浮気男が歳を取って
第一章
浮気男が歳を取って
前田藤十郎は若い頃はもてた、今は八十過ぎだがそれこそ還暦を迎えるまでもてた。だが今の彼はというと。
老人ホームにいる、顔は皺だらけであり髪の毛も真っ白でかなり減っている。身体の動きもかなり悪くなっている。
だが老人ホームの若い職員である山川隆夫丸々と太り恵比寿の様な顔で黒髪を短くしている彼にこんなことを言った。
「今のわしは因果応報だな」
「因果応報?どうしてですか?」
「わしは若い頃かなりもてた」
前田は低い皺がれた声で話した。
「それで結婚したが浮気をしてだ」
「それは駄目ですね」
「三十の時旦那さんと別れて一人だった水商売の人とな」
「浮気してですか」
「その時の家庭、最初の女房と娘を捨てて」
そうしてというのだ。
「その女と一緒になったんだ」
「そんなことがあったんですね」
「それで二番目の女房の連れ子の娘を育ててな」
「ひょっとしてその人が」
「ああ、わしを老人ホームに入れたな」
「その娘さんですか」
「そうだ、それで再婚してもな」
最初の家庭を捨ててというのだ。
「浮気ばかりしていた」
「もてたからですか」
「挙句に女房も愛想を尽かしてそれからまた結婚してな」
「今度はどんな人だったんですか?」
「学校の先生だった、二番目の女房の連れ子の担任だった」
「その人とですか」
「結婚して子供を二人もうけたが」
「わかりました、その奥さんともですね」
山川は話の展開を察して言った。
「浮気で」
「分かれた、それで今度は浮気しても怒らない女房を持ったが」
それでもとだ、前田は話した。
「三年前にその女房も死んでな」
「お一人になったんですね」
「四人の女房の間に五人子供がいて皆娘で」
それでというのだ。
第二章
「あとよそに四人息子がおった」
「合わせて九人ですか」
「孫は十六人いる」
山川にこちらの話もした。
「そうした」
「そうですか」
「しかしな」
ここでだ、前田は。
達観したそれでいて寂しい顔になってそのうえで言ったのだった。
「九人の子供も十六人の孫も婿も嫁も誰もな」
「来られないですか」
「わしに客が来たことはないな」
こう山川に言うのだった。
「二番目の女房の娘が一番年上でわしをここに入れたが」
「それでもですか」
「それっきり顔を見せん、そして他のな」
「お子さんやお孫さんも」
「婿も嫁も曾孫までもがな」
それこそ血のつながった者全員がというのだ。
「来ん、これがわしの最期だよ」
「そう言うんですね」
「見ての通りな」
今度は自嘲しての言葉だった。
「わしはな」
「どなたも来られない」
「肉親の誰もな、若い頃はもててな」
そしてというのだ。
「そのうえで好き勝手やったが」
「その結果だっていうんですね」
「今のわしはな、もてて好き勝手をして」
悲しい達観に自重を込めて言った。
「その結果がこうだ、若い頃の好き勝手がだ」
「ああ、因果応報ですね」
「そうなった、報いは絶対に受けるな」
こうも言うのだった。
「それが今わかった、わしはこのまま一人で死ぬ」
「じゃあ僕が一緒にいていいですか?」
ここで山川は前田に申し出た。
「一人でもいればいいですよね」
「今のわしは何もないがいいか」
「いいですよ、ずっとここで働くつもりですし」
前田に笑顔で言った。
「それなら」
「そうか、ならな」
「僕でよかったら」
「地獄に仏か」
前田は泣きそうな顔で言った、それから数年彼は生きたがやがて最期の時が来た。この時も子供も孫も婿も嫁も曾孫も誰も来なかったが。
山川が傍にいた、それで臨終の間際に彼に礼を言ってから目を閉じた、若い頃にもてた男の最期はこうしたものだった。
浮気男が歳を取って 完
2023・3・19