽しそうだな、トリューニヒト。音頭取りはお前だとしても俺は驚かんぞ。

『ところでフェザーンの様子は如何かね?』
「予想した事では有りますが帝国に対する反感が強いですね」
『では同盟には?』
「反感は有るでしょう。何と言っても帝国とは協調体制を取っています。しかし帝国程憎まれてはいない、そんなところです」
トリューニヒトが“なるほど、気休めにはなるな”と言って頷いた。

『今回の反乱に絡んでいるかな? 或いは絡んできそうかな?』
「今のところは何とも言えません。反乱が鎮圧されれば何か分かるとは思いますが……」
『或いは反乱が長引くかだね。そうなれば動き出す人間が居るはずだ』
「そういう意味では半年というのはちょっと微妙ですね」
トリューニヒトが笑い出した、俺も笑った。

『そうだな、長過ぎはしないが短いとも言えない。中途半端ではある』
もう少し反乱が長引けば欲を持つ人間が出るかもしれない。中継貿易をフェザーン回廊一本に絞れれば旨味は大きいのだ。その常態化を望む人間が動く可能性は有るだろう……。



宇宙歴 796年 9月 3日  ハイネセン 統合作戦本部  シドニー・シトレ



『仕事をしているのか、シトレ』
「当然だろう、失礼な男だな、君は」
『そう怒るな、戦争が無くなって暇を持て余しているんじゃないかと思ったんだ』
冗談かと思ったがスクリーンに映るレベロは生真面目な表情をしている。どうやら本気らしい。

「残念だが忙しい。戦争の有無は関係ない」
『フム、フェザーンは独立したしイゼルローン要塞では反乱が起きている。戦争は当分起きそうにない。何が忙しいんだ?』
いかんな、レベロは状況を理解していない。いや、軍人ではないレベロには想像出来ない事かもしれん。戦争が無い時こそ戦争に備えて準備がいるのだ。

「今、軍と国防委員会の一部で密かに検討会が開かれている」
レベロが顔を顰めた。
『密かに? 聞き捨てならんな、何だそれは。随分とキナ臭い話だが』
「……」
キナ臭いは無いだろう。我々はやましい事はしていない。
『シトレ、一体何を話しているんだ?』

「移動要塞の事だ」
『移動要塞?』
「イゼルローン要塞の反乱鎮圧が成功した場合、あれが今後の軍事行動にどういう影響を及ぼすか、それを検討している」
レベロは困惑している。やはり想像が出来ないか。

イゼルローン方面、フェザーン方面に軍事要塞を建設する。それが決定された時、軍の一部で密かに有る問題が提起された。要塞の有効性に付いてでは無い、帝国が妨害をした場合、要塞の建設は難しいのではないかという疑問だ。要塞建設には時間がかかる以上帝国軍の再建が予想以上に進めば妨害は有り得るのではないか。和平が恒久的なものになるという確信が無ければ出て来てもおかしくは無い意見だ。

ヴァレンシュタインからイゼルローン要塞攻略案が提示された時、軍と国防委員会は密かに軍技術部、民間企業の技術部に軍事要塞を移動要塞にする事が可能かどうかを検討させた。反乱との関係は触れなかった。要塞建設をハイネセン近辺で行わせれば帝国の妨害は防げる。それにイゼルローン回廊付近で建設するよりもハイネセン付近で建設した方が何かと便利ではないか、建設コストも削減出来るのではないか……。それが彼らに示した検討の理由だった。

「軍民の技術者達が出した結論は可能というものだった。幾つか問題はあるが解決は可能であると」
『おかしな結論ではないな、帝国も同じ結論を出したのだから』
事も無げな口調だ。気楽だな、レベロ。技術者達はその結論を出すまでが大変だったのだが。

「コスト面でも削減が可能だと言ってきた。イゼルローンまで輸送船や工作船を送り込むならハイネセン近辺で建設し運んだ方が安く上がるらしい、工期も短縮出来るようだ」
『良い事尽くめだ、それで? 移動要塞にするのか?』

「帝国軍の運用実績を見てからだ。反乱鎮圧に成功すれば、こちらも移動要塞に変更する事になるだろう」
『まあ妥当な線だな』
「もう分かるだろう。帝国との最前線に移動要塞が有る。それが戦争にどういう影響を与えるか、それを検討しているのだよ」
“なるほど”とレベロが頷いた

『で、どうなると思うんだ?』
「分からん、まだ検討途中だ。色々な意見が出ている」
『……』
うさん臭そうな表情だな、レベロ。だが実際に検討会では統一した見解は出ていない。いや出せずにいるのだ。

収容艦艇は一万六千隻。要塞主砲の威力はイゼルローン要塞主砲に匹敵するとみられている。三百隻を同時に修復可能な整備ドックや一時間で六千本のレーザー核融合ミサイルが生産可能な兵器廠、六万トンもの穀物貯蔵庫、十五万床のベッドを持つ病院。これだけの機能を持つ移動要塞をどう使うか……。

要塞を艦隊の後方に置いて後方支援基地として使うべきという意見や前面に出して積極的に敵艦隊を撃破するのに使うべきだという意見も有る。だがそうなれば帝国も要塞を前面に出すだろう、移動要塞対移動要塞の対決になるに違いない。果たしてコスト面で見合うだけの戦果を得る事が出来るのか? 抑止力として存在するだけで良いのではないか、そういう意見も有る。

分かっている事も有る。機動力を持たないイゼルローン要塞は軍事要塞としての価値は暴落するだろうという事だ。改修しない限り、イゼルローン要塞は軍事要塞としてよりも国際協力都市として使う方が価値が有ると帝国は判断するだろう。ヴァレンシュタインはそれを狙ったのかもしれない。となれば反乱が起きる事も想定していた可能性は有るな、道理で対応が早かったわけだ。

それにしても移動要塞か、とんでもない化け物を生み出してくれた。我々は、いや帝国軍もだが当分はこの化け物をどう扱うかという問題で頭を痛める事になるだろう……。



 

 

第百三十四話 名剣か魔剣か 



宇宙歴 796年 10月 1日  ハイネセン 最高評議会ビル  ミハマ・サアヤ



「じゃあ和平条約は当分お預けですか」
「そういう事になりますね。和平条約締結をイゼルローン国際協力都市で最初に行われるイベントにしたい、同盟政府も帝国政府もそう考えていますから」
「和平条約の締結が早くて半年後、通商条約はその後ですからまだまだ時間がかかりますわ」

キリレンコ委員の問い掛けにフレインバーグ委員、フーバー委員が答えました。二人の答えに皆も頷いています。キース・フレインバーグ委員は新設の外交委員会からの出向者です。元は国防委員会に所属していたのでデロリアン委員とは結構親しくしています。

そしてキャロル・フーバー委員は経済開発委員会から通商委員会へ移籍、そして諮問委員会に出向してきました。三十歳を過ぎたばかりの綺麗な女性ですが独身です。こんな綺麗な人が独身って、私どうなるんだろう。女にとっては冬の時代です。

「ウチの委員長、頭を抱えていますわ。就任早々大問題ですものね。各企業からも何時になったらイゼルローン回廊を使えるのかと言われているそうです」
レオニード・アルドニン通商委員長、財界出身の委員長ですけどちょっと可哀想です。通商委員長就任直後にイゼルローン要塞で反乱が起きました。同盟で最も不幸な政治家と言われています。

「しかし本当に上手くいくんですかねえ、あれ」
「デロリアン委員、駄目だよ、それを言っちゃ。我々は知らない事になっているんだから」
ディーレン委員に窘められてデロリアン委員が肩を竦めると皆が笑いました。週に二度、私達はこうして集まって出向元から得た情報を交換しています。イゼルローン要塞攻略案はヴァレンシュタイン委員長に同行しているモンテイユ委員から得た極秘情報です。同盟でも知っているのは政府、軍部の中でもごく一部でしょう。

「まあとんでもない事を考えるわよね」
「イゼルローン要塞を国際協力都市にしようって考える人だから常人とはちょっと発想が違うよ」
「発想か、……そういえば地球教の陰謀を暴いたのもあの人だったな。何であんな事を考え付くのか……」
アブローズ、ノエルベーカー、キリレンコの三委員の会話に皆が頷きました。

「ミハマ大佐は委員長との付き合いは長いんでしょう、慣れてるんじゃないの」
フーバー委員の質問に皆が私を見ました。
「そうでもないです、無茶苦茶しますから慣れるなんて事は……」
私が答えると“そうかあ、そうだよね”、“無理だよね”と皆が口々に言います。ちょっと安心しました。あんな無茶をする人に慣れているなんて思われたくありません。

「しかしこの状況は余り面白く無いですよ。造船業界はイゼルローン回廊を利用した交易が盛んになると見ていたんです。戦争が無くなって軍艦の発注が激減した、その分を商船で補おうとしていた。ところがあの反乱でその計算が狂った、このままでは造船業界は二進も三進も行かなくなります。直ぐに倒産という事は無いでしょうが悲鳴を上げるのはそんな先の事じゃない。半年以内に鎮圧すると言ってますが造船業界にとっては我慢出来るギリギリの線でしょう」
バーバー委員の言葉に皆が顔を顰めました。

「造船業界だけじゃありませんよ。軍需産業は軒並み頭を痛めています。反乱が鎮圧されるまで要塞の建設は延期です。企業には現時点では建設は危険だからと国防委員会と軍は言っていますが内実は固定要塞にするか移動要塞にするかを決めかねているんです。結果が出るのは半年先です、それまでは何も出来ません。精々設計図を弄るくらいです。……全く、余計な事をしてくれました。絞め殺してやりたいですよ」
デロリアン委員がぼやきました。

「冗談抜きで委員長の現役復帰、有るんじゃないんですか?」
クライ委員が皆を見回しました。反乱が起きた直後から経済界からはヴァレンシュタイン委員長を現役復帰させてイゼルローン要塞を攻略させろという意見が出ました。理由はバーバー委員、デロリアン委員の言った通りです。最近では同盟議会からもそういう意見が出ています。こちらは反乱鎮圧によってイゼルローン要塞を同盟の物にしてしまおうという意図が有ります。

「しかしね、帝国軍が実施する作戦は委員長が考えたものだよ。それに攻略したって同盟の物には出来ないだろう。そんな事をしたら戦争になる。和平どころじゃない、意味が無いよ」
「要塞を攻略するためじゃありません。皆を落ち着かせるためですよ、リード委員。このまま何もしなければ無為に手をこまねいている、そう思われかねません。政府にとっては避けたい事態でしょう」
彼方此方から“なるほど”、“そうかもしれない”と同意する声が上がりました。確かに、政治家達が考えそうなことでは有ります。

「経済界からの突き上げは結構激しいらしいね」
「それだけ経済界は帝国との通商に関心を持っているんです。何と言っても二百億を超える市場ですよ、同盟よりも二倍近く大きい市場なんです。眼の色も変わりますよ」
「経済界の中にはもっと早く和平を結ぶべきだったと言っている人もいます。しかもそれが咎められる事も無い。つい先日までは皆が打倒帝国と叫んでいたんですけどね、変われば変わるものですよ」

ノエルベーカー委員の問い掛けにパール委員、バーバー委員が答えるとフーバー委員が“お金って怖いですね”と呟きました。同感です、お金が絡むと主義主張なんて何処かに吹っ飛んじゃうんですから。皆も同じ思いなのでしょう、神妙な表情です。

トントンとドアを叩く音が聞こえました。皆がドアに視線を向けます、私がドアに向かいました。最年少ですしドアに比較的近い場所に座っていましたから。ドアを開けると書記局の人が居ました。
「荷物が届いています」
と言って両手に抱えた箱を差し出します。結構大きいです。二つ有ります。

受け取ると書記局の人が
「大変でしたよ、諮問委員会の他にも最高評議会と書記局にも届いています。テロの可能性も有りますからね、保安部が総出で確認しました。問題が無い事を確認しましたのでお受け取りください」
と言いました。

「御手数をおかけしました」
と言うと“こちらこそ結構な物を頂きました。委員長閣下に宜しくお伝えください”と言われました。え、ヴァレンシュタイン委員長からなの、これ。会議テーブルに置くと皆が興味津々といった表情を向けてきました。

「ヴァレンシュタイン委員長からなの?」
「そうみたいですね、パール委員。ヴァレンシュタイン委員長がフェザーンから送ったみたいです。物は……、ヴァロアの御菓子?」
誰かが口笛を吹きました。

「フェザーンからヴァレンシュタイン委員長の名前でヴァロアの御菓子って、そりゃテロじゃないかって保安部が心配するのも無理は無いね」
「そうそう、おまけに最高評議会と書記局にも送るなんて委員長も何を考えているんだか」
「本人は甘党だから喜んで貰えると思ったんでしょう」
リード、クライ、ディーレン委員が困ったものだと言いたげな表情をしています。声には苦笑いの響きが有りました。

「こっちは皆イゼルローンの反乱で困っているのに……、御土産だなんて……」
「委員長にとっては反乱なんてもう終わった事なんでしょうね」
デロリアン委員とフレインバーグ委員は半分泣きそうです。可哀想、慰めてあげないと……、こういう時は甘いものが一番です。

「折角ですから頂きましょうか。ヴァロアの御菓子は美味しいですよ、今コーヒーを淹れます」
「……」
なんで皆黙るの? それに変な目で私を見てる。ヴァロアの御菓子は美味しいんです、本当ですよ。



宇宙歴 796年 10月 4日  ハイネセン 最高評議会ビル  ジョアン・レベロ



最高評議会のメンバー十三人が会議室に集まった。皆の前にはそれぞれ小分けにされたクッキーが置いてあった。
「これが例のクッキーかね、大騒ぎになったと聞いているが」
私が問うとトリューニヒトが肩を竦めた。

「そうだ。これの所為で最高評議会ビルはとんでもない騒ぎになった。地球教の残党がフェザーンからヴァレンシュタイン委員長の名前を使って危険物を送って来たんじゃないかとね。保安部は化学、生物、放射能、核、爆発物、それぞれの探知機を総動員して調べたそうだよ。検疫済みだ、銀河で一番安全なクッキーだ、まあ味わってみてくれ」

会議室に苦笑が満ちた。何人かは肩を竦め何人かは溜息を吐いている。全くとんでもない事をする小僧だ。一つ口に運んだ、確かに美味い。中々の物だ。皆も美味しそうに食べている。
「最高評議会ビルだけじゃありません。国防委員会、統合作戦本部、宇宙艦隊司令部、後方勤務本部にも送られています。他にも第一艦隊、第三艦隊、何処も大騒ぎだったようです」

ネグロポンティが付け加えるとボローンが
「最高評議会と軍組織を狙ったテロ、そういう事だな。まあ送った本人が危険物だ、保安部が神経質になるのも仕方がないだろう。ウチに送られなくて良かったよ」
と言ってクッキーを口に放り込んだ。会議室に笑いが起こった。皆がそれぞれに同意の言葉を口にした。

「本人は知っているのかね、大騒ぎになった事を」
「知っている、呆れていたな。たかがクッキーを送っただけで何でそこまで騒ぐのだと首を傾げていた」
ホアンとトリューニヒトの会話にまた笑いが起こった。

「それを言うなら何だってまたこんな物を送って来たんだ? ヴァロアのクッキーだろう、確かに美味しいがヴァロアはハイネセンにも有るじゃないか」
ターレルが首を傾げている。トリューニヒトが笑った。
「そんな事を言うと彼が気を悪くするよ。これはフェザーンに有るヴァロア本店限定販売の商品なのだから」
「……」
皆が顔を見合わせた。

「本当かね、それは」
「本当だよ、ホアン。つまりこれはハイネセンでは売っていないんだ。ついでに言えば店頭販売のみでね、文字通りフェザーンの本店でしか手に入れる事が出来ないクッキーだそうだ」
これが限定品? ただのクッキーじゃないのか? 私だけじゃない、皆がクッキーを見ている。トリューニヒトが“良く味わってくれ”と言ってまた笑った。

「食べながらで良い、聞いて欲しい事が有る。ヴァレンシュタイン諮問委員長を現役復帰させようという話が経済界、議会に有る。マスコミも騒いでいる。そして政府内部からも現役復帰させてはどうかという意見が出てきた。これについて話し合いたい」
政府内部? つまりこの中からか、誰だ? ネグロポンティか?

「どこから出た話なのかな、それは」
「国防委員会、外交委員会、通商委員会だ」
トリューニヒトが私の問いに答えると皆の視線がネグロポンティ、グリーンヒル、アルドニンに向かった。三人は居心地が悪そうにしている。

「現役復帰という事だが諮問委員長は如何するのかね、辞職させるのか? 兼任というのは拙いだろう」
マクワイヤーが質問したが三人は答えない、答えられないのか。それを見てシャノンが“先ず理由を聞かせて貰いたい”と言った。

三人が顔を見合わせたがネグロポンティが最初に口を開いた。
「例の移動要塞ですが国防委員会と軍はその運用実績を確認したいと考えています。それによってこちらで建設する要塞を固定要塞にするか、移動要塞にするか決定したい。その辺りの見極めを諮問委員長にお願いしたいのです」

なるほど、あれか。軍が決めかねている事は既に皆が知っている。
「それは実際に帝国軍の反乱鎮圧に参加するという事かね?」
「そういう方向で進めたいと考えています」
トレルとネグロポンティの遣り取りに皆が顔を見合わせた。

「帝国が嫌がらんかな?」
「うむ、反乱鎮圧に他国の力を借りたいとは思うまい」
ラウドとリウは賛成ではないようだ。もしかするとヴァレンシュタインの現役復帰そのものが反対なのかもしれない。簡単に許せば軍と政府の境界が曖昧になるという意見もマスコミには有るのだ。マクワイヤーが先に兼任は拙いと言ったのもその辺りを考えての事だ。

「イゼルローン要塞の反乱はもはや帝国だけの問題では有りません。イゼルローン国際協力都市が無ければ両国間の協力、交流、通商がストップすると言っても過言ではないのです。その事が同盟市民を酷く不安にさせています。今のままでは首脳会談前となんら状況は変わりません。首脳会談の成果が消えてしまいます」
何人かが呻き声を上げた。トリューニヒトが顔を顰めている。政治家としての実績が否定されかかっているのだ、面白くは無いだろう。グリーンヒルも上手いところを突く。癪ではあるが外交委員長は適任だな。

「外交委員長の言う通りです。同盟市民を落ち着かせるためにも諮問委員長の現役復帰は必要ではないでしょうか。現状では通商委員会は有名無実です、何の意味も無く経済界から叩かれるだけの存在でしかない」
アルドニンの言葉に皆が顔を顰めた。

彼が同盟で最も不幸な政治家と言われている事は皆が知っている。経済界出身の彼の苦境を放置すれば今後経済界から協力を得たいと思っても思うように得られなくなる可能性も有る。帝国との交流が進めば経済界の役割は今まで以上に大きくなるだろう、アルドニンの苦境を無視は出来ない。何らかの救済は必要だ。しかしヴァレンシュタインの現役復帰?

「軍では今後戦争が起きた場合移動要塞を如何使用するか、決まったのかね?」
私が問い掛けるとネグロポンティが首を横に振った。
「いえ、決まっていません。ですから運用実績を確認したいのです。何処まで見極めることが出来るかは分かりませんが固定要塞にするか、移動要塞にするかの判断材料になればと考えています」

「帝国の反乱鎮圧に協力する、それは良いだろう。しかしヴァレンシュタイン委員長を現役復帰させる必要は無いんじゃないか。運用実績の確認なら他の人間でも良いはずだ」
私が指摘するとネグロポンティは“その通りです”と頷いた。

「しかしレベロ委員長、国内対策も含めればヴァレンシュタイン委員長を現役復帰させるのが最善ではありませんか。反乱の鎮圧にはあと三カ月から四カ月はかかるのです。その間、同盟市民を落ち着かせなくてはなりません」
「……」
皆が呻いた。国内対策か、ネグロポンティの意見には一理ある。

「考えている事は分かるが、現役復帰は出来るだけ避けた方が良いだろう。私は賛成出来ない」
ホアンがはっきりと反対意見を出した。そして皆を見回して“少し聞いて欲しい事が有る”と言った。

「ヴァレンシュタイン諮問委員長に危惧を抱いている人物がいる。私が知っているのは一人だがもしかするともっと多いのかもしれない」
危惧? 皆が訝しげな表情をしている。
「その人物は諮問委員長の影響力が軍、政府、経済界に大きくなり過ぎるのではないか、いずれは独裁的な影響力を持つのではないかと案じていた。民主共和政国家においては危険な状況になるのではないかとね」

誰も何も言わない、ただ黙ってホアンの顔を見ている。確かにヴァレンシュタインの影響力は大きい。
「勘違いしないで欲しいのだが彼は諮問委員長を否定しているのではない、彼を肯定している。それ故に不安を持ち憂いている」

「彼の不安には一理あると思う、しかし私は彼の見解に与しない。ヴァレンシュタイン諮問委員長をこれまで見てきたが彼には野心が無い、そして権力への執着も無い。誰よりも平和を望みそして人類社会の繁栄を願っている。多少性格は悪いが極めて有能で誠実な政治家と言えるだろう。独裁とはもっとも遠い所に居る」
何人かが頷いた。

「だからこそ我々は彼を大切に扱わなければならないと思うのだ。彼を現役復帰させるのは難しくは無い。しかしそれを行えば同盟市民の中には政府はヴァレンシュタイン委員長に頼りきりだ、ガバナビリティは無いと判断する人間も居るだろう。彼が政府を自由に操っている等と勘違いする人間も出るはずだ。それは彼のためにならない」
彼方此方から呻き声が聞こえた。

「そして同盟にとっても極めて不幸な事だと思う。我々はその不幸な事態を作り出してはならない。切れ味の良すぎる名剣であるが故に使い方には注意しなければならないのだ、魔剣であると思われてはならんのだよ。周囲に畏れられては名剣とは言えなくなる……」
ホアンが皆を見回した。誰も反論する人間は居なかった。




 

 

第百三十五話  弔悼




宇宙歴 796年 10月 10日  ハイネセン  マリア・クランベルツ



「随分と顔を見なかったな」
「そうですね、不思議と懐かしいです」
「不思議と? 相変らず口の悪い男だ。少し遅かったのではないか?」
「途中、ウルヴァシーに寄って来ましたので」
「なるほど、ウルヴァシーか」

ヴァレンシュタイン委員長とレムシャイド伯が話している、使用しているのは帝国語だ。二人とも緊張感は無い、和やかに話ながらゆったりとソファーに座っている。部屋には他に私とバセット大尉がいる。人払いをされるかと思ったがされなかった。こちらから遠慮しようとしたが無用だと止められた。帰国後の表敬訪問、そういう事なのだろう。私達は自分のデスクで作業をしている。

「フェザーンは如何であったかな?」
「独立を喜んでいますね、それと現状を喜んでいます」
「まあそうであろうな」
レムシャイド伯が面白くなさそうな表情をした。ヴァレンシュタイン委員長がクスッと笑った。伯爵が更に面白くなさそうな表情をする。

「反乱の鎮圧は可能かとペイワード主席が訊いて来ました。半年も有れば鎮圧するだろうと答えたのですが面白くなさそうな表情をしましたよ。今の伯爵と同じような反応でしたね」
「……」
委員長が揶揄するとレムシャイド伯が苦笑を浮かべた。

「帝国軍の準備は如何なのです? 順調なのですか?」
「要塞の改修は順調のようだ、もうすぐ終わるだろう。シャフト技術大将も必死の様だな。失敗すれば出世どころか命を失いかねん」
チラッと隣に座るバセット大尉を見た。大尉は表情を変える事無く作業をしている。

「では後は運用試験ですか」
「そういう事になる。しかし本当に上手く行くのか、あれが。未だに半信半疑なのだが……」
レムシャイド伯が首を傾げるとヴァレンシュタイン委員長が頷いた。
「上手く行って欲しいですね。幸い帝国の宇宙艦隊にはミューゼル大将を始め準備に手を抜く人物はいません。上手く行く事を信じましょう」
「そうであって欲しいものだ」
レムシャイド伯が自分を納得させるかのように頷いた。

少しの間会話が途切れた。二人とも飲み物を黙って飲んでいる。レムシャイド伯は紅茶、諮問委員長はココア、部屋にはココアの甘い香りが漂っている。
「先日、グリーンヒル外交委員長が訪ねてきた」
「……」
「反乱鎮圧時には同盟からも艦隊を出したいという事であった」
またバセット大尉を見た。表情を変えてはいないが驚いているだろう、あの時は人払いされたため私達は会談の内容を知らなかった。まさか反乱の鎮圧に協力とは……。

「国内対策という面が有るようですね。帝国側が反乱鎮圧のために動いている様子が見えないという事も有りますが結構煩く騒ぐ人間がいるようです」
「そのようだな、厄介な事だ」
「同感ですが、返事は何と?」
諮問委員長が問うとレムシャイド伯が首を横に振った。

「オーディンからは移動要塞が実用可能となった時点で返事をしたいと言ってきた。それまでは公にしてくれるなと……。共同出兵だけが先行する事を恐れているようだ」
諮問委員長が頷いた。

「その判断は正しいでしょう。一つ間違うと要塞の準備が出来る前に出兵という事になりかねません。それにもし現時点で出兵という事になれば指揮系統を如何するかという問題も有ります。バラバラに戦って落とせるほどイゼルローン要塞は柔ではありません」
「うむ、卿の言う通りだな」

「あと一月半といったところですか……」
「そうなるな、結構長い……」
二人が大きく息を吐いた。そして飲み物を飲んでいる。妙な感じだ、この二人と居るとここが帝国なのではないかと思ってしまう。それほどに二人には緊張が無い。そしてさりげなく両国上層部の動きが語られていく。私達が人払いされなかったのは他愛ない話だからではない、何を話したかの証人なのだろう。諮問委員長が視線をレムシャイド伯に向けた。

「同盟では移動要塞を造るべきか否かで国防委員会と軍が迷っています」
「ほう、それで?」
レムシャイド伯が興味深げな視線を諮問委員長に向けた。良いのだろうか? 機密漏洩ではないの? バセット大尉を見た。大尉は作業をしているがほんの少し表情が厳しいように見えた。

「イゼルローンやフェザーンの近辺で造るよりも安全ですしコストも安くなるだろうと国防委員会は計算しているようです」
「なるほど」
「私も同意見ですが移動要塞をイゼルローン、フェザーンに設置後は移動機能であるワープ・エンジンや通常航行用のエンジンは撤去すべきだと考えています」
えっ、と思った。私だけじゃないレムシャイド伯も驚いているしバセット大尉も驚いている。

「如何いう事かな、それは」
レムシャイド伯が訊ねると諮問委員長は一口ココアを飲んだ。そしてカップをテーブルに置く。カチャッと音がした。委員長の表情は厳しい。
「あれは非常に危険なのです。要塞の周囲に十二個のワープ・エンジン、通常航行用のエンジンを取り付けますが全てが正常に動かないと危険です。エンジン出力が均等に、同じタイミングで行われないと取り返しのつかない大事故を起こす」
レムシャイド伯が唸り声を上げた。

「設置して十年、十五年後にいきなり要塞を動かして全てが正常に動くと思いますか?」
「……全てか、……いきなりというのは難しいかもしれんな」
「私もそう思います。事故が起き易いんです。つまり細工もし易い。事故が起きた場合、それが本当に事故なのか、事件なのか、判断が出来ません。疑心暗鬼になるでしょう」
レムシャイド伯の表情が厳しくなった。

「地球教か? 或いはフェザーン……」
「とは限りません。その時移動要塞を邪魔だと思う人間がいれば簡単に事故は起きます。或いは本当に事故であっても事件になってしまう可能性が有る……」
「なるほど、だから撤去しろと言うのか」
「ええ、撤去して純粋に要塞として利用した方が良いでしょう。移動する必要が出来たらその都度確認しながら取り付けた方が安全ですよ」
レムシャイド伯がまた唸り声を上げた。

「今後、移動要塞はもっと規模を小さくして別な形で利用した方が良いと私は考えています」
「如何いう事かな?」
伯の質問に諮問委員長が肩を竦めた。

「軍事要塞ではなく辺境星域や未開発星域を開発するための拠点基地として利用すべきだと思うのです。要塞内には食糧、開発用の器具、工業用プラント、農業用プラントを格納しておく。戦争に使うわけではないから要塞の規模は小さくて良い、要塞主砲も要りません。その分だけ開発、運用は楽なはずです。便利だと思いますよ、医療も整っていますからね。これは軍ではなく内務省の管轄かな」
なるほど、と思った。レムシャイド伯も頷いている。それにしても良く考えるものだ。

「面白い案だ。今度ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に話してみよう。帝国は辺境星域の開発に力を注ぐ事になっている。御二方とも関心を持つはずだ」
帝国だけではない、おそらく同盟でも同じだろう。軍事技術が国内開発のために利用される。これ以外でも出てくるかもしれない。

「ところで卿、良いものを送ってくれたな」
「クッキーですか?」
「ブランデーもだ。クッキーは皆で食べたがブランデーは私が独り占めだ」
レムシャイド伯が嬉しそうにしている。諮問委員長がそんな伯爵の様子に苦笑を浮かべた。

「あのブランデーだが私の知人が造ったものだ。まさかこの国で飲めるとは思っていなかった」
「そうでしたか……、この間の貴族連合軍には?」
心配そうに委員長が問い掛けるとレムシャイド伯は苦笑しながら首を横に振った。
「参加する筈がない、あの男は酒を造る事の他は何の興味も無い男だからな」
委員長が笑うとレムシャイド伯も笑った。二人とも楽しそうだ。

「面白そうな方ですね、如何いう方なのです?」
「ふむ、元々は父親が自分の楽しみでワインやブランデー、ウィスキーを造っていたらしい。本人はそれを手伝っていたようだが父親の跡を継いでからは本格的に造り出したようだ。酒こそ人生の友、良い酒は人生を豊かにしてくれる。それが口癖だった」
レムシャイド伯が懐かしそうな表情をした。

「その方と親しかったのですか?」
「領地が近かった。時々遊びに行った事も有る。酒造りを手伝わされたことも有った。まあその分、見返りは貰った。売りには出さない秘蔵のワインやブランデーをな」
「それで、味は如何でした?」
レムシャイド伯がニンマリとした。
「美味かった、酒こそ人生の友、良い酒は人生を豊かにしてくれる、その通りだと思った」
羨ましいと思った。そんな事を思えるワインを私も飲んでみたい。バセット大尉も羨ましそうな表情をしている。

「オーディンに来るのも年に三度、ワイン、ブランデー、ウィスキーの品評会が有る時だけだ。他は宮中の行事だろうとも平然と無視していたな」
「それはちょっと問題になったのではありませんか?」
委員長がちょっと心配そうに言うとレムシャイド伯が笑い声を上げた。

「本来はそうなのだがあの男の場合はフリードリヒ四世陛下がそれを許しておられた。陛下は誰よりもあの男の造った酒を愛飲しておられたからな。咎める人間が居ても放っておけ、それだけだった。いや、もっと美味い酒を造れとは言っていたな」
「……あの方らしいですね」
レムシャイド伯が少し訝しげに委員長を見たが何も言わなかった。委員長はココアを飲んでいる、レムシャイド伯の表情には気付かなかったようだ。不思議な事だ、委員長の口調には嫌悪も軽蔑も無かった、恨んではいないのだろうか……。

「良い酒を造るには良い原料が要る、領地経営に熱心な男だった。豊かになるためではなく美味い酒を造るために熱心に領地を経営していた。奇人、変人と領民達からも言われていたが……」
レムシャイド伯が言葉を途切らせた。

「本当はもっとも貴族らしい貴族だったのかもしれん。何か一つ打ち込めるものを見つけそれによって領地を豊かにし領民を豊かにする。日々の生活に追われる事の無い貴族だから出来る事だ。皆がそうであれば貴族達は滅びずに済んだ……」
諮問委員長は何も言わなかった。ただ黙ってソファーに座っていた。レムシャイド伯と二人、まるで貴族達を悼むかのようだった。



宇宙歴 796年 10月 30日  ハイネセン  同盟議会  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



ガクっと身体が揺れて目が覚めた。隣を見るとトレルが“寝るな”と口を動かした。折角良い気持ちで寝てたのに起こされたようだ。トレルは非難するような目で俺を見ている。溜息が出た、眠いんだよ、俺は。昨日はシェーンコップ達ローゼンリッターと遅くまで飲んでいたんだ。まあ最後はノンアルコールだけどな。イゼルローン要塞を攻略しようと言ってたな、どうやら暇を持て余しているようだ。何か良い仕事を見つけてあげないと……、オーディンに大使館をおいてそこの駐在武官とか如何だろう? 女性問題を起こして強制送還かな?

周囲を見回すと変な小太りの中年男が質問するところだった。惑星マスジット選出のヴァルカン・ドレイクだったな、カマキリ男のバリードとは対照的な外見を持つ男だ。もっとも中身はバリードと変わらない、政府を困らせる事が自分の仕事だと思っている男だ。

「現状においてイゼルローン要塞が反乱を起こした事で、イゼルローン回廊を利用した自由惑星同盟と帝国の通商が行う事が出来ません。経済界は大きな不満を抱えています。その事について如何思われるか、アルドニン通商委員長、お答えください」

指名されたアルドニンが渋い表情で答弁席に向かった。可哀想に、皆から責められてばかりいる。公平に見てアルドニンの所為じゃないんだけど……。もう少し寝ようか、俺の席は後ろの端だから目立たない。考えてるふりをして寝たって問題は無いよな。

「大変困った問題だと思っております。帝国軍が一日も早く反乱を鎮圧する事を望んでいます」
「しかし帝国軍が反乱鎮圧に努力しているようには見えません。帝国は本当に反乱を鎮圧する気が有るのか、同盟と協力して行く意思が有るのか、非常に疑問を抱かざるを得ないのですがアルドニン委員長はその点については如何御考えですか?」

小太りのデブが意地悪そうな顔をしている。しつこいよな、こいつ。政府は何度も反乱は半年ほどで鎮圧されると言っているのに。アルドニンもウンザリしているだろう。俺からはアルドニンの背中しか見えないが十分に想像がつく。デブの顔を見たくないから眼を瞑った。眠いからじゃないぞ。

「ドレイク代議員は帝国が同盟と協力して行く事に疑義をお持ちのようですが私はその事に疑いは持っていません。イゼルローン要塞の反乱により中断した捕虜交換はフェザーン回廊を使用する事で無事終了しました。これは帝国が同盟との協力を維持するという意思を行動で表したものだと私は判断します」
「……」

「それにこれまでにも何度か政府から説明していますが帝国からはイゼルローン要塞の反乱は半年ほどで鎮圧されると連絡が有りました、その具体的な作戦の内容もです。どのようにして鎮圧するかは説明出来ませんがかなりの確率で反乱は鎮圧出来ると同盟政府も考えています。ただ準備に時間がかかる、しかしイゼルローン要塞を攻略するのですからそれは已むを得ない事だと判断しています」
アルドニンは政府の公式見解通りの回答をした。自信満々だな、声に張りが有る。ザマアミロとでも思っているだろう。

「では、その反乱鎮圧が失敗した場合、政府は如何するのか、政府見解をどなたか述べていただきたい」
ドレイクは多分こっちの方を嫌味ったらしく見ているだろう。寝たふり寝たふり、俺には関係ない、誰か答えるさ。大体政府見解なんだからトリューニヒトが答えるのが筋だし安全保障問題だというならグリーンヒルかネグポンだ。フッフッフッ、最高評議会諮問委員長とは担当を持たない無任所の委員長なのだよ、ドレイク君。

「ヴァレンシュタイン委員長、起きているならば答えて頂けませんか?」
眼を開けた、皆が俺を見ている。ドレイクは嫌味ったらしく、トリューニヒトは可笑しそうに、そして何人かは俺を非難するかのような視線で見ていた。もう一遍眼を瞑って寝たふりをしようか? そうもいかないよな、溜息が出た。デブ、お前は間違ったぞ。俺を寝かせていた方が良かったのだ。今の俺は腹を減らした狼並みに危険だ、そう言い聞かせながら席を立った。眠いよ、やる気が出ない……。








 

 

第百三十六話 嫌がらせ     



帝国暦 487年 11月 25日  オーディン  新無憂宮  オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「そろそろかな、公」
「うむ、そろそろの筈だが……」
リッテンハイム侯と顔を見合わせてから目の前に有るスクリーンに視線を戻した。侯もスクリーンを見ている。そろそろの筈だ、上手く行ったのか、それとも……。連絡が来ない事に嫌な予感がした、リッテンハイム侯の表情が厳しい。わしも同様だろう、己の頬が強張っているという自覚が有る。

「如何も落ち着かんな」
「同感だ、昨日は眠れなかった。情けない話だ」
「安心したよ、わしも眠れなかったのだ。良い友人を持った事を大神オーディンに感謝しよう、落ち込まずに済む」
リッテンハイム侯が苦笑を漏らした。同病相哀れむ、そう思ったか。それとも良い友人と言われた事に対してか……。

呼び出し音が鳴った。どうやら待っていた連絡が来たようだ。大きく息を吸って下腹に力を入れた。リッテンハイム侯に視線を向けた、侯が頷く、受信ボタンを押すとオフレッサーがスクリーンに映った。表情は落ち着いている、悪い兆候ではない。軽く息を吐いた。

「司令長官、ワープ実験は上手く行ったのかな?」
『はっ、ワープ実験は成功です。問題無く終了しました』
隣でリッテンハイム侯が頷くのが分かった。
「御苦労だった、良くやってくれた、オフレッサー元帥。これでイゼルローン要塞の反乱を鎮圧する目処はたった、そう考えて良いのだな?」
『はい』

「では改めて卿に命じる。イゼルローン要塞に立て籠もり帝国に反旗を翻した愚か者どもを鎮圧せよ。そのためにはいかなる手段を取っても良い、我らに対する斟酌は無用である」
『はっ、必ずや反乱を鎮圧し陛下の宸襟を安んじまする』
「うむ、頼んだぞ、元帥。卿に大神オーディンの御加護が有らん事を祈る」

通信が終るとリッテンハイム侯が
「良かったのかな、いかなる手段を取っても良いと言って。要塞を壊されては困るのだが」
と言った。心配そうな表情をしている。
「オフレッサーもその辺りは分かっていよう。まあ念のためと言ったところかな。壊されては堪らぬが反乱が長引くよりはましだ」
わしが答えると“それもそうか”と侯が頷いた。

「移動要塞が可能となった以上、辺境星域開発のために小型の移動要塞を造ろうと思う」
「新たにか? レンテンベルク要塞は利用出来ぬのかな? 新規に造るよりは時間も費用も軽減出来ると思うが」
わしが問い掛けるとリッテンハイム侯が顔を顰めた。

「あれは小惑星をくりぬいて造った要塞で重心が中央に無いらしい。そのため航行用のエンジンの取り付けが難しいようだ。それに元々の小惑星の部分がワープに耐えられるのかという疑問も有る。使用途中で崩れればそれだけで重心が狂う、技術者達からは新規に造った方が金はかかるが安全だろうという意見が出ている」
「なるほどな、そう簡単ではないか」
リッテンハイム侯が頷いた。意外に面倒な事だ。

「まあ開発用の移動要塞は長期に亘って使う事になる。それに小型だから建造期間も短ければ費用もそれほどではない。新規に造っても十分に元は取れよう。運用実績が良ければ量産する事も考えている」
「上手く行って欲しいものだ、辺境星域の開発は急務だからな」
互いに顔を見合って頷いた。

辺境星域の開発は急務だ。イゼルローン回廊が解放されれば同盟領から交易を求めて商船がやってくるだろう。これまで放置されてきた辺境星域の住人にとって同盟の産物がどのように見えるか……。憧れ、羨望だろう。そして自分達の貧しさに嘆きこれまで放置した政府を憎悪するに違いない。

辺境星域の開発に力を入れなければならない。放置すれば辺境星域は帝国よりも同盟に親近感を持つ事になるだろう。そうなれば帝国の安全保障は著しく不安定なものになる。我らは改革を推し進め積極的に国内開発をする事でのみ生き残れるのだ。

「和平を結んでも同盟との戦いは終わらぬな、ブラウンシュバイク公」
「そうだな、戦いの形が変わるだけだ。気を抜く事は出来ぬ。しかしそれで良いのかもしれぬ、最近ではそう思うようにしている」
「……」
リッテンハイム侯がじっとわしを見ている。

「統治者が気を抜くなど許されぬ事ではないかな、リッテンハイム侯。気を抜けば何時足元が崩れるやもしれぬ、帝国は一度滅びかけたのだ、それを忘れてはなるまい」
「確かにそうだな。気を抜かぬためにも同盟は必要か、因果な事だ」
リッテンハイム侯が溜息を吐いた。確かに因果な事だ、繁栄するためには敵が必要とは世の中は皮肉で満ち溢れているらしい。さて、アマーリアが待っているだろう、報告に行くか……。



帝国暦 487年 11月 25日  ヴァルハラ星域  ガイエスブルク要塞  ラインハルト・フォン・ミューゼル



司令室のスクリーンからブラウンシュバイク公の姿が消えるとオフレッサーが太い息を吐いてから俺に視線を向けた。
「ブラウンシュバイク公より改めて反乱鎮圧の命が下った。ミューゼル、全軍をここに集結させろ」
「はっ」
「どの程度かかる?」
「二日程で集まれます」

俺の答えにオフレッサーは“そうか”と答えた。ガイエスブルク要塞を改修し通常航行でヴァルハラ星域近くまで運んだ。そして最終試験でガイエスブルク要塞をワープで帝都オーディンの傍まで運んだ。神経質なまでに注意しながらの試験だ、随分と疲れた。味方が集まるまでの二日間、少しは休息出来るだろうか……。

「イゼルローン要塞攻略の目処が立ったとブラウンシュバイク公は喜んでおられたが問題はこれからだ」
「はい、この要塞をイゼルローンまで運びそしてイゼルローン要塞を出来るだけ損害を少なくして取り戻さなければなりません。どちらも容易な事では有りません」
オフレッサーが“うむ”と頷いた。

「大人しく降伏してくれればよいが……」
「ガイエスブルク要塞がどの程度相手に衝撃を与える事が出来るか、それによると思います」
「……」
オフレッサーの表情が沈んでいる。簡単には降伏しない、そう考えているのだろう。まるで元気の無いブルドックだ。

「向こうに着きましたら要塞主砲を撃ってみたいと思いますが?」
「いきなりか?」
「イゼルローン要塞に当てる事はしません。ただこちらの主砲の威力を見れば多少は怯むのではないかと思うのです。その上で降伏を勧告しては如何でしょう?」
「なるほど、圧力をかけてから降伏を促すか。良い手だな、やってみよう」
オフレッサーがウンウンと頷いている。多少は元気が出たようだ。

「閣下、お疲れでありましょう。味方が集まるまで時間が有ります。少しお休み下さい」
オフレッサーが俺を見て苦笑を浮かべた。
「総参謀長、俺を年寄扱いするな、と言いたいところだが流石に今回は疲れた。相手が人間ならともかくエンジンや出力では手も足も出ん。部屋で休ませて貰う。……卿も少し休め、顔に疲れが有るぞ」
「はっ、お気遣い、有難うございます」

オフレッサーが身体を翻す、そして司令室を出ようとしたが立ち止まって俺を見た。奇妙な笑みを浮かべている。
「不思議なものだな、ミューゼル」
「……と言いますと」
「宇宙艦隊司令長官に就任した時、もう二度と装甲服を着る事は有るまいと思った。地上戦など二度と出来まいと」
「……」
「だがどうやらもう一度装甲服を着る事が出来そうだ、装甲敵弾兵としてな」

「やはり、自ら要塞内に突入されるのでありますか?」
「うむ、この要塞と艦隊は卿に任せた方が良かろう。俺はトマホークを振るった方が良い、適材適所だ」
オフレッサーが笑い声を上げた。

「賛成出来ません、司令長官自ら突入など危険です。御立場を御考え下さい、突入はリューネブルク中将に任せるべきです」
止めても無駄だろうな、そう思った。オフレッサーは上機嫌なのだ。
「そう言うな、総参謀長。反乱の鎮圧と思えば気が重いがイゼルローン要塞を落とすとなれば武人の名誉だろう。この要塞で黙って見ているのは性に合わん。それに俺が前に出た方が相手も怯む筈だ」

「それはそうですが……」
またオフレッサーが笑った。
「後は頼むぞ」
そう言うとオフレッサーは司令室を出て行った。後とは何だろう? 今この場の事か? それとも自分が要塞に突入した後の事だろうか。それとも……。疲れているな、俺も少し休んだ方が良さそうだ。



宇宙歴 796年 12月 1日  ハイネセン 統合作戦本部  アレックス・キャゼルヌ



「それで、出兵準備ですか?」
「形だけだがな。統合作戦本部と後方勤務本部では動員計画と補給計画を策定中だ」
「形だけねえ」
ワイドボーンが首を傾げている。気持ちは分かる、俺も首を傾げたい。同盟市民を納得させるために形だけの出兵準備とは……。

「まあ今のところは形だけだがいずれは本当に出兵という事になるかもしれん」
「……」
「ワイドボーン、帝国は本当に反乱を鎮圧出来るのか?」
声を潜めて訊いた。午後三時、ラウンジにはまばらに人がいる。あまり大きな声で話は出来ない。

「作戦について御存知ですか?」
「いや、知らない。お前さんは?」
「俺とヤンはシトレ元帥に教えて貰いました、他言無用という事で。作戦案の評価をさせたかったのでしょう」
「ヴァレンシュタインは? 愚問か、最高評議会は知っているんだからな。知らない筈は無いか」
俺の言葉にワイドボーンは驚いたような表情を浮かべた。どういう事だ、“困ったな”と呟いている。

「何か有るのか?」
俺が問い掛けるとワイドボーンが頷いた。そして“他言無用ですよ”と囁く。俺が頷くと周囲を見回してから口を開いた。
「作戦案を考えたのはヴァレンシュタインです」
まじまじとワイドボーンの顔を見た。嘘を吐いている顔ではない。
「……本当か? 帝国が考えたんじゃないのか?」
「そういう風に言われていますが考えたのは奴です。てっきり知っていると思っていましたよ」
溜息が出た。

先日、同盟議会で何時イゼルローン要塞の反乱が鎮圧されるのかが議題に上がった。政府は帝国が要塞攻略に成功すると説明したが一部の代議員は納得しなかった。
「なんでそれを言わないんだ。作戦を考えたのが奴だと分かれば議会だって大人しくなるだろう」

同盟議会の煩い代議員連中もヴァレンシュタインが作戦を考えたとなれば多少の不満は漏らしても大人しくなった筈だ。奴にはそれだけの実績が有る。
「それはそうです、でも帝国にも面子が有りますからね。ヴァレンシュタインの作戦でイゼルローン要塞を攻略するとなれば反発する人間も居るのでしょう。内密にしてくれと要請が有ったそうです」
「なるほど、帝国側の面子か……」
「協力関係を築く以上、同盟だけの都合では進められないという事です。おそらく事実が公表されるのは反乱鎮圧後でしょうね。面倒な世の中になった物ですよ」

また溜息が出た。俺がコーヒーを飲むとワイドボーンもコーヒーを口に運んだ。口中が苦い……。
「それで、イゼルローンは落とせるのか?」
「落とせると思います。それについては心配はしていません」
「自信が有るようだな。作戦の内容は? 訊いても良いか?」
「それはちょっと……、頭がおかしくなりそうな作戦ですからね」
妙な表情だ、ワイドボーンは困ったような表情で笑っている。

「だとすると本当にこれは形だけの出兵計画か」
「そうだと思います。政府も軍上層部もそのつもりでしょう。実際に出撃することは無いと思いますよ、議会と同盟市民に対するポーズです。万一の時の準備は出来ていますと……。それとも嫌がらせかな、何時でもやってやるぞという」
「やれやれだな」
「やれやれですよ」

同盟議会では政府に対して帝国の軍事行動が失敗したらどうするのかという質問が出た。帝国が反乱鎮圧に失敗した時は同盟がそれを鎮圧しイゼルローン要塞を同盟の物にするべきだ、質問者はそう主張していた。実現可能とは思えない、要塞を落とす事、そして帝国に要塞の所有を認めさせる事、どちらも極めて難しい。

質問者も本気では有るまい、政府を困らせるための嫌がらせだろう。大体経済界が望んでいるのはイゼルローン要塞の所有ではない、イゼルローン回廊の解放であり帝国との交易なのだ。イゼルローン要塞の所有など要求したら帝国との和平が崩れかねない、本末転倒だ。もっとも質問者はそこを上手くやるのが外交だと言っていたが……、無責任な話だ。

嫌がらせに対して政府を代表して答えたのがヴァレンシュタインだった。彼は十個艦隊を動員すれば攻略は可能だと答えた。そして付け加えた。但し最低でも三個艦隊、四百万人以上の損失と死傷者が出る事を覚悟して貰いたいと……。要塞攻略は可能だと聞いた時の質問者の顔は喜色満面だった。言質を取った、そう思ったのだろう。だが損失を聞いた後は彼の顔は強張っていた。そしてヴァレンシュタインが追い打ちをかけた。

それだけの損失が発生すれば当然だが補充は最優先で行わなければならない。新たな艦船の建造は言うまでもないがそのために国防費の増額が必要になるだろう。財政委員会が検討している減税、そして政府が考えている一部将兵の動員解除、人員削減は事実上不可能になるだろう。社会機構全体に亘って進むソフトウェアの弱体化はより深刻な事態になると思われる……。

同盟議会から無責任なイゼルローン要塞攻略論が唱えられる事は無くなった。そして同盟市民もその多くがイゼルローン要塞の反乱鎮圧は帝国に任せるべきだと考えている。政府と軍が出兵計画を策定しているが形だけだ、ワイドボーンの言う通り議会に対する嫌がらせだろう。誰も戦争を望んでいない。同盟は平和に慣れつつあるようだ。






 

 

第百三十七話 陰惨な真実



宇宙歴 796年 12月 31日  ハイネセン  ホワイトユニコーン  ミハマ・シェイン



「随分と慌ただしい一年だったわね、シェィン」
「そうだね、でもそれも今日で終わるよ」
姉さんが氷の入ったグラスを軽く揺らしている。俺と姉さんはシングル・バレル・バーボンをオン・ザ・ロックで飲んでいるんだがシングル・バレル・バーボンって何だ? 俺には良く分からん。姉さんが選んだのだけど結構酒にはこだわりが有るようだ。意外では有る、知らなかった。

ヴァレンシュタイン委員長はサングリアを少しずつ、ゆっくりと飲んでいる。アルコール度の低いわりと甘口のカクテルらしい。度数の高い物は酔いが回るから飲まないと言っている。委員長はあまりアルコールは強くないようだ。カラカランと氷がグラスにぶつかる音がした。良いね、軽すぎもせず重すぎもせず透明な感じのする音だ。自然と頬が緩んだ。

ホワイトユニコーン、俺達姉弟とヴァレンシュタイン委員長が飲んでいるこの店はハイネセンでもかなりの老舗で有名だ。自由惑星同盟の建国前、ロンゲスト・マーチの時代に宇宙船内に有ったバーが始まりというのが店側の主張だけど本当かどうか分からない。伝説みたいなものだろうけど事実ならなんとも楽しい話だ。

それだけに店の中は結構重厚で荘厳な感じがする。室内に流れる音楽もクラッシックだし客も飲んで煩く騒ぐような奴は居ない、皆静かに談笑している。酒を飲む事だけじゃなく雰囲気を楽しむ店なのだろう。ヴァレンシュタイン委員長が帝国にある高級士官専用ラウンジ、ゼーアドラーに雰囲気が似ているかもしれないと言っていた。結構カップルもいるな、俺も彼女が出来たら連れてこようかな。お洒落だと喜んでくれるかもしれない。

それにしても姉さんにも困るよな、この間はデロリアン委員、そして今日はヴァレンシュタイン委員長。姉さんにとっては同僚、直属の上司で気安いんだろうけど新米少尉には大物過ぎるよ。いきなり呼び出して“飲みに行こう”、それで店に来たら
ヴァレンシュタイン委員長と一緒なんだから……。トホホだよ。

それにしても委員長、本当に若いよな。俺と殆ど変らないんだから……。これで政府の重要人物って溜息が出ちゃうよ。周囲も委員長には気付いていない様だ。或いは知らない振りかな、この店なら有りそうだ。
「どうかしましたか?」
ヤバイ、本当に溜息が出てしまった。
「あ、いえ、その、帝国軍はイゼルローン要塞の反乱を本当に鎮圧出来るのかなと思いまして」
委員長が姉さんと視線を交わしクスッと笑った。

「鎮圧部隊は既にオーディンを出立しイゼルローン方面に向かっています。予定では年明け早々にイゼルローン要塞の反乱は鎮圧されるはずですよ」
本当にそうなのかな、イゼルローン要塞だよ? 姉さんを見たけど美味しそうにバーボンを飲んでいる。姉さんも委員長と同意見なのだろう、でもなあ……、どうにも信じられない。

「でも帝国の宇宙艦隊は再建途上にあると聞きました。精鋭とは言い難いんじゃないでしょうか。イゼルローン要塞を攻略するのはかなり難しいと思うんですけど……」
俺だけじゃない、皆が言っている事だ。委員長が軽く笑って一口サンゲリアを飲んだ。またカラカラと氷の音がする。

「そんな事は有りません。今、帝国軍宇宙艦隊の中核を占める指揮官達はいずれも名将です。彼らならイゼルローン要塞攻略を失敗する事は無いでしょう」
え、そうなの? 連中が名将揃いだなんて聞いた事ないんだけど。大体名前も知らないんだよな、俺。

知っているのは宇宙艦隊司令長官のオフレッサー元帥と総参謀長のミューゼル大将くらいだ。それにオフレッサー元帥って元は装甲敵弾兵、つまり地上戦が専門だろう、宇宙空間での戦闘なんて出来るのか? とてもそうは思えないんだが……。俺の思いが分かったのかな、委員長が苦笑を漏らした。

「私は帝国に居たから彼らの事を良く知っています。若い所為で実績が少ない、そのため過小評価されていますが彼らは危険なほどに有能ですよ。過去の帝国軍の指揮官とは明らかに違う。私は彼らと戦争したいとは思いません」
う、凄い評価だな。ヴァレンシュタイン委員長が生真面目な表情をしている。姉さんは無表情だ。嘘じゃないみたいだがそれでも疑問は有る。

「ヴァレンシュタイン委員長は三個艦隊、四百万人以上の損失が出ると仰っていましたけど……」
委員長が頷いた。だよね、だとすると帝国軍にだってそれくらいの損害が出てもおかしくない。今の帝国軍ってそんな損害を出しても大丈夫なのか? 再建途上だよな。

「要塞が一つに纏まっていれば、そして有能な指揮官が率いていれば、そのくらいの損失は出てもおかしくは有りません」
あれ? じゃあ纏まっていなければどうなるの? 指揮官が馬鹿だったら? そこまで損害は出ないって事?

「そうはならないと御考えですか?」
ナイス、姉さん。知りたい事を訊いてくれた。
「多分、そうはならないでしょう。イゼルローン要塞の反乱勢力は要塞の難攻不落を信じてただ要塞に籠っているだけです。戦略も展望も有るとは思えない、感情の趣くままに反乱を起こした、そんなところでしょう。有能とはとても言えません」
委員長がサングリアを一口飲んだ。そして俺を見て軽く笑みを浮かべた。ちょっと怖いな、委員長。

「もし、彼らに戦略が有るなら要塞に籠ったりしません。あれでは籠城と同じです。まあそういう方法が無いわけでも有りませんが……、籠城を成功させるには必要な条件が有ります、それが何か分かりますか?」
委員長が俺と姉さんに質問してきた。

姉さんが俺を見る、あんたが答えなさい、そんな感じだ。勘弁してくれよ、士官候補生に戻ったみたいだ。
「……援軍でしょうか?」
「その通りです。イゼルローン要塞が難攻不落と言われたのは増援が有った事が大きな一因としてあります。しかしイゼルローン要塞の反乱軍には味方が居ません、そして彼らは味方を募ろうともしない。とても有能とは言えませんし展望が有るとも思えない」

なるほどね、確かに有能とは言えない、展望も無いようだ。それにしても間違った答えを言わなくて良かった……。
「孤立した状況での籠城戦は圧倒的に不利です。非常に有能でカリスマ性のある統率者でも居れば別ですがそうでなければ脱落者や裏切り者が出るでしょう。とてもではないが一つに纏まっての抵抗など出来ません。古来籠城戦においては味方の裏切りや逃亡者の続出が勝敗を決める事が多いのです」

うーん、そういう事か。あれ? ていう事はだよ、同盟軍が攻めても碌に抵抗出来ずに終わる可能性も有るんじゃないの? 議会にはとんでもない被害が出るなんて言ってたけどあれは嘘? 思わずまじまじと委員長を見たら委員長が薄らと笑った。やっぱり怖いよ、この人。

「有能でカリスマ性のある統率者が反乱軍を率いている可能性も有りますよ」
「はあ」
何で俺の考えていることが分かったんだろう。姉さんに視線を向けたら姉さんは笑みを浮かべてバーボンを飲んでいた。何時の間にかドジな姉さんが怖い姉さんになっていた。虎と狼と兎みたいだ……。



帝国暦 488年 1月 10日  イゼルローン回廊  ガイエスブルク要塞  ヘルマン・フォン・リューネブルク



俺とケスラー中将がガイエスブルク要塞の司令室に戻るとオフレッサーとミューゼルの二人が物問いたげな表情で俺達を迎えた。
「イゼルローン要塞からの逃亡者で間違いないようです」
俺が答えると二人が顔を見合わせ“他には”とオフレッサーが言った。俺がケスラー中将に視線を向けると彼が一つ頷いてから話し始めた。

「要塞内は酷く混乱しているようです。降伏しようという者、徹底抗戦を叫ぶ者、様子を見ようという者……、逃亡者は三つ巴になっていると証言しています。イゼルローン要塞を短兵急に攻めるのは待った方が良いかもしれません。逃亡者が続けばより詳しい要塞の状況が分かるでしょう。それに場合によっては降伏という事も有り得ます」
「そうか……」

オフレッサーは面白くなさそうだ。ミューゼルは一安心といった表情をしている。オフレッサーは要塞内に突入する事を楽しみにしていた。それが降伏するかもしれない、少し待てと言われて面白く無いのだろう。そしてミューゼルは要塞内が混乱するのはもちろん嬉しいだろうがオフレッサーの要塞突入が取り敢えず無くなった事に一安心といったところだ。ミューゼルはオフレッサーの事を無茶をする父親の様に感じている。

イゼルローン回廊に入った直後、反乱軍の接触を受けた、十隻程の駆逐艦だった。政府が討伐軍を送ると見込んで哨戒活動をしていたらしい。こちらを確認すると直ぐに撤退した。逃亡者の話ではイゼルローン要塞に籠る反逆者達はこちらがガイエスブルク要塞を運んできた事に肝を潰したようだ。

イゼルローン要塞とほぼ同等の規模を持つガイエスブルク要塞が放つ主砲の威力を想像して震え上がった。そして彼ら脱落者が出た。五十人程が駆逐艦で要塞を抜け出し投降してきたのだが彼らの話を聞く限りではケスラー中将の言う通り脱落者はこれからも続く可能性は有る……。なるほど、ガイエスブルク要塞を移動要塞にしたのは攻略に使うという事の他に精神的にダメージを与えるという狙いも有るのだろう。

「閣下、やはりここは相手の心理を揺さぶりたいと思います。相手が降伏するかどうかは未だ分かりませんが士気は下げられるでしょう。強攻策を採る場合でも損害は少なくなります」
「うむ、そうだな」
オフレッサーが頷いた。不満は有るだろうが理はミューゼルに有る。そして政府からも出来るだけ損害を少なくしろと言われている。ミューゼルの提案を拒否は出来ない。

ミューゼルがゆっくりと進みたいとオフレッサーに提案した。相手を焦らす事で不安にさせたいと。そしてイゼルローン要塞に接近したらこちらの攻略案の提示と降伏の勧告、そして要塞主砲による威嚇を行いたいと提案しオフレッサーがそれを苦笑交じりに了承した。もしかするとオフレッサーも反逆者達が降伏すると考えているのかもしれない。



帝国暦 488年 1月 16日  オーディン  新無憂宮  オットー・フォン・ブラウンシュバイク



「そうか、反逆者達は降伏したか」
久々に良い知らせだ、声が弾んだ。イゼルローン要塞に籠る反逆者達が戦闘に入る事無く降伏した。隣に居るリッテンハイム侯も顔をほころばせている。しかし報告に来たエーレンベルク、シュタインホフ両元帥の表情は決して明るくは無かった。手放しでは喜べない何かが有るようだ。

「反逆者達はこちらがガイエスブルク要塞を移動要塞にした事に驚いたようです。肝を潰したのですな」
「かなり混乱したようです。要塞内で戦闘も起きたとか」
「それは同士討ちが起きた、そういう事かな、シュタインホフ元帥」
リッテンハイム侯が問い掛けるとシュタインホフが頷いた。
「オフレッサー元帥からはそのように報告が有りました」
リッテンハイム侯が唸り声を上げた。

「大部分は降伏を考えたようですが一部に徹底抗戦を主張する者達が居たようです。まあ、投降者達によればこの反乱の首謀者ですな。最終的には徹底抗戦を主張する者達約五百人を殺してから降伏したようです」
「なんと、……陰惨な話だな、軍務尚書」
わしの言葉にエーレンベルクが首を横に振った。何だ? 何か有るのか?

「何処までが本当かは分かりません。死人は喋ることが出来ませんから」
「……つまり首謀者は別にいる可能性が有ると?」
「最後まで抵抗した者が首謀者とは限りません。降伏しても死刑になると怯えて徹底抗戦を主張した可能性は有るでしょう。或いは首謀者達は自らが生き残るために適当に生贄を用意したとも考えられます」

エーレンベルクだけではない、シュタインホフも厳しい表情をしている。何らかの確信が有るようだ。まあ首謀者全員が殺されたというのも確かにおかしな話ではある、本来は何人か捕縛された者が居ても良い筈だ。となれば生きていては困る事情が有ったと見るべきなのだろう。なるほど、わしが陰惨な話しだと言った時にエーレンベルクが首を横に振る筈だ。隠された真実こそが陰惨か。

「で、どうする。彼らの処分だが」
リッテンハイム侯が低い声で問い掛けるとエーレンベルクが渋い表情をした。
「その事ですが首謀者は全員死亡、他の者は当初は反乱に同調したが後に反乱鎮圧に協力したという事で一年間、五分の一の減給処分にしたいと思います」
リッテンハイム侯がわしを見た。不満そうな表情をしている。わしもいささか腑に落ちない。

「それで良いのか? 後々困った事にはならんか? 軍はこのような事には厳しいと思ったが」
禁錮、降格、降級、色々と処分は有るだろう。わしが問うと二人が顔を顰めた。シュタインホフが口を開いた。
「真実はどうあれ形としては彼らは反乱鎮圧に協力しています。これに対して厳しい処罰をすればこれ以後反乱が起きた場合、内部からの切り崩しは難しくなります。早期解決が難しくなるのです。昔から反乱というものは外から潰されるより内から潰れる事が多い、それを考えるとあまり厳しい処罰は得策とは言えません」
「それに何処までを処罰の対象にするか線引きが難しい。調査には膨大な時間と人手がかかるでしょう。癪では有りますが連中の書いた筋書を認めるのが得策だと思います」

エーレンベルク、シュタインホフの言う事を理解は出来る、しかし……。リッテンハイム侯の表情も晴れやかとは言えない。いや、エーレンベルク、シュタインホフの顔も晴れやかではない……。
「已むを得ぬという事か。今は反乱を終わらせる事が先決、そういう事だな」
半分以上は自分を納得させるために言った言葉だったがエーレンベルクとシュタインホフが頷いた。

「イゼルローン要塞はイゼルローン国際協力都市になります。これを機に要塞守備兵、駐留艦隊は解体し兵はバラバラにしようと考えています」
「まあ当然ではあるな」
「彼らの配置場所は辺境の補給基地や小規模な哨戒部隊という事になります。国防の中枢には配置しません。これからは戦争が無くなりますから武勲を立てる場は無い、そして昇進面でも優遇される事は有りません、飼い殺しです。いずれ自発的に軍を辞めていく者が増えていくでしょう」
飼い殺しと言った時のエーレンベルクは明らかに嘲笑を浮かべていた。形式面では厳しい処罰は無いが許したわけではない、そういう事か……。楽しい話ではないな、話を変えるか。

「まあ何はともあれ反乱は終結した、そういう事だな?」
「はい、改修に費用は掛かりましたが損害らしい損害が無い事を考えると収支は合います」
シュタインホフの言う通りだ、十分に収支は合う。なによりガイエスブルク要塞をそのままイゼルローン方面に配備出来るのだ。防衛体制の早期確立、要塞建設のための予算の削減、十分過ぎる程に収支は合う。

この後は平和条約の締結と通商条約の締結か。場所はイゼルローン国際協力都市で行う、同盟政府も首を長くして待っているはずだ。早急に反乱の後始末を終わらせなければ……。

 

 

第百三十八話 繁栄と未来




宇宙歴 797年 1月 21日  ハイネセン  統合作戦本部  シドニー・シトレ



「珍しいですな、こんな所にいらっしゃるとは」
「少々相談したい事が有りましてな、寄らせていただきました」
「ほう、それはそれは」
先日イゼルローン要塞の反乱が鎮圧された。帝国、同盟を悩ませていた反乱が鎮圧されて心が軽くなったのだろう。ソファーに座るレムシャイド伯はニコニコしながらコーヒーを飲んでいる。

「しかし、相談相手は私で宜しいのですかな? むしろトリューニヒト議長かヴァレンシュタイン委員長の方が適任ではないかと思いますが」
私が問い掛けるとレムシャイド伯が頷いた。
「いずれはあの二人にも相談しますがその前にシトレ元帥の御意見を伺いたいと思ったのです」
「なるほど」
なるほど、瀬踏みというわけか。

「イゼルローン要塞の反乱は鎮圧されました」
「……」
「思った以上に損害は少なくて済みました。帝国政府はその事を非常に喜んでいます」
「イゼルローン要塞が抵抗らしい抵抗もせずに降伏した事については我々も驚いています」
おそらく全銀河が驚いただろう。未だに同盟のマスコミはイゼルローン要塞攻略について報道している。そしてその攻略案の奇抜さについても。

「帝国も同盟も、そしてフェザーンもですが皆があの作戦案を称賛しています。まあ帝国があの作戦案を考えたのであれば無条件に喜べるのですがそうではない。称賛されるのは帝国としても少々気まずい。反乱も鎮圧された以上真実を公表するべきだと考えています」
「ふむ、それで宜しいのですかな、もう少し時間をおいても良い様な気がしますが」
暗に帝国内で反発が起きる可能性は無いか、そう問い掛けたがレムシャイド伯は“大丈夫だと帝国政府は判断している”と答えた。

「公表に関しては同盟側にも問題は無いと思います」
帝国側に不都合が無いのであれば私に相談するまでも無い。レムシャイド伯は何を確認したいのか……。伯がコーヒーを一口飲んでから皿に戻した。カチャっと音が鳴った。

「真実を公表すればあの作戦案はヴァレンシュタイン委員長が作成したものと皆が分かります。その武勲は他の追随を許しません。そして何よりも和平条約、通商条約の締結が可能となりました」
「……」
「そこで帝国はヴァレンシュタイン委員長に勲章を授与しようと思うのですが、シトレ元帥は如何思われますかな?」

勲章を授与する? 帝国からの亡命者とはいえ同盟人に対してか。前代未聞だな、両国には国交が無かった。勲章の授与と言っても……。
「双頭鷲武勲章を授与したいと、帝国はそう考えているのですが」
思わず唸り声が出た。帝国の勲章に精通しているわけでは無い、しかし双頭鷲武勲章が極めて格式の高い勲章である事は分かっている。大きな武勲を上げた軍人にのみに授与される筈だ。

「宜しいのですかな、ヴァレンシュタイン委員長に双頭鷲武勲章を授与するなど。帝国内で反発は有りませんか。正直、同盟内の反応よりも帝国内の反発の方が心配ですが……」
私が問い掛けるとレムシャイド伯が頷いた。

「御心配はごもっとも。しかし軍人としての力量については帝国人の全てが認めています、恐るべき相手だと。そして今回両国において結ばれる和平において最も尽力したのが彼である事も理解しています」
「……」
「正直にお話しましょう。帝国政府としてはこれを機に彼と彼の家族の名誉を回復したいと考えているのです」
「それは……」

言葉を続けようとして口を閉じた。なるほど、帝国が考えているのはそれか。となれば簡単ではないな。私の思いが分かったのだろう、レムシャイド伯が私に頷いた。
「彼は本当の意味で反逆者ではない、その事は皆が分かっています。不当にも家族を殺され命を狙われ帝国を追われた。亡命者、反逆者にならざるを得なかった……。しかし已むを得ぬ事とはいえいささか人を殺し過ぎました。その事で帝国内には彼に対する反感、憎悪が少なからずある」
「……そうでしょうな」

レムシャイド伯は沈痛な表情をしている。ヴァレンシュタインは誰よりも和平を望んだ、そのために大勢の帝国人を殺した。彼を良く知れば知るほどその皮肉さに胸が痛むだろう。口中が苦かった。彼を大量殺人者にしたのは帝国だけの責任ではない、同盟にも責任は有る。帝国も同盟も彼を大量殺人者に追い込んだのだ。責任の一端は私にも有るだろう。

「今のままでは名誉回復は難しい、帝国政府はそう考えていました。しかし今回、図らずも彼は帝国のために大きな功を立ててくれた。こういう言い方はなんですが彼の功績を大体的に公表し双頭鷲武勲章を贈る事で免罪符としたいのです」
「なるほど、そして名誉回復を行いたいというのですな」
「はい」

少しの間沈黙が落ちた。レムシャイド伯は視線を伏せている。要するに帝国は同盟屈指の実力者となったヴァレンシュタインとの関係を改善したいのだ。それもこそこそと隠れてやるのではなく公然とやろうとしている。
「名誉回復は何処まで踏み込まれるのですかな。例のカストロプ公の事ですが……」

「……全て公表しようと帝国政府は考えています」
「!」
思わず“本気ですか”と問い掛けそうになった。レムシャイド伯の言葉が事実なら帝国政府は自らの非を認めると言っているに等しい。名誉回復どころではない、これは謝罪だ!

「カストロプ公の事ですがあれはリヒテンラーデ侯一人の責任とはブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も考えていません。リヒテンラーデ侯を庇うわけでは有りませんがあの当時はああいう策を施さなければ帝国を保てなかったのは事実です。アマーリエ陛下はあの一件を一個人の暴走として処理してはならぬと考えておいでです。そのためにも全てを公表せねばならぬと……」
「女帝陛下が」

私が確認するとレムシャイド伯が無言で頷いた。どうやらこの件はアマーリエ陛下の意向が強く反映しているらしい。あの女帝陛下、ただの傀儡ではないな。ブラウンシュバイク公の補佐が有るとはいえなかなかの識見だ。侮る事は出来ない。

「如何ですかな、シトレ元帥。元帥の御考えは?」
レムシャイド伯がじっと視線を当ててきた。
「帝国がそこまで考えているのでしたら反対はしません」
「トリューニヒト議長は如何思われると?」
「さて、……今回の一件、帝国政府は過去の清算をしたいと御考えなのでしょう。ならば議長は反対しないと思いますが」
レムシャイド伯が大きく頷いた。

「御相談されては如何ですか?」
「御口添え、願えようか」
「私で宜しければ。帝国から勲章の授与など初めての事ですがいずれは和平を結ぶのです、となれば今後勲章の授与は有ってもおかしくは無い。今回の一件は栄えある第一号という事になるでしょう」
レムシャイド伯が嬉しそうに笑った。新しい時代の到来だな、確実に世の中は変化しているようだ。



宇宙歴 797年 1月 25日  ハイネセン  同盟議会  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



イゼルローン要塞の反乱は鎮圧され宇宙には平和が戻った。平穏無事、天下泰平、世は並べて事も無し。そう言いたいんだが何処の世界にも空気の読めない阿呆は居る。これも世の常、人の常だ。しかしその阿呆の溜まり場が同盟議会っていうのはどういう事だろう。同盟市民は人を見る目が無いって事だな。俺の目の前ではカマキリ男のバリードが声を張り上げている。キイ、キイ、キイ、虫みたいな鳴き声に聞こえるな。

議員諸兄は皆眠そうだ、起きている奴も迷惑そうな表情で聞いているのが殆ど。嬉しそうに聞いているのはほんの一部だ、少しは空気を読めよ、バリード。
「帝国軍がイゼルローン要塞攻略に使った作戦案は同盟政府が、ヴァレンシュタイン諮問委員長が策定したものだと帝国政府が発表しておりますがこれは事実なのでしょうか? お答えいただきたい」

なに興奮してるんだ? 政府はとっくに認めてるぞ、俺もな。おかげで毎日マスコミが煩いんだ。勘弁して欲しいよ。誰が質問に答えるんだろうと見ているとトリューニヒトが答弁席に向かった。偉いぞ、トリューニヒト議長、褒めてあげよう。昨日、久し振りにトリューニヒト、シトレ、ネグポン、俺の四人でサンドイッチを食べたから俺はとっても御機嫌なのだ。煩いマスコミもあの家には追いかけてこないし。

「事実です、帝国政府の謀略では有りません」
今一つキレが無いな。あまり大きな笑い声は聞こえない。
「という事は双頭鷲武勲章の授与も事実なのでしょうか?」
「事実です」
トリューニヒトが答えるとバリードが俺に視線を向けた。厭な目付きをしている。獲物を見つけた蛇みたいな目だ。舌なめずりでもしそうな感じだ。心の卑しさって目に出るよな。気を付けないといけない。

「ヴァレンシュタイン諮問委員長にお尋ねしたい。政府閣僚の立場にある貴方が帝国から勲章を授与されるというのは如何なものか。いささか不見識とは思いませんか?」
面倒だなと思いながら答弁席に向かった。不見識だなんて言っているが要するにこいつは俺が勲章を貰うのが面白くないのだ。双頭鷲武勲章って帝国でも有名な勲章だからな。

「不見識とは思いません」
ムッとしてるな。なんで辞退しないんだ、そんなところか。
「帝国とは和平を結ぶとはいえ昨年までは戦争をしていたのですぞ。まして諮問委員長は亡命者です。帝国が委員長を懐柔しようとしているとは思われぬのですかな」
懐柔か、まあそういうところが有るのは事実だから否定は出来ない。

「なるほど、考えた事も有りませんでした」
「では考えていただきたい!」
そんな怒るなよ。余裕が無い男は嫌われるぞ。
「分かりました、考えましょう、少しお待ちください。……考えました、やはり勲章は有り難く拝受します」

議会に爆笑が起こった。トリューニヒトも腹を抱えて笑っている。うん、俺の方がキレが有るだろう。この勝負は俺の勝ちだな、トリューニヒト。カマキリが何か喚いているが笑い声で良く聞こえない。唇の動きからすると“馬鹿にしてるのか”、“ふざけるな”そんなところのようだ。ようやく分かったらしい、鈍い奴だ。

余計なお世話なんだよ。大体だ、外国人に勲章の授与なんて現実世界じゃ幾らでも有ったんだ。金ではなく名誉を与える。貰う方も与える方も後腐れなく楽なんだ。この世界は帝国と同盟が戦争しかしてないから無かっただけだ。これから和平が結ばれ協力体制が築かれればいずれは出てくる話だろう。詰まらない料簡で反対するんじゃない! ホルマリン漬けにして標本にするぞ。

笑いが収まるのを待って話し始めた。
「同盟と帝国は和平を結び協力体制を築きます。これは政治、経済、軍事等の政府間協力だけでは有りません。国境を開き民間においても交流を広げ学問、文学、芸術、医学など多岐の分野に亘って協力し合う事になるのです。当然ですがそれぞれの分野において多大な功績を上げる人間も出てくる。それらの人間に勲章を贈りその功績を讃えるのはおかしな事では有りません。むしろ積極的にそのようにすべきでしょう、それこそが両国間の交流をより密なものにする、より相互理解が進み和平が長続きする。そう私は考えています」

カマキリがモゴモゴ言っている。和平が長続きするという大義名分の前に効果的に反論できないらしい。
「それに人間は誰でも褒められれば、認められれば嬉しいものです。政治家はそういう人間の特性を無視するべきでは有りません。それを認め、受け入れ、積極的に利用するべきです」
議会にまた笑い声が上がった。好意的な笑い声だ、“俺も勲章が欲しいぞ”と声が上がるとさらに笑い声が大きくなった。

「ここに提案します。国家として功労者を讃える事とは別に人類全体の視点から見てその繁栄と進歩にもっとも顕著な功績を上げた人物を讃える賞を我々は創るべきではないでしょうか」
どよめきが起こった。フッフッフッ、この世界のノーベル賞だ。平和になるんだ、そういうのが有ってもいいよな。

「その賞の決定機関をイゼルローン国際協力都市に置き選考委員は同盟、帝国、フェザーンから選出します。そして年に一度受賞者を選びその功績を讃え報奨金を与えるのです。もちろん、報奨金は同盟、帝国、フェザーンの三カ国が用意します」
あっちこっちでざわめきが起きていた。そして何人もの議員が頷いている、良い感触だ。

「いつの日か、この賞を受賞する事が科学者として、文学者として、或いは医学者、政治家として最大の名誉であるという日が来るでしょう。そして今日、この日に、その賞が産声を上げたという事を多くの人が記憶するに違いありません」
“そうだ”、“創るべきだ”、そんな野次が上がった。興奮し始めたな。

「議員諸兄、私の考えに賛同いただけるのであれば起立の上拍手をしていただきたい。そして銀河帝国、フェザーンへの呼びかけと実現を我らが国家元首、ヨブ・トリューニヒト最高評議会議長に御願いしようでは有りませんか」
議員達が立ち上がって拍手を始めた。議員だけじゃない、委員長達も皆拍手をしている。うん、俺って良い扇動政治家になれそう。

トリューニヒトが席を立って満面の笑みを浮かべながら答弁席に近付いてきた。幾分頬が上気している、興奮しているようだ。当然だが俺は席を譲って拍手をしながらトリューニヒトを迎えた。“議員諸君”、トリューニヒトが呼びかけると拍手が止んだ。
「ヴァレンシュタイン委員長の素晴らしい提案に賛同してくれた事を先ず感謝する。そして私に素晴らしい仕事を与えてくれた事にも感謝だ。これほどの名誉は無い、喜んで務めさせてもらおう」
拍手が湧き上がった。彼方此方から“頼むぞ”、“頑張ってくれ”と声が上がった。トリューニヒトが右手を上げると拍手が止んだ。

「私は今日の事を生涯忘れる事は無いだろう。この賞は人類の繁栄と未来に大きく寄与するであろう事を私は確信している。そしてこの賞を創り出した事は人類の歴史に燦然と輝く一ページになるに違いない。私達は今人類の未来に新たな希望を生み出したのだと思っている」
また拍手が湧き上がった。トリューニヒトも嬉しそうに拍手している。うん、俺も満足だよ。三千万人殺して国家に貢献しましたなんて言われるよりノーベル賞を創ったと言われる方がよっぽど嬉しいからな。満足そうなトリューニヒトを見ながら俺も一生懸命拍手した。まあこれで和平条約締結まで間を持たせることが出来るだろう。賞の名前は何になるのか、楽しみだな。



 

 

最終話 和平条約締結  


宇宙歴 797年 6月 10日  マリネッティ分艦隊旗艦ロスタム  ミハマ・サアヤ



マリネッティ少将率いる六百隻の艦隊がイゼルローン回廊を航行しています。イゼルローン国際協力都市に艦隊が到着するのももう直ぐです。艦隊には和平条約、通商条約の締結のためグリーンヒル外交委員長、アルドニン通商委員長が乗っていますし双頭鷲武勲章の授与のためヴァレンシュタイン委員長も同乗しています。

前回はフェザーンへの護衛でしたが今回はイゼルローンへの護衛です。マリネッティ少将はやはりイゼルローン方面は緊張感が違うと言っていました。途中、イゼルローン回廊に入ると一度だけ帝国軍の哨戒部隊、五百隻程の艦隊に誰何を受けましたが自由惑星同盟政府の外交使節が乗っている事を通告すると“航行の無事を祈る”と通信して離れていきました。

事前に同盟政府から帝国政府に連絡が行っていますから安全な筈ですがそれでも帝国軍が誰何してきた時は緊張しましたし問題がなかった時はほっとしたとマリネッティ少将が言っていました。それ以降、艦隊は特に問題なくイゼルローン回廊を航行しています。

同盟市民の大多数がヴァレンシュタイン委員長の勲章授与に賛成しています。同盟市民にも帝国から勲章授与の可能性が有る、その事が大きいようです。人間って名誉に弱い、そう思いました。勲章授与に反対していた人達は料簡が狭いとマスコミから非難され今では沈黙しています。あるジャーナリストはヴァレンシュタイン委員長が新たな賞の設立を提案した事、それだけでも叙勲の資格が有ると発言し市民から大きな賛同を得ていました。

ヴァレンシュタイン委員長への勲章の授与ですが皇帝アマーリエ陛下の代理としてリッテンハイム侯爵夫人クリスティーネ様が行う事になりました。今の帝国では有力な男子の皇族は居ません。リッテンハイム侯爵夫人は皇帝アマーリエ陛下の妹で成人ではもっとも有力な皇族と言えます。

リッテンハイム侯爵夫人が皇帝の代理として勲章を授与する、その所為かもしれませんが帝国側の和平条約、通商条約の調印者はリッテンハイム侯になるそうです。リッテンハイム侯は内務尚書ですからかなり職責が違います。大丈夫なのかと疑問に思いますがヴァレンシュタイン委員長によれば帝国では職責よりもその人物が実力者かどうかが鍵なのだとか。リッテンハイム侯はブラウンシュバイク公に次ぐ実力者で夫人は皇位継承者の一人です。その資格に問題は無いと言っています。

ヴァレンシュタイン委員長が提唱した賞の設立はトリューニヒト議長によって銀河帝国、フェザーン共和国へと伝えられました。両国とも賛成したので立ち上げのための三国合同の準備委員会が秋には発足します。実際に賞が贈られるようになるのは早くて二年後、おそらくは三年後になるだろうと言われています。

賞の名前ですが当初、ヴァレンシュタイン委員長の名前を付けた賞にしようという意見が出ました。提案者ですし和平にもっとも尽力した委員長の名前を付けるべきだと考える人が少なからず居たのです。でもヴァレンシュタイン委員長自身がそれを断りました。

“三千万人を殺した人間の名前を付けた賞など血生臭過ぎる。それに罪悪感からそのような賞の設立を考えたのだろう等と言われたくない。それでは賞の意義が歪みかねない”
それが理由でした。そして代わりに“プロメテウス”という名を提案したのです。

プロメテウスは人類に火を与えたとされるギリシアの神の名前です。人類はその火を使う事で多くの恩恵を受け文明や技術を育んできました。新しい賞の名前に相応しいだろうと……。三国で調整していますが特に反対は出ていません。おそらく賞の名前はプロメテウス賞になるでしょう。



宇宙歴 797年 6月 13日  イゼルローン国際協力都市  ミハマ・サアヤ



イゼルローン国際協力都市の大広間で和平条約、通商条約の調印式が行われていました。中央のテーブルにはグリーンヒル外交委員長、アルドニン通商委員長、リッテンハイム侯が座っています。そしてその周囲には多くの政府関係者、ヴァレンシュタイン委員長、リッテンハイム侯爵夫人、そして私も参列しています。歴史的な一大イベントに参加しているのです、マスコミも来て全宇宙に放送しています。ちょっと緊張です。

この調印式の前日、昨日の事ですがヴァレンシュタイン委員長への双頭鷲武勲章の授与式が同じ場所で行われました。大勢の参列者、マスコミの前で授与式は行われたのですがリッテンハイム侯爵夫人が委員長の胸に勲章を付けた後、委員長に話しかけました。

“私は今皇帝アマーリエの代理としてここに居ます。これから言う事は皇帝アマーリエの言葉です。ヴァレンシュタイン委員長、御両親の事、心から御詫びします。そして委員長が同盟に亡命せざるを得なくなった事は紛れも無く帝国の罪によるものです、委員長に罪は有りません。私は銀河帝国皇帝として委員長と御両親に対して行われた不正について心から謝罪します”
そしてリッテンハイム侯爵夫人は一歩下がると片膝を折って深々と頭を下げました。

大広間の彼方此方でざわめきが起こりました。マスコミのフラッシュも凄かったです。ヴァレンシュタイン委員長は一瞬ですが呆然としていたと思いますがフラッシュに気付くと直ぐに侯爵夫人に近寄り夫人の身体を引き起こしました。そして侯爵夫人の両手を包み込むように握って何事かを話すと今度は委員長が侯爵夫人の両手を握ったまま深々と頭を下げました。

授与式の後、マスコミから何を話したのかとの質問にヴァレンシュタイン委員長は
“自分は軍に入って多くの帝国軍人を殺してきました。自分に対する謝罪は無用に願います。ただ両親への謝罪には心から感謝します。父、母も喜んでおりましょう”
と言ったと答えました。

帝国の広報担当官も同じ事を答えました。そしてマスコミがカストロプ公が贄であった事は事実なのかと問うと事実である事を認めました。その瞬間、もの凄いどよめきが起きました。帝国政府が自らそれを認めるとは誰も思っていなかったのでしょう。どよめきが収まると広報担当官は
“帝国は二度とこのような悲劇、愚行を繰り返さないために政治改革を行っている。帝国は帝国臣民の持つ権利と安全を保障する。何人といえどそれを不当に犯す事は許されない。それを実現するまで改革は続くだろう”
と答えました。

同盟では大騒ぎのようです。マスコミは今日の和平条約、通商条約の締結よりも帝国が正式に謝罪した事に関心が向いています。本当の意味で帝国は変わりつつある、その事を感じているのでしょう。おそらく帝国、フェザーンでも同じような騒ぎになっていると思います。

ヴァレンシュタイン委員長は当事者ですが結構落ち着いていました。委員長によれば帝国は謝り易いのだそうです。カストロプの一件は先々帝フリードリヒ四世とリヒテンラーデ侯の治世下で起きた事、現政権を運営するブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にとっては直接関係有りません。そして二人とも亡くなっていますし謝罪に反対しそうな貴族達はフェザーンで大半が滅びました。

“現政権が謝罪しても何処からも反対は出ません。カストロプの件を発表しても平民達からの反発は少ない、そう判断したのでしょう。帝国はかなり自信が有るようです。改革は順調に進んでいる、平民達は改革を支持している。そういう事でしょうね、良い事です”
そう言うとヴァレンシュタイン委員長は軽く笑い声を上げました。私には嬉しそうに見えました。

グリーンヒル外交委員長、アルドニン通商委員長、リッテンハイム侯による署名が終りました。三人がそれぞれ満面の笑みを浮かべて握手をしています。拍手が起きフラッシュが焚かれました。私達参列者もそれぞれ握手をしています。和平条約、通商条約の締結です、戦争は本当に終わりました。



宇宙歴 797年 6月 13日  イゼルローン国際協力都市  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



第一条 本条約の批准書の交換と同時に締約国間の戦争状態は終結し、平和が達成される。
 一項. 締約国は相互の主権、領土保全及び政治的独立を承認しかつ尊重するものとする。
 二項. 締約国はその保証されかつ承認された国境内で相互に平和のうちに生存する権利を承認しかつ尊重するものとする。
三項. 締約国は相互に直接間接を問わず武力による威嚇又は武力の行使を控え相互間の全ての紛争を平和的手段により解決するものとする。

第二条 締約国は両国間に樹立される正常な関係、外交・経済・文化関係、国民と物品の移動の自由、差別的障壁の廃止を保証し、一方の締約国の管轄下にある市民による法の適正手続の相互享受を保証する。

第三条……、何だったかな、よく分からん。まあこの和平条約の条文だけど作成するのが大変だった。なんせ帝国も同盟も条約なんて結んだことが無いんだから。過去にさかのぼって地球時代の和平条約を引っ張り出して見よう見まねで作った。笑い話だな。

フェザーンのペイワードがフェザーンとも和平条約、通商条約を結んで欲しいと同盟、帝国に言ってきている。まあ独立はさせたけど現状では独立の保障も通商の保障もない。自治領だったから正式な条約など何もないんだ。おまけに独立したとはいえ帝国と同盟の中間で緩衝地帯として存在しているだけだから何か有れば直ぐ戦争になってもおかしくない。同盟と帝国が協力体制を強めているからな、不安になったらしい。仲間外れは寂しいようだ。

悪くないな、悪くない。フェザーンは同盟と帝国の協力体制に加わろうとしている。本当の意味で国際協力の時代が来ようとしている。おそらく年内には同盟とフェザーン、帝国とフェザーンの間で和平条約、通商条約が締結される事になるだろう。

もっとも問題が無いわけじゃない。同盟と帝国はフェザーンに対して最恵国待遇を与えるかどうかで迷っている。意地悪をしようというわけじゃない。将来を考えるとフェザーンに最恵国待遇を与えるのが妥当なのかどうか判断が出来ずにいるのだ。

フェザーンは人口二十億、居住可能惑星はフェザーンのみだ。つまりこれ以上の発展は難しい。今はそれなりの影響力を持っているがこれからは全人類におけるフェザーンの占める重みは徐々に小さくなる。最終的には同盟、帝国がそれぞれ三千億の人口を持つ時フェザーンは精々百億程度の人口維持が限界だろう。

経済規模もそれに比例するとなれば最恵国待遇を与えるのが妥当か? という疑問が出るのは当然だ。フェザーンがその辺りをどう解決するか。フェザーンには他に三つの惑星が有る。テラフォーミング、パラテラフォーミングで人口問題を解決し経済規模を拡大するのか。或いは探査船を出し新たな星系を発見するか。どちらにしろ金はかかるし時間もかかるだろうな。成果も出るかどうか分からない。不安定要素が多すぎる、頭の痛い問題だ。

「ヴァレンシュタイン委員長、条約締結おめでとうございます。御苦労されたかいが有りましたね」
考え込んでいるとサアヤが話しかけてきた。ニコニコしている。
「有難う、ミハマ大佐」
「トリューニヒト議長もハイネセンで御覧になっているでしょう」
「そうですね、皆が見ていると思います」

笑えるよな、主戦派の扇動政治家ヨブ・トリューニヒト国防委員長が最高評議会議長になり和平を結ぶんだから。その条約を結ぶのが救国軍事会議を率いたグリーンヒル外交委員長だ。そして帝国では門閥貴族代表のブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が国内の改革を行っている。俺の知っている銀河英雄伝説は何処に行ったのやら……。

「珍しいですね、委員長がそんなにニコニコするなんて。念願の和平が実現した、だからですか?」
俺よりサアヤの方が嬉しそうだけどな。
「私よりも大佐の方が嬉しそうですよ」
「嬉しいです。戦争が無くなります。委員長も戦場に出なくて済む。そうでしょう?」

ちょっと返答に困った。サアヤは生真面目な表情をしている。ラインハルトと戦わずに済む、戦死する事に怯えずに済む、そう言っている様だ。そうだな、確かにそれは有る。それが理由でトリューニヒト達と和平を模索したのは事実だ。人類のためなんていう崇高さは全くなかった。俺ってつくづく小市民だよな。

「何が可笑しんですか、委員長?」
「ミハマ大佐、私は帝国による宇宙の統一を望んでいました。ミューゼル大将を助け国内を改革し宇宙を統一する。不可能ではなかったと思います、でも大神オーディンは私を嫌った。私は同盟に亡命せざるを得なかった」
サアヤがちょっと困ったような表情をしている。同盟人としては嫌々亡命したと言われるのは面白く無いか……。

「同盟の国力では統一は難しかった。少なくとも私には考えつかなかった。私に考え付いたのは和平を結び三国鼎立による共存でした」
統一の方が安定するのか、共存の方が安定するのか……。統一の場合軍事力は削減出来るし国内の緊張は少ないだろう。しかし統治者の能力次第で分裂、反乱が起こる。外に敵は居ないが内には潜在的な敵がいるわけだ。そこを統治者が何処まで理解出来るかだな。

共存の場合は如何だろう、常に相手が敵になる可能性がある。軍事力は必要だし国家間の緊張も或る程度存在し続ける。三国鼎立とは言ってもフェザーンの力は弱い、三竦みにはならない。同盟と帝国が正面から睨みあう形だ。まあ片手で握手、片手で握り拳だ。握り拳の存在を忘れなければ平和は続くだろう。

「統一の方が人類にとっては良かったのでしょうか?」
サアヤがちょっと納得がいかない、そんな表情をしている。
「さあ如何でしょう。多種多様な価値観が存在出来るという意味では共存も悪くないと思いますよ」
俺の返事にサアヤが頷いた。原作のローエングラム王朝は如何だったのかな。多種多様な価値観を認められたのだろうか。

ヒルダ以降の統治者が弱い統治者なら権威を造りだしそれに縋ろうとしたかもしれない。その時彼らが作り出す権威はラインハルトだろうな。ラインハルトの言動、思想を絶対視したはずだ。結構息苦しい世の中になったかもしれない。それを考えれば共存も悪くないか。俺のやった事はそれほど拙くは無かったのかもしれない……。気休めにはなるな。



宇宙歴 797年 6月 13日  イゼルローン国際協力都市  ミハマ・サアヤ



ヴァレンシュタイン委員長が穏やかな笑みを浮かべています。時折苦笑を浮かべる時も有ります、でも何処か楽しそう。御両親の名誉回復もされましたし委員長自身の名誉も回復されました。嬉しいのだろうなと思います。
「帝国に戻られるのですか?」
「……」

委員長が驚いています。アレ、私拙い事言った?
「名誉も回復されたのですから戻っても問題は無いと思うのですけど」
あ、今度は委員長が笑っている。でもちょっと寂しそう。
「名誉は回復されました。でも私が殺した人間は生き返りません。その事は誰よりもその遺族が分かっているでしょう。とても帰れませんよ、そんな事をすれば遺族達を怒らせるだけです。帝国政府も私が戻って来る事は望んでいないと思います」

「御寂しいですか?」
「……」
「御寂しいですよね、馬鹿な事を訊いて済みません。……でも私は嬉しいです。委員長がずっと同盟に居てくれるんですから」
「……ミハマ大佐」
「同盟にも委員長の事を本当に想っている人が居ます。私もその一人です、同盟はそれほど悪い国では有りませんよ」

委員長が困ったような、ちょっとはにかんだような笑みを浮かべました。懐かしい笑みです、昔は良くこの笑みを見せてくれました。和平が結ばれて昔のヴァレンシュタイン中尉が戻ってきた、そう思いました。嬉しいです、本当に嬉しい。目頭が熱くなりました。

「和平は結ばれましたがまだまだ問題は多い。これからは和平を守るために戦わなければ」
「期待していますわ、ヴァレンシュタイン最高評議会諮問委員長閣下」
委員長が肩を竦めました。

「かくて宇宙には平和が戻り伝説が終り歴史が始まる」
「?」
委員長がクスクスと笑っています。よく分からないけど委員長は楽しそうです。だから私も楽しい。

「ハイネセンに戻りましょうか」
「はい!」
かくて宇宙には平和が戻り伝説が終り歴史が始まる。その通りです、今日から人類の歴史が新しく始まります。同盟、帝国、フェザーンに住む人類全てが歴史を作るのです。その歴史が輝かしいもので有る事を私は確信しています。人類に幸多からん事を……。