亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
第一話 亡命者
宇宙暦 792年 5月 20日 ハイネセン 後方勤務本部 アレックス・キャゼルヌ
「まったくなんだってこんなに書類が多いんだ」
俺のボヤキに周囲はまったく反応しなかった。まあ無理も無い、此処最近、口を開けば出るのはボヤキばかりだ。皆慣れている。そして大量の書類を抱えているのは皆同じだ。答える気にもならんのだろう。
宇宙暦792年 5月 6日に始まった第五次イゼルローン要塞攻略戦は残念な事だが失敗した。後方勤務本部はその後始末のためてんてこ舞いの状況にある。それは俺が所属する補給担当部第一局第一課も同様だ。普段から仕事が多いのに堪ったものではない。
それでも医療衛生部よりはましだろう。あっちは多分地獄のはずだ。今回の戦いでもかなりの負傷者が出たようだからな。収容施設の手配から医師の手配、そして墓地の手配までしなければならん。葬儀屋が大もうけだ。帝国との戦争で一番儲けているのが葬儀屋だろう。
そろそろ人員の増員を本気で考えてもらわなければならん。これまでにも何度か要請したがどいつもこいつも最前線に人を送る事ばかり考えて後方に人を配置する事をまったく軽視している。最前線で戦う人間を支えているのが後方で補給を担当する人間だというのがまったく分かっていない。
「まったく、何とかして欲しいものだな!」
愚痴が出た。自分から後方勤務を志願したとはいえ、こうなると元の統合作戦本部参事官のほうが精神的には良かったかもしれん。そんな事を考えているとデスクの上のTV電話から呼び出し音が響いた。
「キャゼルヌ大佐、ロックウェル少将がお呼びです。至急、局長室においで下さい」
「了解した」
やれやれ、補給担当部第一局局長ロックウェル少将のお呼びか……。この忙しい時に何の用だ。
人員の増員の件なら大喜びなのだが、まず有り得んな。上の顔色しか見ないような局長だ、どうせ厄介事の押し付けだろう、これまでにも何度か有った。
「まったく……」
いかん、また愚痴が出た……。
局長室に行くとそこには既に先客が居た。若い男女が一組、ソファーに座っている。局長はと言えばデスクで不機嫌そうな表情をしている。やはり厄介事らしい。
「ロックウェル局長、お呼びと聞きましたが?」
用が無いなら帰るぞ、俺は忙しいんだ。
「キャゼルヌ大佐、貴官は人員の増員を要求していたな」
「はい」
「貴官のところに二人、新たに配属させる。詳しい事はそこに居るバグダッシュ大尉に聞いてくれ、以上だ」
そう言うとまるで犬でも追い払うかのように手を振った。二人増員? 有難い話だが、局長の様子からすると素直には喜べない。問題はソファーに座った二人だ、この二人、一体どんな厄介ごとを持ち込んできた?
二人に視線を向けるとソファーに座った若い男が苦笑を浮かべながら席を立った。この男が多分バグダッシュ大尉だろう。そして隣に居た若い女性兵士もつられた用に立ち上がった。
「キャゼルヌ大佐、申し訳ありませんが内密な話が出来る場所を用意していただけませんか。どうやら此処はそれが出来る場所ではないようですので」
バグダッシュ大尉はチラっとロックウェル少将を見ながら皮肉を言ったが少将は不機嫌な表情を浮かべたまま無言だった。早く出て行けということらしい。
「分かった、私の部屋で話そう。では局長、失礼します」
部屋を出るとバグダッシュ大尉が声をかけてきた。
「まったく、気の小さなお人ですな。話にならない」
大尉が少将を非難するか、しかも声を低めようともしない、とんでもない男だな。
「厄介ごとのようだな」
「さよう、いささか困惑しております。詳細は大佐の部屋で」
今度は大尉の声が小さくなった。どうやらかなり大きな厄介事らしい、面倒な……。
「承知した。ところで貴官、何処の人間だ」
「情報部です」
やはりそうか、この男には何となく油断できない雰囲気がある。しかし要員の増員とどう関係してくるのか……。
「情報部の何処だ」
「……防諜課」
防諜課、つまりスパイハンターか。となると俺のところにスパイがいるか、或いは送られてくる二人がスパイなのか、そのどちらかだな。やる事は監視、或いは欺瞞情報を渡しての逆利用、そんなところか。道理で局長が不機嫌なわけだ。気の小さな局長ではいささか荷が重い。
俺の私室に入り適当に座ってもらった。部屋はそれほど大きくはないし、ソファーもない。俺のデスクの他には簡易の折りたたみの椅子が有るだけだ。殺風景だし、余り良いもてなしとも言えないが二人とも文句も言わずに椅子に座った。
改めて二人を見る。バグダッシュ大尉は二十台半ばから後半だろう。口髭を綺麗に整えている。全体に不敵というか横着というか、独特の雰囲気のある男だ。もう一人の若い女性兵士は二十歳になったかどうかというところだろう。柔らかい笑みを浮かべている。俺の視線をどう思ったのか、彼女が名乗ってきた。
「ミハマ・サアヤ少尉です。情報部に所属しております」
そう言うとニッコリと笑った。E式か、となると元は東洋系のようだ。ミハマ少尉と呼ぶべきなのだろう。
笑うと目が細くなりエクボが両頬に出来る。可愛らしい感じの女性だ。声も何処と無く甘えるような感じに聞こえる。情報部と言ったがあまりそんな感じはしない。少尉という事は士官学校を卒業してから一年と経っていないということだ。その所為かもしれない。
「それで話を聞こうか」
「第五次イゼルローン要塞攻略戦が失敗しました。並行追撃作戦は上手く行ったかのように見えましたが最終的には帝国の蛮勇の前に失敗した」
バグダッシュ大尉の言葉に俺は無言で頷いた。第五次イゼルローン要塞攻防戦は同盟軍の兵力は艦艇約五万隻、帝国軍はイゼルローン要塞とその駐留艦隊約一万三千隻で行われたが、その結末は悲惨なものだった。
帝国艦隊全体が要塞に向って後退を始めた時、同盟軍は並行追撃作戦を行い両軍の艦艇が入り乱れる乱戦状態になった。射程内でありながらトール・ハンマーが撃てないという事態を生み出した同盟軍は一気に要塞を攻略しようと攻勢を強めたが、進退窮まった帝国軍はトール・ハンマーの発射を命令、味方の帝国軍艦艇ごと同盟軍の艦隊を粉砕した。
並行追撃作戦は失敗に終わり、同盟軍は残存兵力をまとめて撤退している。同盟軍総司令官シトレ大将は無念だったろう。まさか帝国軍が味方殺しをするとは思わなかったはずだ。あれさえなければイゼルローン要塞は攻略できたかもしれない。
「撤退中の同盟軍に一人の帝国軍人が亡命を希望してきました」
「亡命者……」
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉。兵站統括部に所属しているそうです」
なるほど、帝国側の後方勤務士官か。俺の所に来るのはそれか……。
「お分かりかと思いますが、大佐のところに配属になるのは彼です」
「となるともう一人は」
俺はミハマ少尉を見た。彼女はちょっと困ったような表情を見せた。
「お察しの通り、ミハマ少尉です。彼女がヴァレンシュタイン中尉の監視役になります」
二人増員と言っても一人はスパイで一人は監視役か、話にならんな。思わず溜息が出た。
「やれやれだな、大尉。増員を希望したが一人はスパイで一人は監視役か、まったく愚痴も出んよ」
俺の言葉にバグダッシュ大尉はちょっと困ったような表情を見せた。そんな顔をしても無駄だぞ、大尉。
「確かに彼女は監視役ですが、ヴァレンシュタイン中尉は未だスパイとは決まったわけではありません」
「そうかな。同盟軍が戻って来るまであと二週間はかかる。いまの時点でその中尉の受け入れ先を整えているという事はかなりの確度で彼はスパイの疑いが有るという事だろう」
「そうではないんです、大佐。実のところ彼がスパイか、そうでないのか判断がつかないのですよ」
「判断がつかない?」
俺の言葉にバグダッシュ大尉は頷いた。生真面目な表情だ、嘘ではないように見えるが相手は情報部だ。簡単には信じられない。
「現時点で遠征軍総旗艦へクトルで彼への調査が行なわれていますが、皆判断が出来ずにいるのです。調査内容は情報部にも送られてきましたがこちらも判断できない……」
「冗談だろう……」
遠征軍だけでなく情報部も判断できない? そんな事を信じろというのか、目の前の男は。
俺が唖然としているとミハマ少尉が笑みを浮かべながら口を開いた。
「ヴァレンシュタイン中尉ですが、彼は士官学校で兵站を四年間専攻しています。大佐もご存知かと思いますが、帝国では補給担当士官の地位は極端に低い。兵站を四年間専攻と言えば間違いなく落ちこぼれです」
彼女の言う通りだ。まず間違いなくヴァレンシュタイン中尉は落ちこぼれだろう。大した情報など持っていないし、そんな落ちこぼれをスパイにするとは思えない。おそらくは偽の身分だろう。
「ところが中尉の士官学校の卒業成績は五番でした。しかも帝国高等文官試験に合格しています。年齢は今現在で十七歳。十二歳で士官学校に入学し十六歳で卒業しています。どう見ても落ちこぼれには見えません」
「……」
同感だ、どう見てもおかしい。困惑する俺に今度はバグダッシュ大尉が話しかけてきた。
「そういうことなのですよ、大佐。スパイならできるだけこちらを信用させようとする。であればこんなちぐはぐな偽の身分は作らないでしょう」
「亡命の理由は」
「殺されかかったそうです。相手は貴族の命令を受けた男だったらしい。その男を返り討ちにしましたが、これ以上帝国にいるのは危険だと判断したそうです」
平民の中尉が貴族に殺されかかる? 一体何をやった?
「彼の両親が或る貴族の相続問題でその親族に殺されたそうです。今回の一件もそれに絡んでいるのではないかと彼は言っています」
「本当なのか、それは」
俺の問いかけにバグダッシュ大尉とミハマ少尉は顔を見合わせた。そして今度は少尉が後を続ける。
「フェザーン経由で事件を問い合わせました。確かに五年前、コンラート・ヴァレンシュタイン、ヘレーネ・ヴァレンシュタインの両名が殺されています。彼らは弁護士と司法書士で或る貴族の相続問題に関わり殺されたとされています」
「……」
「当時帝国ではかなり有名な事件だったようです。二人の間にエーリッヒという息子が居た事も確認できています。年齢は当時十二歳、生きていれば十七歳です。亡命してきたヴァレンシュタイン中尉と一致します」
「……本当なのか」
「彼の所持品の中にフェザーンの銀行カードがありました」
「銀行カード?」
「ええ、二百万帝国マルクの預金が入っています」
「冗談だろう……」
声が震えた。平民の中尉が二百万帝国マルク? 一体何の金だ?
俺の困惑を他所にミハマ少尉が平静な口調で話を続ける。しかし少尉の顔には先程まで有った笑みは無い。
「両親が死んだ後、相続問題で世話になり、その事で彼の両親を死なせてしまった事を悔やんだ貴族が彼に与えたそうです」
「信じられるのか? 兵站統括部は補給担当だ。横流し、横領などその気になれば私腹はいくらでも肥やせるだろう」
だとすると犯罪を咎められそうになり亡命したということではないのか? そんな男をうちに入れたら今度はこっちで私腹を肥やすだろう、冗談じゃない!
「確かにそうですが、金額が大きすぎます。それにその口座が開設されたのは五年前です。二百万帝国マルクもそのときに入金されています。入金者はリメス男爵、ヴァレンシュタイン中尉の証言に間違いはありません」
部屋に沈黙が落ちた。どう判断して良いのか分からない、それがようやく分かった。なんとも妙な亡命者だ。一つ一つが有り得ないことなのだが、理由を聞けば確かに正しいように見える。しかしその理由が最初から用意されたものだとしたら……。いや、大体こんなおかしな身分を用意してスパイに仕立て上げるだろうか……。
「もし、彼がスパイなら五年前から帝国は彼を用意した事になります。しかし、そんな事がありえるとは思えない。と言って彼が本当に亡命者なのかと言えば、それにも疑問が出てくる。判断できないのですよ」
バグダッシュ大尉の言葉に自然と俺は頷いた。
「我々にとってスパイは恐ろしい存在ではありません。それが分かっていれば監視も出来ますし利用も出来る。しかし分からないというのは困ります」
「だから俺のところで監視するという事か」
バグダッシュ大尉が頷いた。
「ヴァレンシュタイン中尉はハイネセンに到着後、約一ヶ月の間、情報部で調査を受けます。それまでにミハマ少尉を有る程度の補給担当士官にして欲しいのです。中尉の配属後は彼女を補佐役に付けてください」
俺がミハマ少尉に視線を向けると彼女は笑みを浮かべて頭を下げた。
「よろしく御願いします」
「分かった、そうしよう」
「彼女の配属は明日にも内示がおりますが、その時点でそちらに送ります」
「了解だ」
話が終わったと判断したのだろう。二人が帰ろうとしたが、帰り間際にバグダッシュ大尉が妙な事を言い出した。
「そう言えば、大佐はヤン中佐と親しかったですな」
「そうだが、それが何か」
「ヴァレンシュタイン中尉とヤン中佐が戦術シミュレーションで対戦したそうです」
「!」
対戦、ヤンがヴァレンシュタイン中尉と?
「どうなったかな」
「それが……」
バグダッシュが困惑したような声を出した。妙だな、勝ったのではないのか。ヤンが負ける? それこそ有り得ん話だが……。
「妙な結果になったそうです。小官にも良く分かりません。いずれ中佐が帰ってきたら直接尋ねてみてください。私も知りたいと思っています」
そう言うとバグダッシュ大尉は部屋を出ていった。妙な話だ、何が起きた?
第二話 監視役
宇宙暦 792年 5月 20日 同盟軍総旗艦へクトル シドニー・シトレ
トントンとドアをノックする音が聞こえると続けて声がした。
「ヤン・ウェンリーです。入ります」
「うむ」
ドアを開けてヤン中佐が入ってきた。中肉中背、何処といって目立つところの無い青年だ。普段は穏やかな表情をしているのだが今は多少の不機嫌さが見える。
「未だ怒っているのかね、ヤン中佐」
「……」
やれやれ、返事は無しか。
「ヴァレンシュタイン中尉は困っている。貴官を怒らせたのではないかとね。彼は亡命者(おきゃくさん)なのだ、困らせてはいかんな」
「……別に彼に対して怒っているわけではありません」
ようやく口を開いたか……。
「では何に対して怒っているのかね?」
「……」
また無言か、よほど怒っている、或いは鬱屈しているらしい。珍しい事だ。
第五次イゼルローン要塞攻略戦は失敗に終わった。本来なら艦の雰囲気は暗いものであってもおかしくは無い。しかし、一人の亡命者の存在がその暗さを吹き飛ばしている。
撤退中の艦隊に対して亡命を希望してきた連絡艇があった。連絡艇に乗っていたのはエーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉、一瞬女性かと思わせるほど華奢で顔立ちの整った若い士官だった。彼は一体本当に亡命者なのか、それとも亡命者を装ったスパイなのか? 総旗艦ヘクトルの中はその話題で持ちきりだ。
彼の話を聞けば聞くほど分からなくなった。彼の話すこと、一つ一つが有り得ないことなのだが、理由を聞けば確かに正しいように見える。情報部でもお手上げのようだ。
なにより気になったのは妙に落ち着いている事だ。普通亡命者なら自分が受け入れられるか心配になるはずだが彼にはそんな様子が無い。ごく自然体で振舞っている。こちらの質問にも隠し事をするような気配は無い。彼が唯一感情を見せたのは両親の事だけだ。
貴族に殺されたのは、相続に関して何らかの不正行為に手を染めたからではないのか? 取調官がそう言ったとき、ヴァレンシュタイン中尉は目の前の取調官に対して飛び掛っていた。周囲が中尉を取り押さえなければ乱闘になっていただろう。取り押さえられた中尉は身を捩り涙を流して怒りを示していた。“馬鹿にするな、お前達に一体何が分かる!”
演技か、それとも真実か、それ自体がまた問題になった。こちらの同情を引こうとしているのではないか……。疑えばきりが無い。分かることを確認しようと一昨日、ヴァレンシュタイン中尉の戦術能力を確認する事になった。士官学校を五番で卒業というのは本当か? 戦術シミュレーションの実施で多少は判断できるかもしれない。
中尉は当初それを嫌がった。“自分は戦術シミュレーションは嫌いです。戦争の基本は戦略と補給です。戦術シミュレーションを重視するとそれを軽視する人間が出てくる”
一理有るがこちらとしては彼の能力確認のためのテストだ、拒否は許さない。再度戦術シミュレーションの実施を命じると溜息を吐いて“一度だけだ”と言ってきた。そして驚いた事に対戦相手にヤン中佐を指名してきた。
当初予定していたのはワイドボーン中佐か、フォーク大尉だった。ヤン中佐は面倒だといって辞退していたのだ。そのヤン中佐をヴァレンシュタイン中尉が指名した……。ワイドボーン、フォーク、彼らでは駄目なのかと尋ねるとただ一言“エル・ファシルの英雄が良い”、そう言って笑みを浮かべた。
シミュレーションは遭遇戦の形で行なわれた。純粋に戦術能力を確認するためだ。周囲が見守る中、シミュレーションルームに両名が入り対戦が開始された。対戦は当初、ヤン中佐とヴァレンシュタイン中尉の両者が攻め合う形で進んだ。だが一時間も経つとヤン中佐が優勢になった。ヤン中佐が攻め、ヴァレンシュタイン中尉が後退しながら受ける形勢になる。
そのまま一時間も経っただろうか、突然シミュレーションが打ち切られた。最初はヴァレンシュタイン中尉が打ち切ったのかと思ったがそうではなかった。優勢に進めていたヤン中佐が打ち切っていた。
皆が訝しげな表情をする中、シミュレーションルームから表情を強張らせてヤン中佐が出てきた。そして幾分困惑を浮かべながらヴァレンシュタイン中尉が出てくる。
「参りました。勉強になりました」
中尉はヤン中佐にそう告げると頭を下げた。しかしヤン中佐は無言でヴァレンシュタイン中尉を見ている。中尉が困ったように笑みを浮かべるのが見えた。まるで悪戯が見つかって謝っている子供とその悪戯を見つけた怖い父親のような二人だった。
勝っていたのはヤン中佐だ。だがシミュレーションを打ち切ったのもヤン中佐だ。そして終了後の二人はまるで勝者はヴァレンシュタイン中尉だとでも言っているかのようだった。皆がヤンに何故シミュレーションを打ち切ったのかを尋ねたが彼は無言で首を振るだけだった。一体何が有ったのか……。
「あのシミュレーションで一体何があったのかな。皆不思議に思っているのだが」
私の問いかけにヤン中佐はしばらく黙っていたが溜息を一つ吐くと話し始めた。
「あのシミュレーションですが、私は勝っていません」
「勝っていない……、しかしどう見ても君が優勢だったが?」
私の言葉にヤン中佐が表情を顰めた。
「そう見えただけです。ヴァレンシュタイン中尉が本気で攻めてきたのは最初の三十分です。あとは防御に、いや後退に専念していました。彼は勝つ気が無かったんです。いかに自軍の損害を少なくして撤退するかを実行していました」
「君の思い過ごしではないのかね?」
ヤン中佐がそれは無いというように首を振った。
「私は攻勢をかけながら時折隙を見せ、陽動をかけることで相手を翻弄し時に逆撃を誘いました。しかし彼はそれに見向きもしなかった。ただただ自軍を混乱させずに後退させる、そのことのみに専念していたんです」
「だからシミュレーションを打ち切ったのかね」
「ええ、そうです。意味がありません」
「なるほど」
勝敗を決めるシミュレーションで最初から撤退、つまり敗北を選択している。敵わないと見たからなのか、それとも他に理由があるのか……。
「彼は何故そんな事をしたのだと思うかね」
私の問いかけにヤン中佐は躊躇いがちに言葉を出した。
「ヴァレンシュタイン中尉はシミュレーションは嫌いだと言ったと聞きましたが?」
「そうだが、それが関係有るのかね」
「シミュレーションに一喜一憂する人間を嘲笑ったのかもしれません。勝を求めず如何に上手く撤退するかを検討するのもシミュレーションだと」
「……」
「実際に損害は少なかったはずです。あれが実戦だったらとても勝ったとは喜べません」
「なるほど……。つまり彼はかなり出来るのだな」
「ええ、おそらく実戦のほうがより手強いでしょう」
なるほど、道理でヤン中佐が話さないわけだ。シミュレーションに一喜一憂する人間を嘲笑った等と言ったら、それこそ大変な騒ぎになるだろう。馬鹿にするのかと息巻くものも出るに違いない。そしてヤン中佐が顔を強張らせたのも今なら分かる。
もう少しで自分もシミュレーションに一喜一憂する人間になるところだったと思っているのだろう。勝利者の名を得る一方でヴァレンシュタイン中尉から軽蔑をされていた……。その思いがあるのに違いない。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉か……。外見からは想像もつかないが一筋縄ではいかない男のようだ。確かに手強いだろう。
宇宙暦 792年 7月 3日 ハイネセン 後方勤務本部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
ようやく情報部から解放された。これで俺も自由惑星同盟軍、補給担当部第一局第一課員エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉だ。いやあ長かった、本当に長かった。宇宙では総旗艦ヘクトルで、ハイネセンでは情報部で約一ヵ月半の間ずっと取調べだ。
連中、俺が兵站専攻だというのがどうしても信じられないらしい。士官学校を五番で卒業する能力を持ちながらどうして兵站なんだと何度も聞きやがる。前線に出たくないからとは言えんよな、身体が弱いからだといったがどうにも信じない。
両親の事や例の二百万帝国マルクの事を聞いてきたがこいつもなかなか納得してくれない。俺がリメス男爵の孫だなんて言わなくて良かった。誰も信じないし返って胡散臭く思われるだけだ。
おまけにシミュレーションだなんて、俺はシミュレーションが嫌いなんだ。なんだって人が嫌がることをさせようとする。おまけに相手がワイドボーンにフォーク? 嫌がらせか? 冗談じゃない、あんまり勝敗には拘らないヤンを御願いしたよ。
どうせ負けるのは分かっているからな、最初から撤退戦だ。向こうも気付いたみたいだ、途中で打ち切ってきた。いや助かったよ、あんな撤退戦だなんて辛気臭いシミュレーションは何時までもやりたくない。
しかし、なんだってあんなに俺を睨むのかね。やる気が無いのを怒ったのか? あんただって非常勤参謀と言われているんだからそんなに怒ることは無いだろう。俺はあんたのファンなんだからもう少し大事にしてくれ。今の時点であんたのファンは俺、アッテンボロー、フレデリカ、そんなもんだ。ユリアンはまだ引き取っていないんだからな。
しかし、最初の配属先の上長がキャゼルヌ大佐か、ラッキーとしか言いようがないね。そのうち家に招待してもらってオルタンスさんの手料理をご馳走になりたいもんだ。
「申告します、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン中尉です。本日付で補給担当部第一局第一課員を命じられました」
補給担当部第一局第一課課長補佐、それが俺の目の前に座っているキャゼルヌ大佐の役職だ。俺が申告すると大佐は立ち上がって答えてくれた。
「うむ、よろしく頼む」
良いね、キャゼルヌ大佐の声は明るい、そして力強さを感じる。こういう声の男には悪人は居ないだろう。そう思わせる声だ。
「ヴァレンシュタイン中尉はミハマ少尉の隣に座ってくれ。分からない事は彼女に訊いて貰えば良い。ミハマ少尉、こっちへ来てくれ」
キャゼルヌ大佐の声に若い女性が立ち上がって近付いて来た。年齢は二十歳前後、両頬にエクボが出来ている。可愛らしい感じの女性だ。
「ミハマ少尉、ヴァレンシュタイン中尉だ。中尉は亡命者だからな、分からない事が多々有ると思う。相談に乗ってやってくれ」
「はい、ミハマ・サアヤ少尉です。よろしく御願いします」
「こちらこそよろしく御願いします」
ミハマ・サアヤ……、美浜、御浜かな、沙綾、紗綾、それともアヤは彩だろうか。元をたどれば日系か。何となく親近感が湧いた。眼は黒で髪は少し明るい茶色だ。元の世界でなら染めてるのかと思ったに違いない。
笑顔も可愛いけれど声も可愛らしい女性だ。うん、良いね、楽しくなりそうな予感だ。俺もにっこりと微笑んだ。不謹慎だと思うなかれ、命からがら亡命したのだ、そのくらいの御褒美はあっても良い。
イゼルローン要塞で殺されそうになった。俺を殺そうとしたのはカール・フォン・フロトー中佐、カストロプ公の命令だと言っていた。そして俺の両親を殺したのも自分だと……。妙な話だ、あれはリメス男爵家の親族がやったのだと俺は思っていた。だがそうではなかったらしい。
カストロプ公が何故俺の両親を殺したのか、よく分からない。何らかのトラブルが有った筈だがそれがなんなのか……。カストロプ公は強欲な男だ、おそらくは財産、利権、賄賂が何らかの形で絡んだはずだが、俺の両親がその何処に絡むのか、さっぱりだ。帝国ならともかく、同盟では探る手段は無い……。情けない話だ。
ミュラー、元気でいるか。今は何処にいる、オーディンか、それともフェザーンか……。お前がフロトーを撃ち殺してくれたから俺は生きている。そうでなければ俺は死んでいたはずだ。感謝している。
お前は自分が証人になる、フロトーが俺を殺そうとしたことを証言すると言ってくれた。でも駄目だ、相手はカストロプ公なんだからな。平民の証言など揉み消されてしまうだろう、その命もだ。お前を死なせる事は出来ない。
別れる時、俺は決してお前のことを忘れないと言った。お前も同じ事を言ったな、ミュラー。だがな、そんな事は駄目だ。俺は味方を撃ち殺して亡命する裏切り者なのだ、直ぐに忘れろと言った。泣きそうな顔をしていたな、ミュラー。ミュラー、そんな顔をするな、お前は鉄壁ミュラーと呼ばれる男になるんだ、そんな顔はするんじゃない……。
宇宙暦 792年 7月 7日 ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ
ヴァレンシュタイン中尉が補給担当部第一局第一課に配属されてきました。予定通りです。私はこの一ヶ月半の間、此処で後方支援担当士官として研鑽を重ねてきました。決して覚えの悪い士官ではなかったと思います。
ヴァレンシュタイン中尉は当初私の指示を受けながら作業を行なっていましたが、あっという間に私の指示無しで仕事をするようになりました。中尉の話では、帝国も同盟も補給のやり方そのものは変わらないそうです。最近では私のほうが指示を仰いでいます、その方が仕事が速く済むんです。
穏やかな笑みを浮かべながら書類を確認していきます。楽しそうに仕事をしている。私の仕事は彼の監視なのですが、それでも楽しそうに仕事をしている中尉を見ると心が和みます。とてもスパイには見えません。
配属後、二日もかからずに彼は第一課の女性職員から受け入れられました。彼が亡命者だと言う事はまったく問題になりません。女性職員達の評価は真面目で仕事も出来るし、性格もいい。笑顔が素敵ではにかんだ顔も優しく微笑む顔も甘党でココアが大好きなのも全部素敵……、そう言う事でした。おかげで一緒に居る事が多い私には視線がきついです。
「ミハマ少尉、少尉は以前何処にいたのです。最近異動になったと聞きましたが?」
「以前は基地運営部です。此処へは五月の中旬に異動になりました」
「五月の中旬ですか……」
嘘ではありません、少なくとも人事記録上はそうなっています。ミハマ・サアヤは士官学校卒業後、基地運営部に配属、その後補給担当部に異動になった……。
ヴァレンシュタイン中尉は小首を傾げています。手に書類を持っているが読もうとはしません。やがてクスクスと笑い始めました。
「あの……」
声をかけても中尉は笑いを止めません。こちらをおかしそうに見ています。
「あの……、バレました?」
思い切って小声で尋ねると中尉は笑いながら頷きました。そして中尉も小声で話しかけてきました。
「補給担当部でも基地運営部でも後方支援には変わりはありません。それなのに少尉の仕事振りは後方支援の人間としては失礼ですが御粗末です。元は後方支援とは無縁の職場ですね」
バレてます。私が情報部の人間だと言うこともわかったでしょう。
「私には隠す事は有りませんから自由に調べてください、遠慮は要りませんよ。それと貴女の上司にも報告したほうが良いでしょう。そうじゃないと私と通じたと疑われますから」
そう言うと中尉はまたクスクスと笑いながら書類の確認を行い始めました。通じたって、私が中尉に情報を漏らしたって事? それとも男女の仲になった? 思わず顔が熱くなりました。どうしよう、バグダッシュ大尉になんて言えばいいのか……。
宇宙暦 792年 7月 7日 ハイネセン 情報部 バグダッシュ大尉
「どうした、ミハマ少尉」
『あの……』
スクリーンに映るミハマ少尉は顔を赤らめてモジモジしている。連絡を入れてきて何をやっている。ヴァレンシュタイン中尉に告白でもされたか? 全く男の一人や二人あしらえなくてどうする。
「少尉、はっきりしたまえ、何か有ったのか?」
『あの、……ました』
小声で言うな、聞こえんだろう。
「はあ、今なんと言った? もう少し大声で言え」
『バレました!』
馬鹿、でかすぎだ。
『私が情報部の人間だとヴァレンシュタイン中尉にバレました。中尉は隠す事は無いから自由に調べてくれとの事です。上司にもそう報告しろと言われました』
全部話してすっきりしたのだろう。顔が晴れ晴れとしている。
『あの、これからどうしましょう?』
どうしましょう? 僅か四日で素性がばれる情報部員に何をどうしろと言うのだ。いっそこのまま後方支援に無期レンタルにするか? キャゼルヌ大佐も喜ぶだろう。
「少尉、任務は継続だ。監視役がそこに居るという事が大事なのだ。中尉にも警告になるだろう。決して気を緩めず、任務に励みたまえ。それとキャゼルヌ大佐の好意に応えるためにも日々の業務にも励むんだ。分かったな」
『はい』
ミハマ少尉が嬉しそうに頷いた。多分自分が首にならなかったと思って安心したのだろう。まったく、あのドジっ娘(こ)なら相手も騙されるだろうと思ったのだがそうはいかなかったか……。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、スパイかどうかは未だ判断できないが、かなり出来る奴だ。こちらに報告しろと言ったのは本気でかかって来いということだろうが甘いよ、そんな挑発に乗ると思ったのか。
先ずは相手があのドジっ娘(こ)をどう扱うかを拝見させてもらおう。無視するか、自分の手駒にするか。手駒にするとしたらどのようにするのか……。監視役が要るな、しかし今の時点で人を送れば当然疑われるだろう。となると……、うん、キャゼルヌ大佐に頼むしかないか。まあ、あのドジっ娘(こ)の無期レンタルで交渉すればなんとかなるだろう。しかし監視役にさらに監視役とは、一体どうなっているんだ?
第三話 弱いんです
宇宙暦 792年 7月 9日 ハイネセン 後方勤務本部 バグダッシュ大尉
「どうですか、ヴァレンシュタイン中尉は? 大佐の目から見ておかしな点は有りますか?」
「今のところはない。出来るね、彼がミハマ少尉に頼っていたのは最初の二日ぐらいだ。その後は彼が少尉に指示を出している。他の部署との調整も無難にこなしているよ」
「ふむ……」
そんな話は聞いていないな、あの小娘、肝心な事を報告してこない……。後方支援の練達者か……。少なくともその点については彼の経歴と能力に不審な点はないという事になる。
「出来ますか?」
「出来る、あれだけ優秀な男は見た事が無い」
そう言うとキャゼルヌ大佐はコーヒーを一口飲んだ。俺も一口飲む。余り美味くは無いが文句は言えんだろう。此処は大佐の私室でこのコーヒーは大佐が自ら淹れてくれたものだ。
「しかし、そう簡単にこなせるものなのですか?」
「俺も不思議に思って聞いたのだがな、彼に言わせると帝国も同盟も補給そのものは何の変わりも無いらしい。となれば後は後方勤務本部と兵站統括本部の組織図を比較すれば大体何処の部署が何をやっているかは想像が付くそうだ」
なるほど、確かに補給そのものは帝国でも同盟でもやっている、想像は付くか……。考えてみれば戦争も同じだ、今日帝国から亡命し、明日同盟の艦隊を率いて帝国と戦えと言われて出来ないという軍人がいるだろうか? 艦隊指揮そのものは帝国も同盟も変わらない、問題は感情面と人間関係だろう。
「彼は本当にスパイなのかね、ただの亡命者なら有難いのだが……」
「……」
「貴官のところには少尉から報告が行っているのだろう?」
期待するかのような声と表情だ。どうやらヴァレンシュタイン中尉はキャゼルヌ大佐の心を捉えたらしい。
「実は、ミハマ少尉の素性が中尉にばれました」
「……やはりな、そうなったか」
「?」
どういうことだ、キャゼルヌ大佐は驚いていない、むしろ納得している。俺の訝しげな表情に気付いたのだろう、説明を始めた。
「彼は後方支援の練達者だ。その彼から見てミハマ少尉の力量がどう見えたか……。彼女の経歴は士官学校卒業後、基地運営部に配属、そして此処に異動……。後方支援一筋という事になっているがとてもそうは見えなかっただろう。となれば……」
「素性を偽っている、情報部からの監視者ですか……」
キャゼルヌ大佐が俺の言葉に頷いた。何の事は無い、ドジを踏んだのは俺か……。少尉のカバーストーリーを間違えたのだ。いっそ宇宙艦隊司令部からの転属とでもすれば良かったか。いや、任官一年目で宇宙艦隊司令部から後方勤務本部はちょっと無理があるだろう。つまり少尉を監視者に選んだ時点で間違えたという事だ。
歳が近いほうが、女性であるほうが付け込み易いだろうと思ったが、肝心の彼が後方支援の練達者である可能性を見過ごした……。彼女の素性がばれた事は俺のミスだ。そしてヴァレンシュタイン中尉が彼女の素性に気付いたのも後方支援の練達者であるからだ。彼がスパイだからだというわけではない……。
また振り出しに戻ったか……。ミハマ少尉を責める事は出来んし、後方勤務本部への無期レンタルも撤回だな。
「それで、どうする。彼女は引き揚げるか?」
「いえ、このまま」
「このまま? 警告か……」
「はい」
キャゼルヌ大佐が顔を顰めた。おそらく大佐はヴァレンシュタイン中尉をスパイだとは思いたくは無いのだろう。しかしまだ確証があるわけではない。
「実は統合作戦本部の一部にアルレスハイム方面に艦隊を出すべきだという意見があります」
「アルレスハイムか……。ヴァンフリートだな、陽動か?」
「はい」
キャゼルヌ大佐は一瞬訝しげな声を出したが直ぐに納得したように頷いた。今現在ヴァンフリート星系において同盟軍は極秘に後方基地を建設している。出来上がるのは今年の暮れになるだろう。こちらとしてはしばらくの間は帝国に知られたくない。そこでアルレスハイムに兵を出し帝国の眼を惹きつけたいという案が出たのだ。
「キャゼルヌ大佐、ヴァンフリートの基地建設は基地運営部が担当している、補給担当部は全く関知していないと聞いていますが?」
「その通りだ。基地の建設自体、知っている人間はごく一部だ」
「具体的にはどの程度います?」
「課長補佐以上、それ以外は知らんはずだ」
「当然ですがヴァレンシュタイン中尉は知らない……」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は頷いた。
「それで?」
「ヴァレンシュタイン中尉をその艦隊に乗せようと思っています」
「……」
「彼がスパイなら当然帝国の眼はアルレスハイムに向きます。そして此処にいない以上、ヴァンフリートの件が知られる事も無い」
「……」
キャゼルヌ大佐がそこまでやる必要が有るのか? そんな表情で俺を見てきた。
「彼がスパイかどうかは分かりません。しかし念を入れておくべきだと考えています」
キャゼルヌ大佐が渋々といった様子で頷いた。
宇宙暦 792年 7月 9日 ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ
私の隣にはヴァレンシュタイン中尉が居ます。中尉は私が情報部の人間だと知っても態度を変える事はありません。いつも穏やかに微笑みながら仕事をしています。本人はスパイではないと言っていますがこの人はとても鋭い……。本当にただの亡命者なのか、とても疑問です。
少しずつ彼の事が分かってきました。普段は穏やかな表情で楽しそうに書類を見ています。ココアを少しずつ飲みながら書類を見るのです。考え事をするときはココアではなく水を飲みます。そして少し小首を傾げて考える。ここ数日は小首を傾げる事が多いです。後方勤務本部の女性職員がカワイイと騒ぐのも無理は無いと思います。私だって抱きしめたくなるから。
バグダッシュ大尉がキャゼルヌ大佐の私室から出てきました。私の方を見ることも無くゆっくりとした足取りで通り過ぎてゆきます。此処に来た時も同様でした、面識などないかのように無視してキャゼルヌ大佐の私室に行きました。
私の事をキャゼルヌ大佐に話したのだろうか? 監視対象者から監視者だと見抜かれてしまった私……。なんて惨めなんでしょう。おそらくキャゼルヌ大佐にも私の事が伝わったはずです。大佐は私をどう思ったか……。
「ミハマ少尉、少し付き合っていただけますか?」
「は、はい」
ヴァレンシュタイン中尉は席を立つと外へと向かって歩き出しました。私もその後を追います。周囲の視線が私達に集まりました。
通路に出るとバグダッシュ大尉が私達に背を向けて歩いていました。中尉がにこやかに笑みを浮かべながら私を見ます。そして少し顔を寄せて小声で話しかけてきました。
「あの方が少尉の本当の上司ですか?」
「!」
思わず、中尉の顔をまじまじと見てしまいました。中尉はそんな私を悪戯な表情を浮かべおかしそうに見ています。そしてクスクスと笑い声を上げ始めました。あの時と一緒です、思わず背筋に悪寒が走りました。
「違います、そんな事は有りません」
小声で抗議しました。
「あの人は此処へ来た時も帰る時も私を見ようとはしなかった。此処へ来る人は皆私を一度は見るのにです」
「偶然です、おかしな事ではないでしょう」
そう、偶然で言い張らなくてはいけません。これ以上の失敗は許されないのです。ヴァレンシュタイン中尉が私の言葉に頷きました。ほっとした瞬間です、中尉の声が私の耳に入りました。
「そうですね、それだけならおかしなことでは有りません。ですがあの人がキャゼルヌ大佐の私室に入った時、行きも帰りも少尉は僅かに緊張していました。何故です?」
「……」
ヴァレンシュタイン中尉が私に微笑みかけてきます。周囲の視線が気になりました。通路を歩く人達が皆チラチラとこちらを見ています。仕事の打ち合わせと思っているでしょうか? とてもそうは見えないと思います、顔を寄せ合い小声で話し合っているのですから。
「今も通路に出ると貴女は彼の後姿を眼で追いました。……彼の名前を教えてください」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら中尉が答えを迫ってきます。バグダッシュ大尉、ヴァレンシュタイン中尉はサドです。私を追い詰め苛めて喜んでいます。そして私は抵抗できそうにありません……。
「……バグダッシュ大尉です」
「なるほど、バグダッシュ大尉ですか……」
ヴァレンシュタイン中尉は何度か頷いています。大尉を知っているのかしら?
「少尉、バグダッシュ大尉に伝えてください。監視者は一人で十分、増やすのは無意味だと」
「増やす?」
増やすって誰を? 新しく此処に誰か来るのでしょうか? 疑問に思っているとヴァレンシュタイン中尉がにっこりと微笑を浮かべました。怖いです、どうして笑顔が怖いんでしょう。
「少尉が監視者だとばれた以上、私に利用されないようにキャゼルヌ大佐に監視を御願いしたという事です。少尉も監視されるのは嫌でしょう? 言ってくれますよね」
「……はい」
段々逆らえなくなります、どうしよう……。
宇宙暦 792年 7月 9日 ハイネセン 情報部 バグダッシュ大尉
「どうした、ミハマ少尉」
『あの……』
スクリーンに映るミハマ少尉は泣き出しそうな顔をしている。はて、何が有った?
「少尉、はっきりしたまえ、何か有ったのか? 具合でも悪いのか?」
『あの、バレました』
「少尉の正体がばれたのなら一昨日聞いた」
『そうじゃ有りません。大尉が私の上司だとばれたんです』
「……」
なんでそれがばれる。どういうことだ? そう思っているとスクリーンに映るミハマ少尉がマシンガンのように話し始めた。俺が一度もヴァレンシュタイン中尉を見ないから不審に思われた、自分が緊張感を見せたから気付かれた、キャゼルヌ大佐に監視役を頼むのは自分が頼りないからなのかとか、泣きじゃくりながら訴えてくる。俺としては呆然と聞いているしかない。
『それに、ヴァレンシュタイン中尉はサドなんです』
「サド? 少尉、貴官は変なプレイを強要されたのか?」
思わず縄で縛られている少尉の姿が眼に浮かんだ。うむ、なかなかいける。
『変なプレイ? 変なプレイって、そんなものされてません!』
ミハマ少尉が顔を真っ赤にして抗議してきた。だったら問題ないだろう。なんだってそんなに騒ぐんだ。
『ヴァレンシュタイン中尉は私を苛めて喜んでいるんです』
「……」
『三つも年下の男の子に苛められるんですよ、大尉』
ぎゃあぎゃあ騒ぐな、大した事は無いじゃないか。
『それに私、苛められると段々抵抗できなくなるんです』
向こうがSならこっちはMか……。それのが問題だろう、早く言え! お前はいつも肝心なことを最後に言う。
「少尉、若い男というものは身近にいる美人をつい苛めたくなるのだ。特に相手が年上なら尚更だ。余り気にせず、もっとおおらかに構えるんだ」
『おおらかに、ですか』
「そうだ、僕チャン可愛いわね、お姉さんが良いこと教えてあげるぐらい言ってやれ。向こうも喜ぶぞ」
『そうでしょうか』
「そうだとも、俺が保証する」
但し、貴官がそれを言えたならだ。
それから五分くらい愚痴をこぼしてからミハマ少尉は通信を切った。思わず溜息が出た。サディストの亡命者とマゾヒストの監視役? いったい何の冗談だ? 何時から俺は彼女の専属のカウンセラーになった? こんな日がこれからも続くのか……。
それにしてもヴァレンシュタイン中尉はサドか……。彼のファイルに記載するべきかな? まあ少尉も少し興奮していたようだし様子を見たほうが良いだろう。
宇宙暦 792年 7月20日 ハイネセン 後方勤務本部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
ミハマ少尉、いやサアヤが俺の隣で仕事をしている。可愛いんだな、彼女。笑顔も良いし、甘やかな声も良い。一生懸命なんだけど所々抜けてるところも良い、癒し系そのものだよ。俺より三歳年上だけどそんな感じは全然しない。
情報部って感じじゃないよ。お嫁さん向きだ。帝国にいたアデーレ・ビエラー伍長を思い出す。彼女も面倒見が良くてお嫁さん向きだったな。随分と良くしてもらったっけ……。今頃どうしているのか……。
サアヤが俺に笑顔を向けてきた。俺も笑顔で答える。最初の頃は俺もちょっと問い詰めちゃって怖い思いをさせたみたいだけど最近は大丈夫だ。俺がスパイじゃないっていうのも分かってきただろう、そろそろお別れかな、寂しくなるな。
「ヴァレンシュタイン中尉、ミハマ少尉、ちょっと来てくれ」
キャゼルヌ大佐が俺達を呼んだ。思わずサアヤと顔を見合わせ、キャゼルヌ大佐の下に行こうとすると彼は席を立ち私室へと向かった。
俺はもう一度サアヤと顔を見合わせてからキャゼルヌ大佐の私室へと向かった。私室での話か……、周囲には聞かれたくないということだな。サアヤが情報部に戻るということかな、ついにその時が来たか……。
部屋に入り簡易の折りたたみ椅子に腰を降ろすとキャゼルヌ大佐が話を始めた。
「今度、第四艦隊がアルレスハイム星域に向けて哨戒任務にでる。貴官達は第四艦隊の補給担当参謀として旗艦レオニダスに乗り込んで欲しい」
第四艦隊? パストーレ中将かよ、あの無能の代名詞の。しかもアルレスハイム? バグダッシュの野郎、何考えたんだか想像がつくが全く碌でもないことをしてくれる。俺は前線になんか出たくないんだ。
後方勤務で適当に仕事をしながら弁護士資格を取る。大体三年だな、三年で弁護士になる。その後は軍を辞め弁護士稼業を始める。そして帝国がラインハルトの手で改革を行ない始めたらフェザーン経由で帝国に戻ろう。そして改革の手伝いをする。それが俺の青写真なんだ。
「小官は艦隊司令部勤務などはした事が有りません。補給担当参謀と言っても何をすれば良いのか分かりません。足手まといにしかなりませんが?」
「心配は要らない、第四艦隊のタナンチャイ少将が貴官等に教えてくれるはずだ。今回は研修のようなものだ。勉強だと思え」
変更の余地無しか……随分と手際がいいじゃないか。覚えてろよ、この野郎。バグダッシュ、お前もだ。俺はやられた事は数倍にして返さないと気がすまないんだ。俺を第四艦隊に放り込んだ事を後悔させてやる。
第四話 アルレスハイム星域の会戦
宇宙暦 792年 8月 10日 第四艦隊旗艦 レオニダス エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「いいんですか、ヴァレンシュタイン中尉? 毎日こんな事をしていて」
「いいと思いますよ、命令に従っているだけですから」
そう言うと俺はココアを一口飲んだ。サアヤはクッキーを手にとって口に入れる。“美味しい”と眼を細めた、猫みたいだ。
第四艦隊は八月一日にハイネセンを出立した。俺とサアヤはそれ以来仕事らしい仕事は何もしていない。キャゼルヌ大佐の話では参謀長のタナンチャイ少将が色々と教えてくれる事になっていたが、少将にはそんな気はまるでなさそうだった。
パストーレ中将に着任を申告する俺達に向かって“貴官等は何もする事は無い、邪魔をせず大人しくしていろ”とだけ言うと後は無視だった。パストーレ中将も何も言わない、かくて俺とサアヤのアルレスハイムへの優雅なる観光旅行が始まった。
毎日厨房を借りてクッキーやケーキを作る。そしてサアヤや他のレオニダスに乗り込んでいる女性兵士をお茶に誘って食堂で無駄話をするのが日課だ。一度タナンチャイが食堂まで来て嫌味ったらしく咳をするから“仕事、したほうが良いですか”と聞くと何も言わずに帰りやがった。ちなみに今日はサアヤと二人でお茶だ。
「こんな日が何時まで続くんでしょうね?」
マッタリとした口調でサアヤが尋ねてきた。また一つクッキーを口に入れる。この観光旅行を満喫しているのは俺よりもサアヤだろう。俺がお茶の用意ができたと誘うと嬉しそうに食堂についてくる。
「ずっとですよ、あの人達は亡命者が嫌いらしいですからね」
真実は違う、亡命者が嫌いなんじゃない、スパイが嫌いなんだ。或いはスパイの疑いの有る人間が嫌いか……。
「お勉強、進んでますか?」
「ええ、まあ」
俺は暇な時間は弁護士になるための勉強をしている。おかげでまったく退屈はしない。暇を持て余しているのはサアヤのほうだ。他の女性兵士と話をしているようだが、時々戦術シミュレーションをやろうと俺を誘ってくる。可哀想なのでこれまで二回ほど相手をした。
「んー、美味しい。これならいくらでも食べられそう」
「それは良かった」
「良くありません、太っちゃう」
そう言うとサアヤはエクボを浮かべてニコニコした。可愛いんだよな、大丈夫、まだまだいける。全然太ってない。
同盟は今ヴァンフリート4=2において後方基地を建設している。この基地建設には補給担当部はまったく関わっていない。基地を建設しているのは基地運営部だ。物資の手配から輸送船の運航まで全て基地運営部が行なっている。
輸送計画も緻密なものだ、ヴァンフリートまで直接行く輸送船は無い。少なくとも二回は物資を積み替えて運ぶ用心深さだ。原作知識が無ければ到底分からなかっただろう。輸送計画をヴァンフリートから逆に追う事でようやく理解できた。大したもんだ、計画したのはシンクレア・セレブレッセ中将かな?
まあそんな訳で同盟としては帝国にヴァンフリートの基地建設を気付いて欲しくない。だから帝国の眼をヴァンフリートから逸らすためにアルレスハイムへ艦隊を動かしたわけだが、此処で俺を役立てようと考えた人間が居る。あの根性悪でお調子者のバグダッシュだろう。
俺がスパイなら当然帝国軍の眼はアルレスハイムに行くだろう、ヴァンフリートは安全だ。それに俺にハイネセンでスパイ活動をされるのも面白くない。第四艦隊に隔離したほうが安全だ、そんな事を考えたに違いない。
当然だが第四艦隊司令部にも俺の事は伝えたのだろう。スパイの可能性が有る俺が居る以上、何時帝国軍が攻撃をかけてくるか分からないと。おかげで第四艦隊司令部の俺を見る眼は冷たい。というわけで俺は日々御菓子を作ってお茶を飲んでいるのだ。
残念だな、バグダッシュ。俺はスパイじゃない、だから帝国軍の眼はアルレスハイムには向かない。しかし此処でカイザーリングが出てくるはずだ。サイオキシン麻薬でラリパッパのアホ艦隊だ。
宇宙暦792年、帝国軍カイザーリング中将の艦隊がアルレスハイム星域で自分たちより優勢な同盟軍を発見した。カイザーリングは奇襲をかけようとしたが、艦隊の一部が命令を待たずに暴走、数で劣る帝国軍艦隊は同盟軍艦隊の反撃に遭い、6割の損傷を出して敗走している。
暴走の原因だが補給責任者であるクリストファー・フォン・バーゼル少将が艦隊にサイオキシン麻薬を持ち込み、それが気化したことから兵士が急性中毒患者となったためだ。
原作どおりに行けば同盟軍の大勝利で終わるだろう。俺も異存は無い、同盟の勝利は望むところだ。勝利はお前らにくれてやる、俺は別なものを貰う。どっちが得をするのか、後の楽しみだな。
宇宙暦 792年 8月30日 第四艦隊旗艦 レオニダス ミハマ・サアヤ
「完勝だな」
「はい、こうまで楽に勝てるとは思いませんでした」
第四艦隊司令官パストーレ中将と参謀長のタナンチャイ少将が話しています。二人の声は何処か弾んでいて艦橋の雰囲気も極めて明るい。私も実戦は初めてだけど、初陣が勝利なのは素直に嬉しいです。
スクリーンには破壊され放棄された帝国軍艦艇が映っています。アルレスハイム星域で同盟軍第四艦隊は帝国軍と接触しました。同盟軍第四艦隊九千隻に対し帝国軍は六千隻。第四艦隊は一部が別行動を取っていたけれどもそれでも敵の五割増しの兵力、勝利は戦う前から見えていました。
あっけない勝利だったと思います。初陣の私でもそう思える勝利です。戦闘が始まるや否や帝国軍艦隊の一部が他の部隊を考慮しない形で同盟軍に突進、攻撃を開始してきました。統制の取れていない攻撃、数で劣る帝国軍艦隊は第四艦隊の反撃に遭い潰走しました。
ヴァレンシュタイン中尉は平静な表情で戦況を見ていました、周囲の興奮からはまるで無縁です。既に戦闘は終了しています。どんな気持なのだろう、かつての味方が敗北するところを見たのは……。そう考えていると中尉が口を開きました。
「司令官閣下、捕虜に対して確認していただきたい事が有ります」
艦橋の人間の視線が中尉に集中しました。
「何を確認したいのだ、ヴァレンシュタイン中尉」
「帝国軍の統制の取れていない攻撃はあまりにも不自然です。あるいは何らかの要因で興奮状態にあったのかもしれません」
「何らかの要因とはなんだね? 敵を見て興奮したとでも言うのかね」
パストーレ提督の嫌味っぽい言葉に追従するかのように笑い声が起きました。皆中尉を馬鹿にしています。
「薬物等による興奮状態が引き起こした可能性があります。例えばですがサイオキシン麻薬……」
ヴァレンシュタイン中尉の声が艦橋に響きました。声からは中尉の感情は分からないけど、平静で落ち着いた声です。
今度は皆が視線を交し合っています。パストーレ中将もタナンチャイ少将も困惑を隠そうとしません。サイオキシン麻薬?
パストーレ中将とタナンチャイ少将が顔を見合わせています。ややあってパストーレ中将が捕虜の薬物検査を命じました。結果が分かるまでに三十分以上かかりましたが居心地は悪かったです。司令部の人間がこちらをチラチラと見ます。しかしヴァレンシュタイン中尉は平然としていました。
通信士のナン少佐が報告を受けています。受けながらヴァレンシュタイン中尉を見ていました。報告を受け終わったときにはナン少佐の顔面は強張っていました。
「閣下、軍医から報告がありました。ヴァレンシュタイン中尉の言う通り捕虜にサイオキシン麻薬の中毒症状を起している兵士が居るようです」
「……」
「それも一人や二人では有りません。かなりの人数が中毒症状を起しているそうです。中尉の推測は当たっているようです、敵の一部が暴走したのはサイオキシン麻薬が原因だと思われます」
「……」
皆居心地が悪そうにしています。先程まで有った勝利の高揚感は何処にもありません。時折ヴァレンシュタイン中尉を見ていますが中尉は平然としています。タナンチャイ少将が困惑したような声を出しました。
「どういうことだ? サイオキシン麻薬などを服用すれば戦闘にならん事は分かっているだろう。それなのに何故……」
「彼らにとっても予想外の事だったのでしょう」
「予想外?」
タナンチャイ少将が鸚鵡返しに問い返すとヴァレンシュタイン中尉は頷きました。
「たまたま戦闘前に気化したサイオキシン麻薬が艦内に流れ出した。かなりの艦が同じ状態になったことを考えるとサイオキシン麻薬の保管装置の設定は旗艦で行っていたのかもしれません。その設定を誤った、だから同時に気化した……」
「しかし、何故サイオキシン麻薬など積んでいる?」
「売るためでしょうね」
「売るだと?」
パストーレ中将が驚いています。
「ええ、代償は貴金属、アクセサリー、或いは情報……」
「情報!」
「サイオキシン麻薬を同盟に流す事で同盟の社会の弱体化を図る、代償として同盟の機密情報を入手する。一石二鳥ですね、帝国軍の極秘作戦か、或いはあの艦隊が勝手にやったのか……」
艦橋が静まり返りました。皆顔面を蒼白にしています。そんな中で中尉の表情だけが変わりません。いえ、むしろ微かに笑みを浮かべています。嫌な予感がするのは何故でしょう。
「早急に周辺の星域を警察に調べさせたほうが良いでしょう。おそらくは帝国軍からサイオキシン麻薬を購入しようとした人間がいるはずです」
パストーレ中将がナン少佐に視線を向けました。ナン少佐が慌てて何処かに連絡を取り始めます。多分近くの警察でしょう。
「しかし困りましたね。一体何処から情報を得ようとしていたのか?」
「どういうことだ? 何が言いたい」
唸るような声でパストーレ中将が問いかけました。不機嫌さが面に出ています。でもヴァレンシュタイン中尉は気にする様子もなく言葉を続けました。もしかすると面白がってる?
「敵の領内にサイオキシン麻薬を持ち込むなどキチガイ沙汰です。戦闘中に被弾して麻薬が漏れればそれだけで大変な事になる。にもかかわらず帝国軍はサイオキシン麻薬を持ち込んだ……」
「……」
「同盟軍に見つかる危険性が無いと思っていたのでしょう。おそらくは取引相手から同盟軍の情報を得ていた。問題は取引相手が誰から同盟軍の情報を得ていたかです。同盟軍の艦隊の配置を知る事ができる立場にある人間、或いはその周辺……」
「……」
誰も何も言いません、いや、言えません。顔面を蒼白にして沈黙しています。中尉の言うとおりなら軍の中枢部に情報漏洩者がいる事になります。重苦しい雰囲気の中、中尉だけが笑みを浮かべて話し続けました。
「今回のアルレスハイムへの哨戒任務は極秘だったと聞きました。情報源はその事を知る事ができなかった。当然取引相手も情報を得る事が出来なかった。そして今回の戦闘が起きた……」
「もういい!」
パストーレ中将が顔面を震わせています。
「小官は少し疲れましたので部屋で休ませてもらいます、宜しいでしょうか」
ヴァレンシュタイン中尉が退出を求めました。誰も何も言わないけど中尉は気にする事も無く艦橋から出て行きます。パストーレ中将が床を強く蹴るのが見えました。慌てて私は中尉の後を追いました。こんなところに居たくない……。
「中尉、待ってください」
「食堂へ行きましょう」
私が呼びかけるとヴァレンシュタイン中尉は振り返る事無く返事をしてきました。食堂に行くと適当なテーブルに座ります。
「あれは、本当の事なのですか?」
「あれと言うのは情報漏洩者の事ですか?」
私が頷くと中尉は微かに苦笑を浮かべました。
「さあ、どうでしょう。本当かもしれませんし嘘かもしれない。私は可能性を指摘しただけです」
「可能性……」
「今、同盟軍はヴァンフリート4=2において後方基地を建設しています。ヴァンフリートはイゼルローン回廊に近い、イゼルローン要塞攻略の戦略拠点にするつもりなのでしょう」
「本当なのですか、私は知りませんが」
本当だ、とでも言うように中尉は頷きました。
「この基地建設には補給担当部はまったく関わっていません。基地を建設しているのは基地運営部です。物資の手配から輸送船の運航まで全て基地運営部が行なっています。そして極秘扱いとされている」
「……極秘ですか」
「おかしいですね、少尉が知らないのは。少尉は以前は基地運営部に居たと思いましたが?」
「……意地悪です、中尉」
中尉はニコニコしています。私が基地運営部に居なかった事を中尉は知っているのに。相変わらず意地悪です。しかし、どうやって知ったのでしょう? まさか、やはり中尉は……。
「違いますよ、私はスパイじゃ有りません。物資の流れと輸送船の動きに不自然な点があったので調べたのです。膨大な量の資材がヴァンフリート4=2に送られている。そして管理しているのは基地運営部、となれば基地を建設しているという答えが出ます」
いつも思うのだけれど、中尉はとても他人の心を読むのが上手です。それとも私は表情が出やすいの?
「同盟軍は帝国の眼をヴァンフリートから遠ざけたい、だからアルレスハイムへ艦隊を動かしました。御丁寧にスパイの可能性がある私まで乗せてです。バグダッシュ大尉はまだ私を疑っているようですね。私がスパイなら帝国の注意はアルレスハイムに向くと考えた。キャゼルヌ大佐もそれに同意した……」
「……全部分かっていたのですね、あの艦隊の事も知っていたのですか?」
私は今、恐ろしい事を考えています。この戦闘は全て中尉が演出したのではないでしょうか?
「さあどうでしょう」
ヴァレンシュタイン中尉が柔らかく笑みを浮かべました。有り得ない、有り得ないと思うけどそれでも疑念が湧いてきます。
「まあ、今回の件で大尉も私に関わっている暇は無くなるでしょう。軍の中枢部にスパイが居る可能性が出てきたのですからね。その可能性の真偽を確認するまでは同盟軍は思い切った軍事行動など出来ません。情報部は必死になるはずです」
「……」
「少尉、バグダッシュ大尉に伝えてください。大分暇なようなので仕事を作って差し上げた、気に入っていただければ幸いだと。そして私がヴァンフリート4=2について知っていたと。大尉もキャゼルヌ大佐も明日からは当分眠れない日々が続くでしょう。今回の件のお返しです」
そう言うとヴァレンシュタイン中尉はクスクスと笑い始めました。
バグダッシュ大尉、ヴァレンシュタイン中尉は間違いなく破壊工作員です。帝国のスパイかどうかは分かりません。もしかすると余りにも危険なので帝国から追放されたのかもしれません。有り得る話だと私は思います。
彼は最強にして最凶、最悪な存在なのです。人類史上、彼ほど危険な人物は居ません。能力もそうですが何より性格が危険です。意地悪でサディスト、他人を追い詰め苛めるのを何よりも楽しみにしています。私達が苦しんでいるのを見て喜んでいるのです。
でも誰もそれに気付こうとはしません。彼は天性の偽善者で自分を有能で誠実で信頼できる人間だと周囲に思わせるのです。そして女性にはあの優しげな微笑を向けることで虜にしてしまいます。
中尉が私にお茶にしましょうと優しく誘ってきます。私は断わる事ができません。美味しいお茶と美味しいお菓子、そして優しげな微笑……。危険だと分かっていても断わる事ができないのです。私が断われば彼は他の女性を誘うでしょう。犠牲者を最小限にするには私が犠牲になるしか有りません……。
艦隊がハイネセンに戻るのが何時になるのか分かりません。ですがその間、ミハマ・サアヤ少尉はヴァレンシュタイン中尉とお茶を飲み続けます。それが私の任務だと信じています……。
第五話 パンドラ文書
宇宙暦 792年 9月 7日 ハイネセン 後方勤務本部 バグダッシュ大尉
後方勤務本部補給担当部第一局第一課を訪ねた。何処となく部屋の中はピリピリしている。正面にはキャゼルヌ大佐が疲れたような表情で座っていた。俺の顔を見ると溜息をついて立ち上がる。そして私室へと足を運びはじめた。俺も後を追う。
部屋に入り折り畳みの簡易椅子に座る。俺が座るのを待ちかねたようにキャゼルヌ大佐が疲れたような声を出した。
「そっちは大変じゃないのか?」
「蜂の巣を突いたような騒ぎですよ。情報部だけじゃありません、憲兵隊、監察もこの件を捜査する事になりました」
キャゼルヌ大佐が溜息を吐いた。溜息を吐きたいのはこっちも同じだ。
「この件はシトレ統合作戦本部長が責任者となります」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は眼を剥いた。
「本当か?」
「そうでもなければ捜査が滅茶苦茶になりかねません。全ての捜査情報は本部長に集められます。この捜査に混乱は許されない」
「……」
大勝利の直後にスパイ摘発のために統合作戦本部の本部長が捜査の指揮を執る。おそらく同盟軍史上最初で最後の事だろう。
「軍内部だけじゃありません。外に対しても本部長の力が必要なんです」
「? 外?」
「警察もこの件に関心を抱いています。元々サイオキシン麻薬の取り締まりは警察の仕事です。おそらく縄張り争いになる、こちらが一つにまとまっていないと足元を掬われかねない」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐が顔を顰めた。
「会戦の直後、第四艦隊があの星域の警察に連絡を取りました。その所為で警察はかなり強硬になっています」
「また面倒な事を、なんだって警察なんかに……」
キャゼルヌ大佐が呆れたような声を出した。同感だ、軍の警備部隊でも使えばよかったのだ。軍上層部でも第四艦隊が警察に連絡した事を問題視する人間は多い。だが警察に連絡しろと助言した人間がいる……。ヴァレンシュタイン、彼がその人間だと知ったら大佐は如何思うだろうか……。
「大佐、軍上層部が何を心配しているか分かりますか?」
「いや……」
「この問題が政界に繋がっているんじゃないかと恐れています」
キャゼルヌ大佐が眼を見開いた。そして“本当か?”と小声で尋ねてきた。
「艦隊の配置状況を容易に知る事ができる者、しかし今回の極秘情報を知る事が出来なかった者……。軍令の上層部ではない、実戦部隊の上層部でもない……。もしかすると国防委員会、政治家が絡んでいるのではないか……。そんな恐れを皆が持っているんです。それもあって本部長を上に持ってきた……」
キャゼルヌ大佐が溜息を吐いた。
「……とんでもない事になったな」
「藪を突いて蛇を出したような気分ですよ、しかもこの蛇、何処にいるのか、どれだけ大きいのか、誰も分からない……」
「知りたくもない……」
首を振りつつ大佐が呟く。陰々滅々、そんな言葉が頭に浮かんだ。
「大佐のほうは大丈夫だったんですか?」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は“なんとかな”と頷いた。
「ヴァンフリート4=2の件をヴァレンシュタイン中尉が知っていた、一昨日の情報部からの通知で情報源は俺じゃないかと最初疑われた」
「それで?」
「だが俺は中尉と話すときはミハマ少尉を必ず同席させていたし、彼がスパイの可能性があると知っていたからな……。俺が漏らした可能性は先ず無いと判断されたよ、ミハマ少尉には感謝している」
思わず安堵の溜息が出た。
「それを聞いて安心しましたよ」
「問題は俺以外に機密を漏らした人間が居た事だ」
「……」
「“君だけに話すんだが”、そんな事を言って機密を漏らした馬鹿が三人居た。他にも似たような例があるんじゃないかと密かに調査が行なわれている」
なるほど、部屋に入った時ピリピリした感じがしたのはその所為か……。
「そいつらは次の異動で左遷だ、まあ当然の処置ではあるが……」
少しの間沈黙が落ちた。おそらく大佐は左遷される人間たちの事を思ったのかもしれない。“君だけに話すんだが”、この特権を使用する優越感はかなりのものだ。大佐だって一度ぐらいはそんな経験が有るのかもしれない。
「大佐、ヴァレンシュタイン中尉はヴァンフリート4=2の件を自分で調べたと言っていますが……」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐が頷いた。
「彼のデータへのアクセス記録を調べた。此処へ配属されてから一週間ほどでヴァンフリート4=2の事を調べている。いささか早すぎるのが気になるが事実だ。それとかなりあっさりとヴァンフリート4=2で基地を建設していると見破っているな」
僅かに考え込むような表情をした。何処となく面白くなさそうに見える、あるいは輸送計画にはキャゼルヌ大佐も関わったのかもしれない。だとしたら確かに面白くは無いだろう。
「有り得るのですか、そんな事が。配属されて一週間でしょう?」
「いささか腑に落ちんが有り得るのだろうな」
「……大佐、見ていただきたいものが有ります」
「?」
俺はキャゼルヌ大佐に持ってきた報告書を差し出した。A4用紙で五枚程度の報告書だ。大佐は受け取る事無く報告書を見ている。
「これは?」
「ミハマ少尉がアルレスハイム会戦後に送ってきたものです。通称”ミハマレポート”、もっとも情報部では”パンドラ文書”と呼ばれています。」
「パンドラ文書?」
「読んでいただければ分かります。いや、大佐には読んでもらわなければなりません」
俺の言葉にキャゼルヌ大佐は幾分訝しげな表情を見せたが、報告書を受け取って読み始めた。
読み進むにつれて大佐の顔が強張る、手が震え始めた。ミハマ少尉が送ってきたレポートは大きく分けて三つの構成からなっている。最初にアルレスハイム会戦の詳細、次にヴァレンシュタイン中尉とミハマ少尉との会話、最後にミハマ少尉によるヴァレンシュタイン中尉への観察……。
「冗談だろう! 全て分かっていたというのか! 今回の騒ぎは俺と大尉に対する仕返しだと!」
最後まで読んではいないだろう。というより最後まで落ち着いて読む事のできる人間が居るとは思えない。レポートは大佐の手でクシャクシャになっている。
落ち着かせなくてはならない。
「この報告書は一昨日、情報部に届きました。当然ですが情報部だけではなく、憲兵隊、監察にも、シトレ本部長にもコピーが渡されました」
「シトレ本部長にも?」
俺は黙って頷いた。大佐は首を括って自殺しそうな表情をしている。気持は分かる、俺もこのレポートを読んだ時には死にたくなった……。
「彼方此方で怒号と悲鳴が起きましたよ、シトレ本部長は机を叩いて激怒したそうです」
「……」
パンドラ文書だ、この報告書には災厄が詰まっている。報告書を読んだ人間は全てを呪い恨むだろう。そして何故この文書を読んだのかと後悔することになる。パンドラの箱には希望が残ったが、この文書には希望など欠片も無い。エーリッヒ・ヴァレンシュタインとミハマ・サアヤ、事件関係者にとってこの二人の名前は今や災厄と同義語だ。
「無理も有りませんよ、軍内部をまとめ、警察対策、政治家対策を考えている最中にこの事件が我々に対するしっぺ返しだと分かったんですからね」
「死にたくなってきた……」
頼むから死なないでくれ、大佐が死んだら俺まで後を追わなきゃならなくなる。俺はまだ死にたくない。
「有り得るのか、こんな事が……、彼は未だ十七歳だろう。士官学校を卒業して二年に満たない。その彼が同盟軍を振り回している」
「……」
「これからどうなる?」
「このままです。確かにヴァレンシュタイン中尉の狙いは我々に対するしっぺ返しかもしれません。しかし、同盟軍の上層部にスパイが居る可能性がなくなったわけではありません。彼にとっては遊びでも我々にとっては重大な問題です」
情報部でも憲兵隊でもヴァレンシュタイン中尉の危険性を訴え、彼の排除を声高に叫ぶ連中が出た。しかしヴァレンシュタインは可能性を指摘したのだ。それがどんな動機からだろうとその可能性を否定はできない。
ヴァレンシュタイン中尉が指摘しなければ第四艦隊は何も気付かずに終わった可能性が高いのだ。それを思えばヴァレンシュタインは同盟に警告を発したとも言える……。
「ヴァレンシュタイン中尉の昇進が決まりました」
「昇進か、ヴァレンシュタイン大尉になるのか……」
何処となく面白くなさそうだ。無理もない、俺も必ずしも面白いとは思えない。
「帝国軍はヴァンフリート4=2に来ませんでした。ヴァレンシュタイン中尉は帝国に情報を漏らしてはいなかった……。そして今回、スパイの可能性を指摘した。完全とは言えませんが彼がスパイの可能性は低いだろうというのが情報部の見解です」
キャゼルヌ大佐が渋々ではあるが頷いた。
「同盟軍は今回のサイオキシン麻薬の件を帝国の陰謀として徹底的に利用する事に決めました。ヴァレンシュタイン中尉にも協力してもらいます」
「協力?」
「帝国の陰謀を見破ったのはヴァレンシュタイン中尉です。彼は両親を帝国貴族に殺され、自身も殺されそうになった。その悲劇の人物が帝国の陰謀を見抜いた、そういうことになります。本人は嫌がるかもしれませんがこの程度は協力してもらいましょう」
キャゼルヌ大佐が溜息を吐いた。
「狸と狐の化かしあいだな……」
全くだ。俺は黙って頷いた。
宇宙暦 792年 9月24日 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ
昇進してしまいました。今日から私はミハマ・サアヤ中尉です。アルレスハイムの会戦の大勝利、帝国の陰謀を暴いた事がその理由だという事だけど私は何にもしていません。
戦闘をしたのは第四艦隊の人達でサイオキシン麻薬を見破ったのはヴァレンシュタイン中尉、いえ大尉。私は大尉の作るクッキーを食べお茶を飲んでいただけ……。出世ってこんな簡単なものなの?
アルレスハイムの会戦後、第四艦隊の人達の私達に対する態度は一変しました。それまでは全く無視だったのに、会戦以後はチラチラ見ながらこちらから声をかけようとすると避けようとします。そんな変な態度で終始しました。
ヴァレンシュタイン大尉はそんな周囲に全く無関心でした。毎日勉強とお菓子作り、そしてお茶。どう見ても有能な士官には見えません、やる気ゼロの落ちこぼれ士官です。そんな大尉と一緒にお茶を飲んでいた私は色気より食い気の新米士官、駄目駄目コンビです。
士官学校を卒業し少尉に任官すると一年後には自動的に中尉になります。いわゆる万歳昇進ですが、私はその前に昇進しました。これって凄いアドバンテージなのです。今後のキャリアで誰かと昇進で競い合う事になった時、自力で中尉に昇進した、少尉任官後一年以内で功績を立てたとして優遇されます。
士官学校の同期生からも一杯メールが来ました。皆から“おめでとう、サアヤ”、“やったね、サアヤ”ってたくさん来ました、嬉しかった。ヴァレンシュタイン大尉はそういう事ってないんだろうな。ちょっと可哀想、だから私がメールを送ってあげました。次の日、大尉がちょっと恥ずかしそうに“有難う”と言ってきました。そうしていれば、可愛いのに。
大尉はハイネセンに戻ってからは大変忙しい日々を送っています。毎日のように軍の広報課に頼まれマスコミのインタビューに答えているのです。大尉は帝国の陰謀を見破った英雄で、両親を貴族に殺され本人も殺されかけて亡命した悲劇の英雄と言う事になっています。
私は大尉の素顔を知っているからちょっと複雑な気分。友人達からも“ヴァレンシュタイン大尉ってどんな人”って聞かれるけど根性悪でサドとはちょっと言えません。おかげで“まあ、良い人よ”と当たり障りのない答えを返しています。
大尉はマスコミが嫌いみたいです。仕事が終った後は輸送担当課に疲れたような顔をして戻ってきます。そして溜息をついて水を飲むのです。うんざりしているのでしょう。
今日はキャゼルヌ大佐からヴァレンシュタイン大尉と共に私室に来るようにと言われています。私はちょっと気が重い、なんと言っても例の伝言はバグダッシュ大尉からキャゼルヌ大佐に行っているのです。大佐は私達に何の隔意も表さないけど本当はどう思っているか……。
大尉が部屋をノックして中に入りました。私も後に続きます。中には先客が居ました。後姿しか見えませんが未だ若い男性のようです。
「キャゼルヌ大佐、お客様のようですのでまた後で来ます。中尉、出直しましょう」
「はい」
帰ろうとするとキャゼルヌ大佐が声をかけてきました。
「二人とも気にしなくていい」
「?」
「ヴァレンシュタイン大尉、大尉は既に面識が有ったな。ミハマ中尉、紹介しよう、ヤン中佐だ」
大佐の紹介と共に後姿の男性が振り返りました。中肉中背の若い男性です。これがヤン中佐? エル・ファシルの英雄なの? ヴァレンシュタイン大尉とは違う、本物の英雄に出会えた。今日は凄くラッキー。
大尉を見ると大尉も嬉しそうに笑顔を浮かべています。
「ヤン中佐、久しぶりです」
「そうだね、久しぶりだ」
ヤン中佐とヴァレンシュタイン大尉が話しています。大尉は嬉しそうなのに中佐は何処となく構えるような表情です。大尉も笑みを浮かべるのを止めました。この二人、顔見知りのようだけど一体何が有ったのか? 部屋に何となく重い空気が落ちました。大尉、貴方一体何をやったんです?
第六話 フェザーンにて
宇宙暦 792年 9月24日 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ
部屋には重い空気が漂っています。大尉は何処か困ったような表情をしていました。ヤン中佐に会った当初の嬉しそうな笑みはありません。キャゼルヌ大佐が場をとりなすかのように声を出しました。
「さあ、立ってないで座ってくれ、それでは話もできん」
ヴァレンシュタイン大尉は私を見ると微かに頷きました。そして折り畳みの簡易椅子を二つ用意してくれます。こういうところは割りと優しい、というか口を開かなければかなり優しいように思えます。
ヤン中佐は私達が座ると椅子に腰を降ろしました。表情は相変わらず硬いです。
「ミハマ中尉ですね、ヤン・ウェンリーです」
「お会いできて光栄です、ヤン中佐」
ニッコリと微笑むとヤン中佐もぎこちなくだけど笑顔を浮かべてくれました。
ヤン中佐、エル・ファシルの英雄。宇宙暦七百八十八年、エル・ファシル星系で帝国軍との間に戦闘が起きたけど同盟軍は敗北、惑星エル・ファシルは帝国軍に包囲されました。その時、帝国軍の目を欺きエル・ファシルの住民三百万を脱出させたのが、当時未だ中尉だったヤン中佐です。あの時私は士官学校の生徒だったけど若い英雄の誕生に本当に興奮した事を今でも覚えています。
場の空気がほぐれたと思ったのでしょうか、キャゼルヌ大佐が話し始めました。
「貴官らに来てもらったのは新しい任務に就いてもらうためだ」
新しい任務……、一体なんだろう? また何処かの艦隊に乗り込むのでしょうか? そして帝国軍の眼を引き寄せるための囮? 何となく嫌な予感がしました。
ヴァレンシュタイン大尉はキャゼルヌ大佐とヤン中佐を交互に見ています。少し小首を傾げているから納得できていないのでしょう。私と同じような疑問を抱いているのかもしれません。
「フェザーンに行ってもらう。大尉がマスコミにうんざりしているのは分かっているからな。ほとぼりを冷ますためにしばらくハイネセンを離れたほうが良いだろう」
「……」
大尉は黙って聞いています。
「昔こいつもエル・ファシルで英雄扱いされて大分苦労した。あの時もほとぼりを冷ますのにいろんな事をやらせたな」
「……」
ヴァレンシュタイン大尉もヤン中佐も沈黙しています。空気が重いです……。キャゼルヌ大佐も困っています。
「いろんな事ですか?」
思い切って尋ねてみると大佐が救われたように言葉を続けてきました。
「そう、ブルース・アッシュビー元帥の事とかね……」
「アッシュビー元帥!」
ブルース・アッシュビー元帥! 帝国とは長い年月を戦っているけど、その戦争の中で最も活躍した軍人の一人です、数々の伝記や映画が製作されているし、元帥が戦死した十二月十一日は戦勝記念日として休日となっています……。
アッシュビー元帥の事って何だろう? 何か調べ物? 訊いてみようと思ったときでした。ヴァレンシュタイン大尉が口を開きました。
「フェザーンには何の用でしょう」
静かな声です。だけど声には何処か苛立たしげな響きがありました。大尉にとってはアッシュビー元帥の事などどうでも良い事なのでしょう。それともヤン中佐の沈黙が気になるのかもしれません。
「物資の調達だ。それほど難しい仕事ではない、あくまでほとぼりを冷ますための仕事だ。往復で約二ヶ月、十分だろう」
「了解しました。では小官はこれで失礼します」
大尉が椅子から立ち上がり敬礼しました、私も慌ててそれに倣います。その時です、それまで沈黙していたヤン中佐が話しかけてきました。
「ヴァレンシュタイン大尉、貴官はアッシュビー元帥をどう思う?」
問いかけられた事が意外だったのかもしれません、大尉は困惑したように少しの間ヤン中佐を見詰めました。
「どう思うですか、御質問の意味が良く分かりませんが?」
「いや、用兵家としてのアッシュビー元帥を貴官はどう思うかと思ってね」
「……亡命者の大尉に国民的な英雄であるアッシュビー元帥を評価しろと?」
部屋の空気がまた重くなりました。ヤン中佐もヴァレンシュタイン大尉も静かな、穏やかな声で話しているのに空気が重くなっていきます。キャゼルヌ大佐が厳しい表情をしているのが見えました。
「難しく考えないでくれ、ただ貴官の意見が聞きたいだけだ」
「……優れた戦術家だと思います、情報の重要性を理解していた人でもある……。宜しいですか?」
「ああ、有難う」
答え終わってもヴァレンシュタイン大尉はヤン中佐から視線を外しません。今度はヤン中佐が困惑を表情に浮かべました。
「ヤン中佐、私はスパイでは有りませんよ。中佐の敵でもない。もう少し信じて欲しいですね」
「そうであって欲しいと私も思うよ。貴官は敵に回すには危険な人物だからね」
ヴァレンシュタイン大尉は椅子を片付けると“失礼します”と言って部屋を出て行きました。私もその後を追います。
「どうも誤解されてる、困りました」
呟くような声でした。本当に困っているのかもしれません。
大尉、残念ですが誤解されるのは日頃の行いが悪い所為です。誰のせいでも有りません、大尉御自身の悪行が誤解を招いているんです。それにあながちヤン中佐が誤っているとも思えません。大尉が危険人物なのは間違いないのですから……。
帝国暦 483年10月 6日 オーディン ギュンター・キスリング
店のドアを開けると部屋の奥のテーブルから手を挙げる男が見えた。そちらに向かって歩く。小さな店だ、直ぐに彼の前に着いた。彼の正面に座ると冷やかすような声がした。
「随分遅かったじゃないか、ギュンター」
「分かりづらい店だ、随分と探した」
俺の言葉に目の前の男、アントン・フェルナーは苦笑を漏らした。
「憲兵隊、ギュンター・キスリング中尉でも迷うか? まあその分安全だと思ってくれ。此処は俺の知り合いがやってる店なんだ。多少の我儘は聞いてもらえる」
分かっている。今俺達に必要なのは安全だ。敵は強大で危険だ、臆病なほどに慎重で良い。
「ギュンター、例のサイオキシン麻薬の件、本当なのか?」
俺は黙って頷いた。アントンが呆れたように溜息を漏らす。“信じられんな”そう呟く声が聞こえた。同感だ、全く信じられない、呆れた話だ。
アルレスハイム星域で帝国と自由惑星同盟を名乗る反乱軍との間で戦闘が起きた。そして、その戦いで帝国軍は一方的に敗れた。残念な事ではある、しかしこれまで敗北が一度もなかったわけではない。数ある敗北の一つで終わるはずだった。
だが、今回の敗北は数ある敗北の一つでは終わらなかった。反乱軍は帝国軍がサイオキシン麻薬を所持していた事、そのサイオキシン麻薬を同盟領にばら撒こうとしていたと非難した。
“サイオキシン麻薬は人類の敵であり、それを兵器として利用した帝国軍の非道は到底許されるものではない……”。帝国にとっては寝耳に水だった。否定は容易い、だが否定して良いのか? 此処近年、帝国の辺境ではサイオキシン麻薬の汚染が確実に広まっている。今回の一件が何処かでそれに絡んでいないか……。イゼルローン要塞に帰還した艦隊の残存部隊に対して調査が行なわれた。
「辺境星域にボルソルン補給基地が有る。此処にサイオキシン麻薬の製造工場があった。無人惑星の上、辺境に有るため人もあまり来ない。犯罪を行なうには理想的な場所だな」
「酷い話だ、軍人が私腹を肥やすために麻薬ビジネスに手を染めるとは……」
アントンが顔を歪めた。
「憲兵隊は今回の件を徹底的に調べるように命じられた。帝国軍上層部はこれを機に辺境にはびこるサイオキシン麻薬を一掃するつもりだ」
サイオキシン麻薬の撲滅は軍の上層部が強く願ったらしい。放置すればまた同じ事件が起きかねない。軍上層部にとっては悪夢だろう。日頃仲の悪い帝国軍三長官―軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官―が一致して行動を起した。徹底的に捜査する事になるだろう。
「ギュンター、エーリッヒは元気そうだな」
「ああ、元気そうだ。安心したよ」
少しの間無言になった。俺はエーリッヒのことを考えた。こいつは……、こいつもそうなのかもしれない。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、士官学校の同期生にして親友。誰よりも信頼できる男だったが、約五ヶ月前反乱軍に亡命した。それ以後、あいつの消息は分からなかった。だが今回の会戦で帝国軍がサイオキシン麻薬を扱っている事を暴いたのはエーリッヒだった。
反乱軍はエーリッヒが両親を貴族に殺されたこと、彼自身も殺されかけたことを宣伝している。帝国に裏切られた少年、その彼が帝国の非人道的な陰謀を暴いた。エーリッヒは悲劇の英雄で暴虐なる帝国の犠牲者として宣伝されている。
「例の件、何か分かったか」
アントンが声を潜めて尋ねてきた。俺は黙って首を横に振る。アントンの顔が歪むのが見えた。
「駄目だな、何も分からない。情報が有るとしたら憲兵隊ではなく内務省だろう」
「内務省、つまりは警察か……」
エーリッヒの両親を財務尚書カストロプ公が殺した。そしてエーリッヒ自身もカストロプ公の部下によって殺されかけた。エーリッヒを帝国に戻すためにはカストロプ公の犯罪を暴き、エーリッヒの亡命が止むを得ないものだったと周囲に納得させるしかない……。
エーリッヒの両親が誰に、何故殺されたのか? 今俺とアントンはそれを調べている。俺は憲兵隊の力を利用して、そしてアントンは仕えているブラウンシュバイク公の影響力を利用して……。
「アントン、一つ気になった事がある」
「なんだ?」
「エーリッヒの両親が殺されたときなんだが、当時の司法尚書ルーゲ伯爵が辞任している」
アントンは訝しげな表情をしている。そして小さく“辞任”と呟いた。
「ルーゲ伯爵は権力を利用して私腹を肥やす事にしか興味を示さないカストロプ公に強い反感を持っていたらしい。彼のやり方を“見事な奇術”と皮肉っていたそうだ」
「そのルーゲ伯爵が辞任した……。関係が有るのかな?」
「分からん、しかし気になる。確認してくれないか」
憲兵隊の一中尉が尋ねたところで門前払いが落ちだろう。しかし皇帝の娘婿であるブラウンシュバイク公の部下が尋ねれば或いは話してくれるかもしれない。何か知っているのであれば……。
「分かった、やってみよう」
そう言うとアントンは力強く頷いた。
宇宙暦 792年10月27日 フェザーン ミハマ・サアヤ
今、同盟軍中尉ミハマ・サアヤはフェザーンに到着しました。当然ですがヴァレンシュタイン大尉も一緒です。これから私達は同盟の高等弁務官府に行き挨拶をしなければなりません。
私と大尉がフェザーンに行くという事は周囲にはちょっとした騒ぎを引き起しました。第四艦隊に乗り込んだときは一応任務? だったけど、今回は半分以上遊びである事は衆目の一致するところです。なんと言ってもフェザーンまでは民間船を使っての移動です。観光旅行といわれても仕方がありません。後方勤務の女性士官からはかなり盛大にブーイングが出ました。
士官学校の同期生からも冷やかしの連絡が有りました。ヴァレンシュタイン大尉は同盟の英雄、その英雄とフェザーンへ旅行……、婚前旅行じゃないのとか冷やかされました。まあ誰だって怒るだろうし、冷やかしたくなるに違いありません。でも私は大尉の素顔を知っています。
どうしようもないほど意地悪でサディスト、偽善者……。私は彼の作るお菓子は好きだけど彼自身には警戒心を解いたことはありません……、時々美味しいお茶の時間を過ごすと怪しいけれど、それでも時々です……。
大体私が一緒と言う事は情報部は未だ大尉をスパイとして疑っているということです。バグダッシュ大尉に聞いてもヴァレンシュタイン大尉から眼を離すな、どんな小さなことでも必ず報告しろと言われています。何時までこの任務は続くのか……。まさかとは思うけど、ずっと?
フェザーン、帝国と同盟の中間にある中立国家。表向き帝国の自治領となっているけど実質は独立国家である事は皆が知っています。戦争をする帝国と同盟の間で利を追求する事に専念するフェザーンには多くの同盟人が良い感情を持っていません。それは帝国も同様でしょう。
ハイネセンでは目立たない軍服もフェザーンではかなり目立ちます。ヴァレンシュタイン大尉の軍服が周囲から奇異の目で見られました。私にも視線が集まります。余り面白くはありません。私はベレー帽をかぶっていますが大尉はかぶっていません。ヴァレンシュタイン大尉が軍服を着てベレー帽をかぶると可笑しなくらい可愛くなってしまうのです。本人もそれを気にしているのでしょう、大尉がベレー帽をかぶる事は滅多にありません。
弁務官府に着くと早速部屋に案内されました。どうやらキャゼルヌ大佐が弁務官府の人達に私達に十分に良くしてくれるようにと頼んでくれたようです。おかげで私達に用意された部屋は本来なら将官クラスの人が使う部屋でした。キャゼルヌ大佐、有難うございます。
その後、首席駐在武官のヴィオラ大佐のところへ挨拶に行きました。大佐は長身で肥満しています、それなのに余り重そうな印象を受けません。妙な人です。
「明日から一週間ほどフェザーンに滞在すると聞いている。分からない事が有ったら何でも聞いてくれ、キャゼルヌ大佐からも協力して欲しいといわれている」
「有難うございます、その時はよろしく御願いします」
ヴィオラ大佐とヴァレンシュタイン大尉が話しています。こうしていると大尉は誠実で生真面目な少年にしか見えません。この偽善者め、私は騙されないから。
挨拶が終わり、部屋に戻ろうとしたときでした。ヴァレンシュタイン大尉が不思議そうな声を出しました。
「ヴィオラ大佐、その招待状は何でしょう、帝国の物のように見えますが?」
私は慌ててヴィオラ大佐の机の上を見ました。確かに帝国の紋章の入った招待状が有ります。
「その通りだよ、ヴァレンシュタイン大尉。帝国の高等弁務官府からの招待状だ。今夜弁務官府でパーティを開くらしい」
「行かれるのですか?」
大尉の質問にヴィオラ大佐が大声で笑い声を上げました。
「まさか、行くわけがない」
「……では、小官がその招待状を頂いても構いませんか?」
え? と私は思いました。私だけじゃありません、ヴィオラ大佐も驚いています。大尉、分かってます? 貴方のスパイ容疑は消えたわけではないんです、それなのにパーティに行く? 一体何を考えてるの?
第七話 切なさと温かさ
宇宙暦 792年10月27日 フェザーン ミハマ・サアヤ
「大尉、本当に行くのですか?」
「ええ、本当に行きます。分かっていると思いますが中尉は私の婚約者と言う事になります。話を合わせてくださいよ」
「はい……」
思わず溜息が出ました。大尉、分かってます? そりゃ十七歳でも婚約は出来ます。でもその婚約者が私? 三歳も年下の婚約者を持つなんて……。周囲はどう思うか……。色仕掛けでたらしこんだ、そう思う人間も居るでしょう。
大尉がパーティに行くと言い出した時、当然ですが私もヴィオラ大佐も反対しました。私は大尉のスパイ容疑が完全に晴れていないのにそんな疑いを招くような事は危険だと思って反対しました。
一方ヴィオラ大佐は亡命者である大尉が帝国高等弁務官府に行くのは危険だという理由でした。帝国は今サイオキシン麻薬事件でピリピリしているようです。まして大尉はそのサイオキシン麻薬事件の当事者です。行くべきではないと反対しました。
しかし大尉は譲りません。“どうしてですか”と問いかけると大尉は“私が無事だということを帝国の連中に見せなければなりませんから”と言って口を噤みました。
嫌がらせ? そんなことをしなくてもいいのに……。
結局私が同行する事になりました。私の役目は監視役、これまでと変わりません。でも今度は敵地での監視役です。まさか自分が帝国高等弁務官府で諜報戦を行う事になるなんて……。“ミハマ・サアヤ中尉、危機一髪”、“愛と陰謀のフェザーン”、そんな言葉が脳裏に浮かびました。
そして今、私と大尉は帝国高等弁務官府に向かって歩いています。婚約者らしく大尉と腕を組んで……。あと百メートルほどで帝国高等弁務官府に着くでしょう。すれ違う人達が私と大尉を見ます。私達は軍服を着ていません。パーティに出席するためにドレスアップをしています。
大尉は黒のフォーマル、私は赤のドレスに藤色のショール、そして黒のハイヒールを履き、ブランド物のバック、ネックレス、指輪、イヤリングを身につけています。もちろん自分のものではありません、大尉が私に買ってくれたものです。男の人にこんなに買ってもらうのなんて初めて! 素直に御礼を言ってしまいました。でも胸が半分くらい見えるなんてちょっとエッチ……。
私の給料の三か月分ほどの費用がかかったのですが大尉は平然としたものでした。お金持ちなのよね、二百万帝国マルクも持っているんだもん、女の子が騒ぐわけですよ。可愛いし、お金持ちだし、英雄……。大尉に色々買ってもらったと皆に知られたらまたやっかまれるな、どうしよう……。
帝国高等弁務官府の入り口はパーティに出席する男女で混雑していました。多分、このフェザーンに居る帝国人の名士、それとフェザーンの名士が集まっているのでしょう。皆それなりに年配の人が多いです。私と大尉のように若いカップルは他には見当たりません。周囲も訝しげに私達を見ています。
大尉は気にすることもなく受付に向かいました。いつも思うのだけれどヴァレンシュタイン大尉は驚くとか慌てるとかが全くありません。何でそんなに落ち着いてるんだろう。私には到底真似できそうにありません。そんなところが可愛げが無いように思えます。
ヴァレンシュタイン大尉が内ポケットから招待状を出し、受付係に差し出しました。受付係が招待状を確認し始めます、大丈夫かしら? 私にはあの招待状が死刑執行命令書にしか思えません。
受付係の若い女性はにこやかにヴァレンシュタイン大尉に話しかけてきました。
「失礼ですがお名前をお教えいただけますか?」
大尉は受付係に劣らず笑みを浮かべています。
「自由惑星同盟軍、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大尉です」
その瞬間に私達の周囲が凍りつきました。皆が化け物でも見るかのように私達を見ています。そして私達から距離を取り始めました。受付係の女性も表情を強張らせて私達を見ています。多分私の顔も引き攣っているでしょう。笑みを浮かべているのはヴァレンシュタイン大尉だけです。
「その招待状に不審な点でも有りますか?」
にこやかにヴァレンシュタイン大尉が問いかけました。
「い、いえそうでは有りません。少々お待ちいただけますか」
受付係の女性が慌てて奥へ走って行きます。多分上に報告に行くのでしょう。まあ無理もありません、これまで同盟からパーティに出席者が来るなんて一度もなかったんだから。
受付係が戻ってくるまで十分ほどかかりました。その十分間はなんとも言えない十分間でした。誰も私達の傍に寄ろうとはしませんし視線を合わせようともしません。でも間違いなく私達を意識しています。いたたまれないような十分間でした。
受付係が顔を強張らせたまま戻ってきました。御願い、御願いだからパーティへの参加は認められないと言って下さい。私は喜んで婚約者を連れて帰ります。服も買ってもらったし、アクセサリーも買ってもらいました。私には何の不満もありません。
「お待たせしました、ヴァレンシュタイン大尉、そちらの御婦人のお名前を教えていただけますでしょうか?」
「ミハマ・サアヤ、私の婚約者です」
「有難うございます、どうぞお入りください」
世の中不公平だと思う。私の願いは滅多に叶わないのに大尉の願いは何だってこんなに簡単に叶うのでしょう。神様が贔屓しているとしか思えません。それとも贔屓しているのは悪魔?
パーティ会場に入りました。大きな会場だったけど私達が入った瞬間に会場の人間が皆、私達に視線を向けてきたのが分かりました。視線が痛い……。そしてここでも私達の傍には誰も寄ろうとはしないし、話しかけても来ません。遠巻きにして見ています、聞き耳を立てているだけです。
その状態はパーティが始まっても変わりませんでした。大尉はにこやかに笑みを浮かべながらオレンジジュースを飲んでいます。未成年だからお酒を飲まないのではありません、パーティ会場は敵地だからと言ってヴィオラ大佐が忠告してくれたのです。だから私もオレンジジュースを飲んでいます。
しばらくしてからでした。大尉が突然“踊りましょう”と私を誘いました。ちょっと戸惑ったけど小声で“婚約者らしくしてください”と大尉に言われては断われません。ホールに出て一曲だけダンスを踊りました。
踊り終えてホールから戻ってくると大尉が私に話しかけてきました。
「それにしても帝国人というのは女性に対するマナーがなっていませんね、貴女にダンスを申し込んでくる人間が一人も居ない、失礼な話です」
決して大きな声ではありません、でも聞き耳を立てている周囲には十分に聞こえる声だったと思います。直ぐに私達に声をかけてきた男性が居ました。
「ヴァレンシュタイン大尉、そちらのフロイラインにダンスを申し込みたいのですが?」
ダンスを申し込んできたのは長身の若い軍人でした。砂色の髪と砂色の瞳が印象的な士官です。結構イケメン、優しそうな表情をしています。
「貴官の名は?」
「申し遅れました、小官はナイトハルト・ミュラー中尉です」
ヴァレンシュタイン大尉は私とミュラー中尉を見て頷きました。ミュラー中尉に許したのか、それとも私に対して踊って来いという事なのか、よく分からないでいるとミュラー中尉が私をホールへと誘ってきました。
良いのでしょうか? 私達がダンスをしている間に大尉が誰かと接触したら? さっきの大尉の言葉はそのため? 有り得ない話じゃありません、そう思って躊躇っていると
「大丈夫ですよ、心配は要りません。楽しんでいらっしゃい」
と大尉の声が聞こえました。その声に押されるように私はミュラー中尉とホールに向かいました。
ミュラー中尉と踊り始めたけど私は大尉の事が気になって仕方がありません。本当に大丈夫? そう思っているとミュラー中尉の声が聞こえました。
「フロイライン、貴女は本当にエーリッヒの婚約者なのですか?」
「……エーリッヒ?」
思わずミュラー中尉の顔を見てしまいました。中尉は穏やかに微笑んでいます。エーリッヒ? 大尉の事? この人、大尉の知り合い?
「どうやら違うようですね。まあ、あの朴念仁にそう簡単に恋人ができるわけが無いか……」
「あの、ミュラー中尉、貴方は……」
「エーリッヒとは士官学校で同期生でした。彼は私の親友です」
「……」
「エーリッヒは皆に受け入れられていますか?」
「ええ」
嘘じゃありません、後方勤務本部の女性兵士は皆彼に夢中だもの。
「そうですか、良かった、それだけが心配でした」
「……」
「私は彼を守れなかった。だからあいつは亡命した、私に迷惑はかけられないといって……」
切なくなるような口調でした。この人は自分を責めています。大尉を守れなかったと後悔している。でも守れなかった? だから大尉は亡命した? どういうこと? 大尉は殺されかかって亡命したんじゃないの。迷惑をかけられない?
「こんな事を貴女に頼むべきではないのかもしれない。でも貴女しか頼める人はいない。あいつに伝えてもらえますか」
ミュラー中尉はじっと私を見詰めてきました。こんな眼で見詰められたら到底断われません。
「何をでしょう」
「アントンとギュンターが例の件を調べている。必ずお前を帝国に戻してやる。だから元気でいろと……。御願いします」
私は黙って頷くのが精一杯でした。帝国には大尉の帰還を待っている人がいます。それだけじゃありません、そのために動いている人がいるようです。多分大尉もそれを知っているのでしょう。いつか大尉は帝国に戻る……。だから前線に出たがらない、帝国軍との戦いを彼は望んでいない……。
大尉が此処へ来たわけも何となくわかりました。大尉は自分が無事だという事をミュラー中尉に見せたかったのでしょう。あの時、二人はまるで初対面のように会話をしていました。どれだけ二人で話をしたかったのか……。
でも大尉は直接ミュラー中尉とは話せません、話せばお互いに厄介な事になります。だからダンスを利用して私とミュラー中尉を接触させた。私を通して自分が元気でやっていると知らせたかった。そして中尉は私に大尉への伝言を依頼しようとしている……。
これが諜報戦? 派手なアクションも陰謀も冷酷さも無い。有るのは切なさと親友を思う気持、それだけが溢れています。なんて温かいんだろう、なんて切ないんだろう……。そしてそれに触れた私はどうすれば良いのだろう……。
ダンスが終わりました。私とミュラー中尉はヴァレンシュタイン大尉のところに戻りました。大尉は穏やかな表情でオレンジジュースを飲んでいます。
「ヴァレンシュタイン大尉、フロイラインをお返しします」
ミュラー中尉の言葉にヴァレンシュタイン大尉は黙って頷いただけです。ミュラー中尉も何も言わずに私達から離れていきます。二人ともどんな思いなのか……。堪らなかった、思わず口走っていました。
「大尉、宜しいのですか?」
ミュラー中尉にも聞こえたと思います、でも中尉が足を止める事はありませんでした。そしてヴァレンシュタイン大尉もオレンジジュースを穏やかな表情で飲んでいます。切なくて涙が出そうです。
でも泣けません、私が泣けば皆が不審に思うでしょう。そうなれば大尉にも中尉にも迷惑がかかります、だから泣かない……。それから何人かの帝国軍人が、フェザーン人がダンスを申し込んできました。私はその全てに笑顔で答え、ダンスを踊りました。
パーティが終わり、同盟の高等弁務官府に戻る途中、歩きながら大尉が尋ねてきました。
「中尉、ナイトハルトは何か言っていましたか?」
「大尉の事を心配していました。それとアントンとギュンターが例の件を調べている。必ず大尉を帝国に戻してやると……」
大尉は黙って聞いています。
「それと、大尉を守れなかったと言って後悔していました」
「……」
一体二人の間に何が有ったのです、そう聞きたかった。でも聞けませんでした。大尉は少し俯き加減に歩いています、聞けませんでした……。
「大尉のことをエーリッヒと呼んでいましたよ、親友だと言っていました」
深い意味は無かったと思います、ただ何か喋らなければ遣り切れなくて喋っていました。それなのにヴァレンシュタイン大尉は足を止めました。私も足を止めます。正面を見たまま大尉が虚ろな表情で話し始めました。私が横に居ると分かっているのでしょうか?
「エーリッヒ、ですか……。私をそう呼んでくれる人は同盟には居ません」
「……」
「名前を呼んでくれる人が居ない、それがこんなにも寂しい事だとは思いませんでした」
「……」
大尉がまた歩き出しました、私も後を追います。
「五年前、私は両親を貴族に殺されました。あの時、私は全てを失ったと思いました。もう失うものなど無いと……」
「でもそうじゃなかった……。私にはまだ大切なものが有った……。ナイトハルト、アントン、ギュンター、私は寂しい、卿らに会えない事が本当に寂しい……。でも、頼むから無理はしないでくれ。卿らが生きていてくれればそれだけで私は十分だ。だから、私の事など忘れてくれ……」
そう言うと大尉は俯きながら足を速めました。もしかすると泣いているのかもしれません。少し離れて大尉の後を追いました。私は大尉の泣いている姿など見たくありません。大尉には笑顔が似合うと思います。たとえその笑顔を怖いと思っても笑顔のほうが絶対に似合う……。
私はこれまで大尉のことを亡命者だと認識していました。でも亡命者という存在が何なのか分かっていなかったと思います。亡命者が捨てるのは国だけじゃない、友人も思い出も全てを失う。それがどれほど寂しい事か……。大尉はいつも笑顔を浮かべているけどどんな気持で笑顔を浮かべているのか……。
バグダッシュ大尉、今日ミハマ・サアヤ中尉は帝国を相手に初めて諜報戦を行ないました。諜報戦は私の想像とはまるで違いました。温かくて切なくて泣きたくなる、そんな諜報戦でした。
大尉、今日のことを私は報告しません。裏切ったわけでは有りません。ただ報告したくないんです。どれほど言葉を尽くしても彼らの温かさ、切なさを説明できるとは思えませんし、彼らの想いを汚したくないんです。そしてそれは情報部員としては間違っていても人としては正しい姿なのだと私は思います……。
第八話 ポイント・オブ・ノーリターン
宇宙暦 794年 1月30日 ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ
私と大尉がフェザーンから戻ったのは宇宙暦七百九十二年の暮れでした。七百九十二年が終わり七百九十三年が始まったけど宇宙暦七百九十三年、この年は良く分からないうちに終わった記憶が有ります。戦争は無かったけどやたらと慌ただしい一年でした。
戦争が無かった理由は同盟も帝国も戦争をしている余裕が無かったからです。帝国はサイオキシン麻薬の根絶と宇宙艦隊の再編、同盟はサイオキシン麻薬の売人組織の根絶、そして同盟内にいるであろう情報漏洩者の追跡……。両国とも国内に地雷を抱えている事が分かったため、地雷の撤去を優先したということらしいです。おかげでこの年は戦死者ゼロという珍しい年になりました。
情報漏洩者の追跡は決して簡単ではありませんでした。理由は情報漏洩者に関しては最高機密として一般市民はおろか、警察、いや政府にも知らせなかった所為だと思います。そのため警察は麻薬の売人組織の捜査は警察の仕事だとして譲りませんでした。国内の捜査体制が統一出来なかったのです。最初から事情を説明していれば協力体制を作れたかもしれません……。
軍が政府に知らせなかったのは政府内部にその情報漏洩者がいるのではないかと疑った所為です。でも結局どうにもならなくてシトレ本部長がトリューニヒト国防委員長に事情を説明し、国防委員長から法秩序委員長へ、法秩序委員長から警察へと事情が伝わりました。
でも此処で予想外、或いは予想通りの事が起きました。警察が情報漏洩者の捜査も自分達が行なうと言い出したことです。そして法秩序委員長もそれを支持したため国防委員長と法秩序委員長の間で軍、警察のどちらが捜査するかで争いが起きました。
お互い意地と面子をかけてのぶつかり合いです。国防委員長は軍に対して影響力を強めるため、法秩序委員長は警察に対して影響力を強めるため……。そして両者とも情報漏洩者を突き止めた功績を自分のものにしようと必死でした。
両者が言い争っているうちにマスコミに情報漏洩者の件が漏れてしまいました。たちまち大騒ぎになったけど国防委員長と法秩序委員長の主導権争いは収まりません。マスコミは二人の争いを仁義無き戦いと言って面白おかしくはやし立てました。
収拾の気配の見えない争いを収めたのはフェザーンから戻ってきたヴァレンシュタイン大尉です。会見を開きマスコミの前で情報漏洩者が居る可能性を指摘し第四艦隊司令部に警察へ知らせるようにと進言したのは自分だと明かしました。そして薄っすらと涙を浮かべたのです。
“こんな事になるとは思いませんでした。帝国と同盟は違います、自分は警察が軍に協力してくれると思っていたのです。第四艦隊司令部もそう考えたのだと思います。それなのに……、残念です”
はい、この会見で勝負ありました、警察の負けです。瞬間視聴率八十九パーセント、会見の直後から警察の通信回線はパンクしました。
“馬鹿やろー、ふざけんじゃねーぞ”
“お前らそれでも国を愛しているのか”
“税金返せ、この税金ドロボーが”
一時間後には法秩序委員長が記者会見を開いて次のように言っていました。
“決して軍の、ヴァレンシュタイン大尉の配慮を無にするような事はしない”
事実上の敗北宣言です。一説によると警察は反対したらしいのですが法秩序委員長は“俺が選挙で落選したらどうする、お前ら責任取れるのか”と怒鳴りつけたと言われています……。
軍の対応も早かったです。法秩序委員長の記者会見後、シトレ本部長がヴァレンシュタイン大尉を本部長室に呼び
「軍を代表して貴官の行動に感謝する、貴官の勇気ある行動が我々を窮地から、そして同盟を危機から救ってくれた」
そう言って大尉の肩を強く叩くと自分のほうに抱き寄せました。
トリューニヒト国防委員長も負けずと記者会見を行ないました。
「彼は亡命者かもしれないが優れた愛国者である。人は生まれではなく行動によって自己を主張する。その行動こそがその人を判断する基準なのだ。ヴァレンシュタイン大尉はそのことを我々に教えてくれた」
「私は彼が亡命者だからといって不利益を被るような事がないように注意するつもりだ。それは彼だけの問題ではない、全ての亡命者に言えることでもある。同盟は帝国とは違う、生まれや身分で人を差別する事はしない。たとえ帝国に生まれようと同盟を想う気持があるなら立派な同盟市民である」
御見事です、大尉。私はあの一件がバグダッシュ大尉とキャゼルヌ大佐に対する仕返しだと知っています。同盟を混乱の極地に突き落としておき、二進も三進も行かなくなってからウルトラCの大技で大逆転する。魔界の大魔王も裸足で逃げ出すほどの悪辣さです。貴方には誰も勝てません。
シトレ本部長を始め同盟軍の上層部は大尉の本当の姿を知っているけどそれでも大尉に感謝せざるを得ません。シトレ本部長が大尉の肩を強く叩いたのは半分くらい“コン畜生”という気持があったんだと思います。バグダッシュ大尉も“やってくれるよな”とぼやいていました。
毒食わば皿まで、軍上層部はそう考えたんだと思います。ヴァレンシュタイン大尉を情報部に出向という形で捜査に加えました。私もそれに同行しました。丁度その頃フェザーンのパーティに出席した事がマスコミに放送され周囲の視線が痛かったから。
マスコミは好意的に取ってくれました。
“ヴァレンシュタイン大尉、帝国に宣戦布告、その健在をアピール”
“たった一人の戦い、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン。その素顔”
そんな題名でマスコミは面白おかしく記事を書いていました。それによると大尉は外見は華奢だけれど内面は剛毅な悲劇の英雄で私は彼を公私にわたって献身的に支える健気な女性のようです。イメージって怖い。
体制が整うと捜査そのものは順調に進みました。情報漏洩者は国防委員会に居ました。当初、国防委員会が情報の漏洩源だと分かった時、捜査本部は緊張に包まれたのですが情報漏洩者は政治家でも軍人でもありませんでした。民間から採用されていた女性事務職員で、彼女には恋人が居たのだけれどその恋人が麻薬の密売組織と繋がっていたのです。
政治的な背景は無かったし彼女はスパイでもありませんでした。
「悪い事だとは思っていたけれど彼を失いたくなかった」
逮捕された直後の彼女の言葉です。彼女は既に三十歳を過ぎて独身でした。恋人を失いたくない、そんな思いを利用されたのです。
愚かだとは思うけれど彼女を軽蔑は出来ません。一会戦あたり最低でも二十万、多いときは百万単位で若い男性が戦死するのです。長い戦争で男性が女性に比べ圧倒的に少なくなっています。結婚できない女性が増え続けているんです。
政府の一部には重婚、一夫多妻制そのものを認めるべきだという意見すら出ていますが、女性を馬鹿にするようなものだと反対する意見も有ります。でも実際に現状をどうするかと問われればなかなか答える事が出来ません。今回の事件は現在の社会矛盾が生み出したものなのでしょう。ただ愚かだと言って済ます事は出来無いと思います……。
情報漏洩者は逮捕、麻薬の売人組織は主だったものを逮捕し組織は壊滅……。捜査が終わって後方勤務本部に戻るとヴァレンシュタイン大尉はヴァレンシュタイン少佐になっていました。事件解決のために大きな働きをしたということです。
どうやらトリューニヒト国防委員長の強い推薦が有ったらしいです。私は中尉のままだけど不満はありません、あまり大した事はしなかったし此処で昇進なんかしたら益々周囲の視線が痛くなります。
ヴァレンシュタイン少佐は私の隣で仕事をしています。にこやかな笑みを浮かべながらココアを飲んでいる。この根性悪のサディスト! 今回の事件は少佐の一人勝ちでした。フェザーンでは可哀想な人だと想ったけど、今回の一件で私の少佐に対する評価は最強、最凶、最悪に極悪非道、諸悪の根源を追加する事になりました。
「少佐、そろそろお時間です」
「分かりました、行きましょうか」
私と少佐はキャゼルヌ大佐の私室に呼ばれています。あまり良い予感はしません、あそこに呼ばれるときは必ず碌でもない事を命じられる時です。第四艦隊、フェザーン……。
部屋に入るとキャゼルヌ大佐に椅子に座るように促がされました。今日はヤン中佐は居ません。何となくほっとしました。ヴァレンシュタイン少佐とヤン中佐は何処と無く牽制し合うようなところが有って傍に居ると酷く疲れるんです。
「ヴァレンシュタイン少佐、ミハマ中尉、貴官達にはヴァンフリート4=2にある後方基地に行ってもらう」
その瞬間、ヴァレンシュタイン少佐の表情が強張りました。やはり少佐は前線に出るのを望んでいません。何時かは帝国に戻るためでしょう。
「最近、帝国軍がヴァンフリート星系の近辺に哨戒部隊を頻繁に出しているそうだ。後方基地を造って以来、我が軍の艦艇もヴァンフリート星系に頻繁に出入りしている。基地があるとは分かっていないだろうが我々がヴァンフリート星系を基点に何らかの軍事行動を起そうと考えている、帝国軍がそう思ったとしても不思議ではない」
少佐は何も言わずに黙ってキャゼルヌ大佐の言葉を聞いています。表情を強張らせたままです。
「基地司令官はシンクレア・セレブレッゼ中将だが、中将は後方支援は他者に劣るものではないが実戦の経験は殆ど無い。そこで戦闘になったときのために有能な作戦参謀が欲しいと言ってきた」
つまりその作戦参謀が少佐と私?
「基地には既に頼りになる防御指揮官達がいるのでは有りませんか?」
ヴァレンシュタイン少佐の問いかけにキャゼルヌ大佐は首を横に振りました。
「確かに居るが彼らは実戦経験の無いセレブレッゼ中将に必ずしも心服していない。中将自身がそれを感じている」
つまり中将を助け、防御指揮官達を命令に従わせるのが仕事? それを少佐に? ちょっと階級が低すぎない?
「小官は未だ少佐です。そのような調整役は難しいと思いますが?」
「貴官は同盟の英雄だ。防御指揮官達も貴官を無視できるとは思えんな」
少佐は黙って唇を噛み締めています。ややあってゆっくりと話し始めました。
「小官は身体が丈夫では有りません。戦闘ともなれば肉体的に無理をしなければならないときも有るでしょう。それが出来ない、返って周囲に迷惑をかけかねません、そう思ったから補給担当の士官になったのです」
ヴァレンシュタイン少佐の言うとおり、少佐は決して丈夫なほうではありません。月に一度ぐらいは体調不良で仕事を休んでいます。
「他に人が居ないのだ、少佐。後方支援の能力、そして作戦参謀としての能力、その両方を高いレベルで備えた士官となるとな……。セレブレッゼ中将はそういう人物を望んでいる。それにこれは打診ではない、決定だ。シトレ本部長が推薦しトリューニヒト国防委員長も賛成した。拒否は出来ない」
「……」
「少佐、貴官はこれを意趣返しだと思っているかもしれない。だがそれは誤解だ。確かにあの時我々は貴官に対して腹を立てた。だが怒っていたのは貴官も同様だろう、どれほどスパイではないと言っても我々は信じなかったのだからな」
キャゼルヌ大佐の話を少佐は黙って聞いています。
「普通の人間なら腹は立っても我慢して耐えるだけだろう。だが貴官には反撃するだけの力が有った……。そして最終的には我々を助けてくれた。確かに貴官は我々の敵ではない」
「……小官の実戦指揮能力などたいしたものでは有りませんよ」
「そんな事は無い、貴官はミハマ中尉と戦術シミュレーションをしているな。彼女の能力は決して低くない、だが貴官はその彼女をあっさりと破っている」
少佐が私をジロリと見ました。思わず身がすくむような視線でした。
「軍上層部は貴官の能力を高く評価している。そしてその能力を同盟のために積極的に遣うべきだと考えているのだ」
「……」
しばらくの間沈黙がありました。少佐は俯いて目を閉じています。眠っているのかと思えるほど静かだけど両手は何かに耐えるかのようにきつく握り締められています。
「小官が要求するものは全て用意してもらえますか?」
「全て?」
「物資、武器、人……、全てです」
キャゼルヌ大佐は頷くとゆっくりとした口調で少佐に答えました。
「分かった、約束しよう。必ず用意する」
「……ヴァンフリート4=2に行きます」
そう言うと少佐は立ち上がってキャゼルヌ大佐に敬礼しました。私も慌てて席を立ち敬礼します。私の敬礼が終わる前に少佐は身を翻して部屋を出ようとしていました。
宇宙暦 794年 1月30日 ハイネセン 後方勤務本部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
本気か? 本気でヴァンフリート4=2に行くのか? 行けばラインハルトと戦う事になる、それでも行くのか? 未来の銀河帝国皇帝と戦う? 正気じゃないな……。あの男に勝てるとでも思っているのか? うぬぼれるな、お前などあの黄金獅子の前では無力なウサギのようなものだ……。
行くしかないだろう……。どれほど望まなくとも命令とあれば行かざるをえない。まして命令は必ずしも理不尽なものではない。キャゼルヌ大佐はこちらの要求を全て受け入れると言っている。
ヴァンフリート4=2か……。基地にはヘルマン・フォン・リューネブルク、ラインハルト・フォン・ミューゼル、ジークフリード・キルヒアイスが攻めてくる。彼らと戦う……。
原作どおりに行くのなら俺は戦死か捕虜だろう。捕虜と言っても亡命者だ、帝国にとっては裏切り者、となれば嬲り殺しだな。そしてサアヤも捕虜になる。若い女性の捕虜では待っている未来は決して明るくない、悲惨なものだろう……。
殺されるのか? それで良いのか? 俺が死ねばどうなる? カストロプは喜ぶだろう、そして多くの帝国人は裏切り者が死んだと喜ぶに違いない。悲しんでくれるのはミュラーを含むほんの数人だろう……。
シトレやトリューニヒトは表面上は悲しむだろうが、俺の死を利用する事を考えるだろう。生きている英雄よりも死んだ英雄のほうが従順で利用し易いというわけだ、クソッタレが……。
……死ねないな、連中を喜ばせるような事など絶対に出来ない。俺は勝つ、絶対に勝つ。ラインハルトは戦争の天才かもしれないが今は未だ准将だ。二百隻ほどの小艦隊を率いる指揮官に過ぎない。それに必ずしも上から信頼されているわけでもない。やり方次第では勝てるはずだ。
もしかすると歴史を変える事になるかもしれない。だがそれがどうしたというのだ? 皇帝は宇宙に一人しか居ない、楽に皇帝になれるはずがないのだ。ラインハルトも分かっているだろう。俺に踏み潰されるならラインハルトもそれまでの男という事だ。皇帝になるなど痴人の戯言だ……。
戻れなくなるな、多分俺は帝国に戻れなくなる。ミュラー、フェルナー、キスリング、済まない。どうやらお前達の努力は無駄になりそうだ。だが、それでも俺は死ねないんだ、生きなければならないんだ。だから、戦場で出会ったら俺を殺すことを躊躇うんじゃない、俺も躊躇わない、これからは本当に敵になるんだ……。
宇宙暦 794年 1月30日 ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ
キャゼルヌ大佐の私室から自分のデスクに戻るとヴァレンシュタイン少佐は両手を組み、額を押し付け目を閉じました。まるで祈りを捧げるかの様な姿です。もしかすると本当に祈っているのかもしれません。帝国と戦わざるを得なくなった自分の運命を呪っているのかもしれない。
まさかこんなところであのシミュレーションの結果が利用されるとは思いませんでした。多分少佐は私のことを怒っているに違いありません。祈り続ける少佐を私は見ていられません、自然と項垂れていました。
どのくらい経ったでしょう、少佐の声が聞こえました。
「ミハマ中尉、これから言うものをリストアップしてください。そしてキャゼルヌ大佐に届けるんです。ヴァレンシュタインが要求しているといって……」
顔を上げると少佐が私を見ています。顔面は蒼白、でもその顔には笑顔が有りました。いつもの穏やかな笑顔じゃありません、痛々しい泣き出しそうな笑顔です。見ていられない、顔を伏せ、小声で答えるのが精一杯です。
「はい……」
少佐が必要なものを言い始めました。無機的な口調で膨大な量の兵器、物資、人間の名前を言い始めます。少佐は本気で戦おうとしています。戦争が始まるのだと改めて実感しました……。
第九話 獅子搏兎
宇宙暦 794年 2月 1日 ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ
キャゼルヌ大佐の私室の雰囲気は非常に気まずいものでした。私の目の前で大佐が苦虫を潰したような表情をしています。そして時々私を親の仇を見るような眼で見るのです。大佐、私が悪いんじゃ有りません。悪いのはヴァレンシュタイン少佐です。そして少佐をヴァンフリート4=2へ放り込もうとしている大佐達です。
「ヴァレンシュタイン少佐はこれが必要だというのだな」
「はい」
キャゼルヌ大佐がリストを睨んでいます。その気持はとっても分かる。少佐が要求した兵器、物資の一覧は膨大なものだから。もう直ぐ年度末だから在庫整理でもやるんじゃないかと思えるくらいです。
「……分かった、約束だからな、用意しよう」
「有難うございます、それと……」
「何だ、未だ有るのか」
「はい、これらの部隊をヴァンフリート4=2へ」
部隊の記されたリストを大佐に恐る恐る差し出すと大佐は睨むような眼でリストを見ながら受け取りました。
「……第三十一戦略爆撃航空団、第三十三戦略爆撃航空団、第五十二制空戦闘航空団、第十八攻撃航空団……。ヴァンフリート4=2で何をやるつもりだ? 正気なのか? いや、正気なのだろうな……。分かった、用意しよう」
御願いです、溜息交じりに答えないでください。なんか凄い罪悪感です。でも未だ有るんです、大佐……。
「それと、これらの人をヴァンフリート4=2へ」
「……分かった」
大佐は私が差し出したリストを見ることも無くOKしました。諦めたみたい……。
「それから……」
「未だ有るのか……」
御願いだから溜息を吐かないでください、大佐。それと恨めしそうに私を見るのも駄目です。私はただの御使いです。
「ヤン中佐を第五艦隊の作戦参謀に……」
「……第五艦隊? 今回の出撃に加えろというのだな?」
「はい」
大佐が私を睨んでいます。針の筵ってこういうのを言うんだ、納得。
「……後でヤンをそっちに行かせる。奴は怠け者だからな、仕事をさせたかったら自分で説得しろと少佐に言え。第五艦隊への転属は承知した、他には」
「もう有りません……。有難うございました、失礼します」
私は急いで部屋を出ました。大佐、私が悪いんじゃありません、何度も言いますが悪いのはヴァレンシュタイン少佐です。
少佐の元に戻ると少佐はヴァンフリート星系の星系図、ヴァンフリート4=2の地図、そして基地の設計図を見ていました。時折コンピュータで何かを確認しています。そして私の方を見ることも無く問いかけて来ました。
「キャゼルヌ大佐は何と?」
「少佐の要求は全て受け入れてくれるそうです。但し、ヤン中佐に事情を説明して欲しいと言っています」
少佐は黙って頷きました。私、嘘は吐いていません。
「ミハマ中尉、情報部のバグダッシュ少佐に連絡を取ってください。そして帝国軍の遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストを要求してください」
「将官以上ですか?」
各艦隊の司令官というなら分かります、でも将官以上? そんな思いがつい口に出ました。少佐が私を見ました、冷たい眼です。すみません、私、間違ってました。でも謝る前に冷たい声が聞こえました。
「将官以上です」
「はい……」
身が竦みました。ヴァンフリート4=2に行くと決めて以来ヴァレンシュタイン少佐の表情は変わりました。それまではいつもにこやかに笑みを浮かべていたのに、昨日から少佐の顔には笑みが有りません。そして目は凍てつくように冷たい……。
雰囲気も変りました。これまでの穏やかで暖かい雰囲気は有りません。何処か周囲を拒絶するかのような厳しい雰囲気を身にまとっています。以前の少佐が陽だまりなら今はブリザードです。補給担当部の人間は少佐の変貌に皆驚いているけど、ヴァンフリート4=2に行くのだと知って皆納得しています。戦場に赴くので緊張しているのだろうと……。
そうじゃないんです。少佐は本当は帝国と戦いたくなかったんです。いつか帝国に戻るために戦いたくなかった。それが戦う事になってしまった……。多分心を殺しているんだと思う。そうでなければ戦う事など出来ないから。
少佐が心を殺したから私の知っている少佐も死んでしまった……。いつも穏やかで優しい微笑を浮かべていた少佐、意地悪でサディストでどうしようもない根性悪だけど、それでも今の少佐よりずっと、ずっと良い、ずっと人間らしかった……。もう会えないのだろうか……。
バグダッシュ少佐は昨年のスパイ騒動の解決で大尉から少佐に昇進しました。もっとも少佐への昇進はスムーズに決まったわけではありません。例のスパイ騒動がバグダッシュ少佐とキャゼルヌ大佐への仕返しだという事が問題視されたのです。
昇進はしたが他の人よりも三日遅れの昇進でした。バグダッシュ少佐は“まあ昇進できたんだからな、それでよしとしよう”と言っていたけどそんな単純な問題じゃありません。
この後も三日遅れの昇進というのは付いて回るし、その度に情報漏洩事件の事が蒸し返されるでしょう。他の人との出世競争では一歩とは言えなくても半歩くらいは不利になります。
少佐に連絡を取るとすぐにTV電話のスクリーンに少佐が現れました。以前は情報部に連絡を取ることなど出来なかったけど、例の事件で情報部に出向という形を取っています。私が情報部に連絡を取っても誰も不審には思わないし私の素性がばれる事もありません。
「バグダッシュ少佐、お久しぶりです」
『ミハマ中尉か、久しぶりだ。元気かな』
「はい、おかげさまで」
嘘です、昨日も連絡を取りました。バグダッシュ少佐は私達がヴァンフリート4=2に行く事を知っています。ヴァレンシュタイン少佐が怒っている事もです。
『それで、何の用かな、中尉』
「実は今回、私とヴァレンシュタイン少佐はヴァンフリート4=2に行く事になりました」
『そうか、大変だな』
「それでヴァレンシュタイン少佐が帝国軍の遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストを頂きたいと……」
『将官以上? 正気か? どれだけ手間がかかると思っている』
お願いです、そんな呆れたような声を出さないでください。困った事にバグダッシュ少佐からはヴァレンシュタイン少佐が見えません、私は身を竦めました。
「ミハマ中尉、通信を切りなさい」
ブリザードが吹雪きました。スクリーンに映るバグダッシュ少佐の顔が驚愕に歪みます。
『彼が其処に居るのか?』
小さな声でした。私も小さな声で答えました。
「はい……」
「私も中尉も戦場に行くんです、少しでも生き残る可能性を高くしておきたい。しかしハイネセンで陰謀ごっこをしている人達にはそのあたりが理解できないようです。話すだけ無駄です、切りなさい」
ヴァレンシュタイン少佐の声だけが部屋に響きます。嘲笑も揶揄も有りません、その声には切り捨てるような冷たさだけが有りました。周囲の人間も皆、顔を伏せています。誰も私達のほうを見ようとはしません。どこかでTV電話の呼び出し音が鳴りました。でも誰も出ようとしません。補給担当部はヴァレンシュタイン少佐の前に凍りついています。
『待て、ヴァレンシュタイン少佐』
「話はヴァンフリート4=2から戻ってから聞きます。生きていればですけどね」
声に冷笑が有りました。その事が更に私の身を竦ませます。
『よ、用意しよう、貴官がハイネセンを発つ前に必ず届ける、必ずだ』
「二週間です。それ以上は待てません。よろしく御願いします」
『分かった』
バグダッシュ少佐は逃げるように通信を切りました。ずるいです、少佐。私も逃げたい……。少佐はヴァンフリート4=2の地図、そして基地の設計図を見ています。そして時折溜息を吐く。私への指示はヴァンフリート4=2への輸送計画の作成でした。
こんな膨大な量の物資の輸送計画なんて私には無理! そう思ったけど口答えは出来ません。途方に暮れながら過去の輸送計画を参考に仕事を始めました。ヤン中佐が補給担当部に来たのは二時間程経って頃です。もっと早く来てください、中佐。今の少佐と仕事をするのは辛いんです。
ヤン中佐が部屋に入ってくるとヴァレンシュタイン少佐は中佐を会議室へ案内しました。私も会議室に呼ばれたけど正直勘弁して欲しいです。ヤン中佐とヴァレンシュタイン少佐は必ずしも上手くいっていません。どちらかと言えばヤン中佐がヴァレンシュタイン少佐を危険視している感じがあるんだけど、どうにも二人の間の空気は微妙です。今日もまたその間で居たたまれない思いをするのかと思うと……。
会議室の中は何時にも増して空気が重かったです。ヤン中佐は何処と無く不機嫌そうに、そしてヴァレンシュタイン少佐は無表情に席に座っています。
「私を第五艦隊の作戦参謀に推薦したそうだね、ヴァレンシュタイン少佐」
「ええ」
「一体どういうことかな、何を考えている?」
「勝つ事を考えています」
「勝つ事?」
ヴァレンシュタイン少佐はヤン中佐の問いかけに無言で頷きました。
「ヤン中佐、今回の戦いにおける同盟軍の目的はなんだと思います?」
「……ヴァンフリート4=2の基地の防衛、かな」
「そうですね、此処で基地を防衛し次のイゼルローン要塞攻防戦に利用する、そんなところでしょう」
ヤン中佐が頷きます。
「では帝国軍の目的は?」
「当然だが基地の破壊、或いは無害化だろうね」
「基地の存在を知っていればそうなります。しかし帝国が基地の存在を知っているという確証はありません。もし彼らが基地の存在を知らなければ……」
「同盟軍の撃破か……」
今度はヴァレンシュタイン少佐が頷きました。二人ともニコリともしません。親密さなんて欠片も感じさせないけどお互いに相手の力量に関しては認めている、そんな感じです。
「問題は帝国軍が戦闘の最中にヴァンフリート4=2の基地に気付いた場合です。帝国軍は今回の戦闘の目的を同盟軍の撃破から基地の破壊に切り替えるでしょう、そうは思いませんか?」
「……なるほど、それで?」
「その場合問題になるのは同盟軍が帝国軍の行動に適切に対応できるかです。基地防衛を忘れて敵艦隊の撃破を優先しないか……。そうなればヴァンフリート4=2の基地は危機的な状況になります」
「確かにそうだな……」
会議室に静寂が落ちました。ヤン中佐は少し俯き加減に考え込んでいます。そしてヴァレンシュタイン少佐はそんなヤン中佐を黙って見ていました。
「貴官の危惧は理解した。私を第五艦隊に送ったのは、第五艦隊は作戦目的を間違うな、間違いそうになった時は止めろ、そう言う事と理解して良いか……」
「はい」
「何故私の送り先が第五艦隊なのかな、総司令部でも良いはずだが?」
「中佐は必ずしも総司令部の受けが良いとも思えません、ビュコック提督なら中佐の意見を受け入れてくれるでしょう」
「……」
ヴァレンシュタイン少佐の言葉にヤン中佐が苦笑しました。総司令部の受けが悪い、どう見ても褒め言葉じゃないけどヤン中佐は苦笑で済ませ、ヴァレンシュタイン少佐は平然としています。
「それにヴァンフリート星系は必ずしも戦い易い場所ではありません。戦闘は混戦になる可能性があります。混戦になれば総司令部は全軍の統制が取れなくなる。そうなれば各艦隊は独自の判断で動かざるを得ません。つまり、階級ではなく実力が物を言う事になる」
ヤン中佐は沈黙しています。そしてヴァレンシュタイン少佐をじっと見詰めている。少佐もその視線を正面から受け止めている。やがてヴァレンシュタイン少佐が話し始めました。
「ヤン中佐、私は亡命者です。亡命者は捕虜になる事は出来ません。帝国にとって亡命者は裏切り者なんです。捕まれば嬲り殺しにされるでしょう。私だけじゃありません。そこに居るミハマ中尉も悲惨な事になります」
ヤン中佐とヴァレンシュタイン少佐の視線が私に向けられました。私? それは捕虜にはなりたくないけど……。
「帝国には捕虜収容所などというものは有りません。あるのは矯正区ですが殆ど捕虜を野放しです。規律も規制も無い、そんなところに若い女性を送ればどうなるか……。或いはどこかの貴族が彼女を慰み者にするかもしれない。飽きれば何処かに売られるでしょうね」
「売られる?」
思わず問い返した私にヴァレンシュタイン少佐が頷きました。
「帝国には同盟に家族を殺された人間が腐るほど居るんです。彼らが貴女を買った後どうするか……」
急に怖くなりました。ヴァレンシュタイン少佐は哀れむような目で私を見ています。そしてヤン中佐は私とは視線を合わせようとはしません。見かねたのでしょうか、ヴァレンシュタイン少佐が言葉をかけてきました。
「勝てば問題はありません。勝てば……」
そう言って少佐はヤン中佐を見ました。私もつられてヤン中佐に視線を向けます。縋るよう視線だったかもしれません。ヤン中佐がほっと溜息を吐きました。
「貴官を敵にはしたくないな、ヴァレンシュタイン少佐」
「私は敵じゃありません。前から言っています」
「そうだね……。貴官の考えは理解した、出来る限りの事はしよう」
「御願いします」
ヤン中佐が会議室を出て行きました。二人とも握手も敬礼もしません。ヤン中佐は複雑な表情で部屋を出て行き、ヴァレンシュタイン少佐は無表情に中佐を見送りました。
“貴官を敵にはしたくないな”、ヤン中佐の言葉が耳に蘇りました。私もそう思います、ヴァレンシュタイン少佐を敵に回したくは無い……。ヴァンフリート4=2に行く事が決まったのは昨日でした。
それなのに少佐は僅か二日で戦争の展開をシミュレートしています。かなり精密に予測しているのは間違いないでしょう。そうでもなければこれだけの手を打てるわけがありません。おそらく宇宙艦隊の総司令部でも少佐ほどヴァンフリートで起きる戦闘をシミュレートしている参謀は居ないと思います。
物資、武器、部隊……。それらの手配をすると共にヤン中佐を第五艦隊に配属しました。そして帝国軍の将官リスト……。ヴァレンシュタイン少佐はどんな些細な事にも手を抜かずに勝とうとしています。
獅子搏兎、そんな言葉が脳裏に浮かびました。獅子は兎のような弱い動物を捕まえるのにも全力を尽くす、そんな意味だったと思います。帝国軍が弱いとは思いません、でも例え帝国軍が弱くても少佐は勝つために全力を尽くすでしょう。少佐の本当の姿を見たような気がしました……。
第十話 思惑
宇宙暦 794年 2月 4日 ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ
ヴァンフリート4=2への輸送計画が完成しました。周囲の人に聞きながらようやく完成した輸送計画です。ヴァレンシュタイン少佐に見せると一読した後、キャゼルヌ大佐に見せるようにと言われました。大佐は席に居ません、私室に居ます。はっきり言います、あの部屋には行きたくない……。
でも私の隣には絶対零度の大魔王が居ます。言う事をきかないと瞬時にしてブリザードが……。ブリザードが発生すれば私だけでなく周囲も凍りつくでしょう。周りに迷惑をかける前に大佐の私室に向かいました。
「大佐、ヴァンフリート4=2への輸送計画が完成しました。確認を御願いします」
私の御願いに大佐は黙って手を差し出し計画書を受け取りました。そして輸送計画書を見て少しだけ考え込みます。
「中尉、ヴァレンシュタイン少佐はこの計画書を見ているのか?」
「はい、大佐にお見せするようにと」
「……」
なんか嫌な感じ……。
「あの、何かおかしいのでしょうか?」
「いや、そうじゃない……。もっと輸送計画を複雑に、分かり難くするかと思ったのでね」
すみません、どうせ私は単純です。口には出せないので心の中で毒づきました。
「少佐は急いでいるようだな、戦争が始まるのは間近だと見ているようだ」
「……」
「厳しい戦いになるかもしれん……。中尉、必ず戻って来いよ」
「……はい」
思わず身が引き締まりました。私が経験した戦争はアルレスハイムの会戦のみ……、あれは戦いと言えるようなものじゃありません。一方的にサイオキシン麻薬で混乱する敵を叩きのめしただけ。ヴァンフリートではそうはならない事は少佐の様子を見れば想像はつきます……。生きて戻れるかどうか……。
私達が出立するのは二月十五日です。後残り十一日……。
宇宙暦 794年 2月 6日 ハイネセン 統合作戦本部 アレックス・キャゼルヌ
「随分参っているようだな、キャゼルヌ」
「色んな所から責められています。あんなに物資を使ってどうするつもりだ、どうして貴官が部隊移動に口を出すのだと。実際閉店間際の在庫処分みたいなものですよ」
俺の言葉にシトレ本部長は軽く苦笑した。この狸親父、誰の所為で俺が苦労していると思っている……。
今回、ヴァレンシュタインの要求は最優先で叶えられている。一少佐の要求が最優先で叶えられる事など本来ありえない。その有り得ない事が起きている理由は全てを本部長命令として行なっているからだ。俺はその命令の伝達者だと周囲からは思われている。
「本部長には文句が言えませんからね、皆私に言うんです」
「そうか、御苦労だな、大佐」
今度は声を上げてシトレ本部長が笑った。全く気楽なもんだ。よく見ると本部長につられて笑っている人間が二人居る。
「楽しそうだな、ヤン、バグダッシュ少佐」
俺の言葉に二人がバツが悪そうに笑いを収めた。
「まあ、出来る部下を持つと色々と大変ですな、大佐」
バグダッシュ少佐が堪えられないというように笑い声を上げた。ヤンは笑いを噛み殺している。
こっちは笑い事じゃない、ヴァレンシュタインはヴァンフリートのセレブレッゼ中将に飛行場を造るように要請した。基地から離れた場所で数箇所造れと……。要請とは言っても俺はシトレ本部長の名を使っているのだ、事実上命令と言って良い。今頃セレブレッゼ中将は必死で飛行場を造っているだろう。
「バグダッシュ少佐、そっちはどうなんだ。遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストを要求されたのだろう?」
「うちは防諜課ですからね。その件については調査課に頼んであります」
暢気な声だ。表情にも緊張感は欠片もない、思わず皮肉が出た。
「大丈夫か? 信用できるのか、調査課は。連中、ヴァレンシュタインに良い感情は持っていないだろう」
「確かに良い感情は持っていません。しかし彼の実力は分かっている」
「……」
「情報と言うのはそれを扱う人間によってダイヤモンドにもなれば石ころにもなる。彼は帝国人です。我々などより遥かに帝国軍人に関しては詳しい。彼がその情報を今回の戦いの中でどう使うのか、皆それを知りたがっているんです。問題は有りません」
自信有りげなバグダッシュ少佐の声だった。シトレ本部長が満足そうに頷く。視線をヤンのほうに向けた。
「ヤン中佐、ヴァレンシュタインは今回の戦いがどうなると考えているか、分かるかね?」
シトレ本部長の問いかけにヤンは頭を掻きながら答えた。
「ヴァンフリート4=2へ送られた物資を見ると彼はヴァンフリート4=2で地上戦が発生すると見ているように思えます。しかし私と話した時、彼は帝国軍が基地の存在を知らない可能性が有る、その可能性が高いと見ていました」
「……矛盾するな、それは」
シトレ本部長の言葉に皆が頷いた。確かにそうだ、基地を知らなければヴァンフリート4=2で地上戦など発生しない……。皆の視線がヤンに集中した。それを受けてヤンが口を開いた。
「基地の存在を知らなければ帝国軍は同盟軍の撃破を目的とします。当然艦隊決戦が生じますが、少佐は混戦になり決着は着かないだろうと見ています。そしてその混戦の中で基地が帝国軍に発見されるのではないかと考えている……」
「なるほど……、基地が発見されれば当然だが攻略しようとするか……」
「問題はその時です、同盟軍は基地を守れるか、守ろうとするか、少佐はそれを危ぶんでいるように見えました」
シトレ本部長が考え込んでいる。それなりに思うところが有るのだろう。しかし、どうも俺にはよく分からない。
「総司令部が基地を守れと言えば済む話じゃないのか?」
俺の問いかけにヤンが首を振った。
「そう簡単には行かないと少佐は見ています。おそらく敵味方の艦隊が混じり合い統制など取れなくなると見ている、そうなれば基地は孤立する可能性が高い……」
部屋に沈黙が落ちた。
「……それで中佐を第五艦隊にという事ですか」
「そういうことだね、バグダッシュ少佐。基地を守る事を優先するようにということだ。だがそれだけではないかもしれない……」
「?」
皆が疑問の視線をヤンに向けた。
「もしかすると彼は別な事を考えているかもしれません」
「別な事とは」
シトレ本部長の問いかけに一瞬、ヤンは躊躇いを見せた。
「……例えばですが、基地を囮にしてヴァンフリート4=2で艦隊決戦を演出する……」
「!」
「混戦になり敵味方共が混乱している時、そんな時にヴァンフリート4=2に基地が有ると分かれば帝国軍は必ずヴァンフリート4=2に来ます。それを積極的に利用して同盟軍をヴァンフリート4=2に誘引する……」
「馬鹿な、基地を危険に晒すというのか?」
思わず声が震えた、だがヤンは動じていない、冷静な口調で話を続けた。
「危険ではありますが、宇宙艦隊の支援を受けられます。孤立するよりは良い……。彼が恐れているのは孤立して基地単独で帝国軍と戦う事でしょう」
「……」
部屋に沈黙が落ちた。皆が考え込んでいる。ヤンの考えが正しいとすればヴァレンシュタインは基地防衛だけではなく、ヴァンフリートの会戦そのものを自らコントロールしようとしている。
クスクスと笑い声が聞こえた。シトレ本部長が楽しそうに笑っている。
「楽しくなってきたな。ヴァレンシュタイン少佐がヴァンフリートの会戦を演出するか……。もしそうなら我々は益々彼を手放す事は出来ない、帝国に返すなどもっての外だ。そうだろう、バグダッシュ少佐」
「その通りです、本部長」
帝国に返す? どういうことだ? シトレ本部長とバグダッシュ少佐は笑みを浮かべている、ヤンは訝しげな表情だ。
「それはどういう意味です、本部長?」
俺の問いかけに本部長はニヤニヤと笑みを浮かべるだけで答えない。答えたのはバグダッシュ少佐だった。
「その通りの言葉ですよ、大佐。ヴァレンシュタイン少佐は帝国に帰りたがっている。そして帝国では彼を帰還させようと動いている人間が居るんです」
「……始めて聞く話だな、バグダッシュ少佐」
俺の皮肉にもバグダッシュ少佐は肩を竦めただけだった。可愛げのない奴だ。
「昨年のフェザーン出張、あの時ヴァレンシュタイン少佐は帝国高等弁務官主催のパーティに出ていますが、それで分かりました」
「ヴァレンシュタイン少佐は帝国と接触したのですか? バグダッシュ少佐」
訝しげに問いかけたのはヤンだ。スパイではないと思っていたのだろう。俺も同感だ、奴は本当はスパイなのか?
「いえ、接触したのはミハマ中尉です。彼女にナイトハルト・ミュラー中尉という帝国軍人が接触してきました。彼はヴァレンシュタイン少佐とは士官学校の同期生で親友だと説明し、ミハマ中尉にこう言ったそうです」
「……」
「“私は彼を守れなかった。だからあいつは亡命した、私に迷惑はかけられないといって”……そしてこうも言ったそうです。“アントンとギュンターが例の件を調べている。必ずお前を帝国に戻してやる”」
ヴァレンシュタインは亡命者だった。だが帝国に戻るという希望を持った亡命者だったということだろうか。ヤンが深刻な表情をしている。ヤンはヴァレンシュタインを危ぶんでいた。
亡命者らしくない、用兵家としての能力があるにもかかわらず、それを隠そうとする。そのくせ全てを見通しているかのような動きをする……。余りにもちぐはぐで何を考えているのかが分からない……。もしそれが帝国に戻るという希望を持った所為だとしたら……。
「我々はミュラー中尉を調べ、彼の言葉に有ったアントンとギュンターという人物に注目しました」
「分かったのか、彼らが何者か」
俺の問いかけにバグダッシュ少佐が頷いた。
「ミュラー中尉はヴァレンシュタイン少佐と士官学校で同期生です。となるとアントンとギュンターの二人も同期生の可能性が強い。浮かび上がったのは、アントン・フェルナー、ギュンター・キスリングの二人です」
「ギュンター・キスリングは憲兵隊に居ます。問題はアントン・フェルナーです。彼はブラウンシュバイク公に仕え、その側近として周囲から認められつつある」
「ブラウンシュバイク公……」
俺とヤンが同時に呟き、バグダッシュ少佐が“そう、ブラウンシュバイク公です”と言って頷いた。
ブラウンシュバイク公、オットー・フォン・ブラウンシュバイク、現皇帝フリードリヒ四世の娘と結婚し女婿として大きな影響力を持っている。フリードリヒ四世は後継者を決めていない、ブラウンシュバイク公の娘、エリザベートは皇帝の孫、次期皇帝の有力候補だ。
「ブラウンシュバイク公の影響力を持ってすれば、ヴァレンシュタイン少佐を呼び戻す事など簡単な筈です。ところが未だ少佐は同盟に居る……」
「おかしな話だな、他の誰かと間違っているんじゃないか?」
俺の言葉にバグダッシュ少佐は頷かなかった。首を横に振って話を続けた。
「此処で気になるのはミュラー中尉が言った“例の件を調べている”です」
「例の件……」
「調べがつかないのか、或いはブラウンシュバイク公も手出しできない程の大きな問題なのか……。少佐が戻れない事、そして亡命した真の原因は遺産相続などではない、その“例の件”が抱える秘密が原因なのではないか、情報部ではそう考えています……」
「馬鹿な、ブラウンシュバイク公も手出しできないだと? 亡命した時、彼は兵站統括部の一中尉だった。その“例の件”にどんな秘密が有るというのだ」
俺の言葉にバグダッシュ少佐は落ち着けと言う様に手を前に出した。
「キャゼルヌ大佐、ヴァレンシュタイン少佐は僅か一週間で同盟の極秘事項であるヴァンフリート4=2に気付いているんです。帝国でも何かに気付いた、そしてそれを快く思わない人物が居た……。有り得ない話ではありません」
「……」
重苦しい沈黙が部屋に落ちた。確かに有り得ない話ではない。兵站統括部で何かに気付いた、汚職か、あるいは横領か……。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、お前は一体何に気付いた? どんな秘密を抱えている?
「……まあそのくらいにしておけ」
シトレ本部長の低い声が沈黙を破った。ヤンは何処かでほっとしたような表情をしている。おそらくは俺も同様だろう。バグダッシュ少佐が首を一つ振って話し始めた。
「問題は彼が五年後、十年後に帝国に戻った時です、何が起きるか……」
「……同盟の事情に詳しい人間が帝国に戻るか」
「それだけではありません、彼は自分の帰還に尽力したブラウンシュバイク公の傍に戻る事になる。公の娘、エリザベートが女帝になれば彼は帝国の軍事活動に大きな影響力を持つ事になるでしょう。恐ろしくはありませんか? 大佐」
「……」
「彼は帝国には戻せない。彼が戻ろうとするなら殺さざるをえん……」
シトレ本部長が重い口調で呟いた。バグダッシュ少佐も無表情に頷く。
「だが殺すには惜しい人物だ。味方にしてこそ意味があるだろう。彼には帝国と戦ってもらう、補給担当将校ではなく用兵家としてだ。本当の意味で同盟人になってもらわなければならん……」
なるほど、そういうわけか……。シトレ本部長、そしてバグダッシュ少佐が何を考えているのかが分かった。彼を帝国と戦わせる、大きな功績を挙げれば帝国も彼を敵だと認識するだろう。彼は帝国に帰り辛くなる、そして帝国は彼を戻し辛くなる……。
そしてヴァレンシュタインはそれを理解している。だからあんなにも変わってしまった。彼の心を占めているのは絶望だろう……。
「ヴァレンシュタインが変わったのは、それが原因ですか……。帝国と戦う、帝国に帰れなくなる、だから……」
「……」
皆沈黙している。シトレ本部長、バグダッシュ少佐、そしてヤン……。皆無表情に沈黙している。
「哀れな……」
ヤンが首を振って呟いた。
「惨い事をしているとは理解している。しかし、彼がこの国で生きていくにはその道しかないのだ。彼はそれを理解しなければならん……。彼は我々を憎むだろう、嫌悪するかもしれん。だが、この先私は常に彼をバックアップしていくつもりだ、彼を孤立させるような事はしない。貴官らも覚えておいてくれ」
シトレ本部長の言葉に皆が頷いた。ヴァレンシュタイン、辛いだろうな、苦しいだろう。だが少なくとも此処に居る四人は貴官の味方だ。貴官はそう思わんかもしれん、しかし俺はそう思っている。
話を変えたほうが良いな……。
「しかし、フェザーンでそんな事が有ったとは……。ミハマ中尉が諜報活動を行うとは驚いたよ」
「彼女は報告しませんでしたよ、大佐」
バグダッシュ少佐の答えに俺は思わず少佐の顔を見た。ヤンも驚いて少佐を見ている。そしてバグダッシュ少佐はおかしそうに笑みを浮かべている。バグダッシュ少佐、今なんと言った? 報告しなかった? 彼女は監視役だぞ、何を言っているのか分かっているのか?
第十一話 トラブルメーカー達
宇宙暦 794年 3月10日 ヴァンフリート4=2 ミハマ・サアヤ
ヴァンフリート星系はイゼルローン回廊の同盟側に位置する恒星系です。八個の大惑星、三百余りの小惑星、二十六個の衛星が有るけど無人のまま放置されています。一つには酸素と水に恵まれない所為だけど、帝国との境界に近いため何時侵攻を受けるか分からないという危険性があったから。そんな危険性を無視してまで開発するような魅力はヴァンフリート星系にはありません。
恒星ヴァンフリート、つまり太陽の事だけど、この恒星ヴァンフリートも非常に不安定でそれもヴァンフリート星系が放置された一因だと言われています。それにしても人類は未だに恒星のことを太陽と呼ぶ。太陽なんてもう関係ないのに。
帝国と同盟が戦争を始めて百五十年になりますがヴァンフリート星系が戦場になった事は一度も有りません。そのくらい何の価値も無い星系です。つまりどうしようもない僻地だったという事、ついこの間まではそうでした。
このヴァンフリート星系に基地が作られたのはイゼルローン要塞攻略戦のため以外の何物でもありません。ヴァンフリートはイゼルローン要塞から極めて近い、此処に基地を造りイゼルローン要塞攻略戦の後方支援基地にする。それが同盟軍の狙いです。
基地はヴァンフリート4=2の南半球側にあります。ヴァンフリートのように無人の恒星系では惑星や衛星には名前が付けられない事が多々あります。ヴァンフリート4=2とはヴァンフリート星系の第四惑星に所属する第二衛星の事です。
直径2、260キロ、氷と硫黄酸化物と火山性岩石におおわれた不毛な衛星で重力は0.25G、離着陸時の負担は比較的少ない。大気は微量で窒素が主成分。自由惑星同盟が基地を作り、私達が守るためにやって来たのはそんなところでした。
「申告します、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン少佐です。この度セレブレッゼ中将の指揮下に入るように命じられました」
「ミハマ・サアヤ中尉です。同じくセレブレッゼ中将の指揮下に入るように命じられました」
「情報部から来ましたバグダッシュ少佐です。ヴァレンシュタイン少佐の手伝いをするようにと言われています」
「うむ、三人ともよく来てくれた。よろしく頼む」
セレブレッゼ中将が嬉しそうな口調で私達を労りました。もっとも中将は幾分訝しげにバグダッシュ少佐を見ています。何でこんなところに情報部が、そんな気持ちが有るのかもしれません。
セレブレッゼ中将は四〇代後半の男性です。実戦指揮よりも後方勤務の経験の長い軍官僚で基地運営部長としてヴァンフリート4=2の基地を建設、建設後は基地司令官として赴任しています。
今回の戦いで基地を守り、次に行なわれるであろうイゼルローン要塞攻略戦を大過なく努めればハイネセンに戻って後方勤務本部の次長になるだろうと言われているそうです。
中将にとってはこの防衛戦は今後の未来を決めるものです。当然勝ちたい、そう思っているのでしょうが困った事は中将には実戦経験がほとんどありません。中将の周囲もその事で中将に不安を持っています。
中将も当然それを理解しています。そして中将はそれを見返したい、それを可能としてくれる有能な参謀が傍に欲しいと思ったのだそうです。特に中将が望んだのは後方勤務出身の参謀でした。
統合作戦本部、宇宙艦隊出身のエリート参謀では自分を馬鹿にするかもしれません。それでは意味は無い、自分を親身に補佐してくれるのは後方勤務出身の参謀……。中将は軍上層部に後方勤務出身の参謀の派遣を要請しました。そしてヴァレンシュタイン少佐と私が選ばれたそうです。バグダッシュ少佐が教えてくれました。
セレブレッゼ中将が表情を一変させ心配そうな表情で尋ねてきました。
「状況は聞いているかね、ヴァレンシュタイン少佐」
「はっ、今月に入って帝国軍はイゼルローン要塞に集結中と聞いています。近日中にヴァンフリート星系に押し寄せるものかと想定されます」
少佐の言葉にセレブレッゼ中将の顔がますます曇りました。
「目的はこの基地の破壊か……」
「その確証は有りません。或いは帝国軍は基地の存在を知らない可能性も有るでしょう。同盟軍がこの星系に居る、ただそれだけで攻め寄せる可能性もあります」
ヴァレンシュタイン少佐が平静な口調で中将に答えました。中将は“その可能性もあるか”と言うと何度か頷いています。そして少佐はそんな中将を黙って見ていました。少佐の視線に気付いたのでしょう、セレブレッゼ中将が小声で問いかけてきました。
「しかしあれだけの装備を持ってきたのだ。本当は攻め寄せてくると思っているのだろう? 少佐。本当の事を教えてくれんか?」
何処となく内緒話をするような口調です。でもヴァレンシュタイン少佐は表情を変えませんでした。
「帝国軍が攻めてくるかどうかは現時点でははっきりしません。ですが何時までも基地の存在を隠せるわけではありません、いずれは帝国軍に見つかります。今回使う事は無くとも必要になる装備です」
「なるほど……」
ちょっと中将はがっかりしたようです。少佐が“実は……”と言ってくれるのを期待していたのかもしれません。
「閣下、装備の確認をしたいと思いますので……」
「ああ、分かった、行ってくれ。貴官達があの装備を持って来てくれた事で皆の士気も上がっている。頼りにしている」
「はっ」
セレブレッゼ中将の元を退出するとヴァレンシュタイン少佐は基地の保管庫に向かいました。私とバグダッシュ少佐もその後を追います。保管庫には多機能複合弾、近接防御火器システム、地対地ミサイル、集束爆弾等が運び込まれていました。
私達以外にも何人かが搬入を見ています。私達が近付くと視線をこちらに向けて来ましたがヴァレンシュタイン少佐は気にすることも無く武器の搬入を見始めました。私とバグダッシュ少佐は少し離れた位置で武器の搬入を見ます。
「凄い量だな」
バグダッシュ少佐が感歎の声を漏らしました。同感です、本当に凄い量です。ヴァレンシュタイン少佐は一体これで何をしようというのか……。
バグダッシュ少佐は今回、急遽私達に同行しヴァンフリート4=2の防衛戦に加わると言い出しました。表向きの理由はヴァレンシュタイン少佐に陰謀ごっこと非難されたのを共に戦う事で払拭したいそうです。
もっとも本当の理由は別にあります。ヴァレンシュタイン少佐がどんな戦いをするのか、それを確認するのだそうです。一つ間違えば戦闘に巻き込まれ戦死するかもしれません。しかしバグダッシュ少佐は“ヴァレンシュタイン少佐の傍に居るのが一番安全かもしれん”と言っています。
ヴァレンシュタイン少佐はバグダッシュ少佐の同行に何も言いませんでした。勝手にしろと言わんばかりです。ハイネセンからこのヴァンフリート4=2まで少佐は殆ど部屋に篭りきりです。たまに部屋を出てきても無表情に何かを考えています。私達にまるで関心を持ちません。
食事の時もそれは変わりませんでした。まるで周囲との接触を故意に避けているかのようにも見えます。以前は第四艦隊に居た時もフェザーンに行くときに民間船に乗った時も少佐はお菓子を作ってお茶に誘ってくれました。クッキーやケーキやパイ……、特に少佐の作るアップルパイは絶品です。それが楽しみだったのですが今回は有りません。寂しいです……。
今も私とバグダッシュ少佐が傍に居るにもかかわらず、少佐は無表情に保管庫に運び込まれる兵器を見ています。
「いやあ、これは凄い、こんなのは始めて見るな」
声がした方を見ると二人の若い男性が居ました。一人は明るい褐色の髪をした瀟洒な男性です。もう一人は明るい髪をした男性でした。さっきまでは居ませんでしたから私達の後から来たのでしょう。
どうやら声を発したのは明るい褐色の髪の男性のようです。彼はこちらを見るとにこやかに笑いながら声をかけてきました。
「ミハマ中尉、小官はオリビエ・ポプラン少尉であります」
この人、私の事を知ってる?
「そう驚かなくても良いでしょう、以前から中尉の事が気になっていたのですよ。どうです、今夜、時間を取ってもらえませんか? それともヴァレンシュタイン少佐の許可が必要ですか?」
ちょっと私を挑発するかのような言い方です。ヴァレンシュタイン少佐を見ました。少佐は無表情に武器の搬入を見ています。もう少し何か反応が有っても良いでしょう! ポプラン少尉の誘いに乗っちゃおうかな? そう思ったけど止めました、私の隣でバグダッシュ少佐がニヤニヤして私を見ています。
「お嬢さん、そんなミエミエの挑発に乗ってはいけないな」
「……」
別な男の人が声をかけてきました。
ヴァレンシュタイン少佐から少し離れた場所で武器の搬入を見ていた男性です。グレーがかったブラウンの髪をしています。長身で彫りの深い顔立ちですが何処か不敵で不遜……、ちょっと不良っぽい感じに見えました。
「ヴァレンシュタイン少佐、その女性は貴官に止めて欲しそうだ」
その男性が皮肉な笑みを浮かべて少佐に声をかけました。別に止めて欲しかったわけじゃありません! ただもう少し反応が有ってもいいと思ったんです! 間違わないでください!
「シェーンコップ中佐、私はミハマ中尉の保護者ではありません、被保護者でもない……」
ちょっとそれどういう意味です? 私だって少佐みたいな保護者なんて要りませんし被保護者も要りません。第一もう少し言いようが有るでしょう。ところでシェーンコップ中佐? 知り合い? でもシェーンコップ中佐も驚いてる……。
「高名な少佐が小官をご存知とは光栄ですな」
「……」
「地上戦の装備が多いようだが、果たして地上戦が起きますかな? 艦隊がわざわざ地上に降りるとは思えませんが」
シェーンコップ中佐が皮肉な笑みを浮かべてヴァレンシュタイン少佐を見ています。挑発しているのかもしれません。でもヴァレンシュタイン少佐は気にした様子も無く武器の搬入を見ています。
無視されたシェーンコップ中佐はどうするだろう、気になって中佐を見ました。その時中佐の紋章が見えました、この人、ローゼンリッターです!
ローゼンリッターは同盟軍において、帝国からの亡命者の子弟で構成されている連隊の名称です。同盟最強の白兵戦部隊であり、その戦闘能力は1個連隊で1個師団に匹敵すると言われる程。
しかし問題も多く有ります、戦闘中に敵と味方を取替え、帝国軍に寝返った者もいるのです。歴代連隊長十一名のうち、三名は帝国軍との戦闘で死亡、二名は将官に昇進した後退役、あとの六名は同盟を裏切り帝国へ逆亡命……。実力はあっても何処か危険視され迫害される……、ローゼンリッターとはそんな部隊です。
もしかすると中佐には少佐への反発があるのかもしれません。中佐はローゼンリッターとして周囲から危険視される存在。一方の少佐は英雄として軍上層部から評価される存在。面白くないと思っても不思議ではありません。
武器の搬入を見ていた少佐が視線をシェーンコップ中佐に向け問いかけました。
「私を挑発するのは楽しいですか、シェーンコップ中佐?」
「結構楽しいですな」
シェーンコップ中佐が笑みを浮かべながら答えました。
その瞬間です、ヴァレンシュタイン少佐が薄っすらと笑みを浮かべました。何処か禍々しさを感じさせる笑みです。思わず隣に居たバグダッシュ少佐と顔を見合わせました。少佐も驚いています。
「もっと楽しくなりますよ、中佐。遠征軍の中にヘルマン・フォン・リューネブルク准将の名前が有りました」
「まさか、リューネブルク……」
シェーンコップ中佐が呻くようにその名前を口にしました。
第十一代ローゼンリッター連隊長リューネブルクは帝国に逆亡命した人物です。歴代連隊長十二人のうち同盟を裏切って帝国に亡命した連隊長は六名……、その一人がヘルマン・フォン・リューネブルク……。
シェーンコップ中佐にとっては許せる相手ではありません。リューネブルク准将が亡命した所為でローゼンリッターは軍上層部から危険視される事になったのです。不倶戴天の敵という言葉はまさに彼らのために有ると言っていいでしょう。
「そう、リューネブルク准将です。懐かしいでしょう、中佐。彼が此処を攻めてくれば楽しくなりますね。賭けましょうか、リューネブルク准将がこの基地を攻めに来るかどうか」
「……」
ヴァレンシュタイン少佐が笑みを浮かべつつシェーンコップ中佐に話し続けます。シェーンコップ中佐の顔には先程まで有った笑みは今では有りません。
「私はこのヴァンフリート4=2に彼が来ると思います。そのためにこの武器を用意しました。中佐、せいぜいもてなして上げて下さい」
「……なるほど、そうしましょう」
シェーンコップ中佐が笑みを浮かべて答えましたがヴァレンシュタイン少佐は中佐から関心を無くしたかのように今度は視線をポプラン少尉達に向けました。
「ポプラン少尉、貴官を此処に呼んだのは私です」
「……」
「理由はただ一つ、貴官が優れたパイロットだから」
「それはどうも」
ヴァレンシュタイン少佐が笑みを浮かべながらポプラン少尉に話しかけています。ポプラン少尉はちょっと引き気味です。今の少佐の笑みは何処と無く怖い……。
「貴官がどうしようもないトラブルメーカーで女好きでも全然構わない、敵の戦闘艇を叩き落してくれるのであればね。私が必要とするのは貴官のパイロットとしての才能であって貴官の人間性や人格ではない」
「……」
「貴官が戦死しても構いません、誰も悲しみませんからね。トラブルメーカーが居なくなったと皆、喜んでくれるでしょう」
酷い言い方です。ポプラン少尉の顔が引き攣っています。それでも小声で抗議しました。
「俺が居なくなったらハイネセンで俺を待ってる女たちが……」
「安心してください。彼女達は直ぐに新しい恋人を見つけますよ。もしかするともう見つけてるかもしれませんが……」
ポプラン少尉を絶句させるとヴァレンシュタイン少佐は保管庫から立ち去りました。私はバグダッシュ少佐と顔を見合わせ、その後を追いました。
大人しそうな外見に騙されがちですがヴァレンシュタイン少佐の性格は結構激しいです。やられたら必ずやり返す、それを理解していないと痛い目にあいます。この基地の住人は早速痛い目にあったようです。これからは少佐に対して馬鹿な事は考えないでしょう。
第十二話 ヴァンフリート星域の会戦
宇宙暦 794年 3月26日 ヴァンフリート4=2 ミハマ・サアヤ
「どうやら酷い戦いになりそうね」
隣に居る女性が話しかけてきました。長身で赤みを帯びた褐色の髪の美人です。彼女の表情は決して明るくありません。本当にそう思っているのでしょう。私も彼女に同感です、本当に酷い戦いになりそうです……。
彼女の名前はヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中尉、対空迎撃システムのオペレータです。もう一つ言うとローゼンリッターのシェーンコップ中佐の恋人です。あの人結構女たらしみたい。ポプラン少尉といい勝負のようです。出来るだけ傍に寄らないようにしないと。
この基地に来てから私はフィッツシモンズ中尉と親しくなりました。どうやらシェーンコップ中佐はヴァレンシュタイン少佐の事を彼女に話したようです。“見かけによらず怖い坊やだ”それがきっかけでフィッツシモンズ中尉が私に近付いてきました。
彼女は一度離婚歴が有ります。年上ですし人生経験も豊富なので色々と教わる事も多いです。俗に言う“良い女”って彼女のような女性を言うのでしょう。羨ましい限りです。
ヴァレンシュタイン少佐の事も話しました。この基地に来る事になってから人が変わってしまったと……。フィッツシモンズ中尉は黙って聞いていましたが最後に“貴女も苦労するわね”と言われました。
三月二十一日二時四十分、ヴァンフリート星域の会戦が始まりました。同盟軍の動員した艦隊は三個艦隊、第五、第六、第十二艦隊です。そして第五艦隊にはヴァレンシュタイン少佐の依頼で配属されたヤン中佐がいます。帝国軍の戦力も同盟軍とほぼ同規模のようです。
戦況ははっきりしませんが酷い混戦になっている事は事実です。この基地の司令室でも時々味方の通信を傍受することができましたが滅茶苦茶です。
“第六艦隊、応答せよ、第六艦隊、応答せよ”
“こちら総司令部、第十二艦隊、現在位置を報告せよ”
“こちら第五艦隊、現在位置、不明”
同盟軍の艦隊は皆バラバラです。総司令部は艦隊を統率出来ていません。総司令官ロボス元帥も頭を抱えていると思います。それでも同盟軍が帝国軍に負けずにいるのは帝国軍も似たような状況にあるからだと思います。
基地の司令室の中でも皆が戦闘の状況に呆れてます。
「これは駄目だね」
「このまま勝負無しかな」
「ダラダラやっていると消耗戦になるぞ」
基地が安全だという事、軍の戦い方が拙劣だという事、その所為でしょう、司令室の雰囲気は決してよく有りません。士気は弛緩しています。そんな中、バグダッシュ少佐が私達に話しかけてきました。
「もう少しましな戦いをして欲しいもんだ。これではヴァレンシュタイン少佐もやりきれんだろう」
バグダッシュ少佐の言葉にヴァレンシュタイン少佐を見ました。少佐は周囲の弛緩した雰囲気に混じることなく私達から少し離れた場所で戦闘の状況を追いかけています。総司令部も混乱しているのです、簡単な事ではありません。それでも傍受する事が出来た通信内容から大体の事は分かったようです。私達にも教えてくれました。
開戦後、同盟軍も帝国軍も互いの戦力から大きな部分を割いて繞回進撃を試みたそうです。つまり敵陣の周縁部を迂回してその背後を撃つ。成功すれば前後から攻撃出来、大勝利を得られます。それを狙ったのでしょう。
ですが繞回運動には危険があります。繞回運動を行なう部隊と主力部隊の間によほどの堅密な連携が維持できないと敵によって各個撃破されてしまうのです。しかしヴァンフリート星域の会戦はそれより酷い事になりました。両軍が繞回運動を行なったためただひたすら混乱し騒いでいるだけです。
“繞回運動による敵の挟撃、成功すれば華麗な勝利を得られますからね。それを狙ったのでしょうが、この星域の戦い辛さを両軍とも過小評価したようです。勝つ事よりも生き残る事が大事なのに……”
そう言った少佐に表情には暗い笑みが有りました。多分憎悪だったと思います。自分を最前線の基地に放り込んでおきながら役に立たない作戦で混乱している同盟軍を心底憎んだのでしょう。
ヴァレンシュタイン少佐はセレブレッゼ中将に状況を報告しています。
「帝国軍は同盟との艦隊決戦を望みました。どうやら帝国軍は基地の存在には気付いていないようです」
セレブレッゼ中将がほっとしたような表情を見せました。基地は安全だと思ったのでしょう。
「それで」
「艦隊決戦で同盟軍が勝てば問題は無かったのですが、現在両軍は混戦による混乱状態にあります。帝国軍の艦隊は敵を求めてヴァンフリート星域を彷徨っている状態です。場合によっては此処に気付くかもしれません」
セレブレッゼ中将の顔が歪みました。ヴァレンシュタイン少佐、やっぱり少佐はサディストです。私にはわざとセレブレッゼ中将を苛めているようにしか見えません。
少佐が戻ってきました。
「少佐、酷い戦ですがこれからどうなるでしょう」
私が問いかけると少佐は微かに微笑みました。もっとも眼は笑っていません。冷たく光っています。
「これからですか……。これからはもっと酷くなりますよ」
私は少佐の言う事を信じません。酷くなるんじゃありません、少佐が酷くするんです。そうでしょう、ヴァレンシュタイン少佐?
宇宙暦 794年 3月26日 ヴァンフリート4=2 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
サアヤが俺を胡散臭そうな眼で見ている。心外だな、俺は嘘を言っていない。ヴァンフリート星域の会戦はこれからが本番だ。これまではただ混乱していただけだが此処からは悲惨な結果になる。
此処までは特に原作との乖離は無い。両軍が繞回運動を行なった事、混乱した事、原作どおりだ。酷い戦だよ、ヴァンフリートのような戦い辛い場所で繞回運動だなんて帝国軍も同盟軍も何考えてるんだか……。
特にロボス、同盟軍の総司令官なのに基地の事なんて何も考えていないだろう。目先の勝利に夢中になってるとしか思えん。こいつが元帥で宇宙艦隊司令長官なんだからな、同盟の未来は暗いよ。
もう直ぐ此処へグリンメルスハウゼンがやってくる。ミュッケンベルガーから疎まれ、役に立たぬと判断されて此処へ追放されるのだが、問題は此処に同盟の基地があった事だ。
ヴァンフリート星域の会戦はここからが第二部の始まりだ。グリンメルスハウゼン艦隊、一万二千隻は二十七日、つまり明日にはヴァンフリート4=2の北半球を占拠する。この基地は南半球にあるから帝国と同盟でヴァンフリート4=2を半分ずつ占領したような形になる。
此処に基地がある事はラインハルトが気付く、それが二十九日。そして四月の六日には帝国軍がこの基地を攻撃、セレブレッゼ中将は捕虜になり基地は破壊される。原作どおりなら俺も死ぬ事になるだろう……。
宇宙暦 794年 4月 3日 ヴァンフリート4=2 ミハマ・サアヤ
大変な事になりました。帝国軍が此処へ攻めてきます。三月二十七日、帝国軍がヴァンフリート4=2の北半球に艦隊を降下させたのです。艦隊の規模は一個艦隊、一万隻を超えます。しかも私達がそれを知ったのは帝国軍が艦隊を降下させた後でした。
帝国軍の艦隊がヴァンフリート4=2に接近している事を同盟軍の艦隊は知っていたようです。私達に帝国軍の接近を知らせなかったのは通信をすることで自軍の所在地が帝国軍に知られるのを恐れたからだとか……。酷い話です、艦隊は逃げられますけど、基地は逃げられません。その辺りをどう考えているのか。まるで見殺しです。
帝国軍、一個艦隊がヴァンフリート4=2の北半球を占拠したと聞いた時のセレブレッゼ中将の混乱は大変なものでした。帝国軍が此処に来たのは基地の存在を知ってのことではないかと何度もヴァレンシュタイン少佐に問いかけたのです。一個艦隊を派遣し基地を占拠、或いは破壊し帝国軍の恒久的な基地を建設するのではないか……。
中将の不安も無理もありません、帝国軍と基地の間は直線にして約二千四百キロ、単座戦闘艇スパルタニアンを使えば三十分以内でたどり着くのです。地上装甲車を使って大規模侵攻を行なっても三十時間もあれば十分に着きます。攻撃は直ぐにでも始まるかもしれない、そう思ったのでしょう。
それに同盟軍が基地を軽視しているのではないかと思えるような行動をとっている事も中将の不安を大きくしたと思います。全く味方の不安を煽るようなことをするなんて宇宙艦隊は何を考えているのか!
説明を求められたヴァレンシュタイン少佐は落ち着いたものでした。少佐は帝国軍がこの基地の事を知っていたのであれば上空から攻撃をかけてきたはずだと中将に説明したのです。
確かにその通りです、上空から攻撃したほうが効果的です。もっともこの基地の周囲には少佐が運び込んだ対空システム四千基が設置されています。不用意に近付けば大損害を受けます。
さらにヴァレンシュタイン少佐は帝国軍は現時点では基地の存在を知らないがいずれ気付き、攻撃をかけてくると言いました。そして直ちに迎撃態勢を取り味方に救援要請をするべきだと進言したのです。
中将は少佐の意見を受け入れました。今現在、基地は少佐の指示に従って迎撃態勢を取っています。少佐の予想では帝国軍が準備を整え攻め寄せてくるのは四月の五日から七日ごろだそうです。
ヴァレンシュタイン少佐は今、味方に救援要請を出そうとしています。これには反対する人も多いです。なんと言っても基地の存在を敵に知られる可能性が有ります。場合によっては他の敵艦隊も来るかもしれません。
「ヴァレンシュタイン少佐、通信はしないほうが良いのではないか? ヴァンフリート4=2の敵がこちらに気付いたとは限らない、余計な事はしないほうが良いだろう、救援要請は彼らが攻めてきてからのほうが良いのではないかな」
ヴァーンシャッフェ大佐がヴァレンシュタイン少佐に話しています。ヴァーンシャッフェ大佐はローゼンリッターの連隊長です。地上戦となれば最前線で戦う事になるでしょう。戦えば犠牲が出ます、無理はしたくないのかもしれません。
「敵は攻めてきますよ、大佐。彼らがこのヴァンフリート4=2に降下する直前ですが、この基地から同盟軍総司令部に向けて通信を送りました。彼らがそれに気付かなかったとも思えません。此処に同盟の活動拠点があると気付いたはずです。偵察も済ませたかもしれませんね」
「……」
大佐は憮然としています。ヴァレンシュタイン少佐はそんな大佐の様子を気にする事も無く話を続けました。
「大佐、敵艦隊の司令官が誰か、分かりますか?」
「いや、分からん。貴官は分かるのか?」
ヴァーンシャッフェ大佐の問いかけにヴァレンシュタイン少佐は頷きました。
「帝国軍中将、グリンメルスハウゼン子爵です」
「……」
何故そんな事が分かるのか……。私だけじゃありません、傍にいるフィッツシモンズ中尉、バグダッシュ少佐も訝しげな表情をしています。
「彼は以前皇帝の侍従武官をしていました。その所為で皇帝の信頼は厚い。彼は軍人としては無能と言って良いのですがそれでも周囲は彼をお払い箱に出来ずにいる」
「……」
「おそらく今回の戦いでも何の役にも立たなかったのでしょう。ミュッケンベルガー元帥は彼を足手まといにしかならないと判断した。下手にうろうろされて同盟軍に撃破されては叶わない、そう思ってこのヴァンフリート4=2に送った。詰まる所は厄介払いです」
「……」
「彼の配下にはリューネブルク准将がいるのですよ、ヴァーンシャッフェ大佐」
「リューネブルク……」
ヴァーンシャッフェ大佐が呻き声を上げました。私もバグダッシュ少佐も驚いています。フィッツシモンズ中尉も蒼白になっています。シェーンコップ中佐から聞いているのでしょう。
この基地に着任した時、少佐はシェーンコップ中佐と話していました。リューネブルク准将がこの基地を攻めに来るかどうか、賭けようと。そして少佐はリューネブルク准将がこのヴァンフリート4=2に来ると言っていた……。
「彼は亡命してから三年、一度も戦場に出ていません。言ってみれば飼い殺しです。しかしこのヴァンフリート4=2でようやく武勲をあげる機会を得た。必ず陸戦隊を率いて攻めてきます」
「……」
「そこを叩くのです。地上部隊を叩き、艦隊を叩く。そのためには味方の増援が必要です」
誰も口を開こうとしません。少佐の声だけが聞こえます。ヴァレンシュタイン少佐が薄っすらと頬に笑みを浮かべました。例の怖いと思わせる笑みです。
「ミュッケンベルガー元帥は致命的な過ちを犯しました」
「……過ちですか?」
バグダッシュ少佐が問いかけるとヴァレンシュタイン少佐は無言で頷きました。
「グリンメルスハウゼン子爵は確かに無能で役に立たない、しかし何の価値も無いというわけではない。ある意味、グリンメルスハウゼン子爵ほど重要人物はいません。私なら彼を身近に置きます。間違っても単独にはしない」
「……」
少佐の言う意味が私には分かりません、皆も訝しげな表情をしています。
「彼は皇帝の信頼が厚いのですよ。その人物を見殺しにすればミュッケンベルガー元帥は周囲になんと言われるか……。そしてあの艦隊にはラインハルト・フォン・ミューゼル准将もいます。彼の姉は皇帝の寵姫、グリューネワルト伯爵夫人です」
「……」
「彼らを死なせればミュッケンベルガー元帥は皇帝に対し二重に失態を犯した事になる。ミュッケンベルガー元帥は必ず此処へ来ます。必ず彼らを助けようとする、そこを撃つ!」
「……」
ようやく分かりました。少佐が帝国軍の艦隊編制と将官以上のリストを要求したわけが。少佐は誰が帝国軍の弱点になるのかを知ろうとしていたのです。そしてその弱点が少佐の下に飛び込んできた……。
偶然なのでしょうか、それとも少佐は最初から分かっていたのでしょうか。アルレスハイムのときも同じ疑問を持ちました。少佐は他の人とは何処か違います、天賦の才とかではなく、何かが違う。何か違和感を感じさせるのです。バグダッシュ少佐の顔は青褪めています。おそらく私も似たようなものでしょう。
「このヴァンフリート4=2が帝国と同盟の決戦の場になるでしょう。どちらが勝つかでこの基地の運命も決まります」
ヴァレンシュタイン少佐が暗い瞳で微笑んでいます。私の予想は当たりそうです。この戦いはこれから酷くなります。目の前で微笑む少佐が酷いものにするはずです……。
第十三話 兵は詭道なり
宇宙暦 794年 4月 6日 ヴァンフリート4=2 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
帝国軍が攻めてきた、その兵力は十万。もう直ぐこの基地に攻めかかるだろう。通信を傍受して分かったのだが指揮官はやはりリューネブルクらしい。となると次席指揮官はラインハルトだと見ていい、原作どおりだ。
連中が原作どおり攻めてくるなら同盟軍は勝てる、勝てるはずだ。だが勝てばどうなる? 場合によってはラインハルトは死ぬだろう、いやかなりの確率で死ぬはずだ。
ラインハルトが死ねば帝国による宇宙の統一は無くなる。結果的に戦争は長く続くだろう、百年か、それとも二百年か……。俺が何時まで生きているかは分からないが、生きている間に戦争がなくなる事は無いかもしれない……。あるいは戦争が無くなる前に同盟と帝国の両国が崩壊するかもしれない。残るのはフェザーンとそれを操る地球教か……。笑える未来だ。
死ねばいい、俺が此処で死ねばラインハルトは皇帝になり宇宙を統一するだろう。人類全体のためを思えばそうするべきだろう。だが俺は死にたくない、利己主義といわれようが身勝手といわれようが俺は死にたくない。他人のために死ぬなんて真っ平だ。この世界に生まれて両親を奪われた、帝国からも追われた、おまけに訳の分からん戦争に放り込まれた。どうして俺だけが犠牲にならなきゃならない。ふざけるな!
思い切れ、詰まらない事を考えるな! ただ勝つ事を考えろ、生き延びるんだ。何のために生き延びるのかは生きているうちに分かるだろう。そう信じて生きるんだ。笑え、お前は勝てる、歴史を変える事が出来る事を喜ぶんだ……。後の事などどうなろうと知った事か!
不安そうな眼でセレブレッゼ中将が俺を見ている。そんな顔をしなくてもいい、俺がこの戦いを勝たせてやる。あんたの一生も変わる、原作ではこの戦いで捕虜になるが、俺があんたを勝利者にしてやる。後方勤務本部次長だろうが本部長だろうが好きなものになれば良い。だからあんたは俺に指揮権を預けてくれればいいんだ……。
「閣下、帝国軍が攻めてきました。迎撃の指示を出しますが、宜しいですか」
「うむ、宜しい、少佐」
「各戦闘区域は帝国軍が攻撃範囲内に入りしだい攻撃せよ、第三十一、第三十三戦略爆撃航空団は集束弾を搭載、第十八攻撃航空団は対艦ミサイルを搭載、第五十二制空戦闘航空団は空戦準備、別命あるまでいずれも待機せよ」
ヴァンフリート4=2の戦が始まった……。全ては此処から始まるだろう……。
宇宙暦 794年 4月 6日 ヴァンフリート4=2 ミハマ・サアヤ
戦闘が始まって既に十二時間が経ちました。基地からは同盟軍に対して悲鳴のような救援要請が出ています。“帝国軍が大規模陸上部隊をもって基地を攻撃中。被害甚大、至急救援を請う、急がれたし”
司令室のスクリーンには第一から第八まである戦闘区域の状況が映っています。帝国軍の攻撃は必ずしも上手く行ってはいません。というより守っている同盟軍のほうが圧倒的に有利です。帝国軍は既に二度攻撃を中止し体勢を立て直して三度目の攻撃をかけてきました。もう止めたほうが良いのに……。
私達は皆、装甲服を着ています。ヴァレンシュタイン少佐も装甲服を着ています。華奢で小柄な少佐が装甲服を着ていると着ぐるみを着ているみたいです。皆もこっそり笑っています。万一の場合には基地内での戦闘も有り得ますから当然なのですが、実際に基地内で戦闘になるなど誰も考えていないでしょう。そのくらいこちらが優勢です。
低空から地上攻撃メカが基地に突入しようとしますが、突入以前に同盟側の近接防御火器システムに撃破されています。滅茶苦茶凄いです、圧倒的に地上攻撃メカを撃破してしまうのでなんか映画でも見てるんじゃないかと勘違いしそうです。
近接防御火器システム、六銃身のレーザー砲に捜索・追跡・火器管制システムを一体化した完全自動の防御システムです。今回ヴァレンシュタイン少佐が大量に運び込んだ武器の一つですが基地防御に大きく役立っています。
もしそれが無ければ、同盟の防御陣はたちまち地上攻撃メカによって蹂躙されていたでしょう。そうなれば当然ですが反撃力も減少します。帝国軍が突入してくるのも時間の問題だったはずです。
地上攻撃メカが撃破された事で無傷の同盟側の防御陣からは帝国軍に向けて次々に多機能複合弾が打ち込まれます。装甲地上車が破壊され兵士の身体が宙に舞いました。とても正視できません、酷いです。
逃げ出した兵士達には長距離狙撃型ライフル銃による狙撃が待っています。助かったと思う間も無く狙撃され殺されるのです、帝国軍の兵士にとっては地獄です。
もう分かったと思います。あの救援要請は嘘です、被害甚大なのは帝国軍のほうです。救援を欲しがっているのも帝国軍でしょう。実際、この救援要請を出した通信オペレータは笑い過ぎて涙を流していました。今年最大の冗談だそうです。実際今も一時間おきに救援要請を出しますがその度に司令室には笑い声が起きます。
こんな悪質な冗談を命じる人間は当然ですがヴァレンシュタイン少佐です。
“どうしてこんな救援要請を出すのか”
セレブレッゼ中将が尋ねると少佐はこう答えました。
“こちらが優勢だと通信すると宇宙艦隊の来援が遅くなる可能性が有ります”
確かにそれは有ります。でも私もバグダッシュ少佐もそれだけとは考えていません。ヴァレンシュタイン少佐はそんな単純な人じゃないんです。こっそり問い詰めると少佐はにっこりと笑いました。
“敵の攻撃部隊の指揮官はリューネブルク准将です。彼はグリンメルスハウゼン艦隊の中で孤立しています、亡命者ですからね。その彼が増援の要請を出しても、基地からは被害甚大との通信が流れていれば司令部は信用しないでしょう。わざと激戦を装い武勲を過大なものにしようとしていると判断します。当然増援は拒否か、或いは微少なものになるはずです……”
酷いです、よくもそんな酷い事を考え付くものです。私もバグダッシュ少佐も呆れました。ですが同時に恐怖も感じています。
敵の攻撃部隊の指揮官はやはりリューネブルク准将でした。つまり此処に来たのはグリンメルスハウゼン中将です。少佐の推測は完全に当たっていた事になります。そして全てはヴァレンシュタイン少佐の思うとおりに動いている……。
戦闘開始直後から少佐はセレブレッゼ中将に代わって防衛戦の指示を出しています。自分の用意した武器が役立っているのが嬉しいのでしょうか、ヴァレンシュタイン少佐は微かに笑みを浮かべながら戦闘を見ています。怖いです。
司令室の中は同盟軍が優位に戦闘を進めている所為でしょう、比較的落ち着いています。何よりもセレブレッゼ中将が落ち着いています。帝国軍がヴァンフリート4=2に降下した直後は興奮していましたが今はニコニコして笑い声を上げる事も有ります。
ヴァレンシュタイン少佐に対する信頼も益々厚くなりました。少佐の進言に対してはほぼ無条件にOKを出してます。セレブレッゼ司令官の機嫌が良いため皆も不必要に緊張する必要がありません。多少戦闘の酷さに顔を顰める人間もいますが、味方が酷い目にあっているわけではないですし、ところどころで笑い声も聞こえます。
「帝国軍の単座戦闘艇(ワルキューレ)が近付きつつあります、数、約二百機!」
オペレータが緊張した声をあげました。司令室の中にも緊張が走ります。帝国軍の狙いは明らかです。単座戦闘艇(ワルキューレ)を使用して近接防御火器システムを潰そうというのでしょう。
近接防御火器システムを潰せば地上攻撃メカが威力を発揮します。そうすれば形勢逆転も可能、そう考えているのは間違いありません。視線がヴァレンシュタイン少佐に集まりました。少佐が微かに冷笑を浮かべました。
「ようやく来ましたか、少し遅い、それに少ない……。第五十二制空戦闘航空団に迎撃命令を」
「はっ」
「対空迎撃システム、作動開始」
「対空迎撃システム、作動開始します」
「酷いな、これは……。帝国軍の損害は増える一方だろう」
バグダッシュ少佐が呟くように言葉を出しました。全く同感です。第五十二制空戦闘航空団は約四百機の単座戦闘艇、スパルタニアンを所持しているのです。帝国軍の二倍の兵力です。そして対空迎撃システム……。おそらくあっという間に敵の単座戦闘艇(ワルキューレ)、二百機は壊滅状態になるでしょう。帝国軍に同情するわけではありませんがちょっと酷すぎます。
「まだ、引き上げないのでしょうか?」
「敵の指揮官はリューネブルク准将だ。簡単には引き上げられんだろうな」
バグダッシュ少佐が何処か同情するような口調で答えました。
「彼にとってはこれが浮かび上がるチャンスだ。何とかして物にしたい、そう思っているだろう。ヴァレンシュタイン少佐はそれを上手く利用している。本当なら戦略爆撃航空団を使えば簡単に地上部隊を叩き潰せたんだからな」
「酷いですね、そんな弄ぶような事をしなくても……。何故ヴァレンシュタイン少佐は戦略爆撃航空団を使わないのでしょう」
「さあ、何故かな。俺にもわからん」
ヴァレンシュタイン少佐を見ました。少佐は司令部のスクリーンを見ています。私の視線に気付いたのでしょうか、こちらを見ました。慌てて視線を外しましたけど少佐は何かを感じたようです。私のところに歩いてきます。拙いです、思わず身体が強張りました……。
宇宙暦 794年 4月 6日 ヴァンフリート4=2 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
サアヤとバグダッシュが俺を見ている。何となく非難するような視線だ。俺のやる事に文句でもあるらしい、俺が視線を向けると顔を背けやがった。話でも聞いてやるか……。
「何か聞きたい事でも有りますか?」
「あ、いえ、その」
「ああ、ヴァレンシュタイン少佐、その、何故、戦略爆撃航空団を使わないのかと思ってね」
「そうです、これじゃまるで弄んでいるみたいです」
しどろもどろで答えてきた。つまり俺が酷い人間だと言いたいわけか……。分かっているのか、こいつら……。俺達がやっているのは戦争だって事が。
「帝国軍が可哀想だとでも?」
「そうは言いません。ただ、あの地獄を何時まで続けるんです?」
サアヤがスクリーンを見た。スクリーンには宙に舞う帝国軍兵士が映っている。これがサアヤの言う地獄か・・・・・・、ただの戦闘だろう、こんなもの!
「地獄ですか、これが……」
「ええ、そう思います」
「甘いですね、本当の地獄はこんなものじゃありませんよ」
サアヤとバグダッシュが怯えたような表情で俺を見ている。そうだろうな、今の俺は多分どうしようもないほど怒っているに違いない。
「私は第五次イゼルローン要塞攻略戦に参加しました。あの戦いは酷かった。同盟軍の並行追撃作戦を潰すために帝国軍は味方もろとも同盟軍を攻撃した。戦闘終了後、要塞内は味方の攻撃で負傷した人間で一杯でした……」
「……」
「私の周りは血の臭いで充満していましたよ。あの独特な鼻を突く臭い……。腕の無い人間、足の無い人間、火傷をした人間、そんな人間が周りにゴロゴロしていたんです……。悲鳴、怒声、呻き声、泣き声、そして怨嗟……。“何故味方を撃つんだ”、“こんな死に方をしたくない”、声が出ている間は生きています、死んだら何も聞こえなくなる……」
「……」
周りが俺の話を聞いているのが分かった。だが止まらなかった。止める気も無かった。あの地獄を俺以外の誰かに教えてやりたかった。
「私は何も出来ませんでした。血の臭いに嘔吐し、負傷者の声に怯えていました。何故自分は無傷なのか、どうして自分も負傷しなかったのか、そうすれば彼らと一緒に誰かを恨み、呪う事が出来たのにと、それだけを考えていました。あのままだったら私は狂っていたかもしれない……」
そう、狂っていたかもしれない。そして自分で自分を傷付けていたかもしれない。それをナイトハルト・ミュラーが助けてくれた。
「あの時、私が狂わずに済んだのはナイトハルトが居たからです。彼は怯え、泣きながら嘔吐していた私を助けてくれた。背中をさすり励ましてくれた。彼自身が負傷していたにもかかわらず、役立たずな私を守ってくれた。だから今の私が居る……。あれに比べればこんなのは地獄じゃない、ただの戦闘です」
サアヤとバグダッシュが顔を強張らせて聞いている。そうか、そういうことか……。
「バグダッシュ少佐、少佐はナイトハルト・ミュラーをご存知のようですね。少しも訝しげな表情をしていない。ミハマ中尉から聞きましたか?」
俺の問いかけに二人はハッとしたような表情を見せた。
「違います、私、話していません」
「別に構いませんよ、私は口止めをしていない。ただ貴女が話さないだろうと勝手に思っただけです」
つまり俺が馬鹿だったというわけか……。彼女が情報部の人間だと分かっていて信用した。何となくスパイらしくないと思った。彼女はそんな俺を利用した、つまり正しい事をしたわけだ。
サアヤが泣きそうな表情をしている。
「違います、私、本当に話していません、信じてください、少佐」
何を信じるんだ? 俺には信じるべき何物も無い。有るのは現実だけだ、そして現実は彼女が情報をバグダッシュに知らせたと言っている。
俺が此処に来たのはそれが理由か。俺が帝国に帰ろうとしている事を望まない人間が居るわけだ。そして帰さないために最前線に出した。死んでも構わない、生き残ればさらに出世させて最前線に出す。そういうことだろう……。ローゼンリッターと同じだ、危険なところに出して遣い潰す、これこそまさに地獄だな……。
「待ってくれ少佐、ミハマ中尉は我々に報告していない」
顔を青褪めさせてバグダッシュがサアヤを庇った。
「では、何故知っているんです?」
沈黙か、上手い手じゃないな、バグダッシュ。
「……フェザーンのヴィオラ大佐に頼んで盗聴器を彼女に仕掛けた。それで分かったんだ」
「……盗聴器! 酷い! 酷いです、バグダッシュ少佐!」
「それが私の仕事だ。たとえ味方でも疑ってかかる。それが情報部だ!」
「!」
ヴィオラ大佐か、あの空気デブにそんな芸当が出来たのか……。一本取られたな、フェザーンの首席駐在武官は伊達ではなかったという事か。バグダッシュを睨んでいるサアヤを見ながら思った。世の中は驚きに満ちている……。馬鹿馬鹿しいほど可笑しくなった。
「話を戻しましょう、何故、戦略爆撃航空団を使わないのか、でしたね?」
「そうです。あれを使えば簡単に勝敗が付いた。今でも圧倒的に優勢ですが犠牲は出ている。何故です?」
スクリーンに単座戦闘艇(ワルキューレ)が映った。対空迎撃システムを避けるためだろう、低空飛行をしている。そしてその上から単座戦闘艇(スパルタニアン)が襲い掛かった。一機、また一機と撃墜されていく。到底基地への攻撃など出来まい。
「簡単に勝敗が付く、それが問題なのですよ」
「?」
二人とも訝しげな表情をしている。困った奴らだ、戦闘に勝つのと戦争に勝つのは別だという事が理解できていない。局地戦で勝っても戦争全体で見れば負けるなんて事は良くある事だ。
「戦略爆撃航空団が有る以上、地上攻撃は簡単に成功しない。グリンメルスハウゼン艦隊がそう判断すれば、彼らは艦隊を基地の上空に持ってきて攻撃をするでしょう。対空迎撃システムは有りますが、それでも一個艦隊による上空からの攻撃では持ちません。基地は破壊されます」
「……」
「戦略爆撃航空団を使うのは、味方の艦隊がヴァンフリート4=2に来てからです。彼らにグリンメルスハウゼン艦隊を攻撃させ、こちらは敵の地上攻撃部隊に対して戦略爆撃航空団を使って攻撃を加える。それまではこのままで行くしかありません。それ以外に勝つ方法は無いんです」
だからあの馬鹿げた救援要請を出しているのだ。グリンメルスハウゼン艦隊に自分達が優勢に攻めていると勘違いさせる。勘違いしている限り奴等は動かない。有り難い事にリューネブルクもラインハルトもあの艦隊の中では嫌われているし信用もされていない。
兵は詭道なり……。詭道とは人をいつわる手段、人をあざむくような方法を言う。騙すほうが悪いのではない、騙されるほうが悪いのだ。何故なら騙される事によって何十万、何百万という犠牲者が出るのだから……。
第十四話 信頼
帝国暦 485年 4月 6日 ヴァンフリート4=2 ジークフリード・キルヒアイス
「どうにもならないな」
「ええ、そうですね、ラインハルト様」
「後は単座戦闘艇(ワルキューレ)を待つだけか……」
遣る瀬無さそうに呟くラインハルト様に私は無言で頷いた。
ヴァンフリート4=2にある自由惑星同盟を名乗る反乱軍の基地は恐ろしいほどに頑強だった。攻撃開始から十二時間、帝国軍はこの基地を攻めあぐねている、いや、この基地に翻弄されている。
当初の想定では苦も無く攻略できるはずだった。地上攻撃メカを投入し、制空権を奪い敵基地に侵入する。二十四時間とかからずに基地の攻略は終了するだろう、皆がそう予想していた。的外れな予想だとは思わない。ラインハルト様も基地攻略は問題無いと考えていた。問題が有るとすれば敵艦隊の増援だろうと……。こんな事になるとは誰も予想していなかった……。
だが、地上攻撃メカは近接防御火器システムの前に破壊され、敵の多機能複合弾によってこちらの装甲地上車は次々に破壊されていく。一方的に帝国軍が反乱軍から攻撃を受けている。私もラインハルト様も装甲地上車に乗っていない、装甲地上車は危険なのだ。反乱軍は片端から装甲地上車を撃破している。今私達は装甲地上車の陰に仮の指揮所を設けて戦闘を統率している。
なんとも厭らしい敵だ。相手はしきりに救援要請を出している。しかもその通信内容は全くのでたらめだ。“我が軍は被害甚大”、“敵は基地に侵入したが何とか撃退した”、“敵に制空権を取られた”等……。
この通信は艦隊司令部でも傍受している。おかげでこちらがどれだけ司令部に苦境を訴えても誰も信用してくれない。それほどまでに武勲を過大に評価させたいのか、そんな風に取られている。実際にこの基地を攻略できたら勲功第一だろうとラインハルト様はぼやいている。
攻撃部隊の指揮官、リューネブルク准将も頭を抱えている。それでも准将は司令部とかけあい単座戦闘艇(ワルキューレ)の投入を勝ち取ってきた。その努力と粘りはラインハルト様も高く評価している。
“嫌な奴だが出来るやつだ、戦場では頼りになる”、それがラインハルト様のリューネブルク准将に対する評価だ。攻撃前に有った彼に対する悪感情もこの苦境をともにすることで大分変ったらしい。
もっともそれはリューネブルク准将も同様だ。かつては露骨に目下扱いしていたラインハルト様を相手に司令部の愚痴を言うこともある。そしてラインハルト様もそれに対して頷いている。強力な敵と無能な味方……、頼れるのはどれほど不本意でも共に戦場に居る相手しかいない……。
「単座戦闘艇(ワルキューレ)が来れば近接防御火器システムを潰せる。それさえ出来れば……」
呻くようなラインハルト様の言葉だ。この戦いは地上戦であることと言い、苦戦している事と言い不本意の極みなのだろう。
単座戦闘艇(ワルキューレ)が上空に現れたのはそれから十分程経った頃だった。総勢二百機の単座戦闘艇(ワルキューレ)が基地を目指す。近接防御火器システムを全て潰す必要はない。何処か一箇所、集中的に破壊してくれれば良いのだ。後はそこから地上攻撃メカを投入すれば良い。
敵の対空防御システムが動いた。レーザー砲が単座戦闘艇(ワルキューレ)を狙うが単座戦闘艇(ワルキューレ)は低空飛行に切り替え基地を目指す。もう少し、もう少しで基地にたどり着く。その時だった、ラインハルト様が絶望の声を上げた。
「駄目だ、キルヒアイス。あれを見ろ」
ラインハルト様が指さす方向には同盟の単座戦闘艇、スパルタ二アンが編隊を組んでこちらに向かってくるのが見えた。
その数はどう見ても単座戦闘艇(ワルキューレ)よりも多い、おそらくは倍はあるだろう。単座戦闘艇(スパルタニアン)が上空から一方的に攻撃をかけてきた。単座戦闘艇(ワルキューレ)は抵抗できない、上空に向かえば対空防御システムの砲火を浴びるだろう。彼らに出来るのはただひたすらに基地を目指して進む事だけだ。そして多分、基地にたどり着く事は出来ない……。
指揮所の中から兵士が通信が入っていると伝えてきた。
『ミューゼル准将、応答してくれ、リューネブルクだ』
小型の通信機からリューネブルク准将の声が聞こえた。ちょっとざらついて聞こえる。電波の状態が良くないらしい。ラインハルト様が答えた。
「こちらミューゼル、リューネブルク准将、今連絡しようと思っていたところだ」
『気が合うな、ミューゼル准将』
苦笑交じりのリューネブルク准将の声が聞こえた。
『単座戦闘艇(ワルキューレ)による攻撃は失敗したようだ』
「残念ではあるが同意する」
二人の声は苦い。基地攻撃の手段が失われたのだ、無理もない。
『卿はあの単座戦闘艇(スパルタニアン)が何処から来たと思う? 敵の艦隊から来たと思うか?』
「いや、敵の艦隊が来たなら司令部が騒ぐはずだ。あれは敵の基地が寄越したものだろう。基地の向こう側に別に飛行基地が有ると思う」
『同感だ。では何故敵は今まで単座戦闘艇(スパルタニアン)を出さなかった?』
リューネブルク准将の声には笑いが有る。この状況で笑えるとはたいしたものだ。
「時間稼ぎだ。敵の増援が来るまでの時間稼ぎだろう。あの救援要請もそれが目的だ。我々はどうやら敵の罠に落ちたようだ」
『卿は話が早くて助かる。となるとこれからの事だが司令部に増援を求めても無理だろう。上空からの攻撃も受け入れてくれるとは思えん』
リューネブルク准将の言葉にラインハルト様の表情が歪んだ。
リューネブルク准将もラインハルト様も何度か艦隊による基地の攻撃を要請した。だが司令部は頷かない。”基地攻略など大した事は無いといったではないか”そう言って嘲笑するだけだ。ラインハルト様もリューネブルク准将も司令部では孤立している。そして司令官、グリンメルスハウゼン中将は全く頼りにならない。基地攻撃部隊は完全に孤立している。
『それに敵の増援部隊が近くまで迫っているかもしれん、最悪だな……、』
リューネブルク准将の声が一瞬途絶えた。攻撃する手段が無い以上、敵の増援部隊が近くまで迫っている可能が有る以上、取るべき道は決まっている、撤退しかない。このまま攻撃を続けても犠牲が増えるだけだろう。
だがリューネブルク准将はそれをラインハルト様から言わせようとしているのだろうか。撤退はミューゼル准将の進言によるとするつもりなのか、思わず身体が緊張した。ラインハルト様も表情が厳しい。
『撤退する。貴官は次席指揮官だ、俺の指示に従ってくれ』
「……」
ラインハルト様が私を見た。目には複雑な色が有る。リューネブルク准将を疑った事を恥じているのかもしれない。
「宜しいのか、それで」
ここで撤退すれば敗退ということになる。当然だが経歴には傷がつく。三年振りに戦場に出たリューネブルク准将にとってはこれが最後の戦場になるかもしれない。
勝ちたいという気持ち、敗戦の責任は取りたくないという気持ちは誰よりも強いだろう……。ラインハルト様が声をかけたのは自分も責任を分かち合うという意思表示だ。ラインハルト様らしいと言えるし、私もそうするべきだと思う。
『卿の好意には感謝する。だが負け戦の責任くらいは一人で取れそうだ、心配は無用だ』
どこか含み笑いを込めた声だった。
『それより撤退を急ごう、敵の艦隊が到着すればおそらく連中は全面的に反転攻勢に出る。追い打ちはきついものになるだろう。それまでにどれだけ基地から離れられるか、それが生死を分ける事になる』
「……」
『卿が先に行け、俺が殿を務める』
「しかし、それは」
『ぐずぐずするな、ミューゼル。一分一秒が生死を分けるのだ』
宇宙暦 794年 4月 6日 ヴァンフリート4=2 ミハマ・サアヤ
酷い話です、バグダッシュ少佐は私まで疑っていました。でも実際疑われても仕方の無いところもあります。私はフェザーンでの一件を報告しませんでした。でも、あれは報告すべきものではないと思ったのです、汚してはいけないと。
今でもその事は後悔していません。ヴァレンシュタイン少佐も私が情報部に報告しないと思ったからあの場に連れて行ったのでしょう。盗聴器を付けられていた、自分の一語一句を記録されていた、寒気がします。何ておぞましいことか……。私は一生このおぞましさを忘れる事は無いでしょう。
自分がこれまでしてきた事を考えると心が凍りそうです。ヴァレンシュタイン少佐の傍に常に寄り添い、その一部始終を監視していた……。少佐には私がどう見えたか……。自分の周りをうろつき、臭いを嗅ぎまわる薄汚い犬に見えたでしょう。一体少佐はどんな気持ちでいたのか……。
そしてあの時の少佐の目、蔑むような眼でした。人の情を理解しない女、筋金入りの情報部員、そんな眼でした……。私はこれまであんな眼で見られた事は有りません。でもこれからは常にそう見られるのでしょう。所詮は情報部の人間で本人がどう思っていようと危険な女なのだと……。
私はこれまで自分のしてきた事に罪悪感を感じずにいました。多分ヴァレンシュタイン少佐が感じさせずにいてくれたのだと思います。少佐は私に隔意なく接してくれました。あくまで補給担当部の同僚として接してくれたのです。だから私もあまり少佐を監視するという意識を持たずに済みました。
少佐は意地悪でサディストで、どうしようもない根性悪ですけど私の事を気遣ってくれたのだと思います。アルレスハイムでもフェザーンでも私は少佐と一緒にいる事を楽しむ事が出来ました。少佐が私を警戒していれば私はいやでも自分が監視者なのだと気付かされたはずです。楽しむなどと言う事は無かった……。
司令室の中は静寂に満ちています。先程までの緊張や興奮は有りません。私達の会話を聞いたのです、無理も無いでしょう。皆私とバグダッシュ少佐からは視線を逸らしています。
司令室が沈黙に支配される中、ヴァレンシュタイン少佐はスクリーンを見ていました。スクリーンには単座戦闘艇(スパルタニアン)に撃墜される単座戦闘艇(ワルキューレ)が映っています。一方的な展開です。基地までたどり着ける単座戦闘艇(ワルキューレ)は皆無に近いでしょう。
「バグダッシュ少佐」
私は小声で少佐に話しかけました。少佐が“どうした”というような視線で私を見ます。
「私はフェザーンの件を報告しませんでした。情報部はクビですか?」
クビでも構いません、味方まで疑うなんてうんざりです。後方勤務本部のほうが気が楽です。
「それは無い、私は中尉のした事が間違っているとは思わない」
「……」
思わず少佐の顔を見ました。冗談を言っているのではないようです。
「貴官のように監視者だと監視対象者に知られてしまうと、監視者としては余り役に立たない。相手が警戒し交流が無くなる、つまり情報は断片的にしか入ってこなくなるからだ。監視対象者がスパイであるか否かは関係無くね」
「……」
「だが貴官は違った。監視者だと知られてからもヴァレンシュタイン少佐との間に良好な関係を築いた。もちろん少佐が貴官を敵視しなかった事が大きいのだろうが、貴官も不必要に少佐を疑わなかったからだと思っている。おかげで我々は貴官を通して少佐の事を知る事が出来た」
本当でしょうか、私には自信がありません。でも少佐の表情には冷やかしや軽侮はありませんでした。
「……でも私はフェザーンの件を報告しませんでした。監視者としては失格では有りませんか」
「少佐は貴官になら話しても良いと考えた。貴官は少佐のために他者には話すべきではないと考えた……。そうだな」
「はい」
私の返事に少佐は柔らかい笑みを見せました。
「貴官達には信頼関係が有ったのだと思う、人としてのね。それはどんなものよりも大切なものだ。貴官はそれを守った、間違った事はしていない」
間違った事はしていない? なら何故盗聴器を?
「貴官は間違った事はしていない。だから我々が汚れ仕事を引き受ける。監視者も監視対象者も人なのだ、その事を忘れては生きた情報など得る事は出来ない」
「……生きた情報」
よく分かりません。私は生きた情報を送ったのでしょうか? 私はいつも失敗ばかりしてヴァレンシュタイン少佐に圧倒されていました。それが生きた情報?
「貴官には酷い事をしたと思う。許してくれと言うつもりは無い、理解してくれと言うつもりも無い。ただ……」
「ただ?」
「ヴァレンシュタイン少佐との関係を維持して欲しいと思う。ヴィオラ大佐が言っていたよ、二人は本当に楽しそうだったと、とても監視者と監視対象者には見えなかったとね」
「……」
楽しかったです。フェザーンだけじゃ有りません、アルレスハイムも楽しかった。その前からずっと楽しかったんです、少佐と一緒にいる事が……。今とは雲泥の差です、思わず鼻の奥に痛みが走りました。
「彼は今一人だ。全てのものから背を向けようとしている。だが、それでは何時か壊れてしまうだろう。だから貴官が手を差し伸べて欲しい。いつか彼は必ず助けを必要とするはずだ」
「……私に出来るでしょうか」
私の問いかけにバグダッシュ少佐は軽く笑みを浮かべて首を横に振りました。
「私には分からない、貴官にも分からないだろう。だから信じるんだ、いつか彼が必ず助けを必要とすると、自分が彼を助けるんだと」
今のような怖い少佐ではなく、昔の少佐に戻ってくれるのならと思います。たとえ意地悪でサディストで、どうしようもない根性悪でも、優しい笑顔を浮かべてくれる少佐のほうが私は好きです。少佐、戻ってきてください、お願いですから、戻ってきて……。
眼から涙がポロポロと落ちます。私は自分が何を失ったのかようやく分かりました。私が失ったのは信頼だったのです。帝国と戦うと決めたときから少佐は人の心を捨てました。そして信頼も捨てたのです。それを取り戻さない限り、私の知っている少佐は戻ってきません……。
第十五話 心が闇に染まりし時
宇宙暦 794年 4月 6日 ヴァンフリート4=2 バグダッシュ
単座戦闘艇(ワルキューレ)は単座戦闘艇(スパルタニアン)と対空防御システムの前に駆逐された。基地の上空には単座戦闘艇(スパルタニアン)の姿しかない。
「閣下、第五十二制空戦闘航空団司令部が命令を求めています」
通信オペレータの声に司令室の住人の視線がセレブレッゼ中将とヴァレンシュタイン少佐に向かった。命令を求める、第五十二制空戦闘航空団司令部は地上部隊への攻撃命令を欲しがっている。単座戦闘艇(スパルタニアン)を使えば敵に大きな打撃を与える事が出来るだろう。
「少佐、どうすべきかな」
「半数は上空にて警戒態勢を、残り半数は飛行場にて待機させてください。以後二時間おきに交代させるべきかと思います」
ヴァレンシュタイン少佐の進言にセレブレッゼ中将が頷いた。そして通信オペレータに中将が視線を向けると通信オペレータが一つ頷いて指示を出し始めた。
少佐は時間稼ぎをしている、俺やミハマ中尉に話したとおりだ。 隣にいるミハマ中尉を見た。中尉は俯いて涙を流している。哀れだと思う、彼女は監視者には向いていない。彼女の本質は分析官だ。彼女を監視者にしたのは正しかったのか、誤っていたのか……。
歳の近い若い女性、スパイ活動には向いていない女性の方が彼には疑われないだろうと思った、彼の心に入れるのではないかと考えた。確かに彼女はヴァレンシュタイン少佐との間に信頼関係を築くことが出来た、そしてその事が彼女を苦しめている……。
必要な事だった、やらねばならない事だった、そう思っても心は痛む。まさかここまで酷いことになるとは思わなかった。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、外見からは想像つかないが、その内面は予想以上に激しい男だ。帝国軍と戦うと決めてからは全てを断ち切った。彼は自分が死地に落とされたと思っているのだろう。今彼の心を占めているのは憎悪と怒り、そして恐怖……。
もしかすると彼の本質は臆病なのなのかもしれないと俺は考えている、そして臆病であるがゆえに誰よりも苛烈になる……。おそらくは自己防衛の本能なのだろう、敵対しようとする者に対する警告だ。怪我をしたくなければ手出しするな、そう彼は行動で示している……。
間違ったのだろうか? 彼を素直に帝国に帰した方が良かったのだろうか……。 考えても仕方ないことだ、既に賽は振られた……。 我々はルビコンを越えたのだ。どのような結果が出ようとその結果は甘んじて受けなければならない。だが出来る事なら隣で泣いている彼女にはこれ以上辛い思いはさせたくない……。
「帝国軍が撤退します!」
オペレータの驚いたような声が司令室に響いた。皆信じられないのだろう、顔を見合わせている。ミハマ中尉も顔をあげてスクリーンを見ている。そしてヴァレンシュタイン少佐は一人苦笑していた。
「手強いですね、もう少し勝利にこだわるかと思いましたが……。ヘルマン・フォン・リューネブルク、予想以上に手強い。それともミューゼル准将が説得したか……」
その言葉にようやく帝国軍が撤退したという実感が湧いたのだろう。司令室の中に歓声が上がった。セレブレッゼ中将も顔をほころばせている。喜びに沸く司令室の中で通信オペレータが声を上げた。
「ローゼンリッターのヴァーンシャッフェ大佐が追撃の許可を要請しています」
「第五十二制空戦闘航空団司令部もです」
セレブレッゼ中将が困ったような表情を少佐に向けた。 中将は敵を撃退した、基地を守った、それだけで満足しているのかもしれない。
「閣下、現状にて待機するようにと命じてください」
「うむ、現状にて待機」
中将の言葉をオペレータがヴァーンシャッフェ大佐、第五十二制空戦闘航空団司令部に告げた。その瞬間だった、司令室のスクリーンの一つにヴァーンシャッフェ大佐が映った。
「司令官閣下、攻撃の許可を頂きたい!」
「……」
「リューネブルクは我々にとって不倶戴天の仇です。我々にリューネブルクを倒す機会を頂きたい!」
セレブレッゼ司令官が困ったようにヴァレンシュタイン少佐を見た。ヴァーンシャッフェ大佐が言葉を続けた。
「ヴァレンシュタイン少佐、貴官からも司令官閣下に口添えしてくれ。我々ローゼンリッターはあの男と決着をつけねばならんのだ!」
先代の連隊長、リューネブルクが帝国に亡命して以来、軍上層部のローゼンリッターを見る眼は冷たい。同盟を裏切ったリューネブルクを倒せば、ローゼンリッターに対する周囲の目も変わる。おそらくヴァーンシャッフェ大佐はそう考えているのだろう。
「敵が撤退するのに何の備えもしていないとは思えません。今の時点でリスクを犯す必要は無いと思いますが」
「第五十二制空戦闘航空団と共同すればリスクは少ないはずだ。そうではないか、少佐」
どうやら大佐は第五十二制空戦闘航空団と示し合わせてこちらへ連絡してきたらしい。
「……敵地上部隊に対する攻撃は味方艦隊の増援が来てからです。それまでは攻撃は許可できません。また攻撃は戦略爆撃航空団が行ないます」
一瞬の沈黙の後、ヴァレンシュタイン少佐の口から出された言葉はヴァーンシャッフェ大佐には無情なものだった。
「それでは我々ローゼンリッターの名誉は」
逆上するヴァーンシャッフェ大佐にヴァレンシュタイン少佐が冷酷といって良い口調で答える。
「ヴァーンシャッフェ大佐、私が戦うのは勝つため、生き残るためです。名誉とか決着とか、そんな物のために戦うほど私は酔狂じゃありません。司令官閣下への口添えなど御免です」
「少佐!」
スクリーンに映るヴァーンシャッフェ大佐が吼えた。しかしヴァレンシュタイン少佐の口調は変わらなかった。
「ローゼンリッターは帝国軍の侵攻から基地を守った。それで十分に連隊の名誉は守られるはずです。それ以上は欲張りですよ、大佐」
ヴァーンシャッフェ大佐が口篭もった。
「……しかし、艦隊が来るのは何時になるか分かるまい。今すぐ攻撃するべきではないのか」
ヴァーンシャッフェ大佐の言葉にヴァレンシュタイン少佐が苦笑した。
「敵の攻撃部隊が艦隊に戻るまで三十時間はかかります。そして戦略爆撃航空団は三十分で敵艦隊の停泊地にまで行けます。時間は十分に有る、問題は有りません」
勝負有ったとセレブレッゼ中将は見たのだろう、ヴァーンシャッフェ大佐を押さえにかかった。
「そういうことだ、大佐。貴官と貴官の連隊は十分に戦った。その働きには感謝している。現状を維持し、部隊に休息を与えたまえ」
「……はっ」
不承不承では有るがヴァーンシャッフェ大佐は頷いた。スクリーンから大佐の顔が消える。それを見届けてからセレブレッゼ中将が溜息混じりにヴァレンシュタイン少佐に声をかけた。
「良く抑えてくれた、ヴァレンシュタイン少佐。連中の気持は分かるが、ああまでむきになられるとどうもな……。私にはついて行けんよ……」
「大佐もお辛い立場なのでしょう。ですが反転攻勢は味方増援が来てからだと考えます」
セレブレッゼ中将がヴァレンシュタイン少佐の言葉に頷いた。少佐の言葉が続く。
「小官の予測では第五艦隊が最初にこの地にやってくるはずです。それまで我々に出来る事は警戒態勢を維持する事しか有りません。閣下、お疲れでしょう、少しお休みください」
セレブレッゼ中将は少し迷ったが少佐の勧めに従った。司令室を出る直前、少佐に対して“貴官も適当に休め、あまり根を詰めるな”と言い、ヴァレンシュタイン少佐も“有難うございます”と答えた。
セレブレッゼ中将が司令室から出るとヴァレンシュタイン少佐は司令室に居た人間に交代で休むようにと伝え、自分は椅子に腰掛けた。そして何か有ったら直ぐに起すようにと言って身体を背もたれに預け、目を閉じた。
眼を閉じたヴァレンシュタイン少佐の横顔が見える。亡命当初に比べてかなりやつれているようだ、そして疲労の色も濃い。此処最近、少佐の表情が厳しく見えたのはその所為も有るのだろう。我々がそこまで追い詰めてしまったという事か、それとも自ら追い詰めたという事か……。
宇宙暦 794年 4月 6日 ヴァンフリート4=2 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
とりあえず地上部隊からは基地を守った。此処までは予定通りだ。ラインハルトもリューネブルクも今頃は悔しがっているだろう。どうやら俺は歴史の流れを変える事に成功したらしい。たとえ現状で帝国軍の来援が来て基地が落ちる事が有ってもラインハルト達の昇進は無い。
それにしてもあそこで兵を退いたか。リューネブルク、ラインハルト、彼らの立場からすれば兵は退きにくかったはずだが、それでも兵を退いた。多分連中は俺の考えをほぼ察しているに違いない。さすがと言うべきか、それとも当然と言うべきか……。
残念だが基地の安全は未だ確保されたわけではない。味方艦隊がヴァンフリート4=2に来ない。本当なら第五艦隊が来るはずだが、未だ来ない……。第五艦隊より帝国軍が先に来るようだと危険だ。いや、危険というより必敗、必死だな……。
原作では同盟軍第五艦隊がヴァンフリート4=2に最初に来た。第五艦隊司令官ビュコックの判断によるものだった。念のためにヤン・ウェンリーを第五艦隊に置いたが、失敗だったか……。原作どおりビュコックだけにしたほうが良かったか……。
それともヤンはあえて艦隊の移動を遅らせて帝国に俺を殺させる事を考えたか……。帝国軍が俺を殺した後に第五艦隊がその仇を撃つ。勝利も得られるし、目障りな俺も消せる……。有り得ないことではないな、俺がヤンを第五艦隊に送った事を利用してシトレあたりが考えたか……。
ヤンは必要以上に犠牲を払う事を嫌うはずだ。そう思ったから第五艦隊に送ったが誤ったか……。信じべからざるものを信じた、そう言うことか……。慌てるな、此処まできたら第五艦隊が来る事を信じるしかないんだ。
ヤンが信じられないならビュコック第五艦隊司令官を信じろ! 士官学校を卒業していないにもかかわらず、戦場で武勲を挙げる事だけで艦隊司令官にまで出世したあの老人を信じるんだ。あの老人なら味方を見殺しにするような事はしない。
焦るな、俺が焦れば周囲にも焦りが伝染する。第五艦隊が来るのを信じて耐えるんだ。今俺に出来るのは味方艦隊の来援を信じて待つ事だ。ラインハルトのことを考えろ、俺はラインハルトに勝った。歴史を変える事に成功したんだ。きっと上手くいく、そう信じて味方の来援を待つんだ。少し休め、お前は疲れている……。
宇宙暦 794年 4月 7日 ヴァンフリート4=2 ミハマ・サアヤ
「上空に味方艦隊来援! 第五艦隊、ビュコック提督です!」
オペレータの声が司令室に響きました。それと同時に司令室に大きな歓声が上がります。来ました、第五艦隊がきたのです!
ようやく味方の来援が来たといっていいでしょう。敵の地上部隊が退却してから十時間近くが経っています。この間基地は帝国軍の来援と同盟軍の来援、どちらが先に来るかで不安に晒されました。落ち着いていたのはヴァレンシュタイン少佐だけです。
何度もセレブレッゼ中将は味方は何時来るのかと問いかけました。それに対し少佐は“ビュコック中将は歴戦の名将です、必ず来援します”そう言って中将を落ち着かせました。少佐がいなければセレブレッゼ中将は周囲に当り散らしていたかもしれません。少佐の実績、帝国軍地上部隊を撃退した実績が大きかったと思います。
少佐の予測はまた当たりました。司令室の人間は皆少佐を崇拝するような眼で見ています、セレブレッゼ中将もです。何故少佐はそこまで予測できるのか、私は少し怖いです。バグダッシュ少佐も“ここまで来ると神がかっているな”と呟いています。私とバグダッシュ少佐だけが喜びにひたれない……、勝てるのは嬉しいのですが素直に喜べない……。
「司令官閣下、第三十一、第三十三戦略爆撃航空団、第五十二制空戦闘航空団、第十八攻撃航空団に攻撃命令を頂きたいと思います。それと第五艦隊に攻撃要請を」
周囲の喧騒の中、ヴァレンシュタイン少佐の落ち着いた声が聞こえました。まるで少佐だけが別世界にいるようです。
「うむ、良いだろう」
少佐の言葉にセレブレッゼ中将が頷きました。そして少佐が通信オペレータのほうを見ます。オペレータが喜びに満ちた眼で少佐を見返しています。ようやく反撃できる、勝てる、そんな思いが有るのかもしれません。
「第五艦隊に攻撃要請を、敵主力部隊が来援する前にヴァンフリート4=2に停泊中の眼下の敵を攻撃されたし」
「はっ」
「第三十一、第三十三戦略爆撃航空団に命令、撤退する敵地上部隊を攻撃せよ。待機中の第五十二制空戦闘航空団は彼らを援護、戦略爆撃航空団の攻撃終了後は残存する敵地上部隊を掃討せよ」
「はっ」
「第十八攻撃航空団は第五艦隊の攻撃終了後、第五艦隊が打ち漏らした艦を攻撃、敵艦隊を殲滅せよ」
「はっ」
通信オペレータが次々と発せられる少佐の命令を第五艦隊、各部隊に伝え始めました。
「第五艦隊から通信です! 了解、これより攻撃を開始する!」
興奮したような通信オペレータの声です、司令室に歓声が沸きあがりました。そして続けて入った“第五艦隊が攻撃を開始しました!”の報告にさらに歓声が沸きあがりました。司令室はまるでお祭りのようです。皆抱き合い、肩を叩き合って喜んでいます。
ヴァレンシュタイン少佐がこちらに近付いてきます。表情には笑みが有りました。少佐も勝利を喜んでいる、そう私が思ったときです。
「バグダッシュ少佐、ミハマ中尉、帝国軍にとってはこれからが地獄ですよ。このヴァンフリート4=2からどうやって抜け出すか、それだけを望むに違いありません……。彼らはヴァンフリート4=2に来た事を生涯後悔、いえ憎悪する事になるでしょう」
「……」
少佐の口調には間違いなく嘲笑が有りました。私もバグダッシュ少佐も何も言えません。ただ呆然として少佐を見詰めました。そんな私達を見て少佐の笑みが益々大きくなります……。
「酷いと思いますか? でもこれは勝敗の問題じゃないんです。生きるか死ぬかの問題です。私は生き残る事を選んだ、そのためなら全宇宙を地獄に叩き込む事さえ躊躇わない……。付き合ってもらいますよ、私が生み出す地獄へ……」
ヴァレンシュタイン少佐が微笑んでいます。私の目の前にいるのは勝利を喜ぶ軍人では有りませんでした。地獄を生み出した事を喜び、私達を地獄に引き摺りこんだ事を喜んでいる魔王です。
地獄とは戦争や兵器が生み出すものでは有りません、人の心が闇に染まった時生み出されるのです。少佐は私達によって人の心を捨ててしまいました。私達はヴァレンシュタイン少佐の心を闇に染めてしまったのです……。ヴァンフリート4=2は間違いなく地獄になるでしょう……。
第十六話 疑惑
宇宙暦 794年 4月12日 ヴァンフリート4=2 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
ヴァンフリート4=2の戦いは原作とは違い同盟軍の勝利で終わった。グリンメルスハウゼン艦隊は同盟軍第五艦隊、第十八攻撃航空団の攻撃を受け壊滅。司令官グリンメルスハウゼン中将は旗艦オストファーレンもろとも爆死した。
地上部隊は第三十一、第三十三戦略爆撃航空団の集束爆弾による絨毯爆撃攻撃を受けこちらも壊滅、最終的にヴァンフリート4=2を脱出出来たのは約五百隻、兵は五万人に満たない数だろう。当初グリンメルスハウゼン艦隊は一万二千隻の兵力を有し兵員数は百二十万人はいたはずだ。その九割以上がヴァンフリート4=2で戦死したことになる。
帝国軍主力部隊がヴァンフリート4=2に来襲したのはグリンメルスハウゼン艦隊が壊滅した後だった。第五艦隊、そして第五艦隊に続けて来援した第十二艦隊と帝国軍主力部隊は衝突。ヴァンフリート4=2の上空で艦隊決戦が始まった。
帝国軍総司令官ミュッケンベルガーはグリンメルスハウゼンを殺されたことで怒り狂っていたのだろう、或いは自分の立場が危うくなった事を認識し恐怖に駆られたのかもしれない。凄まじい勢いで同盟軍を攻め立てた。
同盟軍第五艦隊はグリンメルスハウゼン艦隊を攻撃した直後に来襲された事で艦隊の隊形を十分に整える事が出来なかった。そのため同盟軍は当初劣勢にたたされた。ミュッケンベルガーは勝てると思っただろう。
残念だったな、ミュッケンベルガー。お前は艦隊決戦にこだわり過ぎた。地上基地の危険性を見過ごしたのだ。当然だがそのつけはおまえ自身が払わなければならない。
同盟軍の危機を救ったのは基地に配備された四千基の対空防御システムだった。対空防御システムは一基あたり三門のレーザー砲を持つ。その対空防御システムから放たれた一万二千のレーザーが帝国軍を襲った。
損害は大きくはなかったが帝国軍は混乱した、そしてビュコック、ボロディンの両提督にとってはその混乱だけで十分だった。第五艦隊、第十二艦隊は混乱した帝国軍を逆撃、帝国軍は大きな損害をだして後退した。
最終的には帝国軍はグリンメルスハウゼン艦隊を含めれば全軍で五割近い損害を出してヴァンフリート4=2から撤退した。そして今ヴァンフリート星域からも帝国軍は撤退しつつある。文字通り帝国軍は同盟軍によってヴァンフリート星域から叩き出されたと言って良いだろう。
同盟軍の大勝利だ。基地は守られ敵艦隊には大打撃を与えた。俺の周囲も皆喜んでいる。しかし俺は喜べない、俺だけは喜べない。ヴァンフリート4=2から逃げ出した五百隻の敗残部隊の中にタンホイザーが有った。どうやら俺はラインハルトを殺す事に失敗したらしい。
おかげで俺は何を食べても美味いと感じられない。今も士官用の食堂で食事をしているのだがフォークでポテトサラダを突くばかりで少しも口に入れる気になれない。溜息ばかりが出る。
どう考えてもおかしい。第五艦隊がヴァンフリート4=2に来るのが俺の予想より一時間遅かった。原作ではミュッケンベルガーがヴァンフリート4=2に向かうのが三時間遅かったとある。三時間有れば余裕を持って第五艦隊を待ち受けられたということだろう。
艦隊の布陣を整えるのに一時間かけたとする。だとすると同盟軍第五艦隊は帝国軍主力部隊が来る二時間前にはヴァンフリート4=2に来た事になる。だがこの世界では同盟軍が来たのは帝国軍主力部隊が来る一時間前だ。
二時間あればヴァンフリート4=2に停泊中のグリンメルスハウゼン艦隊を殲滅できた。行き場を失ったラインハルトも捕殺できたはずだ……。だが現実にはラインハルトは逃げている……。
俺の記憶違いなのか? それともこの世界では同盟軍第五艦隊が遅れる要因、或いは帝国軍が原作より早くやってくる何かが有ったのか……。気になるのはヤンだ、俺が戦闘中に感じたヤンへの疑惑……。俺を殺すために敢えて艦隊の移動を遅らせた……。
否定したいと思う、ヤンがそんな事をするはずがない。しかし俺の知る限り原作とこの世界の違いといえば第五艦隊のヤンの存在しかない……。奴を第五艦隊に配属させたのが失敗だったという事か……。
「少佐、ヴァレンシュタイン少佐」
気がつくとテーブルを挟んで正面にセレブレッゼ中将が座っていた。どうやら俺はポテトサラダを突きながら思考の海に沈んでいたらしい。
シンクレア・セレブレッゼ、今回の勝利を一番喜んでいるのは目の前のこの男だろう。次に行なわれるイゼルローン要塞攻略戦で余程のヘマをしない限り後方勤務本部の次長になる事は間違いないのだ。
この男の将来は確定された、いずれは後方勤務本部の次長から本部長へとなり後方支援業務のトップになるのだろう。まあロックウェルが後方勤務本部の本部長になるよりはましなはずだ。
「申し訳ありません、閣下。少し考え事をしておりました」
「構わんよ、少佐。それより邪魔をしてしまったかな」
「いえ、大丈夫です。もうそろそろ終わりにしようかと考えていました」
セレブレッゼが困惑したような表情で俺とテーブルの上に有る食事の乗ったトレイを見た。中将が困惑するのも無理はない、殆ど手をつけていない……。だがどうにも食べる気になれない……。
「少し話しをしたいのだが、構わんかね」
「はい」
「こんな事を言うのはなんだが、貴官は帝国との戦争を望んでいない、そうではないかな?」
「……」
俺は周囲を見た。傍には誰もいない、この男が人払いをしたのだろう。遠巻きに何人かがこちらを見ているだけだ。俺が返事をせずにいると中将は一つ頷いて話を続けた。
「私はいずれハイネセンに戻る事になるだろう」
「後方勤務本部の次長になられると伺っております。御慶び申し上げます」
「ああ、有難う。いや、まあ」
「?」
セレブレッゼの表情には困惑というか照れのようなものが有る。
「どうかな、少佐。私の直属の部下にならんか。そうなれば貴官も前線に出ずに済む、帝国軍と直接戦わずに済むだろう。それに後方勤務本部には後方支援の能力だけではなく用兵家としての才能もある人物が必要だ」
「……」
「どうかな、少佐。私のところに来れば、今の様に苦しまずに済むと思うのだが」
「有難うございます。ですが小官の事はどうか、ご放念ください」
「少佐?」
「今回の小官の人事にはシトレ統合作戦本部長の意向があるようです」
「シトレ本部長?」
「ええ、本部長は小官をこれからも帝国との最前線で使おうとするに違いありません。閣下が小官を庇おうとすれば閣下のお立場が悪くなります」
「……」
セレブレッゼ中将の顔が暗くなった。軍のトップであるシトレ元帥を相手にする、出来ることではない、俺がどういう立場にあるかようやく分かったらしい。
「これからの同盟には閣下のお力が必要となります。どうか小官の事はご放念ください」
「……そうか、残念な事だ……。ヴァレンシュタイン少佐、私の力が必要な時は何時でも言ってくれ。私は貴官の味方だ」
「……」
「貴官が此処に来てくれた事には感謝している。貴官がいなければ私は戦死するか捕虜になっていただろう、この基地が守られたのは貴官のお蔭だ」
「……そのような事は」
セレブレッゼ中将が首を横に振った。
「私には用兵家としての能力は無かった。だから後方支援に進んだ。後方支援がなければ軍は戦えん、我々こそ軍を支える力だと自負した。だが前線での武勲が欲しくなかったと言えば嘘になる。その想いを貴官が叶えてくれた。しかもこれ以上はないという勝利でな。礼を言わせてくれ、有難う、少佐」
セレブレッゼが俺に頭を下げた。
「お止め下さい、閣下。小官は当然の事をしたまでです。むしろどこまで閣下を御支えする事が出来たのか、心許なく思っております」
セレブレッゼが俺に笑顔を見せた。五十近い男の笑顔なのにどういうわけか可愛いと思える笑顔だった。
「貴官は私を十分に補佐してくれた。少佐、私にはハイネセンに孫がいる。その子に今回の戦の事を話してやるつもりだ。貴官が私を誠実に補佐してくれた事、それ無しでは勝利は得られなかった事をな。あの子はきっと喜んでくれると思う」
そう言うとセレブレッゼ中将は席を立った。そして出口に向かって歩き始めたが直ぐに立ち止まった。
「ヴァレンシュタイン少佐、死に急ぐなよ。私はそれだけが心配だ。この国は貴官にとって決して居心地の良い場所ではないかもしれん。しかし貴官が死んだら同盟にも悲しむ人間が居るという事を忘れんでくれ、私だけではない、この基地に居る皆がそう思っている……」
セレブレッゼ中将がまた歩き始めた。難しい事を言ってくれる、俺に死ぬなとか味方だとか……。ヤンへの疑惑が事実なら、おそらく命じたのはシトレだろう。軍のトップが俺を抹殺したがっている。俺に関わるのは危険なのだ。
俺はポケットから認識票とロケットペンダントを取り出した。ジークフリード・キルヒアイス、帝国暦四百六十七年一月十四日生まれ……。認識票にはそう記載されている。そしてペンダントには赤い髪の毛が収められていた。
両方死ぬか、両方生きていれば未だましだった。だが現実は最悪な形での勝利だった。キルヒアイスが死にラインハルトは生きている。これが本当に勝利の名に値するのかどうか、俺にはさっぱり分からない。分かっている事はラインハルトは決して俺を許さないだろうという事だ。
死に急いでいるつもりは無い。しかし死のほうが俺に近付いてくるだろう。ポテトサラダを見詰めた。食べなければならん、どれほど食欲がなかろうと食べなければ……。俺は未だ死ねんのだ、少しでも生き延びる努力をしなければ……。だが、何のために生きるのだろう、溜息が出た。
宇宙暦 794年 4月25日 ヴァンフリート4=2 ミハマ・サアヤ
「寂しくなるな、貴官が居なくなると」
「閣下」
セレブレッゼ中将とヴァレンシュタイン少佐が話をしています。中将は本当に名残惜しそうですし、少佐は少し照れたような、面映そうな表情をしています。
私は中将を羨ましく思いました。今では見る事が出来なくなってしまいましたが以前は時折私にも見せてくれた表情です。少佐はまだそういう表情を浮かべる事が出来る、少し寂しいけどそれだけで満足するべきなのかもしれません。
ヴァンフリート4=2の地上戦はヴァレンシュタイン少佐の言葉どおり、帝国軍にとって地獄になりました。地獄から生還できた帝国軍は一割に届きません。そして捕虜も居ません、徹底的な絨毯爆撃攻撃と地上掃討によって捕虜になる前に皆戦死しました。
戦が終わった後、少佐は以前にも増して無口になりました。そして周囲に関心を払わなくなったと思います。一人で何か考え込み、時々溜息を漏らしています。食事も余り取っていません。余程気にかかる事が有るようです。身体を壊さなければ良いのですが……。
今回の戦い、同盟軍が勝利を得られたのはひとえに少佐の働きによるものです。誰もがそれを分かっています。皆が少佐と話をしたい、親しくなりたいと考えていますが少佐が暗い表情で考え込んでいるので話しかける事が出来ません……。私も少佐に話しかける事が出来ずにいます。もしかするとやり過ぎたと考えているのかもしれません。
私とヴァレンシュタイン少佐、バグダッシュ少佐はハイネセンに戻る事になりました。元々帝国軍がヴァンフリートに来襲するからという事で臨時に基地に配属された私達です。帝国軍を撃退した以上、ハイネセンに戻るのは当然といえるでしょう。
もっとも私達をハイネセンに運ぶのが第五艦隊というのは異例です。本当なら輸送船で移動なのに帝国軍への追撃を終了した第五艦隊が私達をハイネセンに運ぶ……。
第五艦隊は今回帝国軍を打ち破った殊勲艦隊です。その第五艦隊がわざわざヴァンフリート4=2まで私達を拾うためにやってくる……。統合作戦本部からの命令だそうですが全くもって特別扱いです。
少佐の帰還を誰よりも残念に思ったのはセレブレッゼ中将でしょう。中将の少佐への信頼は基地防衛戦以降、益々厚くなりました。少佐がヴァンフリート4=2の戦後処理を一手に引き受けて行なったからです。
死体の収容、撃破された装甲地上車、艦隊の残骸の撤去、そして消費した物資の補充の手配……。セレブレッゼ中将の手を煩わせる事無く少佐は全てを差配し、中将も何一つ口を挟む事無く少佐に全てを任せました。
それらを通して中将は少佐が用兵家としてだけではなく、後方支援能力、事務処理能力にも優れている事を確認したのだと思います。或いは自分の後継者に、と考えたのかもしれません。それほど中将の少佐に対する信頼は厚いものでした。
「では少佐、気をつけてな。例の約束を忘れんでくれよ」
「はい、有難うございます。閣下もお気をつけて」
「うむ」
例の約束? 一体何の事かと思いましたが、中将も少佐もお互いに穏やかな表情を浮かべています。やましい事ではないのでしょう。敢えて詮索する事は止めようと思います。私は少佐を必要以上に疑いたくありません、信じたいんです。
第五艦隊からは連絡艇が基地に来ています。私達はその連絡艇に乗り第五艦隊旗艦、リオ・グランデに移りました。艦橋に案内されビュコック提督が直ぐに私達に会ってくれました。艦橋にはヤン中佐も居ます。一通り挨拶が終わった後、ビュコック提督がヴァレンシュタイン少佐に話しかけました。
「貴官がヴァレンシュタイン少佐か、心から歓迎するよ」
「有難うございます、提督」
「今回の戦では貴官には随分と世話になった。対空防御システムで敵を叩いてくれなかったら危ないところだったよ」
ビュコック提督はヴァレンシュタイン少佐を高く評価しているようです。提督は明るい表情でヴァレンシュタイン少佐を見ていますし少佐も穏やかな笑みを浮かべています。どうも少佐は同年代の人よりかなり年長の人に対して心を開くようです。
「ハイネセンまでは二十日以上かかるだろう、ゆっくりしてくれ」
「有難うございます、提督」
私達を部屋に案内してくれたのはヤン中佐でした。一人一室ですが私達の部屋は私、ヴァレンシュタイン少佐、バグダッシュ少佐の順で並んでいます。どうやら三部屋無理を言って用意してくれたようです。
部屋に入ろうとしたときでした。ヴァレンシュタイン少佐が私達に話しかけてきました。
「少し皆さんにお話したい事があるんです。私の部屋で話しませんか? ヤン中佐も一緒に」
珍しい事です、少佐が私達を誘ってきました。思わず少佐を見ると少佐は笑みを浮かべてこちらを見返してきました。ヴァンフリート4=2を離れてヴァレンシュタイン少佐も少し気分が軽くなったのかもしれません。
私、バグダッシュ少佐、ヤン中佐の順で部屋に入りました。そして最後にヴァレンシュタイン少佐が入りドアに背を預ける形で立ちます。部屋の中にはベッドと簡易机と椅子があります。私は椅子に、バグダッシュ少佐とヤン中佐はベッドに腰を降ろしました。
「ヤン中佐、教えて欲しい事が有るんです」
「何かな、少佐」
「第五艦隊のヴァンフリート4=2への来援が私の予想より一時間遅かった。ヤン中佐、何故です?」
ヤン中佐の表情が強張るのが見えました。
「何の話かな、意味が良く分からないが」
「ヴァンフリート4=2への来援をビュコック提督に要請してくれたのか、私との約束を守ってくれたのか、そう聞いているんです」
「……」
「それとも私達を見殺しにしようとした、そういうことですか?」
部屋に緊張が走りました。私は良く分からず周りを見るばかりです。ヴァレンシュタイン少佐はもう笑みを浮かべてはいませんでした。冷たい視線でヤン中佐を見据えています。そして私の目の前には蒼白になるヤン中佐が居ました。
第十七話 一時間がもたらすもの
宇宙暦 794年 4月25日 第五艦隊旗艦 リオ・グランデ バグダッシュ
「馬鹿なことを言うな、ヴァレンシュタイン少佐。ヤン中佐が我々を見殺しにするなど有り得ん事だ」
俺は強い口調でヴァレンシュタインを窘めた。
一体何でそんな事を考えるのだ、中佐が我々を見殺しにするなど有り得ない。しかしヴァレンシュタインはこちらをちらりとも見なかった。ドアに背を預けたままヤン中佐を見据えている。
「ビュコック提督は先程ヤン中佐の事を何も言いませんでした。中佐の進言でヴァンフリート4=2への転進を進めていたなら提督はその事を言ったはずです。そして私は中佐に礼を言っていた」
「……」
冷静というより冷酷といって良い口調だ。だがそれ以上にヤン中佐を見るヴァレンシュタインの視線は冷たかった。ミハマ中尉が不安そうな表情で俺を、そしてヤン中佐を見ている。重苦しい雰囲気に部屋が包まれた。
思わず表情が動きそうになったが耐えた。俺が動揺すればミハマ中尉は俺以上に動揺するだろう。ヴァレンシュタイン少佐の思い過ごしだ、そんな事は有り得ない、有り得るはずが無い……。
「しかしビュコック提督は何も言わなかった。中佐がヴァンフリート4=2への転進を勧めなかったか、或いは勧めたとしてもそれほど強いものではなかったか……」
「……」
「どちらにしてもビュコック提督にとって中佐の存在は重いものではなかった、だから私達に話さなかった。つまりこの会戦で中佐の果たした役割はかなり小さい……。違いますか、ヤン中佐?」
「……」
中佐は無言のままだ、黙って少佐の話を聞いている。
「シトレ元帥に見殺しにしろと頼まれましたか?」
「そんな事は無い」
ヴァレンシュタインの問いかけに愕然とするミハマ中尉が見えた。
「待て、ヴァレンシュタイン少佐。ヤン中佐の言う通りだ、そんなことはあり得ない。シトレ元帥は貴官に最大限の助力をするようにと我々に言ったんだ。貴官をこれからもバックアップするとな」
ヴァレンシュタインが薄く笑った。
「なるほど、ではヤン中佐の独断ですか……」
「馬鹿な事を言うな! ヴァレンシュタイン少佐! 一体何が気に入らないんだ。戦争は勝ったんだ、一時間の遅延など目くじらを立てるほどのことでもないだろう」
俺の叱責にもヴァレンシュタインは笑みを消さなかった。
「勝ったと喜べる気分じゃないんですよ、バグダッシュ少佐。エル・ファシルでも一度有りましたね、中佐。あの時も中佐は味方を見殺しにした」
今度はエル・ファシルか、何故そんなに絡む? 一体何が気に入らないんだ……。
「何を言っている、あれはリンチ少将達がヤン中佐に民間人を押し付けて逃げたんだ。見殺しにされたのはヤン中佐のほうだろう」
俺はヤン中佐を弁護しながら横目で中佐を見た。中佐の身体が微かに震えている。怒り? それとも恐怖?
「バグダッシュ少佐、ヤン中佐は知っていましたよ、リンチ少将が自分達を置き去りにして逃げることをね。その上で彼らを利用したんです。リンチ少将のした事とヤン中佐のした事にどれだけの違いがあるんです。五十歩百歩でしょう」
何て事を言うんだ、本気か? ミハマ中尉が驚いた表情でヤン中佐を見ている。はっきり否定しなければならん。
「いい加減にしろ、少佐! リンチ少将は守るべき民間人を見捨てた卑怯者だ。中佐は民間人を守ったのだ、それを誹謗する事は許さん!」
「話を戻そう、あの基地はイゼルローン要塞攻略戦では重要な役割を果たす。貴官はヤン中佐がそれを分からないほど愚かだと言うつもりか?」
「落ちませんよ、イゼルローンは」
「!」
ヴァレンシュタインは笑っていた。明らかに嘲笑と分かる笑みを浮かべている。
「イゼルローン要塞は後方に一つぐらい基地が有ったからといって落ちる程ヤワな要塞じゃありません。だったら敵を誘引して目障りな連中もろとも始末したほうがましです、そうでしょう、ヤン中佐?」
「……」
優しい声だった、だがその声には明らかに毒があった。そしてヴァレンシュタインは毒を吐き続けた。
「私はヤン中佐は必要以上に犠牲を払う事を嫌う人だと思っていました。だから第五艦隊に行ってもらったのですが、どうやら私は貴方にとって必要な犠牲だったらしい」
「嘘です、そんな事嘘です。嘘だと言ってください、中佐」
ミハマ中尉が泣き出しそうな表情でヤン中佐に話しかけた。思わず俺はミハマ中尉を、ヴァレンシュタインを怒鳴りつけていた。
「嘘に決まっている! 少佐、一体何が気に入らないんだ、邪推にも程が有るぞ!」
「何故怒るんです、バグダッシュ少佐。必要な犠牲の中には少佐も、そしてミハマ中尉も含まれているんです。怒るなら私にではなくヤン中佐にしてください。それにしても随分と嫌われたものだ」
冷笑、そして嘲笑。ヴァレンシュタイン少佐の言葉にヤン中佐の表情が歪んだ。そして少し俯くと溜息を吐く。中佐がヴァレンシュタイン少佐に視線を向けた。瞳には後悔の色が有る。まさか、事実なのか……。
「そうじゃない、そうじゃないんだ、ヴァレンシュタイン少佐。私はヴァンフリート4=2への転進を勧めたが司令部の他の参謀に反対され意見を通せなかった。最終的にはビュコック提督が決断し、ヴァンフリート4=2へ向かったが一時間はロスしただろう。貴官の言う通りだ……」
沈黙が落ちた。ヤン中佐は視線を落としミハマ中尉は安心したような、困ったような顔をしている。そしてヴァレンシュタインの表情は厳しいままだ。他の参謀に反対された、新参者という事で部外者扱いされたという事か……。或いは中佐の配属そのものを自分達への不信と受け取ったか……。それで故意に反対した、有りそうな話だ。
「申し訳ない……。貴官に約束しておきながら私は役立たずだった。一つ間違えば基地は帝国軍に破壊されていただろう。貴官が疑うのも怒るのも無理は無い、だがこれが事実だ。私もシトレ元帥も貴官を謀殺しようなどとはしていない。その事は信じて欲しい」
ヤン中佐がヴァレンシュタイン少佐に頭を下げて謝罪した。
「少佐、ヤン中佐の言う通りだ。我々が貴官を謀殺するなど有り得ん事だ。幸い戦は勝ったんだ、ヤン中佐を責めるのはもう止めろ」
「そうです、少佐。少しは私達を信じてください」
俺とミハマ中尉が声をかけたがヴァレンシュタインは表情を緩める事無くヤン中佐を見ている。彼が納得していないのが分かった。きちんと話すべきだろう。
「ヴァレンシュタイン少佐、良く聞いて欲しい。我々は貴官を戦場へ送り出した。だがそれは貴官を謀殺するためじゃない、本当の意味で同盟市民になって欲しかったからだ」
「……」
「貴官は帝国に帰りたいのだろう。だが我々にはそれを認める事は出来ないのだ。酷い事をしているのは分かっている。だが貴官が帝国に戻り、ブラウンシュバイク公の腹心になられては……」
「何の話です? そのブラウンシュバイク公というのは……」
ヴァレンシュタインが訝しそうな表情をしている。何故隠す、もう隠さなくても良いんだ。貴官はブラウンシュバイク公の助けを待っていた、そうだろう……。
「隠さなくても良いだろう、貴官を帝国に戻そうと動いているアントン・フェルナーはブラウンシュバイク公の側近だ」
俺の言葉にミハマ中尉が驚いたような表情を見せた。彼女はアントン・フェルナーがブラウンシュバイク公の側近だという事を知らない……。
「私がブラウンシュバイク公の腹心? それを防ぐために私をヴァンフリートに送った?」
低い笑い声が聞こえた。ヴァレンシュタイン少佐が笑っている。だがその眼には見間違えようがない憎悪が有った。
笑いを収めるとヴァレンシュタインは冷たい目で俺達を見据えた。
「私がブラウンシュバイク公の腹心になるなど有り得ない」
「しかし、フェルナーは」
俺の言葉にヴァレンシュタインは頬に冷笑を浮かべた。
「彼は私が門閥貴族を憎んでいる事を、叩き潰してやりたいと考えている事を理解している。間違ってもブラウンシュバイク公に仕えろなどとは言わない」
「……」
違う、演技じゃない。彼は本心を語っている。我々は何か間違えたのか?
「よくもそんな愚劣な事を考えたものだ。自分達が何をしたのか、まるで分かっていない」
「少佐……」
ヴァレンシュタインの口調が変わった。口調だけではない、表情も変わった。さっきまで有った冷笑は無い、有るのは侮蔑と憎悪だけだ。その変化に皆が息を呑んだ。
「私はヴァンフリート4=2へ行きたくなかった。行けばあの男と戦う事になる。だから行きたくなかった」
「あの男?」
恐る恐るといった感じのミハマ中尉の問いかけにヴァレンシュタインは黙って頷いた。
「ラインハルト・フォン・ミューゼル准将、戦争の天才、覇王の才を持つ男……。門閥貴族を憎み、帝国を変える事が出来る男です。私の望みは彼と共に帝国を変える事だった」
「……」
ラインハルト・フォン・ミューゼル、その名前に思わずミハマ中尉と顔を見合わせた。彼は皇帝の寵姫、グリューネワルト伯爵夫人の弟だったはずだ。それが戦争の天才? 覇王の才を持つ男?
「彼を相手に中途半端な勝利など有り得ない、彼の自尊心を傷つけ怒りを買うだけです。私は未だ死にたくない、だから彼を殺してでも自分が生き残る道を選んだ。たとえ自分の夢を捨てる事になっても」
「……」
「幸い彼は未だ階級が低くその能力を十分に発揮できない。だから必ず勝てる、必ず彼を殺せるだけの手を打った……。おそらく最初で最後のチャンスだったはずです。それなのに……」
ヴァレンシュタインが唇を噛み締めている。そして睨み据えるようにヤン中佐を見ていた。俺もヤン中佐も、そしてミハマ中尉も何も言えずにヴァレンシュタイン少佐を見ている。
「第五艦隊の来援が一時間遅れた……。あの一時間が有ればグリンメルスハウゼン艦隊を殲滅できた、逃げ場を失ったラインハルトを捕殺できたはずだった」
ヴァレンシュタインは呻くように言って天を仰いだ。両手は強く握り締められている。
「最悪の結果ですよ、ラインハルト・フォン・ミューゼルは脱出しジークフリード・キルヒアイスは戦死した。ラインハルトは絶対私を許さない」
ジークフリード・キルヒアイス? その名前に不審を感じたのは俺だけではなかった。他の二人も訝しそうな表情をしている。俺達の様子に気付いたのだろう、ヴァレンシュタインが冷笑を浮かべながら話し始めた。
「ジークフリード・キルヒアイスはラインハルトの副官です。ラインハルトには及ばなくともいずれは宇宙艦隊を率いるだけの力量の持ち主だった。そして親友であり腹心であり、彼の半身でも有った……」
「……」
少しの間沈黙が落ちた。ヴァレンシュタインはポケットから何かを取り出しじっと見ている。ロケットペンダント? そして顔を上げるとノロノロとした口調で話し出した。
「ラインハルトは私を許さない。彼にとって私は不倶戴天の仇であり帝国を捨てた裏切者です。今回は私の前に敗れたがそのままで済ます男じゃありません。必ず私を殺す事に執念を燃やすでしょう」
「……」
「彼が武勲を上げ地位が上がれば、その分だけ彼の持つ権限も大きくなる。そして何時か私を殺す……」
ヴァレンシュタインが暗い笑みを浮かべた。自嘲だろうか?
「悲観し過ぎだ、貴官なら勝てるだろう?」
励まそうと思って故意に明るい声を出した。だがヴァレンシュタインは何処か投げやりな口調で答えた。
「勝てませんね、私など彼の前では無力なウサギのようなものです。これから先、彼が力をつければ益々私は勝てなくなる。それどころか簡単に踏み潰されるでしょう、賭けても良い」
「……」
部屋に不自然な沈黙が落ちた。ヤン中佐の顔面は蒼白だ。一時間の遅れ、それが何を引き起こしたか、何故ヴァレンシュタインがあれほど自分に絡んだかが分かったのだろう。そしてミハマ中尉は泣き出しそうな顔でヴァレンシュタインを見ている。
「シトレ元帥はこれからも私を最前線で使いたがるでしょうね。そうなればラインハルトと出会う機会も増える……」
その後をヴァレンシュタインは言わなかった。だが皆がその先を理解しただろう。何時かはラインハルト・フォン・ミューゼルに殺される……。
「貴官らの愚劣さによって私は地獄に落とされた。唯一掴んだ蜘蛛の糸もそこに居るヤン中佐が断ち切った。貴官らは私の死刑執行命令書にサインをしたわけです。これがヴァンフリート星域の会戦の真実ですよ。ハイネセンに戻ったらシトレ本部長に伝えて下さい、ヴァレンシュタインを地獄に叩き落したと」
冷笑と諦観、相容れないはずの二つが入り混じった不思議な口調だった。
「少佐、我々は」
俺は何を言おうとしたのだろう。訳もわからず声をかけたが返ってきたのは冷酷なまでの拒絶だった。
「聞きたくありませんし聞いても何の意味もない。話は終わりました、出て行ってください。私は不愉快だ、もっとも私の立場になって不愉快にならない人間が居るとも思えないが……」
そう言うとヴァレンシュタインは笑い始めた。希望を無くした人間だけが上げる虚ろな笑い声だった……。その笑い声と共に声が聞こえた。
「同盟市民になって欲しいか……。その結果がこれか……。笑うしかないな、馬鹿馬鹿しくて笑うしかない……」
第十八話 その死の意味するところ
宇宙暦 794年 4月25日 ヴァンフリート4=2 ワルター・フォン・シェーンコップ
「行っちゃいましたね、中佐」
「そうだな」
俺はリンツに答えながらスクリーンを見ていた。俺達――俺、リンツ、ブルームハルト、デア・デッケン――だけじゃない、大勢の人間が司令室のスクリーンを見ている。スクリーンにはヴァンフリート4=2から離れて行く連絡艇が映っていた。
「寂しくなりますね、少佐が居なくなると」
「リンツ、お前、少佐と親しいのか?」
俺の質問にリンツは手を振って否定した。
「とんでもありません、少佐は周りに人を寄せ付けませんよ。そうじゃなくて、少佐は目立つから……、居れば自然と眼が行きます。もうそれも無いと思うと……」
少し照れたような表情をリンツが見せた。目立つか……、確かに目立つ若者だった。未だ大人になりきれない、少年めいた容貌に張り詰めたような緊張感を漂わせていた。今なら分かる、あれは獲物を待ち受ける緊張感だったのだろう。
「美人だったな、何というかちょっと怖いところがある美人だった。気にはなるが手は出せない、そんな感じだな」
俺の言葉に三人は呆れたような顔をして、そして顔を見合わせて小さく苦笑した。
「戦争が終わってからは、元気がありませんでしたね」
リンツの言う通りだ、戦争が終わってからは妙に元気が無かった。戦争の結果に満足できなかったとは思えない。自分の作り出した地獄に嫌気がさしたのか……。
「少佐の知り合いが敵の地上部隊に居たようです」
思いがけない言葉だった。皆の視線がデア・デッケンに向かった。彼は言うべきではなかったと思ったのか、困ったような表情をしている。
「何か知っているのか?」
「まあ、その、……」
「デア・デッケン」
俺の問いかけにデア・デッケンは諦めたように溜息を吐いた。
「夜中に少佐が遺体置き場に行くのを見たんです」
「それで?」
「それで……、少佐がある遺体をじっと見ていました。一時間ぐらい見ていたと思います。その後で遺体から認識票と髪の毛を切り取るのを見ました」
思わずリンツ、ブルームハルトと視線を交わした。彼らも顔に驚きを浮かべている。
「デア・デッケン、お前、その遺体を見たのか?」
ブルームハルトの問いかけにデア・デッケンは一瞬途惑いを見せたが頷いた。
「多分、まだ若い士官だと思います、髪は綺麗な赤毛でした」
「多分?」
「良く分からなかったんです。顔は酷く損傷していて、それに遺体はもう傷んでいました……。少佐が一時間もあそこにいたことのほうが驚きでした」
遺体は傷んでいた、おそらくは腐臭を放っていただろう。だがヴァレンシュタインはその遺体と一時間向き合っていた。何を考えていたのだろう? 後悔か、それとも懺悔か……。
「ヴァレンシュタイン少佐は冷たそうに見えるけど本当は優しい人なんだと思いますよ。時々ロケットペンダントを見て溜息を吐いていましたけど、多分あれは遺髪を入れたんじゃないかな……。死んだのは余程親しい人だったんでしょう」
デア・デッケンの言葉に皆が黙り込んだ。誰よりも冷徹に、冷酷に戦争を指揮した男だった。彼が指揮を執ったから損害は驚くほど少なかった。ローゼンリッターの戦死者は十人に満たない。
彼はヴァーンシャッフェ大佐の追撃要請をにべも無く断わった。彼が追撃を許していればローゼンリッターの戦死者の数は格段に跳ね上がっただろう。
“名誉とか決着とか、そんな物のために戦うほど私は酔狂じゃありません”
その非情さ、冷徹さはいっそ爽快なほどだったが、それは仮面だというのか……。仮面をかぶる事で味方を救った。そして今彼はたった一人で仮面の下で苦しんでいる……。
スクリーンを見た。連絡艇はかなり小さくなっている。眼を凝らさなければ見えない。重苦しい空気を振り払おうとするかのようにリンツが頭を振った。そして場違いとも言える明るい声を出す。
「第五艦隊が出迎えですか、凄いですね。最高評議会議長だって有り得ないでしょう。皇帝並みの待遇だな」
皇帝並みの待遇、リンツの言葉に皆が苦笑した。この同盟で皇帝並みの待遇、確かに有り得ない。
「何でも統合作戦本部長、シトレ元帥の命令だそうだ。ヴァレンシュタイン少佐はシトレ元帥のお気に入り、というか秘蔵っ子らしいな」
俺の言葉にリンツがおどけたようなしぐさで口笛を吹いた。ブルームハルトとデア・デッケンが再び苦笑した。
皆分かっている。リンツがおどける事で皆の気持を軽くしようとしている事を。馬鹿なのではない、馬鹿を演じているだけだ。演じる事で周りの気持を切り替えさせようとしている……。本当は誰よりも熱い心を持っている男だ。誰よりもヴァレンシュタインの事を心配しているだろう。
リンツが表情を変えた。
「我々も移動が近いと聞きましたが?」
「来週には輸送船が迎えに来る。準備をしておけ」
俺の返事にリンツは頷くとまた問いかけて来た。
「次はイゼルローン要塞ですか」
「おそらくそうだろう。今回の戦いで相手にかなりの打撃を与えた。上層部としては一気にイゼルローン要塞を攻略、そう考えてもおかしくない」
皆黙り込んだ。イゼルローン要塞を落とす、その難しさを思ったのだろう。
「落ちますかね、あれが」
そんな深刻そうな顔をするな、デア・デッケン。
「分からんな、まあ、俺達は給料分の仕事をするだけだ」
「まあ、そうですね」
デア・デッケンが笑みを浮かべた。そうそう、それで良いんだ、デア・デッケン。余り難しく考えるな。
ブルームハルトも同じ事を考えたのだろう。陽気な声で話題を変えてきた。
「それにしても俺達は輸送船、ヴァレンシュタイン少佐は第五艦隊、偉い違いだ」
「第五艦隊も文句は言えんさ。なんと言っても同盟軍が勝てたのは少佐の用意した対空防御システムのおかげだからな。あれが無ければ良くて引き分け、悪けりゃ負けた上にこの基地も破壊されていた」
俺の言葉に三人が頷いた。いや三人だけじゃない、周囲に居る人間も頷いている。ヴァンフリート4=2の戦いはヴァレンシュタイン少佐の力で勝った。その事を疑う人間は居ない。
「またあの人と一緒に戦いたいですね、あの人の指揮なら長生きできそうだ」
ブルームハルトの言葉に思わず苦笑した。まるでヴァーンシャッフェ大佐の指揮では長生きできないと言っているように聞こえる。そして俺はそれを否定できない。
「何時かはそんな日が来るさ、だから生き延びろよ、ブルームハルト」
「それ、結構難しそうですよ、中佐」
「だが不可能じゃない、そうだろう?」
俺の言葉にブルームハルトは苦笑交じりに頷いた……。
帝国暦 485 4月25日 イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル
「大丈夫か、ミューゼル准将」
「大丈夫だ、リューネブルク准将」
俺の言葉にリューネブルクは少しの間黙って俺を見ていた。キルヒアイスの死後、リューネブルクが俺を心配そうに見ている事は分かっていた。だが声をかけてきたのは今日が始めてだ。
リューネブルクの眼には明らかに俺を気遣う色が有る。何処かで煩わしく思いながら、それでも受け入れている自分が居た。妙な気分だ、初めて会ったときは嫌な奴としか思わなかったのに……。
しかし、俺が生きているのは間違いなくこの男のおかげだ。この男が地上部隊の総指揮官でなければ俺は死んでいただろう、キルヒアイスと一緒に……。あの撤退からもう二十日近く経つ、今でもあの四月六日、七日の事は鮮明に思い出す……。
反乱軍はこちらの撤退に追撃を仕掛けては来なかった。撤退は何の支障も無く、一人の犠牲も無く行なわれた。問題が有るとすれば何の支障も無く撤退できた事だろう。何故敵は追撃してこないのか?
『ミューゼル准将、応答してくれ』
「こちらミューゼル」
乗り心地の悪い装甲地上車に揺られながら通信機に答えた。
『敵は追撃してこない、卿はこれをどう思う?』
「可能性は二つ。一つ、敵にはこちらを追撃するだけの戦力は無い」
『却下する、そんなひ弱な敵なら俺達は退却などせん。もう一つは?』
「こちらをいつでも殲滅できるだけの戦力を持っている。おそらくは膨大な航空戦力を持っていると思う」
何度か舌を噛みそうになりながらリューネブルクに答えた。全くこの乗り心地の悪さは何とかならないのか。
『同感だ、全く可愛げの無い敵だ。追撃でもしてくれれば少しは安心できるのだがな。常にこちらの嫌がる事ばかりする。そうは思わんか?』
「同意する」
全くだ。この敵は手強いだけではない、辛辣で執拗なのだ。常にこちらの先を読み苛立たせる。そのくせこちらの息の根を止めようとはしない。まるで猫が鼠を弄ぶような戦い方をする。連中が俺たちに与えるのは不安と絶望だ。今も俺達は未だ見ぬ敵の航空兵力に怯えている。
『ミューゼル准将、連絡艇を呼べ』
「連絡艇?」
『そうだ、その連絡艇で卿は先に艦隊に戻れ』
「……」
戻れ? どういう事だ? 俺に部隊を捨てろというのか? 思わずキルヒアイスの顔を見た。キルヒアイスも訝しげな表情を浮かべている。
『司令部に敵基地の攻撃を頼むのは無理だろう。卿の艦隊でも基地を攻撃するのは不可能だ。対空砲火であっという間に撃破される。だが我々を迎えに来る事は可能なはずだ』
「艦隊を動かすとなれば司令部の許可が要る。彼らがそれを許すと思うか、リューネブルク准将」
『おそらくは許すまい。だから部隊の収容をしやすくするために移動すると言え。それなら司令部も許すはずだ』
何を考えている? リューネブルク。
「しかし、それでは部隊の収容には向かえない。意味が無い……」
『卿は自分の艦隊を出来るだけ本隊から離せ。そして見つからんように上手く隠すのだ』
「!」
『敵の増援が来れば艦隊は上空から一方的に攻撃され全滅する。そして基地は膨大な航空戦力で俺達を攻撃するだろう。地上部隊は壊滅状態になるに違いない。だが生き残る兵も居るはずだ、彼らをこのヴァンフリート4=2から脱出させる艦が要る……』
そうか、そういう事か……、勝つためではなく生き残るために戻れというのか。俺の艦隊は二百隻、それほど多くの兵を収容できるわけではない。だが敵の攻撃を受ければ地上部隊で生き残れるのはその二百隻でも十分に収容できるだけの人数になっているだろう。
「……しかし、部隊の指揮は」
『俺が指揮を執る。幸い敵は追撃してこない、特に問題は無いはずだ』
「……」
『俺達を見捨てるなどと思うな、俺達を救うために艦に戻るのだ。躊躇うな、ミューゼル。俺達は指揮官として部下を一人でも多く救わねばならん、そうだろう?』
キルヒアイスを見た。キルヒアイスが俺に頷く。
「分かった、連絡艇を呼ぼう」
「リューネブルク准将、小官はキルヒアイス大尉です。小官は此処に残り、閣下のお役に立ちたいと思います。お許しを頂けるでしょうか?」
思わずキルヒアイスの顔を見た。しかしキルヒアイスは俺を見ない。通信機を見ている。
「何を言う、キルヒアイス。お前も一緒に……」
最後まで言えなかった。キルヒアイスが首を振って俺を止めた。
「私まで部隊を離れれば、兵は本当に見捨てられたと思うでしょう。私は残らなければなりません。……リューネブルク准将、お許しを頂きたい!」
『……了解した、キルヒアイス大尉、よろしく頼む。……ミューゼル准将、卿は良い副官を持った。キルヒアイス大尉の想いを無駄にするなよ』
連絡艇が来たのは三十分後だった。必ずタンホイザーに戻ると言ってキルヒアイスは笑顔を見せた。そしてそれがキルヒアイスを見た最後になった……。
タンホイザーに戻り、なんとか司令部を説得して自分の艦隊を目立たないところに移動させる事が出来た。上空に敵艦隊が現れた時はただただ見つからないようにと祈った。死ねなかった、キルヒアイス達をこのヴァンフリート4=2から脱出させるためには死ねなかった……。
幸いにも敵艦隊の、基地からの航空機による攻撃は一時間で終了した。帝国軍主力部隊が来援したのだ。その後、艦隊を動かし地上部隊を収容したが、その数は一万人に満たなかった……。
そして収容している最中に帝国軍主力部隊が基地の対空防御システムによって混乱するのを見た。その後は反乱軍によって帝国軍は一方的に叩かれ続けた……。
キルヒアイスの死を知ったのはヴァンフリート4=2を脱出し、反乱軍からの追撃を避け安全になってからだった。それまではキルヒアイスの安否を確認する余裕など無かった。いや、もしかすると故意に確認をしなかったのかもしれない。
涙は出なかった、何処かで俺はキルヒアイスの死を覚悟していたのだろう。ただ怒りだけがあった。ヴァンフリート4=2の敵、お前がキルヒアイスを殺した。お前が俺からキルヒアイスを奪った……。
これまで俺の望みは皇帝になり、姉上を救い出す事だった。だがもう一つ望み、いや義務が出来た。ヴァンフリート4=2の敵、お前を殺すことだ。そしてその首をキルヒアイスの墓前に供える。その時、俺は心からキルヒアイスのために泣けるだろう……。
第十九話 帰還
宇宙暦 794年 5月 23日 ハイネセン 統合作戦本部 本部長室 アレックス・キャゼルヌ
「状況は理解している。ミハマ中尉からの報告書を読んだ。酷い事になったようだな」
シトレ本部長が低い声で問いかけて来た。本部長室には本部長と俺の他にヤンとバグダッシュ少佐がいる。
ヴァンフリート星域の会戦後、バグダッシュ少佐はミハマ中尉に報告書を書かせた。ハイネセンで戦争準備をするところを起点とした報告書だ。戦闘詳報ではない、ヴァレンシュタインの行動記録と言って良い。その報告書は今、本部長の机の上に有る。
「申し訳ありません、どうやら酷い勘違いをしたようです。ヴァレンシュタイン少佐はブラウンシュバイク公とは無関係でした……」
バグダッシュ少佐が頭を下げた。
「気にしなくて良い、勘違いかもしれんが今となっては彼を帝国に帰せないのは事実なのだ。それよりヤン中佐、例の一時間だが本当に故意ではないんだね」
シトレ本部長の言葉にヤンが顔を顰めた。
「故意では有りません。本当に第五艦隊司令部の幕僚に反対されたんです。ただ……」
「ただ?」
「私は強く勧めなかった。ヴァレンシュタイン少佐が膨大な兵器を基地に持ち込んだのを知っていました。だから簡単に基地が落ちる事は無いと思ったんです。何処かで甘く見ていたんでしょう。彼が怒ったのもおそらくその辺りを察したんだと思います」
シトレ本部長はヤンの言葉にゆっくりと頷いた。
「分かった。故意ではないのなら問題は無い。後は中佐がヴァレンシュタイン少佐の信頼をどうやって勝ち取るかだ。彼とはこのままの関係で良いというなら別だが」
ヤンが顔を顰めた。対人関係を築くのはヤンがもっとも苦手とする分野だ。本部長もそれを知っている。なかなか意地の悪い事だ。
「ところで今回の戦いだが、ヴァレンシュタイン少佐をどう思った」
シトレ元帥の言葉に皆が顔を見合わせた。そしてバグダッシュ少佐が咳払いをして話し始めた。
「情報部は大騒ぎですよ。余りにも帝国軍の内情に詳しすぎる。もう一度彼を調べ、帝国の内情を調べるべきだ、そんな声も出ています」
バグダッシュ少佐の声にシトレ元帥が含み笑いを漏らした。
「話にならんな、ヴァンフリートの英雄を取り調べる? 気が狂ったかと言われるだろう」
シトレ本部長の言葉にバグダッシュが肩を竦めた。周囲から苦笑が漏れる。
「正直言って神がかっていますよ。何故あそこまで予測できるのか……、味方でさえ恐ろしく思うんです、敵にしてみれば恐怖以外の何物でもないでしょう。情報部が彼を取り調べろというのも無理はありません」
「その気持は良く分かる。後方勤務本部にいた時も似たような思いをした。何故そこまで分かるのか? どうしてそれを知っているのか? そうだろうバグダッシュ少佐」
俺の言葉にバグダッシュが頷いた。
「ヤン中佐、貴官はどう思う?」
シトレ本部長の言葉にヤンは躊躇いがちに口を開いた。
「私は、ヴァレンシュタイン少佐は帝国に協力者がいるんじゃないかと考えています」
協力者、その言葉に皆が顔を見合わせた。
「一時間遅れた……。おかしいんです、あの言葉は第五艦隊の動きだけじゃない、帝国軍の行動も知っていなければ出ない言葉です。協力者から情報を得た、そう考えれば彼の神がかり的な予測も説明できます」
バグダッシュが首を振っている。有り得ないということなのか、それとも別に意味があるのか……。
「私が気になるのは少佐が門閥貴族を打倒しようと考えていた事です。少佐は反帝国活動グループの一員なのかもしれない……」
ヤンが俺を見ている。なるほど、そういう事か……。かつてヤンはブルース・アッシュビー元帥の事を調べた。その時アッシュビー元帥が帝国の共和主義者から情報を得ていたと推測した。元帥の華麗な勝利はその情報があったからだと……。元帥の死後、その情報網がどうなったかは誰も分からない。つまりヴァレンシュタインはその情報網の、或いは似たような組織のメンバーという事か……。
「有り得ませんね、ヤン中佐。私もミハマ中尉もずっとヴァレンシュタイン少佐と一緒に居ました。彼が外部と連絡を取り合った形跡は無いんです」
「……」
ヤンが不満そうに顔を顰めた。納得がいかないのかもしれない。確かにヤンの推理には問題点が有る。ヴァレンシュタインの神がかり的な予測は帝国だけに対してではない、同盟に対しても行なっている。
「彼が有能である事には疑問は無いんだな?」
シトレ本部長の言葉に皆が頷いた。
「ならば彼の言っていたミューゼル准将の事だが何か分かったかね?」
皆の視線がバグダッシュ少佐に向かった。
「ラインハルト・フォン・ミューゼル准将、皇帝フリードリヒ四世の寵姫、グリューネワルト伯爵夫人の弟です。現在十八歳、若すぎる年齢から彼の出世はグリューネワルト伯爵夫人が後ろ盾になっているのだろうと情報部は考えていました」
バグダッシュの言葉に皆が頷いている。
「今回、改めて調査課が彼について調べました。彼は軍幼年学校を首席で卒業しています。それ以後も常に戦場に出ている、武勲を上げて出世をしているんです。少佐の言うように天才かどうかは分かりませんが、無能ではないのは事実です。注意する必要があるでしょう……」
宇宙暦 794年 5月 24日 ハイネセン ミハマ・サアヤ
私達が第五艦隊と共にハイネセンに戻ったのは五月二十一日の事です。首都星ハイネセンはヴァンフリート星域の会戦の勝利で歓喜の嵐の中にありました。無理もないと思います、帝国との戦争は百五十年も続いていますがその中で勝敗が明確についた戦いよりつかなかった戦いのほうが多いのです。
前回、アルレスハイム星域の会戦でも同盟軍が圧倒的な勝利を収めましたが、あれは遭遇戦でしかも会戦の規模は両軍合わせても一万五千隻程です。政府や軍は大勝利と宣伝しましたが同盟市民にとってはそれほど感銘を受けるものではなかったでしょう。むしろサイオキシン麻薬を使った帝国の陰謀を打ち破った戦い、というのが同盟市民の一般的な受け取り方です。
それに比べれば今回は両軍合わせて約六万隻の艦隊がヴァンフリート星域で対決したのです。そして帝国側は基地の存在を知らなかったようですが同盟側の目的ははっきりしていました。
基地を守り次のイゼルローン要塞攻略へ繋げる、言わば第六次イゼルローン要塞攻略戦の前哨戦と認識していたのです。この会戦の結果次第では第六次イゼルローン要塞攻略戦は延期という事もあったはずです。
しかしヴァンフリート星域の会戦は同盟軍の大勝利で終わりました。ヴァンフリート4=2の基地は守られ最終的には帝国軍は五割近い損害を出して敗北したのです。
この会戦の勝利の立役者は間違いなくヴァレンシュタイン少佐です。少佐の存在無しではヴァンフリート星域の会戦はどうなっていたか……。基地は破壊され同盟軍は敗北していたかもしれません。
ハイネセンのマスコミはヴァレンシュタイン少佐の活躍、孤立した基地を守り味方増援が来てから反撃した沈着さと用意周到さを絶賛しています。そして少佐を登用したシトレ元帥の識見をこれでもかというほどに賞賛しています。もっとも今回は少佐がマスコミに答える事はありません。体調不良ということで全て断わっています。
ヴァレンシュタイン少佐は第五艦隊旗艦リオ・グランデに居る間、貧血で倒れました。リオ・グランデの軍医の診断によれば原因は睡眠不足と栄養失調だそうです。しばらくは安静にする必要があるとの事でした。そしてハイネセン到着後は市内の軍中央病院で入院しています。
今、私の目の前にはベッドに横たわる少佐がいます。顔色はよく有りません、蒼白い顔をしています、呼吸も浅く少し苦しそうです。疲れているとは思っていました、でも倒れるほどに追い詰められているとは思っていませんでした……。
“貴官らの愚劣さによって私は地獄に落とされた。唯一掴んだ蜘蛛の糸もそこに居るヤン中佐が断ち切った。貴官らは私の死刑執行命令書にサインをしたわけです。これがヴァンフリート星域の会戦の真実ですよ。ハイネセンに戻ったらシトレ本部長に伝えて下さい、ヴァレンシュタインを地獄に叩き落したと”
あの時の少佐の言葉が胸に刺さったまま取れません。少佐の言ったことが真実なのかどうかは分かりません、或いは少佐の勘違いなのかもしれないと思います。ですが少佐が地獄に叩き落されたと信じているのは事実です。
あと一時間、一時間早く第五艦隊がヴァンフリート4=2に来ていれば……。言っても仕方ない事ですがそう思わざるを得ません。たった一時間です、その一時間が少佐を絶望させている……。
あれ以来、少佐は私達を以前にも増して避けるようになりました。いえ、一人でいる事を望みました。そしてハイネセン到着間際になって、姿が見えないこと、艦内放送での呼び出しにも答えない事から艦内を捜索した結果、部屋で倒れている少佐を発見したのです。
倒れている少佐を見たとき、私は足が竦んで動けませんでした。少佐が自殺したのではないかと思ったのです。バグダッシュ少佐に叱責され、ようやく少佐の傍に行く事が出来ました……。
どうすれば少佐を絶望から助けられるのか……。いくら信じてくれと言っても少佐の言う事が真実なら同盟は取り返しのつかない過ちを犯した事になります。簡単に許してくれるとは思えません。それを思うと溜息しか出ない……。
「何か用ですか、中尉」
いつの間にか少佐が眼を覚ましていました。ベッドに横たわったままこちらを見ています。笑顔はありません、ですが声をかけてくれるだけましです。
「少佐の昇進が決まりました。それをお知らせしようと思ったのです」
「……昇進ですか」
皮肉を帯びた口調でした。内心、気持が萎えかかりましたがこの程度で挫けていては少佐の信頼を取り戻すなど夢物語でしょう。
「少佐は大佐に昇進します。明日の九時に中佐に、そして午後一時に大佐に昇進するそうです。おめでとうございます」
「……」
少佐は少しも感情を見せませんでした、無表情なままです。喜ぶとは思いませんでしたが少しくらい驚いてくれたら……、内心で溜息を吐きました。
銀河帝国では大きな武勲を上げた軍人に対して時折二階級昇進があるそうです。ですが自由惑星同盟では二階級昇進は戦死者に対してのみ行なわれます。生者に対しては行なわれません。ですから今回のように時間をずらして昇進させます。
もっともこんな事は極めて異例です。以前、こんな形で二階級昇進したのはヤン中佐だけです。エル・ファシルで民間人三百万人を救った事に対して行なわれました……。
同盟軍が今回の少佐の働きをどれだけ高く評価しているかが分かります。もっとも昇進すればさらに戦場に出る事になるでしょう、少佐はその事を考えているのかもしれません。であれば喜べないのも無理はありません。
「私も昇進する事になりました。明日付けでミハマ大尉になります」
「……おめでとう」
「有難うございます! 少佐」
小さな声でした、何処か投げやりな感じにも聞こえましたがそれでも祝ってくれたのです。思いっきりお礼を言いました。少佐は今度は苦笑していました。馬鹿みたいだけどとっても嬉しかった。
「少佐は昇進と共に異動になります。今度の配属先は宇宙艦隊司令部の作戦参謀です。私も同じところに配属が決まりました」
「……」
「最初の任務はイゼルローン要塞攻略戦になるそうです」
少佐は無言でした。軍の上層部は少佐を前線に送ろうとしています。ある意味止むを得ない部分もあるのです。少佐を後方勤務本部に置けば何故軍はヴァンフリートの英雄を前線に出さないのかと市民の批判を受けるのは間違いありません。
前線に行くとなれば宇宙艦隊司令部というのは比較的安全な場所です。ただヴァレンシュタイン少佐にとって居心地は良くないかもしれません。私にとってもです。
今回のヴァンフリート星域の会戦で全く活躍しなかった人物が二人います。一人は第六艦隊司令官ムーア中将、そしてもう一人は宇宙艦隊司令長官ロボス元帥です。
開戦直後、繞回進撃を試みた事で同盟軍は混乱しました。その混乱の中で第五艦隊のビュコック提督、第十二艦隊のボロディン提督はヴァンフリート4=2に来援、帝国軍を撃破しました。ですがその間、第六艦隊司令官ムーア中将とロボス元帥はヴァンフリート星域を当ても無く彷徨っていたのです。
当然ですがロボス元帥に対する評価は散々なものです。
“迷子の総司令官”
“総司令官が居ないほうが同盟は勝てるんじゃないか”
戦争そのものは勝ったので進退問題にはなりませんが周囲からは笑われています。
大勝利だったのです。もしヴァレンシュタイン少佐が基地に居らず、ロボス元帥が宇宙艦隊を率いてヴァンフリート4=2に来援していれば、帝国軍を撃ち破っていれば、ロボス元帥の功績として認められたでしょう。その場合、シトレ元帥は勇退しロボス元帥の統合作戦本部長への昇進も認められたかもしれません。
しかし、現実にはヴァンフリート星域の会戦の勝利の立役者はヴァレンシュタイン少佐です。当然ですが少佐を登用したシトレ元帥の立場は強化されました。ロボス元帥にとってヴァレンシュタイン少佐は目障りなシトレ元帥の手下にしか見えないと思います。
少佐も同じような事を考えたのでしょう。呟くように声を出しました。
「ライバル争いですか、馬鹿馬鹿しい。いい迷惑だ」
「……少佐、イゼルローン要塞は攻略できますか?」
「……」
私の問いに少佐は無言でした。黙って天井を見ています。
「少佐はイゼルローン要塞は後方に一つぐらい基地が有ったからといって落ちる程ヤワな要塞じゃないと仰いました。やはり無理なのでしょうか?」
「……」
答えは有りません、やはり無理なのか、それとも答えたくないのか……。諦めて帰ろうとしたときです。
「イゼルローン要塞攻略のカギを握るのは同盟では有りません、帝国でしょう」
「……」
カギを握るのは帝国? どういう意味なのか……、聞こうと思った時には少佐は目を閉じていました……。
第二十話 マルコム・ワイドボーン
帝国暦 485年 6月25日 オーディン ラインハルト・フォン・ミューゼル
軍務省人事局に行くと新しい人事を言い渡された。帝国宇宙艦隊総司令部付、それが新しい役職だった。いや、正式には役職とは言えない。所属が明確になっただけだ。だが俺は満足している。これは次の征戦までの臨時の席だからだ。つまり、俺は次の戦にも参加できる……。
イゼルローンからオーディンに戻ったのが六月十日、そして今が二十五日。この二週間は良く分からないうちに過ぎた……。最初にした事はキルヒアイスの両親に会うことだった。
二人とも既にキルヒアイスの死を知っていた。まだ二人とも五十歳前後のはずだが俺には六十近い老人に見えた。怒鳴られても仕方ない、殴られても仕方ない、そう思っていた。俺がキルヒアイスをこの二人から奪った。俺が誘わなければキルヒアイスは軍人にはならなかっただろう。学校の教師か、或いは官史か……。戦死する事も無かったはずだ。
二人は俺を責めなかった、泣くことも無かった、ただキルヒアイスの話を聞きたがった。家を辞去する時、最後に両親はキルヒアイスの遺体はどうなったのかと訊いてきた。答えられなかった、ただ黙って俯く俺の耳に母親の泣き声と父親が慰める声が聞こえた……。
姉上には会えない。皇帝の寵姫である姉上には皇帝の許しが要る。だが今は許しが無い事が有り難い。一体姉上になんと言えば良いのか……。その日が来れば俺は姉上の前で何も言えずに俯いているかもしれない……。
「ミューゼル准将」
「リューネブルク准将……」
気がつくと軍務省を出るところだった。リューネブルクが片手を上げてこちらに近付いて来た。いつの間にか考え込んでいたらしい。最近そういう事が多い……。
並んで歩き出す、リューネブルクが話しかけてきた。
「新しい人事が出たそうだな」
「ああ、帝国宇宙艦隊総司令部付。どうやら次の征戦にも参加できそうだ」
「俺もだ、イゼルローン要塞への出兵を命じられた」
「そうか」
反乱軍はイゼルローン要塞攻略を考えているらしい。ヴァンフリート星域の会戦で勝利を収めた事で意気が上がっている。一気に要塞を攻略しようというのだろう。
「ミュッケンベルガー元帥も正念場だな、イゼルローンにはオフレッサー上級大将も行くそうだ」
「……」
オフレッサー……、あの人を殺すしか能の無い野蛮人もか。
稀に見る大敗、そしてグリンメルスハウゼン子爵の戦死。当然だがミュッケンベルガー元帥の進退問題が浮上した。だが反乱軍がイゼルローン要塞攻略を考えている、その事がミュッケンベルガーの首を繋いだ。
現時点での宇宙艦隊司令長官の交代は敵を利するのみ……。軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥、両者の弁護が有ったと言われている。ミュッケンベルガーの責が問われなかった事は俺達の責任問題にも影響した。責任を問わず、次の会戦で雪辱させるべし……。当然武勲を上げなければ今度は責任を問われるだろう。ミュッケンベルガーも俺達も……
「ヴァンフリート4=2の敵のこと、聞いたか?」
「いや」
「情報が遅いな」
「……」
情報が遅い、耳が痛い言葉だ。分かっている、キルヒアイスが居なくなった所為だ。これまではキルヒアイスが俺を助けてくれた。だが今では全てを自分でやらなければならない。その事の弊害が出ている。早急に有能で信頼できる副官が要る。しかし、そんな人物が居るのか……。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタインがあの基地に居たそうだ」
「ヴァレンシュタイン……、あの男が……」
「? 会った事でもあるのか?」
リューネブルクが訝しげな表情で尋ねてきた。
「一度見た事が有る、第五次イゼルローン要塞攻防戦で一緒だった。イゼルローンへは補給状況の査察で来ていたと聞いている」
「なるほど、その時に亡命したか」
リューネブルクが二度、三度と頷いている。
「反乱軍の並行追撃作戦を見破って要塞司令官クライスト大将、駐留艦隊司令官ヴァルテンベルク大将に進言したらしい。もっとも二人は無視したと聞いているが……。兵站出身なのに出来る男が居るものだと思った。あの男がヴァンフリート4=2に……」
「おい、ミューゼル」
「?」
肩をリューネブルクに掴まれた。リューネブルクが厳しい顔をしている。
「ヴァレンシュタインが反乱軍の並行追撃作戦を見破った、というのは本当か?」
「ああ、そう聞いている」
益々表情が厳しくなった。
「余りその事は言わんほうが良いぞ」
「?」
「あの亡命には不審な点があると聞いた事がある。ある士官を殺害して逃げたらしいがその理由がはっきりしないらしい。あるいは口封じだったのかもしれん」
リューネブルクの声が小さくなった。口封じ? クライスト、ヴァルテンベルクの二人が隠蔽工作を行ったという事か?
「並行追撃作戦の可能性を知りながら無視した。それによって味方殺しが発生した。それが上に知られれば……。分かるだろう?」
「クライスト、ヴァルテンベルク大将はあの後、味方殺しの責任を取らされてイゼルローン要塞の防衛から外されている。考えすぎだと思うが?」
「並行追撃作戦の可能性を指摘した士官が居るとは聞いていない。それが事実なら軍法会議ものだぞ」
「……」
「ありえない話じゃない、あまり周囲には話さんことだ」
「分かった、気をつけよう」
リューネブルクは頷くと肩から手を離した。ヴァレンシュタイン、たとえどんな理由があろうとキルヒアイスを殺したのはお前だ。そのことは変わらない、俺は必ずお前を殺す……。
宇宙暦 794年 7月10日 ハイネセン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
ヴァンフリート星域の会戦の勝利で大佐に昇進した。俺以外にもサアヤ、バグダッシュ、ヤンが一階級昇進している。ビュコック、ボロディンも昇進した。残念だったが、いや当然なのかもしれないがムーアは昇進しなかった。
他にもローゼンリッターやセレブレッゼ中将が昇進している。まあヴァンフリート星域に行った連中は一握りを除いて昇進したという事だ。意外なところではキャゼルヌが昇進している。俺の戦争準備はその殆どをキャゼルヌが手配した。その事が評価されたらしい、まあ妥当なところだろう。
俺は六月の五日から宇宙艦隊司令部に出仕した。宇宙艦隊司令部は今第六次イゼルローン要塞攻略戦に向けて準備を進めている。司令部の参謀チームは膨大な人数になっている。俺とサアヤの他にもバグダッシュも参加している。百人を超えるだろう。
前回のヴァンフリートでロボスはドジを踏んでいる。それもあって参謀はかなり多めに集められたようだ。原作でも九十人近く集められたがそれより多い。余程ロボスが心配なのだろう。参謀チームのトップはドワイト・グリーンヒル大将だが、まあこれは原作どおりだ。
いろんな所で原作とは差異が出ている。この差異がこれからの未来にどういう変化をもたらすかだが、はっきりいって分からん。ロボスの影響力が原作より低下しているし、ビュコック、ボロディンが大将になっている。
帝国もだ、どうやらミュッケンベルガーは失脚はしなかったようだが、やはり影響力の低下は否めないだろう。ラインハルトも昇進は出来なかったはずだ。これがこの先どう影響するか……。
ラインハルトがこのまま終わるとは思えない、終わるはずが無い。キルヒアイスが死んだことで精神的な自立が早まるかもしれん。となると原作より昇進は遅くなるかもしれんが、より手強くなる可能性は十分にある。
それとラインハルトの目が外に向く事になるだろう。これまではキルヒアイスに頼りがちだったが、彼を失った以上、それに代わる人材を求めるはずだ。原作より早い時点で彼の下に人材が集まる可能性がある。
厄介だな、より手強く、地に足をつけたラインハルトか……。とてもではないが勝てる気がしない。ラインハルトが病死するのが二十五歳、あと七年もある。滅入る一方だ……。
頭を切り替えよう、参謀は百人は居るのだが俺が居る部屋には三人しか居ない。俺とサアヤとヤンだ。部屋が狭いわけではない、少なくともあと五十人くらいは入りそうな部屋なのだが三人……。滅入るよな。
想像はつくだろう。ロボス元帥に追っ払われたわけだ。彼はヴァンフリートで俺達に赤っ恥をかかされたと思っている。バグダッシュは相変わらず世渡り上手なんだな、上手い事ロボスの機嫌を取ったらしい、あの横着者め。グリーンヒル参謀長は俺達のことをとりなそうとしてくれたようだが無駄だった。
心の狭い男だ、ドジを踏んだのは自分だろう。それなのに他人に当たるとは……。宇宙艦隊司令長官がそれで務まるのかよ。笑って許すぐらいの器量は欲しいもんだ。
まあ、俺も他人の事は言えない。今回はヤンにかなり当り散らした。分かっているんだ、ヤンは反対されると強く押し切れないタイプだって事は。でもな、あそこまで俺を警戒しておいて、それで約束したのに一時間遅れた。おまけに結果は最悪、そのくせ周囲は大勝利だと浮かれている。何処が嬉しいんだ? ぶち切れたくもなる。
しかしね、まあちょっとやりすぎたのは事実だ、反省もしている。おまけにロボスに疎まれて俺と同室になった。ヤンにしてみれば踏んだり蹴ったりだろう。悪いと思っている。
おかげで今、凄くこの部屋に居づらい。仕事があれば良いんだが仕事なんてものは無い。つまり、男女三人がする事も無く気まずい雰囲気の中、部屋にいることになる。
仕方が無いんで俺は弁護士の勉強をしている、ヤンは紅茶を飲みながら本を読むか、昼寝だ。サアヤはする事も無くボーッとしている。まあ和解のメッセージじゃないが俺は毎日クッキーを作っている。
サアヤは喜んでいるし、ヤンもクッキーを食べながら紅茶を飲んでいる。会話など殆ど無いが冷戦ではないし熱戦でもない、強いて言えば雪解け間近、そんなところか。雪崩が起きないようにしたいもんだ。
ドアが開く音がした。バグダッシュだろう、奴は時々情報収集をして来たと言って要塞攻略戦の準備状況を教えてくれる。それによれば八月の初旬には出兵する事になるらしい。
「ヴァレンシュタイン大佐、あー、その、クッキーを貰っても良いかな」
「……」
目の前に居たのはバグダッシュではなかった。マルコム・ワイドボーン大佐、ヤンとは士官学校の同期生で十年来の秀才といわれた男だ。
こいつ、甘党か? そんな感じには見えんがな。背も高いし、がっちりしている。眉は太いし、どちらかと言えば男くさい顔立ちなんだが、それがクッキー?
「駄目か?」
こいつも本当ならどっかの艦隊の参謀長になっているはずなんだが、司令部に参謀として召集されている。原作だと今度の第六次イゼルローン要塞攻略戦でラインハルトの前に敗れて戦死するんだが……。
「私は構わない、後はその二人に訊いてください」
俺はヤンとサアヤを見た。二人とも顔を見合わせてからワイドボーンに頷く。それを見てワイドボーンがクッキーに手を伸ばした。
「美味いな、貴官が作ったクッキーは美味いと聞いていたが、本当だ。やはり仕事をして疲れたときには甘いものが一番だ」
こいつ喧嘩売ってんのか? 俺は構わんがヤンとサアヤにとっては嫌味にしか聞こえんぞ。さっさとクッキー食ったら帰れ。
「酷いです、ヴァレシュタイン大佐。何故私を見るんです」
サアヤが口を尖らせて抗議してきた。俺が誰を見ようと俺の勝手だろう。なんだってそんなに過剰に反応するんだ。
「……別に」
宇宙暦 794年 7月25日 ハイネセン 宇宙艦隊司令部 ミハマ・サアヤ
暇です、毎日が暇です。宇宙艦隊司令部に配属されてから暇な日が毎日続いています。私達に仕事はありません、ロボス元帥が“あいつらは居ないものと考えろ”そう言ったそうです。
広い部屋に私とヤン大佐とヴァレンシュタイン大佐の三人、最初は凄く気まずかったです。ヤン大佐も困惑していました。平然としていたのはヴァレンシュタイン大佐だけです。相変わらず無表情で弁護士の勉強をしています。
それでも今回は毎日クッキーを焼いてくれます。同じクッキーが二日続く事はありませんから気を遣ってくれているのでしょう。ヤン大佐も“気を遣っているみたいだね”と言っています。会話は有りませんが穏やかな日が続いています。
最近ではワイドボーン大佐がこの部屋に毎日来ます。クッキーを食べに来るんですが、私の見るところ目的はそれだけではありません。ヴァレンシュタイン大佐に関心が有るようです。
最初にこの部屋に来た時、クッキーを食べた後ワイドボーン大佐はヴァレンシュタイン大佐にシミュレーションをしようと言い出しました。そのときのヴァレンシュタイン大佐の返事は酷いものでした。
“貴官は将来、なんになりたいのです”
“もちろん宇宙艦隊司令長官を経て統合作戦本部長だな”
“シミュレーションに拘るから艦隊司令官かと思いましたよ”
ワイドボーン大佐は憮然としヤン大佐は苦笑、そしてヴァレンシュタイン大佐は面白くもなさそうな表情で勉強をしていました。相変わらず大佐は性格が悪いです。なんであんなに美味しいクッキーが作れるんだろう?
手酷くあしらわれたんです、もう二度とワイドボーン大佐は来ないと思いました。でもそれから大佐は毎日来ます。クッキーを食べた後、何かとヴァレンシュタイン大佐に話しかけてきます。そして素気無くあしらわれてヤン大佐に笑われている。
ワイドボーン大佐が帰った後の私とヴァレンシュタイン大佐の会話です。
“空気を読めない人だ”
“嫌いなんですか? ワイドボーン大佐が”
“……背の高い男に見下ろされるのは嫌いなんです”
その瞬間私とヤン大佐は笑い出し、ヴァレンシュタイン大佐に睨まれました。
「よう、元気か」
ワイドボーン大佐が来ました。ヴァレンシュタイン大佐は関心がないように勉強しています、いつもの事です。私とヤン大佐は顔を見合わせ苦笑しました、これもいつもの事です。
ワイドボーン大佐は段ボール箱を抱えていました
「どうしたんだい、ワイドボーン、その箱は?」
「荷物だ、今日からおれも席はこっちになった」
「はあ?」
ヤン大佐とワイドボーン大佐が話しています。でも意味が良く分かりません。ヴァレンシュタイン大佐も眉を寄せてワイドボーン大佐を見ています。
「ロボス元帥は俺がちょくちょくこっちに来ている事が気に入らないらしい。そんなに気になるのなら向こうに行ってはどうかと言われた」
「それで」
「分かりました、行かせて貰います。そう言ったよ」
ワイドボーン大佐が胸を張りました。ヤン大佐は呆れたような顔を、ヴァレンシュタイン大佐は口をへの字に曲げました。
「まあ、向こうに居るよりこっちのほうが楽しそうだしな」
「楽しそうって、貴官はヴァレンシュタイン大佐に相手にされていないだろう」
呆れたようにヤン大佐が言っています。私も全く同感です。
「本当は俺と仲良くしたいんだ、ツンデレなのさ。そうだろう、ヴァレンシュタイン大佐?」
「……自信過剰と馬鹿は同義語だ……」
「まあそういうわけだ、よろしく頼む」
変な人です、ヴァレンシュタイン大佐もヤン大佐も呆れたような表情をしています。士官学校を首席で卒業、十年来の秀才って本当でしょうか? ヴァレンシュタイン大佐の言うとおり、全く空気の読めない人です。たとえ将来性は有望でも絶対彼氏にはしたくない、マルコム・ワイドボーン大佐はそんなタイプの男性でした……。
第二十一話 作戦計画書
宇宙暦 794年 7月26日 ハイネセン 宇宙艦隊司令部 ミハマ・サアヤ
「ちょっとこれを見てくれないか」
ワイドボーン大佐が私達にA4用紙十枚程の文書を渡しました。表紙には「第六次イゼルローン要塞攻略作戦」と書いてあります。
思わず私は周囲を見ました。ヤン大佐は困惑していますが、ヴァレンシュタイン大佐は興味なさそうです。一瞬視線を文書に向けましたが、直ぐ司法試験の参考書に戻しました。
「良いのかい、こんな物を見せて。極秘だろう?」
「宇宙艦隊司令部の中で作戦参謀が見ているんだ、問題ないさ」
「なるほど、そう言えば作戦参謀だったか……」
ヤン大佐が納得したように頷いています。ワイドボーン大佐の言う通りです。私達は作戦参謀でした、名前だけですけど。
「まあ、ちょっと見てみようか」
ヤン大佐が声をかけてきました。私にというよりヴァレンシュタイン大佐に対してだと思います。大佐もそれが分かったのでしょう。一つ溜息を吐くと無言で計画書を手に取り、読み始めました。
ヤン大佐が私を見て笑みを浮かべました。“素直じゃないね”でしょうか、それとも“困ったものだね”でしょうか。ヤン大佐とヴァレンシュタイン大佐の関係はヴァンフリート星域の会戦直後から比べるとかなり良好になりました。
会話を交わすわけでは有りませんが、相手を避けるようなそぶりは有りません。少しずつですが良い方向に向かっていると思います。このまま良い方向に向かってくれれば……。あとはあのミューゼル准将の事が大佐の思い過ごしであることを祈るだけです。私もちょっと笑みを浮かべてから計画書を読み始めました。
読み出すにつれ、ドキドキしました。作戦計画書なんて読むのは初めてです。しかも第六次イゼルローン要塞攻略作戦、味わうようにじっくりと読みました、楽しいです。ところが私が半分も読み終わらないうちにパサッという音が聞こえました。
不審に思って音のした方を見るとヴァレンシュタイン大佐が作戦計画書をテーブルに置いた音でした。もう読み終わった? 私が半分も読み終わらないのに? 大佐は無表情にテーブルの上の作戦計画書を見ています。
私も驚きましたがヤン大佐もワイドボーン大佐も驚いています。顔を見合わせているとヴァレンシュタイン大佐がこちらを見ました。
「読みましたよ、ちゃんと」
「わ、分かった、こっちも急いで読もう」
「その必要は有りません。ゆっくり読んでください」
ヴァレンシュタイン大佐がヤン大佐と話しています。ゆっくり読んで良いと言われましたが、とてもそんな事は出来ません。大急ぎで残りを読みました。読み終わったのはヤン大佐と殆ど同時だったと思います。
私達が読み終わったのを見てワイドボーン大佐が話しかけてきました。
「で、この作戦計画だがどう思った?」
「悪くないね」
「悪くないか」
ヤン大佐が頷きました。
悪くない? そうでしょうか? 私には良く分かりません。ミサイルでイゼルローン要塞に穴を開けるなど簡単に出来るのか? 帝国軍がそれをやすやすと許すのか? ちょっと質問したいと思いましたが、気が引けました。
なんと言ってもこの部屋に居るのはヴァンフリートの英雄、エル・ファシルの英雄と士官学校で十年に一人の秀才と言われた人物達です。お馬鹿な質問をしたら笑われるでしょう。もっともヴァンフリートの英雄は今ひとつやる気が見えませんが……。
「ミハマ大尉、納得がいかないという顔をしているな」
「あ、それは……」
「構わんよ、疑問があるなら言うと良い」
ワイドボーン大佐が質問を促がします。私なんかが話して良いのかどうか、迷いましたが思い切って聞きました。
「総司令部は艦隊主力を囮にしようとしているんですよね」
「うむ、そうなるな」
ワイドボーン大佐が答えてくれます。そしてヴァレンシュタイン大佐は無言のままです。話を聞いているのかどうか……。
「そんな簡単に帝国軍がこちらの思い通りに引っかかるんでしょうか? よく分からないんですが……」
ワイドボーン大佐とヤン大佐が顔を見合わせました。ヤン大佐が一つ頷いて話しを始めました。
「イゼルローン要塞攻略の鍵は要塞主砲(トール・ハンマー)を使用させない事、或いは無力化する事、この二点をどうやって実現するかだった。第五次イゼルローン要塞攻防戦で行なわれた並行追撃作戦もそこから来ている」
ヤン大佐の言葉にワイドボーン大佐が頷いています。
「あの作戦は帝国軍の味方殺しの前に潰えたが、あれは同盟だけじゃない、帝国にとっても悪夢だっただろう。二度と繰り返したくは無いはずだ……」
「うむ」
私もあの戦いの事は聞いています。もう少しでイゼルローン要塞に攻め込める、そう思ったときに帝国軍は要塞主砲(トール・ハンマー)、で味方の帝国軍艦艇ごと同盟軍を吹き飛ばしたのです。同盟軍は余りの凄惨さに攻撃を断念したと言われています。
「当然だが今回同盟軍が攻め寄せれば帝国軍はイゼルローン要塞のメイン・ポートの正面に配置されたこちらの主力艦隊の動向に注目する、並行追撃作戦を恐れてね。その分だけミサイル艇に対する帝国の注意は薄れるだろう。相手の恐怖心を煽る事で他への注意を逸らす、狙いとしては悪くないのさ……」
なるほど、と思いました。私はイゼルローン要塞攻防戦には参加した事が有りませんし、実戦経験も少ないです。おまけに戦いはいつも勝ち戦で酷い経験をした事が有りません。
ですから並行追撃作戦に、味方殺しに対して帝国軍がどんな感情を持っているのか、今ひとつ分かりませんでした。ヴァレンシュタイン大佐から地獄だと言われましたが、その地獄というのが戦争にどういう影響を与えるのかが分からなかったのです。作戦計画書にもその辺りを書いてくれればもっと分かり易いのに……。
「上手く行けば、こじ開けた穴に強襲揚陸艦を付け陸戦隊を送り込む。要塞内部を制圧しようという訳だが……」
「当然帝国軍が許すわけがない。彼らは慌ててミサイル艇と強襲揚陸艦を排除しようと艦隊を動かすはずだ。その艦隊をミサイル艇と主力部隊で挟撃できれば面白い事になる、そうだろう、ヤン」
凄いです、ようやく私にも分かってきました。もしかすると、本当にイゼルローン要塞を落とす事が出来るかもしれません。私は疑問を解いてくれたヤン大佐とワイドボーン大佐を感動して見ていました。
そしてヴァレンシュタイン大佐は……、相変わらず無関心、やる気ゼロです。何考えてるんだろう、こんな凄い作戦を聞いても感動しないなんて、不貞腐れているのでしょうか? いい加減にして欲しいと思います。
「ヴァレンシュタイン大佐、貴官はどう思う?」
ヤン大佐がちょっと躊躇いがちに声をかけました。ヴァレンシュタイン大佐はまだ一言も意見を述べていません。大体作戦計画書だって真面目に読んだのかも怪しいです。適当に答えて終わりにするつもりでしょう。聞くだけ無駄です。
ヴァレンシュタイン大佐が私を見て薄っすらと笑みを浮かべました! 怖いです、この笑みを大佐が浮かべると大体において碌な事が有りません。
“お前が何を考えたか、分かっているぞ”
とでも言っているようです。謝ります、私が間違ってました。だから笑うのは止めてください。
「ミハマ大尉、スクリーンにイゼルローン要塞を映してもらえますか」
「は、はい」
この部屋の正面には会議用の大スクリーンがあります。私は慌ててスクリーンを操作してイゼルローン要塞を映しました。五分くらいかかったと思います。手に汗がびっしょりです。
スクリーンにイゼルローン要塞が映るとヴァレンシュタイン大佐はスクリーンに向かいました。そしてスクリーンに付いている指示棒を手に取るとスクリーンのある部分を指しました。イゼルローン要塞の正面です。
「要塞主砲(トール・ハンマー)の射程範囲外ぎりぎりのラインに同盟軍艦艇が展開。帝国軍艦艇は同盟軍を要塞主砲(トール・ハンマー)の射程範囲内に引きずり込もうと同盟軍を挑発……」
「……」
部屋にヴァレンシュタイン大佐の声が流れます。ワイドボーン大佐もヤン大佐も難しい顔をしています。指示棒が別の場所を指し示しました。
「要塞主砲(トール・ハンマー)の死角からミサイル艇による攻撃、悪くありません。ミサイル艇は三千から四千隻程度でしょう。それ以上では帝国軍の注意を引く」
悪くありません? 脅かさないでください、もったいぶって!
「しかし、私ならこの位置に三千隻ほどの艦隊を置きます。それでこの作戦を潰せるでしょう」
思わずヴァレンシュタイン大佐を見ました。大佐は無表情にこちらを見ています。
「ミサイル艇を側面から攻撃、防御力の弱いミサイル艇はひとたまりも無い……。そのまま天底方面に移動、要塞主砲(トール・ハンマー)の射程範囲外に展開した同盟軍を攻撃する」
“うーん”という声が聞こえました。ヤン大佐です。
「それをやられると確かに拙いな」
「拙いのか?」
「ああ」
「……なるほど、確かに拙いな」
ヤン大佐とワイドボーン大佐が顔を顰めています。
「あの、何処が拙いんでしょう。相手は三千隻なんですから攻撃すればいいんじゃ……」
私の問いにヤン大佐が頭を掻きました。
「それが出来ないんだ。この攻撃を回避して敵を攻撃しようとすれば艦隊を移動させなければならない。そうすると要塞の主砲射程内に入ってしまうんだ」
「要塞主砲(トール・ハンマー)の一撃で勝負有りだな」
「同盟軍が後退すれば帝国軍主力部隊が追撃してくるだろう。同盟軍は正面と下から攻撃を受ける事になる」
「はあ、そんなあ」
思わず声が出ました。三千隻です。たった三千隻の小艦隊が有るだけで作戦が失敗? そんなの有り? 到底信じられません。いえ、それよりヴァレンシュタイン大佐です。なんでそんな事を考え付くの?
まともに作戦計画書を読んだとも思えません。それなのになんで? ヤン大佐もワイドボーン大佐も気の抜けたような顔をしています。そしてヴァレンシュタイン大佐は詰まらなさそうにスクリーンを見詰めている……。
こっちをやり込めて“どうだ”とでも得意げになるのなら、可愛げは有りませんが人間味は有ります。それなのに無表情で今にも“何処が面白いんです”とでも言い出しそうです。根性悪のサディスト! 同盟軍の敵は帝国じゃなく、ヴァレンシュタイン大佐のように思えてきました。
「ヴァレンシュタイン大佐、帝国はそれに気付くかな?」
気を取り直したようにワイドボーン大佐が問いかけました。
「気付く人物は居るでしょう。ただ……、実施できるかどうか……」
ヴァレンシュタイン大佐は答えた後考え込んでいます。そんな大佐にヤン大佐が戸惑いがちに声をかけました。
「ああ、その、ミューゼル准将なら気付くかな?」
問われたヴァレンシュタイン大佐より私のほうがびっくりしたと思います。思わずヤン大佐とヴァレンシュタイン大佐を交互に見ていました。ヴァレンシュタイン大佐は私がキョロキョロしているのには気付かなかったようです。考え込みながらヤン大佐に答えました。
「間違いなく気付くでしょうね、気付かないはずが無い。ただ彼は前回の戦いで功績を挙げる事が出来なかった。昇進は出来なかったはずです。彼が率いる艦隊は二百隻程度でしょう。それでは気付いても脅威にはならない……」
「……」
「それに彼は周囲から孤立しています。彼の意見を上層部が簡単に受け入れるとは思えません。また周囲が彼に協力するとも思えない。油断は出来ませんが脅威は小さいでしょう……。それに今回の戦いに参加するかどうか……」
ヤン大佐とワイドボーン大佐が顔を見合わせました。今度はワイドボーン大佐が問いかけてきました。
「他に気付きそうな人物は?」
「……メルカッツ提督、かな。彼なら気付いてもおかしくない」
ヴァレンシュタイン大佐の言葉にワイドボーン大佐とヤン大佐がまた顔を見合わせました。そして躊躇いがちにワイドボーン大佐が口を開きました。
「メルカッツ提督か……。派手さは無いが堅実で隙の無い用兵をすると聞いている。ヤン、気付くかな?」
「ヴァレンシュタイン大佐の言う通り、気付いてもおかしくは無いだろうね」
ワイドボーン大佐が溜息を吐きました。
「まあ、俺が立てた作戦じゃないからな……、俺が落ち込んでもしょうがないんだが……」
その気持、とってもよく分かります。私だって落ち込んでいる。落ち込んでいないのは根性悪の大佐だけです。大きな声では言えないけれど、きっと先の尖った黒い尻尾が付いてるんです……。
「メルカッツ提督がイゼルローン要塞に来るとは限りません」
「?」
ワイドボーン大佐とヤン大佐が顔を見合わせています。根性悪の大佐は独り言を呟くように話を続けました。
「メルカッツ提督は軍上層部の受けが必ずしも良く有りません。特にミュッケンベルガー元帥との関係は良くない。用兵家としてはメルカッツ提督のほうが上だという評価が有りますからね。ミュッケンベルガー元帥が彼をイゼルローンに呼ぶかどうか……」
「……」
「彼の働きで勝つような事があるとミュッケンベルガー元帥の地位は益々低下しかねない。場合によっては地位を奪われる事もある」
「しかしミュッケンベルガー元帥にとっては今回の戦いは正念場のはずだ。多少の事には眼をつぶるんじゃないか?」
ヴァレンシュタイン大佐が薄っすらと笑みを浮かべました。拙いです、悪魔モード全開です。
「そうとも言えませんよ、ワイドボーン大佐。要塞攻防戦は圧倒的に守備側が優位なんです。メルカッツ提督の力など必要ない、そう思っても不思議じゃありません」
ワイドボーン大佐とヤン大佐がまた顔を見合わせました。これで何度目でしょう、一回、二回……、四回? 今日は顔を見合わせてばかりです。二人ともどう判断すべきか困っているのかもしれません。それよりどう考えても不思議です。どうしてヴァレンシュタイン大佐はそんなに帝国軍の内情に詳しいのか……。
帝国に居たからだけではないと思います。軍上層部の事とか人間関係とかどう考えても変です。兵站統括部の新米士官が何でそんなに詳しいの?
「ミサイル艇での攻撃は上手く行くかもしれません。しかし要塞内部の占拠は難しいと思いますよ」
「?」
またヴァレンシュタイン大佐が妙な事を言い出しました。
「イゼルローン要塞にはオフレッサー上級大将が来るはずです」
「オフレッサー!」
「あのミンチメーカーが? 冗談は止めてくれ」
二人の大佐がうんざりしたように声を上げました。私も内心うんざりです。
オフレッサー上級大将、帝国軍装甲擲弾兵総監、帝国の陸戦部隊の第一人者です。身長二メートル、三次元的な骨格を有する宇宙最強の野蛮人……、白兵戦、つまり肉弾戦で人を殺すことで帝国軍の最高幹部になった人です。どうして帝国って人間離れした人が多いんだろう、遺伝子操作とかしてるとか……。
「冗談じゃ有りません。オフレッサー上級大将とミュッケンベルガー元帥は比較的親しいんです。一つにはオフレッサーは地上戦の専門家ですからミュッケンベルガー元帥にとって競争相手にはならない。一緒に仕事がし易いんですよ」
「……」
「攻める事は向こうに任せてこっちは撤退の事を考えたほうが良いと思いますよ。多分落ちないでしょうから……」
げんなりしました。相変わらずの根性悪です。今から負けたときの準備だなんて……。
以前、ヴァレンシュタイン大佐が言った言葉を思い出しました。
“イゼルローン要塞攻略のカギを握るのは同盟では有りません、帝国でしょう”
確かにカギは帝国が握っているようです。
大佐は同盟軍の力では落ちないと見ています。落ちるとすれば帝国側の失敗があったときなのでしょう。気が重い戦いになりそうです……。
第二十二話 戦場を支配するもの
宇宙暦 794年 7月26日 ハイネセン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
だるい、はっきり言ってやる気が出ない。スランプって言うものが有るのなら今の俺は間違いなく大スランプだろう。理由は分かっている。自分のやっている事に自信が無いから、確信が持てないからだ。
ヴァンフリートに送られたときには歴史を変えても生き残ると意気込んだが、実際に変えてみても全然嬉しくない。分かっているんだ、俺は歴史を変えたんじゃない、歴史を壊したんだ。
ラインハルトが皇帝になり宇宙を統一する歴史を壊した。多少の流血はあるが宇宙が平和になる未来を壊したんだ。そして俺はそれに変わる未来を示せない。落ち込むよ、このままズルズルと百年、二百年と戦争が続く事になるんじゃないかという恐怖がある。
おまけにキルヒアイスを殺した。どうにも気が重い。ラインハルトも殺していれば気が晴れたかと何度も考えたが、どうもそうじゃないな。要するに俺はあいつらと戦いたくなかったんだろう。それなのに戦った、キルヒアイスを殺した……。
ラインハルトと戦いたくないな、勝てるわけないし、向こうは俺を殺す気満々で来るだろうし……。滅入るよ……。司法試験の勉強も全然進まない、参考書を開いているだけだ。勉強する振りをして落ち込んでいる……。
ワイドボーンが作戦計画書を持ってきた。上手く行かないだろうから退却戦の準備をしとけと言ったけど、何の意味が有るんだよ、馬鹿馬鹿しい。これから先何十年も戦争が続くかもしれないのに此処で犠牲を少なくする事に何の意味があるんだ?
ラインハルトが皇帝になれるか、宇宙を統一できるかだが、難しいんだよな。此処での足踏みは大きい。それに次の戦いでミュッケンベルガーがコケるとさらに帝国は混乱するだろう。頭が痛いよ……。俺、何やってるんだろう……。
おまけにヤンもサアヤも何かにつけて俺を胡散臭そうな眼で見る。何でそんな事を知っている? お前は何者だ? 口には出さないけどな、分かるんだよ……。しょうがないだろう、転生者なんだから……。
せっかく教えてやっても感謝される事なんて無い。縁起の悪い事を言うやつは歓迎されない。そのうちカサンドラのようになるかもしれない。疎まれて殺されるか……。ヴァンフリートで死んでれば良かったか……。そうなればラインハルトが皇帝になって宇宙を統一した。その方がましだったな……。人類にとっても俺にとっても。
いっそ転生者だと言ってみるか……。そんな事言ったって誰も信じないよな。八方塞だ……。俺、何やってんだろう……。段々馬鹿らしくなって来た。具合悪いって言って早退するか?
仕事もないし、撤退戦の準備なんて気が滅入るだけだ。俺は忠告した、後はこいつらに任せよう。そうしよう、そう決めた……。後は家で不貞寝だ。残り少ない人生だ、有意義に使おう。
宇宙暦 794年 7月26日 ハイネセン 宇宙艦隊司令部 ミハマ・サアヤ
「ヴァレンシュタイン大佐、貴官ならイゼルローン要塞を落とせるかな?」
「……どうでしょう、そんな事考えた事が無かったですからね」
「考えてみてくれないかな」
「……気が向いたらですね。それにイゼルローンを落とさないほうが同盟のためかもしれないし……」
ヴァレンシュタイン大佐とワイドボーン大佐が会話しています。ワイドボーン大佐は熱心にヴァレンシュタイン大佐に話しかけていますが、ヴァレンシュタイン大佐はまるでやる気無しです。何を考えたのか机の上を片付け始めました。
少し酷いです、ワイドボーン大佐に失礼だと思います。空気が読めないなんて言ってますが、大佐だって人のことは言えません。
「申し訳ありませんが、私は体調が優れないのでこれで早退させていただきます」
そう言うとヴァレンシュタイン大佐はカバンを持って席を立ちました。私もヤン大佐もワイドボーン大佐もちょっと眼が点です。
「ああ、気をつけてな。ゆっくり休めよ」
ワイドボーン大佐が声をかけるとヴァレンシュタイン大佐が軽く頭を下げて部屋を出て行きました。本当に具合が悪いのでしょうか、とてもそんな風には見えません。皆黙って部屋を出て行く大佐を見送りました。
「あの、済みません、ワイドボーン大佐。ヴァレンシュタイン大佐が失礼な事を……」
どうして私が謝るんだろ、納得が行きませんが、仕方ありません。私が一番付き合いが長いし、一番階級が下です。
「別に失礼じゃないさ、彼はちゃんと答えたじゃないか」
ワイドボーン大佐が屈託無く答えました。思わず間抜けな声が出ました。
「はあ? あれがですか?」
この人、よく分かりません。やっぱり空気が読めないんでしょうか?
「気が向けば考えると言っていただろう?」
「はあ」
「それに、落とさないほうが同盟のためかもしれないと言っていた」
「……」
それがちゃんと答えた事になるのでしょうか? 思わずヤン大佐の方を見ました。ヤン大佐は困ったような顔をしています。
「落とさないほうが同盟のためかもしれない、つまり要塞を落として帝国領へ踏み込んで戦うよりも、同盟領で戦うほうが良い、そういうことだろう」
「そうなんでしょうか」
「少なくとも地の利は有る、それに戦力も集中し易い、そういうことだろうな」
「はあ」
そういう考えも有るんだ、素直にそう思いました。でも本当にヴァレンシュタイン大佐がそう思ったのか、どうか……。私には半分以上は投げやりな口調に聞こえたんですが……。ワイドボーン大佐は無理に好意的に取ろうとしている?
「それより貴官達、ヴァレンシュタインを胡散臭そうに見るのを止めろ」
一転して表情を厳しくしてワイドボーン大佐が言いました。
「別にそんな事は……」
「しているぞ、ヤン」
ワイドボーン大佐にヤン大佐が注意されています。私も思い当たる節はありますからちょっとバツが悪いです。
「奴が作戦案を提示したとき、帝国軍の内情を説明したとき、胡散臭そうな表情をした。奴は味方だろう、それとも敵なのか?」
「いや、味方だよ。そう思っている」
ワイドボーン大佐がこちらを見ました。眼が厳しいです、思わず身体が強張りました。
「ミハマ大尉はどうだ?」
「私も味方だと思っています」
「思っているだけでは駄目だ、奴を受け入れろ!」
「……」
「奴は帝国人だ、帝国の内情に詳しいのは当たり前だろう」
「しかしね、ワイドボーン。彼は少し詳しすぎると思うんだけどね」
ヤン大佐の言うとおりです。何処かヴァレンシュタイン大佐はおかしいです、違和感を感じます。
「それは奴が有能だからだ。それが有るからヴァレンシュタインなんだ。それを認められなければ、何時まで経っても奴を受け入れられんぞ」
「……」
「今日は未だこちらの問いに答えてくれた。作戦案を提示してきた。だがな、このまま疑い続ければ奴はそのうち何も喋らなくなる」
「……」
耳が痛いです、大佐が私達に心を閉ざしたのは何故だったのか……。
「ここ数日、奴は参考書の同じページを繰り返し見ている」
「?」
「あれは勉強などしていない、勉強している振りをしているだけだ。かなり精神的に参っている。早退したのも嫌気がさしたのだろう」
思わずヤン大佐と顔を見合わせました。私は気付かなかった、ヤン大佐も同様でしょう。それなのにワイドボーン大佐は気付いた。私は何処かでヴァレンシュタイン大佐が少しずつ心を開いてくれていると思っていました。勘違いだったのでしょうか……。
「ワイドボーン、君が作戦計画書を持ってきたのは」
「そうだ、奴の気分転換になればと思ったんだ。だがそれも無駄になった、お前らが胡散臭そうに奴を見るからな!」
ワイドボーン大佐が声を荒げました。情けなくてワイドボーン大佐を見る事が出来ません。ヴァレンシュタイン大佐を気付かないうちに追い詰めていました。一体何をしていたのか……。
「ヤン、ヴァンフリートで奴が何故お前を怒ったか、分かっているのか?」
「ミハマ大尉の報告書を読んだのか……」
「ああ、読んだ。バグダッシュ中佐からも色々と聞いている」
ヤン大佐が溜息を吐きました。
「彼が私を怒ったのは第五艦隊が一時間遅れたからだ。私の説得が不調に終わった……」
「違うな、そんな事じゃない。奴が怒ったのはお前が奴の信頼を裏切ったからだ」
ヤン大佐の顔が強張りました。
「奴はお前が自分を疑っている事を知っていた。だが勝つためになら協力してくれると信じた、お前を信頼したんだ。だがお前はその信頼に応えなかった。だから怒ったんだ、そうだろう」
「……」
「信頼というのはどちらか一方が寄せるものじゃない、相互に寄せ合って初めて成立するものだ。奴は何度もお前と信頼関係を結ぼうとしたはずだ。だがいつもお前はそれを拒否した!」
「そうじゃない! そういうつもりじゃなかった!」
「だが結果としてそうなった! それを認めないのか!」
「……」
怒鳴りあいに近い言い合いでした。二人とも席を立って睨み合っています。先に視線を逸らしたのはヤン大佐でした。
「奴は亡命者だ。この国に友人などいない。このままで行けば奴はローゼンリッターと同じになるぞ。信頼関係など無く、利用だけする。磨り潰されればそれまでだ。だから逆亡命者が出る……」
「……」
ヤン大佐が無言で席を立ちました。そして部屋を出て行きます。ワイドボーン大佐は止めませんでした。
「あの、良いんですか?」
私の問いかけにワイドボーン大佐が手のひらを振りました。
「気にしなくて良い、奴も分かっているのさ。だが認められなかった。だから俺がそいつを奴に見せた。それだけだ」
「……」
「頭が良すぎるんだな、だから色々と考えてしまう。参謀としては得がたい才能なのかもしれないが生きていくには面倒かもしれん。動くよりも考えてしまう……。ヴァレンシュタインも同じだろう、似たもの同士だ」
あの二人が似たもの同士? 似ているような気もしますがそうじゃないような気もします。
「ヤン大佐はヴァレンシュタイン大佐ほど人が悪いようには見えませんけど……」
私の言葉にワイドボーン大佐が笑い出しました。
「戦争の上手な奴に人の良い奴なんていないよ。そんな奴は長生きできないからな」
「はあ」
分かるよう気もしますし、分からないような気もします、妙な気分です。
「あの、済みませんでした。私も何処かでヴァレンシュタイン大佐を信じていなかったと思います」
「まあ簡単な事じゃないからな、でも気をつけてくれよ。バグダッシュ中佐がヴァレンシュタインは臆病だと言っていたからな」
臆病? あの大佐が?
「臆病で人が悪い。だから追い詰められればとんでもない反撃に出る。厄介な相手だ、味方にしないとこっちが危ない」
「ワイドボーン大佐も人が悪いんですか? 士官学校を首席で卒業ですけど」
「残念だが士官学校を首席で卒業しても戦争が上手とは限らない」
「はあ」
私の間の抜けた声に大佐が笑い出しました。
「士官学校時代、ヤンにシミュレーションで負けた事がある。納得いかなかった。お世辞にも優秀とは言えない奴に十年来の秀才と言われた俺が何故負けるのだと。逃げていただけだと奴を非難した。負け惜しみだな」
「……」
ワイドボーン大佐がまた笑いました。
「だが、エル・ファシルの奇跡で分かった。俺にはあれは出来ない。士官学校で首席でも戦場で生き残れるとは限らないとね」
「……」
「ごくまれにだが、戦場をコントロール出来る人間がいる。ヤンがそうだな。周囲が不可能と思うことを可能にしてしまう。戦争を自分の思うように動かしてしまうんだ。反則だよな」
「……」
またワイドボーン大佐が笑いました。でも悔しそうには見えません。心底おかしそうです。
「ヴァレンシュタインもそうだ。ヴァンフリートは前半はロボス元帥が指揮を執ったが酷いものだった、ぐだぐださ。後半、ヴァレンシュタインはあの戦いを勝利に持っていった。俺には出来ない、他の奴にも出来ないだろう。ヤン同様、戦場をコントロールできるのさ」
大佐の言っていることは分かります。確かにヴァレンシュタイン大佐は戦場を支配していました。でも、そうなると士官学校の卒業順位って何の意味があるんでしょう。あの順位で配属先も決まるのに……。
「大佐、士官学校を首席で卒業って意味が無いんでしょうか? なんかそんな風に仰っているように聞こえるんですが……」
私の言葉に大佐は今度はクスクス笑いました。
「そうでもない。士官学校を首席で卒業ってのは便利でな。これでも俺は未来の宇宙艦隊司令長官、統合作戦本部長候補と言われている。ヤンやヴァレンシュタインでは無理だな。片方は怠け者だし、もう一人は亡命者だ。あの二人では無理だ」
「はあ」
「だからだ、俺が偉くなってあの二人を引き立ててやる。ピッピとこき使ってやるさ。俺は良い宇宙艦隊司令長官、統合作戦本部長になるぞ。多分同盟軍史上最高の宇宙艦隊司令長官、統合作戦本部長だ。有能な人材を引き立て同盟軍の黄金時代を作り出したとな。どうだ、凄いだろう」
そう言うとワイドボーン大佐は笑い出しました。私もつられて笑いました。やっぱりこの人は変です。でも、この人ならヤン大佐やヴァレンシュタイン大佐を使えるかもしれません。それともいつも頭を抱えて悩んでいるか……。どちらも有りそうです、そう思うとおかしくて笑いが止まりませんでした。
第二十三話 イゼルローン要塞攻略作戦
宇宙暦 794年 9月 5日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
第六次イゼルローン要塞攻略戦が始まった。正確に言うと始まりつつある、そんなところだ。遠征軍はイゼルローン回廊の同盟側の出入り口を首尾よく押さえた。幸先は良いだろう。問題は終わりが良いかだ。竜頭蛇尾の言葉もある。
原作よりかなり早いように思う。原作だと十月を過ぎてからのはずなんだが、この世界では一ヶ月以上早い。動員した艦隊は第七、第八、第九の三個艦隊だ。総勢五万隻、こいつも原作とは違う。少し多い、無駄に気合が入っている。
帝国軍がヴァンフリートで負った損害から回復しないうちに、混乱を引き摺っているうちにイゼルローン要塞を攻略しようという事らしい。あんまり意味は無いと思うんだがな。
帝国にとってもイゼルローン要塞防衛は最重要事項だ。同盟が攻めるとなればどんな無理をしてでも出張ってくるのは確かだ。だからといって損害とか混乱とか最初から期待するのは危険だ。そんなのは有れば儲けものぐらいに考えたほうが良い。
今現在、回廊の同盟側の入り口周辺で小規模な戦闘が連続して行なわれている。まあどちらかと言えば同盟側が優勢なようだ。どうやらラインハルトは出撃していないらしい。
バグダッシュが出撃前に帝国軍の編制表と将官リストを持ってきた。それによるとラインハルトは確かに遠征軍に参加している。しかし当然だが昇進はしていない。
まあ准将では率いる艦隊は二百隻前後だ。ミュッケンベルガーは出撃を許していないのだろう。或いはグリンメルスハウゼンを喪った、この上ラインハルトまで喪う事は出来ないと考えているのかもしれない。足枷ぐらいに思っている可能性もある。だとすればラインハルトはさぞかし不満に思っているだろう……。
そしてメルカッツも参加していない。どうやらミュッケンベルガーは要塞防御戦なら帝国に分があると考えたようだ。ミサイル艇による攻撃は上手く行くかもしれない。
同盟軍は例のミサイル艇による攻撃を実行する事に決定した。あの作戦計画書は正式に攻撃案として認められたわけだ。間違いとは言えない、問題はその後だろう。
編制表にはオフレッサー、リューネブルクの名前が有った。二人とも陸戦のスペシャリストだ。陸戦隊を要塞内に送り込んでも占拠は難しいだろう……。一体どうするのやら……。
ヤンとワイドボーンは撤退をどうするかを話し合っていたが、有効な手は無かったな。大体総司令官のロボスが戦争継続を簡単に諦めるのかという問題が有る。難しいだろう、犠牲は原作より増えるかもしれない。気が滅入るよ……。
総旗艦アイアースはアキレウス級大型戦艦の一隻だ。同盟軍の正規艦隊の旗艦は殆どがこのアキレウス級大型戦艦を使っている。大型戦艦というだけあって結構でかい。そして俺はそのでかい戦艦のサロンで椅子に座ってココアを飲んでいる。
一応作戦参謀なので本当は艦橋にいる必要があるのだろう。だが参謀は百人以上いる。いくらでかい戦艦の艦橋でも百人は収容できない。という事で参謀チームは二つに分かれている。ロボスのお気に入りが艦橋に、それ以外は会議室だ。
当然だが俺は会議室組みだ。会議室組みも二つに分かれている。仕事をして忙しくしている人間と暇な人間だ。もっとも暇な人間は二人しかいない。俺とヤンだ。サアヤは周囲から色々と便利屋的に使われているらしい。忙しくて良い事だ。
俺は一日の殆どをこのサロンで過ごす、ヤンは一応会議室で紅茶を飲みながら昼寝だ。ヤンは非常勤参謀と呼ばれているが俺は幽霊参謀らしい。ワイドボーンが言っていた。だからどうした、俺に仕事しろってか、冗談は止せ、大体ロボスが嫌がるだろう。
三日前だがロボスと廊下でばったり会った。腹を突き出し気味に歩いていたが、あれはメタボだな。お供にアンドリュー・フォーク中佐を連れていたが俺を見ると顔を露骨に顰めた。上等じゃないか、そっちがそう出るなら俺にも考えがある、必殺微笑返しで対応してやった。ザマーミロ、参ったか!
フォークがすれ違いザマに“仕事が無いと暇でしょう、羨ましい事です、ヴァレンシュタイン大佐”と言ってきた。仕事なんか有ったってお前らのためになんか働くか、このボケ。
“貴官は仕事をしないと給料を貰えないようですが私は仕事をしなくとも給料が貰えるんです。頑張ってください”と言ってやった。顔を引き攣らせていたな。ロボスが“中佐、行くぞ、我々は忙しいのだ”なんて言ってたが、忙しくしていれば要塞を落とせるわけでもないだろう。無駄な努力だ。
余程に頭に来ていたらしい、早速嫌がらせの報復が来た。クッキーを作るのは禁止だそうだ。“軍人はその職務に誇りを持つべし”、その職務って何だ? 人殺しか? 誇りを持て? 馬鹿じゃないのか、と言うより馬鹿なんだろう、こいつらは。
「ヴァレンシュタイン大佐、座ってもいいか」
俺に声をかける奴が居る、ワイドボーンだ。こいつ、どういうわけか俺を構うんだよな。原作だとエリートを鼻にかけたような奴に見えるんだが、そういうわけでもないらしい。
なんか一生懸命俺とヤンの間を取り持とうとしている。でもなあ、ヤンもサアヤも変に俺を意識している様子が見えるしやり辛いんだよ。俺がサロンに居座っているのもその所為なんだ。
ワイドボーンは一人じゃなかった。隣に初老の紳士が居る。まあ見なかった事にしておこう。俺が無言でいると二人は顔を見合わせて苦笑した。ワイドボーンが連れに椅子を進め自分も座る。相変わらず空気が読めない男だ、座るのかよ……。
「ヴァレンシュタイン、参謀長に挨拶くらいしたらどうだ」
「眼の錯覚だと思ったんです、失礼しました。グリーンヒル参謀長」
俺の答えにまた二人が苦笑した。
「構わんよ、ヴァレンシュタイン大佐。貴官達にはすまないと思っているんだ」
グリーンヒル参謀長が済まなさそうな表情をした。
「気にしないでください。小官は今の境遇に極めて満足しています」
グリーンヒル参謀長とワイドボーンがまた苦笑した。本気だぞ、俺に不満は無い。
多分グリーンヒル参謀長は俺が彼を気遣っていると思っただろう。それくらいグリーンヒル参謀長の立場は厄介だ。俺なら金を払ってでもグリーンヒル参謀長の立場にはなりたくない。
ヴァンフリート星域の会戦にはグリーンヒル参謀長は参加しなかった。おかげであの戦ではロボス一人が笑い者になった。統合作戦本部も国防委員会もロボスの事を不安に思って参謀長にグリーンヒル参謀長をさらに大勢の参謀を遠征軍に配置した。
当然だがロボスは面白くない、そしてヴァンフリート星域の会戦に参加した参謀達も面白くない。ロボスの失敗は自分達の失敗なのだ。フォーク中佐はその一人だ。連中はグリーンヒル参謀長を、そして新しく配属された参謀達を疎んじている。
グリーンヒル参謀長にしてみればいい加減にして欲しいだろう。イゼルローン要塞を落とすチャンスなのだ。それなのに味方同士で足を引っ張ってどうする。そう思っているはずだ。そういうわけで遠征軍の司令部は二つに分かれている。
グリーンヒル参謀長はそれを何とか一つにまとめようとしているようだが苦労しているようだ。敵と戦う前に仲間内で争っている。こんなので勝てるとおもっているとしたら脳味噌が腐っているのだろう。だが現実には脳味噌が腐っている連中が艦橋でふんぞり返っている。お笑いだ。
「ワイドボーン大佐から聞いている。我々の作戦案を鼻で笑って叩き潰したとね」
「それは事実とは違います。小官は鼻で笑ってなどおりません」
ワイドボーン、どういうつもりだ。俺が睨みつけると奴は肩を竦めた。
「俺にはそう見えたがな、良くもこんな愚案を考えたもんだ、そんな感じだったぞ」
「愚案とは言っていません。悪くないと言ったはずです」
俺を悪者にして何が楽しいんだ? この野郎。
「そうかな、今も馬鹿馬鹿しくて仕事をしないんだろう?」
「そうじゃ有りません。ただ仕事をしたくないんです。それだけですよ」
「皆はそう思っている」
「皆?」
ワイドボーン、ニヤニヤ笑うのは止めろ。
「遠征軍の参謀達だ」
「話したんですか、あれを」
「当然だろう、皆感心していたよ。面白く思っていない奴も居たようだがな」
「余計な事を……」
感心していたのは新しく配属された参謀だろう。面白く思って居なかったのはロボスを先頭にヴァンフリートに参加した連中だ。道理でフォークが絡んでくるはずだ、あのミサイル艇による攻撃案を考えたのは奴だからな。赤っ恥をかかされたと思っただろう。
グリーンヒル参謀長は俺とワイドボーンの言い合いを見て苦笑いを浮かべていた。
「ミサイル艇による攻撃は上手く行くだろうと私は見ている、ワイドボーン大佐もだ」
「……」
上手く行く可能性は高いだろう。俺もそう思う。しかしこんな所で話して良いのか? まあ周囲には幸い人は居ないが……。
「問題はその後だ、陸戦隊を要塞に送り込み占領する。上手く行くとは思えない、貴官の意見はそうだね」
「そうです、先ず失敗するでしょう」
グリーンヒル参謀長が頷いた。表情は渋い。
「私もそう思っている」
良いのかね、参謀長がそんなことを言って。
「出来れば避けたいと思っている。しかし上手く行く可能性が無いわけじゃない、やってみるべきだと言うんだ」
ロボスがそう言っている訳か。
「万一上手く行かなくとも要塞内に陸戦隊を送り込んだという事実は残る……」
冗談言ってるのか? グリーンヒル参謀長の顔を見たが至って真面目だ。ワイドボーンの顔にも笑いは無い。つまり本気か……。要塞内に陸戦隊を送り込んだ、それが実績か、今一歩で要塞を占領できるところまで敵を追い込んだ。そう言いたいのか……。失敗前提の作戦? 何考えてるんだ? 俺にはさっぱり分からん。
「イゼルローン要塞を落とせるかね?」
「?」
グリーンヒル参謀長が俺に問いかけて来た。落とせるも何も今難しいと話している最中だろう。
「前に頼んだよな、イゼルローン要塞を落とす方法を考えてくれと」
「……」
今度はワイドボーンが俺に話しかけてきた。そういえばそんな事も話したような気がするな。あれ本気だったのか……。
「もうあれから一ヶ月以上経った。何か考えてくれただろう? 仕事も無かったんだ」
「……」
グリーンヒル参謀長とワイドボーンが俺を見ている。困ったな、どうする? 有りませんと答えるか? でも信じるかどうかだな……。
正直に知ってる事を話すか? 面倒なことになりそうな気がする。いっそ思いっきり駄法螺を吹いて煙に巻くか、その方が良さそうな気がするな。それで行くか。
「駐留艦隊を撃破しイゼルローン要塞を攻略するのにどの程度の戦力を必要とします?」
俺の問いかけにグリーンヒル参謀長とワイドボーンが顔を見合わせた。ややあってワイドボーンが答えた。
「大体三個艦隊、そんなところだろう。今回も三個艦隊動員している」
グリーンヒルが隣で頷いている。同感だ、原作でロイエンタールがイゼルローン要塞を攻めたときも三個艦隊だった。おかしな答えではない。
「残念ですが三個艦隊ではイゼルローン要塞は落ちませんね」
「……」
「理由は一つ、敵の増援を考えていない」
俺の答えに二人の顔が渋くなった。
「敵の増援が二個艦隊有ったとします。駐留艦隊と合わせて三個艦隊、それらを排除しなければ要塞攻略は難しいんです。敵は要塞主砲(トール・ハンマー)を利用して要塞を防御します。簡単に艦隊決戦にはならない、つまり敵艦隊を撃破し排除するのは難しいんです。当然要塞を落とす事はさらに難しい」
「……こちらの遠征軍の規模が大きくなれば、帝国軍も増援の規模を大きくする……。イゼルローン要塞は落とせないという事か……」
ワイドボーンが呟く。グリーンヒル参謀長が大きく溜息をついた。
「イゼルローン要塞を落とすためには帝国の眼をイゼルローンから逸らす必要がありますね」
「逸らす?」
ワイドボーンが問い返してきた。グリーンヒル参謀長も期待するように俺を見ている。喰い付いて来たか……。
「逸らすと言ってもどうやるんだ、ヴァレンシュタイン」
「良い質問だね、ワイドボーン大佐。フェザーンを攻める」
俺の言葉に二人が息を呑んだ。
「本気か?」
ワイドボーンが小声で訊いてきた。おいおい緊張しているのか、らしくないぞ、ワイドボーン。グリーンヒル参謀長も驚きを顔に浮かべて俺を見ている。
「本気です。フェザーンは帝国と同盟の戦争の長期化を望んでいます。同盟が軍事行動を起せば必ず帝国に伝えるんです。だから帝国軍は早期に増援を送る事が出来るんです。イゼルローン要塞の帝国軍の戦力を固定するにはフェザーン方面で軍事行動を起し、帝国の眼とフェザーンの眼をイゼルローン要塞から逸らす必要があるでしょう」
「しかし、フェザーン方面で軍事行動を起すとなれば後々厄介な事になるはずだ。フェザーンが帝国と協力関係を密にする可能性もある。危険じゃないか」
汗を拭け、ワイドボーン。
「中途半端な軍事行動は危険です。だからこの際フェザーンを占領するんです。イゼルローン要塞を攻めると見せてフェザーンを攻める。帝国が驚いてフェザーン方面に出兵しようとしたとき、同盟はイゼルローン要塞を攻める……」
「……」
ワイドボーンもグリーンヒル参謀長も顔が強張っている。
「軍の動員は最低でも八個艦隊、いや十個艦隊は必要でしょうね。イゼルローン要塞に五個艦隊、フェザーン回廊に五個艦隊。成功すれば同盟は両回廊を占領し、帝国に対し圧倒的に優位に立てます。フェザーンの経済力も手に入る……」
「しかし、失敗したら」
「その場合は同盟の屋台骨が揺らぐでしょうね。それだけのリスクを背負うだけのメリットが有るか、それとも無いか。難しい判断ではあります」
ワイドボーンもグリーンヒル参謀長も顔を蒼白にしていた。まあ駄法螺だが不可能じゃない。しばらくはそれで悩むんだな。悩むのは良いが本当に実行しようとするなよ。失敗しても知らんからな……。
第二十四話 口は災いの元
宇宙暦 794年 9月 6日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース ミハマ・サアヤ
「おい、ヤン、ミハマ大尉、荷物をまとめるんだ。艦橋へ行くぞ」
「艦橋? 一体何の話だい、ワイドボーン」
「だから、俺もお前も、そしてミハマ大尉も今日から艦橋で仕事だ」
「はあ?」
ヤン大佐が思いっきり不審そうな表情をしました。私も同感です、私達はロボス元帥に思いっきり嫌われているんです。それなのに艦橋に? まず有り得ないことです。
会議室には他にも人が居ます。そのほとんどが私達ほどではなくともロボス元帥からは余り歓迎されていない人達です。私達が艦橋に行くくらいなら他の人が行ってもおかしくありません。周囲の人間も訝しげな表情で私達を見ています。からかわれているのかと思いましたがワイドボーン大佐からはそんな様子は窺えません。
「グリーンヒル参謀長がすぐ来いと言っているんだ。早くしろ」
グリーンヒル参謀長? ますます変です。参謀長が何で私達を? ヤン大佐、ワイドボーン大佐はともかく何で私???
「あの、どういうことなんでしょう?」
「訳を話してほしいな、ワイドボーン」
私とヤン大佐が納得しないと見たのでしょう、ワイドボーン大佐は“しかたないな”と呟くとおもむろに話し始めました。
「昨日の事だ、グリーンヒル参謀長がヴァレンシュタイン大佐と話をした。参謀長はいたくヴァレンシュタイン大佐の才能に感心してな、艦橋に来るようにと言ったんだ。だが彼は嫌だと言った」
「はあ」
ワイドボーン大佐の話は良くわかりません。その代わりに私達、そういうことなのでしょうか? 私はヤン大佐を見ました、大佐も今一つ理解できないような表情をしています。周囲の人達が見ない振りをして私達の様子を窺っています。ちょっと気が重いです。
「グリーンヒル参謀長は諦めなかった。何度もヴァレンシュタインを説得してな、とうとうヴァレンシュタインに条件付きで首を縦に振らせた。条件は一つ、自分の他に俺、ヤン、そしてミハマ大尉の席を用意して欲しい、ということだった」
ワイドボーン大佐が分かったか、と言うように私達を見ました。何のことはありません、私達はおまけの様なものです。本命はヴァレンシュタイン大佐でした。まあそうでもなければ私までということはないでしょう。
「まあ、経緯は分かったがね、大丈夫なのかな? ロボス元帥は私達が艦橋に行くのを喜ばんだろう」
「それについては参謀長が既にロボス元帥の了解を取った。問題はない」
ヤン大佐が“はあ”と溜息をついて頭を搔きました。
「分かっているんだろう、ワイドボーン。ヴァレンシュタイン大佐が私達を呼ぶ事を条件に付けたのは、ロボス元帥が承諾しないと見たからだ。私達が艦橋に行ってもヴァレンシュタイン大佐も喜ばなければロボス元帥も喜ばない、行かないほうが良いと思うがね」
「それは関係ない、ヴァレンシュタインは条件を出した、そしてグリーンヒル参謀長はその条件を満たした。それだけだ、さあ、準備をしろ」
ヤン大佐がまた溜息を吐きました。
「分かったよ、行けばいいんだろう。だがね、ワイドボーン。グリーンヒル参謀長とヴァレンシュタイン大佐は一体何を話したんだい。それを教えて欲しいな」
ヤン大佐の言葉にワイドボーン大佐は少し考え込みました。ヤン大佐と私の顔を交互に見ます。
「良いだろう、だが此処では話しにくいな。場所を変えよう」
大佐が私達を誘ったのはサロンでした。サロンには人が数人いましたがヴァレンシュタイン大佐の姿は見えません。ワイドボーン大佐に尋ねるとヴァレンシュタイン大佐は既に艦橋に向かったそうです。大佐は私達を人気のない所へと連れて行きました。
「ヴァレンシュタインとグリーンヒル参謀長が話した内容はイゼルローン要塞攻略についてだ」
「……」
思わず私はワイドボーン大佐の顔を見ました。ヴァレンシュタイン大佐が今回の要塞攻略について反対しているのは皆が知っています。それをまた話した? そしてグリーンヒル参謀長が高く評価した?
「勘違いするなよ、今回の攻略戦についてじゃない、ヴァレンシュタインならどう要塞を攻略するか? 以前俺が奴に出した宿題さ、その答えを聞いたんだ」
ワイドボーン大佐がちょっと笑いを含んだ様な声を出しました。私の勘違いを面白がっているようです。大佐も結構人が悪い、ヤン大佐やヴァレンシュタイン大佐の事は言えないと思います。
「面白いね、彼は何て答えたんだい」
ヤン大佐の声が変わりました。明らかに大佐は関心を持っています。
「十個艦隊を動員する」
「十個艦隊?」
私とヤン大佐は思わず声を上げていました。ワイドボーン大佐はそんな私達を面白そうに見ています。
「そう、十個艦隊だ。そのうち五個艦隊を使ってイゼルローン要塞を攻めると見せてフェザーンを攻略、帝国が慌ててフェザーンに軍を動かそうとした時に残りの五個艦隊でイゼルローン要塞を攻略する」
「!」
私は驚きで声が出ません。十個艦隊の動員だけでもびっくりなのにフェザーンを攻める? フェザーンは中立のはずです、それを攻める? そんな事許されるのでしょうか?
「上手くいけば同盟はイゼルローン要塞とフェザーンの両方を得ることができるだろう。そういうことだったな」
ワイドボーン大佐の言葉にヤン大佐は考え込んでいました。やはり大佐は反対なのでしょう、十個艦隊の動員と言い、フェザーンを攻める事と言い正気じゃ有りません。
「なるほど、十個艦隊を動員することで二正面作戦を可能とし帝国の眼とフェザーンの眼をイゼルローン要塞から逸らすということか」
「そうだ、そうすることでイゼルローン方面の軍事力を要塞と駐留艦隊のみにする。それなら要塞攻略は可能だとヴァレンシュタインは見ている」
「あの……」
二人の視線が私に集中しました。ちょっと怖かったです、でも思い切って訊いてみました。
「フェザーンを攻めるのはどうなんでしょう、中立は無視するのですか?」
私の質問に二人の大佐は顔を見合わせちょっと苦笑しました。
「まあ、そのあたりは余り考えなくてもいいと思うね。同盟もそしておそらくは帝国もフェザーンを信用などしていない。フェザーンもそれは分かっているだろう。フェザーンの中立が守られているのはそのほうが都合が良いからだ。当然都合が悪くなれば破られる……」
そんなものなのでしょうか? 別段フェザーンの肩を持つわけではありません。私もフェザーンはどちらかといえば嫌いです、でも中立を破るということがどうにも引っかかるのです。そんな簡単に破って後々問題にならないのか、そう思ってしまいます。
「どう思う、ヤン。可能だと思うか?」
ワイドボーン大佐の言葉にヤン大佐はほんの少し考えてから答えました。
「問題は実行できるかだな。この作戦は秘匿が要求される。作戦の目的がフェザーンに知られればその時点で作戦は失敗に終わるだろう。それが可能かどうか……」
ヤン大佐の言葉にワイドボーン大佐が頷きました。私も同じ思いです、中立国を攻める等ということが事前に漏れたら大変なことになるでしょう。同盟内部だけではありません、宇宙全体が大騒ぎになります。
「イゼルローン要塞を落とすにはフェザーンの介入を排除する必要が有るとは私も思っていた。そのためにはフェザーンの注意を引かないように小規模の兵力で要塞を落とすことが出来ないかと考えていたんだが……、大兵力を用いるか……」
ヤン大佐が頭を搔きながら呟きました。一本取られた、そんな感じです。
「お前なら出来るだろう、奴が言っていたぞ、ヤン大佐なら一個艦隊でイゼルローン要塞を落とすだろうとな」
「……過大評価だよ、まだ何も考えつかないんだ」
ヤン大佐が困惑したような表情を見せています。そんな大佐をワイドボーン大佐は面白そうに見ていました。
「だがこうも言っていた。ヤン大佐は落とした後のことを考えているのかとね」
「?」
「イゼルローン要塞を落とせば必ず帝国領への大規模出兵を声高に叫ぶ人間が現れる。その危険性を認識しているのか、一つ間違うと同盟は滅亡への道を歩み始めるだろうと……」
「なるほど、だから大兵力を使うか……。両回廊を押さえれば当然だが帝国は奪回作戦を起こす。同盟は帝国領への出兵よりも防衛に力を注がなくてはならない……。攻め込むよりも防衛戦のほうが分が有る、そういうことか……」
呻くような口調でした。ワイドボーン大佐はもう面白そうな表情は見せていません。生真面目な表情をしています。そしてヤン大佐は顔を強張らせていました。
「……怖い男だ。常に私の一歩先を見ている。あの男が敵だったら……」
「止せ、奴は敵じゃない」
「分かっているよ、ワイドボーン。でもね、それでも私は怖いと思ってしまうんだ……」
「……」
嫌な沈黙が落ちました。ヤン大佐は表情を強張らせワイドボーン大佐は困ったような表情をしています。
「とにかく、お前が知りたがったことは話した。艦橋へ行くんだ、それとヴァレンシュタインは敵じゃない、忘れるなよ」
「ああ」
宇宙暦 794年 10月 17日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
艦橋のスクリーンにはイゼルローン要塞が映っている。九月初旬から十月初旬にかけてイゼルローン回廊の同盟側入り口付近で同盟軍と帝国軍は小規模な艦隊による執拗な戦闘を何度も連続して繰り返した。
俺に言わせれば何の意味が有るのかと言いたいのだが、両軍とも少しでも自軍を優位に導きたいと言う想いがある。戦闘で勝てば士気も上がる、相手の戦力を削ぐ事にもなる。お互いに必死だ。
俺は今艦橋に居る。一時的にという事ではない。例のイゼルローン要塞攻略作戦、俺に言わせれば壮大なる駄法螺作戦なのだが、それを聞いたグリーンヒル参謀長が妙に感動してしまって俺の席を艦橋に用意したのだ。
当然だが俺は拒否した。俺はニートでフリーなサロン生活が気に入っていたのだ。なんだって艦橋なんかに行かなきゃならん。大体そんな所に行ったらロボスとかフォークが嫌がるだろう。他人の嫌がる事はしちゃいかんのだ。
だが参謀長は強硬だった。どうしても艦橋に来いと言い張る。仕方が無いんでヤンとワイドボーン、それにサアヤが一緒ならと条件を付けた。なんと言ってもヤンは非常勤参謀だからな、それにサアヤは俺の付録だと思われている、ヤン以上に無理だ。それを理由に断わろうと思ったのだが、グリーンヒル参謀長殿は席を四つ用意した。
おまけに席の位置が凄い、参謀長の直ぐ傍だ。参謀たちに用意された席はロボスを中央にして二列用意されている。グリーンヒル参謀長の席はロボスから見て右側の一番手前の席だ。その隣に俺、ワイドボーン、ヤンと続く。流石にサアヤは末席だった。ちなみにフォークは反対側の席の真ん中辺りに座っている。
いいのかよ、これ。この席順って普通は階級順、或いは役職順だろう。それをまるっきり無視だ。この席順だと俺はグリーンヒル参謀長に次ぐ立場という事になる。おかしいだろう、それは。しかしワイドボーンに訊いてみても“問題ない”の一言だ。
アンドリュー・フォークの評判が良くない。ロボスの威光を借りて自分の思うようにやっているらしい。困った事はロボスがそれを許している事だ。ようするに原作の帝国領侵攻作戦と同じ状況になっている。ヴァンフリートの屈辱がこの二人の連帯を必要以上に強めてしまったらしい。
参謀達が席順に文句を言わなかったのもそれが原因だ。新しく入ってきた参謀達、そして元々居た参謀達の中にもフォークを不愉快に思い、それを許しているロボスに不満がある連中がいる。そういう連中が俺を艦橋に呼ぶことに賛成し席順にも同意した。
皆内心ではこの戦いは上手く行かないと感じ始めている。何処かで撤退をと言わなければならないだろうとも感じている。そしてロボスがなかなか同意しないだろう事も……。
そんな時、グリーンヒル参謀長が俺をやたらと褒め始めた。例の駄法螺作戦を聞いた後だが、“ヴァレンシュタイン大佐は凄い”、“当代随一の戦略家だろう”なんて言い始めた。そこで俺に目をつけた。
彼らにとって俺はフォークの愚案を三分で叩き潰した男らしい。おまけにメルカッツは来ないがオフレッサーは来るという予想も当たった。アイアースに乗り込んでからは一向に仕事をしない。明らかにロボスやフォークに反抗している。
誰だって撤退しようとは言い辛い。皆が俺に期待しているのはその言い辛い事を言って欲しいという事のようだ。子供か? 自分で言えよな、そんな事。頭痛いよ。
ロボスは頑なに俺の方を見ない。フォークは俺を見ると口元を歪める。俺って何でこんなに嫌われてるんだろう。そんなに嫌な奴かね、どうも納得がいかない。世の中は不条理だ。
グリーンヒル参謀長は時折俺に意見を求めるが俺はその殆どをワイドボーンとヤンに振っている。俺は二人が答えた後に自分も同意見です、で終わりだ。大体あの二人の言う事は殆ど間違っていない、問題は無い。
一度ロボスが“貴官はいつも自分も同意見です、だな。自分の意見というものは無いのかね”と皮肉たっぷりに言ってきた。フォークは口元を歪めて笑っている。あんまり子供じみているんで思わずこっちも笑ったぜ。
“言うべき時が来たら言います。今は未だその時ではないようです”
俺がそう言ったら周りがシーンとした。ロボスは顔を強張らせているし、フォークは顔面蒼白だ。撤退進言は俺がしてやる、お前らに引導を渡してやるから安心しろ……。良く考えればそう言ったようなもんだ。余計な事をした。口は災いの元だな。
これからアイアースの会議室で将官会議が開かれる。俺は将官ではないが司令部参謀として参加が命じられている。気が重いよ、グリーンヒル参謀長は“宜しく頼むよ”と言ってきた。
何をどう宜しくするのか、グリーンヒル参謀長が何を期待しているのか想像はつくが、うんざりだ。あの駄法螺作戦の所為だな……。あれはラグナロック作戦のパクリなのだが、あれを同盟が実施できる可能性はまずない。不可能ではないのだが成功する見込みは限りなく低いだろう。理由は二つある。
一つは誰でも分かる、作戦目的を秘匿出来るかだ。少しでもフェザーン、帝国に知られれば作戦は失敗する……。帝国ならともかく同盟では難しいだろう。
もう一つは人的要因だ。原作のラグナロック作戦はラインハルトの指揮の下、帝国軍の名将達が作戦を実行した。イゼルローン方面はロイエンタールが指揮を執り、フェザーン方面はミッターマイヤーが中心となった。
ロイエンタールもミッターマイヤーも名将だ。ラインハルトは言うまでもない。彼らが協力することでラグナロック作戦は成功した。同盟があの駄法螺作戦を実行した場合、一体誰が総指揮を執り、誰がイゼルローンを、フェザーンを落とすのか……。
帝国軍が健在である以上、作戦の難易度はラグナロック作戦よりも高いだろう。余程の人材を配置する必要が有る。能力があり強い信頼関係を持った人間達だ。残念だが今の同盟では無理だ……。
そろそろ会議室に行くか。どうせ愚にもつかない会議になるだろうが、始めなくては終わらない。ちゃっちゃと終わらせよう。俺が席を立つとワイドボーンとヤンが後に続いた……。
第二十五話 将官会議
宇宙暦 794年 10月 17日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
総旗艦アイアースの会議室に大勢の人間が集まっている。総司令部、第七、第八、第九艦隊から有資格者が集まった。大体百人くらいだろう。普通百人もいれば会議室はざわめくもんだがどういうわけか皆静まり返っている。
「ヴァレンシュタイン大佐」
隣にいるグリーンヒル参謀長が話しかけてきた。ちなみに俺のもう一人の隣人はワイドボーンだ。
「今日の会議では忌憚ない意見を述べてくれ」
「はい」
忌憚ない意見か……。参謀長の自分は正面から反対はできない、お前が代わりに反対しろって事だな。わざわざ念押しするなよ。それとも適当に修正案を出せって事か? 良く分からんが、まあ好きにやって良いという事にしておくか……、面倒なことだ。
会議室にロボス元帥が入ってきた。周囲の人間が起立し敬礼した。仕方がない、俺も起立し敬礼する。その後ろをフォーク中佐が続く。腹を突き出し気味に歩くロボスと顔色の悪いフォーク。ウシガエルと青ガエルみたいな組み合わせだな。これからの呼び名はカエルコンビだ。
ロボス元帥が答礼し席に着いた、俺達も席に着く。
「これからイゼルローン要塞攻略作戦について説明する。フォーク中佐、始めたまえ」
「はっ」
ウシガエルの言葉に青ガエルが起立した。こいつあんまり眼つきが良くないんだよな。なんかすくいあげるような上目使いでこっちを見るし、口元が歪んでいる。なんか馬鹿にしているような感じがする。お前は嫌いだ。
「過去のイゼルローン要塞攻略法は要塞主砲(トール・ハンマー)を使用させない、あるいは無力化する、この二点に尽きるものと過去には思われていました。小官はここにあらたな一案を提出します」
フォーク中佐が一瞬だが俺を見た。頼むからその変な眼つきは止めろ。気分が悪くなる。ついでに言うとこの案はお前の独創じゃないだろう、ホーランドもからんでいるはずだ。
「艦隊主力を囮とします。攻撃の主力はミサイル艇が行います。我々が攻め寄せれば帝国軍は並行追撃作戦を恐れてイゼルローン要塞の正面に配置されたこちらの主力艦隊の動向に注目します。その分だけミサイル艇に対する帝国の注意は薄れるでしょう」
やっぱりあの作戦案を提出するのか……。まあ作戦案そのものは悪くないからな。もっとも上手くいかない可能性のほうが高い作戦案だが……。
「ミサイル艇は要塞主砲(トール・ハンマー)の死角よりイゼルローン要塞に肉薄、要塞の各処にミサイルを集中攻撃します。火力の滝をもってイゼルローン要塞の鉄壁に穴を開けるのです。その後は陸戦隊を送り込みイゼルローン要塞を内部より制圧します」
作戦内容を話すとフォークは作戦を自画自賛し始めた。武人の名誉とか同盟開闢以来の壮挙とか言っている。自画自賛すれば作戦案も洗練されるとでも思っているんだろう。意味ないぞ。
周囲もどこか醒めた様な表情をしている。満足しているのはロボスだけだ。フォークの演説に満足そうに頷いている。グリーンヒル参謀長が咳払いをして口を開いた。
「フォーク中佐の述べた作戦案の討議に入ろう。活発な提案と討論を行ってほしい」
なんか皆が俺の方を見ている。グリーンヒル参謀長もワイドボーンもだ。何でこうなるかな、知らないぞ、どうなっても……。俺はロボスもフォークも嫌いなんだ。グチャグチャになるからな。
宇宙暦 794年 10月 17日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース マルコム・ワイドボーン
フォーク中佐が作戦案を述べている間、ヴァレンシュタインは詰まらなさそうにしていた。手元のメモ帳に落書きをしている、カエルの絵だ。大きな腹の突き出たカエルと貧相な小さなカエルが描かれている。
大きなカエルには髭が描かれていた。ロボスのつもりか? となると小さいカエルはフォークか。思わず失笑しそうになって慌てて堪えた。グリーンヒル参謀長を見ると参謀長も顔を歪めている。どうやら俺と同じものを見たらしい。隣のヤンが俺を不思議そうに見た。慌てて顔を引き締めた。
参謀長が咳払いをした。どうやら始めるらしい。
「フォーク中佐の述べた作戦案の討議に入ろう。活発な提案と討論を行ってほしい」
皆がヴァレンシュタインを見ている。ヴァレンシュタインは迷惑そうな表情で俺を、そしてグリーンヒル参謀長を見る。参謀長が頷くのが見えた。ヴァレンシュタインは一つ溜息を吐くと右手を挙げた。
「発言を求めます」
誰も何も言わなかった。ロボス元帥もグリーンヒル参謀長も沈黙している。これからヴァレンシュタインとフォークの論戦が始まる。言ってみればグリーンヒル参謀長とロボス元帥の代理戦争の様なものだ。皆それが分かっている。微妙な空気が漂ったがヴァレンシュタインは気にすることもなく発言を続けた。
「その作戦案ですが狙いは悪くないと思います」
「……」
本当にそう思っているのか? そんな事を思わせる口調だ。フォークの顔が微かに引き攣るのが見えた。
「しかし先日、此処にいるワイドボーン大佐、ヤン大佐にも話したのですが敵がこちらの考えを見破れば危険な状況に置かれるのは同盟軍です。フォーク中佐もそれはご存じでしょう。そのあたりをどう考えているのか、答えていただきたい」
「敵がこちらの作戦を見破ると決まったわけではありません。ヴァレンシュタイン大佐の危惧はいささか度が過ぎるものと思いますが?」
小馬鹿にしたような表情だ。真面目に取り合おうとはしていない。大体今回の作戦が敵に見破られるなどとは考えていないのだ。対処法などあるわけがない。
「そうかもしれません。しかし作戦を実施する以上、万一敵が艦隊を配置した場合の事を考慮するのは当然の事でしょう。答えてください」
「……その場合は高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処することになります」
高度な柔軟性? 臨機応変? なんだそれは? 行き当たりばったりということか? 嘘でもいいからもう少しまともな答えを出せ。
「それは作戦の実施を見合わせる事も有り得るという事ですか、フォーク中佐?」
どこか笑いを含んだヴァレンシュタインの言葉にフォークの唇が歪んだ。ロボス元帥も渋い表情をしている。
「……そうでは有りません。何らかの手段を講じて作戦を実施するという事です」
「何らかの手段とは?」
「それは……」
フォークの唇がさらに歪んだ。馬鹿が、一時しのぎで答えるから突っ込まれるのだ。
「その辺にしておけ、ヴァレンシュタイン大佐。それ以上は戦闘になってみなければわかるまい」
ロボス元帥が不機嫌そうな声で助け船を出した。フォークの顔が屈辱でさらに歪む、助かったという思いより面子を潰されたと思ったのかもしれない。第一ラウンドはヴァレンシュタインの勝利だな。それにしても戦闘になってみなければわからない? 総司令官の言葉とは思えんな……。
周囲は皆無言だ。私語ひとつ聞こえない。第七艦隊司令官ホーウッド中将、第八艦隊司令官アップルトン中将、第九艦隊司令官アル・サレム中将も沈黙を保っている。話に加わっても碌なことにはならないと考えているのだろう。賢明な判断だ。
「ではもう一つ答えていただきたいことがあります」
ヴァレンシュタインの言葉にロボスとフォークが露骨に嫌な顔をした。質問は打ち切ったつもりだったのかもしれない。残念だが第二ラウンドの開始だ。ヴァレンシュタインがゴングを鳴らした。
「陸戦隊を送り込んだ場合ですが敵の防戦により要塞の占拠が不可能と判断された場合、陸戦隊の撤退はどのように行われるのかをお聞きしたい。要塞占拠に手間取れば艦隊戦闘は混戦になっている可能性がある。撤退する味方をどう援護するのか……」
意地の悪い質問だが至極当然の質問でもある。今回の作戦はおそらく要塞内に陸戦隊を送り込むことは可能だ。だが要塞を占拠できるかと言われれば難しいと言わざるを得ない。その場合送り込んだ陸戦隊をどう撤退させるか、ヤンとも話したがお手上げだった。艦隊戦闘がどうなっているか分からない、不確定要素が多すぎるのだ。最悪の場合見殺しというのもあり得るだろう。
「なぜ失敗する危険性のみを強調するのです。ミサイル攻撃が成功すれば敵は混乱して効果的な防御などできるはずがありません。取るに足りぬ杞憂です」
自信満々でフォークが断言した。隣のヤンが呆れた様な表情をしている。えらいもんだ、よくそこまで楽観論が展開できるな。フォーク中佐、お前さんには頭が下がるよ。
「イゼルローン要塞にはオフレッサー上級大将、リューネブルク准将がいることが分かっています。彼らが簡単に要塞の占拠を許すとは思えません。もう少し慎重に考えるべきではありませんか」
フォークが呆れたというように首を振った。そして芝居気たっぷりに周囲を見渡した。
「小官にはどうしてヴァレンシュタイン大佐がそのように敵を恐れるのか、理由が分かりません。オフレッサーなどただの野蛮人、リューネブルクはこずるい裏切り者に過ぎないではありませんか」
「……」
「敵を過大評価し必要以上に恐れるのは武人として最も恥ずべきところ。ましてそれが味方の士気を削ぎ、その決断と行動を鈍らせるとあっては意図すると否とに関わらず結果として利敵行為に類するものとなりましょう。どうか注意されたい」
決めつけるような言い方だった。フォークは会心の表情をしてロボス元帥を見た。ロボス元帥も満足そうな表情だ。そして笑い声が聞こえた。ヴァレンシュタインだ。会議室の人間がぎょっとした表情でヴァレンシュタインを見た。
「ここは作戦会議の場ですよ、フォーク中佐。疑問点があれば問いただし、作戦の不備を修正し成功の可能性を高めるのが目的の場です。それを利敵行為とは……」
ヴァレンシュタインは笑うのを止めない。フォークの顔がまた屈辱に歪むのが見えた。
「小官は注意していただきたいと言ったのです。利敵行為と断言……」
「利敵行為というのがどういうものか、中佐に教えてあげますよ」
「……」
ヴァレンシュタインは笑うのを止めない。嘲笑でも冷笑でもない、心底可笑しそうに笑っている。
「基地を守るという作戦目的を忘れ、艦隊決戦に血眼になる。戦場を理解せず繞回運動等という馬鹿げた戦術行動を執る。おまけに迷子になって艦隊決戦に間に合わない……。総司令部が迷子? 前代未聞の利敵行為ですよ」
フォークの顔が強張った。ロボス元帥の顔が真っ赤になっている。そして会議室の人間は皆凍り付いていた。聞こえるのはヴァレンシュタインの笑い声だけだ。目の前でここまで愚弄された総司令官などまさに前代未聞だろう。
「フォーク中佐、貴官は士官学校を首席で卒業したそうですが何かの間違いでしょう。もし事実なら同盟軍の人材不足も酷いものですね。貴官が首席とは……、帝国なら落第間違いなしですよ」
「な、何を、私は本当に」
言い返そうとしたフォークの言葉をヴァレンシュタインが遮った。
「フォーク中佐、貴官の軍人としての能力など誰も評価していません。それなのに何故ロボス元帥に重用されるか、小官が教えてあげましょう。貴官には分からないでしょうからね」
「……」
フォークは小刻みに震えている。落ち着きなくロボスとヴァレンシュタインを交互に見ている。そしてヴァレンシュタインは明らかに楽しんでいた。
「楽なのですよ、貴官がいると。自分のミスを他人に押し付けてくれるのですから」
「……」
「悪いのは総司令部じゃない、悪いのは敵を打ち破れない味方です。迷子になったのは味方がきちんと連絡を入れないからです。それに戦場があまりにも混乱していました……」
「……」
先程まで真っ赤になっていたロボスの表情は今は蒼白になっている。体が小刻みに震えているのが俺の席からも分かった。フォークは落ち着きなくキョトキョトしている。ロボスの思惑が気になるのだろう。
「今度の作戦もそうでしょう。陸戦隊をイゼルローン要塞に送り込む。要塞を占拠できなかったのは陸戦隊が不甲斐ないからで総司令部の責任ではない、総司令部は最善を尽くした。違いますか?」
「そ、そんな事は」
「そんな事はありませんか? 作戦は必ず成功すると?」
「も、もちろんです。必ず要塞は占拠できます」
馬鹿が、挑発に乗ってどうする。隣でヤンが溜息を吐くのが聞こえた。
「ならば陸戦隊を自ら率いてはどうです」
「!」
「必ず成功するのでしょう。武勲第一位ですね」
フォークの表情が引き攣った。顔面は蒼白になっている。そしてもうロボスを見る余裕もない。
「できもしないことを言わないでください」
「不可能事を言い立てるのは貴官の方でしょう。しかも安全な場所から動かずにね、恥知らずが」
「小官を侮辱するのですか」
「大言壮語を聞くのに飽きただけです。貴官は自己の才能を示すのに他者を貶めるのではなく実績を持ってすべきでしょう。他人に命じることが自分にできるのか、やってみてはどうかと言っています」
「……」
「陸戦隊を指揮しなさい、オフレッサーなどただの野蛮人、リューネブルクはこずるい裏切り者。そうでしょう、フォーク中佐」
突然、フォークが悲鳴を上げ蹲った。会議室の人間は皆顔を見合わせている。
「フォーク中佐、どうした」
ロボス元帥の声にもフォークは答えない。ただ“ヒーッ”という悲鳴が聞こえるだけだ。ようやく会議室にざわめきが起きた。
「誰か軍医を呼んでください」
ヴァレンシュタインの声に末席にいた参謀が慌ててTV電話で軍医を呼び始めた。
「ヴァレンシュタイン、貴官、一体」
「落ち着いてください、元帥。今軍医が来ます。我々が騒いでも何の役にも立ちません」
激高するロボス元帥をヴァレンシュタインは冷酷と言っていい口調で黙らせた。フォークの異常な様子にもヴァレンシュタインは全く驚いていない。平然としている。その姿に会議室のざわめきが収まった。誰もが皆顔を引き攣らせている。
軍医が来たのは五分ほどたってからだった。診断は転換性ヒステリーによる神経性盲目。我儘一杯に育った幼児に時としてみられる症状なのだという。治療法は彼に逆らわないこと、冗談としか思えない話だった。皆余りの事にどう判断してよいのか分からず顔を見合わせている。
困惑する中、笑い声が聞こえた。ヴァレンシュタインが可笑しそうに笑っている。
「何が可笑しいのだ、貴官は人の不幸がそんなに可笑しいのか!」
唸るような口調と刺すような視線でロボス元帥が非難した。
「チョコレートを欲しがって泣き喚く幼児と同じ程度のメンタリティしかもたない人物が総司令官の信頼厚い作戦参謀とは……。ジョークなら笑えませんが現実なら笑うしかありませんね」
露骨なまでの侮蔑だった。ロボス元帥の顔が小刻みに震えている。視線で人を殺せるならヴァレンシュタインは瞬殺されていただろう。
「本当に笑えますよ、彼を満足させるために一体どれだけの人間が死ななければならないのかと思うと。本当に不幸なのはその人達ではありませんか?」
ヴァレンシュタインが笑いながらロボス元帥を見た。ロボス元帥は憤怒の形相でヴァレンシュタインは明らかに侮蔑の表情を浮かべている。
ロボス元帥が机を叩くと席を立った。
「会議はこれで終了とする。ご苦労だった」
吐き捨てるように言うとロボス元帥は足早に会議室を出て行った。皆が困惑する中ヴァレンシュタインの笑い声だけが会議室に流れた……。
第二十六話 遠征軍の混乱
宇宙暦 794年 10月 17日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース ワルター・フォン・シェーンコップ
会議室からロボス元帥が出てきた。敬礼したが全くこちらを見ることもなく足早に去って行く。明らかに元帥は怒っていた。何が有ったのやら……。
「シェーンコップ大佐、元帥閣下は御機嫌斜めでしたね」
「そうだな、ブルームハルト」
「さっきストレッチャーで運ばれていったの、あれ、作戦参謀のフォーク中佐ですよね」
「そのようだな」
ブルームハルトの口調は歯切れがよくない。何処となくこちらを窺うような口調だ。
会議室の前には何人かの士官が集まっていた。各艦隊の司令部要員、或いは副官だろう。そして俺、ブルームハルト、デア・デッケンも会議室の前にいる。リンツは連隊で留守番だ。
今日の将官会議は始まる前から大荒れが予想されていた。総司令官ロボス元帥に対してグリーンヒル参謀長が強い不満を持っている……。イゼルローン要塞攻略を円滑ならしめるためグリーンヒル参謀長は努力してきたがロボス元帥はそれを認めず自分を無能扱いする行為だと邪推している……。
ロボス元帥が心から信頼するのはフォーク中佐でフォーク中佐はそれを良い事に今回のイゼルローン要塞攻略を自分の考えた作戦案で行おうと考えている。その作戦案はヴァレンシュタイン大佐により成功よりも失敗の可能性が高いと指摘された。そして多くの参謀がその指摘を妥当なものだと考えている……。
グリーンヒル参謀長がヴァレンシュタイン大佐にフォーク中佐の作戦案を叩かせよう、それによって作戦案を修正し成功率の高いものにしようとしている。将官会議は酷く荒れたものになるだろう……。どうやらその通りになったようだ。
会議室のドアが開き士官がぞろぞろと出てきた。皆顔色が優れない、何処となく鬱屈したような顔をしている。外で待っていた士官達が近寄るが表情は変わらない……。幾つかのグループに分かれ小声で話し合い始めた。
ヴァーンシャッフェ連隊長が会議室から出てきた。表情は……、苦虫を潰したような表情だ。
「連隊長、会議は如何でしたか」
「……」
連隊長は口をへの字にしたまま俺の問いには答えなかった。あまり機嫌は良くない様だ。フォーク中佐の作戦案が採用されれば一番その被害を受けるのはローゼンリッターだろうと言われていた。
もっともヴァーンシャッフェ連隊長は武勲を挙げる機会だと張り切っていた。という事はフォーク中佐の作戦案は却下されたという事か……。まあストレッチャーで本人が運ばれたのだ、採用されるわけがないか。
会議室から小柄な士官が出てきた。ヴァレンシュタイン大佐だ。彼が出てくると廊下にいた士官達が会話を止めた。視線を合わせることを避けてはいるが意識はしている。明らかに周囲は彼を畏れている。ヴァーンシャッフェ連隊長も彼を一瞬だけ見たが直ぐ視線を外した。
ヴァレンシュタイン大佐は周囲を気にすることなくこちらに向かって歩いて来た。一瞬だけ俺達を見たが直ぐ視線を外し無表情に歩く。
「ヴァレンシュタイン大佐」
俺がヴァレンシュタイン大佐を呼び止めるとヴァーンシャッフェ連隊長が顔を顰めるのが分かった。構うものか。ヴァレンシュタインは足を止めこちらに視線を向けた。
「作戦案はまとまりましたか」
俺の問いにヴァレンシュタインは無言で首を横に振った。そして微かに笑みを浮かべながら近づいてきた。
「何も決まりません、元々作戦案など有って無いような物ですからね。笑い話のような会議でしたよ」
笑い話のような会議? その言葉にヴァーンシャッフェ連隊長がますます顔を顰めた。そしてブルームハルト、デア・デッケンは訝しげな表情をしている。
「先程ストレッチャーで運ばれていったのは……」
「ああ、あれですか、五月蠅い小バエが飛んでいたので追い払っただけです。まあ、あれはしつこいですからね。いずれはまた現れるでしょうが当分は大丈夫でしょう。幸いこれから寒くなりますし……」
そう言うと可笑しそうにクスクスと笑い始めた。
ヴァーンシャッフェ連隊長がさらに顔を顰めた。周囲の人間も俺達を見ている。何処か恐々といった感じだ。その気持ちは分かる、美人だが怖いところのある美人、それが俺のヴァレンシュタイン評だ。まともな男なら近づかんだろう。だが俺はまともじゃないんでな。全然問題ない。
たぶんフォーク中佐を叩き潰してロボス元帥を怒らせたのだろう。他の軍人なら自分のしたことに蒼褪めているはずだ。だが目の前の彼は楽しそうに笑っている……。
見たかったな、どんなふうにあの男を叩き潰したのか……。優雅に、辛辣に、そして容赦なく叩き潰したに違いない。俺はその姿に魅入られたように喝采を送っていただろう……。
「ヴァレンシュタイン大佐」
声をかけてくる男達がいた、二人だ。三十には間が有るだろう、一人は長身で体格の良い男だ、そしてもう一人は中肉中背……。ヴァレンシュタインはチラっと彼らを見ると笑みを収め溜息を吐いた。どうやら苦手な相手らしい。
「紹介しましょう。彼らは作戦参謀のワイドボーン大佐、ヤン大佐です」
ヴァレンシュタインの言葉に二人が挨拶をしてきた。長身の男がワイドボーン、中肉中背がヤン。
片方は十年来の秀才、もう片方はエル・ファシルの英雄か。なかなか豪華な顔ぶれだ。ここ最近ヴァレンシュタインと組んでいると聞いている。グリーンヒル参謀長の信頼が厚いとも……。
「ワイドボーン大佐、ヤン大佐、こちらはローゼンリッターのヴァーンシャッフェ准将、シェーンコップ大佐、ブルームハルト大尉、デア・デッケン大尉、ヴァンフリートで一緒でした」
ヴァーンシャッフェ准将の表情は渋いままだ。どうやら准将はこの二人も嫌いらしい。つまり俺の判断ではこの二人はまともだという事だろう。
「ヴァレンシュタイン大佐から聞きましたが作戦案は纏まらなかったそうですな」
俺の言葉に二人が何とも言えない顔をした。困っているような呆れているような。
「仕方ありませんね。能力は有るんだがヤル気のない奴が多すぎる。もう少しヤル気を出してくれれば作戦案も簡単にまとまるんだが……」
ワイドボーン大佐の言葉に皆の視線がヴァレンシュタインに向かった。
「人違いですね、能力は有ってもヤル気がないのはヤン大佐です、小官は能力もヤル気も有りません……。用事が有るので小官はこれで」
面白くもなさそうにそう言うとヴァレンシュタインは歩き出した。その姿にワイドボーンとヤンが困ったような表情をしている。ヤン大佐が頭を掻いた。
「どうやら御機嫌を損ねたようだ」
「確かに……、なかなか扱いが難しい。外見は可愛い子猫だが内面は空腹を抱えているライオン並みに危険だ」
「面白い例えですな、ワイドボーン大佐」
顔を見合わせてお互いに苦笑した。どうやらこの男とは気が合いそうだ。
面白くなかったのだろう、ヴァーンシャッフェ准将が先に行くと言って歩き出した。本当なら後に続くべきだが、もう少しワイドボーン、ヤンと話をしたかった。俺が残るとブルームハルトとデア・デッケンも残った。同じ思いなのだろう。この二人もヴァレンシュタインには思い入れがある。
「実際のところ、何が有ったのです?」
俺の問いかけにワイドボーン大佐が困ったような笑みを見せた。
「最初は問題なかった。フォーク中佐が作戦案を説明しヴァレンシュタインが作戦案の不備を指摘した」
「……」
「フォーク中佐はまともに返答をしなかったがそれもグリーンヒル参謀長の想定内だった。大事なのは作戦案には不備があるという事を指摘することだったんだ。会議の最後で参謀長は衆議にかけたはずだ。このまま作戦を実施するべきか否かとね」
「なるほど」
「おそらく皆賛成はしなかったはずだ。そうなればフォーク中佐を信頼するロボス元帥も無理強いは出来ない。改めて作戦案の練り直しを命じただろう。そういう方向になる、参謀長も俺達もそういうシナリオを作っていたんだが……」
「上手くいかなかったのですな?」
ワイドボーン大佐が溜息を吐いて頷いた。
「上手くいかなかった……。フォークの馬鹿が自分の作戦案を通そうとしてヴァレンシュタインを露骨に侮辱した。そこからは流れが変わった。ヴァレンシュタインは明らかにフォークを潰しにかかった……」
「フォーク中佐だけじゃないさ、ロボス元帥もだ。ヴァレンシュタイン大佐は明らかにあの二人を標的にした……」
「そうだな、ヤンの言うとおりだ」
ワイドボーン大佐とヤン大佐が暗い表情で頷いている。気を取り直したようにワイドボーン大佐が話を続けた。
「フォークは簡単にヴァレンシュタインの挑発に乗った。その後は猫が鼠をいたぶる様なものだ、フォークは自滅、ロボス元帥はブチ切れて終わった。皆蒼褪めていたよ、笑っていたのはヴァレンシュタインだけだった……」
怖い美人だ、自分より下の階級の人間だけではなく宇宙艦隊司令長官を標的にしたか……。体は小さくとも狙いは大きい。間違いなくヴァレンシュタインは肉食獣だ。獰猛で誇り高い肉食獣……。
「ヴァレンシュタイン大佐にはシナリオを話していなかったのですか?」
ブルームハルトがおずおずと言った口調で問いかけるとワイドボーン大佐が頷いた。
「話していなかった。変に振付をするより自由にやらせた方が良いと思ったんだが裏目に出た……。フォークの馬鹿が!」
吐き捨てるようなワイドボーン大佐の言葉にヤン大佐が話を続けた。
「多分ヴァレンシュタイン大佐はこちらのシナリオをある程度は理解していたと思う」
シナリオを理解していた? 俺だけではない、ワイドボーン大佐もヤン大佐を見た。
「ヤン、ヴァレンシュタインは何故シナリオをぶち壊すようなことをしたんだ?」
「彼はロボス元帥を排除すべきだと考えたんじゃないかな。こんなやり方は迂遠だと思った。根本的な問題の解決にならないと思った……」
「……」
皆が沈黙する中、ヤン大佐の声が続く。
「今日の会議で皆がフォーク中佐には幻滅しただろうし、彼を重用するロボス元帥にも愛想を尽かしたはずだ。次に失敗すれば更迭は間違いないだろう」
「……」
「これからどうなると」
俺の問いにワイドボーン大佐とヤン大佐が顔を見合わせた。二人とも溜息を吐いている。
「分からない、ロボス元帥がどう判断するか……。場合によっては意地になって作戦を実施しようとするかもしれない……」
「失敗すれば……」
「ロボス元帥は更迭されるだろうな……。ヤンの考えが正しければヴァレンシュタインの思い通りだ」
皆が溜息を吐いた。怖い美人だ……。
宇宙暦 794年 10月 17日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
グリーンヒル参謀長も今日の会議には当てが外れただろう。俺があまりにもやりすぎた。顔が引き攣っていたからな。しかしロボスもフォークもまともに取り合う気はなかった。
あの二人は作戦案の修正など認めなかっただろう。やるだけ無駄だ。少なくともフォークは排除した、それだけでも総司令部の風通しはかなり良くなるはずだ。参謀長にはそれで我慢してもらうしかないな。
今思い出しても酷い会議だった、うんざりだ。フォークの馬鹿は原作通りだ。他人をけなすことでしか自分の存在をアピールできない。ロボスは自分の出世に夢中で周囲が見えていない。あの二人が遠征軍を動かす? 冗談としか思えんな。
フォークは軍人としては終わりだな。恐らく病気療養で予備役だ。当分は出てこられない。出てきても作戦参謀になることはないだろう。その方が本人にも周囲の人間にも良い。あの男に作戦立案を任せるのは危険すぎる。
問題はロボスだな……。今回の会議で考えを改めればよいが果たしてどうなるか……。頭を冷やして冷静になれば出来るはずだ。だが出世にのみ囚われると視野が狭くなる……。
難しい事じゃないんだ、下の人間を上手く使う、そう思うだけで良い。そう思えればグリーンヒル参謀長とも上手くいくはずなんだが、シトレとロボスの立ち位置があまりにも違いすぎる事がそれを阻んでいる。
シトレが強すぎるんだ、ロボスはどうしても自分の力で勝ちたいと思ってしまうのだろう。だから素直にグリーンヒルの協力を得られない。そうなるとあの作戦案をそのまま実施する可能性が出てくる……。
問題は撤退作戦だ。イゼルローン要塞から陸戦隊をどうやって撤収させるか……。いっそ無視するという手もある。犠牲を出させ、その責をロボスに問う……。イゼルローン要塞に陸戦隊を送り込んだことを功績とせず見殺しにしたことを責める……。
今日の会議でその危険性を俺が指摘した。にもかかわらずロボスはそれを軽視、いたずらに犠牲を大きくした……。ローゼンリッターを見殺しにするか……、だがそうなればいずれ行われるはずの第七次イゼルローン要塞攻略戦は出来なくなるだろう。当然だがあの無謀な帝国領侵攻作戦もなくなる……。トータルで見れば人的損害は軽微といえる……。
戦争である以上損害は出る。問題はどれだけ味方の損害を少なくできるか、つまり味方をどれだけ効率よく犠牲にできるかだ。採算は取れる、取れすぎるくらいだ。後はロボスがどう動くか、そして実行できるか……。
それにしても酷い遠征だ。敵を目前にして味方の意志が統一されていない。こんな遠征軍が存在するなんてありえん話だ。何でこんなことになったのか、さっぱりだ。ヴァンフリートで勝ったことが拙かったのかもしれない。あそこで負けていたほうが同盟軍のまとまりは良かった可能性がある……。やはり俺のせいなのかな……。まったくうんざりだな。ボヤキしか出てこない。
第二十七話 イゼルローン要塞へ
宇宙暦 794年 10月 18日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース ミハマ・サアヤ
将官会議から一日が経ちました。会議中に倒れたフォーク中佐は病気療養中という事で医務室で静養中です。その後は自室で待機になるそうです。ワイドボーン大佐の話ではハイネセンに戻った後は予備役編入になるだろうという事でした。
正直に言います、皆喜んでいますし私も喜んでいます。フォーク中佐の専断には皆がうんざりしていました。ロボス元帥の権威を借りて好き放題していた中佐が居なくなってようやく仕事が出来ると考えている人も結構います。
総旗艦アイアースの艦橋は静かです、そして何処となく緊張しています。皆、ヴァレンシュタイン大佐に遠慮しているのです。昨日の会議でフォーク中佐を、そしてロボス元帥をやり込めた大佐に酷く怯えています。相変わらず大佐は容赦が有りません。私もワイドボーン大佐に話しを聞いて怖いと思いました。
もっともヴァレンシュタイン大佐の様子は昨日までと少しも変わりません。相変わらず無関心というかヤル気ゼロというか……、一人押し黙って考え事をしています。一体何を考えているのか、私には今一つよく分かりません。
もっとも分からないと言えば、これからイゼルローン要塞攻略作戦がどうなるのかも全く分かりません。作戦案を一部修正するのか、全面的に作り直すのか、それとも現状のまま実施するのか……。
皆がその事を不安に思っています。もしかすると大佐もそれを考えているのかもしれません。分かっているのはロボス元帥が艦橋に現れた時にはっきりするだろうという事です。一体ロボス元帥はどういう判断を下すのか……。
ロボス元帥が現れたのはお昼間近になってからの事でした。表情を強張らせた元帥が艦橋に現れると艦橋の空気は一気に緊張しました。皆、ロボス元帥を正面から見ようとはしません。元帥の表情を見ればあまり状況がよくなるとは思えないのでしょう。私も同感です。
ロボス元帥は艦橋の人間を一瞥するとグリーンヒル参謀長をそしてヴァレンシュタイン大佐を睨み据えて命令を下しました。
「イゼルローン要塞へ向けて艦隊を進めたまえ」
「しかし閣下、作戦案は未だ検討が済んでいません」
「構わん。艦隊を進めたまえ、参謀長」
ロボス元帥は厳しい表情のままグリーンヒル参謀長に命じました。グリーンヒル参謀長は微かに困惑しています。そしてヴァレンシュタイン大佐は無表情にロボス元帥を見ていました。
「閣下、イゼルローン要塞は目の前です。作戦も決まらぬうちにこれ以上進むのは得策とは言えません。先ずは作戦案の策定をするべきかと思います」
グリーンヒル参謀長の言うとおりです。大体スクリーンには小さくは有りますがイゼルローン要塞が映っているんです。何の作戦も無しにあの要塞に向かう? 自殺行為です。
「作戦案は変更しない、あの作戦案で行く」
「しかし、あの作戦案には欠点が……」
「反対なら代案を出せ」
「……」
ロボス元帥は顔に厭な笑みを浮かべながらグリーンヒル参謀長を見ました。参謀長は顔を強張らせています。ワイドボーン大佐もヤン大佐も顔を顰めています。代案なんてそんな簡単に出るわけが有りません。
「代案がないなら口を出すな!」
「……」
勝ち誇ったようにロボス元帥が言い放ちました。そして満足そうに艦橋を見渡します。自分の思うようにできて満足なのでしょう。まるで子供です。
「撤退を進言します」
「!」
周囲の驚く中、ヴァレンシュタイン大佐が無表情にロボス元帥を見ていました。グリーンヒル参謀長もワイドボーン大佐もヤン大佐もそしてロボス元帥も呆然としています。
「撤退だと、気は確かか、ヴァレンシュタイン」
「正気です、撤退と言っても戦略的撤退です」
「……」
心底呆れたように言うロボス元帥にヴァレンシュタイン大佐は冷静に答えました。
戦略的撤退? 皆が訝しげな顔をしています。周囲が疑問に思う中、大佐の声が流れました。
「一旦イゼルローン要塞に接近します。その上で帝国軍に艦隊決戦を申し込むのです。決戦の場はティアマトかアルレスハイム。我が軍は決戦の場まで後退します」
「馬鹿馬鹿しい、帝国軍がそんな児戯にも等しい挑発行為に乗ると思っているのか」
吐き捨てるようにロボス元帥が言いました。周囲にも頷く人間がいます。私もそう思います、大佐らしくありません。一体何が目的なのか……。
「敵が挑発に乗るようであれば艦隊決戦を行い、敵を撃破、損害の度合いにもよりますが余勢を駆ってイゼルローン要塞の攻略を実施するのです。つまり敵を分断し、各個に撃破することになります」
「!」
皆が顔を見合わせています。納得したようなしないような妙な表情です。各個撃破は分かりますがそれは敵がこちらの挑発に乗ればです。そう上手く行くとはとても思えません。皆も同じ思いなのでしょう。
「馬鹿馬鹿しい、何度も言うが帝国軍が挑発行為に乗ると思っているのか? 貴官はそれほどまでに帝国のミュッケンベルガーを愚かだと思うのか、話にならん。大体帝国軍が挑発に乗らなかったらどうするのだ」
「その時はハイネセンに戻ります」
「ハイネセンに戻る? 馬鹿か、貴官は。一体何を考えている。話にならん。グリーンヒル参謀長、よくもこんな馬鹿を重用しているな、呆れたぞ」
ロボス元帥はここぞとばかりヴァレンシュタイン大佐を罵倒しました。グリーンヒル参謀長も困惑を隠しません。でも大佐は平然としています。まるで自分が罵倒されているとは理解していないように見えます。
「ハイネセンに戻ったらフェザーン経由で帝国に噂を流します。帝国のミュッケンベルガー元帥はヴァンフリート星域の会戦で敗れてから艦隊決戦に自信を無くしている。同盟軍が艦隊決戦を望んでも彼は要塞に籠ったまま出てこなかった……」
「!」
ワイドボーン大佐とヤン大佐が顔を見合わせています。私には二人が互いに目で何かを話しているように見えます。他にも何人かが頷きながら考え込んでいました。
「ミュッケンベルガー元帥は誇り高い人物です。次は必ず艦隊決戦を望んでくるでしょう。そこを万全の態勢で迎え撃つ」
「……」
大佐の言葉に頷く人間が増えてきました。
「帝国軍が敗北すればミュッケンベルガー元帥は失脚せざるを得ません、当然帝国軍は誰が宇宙艦隊司令長官になるかで混乱します。例え新司令長官が決まっても体制が固まるまでは時間がかかるでしょう」
「……」
「その時点でイゼルローン要塞攻略作戦を発動するのです。要塞攻略作戦はそれまでに策定すれば良い、今焦って攻撃する必要はありません。場合によっては今の作戦案をそのまま使うことが出来るかもしれません。次に来る時にはオフレッサーが居ない可能性もあります……」
あちこちで呻くような声と小声で話し合う声が聞こえました。艦橋の空気は先程までとは一変しています。重苦しい雰囲気から明らかに高揚した雰囲気に変わっていました。
凄いです! 今回のイゼルローン要塞攻略戦、とても成功するとは思えませんでした。ですが大佐はそれを逆に利用して敵を謀略にかけようとしています。作戦案に不安がある以上、無理な力攻めは皆したくないでしょう。大佐の考えに賛成する人は多いはずです。
何といっても要塞攻略の作戦案を今慌てて立てる必要はないのです。それに撤退してもこれなら周囲から責められることは有りません。ロボス元帥も受け入れやすいはずです。興奮しました、私だけじゃありません、皆興奮しています。周囲の声が徐々に大きくなりました。
私はヴァレンシュタイン大佐がロボス元帥を嫌っていると思っていました。将官会議でロボス元帥をやり込めたのもそれが有るからだろうと。でも大佐はちゃんと代案を考えていたんです。同盟軍が勝つための代案を……。
大佐は個人的な感情で作戦参謀としての任務を忘れるようなことはなかった。それどころかこんな凄い作戦案を考えるなんて、本当に凄いです。軍人として能力だけじゃなく、その姿勢まで本当に凄いんだと思いました。
こんな凄い人が帝国に居たんだと思うと恐ろしくなります。少なくとも私の知る限り同盟には大佐に匹敵するような人がいるとは思えません。
グリーンヒル参謀長も頻りに頷いています。顔面が紅潮していますから参謀長も興奮しているのでしょう。ワイドボーン大佐もヤン大佐も言葉を交わしながら頻りに頷いています。
「面白い作戦案だな、ヴァレンシュタイン大佐」
言葉とは裏腹に好意の欠片も感じられない口調でした。ロボス元帥が顔を歪めてヴァレンシュタイン大佐を見ています。その姿に艦橋の興奮は瞬時に消えました。
「全く面白い作戦案だ。ところで一つ確認したいことが有る」
「なんでしょうか」
「次の艦隊決戦だが総司令官は誰だ?」
「……」
ヴァレンシュタイン大佐は沈黙しています。その姿にロボス元帥が顔を歪めて笑いました。
「そこにいるグリーンヒル参謀長か?」
「閣下、何を言うのです」
ロボス元帥の言葉にグリーンヒル参謀長が顔を強張らせて抗議しました。ですがロボス元帥は厭な眼でグリーンヒル参謀長を見ています。その視線にグリーンヒル参謀長は口籠りました。
「……失礼ですが小官には人事権は有りませんので分かりかねます」
ヴァレンシュタイン大佐の言葉にロボス元帥がまた笑いました。明らかにロボス元帥はヴァレンシュタイン大佐を嘲笑しています。
「そうかな、貴官はシトレ本部長ともトリューニヒト国防委員長とも親しい。貴官が進言すれば私を首にして参謀長を総司令官にすることも容易いのではないかな」
ロボス元帥の言葉にヴァレンシュタイン大佐は何の感情も読み取れない声で答えました。
「何か誤解があるようです。小官はシトレ本部長ともトリューニヒト国防委員長とも親しくは有りません」
「ヴァンフリートでは貴官の望みは全てかなえられた。そして会戦後は二階級昇進だ。それでも親しくはないと?」
「何度でも言いますが親しくは有りません」
ロボス元帥とヴァレンシュタイン大佐は互いの顔を見ていました。元帥は明らかに敵意を持って、そして大佐は無表情に相手を見ています。ロボス元帥が低い声で笑い声を上げました。
「確かに面白い作戦案だ。だが、敵がこちらの思惑通りに動くとは限らん。貴官の作戦案は総司令官として却下する。グリーンヒル参謀長、イゼルローン要塞へ向けて艦隊を進めたまえ。これは命令だ!」
重苦しい空気の中、グリーンヒル参謀長が艦隊をイゼルローン方面に進めるように指示を出しました。ロボス元帥はそれを見届け、微かに唇を歪めてから指揮官席に腰を下ろします。艦橋に居る参謀達は皆、暗い表情で顔を合わせようとはしません。
ワイドボーン大佐もヤン大佐も同じです。そしてヴァレンシュタイン大佐は無言で席を立つと艦橋を出て行こうとしました。ロボス元帥がそれを見て低く笑い声を上げます。大佐にも聞こえたはずですが、大佐は振り返ることなく艦橋を出ていきました。
なかなか帰ってこないヴァレンシュタイン大佐が心配になって、探しに行ったのは三十分程経ってからの事でした。大佐はサロンに居ました。怒っている様子は有りません、どちらかと言えば悩んでいる感じです。椅子に腰かけ少し顔を俯き加減にしています。
声をかけ辛い雰囲気が有って少し離れた所で大佐を見ていると、大佐は私に気付いたようです。私を見て困ったように溜息を漏らしました。ですがそれがきっかけで大佐に近づくことが出来ました。
「あの、さっきの作戦案、凄かったです。あんな作戦案が有るなんて……」
気が付けばそんな事を言っていました。大佐は不愉快になるかと思いましたがそんな事は有りませんでした。微かに苦笑を浮かべただけです。
「本当は陸戦隊を見殺しにするつもりだったんです。その責めをロボス元帥に負わせ失脚させる……。その方が同盟のためになると思いました。今ここで失脚させておいた方が将来的にはプラスだろうと」
「……」
そうかもしれません。今日のロボス元帥の様子を見れば誰だって大佐と同じことを考えると思います。とても遠征軍の総司令官に相応しい振る舞いとは思えません。
「ですが、それではフォーク中佐やロボス元帥となんら変わりは無いと思いました。犠牲が出ると分かっていながら自分の利益のために見殺しにする……。寒気がしましたよ」
「ですが、大佐は同盟のためを思って……」
「綺麗ごとですよ、切り捨てられる方にとってはね。自分達を見殺しにするんですから……。一瞬でもあんな事を考えたのは許されることじゃない……」
大佐は暗い表情をしていました。自分を許せないと思っているのでしょう。
「でも、あの作戦案は本当に凄いです。私だけじゃありません。皆そう思っているはずです」
私は慰めを言ったつもりは有りません。本当にそう思ったんです。ですがヴァレンシュタイン大佐は私の言葉に苦笑しただけでした。
「何も考えつかなかったんです。もうどうにもならない、思い切って撤退を進言しようと……。そこまで考えて、もしかしたらと思いました……」
「……」
大佐が溜息を吐いて天井を見ました。
「あの作戦案を採用しても帝国との間に艦隊決戦が起きるという保証は有りません。そして勝てるという保証もない。あれはイゼルローン要塞攻略を先延ばしにしただけなんです。上手く行けば要塞攻略が出来る、その程度のものです」
「……」
「それでも作戦案としては壮大ですし、見栄えも良い。ロボス元帥としても勝算の少ない作戦案にかけるよりは受け入れやすいと思ったのですが、まさか自分が更迭されることをあそこまで恐れていたとは……」
大佐が疲れたような声を出して首を横に振りました。
「ヴァンフリートで勝ったのは失敗でした」
「大佐……」
「あそこで負けておけばロボス元帥もああまで思い込むことはなかった……」
ヴァレンシュタイン大佐の声は呟くように小さくなりました。納得いきません、あそこで負ければ大勢の戦死者が出ていたはずです。
「大佐、ヴァンフリートで負ければ皆死んでいました。あそこで勝ったから私達は此処にいるんです。違いますか?」
私はあの勝利をヴァレンシュタイン大佐に後悔してほしくありません。
私はヴァレンシュタイン大佐がどんな思いをして戦ったか知っています。色々有りました、大佐にとっては不愉快な戦いかもしれません。それでもあの戦いに勝ったことを後悔してほしくありません……。あの戦いは大佐の力で勝ったんです。だから私達は生き延びることが出来た……。
「基地を放棄すれば良かったんです。そうすれば基地の失陥は同盟軍全体の失態となったはずです。基地上空での艦隊決戦も発生しなかった……、ロボス元帥も面目を失うことはなかった。それなのに私は勝つ事に拘ってしまった。多分怖かったんでしょう……」
「……」
「一番拙い勝ち方になりました。そのツケを私達は今払わされている。一体私は何をやっているのか……」
そう言うとヴァレンシュタイン大佐は大きく溜息を吐きました。
私は何も言えませんでした。大佐はただ後悔していました。慰めも同情も必要とはしていません、ただ後悔していたのです。私には黙って大佐を見ている事しかできませんでした……。
第二十八話 第六次イゼルローン要塞攻略戦
宇宙暦 794年 10月 20日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
艦橋の雰囲気はどんよりとしている、はっきり言って暗い。グリーンヒル参謀長を頂点に皆が冴えない顔をしている。まるで葬式に参列しているような感じだ。
ロボスの表情だって明るくない。周囲が皆反対だと分かっているせいだろう、不機嫌そうな表情で指揮官席に座っている。これで戦争するってか? 何の冗談だと言いたくなる。
ワイドボーンとヤンが俺を見ている。この二人は俺が撤退案を出してから俺と話したがっている。しかし俺は考えたい事があると言って断っている。言い訳じゃない、実際どうやって要塞内に侵攻した陸戦隊を撤収させるかを考えているのだ。
難しい問題だ、要塞外での艦隊戦がどうなっているか分からない。そしてロボスが撤収を認めるかどうかも分からない。手が全くないわけじゃない、だがそれにはかなりの覚悟がいる。
もしかするとワイドボーンとヤンも陸戦隊の撤収方法を考えているのかもしれない。それを俺に相談しようとしているのかも……。であればなおさらこの二人とは話は出来ない……。
それにしても何で俺がこんな苦労をしなければならんのか。俺は亡命者だろう? その俺が頭を抱えていて、ロボスだのフォークなんていう馬鹿どもが好き勝手やっている。どういう訳だ? 俺はそんなに前世で悪いことをしたか? 三十前に死んでるんだがな、何なんだこれは、頭痛いよ。
「参謀長、始めたまえ」
「……はあ、……宜しいのですか?」
ロボスが作戦の開始を命じたがグリーンヒル参謀長はロボスに再確認した。気持ちは分かる。一旦始まったら途中で止める事は出来ない。止めるときは敗北を認める時だ。ロボスに再考を促したのだろう。
「何をぐずぐずしている! 始めたまえ!」
ロボスが額に青筋を立ててグリーンヒルを怒鳴りつけた。うんざりした、思わず溜息が出たよ。ロボスが俺を睨んだが知ったことか、ここまでくるとなんかの祟りか呪いじゃないかと思いたくなる。
「作戦を開始する、各艦隊に所定の位置につくように伝えてくれ」
「はっ、各艦隊に連絡します」
グリーンヒル参謀長の声もそれに答えたオペレータの声も生気がない。連絡を受けた各艦隊も似たようなもんだろう。まるで死人の艦隊だ。
同盟軍が布陣を整えイゼルローン要塞から約7光秒ほどの距離に迫ったのは三時間後の事だった。艦隊は未だ要塞主砲(トール・ハンマー)の射程外にある。要塞の外には帝国軍艦隊が展開していた。ざっと二万隻は有るだろう。要塞にはさらに後二万隻程度は有るはずだ。合計約四万隻、楽な戦じゃないな。
帝国軍二万隻がこちらに向けて攻撃をかけてくる。本気の攻撃じゃない、同盟軍を要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内に引き摺り込むための挑発行為だ。もちろん同盟軍もその辺は分かっている。要塞主砲(トール・ハンマー)の射程限界、その線上を出入りして敵の突出を狙う。
「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」、同盟軍が血の教訓によって得た艦隊運動の粋だ。タイミングがずれれば、要塞主砲(トール・ハンマー)の一撃で艦隊が撃滅されてしまう。
そして帝国軍は同盟軍をD線上の内側に引きずり込もうとする。その際、自分たちまで要塞主砲(トール・ハンマー)に撃たれてはならないから、退避する準備も怠らない。D線、まさにデッド・ラインだ。
両軍ともに虚々実々の駆け引きが続くが、これは兵士たちにとって恐ろしいほどの消耗を強いる事になる。イゼルローン要塞攻防戦は同盟にとっても帝国にとっても地獄だ。
「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」が始まって二時間、ミサイル艇の攻撃を阻む位置に帝国軍艦隊の姿は無い。やはりラインハルトはミュッケンベルガーに受け入れられていない。ロボスも艦隊が居ないことを確認したのだろう。グリーンヒル参謀長に攻撃命令を出した。
「グリーンヒル参謀長、そろそろ攻撃を始めたまえ」
「……はっ」
グリーンヒル参謀長がロボス元帥の命令に頷いた。
妙な感じだ、普通なら参謀長が司令官に提案する形で積極的に作戦実行に関わっていく。ところがグリーンヒルは全く関わろうとしない。ロボスの命令を嫌々実行している。馬鹿馬鹿しくてやってられないのだろう。ロボスもそのあたりは分かっている。不満そうな表情でグリーンヒルを見ている。
帝国軍の艦隊は同盟軍主力部隊の動きを牽制しつつこちらを要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内に引きづり込もうとしている。同盟軍主力部隊もそれに応じつつ敵を牽制している。そして、その陰でミサイル艇三千隻が動き出した。要塞主砲(トール・ハンマー)の死角からイゼルローン要塞に対してミサイル攻撃をかけた。
イゼルローン要塞表面の数か所のポイントに数千発のミサイルが集中し次々に爆発した。おそらく要塞内部では混乱で大騒ぎだろう。要塞表面が白く輝く。その姿に艦橋内部でも嘆声が上がった。
「続けてミサイル艇に攻撃させよ! 強襲揚陸艦発進準備! どうだ、見たか!」
ロボスが興奮した声を出した。最後の言葉は誰に向かって言った? 帝国軍か、それとも俺達に対してか? 戦いはまだ始まったばかりだ、総司令官がこの程度で喜んでどうする、馬鹿が。行きはよいよい、帰りは恐い、問題はこれからだ。
宇宙暦 794年 10月 20日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース マルコム・ワイドボーン
艦橋が歓声に沸く中、ヴァレンシュタインは冷静にスクリーンを見ていた。周囲の興奮からは全く距離を置いている。やはりヴァレンシュタインは攻める事よりも退く事を考えているのだろう。どうやって陸戦隊を撤収させるか、それを考えているのに違いない。
昨日、ヴァレンシュタインが撤退案を出した。ヤンの感想は“惜しい”だった。“イゼルローン要塞を攻略に来て何もせずに帰る……。ロボス元帥でなくても難しいだろう。ましてロボス元帥の立場は余りにも弱すぎる、そしてロボス元帥とシトレ元帥は反目している。ロボス元帥の立場が強ければ、或いはロボス、シトレ両元帥が協力体制にあれば、撤退案は受け入れられたかもしれない……”
フォークの作戦案が実行される以上、問題になるのは陸戦隊の撤収だ。その問題を話し合おうと何度かヴァレンシュタインに声をかけたが彼は言を左右にして話し合いに加わらなかった。
“無理に誘うのは止めよう。彼は彼なりに撤収案を考えているのかもしれない”
“しかし、それなら一緒に考えた方が効率が良いだろう”
“彼だってそれは分かっているだろう、その上で一人で考えているのかもしれないよ”
“……”
“そうする必要が有る、彼はそう思っているのかもしれない……”
イゼルローン要塞の表面がまた爆発した。ミサイル艇が再攻撃をかけたらしい。スクリーンには要塞に向けて進撃する強襲揚陸艦の姿が映っている。艦橋では参謀達が興奮した声を上げている。或いは作戦が上手く行くと考え始めたのかもしれない。
「強襲揚陸艦がイゼルローン要塞に接岸しました!」
オペレータの声に艦橋が更に沸いた。
「陸戦隊を要塞内に突入させろ、イゼルローン要塞を奪うのだ!」
「はっ」
ロボス元帥が上機嫌で命令を下した。
陸戦隊か、ローゼンリッターもあの中にいるだろう。シェーンコップ大佐も突入を控えて興奮しているのだろうか……。気持ちの良い男だった、出来れば無事に戻ってきて欲しいものだ。
本当ならあの男が連隊長になるはずだった。だがヴァーンシャッフェ連隊長が准将に昇進しても異動しなかった。本当なら何処かの旅団長になってもおかしくなかったのだがリューネブルクの逆亡命がまだ尾を引いていたようだ。表向きは適当な旅団長職が無いという事だったが連隊長のまま据え置かれた……。
ヴァーンシャッフェがヴァレンシュタインに好意を持たないのもそれが原因だ。ヴァンフリートでリューネブルクを殺しておけば或いは旅団長になれたかもしれない、そう考えているのだろう。そして今回のイゼルローン要塞攻略戦でも要塞内への突入を危険だとするヴァレンシュタインを忌諱している。自分の出世を邪魔する人間だと見ているようだ……。
馬鹿な話だ、ヴァレンシュタインは損害を少なくしようとしただけだ。誰かの出世を阻もうとしたことなどないだろう。彼はフォークとは違う、ヴァーンシャッフェはそのあたりが分かっていない。いや、人間出世や欲が絡むと真実が見えなくなるのかもしれない。自分の都合の良いようにしか見えなくなる……、俺も気を付けなければ……。
「ローゼンリッターが要塞内に突入しました。続けて第三混成旅団が突入します」
「うむ、イゼルローン要塞攻略も間近だ!」
ロボス元帥が顔面を紅潮させて叫んだ。こちらを見て嘲笑うかのような表情をしている。馬鹿が、問題はこれからだろう。
艦橋の中で興奮と無縁なのは六人だけだ。グリーンヒル参謀長、ヴァレンシュタイン、ヤン、俺、そしてバグダッシュとミハマ大尉だ。俺達は皆スクリーンを見ているがミハマ大尉はどちらかと言えば俺達を見ている。もしかすると心配しているのかもしれない。要塞が落ちたら俺達の立場が無いだろうと。
ローゼンリッターが要塞内に突入してから三十分が経った。艦橋が陸戦隊からの朗報を待つ中、陸戦隊から連絡が入った。
「ローゼンリッターから連絡です」
「どうした」
「我、敵の伏撃を受けり! ヴァーンシャッフェ准将、戦死!」
「!」
瞬時にして艦橋の空気が凍った。皆顔を見合わせている。
「馬鹿な、伏撃など有り得ん! 苦し紛れの反撃ではないのか!」
ロボス元帥が顔を引き攣らせて問いかけたが誰も答えられない。伏撃、つまり待ち伏せされた。しかもローゼンリッターの連隊長が戦死している。損害は決して小さいものではあるまい。苦し紛れの反撃と断言できるのか……。周到な用意をしていたとみるべきではないのか。
グリーンヒル参謀長は表情を強張らせている、ヤンも顔面が蒼白だ。そしてヴァレンシュタインは目を閉じていた、表情は硬い……。
「ローゼンリッターは現在シェーンコップ大佐が指揮、後退中とのことです」
「後退だと! 馬鹿な、後退など認めん!」
「敵の指揮官はオフレッサー上級大将! リューネブルク准将!」
オフレッサー上級大将! リューネブルク准将! 偶発的な遭遇戦じゃない。明らかに敵は十分な用意をして待ち伏せをしていた。自分の顔が強張るのが分かった。参謀達も皆顔を引き攣らせている。
「元帥閣下、敵は十分な用意をもってこちらを待ち伏せていました。我々の作戦は見破られていたのです。陸戦隊の撤収を進言します」
静かな声だった、だがヴァレンシュタインの撤退進言は艦橋をさらに凍り付かせた。
「ば、馬鹿な、そんな事は有り得ん。ミサイル艇の攻撃は成功したではないか。何故待ち伏せが出来るのだ。そんな事は有り得ん」
ロボス元帥の声が震えている、顔面は蒼白だ。
「帝国軍は宇宙艦隊をミュッケンベルガーが、陸戦隊をオフレッサーが指揮しています。ミュッケンベルガーはこちらに作戦に気付かなかった。しかしオフレッサーは気付いたのです」
「何を言っている……、オフレッサーが気付くなど有り得ん。あの野蛮人に我々の作戦案を見破ることなど……」
ロボス元帥の呻くような口調にヴァレンシュタインが顔を顰めた。こうなることは分かっていた。それなのに今更何を……。そんな気持ちなのかもしれない。
「気付いたのは別の人間でしょう。その人間がオフレッサーに忠告したのです」
「別の人間?」
「ラインハルト・フォン・ミューゼル准将です」
ラインハルト・フォン・ミューゼル、ヴァレンシュタインの口調は苦い。そしてヤンの表情が強張るのが見えた。バグダッシュ中佐、ミハマ大尉も蒼白になっている……。
「彼は天才です。こちらの作戦に気付いた、しかし彼はミュッケンベルガーの信頼を得ていない。その意見は無視されたか、或いは最初から進言などしなかったのでしょう」
「何を言っている……」
ロボス元帥が訝しげに問いかけた。しかしヴァレンシュタインは静かな声で話し続けた。
「彼はヴァンフリート4=2でリューネブルクと共に基地を攻めました。そして地獄を見た。おそらくそこで繋がりが出来たのでしょう。何よりあの二人には後が無い、もう失敗は出来ないんです。その事が二人を協力させた」
「だから何を言っているのだ!」
激高するロボスをヴァレンシュタインは冷たい視線で見た。
「まだ分かりませんか? ミューゼル准将がこちらの作戦を見破りリューネブルク准将に知らせた。リューネブルクはそれをオフレッサーに知らせた。オフレッサーは半信半疑だったでしょうが、念のため伏撃態勢をとった。そこに陸戦隊が突っ込んだ、そういう事です」
「……有り得ん」
ロボス元帥は首を振っている。未だ事実を認められずにいる。そしてヴァレンシュタインがもう一度撤退を進言した。
「陸戦隊の撤退を進言します。このままでは損害が増えるだけです。要塞占拠が不可能な今、速やかに撤収させ損害を少なくするべきです」
「総司令官閣下、小官も同意見です。これ以上の戦闘は無益です」
グリーンヒル参謀長がヴァレンシュタインに同調した。反対する参謀はいない、皆視線を合わすことなく俯いている。
「駄目だ、撤退は認められん。態勢を整え再突入するのだ!」
「閣下、ローゼンリッターは連隊長が戦死しているのです。損害は小さなものでは有りません。再突入など無理です」
再突入を叫ぶロボス元帥をグリーンヒル参謀長が諌めている。
「ローゼンリッターなど磨り潰しても構わん! 再突入させよ!」
「!」
信じられない言葉だった。グリーンヒル参謀長が唖然とした表情でロボス元帥を見ている。参謀長だけではない、皆がロボス元帥を見ていた。そしてロボス元帥は目を血走らせてグリーンヒル参謀長を睨んでいる。
「再突入だ!」
「……」
皆、沈黙している。再突入を叫ぶ総司令官、沈黙して立ち尽くす参謀長……。
「参謀長閣下」
ヴァレンシュタインがグリーンヒル参謀長に声をかけた。救われたように参謀長がヴァレンシュタインに視線を向ける。ヴァレンシュタインは無表情に参謀長を見ていた。
「何かな、ヴァレンシュタイン大佐」
「小官は自由惑星同盟軍規定、第二百十四条に基づき、ロボス元帥閣下を総司令官職より解任することを進言します」
ヴァレンシュタインの静かな声が雷鳴のように艦橋に鳴り響いた。
第二十九話 第二百十四条
宇宙暦 794年 10月20日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース ミハマ・サアヤ
「小官は自由惑星同盟軍規定、第二百十四条に基づき、ロボス元帥閣下を総司令官職より解任することを進言します」
ヴァレンシュタイン大佐の声が艦橋に流れました。静かな声です、ですが私の耳にはこれ以上無いくらいに大きく響きました。
艦橋は静まり返っています。ヤン大佐もワイドボーン大佐も蒼白になっています。グリーンヒル参謀長は大きな音を立てて唾を飲み込みました。艦橋に居る人間すべてがその音を聞いたでしょう。よく見ると参謀長の身体が小刻みに震えているのが見えました。
自由惑星同盟軍規定、第二百十四条……。細かな文言は忘れましたが戦闘中、或いはそれに準ずる非常事態(宇宙嵐、乱気流等の自然災害に巻き込まれた時を含む)において指揮官が精神的、肉体的な要因で指揮を執れない、或いは指揮を執るには不適格だと判断された場合(指揮官が指揮を執ることで味方に重大な損害を与えかねない場合だそうです)、その指揮下に有る部下が指揮官を解任する権利を有するといった内容の条文です。
一種の緊急避難と言って良いでしょう。この規定を運用できるのは次席指揮官、或いは幕僚長の地位にある人間だけです。そして決断した者が新たな指揮官としてその任を引き継ぎます。この場で言えばグリーンヒル参謀長です。参謀長が緊張するのも無理は有りません。
「第二百十四条だと? 馬鹿か貴様は。参謀長、こんな馬鹿の言う事など真に受けるな。それとも貴官は軍法会議を望むのか? これまでの全てを無にするのか?」
「……」
ロボス元帥がヴァレンシュタイン大佐を嘲笑いながら参謀長に問いかけました。グリーンヒル参謀長の顔がますます強張ります。そして艦橋に居る人間は皆押し黙って参謀長を見ていました。
第二百十四条が適用された場合、後日その判断の是非を巡って軍法会議が開かれることになります。第二百十四条は緊急避難なのですからその判断の妥当性が軍法会議で問われるのです。軍の命令系統は上意下達、それを揺るがす様な事は避けなければなりません。そうでなければ第二百十四条は悪用されかねないのです。
解任に正当な理由が有ると判断されれば問題はありません。しかし正当な理由が無いと判断された場合は抗命罪が適用されます。今は戦闘中ですから抗命罪の中でも一番重い敵前抗命罪、さらに徒党を組んだとして党与抗命罪が適用されるでしょう。最悪の場合死罪もあり得ます。ロボス元帥の言う全てを無にするのかという言葉は誇張ではないのです。
グリーンヒル参謀長だけでは有りません。ヴァレンシュタイン大佐も第二百十四条の適用を勧めたとして罪に問われます。グリーンヒル参謀長が第二百十四条を行使しなくてもです。
この第二百十四条が適用されるのは主として陸戦隊が多いと聞いています。凄惨な白兵戦を展開している中で指揮官が錯乱し判断力を失う……。特に実戦経験の少ない新米指揮官に良く起こるそうです。
もっとも宇宙空間での戦闘では白兵戦そのものがあまり有りませんから第二百十四条が適用された事など殆どありません。まして宇宙艦隊で総司令官の解任が進言される等前代未聞です。グリーンヒル参謀長が決断できないのも仕方ないのかもしれません。
ロボス元帥が大きな笑い声を上げました。その眼には勝ち誇ったような色が有ります。ヤン大佐が溜息を吐くのが聞こえました。私も同じ思いです。第二百十四条は部下が上官の愚行を防ぐ最後の手段なのです。
それが無になった……。ヴァレンシュタイン大佐は戦闘中に第二百十四条を上官に進めた。軍を無意味に混乱させたとして罪に問われるでしょう。反逆者と呼ばれることになります。
私はヴァレンシュタイン大佐の顔を見ることが出来ませんでした。大佐は反逆者と呼ばれる危険を冒してまで将兵を危機から救おうとしました。同盟の人じゃない、亡命者なのに同盟の将兵を救おうとしている。それなのにその全てが無に帰そうとしている……。
悩んだでしょう、苦しんだと思います。何故自分がそんな危険を冒さなければならないのかと……。それでも大佐は目の前の危機を見過ごすことが出来なかった……。大佐の言葉を思い出しました。”犠牲が出ると分かっていながら自分の利益のために見殺しにする……。寒気がしましたよ”
私は馬鹿です、どうしようもない愚か者です。大佐が帝国の内情に詳しいからと言ってそれを訝しんだり畏れたりしました。一体それが何なのでしょう、ワイドボーン大佐が言うように多少知識が豊富だというだけです。それなのに……。
大佐の心は誰よりも暖かく誠実なのに、そこから目を逸らしていました。ロボス元帥やフォーク中佐のように自分の出世や野心のために人の命を踏みにじる人間こそが化け物です。大佐は、大佐は、間違いなく人間です。目の前で危険にさらされる人を見過ごせない普通の人間です。
「参謀長、攻撃の続行だ!」
高らかに命じるロボス元帥を憎みました。第二百十四条を行使しないグリーンヒル参謀長を憎みました。それほどまでに自分の地位が大事なのか、人として恥ずかしくないのかと……。
私も第二百十四条の行使を進言しようと思いました。意味は無いかもしれません、でももしかすると他にも私と同じように参謀長に進言してくれる人が居るかもしれません。そうなれば参謀長も受け入れてくれるかもしれないと思ったのです。
例え居なくても大佐に同盟人は恥知らずばかりだとは思われたくは有りません。少しでも大佐の前で顔を上げて立ちたい……。そう思った時です、グリーンヒル参謀長がゆっくりとした口調でロボス元帥の命令を拒否しました。
「……残念ですが、それは出来ません」
「なんだと、貴様……」
ロボス元帥が信じられないと言った表情でグリーンヒル参謀長を見ています。そして参謀長はロボス元帥を沈痛な表情で見ていました。
「自由惑星同盟軍規定、第二百十四条に基づき、ロボス元帥閣下の総司令官職を解任します」
「……馬鹿な……、気でも狂ったか! グリーンヒル!」
ロボス元帥が怒声を上げました。元帥の顔には先程までの勝ち誇った色は有りません。そして参謀長が苦渋に満ちた声を出しました。
「正気です。もっと早く決断すべきだったと後悔しています」
思わず私は胸の前で両手を合わせていました。とりあえず大佐は罪人になることを免れました。軍法会議は残っていますが、少なくとも大佐の想いを参謀長は受け入れてくれたのです。
「馬鹿な……、何を言っている。冗談だろう、グリーンヒル」
「冗談ではありません。もっと早く決断すべきだったと言っているのです!」
何かを断ち切る様な声でした。そして大きく息を吸い込み艦橋の参謀達を見ました。
「この件については貴官達の判断は必要としない。私の判断で行う、指示に従ってくれ」
参謀達が黙って頷きました。その様子をロボス元帥が唖然として見ています。
第二百十四条を行使する場合、次席指揮官が独断で判断して行使する場合と周囲の過半数の賛同を得てから行使する場合が有ります。元々は戦闘中では過半数を求めているような余裕が無いことから定められた規定でした。
ですが今では違う意味があります。独断で行う、つまり周囲には累を及ぼさないという意味です。参謀長の言葉で、この後軍法会議が行われても査問の対象となるのは解任されたロボス元帥、解任を決断したグリーンヒル参謀長、そして第二百十四条の行使を勧めたヴァレンシュタイン大佐の三人だけとなりました。
グリーンヒル参謀長が保安主任を呼びました。そしてロボス元帥を自室に連れて行くように命じました。
「分かっているのか、グリーンヒル! お前は終わりだぞ、今なら間に合う、考え直せ!」
艦橋から連れ出される直前のロボス元帥の言葉です。身を捩りながら悲鳴のような叫びでした……。終わりなのはロボス元帥です。部下から第二百十四条を突きつけられるような人間に軍での将来は有りません……。
艦橋は静まり返っていました。
「済まんな、ヴァレンシュタイン大佐。私がもう少し早く決断していれば貴官を巻き込まずに済んだ……」
「……いえ、お気になさらずに」
グリーンヒル参謀長とヴァレンシュタイン大佐が話しています。参謀長は沈痛な表情をしていましたが、無表情に返事をする大佐に微かに苦笑を漏らしました。
「閣下! 帝国軍が強襲揚陸艦に向かっています!」
静まり返った艦橋にオペレータが警告を発しました。瞬時に艦橋は緊張に包まれました。皆が戦術コンピュータとスクリーンを交互に見ています。
「ミサイル艇だけでは防げない、艦隊を動かして混戦に持ち込もう」
「それしかないね」
ワイドボーン大佐とヤン大佐が話し合っています。多くの参謀がその言葉に頷きました。私も同感です、混戦状態なら敵の進撃を止めることが出来ます。それに敵は要塞主砲(トール・ハンマー)を打てません。安全に味方の撤収を進めることが出来るのです。
「駄目です、揚陸艦を廃棄させてください。それとミサイル艇の撤収を」
「何を言っているんだ、ヴァレンシュタイン」
大佐、どうしたんです、一体。艦を廃棄だなんておかしいです。皆が訝しげに見る中、ヴァレンシュタイン大佐は頑迷に揚陸艦の廃棄を主張しました。
「揚陸艦を廃棄させ、ミサイル艇を撤収させろと言っているんです。強襲揚陸艦の乗組員はイゼルローン要塞に退避させてください」
「……」
「訳は後で話します、早く!」
大佐の強い口調にグリーンヒル参謀長がミサイル艇の退避、強襲揚陸艦の廃棄と乗組員のイゼルローン要塞への退避を命じました。そしてヴァレンシュタイン大佐へ視線を向けました。
「何故かね大佐?」
「ここで混戦状態を作り出せばミュッケンベルガー元帥は味方殺しをする恐れがあります」
「!」
味方殺し、その言葉に皆がギョッとしたような表情になりました。
「馬鹿な、こちらは撤退しようとしているんだぞ、味方殺しをする必要がどこにある?」
ワイドボーン大佐が幾分震え気味の声で問いかけます。そしてヴァレンシュタイン大佐が明らかに冷笑と分かる笑みを浮かべました。そんな顔をするから大佐は怖がられるんです。
「勝っているのはオフレッサーですよ、ワイドボーン大佐。ミュッケンベルガーは要塞に陸戦隊を送り込まれるという失態を犯しました。自分が勝っているなどとは思っていないでしょう。もしかすると辞職さえ考えているかもしれない」
「……」
「こんな時に混戦状態を作り出したらどうなります? ミュッケンベルガーは同盟軍が帝国軍の動きを封じ、新たな攻撃をかけてくると判断するでしょう。これ以上の失態は許されない、要塞を守らなければならない。追い込まれたミュッケンベルガーが何を考えるか……」
ヴァレンシュタイン大佐の言葉に艦橋の彼方此方で呻き声が聞こえました。
「しかし、だからと言って味方殺しを……」
参謀の一人が弱々しい声で抗議しましたがヴァレンシュタイン大佐が睨みつけて黙らせました。
「ロボス元帥はどうでした? 彼は味方を磨り潰すことさえ躊躇わなかった。ミュッケンベルガーの立場はロボス元帥より悪いんです。彼が味方殺しを躊躇う理由は有りません。彼にはどんな犠牲を払おうと要塞を守るしか道は無いんです」
「……」
大佐の言うとおりです。追い込まれた人間がどれだけ危険かは私達自身が今経験したばかりの事です。そしてその後始末のために私達は苦労している……。皆その事を思ったのでしょう、何人かの参謀がやりきれないような表情で誰もいない指揮官席を見ました。
しばらく沈黙が落ちた後、ヴァレンシュタイン大佐が何かを振り払うかのように首を一度横に振りました。そして考えをまとめるような口調で話し始めます。皆が黙ってそれを聞きました。
「要塞内にはまだ二万隻は有るはずです。味方殺しをした後にその二万隻を出撃させる、そして強襲揚陸艦を、ミサイル艇を攻撃する……。味方にそれを防ぐことが出来ますか?」
「……」
皆、何も言いません。黙って視線を逸らすだけです。到底出来る事ではないと思ったのでしょう。その様子を見てヴァレンシュタイン大佐が言葉を続けました。
「もう一度混戦状態を作りだせますか? 味方殺しを目の前で見てその上で混戦状態に持ち込めと言っても味方は二の足を踏むでしょう。なすすべもなく強襲揚陸艦とミサイル艇は撃破される」
「……」
「ヴァレンシュタイン大佐の言うとおりだ。ミュッケンベルガー元帥は追い込まれている。味方殺しをするかもしれない。混戦状態は作り出せない……」
ヤン大佐が顔を顰めて溜息を吐きました。その声に促されるかのように何人かが頷いています。
「要塞内の味方を撤収させる方法は? 何か考えが有るかね?」
グリーンヒル参謀長が問いかけました。
「……百隻程度の小艦隊で目立たないように接岸し収容するしかありません。一度ではむりでしょう、最低でも二度は行う必要が有ります」
彼方此方から溜息が聞こえました。百隻程度の艦隊では敵の攻撃を受ければ一たまりもありません。しかも混戦状態に出来ない以上、味方は牽制程度の攻撃しかできないのです。
敵が収容用の艦隊を攻撃しようとした時は要塞に近づき敵を牽制する。しかし不用意に要塞に近づけば要塞主砲(トール・ハンマー)の一撃を受けます。同盟軍は厳しい状況に追い込まれました。
ヴァレンシュタイン大佐の言葉にヤン大佐が続けました。
「味方の主力艦隊はミュッケンベルガー元帥の注意を、敵艦隊の注意を引く必要が有るな、結構難しい戦術行動を強いられそうだ……。ミサイル艇を他の場所で使用してミュッケンベルガー元帥の注意を逸らすか……」
「簡単じゃないぞ、ヤン」
「だがやらなければならない。そうだろう、ワイドボーン」
ワイドボーン大佐が溜息を吐き、ヤン大佐は頭を掻いています。
「敵艦隊が強襲揚陸艦を攻撃します」
オペレータの声に皆がスクリーンを見ました。スクリーンには敵の攻撃を受け爆発する強襲揚陸艦の姿が映っています。その様子を見ながらヴァレンシュタイン大佐がグリーンヒル参謀長に意見を述べました。
「味方の収容を行う艦隊を至急用意してください。小官が作戦の指揮を執ります……」
第三十話 救出作戦
宇宙暦 794年 10月20日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース ミハマ・サアヤ
「味方の収容を行う艦隊を至急用意してください。小官が作戦の指揮を執ります……」
ヴァレンシュタイン大佐の言葉に艦橋に居る全員が大佐を見ました。皆驚いています。
「何を言っている。貴官は艦隊の指揮などした事はないだろう」
ワイドボーン大佐がヴァレンシュタイン大佐を咎めました。小規模の艦隊を率いてイゼルローン要塞に接岸するのです。艦隊運用の未経験者に任せられる事ではありません。ワイドボーン大佐が怒るのは当たり前です。
それに場合によっては敵の攻撃を受ける事もあります。そうなったら僅か百隻程度の艦隊では全滅する可能性が高いのです。ワイドボーン大佐はヴァレンシュタイン大佐を失いたくないと思ったのでしょう。他にも頷いている人が何人か居ます、同じ気持ちなのだと思います。
「艦隊の指揮を執るとは言っていません。救出作戦の指揮を執らせてくれと言っています」
「しかし」
ワイドボーン大佐がグリーンヒル参謀長に視線を向けました。止めて欲しいという視線です、ですがヴァレンシュタイン大佐は自分が指揮を執ると言い募りました。
「救出作戦は一度では終わりません。二度、三度と行うことになる。小官はイゼルローンに残り彼らの撤収を最後まで見届けます」
「!」
その言葉にまた艦橋の皆が驚きました。
「馬鹿な、自分の言っている事が分かっているのか? 最後尾を務めると言っているのと同じだぞ!」
「ワイドボーンの言うとおりだ、危険すぎる」
ヤン大佐がワイドボーン大佐に同調しました。私も同感です、危険すぎます。
最後尾を務める、場合によっては救出が間に合わず敵に捕捉、殲滅される恐れもあります。ヴァレンシュタイン大佐は亡命者です。亡命者は捕虜になる事は出来ない、そう言ったのはヴァンフリートで戦った大佐自身です。それなのに何故そんな危険な事をするのか……。
「救出活動は一度では終わりません。当然ですが最後尾には苦しい戦いを強いる事になるでしょう。位置から言ってローゼンリッターが務める事になります」
「……」
ローゼンリッター、その名前に皆の表情が曇りました。
帝国軍も最後尾を務めるのがローゼンリッターと知れば激しく攻めてくるでしょう。帝国軍にとってローゼンリッターは敵ではありません、忌むべき裏切り者の集団なのです。連隊長を失い多大な被害を受けたであろう彼らにとっては酷過ぎる戦場になるのは間違いありません。
「彼らに事情を話し必ず救出するから時間を稼いでくれと説明しなければなりません。小規模艦隊での救出を提案したのは小官です。小官には彼らに説明する義務が有ります」
「しかし……」
ワイドボーン大佐が反論しようとしましたが口籠ってしまいました。ヤン大佐がワイドボーン大佐の肩に手をかけます。大佐がヤン大佐を見ました。ヤン大佐は黙って首を横に振ります。ワイドボーン大佐が悔しげに唇をかむ姿が見えました。
「総司令部は今回の攻略戦で将兵の信頼を失いました。その信頼を取り戻すには総司令部の人間が犠牲になる覚悟を示す必要が有ります。小官は亡命者でもあります。小官が残れば彼らも信じてくれると思います」
道理だと思います、しかし何故大佐がとも思います。皆同じ思いなのでしょう、遣る瀬無い表情をしています。ワイドボーン大佐は顔を顰めヤン大佐は何度も首を振りました。
「閣下、小官はフォーク中佐のようにはなりたくありません。救出作戦の指揮を執らせてください」
ヴァレンシュタイン大佐がグリーンヒル参謀長に訴えました。参謀長は目を閉じて考えています。そして目を開いた時、参謀長の目は真っ赤でした。
「救出作戦の指揮はヴァレンシュタイン大佐が執る」
「閣下!」
掠れた声でした、そしてその掠れたような声にワイドボーン大佐の悲鳴が重なります。ですがグリーンヒル参謀長が命令を覆すことは有りませんでした。
「救出用の艦隊を選抜してくれ……。ヴァレンシュタイン大佐、貴官には苦労をかける……」
「……小官は準備が有りますのでこれで失礼します」
ヴァレンシュタイン大佐が敬礼するとグリーンヒル参謀長が答礼を返しました。参謀長の答礼は心なしか長かったような気がします。踵を返して艦橋を出ようとする大佐の行く手をワイドボーン大佐が塞ぎました。
「ヴァレンシュタイン、答えてくれ。昨日、俺達と話をしなかったのは第二百十四条の所為か……。俺達を巻き込むまいと考えたのか……」
「……」
呻くような声でした。周りも皆俯いています。ヴァレンシュタイン大佐は無表情にワイドボーン大佐を見ていました。
「何故だ、何故俺達に相談しない……」
何かを堪えるような、絞り出すような声です。
「……急ぐんです、そこを退いてください」
ヴァレンシュタイン大佐の声は何の感情も見えない機械的な声でした。
「……お前は何時もそうだ。何故だ、ヴァレンシュタイン……」
ワイドボーン大佐は退こうとしません。そしてヴァレンシュタイン大佐は微かに苛立ちを見せると低く、凄みさえ感じさせる声を出しました。
「そこを退きなさい……。 私は急ぐんです!」
そう言うとヴァレンシュタイン大佐はワイドボーン大佐を押し退け、足早に艦橋を出て行きました。押し退けられた大佐は切なそうにヴァレンシュタイン大佐の出て行った方を見ています。そしてヤン大佐の方を見ました。
「ヤン、お前は気付いていたのか?」
「……ああ、もしかしたらとは思っていた」
「何故言わなかった!」
ワイドボーン大佐が激昂しました。
「言えばどうした? 彼と共に第二百十四条を進言したのかい? そんな事を彼が望んだと思うのか」
「……」
ワイドボーン大佐が唇を悔しげに噛みました。そしてヤン大佐はワイドボーン大佐から視線を逸らしました。
「彼が我々に話さない以上、我々に出来る事は無いんだ」
「……お前はいつもそうだ、気付いているのに何も言わない……」
「……」
ワイドボーン大佐は振り返るとグリーンヒル参謀長に話しかけました。
「閣下、閣下はヴァレンシュタインから相談を受けていたのですか?」
「昨日の事だ、少し無茶をするかもしれないと言っていた。それだけだ……」
「……少し無茶……」
ワイドボーン大佐が首を振っています。私も同じ思いです、第二百十四条の行使の進言が少し無茶……。一体大佐は何を考えているのか……。
「その後どういうわけか娘の話になった。大事にして下さいと言われたよ」
「……」
微かに参謀長が苦笑を洩らしました。
「今日、彼が第二百十四条を持ち出した時正直迷った。軍法会議で有罪になればどうなる、全てを失うだけじゃない、フレデリカも反逆者の娘と蔑視される、そう思うと正直迷った……」
「……」
艦橋ではグリーンヒル参謀長を責めるようなそぶりをする人間はいません。ただ黙って参謀長の話を聞いています。私はあの時参謀長を憎みました。でも今の参謀長の想いをあの時知っていたらどうだったでしょう。参謀長を憎む事が出来たでしょうか……。憎むより恨んだかもしれません。何故こんな事になったのかと……。
「正直彼を恨んだよ、何故そんなものを持ち出すのだとね。彼を見た時、全くの無表情だった。縋るような色も怒りの色も無かった。ただ無表情に私を見ていた。その時彼が何故娘の話を持ち出したのか分かった。例え私が二百十四条を受け入れなくても恨みはしない、そういうことだったのだと思う……」
「……」
「そう思った時、私は無性に自分が恥ずかしくなった。出世や保身のために将兵を見殺しにする人間と家族可愛さにそれを許してしまう人間との間にどれだけの違いが有るのだろうと……。そんな父親を娘は誇りに思えるのかとね……」
「……」
「ヴァレンシュタイン大佐には済まない事をしたと思っている。本当なら彼の進言が有る前に私が自分で決断すべきだった。だが私には第二百十四条の行使を考えることができなかった。その所為で彼を巻き込んでしまった……」
静まり返った艦橋に参謀長の声だけが流れます。静かな落ち着いた声ですが悲しそうに聞こえました。でもその思いに達するまでの葛藤がどんなものだったのか……。私にはとても想像できません。
「ハイネセンに戻れば軍法会議が待っている。娘には正直に全てを話すつもりだ。どんな結果になるかは分からないがきっと理解してくれると思っている……」
「……」
「ワイドボーン大佐」
「はい」
「彼を水臭いとは思うな。いざとなれば全てを自分が被る。彼はそう考えてしまう人間なのだ」
労わる様な声です。参謀長は優しそうな笑みを浮かべていました。
「だから悔しいんです。自分はまだ彼から信頼されていないのかと思うと……、情けないんです……。あいつが心配です、また無理をするんじゃないかと……」
切なさが溢れてくるような声でした。ワイドボーン大佐が以前言った言葉を思い出しました。
“信頼というのはどちらか一方が寄せるものじゃない、相互に寄せ合って初めて成立するものだ”
ワイドボーン大佐はヴァレンシュタイン大佐との間に信頼を結びたがっています。でもその信頼を結ぶことが出来ずに苦しんでいる……。今更ながら信頼を結ぶという事の難しさを思い知らされました。
「私も行きましょう」
「バグダッシュ中佐……」
陽気な声でした。中佐の顔には笑みが有ります。参謀長と同じ笑みでした。
「彼とは長い付き合いです、嫌がるかもしれませんが私も行きますよ。大丈夫、必ず彼を連れ帰ってきます。それに此処にいるより彼の傍にいる方が安全かもしれない。彼は無敵ですからね」
おどけたようなその言葉にようやく艦橋に笑い声が上がりました。
「すまん、バグダッシュ中佐」
ワイドボーン大佐が頭を下げました。笑わなかったのは大佐だけだと思います。小さな声でした。
「私も、私も行きます」
「ミハマ大尉……」
「お願いです、私も行かせてください」
気がつくと私はバグダッシュ中佐に、ワイドボーン大佐に頼んでいました。私に何が出来るか分かりません。でも行きたい、行かなければならないと思いました。大佐の前で俯くようなことはしたくない、正面から大佐を見る事が出来る人間になりたいと思ったんです。
嫌われてもかまいません、憎まれてもいい。でも信頼はされたい……。いざという時、逃げるような人間じゃない、そう思われたかったんです。大佐が二百十四条を出した時、私は何もできなかった。あんな思いはもうしたくありません。
「此処にいる方が安全だ」
「ヴァレンシュタイン大佐の傍の方が安全です」
私の言葉にバグダッシュ中佐が苦笑しました。
「少しは出来るようになったか……。良いだろう、付いてこい。但し自分の面倒は自分で見ろよ。それが良い女の条件だ。閣下、お許しを頂けますか? もっとも駄目と言われても行きますが……」
グリーンヒル参謀長が苦笑しました。
「否も応も無いな。二人とも気を付けて行け」
そう言うと参謀長はまた苦笑しました。
バグダッシュ中佐が歩き出しました。私もその後に続きます。危険極まりない所へ行くのに私の歩みは可笑しなくらい弾んでいました。ようやく私は最初の一歩を踏み出すことが出来たのです。そして歩き続ければ、ヴァレンシュタイン大佐がそれを認めてくれれば何時か信頼を得られるはずです……。
第三十一話 イゼルローンにて(その1)
宇宙暦 794年 10月20日 イゼルローン要塞 バグダッシュ
艦隊がイゼルローン要塞に接岸し、要塞内部に入ると早速第三混成旅団から四、五人の出迎えがやってきた。どうやら旅団長自ら来たらしい、余程に焦っているようだ。気密服とヘルメットで表情は見えないが歩き方に余裕が無い。戦況は厳しいのだろう。
「第三混成旅団、旅団長のシャープ准将だ」
拙いな、上級者である向こうから声をかけてきた。普通はこちらが切り出すのを待つもんだが……。そんな余裕もないほど追いつめられているという事か……。或いは実戦経験が少ないのかもしれん。だとすると多少パニック気味という事もあるのだろう。
「総司令部から来ましたヴァレンシュタイン大佐です。こちらはバグダッシュ中佐、ミハマ大尉です」
「うむ、撤退命令が出たようだがどうなっている?」
訝しげな声だ。無理もない、撤退というのに要塞に接岸したのは百隻程度の小艦隊だ。イゼルローン要塞にはローゼンリッター、第三混成旅団、そして強襲揚陸艦からの脱出者を含めれば一万人を超える人間が助けを待っている。輸送船、あるいは揚陸艦で一気に撤退すると考えているのだろう。
「あの艦隊で撤退していただきます」
「何だと?」
シャープ准将が驚きの声を出したが、ヴァレンシュタイン大佐は全くかまわなかった。
「詳しい話はバグダッシュ中佐から聞いてください」
「待て、大佐」
「小官はローゼンリッターに最後尾を務めるように伝えなければならないのです。そこの貴官、案内を頼めますか」
そう言うとヴァレンシュタインはシャープ准将と共に出迎えた士官に案内をさせて立ち去った。シャープ准将は訳が分からないといった表情で俺を見ている。やれやれ後始末は俺か……。まあここに来た甲斐が有ったと考えるとするか……。
「撤退の順は、先ず負傷者を最優先とします。次に強襲揚陸艦の乗組員、第三混成旅団、最後にローゼンリッターとなります」
「待て、あの艦隊では運びきれんぞ。輸送船か揚陸艦を何故用意しない、いや通常の艦を使うなら何故もっと大規模にしない、何を考えている?」
シャープ准将は唾を飛ばしそうな勢いで問いかけてきた。やはりこいつにロボス元帥解任の件は話せんな。話したら自分が納得するまで質問攻めだろう。悪いがそんな暇はない。
「総司令部の判断です。大規模な撤退作戦は敵の注意を引き徒に撤退行動を危険に曝すだろうと総司令部は考えています。そのため小規模艦隊による順次撤退作戦を総司令部は考えました。すでに総司令部は次の撤退作戦を実施する艦隊を用意しています。我々が乗ってきた艦隊が撤収すると直ぐにこちらに向かってくるはずです。時間にして三十分とは待たないはずです」
こういう時には総司令部の名を連呼することだ。しつこく質問すれば総司令部に不満を持っていると思われるのではないか、相手にそう思わせることで口を噤ませる……。案の定、シャープ准将は不満そうでは有ったが、口には出さなかった。
「最優先で撤退させるのは負傷者となりますが?」
「問題ない、第三混成旅団もローゼンリッターも負傷者は一つにまとめている、最優先で撤退させる必要が有るからな」
胸を張って言わんでくれ。大して自慢になることでもない。
「ではその後に強襲揚陸艦の乗組員、第三混成旅団となります」
「……第三混成旅団は一度では運べんな……」
「そうですね、閣下には次の艦隊で撤収という事になります」
シャープ准将が顔を顰めるのが見えた。指揮官なんだから当然だろう、そんな顔をするな、情けない……。
「……やむを得んな。総司令部の決定とあれば」
「宜しくお願いします。小官はヴァレンシュタイン大佐の後を追わねばなりません。ではこれで」
「うむ」
そうそう、それでこそ指揮官だ。頑張ってくれよ、シャープ准将。ああ、それから案内を付けてもらわないと……。
ローゼンリッターのシェーンコップ大佐は仮の司令部を設置して部隊に指示を出していた。傍にいるのはブルームハルト大尉か。しかし大佐は居ない……。思わずミハマ大尉と顔を見合わせた。大尉も訝しげな表情をしている。
「よう、来たな。ヴァレンシュタイン大佐から貴官達の事は聞いている」
陽気な声をシェーンコップ大佐が答えた。ヴァレンシュタイン大佐が此処に来たのは間違いないようだ。であれば先ずは……。
「ヴァーンシャッフェ准将の事、残念でした」
俺の言葉にシェーンコップ大佐とブルームハルト大尉が表情を改めた。
「ああ、お気遣い痛み入る。だが此処は戦場だ、それ以上は後日にしよう」
「そうですな、先ずは生きている人間を何とかしなければ」
「全くだ、特に生きている敵を何とかしなければな」
シェーンコップ大佐が不敵な笑みを浮かべた。頼りになる男だ、苦境でこういう笑みを浮かべることが出来るとは……。
「ヴァレンシュタイン大佐はどちらに」
ミハマ大尉が問いかけた。
「捕虜を調べている、帝国軍の情報を得ようとしているようだ」
「捕虜?」
押されているのはこっちだ、捕虜が居るのか? 俺だけじゃない、ミハマ大尉も訝しげな表情をしている。そんな俺達が可笑しかったのだろう、シェーンコップ大佐が笑い声を上げた。ブルームハルト大尉と顔を見合わせている。
「十発ぐらいは殴られたが、こっちも三発ぐらいは殴り返した。そうじゃなければ連隊は壊滅しているさ」
「なるほど、さすがはローゼンリッターですな」
「世辞は良い」
世辞じゃない。伏撃を受け、連隊長を失ったのだ。一方的に叩かれてもおかしくはなかった。戦闘力は一個師団に相当する、その評価は伊達じゃない。
「損害は大きかったのですか?」
「伏撃を受けた、一方的に攻撃を受けたんだ。場所もよくなかった。狭い通路で身を隠すところが無かったからな。あっという間だったよ、百人ほどが死んだ……」
シェーンコップ大佐が顔を苦痛に歪めている。
「ヴァーンシャッフェ准将もその時に戦死しました。ローゼンリッターは指揮官を失いさらに混乱した……」
ブルームハルト大尉の声は淡々としていた。しかし表情はシェーンコップ大佐同様、苦痛に歪んでいる。
「ヴァーンシャッフェ准将を責められん。要塞に入ってからほとんど抵抗を受けなかった。奇襲は完全に成功した、連隊長はそう思ったんだ、俺もそう思った。あそこで伏撃など誰も考えていなかっただろう」
本心から言っているのか、それとも死者の名誉を守ろうとしたのか、或いはその両方か……。話を変えた方がよいだろう。
「……シェーンコップ大佐が無事だったのは幸いでした」
「俺は後方にいたからな、運が良かった、それとも悪かったのかな。崩れたつ味方をなんとかまとめるので精一杯だった。結局三百人程が戦死しただろう。重傷者も似たようなものだ、部隊は約五分の一を失った……」
その状態で逆撃をかけた、簡単にできる事じゃない。ヴァーンシャッフェ准将を失い、連隊も大損害を出した。それでもシェーンコップ大佐という新しい指揮官を得ることが出来た……。
「ところで最後尾の件、お聞きになっていますか?」
「聞いている。まあ俺達がやることになるだろうとは思っていた、予想通りだな」
「……」
淡々とした口調だった。ブルームハルト大尉も平然としている。これまでにも似た様な事は有ったのかもしれない。
「予想が外れた部分もある」
「と言うと?」
「貴官達が最後まで付き合うという事だな。物好きなことだ」
そう言うとシェーンコップ大佐とブルームハルト大尉が笑い声を上げた。思わず俺も笑い声を上げた。ミハマ大尉も苦笑している。
「ロボス元帥が解任されたことは?」
「それも聞いた、ローゼンリッターなど磨り潰しても構わん、そう言ったそうだな。それでグリーンヒル大将が二百十四条を行使したと……、違うのか?」
俺達の表情に気付いたのだろう、シェーンコップ大佐が尋ねてきた。
「正確にはヴァレンシュタイン大佐が二百十四条の行使を進言したのですよ。それなしではロボス元帥の解任は無かったでしょう」
「……」
「その上で此処に来ることを志願しました。一つ間違えば捕虜になる危険性が有る。ですが総司令部が将兵の信頼を得るためには総司令部の人間が犠牲になる覚悟を示す必要が有ると言って此処に来たんです」
「……それでは堪りませんな」
ブルームハルト大尉が呟くように言葉を出した。その通りだ、総司令部はまるでお通夜の様だった。全てを彼に負わせてしまったのだ。ワイドボーン大佐の嘆きは彼一人のものじゃない。皆が自己嫌悪に陥っている。彼を死なせることは出来ない。
「ヴァレンシュタイン大佐を死なせることは出来ません。だから私はここに来ました。戦闘では役に立たないと思います、でもいざという時は弾除けの代わりくらいにはなれると思います。本当は生きて帰りたいですけど」
ミハマ大尉が明るい声で話している。自分で言っていて可笑しくなったのだろう、彼女が笑い声を上げた。全く同感だ、俺も笑い声を上げていた。
「……随分と想い入れが有るようだ」
シェーンコップ大佐がこちらを見定めるような視線を向けてきた。
「そうですね。彼とは長い付き合いです、色々と想いは有ります……。問題はそれが片想いだという事なんですよ」
片想いか、戦場には似つかわしくない言葉だ。だが今のヴァレンシュタイン大佐は周囲と関わりを持つのを避けようとしている。ワイドボーン大佐も俺もミハマ大尉もその事で苦しんでいる。もしかするとヴァレンシュタインも苦しんでいるのかもしれない。まさに片想い以外の何物でもない……。
「情の強い人ですからね」
「意地悪で根性悪ですし」
「それに怖い所のある美人だ」
「本当は優しい人ですよ、大佐は」
気が付くと皆で笑っていた。全く此処にいるのはどうしようもない連中だ。俺も含めて度し難い馬鹿ばかりだ。しかし、それも悪くない……。
宇宙暦 794年 10月20日 イゼルローン要塞 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「ヴァレンシュタイン大佐、こっちです」
リンツが俺を小部屋に案内した。多分物置部屋かなんかだろう。此処がイゼルローン要塞のどのあたりになるのか、今一つよく分からん。
「武装は解除していますが気を付けてくださいよ。大佐に万一の事が有ったらシェーンコップ大佐に殺されますからね」
「大げさですね」
「とんでもない、本心ですよ」
分かった、分かった。だから荷電粒子ライフルも持っているじゃないか、安心しろ。
部屋の中に入ると兵士が三人、こちらに敬礼してきた。どうやら見張りのようだ。答礼しつつ部屋の中を見渡すと四人の帝国人が居た。四人とも気密服は着ているがヘルメットはしていない。三人は座っているが一人は横になって蹲って腕で顔を隠すようにしている。
肝が太いのか、それとも負傷しているのか……。多分負傷だろう。寝ている奴がいるとしたらアントン・フェルナーぐらいのものだ。少し離れたところからさりげなくライフルを構えた。三人の顔に緊張が走る。
「教えてほしい事が有ります。答えてください」
「……」
問いかけると三人が俺を胡散臭そうな表情で見た。一人は長身のようだ、もう一人は腕に怪我をしている。後の一人はかなり体格が良い。こいつらの胡散臭そうな顔を見ると気が滅入るよ……。
「卿らの指揮官は誰です」
「……」
今度はお互いに顔を見合わせた。利敵行為になるんじゃないかと心配でもしているのか……。
「オフレッサー上級大将が居るのは分かっています、リューネブルク准将もね。他には?」
また顔を見合わせた。皆訝しげな表情をしている。
「他には居ない。二人だけだ」
長身が答えた。少し訛りが有る、おそらくは辺境出身だろう。
「間違いありませんか?」
俺の問いかけに長身は頷いた。ラインハルトの名前が出ない、俺の勘違いか……。だとすると誰があのミサイル艇の攻撃を見破った? リューネブルク? いや、見破ったのはラインハルトのはずだ。だが此処にいないとすれば奴は何処にいる?
まさかとは思うがミュッケンベルガーの傍か……。だとするとこちらの撤収作戦を見抜くのは間違いない。作戦は失敗か? どうする? 別な脱出法を考えるか? このままだとラインハルトは俺達を餌に同盟の主力艦隊をおびき寄せようとするかもしれん……。
「あの人の事を言ってるのかな?」
怪我をしている男が首を傾げながら呟いた。
「あの人とは誰です?」
俺の問いかけにまた三人が顔を見合わせた。
「あれは艦隊指揮官だろう、装甲擲弾兵とは関係ない」
「そうだぜ、大体あれは飾りだろう? 艦隊指揮官なのに出撃も許されないそうじゃねえか」
長身と体格の良い男が口々に否定した。なるほど彼らの間ではラインハルトは飾りか……。だから居ないと言ったのか……。
「もう一人いるのですね。誰です、それは」
「……ミューゼル准将。でもただの飾りだ、出撃を許されなくてリューネブルク准将とつるんでいる」
「姉が皇帝陛下の寵姫だからな。小僧のくせに准将閣下だぜ」
「リューネブルク准将は亡命者だから友達がいないのさ、だからあんな小僧とつるんでいるんだ」
相変わらず人望が無いな、ラインハルト。だが問題はそこじゃない、ラインハルトはやはりリューネブルクと繋がりを持った。どういう関係になるのかは分からないが厄介だな……。
「今、彼は、ミューゼル准将は何処にいます?」
「オフレッサー閣下、リューネブルク閣下と一緒にいるさ」
「装甲擲弾兵を指揮しているのですね」
「指揮なんかしてないさ、小僧に出来るかよ」
体格の良い男が露骨にラインハルトに対して反感を表した。今のラインハルトには実績は無い。出撃を止められおまけにまだ准将という中途半端な地位だ。この男が反感を示すのも無理はないだろう。
知りたいことは分かった。今のところはこちらの想定内だ。ラインハルトはミュッケンベルガーに対して影響力は持っていない。とりあえず此処を凌げば撤収は可能だろう。後はシェーンコップの力量次第だ、心配はない。
寝てる奴、顔だけでも見ていくか。俺がその男に近づくとリンツが厳しい声を出した。
「大佐、気を付けてください」
「ええ」
俺が大佐と呼ばれたことが意外だったようだ。三人が驚いたような表情を見せた。人を驚かすのは悪い気分じゃない、そう思いながら寝ている男の腕を荷電粒子ライフルで動かした。その男の顔を見た瞬間、息が止まった。
「ギュンター! ギュンター・キスリング!」
何でお前が此処にいる。お前はオーディンで憲兵隊のはずだ。一体何が起きた?
第三十二話 イゼルローンにて(その2)
宇宙暦 794年 10月20日 イゼルローン要塞 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
目の前でギュンター・キスリングが倒れている。どういう事だ? こいつはオーディンで憲兵隊にいるはずだ。異動? まさかとは思うが志願した?
「大佐、その男をご存じなのですか?」
呆然としている俺にリンツが問いかけてきた。訝しげな表情をしている。慌てて周囲を見た、リンツだけじゃない、三人の捕虜も同じような表情だ。無理もない、反乱軍の大佐と捕虜が知り合い? 有りえん話だ。
「ええ、士官学校で同期生でした。私の親友です」
「そうですか……」
リンツが他の兵士と顔を見合わせ困ったような顔をしている。親友が捕虜、おまけに負傷している、怪我は決して軽傷じゃない。なかなかドラマチックな展開だ……。大丈夫、俺はまだ現状を冷静に把握している。
キスリングの体を確認した。気密服の左脇腹の下辺りに怪我をしている。撃たれた傷じゃない、刺された傷だ。手当はしてあるようだ。もっとも手当と言っても応急手当だ。自軍の負傷者の手当てだけで手一杯だっただろう、応急手当てをしてあるだけでもましな方だ。本格的な治療をしないと長くは持たない……。
「……あんた、今キスリング少佐の親友だって言ったよな、大佐。……ローゼンリッターじゃないのか?」
体格の良い男が俺を値踏みするような、探る様な目で見ている。他の二人も似たような目だ……。嫌な目だ、俺はさりげなくキスリングから離れ連中から距離を取った。
「彼は所属が憲兵隊だと聞いていましたが?」
「異動になったんだとさ。なんか上に睨まれたらしいぜ」
体格の良い男が面白くもなさそうな口調で答えた。上に睨まれた……。おそらくはカストロプ公に睨まれ、飛ばされたのだろう。
「アントン・フェルナーを知っていますか?」
三人が顔を見合わせ、訝しげな表情をした。どうやらフェルナーは此処には居ない、ブラウンシュバイク公の下に居るようだ。
フロトー中佐は俺の両親を殺すように命じたのはカストロプ公だと言った。そして俺をも殺せと言ったと。だが理由は言わなかった。何故俺の両親を殺したのか、未だに分からん。
ミュラーが言っていたがキスリングとフェルナーは俺の両親が殺された件を調べた、そして何かを掴んだ……。不愉快に思ったカストロプ公はそれを止めさせようとした。しかし彼はフェルナーには手を出せなかった、出せば帝国一の実力者であるブラウンシュバイク公を怒らせることになる。そこで立場の弱いキスリングが狙われた……、そういう事か。
フェルナーは当然だがキスリングを助けようとしたはずだ。ブラウンシュバイク公を動かそうとしたに違いない。だがキスリングを助けることは出来なかった。つまりブラウンシュバイク公でも助けることは出来なかったという事か……。
カストロプ公か……。彼については色々と思うところは有る、しかし何故俺の両親を殺した? 動機が分からん。どうせ何らかの利権が絡んでいるとは思うが……。
「あんた、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大佐か?」
いつの間にか思考の海に沈んでいたらしい。気が付くと体格の良い男が俺が絡むような口調で問いかけてきていた。
「……そうです」
俺が答えるのと同時だった。そいつが吠えるような声を上げていきなり飛びかかってきた。でかいクマが飛びかかってきたような感じだ。
しゃがみこんでそいつの足に荷電粒子銃の柄を思いっきり叩きつけた。悲鳴を上げて横倒しにそいつが倒れる。馬鹿が! 身体が華奢だから白兵戦技の成績は良くなかったが、嫌いじゃなかった。舐めるんじゃない。お前みたいに向う脛を払われて涙目になった奴は一人や二人じゃないんだ。
立ち上がって荷電粒子銃をそいつに突きつける。他の二名は既にローゼンリッターの見張りが荷電粒子銃を突きつけていた。
「ヴァレンシュタイン大佐! 大丈夫ですか!」
「大丈夫ですよ、リンツ少佐」
「貴様、一体どういうつもりだ! 死にたいのか!」
リンツが体格の良い男、クマ男を怒鳴りつけた。
「う、うるせえー。ヴァンフリートの虐殺者、血塗れのヴァレンシュタイン!俺の義理の兄貴はヴァンフリート4=2でお前に殺された。姉は自殺したぜ、この裏切り者が!」
クマ男の叫び声に部屋の人間が皆凍り付いた。姉が自殺? こいつもシスコンかよ、うんざりだな。思い込みが激しくて感情の制御が出来ないガキはうんざりだ。どうせ義兄が生きている時は目障りだとでも思っていたんだろう。
「ヴァンフリートの虐殺者、血塗れのヴァレンシュタインですか……。痛くも痒くも有りませんね」
俺はわざと声に笑みを含ませてクマ男に話しかけた。周囲の人間がギョッとした表情で俺を見ている。クマ男は蒼白だ。
「き、貴様」
「軍人なんです、人を殺して何ぼの仕事なんです。最高の褒め言葉ですね。ですが私を恨むのは筋違いです。恨むのならヴァンフリート4=2の指揮官を恨みなさい。部下の命を無駄に磨り潰した馬鹿な指揮官を」
その通り、戦場で勝敗を分けるのはどちらが良い手を打ったかじゃない。どちらがミスを多く犯したか、それを利用されたかだ。敵の有能を恨むより味方の無能を恨め。今の俺を見ろ、ウシガエル・ロボスの尻拭いをしている。馬鹿馬鹿しいにもほどが有るだろう。
「裏切り者は事実だろう!」
笑い声が聞こえた、俺だった。馬鹿みたいに笑っている。笑いを収めて蒼白になっているクマ男に答えた。
「私が裏切ったんじゃありません、帝国が私を裏切ったんです。恥じる事など一つも有りません」
呆然としているクマ男を放り出してリンツに近づいた。リンツは心配そうな表情で何処かオドオドしながら俺に話しかけてきた。
「大佐、あまり気にしないでください」
「大丈夫です、気にしていませんよ」
リンツが俺の顔を見ている。思わず苦笑が漏れた、俺はどうやら情緒不安定に見えるらしい。リンツが小声で話しかけてきた。
「先程の大佐の親友の方ですが……」
「……」
「あれは刺し傷でした。我々がやったものではありません」
「!」
キスリングは味方に刺された、そういう事か……。思わずリンツの顔を見詰めた。リンツは俺に答えるかのように無言で頷く。
「あの三人の中に犯人が居る可能性もあります」
思わず溜息が出た。敵と戦う……、だがその敵とは誰なのか。一体どれだけの人間が味方と思っていた人間に殺されたのか……。おそらくキスリングを殺そうとしたのはカストロプ公だろう。フェルナーに対する警告だ……。
部屋を出て仮の司令部に向かいながらリンツに話しかけた。
「シェーンコップ大佐は捕虜をどうするか言っていましたか?」
「いえ、何も言っていません。ですが逃げるのに精一杯ですからね、余程の大物でもなければ、多分放置していくことになるでしょう」
キスリングをどうするか……。此処に放置するのは危険だ、あの三人が殺す可能性もある。カストロプの意を受けているかもしれんし、俺に対する反感から殺す可能性もある。
捕虜として同盟に連れて行く? 気が進まんな、収容所生活は決して楽じゃないはずだ。捕虜交換だっていつあるか分からない……。亡命者として扱う……、無理だな、ハイネセンに戻ったら軍法会議だ。今無茶をすればキスリングだけじゃない、グリーンヒルの立場も危うくする。
残る手段は帝国側の信頼できる人物にキスリングを預けるか……。オフレッサー、リューネブルク、ラインハルト……。どいつもこいつも癖は有るだろうが信頼は出来るだろう、少なくとも部下を見殺しにする人間じゃない。問題はどうするかだな……。
死なせることは出来ない……。俺の所為でお前を死なせることは出来ない。キスリング、必ず助けてやる。
宇宙暦 794年 10月20日 イゼルローン要塞 ミハマ・サアヤ
ヴァレンシュタイン大佐がリンツ少佐と共に戻ってきました。大佐の表情は硬いです。そしてリンツ少佐が何処となく大佐を気遣うような表情をしています。
「何かわかりましたか?」
シェーンコップ大佐が問いかけるとヴァレンシュタイン大佐は頷きました。
「敵の指揮官ですが、オフレッサー上級大将、リューネブルク准将、それとミューゼル准将だそうです」
思わず横にいるバグダッシュ中佐と顔を見合わせました。中佐も表情を強張らせています。ラインハルト・フォン・ミューゼル准将……。大佐がヴァンフリートで何が何でも殺そうとした人物です。
大佐は天才だと言っていました。外れてくれればと思っていましたがやはり大佐の言った通りだったようです。こちらの作戦を見破って伏撃を仕掛けてきた……。大佐が自嘲交じりの口調で言葉を続けました。
「悪い予想が当たりました。やはりミューゼル准将がこちらの作戦を見破ったようです。唯一の気休めはミュッケンベルガー元帥は彼を無視している。そんなところですね」
シェーンコップ大佐が頷きながらヴァレンシュタイン大佐に問いかけた。
「出来るのですな、その男」
「出来ます……、こちらの状況はどうです」
シェーンコップ大佐がこちらに視線を向けました。釣られたようにヴァレンシュタイン大佐もこちらを見ます。バグダッシュ中佐が私を見ました。私は一つ頷いて大佐の問いに答えました。
「艦隊は負傷者、強襲揚陸艦の乗組員、そして第三混成旅団の約半数を収容しイゼルローン要塞を離れました。おそらく後三十分もすれば第二次撤収部隊がイゼルローンに到着します」
「問題は無い、そう見て良いのでしょうか?」
「問題は有る、敵がこちらの撤退に気付いた。攻撃が激しくなっている。艦隊が来ても撤退できるかどうか……」
苦渋に満ちたシェーンコップ大佐の声です。ヴァレンシュタイン大佐が顔を顰めました。
「此処から艦隊の到着場所までどんなに急いでも十分はかかる。艦に乗り込むまでにさらに十分、撤収作業には合計二十分はかかることになる」
「間違いありませんか?」
「間違いない、ミハマ大尉が撤収の所要時間をシャープ准将に確認した」
大したことではありません。シャープ准将と別れるときに撤収作業の時間を計って欲しいと頼んだだけです。第一次撤収作業は負傷者の搬送も含んでいます。おそらく第二次撤収作業は時間を短縮できるでしょう。それでもせいぜい二、三分です。やはり撤収作業には二十分かかると見た方がよいでしょう。
「大部分の兵を後退させ、少数の兵で時間を稼ぐ。タイミングを見計らって撤退し途中に仕掛けた爆弾で時間を稼ぐ……。今爆弾を仕掛けさせている。後十分もすれば終わるだろう」
シェーンコップ大佐の声は苦渋に満ちています。おそらく時間を稼いだ少数の兵が戻れる可能性はほとんどないと見ているのでしょう。
「私は最後まで残りますよ」
「ヴァレンシュタイン大佐!」
「シェーンコップ大佐は最後まで残るのでしょう。であれば私も残ります」
シェーンコップ大佐が一瞬口籠りました。
「……ヴァレンシュタイン大佐、貴官は戻ってくれ。貴官が戻っても誰も総司令部が、貴官が我々を見殺しにしたとは言わん。だから戻ってくれ」
何処か懇願するような響きのある口調でした。
「そうじゃ有りません。もしかすると味方の損害をもっと少なくできるかもしれないんです。だから此処に残ります」
ヴァレンシュタイン大佐は穏やかな笑みを浮かべていました。
宇宙暦 794年 10月20日 イゼルローン要塞 バグダッシュ
第二次撤収部隊がイゼルローン要塞に接岸した。シェーンコップ大佐は大部分の兵に後退命令を出し、自ら時間稼ぎをするために前線に出ようとしている。ヴァレンシュタイン大佐はリンツ少佐に捕虜を連れてくるようにと言うとシェーンコップ大佐の後を追った。
時間稼ぎをする場所は通路がコの字に曲がっている場所だった。百メートルほどの距離をおいて帝国軍と同盟軍が銃だけを突出し敵を牽制している。なるほど、此処なら敵を防げる。
しかし此処を撤退すれば、後は時間稼ぎを出来る場所はほとんどない。一気に帝国軍は攻撃をかけてくるだろう。後十五分程度は此処で時間稼ぎをする必要が有る。
「デア・デッケン、状況はどうだ?」
シェーンコップ大佐が話しかけたのは大柄な男だった。背はシェーンコップ大佐とほぼ同じか、だが厚みははるかに有る。
「向こうは戦意旺盛ですよ、大佐。何度かこちらへ突入しようとしました。まあ、撃退しましたが」
「当たり前だ、ここなら何時間でも連中に付き合えるさ」
リンツ少佐が捕虜を連れてきた。三人、いや四人だ。但し一人は背負われている。意識が無いようだ。
「ヴァレンシュタイン大佐、連れてきました」
「有難う、リンツ少佐」
「ヴァレンシュタイン大佐、彼らをどうするつもりです」
シェーンコップ大佐の問いかけにヴァレンシュタイン大佐は穏やかに笑みを浮かべた。
「彼らを帝国軍に返します。同盟に連れて行くような余裕はないですし捕虜を殺すのは気が引けますからね。此処で返します、それで時間を稼ぐ」
皆が訝しげな表情をした。捕虜の返還などそれほど時間稼ぎにはならない。だが大佐は少しも気にしなかった。
「後五分ほどしたら帝国軍に伝えてもらえますか、捕虜を返すから撃つなと」
シェーンコップ大佐がデア・デッケン大尉を見て頷いた。
五分後、デア・デッケン大尉が大声で捕虜を返すから撃つなと声を出した。
「さてと、卿らは一人ずつゆっくりと通路に出るんです。慌てて動くと敵と思われて撃たれますよ、良いですか?」
ヴァレンシュタイン大佐の言葉に三人が頷いた。そして大柄な男が問いかけてきた。
「キスリング少佐はどうする」
「卿らは向こうに着いたらこう言って下さい。もう一人動けない男が居る、その男は同盟の軍人が運んでくると。さあ行きなさい」
ヴァレンシュタイン大佐の言葉に三人が一人ずつゆっくりと通路に出る。緊張の一瞬だ、撃たれるのは帝国人だと分かっていても緊張する。幸い帝国軍は発砲しなかった。だがこれで稼げるのはせいぜい二分だ。しかし、キスリング? 何か引っかかるが……。
いや、問題は捕虜の返還だ。もっと後の方が良かったのではないだろうか、時間ぎりぎりに返す。連中はゆっくりと戻るはずだ、その隙に撤収する……。もう一人はこの場で置き去りにする。そこでも時間を稼げるだろう。そして最後は爆弾で敵の追い足を防ぐ……。
「シェーンコップ大佐、兵を撤退させてください」
「しかし、まだ時間が足りない。後五分は此処で防がないと……」
「後は彼を運ぶ事で時間を稼ぎます」
そう言うとヴァレンシュタイン大佐はキスリング少佐を見た。
「本当に運ぶのですか、運ぶと言って時間を稼ぐのではなく」
「運びますよ」
俺の問いかけにヴァレンシュタイン大佐が答えた。何気ない口調だ、隣家にお土産を持っていく、そんな感じだった。
「でも誰が運ぶんです」
ミハマ大尉が厳しい表情で尋ねた。おそらくは戻ってこれない、殺されるだろう。相手がこちらの意気を感じて戻してくれるという事も有り得るがあまり期待は出来ない。
「私が運びます。ギュンター・キスリングは私の親友ですからね」
「!」
キスリングとはあのキスリングか! 憲兵隊の彼が何故此処に……。驚く俺にミハマ大尉の呟く声が聞こえた。
「ギュンター……」
第三十三話 イゼルローンにて(その3)
宇宙暦 794年 10月20日 イゼルローン要塞 バグダッシュ
「馬鹿な、何を言っているんです。分かっているんですか、自分の立場が」
「分かっていますよ、そんな事は」
「分かっていません、行けば殺されます」
俺の言葉にヴァレンシュタイン大佐は何の感銘も受けた様子はなかった。平然としている。本当に分かっているのか? 俺と同じ疑問を持ったのだろう。ミハマ大尉が言葉を続けた。
「大佐、バグダッシュ中佐の言うとおりです。無茶です」
「もう決めたことです。我々は時間を稼がなくてはならない、私は彼を助けなくてはならない。だから部隊は私が彼を運んでいる間に逃げればいい」
まるで他人事の様な口調だった。本当に分かっているのか? いや分かっていないはずはない。ならば大佐は全てを捨てている……。そういう事なのか……。
シェーンコップ大佐がむっとしたような表情でヴァレンシュタイン大佐を見ている。ローゼンリッターの誇りを傷つけられたと思っているのだろう。俺がその立場でも同じことを思うはずだ。
「馬鹿なことを、貴官は我々に貴官を犠牲にして逃げろと言うのか」
押し殺したような口調だった。しかしヴァレンシュタイン大佐は相変わらず他人事の様な口調でシェーンコップ大佐に話しかけた。
「犠牲無しでの撤退は無理です。問題は誰が犠牲になるかでしょう……、私が志願すると言っている。それに上手く行けば帰って来れないとも限らない。犠牲が最少で済む可能性は一番高いんです」
「……しかし……」
シェーンコップ大佐が口籠った。確かにそうかもしれない。しかし、ヴァレンシュタイン大佐を犠牲にできるのか? 彼を犠牲にしてよいのか? 出来るわけがない、能力がどうこうという問題ではないのだ、我々はヴァレンシュタイン大佐に必要以上に犠牲を強いている。誰もがそれを負い目に感じているのだ。
「軍法会議も有るんですよ、大佐。グリーンヒル参謀長に全てを押し付けてそれで済ますつもりですか」
何としても彼をここから無事に連れて帰らなければならない。ヴァレンシュタイン大佐は責任感の強い男だ、他人に全てを押し付けて終わらせるようなことは出来ないだろう。
「私が死ねば、撤退作戦は総司令部の参謀が戦死するほどの難行だったとなります。撤退作戦をまるで検討しなかったロボス元帥は言い訳できませんよ。特に彼が切り捨てようとした亡命者が犠牲を払ったとなれば余計です」
「……」
「それにシトレ元帥は必ず私の死を利用します。ロボス元帥が軍法会議で勝つ可能性はゼロですね」
そう言うと大佐は微かに苦笑を漏らした。
「……大佐、大佐は勘違いしていますよ。シトレ元帥はそんな人じゃない。元帥は誰よりも大佐を高く評価しているんです。大佐の死を利用するなど……」
最後まで言う事は出来なかった。ヴァレンシュタイン大佐の笑い声がそれを止めた。
「私もシトレ元帥を高く評価していますよ、強かで計算高い……。シトレ元帥は喜んでくれますよ、生きてる英雄よりも死んでる英雄の方が利用しやすい。文句を言いませんからね」
そういうとヴァレンシュタイン大佐は今度はクスクスと笑い声を上げた。そして笑い終えると生真面目な表情を作った。
どうにもならない、大佐の我々に対する不信感には根強いものが有る。或いは我々と言うより彼を利用しようという国家に対しての不信感なのかもしれない。帝国を理不尽に追われた、その事が権力者に対して強い不信感を持たせている。そしてそれに代わる個人の友誼、信頼関係を結べずにいる。だから彼は痛々しいほどに孤独だ。
「確かに大佐にとって同盟での人生は望んだものではなかったかもしれません。不本意なものだったと思います。そしてその不本意な部分に我々が絡んでいるのも事実……」
「……」
大佐は微かに苦笑を浮かべた。その笑みが俺の心を重くさせる。
「ですが、分かって欲しいのです。我々は大佐を必要としているんです。そして大佐に我々に頼って欲しいと思っている。今の大佐は見ていられんのです……」
そう、頼って欲しいのだ。自分だけで抱え込まないでほしい。ワイドボーン大佐もそれを願っている。皆がそう願っている。
「……ギュンター・キスリングはこんなところで死んではいけないんです。彼は生きなければならない」
「それはヴァレンシュタイン大佐も同じでしょう」
ミハマ大尉が縋る様な口調で説得しようとした。しかしヴァレンシュタイン大佐は苦笑すると説得を拒否した。
「私は本当はこの世界に居ない人間だったんです。生まれた直後ですが一度呼吸が止まりました。そう、一度死んだんですよ、私は。それをどういう訳か今日まで生きてきた……、運命の悪戯でね」
「……」
ヴァレンシュタイン大佐がキスリングに視線を向けた。
「卿はいつも要領が悪い。アントンの悪戯で酷い目にあうのは何時も卿だ。その度に私が卿を助けた。今回もそうだ、私は亡命しているんだぞ。それなのにまた私に後始末をさせる……。これが最後だ、次は無いからな。自分で何とかしろ……」
優しい声だった、優しい目だった。大佐の本当の素顔はこれなのだ。同盟では誰も見たことは無いだろう。ミハマ大尉も無いに違いない……。堪らなかった、思わず声を出していた。
「大佐、小官が行きましょう」
ヴァレンシュタイン大佐が首を横に振った。
「残念ですが、それは駄目です、バグダッシュ中佐。私が行くことで時間を稼げる。貴官では時間を稼ぐことが出来ない」
「……」
確かにそうかもしれない。俺ではキスリングを運んだ瞬間に殺されかねない。しかしヴァレンシュタイン大佐なら向こうも多少は話そうとするだろう、時間を稼ぐことになる……。どうして、どうしてこうなる……。
「時間が有りません、これ以上ぐずぐずしていると帝国軍が怪しみます。私の指示に従ってください」
「しかし」
「救出作戦の指揮官は私です、私の指示に従いなさい」
皆が沈黙した。ヴァレンシュタイン大佐は正しいのかもしれない、しかし誰も納得していない。この遣る瀬無さは何なのか……。
「私は大佐についていきます」
「ミハマ大尉!」
驚いたような声をヴァレンシュタイン大佐が出した。
「時間が有りません。ぐずぐずしていると帝国軍が怪しみます。さあ行きましょう」
そうだ、止められないのなら付いていくしかない。
「小官も同行させていただく。大佐だけを死なせることは出来ません。同盟にも人はいる、亡命者だけに犠牲を払わせる事は出来ませんからな」
結局俺にはこれしかできない……。
帝国暦 485年 10月20日 イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル
「撃つな! 今負傷者を運ぶ! 撃つなよ!」
大声と共にゆっくりと人が出てきた。一人ではない、三人だ。三人が一人を支えている。支えられているのが負傷者か……。確かキスリング少佐と言っていた。
三人のうち一人は中肉中背だが後の二人は小柄だ。反乱軍には女性兵が居る、或いは女性兵かもしれない。女なら殺されるようなことは無い、惨いことはされないと考えたか……。
エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、奴が反乱軍の陸戦隊にいる。戻ってきた捕虜がそう言っていた。敵の陸戦隊はローゼンリッターだ。併せて捕殺すればこれ以上の武勲は無いだろう。ヴァンフリートでの借りも返せる。
だが敵もしぶとい。負傷者の返還はおそらくは撤退の時間稼ぎだろう。だが拒絶は出来ない、そんなことをすれば兵の士気にかかわる。大丈夫だ、こっちが圧倒的に優位なのだ、逃がしはしない。
いきなり銃声が聞こえると小柄な兵士が後ろに倒れた! 馬鹿な、誰が撃った? 相手は女だぞ。
「誰が撃った! 撃つなと言ったはずだぞ!」
オフレッサーが怒声を上げた。二メートルの巨体が吼えるとさすがに迫力が有る。
「あれはヴァレンシュタインだ! ヴァンフリートの虐殺者だ!俺は仇を取っただけだ!」
あの小柄な兵がヴァレンシュタイン? 叫んでいる男を見た。さっき戻ってきた男だ、オフレッサーほどではないが体格の良い男が叫んでいる。その男をオフレッサーが大股に近付くとものも言わずに殴り倒した。
「この恥知らずが! 誰かあの男達を連れてこい、武器は置いていけ、両手を上げてゆっくりと近づくんだ、早く行け! 丁重にだぞ、乱暴にするな」
滅茶苦茶な命令だったが言いたい事は分かる。相手に敬意を払えという事だろう。それと早く連れてこいという事だ。
「全く、これで借りが一つだ」
オフレッサーが面白くなさそうに呟いた。その様に思わずリューネブルクと顔を見合わせた。彼も何処か可笑しそうな表情を堪えている。
妙な男だ、ただの人殺しかと思ったが妙に憎めないところが有る。それがあるから部下からも慕われているのだろう。但し陸戦隊の指揮官としては二流だろう、リューネブルクには及ばない。
撃たれた兵、ヴァレンシュタインの傍に兵士が寄り添っている。ヴァレンシュタインは動いている。どうやら生きているようだ、怪我の度合いは此処からでは分からない……。しかし本当にヴァレンシュタインなのか?
帝国軍の兵士が両手を上げながらゆっくりと近づく。敵意は無いと理解したのだろう。ヴァレンシュタインとキスリングを帝国軍の兵士が抱えて歩き始めた。どうやら撃たれたのは肩のようだ。
兵士達がヴァレンシュタイン達を運んで来た。ヴァレンシュタインとキスリングをゆっくりと床に下ろす。ヘルメット越しに顔を見た。間違いない、ヴァレンシュタインだ。一度このイゼルローンで見たことが有る、写真は何度も見た。夢でも見たのだ。この男を殺す夢だった。
他の二人、一人は女だったが直ぐヴァレンシュタインの両脇に付いた。こちらに対する警戒心を隠さない。落ち着いているのはヴァレンシュタインだけだ。
「オフレッサーだ。先ず撃った事を詫びる、済まん。俺の命令が徹底しなかった」
オフレッサーの言葉にヴァレンシュタインは微かに笑みを浮かべた。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタインです。ギュンター・キスリング少佐をお返しします」
「確かに、受け取った」
オフレッサーが重々しく頷いた。
「何故此処に来た? 無事に帰れると思ったのか」
その言葉に両脇の二人が表情を強張らせた。
「彼は私の士官学校時代の同期生です。そして親友でもある」
「命を捨てる価値が有ると」
オフレッサーの言葉にヴァレンシュタインが微かに笑みを浮かべた。親友、その言葉にキルヒアイスを思い出した。キルヒアイスは俺のために命を落とした。今ヴァレンシュタインはキスリングのために命を捨てようとしている。親友、
たった二文字だ、だがその文字の重さは何物にも比較できない……。
オフレッサーが鼻を鳴らした。下品な男だ、この男には親友などいないだろう。
「キスリングを守ってください。彼の怪我は同盟軍が負わせたものではない」
その言葉にオフレッサーが厳しい表情を見せた。リューネブルクも同様だ。
「どういう事だ」
「傷を負わせたのは帝国軍の兵士です、彼は有る秘密を知っている。それが理由で憲兵隊から追われ、殺されかかった。彼を助けてほしい、それが出来ないなら同盟に連れて帰ります」
オフレッサーが吼えるような声で笑った。
「連れて帰るか、面白い男だ……、キスリングの事は心配するな。この俺が確かに預かった」
「感謝します」
「さて、次は卿の処遇だな」
「覚悟は出来ています。ただお願いが有ります。この二人を帰してほしい」
「大佐!」
「ヴァレンシュタイン大佐!」
両脇の二人が抗議の声を上げた。
「この二人は情報部なんです。私が帝国に同盟の情報を漏らすのではないかと恐れている」
「何を言うんです、そんな事は」
女が抗議した。
「だから私を殺したら彼らを帰してほしい。私がスパイではないと証明してくれるでしょう」
「馬鹿なことを、そんな事は誰も思っていない。いい加減にしろ! 大佐!」
今度は男が抗議した。
「お願いです、大佐を殺さないでください。大佐は帝国と戦いたくなかったんです」
「止めなさい、ミハマ大尉」
女が身を乗り出して命乞いを始めた。ヴァレンシュタインは顔を顰めている。
「私達が大佐を戦争に引きずり込んだんです。悪いのは私達なんです」
「止めなさい!」
「……」
ヴァレンシュタインが微かに苦笑を漏らした。
「リューネブルク准将、女と言うのはどうにも面倒な生き物だと思いませんか?」
「同感だが、何故俺に訊く」
「女運が悪そうだ」
オフレッサーが吼えるように笑い声を上げた。リューネブルクもヴァレンシュタインも苦笑している。一瞬だが和やかな空気が流れた。戦場とは思えないほどだ。だがヴァレンシュタインの言葉に和んだ空気が固まった。
「ミューゼル准将、私を殺しなさい」
「……」
「准将には私を殺す理由が有る、そうでしょう」
淡々とした声だった。ヴァンフリートの事を言っているのか、それともキルヒアイスの事を言っているのか……。
「戦争だからなどと言い訳はしない。私は皆殺しにするつもりで作戦を立てた……。ジークフリード・キルヒアイス、ラインハルト・フォン・ミューゼル、ヘルマン・フォン・リューネブルク、皆殺すつもりだった。だが失敗した……」
「運が良かった。後三十分、本隊が来るのが遅れれば私は死んでいた」
嘘偽りなくそう思う。後三十分、反乱軍に余裕が有れば俺は死んでいた。そしてリューネブルクも捕殺されていただろう。
「運じゃありません、実力です。私の計算ではあと一時間早く第五艦隊が来るはずだった、だが遅れた……。やはり私は貴方には及ばない、だから貴方は此処にいる。私が此処で死ぬのも必然でしょう」
彼の声に悔しさは感じなかった。ただ淡々としていた。この男がキルヒアイスを殺した、そう思ったが実感が湧かなかった。俺が勝った、それも思えなかった。
「ミューゼル准将、受け取って欲しいものが有ります」
「……」
「私の胸ポケットを探って欲しい」
どうすべきか迷った。だがヴァレンシュタインには敵意は感じられない。
「何故自分でやらない」
俺の問いかけにヴァレンシュタインは微かに苦笑を浮かべた。そして血塗れの両手を俺に差し出した。
「この通りです、血で汚したくない」
傍によって胸ポケットを探った。出てきたのは認識票、そしてロケットペンダント……。
「これは、キルヒアイスの」
声が掠れた。
認識票はキルヒアイスの認識票だった。ペンダントを見た、ヴァレンシュタインの声が聞こえた。
「そのペンダントにはキルヒアイス大尉の遺髪が入っています。受け取ってください」
「何故、卿が……」
「貴方に渡すことは無いだろうと思っていました。ですが最後に願いがかなった。もう思い残すことは無い……」
ヴァレンシュタインは俺の前で柔らかく微笑んでいた。俺にこの男を殺せるのだろうか……。
第三十四話 イゼルローンにて(その4)
帝国暦 485年 10月20日 イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル
「さあ、私を殺しなさい」
「……」
ヴァレンシュタインが自分を殺せと言った。この男の言うとおりだ、この男は敵なのだ、キルヒアイスを殺した男でもある……。
「貴方にはやるべき事が有るはずです。私の死を踏み台にして上に行きなさい。それがジークフリード・キルヒアイスの望みでもある……」
「!」
何を言った? 何故それを知っている? 偶然か? 俺とキルヒアイスの望み、何時か姉上を取り戻し、銀河帝国を簒奪する。新たな帝国を創る。ルドルフに出来たことが事が俺に出来ないわけはない……。
ヴァレンシュタインを見た。彼は穏やかな笑みを浮かべている……。どこまで、何を知っている? 殺せ、殺すんだ。この男は危険だ、間違いなく危険だ。この男の穏やかな笑みに騙されるな。
自分の死を踏み台にして上に行け……、確かにこの男を殺せばその武勲は比類ないものとなるだろう。裏切り者、ヴァンフリートの虐殺者、血塗れのヴァレンシュタイン……。
殺すべきだ、殺すべきなのだ……。俺は昇進し、また一歩夢に近づく……。ブラスターを抜いた、一発で苦しまずに終わらせる。それが俺がこの男にかけられるせめてもの情けだ。
「殺さないで! お願いだから殺さないで!」
女がヴァレンシュタインの前に転がり出た。両腕を開いてヴァレンシュタインを守ろうとしている。
「退きなさい、ミハマ大尉」
「退きません、大佐を守るって決めたんです。弾よけになるって決めたんです。退きません!」
ヴァレンシュタインがミハマ大尉と呼んだ女はボロボロ涙をこぼしていた。怖いのだろう、ブルブル震えてもいる。それでも彼女は俺を睨みヴァレンシュタインを守ろうとしていた。
「何を馬鹿な事を……、退きなさい、ミハマ大尉!」
「嫌です、退きません!」
「自分も彼女と同じ思いです。大佐を殺すなら、その前に俺を殺してもらおう。俺が生きているうちは貴方を殺させない!」
低くどすの利いた声で男が前に出てきた。両手を後ろに組み、胸で俺を押すようにして女と俺の間に入ろうとする。抵抗はしない、しかしむざむざとヴァレンシュタインを殺させもしない、男は全身でそう言っている。
「大佐は本当は貴方と一緒に戦いたかったんです。この人を殺さないで……。殺すくらいなら帝国に連れて帰って。……お願い……」
俺と一緒に戦いたかった? 愕然としてヴァレンシュタインを見た、彼は苛立たしげな表情をしている。本当なのか? だとすればこの男は俺の何を知っているのだ? 背筋にチリチリと嫌なものが走った……。
「退きなさい! バクダッシュ中佐、ミハマ大尉、貴方達は関係ない! これは私とミューゼル准将の問題です!」
「その通りです、私達には関係ありません。これは私とミハマ大尉が勝手に決めた事です。貴方には関係ない」
「そうです、大佐には関係ありません」
「何を馬鹿な事を……、理屈になっていない!」
ヴァレンシュタインが首を振って吐き捨てるように声を出した。その途端、バグダッシュ中佐と呼ばれた男が弾ける様に笑い声を上げ始めた。
「我々の気持ちが分かっていただけましたか、大佐は何時も一人で全てを背負ってしまう。我々がそれをどれだけ情けなく思っているか……」
「そうです、中佐のいうとおりです」
今度はミハマ大尉が笑い始めた、泣きながら笑っている、バグダッシュ中佐も一緒に笑っている。滅茶苦茶だ、正直途方に暮れた。この状況でどうやってヴァレンシュタインを殺すのだ? リューネブルクを見ると彼も呆れたような表情をしている。
オフレッサーが太い声で笑い出した。頭をのけぞらせて笑っている。その声の大きさに男も女も笑うのを止めた。オフレッサーは一頻り笑うと真顔になった。
「俺も随分と修羅場をくぐったが、これほど馬鹿馬鹿しい修羅場は初めてだな。長生きはするものだ」
オフレッサーがまた笑った。
「ミューゼル准将、ブラスターを収めろ」
「し、しかし」
「命令に従え、ブラスターを収めろ」
厳しい目でオフレッサーが俺を睨んだ。
「ミューゼル准将、ブラスターをしまえ」
リューネブルクが俺を目と声で窘めた。仕方なかった、ブラスターをしまった。だがどこかでほっとしている自分が居た。その事に困惑した、俺はヴァレンシュタインを殺すべきだと思っていたはずだ。
「二人ともヴァレンシュタインを連れて帰れ」
「……」
「聞こえなかったか、ヴァレンシュタイン大佐を連れて帰れ」
バグダッシュ中佐が無言でオフレッサーに敬礼した。そしてミハマ大尉がそれに続いた。オフレッサーも答礼する。誰も喋らなかった。
「ヴァレンシュタイン、今回だけだ。次に会う時は……、容赦はせん!」
押し殺した声だった。言外に殺気が漂う……。皆が凍りつく中、ヴァレンシュタインが立ち上がった。
「次は出会わないように注意します。御好意、感謝します」
「うむ」
ヴァレンシュタインが敬礼をした。オフレッサーがそれに応える。礼の交換が終わりヴァレンシュタインが踵を返した。ふらつく彼を両脇から男と女が支える。ゆっくりと、ゆっくりと三人が去っていく。
「閣下、宜しいのですか、あの男を返してしまって……。あの男を捕え、敵を追撃するべきでは有りませんか」
リューネブルクがオフレッサーの傍に近付き問いかけた。オフレッサーは無言で腕を組んでいる。そして立ち去るヴァレンシュタインを見ていた。
「……リューネブルク准将、卿はヴァンフリートの仇を討ちたいのか?」
「そうでは有りません、後々閣下のお立場が困ったことにならないかと案じているのです」
オフレッサーは一瞬だけリューネブルクを見た。そして“そうか……”と呟くとまたヴァレンシュタインを見た。
リューネブルクの言うとおりだ。ヴァレンシュタインを返したとなれば必ずそれをとがめる人間が出るだろう。やはりヴァレンシュタインは殺すべきだったのだ。後味は悪いかもしれない、しかし殺すべきだった……。
そして敵を追うべきなのだ、多分敵はもう撤収しているだろう。だが敵を追ったという事実が残る。このままではヴァレンシュタインを逃がし、侵入してきた敵も逃がしたことになる……。
追うべきなのだ、ヴァレンシュタインの姿が見える。追えば間に合う、オフレッサーは望んでいない様だが進言すべきだろう……、リューネブルクも賛成してくれるはずだ。傍に行くか、そう思った時だった……。
「……装甲擲弾兵は己の身体を武器として敵と戦う。トマホークを構えた敵と向き合う恐怖は言葉には表せん……。その恐怖を押し殺して敵と戦う……、臆病者には出来んことだ。俺は装甲擲弾兵こそ勇者の中の勇者だと思っている……」
「……」
オフレッサーが前を見ながら話し始めた、低く呟くように……。リューネブルクはそんなオフレッサーの横顔を見ている。そして俺は何となく傍に行けず黙って二人を見ていた。
「だが軍のエリート参謀や貴族達の中には俺達を野蛮人、人殺しと蔑む人間もいる……。口惜しいことだとは思わんか?」
「それは……」
リューネブルクが口籠り溜息を吐いた。内心忸怩たるものが有った。俺もその一人だ、装甲擲弾兵の重要性は理解しても何処かで野蛮だと、時代遅れだと蔑んでいた。
「俺達は野蛮人でも人殺しでもない、帝国を守る軍人であり武人(もののふ)なのだ。だからその誇りと矜持を失ってはならん。それを失えば装甲擲弾兵はただの人殺しに、野蛮人になってしまう……」
「……」
リューネブルクがオフレッサーの言葉に頷いている。リューネブルクも装甲擲弾兵だ、オフレッサーの言葉に感じるものが有るのだろう。
「あの男は死を覚悟して負傷者を運んで来た。それを殺せばどうなる? 武勲欲しさにヴァレンシュタインを殺した、恨みに狂ってあの男を殺したと言われるだろう。それではただの人殺しだ……。俺は装甲擲弾兵総監だ、装甲擲弾兵の名誉を汚す様な事は出来ん……」
そう言うとオフレッサーは太い息を吐いた。
名誉を汚す、その言葉が胸に響いた。俺はあの男を殺すべきだと思った。だがオフレッサーは殺すべきではないと考えた。何故殺すべきだと考えた? 武勲か? 恨みか? それとも恐怖か……。
あの時、確かに俺はヴァレンシュタインを怖いと思った。恐怖から殺そうとしたのか? だとすれば俺は何とも情けない男だ。これから先一生後悔しながら生きる事になっただろう。俺はオフレッサーに感謝すべきなのか?
「心無いことを言いました、お許しください」
リューネブルクが頭を下げた。そしてオフレッサーは溜息を吐いて首を横に振った。
「いや、卿の心遣いには感謝する。だが俺はこういう生き方しかできんのだ……」
リューネブルクは少しの間俯いて黙っていた。
「……装甲擲弾兵はイゼルローン要塞に侵入した反乱軍を撃退しました。そしてローゼンリッターの隊長を斃したのです。我々は十分にその役目を果たしました。誰もそれを非難することは出来無いでしょう」
リューネブルクの言葉にオフレッサーが苦笑した。リューネブルクも苦笑している。そして苦笑を収めると二人は前を見た。ヴァレンシュタインの姿が小さくなっている。
「ミューゼル准将、リューネブルク准将」
「はっ」
オフレッサーが俺達の名を呼んだ。先程までの沈んだ口調ではない、太く力強い声だ。
「今回、敵を撃退出来たのは卿らの進言によるところが大きかった。ミュッケンベルガー元帥にも伝えておく。元帥閣下も喜んで下さるだろう」
「はっ」
オフレッサーが俺達を気遣ってくれているのが分かった。ヴァレンシュタインを逃がしたこと、敵の撤退を許したことは自分の判断だと言うのだろう。そして敵の作戦を見破ったことは俺達の功績だと報告するに違いない。
妙な男だ、一兵士としては無敵だろうが、陸戦隊の指揮官としては二流だろう。おまけに不器用で融通が利かない、どう見ても立ちまわりが上手いとは言えない。
しかし悪い男ではないようにも見える。少なくとも俺とリューネブルクの意見を受け入れて伏撃を成功させた。そして卑怯な男ではない。俺は間違いなくこの男に救われたのだ。一体この男をどう評価すればよいのか……。
「ミューゼル准将」
「はっ」
「卿はヴァレンシュタインと因縁が有るようだな」
オフレッサーが問いかけてきた。どう答えれば良いのか迷ったがリューネブルクも知っている事だ、正直に答えるべきだろうと思った。
「ヴァンフリートの戦いで小官の副官が戦死しました。ジークフリート・キルヒアイス大尉、小官にとっては信頼できる部下であり同時にかけがえのない親友でもありました」
「……そうか」
そのままオフレッサーはしばらくの間俺を見ていた。居心地が悪かったがオフレッサーからは悪意は感じられない。ただじっと俺を見ている。向こうは上級大将、こちらは准将、耐えるべきだろう。
「卿、ヴァレンシュタインに勝てるか?」
オフレッサーが低い声で問いかけてきた。
「それは……」
分からなかった。ヴァンフリートでは負けた、今回は相手の作戦を俺が見破った。次はどうなるか……。分かっているのは厄介な相手だという事だ。油断はできない……。
「分からんか」
「はい」
「あの男は自分が卿に及ばないと言っていたな」
「はい」
確かに俺に及ばないと言っていた。しかし本当にそうなのか、分からないところだ。……それにしても妙な感じだ、オフレッサーは面白がっているわけではなかった。俺を見て何か考えている。リューネブルクを見たが彼も困惑している。俺とヴァレンシュタインを比較でもしているのか?
「あの男は手強いぞ」
「……」
そんな事は分かっている。あの男は間違いなく手強い。用兵家としての力量はミュッケンベルガーなどよりはるかに上だろう。だがその後に続いたオフレッサーの言葉は意外なものだった。
「用兵家としての力量以前の問題だ」
「……」
用兵家としての力量以前の問題……、どういう意味なのだ? 大体オフレッサーに用兵家としての力量以前の問題と言われてもピンとこない。
「あの男は誰かのために命を投げ出すことが出来る。そしてあの男のために命を投げ出す人間が居る……。そういう男は手強いのだ、周りの人間の力を一つにすることが出来るからな」
「……」
あの二人の姿を思い出した。ヴァレンシュタインを必死でかばった二人……。
「卿にそれが出来るか?」
「……」
「卿とあの男の勝敗は能力以外のところでつくかもしれんな……」
オフレッサーが溜息を吐いた。俺はただ黙ってオフレッサーの言葉の意味を考えていた……。
第三十五話 秘密
帝国暦 485年 10月21日 イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル
反乱軍は陸戦隊を収容するとイゼルローン要塞攻略を諦め撤退した。イゼルローン要塞は未だ緊張感に包まれてはいるが、戦闘中のひりつく様な緊迫感は無い。将兵の表情にも時折笑顔が浮かぶ。
宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥は先程、勝利宣言を出した。イゼルローン要塞を死守し、反乱軍を撃退したのだから帝国軍が勝ったのは間違いない。勝利宣言は当然と言える。しかしミュッケンベルガー元帥にとっては苦い勝利宣言だろう。
反乱軍に要塞内に侵入された、明らかに反乱軍にしてやられた。侵入した陸戦隊の撃退はオフレッサーの功であってミュッケンベルガーに有るのは敵にしてやられた罪のみと言って良い。
反乱軍に大きな損害を与えられたのなら良かったが、反乱軍は陸戦隊によるイゼルローン要塞奪取が不可能と判断すると撤収作戦を実施した。彼らの艦隊はこちらの艦隊の動きを牽制するだけで大規模な艦隊決戦は無かった。
正しい選択ではあるだろう、要塞が攻略できない以上、必要以上に要塞付近に留まる事は意味は無い。徒に兵を失い消耗するだけだ。しかしミュッケンベルガーにとっては失態を回復する機会を失ったということでもある。
ミュッケンベルガーはオーディンに戻れば辞職するかもしれない。そういう噂が流れている。辞意を漏らしたという噂もある。有り得ない事ではないだろう。今回の勝利は勝利と言うには余りにも御粗末と言って良い。前回のヴァンフリートの敗戦を思えば、今回の勝利は敗戦に近い評価しか受けないだろう……。
ミュッケンベルガーは戦いたかっただろう、だが彼は撤退する反乱軍に対して攻撃をかけようとはしなかった。反乱軍につけ込む隙が無かったというのもあるだろうが、それでも俺はミュッケンベルガーを立派だと思う。
もしかするとミュッケンベルガーはここで大勝利を得ても辞任するつもりだったのかもしれない。だとすれば最後に心置きなく戦えなかったのは無念だったに違いない……。
ギュンター・キスリングが目を覚ました。これから彼の病室に行く。オフレッサー、そしてリューネブルクも来る事になっている。味方に殺されかかったと言うがいったいどんな秘密を持っているのか……。
いや、大体秘密を持っているという事が真実なのかどうか……。誤って味方が傷つけた、或いは反乱軍が傷つけたというのが真実ではないのか、たかが一少佐が戦場で命を狙われるような秘密、どうもしっくりこない。
キスリングには他にも聞きたい事が有る。ヴァレンシュタインの事だ、彼は一体どんな人間なのか、何を考えているのか、彼の親友であるキスリングに聞きたい。ヴァレンシュタインが返してくれたキルヒアイスの認識票、そしてロケットペンダント、それを見る度にオフレッサーの声が耳に聞こえてくる……。
“用兵家としての力量以前の問題だ”
“あの男は誰かのために命を投げ出すことが出来る。そしてあの男のために命を投げ出す人間が居る……。そういう男は手強いのだ、周りの人間の力を一つにすることが出来るからな”
“卿にそれが出来るか?”
“卿とあの男の勝敗は能力以外のところでつくかもしれんな……”
そしてその度に自分を殺せと言ったヴァレンシュタインの穏やかな顔が浮かんでくるのだ。何度追い払っても浮かんでくる。今、こうして病室に向かう時でさえ浮かぶ、何故彼はあんな顔が出来たのか……。
「ミューゼル准将」
「リューネブルク准将……」
気が付けば横にリューネブルクが居た。どうも最近考え事をしていて周囲に注意が向かない。気を付けなければ……。
「どうした、浮かない顔をしているが」
リューネブルク准将が気遣うような表情で俺を見た。煩わしいとは思うが無下には出来ない。彼が俺を親身に心配しているのが分かる。そんな人間は俺の周りには何人もいない。
「いや、オフレッサー閣下に言われたことを考えていた」
「そうか……」
「よく分からない、分からないが気になる。無視できない……」
俺の言葉にリューネブルクは笑い出した。
「当然だ、相手は卿が生まれる前から戦場にいるのだ。卿に見えないものが見えても不思議じゃない」
「……」
「所詮は野蛮人、とでも思ったか?」
リューネブルクが皮肉な笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んだ。
「そういう訳ではない、……だがどこかで軽んじていたかもしれない」
リューネブルクが笑い声を上げた。そして俺の肩を叩く。
「気を付ける事だ、ヴァレンシュタインも手強いだろうが、閣下も手強い、甘く見て良い人物じゃない」
全く同感だ。人はみかけによらない、オフレッサーは石器時代の勇者では無い。俺は黙って頷いた。
キスリングの病室の前には装甲擲弾兵が二人、護衛に立っていた。俺達が近づくと敬礼をしてきた、答礼を返す。
「既に総監閣下は中でお待ちです。どうぞ」
護衛はその言葉と共にドアを開けた。
病室にはベッドに横たわる男とその横で両腕を組んで椅子に座っているオフレッサーが居た。俺達が中に入るとオフレッサーが無言で頷いた。傍に近づくと
「礼はいらん、卿らの事は話してある、適当に座れ。キスリング少佐も見下ろされるのは好むまい」
と太い声で言った。
リューネブルクと顔を見合わせ病人を挟む形でオフレッサーと向き合う。それを見届けてからオフレッサーが口を開いた。
「キスリング少佐、何が有ったか覚えているか?」
「反乱軍が要塞に侵入してきました。それを迎え撃ちましたが、突然脇腹に痛みが走って気を失いました」
キスリングが顔を顰めた。しかし声はしっかりとしている。
「敵に刺されたのか?」
「……いえ、そうでは有りません。あの位置に敵は居なかった……」
「味方に刺されたというのだな」
キスリングが頷いた。オフレッサーが俺達を見る。確かにヴァレンシュタインは嘘をついては居ない。キスリングは味方に刺された。問題はそれが誤っての事か、それとも故意にかだ……。
「故意か、それとも誤りか、卿の考えは」
「……」
「心当たりが有るようだな、少佐」
キスリングは何も答えず天井を見ている。オフレッサーがまた俺達を見た。そして微かに頷く……。キスリングは確かに何かを知っている。そして味方に刺される心当たりも有る……。病室の空気が重くなったように感じられた。
「負傷した卿は捕虜になった。覚えているか?」
「何とはなくですが、覚えています」
「では、何故今ここにいると思う?」
「味方が奪還したのだと思っていますが?」
「そうではない、反乱軍が撤退するときに捕虜を返した。意識の無かった卿は反乱軍の士官が運んで来た」
「……」
「その士官の名はエーリッヒ・ヴァレンシュタイン……」
「!」
キスリングが愕然としてオフレッサーを見た、そして俺を、リューネブルクを見る。
「馬鹿な、何を考えている。エーリッヒは、ヴァレンシュタインは何処に居ます? まさか……」
キスリングの顔が強張った。身体を起こそうとして痛みが走ったのだろう、眉を顰め苦痛を浮かべた。
「安心しろ、少佐。奴は反乱軍の元に戻った」
「……エーリッヒ」
オフレッサーの声に安心したのだろう、キスリングは身体から緊張を解いてベッドに横たわっている。
「奴が俺に頼んだ、卿は秘密を持っている。その秘密故に命を狙われた。卿を守ってくれとな」
「……」
キスリングが目を閉じた。
「無事に帰れるとは思っていなかったかもしれん。だがそれでも奴は卿を救うために命を懸けた」
「……馬鹿が……、何故そんな事をする……。俺の事など捨ておけば良いのだ……」
呟くような声だった。
「俺は卿を守らねばならん、約束だからな。だがそのためには卿の知っている秘密が何なのか、俺も知っておく必要が有る」
「……」
キスリングが表情に苦悩の色を見せた。彼は迷っている……、もうひと押しだろう。リューネブルクが俺を見た、俺が頷く。
「少佐、話してくれないか。閣下だけではない、俺もミューゼル准将も力になろう」
リューネブルクの言葉にキスリングがこちらを見た。その表情には未だ迷いが有る。一体この男の抱える秘密とは何なのか……。
「……最初に断っておきます。この秘密を知れば必ず後悔します。何故知ったのかと……。それでも知りたいと?」
意味深な言葉だ。思わずオフレッサーを、リューネブルクを見た。二人とも厳しい表情をしている。どうやら想像以上にキスリングの抱える秘密は大きいらしい。
「そうだ、それでも知りたい。俺はあの男と約束した。あの男はその約束のために命を懸けたのだ」
太く響く声だった。キスリングがオフレッサーを見る。少しの間二人は見つめあった。
「話してくれ、少佐」
オフレッサーが低い声で勧めた、そしてキスリングが一つ溜息を吐いた。キスリングは視線を天井に向けゆっくりと話し始めた。
「……帝国歴四百八十三年、第五次イゼルローン要塞攻防戦が有りました。その戦いの中でエーリッヒ・ヴァレンシュタインはカール・フォン・フロトー中佐を殺害し同盟に亡命しました。その殺害理由は未だに判明していません……」
その通りだ、ヴァレンシュタインが何故フロトーを殺したのかははっきりしていない。二人の間に接点は無い、怨恨、金銭トラブル等は無かった……。フロトーはカストロプ公に仕えているがカストロプ公とヴァレンシュタインの間にも何の関係もない。
大体片方は財務尚書を務める大貴族、もう片方は兵站統括部の一中尉、どう見ても関係は無い、結局戦闘中に両者の間に何らかのトラブルが生じ殺人事件になったのだろうと言われている。
「フロトー中佐がエーリッヒを殺そうとしました。カストロプ公の命令です。そして今から八年前に起きたエーリッヒの両親が殺された事件もその首謀者はカストロプ公、実行者はフロトー中佐でした。フロトー中佐がエーリッヒにそう言いました」
「!」
信じられない話だった。オフレッサーもリューネブルクも信じられないと言った表情をしている。無理もない、八年前の事件、そして二年前に事件、その二つが繋がっていた。そして首謀者はカストロプ公……。評判の良くない男だ、地位を利用した職権乱用によって私腹を肥やしていると聞く。しかし……。
「卿、何故それを知っている? ヴァレンシュタインはその場から亡命した。卿に伝える余裕など有るまい」
俺の質問にキスリングは微かに笑みを浮かべた。
「その場にはもう一人居たのです。そしてフロトー中佐を殺したのはエーリッヒではありません、その男です、ナイトハルト・ミュラー。私同様エーリッヒの親友です」
「……それは、フェザーン駐在武官を務めたミュラーの事か?」
「そうです」
俺とキスリングの会話にリューネブルクが加わった。
「卿、知っているのか?」
「以前、ある任務で世話になった。信頼できる人物だ」
意外な繋がりだ、ヴァレンシュタインとミュラーが親友、そしてあの事件にミュラーが絡んでいた……。
「ナイトハルトは憲兵隊に全てを話そうと提案しました。しかしエーリッヒはそれを拒否した。相手は大貴族です、告発はかえって危険だと考えた。そして帝国に居る事はもっと危険だと考えたのです」
「だから反乱軍に亡命した。その際フロトーを殺したのはヴァレンシュタインだという事にしたのか……」
「そうです、エーリッヒがそれを理由として亡命すると言ったのです」
オフレッサーの問いにキスリングが答えた。
リューネブルクが首を捻りながら問いかけた。
「よく分からんな、何故カストロプ公はヴァレンシュタインを殺そうとするのだ? まるで根絶やしにするのを望んでいるように見えるが……」
同感だ、何故大貴族のカストロプ公が平民のヴァレンシュタインを殺そうとするのだ。しかも親子二代にわたって……。
「我々もそれを調べました。エーリッヒを帝国に戻すにはカストロプ公を失脚させることが必要でした。そして失脚させるためにはカストロプ公が何故エーリッヒの両親を殺しエーリッヒまでも殺そうとしているのか、それが鍵になると思ったのです」
「我々とは? 卿とミュラーの他にもいるのか?」
「アントン・フェルナー、士官学校の同期生です。今はブラウンシュバイク公に仕えています」
また予想外の答えだった。ブラウンシュバイク公の下にもヴァレンシュタインの友人が居た。もし、ヴァレンシュタインが亡命などしなかったらどうなっただろう。
キスリングは憲兵隊で順調に昇進しただろう、フェルナーはブラウンシュバイク公の腹心に、ミュラーも極めて有能な人物だった。そしてヴァレンシュタイン……。彼らが一つにまとまり、ブラウンシュバイク公の下に結集したら……。微かに背中が粟立つのが分かった……。
「それで?」
オフレッサーが太い声で先を促した。
「最初は何も分かりませんでした。八年前の事件はあくまで民間の事件とされていました、憲兵隊には情報が無かった……」
キスリングが首を振った。
「しかし何かを掴んだのだな、少佐?」
リューネブルクの問いかけにキスリングが頷いた。
「エーリッヒの両親が殺された直後ですが、当時の司法尚書ルーゲ伯爵が辞任しています」
八年前だ、司法尚書の辞任と言われてもピンとこない。リューネブルクも同様だ、大体彼はそのころは反乱軍に居た。知るわけがない。
「ルーゲ伯爵か、確かカストロプ公に強い敵意を持っていた人物ではなかったかな?」
オフレッサーが記憶を確かめる様な口調でキスリングに問いかけた。意外だった、宮中の内情に等興味が無いように見えたのだが、そうでもないのか……。それとも装甲擲弾兵総監ともなれば、否応なく知らざるを得ないという事か……。リューネブルクも少し意外そうな表情でオフレッサーを見ている。
「そうです、あの事件にカストロプ公が関与しているのであれば、伯の辞任もあの事件に関係あるのではないかと思って接触しました。接触したのはアントンですが、ルーゲ伯は何も言わなかった……。しかし、アントンの見たところでは伯は明らかに何かを知っていました……」
「……」
「何度か我々は伯に接触しましたが伯は教えてくれませんでした。諦めかけていた時、伯から連絡が有ったのです。今年の六月、ヴァンフリート星域の会戦後の事です。私達は期待に胸を弾ませて彼のところに行きました。それが何を意味するのかも知らずに、我々はパンドラの箱を開けたのです……」
そう言うとキスリングは微かに笑みを浮かべた、見る者をぞっとさせるような暗い笑みだった……。
第三十六話 真実
帝国暦 485年 10月21日 イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル
パンドラの箱……。大袈裟な言い方をする、そう思ったがキスリングの笑みは心が冷えるような笑みだった。リューネブルクを見た、彼も何処となく居心地の悪そうな表情をしている。
キスリングが水を求めた。リューネブルクが水差しからコップに水を注ぎ彼に渡す。キスリングが美味そうに水を飲んだ。それを見て俺も喉が渇いているのに気付いた。そしていつの間にかペンダントを握りしめている。
飲み終わったキスリングにコップを借りて俺も水を飲む。美味いと思った、気付かないうちに緊張していたのだろう。キスリングが俺を見ている、試す様な視線だ。下腹に力を入れる。情けない姿は見せられない。
「ルーゲ伯はヴァレンシュタイン夫妻とは親しい関係に有ったそうです。伯はヴァレンシュタイン夫妻を殺したのも、エーリッヒを殺そうとしたのも、カストロプ公で間違いないと話してくれました」
「……理由は」
声が掠れていた、水を飲んだのにどういう訳だ?
「ヴァレンシュタイン夫妻を殺したのはカストロプ公によるキュンメル男爵家の財産横領が目的です」
「……」
「カストロプ公爵家は大貴族です。当然ですが親族も多い。彼の親族の一つにキュンメル男爵家という家があります」
聞いたことのない名前だ、リューネブルクも訝しげな顔をしている。オフレッサーが太い息を吐く音が聞こえた。
「キュンメル男爵家の当主は未だ十代だが生まれつき病弱で、確か宮中には一度も出た事が無いはずだ、違ったか、キスリング少佐」
「その通りです」
オフレッサーが俺とリューネブルクを見た。
「少しは周囲に注意を払え、俺より物を知らんとは……」
気が付けばリューネブルクと一緒に頭を下げていた。まるで先生に怒られた生徒のようだ……。
「キュンメル男爵家は二代続けて病弱な当主を得ました。先代のキュンメル男爵も体の弱い人で亡くなる前に病弱な息子の事を親族の一人であるマリーンドルフ伯爵に頼んだのです」
「カストロプ公は面白くなかっただろうな」
オフレッサーの言葉にキスリングが頷いた。よく分からない、リューネブルクに視線を向けるとリューネブルクは苦笑した。
「貴族の格で言えばマリーンドルフ伯よりもカストロプ公の方が上だ、政府閣僚でもある。こういう場合はカストロプ公に後見を頼むのが普通だ」
なるほど、そういうものか。俺なら信頼できる人物を選ぶ。カストロプ公の評判は悪いがマリーンドルフ伯の悪い噂は聞かない。俺なら信頼できるだろうマリーンドルフ伯を選ぶ、先代のキュンメル男爵もそうしたのだろう……。気が付くとオフレッサーとキスリングが俺を見ている。思わず咳払いをした。
「しかし正しい選択ではあったでしょう。カストロプ公に頼めば、あっという間にキュンメル男爵家は無くなり、カストロプ公爵家が肥るだけです」
「……」
オフレッサーがその言葉に頷いた。
「頼られたマリーンドルフ伯爵はキュンメル男爵の頼みを引き受けました。しかしどうすれば良いか困惑した。それでマリーンドルフ伯爵は友人であったヴェストパーレ男爵に相談した……」
ヴェストパーレ男爵? 男爵夫人の父親か……。数年前に亡くなったと聞いているが……。妙なところで人と人が繋がっているな。
「相談を受けたヴェストパーレ男爵は自分の弁護士であったコンラート・ヴァレンシュタインをマリーンドルフ伯爵に紹介したのです。コンラート・ヴァレンシュタイン、エーリッヒの父親です」
「……」
思わずリューネブルク、オフレッサーの顔を見た。二人とも難しい顔をしている。
「コンラート・ヴァレンシュタインは有能でした。キュンメル男爵家の財産を守る傍ら、領内を見て回り経営を改善したのです。そのためキュンメル男爵家は当主が病弱にも関わらず財産は増え豊かになった」
「……」
「しかしその事はキュンメル男爵家に不快感を抱いていたカストロプ公の欲心を刺激する事になってしまった。そしてあの事件が起きたのです」
「リメス男爵家の相続争いか……。カストロプ公はリメス男爵家の騒動を隠れ蓑にキュンメル男爵家の財産を狙ったと言う事だな」
オフレッサーの言葉にキスリングが頷いた。
信じられない思いだ。リメス男爵家の相続争いは俺も知っている。ヴァレンシュタインの事を調べれば嫌でも知ることになる。リメス男爵家の財産を巡り親族であるヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家が争った。
その争いに巻き込まれヴァレンシュタインの両親は殺された。誰もが知る事実だ。だがその事実の裏にカストロプ公によるキュンメル男爵家の財産横領という真実が隠れていた……。
「ヴァレンシュタイン夫妻の死後、カストロプ公はキュンメル男爵家の財産の横領を図りました、しかし実現はしなかった。コンラート・ヴァレンシュタインは全てを予測していたのです。彼は自分に万一の事が有った場合はカストロプ公を抑えて欲しいとルーゲ伯に頼んでいました」
「なるほど、そういう事か。だが疑問が有る、何故ルーゲ伯はカストロプ公を告発しなかった? 何故辞任したのだ? 勝ったのはルーゲ伯だろう、カストロプ公に罪を償わせるのは難しくなかったはずだ」
オフレッサーの言うとおりだ。だが現実はルーゲ伯は辞任しカストロプ公は財務尚書として勢威を振るっている……。どういう事だ?
「それに何故ヴァレンシュタインを殺そうとするのか、キュンメル男爵家が絡むとも思えんし理由が分からんな」
リューネブルクも訝しげな声を出した。俺も同感だ、どうも腑に落ちない。キスリングを見た、彼は笑みを浮かべている。
「疑問はもっともです。何故カストロプ公がエーリッヒを殺そうとしたのか、先ずそれを話しましょう」
キスリングの言葉に皆が頷いた。
「理由は恐怖です」
「恐怖?」
オフレッサーが訝しげな声を出した。俺も納得がいかない、ヴァレンシュタインは亡命したとき、兵站統括部の一中尉に過ぎなかった。カストロプ公が何を恐れると言うのだ?
「エーリッヒはリメス男爵の孫なのです」
「!」
「リメス男爵は当初、ヴァレンシュタイン夫妻の死をリメス男爵家の相続争いが原因だと思っていました。しかし真実をヴェストパーレ男爵とルーゲ伯が話しました。その時、リメス男爵は二人にエーリッヒが自分の孫だと話したのです。男爵が亡くなる三日前の事でした」
意外な事実だった。ヴァレンシュタインがリメス男爵の孫? 驚く俺達の耳にキスリングの声が流れる。
「エーリッヒが帝国文官試験に合格し、士官学校を優秀な成績で卒業したとき、ヴェストパーレ男爵は一つの考えを持つようになりました」
「……それは?」
分かるような気がする、しかし俺は敢えてキスリングに問いかけた。
「エーリッヒにリメス男爵家を再興させるという事です。そしてカストロプ公はそれを恐れた」
「冗談は止せ、少佐。ヴァレンシュタインがリメス男爵家を再興したからといってカストロプ公が何を恐れるのだ。無力な一男爵にしか過ぎんだろう」
リューネブルクが呆れた様な声を出した。だがキスリングはそんなリューネブルクに冷笑を浴びせた。
「確かに再興した時点ではそうでしょう。しかし十年後はどうです?」
「十年後?」
リューネブルクが訝しげな声を出した。
「ええ、なんなら二十年後でもいい。リメス男爵は無力な存在だと思いますか」
「……」
リューネブルクが押し黙った。キスリングは視線を俺に、そしてオフレッサーに向けた。誰も口を挟まない……。
「ヴェストパーレ男爵はリメス男爵に対する贖罪からエーリッヒにリメス男爵家を再興させようとしたわけではありません。男爵は政府中枢部にはそれなりに識見を持った人間が必要だと考えていたのです。カストロプ公のように私腹を肥やすことしか能のない人物など排除すべきだと」
「……」
当たり前のことではある、だがその当たり前の事が帝国では実現できていない。
「帝国文官試験に合格し、士官学校を優秀な成績で卒業したエーリッヒはヴェストパーレ男爵の目には最適な人物に映った……。足りないのは爵位だけです、幸い彼はリメス男爵の血を引いている。男爵は密かにリメス男爵家の再興を画策し始めた……」
「……」
「ルーゲ伯は男爵を止めました。本人の意思も確認せずにするべきではないと。しかし男爵は聞かなかった。十年後、二十年後の帝国にはエーリッヒのような人間こそが政権の中枢にいるべきだと主張して退かなかったのです。男爵は当時健康を損ねていました。或いはそれも影響したのかもしれません」
「カストロプ公は気付いたのだな」
オフレッサーが低い声で問いかけた。キスリングが頷く、そして口を開いた。
「気付きました。そしてヴェストパーレ男爵が何を考えているのかも理解したのです。自分が殺した人間の息子が自分を追い落とすための存在になろうとしている。カストロプ公は明確にエーリッヒを敵だと認識した」
「……」
「カストロプ公には敵が多かった。それだけに自分にとって危険だと思える人間に対しては容赦が無かった。カストロプ公はエーリッヒを排除するべきだと判断したのです」
「……」
「爵位を持つ貴族が死ねば典礼省より検死官が来ます。死体に異常があれば当然調査が入る。カストロプ公がエーリッヒを排除するのはエーリッヒがリメス男爵家を再興する前でなければならなかった」
「それが第五次イゼルローン要塞攻略戦か……」
「そうです。エーリッヒは亡命しヴェストパーレ男爵はその直後、病死しました。伯によれば最後までカストロプ公を憎悪していたそうです。憤死と言って良いでしょう」
思わず溜息が出た。死屍累々、そんな言葉が浮かんでくる。カストロプ公一人のためにどれだけの人間が非業の死を迎えたのか……。皆同じ気持ちなのだろう、リューネブルクは俯き、オフレッサーは目を閉じている。
オフレッサーが目を開いた。
「まだ聞くことが有ったな、キスリング少佐」
「はい、何故ルーゲ伯はカストロプ公を告発しなかったか? 何故辞任したのか? ですね」
「うむ」
キスリングが笑みを浮かべた。冷ややかな笑みだ。そしてオフレッサー、リューネブルク、俺を見渡した。
「ルーゲ伯はヴァレンシュタイン夫妻殺害事件の一件でカストロプ公を断罪しようとしました。殺されたのは平民ですがキュンメル男爵家の財産横領が目的の殺人です。十分に可能でした」
「しかし現実にはそうならなかった」
俺の言葉にキスリングが頷いた。
「ルーゲ伯を止めた人間が居ます」
司法尚書を止める? それなりの影響力を持つ人間だろうが誰だ?
「国務尚書、クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵……」
「!」
キスリングの言葉に病室の空気が固まった。
「馬鹿な、何故そんな事を」
喘ぐようにリューネブルグが声を出す。同感だ、国務尚書として国政の最高責任者の地位にあるリヒテンラーデ侯が何故カストロプ公を庇うのか、一つ間違えば自分自身が失脚することになるだろう。
「カストロプ公爵家は贄なのです」
「贄……」
キスリングが何を言っているのか分からなかった。オフレッサー、リューネブルクも訝しげな顔をしている。そしてキスリングは相変わらず冷ややかな笑みを浮かべている。
「少佐、贄とは生贄の事か?」
オフレッサーが低い声で確かめた。
「そうです。平民達の帝国への不満が高まったとき、カストロプ公を処罰して不満を収める。そのために用意された贄です……」
何を言った? 今キスリングは何を言った? 分からない、だがどうしようもないほど悪寒が走った。リューネブルクも顔を引き攣らせている。オフレッサーは、オフレッサーも顔を引き攣らせている。俺は一体何を聞いた?
「カストロプ公は自分が何をやっても許されると思っているでしょう。その通りです、彼にはすべてが許される。彼が悪事を重ねれれば重ねるほど平民達は彼を憎む。そして彼が処罰された時、喝采を送るでしょう……。カストロプ公は一歩一歩破滅へと向かっている。本人だけが分かっていない。牛や豚と同じですよ、太らせてから食う、しかし彼らにはそれが分からない……」
キスリングが笑い出した。可笑しくて堪らないと言うように笑っている。
「笑うのを止めろ、少佐、笑いごとではあるまい」
リューネブルクが顔を蒼褪めさせて叱責した。しかしキスリングは笑うのを止めない。
「ルーゲ伯も私達の前で笑っていました、気が狂ったように……。そして泣いていました。ヴァンフリートで三百万人近い死者が出たのは自分の所為だと。あの時カストロプ公を断罪しておけばこんなことにはならなかったと、そして自分を許してくれと……」
「……」
キスリングが笑いを収めた。そして沈鬱な表情で語りだす。
「屋敷を辞去するとき使用人に聞きました。ヴァンフリート会戦以降、伯は毎日酒を浴びるように飲み、泣き喚き、狂ったように笑っていたそうです。このイゼルローンに来てからですが伯が自殺したとオーディンのアントンから連絡が有りました。また一人、贄のために犠牲が出た……」
病室に沈黙が落ちた。聞きたくなかった、あの敗戦にそんな秘密が有ったなど知りたくなかった。三百万の将兵が死んだ原因が贄だと言うのか? キルヒアイスは、キルヒアイスはそんなことのために死んだのか?
帝国が楽園だなどとは思っていない、しかしここまで腐っているとは思わなかった。俺はいったい何を見てきたのだ?
“……最初に断っておきます。この秘密を知れば必ず後悔します。何故知ったのかと……”
キスリングの言葉が今更ながら思い出された。その通りだ、知りたくなかった、しかし知ってしまった。これからどうすれば良い……。
「我々は全てをブラウンシュバイク公に話しました。そしてカストロプ公の断罪とエーリッヒの帰還を求めたのです」
「どうなった」
低い声でオフレッサーが問いかけた。
「ブラウンシュバイク公とリヒテンラーデ侯の間で話し合いが持たれました。そしてカストロプ公の断罪が決まりました。おそらく我々がオーディンに戻れば間を置かずに処断されるはずです」
「……」
「エーリッヒの帰還は認められませんでした。それを認めるには全てを公表する必要が有ります。カストロプ公という贄の所為で三百万もの将兵が死んだと……。それを認められるくらいなら最初から贄等必要とはしない……」
キスリングの声には侮蔑の響きが有った。彼が蔑んでいるのはカストロプ公か、それともリヒテンラーデ侯か、或いは帝国か……。
「エーリッヒは裏切り者であり、ヴァンフリートの虐殺者である。それが帝国の公式見解です。カストロプ公が処断されてもそれは変わりません。真実が表に出る事は無い……」
「キスリング少佐、卿を襲わせたのは……」
躊躇いがちにリューネブルクが問いかけた。
「リヒテンラーデ侯でしょう。ブラウンシュバイク公とアントンに対する警告です。これ以上この件に関わるな、というね。これが我々が住む帝国の真の姿です、地獄ですよ」
キスリングがまた笑い出した。虚ろな笑いだ、地獄を見た人間の笑い声だと思った……。
第三十七話 転機
帝国暦 485年 10月21日 イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル
全てを聞き終わり、キスリングの病室から出た時、俺は自分がひどく疲れている事に気付いた。リューネブルク、オフレッサーも同じだろう、表情には疲労の色が有る。皆無言で歩いた、オフレッサーとは途中で別れた。
別れ際にオフレッサーは俺達にこの件を外に漏らす事は許さないと口止めした。言われるまでもなかった。こんなおぞましい話を一体誰にするのか? 聞くことですら厭わしいのにそれを話すなど……。
帝国を守るためにカストロプ公という犠牲を用意した。しかしその犠牲はさらに犠牲を必要とした。気が付けば三百万人以上の犠牲が発生していたのだ。キルヒアイスもその一人だ。そして三百万人を殺したヴァレンシュタインでさえその犠牲の一人でしかなかった……。
俺は姉を皇帝に奪われた。だが殺されたわけではなかった。許可が必要だが会う事も出来た。だがあの男は両親を殺された。そして命を狙われ国を追われた。全てを失ったのだ。今では裏切り者と蔑まれ、虐殺者、血塗れなどと呼ばれて忌み嫌われている……。
あの男はそれに相応しい男ではない。あの男は皆から敬意を払われるべき人間なのだ。有能で誠実で信義を重んじる男……。もっとあの男と話をしたかった。何を考え、何を望んでいるのか、もっとよく知りたかった。
あの時、俺はあの男を殺すべきだと思いそれのみに囚われていた……。殺さなくて良かった、もし殺していたら俺は自分を許せなかっただろう。オフレッサーが止めてくれたことに感謝している。
“俺達は野蛮人でも人殺しでもない、帝国を守る軍人であり武人(もののふ)なのだ。だからその誇りと矜持を失ってはならん。それを失えば装甲擲弾兵はただの人殺しに、野蛮人になってしまう……”
その通りだ、装甲擲弾兵だけの事ではない。軍人は人を殺す、だからこそ、誇りと矜持を失ってはいけない。今回俺はその過ちを犯さずに済んだ。僥倖と言って良いだろう。だが僥倖は二度も続くとは限らない。これからは俺自身が気をつけなくてはならない。
そしてもう一つ気付いたことが有る。俺は軍で武勲を挙げ昇進する事のみを考えていた。そして武力をもって皇帝になると……。だがそれだけでは駄目だ、帝国は俺が思っている以上に複雑で危険だ。帝国の持つ暗黒面を理解する必要が有る。
リヒテンラーデ侯のように帝国を守るために贄を用意するなどと考える人間もいる。俺がこれから上を目指すのであればそういう人間達と互角に渡り合える能力を持つか、そういう能力を持つ人間を味方にしなければならない……。誇りや矜持などとは無縁の男達と互角に渡り合う事が要求される日が来るだろう……。俺はそういう男達と渡り合いながら、誇りと矜持を持ち続けなければならない。
宇宙暦 794年 10月22日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
眼が覚めると目の前には白い天井が映っていた。多分病室だろう、病室の天井というのはどういう訳か白が多い。起き上がろうとして右の肩が痛んだ、思い出した、俺はイゼルローン要塞で撃たれた。痛むのはその傷だ。
「大佐、ヴァレンシュタイン大佐、目が覚めたんですね」
サアヤの声だ。横を向くとサアヤが座っているのが見えた。ラインハルトの前から立ち去った後の記憶が無い。どうやら俺は気を失ったのだろう。出血による意識不明か……。あまり自慢にはならんな。うんざりだ。
サアヤが俺の顔を覗き込んできた。酷い顔だ、目の下に隈が出来ている。これじゃパンダだ。
「此処は、何処です?」
「総旗艦、アイアースです。大佐は、撤退中に気を失いました。覚えていませんか?」
俺は無言で首を横に振った。気を失ったんだ、覚えているはずがないだろう……。
「どのくらい寝ていました?」
「今日は二十二日です。大佐は約一日半、寝ていました」
一日半か……。結構眠っていたようだ。サアヤが医師に連絡を入れている、そして艦橋にも連絡を入れているのが聞こえた……。確認する事が有る、しかし、先ずはサアヤが連絡を追えるのを待つか……。
「撤退作戦はどうなりました」
連絡を終えたサアヤに問いかけた。
「問題なく終了しました、第一次撤退も、私達の第二次撤退も敵の攻撃を受けることなく撤退しました」
サアヤの表情には笑みが有る。嘘ではない様だ。撤退作戦は問題なく終了した。つまりロボスの解任はその点に関しては間違っていなかったという事になるだろう。問題は戦闘がどうなったかだ……。
「戦闘はどうなりました?」
「本隊は撤退作戦の支援に全力を注ぎました。味方に大きな損害は出ていません。当然ですが敵にも大きな損害は有りません」
サアヤの顔から笑みは消えたが嘘はついている様子は無い。敵に損害を与えられなかったのが残念だという事だろう。ほっとした、思わず溜息が漏れた……。
「大尉はずっとここに居たのですか?」
「ええ、ご迷惑でしたか?」
「いえ、そんな事は有りません。疲れただろうと思ったのです。私は大丈夫ですから休んでください」
俺の言葉にサアヤは嬉しそうに笑みを漏らした。そして医師の診断が終わったら休みます、と答えた。全く酷い顔だ、自分がどんな顔をしているのかもわかっていないのだろう……。
医師が来た。三十代前半のようだが息を切らしている。走ってきたのかもしれない。サアヤが席を外すとそこに座りいきなり俺の脈を計りだした、俺は肩を撃たれただけだ、脈なんか計ってどうする? そう思っていると出血が多かったとか、俺の身体が丈夫じゃないとか、休息をちゃんと取れとか言い始めた。
余計な御世話だ、そんな事はとっくに分かっている。腹が立ったが無視することにした。こんな阿呆の事はどうでもいい、俺には考えなくてはならないことが有る。
第二百十四条を進言したのは止むを得なかった。ロボスは明らかに総司令官に必要な冷徹さを失っていた。俺の撤退案を使わないと言うならそれも良い、フォークの提案を使うと言うならそれをもっと詰めるべきだった。冷静さを示すべきだったのだ。それなのに自分の願望を優先した。
そして現実と願望が一致しなくなったとき、それでも願望を優先させようとした。あのまま戦い続ければロボスは勝算も無しに陸戦隊を要塞内へ次々と送り続けただろう。
そして要塞の外では要塞への突入口を確保するために同盟軍と帝国軍が激しい戦いを行うことになったはずだ。損害ばかりが増え、終結の見通しのつかない戦闘が延々と続いただろう。場合によってはその戦闘の中で味方殺しが起きたかもしれない……。
敵味方共に損害は軽微か……。悪くない結果だ、敵艦隊に大きな損害を与えていれば陸戦隊の撤退を疑問視する人間が出る。逆にこちらが損害を受けていれば解任そのものを疑問視する人間が出るに違いない。損害は軽微、両者とも出辛い状況だ。
ヤンとワイドボーンは混戦状態を作ることで撤退作戦を援護しようとした。だがそれでは駄目なのだ。混戦状態は消耗戦になる、当然被害は大きい。そして味方殺しをミュッケンベルガーが実施すればさらに被害が大きくなる。撤退そのものが非難されるだろう。陸戦隊を見殺しにした方が損害が少なかったと言われるに違いない。結果論としてロボスは正しかったと言われかねない……。
ミュッケンベルガーが味方殺しをしたかどうかは分からない。やったかもしれないしやらなかったかもしれない……。しかしミュッケンベルガーは追い込まれていた。味方殺しをした可能性は有る、それを防ぐには混戦状態は作り出せない、十分な理由だ、皆が納得するだろう。
問題は消極的に過ぎると言われた場合だ。当然非難は撤収を進言した俺に向かうだろう。亡命者だから帝国軍との戦いを避けたのではないかと言う奴が必ず出る。少なくともロボスやフォークならそう指摘する。
だから撤退作戦を指揮する必要が有った、イゼルローン要塞に行く必要が有った。最前線で味方を救うために危険を冒す。これなら消極的だと非難は出来ない。キスリングが居た事だけが予想外だった。
キスリングを救うには直接ラインハルト達に頼むしかなかった。危険ではあったが勝算は有った。彼らが嫌うのは卑怯未練な振る舞いだ、そして称賛するのは勇気ある行動と信義……、敵であろうが味方であろうが変わらない。大体七割程度の確率で助かるだろうと考えていた。
バグダッシュとサアヤがついて来たのは予想外だったが、それも良い方向に転んだ。ちょっとラインハルトを挑発しすぎたからな、あの二人のおかげで向こうは気を削がれたようだ。俺も唖然としたよ、笑いを堪えるのに必死だった。撃たれたことも悪くなかった、前線で命を懸けて戦ったと皆が思うだろう。
ロボスだのフォークのために軍法会議で銃殺刑なんかにされてたまるか! 処罰を受けるのはカエルどもの方だ。ウシガエルは間違いなく退役だな、青ガエルは病気療養、予備役編入だ。病院から出てきても誰も相手にはしないだろう。その方が世の中のためだ。
キスリング、お前は今どうしている? 無事か、苦しんではいないか? お前と話が出来なかったのが残念だ。もう二度と会う事は無いだろう……。俺は帝国には戻れない……。
“ヴァンフリートの虐殺者”、“血塗れのヴァレンシュタイン” クマ男の声を思い出す。憎悪に溢れた声だった。ヴァンフリートで帝国人を三百万は殺しただろう、そう言われるのも無理は無い。俺がクマ男の立場でも同じ事を言うはずだ。
サアヤが俺を帝国に連れて帰れと言った。だがオフレッサーもリューネブルクもラインハルトも一顧だにしなかった……。今更だが俺は元帝国人であって帝国人ではないのだ。厳しい現実だ。
俺は帝国に戻りたかった。帝国に戻れないのが分かっていても戻りたかった。多分、俺は無意識にその事実から目を逸らしていたのだろう。だから今回のイゼルローン要塞攻略戦にも今一つ真剣になれなかった……。
俺にはもう行くところは無い、この国で生きていかなければならない。その事を肝に銘じるんだ。そうでなければ同盟人としての第一歩を踏み出せない……。これ以上の躊躇は許されないだろう。
「ヴァレンシュタインが目を覚ましたって?」
ドアを勢いよく開けて入ってきた男が居る。やれやれだ、さっそく同盟人として生きる覚悟を試されることになった。此処は病室だぞ、阿呆。少しは気遣いが出来ないのか、お前は……。適当に相手をして追っ払うか……、こいつが役に立つな……。
宇宙暦 794年 10月22日 宇宙艦隊総旗艦 アイアース ミハマ・サアヤ
ドアを勢いよく開けてワイドボーン大佐が入ってきました。その後にヤン大佐が続きます。ワイドボーン大佐が私に大声で問いかけてきました。
「ヴァレンシュタインが目を覚ましたって?」
「はい、今軍医の診察を受けているところです」
大佐は私の言葉に不満そうでしたがその場に立ち止まりました。軍医の診察を待とうと言うのでしょう。私の位置からは、ワイドボーン大佐もヴァレンシュタイン大佐の顔も見えます。それまでにこやかに笑みを浮かべて軍医の言葉を聞いていたヴァレンシュタイン大佐が顔を顰めて溜息を吐きました。
ヴァレンシュタイン大佐と軍医が何かを話しています。どうやら診察を終えたようです。軍医が私達に近づいてきました。
「ヴァレンシュタイン大佐は元々体が丈夫とは言えないようです。あまり無理はさせないほうが良いでしょう。くれぐれも安静にしてゆっくりと休息をとることです……、では」
そう言うと軍医は立ち去りました。
安静にと言うのが気に入らなかったのかもしれません。忌々しそうな表情を浮かべてワイドボーン大佐がヴァレンシュタイン大佐に近づきました。そして押し殺した声で問いかけました。
「おい、あれはどういうことだ?」
「あれ?」
「自ら捕虜交換をしたことだ、一つ間違えば死ぬところだぞ!」
ワイドボーン大佐が怒っています。そうです、もっと怒ってください、ヴァレンシュタイン大佐は本当に無茶ばかりするんです!
「生きていますよ、この通り」
緊張感の欠片もない声でした。ヤン大佐が後ろで呆れています。
「結果論だ、運が良かったに過ぎない」
「そうじゃありません、勝算が有ったからやったんです」
嘘です、絶対に嘘です。大体ヴァレンシュタイン大佐は銃で撃たれているんです。それに大佐はミューゼル准将に自分を撃てと言っていました。准将はもう少しで大佐を撃つところだったんです。どうみても自分の命を粗末にしているとしか思えません。
「勝算だと?」
「ええ、百パーセント勝てると思っていましたよ」
「百パーセント? 嘘を吐くな、バグダッシュ中佐とミハマ大尉から聞いている。もう少しで殺されるところだったとな」
そうです、もっと言って下さい。大変だったんです。私もバグダッシュ中佐もあの時は死を覚悟しました。今こうして生きているのが不思議なくらいです。それに帰りは大佐は意識を失ってしまい、死んだのではないかと本当に心配しました。私はワンワン泣いてしまい、中佐に怒られながら大佐を運んだんです。中佐だって半べそをかいていました。
「殺されそうにはなりました。でも生きています、問題は有りません。バグダッシュ中佐とミハマ大尉には感謝していますよ、生存率百パーセントが百二十パーセントくらいになりましたからね」
ヴァレンシュタイン大佐が笑顔で話しかけます。ワイドボーン大佐は目を怒らせ、ヤン大佐は苦笑していました。
「まあ無茶をするのは今回だけです、これからはしませんから安心してください……。私は少し眠くなりました、先程軍医からもらった薬の所為でしょう。少し休みますので一人にしてください。軍医からはくれぐれも安静にするようにと言われているんです」
そう言うとヴァレンシュタイン大佐は目を閉じました。軍医に安静にと言わせたのは間違いなくヴァレンシュタイン大佐です。ワイドボーン大佐に責められるのを防ぐためにそうしたに決まっています。そのくらい大佐は油断のならない根性悪なんです。
第三十八話 軍法会議
宇宙暦 794年 12月 5日 ハイネセン 統合作戦本部 ミハマ・サアヤ
遠征軍がハイネセンに帰還したのは十一月十五日の事ですが、そのころにはハイネセンはロボス元帥の解任事件で大騒ぎになっていました。ロボス元帥は遠征軍の総司令官ですが宇宙艦隊司令長官でもあります。実動部隊の最高責任者が解任されたのです。それに比べればイゼルローン要塞攻略失敗の事など些細な事に思えたのでしょう。
ハイネセンでは無責任な噂が飛び交っていました。
“ロボス元帥が解任されたのはシトレ元帥の差し金だ、ロボス元帥にイゼルローン要塞を攻略されては面白くないのでヴァレンシュタイン大佐を使って解任した”
“ロボス元帥解任はグリーンヒル大将とヴァレンシュタイン大佐の陰謀だ、グリーンヒル大将は自分が宇宙艦隊司令長官になりたいのでロボス元帥を十分に補佐せず、その欠点を周囲に見せつけた後でヴァレンシュタイン大佐を使って解任した”
他にもフォーク中佐とワイドボーン大佐の出世争いとかも噂になっています。
無責任です、あの事件はそんなものじゃありません。要塞内で伏撃に遭い取り残された陸戦隊を守るためにはロボス元帥を解任するしかありませんでした。噂で取りざたされているような出世争いなんかじゃないんです。
マスコミはセンセーショナルに騒ぎ立てドキュメンタリー風の番組なども作っています。将官会議の様子や、解任の様子、そしてイゼルローン要塞からの撤退……。そこには私も登場していますが、すごく格好良いです。見ていて恥ずかしいですし、士官学校の同期生からも冷やかされました。
無責任な放送ではありますがどの放送もグリーンヒル大将とヴァレンシュタイン大佐に好意的です。一部には撤退を決めるのが早すぎるとして消極的ではないかという意見もありますが作戦参謀が自ら最前線で撤退作戦の指揮を執った、その事には皆が称賛を送っています。
遠征軍がハイネセンに帰還すると直ぐ調査委員会が開かれました。調査委員会は軍法会議を開く前に行われるものですが証拠集めや調書の作成などが行われます。この調査委員会で軍法会議で審議するほどの重大な事件では無いと判断されることもありますが、第二百十四条ではそれは有り得ません。
軍法会議は大きく分けて高等・特別・簡易の三種類の会議が有ります。高等軍法会議は将官以上の階級を持つものが被告の場合です、特別軍法会議は最前線などで簡易に処罰を行うために設置されます。その対象となる行為は敵前逃亡や抗命などの重罪である場合がほとんどです。それ以外のものが簡易軍法会議となります。今回は高等軍法会議です。
審判は五名の判士によって結審されます。そのうち四名は法曹資格を持つ士官が選出されますが、判士長には統合作戦本部長、すなわちシトレ元帥が着く事が決まっています。言ってみれば軍の最高責任者が判決を下す、そういう形をとるのです。
今回、原告はロボス元帥、被告はグリーンヒル大将、ヴァレンシュタイン大佐になります。容疑は抗命罪です。私はグリーンヒル大将もヴァレンシュタイン大佐も間違ったことをしたとは思っていません。しかしそれでも不安です。
もうすぐ地下の大会議室で軍法会議が始まります。今日で七回目ですが今回はヴァレンシュタイン大佐が証言を求められています。第三回では私も証言を求められました。
残りはグリーンヒル大将とロボス元帥だけです。軍法会議も終わりが近づいています。私は今回、傍聴席で裁判の様子を見る事にしました。ヴァレンシュタイン大佐の宣誓が始まります。緊張している様子は有りません、表情はとても穏やかです。
「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓 います」
声は震えていません。大したものです、私の時は緊張で声が震えました。私だけじゃ有りません、私以外の証言者もこの宣誓をするときは緊張したと言っています。
「偽りを述べると偽証罪として罰せられます、何事も偽りなく陳述するように」
判士長であるシトレ元帥が低く太い声で忠告し、ヴァレンシュタイン大佐が頷きました。私の時もありましたが身体が引き締まった覚えがあります。
宣誓が終わると早速検察官が質問を始めました。眼鏡をかけた痩身の少佐です。ちょっと神経質そうで好きになれない感じです。大佐を見る目も当然ですが好意的ではありません。何処か爬虫類のような目で大佐を見ています。
無理もないと思います。これまで開かれた六回の審理では原告側はまるで良い所が有りません。いずれも皆、ロボス元帥の解任は至当という証言をしているのです。特に“ローゼンリッターなど磨り潰しても構わん! 再突入させよ!” その言葉には皆が厳しい批判をしました。検察官が口籠ることもしばしばです。
「ヴァレンシュタイン大佐、貴方とヤン大佐、ワイドボーン大佐、そしてミハマ大尉は総司令部の作戦参謀として当初仕事が無かった、そうですね?」
「そうです」
「詰まらなかった、不満には思いませんでしたか?」
「いいえ、思いませんでした」
大佐の言葉に検察官が眉を寄せました。不満に思っているという答えを期待していたのでしょう、その気持ちが二百十四条の行使に繋がったと持っていきたいのだと思います。
「おかしいですね、ヴァレンシュタイン大佐は極めて有能な参謀です。それが全く無視されている。不満に思わなかったというのは不自然じゃありませんか?」
ヴァレンシュタイン大佐が微かに苦笑を浮かべました。
「仕事をせずに給料を貰うのは気が引けますが、人殺しをせずに給料を貰えると思えば悪い気持ちはしません。仕事が無い? 大歓迎です。小官には不満など有りません」
その言葉に傍聴席から笑い声が起きました。検察官が渋い表情で傍聴席を睨みます。
「静粛に」
シトレ元帥が傍聴席に向かって静かにするようにと注意しました。検察官が幾分満足げに頷きながら傍聴席から視線を外しました。そして表情を改めヴァレンシュタイン大佐を見ました。
「少し発言には注意してください、場合によっては法廷侮辱罪が適用されることもあります」
「小官は宣誓に従って真実を話しているだけです。侮辱するような意志は有りません」
ヴァレンシュタイン大佐の答えに検察官がまた渋い表情をしました。咳払いをして質問を続けます。
「大佐はグリーンヒル大将によって総旗艦アイアースの艦橋に席を用意された。そうですね?」
「そうです」
「当然ですがグリーンヒル大将に感謝した、そうですね」
「いいえ、それは有りません」
「?」
「余計なことをすると思いました。小官は無駄飯を食べるのが好きなのです」
そう言うと大佐はクスクスと笑い出しました。
傍聴席からもまた笑い声が上がります。一番大きな声で笑っているのは私の隣にいるシェーンコップ大佐です。この人、ヴァレンシュタイン大佐と親しいのですが性格も何処か似ているようです。根性悪で不謹慎、大佐はヴァレンシュタイン大佐を心配するより面白がっています。
シェーンコップ大佐も第三回の軍法会議に証人として出廷していますがその証言は酷いものでした。どう見てもロボス元帥と検察官を小馬鹿にしたもので何度も審理が止まったほどです。
検察官が傍聴席を、シェーンコップ大佐を睨む前にシトレ元帥の太い声が法廷に流れました。
「静粛に」
検察官はシェーンコップ大佐を一瞬睨んだ後、視線をヴァレンシュタイン大佐に戻しました。厳しい目です、一方大佐は笑いを収め生真面目な表情をしていました。多分猫を被っています。
「不謹慎ではありませんか? 作戦参謀でありながら仕事をしないのが楽しいなどとは。その職務を果たしているとは思えませんが?」
少し粘つくような口調です。ようやく突破口を見つけた、そう思っているのかもしれません。
「小官が仕事をすると嫌がる人が居るのです。小官は他人に嫌がられるような事はしたくありません。特に相手が総司令官であればなおさらです。小官が仕事をしないことで総司令官が精神の安定を保てるというなら喜んで仕事をしません。それも職務でしょう」
そう言うと大佐は僅かに肩をすくめるしぐさを見せました。その姿にまた傍聴席から笑い声が起きました。
嘘です、絶対嘘。必要とあれば大佐は周囲の思惑など無視して動きます。大佐が仕事をしなかったのはロボス元帥に遠慮したからではありません。仕事をする気が無かったからです。馬鹿馬鹿しかったのだと思います。それと恥ずかしい話ですが私達が大佐を本当の意味で受け入れようとしなかったことで嫌気がさしていたのだと思います。大佐が言葉を続けました。
「それに総司令部の作戦案についてはその問題点を七月の末に指摘しています。それを修正していない人達の方が問題ではありませんか?」
検察官の表情が歪みました。そして傍聴席からはまた笑い声が上がります。
これまでの審理で作戦案の修正を拒んだのはフォーク中佐とロボス元帥である事が判明しています。検察官にしてみればせっかく見つけた突破口が自分の失点になって返ってきたのです。表情も渋くなるでしょう。検察官が表情を改めました。
「十月に行われた将官会議についてお聞きします。会議が始まる前にグリーンヒル大将から事前に相談が有りましたか?」
「いいえ、有りません」
その言葉に検察官の目が僅かに細まりました。
「嘘はいけませんね、大佐。グリーンヒル大将が大佐に、忌憚ない意見を述べるように、そう言っているはずです」
「そうですが、それは相談などではありません。小官が普段ロボス元帥に遠慮して自分の意見を言わないのを心配しての注意です。いや、注意でもありませんね、意見を述べろなどごく当たり前の事ですから」
検察官がまた表情を顰めました。検察官も気の毒です、聞くところによると彼はこの軍法会議で検察官になるのを嫌がったそうです。どうみても勝ち目がないと思ったのでしょう。ですが他になり手が無く、仕方なく引き受けたと聞いています。
「大佐はどのように受け取りましたか?」
「その通りに受け取りました。将官会議は作戦会議なのです、疑義が有ればそれを正すのは当然の事です。そうでなければ不必要に犠牲が出ます」
検察官がヴァレンシュタイン大佐の言葉に一つ頷きました。
「ヴァレンシュタイン大佐、大佐は将官会議でフォーク中佐を故意に侮辱し、会議を終了させたと言われています。今の答えとは違うようですが」
低い声で検察官が問いかけます。勝負所と思ったのかもしれません。
傍聴席がざわめきました。この遠征で大佐が行った行動のうち唯一非難が出るのがこの将官会議での振る舞いです。私はその席に居ませんでしたが色々と話は聞いています。確かに少し酷いですし怖いと思いました。
大佐は傍聴席のざわめきに全く無関心でした。検察官が低い声を出したのにも気付いていないようです。穏やかな表情をしています。
「確かに小官はフォーク中佐を故意に侮辱しました。しかし将官会議を侮辱したわけではありません。フォーク中佐とロボス元帥は将官会議そのものを侮辱しました」
「発言には注意してください! 名誉棄損で訴えることになりますぞ!」
検察官がヴァレンシュタイン大佐を強い声で叱責しました。ですが大佐は先程までとは違い薄らと笑みを浮かべて検察官を見ています。思わず身震いしました、大佐がこの笑みを浮かべるときは危険です。
「将官会議では作戦の不備を指摘しそれを修正することで作戦成功の可能性を高めます。あの作戦案には不備が有りました、その事は既に七月に指摘してあります。にもかかわらずフォーク中佐は何の修正もしていなかった。小官がそれを指摘してもはぐらかすだけでまともな答えは返ってこなかった」
「……」
「フォーク中佐は作戦案をより完成度の高いものにすることを望んでいたのではありません。彼は作戦案をそのまま実施することを望んでいたのです。そしてロボス元帥はそれを認め擁護した……」
「……」
「 彼らは将官会議を開いたという事実だけが欲しかったのです。そんな会議に何の意味が有ります? 彼らは将官会議を侮辱した、だから小官はフォーク中佐を挑発し侮辱することで会議を滅茶苦茶にした。こんな将官会議など何の意味もないと周囲に認めさせたのです。それが名誉棄損になるなら、どうぞとしか言いようが有りません。訴えていただいて結構です」
検察官が渋い表情で沈黙しています。名誉棄損という言葉にヴァレンシュタイン大佐が怯むのを期待したのかもしれません。甘いです、大佐はそんなやわな人じゃありません。外見で判断すると痛い目を見ます。外見は砂糖菓子でも内面は劇薬です。
「フォーク中佐は健康を損ねて入院していますが……」
「フォーク中佐個人にとっては不幸かもしれませんが、軍にとってはプラスだと思います」
大佐の言葉に傍聴席がざわめきました。酷いことを言っているというより、正直すぎると感じているのだと思います。
「検察官はフォーク中佐の病名を知っていますか?」
「転換性ヒステリーによる神経性盲目です……」
「我儘一杯に育った幼児に時としてみられる症状なのだそうです。治療法は彼に逆らわないこと……。彼が作戦を立案すると誰もその不備を指摘できない。作戦が失敗しても自分の非は認めない。そして作戦を成功させるために将兵を必要以上に死地に追いやるでしょう」
法廷が静まりました。隣にいるシェーンコップ大佐も表情を改めています。
「フォーク中佐に作戦参謀など無理です。彼に彼以外の人間の命を委ねるのは危険すぎます」
「……」
「そしてその事はロボス元帥にも言えるでしょう。自分の野心のために不適切な作戦を実施し、将兵を無駄に戦死させた。そしてその現実を認められずさらに犠牲を増やすところだった……」
「ヴァレンシュタイン大佐!」
検察官が大佐を止めようとしました、しかし大佐は右手を検察官の方にだし押さえました。
「もう少し話させてください、検察官」
「……」
「ロボス元帥に軍を率いる資格など有りません。それを認めればロボス元帥はこれからも自分の野心のために犠牲者を増やし続けるでしょう。第二百十四条を進言したことは間違っていなかったと思っています」
この発言が全てを決めたと思います。検察官はこれ以後も質問をしましたが明らかに精彩を欠いていました。おそらく敗北を覚悟したのでしょう。
軍法会議が全ての審理を終え判決が出たのはそれから十日後の事でした。グリーンヒル参謀長とヴァレンシュタイン大佐は無罪、そしてロボス元帥には厳しい判決が待っていました。
「指揮官はいかなる意味でも将兵を己個人の野心のために危険にさらす事は許されない。今回の件は指揮官の能力以前の問題である。そこには情状酌量の余地は無い」
普通、第二百十四条の事件では判決の最後に原告に対して情状酌量の余地は有ったという文言が付きます。これは原告の名誉を守るためです。第二百十四条を使われた以上、原告は指揮官としては先ず復帰できません。ですが指揮官以外では軍務につくことも可能です。あくまで指揮官としては不運であったという言い方をするのです。また、なんらかの事情で指揮官として復帰するときにはこの情状酌量の余地は有ったという言葉がその根拠になります。
今回の判決にはその言葉が有りませんでした。また指揮官の能力以前の問題と言われたのです。ロボス元帥は指揮官として、軍人としての復帰を完全に断たれました。シトレ元帥が読み上げる判決を聞くロボス元帥の顔は屈辱にまみれていました。ロボス元帥が退役したのはその翌日の事です。第六次イゼルローン要塞攻略戦はこうして終わりました……。
第三十九話 互角
帝国暦 485年 12月20日 オーディン ラインハルト・フォン・ミューゼル
オーディンについて十日が経った。この十日の間にイゼルローン要塞攻防戦の軍功が評価され新たな人事が発表された。少将に昇進した。イゼルローン要塞攻防戦で敵の作戦を見破り、陸戦隊の迎撃に功が有ったと評価されたらしい。まあ当然ではあるが、それでもやはり昇進は嬉しい。
役職は帝国宇宙艦隊総司令部付、以前と変わらない。つまり次の出征までの臨時の席だ。一つ間違えば装甲擲弾兵の指揮官という可能性もあったはずだ、そうならなかった事にホッとしている。装甲擲弾兵を馬鹿にするつもりはないがやはり俺は艦隊を率いて宇宙で戦いたい。
「リューネブルク少将」
「ああ、ミューゼル少将か」
軍務省から出てきたところをみると新たな辞令を受けたのだろう。表情が明るい、悪い人事ではなかったようだ。昇進しても閑職に回されるということもある。特に彼は亡命者だ、不安が有っただろう。
「新たな辞令を受けたのかな」
「うむ、装甲擲弾兵第二十一師団の師団長を命じられた」
「ほう、それはそれは、……近来稀にみる名人事だ」
俺の言葉にリューネブルク少将は苦笑交じりに“からかうな”と言ったが頬は緩んでいる。俺はからかったつもりは無い、リューネブルクの陸戦隊指揮官としての能力は傑出したものだ。間違いなく近来稀にみる名人事だろう。
それに少将で師団長というのは間違いなく抜擢だ。本来なら副師団長と言ったところだ。上層部、いやこの場合はオフレッサーだろうが彼はリューネブルクを高く評価している。リューネブルクにとっても悪いことではない。オフレッサーは信頼できる男だ。彼の頬が緩んでいるのもそれが分かっているからだろう。
「卿はどうなのだ、昇進はしたが新たな役職は決まったのか」
「総司令部付だ、但し艦隊は三千隻を率いる事になった」
「良かったではないか、上層部は卿の才幹を正しく評価しているようだ」
「それでも卿には及ばない、卿は一個師団を率いるのに俺は三千隻だからな」
俺の言葉にリューネブルクが笑い声をあげた。
「率いる将兵の数は卿の方が多いのだぞ、それだけの責任を持てる男だと評価されたのだ。文句を言うな」
「そうだな、愚かな事を言った。忘れてくれれば有りがたい」
俺の言葉にリューネブルクは笑いながら肩を叩く事で答えた。多少痛かったが我慢した。昇進し評価されたにもかかわらず、それに不満のある様な言動をする、危険な事だ。リューネブルクは冗談交じりにそれを窘めてくれたのだろう。
良い男と知り合う事が出来た。何故昔はこの男を嫌ったのか、今では不思議な思いがする。俺が変わったのか、それともリューネブルクが変わったのか、或いは両方か……。良く分からない、いや分からなくても良い、今が有る、それで十分だろう。思わず苦笑が漏れた。
「どうした?」
「いや、なんでもない。それよりこれからどうするのだ。予定が有るのか?」
「オフレッサー閣下のところに行こうかと思っている。御礼と御祝いの挨拶だ。卿もどうだ?」
リューネブルクが誘ってきた。確かに今回の戦いではオフレッサーに随分と世話になっている。挨拶に行くべきだろう。それとキスリングの事を聞かねばならない。彼の処遇はどうなるのか、リューネブルクも知りたいと思っているはずだ……。
「そうだな、俺一人では行き辛いが卿が一緒なら助かる。そうしよう」
「艦隊指揮官にとっては装甲擲弾兵総監部は行き辛いか」
「まあそうだ、イゼルローン要塞では装甲擲弾兵に胡散臭そうに見られて正直腐った」
俺の言葉にリューネブルクが笑い声を上げた。気が付けば俺も笑っていた。
オフレッサーは今回のイゼルローン要塞攻防戦での功績が認められ元帥に昇進することが決まった。宮廷の一部にはオフレッサーがヴァレンシュタインを帰した事で反対する意見もあったらしい。
だが軍務尚書エーレンベルグ元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥がオフレッサーの行為を擁護した。
“オフレッサー上級大将の行動は帝国軍人の矜持を守ったものである。それを認めねば帝国軍人はこれ以後何を規範として戦うのか? 我らをただの人殺しにするつもりか?“
両元帥の擁護によりオフレッサーは帝国元帥になることが決まった。陸戦隊の指揮官が元帥になるのは帝国の歴史の中でも数えるほどしかない。宇宙空間での戦いは艦隊戦が中心となる。そんな中で地上戦を主任務とする陸戦隊の活躍の場は極めて少ない。元帥にまで登りつめたオフレッサーは稀有の存在と言える。
悪い人事ではない、素直にそう思える自分が居た。以前なら石器時代の原始人が元帥かと冷笑しただろう。良く知りもせず、一部分だけでその人物を判断しようとしていた。オフレッサーも、そしてヴァレンシュタインも……。
気が付けばペンダントを握りしめていた。キルヒアイス、俺は大丈夫だ。お前が居なくなった事はどうしようもなく寂しい。だが俺はまた一歩前に進むことが出来た。これからも進み続けるだろう、だから俺を見守ってくれ……。
装甲擲弾兵総監部の総監室を訪ねると、二十分程待たされた。どうやら俺達以外にも祝辞を述べに来た人間が居るらしい。まあ無理もない、帝国元帥と上級大将では一階級の違いしかないがその影響力には雲泥の差が有る。
年額二百五十万帝国マルクにのぼる終身年金、大逆罪以外の犯罪については刑法を以って処罰される事は無く元帥府を開設して自由に幕僚を任免する事が出来る特権を持つ……。金、名誉、地位、特権、それを利用しようと近づく人間は当然いるだろう……。
部屋に入り、挨拶をしようとするとオフレッサーが吼えるような大声を出してソファーを指差した。
「礼など要らんし、祝いの言葉も無用だ、話が有る、そこに座れ。おい、しばらくの間誰も入れるな!」
相変わらず滅茶苦茶な男だと思ったが悪い気分はしなかった。リューネブルクを見ると彼も笑っている。考えてみれば俺達に祝いの言葉を述べられて照れているオフレッサーというのは想像がつかない。この方がいかにもオフレッサーらしい。
ソファーに座るとオフレッサーが忌々しそうに話しかけてきた。
「全く面倒なことだな、元帥になると決まったら訳の分からん連中が次から次へと来る。戦場に出たこともない奴にちやほやされてもな、うんざりだ」
心底嫌そうな表情をしている。耐えられなかった、思わず笑い声が出た。オフレッサーを笑うなどキチガイ沙汰だがそれでも止まらなかった。リューネブルクも笑っている。そんな俺達をオフレッサーが忌々しそうに見ている。それがまた可笑しかった。
一頻り笑い終えた後だった。オフレッサーが俺達を見てぽつりと呟いた。
「変わったな……」
「?」
「俺は卿らが嫌いだった。生意気で常に周囲を見下すような目をしていた。そう、卿らは周囲を蔑んでいたのだ。自分だけが正しいのだ、自分はもっと上に行くべき人間なのだと言う目をしていた。鼻持ちならない嫌な奴だ、そう思っていた」
「……」
「だがヴァンフリートで変わったな。あの敗戦で卿らは変わった。まああれだけ叩き潰されれば変わるのも当たり前か……。そして今も変わりつつある……。ミュッケンベルガー元帥に感謝するのだな」
「?」
ミュッケンベルガーに感謝? 良く分からない、思わずリューネブルクを見たが彼も訝しげな表情をしている。
宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥は先日辞職願を皇帝に提出した。皇帝フリードリヒ四世はその場での受理はしなかった。しかし今回の戦い振りが必ずしも芳しくなかったこと、ミュッケンベルガー本人の辞意が固い事から、その辞職は止むを得ないものと周囲には受け取られている……。
変わったと言うのは何となくわかるような気もする。以前に比べれば帝国の闇を知ったし、人というものを一面で判断してはならないとも理解した。なによりリューネブルクとこうして二人で居る事が出来る、以前なら有り得ないことだ。
オフレッサーが以前は俺を嫌っていたというのも分からないでもない。彼の俺を見る目は決して好意的なものではなかった。いや、俺に好意的な視線を向けた人間が居たか……、居なかったと思う。彼だけの問題ではない。だがミュッケンベルガー?
「ヴァンフリートの敗戦後の事だ、卿ら二人を死罪にすべしという声が上がったのだ」
「!」
思わず、オフレッサーの顔を見詰めた。オフレッサーは昏い目で俺達を見ている。
「グリンメルスハウゼン艦隊は壊滅した。生き残ったのは卿らを含めほんの僅かだ。味方を見捨てて逃げたと言われても否定はできまい」
「……」
オフレッサーの声は低く重い、のしかかってくるような声だ。確かに否定できない。あの時俺とリューネブルクは何よりも生き残る事を優先した。グリンメルスハウゼン艦隊が壊滅するであろうことを確信し、その上で生き残る事を選択したのだ。
あの艦隊の司令部は俺達の指摘する危険性を全く無視した。あのような馬鹿どもに付き合って死ねるか、そんな気持ちが有ったのは事実だ。見殺しにしたと言われても否定できない。いや、あれは見殺しにしたのだ。
「卿らを処断する事で味方の士気を引き締め、二度の敗戦は許さぬと皆に知らしめる……、誰もが納得するだろう。卿がグリューネワルト伯爵夫人の弟という事は関係ない、いやこの場合はむしろ好都合だろうな。寵姫の弟であろうと特別扱いはしない、軍律の前には皆が平等であるという事だからな」
知らなかった、そんな事が話し合われているとは全然知らなかった。知らなかったのは俺だけではない、リューネブルクの顔も引き攣っている。どのレベルで話されたのか、帝国軍三長官、そしてそれに準ずる男達、そんなところか……。
「だがミュッケンベルガー元帥はそれを拒否した……」
戦場で混乱したこと、グリンメルスハウゼン艦隊を救援できなかったこと、そして艦隊決戦で勝てなかったこと……。そのいずれもが自分の罪でありあの両名の罪ではない。
軍の拠って立つ処は信賞必罰に有る。罪なき者に責めを負わせてはその信賞必罰が崩れる事になる。責めを負わせることで軍の引き締めを図るのであれば、責めを負うのは自分であり、あの両名ではない……。
「卿らはミュッケンベルガー元帥に救われたのだ。当たり前の事だと思うなよ、反乱軍の事は聞いていよう」
俺もリューネブルクも頷いた。反乱軍の総司令官ロボス元帥は己個人の野心を優先させようとしたとの嫌疑で戦闘中に総司令官職を解任された。帰国後の裁判でも解任は正しかったとされロボスは失脚している。
運が良かった、ミュッケンベルガーとロボスが逆なら俺とリューネブルクは死んでいただろう。ミュッケンベルガーの矜持と識見に救われたのだ。ミュッケンベルガーは宇宙艦隊司令長官としては不運だったかもしれない。
しかし、イゼルローンで無理をせず撤退したことといい、他者に罪を押付けなかったことといい、容易にできる事ではない。見事な進退ではないか、ロボスを非難する人間は今後も現れるだろうが、ミュッケンベルガーを非難する人間が現れることはないだろう。
「俺は明日、ミュッケンベルガー元帥の屋敷に挨拶に行く、卿らも同行しろ」
「はっ」
俺達が頷くとオフレッサーも重々しく頷いた。
「説教は終わりだ、卿らの知りたがっていることを話してやる。キスリングの事をリヒテンラーデ侯と話した」
リューネブルクが俺を見た。そして躊躇いがちに問いかけた。
「如何でしたか」
「知らぬと言っていたな」
リューネブルクを見た、彼も俺に視線を向けている。どう思う? そんな感じだ。オフレッサーは憮然としている。思い切って問いかけてみた。
「嘘をついているのでしょうか?」
俺の言葉にオフレッサーは首を横に振った。
「分からんな、俺の頭ではそこまでは分からん……、食えぬ老人だからな。それによくよく考えれば他に候補者が居ないわけでもない」
「候補者ですか……、カストロプ公?」
俺が問いかけるとオフレッサーが苦笑した。どうやら外れたらしい、しかし他に誰が……。リューネブルクも訝しげな表情をしている。つまり俺と同レベルだ。
「例えば、ブラウンシュバイク公だな」
「!」
さらりとした言い方だった。確かにブラウンシュバイク公は贄の秘密を知っている。しかし、彼はキスリングの依頼を受けてリヒテンラーデ侯と折衝したはずだ。それなのにキスリングを殺す?
俺達が驚いているのが可笑しかったのかもしれない、オフレッサーが表情に人の悪い笑みを浮かべた。悪人面のオフレッサーがその笑みを浮かべると今にも人を殺しそうに見える。正直、勘弁してほしかった。
「公の娘は次の皇帝候補者の一人だ。贄の秘密が表に漏れればどうなる。一つ間違えば革命騒ぎになりかねん。公にとっては秘密を知る人間など皆殺しにしたかろうな」
「……」
笑いを含んだ声だが物騒な内容だ。つまり、キスリングだけではない、俺もリューネブルクもオフレッサーも危険だという事か。今更ながらキスリングの言った聞けば後悔すると言う言葉の意味が理解できた。あれは命の危険も含んでいたのだ。
俺達の沈黙をどう受け取ったのか、オフレッサーが楽しそうに言葉を続けた。
「候補者はもう一人いるぞ」
もう一人? 一体誰が? 秘密を知ったのは他にはフェルナーだけのはずだ。その彼が親友のキスリングを殺す?
「どうやらその様子では分かっておらんな、リッテンハイム侯だ」
「しかしリッテンハイム侯は秘密を知らぬ……」
リューネブルクが抗議したが最後まで言えず途中で止まった。オフレッサーはもう笑みを浮かべてはいない、厳しい表情で俺達を見ている。
「少しは脳味噌を使え、卿らの脳味噌は戦争以外には使えんのか」
「……申し訳ありません」
思わずリューネブルクと共に頭を下げていた。
しかしリッテンハイム侯? 彼とブラウンシュバイク公は次期皇帝の座を巡ってライバル関係に有る。秘密を共有するとは思えない。そしてリヒテンラーデ侯は秘密の共有者を増やしたいとは思っていないはずだ……。
オフレッサーが唸るような口調で話し始めた。呆れているのかもしれない。
「カストロプ公は大貴族だ、そして財務尚書でもある。彼を排除するとなれば事前に根回しが要るだろうが」
「……」
「いざ潰すという時になってリッテンハイム侯が反対したらどうなる? その時点で贄の秘密を話すのか? 侯はへそを曲げるぞ、何故前もって教えなかったとな。それに後任の財務尚書の事もある。おそらくは既にリヒテンラーデ侯、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の三者で話し合いがもたれたはずだ、その中で全ての秘密が共有され、そして後任の財務尚書も決まった……」
リッテンハイム侯も娘が次の皇帝候補者の一人だ。贄の秘密など表に漏れて欲しくは有るまい。つまりキスリングを殺す動機が有るという事か……。そして今では俺達を殺す動機を持つという事だ……。気が付けば俺は帝国の闇に首までどっぷりと漬かっていたらしい……。
「ミューゼル、リューネブルク」
「はっ」
思考の海に沈んでいた俺をオフレッサーの声が引き上げた。
「俺は元帥府を開く、卿らは俺の元帥府に加われ」
「はっ」
リューネブルクは躊躇う事無く答えたが俺は正直即答できなかった。オフレッサーの幕僚になるという事は陸戦隊指揮官になるという事だろう。それは俺の望むところではない。
「安心しろ、ミューゼル。卿に装甲擲弾兵を指揮しろとは言わん。これまで通り艦隊を指揮できるように交渉してやる。卿の後ろには俺が居るとはっきりさせた方がいい、そういう意味だ。孤立はもはや許されんと思え」
「はっ」
確かにそうだ、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、そしてリヒテンラーデ侯、その誰もが俺を殺そうとしてもおかしくない。そしてオフレッサーは陸戦隊の頂点にある。彼を敵に回すにはそれなりの覚悟が要る。場合によってはこのオーディンで地上戦を起こす覚悟が必要だろう。後ろ盾には最高の人物と言って良い、だが……。
「閣下、一つ教えていただきたいことが有ります」
「何だ?」
「何故、小官にそこまで御配慮下さるのか、教えていただけますか」
俺の言葉にオフレッサーはしばらくの間沈黙した。そして低い声で問いかけてきた。
「卿、先日の反乱軍の作戦、ミサイル艇を使っての攻撃をどう思った?」
おかしな展開だ。俺の質問に質問で返した。オフレッサーらしくない。
「狙いは悪くないと思いました。帝国軍が並行追撃作戦を恐れれば、どうしても注意は正面の艦隊に向きます」
俺の答えにオフレッサーは無言で頷いた。そしてソファーから立ち上がると総監室のスクリーンを操作しイゼルローン要塞を映した。
「卿がもし三千隻の艦隊の指揮官だとしてあそこにいた場合、どうする?」
妙なことを言う男だ。表情から判断すると俺をからかっているわけではない様だ。となると試しているのか……。だが何のために試す? 分からないが答える必要は有るだろう、俺はスクリーンに近づいた。俺につられるようにリューネブルクもスクリーンに近づく。
「小官ならこの位置に艦隊を置きます。ミサイル艇を側面から攻撃、防御力の弱いミサイル艇を撃破、その勢いのまま天底方面に移動、要塞主砲(トール・ハンマー)の射程範囲外に展開した反乱軍を攻撃する……」
「互角か……」
オフレッサーが呟いた。互角? 一体何を言っている? リューネブルクを見た、彼も訝しげな表情をしている。
「ミューゼル、反乱軍のミサイル艇による攻撃だが、それはヴァレンシュタインが考えたものではない。反乱軍のある参謀が考えたものだ。ヴァレンシュタインはその作戦案を見たとき、即座に三千隻で潰せると言ったそうだ」
「!」
オフレッサーが、リューネブルクが俺を見ていた。だが俺は何もできなかった、話すことも頷くことも。そしてオフレッサーが言葉を続けた。
「情報部がフェザーン経由で入手した情報だ。統帥本部の参謀は三千隻で何故その作戦が潰せるのかが当初分からなかった。分かった時には感嘆したそうだ、見事だとな。俺も卿に同じ言葉を贈ろう、見事だ、この宇宙で二人だけが同じ事を考えた」
オフレッサーが俺を褒めている。しかし俺は喜ぶことなどできない。無意識にロケットペンダントを握っていた。
「そしてヴァレンシュタインはこう言ったそうだ。帝国にはラインハルト・フォン・ミューゼルが居る。彼なら必ずこれに気付くと……」
「!」
背筋に悪寒が走った。真綿で喉を絞められるような恐怖感だ。オフレッサーの言った互角と言う言葉の意味がようやく分かった。だが本当に互角か? 負けられないという思いと勝てるのかという疑問が何度も胸に湧きあがった……。
第四十話 司令長官
帝国暦 485年 12月21日 オーディン ラインハルト・フォン・ミューゼル
ミュッケンベルガー元帥の屋敷は軍の名門貴族らしく大きくはあるが華美ではなかった。どことなく重厚な雰囲気を漂わせている。人が屋敷を造るが同時に屋敷が人を造るということもあるのかもしれない、そんな事を考えた。
オフレッサー、リューネブルクと共に来訪を告げると若い女性が応接室へと案内してくれた。目鼻立ちの整った細面の顔に黒髪、グリーンの瞳をしている。身なりからして使用人では無い。娘にしては若すぎるが孫にしては大きすぎるだろう。まさかとは思うが愛人か? リューネブルクも幾分不審げな表情をしている。
「少しお待ちください、今養父が参りますので」
その言葉で娘だと分かった。しかし養女? 彼女が応接室を出ていくとオフレッサーが小声で話しかけてきた。
「彼女の名はユスティーナだ、元帥とは縁戚関係に有る。元々はケルトリング家の人間だ。良く覚えておけ、そしてその事には触れるなよ」
ケルトリング家か……、かつては軍務尚書まで輩出した軍の名家といって良い。ミュッケンベルガー家より格が上だったはずだ。
しかし同盟軍にブルース・アッシュビーが現れた事がケルトリング家を没落させた。何人もの男子がアッシュビーの前に倒れ、それ以後ケルトリング家は立ち上がる事が出来なかった。
ミュッケンベルガー元帥も確か父親をアッシュビーに殺されている。だがミュッケンベルガー家は元帥によって見事に立ち上がった。なるほど元帥にとっては彼女は縁戚と言うだけではないのだろう。一つ間違えばミュッケンベルガー家も似たような境遇になっていたかもしれない、そう思ったのかもしれない。オフレッサーが触れるなというのもそのあたりを考えての事か。
そんな事を考えているとミュッケンベルガー元帥が応接室に入ってきた。立ち上がり、互いに敬礼をしてソファーに座る。
「待たせたかな」
「いえ、そのような事は」
ミュッケンベルガーとオフレッサーの会話を聞きながらミュッケンベルガーの様子を見た。辞任するはずだが、その事が元帥の外見に与えた影響は見えない。普段通りの威厳に溢れた姿だ。
「元帥への昇進、おめでとう」
低く穏やかな口調だ。口元に笑みが有る。
「有難うございます、閣下のお口添えが有ったと軍務尚書、統帥本部総長から伺いました。御礼を申し上げます」
「何の、私は当然のことをしたまでだ。礼には及ばん」
オフレッサーがミュッケンベルガーの前で畏まっているのに驚いたが、その話の内容にも驚いた。オフレッサーの昇進にはミュッケンベルガーの口添えが有った。そして軍務尚書も統帥本部総長もそれを受け入れている。
帝国軍三長官といえば以前は犬猿の仲だったと聞いているが、今は違うらしい。サイオキシン麻薬の一件で協力体制を築いたと聞いていたが、元帥への昇進問題まで協力しているとなるとかなり緊密なもののようだ。
「それだけではありません。この二人の命も……」
オフレッサーの言葉に俺とリューネブルクが頭を下げた。その頭上をミュッケンベルガーの苦笑交じりの声が通り過ぎた。
「そのような事は止めよ、それも当然のことをしたまでだ」
顔を上げ元帥を見た。やはり苦笑している。本心からそう思っているのだと分かった。
「それでも元帥閣下が我ら両名の命を救われた事は事実です。有難うございます」
リューネブルクが礼を言い、また一礼した。俺も頭を下げた。
「二人とも頭を上げろ、それでは話が出来ん」
俺とリューネブルクが頭を上げるとミュッケンベルガーが口を開いた。
「罪はこの私に有る。陛下よりグリンメルスハウゼンの遠征軍への参加を命じられた時、それを断れなかった。受け入れておきながら戦場では邪魔になると追い払った。愚かであった、そこを敵に突かれた……。敗戦は誰の罪でもない、このミュッケンベルガーの罪なのだ」
元帥が太い息を吐いた。
「あの敗戦の後、内密にバラ園で陛下に拝謁した。グリンメルスハウゼン子爵は陛下がお若い時分、侍従武官として御傍にあった、さぞかし叱責されるだろうと覚悟した、死をも覚悟した……」
「しかし、それは」
「控えよ、ミューゼル!」
「……」
俺が理不尽を言おうとするとオフレッサーが低い声で叱責した。不敬罪を冒すとでも思ったのかもしれない。俺は黙って頭をさげた。実際口を開けば皇帝に対する批判が出ただろう。
「済まぬと言われた、許せと……」
「!」
「自分の我儘故にそちの立場を危うくした、三百万もの将兵を死なせた、許せと……。陛下は泣いておられた……。畏れ多い事ではあるが陛下を御恨みしなかったと言えば嘘になる。だがあの時、陛下は私に頭を下げられたのだ……」
全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝、その皇帝が、フリードリヒ四世が泣いて頭を下げた……。ミュッケンベルガーは何かに耐えるかのように目を強く閉じている。
「誰よりも陛下が御自身の罪を愧じておいでであった。私が罰せられなかったのもそれ故の事。ならばどうして私が卿らの処罰を見過ごすことが出来る。それをすればもはや人ではあるまい……」
「……」
俺の命はミュッケンベルガーに救われた。そのミュッケンベルガーはフリードリヒ四世に救われた。つまり俺は皇帝に命を救われたという事か……。あの男に命を救われた……。
あの男は自分の罪を知っていた。ならば俺はどうだろう、オフレッサーにグリンメルスハウゼンを見殺しにしたと言われるまでその事に気付きもしなかった。罪悪感も感じなかった。俺は一体何を考えていた?
ミュッケンベルガーが目を開いた、僅かだが潤みを帯びているように見えた。見てはいけない、そう思ってすぐ下を向いた。
「私が愚かであった。あの時、宇宙艦隊司令長官としてグリンメルスハウゼンの遠征軍参加を拒絶すべきであった。それをせぬばかりに大敗を喫し陛下をも苦しめる事になった……」
「……」
「再戦を命じられた時、私は思った。陛下のお優しさに甘えてはならぬと。この身には宇宙艦隊司令長官の、いや帝国軍人たるの資格無し。この一戦にて軍を退くと……」
「閣下……」
オフレッサーの呻くような声が聞こえた。俺ならどうしただろう、グリンメルスハウゼンの同行を拒絶できただろうか、敗戦においてミュッケンベルガーのように己を厳しく律することが出来ただろうか……。また思った、俺は一体何を考えていた?
顔を上げることが出来なかった。何をどう考えて良いのか分からず只々俯いていた。フリードリヒ四世が怠惰な凡人なら俺は何だ? 味方を見殺しにした卑怯な恥知らずではないか。
あの男に犯した罪悪に相応しい死に様をさせてやると思った。ならば俺に相応しい死に様とは何だ? 俺は一体これまで何をしてきたのだ? 自然と手がロケットペンダントを握っていた。
キルヒアイスが居ればと思い、慌てて首を振った。自分で考えるのだ、フリードリヒ四世もミュッケンベルガーも苦しみながら自分で答えを出した。その答えが俺をリューネブルクを生かしている。キルヒアイスに頼るな、キルヒアイスには俺の生き様を見てもらうのだ。そしてその生き様は自分で考えるのだ……。
「閣下、次の宇宙艦隊司令長官は決まりましたか?」
オフレッサーの声が聞こえた。慌てて顔を上げた、一体どのくらい時間が経ったのか……。俺の目の前に首を横に振るミュッケンベルガーの姿が有った。
「残念だが未だ決まらん」
「メルカッツ提督ではいけませんか」
「うむ、副司令長官なら良いが司令長官となるとな、いささか不安が有る」
宇宙艦隊司令長官が決まらない? メルカッツではない? 能力、人望ともにメルカッツ以外に適任者がいるとは思えない。何故だ?
俺の疑問を読み取ったのかもしれない、ミュッケンベルガーが微かに笑みを浮かべながら教えてくれた。
「一個艦隊の指揮なら私よりも上手いだろうな、だが艦隊司令官と宇宙艦隊司令長官は違うのだ」
艦隊司令官と宇宙艦隊司令長官は違う? 当たり前の事ではある、それをあえて言うとはどういう事だ? 考えているとミュッケンベルガーが俺に話しかけてきた。
「卿はあの男をどう思う?」
「は? メルカッツ提督の事でありますか?」
「違うな、エーリッヒ・ヴァレンシュタインの事だ」
思わず顔が強張るのが分かった。
「向こうは卿を天才だと評しているそうだが……」
素直には受け取れなかった。手強いとは思っていた。油断できないとも思っていた。だが昨日あの男に感じた恐怖感はどう表現すればよいのだろう。
「恐ろしい男です、正直体が震えるほどの恐怖を感じます。一体どこまで此方の事を知っているのか……」
「……」
「向こうは此方を見切っている。しかし此方は向こうを見切れていない、今一つ掴みきれない……。上手く言えませんがそんなもどかしさが有ります」
そう、怖いのだ……。あの男は俺の全てを知っている。いや知っているように思える。何とも言えない不気味さだ。そして俺はあの男の事をほとんど知らない。俺よりも上のように思える、しかしあの男は俺に敵わないと言い、俺を天才だと評している。何処までが本当なのか、あの男の底が見えない……。
「恐ろしいか……、それで良いのだ」
「?」
「問題はその先だ。恐怖に蹲るか、それとも恐怖を堪えて反撃するか……。反撃するのであれば相手を知らねばならん。蹲れば死ぬだけだ。卿はどちらだ?」
ミュッケンベルガーが俺を見ている、気が付けばオフレッサーが、リューネブルクが俺を見ていた。
「……反撃します」
「容易なことではないぞ、骨が鳴るほどの恐怖に襲われても堪えねばならん。死ぬ方がましだと思う事も有ろう、堪えられるか?」
「……堪えられると思います」
俺の言葉にミュッケンベルガーが満足げに頷くのが見えた。リューネブルク、オフレッサーも頷いている。思うのでは駄目だ、堪えられる、堪えなければならない。そうでなければあの男には勝てない……。
「堪えられます」
宇宙暦 794年 12月 28日 ハイネセン 宇宙艦隊総司令部 ミハマ・サアヤ
今年もそろそろ終わろうとしています。ですが同盟軍は未だに宇宙艦隊司令長官が決まっていません。前任者、ロボス元帥があのような形で解任されましたので後任者の選定には慎重になっているようです。噂では決まるのは年が明けてからだろうと言われています、年内の決定は無さそうです。
宇宙艦隊総司令部ではこれまで居た百人以上の参謀はその殆どが総司令部の参謀職を離れました。今では僅かに残った参謀が宇宙艦隊の維持運営のために日々仕事をしています。
その僅かな参謀の中にヴァレンシュタイン准将、ワイドボーン准将、ヤン准将がいます。三人とも昇進しました、それぞれ撤収作戦、その支援作戦に功績が有ったという事を評価されての事です。
私とバグダッシュ中佐も昇進しました。今ではミハマ少佐とバグダッシュ大佐です。ヴァレンシュタイン准将を無事に連れて帰ってきた、その事を評価されたそうです。
弾除けぐらいにしかならないと覚悟して行ったのに昇進? そう思いましたが、ワイドボーン准将もヤン准将も生きて戻ってきたのは大したものだと言ってくれました。
くれると言うものは貰っておきなさいと言ったのはヴァレンシュタイン准将です。でもその後、にっこりと笑って最近肌が荒れ気味だから良い化粧品を買いなさい、そのくらいはお給料もアップするでしょうと続けました。
余計なお世話です! これでも気にしてるんです。私は敏感肌でなかなか合う化粧品が有りません。ちょっとした環境の変化や季節の変わり目でも結構苦労します。寒くなってきましたし、空気も乾燥するので大変です。
総司令部の最高責任者は現在ではグリーンヒル参謀長です。その次に来るのがヴァレンシュタイン准将、ワイドボーン准将、ヤン准将になります。元々は三人よりも上級者が居たのですが、皆総司令部から離れました。
いずれ新しい司令長官と新しい参謀長が決まります。総司令部の参謀はその時点で新たに選抜するそうです。ヴァレンシュタイン准将、ワイドボーン准将、ヤン准将が残っているのは昇進したのだからその分仕事をしろという事のようです。
多分当たっているのでしょう、私とバグダッシュ大佐も居残り組ですから……。その他に十人程、参謀が残っています。いずれも皆尉官です。つまり雑用係という訳ですがこれが結構大変です。
宇宙艦隊全体の決裁文書、連絡文書が来るんです。半端な量ではありません。皆毎日書類に追われています。私と言えば以前後方勤務に居た経験を買われて主として補給関係の書類の確認を行っています。
総司令部で三人の准将の役割は決まっています。文書のほとんどの決裁は事前にヴァレンシュタイン准将が確認してからグリーンヒル参謀長に届きます。他所からの連絡、問い合わせ等に関してはワイドボーン准将が行い、そしてヤン准将は昼寝か読書です。
ヤン准将に事務処理など無理、ヴァレンシュタイン准将とワイドボーン准将の言葉です。ちょっと酷いと思いましたが、ヤン准将は文句を言いません。言われた通り昼寝と読書をしています。一度仕事を手伝ってもらいましたが納得です。反って時間がかかりました。
三人の准将の机はほぼ三メートルおきに並んで置いてあるのですが、ヴァレンシュタイン准将の机には書類が山積みになっています。ワイドボーン准将の机にも多少ありますがヤン准将の机には書類は有りません。
ワイドボーン准将によるとヤン准将は平時では役に立たないのだそうです。“昼寝をしているのが奴も含めてみんなのためだ”と言っていました。ヤン准将はエル・ファシルで全ての勤勉さを使い果たしたと言っています。
ドアが開いてバグダッシュ大佐が入ってきました。少し早足でヴァレンシュタイン准将に近づきます。ワイドボーン准将もヤン准将も視線を大佐に向けました。
「オフレッサーが元帥府を開きました。その元帥府にミューゼル少将、リューネブルク少将、キスリング少佐の名前が有ります」
「……」
ヤン准将とワイドボーン准将が視線を合わせました。そしてワイドボーン准将が口を開きました。
「ミューゼル少将は陸戦隊の指揮官に移るということかな」
「さあ、どう考えれば良いのか……」
ミューゼル少将はヴァレンシュタイン准将が天才と評する人物です。イゼルローン要塞攻防戦でもこちらの作戦を見破りました。厄介な相手ですがその彼が陸戦隊の指揮官になる……、こちらとしては悪い話ではありません。
「宇宙艦隊司令長官は誰に決まりましたか?」
「まだ決まりません。どうも揉めているようですな」
「メルカッツ提督ではないのですか」
「ええ」
ヴァレンシュタイン准将とバグダッシュ大佐が話しています。准将はミューゼル少将の処遇よりも次の宇宙艦隊司令長官の方に関心が有るようです。准将が目を閉じて左手で右肩を押さえました。
右肩はイゼルローン要塞で負傷した場所です。あれ以来准将は考え事をする時は目を閉じ、肩を押さえ擦るようになりました。まるで負傷した傷跡に相談するかのようです。
「メルカッツ提督は生粋の武人です、政治的な行動などする人ではない。軍務尚書エーレンベルク元帥、統帥本部総長シュタインホフ元帥にとっても扱い易い相手のはずです」
「他に反対している人が居ると?」
バグダッシュ大佐の問いかけに准将は首を横に振りました。右肩を押さえるのを止め大佐に答えます。
「例えそうであっても軍事に関しては両元帥の意見が重視されます」
「では?」
「……反対しているのはエーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥かもしれません」
意外な言葉です、皆が顔を見合わせました。
「ミュッケンベルガー元帥は威に溢れた司令長官でした。それに比べるとメルカッツ提督は明らかに威が足りない……。艦隊司令官としては有能かもしれない、副司令長官も十分にこなすでしょう、しかし司令長官ではいささか不安が有る……、これは私の想像ですがそう思ったのかもしれません」
“威”というはっきりしないもののために帝国は司令長官を決められずにいる、准将の言う通りならそういう事になります。ワイドボーン准将もヤン准将も曖昧な表情をしています、どう捉えて良いのか分からないのかもしれません。私達の困惑をどう思ったのか、准将は苦笑しながら言葉を続けました。
「同盟にも威に溢れた司令長官が居ましたよ、彼が指揮を執れば必ず勝つと周囲に確信させた……。ブルース・アッシュビー元帥……」
「なるほど、そういう事か……」
バグダッシュ大佐が頷きました。周囲でも頷いている人が何人かいます。
「となると帝国はしばらくの間、司令長官に人を得ず混乱する、そう見て良いのかな?」
「そうなる可能性が有ります」
「チャンスだな、ミューゼル少将は居らず帝国軍は混乱、攻勢をかけるチャンスだ」
ワイドボーン准将が興奮したように声を出しました。周囲もその興奮に同調する中、ヴァレンシュタイン准将だけが冷静でした。
「一、二度は勝てるでしょう、でもその後は最悪でしょうね」
「?」
「帝国は強力な司令長官を任命するはずです」
ワイドボーン准将とヤン准将が顔を見合わせています。
「ミュッケンベルガー元帥が復帰する、そういう事かな?」
問いかけたヤン准将にヴァレンシュタイン准将が笑みを浮かべました。
「違いますよ、ヤン准将。オフレッサーが宇宙艦隊司令長官になる、そう言っているんです」
「!」
その瞬間に部屋の空気が固まりました。クスクスと准将の笑い声だけが聞こえます。
「な、何を言っている。オフレッサーは地上戦が主体だろう、宇宙艦隊司令長官など……」
「総参謀長にはラインハルト・フォン・ミューゼルが就きます。それでも無理ですか、ワイドボーン准将」
「……」
「しかし、そんな事が」
「地上戦でも宇宙空間でも戦争をしていることには変わりはありません。別な何かをしているわけじゃないんです。オフレッサーは軍人ですよ、自分が何をするべきかは分かっている」
「……」
准将が笑うのを止めました。
「敵を叩き潰す、ミューゼル少将に作戦を立案させ各艦隊司令官にその作戦を実行させる、難しいことじゃない……」
「……」
部屋が静まり返りました。准将のいう事は分かりますが私にはどうしても納得いかないことが有ります。
「准将、周囲の提督達はどうでしょう。素直に命令に従うんでしょうか?」
私の問いかけに何人かが頷きました。そうです、いきなり陸戦部隊の指揮官が司令長官になると言っても提督達は納得できないと思うのです。准将は私の質問に軽く頷きました。
「従わなければ首にすれば良い。そして若い指揮官を抜擢すれば良いんです」
「若い指揮官?」
「ええ、今帝国で本当に実力が有るのは大佐から少将クラスに集中しているんです。彼らを抜擢して新たな宇宙艦隊を編成すればいい」
「……」
そう言うと准将は名前を並べ始めました。
”ロイエンタール、ミッターマイヤー、ビッテンフェルト、ワーレン、ミュラー、ルッツ……”全部で十人以上は居たでしょう。
「いずれも有能極まりない男達です。精強無比な艦隊が出来るでしょう。オフレッサーが陸戦、艦隊戦、その両方の最高司令官になるんです。そしてその傍にはミューゼル少将がいる。最悪ですよ……」
そう言うと准将はまた眼を閉じて肩を撫で始めました。
第四十一話 威
帝国暦 485年 12月29日 オーディン 軍務省人事局長室 ラインハルト・フォン・ミューゼル
目の前に厚さ十五センチほどのファイルが有った。
「これがヴァレンシュタインの士官候補生時代の成績ですか?」
四年間の成績にしては随分と分厚い。不思議に思って隣に居るリューネブルクを見た。彼も不思議そうな顔をしている。
俺達の前に座っている男、人事局長ハウプト中将が答えた。
「成績の他に彼が提出したレポート等が入っている。彼の事が知りたいのだろう?」
「頂いても宜しいのですか?」
ハウプト中将は苦笑を洩らした。
「何を今更……、オフレッサー元帥閣下から是非にと言われている、否も応も無い。但し、扱いには注意してほしい。外部へ漏らしてもらっては困る」
「……」
ハウプト中将が表情を改めた、もう彼は笑ってはいない。
「ヴァレンシュタイン候補生は極めて優秀な学生だった。成績の評価欄には彼を好意的に評価した人間の名前が入っている。彼らに迷惑がかかる様な事が有ってはならんからな」
「了解しました。注意します」
ヴァレンシュタインの事を知らなければならない。そう思った俺は先ず彼の学生時代の事を知ろうと思った。彼が士官学校で何を学び何を考えたか……。キスリングから彼の事を聞く前に先ずは自分で出来る限りの事は調べるべきだと思ったのだ。しかし、彼に関する資料は士官学校からは消えていた。
彼が反乱軍に亡命した時点でその資料は軍務省の人事局に送られたのだという。人事局に閲覧を申し込んだが拒絶された。ハウプト中将の言葉によればヴァレンシュタインに関する情報はヴァンフリートの会戦以来、最高機密扱いとされているらしい。
閲覧が可能な人間は上級大将以上の階級を持つ人間だけだという。情報部に同じものがあるらしいが、おそらくこちらは情報部の内部資料で外部には公開しないだろうということだった。
困った俺を助けてくれたのはオフレッサーだった。彼がエーレンベルク元帥に掛け合い、資料の複写とその供出をもぎ取ってきてくれた。今更ながらだがオフレッサーの影響力の大きさというものに感心した。
確かにこのオーディンで最大の地上戦力を持つのだ、どんな相手でもオフレッサーを無下には出来ない。その影響力のおかげで俺とリューネブルクは人事局長室で資料を受け取ることが出来る。
「それにしても惜しい事だ。彼が亡命とは……」
「ご存知なのですか、ヴァレンシュタインを」
「直接の面識は無いが、彼の上司になった人物が私の友人だった」
思い入れが有りそうな口調だ。
「彼が良く言っていた、将来が楽しみだとね……。二人ともヴァレンシュタインの事を良く知る人物と会いたいのではないかね?」
「出来る事なら」
リューネブルクが答え、俺が頷いた。
願ってもない事ではある、だが正直期待はしていなかった。おそらくは無理だろう……、亡命者との関わりなど積極的に話す人間などそう多くは無い。まして相手がヴァンフリートの虐殺者として忌み嫌われているとなればなおさらだ。
「私の知る限りヴァレンシュタインの事を良く知っている人間が二人いる」
「二人と言いますと」
「一人はアルベルト・クレメンツ准将、もう一人はアルバート・フォン・ディーケン少将だ」
俺はその二人とは面識はない、リューネブルクを見ると彼も心許なさそうな表情をしている。おそらくは知らないのだろう。
「しかし、話してくれるでしょうか」
「そうだな、今では皆が彼を裏切り者として蔑むだけだ。だがディーケンなら大丈夫だろう。彼は今兵站統括部第三局第一課にいる」
では彼がヴァレンシュタインの上司だったと言う人物か……。
「もう一人のクレメンツ准将は?」
「辺境星域で哨戒任務に就いている。彼は元士官学校の教官でヴァレンシュタインを教えていた。彼を極めて高く評価していた……」
クレメンツから話を聞くことは難しいだろう、初対面の男がいきなりTV電話でヴァレンシュタインの事を教えてくれと言っても警戒するだけだ。まして辺境星域で哨戒任務という事は平民だから追いやられた可能性もある。何処かの馬鹿貴族を怒らせたか……。
ハウプト中将にディーケン少将への口添えを頼むと中将は快く引き受けてくれた。その場でディーケン少将に連絡を取り、面会の予約を取り付けてくれた。ディーケン少将はすぐ来てくれれば、一時間ほどなら時間が有ると言う。俺はリューネブルクと共にハウプト中将に礼を言って人事局長室を出た。
兵站統括部は軍務省の直ぐ傍にある。組織図上でも軍務省の管轄下に有ることを考えれば当然と言って良いだろう。第三局第一課はイゼルローン方面への補給を担当する部署で兵站統括部の中では主流と言えるだろう。
ディーケン少将は四十前後のごく目立たない風貌の人物だった。第三局第一課課長、五年前からその職に有るとのことだった。課長室に通されソファーに座ると向こうから話しかけてきた。
「ヴァレンシュタインの事を聞きたいとのことだが、何を知りたいのかな?」
「彼はどんな士官だったのでしょう」
ごくありきたりな質問になった。ディーケン少将もそう思ったのだろう、僅かに苦笑を漏らした。
「優秀な士官だった。仕事を覚えるのも早かったし、周囲との協調性も有った……。兵站統括部にはなかなか優秀な士官は配属されてこない。そんなところに彼がやってきたのだ。いずれは兵站統括部を背負って立つ男になるだろうと思った」
兵站統括部は決してエリートが集まる部署ではない。将来性など皆無の男たちか、貴族の次男、三男坊で戦場になど出たくないという人間が集まる。いわば帝国でも最もヤル気のない人間達が集まる部署だ。
鈍才が平凡に、平凡が優秀になる。そんなところに本当に優秀な人間がやってきた。周囲の期待は大きかっただろう……。
「書類を読むのを苦にしていなかった。楽しそうに読んでいたな、良い意味で軍官僚として大成するだろうと思った。書類を読むことを苦にする人間には事務処理など無理だからな」
リューネブルクが隣で居心地が悪そうに身動ぎした。俺も事務処理は苦手だし書類を読むのも決して好きではない。居心地が悪かった。
「彼はシミュレーションなどは此処ではやらなかったのですか?」
「やらなかった。少なくとも私の知る限り、彼が誰かとシミュレーションをしているところを見たことは無いし聞いたこともない」
ディーケン少将は俺の質問に断定するように答えた、自信が有るのだろう。あの男が用兵家としての才能に恵まれている事は分かっている。だが此処ではその素振りも見せていない。見えてくるのは軍官僚としての姿だけだ。用兵家、ヴァレンシュタインの姿は何処にもない……。
「イゼルローンに行かせたのは失敗だった。焦ることは無かった、もう少し後でも良かったのだ……」
呟くようにディーケン少将が言葉を出した。何処となく後悔しているようにも見える。同じ事をリューネブルクも思ったのだろう。ディーケン少将に問いかけた。
「それはどういう事です」
「イゼルローン要塞には補給状況の視察で行かせた。普通その仕事はもっと階級が上の人間が行う事になっている……」
つまりあの時は特別だった、そういう事か……。リューネブルクも興味深げにディーケン少将を見ている。
「つまり、異例だった……。何故です?」
「……顔見せのつもりだった。彼が有能だという事はイゼルローンの補給担当者にも直ぐ分かったはずだ。後二、三年もすれば彼が兵站統括部のキーマンの一人になると分かっただろう」
「……」
「此処は鈍才が平凡に見え平凡が優秀に見えるところだ。此処で物事をスピーディに動かそうとしたらキーマンになる人物を押さえるしかない。そしてイゼルローンは最前線だ、補給が緊急に必要になる場合もある。向こう側にキーマンを教えるのは必要なことなんだ。彼にとってもイゼルローンと強い繋がりが出来るのは悪い事じゃない」
皮肉だった、ヴァレンシュタインが有能だったから、ディーケン少将がほんの少し焦ったからイゼルローン要塞に行くことになった。そしてあの事件が起きた。イゼルローンに行かなければ亡命することは無く彼がリメス男爵になったかもしれない。或いは軍官僚として活躍したか……。幾つかの偶然がヴァレンシュタインを反乱軍へと押しやり、そして今が有る……。
ディーケン少将との会話はそれからも続いたが、そこに見えるヴァレンシュタインはあくまでも軍官僚としてのヴァレンシュタインだった。用兵家としてのヴァレンシュタインの姿は何処にもなかった。
帰り間際、ある女性下士官の机の上に有った写真が俺の足を止めた。何人かの女性下士官と一緒にケーキを食べるヴァレンシュタインの写真だ。楽しそうな、暖かい笑顔を見せている。女性下士官は俺に気付いたのだろう、無言で写真を伏せた。
他でも同じように写真を伏せる女性下士官が何人か居る。リューネブルクも気付いただろう、本当なら叱責すべきなのかもしれない。だが俺達は顔を見合わせると何も気付かなかったかのように歩きだした……。彼女達の知っているヴァレンシュタインは俺の知りたいヴァレンシュタインじゃない、今の彼は昔の彼に非ず……。
宇宙暦 794年 12月 30日 ハイネセン 宇宙艦隊総司部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
宇宙艦隊の総司令部に有る食堂で一人食事をしていると目の前にトレイを持った男が立っている。
「此処、良いか」
駄目と言っても座るだろう。時刻は二時近い、この時間になれば食堂はガラガラだ。目の前の男は食欲旺盛な男だ、この時間まで食事をしていないのは不自然だ。この時間に俺が食事をするのを確認してから来たのだろう。そして空席の目立つ食堂でわざわざ俺の前に来た。
「どうぞ、ワイドボーン准将」
ワイドボーンは席に座るとハンバーグ定食を食べ始めた。ちなみに俺はロールキャベツ定食を食べている。此処の料理は味は今一つだが量が多い。俺は小食だから量よりも味を良くして欲しいといつも思う。今もロールキャベツを少し持て余している。
「昨日、シトレ元帥と会った」
「……」
「例のオフレッサーの件を話したよ」
ワイドボーンがハンバーグを食べながら話す。視線をこちらに向けないのは故意か、それとも偶然か……。
「考え込んでいたな、お前の考えを聞いてこいと言われた。次の同盟の司令長官は誰にすべきか」
「……」
「上層部では次の司令長官にビュコック提督を考えているらしい。総参謀長にグリーンヒル大将だ」
今度はパンを食べ始めた。お前、味わって食べているか? どう見ても俺にはそうは見えないが……。
「考え直す余地はあるという事ですか?」
「まだ公になっていないからな」
「……貴官はどう思うんです。ビュコック提督で良いと思っていますか?」
ワイドボーンが口をナプキンで拭った。コーヒーを一口飲むと俺を見た。こいつ、初めて俺と視線を合わせたな。
「今の同盟ではベストの選択だろう。ビュコック提督は将兵の人望が厚いし、グリーンヒル大将も極めて堅実な人だ。ロボス元帥の失敗の後任としては最適だし上手く行くと思う」
「本気でそう思っているんだとしたら、貴方は馬鹿だ。私の言ったことをまるで理解していない」
「……随分な言い方だな」
「本当にそう思っているんです、何も分かっていないと」
ワイドボーンがむっとしているのが分かった。だがそれがどうした、怒っているのはこっちも同じだ。どいつもこいつも何も分かっていない。
「……言ってみろ、俺は何を分かっていない」
「帝国軍には二つの序列が有るんです。それが何か分かりますか?」
「……いや、分からない」
「一つは軍の序列、いわば階級です。そしてもう一つは宮廷序列、爵位や或いは有力者に繋がっているか……」
「……」
「軍での序列は低いが宮廷序列は高い、そんな連中が帝国には居るんです」
フレーゲル男爵がそうだ、軍では予備役少将……、言わばその他大勢の一人だ。だがミュッケンベルガーも彼を無視することは出来なかった。何故なら宮廷序列では男爵でありブラウンシュバイク公の甥でもあるからだ。極めて高い地位を持っている。
「そういう連中を指揮するんです。宇宙艦隊司令長官には“威”が必要なんです。宮廷序列を押さえて軍序列を守らせるだけの“威”が。それだけの“威”が無ければ大艦隊を指揮できない、帝国軍の上層部はそう考えている」
「……メルカッツ提督にはその“威”が無い。それは分かった、だが俺が聞いているのはビュコック提督の事だ」
「同じですよ、ビュコック提督にも“威”が無い」
俺の言葉にワイドボーンが顔を歪めた。
「何を言っている、ビュコック提督ほど兵の信望が厚い人は居ない、同じことを言ってやる。お前は何も分かっていない!」
「兵の信望は有るかもしれない、しかし将の信望はどうです」
「何?」
「宇宙艦隊司令長官は将の将です。ビュコック提督に将の将としての信望が有るかと聞いています」
「……」
「彼は士官学校を出ていない。周囲から用兵家として一目は置かれても各艦隊司令官が素直にその命令に従うと思いますか。従うのはウランフ提督、ボロディン提督ぐらいのものでしょう」
原作における第三次ティアマト会戦を思えばわかる。同盟軍第十一艦隊司令官ウィレム・ホーランド中将は先任であるビュコックの命令を無視、帝国軍に無謀な攻撃を仕掛け戦死した。
ホーランドだけの問題じゃない、ビュコックが会戦においてともに行動した指揮官を見るとウランフかボロディンがほとんどだ。おそらくは他の指揮官が嫌がったのではないかと考えている。実力は認める、宿将として尊敬もする。しかし士官学校を卒業していない奴に指揮などされたくない、そんなところだろう。
周囲が彼を司令長官として認めるのはおそらくは状況が悪化してどうにもならなくなってからだろう。原作で言えばアムリッツア以降だ。あの時点で宇宙艦隊司令長官など罰ゲームに近い。俺なら御免だ。
「ビュコック提督には周囲を抑えるだけの“威”が無いんです。否定できますか、ワイドボーン准将」
「……」
ワイドボーンは顔を強張らせている。
分かったか、ワイドボーン。お前がビュコックを評価しても仕方がないんだ。問題は各艦隊司令官がビュコック司令長官の命令を受け入れるかどうかなんだ。ビュコックは司令長官にするより艦隊司令官にとどめた方が良い。その方が同盟の戦力になる。
「それにグリーンヒル総参謀長も良くありません」
「……」
「あの人は穏健な常識人です。反抗的な艦隊司令官や参謀を押さえる事が出来ない。それが出来るくらいならフォーク中佐があそこまで好き勝手に振る舞う事は無かった……」
グリーンヒルはいかにも参謀向きの人物だ。但し指揮官が有能な人物でないと機能しないタイプだろう。上が馬鹿だったり、或いは弱いタイプだと十分に実力を発揮できないタイプだ。つまりビュコックとの組み合わせは良いとは言えない。能力はあるが周囲に弱い司令長官と総参謀長になる。ストレスがたまる一方だろう。
「なら、お前は誰が司令長官に相応しいと思うんだ」
「シトレ元帥です」
「な、お前何を言っているのか、分かっているのか?」
ワイドボーンの声が上ずった。まあ驚くのも無理はないが……。
軍人トップの統合作戦本部長、シトレ元帥が将兵の信頼を取り戻すためナンバー・ツーの宇宙艦隊司令長官に降格する。本来ありえない人事だ。だがだからこそ良い、周囲もシトレが本気だと思うだろう。彼の“威”はおそらく同盟全軍を覆うはずだ。その前で反抗するような馬鹿な指揮官など現れるはずがない。オフレッサーにも十分に対抗できるだろう。
俺がその事を話すとワイドボーンは唸り声をあげて考え込んだ。
「これがベストの選択ですよ」
「それをシトレ元帥に伝えろと言うのか?」
「私は意見を求められたから答えただけです。どうするかは准将が決めれば良い。伝えるか、握りつぶすか……」
「……」
「これから自由惑星同盟軍は強大な敵を迎える事になる。保身が大切なら統合作戦本部長に留まれば良い。同盟が大切なら自ら火の粉を被るぐらいの覚悟を見せて欲しいですね」
蒼白になっているワイドボーンを見ながら思った。シトレ、俺がお前を信用できない理由、それはお前が他人を利用しようとばかり考えることだ。他人を死地に追いやることばかり考えていないで、たまには自分で死地に立ってみろ。お前が宇宙艦隊司令長官になるなら少しは信頼しても良い……。
第四十二話 予感
帝国暦 485年 12月30日 オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル
「どうも気になるな」
「ミューゼル少将、何か分かったか」
「分かったというより、気になる」
俺の言葉にリューネブルク少将が眉を寄せた。
「今ヴァレンシュタインの成績表を見ているがどうにも腑に落ちないことが有る」
「と言うと?」
「シミュレーションの対戦数が妙に少ない……」
ヴァレンシュタインの成績表にはシミュレーションの成績も記載されていた。授業で行われたものだけではない。授業終了後にヴァレンシュタイン候補生がシミュレーションマシンを使用してゲームを行った記録も含まれている。その数が妙に少ないのだ。
士官候補生は皆シミュレーションを好んで行う。それによって戦術能力を高めるという事もあるが何よりも勝敗がきちんと分かる事、ゲーム感覚で行える事が好んで行われる理由になっている。ある意味遊びも兼ねていると言って良いだろう。
一日に一回から二回、授業も含めれば三回も行う時が有る。レポートや宿題をしなければならない時もあるが、平均して週に八~十回程は行うだろう。年間約五十週、夏季休暇等の休みを除いても四十週程度は有るはずだ。となれば年間で三百~四百、四年間の士官候補生時代では千二百~千六百程度のシミュレーションをこなすことになる。
「どのくらい少ないのだ?」
「普通、どんなに少なくても千二百程度はこなすはずだ、だが彼は八百回程度しかやっていない。多くこなす人間に比べれば半分程度だろう」
リューネブルクが俺の言葉に考え込んだ。
「確かに少ないな……。だが戦績はどうなのだ? 数をこなせばよいと言うものじゃないだろう」
戦績か……。それがまた俺を悩ませている。
「敗戦が三百以上ある……」
「本当か?」
リューネブルクの問いかけに黙って頷いた。リューネブルクも不審げな表情をしている。八百三十六戦して五百三勝三百三十三敗、勝率は六割を超えはするが決して優秀とは言えない。
「戦術家としての能力が無い、そういう事かな」
何処か戸惑いがちにリューネブルクが問いかけてきた。
「しかしヴァンフリートでは大敗を喫した……」
うーん、とリューネブルクが呻いた。俺も呻きたい気分だ、どう考えても納得がいかない。ヴァンフリートで戦ったから分かる。成績表と対戦したイメージが一致しない。
俺の持つヴァレンシュタインのイメージは辛辣で執拗で常にこちらの一枚上を行く強力な敵だ。ヴァンフリートではその辛辣さに何度か心が折れそうになった。折れれば戦死していただろう。
「武器、兵器の準備はしたが、戦闘指揮は別の人間が執ったと言う事は無いか? いや無いな、イゼルローンでミサイル艇による攻撃の欠点を見つけた男だ。戦術指揮能力が無いとは思えん」
リューネブルクが首を捻っている。その通りだ、どうにも腑に落ちない。反乱軍に加わってから戦術指揮能力を磨いた、そういう事か? どうもおかしい、俺は何か見落としているのか……。成績表を見直した。ヴァレンシュタインの戦術シミュレーションの成績は悪くない……、悪くない? どういう事だ?
「……なるほど、そういう事か……」
「何か分かったか」
リューネブルクが期待するような表情をした。思わず可笑しくなったが、笑いごとではなかった。俺の考えが正しければヴァレンシュタインはやはりとんでもない男だ。
「ヴァレンシュタインの戦術シミュレーションの評価は悪くない、いや、非常に高い。それなのにマシンを使っての戦績は悪い……」
「どういう意味だ、よく分からんが」
リューネブルクが困惑したような表情を見せた。
「授業では勝った、授業以外で負けた、そういう事だろう」
「授業では勝った、授業以外で負けた……、なるほど、そういう事か」
リューネブルクが頻りに頷いている。彼も納得したらしい。シミュレーションの成績と戦績が一致しないのはそのせいだ。
「問題はその授業以外で負けたシミュレーションだ、一体どんな内容だったのか、負けの数が多すぎる事を考えると……」
「……まともなシミュレーションではないな。勝算が極端に少ないケース、或いは皆無のケースだろう」
リューネブルクと視線が合った。難しい顔をしている。どうやら俺が気付いたことに彼も気付いたようだ。
「私もそう思う。おそらく対戦相手はコンピュータだろう。特殊な条件を付けたシミュレーションだ。リューネブルク少将、ヴァレンシュタインはどんな条件を付けたと思う?」
リューネブルクが俺を睨むような目で見た。そして低い声でゆっくりと答えた。
「敵が味方より遥かに強大か、或いは撤退戦だな。勝つ事よりも生き延びる事を選ばざるを得んような撤退……、ヴァンフリートだ!」
最後は吐き捨てるような口調になった。あの戦いを思い出したのだろう。
「私もそう思う。あの男は他の学生が勝敗を競っている時に生き残るためのシミュレーションをしていたのだと思う」
異様と言って良いだろう。俺も随分とシミュレーションは行った。撤退戦もかなりの数をこなした覚えはある。だが三百敗もするほど厳しい条件の撤退戦を行ったことは無い。生き残るという事に異常なほどに執着している。
彼にとって勝利とは生き残ることなのだろう。生き残るために戦う、そして負ける時は死ぬ時……。それは相手に対しても言えるに違いない。自らが生き残るために相手を殺す……、それこそが彼にとっての勝利なのだ。
勝敗ではなく生死を賭ける。ヴァンフリートでの三百万人の戦死がそれを証明している。自らを基地において囮にし、こちらを誘引することで殲滅することを計った……。
背筋が凍った。反乱軍との戦いはこれから烈しさを増すだろう。彼、ヴァレンシュタインが苛烈なものにする。そして宇宙は流血に朱く染まるだろう……。
「ミューゼル少将」
「?」
考えに耽っているとリューネブルクがこちらを心配そうな顔で見ていた。
「済まない、ちょっと考え事をしていた」
「そうか……、クレメンツ准将を呼んではどうだ?」
「呼ぶ? この元帥府にか?」
俺の言葉にリューネブルクが頷いた。
「ヴァレンシュタインの事を良く知っているというのも有るが、この元帥府は陸戦隊の人間が主だ。彼を呼べば卿の相談相手にもなってくれるだろう。士官学校の教官でもあったのだ、呼ぶだけの価値はあると思う」
「……なるほど」
確かにそうだ、此処では俺の相談に乗ってくれる人間は極端に少ない。リューネブルクは信頼できるが陸戦隊の指揮官だ。艦隊についての相談は出来ない。問題は彼がこの元帥府に来ることを是とするかだな。
「それとミュラーという人物だが、彼も呼んだ方が良い。例の一件を知っているのだろう、万一という事が有る」
「……」
その事は自分も考えなかったわけじゃない。しかし……。
「ヴァレンシュタインと戦う事になるかもしれない、彼の親友を巻き込みたくない、そう思っているのか」
「……」
俺の沈黙にリューネブルクは一つ鼻を鳴らした。だんだんオフレッサーに似てくるな。
「ヴァレンシュタインが反乱軍に居てミュラーが帝国軍にいる以上、何処かで戦う事になる。卿が心配する事じゃない。そんな心配をするより奴の身の安全を計ってやれ」
「……分かった」
強引なところも似てきた……。
宇宙暦 795年 1月 3日 ハイネセン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
年が明けたが宇宙艦隊司令長官はまだ決まらない。誰がなるかの噂も流れてこない。ワイドボーンがシトレ元帥に言ったのかどうかもわからない。まあ分からないことばかりだ。
という事で、俺は毎日書類の整理を行い、不味い食堂の飯を食べる日々を送っている。今日はハンバーグ定食を食べたがやっぱり美味くなかった。ワイドボーンは美味そうに食べていたが、あいつは味覚音痴なんだろう。デリケートさなんて欠片もなさそうな男だからな。明日は肉は止めて魚でも食べてみるか。
今日も俺が一番最後に帰宅だ。時刻は二十一時を過ぎている、つい書類整理に夢中になってしまった。周囲にはきりが悪いから残業すると言っているが本当は楽しいからだ。
ヤンは定時になるとさっさと帰宅する。ワイドボーンもそれほど遅くまで居るわけじゃない。サアヤは俺を手伝って残ろうとするが、遅くとも夜七時までには帰宅させるようにしている。一生懸命俺を手伝おうとしているようだが、俺は好きで残業しているんだ、付き合うことは無い。
残業は苦にならないんだが、問題は夕食だ。家に帰ってから作って食べるのは面倒だ、だが何処かで食べるのもな、俺は食が細いから外で食べるのはちょっと気後れする、量が多いのだ。何処かでサンドイッチでも買って帰るか……。
宇宙艦隊総司令部を出て家に向かって歩き出すと目の前に地上車が止まった。一瞬ロボスとかフォークが逆恨みして襲い掛かってくるのかと思って身構えたがそうではなかった。
「ヴァレンシュタイン准将、乗りたまえ」
ドアが開くと中から声が聞こえた。独特の低く渋い声だ。ごく自然に他人に命令することになれた声でもある。誰が乗っているかはすぐに分かった。断るわけにもいかない。今日はどうやら夕食抜きらしい。
「失礼します」
そう言うと車に乗った。中には初老の男性が一人乗っている。黒人、大きな口と頑丈そうな顎、シドニー・シトレ統合作戦本部長だった。ドアが閉まり車が動き出す。
「これから或る所に行く。話はそこに着いてからにしよう」
「分かりました」
或る所か、そこに誰が居るかだな。おそらくは先日の宇宙艦隊司令長官の件が話されるはずだ。シトレが人事問題を相談する人物……、さて、誰か……。
車はハイネセンでも郊外の割と静かな地域に向かっているのが分かった。小一時間程走っただろう、一軒の大きな家、いや屋敷の前に止まった。降りるのかと思ったが、シトレは何も言わない。と言うより俺が車に乗ってから一言も喋らない。感じの悪い男だ。
屋敷の門が開いた。地上車がそのまま中に入る。夜目にも瀟洒な建物が見えてきた。だが建物の周囲には警備する人間の姿が有る。軍服は着ていないが動きがきびきびしているところを見ると年寄りのガードマンと言う訳じゃない。それなりに訓練された人間達だ。
シトレが車を降りて建物の中に入った、俺もその後に続く。警備兵は咎めなかった、ボディチェックもしない。こちらを信用しているという事だろう。或いはそう見せているだけか……。
屋敷に入って思った。不思議な屋敷だ、どうみても綺麗すぎるし生活感があまり感じられない。普段は人が住んでいないのかもしれない。或いはここ最近人が住み始めたか……。正面に大きなドアが見える。招待者はあの中か……。
シトレがドアを開けて中に入った、その後を俺が入る。
「やあ、よく来てくれたね。ヴァレンシュタイン准将」
愛想の良い声だった。声の主に視線を向けると声同様愛想の良い笑顔が有った。誠意など欠片もない愛想の良い笑顔だ。
「お招き、有難うございます。トリューニヒト国防委員長」
トリューニヒトは部屋の中央に有るテーブルの椅子に座っていた。テーブルにはサンドイッチ等の軽食が置いてある。シトレが目で俺を促した、そしてテーブルに近づき席に着いた。俺も席に着く、トリューニヒトとシトレが向き合い、俺はシトレの横だ。トリューニヒトは俺の斜め横になる。
トリューニヒトが笑みを浮かべながら“遠慮なく食べてくれ、夕食は未だだろう”と声をかけてきた。遠慮なくいただくことにした。テーブルにはサンドイッチの他にサラダ、チーズ、揚げ物が置いてある。飲み物はワインと水だ。サンドイッチを取りグラスには水を注いだ。
「ヴァレンシュタイン准将、君は少しも驚いていない様だね」
「そんな事は有りません、大変驚いています。良識派と言われるシトレ元帥と主戦論を煽る扇動政治家が裏で繋がっていたのですから」
俺の言葉にシトレとトリューニヒトが顔を見合わせて苦笑するのが見えた。間違いない、この二人はかなり親しい。シトレに呼ばれた以上、話は宇宙艦隊司令長官の件だろう。となれば話に加わるのは国防委員会の有力者、又は政府の実力者だ。可能性としては先ずジョアン・レベロと考えていた。
トリューニヒトも考えないではなかったが、シトレと二人で俺を呼ぶことは無いと考えていた。誰か仲立ちが居るはずだと……、だがこの部屋には、トリューニヒト、シトレ、俺の他には誰もいない。この二人の繋がりは昨日今日のものじゃない。サンドイッチを頬張りながらそう思った。
「私がシトレ元帥と親しくなったのは君のおかげだよ、准将」
「?」
「例の情報漏洩事件だ。あの件では私もシトレ元帥も随分と苦労した。お互い面子も有ったが危機感も有った。一日も早く情報漏洩者を押さえなければ大変なことになったからね」
「もっとも私も委員長も余り役には立たなかった。事件が解決できたのは貴官のおかげだ」
あれか……、警察と軍でどちらが主導権を握るかで身動きできなくなった件だな。あんまり酷いんで俺も少し手伝ったが、あれがこの二人を近づけたか……。
なるほど、そういう事か……。ロボスはこの二人が繋がっているのではないかと疑った、或いは気付いた。そして繋げたのは俺だと邪推した。全くの邪推でもない、結果として俺がこの二人を結びつけたのは事実だ。但し、俺の知らないところでだが……。
となるとロボスが俺を嫌ったのはヴァンフリートが原因じゃない、いやそれも有っただろうがむしろこっちの方が主だっただろう。ロボスは何時気付いたのだろう、ヴァンフリートの会戦の前だろうか?
だとするとヴァンフリートでロボスが基地防衛よりも艦隊決戦に固執したのも或いは俺を見殺しにするつもりだったのかもしれない。原作通りの流れではあるが、動機は別という事は十分あり得る。どうやら俺は知らぬ間に軍上層部のパワーゲームに巻き込まれていたらしい。
道理でロボスが更迭されることを恐れたはずだ。トリューニヒトとシトレが結びついた。そしてグリーンヒルが参謀長として付けられ、グリーンヒルは俺を重用し始めた。流れとしてみれば自分が更迭され後任にグリーンヒルを持ってくる、そう見えたとしてもおかしくは無い。
溜息が出る思いだった。発端はアルレスハイム星域の会戦だった。あそこでサイオキシン麻薬の件を俺が指摘した。その事がこの二人を結びつけロボスの失脚に繋がった。何のことは無い、俺が此処にいるのは必然だったのだ。にこやかに俺を見るトリューニヒトとシトレを見て思った、俺も同じ穴のムジナだと……。
第四十三話 帝国領侵攻
宇宙暦 795年 1月 3日 ハイネセン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「なるほど、お二人が親しくなったのでロボス元帥が弾き出された……。そういう事ですか、トリューニヒト委員長?」
「酷い言い方をするね、君は」
俺の言葉にトリューニヒト苦笑を漏らした。どんな言い方をしても事実は変わらないだろうが。
「これでも分かりやすく力学的な言い方をしたつもりですが、御気に召しませんでしたか」
俺はにっこり笑ってサンドイッチをつまんだ。卵サンドだ、なかなかいける。腹が減っていると人間、攻撃的になるな。
トリューニヒトもサンドイッチをつまんだ。そしてワインを一口飲む。シトレは無言だ。ただ黙って食べているが口元には笑みが有る。食えない親父だ。だんだんこいつが嫌いになってきた。いや、元から嫌いだったか……。
「彼には正直失望した。あの情報漏洩事件を個人的な野心のために利用しようとしたのだ。あの事件の危険性を全く分かっていなかった」
トリューニヒトが首を振っている。ワインの不味さを嘆いている感じだな。シトレが顔を顰めた。つまりシトレにも関わりが有る……。
ロボスはあの事件をシトレの追い落としのために利用しようとしたという事か。何をした? まさかとは思うが警察と通じたか? 俺が疑問に思っているとトリューニヒトが言葉を続けた。
「自分の野心を果たそうとするのは結構だが、せめて国家の利益を優先するぐらいの節度は持って欲しいよ。そうじゃないかね、准将」
節度なんて持ってんのか、お前が。持っているのは変節度だろう。
しかし国家の利益という事は単純にトリューニヒトの所に駆け込んでこの件でシトレに責任を取らせ自分を統合作戦本部長にと言ったわけではないな。警察と裏で通じた……、一つ間違えば軍を叩きだされるだろう。となると捜査妨害、そんなところか……。
「節度がどうかは分かりませんが、国家の利益を図りつつ自分の野心も果たす。上に立とうとするならその程度の器量は欲しいですね」
「全くだ。その点君は違う。あの時私達を助けてくれたからね。国家の危機を放置しなかった。大したものだと思ったよ」
突き落としたのも俺だけどね。大笑いだったな、全員あの件で地獄を見ただろう。訳もなく人を疑うからだ、少しは反省しろ。まあ俺も痛い目を見たけどな。俺はもう一度笑みを浮かべてサンドイッチをつまんだ。今度はハムサンドだ。マスタードが結構効いてる。
「ロボス元帥に呆れている時にシトレ元帥と親しくなれたのだ。君ならどうするかね」
俺を試してどうするつもりだ、トリューニヒト。弟子にでもするつもりか。
「ロボス元帥は道具として使いますね、手を組むならシトレ元帥でしょう」
ウシガエルは使い勝手が悪くなればいつでも切り捨てる。道具とは本来そういうものだからな。俺の答えにトリューニヒトはシトレと顔を見合わせ楽しそうに笑った。
「見事だ、君は軍人より政治家に向いているよ。私もそうしたのだがね、困った事にロボス元帥が私と彼の仲に気付いたのだ」
三角関係か、モテる男は辛いな、羨ましい限りだよ、トリューニヒト君。但し、三角関係を上手くさばけないようではちょっと不安だな。色男としては二流だ。もっとも政治家としては三流だからな、まだましか。
ロボスの耳元で“頼りにしているよ”とか囁いてやれば良かったんだ。豚もおだてりゃ木に登るじゃないがウシガエルは有能な道具になってくれただろう。
「それでロボス元帥は焦ったのですね」
「道具であることに満足していれば良かったのだがね」
「全く同感です」
おかげでこっちがえらい迷惑をした。そしてトリューニヒトはシトレを使って馬鹿な道具を切り捨てたと言う訳か。俺はそのお手伝いをしたわけだな、腐臭が漂ってきた、うんざりだ。
しばらくの間無言が続いた。皆食べる事に専念している。どうやらこの二人も食べていなかったらしい。まさかとは思うが俺を待っていたのか? そう思っているとドアが開いた。
「遅いぞ、レベロ」
「すまんな、シトレ、トリューニヒト。パーティが長引いた」
驚きはしなかった。やはり来たかという感じだ。ジョアン・レベロ、財政委員長だ。まあ戦争には金がかかる、軍と財政は仲が悪いものだが原作では戦争反対派だった、生真面目でその所為で最後は貧乏くじを引いた。
シトレとは幼馴染のはずだ。となるとトリューニヒトとレベロを結びつけたのはシトレか。しかし生真面目な財政家と良識派の軍人が裏で主戦論を煽る扇動政治家と組んでいる? 魑魅魍魎の世界だな。
レベロがトリューニヒトの横に座った、俺の正面だ。トリューニヒトとレベロの間には緊張感は感じられない、ごく自然な感じだ。この二人もかなり以前から親密な関係に有るのは間違いない。となると此処にはいないがホアン・ルイも関係している可能性が有るだろう。
何がどうなっているのか今一つ分からない。レベロとシトレなら分かる、そこにホアンが加わっても分かる、良識派の集まりだ。だがトリューニヒトが絡んでいる、単純な話ではないだろう。
こいつらは何かを目的として組んでいるはずだ。単純に権力の維持が目的というわけではなさそうだ。となると俺を呼んだ理由も司令長官の人事だけではなさそうだな。他に何か有るに違いない。
「君がヴァレンシュタイン准将か。噂は色々と聞いている」
「恐れ入ります、レベロ委員長」
どんな噂だか知らないが碌なもんじゃないのは間違いない。首切りヴァレンシュタインか、血塗れヴァレンシュタインか……。同盟でも帝国でも血腥い噂だろうな。食欲が無くなってきた。
レベロがグラスに水を注いで一口飲んだ。フーッと息を吐いている。
「はじめてもいいか、レベロ」
「ああ、構わんよ」
レベロとトリューニヒトの会話でも分かる、この二人は対等の関係だ、どちらかが主導権を握っているわけではない。この三人の共通の目的……、さて……。
「ヴァレンシュタイン准将、自由惑星同盟は帝国に勝てるかね?」
「……」
これまた、ど真ん中に直球を放り込んできたな、トリューニヒト。さて、どう答える?
「勝つという事の定義にもよりますね。オーディンに攻め込んで城下の誓いをさせると言うなら、まず無理です。同盟を帝国に認めさせる、対等の国家関係を築く事を勝利とするなら、まだ可能性は有ります、少ないですけどね」
俺の答えに三人は顔を見合わせた。
「軍事的な勝利が得られないと言うのはイゼルローン要塞が原因かね」
「違いますよ、レベロ委員長。同盟は帝国に勝てないようにできてるんです」
俺の言葉にトリューニヒトとレベロの顔が歪んだ。それにしてもどうして対帝国戦って言うとイゼルローン要塞攻略戦になるのかね。条件反射みたいなもんだな、パブロフの犬か。
「仮にですがイゼルローン要塞を攻略したとします。この後同盟が帝国に軍事行動をかけるとすると方法は二つです。一気に敵の中心部、オーディンを攻めるか、または周辺地域から少しずつ攻略するかです」
喉が渇いたな、水を一口飲んだ。レベロとトリューニヒトは先を聞きたくてもどかしそうな顔をしているがシトレは面白そうな顔をしている。やっぱりこいつは性格が悪いに違いない、嫌いだ。サンドイッチを一つつまんでまた水を飲んだ。
「准将、話を続けたまえ」
せっかちな男だな、レベロ。そうイラついた顔をするんじゃない。余裕が無い男は嫌われるぞ。
「一気に敵の中心部を突く、話としては面白いんですが問題は帝国軍の方が兵力が多い事です。正規艦隊の戦力は同盟軍は帝国軍の三分の二しかありません。攻め込めば補給線も伸びますし、軍事上の観点から見た星域情報もない。補給線を切られ大軍に囲まれて袋叩きに遭うのが関の山ですね。少ない兵力はさらに少なくなる。国防そのものが危険な状態になるでしょう」
レベロが面白くなさそうに息を吐いた。そんな様子を見てシトレが含み笑いを漏らした。
「まあ、大軍を用いることで敵を占領できるのならとうの昔に同盟は帝国に占領されているだろう」
分かってるんなら自分で説明しろよ。何で俺にさせるんだ、今度はハムチーズサンドだ。怒ると腹減るな、自棄食いってのはこれか。
「もし万一、同盟が帝国を下したとして、その後の占領計画のような物は有るのですか? 政府は打倒帝国と声を張り上げていますが?」
俺の質問にレベロとトリューニヒトが顔を顰めた。
「残念だが、そんなものは無い」
「嘘はいけませんね、無いのではなくて作れないのでは有りませんか、レベロ委員長」
「……」
今度は無言でレベロがサンドイッチを食べた。お前も自棄食いか、レベロ。
元々同盟は帝国より弱小だった。何とか追いつこうと必死だったはずだ。その時点で占領計画など作れるわけがない。ようやく国家体制が整ってきた頃にはイゼルローン要塞が同盟の前に塞がった。占領計画はイゼルローン要塞を落としてからと考えたのだろう。
と言うより、そうするしかできなかったのだと思う。同盟の人口は百三十億、帝国は二百四十億、倍近い人口を持つ帝国を占領して治めるなど、どう考えれば良いのか……、どれだけの費用が発生するのか……。おまけに政治体制も文化もまるで違う上に情報も不十分だ。占領計画など作りたくても作れなかった。イゼルローン要塞を落としてからという先送りで誤魔化すしかなかった、そんなところだろう。
「准将、では周辺地域から少しずつ攻略した場合はどうかね」
レベロ君、もう一つハムチーズサンドを食べて水を飲んだら答えよう。少し待ちなさい。ついでに卵サンドだ、水も一口。
「その場合はもっと酷くなりますね。おそらく財政破綻と国内分裂で同盟は滅茶苦茶になるでしょう。それはレベロ委員長が一番分かっている事のはずです」
「……」
レベロが不機嫌そうに顔を顰めた。やはり図星か、感情がもろに顔に出るんだな、レベロ君。それでも政治家かね、君は。しかし分かっていて問いかけてくるとは根性悪にも程が有るな。それともまさか本当に分からない? 一応説明しておくか……。
辺境星域を少しずつ浸食する、堅実に見えるが結果は碌でもないものだろう。帝国政府は領土の侵食など名誉にかけて受け入れられない。だがそれ以上に民主共和政が領内に蔓延ることを許さない。一つ間違えば辺境星域で平民による革命騒ぎが発生するだろう、危険なのだ。
イゼルローン要塞の建造は同盟領への侵攻の拠点の確立、そして帝国領の防衛拠点の確立でもあるが、もう一つ、イゼルローン要塞を置くことで回廊を軍事回廊に限定するという考えが有ったのではないかと俺は考えている。要塞を置くことで民間船の航行を阻止し民主共和政という思想が帝国領内に入るのを防ぐ。
帝国にとっては民主共和政という思想は感染力が高く、致死率も高い厄介な病原菌のような物だっただろう。帝国を病原菌から隔離するためにイゼルローン要塞というマスクを用意した。
帝国にとってはこちらの方が切実だったはずだ。帝国の統治者達が恐れたのは何よりも革命が起きる事で政治体制がひっくり返ることだったろう。そうなれば失脚するだけではない、財産も命もすべて失う事になりかねない。
もう一度言う、帝国が帝国領内に民主共和政主義者の拠点など許すはずがない。帝国軍は同盟が得た辺境領に対して激しい攻撃をかけてくる。軍だけじゃない、貴族も軍を率いて攻めてくる。多分こちらの方が激しく攻めてくるだろう。
同盟軍は防衛に追われまくることになる。レベロが原作で言っていた財政事情が許す範囲での制限戦争なんてもんは無くなる。後先考えない全面戦争だ、そいつが何をもたらすか……。
辺境を守るためにどの程度の戦力が必要か……。辺境には少なくとも三個艦隊は必要になるだろう。さらに治安維持、防衛のための陸戦隊の配備。そしてイゼルローン要塞と辺境を往復する輸送船、護衛艦の配備。さらにイゼルローン要塞にも駐留艦隊以外に最低でも一個艦隊、いや二個艦隊は置かなければならないはずだ。
戦闘が激化するとなればイゼルローン要塞の傍に補給基地の建設、まあこれはヴァンフリートが有るとしても他に損害を受けた艦船の修理をするドックや負傷した兵を収容する病院もいるだろう。戦争する以上損害は生じる。問題はどれだけ早く損害を回復できるかだ。そうでなければ効率的に戦争できない。
膨大な費用が発生する。軍事費は増加する一方だろう。さらに辺境への開発投資費用も考えなければならない。帝国と同盟は違う、同盟は平民を搾取するようなことはしない、それを証明するために辺境に資金を投入し続けなければならない。後々帝国中心部への侵攻時に後方基地として使うためにも開発は必要だ。打倒帝国を叫ぶ以上どうしてもそうなる。
金が出ていく一方で戦争は激化し終焉は見えない。同盟市民は重税と戦争に喘ぐだろう。そしてどこかで辺境領の放棄と言う意見が出る。その中で帝国との和平を唱える者も出るだろう。そして国内は分裂するに違いない、撤退を支持するものと拒否するものに……。
撤退を選択すればイゼルローン要塞を拠点としての防衛戦が同盟の国防方針になる。戦争は多少沈静化するだろうがそれは帝国の辺境を見捨てた代償だ、後ろめたい代償で喜べるものではない。なにより同盟市民は打倒帝国という国是を捨てたのだ、国家の存在意義を問い直すことになるだろう。
長い混乱が発生するに違いない。その中で再度の帝国領侵攻も実行されるかもしれない。国家方針が定まらず混乱する国家ほど国力をロスするものは無い。戦争で弱体化した国力が回復するには時間がかかるだろう。回復できればだが……。
それに戦争は沈静化はしてもなくなるわけではない。なにより帝国は同盟の危険性を再認識したはずだ。イゼルローン要塞の奪回を執拗に繰り返すだろう。戦争は続くのだ。
そして帝国の辺境星域では住民達が同盟に対して、民主共和政に対して強い不信、不満を持つだろう。同盟が再度辺境星域に侵攻しても今度は以前ほど住民の協力は得られないはずだ。撤退を受け入れれば戦争の沈静化と混乱が、拒否すれば果てしない戦争の激化と重税……。退くも地獄なら進むも地獄だ。
俺が話し終わっても誰も口を利かなかった。トリューニヒトは無表情に黙ってグラスを口にしている。レベロは沈鬱な表情だ、そしてシトレは目を閉じて腕を組んでいる。俺は卵サンドを口に入れて水を飲んだ。喋ると腹が減る。
この三人は俺が話している間一言も喋らなかった。似た様な事を考えたことが有るからだろう。シトレとレベロは分かる。この二人が軍事、財政の面から帝国領侵攻について話し合ったとしてもおかしくない。その中で似たような結論を出したとみて良い。
だが問題はトリューニヒトだ。イケイケドンドンの主戦論者が黙って聞いている。怒るそぶりもない。どう考える? 所詮主戦論などトリューニヒトにとっては票集めの一手段という事か……。
「帝国人の君から見ても同盟の勝ち目は低いか……。となるとイゼルローン要塞を奪取して防衛体制を整えるしかないな」
「そんな簡単に落ちる要塞ではないぞ、トリューニヒト」
「しかしやらなければ効率が悪い。軍事費を抑えたいのだろう、レベロ」
「……」
レベロが顔を顰めた。しかし問題はトリューニヒトだ、今何と言った? 軍事費を抑えたい? 主戦論者が軍事費の削減を考える?
「失礼ですが、小官はイゼルローン要塞攻略には反対です」
「何故だね」
分からないのかね、トリューニヒト君。仕方がない、君のために謎解きをしてあげよう。俺が原作知識を持っている事に感謝したまえ。
「イゼルローンを取れば同盟市民は必ず帝国領侵攻を大声で叫びますよ。それを抑えられますか?」
「……」
そんな怖い顔で俺を睨むなよ、レベロ。トリューニヒトとシトレを見習え、奴らにはまだ余裕が有るぞ。根性が悪いだけかもしれんが。
「まず無理ですね。これまで百五十年間、一方的に攻め込まれていたんです。攻め込むことが出来るようになった時、同盟市民が最初に考えるのはようやくこれで仕返しができる、今度はこっちの番だ、そんなところです。間違ってもイゼルローン要塞で敵を待ち受けようなどとは考えません」
「……」
「トリューニヒト委員長、主戦論者の貴方に彼らを抑える事が出来ますか? 裏切り者と呼ばれるでしょうね。もっともどうやら既に裏切っているようですが……」
俺の目の前で苦笑するトリューニヒトが見えた。どうやら図星らしい。どんな言い訳をするのやらだな。俺はにっこり笑うとハムサンドを一つ口に運んだ。もう十一時だ、早く結論を出して話を終わらせよう。
第四十四話 和平の可能性
宇宙暦 795年 1月 3日 ハイネセン エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「先程から聞いていると君は身も蓋もない言い方をするね、准将」
苦笑交じりにトリューニヒトが答えた。レベロは渋い顔をシトレは笑みを浮かべている。やはりこの中ではトリューニヒトとシトレがしぶとい。レベロはまだ青いな、いや正直と言うべきか。
「言葉を飾っても事実は変わりませんし、小官は委員長を責めているつもりも有りません。口から出した言葉と考えている事が違う政治家など珍しくもないでしょう」
「……」
そう嫌な顔をするなよ、レベロ君。別に政治家が皆嘘吐きだと言ってるわけじゃない。嘘吐きが多いと言ってるだけだ。中には正直な政治家もいる、もっとも俺はまだ見たことは無いがね、残念なことにあんたも含めてだが。
いい加減、ハムチーズサンドと卵サンドは飽きたな。次はコンビーフとツナで攻めてみるか。一口サイズだからいくらでも入る。俺がコンビーフとツナを取るとトリューニヒトも釣られたように同じものを取った。気が合うな、でも手加減はしないぞ、トリューニヒト、覚悟しろ。
「政治は結果です。結果さえ出していただければプロセスに関して文句は言いません……。ところで小官の質問に答えていただきたいのですが」
トリューニヒトがまた苦笑した。そしてレベロ、シトレへと視線を向ける。一つ頷いてから話し始めた。
「私は主戦論を唱えているが主戦論者と言う訳ではない」
トリューニヒトが俺を見つめながら言う。俺はその気はないぞ、他を当たれ。あんたが必要とするのは権力であって主義主張じゃないって事だろう。市民が望む言葉を言うだけだ。このコンビーフは結構いける。マヨネーズが良い。
「私は自由惑星同盟を民主共和政を愛している。それを守りたいと思っている」
ちょっと違うな。あんたは他人から称賛される事で生きていることを実感できる人間なんだ。そのために一番分かりやすい政治制度は議会制民主主義だ。つまり自由惑星同盟はあんたの生存圏なわけだ。あんたは自由惑星同盟を愛しているのではなく自らの生存圏を必要としているだけだ、とおれは思っているよ。
「それでこの集まりはなんです?」
「帝国との和平を考えている集団だ」
トリューニヒト君が厳かに答えた。断っておくが俺はメンバーに入れるなよ。死んだ母さんから悪い人と付き合っちゃいけないと言われているんだ。お前らなんかと一緒にいると母さんが嘆くだろう。“私のかわいいエーリッヒが、何でこんな悪い人達と”ってな。
まあ、少なくとも打倒帝国を企む正義の秘密結社なんて言われるよりは納得がいく。しかし自由惑星同盟で政府閣僚と統合作戦本部長が密かに和平を画策するか。なかなか楽しいお話だ。うん、ツナサンド、美味しい。ハートマークを付けたくなった。宇宙艦隊司令部の食堂もこれぐらいのサンドイッチを作って欲しいもんだ。
「私とレベロは以前から密かに協力し合う仲だった。君が言ったように同盟は帝国には勝てない、勝てない以上、戦争を続ける事は無益だし危険でもある。何とか帝国との間に和平をと考えているのだ」
最初はレベロとトリューニヒトか……。意外ではあるな、レベロとシトレかと思っていた。シトレが加わったのはアルレスハイムの会戦以降、レベロとトリューニヒトの繋がりはそれ以前から……。この連中はそれなりに本気で和平を考えている、そういう事かな……。
「私が主戦論を唱えた理由は二つある。一つは主戦論を唱える事で軍内部の主戦論者を私の下に引き寄せコントロールすることが目的だった。彼らを野放しにすれば何時暴発するか分からない、それを避けるためだ」
世も末だな、クーデターが怖くてごますりかよ。主戦論者なんて声のでかい阿呆以外の何物でもないだろう。馬鹿で阿呆な軍人などさっさと首にすればいい。最前線に送り込んで物理的に抹殺するか、退役させるか。最前線送りの方がベターだろうな。
まあ遺族年金という出費が発生するが後々面倒が無くて良い。金でケリがつくならその方が楽だ、死人は悪さはしない。惑星カプチェランカに送って全員凍死させてやれ。
「もう一つは主戦論を唱えていた方が和平に賛成したときに周囲に与えるインパクトが大きいと思ったのだ。最も強硬な主戦論者が和平を支持した。戦争よりも和平の方が同盟のためになる、周囲にそう思わせることが出来るだろう」
なるほど、それは有るかもしれないな。問題は自分の役に取り込まれないようにすることだ。主戦論者のまま身動きできないようになったら間抜け以外の何物でもない。
しかし扇動政治家トリューニヒトが和平を考えるか、冗談なら笑えないし、真実ならもっと笑えない。原作ではどうだったのかな、トリューニヒトとレベロは連携していたのか……、トリューニヒトの後はレベロが最高評議会議長になった。他に人が居なかったと言うのも有るだろうが、あえてレベロが貧乏くじを引いたのはトリューニヒトに後事を託されたとも考えられる。いかん、ツナサンドが止まらん。
さて、どうする。連中が俺に和平の件を話すと言う事は俺の帝国人としての知識を利用したいという事が有るだろう。そして和平の実現に力を貸せ、仲間になれという事だ。どうする、受けるか、拒絶か……。レベロ、シトレ、トリューニヒト、信用できるのか、信用してよいのか、一つ間違えば帝国と内通という疑いをかけられるだろう。特に俺は亡命者だ、危険と言える。
「君は先程同盟を帝国に認めさせる、対等の国家関係を築く事は可能だと言っていたね」
「そんな事は言っていませんよ、レベロ委員長。可能性は有ります、少ないですけどねと言ったんです」
シトレとトリューニヒトが笑い声を上げた。レベロの顔が歪み、俺をきつい目で睨んだ。睨んでも無駄だよ、レベロ。自分の都合の良いように取るんじゃない。お前ら政治家の悪い癖だ。どうして政治家って奴は皆そうなのかね。頭が悪いのか、耳が悪いのか、多分根性が悪いんだろう。
いや、それよりどうするかだ。和平そのものは悪くない、いや大歓迎だ。これ以上戦争を続ければ何処かでラインハルトとぶつかる。それは避けたい、とても勝てるとは思えないのだ、結果は戦死だろう。戦って勝てないのなら戦わないようにするのも一つの手だ。三十六計、逃げるに如かずと言う言葉も有る。そういう意味では和平と言うのは十分魅力的だ。
「その可能性とは」
どうする、乗るか? 乗るのなら真面目に答える必要が有る……。この連中を信じるのか? 信じられるのか? ……かけてみるか? 血塗れとか虐殺者とか言われながらこのまま当てもなく戦い続けるよりは良い……、最後は間違いなく戦死だろう。
同盟が滅べば俺には居場所は無いだろう。生きるために和平にかけるか……。宇宙は分裂したままだな、生きるために宇宙の統一を阻む。一殺多生ならぬ他殺一生か、外道の極みだな、だがそれでも和平にかけてみるか……。
「准将、どうかしたのかね」
気が付くとレベロが心配そうな顔をしていた。トリューニヒトもシトレも訝しそうな表情をしている。どうやら俺は思考の海に沈んでいたようだ。
「いえ、何でもありません。簡単なことです、殺しまくることですよ、レベロ委員長」
振り返るな、サンドイッチを食べるんだ。周囲を不安にさせるような行動はすべきじゃない。連中に俺を信じさせるんだ。今度はトマトとチーズのサンドイッチだ。チーズはモッツァレッラ、バジリコも入っている。インサラータ・カプレーゼか、これは絶品だな。
「殺しまくるって、君……」
そんな呆れたような声を出すなよ、レベロ。いかんな、トリューニヒトもシトレも似たような表情だ。俺の答えに呆れたという事はこいつら根本的な部分で帝国が分かっていない。分かっていないから和平なんて事を考えたか。知っていれば考えなかったかもしれん。早まったか? 違う、だから俺の知識が必要なのだ! 振り返らずに前に進め!
「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝……。分かりますか、帝国は対等の存在など認めていないんです。彼らを和平の席に着かせるには帝国軍の将兵を殺しまくってこれ以上戦争は出来ないと思わせるしかありません」
部屋に沈黙が落ちた。俺は極端なことを言っているつもりはない。どんな戦争でも限度と言うものは有る。帝国と同盟の戦争で帝国が許容できない損害とは何か?
同盟領内部で戦うのだから領土は論外だ。となれば後はどれだけ帝国軍の兵士を殺したか、帝国の軍事費を膨大なものにしたかという事になる。戦死者に対する遺族年金もその一つだ。簡単に言えばアムリッツアを帝国相手に実施することだ。二千万人も殺せばいくら帝国でも当分戦争は出来ない。和平という事も考える可能性はある。
考えなければその時点でイゼルローン要塞攻略を実施しても良い。その上で帝国領侵攻を匂わせる……。或いは辺境星域に対して一個艦隊による通商破壊作戦を実施する。帝国も本気で和平を考えるだろう。問題は本気で帝国領侵攻なんて馬鹿なことをしないことだな。
テーブルの上にはサンドイッチが残っている。皆なんで食べないのかね、残しても仕方ないぞ。俺はインサラータ・カプレーゼをもう一つ頂こう、実に美味い。
「イゼルローン要塞を攻略すれば帝国領への侵攻という最悪の選択肢が待っています。となれば同盟領内で帝国軍の殲滅を繰り返すしかないんです。違いますか?」
「……」
殺せ、ただひたすら殺せか……。なんとも血腥い話だな、うんざりする。血塗れのヴァレンシュタイン……、そのうち赤ワインの代わりに帝国軍人の生き血を啜って生きているとか言われそうだ。
「他に選択肢は無いのかね」
低く押し殺した声でシトレが問いかけてきた。真打登場か、シトレ。
「選択肢は有りませんね、ただ……」
「ただ?」
「ただ……、現時点で帝国には不確定要因が有ります。それによっては別な選択肢が発生する可能性はあるでしょう……」
俺の言葉にトリューニヒト、レベロ、シトレが顔を見合わせた。トリューニヒトがこちらを窺うように問いかけてきた。
「その不確定要因とは、何かね」
「皇帝フリードリヒ四世の寿命です」
俺の言葉にトリューニヒト、レベロ、シトレがまた顔を見合わせた。この三人が全くそれを検討したことが無いとも思えない。だがどこまで検討したか……。
「皇帝フリードリヒ四世は後継者を定めていません。皇帝が死ねば帝国は皇帝の座を巡って内乱が発生する可能性が有ります」
「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯か」
トリューニヒトが呟きレベロとシトレがそれぞれの表情で頷いている。やはりな。この三人は内乱を検討している。
「それだけとは限りません」
「?」
「次の皇帝候補者はブラウンシュバイク公爵家のエリザベート、リッテンハイム侯爵家のサビーネ、そしてエルウィン・ヨーゼフ……」
「エルウィン・ヨーゼフ? しかし彼には有力な後ろ盾が無いだろう」
甘いな、シトレ。どうやらお前達は皇帝フリードリヒ四世の死後を検討はしたがブラウンシュバイクとリッテンハイムの内乱で終わりのようだな。おそらくはブラウンシュバイク公が有利、そんなところか。原作知識が有るせいかもしれないが酷く心許ない。
「彼は亡くなったルードヴィヒ皇太子の息子です。三人の中では一番血筋が良い、おまけに男子です」
「しかし」
「彼には後ろ盾が無い、逆に言えば誰もが後ろ盾になれる。そういう事です」
「!」
トリューニヒト、レベロ、シトレが顔を見合わせた。そして今度は俺を見ている。なんか嫌な感じだな、俺は無視して水を飲んだ。今度はレベロが俺に問いかけてきた。
「しかしブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を敵に回すだけの実力を持った貴族などいるのかね。両家とも親族が多く兵力も多い、そう簡単に敵に回せる相手ではないが」
シトレが頷きトリューニヒトは考え込んでいる。
「軍を味方に付ければ可能でしょう。誰が軍の実戦部隊を握っているか、それを利用しようとする人間が現れるか、それによって内乱の行方は変わります。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯の争いで終わるのか、それとも軍も加わって帝国を二分、三分する大乱になるのか……。その中で選択肢が発生する可能性が有ると思います」
三人が考え込んでいる。選択肢について考えているのだろう。原作ではラインハルトが軍の実戦部隊を握った。リヒテンラーデ侯がラインハルトと手を組みブラウンシュバイク、リッテンハイム連合を破った。そしてその後、ラインハルトによってリヒテンラーデ侯が粛清された。
この世界ではどうなるのか……。先ず皇帝がいつ死ぬかだな、原作通りなら来年の十月だ。問題はそれまでにラインハルトが軍を掌握できるかだが、ちょっと難しいだろう。ヴァンフリートの敗戦が効いている、あそこで足踏みしたことは大きい。
となるとリヒテンラーデ侯は誰と組む? 場合によっては最初から皇位継承争いから降りる可能性もあるな。ブラウンシュバイク、リッテンハイムの一騎打ちか。勝った方にラインハルトを粛清させる……。ブラウンシュバイク公が勝てばフレーゲル辺りを焚きつけるか。場合によってはアンネローゼがフリードリヒ四世を殺したという噂を流すのも良いだろう。
帝国の分割統治という方法はないかな、なんならエルウィン・ヨーゼフを入れて三分割でもいい。イゼルローン方面を抑えた勢力と和を結ぶ。帝国の分裂状態を固定化できればそれだけで自由惑星同盟は平和を享受できる……。
先走るな、自分に都合のいいことばかり考えるんじゃない。ラインハルトに代わる人物が出るかもしれないし、或いはラインハルトが誰かを担いで帝国の覇権を握ろうとするかもしれない。そうであれば必ずしも軍を掌握している必要は無い……。
分からんな、いくつかの選択肢が見えて来るんだろうが今の時点では分からない。ただ分かっている事は皇帝が早く死んだ方がベターだという事だ。遅くなればラインハルトの地位が上がる。場合によっては軍を掌握している可能性もある。その場合は原作とほとんど変わらない流れになるだろう。一番避けたいケースだ。
「フリードリヒ四世の死か……。一体何時の事なのか……」
トリューニヒトが呟く。頼りない不確定要因だと思ったのだろう。フリードリヒ四世は未だ十分に若い。今の時点で彼が近未来に死ぬと予測している人間など居ない筈だ。
「皇帝は必ずしも健康ではありません。意外に早いかもしれませんよ」
俺の言葉に三人が顔を見合わせた。実際早くなってほしいもんだ。
「我々が今準備する事は?」
トリューニヒトが囁くような声で問いかけてきた。
「軍を精強ならしめる事です」
「……シトレ元帥の宇宙艦隊司令長官への就任だね」
「ええ」
トリューニヒトがシトレと視線を交わす。互いに頷くとトリューニヒトは俺を見た。
「シトレ元帥を宇宙艦隊司令長官にしよう。後任の本部長はグリーンヒル大将だ。但し、彼は代理という事になる」
なるほど、統合作戦本部長の椅子はシトレのものと言う訳か。これは一時的な処置という事だな。結構、大いに結構だ。その方がシトレの権威はより増すだろう……。
宇宙暦 795年 1月 4日 ハイネセン シドニー・シトレ
会合が終わったのは日付が変わって三十分も経ったころだった。私は地上車で自宅に戻る途中だ。隣にはヴァレンシュタイン准将が居る。地上車に乗ってから彼は一言も口を利かない。ただ黙って何かを考えている。
「何を考えているのかね」
「……未来を」
「未来か、どんな未来かね」
彼が考える未来とはどんな未来なのか、少し興味が有った。和平を結び退役して何かやりたい事でもあるのだろうか……。
「帝国史上最大の裏切り者、銀河史上最大の大量殺人者、私がそう蔑まれる未来とはどんなものかを考えていました」
「……」
冷静な声だった。顔を見たが感情は見えなかった。皮肉を言っているわけではなかった。自分を蔑んでいるわけでもなかった……。
帝国軍を殺しまくる。和平のために殺しまくる。確かに彼は帝国史上最大の裏切り者、銀河史上最大の大量殺人者、そう呼ばれることになるかもしれない……。気が重くなった、そう仕向けたのは私だがそれでも、いやそれだからこそ気が重い。
「元帥」
「何かな、准将」
「宇宙艦隊の司令官を交代させてください。今のままでは信用できません。まともに戦えるのは第五、第十、第十二くらいのものです」
ビュコック、ウランフ、ボロディンか……。確かにそうだな、後使えるのと言えば第一のクブルスリーだが、名前は出なかったな。
「交代と言っても後任者はどうする」
「先ず、ラルフ・カールセン、ライオネル・モートンの両名を艦隊司令官にしてください。後は徐々に入れ替えましょう」
なるほどカールセン、モートンか。両名とも士官学校を出ていないが実力は確かだ。ロボスの失態で下がった兵の士気を叩き上げの両名を司令官にすることで上げようという事か。一石二鳥、悪くない案だ。
「良いだろう、トリューニヒト委員長に相談しよう。だが何故先程言わなかったのかね?」
「貴方の周囲は馬鹿ばかりです、そう言っては委員長閣下も気を悪くするでしょう」
余りの言い様に失笑した。この青年はこれでもトリューニヒトに気を使ったらしい。
「それとヤン准将を昇進させて正規艦隊の司令官にしてください」
「ヤン准将を、しかし」
「次の会戦が終わったらで構いません。適当な理由で彼を中将にしてください」
二階級昇進させろと言うのか……。
「准将、彼は参謀の方が向いているのではないかね」
ヤン・ウェンリーを指揮官? 参謀が向いているとは言えないが、指揮官はもっと向いていないだろう。
私の言葉にヴァレンシュタイン准将は薄らと笑みを浮かべた。
「違いますね、彼は指揮官の方が向いています」
「?」
私は納得できないという表情をしていただろう。ヴァレンシュタインは私の顔を面白そうに見ている。
「ヤン准将は天才です。そうであるが故に彼を部下に持った指揮官は彼を理解できず使いこなせない。参謀としては一番不適格なんです。悪い事にあの人は事務処理が出来ないから周囲はどうしても軽んじる。そしてあの人自身戦争を嫌っている所為か積極的に戦争に取り組もうとしない」
「……」
「彼を本気にさせ、実力を発揮させるには頂点に据えるしかないんです。エル・ファシルがそうです。全権を預ければ奇跡を起こせる……。一個艦隊、百五十万人の命を預ければ、本気になるでしょう。奇跡の(ミラクル)ヤンと呼ばれる日が来ますよ」
なるほど、そういう見方もあるのか……。確かに指揮官として試してみる価値は有るのかもしれない。それにしても随分と詳しい、ヤンの事だけではない、カールセン、モートン、何時の間にそこまで調べたのか……。
「君はヤン准将を高く評価しているのだね」
私の言葉にヴァレンシュタインは頷いた。不思議だった、ヤンとヴァレンシュタインは今一つ上手く行っていないと聞いている。しかし、ヴァレンシュタインのヤンに対する評価は非常に高い。冷徹、そんな言葉が胸に浮かんだ。
「評価しています、ラインハルト・フォン・ミューゼルに対抗できるのは彼だけでしょう。ある程度、武勲を挙げたら総司令部に戻して総参謀長、或いは司令長官にすることです」
ラインハルト・フォン・ミューゼル、ヴァレンシュタインが天才だと評している人物……。
「私には君も天才だと思えるがね」
私の言葉にヴァレンシュタインは微かに頬を歪めた、自嘲か?
「買い被りですね。私はあの二人には到底及びません。自分の力量は自分がよく分かっています」
「しかし……」
会合での君は十分にその才能を我々に見せつけた、ヴァンフリートではミューゼルをもう一歩まで追い詰めた、そう言おうとした私を彼は遮った。
「閣下はまだあの二人の真の姿を知らないだけです。あの二人に比べれば私など……、居ても居なくても良い存在です、いや居なかった方が良かったのかもしれない……」
そう言うと彼は大きく息を吐いて目を閉じた。地上車が彼の官舎の前に止まるまで彼が目を開けることは無かった……。
第四十五話 クラーゼン元帥
宇宙暦 795年 1月 4日 ハイネセン ミハマ・サアヤ
「サアヤ、いつまでもTVを見ていないで、そろそろ準備をしなさい。遅刻するわよ」
「はあい、母さん」
時刻は七時二十分です。後十分経ったら準備を始めます。支度に三十分、ここから宇宙艦隊司令部まで歩いて三十分、八時半には職場に着きます。夏はちょっと暑くて閉口ですが今の時期なら歩くのは問題は有りません。ダイエットのために歩いています。
就業開始時刻は九時ですから十分余裕が有ります。母もそれは分かっているのですが、必ずこの時間になると私に準備をしろと言います。母にとって私はちょっと抜けていて頼りない所のある娘なのです。私も反論はしません、全くの事実ですし、反論しても言い負かされるだけです。これまで勝った事が有りません。
ミハマ家はハイネセンではどこにでもあるごく普通の家だと思います。母と私と弟、父はいません。宇宙歴七百八十一年、イゼルローン回廊付近で起きた帝国軍との遭遇戦で父は戦死しました。
名前もつかないような戦いで戦死したのですがそれも珍しい事ではありません。遭遇戦は年に何度か起きるのです、その度に戦死者が出ますし、多い時は万単位で戦死者が出ます。
私と五歳年下の弟、幼い子供二人を抱えた母の苦労は大変なものだったと思います。母は腕の良い美容師でしたし、父の死後に支払われた生命保険、遺族年金のおかげで家が困窮するようなことは有りませんでした。ですが決して生活は楽では無かった……。精神的な面での母の苦労と言うのは決して小さくなかったと思います。
私は中学を卒業すると士官学校に進むことを選択しました。士官学校はお金がかかりませんし、それに全寮制です。母の負担を少しでも軽くしたい、そう思ったのです。これも珍しい事ではありません。
中学の同級生の中でも多くの生徒が私と同じ選択をしました。士官学校ではなくても下士官専門学校や軍関係の専門学校に行ったのです。家族を奪った帝国軍に対する憎しみが無かったとは言いません、ですがそれ以上に母親に負担をかけたくない、そういう気持ちが皆強かったと思います。
私が士官学校に行きたいと言うと母はもの凄く反対しました。普段は私の頼りない所も“女の子はそのくらいで良いの、男の人が放っておけない、そう思えるぐらいの方が”と明るく励ましてくれるのですが、この時は“あんたみたいな頼りない子が軍人になったって無駄死するだけだからやめなさい”と散々でした。
それでも私は母の反対を押し切って士官学校に行き無事卒業して任官しました。情報部に配属でしたが母は安心したようです。最前線で戦わずに済む、そう思ったのでしょう。ですから私がヴァンフリート4=2、そして宇宙艦隊総司令部に行ったことはショックだったようです。
無理もないと思います。弟も士官学校に行きましたから私が戦争に行けば母は家に一人なのです。どうしても戦場にいる私の事を考えてしまうのでしょう。私が昇進しても最近では喜んでくれません。それだけ危険なことをしていると思っているのです。
特に前回のイゼルローン要塞攻略戦では撤退作戦に参加しました。あの時の様子はマスコミが大きく報道しましたから私が負傷者の返還に関わったと母も知っています。一つ間違えば死ぬところだった、そう思うと胸が潰れるような思いをしたそうです。帰還した私の顔を見た母は、何も言わずに私を抱きしめ泣き出しました。私は何もできずただ母に抱かれているだけでした。
“大丈夫、ヴァレンシュタイン准将と一緒なら心配いらない。今回もちゃんと帰ってきたでしょう” 私はそう言って母を安心させようとするのですが、なかなか納得してくれません。母にとってヴァレンシュタイン准将は英雄ではなく娘を危険に曝す悪い男なのです。
七時半になりました、そろそろ支度を始める時間です。席を立とうとした私の耳にTVの女性アナウンサーが気になることを言いました。
『今日の午前一時半の事ですが、ヴァレンシュタイン准将が有る人物と密会をしていたことが分かりました』
え、密会? 相手は誰だろう? 司令部の女性兵士か、それとも後方勤務の女性か……。准将はエリートですし、外見も可愛いですから女性からは人気が有ります。相手に困る様な事はないでしょう。でも何時の間に? いつも最後まで残業していたのはデートを隠すため?
「サアヤ、早くしなさい」
「うん、すぐ支度する」
『二人はどこかに行っていたようです』
そんな事より相手は誰? 時間なんだから焦らさないで早く教えて!
『准将の官舎の前で地上車が止まったのですが、中に居たのはヴァレンシュタイン准将と……』
准将と? 誰? 早くしなさい!
『統合作戦本部長、シドニー・シトレ元帥でした』
……まさか、そういう関係だったの?
帝国暦 486年 1月 7日 オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル
元帥府に有るリューネブルクの私室で俺は彼とワインを飲んでいた。どうしてそうなったのか良く分からない。気がつけば赤ワインが用意され、気がつけばなんとなく飲んでいた。まあ時刻は六時を過ぎているし、問題は無い。こういう時も有るのだろう。
年を越したが宇宙艦隊司令長官の人事は未だ決まらない。反乱軍も宇宙艦隊司令長官が決まらない。お互いに相手の人事が決まらないから焦る必要は無いと考えているのかもしれない。このままで行くといつ決まるのやら……。
カストロプ公の処断は宇宙艦隊司令長官の人事が決まってからとなっているらしい。場合によっては叛乱ということもある。実戦部隊の最高指揮官を決めてから処断するというのは正しいのだろうがどうにももどかしいような気もする。
あんな男が息をしている事自体許しがたい事だ。あの男の所為でどれだけの人間が犠牲になったか……。決して表には出ない事だがそれだけに許しがたいという気持ちは強くなる。
ミュラーとクレメンツがオフレッサー元帥府に来る事になった。少しずつだが艦隊の陣容も整いつつある。もう少し手を広げるべきだろう、有能な男達を元帥府に引き入れるべきだ。
オフレッサーは下級貴族の出身だけに平民や下級貴族出身の男達を元帥府に入れる事にあまり抵抗は無いようだ。実際装甲擲弾兵に名門貴族出身者など居ない。能力さえあれば受け入れるのに抵抗は無いのだろう。
考えてみれば俺やリューネブルクを元帥府に入れた事も普通なら有りえない事だ。俺は皇帝の寵姫の弟、リューネブルクは亡命者、どちらも好まれる存在ではない。おかしな男だ、オフレッサーは自分自身の事をどう思っているのか……。
ドアがいきなり開いた。眼を向けるとオフレッサーだった。拙い所を見つかったか、そう思っていると
「俺にも飲ませろ」
そう言って近づいてきた。表情が険しい、何か面白くないことでもあったか? 俺達を怒っているようではない様子だが……。
リューネブルクがテーブルにグラスを用意する。俺がワインを注ぐと椅子に座ったオフレッサーが物も言わずにワインを飲みほした。少しは味わえよ、それだから装甲擲弾兵は野蛮人だと言われるんだ。もう一杯注いだ。
「司令長官が決まったぞ」
「!」
唸るような声だった。俺を睨むような目で見ている。思うような人事ではなかったか、一体誰だ? メルカッツではないな。
「どなたに決まったのです?」
リューネブルクの問いかけにオフレッサーは鼻を鳴らした。
「クラーゼン元帥だ」
クラーゼン? 思わずリューネブルクと顔を見合わせた。リューネブルクも訝しげな表情をしている。思わずオフレッサーに問いかけた。
「幕僚総監ですか?」
「そうだ、他に誰が居る」
「……」
幕僚総監、クラーゼン元帥。元帥の地位には有るが何の実権もない幕僚総監と言う名誉職についている。彼が姿を現すのは儀式、式典などの時だけだ。能力が有るのかどうかも分からない。その彼が宇宙艦隊司令長官?
「メルカッツ提督ではないのですか」
リューネブルクの問いにオフレッサーはジロリと視線を向けた。
「メルカッツ提督には威が無いからな」
“威”、不思議な言葉だ。一体どういう事なのか……。俺の疑問を感じ取ったのかもしれない、オフレッサーが口を開いた。
「帝国軍には二つの序列が有る、分かるか?」
「……いえ、分かりません」
俺の答えにオフレッサーはまた鼻を鳴らした。頼むからそれは止めてくれ、そのうちリューネブルクだけじゃなく俺まで真似しそうだ。
「軍の序列である階級と宮廷序列だ。軍での序列は低いが宮廷での序列は高い、と言う連中は少なくない。宇宙艦隊司令長官はそういう連中を指揮しなくてはならん。宇宙艦隊司令長官には“威”が必要なのだ。宮廷序列を押さえて軍序列を守らせるだけの“威”がな。それだけの“威”が無ければ大艦隊は指揮できん」
なるほど、“威”か……。メルカッツにはその“威”が無いという事か。確かに誠実そうでは有るが強さは感じられない。その所為で宇宙艦隊司令長官の人事が難航していたのか……。
ミュッケンベルガー元帥の屋敷で話したことを思い出した。 “一個艦隊の指揮なら私よりも上手いだろうな、だが艦隊司令官と宇宙艦隊司令長官は違うのだ” ミュッケンベルガー元帥の言葉、その意味がようやく分かった。
「この“威”と言うのは厄介でな。誰もが最初から持っているわけではない。ごく一握りの人間だけが戦いの中で徐々に身に着け、大きくしていく……。軍務尚書も統帥本部総長もメルカッツ提督の力量は認めていた。しかしメルカッツ提督はもう五十を超えている。これから“威”を身に着けるという事は不可能だろう……。残念なことだ」
そう言うとオフレッサーはワインを一口飲んだ。嘆くような口調だ。オフレッサーはメルカッツを惜しんでいる。“威”か……確かにそういう何かが宇宙艦隊司令長官には必要なのかもしれない。しかし、クラーゼンにその“威”が有るのか?
「閣下、クラーゼン元帥にその“威”が有るのでしょうか?」
俺の問いかけにオフレッサーは俺を見た。詰まらない事は聞くな、と言うような目をしている。
「そんなものは無いな、いや俺には見えんと言うべきか……」
「では何故?」
「……」
オフレッサーが憮然としている。どうもおかしい、何が有った?
「宇宙艦隊司令長官に俺をと言う話が有った」
「閣下を?」
思わずオフレッサーの顔をまじまじと見た。オフレッサーが面白くもなさそうに俺を見返す。慌てて視線をリューネブルクの方に逸らした。彼も呆然としている。
「メルカッツ提督を副司令長官にして実際の指揮を取らせる。要するに俺なら我儘な連中を制御できるだろう、そういう事だ」
「なるほど」
思わず声が出た。必要とされたのは才能ではなく“威”か……。旗艦の艦橋で仁王立ちになるオフレッサーを思った。この男に怒鳴りつけられたら家柄自慢の馬鹿貴族どもも震え上がるだろう。リューネブルクも何度か頷いている。
「だがそれが拙かった。艦隊戦の素人を司令長官にするとは何事、それくらいなら自分が司令長官になるとな……」
「クラーゼン元帥ですか」
俺の言葉にオフレッサーが渋い表情で頷いた。そしてワインを飲み干すとグラスを俺に差し出してきた。慌ててワインを注いだ。道理でオフレッサーが渋い顔をするはずだ。自分がきっかけで酷い事になったと思っているのかもしれない。
「軍務尚書も統帥本部総長も止めたのだがな。言う事をきかん。艦隊戦は殴り合いとは違うと言いおった……。そういう事ではないのだが……」
「……“威”の事は」
リューネブルクの躊躇いがちな問いかけにオフレッサーが首を振った。
「形のないものだからな、確かめることは出来ん。自分には“威”が無いと言うのか、そう言われては……」
「……」
思わずため息が出た。まるで子供だ。オフレッサーも遣る瀬無さそうな表情をしている。
「最後は喧嘩別れのようなものだ、そう思うならやってみろ、ああ分かった、やってやる、とな……。まあ艦隊戦に関しては俺は素人だ。その俺を司令長官にするのは確かにおかしかろう」
確かにおかしい……、しかしオフレッサーを宇宙艦隊司令長官か……。面白いと言うか型破りな事を考える人間が居る。軍務尚書か、統帥本部総長か、或いはミュッケンベルガーか……。指揮官が全てを考える必要はない、参謀を上手く使う事が出来るのであれば……、決断できるのであれば……、そういう事か……。
「それでクラーゼン元帥が……」
「そうだ、クラーゼン元帥が司令長官に、メルカッツ提督が副司令長官になる……。まあ上手くいって欲しいものだが」
そう言うとオフレッサーは渋い表情でワインを一口飲んだ。
オフレッサーは危惧している。どうやら帝国軍は余り良い司令長官を得られなかったようだ。もしかするとクラーゼン元帥は最初から宇宙艦隊司令長官の座を狙っていたのかもしれない。元帥であるのに実権のない幕僚総監という閑職にあることを不満に思っていたのかもしれない。だとしたらオフレッサーを宇宙艦隊司令長官にというのはクラーゼンにとって好機だったのではないだろうか……。
危険だな、クラーゼンは危険だ。ミュッケンベルガー元帥とはまるで違う、何となく反乱軍のロボス元帥に重なって見えた。自分の野心のために無茶をするような感じがする。こうなると気になるのは反乱軍だ。連中が誰を司令長官にするか、そして誰が司令長官を支えるのか……。十分に注意する必要が有るだろう……。
第四十六話 新人事の波紋
宇宙暦 795年 1月12日 ハイネセン 宇宙艦隊総司令部 フレデリカ・グリーンヒル
「申告します、宇宙艦隊総司令部付参謀を命じられました、フレデリカ・グリーンヒル少尉です」
「歓迎するよ、グリーンヒル少尉。貴官の事は大将閣下より聞いている」
マルコム・ワイドボーン准将が私の申告を受けてくれた。准将は士官学校では十年来の秀才と言われている。私も士官候補生時代、教官から何度かそれを聞いたけどあまり秀才臭さは感じられない。背が高く、明朗快活で頼りになる感じだ。
「残念だがシトレ元帥は未だ統合作戦本部にいる。貴官のお父上と引き継ぎをしているようだ。あと二日はかかるだろう。いずれ引き合わせよう」
「はい、宜しくお願いします」
「おい、ヤン、ヴァレンシュタイン、グリーンヒル少尉だ」
ワイドボーン准将の声にデスクで仕事をしていた二人の男性が顔を上げた。二人とも良く知っている。一人はヤン准将、黒髪、黒目、ちょっと頼りなさそうに見えるけどエル・ファシルの英雄だ。
私が今此処にいるのはヤン准将のおかげ。エル・ファシルで准将に救われた三百万の民間人の一人が私だった。准将がサンドイッチを咽喉に詰まらせたときコーヒーを持って行ったけれど、多分准将はあの時の私の事など忘れているだろう。“コーヒー嫌いだから紅茶にしてくれたほうがよかった” あの時の言葉を私は今でも覚えている。
そしてもう一人はヴァレンシュタイン准将。近年英雄として騒がれているけど小柄で優しそうな表情をしている。私と同い年、そして亡命者なのに既に准将の階級を得ている。切れ者の参謀としてシトレ元帥の懐刀とも言われている。
「ああ、宜しく頼むよ、グリーンヒル少尉」
「宜しくお願いします、少尉」
「こちらこそ宜しくお願いします」
一昨日の十日、自由惑星同盟軍で大規模な人事異動の発令が有った。中でも驚いたのは統合作戦本部長シトレ元帥が宇宙艦隊司令長官に就任したこと。軍のナンバー・ワンからナンバー・ツーに降格。それだけでも驚きなのにシトレ元帥が自らそれを望んだと聞いた時には皆が驚愕した。
“宇宙艦隊の信用を回復するために私自ら司令長官の職に就く”
元帥のその言葉を皆が歓迎した。ナンバー・ワンからナンバー・ツーへの降格など簡単に出来ることではない。シトレ元帥は本気で宇宙艦隊を立て直そうとしている……。
トリューニヒト国防委員長もシトレ元帥の宇宙艦隊司令長官への就任を支持した。
“軍の信頼回復は急務であり、シトレ元帥の英断に対して心から敬意を表する。私は元帥の決意に最大限の協力をするつもりだ。それこそが打倒帝国への第一歩だと思っている”
嘘ではなかった。統合作戦本部長には私の父がシトレ元帥の代理という形で就任、軍の頂点はシトレ元帥だという事を改めて周囲に印象付けた。また第四艦隊司令官パストーレ中将、第六艦隊司令官ムーア中将が最高幕僚会議議員に異動し代わりに第四艦隊にはモートン少将が、第六艦隊にはカールセン少将がそれぞれ中将に昇進して艦隊司令官になっている。
二人とも兵卒上がりで政治色は無い。実力は有りながらも士官学校を卒業していないということで必ずしも場所を得ていなかった。その二人がパストーレ中将、ムーア中将に代わって艦隊司令官になった。パストーレ中将、ムーア中将はあまり実権の無い最高幕僚会議議員に異動……。
本来なら有りえない人事だ、パストーレ中将、ムーア中将はトリューニヒト国防委員長に近い人物と考えられていた。誰かが強くトリューニヒト委員長に要請したから実現できた人事だろう。父もそう言っていた、誰かが動いたと……。
そしてその全てにヴァレンシュタイン准将が絡んでいるのではないかと言われている。先日のシトレ元帥との密会騒動。一部の報道の中には二人が男色関係に有るのではないかとの報道も有った。
シトレ元帥は身長二メートルを超える偉丈夫だし准将は小柄で華奢な身体をしている。何かにつけて英雄と呼ばれる彼にやっかみの声が有ってもおかしくは無い。しかしその憶測も人事異動の発令と共に消えた。
おそらく二人が話し合ったのは今回の人事の事、そしてトリューニヒト国防委員長に対しての根回し……。ロボス元帥の失脚さえ二人がシナリオを書いたのではないかと言われている……。
ヤン准将もヴァレンシュタイン准将も挨拶を済ますとそのまま作業に戻った。ヴァレンシュタイン准将は書類の確認、そしてヤン准将は……読書? 准将が読んでいるのはどう見ても仕事に関係した本ではなかった。歴史の本だった……。仕事は? 思わず周囲を見たけれど皆何も言わない。不思議だった。
新人の私の指導係になったのはミハマ・サアヤ少佐だった。私より三歳年上だけど既に少佐になっている。ヴァンフリート、イゼルローン、二度の戦いを最前戦で戦い昇進した。イゼルローンでは危険な撤退作戦にも従事している。ヴァレンシュタイン准将の信頼厚い女性士官だ。
“私はおまけで昇進したの、何にもしてないのよ”
私が尊敬していると言うと少佐は困ったような笑みを浮かべて答えてくれた。謙遜? それとも本心?
私が少佐について最初に教わったのは補給関係の書類の確認だった。私は此処に来る前は情報分析課にいたから補給関係の仕事は初めてだった。少佐は元々後方勤務本部にいたからこの仕事には慣れているらしい。戸惑う私にミハマ少佐は親切かつ丁寧に教えてくれた。
「とても分かり易いです。有難うございます」
「私もそういう風に教わったの、ヴァレンシュタイン准将にね」
「准将に、ですか?」
ミハマ少佐は私の問いかけに笑って頷いた。准将が用兵家として優れた人物であることは分かっている。でも補給も?
「そう、嫌になるわよね、用兵も事務処理もどちらも完璧なんだから。何でも一人で出来るから何でも一人でやっちゃう。傍にいると時々落ち込むわ……」
「……」
私がどう答えて良いか分からず沈黙していると少佐は優しい笑顔を私に見せた。
「気を付けてね」
「?」
「准将は意地悪でサディストで根性悪で、とても鋭い人だから……。でも本当は誠実で優しい人なの。信頼できる人よ」
「……」
言っている意味がよく分からなかった。サディストで根性悪、誠実で優しい人……。ただ印象的だったのは少佐の笑顔がとても優しそうに見えたことだった。よく分からないまま私は頷き作業に取り掛かった。
作業中も時々ヤン准将を見た。周囲が忙しそうに働く中で准将だけが本を読んでいる。良いのだろうか? 周囲から疎まれたりしないのだろうか? 皆、何故何も言わないのだろう? 准将の事を皆無視している?
書類の確認が終わった事をミハマ少佐に告げると、少佐はヴァレンシュタイン准将に提出するようにと指示を出した。書類を持ち、ヴァレンシュタイン准将のデスクに近づく。ヤン准将は私に気付く様子もなく本を読んでいる。
「ヴァレンシュタイン准将、書類の確認をお願いします」
「分かりました、そこに置いてください」
書類を置いて席に戻ろうと踵を返した時だった。ヴァレンシュタイン准将の声が聞こえた。
「ヤン准将が気になりますか?」
驚いて振り返った。ヴァレンシュタイン准将は書類を見ている。ヤン准将が訝しげに私を見ていた。そしてヴァレンシュタイン准将が言葉を続けた。
「周囲が忙しそうに仕事をしているのにヤン准将だけが仕事をせず本を読んでいる。どういう事なのか、そう思っているのでしょう?」
「……」
ヴァレンシュタイン准将が顔を上げて私を見た。表情には笑みが有る。
「確かに忙しいですが、ヤン准将に事務処理をさせるほど私もワイドボーン准将も馬鹿じゃありません」
「……」
ヤン准将が苦笑した。その事が私を微かに苛立たせた。
「命の恩人を馬鹿にされて怒りましたか?」
「!」
「命の恩人? どういう事だ、ヴァレンシュタイン」
私達の遣り取りを聞いていたワイドボーン准将が問いかけてきた。
「簡単ですよ、グリーンヒル少尉はエル・ファシルに居た。ヤン准将は命の恩人なんです、そうでしょう?」
「そうなのか、ヤン」
「いや、そう言われても……」
ヤン准将は困惑している。やはり私の事は覚えていない、予想していたことだけれど微かに胸が痛んだ。
「今度は悲しそうですね、少尉」
「……」
悲しそうとは言う言葉とは裏腹に准将は笑顔を見せている。
“准将は意地悪でサディストで根性悪で、とても鋭い人だから……“
「この通り、ヤン准将は薄情な人ですからね。いつか思い出してくれるだろうとは思わないことです。はっきり伝えた方が良いですよ」
気遣ってくれている? 誠実で優しい人?
「御存じだったのですか、ヴァレンシュタイン准将?」
私はその事を周囲に話したことは無い。父から聞いたのだろうか? 准将と父はイゼルローン要塞攻略戦では苦労を共にした仲だ。もしかすると私の事が話題になったのかもしれない……。
「私もワイドボーン准将もヤン准将を馬鹿にしているつもりは有りません。人には向き不向きが有りますからね。ヤン准将には用兵家としての才能は有りますが事務処理の才能は有りません、戦争になったらヤン准将に働いてもらいます」
そういうとヴァレンシュタイン准将は書類に視線を戻した。ヤン准将が困ったような顔で私を見ている。凄く居づらいというか気まずい。やっぱりヴァレンシュタイン准将は意地悪でサディストで根性悪だ……。
「エル・ファシルでヤン准将に助けていただきました。有難うございました」
「ああ、そう」
ヤン准将は困惑している。私も困った、会話が続かない。そしてヴァレンシュタイン准将は微かに肩を震わせている。笑ってる? 笑ってる!
宇宙暦 795年 1月12日 ハイネセン 宇宙艦隊総司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
いやあ、青春だな。なんとも不器用で初々しくて、甘くて切ない……。トリューニヒトだのシトレだの相手にしていると世も末だけど不器用な二人を見ているとおじさんは嬉しくなってしまうよ。
もう少しからかいたかったが総司令部にバグダッシュが入ってきた。急ぎ足でこちらに近づいて来る。
「帝国の宇宙艦隊司令長官が決まりました、クラーゼン元帥です」
その声に皆が手を停めた。
「クラーゼン……、幕僚総監か、彼が宇宙艦隊司令長官に。……バグダッシュ大佐、メルカッツ提督は?」
「副司令長官ですよ、ワイドボーン准将」
ワイドボーンとバグダッシュが話している。クラーゼン幕僚総監か……。 実権は無い、飾り物の元帥が宇宙艦隊司令長官になった。そして副司令長官にメルカッツ、こいつをどう判断するか……。
ワイドボーンが俺を見ている、ワイドボーンだけじゃない、皆が俺を見ている。
「どう思う?」
「初々しくて心が洗われる思いですよ」
俺の言葉にフレデリカが唇を強く結んだ。いかんな、シャレが通じないのは。ワイドボーンが呆れたような声を出した。
「そうじゃない、帝国の人事だ」
分かってるよ、そんな事は。ここにもシャレの通じない奴が居た。優等生とか秀才っていうのはこれだから困る。
「酷い人事だと思いますよ」
クラーゼンが飾り物の元帥だという事は同盟でも分かっている。幕僚総監などと言っても何の実権もないのだ。儀式、式典に出席する事だけが仕事だ。これで用兵家としての能力に溢れている、司令長官としての“威”を持っている、そんな事が有るはずがない。
「酷い人事か……、彼が予想外の切れ者という可能性は?」
「有りませんね」
俺が断言するとワイドボーンとヤンは顔を見合わせた。
有りえない。彼が有能なら幕僚総監などという何の実権もない名誉職に就いているはずが無い。それにヴァンフリートの敗戦後もミュッケンベルガーが司令長官職に留まっている。クラーゼンに力量があるのならその時点で彼が司令長官になっていてもおかしくないのだ。
そして今回の人事も決定まで時間がかかりすぎている。クラーゼンに宇宙艦隊司令長官としての能力が有るとは帝国軍の上層部は思っていなかった。大揉めに揉めて決まったのだろう。
或いはエーレンベルク、シュタインホフに疎まれている、そういう事が有るのかもしれない。それゆえに司令長官就任までに時間がかかったという可能性も有る。だがクラーゼンが有能だという可能性は無い。
原作を見れば分かる。フリードリヒ四世死後、貴族連合も総司令官にメルカッツを起用しているが、クラーゼンが有能なら彼が総司令官になっていてもおかしくは無い。だがクラーゼンは何の動きも見せていない。おそらく周囲は誰もクラーゼンに利用価値、つまり軍事的な才能を見出さなかったのだろう……。
「本当に無いか?」
ワイドボーンが俺に念押しをしてきた。面倒だが答えるか……。
「有りません。ヴァンフリートの敗戦後もミュッケンベルガー元帥が司令長官職に留まっています。そして今回の人事も決定まで時間がかかりすぎている。いずれも彼が宇宙艦隊司令長官に相応しくないことを示している……」
少々端折ったが十分だろう。あんまり説明したくないんだよ、妙な目で俺を見る奴が必ず出るからな。俺の答えにワイドボーン、ヤン、バグダッシュが顔を見合わせた。
「となるとクラーゼンはどう出るかな」
「実績を挙げて地位を盤石なものにしたいだろうね」
「早急に軍事行動を起こすという事ですか」
おそらくそうなるだろう、ワイドボーン、ヤン、バグダッシュの会話を聞きながら思った。クラーゼンは必ず出撃してくる。
「バグダッシュ大佐」
「何です、ヴァレンシュタイン准将」
「情報部でミューゼル少将の動きを追って下さい。クラーゼンとの関係はどうか、遠征軍に参加するのか……、それとクラーゼンの総司令部に誰が居るのか、それが知りたい」
「分かりました。調査課の尻を叩きましょう」
「それと、帝国軍の遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストを」
「……分かりました。必ず用意させます」
バグダッシュが緊張した声を出した。おそらくヴァンフリートの事を思い出したのだろう。
俺が知りたいのはラインハルトの覇業を助けた男達が何人参加するかだ。そいつらを殺す、連中がラインハルトの下に集まる前に殺す。何人殺せるかでこれからの戦いが変わってくるだろう。
単なる撃破では駄目だ。シトレにも言ったがやはり殲滅戦を仕掛けなければならない。戦場が問題だな、ティアマト、アルレスハイム、ヴァンフリート……。大軍を動かしやすいのはティアマト、アルレスハイムだが敵を誘引しやすいのは基地が有るヴァンフリートだろう。さて、どうするか……。
第四十七話 敗戦の余波
帝国暦 486年 1月 20日 オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル
一月十一日にクラーゼン元帥が宇宙艦隊司令長官に正式に親補された。そして反乱軍でも宇宙艦隊司令長官が決まったことが分かった。新しい宇宙艦隊司令長官はシドニー・シトレ元帥、統合作戦本部長からの異動だった。
それを聞いた時、俺も驚いたがリューネブルクは俺以上に驚いていた。統合作戦本部長は帝国で言えば統帥本部総長に相当する。軍令を統括する部署である以上実戦部隊の責任者である宇宙艦隊司令長官よりも格は上と言って良い。その統合作戦本部長が宇宙艦隊司令長官に降格した。
“有り得ん人事だな。ここ最近反乱軍は優勢に戦いを進めている。ロボス元帥が解任されたがそれは彼個人の責任だった、シトレ元帥に関係は無い。それが宇宙艦隊司令長官? 有り得ん……”
その有り得ない人事が起きた。シトレ元帥は以前にも宇宙艦隊司令長官を務めている。その時には第五次イゼルローン要塞攻防戦で並行追撃作戦で帝国軍を味方殺しにまで追い込んだ。厄介な敵だ、少なくとも反乱軍は帝国より宇宙艦隊司令長官の人事で上を行ったようだ。
同時に艦隊司令官の交代も発表されている。二人交代したが新任の司令官はリューネブルクも知らなかった。情報部に確認してみると士官学校を出ていないため人事面では冷遇されていたらしい。それを艦隊司令官に抜擢した、という事は実力を買っての事なのだろう。反乱軍は着々と体制を整えつつある。
クラーゼン元帥は宇宙艦隊総司令部に入り、艦隊司令官、幕僚等の選抜を行っているようだ。基本的にはミュッケンベルガー元帥の幕僚を引き継ぐような人事を行っているため混乱は少ないようだ。少なくとも全くの素人に任せるわけではない。その点は評価できるのかもしれない。そして体制が整えばカストロプ公の処断となる。おそらくその時期は遠くは無いはずだ。
噂ではクラーゼン元帥は早期の出兵を考えているらしい。焦っているようだ。実績を上げて自分の地位を安定させたいのだろう。ヴァレンシュタインはクラーゼンの事は良く知っているだろう。クラーゼンの焦りも当然分かっているに違いない。そして反乱軍のシトレは実績が有るだけに余裕があるはずだ。ヴァレンシュタインとシトレか……、嫌な予感がする。
アルベルト・クレメンツ准将が辺境から帰還した。彼はオフレッサー元帥に挨拶をした後、俺のところにやってきた。話をするならリューネブルクも一緒の方が良いだろう。彼を呼び三人で話をすることにした。長くなるだろう、コーヒーを用意させ、ソファーに座った。
「よく来てくれた、クレメンツ准将。何といってもこの元帥府は装甲擲弾兵の臭いが強すぎる。卿が敬遠するのではないかと心配していた」
俺の言葉にリューネブルグが苦笑を漏らした。
「そんな事は有りません。あの退屈な辺境警備に比べれば天国と言ってよいでしょう」
「安心してくれ、クレメンツ准将。ミューゼル少将は冗談が下手でな、装甲擲弾兵は貴官を差別するようなことはせんよ」
リューネブルクの言葉にクレメンツは笑みを浮かべている。笑顔は悪くない、変な癖のある人物ではなさそうだ。
「これからはこの元帥府も陸戦だけではなく艦隊戦もこなせるだけの陣容を整えたいと思っている。協力してほしい」
俺の言葉にクレメンツは笑顔を大きくした。
「元帥閣下からもミューゼル少将に協力してほしいと言われております。小官に出来る事で有ればなんなりと……」
クレメンツの答えが嬉しかった。だが同時に少し意外な思いがした。オフレッサーも艦隊戦の陣容を整えようとしている。あるいはいずれ宇宙艦隊司令長官、という事が頭に有るのか……。リューネブルクも何やら考え込んでいる。俺と同じ事かもしれない。
「ミュラー大佐とは会ったかな? 卿の教え子だと聞いたが」
「ええ、会いました。良い軍人になりました。キスリング中佐もです」
「そうか、……実は卿に教えてもらいたい事が有る。……エーリッヒ・ヴァレンシュタインの事だ」
俺の問いかけにクレメンツはそれまで浮かべていた笑みを消した。コーヒーを一口飲む。
「何故でしょう?」
「前回のイゼルローン要塞攻防戦だが、ミサイル艇の件、聞いているかな?」
俺の問いかけにクレメンツは頷いた。
「ええ、聞いています。閣下であれば見破るだろうとヴァレンシュタインが警告したと……」
「元帥閣下にあの男と互角と言われた。だが私はそうは思えない。ヴァレンシュタインは私があの作戦を見破ると考えた。だが私はあの作戦をヴァレンシュタインが考えたのだと思ったのだ。本当に互角ならあの作戦はヴァレンシュタインが考えたものではない、そう考えるはずだ……」
「……」
口の中が苦い。負けるという事、それ以上に及ばぬのではないかという思いが口中を苦くする。コーヒーを一口飲んだ、どちらが苦いだろう? 分からなかった。
「あの男は私の事を良く知っている。あるいは私以上に知っているのではないかと思えるときが有る。だが私は彼の事をほとんど知らない、その事がどうしようもなく恐ろしい……」
クレメンツが俺を見ている。嘘は吐きたくなかった。これからは彼の力を必要とする事が多くなるだろう。正直に話そうと思った。
「だからあの男の事を知ろうとした。そしてあの男の事を知る度に怖いと思う気持ちが強くなるのだ、勝てるのかと不安になる。それでもあの男の事を知らねばならないと思う」
恐怖を感じて蹲るか、それとも戦おうとするか……。俺は戦わなくてはならない……。
「……勝つために、ですか」
「そう、勝つために……。いやそれだけではないな、私はあの男をもっと良く知りたいのだと思う。イゼルローンで会ったが不思議な男だった、一体あれはどういう男なのか……」
この男がキルヒアイスを殺した、そう思ったが実感が湧かなかった。俺が勝った、それも思えなかった……。後に残ったのはあの男に対する恐怖だけだった……。そして時が経つにつれてその想いは強くなる。
「……因縁ですな、二人とも未だ階級は低い。しかし帝国を、反乱軍を動かす人間になっている。戦うのは必然ということですか……」
クレメンツが首を振りつつ呟くように吐いた。妙な事を言うと思った。帝国を動かす?
「それはどういう意味かな、准将」
リューネブルクが訝しげにクレメンツに問いかけた。
「今回、クラーゼン元帥が宇宙艦隊司令長官になったのは、元はと言えばミューゼル少将とヴァレンシュタインが原因なのですよ」
思わずクレメンツの顔をまじまじと見た。嘘を吐いている様子は無い、リューネブルクの顔を見た。彼も困惑を顔に浮かべている。そんな俺達をクレメンツが黙って見ている。
「よく分からない、分かるように教えてくれないか、准将」
俺の問いかけにクレメンツはコーヒーを一口飲んでから答えた。
「今回、クラーゼン元帥が宇宙艦隊司令長官になったのは自らそれを望んだからですが、そこにはクラーゼン元帥を焚き付ける人物が居たからです」
意外な話だ。リューネブルクも不思議そうな顔をしている。
「それは?」
「シュターデン少将です」
「シュターデン……、宇宙艦隊総司令部の作戦参謀だが、それが?」
問いかけるとクレメンツは無言で頷いた。
どういう事だ? クラーゼンの宇宙艦隊司令長官就任には俺が関係しているとクレメンツは言っている。そしてシュターデンがクラーゼンを焚き付けた……、だが俺には両者とも接点は無い。何故俺に繋がる? 俺達が困惑しているのがおかしかったのか、クレメンツは微かに苦笑を浮かべている。
「シュターデン少将はお二人を恨んでいるのですよ、そしてヴァレンシュタインの事も……」
「……」
またクレメンツが妙なことを言った。ヴァレンシュタインは敵だから分からないでもない。だが何故俺とリューネブルクがシュターデンに恨まれるのか……。彼とは特に因縁らしきものは無い。リューネブルクも困惑している、つまり彼も心当たりがないという事だろう。
シュターデン少将、不機嫌そうな表情をした男だ。眼の前のクレメンツとは違い癖の有りそうな男に見える。主として参謀として軍歴を重ねてきている。戦場を共にする事は有っても共に戦ったという意識は無い。恨みを買う? 今一つピンとこない。
「彼はヴァンフリートで帝国軍が反乱軍に敗れたのはお二人の所為だと思っているのです」
「……」
リューネブルクを見た、憮然としている。確かに俺達は基地を攻略できなかった、だからと言って帝国軍の敗戦が俺達の所為とは極論……、ではないか、そうか、そういう事か!
「お分かりになったようですな」
「ああ、分かった」
「ミューゼル少将、どういう事だ?」
リューネブルクが俺を見ている。訝しげな表情だ。俺がシュターデンの立場ならやはり俺達を恨むだろう。そして今訝しげな表情をしているリューネブルクを憎むに違いない。
リューネブルクは分からないだろう。あの時、彼は反乱軍の航空攻撃を受け命からがら逃げていたはずだ。周囲を見る余裕などなかったに違いない。だが俺はあの時、味方主力部隊が敗れる所を見ていた……。確かにシュターデンが敗戦の責任は俺達に有ると思うのも無理はない。思わず溜息が出た。
「ヴァンフリート4=2に反乱軍が来た時、グリンメルスハウゼン艦隊は為すすべも無く撃破された。ミュッケンベルガー元帥率いる帝国軍主力部隊は仇を討つべく反乱軍に攻撃をかけた。当初は優勢に攻撃をかけていたんだ、あのままなら勝利を得る事が出来たかもしれない。だが基地からの対空防御システムがミュッケンベルガー元帥を襲った。あれで形勢が逆転した……」
「つまり俺達が基地を攻略していれば帝国軍は負けずに済んだと、シュターデンはそう考えているという事か……」
「そういうことだ」
また溜息が出た。リューネブルクも首を振っている。敗戦の重さというのがひしひしと感じられた。敗戦直後よりも時が経ってたらの方が重く感じる。どういうことだろう……。
「シュターデン少将は敗戦の責任はお二人に有ると考えた。ところが次のイゼルローン要塞攻防戦ではその二人が最大の功績を挙げたと称賛され、総司令部に居た自分は反乱軍の計略に引っかかり要塞に侵入を許したと非難された。ミュッケンベルガー元帥はその責任を取って辞任した……」
「……」
元帥の辞任はそれが理由ではない。だが表面的に見ればその通りだろう。俺も当初はそう思っていた……。
「シュターデンにとって許せなかった事はお二人がオフレッサー元帥の元帥府に招聘されたこと、そしてミューゼル少将の用兵家としての評価が上がったことです。敗戦の元凶にも関わらず軍内部において確実に地位を確立しつつあると考えた」
「……」
用兵家としての評価が上がったか……。味方ではなく敵が評価することで上がった。公論は敵讐より出ずるに如かず、そういうことかもしれない。だが苦い評価だ、俺には少しも喜べない評価だがそれを知る人間はごく僅かだろう……。当然だがシュターデンも知らなかった、知っていればどうしただろう、それでも俺を恨んだだろうか……。
俺の想いをよそにクレメンツの言葉が部屋に流れた。
「そしてオフレッサー元帥を宇宙艦隊司令長官にという話が出た。もし、それが実現すれば新しい宇宙艦隊総司令部はミューゼル少将を中心に編成されると彼は考えた……」
「シュターデン少将はそれが許せなかった、そういう事か……」
クレメンツとリューネブルクの会話が聞こえる。シュターデンは納得がいかなかった。何故ヴァンフリートで失敗した俺が総司令部を仕切るのか……、だからクラーゼンを焚き付け宇宙艦隊司令長官にした……。なるほど確かに今回の人事は俺が引き金になったのは間違いない。
「ヴァレンシュタインが絡んだのもシュターデンを強硬にしたのだと思います」
「どういう事だ、それは」
「シュターデン少将も小官と同時期に士官学校の教官を務めたのですよ」
意外な事実だ、思わずリューネブルクと顔を見合わせた。彼も驚いている。
「しかしヴァレンシュタインの成績やレポートの評価欄にはシュターデンの名前は無かったが……」
リューネブルクが首を傾げながら問いかけた。その通りだ、シュターデンの名前は無かった。有るのはクレメンツがほとんどだ。リューネブルクの問いかけにクレメンツが苦笑交じりに答えた。
「シュターデン少将が彼を嫌ったのですよ。いや、それ以上にヴァレンシュタインがシュターデン少将を嫌ったと言った方が良いでしょうね。おかげで彼に対する評価は小官が行う事になりました」
またしても意外な事実だ、だから評価欄にはクレメンツの名前が多かったのだ。ハウプト中将がクレメンツの名前を挙げたのもその所為だろう。
「……何故そのような事に?」
「……シュターデン少将は戦術にこだわり、戦術シミュレーションでの勝利を重視しました。戦場では戦術能力の優劣が勝敗を決定すると。しかしヴァレンシュタインは戦争の基本は戦略と補給だと考えていたのですよ。戦術シミュレーションでの勝利にこだわる事は無意味であり、有る意味危険だと彼は考えていた」
確かにそうだろう、生き残ることにあれほど執着を見せたヴァレンシュタインだ。戦略的な優位を確立したうえで戦う事を重視しただろうし、それが出来ないなら、勝てないなら退却を選ぶ事を迷わないに違いない。三百敗のシミュレーションがそれを証明している。
「彼の戦術シミュレーションが拙劣なものならば負け犬の遠吠えでした。しかし彼は非常に優秀だったのです。兵站科を専攻した彼が戦略科のエリート達を片端から破った、にも拘らず彼は戦術シミュレーションでの勝利を重視しなかった……。シュターデンは何時しか彼を嫌い疎むようになった」
「……」
部屋に沈黙が降りた。リューネブルクも俺もクレメンツも黙っている。コーヒーを一口飲んだ。冷めかけたぬるいコーヒーだ。苦さだけが口に残った。
「シュターデン少将にとってヴァンフリートの戦いはヴァレンシュタインとミューゼル少将の所為で敗れたようなものでした。そしてイゼルローン要塞攻防戦でも名を上げたのはヴァレンシュタインとミューゼル少将だった……」
「シュターデン少将は私達を許せないと思い、クラーゼン元帥を宇宙艦隊司令長官にした。彼の狙いは自らの手で反乱軍、いや、ヴァレンシュタインに勝利する事か……」
「その通りです」
酷い戦いになる、そんな気がした。実績を上げたがる司令長官と復仇に囚われる参謀……。この二人が組んだ時、一体どんな軍事行動を起こすのか……。積極的というよりは無謀に近い行動をするのではないだろうか? そしてヴァレンシュタインはそれを見逃すほど甘くは無い……。
「酷い戦いになるな……」
思わず呟いていた。そしてリューネブルクとクレメンツが厳しい表情で頷くのが見えた。酷い戦いになる……。
第四十八話 最悪の予想
宇宙暦 795年 1月25日 ハイネセン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「ではクラーゼン元帥は早い時期に出征するということか」
「おそらくは」
シトレとバグダッシュが話している。シトレは両手を組んで顎を乗せている。お得意のポーズだ。顔には人の悪い笑みが有る。やっぱりこいつは嫌いだ。性格の悪さが顔に滲み出ている。
「好機と見るべきなのかな?」
低く太いシトレの声に周囲の目が俺に集中したが敢えて無視だ。ここはヤンとワイドボーンに答えさせよう。俺には考える事が有る、今日の昼をどうするかだ。
ここの食堂の魚料理はやはり今一つだった。肉が駄目、魚が駄目となれば残りは麺類しかない。中華にするか、洋食にするか。中華で餡かけというのもいいな……、それともスパゲッティか。ここが思案のしどころだな……、餡かけなんか有ったかな?
「……クラーゼン元帥は自分の地位を安定させるため戦果を挙げたいと考えていると我々は推測しています。或る意味焦りが有ると言えるでしょう。そこを上手く突けば大きな戦果を挙げられる、そう我々は考えています」
良いぞワイドボーン、さすが士官学校首席だ。上はそういうそつの無い優等生的な答えを喜ぶものだ。俺が答えると可愛げがないとか身も蓋もないとか言い出すからな……。ここの食堂って和食は有ったかな? 寿司とか有ればそっちでも良いか……。蕎麦とかうどんでも良い。とにかく肉と魚は駄目だ。
「なるほど、確かにそうかもしれない。他に懸念事項は無いのかね?」
懸念事項は有る。肉と魚の傾向からして麺類も余り期待できそうにない事だ。寿司も同様だろう。訳の分らんネタが出てきたらドン引きだ。
ハイネセン特産、深海魚のにぎり……、ゲロゲロだな。だが先ずは試してみる事が大事だ。ここの食堂は麺類が美味い、和食が美味いという可能性は有るのだ。頭から否定するべきではない。
「ヴァレンシュタイン准将はミューゼル少将の動向を気にしています。我々もその点については十分な注意が必要だと考えます」
「情報部はヴァレンシュタイン准将の要請を受けミューゼル少将の動向を鋭意調査中です。また帝国軍総司令部の要員、遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストも判明次第、お渡しします」
ワイドボーンとバグダッシュがシトレに説明している。それは良いんだが、俺の名前を出すな。それとヤン、なんか発言しろ。寝るんじゃない。この会議室にはシトレ、マリネスク、ワイドボーン、ヤン、バグダッシュ、俺の六人しかいないんだ。目立つだろう。事務処理をしろとは言わないから、こんなときぐらいは存在感を出してくれ。
トリューニヒトがまた俺を呼んでくれないかな。野郎の顔なんて見たくないが、あのサンドイッチは食べたい。あれが食べられるならトリューニヒト、レベロ、シトレの三点セットだって十分我慢できる。ホアンがおまけでついても問題なしだ。それにあいつらの顔を見ていると妙に腹が減る。サンドイッチが美味しいんだ。
「ヴァレンシュタイン准将、ミューゼル少将が遠征軍に参加した場合、どの程度危険かね」
俺に聞くんじゃない、俺は目を開けてテーブルを睨んでいるんだ。目を閉じて船を漕いでいる奴に質問しろ。
食堂は止めだ、売店に行ってサンドイッチを買ってこよう。そのほうが良さそうな気がする。飲み物はオレンジジュースだ。それにしてもシトレの野郎、ヤンには甘いんだよな。奴が寝てても文句を言わない。俺なんか夜中一時過ぎまで仕事をさせられるのにえらい違いだ。
やっぱりさっさと昇進させて一個艦隊を預けるべきだ。そうじゃないとヤンはいつまでも非常勤参謀のままに違いない。ついでにフレデリカも付けて公私ともに充実させてやる、寝ている暇が無いくらいにな。幸せ一杯胸一杯だろう。最後はラインハルトと直接対決させて用兵家として最高の幸せを味あわせてやる、頑張れ!
「危険の度合いはミューゼル少将の意見が遠征軍においてどの程度重要視されるかで変わってきます。彼がただの実戦指揮官であると言うのなら厄介ではありますが同盟軍が帝国軍に勝つ可能性は有ります」
「それで?」
「もし彼の意見が全面的に受け入れられるのであれば、同盟軍に勝ち目はほとんどありません。損害を出来るだけ少なくして撤退することを勧めます」
俺の言葉にシトレが苦笑した。他の連中は顔を顰めている。そしてヤンだけは昼寝だ。
ラインハルトは少将に昇進した。率いる艦隊は多分三千隻程度だろう。厄介な存在ではあるが致命的な存在ではない。取扱に注意すれば十分にその脅威には対応可能だ。ラインハルトが実戦指揮官にとどまるのであれば帝国軍に勝つことは不可能じゃない。
「身も蓋も無い言い方だな。他に手は無いのかね」
「そこで寝ているヤン准将がやる気を出してくれれば多少は勝ち目が出ます。起こしますか?」
シトレが渋い表情でヤンを見た。ワイドボーンがヤンを小突く。ヤンが“なんだ?”と言うような表情を見せた。頭痛いよ、これで本当に奇跡が起こせるのか? その方が奇跡に思えてきた……。はやくヤンに一個艦隊を指揮させよう、そうじゃないと俺までヤンを非常勤参謀とか罵りそうだ。
問題は遠征軍司令部が、クラーゼンがラインハルトの意見を受け入れるかどうかだ。多分ラインハルトの意見が受け入れられることは無いと思うんだがな。ラインハルトはエリートからの受けは良くない。ついでに軍上層部からの受けも良くない。彼が孤立しているのであれば問題は無い……。
気になるのはオフレッサーの元帥府にラインハルトが入ったことだ。ラインハルトを無視はできてもオフレッサーは無視できない、クラーゼンがそう考えると多少はクラーゼンに対して影響力が出るかもしれない。多少はだ、絶対的にではない。
他に宇宙艦隊でラインハルトを受け入れそうな人物がいるとすればメルカッツだろう。となるとメルカッツが遠征軍の中でどの程度の影響力を持っているかだ。クラーゼンがメルカッツを協力者として使うか、いずれは自分の地位を脅かすライバルとしてみるか、それによってメルカッツの影響力は違ってくる。
結局のところ遠征軍の総司令部で誰が力を持つかだ。クラーゼンが誰を頼りにするか、誰の影響を受けるか、それで遠征軍の手強さが決まる……。
俺がその事を言うとシトレが溜息を吐いた。
「やれやれだな、となると帝国軍の総司令部がどういう編成になるか、それを待つしかないか……」
「絶対とは言えませんが、それで少しは見えてきます」
味方の強さではなく相手の弱さに付け込んで勝つ。まあ戦争なんてそんなもんだが人間不信になるよな。こんな事百五十年もやってれば相手に対して憎悪しか生まれないって。溜息が出てきた。
結局会議はそれが結論になって終了した。帝国軍の殲滅を狙う以上、相手の姿が見えないとこちらも手の打ちようがない。バグダッシュは調査課の尻を叩くと言っていたが、冗談抜きでひっぱたいてほしいもんだ。
今度の戦いは出来る事なら殲滅戦を仕掛ける。帝国との間に和平を結ぶにはそれしかないということも有るがラインハルトの覇業を助けた連中を排除する必要がある。どう見ても同盟は人材面で帝国に劣る。それを解消するには戦場で補殺しなければならない。
いずれも戦術能力の高い連中だ。正面からの撃破では生き残る確率が高い、となればどうしても包囲するか二方向からの挟撃が必要だろう。何人出てくるか、何人殺せるか、それによって後の戦いが変わる。殺して殺して殺し尽くすか……、うんざりだな。
俺が自分の席に戻ろうとするとバグダッシュが相談したい事があると言ってきた。余り周囲には聞かれたくない話らしい、ということで宇宙艦隊司令部内に有るサロンに行くことにした。アイアースに有ったサロンも広かったが、こっちはさらに広い。周囲に人のいない場所を探すのは難しくなかった。
バグダッシュが周囲をはばかるように声を低めてきた。
「ミハマ少佐の事なのですが……」
「……」
サアヤの事? なんだ、またなんか訳の分からない報告書でも書いたか、俺は知らんぞ。
「彼女はこれまで情報部に所属していました。宇宙艦隊司令部の作戦参謀ではありましたが、あくまで所属は情報部という扱いだったのです」
「……」
まあそうだろうな、身分を隠して情報を入手する。まさにスパイ活動だ。その任務は多分、俺の監視かな。
「しかし本人は納得がいかなかったのでしょう。情報部の仕事は自分には合わない、人を疑うのはもうやめたいと何度か異動願いが出ていたのです。ワイドボーン准将に閣下を疑うなと言われたことも堪えたようです」
「……」
ワイドボーンか、まあ何が有ったかは想像がつく。それに例のフェザーンでの盗聴の件も有った。若い女性には厳しかっただろう。味方だと思っていた人間に裏切られたのだから……。
「彼女は今回正式に宇宙艦隊司令部の作戦参謀になります。情報部は以後彼女とは何の関わりも有りません」
「……」
本当かね、手駒は多い方が良い、本人は切れたと思っても実際には切れていなかった、なんてことはいくらでもある。彼女が協力したくないと思っても協力させる方法もいくらでもあるだろう。
「それを私に言う理由は?」
「彼女を司令部要員として育てていただきたいのです」
「……」
なるほど、そう来たか。関係は切りました、そう言ってこちらの内懐に食い込ませようという事か。しかしちょっと拙劣じゃないのか、見え見えだろう、バグダッシュ。思わず苦笑が漏れた。
「お疑いはごもっともです。しかしこれには何の裏も有りません。信じてください」
はい、分かりました、そんな答えが出せると思うのか? 俺の苦笑は酷くなる一方だ。
「彼女をキャゼルヌ准将の所に送ることも考えました。彼女からはそういう希望も出ていたんです。しかしそれでは閣下の周りに閣下の事を良く知る人間が居なくなってしまう……」
今度は俺のためか……。
「こんな事を言うのは何ですが、閣下は孤独だ。我々がそう仕向けたと言われれば言葉も有りません。だから……」
「だから彼女を傍にと?」
「そうです、他の人間では閣下を怖がるでしょう。彼女ならそれは無いと思います」
「……」
不愉快な現実だな、俺はそんなに怖いかね。まあ怖がらせたことは有るかもしれないが……。
「ミハマ少佐は階級の割に司令部要員としての経験を積んでいません。本人もその事を気にしています。自分が此処に居る事に不安を感じている。彼女を後方支援参謀として作戦参謀として育ててはいただけませんか?」
「育ててどうします?」
「いずれ閣下を理解し、支える士官が誕生する事になります。これからの帝国との戦いにおいて、ミューゼル少将との戦いにおいて、必要ではありませんか」
「……」
宇宙暦 795年 2月 5日 ハイネセン 宇宙艦隊司令部 ミハマ・サアヤ
ここ最近ヴァレンシュタイン准将は星系図を見ている事が多いです。ヴァンフリート、ティアマト、アルレスハイム、パランティア……。次の戦争はそのいずれかで行われると見ているのでしょう。准将が今何よりも知りたがっているのは帝国軍の総司令部がどのような人達によって編成されるかです。
“戦争というのは或る意味心理戦の部分が有りますからね”
准将の言葉ですが、確かに准将ほど相手の心を的確に読んで作戦を立てる人はいません。その事はヴァンフリートで、イゼルローンでよく分かっています。
忙しいです、とっても忙しいです。情報部から開放されほっとしたのもつかの間、私とグリーンヒル少尉はヴァレンシュタイン准将の直属の部下として日々仕事に追われています。これまでやっていた補給関係の書類の確認の他、宇宙艦隊への周知文書の作成、連絡、会議資料の作成等の作業を行っています。
ヴァレンシュタイン准将は私達を鍛えようとしています。有りがたい事です。バグダッシュ大佐の口添えが有ったようですが、准将も忙しいのですから断ることもできたはずです。それなのに私達のために時間を割いてくれる……。グリーンヒル少尉とも話したのですが頑張らなければと思っています。
ここ最近ではヴァレンシュタイン准将の口利きでヤン准将とシミュレーションをしています。ヴァレンシュタイン准将曰く、“自分は忙しいからそこの暇人に鍛えてもらいなさい” 私も少尉も散々な結果ですが大変勉強になります。改めてヤン准将の凄さも理解できました。
三日前はヴァンフリートに基地を造る時の輸送計画の説明をしてくれました。私もグリーンヒル少尉もその複雑さにただただ感心して聞いていると“感心していないで少しは覚えなさい”と怒られました。もっとも准将は声を荒げるような事は有りません。冷たく見据えられるだけです。でもその時は身が竦みます。
今も私とグリーンヒル少尉は身を竦めています。先程バグダッシュ大佐から連絡が有り、帝国側の動きが有る程度分かったらしいのです。もうすぐバグダッシュ大佐が情報を持ってくるのですが、連絡が有ってから明らかにヴァレンシュタイン准将は緊張を漂わせています。
ドアを開けてバグダッシュ大佐が入ってきました。早足でヴァレシュタイン准将に近づいてきます。准将が椅子から立ち上がりました。ワイドボーン准将、ヤン准将も席を立って近づいてきます、やはり関心が有るのでしょう。バグダッシュ大佐が脇に抱えていたファイルをヴァレンシュタイン准将に渡しました。
「帝国軍の司令部の編成が分かりましたぞ」
准将がファイルを受け取り内容を確認します。皆が准将を取り囲みました。
「力を持っているのはシュターデン少将のようです。クラーゼン元帥も彼を頼りにしているとか」
「シュターデン少将……、知っているか?」
ワイドボーン准将が窺うような口調で問いかけました。
「知っていますよ、士官学校では教官でしたからね。お前は戦術の重要性を理解していないと随分嫌味を言われました」
准将はファイルを読むのを止め苦笑していますが、ちょっと驚きです。准将に嫌味を言うような人がいる? とても私には考えられません。帝国には凄い人がいるようです。
「どんな奴だ、出来るのか」
ワイドボーン准将の重ねての問いかけに准将の苦笑がさらに大きくなりました。
「柔軟性は無いですね、常識的な発想が主で臨機応変に対応できない。注意は必要でしょうが恐れる事は無いでしょう。帝国軍が彼の作戦で動くのならその動きを読むことは難しくない」
准将のその言葉に皆が顔を見合わせました。ワイドボーン准将もヤン准将もバグダッシュ大佐も頷いています。ヴァレンシュタイン准将の人物評価が外れたことはこれまでありません。勝てると思ったのでしょう。
「遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストも判明次第お渡しします。もう少しお待ちください」
ヴァレンシュタイン准将は頷くとまたファイルに視線を向けましたが直ぐにファイルをバグダッシュ大佐に差出し訝しげな声を出しました。
「……バグダッシュ大佐、このリストは? 遠征軍の参加者ではないのですか?」
「お気付きになられましたか、彼らはオフレッサー元帥府に新しく参加した人物です。少々気になる名前が有ります、確認していただけませんか……」
その言葉にヴァレンシュタイン准将の表情が変わりました。ファイルを睨み据え厳しい表情をしています。
「どうした、ヴァレンシュタイン?」
ヴァレンシュタイン准将の様子にワイドボーン准将が声をかけました。ヴァレンシュタイン准将が乱暴にファイルを差し出します。
ワイドボーン准将は無言でファイルを受け取ると声を出して読み始めました。
「アルベルト・クレメンツ、エルネスト・メックリンガー、アウグスト・ザムエル・ワーレン、エルンスト・フォン・アイゼナッハ、ナイトハルト・ミュラー、ウルリッヒ・ケスラー……、おい、この名前は!」
ヴァレンシュタイン准将だけでは有りません、ワイドボーン准将もヤン准将もバグダッシュ大佐も厳しい表情をしています。そして多分私も同じ表情をしているでしょう。
以前准将が言った帝国で本当に実力のある人達です。その彼らがミューゼル少将の下に集まりつつある……。元帥府に集まりつつあるという事はオフレッサー元帥の了承の下、集められたという事でしょう。それが何を意味するのか?
おそらくオフレッサー元帥はいずれは自分が宇宙艦隊を率いるときが来ると考えているのだと思います、そのために必要な人材を確保しようとしている。どうやらヴァレンシュタイン准将が言った最悪の予想が現実になりそうです……。
第四十九話 教官と教え子
帝国暦 486年 1月 31日 オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル
オフレッサーの執務室のドアをノックし中に入ると部屋の主は不機嫌そうな表情で机の上の書類にサインをしていた。俺を認めるとよく来たと言うように頷く、いやそれとももっと早く来いだろうか……、急いでオフレッサーに近寄った。
「トマホークを重いと感じたことは無いがどうしてペンだと重く感じるのかな? どうも肩が凝る……」
「はあ」
ジョークなのだろうか? それとも本心か……。忌々しそうにサインをしている武骨で大きな手、そして小さなペン。その気になればペンなど簡単に握りつぶせるだろう。
オフレッサーがフンと鼻を鳴らした。
「卿は詰まらん男だな、それとも詰まらんのは俺のジョークか……」
「申し訳ありません」
やはりジョークか……。
最近オフレッサーは俺にはよく分からないジョークを言って俺の反応を楽しんでいる。いい加減にしてくれと思うのだが、この親父はそのあたりの空気を読むのが実に上手い。抗議しようと思うとするりと躱す。
「カストロプ公が明日、自領に戻る」
「……」
「公がカストロプにたどり着くことは無い、オーディンからカストロプの途中で事故が起きるだろう」
「!」
思わずオフレッサーの顔を凝視した。オフレッサーが俺を見て頷く。そして忌々しそうに書類を見てサインをした。
「彼のこれまでの悪行を公にし、その罪を償わせるのではないのですか?」
俺の問いかけにオフレッサーは首を横に振った。
「それは出来ん。カストロプ公の罪を公にすれば帝国政府は今まで何をやっていたのかと非難を受けるだろう」
「……」
しかしそれではただの事故死で終わってしまう。一体何のための贄だったのか。贄という発想を認めるわけではない、しかし……。納得できないでいる俺にオフレッサーが言葉を続けた。
「カストロプ公には息子がいる、マクシミリアンと言うのだが彼が公爵家を継ぐことは無い。カストロプ公爵家は潰されることになる、反乱を起こしたとしてな」
「!」
カストロプ公を断罪する、ブラウンシュバイク公とリヒテンラーデ侯の間で決まったと聞いた。それはカストロプ公を裁いて取り潰す事ではなくカストロプ公爵家を反逆者として潰すという事か……。
オフレッサーを見ると彼は静かに頷いた。
「そういう事なのですか……」
「そういう事だ」
「……」
反逆者となる以上、以後カストロプの名は銀河帝国が続く限り忌み嫌われるだろう。断罪、まさにカストロプ公爵家は断罪されることになる。
「カストロプ公の死後、帝国政府はその相続を認めず財務省の調査が入る。不正に蓄財した分を政府に返還させるということだが、マクシミリアンには耐えられまい、反発するはずだ」
「それを帝国に対する反乱として討伐する……」
堪えられない、いや堪えようとしても堪えられないように持っていくのだろう。必要以上にマクシミリアンを挑発し、暴発させる。暴発しないのであればほんのちょっとした言葉尻を捉えて帝国政府に対して叛意有りとする……。マクシミリアンが反乱を起こす、それが前提の調査……。
「いささかあざといような気がしますが」
「あざといか……、他人事のように言うな」
オフレッサーが顔を顰め唸るような声を出した。
「と言いますと?」
「反乱討伐の指揮官はミューゼル少将、卿だ」
「!」
オフレッサーが厳しい表情をしている。自然とこちらも身体が引き締まった。
「反乱が起きるまで一ヶ月とはかかるまい、討伐の準備をしておけ。カストロプはオーディンに近い、カストロプ公は叛意を疑われることを恐れそれほど大規模な軍事力は持っておらん。しかし失敗はもちろん、手間取ることも許さん」
「はっ、承知しました」
「反乱鎮圧に成功すれば中将に昇進だ、率いる艦隊も一万隻となる。既に帝国軍三長官の同意も得ている」
「その艦隊を率いて遠征軍に参加しろという事ですね」
一万隻、それだけの戦力が有れば戦局を左右する事は十分に可能だ。欲を言えばきりがないがそれでもこれまでにない強い立場で俺はあの男と戦えるだろう。
「違う」
「違う?」
意気込みを外されたような気がして思わず問いかけるとオフレッサーは渋い表情で頷いた。
「遠征軍はカストロプの反乱が鎮圧された時点で出征する。卿の艦隊は十分に訓練されていない、足手まといになるから今回の遠征には加えられない」
「……」
「クラーゼン元帥はそう言っている」
クラーゼン元帥というよりシュターデンだろう、俺が邪魔なのだ。ヴァレンシュタインは俺を高く評価している。そのヴァレンシュタインを破り、ヴァレンシュタインなど大したことは無い、彼が評価する俺も大したことは無い、そう言いたいのだ。
愚かにも程が有る、シュターデンはヴァレンシュタインの恐ろしさが分かっていない。いや、分からないからこそクラーゼンを宇宙艦隊司令長官になどと考えた……。
「反乱鎮圧には卿が集めた男達を連れて行け、鎮圧後にはまとめて昇進させる。……少しでも卿らの立場を強くしておく必要が有るからな」
最後は呟くような声だった。もしかするとオフレッサーは自分が艦隊を率いるときの事を考えているのかもしれない。その時のために自分の手勢の立場を強化しようとしている……。
「……閣下、遠征軍は勝てるでしょうか」
俺の問いかけにオフレッサーは即答しなかった、そして溜息を吐いた。
「……勝って欲しいと思っている」
やはりオフレッサーは遠征軍が勝てるとは思っていない。俺が遠征軍に参加できないのもシュターデンの忌諱だけが原因ではないのかもしれない。オフレッサーが俺を温存したという事も有るのだろう……。オフレッサーは次の戦いを半ば以上捨てている、彼の眼は次の次の戦いを見据えているようだ。
「閣下、直ちに反乱鎮圧の準備にかかります」
「うむ、頼むぞ」
「はっ」
執務室を出ると会議室に新たに集めた人間を招集した。ケスラー准将、クレメンツ准将、メックリンガー准将、アイゼナッハ准将、ビッテンフェルト准将、ロイエンタール准将、ワーレン准将、ミッターマイヤー准将、ミュラー大佐。
人材はそろっている。政略面でケスラー、戦略面ではメックリンガー、クレメンツ、実戦指揮官としてアイゼナッハ、ビッテンフェルト、ロイエンタール、ワーレン、ミッターマイヤー、ミュラー。ミュラーを除けば皆二百隻から三百隻ほどの艦隊を指揮している。俺の艦隊と合わせれば五千隻ほどの規模になる。
ミュラーだけはまだ艦隊を指揮していないが俺は彼の能力を疑うつもりはない。キスリングの話ではヴァレンシュタインはミュラーを評して“良将”と言ったらしい。ヴァレンシュタインが言うのであれば間違いはない。他の誰の評価よりも信じられる。
ワーレンとアイゼナッハは俺が呼んだ。この二人は巡航艦ヘーシュリッヒ・エンチェンによる同盟領への単独潜入で知り合った。メックリンガー、ビッテンフェルト、ロイエンタール、ミッターマイヤーはクレメンツが推薦してきた。そしてケスラー……、彼は政略面で頼りになる人物をと探しているとキスリングが推薦してくれた。
「ミューゼル少将、何か有りましたか?」
クレメンツが問いかけてきた。皆も興味深げな表情で俺を見ている。
「次の遠征だが、我々は参加しないことになった」
俺の言葉に皆が顔を見合わせた。
「シュターデン少将の差し金ですか、嫉まれてますな」
ケスラーが苦笑交じりに声を出すと皆が笑い声を上げた。笑えないのは俺だけだ。
「しかしシュターデン少将の指揮で戦わずに済むというのは有りがたい、彼の指揮で戦えば生存率が三割は下がります」
「ミッターマイヤー、卿は優しいな。俺なら五割は下がると言うところだ」
「一応士官学校では恩師だからな、卿もそうだろう、ロイエンタール」
「恩師でなければ七割と言っているさ」
ロイエンタールとミッターマイヤーの軽口に皆が笑った。今度は俺も笑えた。
「俺なら九割と言うところだがな、シュターデンの指揮ではすりつぶされかねん。まして相手はヴァレンシュタインだ、生き残るのは難しかろう」
ビッテンフェルトの言葉に皆が沈黙した。本人は冗談のつもりで言ったのかもしれないが誰も笑えずにいる。分かっているのだ、ヴァレンシュタインの恐ろしさを……。
「まあ武勲を挙げる場を失ったのは残念ですが、ビッテンフェルト准将の言う通り下手に参加するとシュターデン少将に磨り潰される可能性が有ります。敢えて危険を冒す必要はないでしょう」
「いや、ケスラー准将。武勲を挙げる場は有る」
俺の言葉に皆が訝しげな顔をした。
「これは未だ極秘だが、間もなく国内で或る貴族が反乱を起こす」
「!」
皆が顔を見合わせた。緊張した表情をしている。
「討伐軍の指揮官は私だ、卿らにも反乱鎮圧に参加してもらう」
帝国暦 486年 1月 31日 オーディン ゼーアドラー(海鷲) アウグスト・ザムエル・ワーレン
「勝てるかな、遠征軍は……」
ミッターマイヤーが呟くと皆がその言葉に顔を見合わせた。ケスラー、クレメンツ、メックリンガー、アイゼナッハ、ビッテンフェルト、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ミュラー、そして俺。あの会議室に居た人間で此処に居ないのはミューゼル少将だけだ。
答えようがなかった。元帥府の中ならともかくゼーアドラー(海鷲)の中では周囲に対して多少憚りは有る。特にオフレッサー元帥府にいる我々は宇宙艦隊司令部の受けは良くない。負けるなどと言ったと知られたらそれだけで大問題になるだろう。
「済まない、馬鹿なことを言ったようだ」
ミッターマイヤーが頭を掻いた。その姿に皆がまた顔を見合わせた。誰かがクスッと笑うとそれを機に皆が苦笑した。ミッターマイヤーも苦笑している。
「まあ俺達に出来るのは遠征軍が無事に戻ってくることを祈ることだけだ。それ以上は遠征軍が自ら決めるだろう」
ロイエンタールの言葉に皆が頷く。確かにその通りだ、冷たいようだが俺達に出来るのは祈ることぐらいしかない。
それにしても無事に戻ってくる事を祈るか……。相変わらず皮肉な物言いをする男だ。ロイエンタールは遠征軍が負けると見ている。その損害が小さい事を望んでいるということだろう。そして皆がそれに頷いている。
今一つ盛り上がらない。遠征軍に参加できないという事が皆の心に引っかかっているのだ。巻き添えにならずに済むという思いと見殺しにする事になるという思いがせめぎ合っている。そう、皆が遠征軍は敗北するだろうと思っているのだ。
入口がざわめいている。視線を向けると数人の男達が入ってくるところだった。クレメンツ准将が微かに顔を顰めている。近づいて来る男達の中に不機嫌そうな表情をした男が居た。シュターデンだ。こちらに気付かなければと思ったがどうやら我々に気付いたらしい。不機嫌そうな表情のまま近づいて来る。そして俺達の席の前で足を止めた。
「残念だな、クレメンツ准将。今回の出征に参加できないとは」
「……」
嫌味な奴だ、黙って通り過ぎれば良いものを……。士官学校の教官時代から変わらない。おかげで皆から嫌われた。
「クレメンツ准将、卿はヴァレンシュタインを高く評価していたな」
「優秀な生徒でした」
「優秀な生徒か……、今では反逆者だ、そして忌むべき裏切り者でもある」
嘲笑交じりの声だった。嘲笑の相手はクレメンツ准将か、或いはヴァレンシュタインか……。
「シュターデン少将、次の戦いは勝てますかな?」
「勝てる、今回は味方の足を引っ張る連中がいないからな。あの小僧に戦術のなんたるかを教えてやろう、楽しみな事だ」
そうクレメンツ准将の問いに答えるとシュターデン少将は笑い声を上げて去って行った。
その後ろ姿にクレメンツ准将が首を振って溜息を洩らした。
「駄目だな、ヴァンフリートで何故負けたのか、何も分かっていない。味方に足を引っ張られた等と……。あの戦いはヴァレンシュタインにしてやられたのだ、それ以外の何物でもないのに……」
「……」
「あれは戦争の基本は戦略と補給だと言っていた。戦略的優位を確立し万全の補給体制を整えて戦う、つまり勝てるだけの準備をしてから戦う……、その男が反乱軍の中枢にいる……」
勝てるだけの準備をしてから戦う、その言葉がやけに大きく聞こえた。当たり前のことではあるがその当たり前のことをどれだけの人間が真摯に行うか……。
「遠征軍が勝てる、いや優勢に戦える方法は?」
勝てる可能性が有りますかと問いかけて慌てて言い直した。俺の問いかけにクレメンツ准将が少し考えてから答えた。
「……イゼルローン要塞を利用した要塞攻防戦だろう。それならお互いに打つ手は限られてくる。大勝利は望めないかもしれないが、撃退することは難しくない。しかし……」
クレメンツ准将が口籠った。難しいだろう、ミュッケンベルガー元帥は前回の戦いで要塞攻防戦を行い不十分な戦果しか挙げられなかった。そして宇宙艦隊司令長官を辞職、退役している。それを思えばクラーゼン元帥にとってイゼルローン要塞での攻防戦は望むところではあるまい。元帥は華々しい戦果を望んでいる……。
「出来る教え子を持つと苦労するな、クレメンツ」
「からかうな、メックリンガー」
クレメンツ准将とメックリンガー准将の遣り取りに皆が笑いを誘われた。クレメンツ准将も苦笑している。しかし直ぐに笑いを収めた。
「優秀な生徒だった、非常に意志の強い、なにか心に期する物があると感じさせる生徒だった。だが私には彼がどのような軍人になるかは想像がつかなかった、まさかこんなことになるとは……」
「……」
「次の戦いの結末を良く見ておく事だ。ヴァレンシュタインがどんな男か、良く分かるだろう。その恐ろしさもな……」
クレメンツ准将はそう言うとグラスを一息に呷った。
四日後、財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ公爵が宇宙船の事故で死亡した。遺児、マクシミリアン・フォン・カストロプが帝国に対して反乱を起こしたのはその約二週間後、二月十七日の事だった。
第五十話 ヴァンフリート4=2 再び
帝国暦 486年 3月 15日 オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル
「ご苦労だったな、ミューゼル少将。良くやってくれた」
「はっ、有難うございます。皆が良く働いてくれました」
「うむ、そうか。これからも期待できるのだな」
「はい」
カストロプの反乱鎮圧の報告をする俺の目の前でオフレッサーはいかつい顔を綻ばせて頷いている。意外と悪い表情ではない、何処となく可愛げがある。ブルドックが餌を貰って喜んでいるような表情だ。
「それにしても反乱鎮圧に九日か……。実質戦ったのは半日と聞いた、見事だ」
「恐れ入ります」
「ミサイル艇の一件をまぐれと言っていた連中も今回の卿の手腕には一言もないようだ。もう一度言う、良くやった」
「はっ」
嬉しいのは分かるが頼むから肩をバシバシ強く叩かないでくれ、痛いだろう。
マクシミリアン・フォン・カストロプが反乱を起こしたのが二月の十七日。俺が討伐軍の指揮官に任命され約五千隻の艦隊を率いてオーディンを発ったのが三月一日……。本当はもっと早く鎮圧に向かいたかったのだが、あまりに早く動いては最初からカストロプ公爵家を潰すのが目的だと周囲に悟られかねない。出立は三月一日になった。
マクシミリアン・フォン・カストロプは突発的に反乱を起こしたため十分な兵力を用意できなかったはずだがそれでも約七千隻の艦隊を編成し、カストロプ星系の外延部で俺を迎え撃った。自領近くでの会戦を望んだのは自領を離れるのが怖かったのだろう。自分の留守中に部下に背かれるのではないかと不安だったに違いない。
マクシミリアンは兵力差を利用してこちらを押し崩そうとしたが、こちらはそれを逆手に取り縦深陣に引きずり込んでマクシミリアンを叩いた。マクシミリアンの艦隊は耐えきれずに潰走、彼自身は罪が軽くなることを望んだ部下の手で殺され、他の者は降伏した。
反乱鎮圧の要した期間は九日間、オーディンからカストロプまでの六日間、戦闘に半日、残りはカストロプでの事後処理だった。自慢するわけではないが手際よく片づけられたと思う。
「卿は明日付で中将に昇進する。一緒に行った連中も皆昇進だ。至急、艦隊を編成しろ。最優先で用意してもらえることになっている」
「はっ」
分かっていたことではあったが、やはり嬉しかった。ようやく一万隻の艦隊を指揮できる。しかも最優先で用意してもらえるとは……、オフレッサーの影響力の大きさをまた一つ見せられた思いだ。
「遠征軍は既に出征したと聞きましたが?」
「カストロプの反乱が鎮圧されたと知った翌日にはオーディンを発った。シュターデン少将は余程卿の凱旋姿を見たくなかったらしい、大分嫌われているな」
オフレッサーが底意地の悪そうな顔で笑った。今度は悪人面だ、ブルドックが憎々しげに笑っている。酷い顔なのに可愛げのある顔と悪人面と両方が出来るのはどういう訳だろう。
「遠征軍の目的地はどちらに?」
「ヴァンフリートだ」
「ヴァンフリート……」
オフレッサーが頷いた。ヴァンフリート、胸が痛んだ。初めての敗北、キルヒアイスの喪失、あそこで全てが変わった……。
「卿も知ってのとおり、今年になってから反乱軍の艦艇がイゼルローン要塞付近に頻繁に出没している。特にここ二月ほどは酷いな。実害は出ていないが鬱陶しい存在であることは間違いない。反乱軍がイゼルローン要塞を攻略する前準備ではないか、徐々にではあるがイゼルローン回廊の制宙権の確保が危うくなるのではないかという声も上がっている」
オフレッサーの言葉に俺は頷いた。
「ヴァンフリート4=2の基地が反乱軍の戦略拠点になっている事は間違いない。今回の遠征軍の狙いは二つ、一つはヴァンフリート4=2の基地を潰す事、そしてもう一つはそれを阻止しようとするであろう反乱軍の艦隊を撃破する事だ」
おかしな考えではない、最前線にある敵の基地など厄介な存在でしかない。出来る事なら早期に排除すると言うのは当たり前の考えだ。しかしシュターデンには前回のヴァンフリートでの敗戦の雪辱をしたいという思いが有るはずだ。それをうまく反乱軍に利用されたという事は無いのだろうか。
「罠という事は考えられませんか?」
「反乱軍がこちらを誘っているという事か?」
オフレッサーが顔を顰めた。しかし意外そうな表情をしていない、つまりオフレッサーも似た様な事は考えたのだろう。敵は頻繁に艦艇をイゼルローン方面で動かし帝国を挑発している……。
「ヴァンフリート4=2の基地を巡っての攻略戦、艦隊決戦となれば前回の戦いと同じ展開になります。反乱軍がもう一度基地を利用して帝国軍を誘引しようとしている、そうは考えられないでしょうか」
自分で言っていてなんだがどうにも違和感が有る。ヴァレンシュタインが同じ戦場で同じ手を続けて使うだろうか?
「確かにその点は遠征軍の司令部の中でも検討されたらしい。だが罠と知らずに行くのと罠と知って行くのは違う。それに敵が艦隊決戦を望むのであればむしろ好都合だろうと遠征軍は考えている。何と言っても敵は基地を守らねばならんのだ、その分だけ行動が制限されるだろう」
基地を守るか……。行動が制限される……。
「反乱軍が基地を放棄するという事は考えられないでしょうか?」
「基地を放棄する? ヴァンフリート4=2の基地をか?」
「はい」
オフレッサーが手を顎にやった。顎を撫でながら考えている。俺は突拍子も無い事を言ったつもりはない。ヴァンフリート4=2の基地は存在そのものは厄介ではある。だが厄介ではあっても危険ではないのだ。あの基地の存在がイゼルローン要塞を危うくするようなことは無い。
前回の敗戦の所為だろうが遠征軍は、いや帝国軍は必要以上にあの基地を過大評価しているのではないだろうか。反乱軍があの基地を放棄するとなれば反乱軍はその行動においてなんら制限されることは無い。むしろ基地を破壊するという目的を持つ分だけ帝国軍は動きを読まれやすくなる。
ヴァンフリート星系は決して戦いやすい場所ではない。前回の戦いでは味方の艦隊の位置を確認する事すら出来なくなった。それほど戦い辛い場所だ。しかし相手が何処に向かうかが分かってさえいればある意味伏撃をかけやすい場所だともいえる。
ヴァレンシュタインはそれを狙っているとは考えられないだろうか。だからここ二ヶ月ほど反乱軍の動きが積極的なのだ。ヴァンフリート4=2の基地を必要以上にこちらに印象付けようとしている。攻撃対象と認定させるために……。帝国軍を引き寄せるために……。
「その場合は、反乱軍の狙いは……」
「遠征軍の撃破、ではないかと考えます」
オフレッサーが大きく頷いた、そしてフンと鼻を鳴らす。頼むからそれは止めてくれ、うつりそうで怖い。
「……有りえん話ではないだろうな。基地が必要なら遠征軍を撃破した後、もう一度造れば良いのだからな……。分かった、遠征軍には軍務尚書から警告を発してもらおう」
オフレッサーがそれで良いか、と言う風に俺を見たので頷いた。実際それがどの程度の意味を持つかは遠征軍司令部の判断次第だ。それ以上の事はこちらには出来ない。だが彼らの頭の片隅にでもあれば多少は違うだろう。敵が必ず基地を守るなどという固定観念を持たれるよりは遥かにましだ。
「ミューゼル少将、艦隊を編成したらすぐ訓練に入れ。出来るだけイゼルローン回廊に近い辺境で行うのだ」
「遠征軍が危険だとお考えですか?」
俺の問いかけにオフレッサーは首を横に振った。
「分からん……。あくまで念のためだ……。何もない事を俺は大神オーディンに祈っている」
念のため、しかし訓練には直ぐ入れと言った。そして場所は辺境……。
戦争に関してこの親父のカンが外れる事は滅多にない、そうでなければイゼルローンで俺達の進言を受け入れて伏撃など実施する事は無かったはずだ。理屈では無い、感覚で戦争というものを把握している。そのオフレッサーが事態をかなり危険だと考えている。急ぐ必要があるだろう、俺も嫌な予感に捉われている。直ぐに艦隊を編成しなければならない。
帝国暦 486年 4月 27日 08:00 ヴァンフリート4 帝国軍総旗艦 ヴィーダル シュターデン
遠征軍は順調にヴァンフリート4=2の反乱軍の基地に向かって進んでいる。三月上旬にオーディンを出立、イゼルローン要塞で補給及び休息を取り、要塞司令官シュトックハウゼン大将、駐留艦隊司令官ゼークト大将より反乱軍の動向を確認した。
両大将の話では反乱軍は相変わらず艦艇をイゼルローン回廊内に送り込んでくるとのことだった。実際に遠征軍も何度か回廊内で反乱軍の艦艇に接触している。そしてそれはヴァンフリート星域に着くまで続いた。敵、いや反乱軍はかなりこちらの動向に神経質になっている。
「シュターデン少将、ヴァンフリート4=2の反乱軍の基地まであとどのくらいかな?」
「はっ、約三時間程度かと思います」
「ふむ、反乱軍の艦隊の動向は?」
「未だ分かりません」
クラーゼン元帥が渋い表情をした。反乱軍以上に神経質になっているのがクラーゼン元帥だ。反乱軍の動向が分からないことが不安らしい。まあ無理もない事ではある、戦場に出ることなど久しぶりなのだからな。だから何かと私を頼ってくる。こちらとしては願ってもない事で思うように指揮を執れるのだが何とも鬱陶しい。
「ご安心ください、周囲には哨戒部隊を出しております。彼らからは反乱軍の哨戒部隊との接触を告げる報告は有りますが、それだけです。反乱軍の艦隊についての報告は未だありません。連中が哨戒部隊に気付かれずに艦隊に接近することは不可能です。おそらく反乱軍は手をこまねいているのでしょう」
「そうだな」
私の言葉にクラーゼン元帥が同意した。どちらかと言えば自分を納得させようとしているような口調だ。まだ十分に納得はしていない、もうひと押し必要だろう。
「オーディンから連絡が有りましたが、或いは反乱軍は基地を囮として使い我々を誘引して不意を衝こうと考えているのかもしれませんが、十分に警戒態勢をとっていれば不意を衝かれるようなことは有りません。必要以上に恐れる事は無いと考えます」
「うむ、その通りだな、少将」
クラーゼン元帥が大きく頷いた。どうやら安心したようだ、敵と戦うよりも味方を宥める事の方が手がかかるとは……。心配はいらないのだ、味方の兵力は五万隻を超える、我々を攻撃しようとすれば反乱軍もそれなりの兵力を用意しなければならない、となれば味方の哨戒部隊に引っかからずに艦隊に接近することは不可能だ。
三時間後、ヴァンフリート4=2を間近に捉えても反乱軍の艦隊は現れなかった。どうやら反乱軍は基地を放棄するらしい。或いはこちらの艦隊に隙が無いため襲撃できず放棄せざるを得なくなったか、もしかすると連中の兵力はこちらよりも少ないのかもしれない、それが原因で思い切った行動が取れずにいる……。まあどうでも良い、あの忌々しい基地がなくなるのであればな。
「シュターデン少将、反乱軍はやはり基地を放棄したようだな」
「はっ」
「反乱軍の艦隊が近くにいるかもしれん、警戒を厳重にするように命令してくれ」
ウンザリした、哨戒部隊を出しているのにこれ以上何を警戒するのだ。実戦経験が少ないからというより臆病なのだろう。怯える事よりも敵が何故攻撃を仕掛けてこないかを少しは考えてくれ、所詮は儀礼式典用の飾り物か、真の軍人では無い。
「承知しました、哨戒部隊に注意しておきましょう。元帥閣下、反乱軍の基地に対して攻撃命令を頂きたいと思いますが」
「うむ、攻撃を許可する」
「はっ。オペレータ、全艦に命令、対空防御システムに注意しつつヴァンフリート4=2の基地を攻撃せよ。さらに哨戒部隊には警戒を厳重にするようにと伝えろ」
艦隊に攻撃命令を出すと艦隊が基地に近づき攻撃を開始した。五万隻を超える艦隊が攻撃するのだ、瞬時にして基地は破壊された。あっけない結果に皆白けたような表情をしている。艦隊はそのまま基地から少し離れた場所にある飛行場を攻撃したがこちらも瞬時にして破壊された。
他愛無い結果だ、何故こんな基地の攻略にグリンメルスハウゼン艦隊は、あのミューゼルの小僧は手間取ったのだ。あいつらが自分の仕事をきちんとしていればあの敗戦は無かったのだ、何が天才だ、役立たずが!
クラーゼン元帥を見た。破壊された基地を、飛行場を見て他愛なく喜んでいる。まだ今回の遠征の目的の半分しか、それも容易い方しか達成していない、それなのに他愛なく喜んでいる。一体何を考えているのか……。
問題はこれからどうするかだ、反乱軍が何処にいるか……、こちらから積極的に索敵するか、それとも哨戒部隊の報告を待つか……。敵が発見できないようであればより反乱軍の勢力圏内奥深くに侵攻するというのも選択肢の一つだろう。敵中奥深く侵攻し否応なく反乱軍を決戦の場に引き摺り出す……。戦場はティアマトか、アルレスハイムか……。
「イゼルローン要塞より緊急入電です!」
オペレータの緊張した声に皆の視線が集中した。イゼルローン要塞? 何が有った?
「反乱軍が大軍をもって襲来! 至急来援を請う!」
悲鳴のような声だった。その声に艦橋が凍りつくのが分かった。
皆、誰も声を出さない。出さないのか、それとも出せないのか……。イゼルローン要塞が落ちれば遠征軍は反乱軍の勢力圏内に取り残されることになる。イゼルローン回廊には要塞と要塞を攻略した艦隊が待ち受けているはずだ。無理に押し通ろうとすれば遠征軍は手酷い損害を受けるだろう。しかし、それを恐れて愚図愚図すれば敵中で補給切れという事になりかねない。
「シュ、シュターデン……」
総司令官がそのような情けない顔を周囲に見せるな! 馬鹿者が!
「落ち着いてください、元帥閣下」
そうだ、まず落ち着くのだ。この男の所為で慌てる事が出来ない。良い事なのだろうが、腹立たしさが募る。
「しかし」
「イゼルローン要塞は難攻不落です。そう簡単には落ちません。八日、八日持ち堪えれば我々と駐留艦隊で反乱軍を挟撃できます」
「そ、そうだな」
思わず強い口調で話した私に阿るようにクラーゼンが同意した。本来なら逆だろう、慌てふためく我々をお前が窘めるのだ。それなのに……。
「それに、これが反乱軍の罠ということも有り得ます」
「罠だと?」
キョトンとしたクラーゼンの表情に驚くよりも呆れる思いだった。この程度の事も考えつかないとは……。私が焚き付けたとはいえ、良くも宇宙艦隊司令長官になろうと考えたものだ。
「オペレータ、先程の通信だが間違いなくイゼルローン要塞からのものか?」
「それは、通信はあまり良い状態では有りませんでしたので……」
オペレータは自信がなさそうだった。事が事だ、慎重になっているのかもしれない。
「判断が出来ないか」
「はい、申し訳ありません」
言葉だけではなく真実申し訳なさそうにオペレータが答えた。やはりそうか、オペレータは確証が持てずにいる。罠の可能性が有ると見て良い。
「シュターデン少将、これは反乱軍の罠なのか?」
「分かりません、ヴァンフリートは通信の送受信が極めてしづらい星域です。反乱軍がこちらを混乱させようと偽電を仕掛けた可能性は有ります。それを想定して動かなければならないでしょう」
クラーゼンが不安そうな表情を見せた。罠の有無などどうでもよいのだ、この場合は罠が有ると考えて行動しなければならない。
「では、どうする」
「先ずヴァンフリート星域から離脱します。罠の可能性が有りますから離脱には十分な注意が必要です。そして通信の真偽を確かめます。真実であればイゼルローン要塞へ至急戻らなければなりません。偽りであれば、敵が近くにいる可能性が有ります、引っ掛かった振りをして敵を待ち受けましょう」
断定はできないがおそらくは偽電だろう。ここからイゼルローン要塞までは八日も有れば戻る事は可能だ。イゼルローン要塞を攻略するには時間が足りない。リスクが大きくそれに比べて成功の可能性は決して大きくは無い。
余りにも無謀すぎる。おそらくは我々が慌てて戻ろうとするところを後背から奇襲をかける、そう考えているはずだ。それならば十分に対処は可能だ。問題は先程の通信が事実であった場合だろう。反乱軍がリスクを理解したうえで要塞攻略を選んだとなるとそれなりに成算があると見なければならない。その成算とは何か……。
反乱軍の艦艇がイゼルローン要塞を出立後何度も接触してきた。あれはこちらの目をヴァンフリートに向けるためだったのか。こちらの目がヴァンフリートに向いている間に反乱軍はティアマト、アルレスハイムのどちらかからイゼルローン回廊に侵入した……。
「もし、通信が真実として反乱軍がイゼルローン要塞に押し寄せていた場合、要塞は我々が戻るまで持つか?」
そんな事は反乱軍に訊いてくれ、どうやって落とすのか教えてくださいとでも言ってな!
「先程も言いましたがイゼルローン要塞は難攻不落です。必ず我々の来援を待っています。急いで戻りましょう」
それ以外我々に何が出来ると言うのだ、分かりきったことを訊かないでくれ。
偽電でなかった場合、反乱軍は短期間に要塞を攻略する成算が有ると見なければならない。となればイゼルローン要塞が落ちている可能性はある。だからこそ急がなくてはならない。落ちた直後なら反乱軍は十分な防衛体制を取れていないはずだ、そこを衝いて要塞を奪回する。十分に可能だ。時間が全てを決めるだろう。急がなくてはならない。
第五十一話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その1)
帝国暦 486年 4月 27日 07:00 イゼルローン要塞 トーマ・フォン・シュトックハウゼン
司令室には緊張感と不安感が漂っていた。オペレータ達は忙しそうに仕事をしているが参謀達は皆押し黙ったまま口を開こうとはしない。時折視線を交わしているだけだ。
司令室のドアが開きイゼルローン駐留艦隊司令官、ハンス・ディートリッヒ・フォン・ゼークト大将が参謀達を連れて入ってきた。その瞬間私の周囲に居る参謀達が顔を顰めるのが見えた。しようの無い奴らだ!
このイゼルローン要塞には要塞司令官の私と駐留艦隊司令官のゼークト大将がいる。我々には上下関係は無い、イゼルローン要塞の防衛戦において我々は同格の立場で反乱軍と戦うことになる。
同じ職場に同格に大将が二人いるのだ、当然だが仲は良くない。いやそれ以上に周囲の参謀達の仲が悪い。顔を顰める事など日常茶飯事で驚く様な事でもない。
ゼークト大将がこちらに早足で近づいてくると噛み付くような声で問いかけてきた。
「緊急の呼び出しとは穏やかではないな、一体何が有ったのだ」
言外につまらぬ事で呼び出したのならタダでは済まぬと言っているのが分かる。部下の前だからといって凄む事もないだろう。
「回廊内に反乱軍がいるようだ、あと六時間もすれば肉眼で見える様になるだろう」
私の言葉にゼークトの眉が跳ね上がった。彼の参謀達も驚きを露わにしている。
「馬鹿な、どういう事だ、それは」
「先程、駆逐艦ヴェルフェンから緊急連絡が入った。“反乱軍の艦隊を発見、規模、約五万隻”、その直後連絡が途絶えた。こちらから呼びかけても応答は無い。おそらく撃沈されたのだろう」
「……」
ゼークトが部下達と顔を見合わせている。信じられないという思いが有るのだろう。自分も同感だ、反乱軍はヴァンフリートで遠征軍を待ちうけているのではないかと思っていた。だがどうやら違ったらしい。彼らの狙いはイゼルローン要塞の攻略だ。
「私の独断で遠征軍、そしてオーディンに通報を入れた。至急来援を請う、とな」
ゼークトの眉がまた上がったが何も言わなかった。“俺に断りもなしに”などと言っている場合ではないと思ったのだろう。その点は認めてやる、良く抑えた。
「……オーディンはともかく、遠征軍には届くかな?」
ゼークトが覚束なげな表情で問い掛けてきた。思わず自分の口元が歪むのが分かった。確かにその点については不安が有る。
「十分おきに通信を送れとオペレータには言ってある」
「そうか……」
「遠征軍が戻るまで八日はかかるだろう。足止めを食らえばさらに日数は延びる」
私の言葉にゼークトが顔をしかめた。
「つまり、最低でも八日は我々だけで五万隻を率いる反乱軍と対峙しなければならんということか」
「そういうことになるな」
「他愛も有りませんな。イゼルローン要塞は難攻不落、恐れる必要など全くありません。しかも十日にも満たぬ期間を守れば良いのです。反乱軍は六度の敗戦が七度の敗戦になるだけです」
要塞司令部の参謀が詰らぬといった風情で大言壮語した。しかしそれを咎める人間はいない。皆同意するかのように頷いている。
誰もがイゼルローン要塞の堅牢さを信じ切っているのだ。“イゼルローン回廊は反乱軍兵士の死屍をもって舗装されたり” 帝国軍兵士が好んで使う言葉だ。私が問題提起をするほかあるまい。
「私はそうは思わんな、反乱軍を甘く見る事は危険だ」
「閣下!」
何人かの参謀が私を咎めるように声を出した、主に私の部下だ。残りは冷たい視線を向けている。
「どういう事かな、要塞司令官」
ゼークトが低い押し殺したような声で問いかけてきた。どうやらこの男も私の意見に不満のようだ。
「反乱軍が何の勝算も無しにイゼルローン要塞に押し寄せてくることは無い。前回はミサイル艇による攻撃、前々回は並行追撃作戦を考案してきた。二度とも失敗したが我々は危険な状態にまで追い込まれたのだ、油断はできない」
周囲を見渡したが皆不満そうな表情をしている。要塞の堅牢さを否定されたことがそんなにも面白くないのか。
「しかし、今回は僅か八日守れば……」
「だから危険なのだ!」
抗議しようとする参謀の口を封じた。こいつらは全くわかっていない。
「遠征軍が早ければ八日で戻ってくることは反乱軍とて分かっているはずだ。にもかかわらず要塞を攻略しようとするのは何故か?」
「……反乱軍は要塞を落とす自信が有る、卿はそう言いたいのだな」
「その通りだ、ゼークト提督。或いはかなりの長期間、遠征軍を足止めする自信が有るのだろう。そう考えて対処するべきだと思う」
「うむ」
最悪の場合は足止めどころか全滅という事も有るだろう。だがそれをここで言えば混乱するだけに違いない。今言えるのはこれが限度だ。ゼークトが腕を組み俯いて考え込んでいる。どうやらこの男も反乱軍が危険であることは理解したらしい。まあこの程度の事を理解できないようでは最前線の指揮官など務まる筈もない、当然か。ゼークトが腕を解いた。
「艦隊は要塞の外に置く、要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内にて待機、反乱軍の動きを見る。直ちに準備にかかれ」
「はっ」
ゼークトの部下たちが敬礼をすると司令室を出て行った。それを見送ってからゼークトが私に視線を向けてきた。
何を話しかけてくるのか、或いは何を話すべきなのか、そう考えているとゼークトが声をかけてきた。
「反乱軍が要塞を攻略しようとすれば艦隊の無力化を図る可能性が有るだろう。要塞内に艦隊を保全した場合、メインポートを破壊されれば艦隊の出撃は出来ん。要塞司令官である卿を信用しないわけではないが、艦隊は出撃し反乱軍の動きに対応しようと思うが?」
一応こちらに了解を取ろうという気持ちが有るらしい。さすがに不安なのだろう、協力体制を取りたいという事か。
「承知した。こちらは要塞内に陸戦隊を配備する。また反乱軍がミサイル艇で攻撃してこないとも限らんからな」
「うむ、出来る限り反乱軍の動きを牽制するつもりだが、本格的な反撃は遠征軍が戻ってからになるだろう」
問題は無い、変に突撃されるよりもはるかにましだ。
「戻ってくると思うか?」
自然と小声になった。ゼークトは厳しい目で私を見たがそれだけだった。彼も不安に思っているのだろう。
オペレータが躊躇いがちに声をかけてきた。
「閣下、オーディンから連絡が」
「……分かった」
スクリーンにエーレンベルク、シュタインホフ両元帥の姿が映った。敬礼をすると向こうも答礼してきた。
『遠征軍との間に連絡はついたか?』
エーレンベルク元帥の言葉に視線をオペレータに向けるとオペレータは首を横に振った。
「残念ですがまだ連絡がつきません。こちらの送信を受信したかどうかも不明です」
私の言葉に両元帥の顔が歪んだ。私の責任ではないがそれでも身の置き所が無い思いだ。ゼークトも同様なのだろう、面目なさそうな顔をしている。
『こちらからも増援を送る』
シュタインホフ元帥が苦虫を潰したような表情で言葉を出した。
「増援ですか、しかしオーディンからでは」
オーディンからでは此処まで来るのに四十日はかかる。増援が来るまでに要塞攻防戦は終わっているだろう。今回のような急場には役に立たない。ゼークトも同じ思いなのだろう、眉を寄せて何か言いたそうな表情をしている。
『卿の言いたい事は分かる。今現在ミューゼル中将の艦隊がボーデン星系で訓練を行っている、兵力は約三万隻、至急そちらに向かうように指示を出した。約二週間でそちらに着くはずだ』
二週間、遠征軍が八日で戻ればこちらが優勢になった時点でミューゼル中将がイゼルローン要塞に着くことになる。反乱軍は間違いなく撤退するだろう。しかし遠征軍が足止めを食らえばミューゼル中将の艦隊が先に要塞に来る可能性が高くなる。
約三万隻の艦艇……、かなり状況は改善する。駐留艦隊と合流すれば帝国側が有利になるだろう。つまり八日ではない、最低二週間を耐える覚悟をする必要が有るという事だ。不満に思うな、当てにならない八日よりも確実な二週間だ。場合によっては遠征軍は反乱軍に敗れ戻って来ない可能性も有るのだ。
オーディンは最善の手を打ってくれている。我々は不利な状況にあるが孤立してはいない。気を強く持て。ゼークトも何度か頷いている、増援が来る目処がついたことで精神的に楽になったのかもしれない。
「了解しました、迅速な御手配、有難うございます」
私が両元帥に礼を言うとゼークトも礼を言った。それを聞いてからエーレンベルク元帥が厳しい表情で我々を注意した。
『後は遠征軍が戻るのを待つのみだ、それまでの間、両名は協力してイゼルローン要塞を守れ』
「はっ」
やれやれだ、そう思うのなら指揮系統を統一してほしい。同じ職場に同格の司令官を置くなど嫌がらせにしか思えん。毎回反乱軍が押し寄せる度に協力して戦えと注意するつもりか? 馬鹿げているだろう、隣にいるゼークトの顔を見て思わず溜息が出そうになった……。
帝国暦 486年 4月 27日 08:00 ボーデン星系 ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー ラインハルト・フォン・ミューゼル
「それにしてもイゼルローン要塞を攻略とは……」
「意表を突かれましたな、参謀長」
ケスラーとクレメンツが話しているのを聞いて思った。同感だ、確かに意表を突かれた。
中将に昇進後、一万隻の艦隊を率いる事になった。その他にメックリンガー少将、アイゼナッハ少将、ビッテンフェルト少将、ロイエンタール少将、ワーレン少将、ミッターマイヤー少将が三千隻を率いている。ミュラー准将は俺の艦隊の分艦隊司令官として三百隻を率いる事になった。
司令部の要員も新たに編成しなおした。当初メックリンガーを参謀長にという事も考えたがケスラー、メックリンガー、クレメンツと話し合い参謀長にケスラー、副参謀長にクレメンツと言う布陣になった。
政略面でケスラー、戦略戦術面でクレメンツ、そういう事だ。ケスラー、メックリンガーという組み合わせも考えたがクレメンツの方がヴァレンシュタインの事を良く知っているという事でケスラー、クレメンツの組み合わせになった。
皆、真の敵が誰なのか分かっている。今回の反乱軍の動きもあの男の考えだろう。遠征軍の撃破と見せかけて、イゼルローン要塞の攻略を狙っていた。
「問題は遠征軍が何時イゼルローン要塞に戻ってくるかだが……」
ケスラーの言葉にクレメンツが顔を顰めた。おそらくは俺も同様だろう。
「卿らは遠征軍が戻って来られると思うか?」
「……」
俺の問いかけにケスラーもクレメンツも黙して答えない、いや答えられない。
皆、厳しいだろうと考えているのだ。当然だが反乱軍、いやヴァレンシュタインは戻ろうとする遠征軍を足止めしようとするはずだ。かなりの大軍を動かしているだろう、遠征軍は簡単にはイゼルローン要塞には戻れない、時間だけが過ぎてゆくことになる。
「時間が経てば経つほどイゼルローン要塞が陥落する可能性が高くなる。遠征軍には焦りが出るはずだ」
俺の言葉にケスラー、クレメンツの二人が頷いた。イゼルローン要塞が落ちれば遠征軍は帰路を断たれる。その恐怖感は時間が経つにつれ大きくなるだろう。
「当然ですが遠征軍は無理をしてでも撤退しようとするでしょう」
「こちらも当然ですが反乱軍はそこを撃つはずです」
「手酷い損害を受けるだろうな」
遠征軍の来援は期待できない、場合によっては敗残兵となって戻ってくる可能性も有る。思わず溜息が出た。
「あの男らしいやり方だ。戦力的に優位を築くだけではなく、相手を精神的に追い詰めて行く。そして気が付けばあの男の掌の上で踊らされている。ヴァンフリートで嫌と言うほど思い知らされた」
俺の言葉にケスラーとクレメンツが顔を見合わせた。二人とも深刻な表情をしている。ヴァンフリートで俺が味わったあの思いを分かって貰えただろうか。しばらくの間沈黙が落ちた、そして空気が重くなっていく。
「彼にとって誤算が出るとしたら我々の存在でしょう。二週間、イゼルローン要塞が堪えてくれれば要塞を守ることは可能です」
ケスラーが重苦しい空気を振り払うかのように明るい予測を口に出した。だが遠征軍の事は触れていない。偶然か、それとも既に見切っているのか……。
「参謀長の言うとおりですが戦う事は出来るだけ避けるべきです。今の艦隊の状態では戦闘はリスクが大きすぎます。要塞、そして駐留艦隊と協力しつつ反乱軍を打ち破るのではなく彼らに撤退を選択させる、その方向で戦うしかありません」
クレメンツの言う通りだ。この艦隊は未だ十分に訓練を積んでいるとは言えない。後二週間、いや一週間欲しかった。シュターデンが俺達がカストロプから戻るまで出立を待っていてくれれば……、また溜息が出た。
そうであれば艦隊の状態にもう少し自信を持てただろう。戦闘にも自信を持てたはずだ。どうにも上手く行かない、ケスラーは俺達の存在がヴァレンシュタインにとって誤算だと言っていたが本当にそうなのか、どこかチグハグな感じがしてならない。
「今我々が最優先ですべきことはイゼルローン要塞に向かう事、駐留艦隊と合流することです。急ぎましょう。向かっている途中で要塞から詳しい情報も入るはずです。戦闘の予測はそれからにした方が良い、今ここで考えても不確実な情報では不安感が増すばかりです」
ケスラーの言葉にクレメンツが頷く。確かにその通りだ、今ここで悩んでも仕方がない。出来る事を一つ一つ片付けていく、先ずはイゼルローンへ急ぐことだ。その事があの男の誤算になることを信じよう……。
第五十二話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その2)
帝国暦 486年 4月 27日 13:00 イゼルローン要塞 トーマ・フォン・シュトックハウゼン
「司令官閣下!」
オペレータが緊張した声を上げた。おそらくは反乱軍の艦隊を確認したのだろう。五万隻の大軍、落ち着け、周囲に不安を与えるような言動はするな。
「どうした?」
「反乱軍を確認しました、規模、約七万!」
「七万だと……」
気が付けば呻くような声が出ていた。周囲にも小声で話し合っている部下がいる。そしてオペレータは蒼白な顔をしていた。
「スクリーンに映します!」
オペレータの掠れるような声と共にスクリーンに反乱軍の大軍が映った。見たことも無いような大艦隊だ。七万隻、その数字が実感できた。
「オーディンへ連絡を入れろ、ミューゼル中将にもだ」
「はっ」
「それと遠征軍にも伝えるのだ」
「ですが、遠征軍は」
遠征軍にはまだ連絡がつかない。こちらの通信を受信しているのかもしれないが、向こうから返信が無い。いや、反乱軍が通信を妨害している可能性も有るだろう。となれば遠征軍はまだこちらの状況を知らないのかもしれない。背筋が凍りつくような恐怖感に襲われた。落ち着け、私は要塞司令官なのだ、落ち着くのだ。
「オペレータ、これまで通り、遠征軍には十分おきに連絡を入れるのだ、そこに敵情を追加しろ」
ゆっくりと、そしてはっきりと指示を出した。オペレータが大きく頷いた。
「はっ」
「それと念のため、ゼークト提督にも伝えるのだ」
「ゼークト提督にもですか?」
「そうだ、ゼークト提督にもだ。忘れるな」
オペレータが手分けしてオーディン、ミューゼル中将、遠征軍、そしてゼークトに連絡を入れ始めた。おそらくゼークトは既に知っているだろう。だが連絡を入れたという事が大事なのだ。協力体制を執る、口だけではなく姿勢を示さなければならない。相手は七万隻の大軍なのだ、間違いは許されない。
七万隻、その事が胸に重くのしかかってきた。反乱軍がイゼルローン要塞攻略に七万隻もの艦艇を動員したことは無い。本気という言い方はおかしいが反乱軍が今回の攻略戦にかなりの覚悟で臨んでいるのは間違いない、要塞攻略の成算もあるのだろう。胸が痛むような緊張感が襲ってきた。
「反乱軍の陣容を調べてくれ、一体誰が艦隊を指揮しているのかを知りたい」
「承知しました」
慌てるな、七万隻とは言っても数を揃えただけという事も有るだろう。誰が艦隊司令官として参加しているのか、そこまで確認すべきだ。
この七万隻が囮という事も考えなければならない。もし遠征軍がイゼルローン要塞が七万隻の大軍に攻撃を受けていると知れば、気もそぞろで撤退するに違いない。当然後背に対する注意も疎かになるはずだ。それを狙っているという可能性も無いとは言えないだろう。
反乱軍で精鋭部隊と言えば、第五、第十、第十二艦隊だ。司令官はビュコック、ウランフ、ボロディン。彼らが参加しているようなら間違いなく反乱軍は本気でイゼルローン要塞を落とそうとしている。要塞は危険極まりない状況に有る事になる。
逆に彼らが居なければ彼らは遠征軍を狙っている可能性が高い。目の前の七万隻は張り子の虎とは言わないが二線級だろう。……そうか、ビュコック達が遠征軍を潰した後、こちらに合流する、その可能性が有るか……。その場合、反乱軍の兵力は十万隻に近い数字になるだろう。最悪と言って良い。
「司令官閣下、反乱軍は五つの艦隊を動員しています。戦艦リオ・グランデ、戦艦ペルーン、戦艦盤古、戦艦ヘクトルを確認しましたが残り一個艦隊の旗艦は分かりません」
一個艦隊は分からない……。新編成の艦隊だろうか? しかしそんな話は無かったはずだ、となると艦隊司令官が変わった第四、第六のどちらかということか。これが初陣という事だな。士官学校を卒業しておらず兵卒上がりと聞いた、実力を買われての登用だろう、油断は出来ない。
戦艦リオ・グランデは第五艦隊の旗艦のはずだ、戦艦ペルーンは第十二、戦艦盤古は第十艦隊の旗艦、つまり反乱軍は精鋭部隊を送りこんできたという事になる。しかし戦艦ヘクトル? オペレータがわざわざ報告する以上、それなりに意味が有るはずだが一体……。
「……オペレータ、戦艦ヘクトルというのは?」
私の問いかけにオペレータがちょっと困ったような表情を見せた。
「第五次イゼルローン要塞攻防戦時における反乱軍の総旗艦です」
「そうか」
なるほど、そういうことか。第五次イゼルローン要塞攻防戦時の総司令官はシトレ元帥だった。統合作戦本部長から宇宙艦隊司令長官に異動して以前の総旗艦をまた使っているということか。ここへ赴任したのが第五次イゼルローン要塞攻防戦の後だったから分からなかった。このオペレータはここが長いのだろうか、まだ若いところを見ると気が利くのか……。
「卿、名前は」
「ヨハン・マテウス一等兵であります」
「うむ」
今後は注意して見るとするか。
ここに精鋭部隊を用意しているという事は、遠征軍には二線級を当てて時間稼ぎという事だな。遠征軍が何時戻ってくるかでイゼルローン要塞の命運も決まるだろう。もうすぐ戦闘が始まる、反乱軍も時間が無い事は分かっているはずだ。戦いは厳しいものになるだろう。
帝国暦 486年 4月 29日 14:00 ヴァンフリート 帝国軍総旗艦 ヴィーダル シュターデン
「哨戒部隊からの報告は無いか、シュターデン少将」
「現時点では敵艦隊発見の報告は有りません」
「そうか」
クラーゼン元帥がほっとした表情を見せた。遠征軍はヴァンフリート星系を抜け出しつつある。反乱軍の奇襲を受ける確率が減ったと思っているのだろうが、困ったものだ、問題はこれからなのに……。
反乱軍が通信妨害をしているせいだろう、イゼルローン要塞からは途切れ途切れに連絡が入ってくる。だがそれでもおおよその事が分かった。それによれば反乱軍の兵力は五個艦隊、七万隻という大規模なものらしい。しかも総司令官はシトレ元帥、配下には第五、第十、第十二等の精鋭部隊が揃っている。
要塞攻防戦は二十七日の午後から始まったようだがかなり激しいものだったようだ。遠征軍でも要塞からの悲鳴のような連絡を何度か受け取っている。しかしイゼルローン要塞は反乱軍の攻撃を凌ぎきった。大丈夫だ、イゼルローン要塞は難攻不落、そう簡単に落ちるような要塞では無い。
今の時点では反乱軍も攻撃を中止し、戦力を再編しているらしい。クラーゼンが安堵の表情を見せているのにはそれも有るだろう。要塞が防戦をしている間は何度も要塞は大丈夫かと煩かった。大丈夫も何もこちらには信じる事しか出来ないではないか、馬鹿馬鹿しい。
状況は厳しいが不利とは言えない。反乱軍の妨害さえ無ければイゼルローン要塞にはあと六日も有れば辿り着くはずだ。そうすれば要塞駐留艦隊と協力して反乱軍を挟撃できるだろう。退路を断たれた反乱軍は壊滅、大勝利は間違い無しだ。
気になるのはミューゼルの小僧だ、あの小僧が三万隻の艦隊を率いて要塞に向かっているらしい。連中はあと十日ちょっとで要塞に着く、我々との差は六日程度だ。間違っても連中より遅れる事は出来ない、あの小僧より先に要塞に着いて反乱軍を叩きのめさなければ……。
もし連中に先を越されるような事が有ればあの小僧は益々付け上がるだろう。オフレッサー元帥を利用して好き放題に軍を動かすに違いない。幼年学校を出ただけの、前線指揮しかしたことのない小僧に何が出来ると言うのだ。こうなって見るとオーディンを早く出たのは正解だったようだ。
問題は遠征軍を足止めしようとする反乱軍だ。ヴァンフリートにはいなかった。となるとヴァンフリートの外で待ち受けているのかと思ったがそうでもないらしい。後方の哨戒部隊からも敵艦隊発見の報告は無い。
残る選択肢はイゼルローン要塞へ戻る途中での伏撃だ、哨戒部隊を前方に多めに配置する必要があるだろう。時間との勝負だ、急がなければならない。イゼルローン要塞の危機を救い、ヴァレンシュタインを補殺し反乱軍を壊滅させる。そうなればその武勲の前に帝国軍人全てがひれ伏すだろう。あの金髪の小僧もただただ頭を下げるだけに違いない。小僧達の鼻を明かす最大の好機だ。
宇宙暦 795年 5月 2日 宇宙艦隊総旗艦 ヘクトル エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「ヴァレンシュタイン准将、順調と言って良いのかな」
「そうですね、特に問題は無いと思います」
「ふむ、しかしミューゼル中将が三万隻を率いてこちらに向かっているようだが?」
シトレは両手を組んで顎を乗せている。お得意のポーズでどこか揶揄する様な声とからかうような笑みを浮かべている。性格悪いよな、そんなに予定外の事が起きるのが楽しいか? お前も当事者なんだぞ。
「問題有りません。彼がイゼルローン要塞にたどり着く頃には全てが終わっているはずです」
「うむ」
今度は本当に満足そうな表情を見せた。こいつ、俺を試して喜んでるな。俺が慌てふためくところを見たいらしい、糞爺が。
オイゲン・フォン・カストロプが死んだ、宇宙船の事故による死亡だった。そして息子のマクシミリアンが反乱を起こし討伐された。それを聞いた時には思わず笑ったよ。やはりカストロプ公爵家は平民達の帝国に対する不満へのガス抜きに利用されたらしい。
原作より早い時点での処分だが、まあヴァンフリートで大敗しているしイゼルローンでも勝ったと言えるような戦果じゃなかったからな。この辺が使い時だと帝国上層部は考えたのだろう。つまり俺が奴に引導を渡したわけだ。そして反乱討伐の指揮官はヴァンフリートで敗れたラインハルト……。
ラインハルトは反乱鎮圧に成功し昇進した。元帥府に参集したケスラー達も反乱鎮圧に加わり昇進だ。もしかするとカストロプを潰したのはこのためかもしれない。ラインハルトは今三万隻の艦隊を率いてイゼルローン要塞に向かっている。要塞を守り、俺を斃す為だろう。因果は巡るとは良く言ったものだ。もっとも今回の戦いでラインハルトに俺を斃せるかどうかは疑問だが。
今、同盟軍は五個艦隊で要塞を包囲している。第一、第五、第十、第十二、そしてシトレの直率部隊だ。しかし表向き動員したのは第五、第十、第十二艦隊と直率部隊となっている。第一艦隊はバーラト星系で海賊退治だ。そういう事にしてマスコミの目を誤魔化した。
イゼルローン要塞に対する攻撃は四月二十七日から始め翌二十八日には一旦打ち切った。そして三十日に再開し五月一日に終わらせている。攻撃そのものに目新しいものは無い。これまでの攻撃パターンの集大成の様なものだ。
「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」を踊りながら帝国軍を挑発する、ミサイル艇を使って攻撃を加える、無人艦を突入させる等だ。派手にやってる割には戦果は少ないし、こちらの犠牲も少ない。
もっとも要塞からは攻撃を受ける度に悲鳴のような救援要請が遠征軍やラインハルトに対して出されている。来援を急がせようとしているのだろう。それ以外はちょっと考えられない。
或いは本当に圧力を感じているのか……。何と言ってもこちらは七万隻だ。こちらが囁いたつもりでも相手は怒鳴られているように感じるという事は十分に有りえる。まあ悪い事じゃない、シュターデンが焦ってくれればそれに越したことは無い。
遠征軍の動きを見る限り、こちらの動員兵力を知らなかったと見て良い。知っていればヴァンフリートにのこのこ出てはこなかっただろう。フェザーンも騙されたようだ。後々帝国とフェザーンの関係が難しくなりそうだがそれも今回の戦いの狙いの一つではある。
いずれ帝国との間に和平を結ぶ、となれば仲介者が必要だ。それも出来ればこちらに好意的な仲介者が良いだろう。日露戦争の時のアメリカのような。
シュターデン、残念だな、遠征軍は一週間動くのが早かった。後一週間遅ければラインハルトの艦隊と共同して同盟軍を叩けたのだ。そうすれば勝利は帝国のものだった。
最初、ラインハルトが増援として来ると聞いた時はこちらの作戦が読まれたのかと思い、目の前が真っ暗になったが一週間のずれが有ることでそうじゃない事が分かった。安心したよ、本当に安心した。それにしてもラインハルトが辺境に居た……、偶然じゃないだろうな。
誰かが念のためにラインハルトを辺境に派遣した、一体誰が手を打ったのか……。エーレンベルク、シュタインホフ、或いはオフレッサー、それともラインハルト自身か、なんとも帝国には手強い相手がいる。厄介な事だ。
イゼルローン要塞からは定期的に遠征軍、ラインハルトに対して送信が行われている。内容は戦闘の状況、それに伴う被害、そしてイゼルローン要塞への到着日時の確認だ。“遠征軍は五月六日に到着は間違いないか、増援軍は五月十四日の到着で間違いないか”必ずそれを通信している。
半分以上は同盟軍に聞かせるのが目的だろう。もうすぐ味方が来る、撤退するなら今のうちだ、要塞を攻め落とすというのなら急がないと間に合わないぞ、そう言いたいのだ。こちらの焦りを誘い無理攻めをさせたいらしい。失敗すれば損害を与えられるし時間も稼げる。
おそらくは要塞司令官シュトックハウゼンの策だろう。上手い手だ、俺もその立場なら同じ事をやるだろう。だが残念だな、シュトックハウゼン。今回ばかりは策が裏目に出た。一週間のずれが俺に見えてしまったのだ。
それが無ければ俺はシトレに撤退を進言していただろう。俺は要塞攻略には興味が無い、狙いは遠征軍の殲滅だ。そして出来る事ならイゼルローン駐留艦隊も叩き潰したい、そう思っている。そしてそれは十分に可能だ。ラインハルトの増援がそれを可能にしてくれる。
上手くいけばラインハルトも叩けるかもしれない。まあこっちは期待薄ではあるな。その程度の相手なら恐れる必要など無い。だがせっかく来てくれるのだ、それなりのもてなしはしなければならんだろう。一体どうやってもてなしてやるか……。
戦闘では無理だな、戦闘以外でもてなすべきだろう。帝国軍に、ラインハルトにダメージを与える、毒を流し込む……。今後の戦いを考えれば絶対に必要だ。シュターデンが戻ってくるまでに考えなければならん。残りあと四日、楽しみだな、ラインハルト。その時が楽しみだ……。
第五十三話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その3)
帝国暦 486年 5月 6日 10:00 イゼルローン要塞 トーマ・フォン・シュトックハウゼン
イゼルローン要塞の司令室は困惑、苛立ち、焦燥の空気に満ちていた。
「どう思う、ゼークト提督」
「分からんな、……遠征軍が近くまで戻っているのは間違いないのか、要塞司令官」
「途切れ途切れではあるが二日程前から遠征軍の通信が入ってくる、それによれば近くまで来ているらしい。不思議な事ではあるがな」
私の言葉にゼークトは唸り声をあげて考え込んだ。気持ちは分かる、こちらも唸りたい気分だ。
反乱軍はこれまで三度にわたってイゼルローン要塞に攻撃をかけてきた。第一回目の攻撃は四月二十七日から翌二十八日の二日間で行われた。「D線上のワルツ・ダンス(ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン)」で駐留艦隊を挑発しつつ、艦隊の一部を要塞主砲の死角に回し攻撃をかける。そして合間合間にミサイル艇を使って要塞に攻撃を加える。
此方はまた強襲揚陸艦を使って陸戦部隊を要塞内に送り込んでくるのかとその度にヒヤヒヤした。ゼークトは何度かこちらを援護しようとしたが駐留艦隊の正面には常に反乱軍が倍以上の兵力で圧力をかけている。思い切った行動はとれない。イゼルローン要塞は反撃の手段を奪われ殆どなすすべもなく防戦に専念せざるを得なかった。
反乱軍は陣容を再編すると第二回目の攻撃を四月三十日から五月一日に行った。攻撃内容は殆ど前回と変わらなかったが、この時は無人艦をメインポートに突入させ艦隊の出入り口を塞ごうとした。
駐留艦隊は要塞外に出ていたが、要塞への出入りを封じられては補給、損傷艦の修理が出来なくなる。艦隊は痩せ細る一方だ。ゼークトと協力して防いだがヘトヘトだった。七万隻の大軍、その圧力は尋常なものではない。
第三回目の攻撃は五月四日に行われた。だがこの三回目の攻撃はそれまでの二回の攻撃に比べればかなり淡白なものだった。攻撃時間も半日程度で終わっている。いささか拍子抜けしたほどだ。
そして今日、五月六日は予定では遠征軍が戻って来る日だ。本来なら喜ぶべき日だが私もゼークトも困惑を隠せずにいる。先程まで要塞を包囲していた反乱軍が撤退したのだ。どう考えるべきか、ゼークトは部下とともに要塞に戻り司令室で我々と状況を検討している。
「遠征軍が戻ってきたのではないでしょうか、だから反乱軍は後背を衝かれることを恐れて撤退した。或いは遠征軍を撃破しようと向かった」
ゼークトの部下が意見を出した。分かっている、彼は出撃したいのだ。これまでの攻防戦で駐留艦隊は殆ど活躍できなかった。その鬱憤を晴らしたいのだろう。しかし他の者は皆微妙な表情をしている。ゼークトが顔を顰めた。
「その場合、反乱軍は遠征軍に対して何の足止めもしなかったという事になるな。果たしてそんな事が有るのか……」
私の言葉にゼークトの渋面がさらに酷くなった。意見を出したゼークトの部下も面目なさそうにしている。考え無しの阿呆、鬱憤晴らしで戦争をするな。
遠征軍が今日戻ってくると言うのは我々の予想だ。遠征軍から知らせが有ったわけではない。もちろん今日遠征軍が戻ってくるのはおかしな話ではない。反乱軍が遠征軍の邪魔をしなければという条件付きだが……。
「要塞司令官、卿は反乱軍の撤退が駐留艦隊を誘き出す罠ではないかと考えているのだな」
「その通りだ、ゼークト提督。駐留艦隊を引き摺り出して叩く、艦隊が無くなれば反乱軍にとってイゼルローン要塞を落とす事はさほど難しくは有るまい」
何人かの士官が頷いている、ゼークトもだ。どう見てもこの意見の方が妥当性が有る。反乱軍が遠征軍をすんなり帰すなどという事が有るはずが無い。伏撃をかけ撃破するか、或いは足止めするか、どちらかをするはずだ。となれば遠征軍が今日、此処に来るわけがない。すなわち、反乱軍の撤退は罠という事になる。
「要塞司令官、遠征軍からあった通信は反乱軍の欺瞞という事かな……」
「……そうなるのだろうが、どうもおかしい……」
「……欺瞞にしては余りにも拙いか……」
「うむ……」
私とゼークトの会話に皆が困惑の表情を見せた。ゼークトの言う通りなのだ。これが反乱軍の欺瞞工作だとしたら余りに拙い。ミューゼル中将が近づいているので時間が無いと考えているのかもしれない。しかし余りにも拙い。こんな拙い欺瞞工作に引っかかると反乱軍は考えているのだろうか……。
「どうも分からんな」
「全くだ、どうも分からん」
お互い首を傾げざるを得ない。遠征軍が戻ってきたとは思えない、しかし反乱軍の欺瞞工作にしては拙すぎる。さっぱりわからない。
もし遠征軍が戻ってきたのだとすれば放置はできない。遠征軍は五万隻強、反乱軍は七万隻。戦力では遠征軍が不利なのだ。その不利を覆すためには駐留艦隊の兵力が要る。駐留艦隊が反乱軍の後背を衝けば前後から挟撃された反乱軍を壊滅状態に追い込むことも可能だ。
「おそらくは罠だろうが、念のため索敵部隊を出そう」
「それが良いだろうな、駐留艦隊はどうする」
「要塞主砲(トール・ハンマー)の射程外で結果を待つ。罠ならば射程内に戻る、真実遠征軍が戻ったのなら反乱軍の後背を衝く」
「……分かった、十分に注意してくれ」
部下を従えゼークトが司令室を出ていく。その後ろ姿を見ながら思わず溜息を吐いた。どうにも妙な具合だ。反乱軍が何を考えているのか分からない、いやそれ以上に遠征軍がどうなっているのか分からない。その事が状況を混乱させている。
ゼークト、無茶はしないでくれよ……。卿を失えばイゼルローン要塞は孤立する。反乱軍から要塞を守り抜くのは難しいだろう。そして要塞を失えば帝国軍は駐留艦隊、遠征軍の合計七万隻の艦艇を失うのだ。
帝国暦 486年 5月 6日 13:00 イゼルローン回廊 帝国軍総旗艦 ヴィーダル シュターデン
遠征軍は反乱軍の伏撃にも足止めにも合わずにイゼルローン回廊に到達した。回廊に入るまでは総旗艦ヴィーダルの艦橋は緊迫感に溢れていた。回廊に入りやや緩んだが今はまた緊迫感に溢れている。
現在遠征軍は回廊をイゼルローン要塞に向けて進んでいる。あと四時間もすれば要塞を確認できるだろう。つまり反乱軍の後背に出る事になる。戦いが始まる事を皆が理解している。大きな戦いになるだろう、両軍合わせて十万隻を超える艦隊が戦う事になる。
これまで遠征軍はイゼルローン要塞に向けて通信を行わなかった。通信を行えば反乱軍に傍受され位置を特定される。伏撃、足止めを食らえばそれだけイゼルローン要塞に辿り着くのが遅くなる。一日も早くイゼルローンに辿り着くべきで、そのためには通信はすべきではないと言うクラーゼンの指示に従ったのだ。
間違いではない、反対する理由は無かった。要塞に対して通信を行いだしたのは二日前からだ。クラーゼンはここまで反乱軍と出くわさなかった事を喜んでいる。通信をしなかった事が正しかったのだと自慢しているが、本心は足止めを、伏撃を受けるのが怖かったのだと思っている。
要塞救援に間に合わず反乱軍にイゼルローン要塞を奪われれば遠征軍は反乱軍の勢力範囲で孤立する。補給もままならず、悲惨な結末が待っている。それをクラーゼンは何よりも恐れていた……。
クラーゼンは反乱軍の攻撃を受けなかった事を、敵の後背に出られる事を単純に喜んでいるがどうもおかしい……。我々を回廊内に入れれば反乱軍は前後から攻撃を受ける事になる。本当なら反乱軍の勢力圏内で攻撃が有ったはずだ。何が何でも我々を撃破しようとしただろう、それなのに攻撃は無かった……、これをどう考えるべきか……。
クラーゼンを見た。多少の緊張は有るようだが反乱軍を挟撃できる、イゼルローン要塞を守る事が出来ると喜んでいる。反乱軍の攻撃を何故受けなかったか、まるで疑問に思っていない。単純に無線封鎖をしたからだと思っているのだろう。
戦いが終わればその事を声高に自慢するに違いない。うんざりした、何だってこんな馬鹿を担ごうと考えたのか……。他に人が居ないと思ったからか? そうじゃない、分かっている、こんな馬鹿だと思わなかったのだ。それが理由だ。
反乱軍は精鋭を揃えている、兵力は七万隻……。遠征軍は五万隻、イゼルローン要塞の駐留艦隊を加えても帝国軍は七万隻には届かない、こちらを撃破出来ると考えているのだろうか? いや、待て、手間取ればミューゼルが来ることを反乱軍は知っているはずだ。ヴァレンシュタインはあの小僧を天才だと評していた。笑止な事だが、その天才が来ることを知って敢えて危うい道を選ぶだろうか……。
有り得ない、あれは何とも腹立たしい小僧だが手を抜くような男ではない。となれば、ミューゼルの小僧が来るまでにこちらを撃破する何らかの手段を講じているはずだ。一体それは何か……。
……やはり挟撃だろう、反乱軍には別働隊がいるのだ。だがその戦力は決して大きくは無かったのだ。伏撃、足止めをするには不十分な兵力だが挟撃用なら、背後から敵を衝くなら十分な兵力……。
三個艦隊なら正面から戦える、二個艦隊なら伏撃、足止めが可能だろう、となると一個艦隊か……。なるほど、反乱軍には司令官が新しくなった艦隊が参加していると要塞から報告が有ったな。司令官が変わったのはもう一個艦隊有ったはずだ。挟撃用の艦隊はそれだろう。
戦場がイゼルローン回廊なのも説明がつく、此処なら前後から敵を挟撃しやすい。伏撃、足止めが無かったのは偶然でもなければこちらが躱したのでもない。必然だったのだ。反乱軍はイゼルローン回廊内での艦隊決戦を狙っている。
クラーゼンの馬鹿め、反乱軍に遭遇しなかったのを喜んでいる場合か! こちらが反乱軍を挟撃しようとしているように反乱軍もこちらを挟撃しようとしているのだ!
どうするか……、お互いに相手の後背を衝き合う形になるがこうなると兵力が多い分だけ反乱軍が有利だ。……止むを得んな、ミューゼルの小僧の力を借りるか。不本意ではあるが負けるよりはましだろう。一週間だな、一週間堪える。少々厳しいがそこは戦術能力で補うしかない。
「前方に大規模な艦隊を発見!」
考え事をしているとオペレータが悲鳴のような声で報告してきた。おそらくは反乱軍だろう、こちらの接近を知って迎撃に出てきたか。上手く行けば各個撃破出来ると考えたのだろうな、悪い考えではない。それにしても大規模? 何を考えている!
「大規模とはどういう事だ、正確な数字を出せ!」
私が叱責するとオペレータが赤面して俯いた。全く、最近の若い連中は報告一つまともに出来んのか、情けない。
「閣下、約七万隻です!」
七万隻、その言葉に艦橋の空気が瞬時に緊迫した。
「シュ、シュターデン少将、どうする?」
どうする? 戦うに決まっているだろう、それとも降伏でもすると言うのか? 情けない顔をするな、卿は総司令官だろう!
「直ちに戦闘準備を命じてください。それと一部隊を後方に置いて反乱軍に備える必要が有ります」
「後方だと?」
キョトンとしたクラーゼンの表情が癇に障ったが何とか抑えた。
「我々が反乱軍を挟撃しようと考えているように反乱軍も我々を挟撃する可能性が有ります。それに備えなければなりません」
「一部隊と言っても誰を置く」
「メルカッツ副司令長官にお願いしましょう」
私の言葉にクラーゼンが露骨に嫌な表情を見せたが気付かないふりをした。功績を立てさせると競争相手になると考えているのだろうが負けたら全てが終わるのだ、それよりはましだろう。メルカッツは一万隻を率いている。彼ならどんな相手でも多少の戦力差などものともしないはずだ。
問題は反乱軍だ、向こうがどんな陣立てで来るか。こちら同様後方に部隊を置くかどうか……。戦術コンピュータを見ると向こうも後方に二個艦隊置いている。となると正面は約四万隻か……、こちらとほぼ同数だな。ミューゼルが来援するまで十分に耐えられる、勝機は有る。
「オペレータ、イゼルローン要塞に通信を。我、反乱軍と接触セリ。至急来援を請う」
「はっ」
後はミューゼルの小僧を待つだけだ。急いでくれよ、小僧。間違っても迷子になるんじゃないぞ。
帝国暦 486年 5月 7日 01:00 アムリッツア星系 ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー ラインハルト・フォン・ミューゼル
「遠征軍が戻ってきた? しかも無傷だと? おまけにイゼルローン回廊で反乱軍と交戦中?」
通信オペレータの報告にクレメンツが何処か調子が外れた様な声を出した。そしてそのまま俺とケスラーに視線を向けてきた。
クレメンツの表情には何処か信じられないと言った色が有る。ケスラーも信じられないと言った表情をしている。俺も信じられない、遠征軍が無傷で戻ってきた? 一体何の冗談だ? この時期に戻って来るという事は反乱軍との戦闘は無かったという事になる、どういう事だ?
オペレータの報告が続いた。それによれば反乱軍はイゼルローン要塞の包囲を解き遠征軍の迎撃に出たようだ。そして駐留艦隊はその後背を衝く形で戦闘に加わっているらしい。
さっぱり訳が分からない、クラーゼン、シュターデンの二人は俺が考えるよりはるかに有能で反乱軍を煙に巻いて戻ってきたという事なのだろうか。有り得ないと思うのだが実際にイゼルローン要塞の包囲は解かれた。一時的な事かもしれんが要塞陥落の危機が去った事は間違いない。
「考えられる事は二つです。一つは遠征軍が自力で戻ってきた。もう一つは反乱軍が故意に見逃した」
ケスラーがゆっくりと発言した。まるで自分の言葉を検証するかのようだ。故意に見逃した、何故見逃す? そこにどんな利益が有る……。利益など無いではないか、帝国軍は反乱軍目指して集結しつつある……。
「そうか、そういう事か……。ケスラー、クレメンツ、ヴァレンシュタインの狙いはイゼルローン要塞ではない。遠征軍、そして駐留艦隊の撃滅だ」
俺の言葉にケスラーとクレメンツが顔を見合わせた。
ヴァレンシュタインはイゼルローン要塞を攻める事で遠征軍の恐怖心を煽った。同時に挟撃すれば勝てるという希望も与えた。遠征軍は否応なくイゼルローンに誘引されたのだ。実際には遠征軍はヴァレンシュタインが用意した別働隊に後背を衝かれることになるだろう。
そして駐留艦隊も挟撃すれば勝てるという誘惑に引き摺り出された。要塞主砲(トール・ハンマー)の射程内という絶対安全な巣穴から引き摺り出されたのだ。遠征軍が不利になればなるほど駐留艦隊は退く事が出来なくなる。味方を助けるために留まろうとして損害を増大させるだろう。
本来、敵は各個に撃破するのが用兵の常道だ、だがヴァレンシュタインはその逆を行おうとしている。自らを囮に敵を一か所に集める事で撃滅する……。蟻地獄だ、ヴァレンシュタインはイゼルローン回廊に巨大な蟻地獄を作ろうとしている。
遠征軍五万隻、駐留艦隊一万五千隻、それらを全て飲み込む巨大な蟻地獄……。急がなければならない、俺の艦隊が要塞に着くまであと七日、間に合うだろうか? 絶望が胸をどす黒く染め上げた……。
第五十四話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その4)
帝国暦 486年 5月 7日 03:00 アムリッツア星系 ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー ラインハルト・フォン・ミューゼル
眼の前のスクリーンには顔面を蒼白にしているエーレンベルク軍務尚書、シュタインホフ統帥本部総長、そしてオフレッサーが映っている。この肝っ玉親父が顔面を蒼白にしているのを見るのはこれが二度目だ。最初の時は例の贄の話を聞いた時だった。
『シュターデンは気付いていないのか、反乱軍の狙いに』
軍務尚書エーレンベルク元帥が掠れたような声で問いかけてきた。
「全く気付いていないとも思えません。ですがそれ以上にイゼルローン要塞を落とされる、敵中に孤立する、その恐怖感の方が強いのでしょう。それに上手くいけば反乱軍を挟撃できる、そういう思いも有る筈です」
『恐怖と欲か……』
「遠征軍はイゼルローン要塞を見殺しには出来ない、駐留艦隊は遠征軍を見殺しには出来ない、見殺しにすれば次に滅ぶのは自分です。ヴァレンシュタインは七万隻の艦隊をイゼルローン回廊に置くことで帝国軍を誘き寄せているのです」
『蟻地獄か……』
『軍務尚書、とんでもない事になった、このままでは……』
軍務尚書と統帥本部総長の声が聞こえた。二人の声には紛れもない怯えが有る。彼らを臆病だとは非難できない。俺だとて怖いのだ。遠征軍が、駐留艦隊が全滅すればどうなるのか……。
『帝国は六万五千隻の艦隊、約七百万の将兵を失うことになります。補充には時間がかかるでしょう』
まるで俺の心を読んだかのようにオフレッサーの声が重く響いた。そして軍務尚書と統帥本部総長の表情が強張る。
『簡単に言うな。時間だけではない、費用もかかる。艦を造り、人を育てる。そして戦死した人間の家族には遺族年金を出さねばならん。ゲルラッハ子爵も大変だろう、財務尚書就任直後にこれでは……。怒鳴りこんでくるやもしれんな』
軍務尚書の口調はどこか投げやりだったが非難する人間はいなかった。俺だって軍務尚書の立場なら同じような態度を取ったかもしれない。とにかくどうにもならない、無力感だけが募っていく。
以前思った事はやはり間違っていなかった。反乱軍との戦いはこれから苛烈さを増す。彼、ヴァレンシュタインが苛烈なものにする。これからは勝敗ではなく生死を賭ける戦いになる。そして宇宙は流血に朱く染まるだろう……。その通りだ、イゼルローン回廊は七百万人の血によって赤く染め上げられるに違いない。
『ミューゼル中将、要塞司令官、シュトックハウゼンには知らせたか?』
「知らせました、要塞司令官は駐留艦隊に連絡を取ろうとしたようですが反乱軍による通信妨害が酷く出来なかったようです。どうにもならないと言っていました」
『何という事だ、……ミューゼル中将、卿の艦隊は間に合わんか?』
縋る様な口調でシュタインホフ元帥が問いかけてきた。気持は分かる、シュタインホフもどうにもならないと分かっていて、それでも訊いているのだろう。
だが本当にどうにもならない。俺の力でどうにかなるのだったら相談などしていない。用兵の問題ではないのだ、単純な時間の問題なのだ。シュターデンがあと一週間遅く軍を動かしていれば……。溜息が出た。
「残念ですが間に合いません。小官がイゼルローン要塞に着くのは十四日になります。あと一週間は有るのです。我々が要塞に着くまでに戦闘は終了しているでしょう」
『……どうにもならんか』
「イゼルローン要塞すら落ちている可能性が有ります。……或いは多少は残っている艦艇が有るかも知れませんが、その場合はこちらをおびき寄せる罠の可能性が高いでしょう」
呻き声が聞こえた。エーレンベルクかシュタインホフか、或いは二人一緒かもしれない。
『有り得ない話ではないでしょう。地上戦では時折起きるのです。負傷した敵を殺さずに放置し救出しようとする敵をおびき寄せる……。厭らしい手ではありますが効果的ではある。見殺しにすれば士気が落ち、助けようとすれば損害が増える……、地獄です』
また呻き声が聞こえた。
『呪われろ、ヴァレンシュタイン! 忌まわしいガルムめ、いったいどれだけの帝国軍将兵の血を飲み干せば気が済むのだ!』
エーレンベルクが顔を震わせてヴァレンシュタインを罵った。彼は多分カストロプの一件を知らない。知っている俺にはヴァレンシュタインを罵る事が出来ない。エーレンベルクが羨ましかった。今更ながら知れば後悔すると言われた事を思い出した。
「我々の任務を、……確認したいと思います。我々が最優先で守るべきものはイゼルローン要塞、そういうことで宜しいでしょうか?」
途切れがちに出した俺の言葉にスクリーンの三人が顔を見合わせた。酷い話だ、俺は味方を見殺しにする許可を得ようとしている。
『……良いだろう、最優先はイゼルローン要塞の保持とする』
絞り出すようなエーレンベルクの答えだった。断腸の思いだろう、この瞬間帝国軍将兵七百万人が切り捨てられた。だが俺はもう一つ酷い事を訊かねばならない。
「万一、要塞が反乱軍の攻撃により陥落していた場合は?」
俺の言葉にエーレンベルクが目を瞑った。疲れ切った表情をしている。何とも言えない罪悪感が胸に満ちた。
『……無理をせず撤退せよ』
「はっ、了解しました」
これで味方を見殺しにするのは二度目だ。最初は見殺しにしたとは思わなかった。今回は見殺しにする事を自分から要請した。段々酷くなる。次は自らの決断で味方を見殺しにするかもしれない。
以前は戦う事に昂揚する自分がいたが最近ではそれも無くなった。多分もう二度とそんな事は無いのだろう。あれは暑く眩しい夏のような季節だった。そして今はヴァレンシュタインが支配する寒く陰鬱な冬の季節だ……。彼、ヴァレンシュタインを倒さない限りこの冬は終わらないだろう……。
宇宙暦 795年 5月 7日 11:00 宇宙艦隊総旗艦 ヘクトル ミハマ・サアヤ
戦闘が開始されたのは五月六日の十八時二十三分、イゼルローン要塞駐留艦隊が同盟軍の後背を衝こうと押し寄せてきたのが同六日の二十二時三十八分でした。それ以降、約十二時間が経ちますが戦線は膠着しています。
同盟軍は正面の帝国軍遠征軍には第五、第十、そしてシトレ元帥の直率部隊を当てています。中央にシトレ元帥、右翼に第五、左翼に第十艦隊です。後背から来た駐留艦隊には第一、第十二艦隊が対応しています。
帝国軍遠征軍も後方に約一万隻の艦隊を置いています。おそらくは同盟領からやってくる新手の部隊に対応させるためでしょう。そのため帝国軍の正面兵力は四万隻程度、同盟軍とほぼ同数ですから膠着状態になるのは止むをえません。
総旗艦ヘクトルの艦橋には穏やかな空気が漂っています。とても戦闘中とは思えませんが作戦が順調に進んでいる所為でしょう。唯一、想定外だったのはミューゼル中将の存在ですが、それも作戦の遂行には問題ありません。少なくともヴァレンシュタイン准将はそう考えています。
艦橋の会議卓にはシトレ元帥を囲んでマリネスク准将、ワイドボーン准将、ヤン准将、ヴァレンシュタイン准将がいます。私とグリーンヒル中尉――この四月で中尉に昇進しました、万歳昇進です――も席に着くことを許されました。皆、適当に飲み物を飲みながらスクリーンと戦術コンピュータを見ています。
「結構激しく駐留艦隊は攻めてくるな」
「第一、 第十二艦隊を自分の方に引き付けておきたいんだろうね」
「手を抜くとどちらかを遠征軍の方に向けられると考えているか……」
ワイドボーン准将とヤン准将が戦術コンピュータを見ながら話しています。
「やはり第一艦隊は少し動きが鈍いようだな」
シトレ元帥がコーヒーを飲みながら話しかけてきました。元帥の表情はちょっと面白くなさそうです。確かに駐留艦隊が激しく攻めてくるのに対して第一艦隊は少し持て余しているように見えます。第十二艦隊が一緒でなければ結構苦しかったかもしれません。
「止むを得ないでしょう。第一艦隊は首都警備と国内治安を主任務としてきました。帝国軍との戦いなどもう随分としていません、実戦経験など皆無に近い……」
「……」
マリネスク准将の言葉に皆が頷きました、ヴァレンシュタイン准将もです。
「一番頭を痛めているのがクブルスリー提督でしょう」
「それはそうだ、いずれは軍の最高峰に登ると見做されているのに此処でこけたら左遷だからな、おまけに総司令部には相手が誰だろうと容赦しない怖い男がいる」
ヤン准将の言葉にワイドボーン准将が揶揄するような口調で続けました。視線はヴァレンシュタイン准将に向けられています。
みんながヴァレンシュタイン准将を見ましたが准将は全く無視です。そんな准将を見てシトレ元帥が苦笑して言葉をかけました。
「ヴァレンシュタイン准将、何か言ったらどうかね」
「ハイネセンに戻ったらクブルスリー提督には訓練に励んでもらった方が良いでしょう。これからは第一艦隊にも戦場に出てもらうべきです」
他人事のような口調にシトレ元帥がまた苦笑しました。元帥は多分ワイドボーン准将に反論しろと言ったのだと思います。それなのに……多分わざとです。
「今回は見逃すという事か、クブルスリーも必死になるだろうな」
「そういう意味では有りません、毎回第五、第十、第十二艦隊に頼ることは出来ないと言っているのです」
面白くもなさそうに答える准将の言葉にシトレ元帥が渋い表情をしました。元帥だけではありません、皆が渋い表情をしています。皆、艦隊司令官が頼りにならない、そう思っているのでしょう。
「分かっている、私もその事は考えているよ」
シトレ元帥の言葉にヴァレンシュタイン准将を除く全員が顔を見合わせました。考えている、つまり元帥は艦隊司令官を代える事を考えている……。
前回は第四、第六艦隊の司令官が交代しました。今度交代になるのは誰か? 第一艦隊のクブルスリー提督はこれまでの会話からその地位に留まりそうです。おそらくは第二、第三、第七、第八、第九、第十一から選ばれるのだと思いますが一体誰がその後任になるのか……。
クブルスリー提督がこの話を聞いたらほっとするでしょう。此処で交代などとなったら無能と烙印を押されたようなものです。この先の出世は先ず望めません。明らかに同盟軍は実力重視の戦う集団に変わりつつある、そう思いました。
「ミハマ少佐、別働隊が来るまであとどのくらいかな?」
シトレ元帥が低い声で問いかけてきました。相変わらず渋くて格好いいです。グリーンヒル中尉も時々“渋いですよね”と言っています。
「あと八時間ほどでこちらに合流する予定です」
「そうか……、あと八時間で勝敗が決まるわけだな」
呟く様な元帥の声でした。私には何処となく不安そうに聞こえました。
「大丈夫です、我々は必ず勝てます」
私と同じことを思ったのでしょう、ワイドボーン准将が元帥を励ましましたが元帥は溜息を吐きました。
「勝ってもらわなければ困る、十万隻もの大軍を動かしたのだからな。政府を説得するのも大変だった」
「上手く行けば帝国軍艦艇約七万隻、兵員約七百万を捕殺できます。チマチマ艦隊を動かすよりはずっと効率的です。費用対効果で言えば十分に採算は取れると言って良いでしょう。結果が出れば政府も文句は言わないはずです」
クールな声でした。まるで経営コンサルタントみたいな言い方です。ヴァレンシュタイン准将の言葉にシトレ元帥が憮然としました。
「君が羨ましいよ、どうしたらそう平然としていられるのか……、帝国軍はこちらの狙いに気付いたかな、ヴァレンシュタイン准将」
「気付いても問題ありません。彼らにはこちらの想定通りに動くしか手が無いんです」
ヴァレンシュタイン准将が冷徹と言って良い口調で元帥に答えました。元帥がまた溜息を吐いています。そしてヤン准将が苦笑を浮かべて言葉を続けました。
「故に我戦わんと欲すれば、我と戦わざるを得ざるは、その必ず救う所を攻むればなり、か……」
古代の兵法書、孫子の一節です。こちらが戦いを望んだ時、こちらと戦わなければならないのは、そこを攻めれば相手が必ず救出に向かう所を攻めるからだと言っています。この作戦の説明を受けた時、ヴァレンシュタイン准将が教えてくれました。
「最初にイゼルローン要塞、次に遠征軍、帝国軍はそのどちらも見殺しには出来ない……。見事だよ、ヴァレンシュタイン准将」
ヤン准将の感嘆にヴァレンシュタイン准将は無言でした。褒められたんですから少しは喜んでも良いと思うのですけど、この二人の関係はどうも微妙です。
グリーンヒル中尉もそれについては酷く心配しています。いつかヤン准将がヴァレンシュタイン准将に排斥されるのではないかと思っているようです。私はヴァレンシュタイン准将がヤン准将を高く評価しているのを知っていますからそれは無いと思っています。
ただ、もう少しヤン准将がヴァレンシュタイン准将に協力してくれればとは思います。今回の作戦案もその殆どをヴァレンシュタイン准将が考えました。私とグリーンヒル中尉が手伝ったのですが、作戦案の他にヴァンフリート4=2の基地の撤退、艦隊の動員計画、補給計画と大変でした。
ワイドボーン准将が作戦案を計画書にまとめ、それを最後にヤン准将が確認しました。ヤン准将が事務処理が出来ないのは分かっていますが、それでももう少し、と思ってしまいます。ヴァレンシュタイン准将にもそういう気持ちが有るのかもしれません。
お茶の時間はそれから三十分程で終了しました。ヤン准将は仮眠をとるために自室へ、私とヴァレンシュタイン准将は昼食を摂るために食堂に行きました。昼食にあまり時間はかけられません。私達の後に交代でワイドボーン准将とグリーンヒル中尉が昼食を摂るのです。
このまま戦闘が推移するなら多分もう一度食事を摂り、仮眠もとれるでしょう。その後はタンクベッド睡眠だけが休息をとる手段となるはずです。別働隊が来るまで残り七時間を切りました……。
第五十五話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その5)
帝国暦 486年 5月 7日 17:00 イゼルローン回廊 帝国軍総旗艦 ヴィーダル シュターデン
戦況は膠着状態に有る。此処までは特に問題は無い、想定通りと言って良いだろう。これから先問題になるポイントは二つだ。一つは我々の後背を衝くであろう反乱軍の別働隊がいつ来るか、そしてその攻撃を抑えられるかだ。抑えにはメルカッツ提督を置いた。多少の兵力差なら戦術能力でカバーできるはずだ。それだけの力量は有る。
もう一つはミューゼルの小僧がいつ来るかだ。予定では十四日だが本当にその日に来るのか、こちらも決して余裕のある状態ではない。イゼルローン要塞で足踏みなどされては堪らん。この二つ、この二つを乗り切れば帝国は反乱軍に勝てる。
ゼークト提督率いる駐留艦隊は良くやってくれている。反乱軍の二個艦隊を引き付けこちらの負担を減らしてくれている。この後、反乱軍の別動隊に後背を衝かれるこちらとしては反乱軍の正面戦力が一個艦隊少ないと言うのは有りがたい。
駐留艦隊が相手にしている二個艦隊の内、片方の艦隊はいささか動きが鈍い。おそらく艦隊司令官が代わった艦隊だろう。まだ艦隊を十分に掌握していない様だ。それが艦隊の動きに表れている。残念だったな、ヴァレンシュタイン。あの艦隊が精鋭だったら今の時点で駐留艦隊は撤退し遠征軍は敗北していただろう。
「シュターデン少将、反乱軍の別動隊と言うのは本当に来るのか?」
不安そうな表情でクラーゼンが問いかけてきた。もうこれで何度目だろう……。総司令官なのだ、もう少し落ち着いてくれ。周囲に与える影響もある、総司令官が不安そうにキョロキョロしているなど話にならんだろう。
「先ず間違いなく別働隊は存在します。我々を目指して行動しているはずです」
「そうか……、大丈夫なのか、メルカッツの艦隊は一万隻だろう、反乱軍を抑えられるのか」
またこの話だ。クラーゼンは必ずこの話をする。不安なのか、それともメルカッツ提督の力を借りるのが不満なのか、或いはその両方なのかもしれないが、今は勝つことを優先すべきだろう。
「反乱軍の別動隊はおそらく一個艦隊です。もし三個艦隊なら正面から我々を阻止できたはずです。二個艦隊なら伏撃、足止めが可能でしょう。それが出来ないからこそ背後からの挟撃、……反乱軍の別働隊は一個艦隊です」
「そうか、……そうだな」
クラーゼンが頷いている。この話も何度もした、そして何度も納得している。
「同数の兵力、いえ五割増しまでならメルカッツ提督は互角以上に戦えます」
「そうか、しかしもう少し兵力を増やした方が……」
この馬鹿! 自分が何を言っているのか分かっているのか? どこから兵を引き抜くのだ? 正面から兵を引き抜けるのか? お前にそれが我慢できるのか?
「では、正面の兵力を少し後背に回しましょう」
私の言葉にクラーゼンはギョッとしたような表情をした。
「いや、それには及ばない。メルカッツの手腕を信じている」
「了解しました」
頼む、この話はもうこれくらいにしてくれ……。
うんざりだった。顔に感情が出ないようにするのが精一杯だった。腹立たしさを抑えているとオペレータが緊張した声を出した。
「後背に艦隊、反乱軍です!」
艦橋の空気が瞬時に緊迫した。皆の顔が緊張に包まれている。クラーゼンがオドオドした表情でこちらを見ている。いい加減にしろ! 怒りを押し殺してオペレータに問いかけた。
「反乱軍の規模は?」
「二個艦隊、約三万!」
「さ、三万? 馬鹿な……」
顔から血が引くのが分かった。三万? どういう事だ……。周囲の人間達も皆凍り付いている。
「シュ、シュターデン……」
クラーゼンが縋りつくような声を出したが構っていられなかった。どういう事だ? 何故三万隻もの艦隊がここにいる……。
二個艦隊有るのであれば遠征軍を足止めし反乱軍の本隊はイゼルローン要塞の攻略に専念する事が出来たはずだ。わざわざ包囲を崩しこちらに向かってくる必要など無い。おまけに一時的とはいえ帝国軍に挟撃される危険が有るのだ。兵力に余裕があるとはいえ正しい選択とは言えない。
「シュ、シュターデン、話が違うではないか」
黙れ! 私は考え事をしているのだ! 何故だ? 何故足止めしなかった? 何故伏撃をかけなかった? 一週間もすればミューゼルの小僧が来る。此処で勝ってもイゼルローン要塞を攻略できない可能性が出るではないか、それでは本末転倒だろう、艦隊を撃破しても肝心の要塞の攻略に失敗する……。本末転倒? もし本末転倒で無いとしたら? これが最初からの狙いだとしたら……。
「シュ、シュターデン……」
「……正面から数千隻程引き抜き、メルカッツ提督の指揮下に置きます」
押し殺したような声だった、とても自分の出した声とは思えない。その声にクラーゼンが怯んだような表情を見せた。
多分無駄だろう……。オペレータに指示を出しながら思った。してやられた、ヴァレンシュタインの狙いはイゼルローン要塞では無い、我々遠征軍、そしてイゼルローン要塞駐留艦隊の殲滅だ……。
「オペレータ、駐留艦隊に撤退するように伝えてくれ」
「閣下?」
「シュ、シュターデン、何を言うのだ、それでは我々は……」
クラーゼンが蒼白になっている。哀れな男だ、この男は此処で死なねばならない、宇宙艦隊司令長官が戦死……、悲惨な事になった。
「反乱軍の狙いは遠征軍、そして駐留艦隊の殲滅です。今のままではイゼルローン要塞は丸裸になってしまいます。我々は逃げられませんが駐留艦隊は撤退が可能です。撤退させイゼルローン要塞の防衛に当たらせましょう。あと七日でミューゼル中将が来ます。要塞の保持は可能です」
クラーゼンが全身を震わせている。キョトキョトと周囲に視線を向けていたが、誰も彼と視線を合わせようとしない。何度も唾を飲み込む音がした。
「シュターデン、我々はどうするのだ、降伏するのか」
「……残念ですが現時点では降伏は出来ません。今我々が降伏すれば駐留艦隊は反乱軍の大軍に追撃を受け甚大な被害をこうむるでしょう。イゼルローン要塞の保持もおぼつかなくなります。我々は此処で反乱軍を引き付けなければならないのです」
「……」
全滅するまで戦う、一分一秒でも長く戦う、それだけが要塞を救うだろう。
「或いは駐留艦隊の撤退も不可能かもしれません。その場合は我々同様、此処で反乱軍を引き付ける役を担って貰いましょう」
クラーゼンは蒼白になって震えている。嫌悪よりも哀れさが込み上げてきた。何故この男を担ごうとしたのか……。オーディンで飾り物として儀式にだけ参加させておけば良かったのだ。私がこの男を地獄に突き落とした……。
「シュターデン閣下、残念ですが駐留艦隊には連絡が」
「つかんか」
「はい……」
オペレータが項垂れた。八方ふさがりだ、気落ちしているのだろう。だが、私にはそんな事は許されん。何としても要塞を守る、あれが有れば帝国は守勢をとりつつ戦力の回復を図る事は難しくは無いのだ。
「ワルキューレを全機出せ、連絡艇として使うのだ。一人でも突破し駐留艦隊に辿り着けばよい」
「はっ」
「それから、駐留艦隊に辿り着いたら、戻る事は不要と伝えよ」
「……了解しました」
難しいかもしれない。反乱軍の大軍をすり抜け駐留艦隊に辿り着く……、溜息が出そうになった。
「元帥閣下、小官が反乱軍の作戦目的を読み違えた事については幾重にもお詫びいたします。ですがこの上は帝国元帥、宇宙艦隊司令長官としての職務と責任を全うして頂きたいと思います」
私の言葉にクラーゼンが指揮官席で震えている。近づいて小声で囁いた。
「指揮は小官が執ります。元帥閣下におかれましては暫くの間、御辛抱下さい」
「シュターデン……、私は何をすれば良い」
恨み事を言われるかと思ったがそうではなかった。無能かもしれないが、軍人では有ったのか……。どうやら私は最後まで人を見る目が無いらしい。
「難しい事ではありません。将兵達の戦いを、その死に様を見届けてください。それが指揮官の務めです。そしてヴァルハラで良く戦ったと誉めてやってください……」
「分かった、それなら私でも出来そうだ」
蒼白になりながら引き攣った笑みをクラーゼンが浮かべた。
耐えきれずに頭を下げた。指揮を執らなければならない、何時までも頭を下げてはいられない。だが込み上げてくるものが有った。
「シュターデン、指揮を頼む」
「はっ」
宇宙暦 795年 5月 7日 18:00 宇宙艦隊総旗艦 ヘクトル フレデリカ・グリーンヒル
第四、第六艦隊が帝国軍の後背に着いた。これで同盟軍の勝利が確定した。帝国の遠征軍は前後七万の艦隊に挟撃され、イゼルローン要塞駐留艦隊は二倍の敵、第一、第十二艦隊を相手にしている。ミューゼル中将の艦隊が来るまであと一週間はかかる。帝国軍が逆転できる可能性は無い。
帝国の遠征軍は後背の同盟軍に対抗するため正面戦力を減らし後方に回した。少しでも長く持ち堪え、包囲を突破するチャンスを窺おうと言うのだろう。だが正面の兵力を少なくした分だけ正面から押し込まれている。状況は徐々に帝国軍にとって厳しいものになっていく。
先程、帝国軍が単座戦闘艇(ワルキューレ)の大編隊を発進させた。少しでもこちらに損害を与え包囲を突破しようと考えているのだろう。こちらも単座戦闘艇(スパルタニアン)に迎撃を命じている。その所為で宇宙空間ではお互いの単座戦闘艇による激しい格闘戦が行われている。大丈夫、帝国軍がこの罠から抜け出せる可能性は無い、私は断言する。
今回の戦いで一番苦労したのが動員兵力の秘匿だった。公表では五万五千隻、第五、第十、第十二の三個艦隊、そしてシトレ元帥の直率部隊、これが内訳だ。その他に密かに動員したのが第一、第四、第六の三個艦隊。第一艦隊は海賊組織の討伐という名目で艦隊を動かし、第四、第六の両艦隊は艦隊司令官が代わったことで訓練に出ている事になっている。
第四、第六艦隊が到着すると総旗艦ヘクトルの艦橋は爆発するような喜びの声で満ち溢れた。ベレー帽が宙を飛び、其処此処でハイタッチをする姿が見られた。シトレ元帥も満面の笑みを浮かべワイドボーン准将、ヤン准将もにこやかに会話をしている。私もミハマ少佐と喜びを分かち合っていた。何と言っても五万隻の遠征軍を挟撃することが出来たのだ。
そんな中でヴァレンシュタイン准将だけが一人冷静さを保っていた。周囲の喧騒に加わることなく、戦術コンピュータとスクリーンを見比べていた。ワイドボーン准将が“これで勝った、少しは喜べ”と言ったのに対し“未だ終わっていません”とにべもなく切り捨てた。
何時しか艦橋から喧騒は去っていた。皆がヴァレンシュタイン准将の冷静さに圧倒されている。今回の作戦は准将が立案したものでその作戦が成功しつつある。全てが成功すれば帝国軍は大打撃を被るだろう、にもかかわらず准将は無表情に戦況の推移を見守っている……。どうしてそんなにも冷静でいられるのか……。この勝利を少しも喜んでいない様にも見える。やはり帝国人を殺す事に忸怩たるものが有るのだろうか。
「単座戦闘艇(ワルキューレ)が攻撃してきません。後方にすり抜けようとしています」
オペレータが困惑した様な声を出した。単座戦闘艇(スパルタニアン)の迎撃を突破した単座戦闘艇(ワルキューレ)がいるようだ。しかし後方にすり抜ける? 第一、第十二艦隊に向かっているのだろうか。
「第一、 第十二に向かうのかな」
「或いは駐留艦隊に向かうのか……」
「遠征軍はもう助からないと見たか……、だとすれば有り得るな」
ワイドボーン准将とヤン准将が会議卓の椅子に座り、スクリーンを見ながら話している。ヴァレンシュタイン准将はその傍で無言でスクリーンを見ている。狙いは第一艦隊だろうか、帝国軍は単座戦闘艇(ワルキューレ)が第一艦隊を混乱させれば駐留艦隊の突破は可能だと考えている? 突破して同盟軍本隊の後背を衝く?
「元帥閣下、通信妨害を解除しては如何でしょう」
ヴァレンシュタイン准将がシトレ元帥の元に近づき通信妨害の解除を進言した。シトレ元帥はスクリーンを見ていたが、ヴァレンシュタイン准将に視線を向けると大きく頷いた。
「そうしよう」
相手に対して奇襲、或いは孤立させるには通信妨害が必要になる。しかし挟撃が成功した以上、ここから必要になるのは各艦隊との連携になる……。通信妨害は総旗艦ヘクトルの他にも何隻かの艦で共同して行っている。それをやめさせるには連絡艇を使って各艦に伝えなければならない。これには結構時間がかかる。最終的に全ての艦が通信妨害を解除するには三十分はかかるだろう。
「それと第一、第十二艦隊に駐留艦隊を撃滅せよと改めて命じてください。このままでは取り逃がしかねない」
ヴァレンシュタイン准将の声には幾分苛立たしげな響きが有った。シトレ元帥も同じ事を感じたのだろう、微かに苦笑を浮かべている。
「いいだろう。十万隻動員したのだ、戦果は多いほど良い。ボロディンとクブルスリーには連絡艇を出そう」
「宜しくお願いします」
ヴァレンシュタイン准将が席に戻るとヤン准将が困惑したような表情で話しかけ始めた。
「駐留艦隊を無理に殲滅する必要は無いんじゃないかな、イゼルローン要塞は攻略しないんだろう? 余りやりすぎると帝国軍の恨みを不必要に買いかねない。適当な所で切り上げた方が……」
ヤン准将は最後まで話すことは出来なかった。ヴァレンシュタイン准将が冷たい目でヤン准将を見据えている。
「不必要に恨みを買う? 百五十年も戦争をしているんです、恨みなら十二分に買っていますよ。この上どんな不必要な恨みを買うと言うんです?」
「……」
「遊びじゃありません、これは同盟と帝国の戦争なんです。もう少し当事者意識を持って欲しいですね。何故亡命者の私が必死になって戦い、同盟人の貴方が他人事な物言いをするのか、不愉快ですよ」
「……」
ヤン准将は反論しなかった。口を閉じ無言でヴァレンシュタイン准将を見ている。その事がヴァレンシュタイン准将を苛立たせたのかもしれない。准将は冷笑を浮かべるとさらに言い募った。
「亡命者に行き場は無い、利用できるだけ利用すれば良い、その間は高みの見物ですか、良い御身分だ」
「そこまでだ、ヴァレンシュタイン、言い過ぎだぞ」
ワイドボーン准将がヴァレンシュタイン准将を窘めた。ヴァレンシュタイン准将が納得していないと思ったのだろう、低い声でもう一度窘めた。
「そこまでにしておけ」
ヴァレンシュタイン准将はワイドボーン准将を睨んでいたが“少し席を外します”と言うと艦橋を出て行った。その後を気遣わしげな表情でミハマ少佐が追う。二人の姿が見えなくなるとヤン准将はほっとした表情でワイドボーン准将に話しかけた。
「有難う、助かったよ」
「勘違いするなよ、俺は“言い過ぎだ”と言ったんだ。間違いだと言ったわけじゃない」
「……」
「奴はお前を高く評価している。それなのにお前はその評価に応えていない」
ワイドボーン准将の口調は決してヤン准将に対して好意的なものではなかった。そしてヤン准将を見る目も厳しい。ヤン准将もそれを感じたのだろう、戸惑うような表情をしている。
「そうは言ってもね、私はどうも軍人には向いていない」
「軍を辞めるつもりか? そんな事が出来るのか? 無責任だぞ、ヤン」
「……」
准将の視線が更に厳しくなったように感じた。
「ラインハルト・フォン・ミューゼルは着実に帝国で力を付けつつある。彼の元に人も集まっている、厄介な存在になりつつあるんだ。どうしてそうなった? ヴァンフリートの一時間から目を逸らすつもりか?」
「……」
ワイドボーン准将の言葉が続く中シトレ元帥は目を閉じていた。戦闘中に眠るなど有りえない、参謀達の口論を許す事も有りえない。眼をつぶり眠ったふりをすることでワイドボーン准将の言葉を黙認するという事だろうか……。つまり元帥もワイドボーン准将と同じ事を思っている?
ヤン准将が顔面を蒼白にしている。ヴァンフリートの一時間、一体何のことだろう……。
「お前がヴァレンシュタインより先に軍を辞める事など許されない。それでも辞めたければミューゼルを殺してこい。それがせめてもの奴への礼儀だろう。俺達が奴を苦しめている事を忘れるな」
そう言うとワイドボーン准将は視線を戦術コンピュータに戻した。遠征軍は次第に前後から追い詰められて行く。戦況は圧倒的に同盟軍の優位だった。そして総旗艦ヘクトルの艦橋は凍りついたように静かだった……。
第五十六話 第七次イゼルローン要塞攻防戦(その6)
宇宙暦 795年 5月 7日 19:00 宇宙艦隊総旗艦 ヘクトル エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
結局来るところは此処か。司令部参謀が戦闘中にサロンで時間つぶし……、何やってんだか。許されることじゃないよな、シトレもワイドボーンも何も言わなかった。頭冷やしてこい、そんなところだろう。まあ、幸い戦争は勝っている。無理に俺が居る必要もないだろう。
別に好きで七百万人殺そうとしているわけじゃない。殺す必要が有るから殺すんだ。まあ最終的な目標が和平だというのはヤンは知らないからな、あんな事を言ったんだろう。人を殺すことで和平を求めるか……外道の極み、いやもっとも原始的な解決法と言うべきかな。ヤンじゃなくても顔を顰めるだろう。
分かってはいるんだ、ヤンがああいう奴だってのは……。ヤンは戦争が嫌いなんじゃない、戦争によって人が死ぬのが嫌いなんだ。だからあんな事を言い出した。でもな、帝国と同盟じゃ動員兵力だって圧倒的に帝国の方が有利なんだ。そんな状況で敵兵を殺す機会を見逃す……。有り得んだろう、後で苦労するのは同盟だ、そのあたりをまるで考えていない。
結局他人事だ。つくづく参謀には向いていないよな。誰よりも能力が有るのにその能力を誰かのために積極的に使おうとしない。俺が居るのも良くないのかもしれない。ヤンにしてみれば自分がやらなくても俺がやってくれると思っているんだろう。
参謀はスタッフだ、スタッフは何人もいる。全てを自分がやる必要は無い。つまり非常勤参謀の誕生だ。ヤンは指揮官にしてトップに据えないと使い道が無い。お前の判断ミスで人が死んだ、そういう立場にならないと本気を出さない。良い悪いじゃない、そういう人間なんだ。どうにもならない。
あんな事は言いたくなかったんだけどな、俺の気持ちも知らないでと思ったらつい言ってしまった、落ち込むよ……。“亡命者に行き場は無い、利用できるだけ利用すれば良い、その間は高みの見物ですか、良い御身分だ”
そんな人間じゃない、ヤンはそんな卑しい心は持っていない、卑しいのはそんな事を言う俺の心だ。後で謝るか……、謝るべきだろうな、俺はヤンを汚い言葉で不当に貶めたんだ。ワイドボーンが止めてくれなかったら一体何を言っていたか……。
「こちらだったんですか、准将」
サアヤが目の前にいた、どうやら俺の事を心配してきたらしい。余計な御世話だと言いたいところだが現実がこれではな……。馬鹿な子供の世話は疲れるよな、サアヤ。
「酷い事をヤン准将に言ってしまいましたよ」
「……そうですね、あとで謝った方が良いと思います」
「そうします」
俺の答えにサアヤはクスッと笑いを漏らした。
「そろそろ爆発するんじゃないかと思っていました。ずっと無理をしていましたから」
「……」
「何でも出来るから何でも一人でやろうとする。准将の悪い癖です」
そんなつもりは無い、手伝ってくれる人間がいればと何度も思うさ。だがラインハルトの恐ろしさをどう説明すれば良い? 彼が皇帝になるなどと言っても誰も信じないだろう。
「ヤン准将を高く評価しているから