スピナゾンまんじゅう配給所の椿事【完結】
すると、闇の槍が飛んでいき、悪魔の腹を突き抜けた。
目覚めると俺は逆さづりにされていた。床に魔法円が描かれ松明が燃えている。「ここはどこだ?」
「ようこそ魔女スピノザの拷問部屋へ」
と俺の背後から声がしたので振り返ろうとすると、俺の目の前に火のついた薪が投げ込まれた。「熱い!なにをするんだ!」
「お前は魔女の生贄として捧げられたんだよ」
「え?どういうことだ?」
「今頃、あのお方は復活されているだろう」
「ちょっと待ってくれ!俺は何もしていないぞ」
「うるさい!黙れ!貴様は我々の信仰を試す為にここで焼かれる運命なのだ」
「ちょっと待ってくれよ!あんた達の目的はなんだ!?」
「我々、悪魔崇拝者は神を復活させようとしているのだ!」
「いやいやいやいや!それは無理だから!」
「黙れ!お前は神の使いでありながら我々の邪魔をしたのだ!」
「ちょっと待ってくれ!俺は本当に何も知らないぞ!」
「うるさい!黙れ!」
「いや、だから、俺は……」
「もういい、死ねぇぇ!」
「ちょっと待てって言ってんだろうがぁー!!!」
俺は咄嵯に叫んでしまった。
すると、俺の身体が光に包まれた。
「な、なんだこれは?」
光が収まると、俺は自分が変わっていることに気づいた。
「なんだ?この格好は?」
俺は鏡を見た。
そこには、アニメに出てくるような魔法使いのような姿になった俺がいた。
「え?なにこれ?」
呆然としていると、
「馬鹿め!自ら命を捨てたか!だが、それも無駄なあがきだったな」
「いやいやいやいや!勝手に殺すなよ!それに、俺は死んでいないぞ」
「ふっ、戯言を!ならばその証拠を見せてみよ」
「ああ、見せてやるよ!これが俺の力だ!」
俺は叫んだ。
「闇よ穿け、貫き通せ、黒き槍よ!」
すると、闇の槍が飛んでいき、悪魔の腹を突き抜けた。
悪魔が絶叫した。
「ぐわぁぁぁ!!」
俺は唖然として言った。くそう!こうなったら奥の手だ。究極奥義【時間逆転・歴史改変】。くらえ。「時よ戻れ!」
すると、悪魔の傷が一瞬にして消えた。
「なにぃ!」
悪魔が驚愕している。
「くそぉ!こうなれば、全員でかかれ!!」
そう言って、全員が襲いかかってきた。
「うおおぉぉ!!」
英国魔導学院で、地縛霊が住む寮をハルシオンが移転することになった。旧寮を幽霊屋敷でなくしたのは、先輩達の成果だという。ハルシオンが妥協案を出し、地縛霊ごと移築できる工法を作った。
一段落したあといよいよ引っ越し作業にはいる。
「さてここからが重要だな。ハルシオン、今後について意見を聞きたい」
ざっと視察したあと作業工程のすり合わせをした。
「藪蛇を突くか虎の尾を踏むか。何が飛び出しても驚かないことですね」
逆行中の水星は蠍座の象意を強調する。すなわち秘密や隠し事や策謀だ。そして水星の守護者は伝令の神メルクリウス。指揮系統に関わる機能がことごとく損なわれる。連絡ミスや遅滞、誤解、凡ミス、交渉の失敗、想定外などなど。
以上のリスクを踏まえて口出し無用、とハルシオンはくぎを刺した。
「私たちは君の仕事場が稼働するまで関与できない。私も同行したい。例の事件で彼女の研究について判った事を本人に伝えてくれまいか」
ノース研究員が要望を述べた。ハルシオンは英国魔導院の次期主任研究員だ。
師匠のオプス客員教授のもとで通信魔導工学を専攻している。ノースは魔導応用工学の専門家としてオプスに助言している。で、俺は両者を取り持つ連絡将校《メッセンジャー》という立場だ。オプスは妙齢の黒エルフで俺好みの細面だ。性格がキツめでイケずでつらく当たる面もあるが俺にとってはご褒美だ。
俺たちは手を上げて互いを見た。
「いいけど必要なものは自分で揃えてね。こちも予算がカツカツなの」
「もちろん構わないぜ。私の資料も論文も全部。君の助手として一切責任を持つ。もちろん君の研究がすべて悪であることも判明している。でも私にとって君はそんなキャラじゃない。君を人間観察した結果だ」
「そう? お互い未知の部分はある。ただ、君は私より秀でていてとても魅力的だ」
「君をもっとよく知りたい。また逢えるよね?」
「ええ」
ノースの奴め。ちゃっかりデートの約束をとりつけやがった。
俺たちは手を上げて互いを見た。
「ハルシオンの希望をあいつにも伝えておいてくれ。君の研究を悪く言うつもりはない。これは君の為の実証実験だ。成果をみな必要としているし愛してる。研究が実を結ぶために君にリソースが優先される。君が私の研究に参加してる限り、私も私の研究に集中する。ただし、これは一研究者としての私に対する戒めだ、今後ともよろしく頼む」
ハルシオンは頷き、俺は握手をした。ノースも拳をぶつけてくる。
「ああ、これからもハルシオンの研究に協力してくれ」
「分かった」
ハルシオンが研究者としての顔をした。
俺はハルシオンが俺の研究を認めてくれたことに安堵した。いつかハルシオンに「良い相棒ね」と言ってもらいたかった。
「あ、あの……それと……」
「ええ、分かっているわ」
「何かありますか」
俺はハルシオンに話しかけた。ハルシオンは穏やかな声音で喋り出した。
「話が早くて助かるわ」
「本当ですか」
ハルシオンは俺の研究に関して自分なりに研究を進めようとしている。
「ええ、だから、今日中に片付けたいの。貴方に必要なのはわたしの研究よ」
「でも、俺はハルシオンの正式な研究チームメンバーに認めてもらえますか」
と言うのもメッセンジャーはあくまで助っ人の立場だ。深入りするには主任者の許可がいる。しかもオプスは妙齢の女性だし。
「ふ~ん。小動物みたいな目をしている」
ハルシオンに不安を見抜かれた。
「えっ?!…えっ…いや」
「オプス先生はサボりやズルにはこわぁいけど、失敗には優しい人よ」
先に言われて俺は内心ほっとした。黒エルフは和睦するまで人間を敵視していた。威圧的で差別的で特に魔導に関しては上から目線だ。しかしパワハラの心配はオプスに限って無用らしい。でなけりゃハルシオンと組まない。
「いや、いや、そういう事では。俺はハルシオンと…」
「あなたが認められなければ実験が終わらないわ。わたしはまだ彼を見放してはいないの。まだ彼から何か見つけたいの。それに……」
ハルシオンは少し顔を赤らめている。
「あなたのことは、誰かに打ち明けておきたい。それはそれだったの」
その後、ハルシオンは自分の研究に取り組んでくれた。
ただ、ハルシオンが俺に対し研究のことで嘘を教えるのは嫌じゃ無いと俺は思っていた。
俺はハルシオンの研究に協力してもいいと思っていた。群れをつくらない性格らしく、学内でもシュレディンガーの猫みたいな扱いだった、それはハルシオンにとっても同様で権益を尊重する限り、我関せずだった。
俺はどうだっただろうか……。だが、珍しく承認欲求のサインを出したのはハルシオンの方だ。
いんだろうか……。ところで、一つ引っかかる点があった。それは地縛霊を固定した呪具の事だ。
水星の逆行は伝達に関するもろもろを阻害するという。なぜ交渉が纏まった。
本来なら幽霊と決裂しひと悶着起きている頃だ。何か神の恩寵でもあるのか。
黒エルフはひざを必要以上に組み替えながらハスキーボイスを漏らした。
仮説が成立すると水星の守護者メルクリウスの神格が否定される。それはすなわち水星逆行効果の消滅につながる。これを矛盾なく説明する解釈は二つ。
水星逆行効果の不在あるいは微害、もしくはハルシオンが嘘をついている。
俺としては前者を採用したい。逆行の害はハルシオンの技術力で克服可能。
そう自分を納得させたいが逆に不信が募った。制御できる害悪を騒ぎすぎだ。
メッセンジャーとしてはこの疑問点を捨て置けない。オプスに報告した。
黒エルフはひざを必要以上に組み替えながらハスキーボイスを漏らした。
「あらン…そぉなの…」
「かくかくしかじかでありまして…先生」
俺は包み隠さず話し終えるとオプスはキッと睨みつけた。寿命が5年縮んだ。
すると彼女は視線を水晶玉に移し深々と吐息すると再び俺の方をむいた。
「君のせいじゃないのよ。包み隠さず報告、あ・り・が・と」
今度は優しい目だ。しかし猫なで声で感謝されるとますます怖いぞ。
「貴女ねぇ!」
「ひゃあっ!」
すりガラス一枚隔てた向こうで、どっすん、ばりばり、がしゃがっしゃーん。
派手な物音が聞こえる。水晶玉越しに破壊魔法でも撃ち合っているのか。
最後に「めっ!!!!!!!!」というひときわ大きな警句が聞こえた。
えーん。ハルの泣き声が聞こえる、
そして「終わったわよぉー」と扉が開いた。
「な、何事ですか」
おそるおそる後ろ手でドアノブを閉じると部屋がしんと静まり返った。
「うんと釘を刺しておいたわ。残留思念の安易な再利用とそれに伴う危険性」
「どういうことですか?」
俺が身を乗り出すと「こういう事よ」と立体格子模型が机上に浮かんだ。
メルクリウス寮の骨格がぐるんぐるんと回転している。
簡略に説明すると曳家に伴って積年の未練や怨念が刺激されたということだ。
幽霊の間でも残留派と賛成派の論争があったらしい。葛藤する力を水星の防御に応用できないか千載一遇のチャンスをハルシオンは狙っていたらしい。
たまりまくったうっぷんが一挙解放されるので適切な避難誘導が求められる。
そんな感情の渦中に俺は置かれたのだ。大きな声で言えないが煽情的だった。
ハルシオンのやつめ…。
「ありがとう、ハルシオンくんの件で君まで巻き込んでしまって。済まない事をした。しかし、この話を聞いて安心した」
ノース研究員が謝る必要なんてないのに。
「そんなことはありません。
ハルシオンは俺に研究のことで嘘を吐くのを止めてくれました。
こちらこそありがとうございます」
「そう……まあ、あなたがそういう人だと分かっただけで、私は嬉しいわ」
黒エルフがノースの隣でほほ笑んでいる。
肝心の張本人といえばニワトコの梢でスカートを抱えて尻もちをついている。
「ハルシオンのこと、大好きです」
俺はハルシオンを守ってやらないといけない。
ハルシオンが俺のことを認めてくれ、一緒にやろうと約束してくれたから。
「今回の騒動より得た知見の方が大きいため不問に付してくれるそうだ」
ノースは処分内容を伝えた。オプスがハルシオンを派手に擁護した成果だ。
「ふふ、ありがとう。
あなたがそのお礼に研究結果を教えてくれるとお母様が言ってたわ」
「ああ、そういえばその約束でしたね」
「そうよ、だからハルシオンも一緒にお礼を言わないとね」
「はい、そうします」
そう言いながらハルシオンは微笑んだ。
俺はハルシオンの笑顔にドキドキしていた。
ハルシオンから「ありがとう」という「お礼」をもらった嬉しさもあったし、
「あなた、本当に嬉しそうだったわね」と言われることもした。
二人の仲を壊しまいと、ノースがセッティングした。
俺はハルシオンを好きなのだ。
俺はこの恋を成就させなければならない。
『学者カフェ』は不寝番《ナイトシフト》に備えて遅い昼食や夜食を用意している。酒類の代わりに匂いのきついノンアル飲料がやる気を盛り上げる。
俺はサーモンとアスパラガスのグリルにレモン汁をたっぷりかけていた。定番食材だ。それにしてもロンドンは魚が高い。彼女のために奮発した。
シャンディガフを注文できないのでナニーステイトでグラスをうるおす。
「あ、あたしはベックスで」
「ドイツ産をオーダーするって、オプスの犬ですアピールか?」
「ひどいわね。まだ根に持ってるの?」
ぷうっと膨らむ頬がまたかわいい。すまんな、怒らせてみた。
俺はノンアルの勢いを借りて彼女に想いを伝えた。
二人の仲を壊しまいと、ノースがセッティングした。そして実験器具のトラブルを口実に欠席した。粋に計らったつもりらしい。笑っちゃうよ。
「何が可笑しいの?」
「あ、いや、君に話したいことがあって……」
「そう、話したいこと? 何かしら?」
「あの……俺は……」
「そうね……」
ハルシオンはまだ不安を隠せていない。
「ハルシオン、参加を認めてくれてありがとう、感謝してる」
これからもっと気持ちが昂まって、彼女に告白をしたい。
そう思った。
「もともとオプス先生が通信魔導工学のいい実験材料だって言ってたんだし」
メルクリウス寮の工期を水星逆行時に含める件は教授の申し入れだという。
脈衝妖気儀《パルスマギメーター》の人心動転耐性に極限を与えて閾値を探るとかなんとかいう開発テーマに霊的鬱憤の解放はうってつけだったらしい。
呪術医《シャーマン》業界にノースが攻めの営業をしかけているせいだ。
おかげさまで潤沢な研究資金を託されているらしくオプスは耳が高い毎日だ。
メッセンジャーである俺を研究陣に抱え込めば渉外がはかどる。そしてハルと俺が仲良くなればノースの野郎、いよいよ本丸を攻略できるっと。こん畜生。
まぁ、俺だって応用魔導工学系で厳しい就活に望むよりは遥かにいい。
「怪我の功名、てとこよね」
ハルシオンがベックスを飲み干す。
「あの……そんな、こちらから巻き込んじゃったことなのにごめん、…でもハルシオン、君も研究に協力して欲しい……もう一度、ノースと一緒に僕の目に適う研究方法を見つけて欲しい」
それを聞いたハルシオンは、
「どういうこと?」
「え、え~と……だから、二人の心が混ざり合うという研究のことで、その話」
俺はオプス研究室に併設予定の共同実験室のことを言っているのだ。ノースがいよいよ産学一体ビジネスに色めき立っていて俺は彼の設立するベンチャー企業の嘱託という身分になる。居住スペースつきのフロアを貰えるからワークライフバランスもいいかな、と。
「えっと、それだけ?」
ハルシオンはきょとんとしている。将来設計の話は心に響かなかったか。
俺はあわてて場がしらける前に取り繕った。
「そう、それだけです。その話が嫌なら、もういいんでしょ?」
ハルシオンは俺の目をじっと見つめ、どこか不安な色を含んだ声で告げた。
それからはハルシオンが話始めた。
彼女は自身の研究についての話を、それは無味乾燥で眠気を誘う内容だった。
虚栄心を二乗すれば負の感情となり内向性のベクトルを持つとか情緒のうねりと逡巡の円弧を回転運動から物資と精神の複素数を含む正弦波に変換とか。
どれも通信魔導回路を設計するうえで必要らしいが、そんなことよりも…。
「ハルシオン……あんまり僕自身に関することは話してくれないね」
エリファス・エヴァンズは娘とは違い、大柄な体型をしていた。
俺は彼女の目に焦点を合わせ、その表情を目に焼き付けてみた。
「なんだよ、その微妙な表情は……」
「いや、君には特別な研究について話しているところで……」
俺はそこでハルシオンの話が気に食わないことを理解した。この研究、ハルシオンの興味は俺の研究だけで、彼女の興味はこちらではないということだ。
「何、言ってるんだよ」
ハルシオンは俺の声を遮るように話し出す。
「研究は君のものでしょ? 誰かに聞いたって教えてはくれない、それは君のはずだと思って……」
ハルシオンはそこまで言ったが、俺には彼女が話すのを待っているように思えた。
すると、ハルシオンは何か考えた後、俺に告げた。
「お母さんに相談しない?」
「え?」
ハルシオンはそれから、こう続けた。
「『お母さん、もし君がお腹の赤ちゃんに危害を加えられたらどうする? 』何て普通、訊くか?その時の反応でだいたいわかるでしょ」
俺は彼女によって俺の研究のことを聞かされたのに、その後も研究について話したり、母親の反応について話すと、ハルシオンに突っ込まれるというのは初めてであった。
「僕にも教えてくれ。僕はどうしたら良いかな?」
「そうね……」
彼女は少し悩んだ後、真剣な表情をして
俺を見つめ、こういった。
「あなたの子供には、幸せになって欲しい」
「それは、あなたの研究を認めることにつながる」
俺は、
「そうだね、きっと君は研究を続けるでしょう」
そう答えると楽になった。
ハルシオンの母親は娘の研究に反対するどころか期待していた。
ただ、ハルシオンは俺の付き合いを優先してくれる。
それが何より嬉しかった。
それが本意でなくても嬉しかった。
俺達はロンドンからマンチェスターに移動して母親に連絡をとった。というのも公私混同の強制というか少々、個人的に込み入った状態になるからだ。
俺の新しい仕事場は寮付きでオプス先生の研究室に併設される。すると法的にややこしい問題が発生する。
メッセンジャーが中立性を侵して魔導通信工学者の研究室に住む必要がある場合は、その親族を含めたセキュリティ審査に合格しなければならない。
魔導査察機構は魔法省庁と独立した第三者機関で召喚魔法、千里眼、サイコメトリーなど魔法とプライバシー保護の両立をはかっている。
ハルシオンの研究は特に人間の情動を扱うデリケートな分野だ。家族関係も影響する。
だから俺はハルシオンの母親と会う羽目になるのだ。
何だかドキドキするなあ。
エリファス・エイヴァリーは娘より快活明朗だった。
俺たちは早速彼女の自宅へと向かった。
エリファス・エヴァンズは娘とは違い、大柄な体型をしていた。
ハルもかなり体格が良い方だがそれ以上だ。
俺達を応接室へ通すと、紅茶やお菓子などを準備してくれた。
彼女は自分の仕事が終わったらしく、すぐに娘の元へ戻ると言って立ち去った。
俺とハルシオンは二人きりになったのを見てお互い顔を合わせ苦笑いをするしかできなかった。
ハルシオンは何とも言えない空気の中で口を開いた。
「ねえ……あの子には私から伝えるわ。
それで、大丈夫かしら」
ハルシオンは自分の研究を認めてもらえないのではないかという恐れを感じているようだった。
確かに、認めてもらえないということは今まで経験したことがなかったかもしれない。何しろ年頃の娘が男と住むのだ。
しかしハルシオンは、自分の母親から認めてもらえないということを恐れていた。
それもそのはずで、自分よりも研究を優先することを知っているからだ。
だから、ハルシオンが自分の研究成果を認めてもらおうとするのは至極当然のことである。
魔導査察機構はノースに出し抜かれて快く思ってないのは確かだ。
俺だって自分勝手なことばかりしてきたのだから。
俺は彼女の力になるべく ハルシオンの言葉を聞きながら言った。
「俺からも魔導査察機構に話を通しておく」
「ありがとう……」
ハルシオンも分かっていたみたいだ。
しかし認めてもらえなければまた始めなければならない。
認めてもらうためには認めてくれる人間が必要なのだということを。
俺が話そうとした時にドアが開かれた。
入ってきたのはエリファスさんと息子さんと思われる男性だ。
とても背が高く筋肉質の体型であることが一目で分かった。
俺は立ち上がり自己紹介をした。
すると彼も挨拶をし返してくれたが、彼が俺に興味を示したのはハルシオンのことだったらしい。
俺はメルクリウス寮で起きた出来事をかいつまんで話した。
俺がソファに座り直すのを見ていた彼の父親は
「ほう……この方が、あなたの研究の」と言った。
彼はハルシオンが自分に対して緊張した様子であることに気がついたのか、「そんなに硬くならず、座ったままで構わないですよ」といったがハルシオンは彼の言葉を聞いておらず民警の連中と同じ態度を取っている。
エリファスはそんな娘の様子を見てため息をつき、息子の方に向くように促すようなしぐさを見せた。
俺はその様子を黙って眺めていた。
そして彼の口が開かれかけたその時だった。
『お待ち下さい』
壁がスライドして動画が始まった。
誰かが立ち上がろうとしている。
ハルシオンだ。
映像の彼女は別人のように輝いていた。
その表情は自信と威厳に満ち宗教画のようだった。
エリファスの御長男ディック氏は新進気鋭の魔道査察官でハルシオンと一つ違いだ。つまり俺は事実上、新郎として家族会議に諮られることになる。
ううむ、ますます身がこわばる。
壁の宗教画は魔道査察官が仕事する時に掲げるしきたりがある。秩序の秩序を監督する者をさらに監視する、いわば神の視座を絵画が代理しているのだ。
ディック氏の見守る中、エリファスが登壇した。アーレン・ブラッド作 1833年
そして『宇宙の憲法停止』に一礼した彼女はゆっくりと話し出した。
「これはこれは皆さんご機嫌麗しゅうございますわね」
挨拶を終え本題に入る。
「さて、本日ご出席いただいたのは他でもありません。ハルシオン・カルタシスの研究に関すること、及び実験内容に不審点があったことをお伝えしたく」と。その件でメルクリウス寮の舎監だった俺の母さんも同席しているのだ。
エリファスは幽霊騒動の件には触れず、そのまま続ける。
〈サリーシャかあさん。大丈夫だ。僕がついてる) 俺は目くばせした。
「まず一つ目。
先日、我が娘があなたのお子様に不用意に話しかけたことでしたわ。わたくしもハルシオンの研究のことは深く存じておりませんでしたわ」
サリーシャが恐縮する。
するとディック氏が口を挟んだ。「過剰な監督は自由な校風を損なう。オプス教授だってハルシオン――特別研究員の独自性に関与できない」
「ですが、あの方はどうもあなたが何かの研究を進めていることは知っていたようでしたが、何をしているかについては知らないそうですわね」と。
セキュリティー審査項目は情報漏洩に神経を尖らせている。特に複数にまたがる研究は機密保持に関してなあなあに成りやすく横断的な情報漏洩を招く。
ディック氏はそういう管理のゆるみでなくむしろ無関心を問題視している。
「まぁ、メルクリウス寮の事件は巧妙というかしてやられた感があります」
魔導査察機構はノースに出し抜かれて快く思ってないのは確かだ。
地縛霊の言い分を聴取し環境改善を先送りした点をディック氏に問いただす。
水星の逆行にかこつけた大胆不敵な実験は寝耳に水だったらしく思念の漏出が魔導通信工学的にどのような影響を及ぼすか環境評価を急いでいる。
ただ法的には抵触する部分は見当たらずむしろ規制が前代未聞を追う状態だ。
「残留思念のブレンド…パルスマギメーター。懸念事項山積で頭痛がする」
こめかみを揉みつつディック氏は俺を尋問した。
「地縛霊の存在に関してまったく聞いてなかったんですか?」
俺はそこで思い返したことがある。ハルシオンは本当に一匹狼だがオオカミ少女ではなかったので研究のことはほとんど誰にも話したことが無かったのだ。だから俺は何も知らなかったがハルシオンは違うはずだ。
「俺はただハルシオンの提案を形にしただけです」
「地縛霊の固定化は慧眼だったね。地縛霊はグルッパという少年という」
ディック氏は赤い宝石のペンダントを取り出した。
俺はそれを一目見て「中性長石《アンデシン》はとても俺の月収で買えません。かわりに救世主の血潮といわれる赤めのうの霊力を使いました。これだって俺の研究予算から持ち出しですよ」、と補足した。あとでノースに請求するけどな!
ディック氏はうなづき「知りたいのは宝珠の出処でなく幽霊と君の関係だ」
なぜ用意できたのか。周到な準備を勘繰っている。うたぐり深い奴だな。
「新しい寮には終夜営業の魔法具店があるじゃないですか。引っ越しの問題解決を頼まれて俺は動いてたんですよ。メッセンジャーですからね!」
嘘はついていない。幽霊の説得が膠着していて悪魔祓い師の出動を視野にいれていた。拘束具に使うアンデシンは事前に水晶で清めなくてはいけないが、それらのパワーストーンは店に入荷していた。
「なるほど。借方科目というわけか。店の帳簿と合う。不正はなかった」
ディックはまだ腑に落ちないらしくオプスとハルシオンの親交を突いてきた。
「たしかに一匹狼の研究者ですが、みんながみんな人間嫌いではないですよ」
彼女がハルと接触を持つことができたのはハルと仲良くなりたいからだと聞いている。だとすれば彼女が知っていて不思議ではないのかもしれないと思ったがどうやら違った。俺はここでやっとハルが言っていた事を思い出す。
>「君の事がよく知りたい」「約束しよう」
>心と心が混ざり合う研究……
ハルシオンは研究成果をとっくに実用化していたのだ。だからオプス先生に仕掛けたのがバレて大目玉を喰らったというわけか。
サリーシャが居ても立っても居られず弁護をはじめた。
メルクリウス寮の幽霊問題は歴代の申し送り事項だったにもかかわらず、塩漬けにした学院側にも責任がある。情報漏洩でなく情報の抱え込みを論うのなら風通しの悪い魔導査察機構はどうなのか、と。
地縛霊の言い分を聴取し環境改善を先送りした点をディック氏に問いただす。
しかし彼とて匙を投げていたわけでなく、膠着状態のまま息苦しい日々を送っていたことを必死に弁明した。
どうにもならない状況を孤軍奮闘する一生懸命さはハルシオンの可愛らしさにつながる。
まったくもって血は争えないというか。
それはハルとハルの母の行動を見ているかのようで、あの時母がとった行動がハルが母を真似しているかのように思えるものだったのを。
だから俺はハルシオンが研究について何も言わず、隠していたことに気づいていることを今改めて知ったのだ。
エリファスが腕組みをほどき、重い口を開いた。
俺は彼女の発言によって自分のしたことが正しかったということを知るとともに罪悪感を感じていた。ハルシオンが研究内容を秘密にしていた理由、俺は彼女のことを思ってやっていなかったことに気がつかされた。彼女は俺のことを想ってくれていたから、俺が傷つくことを良しとしなかったから研究のことについて口に出すことを我慢した。しかし彼女の研究を他の人にまで隠すことが正しいことだとは到底思えなかったからだ。
俺はいたたまれなくなった。
「かあさん、もういいだろう! 皆カツカツなんだ。鬼詰めしないでくれ!」
そしてハルシオンの活躍ぶりを(かなり盛って)報告した。
「パルスマギメーターの研究が幽霊少年グルッパを救ったんだ!」
しかし、母はひるまない。「第一に水星逆行の克服とこれとは別問題」
俺の母は続けた。「二つ目に、研究を秘匿していることを私は許せない」
名指しされてハルシオンはうつむいたままスカートを濡らしていた。
「学術研究に善悪はないと信じます。諸刃の剣は使う側の道徳次第です」
そういった。それから少し間を置いてから再び語り出す。
「私だって思い上がってた部分があった。でも、結果が全てだと思うわ!」
エリファスが腕組みをほどき、重い口を開いた。
「あなたの研究がどのようなものであるかをあなた自身が理解していなかったことには驚きましたわ。それなら、研究が失敗に終わる可能性は十分にありますものね。あなたが研究の内容を知ることができない状況においてあなたの研究が成功する見込みはほぼ無いと言えるかもしれませんわね」といって俺を指差しながら言った。
すると、だ。ハルシオンがキッと両家の母親を睨みつけたのだ。
まるで俺を守る白馬の姫騎士であるかのように雄弁をふるった!
「この研究、私の基礎がなければ成功しないことですわよ。この研究は私にとって非常に重要なものだと思っておりますの。あなたには分からないと思いますけど、私はその研究を認めています。
ですので、研究の成功、ひいては赤ちゃんの健康のために私がこうして来ているのです」と言って締めくくって一礼すると彼女は元居た場所へと戻っていったのであった。その光景を見ながら俺は心の中で思った「何者なんだ、彼女は……」と……。
と、その時、講壇に置かれた一冊の資料にオプスが気づいた。素早く流し読みして甲高い声で呼び戻した。
「ちょっと…これ…」
睨みつけられて、ハルシオンが「わあっ」と舞台袖へ隠れる。
オプスは目を白黒させながらページを繰りなおし、叫んだ。
「どういうことなの? これ、ハルちゃん…貴女ねえ!」
ここからがハルシオンの恐ろしいところだ。あとは怒涛の展開だった。
彼女が全部持って行った。
ハルシオンの感情をブレンドする研究。聞こえはいいが内容はぜんぜんマイルドじゃなかった。パルスマギメーターの副産物として地縛霊を分離する技術。
それは悪霊退散と言った従前の荒療治でなく、真逆の和解する方法だった。
反魂法の一部を拡張して死者を復活させるのでなく昇天と再生をブーストする発見だった。これを発展させれば怨霊のたぐいはスムーズに輪廻転生する。
その副作用として新しい霊の定着をうながす。出生率をあげる作用がある。
(お腹の赤ちゃんって誰の子だ。まさか、処女懐胎した?)
荒唐無稽な話だと思いたい。だが、水星逆行に打ち勝つ力というのは並大抵のことではない。ただ反魂法は自然の摂理に逆らう儀式だ。
だが、こう考えられないだろうか。
やることなすこと全てが裏目に出る星のもとで森羅万象に楯突けばどうなる。
万物理論が盛大にバグって凄まじい作用が生まれるのではないだろうか。
万物理論が盛大にバグって凄まじい作用が生まれるのではないだろうか。
その考えが頭を過ぎっていると横でディック氏が口を開く。
「すごいですね。あれが……うちの妻から聞き及んでおりましたが、まさか本当にそのようなことを言われる方がいたなんて」と俺に告げてきたので俺は「ええ、そうですか」と返事を返すしかできなかった。
ディックがエリファスから孫の顔を催促され不妊治療に通っていた話はあとで聞いた。夫人も悩んでいたが、はからずもハルの研究に救われる形になった。
俺とディック氏はしばらくハルとハルシオンの研究についての会話をしていたが、しばらくして俺は彼に言った。
「研究については、俺に任せておいてくれ。君の奥様は君の研究成果を待っていますよ」と言うと彼は「ええ……わかりました。
妻に伝えておくことを約束しましょう。
あなたのおっしゃる通りにしますのでよろしくお願いします」と頭を下げながら言って来た。俺はそれに答えるようにして「もちろんですよ」と笑顔を浮かべながら言ったのである。すると、エリファスが
「あなたの研究、是非見せて頂きたいものです。きっとハルが喜びそうね」
と笑った。
「私としてもぜひ拝見させていただきたいと思っておりますわ。これからの研究にも役に立ちそうでしてね」と言ってきた。
「ハルシオンさん」と俺は言って彼女を見た。
「私の研究があなた達の役に少しでも立てば幸いです」
ハルシオンはそういって一礼した。その時見せた顔は真剣で、今までのどこか抜けたような感じの顔とは違って凛々しく見えた。
「では」と俺は言って立ち上がる。
「ありがとうございました」
と彼らは言った。ハルシオンの母親は最後に「ハルのことよろしく頼む」と頼んできたのであった。
「ありがとう」
ハルはそう言った。
「うん、ハルもありがとう。ハルのおかげで少し気持ちが晴れた」
ハルシオンの母親の家を出た俺たちはすぐにマンチェスターにある研究所へ向かった。
「よかった……私の研究成果が認められるんだ……」
ハルシオンは嬉しそうだ。
「ハルシオン、これからは僕が支えていくから、安心して研究を続けていいんだよ」と伝えたのだがハルシオンは答えた。
「ありがとう。嬉しいな……」
ハルシオンの声に覇気は無かったがその目は輝いていたように見えたのだった。
俺達はロンドンからマンチェスターへ戻ってすぐに研究所へ向かった。そしてハルシオンの母親とのやりとり、また査察機構から連絡が来たことで、俺は俺の研究が認められることになったことを喜んだ。
ただ一方で少し思うところもあった。果たしてこれで良いのだろうかということだ。俺は俺自身の判断に自信がないわけではない。でも、俺の行動は俺だけの意思に基づいて行ったものではなく全てなりゆきだ。そのことに少し抵抗を感じ始めていたからだ。そんな時だった、突然部屋にあった翡翠タブレットンから音が鳴り響いた。画面にはメッセージが書かれていた。
内容は
『お疲れさま。ハルシオン・カルタシスと会えたかしら?』
という文面からだった。
オプスからのメールだったのである。
俺はすぐさまハルシオンの方を見て彼女に尋ねた。
「今の音聞こえたか?」と聞いたので彼女は首を縦に振った。
俺は画面を操作し、
『さっきはどうも』
そう書いたメッセージを送信するやいなやすぐに返信があった。
『いえいえ』と書かれた文章だ。翡翠タブレットはメルクリウス寮の件で厳格化された新しい魔導通信プロトコルに対応した最新版だ。
オプス先生はこんなこともあろうかと予め準備してくれていたらしい。
俺はそんな彼女に対し改めて尊敬の念を抱いた。
俺はそんな彼女に対し改めて尊敬の念を抱いた。それから俺が画面を見つめている間にも彼女は話を続ける。
『魔導査察機構の人から話は聞かせてもらったわ。応用魔導工学の研究予算は増枠が承認された。おめでとう。君のお陰だわ』という文字が表示される。
「ねえ……どういうこと……あんた、何かしたの……?」
ハルシオンは尋ねてきたが話していいかどうかわからないので言うべきでないと判断し、
「まあまあ」と言いながらごまかすことにした。不妊治療分野の可能性に関してノースから呪術医学会に例の小冊子を回してもらったのだ。結果は上々でこの翡翠タブレットもメーカーから供与されたという次第だ。
そんなやり取りをしていると、次の瞬間また別の画面が現れたのだ。発信人はディック氏だった。
『査察官としてではなくハルの友人としての俺から君に忠告しておく。まず最初にハルは、君のことを大切に思っているみたいだから、報いるべきだろう。それからハルシオン・カルタシス、お前のことは、お前の研究の協力者、お前の理解者を含め数え切れないほどの人間が認識している。俺もお前とお前の夫が望むのであれば研究に協力できる立場にいる』と表示される。
俺は思わず「どういう意味でしょうか?研究に協力するということはハルがあなたと一緒に住んで、一緒に生活しろということですかね。
もしそうだったらお断りしたいところですが」といった。画面の中のディック氏は言う。
正直言って結婚相手の兄貴と同じ敷地内で暮らすというのは気が進まない。
「いやいや。君たちと査察官が同じ施設に入ることは残念だけど難しい。利益相反と便宜供与になるからだ。だが、ハルシオン・カルタシスの住居をセキュリティー対策の一環として提供するという約束は出来るかもしれない。」
ハルシオンが驚いてこちらを見る。
「それは……お腹の赤ちゃんがと安心して暮らせるということかな……」と言ったので俺は
「まだよくわからないけど……」と不安げに答える。
監督省庁のセキュリティーポリスがつかず離れずの位置で護衛任務にあたるというが妹を監視下に置きたいディック氏の下心が見え見えだ。
彼女は
「そっか……」と言って俯いた。それからしばらく無言の時間が続いた後、彼女は言った。
「私ね、自分でも感情融合技術の進展にどんな未来が待っているか研究テーマが自分に何をさせようとしているのか百パーセント把握していたわけじゃないけど……でも、あなたが私を元気づけようとしてくれたことはすごくわかったから……だから私はここにいていいと思ったんだ……私はどんな善意も拒まずここで研究をすることにするよ」といってから俺達を見て微笑みかけたのである。
その笑顔はどこか切なくも思えたが俺はそれでもいいと思っていた。だから彼女の言葉を信じることにしよう。そう思っていた。
そのタイミングでまた通知が届いていることに気づく。俺はその画面に視線を向けた。するとそれは来客通知だった。
俺はそのことをハルシオンに伝える。するとハルシオンが言った。
「あの、オプス教授が今、玄関前に来てくれているみたいなんだけど、どうしましょう」と聞いてきたので俺は
「せっかくだし話してくるといい」と言う。ハルシオンはそれを聞いて「じゃあちょっと失礼します」と言って部屋の外に出ていった。彼女が戻ってくるまで、俺達は待つことにしたのである。
ツルシダがしげるプロムナードに若草色のスカートがトコトコと駆けていく。
数分が経ち、ハルシオンは帰ってきた。
にもかかわらず当時の担当者を呼んだということは無言の威圧が見て取れる。
彼女が開口一番発した言葉は俺の予想していなかったものであったのだ。その内容はオプスがディック氏とハルシオンの母親との間で行われた会話の一部分を聞いたというのだ。ハルシオンの言葉をまとめるとこうだった。
グルッパと名乗る公益通報がありパルスマギメーターの閾値設定に魔導査察機構が関与しているというのだ。メルクリウス寮の幽霊問題は黙殺というより長期的な意図が疑われるという。
状況証拠としてサリーシャが査問会に呼ばれた点だ。幽霊騒動の事実確認は元舎監をわざわざ召喚するまでもなく日誌等を精査すれば聴聞するまでもない。
にもかかわらず当時の担当者を呼んだということは無言の威圧が見て取れる。
それに気づいたオプスが俺の母親と共にこの部屋に来たのだがそこで偶然にも同じ内容のことをエリファスが口にしていたらしくハルシオンはその会話についてディック氏と実の母親に問いただしたのだという。
するとディック氏とハルシオンの母親はお互い顔を合わせて笑っていた。その反応を見たハルシオンは何とオプスにその事を注進したのであった。
それを聞いてハルシオンが俺の部屋に来るまでのことがなんとなく理解出来た。俺は「そうなのか……」と言うしかなかった。
彼女は言ったのだ。
「うん……やっぱりそうなんじゃないかって思って……それに私自身、最近気づいたんだけど……お母さんと同じ考えをしていたんだよ」と寂しげに呟いた。
その様子はとても苦しんでいるようだった。そして、俺は彼女に対して言うことを迷ったが、俺なりに思うところがあるので口を開いた。
「俺は……君にとって何だろう……俺はただ君が喜んでくれると思ってやって
きただけで……正直に言えば俺のしたことはあまり褒められた行為じゃないと思うんだ。君は俺を信用してくれるかもしれないけれど……でもそれは君自身が俺を認めてくれたわけであって俺を君の研究に利用するという意味でしかないから……それで君の母親は、いや違うな……エリファスさんは俺を君の研究のために利用していると俺に言っているようで……ハルが言ったこともそういうことだと解釈することもできて……」
そこまで言った時、ハルシオンは俺の顔を見ながら涙を流したのであった。
俺はそれに戸惑う。ハルシオンは
「オプスも私もあなたの力になれたらってずっと考えていたんだよ」
そう言ったのである。彼女の目には確かに悲しみの色が見て取れて、涙を流す彼女に俺は何も言ってあげられなかった。しばらくしてハルシオンは自分の顔を隠すようにしながら立ち上がったのだ。ハルシオンはそのまま部屋から出て行こうとした。俺は「待ってくれ、どこに行くんだ?」
そう尋ねるとハルシオンは足を止め、俺の方を見て言った。
彼女は泣いていたが、もう泣くことはないような感じであった。
ハルシオンは言ったのである。
「自分の研究のために有利な状況をとことん利用しても……あなたのためなら私、構わないと思ってる」
「ハルちゃん……」
オプスが呼び鈴も押さずに飛び込んで来た。
「官学の癒着は決して許されることではないと思うわ。」
俺はそれ以上、何も言えない。
「私もうすうすおかしいと思っていました。魔導応用工学研究費の増額。タイミングが良すぎます」
俺が口を閉ざしているとハルシオンは
「今までありがとう。本当に助かったわ。貴方抜きじゃダメね」
ハルシオンはそう言ってから一礼して部屋を出ていったのである。その時の顔が印象的で今でもはっきりと思い出せる。
ハルシオン・カルタシスはこの指輪を指にはめ、目を閉じ、祈る。
何かしてあげたいと焦ってる間にいつの間にハルシオンからたくさんもらっている。そう思えてくる。
俺は、俺は……どうすればいい。俺は、この先どうしたらいいのだろうか。
「ハルシオンのことは心配ない。俺が何とかする。それより君の方は大丈夫か?」
「はい。なんとかやっています。」
「そうか。」
ディック氏がハルシオンの去った扉を見つめながら言う。「あいつには幸せになって欲しい。だから頼む」とだけ言い残して彼は去っていった。
俺は彼の背中に向かって言う。
「はい。」
ハルシオン・カルタシスは部屋を出ると廊下を小走りで駆け出した。
彼女の向かう先は地下にある研究室だ。その道中、彼女は思った。
『ああ、これでいいんだ。』
と。
ハルシオン・カルタシスは思う。
『私は、私のことだけを考えて生きていこう。』と。
彼女はそう決意したのであった。
彼女はこれから自分がやろうとしていることを、『研究』と呼ぶことにしたのだった。
ハルシオン・カルタシスは部屋に戻ると机の上に置いてある小さな箱を開けた。
そこには指輪が入っている。
それは、ハルシオンとオプスが二人で選んだものだった。
ハルシオン・カルタシスはこの指輪を指にはめ、目を閉じ、祈る。
『どうか、神様、私達の願いを聞き届けてください』と。
ハルシオン・カルタシスは、研究を続けることに決めた。
しかし水星を司る守護神メルクリウスは水星逆行期間中は真逆の働きをする。すなわち願望を成就するどころか妨害した。
ハルシオンはそのことを重々承知の上でイチかバチかの賭けに出たのだ。ノース研究員が呪術医学会と癒着して医療機器メーカーから多大な研究費を頂戴しているという内部告発。それに関してハルシオンは疑問を抱いていた。ディック氏は胡散臭い部分があるがハルシオンにとっては実の兄だ。裏切るとは思えない。誰かが一族や学院や魔導査察機構を嵌めようとして虚偽の告発をしたのではないか。そして研究が研究が破綻すれば犯人にとって御の字である。ならば、全ての願いがあべこべになるこの時期に置いてハルシオンが研究の存続を願えばどうなるか。
「研究を失敗させる企み」が失敗して犯人は破滅するはずである。もちろん、水星逆行中は全て確実に反作用が働くという補償もない。
本当にハルシオンの研究が失敗し、犯人も捕まるという最悪のケースもありうる。その場合は俺もハルシオンももちろん犯人も逮捕されるだろう。
オプスもノースもディック氏もお縄になる。
それでもハルシオンは覚悟を決めて祈った。
一番のハッピーエンド。それは無実が証明され、嵌めようとした奴だけが捕まること。
ハルシオンは一心不乱に祈った。
すると、グルッパと名乗る公益通報者から驚くべき告発がなされた。数日後、オプスから呼び出しがあったのだ。
オプスから話を聞いた後、俺達はメルクリウス寮の移転作業を一時中断することにした。俺達も一緒に行くことになったからだ。オプスに連れられ、俺達は旧寮の幽霊騒ぎについて話し合った会議室にやってきた。「ここが、私達が使っていた会議室よ」
オプスが言った。
俺達が入ると、中にはオプスとディック氏とノースがいた。
ディック氏の表情はどこか強張っているように見えた。
オプスが俺達に座るように促した後、俺達の前に立つ。「オプス教授は、エリファス様の査問会に召喚されたのよ。」
オプスが言った。
「エリファス様は、オプス教授がグルッパと名乗る者からの匿名通報によって査問会に召喚されたのです」
オプスが言う。「私は、エリファス様に呼び出され、事情を聞いた後、すぐにここに駆けつけたのよ。」
ディック氏は苦虫を嚙み潰したような表情で俺を睨んだ。
「オプス教授、私達は一体どうすれば良いのでしょうか」
俺がオプスに聞くと、彼女は答えた。「私達は、エリファス様を信じましょう。」オプスがそう言うとディック氏とオプスは俺を見た。
「そうだな、俺が間違っていた。エリファスは俺の妹だ。信じなくてどうする」
「私もエリファスのこと、信じるわ」
俺達はオプスの言葉を聞いて安心した。「では、誰を信じるかという話になりますが…」ディック氏は言いにくそうに切り出した。
「だいたいどこの馬の骨ともわからない匿名の告発を間に受ける方がおかしいですよ」
俺がエリファスを擁護する。何しろ彼女はハルシオンの母親だ。信じる信じない以前の問題だ。
「だけど、添付してあった領収書にはノースの署名が入っていたの。パルスマギメーター機器メーカーと会食した時のものよ。動かぬ証拠だけに頭が痛いわ」とオプスがため息をついた。
「サインは偽造できます。領収書ってそれ、学者カフェのものですよね? だったら真犯人は割と身内にいるかもしれませんよ」
俺はそう指摘した。「すると容疑者がかなり絞られてきます。この中の誰かが嘘をついていることになります。まさか…」
「それはありえない。断固としてありえない」
俺はディック氏を遮った。ハルシオンを疑うなんて愚かなことだ。だいたい、彼女に何のメリットがあるのか。金や名誉とは一切無縁の女だ。
「と、なると、該当者は唯一人しかいない。それを君は受け入れられますか」
ディック氏は苦虫を嚙み潰したような表情で俺を睨んだ。「辛いでしょうから私が代理で申し上げます」とオプスが口を開いた。
「ええ。構いません。口が裂けても俺からはその名前を出せませんよ。大切な人を売ることになるのですからね」
俺は引き裂かれる思いでその名を聞いた。
「あの時、エリファスに嚙みついていた人物といえば、サリーシャ」オプスの口から発せられた言葉に俺は絶句しそうになった。
「ええ、そうです」とディック氏が答える。
「やっぱりそうなんですか?」とオプスが言った。「ええ、間違いありません」
「どうしてそんなことを!」と俺は思わず声を上げた。
「メルクリウス寮の解体はハルシオンが言い出したことです。サリーシャはそこの舎監でした。彼女にとって寮生たちは我が子も同然。計り知れない思い出が詰まった建物です。いくら老朽化で建て替えが必要だと言っても霊的汚染がひどくなったからという理由は納得できないでしょう。もとはと言えば魔導査察機構が幽霊退治を先送りしたのが悪いのです。だから、サリーシャはでっち上げで魔導査察機構に復讐しようとした」
オプスが言った。「だからといって自分の息子やハルシオンまで巻き添えにするでしょうか」
ディック氏は異議を唱えた。そこで俺はサリーシャの気持ちを代弁した。自分の母親だけに手に取るようにわかる。
「サリーシャ――俺の母は俺に対して淡白なところがありました。なにしろ暴力夫の息子ですからね。俺が生まれてすぐに分かれたそうですけど。で、実家よりメルクリウス寮に泊まることが多かった」「でも、あなたはいつも楽しそうだったわよ」とオプスが言う。
「それは母さんのおかげさ」俺はそう言ってから続ける。
「俺が物心つく前に離婚したから、俺の記憶にあるのは母さんの笑顔だけだ。確かに俺の顔はDV夫似ですよ。でも俺は性格までねじくれていない」
「フムン」
ディック氏は首をひねった。「確かに君はまっすぐで一生懸命だ。ハルシオンに相応しい相手だと俺も思ってる。君みたいな立派な息子さんを産む女性がでっち上げなんかするかね」
俺は翡翠タブレットに駆け寄り、監視カメラ映像の記録を再生した。
それを聞いてオプスは何か閃いたようだ。「あの法具よ!ほら、グルッパに与えたあの魔法具。あの時ハルシオンは何と言ってたか覚えてる?」
俺は翡翠タブレットに駆け寄り、監視カメラ映像の記録を再生した。
「しかし、このペンダントは呪力消費が激しいから注意しろよ。下手すりゃすぐにガス欠になるからな。それと、地縛霊以外のモノに憑依したらすぐバレるからな。あと、憑依された奴にも影響が出るから要注意だ。そこら辺をうまくやってくれ」
彼女はグルッパに向かってそう説明している。
「すぐにガス欠、地縛霊以外の者が憑依?! そうか、魔法具の効力が切れて何か得体の知れない物がグルッパになりかわったんだ!」
俺がそう推理した。
「それよ。私たちを、英国を滅ぼそうとしている悪霊がいるのよ。その手始めに私たちを嵌めて仲たがいさせようと企んでいる!」
オプスが慌てて出かける支度を始めた。悪魔祓いの道具や銀の武器などものものしい。
「何処へ行こうというんだ。心当たりはあるのか?」
ディック氏がおっとり刀で準備する。
「ハルシオンの地下研究室よ。あの子に危険が迫っている。それも敵の術中よ。私達が助けに来ると思ってあの子に何か仕掛ける筈」
「そんなこと、絶対に許さない!」
ヒステリックな声に振り向くとエリファスが青筋を立てていた。「わたしの可愛いハルシオンに何かあったら悪霊だか死神だか知らないけど八つ裂きにしてやるから」「落ち着け。俺達も行く」
俺はエリファスを宥めた。「大丈夫よ。あの子は強いもの。それに、私には最強の守護霊がついているの」
エリファスは胸を張った。「オプス教授も来てくれるのか」とディック氏が訊いた。
「もちろんよ。と、いいたけど、ディック氏はノースとサリーシャを探してほしいの。悪魔祓いは魔道査察官の専門外でしょ?」、とオプス。
「ああ、わかった。セキュリティーポリスに出動を要請しよう。すぐに二人を保護してくれるはずだ」ディック氏はそう言うとノースを呼びに部屋を出て行った。俺達はメルクリウス寮へと急いだ。
メルクリウス寮は相変わらず幽霊屋敷だった。
俺達は寮の中に入ると、まずはエリファスの私室に入った。
エリファスの部屋は片づけが行き届いていて、きちんと整理整頓されている。「ハルシオンがここに来た形跡はないな」
俺がざっと部屋を見回す。
何かを探したり持ち出した形跡はなさそうだ。
次に俺達が向かったのは寮の管理人室だ。
「おお、あんたらか」
現舎監のグスマンが俺達に声をかけてきた。「ここ最近、このあたりをウロチョロしている怪しい男を見かけたことはないかい? 背の高い若い東洋人で、黒ずくめの格好をしている。顔は仮面をつけていてわからない」
俺はそう説明してグスマンの出方を窺った。
「ん~、見たような見なかったような…… あ、そうだ、思い出したぞ。確か数日前、深夜遅くにそいつを見たような気がする」
「本当か!どこでだ?」
俺は思わず身を乗り出して尋ねた。
「ええっと、あれは三日前の夜中だったかなぁ」
グスマンが記憶を辿る。俺達はグスマンの話を聞くことにした。「いや、俺だって最初は変だと思ったよ。だけど、なんかこう、様子がおかしかったからな」
グスマンは頭をポリポリと掻いた。「何しろ、真っ暗なのに電気をつけようとしないし、ずっと独り言をブツブツ呟いているし、なんだか気味が悪くなって、俺は怖くなっちゃって逃げたんだよ」グスマンはそう言って肩を落とした。「だけど、なんでこんなところにいるんだろうね。ここは寮の敷地だし」
グスマンは少し間を置いて答え始めた。
「ま、そこは後で考えるとして、他に不審な男は見かけませんでしたか」俺はグスマンに尋ねた。
「ええ、何だ?何でも聞いてくれ」
俺達は聞き漏らすまいと耳をそばだてた。
グスマンは少し間を置いて答え始めた。「この一か月くらいの間だと思うんだけどね、夜中に妙な声が聞こえるようになったんだ。声っていうのは女の声だ。何か呪文のようなものをつぶやくと、女の悲鳴のような音が聞こえてくる。それが何とも不吉でな。俺の他にも何人か聞いたって言ってたから間違いないと思うんだが、みんな怖がって近寄らないから正体がわからなくて困ってるんだ」
「それはどんな声でした?」
俺は質問を続けた。
「う~ん、俺もはっきりは覚えていないんだがな。何だか不気味な感じだった。まるで地獄から響いてくるような」
するとオプスが青ざめた。「やっぱり『土地の因縁』のしわざよ。とても根深い集団な怨念が――そう、土壌に染み込んだ怨恨みたいなものが霊障を引き起こしている。そいつがグルッペを操っている」
「どういうことですか。オプス教授」
エリファスが追加説明を求めた。
オプスはまくし立てる。
「おそらく私たちの研究を潰そうとしているのだわ。特にハルシオンの発見は地縛霊たちの成仏と早期転生をうながす。そうなってしまえば、この土地に執着している怨霊集団は滅びてしまう。だからディック氏とサリーシャを操って魔導査察機構と学校を対立させようとした」
「となるとサリーシャが危ない。君は彼女の御子息だろう? 居場所に心当たりは?」
ディック氏に俺は即答した。「俺がサリーシャの立場なら旧寮に行くはずです」
「よし。じゃあ俺は旧寮に行ってみる。君はオプス先生と一緒に行動してくれ」
ディック氏は俺達に指示を出した。「ハルシオンは地下の実験室です」
俺は彼に場所を教えた。
「では、くれぐれも注意して…」
二手に分かれようとした瞬間、ディック氏の顔が引きつった。「お…お前…」
現れたのは意外や意外、ディック氏の妻キャロウェイだ。目の余白が真っ赤に光っている。
「下がってください」
俺は咄嗟に殺気を感じた。そしてディック氏をさがらせた。「こいつはベルフェゴールよ。女性不信や流産を司る悪魔だわ」
オプスがスカートの裾を押さえながら身構える。確かに奴はディック氏の奥方ではない。
牛の尾にねじれた二本の角、顎には髭を蓄えた醜悪な姿をしており、便座に座っている。
ベルフェゴールは重低音の裏声で吼えるように言った。「ディックよ。私は苦しい不妊治療を強いられている。お前のせいだ。お前が種なしのせいで私は『孫の顔が見たい』という姑の期待に応えられないでいる」
「だったら、嫌だとはっきり、エリファスに直接そう、言ってくれ。」
ディックはぶるぶると震えた。ベルフェゴール――ディック夫人だった者――はきっぱりと否定した。
「いいや。あの姑はお前を溺愛している。私のいう事など信じる者か」
「だったら、一緒に謝りに行こう。俺から母さんにきちんと説明する。『種なし息子』で申し訳ありませんって」
ディック氏が必死で説得するがベルフェゴールはかぶりを振った。「もう遅い。魔導査察機構の怠慢とノース教授の癒着。二大醜聞は英国じゅうに知れ渡るだろう」
「待ってください!」
そこにハルシオンが駆け込んできた。「待ってください!」
ハルシオンが駆け込んできた。ドアが開け放たれ突風が黒髪をなびかせる。
「おおおおおお。メデューサ! なぜ、貴様がここに。ぐぉぉぉ」
ベルフェゴールは意味不明な捨て台詞を吐いて消滅した。
「キャロウェイ、待ってくれ」
ディック氏が後を追うが雲をつかむような話だった。
ディック氏が後を追うが雲をつかむような話だった。
「サリーシャは無事か?! あいつなら知っておろう」
扉からもう一人。現寮長のグスマンが飛び込んできた。そして俺を指さす。
「お父様、彼をご存じなのですか」
ハルシオンの問いかけを無視して俺は彼女に訊いた。「ハル、サリーシャは今どこに?」
「サリーシャは地下室よ。この子ったらとぼけてばかりで全然口を割らないのよ。早く助けないと大変なことになる」
ハルシオンは魔法具をこぶしでしばき倒している。
「いててて。公益通報者にこの仕打ちはないでしょう」
グルッペだ。なぜハルシオンが封じているのかわからない。
ともかく俺達は地下室に向かった。「サリーシャ!大丈夫か!」
俺は扉を開けた。
部屋の中は暗くよく見えなかったが「サリーシャ!サリー!」とエリファスが叫んだ。すると、「お、オプス先生!エリファス!」
ハルシオンの歓喜の声とともにサリーシャが飛び出した。
「よかった、間に合った!」エリファスが胸を撫で下ろす。
「心配かけてごめんなさい。私もまさかここに監禁されるなんて夢にも思っていなくて、本当に怖かった」
そう言ってサリーシャは涙ぐむ。エリファスが抱きしめると二人はわんわんと泣いた。
俺はホッとして微笑んだが、次の刹那。何かが足元をすり抜けた。
それは「きゃー」と叫んでどこかへ逃げてしまった。「なんだ、今のは?」俺はきょろきょろした。
「きっと地縛霊だよ。悪霊に取り憑かれて苦しんでいるから悪霊除けを貼ってあげたけどね」とオプスがいったが「オプス教授も取り憑かれているのに大丈夫なのか」と俺は思ったものの口にはしなかった。
「あっちこっちに札を張ってあるから安心していいぜ。それよりさっさと出よう」
ディック氏がドアを開けるとその向こう側に立っていたものにギョッとした。それは血まみれの女性だったからだ。その女性はこちらに気づくとにやりと笑いかけたが途端に苦しみだしたかと思うと身体を引きちぎるようにバラバラになり崩れ去った。「ひゃあ」と悲鳴を上げて尻餅をつくエリファスとサリーシアの背中にそっと手を置くとディック氏は俺たちを立ち上がらせて出口へと誘導した。「ここ入ったら、出るときが大変だったよね」
オプスが思い出を語る。俺達には見えないものを見通せるエリファスは俺の腕をつかんで怯えている。
「ほら、エリファスしっかりするんだよ」と俺。
「ううん」彼女は首を振って歩き出した。
>「どうせみんな死ぬんだから」< *
そんな呪詛が地下室を駆け巡った。こぶし大の黒曜石がどこからともなく投げ捨てられ、床に点字を形作る。そして数秒後にバラバラとはじけ飛び、また文字をつづる。
それを十回くりかえして消えた。
俺は思わずエリファスの手を握った。「え?」と振り返るエリファスに向かって、俺は言った。「そんな事は絶対にない。君を死なせたりしない」俺達は旧寮を出ることができたが「これからはもっと気を付けなけりゃいけないね」「うん。油断禁物だ」そう話しながら旧寮を振り返ると――
背後で轟音が起こったかと思うと建物全体が激しく揺れた。俺は慌てて旧寮に戻った。「これは一体……」オプス教授の顔色が変わる。
旧寮は跡形もなく崩壊しつつあった。壁が崩れ屋根が落ちていく。
「【急災遮絶】」
俺はレベル5マジックで退路を確保した。結界ごしに砂塵がなだれうつ。
誰の手を引いているのやらわからない。振り向きもせず無我夢中で走った。
ドォンと強烈な日差しが迎え入れてくれた。青空がもう茶けている。
エリファスは「こんなに悲しいのに涙が出てくれないの」と言って、唇を噛み締めている。
そして、旧寮は完全に崩壊した。ダメ押しのぐしゃあ、が来た。
「うおおおっ!あああぁ!!」
俺とエリファスは抱き合って叫んだ。
瓦礫の下敷きになったオプスの姿が見える。
「うそでしょ。オプス教授!」
「嘘だ、こんなこと」
俺は呆然と立ち尽くした。
黒エルフは長い耳だけを残して梁の下に消えた。かわりに砂が血を吸う。
もう手の施しようがなかった。
旧寮が完全に崩壊してしまってから一時間が経過していた。
「オプス教授、エリファス教授、エリファス教授……ううぅ、うう」
サリーシアがうなだれて泣きじゃくる。
エリファスは「こんなに悲しいのに涙が出てくれないの」と言って、唇を噛み締めている。
俺とサリーシアはその光景を無言で眺めているしかなかった。
その時だ。「うそ、こんなにあっさり」エリファスが呟く。「何が起きたのかわからない」俺達は何が何だかわからず、ただ混乱していた。突然、地面が盛り上がり始めたのだ。土が盛り上がると何かが姿を現した。
巨大な腕だ。腕の先端には爪が付いており、何かを振り下ろした。その衝撃で旧寮の一部が破壊された。「やめろぉ!」俺とサリーシアは咄嵯に防御魔法を展開したが意味はなかった。腕が地面に振り下されただけで旧寮の壁の一部が崩壊し、天井も落ちてきた。旧寮はまるで巨人のおもちゃ箱だ。腕、足、頭部、胴体が次々と現れる。やがて人のようなシルエットが見えてきたが「こいつは……」それは人間の形をしていたが「何だ……この、化け物は……」それは俺が知っている人物ではなかった。頭から血を流して白目を剥いている、まるで死者の群れだった。
「そうか、これが土地の因縁ってやつか」
俺はとっさに【白邪】の呪文を放った。漂白剤を思わせる化学的な色彩。
それが異形どもをさえぎった。一枚板に扁平した頬や鼻先が張り付いている。
「エリファス。」
しかしエリファスはすぐに気づいた。「あなた達は……お父様の会社にいた人たち」エリファスが駆け寄るが「無駄よ、死んだ人たちはもう戻ってこないもの」「どうして……こんなことに……」
サリーシアが涙を流しているうちに巨人が現れた。巨人が手を振ってくる。「まずい!エリファス!」
俺はエリファスを突き飛ばしサリーシアのところまで下がったが、間に合わずにサリーシアの肩に巨人の手がかけられてしまう。
「痛いっ!放せっ」俺は杖を向けようとするが巨人はもう片方の手でそれを押さえつけると、エリファスを掴んだ方の手に力を込めた。「ああっ」というエリファスの叫びとともに骨がきしみ肉の潰れる音が響いた 巨人はそのままエリファスの服を脱がすと彼女の上半身を口にくわえこんだ。
> エリファスは絶叫すると失神した。それをみて俺は焦ったが「エリファスを離せ!」俺は巨人に杖を向けた。
すると今度は俺の方に巨人が襲いかかってきた。
俺は咄嵯に結界を張ろうとしたが間に合わなかった。
巨人が拳をふるうと、俺は殴り飛ばされた。>「大丈夫か?!」
俺は起き上がると「平気です」と言ったが「お前は下がっていろ」とオプス教授が俺を庇って前に出た。
俺はオプス教授の背中越しに呪文を唱えた。「炎よ、我が敵を撃て」
しかし、火球は巨人にぶつかる前に消えてしまった。
「駄目だ、効かない」俺は悔しさに歯がみした。
「下がってください。私が行きます」
サリーシアが俺の前に出た。「だめだ!危ない」
「でも、このままでは……」
「サリー、やめて!逃げようよ!」
エリファスが叫ぶがサリーシアは首を振ると、詠唱を始めた。
サリーシアは飛び退くと「私は、私は」と言って詠唱を続けた。
「我は汝に命ずる、この者の動きを止めよ」
すると巨人の身体が一瞬硬直したが、すぐに動き出す。
巨人はサリーシアの方へ向かってきた。
サリーシアは飛び退くと「私は、私は」と言って詠唱を続けた。
すると巨人の身体が徐々に硬化していった。
「今のうちに!」俺達が走り出そうとしたとき、 突如として大地が隆起すると無数の手が生えてきて、俺達の足をつかんだ。
俺達はそのまま空中に持ち上げられ、地面に叩きつけられた。
「エリファス、サリーシア、無事か?」もうもうと土煙が立ち込め、各自の認識にも深い霧がかかっていた。
いわゆるブレインフォグという症状である。
限度をこえる魔力を行使した際に大自然が調和を取り戻そうと懸命にもがく。
その過程でおきる見当識障害だとも短期記憶に干渉して認知をゆがめ、現実を都合よく編集する作用だとも言われている。
ともかく、しばらく全員が立ち眩みや吐き気を催してその場にしゃがみ込んだ。
*
「うっ」俺はうめき声を上げた。全身が痛む。
「大丈夫ですか?」
俺はゆっくり目を開いた。サリーシアが俺の顔を覗き込んでいる。
「ああ、なんとか」俺は立ち上がってあたりを見回した。ここはどこかの建物の中らしい。
「エリファス教授は?」
「あそこにいます」サリーシアが指差す方を見ると、エリファスが倒れていた。
「大丈夫かい?怪我はない?」
俺はエリファスに駆け寄った。
「うん、大丈夫」エリファスはそう言って立ち上がった。そして「オプス教授がいないわ」とつぶやく。
俺とエリファスは顔を見合わせた。「オプス教授はどこに行ったのかな」
「私を助けに来てくれたはずなのに」エリファスは俯いた。
「エリファス教授は僕が探してくるよ」
俺はそう言うと、部屋を出ようとした。
すると、背後で扉が開いた。
「おやおや、これはどうしたことだい」
そこに現れたのはノース教授だった。
「ノース教授!」エリファスが駆け寄り抱きつく。
「お嬢さん、元気そうで何よりだよ」
そう言ってノースはエリファスを抱きしめた。
「先生、オプス教授がいなくなったんです」
「うん、わかっているよ」
「え?」
エリファスがきょとんとする。
「あのね、さっきオプス教授から連絡があったんだよ」
>「どうも、ありがとうございました」「いえ、お気になさらず」<
各自が携帯している翡翠がメッセージを同報している。
「え?」
俺はきょとんとした。「どういうことですか?」
「オプス教授から聞いたんだよ。君たちが旧寮にいるってね」
俺は「オプス教授はどこに?」と尋ねた。
「旧寮の地下に閉じこめられているって」
「地下?」
「うん、オプス教授がいうには、旧寮の地下は巨大な迷宮になっていて、その最深部に地縛霊がいるんだって」
「じゃあ、その幽霊を説得して連れ出せば」
「うん、旧寮を元通りにできると思うんだけど」
「わかりました。俺が行ってみます」
俺はそう言って旧寮に向かった。
旧寮に入るとオプス教授が待っていた。
「おお、来たな。こっちだ」オプス教授は俺の手を引くと、どんどん進んでいった。
そして、階段を下りるとそこには巨大な石造りの部屋が広がっていた。
部屋の中央には大きな祭壇のようなものがあり、その手前には棺桶のような箱が置かれている。
「これが地縛霊の寝床だ」とオプスが言った。
「ええと、それで、どうやって説得すればいいのでしょうか?」
俺は恐る恐る訊いてみた。
「うーん、それがなぁ」
「え?」
オプスがそう言うと、「はい」とエリファスが答える。
「実は、ここから先は行ったことがないんだ」
「えええ?」
「まあ、見ての通り、ここに来ると、どうしても足がすくんでしまうというか、怖いんだよな」
「そんな……」
「だから、頼むぞ」
「ええっ」俺は困ってしまった。
その時だ。突然、壁が吹き飛んだ。
「うわっ」と俺が叫ぶとオプス教授が「うおおっ!」と叫んだ。
「エリファス!サリーシア!」
「エリファス、サリーシア!助けに来たよ!」
壁の向こうからハルシオンとエリファスが飛び出してきた。
「うそ、どうして?」エリファスが驚いている。
「俺が呼んだんだ」と俺は答えた。
「えっ」エリファスは俺を見た。
「エリファス教授が旧寮に閉じ込められたって聞いて、いてもたってもいられなくて」
「うそ……」エリファスは涙を浮かべた。
「エリファス、良かった」ハルシオンがエリファスに抱きついた。
エリファスは「もう、どうしていつもこうなるのよ」と言って笑った。
「よし、これで全員揃ったわけだし、行くとするか」
オプスがそう言うと、「はい」とエリファスが答える。
そしてエリファスは俺の方を向くと「行こう」と言った。
俺達は祭壇に向かって歩き出した。
「この部屋に入るのは初めてですね」「ああ、そうだな」「サリーシアはお姉さんと何を話していたの?」と俺が訊くと「推理です。この事件を仕組んだ真犯人は意外なところにいます」とサリーシアは言った。
「へぇ、どんな風に仕組まれたのかな」
「はい、私はこう考えています。そもそもこの旧寮が建てられた経緯についてですが、実はこの旧寮はもともとは学園の所有物ではありません」「えっ、そうなの?」「はい、ここは元々は王都の貴族の別荘です」
「じゃあ、それを貴族が買い取り、改修したの?」
「いえ、それならば、なぜ、わざわざこのような複雑な設計にしたのか疑問が残るのです」
「うーん、確かにそれはそうだよね」
「そこで、私は考えたのです。もし、改装したのではなく、もともと、こういうデザインの建物であったとすればどうか?例えば増築をしたとか?しかしそれでは建築基準法に違反してしまいます」
俺はちょっと首を傾げたが、すぐに気づいた。
「わかった。わざと古いまま残しておいたんだね」
「はい、つまり、ここが昔、どのような用途で使用されていたかを想像することで、この旧寮の不可解な謎を解くことができるのです。まず、私は当時の建物の設計思想や施工方法について調べました。その結果、ある結論にたどり着きました」
「ふむ」
「当時の建物のデザインはおそらく、現在の旧寮のように天井が高く設計されていました。それこそが建築の基本であるからです。さらに、廊下や部屋の壁は厚い板張りでできており、防音効果が考慮されていました。また、窓も小さくて鎧戸でした。これらの条件から、この建物は舞踏会場か劇場として使用されていたと考えられます」
「うーむ、確かに」
「そして、私が導き出した結論というのは
【差分】
、この建物が元は貴族の別荘では無かったということです」
「うん?」
「つまり、この旧寮はもともと教会だったのではないでしょうか?」
「ええっ」
「私は図書館で資料を漁りました。すると、教会の設計図を見つけたのです。そして、そこから、この建物を『教会』と呼ぶのは間違いだと分かりました。なぜなら、礼拝堂は1階にあって、2階にはなかったからです。そして、この構造から、教会は恐らく3階建て以上の高層建築物だったことが推測できます」
「ほほう」
* エリファスが扉を開けると目の前に螺旋階段が現れた。
「そして、教会として使われていた頃は、この階層の床は絨毯が敷かれていたのではないかと思われます。そのため、現在使われている部屋は全て扉と壁を取り払って大きな空間に改造しています。おそらく、ここは教会として造られたのでしょう。そして、その後、なんらかの理由で建物は使用されなくなり、廃墟となった」「な、なるほどね」俺はうなった。
* エリファスが扉を開けると目の前に螺旋階段が現れた。
「ここを降りると地縛霊がいるのかい?」と俺はエリファスに尋ねた。
「うん、地下一階の最奥部に部屋があるみたい」
「ううむ、一体何者なんだろうね」
「さあね」とエリファスが答える。
「ううむ、怖そうだな」
「さあ、行こう」
俺達はゆっくりと階段を降りていった。
階段はらせん状に下っていくため、途中で何回か踊り場で折り返しながらひたすら降りていくのだ。
しばらく進むと、薄暗い階段が終わり、小さな部屋にたどり着いた。
部屋の中央には大きな机が置いてあり、その上には黒い箱が置かれていた。
「これ、何が入っているんだろう?」
俺はそう言って箱に手を伸ばした。「待って!」エリファスがそう言って俺の手を掴んだ。
「え?」
「開けちゃダメ!」
「あ、うん」俺はびっくりして箱を元の位置に戻した。
「うーん、エリファス教授はどうしてダメなのか知っているんですか?」
とサリーシアが質問する。
「うん、これは呪われた遺物だから」
「呪いの……?」俺は驚いた。
「うん、これは古代の魔導師が作り出した装置なの。でも、これは恐ろしい代物で起動すると周囲の人間を巻き込んで死に至ると言われているのよ」
「ええっ」
「これは、きっと、人殺しのための道具よ」
「そんなものが……」
「だから、絶対に触っちゃだめよ」
「わ、わかりました」
「じゃあ、先に進みましょう」
俺達が扉を開けた時だ。突然、ディック氏があらわれた。「オプス。いい加減に猿芝居はやめてくれないか。グルッペから全部聞いたぞ」
「なっ、何を言い出すの?」
「オプス、お前はエリファスと共謀し、ハルシオン君を殺そうとしたんだろ?」
「ち、違うよ。何を言っているの?」
「オプス教授、本当ですか?」とサリーシアが言った。
「サリーシア君まで……」
「オプス教授、私達はあなたの研究が素晴らしいと思っていました」
「ありがとう」オプスが微笑んだ。
「だからこそ研究に協力しようと思っていたのですが」とサリーシアが言う。
「わかっているよ。君は賢い子だ」
「でも、今回の件で確信しました。あなたは自分の目的のために他人を犠牲にするようなことはしない方だ」
「そうよ、私はみんなを助けたいだけなの」とエリファスが言った。
「エリファス、君がこんなことに協力するはずがない。そう思って君の研究室を捜査させてもらったよ。そうしたら、とんでもないことがわかった」
「ええ?」
「君の部屋からは大量の呪術薬物が見つかった。そのどれもが人を死に至らせる毒薬だ。それに、君の引き出しには大量の解呪魔法陣が隠されていた。おそらく、その全てはハルシオン君を殺すために用意したものだ」
「うそよ!私の大切なお友達を傷つけるなんてできないわ」
「いや、その前にまずハルシオン君を殺す必要があったんだ。だって、ハルシオン君がいなければ、エリファスに全ての罪を被せられるじゃないか」
「なっ」
「君がハルシオン君を殺せば、彼の研究は頓挫してしまう。だから、彼を排除したかったんだ」
「オプス教授……」とサリーシアが呟いた。
「オプス教授、もういいです。俺は大丈夫ですから」とハルシオンが言った。
エリファスは顔を伏せたまま何も言わなかった。
「いや、よくない。ハルシオン君。この男は悪魔のような奴なんだ。騙されてはいけない」
「もういいんですよ。俺はもう」
「いや、しかし」
「教授、今まで、本当に楽しかったです」
「ハルシオン君……」
エリファスは顔を伏せたまま何も言わなかった。
「エリファス、君も何か言ったらどうだい?」とディックが言った。
「ごめんなさい」エリファスはそう言うと顔を上げた。
「もう、私はあなたのそばにいられない」
「エリファス……」
「お願い、もう帰って……」
エリファスはそう言うとスカートのポケットから小瓶を取り出した。そしてグイッと一気飲みした。
俺は慌てて叫んだ。「エリファスが毒を飲んだ。誰か、エリファスを止めてくれ」
すると、エリファスは俺達を押しのけて、そのまま部屋から出て行った。
俺達は必死にエリファスを追いかけたが、すぐにその姿を見失ってしまった。
> 俺はハルシオンとエリファスを探しに行った。
俺は旧寮の中を走り回った。
「くそ、どこにいるんだ」
そして、俺は階段のところで立ち止まった。
「そうだ、2階の廊下」
俺は急いで階段を登った。
そして、廊下に出た瞬間、俺はギョッとした。
そこには大勢の人が倒れていたからだ。
「な、なんだ、これは」
俺が呆然としていると、後ろから足音が聞こえてきた。
振り返るとエリファスがいた。彼女はうつむきながら歩いてくる。
「エリファス、これは一体どういうことだ?」
俺が尋ねると、エリファスは顔を上げて笑った。
「これで終わり」
「え?」
「この旧寮は教会だったの。私は司祭でした」
「ええええええええええええっ」
「でも、ある時、私はこの国の王子に見初められてしまったの。私は彼を愛してしまった。だから、彼と駆け落ちしようとしたの。だけど、彼はそれを拒否した。私は逆上して彼に短剣で襲いかかりました。その時、私は自分が狂信者だということに気がつきました。だから、私は自ら命を絶とうと思いました。でも、自殺に失敗した私は王都の教会を追放されました。そして、この旧寮に幽閉されたのです」
「……」
「そして、私は思ったのです。もし、私が再びこの世に戻ることがあるならば、それは神が私を許した時だろうと。だから、私は死ぬことができずに、ここでずっと祈りを捧げてきました。そして、今日、やっと私は神に許されました」
「じゃあ、あの水星はエリファスなのか?」
「はい、そうです。そして、あなたがたを呼び寄せたのは、この私です」
俺は少し考えた後で尋ねた。
「じゃあ、ハルシオンは?」
「ハルシオンさんはただ巻き込んでしまっただけです。本当は、この旧寮に入れば安全だったのですけど」
エリファスは微笑んで続けた。
「でも、まさか、彼が旧寮に入る前に接触してくるとは思いませんでした。おかげで計画が大きく狂ってしまいました」
「なぜだ?」
「あなたが、この旧寮にやって来ると知っていたからです。だから、私はこの旧寮の扉の鍵を外し、いつでも入れるようにしておきました。そして、あなたが来れば扉を開けて、この部屋に連れてきたでしょう」
「そして、エリファスは、ハルシオンが旧寮に入らないように誘導していたのか?」
「はい、私達はお互いのことをよく知っています。だから、私は彼を騙してここへ呼び込み、殺すつもりでした」
「そんなことをして、なんの意味がある?」
「あなたを絶望させるためですよ」
「なんで、そんなことをする?」
「だって、あなた、全然悲しんでいないじゃないですか」
「え?」
> 俺がハルシオンのところまで行くと、俺は胸を撫で下ろした。
「私は、あなたが苦しんでいる姿を見たかった。だから、わざわざあなたをここに連れて来たのに」
「俺は別に……」
「いいえ、あなたは、なんとも思っていない。でも、私は悔しくて仕方がなかった。あなたを騙し、ハルシオンさんを殺せなかったことが」
「なんで、そんなにハルシオンを殺したいんだ?」
「彼は危険すぎる。いずれ、必ず世界を滅ぼす」
「なんで?」
「彼は悪魔だ。神の天敵なのだから」
「じゃあ、エリファスはハルシオンを愛しているんじゃなくて憎んでいたんだな」
「はい、そうです」
「でも、それだけじゃ説明がつかないな」
「え?」
「だって、エリファスは、あんなにハルシオンと仲が良かったじゃないか。それに、エリファスは俺の研究を素晴らしいと言っていた」
「……」
「一体、どうしたんだ?」
「うるさい」
「え?」
「あなたなんか大嫌いだ」
「エリファス?」
「あなたは私の気持ちをわかっていない」
「どういう意味だ?」
「私は、あなたが妬ましかった。あなたは才能がある。だから、いつも注目を浴びていた。だから、私はあなたが羨ましくてしかたがなかった」
「そんなことはない。俺は……」
「嘘だ。あなたも私をバカにしている」
「俺は……」
「あなたは、なんでもできる。私には何一つできない。私は惨めだった。だから、あなたが許せない」
「エリファス……」
「私は、こんなにもあなたが好きなのに」
「えっ」
「あなたの側にいられるなら、こんな生活も悪くないと思っていた。でも、やっぱりダメみたいね」
「エリファス……待ってくれ」
俺はエリファスを呼び止めた。だが、彼女は振り向かなかった。
俺はエリファスを追いかけた。しかし、追いつけなかった。
俺は階段を降りようとした。すると、誰かとぶつかってしまった。
見ると、それはハルシオンだった。
俺はホッとして、声をかけた。> 俺がハルシオンのところまで行くと、俺は胸を撫で下ろした。
よかった。無事で。俺は心の底から安堵した。
ハルシオンが目を覚ますと、俺は彼に謝った。
すると、ハルシオンは首を振って微笑んだ。俺はハルシオンの手を引いて立ち上がった。
ハルシオンの手を握りながら俺は思った。
俺はきっとハルシオンのことを好きになっていたのだろう。
ハルシオンはエリファスが好きだと言った。
俺もハルシオンが好きになった。
ただ、それは恋ではないと思う。少なくとも今は。
なぜなら、エリファスは俺の大切な人だからだ。
エリファスと過ごした日々は決して忘れることはないだろう。
たとえ、それがどんな思い出であっても。
俺はエリファスとの思い出を忘れたくない。
俺はエリファスに恋をした。でも、それはエリファスを失った後の話だ。
まだエリファスが生きている時に俺はエリファスを好きになることはできなかった。
ハルシオンに抱いていた感情は尊敬であり友情だった。
だから、エリファスを失って、俺は初めて自分の本当の気持ちに気がついたのだ。ハルシオンは俺を抱きしめてくれた。
俺はその温もりを感じながら彼の背中に腕を回した。
俺は幸せを感じていた。エリファスがいなくても、俺は生きていける。
俺はハルシオンと共に歩き出した。俺はエリファスの分まで生きようと思った。エリファスのことはいつまでも忘れられない。
でも、いつか、俺はエリファスのことを忘れる日が来るかもしれない。
いや、絶対にそうなる。
だから、その日まで俺はエリファスの想いを胸に刻もう。
俺はエリファスが好きだと気がつくことができなかった。だから、エリファスは死んだのだ。
俺はもう誰も死なせたくはない。
> エリファスが死んでから、1ヶ月が経った。
> エリファスが死んでから、1ヶ月が経った。
俺はハルシオンと研究を続けていた。俺達は毎日、魔法陣を作っていた。
もちろん、ハルシオンと2人で研究するのは楽しい。でも、もうそろそろ限界だと思った。
俺は覚悟を決めて、ある場所へ向かった。
俺は旧寮の扉を開けた。中に入って周りを見渡すと、そこには誰もいなかった。
誰もいない?おかしいな。
そこで、ふと思い出した。そういえば、さっきディック教授が何か言っていたような気がする。
「あ〜あっ、すっかり忘れてたよ。そう言えば、君達には言っていなかったけど、ここにはもう一人いたんだ。ほらっ」
ディックはそういうと、指差した。その先には階段があった。そこには黒い服を着た男が横たわっていた。その男は俺達を見ると笑った。その瞬間、男は立ち上がり俺達の方へ走ってくる。
「危ない!」ディックが言った瞬間、突然、男の首が切断された。そして、首はそのまま飛んで行った。俺は唖然とした。そして、気がついたら、また一人、首を切断されていた。そして、気がつくと俺達の首も切られていた。
「うああああああああああああ!!」
4人の悲鳴が響き渡った。そして、俺の意識はなくなった……。
5人目の生贄が見つかったことで儀式の準備が再開されることになったらしい。俺が気づいた時には既に4人が犠牲になっていた。5人目の被害者の名前はオプス・キュリオスというらしかった。俺が目を覚ました時、そこは薄暗い地下室だった。
「大丈夫か?」声がしたので顔を上げると目の前に髭面の男の顔が見えた。誰だかわからずにいると、男は苦笑した。そして、彼は名乗った。その名前を聞いた途端、俺は驚いた。なんと目の前の男はハルジオン王国国王だったのだ。彼は俺に手を差し伸べた。俺はその手を掴んだ後、
「あなたが、この国で一番偉い人だとは思わなかったです」と言うと、彼は頷いた。彼は言った。
「まぁ、私はこの国の王だからねぇ」と言って、笑った後、真顔になった。どうやら冗談ではないらしい。俺は焦った。
慌てていると彼は自己紹介をしてくれた。名前はハビエルと言うらしい。
「ところで、君の名前を教えてくれないかい?」と尋ねられたので、仕方なく名前を名乗った。ハビエル王は納得したように頷くと俺を案内した。ここは地下牢のようだ。奥に進むと牢屋が見えてきた。中に誰かいるようだ。俺は目を凝らしてそれを見た。そこにいたのは黒髪の美少女だった。少女は俺のことをじっと見つめている。
「あの……」少女が呟くと、王は彼女を見て言った。
「この者がお前の伴侶だ」と紹介されたのだが俺には理解できなかった。そもそもこの娘とは初対面である。なのに、いきなり求婚されて戸惑っていると彼女が近づいてきた。彼女は俺の手を取ると言った。「よろしくね」そう言って彼女はウインクしてみせた。
「いや、ちょっと待ってください!なんでいきなり結婚なんですか!?それにあなた誰ですか!?」俺は思わず叫んでしまった。すると彼女は首を傾げながら言った。
「だって私達結婚したじゃん」
確かにそうだが、いつの話かわからないし、それ以前にお互い名前すら知らないはずだ。それなのに結婚するって意味がわからなかった。それに第一、
彼女はため息をついて首を振った。
「俺ってあなたと会ったことありましたっけ?」と言うと、彼女の眉がピクリと動いた。彼女はため息をついて首を振った。まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように言った。「だから、私達は結婚してるんだよ?」と彼女は言うと再びため息をついた。それから、彼女は人差し指を左右に動かした。どうやら俺との距離感について悩んでいるようだった。それにしても、本当にこの娘は一体何者なのだろうか?そう思った時だ。急に目の前が真っ暗になったかと思うと、誰かが抱きついてきたのを感じた。驚いて離れようとするが相手の力は強く離れない。それどころかさらに力が強くなるばかりだった。苦しいと思った次の瞬間、耳元で囁かれた言葉を聞いた途端、全身に悪寒が走った。
「あなたは私と結婚するの!これは運命なのよ!!」
あまりの恐怖に悲鳴を上げそうになったがなんとか堪えた。だが、身体が震えていた。一体どうすれば良いのだろうかと考えていると不意に抱きしめられていた感触が消えた。見るとさっきまで抱きついていた人物はいなくなっていた。あたりを見回したがどこにもいないようだ。ほっとしていると声が聞こえてきたので振り返ると、そこには見知らぬ男がいた。俺は慌てて距離を取った。すると男は俺の手を握りながら話しかけた。「大丈夫?」
「あ……ありがとうございます」
「うん」と言って微笑むと、男は俺をどこかに連れて行こうとした。
「ちょっと待って下さい」と俺は言った。すると、男が俺をじーっと見ながら「ダメだよ。だって、君は私の伴侶なんだからね」と笑顔で言うと、有無を言わさず連れて行こうとする。
「ちょっと待ってくれ!」俺は慌ててそう叫ぶと俺は必死に抵抗した。
だが、相手は大人だし体格差があるので振りほどけない。
そうしている間にどんどん引きずられていく。俺は叫んだ。「待ってくれ!俺は結婚するつもりはないぞ」と大声で言ったのだが相手には聞こえていないようだ。すると、後ろから誰かが走ってくる音がした。その足音を聞いて俺は安堵した。助かったと俺は心の中で歓喜の声を上げた。だが、その希望は一瞬にして打ち砕かれてしまった。足音の方を向くと、なんと、それはさっき俺を抱きしめていた人物だったのだ。俺は呆然としていた。すると、「助けてください!」俺はそう言って助けを求めた。すると、彼は言った。「大丈夫だからね。すぐに終わるから……」その表情はとても穏やかだった。そして、その手には包丁を持っていた。俺は戦慄を覚えた。そして、そのままずるずると引きずりこまれていった。
その時、突然、声が響いた。『やめなさい!!』
「誰だ!!」俺の叫びと同時に俺の身体が浮かび上がった。
見ると、俺の胸が輝いていた。
「え?なにこれ?」
俺は混乱していたがとりあえず胸に語りかけてみた。
すると胸から声がした。それは女のような男とも取れる不思議な声だった。
そして、俺に向かって話しかけた。
『私の名はリリス』そう言われた瞬間、なぜか俺は安心した。
そして、なぜか懐かしいような感じがした。そして、その感覚に戸惑いながら俺は質問をした。「なぜ、俺にこんな力があるんだ?」
俺は尋ねたがリリスは答えなかった。しばらく沈黙した後、口を開いた。
『私はあなたの中にいるのよ』そう言った途端、突然俺の中に膨大な量の情報が流れ込んできた。それは俺にとって未知なる知識であり世界の歴史だった。「なんだよこれ!」俺は頭を押さえたがそれでも次々と流れ込んでくる情報を止めることができない。俺はその情報の洪水に飲み込まれ意識を失った……。
「私は……」と言いかけたが、そこで俺はハッとした。
俺は目覚めた。どうやらベッドの上に寝ているようだ。起き上がると隣で誰かが眠っていた。よく見たらさっきの女の子のようだ。どうやら気絶したままここに運ばれたらしい。俺は彼女を起こすと、ここに来た理由を話した。「あの……あなたは何者なのでしょうか?」と俺は彼女に尋ねると彼女は少し困ったように微笑んだ。「私は……」と言いかけたが、そこで俺はハッとした。
そう言えば俺も名乗っていなかったなと思ったからだ。
そこで俺も名乗ることにした。「俺は、シオンです」
そう言うと彼女は笑った。「じゃあ、シオンって呼ぶね」そう言われて俺は驚いた。「あのさぁ、俺達、まだお互い名前しか知らないんだけど……」そう言うと、彼女は笑った。「あはっ、そうだったわね」そう言った後、
「私の名前はハルナよ」と言った。そして、俺は聞いた。「ところでハルナはいったい何者なんだ?」するとハルナは答えた。「私は、女神よ」その瞬間、俺はハルナが何を言っているのか理解できなかった。ハルナは続けた。「そう言えば、シオンって、どうしてここにいるか覚えてる?」と聞かれたので、
「いや、それがよくわからないんだ」と俺は答えた。すると、彼女は少し寂しそうな顔をして、言った。「実はね、私達はこの世界を救う為に選ばれたんだよ」
俺は困惑しながら尋ねた。
「選ばれた?俺達が?一体なんの話をしているの?」と俺が言うとハルナは悲しそうな顔で、
「だから、あなたと私がこの世界の救世主なのよ」と言った。「でも、この世界がどうなろうと、俺には関係ないことじゃないか?」
「そんなこと言わないでよ。私たちの世界なんだから」とハルナは言うと俺に抱きついてきた。
突然のことで戸惑っているとハルナは「私と一緒に世界を救って」と呟いた。
「いやいやいやいや、待ってくれよ!そもそも俺がこの世界で生きられる保証がないからね!というより、俺の世界でも生きていける自信ないし」と言うとハルナは不思議そうな顔をしながら言った。「えっ?でも、私はこの世界で生きていけたじゃない?」と当然のように言い出したので俺は思わず絶句した。どうやら、彼女は俺と一緒で異世界に転移した人間であるらしい。しかも俺と違って前世の記憶が残っているという。ちなみに彼女の記憶では俺も彼女のことを憶えていたらしいのだが俺は忘れていた。
俺はため息をつくしかなかった……。それからハルナはこの世界の成り立ちを俺に教えてくれた。彼女はこの世界が元々ひとつの世界だったことを説明した上でこう付け加えた。
「実はね、私達、二人で一人の人間なんだよ」
俺は驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。だが、冷静になって考えてみると、確かに、彼女の言動から考えるとそういうことになるのかもしれない。俺は彼女の話を素直に信じることにした。そうすることで自分の精神状態を保つことにしたのだ。それから、彼女は俺を抱きしめると、キスをしてきた。「愛してる」と彼女は呟いた。どうやら俺達は結婚したことになっているらしい。俺の頭の中で何かが引っかかったがそれを振り払うように言った。「いやいやいやいや!おかしいだろ!なんで結婚してることになっているんだ!」俺が慌ててそう聞くと、彼女は悲しそうに「やっぱり……私とじゃ嫌なのかな?」と上目遣いに見つめてくる。「いや、そうではなくって!その……」俺が言葉に詰まっていると彼女が抱きついてきた。そして、俺の耳元で言った。「大丈夫だよ。これからよろしくね。私達の子」そう言うとまたキスをしてくる。俺は諦めた……。そして、そのまま俺達は眠りについたのであった……。