断罪のエクスタシア


 

第一話 断罪

 人を信じても、返ってくるのは裏切りだ。
 そう理解していても、私は愚かに人を信じ続けた。

 火が、気持ちいい。
 皮膚がめくれ、肉が焦げ、骨がむき出しになっても、私は笑い続けていた。
 
 燃え盛る炎の向こう側で、人間たちの影が揺れている。歓声を上げ、石を投げ、狂い、叫び、笑い転げながら、私が絶叫をあげる瞬間を今か、今かと待ち続けていた。

 ——ああ、やっぱり人間なんて、信じなきゃよかった。

 火はすでに、喉元まで到達していた。それより下は真っ黒に(ただ)れ落ちて、すでに人らしい原型は残っていない。
 それでも、痛みを感じることはなかった。私はもう、人間ではいられないのだ。

 業火《ごうか》に包まれながら、私は思い出していた。
 あの、くだらないほど小さくて、今よりもずっと温かい日常を。

 朝起きて、みんなとご飯を食べて、昼寝して、笑い合って。
 ありがとうって言ってくれた。
 私の作ったご飯を、美味しいと言ってくれた。

 ——そんな未来が、ずっとずっと、続くと信じてやまなかったのに。

「魔女だ! こいつは化け物だ!」
「死んで詫びろ! 罪を自覚しろ!」

 狂った人間。
 狂った世界。

 どうして私が、こんな目に遭わなくちゃいけないの?
 どうしてあなたたちは、そうやって簡単に幸せを踏みにじれるの?

 ——ああ、もうどうでもいい。
 ——全部、壊してあげる。

 だってこれは、ただの“お伽話”なんだから。

「ねえ、知ってる? 昔はさ、魔女ってどこにでも、ありふれた存在だったんだって」

 人間たちの歓声が、少しだけ(しず)まる。皆が、魔女が残す遺言を、心待ちにしている。

「人はみんな弱くて、喧嘩して……でもね、勇者って名乗る子が、強い八人の魔女と一緒に、それをやめさせたんだって。でも、世界は変わらなかった——。人は魔女を恐れるようになってしまったの。そして、世界は魔法を捨てた。それなのに、気づいた時にはまた欲しがって、また魔法を生み出して……」

 炎がついに顔を飲み込み始める。皮膚が、肉が、炭に変わっていく。

「だからまた戦争が起こって、勇者がそれを止めて、また世界が壊れて……」

 そして仕事のように、また始まるの。
 ぐるぐる、ぐるぐる。
 壊れて、作り直して、また壊して。

「ねえ……滑稽(こっけい)でしょう?」

 次の瞬間、十字架が軋み、炎が弾けた。そして——拘束が()ける。
 ふっと持ち上げた腕はみるみるうちに形を戻し、触れた縄を溶かして黒く変色させていく。

「逃がさないよ?」

 私は地面にゆっくりと降り立ち、手を伸ばした。
 叫び声が上がるその度に、身体がひとつ、ねじ切れていく。
 舞い上がった血が地面に落ちるよりもずっと速く、私は次の体を掴んでいく。

 痛くない。
 怖くない。 
 ただ、全てを壊すだけ。

 私を裏切った家族を。
 私を焼いた人間どもを。
 私という存在を許さなかったこの世界を。

「もういいの、幸せごっこは終わり。次は、私が物語を作る番」

 何本にも分裂した手足が、触手のように周りの人間を手当たり次第殺していく。
 悲鳴が響き、地面が赤く染まり、肉が裂けて骨が折れて、全てが静かになったその時——

 一人の少女が、そこに立っていた。
 燃えるように赤い瞳。黒髪で、青白い肌。

「……やっと、見つけた」

 彼女はそう呟き、指先に光を宿す。

「————律命韶(りつめいしょう)

 その言葉とともに、光が私の胸を貫いた。
 崩れ落ちる瞬間、彼女と一瞬目が合う。
 悲しそうな、でもどこか、安堵しているような表情。

 彼女は、倒れ込んだ私を抱きかかえながらそっと呟いた。

「貴女が無事でよかった」

 ——ああ、私はなんて哀れな生き物なんだ。

 こんな身体になっても、どこまで魔女と罵られようと、それでもまだ、誰かを信じたいと思ってしまう。

 私は彼女の胸の中で涙を流す。赤ん坊のように、強く、強く。

 そして——私は勢いよく目を覚ました。

「びっくりした......」

 私はそう呟きながら、身体をゆっくりと起き上がらせた。外はもう暗い。どうやら、疲れて眠り込んでしまっていたらしい。

 それにしても、さっきの夢は何だったのだろう。夢にしては出来すぎているような、そんな感じがした。

 そう、それはまるで、誰かの記憶を覗き込んでいるような——

「まあ、なんでもいいや」

 所詮は夢、ただの悪い夢だ。いくら考えてもしょうがない。

 もう二十時を回っている。早く、子供たちの夕食を作らなければ。

 そう思いながら部屋を飛び出し、一階に降りた頃にはもう、夢の記憶など私の頭からは完全に抜け落ちていた。 

 

第二話 日常

「ご飯できたよー!」

 大鍋を抱えて食卓に向かう私は、大きな声でそう言った。
 次の瞬間、廊下の向こう側から子供達がどたどたとこちらに近づいてくる。
 
「フィオ姉、今日のごはんなに?」「いい匂い! はやくはやく!」
「今日は私の手作りカレーだよ。配膳するから、みんなお皿を——」

 その時、ドアベルの音と共に一人の少女が玄関から現れた。

「ほら、ちゃんと僕の焼いた肉もあるからな、楽しみにしとけよ」

 ボーイッシュな顔立ちとすらりとした体躯。彼女はそれに見合わない可愛らしい花柄のエプロンを身につけ、湯気の上がる大皿を片手で軽々と持ち上げていた。

「ミ、ミラ……? なんで外から……」
「ん? そりゃあ、直火の方が美味しいだろ? せっかく美味い肉があるんだしさ」

 ミラはキョトンとした表情でそう言いながら、こちらに大皿の中身を見せてくる。そこに並べられていたのは、直火で焼いた、黄金色の肉汁を溢れるほどに滴らせている大量の鶏肉ステーキ。

「わあぁ、肉だーっ!」

 誰かがそんな歓声を上げると同時に、子供達が津波のようにミラの方へと押し寄せてきた。

「落ち着いて! ちゃんとみんなの分あるから……」

 しかし、多勢に対して私の声はか細く、届かない。床を踏み鳴らす音も、純真無垢な子供達の声も、大きな群れが異分子を駆逐するかのように、私の声を殺してしまう。

「お前ら、並べ——ッ!」

 その時、鋭く低く、透き通った声が勢い良く空気を切り裂いた。それに驚いた子供達は、慌てながら列を作り始めた。声の主はミラだ。私とは違い、彼女が声を発せば一瞬で空気が変わる。

 ふと彼女の方を見ると、その視線に気付いたようで、“大丈夫だ、安心しろ”とでも言わんばかりのキザなウィンクをして見せた。

 配膳され終わった子から順に、目の前にある長机の適当な席にそれぞれ座り、各々が合掌をして料理に手をつけ始める。

 皆がスプーンで楽しそうにカレーをすくい、口に頬張っては笑顔を見せるその姿を見ながら、私はただ静かに、この上ない幸せを噛み締めていた。

 特に、目の前の机で、小さな口を開けて可愛らしくパンを頬張っているユキ——最愛の義妹の笑顔は、私にとって何よりも大事であった。

 全員の配膳を終えた私とミラは、自分たちの分、そして、この孤児院の養父—ヴィル爺の分を皿に注いだ。

「フィオナ、最後の一枚なんだが——爺さんにあげて大丈夫だよな?」
「うん、それでお願い」

 ミラは私の言葉を聞いて頷き、最後の鶏肉を彼の皿に載せる。

 私たちの分はない、この孤児院は貧乏なのだ。肉や調味料を調達するために、隣町のルキアに行くだけでも数日はかかってしまう。何かあった時のために、せめてもの経費削減である。

「フィオ姉、これ、あげる!」

 その時、ユキが私にそう言った。彼女は、鶏肉の乗った自分のカレーをこちらに向かって差し出していた。

「フィオ姉、いっつもお肉食べてないから……」
「ユキ……いいの、いいのよ。自分の分を、ちゃんと食べて。それは、私たちが貴女に食べて欲しいって思って作ったんだからね」
「でも、お腹すいてるでしょ……?」
「ううん、そんなことな……」

 ぐぅうううう————

「………あっ」
「ほら、すいてるじゃん!」

 ……何も言い返せない。実際、腹は死ぬほど空いていた。でも、十八才を過ぎてる私たちより、まだまだ育ち盛りのユキに少しでも栄養をつけて欲しい。一体、どうすれば——

「まあまあ、ユキ。フィオナは今、ダイエット中なんだ」

 その時、ミラが私たちの間に入ってきた。
 
「な、フィオナ。ダイエット中なんだよな、な?」

 ミラはそう言いながら、私の方に首を傾けて、目を合わせてくる。“話を合わせろ”と言わんばかりの眼圧。私は、苦手な嘘でその場を必死に取り繕った。

「あ、ああ……うん! そっそう、私、ダイエットしてるの!」
「そうなの……ほんとに?」
「ああ、本当さ。僕が言うんだからね!」
「あはは、わ、私、ダイエット中なの——」
「…………わかった! ダイエット頑張ってね!」

 ……もう、嘘は限界だった。間一髪のところで、にこりと笑ったユキは、自分の席へと戻って行った。

「ありがと、ミラぁ……」
「全く……最低限の嘘くらいは吐けるようにしとけよ。でないと、この先やっていけないぞ?」
「うん、分かった……」

 一悶着の末、安堵した私はミラと一緒に、ヴィル爺の横の空いている席へと向かった。

「ほう、今日のカレーもなかなかだな……うん、味も申し分ない。さては、腕を上げたな?」
「えへへ、そんなことないよ……」

 やはり、褒められると言うのは嬉しいものだ。

「爺さん、僕の肉はどうだい、完璧だろう? 外で焼くと風味が違うんだよ、風味が」
「はいはいミラ、自画自賛しないの。私知ってるんだからね? 何回も焦がしかけてたくせに」
「なっ……!」
「ははは、だが、焦げも香ばしさのうちの一つだ。ミラ、よくやった!」

 ミラは一瞬、照れくさそうに頬をかく。その後、ふっと微笑みながら肩をすくめて言った。

「ああ……こんな毎日が、ずっと続けばいいのに」
「そうだねぇ……」

 いつもと変わらない光景。いつもと変わらない幸せ。この穏やかな時間が、私たちを笑顔にしてくれる。

 食事を終えた私たちは、子供達の寝る準備に取り掛かった。子育ての中でも、一番の難関——そう、風呂だ。就寝時間に直結するため、こちらも必死である。

「こら、暴れないで……ちょっと、まだ服着てない! ミラ、そっち捕まえて!」
「ちょ、待っ……こっちも手がいっぱいで……」

 風呂上がりの暴走は、毎晩恒例の小さな戦争だった。話は通じない、羞恥心はない、でも走ったら転んで怪我をする……猛獣を使役するのと、何ら代わりはない。

 地獄のような約一時間の死闘。それをなんとか乗り越え、二十人全員に寝巻きを着せることに成功した私たち。しかし、本当の悪夢はここからであった。

 そう——子供達は消灯を嫌うのだ。

 皆、寝たくないと必死の抵抗を見せてくる。流石に、数が多いと力関係も逆転してしまう。こんな時に一番頼りになるのが——

「お前ら、良い加減布団に入れ———ッ!」

 そう、ミラだ。彼女はいつもの大声で子供達を統率する。ぞろぞろと一斉に寝床へと向かう子供達。

「じゃあ、灯り消すよー」

 そう言って、私は子供部屋に灯っていた最後の蠟燭を吹き消した。これで、全ての仕事は終わりだ、あとは、自分の部屋に戻って眠るだけ——

「フィ、フィオ姉……」

 その時、私は、誰かに服の裾を引っ張られた。顔を見下ろすと、そこには白い長髪を後ろに結んだユキの姿が。

「どうしたの? ユキ」
「あの、その……眠れ、なくて……」
「ふふ、仕方ないなぁ……じゃあ、一緒に寝よっか」

 私がそう言うと、ユキはぱあっと明るい笑顔を浮かべる。まだまだ子供だなあ、そんなことを思いながら、私は彼女の手をぎゅっと握って、一緒に二階の自室へと向かった。

 夏夜の自室は、数時間空けただけだというのにかなり蒸し暑い。ベッドの枕元にある小窓を開け放つと、心地の良い夜風が流れ込んできた。ちりん、と窓際に吊るされた風鈴——ルキアで一夜を明かした教会の神父様が、何故かお土産にと呉れた物だ——が軽快な音を鳴らす。

「じゃあ、寝よっか」
「うん」

 布団に入った私は、ランタンの灯をそっと吹き消した。暗闇の中、ベッドの上で横になった私の胸元にユキが顔を埋める。そんな彼女の頭を、私は優しく抱きながら目を瞑った。

「ふふっ、赤ちゃんみたい」
「別に良いじゃん……落ち着くんだから……」

 しん、と静寂。耳をすませば、風鈴の後ろでたくさんの音が聞こえてくる。木々のざわめき、夜の風音……その全てが、子守唄のように安らぎを与えていた。

「ねえ、フィオ姉」
「ん? どうしたの?」
「何か……はなして……その、読み聞かせみたいに……」

 ユキの声は、半分微睡に落ちかけているようだった。多分、昔を思い出したのだろう。四、五年前までは、いつもこうして寝ていたのだから。

「そうね……じゃあ、“旧人類”の話でもしよっか」
「うん……」

 それは世界中、誰でも知っている有名な話。もう、何年も聞いていないな——そんなふうに子供の頃を懐かしみながら、私はぽつり、ぽつりとその物語を話し始めた。

「これは、ずっとずっと昔の、まだ人々が魔法を知らなかったころのお話です——」

* * *

 世界には、恐ろしい八人の魔女がいました。

 彼女たちは、魔法で世界をめちゃくちゃにして、人々を怖がらせていたのです。

 ですがある時、勇者と呼ばれる、ノアという少女が現れました。

 彼女は不思議な力で八人の魔女を従えて、世界を救ったのです。

 けれど、平和は長く続きませんでした。人々は、魔女の力を欲しがったのです。

「俺に魔女をよこせ」「いや、私のものだ」

 争いを始めた人々を見た勇者は、悲しい気持ちと怒りたい気持ちでいっぱいでした。

 そこで、彼女は八人の魔女に言いました。

「こんな世界なら、いっそ作り直してしまおう」

 魔女たちはうなずきました。

 九人は力を合わせて、魔法の力で世界を作り替えました。

 そして、私たちが今住んでいる、魔法の使える世界が生まれたのです。

 ところで、元の世界の、魔法が使えない人々はどうなったのでしょう。

 神様は、欲深い彼らを哀れみました。

 そして二度と争いを起こせないように、その知恵を身体を奪って、地の底へ封じたのです。

* * *

「—— そんな彼らは、今でも地下深くで眠っているのだとさ、おしまい」

 私が話し終える頃には、すでに胸の辺りでユキの寝息が響いていた。私が今話した物語は、古くから伝わる、いわゆる“人類誕生の歴史”というヤツだ。

 再び、風に揺らいだ風鈴がちりん、と一度だけ鳴る。心地の良い風に吹かれ、段々と意識が微睡の中に落ちていく。

(ああ、こんな幸せな日々が、これからもずっと、続いていきますように)

 私は、心の底からそう願った。静かな夜。当たり前の夜。誰もが安らかに眠り、誰もが明日を楽しみに思いながら幸せな夢を見るありふれた一日の終わり。

 ——そんな日常が、あと数刻で呆気なく崩れ去ってしまうなんて、この時は誰一人、思いもしなかったのだ。 

 

第三話 襲撃

 ドンドンドン

 何処かから、ノック音が聞こえる。
 ドン、ドン、ドン

 もう一度。今度は、さっきよりも強く。
 夢と現実の間を彷徨(さまよ)っていた私の意識がゆっくりと戻っていく。窓越しに見える空は、まだ深い紺色に覆われていた。

「ごめんください、誰かいませんか?」

 見知らぬ男の野太い声が、外から響く。私は布団の上で起き上がり、小窓から頭を少し出して、真下にある玄関の方を見下ろした。

 ゴン、ゴン、ゴン

 さらにノック音が荒々しくなる。私の部屋と玄関は死角になっており、訪問者の姿を確認することはできない。

「……ユキ、起きて」

 私はそう言いながら、隣ですやすやと寝息を立てていた義妹——ユキの肩を揺らした。

「ん……なに? フィオ姉……」
「誰か、来たみたい」
「だれ……パパ……?」
「わからない、玄関に行かないと」

 私はそう言って、火を灯したランタンを片手に自室を後にした。廊下は夏場とは思えないほどひんやりと静かで冷たく、心臓の音がやけに大きく響いていた。私の左手の中でほんのりと温かく湿ったユキの手のひらだけが、私に平静を保たせていた。

 廊下を曲がると、ミラの部屋の戸が半開きになっていた。一足先に玄関へと向かったのだろうか。
 月明かりに照らされた空き部屋。ベッドは乱れたままで、誰もいない。私の胸の中で、何か得体の知れない嫌な予感が、繰り返し渦巻いていく。

 ——その時だった。

「答えろッ!!」

 男の怒声が廊下の向こうで響き渡る。同時に、何かが割れるような音。
 心臓の音がさらにうるさくなっていく。私はユキの手を振りほどき、荒い息を吐きながら、転げ落ちるように目の前の階段を駆け降りる。

「だから……知らないって!」

 玄関の先に、いた。
 ——首元にぎらつく剣の先端を突きつけられた、ミラの姿が。

 足元には割れたランタン。蝋燭(ろうそく)の炎が床板を黒く焦がしていた。
 ミラは依然として硬直している。乱れた黒髪。ゴクリという唾を飲み込む音。剣はすでに彼女の喉を浅く裂いており、脂汗と混ざった血液が、ぽたり、ぽたりと地面に落ちていく。

 その剣を手にする男は、真っ白なローブを羽織っていた。漆黒のマスクを目元につけており、顔は分からないが、唯一晒している口元は、無精髭(ぶしょうひげ)で覆われていた。

「最後にもう一度問う。“器”はどこだ」

 彼は、ミラに再びそう問いかける。殺気すらないその雰囲気からは、まるで話している相手を、人間とも思っていないような冷酷さが感じられた。

 そんな光景を前にして、私は――何もできない。十数メートル先で起こっているその光景を前にして、私はひどく怯えていた。子供たちを逃さなければ。ヴィル爺に助けを求めなければ。だが、声が出ない。体が、動かない。

「だから、知らないって言ってるだろっ……」

 ミラは彼に向かって、振り絞るような声でそう言った。

 数秒の沈黙。

 彼は、ミラに向けていた剣を、ゆっくりと引いた。
 それを見て安堵したミラは、誤解を解くために慌てて口を開ける。しかし——

「なあ、分かってくれただろ? 僕はそんなもの知ら——」
「ならば……死ね」
 
 そう言った直後、彼は剣を両手に持ち替える。そして素早く剣を頭上に構え————振り下ろした。

 音とは呼べないほど静かな斬撃音が辺りに響く。次の瞬間、ミラの顔がぱっくりと縦に割れた。血飛沫が舞い、男の(まと)う白装束が赤に染まっていく。

 そのまま彼女は後ろに倒れ込んだ。後頭部を勢いよく打ちつけたままぴたりと動かなくなり、その場で血溜まりが広がっていく。天井を仰いだ彼女の瞳が、徐々に生気を失っていく。

「…………えっ?」

 理解が出来なかった。理解、したく無かった。

「嘘……うそ……」

 ようやく動いた私の身体は、声にならない悲鳴をあげながら、必死にミラの元へ進もうとする。

「……まだ、生きているな」

 涙と嗚咽(おえつ)の中、一歩、また一歩、這いつくばるようにして近づいていく私の存在など、まるで無いかのように彼は振る舞い、止めを刺そうと再び剣を振り上げた。

「やめてッ————!」

 私は咄嗟に手を伸ばす。でも、届かない。
 その刹那(せつな)——顔の横を、何かが掠めた。

 激しい、金属の擦れるような音。何者かが、ミラへの攻撃を止めたのだと数秒経ってから私は気づく。

「黒魔術——《強制回復》五年付与」

 その声の主は、ヴィル爺だった。
 彼は、右手に青白い魔法陣を展開して剣の一撃を受け止める。そして、瀕死のミラの額にそっと手を当てながら再び詠唱した。

「第三階級魔法——|《転移》」

 彼は落ち着いた口調でそう言うとミラの身体が発光し、その姿が突然、音もなくどこかへと掻き消えた。それを見た白装束の男は一瞬驚いたような表情をした後、魔法陣に突き刺さった剣を引き抜いて、付着した血液を地面に振り払った。

「……隊長、追いますか?」
「いや……必要ない。たった“五年”だ、もうじき死ぬだろう……それに、あの娘は傷を負った。我らの望む“器”ではない。さて……」

 背後にいた一人の白装束の女に彼はそう告げ、再びヴィル爺の方に向き直して剣を構えた。

「……それを扱うとは。貴様、何者だ」
「わしはただのおいぼれよ……やはり来たな、アルト」
「なぜ、その名を——」

 ひどく動揺しながらそう言い終わる前に、ヴィル爺が先手を打つ。服に忍ばせてあったナイフを取り出し、それを勢いよくアルトに突きつけた。

 瞬く間に起こった出来事。彼は咄嗟にその攻撃を受け止めようとするが、それは惜しくも敵わない。手で受け止められたナイフの先端。それは深々と左目に突き刺さっていた。

 ヴィル爺はナイフを勢いよく引き抜く。噴き出す血飛沫、床に落ちたマスク。素顔をあらわにしたアルトは強く目を抑えながら、目の前の老人を睨みつけた。
 
 その目を見つめるヴィル爺は、悲しそうな表情をしながら言った。

「本当に、覚えていないんだな」

 アルトは再び剣を構える。もう一度戦闘が始まるその直前——ヴィル爺が、私の名前を呼んだ。

「フィオナ……子供たちを、頼んだぞ」

 先に動いたのはアルトだった。剣を前に突き出して頸を狙った一撃。ヴィル爺はそれを受け流しつつ、しゃがみ込んでの回避に成功する。
 攻撃後の一瞬の隙。それを彼は見逃さなかった。

「第四階級魔法——|《裂空》ッ!」

 そうヴィル爺は言いながら、宙に突き出された剣に向かってそのまま魔法を打ち込む。
 裂空——それは、触れている小物体を消し飛ばす、彼の出せる中で一番強い魔法。

 攻撃を受けた白装束の剣の刀身は、柄を残してその場で霧散した。攻撃手段を失ったその身体にとどめを刺そうと、ヴィル爺は彼の胸に再び|《裂空》を放っ————

 バンッ

 その時、一つの鋭い破裂音が辺りに響き渡った。鼻をつんざくような焦げくさい臭い。ヴィル爺の頭に、一つの小さな穴が空く。彼はそれにすら気付かぬまま息絶え、膝から崩れ落ちた。

 ——たった十数秒。わずかそれだけの間に、私は大切な家族を二人も失ったのか。

 そう自覚する前に、私の身体は先に動いていた。
 ヴィル爺の言葉が何度も頭の中で渦巻いていく。
 
 ——せめて、子供たちだけは。

 私は玄関に背を向けて走り出す——そして、一直線に皆の寝ている寝室へと向かった。 

 

第四話 惨殺

 体を翻し、階段横の寝室の扉を勢いよく開けた私は、子供たちの身体を思い切り揺らしながら必死に叫んだ。

「みんな起きてッ!! 逃げるよ、ほら!! ねえ、ねえってばッ!!」

 だが、相手は子供だ。こんなことで起きるわけが無い。
 どうすれば、いったい、どうすれば。
 パニックに陥った私は、やってはいけないことをしてしまった。

 パチン!

 そんな乾いた音が部屋中に響き渡る。叩いてしまった。自分の家族を。たった八歳の子供の頬を。
 その子は目を見開いてこちらを見た。叩かれた頬。痛みと混乱で瞳孔(どうこう)がぶれる。
 そして、思い出した。過去の記憶を。ここに来る前、毎日のように虐待(ぎゃくたい)を受けていた日々を。
 
 彼は、自分の右頬に手を当てて今起こったことを反芻する。そして、化け物を見たかのような、恐怖に震えるような表情を私に向けた。

「ぁ……ぁ……」

 か細い声。震えた声。差し伸べた私の手から必死に逃げようと後退する。
 私が無理やりその身体を抱きしめて寝室を後にしようとした、その時だった。

「……お姉ちゃん?」

 一瞬立ち止まり、私は咄嗟に後ろを振り向く。目の前に立っていたのは、一人の女の子。片手でぬいぐるみを引きずりながら、あどけない表情でこちらを見上げていた。しかし——

「かかれッ!」

 玄関の方から、アルトの怒声が聞こえた。こちらに、十数人の白装束が向かってくる。
 ここで引き返せば死んでしまう。そう、心のどこかで私は確信していた。
 私は、震える足で女の子に背を向ける。そして、勢いよく駆け出した。
 
「ねえ、お姉——」

 私の背中を見つめていたであろう女の子の声がそこで途切れた。同時に、ヴィル爺を殺した時と同じ破裂音が響く。

 一瞬、振り向いてしまった。
 女の子は、血濡れた人形を握りしめながら地面に倒れていた。

 もう、涙すら流れなかった。今すぐにでも、死んでしまいたかった。でも、まだ生きる希望があった。ユキとこの子が、まだ生きている。

 背後で、たくさんの音が聞こえた。泣き叫ぶ音。何かが千切れる音。何かが砕ける音。何かがつぶれる音。心を殺す必要はなかった。もうそんなもの、とうの既に壊れていたのだから。

 玄関にはまだ白装束がいた。外に逃げることはできない。背後はすでに地獄絵図と化していた。

 数刻前まで皆で囲んでいたはずの食卓には、赤く生温い液体と、人間の肉が大量に散乱していた。足元を掠めていくぬるい液体が誰のものなのか——そんなこと、考えたくもない。

 その時、胸の中で暴れ続けていた男の子が、遂に逃げ出してしまった。そのまま二階へと逃げていく彼を私は追いかける。

 階段の踊り場には、座り込み、顔面蒼白の状態のユキがいた。一部始終を目撃していたのだろうか、彼女の足元には吐瀉物(としゃぶつ)と黄色い液体が広がっており、階下に滴り落ちていた。男の子は全身を振るわせながら、その身体をユキにうずめていた。

「ユキ、逃げるよッ!」
「逃げるって、どこに……」
「私もっ、わかんないよ……ッ!」

 私は半ばパニックになりながらそう答える。泣きじゃくりながらユキと男の子の手を掴み、無理やり立ち上がらせて二階へと駆け出した。

 息を切らせながらも、私は廊下を無我夢中のまま走り抜けた。焦げ臭いにおいと地面から漏れ出る煙が鼻をつんざき、息苦しさはさらに増していく。

 ユキの手はひどく汗ばんでいた。後ろから必死の息遣いが聞こえてくる。
 男の子の手はまるで死人のように冷たく、震えていた。私から逃げ出そうと必死になっているのが、強く感じられる。

「あっ!」

 その時、地面を何かが擦れるような音と共に、私の右腕がぐい、と引っ張られた。慌てて後ろを振り返ると、そこには受け身も取れないまま思い切り転び、頭から血を流している男の子の姿が。

「ああもう……! ほら、立って!!」

 一刻を争う事態。苛立ちを隠せない私は、心配そうにこちらを見つめるユキの手を乱暴に離し、彼の両腕を掴んで引っぱり起こそうとした。

 しかし、次の瞬間、鈍い轟音が辺りを包んだ。脳が揺さぶられ、一瞬、全ての音が消える。
 そして——裂けた。木製の床が、真っ二つに。

 砂煙が勢い良く舞い上がる。私はその衝撃波に飲まれ、身体を思い切り吹き飛ばされた。生まれてから今まで、一度も感じたことのないような激痛で全身が悲鳴を上げる。そんな中、私はなんとか体を起こして、地面に伏せたままの男の子の元へと向かった。

 薄くなり始めた砂埃の先——穴の下がどうなっているかが、ありありと私の目に焼き付いた。

 それは、巨大な怪物の口のように見えた。無秩序に裂けた床板は鋭い牙のように尖っており、血の涎を垂らしながら次の餌を待ち続けている。

 口の中では、かつて家族だったものが無惨に咀嚼されていた。腕、足、胴体、首、臓物——人間のありとあらゆる場所が露わになった、かつて五体満足の形を成していたとすら思えないほど赤黒く染まった残骸が、乱雑に散りばめられていた。

「たす……け……」

 足元からか細い声が聞こえる。私はその光景から出来るだけ目を逸らしつつ、再び男の子の両腕を掴んで引き上げようとした。

 ずるり、と何かが滑り落ちる音。視界の中で赤いものが大量に噴き出ていく。軽い、あまりにも軽すぎる。

 その瞬間、私は理解した——男の子の腰から下が、なくなっていると言うことを。
 自分の手の中には、彼の上半身だけが残っていた。その顔は笑っていた。恐怖で引きつった笑みのまま。

 私は咄嗟にその手を離してあとずさってしまう。べちゃ、と音を立てながら口の中へ無抵抗のまま落ちていく胴体。その最中、私の前に、一人の青年が姿を現した。

「よっと……あれ? 外しちゃったかあ、君らで最後っぽいし、一発で仕留めたかったのになぁ。あれ、もしかして攻撃、効かなかった感じ? ひょっとして、君が“器”なのかい?」

 口の中から這い上がり、そう言いながら無邪気な笑顔を見せる彼の左手には、私の身長ほどあるような大剣が握られていた。

 彼もまた、ヴィル爺とミラを殺した白装束と同じ格好をしていたが、その服は血で赤く染まっており、白い箇所はほとんど見当たらない。

 ——逃げろ。

 そう、心の中で私の本能が叫んでいた。

 横で呆然としていたユキの腕を無理やり掴み、引きずるようにしてその場を離れようとする。

 彼女もまた、男の子と同じように深い傷を負っていた。それは腹から胸にかけて斜めに痛々しく入っており、今もなお、血が流れ続けていた。
 それでも、私は走り続けた。今は、そうすることしかできなかったから。

「はは……ははははっ!」

 轟音と共に、その笑い声の主が私の後ろから迫ってくる。
 顔のマスクを取り外し、投げ捨て、大剣を自由自在に振り回しながらこちらを見据える彼は、美しいほどの金髪と、血走った深い青色の目をしていた。

「おいおい、逃げるなよ」

  そう言って、大剣を両手持ちに切り替えた彼は、それを地面めがけて勢いよく振り下ろした。背中にびりびりと衝撃波が伝わる。

「あっ!」

 その時、床を真っ二つにするかのように出来た巨大な亀裂に足を取られてしまい、身体が大きく前に傾いてしまう。ユキを守らなければ。私はその一心で腰を思い切り捻った。

 思い切り背中を打つと同時に、鈍痛が身体中に広がる。間一髪で、ユキが地面に激突するのを防いだものの、衝撃で彼女の身体は投げ出され、床に転がってしまった。

 こつ、かつ、と近づいてくる足音。ぼやける視界の中、ユキの元に辿り着こうとするが、私の身体は痛みでぴくりとも動かなかった。

「うっ……うぅ……」

 目の前で苦しそうに呻きながら、自分の腹部を押さえているユキの指の隙間からは、赤い液体が絶えず滴り落ち続けていた。動け。動け。心はそう叫んでいても、身体が言うことを聞かない。無様に這いずり回ることしかできない。痛みに耐え、手を伸ばす。こつり、かつり、さらに足音が増していく。

「ははっ……いいなぁ……その表情……あはははっ!!」

 愉快な笑い声が、壊れ掛けの廊下中に響き渡る。

「ま、とりあえず君からにしようか」

 彼は軽い足取りでこちらに近づき、大剣を私の顔の前に思い切り突き刺してからそう言った。
 そして、その場で屈み、動けない私の顔にそっと手をやる。

「ああ……いいねえ……薄桃色の長髪。澄んだ赤色の眼。殺すのにはとても勿体無い……もし、君が“器”だったなら、永遠に僕の奴隷として飼ってやる手もあったんだけどね」

 彼はゆっくりと立ち上がり、突き刺さった大剣を片手で引き抜き、その鋒を私に向けながら言った。

「じゃあね、またいつか、地獄で会おう」

 血で黒く濁った刃が持ち上げられる。それが私の頭目掛けて振り下ろされようとしたその時——

「やめ……て……」

 そんな、か細いユキの声が聞こえた。彼女は、おぼつかない足取りで私の前に立ち塞がる。
 
「ああ、なんだ? お前はもう傷物なんだから要らないんだよ! 用済みなんだよ!!」

 そんな彼女を見て、目の前の男は苛立ちを隠すことなく、大剣を床にどん、どん、と打ち付けながらそう言った。
 大の大人でも怯んでしまう程の威圧。しかし、ユキは怖気付くことなく口を開けた。

「もう……やめて……フィオ姉を、きず——」

 次の瞬間、目の前に血飛沫が舞い上がった。
 ばたり、そんな音と共に、ユキの身体が二方向に倒れ込んだ。

 縦に割れたユキの身体。散らばる内臓。広がる血溜まり。

 私は、彼女と出会った日のことを思い出していた。

 にこにこと笑うヴィル爺の胸の中で眠る小さな幼子。私は、雪のように白く美しかった彼女に、ユキと名付けた。

 ——そんな彼女の姿は、もうない。既に、ユキだったものは赤く染まっていた。

 彼女から飛び出したまま血に浮かぶ、たった一つの眼球だけが、その白さを未だ保っていた。

「あぁ……あ……っ……!」

 起き上がれないほどの痛みすら忘れて、私はその血溜まりに飛び込んだ。まだ、まだ治せるはずだ。目は、脳は、胃は、腸は、心臓は、骨は——

「何やってんだ? 穢らわしい」

 ユキの血をすくい、身体をくっつけて、内臓をかき集めようと暗い地面を這いずり回る様を見下ろしていた彼は、そう言いながら私に、ユキの一部を蹴りつけた。

 甘くてしょっぱい鉄の匂い。口の中に入った肉は、どこか酸っぱいような感じがした。

 私は、そのままユキの身体に吐瀉物を撒いてしまう。彼女の周りが、だんだんと赤色から橙色に変わっていく。

「もういい、死ね」

 私の視界が、次の瞬間、前に落ちた。ごとん、という音と共に、自分の頭と身体が切り放されたのだと気づく。

 そして、自分の胃液とユキの血液が顔面を覆った。もう、痛みすら感じない。

 意識が遠のく中、私は強く願っていた。“復讐できる力が欲しい”と。

 ごとり、と自分の首が上を向く。四つん這いの姿勢で硬直していた自分自身の身体が、目の前で崩れ落ちて行く。それから数秒後、私の視界も呆気なく暗転を迎えた。 

 

第五話 発現

復讐(ふくしゅう)したいんだろう?」

 そんな声と共に、私は目を覚ました。眠ったことのないベッド。見たことのない部屋。横に立ってこちらを見下ろす、私と瓜二つの少女。そして、周りで立ちすくむ、首のない二十一人の子供達。

「なら、私と契約を交わすんだ」
「あなた、誰……?」

 私はそう、目の前にいる少女に問いかける。

「私の名前はモモ。願いを叶える魔法使いさ」

 彼女はそう言い、ベッドの横で跪きながら私の右手をそっと握った。

「さあ、願い事を」

 私はふと、周りにいる子供達の身体を見回す。青白い身体には首がついていないはずなのに、何故か皆、絶叫しながら苦しみ、悶えているように感じた。
 私の心の中に一切の悲しみはなかった。あるのは、ただただ全てを失ったのだと言う現実と、それを防げなかった自分への嫌悪感だけ。もう、迷いはなかった。

「奴らに、復讐させて」

 私はそう、モモに向かって呟いた。彼女は、にやりと笑って口を開ける。

「承知いたしました。我が主人、フィオナ様。その願い、この私が叶えてみせましょう」

 彼女が、手の甲に口づけを交わす。次の瞬間、視界が真っ白に明転し、私は意識を失った。

* * *

 ぞくり。
 
 彼は、先ほど首を切り落とした目の前の少女から、突如として異様な雰囲気を感じ取った。

(なんだ? さっきとは全く違う雰囲気—―まるで人格そのものが入れ替わったみたいだ)

 そう思いながら彼が大剣を構えたその瞬間——

「殺せ」

 私は彼に向けて右腕をかざし、そう告げた。同時に、周りから黒い粘液のようなものがどくどくと脈打って巨大な腕を形づくっていく。みるみるうちに巨大化したそれは、瞬時に彼の身体を掴み取り、宙に浮かせた。

「なんだ、これ……!? くそっ、くそっ、離せっ!」

 私は自分の首を掴み、それを元の位置に戻した。ずぶずぶという音と共に、断面がくっついて元に戻っていく。私はゆっくりと立ち上がり、手に少し、力を入れた。
 ぎりぎりぎり……そんな音と共に、彼の身体を掴む手の力も強くなっていく。 
 
「がっ……ぎゃ……」

 苦しめ! 苦しめ!! 苦しめ!!!

 私はそう思いながら、ゆっくりと時間をかけて、手に込める力を強めていった。ぱき、ぱき、と骨が軋み砕け、ずぶずぶと折れた骨が内臓に刺さっていく音が聞こえる。

 苦しみ、悶えながらも生きる希望を見出し、必死に足掻く哀れな狂人は、絶命する瞬間も無様で、狂っていた。手で果物を搾ったときのように、握り拳の下の方から血肉が滴り落ちていく。

 ——ああ、なんて楽しいんだろう!

 私は満面の笑みを浮かべながらその巨大な腕を床に思い切り叩きつけた。
 
 轟音と共に木の板はあっけなく崩れ落ち、そのまま、血に塗れた一階へと私は降り立つ。
 目の前で、私を見て驚愕の表情を浮かべている白装束たち。私は、拳の中に残っていた肉片と大剣を、彼らに思い切り投げつけた。

 標的は、ミラとヴィル爺を殺したあの男——しかし、彼はその攻撃を躱してしまう。肉の塊はそのまま後ろにいた二人の白装束に当たり、彼らの身体を弾け飛ばした。

「まさか、発現したのか……ッ! 総員に告ぐ、“器”を鎮圧しろッ!」

 そう言ったアルトは、すぐさま私を指さして仲間に指示を出す。
 だが……今の私を止められる訳がない。

 私は、思い切り地面に右足を叩きつけた。瞬時に地面全体に伝搬していく黒い“それ”。私はもう一度、勢い良く右足を振り下ろす。

 次の瞬間、地面から生えたのは無数の棘。しかも、痛みを増すために表面をわざと粗くして、あえて急所を外している。

 両手を地面に当て、“それ”を瞬時に回収する私。攻撃を仕掛けようとした数人は、身体中の至る所に空いた穴を掻きむしり、悶え、苦しみながらその場で血溜まりを作っていった。

——今の私なら、なんだってできる! 何にだってなれる! もう、何かに怯えなくてもいいんだ!

 私は満面の笑みを浮かべながら、子供のようにきゃっきゃと飛び跳ねた。そんな姿を見た白装束たちは、みんな怯えて、壊れかけのこの家から逃げ出そうと、一人、また一人と逃げ出していく。

 ——絶対に逃すものか。

 私は、唯一の出口である玄関を狙おうとした。右手を広げ、“それ”を射出しようとする。だが——

 バンッ

 そんな音があたりに響いた。私の脳天に穴が空き、そのまま後ろに倒れ込んでしまう。

「化け物め……貴様の相手は私だッ!」

 女がそう言いながら私を睨みつける。そうか、あれは“銃”という武器なのか。知らないはずなのに、なぜか分かってしまう。これも“願い”の影響なのだろうか。

 すぐさま起き上がった私は、穴の空いた自分の額に手を突っ込んだ。それを見て狼狽する銃持ちの女。ぐちゃぐちゃという肉をかき混ぜる音を立てながら、私は彼女の撃ち込んだ“弾丸”を取り出した。
 指よりも小さな鉄の塊。こんなものに、ヴィル爺や子供たちは命を奪われたのか。

 ……まあ、どうでもいいや。

「やられたら、おんなじようにやり返さなくちゃねえ!」

 私はそう言いながら彼女めがけて駆け出す。恐怖で震える彼女は、玄関の前で腰を抜かしながら、繰り返し引き金を引くが、その弾が私に傷を与えることはない。一発、二発、三発、四発。私の身体に当たった弾丸は、身体の中を経由して私の左手に収められていく。

「つかまえたあ!」

 私は彼女を押し倒し、目一杯の力で抱きしめた。ばきばきと骨が砕け、悲鳴が部屋中に響いていく。
 乾いた音を立てながら地面に転げ落ちる銃。私はそれを右手に取り、持っている計五発の弾丸を手際よく装填した。
 
「じゃあね、また地獄で会おう」

 彼女の額に銃口を当て撃鉄を起こし、引き金を引く。声も上げずに、彼女は血を流した。そのまま私は馬乗りになり、死んだその顔に向けて続けざまに四発の銃弾を撃ち込んだ。見るに耐えない無様な顔に変貌を遂げた彼女を見て、私は耐え難い快感に全身を震わせる。

 ——今だけは、今くらいは、楽しんでもいいよね?

「ちょっと、逃げないでよ」

 私は立ち上がり、玄関の向こうで逃げ回る白装束達に向かってそう呟いた。さあ、どうやって殺そうかな——そんなことを思いながら、自分の右手に握られた、弾切れの拳銃の撃鉄を再びかちりと起こす。

 右手を顔の前にやり、照準を合わせる。引き金をなぞる指先。そして——

「——ばんっ!」

 そう言いながら、私は引き金を思い切り引いた。次の瞬間、銃口から飛び出したのは黒い塊。それは音もなく、逃げ惑う白装束の一人目掛けて、一直線に飛んでいった。

 ぐちゃり、そんな音と共に、勢いよく塊が身体を覆い尽くす。そして、瞬く間に四肢がひしゃげた。肉と混ざった塊はべちゃりと地面にこぼれ落ち、荒い首の断面から血飛沫が吹き出していく。

「わあ……出た! なんか出た! あはは!」

 私は笑いながら、次々と引き金を引いていく。ああ、こんなにはしゃいだのはいつぶりだろうか。最後に覚えているのは、ずっと前に行った、隣町ルキアのお祭り。確か、まだ仲良くなかった私とミラをみかねたヴィル爺が、荷台に乗せて連れていってくれたんだっけ——。

 屋台の光。焼き菓子の匂い、手を繋いで歩いた私たち——その全てが、血と悲鳴に捩れ、混ざり合っていく。

 黒い弾丸は私の手から次々と飛び出していった。ばん、ばん、ばん。そう言うたびに悲鳴が聞こえ、一人、また一人と血飛沫を上げる。私だけのオモチャと化していく。

「もっと! もっと……って、あれ?」

 気づいた時には、もう誰一人として、目の前に生きた人間はいなかった。

「……あーあ、もう終わっちゃった……」

 家族も敵も、みんな消えてしまった。そう思うと、少しだけ心が軽くなったような気がした。目の前で転がる大量の死体。背後で燃え盛るかつての我が家。そんな中、私の笑い声は場違いに響き、夜の闇に溶けていった。
 
「————なあ」

 その時、目の前の暗闇から、一つの人影が現れる。
 ボロボロの身体。左半身は大きく抉れ、なんとか立っている、という状態であった。割れた腹筋には、紋様のように見える大量の刺青が彫られている。
 そして、首にかかったペンダントの中では、何か黒いものが、まるで心臓のように脈打ち、蠢いていた。
 その右腕に携えている一本の剣。潰れた左目。間違いない、ミラとヴィル爺を斬った、あの男だ。

 私は反射的に手を伸ばした。体の奥から蠢き出す、触手のように伸びた“それ”が、迷いなく彼の肉に絡みつく。
 さあ、これで終わ——

「黒魔術、千年使用」

 彼がそう言ったのと同時に、触手が切り刻まれ、彼の姿が掻き消える。

「終わりだ、クソ野郎」

  次の瞬間、声は真下から響いた。禍々しい雰囲気が漂い始める。その発生源が彼のペンダントであると気付くのに、そう時間は掛からなかった。

 この力を得て十分後、私は今、初めての“誤算”にぶつかった。これは殺し合いだ。私がしたのと同じように、一切の慈悲はない。

 次の瞬間には殺されるかもしれないという恐怖心。今までの私なら腰を抜かして絶望していただろう。だが——今は違う。

 楽しい、楽しい、楽しい!
 
 まるで恋人と共にする夜のように迸る興奮!
 殺しに飽き始めた私を再び絶頂へと促す“死の恐怖”!

「——ほら、早くきて?」

 私はそう言って、裂けてしまうほどに口角を引き上げた。 

 

第六話 受肉

 彼はこちらを覗き込むような形でこちらに突進。私はそのまま押し倒される。

「……何を企んでいるの? こんなことしたって、無駄——」

 その時、私は気づいた。
 なぜ、動かない。腕すら掴まれていないのに、全身が鉛のように重い。まるで見えない何かに押さえ付けられているかのような——

「お前は、俺と一緒に死ぬんだ」

 目の前で奴が嗤う。そして、彼は首にかかったペンダントを右手で持ち上げた。それは、不快な金属音を発しながらひとりでに開く。そして、中にいた何かが勢いよく飛び出した。

 私たちの周りをぐるぐると回るそれは、形を持たぬ黒い影のようなもの。質量を増大させながら、ねじれ、蠢き、無数のヒトの顔を思わせるものを浮かばせては消えていく。

「俺は、“あの方”から選ばれたんだ……これでようやく、神に近づくことができる」
「何を、言ってるの……!」
「——死ね、人を捨てた化け物め」

 そう言い放つと同時に、オルトは大きく口を開けた。直後、辺りを覆っていた黒い何かが収束し、その中に勢い良く飛び込んでいく。

「……これが、千年を封じた力か」

 彼はゆっくりと剣を抜いて夜空に掲げる。
 そして——自分の首を真っ二つに叩き切った。

 目の前で血飛沫が舞う。だが、何かおかしい。死んだはずなのに、私にかけた術がまだ解けていない。一体、何が——

「ああ、神に仕えし信徒よ、我をお救いください」

 その時、彼の声がした。半分に切られた頭の、左片方がそう喋っていた。それに応えるかのように、右片方が口を開ける。

「ああ、それを許そう、哀れな忌み子よ。さあ、身体を明け渡すが良い」

 抉れた彼の腹の傷が瞬きのうちに治り、勢いよく腕が生える。右頭の眼球が、剥き出しの頭蓋からこぼれ落ちる。左頭の口より上が、解けて地面に滴り落ちる。

「「おお、我らが悲願を今こそ果たそう。信徒として、神の落とし子として、再びこの地に降り立つのだ!」」

 二つの声が不協和音を響かせながら、彼の身体がぎしり、と軋む。そして、背中が不自然に反り返り、胸のあたりが波打った。

 皮膚の下で何かが動いている。蛇とも蛆とも、あるいは別の何かともつかない黒いモノが、皮膚越しに見えた。形が変わるたびに、内側から押し広げられ、破裂しては膨張して彼の身体を覆い尽くしていく。

 背骨が一本一本、ゆっくりと皮膚を裂きながら伸びていった。彼が、苦痛にも快楽にも似つかぬ、形容できない吐息を漏らす。

 その時、彼の胸が、外側へ向かって勢いよく裂け、内側から何かが溢れ出した。血ではない、何かどろどろとした黒い液体が、まるで重油のようにどろりと溢れて私の身体をみるみるうちに覆い尽くしていく。

 「アァァァ……ッ、もっとだ……まだ……足りぬ……ッ」

 さらに胸の裂け目が上下に広がり、肋骨そのものが歯のように変質し、ぬるりと開いた。そこに“いた”のは、無表情でこちらを見据える顔。先ほどペンダントの中にいたものと同じ……いや、違う。もっと濃く、もっと歪で、もっと——

「喰ワレヨ……喰ワセロ……喰ラワセロ……」

 新たな“口”が呻くように開閉し、ミミズのように細長い無数の黒い舌のようなものが外に垂れた。
 分離した元の顔もまた動き出し、左右にぐらぐらと揺れながら笑いだす。

「ああ……これが“信徒化”……ついに、この時が……ッ!」

 その言葉と同時に、二つの顔が崩れ落ちた。その断面からは、黒い羽根のようなものが生えてくる。そして、ぐちゃぐちゃと音を立てながら、身体そのものが“変態”を始めた。

 皮膚を破らず、肉の中からゆっくりと押し出されるように。
 細いが、異常に長い腕。関節が四つ、指が六本。すべてが細長く、節ばっている。
 巨大な黒翼の先に生えたのは、巨大な爪。彼はそれで地面を掴み、音もなく立ち上がった。

「見ヨ、我ガ“信徒”ノ姿ヲ…………」

 目の前の顔が、そう呟いた。そして、先程まで私に騎乗していた、だらりと垂がった足が痙攣し、最後の変形を始める。

——そこに立つ化け物は、もはや人間の形を保っていなかった。

 顔は鴉の嘴のように変形し、その表面には六つの人間の眼が浮き上がっていた。

 その真横から生えているのは、一対の黒翼。先に生えた巨大な爪は、前足のように機能しており、地面を掴んでいる。

 顔の真下からは、一本の足が伸びていた。獣のように毛むくじゃらで、ところどころ骨も剥き出しになっている。

 まだ、私の身体は動くことを許されない。逃げたいのに、逃げることができない。視界の端では、制御を失った触手がのたうち回っていた。

——こんな姿になってもなお、私は敗けてしまうのだろうか。
 
「禁忌ノ娘ヨ、貴様ヲ“新たな器”トシテ連レテ行ク。旧神(きゅうしん)様ハ、ソウ望ンデオラレル……ッ」

 彼の身体が動く。その瞬間、私の身体が制御を取り戻した。
 それに気づいて動こうとする。だが、一足遅い。
 化け物は、咄嗟に退いた私の動きを予測し、その凶爪を振り翳した。


「————サァ、堕チヨウ、共ニ。」

 目の前で、無数の黒い羽が舞い上がる。
 次の瞬間、私の身体は化け物——“信徒”の黒翼に包まれた。