機龍の征服者


 

●宣戦布告

●宣戦布告
小さなカーテンを右に寄せると、ガラスの向こうに黄金の瀑布が広がっていた。
機体は日付変更線を超えて睡魔の王国を横断する。
眼の高さに街明かりはない。ただ、キラキラと不規則な稜線が月に照らされる。
夜空を染めるグラデーション。黄土色からエメラルドグリーン。寒色かと思いきや、目が覚めるほど鮮やかなピンク。
残像がいそがしく増殖して視界が痛い。
「ブランケットをもう一枚?」
やさしい気遣いが長旅を癒してくれる。
「いや、ウオッカをくれ。氷はいらない」
タイミングよく、グラスが差し出される。
人が何に幸せを感じるのか、彼女は地母神より心得ている。
「ありがとう」
自然なやりとりが敗者復活の種火になるかと言えば、神のみぞ知る、だ。
すくなくとも広大無辺の空間を埋める目途はまったくない。

正直言って、今回の移動は旅という言葉の本質を改めて教えてくれた。
古来、離れた場所に移動する行為はやむにやまれぬ苦渋の選択だったはずだ。
住み慣れた場所を棄てて未知の環境でやり直す。その困難な過程として旅があった。
出発の動機はいろいろある。天災地変で生活の糧が得られない、外敵に襲われた。
様々な理由で生活の安全を脅かされた結果として旅がある。
そして目的地があればいが、たいていは定まらぬ未来を手探りする。
旅とは辛くて危険と困難を伴う。
現代のように快適、居住性なとと言った機能を追求する事は旅の存在理由に反する。

「アンドレイ。随分と厭世的じゃないか。もう萎えたのか」
バーグマンは、ブログの更新分に控えめな攻撃を加えた。
「ああ」
日記の主はエアタブレットを右手で払うとグアテマラを煽った。
ラム酒はコストパフォーマンスがよく、黒糖の甘い匂いが如何にも良い酒だ。
しかし、スパイシーな香りが強く鼻に抜ける。スパイスドラムほどではないにしろ。辛らつだ。
「済んだことだ。もう少し前向きに考えたらどうだ」
バーグマンは実直な男だ。いつも失敗したビジネスからチャンスを見つけようと嗅覚を鋭敏にする。
たいしてアンドレイは内向的で攻撃的で悲観論者だ。
「じゃあ、打って出るんだな? カルバートをあらゆる手段で徹底的に追い詰める!」
そして、彼はヒステリックで攻撃的だ。
「しねえよ。どうせ返り討ちに遭う。奴の顧問弁護士は救いの神って崇められてる」
「死刑無罪放免請負人が怖くて地獄のオンラインゲームを開発できるってか」
アンドレイは往生際が悪い。
それだけ次回作に入れ込んでいたのだ。
構想5年——彼に言わせばの話だ。実際には高校生時代のアイデアノートを先月まで塩漬けにしていた。
満を持した意欲作が世界恐慌のあおりで次から次へと発売延期になり、糊口をしのぐリリーフとしてアンドレイが抜擢された。
新たにコンセプトアートやシナリオを書き下ろす予算も時間のないまま、中二病の具体化が図られた。
桁外れの一撃になる。最後の1行をコーディングし終えた時、アンドレイの瞳は燃えていた。
「ドラゴン・イコライザー~機龍の兵帝者」は彼のノートに心酔したデザイナーたちの意欲を焚きつけ。
急場しのぎとは思えない素晴しい操作性と少女が夢見るような美麗キャラクターが暴れまわる傑作となった。

それをカルバートが奪った。

ピヨピヨと安っぽい電子音がアンドレイの傷心を逆なでした。コンペティションの席上でカルバートが配った試供品だ。
テンノウドーのポータブル端末にアルバートの魂が同梱されている。
「ワイバーンロード・ホライズンズ」
勧善懲悪そのものと戦い、善悪両方の言い分を平等に吟味して共存共栄を探る。
コロンブスの卵的な新機軸がオープニングムービーに流れている。
ただ、惜しむらくは表現が追い付いてない。のっぺりとしたポリゴンにアダルト系っぽいマダムがしなをつくっている。
カルバートはソースコードを盗み出してからコンペティションまで三日もなかったはずだ。
その間にグラフィックと音楽をでっちあげ、マスターアップまでこぎつけた実力は評価できる。
テンノウドー4Dワオ!のローンチタイトルとしては十二分に通用する。
バーグマンほど目は肥えてない親子に限っての話だが。
とまれ、アルバートとバーグマンが極秘の実行ファイル本体とプレゼンテーション動画を携えて意気揚々と到着した時、コトは始まり、すべてが終わっていた、

「ワイバーンロード・ホライズンズ! 誰も見た事のない空想郷とカッコよさを実体験してください」
ピヨピヨと気の抜けた旋律がフルオーケストラで演奏されれば、それなりにゴージャスに聞こえる。

「どういうことだってばお」
絶句するアルバートにカルバートが歩み寄った。
「悪いが、先に始めさせてもらった」
「なんなんだよ! これは」
「ああ、気に入ってくれたかい。この素晴らしい世界をお客様にいち早く届けたくてね」
「届けるって、これは俺の!」

バーグマンも開いた口が塞がらない。これから自分たちが披露しようとしている作品がそっくりそのまま俗物的なタイトルで紹介されている。
プレゼンテーションしている女の衣装も悪趣味だ。露出度で観客の目線を逸らそうとしている。
事実、誰もプロモーションビデオより短いスカートに釘付けだ。
「届けるも糞もこれはドラゴン・イコライザーじゃねーか!」
アルバートはテンノウドーを開いて見せた。そして、バーグマンが鞄から4Dワオの開発環境を取り出す。
プログラムソースも原画ファイルもテンノウドー本社のデジタル認証が埋め込まれている。つまり、お墨付きだ。
だが、カルバートは眉をひそめる。
「そうだな。これはワイバーンロード・ホライズンズのオリジナルファイルだ。どうやって盗み出した?」
「盗んだって?!」
予想外の反応にアルバートは驚きを隠せない。
「とはいっても、ここは晴れ舞台だ。君たちの醜聞で汚されてはかなわん。相応のライセンス料と慰謝料で和解してやる」
何という事だ。カルバートは図々しくも著作権を主張した。
「あ、アンタってやつは」
耳たぶの先まで真っ赤になって怒るアルバート。バーグマンはカルバートの戯言に付き合わず、粛々と知り合いの弁護士に電話していた。
それを屈強な警備員が没収する。
「もしもし? うわっ!!」
「会場内での通話はご遠慮ください」
「通話って、おい! こんな横暴が法的に…」
ドラゴン・イコライザーの作者たちは手錠で拘束され、いずこかへ連行された。
「法的に認められない。ああ、そこで僕は君たちを特別に見逃してやろうと思ったんだ。共有特許(クロスライセンス)契約を逆手にとって、”僕”が心血を注いだ傑作を
”丸ごと盗み”出そうとした、その矮小さを」
会場の入り口が騒然としている。重機関銃を構えた特殊部隊が到着し、玄関に警官がひしめいている。
けばけばしい雑音が二人の身柄や素性について交信している。

ラスベガスにやってきた若いIT企業家は億単位の保釈金とカルバート社に賠償を支払い、ようやく釈放された。

そして這う這うの体で機上へ逃げ込んだ。

「で、これからどーすんだよ」
アルバートはひとおおり思いの丈を吐き出したらしく、両腕を頭の後ろで組んでいる。
彼らの「アシッドアーツゲームスタジオ」はカルバートの会社に比べれば吹けば飛ぶような工房だ。
プログラマーやデザイナーを含めて二十人にも満たない。もちろん泣いて馬謖を斬った。発売中止タイトルの版権やソースコードの権利は丸ごと人手に渡った。
開発済みのドラゴン・イコライザーもだ。さらに不幸が降りかかる。アルバートは同業他社を含めたソフトハウス全般への転職を今後二十年間禁止された。
事実上の強制追放である。アルバートは子供時代からナード一筋で育っており潰しが効かない。
「どうするも何も、黒歴史を召し上げられたんじゃな」
例のノートをカルバートは手袋をしたままつまみ上げ、アルコール消毒液をたっぷりふりかけた後、抗菌ボックスに回収した。
「あんなもの、どうするんだろうな?」
「さぁ。歴史博物館にでも高値で売りつけるんじゃね?」
「んなもん、買う奴がいるかよ?」
「おま、質問に質問で返すな」
投げやりな言葉の受け渡しが険悪になっていく。
そしてついに雷鳴が轟いた。同時に機体が激しく揺れる。
キャーっと暗闇を悲鳴が裂き、ガチャガチャと物が壊れる音がする。
もう一度、乱高下したのち、唐突に照明が点いた。
「ただいま、右翼端に落雷があった模様です。運航に支障はございません。乗務員の指示があるまでシートベルト着用のままお席でお待ちください」
アテンダントが務めて冷静に装っているが、張りつめている様子が見て取れる。
「落雷だって? 墜落したらどうすんだよ。この野郎」
通路を隔てたD席の乗客が噛みついた。
「お静かに願います」
「うるせえ!」
「ひゃん☆!」
客は泥酔者らしく、よろよろと立ち上がってアテンダントのスカートを引っ張った。ファスナーが壊れる。
「おい、拙いんでね?」
バーグマンが横目で親父をにらむ。
「俺にどうしろってんだよ?」
いきなり振られてリアクションに困るアルバート。
「この展開、見覚えはないか?」
相棒は何か思い当たる点があるらしく、注意喚起している。
「急に何を…あっ!」
アルバートの検索ルーチンが関連項目を探し当てた。
「ダークブラウン卿の密会?!」
ドラゴン・イコライザーの序盤。プレイヤーキャラクターが目的も自分の素性もわからぬまま、出発点付近の森を彷徨う。
やがて日が暮れ、雷雨のなかをうらぶれた居城にたどり着く。 

 

領主ダークブラウン

ちょうど、領主ダークブラウンが初夜権を行使せしめんと、近隣の村々から徴収した若い乙女を品定めしていた所にPCは飛び込んだ。
悲鳴を聞きつけて扉を蹴破ると、地元有力者のゴードンが生娘を献上しようとしていた。
「あいつはゴードンじゃねーか!」

アルバートはようやくD席の人物に気づいた。

「いや、他人の空似だろう」
バーグマンは即座に否定した。常識的に考えてゲームのシナリオと現実のシチュエーションが重なることなど山ほどある。
混乱した状況で脳がパニック状態から抜け出す糸口を探ろうとして、ヒントを記憶や過去の経験に求めているに過ぎない。
特にシミュラクラ現象と言って、人間は単純な要素を拡大解釈して全体を類推しがちだ。天井のシミが顔に見えるという奴である
D席の客の目鼻立ちが偶然、ゴードンに似ているだけの事だ。
「ゴードンだってばよ!」
アルバートと言い争っている間にふたたび揺れが襲った。
室内灯が激しく明滅し、雷鳴が窓を横切った。

その時、バーグマンは見てしまったのだ、青白い奔流にドラゴンの形相を。
ぐわっと大きな牙を彼に向けた。見開いた白目と目線があってしまった、

そして、咆哮が鼓膜を突き破った。ツーンと可聴域すれすれの高音がハッキリとしたメッセージを伴っていた。

<我、宣戦布告す>

そう言っていた。

初老のように憔悴しきった二人組が手荷物検査場を素通りしてロビーに向かう。
彼らがアルバートとバーグマンであることは長年にわたり付き合いのある親友でも一目で判断し難い。
それほどまでに異常な事件だった。玄関を出ると更なる試練が待ち構えていた。
身元保証人と名乗る男が身柄を預かるというのだ。これもカルバートの差し金らしく、有無を言わさず黒塗りのワンボックスカーに押し込まれた。
窓は金網と目張りがしてある。助手席の黒人が名乗った。当番弁護士だという。
機上の人となっている間に司法制度が随分と改悪されていて二人は公判開始までかなりの私権制限を受ける。
黒人の差し出した書類によると裁判所が指定した建物に軟禁され、出入りは監視カメラに記録される。
許可なくして外出や面会はできず、建物内の生活も選択肢が狭まる。まず、パソコンやスマホの使用は弁護士の立ち合いのもと、時間制で行われ、アクセスできるサイトも監視と検閲を受ける。
公判に影響を及ぼす情報を得たり、部外者と内密に連絡を取ることも禁じられる。
すべてカルバートの仕業だ。バーグマンは彼の出方次第でACL—アメリカ人権監視機構に訴える構えであったが、出鼻をくじかれた。
原告の財産と生命に多大な危険および損失が発生するおそれ、という理不尽な理由だ。
「まるで、独房だな」
バーグマンが愚痴った。
殺風景なロフトに窓はない。スチール机と座り心地最悪な椅子。そして硬いベッドだけがある。
トイレとシャワーは備え付けてあり、三度の食事はデリバリーされるという。
それ以外は外部との接触を遮断される。
「公判開始まで大人しくしておくんだな」
ローソン弁護士はぴしゃりとドアを閉めた。
「いきなり虜かよ」
アルバートは監獄を見まわすなり、バッドエンディングのセリフを暗誦した。
「ああ、パターン23。勇者、獄死す、だったな」
バーグマンはデバッグを突き合わされた夜を思い出した。あの晩も雷鳴が轟いていた。
「で、どうするよ」
アルバートはベッドにひっくり返る。机に冷めたドミノピザが平積みされているが、手を付ける気になれない。
「あの龍の事なんだが」
着陸までにループした議論を蒸し返すバーグマン。
「いい加減にしろ。ルルティエの雷竜が人間に仇をなす理由なんぞない」
「逆に考えるんだ。アルバート」
「はぁ?」
「彼奴は三賢者の忠実なる眷属。性善の権化だろ」
「ああ、それがどうした。守護神だ」
「そこが引っかかるんだ。味方ならなぜ人を襲う?」
「知るかよ。雷竜の反逆まで想定してなかったからな。そもそも勧善懲悪の物語に必要ない仕様だ」
通りいっぺんな反駁にバーグマンは安心した。アルバートは必然を好む。
「そこで問題だ。俺がクライアントだとしよう。倫理の主客転倒を実装してくれと発注する。金に糸目を付けぬ。さぁどうする」
「どうするってもなあ」
アルバートは天井をみあげた。
しばし考えたのち、逆質問をした。
「いったい何処のド変態がそんなプレイを望むんだ。つか、売れるのか? そんなゲーム」
「ああ、売れるともさ。病んだ世の中には真逆こそ正義と考える輩がわんさといる」
「そいつらの需要、どれくらいの市場規模を見込めるんだ?」
「パイは小さくないと思うね。勧善懲悪を裏返しで遊びたいニーズはひねくれ者の特許じゃない」
「ねーよ」
「いいや、お前だってクリアしたシナリオを敵方目線で遊んでみたい誘惑に駆られた経験はないか?」
「ん~」
「どうだ?」
「そうだなあ」
プログラマーは耳の後ろを掻きながら投げやり気味に言った。
「コーディングに煮詰まった時に納期ごと滅びちまえと思う事は無きにしも非ず」
「それだ!」
バーグマンは表情を明るくした。
「ワイバーンロード・ホライズンズの出来栄えを思い出してみろ。とてもリリースできたもんじゃねえ」
彼は言う。カルバートはコンペティションで発表するにあたって、相当な無理を開発陣に強いたはずだ。
当然ながら反発するプログラマーもいただろう。アルバートと同じく、技術者という種族は理不尽と圧力が大嫌いだ。
そして陰険だ。順応的ガバナンスを装って面従腹背する者もいる。
その一部にはコッソリと想定外の、そして場合によっては雇い主を害する処理を仕込むケースがある
「イースターエッグか!」
アルバートはようやく気付いたようだ。
「そうだ。ワイバーンロード・ホライズンズ開発者の誰かがトラップを仕組んだ」
「フムン」
バーグマンの推理にアルバートは再び考え込んだ。
「だからと言ってよ」
カルバートごと世間と心中するほど愚かな技術者はいないだろう。彼らだって人間だ。家族や友人もいる。
「身寄りのない世捨て人もいるだろう」、とバーグマンが突っ込む。
「それはごくごく少数だ。プログラマーは人嫌いじゃない。人付き合いが不器用なだけだ」
「でも、いなくはないだろ」
「しつこいぞバーグマン。そこまでヒネた奴は希少種だぞ。まるで、腐った女みたいに…あっ」
「女だったら」

その時、窓の外に雷鳴と女の悲鳴が響いた。

バーグマンは悲鳴を聞きつけて部屋の隅に寄った。天窓一つしかない部屋だ。それでも耳をすませば薄い壁ごしに喧騒が聞こえる。
時刻はちょうど20時をまわったばかり。お世辞にも治安がよろしくない立地で住民のほとんどは年金受給者だ。
絹を裂くような声には色つやがある。ガタガタと何か小物が石畳を転がっている。そして、荒い息遣い。
熱く、激しく、浅く、速い。様子は見えずとも彼女の緊迫感が伝わってくる。
「アルバート…」
言いかけて、シィっと制止された。
彼も気づいているのだ。若い女が何者かと対峙している。それも至近距離だ。ギシギシと舗装が軋んでいる。
「ドラゴンだ」
小声で相方が断言する。
「ああ、ルルティエ…」
「その名前を言うな」
迂闊にもバーグマンは禁忌を口にしてしまった。アルバートはそれがどんな恐ろしい結末を迎えるか熟知している。そして、心の底で悔いる。
何という怪物を設定してしまったのか。
あたり一面を粉々に打ち砕くような咆哮が女の断末魔をかき消した。直下型地震かと思うほど部屋全体が揺れる。
そして、バシッと稲光が天窓を貫いた。
「終わった…」
アルバートはへなへなとその場に座り込んだ。
「何が起こったんだ?」と、バーグマン。
「焼け跡を見る勇気があるんなら、表に出てみろ。焦げ跡と脊柱管の欠片ぐらいは残ってるかもな」
言われるまでもなくバーグマンは戸外へ出た。監視カメラやセキュリティーのたぐいはサージ電圧で死んだらしく、赤ランプが明滅している。
おそるおそる螺旋階段を下ると、惨状が否が応でも目に入った。
ちょうど、女の首から下が順に砕けている最中だった。
「うわああ」
声にならない声をあげて、部屋に逃げ帰った。
「言わんこっちゃない。ルルティエの捕食だ」
アルバートが鼻汁を啜りながら解説する。
「こんな馬鹿な話があるか! 非科学的だ。ルルティエが現実にあろうはずもないっ!」
バーグマンは柄にもなく大声で否定した。彼が落ち着きを失う時はたいてい理不尽そのものに憤っている。
「あんたのせいだよ。獲物の前でNGワードを口走った」
「自分を棚に上げてよく言う。そもそも原作者はお前だろう。お前の妄想が人を殺したんだ」
アルバートがおかしなアイデアをしたためなければ、彼女は食われずに済んだのだ。
学生時代の能天気な邪悪が雷龍という悪夢を呼び覚ました。
「いや、俺じゃない!」
血走った眼でアルバートが睨む。
「じゃあ、誰だ?」
「決まってる。カルバートの野郎だ」
「どういう意味だ?」
バーグマンが問いただす。天才プログラマーが言う。仕組まれているのだと。

アルバートの黒歴史ノートは若気の至りというよりは若きウェルテルの悩みだ。多感な思春期に誰もが思い悩んで行き詰る。そして、極端な厭世論にたどり着いて自己憐憫に酔うのだ。
そして、彼も破滅願望の成就と救世主再臨を望んだ。その方法が突飛を好む子供らしい。無力な木偶の坊な自分を救済する手段は一つしかない。
悪魔的な何かにすがり、凡百をしのぐ超人力を授かればよい。ダメな自分をどうやっても克服することなど不可能だと知り尽くしている。 

 

ずる賢い手口

したがって、ずる賢い手口で成り上がる他に救いはない。他人を俯瞰する立ち位置で不幸な過去と一線を画せばよい。
「そのために生贄を捧げるんだよな。全人類と地球を」
バーグマンは思い出した。ゲーム山場に来るバッドエンドの一つである。
「ああ、あいつも同じ考えだろうよ。ワイバーンロード・ホライズンズをどう味付けしようが糞ゲーは糞ゲーだ。マーケターの目は誤魔化せない。化けの皮が剝がれて会場から退却する前に奴は手を打つはずだ」
「何を言っているのか、さっぱりわからん」
「ダークブラウン卿だ。場末の辺境伯は生娘を捧げようとしていた。カルバートなら絶対に目をつける。利用するはずだ」
「なるほど、よくわからん」
「最後まで聞いてくれ、バーグマン。奴は俺の黒歴史、いやドラゴン・イコライザーを悪魔に捧げたんだ。ワイバーンロード・ホライズンズを成功させるために」
「落ち着け、悪魔なんかどこにいるよ」
「物忘れが激しい奴だな。ゴードンだよ。辺境伯の宴で生娘を値踏みしていたが、正体を隠して奴に接近する筋書きだったろう」
「ゴードン…って、まさか?」
D席の男だ。あの時、二人の前に雷龍が現れた。いや、召喚して見せたのだ。
「そのまさかだ。D席野郎の素性はわからん。というか今は表の顔なぞどうでもいい。凡人が龍を目の当たりにして平気でいられるか?」
確かに、パニック状態に陥るでもなく、威風堂々とアルバートを睨んだ。
「ますますもって意図がわからん。カルバートとゴードンはこんな状況を俺たちに見せて何がいいたい?」
バーグマンはもう一度、おそるおそる扉の隙間から道路を垣間見た。石畳が大の字にくすぶっている。
「お前の愚かさを——ルルティエの禁忌に触れたドジと——俺の無力さを自覚させるためだ」
アルバートはそういうとわずかな荷物をまとめて螺旋階段を下りた。
「おい、何処へ行く」
あわてて後を追うバーグマン。
「女を探そう」
「探すったって」
「イースターエッグを仕掛けた女だよ。そこに転がってる焼死体はたぶんダミーだ。逆らえばこうなるというカルバートなりの脅しだと思う」
「生きてるというのか」
「ああ、そうだろうな。殺しているならリアルな死にざまを俺たちの前で再現すればいい。説得力が違う」
「カルバートですら、どうにもならない?」
「そういうことになるな。だから俺たちに探させようというんだろ」
「先回りして、抹殺…か!」
バーグマンがバチンと両こぶしを打ち鳴らした。
「ああ」
東の空が茜色に染まっている。そして、崩れ落ちた摩天楼が遠くに霞んでいる。
「これもルルティエの所業か」
バーグマンが憎々しげに言い放った。

世界は瞬く間に一変した。大通りに人影はなく、遠くに見える摩天楼の灯りも電飾も消えている。まるで街全体が暗黒面に墜ちたようだ。
「来てみろよ」
アルバートは戸惑う相方の背中を無理やり押した。手を引いて少し離れた幹線道路に出てみる。
あちこちで車が横転したり衝突して炎上しているものの、大半は渋滞をなしたまま停止している。
運転手を失った車列は赤信号のまま、アクセルが踏まれる時を待っているようだ。
「もしかして、最終戦争でも起きたのか?」
信じられない、と何度もバーグマンがかぶりをふる。しかし、いくら見渡せど人っ子一人いない。
「ああ、ご覧のありさまだよ」
アルバートは彼が事態を受け入れるまで辛抱強く待った。
日に照らされるビルに朝焼け雲が映えている。鮮やかなオレンジ色は一日の活力でなく、死んだ世界を火葬する炎に見える。
そして、雲間をいなびかりが渡っている。
「ルルティエだ。奴がゲームチェンジャーだ」
プログラマーは暗澹たる思いで空を見上げた。

★ 第二章:終末世界線上のカナリア

歩いて五分ほどのショッピングモールが丸ごと廃墟と化していた。
「まるでハッサーの市場だな」
バーグマンはドラゴン・イコライザーの序盤に登場する遺跡を思い出した。
ハッサー市場はかつて王国随一の商業施設だったが経営者の奢りとなりふり構わぬ事業拡大で破綻した。
プレイヤーキャラクターは定石通り、そこで冒険の支度を整える。ご都合主義の要請とはいえ、無料で手に入る装備は限られている。
「弾は持てるだけ持っていこう」
銃砲店を物色していたアルバートは自動小銃を数丁と弾薬ケースを床に山積した。
「バカ。これ他にも運ぶものがあるだろう」
バーグマンが持っていくべき武器弾薬を仕分けした。二人の体力を勘案したうえで、リュックに食料を詰め込む。
「持って2,3日と言ったところだ。その間に最初のステージをクリアしなくちゃいけない」
「ああ、アルバート。お前が頼りだ。”彼女”を探す当てはあるんだろうな?」
「もうわすれたのか?」
彼はうんざりした様子で装備を拾い上げた。
泳がされている。カルバートの真意を百パーセント測りかねるが、概ね一致しているだろう。
ワイバーンロード・ホライズンズの失敗を悪魔的存在に支援してもらう代償に全世界を生贄した。
ならば、陰謀論的人口削減工作者の駒として突き進むしかない。
わざわざ飛んで火にいる夏の虫になるのか、とバーグマンは渋った。
「勝手にしやがれ。俺は西へいく」
アルバートは躊躇する相方を見捨ててでも”彼女”を救出する腹積もりだった。
先の見えない旅路ではない。食糧が尽きる範囲にゴールがある。
そこでカルバートは自分を待ち受けているに違いない。なぜなら、彼が黒歴史の著者だからだ。
悪魔と一体化した者でも”彼女”を始末できない。
ならば、その処分方法を知る唯一の人間を呼び寄せて、代行する。
「西だ」
アルバートは銃口をハッサー市場のホールへ向けた。
通路の先で電光が瞬いた。

五、六人。いや、もっとだ。老若男女が瀬戸際の攻防を繰り広げている。初老の紳士と見るからに格闘家っぽい男が曲がった鉄筋を振り回している。
柱の陰で老婆と母娘連れが縮こまっている。彼らの脅威は見えない敵だ。ターコイズブルーの蛍が龍の形相を隈取っている。
玄関ポーチの丸電球っぽい眼球。よれよれのナマズ髭。そして、歯並びのよい口が忙しく開閉している。
それは日本の獅子舞のごとく獲物に向けてカウンターパンチを繰り出したり、無駄に虚空を噛んで見せる。
男たちは龍を打ちのめそうと鉄筋を揮うが、空振り三振の連続だ。
アルバートは彼らが最後の生存者であることを悟った。通路のそこかしこに焼死体が散乱し、今にも塵に帰さんとする人がいたからだ。
女が髪をなびかせて振り向く。二言三言、嘆願しているが、もう手の施しようがない。
やがて美しい顔が頭蓋骨と化して崩れ落ちた。
「どうやって助けるんだよ」
なすすべもないまま、遠巻きに見守るバーグマン。
「うろたえるしか能がないなら、どこかに潜んでくれないか」
チッ、と舌打ちするも、言われるままに男は物陰に隠れた。
「おぅい、そこの二人」
何を思ったのか、アルバートは身振り手振りで戦う男たちに避難を呼びかけた。
しかし、彼らは一心不乱に素振りを続けている。
「仕方ない」
アルバートは切り替えの早い男だ。瓦礫伝いに身をかがめ、小走りで女性陣に駆け寄る。
「逃げてください。勝ち目はない」
いきなり話しかけられて老婆はすくみ上った。
「何なんです?貴方」
「主人と祖父を連れて行かないと」
「パパ―!」
三人は異口同音に異論を唱えた。しかたなく、バーグマンと一緒に声を張り上げるが、男二人は振り向かない。
呼びかけは届いているはずだ。アルバートはルルティエのスペックを思い出した。
魅了する機能を持っている。彼は守護神なのだから。臣民に愛されなくてはならない。
「助けている暇はない。早く」
アルバートが促す。しかし、いくらなんでも大切な家族を放ってはおけないだろう。
そうこうしているうちに祖父が力尽きた。棒を振り下ろし、肩で息を整えている。一瞬の隙を突かれた。
くわっとターコイズブルーのあぎとが老人の右足を救い、逆さづりにする。
そして小さい触手のような電光がふくらはぎから膝まで駆け上がり、そこから塵に変わった。
「おお、ヘンリー!」
老婆が泣き崩れる。
「リチャード! あなた!!」
妻が格闘家を説得するが、逆にスイッチが入ってしまたようだ。
「この野郎!」
夫は渾身の一撃をルルティエに叩き込んだ。
ギャッと短い悲鳴をあげて、黒人は光の粉に成り果てた。
「だから、逃げろと言ってるだろうが!」
アルバートは女三人を焚きつけた。

大の男二人を屠った雷竜はくるりと鎌首をこちらに向けた。
「つべこべ言わずに来るんだ」
アルバートが未亡人のアンジェラを引き連れ、バーグマンが娘のリズを抱きかかえる。
マーサは舅を弔うと言って動こうとしない。
「おばあちゃんが」
リズの要求をかなえてやる時間がない。ルルティエは五人の存在を把握し、攻撃のタイミングを見計らっている。
「こっちに非常口がある」
バーグマンが壁の鉄扉を叩く。従業員専用と注意書きしてあるが、今は非常時だ。
「待ってくれ。こっちから行こう。いろいろとまだ必要なものがある」
アルバートが家電製品売り場を指さす。ルルティエを迂回して反対側の通路だ。
「お前だけ死ね」
バーグマンは二人の女の命運を握ることになった。
とはいっても、アルバート抜きでどうしたものか。凡人なりに知恵を巡らせる。
熟考している猶予もない。敵のセンサーを出し抜く方法を発見する前に餌になる。
「鉄だ! 金属製の扉だ」
雷竜の五感がどういう性能かは知らぬ。だが、金属は避雷針になり得る。。
反射的にノブを引っ張った。不幸中の幸い、鍵が開いている。
尻込みする二人を急きたてて、最後にバタンとドアを閉める。 

 

ざらついたコンクリート壁

ざらついたコンクリート壁だ。非常灯はついている。自家発電設備がまだ生きているらしい。
「上だ。階段を昇れ。電気系統の制御室に逃げ込めば雷龍も混乱するだろう」
「マーサが」
リズはおばあちゃん子であるらしく、しきりに名前を叫ぶ。
「大丈夫だ。オタクのオッサンが助けてくれる」
「本当?」
「本当だ。あいつは龍の倒し方を知っている」
口から出まかせでも何でもいい。リズを空手形で勇気づけ、負ぶった、
そのまま対面通行不可能な狭い階段を急いだ。3階のフロアに変電設備があった。
モニターが所狭しと並べてあり、職員が座っていた場所に消し炭が散らばっている。
ノートパソコンの画面にウインドウが重なっていて、リアルタイムで情報を更新している。
「どうやら、ここならしばらく凌げそうだ」
バーグマンが入口付近にラックや椅子を積み上げてバリケードを築いた。
彼一人で作業する間、アンジェラがずっと泣いていた。

「ブラックフライデーのお買い物をしに来たの」
リズが言うには、リチャードの提案で近所に住むヘンリー夫妻を誘ってモールへ来た。
車はアンジェラが運転した。一族はどこにでもいる普通で善良な市民だ。
リチャードは格闘家風だがシステムエンジニアだ。肉体美は趣味だそうだ。
そして彼はサイバーマンデーという言葉が大嫌いだった。
「コンピューター関連職なのにどうして?」
バーグマンの問いに彼女は好きで選んだ道じゃないから、と返した。要するに食い詰めて仕方なく手に職を付けたパターンだ。
「わたし、テンノウドーをおねだりしたの」
リズはスカートのポケットからワオのゲームチップを取り出した。
残念ながらドラゴン・イコライザーではない。当たり前だ。本日発表なのだから。予定だったが。
「でも、あの人ったらかなり無理をしていたらしいの」
女の隠しておきたい一面が現れた。妻は夫の転職活動が芳しくない事実を知っていた。面接に行くと言って明け方まで戻らない。その頻度がここ数週間の間、増加傾向にあった。
「ああ、なるほど」
それ以上は詮索する価値も意味もない、とバーグマンは判断した。
よく女の性悪を指摘するとフェミニスト団体の回し者から猛反発を受けるというが、男の腐り具合もなかなかのものだ。
リチャードは細君に二枚舌を使う。ならば、マーサの夫もそうだろう。蛙の子は蛙という奴だ。
おぼろげながらルルティエのアルゴリズムが見えてきた。奴は腐っても鯛、いや守護龍神であるらしく、忠実に役目を果たしている。
すなわち、勧善懲悪だ。
ヘンリーとリチャード親子は食われるべくして食われた。
「リズ、よく聞くんだ」
バーグマンは噛んで含めるように女性たちを諭す。
「うん」、と素直に頷く少女。
「いい子にしているんだ。お母さんの傍を離れちゃいけない。そして、よく大人のいう事を聞きなさい。あの怪物は悪い大人たちを栄養にしている。リズが悪い子にならないようにアンジェラも見守ってあげてくれ」
そういうと、彼はとっ散らかったスチール机から瓦礫をすっかり除去した。そこにまだ使えそうなノートパソコンを並べた。
電源と通信ケーブルはまだ稼働してるらしく、ためしにネットニュースのライブ配信サイトにアクセスしてみると、無人のスタジオが実況されていた。
「よし、今夜はこれで行けそうだ」
バーグマンはアルバートに劣らないコンピュータースキルを持っている。
ノートのUSBポートにLANケーブルを接続し、ショッピングモールの制御システムに侵入した。
そして、館内の電気系統を隅々まで把握した。といっても、肉眼で構内配電線路を追っていては夜が明けてしまうので即興のアプリに代行させた。
「何をしていますか、あなた」
アンジェラが心配そうにのぞき込む。その揺れる胸元は目の毒だ。どぎまぎしてしまう。
「ええ、あの、ドラゴン除けの対策を講じているところです。3階のフロアに介護ロボットのショウルームがありましてね。展示用のロボットに二足歩行できる機種があるようです。そいつらに避雷針を持ってこさせましょう」
「素人のわたしにはさっぱりわかりません。それでリズが助かる保証は」
「ええ、あります」
バーグマンは目のやり場に困りながらしどろもどろに説明した。
この部屋を囲むように雷サージ対策機器を設置する。それでルルティエは除けられるはずだ。
「よかった」
母親は緊張の糸が途切れたのか、意識を失った。そのまま、バーグマンに覆いかぶさる。
「奥さ…ちょ…」

「それは本当の話ですか」
ひしゃげたシャッターの隙間から男女のひそひそ話が聞こえる。ここは荒廃したショッピングモールのキッズコーナー。
泥だらけのぬいぐるみやゲームソフトがまるで空爆の直撃を受けたかのように散乱している。
「ええ、ヘンリーが現役時代にドーバー海峡で確かに見たんです」
「具体的な場所はわかりませんか? それらしい手がかりやヒントになるような事は?」
アルバートのしつこい追及にも老婆は寛大な心で臨んだ。壁の配電盤から無理やりにタコ足配線した玩具のLEDが頼りなげにほのめいている。
「そうね…」
彼女はしばしこめかみを揉んだのち、明確な地名を示した。
「カンタベリーの近く、ガストンだったかしら。お城が下に見えたと言ってたわ」
聞き流しながらアルバートがテンノウドーを乱打する。手のひらサイズの液晶画面に芥子粒のようなフォントが並んだ。
エンターキーを打てば響くように検索結果一覧が並んだ。

‷セントマーガレッツ・アット・クリフのお城ですか?”
検索エンジンが候補をいくつか画像でサジェストしてくれる。
「そうよ! ドーヴァー城よ」
マーサは宝くじに当選したかのように言う。アルバートはつくづく実感する。彼女が生き残っていてくれてよかったと。
ネットのアクセス手段を確保すべく、家電製品売り場を物色していた。最初はそこでモバイルルーターとパソコンを確保しようとしたのだ。
ところが崩落した天井に目論見が打ち砕かれた。めげずに彼はおもちゃ売り場に望みをつないだ。
4Dワオのブラウザー機能はペアレンタルロックが掛かっていてアクセス制限が厳しい。
開発者ならば容易に解除できる。彼は首尾よくテンノウドーと専用Wi-Fiルーターのセットを確保した。
そこで途方に暮れているマーサと再会した。彼女は娘のためにブラックフライデーの買い物に来たと証言した。
ヘンリーと最後に手を取り合った場所だという。
「あら、あなた。これもリズが喜びそうね」
「あまり無駄遣いするんじゃないぞ」
夫婦の会話はそれっきりになった。
「残念ながらご主人を救えなかった。しかし、お孫さんに元気な顔を見せないと」
アルバートは安楽死を願う老婦人をどうにかなだめすかした。その間にライブカメラ経由で周囲の安全を把握した。
「兎も角、ヘンリー氏が第二次大戦中にルルティエを目撃したのは間違いないのですね」
マーサは弱々しく頷いた。未確認飛行物体の目撃情報を空軍パイロットはあまり話したがらない。
黙っていなければ、操縦桿を握らせて貰えなくなるからだ。しかし常軌を逸していない同僚が複数の龍を飛行中に捉えている。
それは戦闘機のガンカメラに収録されているはずなのだが、空軍は黙殺し続けていた。
祖国が未知の脅威にさらされている。その事実を墓場にもっていく行為は守るべき大衆に対する重大な裏切りだという呵責と守秘義務の狭間でヘンリーは苦しんで来た。
その重荷に気づいたマーサは「何か言えない秘密があるんじゃないの」と夫を促しつづけた。
それが夫婦の疑心暗鬼を深め、ヘンリーは飲み歩くようになった。夫が秘密を少しずつ話すようになったのはマーサが当てつけに男漁りをはじめだしてからだ。
「あまり思いつめないでください。ご主人も悪いんじゃない。ルルティエに鈍感な軍と政府が悪いんだ」

解放的なアンジェラを瀬戸際であしらった。ここに来るまでリカーコーナーでボトルを開けたらしい。
酒気帯び運転はバーグマンにとって神に背く行為だ。「リズの前だぞ」と一喝して黙らせた。
今、母娘は重なり合うように寝ている。
彼は介護用ロボットを操って制御室を囲むように雷サージ装置——落雷の際に過電流がコンセントから電化製品に伝わってショートさせてしまう事故から防いでくれる機械だ——を配置した。
これでルルティエは進入できないだろう。
安堵した途端に小腹がキュッと鳴った。作業に没頭するあまり、寝食を忘れていた。確か、フードコートに冷凍食品と業務用のレンジがあった。
バーグマンはピザとチキンナゲットとレンジ本体をロボットに運ばせた。籠城戦を覚悟したからだ。
自分用に一食分加熱し、頬張りながら館内とモール周辺の警戒監視を済ませた。今のところ敵の兆候はない。その作業にも眼精疲労を覚えたので専用のスクリプトを書き下ろした。
画像解析フィルターを濾過して、いくつかのパターンを条件定義した。それらしい怪異を発見したら警報が作動する仕組みだ。
これでようやく横に成れる。
夜半過ぎにリズが起き出したので、食品パッケージをいくつか解凍した。
「いつまでここにいるつもりなの?」
アンジェラはノートPCのフロントカメラを姿見代わりにして、手櫛で髪を整えている。
彼女が言いたいことはだいたい想像がつく。だから、女は扱いづらい。
バーグマンは黙ってキーボードを叩いた。自走式の介護ベッドとロボットを遠隔操作して、ショッピングモールを徘徊させた。
可能な限り平坦なルートを巡り、化粧品や生理用品や着替えを買い物かごに放り込む。それを制御室の前まで運ばせた。
「どうしてわたしに相談してくれないの」。非常灯はついている。自家発電設備がまだ生きているらしい。
「上だ。階段を昇れ。電気系統の制御室に逃げ込めば雷龍も混乱するだろう」
「マーサが」
リズはおばあちゃん子であるらしく、しきりに名前を叫ぶ。
「大丈夫だ。オタクのオッサンが助けてくれる」
「本当?」
「本当だ。あいつは龍の倒し方を知っている」
口から出まかせでも何でもいい。リズを空手形で勇気づけ、負ぶった、
そのまま対面通行不可能な狭い階段を急いだ。3階のフロアに変電設備があった。
モニターが所狭しと並べてあり、職員が座っていた場所に消し炭が散らばっている。
ノートパソコンの画面にウインドウが重なっていて、リアルタイムで情報を更新している。
「どうやら、ここならしばらく凌げそうだ」
バーグマンが入口付近にラックや椅子を積み上げてバリケードを築いた。
彼一人で作業する間、アンジェラがずっと泣いていた。

「ブラックフライデーのお買い物をしに来たの」
リズが言うには、リチャードの提案で近所に住むヘンリー夫妻を誘ってモールへ来た。
車はアンジェラが運転した。一族はどこにでもいる普通で善良な市民だ。
リチャードは格闘家風だがシステムエンジニアだ。肉体美は趣味だそうだ。
そして彼はサイバーマンデーという言葉が大嫌いだった。
「コンピューター関連職なのにどうして?」
バーグマンの問いに彼女は好きで選んだ道じゃないから、と返した。要するに食い詰めて仕方なく手に職を付けたパターンだ。
「わたし、テンノウドーをおねだりしたの」
リズはスカートのポケットからワオのゲームチップを取り出した。
残念ながらドラゴン・イコライザーではない。当たり前だ。本日発表なのだから。予定だったが。
「でも、あの人ったらかなり無理をしていたらしいの」
女の隠しておきたい一面が現れた。妻は夫の転職活動が芳しくない事実を知っていた。面接に行くと言って明け方まで戻らない。その頻度がここ数週間の間、増加傾向にあった。
「ああ、なるほど」
それ以上は詮索する価値も意味もない、とバーグマンは判断した。
よく女の性悪を指摘するとフェミニスト団体の回し者から猛反発を受けるというが、男の腐り具合もなかなかのものだ。
リチャードは細君に二枚舌を使う。ならば、マーサの夫もそうだろう。蛙の子は蛙という奴だ。
おぼろげながらルルティエのアルゴリズムが見えてきた。奴は腐っても鯛、いや守護龍神であるらしく、忠実に役目を果たしている。
すなわち、勧善懲悪だ。
ヘンリーとリチャード親子は食われるべくして食われた。
「リズ、よく聞くんだ」
バーグマンは噛んで含めるように女性たちを諭す。
「うん」、と素直に頷く少女。
「いい子にしているんだ。お母さんの傍を離れちゃいけない。そして、よく大人のいう事を聞きなさい。あの怪物は悪い大人たちを栄養にしている。リズが悪い子にならないようにアンジェラも見守ってあげてくれ」
そういうと、彼はとっ散らかったスチール机から瓦礫をすっかり除去した。そこにまだ使えそうなノートパソコンを並べた。
電源と通信ケーブルはまだ稼働してるらしく、ためしにネットニュースのライブ配信サイトにアクセスしてみると、無人のスタジオが実況されていた。
「よし、今夜はこれで行けそうだ」
バーグマンはアルバートに劣らないコンピュータースキルを持っている。
ノートのUSBポートにLANケーブルを接続し、ショッピングモールの制御システムに侵入した。
そして、館内の電気系統を隅々まで把握した。といっても、肉眼で構内配電線路を追っていては夜が明けてしまうので即興のアプリに代行させた。
「何をしていますか、あなた」
アンジェラが心配そうにのぞき込む。その揺れる胸元は目の毒だ。どぎまぎしてしまう。
「ええ、あの、ドラゴン除けの対策を講じているところです。3階のフロアに介護ロボットのショウルームがありましてね。展示用のロボットに二足歩行できる機種があるようです。そいつらに避雷針を持ってこさせましょう」
「素人のわたしにはさっぱりわかりません。それでリズが助かる保証は」
「ええ、あります」
バーグマンは目のやり場に困りながらしどろもどろに説明した。
この部屋を囲むように雷サージ対策機器を設置する。それでルルティエは除けられるはずだ。
「よかった」
母親は緊張の糸が途切れたのか、意識を失った。そのまま、バーグマンに覆いかぶさる。
「奥さ…ちょ…」

「それは本当の話ですか」
ひしゃげたシャッターの隙間から男女のひそひそ話が聞こえる。ここは荒廃したショッピングモールのキッズコーナー。
泥だらけのぬいぐるみやゲームソフトがまるで空爆の直撃を受けたかのように散乱している。
「ええ、ヘンリーが現役時代にドーバー海峡で確かに見たんです」
「具体的な場所はわかりませんか? それらしい手がかりやヒントになるような事は?」
アルバートのしつこい追及にも老婆は寛大な心で臨んだ。壁の配電盤から無理やりにタコ足配線した玩具のLEDが頼りなげにほのめいている。
「そうね…」
彼女はしばしこめかみを揉んだのち、明確な地名を示した。
「カンタベリーの近く、ガストンだったかしら。お城が下に見えたと言ってたわ」
聞き流しながらアルバートがテンノウドーを乱打する。手のひらサイズの液晶画面に芥子粒のようなフォントが並んだ。
エンターキーを打てば響くように検索結果一覧が並んだ。

‷セントマーガレッツ・アット・クリフのお城ですか?”
検索エンジンが候補をいくつか画像でサジェストしてくれる。
「そうよ! ドーヴァー城よ」
マーサは宝くじに当選したかのように言う。アルバートはつくづく実感する。彼女が生き残っていてくれてよかったと。
ネットのアクセス手段を確保すべく、家電製品売り場を物色していた。最初はそこでモバイルルーターとパソコンを確保しようとしたのだ。
ところが崩落した天井に目論見が打ち砕かれた。めげずに彼はおもちゃ売り場に望みをつないだ。
4Dワオのブラウザー機能はペアレンタルロックが掛かっていてアクセス制限が厳しい。
開発者ならば容易に解除できる。彼は首尾よくテンノウドーと専用Wi-Fiルーターのセットを確保した。
そこで途方に暮れているマーサと再会した。彼女は娘のためにブラックフライデーの買い物に来たと証言した。
ヘンリーと最後に手を取り合った場所だという。
「あら、あなた。これもリズが喜びそうね」
「あまり無駄遣いするんじゃないぞ」
夫婦の会話はそれっきりになった。
「残念ながらご主人を救えなかった。しかし、お孫さんに元気な顔を見せないと」
アルバートは安楽死を願う老婦人をどうにかなだめすかした。その間にライブカメラ経由で周囲の安全を把握した。
「兎も角、ヘンリー氏が第二次大戦中にルルティエを目撃したのは間違いないのですね」
マーサは弱々しく頷いた。未確認飛行物体の目撃情報を空軍パイロットはあまり話したがらない。
黙っていなければ、操縦桿を握らせて貰えなくなるからだ。しかし常軌を逸していない同僚が複数の龍を飛行中に捉えている。
それは戦闘機のガンカメラに収録されているはずなのだが、空軍は黙殺し続けていた。
祖国が未知の脅威にさらされている。その事実を墓場にもっていく行為は守るべき大衆に対する重大な裏切りだという呵責と守秘義務の狭間でヘンリーは苦しんで来た。
その重荷に気づいたマーサは「何か言えない秘密があるんじゃないの」と夫を促しつづけた。
それが夫婦の疑心暗鬼を深め、ヘンリーは飲み歩くようになった。夫が秘密を少しずつ話すようになったのはマーサが当てつけに男漁りをはじめだしてからだ。
「あまり思いつめないでください。ご主人も悪いんじゃない。ルルティエに鈍感な軍と政府が悪いんだ」

解放的なアンジェラを瀬戸際であしらった。ここに来るまでリカーコーナーでボトルを開けたらしい。
酒気帯び運転はバーグマンにとって神に背く行為だ。「リズの前だぞ」と一喝して黙らせた。
今、母娘は重なり合うように寝ている。
彼は介護用ロボットを操って制御室を囲むように雷サージ装置——落雷の際に過電流がコンセントから電化製品に伝わってショートさせてしまう事故から防いでくれる機械だ——を配置した。
これでルルティエは進入できないだろう。
安堵した途端に小腹がキュッと鳴った。作業に没頭するあまり、寝食を忘れていた。確か、フードコートに冷凍食品と業務用のレンジがあった。
バーグマンはピザとチキンナゲットとレンジ本体をロボットに運ばせた。籠城戦を覚悟したからだ。
自分用に一食分加熱し、頬張りながら館内とモール周辺の警戒監視を済ませた。今のところ敵の兆候はない。その作業にも眼精疲労を覚えたので専用のスクリプトを書き下ろした。
画像解析フィルターを濾過して、いくつかのパターンを条件定義した。それらしい怪異を発見したら警報が作動する仕組みだ。
これでようやく横に成れる。
夜半過ぎにリズが起き出したので、食品パッケージをいくつか解凍した。
「いつまでここにいるつもりなの?」
アンジェラはノートPCのフロントカメラを姿見代わりにして、手櫛で髪を整えている。
彼女が言いたいことはだいたい想像がつく。だから、女は扱いづらい。
バーグマンは黙ってキーボードを叩いた。自走式の介護ベッドとロボットを遠隔操作して、ショッピングモールを徘徊させた。
可能な限り平坦なルートを巡り、化粧品や生理用品や着替えを買い物かごに放り込む。それを制御室の前まで運ばせた。
「どうしてわたしに相談してくれないの」 

 

アンジェラ

アンジェラはぶつぶつ言いながら真新しい着替えに袖を通す。日は既に頂点にさしかかっていた。
「足りない物があったら、今のうちに言ってくれ。ただし、持ち運べる範囲内でだ。ロボットとベッドのバッテリーもじきに切れる」
バーグマンは母娘に釘をさした。出発の準備を日没後までかかって整えた。
「どうして、暗い夜道を行くの?」
「ルルティエがピカピカ光っているのを見ただろう」
リズは小妖精に騙されたような顔をしていたが、説明している時間はない。19時を回った頃、一行はモールを後にした。
「アルバートが置いてけぼりだわ。マーサも」
アンジェラが心配しているが、バーグマンはやるべきことを進めた。
「御祖母さんは大丈夫だ。あいつかついている。それよりも西を目指すんだ」
「ロンドンではなくて?」
アンジェラの問いにバーグマンは首を振った。
「ブリストルだ。テンノウドー・ヨーロッパの開発拠点がある。カルバートがワイバーンロードの急ごしらえを応援依頼するとすれば、そこしか思いつかん」
バーグマンの話では、テンノウドーがゲーム商品を充実させるために開発キットを各社に提供している。メーカー側もそれに応じて連絡調整スタッフをテンノウドー常駐させている。繁忙期には出荷寸前の最終チェックを支援する事もあるという。離反者が潜んでいるとすればブリストルの開発ラボだろう。それはドラゴン・イコライザーの最終迷宮。捕らわれの王妃救出ミッションと重なる。
「本来の脚本ならどうなっているんです?」
「それはゲームプレイヤーの進行具合に拠るよ。シナリオは分岐するんだ」
バッドエンドのいくつかには救出ミッションが省かれる結末もある。
「王妃が殺されるか、何らかの原因で死ぬか…ですか?」
「それ以外にも2つほどある」
「2つ? 私が思いつくのは王妃が自力で脱出する。例えば、何か強力な隠しアイテムを発見するとか」
「それもあるが…」
バーグマンは口ごもった。何か表に出しにくい秘密があるようだ。ぶつぶつ言葉を選んでいる。
「何なんです? はっきり言ってください。事と次第によっては人命がかかっているんですよ!」
食い下がられて、男はしぶしぶ明かした。
「超展開の一つさ。王妃が悪魔に憑依される。そして…」
「そして…?」
「ルルティエを使役するんだ。正確にはルルティエに魅了されてね。勇者に勝ち目はない」


足が決して自由でない老婆を伴って瓦礫と化した街を移動することは死の危険を伴う。さりとてマーサひとりを残してバーグマンと合流する事もできない。
アルバートはテンノウドーを壁際のLANコネクターに接続してメールを送信しようと試みた。
だが、加入しているプロバイダーのサーバーが反応しない。電源がダウンしているか物理的にオフラインなのだろう。
つづいて、フリーメールやSNSのアカウントを試してみたがログイン手続きすらままならない。
「無理せず、バーグマンの所にお行き」
キーボードを叩き続ける背中をマーサが圧してくれた。もう何年も忘れていた人の温もりだ。愛情がバーグマンとの間にあるにはあるが、それはビジネスパートナーであり、男同士の友情でもあり、濃度やベクトルが異なる。
母、ふとそんな語句が浮かんだ。アルバートの両親は幾つかの虐待を経て数え切れないほど変わっており、生みの親の顔すら定かでない。
「さぁ!」
にっこりとほほ笑んで送り出そうとしてくれるマーサに無常の優しさを感じた時、守るべきものと、それを成し遂げるために必要な事を悟った。
「いいえ! 貴方は置いていけない。大切なキーパーソンだ」
自然に腕が伸びた。ぎゅっと年老いた女を抱きしめて、母なる存在をしっかりと確認した。そして、テンノウドーで館内をくまなく検索した。
案内図と防犯カメラの最新映像を基に介護福祉ヘルパーステーションを発見した。福祉用具の在庫があり、ちょうど新品の車椅子が入荷している。
どうにかして手に入れたい。問題はルルティエの奇襲と暗がりだ。マーサを連れて取りに行かねばならない。
肝の据わったアルバートはともかく、老婆には心臓が凍る思いだろう。
「しっかりと僕だけを見つめて。絶対に目を逸らしちゃいけない。闇に飲み込まれてしまう」
マーサを庇うように先導し、懐中電灯片手に慎重に一歩ずつ進む。老婆の負担を考えて段差の少ないルートをゆっくり進んだ。
途中、どうしてもエレベーターを利用しなければならない箇所があり、しかたなく呼び出しボタンを押した。

すると、フロアの照明が一斉に灯った。眩いスポットライトが灯台の様にくるくると売り場を照らし、場違いなロックミュージックが耳を貫く。
アルバートばとっさに固有名詞を飲み込んだ。
「奴だ!」
唐突に灯りが消えて、家電製品売り場がまだら模様に照らされる。
「オーディオ機器のコーナーを徘徊してやがる」
どうやら雷龍はハイパワーの電磁エネルギーを帯びているらしく、活動圏内にある家電製品を無差別に活性化させるようだ。
「あ、あ、あ、あ…」
万事休す、マーサが腰を抜かした。バチっと乾いた破裂音がした。
みあげると、天井を手前から奥へ火花が走っていくのが見えた。
「奴が徘徊してやがる!」
アルバートが見まわすと5メートルほど離れた場所にレジカウンターがあった。社内サーバーにつなぐタイプのPOSレジだ。
客から見えない位置にLAN端子があるはずだ。彼は身を低くして短距離をひと思いに駆け抜けた。そして、めざすジャックにテンノウドーを接続した。
キーボードを叩き、フロア全体の回路を掌握する。そして、指定した場所の電源をオンオフすることでルルティエを扇動した。
調理家電コーナーのコーヒーメーカーやポットに電源が入った。そこにスパークが集中する。
「捕まえたぞ!」
アルバートは最寄りの陳列ケースに通電し、ルルティエの退路を塞ぐ。そこだけ文明を代表するかの様に白熱する。
顔を背けたくなるほどの眩さ。彼は手探りでテンノウドーを操った。このまま、館の電力が続く限り封じ込める。
その間にアースの代わりになる物を突貫工事で設置する。タイミングを見計らって電源を落とせば、ルルティエはアースに導かれて大地に放電されるだろう。
「よーし、そのままだ。いい子にしてくれよ」
ケーブル売り場を目指そうとした、矢先、マーサが悲鳴をあげた。キリンが草を食むように稲光が首をもたげた。
「なんでだよ?!」
想定外の事態に彼はパニック発作をおこした。
「なんでだよ!なんでだよ!」
じたばた藻掻くうちにルルティエは餌に到達した。
バチバチと何かが沸騰し、煮えたぎる音がする。そして焦げ臭い煙がただよってきた。
「何でだよ!何でだよ!!」
ぼうっとオレンジ色の炎が視界をかすめる。
「うぉああ! なんでだよ!」
アルバートは本能的にテンノウドーを抱えて非常口を目指した。火災報知器が反応してジリジリと警報ベルが鳴る。そしてスプリンクラーが散水を始めた。
「何でだよ! あっ、そうか」
一瞬の決断が生死を分けた。彼は自ら洗礼を浴びた。天井から滴り落ちる雨嵐でずぶ濡れになる。4Dワオはプールサイドで遊べる程度の耐水性がある。
ルルティエらしき火花は滝のような防火水に阻まれた。それをアルバートは必死でかいくぐった。
●老婆の絆

マーサ婆さんを救えなかった。ジトジトと濡れそぼる屋内をアルバートはよろめく。雷龍ルルティエが電磁気に誘引される性質があるという知識の代償はあまりに大きかった。アルバートは無力感に苛まれショッピングモールの廃墟を彷徨う。来るべき魔龍ルルティエとの決戦に備えて必要と思われる材料を片っ端から略奪した。死に絶えた街に人と平和が戻ってくるなら安い代償だろう。どうせ在庫は朽ち果てる。アルバートが活用することが殺された人々への手向けになる。そう嘯いた。商品を盗む罪悪感で恐怖心をごまかしているが本当は赴きたくないのだ。自分でも良心の呵責が本心でないと自覚している。魔龍が怖い。アルバートは怖気づいている。割れたショーウィンドウに疲れ果てた男が映る。自分だ。その瞳にははっきりとマーサ婆さんの死にに対する後悔と謝罪が浮かんでいた。アルバートは涙腺を冷たい水道水で洗い流した。彼は自問自答する。「俺の本職はプログラマーだ。魔龍だの世界を救うだのお門違いで畑違いのミッションにふさわしい男だろうか。お婆さん、俺はあんたを見殺しにした」

アルバートはマーサ婆さんと出会ったとき、自分にもどういう事情があるのか訊ねたことがある。そしてマーサ婆さんが自分の生殺与奪権を握っているのだと知った。かつて天才プログラマーとして知られたアルバートだが、それは別におまけ程度の存在だったのだ。当時の駆け出しプログラマーは決定権を持っていなかった。そもそもプログラマーという職業自体が自分から全てを奪う職業だったのだ。ある時彼は自分の生殺与奪権から死刑宣告される自分を想像した。プログラマーとして、お婆さんが守りたいと思ったこと。お婆さんにとって大切な自分の生命。それさえ失われたマーサ婆さんが自分に与えられた価値を噛み締めて涙を流す。そんなことを想像した。
しかしマーサ婆さんの幻影は笑っていた。
「それはどうだかしらね。そもそも老い先短いあたしにとって自分の命より孫たちが大切だったよ。アルバートは自分を責めなくていいのよ。だって貴方は
あんなに悲壮な顔つきで必死に戦ったんだから。だからあたしだって同じじゃない。そうでしょ?」
マーサ婆さんは笑っていた。その笑顔がアルバートを見つけた。
「アルバート、鏡を見て。あなたの目を見て話してごらん。それが本当の自分から目を逸らす最大の武器になる」
「お婆ちゃ……」 

 

無力

「あたしも一緒だから。泣かないでね」
マーサ婆さんの温かい眼差しが心に染みる。彼はマーサ婆さんに言われた通りに涙を拭って顔を上げた。アルバートはマーサ婆さんの手を握り返した。
「ああ、そうだ。こんなのは嘘だよな。俺、本当は逃げ出したいんだ!」
アルバートは振りほどこうとするがマーサ婆さんの強い腕と力で振りほどくことはできない。
「だったら泣くんじゃない」
マーサ婆さんはアルバートの守護霊として強いきずなを結んでくれたのだ。

●無力は人の為に何を成すか
その時々の情動から人生訓を学んで誰もが成長する。ただ、抽象概念を具体的な人生目標に翻訳する作業は難しい。過程で人は感情の沼にとらわれがちだ。

ショッピングモールの出口を目指していると通路の配電盤がバチバチと火花をあげた。そこにぼうっと青白い人影が浮かんだ。
「なんだ!? この臭いは! 」

人の体臭ではなかった。どこかで嗅いだことのある薫り。
「まさか、まさか、これ…!」
その匂いにアルバートは戦慄する。この匂いを辿ればどこかにたどり着く。そう思って一気に距離を詰めて振り向いた。
「お前!!」
目の前に、人の顔があった。全身を覆う黒い布地を風化させ、髪の毛を赤く色付けた少女であった。
「救われてるか?」
アルバートは俯き体を震わせたが答えなかった。少女は濡れそぼった前髪の隙間から殺気に満ちた視線を投げた。
「身勝手な感情で天国に逝くべき死人を繋いでいる。お前のその姿が人間の醜悪さを表している。いつまでもそれがある限りお前は、そんな姿になってしまう」
「お前が何者か知らんがマーサの思い出を貶すな」
「それはもうな。お前は何でもかんでも思いどおりに動かせると奢ってるんじゃないのか?」
「面影を支えにして何が悪い」
「私はお前みたいな奴は嫌いだ」
「なんだと?」
アルバートの言葉に呆れたように女は言った。
「そうだな。マーサ婆さんみたいな善人が、お前みたいな馬鹿でお人好しの子供を慕っているのは嫌いだ。その命、私に差し出せ。私はマーサ婆さんの怨念だ」
少女はぼうっと発光した。
通路の配線に火が着く。
「もう、これ以上、これ以上俺なんて……」
こんな悲しい死に方は二度としたくはない。彼は自責の念にとらわれた。
そして気付いた。このままでは、いけない。自分がこれから行う任務は――
「マーサ婆さんの意思は自分が何のために生きるか。その意志を尊重してくれるのはお婆さんだけだから」

「ははそうだね。そう言うことなら、アルバート君の本職ってことだね、アルバート君。マーサ婆さんの命を護ること以上の何かを望んでいることに薄々気付いては居らんのかね。それがお前にとって命取りになるのに」
自分にとっては知らん顔をする。なぜお婆さん自身が幸せになることこそが一番不幸なのだろう。これ以上不幸になることを望んではいけないのだ。自分の命は生きるためのものではない。お婆さんの命を護るためなのだ。

「……俺がお婆さんのために何をすべきか」
マーサ婆さんには本当は聞きたくない思いだが自分に聞いてみる。
「自分のために何をしろって言うんだい」
「お前自身ですら見失ってる本分を聞きたい。お前は技術者か、英雄か?」
マーサ婆さんはアルバートの方を向いて言った。

「人を護りたい。自分の命を自分の物にしたい。……例えば俺が本当に好きなのはマーサ婆さんだったけれど、マーサ婆さんが俺を護るには自分の命以外の一切を護りたいと思ったのかな。だから俺はマーサ婆さんのために何をすべきか知りたい。誰かの命が必要なら、自分の命と交換しないとならないからだ。それがどうして君の本職を知りたいと言うんだい」
女の表情が曇った。

「お婆さんのためにどんなことをしても無駄だと思っていたからだ。マーサ婆さんの命を護ることしか出来ない俺なんか要らないと思っていたのだろうよ。でも俺はマーサ婆さんの命が必要なのではなくて、自分が幸せでいられる場所があるのだなあと思ったわけだ」
その言葉を自分に向けてもあまり実感は湧かなかったが少しずつどこかで奮い立っている。

「人のためになら何でもすると思うからそうしてみたのに……。俺がどうしてマーサ婆さんのために何が欲しいのか、知りたいと言うんだ……。君は人間に生まれ変わって良かった。自分の心にあるモノを誰かが護ってくれるのなら、私のように誰かに護ってもらうのは嫌だ」
女は悲しげに顔をそむけた。

「だから君のために何でもする。君自身のために何でもすると言って欲しい。何か欲しいものがあるなら、俺の命に危険があるなら、人を傷つければ良い。君に俺の血や命を護れるだけの能力があるなら、その血も、命も差し棒のように奪ってくれても構わないのだよ。命を奪う機会なんてないはずの君の命が欲しいのだ。だから君の命の危険があるものまで護れるのは俺だけだ。それに君の命に危険があろうが何ろうが護れることは俺しか出来ない」

彼女は少し震えて、そして強い意志を持った瞳で俺を見上げた。

「俺はこうして生きて生きて生きて生き永く生きて生き続けて……。君が命と一緒に命を繋いでくれる……。だから俺は俺の生き方をしなくちゃならない。そのために必要なのは俺の命だ。マーサ婆さんの命を護るために、君の命の危険を取り払うために必要なのは俺の命だ。それが、俺の目的……。あなたの命が必要なのは俺の命。俺の命で君には君の命を護ることだと俺は思ってるんだ。だから、マーサ婆さんは俺にとって命の危険な存在なんかじゃなく、命の大切な人たちを救うために必要なことだと俺は思うんだ」

だから、君は君の生き方をして、それがあなたが望んだ俺の生き方なんだと、アルバートは切に思った。

マーサの怨念はぽつ、ぽつと雫を垂らして項垂れる。
「そうかい。もういいよ。アルバート。ここは私に任せてお行き」
そう言い終えぬ内にテンノウドーが警報を鳴らした。自家発電機の燃料タンクに火が回ったのだ。アルバートは物思いから覚め全力で逃げ出した。

モールが爆発炎上し、鉄骨が瓦解していく。それを高台から眺めていると煙が昇竜のようにのたうち回っていた。アルバートは少しだけ肩の荷が下りた。
モールとは商魂と物欲のるつぼだ。あすこに滞留していた雑念はルルティエの恰好の餌場になっていたのだろう。喰われて穢れた魂がマーサの無念を怨念に書き換えたのだ。末端は潰した。それは枝葉に過ぎないとしても本体を潰さねば世界は不幸のどん底へ落ちる。
第二章 終わりの始まり I -
1. 第一節「最後の勇者の物語I・終幕の序章II(中編)」
「あの……、この先は関係者以外立ち入り禁止となっております……」
第5区ショッピングモールは爆破されて炎上中である。そこを訪れた二人は怪しげだっただろうか? 否、怪しいどころではない。二人とも顔に火傷を負った包帯姿の少年だ。
警備員が声をかけるのも致し方ないことである。
警備員が止めに入るのは無理もない。だが、その瞬間、アルバートとカルエルの身体が淡い紫色の燐光に包まれて、その燐光が渦を巻き二人の姿を隠してしまう。次の瞬間には、二人の姿が跡形もなく消えてしまっていた。
(一体どこに行ったのだ……)
警備主任はしきりに頭を捻った。
アルバートが目覚めたとき、視界いっぱいに白い壁があった。
起き上がろうとしたが力が入らずまたベッドに横になった。頭がズキズキする。
ここは何処だ? 病院にしては薬品の匂いがない。
窓の向こうで木々が揺れていて爽やかな朝の訪れを予感させる。
病室の扉が開いた。入ってきたのはこれでもかというくらいに眉毛の長い女だった。女はこちらに目を向けると驚きに目を大きく開けた。そして口角を上げて、歯を剥き出して笑った。「すごい!『ふじみのじゅもん』が本当に効いたわ!」
失礼千万な女を突き飛ばして長身のプエルトリコ系青年が叱りつける。「勇者様に無礼だぞ」
そして非礼を詫び自己紹介を始めた。
「申し訳ありません。私は、スコットランド公国で公宮騎士団団長を勤めておりますバルバトス=ヴィノグラートと申します。」
アルバートは、まだ状況を把握しきれずにいた。
「それで、俺は何故ここにいるのですか?」
「はい、我々は現在、聖剣エクスカリバーを探し求めて各地を旅しているのですが、実は、先日、我々の旅の途中で、あなた様が倒れているのを発見したのです。最初は、盗賊団に拐われたのかと思いましたが、よく調べてみると、どうも様子がおかしい。そこで、とりあえず、保護したという次第でございます。ご気分はいかがでしょうか? もし、よろしかったら我々に同行していただいても構いませんが、どういたしましょう」
「えーっと、じゃあ、お願いします」
「はい、承知しました。では、早速ですが、出発の準備が出来次第、バーグマン国王と会見していただきます。何しろルルティエの巣を叩くためにはイングランド王国に入らねばなりません。しかし、我々スコットランドは領土問題を抱えておりまして」
ヴィノグラート・スコットランド公の説明を要約すればバーグマン国王はルルティエ騒動で荒廃したイングランドを率先して立て直した功績を称えられて三顧の礼で王位に就いた。ブリテン連合王国は瓦解しておりウェールズが独立を宣言するや、コンピューター技師のヴィノグラートを大急ぎで指導者に擁立する動きがスコットランドで出た。荒廃しきった国で議会制選挙などやる余裕もなく取り合えず電脳のバケモノであるルルティエに対抗できる知恵者がリーダーに相応しいということになった。
「バーグマンも出世したものだな」
アルバートは遠くを見る目つきで続けた。
「それで公爵閣下。国王陛下と何を…」 

 

公爵

「ああ、公爵でいい。あなたとは一緒に戦う仲間だ。勇者様」、とヴィノグラートがへりくだる。
「アルバートでいいよ」
「では、せめて敬称で呼ばせてくれ。勇者殿」
「好きにしろ。で、バーグマンと何を話せばいいんだ?」
「うむ、単刀直入に言うと、勇者殿と国王お二人に関わる話だ」
というなり、彼は人払いをさせた。誰もいなくなると声を潜めて露骨に言う。「ルルティエ討伐の暁には残骸をこちらに引き渡していただきたい」
それはアルバートにとってとうてい呑めない条件だった。ルルティエはゲームのキャラクターだ。版権はアルバートとバーグマンにある。いくら魔王を倒した英雄であっても、他人に所有権がある物を、おいそれと手放すわけにいかない。ましてや、ゲームのキャラだ。
だが、相手はスコットランド公国。つまり、封建国家。中世的世界観のRPGにおいて絶対君主主義をとる国においては王の命令は絶対的に優先する。しかし、この国の王様がそんな命令を出すとも思えない。なにか事情がありそうだ。
さあ、どんな言い訳をするのか。と興味深く聞いてみると。
「ううっ…….うぅ……..ふぐ」嗚咽するばかりで言葉にならない。
「あの〜。もしもし。ちょっと。」
どうも要領を得ない。しばらく考えてようやくわかった「あっ、もしかして。俺がいなくなったと思って心配してくれたんですか?」。どうもそうみたいだ「はは、馬鹿だなぁ」涙がこみ上げてくる。「大丈夫だよ。ほら元気でしょ」両手をバタつかせて見せると安心したようだ。それから、二人でこれからのことを話し合うことにした。まず、アルバートはルルティエ討伐に最後まで付き添うつもりはないと説明した。そもそもアルバートは戦闘向きではない。むしろ苦手分野だ。そして、自分はもう若くない。老後を考えねばならない歳だ。いつまでも冒険者稼業を続けるつもりもない。
「ということでだ。今回の作戦はお前に任せたいと思う」
「待ってくれ。アルバートはどうするつもりなんだ」
「俺は、どこか田舎に家を建てようと思っている。幸い、こっちに持って来れなかった物もあるしな」
と言って鞄の中を見せる「これじゃ、ないよ。僕が探してるのは」
「ああ、知ってるよ。でも、まあ、あれだ。これは俺からのプレゼントだ。あとは任せたぜ」
「アルバート!!」
彼は荷物を抱えて、去っていった「じゃあな、頑張れよ。相棒」
そして、決戦の朝がやって来た。
ルルイエが近づくにつれ空気が変わった。重苦しく生臭い海臭さと腐乱した肉のような腐敗した臭い。それに潮の香りも混ざっている。まるで地獄の釜が開いたような有様だ。「いよいよ、ご対面かな」「だろうな。行くぞ、ヴィノグラート」
「了解だ」
一行はドラゴンの巣を急襲し、ルルティエ・ド・ゲヌビの首魁を叩こうとしていた。
巣に踏み込むと同時に視界は闇に包まれた。何も見えない完全な暗黒。ただ息遣いと金属音、足音の響く洞窟の深淵だ。松明に灯した光さえ吸い込まれる漆黒の空間は異次元の入口か何かのように見える「どうする。アルバート」「決まってるだろ」
「進むしかないよな」と剣を握り直す「ああ、そのとおりだ」
闇の中に一筋の閃光が走る。
続いて鼓膜を引き裂く高周波が響いた「うわあ!」耳をつんざく音がアルバートの平衡感覚を奪い去る「落ち着け。敵だ」
「わかってるよ」と言いながら目と耳に意識を向ける。しかし、「クソッ、駄目だ」目が霞み音が聞こえない「毒霧を使われたのか」と歯噛みする「えーっと、何がいるんだ?」
「おそらくドラゴンだ」
そして再び閃光が走り、アルバートの頭上で破裂音が轟いた「危ねえなあ」思わず舌打ちする「下がってくれ、私が倒す」というが早いか、次の攻撃が来る「またかよ」アルバートは飛びずさってかわすと、反撃に転じる アルバートの斬撃を受けた相手が苦痛の雄叫びを上げる。ドラゴン特有の金切り声で耳がおかしくなる。ドラゴンは身をひるがえし逃げようとしたが「逃がしゃしない」アルバートの追撃を受けて、致命傷を受ける。そして力尽き倒れこんだところを切り刻まれた「これで全部か」
「ふう、なんとか勝てたか」
アルバートは額の汗を拭った 。そして「いや、違う」慌てて振り向いて、後ろで見ていた仲間を呼んだ。
「大丈夫ですか!」「今助けます!」「待って、まだ息がある」三人は傷だらけの戦士に駆け寄った。
彼は最後の一撃が命中する瞬間、アルバートを蹴り飛ばし、身代わりになって攻撃を受けていたのだ。そして今も必死に声を絞り出そうとしていた「うぅ・・う・あ、アルバート」
「無理に喋らないで下さい」
彼の体は見るからに重症だった。肩口に深い切創が走っているし、腹には大きな刺傷がある。
さらに背中と脇に火傷を負っている「ポーションならあります。使ってください」
「ううっ・・・すまん」
回復薬を飲んでからしばらくして、彼は少しだけ口を開いた「どうしてここに? はは、私も老けたものだ。すっかり錆び付いてしまってる」
「何言ってんだバーグマン。冗談言うのもいい加減にしろよ」
しかし、いつもと違って反応がない。顔色がどんどん悪くなっていく アルバートは嫌な予感に襲われた。まさかと思った。だが考えれば考えるほど不安は的中しているように思えた「どうしたんだよ? 具合悪いのか」と額に手を伸ばした すると彼は弱々しく笑った そしてそのまま動かなくなった「・・・嘘だろ? そんな馬鹿な」
「残念だけど、どうやら手遅れみたいね」
そう呟いて彼は懐から一本のガラス瓶を取り出した。中身はよく分からない緑色の液体が入っている。彼はそれを一気に飲み干した「うう・・・まずい」彼は咳込みながらも立ち上がった。そして、もう一度アルバートの手を取る「もう心配はない」
彼は静かに微笑んだ そして、その笑顔を見たまま、アルバートの世界から一切の色が失われた **「ちょっといいかしら? どう思う」「そうだなあ。あの男は死んで当然のクズだ」男の一人、スキンヘッドで髭面の男が吐き捨てるように言った「まあまあ、あなた達の意見ももっともですけど。でも、これからどうします? あんな死に損ない放っておいて殺しません?」女の一人が、物騒な提案をした。
そして彼女は小ぶりなナイフを指先でクルリクルりと弄んでいる「どうでも良いよ。どうせ死んだし。なにかあるのかい?」もうひとりの男はやや冷淡に告げた。彼は短髪に黒縁眼鏡で、一見して優等生といった風貌をしている「それならさあ。あたしにいいアイデアがあるんだけど、乗ってみなぁ~い?」赤毛の女は甘ったるい猫撫で声で話しかける「ふうん」「ほう」二人が興味を持ったようだ「あいつ、どう見ても童貞よね? つまり、未経験者だわ」二人の男の目つきが変わった。彼らは揃って下卑た笑いを浮かべる。
「だからなんだっていうんだい」男は不機嫌な口調で応じる「男って処女に弱いじゃない。そこで相談なんだけど、あそこに居る坊やはどうなのかしら」女の視線を追うとアルバートの姿があった「なるほどな。それは一理ある」二人は納得したような態度を取った「だしょ。それにさ、もし上手くいったら。報酬に二百万クレジット出すって言われたんだけぇどぉ」
女の瞳は金貨の様に爛々と光っている
「おい。おまえら、こんな時にふざけてる場合か!」アルバートは思わず怒鳴りつけた「まあ落ち着けよアルバート。俺達は仕事に真剣に取り組むべきだぜ」
男はアルバートの腕を掴むと、そのまま路地裏へと引きずり込んだ「ちょ、やめろよ! 俺は関係ない」
抵抗むなしく男の仲間に引き込まれた「ほーら、やっぱり、ここだ。この膨らみだ。間違いねえ!」
男が乱暴にスカートを捲ると同時に、アルバートは下着ごと股間を握り潰される激痛に悲鳴をあげた「ギャアァァ!」あまりの苦痛に涙が溢れる「ははは。なにビビッてんだ。まだ何もやってねえだろ」もう一人の仲間が笑う「い、命だけは・・・」
その時、男の後頭部に鈍器のような硬い物が激突した「ぐえっ!?」男が崩れ落ちると同時に何かの影が視界に入った。「こっちだ!」アルバートは慌てて建物の陰に飛び込むと走り出した。背後で争う声が聞こえたが、なんとか振り切った「危なかったなアルバート」そこには見慣れぬ格好をした見知らぬ女性が居た。
女性は丈の長いコートを羽織っていた。袖は無く肩が出ている。さらに胸元が大きく開きヘソが見えていた。また、下半身も露出気味で、足元は編み上げ靴を履いている「あ、ありがとう。助けてくれて」息を整えながら感謝を述べる。女性からは微かに花の香りがした「礼には及ばない。しかし、ここはドラゴンの勢力圏だ。一人で行動するのは危険だ」
彼女は、そう言って歩き始める。アルバートもすぐに後を追った「バーグマンを見なかったか? 彼はドラゴンと戦うと言っていた」アルバートは先を行く彼女に問いかける「私達が駆けつけた時、既にドラゴンは立ち去ったあとだった。残念だが間に合わなかったのかもしれない」「そんな!」絶望に心が折れそうになる。しかし、ここで諦めるわけにはいかない「・・・私はカルバート・ライル・ドイルと言う。カルバートと呼んでくれ」「カルバートか。私はアルバート・フレイ・ロックウェルだ」
彼女は振り返ると、手を差し伸べてきた。どうも欧米人の行動はよくわからないが、握手は文化の基本だと本で読んだ事がある。彼女の手を握る「カルバート、あなたは何故ここに? まさかとは思うが、この先の魔龍の巣に行くつもりじゃ無いだろうな? 奴らは危険な相手だ。今の君では殺されるのがオチだぞ」