異伝 銀河英雄伝説~新たなる潮流(ヴァレンシュタイン伝)


 

黒色槍騎兵 生成秘話

俺の名はフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト、第六次イゼルローン要塞攻防戦の功績で准将に昇進した、新進気鋭の若手士官だ。二百隻ほどの艦隊を率いる事になったのだが少々困っている。問題は司令部の人事だ。

参謀長にはグレーブナー中佐、副参謀長にはオイゲン少佐、副官にはディルクセン大尉を持ってきた。あとは補給関係を扱う参謀が要る。俺はその手の仕事が全然駄目なのだ。出来のいいのが必要だ。

人事局長のハウプト中将に“出来の良いのを呉れ”と頼んだが、余り期待はしなかった。たかが准将のために人事局長が骨を折ってくれるとも思えない。普通なら良しとしよう、そんな気持ちだった。

ところがその日の内に“ちょうど一人いいのが居る。卿のところに配属させよう”と言ってくれた。一応言ってみるものだな、俺はついてる、そう思った。後から考えればかなり間抜けだったと思う。

その士官が来たのはハウプト中将に頼んだ翌日の朝だった。
「申告します。エーリカ・ヴァレンシュタイン大尉です。本日付で司令部参謀を命じられました」

澄んだ柔らかい声で申告したのは女だった。黒髪、黒目、年齢は二十歳前後か。小柄で華奢な立ち姿だが、曲線は優美といっていい。顔立ちは可愛い感じの美人だ。柔らかい微笑を浮かべている。好感の持てる女性だ。

しかし何の冗談だ。何で女が参謀として俺の所に来る。大体女なのに大尉とはどういうことだ? 士官学校を出ているわけは無い、下士官上がりのはずだが、それにしては若すぎる。

「ヴァレンシュタイン大尉。貴官は本当に此処への配属を命じられたのか? 俺たちは戦場にも行くのだが」
「はい。よろしくお願いします」

どうやら冗談ではないらしい。グレーブナー、オイゲン、ディルクセンは顔を顰めているが、俺はとりあえず彼女の着任を認め、ディルクセンに彼女の事を調べさせた。ハウプト中将に抗議するにも先ずは彼女の事を知る必要がある。俺はこう見えても用意周到なのだ。

ディルクセンが彼女の事を報告してきたのはその日の夕刻だった。彼女は高校卒業後、帝国女性下士官養成学校に入学し卒業している。任官時は准尉だった。普通は伍長なのだが帝文に合格していた事が准尉任官になった。

彼女は有能だった。法務局、兵站統括部、宇宙艦隊司令部等を転々としているが何処でもその働きを認められ昇進している。女性下士官の昇進は簡単なことではない、余程有能だったのだ。不思議だったのは配置換えが多い事だった。俺の所に来る前は憲兵隊にいた。

翌日、俺はハウプト中将に面会を求めた。いくら有能でも女は困る。絶対断るつもりだった。中将は直ぐ俺を部屋に入れてくれた。どうやら俺が来ると予想していたようだ。

「どうして彼女を小官のところに寄越したのです?」
「不満かな、卿の希望に応えたつもりだが?」
ハウプト中将は微笑を浮かべながら答える。確かに有能だ。昨日一日の仕事振りでも十分にわかる。しかし……。

「確かに有能です。しかし戦場に連れて行くわけには……、第一帝国では女性兵は後方支援だけのはずです」
「卿の言うとおりだ、しかしこの人事が撤回される事は無い」

ハウプト中将は何処か面白がっているような表情で話した。はっきり言って面白くなかった。馬鹿にされて堪るか、そんな気持ちだった。

「どういうことです?」
「この人事は、私個人の判断で行なったものではない、そういうことだ」
「?」

どういうことだ? 人事局長の判断ではない?
「この人事は軍務尚書の意向を受けているのだよ」
「軍務尚書?」

困惑する俺に、他言無用だといって中将が話し始めたのは一寸信じられない内容だった。ヴァレンシュタインは、この半月の間に二度命を狙われていた。

その内一度は、官舎を爆破されている。彼女の留守中に官舎にゼッフル粒子を仕掛けようとして失敗したらしい。当然侵入者は爆死した。問題は侵入者がどうやって官舎に入ったかだった。

官舎のドアは電子ロックになっている。解除№を何処から入手したかだが当初、調査をした憲兵隊はヴァレンシュタインから何らかの方法で解除№を聞き出したのだろうと考えていた。

しかし、ドアのアクセスログを確認した憲兵隊は呆然とした。アクセスログに有ったのはマスター№だった。電子ロックには解除№とマスター№がある。解除№は利用者に教えられ、利用者が番号を変更する事も可能だ。

しかしマスター№は変える事は出来ない。そしてこれは利用者に教えられることも無い。兵站統括部の福利厚生課で厳重に保管され外部に教えられることは無い……。

それが漏れた。容易ならざる事だ。事態を重視した憲兵隊は彼女が何を調べているのかに改めて興味を持った。

「彼女は二つのことを調べていた」
「二つですか」
中将は軽く頷いた。
「一つは軍内部にいるフェザーンの協力者についてだ」

軍内部にいるフェザーンの協力者? つまりそいつが兵站統括部の福利厚生課に居るという事か?

「卿が何を考えたか判る、残念だがはずれだ」
「……」
「彼女が調べていた協力者は技術部に居る。間違いなくフェザーンに情報を流しているそうだ」

「では軍内部に二人、フェザーンの協力者が居ると?」
「……彼女が調べていたもう一つの件は地球教だった」
「地球教?」

俺にはそれが何なのかよくわからなかった。いや地球教は判っている。しかし何故調べる必要が有るのだ?

ハウプト中将が俺の疑問に答えてくれた。地球教徒は帝国にも反乱軍にも居る。彼らが国に囚われず、宗教を軸としてネットワークを築いているのではないか?

中継点であるフェザーンがそのネットワーク構築に絡んでいないか? 帝国、反乱軍の知らない所で宗教とフェザーンの財力を軸とした政治勢力が生まれつつあるのではないか? ヴァレンシュタインはそう懸念している。

俺は呆然として中将の顔を見つめた。そんな事が有るのか? いやそんな事を考える人間が居るのか? しかも女……。どういう女だ?

「憲兵隊も軍上層部も彼女の疑念を馬鹿げている、と一笑することは出来なかった。彼女が調べていた二件はこれからも極秘に調べられる事になった」
つまり、爆破事件に地球教が、フェザーンが絡んでいる可能性があるということか?

「……」
「准将、ヴァレンシュタイン大尉は憲兵隊に置く事は危険だとなった」
「しかしだからと言って」

「地上勤務では何処においても相手が疑うだろう。いっそ前線勤務の方がいい、それが上層部の決定だ」
「……」

「彼女は有能だ。政戦両略において傑出した能力を持っている。後方で使うより参謀として使ったほうが帝国のためにもなる。先ずは若手の士官の元に配属させ、様子を見よう、それが上層部の考えだ。卿に取っても悪い話ではあるまい。」



結局俺はヴァレンシュタイン大尉を追い返すことに失敗した。軍務尚書の意向となれば俺が騒いだ所でどうなるものでもない。

それに確かにハウプト中将の言うとおり、政戦両略において信頼できる能力のある部下は必要だ。上層部は彼女に注目している。つまり俺にも注目するということだ。

俺は未だ若い。上手く行けば正規艦隊の司令官にだってなれるかもしれない。そうなればただの戦闘馬鹿ではいられない。色々な意味で彼女は俺にとっても必要な人材だ。

幸い彼女は直ぐ司令部に馴染んでくれた。当初顰め面をしたグレーブナー、オイゲン、ディルクセンも“若い女性がいると職場が華やぐ”とか“職場には潤いが必要だ”とか言いだした。

確かに真面目で、いつも笑顔を浮かべている美人が居たら誰でも楽しくなるだろう。おまけに彼女は菓子作りが得意で時々振舞ってくれる。いつもさり気無くコーヒーを入れてくれて机の上においてくれる。癒される、ほのぼのする……。

違う! 違うのだ。俺の望みは帝国軍最強の艦隊を作ること。艦隊を黒一色で統一し黒色槍騎兵と名づける。剛毅、果断、敵を粉砕する無双の艦隊……。それなのに司令部は毎日、三時のお茶会を楽しみにしている……。

いや、それも戦争になれば変わる。お茶会なんかで和んでいる暇は無い。俺はそう思うことで自分を抑えた。大体戦争を経験すれば彼女だって前線勤務は嫌だと言い出すかもしれないではないか。

そして第三次ティアマト会戦が始まった。俺はそこで女性が戦争に参加すると言う事の意味を嫌というほど教えられた。

宇宙に居る間は女っ気はまるで無い。そんな生活が何ヶ月も続く。ところが戦艦シュワルツ・ティーゲルには若い美人が乗っているのだ。とんでもない事、信じられないことが起き続けた。

最初に起きたのはタンクベッドを巡る争いだった。艦内の保安係からそれを聞いたとき、俺は最初何が起きたのか判らなかった。

「何故、タンクベッドで争いが起きるのだ? 数は十分に足りているだろう?」
「タンクベッドの数は足りております」

「?」
「今回の争いですが、原因はヴァレンシュタイン大尉の使った後のタンクベッドを誰が使うかで争いになったのです」

「……」
「とても良い匂いがするそうで……」
俺は最初冗談だと思った。いくらなんでもそれは無いだろうと。

しかし保安係は大真面目だ。ニコリともしない。つまり、彼の言う事を信じるなら戦艦シュワルツ・ティーゲルには、変態さんがたくさん乗っていると言う事になる。

冗談ではなかった。一つ間違えば、セクハラ問題になりかねない。俺は部下の管理監督責任を問われ、降格されるだろう。軍は女性下士官を多く使っているためセクハラ、パワハラ問題には煩いのだ。

俺は早速、予備のタンクベッドを彼女の個室に用意させ、それ以外は使うなとヴァレンシュタインに命じた。彼女がタンクベッドを使うたびに喧嘩沙汰など俺の艦隊であってはならんのだ。

ついでに彼女の個室も司令官室の隣にした。どこぞの阿呆が不埒な事を考えかねん。いや考えるだけならまだ許せる、実行したらとんでもない事になる。

次に起きたのは、やたらと配下の艦艇より通信が入ってくる事だった。殆どの艦艇が毎日、多いときは二度三度と通信してくる。しかもどうでもいいような要件でだ。総司令部からも注意を受けた。敵に傍受される恐れがある。通信は最小限にせよと。

総司令部の心配は尤もだ。俺は、配下の艦艇に詰まらん事で連絡するなと通達を出した。その結果、各艦から抗議が山のように来た。“旗艦だけで女性兵を独占するのは許せない”、“一日一回ぐらい顔を見させろ”

悪夢だった。何かの間違いだと思いたかった。後方で使うより参謀として使ったほうが帝国のためにもなる? エーレンベルク元帥もハウプト中将も何も判っていなかった。いや、一番判っていなかったのは俺か? 俺が悪いのか?

結局一日一回、ヴァレンシュタインが朝の挨拶を全艦に通信する事になった。挨拶だけじゃ足りんと言うので、星座占いとか、オーディンの天気予報とかやっていた。そのあたりは全部オイゲンが取り仕切った。俺は係わり合いになりたくなかった。変な病気が移りそうで怖かった。

しかし、この朝の挨拶は他の艦隊でも傍受し始めた。最終的には遠征軍全体、総司令部でも見ていたらしい。らしい、と言うのは確認できなかったからだ。

ミュッケンベルガー元帥に今日の朝の挨拶はどうでしょう? なんて訊けるものか。しかし、俺の名は確実に軍内部で広まっていった。俺の望む形ではなかったが知名度が上がるのは良い事だ。良い事の筈だ……。そう思って自分を慰めるしかなかった。

他にも小さなトラブルは一杯あった。俺は彼女を常に俺の傍に置いた。誰も信用できなかった。長い戦争で軍人の質も落ちたらしい。どいつもこいつも腐っている! 脳味噌が膿んでいるに違いない。

この連中では戦闘だってまともにできんだろう。俺は戦闘が始まるのが怖かった。こんなことは初めてだった。

しかし、戦闘が始まると俺の心配は吹き飛んだ。俺の艦隊は猛然と敵に襲い掛かり敵を粉砕した。そうだ、俺が望んだ黒色槍騎兵、剛毅、果断、敵を粉砕する無双の艦隊、帝国最強の艦隊。それが此処にある!

俺は歓喜した。俺は帝国最強の艦隊を手に入れた。まだ規模は小さいがこれから大きくすればいい。帝国軍人は腐っていなかった。多少問題は有るかもしれないが、許容範囲だ。最高の気分だった。ミュッケンベルガー元帥からも褒められた。誰もが認める働きだった……。


そのまま死んでいれば良かった。そうすれば俺は幸せなままでいられた。真実を知ったときの俺の正直な気持ちだ。部下たちが奮戦したのは帝国軍人の義務感からではなかった。ヴァレンシュタインに良い所を見せよう、それだけだった。

俺が望んだ黒色槍騎兵、剛毅、果断、敵を粉砕する無双の艦隊、帝国最強の艦隊。そんなものは何処にも無かった。有ったのは、萌えっ子ヴァレンシュタインと頭のおかしな仲間たちだった。俺が言ったのではない。ディルクセンが言った言葉だ。

続けてディルクセンは俺にこう言った。
「過程はともかく閣下は間違いなく最強の艦隊を手に入れました。大事なのは結果です」

ディルクセン、つまりお前は俺にこの連中をこれからも使い続けろと言うのだな。ヴァレンシュタインを司令部に置けと。お前の本心はそれか。グレーブナー、オイゲン、お前たちも同意見か?


俺は確信した。あの女はロキの生まれ変わりだ、厄介事を持ち込む代わりに素晴らしい財宝を持ってくる。俺には部下たちの頭をおかしくしてしまったが、代わりに俺の望んだ最強の艦隊を与えた。

エーレンベルク元帥もハウプト中将もあの女がロキの生まれ変わりだと知っていたに違いない。各部署を転々としていたのもその所為だ。各部署にどんな厄介事と財宝を持ち込んだのやら。それで今度は俺に押し付けた。

いいだろう、ディルクセンの言うとおり俺が欲しいのは宇宙最強の艦隊だ。敵を粉砕する無双の艦隊、帝国最強の艦隊。それが得られるなら我慢してやる。必ず黒色槍騎兵の名を宇宙に轟かせて見せる。必ずだ。


 

 

オスカー・フォン・ロイエンタールの誓い

帝国暦 486年 5月15日   オーディン 軍務省 尚書室  グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー


「それで、どうなのかな、軍務尚書」
「ミューゼル大将は軍法会議を希望していたようだが、昨今では頭を痛めているらしい」

三月中旬、クロプシュトック侯による爆弾事件が発生した。クロプシュトック侯がフリードリヒ四世陛下の暗殺を図った事件であるがそれは失敗に終わった。

ただし大勢の貴族が爆死し、また犯行場所がブラウンシュバイク公爵邸であったため、討伐軍はブラウンシュバイク公を総司令官とした正規兵と貴族の私兵の混成軍で行なわれた。反乱そのものは鎮圧に約一ヶ月もかかるという醜態を晒した。

貴族たちが勝手な行動を取り、指揮が混乱、言わば烏合の衆と化したせいなのだが、ようやく鎮圧したと思った時点で事件が発生した。ある大尉が略奪行為を行い、それをある少将がその場で射殺した。

法的には問題はない。しかし射殺された大尉がブラウンシュバイク公の遠縁に当たり、射殺した少将が平民である事が事態を紛糾させた。怒ったフレーゲル男爵がその少将を密殺しようしたのだ。

だがその少将には親友が居た。彼はむざむざと親友を殺されるつもりはなかった。彼はラインハルト・フォン・ミューゼル大将に助けを求め、ミューゼル大将はそれに応え、その少将、ウォルフガング・ミッターマイヤーを助けている。ミューゼル大将はミッターマイヤー少将の行為の正当性を訴えるため軍法会議の開催を望んでいたのだが……。

「ミッターマイヤー少将の弁護につくものがおらぬか」
その言葉に軍務尚書エーレンベルク元帥は苦笑した。
「ブラウンシュバイク公を敵に回して弁護を引き受けるものなどおるまい」

「このままでは、法務局が用意した弁護人を受け入れる事になるか」
「うむ……」


帝国暦 486年 5月15日   オーディン ロイエンタール邸 オスカー・フォン・ロイエンタール


家に帰った俺は疲労感に囚われていた。肉体的な疲労からではない、何の成果も上がらない事による徒労感からだ。それでも当てがあるならまだ自分を励ます事が出来るだろう。しかしどうにも当てが見つからない。疲労感は募るばかりだ。

皆ブラウンシュバイク公を、リッテンハイム侯を恐れている。ミッターマイヤーの弁護を頼もうと思っても後難を恐れて逃げてしまうのだ。これほどまでに彼らが恐れられているとは思わなかった。どうやら俺の認識が甘かったらしい。

このままでは法務局の用意した弁護人を使わざるを得なくなるだろう。その結果は見えている。彼らは碌な弁護をしないだろう。コルプト大尉の射殺はミッターマイヤーの恣意になりかねない。

最悪の場合ミッターマイヤーが略奪行為を行い止めようとしたコルプト大尉を射殺した、そんなことになりかねない。そうなれば彼らはミッターマイヤーを合法的に死刑にするだろう。

やはり俺が弁護をするべきだろうか、しかし弁護士でもない俺にミッターマイヤーの弁護が出来るだろうか。それに俺はむしろ証人としてミッターマイヤーの無実を法廷で述べるべきではないだろうか。

この件ではミューゼル大将も当てにはならない。軍事面では頼りになってもこの手の社会経験が必要とされる分野では未熟な若者でしかない。ミューゼル大将を頼ったのは間違いではなかったが、未だミッターマイヤーは死地を脱する事が出来ずに居る。

頼りになる味方が欲しい。ミューゼル大将、ミッターマイヤー、戦場では頼りになる男達だ。だが今の俺には、いや俺達には戦場以外でも頼りになる味方が必要だ。

そんな事を考えているとTV電話が鳴った。ミッターマイヤーか、それともミューゼル大将だろうか、そう思って表示された番号を見たが見覚えのない番号だった。疲れてもいたし無視しようかとも思ったが、思い直して出てみた。もしかすると弁護士からかもしれない。

TVに映ったのはオレンジ色のトサカ頭をした男だった。
「ロイエンタール少将か、久しぶりだ。ビッテンフェルトだ」
「うむ、久しぶりだ。何か用かな、ビッテンフェルト少将」

内心で俺はうんざりしていた。俺はこの騒々しいデリカシーの欠片も無いトサカ頭が嫌いなのだ。周囲は猪突猛進などと言っているが俺から見れば三歩歩けば忘れる鳥頭、トサカ頭にしか見えない。

もっともトサカ頭などと口に出した事はない、トサカ頭を怖いなどと思った事は無いが、好き好んでトラブルを引き寄せる事もない。しかし妙だ。何だって俺に電話してきた?俺がこいつを嫌いなようにこいつも俺を嫌いなはずだ。

トサカ頭が俺を嫌っている理由はこれまたくだらないものだった。士官学校時代に奴が好きだった女を俺が二ヶ月ほど付き合って捨てたことがそれだ。男の純情を踏みにじったとか言って騒いでいたが阿呆か、女なんてどれだって同じだ。だからお前は女に縁が無いのだ。

同期会でもやろうというのか? もしそうなら速攻で断ってやる! 俺は機嫌が悪いのだ。そう思ってつっけんどんに応対したが、トサカ頭は気にした様子も無い。だからデリカシーの無い男は嫌いなのだ。

「ロイエンタール少将、卿がミッターマイヤー少将の裁判で弁護士を探していると聞いたが、弁護士は見つかったのか?」
「いや、未だ見つかっていない」

だからどうした。こっちが困っているのを笑いにきたのか、トサカ頭。それともお前に弁護士の当てが有るとでも言うのか? そんなわけは無いな、いやトラブルばかり起しているお前の事だ、弁護士の一人や二人知り合いがいても可笑しくないか。

「そうか、実はミッターマイヤー少将の弁護を引き受けても良いという人間がいるのだが」
「……」
お前、本当に弁護士の厄介になっていたのか、俺は冗談のつもりだったんだが……。

「あー、返事が無いのはどう取ればいいのかな、続きを話してもいいのか?」
「ああ、もちろんだ。その弁護士というのは卿の知り合いなのか?」
「正確に言うと弁護士ではない、弁護士資格を持っている軍人だ」

弁護士資格を持っている軍人? もしかして法務局の人間か? このアホ! 法務局が信用できないから困っているんだろうが! トサカ頭!

「早とちりするなよ、ロイエンタール少将。法務局の人間じゃない、俺の部下だ」
「卿の部下?」
疑わしそうな声を出した俺にトサカ頭は答えた。エーリカ・ヴァレンシュタイン少佐、彼女がミッターマイヤー少将の弁護をしても良いと言っていると。



帝国暦 486年 5月15日   オーディン リルベルク・シュトラーゼ  オスカー・フォン・ロイエンタール


「それで、弁護士の当てがついたと聞いたが?」
弾んだ声でミューゼル大将が訪ねてきた。同席しているミッターマイヤー、キルヒアイスも明るい表情をしている。ここはリルベルク・シュトラーゼ、ミューゼル大将の下宿先だ。ビッテンフェルトに対し少し時間をくれといった後、俺は此処に来ている。

「当てがついたといって良いのかどうか……」
「?」
皆が不審そうな、不安そうな表情をする。しかし不安なのは俺も同じなのだ。それほどあのトサカ頭が持ってきた話は微妙だった。

「フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト少将、小官とは士官学校で同期生なのですが、彼の部下にヴァレンシュタイン少佐という女性士官がいます。彼女がミッターマイヤーの弁護を引き受けても良いと言っているそうです」

しばらく沈黙が落ちた。ミューゼル大将が困惑した表情で尋ねてくる。
「ロイエンタール少将、そのヴァレンシュタイン少佐というのは、あのヴァレンシュタイン大尉のことか」
「はい。あのヴァレンシュタイン大尉です」

ヴァレンシュタイン少佐、前回の戦いで朝の挨拶を行なっていた女性士官だ。星座占いとか、オーディンの天気予報とかやっていた。何の冗談かと思っていたが、艦隊ではかなりの人間があれを見ていたらしい。ミューゼル提督もあれを見ていたのか。

まあ、普通ならあんなお天気女に弁護など頼む気にはならん。大体戦場に女が出てくるなどあの女もトサカ頭も何を考えているのだ。いや、何も考えていないのだろう。何といってもトサカ頭だ。しかし他に弁護士の当ても無い。どうしたものか……。
「感じの良い女性士官でしたね」
「そうだな、キルヒアイス」
「……」
大丈夫か、この二人を頼った事を一瞬だが不安に思った。

「問題はヴァレンシュタイン少佐が俺の弁護を親身に行なってくれるかどうかだが……」
ミッターマイヤーの言葉にミューゼル大将、キルヒアイス中佐が頷き俺の方を見た。彼らの不安は分かる。弁護を頼んでも彼女が貴族側に有利な弁護をしては意味が無い。

「信じても良いのではないかと思います。彼女はヴァレンシュタイン弁護士の娘です」
「ヴァレンシュタイン弁護士の娘? ……あのヴァレンシュタイン弁護士の娘なのか?」

ミッターマイヤーの驚いた声にミューゼル大将、キルヒアイス中佐が物問いたげな表情をした。どうやら知らないらしい。未だ二人とも若い、無理も無いか。

「昔、リメス男爵という貴族が居ました。ヴァレンシュタイン少佐の父、コンラート・ヴァレンシュタインはリメス男爵家の顧問弁護士をしていたのですが、男爵家の相続問題で貴族達に殺されたのです」

俺はあの事件について知っている事を話した。ヴァレンシュタイン少佐の両親が、ヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家のどれかに殺されたらしい事、ヴァレンシュタイン弁護士がいなければ、リメス男爵は謀殺され、リメス男爵家の財産は親族たちで奪い合いになったであろう事……。

そしてこの事件の所為で弁護士達は貴族達の恨みを買う事をひどく恐れるようになった。ミッターマイヤーの弁護を引き受けようとしないのもこの事件の所為なのだ。その被害者の娘がミッターマイヤーを弁護しようとしている。因縁としか言いようが無い。

「では彼女は門閥貴族達を憎んでいる、そういうことか。卿が信じられると言ったのはそれが理由だな」
「はい。能力はともかく心は信頼してもよいでしょう。後は実際にあって本人を確認するべきだと思います」

一番良いのは能力も心も信頼できる弁護士なのだ。それなのに俺たちに用意できたのは心は信頼できるが能力は信頼できない、どこか頭の壊れたお天気女だ。これから先門閥貴族と戦うのには余りにも貧弱すぎる武器だった。

一時間後、トサカ頭とお天気女がやってきた。お天気女は思ったよりも小柄だが、スタイルの良い女だった。それに笑顔の綺麗な女でミューゼル大将が“感じが良い”と言ったのも分からないではない。まともな女なら付き合っても良い、そう思わせる女だ。挨拶も早々に話が始まった。

「ビッテンフェルト少将、ヴァレンシュタイン少佐を紹介してくれたこと、感謝する。しかし良いのかな、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、帝国の二大実力者を敵に回すことになるが?」

「構いません」
「何故かな。私もロイエンタール少将、ミッターマイヤー少将も卿からそこまで好意を示される理由が無い。教えて欲しいものだ」

俺が素直にトサカ頭の提案を受け入れられなかった理由の一つがそれだ。トサカ頭が何故自ら危険を犯そうとするのか、それが良く分からない。お天気女はともかくトサカ頭には注意が必要だ。

「小官には望みが有ります。宇宙最強の艦隊を作り上げ、正規艦隊司令官になることです。小官は平民です。宇宙最強の艦隊を作り上げる事は出来ても正規艦隊司令官になるのは難しいでしょう。閣下とともに戦い、それを目指したいと思います」

宇宙最強の艦隊? 正規艦隊司令官? やっぱりこいつは鳥頭だ。臆面も無く言ってのけた。
「なる程。確かに卿が正規艦隊司令官になるのは難しいだろう。私を宇宙艦隊司令長官に押し上げ、正規艦隊司令官を目指すか。しかしそう上手くいくかどうか」

ミューゼル大将の声は何処か楽しげだ。面白がっているのかもしれない。
「上手く行かせなければなりません」
答えたのはお天気女だった。

「閣下は既にブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を敵に回したのです。生き残るためには軍で誰からも害されないだけの実力をつけるしかありません。そうではありませんか?」
「……」

「皇帝陛下は必ずしも健康ではありません。もし陛下が亡くなるような事があれば、
貴族達は陛下の死にグリューネワルト伯爵夫人が関わっていると言い出すでしょう」
「馬鹿な、姉上がそんなことをするはずが無い」

思わずミューゼル大将が激昂した。しかしお天気女は取り合うことなく話を続けた。
「それを口実に閣下を処断します。立ち止まる事は許されません。閣下は陛下が亡くなる前に軍において確固たる地位を築き上げねばならない。今の閣下は極めて不安定な立場にあるのです」

ミューゼル大将に先程までの余裕は無い。いや、キルヒアイス、ミッターマイヤーも顔を強張らせている。俺も強張っているだろう。予想以上に俺達は危険な状態にあるようだ。落ち着いているのはトサカ頭とお天気女だ。いやお天気女は笑みすら浮かべている。

「閣下、まさかとは思いますが、その覚悟も無しにミッターマイヤー少将を助けようとしているのではないでしょうね」
お天気女が露骨にミューゼル大将を挑発した。幾分か顎を逸らし、胸を突き出すようにしている。そして眼には蔑みの色がある。女が良くやる挑発のポーズだ。

「そんな事は無い!」
「ならば確固たる地位を築くためにもこの裁判には勝たなければなりません。勝って下級貴族、平民出身の士官たちの信頼を勝ち取らねばならないのです。ここから全てが始まります」

ここから全てが始まる、その言葉にミューゼル大将が大きく頷いた。
「……確かにそうだ。私は負ける事は出来ない。良いだろう、二人の力を私に貸してもらおう。先ずはミッターマイヤーを助けてくれ」
「はっ」


帝国暦 486年 5月16日   オーディン 軍務省 尚書室  ラインハルト・フォン・ミューゼル


「何の用かな、ミューゼル大将」
「はっ。ミッターマイヤー少将の弁護人が決まりましたので軍務尚書閣下にご報告を」
「ふむ、で誰が弁護につくと?」
「エーリカ・ヴァレンシュタイン少佐です」
「……」

俺の言葉にエーレンベルク元帥はしばらく無言だった。
「先ずは弁護人が決まったことを喜ぶべきであろう、しかし長引くであろうな裁判は」

この裁判の争点は略奪行為があったかなかったか、誰が略奪行為を行なったかだ。おそらくはやった、やらないの水掛け論に終始する。元帥の言葉に誤りは無い、裁判は長引くに違いない、開かれるので有ればだ。

「ブラウンシュバイク公も不運ですね。この裁判の結果次第ではブラウンシュバイク公の監督責任が問われる事になるでしょう。当然元帥への昇進も裁判が終わるまではお預けにならざるを得ない。しかも裁判の結果次第では昇進ではなく責任を取らされる事になりかねません。運の無い事です」

「……」
「……」
「……卿、何が言いたい」


帝国暦 486年 5月20日   オーディン リルベルク・シュトラーゼ  オスカー・フォン・ロイエンタール


俺達は此処、ミューゼル大将の下宿先でお茶を飲んでいる。ミューゼル大将から大事な話があると集められたのだ。お天気女はココア、他は皆コーヒーだ。しかもお天気女が作ったアップルパイが添えられている。

ミッターマイヤーの裁判は無くなった。全ては無かった事となり不問にされた。裁判が続く限り、ブラウンシュバイク公の元帥昇進は無い。その事がブラウンシュバイク公を妥協させた。公は元帥に昇進し、ミッターマイヤーはお咎めなし。玉虫色の妥協案だ。

全てはお天気女の考えどおりになった。あの日、あの女は“裁判は時間がかかります。そのような余裕は私達にはありません、ブラウンシュバイク公と取引で決着をつけます” そう言ったのだ。裁判を行なう事で法的決着をつけるのではなく政治的妥協策で決着をつけた。

正しい選択だっただろう。ミューゼル大将は秋に出兵する事になった。俺達はミューゼル大将の下で分艦隊司令官として出兵する。裁判が続いていれば不可能だったに違いない。

「如何でしょう。お口に合いますでしょうか?」
お天気女がアップルパイの出来具合を問いかけてくる。そんなの知るか、俺は甘いものは嫌いなのだ。

ミューゼル大将とキルヒアイス中佐は美味しいと言って食べている。グリューネワルト伯爵夫人のケーキにも負けないそうだ。ミッターマイヤーも美味しいといっている。こいつの奥方は料理の名人だ、舌は肥えている。となればお天気女の作ったアップルパイはそれなりの味なのだろう。

不思議なのはトサカ頭だ。こいつも甘いものは苦手なはずだが美味しそうに食べている。味覚が変わったのだろうか?

「ビッテンフェルト少将、卿は甘いものは苦手ではなかったか」
「うむ、苦手だがな。少佐の作ったアップルパイは絶品だぞ。これなら食べられる。卿も食べてみてはどうだ、少佐がせっかく作ったのだ」

余計な事を言うな、トサカ頭。案の定だった、ミッターマイヤーが同調し、ミューゼル大将、キルヒアイス中佐も勧めてくる。仕方が無い、一口だ、一口食べて適当な事を言って終わりだ。

「甘いようで甘くない、甘くないようで甘い、なんともいえない味ですな」
同感だ、俺もそう思う。なんともいえない味だ。
「卿もそう思うか、ロイエンタール」

何を言っている、ミッターマイヤー、心に思ったかもしれないが口に出してはいないぞ。何故俺に向かって言うのだ。……俺か、俺が言ったのか? 念のためもう一口食べてみる。

「このサクサク感が絶妙です。やっぱりパイはこれが無くては」
……俺だ、間違いなく俺だ。どういうことだ、これは。何故俺は喋っている。危険だ、このアップルパイは危険だ。俺は残りのアップルパイを口にいれコーヒーで流し込んだ。

「コーヒーの苦味とアップルパイの甘さがなんとも言えませんな。いや、実に美味い」
誰が喋ったかは言うまでも無い。俺はお天気女を睨んだ。この女、一体どんな魔法を俺にかけた。

俺が睨んでいるのをどう受け取ったか、お天気女は俺の空いたコーヒーカップにコーヒーを注いだ。
「アップルパイのおかわりは如何ですか?」

俺は必死で口を閉じた。ともすれば“貰おう”と言葉に出そうだったのだ。努力の甲斐あって言葉は出なかった。だが、代わりに手が出た。ケーキ皿を手にした俺の右手が。お天気女はにっこり微笑むとアップルパイを皿に載せた。

俺はこれまで女という生き物を軽蔑してきた。どうしようもない生き物だと。だがそれは間違いだった。世の中には恐ろしい女もいるのだ。俺の母親などお天気女に比べればガキみたいなものだろう。

俺の目の前にいるお天気女は男達を自由に操る魔性の生き物だった。この女はトサカ頭を操り、ミューゼル大将を操り、いつか帝国を裏から支配するつもりに違いない。多くの男がこの女に良いようにこき使われ、それを喜ぶ馬鹿な男になるだろう。

妄想だと皆が言うだろう、笑うだろう。だが俺は考えを変えるつもりは無い。アップルパイ一つで俺を自由に操るのだ、妄想のはずが無い。この女は危険だ、間違いなく危険だ。常にその動きを監視する必要があるだろう。俺はアップルパイを睨みながら心に誓った。間違ってもこの女には手を出さないと。




 

 

完璧 イチゴタルト

帝国暦 487年 4月20日   オーディン ローエングラム元帥府  オスカー・フォン・ロイエンタール



「このイチゴタルトは絶品だな、ロイエンタール」
「……」
無邪気なまでのミッターマイヤーの声に俺は沈黙を保つ事で尊厳を守った。頼むからニコニコ笑いながら話しかけるな、思わず相槌を打ちそうになるではないか。

「卿、先日はパンプキンパイが絶品だと言っていなかったか?」
「うむ、あれも美味かった。甲乙付けがたいな」
「まあ確かにそうだが」

和気あいあいと話すトサカ頭とミッターマイヤーの会話に俺は内心頭が痛かった。いい大人の男が、しかも宇宙艦隊の正規艦隊司令官がパンプキンパイとイチゴタルトのどちらが美味いかを話している。お前達、歳は幾つだ? 三十近い大人の会話がそれか? 会話だけならどこぞの幼年学校のガキどもと変わらんだろう。

「ミッターマイヤー提督、俺はどちらかと言えばアップルパイの方が好きだな」
「うむ、あれも良いな。あのサクサク感がなんともいえない。そういえば最近アップルパイを食べていないな」
「では次はアップルパイにしますわ、あれはロイエンタール提督もお好きなようですし」

余計なお世話だ、お天気女! 俺は目の前の黒髪、黒目の若い女を睨んだ。しかし女は俺の視線に動じる事無く、にっこりと微笑む。そして
「イチゴタルトのおかわり、如何ですか?」
と話しかけてきた。こいつ、わざとに違いない。

俺は無言で皿をお天気女に突き出した。抵抗しても無駄なのは分かっている。それに肝心なのはこの女のケーキを拒む事ではない。この女が何を考えているか、何をしようとしているかを探る事だ。そのために此処に来ているのだ。ケーキを食べるためではない。

「ロイエンタール、せめて貰おうとか何とか言ったらどうだ。卿はいつも黙って食べているだけだ。それではヴァレンシュタイン中佐も作る張り合いがあるまい」
「そんな事はありませんわ、ミッターマイヤー提督。ロイエンタール提督はいつも美味しそうに食べていますもの」

止めろ、お天気女、ニコニコ笑いながらそれ以上俺を弄ぶんじゃない。このサド女が。
「まあ、黙って食べるのは構わんが、中佐をじろじろ見るのは止めるのだな、妙な噂が立つ」
「そうだぞ、ロイエンタール。皆が言っている、ロイエンタール提督は好きだの一言が言えず黙ってケーキを食べていると」

止めろ、この馬鹿どもが。貴様らに何が分かる、俺がお天気女に手を出すなど金輪際有り得ん事だ。俺はまだ破滅したくないし、トサカ頭のようにこの女の奴隷になるのは真っ平だ。

「俺はケーキが好きだ、妙な誤解はするな」
「ようやく言えたではないか、ロイエンタール。ところで誤解とは何のことだ?」
ミッターマイヤーが可笑しそうな顔をしている。トサカ頭は顎を右手でなでながらとぼけたような表情だ。

貴様ら俺を嵌めて面白いか? 思わず憤然として言い返そうとしたが、なんとか抑えた。どうせ面白がるだけに決まっている。脳天気なアホどもを相手にしているような暇は俺には無いのだ。お天気女を見るとにっこりと微笑んできた。止めろ、お前も面白がっているだろう、この性悪女め。

帝国暦486年にお天気女と知り合ってからもう一年が経つ。あの時俺は、お天気女はいずれ、トサカ頭を操り、ミューゼル大将を操り、いつか帝国を裏から支配するつもりに違いないと思った。

俺の予感は当たっていた。ミューゼル大将は宇宙艦隊副司令長官、帝国元帥ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵として九個艦隊を指揮下に持つ軍の重鎮になった。そして、俺やミッターマイヤー、トサカ頭は帝国軍中将としてローエングラム伯の下、一個艦隊を預かる立場になっている。

そしてお天気女はローエングラム元帥府で隠然たる影響力を持つ。艦隊司令官達は皆この女に頭が上がらないのだ。理由は艦隊の人事だった。ローエングラム元帥府に集まった人間達、俺、ミッターマイヤー、トサカ頭、メックリンガー、ケンプ、ルッツ、ワーレン、ケスラー、新進気鋭と言えば聞こえはいいが、実際には軍の持て余し物だった。

中央との繋がりも無く、人事局に伝手も無い。艦隊の編制には皆四苦八苦した。だが、そんな中でトサカ頭だけが逸早く艦隊編制を終えた、あっという間だった。不思議に思って訊いてみるとお天気女が手配したらしい。人事案から人事局との折衝まで全部彼女がやったそうだ。

結局俺達もお天気女に全部頼む事になった。忌々しかったが彼女が選んだ人間達には満足している。俺だけではない、ミッターマイヤーをはじめ艦隊司令官達は皆同意見だ。つまりこの女の息のかかっていない艦隊は無い。ローエングラム元帥府の№2はこの女だ。

「ところでカストロプの反乱だが、その後の事を知っているか?」
トサカ頭が話題を変えた。まあ俺もそのほうが有り難い。
「シュムーデ提督が失敗した後の事は詳しくは知らん。我々の所に来るかな?」

ミッターマイヤーがちょっとイチゴタルトを頬張りながら小首をかしげた。頼む、食べるか喋るかどちらか一方にしろ。反乱鎮圧もイチゴタルトを食べながらでは緊張感が欠片も無いではないか。

シュムーデ提督が先日カストロプの反乱鎮圧に赴いた。しかし相手はアルテミスの首飾りを配備し、シュムーデ提督はその前になすすべも無く敗れた……。

「何でもローエングラム伯がキルヒアイス少将を討伐指揮官に推薦しているそうだが、上手く行っていないらしい」
「?」

俺とミッターマイヤーは顔を見合わせた。キルヒアイスを討伐指揮官に推薦している。ローエングラム伯は腹心の部下に功績を立てさせたいのだろう。気持ちはわからないでもない、しかし上手く行っていない? どういうことだろう、何か問題でも有るのだろうか? 誰かが邪魔しているのか……。

「何故かな」
「さあな、分からん。中佐も知らなかった」
中佐も知らんか……。最近のトサカ頭は情報が早い。それもお天気女が原因である事は分かっている。一体何処から仕入れてくるのか。盗聴器でも仕掛けているのか……。

「ミッターマイヤー、そろそろお茶の時間は終わりにしよう」
「そうだな、ビッテンフェルト提督、ヴァレンシュタイン中佐、ご馳走様だった。また誘ってもらえれば嬉しい」

ミッターマイヤーの言葉にトサカ頭は軽く手を上げる事で答えた。お天気女は柔らかく微笑んでいる。次か、次はアップルパイだったな。あのサクサク感は……。



帝国暦 487年 4月22日   オーディン ローエングラム元帥府  オスカー・フォン・ロイエンタール


緊急の集合がかけられた。会議室には正規艦隊司令官達が集まっている。ローエングラム伯は我々を見渡すと話し始めた。
「カストロプの反乱だが討伐指揮官が決まった」

キルヒアイスか……。しかし妙だな、本人がいない。後から此処に呼ぶのだろうか?
「討伐指揮官はビッテンフェルト中将に決まった」
「!」

皆顔を見合わせた。ローエングラム伯がキルヒアイスを推薦している事は皆が知っている。それなのにキルヒアイス少将ではない、どういうことだ? トサカ頭も呆然としている。

「ビッテンフェルト中将」
ローエングラム伯が訝しげに声をかけた。
「はっ。必ず御期待に添います」
慌ててトサカ頭が答えた。



会議で話されたのは討伐指揮官の件だけだった。会議終了後、ローエングラム伯が立ち去ると残った艦隊指揮官の間で話が始まった。
「妙だな、キルヒアイス少将ではないのか」
ワーレンが太い声で腕組みをしながら言う。

「ヴァレンシュタイン中佐は上手く行っていないと言っていたな、ビッテンフェルト提督」
「うむ。そう言っていたな、ミッターマイヤー提督。しかし、俺が討伐指揮官? どういうことだ?」
トサカ頭はしきりに首をひねっている。

「誰かがキルヒアイス少将が討伐指揮になることに反対した。そしてビッテンフェルト提督を推薦した、そういうことではないか?」
「ロイエンタール提督、卿の言う事は分かる。しかし誰が俺を推薦するのだ。俺には心当たりが無いぞ」

確かにトサカ頭の言う通りだ。誰がこいつを推薦する?
「この場合、二通り可能性があるな」
「ケスラー提督……」

ケスラーは自分の考えを確かめるようにゆっくりと話した。
「一つはキルヒアイス少将に非好意的で卿に好意を持つものだ。卿に武勲を立てさせようというのだろう」

「もう一つは」
「逆だよ、ワーレン提督。ビッテンフェルト提督に好意を持たず、彼の失敗を望む者だ」

失敗を望む者、その言葉が会議室を暗くした。
「俺の失敗を望む者か……。心当たりがないな」
トサカ頭のその言葉に皆が笑い出した。全くこいつは極楽トンボとでも言うべきか、こいつだからお天気女の上官も務まるのだろう。俺には到底無理だ。

「卿は気楽でいいな、ローエングラム元帥府に居るのだぞ、門閥貴族達に憎まれてもおかしくはあるまい?」
「確かにそうだが、それならキルヒアイス少将も同じだろう。わざわざ俺と言うのが分からん。そうではないかワーレン提督」

なるほど、確かにそうだ、トサカ頭の言うことに一理ある。最近のトサカ頭は妙に鋭い所がある。ただの馬鹿ではないらしい、まあ正規艦隊の司令官なのだ、馬鹿では困る……。結局俺達は結論の出ないまま会議室を後にした。

真相が分かったのはその日の夕刻だった。
「原因は小官でした」
辛そうな表情で告げたのはお天気女だった。

「どういうことだ中佐」
トサカ頭の問いにお天気女は辛そうな表情のまま答えた。
「元帥府が開かれた直後でしたが、ある貴族から、その、愛人になれと……」

「誰だ、その馬鹿は?」
「フレーゲル男爵です、ロイエンタール提督」
フレーゲル、やはりあいつは馬鹿だ、こいつを愛人? 気でも狂ったか?

「それを断ったのだな」
「はい」
「今回の件はその腹いせか」
トサカ頭の問いにお天気女は黙って頷いた。

「中佐、今回の反乱鎮圧、失敗は出来んぞ」
「はい」
「失敗すればフレーゲル男爵を喜ばせるだけだ。必ず成功させなければならん」

確かにトサカ頭の言う通りだ。負ける事は出来ん。負ければ門閥貴族達が嘲笑うだけだろう。だが問題はアルテミスの首飾りだ。どう対処するか……。

「首飾りは対処可能です。損害ゼロで落とせます」
「!」
俺の疑問に答えるかのようにお天気女がトサカ頭に答えた。顔にいつもの笑みは無かった、強い視線でトサカ頭を見ている。トサカ頭は軽く頷くとお天気女の肩を叩いた。
「そうか、では早速鎮圧に行くとするか」



帝国暦 487年 4月27日   オーディン ローエングラム元帥府 アウグスト・ザムエル・ワーレン


これからビッテンフェルトのカストロプ攻略戦が始まる。会議室にはその様子を見ようと大勢の人間が集まっている。ローエングラム元帥府の指揮官が始めて実戦を行なう。それだけではない、あの首飾りをどうやって落とすのか……。

ヴァレンシュタイン中佐は損害無しで落とせると豪語したらしい。それだけではない、イチゴタルトを作るよりも容易いと言ったともいう。そのためこの作戦はイチゴタルトと命名された。命名者はビッテンフェルトだ。

本当に落とせるのだろうか? あれは反乱軍が誇る防衛兵器なのだ、そんな簡単に落とせるとは思えない……。

「始まるぞ」
誰かが作戦の開始を指摘した。スクリーン上ではビッテンフェルト艦隊が移動しつつある。しかし、妙だ、取り囲むだけで攻撃するようには見えない。第一首飾りからはかなり距離がある。おまけに艦隊は少しも近づこうとはしない。

「なんだ、あれは」
ビッテンフェルト艦隊の後方から白い大きな何かが現れた。戦艦より大きいだろう。それが徐々に首飾りに向かって動きつつある。
「おい、拡大できないか」

スクリーンが作動し、あの物体を拡大投影した。あれは、氷のように見えるが、そうなのか? 思わず声が出た。
「あれは、氷か?」
「……」

誰も疑問に答えない。皆顔を見合わせるだけだ。徐々に氷らしきものがスピードをあげていく。あれを首飾りにぶつけようというのだろうか。しかし、それで壊せるのだろうか?

「あれがぶつかったら衛星は……」
誰かが呟いた、ロイエンタールだろうか? 皆不安そうな顔をしている。
「首飾りが攻撃を始めたぞ」

レーザー砲が物体を襲う。効かない! 水蒸気らしきものが上がった。やはり氷か……。首飾りからの攻撃は水蒸気を上げるだけで何の効果も無い……。氷はさらにスピードを上げていく……。

「ぶつかるぞ」
衝突した。氷は砕けた、衛星も砕けている。二つとも破片となり美しくきらめいている。アルテミスの首飾りは砕けた……。




「全滅だな」
「ああ、全滅だ」
何処か疲れたような声がした。ミッターマイヤーとロイエンタールだろう。

「イチゴタルトを作るよりも容易いか。確かにそんな感じだな、もっとも俺は作ったことは無いが」
ケンプ提督は何処と無く釈然としないといった表情だ。気持ちはわかる、アルテミスの首飾りを落としたのだ、本当ならもっと昂揚感に包まれてもいい。だがそれが欠片も無い。この空しさはなんだろう。

「イチゴタルトを作るよりも容易い、と言うよりもイチゴタルトを作れなくても落とせる、そういうことだな」
何処か冷笑を含んだ口調だった。
「どういう意味だ、ロイエンタール」

「どんな馬鹿でも出来ると言うことだ、ミッターマイヤー」
「……」
「用意するのは氷だけだ。低コスト、ハイリターン、おまけに誰にでも出来る容易さ。完璧だな」

会議室にロイエンタールの声が流れた。誰も反論しなかった、もっとも賛成する声も上がらなかった。疲れた、妙に疲れた。





帝国暦 487年 5月 3日   オーディン ローエングラム元帥府 オスカー・フォン・ロイエンタール


トサカ頭が帰ってきた。損害は無し、マクシミリアン・フォン・カストロプは降伏、完璧な勝利だった。ローエングラム伯も当初キルヒアイス少将が討伐指揮官に選ばれなかった事が面白くなかったようだが、この勝利には満足しているようだ。

二日後には大将に昇進し、双頭鷲武勲章が授与されるらしい。あのトサカ頭が大将、俺より上位にいるとは悪夢としか言いようが無い。お天気女め、やはり魔法を使いやがった。そうでもなければトサカ頭が大将になどなるものか。

「ロイエンタール、そろそろビッテンフェルト提督のところに行こう」
「……」
無邪気なまでに明るい声だった。ミッターマイヤー、卿はいい男だ。でもたまには俺の鬱屈も感じとってくれないか。

「今日は卿の大好きなアップルパイだぞ」
止めろ、別に大好きなわけではない。だが、まあお茶にするか。くよくよしても仕方ない。気分転換にはなるだろう……。アップルパイには罪は無いのだ。



 

 

困ったチャン騒動記(1)

帝国暦 487年 4月25日   オーディン ロイエンタール邸  オスカー・フォン・ロイエンタール


おかしい、俺は家で寝ているはずだ。だがどういうわけかトリスタンの艦橋にいる。おかしい、絶対におかしい。これは夢だ、夢に違いない……。


新帝国暦 2年 6月18日   ロイエンタール艦隊旗艦 トリスタン オスカー・フォン・ロイエンタール


「閣下、間も無くハイネセンに到着します」
ベルゲングリューンの言葉に俺は頷く事で答えた。無愛想かもしれんが長い付き合いだ、ベルゲングリューンも慣れている。気にした様子も無い。

新領土総督、それが俺の新しい職務だ。旧自由惑星同盟領の統治責任者、各尚書と同等の地位に在り、責任は皇帝にのみ負う。率いる戦力は四個艦隊、五万五千隻。今現在、俺ほど大きな権限を持つ人間は皇帝ラインハルトを除けば誰もいない。多分いないと思う……。

「もう直ぐフラウ・ロイエンタールにも会えます。御不自由をおかけしました」
「別に卿が謝る事ではない、それに俺も彼女も軍人だ、自分の成すべき事はわかっている。気にするな」
「はっ」

フラウ・ロイエンタール、つまり俺の妻なのだが旧姓をヴァレンシュタインという。エーリカ・ヴァレンシュタイン上級大将、権限は俺より小さいはずだが影響力は俺より大きいだろうというとんでもない女だ。

俺がこの女と結婚したのは当然だが本意ではなかった。しかしある事情から止むを得ず結婚する事になってしまった。新領土総督就任の条件が結婚だったのだ。条件を皇帝に提案したのは他でもない俺の親友であるはずのミッターマイヤーだった。

碌でも無いことをすると思ったのだが、奴は真剣だった。
「卿の女遊びが原因でハイネセンで暴動が起きたらどうする?」
「何を馬鹿な」
そんなので暴動が起きていたら、旧帝国では暴動など日常茶飯事だろう。

「冗談ではないぞ、新領土の人間たちにとって卿は本質的には敵なのだ。卿に取っては他愛ない情事でも、彼らは卿が権力に任せて女達を弄んでいると見るかもしれん」

「俺が女を誘ったわけではないぞ、女が誘ってきたのだ。弄んでいるなどとは心外だな」
「エルフリーデ・フォン・コールラウシュもか?」
「……」
「卿を落としいれようという人間は多いのだ。忘れたのか?」
「……」

忘れるわけは無かった。俺は一度反逆の疑いをかけられている。エルフリーデ・フォン・コールラウシュ、大逆人リヒテンラーデ侯の一族、俺は愚かにもその女を家に囲っていたのだが、それをラングに嗅ぎ付けられ謀反の嫌疑をかけられた。

その俺を助けてくれたのはエーリカ・ヴァレンシュタインだった。ケスラー憲兵総監を動かしラング、オーベルシュタインの陰謀を粉砕した。あの二人は罷免され、俺は新領土総督を命じられた。

結局あの事件はお天気女とケスラーによってあの二人を叩き潰すために利用されただけだった。何かにつけて味方を陥れようとする二人を排除したのだ。そうでもなければケスラーが俺を助けるために動くとは思えん。

「だから結婚しろといっている。既婚者で新婚ならば女達も諦めるだろう」
「……」
馬鹿か、こいつは。そんなので諦めるのなら世の中不倫など起こらんだろう。そう思ったがカイザー・ラインハルトはミッターマイヤーの意見を取り入れ、新領土総督の就任条件は結婚という冗談のような現実が起きた。多分嫌がらせだろう。

新領土総督の地位を棒に振るのは惜しい、形だけでも結婚するかと思ったのだが、これが上手く行かなかった。どの女も付き合ってもいいけど、結婚は嫌というのだ。俺は恋人には向いていても家庭向きじゃないと言うことらしい。ふざけるな、お前らだってどれだけ家庭に向いているのだ! どうせ料理だってまともに作れんだろう。

俺が結婚に困っているというのは直ぐに皆の知るところになった。皆同情するどころか結婚できずに新領土総督になれないのではないか、モテはするが愛されないロイエンタール提督と笑い話にした。どいつもこいつもろくでもない奴ばかりだ。

俺は最後の頼みでお天気女、エーリカ・ヴァレンシュタインに頼った。半分ヤケクソだった。この女は俺の天敵なのだ、この女にだけは手を出さない、そう決めていたが止むを得なかった。形だけの結婚だ、それならこの女でも構わない、どうせ手は出さない、そう思って頼んだ。

意外なことにお天気女はあっさりと承諾した。驚いたことに向こうから形だけの結婚です、それでも良いですかと聞いてきた。何かの冗談かと思ったのだが、話を聞いて分かった、相手も困っていたのだった。

これまで何度も男から言い寄られたのだが、結婚する気が無かったので平和になるまで結婚しない、そう言って振り切っていたらしい。しかし実際に平和になってしまい断る口実がなくなってしまった。俺からの申し込みは向こうにとっても望む所だったのだ。

婚姻届を出しカイザーに報告するとそれからが大変だった。軍のいたるところで“ロイエンタールの馬鹿野郎”、“俺達のエーリカ様を毒牙にかけやがって”などと訳のわからん怒声が起こった。カイザーが勅令で俺達の結婚を認めるとの声明を出さなければフェザーンでは血の雨が降っただろう。

結婚が認められるとお天気女は新領土副総督という地位を与えられハイネセンに同行することになった。それに伴って彼女には艦隊が与えられた。総勢二万隻、俺より多いのはどういうことだと思ったが、ミッターマイヤーによると何処の家庭でも夫より妻のほうが実権を握っているらしい。余り気にする事ではないそうだ。

「俺は給料は全部エヴァに渡し、お小遣いを貰っているが全然不満は無いぞ」
「……」
嬉しそうに言うな、阿呆。だからお前は浮気一つまともに出来んのだ。お前がその気になればいくらでも自由になるものを。俺は溜息を吐く事も出来なかった。

お天気女に二万隻もの艦隊を与えた理由は大体想像がつく。多分俺が反乱を起そうとしてもお天気女が二万隻を持っていれば抑えてくれると思っているのだろう。馬鹿め、あの女が反乱を起すとは考えないのか。あの女がその気になったら新領土軍五万五千隻が一糸乱れず反乱を支持するだろう。俺が反対しても無視されるに違いない。

結婚式をどうするのだという話があったが有難い事にお天気女は全く関心を示さなかった。そんなことよりも新領土に行って仕事をしましょうと言ってくれた。おかげで俺は今こうしてトリスタンにいられる。有難い話だ


新帝国暦 2年 6月18日 オスカー・フォン・ロイエンタール、新領土総督に着任。


俺とお天気女は総督府の中で暮らしている。下手に家など借りると警備が大変だ。総督府への行き帰り、さらに留守中の家の管理など警備に負担をかけることになる。俺たち以外にもベルゲングリューンなどの上級将校達は総督府内に住居を持っている。

「どうですか、今日の出来は?」
「うむ、美味しい」
「そうですか、良かった」

俺が褒めているのは夕食の事だ。これは決してお世辞ではない。一緒に暮らし始めて二週間経つがお天気女、いや妻が作る料理は実に美味い。ケーキ作りが上手いのは知っていたが、普通に料理も上手いのだ。断言するが、フラウ・ミッターマイヤーにも負ける事は無い。肥らないように気をつけねばならん。

俺が褒めた事で安心したのだろう。お天気女も一口食べて納得したようだ。美味しそうに食べ始める。今日の夕食はメインにグラシュとシュペツレ添えとサラダ、スープがコールラビのクリームスープ、デザートがピーチ入りクアークだ。それに赤ワインが添えられている。

俺はこの女と食事をするのが嫌いではない、いやむしろ楽しんでいる。なんと言ってもこの女との食事は飽きる事が無い。他の女だと話題はファッションか食事、後は噂話が精々だが、この女なら政治、軍事、経済、料理なんでもござれだ。

それにこの女との会話は絶対に必要なのだ。俺は基本的には新領土の統治をしているが、お天気女は新領土の治安維持を担当している。新領土でも彼女の力量に負う所は大きい。行政と治安維持の責任者の意見交換の場、その一つがこの食事だった。正直これだけ頼りになる部下はいない。よくぞ結婚したものだ。

たった一つこの食事で不満があるとすれば彼女が酒を飲めないことだろう。それだけは物足りなく思っている。最も酔わせてどうするのだという話もある。まあ飲んだくれのアル中女よりはましだ。ほかは炊事、洗濯、掃除、仕事、全部完璧にこなす。この女が何で結婚しようとしないのか、よりによって俺との契約結婚に踏み切ったのか、さっぱりわからん。

食事が終わると俺は入浴の時間だ。その間、お天気女は後片付けをしている。お天気女の入浴はその後だ。シャワーだけではなく湯船に湯を張っているらしい。彼女は結構ゆっくりと入浴するようだ。時々歌を歌ったりしていることがある。

大体において、俺はこの女との結婚生活に満足している。まあ夜の方は無しだから家政婦を雇っていると思えば良い。しかし当然だが不満もある。

「エーリカ、お前夜はスウェットを着て寝ているのか」
「そうですが」
「それはいかんな」

俺はあえて顔を顰めた。お天気女は不思議そうな顔をしている。
「何故です。楽で便利なのですが」
「お前は俺の妻なのだ。そんな色気の無いスウェット等では俺のセンスが疑われるだろう」

そうだ、例え契約結婚でも俺のセンスが疑われるようなことをしてもらっては困る。
「別に誰かが見るわけではないと思いますが」
「分からんぞ、部下にお前のスウェット姿など俺は見られたくは無い」

「貴方の部下は新婚家庭に押しかけるのですか?」
確かにそうだ、新婚家庭に押しかけるような馬鹿な部下など最前線送りだろう。しかし平和になった今はどうすればいいのだ? オーベルシュタインの下で胃潰瘍にでもさせるか。そういえばあいつ今は何処にいる? 何処かの補給基地と聞いたが……。いや、今はそんな事はどうでもいい。

「仕事熱心な奴が多いからな。緊急時には押しかけるかもしれん。ベルゲングリューンならありえるだろう」
「なるほど、そうですね」
お天気女はウンウンと頷いている。よし、チャンスだ、此処で一気に攻める。

「ネグリジェを買ってきた、それとガウンもな。今夜からはそれを使え」
「……」
「それと下着も買ってきたぞ」

「はあ、下着ですか?」
我が妻、お天気女よ。そのような呆れた顔をするな。
「お前は白しか持っていないようだな」

「何故、そんな事が分かるんです?」
彼女は胡散臭そうな眼で俺を見た。そんな眼で見るな、別に着替えを覗き見したわけじゃないぞ。
「洗濯物を見れば分かる。お前の下着は白だけだ」
「……」

「赤、青、緑、黄色、ヒョウ柄、それにヒモを買ってきた。ハイネセンはオーディンよりも下着の種類は豊富だな。適当に選んで使え」
お天気女が眉を顰めうんざりしたような表情をした。

「貴方が選んだのですか」
「そうだ。身長167センチ、体重51キロ、サイズは上から89・57・87、Dカップだ。俺の見立てに間違いは無いはずだ。問題あるまい」
「……変態」
エーリカは少し顔を赤らめ小声で俺を罵った。

この女が顔を赤らめ小声で悪態をついた! これが見たかったのだ。俺のセンスなどというのは口実に過ぎない。俺は今まで何度もこの女の前に敗北感を味わってきた。何とか一度、この女に勝ちたいと思って来たのだ。

それがついに適った。俺が見つけたこの女の弱点は、女らしいおしゃれが苦手だという事だ。結婚しなければ分からなかっただろう。耐えて三年、堪えて二年、隠忍自重の五年間だった。その屈辱についに終止符が打たれたのだ! ミッターマイヤー、俺を褒めてくれ、俺はついにこの女に勝ったのだ!

俺は愚かにもこの女に勝った事で有頂天になっていた。この女はやられたままで大人しくしているような女ではない。それを分かっていたのにほんの小さな一勝に浮かれていた。当然だが彼女の報復は容赦無いものになった。

報復が行なわれたのは一週間後の事だった。それまでの一週間、彼女は俺の買ってきたネグリジェとガウンを身に着けていた。下着は調べるわけにも行かないので毎朝彼女に色を聞いていた。彼女が困ったような顔をするのが実に楽しかった。

その日職場に行くと皆が妙な顔をした。ゾンネンフェルスは慌てて顔を伏せ、笑いを噛み締めているのはシュラーだ。

「ベルゲングリューン、皆どうしたのだ?」
ベルゲングリューンは困ったような顔で沈黙している。
「ベルゲングリューン、何が起きたか言え、これは命令だ」

「実はその、電子新聞に妙な記事が出ています」
妙な記事? 俺はとりあえずPCを立ち上げ調べた。直ぐに分かった。一面トップ、アクセスランキング一位の記事だ。“新総督、オスカー・フォン・ロイエンタール元帥は困ったチャン” 取材記者:ダスティ・アッテンボロー。

俺が先日、エーリカのためにネグリジェ、ガウン、下着を買った事が書いてある。ハイネセンでも有名な女性下着店に俺が行き、ネグリジェ、ガウン、下着を楽しそうに選び買っていったと店員が証言しているようだ。

~奥様がいつも仕事を頑張ってくれるので御礼をしたいのだと仰っていました。あまりお洒落に気を使わないので美しく装いたいとも。え? スリーサイズですか? それはお客様の個人情報になりますのでちょっと……。ただ、奥様はとても素敵なプロポーションをしていらっしゃいますね。新総督が夢中になるのも分かりますわ~

確かに店員がそばに寄って来て色々と話しかけてきた。面倒だったので適当にあしらって追い払ったが余計な事を言うな! だが問題はその続きだった。記者はお天気女にも取材していた。

~ロイエンタール夫人はとても美しい女性だった。年齢は二十六歳だがもう少し若く見える。柔らかい笑みを浮かべ、こちらの質問に丁寧に答えてくれた。新領土の統治方針、民主共和制などについて楽しい取材が出来たのは夫人の人柄によるものが大きいと思う~

~最後に新総督がプレゼントした下着について訊ねると夫人は少女のように顔を赤らめた。どうやら新総督は毎日夫人の下着を確認するらしい。着せ替え人形ごっこでもやっているのかもしれない。夫人は小声で“夫は困ったチャンなのです”と恥ずかしそうに話してくれた~

「……」
「けしからん記事です。厳重に注意しましょう。それとフラウ・ロイエンタールにも注意しなければ。悪気は無いのでしょうが、閣下の威信に、ひいては帝国の威信に関わります」

「いや、その必要は無い」
「閣下?」
「この記事の通りだ。ベルゲングリューン、俺は困ったチャンなのだ」
「はあ?」

ベルゲングリューン、そんな呆れた顔をするな。この俺が、オスカー・フォン・ロイエンタールがこの記事を打ち消して廻るなどそんなみっともない真似が出来るか? 否! 打ち消した所で誰も信じまい。返って見苦しいだけだ。俺はそんな無様さには耐えられんのだ。

「俺は別に犯罪を犯しているわけではない。他の女ならともかく自分の妻で着せ替え人形ごっこをやっても何の問題も無い、そうではないか?」
「はあ、それはそうですが……」
ベルゲングリューンは眼を白黒させて驚いている。

「ベルゲングリューン、このハイネセンは下着の種類が豊富だ。卿も試してみるのだな」
「……試すのでありますか?」
何処と無く困惑したような髭面がおかしかった。少しからかってやるか。

「あのヒョウ柄だが、あれは良いな。ジャングルの中でしなやかな雌豹でも捕まえたような気分になる。自分が自由奔放になったような気がするのだ」
「……自由奔放」
ベルゲングリューン、お前何を考えた。エーリカの事か?

「紐も良いぞ。脱がせる必要が無いからな、紐をはずせばいいだけだ」
「……なるほど、奥が深いのですな」
「そうだ、馬鹿には出来ん。たかが下着、されど下着だ」

ベルゲングリューンはしきりに頷いている。周りを見ればゾンネンフェルスは腕を組み、シュラー、レッケンドルフは何処か呆然としている。なんとなく優越感が俺の胸に満ちた。こいつらも困ったチャンになればよいのだ。

それにしてもやってくれるではないか、我が妻よ。これで俺は自他共に認める困ったチャンだ。おそらく三日もすれば新領土だけではない、帝国本土にまで伝わっているだろう。もう誰も俺をロイエンタールとは呼ぶまい、困ったチャンだ。どうなるかは想像がつく。

“新領土から報告が来ぬ。困ったチャンは何をやっているのだ”
“陛下、落ち着いてください。困ったチャンは着せ替え人形ごっこで忙しいのです”
“ええい、なんということだ”
“よろしいでは有りませんか、陛下。困ったチャンが着せ替え人形ごっこで忙しいなら、宇宙は平和です”

“どういう意味だ、カイザーリン”
“困ったチャンがやっと夢中になるものが出来たのです。反乱が起きる心配はなくなりました”
“本気で言っているのか、カイザーリン”
“本気です。このフェザーンからも下着を送って差し上げましょう。困ったチャンはきっと陛下のお優しさに感激し忠義の心を新たにするでしょう”

一勝した代償は限りなく大きかった。しかしこれで負けを認めるわけにはいかない。戦争は最後に勝っていればいいのだ。正直に言って自信は無かったが、そう言い聞かせることで自分を鼓舞した。






 

 

困ったチャン騒動記(2)

新帝国暦 2年 7月15日   ハイネセン  オスカー・フォン・ロイエンタール


フェザーンにいるミッターマイヤーから連絡が来た。多分例の困ったチャンの件だろう。せいぜい笑われてやるか。
「元気そうだな、ミッターマイヤー」
「ああ、卿も元気そうで何よりだ、ロイエンタール」

「そっちでも俺が困ったチャンだという話は広まっているのだろう」
「まあ、広まっているな。しかし気にする事は無い、エヴァに言わせれば男など皆困ったチャンなのだそうだ」

あっけらかんとしてミッターマイヤーは笑った。こいつ、良く分からん。
「卿も困ったチャンなのか、ミッターマイヤー」
「昨日、エヴァがカイザーリンに拝謁した。その際困ったチャンで大いに盛り上がったそうだ。卿の奥方の気持ちが良く分かると」

そう言うとミッターマイヤーは肩をすくめた。
「つまり、卿だけじゃない。俺も陛下もケスラーも困ったチャンだという事だ」
「ケスラー?」
「ああ、言い忘れたがその席にはケスラー夫人も居たそうだ」
「……」

ケスラーの奥方は確か未だ十代のはずだ。二十歳ぐらいの年の差が有ったはずだが、それでも困ったチャンなのか? 憲兵隊司令官、帝都防衛司令官が困ったチャン……。まあロリコンだから困ったチャンなのは仕方ないか。

「そう言う事だから余り気にしないことだな」
「ああ」
「ところで卿に訊きたいのだが、ハイネセンは下着の種類が豊富なのか?」

今度はその話題か。どうせ俺は着せ替え人形ごっこをする変態さんだ。
「オーディンよりは豊富だな」
「フェザーンとはどうだ、ロイエンタール」
ミッターマイヤーは意気込んで訪ねてきた。

「いや、それは分からんな。俺はフェザーンには余りいなかったから」
「そうか」
妙だな、こいつ女性の下着に興味が有るのか? いや男である以上下着に興味があるのは当然か。

「どうした、卿も下着が欲しいのか?」
「エヴァがハイネセンの下着とはどんなものかと言うのでな」
なるほど、やはり奥方か。まあそうだろうな。

「ミッターマイヤー、ハイネセンの下着メーカーに頼んでカタログでも送ってやろうか」
「本当か、それは助かるな。エヴァも喜ぶ」
「……」
何で断らない? 今更冗談だとは言えん。仕方ない、手配するか。

「ミッターマイヤー、卿は随分と下着に関心が有るようだが、卿も奥方に下着を贈っているのか?」
「ああ、うちは一緒に買いに行っているよ」
「……そうなのか」
恥ずかしくないのか、ミッターマイヤー……。

「卿はヒョウ柄と紐パンが好きなようだな、ロイエンタール」
「……」
誰が漏らしたか、後で調べる必要があるな。ベルゲングリューンか、ゾンネンフェルス、シュラーか、レッケンドルフも有り得る。俺の幕僚におしゃべりは必要ない。おしゃべりには罰を与えねば……。

「俺も大好きだ」
「……そうか」
「特にエヴァは紐が好きだな」

奥方が紐? はてミッターマイヤーの奥方はどちらかというと大人しい感じの女性だったが……。
「あれは普通の下着と違ってゴムの跡がつかないだろう? それが良いらしい」
「……」
「ゴムの跡は見栄えも良くないし、それにむずがゆいからな」
「なるほど」

「ロイエンタール、紐は強引に引っ張ってはダメだぞ」
ミッターマイヤーは真面目な顔をしている。何か有るのか紐に。思わず俺は小声になった。
「ダメなのか?」

「ダメだ。あれは強引に引っ張ると返ってきつく締まってしまう事が有るのだ。場合によっては千切れてしまう事も有る」
冗談かと思ったがミッターマイヤーは至って生真面目な表情だ。

「強引にされるほうが好きな女性もいるようだが、紐はダメだ。そこだけはソフトタッチで攻めないと。まあ卿のことだから余計な忠告かもしれんが」
「いや、卿の忠告で無駄な事など無い。気をつけよう」
気をつけよう、俺は知らなかった……。紐の事も、卿の奥方が強引なのが好きな事も。たかが下着、されど下着か、女とは見かけによらないものだ。

「ところで卿は、奥方と一緒にお風呂に入っているのか」
「いや、そんな事はしていない」
「何故だ? 夫婦なのだろう?」

契約結婚なのだ、そんな事ができるわけが無い。
「卿のところは一緒に入っているのか」
「もちろんだ。陛下もケスラーも一緒に入っているぞ」

「本当か、ミッターマイヤー」
「ああ、本当だ。ロイエンタール、一緒に風呂に入らないなどおかしいぞ、卿」
ミッターマイヤーはともかく、陛下もケスラーも一緒に入っている? あのお子様の陛下が? 冗談は止せ、ミッターマイヤー。ケスラーの所は、まあお父さんと一緒、そんなところか……。

「俺達は一旦戦争となれば何ヶ月も家には帰れん。家にいるときぐらいは出来るだけ一緒にいるべきだろう」
「そうかもしれん」

「卿の奥方も戦場では別な艦に乗っている。一緒にいられる時は今だけだぞ。ワーレンも後悔している」
「ワーレン?」
「ああ、彼は奥方を亡くしているからな。もっと一緒にいてやれば良かった。恥ずかしがらずに風呂も一緒に入れば良かった。そう言っているよ」
「……」

「恥ずかしがれるのも生きている内だ。詰まらぬ体裁など気にするのは愚かだぞ、ロイエンタール。卿はどうも体裁を気にしすぎる」
「……」
「一緒に風呂に入るんだぞ、ロイエンタール。それが夫婦円満の秘訣だ。それから着せ替え人形ごっこは俺も大好きだ。じゃあな、元気でいろよ」

そう言うとミッターマイヤーは通信を切った。俺は何も写さなくなったスクリーンを見ながら打ちひしがれていた。ミッターマイヤー、俺は卿と奥方がままごとのような夫婦生活を送っているのだと思っていた。だから子供も出来ないのだろうと。

だが違った、下着の事といい、入浴の事といい卿は俺などよりはるかに豊かな性生活を営んできたようだ。おまけに着せ替え人形ごっこ。俺など卿に比べれば数をこなしただけではないか。いや、それより拙い事が有る。フェザーンでは明日には俺がエーリカと一緒に風呂に入っているという噂が立つだろう。どうしたものか……。

次の日職場に行くとベルゲングリューンが新領土での世論調査を持ってきた。
「新領土の住民たちは概ね帝国の統治に対して様子見といった模様です」
「始まったばかりだ、仕方あるまいな。これから徐々に信頼度を上げていけばいい」

「ところで閣下に対する好感度ですが……」
「言わなくていい。どうせ碌なものではあるまい」
例の一件以来、新領土での俺に対する評価は困ったチャンと変態だ。

「それがそうでも有りません」
「?」
「閣下の行動はとても理解できると、好感度は上昇しています」
「……」

評価は困ったチャンと変態だが、行動は理解できるか。人間という生き物は本当によく分からん。
「それと例の店ですが最近売れ行きが良いそうです。総督夫人御用達の店として特に紐が売れているとか」
「そうか」

どうせ何処かの馬鹿女が勝負パンツだ等と言って買っているのだろう、愚か者が。俺はあの勝負パンツというものほど無意味なものは無いと思っている。相手の好みも無視して何が勝負パンツなのだ。自己満足なだけではないか。男と女の真の勝負パンツとはノーパンだ! これこそがオスカー・フォン・ロイエンタールが得た真理だ。

「フラウ・ロイエンタールは人気が有りますからな。おかげで我々も随分と助かっています」
確かに助かっている。新領土総督府の広報関係はあの女のポスターを結構使っているが、貼るたびに盗まれると聞いているし、記者会見も重要なものはあの女に任せている。大体において好意的に受け取ってもらっているようだ。俺がやると反感を買うだけだろう。

「ところで来週の二十五日ですが、財界が主催の親睦パーティが開かれます。旧同盟政府、軍部の重要人物が招待されるそうです。閣下にも招待状が来ておりますがいかがしますか?」

親睦パーティか。詰まらんな、着飾った女どもと脂ぎった親父どもの相手などうんざりする。断るか、ベルゲングリューンを代理で出せば良いだろう。俺の顔色を読み取ったのだろう、ベルゲングリューンが断ることにしますと言った。

「皆、残念がりますね」
「どういうことだ、ベルゲングリューン」
「フラウ・ロイエンタールに会いたいという方が多いのですよ。しかし、閣下が出席されない以上、奥様が出席される事は有りませんし」
「……」

「お二方が欠席と分かればパーティも参加者は今ひとつでしょう」
「ベルゲングリューン、気が変わった。出席するぞ」
「はあ」

「夫たるもの妻が美しく装う機会を無駄にするべきではない。それに折角の親睦パーティが盛り上がりにかけるのは良い事ではないだろう。俺とエーリカは出席する。そう伝えてくれ。それと悪いが俺はこれからエーリカと出かける。後を頼む」
「はっ」

三十分後、俺とエーリカは地上車の中にいた。
「何処へ行くのです」
「下着を買った店だ」

「また下着を買うのですか、もう十分です、必要有りません」
そう呆れた顔をするな、我が妻よ。
「お前、イブニングドレスを持っているか?」
「いいえ、持っていません」

やはりそうか。この女は自分を装うという事を知らない、いや出来ない。幼少時に両親を亡くした所為かもしれない。どんな女でも持っている美しく装うという事が出来ないのだ。そして美しく装う事を酷く恥ずかしがる。結婚式を断ったのもそれが原因だ。あの時は不思議だったが今なら分かる。

虚飾を嫌うのだ。仕事でもこの女は大言壮語などした事は無い。何よりも実を重んじる。おかげで女としての技量、炊事、洗濯、掃除を全部完璧にこなすにも関わらず、自分の容姿には無頓着という酷くアンバランスな女になっている。

「二十五日に財界が主催の親睦パーティが有る。それに出席するのでな、お前のドレスを調達する」
「でも下着の店と」
「そこは女性専門の衣類を扱う店なのだ。下着もあればドレスもある、装身具もな。まあ有名なのは下着のようだが」

「貴方は軍服なのでしょう。私も軍服で十分です」
「そうはいかん。新領土の統治を上手く行かせるには財界の協力が必要だ。お前には美しく装って彼らの好意をかち取ってもらわなければ成らん。これは公務なのだ」

公務、その言葉にお天気女は悔しそうに唇を噛んだ。まだまだこれからだ。
「怒っているのですね先日の事を。悪かったと謝ったでは有りませんか。まさかあんな騒ぎになるとは思っていなかったのです」

「そうではない、これは公務なのだ。それに妻を美しく装いたい、美しい妻を他人に自慢したいと思うのは夫として当然の事だろう」
「契約結婚でもですか」

「契約結婚だからこそだ。俺達は仲の良い夫婦だと周囲に認めさせなければならん。そうだろう?」
幸いな事に運転席と後部座席は防音ガラスで仕切られている。俺達の会話が運転者に聞かれる事は無い。

エーリカは恨めしそうに俺を見た。
「そんな顔をするな。もう直ぐ店に着く。夫に服を買ってもらうのだ、嬉しそうにするのだぞ。俺達は着せ替え人形ごっこをするくらい仲の良い夫婦なのだからな。これも契約の一部だ」

店に入るとオーナー自ら挨拶に来た。五十代から六十代ぐらいの男だ。銀髪の瀟洒な装いをした男だった。
「これは総督閣下、奥様、よくいらっしゃいました。今日は一体どのような御用でございましょう」
「今度二十五日にパーティが有るのだが、それのドレスを買おうと思っている」

「ドレスでございますか」
「ああ、他にもアクセサリーなども頼みたい。何分エーリカはこちらに来る事が決まったのが急だったのでな、身の回りの物くらいしか持ってこれなかったのだ」

俺の言葉にオーナーは大きく頷いた。
「なるほど、それでパーティにも御出席なさらなかったのですな。皆不思議に思っていたのですよ。お美しいのに何故パーティに御出席なさらないのかと」

「俺も何故パーティに出ないのかと聞いたら、ドレスもアクセサリーも無いと言うのでな。それなら買えば良かろうといったのだが、今度は時間が無いと言い出す。それでこれは公務だといって連れてきたのだ」

「なんとまあ、奥様、お優しい御主人様でございますな。なかなか奥様のためにそこまでなさる方はいません。世のご婦人方が聞いたら羨ましがるでしょう」
「有難うございます。本当に幸せですわ」

お天気女は穏やかに微笑んでいる。頬のあたりがひくついたように見えたが、見間違いだろう。服を買ってもらって嬉しくない女などいるはずが無い。エーリカ、今日は眼一杯綺麗に装ってやろう。

ドレス、アクセサリー、それから靴も整える必要がある。俺達はオーナーの案内でドレス売り場のほうへ歩き出した。オーナーは案内だけのためにドレス売り場に来たのではなかった。自分でドレスを見立て始めた。俺達は余程の上客らしい。まあ無理も無いが。

「ドレスの色はいかがいたしましょう。奥様なら明るい色がお似合いかと思いますが」
「いや、出来れば深い紫色をお願いしたい。大人の女性の魅力を出したいのだ」
「なるほど紫ですか」

オーナーはじっとエーリカを見ていたが一つ頷くと口を開いた。
「奥様は目と髪が黒ですからドレスを深い紫にしますと全体的に沈んだ色合いに成りそうです。幸い色が白いですから胸元、背中を大きく開けることでドレスの色と調和を取りたいと思いますが如何でしょうか?」

「ふむ、胸元、背中を大きく開けるか。いいだろう、そうしてくれ」
「貴方、私は」
「エーリカ、心配するな、俺に任せろ」
「……」

エーリカが少し不安そうな表情をしている。オーナーは心配になったのだろう。
「よろしゅうございますか?」
「ああ、構わない」

「ウエストの部分は明るい紫のベルトにしてはどうでしょう。割と軽めのアクセントになるかと思います」
「そうしよう。後はアクセサリーか」

「その前に、スリットはいかがしますか。前か横か」
「スリットか……」
「大胆さを出すのであれば横ですが、動き易さを取るのであれば前でしょう」
「横で頼む」
後ろで溜息を吐く音が聞こえた。どうやらエーリカは諦めたらしい。

「後はネックレスとイヤリングですね。こちらはルビーなどは如何でしょう。全体にドレスが深い紫になります。そこに白い肌で調和をとり赤のルビーでアクセントをつけるというのは」
「いいだろう、そうしてくれ」

「それと、髪型ですがパーティ当日はアップにしてうなじを出す形にしたほうがよろしいかと思います。髪を下ろしては背中の白い肌が消え、後姿が暗くなります」
「そうだな。当日はパーマとそれからエステを頼めるか」
「分かりました」

大体の構想は決まった。後はドレスのデザインと靴、それからアクセサリーの選定だ。此処からが本当の勝負だ。今日は楽しくなりそうだ。後ろで憂鬱そうにしている妻の耳元で俺は囁いた。
「エーリカ、もう少し嬉しそうにしろ。綺麗になるのだからな」
エーリカが恨めしそうに俺を見た。


 

 

困ったチャン騒動記(3)

新帝国暦 2年 7月25日   ハイネセン  オスカー・フォン・ロイエンタール


七月二十五日が来た。ついに困ったチャンにとっての決戦の日が来たのだ、来たのだと信じたい。この十日間、俺にとっては不本意な十日間だった。案の定だがフェザーンでは俺とお天気女が毎日風呂でイチャツイテイルという噂が広まった。

そしてその噂はハイネセンでもあっという間に広まった。だがそのおかげでハイネセン・フェザーン間の情報のルートが分かった。意外なルートだった。ミッターマイヤー、皇帝ラインハルト、ミュラー。

ミッターマイヤーが陛下に夫婦間の惚気話として話し、陛下がミュラーに結婚生活のよさを説明する。そしてミュラーが酒の席で皆に話し、それを周囲で聞いていた人間がハイネセンの友人たちに確認するというものだった。道理で広範囲に広まるはずだ。だが幸いな事に俺の幕僚には裏切り者はいなかったようだ、それだけが救いだ。

お天気女はここでも俺にお返しをしてきた。ハイネセンのマスコミ関係の人間に噂の事実関係を問われた彼女は否定も肯定もしない、ただ微笑むことで相手を煙に巻くという高等戦術を使った。おかげでマスコミの人間は総督夫人の謎の微笑みに様々な解釈を加えて記事を書いた。

ハイネセンにおけるマスコミの俺に対する評価は先週までの困ったチャンと変態から今週は困ったチャンと変態と色魔にグレードアップした。まあ評価が上がったのは良いことなのだ、俺は極めて満足だ。

そろそろあの女を迎えに行かなくてはならない。これからが本当の勝負だ……、何度目だろう、そう思うのは……。これまでの通算勝敗は二勝……、勝敗が逆だったら良かった……。


例の店に行くとオーナーが満面の笑みを浮かべて出迎えてくれた。
「総督閣下、お待ちしていました。奥様はもう準備は整っております」
「うむ、では迎えにいくとしようか」
「はい」

オーナーに案内されて休憩室に向かう。既に用意を整えたお天気女は休息室のソファーに座って俺を待っていた。俺が休憩室に入るとお天気女は立ち上がって俺を迎えた。何処と無く困惑したような表情だ。やはり着飾るのは苦手らしい。

濃紺のドレスはV-ネックで胸元の色の白さと形の良さが一際目立つ。ウエストは明るいパープルのベルトで細くくびれている。そしてスリットからのぞく脚はほんの僅かしか姿を見せていないがそれでも形の良さは誰でも分かるだろう。

遠目でも美しいのが分かる女だ。お天気女はゆっくりと、いやおずおずとこちらに近づいてくる。訂正しよう、この女は着痩せするようだ。89・57・87ではない、91・57・87だ、また負けたか……。やるな、お天気女、この俺の眼を欺くとは……、流石に手強い。

「あ、あの、おかしいですか?」
「い、いや、そんな事は無い」
「……」
「よ、よく似合っていると思うぞ」

思わず声が上ずった、卑怯だぞ、お天気女。お天気女は俺の目の前でイジメテというかイジメナイデというか妙なオーラを醸し出している。まるでヤン・ウェンリーの用兵のようだ。後退しているのか、誘っているのか、進むべきなのか、止まるべきなのか、判断に悩むではないか。

「本当に良くお似合いです、奥様。この仕事を長くしておりますが、奥様ほど御美しい方の御召し物を用意させていただきましたのは当店にとっても大変嬉しい事です」
オーナーの言葉は嘘では有るまい。オーナーの顔には作り笑顔ではない、本当の笑顔が有る。

「そろそろ時間だ、行くとしようか」
「はい」

俺はお天気女に背を向けた。腕を絡め易くしたつもりだったが、少し間が有ってからエーリカは腕を絡め隣にきた。白くハリの有る胸元にネックレスが良く似合う。大粒のルビーにラウンド ブリリアント ダイヤモンドをプラチナにセットしたネックレスだ。

ついつい胸に視線が行きそうになって慌てて視線をそらした。ドレスの肩紐が視線に入る。肩紐には細かいダイヤがちりばめられている。パーティ会場のライトを浴びて煌くだろう。イヤリングのルビーも良く似合う。やはり濃紺のドレスには赤が良く映えるようだ。

店内を歩いていると彼方此方からざわめきが聞こえる。俺とエーリカの事を話しているようだ。エーリカは慣れていないのだろう、不安そうな表情をしている。
「大丈夫だ、もっと堂々としていろ」

エーリカが驚いたように俺を見てきた。髪をアップにしているせいだろうか、それとも何時もより念入りにメイクをしたせいか、普段の彼女とはまるで別人だ。驚いた表情が無防備なまでに俺に向けられる。白い首筋が、肩が驚くほど華奢に見えた。

「はい」
エーリカはそう言うと身体を俺に寄せてきた。エーリカの胸が腕に当たる。柔らかく、そして同程度の強さで押し返してくる。腕が熱い、何か別の何かにでもなったようだ。

胸元の豊かさは抱きしめたいと思わせるが、肩から首筋の華奢さは抱きしめたら折れてしまうのではないかと思ってしまう、一体どうしてくれよう……。

店を出て地上車でパーティ会場に向かうが視線が横に行きそうになるので困った。下を向けば脚に、上を向けば胸に視線が行く。別に自分の妻なのだから見ても構わん筈だ。そう思ったが、睨まれそうだし軽蔑されるのはご免なので我慢した。

ハイネセン・グランド・ホテル、パーティが行なわれるホテルだ。ハイネセンでも伝統と格式のあるホテルらしい。会場は十三階にある芙蓉の間で行なわれる。芙蓉の間は結構大きな会場だった。中央にはダンスが出来るようにスペースが確保してあり、曲を奏でるための演奏者達も揃っている。

既に先客が大勢いた。帝国軍人もかなりいる、イエーナー、ニードリヒ、ゾンダーク、ブラウヒッチ、アルトリンゲン、エーリカの艦隊の指揮官たちだ。イエーナー、ニードリヒ、ゾンダークは元々ケスラーの下で分艦隊司令官を務めていた。ブラウヒッチ、アルトリンゲンは陛下の直属部隊だったが、エーリカの下に配属されている。

「ベルゲングリューン、随分と盛況だな」
「……」
「……ベルゲングリューン、随分と盛況だな」

「は、はい、やはり総督閣下と副総督閣下が出席なされるという事で随分と人が集まったようです」
「そうか」

ベルゲングリューン、頼むから俺の前でエーリカに見とれるのは止めろ。俺は一応、いやとりあえず……、何でも良いが俺はエーリカの夫なのだ、不謹慎だろう。俺は嫉妬深い夫ではないし卿が信頼できる男だと知っている。

だから卿を補給基地に、オーベルシュタインの下に送ってやろう等とは考えん。だがな、もしオーベルシュタインの下に就けられたら、あの義眼が最初にやる事は卿の髭をそる事だぞ。髭が無くなったら誰も卿の事をベルゲングリューンだとは気づかなくなるがそれでも良いのか?

あの男はむさい男が嫌いなのだ。レンネンカンプが何かと割を食ったのもその所為だし、イゼルローンでゼークト提督を見殺しにしたのもゼークトがむさい親父だからだ。陛下に近づく男たちに敵意を隠さないのも実はあの男が美少年好きの耽美主義者だからに他ならない。

おまけにどうしようもない変態で陛下を苦しめてその悶え苦しむ姿を見て喜んでいた。あの男は冷徹非情なのではない。冷徹非情な振りをしてむさい男を落とし入れ、陛下に近づく男を蹴落とし、陛下を苦しめて楽しんでいたのだ。今は補給基地に飛ばされ性格は以前よりさらに歪んでいるだろう。ベルゲングリューン、あの男の下に行きたいか?

一人の軍人がこちらにやってきた。敬礼をするとエーリカに話しかける。
「副総督閣下、本日の会場警備を担当するエーベルシュタイン少佐です」
「ご苦労様です、エーベルシュタイン少佐」

「現在の所、会場、ホテル周辺にも特におかしなところはありません」
「分かりました。何か異常が有りましたら私達に遠慮はいりません。適宜と思われる処置を取ってください。宜しく御願いします」
「はっ」

あれは憲兵隊だな、戻って行くエーベルシュタイン少佐を見て思った。まあ国内の治安維持はお天気女の担当だからエーリカに報告するのはおかしくは無い。しかし俺には何も無しか? おまけに帰り間際に変な目で俺を見たな。多分俺の事をエーリカを苛める悪い夫だと思ったのだろう。

勘違いするなよ、俺はエーリカに何度もしてやられている可哀想な男なのだ、着せ替え人形ごっこも一緒に風呂にも入っていない……。これからは外に出るときはエーリカと出来るだけ一緒にしよう。あいつら俺だけだと警備の手を抜きかねん。奴らにとって俺は御邪魔虫なのだ。エーリカを未亡人にしてはいかん。

エーリカを見た。豪奢なドレスとアクセサリーなのだが、それが少しも不自然に見えない、完全に着こなしている、うなじが細い、産毛一本見えないうなじに吸い寄せられそうな気がした。いかん、気をつけろ、これは罠なのだ。

憲兵隊におけるエーリカの影響力は半端ではない。元々憲兵隊にいたことも有ったが、ケスラーが憲兵隊総監になってから国内治安維持においてその相談役、参謀になっていたのはエーリカだった。

ケスラーは有能な男だが、私生活ではロリコンで十歳以上歳が離れていないと関心がもてないという困ったチャンだ。エーリカはケスラーの好みの女性だった、もし今の奥方と知り合うのがもう少し遅かったらエーリカはケスラー夫人になっていたかもしれん。

リップシュタット戦役後、憲兵隊と内国安全保障局の間で勢力争いが起きたが常に憲兵隊が内国安全保障局の上を行ったのはエーリカの力が大きい。何といってもエーリカは未だ少佐の時にフェザーンと地球教の繋がりを指摘していたと言うのだから凄い。トサカ頭の言葉だから間違いはないだろう。

キュンメル事件、ワーレン襲撃事件、フェザーンでの爆破事件、いずれも憲兵隊の力で失敗に終わった。そのたびに内国安全保障局は面目を失った。その事がラングと組んだオーベルシュタインの権力基盤を弱めた。

極めつけは俺の事件だった。あの事件の圧巻は気がついたら内務尚書オスマイヤーがケスラー、エーリカと組んでいた事だった。俺の謀反を言い立てるラングに対し、オーベルシュタイン、ラングによる謀略を暴露したのはラングの上司である内務尚書オスマイヤー自身だった。

“自分はいかなる意味でもラング内国安全保障局長にロイエンタール元帥の調査など命じた事はないし報告を聞いたことも無い” ラングは上司からも見捨てられていた。オーベルシュタイン、ラングは失脚し、ケスラー率いる憲兵隊は国内最強の捜査機関となった。

パーティが始まったのは俺たちが会場に入ってから直ぐの事だった。主賓の挨拶を俺が乾杯の音頭をエーリカが行なった。最初は一緒にいたのだが直ぐに別々になった。俺の周囲には経済界の人間達が集まり、どういうわけか少しはなれたところにいるエーリカの周囲には帝国軍人達が集まった。

エーリカがベルゲングリューンと話をしている……。ベルゲングリューン、エーリカの胸元をチラチラ見ながら鼻の下を伸ばすのは止めろ。その91センチの胸は卿の物ではない。髭を生やしていても鼻の下が伸びているのは分かるぞ。

どうやら卿は補給基地に行きたいようだな。望みどおり卿の人事考課には補給基地への異動希望アリと書いてやろう。オーベルシュタインに可愛がって貰うと良い。せいぜい玩具になって来い。俺は他人の望みをかなえるのが大好きな親切な男なのだ。

エーリカ、お前もその髭ににこやかに微笑むな。まさかとは思うがベルゲングリューンが好きなのか? それともお前は髭フェチなのか? ならば俺も髭を生やしてみるか……。しかしな、あれは基本的にむさい男がするものだ。俺のような美男子に似合うものではない……。どうしたものか……。

「総督閣下」
「?」
「私の話を聞いていらっしゃいます?」
「失礼、何のお話でしたか」

うるさい女だ。さっきから俺にまとわりついている。このハイネセンでも有名なモデルらしいが俺の好みではない。すこし化粧が濃いし、顔の表情がきつい感じがする。髪型も派手さを強調し過ぎて品が無い。

胸が大きいのは分かるが少したれ気味だしハリが無い。触感は余り良くは無いだろう。腰も少し張っている。服のセンスが余りよくないのは、自分を目立たせようとしすぎている所為だろう。その所為で目だってはいるが同時に周囲から浮いている。エーリカとはまるで違う。

「総督閣下は下着に詳しいと聞いていますわ」
「……」
別に詳しいわけではない。ただエーリカに下着を買っただけだ。

おまけに少しサイズが違っていた。後で買いに行かなくてはいかん。帰りにあの店に寄って行くか。サイズが合っていないと胸の形が崩れるからな。どうもあの女はその辺が無頓着だ、俺が気をつけてやらねば……。ああ、それから前に買ったヤツは全部廃棄だ。家に帰ったら直ぐにやろう。

「私もモデルをしていますから、下着には関心が有りますの。私にはどんな下着が似合うと思いまして?」
何処か期待するような表情をしている。余りに露骨な誘いに興醒めした。

おそらくこの後は、俺に下着を買ってくれとか言うのだろう、その上で身につけたところを見て欲しいとか。
「フロイライン、自分はそれほど下着には詳しくないのです。先日もサイズを間違えました。他の方に頼んだほうがよろしいでしょう」

「それはいけませんな。あのような美しい奥方を持ちながら下着のサイズを間違えるなど、夫としてはいささか問題ですな」
声のしたほうを見ると嫌味なくらい気障な男が居た。
「以前見た顔だな」

「ほう、総督閣下に憶えて頂いていたとは光栄の至り。元自由惑星同盟軍中将、ワルター・フォン・シェーンコップです」
「ローゼンリッターか、イゼルローン以来だ」
俺の言葉にシェーンコップは不適な笑みで答えた。

「お嬢さん、こちらの総督閣下は貴女には興味がなさそうだ、他を当たるのですな」
女は一瞬表情を強張らせたが、俺もシェーンコップも彼女をまるで相手にしていないと分かったのだろう、諦めたように立ち去った。

「随分と酷い事を言うものだ」
「それは閣下も同じでしょう。奥方の方ばかり見て、まるで彼女を相手にしていなかった。大体名前を覚えていますかな?」
「……」

俺が沈黙するとシェーンコップはシニカルに笑った。
「やはりそうですか、彼女がしつこく迫ったのもその所為ですよ。あそこまで無視されれば意地になります。まあ私は感謝されてもいいと思いますな」
「……有難うとでも言って欲しいのか」
この男はどうにも好きになれない。そう思ったときだった。

「貴方、どうかしまして」
「ああ、エーリカ、なんでもない」
いつの間にか彼女が傍に来ていた。心配そうな表情をしている。もしかすると何か感じて此処へ来たのかもしれない。そういう面では鋭い女だ。

「これは、奥様、ワルター・フォン・シェーンコップです。以後お見知りおきを」
そんな名前は憶えなくて良い、思わず心の中で罵った。しかもシェーンコップはエーリカの手を取って口付けした。わざとらしい振る舞いだが嫌になるほど様になっている。喧嘩を売っているのか、この野郎。

「初めまして、シェーンコップ中将」
エーリカは口付けされた事に少し驚いたようだったが、微かに笑みを浮かべて答えた。シェーンコップの方が中将と呼ばれて驚いている。

多分こいつは要注意人物で監視対象なのだろう。さり気無い一言で、相手に釘を刺すか。相変わらず頼もしい限りだ。だがシェーンコップもしぶとかった。直ぐに不敵な笑みを浮かべた。

「総督閣下、先程の感謝の件ですが……」
「……」
「如何でしょうな、奥方とのダンスをお許しいただきたいのですが」

エーリカとダンスだと! 馬鹿か貴様は。俺だって未だ一度も踊っていないのになんだって貴様が踊るのだ。いや、大体エーリカはダンスが出来るのか、彼女が踊っている所など一度も見たことが無いが……。

「シェーンコップ中将、お誘い有難うございます。でもファーストダンスとラストダンスは主人と踊る事にしておりますの」
エーリカは俺を見て柔らかく微笑んだ。シェーンコップが微かに残念そうな表情をした。

「そういうことだ、シェーンコップ中将。先ずは俺とエーリカが踊るのを待つのだな。では奥様、一曲お相手を願おうか」
俺はエーリカの手を取ると、ホールの中央に向かって歩き始めた。残念だったな、シェーンコップ。俺はエーリカの夫なのだ、俺を差し置いてダンスなど絶対に許さん。軽やかな笑い声が俺の口から出た。



 

 

困ったチャン騒動記(4)

新帝国暦 2年 7月25日   ハイネセン  オスカー・フォン・ロイエンタール



パーティは大成功だった。家に帰り服を着替えながら思った。参加者は皆楽しんでいただろう。俺も十分に楽しんだしそれなりに成果も有った。旧同盟政府の政治家達や財界人との会話ではそれなりに得るところも有った。向こうも俺と話すことが出来て満足なようだ。

何と言っても人間、無視されることほど傷付くことは無い。これからはもっと積極的にパーティに出て彼らの意見を聞くことにしよう。それで彼らが反政府感情を和らげてくれるなら安いものだ。

彼らがおとなしくなれば彼らを担いで騒ごうとする人間も減る。いずれは積極的にこちらに協力してくれるようになるだろう。そうなればさらに総督府の立場は強化されるし、新領土の統治もうまく行くに違いない。

エーリカには感謝している。彼女は連中の事を良く知っている。彼女が上手くフォローしてくれたので会話がスムーズに進んだ。これからも彼女には俺と共にパーティに参加してもらう事になるだろう。気に入らんのは連中のエーリカを見る目だ。それだけが気に入らない。

まあ、連中の気持ちも分からんでもない。間違いなくエーリカはパーティで一番美しかった、誰もがそれを認めるだろう……。腕を組んだ時の胸の感触、ダンスを踊った時に彼女の腰に回した手の感触、そして細く白いうなじ……。彼女を抱きたい、ふとそう思った。

馬鹿な、何を考えている! 相手はお天気女で天敵だろう。大体契約結婚なのだ、そんな事は論外だ! ……しかし、エーリカと結婚してから俺は女としていない。エーリカもいくら契約結婚でも夫が他の女の匂いをさせているなど嫌だろう、そう思ったのだ。

だとすると俺は契約結婚の期間中は女断ちか? それはそれで少し酷いだろう、俺はまだ若いのだ。となるとやはりエーリカとするのが普通なのか……。契約結婚なのだ、契約している期間は夫婦という事のはずだ、ならば夜の営みが有っても不思議ではない。いやそのほうが自然だ、とっても自然だ。うん自然なのだ。

何と言って彼女とするかだな。女など口説いたことが無いからよく分からん。そんな事をしなくても女は寄ってきたからな。“やらせろ”……違うな、“やりたい”……そうじゃない、“愛している”……愛している? 何を考えている、オスカー・フォン・ロイエンタール?

もう一度よく考えろ、何故ほかの女では駄目なのだ? 他の女の匂いをエーリカが嫌がる? 阿呆、匂いなどシャワーで洗い流せば分からんだろう。その後にコロンを付ければ完璧だ。他の女を思い出せ、あの胸のでかい女だ、多少胸が垂れ気味だが遊びなら何の問題もない。

化粧が濃かったな、顔の表情がきつい感じだった。髪型も派手さを強調し過ぎて品が無い……。げんなりした、うんざりだ。目の前に最高級品の女がいるのに何であんな女を相手にしなければならんのだ、馬鹿馬鹿しい。

そうだ、俺はエーリカが良いのだ、他の女では駄目なのだ。つまり俺はエーリカを愛しているのだ。愛している? お前に人を愛する資格が有るのか? 生まれてきた時から呪われたお前が、周囲を全て不幸にしてきたお前が……。人を愛すれば子供もできるがお前に父親になる資格が有ると言うのか?

……そうだ、俺には人を愛する資格も父親になる資格もない。だが俺はエーリカを愛している、どうすれば良い……。諦めるのか……、いや何故諦めるのだ、資格が無ければ作れば良いではないか!

人間なればこそ困難を克服する。その前に屈するなど犬猫と同じ、オスカー・フォン・ロイエンタール、お前は犬猫なのか? 断じて否! 俺は人間だ。そうだ、俺はエーリカを愛するべきなのだ! 子供を作り幸せになるべきなのだ! そして俺を呪い忌み嫌った両親に告げるのだ、お前達がどれほど俺を呪い忌み嫌おうと俺は幸せになった。俺は勝ったのだと!

ミッターマイヤー、ビッテンフェルト、俺は今こそ卿らに感謝する。ミッターマイヤー、よくぞあの馬鹿なコルプト大尉を撃ち殺してくれた。それが有ったからこそ俺はエーリカと知り合うことが出来た。そしてビッテンフェルト、これまでトサカ頭などと思ったことを心から詫びる。卿が彼女を部下にしていなければ俺はエーリカと知り合うことなどなかっただろう。

大神オーディンも御照覧あれ、オスカー・フォン・ロイエンタールは今こそ覚醒した。昨日までの自分と今の自分は違う、俺は新しく生まれ変わったのだ。宇宙は希望に満ち溢れ薔薇色に輝いている!

さあ、どうやってエーリカを口説くかだ。“愛している” ……陳腐だな、“お前だけだ” ……誰でも言いそうだ、“お前に巡り合うのを待っていた” ……出会ったのは何年前だ? ……言葉など不要! 男子たる者行動あるのみだ!

彼女の部屋に行き驚く彼女に口づけするのだ。そしてベッドに押し倒し服をはぎ取る。多少抵抗するかもしれんがそのまま事を進めるのだ……。待て、それではあの女の時と同じではないか! リヒテンラーデ侯の一族の時と!

俺はエーリカを愛したいのであってレイプしたいのではない。大体“乱暴は止めて”とか“イヤ”とか言われたらどうする。続ければ嫌われるし途中でやめたら間抜けだろう。もしかするとエーリカもミッターマイヤー夫人同様強引にされるのが好きかもしれんが最初からそれではいくらなんでも強引すぎる。

助けてくれ、ミッターマイヤー、俺はどうすれば良い? 宇宙は希望に満ち溢れ薔薇色に輝いていた。そして俺も生まれ変わった。だが新しい俺はどうしようもないヘタレだった……、女一人まともに口説けないヘタレなのだ……。



新帝国暦 2年 7月31日   ハイネセン  オスカー・フォン・ロイエンタール



結局俺は何もできなかった。日々エーリカを想いながら悶々としている。そんな俺に転機をもたらしたのはエーリカのドレスを作った店のオーナーだった。
「エーリカにモデルになって欲しい?」
「はい、如何でしょうか」
オーナーがにこやかに微笑んでいる。

エーリカがオーナーの店でドレスを作って以来、店に来る客が増えているらしい。この店はハイネセンでも有名な店なのだが、それは有名下着の店としてだ。ドレスやアクセサリー等ではこの店より知名度の高い店は幾つかある。

オーナーはそれを残念に思っている。そしてエーリカの力で店の格を上げる事を考えたらしい。総督夫人御用達の店、それを全面的にアピールしたいのだ。

「しかし、総督夫人は公人です。民間の企業や商店のモデルなど出来る事では有りませんぞ、閣下」
「モデルと言いましてもドレスとアクセサリーを身に着けていただきまして何枚か写真を撮らせていただきたいと言うだけです」
「そういう問題ではない」

ベルゲングリューンが表情を厳しくさせている。確かにその通りだ、オーナーの気持ちは分かるし世話にもなったから協力したいが難しいだろう。しかし、ドレスか……。場合によっては買っても良いだろう。これからもパーティは有る。そうすればオーナーも喜ぶに違いない。

「ちなみにどんなドレスなのだ」
脈ありと見たのかも知れない、意気込んでオーナーが話し始めた。
「それは何と言ってもウェディングドレスでございましょう。女性にとっては特別なドレスでございます」

ウェディングドレスか……、それでは残念だが買えんな……。
「奥様なら大変お似合いになります」
「……残念だがそれはやはり無理だな」
「左様でございますか……」

オーナーががっかりしている。
「一度で良いから奥様のウェディングドレス姿を見てみたいと思ったのですが……」
「……」
エーリカのウェディングドレス姿か、確かにそうだな、見てみたいものだ……。なるほど、そうか、その手が有ったか!

「オーナー、卿のところは結婚式も挙げられるのかな?」
「それは出来ますが」
「ならば俺とエーリカの結婚式を挙げたいのだがな」
「なんと!」
「閣下!」

そうだ、結婚式だ。俺とエーリカは結婚式を挙げていない。だからハイネセンで式を挙げても少しも不自然ではない。結婚式を挙げそして彼女に言うのだ。お前を愛している、本当の妻になってくれと。これ以上の言葉は有るまい、神の前で誓うのだ。エーリカもきっと俺の気持ちを分かってくれるに違いない。

「閣下、それは本心で言っておられるのですか」
ベルゲングリューンが問いかけてきた。周囲を見るとオーナーは嬉しそうにしているがゾンネンフェルス、シュラー、レッケンドルフらが困惑したような表情をしている。この時期に結婚式など何を考えている。妻の美しさにとち狂ったか、そう言いたそうな表情だ。

「もちろん本心だ。戦争は終わったのだ、人が人を殺す時代は終わった。これからは人と人が愛し合う時代なのだ。それを端的に表すのが結婚式だろう。俺とエーリカは入籍はしたが式は挙げていない。先ずは俺達がそれを示すべきだろう」

出来るだけ威厳を込めて言葉を出した。いかんな、誰も反応しない。失敗か? しかしな、ようやく見つけたエーリカ攻略方法なのだ。何とか実現しないと俺はずっと女断ちだ。いつかエーリカに無言で襲いかねん。

「……なるほど、結婚式ですか……」
「そうだ、ベルゲングリューン」
ベルゲングリューンは頻りに頷いている。そしてオーナーに対して話しかけた。

「残念だが、卿のところで挙式は駄目だ」
「そのような」
「安心しろ、ドレスは卿のところで作ってよい、場所はこちらで用意する」
そう言うとベルゲングリューンは俺に話しかけてきた。

「閣下の御深慮、小官の及ぶところではありません。そういう事であれば国家的行事として大体的に行うべきかと思います」
国家的行事? ベルゲングリューン、卿、何を言っている?

「査閲総監、大体的と言いますとどのように」
「決まっているではないか、ゾンネンフェルス。陛下を初めとして帝国の文武の重臣方に参列していただく」
「陛下にもですか」
ちょっと待て、陛下にも参列? ベルゲングリューン、ちょっと待て。

「そうだ、そして旧同盟政府の政治家達や財界人にも参列してもらう。先日のパーティで分かったが彼らは帝国上層部と話したがっている。それが彼らのステータスにも繋がるからな」
「なるほど」
頷くなレッケンドルフ、お前ら何を考えている。

「べ、ベルゲングリューン、そうあまり意気込まなくても……」
「閣下、これは中途半端にやったのでは効果が有りません。やるからには最大限の効果を引き出すべきです」
「そ、そうか」
いかん、ベルゲングリューンの目が座っている。こいつこんな奴だったか……。

「そうなりますと参加者の数は何千、いや何万と言う規模になりますが」
レッケンドルフが首を傾げている。そうだ、そんな人数を収容する場所は無い、諦めろベルゲングリューン。俺はエーリカに告白できれば良いんだ。

「問題ない! ハイネセン記念スタジアムを使えばよい」
“おおっ”という嘆声が上がった。
「閣下、あそこは“スタジアムの虐殺”が有った場所ですぞ、あまり縁起の良い場所では有りませんが」

「分からんかレッケンドルフ。だからこそ、そこを使うのだ。かつての忌まわしい惨劇を平和の到来を喜ぶ結婚式で拭い去る。かつての同盟で起きた惨劇を総督閣下の結婚式で拭い去るのだ、これ以上の効果は有るまい」
“おおっ”という嘆声がまた上がった。

分かる、ベルゲングリューン、卿の考えは分かる。しかしな俺はそんな大げさな事は望んでいないのだ。誰かこいつを止めろ、ゾンネンフェルス、シュラー、頼むから止めろ。

「なお、参列者は全員軍服は不可とする」
「駄目なのでありますか?」
「当然だ、陛下にも軍服は止めていただく。旧同盟人にとって我らの軍服は征服者の証にしか見えん。祝いの席なのだ、彼らの心を傷つけるようなことをしてはいかん」

“なるほど”、“達見です”などと声が上がる。
「しかし、宜しいのでしょうか、陛下の御成婚を超える規模になりそうですが?」
「そうだな、ベルゲングリューン。シュラーの言うとおりだ、少々拙かろう」

これで規模を小さくできる。シュラー、よく言った。今度の人事考課を楽しみにしていろ。
「閣下、恐れながら陛下の御成婚はあくまで帝国の喜びでありローエングラム王朝の慶事でした。しかし、閣下の結婚式は宇宙に平和が来たことを告げる式典なのです。どれほど盛大に行っても盛大すぎるという事は有りません」
「……そうか」
いかん、どうにもならん。こいつ目がいってる……。

「聞け! この式典に参加できることこそ帝国軍人の名誉。我らの手で宇宙に平和の到来を告げるのだ! ジーク・ライヒ! ジーク・カイザー・ラインハルト!」
ベルゲングリューンが声を張り上げた。そして皆が唱和する。“ジーク・ライヒ! ジーク・カイザー・ラインハルト!” オーナーも一緒に唱和し始めた。

こいつらがおかしいのか、それとも俺が空気を読めない困ったチャンなのか。俺は呆然としながら叫び狂う一団を見詰めていた……。



新帝国暦 8年 9月25日   ハイネセン  オスカー・フォン・ロイエンタール



「ロイエンタール、総督府の権限を縮小することに異存はないのだな」
「ああ、問題ない。大歓迎だ、家族サービスの時間が取れるからな」
「分かった、では皇太后陛下にはそうお伝えする」
嘘ではない、ミッターマイヤーの姿が消えたスクリーンを見ながら思った。

結婚して六年、カイザー・ラインハルトは既に鬼籍に入っている。思えば陛下にとってはあの結婚式が最後の国家的な行事になった。軍服を脱いだ陛下に旧同盟政府の政治家達も気負うことなく話すことが出来たようだ。

陛下の純粋さ、そして不器用さ、それらを彼らも知り人間ラインハルト・フォン・ローエングラムに好意を抱いたようだ。今でも多くの旧同盟人があの結婚式の陛下を懐かしむことでそれが分かる。

結婚式は成功だった。皆が平和が来たのだと実感した。そしてその思いが帝国と旧同盟のしこりを少しずつ解きほぐした。ベルゲングリューンは正しかったのだろう。ベルゲングリューンは今でも俺の発案だと言うが、あれはベルゲングリューンの発案だ。大した奴だ。

俺は何とかエーリカを口説き落として本当の夫婦になることが出来た。最初エーリカは結婚式はあくまで帝国と旧同盟のしこりをほぐす儀式だと思っていたようだ。俺が“愛している”というと驚いたように俺を見ていた。もう一度言うと小首を傾げた。もう一度言ってから口づけした。

嫌がらなかったから多分異存ないのだろうと思った。まあそれ以来夫婦として過ごしている。もしかすると本人はまだ契約結婚が続いていると思っているのかもしれない。まあそれでもいい、契約を無期限に延長すればいいだけだ。

陛下が亡くなられた時、俺が謀反を起こすのではないかと皆が心配したらしい。ミッターマイヤーがTV通信で軽挙妄動をするなと忠告してきたが俺はそれどころではなかった。

エーリカが臨月だったのだ。思わず
「女房が大変なのに反逆する馬鹿が何処にいる! 俺は毎日オーディンに無事に生まれてくるようにと祈っているんだぞ!」
と怒鳴っていた。俺が謀反をするという噂はそれ以来消えたらしい。代わりに俺が毎日エーリカの腹を撫でて喜んでいるという噂が流れた。

生まれてきた娘、ヘレーネは五歳になるが俺と風呂に入るのを何よりも楽しみにしているという可愛い娘だ。黒髪、黒目、母親に良く似た容貌を持つ自慢の娘でもある。一部ではアレクサンデル陛下の妃にという話が有るらしいが冗談ではない、却下だ。

先帝陛下も皇太后陛下も公人としては立派だが私人としては未熟以外の何物でもなかった。情緒と言うものが何処にあるのか分からんような夫婦で子供もはずみで出来た様なものだ。とてもそんなところにヘレーネはやれん。

ワーレンの息子がなかなか良い少年らしい。ワーレンも良い男だし、似ているなら大丈夫だ。まあ一度は見ておく必要が有るな。一度あいつらをハイネセンに呼ぶか、ワーレンだけではなく皆を呼びたいがそれをやるとまた謀反だと騒ぐ奴がいるだろう。面倒なことだ。

二番目は息子だ、名前はエーリッヒ。まだ三歳だが俺に似ている。金銀妖瞳なのだ。俺の幼少時はこの瞳の所為で悲惨だった。エーリッヒにあんな思いをさせてはならん。俺は良い父親にならねばならん。この子が生まれてきたことに感謝だ、俺の分まで愛してやろう。

三番目は今エーリカのお腹の中にいる、女の子だ。後二か月もすれば生まれるだろう。あの日誓った通り俺は幸せになった。美しい妻と可愛い娘、愛しい息子、そして生まれてくる娘。これからは俺が妻と子供達を幸せにする。俺にはそれが出来るのだ。

宇宙は希望に満ち溢れ薔薇色に輝いている。そしてこれからもその輝きは続くだろう。俺の役目はその輝きを守ることだ。俺はそのことに誇りを持っている……。



 

 

異聞 第四次ティアマト会戦(その1)




帝国暦 486年 8月17日   シュワルツ・ティーゲル  フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト



グレーブナー、オイゲン、ディルクセンの三人が会話をしている。三人の前に置いてあるテーブルには大きな段ボール箱が四つも乗っていた。その段ボールの中から三人が一枚ずつハガキを取り出していた。見たくない、聞きたくない、だがそれ以上に大事なのは喋らない事だ……。

「随分と要望書が来たな、ディルクセン少佐」
「そうですね。副参謀長、これ全部確認するんですか」
「その必要は無いだろう。それに第一無理だよ、段ボールだけで百箱以上ある。とりあえず適当に選んで良いのが有ったら終わりだ。それで構いませんよね、参謀長」
「ああ、構わんよ。オイゲン中佐」
「それを聞いて安心しましたよ」

適当に終わらせろ、早くするんだ。

……七月初旬、帝都オーディンを出発した遠征軍は総司令官ミュッケンベルガー元帥の指揮の下、イゼルローン要塞を目指し進軍している。総艦艇数五万五千隻の大艦隊だ。その大艦隊の中にはミューゼル提督率いる一万四千隻の艦隊も含まれている。あと五日もすれば遠征軍はイゼルローン要塞に到着するだろう……。

「それにしても話になりませんね、どいつもこいつもビキニとかタンキニの水着をって書いてある。あとパレオも多い。この手の露出系は駄目だと言ったはずなのに」
「水着は却下だ。ヴァレンシュタイン少佐は帝国軍人だぞ。気持ちは分かるが戦場で水着など何を考えている」

「戦場だからだろう。そうは思わんか、オイゲン中佐」
「それは、まあ。……いっそ帝国も反乱軍のように前線に女性兵を出してはどうです、グレーブナー参謀長。そうなれば我々もこんな苦労をせずに済む」
「同感ですね、そうなれば司令部が少佐を独占しているなどという非難を受けずに済みます」
「まあ難しいだろうな、五百年近くこれでやってきたんだ。それを変えろと言われても……」

女性兵の最前線配備は俺も大歓迎だ、そうなれば俺の艦だけこんなトラブルに巻き込まれずに済む。

……俺、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト少将率いる二千隻の艦隊はミューゼル提督率いる一万四千隻の分艦隊として一角を担っている。ミューゼル艦隊には俺の他にもオスカー・フォン・ロイエンタール、ウォルフガング・ミッターマイヤー両少将が千五百隻を率いて分艦隊司令官として参加している。俺は中央の先頭集団に、左翼にミッターマイヤーで右翼にロイエンタールだ。

「今度はバニーガールですよ……。一体何を考えているんだか」
「こっちは猫耳を付けさせろと書いてある。猫耳で天気予報をやるのか? 論外だな」
「それを言うなら兎耳と網タイツはもっと論外です」
「ヴァレンシュタイン少佐が休みで良かったよ、こんなの見たらどう思ったか……」

じゃあ聞かされている俺の気持ちはどうなんだ? 俺はこの艦隊の司令官だぞ?

……ロイエンタールもミッターマイヤーも非常に優れた用兵家だ。俺もそれなりに戦闘指揮については自信が有る。俺達三人はこの戦いでは必ず勝利に貢献し、ミューゼル提督に俺達を認めてもらわなければならない。そしてその自信は有る。

特に俺は宇宙最強の艦隊を作る、正規艦隊司令官になりたいとミューゼル提督に言ったのだ。それにふさわしい能力を持っていると証明しなければ……。先頭集団か……。先鋒は武人の誉れ、俺の艦隊の破壊力、突破力をミューゼル提督の目に焼き付けてやる。

「こっちは白衣と聴診器を希望すると書いてある。天気予報で白衣と聴診器?まさに病気だな」
「看護師って事ですかね」
「聴診器だから女医さんだろう」
「頭に注射でも射って貰えばいいんだ。少しは賢くなるだろう」

良い考えだ、これ以上悪くなるかもしれないというリスクさえなければな。ついでにお前達も注射してもらえ。

……残念なことにミューゼル艦隊は必ずしも軍上層部から厚遇されていない。ミューゼル提督若く昇進が早すぎる事も有るが例のミッターマイヤー少将がコルプト大尉を射殺したこと、それをミューゼル提督が庇った事が響いている。今回の戦いに参加できたのは例のコルプト大尉の一件を不問に付す代わりに功績をたててこい、それでチャラにしてやる、そういう事だろう。

「ツインテールか、発想は悪くないが少佐の髪の毛はそんなに長くない。無理だろうな」
「ヴァーチャル・ガールの影響だな。あの中にツインテールの女の子がいるだろう、かなりの人気らしい」
「なるほど、それでか」

ツインテール? かなりの人気? オイゲン、卿は何故そんな事を知っている?

……ミューゼル艦隊の司令部はミューゼル提督の他には艦隊参謀のメックリンガー准将、ブラウヒッチ大尉、そして副官のキルヒアイス中佐が居るだけだ。一万四千隻の艦隊を運営するにはいささか人手不足で心許ない。しかしこれでも改善された方だ。

「メガネをかけさせろか、やっぱりメガネっ娘は根強い人気が有るな」
「女性の方は余りメガネを好みませんけどね」
「かけているのはアクセサリー代わりだよ。機能性を取るならコンタクトだからな」

馬鹿め、メガネとロリと巨乳は女の三大セールスポイントにして男の三大妄想だ。この三つを兼ね備えた女に出会えるのは四年に一度有るか無いかだろう。少佐にメガネをかけさせれば少なくとも二つはゲットだ。メイク次第では三つパーフェクトだろう。それを選べ!

……最初、ブラウヒッチ大尉は司令部には居なかった。ヴァレンシュタイン少佐が司令部の人手不足を心配してブラウヒッチ大尉の配属を人事部に依頼しなかったら司令部はメックリンガー准将とキルヒアイス中佐だけだったろう、お寒い限りだ。

「今度はブルマーか、男の欲望全開だな」
「ロングブーツと鞭よりはましですよ。ヒールで踏まれたいとか何を考えているのか……」
「だんだん酷くなるな、こっちはガーターベルトをと書いてある。うちの艦隊、大丈夫か?」

もはや何も言うまい……。

……人事部長のハウプト中将はヴァレンシュタイン少佐の依頼に快く応じてくれた。ロルフ・オットー・ブラウヒッチ大尉、なかなかの人材らしい。彼が配属されたおかげでメックリンガー准将の仕事もかなり改善された。准将は大いに喜んでいる。余程嬉しかったのだろう、彼はヴァレンシュタイン少佐だけでなく俺にまで礼を言ってきた。

……俺は准将のようなインテリタイプはどちらかと言えば苦手なのだがその一件以来彼とは親しくしている。よく一緒にヴァレンシュタイン少佐のケーキを食べるのだが口髭をはやした彼がケーキを美味しそうに食べるのは見ていて楽しい。微笑ましくなる。それに彼は優れた戦略家で色々と勉強にもなる。

「エプロン姿か……。スイーツを作ってくれと書いてある」
「料理か……、悪くないな」
「手作りのスイーツを司令部だけで食べているのは狡いと書いてありますよ。確かに一理ある」

「……これで行くか?」
「そうですね、悪くないと思います。それなりに時間を稼げますし少佐もケーキ作りなら負担に感じずに済むでしょう」
「小官も同意します」

どうやら話しが終わったようだ。グレーブナー、オイゲン、ディルクセンの三人が俺を見ている。
「閣下」
「何だ、グレーブナー」
「例の兵士達からの要望ですが」
「決まったのか」

兵士達からの要望……、俺の艦隊の兵士達が司令部に要望を出してきた。ヴァレンシュタイン少佐の朝の挨拶だが、時間が短い、他にも何かさせろと言うものだった。そこで兵士達から要望を取ったのだが……。

グレーブナーもオイゲンもディルクセンも日常業務よりもこっちに夢中になった。俺がそれを咎めても“兵の士気を保つため”と言われればそれ以上は口を噤まざるを得ない。俺に出来るのは連中の変な病気が俺にうつらないように近づかない事だけだ。

「ヴァレンシュタイン少佐にケーキを作ってもらおうと思います」
「……そうか」
何故メガネを選ばない……。

「朝の挨拶の時間帯を伸ばして二時間程度の特番として放送します」
「……そうか」
メガネ……。
「宜しいでしょうか」

さてどうする? ここはさりげなく、さりげなくだ。
「あー、ヴァレンシュタイン少佐の同意を得る事無しではいかんぞ、グレーブナー。それと無理強いはいかん」
「分かっております」

「それとどうせならメガネでもかけさせてはどうだ、喜ぶ奴もいるだろう」
「確かに」
俺の宇宙最強の艦隊が……。涙が出そうだ。でもメガネっ娘……、ちょっと楽しみかもしれない……。いかん、悪い病気がうつったみたいだ。



帝国暦 486年 8月25日   イゼルローン要塞  第三十九会議室  オスカー・フォン・ロイエンタール



第三十九会議室、ミューゼル艦隊の士官に宛がわれた部屋の一つだ。この部屋にはささやかながら戦術シミュレーションの設備が有る。俺、ミッターマイヤー、ビッテンフェルト、そしてお天気女の四人がこの部屋に居た。

本来なら士官クラブで過ごすべきなのだろうがあそこは門閥貴族出身の士官達の溜まり場だ。俺達にとって居やすい場所ではない。特にコルプト大尉を殺したミッターマイヤーにとっては居辛い事このうえ無しだろう。そしてお天気女は女性だ。見知らぬ男性士官の中に女性一人では居辛いのだろう。常に俺達と一緒にこの部屋にいる。

「突出したはいいが見殺しされたのでは堪らんな」
シミュレーションマシンを操作しながらミッターマイヤーが口を開いた。それを聞いてトサカ頭が後に続いた。
「後方から、前方に展開する邪魔な味方ごと敵を撃つ。このイゼルローンでは味方殺しは珍しい事じゃない」

「俺達は二重の意味で貴族達に恨まれている。提督自身、それと……」
「俺か……」
「今じゃ俺達だ。ロイエンタールも俺も首まで漬かっている」
ビッテンフェルトの言葉に皆が顔を見合わせた。お天気女も憂鬱そうな表情をしていた。

ドアが開いて一人の士官が姿を見せた。傲慢そうな表情の男だ。何処かで見たことが有る様な気がする、しかし初対面のはずだが……。
「ミッターマイヤー提督に一言伝えたい事がある。コルプト子爵だ、聞いたことが有るだろうが……」

皆が顔を見合わせた。そしてコルプト子爵に視線を向けた。なるほど、初対面のはずだ、しかし記憶に有るのも当然か。写真で見たのだ、それで覚えていた。年恰好からすると兄か……。一人頷いているとコルプト子爵が話し始めた……。



帝国暦 486年 8月25日   イゼルローン要塞  ラインハルト・フォン・ミューゼル



部屋でキルヒアイスと話をしていると外から女性の悲鳴が聞こえた。聞き間違い? キルヒアイスの顔を見た、キルヒアイスも俺を見ている。聞き間違いじゃない、そう思った時また女性の悲鳴が上がった。ここにいる女性と言えばヴァレンシュタイン少佐だけだ。少佐の悲鳴? 彼女に何か有った?

慌てて外に出ると人が集まっている場所が有った。第三十九会議室、ミューゼル艦隊の士官に割り当てられた部屋だ、あそこだ。部屋に向かって走ると今度は女性の泣き声が聞こえた。キルヒアイスと二人で集まっている人間を掻き分ける。中に入ると蹲って泣いている少佐を抱きしめている男がいた。

「フレーゲル男爵! 卿、一体どういうつもりだ、少佐に何をした!」
俺の叱責にフレーゲルが顔を上げた。少佐を抱きしめたまま恥じ入る様子もない、殴りつけてやろうかと思った時、フレーゲル男爵が憤然とした様子で言い返してきた。

「勘違いするな、ミューゼル! 私じゃない、あの男だ!」
フレーゲルじゃない? 彼が指をさす方向を見ると一人の士官が呆然とした様子で立ち尽くしている。どういう事だ? フレーゲルが少佐を助けた? キルヒアイスも困惑している。あの男がヴァレンシュタイン少佐に乱暴をしたのか? なんだ、この男? 何処かで見た様な……。

「卿、何者だ、何処かで有った事が有るか?」
俺の言葉に反応したのはフレーゲル男爵だった。
「馬鹿か卿は! 彼はコルプト子爵だ、分かったか」
「馬鹿は余計だろう!」
「何!」
「ラインハルト様!」

キルヒアイスが俺の袖を強く引く。少しバツが悪かったがムッとしている男爵を置いてコルプト子爵を見た。なるほど確かにコルプト大尉に似ている。子爵家の当主という事は兄か? ここには大尉の復讐をしに来たという事か……。
「一体何が有ったのだ」
誰かに問いかけたわけではなかった。だがフレーゲル男爵が俺の問いに答えた。

「廊下を歩いていると突然悲鳴が聞こえた、助けてくれと言う声もな。慌ててドアを開けると彼女が服を破かれた姿で倒れていた。駆け寄ると泣きながら助けを求めてきた。子爵が乱暴しようとしたらしい……。何だその眼は? 疑うのか」
「いや、そういうわけではない」

この男が少佐を助けた? 弱みに付け込むなら有りそうだが助けた? どうも信じられない……。キルヒアイスも奇妙な表情をしている、納得がいかないのだろう。しかし少佐は抵抗していないのだ、事実か、或いは事実に極めて近いのだろう。

部屋を見渡した、今まで気付かなかったがロイエンタール、ビッテンフェルト、ミッターマイヤーの三人が居る。一体何をやっていた? 何故三人とも呆然としているのだ? 憲兵隊がやってきた、しかし俺達の様子に踏み込めずにいる。まあ確かにそうだろう、貴族二人に帝国軍大将が争っているのだ。

「ビッテンフェルト少将、一体何が有ったのだ?」
「はっ、それは」
ビッテンフェルトが困惑した表情でロイエンタール、ミッターマイヤーを見た。視線を向けられた二人も困惑したような表情をしている。どうもはっきりしない。

「コ、コルプト子爵が、突然部屋に、は、入ってきて……」
ヴァレンシュタイン少佐が話し始めた。これで何が起きたか分かると思ったが、すぐに少佐は咽び泣き話が中断した。
「フロイライン、大丈夫だ、このフレーゲル男爵が付いている。落ち着いて」
フレーゲルが少佐の背をさすっている。こいつ、どうもムカつく。

「ミッターマイヤー少将を、殺すと。戦場で後ろから撃ってやると……、弟の復讐だと言って……」
途切れ途切れの少佐の言葉に皆がコルプト子爵に視線を向けた。
「な、なんだその眼は。あの平民に復讐するのは当然だろう」

「や、止めてくださいって、頼んだんです、……そうしたら、あ、あの男の事が好きなのか、あの男と、ね、寝ているのかって……。あの男を、助け、たいなら、自分の言う事を聞けって……」
「う、嘘だ、いい加減な事を言うな!」

コルプト子爵が叫んだ。その声にヴァレンシュタイン少佐が怯えた様な表情を見せフレーゲルに縋りついた。フレーゲルの手が少佐を強く抱き寄せる。その手を離せ! 厚かましい!

「ひ、酷い、わ、私、嘘なんか吐いていません。その後、子爵がいきなり私の服を破いて……。フレーゲル男爵が来てくれなかったら、私……」
「大丈夫だ、フロイライン」
フレーゲルが囁くように少佐に話しかけると少佐が頷いた。

「う、嘘だ! その女が自分で破いたんだ! 私じゃない!」
「違います、子爵が破いたんです」
「嘘を吐くな!」
コルプト子爵が少佐に近づくと少佐がフレーゲルに強くしがみついた。またフレーゲルが少佐を強く抱きしめた。

「コルプト子爵、近づくな!」
「その女は嘘を吐いている! 私を信じてくれ、フレーゲル男爵」
「そこを動くなと言っている!」
フレーゲル男爵とコルプト子爵が睨みあっている。不本意だ、極めて不本意だ。どうしてフレーゲルが正義の味方なのだ。何故俺がフレーゲルの味方をしなければならない……。

「そこを動くな、コルプト子爵。少佐の服を調べれば全てが分かるだろう。卿の言う事が真実なら少佐の服には卿の指紋は付いていない。少佐の言う事が真実なら卿の指紋が付いているはずだ」
「そ、それは」
コルプト子爵の表情が強張った。こいつ、やはり嘘か。

「どうした、服を破いたのは少佐なのだろう? 問題は無いはずだ」
コルプト子爵の目が落ち着きなく動いている。
「……そ、その女の服に触った、……だが服は破いていない、本当だ、信じてくれ、その女が触らせたんだ」

もう少しましな嘘を吐け。
「信じられんな、卿の言う事は一貫性が無い。後は憲兵隊に任せるべきだろう。弁解はそこでするとよい」
「不本意だがミューゼル大将に同意する」
何が不本意だ、この野郎。こっちの方が不本意の極みだ。

その言葉に触発されたかのように憲兵隊が動き出した。コルプト子爵の両腕を抑え部屋を出て行く。子爵が自分の無実を訴えているが誰もそれに応えようとしない。本来なら子爵を連れて行くなど有り得ない事だが今回はフレーゲルが正義の味方になっている。憲兵隊も遠慮する必要が無いと判断したのだろう。



憲兵隊の調査は迅速に行われた。出兵前に処分をしておきたいと言うミュッケンベルガー元帥の意向が有ったようだ。少佐の服からはコルプト子爵の指紋が検出された。軍服だけでなく、シャツからもだ。誤って手が触れた等という事ではない。コルプト子爵が少佐に暴行を働こうとしたと判断された。

コルプト子爵は暴行を否定したが本人の証言が曖昧である事、またコルプト大尉の復讐を考えている事が明白な事も有り受け入れられなかった。暴行、復讐、そのどちらもがミュッケンベルガー元帥の不興を買ったようだ。

ミュッケンベルガー元帥に意見を求められたフレーゲル男爵もコルプト子爵を卑劣漢と手厳しく批判したと聞いている。子爵を処分してもブラウンシュバイク公は抗議しないという事だ。コルプト子爵は戦闘終了までイゼルローン要塞内で謹慎となった。いずれオーディンに戻ってから正式に処分が出るらしい。

ヴァレンシュタイン少佐は事件直後は沈んでいたが最近では以前のように業務をこなしている。ビッテンフェルト、ロイエンタール、ミッターマイヤーもようやくぎこちなかったがとれ以前のように少佐に接している。

フレーゲル男爵に礼を言った。面白くは無かったが少佐は俺の艦隊の士官であるから一言礼を言うべきだと思ったのだ。キルヒアイスも同意見だった。男爵の所に行くと相変わらず尊大で嫌味な応対で腹が立った。だが帰り間際に男爵は妙に真面目な表情で話しかけてきた。ヴァレンシュタイン少佐は後方勤務に戻すべきではないか……。どういう事だ? 何を考えている、フレーゲル……。


 

 

異聞 第四次ティアマト会戦(その2)


帝国暦 486年 9月 1日   イゼルローン要塞 要塞司令官室 ラインハルト・フォン・ミューゼル



これで六回目だ。八月二十二日に遠征軍がイゼルローン要塞に到着してから昨日までに最高作戦会議は五回行われた。そして今日、要塞司令官室で六回目の最高作戦会議が始まる。もういい加減会議は飽きた。俺に自由裁量権を与えて欲しいものだ。そうすれば……。

部屋に入って席に着いた時、周囲を見渡して嫌な予感がした。ミュッケンベルガー元帥を議長として中将以上の階級にある提督達が参集したがその全てが貴族だった。その中には先日中将に昇進したフレーゲル男爵もいる。爵位を持っていないのは俺だけだった。

五度目までは作戦会議は形式的な物で終わった。六度目の作戦会議も形式的な物で終わるだろう。実際に会議はダラダラとなんの意味もなく続いた。索敵情報に惑星レグニツァ方面で反乱軍が徘徊していると言う報告が有っただけだ。それもかなりあやふやな情報で信憑性は全く高くない。

相変わらずフレーゲル男爵がネチネチと絡んでくる。嫌な奴だ。適当に流そうとしていたが、フレーゲル男爵に便乗して絡む阿呆が居る。徐々に我慢できなくなってきた。心がささくれだってくる。

「年末にはローエングラム伯爵を名乗られる御身、我ら如き卑位卑官の輩は、うかつに口をきいてもいただけぬであろうからな」
フレーゲル男爵が冷笑交じりに絡んできた。馬鹿か? フレーゲル、貴様一体年は幾つだ? なりはでかいが精神年齢は幼稚園児並みだな。

「卑位卑官などとおっしゃるが、卿は男爵号をお持ちの身。自らを平民と同一視なさるには及ぶまい」
何処の馬鹿だ、爵位しか誇る物のない阿呆が! お前達と同一視などこちらからお断りだ!

フレーゲルが顔を顰めた。何だ、不満か? この寄生虫が!
「むろん我々には、代々、ゴールデンバウム王朝の藩屏たる誇りが有る。平民や成り上がりなどと比較されるのもおぞましい」
上等だ、この馬鹿!

「民衆に寄生する王侯貴族の誇りか!」
「黙れ! 儒子!」
フレーゲル男爵が怒気も露わに立ち上がった。やる気か? 望むところだ、立ち上がって身構えた。

「両名、止めぬか! 」
ミュッケンベルガーが俺達を止めた。
「ミューゼル提督に命じる。惑星レグニツァの周辺宙域に同盟と僭称する叛徒どもの部隊が徘徊しているとの報が有る。直ちに艦隊を率いて当該宙域に赴き情報の虚実を確認し、実なるときは卿の裁量によってそれを排除せよ」

頭を冷やせ! ラインハルト。俺の言った言葉は危険だ。敵に利用されたら身の破滅になる。ミュッケンベルガーの命令を利用して切り抜けろ!
「謹んで命令をお受けします」
「うむ」

ミュッケンベルガー元帥が俺を見て満足そうに頷いた。横目でフレーゲル男爵を見た、さぞかし悔しそうにしているだろうと思ったが違った。表情が硬く青白くなっている。怒っているのか? どうも違うな、悔やんでいるようにも見えるが……。まさかな……。

艦隊に出動命令を出し、キルヒアイスと伴にブリュンヒルトに向かう。このイゼルローン要塞で馬鹿どもの相手をしているよりは遥かにましだ。こればかりはフレーゲル男爵に感謝しなければならないだろう、そう思った時だった。

「ラインハルト様」
キルヒアイスが気遣わしげな声を出した。
「どうした、キルヒアイス」
「フレーゲル男爵が」
確かに通路にフレーゲル男爵が居た、俺の方を硬い表情で見ている。

自分の表情が強張るのが分かった。フレーゲル、まさかここでも絡んでくるつもりか?
「ミューゼル提督」
身構えているとフレーゲル男爵が近づいて話しかけてきた、硬い声だ。

「何かな」
こちらも声が硬くなった。
「先程は大人げない事をした。水に流してもらえれば有難い」
「……」

イマ、コノオトコハナニヲイッタ? オレハナニヲキイタ?
「ミューゼル提督?」
えっと、俺は何を言えば良い? 謝るのはおかしいし、責めるのも大人げない……。大人げない? そうだ大人げないだ。

「いや、こちらこそ大人げない事をした。水に流してくれれば有難いのはこちらも同じだ」
フレーゲルがホッとした様な表情をしている。どうやら俺の対応は間違っていなかったらしい。

「ミューゼル提督、惑星レグニツァだがあそこは自然環境が厳しいそうだ。索敵はかなり困難らしい。気を付ける事だ」
「……そうしよう」
惑星レグニツァは確かに自然環境が厳しい。だがそれは良い、問題はこの事実だ。おかしい、俺の前に居るのは本当にフレーゲル男爵か? この男が俺を心配している? 何故だ? 悪い物でも食ったか? それとも二日酔いか?

「それと叛徒どもの艦隊はかなりの確率で居るようだ、気をつけることだ」
「……当てにならない情報だと思ったが」
俺の言葉にフレーゲル男爵が首を横に振った。

「惑星レグニツァは索敵が難しい、つまり敵に出会えない可能性が多分に有る。そのため分析官達が情報の確度を下げて報告したのだ」
「……」
ぶっきらぼうな口調ではあるが悪意は感じられない。そして嘘と否定することも出来ない。有りそうなことではある。

「武勲を期待している」
「感謝する」
互いに敬礼をして別れた。“武勲を期待している”、“感謝する”、俺とフレーゲルの間で出る会話か? なんかおかしい、今回の出撃、嫌な予感がしてきた……。

「キルヒアイス」
「はい」
「俺の対応は間違っていなかったよな」
「はい、間違っていません」
大丈夫だ、キルヒアイスが保証している、間違っていない。こういう場合のキルヒアイスの判断には間違いが無い。幾分気が楽になった。

「ラインハルト様」
「何だ、キルヒアイス」
「嫌な予感がします、大丈夫でしょうか」
「……」
気が重くなった。キルヒアイス、お前だって間違う事は有る、そうだよな……。



帝国暦 486年 9月 4日   惑星レグニツァ  シュワルツ・ティーゲル  フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト



惑星レグニツァはガス状惑星だ。母恒星から約七億キロの楕円形軌道上を十万時間強の周期で公転している。赤道半径約七万キロ、質量二千兆×一兆トン、平均密度は一立方センチにつき一.二九グラム。中心には重金属と岩石からなる直径六千四百キロの固核が有り、その上に極度に圧縮された氷と水の層が有る。さらに上層をヘリウムと水素の流動体が占める。ごく初級の天文学の教科書にモデルとして記述されそうな、典型的な恒星系外縁部ガス惑星である……。

さっぱり分からんな、溜息が出た。モニターに映っている惑星レグニツァの詳細を見てもさっぱり分からん。これで初級の天文学か? だとしたら俺には絶対分からん世界だ。

だがこの惑星を艦橋のメインスクリーンから見ると厚い蜜雲の流れと電光のはためきが映っている。混沌と暗鬱に満ち溢れた惑星だ。映画にでも出てきそうな映像だが、現実世界でこの混沌の惑星は嬉しいとは言えない。俺の心は暗鬱に占領されている。

俺の艦隊はミューゼル艦隊の先頭に居るがどうにも不安だ。嵐と厚い蜜雲、この自然環境が情報の伝達を阻んでいる。無人の索敵機を飛ばしてはいるが索敵は困難な状態だ。整然たる艦隊運動を困難にもしている。全く有難くない状況だ。この状況で奇襲を食らったらと思うと気が気ではない。上手く奇襲をかけられる側になれればいいのだが……。

「提督、ミューゼル提督は何時までこの嵐の中に居るのでしょう」
「さて、分からんな」
グレーブナーが不安そうな表情をしている。気持ちは分かる、ここは余りにも戦いには向いていない。しかしもし反乱軍が雲の外に布陣していれば一方的に攻撃を受ける事になる。艦隊は致命的な損害を受ける事になるだろう。

「敵です! 索敵機が正体不明の飛行物体群を発見! 距離、至近!」
オペレータの悲鳴のような声に艦橋が緊迫した。先手を取られたか! 厄介な事になった! オペレータ達が次々と報告を上げる。いずれも状況は良くない。

「第一級臨戦態勢! 司令部に連絡、敵、至近! 急げ!」
俺の声にオペレータがミューゼル提督に通信を入れる。頼むぞ、上手く届いてくれよ……。敵の大艦隊がガス状惑星の雲平線から姿を現したのは十分後の事だった。


戦闘は典型的な遭遇戦になった。俺が敵発見の報告をしてから戦闘が始まるまで三十分もかからなかった。陣形も何もない、正面からの殴り合いになる筈なのだが困ったことに、あるいは助かったのかもしれないが殴り合いにはならなかった。

帝国、反乱軍両軍の砲火は激烈だったが最初のうちは全く当たらなかった。重力と嵐の所為で弾道計算すらまともにできない。ようやくできた弾道計算も一瞬の環境変化で意味の無いものになってしまう。

「馬鹿野郎! なんで風が変わる!」
「ふざけるな、もう一度計算しろと言うのか!」
オペレータの悲鳴と怒号が艦橋に上がる。

「落ち着け! もう一度計算するんだ! 苦しんでいるのは敵も同じだ。諦めるな!」
俺に出来る事は連中に落ち着けと言い続ける事だけだった。参謀達も一緒になってオペレータ達を宥めるのに必死だった。戦闘指揮よりもカウンセラーにでもなったような気分だ。

この状況では彼らを役立たずと責めることは出来ない。そしてどれだけ環境が変化しようと計算し続けろと命じるしかない。徐々に徐々にだが同盟軍が押してくる。自然環境の所為で思い切った戦術行動を取れない、出来るのは正面からの押し合いだけだ。そして自然環境は帝国よりも反乱軍を贔屓にした。大きな乱気流が起き艦隊の隊列が崩れた、そして反乱軍がそれに乗じて攻め寄せてくる。

「怯むな! 撃ちかえせ! 反撃するんだ!」
ともすれば崩れがちな味方を叱咤して支える。絶望的な気持ちになった。支え切れるか? 無理だ、敵は勢いに乗って攻め寄せてくる。ロイエンタール、ミッターマイヤーも崩れそうな態勢を支えるので精一杯だ。先頭の俺、両翼の二人、そのどれかが崩れれば艦隊は一挙に崩壊するだろう。

「司令部より入電!」
オペレータが声を上げた。撤退命令か? そう思ったのは俺だけではあるまい。そしてその困難さに絶望したのも俺だけではないだろう。皆が暗い表情で俺を見ている。

「何と言ってきた?」
「あと三十分だけ踏みこたえろとのことです。起死回生の策は既に考えて有ると」
三十分? 起死回生? この状況からそれが出来るのか? 環境に沈黙が落ち、皆が顔を見合わせた。

「あと三十分踏みこたえましょう。必ず勝ちます、ミューゼル提督を信じるのです」
沈黙を破ったのはヴァレンシュタイン少佐だった。気負いも必死さもない。静かな口調だった。皆が少佐を見つめると少佐はもう一度言った。
「必ず勝ちます」

そうだ、ミューゼル提督を信じるのだ。
「後三十分だ、皆、踏みとどまれ!」
俺の檄に皆が頷いた。大丈夫だ、皆顔に生気が戻った。後三十分は何とかなる。問題はその後だ、本当に三十分で勝てれば良い、そうじゃなければ艦隊は崩壊する……。

ヴァレンシュタイン少佐を見た。この混戦、劣勢にも関わらず彼女は落ち着いている。少佐が俺を見た。頬に笑みを浮かべる。
「必ず勝ちます」
「そうか」

彼女が俺に近づいてきた。俺の答えが気に入らなかったのだろうか……。笑みを浮かべて近づく少佐に少し気圧されるような気がした。コルプト子爵の事を思い出し、慌てて首を振った。忘れろ! あれはもう終わった事だ、忘れるんだ!

「どうした、少佐」
「耳を……」
「耳?」
耳を貸せということか? 少し背を屈めると彼女が俺の耳に顔を寄せてきた。周囲の目が気になったがどういう訳か逆らえなかった。

彼女が小声で俺の耳に囁く。くすぐったい快さよりもその内容に驚愕した。驚いて彼女を見ると悪戯っぽい表情で俺を見ている。
「必ず勝てます」
「そうだ、必ず勝つ」
俺は今こそ勝利を確信した。後三十分で味方は勝つ……。



帝国暦 486年 9月 6日   イゼルローン要塞  ラインハルト・フォン・ミューゼル



惑星レグニツァの戦闘は帝国軍の勝利で終わった。惑星レグニツァの惑星表面はヘリウムと水素からできている。そこに核融合ミサイルを撃ち込んだ。艦隊が撃ち込んだ核融合ミサイルの大群はヘリウムと水素の大気層を破壊し巨大なガスの塊を下方から反乱軍に叩きつけた。

反乱軍は混乱し俺の艦隊はそこを攻撃した。かなりの打撃を与えることが出来ただろう。反乱軍は撤退し戦域を離脱した。こちらもそれ以上の追撃は行わなかった。所詮は局地戦での勝利だ、無理をして逆撃など食らっても詰まらない。反乱軍を惑星レグニツァより排除した。命令は遂行したのだ、問題は無い。

一部の士官が、運が良い、風に救われたと中傷しているのは知っているが反論はしなかった。あの戦いの困難さを連中は知らない。それに風に助けられたのは事実だ、自慢できる戦いではない。

俺にとって嬉しかったのは三人の分艦隊司令官、ビッテンフェルト、ロイエンタール、ミッターマイヤーが十分に信じられると分かった事だ。彼らはあの悪環境の中、最後まで崩れず戦った。これからも俺の力になってくれるだろう。

ミュッケンベルガーに報告をし、部屋に戻ろうと廊下を歩いていると正面からフレーゲル男爵が歩いて来るのが見えた。出撃前の事を思いだす、戸惑いながら歩く、徐々に距離が縮まった。すれ違う時、フレーゲル男爵に腕を掴まれた。振り払おうとすると低く小さい声が聞こえた。

「気を付けろ、ミューゼル」
驚いてフレーゲル男爵を見た。俺を助けようと近寄ったキルヒアイスも立ち止まっている。

「卿はミュッケンベルガー元帥に忌避されている。次の戦い、気を付けるんだ」
低い声だ。
「どういう事だ」
こちらも小声になった。フレーゲル男爵はじっと俺を見ている。真剣な表情だ、嘲りも愚弄もない、そして傲慢さもなかった。

「油断するな、厚遇されていると思ったら罠だと思え」
そう言うとフレーゲル男爵は腕を離し何事もなかったように歩き出した。どういう事だ? 今のは脅しじゃない、明らかに俺への好意から出た警告のように思える。何故あの男が俺に好意を示す? 俺とキルヒアイスは呆然として歩き去るフレーゲル男爵の後ろ姿を見続けた……。


 

 

異聞 第四次ティアマト会戦(その3)



帝国暦 486年 9月11日   ティアマト星域  ブリュンヒルト ラインハルト・フォン・ミューゼル



惑星レグニツァでの戦いはあくまで帝国、反乱軍の一部隊による遭遇戦でしかなかった、戦いそのものの帰趨を決める類のものではない。会戦後、十回目? いや十一回目だろうか? 最高作戦会議において反乱軍を撃破する事が決まり九月九日、遠征軍はイゼルローン要塞を出撃した。十回も作戦会議を開かねばその程度の事も決まらないのかと内心毒づく思いだ。

決戦を求めたのは帝国軍だけではない、反乱軍も決戦を求め行動を起こした。帝国軍遠征軍五万五千隻はティアマト星域に有る。そして帝国軍だけでなく反乱軍もティアマト星域に集まり決戦の時を待っている。おそらく第四次ティアマト会戦と呼ばれるであろう会戦が始まろうとしている。

先程総旗艦ヴィルヘルミナで最後になるであろう最高作戦会議が行われた。その会議においてミューゼル艦隊は帝国軍の左翼を任される事になった。大役と言って良いが任命そのものはおかしなことではない、俺の艦隊は全軍の四分の一を占めるのだ。俺の年齢が若いという事を除けば大将という階級、そして一万四千隻の兵力からすれば至極当然の配置と言える。

両軍合わせて約十万隻の大艦隊が集まり決戦の時を待っている。そして帝国軍左翼部隊指揮官としてそれに参加する、軍人として名誉と言って良いだろう。しかし、俺の心は晴れ晴れとしたものではない。例のフレーゲル男爵の言葉が困惑と疑心を俺の胸に突き刺している。

“気を付けろ、ミューゼル”
“卿はミュッケンベルガー元帥に忌避されている。次の戦い、気を付けるんだ”
“油断するな、厚遇されていると思ったら罠だと思え”

廊下で囁かれた言葉。低く小さな声だったが胸に重く圧し掛かっている。罠だろうか? フレーゲルが俺と総司令部、いや、ミュッケンベルガー元帥との間に不協和音を生じさせるために仕掛けた罠……。有り得ない事ではないだろう、元々俺はミュッケンベルガー元帥に好かれているとは思っていない。不和を生じやすい土壌は有るのだ。フレーゲルはそれに乗じた……。

だがそう言いきれるのだろうか? 惑星レグニツァに赴く直前の奴の言葉……。フレーゲルは反乱軍が居る可能性が高いと警告してきた。そしてそれは当たった。もし、俺を殺そうとするならあんな事を言うだろうか? 出来るだけ油断させて出撃させるのではないだろうか……。

もし、奴の好意が本物だとすれば俺は極めて危険な位置に居る事になる。帝国軍左翼部隊指揮官という地位は俺を信頼して用意された物ではない、俺を陥れるために用意された罠だ。美しく座り心地が良さそうに見えるが時限爆弾付きの椅子だろう。

ミュッケンベルガーが俺に好意を持っていないことは確かだ。惑星レグニツァの戦いの後、反乱軍を壊滅に追い込めなかったことで幾人かの士官から馬鹿げた嫌味を言われた。いずれもミュッケンベルガーの傍にいる人間達だ。

彼らがそういう行動を取るのはミュッケンベルガーが俺に対して非好意的だからだと言える。彼と俺の仲が親密ならばそんな事は言わない、ミュッケンベルガーに知られれば当然だが不興を買うことになる。宇宙艦隊司令長官の不興を好んで買うような阿呆は居ないだろう。俺とて好きで買ったわけではない、気が付けば買っていただけだ。

やはり罠だろうか……。第三次ティアマト会戦では後衛に回された、明らかに戦力外として扱われていた。軍主力が混乱するまで戦機を与えられなかった俺に対して今回は左翼を任せる……。どう考えてもおかしい、やはりフレーゲルの忠告は無視できない……。

それにしても何故フレーゲルは俺に好意を示す? 彼は先日までは明らかに俺に敵意を示していた。それが急に好意のような物を示し始めた。……どうにも分からないことばかりだ。……全く馬鹿げている、何故俺は戦略戦術以外の所で混乱しているのだ。一体どうなっているのか……。



帝国暦 486年 9月13日   ティアマト星域  ブリュンヒルト ラインハルト・フォン・ミューゼル



フレーゲル男爵が連絡をしてきた。ぶっきらぼうな口調で“至急、二人だけで話したい”と言ってきた。厳しい表情だ、何かが起きた。通信を保留状態にすると急いで自室に戻り改めて受信した。スクリーンのフレーゲル男爵は明らかに苛立っている。

「遅い! 何をやっていた」
これでも全力で走った。ムカついたが、抑えた。今は話が先だ。この男がわざわざ連絡をしてきた、一体何が起きた?
「申し訳ない、話とは?」

「つい先程、最高作戦会議が開かれた」
「……まさか」
一瞬フレーゲル男爵が何を言っているのか分からなかった。そんな話は聞いていない。招集命令は無かった。愕然とする俺にフレーゲル男爵が冷笑を浮かべた。

「卿は呼ばれなかったのだ、故意にな」
「!」
「ミュッケンベルガー元帥は卿を犠牲にして勝利を得るつもりだ。卿だけを敵に突撃させる……」
「……」

「余程嫌われていると見える。日頃の行いが悪い所為だろう、賤しい平民の味方などするからだ、反省する事だな」
「……まさか、卿が」

俺の言葉にフレーゲルが顔を顰めた。
『勘違いするな、私では無い。だが、誰かが圧力をかけた可能性は有るだろうな。……あるいはその人間はオーディンに居るかもしれん、そこまでは否定しない』
「……」

そのための左翼部隊指揮官か……。反乱軍と俺が潰し合った後、無傷の部隊で反乱軍を攻撃する。勝利はミュッケンベルガーの物となるだろう……。俺の艦隊は勝利を得るための必要な犠牲と言うわけだ。怒りで体が震えた、そこまで俺を疎んじるか! 犠牲になるのは俺だけでは無い、百五十万の将兵まで無意味に死に追いやるのか!

怒りに震えている俺にフレーゲル男爵の声が聞こえた。
「もうすぐ総司令部からそちらに命令が届く、上手く切り抜けろ。私に言えることはそれだけだ」
「待て、何故私に教える。卿、何を考えている」

私の問いかけにフレーゲル男爵はそれまで浮かべていた冷笑を消した。彼の顔が能面のような無表情に切り替わる。
「卿が知る必要は無い。武運を祈る」
そう言うとフレーゲル男爵は無表情の顔のまま通信を切った……。

艦橋に戻るとメックリンガー、ブラウヒッチ、キルヒアイスが待っていた。皆、表情が硬い。おそらく命令が届いたのだろう。メックリンガーが近づいて通信文をこちらに差し出した。
「たった今、総司令部より入電しました」

表情だけでは無い、声も硬かった。黙って受け取ると視線を電文に落とす。
『十二時四十分を期して左翼部隊全兵力を挙げて直進、正面の敵を攻撃せよ』
フレーゲル男爵の話は本当だった。何処かで嘘である事を期待していた。あの男が嫌がらせをしたのだと……。ミュッケンベルガーは歴戦の軍人だ、兵の命の大切さは分かっているはずだ、それなのに……。改めて身体が震えた。

「閣下、これはどういう事でしょう。総司令部は何か戦術的な意味が有って言っているのでしょうか」
メックリンガーは有能な戦術家、戦略家だ。彼にとってこの命令は余りにも不可解なものなのだろう。ビッテンフェルト、ロイエンタール、ミッターマイヤーとの間に回線を開くように命じる。彼らにも話しておかなくてはならない。

スクリーンに三人の顔が映った。ロイエンタールが
『何事ですか、司令官閣下』
と問いかけてきた。俺の話を聞いて付いてきてくれるだろうか……。一瞬だが不安が起き、慌てて打ち消した。大丈夫だ、彼らを信じろ。

「総司令官より命令が来た。十二時四十分を期して左翼部隊全兵力を挙げて直進、正面の敵を攻撃せよ、との事だ」
俺の言葉に三人が押し黙った。この三人はコルプト大尉の件で俺と行動を共にしている。何が起きているのか分かったのだろう。

「メックリンガー准将、我々は中央部隊や右翼部隊の支援を期待する事は出来ない」
「では我々は敵軍よりも前に味方によって危地に陥れられることになります」
その通りだ、メックリンガー。我々には味方は居ない、独力で切り抜けなければならない。

「ミュッケンベルガー元帥は敵の手を使って私を排除し、その犠牲の元に勝利を収める気だ。余程に嫌われたらしい」
フレーゲル男爵と同じ事を言っている。思わず苦笑が漏れた。皆が呆れたような表情をしている。その表情がおかしく更に笑ってしまう。そんな俺を見てビッテンフェルトが口を開いた。

『ミュッケンベルガー元帥はミューゼル提督の戦死までは望んでいないでしょう。提督にもしもの事が有れば帝国軍の左翼部隊指揮官が戦死したとなります。当然ですが勝利は完璧なものとは言えない』
「なるほど」

『それ以上に元帥はグリューネワルト伯爵夫人の思惑を気にするはずです。伯爵夫人はこれまで政治的な行動はしていません。しかし閣下が戦死したとなれば如何でしょう? 特に故意に見殺しにされたとなれば陛下を動かして報復に出るのではないか、ミュッケンベルガー元帥はそう思うはずです』

確かにそうだ、姉上がどうするかはともかくミュッケンベルガーがそう考えるのはおかしな話ではない、いやそう考えなければむしろおかしい。なるほど、戦死は望んでいないか……。

『我々を使って反乱軍を消耗させる。我々が反乱軍の攻撃に耐えきれず壊滅しそうになった段階で救援し敵を撃破する。勝利はミュッケンベルガー元帥のものであり我々には何もない、兵力を磨り潰した敗残艦隊が残るだけです。おそらく我々分艦隊司令官は皆戦死しているでしょう』
ビッテンフェルトの言葉にロイエンタール、ミッターマイヤーが顔を見合わせた。目で会話をしている。“やれやれ”、そんなところか……。

『元帥の思惑ですが、一つは門閥貴族達への御機嫌とりでしょう。コルプト大尉の一件で提督はかなり彼らの恨みを買っている。我々を叩く事で彼らの歓心を買おうとしているのだと思います』
そうだろうな、だから分からない。何故フレーゲルは俺に好意を示すのだ?

『第二にミューゼル提督を押さえようとしているのだと思います。前回の第三次ティアマト会戦では後衛に配置された提督が帝国軍に勝利をもたらしました。ミュッケンベルガー元帥は反乱軍の艦隊運動に翻弄されるだけで効果的な反撃が出来なかった。その事は元帥にとって屈辱だったはずです』
「……」

『ここで提督を反乱軍に叩かせ、そして元帥自らミューゼル提督を救う事で、自分の恐ろしさを提督に叩きこもうとしているのだと思います。分をわきまえろ、自分の下に居ろ、そういう事でしょう』
「私の首根っこを押さえようという事か」
ビッテンフェルトが頷いた。

ロイエンタール、ミッターマイヤーが不思議そうな表情をしている。メックリンガー、ブラウヒッチ、キルヒアイスも訝しげだ。多分想いは俺と同じだろう。
「それにしても見事な心理分析だ、ビッテンフェルト少将」
『小官の考えではありません、ヴァレンシュタイン少佐の考えです。ただ事の本質を突いているのではないかと思います』
「うむ、私も同じ思いだ」

おかしかった、危機に有るにもかかわらず笑い声が出た。外見がビッテンフェルトで中身がヴァレンシュタインか……。豪勇、大胆にして繊細、緻密。面白い、この二人は常に俺の意表を突いてくれる。

「ミュッケンベルガー元帥にとっては完璧な勝利だな。反乱軍を撃破するだけでなく、私を押さえつけるとともに貴族達の歓心を買う。そしておそらくは他の軍人達への警告の意味も有るだろう、自分を甘く見るな、だ。但し、上手く行けばだが……」

「ミュッケンベルガーの思惑は分かった。向こうがその気なら遠慮する事は有るまい、こちらはこちらでやらせて貰おう」
俺の首根っこを押さえつけるだと? 上手く行くと思うのか、ミュッケンベルガー。俺を甘く見たな、そのつけはお前自身に払ってもらう。この戦いを勝利に導くのは俺だ、お前じゃない!



帝国暦 486年 9月13日   ティアマト星域  シュワルツ・ティーゲル  フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト



「違う違う! それはこっちだ!」
「照明をもっと用意しろ、これじゃ映像が暗くなる!」
「カメラはこっちだ! 配置図をちゃんと見ろ!」
「時間が無い! 急げ!」

戦艦シュワルツ・ティーゲルの艦橋は喧騒の中に有る。大勢の人間が機材を運びセットを整えていく。何をしているのかと言えば例のヴァレンシュタイン少佐のケーキ作りを放送で流す準備だ。今、これから、ここで、生放送で流すのだと皆が張り切っている。しかも放送開始時間は十二時四十五分、つまり作戦開始から五分経ってからになる。

「グレーブナー、……グレーブナー!」
大きな声を出した。そうしないと周囲がうるさくて声が届かない。二度目の呼びかけでグレーブナーが気付き近寄ってきた。軍服の上着を脱ぎワイシャツを腕まくりしている。この準備の総指揮を執っているのがグレーブナーだ。額には汗が浮かんでいる。

「本当にやるのか」
「もちろんです」
「……」
俺が無言でいるとグレーブナーが表情を改めた。俺が反対だと思ったのだろう、当然だ、まともな頭をしていれば戦闘前にこの有様は論外だと言うに違いないし、戦闘中にケーキ作りなどキチガイ沙汰だと言うだろう。

「閣下、前回の惑星レグニツァの戦いの後、我々司令部の人間がどれほど兵士達に責められたか、お忘れですか?」
「……いや、忘れてはいない」
そうなのだ、それを言われると一言も無い。

ヴァレンシュタイン少佐にケーキを作って貰うという案が決定した後、放送は準備等の関係も有り戦争終結後に想定していた。もっとも兵士達からはかなりの不満が有った。戦争終結後では戦死して見られない可能性もあるではないかというわけだ。その不満が先日の惑星レグニツァの戦いで爆発した。

あの戦いは酷かった。俺の戦歴の中でも最悪の戦いと言って良いだろう。一度は戦死を覚悟したがそれは兵士達も同じだった。戦死の危機から脱出した兵士達は改めて司令部に対し早急に放送するように求めてきた……。そして司令部は戦闘が始まる前に放送するべく必死に準備している。

「今やらなければ今度こそ暴動が起きかねません」
「……」
「それに、こちらにも得るものが有ります」
「うむ、それは分かっているが……」

そうだ、得るものは有る。今回の放送は録画しておき艦隊の人間なら誰でも閲覧できるようにしておく。その代りヴァレンシュタイン少佐の朝の挨拶は以後廃止とする……。兵士達は不満そうだったがこれ以上朝の挨拶を恒常化する事は通常業務に差障りが有ると言って押し切った。そうそう兵達の我儘を聞いてはいられない。

「これは将兵達に対する福利厚生の一環だとお考えください」
「……」
福利厚生か、どうも釈然としない……。
「それに今回の戦い、我々だけで反乱軍に進撃する事になります。将兵の恐怖心を少しでも和らげる事が出来るかもしれません。それに相手を混乱させることも出来るでしょう」

こじつけでは無いのか? 今一つ納得できん。戦場でケーキ作りなどどう見ても馬鹿げている。そう思っているとオイゲンの大きな声が聞こえた。
「グレーブナー参謀長、ヴァレンシュタイン少佐の準備が出来ました。確認をお願いします」

声の方向に視線を向けるとオイゲンとロリ、巨乳、メガネ、その全てが揃った女が二メートル程の距離をおいて立っていた。おまけにネコ耳にツインテール……、うむ、見事だ! 気が付けば周囲も呆然として二人を見ている。喧騒はいつの間にか消えていた。

「グレーブナー、服が幾分小さいのではないか」
大声を出すのが恥ずかしかった、小声で問いかけた。責めているのではない、そのおかげで胸が強調されている。巨乳度アップだ。心配なのはボタンが飛んで胸が飛び出すのではないかという事だ。放送事故は有ってはならん。

「イゼルローンの喫茶店が使っているものです、借りてきました」
グレーブナーも同じように声を潜める。
「スカートも短いようだが」
「同じ喫茶店からこれも借りてきました」
「そうか」

悪くない、屈んだら下着が見えそうだが、悪くない。別に見える事を期待しているのではないが悪くないと思う。大体イゼルローンの喫茶店が使っているのだ、悪いわけが無い、膝上十五センチ、オレンジ色のスカートを見てそう思った。

「あのツインテールは?」
「イゼルローンで付け毛とネコ耳を用意しました。どうせならその方が皆も喜ぶだろうと」
「うむ」
俺も大喜びだ。その判断は間違っていない。

「誰の発案だ?」
「オイゲンです」
「うむ」
見事だ、オイゲン! ツインテールとネコ耳でロリ度アップ! 可愛らしさアップ! 卿は間違いなく奥義を極めた。次の人事考課では創意工夫に富む士官と書いてやろう、喜べ! 残る野望は裸エプロンと裸に白のワイシャツ一枚のしどけない姿だ。期待しているぞ、オイゲン!

「グレーブナー」
「はっ」
「これは福利厚生の一環なのだな」
「はい」
そうだ、これは福利厚生の一環なのだ。兵を思い遣るのはおかしなことではない。

「味方の士気を鼓舞し、反乱軍の意表を突く事が出来るのだな」
「その可能性は大きいとおもいます」
そうだ、これは勝利を得るための作戦なのだ。手を抜くべきではないし躊躇うべきでもない。

「作業を進めろ、俺はこの作戦に期待している」
「はっ」
グレーブナーが敬礼して作業に戻った。人が動き出し、喧騒が戻る。今回の戦いは間違いなく記憶に残る戦いになるだろう……。




 

 

異聞 第四次ティアマト会戦(その4)


帝国暦 486年 9月13日   ティアマト星域  ブリュンヒルト  エルネスト・メックリンガー



ティアマト星域に帝国軍、反乱軍が集結している。双方とも横列陣を展開し三.五光秒ほどの距離をおいて睨みあっている。十二時四十分、総司令部の命令に従いミューゼル艦隊が動き出した。帝国軍左翼部隊は急速に前進していく。それに比べて中央部隊と右翼部隊はゆっくりと動いている。旗艦ブリュンヒルトの艦橋は静けさに満ちていた。微かな電子音、マシンの操作音だけが聞こえる。

五分ほどもしただろうか、オペレータが困惑した声を上げた。
「ビッテンフェルト艦隊が広域通信で通信を始めました」
「広域通信だと? 間違いは無いのか」
「はい、間違いありません」

広域通信? 何を考えているビッテンフェルト少将。直情的な男だが悪い人間ではなかった。むしろ裏表のない戦場の男という感じがした。若くして少将にまでなっているのだ、当然馬鹿では無い事も分かっている。そのビッテンフェルト少将が広域通信? 例の朝の挨拶を今またやっているのか?

「司令官閣下、如何しますか。通信を止める様に命じた方が良いかと思いますが……」
私の進言にミューゼル提督は少し考えるそぶりを見せた。
「……いや、その前にこちらでも見てみよう。正面のスクリーンに映してくれ」
「はっ」

艦橋に“おおっ”と声にならない歓声が上がった。スクリーンには今にもブラウスからはち切れそうなオッパイが映っている。胸では無い、これはオッパイだ! なんと見事な!
『こんにちは』
オッパイが挨拶をした! オッパイが喋った!

「こんにちは」
気が付けばオッパイに挨拶をしていた。慌てて周囲を見る、大丈夫だ、私だけじゃない、司令官閣下もキルヒアイス中佐もブラウヒッチ大尉も挨拶している。そうだ、挨拶は人間の基本だ、例え相手がオッパイだろうとおかしなことはしていない。

『そんなに胸ばかり映さないでください、恥ずかしいです』
オッパイが手で隠れた。するとオッパイが遠ざかりスクリーンには胸を手で押さえた若い女性の全身が映った。その途端また“おおっ”と声にならない歓声が上がる。私も唸った。

スクリーンの女性は少し小さめのブラウスとミニのスカートを穿いていた。大体膝上十五センチといったところか、なかなかスリリングな短さだ。だが問題はそこでは無い!

メガネ! ロリ! 巨乳! そしてネコ耳にツインテール、止めにミニスカを持ってきたか! ……やるな、ビッテンフェルト少将。男心のつぼを的確に突いてくるではないか!
『エーリカ・ヴァレンシュタインです。今日は美味しいアップルパイを皆さんと一緒に作りたいと思います』

ヴァレンシュタイン少佐か……。見事だ、ビッテンフェルト少将、少佐をここまで調教するとは……。卿は見かけによらず凄腕のようだ。一度コツを教えて貰わなければならん。
「誰か、この放送を録画してくれ」

「録画するのでありますか、ミューゼル提督」
「そうだ、後で姉上にお見せする。少佐のアップルパイは絶品だ。姉上も喜んでくれるだろう」
私の問いかけにミューゼル提督はあっさりと答えた。

大丈夫だろうか? グリューネワルト伯爵夫人はヴァレンシュタイン少佐を見てどう思うだろう。妙な勘違いをして次に提督に遭う時に伯爵夫人がメガネやネコ耳を付けたりしないだろうか? 髪形をツインテールにしたりしないだろうか? それはそれで有りかもしれないが、姉弟でやるのはどうだろう?

録画を指示すると提督が話しかけてきた。
「メックリンガー准将、ビッテンフェルト少将がこのタイミングで放送を行った事に意味が有ると思うか?」
意味か……。調教の成果を見せたい……、いや、そうではないな、自分の趣味を皆に広めたい、だろうか?

「味方の士気を上げようと言うのでしょうか?」
「なるほど、では敵に対しては?」
「……敵の意表を突く、という事でしょう」
「うむ、私もそう思う。やるな、ビッテンフェルト」

良かった、もう少しでお馬鹿な答えを返すところだった。どうやら私は間一髪危機を切り抜けたらしい。ミューゼル提督は嬉しそうにスクリーンを見ている。何が楽しいのだろう、少佐のアップルパイだろうか、それともビッテンフェルト少将の事か……。

あるいは提督もヴァレンシュタイン少佐に萌えているのだろうか……。そしてそれを演出したビッテンフェルト少将を面白がっている? 有り得ない事ではないだろう。我々は危険な状況に有る、にも拘らず提督の機嫌は非常に良いのだ。

フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト少将か……。何度か彼の所でお茶を飲んだ事が有る。話をした限りでは外見通り陣頭の猛将のように思えた。しかし本当は細やかな思考をする男なのかもしれない。今見せている陣頭の猛将という姿は擬態ということも有り得るだろう。部下を統率し指揮するための擬態……。彼の本質は勇よりも知を好むのかもしれない。

先程のミュッケンベルガー元帥の心理を読んだのもヴァレンシュタイン少佐と言っていたが本当にそうだろうか? あるいは二人で読んだ、または彼一人で読んだ事を少佐の名前を使ったのではないだろうか……。知者が必ずしも好まれるわけではない、切れすぎる刃は周囲から恐れられる事が多々あるのだ。

むしろ戦場の勇者であると判断された方が侮られる事は有っても恐れられる事は無いだろう。単純な男だと判断された方が周囲からは警戒されずに済む。今も多くの士官がこの放送を楽しみながらビッテンフェルトは何を考えているのかと呆れているだろう。滑稽には思っても決して彼を警戒したりはしない……。

私の予想が当たっているのだとしたら恐ろしいほどに用心深い男だ。女性士官であるヴァレンシュタイン少佐を自分の配下に加えたのも自分の知を隠す為だろう……。滑稽な事をしていると周囲には思わせつつ、その裏で勝つために策を練る男……。

ヴァレンシュタイン少佐の声が聞こえる。
『リンゴは後々バターでいためますから少し酸味の強い物を選びましょう。出来る事なら多少果肉の硬い物をお薦めします』

ツインテールの少女がリンゴを手に取ると包丁をあてた。器用にくるくるとリンゴを回し始める。それにつれてリンゴの皮が剥かれていく、途切れることなく皮が剥かれリンゴが丸裸になった。鮮やかな手並みに皆が感嘆の声を上げる。彼女が二つ目のリンゴを手に取った。同じように途切れることなく皮が剥かれリンゴが丸裸になった。これで丸裸になったリンゴは二つ、渦巻き状に剥かれた皮も二つ。感嘆の声はさらに大きくなった……。



宇宙暦 795年 9月13日   ティアマト星域  アイアース  ドワイト・グリーンヒル



帝国軍の左翼部隊が急速に前進している。だが帝国軍の中央と右翼の前進速度はゆっくりとしたものだ。そのため左翼部隊は孤立しているのではないかと思えるほど我々に近づいている。一体帝国軍は何を考えているのか……。斜傾陣による時差攻撃、当初我々が考えたのはそれだった。しかしそれにしても左翼部隊の突出は度が過ぎている……。

罠、だろう。スクリーンに映る若い女性の姿を見ながら思った。帝国軍は左翼部隊の孤立を強調している。指揮官のあいだからは先制攻撃をするべきだという意見も有ったがロボス元帥は相手の行動意図を掴んでから攻撃すべきだと却下した。妥当な判断だろう。帝国軍は左翼部隊を囮として同盟軍を誘き寄せようとしているのだ。こちらが無秩序に攻撃するのを待っている。敵の誘いに乗るべきではない。

このおかしな放送も同盟軍の目を帝国軍左翼部隊に向けようとする作戦の一つだろう。戦闘中に美味しいアップルパイの作り方? おまけに衣装を見ればメガネ、巨乳、ロリ、ネコ耳、ツインテール、ミニスカ……。エーリカ・ヴァレンシュタインと言ったか、自分に注意を引きつけようと必死だ。帝国軍も詰まらん小細工を弄する事だ。

『はい、これでアップルパイの完成です。では試食をしてみましょう』
エーリカが出来上がったアップルパイを切り分けていく。包丁の入り具合から見ると確かに美味しそうだ。フレデリカはこんなパイを作れるだろうかとちょっと心配になった。

彼女が切り分けたアップルパイの一つ皿に載せた。パイの断面がアップで映される。蜂蜜色になったリンゴとサクサク感のあるパイ生地が実に美味しそうだ。コーヒーにはとても合うだろう。

『ビッテンフェルト提督、こちらへ』
エーリカが呼びかけた。少し間が有って一人の男性が困ったような表情で彼女に近づく。大柄、たくましい体格をしている。オレンジ色の髪の毛が印象的な士官だ。この男がビッテンフェルトと呼ばれた人物なのだろう。まだ若い、しかし提督と呼ばれたところを見るとかなり有能なはずだ。

エーリカが皿の上のパイをフォークで切り分けた。その一かけらをフォークに乗せる。
『はい、あーん』
ビッテンフェルト提督が困惑している。まさかここで“あーん”が出るとは思わなかったに違いない。パイを見てエーリカを見てそしてこちらを見た。多分カメラを見たのだろう。

『あーん』
フォークを持ってエーリカがビッテンフェルト提督に迫る。ニコニコして食べてもらえると確信しきった表情だ。どうする? 食べるのか? それとも拒むのか……。しかしあれを拒むのは難しいだろう。万一彼女に泣かれたらどうするのだ。

『あ、いや、待て』
『あーん』
『あ、その』
『あーん』
『……』

食べるのか? 食べるのか? 食べた! ついに食べた! 艦橋でどよめきが起きた。“食べたぞ!”、“食べた!”、“なんて奴だ! 許せん!”
『美味しいですか?』
『うむ、美味しい』

ビッテンフェルト提督は蕩けそうな顔をしている。その表情にまたどよめきが起こった。“美味しいだと、許せん!”、その時だった、オペレータが悲鳴のような声を上げた。

「て、帝国軍左翼部隊が進路方向を変えました!」
「なに!」
オペレータの報告に戦術シミュレーションのモニターを見た。確かに左翼部隊が方向を変えている。だが、これは……。

「方向を変えたのは何時だ!」
「そ、それが」
報告を上げたオペレータが俯く。彼だけではない、他のオペレータも私と視線を合わせようとはしない……。

「皆、あの放送に気を取られたという事か」
帝国軍左翼部隊は同盟軍右翼の正面に居るはずだった。だが彼らは右に回頭し既に同盟軍の左翼の前を走り抜けようとしている。回頭して中央部隊の前を通り過ぎるまで誰も気付かなかった……。

いや、前線では気付いた人間もいたのかもしれない、しかし総司令部は気付かなかった。当然ではあるが指示も出さなかった。敵の左翼は何事もなく通りすぎてゆく。このままでいけば同盟軍はあの部隊にこちらの左翼を側面から攻撃されることになるだろう。スクリーンではビッテンフェルト提督がアップルパイを食べている。いや食べさせてもらっている。

ロボス元帥はスクリーンを見ていた。
「総司令官閣下」
「何事だ、グリーンヒル参謀長」
「してやられました。帝国軍はこの放送を使って我々の注意を逸らしたのです。これは帝国軍のハニートラップです」
口中が苦い。これ程までに苦い報告をした記憶が私にはなかった。

ロボス元帥が私を見た。叱責を覚悟した。
「貴官は何を言っているのかね、エーリカちゃんがそんな事をするはずが無いだろう」
「……はあ? エーリカちゃん?」

我ながら間抜けな声を出していただろう。ロボス元帥がバツが悪そうに咳払いした。
「貴官は何を言っているのかね、ハニートラップなど有るわけがないだろう。我が軍がそんなくだらない小細工に引っかかるはずが無い」
「はあ」

今からでも敵の左翼部隊を攻撃するべきだと進言しようとした時だった。オペレータが震えるような声を上げた。
「敵軍、イエロー・ゾーンを突破しつつあります……」
何時の間に! 何時の間に敵はイエローゾーンを突破してきた! ロボス元帥が慌てて右手を上げた。

「敵、射程距離に入りました!」
「撃て!」
悲鳴のようなオペレータの声にロボス元帥の声が応え、勢い良く右手が振り下ろされた……。



帝国暦 486年 9月13日   ティアマト星域  シュワルツ・ティーゲル  フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト



事前に説明は受けていた。大体どうなるだろうと想定もした。しかし実際になってみるとやはり驚きが有る。ミューゼル艦隊は当初あった左翼の位置から遠く移動し今では右翼のさらに右、反乱軍の左翼の側面に展開している。そして帝国軍は中央、右翼の主力部隊とミューゼル艦隊によって反乱軍の中央、左翼を半包囲状態にあった。

『酷い混戦だな』
『全くだ。ミュッケンベルガー元帥も当てが外れて怒っているだろう。それとも泣いているかな』
ミッターマイヤーとロイエンタールの会話に同感だった。我々を犠牲にして反乱軍に勝つというミュッケンベルガー元帥の目論見は完全に崩壊した。

それだけではない、帝国軍は酷い混戦状態の中に有る。総司令官ミュッケンベルガー元帥は遠征軍を指揮統率出来ているとは言えない。皆目の前の敵の撃破に専念するのが精一杯の状態だ。ロイエンタールが言った“泣いている”と言うのは皮肉でも誇張でもないだろう。俺なら間違ってもその立場になりたいとは思わない。

この乱戦状態にあって唯一組織的な行動と秩序を保っているのはミューゼル艦隊だけだ。つまりこの艦隊の動きが会戦の勝敗を決める。そう、ミュッケンベルガー元帥は勝つためにはミューゼル艦隊の力を必要とする。元帥はミューゼル提督を押さえつけようとする目論見も失敗した……。

ミューゼル艦隊はまだ本格的な攻勢には出ていない。今動いても乱戦に巻き込まれるだけとミューゼル提督は判断している。反乱軍の攻勢が限界点に達するのを待ち、攻勢に出るつもりだ。

『それにしても“あーん”は無いだろう、“あーん”は』
皮肉に溢れた口調だな、ロイエンタール。随分嬉しそうじゃないか。
『羨ましい事だ。しかし皆の前であれは少し……』
ミッターマイヤーが笑うとロイエンタールも笑った。背中に視線を感じる。俺を後ろから睨んでいるのは誰だ?

「俺は卿と違って独身だ。誰に遠慮する必要もない、やましい事は何もないぞ」
いかん、ますます背中が痛い……。でもやましい事が何もないのは事実だ。それにメガネ、ロリ、巨乳、この三拍子そろった女に迫られて抵抗できる男がいるもんか。断じて俺は責められるような事はしていない。

『随分と美味そうに食べていたな。蕩けそうな顔をしていたが……』
美味かったのだ、俺にとっては至福の時間だった。もう一度間近で“あーん”をやって欲しい。出来ればメガネ、ロリ、巨乳でだ。

あの映像が閲覧可能になったらダウンロードしよう。そして一日一回は必ず見るのだ。見る度に幸せな気持ちになれるに違いない……。ロイエンタール、ミッターマイヤー、俺は卿らがどんなに俺をからっても少しも構わん。本当は卿らが俺を羨ましがっていると知っているからな!


 

 

異聞 第四次ティアマト会戦(その5)


帝国暦 486年 9月16日   ティアマト星域  ブリュンヒルト  ラインハルト・フォン・ミューゼル



反乱軍は撤退した。反乱軍は十三日の午後から帝国軍中央部隊、右翼部隊からなる主力部隊との間で混戦状態になった。そしてほぼ二日間戦い続け帝国軍、反乱軍共に疲弊した。俺の艦隊が攻勢に出たのはそれからだ。横列展開していた艦隊を再編すると反乱軍に対して後方からの中央突破戦法をとった。

反乱軍は堪えきれずに前方の帝国軍主力部隊になだれかかる様に移動した。もし帝国軍主力部隊に十分な余力が有れば、反乱軍を前後から攻撃できただろう。だが帝国軍主力部隊はそれまでの戦闘で疲れ切っていた。反乱軍を叩く事が出来なかった。むしろ崩れかかり救援を求めてきたほどだ。結局俺の艦隊が高速移動し反乱軍の艦隊を左下前方から叩く事で撤退に追い込んだ。

帝国軍は今、艦隊を再編している。再編が終了次第この星域を撤退することになるだろう。
「閣下、ロイエンタール提督、ビッテンフェルト提督、ミッターマイヤー提督が来艦されました」
「うむ」

キルヒアイスは人前では俺の名前を呼ばない。色々と気を遣ってくれる。その事にはいつも感謝している。それほど待つこともなく、三人の分艦隊司令官が艦橋に現れた。長時間の戦闘で疲れているはずだがきびきびとした歩調で近づいて来るのが見ていて気持ち良かった。

互いに敬礼を交わす。
「ビッテンフェルト、ロイエンタール、ミッターマイヤー」
「はっ」
「卿らの戦い振りは見事だった、満足している。これからも卿らの才幹と技量を生かして欲しい……、私のために」

俺の言葉に三人がそれぞれの反応を見せた。ロイエンタールとミッターマイヤーは目を鋭く輝かせ、ビッテンフェルトは笑みを見せた。俺は嘘を吐いてはいない。彼らの戦い振りは見事だった。俺がこれから先上に行くには是非とも必要な人材だ。帝国のためではなく、俺のためにその能力が必要だ。

「はっ」
「閣下が元帥府をお開きになるときにはなにとぞ我らをお忘れなく」
「小官もそれを楽しみに待っております」
三人が口々に答えた。大丈夫、彼らは俺と伴に歩いてくれる。キルヒアイスを見ると穏やかに笑みを浮かべて俺に頷いた。キルヒアイス、俺は頼りになる味方を手に入れた。

ミュッケンベルガー元帥から通信が有ったのはそれから二時間ほど後の事だった。疲れ切った様子の元帥から嫌々と言うほどではないが誠意など欠片も感じられない讃辞を貰った。気持ちは分からないでもない。こっちを利用しようとして逆に利用されたのだ。面白くは無いだろう。

まあ文句を言われるよりはましだ。何よりも向こうもこの勝利が俺の力で得たものだと理解しているし、それを認めたという事が大事なのだ。これで上級大将への昇進も確実になった。あと一つで元帥になり元帥府を開く。だがそれで終わりではない、その先が有る……。

キルヒアイスと伴に私室に戻った。ソファーに並んで座りゆったりと寛ぐ。疲れた体にソファーの柔らかな感触が気持ち良かった。
「勝ったな、キルヒアイス」
「はい、ラインハルト様はお勝ちなされました」
「俺が勝ったんじゃない、俺達だ。そうだろう、キルヒアイス」
「はい」

俺達は勝った。反乱軍にだけじゃない、ミュッケンベルガーの罠からも勝った。そしてその事はこの会戦に参加した者誰もが理解したはずだ。彼らには昨日までの俺と今の俺は違って見えるだろう。誰よりもミュッケンベルガーがその事を理解しているに違いない。俺達は勝った。

「一つ気になる事が有る」
「フレーゲル男爵の事ですね」
「そうだ、一体何を考えているのか……」
お互いに顔を見合わせた。キルヒアイスが躊躇いがちに口を開いた。

「ラインハルト様と関係を改善したいと考えているのでしょうか?」
「さあ、どうだろう」
キルヒアイスの声は半信半疑といった響きを帯びている。それ以上に俺の声も半信半疑の響きが有った。一体フレーゲルは何を考えているのか……。



帝国暦 486年 9月22日   イゼルローン要塞  ラインハルト・フォン・ミューゼル



イゼルローン要塞に着くと改めてミュッケンベルガー元帥に呼ばれて今回の戦いでの働きを褒められた。会戦直後の讃辞に比べれば幾分はましだっただろう。二度も褒めるという事は後ろめたい事が有るからに違いない。俺を罠にはめようとしたことを騒いでほしくないという事か。もしかすると俺の実力を認め、関係を改善したいのかもしれない。だが無駄な事だ、いずれその地位は俺が貰う。

キルヒアイスと伴に自分に用意された部屋に戻ろうとするとフレーゲル男爵に会った。
「上手く切り抜けたようだな」
「卿のお蔭だ、礼を言わせてもらう、感謝している」
俺の言葉にフレーゲル男爵は少しも感銘を受けた様子を見せなかった。詰まらなさそうにしている。

「礼には及ばぬ。……まあ気を付ける事だ、卿は敵が多い。これが最後とは思わぬことだ」
最後は冷笑を浮かべ嫌味っぽい口調だ。どうもおかしい、好意を見せたかと思うと突き放したような態度を取る。何故だ?

「何故だ? フレーゲル男爵。何故私に好意を示す?」
「卿が知る必要は無い事だ」
「……」
会戦前にも同じ会話をした。“卿が知る必要は無い”、つまり理由は有るのだ、気まぐれではない。そしてあの時も、今も同じように無表情になっている……。

当たり前の事だが俺が納得していないと思ったのだろう。フレーゲル男爵は微かに笑みを浮かべた、冷笑だ。
「納得は出来んか……、まあそうであろうな。……教えても良いぞ、教えて下さいと頼むならな」

そう言うとフレーゲル男爵は笑い声を上げた。奴の目が、俺がそれを出来ないだろうと言っている。いけ好かない奴だ、こいつに頭を下げるなど真っ平御免だ! 全く話にならない。
「……フレーゲル男爵、教えていただきたい」
フレーゲル男爵もキルヒアイスも驚愕している。何で俺は“教えていただきたい”なんて言っているんだ? これで理由が詰まらなかったら手加減無しで殴ってやる! そうだ、そのために俺は頭を下げているのだ。

「……分かった、良いだろう、教えよう。但し、ここでは拙い。私の部屋に来い、こっちだ」
男爵が歩き出す、その後を俺とキルヒアイスが続いた。先を歩くフレーゲル男爵が突然可笑しくて堪らないといったように笑い出す。そっくり反って笑う頭を思いっきり叩いてやりたかった。

フレーゲル男爵の部屋に入ろうとするとキルヒアイスが自分は外で待つと言いだした。男爵は差別意識の塊みたいな男だ、平民であるキルヒアイスが部屋に入るのを嫌がるに違いない、そう思ったのだろう。だが意外な事にフレーゲル男爵がキルヒアイスも部屋に入れと言った。

俺が驚いているとフレーゲル男爵が意地の悪い目で俺とキルヒアイスを見た。
「卿と部屋で二人きりなど御免だな。どんな噂が流れるかと思うとぞっとする。私はいたってノーマルなのだ」
「こっちこそ卿と二人きりなど御免だ!」

よりによって何を言い出すのだ、この馬鹿は。俺とおまえが……だと? 気でも狂ったか!
「なら問題は無い、二人とも入れ」
男爵が部屋に入り俺、キルヒアイスが後に続いた。

部屋には俺達よりも先に人が居た。フレーゲル男爵の付き人らしい。男爵はその男に部屋に出ている様に命じた。
「ミューゼル提督は今度ローエングラム伯爵家を継承される。だが元は賤しい出なのでな、貴族の義務も誇りも知らぬ。よって私が教える事にした。飲み物を用意してくれ、水で良い、それを用意したらお前は外で待っていろ」

殴ってやろうかと思ったが我慢した。男爵の狙いが分からないわけではない。表向きはそういう事にしておこうという事なのだろう。しかし妙に上機嫌なフレーゲル男爵を見ると不愉快だった。そんな俺を見て男爵がニヤニヤ笑っている。こいつ、わざとだな、俺を不愉快にさせて喜んでいる。

ソファーに座って水の用意を待つ。付き人は水の入ったグラスと水差しを用意すると部屋を出て行った。フレーゲル男爵が水を一口飲む。飲み終わるとこちらを試す様な視線を向けてきた。
「今回の一件、誰が絵図を描いたと思う?」

誰が絵図を描いたか……。コルプト大尉の一件が原因とすれば考えられるのはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯だが……。
「私に遠慮はいらん、伯父上の名を上げても良いぞ」
「そうしたいが、それだと卿の事が説明がつかない。リッテンハイム侯か?」

俺の答えにフレーゲル男爵が笑い出した。
「卿は単純だな」
「……」
喧嘩を売ってるのか、この野郎。睨みつけたがフレーゲルは気にする様子も無かった。忌々しい奴。

単純という言葉を考えるとリッテンハイム侯ではないようだ。他に誰かいるという事か……、それともやはりブラウンシュバイク公? フレーゲルは何らかの考えが有ってそれを邪魔している?

「残念だが伯父上も関係もないぞ。今回私がここに来たのは伯父上の命令によるものだ。不本意だが卿を救えとな」
「……」

“伯父上も”と言った。つまりリッテンハイム侯は無関係という事だ。自分が貴族達に嫌われている事は理解している。しかしブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯以外にもミュッケンベルガーに働きかけて俺を押さえつけようとした人間が居る、一体誰が……。

いやそれ以上に不可解なのはブラウンシュバイク公が俺を救うためにフレーゲルをここへ寄こしたという事だ。一体何故俺を救おうとする? コルプト大尉の一件で俺には不快感を抱いているはずだ。本来なら俺を救おうとするなどあり得ない。そしてフレーゲルもその命令に大人しく従っている……。

一体何が起きているのだ? キルヒアイスを見た、彼も困惑した表情を見せている。俺達の知らないところで何かが動いている……。“卿が知る必要は無い事だ”、あの言葉は貴族達の間で密かに争いが起きているという事か、そしてその争いに何らかの形で俺が絡んでいる……。

考え込んでいるとフレーゲル男爵の声が聞こえた。
「卿はヴァレンシュタイン少佐の事をどの程度知っている?」
「ヴァレンシュタイン少佐? ……少佐は有能な士官だが」
「そうではない、彼女の素性についてだ」

彼女の素性? 妙だな、何を気にしている? その事が今回の件に関わりが有るのか?
「少佐の両親がある貴族に殺されたという事は知っている」
「それだけか?」
探る様な口調と視線だ、不快感よりも困惑した。

「……他に何かあるのか?」
「……」
「彼女は有能な士官だ。それで十分だろう」
フレーゲル男爵が俺をじっと見ている。そして一つ溜息を吐いた。ムカついたがそれ以上に居心地の悪さを感じた。

「ミッターマイヤー少将を救うには彼女の進言が有ったはずだ、違うか?」
「……いや、違わない」
「にも拘らず卿は少佐について何も知らぬ……。暢気な事だ」
「……」
フレーゲル男爵は何時になく生真面目な表情をしている、反論できなかった。せめてこいつが嫌味でも言ってくれれば……。

「有能で役に立つならそれで良いか……。それは人間に対する扱いではないな、道具に対する扱いだ」
「……」
そんなつもりは無い、声に出したかったが出なかった。フレーゲル男爵がキルヒアイスに視線を向けた。俺も釣られたように隣に座るキルヒアイスに顔を向けた。

「その男もそうなのか」
「違う、キルヒアイスは親友だ、私自身だ!」
フレーゲルを睨んだ、彼はこちらを観察するような目で見ている。嫌な目だ、何となく気後れした。
「まあ良い、卿の事だ。私には関係ない」
フレーゲル男爵が視線を逸らすと呟いた。

水を一口飲むとフレーゲル男爵が話し始めた。
「私が少佐の事を知ったのは八年前の事だ。相続問題に絡んで両親を殺された……。愚かな話だ、平民が貴族の相続問題に絡めばそうなる可能性は高い。何を考えているのか……。同情はしなかった」
「……」
また少佐の話だ、やはり今回の一件に彼女が絡んでいる。しかし、一体何が有る?

「その後だった、両親を失った彼女がヴェストパーレ男爵に養われることになったと知ったのは」
「ヴェストパーレ男爵? 男爵夫人のお父上か」
俺の問いかけにフレーゲル男爵が頷いた。
「そうだ、少佐の父親、コンラート・ヴァレンシュタインはヴェストパーレ男爵家の顧問弁護士だった。その縁で引き取られたらしい」

男爵夫人とはそれなりに親しくしている。しかし、そんな話は聞いたことが無かった。もしかすると少佐と男爵夫人は仲が悪いのか……。キルヒアイスも不思議そうな表情をしている。フレーゲルはそんな俺達を見て皮肉な笑みを浮かべた。

「どうやら知らなかったらしいな」
「……それで」
「彼女を初めて見たのはヴェストパーレ男爵の葬儀の時だ。少佐は喪主である男爵夫人の傍にいた。本来ならその場所は男爵夫人にとって最も近しい親族の立つ場所だ。血縁関係の無い、まして平民の彼女が立つ場所では無い。妙だと思ったが相手が男爵夫人だ、そういう事も有るかと納得した」

それが事実だとすれば男爵夫人とヴァレンシュタイン少佐はかなり親しいという事になる。しかし男爵夫人も少佐もそんな事は一言も漏らしていないしそぶりも見せていない……。むしろ故意に触れないようにしているように見える……。またキルヒアイスの顔を見た。キルヒアイスも考え込んでいる。

「卿はヴァレンシュタイン少佐がビッテンフェルト少将の下に配属された理由を知っているか?」
「詳しい話は知らない、……上層部の意向が有ったと聞いているが……、卿は知っているのか?」
「いや、私も知らぬ。よほどの事情が有るらしい。……だが別な事なら知っている」

思わせぶりな口調だ。フレーゲル男爵の顔にはどこか面白がるような笑みが有った。
「憲兵隊に所属していた彼女を艦隊勤務に転属させるためにある貴族が動いた……」
「貴族?」
思いがけない言葉だ。呆然として問いかける俺にフレーゲル男爵が頷いた……。


 

 

異聞 第四次ティアマト会戦(その6)




帝国暦 486年 9月22日   イゼルローン要塞  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「ルーゲ伯爵……。彼が軍務尚書エーレンベルク元帥に彼女を艦隊に配属するように要請した」
「……」
ルーゲ伯? 聞いた事の無い名前だ。嫌な感じがした、濡れた手で身体を触られている様な感じだ。この話には何かが有る。

「ルーゲ伯は一人では無かった。彼が提出した要請書には連名している貴族がいた。マリーンドルフ伯爵、ヴェストパーレ男爵夫人、ヴァルデック男爵、コルヴィッツ子爵、ハイルマン子爵……」
「!」
「どうした? 先程から黙っているが。卿らしくないな」
フレーゲル男爵が笑っている。何処か暗い感じのする笑みだ。

「間違いではないのか? 第一、卿は何故それを知っている?」
「間違いではない、軍務省には知り合いが居る。その人物に確認したから間違いではない」
「しかし、ヴァルデック男爵、コルヴィッツ子爵、ハイルマン子爵と言えば……」

俺の言葉の後をフレーゲル男爵が続けた。
「そう、コンラート・ヴァレンシュタイン、ヘレーネ・ヴァレンシュタインを殺した連中だ。いや、殺したと言われている連中だな、何と言っても犯人は捕まっておらず事件は迷宮入りだ」

皮肉たっぷりな口調だ。しかし、殺したと言われている連中? 妙な言い方だ。実際には殺していないのか?
「分からないな、何がどうなっている」
俺の言葉にフレーゲル男爵が笑い出した。失礼な奴だ、睨みつけると益々笑い声を大きくした。

「そう睨むな、これから話すことを聞けばもっと分からなくなる」
「何だと……」
キルヒアイスに視線を向けた。困惑した様な表情をしている、本当は自分でもフレーゲル男爵に問い質したいだろう。だがそれをすれば男爵は不愉快になるに違いない、それで遠慮している、不便な事だ……。フレーゲル男爵に視線を戻すと相変わらずニヤニヤ笑っていた。お前が詰まらない特権意識を持っていなければ……。

「軍務尚書はルーゲ伯達の要求を断った」
「断った?」
フレーゲル男爵が頷く。
「当然だろう、女性士官を前線に出すなど帝国五百年の歴史の中で一度もなかったことだ。貴族が数人集まって要求したからと言って受け入れると思うか?」

こちらを小馬鹿にした様な口調で楽しそうに話すフレーゲル男爵にはムカついたが言っている事はもっともだ。しかし、だからこそ納得がいかない。
「だが少佐はビッテンフェルト少将の艦隊に配属されている……」
俺が問いかけるとフレーゲル男爵が頷いた。

「ルーゲ伯は軍務尚書に断られた後、国務尚書に会っている」
「国務尚書? リヒテンラーデ侯か」
「そうだ、それも極秘にだ」
思わずキルヒアイスと顔を見合わせた。キルヒアイスも驚いている。ルーゲ伯がリヒテンラーデ侯に極秘に会った? どういう事だ? 国務尚書に極秘で会うなど簡単にできる事ではない。ルーゲ伯とはそれが出来る実力者ということか。 それほどの人物が少佐の後ろにいる? ますます分からない。確かにフレーゲル男爵の言うとおりだ。

「新無憂宮の南苑の一室で二人は有っていた。その事に気付いた人間が私に教えてくれたのだ。彼の話では二人の声が大きくてそれで気付いたらしい。話の内容は分からなかったが怒鳴り合いに近い話し合いだったようだ」
「……」
ルーゲ伯とリヒテンラーデ侯が極秘に会っていた、怒鳴り合い……。

「実を言うと私が最初に知ったのはこれなのだ。それで不思議に思ってルーゲ伯の行動を調べた」
そしてルーゲ伯がリヒテンラーデ侯に会う前に軍務尚書に有った事を知った。そういう事か……。

「つまり国務尚書が軍務尚書に圧力をかけ、ヴァレンシュタイン少佐を転属させた……」
フレーゲル男爵が満足そうに笑みを浮かべている。良く出来ました、とでも褒めたいのだろう、一々癇に障る奴だ。

「残念だな。半分は正しいが、あとの半分は誤りだ。エーレンベルク元帥は国務尚書の圧力に屈しなかった」
「……」
「しかし、その後少佐は転属している」
「……つまり軍務尚書、エーレンベルク元帥を動かした人間が他に居るという事か」

俺の言葉にフレーゲル男爵が頷いた。軍務尚書は国務尚書の意向に従わなかった。そして国務尚書は他の誰かを使って軍務尚書を動かした……。一体誰だ? 国務尚書が動かせる人物、そして軍務尚書を動かした人物……、その二つの交わるところに居るのは……、まさか……、有り得ない、しかし有り得ない事と言い切れるのか……。

キルヒアイスを見た。顔が強張っている。おそらく俺と同じ事を考えたのだろう。フレーゲル男爵に視線を戻した。男爵もじっと俺を見ている。もう笑ってはいない。
「有り得ぬ事ではある。しかし……、他には考えられぬ……」
「陛下が、……動いた……」
「そういう事であろうな」
俺の言葉にフレーゲル男爵が頷いた。口調も呟く様な口調に変わっている。

少しの間、誰も話さなかった。どうも腑に落ちない。ルーゲ伯爵は何故そこまで少佐のために尽力するのか? そしてリヒテンラーデ侯、国務尚書が何故それに協力するのか……。しかもフリードリヒ四世を動かした……、ヴァレンシュタイン少佐には何が有る……。

「どうだ、分からぬであろう」
「確かに……、キルヒアイス、どう思う」
問いかけてからしまったと思った。キルヒアイスも困った様な顔をしている。フレーゲル男爵が笑い出した。
「構わぬぞ、私に遠慮は無用だ。たまには平民の意見も役に立つかもしれん」

相変わらず嫌な奴だ、だがこれでキルヒアイスも話に加われる。
「キルヒアイス、お前の考えは」
「私も分かりません。ただ、二つ気になる事が有ります。一つはヴァルデック男爵、コルヴィッツ子爵、ハイルマン子爵が少佐の転属に関係していたという事。もう一つはルーゲ伯爵、マリーンドルフ伯爵とヴァレンシュタイン少佐の関わりです」

キルヒアイスの指摘に同感だ、だが俺にはもう一つ疑問が有る。この話と今回の一件、何処で繋がるのだ? さっぱり話が見えてこない。
「ヴァレンシュタイン少佐の両親を殺したのはヴァルデック男爵達では無いのか……、あるいはその贖罪か……」

「さあ、どちらであろうな。だがヴァルデック男爵達がヴァレンシュタイン少佐と関わりが有るのは事実だ。問題は関わりが見えぬルーゲ伯、マリーンドルフ伯であろう、違うかな」
フレーゲル男爵の言う通りだ。一体何故両家は少佐のために動く……。何らかの関わりが有るはずだ。

「フレーゲル男爵、卿、調べたのか」
俺の問いかけに男爵は眼で笑った。“当たり前だ”とでも言っているようで面白くなかった。一々癇に障る奴だ。

「ルーゲ伯については直ぐ分った。伯は九年前、司法尚書を務めている」
「九年前……、九年前と言えば……」
「ラインハルト様、少佐の御両親が亡くなられた時です」
「うむ」
「それとルーゲ伯とコンラート・ヴァレンシュタインは個人的に友誼が有ったらしい」

なるほど、コンラートは弁護士、ルーゲ伯は司法尚書か……。個人的な友誼というがかなり親しかったのかもしれない。
「問題はマリーンドルフ伯だ。これがなかなか分からなかった……」
「だが分かったのだろう」
「うむ」
得意そうな顔をするな、ムカつくだろう。水を飲むな、早く話を進めろ!

「マリーンドルフ伯爵家とヴァレンシュタイン少佐の間には直接は何の関わりもない。問題はキュンメル男爵家だった」
「キュンメル男爵家?」
聞いた事のない名前だ。キルヒアイスを見たが彼も訝しげな顔をしている。心当たりが無いのだろう。

フレーゲル男爵は俺達が困惑する様子を見ても笑わなかった。
「卿が知らぬのも無理はない。キュンメル男爵家はマリーンドルフ伯爵家とは親戚関係に有る家だ。当主は未だ十代だが生まれつき病弱でな、宮中には一度も出た事が無い。長くは無いな、まず三年、良くて五年といったところだろう。誰も相手にはせん……」
「……」
なるほど、それでか……。

「当然だがそんな有様では領地経営など出来ん。先代のキュンメル男爵は自分が死ぬ時、親族の一人であるマリーンドルフ伯爵に後見を頼んだ。それが問題だった」
「問題? マリーンドルフ伯爵は誠実な人物だと聞いているが?」
俺の隣でキルヒアイスも頷く。おかしなことにフレーゲル男爵も頷いた。何が問題だ?

「その通り、伯には問題が無い。問題は伯が後見をする事を不愉快に思った人物が居る事だ」
「それは……」
「カストロプ公」
「カストロプ公……、財務尚書か……、しかし何故……」

「カストロプ公爵家もキュンメル男爵家とは親戚関係に有ったのだ。こういう場合、公爵でもあり、政府閣僚でもあるカストロプ公に後見を頼むのが普通だ。卿もローエングラム伯爵家を継承する身、良く覚えておくのだな。家と家の繋がりというのは厄介なのだ。もっとも卿を親族として認める人間がいるかどうか……」
「余計な御世話だ!」
フレーゲル男爵が笑い出した。顔には皮肉な笑みを浮かべている。嫌な奴だ、本当に嫌な奴だ。

「笑うのは止めろ! カストロプ公は」
フレーゲル男爵が手を上げて俺を止めた。
「そう怒るな、卿の言いたい事は分かる。カストロプ公は強欲な男だ。公に後見を頼めば、あっという間にキュンメル男爵家は無くなり、男爵は飢え死にしただろう。短い命が更に短くなるわけだ。先代のキュンメル男爵の判断は正しい。しかしカストロプ公が恥をかかされたのも事実だ、面白くは無かっただろうな」
「……」

なるほど、そういうものか。貴族というのは面倒なものだ。信頼されたければ信頼されるだけの人間になれば良い。それもせずに不満に思うとは……。
「マリーンドルフ伯爵はキュンメル男爵の頼みを引き受けた。しかし不安だったのだろう、どうすれば良いか友人であったヴェストパーレ男爵に相談した……」

「フレーゲル男爵、随分と詳しいが本当なのか」
「キュンメル男爵家に勤めていた人間に聞いた話だ。まず信じて良い」
気を悪くするかと思ったがそうでもなかった、詰らん。そう思ったらフレーゲル男爵がニヤリと笑った。俺の考えなど御見通しだと言いたいらしい、とことん馬が合わない。しかしこれでマリーンドルフ伯爵家とヴェストパーレ男爵家が繋がった。妙なところで繋がりが有る。

「相談を受けたヴェストパーレ男爵は自分の弁護士であったコンラート・ヴァレンシュタインをマリーンドルフ伯爵に紹介した。そして伯はコンラートをキュンメル男爵家の顧問弁護士にした」
「……では」
俺の言葉にフレーゲル男爵が頷いた。
「そうだ、マリーンドルフ伯爵家とヴァレンシュタインはキュンメル男爵家を通して繋がっていたのだ」

繋がりは分かった。しかし何度も思うがそれが今回の一件とどう繋がりが有るのかが分からない……。男爵がここまで話すという事は何らかの形でヴァレンシュタイン少佐が今回の一件に絡んでいるはずだ。しかしどうにも見えてこない。そう思っているとキルヒアイスが口を開いた。

「宜しいでしょうか……。そうなりますとコンラート・ヴァレンシュタインは相続問題を抱える二つの貴族の家の顧問弁護士をしていた事になります」
「その通りだな」
妙だな、フレーゲルが嬉しそうにキルヒアイスに答えている。

「ラインハルト様、コンラート・ヴァレンシュタイン、ヘレーネ・ヴァレンシュタインを殺したのはカストロプ公かもしれません。カストロプ公はリメス男爵家の騒動を隠れ蓑にキュンメル男爵家の財産を狙った。そしてその罪をヴァルデック男爵達に押し付けた……」
「馬鹿な……」

あの事件の真犯人はカストロプ公、財務尚書だというのか……。信じられない思いでキルヒアイスを、そしてフレーゲル男爵を見た。キルヒアイスは暗い表情を、そしてフレーゲル男爵は嘲笑を浮かべている。そして身を乗り出し囁くように俺に話しかけてきた。

「その通りだ。確証は無いがヴァルデック男爵達はヴァレンシュタイン夫妻を殺していない可能性が有る。そう考えるともう一つの可能性が出てくる……」
「可能性とは」
「似ていると思わぬか?」
「似ている?」
フレーゲルが片頬を歪めた、冷笑だろう。腹が立つよりも嫌な予感の方が強かった。

「鈍い奴め、今回の一件にだ。叔父上もリッテンハイム侯も今回の一件には無関係だ。しかし卿が死ねば当然だが疑いは叔父上達に向く。否定すればするほど疑いは叔父上達に向くだろう。そして真犯人は素知らぬふりをして裏で笑っているだろうな」
「!」

顔が強張るのが分かった。有り得ないとは言えない、しかし腑に落ちない点は有る。
「だが何故だ? 何故カストロプ公はそんな事をする?」
俺の声も何時の間にか囁くような声になっていた。そしてフレーゲル男爵が低く笑う。

「とことん鈍い奴だな」
「何だと!」
「分からんか、カストロプ公は卿らを怖れたのだ。卿、ヴァレンシュタイン少佐、ルーゲ伯爵、マリーンドルフ伯爵、ヴェストパーレ男爵夫人、ヴァルデック男爵、コルヴィッツ子爵、ハイルマン子爵、リヒテンラーデ侯爵、そして……」

「そして……」
フレーゲル男爵が薄く笑いを浮かべた。
「そして、グリューネワルト伯爵夫人……」
「……馬鹿な」
「カストロプ公は卿らの繋がりを怖れたのだ」
呆然とする俺とキルヒアイスの前でフレーゲル男爵だけが声を上げて笑っていた……。

 

 

異聞 第四次ティアマト会戦(その7)




帝国暦 486年 9月22日   イゼルローン要塞  ラインハルト・フォン・ミューゼル



フレーゲル男爵が笑っている。嘲笑と言って良いだろう、だが目だけは笑っていなかった。試す様な目で俺を見ている。
「馬鹿な、俺、いや私は彼らと繋がりなど……」
フレーゲル男爵の笑い声がますます大きくなった。

「卿がどう思うかではない、カストロプ公がどう思ったかだ」
「……だからと言って、……第一、卿の言う事が真実だと言う証拠が何処にある。カストロプ公があの事件の真犯人だなどと……」
良く出来た推論だ、しかしあくまでフレーゲル男爵の推論でしかない。事件は迷宮入りしている……。

「先程言ったな、キュンメル男爵家に仕えていた人間に話しを聞いたと」
「……」
「その男はこう言った、あの事件はカストロプ公が引き起こしたのだと、狙いはキュンメル男爵家だと……。その男の言葉によればルーゲ司法尚書が動かなければキュンメル男爵家は存続が危なかったそうだ」
「……」

キュンメル男爵家を辞めた人間の言葉、何処まで信じられるのか……。俺の内心を読み取ったのか、フレーゲル男爵がニヤリと笑った。見透かされているようで面白くない。テーブルの上のグラスを取り一口水を飲んだ。キルヒアイスも水を飲む。俺が飲むのを待っていたのかもしれない。

「ルーゲ伯が司法尚書に就任していた時代、彼には政敵と言って良い人物がいた、分かるか?」
「……話の流れからするとカストロプ公か」
フレーゲル男爵が頷いた。そして皮肉に溢れた口調で言葉を続ける。
「彼の汚職とそれを逃れる様を評して“見事な奇術”、そう皮肉ったそうだ。大変な褒め言葉だな」
「……」

「私はこう考えている。キュンメル男爵家の顧問弁護士を依頼されたコンラートは引き受けるべきか否かをルーゲ伯爵に相談したのではないかと……、カストロプ公の汚職を苦々しく思っていたルーゲ伯は積極的に引き受ける事を勧めた。もちろん自分が応援すると約束してだが……」

なるほどと思いキルヒアイスに視線を向けると
「私もフレーゲル男爵閣下と同意見です。それが有ったからルーゲ伯爵はヴァレンシュタイン少佐に強く関わるのでしょう。おそらくは両親を死なせてしまった事への贖罪なのだと思います」
と言ってキルヒアイスはフレーゲル男爵に視線を向けた。フレーゲル男爵もキルヒアイスに対して満足そうな表情をしている。

面白くない、キルヒアイスとフレーゲル男爵が妙に意思の疎通が良い。何でだ? キルヒアイス、お前は俺の親友だろう? それとも違うのか? お前は俺の何なんだ? 親友だよな? 後でちゃんと聞かなくては……。

でももし違うと言われたら……。しょうが無くて付いてきてるとか言われたら……。馬鹿な! そんなことあるわけない。キルヒアイスは必ず親友だと答えてくれる、分かりきった事を何をうじうじと悩んでいるのか……。分かりきった事なんだから質問なんてする必要は無い、そうだよな、キルヒアイス……。

「リメス男爵の事件はルーゲ伯爵にとっては予想外の事だったのだろう。あの一族の相続争いがカストロプ公に利用されるとは思わなかったに違いない。コンラートが殺されてルーゲ伯はカストロプ公が背後に居る事を知った。そしてキュンメル男爵家を救うべく慌てて動いた、そんなところだろうな」
フレーゲル男爵が水を飲んだ、そして大きく息を吐く。

「例の事件の後、ルーゲ伯は司法尚書を辞任している。ミューゼル大将、卿はどう思う?」
「責任を取った、そういう事だろう」
俺の言葉にフレーゲル男爵は低い声で笑った。明らかに嘲笑だ、ムッとして睨みつけると向こうもこちらを睨んできた。

「馬鹿か、卿は」
「何だと!」
キルヒアイスの前でお前に馬鹿なんて言われたくない。
「よく考えろ、ただの辞任ではコンラート・ヴァレンシュタインは浮かばれまい。卿なら仇も取らずに辞任するか? 仇を取るには司法尚書で有った方が有利なはずだ」
「……確かにそうだが……、証拠が無かったからではないのか」

俺の言葉にフレーゲル男爵が首を横に振った。
「証拠が無ければ証拠が出るまで捜査するか、あるいは別な事件で追い詰めるか、やりようは有る。しかしルーゲ伯は辞任した……。おそらくはカストロプ公を処罰できない何かが有るのだ」
「……処罰できない何か……」

一体何だろう? 証拠が無かった、或いは不十分だった、そういう事ではないのか? 嫌な感じがした、得体のしれないものを掴んだ様な感触だ。キルヒアイスなら分かるだろうか? キルヒアイスに視線を向けた。暗い表情をしている、何に気付いた?

「キルヒアイス?」
「……ラインハルト様、これは推測ですがリヒテンラーデ侯がルーゲ伯を止めたのではないでしょうか。ルーゲ伯の辞任はそれに対する抗議の辞任だった。そうは考えられませんか?」
「なるほど、抗議の辞任か……、しかし国務尚書が止めた理由は何だ? どうも分からん」

フレーゲル男爵が今度は低い笑い声を上げた。癇に障る笑い声だ。俺が分からない事が楽しいらしい。
「何が可笑しい」
「別に楽しんではいない」
「?」
「この一件、伯父上に話した。もしかするとリヒテンラーデ侯の弱みを握る事が出来るかもしれぬからな」

他人の弱みを握ってそれを利用する事しか考えない。ますますこいつが嫌いになった。
「伯父上はリヒテンラーデ侯に会った。その後、私にこう言った……」
「……何と言った」
フレーゲル男爵がニヤリと笑う。こいつの笑顔は狂相だ、悪意が滲み出ている。根性の悪さがそのまま笑顔に出るのだろう。

「以後、この件に関わるな。抗議する私に伯父上が言ったよ、お前が知る必要は無い……」
「馬鹿な……」
「事実だ、嘘は吐いていない」
フレーゲル男爵がまた笑い声を上げた。

違う、さっきの笑いも今の笑いも優越感、あるいは俺を嘲る笑いでは無い。自らを嘲笑う自嘲だ! キルヒアイスも青い眼を大きく見開いて驚いている。それにしてもブラウンシュバイク公がフレーゲル男爵に関与を禁じた……。つまり九年前の事件の真犯人はカストロプ公という事か。……それにしても一体何が隠されているのか……。

「闇だな、帝国の闇だ。その闇は九年前から、いやそれ以前から存在し蠢いている」
笑うのを止めたフレーゲル男爵が呟いた、そしてグラスをじっと見詰めたかと思うと一口水を飲んだ。何処か遣る瀬無い様な響きと仕草だ。彼にとっては自分の限界を思い知らされた様な気がするのかもしれない。おそらく心の中には強い屈辱が溢れているのだろう。嫌な奴だが笑う気にはなれない。自分の無力さがどれほど腹立たしいかは俺も良く知っている。

「ラインハルト様、ヴァルデック男爵達がヴァレンシュタイン少佐の転属に力を貸したという事は男爵達は事件の真相を知ったということでしょうか?」
「そうだろうな、ルーゲ伯爵か、マリーンドルフ伯爵、或いはヴェストパーレ男爵が話したのだろう」
「では少佐もそれを知っているとお考えですか?」
「さて、どうかな」

ヴェストパーレ男爵は少佐にヴァルデック男爵達が犯人では無いと話した可能性は多分に有るだろう。しかしカストロプ公が犯人だと話しただろうか……。相手は政府閣僚だ。下手に教えては危険だと思ったかもしれない。おそらくは少佐には話さなかったのではないだろうか……。そして闇、一体何なのか……。

いや、それより考えなければならない事が有る。
「フレーゲル男爵、九年前の事件の首謀者はカストロプ公だったかもしれない。しかし今回の件、カストロプ公が絡んでいると言えるのだろうか? どうも腑に落ちないのだが……」
「……」

「カストロプ公が私を排除しようとした、つまり公は私がルーゲ伯達と繋がったと見たのだろうが、何故だ? 私にとって彼らと繋がる事にどれほどの利益が有る? ヴァレンシュタイン少佐を部下にしたからか? それだけで私を排除しようとした? どうも腑に落ちん、卿もブラウンシュバイク公も何か勘違いをしているのではないか?」
「……」

俺が喋っている間、フレーゲル男爵は黙って俺を見ていた。そんな彼を見ているとどうにも歯切れの悪い、戸惑いがちな口調になった。確かに勘違いなどであのブラウンシュバイク公がフレーゲル男爵に俺を助けろなどというはずが無い。そしてフレーゲル男爵も俺を救おうとするはずが無い……。

「分からんか……、まあ無理もない」
「……」
「カストロプ公は怯えているのだ。あの男の権力を利用しての汚職に比べれば我ら若い貴族の放埓など児戯に等しいだろう。あの男のやり方には皆が批判的だ。つまりあの男には頼りになる友人がいない、孤立している」
「……」

放埓をしている貴族が言うと真実味が有るな。もっとも本人と面と向かってはそんな事は言えない。言えば怒りまくるだろうし話も終わってしまうだろう。フレーゲル男爵が怖いわけではないが今は聞かなければならない事が有る、そちらを優先すべきだ。

「宮中においては孤立することほど恐ろしいものはない。カストロプ公は孤立しているから身を守るために権力に執着する。孤立しているから何も信じられず金に執着する。そして常に自分を脅かそうとしている者が居ると考えている。一種の被害妄想だ」
「……馬鹿げている」

その被害妄想が俺がルーゲ伯爵、マリーンドルフ伯爵達と手を組むと考えさせたのか? 姉上がそれに加わるだと? そして今回の一件が起きた? 全く馬鹿げている、一体何を考えているのか……。大体俺に何のメリットが有ると言うのだ。

確かにマリーンドルフ伯もルーゲ伯もそれなりの人物ではあるだろう。だが今手を組む事に何の意味が有るのだ。ブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯に危険視されるだけだろう。

「卿の言う事が事実ならミュッケンベルガー元帥はカストロプ公と手を組んだ事になるが元帥に何の利益が有る? 私を嫌っているのかも知れんがそれだけでカストロプ公の言いなりになるかな?」
俺の問いにフレーゲル男爵が頷いた。そして俺をじっと見て苦笑した。馬鹿にしているようではなかった。どうも妙だ。

「カストロプ公は財務尚書だ。予算を握っているのだぞ。軍事費を多少増額してやると言われればミュッケンベルガー元帥も首を縦に振るだろう……、卿はそう思わんか? 自分の働きによって予算が増えたとなればエーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥にも大きな顔が出来る、違うか?」
「……違わない」
確かに違わない。渋々答えた俺にフレーゲル男爵が満足そうに頷いた。相変わらずムカつく男だ。

「卿を戦死させろとは言わなかったかもしれん。戦死されては後々面倒だからな。しかし、図に乗らせるなとは言った可能性が有る。出征前、頻繁に二人は会っていたようだ、しかも人目を避けてな」
「……まさか」
フレーゲル男爵が可笑しそうに笑った。

「今回の戦いで卿が敗れれば、こう言う声が上がっただろうな。ローエングラム伯爵家は武の名門、ミューゼル大将にはいささか荷が重いのではないか……。皆、卿が伯爵家を継ぐ事を快く思ってはおらん」

そう言うとフレーゲル男爵は“卿は嫌われているのだ、日頃の行いが悪い所為だな”とニヤニヤしながら付け加えた。改めて心に誓った、いつか必ず絶対に嫌というほど殴ってやる!

しかしフレーゲル男爵の考えはビッテンフェルト、ヴァレンシュタイン両名の考えと一致する。俺を快く思っていないミュッケンベルガー元帥にとっては受けやすかった誘いでは有るだろう。俺を叩く事で自分の権威を改めて確立し、エーレンベルク、シュタインホフ両元帥に対して貸しを作る事が出来る。

エーレンベルク、シュタインホフ、二人とも俺を快くは思っていない。ミュッケンベルガー元帥が俺を叩いてもどちらからも苦情は出ない筈だ、むしろ良くやったと陰で称賛されるだろう……。表では必要な犠牲だったと顔を顰めるに違いない。

「それにカストロプ公は卿にも利益が有る、そう見たのだ」
「どんな利益が有ると?」
思わず胡散臭そうな声になった。フレーゲル男爵が苦笑しキルヒアイスに視線を向けた。俺もキルヒアイスに視線を向けた。キルヒアイスが困った様な表情をしてフレーゲル男爵を見ている。何故だ、キルヒアイス。何故そんな顔をする。

「年末には卿はローエングラム伯爵家を継ぐ。伯爵家は名門、血縁関係や利害関係からローエングラム伯爵家を一門の当主と見る人間も多い。主だったところではアレンシュタイン伯爵、ザルツギッター子爵、ゲーラ子爵、ミュルハイム男爵といったところだが彼らが卿を一門の当主として認めるかな?」
「当然だが認めんだろう」
またその話か、嫌な奴だ……。

「その通りだな、まず認めまい。卿のローエングラム伯爵家の継承さえ納得はしておらん。陛下の御意向という事で口を閉じて黙っているだけだ」
「……それがどうした」

「しかしルーゲ伯、マリーンドルフ伯爵、ヴェストパーレ男爵夫人、ヴァルデック男爵、コルヴィッツ子爵、ハイルマン子爵……、彼らが卿を受け入れればどうだろう。卿を旗頭に仰ぐようになれば、そして卿が軍内部でしっかりとした地位を得れば……」
「……」

そんな事は考えもしなかった……。
「アレンシュタイン伯爵達も卿を一門の当主として認めざるを得ないだろう。新たなローエングラム伯爵は過去のどの時代の当主よりも大きな勢力を持つ事になる」
「……」

「当然卿はルーゲ伯達に感謝する事になる。そしてその代償はカストロプ公の排斥、そんなところだな。権力の座から滑り落ちればカストロプ公などあっという間に没落するだろう」
フレーゲル男爵が事も無げに言い放つ。確かに男爵の言う通りではある、しかし……。

俺の顔は強張っているだろう。これまで宮中で勢力を伸ばすことなど考えたこともなかった。ローエングラム伯爵家を継ぐこともミューゼルの性を捨てられる、その事が嬉しかっただけだった。周囲が反発するだろうとは思ったが、まさかそんな事を考える人物が現れるとは……。

「カストロプ公はそんな事を考えていたのか……。しかし、ルーゲ伯達が私を担ぐ事など有るだろうか? 卑下するわけではないが私は貴族達の間では爵位も持たぬ貴族と蔑まれている。その私を旗頭として仰ぐ? そんな事が可能だろうか?」

俺の問いにフレーゲル男爵が笑い出した。
「有り得ぬ事ではあるまい。卿は陛下の覚えめでたくこれからも出世する事は間違いない。そしてグリューネワルト伯爵夫人の事もある。腹を括れば卿ほど一門の当主に相応しい人物は有るまい、違うか?」
「……」

俺が返事を出来ずにいるとフレーゲル男爵が楽しそうに言葉を続けた。
「カストロプ公が何処まで考えたかは知らぬ。しかし卿がヴァレンシュタイン少佐を配下に加えたことを危険視したのは間違いないだろう」
「……」

「カストロプ公の狙いは二つだ。一つは出来ればヴァレンシュタイン少佐を戦死させ卿とルーゲ伯爵達の繋がりを断ちたい。もう一つは卿を敗北させる事で卿の勢力を押さえたいということだろう、そうなれば卿を利用しようして自分を排斥しようとする人間の企みを潰すことができるからな。どちらか一つが達成できれば自分は安泰だと思ったのだ」
「……」

「卿は軍人のため宮中にはあまり関わってこなかった。その所為で宮中の恐ろしさを知らん。宮中で恐ろしいのは孤立する事だ。どれほど能力が有ろうと孤立しては生き残る事は出来ん……。勉強になったであろう、卿は今度ローエングラム伯爵家を継承する、精々潰されぬように努力するのだな……」
そう言うとフレーゲル男爵は楽しそうに笑い声を上げた……。



宇宙暦 795年 9月22日     アイアース  ドワイト・グリーンヒル



私は今総旗艦アイアースの自室で日記を書いている。同盟軍はティアマト星系を抜け首都星ハイネセンへと向かっている最中だ。ティアマト星域の会戦で我々同盟軍は帝国軍の侵攻を食い止める事が出来た。しかし残念だが会戦の内容はお世辞にも勝ったと言える様なものではない。

酷い混戦で同盟軍は手酷い損害を受けた。これ以上の交戦は不可能と判断せざるを得ない状況にまで追い込まれたのだ。それでも帝国軍が撤退した事を考えれば同盟軍は祖国防衛の任務をかろうじて果たしたといえる。例えてみればこちらは十発近く殴られたが相手にも七発程度はお返しした、そんなところだろうか……。

これほどまでに損害が酷くなったのは混戦になった所為だ。そして何故混戦になったかと言えばあの通信の所為としか言いようがない。あの映像……、メガネ、ロリ、巨乳、ネコ耳、ツインテール、ミニスカ……、あれに気を取られなければ同盟軍の前を横行する帝国軍左翼部隊を攻撃、大きな損害を与える事が出来たはずだ。会戦も勝利に持って行けただろう。

しかし、あの通信の所為で我が軍は帝国軍左翼部隊が方向転換するのを見逃してしまった。そして最終的に会戦の帰趨を決定したのはあの帝国軍左翼部隊だった。彼らは我々の眼をくらます為にあの通信を流したのだ。何という狡猾さだろう。まさかあそこでハニートラップを仕掛けてくるとは……。

本来なら戦闘詳報には帝国軍がハニートラップを仕掛けてきた、我が軍はそれに引っかかり大きな損害を受けた、そう報告するべきなのだろう。しかし実際にはそうではない、ロボス総司令官の意向も有り同盟軍は帝国軍の不可解な動きはこちらを混乱させる罠と判断したと報告している。あの通信については一言も触れられていない……。

おそらく今後も触れられることは無いだろう。歴史の闇に埋もれていくに違いない。ごく稀に陽の光を浴びる事が有っても誰も信用しないだろう。そんな馬鹿な事が有ってたまるかと言って……。

しかし、同盟軍の名誉を守るためにはそれで良いのかもしれない。ただこの日記にはこの会戦の真実を記しておこう。

宇宙歴七百九十五年九月十三日十二時四十五分、帝国軍左翼部隊から広域通信によるハニートラップが仕掛けられた……。




 

 

帝国領侵攻作戦(その1)




帝国暦 487年 5月14日   オーディン  ローエングラム元帥府   フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト



「このブルーベリーのムースは絶品だな、ロイエンタール」
「……卿、先日はアップルパイが絶品だと言っていなかったか?」
ミッターマイヤーが無邪気な問いかけに、ロイエンタールが皮肉な口調で答えている。この二人は何時もこれだ。

「うむ、あれも美味かった。甲乙付けがたいな」
「……まあ確かにそうだが」
ロイエンタールの皮肉な口調に全く堪えないミッターマイヤー。これも何時もの事だ。

まあこんなミッターマイヤーだからロイエンタールの親友が務まるのだろう。俺なら何処かでブチ切れているに違いない。しかし食べ物については俺もロイエンタールの皮肉に同意せざるを得ないところがある。ミッターマイヤーはいつも“絶品だ”と騒いでいる。

大体ミッターマイヤーは悪食なのだ。何でも食べるし何でも美味いと言う。ミッターマイヤーの言うことを信じればフラウ・ミッターマイヤーは料理の名人らしい。“エヴァの作る料理は何でも美味い”などと惚気ているがヴァレンシュタイン大佐の作るケーキを食べると直ぐに“絶品だ”と騒ぎだす。

今のミッターマイヤーを奥方に見せたいものだ、ケーキを食べて無邪気に喜んでいる顔を見れば一悶着も二悶着も有るだろう。しかしこのブルーベリーのムースが絶品なのは間違いない、俺の人生で二番目に美味だ。一番目は言うまでもない、あのアップルパイだな。あれは最高に美味だった……。

ロイエンタールとミッターマイヤーは一週間に一度、水曜日の午後三時に俺の私室にやってきてお茶を飲んでいる。というわけでヴァレンシュタイン大佐は水曜日の午前中はケーキ作りで忙しい。仕事もせずにケーキ作りはどうかとも思うのだが別室では司令部要員も週に一度のケーキ付お茶の時間を楽しんでいる。文句も出ないし気にする必要はないのだろう、と思うことにしている。

「ブルーベリーはこれからが旬ですからしばらくは美味しく頂ける時期が続きますね。コーヒーのお替わりは如何ですか?」
ヴァレンシュタイン大佐がニコニコしながらコーヒーを勧めてきた。三人ともコーヒーを淹れてもらう。大佐自身はココアは飲むがケーキは食べない。食べる事よりも作る事が好きなようだ。世話好きなのだろうな。

そうか、ブルーベリーはこれからが旬か……。今度はメックリンガー提督とケスラー提督を誘うか。そう言えばケスラー提督は近々訓練を兼ねた哨戒任務に就くと言っていたな。辺境星域に行くと言っていたから暫くは会えなくなる。出立前にお茶に誘おう。

大佐はあの二人が好きらしい、ちょっと年が離れた男に好意を持つのは父親の所為かもしれん。俺もあの二人との会話は色々と勉強になるので嫌いじゃない。ただケスラー中将が時々大佐を妙に意識するのが気に入らん。どうも少しロリコンの気があるようだ。

暫く寛いでいるとTV電話の着信を知らせる呼び出し音が鳴った。ロイエンタールとミッターマイヤーが俺を見た。早く出ろ、ということだろう、それともお茶の時間を邪魔しやがって、か……。確かにお茶の時間に呼び出しとは無粋だが已むを得ん、緊急の用件かもしれん……。

受信するとキルヒアイス少将の顔が映った。
『ビッテンフェルト提督、そちらにロイエンタール提督、ミッターマイヤー提督はいらっしゃいますか』
「ああ、ここでお茶を飲んでいるが」
ブルーベリーのムースを食べているとは言わなかった。感謝しろ、二人とも。

キルヒアイス少将が俺の答えに頷いた。はて、この二人に用か、それとも俺達三人に用か……。ロイエンタールは表情を引き締めているがミッターマイヤーは名残惜しそうにブルーベリーのムースを見ている。ミッターマイヤー、お茶の時間はそろそろ終わりだ、正気に戻れ。

『先程、宇宙艦隊司令部より元帥閣下に連絡が入りました』
「……」
二人と顔を見合わせた。さすがにミッターマイヤーも表情を引き締めている。どうやら何かが起きたようだ。反乱軍に動きがあるとは聞いていない。またどこかの貴族が反乱でも起こしたか……。であれば今度こそキルヒアイス少将の出番だろう。

『イゼルローン要塞が陥落しました』
“まさか”、“馬鹿な”、“有り得ん”、我々が驚愕しているとスクリーンのキルヒアイス少将が首を横に振った。

『事実です。ゼークト提督は戦死、シュトックハウゼン要塞司令官は捕虜になったそうです。元帥閣下は情報の確認のため、宇宙艦隊司令部に赴いております。いずれこの件で閣下より呼び出しが有るかもしれません。本日はこちらから連絡があるまで待機をお願いします』
「了解した」

通信が切れるとしばらくの間沈黙が落ちた。三人で顔を見合わせている。
「コーヒーをもう一杯如何ですか」
沈黙を破ったのはヴァレンシュタイン大佐だった。穏やかな笑みを浮かべている。

イゼルローン要塞が陥落(おち)たのに全く動揺していないな、慌てたような声も出さなかった。見事なもんだ、外見からは想像できないが腹が据わっている。少しは俺も見習わなければ……。

「そうだな、貰おうか」
俺が大佐の誘いに答えるとロイエンタール、ミッターマイヤーも頷く。大佐が俺、ロイエンタール、ミッターマイヤーの順にコーヒーを注いだ。

「イゼルローン要塞が陥落(おち)るとはな、一体どんな策(て)を使ったのか……」
「うむ、気になるところだな。だが要塞が陥落(おち)たのが事実とすれば責任問題が発生するだろう。帝国軍三長官もただでは済むまい」

なるほど、この二人らしい感想だな。純粋に用兵家としての顔を見せるミッターマイヤーとそれだけではないロイエンタールか……。だがロイエンタールの言うようにただでは済まないのも事実だろう。となれば相対的にローエングラム伯の地位が上がるのも事実。さてどうなるか……。

「これまでは攻める立場だったが守る立場に変わるのか」
「やれやれだな」
「奪回作戦が有ると思うか?」
俺の言葉に二人が顔を見合わせた。

「いずれは有るだろうな。しかし直ぐ、という訳にはいかんだろう」
「ロイエンタールの言う通りだ。反乱軍がどうやって要塞を攻略したのか、そのあたりを調べなければ……」
「となれば早くても夏を過ぎ秋ぐらいか……。しかし、反乱軍が動いているという情報は無かったな。イゼルローン要塞を攻略したのだ、かなりの兵力を動かしたはずだが……」

俺の言葉に二人が頷いた。二人とも訝しげな表情をしている。
「妙な話だな」
「うむ、確かに気になるが元帥閣下から教えていただけるだろう。先ずは呼び出しを待つとしようじゃないか」

ロイエンタールの言う通りだな、ここで悩んでいても仕方がないか。なんとなくそれが結論になった。それを機に二人がお茶の礼を言って席を立つ。二人を見送り俺も仕事に戻るか、そう思った時だった、ヴァレンシュタイン大佐が“少しお時間を頂けますか”と話しかけてきた。



帝国暦 487年 7月14日   オーディン  ローエングラム元帥府   オスカー・フォン・ロイエンタール



ローエングラム元帥閣下より呼び出しがかかった。会議室で閣下を待っているのだがどうにも気に入らん。どうしてトサカ頭が俺より上座なのだ? 毎回毎回奴が俺の上座に座るたびに思う、どうにも納得がいかん。

確かに奴は勅命を受けてカストロプの反乱を鎮圧した。それによって大将閣下に昇進し双頭鷲武勲章も授けられているが……。いかん、考えるべきではない、奴は武勲を挙げて昇進したのだ。悔しければ俺も武勲を挙げて奴を追い抜けばよい。俺にはそれができるはずだ。

問題はトサカ頭にはお天気女というとんでもない護符が有る事だ。あの護符、いや魔符だな、あれは死人を生き返らせるくらい強力で邪悪だ。実際何処かの馬鹿子爵はアレの所為で破滅しているからな。それでも生きているだけましだろう。いや、生き恥を晒している分惨いというべきか……。

元帥閣下が部屋に入ってきた。皆一斉に起立して閣下を迎える。閣下の後ろには新しく参謀長に任じられたオーベルシュタイン大佐がいた。長身痩躯、血色の悪い白髪頭だ。元々はイゼルローン要塞駐留艦隊に所属していたがゼークト提督を見殺しにして逃げてきたのだという。

本来なら敵前逃亡で銃殺刑に処されてもおかしくはないのだが元帥閣下が彼を参謀長に受け入れた。全くなんであんな男を受け入れたのか、皆が不思議に思っている。もっともトサカ頭によればオーベルシュタインはかなり出来るらしい。トサカ頭はケスラーと親しいのだが、ケスラーとオーベルシュタインは士官学校で同期生だったそうだ。

元帥閣下が中央の席に来た、皆一斉に敬礼し閣下がそれに答礼する。礼の交換が終わり皆が席に着くと閣下が満足そうに我々を見渡した。どうやら機嫌が良いらしい。

「イゼルローン要塞を得た反乱軍が大規模な出兵を考えているそうだ」
閣下の言葉に皆が視線を交わす。ついに反乱軍が帝国領に侵攻するのか……、どうやら出陣のときが来たらしいな。しかし大規模な出兵か、一体どの程度の兵力なのか。

「艦艇数は十万隻、動員兵力は三千万人を超えるとのことだ」
彼方此方で嘆声が上がる。十万隻、三千万人、これほどの大兵力を動員するとは……、敵とはいえ感嘆せざるを得ない。

「我々に対して迎撃せよとの命令が出た。他の艦隊が儀礼用で使い物にならんというわけだ。武勲を挙げる良い機会だな」
閣下が不敵な笑みを浮かべると周囲から笑い声が起きた。ローエングラム元帥府に対する周囲の目は決して温かくはない。賤しい平民、下級貴族の集まりだ。しかし実力なら帝国随一だと我々全員が自負している。

隣にいるビッテンフェルトを見た、腕を組んで難しい顔をしている。妙だな、何か気にかかる事でもあるのか……。大将に昇進して以来、トサカ頭に対する貴族達の対応は露骨なまでに敵対的だ。本来なら誰よりも大きな笑い声を上げそうなものだが……。

「まず、反乱軍を何処で迎え撃つかだが」
「イゼルローン回廊の入り口付近は如何でしょう。反乱軍が出てくるところを集中して叩けます」
ミッターマイヤーらしい意見だ、攻撃重視だな。しかし悪い意見ではない、攻撃し易いし、上手くいけば反乱軍を早い段階で撤退させることが出来る。

ビッテンフェルトはまだ考え込んでいる、普通ならミッターマイヤーに同調しそうなものだが……。
「いや、むしろ反乱軍を帝国領奥深くまで引き摺り込んで戦うべきだ。反乱軍の補給を破綻させ、そこを撃つ。その方が大きく勝てるだろう」

元帥閣下の意見に二、三遣り取りがあったが最終的には皆納得した。
「しかし時間がかかりますな」
「我々は構いませんが門閥貴族達が騒ぎませんか」
ミッターマイヤーと俺の指摘に周囲から賛同する声が出た。杞憂とは言えまい、純粋に軍事的な観点ではなく馬鹿げた見栄や面子で決戦を強いられ敗北した軍は多いのだ。

「その心配はない。一ヵ月もしないうちに反乱軍の補給は破綻するはずだ」
一ヶ月? いくらなんでもそれは見積もりが甘いだろう。俺だけではない、皆が困惑したような顔をしている。そんな我々を見て元帥閣下が軽く笑い声を上げた。

「オーベルシュタイン、説明せよ」
「はっ、反乱軍は帝国の政治体制を誹謗し帝国臣民を圧政から解放すると唱えている。我々はそれを利用し反乱軍の補給に負担を強いればよいでしょう」
抑揚のない陰気な声でオーベルシュタインが説明を始めたが何を言いたいのか今一つよく分からない。周囲も似たような表情だ、ただトサカ頭の表情はより厳しいものになった。こいつ、何か悪い物でも喰ったか……。

「つまり、辺境星域において食糧物資を全て徴発する。侵攻してきた反乱軍はその政治スローガンから辺境星域の住民を見殺しにはできない。彼らに食糧を与え続けることになる」
「!」
彼方此方でざわめきが起きた。

「焦土作戦を執るというのか、しかし、それでは辺境星域の住民は……」
「短期間に反乱軍の補給を破綻させるにはそれしか方法は有りません」
メックリンガーの非難をオーベルシュタインは冷酷に切り捨てた。その姿に皆が黙り込む、会議室に異様な沈黙が落ちた……。

「小官は反対です」
トサカ頭が大きな声で反対を表明した。正気か、ビッテンフェルト。オーベルシュタインがあそこまで強気なのも元帥閣下の同意を得ているからだ。それをでかい声で反対だと……。俺だけじゃない、皆が驚いている。

「焦土作戦は帝国にとっても元帥閣下にとっても百害あって一利もありません。執るべき作戦ではないと小官は考えます」
「!」
トサカ頭、お前そこまで言うか。皆、元帥閣下とトサカ頭を交互に見ている。元帥閣下は明らかに不機嫌さを表情に出している。だがトサカ頭は臆することなくオーベルシュタインを睨み据えていた。

「元帥閣下はローエングラム伯を継承し宇宙艦隊副司令長官の顕職にあります。いわば宮中、軍の重職にある、そういって良いでしょう。ただ勝てばよい、そのような勝ち方を許される立場ではないという事を銘記すべきです」

元帥閣下の顔が白くなった。会議室の空気が嫌というほど重く感じる。ビッテンフェルト、お前、自分が何言ってるか分かってるよな。元帥閣下に自分の立場が分かっているのかと罵倒しているんだぞ。俺もお前に同じことを言いたい、トサカ頭、自分の立場が分かっているのか?

「閣下は宇宙艦隊の正規艦隊司令官に我々を登用しました、身分ではなく実力で選ばれたのだと思っております。多くの平民出身の、下級貴族出身の将兵にとって閣下は希望であり憧れなのです。しかし、今辺境星域に焦土作戦を実施すればどうなるか?」
「……」

「多くの将兵達が閣下に失望を抱くでしょう。所詮閣下もブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯らの門閥貴族と変わらぬ、弱者を踏み躙って己が栄達を図るだけの人物だと思うに違いありません」
「馬鹿な、私は彼らとは違う!」

心底不本意そうに元帥閣下が吐き捨てた。しかしトサカ頭を正面から叱責しないのは一理有ると思ったからだろう。司令官達の間でもトサカ頭の言葉に頷いている人間は居るのだ。俺も頷かざるを得ない。こいつ、魔符“お天気女”を装備したな。

「何より危険であります。焦土作戦を実施すれば反乱軍を撃破出来るかもしれません。しかし辺境星域の住民の恨みを帝国が、閣下が一身に負うことになります。政府は彼らを宥めるため閣下を罪に落とすことを考えるでしょう」
“馬鹿な”、“しかし”等と彼方此方でざわめきが起きた。元帥閣下は顔を強張らせオーベルシュタインはじっとトサカ頭を見ている。嫌な目付きだ。

「焦土作戦を実行すれば反乱軍は大きな損害を受けるでしょう。暫くの間軍事行動は不可能となるはずです。そうなった時、政府が、門閥貴族達が何を考えるか……。我々を用済みとして処断する可能性は高いと言わざるを得ません。我々の敵は反乱軍だけではないのです。辺境星域の住民を、味方を敵に回すような作戦は採るべきではありません」

トサカ頭が口を閉じると彼方此方で呻き声が聞こえ、そして会議室に沈黙が落ちた。皆沈痛な表情で考え込んでいる。そして時折チラッ、チラッと元帥閣下に視線を向けた。トサカ頭の言い分はもっともだ、焦土作戦を採るのは非常に危険だ。

元帥閣下もそれが分かっているのだろう、沈痛な表情で考え込んでいる。おそらくは他に反乱軍の補給を早期に破綻させる方法の有無についてだろう。反乱軍を引き摺り込んで戦うというのは間違っていないのだ。一体どうすれば良いのか……。

「辺境星域の住民を敵に回すのではなく味方に付けるべきだと思います」
またトサカ頭が妙な事を言い出した。ゲリラ活動でもさせると言うのか? あまり意味があるとも思えん……。俺と同じ思いだったのかもしれない、元帥閣下が“それはどういう意味か”と訝しげにトサカ頭に問いかけた。

「我々が彼らの食糧を奪うのではなく彼らに食糧を隠させるのです。その上で我らに食糧を奪われたと反乱軍に訴えさせます。そうすれば反乱軍は辺境星域の住民に食糧を提供するでしょう。早期に補給を破綻させることができます」
「なるほど、奪うのではなく隠させるのか」

元帥閣下が笑い出した。閣下だけではない、皆が顔を見合わせて笑い出した。言われてみればなるほどだ。何故こんな簡単なことに気付かなかったのか……。会議室の空気は一転して明るくなっていた。

「あらかじめ辺境星域の住民には帝国軍が必ず勝利を収める、だから協力しろと伝えます。協力も難しいことではありません、食糧を隠し反乱軍が来たら食糧を奪われたと泣きつくだけでよいのです。そうすればただで反乱軍から食糧が貰えるとなれば必ず協力してくれるでしょう」
ますます皆の笑い声が大きくなった。

「良いだろう、ビッテンフェルト提督の案を採ろう。焦土作戦を実施する、しかし食糧は徴発するのではなく隠させることとする。幸いケスラーが辺境星域にいる、彼に住民達を説得させよう。他に意見は有るか?」
意見は無かった。皆、晴れやかな表情をしている。

「無ければこれで会議は終了とする」
「……」
「ビッテンフェルト提督、良く私の過ちを指摘してくれた、礼を言う。ただ勝てば良いという勝ち方は私には許されぬのだな、肝に銘じよう」
「はっ」

それを機に元帥閣下が席を立ち会議室を出て行った。その後ろをオーベルシュタインが無表情に従う。二人が会議室を出て行くと自然と皆がトサカ頭の周囲に集まった。皆が笑顔で良くやってくれたと称賛したがトサカ頭だけが浮かない顔をしている。

「オーベルシュタインには気を付けることだ」
「……」
「あの男、平然と味方を切り捨てる作戦を考える癖があるようだ。味方を信用しないのだな、或いは誰も信用していないのか……。ゼークト提督を見捨てたのもそれが原因かもしれん」

皆が顔を見合わせた。ワーレンが戸惑いがちに声をかける。
「調べたのか?」
「うむ、イゼルローン要塞が奪われてから反乱軍がどう出てくるか、どう対応すべきか、俺の所の連中と検討してきた。その際参謀長がどう考えるかが問題になってな、ヴァレンシュタイン大佐がケスラー提督に為人を確認したのだが……」

トサカ頭が語尾を濁した。この男には珍しいことだ。ケスラーからの答えは決して芳しくなかったという事だろう。それにしてもこの男、反乱軍の動きを想定していたのか……。以前とは違う、トサカ頭などと軽視すべきではない。あるいはあの女が変えつつあるのか……。

「焦土作戦案もその時に出た、勝てるだろうが碌でもない結果になるだろうと思った。……俺達には敵が多すぎる。せめてこの中だけでも纏まるべきだと思うのだが……、上手くいかんものだ。……卿らも気を付けてくれ、そういう男が我々の参謀長になった……」
そう言うとビッテンフェルトは憂鬱そうな表情で会議室を出て行った。



 

 

帝国領侵攻作戦(その2)




帝国暦 487年 8月15日   オーディン  ローエングラム元帥府   フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト



「ビッテンフェルト元帥、この度の武勲、まことに見事であった。まさに帝国随一の猛将、いや名将に相応しい働きで有った」
「はっ」
うむ、黒真珠の間で皇帝陛下から直々に賛辞を頂く、これぞ武人の誉れだろう。これ以上の物は無い。

「これからもそちの働きに期待しておるぞ」
「はっ、必ずや陛下の御期待に応えまする」
「うむ、頼もしい事よ。そちにこれを授けよう」
そう言うと皇帝は俺の胸に勲章をつけた。双頭鷲武勲章、帝国で最も名誉ある勲章だ。それを皇帝陛下が自ら俺の胸につけてくれる……。誇りと喜びが胸に満ちた。

勲章の授与が終わると俺は急いで家に帰った。軍人としての本懐を遂げた以上、次は男としての本懐を遂げなければならん。もどかしさに胸を焦がしながら家に戻った。

「帰ったぞ!」
ドアを開けて大声で帰宅を告げるとパタパタと駆け寄ってくる足音がした。この音が良いのだ、胸がはずむ。小柄な人影が近づいてきた。
「お帰りなさいませ、御主人様」
「おう、今帰った」

俺の目の前には完璧な女が居た。ロリ、巨乳、メガネ、ネコ耳、ツインテール、ミニスカ、これぞ俺の求める女だ! 大艦隊を率いて敵を蹴散らし、家に戻れば好きな女を求める。これこそが大丈夫の一生というものだろう。俺には他に欲する物は無い。

「元気だったか、ネコ耳ちゃん」
「元気じゃありません」
何、元気じゃない? 聞き捨てならん、どういう事だ。風邪でも引いたか? 俺が彼女を見詰めるとネコ耳ちゃんはうっすらと涙を浮かべた。おいおい、どうした、大丈夫か、ネコ耳ちゃん。

「御主人様がいらっしゃらないから私、寂しかったです」
「そ、そうか」
「御主人様は私と会えなくて寂しく無かったのですか?」
ネコ耳ちゃん、涙目で俺を睨むとはずるいではないか。

「そ、そんな事は無い。お、俺も寂しかったぞ、とっても寂しかった、毎日お前の事を思っていた」
いかん、声が上擦っている、落ち着け。
「本当に?」
「もちろんだ。俺は嘘は嫌いだ」
俺の言葉にネコ耳ちゃんはにっこりと笑みを浮かべた。カワイイ……、なんでお前はそんなにカワイイのだ。

「お風呂になさいます、お食事が先かしら、それともアップルパイ?」
「そうだな……」
ネコ耳ちゃんが無邪気に問いかけてきた。さて、どうする? 風呂に入ってさっぱりするか、ネコ耳ちゃんの手料理を食べるか、それともアップルパイで“あーん”をやるか……。

うーむ、迷うところではあるがここはやはり、
「ネコ耳ちゃん、俺はお前が」
「ビッテンフェルト提督」
誰だ、煩い奴だな。俺はこれからネコ耳ちゃんと……。

「ビッテンフェルト提督」
「……ワーレン提督?」
なんでワーレンが俺の家に居るんだ? いや、大体ここは何処だ? 俺の家じゃない、俺の家は一体何処に……、それにネコ耳ちゃん、ネコ耳ちゃんは何処に行った?

「大丈夫か、ビッテンフェルト提督」
「いや、大丈夫だ」
「心配したぞ、何度か声をかけたのだが返事をしないのだからな、本当に大丈夫か」
あれは夢? 幻? しかし、確かに俺にはネコ耳ちゃんが見えた、声も聞こえたのだが……。

ワーレンが心配そうな表情で俺を見ている。とりあえず、この場を何とかしないといかんな。
「済まぬな、ワーレン提督。つい考え事をしていて気付かなかったようだ。問題ない、大丈夫だ」
俺の言葉にワーレンが深刻そうな表情をした。そして小声で問い掛けてくる。

「参謀長の事か」
「あ、いや、まあ、……そんなところだ」
オーベルシュタインの事を考えていたわけではないがワーレンの心配そうな顔を見ると間違ってもネコ耳ちゃんの事を考えていた、いや妄想していたとは言えん。済まん、嘘を吐いた、ワーレン、ネコ耳ちゃん。お前の所為にしたが悪く思うなよ、白髪頭……。

「気持ちは分かるがあまり考え過ぎると身体を壊すぞ。もうすぐ大きな戦いが始まるのだ、気を付けないと……」
「うむ、そうだな、気を付けるとしよう」
ワーレン、卿は良い男だな。卿と知り合えたのは俺にとって全くもって幸運だった……。

ようやく思い出した。俺は昼食を外でとって元帥府に戻ってきたところだったのだ。どうやら戻る途中で妄想に囚われたらしい。多分、昨日の夜、あれを五回見た所為だ。その所為で今朝方変な夢を見たが、その続きを見ていたらしい……。

いかんな、気を付けよう。あれは常習性と催幻覚性が有るようだ。夜見るのは二回までに制限したほうが良さそうだな。そう言えばこの間、オイゲンがぼんやりしていたな、グレーブナーもだ。まさかとは思うがあいつらも幻覚を見ている可能性がある……。

変な事故が起きる前に艦隊内に周知した方が良いかもしれん。あれを見るのは昼は一回、夜は二回までに留めろと。このままでは現実と妄想の区別がつかなくなる奴が出てくる危険性が有る。そうなる前に手を打たねば……。甘美なだけに危険だ。

前方に見慣れた後姿の男がいた。どうやら戻ってきたらしい。話を変えるのにも丁度良いだろう。
「ワーレン提督、あれはケスラー提督ではないかな」
「うむ、そうだな。辺境星域から戻ってきたらしい」

「ケスラー提督、戻られたのか」
近寄って俺が声をかけるとケスラー提督が振り返って破顔した。懐かしい笑顔だ。何時も思うのだが良い笑顔をするな、ケスラー提督は。
「ビッテンフェルト提督、ワーレン提督。今戻ってきたところだよ。これから元帥閣下に報告をしに行く」

「そうか、辺境星域では大変だったと思うが……」
俺が労うとケスラー提督は笑い出した。
「まさか食糧を我々に奪われたという事にして隠せとはな。住民達は最初、何を言われているのか分からずポカンとしていたぞ。卿の発案らしいな、面白い案だ」
「うむ、まあ……」

最初の案を考えると、いや、オーベルシュタインの事を考えると素直に笑う事が出来ん……。
「浮かぬ顔だな」
「……そんなことはない、俺は極めて単純な男だ。ケスラー提督に褒められれば嬉しいさ」
「昔は単純だったかも知れんが今は違うだろう。ロイエンタールも卿が変わったと言っているぞ」

ワーレンが俺が変わったと言っているが俺には良く分からん。やらなければならないと思った事をやっただけだ。俺は馬鹿と呼ばれてもかまわんが卑怯者とは呼ばれたくない。弱い者を、ましてや味方を踏みにじるなど到底出来ん。それだけだ。

心配なのは元帥閣下だ。今回は未然に防げたとは言え、あんな作戦案を受け入れたとは……。これきりで有って欲しいものだ。しかし、そばにはオーベルシュタインが参謀長としている……。心配は尽きんな、だからだろう、ネコ耳ちゃんに会いたくなる。

「……当初は住民達から食糧を奪うという案だったとメックリンガー提督から聞いた。良く止めてくれた。もう少しで俺が食糧を奪う役になっていた、卿には感謝しているよ」
ケスラー提督が沈鬱な表情になった。いかんな、帰還早々心配をさせるのは俺の本意ではない。

「なに、大したことじゃない。俺には頼りになる部下がいるのでな。それより俺達が引き留めていてなんだが急いだ方がよいな、元帥閣下も卿の報告を待っているだろう」
「そうだな、では失礼する」

ケスラー提督が笑顔を浮かべて片手を上げたので俺もワーレンも手を上げてそれに応えた。ケスラー提督が俺達に背を見せて歩き出す。暫くケスラー提督の後姿を見送ってからワーレンと別れ自分の部屋に戻った。

部屋に戻るとヴァレンシュタイン大佐が待っていた。ネコ耳ちゃんじゃないぞ、これはヴァレンシュタイン大佐だ。大佐は決裁文書にサインが欲しいらしい。一つ一つ確認を取りながらサインをしていく。以前碌に見ずにサインをして彼女に怒られたことがある。艦隊司令官は艦隊の責任者であり戦う事だけが仕事ではないと言われた。

もっともな意見だ、それ以来書類を見るのは苦手だが真面目に見るようにしている。幸い俺の所に来る文書は事前に彼女が確認をしてくれる。間違いや言い回しの分かり辛い所は彼女が手直しさせているので俺が見るときには比較的見易い、理解し易い文書になっている。おかげで余り決裁に負担を感じる事は無くなった。

あと二、三の文書のサインをすれば終わるという時だった。TV電話の呼び出し音が鳴り受信するとオーベルシュタイン大佐の顔がスクリーンに映った。常に変わらぬ陰気な顔だ、何となく気が滅入った。文句あるのか、この野郎。お前が食料奪おうなんて馬鹿な事を言うのが悪いんだ。参謀長ならもう少しまともな作戦案を考えろ!

後でネコ耳チャンの映像を見て元気を取り戻そう、あのアップルパイを思い出すんだ。我が至福の時間、至高のアップルパイ……。あの映像を見れば必ず気分はハイになる。でもハイになりすぎないように気をつけなければならん。それとヴァレンシュタイン大佐に見つからないようにこっそりとだ。別に怒られるわけではないし、軽蔑されるわけでもないが何となくその方が良さそうな気がする。

『ビッテンフェルト提督、ローエングラム伯がお呼びです。至急閣下の執務室に出頭していただきたい』
「了解した」
それで終わりだった。何も映さなくなったスクリーンを見ながらあの男には友達など居ないのだろうなと思った。

決裁文書のサインを一旦切り上げ元帥閣下の執務室に赴くがどういうわけか足取りが重くなった。執務室には当たり前だが元帥閣下とオーベルシュタインがいる。オーベルシュタインは血色の悪い顔で無表情に俺を見ていた。その爬虫類みたいな目で俺を見るんじゃない! 何となく嫌な予感がした、どういう用件だろう。

俺が入り口で戸惑っていると元帥閣下が明るい声で“そこでは話が遠い、こちらへ”と俺を呼んだ。どうやら悪い話ではないらしい。ほっとすると同時に猛烈に腹が立った。紛らわしい顔をするな、この白髪頭! 他人を不安にさせて楽しいか? だからお前は周囲から受けが悪いんだ。せめて笑顔を見せてみろ、そうすれば俺に爬虫類と言われずに済む。

「ビッテンフェルト提督、卿に来てもらったのは他でもない、いずれ来る反乱軍への反攻についてだ」
「はっ」
「その折、卿にはケスラー、アイゼナッハ、ミュラー、キルヒアイスを率いてもらう」
「は? 小官がでありますか」

思わず間の抜けた声を出してしまった。元帥閣下が可笑しそうに笑い声を上げる。
「そうだ、彼らには既に伝えてある。反攻の時期は近い、連携を執れるようにしておいてくれ」
「はっ」

それで話は終わりだった。ケスラー、アイゼナッハ、ミュラー、キルヒアイスか……。確かに彼らの艦隊は一個艦隊に満たない。ケスラー、アイゼナッハ、ミュラーが約五千隻、キルヒアイスが二千隻程だ。反乱軍に当てるには戦力として劣弱に過ぎる。誰かの艦隊に付属させるというのは分かるが全員を俺の所にか……。キルヒアイス少将は元帥閣下御自身の傍に置きそうなものだが……。喜びよりも困惑の方が大きかった。

自分の部屋に戻り皆にその事を告げると口々に“おめでとうございます”と言われた。
「これで提督が名実ともにローエングラム元帥府の№2ですな」
「その通り、指揮下の兵力は三万隻を超えます」
グレーブナーとオイゲンが声を弾ませて喜んでいる。俺が№2? どうもピンとこない。

「俺はそんなものはどうでもいい。ただ俺の艦隊を宇宙最強の艦隊だと証明できればな」
俺の言葉に皆が笑いだした。失礼な奴らだ、顔を見合わせて笑っている。そんなにおかしなことを言ったか?

「そうはいきません。元帥閣下は提督に大部隊を指揮するだけの力量が有ると見ておられるのです。次の戦いでは提督に大きな役割を任せるつもりなのでしょう。その期待に応えなければ……」
「……」
ディルクセン、卿の言う事は分かる。分かるがな、どうにも納得がいかん。卿、無理に俺を納得させようとしていないか?

「おそらく元帥閣下はビッテンフェルト提督に御自身の副将としての役割を期待しているのだと思います」
「副将? 俺にか?」
「はい」
「うーむ、元帥閣下の副将か……」
ヴァレンシュタインの言う通りなら名誉な事だ。元帥閣下程の方の副将とは……。

「分かった、名誉な事だな、そして責任重大でもある。期待に応えなければ……」
おい、お前達、そうも露骨に嬉しそうな顔をするな。何となく面白くないじゃないか。
「早速だがケスラー提督達を呼んでくれ、話をしたい。それとヴァレンシュタイン大佐、さっきの決裁の残りを片付けてしまおう」
「はい」

元帥閣下の副将か……。責任重大だな、と決裁をしながら思った。大丈夫だ、俺は俺の出来る事をすれば良い。俺には頼りになる部下達が居る。俺の足りない部分は部下達が補ってくれるだろう……。