『月と太陽と星』騎士時代編


 

騎士時代編(恋の芽生え)

 
前書き
恋の始まり。
*ヒロインは下町コンビの間で揺れます。
*劇場版とは若干、異なります。ユーリとフレンは帝都でナイレン隊に配属となります。
*ナイレン隊は途中からシゾンタニアへと駐在となり、劇場版√になります。
*主人公の持つ魔導器は隊長だけが祖母の形見だと知っており、誰にも話しておりません。 

 
眩いほど照らす金色。
夜を連想させる漆黒。

貴方たちとの出会いが、日々を彩り私の運命を狂わせていく。





【テイルズ・オブ・ヴェスペリア】
『月と太陽と星』騎士時代編
(前半:恋の芽生え)






ユーリやフレンがナイレン隊に所属してきたのは、
私が配属されてから1年経ってからだった。

つまり、後輩ができた。(年齢は同じ年だった)
まあ顔を合わせれば、同じ下町出身てことで普通に世間話はする程度。

(何故かユーリは私を呼び捨てでため口。
フレンは先輩呼びしてくれたけど照れるから、もうユーリと同じでいいと言ったんだっけ)

だけど鍛錬に任務にと忙殺さる日々。休む時間がなかなか取れなかった。

(はぁ。騎士ってなかなか大変。だけど、お義兄ちゃんはもっと大変だったろうな。
なんせ、あのアレクセイ様と肩を並べるほどの腕前だったんだから。
生きていたら、きっと私はお義兄ちゃんの隊に入っていただろうなぁ…)

考えても詮無い事だ。騎士になってからしばらくお墓参りにもいけていない。

「ちょっとー。ヒロミ。溜息ついてどうしたの~? せっかくの男前(?)が台無しだよ?」

背後からひょいっと顔を覗かせてきたのは、双子の片割れ、ヒスカだ。
鍛錬に勤しみながらも、どこか心ここにあらずだった自分。
その緩みを見透かされたことに、私は心臓を跳ねさせた。

「え、ぁ……」
「図星でしょ。さっきから剣筋がふにゃふにゃだもん。何かあったの?」

図星を突かれて言葉に詰まっていると、もう一つの足音が近づいてくる。

「あ。シャスティル。見てよ、なんかヒロミ、元気ないんだって」

ヒスカがひらひらと手を振ると、もう一人の双子、シャスティルが歩み寄ってきた。
彼女は私の顔をじっと見つめると、不機嫌そうに、あるいは案じるように細い眉を寄せた。

「…何があったか知らないけれど、剣を手にしている以上、雑念は怪我の元よ。自分を斬るつもり?」
「ごめん……」
「シャスティルったら、言い方……」

ヒスカが苦笑いして宥めようとするが、シャスティルは毅然とした態度を崩さない。
しかし、その瞳の奥には確かな熱があった。

「厳しい言い方をしてごめんなさい。でも、本当に危ないから言っているの。
……で、その。貴方をそこまで上の空にさせる『雑念』って、一体何なの?」

「そ、そうそう! ここで全部吐いちゃいなよ。
案外、口に出せばスッキリして集中できるかもだし。私たちが聞いてあげるからさ!」

厳しいけれど、その厳しさは相手を死なせないための優しさ。
そして、重苦しくなりがちな空気をさらっと溶かしてくれる明るさ。

やっぱりこの二人、
性格は正反対だけど、本当に面倒見がいいなあ……と、私は改めて痛感していた。

厳しいけど、やっぱり面倒見がいいなあと思った。

「ちょっと昔を思い出して。…なかなかお義兄ちゃんの墓参りに行けてなかったなぁと」
「え?お兄ちゃんいたの?」
「うん。もうどれくらい前になるかな、人魔戦争で。お義兄ちゃん、騎士だったから」
「あ…ご、ごめんね」
「いいよ。もう昔の事だし。でも、もしお義兄ちゃん生きてたら、
きっとアレクセイ様と共に騎士団の肩を並べていける人になっていたのかなって…」
「…は?え?アレクセイ団長って」
「そんなに強い方だったの?ねぇ。悪いんだけど、名前教えてもらってもいい?」
「いいけど。エルダ・アークメイスだよ。お墓は帝都から出て歩いてすぐ」
「「!」」

お義兄ちゃんの名前を言った瞬間、双子は目を見開いた。

「エルダ・アークメイス……。嘘、でしょ……?」

ヒスカの声が震え、持っていた剣の先が力なく地面に落ちた。乾いた音が訓練場に響く。
それまでの和やかな空気が一瞬で凍りついたのを肌で感じ、私は思わず身を固くした。

「ねえ、ヒロミ。冗談……じゃないわよね?
その、アークメイスって……かつて『アレクセイの盾、エルダの剣』とまで称えられ、
帝国騎士団の至宝と呼ばれた、あのエルダ・アークメイス卿のこと?」

シャスティルが、まるで壊れ物を扱うような手つきで私の肩を掴んだ。
彼女の瞳は驚愕で見開かれ、呼吸を忘れたかのように私を凝視している。

「えっ、あ、うん……。お義兄ちゃん、そんな風に呼ばれてたの?
私にとっては、ただの溺愛で、厳しくて優しいお義兄ちゃんだったんだけど…」

私が戸惑いながら答えると、双子は顔を見合わせ、戦慄したような表情を浮かべた。

「『ただの』って……ヒロミ、あなた自分の境遇を分かって言ってるの!?」

ヒスカが詰め寄ってくる。

「騎士団の士官学校に入れば、まず最初に教わる名前だよ!
人魔戦争の最前線で、魔物をたった一隊で足止めし、
アレクセイ団長が本陣を立て直す時間を稼ぎきった英雄……。
もし彼が生きていたら、間違いなく今頃はアレクセイ団長と並んで、
騎士団を二分する『総騎士団長補佐』の座に就いていたはずだって言われてる人なんだから!」

「そうよ……。アレクセイ団長が今でも時折、
遠くを見つめて『彼が生きていれば』と零されるのは、エルダ卿のことだったのね…」

シャスティルの言葉に、胸の奥がツンとした。
あの雲の上の存在のようなアレクセイ様が、今でもお義兄ちゃんを想っている。

私が知っている「家で笑っていた義兄」と、彼女たちが語る「伝説の騎士」が、
ようやく自分の中で一つの線に繋がっていく。

「……そっか。やっぱり、すごかったんだね、お義兄ちゃん。
私はただ、背中を追いかけるのに必死だったから」

ふと視線を向けると、少し離れた場所でユーリとフレンが木剣を交わしていた。
ユーリの野良犬のような鋭い一撃を、フレンが流れるような動きで受け流す。

ナイレン隊の中でもひときわ異彩を放つあの二人ですら、
まだお義兄ちゃんが到達した高みの入り口に立ったばかりなのだ。

私は改めて、手の中にある剣の重みを感じた。
お義兄ちゃん。私はまだ、あなたの背中の影すら踏めていないかもしれない。
だけど、見てて。私はここで、あなたとは違う、私だけの剣を見つけるから。
青く澄み渡った帝都の空の下、私は再び、真っ直ぐに剣を構え直した。



2

鍛錬も終わり、双子はすぐにナイレン隊長のとこへと突入していった。

「ナイレン隊長!どうか、ヒロミに1日だけ休暇をあげてください!」
「なんだいきなり。理由如何でその限りではないが」
「もう長い事、家族のお墓参りに行けてないみたいなんです。
というか、私たちの尊敬するエルダ様です!お墓があったんです!」
「っ!なんだと」

普段は快活なナイレンが、手に持っていた羽ペンを床に落とした。
カチャン、と静かな執務室に乾いた音が響く。

「……エルダ卿の、墓だと……?」

隊長はその場に立ち尽くし、双子の顔を食い入るように見つめた。
その瞳には、驚愕、困惑、そして何より――長年胸の奥底に仕舞い込んでいた、
痛切なまでの思慕の念が浮かんでいる。

「それは本当かい!?」

偶然ナイレンと話していたフレンが傍にいたので彼も驚いている。
隣にいたフレンは目を見開いて絶句した。
新米騎士であっても、あるいはこの地に身を置く者であれば。
その「二つの名」を知らぬ者はいない。

かつての騎士団を支え、民衆の希望の象徴であった双璧。

鉄の規律と圧倒的なカリスマで騎士団を導いたアレクセイ。
そして、誰よりも市民の心に寄り添い、高潔な騎士道を体現したエルダ。

伝説として語り継がれるエルダの(ゆかり)が目の前の存在に繋がった事実に、
フレンは自身の心臓の鼓動が速くなるのを感じた。

「……そう、か。エルダ卿の」

ナイレン隊長の声は、どこか遠い記憶を呼び起こすかのように低く、重みがあった。

「彼はあの最終決戦のあと、遺体どころか遺品一つ見つからず、
軍の公式記録では『行方不明』のままだ。
我々教え子たちも、あの日からずっと…彼がどこかで生きているのか、
あるいは野に晒されているのかさえ分からぬまま……」

ナイレンは震える手で机を突き、深く俯いた。
その背中は、隊長という重責を背負う男ではなく、ただ一人の「敬愛」のそれだった。

「……ヒロミ。あいつは今まで、それを一人で守ってきたのか。誰にも言わず、ただ一人で…」

ナイレンはゆっくりと、しかし確かな重みを持って頷いた。

「いいだろう。許可する。だが半日だけだ。今の騎士団に長時間、穴をあけられないからな」

その短い許可には、隊長としての責任感と、
かつての英雄に対する最大限の敬意が込められていた。

「墓所の場所を俺に報告する必要はない。
それはあいつの、家族の、そして彼との静かな時間だ。
……他人に荒らされていいものではないからな」

隊長は引き出しから、大切に保管されていた一房のドライフラワー、
かつてエルダが好んでいた花を取り出し、双子へと差し出した。
一度だけ深く目を瞑り、溢れ出しそうになる感情を抑え込むと、彼は力強く頷いた。

「え、え、え、本当にですか!?」
「やったぁ! 隊長、大好き!」

飛び上がって喜ぶ双子の弾んだ声が、執務室の空気を一気に華やがせる。
だがその横で、フレンだけは雷に打たれたように硬直していた。
あまりに予想外な「事実」を突きつけられ、思考が完全に停止している。
そんな彼の耳元に、追い打ちをかけるような隊長の低く通る声が飛んだ。

「おいフレン。魂が抜けてるぞ。
…いいか、オレが動けない分、おまえが代わりに行って挨拶してこい。それが任務だ」

「え。……はぁ!? っ、ちょっと待ってください、僕が、ですか!?」

自分に矛先が向くとは微塵も思っていなかったのだろう。
フレンは零れ落ちそうなほど目を見開いた。
慌てて反論しようと口を開きかけるが、隊長のペンは止まらない。

「えー、フレンいいなぁ。ずるい!」
「そうだよ、役得だよ。私たちだって行きたかったのにー」

双子の茶目っ気たっぷりの言葉を背中で聞きながら、
隊長は手慣れた手つきで書類にサラサラとペンを走らせる。
書き終えたばかりの紙を三人の前に突き出し、ニヤリと口角を上げた。

「ほら。半日だが、これは特別だ。休暇届だぞ。
そこにサインと日付を書いて、受付で判をもらってこい。
……双子はそれを、途中でヒロミに渡してきてくれ。頼んだぞ」

「「はぁーい♪ さあ、行くよフレン」」
「ちょっ、待て! 自分で行ける、引っ張らないで……っ!」

両肩を双子にがっしりと掴まれ、
フレンの抵抗も虚しくその体はズルズルと廊下へ引きずられていく。

開け放たれた扉の向こうから、「助けてください隊長!」という、
悲痛な(だがどこか締まらない)叫びが遠ざかっていった。
ナイレンは、静まり返った室内でその騒動の余韻を眺め、ふっと肩の力を抜いた。

「……相変わらずだな、あいつらは」

苦笑混じりに漏らしたその言葉には、
騒がしくも愛おしい部下たちへの、隠しきれない信頼が滲んでいた。



3

どうやら私の漏らした、お義兄ちゃんの名前を双子がナイレン隊長にチクったようで。
双子によって引きづられて来たフレンはその場に居ただけで巻き込まれたようだ。
双子はナイレン隊長から託されたドライフラワーを渡したきた。
え、これ、お義兄ちゃんの好きだった花…。隊長、知ってたんだ。

「半日休暇を取ってくれたのはありがとう。
……でも、あの、どうかお義兄ちゃんの事、黙っててほしいの」

私の切実な願いに、
それまで「お手柄」と言わんばかりに胸を張っていた双子が、きょとんと目を丸くした。

「え。なんで? すごい人なんでしょ?」
「だって。色眼鏡で見られたくないし。変に特別扱いされたり、変な噂が立つのも嫌なの」

俯きながら絞り出した言葉に、二人は顔を見合わせた。
勢い任せだった空気が少しだけしおれて申し訳なさそうに眉を下げる。

「そっか。そうだよね。ごめん、あたしたち浮かれちゃって…勝手に隊長に喋っちゃって」
「ううん。私もあの時は、そこまで考えてなかったから……」

気まずい沈黙が流れるかと思いきや、そこは双子。切り替えの早さは天下一品だ。
シュンとしたのは一瞬で、すぐにまた悪戯っぽい笑みを浮かべて身を乗り出してきた。

「じゃあ、この話はナイレン隊長と私らだけの秘密! その代わり……」
「でさでさ、いつにする? 準備も必要だから、数日後にする?」

差し出された休暇届が、私の目の前でヒラヒラと踊る。
横でフレンが「反省してないじゃないですか」とツッコミを入れているが双子の耳には届いていない。
お義兄ちゃんの名前がバレた動揺と、断りきれない休暇の誘い。
手元の書類をじっと見つめ、私は「うーん」と長く唸った。

「あ、そうだ。フレンのこと忘れてた。なんか巻き込んじゃってゴメンね?フレン」

私が申し訳なさに眉を下げて振り向くと、
フレンは少し意外そうに目を丸くした後、いつもの調子で肩をすくめた。

「いや、いいさ。ここのところ鍛練続きだったしね。久々の休暇だ、ゆっくりさせてもらうよ。
……まあ、君の護衛なら『骨休め』にはちょうどいいしな」

「うわ。完璧すぎる模範回答。……でも、それ本気で言ってる?」

私がニヤリと笑うと、フレンは視線を泳がせた。
その背後から、冷ややかな、けれど絶対的な温度を持った声が響く。

「フレン。ヒロミは荷物も多いし、道中は何があるか分からないわ。
露払いはあんたの仕事。分かってるわね?」

「は、はいシャスティル先輩! もちろんです、指一本触れさせませんから!」

シャスティルの背後から立ち上る「ゴゴゴ……」という物理的な圧に、
フレンは背筋を氷でなぞられたように直立不動になった。

「必ずだからね? ヒロミに傷一つでもつけてみなさい。
指導役として、今の三倍は扱いてあげるから」

「ひ、三倍……! 善処……いえ、死守します!」

フレンは壊れた玩具のように首をブンブンと縦に振っている。
私は慌ててシャスティルの袖を引いた。

「シャスっ、落ち着いて! あの、フレンはちゃんと護ってくれるから……ね?」

フォローを入れつつも、私は心の中で苦笑する。
かつて下町をユーリと一緒に暴れまわっていた頃の彼を風の噂で知っているけれど、
今の彼は立派な騎士の卵だ。きっと、私のことも余裕で護り抜いてくれるだろう。

「……そう? ヒロミがそこまで言うなら。……じゃあ、午前か午後、どっちか選んで」

シャスティルがふっと圧を解くと、ようやくフレンが肺の空気を吐き出した。

「んー。午後でいい? 掃除もしなきゃだし、お義兄ちゃんへの手土産とか、準備に時間がかかるかも」
「了解。じゃあヒスカ、隊長に報告しに行くよ」
「あ、そっか。当日、私たちが抜ける分、シフトの埋め合わせが必要だもんね」

テキパキと予定を組んでいく二人に、私は胸がいっぱいになる。

「本当にありがとう、二人とも。……これでやっと、お義兄ちゃんにちゃんと挨拶できるよ」

私の声が少し震えていたのかもしれない。
ヒスカがパッと顔を輝かせ、妹を慈しむような笑顔を見せた。

「いいんだよー。可愛いヒロミのためだもん。
お義兄さんにも、ヒロミがこんなに元気だってこと、しっかり見せてあげなきゃね」

「うん」

シャスティルも短く、けれど力強く頷く。

双子はそれぞれ、
私を安心させるような温かい微笑みを残して、軽やかな足取りでその場を後にした。

残されたのは、「……さて、三倍の特訓を回避するために気合入れるか」と呟くフレンと。
期待に胸を膨らませる私だけだった。



4

双子が去り、その場には私とフレンの二人だけが残された。
シャスティルの「圧」が消え、張り詰めていた空気がふっと和らぐ。

「……フレンも大変だね。シャスティルに逆らえないんだ」

私が遠慮がちにそう言うと、フレンは苦笑した。

「いや、シャスティル先輩はああ見えて、すごく筋が通ってるからな。
指導は厳しいけど、的確なんだ。それに、ヒロミを大事に思ってるのは本物だし」

「そっか……」
「ま、午後の外出はちゃんと露払いさせてもらうよ」
「フレン……! ありがとう」

私はほっとして笑顔になった。下町で鍛えられたフレンが一緒なら安心だ。
午後の外出が、少し楽しみになってきた。

「じゃあフレン、日付はこの日でいい?」
「あ、ああ。うん。その日でいいよ」
「? どうしたの?……なんだか、ぎこちないね」

図星を突かれたのか、フレンはあからさまに視線を泳がせた。

「そ、それは……よく考えたら、僕たち初めてだよね?
こうしてユーリも他のみんなもいなくて、2人だけで話すのは」

「あ。そうだ。ユーリがいないじゃん」

そこで初めて気づいた。
いつもなら隣で皮肉を言ったり、飄々と場を回したりしているはずの片割れがいないのだ。

……なんだか、フレンだけってのも新鮮だな。
そう思うと、改めて彼の造形をまじまじと観察してしまった。

昼下がりの陽光を反射して輝く、柔らかな金の髪。
まっすぐに私を見つめる、吸い込まれそうなほど澄んだ青い瞳。

まるで古い絵本から飛び出してきた王子様そのものだ。

「そ、そんなに穴が開くほど見られると……さすがに照れるな」

困ったように眉を下げて、フレンが頬を赤らめる。

「あ、ごめん! つい新鮮で。……じゃあ、当日はよろしくね、フレン」
「……ああ。こちらこそ、よろしくお願いします」

少しだけ緊張を解いた彼が、はにかむように微笑んで、右手を差し出してきた。
え、ここで握手? 騎士の挨拶かな。戸惑いつつも、彼の手をそっと握り返す。

(あ……)

手袋の布越しでもはっきりと分かる。指の付け根、掌の硬さ。
幾千、幾万回と剣を振り抜いてきた者だけが持つ、厚い剣だこだ。

「すごい……」

思わず、指先に力を込めてキュッと握りしめてしまった。

「あ、あの……? 手が、どうかしたかい?」

「え? ああ、ごめん! ちゃんと鍛錬してるんだなって思ったら。
なんだか偉いなぁって……。新米と言っても騎士様だもんね」

私の素直すぎる称賛に、
フレンは一瞬きょとんとした後、どこか負けず嫌いな子供のような顔で笑った。

「はは、これくらい当たり前だよ。……それに、ユーリには負けたくないからね」
「ふふっ。2人とも、昔から本当に負けず嫌いだもんね」

下町で泥だらけになりながら、木刀を振り回していたやんちゃな二人の姿が目に浮かぶ。

騎士姿のフレンも素敵だけど、
こうして等身大の顔を見せてくれる彼との一日は、案外楽しいものになりそうだ。
フレンから手を離し、日付を書いた休暇届をヒラヒラ振る。

「じゃ、出しに行こっか」
「ユーリに見つからないようにしないとな」
「しーっ、声が大きいよ。ユーリ、こういう時だけ妙に鼻が利くんだから」

私は人差し指を口元に当てて、悪戯っぽく笑いながら廊下の角を慎重に覗き込んだ。
手元でヒラヒラと踊る休暇届は、まるで自由への招待状だ。

「…よし、今はいないみたい。今のうちに判を貰いに行くよ。そのままダッシュだよ、フレン!」

「ああ。なんだか、魔物退治の極秘任務より緊張するな。
不意打ちで背後から『どこへ行くんだ?』と声をかけられる画が、容易に想像できてしまう…」

フレンは真面目な顔のまま、額にうっすらと汗を浮かべてた。

彼は知っていた。
幼馴染であるユーリ・ローウェルが、こういう「隠し事」を見抜く天才であることを。

私たちは音を立てないように、抜き足差し足で廊下を進む。
窓の外からは訓練場の威勢のいい声が聞こえてきますが、今はそれが遠い世界の出来事のよう。

「ふふ、見つかったら『フレンがどうしてもって言うから』って、全部フレンのせいにしてあげる」
「おい、それはあんまりじゃないか……?」

困り果てたフレンの表情に私は思わず吹き出しそうになる。

背後から「おい、おまえら。……何コソコソしてやがる」という、
聞き慣れた、そして今は一番聞きたくないあの低い声が響いてこないことを切に祈りつつ。

幼馴染がどこで聴き耳立てているか分からない。どうか鉢合わせしませんように。
私たちは、束の間の休息を勝ち取るための「大脱走」を続けたのだった。



5

午前はいつものように鍛錬をし、お昼の時間になる。

「……よし、今だ。行こう」
「えぇ、急ぎましょう」

私たちは示し合わせたように、重い鎧を脱ぎ捨てて身軽な軽服へと着替えた。
お互いの服装をチェックする余裕すら惜しみ、足音を殺して騎士寮の裏口へと急ぐ。

訓練場からは、「あー!ユーリ、こっちこっち!」「この技、教えてほしいんだよなー!」という、
双子のわざとらしいほど大きな声が聞こえてくる。

(双子、ありがとう! 後で売店のプリン奢るからね……!)
(ユーリに見つかる前で良かった。あの慎重さに捕まったら、今日の外出は説教で終わってしまう)

フレンと顔を見合わせ、小さく頷き合う。考えていることは、きっと同じだ。
私たちはそのまま、まるで敵陣を突破するスカウトのような素早さで、騎士寮の門を飛び出した。
昼下がりの日差しが、自由を祝福するように眩しく降り注いでいる。

「あ。お昼ご飯食べずに来ちゃった。フレン、ごめん」
「いや。僕もユーリを蒔く事ばかり考えてたから」
「どうしよう。フレンお腹空いてるでしょ。あんだけの鍛錬だもん」
「そうだね。じゃあ僕のおすすめのお店に行くかい?」
「え?」

フレンに案内された先は、下町に入って少しのとこ。クレープ屋台だ。
あ、いい匂い。ぐぅ。とお腹がすいてきた。

「これなら歩きながらでも買い食いできるだろう?」
「ほんとだ。うわぁ~どれも美味しそう。ね、フレンのおすすめ教えて」
「いいよ。そうだな…」

フレンが教えてくれたのはレタスやハム、トマトなどを巻いた野菜巻き。

「フレン、おすすめってこれ?」

「ああ。栄養学の観点からも、
午後の活動に必要なビタミンとタンパク質のバランスが非常に優れているんだ」

「……あはは、相変わらずだね。
せっかくの買い食いなんだから、もっと直感で選べばいいのに」

「そうかな? 僕はこれこそが『最適解』だと思っているんだけど」

甘党のユーリはいつも甘いの増し増しで頼んでるんだ、と苦笑して。
私とフレンは同じのを頼んだ。財布を出そうとしたらフレンが既に払っていて。

「え。そんな悪いよ。私の用事に付き合ってもらってるのに」
「いいんだよ。僕が食べたいから、そのついでさ」
「あ、ありがとう。フレン」

なんとスマートな。これは女にモテる。絶対だ。
互いにクレープをもぐもぐ齧りながら目的地へと歩いていく。

「(もぐもぐ。ごくん)それで、まずはどこに向かうんだ?荷物は…」

「大荷物だ、と先輩に聞かされていたが」と私を見て首を傾げるフレン。

「(もぐもぐ。ごくん) ああ。掃除道具は下町のお墓から借りようと思って。
だから新品の布巾だけ持ってきたよ。(はむ。もぐもぐ)」

またクレープを齧る。これめっちゃ美味しい。また買いに来ようっと。

「! そ、そうか…」
「(もぐ。ごくん)…フレン?」

フレンが食べるのをぴたりと止める。私も食べるの一旦やめる。どうした?
だが、すぐに首を横に振って「何でもないよ」とまたクレープを食べ始める。

「(もぐもぐ……)ねえ、本当に大丈夫? クレープの味、しなくなっちゃった?」

気になって覗き込むと、フレンは少しだけ視線を泳がせてから、困ったように眉を下げて笑った。
その視線は、私の手元にある、軽い小さな手提げ袋に注がれている。

「…いや、その。掃除道具を現地で借りるっていうのが、なんというか。
君らしくて合理的だなと思って。
てっきり、大きなバケツやブラシを抱えて現れるものだとばかり思っていたから」

「あはは、そんなに私、形から入るタイプに見える?
重いもの持って歩くより、こうしてクレープを全力で楽しむ方が重要でしょ」

そう言って私が最後の一口を贅沢に頬張ると、フレンはふっと肩の力を抜いた。
どうやら「大荷物になるから覚悟して」という先輩の脅し文句を真に受けて、
彼は彼なりに私のサポートをする気満々でいてくれたらしい。

「(もぐ。ごくん)…そうだね。君のそういう、飾らないところは助かるよ。身軽なのは良いことだ」

フレンはそう言って、自分の分のクレープも最後の一口まで丁寧に食べ終えた。
包み紙を小さく畳む彼の指先は、相変わらず無駄がなくて綺麗だ。

「さあ、下町まではまだ少し歩くよ。道が入り組んでいるから、はぐれないようにね」

彼が自然に歩き出す。
心なしか、さっきよりも私の歩幅を気にするように、ゆっくりとしたリズムで。
私は空になった包み紙を丸めてカバンにしまい、隣に並ぶ。
次にここへ来るときは、さっきのクレープ屋で何味を頼もうか、なんて考えていた。



6

お墓につく頃には互いにクレープは食べ終わり。余韻だけが口の中に残っていた。
私はすぐに管理小屋で使い古された掃除道具を借りる。

午後の陽光が傾き始めた墓地は閑散としており、
時折吹き抜ける風が枯れ葉を転がす音だけが響いていた。

私が必要な手桶を持ち、道具を引き出している間にフレンがいつの間にか隣から消えていた。

(あれ? フレン……??)

顔を上げ周りを見渡せば、少し離れた、
古いが手入れの行き届いた石碑の前に片膝をついている彼の姿を見つけた。

「……フレン?」

声をかけると、彼は一瞬だけ肩を震わせ、それからゆっくりとこちらを振り向いた。

「あ。ごめん、すぐに行くよ」
「いいよ。祈ってたの?……誰のか、訊いても?」
「ノレイン。僕の母さんが眠ってるんだ。……ユーリに読み書きを教えたのも、母さんなんだよ」
「え。ノレイン、さん?」

その名が鼓膜を震わせた瞬間、胸の奥で小さな火花が散ったような感覚がした。
どこかで聞いたことがある。それも、もっと幼くて、今よりずっと世界が狭かった頃に。

遠い記憶の糸を辿るが、霧がかった景色の中でその輪郭は朧気で、
どうしても手繰り寄せることができない。うーん。
私は眉間に皺を寄せ、思わず唸ってしまった。
黙祷を終えたフレンが、考え込む私に不思議そうに首を傾げる。

「どうかした?」
「いや。記憶違いかもしれないし……ううん、なんでもない。ね、私にも祈らせて」
「ああ。……ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」

掃除道具を一旦足元に置き、私はフレンの隣に並んで膝をつく。
冷たい石の匂いと、微かに残る線香の香り。

私の用事に付き合ってもらったはずなのに、
偶然導かれるようにして彼のルーツに触れることになろうとは。

でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、一人でこの場所を守ってきたフレンの隣に今立てていることに、小さな安堵を覚える。

(ノレインさん。フレンをこんなに真っ直ぐな人に育ててくれて、ありがとうございます)

心の中でそう告げて、目を開ける。

「……良し。じゃあ行こうか。今度は君の番だね」

「うん。あ…ね、自分の用事が済んだあと、帰りにもう一度ここへ寄ってもいい?
その時に、ちゃんとしたお花をお供えさせて。いいかな?」

「もちろん。嬉しいな。母さんも……きっと驚いて、喜ぶと思うよ^^」

そう言って微笑んだフレンの顔は、
いつもの騎士としての「公の顔」でも、後輩としての「快活な顔」でもなかった。
西日に照らされたその瞳は、子供のように無防備で、深い慈愛に満ちていて。

――ドキ。

心臓が、自分でも驚くほど大きく跳ねた。
なんだ、どうした。急に胸のあたりがざわざわして、落ち着かない。
彼の笑顔が、さっき食べたクレープよりもずっと甘く、胸の奥に溶け込んでいくような気がした。



7

本当に、太陽のような微笑みだったんだ。
彼の背後から差し込む陽光が、その金髪をさらさらと透かし、縁取っている。
あまりに眩しくて、思わず目を細めた。

(ううん。眩しいのは、太陽のせいじゃない。私は――この金色に魅せられたんだ)

なぜだろう、胸の奥が騒がしい。
初めて会ったはずなのに、心のどこかでずっとこの光を知っていたような。
奇妙な懐かしさがこみ上げてくる。

フレンは不思議な人だ。
初対面の相手に感じる緊張や「ざわざわ」とした胸騒ぎが、彼と一緒にいると少しも嫌じゃない。
むしろ、冷え切っていた器に温かなスープが注がれていくように、私の心は満たされていく。

「……あ。花屋にも行くだろう? 僕が持つよ」

思考の海に沈んでいた私を、彼の弾んだ声が引き戻した。

「え、ちょ。フレン!?」

戸惑う間もなく、彼は私の手からずっしりと重い道具一式を、
まるで羽根でも扱うような軽やかさで奪い取った。

「あはは、そんなに驚かなくても。さあ、行こう」

少しだけ得意げに笑って、彼は長い足でさっさと歩き出す。

「待って、重いのよそれ! ……もう!」

慌ててその後ろ姿を追いかける。石畳を叩く二人の足音。
隣に並んだ瞬間にふわりと香った、乾いた風と日向の匂い。
「金色」の背中を追いかけながら、私は自分の頬が少しだけ緩んでいることに気がついた。


花屋に着いて、多めに買い込む。帰りにノイレンさん用に残しておかないと。

「おや?あんたフレンじゃないか!」
「お久しぶりです、おばさん」
「本当に。逞しくなったねぇ。今日はヒロミと一緒かい?」
「はい。ヒロミの護衛に」
「そうかい。これも運命かねぇ」
「え?」「え?」

花屋のおばさんのしみじみとした言葉にフレンと揃って首を傾げた。

「あんたらは覚えてるか難しい頃さね。もうずぅーっと小さい頃だからねぇ」
「ど、どういう事?」
「ヒントは、ほら。この花さ」

おばさんが、色とりどりの中にある一輪の花を取り出した。
おばさんが選んだのは、色彩鮮やかな橙色の花だった。

「花言葉は「あなたは私の輝く太陽」なんだよ」

おばさんの指先が私の髪に触れ、花が耳元に収まる。
その瞬間、フレンの息が止まったのを隣で感じた。

フレンは私の耳元の花を凝視したまま、硬直していた。
まるで、ずっと昔に失くした大切なパズルのピースを、突然突きつけられたような顔。
震える指先が私の頬に触れそうになって、けれど行き場を失ったように空中で止まる。

「……この、花……」

彼が絞り出した声は、いつもの冷静なものとは思えないほど、幼く、揺れていた。

「あの、おばさん。もらえないです。お代…」
「いいんだよ。久しぶりにこの組み合わせで楽しませてもらったお礼さ」

おばさんは我が子の成長のように、嬉しそうに微笑んでいる。
ああ。やっぱり下町は温かいなあ。ほっこりとした。ね?フレン。

「……。」
「フレン?」
「! え、あ、ああ。どうしたんだ?」
「どうしたの。さっきから私をジーッと見て考え込んで」
「フレン、そんな難しく考えるこたあないよ。ヒロミについてけば自ずと答えに辿り着ける」
「おばさん…」
「行ってきな。そして自分の気持ちに整理つけてきな」

おばさんは遠い目をして笑う。

「血は争えないね。守ってるつもりで、実は守られてる。
…フレン、あんたが今感じてるその“もどかしさ”の正体、逃げずにちゃんと見つめるんだよ」

商売道具のハサミを置き、おばさんはフレンの肩をポンと叩いた。
それは激励というより、迷子を正しい道へ導くような、慈愛に満ちた手つきだった。

おばさんの言葉に私たちは、よく分からないがそれでも頷いた。
とにかく、行け。と言われたのだから、そのうち謎が解けるのだろう。

「ありがとうございました、おばさん」
「気をつけて行ってくるんだよ」

私はおばさんに手を振り、軽やかな足取りで歩き出す。

一方のフレンは、まるで魔法にかけられたかのように、
何度も自分の胸元を押さえたり、私の耳元の花を盗み見たりして、足元がおぼつかない。

「フレン、置いていくよ!」
「……ああ、今行く。……運命、か……」

彼が小さく呟いた言葉は、下町の賑やかな喧騒に消えていったけれど。



8

掃除道具と、腕いっぱいの花束。やはりかなりの大荷物になった。
帝都の外壁を抜けて森の中へ入ると、それまで穏やかだったフレンの空気が一変する。
彼はいつでも剣を抜けるよう、左手で鞘を抑え、右手は柄に添えて私の半歩先を歩き始めた。

その警戒はすぐに現実のものとなる。
茂みの奥から、私たちの気配を察知した魔物が次々と飛び出してきた。
けれど、その度にフレンの剣が鋭く空を裂く。無駄のない足運び、流れるような剣筋。
一撃ごとに魔物は霧のように霧散し、彼は服の裾さえ汚さない。

「フレン、すごいね。……正直、私よりずっと強いじゃない」

本音だった。隣で見ていたからこそわかる。
彼の剣には、ただの技術以上の「守るための意志」が宿っている。

「いや。そんなことないよ。君だって、いざとなれば充分強いさ」

フレンは前を見据えたまま、事もなげに言った。

「お世辞をどうもありがとう」

(私に気を使わせないための、彼なりの優しさなんだろうけど)

私は苦笑しながら、彼が鮮やかに切り拓いてくれる安全な道を進んでいく。

「すぐ着くよ。あ、ちょっと待って。ここで水を汲ませて」
「え。これから先、さらに重くなるよ? 大丈夫か?」

フレンが足を止め、心配そうに私の荷物を覗き込む。
その生真面目な顔を見て、私はふと思いついた。

「さっきフレンが言ったんじゃん。『私、充分強い』んでしょ?」

わざと茶目っ気たっぷりに、彼の言葉をそのまま返してみる。

「……っ。はは。そうだね、一本取られたな」

フレンは一瞬きょとんとした後、負けたよと言わんばかりに頭の後ろを掻いた。
その少し困ったような笑顔が、戦っている時の凛々しさとギャップがあって、
胸の奥が少しだけくすぐったくなる。

「さ、行くよー」
「あ。待って、前は僕が歩くから……危ないからね!」

追い抜こうとした私の前に、慌てて割り込んでくるフレン。
その背中を見つめながら、私は忍び笑いをこぼした。

(フレンって、実はからかい甲斐がありそう。実直で、お堅い。だからこそ…ね)

目的地はもうすぐそこ。重いはずの荷物が、少しだけ軽く感じられた。

今日は天気にも恵まれて良かった。
一歩進むたび、足元で枯草がサクサクと小気味よい音を立てる。
その音だけが響く静かな霊園の奥へ、導かれるように進んでいけば、
ようやく見慣れた石碑が姿を現した。

背負っていた重い荷物を墓石の傍らに下ろすと、肩に食い込んでいた重みがふっと消える。
私はその場にゆっくりとしゃがみ込み、冷たく澄んだ空気を深く吸い込んだ。

「やっと来られたよ」

石に刻まれた文字を見つめ、私は小さく独り言を漏らした。

「……これは。すごいな」

フレンが言葉を失ったのも無理はなかった。

木漏れ日が降り注ぐ、そこに佇んでいたのは。
単なる石碑と呼ぶにはあまりに美しく、あまりに執念じみた巨大な記念碑だった。
最高級の白碧石が磨き上げられ、周囲の古びた墓石の中で、
そこだけが時間が止まったかのような輝きを放っている。

「うん。ここにね、お義兄ちゃんとお姉ちゃんが眠ってる」
「え!お姉さん?」
「そう。お姉ちゃんが先にね。その次にお義兄ちゃんが。
この石碑はお義兄ちゃんがお姉ちゃんのために、全財産をすべてはたいて建ててくれたの。
彼女が寂しくないようにって」

フレンは刻まれた銘を指でなぞった。

『愛する人、ここに眠る。我が魂、光とともに彼女に捧ぐ』

「愛する人、ここに眠る……?
まさか、あの若さで異例の出世を遂げたと言われたエルダ殿が…」

「うん。エルダ様はお姉ちゃんの旦那様。だから私のお義兄ちゃんなの^^」

私は誇らしげに、けれど少しだけ寂しそうに微笑んだ。

「お義兄ちゃんはね。非番の時になると私のとこに必ず帰ってきてくれた。
お姉ちゃんがいなくなった後は、私を鍛える事と、このお墓参りが支えだったんだ。
もちろん騎士団にはアレクセイ様がいたから、一人で悲しむことはなかったけれど…」

「そうだったのか……。彼の愛は、形となってここに生き続けているんだな」

じゃあ、なんでヒロミは下町出身なんかに?あのエルダ様だ。
彼の稼ぎなら、いくらでも裕福に暮らせてたはずなのに…。

フレンの考えが手に取るように分かるよ。



9

私はお姉ちゃん、お義兄ちゃんの名前…。

リリア・アークメイス、
エルダ・アークメイス、

と掘られたとこを優しく撫でる。

「……私のため」
「えっ」
「私、生まれた頃から身体がすごく弱くてね。いつも病気がちだった。
私のために、すごく高い薬代を……お義兄ちゃんが、いつも払ってくれて。
生活費を支えるために、お姉ちゃんも働いてくれて…」

私は自嘲気味に微笑み、自分の指先を見つめた。
その指は、かつて誰かの幸せを削って繋ぎ止めた命の象徴のように目に映っている。

「私の薬代のために。裕福な暮らしを、幸せな夫婦の生活を捨てさせてしまった」

絞り出すような声が、昼の森の静寂に溶けていく。

「本当なら。私なんかのために、幸せを犠牲にするべき人たちじゃなかった。
私が、お姉ちゃん、お義兄ちゃんの未来を奪ってしまった」

「そんな……っ!」

フレンの声が、鋭く空気を裂いた。
いつもの冷静な彼からは想像もつかない、痛みを堪えたような拒絶の響き。

「そんなこと、本人の前で言うべきことじゃない……!」
「フレン……?」

驚きに顔を上げた私の目に映ったのは、怒りでも憐れみでもなく。
どこか遠くの悲劇を見つめるようなフレンの瞳だった。
彼は拳を固く握りしめ、言葉を震わせる。

「僕だって…薬が欲しかった。
母さんは、ただその『薬』がないというだけで、あんなに…あんなに病で苦しんで逝ったんだ」

「!?」

「君が『犠牲』と呼んだその薬代が、どれほど残酷で、どれほど救いだったか…。
生きたかった人間を前にして、それを否定することだけは、僕は許さない」

二人の間に流れるのは、持てる者の罪悪感と、持たざる者の後悔。
重すぎる沈黙が、二人を包み込んでいた。

その言葉が、私の心臓を直撃した。ノレインさんが、病で……。
その時、視界がぐらりと歪んだ。

フレンの苦しげな輪郭を見つめた瞬間、
脳内の開かずの扉が、凄まじい音を立ててこじ開けられる。

――ノレインっ! どうして……私、もっと貴女と居たかったの!

泣き叫ぶ姉の顔。涙。幼い私を抱き締める力の強さ。
あの日、私たちは誰かの葬儀の後に来たんだっけ。
悲しみに暮れる姉を慰めていた。

――― お姉ちゃん?
――― ごめ、ごめんね。今だけは…
――― お姉ちゃん。痛い痛いなの?よしよし
――― うっ、うん。あり…がとう。も、大丈夫。だいじょうぶ、だから
――― いいよ。あっ!お姉ちゃん、あそこ
――― え?あの子…
――― わたし行ってくるね。痛い痛いって泣いてるの

蘇る、色鮮やかな記憶。独りで、ぽつんと蹲って泣いていた小さな背中。
その髪は、泥に汚れながらも、眩いほどの金色を放っていなかったか。

――― ね、痛い痛いなの?だいじょうぶ?
――― え。ぐすっ。きみは…?
――― わたしお姉ちゃんと来たの。ね、痛い?
――― 分かんないよ。どこが痛いなんて…
――― そうなの?うーん。でも泣いてるよ?よしよし
――― !な、なにするんだよ
――― 早く。よくなりますように。よしよし

差し出した私の手を、その子は最初、野良犬を追い払うような目で見つめた。
けれど、私が必死に繰り返す「よしよし」という呪文に、彼は堪えきれずに決壊したのだ。

――― っ、う、わぁぁっん
――― え、え、どうしたの?
――― とどかなかったんだ…早く、良くなって欲しかったっ

母を救えなかった無力感に震える小さな肩。
私は持っていた一輪の花を、彼の手のひらに握らせた。

――― んー。ね、これ、あげる。よしよし、元気になぁーれ

パチン、と何かが弾けた。かつての記憶から戻ってくる。
私は無意識に、今、自分の耳に掛かっている花に触れた。
あの日、少年にあげたものと同じ形、同じ香り。

「あ……」

喉の奥から、乾いた声が漏れる。
目の前にいる青年と、あの日の少年が、重なる。

彼はあの日からずっと、届かなかった祈りを抱えたまま、この花を…。
私を、見つめていたのだろうか。



10

「…元気に、なぁーれ。
ノレインさん、お姉ちゃん、 もっと一緒に居たかった…そっか…そうなのね」

「???」

指先に触れる石の冷たさが、胸の奥に眠っていた記憶を呼び覚ます。
私はもう一度、愛しいお姉ちゃんの名前を、愛惜を込めて撫でた。

(私、なんてひどい言葉を言ったんだろう。
この人の一番触れられたくない傷を、私は土足で踏みにじったんだ)

「フレン…。私、ひどいこと言った。お姉ちゃん達に。そして貴方にもっ」
「え!?」

視界が急激に歪み、熱い雫が頬を伝う。ポタ、ポタと。
磨かれた石碑に、私の溢れる涙が雨の如く降り注ぎ、乾いた石の色を濃く変えていく。

「思い出したの。お姉ちゃんとノレインさん、親友だった…。
仕事の都合で、葬式に遅れて……。
独りきりになった墓場の隅で、誰にも見られないように泣いてた人がいた」

「そんな…本当に?」

「もちろん。それに私も居たよ。あの日に」

「え」

「フレン。貴方がひとりで泣いてた。……これ、あげる。元気になぁーれ」

涙を袖で乱暴に拭い、私は耳に掛かっていた花を。
――あの日と同じ色をしたその花を震える手で差し出す。

フレンの瞳が、零れんばかりに大きく見開かれた。
記憶の中の泣きべそをかいた少年と、目の前の青年が重なる。

「う、そだろ……君が、あの時の……」

彼は、壊れ物に触れるような手つきで、恐る恐る花を受け取った。
私はもう、居ても立ってもいられなかった。

立ち上がった勢いのまま、もどかしさに突き動かされるように、
彼の胸にぶつかるように抱き着く。

「傷つけて、ごめんなさい。早く。よくなりますように。よしよし」

彼の背中に腕を回し、凍えきった心を溶かすように、そっと掌で撫でる。
服越しでもわかる。彼は、あの日の少年と同じように、孤独に打ち震えていた。

「……っ、ぼく、は……っ」

堰を切ったように、彼の喉から掠れた声が漏れる。言葉にならない嗚咽。
私は「うんと」深く頷いて、何度も、何度も彼の背中を撫で続けた。

「…っ、」

何かを言おうとした。でも言葉にならないフレン。
私は、うんと頷いて彼の背中を撫で続ける。あの頃のように震えている。

お姉ちゃん、見てて。もうこの人を、一人にはさせないから。



11

「…君が、一瞬でも妬ましかった」
「うん」
「君が受け取っていた薬の一つでも、母さんが受け取れていれば」
「うん」
「届いていれば。早く、良くなって欲しかった」
「うん」
「……ごめん」
「うん……え?」

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、フレンの腕に強い力がこもった。

拒絶されることを恐れるような、あるいは、
零れ落ちそうな何かを必死に繋ぎ止めようとするような、切実な抱擁。

「『自分なんか』って…さっきのヒロミの声に、僕は一瞬でも君の存在を否定した。
君の代わりに母さんが生きていたら、なんて。……最低だ。ごめん……ごめんっ」

肩に触れる彼の体温が、小刻みに震えている。

騎士として、常に毅然と前を向いていた彼の背中が、
今はただの傷ついた青年のように小さく見えた。

(フレン……? もしかして、泣いてるの?)

私は戸惑いながらも、回していた腕をゆっくりと上げ、彼の後頭部にそっと手を置いた。

「よしよし。私が悪いんだから。フレンは悪くない。謝らないで?」

指をすり抜ける髪は、さらさらとしていて、まるで陽だまりを編んだような金色だ。
お日様は、いつだって世界を照らしていなきゃいけない。

(そっか……この金色に魅せられて。懐かしく感じたのも。胸がざわざわしたのも……)

今、ようやくわかった。フレン。貴方の涙を止めたい。その瞳を曇らせたくない。
この掌に伝わる温かさを、二度と失わせたくない。

彼は不思議な人じゃない。
後悔して、傷ついて、それでも優しくあろうとする、一人の普通の青年なんだ。
……私も、彼を支えたい。

「元気になぁれー」

幼い子供をあやすように、ゆっくりとなでる。あの日、彼に花を渡した時と同じように。

「ははっ……まるで、あの頃のままじゃないか」

フレンは私の肩におでこをコツンと預けてきた。
完全に私に身を預けている。彼の鼓動が伝わってくる。大きなワンコみたいだ。
私の相棒的存在のランバートよりもずっと、おっとりとしていて温かい。

「やっぱり……間違いじゃなかったんだ」
「え?」

顔を上げたフレンの瞳は潤んでいて。しかし確信に満ちた光を宿していた。

「君と騎士団で初めて会った時、強烈な既視感があったんだ。そうか…そうだったんだね。
(僕の初恋は、ずっと前から“ヒロミ”だったんだ。
あの日、君からもらった花は、今でも栞にして。僕の宝物なんだ)」

なにやら喉元まで出かかったその言葉を、彼はまだ飲み込んだような。
けれど私を見つめるその眼差しが、何よりも饒舌に真実を語っていた。

(フレン…私も貴方に再び会えて嬉しいよ)

「もう大丈夫そ? そろそろ掃除始めないと、本当に陽が暮れちゃうよ」

私の声に、フレンはようやく思考の海から帰還した。

「あ……。そうだね。ごめん、僕も手伝うよ」
「ふふ、頼りにしてる。……あ、ところでその花、どうするの?」

彼の指先には、先ほどまで大切そうに眺めていた特別な花が一輪。
片付けを始めるには、少しばかり邪魔になりそうだ。

「え、あ。そっか、どうしよう……」

手近な場所に置くのも憚られるのか、彼は困ったように眉を下げて花を見つめた。
その隙だらけの横顔を見ていたら、ちょっとした悪戯心が芽を出す。

「じゃあ~…こうしちゃえ! はい、可愛いフレンちゃんの出来上がり。うん、よく似合ってるよ」
「なっ……!?」

面食らうフレンの耳元に、その花の茎をさっと差し込む。
ふわりと花の香りが彼の周りに漂い、淡い花びらが彼の色白な肌によく映えた。

「こうすれば失くさないし、邪魔にもならないでしょ?
それに何より、私の眼福。いやあ~、名案解決!」

「っ……男に可愛いはないだろ……」

フレンは少し照れたように顔を伏せ、耳元の花を指先でそっと触れた。
外そうとするわけでもなく、ただその感触を確かめているようだ。

「はいはい、口を動かさないで手を動かす! さあ、始めるよー」

背中を向けて掃除の準備を始める私を、フレンは何も言わずにじっと見つめている。
その視線に気づいて振り返ると、彼は慌てたように目を逸らした。
そんな風に頬を染める顔が、幼い頃の面影を呼び起こして、なんだか胸の奥が温かくなった。



12

フレンと私でお墓を掃除する。
フレンは迷いのない、慣れた手付きで作業を進めていく。
その無駄のない動きを見て、私はふと気づいた。

(あ、そっか。ノレインさんのお墓も、いつ見てもきれいだった…。
きっとフレンが、こうして定期的に通って、一人で整えていたんだ)

彼の背中に、孤独だった月日と、変わらぬ愛情が透けて見えた気がした。
フレンが手際よく周りを掃き清め、私が石碑を水とタワシで磨き上げる。
冷たい水が弾け、石の地肌が本来の色を取り戻していく。
仕上げは、二人で一枚の新しい布巾を分け合い、隅々まで水気を拭き取った。

あっという間に掃除が済み、私たちは用意した大きな花束を石碑に供える。
色鮮やかな花々が、静かな墓所にパッと灯がともったような明るさをもたらした。
二人で目を閉じ、黙祷を捧げる。

風が吹き抜け、お線香の香りと花の匂いが混ざり合って鼻をくすぐる。
ここで明らかになった真実と、お姉ちゃんとノレインさんの絆。
きっと、その見えない糸が、時を超えて私とフレンを今、ここで繋いでくれたのかもしれない。

「お姉ちゃん。お義兄ちゃん。私、騎士になったよ。
二人の頑張りのお陰で、私は今、こうして健康でいられる。……ありがとう」

隣でフレンが、消え入りそうな、でも芯の通った声で呟く。

「リリアさん、僕の母さん……ノレインに逢えましたか?
エルダ様、僕も彼女と同じ騎士になりました。今、同じ隊で、彼女を支えています」

しんみりした空気を振り払うように、私は少しおどけて見せた。

「ね、もうビックリだよね。
あんなにビービー泣いてたフレンが、今やこんなに強くなっちゃって。
…正直、すごく頼もしいの」

「ビービーって……君は一言多いんだよ」

フレンが眉を下げて困ったように笑う。

「もう。むくれないの。似合わないんだから」

軽口を叩き合いながら、私たちは立ち上がる。
膝についた砂を払うと、現実の任務が頭をよぎった。

「じゃあね、二人とも。今度は…いつになっちゃうかな。
はぁ。騎士の仕事って、案外忙しいもんね」

「そうだね。帝都内の任務なら、すぐ戻ってこられるけれど……」

「ははぁ~ん?
そういえば、フレンが頻繁に外出許可を出してたって噂、聞いてたよ。
……そういうことだったのね」

「……なんか、ごめん」

図星を突かれたように視線を泳がせるフレンに、私は笑って首を振った。

「何で謝るのよ。私は、フレンのそういうところ、えらいなって思ってるんだよ?
……ね、ノレインさんも、きっと喜んでる」

「……うん。そうだといいな」

来た道を戻り、掃除道具を返したその足で、私たちはノレインさんのお墓にも向かった。
残りの花を供え、再び二人で手を合わせる。

「今日は、本当にありがとう。
母さんに……まさか、君と一緒に花を供えることができるなんて、思わなかったから」

照れくさそうに、でも心底嬉しそうに微笑むフレン。

「ううん。こちらこそ。ありがとうだよ、フレン」

去り際、振り返ると、西日に照らされた二つのお墓が、どこか満足げに並んで見えた。


騎士団寮に戻る帰り道。なんか、今日半日だけでフレンの事、たくさん知れた。
彼の家族の事、私のお姉ちゃんとの繋がり、そして過去に一度だけ出会っていた事。

「って、フレン。耳。そのまま戻るつもり?」
「あ!?忘れてた!」
「ぷっ!帝都内に入ってもそのままだったね。なんか視線が集まると思ったら。
あははは!ダメぇ!苦しー腹痛い~。フレンちゃん!ぷっ!フレンちゃん!」
「連呼しないでくれ!!!」

私が指差した先――フレンの耳には、今でも鮮やかな花がちょこんと咲いていた。
すれ違う帝都の住民たちが、騎士の制服と、その耳にある花のギャップに。
二度見どころか三度見していた理由がようやく繋がる。

「き、気付いてたなら、もっと早く言ってくれよ!!」

顔を真っ赤にして、慌てて耳から花をひったくるように外すフレン。
その必死な様子が面白くて、私はさらに笑いが止まらなくなる。

「だ、だって……似合ってたんだもん!あはははは。
騎士団の期待の新星が耳に花の姿で闊歩なんて、明日の新聞に載っちゃうかもよ?」

「笑いすぎだ!」

膨れっ面のフレンを置いて、私は「お先~!」と、すたこらサッサ。
石畳を蹴って、暮れなずむ寮の方へと走り出す。

「こらー!僕をからかうとはいい度胸じゃないか!待て!」

背後から、追いかけてくる足音。

「へへーん。下町育ちの瞬脚を舐めないでよねー!」

夕飯の支度の匂いが漂い始めた道を、風を切って駆け抜ける。
あっかんべー、と舌を出して精一杯の挑発を投げ捨てて、私はさらにギアを上げる。

迷路のような裏路地、積み上げられた木箱の山、洗濯物がはためく軒下。

騎士団の教練では決して通らないような「近道」を、
私は翼が生えたみたいに軽やかに駆け抜けていく。

背後からは、「待てってば!」というフレンの焦った声が追いかけてくる。

心臓がバクバクと音を立てる。走ってるせいだけじゃない。
半日かけて知った彼の意外な素顔や、お姉ちゃんとの繋がり、
そして何より――幼い頃に一度だけ結ばれていた、あの不思議な縁。
そんな温かい秘密を共有している高揚感が、私の背中を強く押していた。

あはは。捕まって堪りますか。
私の脚について来られる人なんて今の騎士団に居るわけがないじゃない。
ふふふ。さすがにフレンでも追いついてこないか。



13

「とーちゃくっと。ふふん、いくらフレンでも私の足に追いつかれて堪りますかっての」

使い慣れた寮の門が見え、私は勝利を確信して鼻歌まじりにステップを踏んだ。
だが、その余裕は一瞬で凍りつくことになる。

「ほぉー。フレンが? なんだって?」
「げ! ユーリ!!?」

そこにいたのは、騎士団の制服を少し着崩し、仁王立ちで腕を組む男。
フレンの片割れ――ユーリ・ローウェルだった。
その背後では、双子の騎士が「あちゃー」と言わんばかりに、
無言で手を合わせ、私に黙祷を捧げている。

……どうやら私の半日休暇、完全に出所にバレていたらしい。

「『げ』とは何だ。人の顔を見るなり失礼な」
「い、いや何でもありません。
…それに、フレンはナイレン隊長から極秘任務を言い渡されて、半日ほど席を外しただけよ?」
「は? 任務? 何の任務だ」
「それは国家機密につき、黙秘権を行使します!」

ビシッと敬礼して誤魔化すが、
ユーリは「怪しいもんだ」と言わんばかりに、獲物を狙う野良猫のような目で細める。

「…あ、因みに私はお墓参り!
家族のが帝国外にあるから、休暇をもらったの。お分かり?」

「……まぁいい。おまえの私用はどうでもいいが、
こっちはフレンの不在のせいで、あの双子にトコトン扱かれたんだよ。
ったく、アイツいきなり消えやがって」

ユーリの首筋にはうっすらと汗が浮かび、肩で息をしている。相当しごかれたのだろう。

「あらぁ。それはそれは。……さぞ、お強くなられたんでしょうねぇ?」
「うっせ! ヒロミもあいつらに捕まってみろ。マジで地獄を見るぜ」

毒づくユーリだが、その顔には隠しきれない疲労の色が見えた。
つい、その「お疲れ様」な雰囲気に絆されて、私は無意識に手を伸ばす。

「ふぅん。そっか。お疲れ様、ユーリ。よしよし」
「なっ!? ……何しやがる! バカかおまえっ!」

子供をあやすように頭を撫でると、ユーリは弾かれたように飛び退いた。
顔を真っ赤にして、珍しく狼狽えている。
私も自分の行動にハッとして、上げたままの手を止めた。

「あ。つい。…さっきまでフレンにいっぱいしちゃったから。
まだ、手に撫でる感覚が残ってたのかな」

「はぁ? おまえなぁ、いいか、フレンは犬じゃねぇんだぞ」

「ぷ…っ! でも、すっごく大人しくしてて、あのでっかいワンコみたいだったわよ?」

フレンならゴールデンレトリバー。ユーリなら黒猫ってとこか。

私が噴き出したところで、背後の扉が勢いよく開き、フレンが全速力で駆け込んできた。

「ぜえ、ぜえ…! ヒ、ヒロミ……!
君の走りは、一体、どうなってるんだ。と、とても…ッ」

息を乱し、膝に手をつきながらフレンが顔を上げる。その瞳には驚愕の色が浮かんでいた。
――「病弱だったとは思えない」
続くはずだったその言葉を、私は許さない。
空気を切り裂くような鋭い手刀が、フレンの脳天にクリーンヒットした。

「お黙り! もしバラしたら、一生言いふらしてあげるわよ? …ねえ、『フレンちゃん』?」
「!!?」

「ちゃん」付けという想定外の攻撃に、フレンは声にならない悲鳴を上げて硬直する。
その横で、ユーリが胡散臭そうに眉をひそめた。

「…は? フレン、ちゃん…? なんだその呼び方。おまえら、いつの間にそんな仲良くなってやがる」
「さあね~? ユーリは知らなくていいのよ、うふふ^^」

私は満面の笑みを浮かべ、下町コンビの二人に特大の圧をかける。

(ま、フレンは知らないでしょうけど。
私は支えたいとは思ってるわよ。――その、眩しすぎる太陽をね)

内心でそんなエモい決意を固めたものの、全力疾走の後はやっぱり、情緒より実利だ。

「あー疲れた! お風呂、お風呂! ヒスカー、シャスー。一緒にお風呂行こー!」

少し離れたところで、今のやり取りをハラハラしながら見守っていた双子に声をかける。

「「うん! 行く行くー!」」

二人はパッと表情を輝かせ、私の両手を奪い合うようにして取った。
置いてけぼりにされた男二人の視線を背中に感じながら、私は鼻歌まじりに浴場へと向かった。
やー裸の付き合いはいいねぇ。


14

半日だけでいろんなことがあった。
私自身、風呂に入って随分疲労してたのだと実感した。
双子と一緒に背中を洗い合いっていると双子の片割れに訊かれた。

「ねぇヒロミ。今日どうしたの?フレンとすごい仲良くなってない?」
「あ、あたしも思った。フレンをいっぱい撫でて?追いかけられて、しかもチョップ!」
「うっ。まぁ双子にならいいか…ユーリとフレンには黙っててよ?」

半日ユーリを引き留めてくれた借りもあるし。
フレンちゃんの事だけ黙ってよっと。彼の名誉のためだ。

* * *

「……と。そう言うこと。って、二人とも?」

問いかけた私の言葉は、完全にスルーされた。
二人の瞳は、まるで見えない宝箱を見つけたかのように爛々と輝いている。

「そ、それって……! 運命じゃん! キャーッ!」
「絶対にお姉さんとフレンのお母さんが導いたんだよ! キャーッ!」

二人は同時に私の両手を握りしめ、ぴょんぴょんと跳ね始めた。

「そりゃあフレンは……ねぇ?」
「でしょう。絶対に……うふふ」

首を傾げるタイミングまで完璧に一致している。
双子だけで完結した不可侵のロジックが、二人の間で高速通信されているようだ。

「なんかよく分からないけど、フレンの事、あまり弄らないであげてね?」

私が釘を刺すと、二人は一瞬だけ顔を見合わせた。

言葉なんて一言も交わしていないのに、
瞳の奥で何かの情報が高速でやり取りされたのが分かった。

「えへへ。分かったー」
「もちろんよ。うふふ」

重なるような、あまりに綺麗なハモり具合。鏡合わせのような笑顔。

だが、その口角の上がり方が、
さっきよりもほんの数ミリだけ深い気がするのは私の気のせいだろうか。

「(……ほんとにわかってるのか怪しい。
っていうか、今、絶対『面白い玩具(フレン)を見つけた』って、二人で共有したよね?)」



一方その頃。
ユーリとフレンも広々とした大浴場で、ようやく一日の汗を流していた。
だが、湯船に浸かりながらも、今日の出来事を思い出してユーリの視線は鋭い。
これでもかとジト目で見つめている。

「ユーリ…そう睨まないでくれないか。
視線が刺さって、せっかくの湯がちっとも温かく感じないよ」

「いや? オレは別に睨んでねえぞ。…ただ、あまりの体たらくに呆れてるだけだ」
「は……? 体たらくとはなんだ」

フレンが眉を寄せると、ユーリは鼻で笑って湯気を吹き飛ばした。

「おまえ、いっぱい撫でられたんだってな。ワンコ扱いされてたぜ?」
「なっ!僕は犬じゃない!!」

湯面を叩いて立ち上がろうとするフレンに、ユーリは肩まで湯に浸かり直して毒を吐く。

「それはヒロミに言え。オレまでとばっちり食らったじゃねえか。何がよしよしだ」
「(イラッ)……ユーリにもやったのか。ヒロミは」
「なんでオレを見て睨むんだ。言いたい事があるならヒロミに言え」

ユーリがうっとうしそうに顔を背けた瞬間、フレンの拳がプルプルと震え始めた。

「分からないよ。なんか無性にユーリを殴りたくなった」

「! (イラッ)…奇遇だな、それはこっちの台詞だぜ。
今日は一日、おまえのせいで散々振り回されて、
オレの導火線はとっくに燃え尽きてんだ。無性にイラついてんだよ!」

ざばあッ! と派手な音を立てて二人が同時に立ち上がる。
鍛え上げられた二人の肉体から、湯気と共に殺気にも似た闘志が立ち上った。

「表へ出ろと言いたいが……ここで十分だ、フレン!」
「望むところだ、ユーリ! その体に叩き込んでやる!」

あとは、いつもの通り。
「おい、やめろお前ら!」「備品を壊すな!」という他の隊の叫び声も虚しく、
二人の全力の喧嘩によって男子風呂場は嵐のような大騒ぎになったのだとか。



15

「ふぁ~、極楽極楽。やっぱり風呂は命の洗濯だねー」
「ん?…なんか隣、騒がしくない? 湯冷めしそうな怒鳴り声が聞こえるんだけど」
「ほんとだ。ちょっと男子ー、そっちで何があったの?」

私たちは火照った肌を夜風にさらして髪を拭きながら、
男子風呂の入り口付近でニヤニヤと中を覗き見ているアシェットに声をかけた。

「いやぁ。なんかまた、ユーリとフレンが派手に殴り合いの喧嘩を始めちゃってさ」
「は!!? またあいつら……風呂で何やってんのよ!」

呆れ果てる私たちをよそに、アシェットは「見ものだよ」と肩をすくめる。

「今さっき数人がかりで取り押さえてるんだけど…
あ、今もなんか『ヒロミがどうした』とか、お前の名前が聞こえたような気がするぞ?」

「え。何で私の名前……? 私、何かしたっけ?」

「これは間違いなく、いわゆる一つの三・角・関――」

「しぃーっ! ヒスカ! 余計なこと言わなくていいから!」

パシィィッ!と勢いよく、シャスがヒスカの口を両手で塞いだ。
「むぐぐっ」と悶えるヒスカを無視して、シャスは引きつった笑顔で冷や汗を流している。

「?? 何、三角って?」
「あー、気にしないで! 陣形の組み方の話よ、たぶんね!」

「俺、一応隊長に知らせてくるよ。
ま、いつもの痴話喧嘩……じゃなかった、いつもの揉め事だと思うけどな」

「あ、デイビッド」

ナイレン隊の男子、デイビッドが苦笑いしながら私たちの前を駆け抜けていった。
その背中を見送りながら、双子は揃って深い溜息をつく。

「あちゃー、フレンのやつ、早速やらかしてるぅ。
あんなに真面目な顔して、ヒロミのことになるとすぐ余裕なくなるんだから」

「ユーリも今日はずいぶん扱いたからね。虫の居所が悪かったんじゃない?
……っていうか、これ」

「「明日から数日、私たちも指導を鬼にしろって命令が来るパターンじゃ……」」

双子が顔を見合わせ、げんなりとした表情で天を仰いだ。
「たぶん来るね。うわぁ、完全にとばっちりだ……」

「ねえ2人とも、もう行かない?
ここに居ても私たちは男子風呂の中には入れないし。
フレンたちはいつもの事でしょ? それより、お腹空いちゃった。夕ご飯に行こうよ」

私が能天気に提案すると、二人は何とも言えない複雑な視線を私に投げた。

「……まぁ、そうだけどね。(根本の原因は、今お腹を空かせてるヒロミなんだけど……)」
「そうだね、行こうっか。(フレンの必死な気持ち、つゆ知らず。本当に、罪な子ねぇ……)」

私たちは騒ぎを背に、温かい湯気の匂いが漂う食堂へ移動した。

案の定、食事の真っ最中に双子は隊長から呼び出され、
口に含んだスープをぶふっと派手に噴いていた。
やっぱり、地獄の特訓命令が下されたらしい。

その後の数日間、ユーリたちの鍛錬は文字通り「ハードモード」に書き換えられたという。

(……それにしても、いったい何をやらかしたのよ、フレンたち)

私がそう首を傾げるたびに、
隊の全員が「お前が言うな」という視線を送ってくるのだが、その理由を私が知る由もなかった。



16

数日後。私はフレンと食べた、あのクレープが恋しくて外出許可をもらった。
夕飯は外で食べてきます、と付け加えて。よし、いろんな種類試すぞ~。
夕方時間はそれぞれ家へと向かう人たちで賑わう。下町もそうだ。

「こんばんは~。おじさん、またきましたー」
「お!嬢ちゃんまた来たのかい。フレン坊主は元気か?」
「はい。相変わらず元気いっぱいですよ!(あり過ぎて困ってんだけど)」

私はメニューを見て、うーんと考え込む。

「あ。じゃあ、おじさん。ここから、ここまで全部くださーい」
「なっ!お嬢ちゃん、ちょっと食い過ぎじゃねえか…?(汗」
「大丈夫!鍛錬で、すっごいお腹減らしてきましたから^^」
「ははぁ~騎士にもなるとみんな大食いになるのかねえ」
「えへへ。フレンも大食いなんですか?」
「いや。むしろユーリ坊主の方が食うよ」
「へぇ。あ、そっか。甘党だってフレンが言ってたっけ」
「お嬢ちゃんも負けてないがな。がはは」
「あはは、ユーリが甘党なのは意外かも。あんなにクールぶってるのに」
「おうよ、あいつは昔からそうだ。シチューの後に平気で甘いもん食いやがる。
嬢ちゃんも負けずに、しっかりその腹に収めてやりな!」

鉄板の上で薄く伸びる生地が、一瞬で端から浮き上がってくる。
おじさんはそれを迷いのない手つきでひっくり返すと、
色とりどりのフルーツやクリームを魔法みたいに盛り付けていく。
トン、トン、とリズミカルに包まれるクレープが積み上がっていく様子は、見ていて飽きない。
うわあ。すごい職人芸というかスピードだ。見惚れちゃう。

「ほらよ。落っことさないように気ぃつけなよ!」
「ありがとー。おじさん。うわあ美味しそ~。噴水広場で食べよっと^^」

全部で10個も頼んじゃった。あはは、頑張って食べるぞー。
下町まで降りてきたんだから、みんなにも久しぶりに会えるかも。

夕飯の支度を急ぐ主婦たちの話し声、走り回る子供たちの笑い声。
運河の水面が夕日にキラキラと反射して、オレンジ色に染まっている。
騎士団の宿舎とは違う、このちょっと雑多で温かい空気。
フレンはこういう景色を守りたくて頑張っているんだな、なんて柄にもないことを考えちゃったり。

両手に抱えきれないほどのクレープの束。
ずっしりとした重みと、包み紙越しに伝わる温かさが幸せすぎる。
……けど、すれ違う町の人たちが二度見していくのは気のせいかな?
『おいおい、あのお嬢ちゃん一人で全部食うのか?』なんてヒソヒソ声が聞こえてくるけど。
今の私には最高のBGMだ。

噴水広場に行くまでにも、たくさんの知り合いに挨拶して。
やっと目的地について、噴水広場に設置してあるベンチに腰掛ける。
買ってきたクレープを横に置いて、早速1つを齧る。

「ん!うまー。ほっぺ落ちそう~幸せ~(もぐもぐ)」
「おや?そこに居るのは」
「(もぐ。ごくん) あ!ハンクスおじいちゃん!久しぶり^^」
「ヒロミ。って、なんじゃその量は!?」
「あはは。鍛錬でお腹空いちゃって。あそこのクレープ美味しいですね(ぱく。もぐもぐ)」
「お前さん…だんだんユーリに似てきたのぅ」
「(ごくん。ぱく。もぐもぐ) ふぇ?はんで、ふゅーひひ?(へ?何でユーリに?)」
「喋るか食べるかどっちにしたらどうじゃ。行儀が悪いわい」
「ん。(ごくん。ぱく。もぐもぐ。ごくん。ぱく。もぐもぐ。ごくん)」
「すごい食欲旺盛だのぅ。しかも幸せそうに食べるからこっちはもうお腹一杯じゃ」



17

「ったく。ようやく解放されたぜ。フレンのやつ、なに苛ついてやがんだ」

むしろ絞られたオレの方が苛ついてるっつーの。

(くっそ、何か甘いの食べないとやってられねえ!!)

オレはムカついたまま、外出許可を叩きつけてきた。
すたすたと下町の方へと降りていく。
行く先、行く先、下町のやつら挨拶してくるがテキトーに返す。

いつも世話になっているクレープ屋のジジイに
「おい、いつもの」とぶっきら棒に注文する。

「よーう、ユーリ坊主どうした?えらくご機嫌斜めだな」
「うっせ!それもこれもフレンの奴が吹っ掛けてきたせいだ」
「ははぁ?フレン坊主と喧嘩か。ま、いつもの事か。がははっ」
「今回は完全にオレはとばっちりだ!くっそフレンの野郎!」
「まあまあまあ。甘いもんでも食って機嫌直せって。ほらよ。こっちはおまけだ」
「お!おっちゃん良いのか?サンキュー♪」

もう一つ、おまけに別の甘いクレープをくれた。

「おっちゃん、えらい機嫌いいな。なんかあったのか?」

「ああ。さっき新規のお客さん……ああ、ユーリ坊主と同じ騎士か?
10個注文してくれてな。あんな可愛い顔してえらい大食漢だと思ってな。
ああ、噴水広場で食べるようなこと言ってたな。興味あるなら行ってみな」

「ふぅん。騎士ね。どんな大女なんだか」
「大女って…ユーリ坊主の頭一つ分低いくらいだぞ?」

マジで?しかも10個とか。どんだけの甘党だよ。オレも人の事言えねえが。
同じ騎士ねぇ。しかも下町に気軽に出入りする、と来たものだ。
…もしかしてオレの顔見知りか?
いや、そんな大食漢なら下町でもそこそこ顔知られてるが。

(…いったい誰だ?見当もつかねえ)

「へえ、オレより頭一つ分も低い、か。
そりゃまた…騎士団(あっち)にしちゃ、随分とコンパクトな新顔がいたもんだな」

腕を組み、ユーリは記憶の引き出しを片端からひっくり返す。
だが、あんな厳格で堅苦しい組織に、そんな「可愛らしい大食漢」がいた記憶はない。
ましてや、下町の噴水広場でのんびり買い食いを楽しむような手合いなど。

(……まあ、フレンみたいな四角四面な奴ばかりじゃないとは思うが。
10個だぞ? 10個。もはや食事じゃなくて、ただの甘味の暴走じゃねえか)

「悪いな、おっちゃん。ちょっとその『可愛い騎士様』のツラ、拝んでくるわ」

ひらひらと手を振り、ユーリは噴水広場へと足を向ける。

石畳の道を歩きながら、頭に浮かぶのは、自分より背の低い、
騎士服に身を包んだ、予想もつかないような人物像……。

(……まさかな。いや、あの厳格な騎士団に、そんな自由な奴がいるはずが――)

オレはクレープを齧りながらも、足は無意識に噴水広場へと向かっていた。



18

私はハンクスおじいちゃんとお話ししながらも、もくもくと食べ続けていた。
残りはあと4個。ここまで計6個食べた事になり。一向に食べるスピードは落ちない。

「(ぱく。もぐもぐ。ごくん) …でね、ハンクスおじいちゃん。フレンがね…」
「あ、あぁ…。お前さん、ほんとに大丈夫か?」
「(ぱく。もぐもぐ。ごくん) ん?だいしょーぶ。美味しいよ~^^」
「そ、そうかい。フレンがどうしたんじゃ?」
「(ぱく。もぐもぐ。ごくん) ん。この前、お姉ちゃんのお墓参りに護衛してくれてね」
「ほぉ。リリアのかい」
「うん。フレンね、掃除も手伝ってくれて。
実はね、フレンのお母さん、お姉ちゃんと親友だって思い出して吃驚した」

クレープ食べるの一旦やめて。ハンクスおじいちゃんに報告した。
なんだか誰かに知って貰いたかったんだ。
するとハンクスおじいちゃんは、懐かしそうに頷いた。…へ?知ってたの?

「懐かしいのぉ……」

ハンクスじいちゃんは目を細め、刻まれた深い皺の奥で遠い日々を慈しむように呟いた。

「ノレインとリリアの仲は意外と知られていないんじゃよ。どっちも内気というか温厚でな。
わしは偶然、ノレインの授業が終わった後に話すことがあってな。その時に出会ったのじゃよ」

彼は静かに言葉を継ぐ。

「彼女らは生粋の本好きでな、よく貸し借りしておったよ。
お前さんのかつての家にも、壁を埋め尽くすほどたくさんあったじゃろ?」

「うん。お姉ちゃん、お義兄ちゃんに頼んで遠い街から取り寄せるくらいだもんね……」

私は幼い頃に見た、
紙とインクの香りが満ちたかつての家の光景を思い出し、ふっと口元を緩めた。

「そっか。ハンクスおじいちゃん、教えてくれてありがとう」

「いいんじゃよ。…それにしてもヒロミ、ほんにここまで元気になって。
下町では薬一つ手に入れるのも一苦労じゃからのぅ。
あの頃のお前さんを思うと、奇跡のようじゃ」

ハンクスおじいちゃんの労わるような視線を受け、私は力強く自分の胸に手を当てた。

「そこは、本当にお義兄ちゃんに感謝してる。
だから…私、騎士になって、少しでも下町のみんなに恩返しがしたいの。
この命を繋いでもらった分、今度は私が守る番だから」

その瞳に宿る真っ直ぐな光を見て、ハンクスおじいちゃんは満足そうに何度も頷いた。

「血は繋がってなくても、志はしっかりと継いだようじゃな。…エルダも、天国で本望じゃろうて」

「そかな?そうだったら嬉しいな!(ぱく。もぐもぐ。ごくん)」

「本当に幸せそうに食べるのぅ。
わしゃもう行くが…ヒロミ、くれぐれも食べ過ぎぬようにな」

「はぁーい。(ぱく。もぐもぐ。ごくん)」

「(…第2のユーリじゃのぅ。この甘党は)」

ハンクスおじいちゃんに注意されて返事を返す。何故か少し溜息をついていたような?
まあ気のせいかもだし。ハンクスおじいちゃんは行っちゃった。
でもお姉ちゃんの事、知ってたんだ。嬉しいな。

私は心がポカポカと温かくなり、本当に幸せな気分でクレープを頬張る。

「(ぱく。もぐもぐ。ごくん)……はぁ、おいしい」

ハンクスおじいちゃんが去った後のベンチで、私は手元のクレープを見つめる。
お姉ちゃんとノレインさん。

二人が私の家の膨大な本棚や、
木漏れ日の下で静かに本を交換している姿が目に浮かぶようだった。

「お姉ちゃん……。私、お姉ちゃんの知らない一面をまた一つ見つけたよ」

お義兄ちゃんが必死に繋いでくれたこの命。
もしお姉ちゃんが生きていたら、今の私を見てなんて言うかな。
「食べすぎよ」って、やっぱりハンクスおじいちゃんみたいに苦笑いするのかな。
そんなことを考えたら、胸の奥がぎゅーっとして、それからトクンと温かくなった。

(よしっ、食べるぞぉー!)

クレープの続きを、惜しむように大きく頬張る。
もちもちの生地と、とろけるような甘さ。お姉ちゃんが愛したこの街を、今度は私が守るんだ。

あとは、蕩けるような甘さに身を浸せて。ああ幸せぇ。
夢中で食べていた気がする。

「ふぅー。美味しかったぁ~。ごちそうさまぁ」

10個完食。お腹は大満足。

パンパンになったお腹をちょっとだけさすりながら、
私は夕暮れに染まり始めた下町の道を、軽やかな足取りで歩き出した。



19

クレープを齧りながら噴水広場に向かっていれば。

「む?おまえ、ユーリか」
「ん?ハンクスのじいさんか」
「…はぁ。お前さんまでクレープか。こっちはもう胸焼けじゃわい!」
「出会い頭で溜息と逆ギレかよ。オレが何したってんだよ」
「いや。ユーリが悪いんじゃないが…もう今夜は何も食べれんわい」
「おいおい。大丈夫かよ。じいさん。(ぱく。もぐもぐ)」
「ぐ…!もう勘弁してくれぃ」

オレから逃げるように去っていったハンクスのじいさんに首を傾げた。
いったい何だったんだ?確か噴水広場の方から歩いてきたよな。

『お前さんまでクレープか。こっちはもう胸焼けじゃわい!』

そこで思い出した。そして手に持っているクレープを見る。

「…まさか。じいさんの知り合いか?」

オレはまたクレープを齧りながら目的地に進む。すると見覚えのある姿が。


「ん。うま。うま。おいひい。ん。んん。んく。ん。うまぁ~」

もきゅもきゅもきゅ(*´ω`*)
ひたすらクレープを幸せそうに頬張るヒロミがいた。

……噴水広場は、しんと静まり返っていた。
噴水の水音さえ、彼女の咀嚼音を邪魔しないよう遠慮しているかのように。
買い物帰りの主婦も、談笑していた若者たちも、全員の視線が一箇所に釘付けだ。
その中心で、ヒロミだけが世界から切り離されたような多幸感に包まれている。
彼女の足元には、役目を終えたクレープの包み紙が、まるで騎士の戦果か、
あるいは脱ぎ捨てられた鎧のように積み上がっているじゃねえか。

…これか。クレープ屋のおっちゃんや、ハンクスじいさんが言ってた大食漢の騎士って。
しっかし。すげえ食いっぷりだな。確か10個注文してなかったか?こいつ。

「はむっ。んっ。ん、うん、んんー。これも美味しい~^^」
「……。」

もきゅ、もきゅ。
彼女の薄い唇が、溢れんばかりの生クリームと真っ赤なイチゴを優しく、かつ容赦なく迎え入れる。
膨らんだ頬はリスのようでいて、その咀嚼はどこかリズミカルだ。
飲み込むたびに、長い睫毛が震え、喉が小さく『くぅ』と鳴る。
数字を全く感じさせない、一口ごとに初めてクレープに出会ったかのような感動が、
その表情には張り付いていた。

(…あれはもう、ただの食事じゃねえ。一種の儀式に見えてきたぜ…)

ヒロミの食いっぷりと。幸せなそうな顔と。頬を膨らませて噛み締める姿。
普段は凛々しい背中が、今はただの『甘味に魂を売った少女』の背中に見える。
呆れるのを通り越して、見ているこっちの胃袋まで刺激されてきた。
彼女の幸せが空気を伝染して、オレの鼻腔をくすぐる。

気づけば、オレは自分のクレープを強く握りしめていた。
オレは無意識に自分の手にあるクレープに齧りついた。美味ぇ。
もぐもぐ。もぐもぐ。もぐもぐ。

「ん。んっ。うまー。ん。んくっ。はむっ。ん。ん。んん。うん。んくっ」
「……。」

もぐもぐ。もぐもぐ。もぐもぐ。
ヒロミの食べる姿に、オレはいつの間にかシンクロしていたのか。
おまけに貰っていたクレープも、あっという間に完食しちまった。

「はむっ。んん。ん。うん。ん。ん。んん。ん。んく」
「……。」
「はむっ。ん。んん。うん。ん。んん。うん。んくっ」
「……。」

クレープを食べ終わった後も、オレは帰ることができなかった。
ただひたすらに、ヒロミの食べる姿を見続けていた。
いや、正確には「見続けてしまった」と言うべきか。

クレープを頬張るたびに緩むヒロミの頬、幸せに満ちたその表情。
そして、生地を噛み締める瞬間にこぼれる、吐息のような、甘い、小さなしあわせの声。
その一つひとつが、見えない鎖となって俺の足を地面に縫い付けていた。

(…あ。口元に、白いクリームが……)

彼女がそれを指で拭い、小さく舌を出して舐めとる。
その無防備で、あまりに無邪気な仕草から目が離せない。
鼓動が耳元でうるさく鳴り、肺の空気が少しずつ薄くなっていくような感覚。
とにかく、あとから振り返れば、あの時のオレはどこか正気ではなかったのだろう。
周囲の雑音も、通り過ぎる人々の視線も、すべてが遠い世界の出来事のように感じられた。

結局オレはヒロミが最後の一口を飲み込み、満足そうに微笑むその瞬間まで、
一歩もその場から動くことができなかった。



20

「ふぅー。美味しかったぁ~。ごちそうさまぁ」
「!!」

満足げな吐息とともに、ヒロミが立ち上がる。

無防備な足取りでこちらに向かってくることに気付き、
オレは反射的に近くの建物の陰に身を隠した。
心臓が嫌な速さで鳴っている。な、なんでオレが、コソコソ隠れなきゃいけないんだ。

「ふんふんふん~♪ フレンが教えてくれたクレープ美味しかった~。また今度来よっと」

軽やかな鼻歌が、すぐそばを通り過ぎていく。

(……何だと?)

ヒロミの口から出た名前に、耳の奥が熱くなる。
やっぱりあいつ、フレンと仲良くなってやがる。いつの間に、どこで、あんな奴と。

(…!? 何だこれ。クレープなんて食ってねえのに、胸が焼けつくみたいにイライラする)

はー、分かんねえ! 最近のオレはどうかしている。
フレンに喧嘩を売られたり……いや、あれは100%あいつが悪い。
あいつ、ヒロミの名前を出した瞬間に顔つきを変えやがった。
……惚れてんのか? あの、スカした野郎が。

イラッ。イライラッ。

(だから、何なんだよ。これじゃあ、まるでオレが……)

思考を遮るように、ヒロミの後ろ姿が遠ざかっていく。
朱く染まり始めた夕日が、彼女の長い三つ編みを鮮やかに縁取っていた。
歩くたびにリズムを刻んで揺れる、その毛先。

(……オレが。オレの方が、ヒロミに)

……何だよ。ははっ。
自嘲気味な笑いが漏れた。オレもフレンのこと、笑えねえじゃねえか。
認めてしまえばいい。もう、とっくに逃げ場なんてなかったんだ。

無心に頬張る、幼い横顔。
甘さに、とろけそうに細められた目元。
「美味しい」を噛み締める、喉の鳴る音。

(……全部。全部ひっくるめて、かわいい、と思っちまったんだ。いや。むしろ欲望だろ)

夕闇が迫る街角で、俺は独り、認めたくない熱に浮かされていた。
オレは重い腰を上げ、ヒロミが去っていった方を見つめる。
地面に残った彼女の気配が、湿った夜風に溶けて消えていく。
ヒロミの去っていった道を進む。

「はぁ~~~~まいった。何だよこりゃ」

思わず口を突いて出た独り言は、情けないほど震えていた。
幼い頃、何でもかんでも半分こ、共有してた。

だからって、よりによってこれはないだろう。
異性の好み、惹かれるタイミング、笑い話にもなりゃしない。
けど。だからってフレンにヒロミを渡す?ハッ。もっと冗談じゃねえ。

「くっそ。マジかよ…何で気づいちまうんだ。最悪だぜ」

気づきたくなかった。フレンのあの妙に苛立った顔、余裕のない声。
それが、自分自身の焦りや戸惑いと重なるのが嫌だった。
今フレンに会ったら、お互いの感情がぶつかり合い、きっとまた喧嘩になるだろう。

(あー。……何か、分かっちまったわ。
フレンがあんなにイライラしてた理由。オレも今、全く同じ気分だわ)

あいつの中に、オレと同じくらいの強い想いが渦巻いているのが手に取るように分かる。
それが何より癪に触るんだ。こんなんじゃ、顔を合わせた瞬間にまた面倒なことになる。

「くっそ。本当に厄介なことになったな……」

呟きながら、自分の前髪を乱暴にかきむしる。
ヒロミの笑顔や、さっきの会話の余韻が頭にこびりついて離れない。

オレは抑えきれない気持ちを持て余しながら、
足を引きずるようにして寮への道を戻るしかなかった。



21

最近、私は首を傾げることが増えた。
フレンは元々優しかったが、あんだけぶっきら棒だったユーリまで様子がおかしい。
実地訓練などで魔物討伐をする時があるけど、その度に。

「おい!ぼさっとすんな。狙われてんぞ」

剣を鞘に納める音すら荒っぽく、ユーリはフイッと顔を背けた。

「おまえが怪我すりゃ、後で騎士団の報告書が面倒なんだよ。
…チッ、あっちにもいやがったか」

そう言い捨てて、彼はまた別の魔物へと飛び込んでいく。
その耳の後ろが、心なしか赤くなっているのを見逃さなかった。

「あっ。かすり傷が。ファーストエイド」

詠唱が終わるか終わらないかのうちに、柔らかな光が私の腕を包む。

「大丈夫かい? ……少し、君から目を離しすぎたようだ。
これからは僕の視界から出ないようにしてくれないか」

爽やかな笑顔。けれど、その瞳の奥にはユーリへの対抗心がバチバチと火花を散らしている。

「ヒスカ。シャス。あの2人いったいどうしちゃったの?
私の出番、このままだと完全にゼロなんだけど……」

「ま。こればかりはしょうがないわよ、ヒロミ」
「うんうん。好青年の青い春ってやつよ。視線が一点に釘付けなんだから^^」

ヒスカとシャスが、ニヤニヤと生温かい視線を前方に送っている。

「はあ~? ますます意味わからない!
このままじゃ『遊んでいたのか』って隊長に注意されるの私なんだけど!」

私が頭を抱えると、ヒスカが私の肩をポンと叩いた。

「いいじゃない。前衛二人があんなに張り切ってるんだから、
あんたは後ろで高みの見物でもしてなさいって」

「そうそう。あんなに必死な『騎士様たち』、滅多に拝めないんだから。
今のうちに目に焼き付けとかなきゃ損だよ?」

二人は顔を見合わせて、また「うふふ」と楽しそうに笑った。

目の前では、ユーリとフレンが妙に気負った様子で魔物をなぎ倒している。
いつも以上の過保護っぷり……というか、私を戦場に出させまいとする必死すぎる背中。
守られている安心感よりも、置いてけぼりにされた疎外感が勝り、私の中で何かがぷつりと切れた。

「ぁぁあああ。もう! 我慢できないっ! どいてよ、二人とも!」
「お、おい、ヒロミ!?」

背後から制止するフレンの声を置き去りに、地を蹴る。
私の瞬脚は隊内でも一番早いと隊長にお墨付きを貰っているのだ。
いつまでも庇われてばかりなんて、騎士失格!

しゅたたたたたたっ!風を切る音が耳元で鳴る。
タンッと魔物たちの背後に一瞬で回り込み、魔力が溜まった剣を解き放つ。

「逃がさない……! 瞬天牙! 乱華滅殺!」

一閃、二閃。鮮やかな光の軌跡が魔物を切り刻む。
そして、全力の魔力を脚に溜めて跳躍した。

「これで終わり……! 風燐蓮翔撃!!」

トドメの奥義が炸裂し、巨大な魔物2匹が断末魔を上げて霧散した。

「……。」
「……。」

着地して振り返ると、ユーリとフレンが、武器を構えたまま口をあんぐりと開けて呆けていた。
ちょっと、何よその顔! 「ぼさっとするな」っていつも私に説教しているのは貴方たちでしょう!

「言った傍から! 貴方たちの背後、きてるわよ!!」

今度は呆然とする二人を救うべく、最短距離を突っ切る。

真正面から突進してくる私に、二人は援護するどころか、
今度は目を見開いて金縛りにあったように固まった。

(……ええい、邪魔っ!)

私は彼らの鼻先まで詰め寄ると、そのままタンッ!と頭上を高く飛び越えた。
空中で鮮やかに一回転。風が私のスカートを容赦なく煽り、視界が上下に反転する。

「あっ!!?(……薄紅色……っ///)」
「ひゅう~♪(は~……絶景なり。薄紅ねぇ、フレン?)」

背後で、妙に上ずったフレンの悲鳴と、
どこか感心したようなユーリの野太い声が聞こえた気がしたが、今はそれどころじゃない。

天明茜牙(てんめいせんが)!」

着地と同時に、死角から迫っていた最後の一匹を真っ二つに叩き斬る。

「はぁ……。何とか片付いたわね……」

ようやく静まり返った戦場。
私は額の汗を拭い、だらしない様子で立ち尽くす二人に一言文句を言ってやろうと振り返った。

――が。

ガンッ! ゴスッ!!

「っで!?」
「あ痛っ!」

私の言葉より先に、ヒスカとシャスが拾い集めていた石を、
正確なコントロールで二人の後頭部にぶん投げた。

「フレン! このむっつりスケベ騎士! 目を皿のようにして何見てんのさ!」
「ユーリ! 堂々とするんじゃないよ、この不届き者!」
「え!? いやっ、僕は、その、不可抗力で……!」
「そうでーす。オレたちは何ひとつ、これっぽっちも見てませーん。なぁフレン?」

ユーリがいけしゃあしゃあと言い放つ。
さっきまで魂が抜けたような顔をしていたくせに、立ち直りだけはやけに早い。

「ウソおっしゃい。……で。何色だったわけ?」

私がジト目で問い詰めると、動揺の極致にいたフレンが、反射的に直立不動で答えた。

「薄紅……(ハッ! しまったぁあ!)」
「バッカ! フレン、お前正直すぎるだろ!」
「…へぇ。薄紅。うふふ。二人とも、今度の訓練は死ぬほど扱いてあげるから覚悟しなさい?」
「「なっ!!?」」

絶望に染まるフレンと、頭を抱えるユーリ。

双子と、その弟子であるはずの男二人がぎゃーぎゃーと言い合っている光景に、
私は一気に疲れが押し寄せてきた。

(……もう、いいわ。バカばっかり)

私は一人、剣を鞘に納めると、呆然と立ち尽くす彼らを放って、
隊長へ討伐終了の報告に行くために歩き出した。

背後で「ヒ、ヒロミ! 誤解だ!」という情けない声が響いていたけれど、
一度も振り返ってあげなかった。


しかし。翌日の実地訓練でも。

「はい、そこまで! 今日の訓練は終了だ」

隊長の声が響くと同時に、私はがっくりと肩を落とした。
結局、今日の遠征で私が剣を振るったのは、最初のスライム一匹だけ。
あとは全部、左右から突っ込んできた太陽と月が、あっと言う間に片付けてしまう。

「……ねえ、二人とも。ちょっとやりすぎじゃない?」

腰に手を当てて詰め寄ると、返ってきたのは実に対照的な反応だった。

「何がだ? 危なっかしい動きしてるから、手が滑っただけだろ」

ユーリは愛刀を鞘に収めながら、そっぽを向いて鼻を鳴らす。
でも、その耳が少しだけ赤いのは、西日に照らされているせい……?

「いけないよユーリ、手が滑ったなんて。
……ごめん、君が怪我をするかもしれないと思うと、体が勝手に動いてしまって。
次はもう少し自制するよ、……善処はするけど」

フレンはフレンで、申し訳なさそうに眉を下げながらも、
私の頬に飛んでいた返り血をそっと指で拭ってくる。
その手つきが丁寧すぎて、逆に落ち着かない。

「もう! 私だって騎士団の一員なんだから、一人で戦えるわよ。
二人がそんなだと、私だけサボってるみたいに見えるじゃない」

「サボらせてんのはこっちだ。文句言うな」
「そうだよ、君は僕たちの後ろにいてくれるだけで、十分励みになるんだから」
「……はぁ。やっぱり、全然話が通じてない……」

ため息をつく私の背後で、ヒスカとシャスがクスクスと笑いながら通り過ぎていく。

「あーあ、重症ね。あの堅物フレン様が『善処する(するとは言ってない)』だもん」
「ユーリなんて、獲物を横取りする時のスピード、いつもの1.5倍は出てたよ。愛だねぇ」
「愛……? 違うでしょ、ただの負けず嫌いなだけでしょ!」

叫ぶ私を置いて、二人は「今日の夕飯、何にする?」なんて爽やかに歩き出す。
……これ、絶対に明日も同じ展開になる予感しかしない。



22

今日も今日とて鍛錬。騎士団に入った時から、これでも持った方なのか。
私自身、昔から病弱で。お義兄ちゃんたちのお陰で快復していたと油断していた。

「っ、はぁ…なんか、だるい…」

疲れも溜まっていたのだろう。朝起きた時、身体が重かった。だが鍛錬は休めない。
一度休んでしまえば、取り戻すのに三日は掛かる。ここで躓いてはいられない。
何とか根性で起き上がり、着替えて朝御飯のため食堂に向かい、ご飯を貰う。

(もぐ…もぐ…ふぅ。なんか、もう無理だ。…ごめんなさい)

だが、やはり食欲が湧かなかった。少しだけ食べて、ご馳走様をする。
作ってくれた人には申し訳ないと思いつつ、その場からのろのろと立ち上がる。
すると双子がトレーのランチを持って、私の方に来た。

「「おはよー」」
「あ。おはよう、ヒスカ、シャス」

私はだいぶ残ったトレーを持つ。双子が目見開いた。

「え、え。ヒロミ、どうしたの?いつも大食漢なのに」
「具合でも悪い?」
「そんなんじゃないよ。偶々そんな日もあるって。ま、私も女の子だし」
「え。あ…そっち?」
「まあそろそろ近いからかな。2人も毎月しんどいでしょ?じゃあまた鍛錬で」

私は内心ぎくりとするが、笑顔で取り繕う。何とか無理矢理の理由で乗り切る。
これが男子相手ならと思うと非常に気まずい。別の理由を考えねば。

(今日は男子を徹底的に無視しよう。生理で気が立っている。そうしよう)

なるべく双子の傍に居よう。
そうすれば、双子たちは気遣って虫除けしてくれるだろう。

「……ふぅ。よし」

双子の前から逃げるように食堂を出たものの、廊下の陽光がやけに眩しい。
視界の端がチカチカして、石床を踏みしめる感覚がどこかフワフワとしている。

(……まずいな。想像以上に足取りが重い)

「――ちょっと、ヒロミ! 待ってよ」

背後から駆け寄ってきたのは、案の定、ヒスカとシャスだった。
彼女たちは顔を見合わせ、隠しきれない懸念を瞳に宿している。

「やっぱり顔色が悪いよ。今日、本当は……」
「大丈夫。さっきも言ったでしょ。女子特有の『アレ』だから」

私は努めて明るい声を出す。

「気が立ってるから、もし変な男が絡んできたら追い払って。今日は誰とも喋りたくないの」

双子は一瞬、戸惑ったように眉を寄せたけれど、
すぐに軍人らしいキリッとした表情に切り替えた。

「……わかった。ヒロミがそう言うなら、今日は私たちが『盾』になる」

「男どもは指一本触れさせないから。
あんたは私たちの後ろで、適当に剣を振ってるふりしてなさい」

そう言って、二人は私の左右を固めるように歩き出す。
まるで護衛騎士を引き連れた姫君のような構図。

(ごめん、二人とも。体調が優れないってのは嘘じゃないけどね…)

鍛錬場に着くなり、
血気盛んな同僚たちが「おーい、ヒロミ! 今日こそ手合わせ…」と寄ってきそうになる。
けれど、その瞬間にヒスカが鋭い視線を飛ばし、シャスが冷たく言い放つ。

「悪いけど、今日のヒロミは『猛犬注意』よ。近づくと噛み殺されるわよ」
「絶不調で機嫌が悪いの。死にたくなかったら、半径三メートル以内には入らないことね」

男たちは「えっ、あ、ハイ……」と引き気味に退散していく。
私はその隙に、壁際に腰を下ろし、剣の手入れをするふりをして深く息を吐き出した。
冷や汗が背中を伝う。

(…まだだ。まだ、大丈夫。ほんとに限界が来たら双子に言おう…)


午前の鍛錬はいつも以上にキツイ。
まだ始めて一刻(いっとき)も経っていないというのに、
肺が焼けるように熱く、呼吸が追いつかない。

(なんだろう……今日、変だ……)

さっきから、蛇口が壊れたみたいに汗が止まらない。
額から流れた雫が目に入って沁みる。
それを拭う気力すら惜しくて、私はただ、重い剣を振るい続けた。
喉はカラカラで、唾を飲み込もうとしても、喉に張り付いて不快な音を立てるだけだ。

「はぁ、はぁ……っ、く……(きっつぅー。喉、乾いた……。今すぐ水、浴びたい……)」

視界がチカチカと白く爆ぜる。
その向こうから、親友のヒスカが血相を変えて駆け寄ってくるのが見えた。

「ちょっ、ヒロミ! 大丈夫なの!?」
「え……? ヒスカ……?」

声を出すだけで、肺の空気が全部漏れ出すような感覚。

「すっごい汗だよっ!? それに、なんか顔も…。
…真っ赤を通り越して土色っていうか……とにかく変だよ!」

「そう? 自分じゃ…よく分からなかった。いやー、あはは、さっきから喉がすごい乾いててさ」

笑って誤魔化そうとしたけれど、自分の声がどこか遠くで響いているみたいにフワフワしている。

「笑い事じゃないって! なんかやばくない!?
一旦休憩してきなよ、ほら、命令! 水飲んできて!」

「……そう、する。ごめん、すぐ戻るから」

教官の鋭い視線を盗み、私はヒスカにだけ、
こそっと断りを入れてから、逃げるように鍛錬場を後にした。
一歩踏み出すごとに、地面がスポンジのように柔らかく沈む気がする。
背後で、ヒスカが誰かに不安げに漏らした声が、熱を帯びた風に乗って聞こえてきた。

「ねえ、もしかして……。あの子、ただの生理(アレ)じゃないんじゃ……。
どうしよう、本当に大丈夫かな……」

その声を最後に、私の耳はキーンという高い耳鳴りに支配された。
冷たい水。今はただ、それだけが世界の全てだった。

さっきより身体が重い。水飲み場までが遠い。

「…っ。く」

ぐにゃ。一瞬、目の前の視界が回る。
やばっ!慌てて壁に手をついて立ち止まる。これは不味い…。
やせ我慢するべきではなかったか。今からでも本格的に休暇をとれないか?
いや。少し前に半休を取ったばかりだ。私一人抜けるだけで隊の皆に迷惑がかかる。

(どうしよう…どうしよう)

ひたすら、ぐるぐると堂々巡りだ。次第に視界も同時にぐるぐるしてきて。

その時。

「そんなとこで何してんだ?」

聞き覚えのある声が聞こえた気がした。誰だっけ?ああ彼は。

「ユ……」

振り返ろうとし、一気にぐわんと視界が反転した。

ふわりと揺れる黒い波と。
私の名前を呼ぶ声と。
鍛えられた腕と。

「…ぃ!ヒロミっ、…っか……ろ!チッ」

小さな舌打ちと。ふわりと浮かぶ。温かい。
揺ら揺らと揺れる。私はそれが心地良くて。全身を預け。

ぶつり、と。意識が黒く塗りつぶされた。



23

オレはいつものようにヒスカに扱かれていた。
しかし指導役の彼女からはどうも覇気が感じられないというか。
他に気になる事でもあるのか集中できていないようだ。

「はぁ…」
「おーいヒスカ。どこ見てんですかー?」
「え、あ!ごめん」
「おいおい。ほんとに集中出来てなかったのか」
「ごめん。ちょっと戻って来るの遅いなあって」
「え?誰が」

と。周りを見渡せば。そういや、ヒロミの姿がない。

「ヒロミは?」
「休憩にいってるよ。喉がすごく乾いたから水飲みに行ってくるって」
「ふぅん」
「はぁ…」

にしては、えらい心配そうだな。……。なんかオレまで集中出来ねえんだが。

「やーめたっ」
「え?」
「オレもちょい休憩いってくるわ」
「え、ちょ、ちょっと!」

ヒスカの止める声も無視。
どの道、指導役が集中出来ねぇんじゃ、オレだって集中出来ねぇだろ。
オレも水を飲もうと水飲み場に行く途中で。壁に凭れているヒロミの後姿を見つけた。
あと数歩のとこで、声をかける。

「そんなとこで何してんだ?」
「ユ……」

するとヒロミはゆっくりと振り返ろうとして。
オレの名を呼ぼうとしたのか、途切れ。ぐらりとその身体が傾いた。

「な…っ!危ねぇっ」

彼女の身体を引き寄せた。
あとコンマ数秒、反応が遅れていたら、頭は硬い石造りの廊下に叩き付けられていただろう。
腕の中に滑り込んできた身体は、驚くほど力なかった。

「おい……! ヒロミ、しっかりしろ! ヒロミッ!」

呼びかけながら、戦慄した。
手の平を通じて伝わってくるのは、尋常ではない肌の熱さと、じっとりと滲み出た嫌な汗の感触だ。
うわ言さえ漏らさず、ただ荒い呼吸を繰り返すだけの彼女の顔は、苦痛に歪んでいる。
首筋に顔を寄せれば、吐息が熱い。

「チッ……この熱、やばいぞ……!」

一刻も早く処置が必要だ。だが、頭をよぎった選択肢をすぐに打ち消す。
救護室は男女兼用なうえ、あそこへ行くには鍛錬場の前を横切らなきゃならない。
こんな状態のヒロミを連れて歩けば、すぐに大騒ぎになるのは目に見えている。
かといって、ヒスカを呼びに戻る時間すら惜しい。

(……なら、あそこしか)

一瞬で思考を巡らせると、抱きかかえていた彼女の身体をさらに密着させるように抱え直した。
腕の中に感じる、あまりにも細い肩のラインと、激しく脈打つ心臓の鼓動。
それを守り抜くように力を込め、人目を避ける最短ルートへと、弾かれたように走り出した。

オレはすぐに鍛錬場とは逆の騎士団寮へと向かう。
男子寮とは真向いの女子寮にオレはズカズカと入り込む。
入り口に待機している職員に呼び止められるが、規則など今はクソ食らえだ。

「ヒロミの部屋を教えやがれ!!早く寝かさねぇとやべえぞ!!!」

オレの怒鳴り声と、ヒロミの様子に一瞬で判断したのか職員は場所を教える。

そして、ついでだ。
双子の名を告げて、救護班の女子も連れ来れるようなら連れてくるように言う。

職員は頷いて慌てて出て行った。
オレはヒロミの自室前まで来ると、そのままドアを蹴り開ける。

すぐにヒロミを寝台に寝かせ、鎧や剣など装備を外し、
襟元をくつろがせるが、まだ苦しそうだ。

「はぁ…はぁ…う、くっ」

…胸を圧迫しているのかもしれない。
オレはすぐにヒロミの背中に腕を回し入れ、下着の留め具を外す。
後でバレてぶん殴られようが構うもんか。今は緊急事態だ。
やっと胸の圧迫がなくなったのか、呼吸が一定になるがまだ熱が高い。

こんなになるまで何故放って置いた?
部屋を見渡し、寝台の横にあるチェストに気付く。
ヒロミのこの症状、普通の風邪じゃない。
この熱の高さ、何か原因があるはずだ。

半ば導かれるようにチェストの一番上を開けると、
同じ種類の薬が個包装され入っていた。

「ビンゴ」

ヒロミは何かの持病を抱えているのか?
気にはなるが早く飲ませないと。

個包装された1つを取り、
オレは部屋に備え付けられている水差しとカップに手を伸ばす。

…と。そこで気づいた。
ヒロミ、意識がねえじゃねえか。チッ、どうやって飲ませんだよ。

「…は。あつ、い…っ。ぅ。う」
「くそ。もうどうなっても知るかよ。怒んじゃねぇぞ」

オレは水を口に含むと、ヒロミを少し起こし、首裏を支えて口付ける。
ヒロミがピクリと反応したが、やはり意識は戻らない。
それでも少しずつ水を流し込んでいく。

「…ぅ、っん」

すごい汗をかいているし、喉も乾いているともヒスカは言っていた。
負担の掛けないよう角度を調整して舌を使ってヒロミの口をこじ開ける。
上手く飲み込めないのか、口の端から水が伝い落ちる。

「っ、はぁ。おいもっと口開けろよ」
「…ぁ、」

流れ落ちた水が胸元まで届こうとして、オレは袖で拭う。
冷たい温度にヒロミは驚いたのか、さっきよりも口を開いた。
よし、もう1度だ。水を口に含んで彼女の顎を持って口付ける。

「…う、んっ、んく」

最初は苦しそうに飲んでいたが、徐々に慣れてきたのか。
少しずつ嚥下するようになってきた。2回、3回、と続けて。

「これなら薬も飲めるな、よし」

個包装の袋を開けて錠剤をヒロミの口に放り込む。
そしてまた少し水を含んで口付ける。

「…っ、んっ。んぁっ」
「っ!?(待てっ、錠剤を吐き出すんじゃねえ!)」

固い異物を無意識に拒んでいるのかもしれない。
オレは慌てて舌を使ってヒロミの口内の錠剤を奥へと押し込む。

「ん!んうぅっ!」
「っ、(頼む。飲み込んでくれ!)」

半ばヒロミを抱きしめる形で、角度を変えて調節してやる。

「んっ、んくっ。ぁ…っ」
「っ、はぁ…っ」

ごくんっと彼女が嚥下した。嵐が過ぎ去ったようだ。
オレは一息ついて、唇を離そうとしたら。

「ん…っ」
「お、おいっ。んっ」

無意識に冷たさを求めていたのか。低い体温を本能で求めているのか。
身体が熱いヒロミの方からオレに絡みついてきた。
意識がないのにオレに縋るかのように舌が絡み動き回る。

(待て!これ以上煽るんじゃねぇっ)

「んっ。んぅ、はぁ、んん」
「はっ、ふっ、んっ」

健気で小さい舌が懸命にオレに縋ってくる。
何故かオレは応えてやりたくなり絡み返す。

(しょうがねえな。今回限りだからな。ったく、病人に何やってんだオレは)

憎からず想っている相手から縋られて、据え膳食えぬ男がいるか?
居ねえわな。気のすむまで付き合ってやるよ。

(…熱いな。痺れちまいそうだ。まるでこいつを抱いてるみたいに…)

と。少し絡んでいたら。
バタバタと駆け寄ってくる足音と気配に。タイムリミットか、と口を離す。
そっと寝かせ、前髪をかき上げる。…まだ高いな。
が、さっきよりはちょい下がったか?すげえ即効性だな。

ヒスカと救護班の女子か。すぐにやって来た。

「ユーリ!ヒロミは大丈夫!?」
「ヒスカ。ギリ間に合った。あのままだったら危なかったぜ。今は薬が効いてる」
「え。もう飲ませたの?はーさっすがユーリ。今回は大手柄だよ」
「悪いけど後は頼んだ。ただでさえ規則破っちまったからな」
「ああ、それは大丈夫。寮監が隊長に説明してたから。今回は目を瞑るって」
「そりゃどうも。じゃあオレはもう行くんで」
「うん。ありがと。あとはシャスに鍛えてもらってて」

ほーい、と返事を返し。さっさと女子寮を出る。

鍛錬場に戻り、オレはシャスティルに話しかける。

「シャスティル。抜けてすまん」
「あ、ユーリ。ヒスカが隊長に呼ばれてったけど何かあったの?」
「あー。騒ぎにしたくないんで」

手で、ちょいちょいっと。寄って来いと示す。
するとシャスティルだけでなく、フレンも寄ってきた。まあいいか。
オレはシャスティルにこそっと漏らす。

「ヒロミが高熱で倒れたんで」
「えっ」
「なっ!?」
「シィーッ!静かに頼む」

オレが再度示すと2人は何とか抑え、シャスティルが顎で次を促す。

「今、ヒスカと救護班の女子が女子寮に居る」
「そう。分かったわ」
「(まさか幼い頃の病弱が…?) ユーリ。ヒロミは…?」
「ちょっと落ち着きなさいよ。フレン」
「まだ熱がちょい高いが薬は効いてるさ」
「そ、そうか…。はぁ~~~」

フレンは心底安堵したのか肩の力を抜いた。

「悪いな。フレン」
「え?」
「いや何でもない」

言えるかよ。ヒロミのファーストキス奪っちまったかもしれねえ、とかさ。
なんだか抜け駆けしたような気分になったから一応謝っただけだ。

「……何よ、その微妙な顔」

謝罪に対して、シャスティルが怪しむような視線を向けてくる。
フレンは「??」と首を傾げているが、シャスティルは勘が鋭い。

「いや、なんでもないって。…それより、二人は訓練に戻れよ。
ヒスカが戻るまで、俺がこっちの穴埋めしとくからさ」

内心の動揺を隠すように、剣を構え直した。

「ユーリ、顔赤いぞ? お前まで熱でもあるんじゃないのか?」
「……うるせえ、フレン! 気合が入ってるだけだ。ほら、さっさと構えろ!」

目の前のフレンに打ち込みを始めた。



24

午前の鍛錬が始まって少し経ったとき。ユーリが休憩と言って抜けてしまった。
普段のヒスカ先輩なら直ぐ止めるのに、彼女は上の空というか見逃してしまった。

「うーん大丈夫かな…」
「ちょっとヒスカ。何ボケッとしてるの」
「あ。うん…」
「ヒスカ先輩??」

僕は首を傾げた。本当に様子が変だ。その時、慌てる足音が聞こえてきた。
鍛錬場に入ってきた女性は、すぐにナイレン隊長を見つけると駆け寄った。

「ん?女子寮監?なんでここに…?」
「あれ。ホントだ」

双子先輩の声に僕はさらに首を傾げた。何かあったのだろうか?
隊長と女子寮艦は2人で一・二言話して、すぐにヒスカ先輩が呼ばれた。
彼女はすぐに駆け寄り、何かを知らされている。
するとヒスカ先輩は「はいぃ!?」と飛び上がって驚いていた。

「は、はい!すぐ行ってきますっ!!」
「頼んだからな」

ヒスカ先輩は女子寮艦と共に駆け足で出て行った。
その方角は救護室だな。誰か怪我でもしたのか?
すると直ぐに鍛錬場の入り口を横切った。誰か一人増えていた。

(なんだか胸騒ぎがする…なにかあったのか?)

僕はシャスティル先輩に指導されながらも、いまいち集中できなかった。
ユーリは相変わらず戻ってこないし。何やってるんだ。

刻が少し経ち。今度はユーリが戻ってきた。
若干の疲れというか…顔が少し火照ってないか?

ユーリは周りを見渡し、ちょいちょいと、こっち来いと促す。
シャスティル先輩と僕はそっと寄り、耳を傾ける。
するとユーリは、僕の平穏を木端微塵に砕くような爆弾を落とした。

「ヒロミが高熱で倒れたんでね」
「なっ……!?」

心臓が跳ね上がり、喉の奥が引き攣る。

まさか、という思いで慌てて周囲を見渡したが、
そこにいるはずの、僕を安心させてくれるいつもの笑顔はどこにもなかった。

「……静かに。騒いでも熱は下がらないわよ」

冷徹なほど落ち着いたシャスティル先輩の声に射貫かれ、僕は辛うじて声を飲み込む。
だが、胃の底を冷たい手で掴まれたような感覚は消えない。
つい数日前、ヒロミが打ち明けてくれた言葉が、呪いのように耳に蘇る。

『これでも昔は病弱でさ、寝込んでばかりだったんだよ』

(もし、あのまま……)

最悪の想像が頭をもたげる。

「ユーリ……っ、ヒロミは!? 今どこに、容体は……」
「ちょっと落ち着きなさいよ、フレン」

詰め寄る僕の肩を、シャスティル先輩が呆れたように、けれど強く押し留めた。

「まだ熱がちょい高いが、薬は効いてる。今は泥のように眠ってるわ」
「そ、そうか……。はぁ~~~……っ」

膝から力が抜け、僕はその場に崩れ落ちそうになった。
薬。そうだ、薬だ。ヒロミは自分で備えをしていたんだ。
その事実だけに、僕は蜘蛛の糸にすがるような思いで安堵した。

(良かった……本当によかった……)

震える指先を組み、必死に呼吸を整える。
あの日、必死に呼びかけても二度と目を開けなかった、冷たくなっていく母さんのようにならなくて。
薬一つ、医者一人呼べなかったあの無力な夜の繰り返しにならなくて、本当に……。

「悪いな。フレン」
「え?」
「いや何でもない」

ただ、気になったのは。ユーリが僕を見て謝ってきた事だ。


午前の厳しい鍛錬が終わると同時、
僕は昼食の列には並ばず、真っ先に騎士団本部を飛び出した。

空腹なんて感じない。
喉の奥が焼けるような焦燥感と、ある一つの目的が僕を突き動かしていた。
目指すは下町の賑わいの中にある、かつてヒロミと二人で訪れた、あの小さな花屋だ。

「っ、こんにちは。おばさんっ、はぁはぁ……っ!」

勢いよく飛び込んだ僕に、店先にいたおばさんが目を丸くする。

「おや?フレンじゃないかい!どうしたんだね、そんなに肩を上下させて。こんな時間に」
「あの、あの花をください!……今ある分、できるだけ多く……っ」
「あの花? ああ! はいはい。……“あの花”ね」

おばさんは僕の必死な形相を見て、すぐに何かを察してくれたようだ。
僕は膝に手をつき、全速力で飛ばしてきた肺を鎮めるのに精一杯だった。
店内に漂う土の香りと花の甘い匂いが、少しだけ昂った神経を落ち着かせてくれる。

「それにしてもフレン。急にどうしたんだい?
男の子がそんなに血相を変えて、この花を欲しがるなんて」

おばさんはテキパキと、しかし慈しむような手つきで、
鮮やかな大輪の花を一本、また一本と束ねていく。

「ヒロミに、元気になってほしくて……。僕から、贈りたいんです」

「そぉかい。フレンにとって特別な花をねぇ。
あの子には早く元気になってもらわなきゃ、この街も寂しくなるからねえ」
「はい……」

まさかヒロミが倒れた、なんて口が裂けても言えない。
僕は「彼女が少し落ち込んでいる」と勘違いしているおばさんに、
心の中で深く「すみません」と謝った。

「良し。出来たよ、フレン。さぁ、精一杯の顔でヒロミに渡してきな」
「はい! ありがとうございます!」

差し出されたのは、腕いっぱいに広がる豪華な花束だった。
薄紙に包まれていても隠しきれない、溢れんばかりの色と生命力。さすがおばさんだ。
僕は渡された大輪の花束を、壊れ物を扱うように大事に、けれど力強く抱えた。

代金を支払い、店を出る。
再び走り出した僕の視界には、腕の中の花が揺れている。
その花の香りは、まるであの時のヒロミの笑顔そのもののように、鼻腔をくすぐった。

「待ってて、ヒロミ……っ!」

僕は再び、街の石畳を全力で蹴り上げた。

僕にとって特別な花。
これを特別な人に贈る意味。
決まっているじゃないか。元気になってほしいんだ。

――早く。よくなりますように。
――よしよし。元気になぁれ。

――わたしの元気、あげるね。(ちゅ) …これで、元気いっぱい!

この前まで忘れていた。朧気ながらも留めていたもの。
元気になぁれ。ヒロミの言葉で思い出したんだ。

ヒロミに撫でられた温かい手を。
ヒロミからもらった可愛い口付けを。

(僕のファーストキスはヒロミ。初恋も。そして僕はまたヒロミに恋したんだ)

僕の母さんに祈ってくれて。お花を供えてくれて。…本当に嬉しかったんだ。
だから。今度は君に贈らせてくれ。ヒロミへの口付けの替わりに花束に口付けて。

あの日、幼い君が僕にかけてくれた優しい言葉。
子供っぽくて、でも何よりも心に染み渡ったあの温かさが、今の僕を動かしている。

母さんに花を供えてくれた君の優しい眼差しを見たとき、
僕の中で大切な何かが蘇ったんだ。
君が僕の家族に温かい心を向けてくれたように、今度は僕が、君のすべてを支えたい。

この花束の一輪一輪に、あの時の君の温もりを、
優しく触れてくれた手のひらの温かさを込めたよ。

本当なら、あの時のように直接、心を込めて伝えたい言葉があるけれど…。
今はその代わりに、この花びらの一枚一枚に僕の祈りを閉じ込めた。

『元気になぁれ』

これは、僕から君への、大切な想いの証。受け取ってくれるかな。
君が笑顔を取り戻すまで、僕は何度でも、この温かい気持ちを贈り続けるよ。


女子寮に着いて、息を整えていたら。
ちょうどヒスカ先輩が出てきたところだった。ご飯でも食べに出てきたのだろう。

「はぁはぁ。あ…!ヒスカ先輩っ」
「ん?フレン…って何そのすごい花束!!?」
「こ、これっ。ヒロミのお見舞いに!僕は女子寮に入れないから」
「ふぇ~。マジですか。うん分かった。
ヒロミ、目ぇ覚ましたら吃驚するよ。フレンは御飯食べてきなよ」

ヒスカ先輩は渡された花束を大事そうに抱え、来た道を戻っていった。

(早く。ヒロミがよくなりますように)

僕が御飯にあり付けたのは休憩時間も残り10分有るか無いかだった。
急いで御飯を掻っ込み鍛錬場に戻ると、何故かユーリも息を切らして戻ってきた。
…?ユーリもどっか行っていたのか?



25

昼休みになり、フレンは忽然と消えていた。あいつ、どこに行った?
オレは仕方なく一人で食事をしながら考えていた。彼女の事を。

(しっかし。目の前でぶっ倒れたのには驚いたぜ。久々に肝冷やした)

まさか隊一の脚力のヒロミがである。
いつも縦横無尽に駆け回るイメージがあるから人よりも一倍元気だと思っていた。
しかし現実は斜め上で。受け止めた時の儚さと、体重の軽さに驚いた。
あんなにも、たくさん食べるヒロミが倒れるなんて誰が思うだろうか?

(ったく。これじゃあ気になって午後の鍛錬も集中できるかよ)

オレは内心溜息をついて、さてどうするかと考え。
目の前の飯に視線を移し、ピンと閃いた。…これだ!

オレは直ぐに飯を掻っ込み立ち上がった。
急がないと休憩時間が終わっちまう。残り時間は…ああ何とかなりそうだ。

オレは外へと飛び出し全速力で食材屋へ。必要な材料を揃えて買い、すぐに戻る。
厨房の人に事情を話すと「仕事の邪魔をしないようなら」と承り、材料を預かってくれた。
オレはサンキュと返し、急いで鍛錬場に戻る。ホントにギリギリだった。
何故かフレンも息を切らしていて。

「そういや、おまえもどこに行ってたんだ?」
「え!?(ギクッ) いや。気分転換だよ。ユーリこそ、どうしたんだ息切らせて」
「オレは食材を買いにな。食いたいもんがあったんで。…ん?フレン、いい匂いだな」
「えっ。そ、そうかい?ちょっと花屋に行ってたから」
「ふぅん。花屋にねえ」
「僕が花屋に行ったら変かい?」
「いーや。別に」

別に変じゃないが。そんな息を切らせてまで気分転換?よく分からんな。
その時ヒスカも慌てて鍛錬場に戻ってきた。

「ごめーん。ユーリ、お待たせー」
「ヒスカ、遅いっ」
「これでも急いでたんだってばぁ」

ぜえぜえ、と息切れしている。全速力できたのか。なんか皆、忙しないな。
その時、ヒスカから覚えのある香りが漂ってきた。

「ん?ヒスカも花屋に行ってきたのか」
「へ?ああ、これは」
「ヒスカ先輩っ」
「もう~恥ずかしがっちゃって。私も花屋に行ってきたの。フレンとバッタリ会ってさ」
「(ヒスカ先輩ありがとう!) そうなんだよ。バッタリ会ったんだ」
「ふぅ~ん?」

うんうん、とフレンが力強く頷いてくる。おまえ何で恥ずかしがってんだ?


午後の鍛錬が終わるや否や。オレは飯と風呂を急いで済ませる。
急いで厨房へと往くと、中の人は洗い物で、てんてこ舞いであった。
オレは厨房を貸してもらう代わりに「手伝います」と申し出ると。

「いいのかい?助かるよ。ユーリくん」
「厨房を貸してもらうんで。このくらいはな」
「はは。事情が事情だもんなぁ。さぁ早く済ませよう」
「おう」

それは有難いことで。オレは慣れた手付きでサッサと済ませていく。
30分もしないうちに洗い終わり。中の人はしまってあった材料を渡してくれる。

「はい、ユーリくん。今日はありがとうね。これは手伝うのは野暮だね?^^」
「おうよ。オレ様のお手製だ。察してくれよな」
「はっはっはっ。あまり遅くならんようにな」
「分かってますって」

中の人は早く帰れるのか機嫌がいい。オレは見送って、厨房に一人残った。
静まり返った厨房。換気扇の回る音だけが、やけに大きく聞こえる。
オレは手早く髪を一つに結い上げると、まな板の前に立った。
作るのは、オレの記憶の奥底に、一番古くから根を張っている料理。
懐かしく、そして何より、今のヒロミに一番必要な「優しい味」だ。

―― もう。無茶しちゃダメよ?

包丁を握ると、不思議とその声が耳元で響く気がした。

―― せっかく元気に生まれてきて、健康なのだから、丈夫な体に感謝しなくちゃ
―― 誰でも健康でいられるとは限らないの

オレを暴漢から助けてくれ、泥だらけの傷口を拭ってくれた優しい掌。
あの時、冷え切った体に染み渡ったのは、飾らない、素朴な味付けだった。
正直、その人の顔はもう朧気で思い出せないけれど。
鍋から立ち上ったあの湯気の匂いと、口の中に広がった甘みだけは、指先が覚えている。

人参、玉ねぎ、キャベツ。
これらを、ヒロミが無理なく飲み込めるよう、いつもよりさらに細かく、丁寧に刻んでいく。

トントン、と小気味よい音が無人の厨房に響くたびに、
ざわついていたオレの心も凪いでいくのが分かった。

鍋を火にかけ、少量の油を引く。野菜を入れ、パラリと塩を振る。
ここで焦ってはダメだ。野菜の「汗」を出すように、じっくりと炒めていく。
蓋をして、弱火で5分。
蒸された野菜から溢れ出た甘みが、ギュッと凝縮されるのを待つ。
水を鍋半分ほど注ぎ、さらに10分煮込む。
野菜の角が取れ、スープに溶け込む寸前。
仕上げに、真っ白なミルクをゆっくりと投入する。
静かにかき混ぜると、黄金色だったスープが柔らかなクリーム色へと変わっていった。
最後に少しだけ煮込んで、出来上がりだ。

「味見……っと。ん。……完璧だ。俺って天才か♪」

我ながら、あの日食べた味に驚くほど似ていた。
これなら、今のヒロミもきっと「美味しい」と思えるはずだ。
大きめの器によそい、逃げないように蓋を被せる。
蓮華を添えて、トレーの上へ。
使い終わった道具をピカピカに磨き上げ、元あった場所へ戻す。

後片付けを終えて厨房の明かりを落とすと、
手元のトレーから、温かなミルクの香りがふわりと鼻をくすぐった。

「待ってろよ、ヒロミ」

オレは誰に言うでもなく呟くと、夜風の吹き抜ける廊下を、女子寮に向かって歩き出した。

「すんませーん。寮監さーん?」

女子寮の重い扉を叩くと、奥から慌てたような足音が近づいてくる。

「はい?……あっ、きみは!」
「午前はどうも。ヒロミに夕飯の届け物っす」

差し出したバスケットの中身を見た寮監さんが、驚いたように目を丸くした。

「これは……きみが作ったの?」

「ま、そんなとこっす。ヒロミ、結局食堂に来れなかったでしょ。今、あいつの様子はどうすか?」

「だいぶ熱は下がったわ。少し起き上がれるようにもなったのよ。
本当に、あなたの素早い判断が彼女を救ったわ。よく気づいてくれたわね、ありがとう」

寮監さんの安堵したような笑顔に、少しだけ照れくさくなって視線を逸らす。

「……これ、野菜スープ。冷めないうちにヒロミに食わせてやってください」
「あら。いい香りね……さては、料理はかなり得意でしょう?」
「やー、それほどでも……ありますがね」

得意げに鼻をこすってみせると、寮監さんは「ふふふ」と声を立てて笑った。

「不思議な子ね。見た目はアウトローっぽいのに、案外、お母さん役が似合うのかしら」
「おいおい、勘弁してくださいよ」

寮監さんは大切そうにスープの容器を受け取ると、改めて居住まいを正した。

「本当に助かったわ。……最後にお名前を伺ってもいいかしら?」
「ユーリ・ローウェル」
「ユーリね、確かに承ったわ。さあ、もう戻りなさい。今日はお疲れ様」
「っす」

軽く手を挙げて応え、夜の冷気が混じり始めた廊下を歩き出す。
背後で閉まる扉の音を聞きながら、ユーリはふと夜空を見上げた。

(……これで、少しは快復してくれるといいんだがな)

自分の手の中に残る温もりを振り払うように、
ユーリはポケットに手を突っ込み、足早に自分の寮へと向かった。


男子寮に戻ると、フレンがちょうど廊下にいた。

風呂上がりなのだろう、石鹸の淡い香りが廊下に漂い、
湿った金髪が照明を反射していつもより柔らかそうに見える。

「あれ?ユーリじゃないか。……珍しいな、ポニテしてるなんて」

フレンが足を止め、まじまじとこちらを覗き込んできた。
その真っ直ぐな視線が少し気恥ずかしくて、オレはぶっきらぼうに返す。

「あ。忘れてた。まーそんな気分の時もあらーな」

首筋にまとわりつく感触を振り払うように、
オレはすぐに結紐を引っ張り、スルスルと解いてしまう。
指の間をこぼれ落ちる髪の重みを感じていると、隣でフレンが小さく溜息をついた。

「あ~あ、もったいない」
「何がもったいないんだ。何が」
「そんな風に髪を上げていると、ユーリがあどけなく見える絶好の機会だからね」

フレンはいたずらっぽく、それでいて慈しむような、柄にもない笑みを浮かべる。

「てめぇ……。オレに喧嘩売ってんのか。ああん?」
「やだなぁ。素直に褒めてるんだよ」

調子が狂うっつーの。

「やっぱやるもんじゃねえな、これ」

オレは解いた結紐を指先に絡めてひらひらと揺らし、
苦笑するフレンと共に自室へ続く歩みを再開した。

今日は本当に、一騒動な1日だった。
閉まったドアの向こう、静まり返った部屋の空気を感じながら、オレは心の中で呟く。

(……早く元気になれよ。な?)



26

「ね、ヒロミ。もう起き上がって大丈夫そう?」

ヒスカの声に、ぼんやりしていた意識がゆっくりと現実に戻ってくる。

「うん。ヒスカ、シャス。身体拭くの手伝ってくれてありがとう」
「いいんだよ。お風呂入れないのはつらいでしょ。少しでも早く快復できるといいね」

シャスが濡れタオルを片付けながら、甲斐甲斐しく笑いかけてくれる。
二人の気遣いが身に染みた。

「大丈夫だよ。薬のお陰でだいぶ下がったし。…でも、食堂行く時間、過ぎちゃったね」

お腹は空いているはずなのに、不思議と食欲よりも、
胸の奥が何かに満たされているような感覚があった。

ふと視線を動かすと、質素な寮の部屋には不釣り合いなほど、
一際鮮やかな一角が目に飛び込んでくる。

窓辺に、大輪の花が誇らしげに花弁を広げていた。

(この花……絶対フレンだよね。まさか、あんなにすぐに届けてくれるなんて)

目が覚めた瞬間、部屋に満ちていたのは、微睡みを誘うような甘く清涼な香りだった。
それは、かつて私が彼に同じ花を贈った時の記憶を呼び覚ます。

――『元気になぁれ』

幼い頃、彼に笑って言った、他愛もない言葉。

(つまり。そういう事なの……? フレン)

「早く治せ」の言葉を添える代わりに、彼はこの花を選んだのだ。
私が彼に掛けた「おまじない」を、今度は彼が私に掛け返してくれている。

(……ずるいよ、フレン。そんなの、覚えてるに決まってるじゃない)

再会してからの彼の、どこか素っ気なくて、でも時折見せる射抜くような眼差しを思い出す。
あんな風に成長した彼が、子供時代の幼い約束を、こんなに真っ直ぐな形で返してくるなんて。
彼の不器用な優しさと、思い出を大切に抱えていた事実に、胸の奥がぎゅっと掴まれる。
熱が引いたばかりの頬が、さっきまでとは違う種類の熱を帯びていく。

嬉しさと、気恥ずかしさと、どうしようもない愛おしさ。
私は布団を引き上げると、顔をうずめ、彼が贈ってくれた香りを思い切り吸い込んだ。

その時。ぐぅ。とお腹の虫が鳴ってしまう。
そう言えば食いっぱぐれたのだったわ。

「あちゃー食堂閉まっちゃってる時間だわ」
「今夜は我慢するしかないよね…」

私が溜息ついた時。コンコン、とノックする音が。

「はーい?」

ヒスカが私の代わりに出てくれ、ドアを開ける。
するといい香りが向こうから漂ってくるではないか…!

「え!寮監。どうしたんですか?こんな時間に」
「これ。貴女に届け物ですって。冷めないうちに食べてくれですって」
「え、え、すっごい良い匂い!!どうしたんですか、これ」
「うふふ。貴女を心配した人が作ってくれたのよ。さ、食べなさい」
「いったい誰なんですか?」

寮監はヒスカにトレーを渡し、こそっと教える。

「ええ!!?うっそぉ~!?」
「ふふ。彼は本当に気遣いのできる子ね」
「マジか…。まあいいや。とりあえず良かったね、ヒロミ。食いっぱぐれなくて」

ヒスカは弾んだ足取りで私にトレーを差し出し、期待に満ちた顔でその蓋を開けた。
瞬間、白い湯気がふわっと舞い上がり、ミルクの甘い香りと野菜の優しい匂いが鼻をくすぐる。

「うわぁ~、意外……!」
「ミルクの野菜スープだ……」
「お、美味しそうっ!」
「こらヒスカ。貴女はさっき食べたばかりでしょう」

身を乗り出すヒスカを、寮監が苦笑いしながら嗜める。

「えへへ。だって、本当においしそうなんだもん~」

私は陶器の蓮華を手に取り、琥珀色の脂が少しだけ浮いた白いスープをそっと掬った。
口元に運ぶと、柔らかな熱気が顔を包み込む。

「(……美味しい!)」

口の中に広がったのは、野菜の旨味が溶け出した濃厚なミルクのコク。
じっくりと煮込まれた玉ねぎの甘みが、弱った体に染み渡っていく。

「美味しい……! これなら、全部食べられそうだよ」
「良かったわね。じゃあ私はもう行くから」
「あ、ありがとうございます」
「礼は“彼”に言いなさいな」

寮監は含みのある微笑みを浮かべると、「お大事に」と言い残して部屋を去っていった。

「彼……?」

聞き慣れない言葉に蓮華を止めると、ヒスカが私の背中を軽く叩いた。

「まあまあ。とりあえず食べちゃいなよ、冷めちゃうよ!」
「あ、うん。……ぱく、もごもご。ん、ごくん。……はぁー、なんだか懐かしい味がする」
「ヒロミ、すっごく幸せそうな顔しちゃって」

ヒスカに揶揄われて、頬が少し熱くなる。けれどスプーンを止めることはできなかった。

「だって本当に美味しいんだもん。……もぐもぐ。
野菜も、舌で潰せちゃうくらい柔らかい……ん、ごくん」

一口運ぶごとに、冷え切っていたお腹の底からじんわりと体温が戻ってくるのを感じる。
夢中で食べ進める私を見て、ヒスカは満足げに目を細めた。

「ヒロミ、すっごい食欲! いつもの大食漢の復活だね」
「良かったわ。これなら明後日には復帰できそうね」
「え、明日でも大丈夫よ~!」
「こら。一度倒れたんだから、無理は禁物よ」
「えーっ」

不満げに声を上げる私に、ヒスカは少し真面目な顔をして私の手を握った。

「ヒロミは私たちの隊にとって、欠かせない貴重な戦力なんだから。
しっかり万全にしなさい、わかった?」

「……はぁい」

温かいスープと、友人の温かい言葉。
私は少しだけ照れくさくなって、最後の一口を大切に口に運んだ。

シャスティルに窘められ、私は返事をする。
しかし、この野菜スープを作ってくれたのは誰なのだろう?
明日、ヒスカに訊いてみよっと。



27

翌日。
私を窮地から救ってくれたのがユーリだと判明し、思考が一瞬、真っ白になった。

そして、昨日喉を通したあの夕御飯
――滋味深く、体中を優しく包み込んでくれたミルク野菜スープを作ってくれたのも、彼だと教えられて。

(……そんなの、反則だよ)

ぶっきらぼうで、冷淡にさえ見えた彼の指先が、
私のために野菜を細かく刻み、火加減を気にしながら鍋をかき混ぜてくれた。
その情景を想像するだけで、視界がじんわりと熱くなる。
スープの「優しい味付け」は、言葉にならない彼の祈りそのものだった。
私の冷え切った内側に、彼の繊細な真心が染み渡っていく。

――「元気になぁれ」と、生命力に満ちた眩い光を放つ、太陽のような大輪の花束。
――「早く快復しろ」と、静かな月光のように心に寄り添う、穏やかなスープ。

動と静。光と影。

対照的な二人の熱に同時に晒されて、
私の心臓は今まで経験したことのないほど激しく、壊れそうな音を立てていた。

(なんだろう、これ。どうして……こんなの、嘘でしょ?)

認めたくなかった。
けれど、胸の奥で暴れるこの感情にどう名前を付ければいいのか分からなかった。
今まで経験したことのない、戸惑いと切なさが同時に押し寄せる感覚。
しかも、それが二人に対して同時に芽生えていることに、自分自身の感情が理解できなかった。
私って、こんなに優柔不断で、自分の気持ちさえ分からない女だったの?
自分のあまりの混乱に、めまいがする。

(どうしよう……こんなこと、彼らにバレたらきっと誤解される。絶対に、知られてはいけない)

だって、彼らはかつて、たった一つの大切なものを二人で分かち合い、
共有して生きてきたのだから。

もし私がこの理解できない感情のまま二人に接してしまえば。
彼らの間に築かれた唯一無二の絆を、私がかき乱し、壊してしまうかもしれない。
それは、死ぬよりも恐ろしいことだった。

「…どう、しよう。どうすれば…」

(2人を傷付けたくない)

私は、生まれたばかりの、まだ名前の付けられないこの感情を、
心の最深部にある冷たい場所に閉じ込めることにした。
それはまるで、触れてはいけない秘密の箱に鍵をかけるようなものだった。
その鍵をどこか遠い場所へ投げ捨てる。

ときめきなのか、戸惑いなのか、熱なのか。
すべては、私だけが知る「秘密」として。
彼らの前では、これまで通り「守られるべき友人」の仮面を被り続ける。
たとえ、この鍵をかけた胸の奥が、熱くて苦しくて張り裂けそうになったとしても。


けれど。どうしても彼らの前に来ると私は普通ではいられなかった。
体調不良も快復し、彼らにお礼を言おうとして。

「あ、あのね……ユーリ、フレン」

声を絞り出すだけで精一杯だった。二人の視線が同時に私に注がれる。
ユーリの少し面白がっているような瞳と、フレンのどこまでも真っ直ぐで優しい瞳。
それが重なった瞬間、私の語彙力はどこかへ吹き飛んでしまった。

「ん?なんだ、ヒロミ」
「ヒロミ、どうしたんだい? まだ顔が赤いようだけど……体調が悪いのか?」

フレンが心配そうに顔を覗き込んでくる。近すぎる。

「え、えと。その……」

指先が震え、靴の先で地面を無意味になぞる。言いたいことは山ほどあった。
間接的に看病してくれたこと、心細かった時に気持ちをくれたこと。
でも、喉の奥がキュッと締まって、熱い塊が邪魔をして、言葉が形にならない。

「そ、その……心配、かけてごめんね。なんかいろいろ、ありがとっ(///)」

最後の方はほとんど消え入りそうな声だった。
けれど、言い切った瞬間に顔が沸騰したような感覚に襲われる。

「じゃっ!」

返事を聞く勇気なんて、これっぽっちも残っていない。私は脱兎のごとくその場を蹴った。
背後で、二人が呆然と立ち尽くしている気配を感じながら。



彼女が去った後、残されたのは静けさと、少しだけ張り詰めた空気だった。
お礼を言われたばかりなのに、言葉にならない感情が胸に広がっていく。

「…助かってよかったな」

オレは、精一杯平静を装って言った。
横目でフレンを見れば、彼はまだヒロミが立っていた場所をじっと見つめている。
その横顔には、どこか呆然としたような表情が浮かんでいた。

「ああ…うん。そうだね」

フレンの返事は、心ここにあらずといった様子だ。
何かを考えているようだが、その思考がどこへ向かっているのかは分からない。

「行こうぜ。いつまでもここに突っ立ってたら、怪しまれるだろ」

オレは、自分の動揺を悟られないように、少し強引にフレンの肩に手を置いた。
フレンは少しだけ反応し、ゆっくりとオレの方を向いた。

「…そうだね。行こう」

二人の間に再び沈黙が訪れる。言葉にせずとも、
お互いに何かを感じ取っているような、そんな感覚があった。
彼女の存在が、確かに二人の間に何かを残していった。



「せいッ! はぁッ! とぉッ!」

病み上がりの青白い顔とは裏腹に、私の動きはこれまでにないほどキレていた。
いや、キレすぎていた。
突きを出すたびに、病床で蓄積された鬱憤が火花となって散るようだ。

「ちょ、ちょっと。どうしたの、ヒロミっ。
その動き、もはや演舞っていうより荒ぶる神の踊りよ!」

ヒスカが、飛んできた汗を避けるように半歩下がる。

「そうよ、病み上がりなんだから飛ばし過ぎるのはダメよ。
心臓がびっくりして、また寝込むことになったらどうするの?」

シャスがもっともな正論を投げるが、今の私の耳には「心地よいBGM」程度にしか届かない。

「だ、だってだってぇ! ヒスカぁ~シャスぅ~助けてぇ~っ!」

私は鍛錬を中断するやいなや、膝から崩れ落ちるのではなく、
スライディング気味に二人の足元へ滑り込んだ。

「うわっ、危ない!」
「……重い。ヒロミ、本当に病人? 筋力、前より上がってない?」

二人の裾をぎゅっと握りしめ、私は地面に顔を伏せたまま叫ぶ。

「この…この、体の中から湧き上がってくる『何か』をどうにかして!
じっとしてると、そのまま宇宙まで飛んでいっちゃいそうなの!
暴れたい、でも倒れたくない! 叫びたい、でも喉はまだちょっと痛い!
この矛盾したエネルギーをどこにぶつければいいのよぉ!」

「……ああ、これがいわゆる『回復期の全能感』ってやつね」

ヒスカがやれやれと肩をすくめる。

「いいわ。私たちが、
あなたのその暴走特急みたいな気持ちの『終着』を一緒に考えてあげるから」

シャスが冷たい手で私の額をピトッと押さえた。

「まずは、その熱すぎる頭を冷やすのが先決みたいだけど」

とりあえず、鍛練終わったら双子に相談しょう。この出口のない気持ちの往き先を。



28

食事と風呂を済ませ。双子を自室に呼んで相談する。
ユーリとフレンへの初恋を持て余している、と。

「え、ええ!?あの2人同時に!?」
「これはこれは。予想外の展開だわ」
「もう…どうしたらいいか分からない!あの2人に嫌われたくない。バレたくないっ」

私は頭を抱えベッドにドサッと座り込む。
双子はお互いを見て、うんと頷き私に向き直る。

「これは重症だね…」
「しかも初恋ねぇ…」

それは悩むよね、と。双子も首を傾るが。

「でも、しょうがないじゃん?弱ってる時にさらに優しくされたら。ね?」
「しかも普段はぶっきら棒なくせに、ここぞって時にギャップを向けられたらね」
「だから。どうしたらいいの。助けてよぉ~」
「そんなの。決まってんじゃん、ヒロミ」
「え?」
「天秤にかけるの罪悪感とか今更じゃん。もう好きになっちゃってるんだもん」
「そうね。結局はヒロミの正直な気持ちなのよ。
時間をかけてでもいい、ちゃんと決めなさい」
「そ、そんなあぁ」

私の赤くなった耳たぶを、オレンジ色の光が容赦なく照らし出していた。

「……っ、もう!二人とも、他人事だと思って!」
「他人事じゃないよ。親友の初恋なんだから、特等席で見守らせてもらわなきゃ」

逃げ場をなくした私を囲むように、双子は左右から顔を覗き込む。

「ま。2人とも開き直ったら何してくるか分からないけど」
「…え?」

なんかヒスカから不穏な言葉が聴こえたような?気のせいだよね?

「どんなロールキャベツでも油断しない方がいいてことだよ」
「は?ロールキャベツは美味しいけど。何でロールキャベツ?」
「うふふ。精々齧られない様にね」

さっきから意味が分からない。ロールキャベツがいったい何なのだ?

「あーあ、そんなキョトンとした顔しちゃって。
キャベツの隙間から覗いてる『真っ赤な生肉』が見えてないのは、あなただけだよ?
(彼らの理性がプツンと切れたら……煮込まれるのは、あなたの方かもね)」

ヒスカが少々呆れた顔をしていた。

とにかく。自分で気持ちを清算しなければ始まらないのだ。
確かに。アドバイスを貰っても結局は自分の気持ちの問題なのだから。

どんな未来が待っていようと。
どんなに時間をかけようと。
どんなに2人を傷つけても。

私は嫌われるのが怖いと怖気づいて、2人に対して失礼な事をしてた。
後悔だけはしないように。時間をかけて答えを出していこう。
バレたらバレたらで、その時だ。正直な気持ちを言おう。嘘はつきたくない。



29

本日はナイレン隊の任務は皇帝家…エステリーゼ様の護衛である。
なぜ彼女がというと、単に慰問である。今回目指すは近いといえどデイドン砦だ。

本来ならば王家の護衛はアレクセイ親衛隊がやるのだが、
あいにくヨーデル様の護衛に人数が割かれてしまっている。
そこでお鉢が回っていたのが、我らがナイレン隊である。
なぜかアレクセイ様からのご指名だとか。…まさか私のことバレてる?
ううん。ただの偶然よね。騎士になってから疑り深くなっちゃった。

騎士の皆は正装し、私も例に漏れず慣れない礼装に身を包む。

いつもは動きやすさ重視の隊服だが、今日ばかりは生地の質感も、
肌に触れる刺繍の感触もどこか落ち着かない。

それでも、隣を歩くヒスカとシャスティルは、見惚れるほどにその格好が似合っていた。

「うわぁ~可愛い~! お人形さんみたいだよ!」
「本当ね。見違えたわ。少し背筋を伸ばすだけで、立派な騎士様に見えるわよ」

双子は着替えた私を見て、眩しそうな、それでいて慈しむような笑みを浮かべている。
鏡を見る以上に「似合っている」と実感させられて、なんだか無性に照れくさい。

「さ、さ、早く行こうよ。時間はまだあるけどさ」
「そうね。整列するまで皆の意外な姿を見るのも、目の保養になるかしら」

軽やかな足取りの二人について、私たちは集合場所へと移動する。
広場が見えてくると、そこには見慣れたはずの隊の仲間たちがいた。

けれど、視界に飛び込んできたのは、いつもの鉄錆や砂埃の匂いではなく、
磨き上げられた金属と鮮やかな布地が織りなす、万華鏡のような光景だった。

色とりどりの正装に身を包んだ騎士たち。
その中でも、やはり群を抜いて目を引くのが、あの二人だった。

太陽と月――誰が呼んだか、その二つ名がこれほど相応しいと思ったことはない。

フレンは水色と白を基調とした隊長服を纏っている。
清廉な色合いの甲冑や籠手は、陽の光を跳ね返して白銀に輝き、
彼の持つ厳格さと優しさをそのまま形にしたかのようだ。
(参照:フレン隊長服)

対照的にユーリは、その身軽さを活かした黒と赤の装い。
重厚な鎧を脱ぎ捨てた彼は、どこか野生的でいて、それでいて高貴な色気を放っている。
高めに結い上げたポニーテールが、彼の鋭い眼差しを際立たせていた。
(参照:心の中の聖騎士様)

私はそれを見た瞬間、カッと顔が熱くなるのを感じた。
心臓が警鐘を鳴らすように、ドクン、と大きく跳ねる。

(か、かっこ良すぎる…!
まるで古い絵本の中に描かれている、伝説の聖騎士様みたい…っ! ///)

あまりの衝撃に立ち尽くす私に、隣から忍び笑いが聞こえてきた。

「あ。あらら。完全に目がハートになっちゃってる」
「ほら。しゃんとしなさい。見惚れてるのがバレバレよ?」
「う、うん……わかってる、わかってるけど……」

自分でもわかるほど頬が熱い。
ドキドキとうるさい心臓を必死に宥めながら、
私はヒスカとシャスティルの背中に隠れるようにして、光り輝く二人の方へと歩み寄った。

ドキドキとうるさい心臓を抑え、私は双子と一緒にフレンたちに近づく。

「おはよう。ユーリ、フレン。今日は1日よろしく」
「ん?お!ヒロミ、似合ってんじゃねえか。おはようさん」

ふわりとポニテを翻し振り返ったユーリは、私を視界に捉えるとニカッと笑う。
するとフレンも私を振り返って、照れたように頬を僅かに染める。

「お、おはよう。ヒロミの正装姿、よく似合うよ。うん」
「ほ、ほんと?良かった…^^」

フレンの照れにつられたのか、私まで頬を染めてしまう。
何だこのピンクな空間は。恥ずかしい…。

「おーいフレン。帰ってこーい」

バシン。と彼の頭を叩くユーリに、フレンは何するんだ!と怒る。

「これから仕事だぞ。気張れよな」
「そんなこと言われなくても分かってるよ」
「どーだか」

とユーリが首を横に振れば。合わせて濡れ羽色の尻尾もゆらゆら揺れる。
私は無意識にそれに手を伸ばしてしまった。サラッとした手触りが流れていく。

「っ!な、何すんだよ」
「あ。つい。綺麗な髪だな~って」

また毛先を掴んで指に絡めてみる。うん、いいなぁーサラサラで。
思わず口元に寄せてみる。…ふわぁいい香りがする。

弾かれたように一歩下がったユーリのポニーテールが、鋭い弧を描いて宙を舞う。
掴んでいた指先がふっと軽くなり、私は自分のしでかしたことの重大さにようやく気づいた。

「あ。つい。……綺麗な髪だな~って」

言い訳のように呟きながら、まだ指先に残るサラッとした感触を思い出す。

本当はそのまま顔を埋めたくなるほど、彼からは清潔感のある、
それでいてどこか野性味を感じさせる不思議な香りがしていたのだ。

「……っ、たく。お前な……」

ユーリはポニーテールの根元をぐいっと押さえつけ、顔を背ける。

だが、隠しきれていない耳の先が、
彼の着ている正装の差し色よりも鮮やかに真っ赤に染まっているのを、私は見逃さなかった。

「おまっ!?それ無自覚かよ!……心臓にわりぃ……」
「へ?……あ!ごめんっ。嫌だったよね」

謝る私を、ユーリは恨めしそうに、けれどどこか熱を持った視線で睨みつける。
その時、背後からひたひたと、冷ややかな、けれどこれ以上ないほど丁寧な足音が近づいてきた。

「……ヒロミ。ユーリの髪がそんなに気に入ったの?」

心なしか、フレンの声のトーンが数度下がっている気がする。
振り返ると、彼は最高に爽やかで、最高に整った、そして最高に目が笑っていない笑顔で立っていた。

「わぁー大胆」
「ね。フレンの笑顔怖いんだけど。あれ完全に『僕も褒めてほしい』って顔だよね」

こそこそと囁き合う双子の声が、静まり返った空間にやけに響く。
フレンの手が、そっと私の肩に置かれた。手袋越しのはずなのに、そこだけが熱い。

「僕の髪は、ユーリほど長くはないけれど。
……そんなに、その、……香りが気になるなら、僕のも……」

「おいフレン、おまえまで何言ってやがる!」

ユーリのツッコミが飛ぶ。
仕事前の正装姿。凛々しいはずが、私の目の前でこれ以上ないほど「男の子」な顔をしていて。

(……あ、これ、仕事どころじゃないかも……)

私の心臓は、さっきよりもずっと、うるさく脈打ち始めていた。

「ユーリこそ。精々、敵に髪を引っ張られないように」

フレンの口角は完璧な角度で上がっているが、その瞳の奥は一切笑っていない。
言葉の端々に、冷徹なまでの棘が混じる。

「てめぇこそポカやらかすんじゃねえぞ。…足手まといを庇って死ぬのは御免だからな」

対するユーリも、低く地を這うような声で応じる。
不敵に歪めた唇の間から漏れるのは、もはや親愛とは程遠い、鋭利な殺気だ。

「ははは」
「あっはっはっ」

重なり合う二人の笑い声。
だが、その背後からは、どろりと濁った「黒い何か」が物理的な質量を持って溢れ出していた。
周囲の空気が急速に冷え込み、肌を刺すようなプレッシャーに、
通りがかりの小動物が悲鳴を上げて逃げ出していく。

「……ねえ、あの二人から出てるのって、魔力? それとも怨念?」
「どっちでもいいけど、近付いたら寿命削られそうだよな……」

二人の間に火花どころか、どす黒い雷光すら見えた気がして、
双子は深い溜息をつきながら、そっと数歩距離を取った。

「「前途多難だなぁー……」」

遠くを見つめる二人の視線の先で、
まだ「ははは」と不穏な笑い声を響かせ合っている二人の背中。
これから始まる旅路の険しさを予感し、双子の肩はガックリと落ちていた。



30

デイドン砦までは馬車で。私たちは徒歩で護衛を務める。
魔物が現れれば、それぞれが散って露払い。
正装姿でも、それぞれ遜色なく難なく魔物を蹴散らしていく。

フレンは一撃一撃をしっかり捉えて、技も叩き込んでいくし、
ユーリはひらりひらりと舞うように剣舞のように敵を翻弄させている。

この下町コンビは互いを背に預け、連携するように数を減らしていく。
私たちも負けていられない。
私も自慢の脚力を活かして縦横無尽に敵を翻弄しながらトドメを刺していた。

「まあ。皆さん強いのですのね」
「はい。エステリーゼ様の周りは我らナイレン隊がお守いたします」

ナイレン隊長がエステリーゼ様の傍に控え、最後の防衛を務めている。
怪我をすれば、エステリーゼ様が怪我を治すと仰ったがそれを辞退する。
こんな序盤も序盤の魔物で手古摺っているようでは騎士には程遠い。

双子やユーリとフレンと私は殿を務めている。

「こんなん普段の任務に比べたら楽勝だな」
「こらユーリ。任務は任務でしょ」
「そうだよ。ユーリ。しっかり周りを確認しないと」
「へいへい。わぁーったよ」
「…ちゃんと分かってるのかなあ」

ヒスカとフレンに窘められ不承不承に返事するユーリ。
私はやれやれと心配で仕方なかった。


デイドン砦に辿り着いた、エステリーゼ様とナイレン隊。
お姫様は、騎士団詰め所に挨拶しに行っている。
その間、私たちナイレン隊は一時休憩だ。
ナイレン隊長とユルギス副官は、エステリーゼ様に付き添っている。

「あれ?フレンとユーリは?」
「私たち殿だから入り口で見張りだって。あ、貴女は休憩でいいよ」
「そうなの?」
「ま。2人の指導役だしね。ゆっくりしてきなよ」
「分かった。ごめんね。行ってくるよ」

私は辺りを見回して、ここは本当に砦なんだと思わされる。

あ、お姫様が詰め所から出てきた。
これから旅人にお話を聞いて回るんだ。
子供たちにもちゃんと目線を合わせて優しく語りかけている。
私はすぐに殿のチームに戻って来た。

「あ、おかえりー。今お姫様巡回中だよ」
「エステリーゼ様ってポヤポヤしてるようで、実は剣術も嗜んでるだって」
「え?」
「うんうん。回復も出来て剣術もできる。一度読んだら暗記してしまうし。
あの胡坐をかいてる評議会どもに爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだよ」

双子が遠目で慰問に回っているエステリーゼ様を見ながら褒め称えていた。

「おーヒロミ。おめぇ何してんだ?」
「ちょっと巡回に。ユーリたちこそ。見張りは順調?」
「暇だ。あとはお姫さんのが終わるの待つだけだ」

エステリーゼ様がデイドン砦を一通り周り終わり、慰問が終了した。
私たちはすぐに休憩を終わらせ、定位置に着く。もちろん殿だ。

行き同様、帰りも難なく何事もなく。任務を真っ当できた。
エステリーゼ様は城の者を引き連れ、すぐに王城へと戻っていった。

 
 

 
後書き
次は劇場版に続きます。 

 

騎士時代編(劇場版ルート)1

 
前書き
ナイレン隊が駐屯先に任命されたのは、シゾンタニア。
帝都から約3日ほど離れた辺境の街だった。そこには様々な問題があった。
増える魔物、街を離れる人々、濃度高いエアル、遺跡調査。
果たして赴任先で待ち受けている事件とは…。 

 



【テイルズ オブ ヴェスペリア ~ The First Strike ~】
『月と太陽と星』騎士時代編(劇場版√)
*劇場版とは若干、異なります。(オリジナルが入ります)




〈 人と魔物の大きな戦いが集結してから月日が流れ
 人々は根源たる力、エアルを使い繁栄を築き上げようとしていた。
 エアルが結晶化した物は魔核(コア)となり、
 魔導器を動かす源として使われていた。
 様々な種類の魔核が魔導器を通し、
 繁栄と生活に必要な物を我々に与え続けてきた。
 魔力と魔物…。
 人知を超えた力が支配する世で、我々は常に選択を迫れれている。

 何を守り、何を捨て、どう生きるべきか…。〉


エステリーゼは、緑の魔核を使い、部屋の明かりをつける。
本を読むことが好きな彼女は、今夜も読みふけている。



2

今宵、ユーリとフレンにとって運命の初陣が幕を開ける。
森の中には魔物が潜み、渓谷の中を走っている者たちがいる。

ユーリはヒスカと。
フレンはシャスティルと。

それぞれ別れて、迅速かつ的確に魔導器の罠を仕掛けていく。
次々と湧いてくる魔物に追われながらの作業に、4人は大変そうだ。

「ちょっと!急ぎ過ぎ!」
「もたもたすんなよっ」
「ユーリ、こっちこっち」

ヒスカが鞄からまた罠の一つを出して設置する。

「よし。次」

そうして走り出す。

「何個、設置するんだ」
「あたしらは3つよ」

また罠を仕掛け、すぐに走り出す。
魔物の群れがすぐ其処まで迫っている。

頭上を覆う鬱蒼とした木々が月光を遮り、森の中は濃い闇と、
獣ともつかぬ魔物の唸り声に支配されていた。

渓谷の底を吹き抜ける夜風は、切り立った岩肌をなでて、まるで誰かの悲鳴のような音を立てている。

「ちっ、次から次へと……! ヒスカ、そっちは任せたぜ!」

ユーリは、背後から迫る魔物の鋭い爪を紙一重でかわし、愛剣を振るう。
隣を走るヒスカは、荒い息を吐きながらも、魔導器のパーツを抱えて必死に食らいついていく。
二人の足元は覚束ないが、止まれば即、闇に飲み込まれる。
ユーリの瞳には、恐怖を塗りつぶすような鋭い闘志が宿っていた。


一方、別ルートを行くフレンの表情は、騎士らしい硬さを崩さない。フレンとシャスティル組。

「シャスティル先輩、あと少しです。僕が引きつける、その隙に罠の設置を!」

フレンの剣が魔物の突進を重々しく受け止める。
衝撃が腕を痺れさせるが、彼は一歩も引かない。

シャスティルの指先は、焦りと冷気で震えそうになるのを必死に堪え、
複雑な魔導器の回路を調整していく。

二人の間に流れるのは、言葉を超えた、任務を完遂せんとする強い使命感だった。
飛び散る火花、焦げた土の匂い、そして肌に刺さるような魔核(コア)の脈動。

シャスティルが罠を仕掛け、フレンが彼女を護るように剣を持ち迎撃する。
罠が仕掛け終わった。

「行くよ、フレン」
「はい!」

2人は駆け出す。

「遅れないでよ」
「他のチームは大丈夫でしょうか」

若き4人の背中には、まだあどけなさが残る。
しかし、この死線を超えた先にある光景が、彼らを「守る者」へと変えていく。
闇を切り裂き、魔導器の罠が放つ淡い光が渓谷に灯るまで――彼らの長い夜はまだ終わらない。


そして私は。
隊長とランバートの傍らに控え、私は高みから戦況を俯瞰していた。
眼下で弾ける罠の光は、まるで地上に降りた星々の瞬きだ。
一際大きく火花が散るたび、闇に紛れていた仲間の背中が、一瞬だけ鋭く浮かび上がる。

夜風が頬を撫でていくが、指先は驚くほど熱い。
隣に立つ二人の静かな呼吸を感じながら、私は視線を走らせ、戦場の綻びを探す。

視線を走らせ、綻びを探す。誰の悲鳴も上げさせない。
窮地に陥ったチームへ、最短距離で飛び込む準備はできている。
あとは、その瞬間を射抜くだけだ。

戦場という盤面をひっくり返すための『最後の一手』として、
私はただ、その時が来るのをじっと凝視していた。

すると耳に2人の声が聞こえてきた。
ユーリの独断専行にヒスカは手を焼いているようだ。

「ちょっと!作戦通りに動いてよ!先行し過ぎ!!」
「ちんたら、やってられるかっての!」

ユーリとヒスカの後ろには、すぐそこまで魔物が迫ってきている。

それを私は視力のいい目で捉える。

「ん。ユーリたちの方、苦戦しそうね」
「よし。ヒロミ、行け」
「イエッサー!」

自慢の野生の勘が働き、ナイレン隊長のGOサインが出た。
私は俊足を使い、全速力でユーリとヒスカの方へと駆け出す。

「追いつかれる!」
「行けっ!」
「任せた!」
「へっ」

ユーリが不敵な笑みを深く刻んだ直後、地底から突き上げるような衝撃が走った。
彼の足元を起点に、乾いた大地が悲鳴を上げて一気に爆ぜ、
巨大な亀裂が幾筋もの稲妻となって周囲を切り裂いていく。
巻き上がった土煙は荒れ狂う嵐のように視界を塗り潰し、朦々と立ち込めた。
凄まじい轟音と、鼻を突く砂塵の匂い。

「ぅ、うわっ!」

足元の石畳が悲鳴を上げ、亀裂から噴き出した土煙が視界を奪う。
ユーリは本能的な恐怖に従い、全身のバネを弾かせて後方へ跳んだ。
直後、彼がさっきまで立っていた場所が、内側から爆発したかのように弾け飛ぶ。

轟音と共に、地底の闇を切り裂いて姿を現したのは、
鈍い銀光を放つ巨大な(はさみ)だった。
岩をも容易く粉砕するその一撃を間一髪で回避したユーリの頬を、凄まじい衝撃波がかすめていく。

「――っ、あぶな……!」

着地と同時に顔を上げると、
そこには崩落した瓦礫の山を文字通り「踏み潰して」現れた、巨大な蟹の魔物がいた。
湿った土と錆びた鉄の臭いが混ざり合った異臭が鼻を突く。

甲殻は年月の重みを感じさせるほどに分厚く、びっしりと苔や鉱石がこびりついている。
蠢く無数の脚が地面を掻くたびに、周囲の地面がさらに崩れ、逃げ場を塞いでいく。

魔物の頭部にある、感情の見えない濡れた複眼がゆっくりと回転し、
獲物――ユーリを完全に射程圏内に捉えた。

「こんなのまでいるたぁ聞いて、ねえ!」

石礫を剣で往なす。

そこへ私が割り込み、一瞬の隙を突いて、あの硬質な甲羅の継ぎ目へ鋭い突きを繰り出す。

「ユーリ、そこどいて!――はぁぁっ!瞬天牙(しゅんてんが)!!」

私の叫びと同時に、切っ先が青白い閃光を纏って甲羅を貫いた。

「ヒロミ!」

ユーリが驚き混じりの声を上げる。手応えは十分。
魔物が苦悶の声を上げ、その巨体が大きく揺らいで怯んだ。
今のうちに畳みかけるべきだが、戦場に安息はない。

「ユーリ!ヒロミ!こっち終わったわ!」

離れた位置で罠を仕掛け終えたヒスカが声を上げる。
私とユーリはアイコンタクト一つで意思を通わせ、瞬時にヒスカの方へと地を蹴った。

だが、その瞬間――。
心臓を冷たい指でなぞられたような、形容しがたい嫌な予感が背筋を駆け抜けた。

「ヒスカ!私はシャスの方に行くわ!」
「わかったわ、ここは任せて!」

(……まずい、嫌な風が吹いてる)

私は反射的にスキル『瞬転(しゅんてん)』を発動させる。
視界が引き延ばされるような加速の中。
フレンとシャスティルが戦う最前線へと、私は全速力で駆け抜けた。

彼女が最後の罠を設置し終えたその瞬間、森の空気が一変した。
湿った土の匂いに混じり、獣特有の鼻を突く猛烈な臭気が漂い始める。

「シャス!フレン!たくさんいる!気を付けて!!」

私の叫びに、二人の身体が強張る。
私は反射的にシャスティルの前に割って入り、隣に並ぶフレンと視線を交わした。
言葉はなくとも、死線を越えてきた信頼が「護れ」と告げている。

――カサリ。

背後の茂みで小枝の折れる乾いた音が響いた。

「っ、しまっ……!」

フレンが気配に反応し横を向くが、牙を剥いた影の方が速い。

「させない……っ! はあぁぁっ! 風凛斬(ふうりんざん)!!!」

私は瞬時に踏み込み、溜めていた魔力を一気に解放する。
不可視の衝撃波が唸りを上げて空間を削り、飛びかかってきた犬型の魔物たちを正面から叩き潰した。
「きゃいん!」という悲鳴が重なり、肉の塊となって森の奥へと吹き飛んでいく。
フレンも何匹か斬り伏せていた。

「今よ!!」

衝撃波の余韻で舞い上がった木の葉が落ちる前に、私は叫んだ。

「ちょっと!何でぇ!? 」

シャスティルは半べそをかきながらも、フレンに背中を押されるようにして走り出す。
彼女はフレンと共に駆け出す。
私は右手に残る痺れるような魔力の感触を振り払い、二人の背を追う。

「作戦失敗!?」
「いえ、このまま引き付けましょう」
「そろそろ頃合いかな」
「え?」

私は走りながら予感する。隊長、そろそろ仕掛けの時よね。急がなければ。



「ああ、完璧なタイミングだ。ヒロミ、おまえの予感、一度だって外れたことはないからな…!」

荒い呼吸を突き抜けて、オレは右手に握った『起動鍵』を天に掲げた。
その瞬間、足元の地面が震え、地底に眠らせた魔力が一気に沸点に達する。

「全二十四基、連鎖起動(チェイン・オン)――ッ!!」

ドン、と空気を圧する重低音。
直後、オレたちが駆け抜けてきた軌跡をなぞるように、
一本、また一本と、極彩色の蒼い光柱が夜の帳を貫いていく。
それはまるで、地上の星が天に帰っていくような、恐ろしいほどに美しい光景だった。

見上げれば、頭上には巨大な幾何学模様の術式魔方陣。
回転を上げるたびに高周波のうなりを上げ、降り注ぐ光の粒子が周囲の魔素を強引に書き換えていく。

「準備はいいか。この光の(ケージ)からは、神速の獲物といえど指一本逃がしはしねえ」

加速する鼓動。逆巻く魔力。
オレは不敵に口角を上げた。

「さあ、ここからはオレたちの時間だ。反撃の狼煙(のろし)を上げようぜぃ!」


一方、ヒスカとユーリは。

「まだ他のチームが戻ってないのに、なんであたしたちだけこんな……!」

ヒスカが悲鳴に近い声を上げ、背後の岩壁にじりじりと後ずさる。

「うっせぇな! 予定通り進んでんだろ。想定の範囲内だよ、こんなもん!」

ユーリは吐き捨てるように言い返したが、剣を握る掌には嫌な汗が滲んでいた。

「なぁんですってぇ!? この状況のどこが予定通りなのよ、この大嘘つき!」

そう言い合っている間にも、魔物の群れは包囲網を狭め、二人をじわじわと追い詰めていく。

暗がりから光る無数の眼。
獲物の肉を裂くのを待ちきれないと言わんばかりの、耳障りな咆哮と獣臭が洞窟を満たした。
一、二……いや、十や二十ではない。闇の奥から湧き出すそれは、まさに「津波」だった。

「あ、はは……。ちょっと、怖いかも……」

乾いた笑いを漏らすヒスカの頬を、一際大きな咆哮による風圧が叩く。

「すっげえ数だな。おい、ヒスカ。腰抜かして座り込むんじゃねぇぞ」

ユーリは観光鋭く目を見据え、剣を構え直す。

「ええっ、無理、絶対無理だってば……!」
 
いよいよか、って時。

いよいよか、と喉の奥が熱くなる。
立ち込める土煙と魔物の咆哮に巻かれながら、私はフレンとシャスティルと共に戦場を駆けた。
心臓の鼓動が耳の奥でうるさい。なんとか、間に合った。

「ふええっ……な、なにこれ……!」

目の前を埋め尽くす異形の群れに、シャスティルが息を呑み、その場にすくみ上がる。

「後ろへ! 怯むな、剣を握れ!」

フレンの鋭い檄が飛ぶ。
私は震える双子の前に割って入り、最後の防衛線として剣を正眼に構えた。

だが、視界を埋め尽くす影、影、影。
数えきれないほどの魔物の眼光が、赤い燐光となってこちらを射抜いている。

(この数…一人じゃ支えきれない。押し潰される!)

「――応援に出る! 二人を頼んだわよ!」

私は地を蹴った。最前線では、ようやく揃った「あの二人」が背中を預け合っていた。

「遅ぇーな、置いていくぞ」
「ふん、君の無茶に合わせる身にもなってほしいものだね」

軽口を叩き合いながらも、二人の剣筋は完璧に噛み合っている。

「ちょっと、仲良くしてくださいよ二人とも!」

叫びながら私もその輪に飛び込み、俊足を生かして魔物の喉元を切り伏せる。
注意をこちらに引きつけるための牽制を繰り返す。

一秒が永遠に感じる。
視界の端で、魔法の予兆が、あるいは何かの発動条件が満たされるのを、祈るような心地で待つ。

(早く、早く……発動して……!!)

その時、大気を震わせるような衝撃波と共に、懐かしい声が戦場に響き渡った。

「な、何だ!? どうなってやがる……」
「おいおい、派手にやってるじゃねえか」

重なり合う足音、武器がぶつかる音。

「シャスティル! 全員揃った!!」

振り返る必要はなかった。
背中に感じるのは、もう絶望ではなく、頼もしすぎる仲間の熱気だった。
するとシャスティルが「ヒスカ!」と呼んで合図をする。

「ユルギス!3人を戻して!」
「ユーリ!フレン!ヒロミ!戻れ!!」

ユーリとフレンはお互い背中合わせで大きく息をしている。
私も戻り始める。…もう詠唱が始まってる!!

「絢爛たる光よ。感化を和らぐ壁となれ」

ヒスカが詠唱を終える。そしてトリガーを引こうとしている…!
黄緑色の術式が作動し、私と2人は瞬時に双子の元へと飛び込む。
あ。やばっ。2人を抱えた際に、彼らの顔に、おっぱいが当たってる。
けど、ごめん!動かないで。術式から出ちゃうから!さらにグッと寄せる。

「フォースフィールド!!!」

ヒスカの防御壁が最後の一片まで組み上がった瞬間、隊長の指先が引き(トリガー)を引いた。

「――起動」

その呟きと共に。
森の腐葉土の下に隠されていた数千の術式が共鳴し、地を割るような重低音が響く。
次の瞬間、夜の森を白昼に変えるほどの光の奔流が吹き上がった。

樹木を縫い、空を覆う巨大な魔法陣。
それは優美な紋様を描きながら、範囲内に存在する「負の生命」を分子レベルで分解していく。

断末魔すら置き去りにする圧倒的な浄化の光が収まったあと、
そこには静まり返った美しい森と、舞い散る光の粒子だけが残されていた。

(……すっご)

そしてヒスカの防御壁も解除。私はふぅと一息つく。

「…終わった?」
「みたいだな」

2人の台詞に、私はユーリとフレンに声をかける。

「フレン、ユーリ、大丈夫?」

私のその一言が、魔法の解呪よりも強烈な一撃となったらしい。

「「っ!!」」

二人は弾かれたように飛びのくと、
あろうことか互いの肩をぶつけ合うほどの勢いで私から距離を取った。
その顔は、先ほどまでの死闘では見せなかったほど真っ赤に染まっている。

(……あ、耳まで赤い。可愛い)

ヒスカとシャスティルが、獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべて二人の顔を覗き込んだ。

「このドスケベ」
「このむっつり」
「「んなっ…! そ、れは…っ!」」

普段の冷静さはどこへやら、二人揃って酸素の足りない魚のように口をパクパクさせている。
その様子に、固唾を呑んで見守っていた他のメンバーからも、緊張の糸が切れたような溜息が漏れた。

「仕方ないわよ。緊急時なんだから」

立ち上る土煙と、戦いの余韻が残る静寂の中、私は泥を払って溜息を吐いた。

視界の端では、ユーリが剣を鞘に戻しながら肩をすくめ、
フレンが真剣な面持ちで周囲の被害状況を確認している。

その時、頭上の高台から、野太く快活な声が降ってきた。

「ユーリ!フレン!初仕事にしちゃあ上出来だぁ!」

見上げれば、そこには仁王立ちでニカッと笑う隊長の姿。
その豪快な笑い声は、先ほどまでの緊迫感を一気に吹き飛ばしていく。
にひ、と子供のように悪戯っぽく笑い、隊長はすこぶるご機嫌な様子だ。

「……ったく、こっちは命がけだったっての」
「そうだぞユーリ、隊長のお言葉だ。素直に受け取っておこう」

呆れるユーリと、生真面目に頷くフレン。
こうして、対照的な二人の初陣は、騒がしくも鮮やかな成功で幕を閉じたのだった。



3

時は遡り。

エステリーゼ様の慰問が終わった後、
私たちナイレン隊はシゾンタニア駐在を任命された。
エアル異常噴出の調査とそれに伴う魔物撃退の任務をこなすためである。

隊長を始め皆(ユーリとフレン以外)は一足先にシゾンタニアに旅立った。
帝都から約、3日程離れた距離にある街である。

ユーリとフレンはナイレン隊長から出された課題があるので出発が遅れた。
因みに私も病で倒れて3日空けたので、その分の課題を言い渡されてた。

ナイレン隊長から下された課題――
それは、新人騎士にとって避けては通れない「座学」と「実技鍛錬」のセットメニュー。

病み上がりの体に鞭打つ私を待っていたのは、
事実上の「居残り組」という名の、若き騎士二人との濃厚な時間だった。

私は得意の座学を早々に片付け、心地よい疲れを求めて鍛錬場へと足を運ぶ。
しかし、そこに広がる板張りの床に立っていたのは、金髪の騎士、フレンだけだった。

「…あれ? フレンだけ? ユーリは?」

きょろきょろと辺りを見渡すが、あの不敵な笑みを浮かべた黒髪の相棒は見当たらない。

「あいつは元から勉強嫌いだからな。
今頃、頭を抱えて苦戦しているんじゃないか?僕は知らないよ」

フレンは手にした剣を一度も振るうことなく、淡々と言い放つ。
その声には、幼馴染ゆえの呆れと、どこか突き放すような冷たさが混じっていた。

「フレン、相変わらず冷たいわね。どれ、私がユーリを見てあげましょうかね」

溜息混じりに私が踵を返そうとした、その時。

「がしっ」と、力強い、けれど熱を帯びた大きな手が私の肩を掴んだ。

(えっ……?)

不意の接触に、心臓が跳ねる。
振り返ると、そこにはいつもの優等生な微笑みを消し、
射抜くような鋭い視線を向けるフレンがいた。

「優しさと甘やかすのは、違うんじゃないかな。ヒロミ」
「うっ。一理あるけどさ……」

正論だ。ぐうの音も出ない。
けれど、彼の瞳の奥にあるのは、純粋な正論だけではないような気がして、私はたじろぐ。

「それに君も、まだ鍛錬の課題が残っているんだろう?
僕もだ。一人でやるより、共にやる方が効率がいい」

フレンの指先に、わずかに力がこもる。それは私を行かせまいとする、無言の拘束。

「……わかったわよ。
ただ今日の鍛錬が終わって、まだユーリが困ってたら教えるくらい、いいでしょ?」

私が折れると、フレンはふっと表情を緩めた。
けれど、その後に続いた呟きは、どこか低く、独占的な響きを帯びていて。

「君は本当に、放っておけない性格なんだな。(それがユーリ相手だと、猛烈にムカつくんだが)」
「死んでも治らないわよ、きっと。……で、納得してくれない?」

私は彼の心のさざ波に気づかぬまま、小首をかしげて尋ねる。
フレンは深く、重いため息をつき、ようやく私の肩から手を離した。

「……はぁ。わかったよ。ただし、これからの時間は僕との鍛錬に集中してもらうよ。
(この時間だけは、あいつには絶対に譲らないからね)」

「もちろん。光栄だわ。手加減しないでよね、フレン」

夕暮れ時の鍛錬場。
西日が差し込む中、私は目の前の騎士が向ける、
あまりに真っすぐで、少しだけ執着の混じった視線の意味を、まだ知らない。

フレンと一緒に鍛練を始める。素振り、技の復習、そしてフレンとの模擬戦。
フレンと剣の相手ができることは滅多に無い。彼は強い。私でも勝てるかどうか。
模擬戦では刃先を潰した、安全な剣を使う。それでも重いから怪我には気を付けないと。

フレンが技を放てば、私はひらりと躱し、俊足でフレンの背後を取り急所に当てようとする。
が、彼はそれ寸で気づき私の剣を往なす。反転して私の急所に仕掛けてくる。
私はそれを避けてフレンに足払いをかけようとするも失敗。彼は刃を翻して攻めてくる。
それを寸でで一回転の空中で避けて私は彼の胸へと鋭い突きを繰り出すが、また剣で防がれた。
しかしフレンはそこを先読みしていた。私が着地する場所へ足払いを掛けたのだった。

「う、わっ!わわわっ!?」

バランスを崩した体は、重力に逆らえず後ろへと倒れ込む。
冷たい風を切る感覚に背筋が凍りついたその時、強引なほど力強い力で引き寄せられた。
背中に触れる彼の胸板の厚み、そして肩口から香る、落ち着いた“あの花”の香り。

「……っ、はぁ。捕まえた。僕が後ろにいることを忘れたのか?」

呆れたような、でもどこか愛おしげな吐息が首筋にかかり、
叩きつけられそうになった恐怖とは別の、熱い震えが全身を駆け抜けた。

「今日は僕の勝ちだね^^」
「ううう。悔しいぃ~っ」
「いつもヒロミに勝ちを譲る僕じゃないよ」
「フレン、やっぱり強いなぁ」
「ヒロミだって。速さじゃ誰にも敵わないよ」
「む。今度は勝つ。リベンジよ」
「はは。待ってるよ^^」

私はフレンから離れ、模擬戦用の潰した剣を、鍛練場の壁にしまう。
フレンも同じように片付ける。

「さてと。私はユーリの様子を見に行ってくるよ。フレンはどうするの?」
「食堂で待ってる。一緒に夕飯食べないか」
「いいよ。一緒に食べよ。じゃあちょっと行ってくるね^^」

たたた、と講義室の方へと駆けていく。
私が駆けて行った後、フレンが呟いたのを私は知らない。


背後で遠ざかる足音を聞きながら、フレンはふっと視線を落とした。
握りしめた拳には、無意識に力がこもっている。

「……ユーリには負けない」

それは剣の腕のことか、それとも、もっと別の…。
彼自身もまだ答えを出せずにいるが、胸の奥にある熱い塊だけは無視できなかった。



座学を行う講義室でひとりユーリは魔術書を開いては頭を抱えていた。
自分は動くほうが性に合ってる。鍛錬の課題はあっという間に終わらせた。

「あー。あああ。分かるかっ!こんなんっ」

机をゲシッと蹴るが痛いのは自分の足で。ユーリはくっそ!と呻く。
その時、講義室のドアがガラッと開いた。誰だよと視線を向ければ。

「ヒロミ?」
「やほ。ユーリ。困ってるかと思って教えに来たよ」
「え。マジで!?助かるぜ…!」

神は見捨てていなかった…!そんな眼差しでユーリが私を見てきた。

「私はもう座学終わったからね。ユーリ、分からないとこ、どこ?ヒントくらい出すよ」

蹲っていたユーリは席に座り直し、頭をガシガシとかく。
私はユーリの真後ろに来て、ひょいっと覗き込む。

「最後の2問。なんなんだよこれ…」
「どれどれ。ああ、これね。応用問題だもんね。ユーリにはちょっと難しいか…」

ユーリの肩に片手を置いて、もう片手で魔術書のページの文字を指で追う。
私が例えば…とページの公式とは違う例題を作って説明してやる。

「基本のベースから復習して、これがこうなって…と。
だから、こうなるの。…ユーリ?」

「あ、ああ…なんとなく掴めてきたような…?
(ヒロミの胸が背中に当たってる!香りも…)」

「そう?じゃあ、試しに私の例題、解いてみて」

ユーリが、むー…と考え、試しに解いていく。惜しい。基本はあってるんだけど。

「うん。基本はあってるよ。もう少し捻ればいける。えーと、じゃあ、こうして…」
「っ!(今、むにって!むにゅって感触がっ!)」
「ユーリ??」
「い、いや…何でもない。続けてくれ」
「で、こうすれば…。ね?こうなるの」
「なる程な。じゃあ、この公式だと…基本はこう、だから…えー…こう、か?」
「あってるよ!やるじゃん、ユーリ!」

ユーリはもともと地頭がいい。
ただ、納得がいかないまま先に進むのが苦手なだけなのだ。だからこそ、
絡まった糸を一本ずつ解きほぐすように根気よく説明を重ねれば必ず正解に辿り着く。
目の前の霧が晴れたような顔をした彼に、私が「やったね!」と軽く肩を叩くと。
ユーリは少しだけ面食らったあと、照れ隠しに鼻の下を指でこすって「へへっ」とはにかんだ。

「サンキュな、ヒロミ。何とかなりそうだぜ。(ご褒美にいい感触だったぜ♪)」
「これくらい、いいよ。早く仕上げて、隊の皆に追いつかなきゃね」
「おう。あと1問、頑張ってみるわ」
「じゃあ私は先にご飯食べに行ってくるね」

私は講義室を出る。フレンが待ってるから急がなきゃね。

私は知らなかった。
私が去った後、ユーリは私の胸の感触と香りを思い出してニヤニヤしていたのを。

「柔け~。思ったよりデカイんだなー。っと、いかんいかん。早く解かねえと」



「フレーン。待たせて、ごめんね。さ、食べよ。席取っといてくれて、ありがと」
「いいよ」
「あーお腹すいたー。明日から、やっと3人で追いつけそうね」

フレンと一緒にトレーを持ち席について、いただきます、と食べ始める。

「ユーリ、かなり苦戦してたみたいね。地頭はいいんだから、もっと捏ね繰り回せばいいのに」
「ユーリの勉強嫌いは今に始まった事じゃない。ヒロミ、あまりユーリを甘やかすなよ」
「はいはい。でも後輩くんが苦戦してるとこ見るとね~。どうしても…ね」
「君の性格は知ってるけど…。(…ん?) ヒロミ、ちゃんと食べるんだ」
「うぐっ!か、勘弁してフレン。これだけはっ!セロリは…うぅ」

なんとなく避けてたけど、フレンに気付かれた。厳しい眼差しだ。
お残しは許しませんって?苦いんだもん…うえええん。

「泣き落としてもダメ。食べるんだ」
「わ、私の手では食べられません!無理、ホントに無理なの!」
「言ったね。言質取ったから」
「…へ?」

するとフレンは自分のフォークを使い、
私の残したセロリを刺し、私の口元に持ってくる。

「さ。君の手が無理なら、僕の手で食べさせる。これで解決だろ?」
「……っつ!!」

鬼だ。鬼がここにいる…!!フレンは退かない。う、うぅ…。

「さあ。ほら」
「んむっ!?ふぐぅ…!に、苦い~~っ!」

無理矢理、含ませられた。
フォークの感触と、セロリの青臭い香りが鼻を通り。
私は仕方なく噛み締める。
飲み込むことも出来るが、フレンは絶対に許さないだろう。
また刺して、私に含ましてくる。ううう!なんの拷問よこれええ!!
結局、セロリが無くなるまで、それは続いた。

「ぜぇぜぇ……。フレンの鬼、悪魔、騎士道精神のかけらもない!」

喉の奥に残るセロリの青臭さに涙目になりながら抗議すると、
彼は涼しい顔で、銀色のフォークをカチャリとトレーに置いた。

「なんとでも言え。偏食を正すのも、君を守る僕の役目だ」

相変わらずの正論。
けれど、その指先が不意に私の唇に伸び、端に残っていた繊維を拭った。
その何気ない、あまりに自然な仕草に鼓動が跳ねる。
ふと、トレーに置かれたフォークが目に留まった。

「あ……」

(か、間接キス…!?)

思考が真っ白に染まる。

「どうかしたかヒロミ? まだ口の中に残っているのか」

覗き込んでくるフレンの瞳は、どこまでも澄んでいる。顔に血が上るのがわかる。

セロリの苦味なんて一瞬で吹き飛んで、
今はただ、唇に残る感触に、じわじわと身体中に広がっていく。

「ち、違う…。か…」
「か?」
「間接…キス、しちゃった…」
「っ!(///)」

私が言えば。フレンも今、気づいたのか瞬時に顔を真っ赤にさせた。

「ふ、不可抗力だっ!(///)」
「そ、そうよね。あはは。気にしないでフレン」
「……。(///)」

お互い、ごちそうさまをして別れる。
フレン別れる時も耳まで真っ赤だった。結構、照れ屋さん?



4

翌朝。食堂で朝食を食べてから、出発することになった。
私は内緒で厨房を借りて、3人分のお昼ご飯を作っていた。2人とも食べてくれるかなあ。
それから、厨房で下処理して切っておいた野菜類を、専用のケースに荷物に入れる。
日持ちするチーズや味噌とかも持ってきた。湖がなくてもいいように水筒も何個か用意して。

「よしよし。シゾンタニアまで3日間よろしくね。晴天に恵まれて良かった」

馬に荷物を積んで固定する。
サンドイッチケースもぎゅうぎゅうに詰めてあるから大丈夫。
私に頭を摺り寄せてきたので、よしよしと撫でてやる。大事なパートナーだ。
すると、カポカポと足音が二匹分聞こえてきたので振り返った。

「あ。おはよう、2人とも。準備はOKみたいね。3日間の旅だけどよろしくね」
「おう」
「よろしく」

2人はもう乗っている。私もよいしょっと乗って。うわー目線が高い。

「じゃ。フレン、ユーリ、行こうか。出発!」

私がいの一番にかっぽかっぽと飛ばす。
すると後ろからフレンとユーリもついてくる。

綺麗な青空に目を細める。
しばらく飛ばして、もうすぐお昼の時間になるが、もう少し距離を稼いでおきたいが。
馬が潰れてはシャレにならないので、この先にある湖で休息を取ることにする。

「2人ともー。少し先で休憩ね。お馬さんの吸水タイム」
「わかった」
「へーい」

湖が見えてきた。そこで私たちは馬から降りる。私は馬を撫でる。

「よーしよし。よく頑張ったね。しっかり休息してってね」

馬は湖の水を飲み始める。
フレンやユーリも、それぞれ上手く馬とコミュニケーション取れているみたい。
良かった。すると2人のお腹が、ぐぅと鳴るのが聞こえた。あら可愛い。

「ユーリ、フレン、お昼にしようよ。私もお腹空いちゃった」
「いいけど。食料は貴重だ。あまりたくさんは食べられないよ」
「安心して。備蓄用の食料じゃなくて、こっち」
「えっ?」

私はお馬さんから、括ってあるサンドイッチケースを下ろす。
けっこう大きいし重量がある。う、作り過ぎたかな。まあ2人ならぺろりでしょ。

「厨房借りて作ったんだ。サンドイッチ、3人で食べよ^^」
「ヒロミの手作りか。ぜひ頂くよ^^」
「マジで!?食う食う!^^」

あんなに仲悪そうだった2人が意気投合して、私のサンドイッチケースを見てくる。
よっこらせっと草場の地面に座って、私はサンドイッチケースを開く。具は色々だ。

「フレンとユーリは何が好きかなー?好きなの取って」

はい、とケースを目の前に座った2人に差し出す。中を見て2人は眼を見開いた。

「すっげ…!選り取り見取りじゃねーか」
「これはすごいね。早起きして作ってくれたんじゃないか?」
「えへへ。まぁそうなんだけど。でも2人とも男子でしょ。少しでもたくさん食べなきゃね」

私がそう言えば、2人とも「ありがとう」「サンキュ」と礼を言ってくれた。嬉しい。

「さ、早く食べよ。私はツナマヨがいいなぁ」

モフッと1個、掴んで「頂きます」と言ってかぶりつく。ん~美味ぁ~。

「あ。ユーリはやっぱフルーツサンドか。イチゴとキウイが入ってるよ」
「おー美味ぇ~。おまえ、料理、上手いんだな」

フルーツサンドを頬張って、もぐもぐしてるユーリ、なんか可愛い。

「いつも自炊してたから。フレンは…あ。意外。
辛子を塗ったハムチキンサンドか。辛いの好きなの?」

「うん。というか肉が好きなんだ。これ本当に美味しいよ。
まさかサンドイッチが食べられるとは思わなかった^^」

え。それこそ意外。フレンが肉食系だったとは。
フレンはお上品に食べるのね。具材を食み出さずに食べるとはやりますな。

予想通り、2人はあっという間にぺろりとサンドイッチを平らげた。
す、すごいわね。あれでも6~7人前はあったわよ?

「ごっそーさん。美味かったぜ、ヒロミ」
「ごちそうまでした。美味しかったよヒロミ」
「おそまつさまでした^^」

いやあ。ここまで食べ尽くしてくれると、いっそ清々しいわ。
水筒で喉を潤し、私はサンドイッチケースを馬に括りつける。
馬もヒヒンと鳴いた。うん、準備は良いみたいね。

「じゃあ今夜は第二吸水ポイントで夜営しましょ」
「ああ。わかった」
「っし。行くか」

私たちは、また馬に跨り、パカラパカラッと軽快に馬を走らせる。

しばし走らせて。やがて夕方になると。
空には何やら魔物の群れが飛んで行った。やはり帝都の外は危険なのね。
やがて辺りが暗くなり始め、遠目ながら第二吸水ポイントの湖が見えてきた。

「見えてきたわ。さ、今夜はここで夜営しましょ」
「ふぅ。結構、進んだね」
「水もちょい減ったな。汲むか」

私たちは馬から降りて水を汲むと、馬にも水を飲ませる。…って。

「こらこら。2人とも。何、別で焚火を用意しようとしてるの。薪の無駄遣いよ」
「むっ。オレがフレンと一緒の釜の飯を食う?冗談だろ」
「それはこちらの台詞だ」

はぁー。私の初恋は前途多難だわ。こんな仲が悪かったっけ?
確か私が倒れた時は息ぴったりだったじゃない。2人とも私を気遣ってくれたのに。

「そも。お昼で既に一緒に食べてるでしょ。今更じゃない。じゃあ、こうしよう。
私が御飯係。…私の作ったの食べたくないのなら、それでもいいけど?^^」

うふ。と笑顔で圧をかければ。
すると2人はすぐに掌をくるりと翻して首をブンブンと横に振る。

「いや。滅相もない」
「ヒロミが作ったのなら食べるよ」
「よろしい^^」

私は圧を抑えてニッコリと笑う。そうしてさっさと焚火を作って調理を開始する。
2人には、あれこれお願いと雑用を指示する。馬から括りつけた荷物を持ってきてくれた。
ユーリとフレンは黙って従ってくれる。何、私の言うことなら聞くの?変なの。
2人が黙って従っているのも、私に嫌われたくないから、
ポイント稼ぎだと、つゆ知らずにいる私だった。

用意していた下処理してあるの野菜ケースを取り、干し肉と一緒に煮込み、味噌を溶かす。
私はこれでも様々な香辛料を持ち歩いている。その中で豚汁に合う香辛料を少し足す。
…うん。いい感じ。これなら2人とも食べてくれるかしら?

「フレン、ユーリ、ご飯食べよー」
「へ?豚汁…!?」
「旅で豚汁なんて滅多に食べられないよ。君、いつの間に野菜や味噌を?」
「予め切って持ってきてた。下処理は面倒だからね」
「成程。手間を省くのは合理的だ。いいね。豚汁は大好物なんだ^^」

なんかフレンに褒められた。へぇ大好物なんだ。
2人はもちろん美味しいと言ってくれた。やった!


夕飯を食べ終え、2人は湖で身体を拭くために服を脱ぎだした。

「ちょっ、脱ぐ前に言いなさいよっ!(///)」
「あ。悪ぃ」
「ごめん」

私は慌てて後ろを向く。チラッと見えてしまった。
2人とも体躯、鍛えてるのね。ドキドキと心臓がうるさい。

私も身体拭くためにタオル用意しとこ。荷物を漁りタオルを取り出す。
2人の方を見ないようにしながら、湖でタオルを浸し絞る。

「私、あっちで拭いてくるから。後でね」

2人の返事が聞こえ、私は草葉の物陰で服を脱ぐ。
下着も取り払い、冷たいタオルで体を拭いていく。

(あー。気持ちいい。一日の汗が取れてくわー)

ふんふんと鼻歌を歌って拭いていたら。近くでガサッと音がした。気配も感じる。
この気配、魔物だ…!しまった、剣はユーリとフレンの方に置いてきてしまった。

「…っ!」

マズイ、魔物が私を捕捉した…!襲われる!!

「詠唱破棄!フレイムドライブ!!」

ドガーンッ!

魔核の一瞬の熱が過ぎ去り。3つの大きな火球が魔物に向かって狂いなく命中。
んー。やっぱ詠唱破棄すると、威力が落ちるわね。
まあ下級魔物だったのだろう、吹っ飛んですぐ消えたし。さ、拭く続きを…。

「魔物かっ!!」
「大丈夫かっ!ヒロミ!」

あ。ユーリとフレンが剣を持って駆け付けた。咄嗟に拭いていたタオルで魔導器を隠す。
2人とも下は穿いてるけど上半身は裸。いやーいい胸板っすねぇ。
2人は固まってる。私も一瞬、固まったけど。

「‥‥‥。」
「‥‥‥。」
「‥‥‥。」

って。私も裸だったわ。私はさりげなく後ろを向く。あーあ。バッチリ見られたわ。
いくら初恋の2人でも全裸をじーっと見られるのはいい気がしない。それとこれは別だ。

「……いつまで見てるの。フレン、ユーリ。ぶっ殺すわよ」

私が不機嫌な声と視線で言い、また首元を拭き始めたのを機に。

「うわああっ!(///)」
「うおおっ!」

フレンはユーリの腕を引っ掴み、その場から逃走した。うん。いい反応ですこと。
フレンは目を背けてたけど、ユーリは最後までバッチリ見てた。
あんの野郎。無関心な振りしてドスケベだったとは。
私は溜息を吐き、服を着直す。ラッキースケベにも程があるでしょ。あの2人。

で。私が着替え戻れば。2人して寝床を用意してくれていたのはいいんだけど。
ユーリとフレン、仲が悪かったのに、なぜか布団をくっつけて、私のだけ離れたとこ。
そして2人とも布団の上で正座して待機していた。

怒られると思っているのだろうか。
私が2人の前まで歩み寄り。ぴたりと止まれば。フレンの肩がぎくりと跳ねる。
そして、私が何か言い出す前に。

「ヒロミ、ごめん!僕は許されない事をした!!」

うわぁー見事な土下座だ。てか不可抗力だし?
ユーリを見てみなさいよ。謝る気なんて0よ?
むしろラッキーって思ってるでしょ。まあ今回は事故だし。
そんなに自分を責めなくてもいいと思うけどね。
私はフレンの前に来てしゃがむ。よしよしと頭を撫でる。彼を落ち着かせなきゃ。

「フレン、頭を上げて。今回は事故だったんだし。2人は助けようと駆け付けてくれたんでしょ?」
「で、でも…」
「いいから。早く忘れてくださいな。私はお互い気まずいのは嫌だよ?」
「…ああ。わかった」

よしよし。なでなで。フレンを落ち着かせている間、ユーリの方を見ると。
彼の目線が、なぜか私の脚元…ううん。それより上…って。この期に及んで!

「……白、ねぇ」
「ユーリはいっぺん死んできなさいっ!!」
「ぐはっ!」

ユーリに思いっきりチョップをかました。まったく反省の無い、えっちな青年ですこと。

私は溜息を吐き、布団を2人に近づける。それに慌てたのは2人の方だ。

「なっ、何で布団を近づけんだよ!せっかく離したのに意味ねぇじゃねえか!」
「そうだよっ!君はもう少し危険というものを…!」
「2人とも何言ってんの?魔物が来たらすぐに対処できるようにしなきゃ意味ないじゃない」
「があああっ!ダメだこりゃ。もうオレ知らんからな。おいフレン、おまえそっち側な」
「なっ!?どうして僕が!これじゃあ寝れないじゃないか!!」
「知るか!暴発すんだよ、こっちは!おまえは根性でなんとかしろ」
「ずるいぞユーリ!君だけ楽な道、選ぶのか!」

また喧嘩が始まった。いったい何のことで喧嘩してるんだ。
するとブチリ、とフレンからキレた音が聞こえたような気がした。いや気のせいじゃない。
フレンは自分の布団をユーリから離し、一人分のスペースを作ると。
私の布団をそこに放り込んだ。それにはユーリも私も唖然とした。

「これで解決だ。ユーリ。君だけ楽な道に逃がさないからな」

えーと。つまり、私は2人に挟まれて寝ろ、と?なんて拷問だ。
全裸を見られた次は、2人に挟まれて寝るとか。心臓を壊す気?フレン。
しかしフレンは焚火を消すと、さっさと布団に入って横になってしまう。

「おやすみ、ヒロミ」

え。私にだけ?というか、自己完結しちゃった。…マジか。
するとユーリも布団に入って横になる。ちょうどフレンに背を向ける感じだ。

「おやすみ、ヒロミ」

ちょ、ちょっと。勝手に…もおおおお!この2人は!!
私もやけくそだ。2人に寝る挨拶をすればいいんでしょ。
私は布団の上に乗り上げると、まずは横になってるフレンの耳元に囁く。

「……おやすみ、フレン」
「っ!」

びくっとフレンの肩が跳ねた。さーて次はっと。反対側のユーリにっと。

「……おやすみ、ユーリ」
「っ!」

びくっとユーリの肩が跳ねた。2人して同じ反応。変なの。
さて、寝るか。2人を意識するな。眠気に全力投球しろ。

「ふぁ~あ。うぅん…Zzz」


「……おい。生きてるか」
「なんとか」
「ったく。こいつ、てんでオレらのこと全っ然、気付いてねえぞ」
「はぁ~~~~。ダメだ、脳裏にチラつく…とても寝れないよ」
「ははっ。けっこーでけぇよな。こいつの胸」
「ユーリっ!」
「しーっ。こいつが起きるだろ」
「うぐ。本当に何て日だ今日は」
「おまえが、こういう寝方にしたんだろ。諦めろ」
「…ダメだ。やっぱダメだ。僕はちょっと頭冷やしに行ってくる」
「おー。ついでに抜いてこい」
「ユーリ。君ってヤツは…いいか。彼女に何かしてみろ。殺すからな」
「はいはい。何もしねえって。オレもこいつに嫌われたくねえからな」
「…すぐ戻る」
「…はぁ。オレらのこと、つゆ知らず。ぐ~すか眠りやがって」
「うぅん。むにゅぅ」
「はは。このバカ面を見たら襲う気なんて起きねえわ。可愛いお姫様」



5

何やかんやあって、翌日。
朝、眼を覚ましたら…なんと2人して私を抱き締めて寝ていた。
いったい何があって、どういうこと?心臓がバクバクとうるさい。

「ん…」
「んぅ」

ひっ…!両耳に2人の吐息が!とても耐えられない!!
私は顔から火が出るくらい赤くして、なんとかユーリとフレンの腕から抜け出す。
はぁはぁ。なんてインパクトの暴力だ。昨日に引き続き、こんなんじゃ私の身が持たない!

私は自分の布団を片付け、さっさと馬に括りつける。
湖で顔を洗うと、湖の辺りに食べられる薬草があった。
これは干し肉と相性がいいものだ。私はナイフを使ってある程度、採取する。

そして戻り、まだ寝ている2人の寝顔をじーっと見つめる。
…こうしてみると、ユーリもフレンも寝顔は可愛いというか、あどけなさが残ってる。
しかし。いつまでも見ている訳にもいかない。さっさと起こさなければ。

まずは、ユーリから。すぐ隣に行って、ゆさゆさと揺する。

「ねー、ユーリ。起きて。朝だよぉ~」
「う、ぅん。…うっ、せぇ…」
「起きないわ。案外、寝汚いわね、ユーリ」
「ねぇねぇねぇ!ユーリったら!おーきーてー!」
「うー…。んだよ…もうちょい、寝かせろ…」
「きゃっ!」

ユーリに捕まって、布団の中に引きずり込まれる。そのまま抱き枕にされた。

「ちょっ!なんっつー力なの。ユーリ!ユーリったら!」
「んぅ。すかー。Zzzz」

だめだ。こりゃ。こうなれば、奥の手。ユーリの両脇に手を持っていき。

「こしょこしょこしょこしょこしょこしょ」
「…ん。んふ、ふは、はははははっ」

可愛い寝顔から大爆笑。ユーリったら笑うとこんな笑顔になるのね。
ユーリは一気に目を覚まし、ガバッと起き上がった。…私を抱きしめたまま。

「おはよう。ユーリ。さっさと放してくれない?」
「…っ!!!なんで、おまえがオレの布団にっ」
「貴方が抱き枕にしたんじゃない。いい加減に放して」
「…あ。悪ぃ。つか、マジでオレが…?」
「寝ぼけるのも大概にして」

スコーンとユーリの額を小突く。そして、お次はフレン。
彼の身体を揺すって呼びかける。

「フレン。起きて。朝よ」
「う、ん…朝?」
「そ。朝だから」
「うん。んー」

ガバッと起きて。ボーッとしてる。もしかして寝ぼけてる?

「フレン?」
「起きてるよ。うん起きてる」
「…ほんとに?」

目の前で手をひらひらさせて。その手をがしりと掴まれた。
あ。既視感。そのまま引きずり込まれるかと思ったけど、違うみたい。
ボーッとして。その手を見ている。…フレン?

「…可愛い手だな (かぷ)」
「っっ!!?」
「おまっ!何やってんだ!!!」

ユーリの怒鳴り声と、フレンの頭にごすっ!と拳骨が。うわ痛そう…。
けどフレンに指を甘噛みされるなんて。ちょっと…この2人、手に負えない…!
殴られた衝撃で、手が解放されたのはいいけど、指先が熱い。
フレンの歯と舌の感触が、もろに伝わって。に、肉食系、恐るべし!

「痛っ!何するんだ、ユーリ!!」
「てめぇがヒロミにセクハラしたからだろ!」
「僕が?あり得ない…っ」
「二人とも大概だけどね!寝ぼけるのもいい加減にして頂戴!」
「お、おう…すまん」
「ご、ごめん…」

朝っぱらから。こんなんじゃあと2日、身が持つのか。
私がピシャリと雷を落とすと2人は反射的に謝ってきた。私は溜息を吐いた。

「とにかく。朝ご飯作るから2人とも、さっさと顔を洗ってきなさい」
「おう」
「わかった」

2人は布団を片付け馬に括りつけると、顔を洗う。
私はその間に焚火を熾して朝食を作る。まったく世話の焼ける2人だ。

「どれ。味見。んー、使うならこれね」

取り出したのは、小さな小瓶に入った「乾燥させたローリエ」か、
あるいは「潰した一粒のニンニク」。

それを放り込むと、単調だった干し肉の匂いが一変する。
立ち上る湯気が、鼻腔をくすぐる食欲をそそる香りに化けた。

もう一度味見。……うん。朝食にしてはいい感じね。
肉の旨味が溶け出したスープに、薬草の爽やかな苦味がアクセントになって、
胃袋が静かに目を覚ますのがわかる。

「ユーリ、フレン。スープ出来たよ」
「お。いい匂いだな」
「え。この香り、干し肉だけじゃ出せないはずじゃあ…」
「フレン正解。食べられる薬草見つけたから取ってきた。
それと香辛料入ってるからね」
「……マジか。ヒロミと一緒に居りゃあ料理に困らねえぞ」
「御飯係だからね。なるべく侘しくないように温かい食事にしたいじゃない」
「ヒロミ…ありがとう」
「いえいえ。さぁ冷めないうちに食べましょ」

御飯が固いパンとか、干し肉を齧るだけなんて健康に悪いわよ。

2人の分をスープをよそってやり、私も自分の分をよそう。3人で頂きますをして食べる。
焚き火の端で少し炙っておいた、石のように固いパン。
それをスープに浸すと、じゅわっと琥珀色の汁を吸い込んで、指先に重みが伝わる。
口に運べば、小麦の香ばしさと肉の塩気が混ざり合って、喉を通るたびに体の芯から温まっていく。

「……ふぅ。これなら今日も、次のポイントまでいけそうね」

そうして3人でご飯を食べ終え、後片付けをして、すぐに出立する。

馬をあまり飛ばし過ぎるのも良くないので、歩きでカポカポと進んでいく。
昼前に丁度、旅人用の水汲み場があったので、そこで水を汲んで休憩。
馬に水を与え、私たちも昼休憩ながら、昼御飯。今回は簡素に済ませて先を急ぐ。

昼間通る中で、樹齢何年だろうと思わせるノッポな木が連なる道を通る。
木々の間から陽の光が眩しい。

さらに進んで、大きな大瀑布が虹を作っている。
そこの崖路の坂を駆け上がり、どんどん進んでいくと平坦な街道に出た。
今は誰も通ってないみたいね。

やがて、また夕刻になり、暗くなる前に街道沿いの地面で馬を下りる。
馬の鞍を外し、馬を休息させてやる。よしよし。なでなで。馬が嬉しそうに鳴いた。
今回は湖や水汲み場がないので、夕飯のスープは何個か水筒に汲んでおいた水を使う。
私が夕食の材料の用意をしている間に、2人が焚火を熾してくれた。ありがたい。
スープは今朝のと同じだが、3人分のパンの上に焼いたチーズを乗せてやる。

「ち、チーズまで…。おまえ、どんだけ用意がいいんだ。水筒とかよ」
「備えあれば憂いなしってね。わはー。いい匂い~^^」
「ヒロミと旅してると、美味しい食事が食べられるのはありがたいな」
「はい。ユーリ、フレン、焼けたよ~」
「ありがとう」「サンキュ」

早速かぶりつく。
びよーんと伸びるチーズと、こんがりとした香ばしさに目を細める。

「ん~。うまっ!うまぁ~っ^^」

もぐもぐと噛み締め、スープで喉を潤す。はぁ、温かい食事って幸せ。

2人も黙々と食べ進めてる。
よっぽどチーズが美味しいのか、頬が膨らんでる。ぷっ!リスみたい。
2人の頬張って食べてる姿が可愛くて、私はニコニコと食事を食べるのだった。

さて。肝心の寝る時間なのだが。
昨日フレンがキレて、あの川の字にしたんだっけ。面倒だから同じでいいわね。
2人は溜息を吐いてたけど諦めてるみたい。私は布団を持ってきて真ん中に敷く。
私はとっとと布団に入ってユーリとフレンに「おやすみ」と言って寝てしまう。

「こいつもマイペースだよな。オレらの気持ちも知らねぇで」
「さっさと寝てしまえばいい。余計なこと考えるから寝れなくなるんだ」
「うぅん。ふふ…フレン…ユーリ…おいで…おいで…」
「……。」
「……。」
「ふふ、ふふふ…あったかぁい…フレぇン~、ユぅリぃ~」
「こ、今度は寝言か!こんなの眠れない!」
「舌っ足らずで呼ばれる破壊力マジかよ!」

2人は頭を抱えながら布団に潜ったのだった。どんな苦行だよ!と思いながら。


「んっ…眩し…」

翌朝。意識が少しずつ覚醒し始めたフレン。
今回は寝ぼけずに目を覚ませたようである。
しかし胸元からいい香りと温かい感触に違和感を感じて、ふと胸元を見れば。

「すぅ、すぅ…んん、むにゃ」
「っつ!!?」

完全に意識が覚醒した。

「(な、なんで自分の布団にヒロミが!?というか何で僕にしがみ付いて…!?)」

そう。
真ん中で寝ていたはずのヒロミがフレンの布団に潜りこみ、
あまつさえフレンの身体に身を寄せて、いや抱き着いて寝ていた。
これには流石のフレンも度肝を抜き、固まった。いや困った。

これはヒロミを起こした方がいいのか。
しかし気持ち良さそうに寝ている。寝顔が可愛い。癒される…いや駄目だ!
胸に当たってる、むにょんとした感触は考えないようにしないと。暴発する。
ここは心を鬼にしないと。そも恋人前の男女が同じ布団に寝るなど言語道断だ。

「ヒロミ。ヒロミ、朝だよ。起きるんだ」
「う、うぅん…」

フレンはヒロミを肩を揺するが、ヒロミはさらにぎゅっと抱き締めてきた。
むにっと胸の柔らかさが、さらにダイレクトに伝わってくる。

「あと…5分…だけ…(ぎゅう)」

さらに足まで絡ませてきた。スカートの太腿に目が行ってしまう。
やばい。フレンは窮地に陥った。
思いっきし引き剥がしに掛かるが、完全にホールドされている。
ヒロミは無意識だと、こんな馬鹿力になるのか!手に負えない!

「か、勘弁してくれ…っ!おい、ユーリっ!」
「ん、んん…んだよ。うっせぇ…な」
「助けてくれ!ヒロミを引きはがしてくれ…!」
「っ!おいおいおい。今度はヒロミかよっ」

フレンの訴えはユーリの耳に届いた。
ユーリは不機嫌ながらも目を覚ますが、
フレンの必死に引き剥がしに掛かってる姿に完全に目を覚ます。

「オレらも大概だがヒロミもだよな。どれ、よっこらせっと」

ヒロミの腰を持ち、グッと引き剥がしに掛かるが。…離れない。

「すっげ。なんつー馬鹿力だよ。フレン、せーので」
「ああ。せーっの!」
「っし!う、うわっ!」
「ユーリっ!?」

あまりに勢いがよすぎた反動で、ユーリとヒロミがヒロミの布団の方へ引っ繰り返る。
ユーリの上に乗り上げる形ですっ転んだヒロミだが、まだ目を覚まさない。
ヒロミは今度はユーリの首元に腕を回して、くぅくぅ寝ている。

ユーリは唖然とする。
ユーリの胸元にもヒロミの胸の感触と香りがダイレクトに伝わり、一気にブチリと切れる。

「てめぇも人のこと言えねえじゃねーか!」

ユーリは思い切りヒロミの両頬を抓る。そして、びょーんと引っ張る。

「っ、ぅ…ひた、い…う、ぅん…。…ん?ユーリ…?」
「おー起きたか。おはようさん」
「んー。うん。おはよう」
「で、どいて欲しんだが?」
「? …っ!!? ごっ、ごめんなさい!!!」

至近距離で、しかも首に腕も回していることに気付いたヒロミ。
馬乗りになっていたことも相俟って、顔を真っ赤にさせてバッと離れる。

「おまえフレンにも謝っとけよ。オレの前に絡んでたぞ」
「えええええ!?」
「は、ははは…」

フレンは遠い目をした。今朝は今朝で騒動は起こったのであった。

3人で布団を片付け、馬に括りつける。2人が火を熾してくれた。
そして数個ある水筒の水を使い切ってスープを作る。
この先には確か吸水ポイントがあったはずだ。
チーズも使い切るためにパンを焙ってチーズを蕩けさせる。

「はい、出来たよ。次は吸水ポイントに急ぐよ。お馬さん喉が渇いてるみたいだから」
「わかった。ありがとう。頂くよ」
「ああ。サンキュ。頂きます」

3人で朝食を済ませて。片付けてすぐに馬に跨る。もう少しだけ頑張って、と撫でる。
馬も分かっているようで、ぶるると鳴き返す。賢い子だ。
もう一度撫でてから、脚で腹をポンと軽く蹴る。するとパカラパカラッと走り出す。
今日も晴天に恵まれて良かった。朝の空気が美味しい。

1時間走らせて、ようやく見えてきた吸水ポイント。
私たちは馬から降りて、馬に水を飲ませる。すごい勢いで飲んでる。
よっぽと喉が渇いてたのね。ありがとう。頑張ってくれて。
私たちも水筒に水を汲む。奥は小さい滝になっているので、どうせならそっちで汲むことにする。
うん、これならシゾンタニアまで持ちそうね。少しの休息を挟んで、私たちはまた馬を走らせた。

パカラッ、パカラッ。

風が涼しいわね。もうすぐで着きそうな予感がする。
…あ。あっちは崖先になってる。ちょっと寄って行こう。
馬をそっちに走らせて、崖先ギリギリまで寄る。

すると見えたのは。

大きな結界魔導器に護られた、低い崖上に街並みが広がっている。

「…あれがシゾンタニアね」

すると私のすぐ後ろで2人もシゾンタニアを眺めている。
この2日と少し。なかなか濃い旅路であった。
崖先から眺めるのをやめ、私たちは下りの道へと馬を走らせる。
下った先には舗装された道があり、私たちはその先にある橋へと馬を歩かせる。

「やっと着いたね。お疲れ様、フレン、ユーリ」
「ああ。君のお陰で食事に困らない旅路ができたよ。ありがとう」
「いやー色々あったわ。とくにヒロミの…」
「ユーリ。それ以上言ったらその口、縫いつけるからね」
「おー怖っ。へいへい」

3人でシゾンタニアの領内に入る。これから暫くはここでお世話になります。

 

 

騎士時代編(劇場版ルート)2


6

そして時はフレンとユーリが初陣を飾り終わった時に戻り。
やっとホッとできるかと思いきや。

初陣の喧騒が収まり、硝煙と土埃の匂いが鼻をつく。
張り詰めていた空気が緩み、ふっと肩の力を抜いた……その瞬間だった。

「ユーリ!!」

鼓膜を突き刺すような鋭い声。案の定、フレンが血相を変えてユーリに詰め寄る。

「何だよ、耳元で喚くな。戦いはもう終わっただろ」
「終わっていない! なぜ作戦通りに行動しなかった!?」
「結果、被害ゼロで勝った。それでいいじゃねえか」

鼻を鳴らすユーリに、フレンの額に青筋が浮かぶ。

生真面目なフレンにとって、ユーリの「結果オーライ」は、
規律を乱す何よりも許しがたい行為なのだ。

「勝手な行動で失敗したら、みんなが巻き添えを食うんだ!
君一人の命じゃないんだぞ!」

「いちいち、うるせぇんだよ。細けぇんだよ、おまえは!
堅苦しい教科書通りに戦場が動くと思ってんのか!?」

「いい加減なんだよ、ユーリは!!」

また始まった。この二人の言い合いは、配属されてから数えてもう何度目だろう。
私はこめかみを押さえ、深いため息を吐く。

「ちょっと二人とも、そのくらいに。抑えないと、隊長の『雷』が――」

落ちるぞ。
そう忠告しようとしたが、背後に立ち上がった巨大な影に気づくのが一秒遅かった。

――ガン! ゴン!!

鈍い衝撃音が二つ重なり、ユーリとフレンが「あぐっ……!」と悶絶して頭を抱え込む。
あーあ、痛そう。

「えーい! 勝利の余韻も台無しだ! うるせぇうるせぇ!
吠える元気があるなら、とっとと戦場(あと)片付けに行って来ぉい!!」

怒髪天を突く隊長の怒声に、二人は火が付いたように飛び上がった。

「……はい」
「……チッ」

不承不承ながらも、二人はそれぞれ歩き出す。だが、その背中はまだ火花を散らしている。

「おい、おまえのせいで殴られたじゃんか! たんこぶできたらどうしてくれんだ!」
「自業自得だ! もともとユーリが勝手をしたせいだろ!」
「「うるさぁぁぁい!!」」

ついに、後ろで控えていた双子までが限界を迎え、声を揃えて怒鳴り散らした。
初陣の疲れも吹き飛ぶような騒がしさに、私は「先が思いやられる」と天を仰ぐしかなかった。
はぁ。まったく。懲りないのか、あの2人は。

隊長はキセルと取り出し、魔導器で火を点ける。
私はふと気配を感じて、そちらを向く。

「あ。ユルギス」
「隊長、ヒロミ」

副官のユルギスが指先で奥へと示す。私は頷いて隊長とユルギスと一緒に奥へと向かう。
すると向かった先で、ランバートが鋭い唸り声と眼光で先を見据えていた。
辿り着いた先は、草木が全部枯れ果てて、落ち葉が散り積もっていた。

(…これは。辺り一帯に…)

私の野性の勘が動く。首の後ろがチリチリとする。私は首の後ろを手で撫で擦る。

「ヒロミの勘がえらく動いているみたいだな」
「うん…。これ普通じゃないよ、ユルギス」

ユルギスに言われ私は頷いた。それはランバートも感じているようで。
ナイレン隊は、ランバートと私の野生の勘で、見えない“何か”を感じ取り、逸早く察する。

「…ランバート」

隊長は唸るランバートの傍に寄り、跪いてランバートの背に手を置く。
そして、地面の落ち葉を拾い上げる。

「ずいぶんと紅葉が街に近づいてますね」
「うぅむ」

隊長は同意し、立ち上がり、奥を見据える。黄緑の粒子がふわふわと空中に舞っている。

「エアル…」
「そうだ…この感じ。エアルだ。首がひりつく感じ。眼に見えるなんて。濃度が上がってる…?」
「ヒロミとランバートで答えが近付いたな。今夜は一旦、撤収するぞ」
「承知いたしました」
「かしこまりました」

隊長の言葉に、私とユルギスは頷く。
気になるけど、焦ってはダメだ。今夜は答えが近付いただけでも収穫だ。



7

街の崖下にある、ナイレン隊が駐屯する屋敷。

そこで隊長を始め、私たちナイレン隊のメンバーや、それに属する人たちが住んでいる。
どうやら部屋は相部屋らしく、ユーリはフレンと。ヒスカはシャスティルと。
女子が3人しかいないので、私は都合上、一人部屋を使う事となった。
後から来て、なんか申し訳ない気分だ。

その日も、私は朝早く起きて、双子の部屋を訪ねる。
双子と弟子たちが見回りに出る時は私もなるべく一緒に行くようにしてる。
これも隊長の命令だ。双子でもカバーできない時、私がフォローに回れだってさ。
私は双子部屋のドアをノックする。

「ヒスカ。シャス。おはよう。そろそろ行こう」

すると双子はもう用意が終わってるみたいで、すぐドアを開けて出てきた。

「おはよー、ヒロミ。相変わらず朝早いね」
「おはよう、ヒロミ。今日もよろしくね」
「おはよう2人とも。ええ。見回り頑張りましょう」

そうして女子3人でユーリとフレンの部屋に来たのだが…。


ユーリとフレンの部屋にて。
早速、その日も朝から2人の様子、性格が顕著に表れているようである。

フレンは早起きして、乱れたベッドシーツなどをしっかり直し、
別のところでビシッと着替え、襟元と籠手具合を正している。
部屋に戻りドアを開ければ。フレンの足元、床には水零しが点々と。
これにフレンは性格が災いし、イラッとユーリを見つめる。

対してユーリは遅れて起きるが、ベッドは乱れたまま。
ベッドの隣は物が山と積み上がり、未だ着替えず窓際の椅子に腰かけている。
机の上にある器に盛られたグミを手に取り口に放り、もぐもぐ頬張りながら外を見ている。

「いつまで、そんな恰好をしているんだ」
「ちょっとくらい大丈夫だよ。細かいなぁ。おまえは」

そう言いユーリは手にあるグミをまた口に放り込む。

「それと床!」
「いちいち、うるせぇなぁ」

うんざり、という風にユーリは辟易とする。

「あー。そうだなオレ、おまえと赴任先が同じ、部屋も同じ。嫌がらせだぜ、きっと」
「それは、こっちの台詞だ!何度も言うが、なんで君が騎士団に…!」


そう。ユーリとフレンの部屋に来たのはいいのだが…。

「入るわよ?」

ヒスカがノックもなく、いきなりドアを開ける。
ちょっ!仮にも男子の部屋をノックも無しに入るとは。さすが指導係。

「何やってるのよ。時間でしょ!」
「すみません…」

本当に、部屋の乱れは心の乱れ…というか、ユーリの性格そのものね。
脱ぎっぱなしの服、読みかけの本、転がったままの小物――。
これじゃ、騎士団の規律を絵に描いたようなフレンとは正反対。

ユーリ、まだ着替えてないの? 集合時間はとうに過ぎてるわよ。
時間にルーズなのもいい加減にしなさいな。

フレンも大変そう。正義感の強さと同じくらい、ため息の数も増えてるんじゃない?
貴方のその「なんとかなるさ」っていうマイペースさに振り回されて、
フレン、いつか本当に頭を抱え込んじゃうわよ。

「急げー」
「ユーリ、早く早く」

シャスティルと私で急かす。
もう~。見てごらんなさいよ、パン屋の煙突からはもう煙が上がってるし。
市場には荷馬車がどんどん運び込まれてる。

街がこうして「おはよう」って動き出している時に、
私たち騎士がまだ夢の中にいるなんて許されないわ。

私たちの仕事は、ただ剣を振るうことじゃないのよ、ユーリ。
街の皆が安心して一日を始められるように、その背中を朝一番の光と一緒に見守ること。
…ね?そう考えたら、なんだか背筋が伸びてくるでしょ?
シャスティルをこれ以上待たせたら、彼女の「真面目モード」な説教がもっと長くなっちゃうんだから!


5人でシゾンタニア内を見回りする。ここに来て1ヵ月、街並みには活気がない。
店だったり、家だったり、出入りできるところに鉄格子がされてるところもあり。
軒並み、やはりエアルの異常や魔物のせいで、人々が少なくなってきているのだろう。

「たった一月(ひとつき)で、こんなに寂れるなんて」
「魔物が出たせいで商売あがったりね」

すると前から、副官のユルギスとメンバーのエルヴィン、軍犬ランバートが歩いてくる。

「遅ぇーよ」
「クリスを残してるから引き継ぎを頼む」
「「はい」」
「ユーリ。昨日みたいに一人で突っ走んなよ」

と、エルヴィンの言葉にユーリは不満そうだ。
互いに擦れ違い、エルヴィンたちが去ろうという時にユーリがすかざず後を追おうとする。

「てめっ!待てこら!」

それを私たち全員でユーリを抑えに掛かり、ユーリは足をブンブンと空中を蹴る。
もう。ユーリったら沸点低いわよ。

「あんたねえ、いちいち問題 起こすのやめてくれる?」
「ユーリは人気者ですから」
「うるせ!お前の嫌味は聞き飽きた」

するとユーリの足元にラピートが来て、彼にスリスリと懐いてくる。可愛い。
だけどユーリは溜息を吐いて鬱陶しそうに足でどける。ラピートはめげずに擦り寄ってくる。

「はぁ。こいつ邪魔だな」
「ラピートの世話係なんだからいいじゃん」

唐突にユーリがヒスカに言う。

「な、魔術、見せてくれよ」
「はあ?今、必要ないでしょ?」
「昨日、ヒロミに押し付けられて見えなかったんだよ」

そこを、おっぱいと言わないあたり、ヒスカの沸点を分かってるわね、ユーリ。

「新米じゃあ支給してくんねえし」
「あんたは一生無理かもよ」

ヒスカがズバッと切って捨てた。

一方、フレンとシャスティル組。シャスティルはボタンを押しながら扉を閉めている。
上から木の扉が下りてきている。

「フレンはコネ使えば早いかもよ。お父様、騎士だったんでしょ」
「実力で手に入れますよ」
「ふふっ」

そっか。フレンのお父様も騎士だったんだ。私のお義兄ちゃんみたいに。
でもフレンはなんだか複雑そう。
私の勘だと、フレンは父に対して何か―そう、憎しみに近い感情があるような…?
あまり、この話題はフレンには避けた方が良さそうね。フレンには笑顔でいてもらいたいもの。

「勉強のために見せてくれよ」
「まずはその口の利き方を直しなさいよ」
「見・せ・て・く・れ・よ」

ユーリが直立不動で言うが。全然、敬語じゃない。ほらヒスカが怒る。

「バカにしてんの!?」

5人で外に出ると、ヒスカが魔導器を使い空中へ攻撃魔術を使う。
…が。ひゅるるる、とひとつの光は緩いブレとなって空中でパンッと弾くだけで終わった。

「しょぼっ!レベル低っ」
「あたしらは回復と防御系が得意なの!」
「はは…」

ユーリの微妙な顔に、ヒスカはムッとする。

「シャスティル!」

ヒスカが姉を呼ぶと、シャスティルはヒスカの隣に歩み寄る。
シャスティルはヒスカの魔導器の魔核に手を添えてから、手首に手を置く。
するとヒスカの魔導器の魔核から緑の光が灯る。双子の目線は空中にある緑のブレだ。

「いい?魔導器ってのは、こういう使い方もできるのよ」

双子から淡い光が発光し、魔導器を空中に向けると、魔導器から光が迸る。
緑光が勢いよく照射し、空中のブレに当たると、さらに大きな音ともに緑光が淡く爆散する。
これは防御系を応用した、攻撃魔術なんだよね。すごいよ。

「おおー」

パチパチと拍手するユーリだが。すぐに私の方に振り返る。

「な。ヒロミのも見せてくれよ。魔術、使えんだろ?」
「え?」
「ほら。“あの時”爆発音が聞こえたから魔物に襲われて撃退したんだろ?剣なかったぜ」
「ああ。“あの時”ね」
「ごちそーさん♪」
「ユーリ!!!」

ニヤリと笑うユーリと、顔を真っ赤にして怒鳴るフレンに。

「へぇ。忘れてって言ったよね。…ユーリ、フレン。
丸焼き、水に溺れる、風に切り裂かれる、土での圧死、
光に貫かれる、闇で塵になる、どれがお好み?」

「「!?」」

私の笑顔の圧と、お仕置きのラインナップに目を見開く。

「ヒロミは俊足の他に魔術のエキスパートでもあるの。
全属性、回復、防御攻撃アップ補助も使えるのよ」

「あんたたち、ヒロミに何したの?」

双子のジト目にも、ユーリとフレンは首を横にぶんぶんと振る。
うふ。と笑い、私は手からブン、と三つの光弾を生み出す。それに皆は目を見開く。

「詠唱破棄、デルタレイ」

そのまま手を上に掲げ、三つの光弾はそれぞれ踊り狂い、やがて空中で爆散した。
白光の煌めきが空中でキラキラと輝く。綺麗な光だが、これも立派な下位の魔術だ。

「ふぇ~久々に見た。ヒロミの魔術」
「詠唱破棄してるから、威力ないけどね」
「それでも、あれだけの威力すごい。初めて見たよ光魔術」
「オレもだ。きれいだなぁ」
「当たったら火傷するわよ。痛いわよー?ユーリ、フレン、試してみる?」
「「滅相もないっ!」」

また2人して首を横で振る。ふふ、息ぴったり。なら早く忘れてちょうだい。

「何やってんだ、危ねえな」

げっ!隊長の声が聞こえた。戻ってきたんだ。あちゃー怒られる。
隊長とランバートが歩み寄り、私たちの数メートル先で止まる。

「う!隊長。どうした、んですか…」
「森の様子を見てきた。固まってないで巡回行って来ぉい!」
「「はい…」」
「はぁーい」

ラピートは父のランバートに駆け寄る。お帰りって言ってるのかな。可愛い。

隊長とランバート、私たち5人は街に出る。
すると早速、隊長さんの話し掛ける男性がいた。

「ああ。隊長さん、これ持ってって。
森で狩りができないから、大したもん出来ないけどね」

街人の男性は隊長に水色の包み(お弁当かな?)を渡した。
ランバートは、それ何?と顔を上げて包みの匂いを鼻でクンクンしている。

「すまんな。なるべく早く森へ行けるようにすっから」

ユーリとフレンは、隊長と街人が話す姿にポカンとしているようだ。
ナイレン隊長は私が赴任してきた時から、こういう人だよ?
お義兄ちゃんみたいに、フレンドリーで市井に寄り添った騎士様だもん。
隊長は私たちに振り返った。

「ガリスタんとこ行ってくる。後を頼んだぞ」

ガリスタ軍師ねえ…。
あの人、会った時から生理的に受け付けないというか…。
私の勘だと、危険な臭いがするような気が…。その事、隊長に言ったら叱られたっけ。
まだ赴任してからすぐだったし、隊長も私の勘を信じるまでは信頼が足りなかった。
でも、思ったよりガリスタ軍師は何もしてないというか。この1年以上、怪しい動きがない。

(…やっぱり私の勘違いか?でもなぁ…なんか引っ掛かるというか)

はぁ。と心で溜息を吐いていたら。
後を頼んだぞ、の隊長の言葉にフレンは返事をし。ユーリは呼び止める。

「はい」
「ああ。隊長っ。ラピート連れてってくれよ。邪魔なんだよぉ」

心底、困ったようなユーリの言葉に、隊長は察したのか。視線を下に向ける。

「ランバート」

ラピートの父であるランバートに呼びかける。
ランバートはこっちに来てラピートの首根っこを銜えると隊長の方へと行ってしまった。

「じゃあな」
「ああ」

隊長は街の男性と別れ、ランバートともに行ってしまう。

「隊長~。頼まれてたやつ出来たよ~!」

すると今度は家の上の窓から、街のおばさんが下にいる隊長へと声をかける。

「おう。投げてくれ」

おばさんは紙袋を隊長に投げて渡した。隊長、ナイスキャッチ。

「あんがとな」

街の人とナイレン隊長の姿に、意外そうに見つめている新米2人。

「仲良くやってんな。帝都にいる騎士団じゃ考えられねえ」

すると、さっき隊長と話していた街の男性が説明してくれた。

「小さい街だからねえ。協力しないとやってけないのさ。
ま、あの人が騎士団の隊長っぽくないのがあるけどね」

「早く森に行けるように、なんて安請け合いし過ぎです」

フレン…。彼の性格からしたら、慎重さが足りないと言いたいんだろう。
それが彼の美徳なんだろうけど。フレンはひとり、さっさと行っちゃった。
残された私たちは微妙な空気になる。

「もう。フレンったら…」



屋敷にある書庫でガリスタは書き物をしていた。
そこにノックも無しにバンッとドアを開けるナイレン。

「ガリスター!」

中にずかずかと入ってきたナイレンにもガリスタは嫌な顔を見せずに迎えた。

「フェドロック隊長」
「おう。ガリスタ」
「書庫ではお静かにお願いしますよ」
「ちょっとオメエの考えを聞きてえ」

ナイレンはガリスタを巻き込み書庫の奥へと入って行く。

奥の応接場にあるソファと椅子にそれぞれ腰掛け、
ガリスタはナイレンにお茶を淹れる。

「例の森の魔物は大半退治できたようですね」
「おまえの作戦のお陰だ」

ナイレンは淹れてもらったお茶を受け取る。

「で、な。あの森、エアルが異常な量を発生してたぞ。動物も植物もえらいことになっている」
「急激に魔物が増えたのはエアルの影響と?時季外れの紅葉もですか」

ナイレンはお茶を一口飲む。

「作戦に使った魔導器も発動がずれやがった」
「魔導器が影響受けるほどエアルが噴出しているということですか」
「そっちを止めねえと、いくら魔物を退治しても意味がねえ」
「どこから来てるんでしょうね」
「川の上流に遺跡があんだろ。紅葉が川沿いに進んでんだから。あそこに何かあんのかな」
「エアルが噴出する、何かが、ということですね。例えば、何かの魔導器とか」

ナイレンはガリスタを黙して見ている。とりあえずはガリスタの答えを聞きたいのだろう。

「ですが、あの場所は打ち捨てられていて何もないはずです」
「すぐに調査しねえとな」

するとガリスタが徐に話題を変えて、
机にあった紙(印付き)を挟んだ小さなファイルを差し出す。

「帝都から命令書が来ています。3日後の人魔戦争終結10周年の式典に参列せよと」

ナイレンはガリスタから命令書を受け取り、うーん、とジッと見る。

「オレたちの仕事は畏まって整列する事じゃねえだろ」

と言い。アルミのファイルを閉じてしまう。

「本部にそう言えれば苦労はしません」

ガリスタはナイレンがそう言うのを解っていたようで。
顔は別段不快そうでもない。ナイレンはキセルを取り出し、銜える。

「参加するのでしたらすぐにでも出発しないと」
「あのさ。誰かエアルや魔導器に詳しいヤツを知らねえか?」
「確か、リタ・モルディオという魔導器研究家の施設がこの近くにありますが」
「場所を教えてくれ」
「行かれるのですか?式典は?」
「代理を送る」

そう言ってナイレンはソファから立ち上がり、歩き出す。

「ですが、アレクセイ閣下は」

ガリスタも椅子から立ち、ナイレンを振り返る。
ナイレンは一度立ち止まり、ガリスタを振り返る。キセルを銜えたまま言う。

「こっちの方が重要だ。そう判断する」

ナイレンの決断にガリスタは大きな溜息を吐く。

「はぁ。わかりました。ですが一つ問題が」
「ん?」
「モルディオは少々気難しい性格でして。手土産の一つでもあった方が」

ガリスタのアドバイスを受けたナイレンだった。



8

やっと夜になり。見回りが済んだ私たちは、別の仲間と交替して自由時間となる。

「やっと交代ね」
「最近、緊張続きで疲れるわ」
「仕方ないわね」

いきなりシャスティルが立ち止まった。
勢い余った私、ユーリまでがドミノ倒しのように次々と背中にのしかかる。

「っ……。どしたの、シャス? 急に止まったら危ないよ」
「おい、何やってんだ、前が詰まってんぞ」

私とユーリが不満げに声を上げると、シャスティルは無言のまま、すいっと指を上に向けた。

つられて全員で空を仰ぐ。
そこには、使い古された木製の看板――交差するナイフとフォークが。

「……後で来ようよ、あそこ」

シャスティルの提案に、お腹の虫が鳴りそうになった。
けれどフレンだけは看板を一瞥しただけで、すぐに硬い石畳を踏みしめて歩き出す。

「僕は遠慮します。先を急ぐべきでしょう」

冷淡な声。突き放すような背中。え、行かないの?
せっかくの休憩だし、みんなで温かいものを食べた方が絶対に美味しいのに。

「ちょっと、付き合いなさいよ!」
「ほんと、可愛くないわね。あんた出世しないタイプよ、それ」

双子の野次もどこ吹く風。フレンの歩みは止まらない。
私はその頑固な後ろ姿に向けて、精一杯の声を張り上げた。

「もぅ、フレーン! 私、待ってるからね!一人になっても、ずっと待ってるからー!」

その瞬間。
遠ざかろうとしていた彼の両肩が、目に見えてピクリと跳ねた。足音が止まる。
彼は振り返りこそしないものの。
明らかに「……チッ」という舌打ちが聞こえてきそうなほど、
首筋までわずかに赤く染まっているのが見えた。

「……あ。これは来そうね」

シャスティルが確信したように呟き、隣でユーリが呆れたように鼻を鳴らす。

「ヒロミ、ナイス。
…ったく、あいつヒロミの言うことだけは、石に刻まれた命令みたいに聞くのな。
完全に『ヒロミのワンコ』だぜ。鎖が見えるもん、オレには」

ユーリが呆れたように鼻で笑う。前にも言ってたっけ、ワンコって。
ユーリの皮肉たっぷりの言葉に、私は苦笑いする。
「ワンコ」か……いつか言っていた冗談が、今は妙に説得力を持って響いていた。

それから一端 駐屯地に戻って身なりを整えてから待ち合わせ場所へ。
待っていた私のもとに、案の定、不機嫌そうなユーリと一緒に、
さっき「遠慮する」と言い切ったはずのフレンが並んで歩いてきた。

「フレン、待ってたよ! 来てくれて、ありがと」

私が駆け寄って笑顔を向けると、
彼は少し決まり悪そうに視線を泳がせた後、
まるで最初から来るつもりだったかのような優しい微笑みを浮かべた。

「……いや。ヒロミがそうまで言ってくれるなら、無碍にはできないよ」
「鮮やかな掌返しだなオイ。さっきの冷徹エリートはどこ行ったんだよ」
「何か言ったか、ユーリ(威圧)」
「けっ。何でもねーよ。……あー、お熱いこった」

そんな二人のやり取りを後ろで見ていた双子が、顔を見合わせてヒソヒソと囁き合う。

「(さすがヒロミよね。完全なる初恋マジック。あのフレンを秒で落とすんだから)」
「(いやいやシャス、あれはもう『初恋』じゃなくて、現在進行形で恋しちゃってますから)」
「? どうしたのヒスカ、シャス?」

私が振り返ると、二人は同時に「ううん、なんでもなーい!」と声を揃えて笑った。
なんだか変な双子。でも、フレンが来てくれて本当に嬉しい。楽しいランチになるといいな。

さて。5人で酒場に入ると、中は厳つい人や強面の人が結構いて賑わっている。

「やだ。ギルドの人がいるわ」
「タイミング悪ぅー」

双子がげんなりとした顔になる。

「何だよギルドの人って」

「帝都の下町にもいたでしょ?自警団気取りで金儲け主義の連中よ。
ユニオンて組織母体があるのよ。
ドン・ホワイトホースってのがボスの名前。とにかくガラが悪いの」

「ふぅ~ん?」

ユーリがなんか悪い顔というか企んでそうな顔で中に入って行く。ラピートもついてく。
ちょ、ちょっとユーリ? やな予感すんだけど…何もやらかさないでよね?
ここには、ご飯を食べに来たんだから。ヒスカが慌てて付いていった。

「ちょっと、ユーリ!」

ヒスカが小声で窘めるも。

「でな、街を抜けて森の向こうの街まで行きてえって言うからよぉ、
とりあえず前金で全部よこしなっつったんだよ」
「「へっへっへ」」」

ガラの悪い連中が、ガラの悪いこと喋ってる…やだなぁ。
こんな人との隣じゃ御飯も美味しくない。
ユーリは既に席に着いて、ガラの悪い連中の話に耳を傾けている。
そこにヒスカがユーリの真向いに座り、また小声で窘める。

「やめてよね」

そこに美人(黒髪ショート)の店員のお姉さんがきて、人数分のグレープジュースを持ってきた。
ユーリとフレンと私はまだ未成年だものね。人数分ってことは双子も未成年だったんだ。意外だ。

「いらっしゃい」
「マーボーカレー2つね」

あ。マーボーカレーが好きなんだ。ユーリ。

「あとミルクちょうだい」

下にいるラピードに視線をやるユーリ。相変わらずラピード可愛いわね。
店員さんに向かって、俺はここだって「ワン」と鳴くラピード。
店員さんはしゃがんで、ラピードの顎を撫でる。いいなあ~私も撫でたい。

「あら可愛い~。この仔も団員さん?」
「まだ登録されていないよ」
「ちょっと待っててね~」

と、店員さんは立ち上がって注文を厨房へと伝えに行く。
その間にもガラの悪い連中の話は続いていて。
ユーリの耳に不快な雑音となっていく。

「んで、面倒臭くなってよお、森を抜けたところで、そのじいさんを置いてきちまったよ」
「いけねえな。きちんと街まで護衛しねえとな」
「「「でぇーははははは!!!」」」

どうやらガラの悪い連中は、
クライアントから金を巻き上げるだけ巻き上げて放り出してきたようだ。
私はシャスティルとフレンの隣にいたが、彼らの不快な声はここまで聞こえてきてイラッとした。
すると下卑た笑い声に逆らうような、凛とした声がおっ被さる。

「いい加減な仕事で金巻き上げて飲んだくれるとはぁいい身分だなぁ」

やっぱりユーリだった。
彼は弱い立場の人や子供には、すごく優しくて守る心が。正義心が強いんだ。
これはユーリの虎の尾を踏んだんでしょうね。さすがに下卑た笑い声も止んだ。
ガラの悪い連中は沸点が低いらしく、すぐユーリの方を向く。
ヒスカは「ああ、もう」と項垂れる。

当の本人、ユーリは我関せずでグレープジュースを静かに飲んでいる。
…その奥には、様子を伺っている、厳つくて髭もじゃの強面が。誰だろう?

私は視線をユーリたちに戻すと。
いつの間にかガラの悪い連中がユーリたちの席に来た。
ひとりがヒスカの隣に腰かけ、ヒスカは「ひえっ」となる。
ユーリは静かな眼差しで見つめるだけ。いや、冷めた眼差しだわ。

「いよぉ、元気いいな。騎士さんよぉ」

ヒスカは慌てるが、しかし冷静に自分の分の飲み物が入ったコップを持って、
私たちシャスティルとフレン、私の方に来る。ふふ、避難してきて正解よ。
このまま行くと恐らく…勃発するわね。ま、いつものパターンよ。
ガラの悪い連中の一人が、ユーリに顔を近づけて言う。

「目ぇ見て、もういっぺん言ってみな!」
「チンピラのリアクションはどこも一緒だな」
「あ”ー?」
「近ぇーよ。そっちの気はねぇーぜ」
「てめぇー!!」

ついに詰め寄ったチンピラが椅子をひっくり返して立ち上がった。
だがユーリは冷静に殴られそうになった手を避けて、
すぐに飲んでいたコップの中身をぶっかける。

コップは吹っ飛び割れる。あーあ。ユーリも店の備品を壊すなんて。後で隊長に大目玉よ。

チンピラは、机をどかしてユーリに掴みに掛かるが、
ユーリは座っていた椅子を使って、うまく往なす。チンピラが壁に吹っ飛ぶ。

其処から始まったチンピラ3人との乱闘に、私は溜息を吐いた。
3人をのした後、奥からもガラの悪い連中がわらわらと。ユーリは「へっ」と両手で自信満々。
いくら喧嘩慣れしてるからって、暴れ過ぎると…これ、どう報告すんのよ…。

私はフレンの隣で彼と同じグレープジュースを飲んでたけど、ハラハラとしている。
避難してきたヒスカも、私の隣いるシャスティルも迷惑そう。
フレンだけは我関せずだ。ヒスカは困ってフレンに助けを求めるが知らん顔。

「フレン、止めてよぉ」
「ユーリが勝手に始めた事じゃないですか」

…あ。さっきのチンピラがっ。危ないフレン!

「僕には関係な――「フレンっ!んぐっ」

「「ヒロミっ!!?」」

私は身体が勝手に動いて、フレンを庇ったのはいいが、フレンごと倒れてしまった。
い、痛ったあ~!殴られた衝撃で頭がくらくらしてる。なんて馬鹿力なのよ。
幸い鼻血は出てないけど、絶対、頬が腫れてるかもしれない。

「ヒロミ!? 大丈夫か! しっかりしてくれ!」

耳元で、これまでに聞いたこともないようなフレンの焦燥した声が響く。
視界が火花を散らしたようにチカチカして、頬には焼けるような熱さが居座っている。

「…ん…。だい、じょうぶ。ちょっと、びっくりしただけ……」

強がって笑おうとしたけれど、引き攣った頬が痛んで顔が歪む。
それを見た瞬間、私を支えていたフレンの手が、ピクリと震えた。

「へっ。女に庇われるとは情けねえな。すかしてんじゃねえぞ、色白の優等生さんよぉ」

下卑た笑い声が降ってくる。その瞬間。

「…………関係ない、と言っただろ」

フレンの声から、一切の温度が消えた。
立ち上がった彼の背中から、どろりと重苦しい殺気が溢れ出し、周囲の空気が一気に凍り付く。
今は何も言わずに、ただ静かに一歩を踏み出した。

「おい、なんだよその目は……。やるってのかよ!」

たじろぐチンピラ。無理もない。今のフレンの瞳には、慈悲なんて欠片も残っていない。
法を守る騎士の顔じゃない。大切なものを傷つけられた、一人の男の「復讐者」の顔だ。

「よくも……ヒロミに、その汚い手を出したな……!!」
「ちょっ、フレン! 待って! 死んじゃう、相手が死んじゃうから!!」

慌てて止めようとしたけれど、もう遅い。
フレンの拳が凄まじい風切り音を立てて相手を吹っ飛ばす。

……えええええ。嘘でしょ。

フレンってキレると、ユーリよりも容赦がない上に、
効率的に相手を「詰む」まで追い込むタイプなの!?
普段が温厚な分、キレた時の「魔王様」っぷりに、殴られた痛みも忘れて私は戦慄した。

瓶に足を取られて転びかけた所をユーリは羽交い絞めされ、その美貌をボカスカ殴られる。
しかし羽交い絞めしていた奴は後ろからフレンの強烈な一撃で沈んだ。
フレン、なんて馬鹿力だ。

「なんだてめぇ!」

うわ。フレンの眼がキレてる。これはもう誰にも手が付けられない…。

「ぬううう!」
「あ。おい!」

フレンまで乱闘になり、辺りは割れた食器やら瓶やら。ラピードはうまく躱して吠えている。
目の前に磨かれてきれいになってるカトラリーのスプーンが光って飛んでくる。
ラピードはそれに目を奪われる。光ものが好きみたいね。
双子はもう我関せず、後は知らんって感じでシンクロしてマーボーカレーを食べている。

「ヒスカ、シャス、あれ…いいの?止めなくて」
「「放って置きなさい」」
「そうだけど…」

あーあ。指導役を放棄しちゃって。
かく言う私も、あんだけの暴れっぷりに首を突っ込めない。
特にフレン。もはや暴走魔導器さながらの嵐である。

「それよりヒロミ。頬、見せて」
「え、あ…」
「ひどい腫れてるじゃない。なにも庇うことなかったのに」
「ごめん。だって好きな人が殴られそうになったら、つい…ね」
「そっか。身体が勝手に動いちゃう、か。すぐ治すね」
「ありがとう。痛いの引いてきたよ。男子って元気だよねえ」
「はぁ。まったく。2人とも」

シャスティルが溜息を吐いたとき。
フレンを殴ろうとしたチンピラが、ついにナイフを出してきた。
これは…!まずい。刃傷沙汰になると報告するにも何かしら罰が厳しくなる。
私はフレンとユーリを止めようと席を立った時。

「そこまでだ」

野太い声が響き、チンピラは反射的に怯えた。誰だ?
ユーリたちの前に歩いてきたのは、さっきまで様子を伺っていた強面の髭もじゃの男。
かなりガタイがでかい。

「こんなところで剣抜くやつがあるか」

ナイフを抜いたチンピラは強面に睨まれて、慌てて後ろへとやる。

「で、でもよぉ…」

言い訳するが、強面髭もじゃの眼差しは一睨みで相手を委縮させる。

「すいやせん…」

チンピラはスススと後ろに下がる。強面の髭もじゃ男はユーリの前まで歩いてきた。
さっきまで絡んでいたチンピラたちは揃って震えあがっている。
ユーリと髭もじゃ男は静かに相対していた。しかし髭もじゃ男は二ッと笑った。

「ふん。いい度胸だ。帝国の犬にしとくにゃもったいねえ。
メルゾム・ケイダだ。この街のギルドを仕切っている」

へえ。ギルドの人だったんだ。厳つくて強面なのも分かるわ。

「ユーリ。ユーリ・ローウェルだ」

「最近めっきり仕事が減っちまってな。イラついちまってた。仕事はきっちりやらせるからよぉ」

隣にいたチンピラ集団は震えながらも、うんうんと首を縦に振る。

「今回のことは俺に免じて手打ちにしてくれんか」

そう言ってメルゾムがユーリに頭を下げた。

「いいぜ。おっさん」

私たちは双子と店員さんで後片付けをしながらも、ユーリたちに耳を澄ませていた。

「それにしても最近の魔物は普通じゃねえよな」
「まあな」
「前は結界のある街の近くになんか寄り付かなくなった」

ユーリはマーボーカレーを食べながらメルゾムの話を聞いていた。

「ナイレンの野郎は何してる」
「ナイレン?ああ。隊長か。随分馴れ馴れしく呼ぶな」
「まあ、詰まんねえ話よ」

私たちは片づけを終わらせ、席で4人座りながら話に聞き耳を立てていた。

「あんたら昨日、森で大掛かりな魔物退治をやったな」
「ああ」

もぐもぐとカレーを噛んで飲み込んでから、次を運ぶ。

「森も季節外れの紅葉だ、何か関係ありそうだな」
「わかんねえ。でも隊長はそう思ってるみたいだが。軍師と相談してるよ」

っ…!この人、ユーリから情報を引き出そうと近付いたのね。
私は瞬時にユーリしがみ付く。他の四人もユーリを首やら両腕やら締め上げる。

「っ!」
「何余計なこと喋ってるの」
「バカっ!」
「帰るぞ!」
「出るわよ!ユーリ」
「ててて!まだ食い終わってねえって!
おい放せって!痛いってんだよ!んんっ、戻る!戻る!」

引っ張って引き摺って店から連れ出す。
ラピード、そのスプーン店から貰ったの?勝手に持ってきちゃダメだからね?
しかし思うのは、あのメルゾムって人の目つき。やはり只者じゃないわね。


ヒロミたちが行った後、メルゾムは酒場にいた、レイヴンという人物に呼びかける。
レイヴンと呼ばれた人物は、メルゾムを振り返る。ひっくとかなり酔っている。
髪をアップにして紫の羽織を着ている、30代前半くらいの男である。
メルゾムは顎でしゃくる。

「てめぇの仕事だ」



ところ変わって、私たち5人は屋敷に帰ってきて。
ユーリとフレンの治療をしていた。

ヒスカはユーリに。
シャスティルと私がフレンに。

ユーリは喧嘩を吹っ掛けた罰で、治癒術ではなく、普通の薬での治療になった。
対してフレンは好待遇というか、私とシャスティルで治癒術で治していた。

「何だよ、向こうは治癒術、使ってんじゃん!差別すんなよ」
「うっせい」
「うひゃあはああああっ!」

スプレーがよっぽど沁みるのか、ユーリが悲鳴を上げる。

「痛かったら反省しなさい」
「っ、おまえ冷てぇぞ」
「お前じゃない、あんたより年上だぞ!」

ユーリとヒスカは相変わらずのようだ。

反対にシャスティルとフレンはいいコンビのようだ。
シャスティルはフレンの腕にペタペタとガーゼを貼っていく。

「フレンには少しは同情するわ。途中までだけどね」
「はぁ」

私もフレンに治癒術を使っていたけど彼の後頭部にタンコブが出来ているのに気づいた。

「あ。フレン、ちょっとごめんね」
「え?ちょ、ヒロミ!?」

フレンの頭を抱き締める形で、ちょっと下に向いてもらった。
ちょうど胸に埋もれる形になるが仕方ない。ケガを治す方が最優先だ。
やっぱり。大きなコブだ。痛そう…ファーストエイド、っと。

「あんっ、ちょっと動かないでフレン。まだ腫れが引いてないわよ」
「~~~~っ(///)」
「(あ。フレン顔が真っ赤。ラッキーねぇ)」

対してユーリとヒスカは。
ユーリは貼ってもらった所をふぅふぅと息を吹きかけている。

「だいたい、なんであんたにたみいなのが騎士団なんかに入ったのよ」
「別に。他にやることねぇし。給料だけはいいし。それにオレ強いもん」
「はっ」

ヒスカはバカにするように鼻で笑った。
フレンの治癒術も終わり、私はシャスティル傍に座る。
フレンはまくった袖を直す。なんかユーリの言葉で不貞腐れている。

「つまりは。大した目的もなくフラフラしてて力を持て余してたってことです」

ユーリに向かって、指をビシッと指すフレン。

「うるせー!」
「昔のまんま、何も成長してません」
「おまえもな、陰険な性格そのまんまじゃん」

ユーリもフレンに向かって指をビシッと指す。ヒスカがユーリとフレンを交互に見て。

「幼馴染?」
「単に帝都の下町で一緒に育ったってだけです!」
「お前が引っ越した時は清々したよ」
「採用試験でユーリを見た時は目を疑いましたよ!何でここに」

双子からお菓子を渡された。いいの?双子は頷いた。

「まあ。おまえの親父さんの影響があるかもなあ。
いい親父さんだったよなあ。オレ、両親いなかったから、ちょっと羨ましくってさ」

「父の話はよせ」

あ。やっぱり。フレン苦しそう。私の勘が当たっちゃった…。
ユーリもビックリしてる。が、すぐに元に戻る。

そんな時にエルヴィンが私たちに伝えに来た。

「そこの5人、それ終わったら隊長の部屋へ行け。カンカンだぜ~」

エルヴィンが最後に揶揄うようにニヤリとしていってしまった。
ああー…やっぱり報告がいったか。こってり絞られるんだろうか。

「なんでだよ!何も悪い事してねえだろ!」

「あんたねえ!ここは騎士団なのよ!
規律ってのがあんの!ああもう!あんたらへの監督能力が問われるぅ!!」

フレンはユーリを睨み、シャスティルは力なくがっくりとソファに沈み込み、
ヒスカはひたすら頭を抱え、私は大きな溜息を吐いた。
私も隊長からフォローしてんのか、って怒られそうだなぁ。

で。私たち5人が隊長の部屋に行ったところで。隊長の大欠伸で出迎えられた。

「酒場で乱闘なんてベタな事しやがって」

5人並んでるが、ユーリだけムスッとしてそっぽを向いている。

「すみません…」

フレンは謝る。

「街の外は面倒臭ぇことになってんだ。街の中で面倒起こすなよ」
「あいつらがいい加減な事すっからだろ!」

そこで初めてそっぽ向いていたユーリが反論する。

「じいさんの金、巻き上げただけで途中で放ったらかしにしたんだぞ!あんな連中許せるか!」
「なるほどなぁ。ま、オレでも殴ってたなあ。そりゃあ」
「え?」

ユーリがナイレン隊長の意外な返しにポカンとする。
まあ。ナイレン隊長は義に厚い人だからね。ユーリの気持ちはよく分かると思うよ。

「だが、ギルドは帝国の影響を受けない自治組織だ。いい面もあんだよ」
「そうは思えませんが」

フレンは酒場での一件で、一気に印象が悪くなったみたいね。

「今回のことで分かると思うがオレたちでは対処できない事もやってる。金はとるがな」
「メルゾムってヤツはあんたのこと知ってたぜ」
「ん?あぁ…まぁ詰まんねえ話だ」

ん?隊長が顔背けるなんて。…なんか様子がおかしいような?気のせい?

「ん?何だよぉ!!」

私たち5人はジト目で隊長を見る。

「別に癒着なんかしてねえぞ。ケガ大丈夫か」
「…はい」
「じゃあ、とっとと部屋へ戻れぃ」

キセルを持ちながら、早く戻れと急かす隊長。

「…は?」

フレンはポカンとしている。
まあ、あれだけの乱闘騒ぎを起こしたのにお咎め無しだもんね。

「懲罰棒行きじゃねえのかよ」

ユーリも聞くってことは、珍しいんだ。

「今そんな事して、特があるか?」

キセルで私たちを指し示す。それに私たち5人は気付いた。
人数が減って、ただでさえ人不足なのに5人も減ったら他の皆が逆に大変になる。

「とはいうものの。何も無いってのも他の隊員に示しがつかねえか。
店への弁償は給料から差っ引くぞ」

「げえっ!」

ユーリが呻いた。ま、それが妥当ですよね。

「あー。あとフレン、ヒロミ!おまえらは帝都に行ってくれ」
「はい?」
「え?」
「オレの代理だ」
「私がですか?」
「私も、ですか?」

フレンと同じように私も首を傾げる。隊長はキセルを銜えている。

「オレは他に行くとこあんだよ。その間、ユルギスに任す。
おめえらには式典への出席と、この援軍の要請書を届けてくれぃ」

ゴソゴソとしてると思ったら、アルミのファイルに挟まれたものがある。
キセルから口を離し、ナイレン隊長は何か考えるように視線を逸らす。

「湖の遺跡には恐らく何かがある。ここの隊じゃ処理しきれない…な。
それから、“でっかい”方はオレと来てくれ」

ナイレン隊長は双子の方へと視線を向ける。でっかい、って…それはセクハラ発言では…。

「セクハラね」
「セクハラだわ」
「隊長、セクハラです」

私は隊長に言うが、どことなく吹く風だ。
ユーリは双子を見ている。…どこを見てるの?

「でっかいって、どっちも背、同じじゃん。な?」

親指で双子を示すユーリ。双子には天然かますのか、ユーリ。
私にはあれだけ遠慮がなかったくせに。指導役にはムラッともしないのか。
逆に訊かれたフレンの方が頬が赤い。…うわ。むっつり助平だ。意外だ。

「ユーリにはランバートの世話を頼むわ」
「また犬かよ!」


もう夜も更ける時間。ユーリとフレンは自室にいた。

ユーリは窓際の椅子に腰かけ、
また甘い御菓子(グミ?)をもぐもぐと含んで噛んでいる。

対してフレンは書き物をしているため、
椅子に座り、机の上でさらさらと書類に文字を綴っていた。

「ユーリ」
「ん。なんだよ」

フレンは振り返らず、そのままユーリに話しかける。若干、不機嫌そうだ。

「もう問題は起こすなよ。もう巻き沿いはごめんだ」
「はいはい」
「君は騎士団の一員なんだ。規律や秩序は守れ。
それが出来なければ組織に属する資格はない」

横目でユーリを見やるフレンの視線は冷たい。

「オレは間違った事をしてるつもりはねえ!」
「そうやって自分の考えを優先するのなら此処から出て行くんだな」
「あーあ!うるせぇうるせぇ」

そう言ってユーリも不機嫌になり、
椅子から立ち上がるとズカズカと歩き出しドアを開けて出て行く。
バンッと怒りのまま閉められた音が、ユーリの苛立ちがそのまま表れているようだ。
フレンはそんな事も気にせず、ひたすら文字を綴り続けるのだった。



9

翌朝。まだ霧が立ち込めている。
私は皆がまだ寝静まっている早朝から厩に向かう。
厩で籠手やその他の装備を整え、昨日のうちに出立の準備を済ませた荷物を、
乗る予定の仔に括りつけて準備をしていると。誰かの足音が。

「…ん?あ、フレン。おはよう。任務、お互い頑張ろうね」
「おはよう、ヒロミ。ああ。しっかり成功させよう」

フレンも装備を整え、馬に鞍を付け、荷物を括りつけ最終チェックをする。

「もう大丈夫そう?」
「ああ。いつでも行ける」
「じゃあ出発っ」

私とフレンは馬に跨る。すると、ひひんと小さく鳴いてカポカポと歩き出す。
フレンは先に、私はその後ろに。

「ん?」

なんか後ろの方から視線を感じて、振り向くと。…あ。ユーリだ。
ランバートたち、ラピードの方で寝ていたのね。あ、視線が合った。
私はニッコリと微笑み、手を振った。

(いってきまーす)

するとユーリはムスッとした顔をしていたが、一応、手を雑に振った。

(とっとと行けって?全く。何を不機嫌になってるのやら)

私は苦笑して視線を前に戻し、フレンに追いつくよう、馬の足を少し早めた。


「けっ」

私が行った後、ユーリはもう一度寝直す。
大の字になって寝た時に手がちょうど、スヤスヤと寝ていたラピードにヒットし。
ラピードはキャイン!と鳴いた。ランバートとラピードは互いに目を合わせる。
ユーリをどうするか、いや、お仕置きしなさいとランバートは言ったのだろう。OKが出た。

「んぁっつ!!?」

ラピードは思いっきり、ユーリの頭をがぶっと噛んだのであった。痛そうな音である。


************


森の中で、隊長とシャスティルは馬から降りて、歩き出す。
リタ・モルディオの研究所を探すためだ。

「うーん」

しかしガリスタが書いた大雑把な地図では全く分からず、隊長は顔を顰める。
あっち行ったり、こっちに行ったり。なかなか辿り着けない。

「ふぅむ」
「迷いましたね」
「迷ったね」

森で途方に暮れる隊長とシャスティル。

「さっぱりわからん」

そう言い、隊長はガリスタからの地図をシャスティルに渡す。

「ふぅ。地図になってないです、これ。ガリスタ様ってカッコいいのに何かショック」

ふと隊長は斜め後ろを見て気付く。地面にピンが刺さっており黄色の光が浮かんでいる。

「シャスティル!そこの草の中!」
「あ…!」

すぐに駆け寄るシャスティル。隊長も覗き込む。

「警戒用だな。調べろ」
「はい!」

シャスティルはすぐに計測器を取り出し、調べる。
測定し、数値を合わせていくと、計測器の白い部分が黄色に光り出す。
そしてシャスティルは立ち上がり辺りを見回す。すると黄色い光が点々と続くのを見つける。

「あっちか」

隊長とシャスティルは黄色い点々を追って歩き出す。


************


フレンと私は馬を走らせる。さっきからフレンの顔が険しい。
なかなか口を挟めず、私はフレンの背中を追って馬を走らせていた。
フレンの背中ら伝わるのは――哀しみ、憎しみ?
分からないけど、ピリピリしてる。

「(帝都か…)」

(フレン…)

これ以上、フレンの心が悲しみに沈まないようにしたい。
でも私は口が出せない。

私ができるのは、フレンの傍で支えること。
彼が困っていたら手を差し伸べる事しかできない。

彼の心の中まで支えることができない今が。
こんなに遠くて哀しいなんて。
その背中を抱き締めたいよ、フレン。

「(……。)」

(フレンの気配が揺らいでる…)

一体何を考えてるの?帝都が近い。私の勘では、恐らく――。

(お父さんのことを、考えてるの?フレン…)

私はただ、フレンの背中を見守るしかなかった。


************


森の奥。黄色い光を転々と辿った先。
そこに、リタ・モルディオの小さい家――研究所があった。
小ぢんまりとした家は、人がようやく一人が住める広さしかない。
隊長もシャスティルも、想像していた“研究所”とは違い唖然とした。

「これが、研究所?」
「みたいだなぁ」

コンコンとノックをする。隊長はドアを開け、中をのぞく。

「おーい、誰かおらんかぁ?」

シャスティルも覗き込む。

研究所の中は、狭いながらでも本棚には本がギッチリと仕舞われ、
ガラス器具には液体が空気を輩出してぶくぶくと水泡が。
湯気もぷしーぷしーいっている。
いろんなアイテムが棚に置かれ、メモ書きが壁にびっしりと貼り付けてある。
けっこう、雑多な感じである。

隊長が中を見渡し、ある一点のとこで視線を止めた。
奥には一人用のベッドが。そこには敷布に丸まっているものが。
ゴソゴソと動いている。その者、リタは気配を感じ取ったのか。

「…泥棒は…」

赤い粒子が瞬時に舞い上がり、隊長は驚く。

「待て!」

リタの首には魔導器のチョーカーが。赤く光っている。

「出て行けー!」

その言葉と共に、炎が何発も隊長とシャスティルに襲い掛かる。
瞬時にシャスティルが防御壁で隊長諸共、防御する。
炎で吹っ飛ばされ、本やら何やらが上から降ってくる。
濛々と煙が舞い上がり、壁やドア上段は見るも無残な形成になってしまった。
リタはゴソゴソと動き、まだ寝ている。隊長とシャスティルは座り込んでいた。

「寝ぼけてんのか?」

隊長は立ち上がり、瓦礫をまたいでリタのところに来る。
シャスティルも後に続く。

リタは寝返りを打って、ぐーんと伸びをして、
また気持ち良さそうに枕に顔を埋めて寝る。

まだ12・3歳くらいの容姿に隊長も驚きを隠せない。

「こ、子供!?」

隊長はその辺にあった箱を適当に置いて、そこに座る。
寝ているリタの鼻のところに、魔核のネックレスを掲げる。
すると魔核の匂いを敏感に感じ取ったのか、ハッと目を覚ました。

「おっと」

瞬時に魔核に飛びつこうとするリタだが、そこは隊長、さっと回避。
リタは悔しそうに手をプルプルさせている。眼はジト目になっている。

「リタ・モルディオだな。帝国騎士団のナイレン・フェドロックと、
シャスティル・アイヒープだ。こいつぁ交換条件だ」

掲げた魔核を揺らして、そう交渉に移る隊長。

「…何が知りたいの」

シャスティルも空いた箱を持ってきて、隊長の傍に座る。

「シゾンタニアの森でエアルの大量発生が確認された。
周辺の植物や大人しい生き物までもが影響を受けている」

リタは眠そうにこっくりこっくりと舟をこいでいる。

「エアルの力だけでそこまで影響が出るってのも、おかしくない?」
「ってことは」
「ちょっと待って。シゾンタニア…」
「川上の湖に遺跡があって…」
「ああ。あたし、あそこ調べたことがあるわ。
んーでも、あそこの結界魔導器に魔核なんてなかったわよ?」

リタが隊長から魔核を奪おうとするが、またも隊長は回避。まだ全部ではない。

「じゃあ魔導器は動いてないんだな?」
「そ。それに、あそこにはエアルクレーネもなかったと思う」

リタは何度も隊長から魔核を奪おうとするが、スカスカと手が空を切る。
リタはベッドに沈む。

「エアルクレーネ?」

「エアルの発生する泉みたいなもん…まあ、エアルは大地に流れているから、
どこにでもあるんだけど、とくに噴き出す場所ってのがあるの。
んでも今エアルが大量に発生してるってことは、
誰かが魔導器に魔核を入れて作動させたのかも…。
そして、それが暴走してエアルが噴出してる、とかね。
魔導器は様々な動力になる便利なものだけど、
使い方間違えると危険なものにも変わるわよ」

「仮に作動してるとして、魔導器の破壊は可能か?」
「魔核の属性が分からないと何ともねえ」

隊長は聞くが、リタは「さあね」と両手を広げる。

「なんか打つ手はねえのか」

隊長も困って腕を組む。

「エアルは…赤いでしょ」
「ああ」
「濃すぎるのね…。その異常な濃度が周囲に影響してんなら、
とりあえず発生を止めないと」

その時。リタは何か閃いたのか。

「ちょっと待って。あれ、んっと…あった。これ」

と。ベッドの下をガサゴソと探り、
取り出したのは双眼鏡に近いリタのオリジナル。

「エアルの採取用にあたしが作ったの。量が減らせるかもしれない」
「どう使う?」

隊長は受け取ってリタに訊く。

「エアルの発生しているところに置いて起動させて。
後はこの子が勝手に動いてくれる。
役に立つとは限らないわ。この子も魔導器だから影響を受けるかもしれない」

「しかもすべて仮説に過ぎない」
「そういうこと」

そこで隊長は満足したのか、魔核のネックレスをリタに掲げる。

「ありがとう」

リタは顔をハッとさせる。頬が少し赤い。ようやく貰えるんだと確信した。

「~~~っ。この子は探してたのよぉ~。うにゅぅ~」

魔核のネックレスを両手で包み、スリスリと頬ずりする。
が、すぐにハッと現実に返り、隊長とシャスティルに訊く。

「あ。ところで何でここ知ってんの?」
「部下のガリスタから聞いた」
「あーあーあーあー。あたし、あいつ嫌いなの」
「親しいのか」
「やめてよ!」

リタがぐわっ!と隊長の言葉を拒否する。

「前に帝都で会っただけ。ヤな奴よ」
「えー。そうですか?」
「あいつ、あたしが見つけた魔核を武器に転用したのよ」

隊長とシャスティルがお互い顔を見合わせる。

「帝国って魔導器を戦う道具にすることばーっかり考えてるんだもん。
ん、ちょっと待って」

リタはまた後ろに振り返り、机の物をどかして、キーボードを起ち上げる。
タイピングして、印刷して出てきた紙を隊長に渡す。
その紙には術式が刻まれている。

「はい、これ。エアルの影響を受けずに魔導器を動かせる術式」
「エアルの影響を受けずに」
「うん。というか過剰な反応をしないようにするだけ。長くは持たないわ」

術式が光り、紙が透明になる。術式だけが淡く光っている。

「調べるなら急いだ方がいいんじゃない?
魔導器が暴走したら遺跡どころか街まで巻き込んじゃうかもよ。
魔導器は街を守る力がある。だったら、その逆もあると思わない?」

「すまん。礼は改めて」

隊長とシャスティルは立ち上がり、外へと急ぐ。

「んふふ~。あたしは、これで十分よ」

そしてリタは喜んだ顔のまま、またベッドにばたんと倒れ込む。

「ところで、こんな所に一人で住んでんのか?」
「ここは、ただの研究所。住まいは別にあるわ。ドア閉めてってねー」

そう言ってリタは向こう側に寝返りを打ってしまう。
半分になってしまったドアを倒して、外に出る2人。
見るも無残な外観に、隊長もシャスティルも溜息を吐くのだった。

「あーあ…」



10

帝都ザーフィアス。私とフレンは騎士団本部を訪ねた。

ザーフィアス城にある、アレクセイ様が利用する執務室。
毎日、内外の客人とここで謁見を行っているのか。
兵を招集し、命令を直に伝えられることもできるよう、かなりの広さを誇っている。

「アレクセイ閣下。評議会側からの要請です。今回の式典にエステリーゼ様を参加させろと」
「またか」
「次期皇帝候補であられる方が不在の催事に意味はないとも」

「次期皇帝?評議会が担ぎ上げた候補に過ぎん。
エステリーゼ様と評議会側を接触させるな。分かったな」

「はっ」

その時、伝令兵が執務室に入ってきた。

「アレクセイ閣下。シゾンタニアより使いの者が2名、来ております」
「シゾンタニア…」

アレクセイ様が呟く。

私とフレンは執務室に通され、並んでアレクセイ様から少し離れた前にて跪いていた。
お義兄ちゃんの親友であるアレクレイ様を間近に見るのは初めてだ。
しかし謁見室にはピリピリと緊張の糸が張り巡らされ、私は跪いたまま顔を俯かせる。

「シゾンタニア部隊、フレン・シーフォ」
「同じく、シゾンタニア部隊、ヒロミ・アスティエル」
「来礼フェドロック隊長の代理として式典に出席するために参りました」
「同じく、隊長フェドロックの代理として式典に出席するため参りました」

アレクセイ様の部下が来たので、フレンが要請のファイルを渡す。
それをアレクレイ様が受け取り、中を確認せず。難しい顔をしている。
あ、これは怒っている。

「フェドロックは何故 来ない」
「その中に援軍の要請が入っております」

フレンの返しに、アレクセイ様が机に拳をガンッとぶつける。相当お冠だ。

「此度の式典には隊長クラスは全員出席と伝えたはずだ!」
「ですが!街の近くの森にはエアルの影響により、凶暴化した魔物が多数出現しております!」
「どうか、要請書をご覧ください!」

フレンは何とか伝えようと必死だ。
私もフレンに続いてアレクセイ様に何とか見てもらえるよう懇願するが。

「式典のリハーサル」
「間もなく開始します」

アレクセイ様が立ち上がった。アレクセイ様が去って行こうとする。
そんな。もう、これまでなの?何もできない自分が悔しい。

「アレクセイ閣下!」
「アレクセイ様!」

アレクセイ様は一度立ち止まり、此方に振り返る。

「援軍は式典が終わり次第、派遣する。部隊は現場を保持せよ」
「現場は窮迫しております!」
「住民が危険にさらされます!」

フレンと一緒に最後まで懇願する。何とか、何とか、伝わりますように。

「分を弁えろ! おまえらは私の命令をフェドロックに伝えるだけでよい!
早く戻れ。新米騎士ごときが出席しても、会議の椅子を汚すだけだ」

吐き捨てられた言葉は、凍てつく刃のように私たちの足元を射抜いた。

「――それから、ヒロミ」
「っ!?」

鋭く、だがひどく低められた声に、私の心臓が跳ねた。
縋るような思いで慌てて顔を上げる。
アレクセイ様が首だけを振り返り、私を冷然と見下ろしていた。
その双眸に宿っているのは、激しい怒りよりも残酷な、底冷えするような――落胆。

「我が友エルダの妹とまみえるのが、こんな形になろうとはな。
……エルダの志を継ぐ者と期待していたが、
どうやら私の買いかぶりだったようだ。非常に残念だ」

その言葉は、どんな罵倒よりも深く私の胸を抉った。
尊敬するお義兄ちゃんの名前を出され、その泥を塗ったのだと突きつけられた心地がした。
背を向け、去っていくアレクセイ様の足音だけが、静まり返った廊下に無情に響く。

視線の暴力に、呼吸の仕方を忘れた。
向けられた落胆の色が、毒のように全身に回っていく。

「非常に残念だ」

その一言が、私の耳の奥で何度も何度も、呪いのようにリフレインする。
彼が行ってしまう。鎧が擦れる冷たい音、翻るマントの裾。
そのすべてが、私を「不要な存在」として切り捨てていく。
膝がガタガタと震え、床に崩れ落ちそうになるのを必死で耐えた。
けれど、声だけはどうしても出ない。

「アレク、セイ様……」

絞り出した呟きは、誰に届くこともなく、重苦しい静寂の中に消えていった。
私は愕然と目を見開いたままアレクセイ様の背を見つめていた。

「ん?フレン・シーフォ?」

すると目の前に、
アレクセイ様の部下であるグラナダは何かを思い出すようにフレンを見た。

「ファイナス・シーフォの息子か」
「!」

フレンが顔を上げだ。その瞳は揺れている。
フレンにとって触れられたくない“それ”を公の場で言うなんて。
このグラナダという人物、不快だ。

「ふっ、優秀な成績で騎士団に合格したと聞いている。
父上もさぞ、お喜びになっていることだろう」

グラナダは値踏みするような視線をフレンのつま先から頭の先まで這わせた。
その口元には、慈悲など微塵も感じられない、薄ら寒い笑みが張り付いている。

「父は……」

フレンの声が、微かに震えた。拳を固く握りしめ、爪が手のひらに食い込む。

「君は父上のような無駄死にはするなよ? 騎士団の一員であることを忘れるな」
「……。」

静まり返った広間に、グラナダの冷ややかな言葉だけが突き刺さる。
周囲の騎士たちは、憐れみか、あるいは無関心か。
誰もが視線を逸らし、若き騎士の誇りが踏みにじられる瞬間を黙殺していた。
フレンの視界が、怒りと屈辱でわずかに歪む。

(フレン…)


結局、私とフレンの派遣要請は、重い沈黙と共に失敗に終わった。

中庭に面した廊下。
冷たい石の腰掛に並んで座るけれど、二人の間には冬の隙間風のような距離がある。

何を言えばいい?彼の瞳に宿る失意の色を知っている。
その原因が、彼にとって最も触れられたくない「父親」に繋がっていることも。
慰めの言葉は指の隙間からこぼれ落ち、励ましの言葉は喉の奥で硬く凍りついた。

(……私って、肝心な時に、何もできない。隣にいる資格すらないのかな……)

耐えられなくなって、「ごめん」と、意味のない謝罪が口をついた。

怪訝そうにこちらを見るフレン。
けれど、その視線が私を通り越し、廊下の向こうへ向けられた瞬間に悟った。
私の悪い予感は、いつだって驚くほど正確だ。

「……来たよ、フレンの“お姫様”。行っといで」
「?」

フレンはまだ気づいていない。けれど、私には見える。
彼に相応しい光をまとった、高貴な少女の姿が。

(……行かないで。私を見て。……なんて、どの口が言えるんだろう)

今の私では、彼の沈んだ心に一筋の光さえ射してあげられない。
笑顔すら引き出せない私は、ただの重荷でしかないのに。

「フレン」

鈴を転がすような、清らかな声。
フレンの表情が、一瞬で「騎士」のそれに切り替わる。

「エステリーゼ様……」
「久しぶりですね」

再会を喜ぶ彼女の笑顔は、残酷なほどに愛らしく、中庭の風景を一気に塗り替えてしまった。
私の胸が、雑巾を絞るようにギュッと痛む。
戸惑うように私を振り返るフレンの視線が、今は何より苦しかった。
私は精一杯の虚勢を張って、口角を上げる。彼を突き放すように、その背中を軽く叩いた。

「いってらっしゃい。久しぶりの知り合いなんでしょ?」
「ヒロミ……」
「私はここで待ってるから。ね?」

本当は、行かないでと袖を掴みたかった。
けれど、私は物分かりの良いフレンの「友人」を演じきり、彼を光の中へと押し出した。

「ごめん。行ってくる」

背を向けて歩き出すフレン。中庭を歩く金髪の騎士と、可憐なお姫様。
木漏れ日が二人を祝福するように降り注ぎ、非の打ち所のない「一枚の絵」を完成させていく。

(……ああ、やっぱり。すごく、お似合いだ……)

ただ、遠ざかる二人の背中が、今の私と彼の距離をそのまま表しているようで。
私は冷たくなった指先をぎゅっと握りしめ、溢れそうになる何かを堪えるために。
ただじっとその「絵」を見つめ続けていた。

離れたところからも2人の声が聞こえてくる。

「わざわざシゾンタニアから、ご苦労様でした。街の人たちの安全を祈ってます」
「恐れ入ります」

フレンは少し元気が出たのか。笑顔で騎士としての最上礼の敬礼をする。

「今、帝都は微妙な均衡を保っています。
耐えねばならぬ事も多いと思いますが辛抱してください」
「こちらに来たのが私で良かった。ユーリならアレクレイ閣下を殴ってました」
「ユーリ?どなたです?」
「あ…いえ、」

その時、2人の会話を遮るように。何人もの騎士がエステリーゼ様を囲む。
…エステリーゼ様、外部との必要以上の接触を避けられてるんだ。
籠の中の鳥?もしかして軟禁されてるの?…せっかくフレンに笑顔が戻ったのに。

「それでは、お気をつけて」

エステリーゼ様が淑やかに一礼し、軽やかな足音と共に去っていく。

その後ろ姿を見送るフレンの横顔は、
私が一度も向けられたことのないような、穏やかで献身的な光を帯びていた。

私は、ただ突っ立っているフレンをずっと見続けていた。
かけるべき言葉なんて、どこを探しても見つからない。
それ以前に、せり上がってくるこの胸の苦しさのせいで、私は耐えきれず俯いてしまう。

此処まで、死に物狂いで来たのに。
結局、何の成果も得られなかったという事実が、重い鉛のように身体を引きずり込む。

アレクセイ様の冷徹な瞳が脳裏をよぎる。失望。
その二文字が、冷たい(くさび)のように心臓を突き刺した。
成果を手に戻ることさえ許されない私は、
もうあの方にとって価値のない存在になってしまったのではないか。
――アレクセイ様に、あんなにも冷ややかに失望されたことが。

フレンの視線の先に、もう彼女の姿はない。
それなのに、彼の瞳はまだあたたかな残光を追いかけているようで。
それが今の私には何よりも残酷な距離に感じられた。
フレンにどう言葉をかけていいのか分からない。
――エステリーゼ様に、あんなにも優しく微笑みかけるフレンの姿が。

そのすべてが毒のように回って、息がうまくできない。
私は知らず、両手を爪が食い込むくらいに強く握りしめていた。
震える拳が、霞んでいく地面が、次第にぐにゃりと滲んでいく。
目頭が熱い。……何で?

悔しいのか、悲しいのか、それとも彼が羨ましいのか。
自分でも分からない感情が、行き場を失って溢れ出そうとしていた。

「……そんなに強く握ったら血が出てしまうよ、ヒロミ」
「っ!?フレン…?」

いつの間に。彼が私の前に跪いて、私の握った拳を一つずつ解していく。

「っ、フレン、ごめん…私、何も、できなくて…っ、
アレクセイ様に、失望、された…お義兄ちゃん、に…顔向け、できない…」

私は溢れそうになる涙を見られたくなくて、顔を覆おうとした。
しかしフレンは立ち上がり、私の腕を掴んで立たせた。

「っ、ヒロミだけの責任にはさせない」
「フレン…っ!?」

そのまま腕を引かれ抱き寄せられた。
フレンの胸にかき抱かれ、彼の香りに包まれる。
そして彼は顔を近づけてきた。私の眦に溢れる涙を、口付けで拭ってくれた。

「僕の力不足でもあるんだ。自身を責めるのはやめるんだ」

そうして私が落ち着くまで抱きしめていたフレンに。
私はいつの間にか、心の苦しさまで綻んでいくのが分かった。

「…うん。ありがとう、フレン。早く戻ろう。隊長の指示を仰がないと」
「ああ。そうだね」

フレン、父親のことで苦しいはずなのに。それでも私を励ましてくれた。
私は貴方をますます好きになる。貴方の心に触れて癒したいのに。

でも、そんなフレンの父親に対する想いを利用する可能性、不安を私は感じている。

私は涙を拭い、首の後ろに手をやった。
そこにある古傷をなぞるように、指先に力を込めて擦る。
フレンの表情が、一瞬で騎士のそれに変わった。

「あと……ね。フレン。一つだけ。貴方の胸の中にだけ仕まっておいて」

私のこのアクションは、ナイレン隊における『最上級の警告』。
言葉にできない嫌な予感が、肌を粟立たせている証拠だ。

「ガリスタには気を付けて」
「えっ」
「私の勘だと、いつか貴方に仕掛けてくる時が来るかもしれない。…その時は冷静にね」

脳裏に、ガリスタのあの濁った瞳が浮かぶ。
彼は時折、獲物を見定めているような冷徹な眼差しをフレンに向けている。

「一年くらい前かな、私が入隊したばかりの頃、一度だけ隊長に警告したんだけど…。
物証もないのに仲間を疑うな、って、ひどく怒られちゃった。…私だけは、ずっと警戒してる」

あの時の隊長の怒声よりも、
ガリスタが浮かべた「完璧すぎる笑顔」の方が、私には何倍も恐ろしかった。

「……。」
「フレン。ガリスタの前ではどんなことを言われても動揺しないようにね」

フレンは動揺を押し殺すように拳を握りしめた。
彼は私が、根拠のない悪口を言う人間ではないと知っている。

「……分かった。僕は、僕を信じて言ってくれた君の言葉を信じる。
何があっても、あいつの前で心までは剥き出しにしない。気を付けるよ」

その言葉には、騎士としての誓い以上の、私に対する深い信頼が込められていた。

「はぁ~良かった。ありがとう、フレン^^」

張り詰めていた空気がふっと解け、私は大きく息を吐いた。

フレンは少し困ったように、
でも守るべきものを見つけたような優しい手つきで、私の頭をポンと一つ撫でた。

「さあ、これ以上ここにいたら、悪い影に追いつかれる。急いで帰るぞ」
「うん!」





「不手際だ」
「……。」
「きっちり始末させろ」
「ははっ…!」

アレクセイとグラナダは騎士団本部の奥へと入って行った。

 

 

騎士時代編(劇場版ルート)3


11

騎士団駐屯地の建物にある鍛練場で、ユーリとヒスカは模擬戦をしていた。
近くではランバートとラピードが伏せて、休みを取っている。
攻防のやり取りは白熱し、やがてヒスカの木刀が宙を舞って決着がついた。

「なぁ。訓練より森の魔物一匹でも倒す方がよっぽどいいんじゃねえか?」
「だーから!それは帝都の援軍が来てからでしょ」

そう話していた時。時刻は夕刻。
鍛錬場にエルヴィンが飛び込んできた。息切れがすごい。

エルヴィンの要請を受けて、
ヒスカとユーリ、ランバートは街から出た橋から様子を見る。

ここからでもよく分かるくらい荷馬車から火の手が上がり、
大きな蛇状の魔物に襲われている。

蛇状の一体が、ユーリたちを捕捉し向かってくるが、
結界魔導器に阻まれ事なきを得る。

「あんなの、見たことねえぞ!」
「街は結果が守ってくれる。早く!」

ヒスカの促しに、ユーリとヒスカは現場へと駆ける。

現場は戦場だった。
やられた魔物は横たわり、怪我人は騎士によって担ぎ出され。
ひとりでも多くを救おうと、ナイレン隊は魔術を使って牽制する。

「カンスケ!あっちまで退くぞ!」

荷馬車がまた1台のみ込まれ、ユルギスは住人を抱えカンスケを誘導する。
ユーリたちが出てきたとこから、住人が次々と避難してくる。
早速ランバートが、犬の魔物に向かって牙を突き立て、次々と倒していく。
ユーリも剣を抜き、ランバートに続く。
そのアクロバティックな動きで魔物を次々と切り伏せていく。
クリスが女性に肩を貸し、仲間に撤退を促す。

「エルヴィン!退くぞ!ユーリ、もういいぞ!下がれ!!」

だが、しかし。そこで女性が訴える。

「ああ…馬車に娘が…エマ…エマァァアアア!!!」

女性の切なる叫びは、ユーリの琴線に響き渡る。
倒れた荷馬車には幼い少女、エマが一人取り残されたいた。迫る魔物たち。
エマを食おうとしていた蛇状の魔物にユーリの剣が突き刺さる。魔物がいったん退く。
ユーリは子供…エマに向かって上空からスタッと着地。ランバートと共にエマの前に来る。
群がろうとする魔物2匹を一薙ぎで切り伏せる。漆黒の髪が翻り、エマはそれに見惚れる。

「ママんとこに行くぜ?」

ユーリはエマを抱える。

「ランバート、先に行け!」

ランバートが駆け出し、ユーリもエマを抱え駆け出す。
ユーリの後ろへ上空から矢が雨のように降ってきた。魔物を牽制する。

するとユーリが出てきた扉の方から、酒場で会ったギルドのメルゾムが出てきた。
おおきな棍棒で魔物を一匹一匹確実に仕留めていく。すごい腕力だ。

「倒れているやつは担いで連れていけ!」

ユーリはユルギスの元に走り寄り、やっと母子が再会を果たした。

「ママー」
「エマ…」

喜びに溢れ、エマの頬に口付ける母親の姿に、
ユーリは満足そうな顔になる。

だが、すぐに暴れ狂う魔物の方へと駆け出して行く。
ユルギスが止めるが聞かない。

「ユーリ!街まで退避だ!ユーリ!!」

ユーリとランバートはメルゾムのいる場所まで来て、隣に並ぶ。

「いいのかよ。金なんて出ねえぜ」
「おめぇのボスに請求してやるよ」

ユーリたちの目線の先には犬の魔物の群れが。
ランバートの他、軍犬2匹も吠える。

「アルゴス!」
「ショウ!」

ユルギスとエルヴィンが叫ぶが、2匹は奥へと駆け出して行ってしまった。

「ワンワンッ!」

ランバートも吠える。

「ランバート!!」

ユーリが声を掛けると、
ランバートは一度立ち止まり、首だけユーリを振り返る。

「…ランバート?」

静かな眼だ。まるで悟っているような。
「ラピードを頼む」と言っているようではないか。
だが直ぐにランバートは仲間の軍犬の後を追うように奥へと駆けていってしまう。

「ランバート!待てって!」

ユーリは駆け出す。メルゾムが止めるが耳に入っていない。

「ユーリ!チッ。手隙のヤツ来い!」

舌打ちしてメルゾムも後を追う。

「くそ!エルヴィン、ヒスカ、いくぞ!」

ユルギスの掛け声で、2人も駆け出す。


ユーリは落ち葉をどかして、足跡を辿ろうとするが、
どれが魔物でランバートたちのか分からない。

「っくそ、魔物のと混じって分かんねえ。ランバートー!!!」

ユーリは立ち上がって何度も呼びかけるが、音沙汰無し。

「アルゴース!!」

森深く、奥に行くほど草木は膝上まで伸び放題でなかなか前に進めない。
その間にも赤い粒子が立ち昇っている。濃いエアルだ。

「この前よりエアルが濃くなっている」

ユルギスは警戒し辺りを見回す。

「エアル?これが?」

ヒスカも辺りを見回す。

「通常エアルは緑色だが異常な濃さになると赤く変色するらしい」

ユルギスは説明する。エアルの異常さを。

「気が枯れたのも、生きもんが凶暴化してんのも、このエアルが原因か」

メルゾムがユルギスに視線をやる。

「おい!」

ユーリが怒るが、ユルギスは答える。

「我々はそう考えている」
「ったく。今更隠して、どうなるってんだ」

ユーリが剣を肩に、前へと進もうとする。
すると深い草叢の中を何かが走る。その速さに、ギルドの一人が捕食される。

「っひっひひいひ~親分ーーーーっ!!ひひひいっひひいいいいいい!」

叫び声と共に奥へと引きずり込まれ。最後にはぐしゃっと嫌な音が響く。

「野郎!!」
「メルゾム!」

メルゾムとユーリが叫びの方へと深い草叢を掻き分けて走る。

「待ちなさい!ユーリ!あいつは、もう!」

ヒスカの声も聞かず、どんどん先に行ってしまうユーリ。
ユルギスとエルヴィンは剣を抜いて、警戒している。

「警戒しろ!」

ユルギスの言葉と共に、ヒスカ、エルヴィンもユーリを追って走り出す。

草叢には口元の牙から血をしたたらせ、目が赤く光る軍犬が潜んでいた。
草木にはまだ捕食したばかりの人間の血が、赤々と濡れ落ちる。
メルゾムが、捕食されたギルド仲間の血にまみれた布切れを発見する。
それを放り、苛立ち立ち上がる。

「っ、くっそぉ!こんな危ねぇやつが街の近くにまで現れるたぁ」

その時。犬の唸り声に、ユーリが気付く。
それは探していたランバートの姿だった。
ユーリは喜ぶが、メルゾムは警戒していた。

「待て!ユーリ!!」

駆け寄ろうとしたユーリをメルゾムが制止する。
己の武器、棍棒をランバートに向かって正眼に構える。
ユーリは愕然とするが、ランバートが顔を上げた口元から滴る血が。
そして終いにはランバートだけではなく、他の軍犬2匹も含み、
異形な姿で蛇状の魔物に吞まれていた。

…まるで伝説にある、“ケロベロス”のような。

その場に居る皆は愕然と見上げる。
ランバートやその仲間たちが呑まれた姿を。

しかし蛇状の魔物は瞬時に襲い掛かり、
またギルドの一人を捕食して、上空に昇る。

捕食されたギルド員は叫びを上げながら、やがて、また嫌な音ともに噛み砕かれた。
上空から滝のように血の雨が降り、ユルギスやエルヴィン、ヒスカを襲う。
草叢に隠れていたユーリが、顔を出し、ランバートを飲み込んだ蛇状の魔物を目で追う。
蛇状の魔物はユーリの辺りを旋回して、変わり果てたランバートにユーリは困惑する。

「…ランバート…」

血の雨を浴び、己の両手を見て身体が震えるヒスカ。絶叫する。
その叫びに、変わり果てたランバートがヒスカを捕捉し、ヒスカに襲い掛かる。
彼女は必死に抵抗する。

「ランバート!やめて!ランバート!」

ユルギスとエルヴィンが剣で牽制する。
ヒスカから捕捉は外れたが、小人数では太刀打ちは難しい。
ユーリは呆然とその様子を見つめる。

「やめろ…ランバート。ランバート…」

メルゾムが弓を出し矢を番え、魔物へ発射する。
蛇状の魔物は暴れ回り、ユルギスたちの方にも旋回する。
その際エルヴィンが捕まり、暴れ回る。ユーリは小さく呟く。ランバート…と。
息切れを起こしたヒスカにまでジリジリる迫ったランバートに、
ついにユーリが叫ぶ。

「ランバァート!!!」

ユーリの叫びにも似た呼びかけに、魔物――否、ランバートが振り返った。

「っく」

ユーリは決断し、ランバートへ剣を正眼に構える。ユーリは駆け出す。
ランバートもユーリを捕捉する。
血の付いた牙を向け、大口を開けて襲い掛かる。

「ランバート…ごめん…!」

ユーリは心でランバートに詫びる。
今まで過ごしてきた思い出が走馬灯のように脳裏をよぎりながら。
ユーリはランバートへ駆けながら剣を振りかぶり――斬った。
ユーリの艶やかな黒髪が翻り。蛇状の魔物は倒されたのだった。


ユーリたちがランバートを倒し終わった後。時刻は夜を迎えていた。
街を守っている結界魔導器が水色に光っている。
皆の心には暗雲が立ち込めている状況で、
雷が鳴りだし、より一層、心を重くする。

ユーリは剣を手にしたまま無表情でシゾンタニア駐屯地の建物に戻ってきた。
建物に入る際の金柵を開いた時。剣を自分の顔の前に掲げ、思い出す。
…ランバートを斬った時の、彼の断末魔が、耳から離れない。

「…っ、…っ、くっそぉっ!!」

ユーリは顔をくしゃりと歪ませ、激情のままに剣を地面に叩き付けた。

カラカラと剣が転がる音の後に、
「ワンッ!」と仔犬の鳴き声が聞こえ、ユーリはハッとする。

金柵の向こうから走り寄ってくるのは、ラピードだった。
小さな尻尾をフリフリと振っている。

ユーリの元に走り寄り、数回、周りを走り回った後、
地面に倒れている剣に鼻をひくつかせている。

そこには斬った父の残り香が残っているのか。
ラピードは数歩歩き、ちょこんとお座りをする。
尻尾がフリフリと揺れており、首を伸ばしては、キョロキョロ。
まだかな?と、父の帰りを今か今かと待っているようである。

その健気な姿に。ユーリの気持ちは堪らなくなる。
ユーリはラピードの後ろに歩み寄り、跪いて。そっと抱き上げ、顔を埋める。
ラピードを持ち上げた際、咥えていた光もののスプーンはカランと落ちる。
ユーリの眼には一筋の涙が。ユーリは確かに泣いていた。

「ごめんな…。ラピード。オレ、おまえの父ちゃんを…」

涙を流すユーリに気付いたラピードは、ユーリの頬に伝う涙を懸命に舐めている。
泣かないで。どうか泣かないで、と。励ますように。
ユーリの涙を隠すように、雨がポツポツと降り出してきた。
ユーリとラピードは暫し、そのままでいた。

雨が降り出して暫し。隊長とシャスティルがマントを頭から被り馬で帰還した。
隊長は馬上からクリスに訊く。クリスは敬礼している。

「何があった」
「橋の向こうまで魔物が来ました」

シャスティルもマントを脱いで、その場に居る呆然としているヒスカに気付く。

「ヒスカ!」

急いで馬から降りて、妹へ駆け寄る。
ヒスカは被った血を洗い流したが、
やはりランバートのショックが抜け切れていないようだ。

「ヒスカ、大丈夫!?ヒスカ!!」

シャスティルはヒスカの両肩の横を掴んで揺すった。正気かどうか確かめるために。

「ランバートたちが…魔物みたいになって…みんなが…それで…ユーリが…」
「ヒスカ…」

ぽつぽつと、か細い声で説明するヒスカは身体が震え、今にも泣きだしそうになる。
シャスティルはそんなヒスカを労わるように、ぎゅっと抱きしめる。
そんな双子の様子を隊長は静かに、けれど厳しい眼で見守っていた。


一方、ユーリは厩でラピードと一緒に身を寄せ合って眠っていた。

「ん…」

気配を感じたのか、
ユーリが目を覚まし起き上がると、ラピードがコロンと転がる。

その気配は隊長だった。
木箱の上に座り、キセルをふかして静かに見守っていたのだ。
隊長はキセルを口から外し、ふぃーっと煙をふかした。

「聞いたよ。ラピードの世話、頼むな。当分、寂しがるだろうからな」

ラピードはくぅくぅと可愛い寝顔で寝ている。

「すみません…」

ユーリは落ち込んだ顔で隊長に詫びる。

「謝らなくていいんだよ。さ、部屋に戻れ」

そう言って、隊長はキセルを銜えながら、
木箱から立ち上がり、最後にユーリを一瞥すると行ってしまった。

「風邪ひくなよ」

そう、ユーリに一言、言い残して。


************


森の奥で一つの爆発音が響いた。
赤い粒子が漂うエアルの中で必死に逃げ惑う男の兵士が一人。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」

怪我がひどい。腕に嵌めている魔導器の魔核は赤く光っている。
走る男は後ろを振りかえる。すると仲間であろうか、助けを呼んでいる。

「ま、待ってくれーっ!」

だが、魔物に捕食され、「うわぁーっ!」と叫び声が聞こえた。
逃げる男は仲間を置いて振り切ってきたのだ。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」

やがて。足元に緩い崖があり、落ちて転ぶ男性。
起き上がると、魔導器が赤い電撃が走り、動揺して手甲を外して放り投げる。
放り投げた魔導器付きの手甲はやがて爆発し、土煙を上げた。



ギルドのメルゾムに頼まれ、調べものをするため外に出てきたレイヴン。
雨が降る中、人一人が通れる道をよろよろと歩き、崖の壁に凭れて溜息を吐く。

「ふう。おっさんには堪えるな。この道は」

そう言い、顔を上げる。
すると上には大きな鉄橋があり、そこに一人の男が走っていた。
さっきの、仲間を見捨て逃げ出してきた男性である。

「こんな時間に何だ…?」

レイヴンは不振に思い、そっと静かに鉄橋の下へと歩み寄っていく。
鉄橋の真下には水の排出口があり、これ以上近づけない。
近付ける限界まで近づき、レイヴンは見上げ、ジッと目を凝らす。

「本当ですっ。魔術を使おうとしたら、いきなり魔導器が爆発したんですっ!」

すると声が聞こえてきた。報告なのだろう、動揺する声だ。
それにレイヴンの眼は見開いた。

「(魔導器が爆発?アレクセイ親衛隊…!?)」

仲間を放って逃げてきたのは、なんとアレクセイの親衛隊の者だった。

「(相手は誰だ?っ、くそ…!)」

限界まで覗き込んでも姿は確認できなかった。
レイヴンは内心、舌打ちし場所を変える。
ぐるりと回り、今度は崖の壁に背を凭れ、その眼で確認すると眼をまた見開く。

「(なに…!?)」

レイヴンは顎に手をやり、目を細め思案に耽る。
その間にもターゲットは遣り取りを進めていた。

「それでは、この報告書を」
「お預かりします」

報告書を預ける場面をバッチリ目撃したレイヴンは鋭い目つきで追う。
そして誰も居なくなったのを確認してから鉄橋の前に出てくる。
街の方を見ると微かな街の光が洩れている。

「なんだか、ややこしいことに、なっちまったなぁ」


同刻。
ナイレン隊長も報告を受けたのか、
小さい紙に何かを書かれているのを厳しい眼差しで読んでいた。
やれやれと頭を搔いている。また厄介なことは勘弁してくれ、というように。


************


雨の降る中、ユーリは買い物をしていたのかお店から出てきた。
するとユーリは向こうの方で人の集団がいるのに気づいた。
悲しみに暮れる女性に、沈痛な面持ちで傘をさしてやる男性。
そして街の人によって運び出されていく棺桶。また誰かが亡くなったのだ。

ユーリは静かに、しかし真剣に目に焼き付けている。
この街の現状が今、切迫していることを。

棺桶は馬車によって乗せられていった。

馬車が走り出すまでユーリは見届け、
ラピードの待つ駐屯地へと方向転換。歩き出す。

「お兄ちゃーん」

駐屯地に行く途中、ピンクの傘を差した少女、
エマがはぁはぁ言いながら走り寄ってきた。
ユーリを見かけ、傘をさしていないのに気付いたのだろう。傘を差し出した。

「これ、あげる」
「え」
「昨日は、ありがとう。えへへっ」

そう言ってエマはニコッと微笑んだ。花のような笑顔。
そうしてすぐに母のいる下に走り寄り、母の後ろに隠れてしまう。
きっと照れているのだろう。ユーリの初恋ドロボウはここでも発揮されている。
エマの母とエマは、一緒にペコッと一礼して行ってしまった。
ユーリに、ピンクの傘…。なんとなくミスマッチである。

さっそく厩に帰ってきたユーリは器に餌を盛り、ラピードの前に置く。
するとモリモリと元気よく食べ始めた。ユーリはそれを微笑ましく見つめていた。

その時。
馬のぶるるという鳴き声が聞こえた。そう、フレンとヒロミが帰ってきた。



12

私たちは馬を厩に預け、装備を外し、濡れた髪やら顔を拭いていた。

「フレン、風邪ひかないうちに、お風呂に入ってね」
「ああ…」

すると離れたところに気配が。ユーリだった。

「あ…ユーリ。ただいま」
「…フレン、ヒロミ」

差し出された言葉を拒むように、フレンはユーリから視線を逸らした。
父親という(とげ)がいまだに心に刺さったまま、抜くこともできずに疼いている。
苛立ちをぶつけることさえためらうほど、その傷は深く、生々しい。

二人の間に流れる空気は、触れれば切れてしまいそうなほど張り詰め、
ユーリもそれ以上、その沈黙を破る術を持たなかった。

…そういえば、ランバートがいない。

ぶるりと身体が震える。いやな予感が最高潮に達する。

(居るのはラピードだけ…。ランバート、まさか…!)

私はラピードを見て、見開いた眼でバッとユーリを見る。彼は眉を寄せ目を伏せた。

(…やっぱり。そうなんだ。ランバート…っ)

私が悲しみに眦に涙を浮かべた時。
苛ついていたフレンは言ってはいけない事を言ってしまった。
ユーリの地雷だ。首元を拭きながら、ユーリの顔を見もしないで。

「犬の世話役は気楽でいいな」
「フレン…っ!」

フレンの吐き捨てたその声は、いつもの凛とした響きを失い、ひどく濁っていた。
苛立ちを隠そうともせず、彼は乱れた騎士団の制服の襟元を無造作に正す。
その指先が、微かに震えていることに彼は気づいていない。

ユーリの瞳から光が消え、底冷えするような暗い色が宿る。
一歩、また一歩と詰め寄る足音が、やけに重く地面に響いた。

「……。何……? おまえこそ気楽でいいよな。式典で前習えは出来たのか?」

低く、地這うような声。
それはかつての幼馴染に向けるものではなく、明確に「敵」を射抜くためのものだった。

二人の間に流れる殺気に、ラピードが低く「グルル……」と喉を鳴らす。
だがその声は威嚇というより、悲しみに耐えかねた慟哭のように聞こえた。
ランバートがいない空虚を一番理解しているのは、彼なのだ。

止めなきゃいけない。
でも、今のフレンに何を言っても「騎士の誇り」という盾で跳ね返される。
今のユーリに触れれば、その怒りの火に焼かれてしまう。

…マズイ、このままじゃ喧嘩になる。でも2人とも心に傷を負っているのに。

(どっちかを止めれば、どっちかをもっと傷つける気がする…止められない!)

喉の奥が熱く、せり上がる涙のせいで声が出ない。
二人の絆が、今まさに目の前で音を立てて壊れていく。

その間にもフレンの苛つきは、すでに沸点を超えていた。

「どいてくれっ! 僕は君と遊んでいるほど暇じゃないんだ!」

吐き捨てるように言い放ち、フレンは邪魔だと言わんばかりにユーリの肩を突き飛ばした。

しかし、よろめいたユーリの口から飛び出したのは、
一番言ってはならない、呪いのような言葉だった。

「親父が騎士団員だと贔屓してもらえていいよな」

その瞬間、空気が凍りついた。
それは、フレンが血の滲むような努力で積み上げてきた誇りを踏みにじる言葉であり。
――同時に、同じ境遇にいた私の胸を鋭く抉る「地雷」でもあった。

「っ……!」

フレンは今まで見たこともないような、激しい怒りを露わにした。
物凄い形相で振り返り、ユーリを殴った。

「フレン!?」

ユーリは地面に尻餅をついている。
フレンは、はぁはぁと大きく息をしている。本気で殴ったのだろう。
きっと父親の事だけじゃない。私の分まで相乗して殴ったんだと思う。
私が涙を見せ弱い所を見せたせいだ。フレンは私の分まで怒ってる。

「てめぇ……そういうのだけは、いっちょ前だなっ!!」

ユーリの瞳にも暗い火が灯る。そう言い、口元を拭ったユーリもフレンに殴りに掛かる。
雨脚が強まる中、2人は取っ組み合いの喧嘩になる。

「ユーリ!フレン!やめて…もぅ、やめてよ!」
「ワン!ワン!ワォーン!ワオオォォォン!」

私の腕の中でラピードが吠え、遠吠える。
腕の中の体温だけが唯一の救いなのに。
目の前の二人を止められない無力感に、私の心は張り裂けそうになる。


結局、ラピードの遠吠えでナイレン隊の男子が駆け付け、2人を引きはがし。
私とユーリとフレンは、隊長室に呼ばれた。

私はボコボコに腫れた2人の顔にファーストエイドをかける。見てられないもの。
2人は互いにそっぽを向いていた。私はフレンの隣に立っていた。

「お前ら…ヒロミはともかく。何度そこに立たされんだよ。
ちょっと風呂入って来い。話はそれから」

「んな呑気な事、してる場合じゃねえ!早くなんとかしねえと!」

ユーリが隊長に訴える。

「すぐには無理だ。式典後じゃないと援軍は出せないそうです」

フレンはアレクセイ様の言葉をそのまま報告する。

「現場を保持せよ、との命令でした」
「後ほど書類をお持ちします」

私もフレンに続き報告し、フレンは書類を持ってくると言った。

「…そうか。ご苦労」

ナイレン隊長は重々しく労いの言葉をかける。
だが、ユーリは納得いってないらしく、フレンと私に怒る。

「おまえら、ちゃんと状況の説明したのか!」
「したよ!でも、これが本部の決定なんだ」
「アレクセイ様はカンカンだったよ…」
「式典の後だなんて…そんな雄著なこと言ってる場合か!」
「僕だって、ヒロミだって、言ったよ!
でも本部にとって優先されるのはこっちじゃないんだ!仕方ないだろ!」
「人が死んでんだぞ!」
「僕の努力が足りないってのか!」
「ユーリも、フレンも、もうやめてよ!ここで言い争っても何も生まないじゃないっ!」
「そうだ。もうやめろ!」

私とナイレン隊長の制止に、2人はそっぽを向いた。

「フレン、ヒロミ。いやな役回りさせちまったな。配慮が足りなかった。すまん」

フレンは俯く。だがユーリは納得していないようだ。

「隊長!!」

しかし隊長は指さし、言い聞かせるように口を開く。

「事態はさらに悪化している。これ以上、魔物が押し寄せてきたら街を守れん!」
「……。」

ユーリはムスッとしている。

「明日、遺跡の調査に向かう」
「!」

私も目を見開いた。そんな、早急では…!
隊長の隣に控えていたガリスタも、フレンも驚く。
ユーリは嬉しそうだ。口元が綻んでいる。街を守るために行動できるからだ。
だがフレンはすぐに制止をする。

「無茶です!強行すれば犠牲者が出ます!本部に命令に背いては…っ」

フレンはそこまで言って、ハッと現実に返り、気まずそうに視線を逸らす。

(フレン…。お父さんの事、まだ…)

「親父さんのことか…」
「父は…あの人は命令を無視しました。本部は攻撃を制止したのに」
「あん時だって下町の人が死んだんだ。おまえや、町の人を守るためだろ」
「父は命令違反をして死にました!後には何も残りませんでした…。
私は父と同じ過ちは犯したくないんです…!」

隊長は溜息を吐き、席を立って窓際に向かい、雨の降る外を見る。

「オレたちはここで生活している人たちを守るためにいる。それが騎士としてのオレの務めだ」

隊長はフッと笑い、フレンに目線をやる。

「フレン。お前の親父さんの行動が過ちだったのか、
答えを出すのは、もう少し騎士をやってみてからでもいいんじゃねぇか?」

そして、今度は私に目線を向けてきた。

「ヒロミも。悪かったな」
「え?」
「お前の家族に甘えていたことは確かだ」
「いいえ。私も少し甘えていたと思います。アレクセイ様に叱られて目が覚めました」

私も頷いて。この話はもう終わりだ、と隊長に目で促す。

「明日、早朝に出動だ。いいな?ガリスタ、みんなに通達してくれ」
「…はい」


フレンは入浴を終え、鏡の前で頭を拭いていた。
鏡を見ながら、思い出すのは幼い頃のことだ。
父に鍛えられていた頃を思い出し。
負けて悔しくて、涙がにじんで。大きくて暖かい父の掌が自分の頭を撫でてくれて。
ともに笑いあった。無精髭が似合う騎士だった。

共同部屋に戻ると。また床に水の跡が点々としているのに気付くフレン。
先にユーリが入ったのだろう、フレンはまたイラッとする。
また小言を言いかけ口を開くが。言葉は出なかった。
もう喧嘩はしたくないのだろう。

「…さっきはゴメン。ランバートが死んだとは知らなくて」

フレンはドアを閉めてベッドに座る。
ユーリはベッドに仰向けで寝ていた。

「いや、オレも。まさか援軍、断られたなんてな…」

「父の遺体は戻ってこなかった。少ない遺品を返されただけだった。
死んでしまったら終わりだ。何も残らない。だから明日の出動には納得していない」

「すぐ近くの森まで魔物が来てる。街の中にまで入ってきたらどうすんだ」

「結界があるんだ。そんな簡単に入れるはずがない」

ユーリは身を起こす。

「オレは隊長に付いていく」
「この隊だけでは無理だと判断したから援軍を頼んだんだろ。待つべきだ」
「その間に被害者が出る。もう嫌なんだよ!誰かが死ぬのは!」
「僕たちだって死んだら終わりだ!」

話は、また平行線になる。

「ラピードの所へ行ってくる」

ユーリはブーツを履いて立ち上がり、部屋を出て行く。


************


私は入浴しずに隊長の部屋を出て、すぐにラピードのとこに向かった。
ユーリの表情に、私の勘は当たってしまった。
…ランバートはもうこの世にはいない。

私とランバートは隊の中でも互いに、
一足早く“何か”を知らせるパートナーでもあった。

もう相棒のような。家族のような感じだった。
でも離れていた間に彼はもう居なくなってて。
厩に到着した。…私の足音に起きたのか「わふ」と鳴いた。

「…ラピード…」
「ワン」

ラピードが私に掛け寄ってきた。
父とすごく仲が良かったのを傍で見ていたのか。
私に懐くのも比較的に早かった。尻尾がフリフリと揺れている。
彼のつぶらな瞳を見て。

「っ、ラピぃード…っ!」

込み上げてくる。私はラピードを抱き上げで、そっと頬ずりをする。
するとラピードがぺろぺろと頬を舐めてきた。私は知らず、涙を流していた。

「ランバート…。もう居ないんだね。
…ね、ラピード。貴方のお父さんは勇敢な戦士だったよ」

「ワンッ!」

私は藁が敷き詰められてる上にラピードを下ろし、傍で横になる。
またラピードを抱き締めて、彼で暖を取るようにぐっと縮んで丸く寝転ぶ。

「ラピード。温かい。ね、少しだけこうしてていい?」
「ワン」

軽く鳴いて私の頬を舐めるラピードに。
私は「ありがとう」と彼の頭を優しく撫でた。

沈黙では寂しかろうと、
私はランバートとの思い出をいろいろラピードに話して聞かせた。
ラピードは本当に賢い。相槌を打つように「ワン」と鳴いて。私とお喋りしてくれた。
ラピードの頭を撫でながら、お話をしていくうちに。ふぁ…と欠伸が。

「ごめんね。ラピード。少しだけ一緒に寝よっか。ね?^^」
「ワフッ」

私の頬にスリスリと擦り寄ってきた。
ああ。ラピードは雨の中でもお日様の様な優しい香りがする。
だんだん眠気に抗えず、私はラピードを抱きしめたまま意識を手放すのだった。


************


フレンとぶつかって逆立った神経が、目の前の光景に嘘のように凪いでいく。
そこには、無愛想な相棒であるはずのラピードと、小さく丸まって眠るヒロミの姿があった。

「……ヒロミとラピードがなんで」

驚きよりも先に、胸の奥を温かいものが通り過ぎる。
ラピードの規則正しい呼吸に合わせて、彼女の肩が小さく上下している。
どっちも、この世界の喧騒なんて忘れたみたいに、深く、心地よさそうに。
だが、安らかな時間は長くは続かなかった。
ヒロミが苦しげに身じろぎし、その唇から震える声が漏れる。

「ぅ…ん。ランバート……」

心臓を直に掴まれたような衝撃が、オレを貫いた。
彼女の眦に、溜まっていた悲しみが形を成すように、ぷっくりと涙が浮かんできて。

そうだ。忘れていたわけじゃない。忘れるはずもない。
ヒロミにとってランバートは、ただの関係じゃなかった。
隊の中でも、誰より心を預けた特別な相棒だったんだ。

フレンと取っ組み合いになる直前。
彼女がオレの顔を見て見せた、あの弾けそうなほど悲しい顔。
鋭い勘を持つ彼女は、オレがこれから何をするつもりなのか、言葉にしなくても悟っていたんだろう。

(……ヒロミ。ごめん)

心の内で繰り返した謝罪は、彼女には届かない。
膨らんだ涙は重さを増し、今にもその頬を伝い落ちようとしている。
オレは、自分がひどく身勝手なことをしている自覚があった。

だが、体が勝手に動く。
ラピードの鼻を鳴らす音すら立てないよう、細心の注意を払って彼女の傍らへ膝をつく。

……そして。

落ちる寸前のその雫を、指ではなく唇で直接、そっと掬い取った。
微かに触れた肌の熱と、涙の塩分が舌先に残る。

これ以上、こいつの夢が雨に濡れることがないように。
これ以上、この瞳から悲しみが溢れることがないように。

せめて、彼女が目を覚ました時、最初に見る景色が「一人」じゃないことを願って。

「ん…ぅん、ユーリ…?」

しかし彼女は隊の中で一番 勘が鋭い人間だ。
すぐにオレの気配に目を覚ました。

「悪ぃ。起こしちまって」
「ううん。いいの。ラピードが寂しくないようにユーリが世話してるんでしょ?」
「ああ…」

ヒロミは完全に目を覚まし、慈愛溢れる眼差しで寝ているラピードをそっと撫でた。

「おまえ、風呂は入ったのか?こんなところで寝てたら風邪ひくぞ」
「あー…お風呂はまだ。ね、ユーリ。こっちこっち」
「?」

ヒロミは自分の真横の藁に手をポンポンと叩いた。そっちに座れってことか?
彼女の隣に行き座ると、久しぶりのヒロミの香りに胸がドキッとする。
すると驚くことに。ヒロミはオレに抱き着いてきた。そうしてオレの頭を一撫でした。

「ユーリ。ユーリがランバートを止めてくれたんだね。聞いたよ」
「!!」

「…ありがとう。ランバートもきっと感謝してると思う。
最後は貴方の手で逝けたこと。彼もあれ以上、誰も殺したくなかったと思うから。
ユーリ、辛い役、よく頑張ってくれたわ。そして…貴方の、誰も死なせたくないと思う心は。
優しさは。なくてはならないものよ」

「…っ、ヒロミっ」

「わっ!?ユーリ…?」

なぜ。ヒロミはオレの欲しい言葉を言ってくれるのだろう。
なぜ。ヒロミはオレの気持ちが手に取るように分かるのだろう。

ああ。ああ。やっぱり。おまえが好きだ。

オレはヒロミを力一杯、抱きしめ返した。
涙を流す代わりに、この込み上げる想いが抱きしめる力で伝わればいいのに。

すると思いが通じたのか。
ヒロミも身じろぎし、俺の背中にあった両腕に力が籠る。

「ユーリ…。貴方は本当に隊長の信念と同じね。尊敬するわ。
今を生きる人、目の前にいる弱い人たちを放って置けない、優しい人ね」

ヒロミの香りに包まれて。
ヒロミの鼓動が聞こえてきて。
ヒロミの声が耳に伝わっきて。

「オレは、優しくなんか…」

ヒロミは首を横に振った。
優しくなんか、のとこで口元を制された。ヒロミの人差し指で。
そして手をオレの頭に持っていき。

「そんな貴方をこれまで育んでくれた下町は本当に温かいところよね。私も下町が大好きよ^^」

ヒロミのくれる言葉は本当に温かい。また込み上げてくる。泣きそうになる。
ぐっとオレの胸元にかき抱く。…オレの顔を見ないでくれ。頼む。今だけは。

「……ユーリ?」

でも。もう少し。もう少しだけ、このままでいて欲しい。
この温かさが離れ難いんだ。
ヒロミは勘が鋭いから、きっとオレの気持ちも汲んでしまうんだろう。

しばらくジッとしていた。
ふと時間が経過して。また、そっと頭を撫でてきた。

「ユーリの温かい鼓動が聞こえる。貴方が一日も早く元気になりますように。よしよし」

なでなで、と撫でられ。すっとオレの髪を梳かれた。
それにオレは一気に脱力した。

「だから…オレは犬じゃねえって何度も言ってんだろ」
「え。じゃあユーリは猫派なの?」
「(ぎく)」
「へぇ~。意外~^^」
「ち、違う違う!」
「私の勘はそう言ってます。諦めなさい、ユーリ。うふふ^^」
「……。」

こいつの野生の勘はマジで怖ぇ。さすがランバートと競うように隊を支えてきただけある。
オレは盛大に溜息を吐いて、抱きしめるのをやめて解放した。

「大丈夫よ。誰にも言わないから」

ヒロミはそう言って、眠っているラピードを優しく撫でている。

「さてと。お風呂に入らなきゃね。ユーリ、ラピードをお願いね」
「あ。お、おう」

両手で赤ちゃんを抱っこするみたいに渡されて、またドキッとする。
こいつが母親になったら…なんか、すごく似合うなーと思う。
ヒロミはラピードを起こさないよう、そっと立ち上がって伸びをする。

「じゃあね、ユーリ。おやすみなさい」
「おう。おやすみ」

ゆらゆらと揺れる長い長い三つ編みを見ながら、オレはヒロミを見送った。



13

駐屯地の屋敷にある書庫にある、応接場に隊長とガリスタは居た。
ガリスタは飲み物に、赤ワインのコルクを開け、ワインカップ2つに注ぐ。

「先ほどの話ですが。考え直して頂けませんか。
明日には式典も終わります。援軍を待った方が」

そう言い、カップ2つを持ち、片方を隊長の前の机に置き、自らも座る。

「隊を整えてここに来るのに何日かかると思ってる?」

ナイレンはそう言い、
机に置かれた自分の分のワインを手に取り、口に含んで飲む。

「ですが…」
「(んく) それにな、援軍が来る前に片付けちまいたいんだよ」
「何故です」

ガリスタの問いに、ナイレンは内心の思いを語る。

「アレクセイ閣下は魔導器に関心が高いと聞いている。
もし遺跡に強力な魔導器があるのなら壊さずに持って来いと言いかねん。
エアルを異常な状態にし、生き物を凶暴にしちまっている。
留守の間に街の人間、隊員、家畜に被害が出ちまった。
オレぁ、これ以上、犠牲者を出したくねぇんだ」

「…分かりました。ルートを検討します」

ガリスタは不承不承ではあるが了承した。顔は仕方ないって感じだが。

「すまん。それと魔導器を持っていくかどうか迷ってる。
エアルの影響を受けて暴発でもしたら…」

「しかし。魔術が使えないと…隊の士気にも影響が出ましょう。
我々はまだ魔導器のエネルギーとなる魔核を、
完全にはコントロール出来ていません。
前回も発送のタイミングがずれただけでしょう」

ガリスタの言葉に、ナイレンは重々しく頷いた。

「……わかった。魔導器は持っていこう」

ナイレンの決定に、ガリスタは眼鏡をくいっと掛け直した。


************


隊長執務室には、魔核でランプの灯を灯し、
キセルを置いてある、そこから煙か静かに立ち昇っている。
ランプの横には写真立てが。ナイレンの家族がにこやかに微笑んでいる。

ナイレンはひとり執務室で物思いに耽っていた。
横の小さい机には、氷を入れた金属器とグラス、ウイスキー、
それからブドウジュースが入った瓶と空のコップがあった。

そこにノックの音がしてナイレンはそっちを向く。

「ユーリです」
「おーう。空いてんぞぉ」

ドアを開けて入ってきたユーリ。

「どうした」
「あ。いや。なんか、ちょっと眠れなくて」
「ガラじゃねえな」
「ぁ…」

ユーリは困惑して、ナイレンの手前横の椅子に座る。
ナイレンはユーリに空のコップにブドウジュースを注いで渡してやる。

「ほい。おまえはジュース」
「どうも」

ふとユーリは写真立てに目をやった。そこには若い頃のナイレンの姿が。
美しい黒髪ソバージュの奥さんが並び、くりくりお目めで愛らしい子供が、
若いころのナイレンに抱っこされてカメラの方を向いている。

「奥さんと娘さん?」
「ん?ああ。2人とも死んじまったがな。ある事件でな、守ることができなかった」

そう言ってナイレンはウイスキーを一口含んで飲む。

「あの頃のオレは今以上に帝国の命令が絶対だと思ってた。
自分の判断で動いてれば助けられてたかもしれなかったのに。
ま、その後、色々あって田舎に飛ばされたって訳だ。
此処、帝都から離れてて色々、気楽でいいんだよ。
今回はそれが仇になってるがな。でも同じことは繰り返したくはねぇんだよ」

そうして、しみじみとナイレンは思い出すように目線を上にやる。

「フレンの親父さんは偉いよなあ。あいつはえれえ否定的だが。
オレは尊敬してんだけどなぁ。やっぱ大切なもんは自分の手で守りたいんだよ」

ユーリはナイレンの話を聞きながら、しみじみ思う。
ヒロミが言っていた通り…どこか自分に似ている、と。


************


一方、ユーリとフレンの自室では。
フレンはベッドに仰向けになり物思いに耽ったいた。
そこにノックの音が。

「はい」

訪ねてきたのはナイレン部隊の軍師であるガリスタだった。
ガリスタはフレンを書庫へと案内する。話があるようだ。

「すみませんね、こんな時間に」

と言って、振り返ったガリスタの背後には、
不思議な造りの装置のようなものがある。

ヒロミは書庫に来る度にそこを見ては首を傾げ、ガリスタのいないところで、
首の後ろを擦っていた。…これは、まだ誰にも知られていないことだ。

フレンは自分を呼び出した旨をガリスタに問いかける。

「なんでしょう」
「座りませんか」

ガリスタはソファに案内する。しかしフレンは恐縮する。

「あ、いえ…明日、早いですし」
「納得していないようですね。明日の出動」

ガリスタはフレンを視線だけで振り返る。

「私の気持ちなど。騎士団の一員なのですから」

「私もねぇ今回のフェドロック隊長には少々困りました。
何故わざわざ隊を危険にさらすのでしょう」

「私も…本部の命令通り、
援軍が来るまで街を守ることに徹するべきだと思います。…あ」

ガリスタの言葉にフレンも同意する。しかしハッとする。
だがガリスタはフレンの言葉“だけ”を受け取ったようで嬉しそうにフレンを振り返る。
フレンの本当の心を知ることもなく。

「どうやらあなたはお父様とは違うらしい」
「ぇ…」

フレンは一気に視線を厳しくさせる。
そして思い出す。ヒロミに以前、言われた事を。

『ガリスタには気を付けて』
『いつか貴方に仕掛けてくる時が来るかもしれない。…その時は冷静にね』
『ガリスタの前ではどんなことを言われても動揺しないようにね』

彼女の言葉を思い出したフレンは、内心ハッとする。
今がこの時なのだと。

「以前、お目に掛ったことがありましてね。
今回のフェドロック隊長の行動がお父様に似ていると思ったものですから」

フレンは更に顔を険しくさせ、ガリスタを睨みつける。

「しかし。アレクセイ閣下は絶対です。
お父様もフェドロック隊長も命令に従うべきです。フレン・シーフォ。
あなたは命令違反と分かっていて行くのですか?」

何故、自分だけ呼び出されたのかフレンは不審に思う。
やはりヒロミの勘は侮れない。

「一騎士である以上、この街の責任書には従います。
全てを納得しているわけではありませんが。
隊長の言葉の真意を知りたいという気持ちもあります」

ガリスタが疑わしい以前に、フレンはナイレンの真意を知りたいのも本当だ。

「失礼します」

フレンは一礼して、書庫を出て行く。
フレンを見送るガリスタは険しい顔をしていた。

「(彼だけはアレクセイ閣下の良き手足になれたかもしれんのにな)」

こうして。ヒロミが事前にフレンへ警告していたお陰か。
フレンの最悪な未来は回避されたのだった。


************


夜。
ユーリは自室にまだ戻らず、
ラピードと酒場の裏側に面した上の場所から下を見下ろしていた。
そこには飲み過ぎた酒場の客が、酒場の裏で吐き戻していた。
それを心配そうに酒場の接客である、お姉さんが優しく背中を撫で介抱していた。

「うおっげえへぇぇ~~」
「ちょっと大丈夫?」
「俺ぁ死んだあいつの分まで飲むんだ…うおぇぇぇ。っち、飲み直しだぁ」
「もう帰りなさいよ」

そうして酒場のドアが閉まった。
どうやらギルドで死んだ仲間の分まで飲んでいたようである。
それをユーリとラピードは最後まで見ていた。「っくしゅ」とくしゃみをしたラピードを抱え込む。

「帰るか」

ユーリは夜空を見上げる。そこにはたくさんの星々が煌めきと。
街を守る結界魔導器の光が輝き、赤い一等星が、より一層の輝きを見せていた。



私はお風呂に入って、執務室にまだいるであろう隊長を訪ねる。

お風呂に入っている時。
天啓が来たように、雷に打たれたように野性の勘がピシャン!と落ちたのだ。
私は身体が震えそうになるのを何とか堪え。固い表情のままドアをノックする。

「隊長、私です。ヒロミです」
「おーう。入ってくれ」
「失礼します」
「なんだ。ユーリの次はおまえか。おまえも眠れないのか」
「……。」

私は黙って隊長の前にある椅子に座る。
何も言わない私を不審に思ったのか、顔を覗き込んでくる。

「? どうした?ヒロミ」
「っ…隊長…っ」

私は首の後ろを擦る。擦りながら自分でも分からない。涙が出てきた。

「分かりません…。お風呂に入ってたら、突然、隊長が気になって…!」

一度座ったはずなのに、また立ち上がって、隊長に縋りついた。

「居てもたってもいられなくて…!イヤな予感が消えてくれなくて!」
「ヒロミ」
「もしかしたら…隊長が!」
「ヒロミ!!」
「っっつ!」

隊長は私を引きはがさなかった。それは最大限の優しさだったんだと思う。
だが一騎士である以上、“その可能性”は誰でもあり得ることで。

「…正直おまえさんの勘はランバート以上だ。
だがな、それを恐れていては騎士は務まらねぇ。
ヒロミはどうして騎士を目指そうと思ったんだ?」

隊長の鋭い、けれど慈愛に満ちた瞳が射抜いてくる。

お義兄ちゃんが守ろうとした想いや人々か。
それとも、目の前にいる、不器用で、誰よりも騎士らしいこの背中か。

それに私はハッとなった。私はお義兄ちゃんみたいな、騎士になりたかった。
そう。誇りのある、分け隔てもなく、下町にも慕われていた、お義兄ちゃん。

「私は…お義兄ちゃんみたいに、誰かの笑顔の為の騎士になりたくて…」
「初心に戻れ。騎士は誰かを守るために命を捧げるものだ」
「隊長…私は…でも、隊長…」
「なにも、おまえの勘は100%じゃないだろ?オレはそれに賭けるさ。
おまえもいい歳だ、泣いてたらエルダ隊長に怒られるぞ」

「……はい。すみません、取り乱しました」

涙を拭い、私はようやく隊長の顔を正面から見据えた。

ランバート以上の勘。
自分でも恐ろしいと思うその「閃き」が、どうか今回だけは外れてほしい。
隊長の言う通り、私の勘が100%ではないことに、これほどまでに縋りたいと思った夜はなかった。

ぐすぐすと泣いていた私の頭をぐしゃぐしゃに撫でてきた隊長。
そしてコップにブドウジュースを注いで渡してきた。

「ほら飲め」

落ち着かせようとしてくれたんだろう。

「ありがとうございます。…ん、美味しい」
「あ。悪ぃ。それ、さっきユーリが使ってたやつだわ」
「っ!?ごっほ!げほっ!か、間接…!」
「はっはっは!初々しいなぁ。真っ赤になった、おまえの顔は初めて見たなぁ」
「もう…出されたからには飲みますが」

そう言って最後まで飲み切って、机に置く。ユーリとまで間接キスしちゃった。

「明日は本番だ。おまえが後ろ向きにならないよう、オレも気を付けるさ」
「お願いします。隊長はシゾンタニアの街の、ナイレン隊みんなの支えなんですから」
「おう。肝に銘じとくよ」

結局は隊長に宥められてしまった。まだまだ子供だなあ私って。

「あ。それと、おまえの魔導器だが…」
「はい?お祖母ちゃんの形見がどうしました?」
「まだ誰にも言ってないだろうな?」
「はい。見せてませんし、誰にも言ってません。
これはお義兄ちゃんとの約束でもあるから」

前に隊長に1度、魔導器を見られた時に言われた事をまた言われた。
もちろん誰にも見せるつもりはない。裸を見られた時も咄嗟に隠したし。
ただの魔核にしては大きいだけじゃない気がする。

「もしもの時は…」
「はい?」
「いや、こっちの話だ」

隊長は何故か口籠って頭を掻く。何でもない、と言い。

「もう遅い。明日に響くぞ」
「分かりました。おやすみなさい隊長」

挨拶をし執務室を出る。

部屋を出る間際、最後に振り返った隊長の姿は、
窓から差し込む月光に照らされて、どこか透き通って見えた。

ドアを閉めた後、自分の心臓の音がうるさくて、私は自分の胸を強く押さえる。
予感は消えていない。でも。
明日、何が起こっても――受け入れるんじゃない。自分で切り開くんだ。運命を。

 

 

騎士時代編(劇場版ルート)4


14

翌朝。私たちナイレン隊は駐屯地の中庭で整列していた。
私は双子の隣。隊長から見て、一番右側に整列している。

「これより本部隊は川沿いを進み、湖にある遺跡に入る。
目的は遺跡の調査、及びエアルの異常原因の特定と解決にある。
帝都からの援軍を待ちたいところだが、事態は急を要する。
これ以上エアルの影響を放って置くと、この街が危険にさらされることになる」

隊長は、これからするべき事、
私たちが守るべきものがどんなに大きなことかを改めて言葉にする。

「街の人はオレたちが守る!」

と、気合を入れたものの。

「えーっと。あ、じゃ、行こうか」

と気軽に締め括るのが隊長らしい。…照れくさいのかな?隊長。

隊のメンバーみんなで街の外へと向かう時。
隊長は何かに気付き、ユーリを呼ぶ。

「ユーリ」

隊長やユーリの視線の先には、ぬいぐるみを持った可愛い女の子が。
ユーリは前に出て女の子の前まで行って、目線を合わせるように前屈みで頭に手を置く。

「なんだよ。どうした。こんな朝っぱらから」
「お兄ちゃんたち危ないところへ行くの?」
「ったく、どっから聞いたんだ。大丈夫。兄ちゃん、強いの知ってんだろ?」

安心させるように、朗らかに笑って話すユーリに、
私はやっぱりユーリって子供に優しいんだなって思った。

「ん?」

するとユーリの目線の先で気付いた。あ、街の人たちが何人も集まってきていた。
ユーリも立ち上がって街の人たちを見る。困ったように後ろを振り返る。

「隊長~」

ユーリの声で後ろを振り返った隊長は、一瞬で察し溜息を吐いた。
街の人たちへと歩み寄る。

「なんだよぉ。辛気臭ぇ面、揃えて。
少しの間、街を空けるが結界の外には出ないで待っててくれな」

街の人はみんな心配そうに隊長を見ていた。私もその一人だ。

「いつもの生活に戻るまで、もうちっと辛抱してくれ。行くぞー」

そう言って隊長は手を挙げて歩き出した。ユーリも、私たちも付いていく。
街の人たち、もう少しだけ待っていてください。


街を出る時、色んな個所から視線を感じた。
例えば、ガリスタ。例えば、メルゾムとその一味。

(それぞれ、何を考えているのやら。私は私の出来ることをするだけだ)



崖の上からナイレン隊を見ている、メルゾムとレイヴン。

「あーあー。相手の規模も分からないのに無茶をしますなぁ」
「わざわざ忠告してやったってのに。ナイレンの野郎。ま、やつらに貸しを作るってのも悪くねえ」
「本心で?」

レイヴンがメルゾムに首だけ振り返る。

「てめえはドンに報告するんだろ!とっとと失せろ!」
「へーい」

蹴られる前に、ぴょんと一段崖を下りるレイヴン。

「んじゃ、ご無事で」

そう言い、レイヴンは崖をぴょんぴょんと降りていった。



川沿いをナイレン隊は進む。
川沿いは特に赤いエアルが集中していて、紅葉化も進んでいる。
進むたびに枯葉の踏みしめる音が響き、辺りはピリピリしている。
その時、隊長が立ち止まって、辺りを見回した。

「隊長?」

副官のユルギスが訊く。

「ユルギス。ちょっと魔導器を発動させてみ?」
「は?はい」

他のメンバーもキョトンと不思議そうにしている。
ユルギスが魔導器を発動させ、足元に陣が展開すると、
なんと魔導器の魔核が赤く光り、
赤いエアルがゆらゆらと吸い込まれるように魔核へと。

ついには赤く電撃がスパークし始め、ユルギスを始め皆は驚く。
まるで暴走するような様子だ。そこに隊長が何かの札をぺたりと魔核へと貼ると。
何かの陣だけが残り、魔核へと吸い込まれてゆくと、あっという間に暴走が収まる。

(こ、これはいったい…?)

皆は固まっている。

「エアルの影響だ」
「魔導器が使えないんですか?」

ユルギスが魔導器を発動した姿勢のまま隊長に訊く。

「で、こいつを使う」

そう言って隊長は何枚もの透明のお札を手にして見せてきた。

「エアルの過剰な反応を抑える術式だ。人数分は複製できた。
ただし長くは持たねぇ。いざという時に使え」

「魔導器が暴走することを知っていたんですか!?」

フレンが顔を険しくさせた隊長に問い詰める。

「ああ。だから急を要すると言ったんだ。
街の結界魔導器を暴走させるわけにはいかん。進むぞぉ」

隊長は、説明は終わったというように踵を返して進み始める。
私たち皆メンバーは呆れた顔、ジト目をしている。

「てか。何でここで言う?」
「出発前に準備させてよね」

双子が文句を言う。すると隊長の歩みが止まる。

「悪ぃ。忘れてた」

首だけ振り返り、悪びれた様子もなく、いひっと笑った。
それにナイレン隊のメンバーは大ブーイング。
もちろん私もだ。大きな溜息を吐く。…って、待てよ?

ふと、昨夜のことを思い出す。

(ホントに忘れてただけ?私の魔導器のことは訊いてたよね…?)

もしかして…。
隊長は実際に危険を承知で魔導器をわざと発動させた…?
その方が説明するより早い。習うより慣れろ、というが。
赤いエアルがあるのはここだし。

「だーいじょうぶなんか?あんな、おっさんに任せておいて」

「論より証拠ってね。
説明するより実際やって見せた方が分かると思ったんじゃないかしら」

あの隊長のことだもの、と私がユーリに言い返す。

「ふぅん。確かに現場じゃないと分からないわな、これは」
「強ち忘れてたって線も無きしもあらず、だけど」
「どっちだよ」

さあ?と私は首を傾げた。それこそ本人に訊かないとね。えへ、と笑う。
あ。ユーリが溜息を吐いた。
がやがやと騒ぐメンバーに隊長は「あーもう」と説明を放棄した。

「うっせぇ!いくぞ」

隊長は歩き出す。皆も不承不承だが隊長に付いていく。

赤いエアルが立ち込める中、
進んでいくと沼の中を覗くと獣や魔物などの骨がたくさん沈んでいた。

「魔物が出てこねえと思ったら、こんなことになってんのか」

隊長の言葉に、副官のユルギスも他の皆も警戒して辺りを見回している。

「ねえ、これヤバいんじゃないの?」
「あたしらも、ああなっちゃうの?」

双子の言葉に、私は瞬時に首の後ろがチリッとして擦る。

「ここ。何かいる…!皆、気を付けて!」
「ヒロミが首の後ろを擦ってる。やっぱり…!」
「用心しろ!何が起こるかわからん」

用心しろ、のユルギスの言葉に皆は気を引き締める。
さらに首がビリビリとする。これは…!

「ヒロミ?」

私が立ち止まり、皆が私を振り返る。

「皆、水の方からくるよ!構えて!!」

私の声に隊長を始め、皆は瞬時に武器を構える。

「うわっ!」

が、一歩遅かった。デイビッドが水の奥へと引きずり込まれた。

「うわああああっ!!」

そして水に捕まり、上空へと投げ出され、
やがて、バシャンと水面へと叩き付けられ中に引きずり込まれる。
デイビッドは溺れ、必死に水面へ顔を出して抗っている。
水の中の魔物に捕まっているんだ…!
ユルギスが魔導器をを使おうとするが隊長が抑え、別の命令を出す。

「フローズンアロー構え!!」

すると3人の仲間が、ボウガンに射出する昌術を構える。光は青だ。

「デイビッドには中てるな!」

私も瞬時に早口で詠唱を唱える。

「冷えし鋭きもの―――」
「ってぇー!」
「アイシクル!」

隊長の号令と共に、ボウガンの射出と、
私の水の下位昌術である氷昌術の発動は同時。

デイビッドの周りと、上から何本もの氷の氷柱が降って来て、水を凍らせる。
完全にデイビッドだけを残し、氷で固まったチャンスだ。

「引き揚げろ!」

仲間の男子たち数人がすぐに引き上げ作業に水へと入って行く。
私は警戒を解かず、また詠唱に入れるよう唇を舐める。
デイビッドは仲間たちに寄って沼の端まで引き上げられ、事なきを得た。
ゲホゲホと咽ているが、無事なようだ。
沼には未だに私たちを捕食しようと、ゆらゆらと浮いては様子を見ている。

「沼から離れるぞ!急げ!」

ナイレン隊の皆は沼からじりじりと下がっていく。

そうして奥へと進み、濃い霧の中、奥に遺跡が薄っすらと見えている。

「さっきの沼のバケモンは動くものや音に反応しているようだった」

隊長は私たちに振り返って、班分けをする。

「ここから先は隊を2つに分ける!橋を渡り遺跡内に行く班と援護班だ」

此処から見えるのは、橋がずっと続いている。
向こうに渡り切る前に沼に襲われたように、くるに違いない。

「橋の向こう、遺跡の入り口まで援護。
その場で待機。帰路を確保しろ。突入班の帰りを待て」

「隊長、ランバートの弔いをさせてくれ」

ユーリの鋭い、真剣な瞳に。私も同意したくなった。
ランバートは私にとっても家族も同然の仲間だったのだから。

「隊長。私も突入班に。お願いします」

ユーリと一緒に隊長に頼み込む。
すると隊長はニッと笑ってくれた。これは了承の意だ。

「当てにしてるぜ。ユルギス、分けてくれ」

「はっ。ボウガン使用者は援護に回る。
突入班は剣、アックス、防御魔法使用者。
援護班、隊長から貰った術式を使う」

隊長の命令で、副官のユルギスが突入班と援護班に分かれて編成する。
私たちはすぐ持ち場に着く。

「フレン!」

すると突っ立っていたフレンに隊長から声がかかる。フレンは顔を上げる。
隊長はただ、一言。

「来い!!!」

その言葉にフレンの顔が引き締まる。

「ユルギス!」
「はい!」
「フレン、こっちだ」

フレンが私たち突入班へと加わる。
隊長はユルギスとボウガンの者たちの所へと歩み寄る。

フレンがユーリの近くまで来た時、ユーリが口を開く。

「納得してないんじゃないのか」
「任務だからな」
「フン」

もう。2人とも…。
さあ、これから気を引き締めねば。
ボウガンの3人は何度も点検をする。本番で暴発しないように。
援護班には副官のユルギスも残る。隊長は頼んだぞ、というように肩をポンと軽く叩く。
そして隊長はこっちに歩いてきた。

いよいよ、突入だ。



赤くどんよりと濁った水面。

まるで腐った血のような色がどこまでも続き、
そこから立ち上る鉄錆(かなさび)に似た生臭い臭いが鼻を突く。

この禍々しい水の上を貫く、細く頼りない一筋の道――。
それだけが、私たちに残された唯一の、そして最後の希望だった。

「準備いいか」

隊長の低い声に、援護班のボウガン使い3人が短く頷く。
彼らが手にする矢には、リタから授けられた術式の札が巻き付けられていた。
指先が札に触れた瞬間、淡い光を放つ術式だけが、生き物のように魔核へと吸い込まれていく。
準備は整った。彼らが入り口の配置につくのと同時に、空気がピリリと震える。

「――行くわよ!!」

私の号令とともに、突入班の私たちは弾かれたように走り出した。
一度踏み出せば、向こう側に辿り着くまで足は止められない。
止まれば、この濁った泥濘(ぬかるみ)に引きずり込まれるだけだ。

自分の足音と、激しい鼓動が耳の奥で乱打する。
すぐ前を走る双子の背中だけを見据え、私は剣の柄を、指が白くなるほど強く握りしめた。
すると、私たちの走る音を聞きつけたのか。
静まり返っていた水面が、ボコボコと不気味な泡を立て、再び「それ」が姿を現した。

(――来た!!)

水飛沫を上げ、私たちを食い止めようと同じスピードで迫ってくる影。

「来たぞ!急げぃ!」

背後から飛ぶ隊長の檄。
一歩、また一歩。死線の上を駆け抜ける感覚に、全身の毛穴が逆立った。

ボウガンの3人が放つ「氷昌術」が鋭い音を立てて空間を裂き、
横側から蠢く魔物の足を止める。そのわずかな隙を、私たちは逃さない。

「一歩でも前へ!」

叫びながら私は走り出した。
心臓の鼓動に合わせ、体内の魔力を指先に集束させる。
本来なら長い呪文を要する高位魔術を、私は思考の速度で解き放った。

「詠唱破棄、アイシクル!」
「詠唱破棄、アイシクル――ッ!!」

一発、二発ではない。
私の言葉が空気に触れるたび、頭上の空間が歪み、巨大な氷柱が次々と産み落とされる。
ドォォン!と大地を震わせる衝撃音。
降り注ぐ氷の(つぶて)が、魔物の悲鳴をかき消していく。

「詠唱破棄、アイシクル! アイシクル! アイシクル!」

呼吸さえ忘れるほどの連射。
私が撃ち漏らした死角は、ボウガン隊の精密な援護射撃が確実に氷漬けにしていく。
後ろを走るユーリとフレンの視線が刺さるのがわかった。
彼らは剣を構えたまま、戦慄に目を見開いている。

「……嘘だろ、あんな規模の術を、走りながら、無詠唱で……?」
「これが……ヒロミの、本当の力……」

二人の呟きを背に、私はさらに速度を上げた。
振り返れば、そこにはかつての戦場など存在しなかった。
ただ陽の光を反射して静まり返る、白銀の氷の湖が広がっている。

だが魔物はしぶとく氷を突き破ってきそうな気配を感じる。
私は眼力をさらに鋭くさせ。

「しつこいわね。そうまでお望みなら…いかがかしら!?」

そしてトドメの一発を右側にやってやる。

「いくわよ!氷結は終焉、せめて刹那にて砕けよ!――インブレイスエンド!!」

刹那、私の指先から発せられたのは「冷気」なんて生易しいものではなかった。
鼓膜を震わせるほどの轟音とともに、絶対零度の吹雪が湖面を薙ぎ払う。

ガシャァァァン!!

硬質な、けれどあまりに巨大なガラス細工が粉砕されたような音が響き渡り。
右側の湖は瞬時に、そして深く、底まで届かんばかりの勢いで白銀へと凍りついた。

「こっちも! 氷結は終焉、せめて刹那にて砕けよ!インブレイスエンド!!」

間髪入れずに左側へも同じ絶技を叩き込む。
荒れ狂う氷の魔力が左右から押し寄せ、先ほどまで波打っていた湖は。
今や鏡のような静寂を湛えた氷一面の世界へと変貌した。

「……なぁ、これ援護班いるか?」

静まり返った氷原に、ユーリの呆然とした声が響く。

「え。あ、あはは。どうでしょー?^^;」

頬を伝う冷や汗が凍りそうなのを感じながら、私は苦笑いするしかない。

「おまえなぁ。最初から飛ばし過ぎるなよ」

呆れ顔の隊長に、頭をすこんと軽く小突かれた。

「ごめんなさーい」
「さ、寒い…。まつ毛まで凍ったんだけど」
「ごめん、ちょっとやり過ぎた。……けど、これで足場は完璧でしょ?」
「ヒロミが居てくれて良かったというか、なんというか…。
見てくれよ、すごいな、一面氷の世界だ」

仲間たちは白い息を吐きながらも、その圧倒的な光景に気圧されたように足を止めた。
砕け散った氷の破片がダイヤモンドダストのように舞い踊る中。
私たちは速度を落とし、いよいよ遺跡の入口へと辿り着いた。


皆、顔を引き締めて遺跡へと入る。赤いエアルが漂っている。
ユーリとフレンは遺跡の城を見上げる。

私はさっきから首の後ろを擦っていた。遺跡の中に何かがある。
これは間違いない。用心して進まねば。

「これからが本番だ。気ぃ抜くなよ!」

入り口を、アックスと剣の仲間が両側を固め、私たちは中へと突入する。
用心して辺りを見回す。するとフレンが下を見て入り口を見つけたみたいだ。

「隊長」

隊長を呼び、フレンは目線の先で示す。隊長もそこを見る。私も。
入り口がある。2人がようやく並んでは入れるくらいの狭い通路だ。
しかも首の後ろがさらにチリチリする。擦って様子を見る。
…エアルが流れている。これにフレンも気付いてた。

「…流れてますね」
「エアルの流れを辿ろう」
「用心して進んでください」

私の言葉と様子に、隊長とフレンも頷いた。
皆で階段を下りて、下の入り口に向かう。
入り口から赤いエアルが出てきている。
入り口前で皆で両側を固め、入り口前は隊長とシャスティルで警戒する。

しかし何だこれは。
さっきからビリビリと最高潮に野生の勘が伝えてきてる、警戒をしろと。
私は辺りをさらに深く警戒する。そして見つけてしまった。…宙に浮く石を。

(――っ!!!)

シャスティルも気付いたか。恐れるように震え、2・3歩下がる。
そのとき、シャスティルの魔導器の術式札がはがれてしまった。

「? どうした」

ユーリがシャスティルの様子に気付く。石は赤い糸で宙を舞い、切れた。
石の落ちる音がカンカンカンと階段から遺跡内に反響させる。
その不気味たるや、嵐の前触れみたいだ。首の後ろも警戒は最高潮である。

皆も、その音に警戒し、そっちに視線を向ける。
石は下に落ち、一瞬の静けさの後、すぐに地中から盛り上がって、
何かがものすごい勢いで迫ってくる。皆は慌てて後ろの入口へと退避する。
私は殿になって、入口へと防御壁を発動させる。

「堅固たる守り手の調べ!フォースフィールド!!!」

するとバゴォーン!という大きい音と、ビリッと防護壁に電撃が走る。
何という衝撃だ。

石という石に赤い筋が繋がっているのを見た私は、この魔物の生体をなんとなく把握する。
しかし冷静に観察している場合ではない。
今でも砕けた石礫という礫が一つになろうとしている。
そして一つの塊となって、通路を転がってくる。私たちをぺしゃんこにする気だ。
殿にはユーリが走っている。時間を稼がねば!

「詠唱破棄、フォースフィールド!」

喉の奥が焼けるような熱さを無視して、叫びを繋ぐ。
本来なら複雑な術式を編み上げるべき高位魔術。
それを無理やり短縮し、ただ「形」だけを空間に固定する。

一回、二回、三回。
ユーリの背中が遠ざかる時間を稼ぐためだけに魔力を注ぎ込み続けた。
ドォォォォン! と、大気を震わせる衝撃音。
背後から迫る「塊」が、展開したばかりの半透明の壁を紙細工のように粉砕していく。
破片が火花のように散り、頬をかすめて血が滲む。それでも足は止めない。

「詠唱破棄、フォースフィールド…ッ!」

五度目の壁が砕かれた瞬間、肺の空気がすべて押し出されるような圧力が襲った。
そうして角を曲がり切ったところで、ユーリは転進。猪突猛進の塊は壁にぶつかった。

だがユーリの走る先は道がない。
私はまた大きく息を吸い、肺から全力で吐き出した。

「詠唱破棄、フォースフィールド!!」

咄嗟に防護壁を展開。ユーリが出てきたところを見計らって馬鹿力で抱き付く。

「う、うわわわっ!?」
「おわっ!?」

ガンッ。と防護壁にぶつかり、痛い音が響いた。
勢いがよすぎてユーリは防御壁にぶつかり。私もろとも倒れ込んでしまった。
ちょうどユーリに押し倒されている形で。

「痛ってえええ!」
「ユ、ユーリ!大丈夫!?」

危うく落ちるところでドキドキと心拍がうるさい。(本当にそれだけ…?)
私はユーリに手を伸ばし、頬を撫でた。

「良かった間に合って。ファーストエイド。…どう?痛みは引いた?」

差し出された回復魔法の淡い光が、ユーリの傷口に染み込んでいく。
私は、まだ荒い彼の鼓動を感じるほどの至近距離で、そっとその顔を覗き込んだ。

「…ああ、治った。ありがとなヒロミ」

至近距離で私の手と、心配そうに覗き込む瞳を受け止めて。
ユーリは少しだけきまずそうに視線を逸らすと、私の肩に置いていた手に、ぎゅっと力がこもった。

(心臓の音がうるさいのは、きっとさっきまで走ってたから。……そうよね?)

「あのさ、…まだ、どいてって言わねーの?」

不意に重なった視線。
ユーリの顔が少しだけ赤いのを見て、私は自分の頬も一気に熱くなるのを感じた。
気まずそうに、けれどどこか名残惜しそうに、ユーリが視線を泳がせる。

その場に流れた一瞬の沈黙。
しかし、それを切り裂いたのは冷徹なフレンの声だった。

「……で。いつまで、そうしてるつもりだ。ユーリ」
「ぐえっ! 首! 首締まるっ!?」

情けない声を上げたユーリの体が、宙に浮く。

フレンが背後から、一切の容赦なく彼の襟首を掴み上げ、
獲物を引き剥がすような手つきで私から遠ざけた。
地面に横たわっていた私に、すかさずヒスカが手を差し伸べてくれる。

「不可抗力よ、フレン。そう殺気立たないで、放してあげて。…大丈夫、ヒロミ?」
「うん。大丈夫。フレン、解放してあげて」
「ヒロミがそう言うなら、今回は不問に処すが……」

フレンはあからさまに不満げな表情を浮かべつつも、掴んでいた手をパッと離した。
案の定、ユーリは地面に転がり、喉を押さえて咳き込む。

「ごほっ、げほっ!…フレン、てめぇ、本気で締めやがったな!」
「はいはい、そこまで。せっかく助かったんだから、喧嘩しない」

今にも掴みかかりそうなユーリと、氷のような視線を返すフレン。
その間にシャスティルが割って入り、慣れた手つきで二人を左右に押し広げた。
いつものやり取りに皆は苦笑する。


エアルの流れを辿り、漏れ出ているところに辿り着けば。
大きな塔が崩れているところに出た。
塔の下を覗き込む、隊長とフレン、私とシャスティル。

「フレン、気を付けろ」
「はい」

よくよく見れば、
塔の根元から赤いエアルが大きく全体に周りから漏れているではないか。
また首の後ろが最高潮にビリビリとする。これは…。

「さらに下か」
「入り口あっちですね」

シャスティルが顔をそっちに向けて場所を示す。

「フレン!隊長!また何か―――」

私がそう言い掛けた時だった。

塔の下から漏れていた赤いエアルから、フレンに向かって赤い光る筋が伸びてきた。
咄嗟に私とフレンを突き飛ばす隊長。

「うっ!」
「っ!隊長っ!!」

伸びてきた赤い光は、まるで飢えた獣の舌のようだった。
触れた空気が焦げるような、鉄錆びの混じった嫌な臭いが鼻を突く。
エアルが纏っている筋が、隊長の左腕を直撃したんだ。

(…そんな。そんな!!!
私が昨夜、天啓のように直撃を受けた野生の勘ってこれだったの…?)

皆が隊長を振り返る。隊長は後ろ後ろへと距離を取る。
ボーッとしてる場合じゃない!早く引っこ抜かないと!
私が起き上がり、剣を持った時だった。

上から、ヘルメットを被ったメルゾムが降ってきた。
ドォォォォンッ!と床が爆ぜるような轟音と共に、頭上から巨大な影が降ってきた。
土煙の中から現れたメルゾムが振るった棍棒は、その赤い筋を引き千切る――否、踏み潰す勢い。
赤い筋は塔の中へと引っ込んでいった。

「痛ててて。いよぉ」

メルゾムは高いところから飛び降りた影響からか、腰をグキッと直す。

「メルゾム」

他のギルド員も続々と遺跡内に入ってきた。

「年だなあ、ナイレンよ」
「お互い様じゃなねえか」
「フン」

ナイレン隊長とメルゾムが言い合っている間にも、
私は慌てて隊長に駆け寄るシャスティルを制し、自分がやる言う。
そして己の出来る最大限の回復術を掛ける。

「隊長!今、治します!命を照らす光よ、此処に集え。ハートレスサークル!」

隊長だけじゃない、ここにいる皆を包み込む広範囲の回復術を使用した。
隊長を助けてくれたメルゾムも腰を痛めているだろう。
他のギルド員もここまで来るのに怪我をしているかもしれない。
私は目を瞑りイメージする。このエリアにある“人間”だけを回復させることを。

私の掌から溢れ出した純白の光は、波紋のように、このエリアの隅々まで広がっていく。
荒れ狂う赤いエアルを押し返し、空気そのものを浄化していく感覚。
視界が白く染まる中、魔力を絞り出す私の心臓が、早鐘のように胸を叩いていた。

「こりゃあ…すげえな。嬢ちゃん何もんだ?」
「うちの隊の魔術の“切り札”だ。足の速さや勘に関しては騎士団一だぜ」
「ほお~?」

魔術の残光が消え、静寂が戻る。
荒い息をつく私の耳に、メルゾムの感心の混じった声が届いた。

(…え? 私、何かとんでもないことをしちゃった?)

隊の皆の面々までが言葉を失って私を見ていることに気づく。

「え、えーと。メルゾムさん、腰の方はもう痛くないですか?」
「おう。嬢ちゃんのお陰でバッチリよ」
「そうですか。隊長を助けて下さり、ありがとうございました」
「いいってことよ。持ちつ持たれつだ。嬢ちゃん、ありがとよ」
「はい。隊長、腕は大丈夫ですか」
「ああ…なんとかな」
「(なんとか、ね…。エアルの影響を受けたんだ…隊長…)」

顔に出してはいけない。皆に気付かれてはいけない。隊の士気に関わる。
そんな私が考えている間にも、メルゾムがユーリに気付いた。

「よぉ、ユーリ。随分と余裕のない顔してんな」
「ふっ…お節介なんだな」

ユーリがフッと顔を和らげてメルゾムに言い返す。

「がはははは!可愛くねえのぉ。
街が無くなっちまったら、俺らも商売が出来ねえからな。
それに子分の仇も取らなくちゃなんねぇ。とっとと片付けちまおう」

隊長が動こうとする。シャスティルが心配そうに窺う。

「隊長!」
「痛みは取れたよ。大丈夫だ」
「あ…」

その時、隊長がシャスティルの手首を掴む。
正確にはシャスティルの魔導器を見ている。魔核が赤く怪しく鈍く輝いている。
隊長は恐らくもうその魔核は使えないのだろうと判断したのだろう。

「もう魔動器を外せ」
「あ…でも…」
「暴発したらみんなを巻き込むぞ」

そう言って隊長は立ち上がる。

「あ…はい!」

シャスティルは慌てて魔動器を外した。
そしてメルゾム一味とナイレン隊は一緒に奥を目指す。
中に入り、狭い螺旋階段を一人ずつ順番に一列に降りていく。

下に降り切った時。エアルが一段と濃くなった。
私は首のうしろを擦る。ビリビリと先程から最高潮にうるさい。
何なんだ、ここは。

「…隊長」
「ヒロミ。奥に居るんだな」
「ええ。恐らく。さっきのようなものが…いえ、さっきの規模よりも。用心してください」
「分かった」

するとユーリが気を引き締める。

「いかにもだな」
「頼むぜぇ。2人とも」

隊長が声を上げると、場に漂っていた硬い沈黙が霧散した。
ユーリとフレン。反発し合いながらも、どこかで深く共鳴している稀代のコンビ。
隊長はその危うさと強さを誰よりも理解し、慈しむように視線を向けている。
自分の腕がどれほど酷い状態であろうと、彼が弱音を吐くことはない。

自分が「柱」として立ち続けることが、今の二人にとって。
そして、この隊にとって、どれ程の意味を持つか、彼は理解し過ぎているのだ。

信頼と、決意。
隊長の背中に宿るその熱に当たるようにして、私も武器を握り直し、後に続いた。



15

少し進んだあたりで、私はビリッと首の後ろが痛くなる。
首の後ろを擦り反射的に殿のメルゾムに向かって叫んだ。

「――くる!メルゾムさん!後ろ!!」

私の叫びにメルゾムが後ろを見た瞬間、地中に潜っている“何か”が迫ってきていた。

「ナイレン!!!」

メルゾムが叫ぶが遅かった。
通路にいた皆は地中の中の魔物に弾き飛ばされる。
私たちの目の前より離れたところで、ようやく本体を姿を現したと思ったら。
奴は固い大きな手で地面を叩きつけ、土煙と衝撃波をお見舞いしてきた。
仲間の一人が魔導器で火の魔術を使うが当たらない。

「やつは地中を媒介に潜って移動してるんだ!気を付けて!!」

ユーリとフレンの隣にいた私も剣を構える。

後ろからも!?2体も!仲間の一人、また一人と弾き飛ばされていく。
ユーリが剣を振りかぶって外殻に当てるが、キンッと音が響き弾かれる。

(…硬い!)

「剣じゃ無理だ!」

ユーリが言うが。それならば、と。
フレンが本体の隙間、目に当たる位置に突き刺すが、逆に挟まれた。
剣が抜けない。フレンが持ち上げられ、振り払われる。壁に激突し、落ちて倒れた。

ユーリと私が叫ぶ。
双子が何とか牽制している間に、私は俊足でフレンへと駆け付けファーストエイドを掛ける。
この魔物の生体、なんとなく宙に浮いていた石の時と原理は同じだ。
私はフレンが起き上がるのを待つのも惜しく、剣を翻す。
そして立ち上がったフレンにも声を掛ける。

「フレン、こいつは赤い筋で操られている!赤い筋を斬って!!」
「っ!わかった!」

私はフレンと一緒に赤い筋をぶつぶつと斬ると本体が崩れ落ちた。
赤い筋が引き戻っていき、岩が塞がっていく。やはり弱点だったか!

「ユーリ!赤い筋を斬れ!」

フレンが言い、ユーリが別の本体とジリジリと距離を詰めていく。
そこをメルゾムが棍棒で叩き、引き付けてくれている。
だがメルゾムが吹っ飛ばされる。もう猶予がない!
本体はメルゾムと一味を狙って追いかけようと捕捉している。
そこを隊長は好機だと判断。ただ名前を呼ぶ。

「ユーリ!ヒロミ!」

私は駆け出したユーリに、全力俊足で追いつき、
共に背後が、がら空きの本体を狙う。一点突破だ!!

ユーリと私、互いに別の壁に足を掛け本体の上にある赤い筋をぶつ斬る。
下からは隊長が赤い筋を断ち斬った。本体は粉塵を上げて崩れ落ちた。
だが、何体も出現する。…きりがない!メルゾムが叫ぶ。

「キリがねぇ。先にいけえぃ!!」
「すまねえ!」

隊長は踵を返して先へと走る。私たちも後に続く。
この血路、絶対に無駄にはさせない!

遺跡の奥へ奥へと走り――。

開いた空間に待っていたのは。
これまでにないくらいの巨大な土人形(ゴーレム)だった。


ウオオオォォォ――…!


地響きにも似た魔物の威嚇に。私たちは巨大土人形を見上げた。

「デカいって…」

ユーリが片眉を寄せて、マジかよ…というような顔をする。
うん、私もそんな気分だよ。どないせいっちゅーの。

巨大土人形は腕を武器に、私たちの居るところへ腕だけ飛ばして来た!
皆は避けるため、すぐに走り出した。
私たちの居たところが、もうもうと土煙を上げる。

(こいつ、筋を操って四肢を武器に吹き飛ばせるんだ!)

筋を操り、岩を始め石礫までをも本体に完璧に元に修復している。これは厄介だ。
私たちは周り込み、牽制しようとするが、防御を使おうとしたヒスカが飛ばされる。

私は隊長やシャスティルと別れ、
ユーリとフレンと私となり、本体を見上げ走りながらもチャンスを窺う。
本体はレーザーをあちこちに撒き散らして、私たちを狙ってくる。
一回りして、ヒスカたちが疲弊しているのを見つけ、早口で詠唱を唱える。

「命を照らす光よ、此処に集え。ハートレスサークル!」

私が回復を行っている間でも、ヒスカが左腕が瓦礫に腕を取られて動けない。
右手首に挟まっている魔導器の魔核が赤く光り始め、ヒスカはパニックを起こす。

「嘘っ!やだっ!ちょっとぉ!」

それをユーリが籠手ごと抜いて向こうへと放り投げる。ユーリ、ナイスよ!
魔導器はすぐに爆発した。危うく一歩間違えばヒスカの腕が吹き飛ばされるところだった。
その爆発で本体が気付いたのか、此方に振り向き、地響きを鳴らし足先を此方に向けた。
エルヴィンが、ユーリに向かって叫ぶ。

「ユーリ、おまえを上まで投げる!」

成程。上の筋を斬ろうってのね。
エルヴィンが本体の前まで来て、「来い!」と叫び手で示す。
それじゃあ、私も魔術の使い方の神髄ってのを見せてやろうじゃないの!

「私も行くわ!」

私はニヤリと不敵に笑う。

「ヒロミ!?待ちなさい!」

ヒスカが言うが待たないわ。
ユーリがエルヴィンに向かって走り出し、私も同時に走り出す。
私は息を多く吸い、早口で作り上げる。上への“階段”を。

「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」

ユーリはエルヴィンの手に足を乗せ一気に上へと飛ぶ。
私は防護壁を繋ぎ合わせるよう空中に一時的に階段を作り出し、俊足で駆け上がる。
それには地上で見ていたヒスカやフレン、皆は絶句していた。
土人形本体の上に近くなると、私は一気に跳んで、ユーリと同じ場所にストッと着地する。
そしてユーリと背中合わせで、一息に赤い筋を斬り落とす。

「はぁ!やぁ!」
「たぁ!はぁ!」

2人してすべて斬り落とし、土人形がボロボロと崩れていく。
一か八か。私はユーリの襟首を引っ掴んで、瓦礫から飛び降りる。

「お、おい!ヒロミ!?」
「詠唱破棄!トラクタービーム!」

く、土煙が酷い。でも上手くいったようね。私とユーリはゆっくりと降下していく。
本来は敵を浮かせ重力で叩きつける技だが、詠唱破棄のお陰で不発で終わりそうだ。

「ユーーーリーーーーっ!!!」
「ヒロミーーーーーーっ!!!」

大きな土煙、私たちの姿はまだ見えてないみたい。
やっと土煙が晴れた時には。私はユーリに小突かれていた。

「おまえの魔術ってホントにすげえな。しかし、いきなり飛び降りるのは勘弁してくれ」
「ごめんてば~。上手くいったでしょ。心配させた皆にも申し訳ないわね。えへへ」

土煙が晴れて、皆が私たちの姿を見てホッとした。
そして、私とユーリに隊長は気遣ってくれた。

「2人とも、怪我、ねえな?」
「ああ」
「もちろん」

そうして、崩れた壁の瓦礫の先に在ったのは。――脈打つ、大きな大きな魔導器だった。

その大きな紫の魔導器は脈打ちながら、赤いエアルを吸い上げていた。
いくつもの管に繋がれて、どこかに供給されているようである。

「こいつでエアルを吸い上げて魔核の変わりをしているのかぁ」

敵を倒したというのに、私はまだ首の後のビリビリが収まっていなかった。

首の後ろを擦る。…警戒しなきゃ。
魔導器を警戒し注視すると、私はハッとする。

…この魔導器。
書庫にあった、ガリスタの研究するスペースに似たようなのが壁になかったか?
それに、あの眼玉のような造り。まるで私たちを監視しているみたいな…。
隊長も、違和感を覚えたのか、目を僅かに見開いている。

「ずいぶんと大掛かりな仕掛けだな」

其処に部下を引き連れたメルゾムが辿り着いて、歩み寄ってきた。

「無事か」
「一人やられちまった」
「そうか。すまん」

「誰がこんなものを」

魔導器を見上げて、フレンが呟く。

「詮索は後だ。こいつでエアルの流れを遮断する」

隊長が荷物からゴソゴソと何やら取り出す。
その前に、私は隊長に嫌な予感を伝える。さっきから首の後ろがおさまらない。

「隊長」
「ん?どうした、ヒロミ」

私は首の後ろを何度も擦る。肌が粟立ち、冷たい汗が止まらない。
まるで背後に、巨大な獣が顎を開いて立っているかのような錯覚。
私の様子に、隊長の顔が険しくなる。

「敵を倒したのに、まだ首の後ろのざわつきが収まりません。
……それどころか、さっきよりひどくなってます」

私は、部屋の中央で怪しく脈動する『吸い上げの魔導器』を指差した。

「この装置、イヤな気配が混じっています。私の推測ですが…。
先に供給していた魔力の圧力が逃げ場を失って逆流し、暴発するかもしれません。
もしそうなれば、この遺跡ごと吹き飛ぶ可能性もあります。
念のため、撤退の準備も視野に入れておいてください」

私の声は、自分でも驚くほど冷え切っていた。

「っ!……分かった。お前のその勘には、何度も救われてきたからな」

隊長は即座に表情を引き締め、背後の隊員たちへ鋭い視線を飛ばす。

「総員、各自、警戒は怠るなよ」

皆、私の真剣な顔と声に頷く。
そして隊長は手に持つ“それ”に術式札を貼り付け、術式を吸わせる。

「なんだ、これ?」

ユーリが訝しげに訊く。

「なんだ、これ?」

って、持ってきたのは隊長がじゃないですか。貴方も知らないんですか。

それを床に置くと、ひとりでに起動し、大きく円形に広がり、
双眼鏡みたいなところがきょろきょろとし、
四足歩行でカシャカシャと魔導器の方に向かっていき。
やがて吸い上げていた赤いエアルを蓋をするように広がり遮断した。
エアルの供給が断たれた魔導器は、不気味に静まり返り、脈も止まる。

「止まった!」

ユーリの歓喜の声が響いたのと、私の首筋が総毛立つのは同時だった。
本能が告げている――これまでとは比較にならない「死」の気配。

「いけない…ッ!」

視界の端で、不吉な紫の光が幾重にも交差し、膨れ上がる。
私は反射的に最前列へと躍り出た。

「詠唱破棄、フォースフィールド!」

――ドォォォォンッ!!

爆発の衝撃と、急造の防御壁が展開されるのは同時だった。
しかし、短縮されたプロセスで編み上げた盾はあまりに脆弱で。
バリンッ!という硬質な音を立てて、光の障壁は容易く粉砕された。

「きゃああぁっ……!」

爆風をまともに浴び、視界が上下に揺れる。
背中から地面に叩きつけられた衝撃で、肺の空気が無理やり押し出された。

「……シャスティル! シャスティル、返事をして!」

ヒスカの悲痛な叫びで、混濁した意識を強引に引き戻す。
立ち込める黒煙の向こう、ぐったりと倒れる彼女の姿が見えた。
私は這うようにして駆け寄り、震える手で治癒術(ファーストエイド)を叩き込む。

「……だめ、気を失ってる。……っ、シャスティル、今助けるから!」

意識のない彼女を背負い、立ち上がろうとしたその瞬間。

「…ッ、ぐ、あぁ…っ!」

足首に焼けるような激痛が走り、膝から崩れ落ちた。
関節が明後日の方向へ曲がったような錯覚に陥る。捻挫――いや、剥離骨折かもしれない。
今ここで自分に回復魔法を掛ける余裕なんて、一秒たりとも残されてはいなかった。
その時、視界を塞いでいた瓦礫が弾け飛ぶ。

「ここはオレが引き受ける! シャスティルをよこせ!」

駆けつけた隊長が、迷いのない動きで彼女を私の背から引き取り、強靭な腕で担ぎ上げた。

「隊長……!」
「走れるか!? 遺跡が保たんぞ、一気に抜ける!」

轟音と共に天井が剥がれ落ち、頭上から巨大な石塊が降り注ぐ。
遺跡が崩れ出し、皆は瓦礫から避けながら走る。

「こりゃあ、やべえって!」

ユーリが上を見ながら言う。

「ユーリ!ヒロミ!逃げるぞ」

フレンのとこで、隊長は剣をフレンに預ける。
私は痛む足を叱咤し、埃と絶望が渦巻く出口へと、ただ無我夢中で走り出そうとして。
身体中には走り抜ける激痛に蹲ってしまう。限界だった。

「おっと、危ねえ……っ!」

ユーリの腕の力強さと、鼻をかすめる彼の匂い。
一瞬の浮遊感の後、視界がまた猛烈なスピードで後ろへ流れ始める。

「悪い、少しの間、我慢してろ!」

そう言いながら、片手で軽々と私を抱え上げ。
何事もなかったかのように走る足を止めないユーリ。
その並外れた身体能力に驚きつつも、私は必死に意識を集中させた。

「癒えよ――ファーストエイド!」

淡い光が私の足を包み込み、ズキズキとした痛みが引いていく。
回復を確認して声をかけると、ユーリはフッと口角を上げた。

「支えてくれて、ありがとう、ユーリ」
「おし。走れるな」
「うん!」

直ぐにユーリから降りて、俊足で走り、先頭のフレンのとこまで走る。
するとフレンが立ち止まった。フレンは地面を見ている。

「どうしたの、フレン?」
「これ…」
「! これって…!」

私も気付いた。この仕掛け、どこかで見た事がある。…どこで?
すると隊長が追い付いてきた。

「何やってんだ」
「隊長、これ…この、こう…」
「後だ」

隊長は険しい顔をするが、今は一刻を争う。すぐに脱出をしなければ。
でも気になる。紫の光は地面に展開し、爆発を引き起こしていく。
視界が紫一色に染まり、網膜を焼く。
足元で連鎖する爆発は、もはや単なる破壊ではなく、世界そのものを削り取る咆哮のようだった。

「拾わなきゃ…これだけは、絶対に!」

指先が土埃にまみれた魔核に触れた瞬間、指先に刺すような冷気が走る。
それはまるで死者の叫びを凝縮したかのような、禍々しくも静かな感触。
背後ではフレンの必死な怒号が響いているが、爆音にかき消されて言葉にならない。

「――っ!!」

魔核を掴み、胸元へ抱き寄せると同時に地を蹴る。
直後、さっきまで自分がいた場所が紫の閃光に呑み込まれ衝撃波が背中を無慈悲に叩いた。
身体が浮き、視界が激しく上下する。
駆けつけたフレンが私の手首を引っ張って、己の胸元に引き寄せる。

「なんて無茶をするんだ君は!!」

身を引き裂かれそうなほどの怒号と共にフレンは私を連れて階段の方へと駆ける。
目の前には、階段の入り口で必死に手を伸ばすユーリたちの姿。
ユーリたちはもう階段まで到達している。フレンと私もあと少しで到達する。

―――コンマ数秒の差で、命運が別たれた。

最後尾を走っていた隊長とシャスティルの地面が崩れ出した。

「ゆーーーーーーーりぃーーーーーーーーー!!!」

隊長は一瞬の決断で、足を踏ん張り、
背負っていたシャスティルをユーリの方へと投げ飛ばす。

ユーリはシャスティルをを受け止める。

「シャスティル!シャスティル!?」

ヒスカがすぐにシャスティルに駆け寄る。

「大丈夫。息はしてる」

ユーリはヒスカに安心するよう言う。

だけど。私は確信した。前日の天啓は、ああ、ここなのだと。

「っ、隊長!!!」
「隊長!!」

私とユーリが呼びかける。

「手ぇ伸ばせ!!」

ユーリが隊長へ手を伸ばす。
上からの瓦礫に中り落ちそうになるが、フレンとエルヴィンで支えられた。

「俺らが抑えっから」

エルヴィンがアックスを持ち、ユーリに渡す。
ユーリは2人に支えられ、ユーリは力一杯アックスの柄の方を隊長の方に伸ばす。

「今、助ける!今…!くそっ!」

そんな必死なユーリを隊長は静かに見ていた。…隊長?まさか…。

「無理だ。行け」
「っせえ!手ぇ出せっつってんだよ!」
「もう、動けねえんだよ」

フレンは唖然とそのエアルに侵された場所を見、ユーリはまだ諦めない。

「んなもん治せる!手ぇ出せ!」
「ユーリ」
「全然届かねえ。なんか他にねえのかよ!」
「ユーリ!」
「っ!(そうだ、まだ諦めるわけには…私は諦めない!)」

私は立ち上がり、隊長に向かって防御壁の階段を作ろうと息を吸った。
隊長に届く階段を…少しでも、近付くために…!

「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」
「詠唱破棄、フォースフィールド!」

私が下りようとした時。隊長は私の方を向いて、静かに首を横に振った。

「っ、どうして!隊長!私なら貴方に掛け寄れます!」

「ヒロミ、分かっているんだろ。その階段は“おまえ”しか通れねえ。
…おまえを道連れにする訳には、いかねえんだ」

私は絶望に座り込む。そして、ユーリにまた視線を向ける。

「ユーリ。分かってんだろ?助かるもんを助けてくれ」
「…ぁ、…、…」

ユーリは言葉が出なかった。

「もってけ」

そして隊長は、手首に嵌めていた魔導器をユーリに投げて渡した。
それをユーリが確かにキャッチした。そして今度はフレンの方を見て。

「フレン。みんなを頼む」
「…っ、…」

フレンも言葉が出ない。

「おまえは良い騎士になれ。親父さんを超えろ」
「…っ」

今度は私の方を見てきた。

「ヒロミ。自分を責めるなよ。これはおまえさんのせいじゃない」
「っ、たい、ちょ…!」
「無理、し過ぎるなよ」
「…っ」

涙が溢れて止まらない。隊長はこんな時でも、私の心配をして。

「隊長!隊長ぉーーーーーーー!!」

ヒスカが必死に叫んでる。声は届くのに、手が届かない。…こんな事って。

「…往け」

と。ただ一言。

「…あばよ」

メルゾムの項垂れた顔からは表情はうかがえない。
でも声から、その一言に凝縮している。長い長い付き合いの果てに別れを告げる声に。
メルゾムとその一味は踵を返して、遺跡の出口へと向かう。

泣いてるヒスカをユーリが支え、絶望に座り込んでいた私をフレンが立ち上がらせ抱き寄せて。
天上が崩れてきて。隊長のいるところが崩れるまでを見届け。
私たちの居るところも、やがて危なくなってきて。

視界が歪む。
泣き叫ぶヒスカを必死に支えるユーリの姿が、ひどく遠くに感じられた。
目の前で、隊長のいた場所が無慈悲に崩落していく。
積み上げてきた日々が、守りたかった背中が、瓦礫の下へと消えていく。

「…………っ」

声にもならない悲鳴が喉に張り付き、私はただ、冷たい床に膝をついたまま動けずにいた。
指先ひとつ動かす気力さえ、絶望が奪い去っていく。

その時、視界が不意に遮られた。
温かくて、少しだけ汗と砂の匂いがする胸板。
フレンが私の前に膝をつき、力強く、けれど壊れ物を扱うような慎重さで肩を抱き寄せた。

「ヒロミ、掴まってて」

低い、けれど確かな意志を持った声。
頭上から響く地鳴りが激しさを増し、私たちの足元まで亀裂が走り始める。

「フレン…ごめ、…私…っ、私が、もっと…」
「今は何も喋らなくていいから」

溢れ出す謝罪を遮るように、彼は片腕で私の体をひょいと抱き上げた。
拒む余裕なんてなかった。私は縋るように、彼の首に腕を回す。フレンが走り出す。
一歩踏み出すたびに伝わる、彼の心臓の鼓動。必死に前を見据える彼の横顔。
私の頬を伝う涙が彼の肩を濡らしていることに、彼はきっと気づいている。
けれど、彼は何も言わず、ただ前だけを見て走る。

(フレン…ごめん。ありがとう)

心の中で繰り返す言葉は、激しい風の音にかき消された。
今はただ、彼の首筋に顔を埋め、震える呼吸を整えることしかできなかった。
「知らない振り」をしてくれる彼の強すぎるほどの優しさが、今は痛いくらいに心地よかった。

自分の力なら助けられると、どこかで信じていた。
その傲慢さを、隊長の瞳は一瞬で見抜いた。
彼を担いで、階段を駆け上がる?……できるはずがない。
私の細い肩が、隊長の体格を支えきれるはずがなかった。

答えは、私の震える膝が一番よく知っていた。
どれほど愛し、尊敬し、守りたいと願っても。
私の骨格が、筋肉が、生物としての構造が、それを拒絶している。

女という生き物に生まれた。
ただそれだけの理由で、一番助けたい人を捨てていかなければならない。
自分の肉体をこれほど呪わしく、憎いと思ったことは、後にも先にもこの時だけだった。

遺跡が大規模に崩れていく。
待機班の副官ユルギスたちが見えてきて。一緒に脱出をする。
遺跡から放たれた赤い衝撃波は、遠くシゾンタニアの結界魔導器の効力を破った。


夕刻。陽が沈もうとする時。
私たちは遺跡から離れたところで、一時、立ち止まっていた。

気を失っているシャスティルは、ヒスカが膝枕をしていて。
ヒスカの目元は、泣きはらした跡がある。
ユーリも、フレンも、私も。他の皆も。…何も言えない。

その時。シャスティルが目を覚ました。

「ん…」
「良かった、シャスティル」
「ん…った」

私のファーストエイドだけでは回復が足りなかったみたいだ。後で掛けてあげよう。
シャスティルは辺りを見回した。

「助かったんだ」
「うん。終わったよ」

するとユーリがシャスティルに声を掛ける。

「おお。気が付いたか」
「ん?あれ?隊長は?」

シャスティルの声に、ヒスカは目に見えて沈む。
私はフレンから降ろしてもらい、ユーリとフレンの間にいる。
ヒスカの表情で、すぐ察したのか、シャスティルは叫ぶ。

「フレン、隊長はどこ!?」

フレンは無言で目を瞑ってしまう。
ただ、彼が持ってる隊長の剣を見てシャスティルは察する。
その沈黙が怖くなり、シャスティルは今度はユーリに訊く。

「ユーリ…」
「隊長、かっこ良かったぜ」

ユーリのその一言が、張り詰めていた糸を断ち切った。
堰を切ったようなヒスカとシャスティルの慟哭が、冷え切った空気に響き渡る。
他の団員たちも、ある者は顔を覆って崩れ落ち、ある者は天を仰いで静かに頬を濡らした。

フレンの手に握られた、主を失った剣。
その銀色の刀身には、戦いの激しさを物語る傷跡と、消えない血の跡が刻まれている。
彼はただ黙ったまま、形見となったその重みを噛みしめるように、静かに目を閉じていた。

「…ヒロミ」

私は、震える指先でユーリの背中に縋りついた。
鼻腔に残る、戦場の硝煙の匂い。けれど、目をつむれば思い出すのは…。
さっきまで確かにそこにあった隊長の大きな手の温もりだ。

あの力強い声、私たちを導いてくれた背中――。

「私は忘れない。隊長の言葉も、あの温かさも。……ね、ユーリ」

絞り出すような私の声に、ユーリの背中がびくりと揺れる。

「ああ…」

彼の短い返事には、同じ痛みと、同じ決意が込められていた。
涙が溢れ、ユーリの背中をぐっしょりと濡らしていく。
彼は振り向くことも、私を突き放すこともしなかった。
ただ、頑丈な壁のようにそこに立ち、私の悲しみをすべて受け止めてくれている。

フレンもまた、何も言わずに傍にいてくれた。
かつての自分たちなら、ただ絶望に打ちひしがれていただけかもしれない。
けれど、二人の静かな佇まいが、今の私には何よりも救いだった。
この優しさに、私は生かされている。

(……ありがとう。ユーリ。フレン)

心の中で、届くはずのない言葉を繰り返した。
赤いエアルはもうない。きれいな緑のエアルが戻ってきたのだった。

 

 

騎士時代編(劇場版ルート)5


16

翌日。
私とフレンとユーリで、隊長の遺品整理をしていた。
といっても、遺体はないし、棺に入れるものは個人が所有していた極僅かなものだ。

ユーリが持ち上げた兜には、無数の小さな傷が刻まれていた。
激戦の跡というよりは、彼が日々を兵士として真っ当に生きた証のように見えた。
フレンが丁寧に畳む衣服からは、微かに使い慣れた香料と、革の匂いが立ち上る。

私が手にした時計は、すでに刻むのを止めていた。
ぜんまいを巻けば再び動き出すはずだが、今はその静寂を破るのがためらわれた。

最後に残った、色あせかけた一枚の写真。
そこには、戦場での厳しい顔とは似てもつかない、一人の父親としての柔和な笑顔があった。
三人の視線がその一点に集まり、誰もが言葉を失う。
彼が守ろうとした世界の重みが、その薄い紙一枚に凝縮されているようだった。

それらを一つ一つ丁寧に入れていった。外には剣が置いてある。
入れ終わり、私たち3人は沈痛な面持ちで口を開く。

「形式とはいえ、何も入ってないのにな。
隊長、任務を優先して家族を守れなかったんだってさ。
おまえさんの親父さんを尊敬してるって言ってたぜ」

「隊長…騎士は誰かの命を守るために捧げるって私に言ってた。初心に戻れって」

その時、ノックもしないで部屋に入ってきた人が。

「ふん、まだいたのか」

兜を脱いだその人はアレクセイ様の傍に控えていた、グラナダだ。

「現場を保持しろとの命令が下っていただろ。
アレクセイ閣下から預かる隊に手傷を負わせおって。
無能め。街の人間を救ったヒーローにでもなったつもりか?
こんな隊長の元では――「貴様!」

グラナダの言葉を最後まで言わせたのは、ユーリの拳だった。
言葉の端に滲んだ隊長への侮辱――それを聞き届けるよりも早く。
ユーリの理性が焼き切れる音がした。

短い咆哮とともに放たれた拳が、グラナダの顔面を正面から捉える。
鈍い衝撃音と共に、グラナダの体がまるで糸の切れた人形のように地面へ転がった。
全部を言い終わらせる必要なんてない。

隊長が積み上げてきた思いを、向けられた優しさを、守り抜いてきた誇りを。
そのすべてを土足で踏みにじられた気がして、視界が真っ赤に染まる。
無様にひっくり返り、鼻血を拭うグラナダを、ユーリはなおも追撃しようと踏み出した。
その目は、獲物を仕留める獣のように冷たく鋭い。

「ダメだ!ユーリ!」
「ユーリ!!」
「なんだテメェ!!今頃のこのこと!!」

逸るユーリの肩をフレンが組み伏せるように抑え、私も必死になって彼の腕にしがみつく。
腕の中から伝わってくる震えは、怒りか、それともやり場のない悲しみか。
それでも、ユーリの視線はまだ、地面に這いつくばる男を射抜いたままだった。
グラナダは鼻を抑えてユーリを睨みつける。

「っ、貴様ぁ…!はぁ…!?」

口から血が出てるのに気づいてグラナダは愕然とする。
その時、副官のユルギスが仲間のエルヴィンとクリスを引き連れてきた。
グラナダは殴られた頬を示すが、ユルギスも皆も知らんぷり。
私たちナイレン隊は、隊長の方が大事なんだから。貴方はもうお呼びじゃないわ。

「棺を運びます。お前たちも手伝え。ヒロミは俺の隣を。……準副官だからな」

ユルギスの言葉は、儀式めいた冷たさを帯びていた。

「はい…」

短い返事さえ、喉の奥に張り付いて剥がれない。

準副官。ユルギスに次ぐ、隊の要。
それは私が血の滲むような訓練の末に掴み取った「実力の証明」だったはずだ。
なのに今、その肩書きは、無力な自分を縛り付ける(かせ)でしかない。

(私に能力があるなんて、誰が言ったの。私は一番 肝心な時に、何一つ振るえなかったのに…)

棺の蓋が、逃げ場を奪うようにゆっくりと閉じられる。
使い慣れた剣を傍らに置き、騎士団の紋章が刺繍された紅い布を広げた。
指先が震えて紋章と目が合った気がした。
それは誇り高き赤ではなく、拭い去れない血の色にしか見えなかった。

「…出すぞ」

男子たちが棺を担ぎ上げる。
微かな木の軋みと、ずっしりとした「物」としての重みが空気を震わせた。

私はユルギスの隣に並び、先頭に立つ。
隣を歩くユルギスの足並みは、一糸乱れず、正確で、どこまでも騎士らしい。
その整然とした歩調に合わせる度、私の中の「偽物」の準副官が、悔しさで内側から削られていく。
前を見なければならない。先導者として、背中を見せなければならない。
けれど、石床を打つ自分のブーツの音だけが、空っぽの胸に虚しく響き続けていた。

「何だ、この隊は!」

グラナダは最後まで負け犬の遠吠えだった。

建物から一歩外へ出ると、冷ややかな風と共に。
鼻を突くほど濃厚な白い花の香りが漂ってきた。

そこには整列したナイレン隊の面々と、その後ろを埋め尽くすシゾンタニアの人々がいた。
誰もが押し黙り、ただ一人、偉大な隊長の旅立ちを待っている。

これほどまでの人だかりが、音一つ立てずにそこにいることが、
隊長の人徳を何よりも雄弁に物語っていた。

(……隊長。貴方は本当に、こんなにも多くの人に愛されていたんですよ。
どうか天国では、もう寂しい思いをせず、奥さんと娘さんと幸せに笑い合ってくださいね)

棺が馬車へと繋がれ、その周囲は街の人々が手向けた白い花で埋め尽くされていく。
一人、また一人と、祈りを捧げながら花を置くたび。
白の純潔さが隊長の生きた軌跡を塗り替えていくようだった。

私はユーリとフレンの間に立ち、その光景をじっと目に焼き付けていた。
一般献花の列を見守るユルギスの、張り詰めた背中がいつもより小さく、そして大きく見える。

「隊長が死んで何も残らなかったなんて思うか?」

ユーリが、隣のフレンにだけ聞こえるような低い声で呟いた。

「ここにいる皆が生きてるんだ。だろ?
…死んだおまえの親父さんが、何も残さなかったなんてこと、絶対にない」

「うん。ここにいる人々の思いが、今までの隊長の生きた証だよ。
フレンのお父さんだって、きっと隊長と同じように誰かの心に何かを残したはず。
隊長がそれを覚えていたようにね。……思いは、ちゃんと繋がってるよ」

フレンの頬を、一筋の涙が伝い落ちた。彼は唇を噛み締め、声を殺して泣いていた。
私とユーリはあえて彼を見ず、ただ前方の棺を見つめ続けた。

今この瞬間、彼の涙を「見ないふり」をすることだけが、
私たちにできる唯一の、そして精一杯の優しさだったから。

やがて献花が終わり、ユルギスが震える声を押し殺して、凛とした号令を響かせた。

「帝国騎士団、ナイレン・フェドロック隊長に――敬礼ッ!!」

その場にいたナイレン隊全員の腕が、吸い込まれるように一斉に跳ね上がった。
揃いの甲冑が鳴らすガシャリという硬い音が、シゾンタニアの空に鋭く響く。
カポカポと、乾いた蹄の音を残して馬車がゆっくりと動き出す。
遠ざかっていく白い花の山。それが角を曲がって見えなくなるまで、私たちは腕を下げなかった。

(ナイレン隊長、本当にお世話になりました…!貴方の背中を、私たちは一生忘れません)


敬礼を終え、ゆっくりと下ろした腕が重い。
首の後ろにこびりついた、あの(おぞ)ましい違和感――。
それは毒のように、あるいは呪いのように、いまだ私の肌を粟立たせている。

(……いや。まだだ。まだ、終わっていない)

隣でフレンも手を下ろす。その動作はいつになく緩慢で、どこか震えていた。
彼の視線が、遠ざかるガリスタの背中を射抜く。その時、私は見た。
ガリスタが手首の「何か」を隠す、一瞬の、だが決定的な仕草を。

その瞬間、フレンの中で全ての断片が繋がったのだろう。
見開かれた彼の瞳の中で、過去と現在が走馬灯のように激しく交錯するのがわかった。

「…気付いた? フレン。…これ、拾っておいたから」

私は懐から、遺跡で密かに回収した『魔核』を取り出し、彼の掌に滑り込ませた。
冷たいはずの魔核が、今の私には酷く熱く感じられた。

「これ……ヒロミ、まさか、彼が……」

フレンの言葉が、震える吐息となってこぼれる。
私は自分の首の後ろを忌々しげに撫で、深く、強く頷いた。

「ええ…。この1年と少し、ずっと霧の中にいた。
でも、奴はついに尻尾を見せた。もう逃がさない。絶対に…!」

フレンは俯き、渡した魔核を壊れんばかりの力で握り締めた。
指の節が白く浮き上がり、彼の激情を物語る。
そして、顔を上げた彼の瞳には、かつてないほどの鋭い光が宿っていた。

「ユーリ、ヒロミ。……まだ、終わってない」
「え?」
「フレン、真実の扉、開きに行きましょ」

フレンは、ガリスタが去った方角を、憎しみを込めて睨みつけた。
唇を強く噛み締め、滲んだ血が彼の決意を赤く彩る。

私だって同じだ。
胸の奥で、渦巻く魔力が制御を失うほどに膨れ上がっている。
敬愛する隊長を喪った悲しみは、今や純粋な「怒り」へと昇華されていた。
今の私なら、複雑な詠唱など介さずとも、この怒りだけで全てを焼き尽くす魔術を放てる。

「行こう、フレン。あの男が隠し通してきた『真実』を、引きずり出しに」

私たちは、逃げ場のない真実の扉へと足を踏み出した。



17

私とフレンはユーリにすべてを打ち明けた。ガリスタの本性を。
そして私たち3人は駐屯地の建物にある書庫に向かった。
書庫の机に、遺跡から持ち帰った壊れた魔核の魔導器の証拠を置いて。
奴が出てくるのを待ち伏せていた。

奥のドアが開き、ガリスタが出てきた。ガリスタは軍師でありながら魔術専門だ。
私も隊一で魔術を使うなら、ユーリとフレンを魔術でサポートする方がいい。
いつでも発動できるように、唇を舐める。

ガリスタは開けっ放しの箱にタオルをしまっている。
そして、私たちが机に置いた壊れた魔核の魔導器に気付いた。
フレンはそれを見て口を開いた。

「遺跡の中に仕掛けてありました」

視線だけ、私たちを見たガリスタ。

「あなたしか使用しないタイプの魔核です」

するとガリスタは手首の魔導器の蓋を開ける。やはり、同じ魔核だったか…!
私は視線を鋭くさせる。雪辱に待った。1年以上、待ったんだ。
そしてフレンは信じてくれた。ガリスタが怪しいと言っても否定しないでくれた。
どれだけ救われたか。

「何のためにあんなことを!町を破壊するつもりだったのですか…!」
「まさか。あの遺跡は新たな魔導器の実験場だったのですよ」

フレンも私も、さらに視線を厳しくさせる。もう本性を露わにしているに等しい。

「新たな魔導器?」

「そうです。エアルをコントロールし、魔導器を制御する事。
我々はエアルが結晶化した魔核を発掘でしか入手できません。
自らの手で魔核に代わるものを作り出せれば、
魔物を恐れることなく更なる繁栄を遂げることが出来る」

「……繁栄だと? 笑わせるな!」

フレンの絞り出すような声が、冷たい空間に響く。

「人が安心して暮らせぬ世界に、何の意味がある!
あなたが作ろうとしたのは未来ではない。ただの、絶望の墓場だ!」

剣を握るフレンの指が、怒りで白く震えている。
ガリスタは、まるで理解の遅い生徒を見るような、憐れみすら含んだ笑みを浮かべた。

「犠牲? 違いますね。それは新世界の産声に過ぎない。
強大な力を手にするためには、古き器は壊れる運命にあるのです」

その言葉が、私の逆鱗に触れた。
目の前で崩れ去った景色、耳にこびりついて離れない悲鳴。
この男にとっては、それらすべてが「魔導器」の性能を測るための数値に過ぎないのだ。
ガリスタの持論など、今の私たちには塵ほどの価値もない。
私たちは、あなたが踏みにじった「日常」の重さを知っている。

「その魔導器が暴走し、あなたは全てを舞台諸共、葬り去ろうとした!」
「今の我々は、通常の魔導器さえ完全にはコントロールできていません」

吐き捨てるようなガリスタの言葉には、どこか言い訳めいた響きがあった。
フレンはその隙を逃さず、冷ややかな声を重ねる。

「その『不完全さ』のお陰で、決定的な証拠である魔核を、ヒロミが持ち帰ってくれました」

その瞬間、室内の温度が数度下がったかのような錯覚に陥った。
ガリスタの顔が怒りでわずかに歪み、忌々しそうに私を睨みつける。
その瞳の奥には、計算を狂わされた者特有の、どす黒い執念が渦巻いていた。

負けてはいられない。私は真っ向からその視線を受け止め、挑むように眼力を強める。
沈黙が、まるで実体を持つ重圧となって二人の間に居座った。

(さあ、どうする? 言い逃れはもうできないはずよ)

私の視線は、雄弁にそう物語っていた。

「ある程度、成果の実験もあったのですよ?」

ガリスタは薄ら笑いを浮かべ、眼鏡の奥の瞳を冷酷に光らせた。
その勝ち誇ったような仕草に、私の背筋を冷たい悪寒が駆け抜ける。

「もちろん、犠牲者は出ましたが」

平然と言い放たれたその言葉。最悪の予感は、残酷な確信へと変わった。
隣でフレンの息が止まる。その顔が、絶望と驚愕に白く染まっていく。

「まさか……そんな、嘘だ……!」
「おやおや、お気の毒でした」

ガリスタは煽るように、大仰な動作で礼儀正しく頭を下げた。
そのわざとらしい敬意が、かえって彼の下劣さを際立たせる。

そう、フレンのお父さん――ファイナス・シーフォが亡くなったのは、事故などではなかった。
この男、ガリスタが己の野望のために仕組んだ「実験」の犠牲になったのだ。

「…貴様ぁッ!!」

最初に動いたのはフレンだった。理性を焼き切るほどの激昂。
ユーリも、込み上げる怒りに震えながら武器を抜く。

フレンは叫びと共に真っ先にガリスタへ斬りかかったが、
不可視の障壁に弾かれ、無残に吹き飛ばされた。

「くっ……!」
「おっと、危ない。今の私に触れるのはお勧めしませんよ」

ガリスタは余裕たっぷりに防護壁を解くと、手元で怪しく脈動する魔導器を見つめた。

「どうやらここでも、あの時のように魔導器が『暴発』する必要がありそうですねえ。
……次は君たちが実験体になる番だ」

冷たい殺意が部屋を満たす。しかし、私は一歩前へ踏み出し、自らの魔力を解放した。

「いいえ。そんなこと、絶対にさせない」

魔導器の暴走を抑え込むように、私は意識を核へと繋ぐ。

「全て防いで見せるわ。ガリスタ……あなた、私たちを、そして人の命を舐め過ぎよ!」

ユーリが抜いた剣を低く構え、フレンが再び立ち上がる。
三人の怒りと意志が、邪悪な魔導師を包囲した。

魔核を暴走させ、狂乱の雷を操るガリスタ。
その圧倒的な圧を背に、私とユーリはフレンの元へと駆ける。
だが、背後に膨れ上がる殺気は無視できない。
私は走りながら、一歩も止まることなく、ただ「意志」だけで背後に魔力の壁を編み上げた。

「――ッ!」

直後、鼓膜を突き破るような轟音と共に、バチィッ!と激しい衝撃が私の背を襲う。
無詠唱で展開したバリアに、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
防ぎきれなかった衝撃が肺を圧迫するが、構うもんか。

「ほう? さすが。隊一の切り札と言われるだけありますね。その即応性、実に見事だ」

背後から響くガリスタの余裕に満ちた声。

「ユーリ! フレン!」

私は二人の名前を呼び、再び無詠唱で飛来する雷撃を弾き飛ばすと、
迷うことなく彼らを巨大な本棚が並ぶ死角へと誘導した。

ガリスタが嘲笑を浮かべ、死神のように歩を進めてくる。
その足音が近づくのに合わせ、私は極限まで集中力を高め、本物の「詠唱」を紡ぎ始める。

「輝く御名の元、地を這う穢れし魂に裁きの光を雨と降らせん――」

本棚の影、光と影が交差する一瞬の隙。
潜めていたユーリが、獲物を狙う豹のような速さでガリスタに奇襲の刃を振るう。
だが、ガリスタの周囲を覆う防御壁が鈍い音を立てて剣を弾き、ユーリの体が宙に吹き飛ばされた。

「安息に眠れ、罪深き者よ――味方を避けよ!」

間髪入れず、逆側の本棚からフレンが飛び出す。
彼の剣が空気を切り裂く音と、私の詠唱の最終句が重なった。

「ジャッジメント!!!」

フレンの斬撃がガリスタの防御を削り取った瞬間、天から無数の光の雨が降り注ぐ。
ガリスタは、防御壁の再構築が間に合わない。
鋭い光の杭が彼の体を貫き、フレンの刃がその額を浅く、だが確実に切り裂いた。

「ぐっ、あああああッ!」

ガリスタが大きく仰け反る。その刹那、私は反動で震える指先を二人に向けた。
追撃への備え――再び無詠唱で展開した半透明のバリアが、
吹き飛ばされたユーリと、着地したばかりのフレンの全身を優しく、かつ強固に包み込んだ。

ガリスタは馬鹿力でフレンを吹っ飛ばしたが、私のバリアでダメージは少ない。
ガリスタがフレンに近づいてくる。私は俊足でフレンに近づき、回復を使う。

「痛いな」

だがフレンに近づこうとしたガリスタの手には雷の玉が。
しかし、それをユーリが阻む。なんと本棚が倒れてきた。ユーリ、ナイス!
本棚が倒れる間に私とフレンはすぐに本棚エリアから走り、抜け出す。
私はすぐに詠唱を唱える。

「我が味方の守護となれ――バリア!」

ユーリとフレンにまた防御壁を掛ける。

散らばった本が浮き上がり、宙をういて巻きあがってガリスタの周りを渦巻く。
ガリスタは額を斬られ、怒り心頭だ。いつの間にか眼鏡が吹っ飛んだのか、無い。
どこがイケメンだ、言ったやつ出てこい!この野郎!

「ムカつくやつらだ」
「そのまま、あなたに返すわ」

巻き上げ渦巻く本を一斉にこっちへ放ってきた。
私は両手を広げて無詠唱で防御壁を張る。
バチバチッっと皹が入るが、後ろの2人は絶対に護る!

「「ヒロミ!」」

「…あなたは本当にムカつきますねぇ。1年前から」

バチィッ!と激しい衝撃が走り、私の防御壁に蜘蛛の巣状の亀裂が広がる。
至近距離まで迫ったガリスタの眼光は、眼鏡を失ったことでその狂気を剥き出しにしていた。

「1年前からムカつく? それはこっちのセリフよ!
陰気なツラして裏でコソコソ動いてたツケを、今ここで全額払わせてあげるわ!」

背後でフレンとユーリが息を呑む音が聞こえる。
二人の無事は確認した。なら、私の役割はこの「絶対防壁」を貫かせないこと、ただ一つ!

空いた片手で別の魔術式を構築し、詠唱しガリスタへと放つ。

「澄み渡る明光よ、罪深きものに壮麗たる裁きを降らせよ!レイ!」
「生温い!」
「くっ」

バチバチィッと防護壁で弾かれた。ガリスタが近付いてくる。

「く、どうにか…」
「ちっくしょ…」

すると後ろでユーリが、隊長の魔導器を取り出す。

「ヒロミはそのままオレを護っててくれ。フレン、一か八かだ。隙を作ってくれ」
「「わかった」」

私はユーリの前に立って防御壁を張る。フレンはガリスタに向かっていく。
私はフレンに無詠唱でバリアを張る。無事でいて…!

ユーリは手首に隊長の魔導器を嵌める。

「どりゃああっ!」

フレンは乱雑に詰み上がった本を袈裟斬りに本を巻き上げ、ガリスタぶつける。

「くだらんことを…!」

フレンが素早く戻ってきた。私とユーリとフレンで…!隊長の魔導器に手を添える。

「「「くらえええええ!!!」」」

青白い燐光が弾け、空間を塗りつぶすように蒼い魔法陣が激しく展開する。
その眩い輝きにガリスタが目を細めた、わずかな隙。

「はああぁっ!」

ユーリが地面を蹴り、爆発的な踏み込みでアドバンテージを奪う。
一気に距離を詰め、翻した剣が空気を切り裂いた。
鈍い音と共に、白銀の刃がガリスタの胸を深く貫く。

「あ……ぁっ、それは……っ」

ガリスタの口端から鮮血が溢れ、床に滴り落ちる。
彼は朦朧とする意識の中で、自分を貫いた相手の手首、

――そこに埋め込まれた「魔導器(ブラスティア)」を凝視した。

その魔核(コア)は、まるで鼓動するように、仄かに、そして確かな温もりを持って脈打っている。

「隊長の魔導器だよ」

ユーリの低く、静かな声が響いた。
復讐でも憎しみでもない、ただ事実だけを告げるその声が。
何よりも冷酷にガリスタの野望を打ち砕く。

「あ……ぁぁ……ぁ……」

皮肉なものだ。彼が追い求め、利用し、弄んできた魔導器が、最期に彼を裁く光となった。
剣が引き抜かれると、糸が切れた人形のようにガリスタは崩れ落ち、二度と動かなくなった。
私とフレンも、静まり返った部屋の中で、倒れた彼のもとへ歩み寄る。
……終わった。本当に、すべて。

「隊長、終わったよ」

ユーリが誰に言うでもなく呟く。

「うん。最後の最後で、隊長が守ってくれたんだね…」

私はその魔核を見つめた。
それは先ほどまでの激しい光とは違い、今は慈しむような穏やかな輝きを放っている。

「……それ、大事にしなくちゃね、ユーリ」

私の言葉に、ユーリは答えなかった。
ただ、愛おしそうに、あるいは誓いを立てるように、魔導器を握る手に力を込める。
やがて、隊長の魂が宿っていたかのような光は、ゆっくりと、名残惜しそうに収まっていった。



18

ガリスタを倒した高揚感は、
シゾンタニアを放棄するという帝国の冷徹な決定によって、瞬く間に冷え切った。

数日後の夜。
街全体が静まり返り、遠くで撤収作業の鈍い音だけが響く中。
私は密かに副官のユルギスを呼び出した。

―――そう。彼に、私の「居場所」を託すために。

差し出された退団届を見つめ、ユルギスは信じられないといった様子で目を見開いた。

「……本気か、ヒロミ」
「冗談でこんなもの書かないよ。……ごめんね、準副官なんて立場にありながら」

私が辞めることが、これからの隊にとってどれほどの痛手かは分かっている。
けれど、今の私にはこの選択肢しかなかった。

「……どうして、きみまで」

ユルギスが零した、その「まで」という言葉が耳に残る。

「きみ“まで”?」
「ああ。……先ほど、ユーリからも退団の意志を伝えられた」

心臓が跳ねた。あのユーリも辞める。向かう先は、きっと帝都。

(…奇遇だね。私たち、同じ方向を向いてるのかな)

驚きを飲み込み、私は小さく息を吐いた。

「え、そうなの?…まぁ、あの一件で、彼の中にも思うところがあったのかもね。
それより、私のことなんだけど」

私は努めて明るく、けれど確かな拒絶を込めて続けた。

「ユルギスは知ってるよね。私が持病持ちだってこと」
「…ああ。把握している」

ユルギスと隊長だけは、私の身体のことを知りながら、
ナイレン隊の一員として居場所を与えてくれた。二人の配慮があったから隠し通せてきた。

(本当に、感謝してるんだよ。隊長、ユルギス)

「あの遺跡調査の後から、正直、身体の調子が良くなくてね。
……皆には隠してたんだけど、もう限界みたい。
隊の足を引っ張って、士気を下げるようなことはしたくないんだ」

私は少しだけ声を震わせ、頬をかいて苦笑いしてみせた。

「病が克服できたら復帰したいけど……今のところ、希望は薄いかな」

ユルギスは深い溜息を吐き、視線を落とした。その肩にのしかかる重荷を思うと胸が痛む。

「そうだったのか……。きみが居なくなると、みんな寂しがるな。
隊の雰囲気を支えていたのは、きみだったから」

「あー黙っていなくなるの、絶対みんなに怒られるよね。
ごめん、ユルギス。泥を被らせちゃうね」

「気にするな。これも副官としての俺の仕事だ。…きみも、今日まで本当によく戦ってくれた」

その言葉だけで、報われた気がした。

「後のこと、任せたわよ。元気でね、ユルギス」

「ああ。ヒロミも、元気でな。もし身体が良くなったら…また会おう。
ナイレン隊の門は、いつでも開けておく」

最後に交わした握手は、驚くほど力強かった。

「あ。最後にお願い。このことは、明日みんなが発つまで黙ってて。
…双子には話してもいいけど、他の人に漏らさないよう釘を刺しておいてね。
あの双子、鼻が利くから。隠し通そうとしたら、きっと貴方の仕事の邪魔をするわ」

ふっと自嘲気味に笑うと、ユルギスも困ったように眉を下げた。

ユルギスは静かに頷いた。
ユルギスの視線を背中に感じながら、一度も振り返らずに廊下を歩く。
自分の足音だけが、やけに大きく響いていた。
自室のドアを閉めた瞬間、背中を預けて、ようやく肺に溜まっていた熱い息を吐き出す。
部屋に残されたわずかな私物を見つめながら、私は帝都への遠い道のりに思いを馳せた。

(私の初恋の2人。黙って居なくなること許してね。…さよなら)

愛することを教えてくれた、2人への最初で最後のわがまま。
黙って居なくなる私を、どうか責めないで。
この恋を抱えたまま、私は私を終わらせにいくから。
……さよなら。あたたかな光の中にいて。

使い古された革の鞄に、最低限の着替えを詰め込む。

部屋はすっかり寒々しくなり、壁に掛けていた制服だけが、
かつての自分の居場所を主張しているようだった。

そこへ、静寂を切り裂くようにバタバタと騒がしい足音が二つ、こちらへ向かってくる。

「ちょ、ちょっとヒロミ!貴女まで辞めるなんて聞いてないよ!」
「急にどうしたの?辞めるからには何か理由があるのよね」

扉が勢いよく開き、息を切らしたヒスカとシャスが飛び込んできた。
鏡合わせのような二人の表情には、戸惑いと悲しみが隠しようもなく浮かんでいる。

「実は、体調が少し良くなくて。前みたいに倒れたら、また皆の迷惑になるから」

なるべく淡々と、作り慣れた微笑みを浮かべて答える。
けれど、食い下がる二人の瞳は潤んでいた。

「そんな!そんなことないよ。迷惑だなんて、誰一人思ってない!」
「…そう、そんなことあるの。私のせいで全体の士気が下がるのは、隊にとって一番の毒だから」

心を鬼にして言葉を重ねる。
優しさに触れれば、今すぐこの荷物を放り出して、ここに留まりたいと泣いてしまいそうだったから。

「もう、決めた事なのね?ヒロミ」

鋭いシャスが、私の指先の微かな震えを見逃さずに問いかける。

「うん。…今まで本当にありがとう」

沈黙が流れる。二人は顔を見合わせ、やがて諦めたように肩を落とした。

「もしまた戻ってきたくなったら、何時でもいいからね。
あんたの席、勝手に誰かに座らせたりしないから」

「うん。……ねえ、ヒスカ、シャス。フレンのこと、お願いね」

一番言いたかった名を口にすると、胸の奥がキリリと痛んだ。

「もちろんよ。フレンはずっと、ヒロミを待ってる。…それが分かってて行くのね」
「フレンにはこの手紙を渡しておいて貰える?この御守りも一緒に」

差し出した封筒と、大切に扱われてきた御守り。
それを受け取ろうとしたヒスカの手が、私の手元にある一点を見つめて止まった。

「仕方ないわねえ…。あら?この花のブローチ。もしかして、あの時の…」

「うん。私とフレンを繋ぐものと言えば、これしかなくて。
…もしフレンが泣いたら、『元気になぁーれっ!』って、この花を揺らして慰めてあげて」

おどけて見せた私の仕草に、シャスが顔を歪めて叫んだ。

「うわーずるっ!そんなの、絶対フレン泣くじゃん!
思い出して余計に泣くに決まってるでしょ、どうすんのよ~もぅ!」

「それでも。お願い、二人とも。
…今、あの子を任せられるのは、頼れるのは双子たちだけなの」

真っ直ぐに二人を見つめると、二人は毒気を抜かれたように同時にため息をついた。

「…それ言われちゃったら、ね。もう、本当に行ってらっしゃい。元気でね」
「うん!二人とも本当にお世話になったよ。元気でね!」

最後に一度だけ、部屋を見渡す。
私は手早く普段着に着替え、双子が差し出す温かな手を振り切るようにして部屋を出た。
月明かりが廊下に長い影を落としている。

さて。ここからは誰にも見つからないように、気配を殺して。
共に戦った仲間たち、眠るフレン、ユーリ、そして愛したこの場所。

(…ごめんね。夜のうちに、こそこそと出て行く私を許して)

一度も振り返ることなく、私は夜の闇へと溶け込んでいった。

街道の脇をすり抜ける際、
追い越す馬車の御者が目を丸くしてこちらを見ていたが、構わず足を回した。
肺に冷たい空気が入り込み、景色が後ろへと飛び去っていく。
一歩ごとに地面を蹴り飛ばす感覚が心地いい。
それを繰り返し、水を飲んで休憩して、夜になったら夕飯を作る。
夜、焚き火の傍らで作った簡単なスープを流し込み、
泥のように眠れば、翌朝にはもう足の疲れは消えていた。

それをわずか1日半で、帝都に付いた。うわーもうお昼に近い時間だ。

巨大な城門が見えてきた頃には、太陽はもう真上近くだ。
検問を軽やかに通り抜けると、帝都特有の喧騒――人々の話し声、
石畳を叩く馬の蹄の音、そしてどこからか漂うパンの焼ける匂い――が私を包み込んだ。

一人の身軽さにかまけて、気づけばかなりのハイペース。
少し火照った頬に、下町特有の湿り気を帯びた川風が心地いい。
どこからか漂う醤油の焦げた香りと、遠くで響く都電の音。
ようやく帰ってきた、という実感が胸に広がります。

「ふぅ……、やっぱりここに来ると落ち着くね」

入り組んだ路地、軒先に並ぶ植木鉢、そして近所の猫。
そんな日常を全力で駆け抜け、私は「ふぅ」と一旦落ち着く。
一人の気楽さは、この風景を独り占めできる贅沢さでもあったんだ。
さてさて。まずはハンクスおじいちゃんに挨拶だね。



19

ヒロミが出て行った、あの日から一夜。

窓から差し込む朝日は、昨日までと何も変わらないはずなのに、
部屋に満ちる空気はどこか余所余所しく、冷ややかだった。

ユーリは、自分の寝床を振り返る。
いつもなら、フレンに「少しは片付けろ」と小言を言われるのが定位置だった万年床。
それが今日は、まるで別の住人の部屋かのように、隅々まで美しく畳まれていた。
これから自分が踏み出す道の険しさを、自分自身に刻み込むような、奇妙なまでの潔さだった。

「……ま、こんなもんか」

独り言は、静まり返った壁に虚しく吸い込まれていく。
窓の外、階下の厩舎の方から、高く鋭い馬の嘶きが聞こえてきた。

それは日常の音であるはずなのに、今のユーリには、
ここではない「外」の世界が自分を呼んでいる合図のように聞こえた。

鏡を見るまでもない。
身に纏っているのは、誇りでもあり、枷でもあった騎士団の隊服ではない。
着慣れた、しかしどこか身の引き締まる私服だ。

一つ、大きく息を吐き出す。
愛用の剣を確かめ、最低限の荷物を詰めた背負い袋を肩にかけた。

振り返ることはしなかった。
ユーリは一度だけ、相棒のベッドに視線を投げ、それから音を立てずに自室の扉を開けた。
軋む床の音さえも、新しい旅路への序曲のように、朝の静寂に響き渡っていた。

石畳には絶え間なく馬車の車輪がきしむ音が響き、
シゾンタニアはかつてない喧騒に包まれていた。
結界を失った空はどこまでも無防備に広がり、市民の頭上には目に見えない不安が垂れ込めている。
副官ユルギスは、額に浮いた汗を拭う暇もなく、泥にまみれて馬車の誘導に奔走していた。

「この馬車が出たら、次は三番街の家族を乗せるんだ。
遅れるな、日が暮れる前に峠を越えるぞ!」

彼の飛ばす怒号は、不思議と人々のパニックを抑え、秩序を与えていた。
元ナイレン隊の面々も、今は剣を背に回し、大きな木箱を担いで家々と馬車を往復している。
兵士と市民という壁は、壊れた魔導器と共に消え去ったかのようだった。
誰もが、後ろを振り返る余裕などない。
ただ、明日を生き延びるために、自分たちの街を荷馬車に詰め込んでいた。

その時、作業の手を止めたシャスティルが、雑踏の中にユーリの姿を見つけた。

「ヒスカ!」

鋭い声に、隣で荷を運んでいたヒスカも勢いよく振り返る。

「あ……!」

二人の顔がパッと華やいだ。双子は示し合わせたかのように、
遠ざかっていく背中に向かって、ちぎれんばかりに手を振る。

ユーリは振り返らず、ただ片手を高く上げてそれに応えた。
傍らを行くラピードの爪音が、石畳に規則正しく響く。

慣れ親しんだ町の活気。野次を飛ばしてくる親父さん、会釈を送る婦人。
ユーリはその一つ一つを拾い上げるように、視線を配りながら歩を進めた。

やがて、街の喧騒が背後へと遠のく。城門の影には、幼馴染が待っていた。
フレンは門柱に背を預け、手持ち無沙汰に地面を見つめていたが、近づく足音に顔を上げる。

「お見送りかい?」

ユーリが揶揄うように口角を上げると、フレンは少し困ったように眉を下げた。

「ああ。…僕らしくないな、とは思うけれど」
「全くだ。柄じゃねえよ」

ユーリはそこで一度足を止め、歩いてきた道を振り返った。
立ち並ぶ家々、昇る煙。かつて守りたかった小さな世界が、今は遠くに見える。

「みんなも、出て行っちまうんだな」

その呟きには、寂しさよりも、
それぞれが自分の足で歩き出したことへの静かな充足感が混じっていた。

「帝国がここを放棄する以上、仕方ないさ」
「ギルドの連中なんざ、とっとと消えちまったしな」
「メルゾムも隊長がいたから、ここが心地よかったんだろう」
「オレも隊長のいない騎士団じゃ、やってけそうにないもんなぁ。悪ぃ、あと始末頼むわ」

「……ユルギス副隊長は、震える手で報告書を受け取ったよ。
ガリスタの遺体を確認することすらしなかった。いや、したくなかったんだろうな。
ガリスタが何をしていたか、薄々感づいていたはずだ。
それでも、隊長が生きていれば……あの人ならガリスタを正道に戻せたかもしれない。
皮肉なもんだよな。
ヒロミがあれほど必死に鳴らしていた警鐘を、最後まで真剣に聞き入れ、
対策を練ろうとしていたのは、帝国の上層部じゃなく、前線の隊長だけだったんだから。
彼女は自分が疎まれていると思い込んでるみたいだけど……違うんだ。
隊長は彼女を守るために、あえて遠ざけていたんだよ。
僕らのこの『黙認』も、きっと隊長が遺してくれた最後の命令みたいなものさ」

「フレン、おまえは強いな。オレには真似出来ねぇ」

ユーリは、眩い太陽に目を細めながら呟いた。
その視線は、かつて二人で憧れた騎士団の象徴ではなく。
人々が蠢く薄暗い下層街へと向けられている。

「君もね、ユーリ。一人で生きて行こうなんて、いかにも君らしい選択だよ」

フレンの声には、呆れと、それ以上の深い信頼が混じっていた。
彼は背筋を伸ばし、汚れ一つない騎士団の制服の襟を正す。

「僕は、この場所から変えていく。
騎士団に残ることで、隊長が目指した理想の先を追いかけてみるよ。
……あの方に、託されてしまったからね」

フレンは困ったように笑い、隊長の形見の剣の柄にそっと手を添えた。
それは、亡き隊長の遺志そのもの。
その重みを知るからこそ、ユーリは何も言わずに鼻を鳴らす。

すると足元から、不満げな「ワンッ!」という短い吠え声が響いた。

ラピードが、煙管をくわえたままユーリの脛に頭をこすりつけ、
「オレを忘れるな」と鋭い眼光を向けている。

「……はは、ごめん。一人じゃなかったな、ラピード」

ユーリが苦笑して相棒の頭を乱暴に撫でると、フレンの表情がふっと和らいだ。
朝日に照らされた隊長の魔導器が、二人の行く末を祝福するように一瞬、強く輝く。

魔導器(ブラスティア)を握りしめるフレンの指先には、まだユーリの体温が残っていた。

「大事にしてくれ」

その言葉は、託された魔導器だけでなく、かつて共に歩み、
そして今は別々の道から同じ目的地―ヒロミ―を目指す愛する人への、最大限の敬意だった。

「じゃあな。ヒロミの事、頼んだぜ」
「え。ユーリ、いいのか?」
「オレは諦めたわけじゃねーよ。あいつの事だ、下町にも顔くらい出すだろ」

軽口を叩きながらも、ユーリの瞳には迷いがない。

「望むところだ。僕も負けないからな」
「ははっ。ライバル確定だな。じゃーな」
「またな」

背を向け、片手を上げて歩き出すユーリ。
その隣を、相棒のラピードが静かに、だが力強く伴走していく。
一人と一匹の影がシゾンタニアの門をくぐり。
街道の先へと小さくなっていくのを、フレンは見送った。

(ユーリに頼まれたなら。遠慮はしないよ)

フレンは一つ深く息を吐き、心地よい高揚感を胸に街へと引き返した。
フレンが辿り着いたその部屋には、開け放たれた窓から吹き込む風だけがあった。

整えられたベッド、(あるじ)を失った机。残酷なほどに冷え切っている。

「……ヒロミ?」

フレンの声が、虚しく室内に響く。
二人が「再会」という共通の未来を誓い合ったその時。
運命の歯車は既に、彼らの想像も及ばない方向へと回り始めていた。
ヒロミの姿は、もうどこにもなかった。


事態は風雲急を告げる。

「なんだって!!? ヒロミまで辞めたっていうのか!?」
「フレン、落ち着いて……っ!」
「落ち着けるわけないだろ!
ユーリが去って、今度はヒロミまで……そんなの、バラバラじゃないか!」

詰め寄る僕を、双子先輩が左右から「どうどう」と宥めるように抑え込む。
その掌から伝わるわずかな震えが、事態の深刻さを物語っていた。

「まさか、あいつもユーリを追いかけて……」

「そうじゃないよ。……限界だったんだよ。ずっと顔色が悪かったでしょ?
これ以上みんなの足を引っ張りたくないって、泣きそうな顔で……」

「…………」

熱を帯びていた頭が、急速に冷えていく。
思い返せば、ヒロミの顔は日に日に白磁のようになっていた。
元々病弱だった体を、血の滲むような努力で鍛え上げ、この過酷な騎士団の門を叩いたんだ。
人一倍重い鎧を背負い、誰よりも早く訓練場に現れていたその背中。

「……彼女、僕たちの前では一度も弱音を吐かなかったから」

厳しい環境、重なる任務。そして、ユーリの離脱という決定的な衝撃。
強靭な精神(メンタル)が肉体を支えていたのだろうが。
その糸がプツリと切れてしまったのかもしれない。

「体調を……崩してまで、守ろうとしてくれていたのか。この場所を」

僕は拳を握りしめた。ヒロミが去ったのは、裏切りでも逃げでもない。
自分を削ってまで騎士団に尽くした彼女の、それが最後に出した「誠実な答え」だったのだ。

「ねぇフレン。ヒロミはフレンのこと心配してたよ」
「え?」
「ユーリもヒロミもいなくなって。落ち込むんじゃないか、って」
「それは…」

強ち間違いじゃないと思う。
ユーリとなら、騎士団を中から変えていけるんじゃないかって思ってた。
でも、彼はもういない。そして支えだったヒロミも。

「ね。フレン、これ。ヒロミから託されたんだけど」
「これは…手紙?それに、この花のブローチは!」

僕は急いでヒロミからの手紙の封を開けた。


『フレンへ

まず、黙っていなくなってごめんなさい。騒ぎにしたくなかったの。
実は、あの遺跡調査から、体調が芳しくなくて。
騎士として貴方の隣に立つ自信がなくなってしまいました。
隠しきれなくなる前に、一人の女として静かに去ることにしたの。

心配性のフレンのことだもの。
理由を知ればきっと自分のこと以上に傷ついて、私の為に騎士の道を止めてしまうでしょう?
それは私の本望じゃないの。

フレン、自分を責めないで。私は私の意志で、この静かな終わりを選んだんだから。
フレンには、フレンの道を真っ直ぐに進んでほしい。迷いも、悔いも、全てを断ち切って。
貴方だけの騎士道を貫くことを、遠い空の下から願っています。

小さい時に貴方に出会えて、そして騎士団で奇跡のように再会できて、本当に幸せだった。
貴方は、私の暗闇を照らしてくれた太陽だよ。“あの花”ように、優しく、強くあれ。

――元気になぁれ!  ヒロミより』


震える指先が、便箋の端に滲んだ小さな跡を見つけた。
それは彼女がこれを書いている時に落とした涙の痕か、それとも迷いの跡か。
読み進めるほどに、手紙を持つ手が激しく震え、カサカサと乾いた音を立てる。

「…っ、馬鹿だよ、ヒロミ。君がいない道なんて…っ」

手紙から立ち上がる、かすかな彼女の香りが、余計に胸を締め付けた。

手紙の間に挟まれていたのは、僕らを繋ぐ唯一の「あの花」のブローチだった。
騎士団の重厚な紋章とは違う、小さくて、けれど芯の強さを感じさせるその造形が、
今の彼女の決意を物語っているようで。

手のひらに押し当てたブローチの鋭い感触が、現実の痛みを刻みつけてくる。

「……ヒロミ…っ!くっ、うぅっ」

渡された手紙の言葉と、特別な花のブローチに。
僕の眼からポッ、ポトッと涙が滑り落ちた。

「ちょっ、フレン!?」

慌てて肩を叩こうとしたヒスカ先輩の手が、僕の嗚咽を聞いて止まった。

「……あーあ。泣いちゃった。まあ、そうなるよね。あんな手紙渡されたらさ」

呆れたような口調とは裏腹にシャスティル先輩も、それ以上踏み込まず。
僕がその悲しみを吐き出し切るのを待つように、少しだけ視線を逸らした。

朝日の眩さが。光が。
皮肉にも彼女が残した“私は貴方の太陽だよ”の言葉が。

何よりも僕の心に深く突き刺さった。
泣き崩れる騎士の背中を静かに照らしていた。

(太陽だったのは僕の方じゃない。
僕の暗闇を照らしてくれていたのは、いつだって君の、その不器用な優しさだったんだ。
自分が一番辛いはずなのに、最後の最後まで僕の騎士道を守ろうとした。
その献身が、今の僕には何よりも残酷で、何よりも愛おしかったんだ…)

僕は手の中にある手紙とブローチを握り締め、しばらく涙した。



【騎士時代編 END】
 
 

 
後書き
これにて騎士時代編は完結です。
次回はゲーム沿いまでの日常編になります。