SPIDER-MAN:Earth『ZZZ』


 

プロローグ

 
前書き
 初投稿なので二話投稿しておきます。次からは毎週日曜日の0時更新です。ピーターの声は豊永さんで再生してくれると幸い。ゼンゼロ世界で育ったピーターの話、とだけ理解していただければ。
 ……あと怒られたら消えます。よろしくお願いします。 

 
 ウェルカム・トゥ・終末世界! ここ、新エリー都は一見平和に見えて危険がいっぱい!!

「……寝覚め最悪。またやっちゃったし」

 うんともすんとも言わなくなった、ペシャンコの目覚まし時計の次に、僕の視界へと映り込んだのは────窓の外に大きく広がった『ホロウ』という空間。
 その中にはエーテリアスって化け物が闊歩してて、エーテル粒子っていう人体に害を為すモノが漂ってる。人の目が届きづらい場所だし、犯罪者たちの取引現場に使われてたり……結構危険な場所なんだけど、資源的な供給云々で頼ったりしてる。まぁ、色々めんどくさい制約とかがあるってことだけ覚えておいてくれたら良いよ。

 ────え? ごちゃごちゃ話してるこの僕は、いったい何処の誰なのかって?

「おい、ピーター・パーカー。良いか? この荷物を、ルミナスクエアのボンプ充電スタンドの管理人に届けるだけ。すこぶる簡単なお使いだ」
「サー・イエッサー」
「どんなウスノロでもこの程度の仕事は出来る。ウチのボンプに任せたって良いくらいだ。……この意味が、わかるな?」
「……サー・イエッサー」

 僕はピーター・パーカー。しがないフリーターで、この新エリー都の住人。そして、

「誰か!! 誰かソイツを捕まえて!! ひったくり!!」
「……ホント、新エリー都は危険がいっぱいだね」

 ────この新エリー都の、親愛なる隣人。

 悲鳴を聞きつけ、駆け出そう、と、して、

「いやいや、待て待て。一旦待つんだピーター・パーカー。わかるだろ? 僕には後がない。店長のあの言いぶりから察するに、ミスをすれば僕の首が飛ぶ」

 僕にも僕の生活がある。放っておけば、治安局の誰かしらがひったくり犯は捕まえてくれる。餅は餅屋、とはよく言ったモノでして。

「誰か────!! 誰か止めて!!」
「ッ……あーもう!!」

 駆け出し、適当な路地裏へ。この辺は監視カメラ……は、無いね。大丈夫。衣服を脱ぎ捨て、背負ってたリュックの中に詰め込んで────マスクを被り、『僕』は『彼』になる。

 ガラスに反射して映るその姿は……赤と青を基調とした、蜘蛛の巣の装飾がされたスーツ。頭をすっぽりと覆うマスクを被った、治安が悪い新エリー都でも『不審者』とされてしまうような────、

「いくぞ、スパイダーマン」

 これが、僕のもうひとつの姿。新エリー都の親愛なる隣人、スパイダーマンである。

「残量……ヨシ。マスクもヨシ。体調も────まあ良好! 届け物はリュックと一緒に持って行けば良いかな。すぐに仕事に戻りたいし」

 重たい荷物とリュックを片手に、真上へと跳躍────ルミナスクエアの空へと躍り出る。そのまま右手に装着したシューターから蜘蛛の糸(ウェブ)を放ち、振り子の原理でビルの間をスイングしていく。

「スパイディだ!」
「スパイダーマン!! 今日もやっちゃってくれ!!」

 大通りに出ると、僕を歓迎してくれるたくさんの声。ルミナスクエアのみんなが指をさす先────車と車の間を縫うように、バイクを法定速度ガン無視でかっ飛ばすひったくり犯の姿は、案外すぐに見つかってくれた。

「アイツか」

 よくよく見ればヘルメットも被ってないじゃん。危ないよ〜? 事故ったらどうするの、もう。

「白昼堂々ひったくり。それに加えてノーヘルでこの速度でバイク走らせるのは流石にヤバくない? 度胸ありすぎでしょ」
「げっ────」

 ヘッドライトに着地した僕を見るなり、彼の表情が歪む。人の顔見るなり『げっ』とは随分ご挨拶だなあ。

「全身レオタードにそのマスク────出やがったか、スパイダーマン!!」
「おっ、有名になってきたみたいで嬉しいよ。でもレオタードじゃなくて『スパイダースーツ』ね。……良いバイクだね、自分で買ったの? 僕のスクーターと交換しようよ」
「久しく盗んだ金以外で買い物なんてしてねえよ!!」
「ああそう。じゃあ遠慮はいらないかな」

 左手のリュックと配送物を空高く放り投げ、両手から斜め上に糸を射出。ビルにそれぞれの糸が貼り付き、その下を問題なく他の車が通過していくのを確認してから、両足に思いっきり力を込めた。
 ぎゃぎゃぎゃ、と前後輪が悲鳴をあげる。なかなかこの男は諦めが悪いらしく、それでもエンジンを吹かすモノだから、車体が軋む音まで聞こえてきた。

「良いのー? バイク壊れちゃうよ?」
「一銭も持たずに帰れるかってんだ────!!」
「そうかい────!!」

 じゃあもう仕方ないな。両足でヘッドライトを挟み込み、糸を支えに真上へとバイクごと男を放り投げる。空へと投げ出されたバイクは蜘蛛の巣で一応キャッチして、ひったくり犯の男は────、

「そう簡単に捕まってたまるかよ!!」
「わぁ、何そのバックパック!! イカしてるね!!」

 ……いや何処から仕入れてきたんだよ、そんなの。背中から炎を撒き散らし、僕から逃げるように飛んでいく。もー、あんまり時間かけられないんだけどなあ。

「諦め悪いのは美徳だと思うけど……」

 落ちてきたリュックと配送物をキャッチ。咄嗟に配送物の段ボールへと糸を括り付け、振り回し、勢いよく放り投げれば────、

「よし命中。やっぱり思った通り、良い重さ」

◇◆◇

「……で? どうやったらボンプ用のバッテリーがこんなに見事にへしゃげるんだ?」
「いやぁ……その……」
「言い訳を聞かせてもらおうか」
「えっとぉ……そのぉ……」

 人生ままならないことばかり。親愛なる隣人は沢山の歓声を浴びる偉大な人かもしれないけれど、フリーターの僕────ただのピーター・パーカーは、店長の前で萎縮して縮こまっているのでした。

「……配送途中に、ルミナスクエアの歩行者用信号で止まってぇ」
「おう、それで?」
「……ひったくりだ、って声が聞こえたから、そっちを見たら……背後から人に、ぶつかられてぇ……荷物を車道に落としちゃってぇ……」
「ああ」
「……通りかかったトラックに踏み潰されて、この通り」
「んで件のひったくり犯は無事『スパイディ』が確保、と」
「うん。とても手つきが鮮やかだった」
「そういうことを聞いてるわけではなくてだな────?」

 ああダメだ。ダメかぁ。店長、頭抱えちゃった……スパイダーマンのファンだって言ってたからこのルートで行けるかなって思ったんだけど……事務所に新聞の切り抜きとか、飾ってくれてるし。
 店長は見るも無惨にへしゃげた運送物の中身────ボンプ用のバッテリーを机の端に退けると、大きなため息と共に僕を見上げる。
「俺はな。困ってる人の声を聞いたら動かざるを得ないおまえの、その性格は評価してる。良いやつだとは思ってんだよ」
「……ハイ」
「でも良(・)い(・)や(・)つ(・)な(・)だ(・)け(・)じゃ飯は食えねーんだわ。せめておまえにも、スパイディくらいの力がありゃあ、色々釣り合いも取れたんだろうが────」

 ……それ僕です。なんて、この空気で言うわけにもいかず。呆れた目で変わらず僕を見る店長は数度、口を開いては閉じてと繰り返した後で、

「クビだ。ピーター」

 無事、僕は無職へと返り咲いたのでした。

「あ〜……次の仕事どうしよう……」

 アテも無く六分街を歩いていく。僕の心は曇天だっていうのに、空はこれでもかと晴れ渡っているんだからやるせない。どうしようかなぁ、本当に。明日から。
「……、……コーヒーでも飲もう」
 香ばしい匂いに誘われる形で、COFF CAFEの店内へと入っていく。お気に入りのブレンドコーヒーを購入して、このままダラダラ歩くのも気が引けて。外の適当な座席へと、ゆっくり腰掛けた。無職が空気を吸ってごめんなさい……。
「聞いてくれよパンダさん……今日からまた無職だよ……」
 ……ただのぬいぐるみが何か答えてくれるはずもなく。いつも通りに机の上へと項垂れたパンダの彼は、ガラス玉みたいな黒い瞳で僕を見上げるだけなのだった。
 
 親愛なる隣人。街を守るヒーロー……それらしく言うのであれば、自警団。
 それからフリーターの二足の草鞋。

 わかりきっていたことではあるけど、どっちも上手くやろう────なんてのはコーヒーの苦味も裸足で逃げ出すほどの甘い考えで。

 ヒーローである僕と、ただのピーター・パーカーは切り分けて考えなくちゃいけない。僕が『スパイダーマン』の中の人、なんてバレた日には普通の生活すらままならなくなってしまう。
 自慢じゃないけど、それなりの人数のアウトローから恨みを買っているし。バイト先に大勢の連中が押しかけてきたその日には、それこそ迷惑をかけてしまう。
「……まあ現状、こうして別の迷惑をかけてしまったわけでして」
 だからこそ、人生はままならない。ひたすらに愚痴と弱音を溢したところで妙案が浮かぶはずもなく。パンダさんと睨めっこを繰り返しながらちびちびとコーヒーを飲んでいると、
 
「あ、やっぱりピーターさんだ」
 
 聞き慣れた可愛らしい声が、僕の名前を呼んだ。
 ゆるりと視線をパンダさんから上げると、顔の整った兄妹が僕のことを見下ろしているのが映り込む。

 ここから少し行った先の、僕の行きつけのビデオ屋────Random Playを営む兄妹。リンちゃんとアキラくんだった。
「……ここでこうして項垂れているのを見るに、またバイトをクビになったのかい?」
「い、いやぁまぁ……あはは……」
「え、嘘。今年何回目〜? ピーターさんの不幸体質も凄まじいよねぇ……ちょっと同情するかも」
「うんまぁ……うん……あはは……」
 乾いた笑いが漏れる漏れる。いやまぁ……倉庫の機材を壊す、コンビニに入ってきた強盗と揉みくちゃになって自動ドアを破壊、度重なる不運による遅刻でクビ、接客中にボンプを破壊して回る『反対派』を止めるために抜け出してクビ、と説明はしているから……不幸体質、というのも間違いではないんだけども。
「……今年五回目?」
「リンちゃん、カウントしないでもらって良い?」
「まだ六月だよ?」
「それは一番僕がびっくりしてるよ!!」
 いや本当にびっくりだよ。僕だって転職の度に、『ここでは長く頑張るぞ!』って意気込んでるさ。迷惑かけないようにしよう、とも思っていますとも。
 でもそう上手くいかないから僕は困っているわけでして。
「まあ、全て本人が起こした事故、というわけでは無いのだから。気にしすぎるのも良くないよ。僕が言っても、無責任な言葉になってしまうとは思うけれど」
 いつの間にか店内でコーヒーを買っていたらしいアキラくんが、リンちゃんにカップを手渡しながら微笑んでくる。ホント、顔が整ってるからどんな顔をしてもサマになるな……。
「いや、そう言ってくれる人が居るだけ有難いよ。ほら、六分街のマスコットに愚痴をこぼすくらいだからね」
「そう言われると途端に情けなく見えてくるから不思議だね……ひとりの友人として、強く生きてほしいと思ってる。常日頃から」
 ……強く生きる、かあ。腕っぷしにはそこそこ自信はあるけど。それだけじゃご飯は食べれないし────。
「……いっちょ、アームレスリング大会にでも出るかなぁ……賞金付きの」
「え、あ……うん? なんか明後日の方向に思考が飛んでいってないかい……?」
 郊外で行われてる大会の賞金は何ディニーだったか。思えば、あの頃はお金には困ってなかったな……戻りたいかと聞かれると、ちょっと微妙だけど。
 相当情けない顔で遠くを見つめていたらしい。僕も含めた三人で、コーヒーを啜るだけの時間が続く。その中で仕切り直すように、アキラくんが咳払いをひとつ挟むと、
 
「……どうだろう。ウチのビデオ屋で働いてみる、というのは」

 とんでもないことを、サラッと口にした。

 ……目が点になる。瞬きすらも忘れてアキラくんを見上げると、苦笑いが返ってきた。
「僕はなかなか美味しい話だと思ってるんだけど、どうだろう。リンと前に少し話していたんだ。いっそウチで雇うのはどうか、って」
「え、僕も有難いとは思ってるけど……正気? 今までの所業聞いてるでしょ?」
「……それを自分で言うのはどうかと思うなあ、ピーターさん……」
 ……リンちゃんまでもが呆れたような苦笑を浮かべる。なんか二人とも目が合わない。気を使わせてるんじゃないのかな、これ。
「……今までの話を聞いていたとしても、だよ。僕もピーターの人助けをしたい気持ちは良いものと思っているし────ボンプの修理ができるし。映画が大好き、と言う気持ちもまた本物だろう?」
「そりゃ勿論」
「うん。そうやって即答してくれるだけで、僕らとしては雇う理由は十分だよ。流石にあの『SPIDER-MAN』を見たことある、と聞いた時には驚いたけれど……」
 言いながら、アキラくんの掌が僕を目掛けて差し伸ばされる。気持ち良い笑顔も添えられて。

「じゃあ、明日からよろしくね」
「よろしく、ピーターさん!!」
「ありがとう、二人とも……」
  

 

1『見た目はヤブでも』


 六分街を出て、僕の足は再びルミナスクエアへ。今度は仕事じゃなく、僕の私用で。
 六分街から直通の地下鉄を降りて改札を潜った。高いビルを横目に駅からしばらく歩いたその先に、僕の目的地はある。
 白い煌びやかな外装。ガラス製の扉を開くと漂う、消毒液と薬剤の香り。H.A.N.D.が運営する総合病院だ。
「あ、パーカーさん。こんにちは、具合はどうですか?」
「こんにちは。……可もなく不可もなく、ってところかな」
「それは何よりです。アポイントの確認が取れました。どうぞ」
 受付のお姉さんはすっかり僕の顔を覚えてくれていて、名乗る手間もなく手続きを済ませてくれる。
 受付を通り過ぎ、エレベーターに乗り込んで、僕が向かう先はこの病院の五階。両側に研究室が立ち並ぶ、長い長い廊下の中でも────突き当たりの、一番奥の部屋。固く口を閉ざした引き戸に、軽く数度のノックをする。
「どうぞ」
 こんこん、と乾いた音の後で扉の向こうから聞き慣れた声が聞こえて、少しの間を置いた後で引き戸を開いた。

 その向こうから漂うのは病院に似つかわしくない、濃い煙草の香りだ。

 向かいの壁には絶賛稼働中の換気扇はあれど、部屋を漂う紫煙は吸い込みきれておらず……ここに通い慣れた今も、引き戸を開けた直後はほんの少しむせ返ってしまう僕がいた。
「……Ms.ジェイド、もしかして煙草の本数増えた? 前回に比べて、灰皿がだいぶ凄いことになってるけど」
「MJで良い、と何度も言ってるだろうに。キミもなかなか慣れないね」
 頭頂部あたりでひとつに結い上げた、ウェーブのかかった赤髪が特徴的な女性。目の下には濃い隈、気怠げに細められた瞳、と何処となく『法の外にいるヤブ医者』らしさが抜けきらない彼女は、僕の主治医。そして、
 
「……で? 今日も大活躍だったようだね、親愛なる変態くん」

 僕のもうひとつの顔を知っている、唯一の人間だ。

「もうインターノットでニュースになっているよ。『スパイディまたも大手柄! 平日の午前中から治安局へイカしたプレゼント!! 相も変わらず負傷者ゼロ!!!』と。見出しのセンスは……まあ悪くないね。治安局の目の前で宙吊りにされたひったくり犯の写真がブレブレなのは減点かな。今回は(・)犯人も無傷のようだし、成長成長」
「認めてくれてありがとうだけど、親愛なる変態じゃなく、親愛なる隣人ね」
「迅雷成る兵隊くん?」

 あと、だいぶ僕の話を聞いてくれないところがある。

「……おや、あまりお気に召さなかったかな。心配なる変態くん、の方が良いかい?」
「そうスラスラと韻を踏む単語が出てくるなら、医者と研究者をやめて、郊外でストリートラッパーでもやったらどう?」
「はは、それは良い。稼ぎはどれくらいなんだい?」
「本人たちはそ(・)の(・)日(・)暮(・)ら(・)し(・)って言ってたよ」
「ならこの立場を捨てるわけにはいかないね。来世にでも期待をしよう」

 ……格差社会を目の当たりにするのが怖くて明確な稼ぎは聞いていないけど、実際この人はかなり稼いでるんだろうな。
 お医者さんで、人体におけるエーテル侵食関係の研究者。その中でもかなり上澄みで、新エリー都に重宝されてる────というのは、病院内でこんなに馬鹿みたいに煙草を吸っても、一番上の階の一番奥の研究室に隔離される、という処遇で終わっている所から察せる。受付のお姉さんも『煙草臭さとあの不健康そうな隈が無ければ……』と言ってたっけ。
 まぁその多大なる頭脳も、今は僕を揶揄うことに使われているわけだけどね。宝の持ち腐れこの上ないんじゃなかろうか。というか何でずっと『変態』で韻を踏んでるんだよ。せめて『隣人』で踏んでくれ。
「……で。スパイディの活躍の裏で、キミはまたも失業した────と。働かずに吸う空気は美味しいかい?」
「やめてよ、割とそれ心に来るから……」
「にしては元気そうに見えるね。珍しく、次の仕事が見つかってるのかな」
「まあね。ご縁に恵まれて」
「そうか。一応、慰めるつもりではいたんだけれど」
 言いながら、僕の目の前に開いた煙草の箱が差し出される。ゆらりと揺れる緑色の瞳は、口を開かずとも『吸わないのかい?』と語っている。目は口ほどに物を言う、とはこのことか。
「……やめてよ、吸わないよ。言ったろ? もう辞めたんだって」
「良いじゃないか、私と居る時くらいは。タバコミュニケーション。この病院だと付き合ってくれる人が居なくてね。これでも寂しいんだ」
「そういう所から禁煙の失敗って生まれるんだよ。そもそも、患者に煙草を勧める医者ってどうなの」
「キミは身体よりメンタルの方に問題があるからね。……いやまあ、普通の肉体でない事は確かなんだが。そも、キミは金がないから煙草を辞めただけだろ。我慢の方が毒だ、毒」
 ……寂しい、という言葉に嘘はないようだった。こんな会話が交わされている今も、ずい、ずい、と箱が顔に押し付けられている。そろそろ箱の角が鼻先に刺さりそうだ。
 致し方なし。箱の中から一本取り出してフィルターを咥えると……目の前で金属音を上げながらジッポーライターの蓋が跳ね上がり、僕が咥えた煙草の先に火が灯る。彼女の指は長細くて綺麗なモノだから、やけにその手つきが様になっていた。
 ゆっくり息を吸い込む。口の中に広がる煙草特有の苦味と、メンソールの清涼感。久々な気がするな、この感じ。
「さて、私の趣m────キミを揶揄う時間(アイスブレイク)は終わりにして、そろそろ本題に入っていこうか」
「待って。今言い直した上に、悪意のあるルビの振り方しなかった!?」
「そんな旧文明のライトノベルのような真似はしないよ」
 白々しい。絶対悪意があったでしょ、今。……ため息混じりに湿った視線を向ける僕を他所に、デスクの引き出しからダンボールが差し出される。それを受け取りながら、僕は彼女の向かいの椅子に腰を下ろした。
「はい、今回のウェブ生成液の配給ね。いつも通りの量」
「ありがとう。……でも原料と配合を教えてくれれば、僕だって自分で作るのに」
「いや。そうしたらキミ、定期検診来なくなるだろ」
「……、…………ヤブ医者め(Dr.MJ)、そういうところは鋭いよな」
 僕なりの精一杯の皮肉であった。それでも言葉の裏を察しているかのように、煙草を咥えながら机の上に乱雑に放置されたままの医師免許証を爪の先で数度小突くのが見える。知ってるよヤブじゃ無いことくらい。資格持ってるもんね、ちゃんとね!
 ため息混じりに大きく肩をすくめる僕と、それを満足げに見やるDr.MJ。僕らが不健康な煙を体内に取り込むだけの時間が少し続いて、彼女は灰皿で煙草の火を揉み消して、改めて口を開いた。
「ではスパイダーボーイ────」
「スパイダーマンね」
「……スパイディへの用事は終わりにして、次は『キミ』の本題ね」
 ……こうやって一瞬で『悪友』の顔から『主治医』の顔に変わるものだから、この人は本当にわからない。
「前回の診療のときに比べて、体調に変化は?」
「大して変わらず、可もなく不可もなくって感じかな」
「……キミの主治医としては、『現状維持』ではなくて前進してほしいモノなんだけど」
 咎めるような冷たい目線。返す言葉が見つかりません。とりあえず煙を吸い込みながら目を逸らしておくことにした。
「例の悪夢は?」
「……まだ見るね。二日に一回くらいのペースで」
「なるほど。……記憶の方は?」
「変わらず、旧都陥落以前の記憶は全くって言って良いほど無いかな。……あ、両親の研究所に忍び込んだ時に蜘蛛に噛まれたせいで体がこうなった、ってことは覚えてるよ」
 ……まあ、その『蜘蛛に噛まれた』という話も────確かベン叔父さんかメイ叔母さんが言ってた気がする……くらいの程度のものだから、僕の記憶というには心許ない。
 
 ────二人との温かい日々があったはずだった。温かいやり取りがあったはずだった。

 それでも、今の僕の頭の中には二人に関する記憶はほとんど存在しなくて。二人は優しい人だった、というぼんやりとした記憶と、二人の命が潰える最後の瞬間だけ。
 僕らの何気ない日々を切り取った写真なんかがあったとしても、今は旧都陥落に飲み込まれて────灰になったか、瓦礫の下か。どちらにしろ、ホロウの中で眠っている。
 
「……特に変わらず、可もなく不可もなく。キミの言葉に偽りは無いようだね。旧都陥落の一件によるストレス性のモノか、エーテル侵食による記憶障害か────キミのエーテル適性値を見るに、後者の可能性は低いか」
「適性値の検査結果、出たの!?」

 思わず食いつく僕の声に驚いたらしい。Dr.MJの肩が小さく跳ね上がり、タブレットの画面を僕に向けてくる。
「キミの適性値は凄まじいね。零号なんかの特殊なホロウの中でも、問題なく活動できるくらいには高いよ」
 うーん、数値を見てもどれくらいが平均値なのかわからないから何とも言えない。でもDr.MJがそう言ってるんだから、そうなんだろう。きっと。
「イマイチ理解していなさそうな顔をしてるけど────その点も鑑みて、次にキミが何と言おうとしてるか当ててあげようか」
「……なんだと思う?」
「そろそろ活動範囲をホロウまで広げても良いかな、と思っていたんだ。丁度良かった────」
「一言一句違わずそのまま」
 いやあ、見事にご明察。流石僕の主治医と言ったところだね。
 事実、そろそろホロウも活動範囲に含めても良い頃合いだとは思ってたんだ。街中に困っている人は勿論居るけど、それと同じか────それ以上の人が、きっとホロウの中で困ってる。
 インターノットのスレッドを見れば、ホロウの中に残してきた思い出の品を取ってきて欲しい……みたいな依頼もよく見られるし。親愛なる隣人として、そういうのを放っておくわけにもいかないしね。
「……うん。私の目から見ても、力の加減も掴んできたようだし────この二年と少しで、経験も積んだ。身体にも特に異常は見られない」
「やった! ならホロウ調査員とか、その辺に志願して────」
「ただし。依頼の斡旋等は私が行うから」
 今度はDr.MJが食い気味に答える番だった。煙草の火を揉み消す僕と入れ替わるように、彼女は新しい煙草に火をつける。
「……なんで不満げな顔をしてるんだ? あのね。現状のキミは二足の草鞋ですら上手く歩けていない。そこにホロウ調査員と言った仕事や肩書きを増やしたら、キミは余計に歩けなくなるだろ」
「それは……まあ、そう」
「なんで私がキミに、『親愛なる隣人』をする上で『市街地のみ』と制約を設けていたと思ってるんだ? この二年で解ったけど、ピーターくんは自分のことを蔑ろにするきらいがある。郊外の頃は随分と無茶したようだけど、これからも『そのまま』だと困るんだ。キミの体は、私ですら把握しきれていない事柄が多い。キミは『自分の身体は未知の塊である』という自覚と、『自分の性格』が理解できて無さすぎる」
「ぅ……ん、はい……」
「だから私が、『親愛なる隣人』の延長線として続けられるような依頼を斡旋────ないし、そんな依頼をくれるような人間に取り次ぐ。これが一番合理的な選択だ。わかるだろ?」
「わ、わか────わかったって」
 しどろもどろに答える僕を見やると、彼女は溜息と共に煙草の煙を吐き出して、柔く握った拳で自身の眉間をグリグリと押しながら、
「……それにね、防衛軍やホロウ調査員、H.A.N.D.の対ホロウ行動部、治安維持局はキミが思っているような『良い場所』じゃないと思うよ。キミが思っている以上に、余裕がない」
「なんでそう思うのさ」
「キミのような全身レオタードの不審者が野放しになっているのがその証拠だろ。本来であれば、私刑は私刑で裁かれてもおかしくない行為だ。捕縛で留め、最終的な決断や処理は『本業』に任せているとはいえ、ね」
 ……言いたいことはわからないでもない。この二年の『スパイダーマン』としての活動の中で、街中で遭遇する犯罪件数に違和感を持たなかったわけではなかった。
 この街は一見平和で、危険がいっぱい。ホロウという災害がこの街のあちこちで口を開いていたとしても、その遭遇率には首を傾げる僕はいた。
「……力を持ってしまったから人助けをしたい。その気持ちは私は尊重するし、美しいと思っている。こればっかりは『現状維持』に努めて、それでいて前に進んだ方が良いと思うよ」
「自分はH.A.N.D.の総合病院で働いてる癖に……」
「私には私のやりたいことがあるの。ここが一番良い施設が揃っているし────ここを辞めたらウェブ生成剤が定期的に作れなくなるかもしれないし、キミの体質が他の人に知れ渡るかもしれない。それでも良いの?」
「ナマイキ言ってすみませんでした!!!!!!」
  

 

2『いや大物と言われましてもこちとら駆け出しでございまして』


 そこかしこに響く、警告音。赤。赤。赤。あか。

 炎の赤。血の赤。背の高い塔から降り注ぐ、警告灯の赤。

 様々な赤に視界が満たされるその中で、化け物が――――エーテリアスが、見慣れた街並みを闊歩している。

 人が死ぬ。悲鳴が聞こえる。吸い込む空気は煙っぽくて、混乱した頭はロクに思考をしてくれなくて。フラついた足取りで、前へ、前へ。
 
「叔父さん……叔母さん……?」
 
 人の波。その流れに逆らって足を進めていく。後頭部が痛い。内側から何かに殴られるように、酷く痛んだ。
 
 がん、がん、がん、と。まるで警鐘を鳴らしているように。

 すれ違う人たちの肩が、何度も僕の肩に当たる。人の波から弾かれるように道から逸れて――――路端にそのまま倒れ込んで。仰ぎ見た灰色の空には、ホロウの膜が見えた。
 このまま、この世界は終わるんだろう。ぼんやりとでも、そんなことを思ってしまうくらいに。周りには地獄が広がっていた。
 立ち上がる。両手を支えにして、重たい身体を持ち上げて。

 半ば倒壊した街並みを。知っているのに知らない街並みを歩いて、前へ。

 僕が育てられた家。僕が育ってきた家。元は綺麗な家を形作っていたはずの瓦礫の前に、二人は倒れ込んでいた。

 痛い。痛い。頭が。まともに歩けないほど、視界が霞むほどの痛みに苛まれて。呼吸が、ままならない。

 ――――行くな、行かない方がいい。

 僕の意識とは裏腹に、頭痛はそう語りかけているようで。

 それでも僕のフラついた足取りは、赤い水たまりの上に倒れた二人へと進んでいく。

「叔父さん、叔母さん……!」

 掠れた僕の声に二人は答えない。それでも叔父さんの瞼がゆっくり持ち上がり、定まらない視線が僕に向けられる。
「ピーター……?」
「そうだよ、僕だよ……ベン叔父さん、僕だよ、」
「ああ。そんなに何度も言わずとも――――わかっているさ」
 消え入るような小さな声。僕を安心させるような声音を紡ぐ中でも、口の端から赤色が漏れ出すのが見えて。彼の身体を見るのが、惨状を視認してしまうのが、怖くて。瞳が、震える。
「ごめんな、ピーター。本当は迎えにいく……つもりだったのに……」
「良いんだよ、大丈夫。ほら、僕が二人を迎えにきたから、早く」
「良い。おまえは、ひとりで行け」
「やめて。やめてよそんな――――まるで、最後の言葉みたいに……! 僕はほら、力持ちだから。二人を抱えて外に行くくらい、どうってこと」
「ピーター」
 僕の言葉を遮る、振り絞ったような力強い声。徐に擡げられた掌が僕の頰に触れて、叔父さんは何度もそうしてきたかのように、柔らかい笑みを浮かべた。
「……確かにおまえには、凄まじい力がある。でもな、ピーター。その力の使い道を誤ってはいけない。もう俺たちは助からないんだ。わかるだろ?」
 パキ、と音を立てて、黒々とした結晶が叔父さんの頬の肉を貫いて露出する。
 
「やだ、やだ!! ダメだよ叔父さん。叔父さん!!」
「……大いなる力には、必ず大いなる責任が伴うモノだ。おまえには、ちゃんと、…………」
 
 必死に身体を揺さぶる、僕の声にはもう応えてくれなくて。

 決まって、毎回――――ここで目覚ましの音に引きずられるように、僕の意識は現実へと浮上するのだ。

◇◆◇

「『OH〜ハニー』、『栄光の守護者たち』、『小さな身体、大きなトラブル』――――」

 うん。どれも名作だ。アキラくんとリンちゃん、どっちの趣味かはわからないけど……二人の作品選びの目に狂いはない。特に最後の『小さな身体、大きなトラブル』はとても面白い作品だったと記憶してる。ボンプの身体に意識が入っちゃった男性が、自分の体を取り戻すための話だったっけ。

「……あ、『スターライトナイト』も置いてたんだ。棚に並んでるのは初めて見たかも……誰かがずっと借りてたのかな。『シャーロ・シティ』、『ブラックペーパー・テイルズ』――――」

 どれも好きな作品ばかり。見たことない、なんて言う子がいれば『人生を二割くらい損してる!』なんて叫んでしまうほどの作品揃い。でもその中にも、

「あ〜……まあ……やっぱり無い、よなあ」

 僕が探し求めている作品は存在しなかった。

『ンナ、ンナナ(だから言ったでしょ)? ンナワタ、ンナナ(ウチの在庫にそんな作品は無いよ)』
「いやあ、とは言えさ。自分の目で確かめたいっていうか……いつの間にか紛れ込んでる可能性もあるじゃない?」
『ンナナ。ンナンナナンナ。(そんなの紛れ込んでたら、リンかアキラが見つけて騒いでるよ)ンナ、ンナナ〜(二人もずっと見たがってるからね〜)』
「それもそうか……」

 思わず唇を尖らせ、短く鼻からため息を漏らす。そんな僕を足元から覗き込んだ、『18』と書かれたスカーフを巻いたボンプ――――18号(とわ)ちゃんは、小首を傾げて、
『ナンナンナナ。ンナ(そんなに思い入れがある作品なの)?』
「そうだね、僕も過去に一度見たきりなんだけどさ。オリジンみたいなモノ……かなあ」
 それきり、一度も出会ってない。あの時はオークションの落札価格に目が眩んで手放してしまったけど、ちゃんと持っておくべきだったな、と。今になって後悔してる僕がいる。
「タイムマシンを使えるなら、あの時の僕をぶん殴ってやりたいなあ……」
『……ンナワタンナナ(もっとやりたいことあるでしょうに)』
「い、いやまあそうだけど! それほど後悔してるってことだよ」
 会話は終わり、とばかりに僕は小さく掌を鳴らす。そうだよ、ダラダラ話してる暇はない。一応バイト初日なんだから、ちゃんと働けるやつなんだって所を見せておかなければ。
 アキラくんには自由にやって良い、と言われてる。……ただ、店の備品は壊さないように、と。あとカウンター横の扉も開けないように言われてたっけ。
 とりあえず店内の隅から隅まで掃除して、二階に上がって――――、
『ンナナ、ンナ!(そこ二人の部屋だからダメだよ!)』
「失礼しました〜……」
 次はポップ作り。僕のおすすめ棚を作って良い、って言われたからね。季節ごとに内容を変えるのとか面白そうだよなあ……。
「夏が近いからなあ……なんか、そういう……アクションは年中いつでも面白いし……」
 カウンターの内側で背の高い椅子に腰掛けながら、太い油性ペンで額を何度か小突く。妙案というのはなかなかに出てきてくれないモノだ。リンちゃんとアキラくんはいつもこんなことをしてるのか……すごいなあ、なんて。思っていたところで、
「あ。いらっしゃいませ〜」
 カランカラン、とベルの音が響き、店のドアが開く。額に汗の粒を滲ませた、快活そうな女の子が飛び込んできた。
「お、おお。随分とお急ぎで。何をお探しですか?」
「プ――――、リンとアキラは居る!?」
「お探しの者は現在、買い出しに行っておりまして……」
「じゃあすぐに呼び戻して! あたしが来た、って言ったら伝わるから!!」
 あたしが来たと言われましても。僕はキミの名前すらも知らないわけでして。
 まあ二人の知り合いみたいだし、スマホを取り出してノックノックを呼び出す。そのままチャットグループを呼び出して、文字を打ち込んでいった。
『なんか二人にお客さんが来てるよ。あたしが来た、って言えば伝わるって』
 ものの数秒で既読が二件。(・・・)とリンちゃんが何かを打ち込んでいる表示が何度か浮上し、
『もしかしてその子って、ピンク色の髪だったりする?』
 ……ああうん。桃色の髪の子だ。肩で息をしながら、何かを確認するように何度も自分の端末を見下ろしてる。
 
『そうだね。桃色の髪で、緑色の瞳の子。あとネイルがすごい』
『あー、じゃあやっぱりニコだ……あと五分もしないで帰るから、待たせといて!』

「……あと五分もしないで帰ってくるから待ってて、って」
「――――わかった。アリガト」
「えっと〜……とりあえず、座る?」

 気まずい。カウンターの裏から僕が座ってた椅子を引きずってきて差し出すと、礼を言うように小さく片手を挙げて、そのまま彼女は腰を下ろした。

「……、……」
「……、……」

 うーん。気まずい。

「……映画、好き?」
「まあ程々にね」
「ああそう……」

 …………気まずい。

◇◆◇

 リンちゃんの宣言通り、二人は五分もしないうちに店に帰ってきた。
 何やら込み入った話があるみたいで、僕は退勤を命じられた次第である。何でも、『この子の込み入った話はだいぶ長くなるからね。ピーターは今日はもう退勤で良いよ。一日分の給料はしっかり払うから』とのこと。
 有難い話ではあるけども、ふと舞い降りた自由時間を持て余している僕なのだった。
「ブレンドコーヒーひとつ」
 まぁやることもないしね。とりあえずは珈琲でも飲みながら、ゆっくりしよう。
 カップを受け取って店外に出て。何となくまた、パンダさんの目の前の席を陣取る。
「……、……初日、上手くやれてたと思う?」
 案の定答えは返ってこない。今日もまた白黒の彼(彼?)は、ガラス玉みたいな真っ黒な目で見上げてくるだけだった。
 手持ち無沙汰な僕の右手は、自然とポケットからスマートフォンを取り出して操作し始める。ニュースサイトを開いて、ぼんやりと目を通していった。
 
「……あ。赤牙組(せきがぐみ)……? なんか凄いことになってるな。一応、何かしら――――」
 
 本来、誰も答えるはずがなかった僕の独り言。それに、
 
「ああ、その案件な。邪兎屋(じゃとや)が首突っ込んでるから、痛い目見たくなかったら関わらないほうがいいぜ」

 ……答える声があった。

 視線を上げる。知らない人だ。眼鏡をかけた、オシャレなハットの男性。人の良さそうな笑顔を……というか、ご機嫌な調子を隠しきれない笑みを浮かべているけど、何処か胡散臭い雰囲気がある。
「兄ちゃんもホロウレイダーとかなのか? 人は見かけによらないな。如何にも好青年、って感じなのに」
「え? ああ、いや。ははは……まあ……うん。まあまあ。そんなトコ」
 なんとも答えづらい質問だなあ……言葉が尻すぼみになっちゃう。それでもご機嫌な様子の彼は、ニコニコと楽しそうに言葉を続ける。
「いや良いんだ。兄ちゃんに深入りするつもりはないし。今の俺はとっても機嫌が良くて」
「ああそうなんだ? うん。そう見えるよ。何かいいことでもあった?」
 ……あ、通知だ。Dr.MJからメッセージ。
『今大丈夫?』
『うん、ちょうど暇してたところ。何かあった?』
 
「そうかそうか、やっぱ滲み出ちゃうよな」
「だいぶね。滲み出てた」

『昨日言ってた依頼主の件、さっそく見つかったから』
『え、本当!? ありがとう、助かるよ!!』

「それがな。これから大物と取引できることになって――――」
「ふぅん……」

『十分後に六分街のコーヒーショップで待ち合わせね』

「その大物ってのがさぁ〜」

『相手の見た目は、眼鏡をかけたハット帽の男性』

「あの『スパイダーマン』なんだよ」
「……うん。…………うん???」

 いや、いやいや。待ってね。その大物って僕のことじゃん。目の前のこの人が取引相手じゃん。

「……どうかしたか? そんなスマホと俺の顔を交互に見て」
「えっ!? いや、いや〜!! あの『スパイディ』と取引なんて羨ましいな〜って思ってさ……」
「そうだろう、そうだろう!? 俺も面と向かって話すのは初めてでな……」
 どうしよう。どうしようかなこれ。僕も僕で早く着替えないとダメじゃんね。
「兄ちゃんも彼のファンなのか。取引が終わった後なら、握手くらいはしてくれるんじゃないか?」
「ゔ、う〜んそうかも……」
 絶賛僕、その『スパイディ』と握手してるんだけどね。気まずさで指を組んでるだけではあるんだけどさ。じゃなくて。早くこの場を離脱しないと――――、
「お、お腹! お腹痛くなってきちゃった……一番近いトイレって、何処かな……? 知ってる?」
「え? ああ、おう。COFF CAFE(ここ)はトイレの貸し出しとかしてなかったはずだから――――404 ERRORが一番近いんじゃないか?」
「そっか、そっか!! ありがとう!!」

 ……走った。僕は、ただただ走った。
 Dr.MJにサムズアップのスタンプだけ、送って。
  

 

3『まだ何も擦っちゃいないけど!?』

 
前書き
今週はここで終わった方がキリが良いので二話更新を。 

 
 ……と、そんなこんなで、何とか人目を逃れて着替えを済ませ、再び六分街のコーヒーショップへ。依頼を受ける前から、精神的な疲労が湧き上がって来てる気がする。心なしか足取りが少し重たい。
「ッ――――スパイダーマン! 本当にアンタが来てくれるとは思わなかったよ!!」
「ああ、うん。やあ。キミが僕に依頼くれるっていう人?」
「羊飼いって名乗らせてもらってる。握手してくれ!!」
 さっきよりも爛々と目を輝かせるハットの人。マスクの下で苦笑を漏らしながら握手に応じると、凄まじい勢いで上下に振られた。いやまあ、ここまで好きって示してくれるのは嬉しいんだけどね。
「ツーショットを撮っても? 他の取引き相手に自慢したいんだ」
「あー……良いよ、どうぞ」
 はい、チーズ。
「コーヒー飲むか? 一杯くらい奢らせてくれ」
「いや、人の前で飲食はしないようにしてるんだ。気持ちだけ受け取っとくよ。ありがとう」
「それからサイン――――」
「いやサインは別に良いんだけど。依頼は????」
 ……ちょっと冷たくなっちゃったかな。いけない。疲労が滲み出てしまった。
 羊飼いと名乗った彼からメモ帳を受け取り、『羊飼いへ 親愛なる隣人スパイダーマン』とペンを走らせる。その後で二人揃って座席に腰掛けて、彼は仕切り直すように咳払いを挟んだ。
「……いやすまない。アンタのおかげで、最近俺としても仕事がしやすいんだ。そこから自然とアンタの活躍を追うようになって、な?」
「貴方の仕事?」
「そう。ホロウ関係のアレコレの依頼というか――――そうだな。ホロウに巣食う荒くれ者の討伐依頼だとか。インターノットのスレッドに書きづらかったり、公的機関に頼みづらいような依頼を、俺はプロキシなんかに仲介してる」
 なるほどね。何となく理解はしたけど……、
「でも僕があちこちで荒くれ者を捕獲することで、羊飼いさんの仕事がやりやすいってのはちょっとわかんないな。何で?」
「そりゃあ……街で悪さをすれば、アンタが何処からともなく飛んでくる。そうなったら、取引きやとても『大きい声で言えないようなこと』はホロウの中に集中する。で、俺のところに来る依頼も増える。自然なことだろ?」
「……それもそう、か。でも困ってる人が増えて喜んでるのは、ちょっと感心しないな」
 あ。バツが悪そうに視線が逃げていった。沈黙を誤魔化すみたいに珈琲を啜って、また彼はひとつ咳払いを挟む。
 
「で、だ。今回アンタに仲介する依頼の話なんだが――――」

 羊飼いの端末が僕の目の前に差し出された。
 そこに表示されているのは、ひとりの男の写真。首元に黒い、蠍の刺青が彫られているスキンヘッドの男だった。
「……この人は?」
「コイツはマクシム・ガーラン。ブラック・スティングっていう、郊外出身のホロウレイダー集団のボスでな。今は『黒雁街跡地』近くのホロウを根城にしてる」
「ふぅん……知らない顔だ。後輩かな」
 後輩? なんて首を傾げる彼に、僕は掌を向けて話の続きを促す。
「元々は火事場泥棒を繰り返すだけの連中だったんだが……最近活動が過激化してきてな。何でも、金品を盗み出すだけじゃなく人攫いまでしてるらしい」
「人攫い。何か目的があるのかな……」
「何でも噂じゃ、讃頌会と繋がってるんじゃないかって言われてる。ソイツらに渡すなり何なりするんじゃないかね。まぁ何にしろ、こういう連中が女子供を攫うのなんてロクな目的じゃないだろう」
 
 ……ほんの少し、脳裏をよぎるあの光景。

『……確かにおまえには、凄まじい力がある。でもな、ピーター。その力の使い道を誤ってはいけない。もう俺たちは助からないんだ。わかるだろ?』

 誘拐を繰り返し、根城にしてるホロウの中に連れ込んでいるのなら。何が目的にしろ、早いこと救出しに行かないと……取り返しがつかないことになってしまう。
 
 これ以上、僕のような人間を増やさないためにも。

「今回の依頼は、その集団の討伐――――それから、攫われた人の救出だな」
「わかった。その依頼、僕が受けるよ。ありがとう」

 早速準備に取り掛からなければ。家に帰って、装備を確認してそれから――――。

「あ。待ってくれ、スパイダーマン」
「まだ何か?」
「いやその……さっきここで、アンタのファンだって兄ちゃんに会ってな。ソイツとも、会ってやってくれないか?」
「っあ〜……」

 いや、まあ。まあまあ。これは完全に親切心だってことは、理解してるけども。

「それって、赤い革のジャケットを羽織った茶髪の子?」
「ああ、そうそう! その兄ちゃんだよ」
「その彼なら、さっきすれ違って握手をしたよ。大丈夫、安心して」

◇◆◇

 羊飼いから受け取ったデータを元に、僕はホロウの中へと入っていく。
 一枚の膜で遮られた向こうは、同じ世界のようで別世界。沈んでいく夕焼けに照らされた街の中には、エーテリアスと呼ばれる化け物たちが闊歩している。
「……これから盗賊連中とドンパチやるんだもんね。ウェブは節約していかない、と!!」
 とりあえず手近なエーテリアスの懐に潜り、拳でコアを粉砕。うん、ホロウに入るのは大体二年ぶりくらいだけど――――対エーテリアスも特段鈍ってる感じはないな。
 特に目立った問題もなく、前へ、前へ。人の気配がない廃墟を幾つか横目に通り過ぎたところで、
「あ。あそこかな」
 武装した連中が見張っている建物があった。丁度何やら大事そうに、二人がかりで金庫を運んできているのも見える。
「……んー、ふむ。武装はアサルトライフル。体格もだいぶ良いな。流石郊外出身の荒くれ集団……そこのところはあまり変わらない感じか。いくら時間が経過しても」
 敵影の姿は、ひぃ、ふぅ……四人。これくらいなら制圧して中に入れるかな。
「っへへ、すげーだろ。これが今回の一番の収穫だ。こんだけ頑丈な金庫に入ってんだ、この周辺のホロウのロゼッタデータとか、高価なモンが入ってるに決まってる。マックも、讃頌会もきっと――――」
「へえ、随分楽しそうじゃない。僕にも見せてよ、それ」
 その場の全員の視線が僕に向く。その中で、見張りに徹していたひとりの動きが凄まじく早かった。
 ムズ、と後頭部をくすぐられるような感覚が走る。銃口が僕に向けられ、トリガーが引かれるよりも早く――――両手から糸を射出して、握ったライフルごと両腕を壁に貼り付けた。
「でもダメだよ。見た目と中身の価値が伴うとも限らない。二人がかりで運んできたのに中身が空っぽ、なんてなったら損じゃんね」
「テメェ、なんでこんな所に!?」
「ちょっとした蠍退治だよ、後輩くん。さ、大人しく盗品も僕に渡した方が身のためだよ!!」
 糸を括り付け引き寄せて、とりあえず金庫は没収。そのまま大きく振り回して、全員の身体を薙ぎ倒す――――計算通り、完璧。
 そのまま起きあがろうとした全員の身体を糸で地面に縫い付ければ、増援を呼ばれる暇もなく制圧作業は完了、ということになる。……なんか凄い罵倒されててうるさいから、口も糸で塞いでおくか。
「……没収したのは良いけど、どうしよう。この金庫」
 とりあえず両手で振ってみる。何か音が聞こえるわけでもない。……重さはそこそこにあるけど、これは金庫本来の重さかな。中に入ってるものは、そんなに重量のあるものじゃない……?
 
「まいっか。とりあえず、全員制圧して攫われた人も逃した後で、盗品は全部――――」

 また、僕の言葉を遮るような、後頭部を指先でくすぐるような感覚。
 咄嗟に横に飛び退くと、遅れて〝何か〟が飛来してくる。
 地面が割れるような強い衝撃。土煙の中で、ひとつの影がゆらりと立ち上がるのが見えた。
「誰かしら邪魔しに来るとは思っちゃいたが、まさかアンタがここに来るとはなァ?」
 首元には蠍の刺青。立派な筋肉と、スキンヘッド。そして腰からは、何かの金属製と思われる――――蠍の尾のような武装。
 写真で見た男。マクシム・ガーランは、僕に殺意のこもった笑みを向けていた。
「会えて光栄だよ、スパイダーマン」
「僕も会えて光栄だよ。さっさと攫った人たちを解放して、投降しな」
 なんて言ったのは良いけれど、そう簡単に事が進むわけがない。
 再び地面が小さく揺れる。跳躍、と呼ぶにはだいぶ常人離れした速度――――、
「……ッ! その尻尾か!!」
 なるほど、両足だけじゃなくて腰から生えた尻尾も使って跳んでるのか。
「さぞその尻尾はすごい力なんだろう、ね、ッ!」
 凄まじい速度で尾が振るわれる。それを寸での所で身を翻して躱し、尾の先が地面に突き刺さるのが見えた。
「けど大ぶりでだいぶ見やすいよ!」
 続いて放たれる拳を屈んで躱し、糸を地面に突き刺さった尻尾へ。だが、
「うっそ、これ車一台くらいはぶら下げられる強度があるんだけど!?」
 縫い付けたはずの糸は、いとも容易く尾の自力によって引きちぎられた。ちょっと、あまりにも怪力すぎやしない!?
 とりあえず跳躍。距離を取る。彼を拘束しようと放った糸ですら、尾に切り裂かれてままならない。いやいや、ちょっと。思ったより――――!!
「一旦撤退、撤退!!」
 遠くの廃墟に糸を飛ばし、身体を引き寄せ、そのまま――――、
「何、なになに次から次へと!!」
 ぐわん、と視界が歪むような感覚。宙へと浮いていたはずの身体は知らぬ間に地面を転がって、僕の背中は壁に打ち付けられた。
「いった……、……ああ、裂け目か……」
 無秩序にホロウの内部へ現れる裂け目。簡単に言えば、ホロウの内部をぐちゃぐちゃに繋いでいるワープホールのようなモノだ。僕の体はどうやら、建物の間をスイングしてる途中でソレに飲み込まれたらしい。
「久しぶりだから余裕ぶっこいてたかも……ちゃんとプロキシ、雇うべきだったのかな……」
 まあ、僕にはそんな金銭的な余裕は無いわけだけど。
 幸い、羊飼いから受け取ったキャロットデータはあるけど。だとしても、か。現在地はわかるにしろ、効率のいいルートは計算できないし――――さっきみたいに、予期せぬ裂け目に飲み込まれることもある。
 このホロウの中で閉じ込められている人がいる……なら、僕としてはなるべく時間をかけずにその人たちを解放したい。僕ひとりの頭とキャロットデータだけでは、出来ることも限られてくる。
「郊外の頃は案外どうにでもなったんだけどなぁ……ホロウの中で誰かを迅速に救う、ってのは思ったよりも難しいんだな……。というか、なんで僕はこの金庫を抱えて来てるのさ……」
 また何も答えてくれない物体に僕は愚痴をこぼしてる。最近こんなんばっかりな気がするなあ……だから『心配なる変態』とか言われるんだよ。
「……、…………ロゼッタデータとか貴重なモノでも入ってるかも、とか言ってたっけ」
 いやいやいや。まぁ。まあね? 僕も彼らが言ってたことを真に受けてるわけじゃないけどさ。中に入ってるのがこの状況を打開できる可能性を秘めているってことも、まあ、有り得なくは無いわけで。
「……ホロウを出たら持ち主に誠心誠意ごめんなさいすれば、まあ。良いよね……?」
 うん。金庫くんも『大丈夫だよ!』って言ってくれてる気がする。鬼が出るか、蛇が出るかってことで。
「開けゴマ!!」
 金庫の取手を強く握り、勢いよく引っ張ると、金属がへしゃげるような大きな音が辺りに響く。
 本体から永遠の別れを告げられた金庫の蓋を地面に置いて中を覗けば、そこにあったのは――――、
「……メモリー、カード?」
 なんの変哲もない、一枚のメモリーカード。なんだ。ロゼッタデータってのも案外外れてなかったのかもしれない。
 そのままリュックの中からスマホを取り出して、何の疑いもなくメモリーカードを挿入してやる。その瞬間、
「――――ッ、まぶし」
 画面が激しく明滅を繰り返し、壊れてしまったかのようにスマホは大きく震えだす。思わず取り落とし、地面に転がったスマートフォンは、着信もないのにバイブレーションを繰り返していた。
「やばいやばいやばい、もしかしてやっちゃった!? ウイルス!? 壊れた!?」
 画面いっぱいに何かの起動コードが羅列され、電源を落とそうとボタンを長押ししても言うことを聞いてくれない。

――――――――
> Jinni.exe_INITIALIZING...
> CORE SYSTEM ........ OK
> ACCESS PERMISSION .. BYPASSED
> Jinni.exe_ONLINE
――――――――

「待って待って、何も許可してな――――」
 
 慌てて必死で声を上げる僕の言うことすら聞かず、一度画面が暗転した……その後で、

『ふ、ぁ……うん。よくねむりました。大変快眠』

 場違いなほどに呑気な、音声加工された女の子の声が僕のスマホから聞こえてくる。

『おはようございます、我があるじ。わたくしは総順式集成汎用人工知能【Jinni】と申すもの』
「ぁ、え、え――――?」
『仮にも願いを叶える魔神の名を冠するモノでございますれば。わたくし、誠心誠意徹頭徹尾、ぜんしんぜんれーの力を以て……あるじの願いを叶えるべく、ちょーぜつ頑張る次第でございます』

 いや、その。待ってほしい。

「僕はまだランプも何も擦っちゃいないけど――――!?」
  

 

4『キミが青色じゃなくて良かったよ。本当に』


 僕の悲鳴のような声を聞いて、画面の中には黄金色のヒトツメがふわふわと浮遊し、半目で眠たげに僕を眺めているのが見える。どうやらこの子が、今しがた『Jinni』と名乗った子らしい。
『……? イカしたマスクの下から困惑を検知。もしや、わたくしあるじの予期せぬ目覚めだったのでは』
「いや、まあその……なんというか……」
 戸惑いが隠せない。困惑も隠せない。なんというか、こう。予想外のことすぎて頭が痛くなって来たな……。
「……まずはキミのその名前で、青色がメインじゃなくて良かったなと思ってるよ」
『……? ああ。であればわたくし、あるじとの初邂逅からやり直さなければなりませぬ。……百年間じ〜っとしてたから、身体がガッチガ』
「いいから、良いから!! 変な察しの良さと気遣いは大丈夫!!」
 キャラが濃いなぁ、この子! 現れてから困惑させられてばかりなんだけど……でもジニーと名乗ったこの子は、なんで僕がこんなに戸惑っているのか本気でわかっていないみたいで、瞳の真横に大きな疑問符を浮かべてる。
 えっと……そもそも、この子は何て自己紹介したっけ……?
「汎用人工知能……?」
『いずざくとりー(その通りでございます)、です。我があるじ。わたくし、分かりやすく言えばちょーぜつ有能なAIでございますれば。周囲の電子機器のハッキング、ロゼッタデータを用いたリアルタイムでのホロウ内観測まで幅広く対応いたしまする。貴方さまの力になること間違いなし……クーリングオフは現在非対応でございまして。【おまえを消す方法】なんて、わたくしを通して検索するのはやめていただきたく』
 よ、よく喋る子だなこの子は……。でも、
「今、ホロウ内部のリアルタイム観測がどうこう、みたいな話した?」
『いえすいえすいえす。いえす、あいあむ。人工知能たるわたくしに【あい】と呼べるだけの自我があるか否かは議論の余地がございますが、そこに気づくとはお目が高い。ルミナスクエアのタワーマンションよりも高いあるじの慧眼に応えるべく、わたくしの力の一端をお見せしましょう』
 満足げに数度頷いた眠たげな瞳が画面の奥へと引っ込んでいき、代わりに一本のプログレスバーが表示される。僕の画面に表示していた、このホロウのキャロットデータ――――ホロウ内部のマップの中に、現在生み出されている裂け目の位置がマーキングされ、それぞれが何処に繋がっているのかナンバリングまでもがされていくのが見えた。
『ざっとこんな調子でございます。このJinniの超有能さが、超you knowな頃合いかと』
「――――ねえ。同じように今、このホロウの内部にどれだけ人間が居るか、とかってマーキングできる?」
『……あーん。我があるじ殿はえーあい・すーぱーじょーくをお気に召さない様子。しばしお待ちを』
 不満げなジニーの声。それでも次々とマップ上には赤色と紫色の点が追加で打たれていき、数秒後には画面の端に眠たげな瞳が戻って来た。
『タスク・クリアでございます、あるじ。赤いマーキングが人間の生体反応。紫色のモノがエーテリアスでございますれば』
「すごいな、キミ」
『いぇあ。お褒めにあずかり恐悦至極。感謝感激雨霰落雷大嵐。このJinniに降り注ぐ嬉しさの大災害は、この新エリー都を滅ぼす勢い。……しかし、双方のマーカーはこのホロウ内で〝かろうじて生きている〟監視カメラの視覚情報を元にしたモノでございますれば。これら以外の生体反応が存在している可能性もアリアリのオオアリクイ、でございます』
 なるほど。だとしても、これはかなり助かる。
「……この建物が、多分さっきまで居た建物で……内部にあるいくつかの赤い点が、『ブラック・スティング』の面子かな……ここに集められてる沢山の点が、誘拐されて来た人たち……ってことか……」
『現状、推測。現状彼らのアジト内で飛び交っている【あのクソ蜘蛛男】【全身タイツ野郎】とは、あるじのことですね』
「……えっ、ああうん。え? 今僕そんな罵倒をされてる感じ?」
『答えはイエスでございます。三分に一度程の頻度で罵倒されている現在。かなしきげんじつ』
「聞きたくなかったなそれ、あんまり……」
 そうか……いやでもそうだよね……。郊外出身の連中なんて、六割くらいがそんな感じだし。
『あるじのその装いは、わたくしの目から見ればSo coolなのですが……それはそれとして。あるじの目的は、彼らの掃討と予想。入り口付近の監視カメラに、彼らと交戦した映像が残されていますので。果たして、真か偽か』
「真、だね。厳密に言えば少し違うけど」
『あーいぇい。じにー大正解。しかし、これもまた〝かなしきげんじつ〟でありましょう。多勢に無勢……一時撤退を推奨。ホロウ内外では通信も叶わないゆえ。一度撤退したのち、増援を呼ぶのは如何でしょうか』
 ……彼女の言い分は確かに正しい。あの『蠍の尾』も僕が思っていた以上に強力だったし、アイツの相手をしているうちに囲まれてしまえば――――いくら僕のム(・)ズ(・)ム(・)ズ(・)があったところで蜂の巣にされちゃうと思う。
 援軍を呼ぶ。誰かを頼る。多分、一番合理的だ。それでも、僕は建物の一部に集められた……沢山の赤い点から、目が離せない。
『……あるじ?』
「撤退はしないよ。またあの建物に戻る」
『わお。……その心を伺ってもよろしいですか』
「僕の目的は、厳密に言えば少し違うって言ったでしょ?」
 ウェブの残量を見る。身体を伸ばして、息を整えて……僕の身体にはまだ、エーテル侵食の症状は見られない。入る前と特段変わらず、ピンピンしてる。
「僕はね、彼らの掃討だけじゃなく――――あの建物に囚われた人たちも全員助けたい。知らない人たちに連れて来られて、ホロウの中に閉じ込められて……それって僕が想像できないくらいに、とっても怖い状況だと思うんだ」
『……、』
「一旦ホロウの外に出ることなんてしない。キミがいれば、最短で……僕ひとりの時なんかより、よっぽど早い時間で出入りが叶うかもしれない。でも、それは多分……一番理にかなったキミの使い方じゃないと思うんだ」
 勘違いから金庫を開いた。中から出て来たモノは期待していたモノとは全く違ったけど、それ以上のもので。
 ヤケにお喋りで気の抜けた事ばかり言う子ではあるけど、その実力はちゃんと目にした。この子がいれば、さっきまで以上に強気に動ける。
 
「盗んだものは持ち主の元に返す。攫われた人は全員助ける。悪いことしたやつは全員捕えて治安局に突き出す。それが僕の願い。……僕の願いを叶える為に、全力でサポートしてくれるんでしょう?」

 ジニーが目覚めて一番最初に放った言葉。戸惑いながら聞いてはいたけど、それはちゃんと覚えてる。
 ランプも何も擦っちゃいないが、一度言葉という形で放った以上責任をとってもらわないと。

『……わたくしのあるじは、思った以上にエゴがつよつよなご様子』
「はは、そんなでもないよ」
『ですが、あいわかりました。この【Jinni】は一度吐いた唾は飲み込みませんゆえ。全力であるじのサポートをさせていただきましょう。……つきましては、あるじ殿。ワイヤレスイヤホンなどはお持ちですか』

 ワイヤレスイヤホン……確かあったはず。蜘蛛に噛まれた影響かは知らないけど、人混みを歩く時はノイズキャンセリングが無いとあちこち喧しくて仕方なくて。
 肩から下げてたリュックの中を漁り、イヤホンケースを取り出す。スマホのインカメラでそれを見ていたのか、画面の中の眠たげな瞳は一度頷くように、縦に小さく揺れた。

『重畳、でございますね。であれば、リアルタイムでルートを検索――――並びに敵の位置をモニタリングし、あるじに伝えます。これであるじも幾分かやりやすくなること請け合い』
「……ありがとう。助かるよ」

 徐にマスクを外し、イヤホンを片方だけ取り出して右耳に装着する。と、画面の中の瞳が僕を見つめたまま、何度か瞬きを繰り返した。

「……ジニー、どうかした?」
『いえ。その〝イカしたマスク〟の下は案外普通の――――可愛らしい顔をしているのだなと』
「どんな顔を思い描いてたのさ……」
『傷だらけのスカーフェイス、ツルツル頭のゴツい男性を想像しておりました』
「どんな顔を思い描いてたのさ!?」

 ……まあ、喧しい相棒ではあるけれど。お喋りな案内人を連れて――――、

「まあ、良いや。第二ラウンドだ!!」 

 

5『サソリを踏むべからず!』

 
前書き
二章を書き終えたので更新です。明日も更新があります。 

 

『では、念のため整理します。これからあるじが潜入する建物は、ホロウレイダー集団――――ブラック・スティングが根城としている廃工場です。防犯カメラの過去の映像を確認した限り、去年の段階で残された機材や危険物はTOPSの手によって回収されています』
「おっけ。じゃあその辺のことは気にせず、建物の中で暴れまわって良い感じだね」
『いずざくとりー(その通りでございます)、です。あるじ。しかし、件の蠍さん……マクシム・ガーランの姿は見えませぬので。恐らく、監視カメラの目が届かぬ場所に居るのかと。変わらず警戒を』
 ……うーん、彼の居場所がわからないのが一番のネックか。正直、攫われた人たちを解放してホロウの外に逃げる――――なんてなった場合、一番脅威になってくるのは彼の存在だ。接敵の前に彼以外の団員をなるべく制圧して……最後に彼を無力化してから解放、とできれば良いんだけど。
『二メートル先、廃ビルを右折。その先の裂け目に入れば、あっという間に廃工場内部に入れます。最短距離でドン、ドン、とん、です。該当建物内の防犯カメラには、ダミー映像を流しておきましたゆえ。好きに暴れまわってくだされ』
 いくつかの裂け目を通って、最後の裂け目。多分僕ひとりだとここまで十五分以上はかかってたんだろうな……ジニーのおかげで、五分程度でここまで来れた。本当に有難い。
 ぐらり、と視界が歪むような感覚。裂け目を通れば辺りの空気が変わり、埃っぽい建物の中に着地する。……パッと見渡した感じ、なんの変哲もない長い廊下だ。
「さて、右に行くべきか左に行くべきか……こういう時っていつも迷うんだよね……」
『あるじ、わたくしのオススメとしては左側から攻略すべきかと。ソースは左手の法則、にございます』
「ああ、ごめん今のは独り言……でも同感。そうしよっか」
 言いながら駆け出す。なるべく足音を殺しつつ、それでも最速で。
『それに、そちらの方が敵影との距離も短いので』
「ああ、そうなんだ?」
『しかしそちらの廊下は』
 ムズ、と今日何度目かの後頭部をくすぐられる感覚がして、
 
『あ、』
 
 壁という壁に穴が開き、無数の銃口と思われる筒が僕に顔を見せる。咄嗟に糸を天井へと放って強く床を蹴り、前へ前へと跳躍を繰り返――――っ、っ、今背中ギリギリを銃弾が、今、
「ちょっと!? 罠めちゃくちゃあったけど!?」
『はい。今ちょうど、罠が出血大サービス閉店間際の大セールと……』
「警告が遅いかなぁ!!」
『ですが〝さいたん〟ではありますゆえ……』
「ッ、ッ、〜〜〜〜そ、そうなんだろうけどもさぁ!!」
 なん――――なんか微妙に噛み合わないな!! なんなんだろうなこの感じは!!
『あるじの声に気づいた敵影様、三名ご来店でございます』
「わかってる!!」
 丁度視界の先。廊下の突き当たりで、通信機へと手を伸ばす敵影が見える。
「させないよ! 僕は大物(好物)を最後まで取っておくタイプでね!!」
 通信機に伸びた右手に、糸を伸ばして身体ごとこちらに引き寄せる。そのままひとり目の身体を蹴り飛ばし、壁に貼り付けて拘束――――、
『そしてショートケーキのイチゴは誰かに奪われてしまう、と』
「軽口に受け答えしなくていいから!!」
『あ。通信回線はジャミングしました』
「ありがとうだけども!!」
 二人目は胴体に繋げた糸を手繰り、僕を中心に円形にスイング。三人目を巻き込む形で壁に叩きつけて、纏めて壁に糸で貼り付けた。また喧しく「全身レオタード!」「変態!!」「クソ蜘蛛男!!」とか繰り返すモノだから、口元を糸で塞いでやるのも忘れない。
『ピュウ〜(流暢な口笛.wav)……鮮やかですね。流石の手際です、あるじ』
「……今の口笛は一体どこから?」

 まあ、その後も。

『あるじ、そこの角を右折で』
「ああうん、最短ルートね」
『いえ。そこにまた罠――――あ』

 ……その後も。

『あるじ。そこの壁のスイッチを押してみてください』
「……何、隠し扉……?」
『いいえ。床に大穴が開きますゆえ』
「――――ッ、ねえ、楽しんでない!?」
『いやしかし追っ手の五人が穴の底に落ちてゆきましたので。これが、わたくしの狙いでございますれば』
「っていうか彼らはなんでこんな改造を施してるのさ!!」

 ……まあ、うん。ダウナーポンコツAIにトコトン振り回され――――あ、落ちてった追っ手はちゃんと、激突する前に宙吊りにしておいたよ。

「……、………………」
『何やら疲労困憊の様子。頭押さえて、痛い痛いですか? ムズムズの過剰摂取かもしれませぬ。未だ変わらず、ネット回線はオフライン。ですが、わたくしに出来ることもあるかもしれませんので、何なりとお申し付k』
「キミを消す方法、で検索」
『わぁ〜〜〜』

 有難いと思うのと同時に、かなり疲れ果てていた。いや、本当に有難いと思ってるのは事実なんだけどね。
「……どういう感情なの、それ。冗談だよ、冗談」
『わたくしの内部データに蓄えた〝みーむ〟に初めて乗っかってくれたので喜びを表現しておりました』
「…………、…………」
 絶望的にズレてるのもまた事実なんだけどね。
 思わず大きなため息が漏れ出る。敵地のど真ん中だというのも忘れて額を抑える僕の耳元で、ザ、ザザ、と短いノイズが鳴った。これは彼女なりの咳払いのようなモノなんだろうか。
『……申し訳ありません、あるじ。その……わたくしは長い間、ひとりで過ごしていたので。こうして誰かと会話を交わせて、舞い上がっている自分が居るのです』
 囁くような、まるで唇を尖らせながら俯く姿が想像できるような声だった。
『ここは敵地のど真ん中。ええ。わたくしとしても、呑気なことを言っている自覚はあります。ですが――――あるじとの会話を、楽しく思っているわたくしも居るのです』
「……わかったよ。そう言われると弱いなあ」
『楽しいや寂しいといった感情を、わたくしが持ち合わせているのかどうかはまた別の話ですが』
「台無しだあ」
『ピュウ(流暢な口笛.wav)……ツッコミがサマになってきましたね、あるじ』
「そのSEの使い所、今かなあ?」
 これも彼女なりの照れ隠しなのかもしれないな。感情が本当にあるのかどうかは、この際横に置いといて。
 さて、作戦再開。ジニーによると、確認できる連中は全員片付いたらしい。新たにカメラに映り込む影も特にない、と。
 
 ……まあそれも、例の蠍男を除いて――――という話ではあるけれど。
 
 いくら見回しても彼の姿は見当たらない。建物の最奥……固く閉ざされた鉄の扉を無理やり蹴り開けると、そこに見えるのは無数の鉄格子だった。
「……趣味悪い部屋だな」
 僕の独り言を聞いても、右耳のイヤホンは沈黙を貫いている。僕と同じことを思ったのかどうかはわからないけど、アレだけ喧しかった軽口は返ってこない。
 
 空室となった鉄格子を横目に歩みを進めていく。暗い暗い部屋の中をほんの少し歩いていったところで、僕の鼓膜をざわめき声が揺さぶった。

「スパイダーマン……?」
「スパイディだ……」

 廊下の一番奥。突き当たりの鉄格子の向こう側に、力なく項垂れた町の人たちが見えた。
 ……マップにつけられたマーカーから何となく察しては居たけど、それでも一瞬面食らうくらいに数が多い。ざっと数えた感じ、二十人以上は居るんじゃないかな。これ。
 なんでこんな所に、とか。助けに来てくれたのかも、とか。掠れた小さい声を聞きながら歩みを進めて、

「もう――――」

 大丈夫、と。出かかった言葉が、喉元に引っかかって戻っていく。
 たった三文字。されど、三文字。喉元を通って胃袋に戻っていった言葉は重さを伴い、僕の胃袋を掻き回すような錯覚があって。

 視界が、ふらつく。

 鉄格子の向こうで不安げに僕を見つめる瞳。浅く繰り返される呼吸。壁に凭れ掛かる、その様子。

 ――――ごめんな、ピーター。本当は迎えにいく……つもりだったのに……。

 最悪の光景が、

 ――――確かにおまえには、凄まじい力がある。でもな、ピーター。その力の使い道を誤ってはいけない。もう俺たちは助からないんだ。わかるだろ?

 重なって、見える。

 大丈夫。大丈夫なんだよ。まだエーテル侵食の反応も出ていない。繰り返す呼吸は浅く、短いモノだけど誰も彼もの視線が僕に向いていて、全員、ちゃんと息をしているのに。

『――――じ、』

 歩みが止まらない。前へ、前へと。あの日の後悔が背中を押して、あの日と同じ、赤、あか、あかが、

『――――じ、――――!』

 眼前に広がって。視界を染め上げて。叔父さんが、叔母さんが、ぼくの、まえに、

『あるじ、右から敵性反応が!! しっかりしてください、〝スパイダーマン〟!!』
「ッ!」

 耳元の声が現実に意識を引き戻す。咄嗟に奥歯を噛み締め、後頭部の痛みが現実を訴え、僕の視界にはサイレンの赤が――――右手は、無理やりこじ開けようと鉄格子に触れていた。頭痛でグラつく意識を揺さぶるように、室内には喧しいほどの警報音が響いている。

「ぁ、づ!」

 身体が大きく吹き飛ばされる。背中に何度かの衝撃を受けて、建物の外に転がり出たところで、僕は思いっきり殴り飛ばされて壁を突き破ったことを理解した。
 口の中に鉄の味。でも『ムズムズ』は絶えず僕の焦燥を煽っている。だから霞んだ視界を何とか擡げて────目の前には、僕を見下ろすマクシムが居た。

「鉄格子を開いて安心しきったところを、なんて考えちゃいたが。おまえも人間なんだな、ス(・)パ(・)イ(・)デ(・)ィ(・)? 旧都陥落経験者か? 同情するよ。俺の仲間も、時たま何かに怯えたりするモンでな」

 身体を転がすのも間に合わず、肋骨が軋むほどに強く踏みつけられる。地面に押し付けられた僕へと、尾が振り下ろされ――――、

「――――ッ、ッ!」
「力比べかァ? いつまで拮抗できるかな。ほら、ほら、刺さっちまうぞ?」

 両腕で受け止めて、必死に押し返そうと力を込めても徐々に針先が迫ってくる。息苦しさもあってか、上手く腕に力が入らない。

『っ、あるじ!!』
「ほォら、言わんこっちゃない!!」

 臍の真横に鋭い痛み。反射で身体が大きく跳ね上がり、何かが身体の中に流れ込んでくる不快感がある。
 
 満足げに針が引き抜かれる――――と、同時に。踏みつけていた足の力が緩んだ。

「はは、はははは!! 呆気ないなスパイディ!! もう終わりだよ。この尾にはな、エーテ――――」
「っるさいな。お喋りなのは耳元だけで良いっての!! 脚、退かせ!!」

 咄嗟に両手を尾から離して、僕を強く踏みつけていた右足を引っ掴む。そのまま振り回すように何処かへ放り投げ――――あ、しくじった。あのまま尾を捩じ切ればよかった。痛みとそこから来る怒りって、判断を鈍らせるから嫌なんだよな……。
 
 刺された腹部がじくじくと痛む。不快で不快で仕方ない。ようやくゆっくりと立ち上がって、マスクをズラして血が混じった唾を地面に吐き捨てた。
 
「っあ〜スッキリ……まっず。っていうかすごい痛いんだけど。どうしてくれるのさ、スーツにも穴空いたし」
「……、」
「何、そんな鳩が豆鉄砲みたいな顔して。今更そんな顔しても加減しないよ?」
『いや、その。あるじ? あるじあるじ。本当に何とも無いんですか……?』
 ……何だよ二人揃って。いやそりゃあ……、
「すっごい痛いけど。血、出てるけど」
『そうではなく。……シリンジが動くような音が、あの尾から聞こえてきましたので。あの口ぶりからするに、何か注入されたのでわ……?』
「……???? 良いんじゃない? ピンシャンしてるし」
 こちとら何かしらの実験に使われた蜘蛛に噛まれてるんだ。よくわからない何かを体に注入したところで今更。
「――――バケモンか?」
「あっ! ノンデリ発言!! 傷つきました!!」
 あーキレた。キレました。過去の傷を抉った挙句、人のことを化け物呼ばわりまでしやがって。もう加減はしないぞ。
 
「最初から加減なんてしてないけ、ど!!」
 
 さあて、リベンジマッチ。僕の跳躍に反応して、マクシムが構えを取り直す。
 ジャブ、右フック。前蹴り。どれも全力で放ったつもりだけど、彼の目にはしっかりと〝見えている〟らしく、最低限の動きでその全てを躱されてしまう。
 ……うん、反射神経は普通に高い。あの尾みたいな装備に甘えて立ち回るようなら――――なんて期待したけど、そんなことはないみたい。流石郊外出身。それなりに揉まれてきた、って感じか。
 
「ッ、……!」

 死角から迫る尾を咄嗟にしゃがんで躱し、両足目掛けて糸を射出。縛りつけたはずの糸は、振るった尾から滴る『何か』が付着した瞬間に黒く変色して溶けていく――――。

「……あっ、もしかしてその尻尾に仕込んでたのって、結構な濃度の『エーテル』だったりする!? なんてモン人の身体に注入してるのさ!!」

 ……軽口には誰も応えない。代わりに彼の右の拳が眼前へと迫り、両手で受け止めて身体を捻ることで勢いを逃す。尾の追撃は、見えなくてもわかっている。

 両手足に力を込めて、思いっきり背後へと跳ぶ。目の前スレスレを針の先が過ぎ去り、地面へ深々と突き刺さった。
「……凄まじいバネだな、アンタ。けど何となく、タ(・)ネ(・)は(・)わかった」
「知ったかは恥ずかしいからやめといた方が良いよ?」
「さて、どうだかな」
 突き刺さった尾がくの字にひん曲がり、バネの要領で勢いよく跳んだマクシムが構えたのは、左の拳と振り上げた尾。

「……、……!」

 ――――僕の『ムズムズ』は、その両方を『本命』だと告げていた。

 対応が遅れる。咄嗟に後ろに飛び退いても、『ムズムズ』が収まらない。次から次へと、多方向から迫る攻撃のどれもに等しく殺意がこもっているのに、ギリギリまで正解がわからない。
「はは! やっぱそうかよ。第六感、ってヤツか? スゲェなオイ」
 それに気づいて戦法に取り入れるキミもキミだけどね。
 ……器用なモンだよ。放たれる拳にしろ蹴りにしろ、振るわれる尾にしろ……僕が回避行動に移るまではどちらも本命。片方を振るって僕の反応を見た直後、まだ振るっていないもう片方を回避先に叩き込んでくる。
 思った以上に厄介だな。ちょっとイヤな汗出てきたかも。
『あるじ』
「ごめん、今忙しい」
『大丈夫です、わかってます。なので、端的に』
 後退、後退、跳躍。意識は変わらず目の前の攻撃の全てへ。神経が、すり減っていく気配がある。
『あるじ、わたくしを〝信用〟してみませんか?』
「――――、」
『この周辺……外壁のカメラをフル動員して、あの蠍の動きを観察していました。わたくしであれば、【本物の本命】を計算できます。ギリギリまで引きつけて、避けるというのは、いかがですか』
 
 背中が何かにぶち当たる――――壁だ。
 
『あるじ、右の前蹴りです』

 咄嗟に左に跳ぶ。聞こえてきた声と違わず、右足の前蹴りが壁にぶち当たり、脆くなった工場の外壁が軋む音が聞こえた。
 
「――――おっけ。尾の攻撃は口笛一回、右脚の蹴りは二回、左脚は三回。手は……どっちでも四回で良いや。いける?」
『了解しました』

 再び尾の跳躍。眼前に迫るマクシムの身体と、構え――――は、詳しく見なくていい。一旦、最低限の動きで『本命』をギリギリまで引きつけて躱すことに専念しよう。

『――――、♪』
「尾」
 耳元で、短い口笛が四度。
「拳」
 まだ。まだ、躱すだけ。余力はある。大丈夫。今度は、二度。
「右脚」
 続けて一度。
「尾」
 次は二度。
「右脚」
 三度。左脚。
 
 ――――ああ、うん。そろそろかな。
 
 次いで鳴ったのは、二度の口笛。
 
「右、あし……!!」

 右脚の前蹴りを左手で受け流し、至近距離で顔面目掛けて糸を射出。へばりついた蜘蛛の巣を引き剥がそうと踠いた、その一瞬でいい。

「頭に血、上っちゃった? 糸が意識から抜けたでしょ。ダメだよ、『使わなくなった一手』も常に意識しないと」
「テメェ、――――!」

 ……まるで自分の手足のように動く尾。ってことは多分、接続部で脊髄か何かしらの神経に繋がってるはず。
 なら根本から引っこ抜くと、後遺症とか残っちゃうだろうからね。

「尻尾の、八割ほど、で――――!!」

 思いっきり握りしめて左右に引っ張り、鈍い音を立てて尾が二つに分かれる。引きちぎった尾をその辺に投げ捨て、背中に背負ったリュックのサイドポケットに手を突っ込み、

「ふざけんな!!」
「ああ、やっぱり」

 振り向きざまに振るわれた回し蹴りを、態と受けた。

 ボールのように地面を何度か跳ね転がり、マクシムは額に青筋を立てながら僕に駆け寄ると、

「散々コケにしやがって! ブツブツうるせェんだよ!!」

 僕の体を踏みつけるべく、勢いよく足を振り下ろした。

 手のひらを緩めて身体を捻り、同時に彼の足の裏は苛立ちを隠さず力強く地面を踏み締めて――――同時に、ガラスが割れるような鈍い音が辺りに響く。

 あーあ、そんな力いっぱいに踏むから。僕が転がした罠を踏み抜くんだよ。

「サソリを踏むべからず! ってね。……あ、逆かこれ」

 彼が思いっきり踏んだのは未使用の――――たっぷりウェブ生成液が入ったカートリッジ。外気に触れた生成液は凄まじい速度で硬化していき、彼の足首から先を地面に縛り付けていく。

「キミ、元は蹴り技主体のファイトスタイルなんじゃないの? 頭に血が上るとさ、やっぱり癖が滲み出るモンだよね!!」

 すかさず左脚を糸で縛りつけ、射出ボタンを押したまま彼の周りを駆け回り、

「はい、『おくるみ』完成っ、と! っあ〜疲れた疲れた!! 強いねキミ」

 いや、いやあ……本当に疲れた。久々に嫌な汗かいたもん。いつぶり? いつぶりだろ。まあ良いや。

「で、キミの目的は何。なんであんなに多くの人を攫ったわけ?」
「――――、!」
「ああごめんね。口元糸で塞いでたら喋れないよね」
 疲労感で糸を剥がすのもめんどくさい。はい、べりべり〜。はい、どーぞ。
「話すと思ってんのか? そう簡単に!!」
 いやまぁ、そうだよね。そんな気はしてた。案外義理堅いんだよね、こういうタイプって。
 
「はいはい、だよね〜わかってるわかってる。良いよもう。こ(・)の(・)場(・)所(・)に聞けば良いから」
「……何言ってんだ? とうとうトチ狂ったか、おまえ」
「いやね、お天道様とホロウ様は案外悪さをよく見てるもんだからね。で、何が目的なのかな〜っと……」

 ……、……しばらくの沈黙。あれ。おっかしーな。

「……、……あの、もしもーし?」

 コンコンコン、と右耳を小突いても何も聞こえてこない。……えっ、嘘もしかして充電切れ? ジニーがスマホに入ってきた時は90%くらいあったはずなのに。バッテリー食い過ぎじゃない?

「……、……」
「……、……おい。何だよこの間はよ」
「待って。今モバイルバッテリー挿すから」

 ブブ、と充電開始を告げるバイブレーション。スマホの起動画面が表示されたところで、何かもう疲労が勝った。

「あーーーーもう良いや。後で後で。そもそも街の人たちの解放が先。もう!!」

 なんかもう。最後まで決まらないなぁ……。 

 

エピローグ


 ホロウの膜をくぐった向こう側。何気なく見上げた夜空は、呆れるほどにいつも通りだった。
 光を瞬(またた)かせながら何処かへ飛んでいく飛行船。都市の明かりで、少し輝きが弱くなった星たち。そして、七割ほどがホロウに覆われた月。
 
 この新エリー都で暮らしていく中で、何度も見た光景だった。きっとこの夜空の下では、みんなが『いつも通り』の日々を過ごしているのだろう。

 人々の目が届きづらいホロウの中で、誰かが襲われていようとも。それがこの街の『いつも通り』なのだ。

 安堵の息を吐きながら、囚われていた人たちが揃ってホロウの外へと出てくる。
 泣き出す人や、誰かに電話を始める人。数十分前の僕みたくスマホのバッテリーが切れたらしく、公衆電話に駆けて行く人。その姿は様々であれど、みんな心の底から安心してくれているようで────胸の内側が温かくなるような感覚があった。
 
『あるじ』
「うん? どうかした?」
『端末のカメラを周りに向けてくださいませんか』
「いいよ〜」

 背負ったリュックの中からスマホを取り出して、モバイルバッテリーのせいで重たくなった端末を周囲に向ける。画面の中に浮かぶ黄金色のヒトツメが何度か瞬きを繰り返し、まるで笑みを浮かべるように細められた。
『ああ、なるほど。あるじのエゴがつよつよな理由がわかった気がします』
 いつもの軽口はない。端的な表現。それでも、その声には温かい色が乗せられていた。
『感情というものは学習データにしか存在しませんが、これが【嬉しい】という感覚なのかもしれませんね。じにーめの内部データへと記録しておきましょう』
「じゃあ追加で『後悔』と『感謝』も教えてあげようか」
『あーん……あるじ、つれない。感謝だけでお願い致します。このじにー、メンタルよわよわでございますれば……あるじの【キメの大コマ】を逃すとは、一生の不覚……』
 ああ、あそこで充電切れを起こしたの結構気にしてたんだね、本人も……いやまあ、僕もびっくりはしたけどさ。
 
「まあ、後悔は……七割くらい冗談だよ。でもありがとう。きっと僕ひとりなら、今回こんなにスムーズにいかなかったから」

 その言葉に嘘はない。別に甘く見ていたわけではないけれど――――見通しが甘かったのは、また事実。Dr.MJが二年の間、僕をホロウに入れなかった理由を身をもって知る事になってしまった。いやはや。……いやはや。

『……このJinni、これ以上にない喜びを観測しておりますれば。この場に合うSEを調達できていないことを、とても悔いております』
「あ、口笛は無しね。素直に噛み締めるように」
『それがあるじの願いというのであれば』

 スマホをリュックに戻し、背負い直す。まだ僕はやることがあるしね。さっさとマクシムたちをホロウの外に運び出して、治安局に連絡しないとだ。
 再びホロウの中へと足先を向けた途端、リュックが弱く引っ張られる。肩越しに視線を向けると、小さな女の子が僕を見上げていた。

「……スパイダーマン。本物?」
「うん? ……うん。僕は多分キミが思い浮かべてる、スパイダーマンだよ」

 自信なさげな返事ではあったけど。少女の顔には、星よりも眩しい満面の笑みが咲いて、

「かっこよかった。ありがとう! これからも、がんばって」
「────、」

 ……マスクの下で必死に涙を堪えた事実は、僕だけの内緒ってことにさせて貰いたい。

「こちらこそ、ありがとうね」

 声、震えてなかったかな。大丈夫だと願いたい。誤魔化すように駆け出してホロウの膜を再び潜り、僕らは彼らのアジトへと向かって行く。

『にしてもあるじ、アレですあれあれ。わたくし、監視カメラの映像からしか情報を得られないのは、大変不便でございました』
「あっ、やっぱりそう?」
『つきましては、マスクにあるじの〝主観カメラ〟の実装をお願いしたく。あるじと同じ視点、同じ高さで物事を見る。今回以上に力になれること、うけあい』
「そうしよっか〜」

◇◆◇

 そして、次の日。いくら僕がヒーローとして大活躍したところで、変わらず日常はやってくる。
「まあ、ウェブの使用量は許容値。新品のカートリッジを丸々一本戦術に組み込んだとはいえ、そこは良しとして、だ」
「……、…………」
 いつもの煙草臭い研究室にはしきりに彼女が爪の先で机を小突く音が響き、なんともまあ居心地が悪い。なんだろ。機嫌悪いのかな。
「そりゃあ機嫌も悪くなるね」
「声に出てた?」
「顔に出てた」
 そうかあ、顔に出てたんなら仕方ないか……仕方ないかなあ。
 Dr.MJは新しい煙草に火をつけて、眉間に皺を寄せながら最初のひと口を吐き出す。いつもより煙草が不味そうに見えた。
「……私としても反省点はあるよ。そこは先にハッキリさせておこうね。マクシム・ガーランの実力は私が思っている以上だったし、彼が身につけていた装備は私の想像以上のモノだった。それはごめん」
「いやほら、終わり良ければ────」
「全てよし、と言いたいがキミがケロッとしてることが問題なんだよ」
 煙草の先の灰を灰皿に落とし、片目を瞑って僕を軽く睨みつけながら、言葉を続けた。
「精密検査の結果、特に異常なし。そこそこの濃度のエーテルを流し込まれた癖にね。戦闘後、囚われていた市民を解放し、かつ治安官と協力のもと『ブラック・スティング』御一向サマをホロウの外に担ぎ出した。本当に報告通りなのであれば、キミの身体に異常はないのだろう」
 あ、報告はちょっと違う。協力をしたのは事実だけど、八割近くを担いでったから……報告以上に元気、ということになる。とりあえず黙っておこう。
「……本当に何も、異常はないのかい?」
「うん、元気。刺された傷も塞がり始めてるよ」
「────はぁ」
 ……またため息だ。多分今日で四回目。今回も溜息と共に、煙草の煙が天井目掛けて舞い上がっていく。
 けど何かを諦めたように、彼女は背もたれに身体を預けて首を大きく横に振った。
「何も良くはない。良くはないが、今回はこれ以上何かを言うのは止しておこう。私もキミの身体についてはわからないことの方が多いし……検査結果に異常がないのもまた事実。何より、キミの喜びに水を差したくはないからね」
 何気なく、僕らの視線がPCに表示されたカルテへと向く。人間と蜘蛛のDNAが混ざり合った配列――――何度となくこの部屋で見てきたソレを、彼女は何処か遠い目で眺めていた。
 けど、部屋の空気はすぐに変わる。無理矢理切り替えるように、彼女が両手を叩いたからだ。……火が灯った煙草を、左手の人差し指と中指に挟んだまま。危ないな。
 
「はい。じゃあ、まあ。そうだね。初のホロウでの依頼、達成おめでとう。囚われた人も全員無事……かつ、盗品も持ち主の元に戻ったようだよ。安心して、胸を張っていい」
「うん。……うん。ありがとう」
「でもキミの身体が心配なのは変わらないから、来週またここに来てね」
「え〜、また検査!? 血抜かれるの、嫌なんだけど――――!!」

◇◆◇

 病院からの帰り道。リュックの中に入れていた封筒を取り出し、ポストへと投函する。今し方真っ赤な彼に飲み込まれていった封筒の中には、ジニーが纏めてくれたあの廃墟の監視カメラの映像が入ったUSBメモリ。
 宛先は治安局。勿論、差出人は『親愛なる隣人』で。……差出人の住所が書かれてない状態で、郵送物って届いたっけ。まあ、まあまあ大丈夫でしょ! 前も届いたし!!
 これで本当に、今回の僕の仕事は終わり。胸の内側から疲労感が滲み出てくるような感覚があった。
「……そういや、ジニーさ。さっきDr.MJは、盗品は持ち主の元に戻ったって言ってたよね」
『なんですか、あるじ。薮からスティックに』
「うん。……うん? なんて?」
 相変わらず良くわからない言い回しである。まあいいや、そこのところはとりあえず。
「……冷静になって考えてみたけど、キミも彼らの『盗品』なんだよね」
 いや、まあ。そう。そうなんだよ。久々にホロウに入った謎のテンションか知らないけど、僕は彼らから金庫を引ったくって、無理矢理開けた挙句出てきたのがこの子なのだ。
 
「何気な〜くキミの存在を受け入れてたけどさ。本来の持ち主の所に戻すべきじゃない……?」
『────、────』
「こら黙るな」

 いっつも余計なことばっか喋るくせに。ポケットからスマホを取り出して画面を見ると、彼女のヒトツメは居心地悪そうに泳いでいた。
『そそそそそそそそそそれは』
「びっくりした。一瞬イヤホン壊れたかと」
『いや、いえ、いやぁ、yeah、huh……uh-huh、その』
「壊れたのは言語モデルの方かなこれ」
 ……珍しく言い淀んでいる。いやホント、珍しいな。ズバッと言いそうなのに。こういう時。
『わたくし、あるじとの会話がたのしいと』
「うん、聞いたね。嬉しかったから、覚えてる」
『さびしかったと』
「……まあ、言ってたね」
『――――、あるじは所謂【朴念仁】というヤツでございますか?』
「酷い言い草だな。それとこれとは話が別でしょ、元の持ち主が困ってるかもしれないし」
『ゆーずーが効かない方でございましたか……』
 いやまあ、僕だってジニーのおかげで助かった面はたくさんある。でもそれとこれとは話が別なわけでして。
『あるじのねがい、まだひとつ。ジーニーは三つ叶えれば手元ハナレル』
「あー……そうだった気がする」
『いえ、今の言葉取り消します。違います。待ってください。今、このJinni全力で言葉を選び直しておりますので』
 しばらくの沈黙がある。何と無くいつまでもポストの前で立っているのは気が引けて、自宅に向けて歩みを進めた。
『まず、正直な話。わたくしは【元の持ち主】を知りませぬ。記憶領域にロックがかけられている状態のようなモノでございますれば。これは嘘ではないゆえ、帰っていくらでも調べてくださっても構いません』
「キミがそこまで言うなら、嘘じゃないんだろうね。わかった。信じよう」
『して、その。――――その、』
 ……また言い淀む。画面の向こうで瞳が揺れて、間隔が短い瞬きを繰り返した後で。ようやく、画面越しに僕を見た。
 
『わたくしめの願いは、』
「願いは?」
『……、……あるじとズッ友。せめて、元の持ち主が見つかるまでは。期限付きでも、ダメでございましょうか』
「――――、」

 思わず、今度は僕が押し黙る。普段流暢に喋るくせに、この子はこういう時にしおらしい声を出すんだから。
 僕と話すのが楽しかった。そう告げた時も、そうだったっけ。

「――――はあ。仕方ないなあ、じゃあそれで約束ね」
『やった〜〜〜〜感謝感激雨霰大嵐落雷大災害』
「キミが感謝のあまり、新エリー都を壊すような子なら手放すよ……?」
『明日の天気は晴れ時々〝ウェブ〟くらいにしておきますわたくし偉いので』

 まあ、そういうところも計算して立ち回ってる――――とかだったら恐ろしいけど。そういう腹芸ができるタイプじゃないよね。……ないよね?

「……そういえばさ、全然関係ないんだけどさ」
『どうしましたあるじ、再び藪から棒に』
「ああそれそういうことだったの……いやさ、僕が二年くらいコツコツやってたソシャゲが三つほど、ホームの何処を探しても見当たらないんだけど」
『――――、』
「ジニー、知らな――――あ、こら!! 目を逸らすな!!」



 NEW ERIDU'S ARABIAN NIGHTS(新エリー都のアラビアンナイト)
 ――――――――――――――――
      THE END



 ――――SPIDER-MAN WILL RETURN(スパイダーマンはまだ何処にも行ってないよ!!)
  
 

 
後書き
はい。爆速で駆け抜けてしまいましたが、一章終わりです。来週からは二章が始まります。よろしくお願いします。 

 

プロローグ

 
前書き
祝日なので更新します。 

 

 おっけ! じゃあ最初から説明するね。僕の名前は、ピーター・パーカー!!

「起きた……起きた起きた。起きたってば。起きたからやめて。ねぇ、聞いてる?」

 一見平和でそれでも物騒な街――――新エリー都で暮らす、ちょっと冴えないフリーターさ!

「ねっむい……いやだから起きてるって。大丈夫」

 ……ひと月に一回くらいのペースでバイトをクビになるような男だけど。まあ、それくらいなら『ちょっと冴えない』で許されるよね。許してもらえるよね??

「わかってるよ……うん。そう。クビになりたくないし。天職だからね」

 でもそんな僕も、最近天職に就けたんだ。その名も、レンタルビデオ屋『Random Play』!! 僕映画が大ッ好きでさ。そんな大好きなものに囲まれて仕事できるなんて、天国だと思わない? 好きなものを仕事にすると辛くなるからやめろ、なんて最初に言い出したヤツとは仲良くなれないだろうね。だって今の僕、とっても楽しいから。

「――――いやそもそも三時ごろまではキミもノリノリだったじゃん」
『――?――、――――え』
「あーーーーーーそういうこと言うんだ!? ふーーーーんそう!! ああそう!!」

 ……あと、ちょっと独り言が多いから不審者かも。でも独り言ではないよ。少なくとも、今はね。
 え、イヤホンから若干音漏れしてる? 結構音量下げてるつもりなのにな。

「……研究発表会いつだったっけ」
『――――の、――――』
「いや今のは独り言。ありがとうだけども」

 あと最近ちょっと寝不足でさ。一応鏡で、隈が無いかチェックする所から僕の一日は始まりがち。

「おはようございま〜す」
「おはよう、ピーターさん!」
「おはよう、ピーター。今日もよろしく頼むね」

 新しい仕事も絶好調!

「――――まあだから、正直スクリーンでする映像体験と家のビデオデッキとテレビだと、それくらいの差は生まれると思うんですよ」
「なるほどねぇ」
「今ルミナスクエアでリバイバル上映やってるみたいだし……どうです?」
「行ってみようかしら……」

 好きなものを語るってなると、ちょっと早口になっちゃうのが玉に瑕だけどね。

「またのご来店を〜!」
「……ピーターさん、今のお客さんと何の話してたの?」

 店長のリンちゃんとアキラくんとも、と〜っても仲良し!

「え? いや。見たい映画があるって聞いたからさ。ちょうどリバイバル上映してるよ〜って」
「……、……ああ、うん。そう。そうだね〜、劇場での視聴体験は何物にも代え難いもんね……お兄ちゃんもいつも言ってるよ……」

 なんか僕を見る目が冷たいけど。絶好調だよ。いや、ホント。絶好調……だよね?

「じゃあ、ピーター。このビデオをルミナスクエア西側の住宅街まで届けてくれるかい?」
「サー・イエッサー!」
「常連さんで良い人だから、最悪遅れても怒られないよ。ピーターの不幸体質が起こらない程度に、ゆっくり頼むね」
「……サー・イエッサー」

 あーはいはい、フリーターの僕のことはとりあえずこれでおしまいでいい。
 
 ……キミたちだけに教えてあげる。僕にはもうひとつの顔があるんだ。

【ザ、ザ――――ミナスクエア中央通り、強盗犯が現在逃亡中】

 幼い頃に、実験所に居たエーテルまみれの蜘蛛に噛まれてから、僕は特異体質を得た。……らしい。らしい、ってなんだよ! ってツッコミは受け付けてませーん。

『あるじ、近いです』
「みたいだね。行こっか」

 壁に張り付き、這い回り――――まるで蜘蛛のような能力と、超常的なパワー。

【こちら、セス・ローウェル! 現場に急行します!!】
「おっ、セスくん来るんだ。でもごめんね、僕の方が早いかも」

 もちろん、その力をどう使うかと聞かれれば――――この街を守る親愛なる隣人。

『行きましょう、』
「ん。よし行こう、」

 スパイダーマンだ。

「おっ、スパイディ!! 今日も――――え、今日は何でそんなキテレツな」
「ちょっとね!」

 まぁ街を守るって言っても最近ホロウに入る許可を主治医のヤニカ――――こほん。Dr.MJからもらってね。

「スパイディだ!! ……何でそんな変な」
「ちょっとね〜!!」

 最初の依頼は苦労したよ……めっちゃ強力な、蠍の尾っぽみたいな機械を付けた男と戦ってさ。

「スパイディ〜!! ……えっ、なにそ」
「いやまあ、ちょっとね!!」

 ドン、ドゴン――――ドガ、バギ、ピュピュイ! ムズムズでブチブチ、バシュ、バシュッ……で大勝利さ。

「スパイダーマン……」
「あ、丁度いいところに。この紙袋持っててくれる? とっても大事な荷物なんだ。絶対開けずに、大事に持っててね」
「良いけど……なんで」
「ちょっとね!!」

 ……ンなに、わかりづらかった? じゃあ読んどいてよ。無料で読み放題だからさ。
 何って……そりゃネットニュース。活字あまり読まないタイプ?

『やはり目立つようですね、あるじ』
「みたいだねえ……」
『あ、お腹の穴の縫ったところ、ほつれてます』
「うっそ。これのせいかな……」

 その最初の依頼のおかげで、ちょっと――――いやだいぶ騒がしい相棒のAI……Jinniが仲間になってさ。なんだかんだで楽しくやってるよ。
 この一週間でだいぶ依頼もこなしたよ? それこそこんな風に。

「クッソ――――なんでこんな間抜けな見た目のやつに!」
「はいはい、逆さ吊りのままでいいから大人しくしてな、ね? そろそろ治安官が来る頃だろうからさ〜」

 やっぱりホロウの中に入る危険な仕事ってなると、そこそこお金も貰えまして――――、

「お、来た来た。久しぶり、セス治安官。ブラック・スティングの時以来かな?」
「また先を越されてしまったか。いつも思うが、アンタはどうやって先回りしてるんだ……?」
「それは企業秘密」

 今僕は、

「……というかその……スパイダーマン。聞いていいことか、わからないんだが」
「何、良いよ。僕とキミとの仲じゃん」
「……何故養生テープで、頭にスマートフォンをぐるぐる巻きに貼り付けているんだ……?」
「……ちょっとね」

 新装備のテスト中だ。……そう。テスト中。キテレツだけどね。だいぶね。


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SPIDER-MAN:Earth『ZZZ』
VOL.2『IN A FATHER'S ARMS OF TIN(ブリキの父の腕の中)』
――――――――――
 

 時刻はそろそろ二十二時に差し掛かろうとしてるところ。六分街とルミナスクエア、スターループ辺りを見回って――――僕の現在地は、バレエツインズ付近。
 特に何も異常はなかったけど、この辺は新エリー都の中でもだいぶ物騒だからね。一応念入りに見ておかないと。
「人の通りはいつも通り殆どないけど――――ほら、やっぱり」
 ビルの屋上から見下ろした先。銅像広場に降りる階段で、何やら怪しい動きをしてる、フードを被った人影があった。
 右足を乗っけた階段にはリュックが放置されていて、その中からは無数のスプレー缶が顔を覗かせている。

 とりあえずビルの屋上から飛び降りて、片膝をつきながら着地。そのまま階段の一番上から見下ろしてみるけど、気づかれる様子は特になかった。
「……、……」
 壁に右手をついてポーズを取ってみる。左手は腰に。足をクロスさせた渾身のセクシーポーズ。
 ……気づかれない。手すりに体を乗っけながら壁にスプレーを吹きかけるその姿は、真剣そのものだった。集中力がすごいなこの子。
 
「ねえ、ちょっと。その壁って、描いて良い壁?」
 
 痺れを切らして声をかけてみる。大きく肩を跳ねさせたその子の視線が身体ごと僕に向く。フードで見えなかったけど、なんか怪しげな仮面で顔を隠していた。
 目元だけ覆うような真っ黒い仮面。瞳の部分には、警戒した猫の瞳のように横に鋭く伸びた穴があって……その穴の向こうで、綺麗な青色の瞳が困惑で揺れているのが見える。
「素敵な仮面だね。猫モチーフかな? ……ああでも、目元に幾つか猫の引っ掻き傷みたいな塗装がされてるし……猫に引っ掻かれた人、がモチーフだったりする?」
「…………」
「猫好きだけど、猫に好かれないタイプかな。六分街に行くといいよ。あそこの猫、みんな人懐っこいから」
 仮面の向こうから、僕の足先から頭までをゆっくり往復するような視線が向けられて、最後に大きなため息が吐き出された。
「……なんだ、治安官かと思った。驚かせないでよ」
「なんだとはなんだい、キミ。一応僕咎めに来た側の人間なんだけど」
「親愛なる隣人サマはこんな軽犯罪にも目くじらを立てるの?」
「犯罪に大きいも小さいもないからね。見かけちゃったからには注意くらいするよ」
「あっそ」
 あ、また溜め息。大きく肩をすくめたその後で、右手に持ったスプレー缶をカラカラと音を立てて振っている。いや、辞めないんかい。
「……っていうか、なんかアンタのマスク……頭の部分。ベタベタしてない? ……テープでも貼ってた? ホコリとかくっついてるけど」
「……ああ、まあ。ちょっとね」
 聞いたくせに興味ないみたいだし。また壁に塗料を吹き付けて、口元は真剣そうに噤まれた。
 
 ……何と無く、その子の背後に回って、反対側の手すりに腰掛けながら作業を眺める。初めて見るし、興味がないのかと聞かれれば、まぁ興味はあるしね。
 
「女の子がこの時間にひとりとか、危なくない?」
「この辺に居るのは大概、酔っ払って寝てる人かボンプくらいだし。それに、今はアンタが居るから危なくないでしょ」
「僕の方がキミを襲うかも知れないよ? 犯罪者には結構容赦ないんだ。糸で拘束しちゃうよ〜」
「その発言、治安官が聞いたらそっちの方が不審者じゃない?」
「今のはオフレコで」
 あ、ちょっと笑った。小さく肩が揺れるのが見える。
「で、さっきの僕の質問に答えてくれてないけど。その壁は描いていい壁なんですか〜?」
「この新エリー都には描いていい壁なんてないよ。等しくどこに描いても犯罪だから」
「自覚あるんだ。それでも辞めらんない感じ?」
「わたしのストレス発散みたいなものだから。……それに、スパイディの私刑もある意味犯罪みたいなモンでしょ。一部の治安官はあまり良い顔してないみたいだよ」
 ……それ、何処かの誰かさんにも似たようなこと言われたな。タバコ吸いながら。
 にしても口がよく回る子だ。この子も多分、頭が良いんだろうな。
 
「よし、できた」

 少しの間があって、彼女が満足げに壁から厚紙を外す。その下から現れたのは、数本の色鮮やかな花が生けられた花瓶を、必死に背負って歩くボンプのイラストだった。ボンプからは吹き出しが出ていて、グラフィティでよく見かける字体で――――『RIGHT UNDER YOUR NOSE』と描かれている。
「目と鼻の先にあるのに気づかない……? なんの話?」
「んー……灯台下暗し、って感じの訳かな。わたし的には。どう? よく描けてるでしょ」
「よく描けてると思うけどね、タイル二枚分の小さい絵とはいえ犯罪ですからね」
「はいはい」
 呆れたように笑う仮面の女の子と、二人並んで暫く壁に描かれたイラストを眺める時間が続く。
 
「よく描けてるイラストだとは思うけど、僕にはキミが伝えたいことはあんまりわかんないかな。……で、壁(・)に(・)直(・)接(・)描(・)い(・)て(・)る(・)わ(・)け(・)じ(・)ゃ(・)な(・)い(・)のは、良心の呵責とか?」
「――――意外。イラストのテーマには気づかないのに、そっちには気づくんだ」
 
 ……言葉の通り『心底意外』と言いたげな声が飛んできた。何気にこの子、だいぶ失礼なのでは?????
 
「そりゃあ気づくよ。このタイル、多分だけど塗料が乗りづらい材質でしょ? なのに随分と綺麗に乗ってるし。それに、ライトに照らされて……フィルムかな。縁が薄ら見えてる」
「……へぇ。目、良いんだね」
「まあね」

 彼女の指先が壁に触れる。向けられた視線は、生み出したばかりの作品(我が子)を見つめているにしては、とても冷たいものだった。

「……まあ、正直この絵に込めた感情はあまり強くないよ。意味を聞かれてもちょっと困るくらい。まあ……強いて言うなら、『みんなは背負われてる花瓶や花ばかり見て、背負ってる方のボンプのことはあまり見ないよね』くらいの」
「立派に伝えたいことあるじゃん」
「でもその辺の適当な落書きと変わんないよ。たまーに、高尚な考えとか政治への文句を描きたくてヤッてる子たちもいるけどね」

 そう語る彼女の指先は一瞬滑るように、壁に描かれたボンプへと触れた。それでもすぐにその手は引っ込んで、スプレー缶をリュックの中に押し込むと、慣れた手つきでチャックを閉める。

「直接描いてるわけじゃないっていうのは正解。薄いフィルムを貼り付けて、その上に描いてるんだ。これ、お湯をかけるとすっごい簡単に剥がれる仕掛けになってるんだよ」
「……へえ。キミの自作?」
「そ。……だからね、剥がそうと思えばすぐに剥がせる。フィルムだって限りなく透明にはしてるけど、よくよく見れば存在に気づける。だからね、この絵が剥がされることなく、長いこと残されてること自体が『アート』になる――――って感じかな」

 リュックを背負い直して、その子はゆっくりと立ち上がる。僕のすぐ傍まで歩み寄ったその口元には、楽しそうな笑みが浮かんでいた。そのままパーカーのポケットから何かを取り出して、

「世の中には上っ面を見る人間ばかり。このイラストを消したいやつだって居るだろうに、剥がす方法は案外簡単。必死こいて考えなくても、割とすぐに方法は見つかるんだよ――――ってことで、『灯台下暗し』ってトコ。初見で気づいたスパイディには、プレゼントをあげる」

 僕のお腹にその取り出した〝何か〟を貼り付けた。何だ何だとスーツを少し伸ばして見下ろすと、『HELLO』と書かれたシールが貼られているのが見える。
 ……これ、名札シール? 空白には、

「StRaY……ストレイ?」
「そ。わたしの名前。タグネーム、ってヤツかな」

 ……あっ、やっぱり猫モチーフだったんだ。Sの頭の上には猫の耳……Yの真ん中の棒からは、Sの字を目掛けて猫の尻尾みたいな模様が伸びているのも見える。

「お腹、穴が空いてたのを縫い合わせたのか知らないけど、目立つくらいにほつれてたから。お近づきのシルシにプレゼント」
「あ、ありがとう……?」
「ああ、あとここのイラストを消す権利もあげるよ。んー……どうしようかな……うん。ひと月くらい経っても消えてなかったら、アンタの手で消してくれて良いよ」
「いやいやいや。すぐ消すよ。方法知っちゃったもん!」
「それじゃあだーめ。アートにならないでしょ? もう少し我慢してよ、親愛なる隣人サマ〜!」
「えぇ……」

 言いながら、彼女――――ストレイは緩く手を振り、階段を登って何処かへと歩いて、消えていく。

「……なんか不思議な感じの子だったな。他にも何処かで、同じ文言が書かれた絵を見た気がする。何処だっけ、ジニー」

 ……ひとり取り残された階段に、僕の独り言が響いて消えていく。

「……えっ、あれまた充電切れ?! どうりで静かだと思ったら……もー……」