ラジェンドラ戦記外伝~岩の英雄~


 

第一話 両雄邂逅

 旅の空からこんにちは。シンドゥラ王国第二王子ラジェンドラです。現代日本からの転生者で、生前の名前は・・・まあそれはどうでもいいか。
 
 『アルスラーン戦記』の愛読者だった俺は前世の記憶を取り戻して、自分がラジェンドラに転生していることを知って、だったら俺が原作のあの胸くそ悪い結末を変えてやるんだと決意した。
 
 それで手始めに痛覚と人間性を失い、闘争本能だけに支配された獣の様になるはずだったバハードゥルを救い、パルスの王妃タハミーネが産んだ娘のダミーとして寺院に捨てられた三人の女の孤児を引き取ったりし、その後は割と好き勝手に生きていた。まあ、原作開始まではモラトリアムみたいなものだよなと。
 
 一つ誤算だったのが、実兄ガーデーヴィの豹変だ。原作通りに実の父カリカーラ王は正妃の死後、箍が外れたかのように酒食に走ったのだが、その様が余りにも原作通りで笑えるなあと思いながら黙ってみていたら、何を思ったかガーデーヴィは父の部屋にあった酒だの強壮剤だのを全て飲み干して公務に戻るようにと諫言し、そんな無茶の代償として当然のようにぶっ倒れた。その後意識を取り戻したガーデーヴィは全くの別人のようになっていた。穏やかな微笑を浮かべて、蛇蝎のように忌み嫌ってきたはずの俺に接し、周囲には的確な指示を出して国政の混乱を鎮めた。
 
 「一体何があったんだ?前世の記憶でも思い出したのか?」とも訊いてみたのだが、怪訝な顔で「お前は何を言ってるんだ」と言い返された。生死の境を彷徨ったのだから、人が違って見えるのは当たり前だろうと。
 
 それにしては人が変りすぎた。本来なら俺はそんな兄の豹変を警戒すべきだったのかもしれない。だが、豹変後の兄の方がそれ以前よりも好ましく思えてしまってなあ。前世では一人っ子だった俺は気安く付き合える歳の近い同性の身内って関係性を初めて知り、その心地よさを気に入ってしまったのだ。
 
 まあ、腹の立つこともあったけどな。真面目一辺倒で不器用だったはずが、俺よりも遙かに抜け目なく立ち回って、俺だけが不真面目で不出来みたいに言われるとちょっと待てと思わずには居られなかった。それだけならまだしも、文武共に明らかに兄の方が上と判断され、正式に兄が王太子にまでなってしまうとなると、それは余り面白くはない。
 
 だから、ちょっとした腹いせに兄と結婚するはずの美女サリーマを我が物にしようかとしたが、それは完全に失敗した。転生者で未来の判る俺とくっついた方が安心安全だと必死になって口説いたが、王太子にも選ばれなかった貴男が実兄に勝てるとは思えないと言われればそれまでだったしな。
 
 それに、豹変後足繁くサリーマの元を訪れ、確かな絆を築いていたらしき二人の間には元より俺なんかが入り込める隙間なんてなかった。結婚し、王太子妃として冊立された彼女を、兄はひとときも離さず、連日睡眠不足気味の顔で朝議に現れるほどだったから、思わず寵愛も大概にしろと怒鳴りつけてしまった。まったく、何で俺がそんなことを言わなければならないんだ。
 
 その一方で、父王カリカーラは病で床に伏すことが多くなった。原作では我が子たちの不仲に頭を痛め、自分がしっかりしなければと気を張っていた部分も多かったのだろう。

 その反動とやたらと束縛の厳しい正室が居なくなったことによる一時の気の迷いで酒食に走った。だが、それが原因で長男が諌言の為に行った行動のせいで生死の境を彷徨うことになったとあってはな。我に帰って何て馬鹿なことをしたのかと自分を責めたことだろう。余計に自分がしっかりしなければと再び気を引き締めたはずだ。しかし、何が幸いするか分からないもので、意識を取り戻した長男は人が変わったかのように頼もしくなった。これなら一安心だと思ってしまったのだろう。

 短期間の内にそんな緊張と緩和が繰り返されたことが災いしたのか、わずかな間とは言えいい歳して酒食に耽ったことの影響なのか、急激に父の容態は悪化した。今では誰も父に政務に戻れとは言えぬし、兄が大過なく政務を代行する様を見て誰も言わなくなった。形の上では今でも父は王のままで、兄は摂政として一時的に政務を代行しているだけだが、既に代替わりが行われたと言っても差し支えない状況になってしまっている。

 そんな状況下で俺は兄にいいようにこき使われていた。ときに地方の反乱の鎮圧の為に兵を率いたり、官僚たちに不正や癒着が無いか目を光らせたり、今回のように外国に使節として赴いたり。

 今回俺はトゥラーンを友好親善の為に訪れようとしている途中だ。面倒な仕事ではあるが割と楽しみでもある。何しろ原作では名前さえ明記されることの無かったトゥラーンの王弟をこの目で見ることができるのだ。原作ファンの転生者としては思わず表情が緩んでしまうのを止められなかったのも無理はなかっただろう。

「殿下~、一体何をそんなにニヤけているのさー?」

 馬車に同乗している乳兄妹のラクシュが半目で俺を見ている。まずいな、少しは表情を引き締めなければ。そう思いながらも思わず笑みが零れてしまう。

「いや、これから会うことになるトゥラーンの王弟、どんな間抜け面をしているんだろうと想像するとどうしてもな」

 そう答えると心底ラクシュは呆れた顔をした。
 
「殿下、ちゃんと私達の報告書読んだ?その王弟がどれだけヤバいヤツかってのをこれでもかと書き連ねてあったはずなんだけど?」

「ああ、もちろん読んださ。確か名前はハドバータルって言うんだったよな?それだけはよく憶えてる」

「ちょっと、それ冒頭部分でしょうが!さては最初だけちょろっと読んで放り投げたな!そもそもガーデーヴィ殿下だって最大限に警戒するようにって言ってたでしょうに!」

「そう言われてもなあ・・・」

 何しろ三国連合五十万の軍勢を率いながら、ナルサスの離間策に引っかかり、果てはダリューンに一刀両断にされたっていう究極のやられ役だ。そんなのを警戒しろと言われてもなあ。
 
 それにハドバータルって名前だって、『岩の英雄』って意味だろ?岩は石よりも硬くて強いとかいう極めて頭の悪い理屈からつけられた名前に違いない。石器時代の勇者か!オフレッサー上級大将かよと思ってしまうだろうがよ。
 
「『傲り程恐ろしいものはない』って普段口を酸っぱくして言ってるのは殿下の方なのにさー。そんなに甘く見てるときっと痛い目に遭うんだからね!」

「大丈夫だ。全く問題ない!」

「問題ありそうだから言ってるんだってば!」

 頬を膨らませてなおも何かを言いかけたラクシュだったが、馬車の扉がコツコツと叩かれると、向き直って誰何する。

「誰?」
 
「バハードゥルです。殿下、王都サマンガーンが見えて参りました」

 御簾を上げて窓の外を見やると前方に膨大な数の天幕が広大な草原に並んでいるのが見えた。そして天幕の意匠は多種多様で何種類もの旗が風にたなびいている。
 
「何だ?やけに旗の種類が多いな。実に統一感がないというか・・・」

「それ、併呑された諸部族の旗だよ。ここ二、三十年ほどで四十もの部族がトゥラーンの王弟率いる軍勢に倒されて幕下に加えられているって話だよ?」

「・・・そ、それはまた随分と凄い話だな・・・」

 気を引き締めてかからなければならないかもしれない。そう思って臨んだトゥラーン国王との謁見だったが、拍子抜けに思えるほど、実にスムーズに話が進んだ。
 
 四十代半ばの国王は圧倒的な支配者というより調停型の人物で、シンドゥラとの外交関係を特に荒立てるつもりもないようで、難題を押しつけられることもなく、ほぼほぼ現状維持で友好関係を保っていくことが決まりつつあった。
 
 が、その終盤に謁見用の天幕に乱入してきた者があった。
 
「兄者、シンドゥラからの使者がお見えになっているそうですな!」

「おお、我が弟よ。おぬしも立ち会ってくれるとは有り難い。ラジェンドラ殿、こちらはハドバータル。我が国が誇る大陸公路に敵無しと呼ばれる勇者だ」

 その男を見てまず感じたのがデカいということだった。身長は恐らく2メートルを優に超える。そしてそれ程の長身でありながら全く細身には感じられない。金銀で飾られた豪奢な甲冑を身にまとっているが、それがはち切れんばかりの筋肉で押し上げられ、悲鳴を上げているかのようだった。俺は今までこれ程デカい人間を見たことは、他に一人ぐらいしかいない。そして、片手には巨大な弓。どうやら狩猟に出ていたようだ。
 
 更に印象的なのはその双眸だ。巨眼としか言いようのない大きすぎる瞳は何処か油断のならない鋭さも感じさせるような輝きを帯びている。鼻も口もデカい。小顔の女性の倍ぐらいに各パーツがデカいと思えるほどだ。ちょっと縮尺間違ってませんかね?
 
「使者殿、よくおいでなされた。歓迎いたしますぞ」

 わずかに頭を下げようとして、兜をかぶったままだったことに気付いたらしい。これは失礼とか言いながら兜を脱いだのだが、俺は露わになったこの男の頭部に目が釘付けになった。
 
「べ、弁髪!?」

 思わず日本語で呟いていた。彼の頭髪はトゥラーン人の他の誰とも違っていた。前世に清王朝の皇帝の肖像画で目にしたような、頭部のほとんどを剃り上げながらも一房だけを束ねて腰まで達するほどに垂らしている、あの弁髪と呼ばれる髪型をしていたのだ。

 そんな俺の低い呟きが耳に入ったのか、この王弟は一瞬目を見開いた後、ニヤリと笑みを浮かべ、ゆっくりとこちらに近寄ってきた。敵意はないと示すためか弓は後手に放り投げ、実に人好きのする笑顔を浮かべながら肩を叩いたまま、俺の耳元に囁いた。
 
「おぬし、転生者だな?儂と同じで!」

 全身が凍り付き、総毛立った。 

 

第二話 王弟前世

 儂の名はハドバータル。トゥラーン王国の王弟だ。

 狩りから戻ってきたらシンドゥラ王国から使者が来ていると言うので、顔見せをしてみたのだが、意外な反応を見ることが出来た。

 普通の人間は儂の頭を見ても奇妙なものを見る目をするのに、このシンドゥラからの使者は既知のものを思いがけない場所で見たと言う驚愕を顔に浮かべていた。

 しかも、「べ、弁髪?」と日本語で呟いていた。それを耳にして確信したわ。この男、現代日本からの転生者だとな。

 思わず歩み寄って声をかけてみたが面白いくらいに動揺していた。儀礼に疎い儂でも分かるくらいにそれ以降のこの男の振る舞いは滑稽であったわ。

 もっとたくさん言葉を交わしたいとは思ったが、謁見の最中だからな。さっき声をかけたのも大概無作法であったし、自重して謁見が終わるまで大人しく待ち、終わるや否や儂の天幕に引っ張り込んだ。うむ、これで心置きなく話が出来るな。

「前世で儂は暴走族の総長をしておってな。全国制覇ってのを本気で目指しておったのだ」

 それを聞くと使者殿、いや、ラジェンドラ殿と呼ぶべきか、は目を丸くしておった。

「全国制覇!?マジでか?そんな漫画みたいなことを現実でやろうとするヤツがいるのかよ?ヤンキー漫画の読み過ぎだろう?」

 ヤンキー?大リーグの球団の名前か?と問い返すと、彼の時代には不良をそう呼ぶ様になっており、儂の頃の『ツッパリ』ってのは死語になっていたそうだ。

「となるとおぬしはあれか?学校の窓ガラスを壊して回ったり、盗んだバイクで走り出したりしたような年代の不良なのか?」

 そう言う言われ方は心外だった。

「…別に儂自身は壊しては回らんかったし、バイクもちゃんと上納金で買ったぞ?盗んだりなどしておらんわ!」

 時代的には間違ってはいないがな。尾崎豊も中村あゆみも大好きではあった。

「…上納金って、それもどうかとは思うが、そんなのがまかり通るなんて本当に漫画みたいな話だな」

「ふっ、確かに漫画には影響されたな。とは言ってもヤンキー漫画とやらではなく、学習漫画のチンギス・ハーンの伝記にだがな!」

 子供の時分に読んで非常にワクワクしたのだ。戦った相手をそのまま傘下に収めて拡大し、大陸の大部分を席巻したモンゴル帝国。その初代の生き様に憧れない男の子など、この世に存在するはずがあろうか?いや、いないであろう。男のロマンというヤツではないか!

 が、目の前の男は乗ってこない。醒めているのか?

「…子供の頃ならそうかもしれないな。だが、モンゴル帝国の侵攻によって大陸では数千万人規模の死者が発生した。それを思うと単純に憧れだとかロマンだとか言えないと思うんだが…」

「別に彼らだって好き好んで楽しく虐殺しまくってた訳ではないと思うぞ?負けた癖に頑なに言うことを聞かないなら殺すしか無かろう?儂だって後味悪い思いをしたこともあるさ」

「……」

 だがまあ、そんな事はどうでもいい。

「ろくに学校にも行かず、ケンカに明け暮れてたらな、『アンタだったら、腕っぷしだけで天下が取れる!日本中の不良どもをねじ伏せて、全国制覇を目指してみねえか?』って言い出すヤツがいてな。あれよあれよと言う内に俺は関東蒙虎連合って暴走族の総長に祭り上げられちまった。だが、そこからはマジでチンギス・ハーンの覇道を地で行くような感じだった。敵対するチームを殴り倒して傘下に加えては組織を拡大していく。その繰り返しで儂のチームは全国制覇の一歩手前まで行ったんだ!」

 本当に後もう少しだったんだがな。

「だが、その直前に副長を任せていた男にこう言われた。『貴方には人の心が分からない。そんな貴方にこれ以上総長をやらせてはおけない。貴方に代わって俺がこのチームの頂点に立つ!』とか言い出してなぁ」

「なるほど、お決まりの内部抗争ってヤツが起きた訳だ。それで?一歩手前止まりってことはそれでケンカに負けて全部ご破算になったとかか?」

 ラジェンドラ殿の目は存外情けないお人だとでも言いたげだったが、違うわ。断じて違う。儂が腕っぷしで負けるはずなど無い。

「単純なケンカで決着を付けるんなら儂の勝ちだったわ。だが、『それでは当たり前にアンタが勝つだけだ。そうでは無くて、チキンレースで決めないか』と副長が言い出してな。『それとも度胸には自信が無いか?』とまで言われては儂も退く訳にはいかなくなってな。それで副長とチキンレースで競り合って、…気付くと儂は母親の乳を吸っておったのだ」

「はぁ?」

 展開が唐突すぎると思ったらしい。儂もそう思った。何が起こったのか未だにさっぱり分からない。儂がしくじったのか、それとも副長が何かやったのか。今でも答は出ていない。

 だが、ラジェンドラ殿はさっきより更に馬鹿を見るような目を儂に向けてきた。

「おぬしそれは、その副長とやらに嵌められたんじゃないのか?ちょっと迂闊すぎるぜ?」

「馬鹿にするでない!警戒してバイクもコースも念入りに確認したに決まっておるだろう!不正も謀略の証拠も認められないのを確かめてからチキンレースを開始したのだ!儂はそこまでの単純馬鹿では無いぞ?」

「……」

 そこまで断言してようやくラジェンドラ殿は他の可能性の検討を始めたようだ。

「それはともかく、憧れてやまなかったモンゴルみたいな部族の王族に転生できたのだ。前世のことなんてその内どうでも良くなったわ。それよりも自分自身の武力を鍛え、馬を乗りこなし、軍勢を率いることに夢中になった。鍛えに鍛え抜いた結果、儂の強さは前世を遥かに上回るものとなった。前世では乗ったことも無かった馬と言う生き物はバイクと違って命も心もあり、心が通じ合いさえすれば求めれば求めただけ応えてくれるものだと分かったしな。それに前世よりも桁違いに多くの人間を率いて戦えるってのは、快感と言うしかないものでな。草原に点在する他の四十もの部族との戦いは実に心躍るものであった。儂は転生して本当に良かったと思っているわ」

 この世界の天の神様が前世の儂の早過ぎる死を惜しんでこの世界に連れてきてくれたんだろうと、儂は勝手に信じている。だから儂は周りの誰よりも熱心に天に祈るし、喜捨も欠かさない。本当に感謝しかない。

「ただ、この世界に違和感を感じることもある。この世界にはチンギス・ハーンがまだ現れていない。それどころか、この世界では騎馬民族が中原を制したと言う歴史すらない。大陸公路の東では絹の国の単一の王朝が千年に渡って中原を保持して、異民族の侵入をこれまでずっと阻み続けている。大陸公路の反対側のパルスは多分前世の世界のペルシャなんだろうが、実に手強くトゥラーンの前に立ちはだかっている。この儂も二度ほどパルスには戦いを挑んだが、いつの間にか勢いをいなされ、敗北の二文字を刻まれた。二つの強国に挟まれて、この国は大きくなるきっかけをつかめずにいる。儂の軍勢と対峙したのは二度ともパルスの大将軍ヴァフリーズであった。強いことは強い。が、儂ほどではない。こちらの攻めに抗することもできず、だが壊走まではせぬまま踏みとどまって儂の軍勢を足止めし、そしてその間にアンドラゴラス三世率いる本隊に儂以外が負けて大勢が決し、自動的に儂までもが負けたことになっていると言う印象だな。もしまた次に戦うことがあるなら、そしてそのときアンドラゴラスが儂の前に小細工なしに戦いを挑んでくるのなら、儂は勿論受けて立つ。今度こそ負けぬ。負けるはずがないと思っている。だがなぁ……」

 思わずため息が出る。我が実兄である国王や、それに付き従う貴族、政治家、それに軍人どもは、パルスとの再戦に消極的だ。

「儂がこれまでの敗因を分析し、どれだけ軍備を揃え、兵を鍛えて必勝の態勢が整ったと説いても、決して頷いてはくれぬのだ。戦って、勝ちさえすれば、儂はこの世界におけるチンギス・ハーンとなれる。少なくとも、そうなるための大きな一歩を踏めるはずなのにな…」

 そんな儂の言葉をどう受け止めたのか、ラジェンドラ殿はこんなことを言い出した。

「なあ、おぬしは先代のハーンの末子で、本来騎馬民族は末子相続なんだろう?おぬしが兄王を倒して至尊の座に就いて、王命としてパルスを攻めると命じればいいだけの話じゃあないのか?なのに何でおぬしはそうしないんだ?大陸公路に並ぶ者無しなんだろう?負けるはずなど無いのにどうしてそうしないんだ?」

 半ばそそのかすような、挑発するかのような口調であった。

 それを耳にして儂は、こみ上げてくる笑いをこらえようとはしたものの、こらえきれなくなっていった。止めようもなく、笑いが漏れる。

「クックックッ、フッフッフッ、ワーハハッハッハッ!!!!」

 それは含み笑いからやがて哄笑に変わっていった。可笑しい。可笑しくてたまらぬ。長い時間をかけてようやく笑いを噛み殺して、儂は声に力を込めて断言する。

「そのようなこと、する訳が無いであろう?この儂が!!」







 

 

第三話 家族之絆

 
前書き
ほのぼのホームドラマの始まりだ(大嘘) 

 
 他国の王弟が、自国の飛躍の為に強国へ戦争を仕掛けようと提案しても国王が首を縦に振ってくれないと嘆いていたんで、「じゃあお前が王になれば?」と提案したら、真顔で否定された。それじゃあ、その直前の笑いの三段活用は一体何だったんだよ。

 そんな思いを込めて半目で睨むと、小さく笑ってハドバータルは説明を始めた。

「そもそも儂は前世の言葉で言えばファザコンでな。前世で母子家庭に育った儂には今生での父親が初めて出会った尊敬できる目上の大人だった。何を訊いても明解な答えを教えてくれるほどに賢く、正体不明の刺客に襲われて利き腕を失うまでは儂よりも強かったしな。…偶然だろうが父がそうなった夜、儂も顔を隠した刺客に襲われて、片腕を斬り落として辛くも撃退してな。あれ程手強い相手には未だ相まみえたことは無い」

「……」

 いや、それってハドバータルの父親が息子を秘密裏に襲撃したものの、返り討ちに遭ったってことなんじゃないか?

 実父以外に自分に敵う者無しと調子に乗ってる息子に、『図に乗るな、この世には自分以外にもお前に敗北を刻める人間など幾らでもいるのだ』と思い知らせようとした。

 だが、若き日のこの男は父親を相手にすると苦手意識から本来の実力を出し切れないだけだった。

 顔を隠した父親相手にはその枷が外れて、全力を出し切れた。

 その為、結果としてそのとき初めて父親を凌駕し、片腕を奪って敗走させるに至ったってことなのでは?

 俺のようなひねくれた人間にはそんな風にも思えるのだが、目の前のこの男は全くそんな風には思っていないようだ。

 同じ夜に二人もの恐るべき刺客が現れる。そんなことも起こり得るのだなとか首を傾げているばかりだった。

「…とにかくだ。そんな風に心より尊敬できる父親から『ハドバータル、お前を跡目にはしない。遺産も相続させない。お前は臣下として兄を支えるのだ』と言われて、その理由まで噛み砕いて何度も説かれればな。最初こそ食って掛かったものの、結局納得しない訳にはいかなかったさ」

「ほう?どんな風に説明をされたんだ?」

「『お前を王にした場合、王のお前が敗死した日には、拠り所を失ってトゥラーンが滅ぶ。そうならないようにお前を王にしないのだ』と言われたのさ。そんなことにはならない。自分は勝ち続ける。道半ばで負けて死ぬなんてことはあり得ぬと抗弁したのだがな」

「常勝はあっても不敗はない、とでも言われたのか?」

 常勝のラインハルトも、不敗のヤン・ウェンリーに敗北感を味わわされただろうし、当のヤンにしても殺害されている。真に不敗でいられる兵家なんて存在しないと言えるだろう。

「まあ、そんなところだな。
『確かにお前は強い。何度か死地に送ったり、遺恨が複雑に絡んだ者たちを率いさせて仲間割れを起こさせようとしても、お前は笑って勝利をもぎ取ってきた。
父自らの手で身の程を弁えさせようとしても上手くいかなかった。
ついぞお前に敗北を教えることは出来なかった。
だが、太陽が常にお前の為に輝く訳ではない。いずれお前も敗北を知るときが来る。誰がどのようにやるのか、この父にも見当がつかないがな』と言われてな。まあ、卑怯な罠にかかるかもしれぬし、寿命が来て時間切れで負ける可能性もあるとは確かに思った。だが、更にもう一つ理由があると言われた」

「もう一つ?」

「ああ。『お前に前世の過ちを繰り返させない為だ』とさ」

「…前世って、おぬし、父親に話したのか?自分が転生者だってことを?」

 普通、それは誰にも言わないものだろう?俺も前世で多くのラノベやアニメに触れてきたが、カミングアウトするケースは稀にしかなかった気がするんだが。

「さっきも言っただろう?初めて出会った尊敬できる目上の大人だったと。だから前世のことも話したさ。そして『副長の造反はお前のしくじりのせいだ』と言われたよ」

「しくじりねぇ…。どんな風に言われたんだ?」

 組織運営もへったくれもないワンマンだったとか?

「『お前は副長の取り決めた事柄を勝手に覆したことが何度もあっただろう?それも一度や二度ではないくらいに。副長が自分の決定を尊重して欲しいと何度も申し入れてもその度に反故にされた。副長の権威など有って無いようなものだった。このままでは組織がまとまらないと思ったのだろう。副長は自分が頂点に立って、お前の口出しを許さないようにしなければならなくなった。そこまで副長を追い詰めたのはお前自身だ』とな。…返す言葉もなかったさ」

「な、なるほど…」

「『だからお前ではなく兄を頂点に据え、お前が兄の決定を反故にする権限を奪う。意見を述べるのは構わぬ。だが、王の最終決定は遵守せよ。他者に取り成しを求められても断れ。自分はあくまでも王の剣であり、王命に差し挟む口は持たぬと言え』と言い残して父は大往生を遂げたよ。どうだ?凄え父親だろう?」

「…そ、そうだな……」

 何て父親だ。息子から前世の話を聞いていたとは言え、そこまで分析して、更には制度上も前世の失敗を繰り返させない仕組みを整えるとは。

 何でそこまで考えられる人間が大陸公路に覇を唱えるでもなく、草原の片隅で燻ってたんだ?

 いや、単純に武威が足りなかったのか。息子ほどの武勇はなく、武略の面でも息子に敗北を教えられなかったのだからな。

「そうして父の死後、儂は兄の登極を支持し、武力でもって懸命に兄を支えたさ。だが、どれだけ勝利を重ねても、戦利品を全て兄に委ねても、兄の瞳から儂への猜疑の色は消えなかった。むしろ日に日に色濃くなっていくかのようだった。そんな日々が五年ほども続いた後、兄王が病に倒れたのだ。医師の見立てでは死に至る病で余命幾ばくもないとのことだった」

 いや、さっき謁見したこの男の兄貴、実にふくふくとしていて、健康そうだったぞ?死ぬほどの病気をしたことがあるとは到底信じられないほどに。

「医師が人事を尽くしても及ばないなら、天命をどうにかするしかない。祈祷師に何か儂に出来ることはないかと尋ねたところ、冥府の王は冥界から腕を伸ばして生者の魂を掴んで持っていくものだと答えた。だから儂は考えたのだ。その腕を何とかすればいいのではないかとな。その日から儂は兄の眠る天幕の出入口に立ちはだかって虚空に剣を振り続けた。目には見えなくとも冥界から兄の魂を連れ去ろうとする腕が伸びてくるなら、それを斬り払い続けようと。それから四日間ほど不眠不休で剣を振るい続け、最終的にはぶっ倒れた」

「当たり前だ!むしろよくそこまで気力体力が保ったな?そんな無駄な努力に意味なんて無いだろうに!」

「意味はあったさ。何しろ儂が目を覚ますと、そこには冥府の王がいて、儂と兄はその前で獄卒に取り押さえられていたのだからな」

 そんなのは夢だろうと一笑に付したかったが、ハドバータルの眼は真実と疑ってないかのようだった。

「冥府の王は袖をめくって傷だらけの両腕を儂に突き出してきた。『見よ、お前が剣を振るって私の腕を斬り続けたせいでこの有様だ。お前の兄の寿命はもう尽きるというのに、お前はいつまでこんな無駄なことを続ける気だ?』と。だから儂はこう答えたさ。
決まってるだろう?あんたが音を上げるまでだ。兄の寿命が尽きる?だったら儂の寿命を半分差し出すから兄を助けてくれ!と」

「…おぬし、恐いもの知らずだな……」

 冥府の王、日本語で言うなら閻魔大王ってところだろう。それに対してそんな啖呵を切るとはな。

「はん、恐いなどとは感じぬさ。それより隣で兄が『馬鹿な、何をやってるのだおぬしは!それに冥府の王に対してそんな口を!大体おぬしはいつもいつも―」』とか言ってくるのが鬱陶しかったわ。冥府の王は獄卒に命じて兄を黙らせ、儂に向き直って訊いてきた。『良いのか?お前には今後数十年の寿命があり、大陸全土を制すことが出来るほどの天運にも恵まれている。だが、寿命が半分になれば道半ばで命が尽きることになるぞ?』と。それを耳にして儂は爆笑してしまったわ」

「…そ、それは実に見事な天運だな。思わず笑ってしまっても無理はないと言うか…」

 他国の人間にとっては笑い事じゃないけどな。この男が原作通りに死んでくれないとアルスラーン戦記が始まらなくなるし。

「そうではないわ。笑止だと思ったのさ。儂は冥府の王に問い返したさ。
それは素晴らしい天運だと言いたいが、儂はそれを何年保ち続けられるんだ?とな。そうしたら冥府の王は見事に口を閉ざしたわ。まあ、儂のことだからな、そんなことだと思ったわ。
そんなんだったら迷う必要はない。いいから儂の寿命を半分兄に分けてくれ、と重ねて頼んださ」

「そ、それはまた…」

 普通は大陸を制するほどの天運だと分かったら有頂天になって当然だろう。だが、前世の失敗で思い知ったのか、この男は実に冷静だった。

「『馬鹿な!何故そこまでしようとする?強過ぎるおぬしを、いつも予は疎ましく思い、いつか背くのではと疑っていたと言うのに!』とか兄が目を潤ませて訊いてくるので、儂は笑顔でこう答えたさ。
勿論兄上が儂を疑っていることは気付いてましたよ。儂も最初は尊敬する父の遺命だから兄上に頭を下げてるだけでした。ですが兄上が皆の話に根気よく耳を傾け、人の気持ちに寄り添い、言葉を尽くして説得するのをみて、儂には到底できないことが兄上にはできると悟りました。だから、この国に本当に必要なのは兄上だ。人の心が分からず、戦うしか能のない自分ではないのです、と。
そんなやり取りを冥府の王は見ていたらしくてな。
『よかろう。願いは聞き届けた』と言う重々しい声色の宣言が聞こえたかと思うと、気付くとようやく目を覚ました儂の身体に、兄が泣いて縋り付いていたわ。
『済まぬ、済まぬ』と頻りに泣いていてな。
それからは兄王と手を携えて草原の諸部族を斬り従えてきた。儂が戦場で勝敗を決し、兄王が諸部族をまとめ、トゥラーン国民一丸となって強く大きくなってきたのだ。小賢しいカルルックなどが何度か離間策を試みて来たが、儂ら兄弟の絆、いや家族の絆は、そしてトゥラーン国民の結束は誰にも引き裂くことはできなかったのだ」

「そ、そうなのか……」

 思った以上にこの兄弟の絆と国民の結束は固いようだ。安易な離間策など、まるで通用しないくらいに。

 だが、結局この男は原作ではダリューンに一刀のもとに斬られる。だから恐れる必要はないと思っていた。

 少なくとも、ハドバータルと飲み交わした日の翌朝までは。 

 

第四話 公路無双

「うう…、頭が、頭が痛い……」

 昨晩はハドバータルにしこたま飲まされたからな。原作には頭の中で水牛が躍ってるとか言う表現があったが、まさかそれを自分の身で体感することになるとは…。

 天幕から出るとすぐそこにバハードゥルが護衛として待機していたので、こいつを伴って顔を洗うために水場に向かう。

 すると途中で剣戟の音が聞こえてきた。音の方へ近づいてみると、広場みたいになっている場所で、昨日俺を酔い潰したハドバータルが二人のトゥラーン人を相手取って剣を交えていた。俺たちは物陰に隠れ、すかさず隠形を使った。まあ、本職の諜者に比べれば拙い限りではあろうが。

 一人はやや小柄で童顔の男で、片手に吹き矢らしきものを持っていることからすると、ジムサか。

 もう一人は日焼けした浅黒い顔に、額と左頬に白く浮き出た刀痕が目立つが、更に目を引くのはその鋭く剽悍そのものな眼光だろう。顔の特徴的に、こっちはハドバータルの息子のイルテリシュか。

「ふははは、どうしたイルテリシュ、腰が引けておるぞ?お前の悪い癖だ。苦しくなるとすぐに気持ちが逃げに傾く」

「ち、父上、私は決してそのような!」

 やはりイルテリシュだったようだ。このハドバータルの息子はムキになって連続突きを放つが、父親に軽々と躱されている。…巨体の割には随分と動けるようだ。

 その時、こちらの下手くそな隠形を見破ったのか、ジムサが

「!?曲者?」

 と叫んで短剣2本と吹き矢をこちらに向けて放ってきた。

 バハードゥルが瞬時に剣を抜き、短剣を弾き飛ばし、吹き矢だけは躱した。

 何を考えて吹き矢だけ躱したのかと思ったが、草が疎らに生えた地面に突き刺さり、刺さった部分が溶けたのを見て理由が分かった。おそらく何かしらの毒物が塗られてたようだ。

「何だ、誰かと思えばラジェンドラ殿ではないか。見たいなら堂々と見ればいいものを!こそこそするから曲者呼ばわりされるのだぞ?」

 そう言いながら、ハドバータルは抜け目なく吹き矢が刺さった辺りにも目を向ける。

「ほう?吹き矢の毒を見破ったのか?なかなかやるようだな?どうだ、そこのデカいの?儂と軽く手合わせをせぬか?」

「…申し訳ないが、自分は殿下の剣。主君の許可無く手合わせはできませぬ」

 バハードゥルが速攻でお断りを告げたので、俺もそれに言い添える。

「その通りだ。悪いが許可はできぬな。今日の友が明日には敵になることもある。手の内は簡単に明かせぬよ」

「こっちの手の内を見ておいてそれを言うのか?」

 ハドバータルの言葉に冷ややかな殺気が籠もる。肝が冷えるが、動じぬ振りを装う。

「見せたくないならこんなところでやってるなよ!」

「ふむ、まあそれも尤もではあるな」

 あごひげをしごいてそう呟くと、殺気が霧散した。

「ふん、気が削がれた。主人の許しがなければ牙も剝けぬ飼い犬に興味はないわ。行くぞジムサ!それと我が愚息よ!」

 ハドバータルが踵を返して去って行き、ジムサが無言でそれに続き、イルテリシュが何やら父親に抗議しながら遠ざかっていく。

 それを確認した上で、俺は虚空へ向けて声を発した。

「ラクシュ、見ていたか?」

「うん、最初から最後までね!」

 本職の諜者らしい完璧な隠形を瞬時に解き、黒装束を纏ったラクシュがすぐそばに姿を現す。相変わらず見事なものだ。

「それでお前はどう見た?バハードゥルやダリューンに、ハドバータルは倒せると思うか?」

 ダリューンさえもが結局は倒せず、かなり後まで生き長らえることになるイルテリシュ。それと後の十六翼将の一人となるジムサ。その両名を同時に相手取れると言うのは空恐ろしいが、今はまだ原作開始の五年前。イルテリシュもジムサも原作時点での強さを未だ手に入れていないからこそ二対一でもハドバータルはやり合えた。そう思いたかったのだが……。

「うーん、バハードゥルさんだと力では勝るけど、遅いから無理かなー。あの技と奥の手もハドバータルさん相手じゃあ、まず難しいし。
ダリューンさんなら速いから先手は取れるだろうけど、防がれたら返す刀でダリューンさんが斬られるね」

「……う、嘘だろ?」

「…残念だけど、嘘じゃあないんさー。あたしは日頃からバハードゥルさんとあの奥の手の練習をしてるし、殿下の命令で半年ごとにダリューンさんの現時点での強さを測りに行ってるでしょ?直近で見たのは3ヶ月前だけどさー、大将軍ヴァフリーズさんに日々鍛えられてるだけにダリューンさんは強くなってはいるけど、一撃で倒せるかは五分五分。それができなくて普通の斬り合いになったら七三ぐらいでダリューンさんの方が不利かなー」

「……そ、そんな馬鹿な!」

 原作ではトゥラーンの王弟としか書かれていなかったハドバータルはダリューンに一刀のもとに馬上から斬り落とされたはずだった。原作と齟齬が生じているとでも言うのか?

 俺はアルスラーンやダリューン、ナルサスたち十六翼将たちがことごとくハドバータルによって骸に変えられ、虚ろな眼窩で俺に対して怨嗟の視線を向けて来る光景を幻視した。心臓の音がやけにうるさい。足下がおびただしい流血でぬかるんでいるかのようにふらつき、頭の中で弔いの鐘が何度も打ち鳴らされているかのような激しい痛みを感じて頭を抱えた。そして視界がブラックアウトし、俺は意識を失った。


 気付くと俺は薄暗い部屋にいた。目の前には豪奢な木製の机と椅子があり、何者かがそこに座って俺に背を向けながら頻りに紙をめくり、ペンを動かしているかのような音が聞こえてくる。

 そこにいる者は軍服を纏っていたが、その肩も腰も丸みを帯びていることからすると、どうも女性らしかった。

 だが、見たところどうやら人間ではないようだった。頭から山羊のような角を生やした人間などいるはずがない。おそらくこれは軍服を纏った女悪魔なのだろう。

「なあ、ハドバータルだがなぁ」

 急に女悪魔が酒に焼けたような嗄れた声をあげた。だが、視線は書き物に向けたまま。全くこちらを振り返ろうとはしない。

「強さを少し上方修正しておいたぞ?そうでもしないと、詰まらないからなぁ」

 何だこいつ?一体何を言ってる?何でそんなことをした?その結果がどうなるか、分かってやっているのか?あんなの一体どうすればいいと言うんだ!

 だが、声が出ない。いや、そもそも俺の喉はそこになかった。俺は人魂のように魂だけでそこに浮かんでいるようだ。揺らめくことすら自分の意思ではできていない。

 女悪魔が小さく肩を揺らしたように見えた。

「何だ?そんなの一体どうしたらいいんだと途方に暮れているのか?決まっているだろう?貴様はハドバータルが誰にどうやって倒されるか既に知っているだろう?ならば、そこへ持っていけばいい。なりふり構わず、どんな手を使ってでもな。得意だろう、そう言うのは?」

 次の瞬間、俺は両眼を見開いていた。視界に広がるのは昨晩も見た天幕の天井。そしてその端には急に目を覚ました俺を見て硬直するラクシュの姿。

「殿下!目が覚めたんだね!あれから三刻も寝てたんだよ?全く、夕べは飲み過ぎなんだからね!今日の予定はすべて副使の役人さんが代わってやってくれてるから、今日はこのまま休んでおくんだよ?たまにはお姉さんの言うことを大人しく聞きなさいね?」

 ラクシュは矢継ぎ早にそんなことを言ってくる。俺が二の句が継げないままに。

 その後は熱を測ったり、水を飲ませたり、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたが、しばらく一人にして欲しいと頼むと、迷いながらも何かあったら呼ぶようにと言い置いて出て行った。

 一人になった俺は横たわりながら、これからのことに思いを巡らせた。

 そうだ。俺は確かにハドバータルを誰がどうやって倒すか知っている。原作以上にあの男が強いことはイレギュラーではあるが、だったらこちらも修正を加えればいい。その上で、定められた結末通りになるよう、お膳立てを整えればいいのだ。

 翌日から体調の戻った俺は予定通り使節としての公務に戻った。いくつかの施設を視察し、幾人かの要人に会い、そして更にその翌日、俺たち使節一行は全ての予定を消化してトゥラーンを離れることになった。

 見送りにはやはりハドバータルも現れた。名残惜しくてたまらないという顔をしている。俺はちょいちょいと指で耳を貸すようにジェスチャーを送り、こいつにとびきり甘美な提案を耳打ちした。

「なあハドバータル、俺は思ったんだがな。トゥラーン一国でパルスに敵わないなら、他国と連合を組めばいい。トゥラーンとチュルクとシンドゥラ、この三国が手を結べば兵力は五十万ほどにはなる。それなら、パルスを倒せるんじゃないか?」

 その時のこいつの顔は見物だった。両眼を大きく見開き、わなわなと震えたかと思うと俺の両腕を握って満面の笑みを浮かべた。

「感謝するぞ、ラジェンドラ殿!全くもってその通りだ。
何故儂はそれを思いつかなかった!そうだ、それなら何とかなる。そうだな、ラジェンドラ殿!」

「あ、ああ。俺は兄を説き伏せて、父王にも了解を取り付けてくる。だから、トゥラーン国内の調整とチュルクとの折衝はそちらでやってくれ。確か、カルルックとか言う外交向きの人材がいるんだよな?」

 そう言うとハドバータルは微妙な表情を浮かべた。この間もカルルックに小賢しいとの枕詞を付けていたし、余り好ましくは思っていないのだろう。だが他に適任はいないはずだ。ため息を吐き、首を振って、「致し方ない、他には任せられんしな」と自分に言い聞かせ、自分の両頬を両手で叩いた。

 こうしてはいられないと、足早に俺から離れていくハドバータルの後ろ姿を見ながら、俺はこの後使節一行から離れて行くところがあるのだと傍らにいたラクシュに告げた。

「一体どこで、誰に会うつもりなのさー?」

そう尋ねるラクシュに、俺はニヤリと笑ってこう答えた。

「行き先はパルスのダイラム地方。そして会いに行く相手は、画聖マニの再来さ」

 未来の宮廷画家、ナルサス卿に会いに行くとしよう。