人理を守れ、エミヤさん!


 

成し遂げたぜ士郎くん!




『――シロウ』

 黄金に煌めく朝焼けを背に、淡い微笑みを湛えた少女が愛おしげに少年の名を呼ばわった。
 穏やかな風。柔らかな空気に溶けるように、少女は儚げに佇んでいる。名を呼ばれた少年は、胸中に押し寄せる様々な感慨に声を詰まらせてしまい、何も言えずにその貴い幻想を見詰めていた。
 少年のその顔を見ていると、少女の脳裏に万の言葉が満ちていく。それがなんだか気恥ずかしく、同時に誇らしくもあった。語り尽くせぬほどの想いがある、それは自分が彼のことを、何よりも大切に思っているという証だろうから。
 だけどもう時間がない。複雑怪奇な、因縁と因果が絡んだ二度の(・・・)聖杯戦争。彼の今後を想えば伝えねばならないはずで。しかし精神を病んでいる彼の耳と心には、何を言っても伝わらない。

 だから、少女はたったひとつの言葉に全てを込めた。

『――貴方を、愛しています』

 駆け抜けてきた生涯の中で最も愛した少年に、少女はその言葉だけを遺した。
 朝陽が昇る。ふと少年が気づくと、少女の姿はもうどこにも見当たらなかった。自分と彼女の間にあった繋がりも綺麗さっぱり消え去ってしまっている。

 それはつまり、全てが終わったということ。

 土蔵に少女――騎士王アルトリア・ペンドラゴンを召喚してから始まった全てが。
 十年前の大火災から始まった悪夢のような日々が。
 文字通り、血を吐きながら積み上げてきた魔術と武道の研鑽の日々が。

 全て、終わったのだ。

 少年――衛宮士郎は、万感の思いを込めて、たった一言だけ呟いた。

「――成し遂げたぜ」




















 ――ある日、気がついたら衛宮士郎になっていた。

 こう聞くと余りに馬鹿馬鹿しく、絵空事じみて聞こえるが、事実として俺は、ある時全くの別人に成り代わってしまっていたのである。
 ネット小説などのサブカルチャーでよく見られる、憑依だか転生だかの不可思議極まる不思議現象。それを自身が体験することになるとは想像だにせず、当時の俺は動揺するやら錯乱するやらで大忙しだったものだ。

 なんで俺がこんな目にとか。俺が憑依したせいで元の衛宮士郎がいなくなってしまった、とか。自身の不幸を嘆くやら本当の衛宮士郎に対して罪悪感を抱くやら、とにもかくにも俺は他の何かに手をつけることが出来ないほど余裕をなくしていた。
 しかし、時間とは残酷なもので。
 衛宮切嗣に引き取られ穏やかながらも忙しない日々を送る内に、俺はいつしか現実を受け入れてしまっていた。
 何はともあれ、泣いても喚いても何が変わるでもなし。ならせいぜい俺は俺らしく生きていくしかあるまい、と一ヶ月近くも経って漸く割り切れたのである。
 悶々とした何かを無くすことが出来たわけではないが。それはそれとして、そこで俺ははた(・・)と気付いてしまったのだ。

 ――あれ? そういや俺って、このままじゃ死亡フラグとダンスっちまうんじゃね?

 何しろ俺は衛宮士郎である。ちょっとした油断や間違いなんかであっさり死んじゃいそうな、命が軽い系の筆頭格なのだ。
 その俺が、のほほんと過ごしていいのか。少なくとも今の俺は、日本に数いる普通の青少年などでは断じてない。この身に特大の異能『固有結界』を宿している。
 怪異を持つ者はまた別の怪異を引き寄せる――この世界に於ける因果のロジックから察するに、衛宮士郎が平穏な日々を送ることはまず不可能と云っても過言ではないだろう。

 もし罷り間違って遠坂凛のようなお人好し以外の魔術師に固有結界の存在を見抜かれたら、一発でホルマリン漬けの標本コース一直線である。そんなの嫌だ、と子供みたいに我が儘を言ってもどうしようもない。人間の悪意に際限はないのだ。
 それは別としても、衛宮士郎は衛宮切嗣の養子であるからして、切嗣の負の遺産とでもいうべき過去の因果も絡んでいる。代行者の神父とか、聖杯な姉とか。
 つまり、何かをしてもしなくても、いずれ俺はなにがしかの魔術絡みの事件に巻き込まれるのは確定的に明らかということ。冬木から逃げても聖杯な姉が俺の存在を知っている以上は、逃げた先に来られたら色々と詰んじゃうので逃げれない。もし仮に聖杯な姉が来なくても、自衛手段もなく見知らぬ土地――どこに魔術師がいるかわからない場所――を歩けるほど豪胆にもなれない。

 俺は死にたくなかった。

 なんらかの強迫観念に支配されているのではなく、純粋に一個の生命として、命の危機を自覚し死を忌避する本能が目覚めたのだ。
 ではどうするかと言われても、これといって具体的な対策が思い付くわけでもなく。結局俺が出来たことと言えば、知識にある流れを順守して、如何に無難且つ無事に生き延びられるか思案することだけだった。

 俺が憑依したせいで、起源や魔術属性が衛宮士郎本来のものと掛け離れたものになっているかもしれないという不安はあったが、どうやらそれは要らぬ心配だったようで、切嗣に指導を仰ぎ魔術の使い方を覚えて試した結果、俺は普通に剣製に特化した投影使いを目指せるようだと判明した。
 しかも、なんというか、魔術の鍛練の時には奇妙な感じがした。
 体が衛宮士郎というガワだからだろうか。魔術の鍛練をしていると、魔術を行使しているのが俺じゃなくて、俺という魔術回路が勝手に作動している感じがするのだ。

 つまり俺という人格(プログラム)とは別に、魔術を行使するためだけの別人格(プログラム)が存在しているようなのだ。

 俺が剣を投影しよう、何か別のものを解析、強化してみようと試みると、俺が具体的なイメージを持っていなくても、その刃物やら投影元のオリジナルに込められた理念などへの共感、経験の憑依などが行えたのである。
 まるで俺とは別に、本当の衛宮士郎が存在して、魔術専用の杖として俺の頭の中に存在しているような異物感があって、途方もない吐き気がしたが、便利だったのは間違いない。最初こそ俺の中の投影杖(と便宜上呼称する)は練度が低く、原作冒頭の衛宮士郎レベルだったが、俺が彼の到達点であるアーチャーのエミヤを知っていて、衛宮士郎の異能的な投影魔術の概要を知っていたためか、めきめきと魔術の位階(レベル)を上げていった。



 ――じゃあ、なんで俺は最初から見たこともない(・・・・・・・)宝具を投影できたのか――



 そうなってくると、俺はある決断が出来た。自分の命がかかっているからと勇気を出し、最初期の衛宮士郎がこなしていた間違った(・・・・)魔術鍛練を行い、魔術回路の強度を高めはじめたのだ。
 無論、俺がやれば一発でミスし、死んでしまっていただろうが、生憎俺の頭の中には投影杖がある。俺が魔術を行使しているわけではない以上ミスの恐れはほとんどなかった。それほどまでに、俺は投影杖を信用、あるいは過信していたのだ。



 ――信頼ではない。当たり前を、当たり前になぞっただけだ――



 軽率だったと後から思ったが、まあ実際に魔術回路の強度を高めることには成功したと思う。それに、何故かは知らないが、自殺紛いの魔術鍛練を積んだ結果、本来の衛宮士郎同様の凄まじい集中力を得ることができ、副次的にあの驚異的な百発百中の弓の腕を得ることが出来た。
 「当てるのではなく、既に当たっている」。本当の衛宮士郎がそう言っていたが、今ではその感覚がよくわかる。投影杖におんぶにだっこな現状だが、自身の能力が高まる感覚には不覚にも高揚する物があった。

 俺は魔術の鍛練に平行して体を鍛えつつ、あることを考えていた。

 どうすれば俺はこの先生きのこれるのか。どうすれば、どうすれば。――うだうだと過去の思考を垂れ流しても意味がない。結論として俺が選択したのは「衛宮士郎の生き方を投影すること」だった。
 先の分からぬ未来である。中身平凡な俺が色々考えたって、衛宮士郎のような未来を得ることができるとは思えない。幸い、俺は衛宮士郎が生き残るための道筋を知っているし、忘れないように記録もしている。投影杖のおかげか副作用か、他者の物真似は得意だった。

 不可能ではない、と俺は判断し。実際にブラウニーのように活動して、衛宮士郎という壊れた生き方を実践できたと思う。



 ――周りの人間の反応がおかしかった――



 それはとんでもなく、苦痛だった。演じる内に、それが本当の生き方なのだと錯覚しそうにもなった。
 だが、結果として俺は間桐兄妹と仲良くなり、桜と親密になり、慎二と決裂し、誰にも見抜かれることなく正義の味方に憧れる少年を投影できた。
 そして、運命の夜。
 俺は赤い弓兵と、青い槍兵の戦いを目撃し、心臓を破壊され、遠坂に助けられ、帰り道でイリヤスフィールと出会い、槍兵の襲撃を受けて土蔵に逃げ込み、そこで騎士王を召喚した。

 そこからは、怒濤のように時が流れた。
 俺はかねてより考えていた通りに、セイバー・ルート (と便宜上呼称する)に沿った。
 遠坂ルートと桜ルートは俺的にリスキーに過ぎる。アーチャーと一騎討ちなんてしたくないし、英雄王を倒すなんて無理だし、桜を助けるためにバーサーカーとかセイバーを倒すのはもっと無理。その前にアーチャーの腕を移植しても、中身が俺だと適合するかわかったもんじゃない。



 ――確実に適合する――



 最も難易度が低いのが、セイバーのルートだったと思う。
 無論、だからといって簡単に済むはずがなく、綱渡りの連続どころじゃなかったが、それでも俺は完璧にやり遂げることが出来た。その過程でセイバーと懇ろな関係になるという役得もあったが、まあ多少はそういうご褒美があっても許されるはずだ。

 そうして、紆余曲折を経て、俺は原作通りにことを終えることが出来た。

 最終決戦を終え、セイバーが消えた瞬間。

 俺は、絶頂した。

 ぶっちゃけ射精した。

 十年単位の一大事業を成し遂げ、俺は途方もない達成感と多幸感に包まれ脱力してしまったものである。
 それから俺は、衛宮士郎を演じるのをすっぱりとやめた。
 俺はやり遂げたのだ。全ての地雷を回避して、地雷になりそうなのを桜以外撤去完了し、もう俺が俺を偽る必要性は消えたのである。
 と言っても長年のツケが回ってきたためか、無意識の内に衛宮士郎の如くに振る舞ってしまったこともあるが、それでも俺にはそれを演じている自覚がないために重荷に思うこともなく。俺は何事もなく高校を卒業し、半ば飛び出るようにして冬木から旅立った。



 ――そうしなければならない気がした――



 そして、まあ、なんというか、正義の味方を志していたわけではないが、気がつくと俺は海外を回り、慈善事業に手を出して、飢餓に苦しむ人々のために可能な限り援助の手を差し出し続けていた。
 学校に通うこともできない貧しい子供たちのために、俺が教えられる範囲で勉強を教えてあげて。建物を建てる方法を学んでそれを教えてあげたり、まあ、思い付く限りに力を尽くしていた。
 楽しかった、というわけではないが。まあ、遣り甲斐はあった。正直なんでこんなことをしているか分からなかったが、別にお天道様に顔向けできないことをしているわけでもなく、俺は真っ当に生きているという自負があった。



 ――かつての後悔をやり直しているような後ろめたさが付き纏った――



 魔術や弓、剣を用いた戦いの鍛練は怠らず、世界を回っていると目につく外道な魔術師を打ち倒し、死徒やらなんやらの裏の抗争に巻き込まれたりしたが、まあ後悔はない。
 俺は自分が大好きだから、誰かを救うために世界と契約し守護者になるようなこともなく。俺は俺の人生を生きていた。

 そんな、ある日のことだ。俺の元に、ある女性が訪ねてきた。

 女性はオルガマリー・アニムスフィアと名乗り。

「衛宮士郎。冬木の第五次聖杯戦争の勝者である貴方を、私のカルデアのマスター候補にスカウトしにきたの」

 そう言って、俺にかつてない衝撃を齎した。



 ――え? ここってカルデアあるの?





 

 

逃げたら死ぬぞ士郎くん!





 それは西暦2015年のこと。
 人類の営みを永遠に存在させるため、秘密裏に設立された「人理継続保障機関フィニス・カルデア」にて恐るべき研究結果が証明された。

「2016年、人類は絶滅する──」

 決して認められないことだ。霊長を自認する人類にとって、その滅びはあってはならないことであった。
 原因を調査する内、魔術サイドが作り上げた近未来観測レンズ・シバは過去である西暦2004年の冬木に観測不能の領域があるのを発見する。
 有りえない事象にカルデアの者達は、これが人類史が狂い絶滅に至る理由と仮定。テスト段階ではあるものの、理論上は実行可能レベルになった霊子転移(レイシフト)による時間遡行を敢行。その目的は2004年に行われた聖杯戦争に介入し、狂った歴史を正すことである――



 ――というのが俺が覚えているカルデアの概要、その全てである。



 残念ながら、現在28歳であるところの俺、衛宮士郎はカルデアに関することをほぼ忘れてしまっていた。
 それは、俺が『衛宮士郎』だからである。
 俺の記憶が確かなら、2004年に行われた聖杯戦争でカルデアの前所長、即ちオルガマリー・アニムスフィアの父親が勝者となり、聖杯は彼の手に渡っていたはずだ。
 それに、第四次聖杯戦争以前に行われた聖杯戦争は無く、必然冬木の大火災は発生せず、●●士郎は衛宮切嗣に拾われずにいたため、衛宮士郎自体が生まれていなかったはずなのだ。
 だから俺は、俺が『衛宮士郎』である時点で、ここがカルデアの世界ではないと断定し、カルデアの存在を綺麗さっぱり忘却し、記録自体取っていなかった。

 あとは時間によって覚えていた知識も風化してしまい、現在に至ったわけだ。

 『衛宮士郎』がいるということは、第四次聖杯戦争はあって、冬木の大火災もあったということ。そして第五次聖杯戦争はこの俺が勝者となっているし、そもそも聖杯自体破壊した。またいずれ聖杯は顕現するかもしれないが、それは切嗣が生前に大聖杯へ施した仕掛けによってあり得ないものになったと俺は考えている。
 ……まあ、あの蟲の翁が何かをしたらあり得るかもしれないと思っているが、それはさておきこの時点でカルデア自体の存在が矛盾したものと気づけるだろう。

 ……なのに、カルデアが実在し、そのマスター候補としてオルガマリーが俺をスカウトに来た。

 有り得ない。どうなっている? カルデアがあり、実働しているということは、少なくともカルデアは正式に魔術協会に活動を認められているということ。マスター候補を探しているということは、2016年から先の未来を観測できなくなったということ。それは、イコールで魔術王ソロモンによる人理焼却が発生している証拠となる。
 しかしカルデアは、オルガマリーの父が聖杯を勝ち取り、恐らくは資金源として研究施設を獲得して成立したもの。つまりオルガマリーの父は聖杯戦争に参加し勝利していることになる。少なくとも冬木以外で、だ。

 ……この世界には、冬木の聖杯と同等か、それ以上の物が他所にあったのか? そしてそれを、オルガマリーの父が手に入れた、と?

 有り得ない、とは一概に断定出来ない。平行世界は無限に存在する。俺がいるのがそういう世界だと考えることもできる。
 だがしかし、冬木の大聖杯の基になったのは、アインツベルンの冬の聖女である。聖杯の術式も、それを見た英雄王が「神域の天才」と評したほどの完成度を誇る。そんなものが、他にもあったとは流石に考え辛いが、さて――



「――ちょっと、聞いてるのかしら? 衛宮士郎」



 咎めるような女の声。それに、俺は思考を一旦打ち切った。袋小路に入り掛けていた思考をリセットしておく。今は悠長に思索にかまけてはいられなかった。考察は後でも出来ること。今オルガマリー女史から詳しい話を聞いているところであるのだし、そちらに集中するのが賢明だろう。
 カルデアにスカウトしに来たとか、マスター候補になって欲しいとか、そんなことを突然言われても普通は事態を把握できないし、俺自身もカルデアの詳細な情報など遥か忘却の彼方だから、彼女から話を聞いておくのは大切なことだと思う。

 俺は現在、ロンドンの喫茶店にいた。流石にイギリス、紅茶だけは旨い。

 英霊エミヤとは違い、特に悪党以外からは恨まれていないし、外道な魔術師を独自に仕留めても、その研究成果自体は俺の保身のために時計塔に二束三文で売り払ったりしているため、魔術協会に目をつけられたりもしていない。
 固有結界持ちであることも今のところは隠しきれているし、平気な顔でロンドンに居座っていてもなんら困るものはなかった。
 時々遠坂凛(懐かしい顔)を見掛けることはあっても、特に険悪にはならないし、せいぜい「たまには帰郷して桜に顔を見せてあげなさい」と小言を言われるぐらいだ。彼女も人生充実しているようだし何よりである。
 そんな具合なもんだから、ロンドンを彷徨(うろつ)いていた俺が、あっさりとオルガマリーに捕捉されてもおかしくないわけであった。

 俺は努めて冷静に銀髪の女――オルガマリーに対して切り返した。

「……ああ、もちろん聞いている。お前達が何者で、何を目的とし、なんのために俺に接触を図ってきたのか。聞き落としなくきちんと聞いていたとも」

 言いつつ、俺は対面に座すオルガマリーと、その両脇を固めるように立っている男、レフ・ライノールとロマニ・アーキマンと名乗った男たちを見据えた。
 ちなみに、衛宮士郎を演じなくなった俺の口調は、激した時の英霊エミヤに似ている。だからどうしたという話だが、俺はエミヤに影響を受けているわけではないという自意識を持っていた。
 俺は日本人離れした高身長(たっぱ)を持っているし、筋骨隆々としている体に相応しい体重もある。華奢な女性と向き合っていると、どうにも見下ろす形になってしまうのだが、威圧感を与えてしまっていないか少し心配である。

 ちら、とオルガマリーの両脇に立つ男達を見る。

 レフという男は、緑の外套に緑のシルクハットという、何か拘りのようなものを感じさせる格好だった。彼がカルデアを舞台とする物語でどんな役柄を演じていたのか覚えていないが、彼からは奇妙な視線を感じる。値踏みするような目だ。が、魔術師とは基本的にそんな輩ばかり。余り気にするほどでもない。

 一方のロマニ・アーキマンは、なんというか線が細く芯も脆そうな、しかし意外と頼りになりそうな印象がある優男だった。

 俺の探るような目に何を思ったのか、レフとロマニは曖昧に表情を緩めた。何も言わないところを察するに、この場ではオルガマリーを立てて黙っているらしい。もしかすると、俺に対する護衛の役割でもあるのかも知れなかった。
 まあ十中八九、ただの連れ添いだろうが。
 時計塔のロードの一角であるアニムスフィアに、魔術協会の膝元のロンドンで危害を加えるほど俺もバカじゃない。というより理由がない。彼らから視線を切り、改めてオルガマリーに向き直る。

「――だからこそ、よく分からないな」

 紅茶を口に含み、たっぷり話を吟味する素振りを見せながら言った。

「何が分からないの?」
「さて。そちらの事情については、些か荒唐無稽だがとりあえず本当のことだと信じてみるとしよう。すると少し腑に落ちないところが出てくるんだ。――マスター候補の中の本命、A班に俺を招きたいそうだがなぜ俺なんだ? 年がら年中、世界を飛び回っている俺に接触するよりも、彼女に接触する方が遥かに容易いだろうに」
「ミス遠坂のことね」
「ああ」

 すんなりオルガマリーから遠坂の名が出ても、俺に驚きはなかった。俺の交友関係については調査済みだろう。プロとしてそれは当たり前のことである。

「今回はたまたま俺がロンドンに来ていたから良かったものの、そうでなかったらお前達が俺に接触することは難しかったはずだ。なぜ遠坂でなく、俺を選んだ? こう言ってはあれだが、遠坂の方が魔術師としてもマスターとしても遥かに優れているぞ」
「簡単なことよ。貴方を見つけたのは偶然で、私が直々に声をかけたのも偶然近くにいるのがわかったから。別に貴方を特別視して囲い込みに来たわけじゃないの」
「……なるほど。つまり俺に声をかけたのは、たまたま使い勝手の良さそうなのが近場にいたから声をかけるぐらいはしておこう……そんな程度に考えてのことだったのか」
「ええ。そうよ」

 ……俺は少し意外に思った。彼女は俺に重い価値があるわけではない、殊更に重要視しているわけではないと言い、こちらが大きな態度を取る前に牽制してきたのだ。
 当たり前だが、俺より年下の彼女も、海千山千の怪物犇めく時計塔で、多くの政敵と鎬を削っているのだ。見た目の印象とは裏腹に、そうしたやり取りは充分経験しているのだろう。貴族的な家柄ということもあり、交渉事では手強い相手になると思った。
 まあまともに交渉するほど俺も間抜けでないし、そもそも交渉しなくてはならないこともない。相手に合わせて要求を出し、きっちり対価を貰うことで相手の安心を買うぐらいはするが、それだって余り重要視することでもなかった。

「それと、ミス遠坂をなぜ召集しなかったのかは、言うまでもなく貴方なら分かるはずよね?」
「……分からなくはない。遠坂がロード・エルメロイⅡ世の教え子だからだろう」

 正確にはエルメロイⅡ世が遠坂の後ろ楯になっているだけなのだが、時計塔内の政治力学的に言うと余り間違ってはいない。要は、遠坂がエルメロイの派閥に属している、という形が重要なのだ。

「頭は回るようね。その通りよ。アニムスフィアであるこの私が、エルメロイのところの魔術師に弱味を見せるわけにはいかないわ。だからミス遠坂に話すことはないの。貴方もくれぐれもこの話を言い触らさないように。一応、機密事項なんだから」
「……」

 人類絶滅の危機に瀕してもまだ派閥争いに気を配るのか。思わず呆れてしまうが、まあ人間そんなもんだよなと思う程度に納める。
 大方オルガマリーはまだ事が重大なものではないと思っているのだろう。自分達の力だけでなんとかなると思っているし、そうでなければならないとも思っているはずだ。だからそんな悠長なことを言っていられる。
 本当に人類が絶滅したらどうする。危機意識を一杯に持っておけと口を酸っぱくして叱りつけてやりたかったが、ここはグッと堪えておく。言っても詮無きことである。

「話はわかった。人類の危機ともなれば、流石に我関せずを通すわけにもいかないだろう。オルガマリー・アニムスフィア、貴女の誘いに乗ろう。――条件はあるが」
「あら、聖杯戦争の覇者の協力が得られるのは有りがたいことだけど、無理なことを言われても頷けないわよ?」
「分かっている」

 ――あまりうだうだと話すのも好きじゃない。さっさと話を終わらせに掛かった。

 大事なのは、無償で協力しないことである。
 人間心理とは難しいもので、ことが重要であればあるほど何か対価を貰わねばならない。特に深い繋がりがあるわけでもない相手は、そうした対価を支払うことで相手を信頼、信用していくのである。
 もし最初から見返りも求めずにいたら、間違いなく不気味がられ、信頼されることなくいずれ淘汰されていく羽目になる。俺としてはそれは避けたかった。なにせ俺は死にたくないのだ。

 そう。死にたくないのである。

 このままだと人理焼却に巻き込まれ、俺は死んでしまうことになる。物語的に事態は解決し、結果として俺は死んでいないということになるのかもしれないが、見ず知らずのだれかに自分の命運を託すほど愚かなことはない。
 俺は自分の運命は自分で決めたかった。故にカルデアが実在し、そこにスカウトされた時点で、俺の去就は決まったも同然である。死にたくないなら、カルデアで人理を守護するしかないのだから。

「条件は二つだ」

 言いつつ、ざっと思考を走らせる。目の前の女は無能を嫌い、話の遅い人間を嫌う神経の細い有能な女である。
 単刀直入な物言いを許容する度量はあるだろうから、すっぱり要求を告げるべきだ

「まず一つ。俺がカルデアに所属し、そちらの指揮系統に服従する代わりに、ことが終わればアニムスフィアに俺の活動の援助をしてもらいたい」
「貴方の活動って……慈善事業のことかしら」
「ああ。そろそろ単独で動くのにも限界を感じていたしな。俺がロンドンに来たのは、パトロンになってくれる人間を探すためだったんだ。……世界中の、飢えに苦しむ人達のために起業して、食料品を取り扱う仕事をしたいと考えている」
「……つまり、資金の提供ね? それに関しては、カルデアでの貴方の働き次第よ。全面協力をこの場で約束することは出来ないわ」
「当然だな。それで構わない」

 まずは、分かりやすく金を求める。俗物的だが、俺はそう思われても構わない。実際俗物だしな。
 分かりやすいというのは良いことだ。難解な人間よりも単純な人間の方が親しまれやすいのは世の真理である。
 現に、目に見えてロマニとオルガマリーの俺を見る目が変わった。レフはよくわからんが、魔術師とはえてして腹芸が得意なものである。気にするだけ無駄で、隙を見せなければそれでよかった。

「二つ目だが……いいかな?」
「ええ。言うだけ言ってみなさい。前向きに検討するぐらいはしてあげる」
「今後は名前で呼び合おう。これから力を合わせていくんだ、貴女のような美しい人と親密になりたいと思うのは、男として当然のことだろう?」

 洒落っけを見せながらそう言うと、ロマニは苦笑し、オルガマリーは「なっ」と言葉につまった。

 やはりこういった明け透けな言葉には弱かったらしい。
 最後に高慢な女性に有りがちな弱点を見つけ、オルガマリーのなんとも言えなさそうな表情を堪能しつつ、俺は席を立って半ば勢いでオルガマリーの手を取った。
 友好の証の握手だと言い張ると、オルガマリーは微妙に赤面しつつ応じてくれた。

 そうして、俺のカルデア入りが決定したのである。





 

 

普通に死にかける士郎くん!





 英霊エミヤ。

 それは衛宮士郎の能力を完成させ、正義の味方として理想を体現した錬鉄の英雄。
 言ってしまえば、衛宮士郎である俺が、戦闘能力の面で目指すべき到達点の一つであり――同時に決して至ってはならない破滅地点でもあった。

 翻るに、今の俺はあのエミヤに並ぶ力を手にしているだろうか?

 おそらく、などと推測するまでもない。今の俺はエミヤほどの実力には到底至れていないだろう。
 冬木から飛び出て以来、必死に戦い続けたエミヤ。同時期に冬木から出て海外を回ってはいるものの、慈善事業の片手間で鍛練している俺。戦えばどちらに軍配が上がるかは明白だった。
 無論俺とて多くの実戦を潜り抜け、固有結界の展開も短時間なら可能になった。投影の精度もエミヤに劣るものではないはずだし、狙撃の腕はエミヤほどではないがそれなりのものだという自負がある。
 それに、俺は戦闘にばかりかまけていたわけではない。世界を見渡しても高名な料理人とメル友だし、料理の腕はエミヤに並んでいるのではないか。というか、戦闘以外でエミヤに劣るものはないと壮語を吐けるだけの自信を持っていた。

 三国志で例えるなら黄忠がエミヤで、俺が夏候淵といったところだろう。一騎討ちなどでは夏候淵は黄忠に負けるが、それ以外は夏候淵の方が上手なのと同じである。
 戦闘経験という面でも、守護者として戦い続け戦闘記録を蓄積し続けているエミヤに敵わないが。それでも耐え凌げるまでは持っていけるはずである。

 ――そんなことを考えつつ、俺は眼前のサーヴァント擬きを陽剣・干将で斬り伏せ、戦闘シミュレーションをクリアした。

『……凄いな』

 管制室にいるのだろう、レフ・ライノールの感心したふうな声がスピーカーを通して聞こえてきた。
 どことも知れぬ森林を戦場(フィールド)として設定し、アサシンのサーヴァントを擬似的に再現していたのだ。目的は、俺の戦闘技能の確認である。

 場所は既に人理継続保障機関カルデアの内部。アニムスフィア家が管理する国連承認機関だ。標高六㎞の雪山の斜面に入り口があり、そこから地下に向かって広大な施設が広がっているのだ。
 まるで秘密組織の本拠地みたいだ、と俺が感想をこぼすと、ロマニなどは笑いながら「みたいだ、じゃなくてまさにその通りなんだよ」と言っていた。

 投影した陽剣・干将を解除はせず、あらかじめ投影していた陰剣・莫耶と同じように革の鞘に納めて背中に背負う。俺の投影は異端のそれ、下手に宝具の投影など見せようものなら即座に封印指定されてしまうだろう。それゆえに、俺は干将と莫耶だけは投影したものを解除したりはせず、常に礼装だと言い張って持ち歩いていた。そう言っておけば、みだりに解析などさせずに済む。礼装は、いわば魔術師にとっての切り札のようなもの。それを解析させろなどとは言えないはずだ。

 額に滲んだ汗を拭い、乱れた呼気を整えつつ、一応は残心を示しながら、管制のレフへ強がるように応答する。

「この程度、さほど苦戦するほどでもないな」
『ほう。英霊の出来損ない(シャドウ)とはいえ、仮にも英霊の力の一端は再現できていたはずなんだが。流石に死徒をも単騎で屠る男は言うことが違う』
「戯け。今のが英霊の力の一端だと? 冗談も休み休み言え」

 探るような気配のあるレフの物言いに不快感を感じるも、潜在的な警戒心を隠しつつ無造作に返す。
 カルデア戦闘服とやらを着用しているからか、魔力の目減りはまるでなく、寧ろかつてなく調子が良い。これならバーサーカー・ヘラクレスを五分間ぐらい足止めし、殺されるぐらいはできるだろう。……結局殺されるのに違いはないわけだが。

 今まで無理な投影など、第五次聖杯戦争の時以外でしたことはないためか、未だに髪は艶のある赤銅色を保ち、肌も浅黒くはなっていない。赤い髪を掻き上げて、俺は自らの所感を述べた。

「アサシン――今のは山の翁か。あれは暗殺者でありながら気配の遮断が甘く、奇襲に失敗した後の対処が拙い。暗殺者が、こともあろうに正面から戦闘に入るとは論外だ。加え、いざ戦ってみれば敏捷性は低く力も弱い。逃げる素振りも駆け引きする様子もない。戦闘パターンもワンパターン。まるで駄目だな。オリジナルのアサシンなら、初撃で俺を仕留められなかったら即座に撤退していただろう。思考ルーチンから組み直すべきだと進言する。これでは英霊の力の十分の一にも満たんぞ」
『ふむ。……そんなものか』
「……」

 レフの言葉は、アサシン擬きに向けられたものか。それとも俺に向けられたものか。定かではない、ないが、しかし。底抜けに凝り固まった悪意の気配から、きっと俺へ向けた嘲弄なのだろうと思う。
 そうなら良い、と思った。俺は無言でシミュレーター室から退出し、レフの視線から外れた瞬間に、額に掻いていた汗をぴたりと止め、呼吸を平常のものに落ち着けた。

 実のところ、俺は全く疲弊してはいなかった。本物の英霊、それもアーサー王やクランの猛犬、ヘラクレスやギルガメッシュを知る身としては、あの程度の影に苦戦するなどあり得ない話だ。宝具の投影を自重せずにやれば、開戦と同時に一瞬で仕留められる自信がある。

 本当なら味方のはずのレフや、カルデアに対して実力を隠すのは不義理と言える。あるいは不誠実なのかもしれない。
 しかし、俺は魔術師という人種を、遠坂凛以外欠片も信用していなかった。敵を騙すにはまず味方からともいう。彼らを欺くことに罪悪感はなかった。
 それに、どのみちグランド・オーダーが始まれば、力を隠し続ける意味も余力もなくなるだろう。俺が期待以上の働きをすれば、ことが終わっても俺を売り、封印指定にまで持っていくこともあるまい。それまでは適当に力を抜いておくに限る。

「フォウ!」
「ん?」

 ふと、毛玉のような獣が道角から飛び出してきて、俺の肩に飛び乗って頭にすがり付いてきた。咄嗟に叩き落としかけたが、害意はないようだし放っておく。

「なんだ、ご機嫌だな。なにか良いことでもあったのか?」

 苦笑しながら腕を伸ばすと、意図を察したらしい毛玉の小動物――猫? ウサギ? みたいな何か――は頭から伸ばされた腕に移り、そのくりくりとした目で俺を見上げてきた。
 賢い奴だ、と思う。かいぐりかいぐりと頭や顎下を撫でてやると、気持ち良さそうに目を細めていた。
 どうやらなつかれたらしい。俺は昔から、どうにも動物の類いに好まれる傾向にあるが、初見の奴にまでこうも踏み込まれるとは思わなかった。

 戦闘シミュレーションを終えて、特にすることもなかった俺は、とりあえずこれの相手をして暇でも潰そうか、と思った。

「なんだったら菓子でも作ってやろうか。お前みたいなのでも食えそうなのも、俺のレパートリーにはあるんだ」
「フォウ! フォウ!」

 まるでこちらの言葉が分かっているかのような反応に、怪訝な気持ちになるが、まあ可愛いしいいか、と思っておく。大方、どこぞの魔術師が実験体にして、思考レベルを本来のものより強化しているのだろう。
 ざっと解析したところ、特に脅威になりそうな反応もない。危険はないと見て良いはずだ。――危険が多きすぎて逆に危険じゃないとも言う。

「フォウさん? どこに行ったんですか、フォウさーん!」

 ふと聞き知った声が聞こえてきた。そちらを見ると、白衣を纏った銀髪の少女――眼鏡がチャーミングなマシュ・キリエライトが歩いてきていた。

「……あ、エミヤ先輩」
「やあマシュ」

 こちらに気づいたらしい少女に、俺は半ば無意識に甘く微笑んでいた。女好きを自認する俺であるが、どうにも美女、美少女を見ると物腰が柔和なものになってしまう。
 ちょっと露骨過ぎやしないか、と自分でも思うが、なぜか改めることの出来ないエミヤの呪いである。まあマシュも満更ではなさそうなのでよしとしておこう。眼鏡っ娘の後輩属性とは、なかなかに得難いものである。なぜ先輩呼びなのかは謎だが。

「おはようございます、エミヤ先輩。今こっちに毛むくじゃらなフォウさんが来ませんでしたか?」
「ああ、おはようマシュ。そのフォウさんというのは彼のことかな。――ほら」

 言いつつ、いつのまにか俺の背後に回っていた猫っぽいウサギ、ウサギっぽい猫の首を摘まみあげて、マシュの方へ差し出した。
 フォウを受けとると、マシュは目を丸くして驚いていた。

「……驚きました」
「ん? 何に驚いたんだ?」
「いえ、フォウさんがこうまで誰かに親しげなのは見たことがなくて。……流石です、エミヤ先輩」
「……」

 何が流石なのかよくわからず、苦笑するに留めた。すると、フォウがマシュの腕の中で物言いたげに鳴いた。

「フォウー!」
「……ん、ああ……そうか。うん、わかってるさ」
「……? なにかあったんですか?」
「いやなに、たった今、彼に菓子を作ってやると約束したばかりでね……なんだったらマシュもどうだ?」
「え、あ……いいんですか?」
「いいとも。これでも菓子作りにも自信があってな。いつかマシュにも振る舞おうと思っていたんだ」
「……でしたら、その、ご相伴に与ります」

 菓子と聞いては捨て置けなかったのか、照れたようにはにかみながらマシュは俺の誘いに乗った。
 やはり女の子、甘いものへの誘惑には勝てないらしい。

「……うん。やっぱり後輩キャラはこうでないとな……、……っ?!」

 なんとなくそう呟いたとき、なぜか背中に悪寒が走った士郎くんなのであった。







   ――――――――――――――







『ロマニ。彼女はホムンクルスか……?』

『え!? い、いきなり何を言うんだ、士郎くんは』

『個人的にホムンクルスには詳しい身の上でね。一目見れば、彼女……マシュ・キリエライトがまっとうな生まれでないことぐらいは分かる』

『……』

『見たところ、ホムンクルスに近い。が、近いだけでそれそのものではない。――なんらかの目的のために生み出されたデザイナーベビー、というのが真相に近いか?』

『………』

『昔からモノの構造を把握するのは得意でね。それは人体も例外じゃない。医者の真似事が板に着いてきたのもそのおかげだな』

『……士郎くん』

『それに少し言葉を交わせば、マシュが如何に浮き世離れしているかすぐに分かる。彼女はあまりに無垢に過ぎるからな。大方カルデアから出たこともないんだろう。カルデアという無菌室で育った為に、マシュの体は外の世界に適応できないんじゃないか?』
『………』

『……マシュは、あと何年生きられる?』

『……機密だよ。マシュ本人も知らないはずだ。言い触らして良いものじゃない』

『そうか。……俺の見立てでは、あと一年といったところだが。どうだ?』

『……!?』

『なるほど、良く分かった。それではな、ロマニ。せいぜい悔いが残らないようにしろ。そんな辛そうな顔をするんだ、お前がマシュの件に関与していないことは分かったよ』

『……』

『俺は俺で、やれることはするさ。大人のエゴに子供を巻き込んで良い道理などない。――そうだな、とりあえず、甘いものを食べさせてあげよう。それから外の世界のことも話してあげよう。彼女の生きる世界は、決してカルデアだけで完結するものじゃないんだと、いつか証明できるようにしよう』

『……それは……』

『ああ。それはとても素敵なことだと俺は思う。不可能ではない。俺はそう信じる』

『……そう、だね。その通りだ』

『ロマニ。俺はね、出来ることはなんでもしてきた。それだけが俺の行動理念だった。……今回もそうだ。出来ることをする、それだけだよ』



 ――そう。出来ること(・・・・・)をする。死なないために、生きるために。



 自分の命を軽く見ることはないが、逆に固執しすぎることもない。思いすぎればそれは呪いとなり、俺はいつしか生に執着するだけの亡霊となるだろう。
 それは嫌だ。だから俺は俺という人間を全うするだけである。そしてそのためなら、俺は俺の全能力を躊躇いなく費やすだろう。
 俺という人間、その自我、自意識だけが俺の持つアイデンティティーだから。名前も体もなくし、赤の他人として生きねばならなくなったあの日から、俺はいつしか俺だけのために、俺の信条だけに肩入れして生きていこうと決めていた。

「……」

 美味しいお菓子と、日本ではあり触れた漫画やアニメ、それの内容を語って聞かせるだけで、マシュは大袈裟に驚き、大真面目に感動し、真摯に涙した。
 感情が豊かなのもある、だがそれ以上にマシュは何も知らなさすぎた。
 カルデアに来て、マシュと同じA班に配属されて出会ってから、俺は彼女に積極的に話し掛け続けた。俺の知っていることをなんでも教えてあげた。それは、俺が彼女と似た境遇の血の繋がらない姉(イリヤスフィール)を知っていたからこその接し方だったのかもしれない。
 ただの欺瞞なのかもしれない。だが、それでいいと俺は思う。
 どんな思いがあっても、マシュがどう感じ、何を信じるかは自由だ。マシュが何を思うかが大切なのだ。そこに俺の感情などが差し込まれる余地はない、所詮は雑念にしかならない。

 この広く、暗く、薄汚れた大人たちの世界では、正直マシュや義姉の境遇は珍しいものではないだろう。似たような環境で、より過酷な世界で育った子供を俺は何人も知っている。そして、そんな子供たちをよく知っているからこそ――そういう子供たちを保護し、接してきたからこそ。俺はそういったものに敏感で在り続けたいと思っている。

 何も感じないほど鈍感になってしまえばどんなにか楽だろうが、そんなものは糞くらえだ。子供たちの悲劇に敏感で在れ。安い同情でも良い、動機なんてなんでも良い、実際に行動した者こそが正義だ。綺麗事を囀ずり非難するだけの輩の言葉に耳を傾ける価値はない。やらない善よりやる偽善、それが本物の善だと俺は信じている。

 俺の知るアニメソング、一世を風靡した名曲を二人で熱唱し、マシュはいつのまにか疲れ果て、俺にあてがわれた部屋のベッドで穏やかな寝息をたて始めていた。

 こうしてマシュとデュエットするのもはじめてではない。最初は恥ずかしがっていたし、歌声も音程を外した音痴なものだったが、数をこなす内に上達して俺よりも上手くなっていた。
 時には半ば連れ去る強引さでロマニやオルガマリーも参加させ、声が枯れるまで歌ったものだ。オルガマリーなど、始めこそ低俗な歌なんて歌わないと意地を張っていたが……まあ、あの手の女性をあやし、或いはおだて、その気にさせるのは得意だった。いつのまにか一番本気で歌っていたのはオルガマリーで、あとからからかうと顔を真っ赤にして怒鳴ってきたものである。

 マシュの寝顔を見下ろしながら、その髪を手櫛で梳く。フォウはマシュの懐で丸くなり一緒になって眠っていた。

「……俺は、俺が気持ち良く生きるために動いてる。だからマシュ。俺のために、幸福に生きろ」

 マシュのような子供は、駄々甘に甘やかしこれでもかと可愛がるのが俺のやり方だ
 厳しさに意味がないのではない。厳しさよりも、可愛がることの方が個人的に有意義なだけだ。

 餓えに苦しむ人がいるのを知ってしまった。
 争いを嘆く人々がいるのを知ってしまった。
 貧しさに喘ぐ子供がいるのを知ってしまった。

 ――知ってしまったら、見て見ぬふりはできない。

 素知らぬ振りをして生きてしまえば、それはその瞬間に、俺という自我が俺らしくないと叫んでしまう。
 無視できないし、してはならない。俺が俺らしく生きるため、俺という人間をまっとうするために、極めて自己中心的に、そういった『求める声』に応え続ける。

 ……人間として破綻しているはずがない。俺は俺の欲求に素直に生きているだけなのだから。
 だから、善人たち。無垢な人たち。俺のために、俺の人生のために救われろ。俺の一方的な価値観を押し付けてやる。俺の思う『幸福』の形で笑えるようにしてやる。要らないならはっきり言えばいい。俺はすぐにいなくなるだろう。
 俺に救われた人間は、俺という人間の生きた証になる。俺が衛宮士郎ではないという証明になる。だから俺は俺のための慈善事業を継続するだろう。
 世界中を回っているのはそのため。冬木に残した後輩を、本当の意味で救うために対魔・対蟲の霊器を求めてのことでもあった。

 だから。そんな『俺の生きた証』を台無しにする人理焼却など認めない。

 死にたくないし、死なせるわけにはいかないのだ。なによりも、俺のために――






 
 ――爆音。

 カルデア全体が揺れたかのような轟音が轟き、警告音が垂れ流しにされ、視界が赤いランプの光で真っ赤に染まった。
 なんだとは思わない。不測の事態には慣れていた。ほとんど知識の磨耗した俺が、事前に防げることなどないに等しい。自分を守り、備えるのがせいぜいだった。

 今日は、すべてのマスター候補の召集が完了し、特異点へのレイシフトを実行する日だった。
 オルガマリーが、時計塔から来た連中の手綱を握るための日であり、そしてずぶのド素人のマスター候補に事態を説明する日でもある。大事なブリーフィングが日程に組まれていた。
 オルガマリーの指揮には服従すると契約していた俺は、諾々と彼女の求めるままにそのすべてに立ち会った。

 今回発見された特異点は、衛宮士郎の故郷である冬木であった。そういう意味で、最も状況に対応しやすいだろうと目され、オルガマリーからも期待されていた。
 まあ、予想は裏切っても、期待には応えるのが出来る男というものだ。期待通りの結果を出そうとオルガマリーには言っておいた。

 そうして、俺はオルガマリーらがカルデアのスタッフが見守る中、規定通りに霊子筐体(クラインコフィン)というポッドの中に入り、レイシフトの時を待った。その前に、同じA班のマシュと目が合った気がして――

 次の瞬間、俺の入っていたポッドは、他のポッドと同じように爆破されていた。

「――――」

 普通に瀕死の重傷を負った。

 視界がチカチカと明滅し、耳が麻痺してしまっている。咄嗟に己の体を解析すると、上半身と下半身がほぼ泣き別れになっていて、内臓ははみ出し、右腕が千切れていた。
 奇跡的に即死せず、頭が無事で意識が残っている。日頃から痛みに耐性をつけてあったお陰だろう、俺は凍りついたような冷静さで、死に瀕して体内で暴走しかけていた固有結界を制御、活用し上半身と下半身を接続。内臓もきっちり体内に納め、右腕も応急処置的に同じようにしてくっつけた。

 即死さえしなければ、どうとでもなる。

 我ながら化け物じみた生き汚なさだが、これはかつて俺の中で作動していた全て遠き理想郷(アヴァロン)が、傷を負った俺の体を修復していた手順を真似ているにすぎない。固有結界『無限の剣製』によって、体を継ぎ接ぎだらけのフランケン状態にしただけで、今にも死にそうなのに違いはなかった。
 早急にオペってほしいがそうも言っていられない。俺は死体に鞭打ち(・・・・・・)ながらコフィンから這い出て、炎に包まれた辺りを見渡した。

 ……オルガマリーが、死んでいた。俺と似たような状態になって。他のマスター候補たちも、死にかけている。

 怒りを抑える。今の俺に出来ることは、かなり限られていた。
 冷静さを失ってはならない。意識のある者を探していると、一人だけ残っていた。

 マシュだ。彼女も、瀕死の重体だった。
 下半身が瓦礫に潰されてしまっている。

「――」

 声が、出ない。声帯をやられたか。いや、一時的に声を発する機能が麻痺しているだけだ。時をおけばまた喋れるようになる、と自分を解析して診断する。
 無言で瓦礫を撤去し、下半身の潰れたマシュを抱き上げて、炎に包まれかけていたこの場を去る。他に生存者を探し、事態の把握に努めねばならなかった。
 マシュが何かを言っていたようだが、何を言っているのかまるで聞き取れない。死なせない、と口を動かして微笑みかけた。強がりだった。

 結局、生存者を見つけることはできなかった。

 カルデアスが、深紅に染まっている。

 中央隔壁が閉鎖された。閉じ込められたか。遠く、微かに回復した聴力が、機械音声を聞き取った。






 ――システム、レイシフト、最終段階へと移行します。

 ――座標、西暦2004年、1月30日、日本。マスターは最終調整に入って下さい。

 ――観測スタッフに警告。

 ――カルデアスに変化が生じました。

 ――近未来100年に亘り、人類の痕跡は発見できません。

 ――人類の生存を保障できません。

 ――レイシフト要員規定に達していません。

 ――該当マスターを検索中。

 ――発見しました。

 ――番号2をマスターとして再登録します。

 ――レイシフト開始まで。

 ――3。

 ――2。

 ――1。

 ――全行程クリア。ファーストオーダー実証を開始します。







「――待て。生き残りは、俺たちだけなのか……?」







 

 

帰郷しちゃった士郎くん!




 ――必死の表情で、彼はこの手を掴んでいた。

 腰から下が瓦礫に押し潰され、もう幾ばくの時も残されていないようなわたしを助けようと。
 自分だって、今にも死んでしまいそうなのに。自分以外に生きてる人を、懸命に探していた。

 わたしがまだ生きているのを見つけると、とても嬉しそうに目を輝かせて。まるで、助けられたのが自分の方であるかのような、そんな顔をして。
 その様が、あまりにも綺麗だったから。もう、わたしのことなんて放っておいて、貴方だけでも生きてほしいと強く思った。

「先輩。――わたし、死にたくありません。こわい、です」

 ――なのに。わたしは、そんなばかなことを訴えてしまっていた。

 エミヤ先輩は、血塗れの顔で、ギチギチと鋼の剣を擦り合わせたような音を出しながら、それでもはっきりわかるぐらい微笑んでくれた。
 きっと、わたしの声は聞こえていないだろうに、喋る余力もないくせに、彼はわたしを安心させようと力強くうなずき、わたしを抱き上げて歩き始めていた。

 嗚呼。わたしは今、安堵してしまっていた。命を救われるよりも、心を救済された。
 彼と接した時間は短いけど、なによりも色づいた鮮烈なものだったと思う。エミヤ先輩とのふれあいが、わたしにはどれほどありがたいものだったのか、今にしてようやくわかった。
 未練だ。まだ生きていたいと思ってしまった。だから情けなく、誰より大切なエミヤ先輩に縋ってしまって。……そんな駄目なわたしを、先輩は当たり前のように助けてくれようとした。

 レイシフトが始まる。

 炎に焼かれながら、煤と熱からわたしを守ってくれる人がいる。それは、なんて幸福なことなのだろう。
 わたしはもう死ぬのだろう。体の半分が潰れても、生きていられる人間はそんなにいない。そんなことは先輩も理解しているだろうに。先輩は、わたしを安心させようと、声のない励ましを何度もくれた。
 炎に包まれ、熱いはずなのに。
 そんなものより、心の方が暖かかった。
 わたしを抱き締めて。辛いものから守ってくれる。そんな、庇護者のような尊い人。
 だけど、そんな人も、すぐに死んでしまうだろう。わたしよりも、よっぽどひどい状態だったのをわたしは見てしまっていた。

 死なせたくない。この人を、死なせてはいけない。

 心がそう叫んでいた。この人を守りたいと思った。そう思うことは、ひどく傲慢なことなのだろう。それでも、思うことは止められなかった。
 先輩の手の大きさ、わたしを守るために見せる笑顔を、わたしはきっと忘れない。瞼に焼き付いた光景にどこまでも救われたから。
 レイシフトした先で、先輩は無事ではいられないだろう。彼を助けたい、守りたい、思いだけが膨らんでいく。

 なんてこと。わたしは、無力だ。今は、それがとても口惜しい。















 ――懐かしい景色だ。

 焦土と化し、尚も炎上する汚染された都市、冬木。その中心の都市部にレイシフトした俺は、奇妙な感慨を抱きそうになるのを寸でで堪えた。
 意識の断絶は少なくとも自覚している限りはない。状況を把握しようとして、ふと、自身の右手に懐かしい刻印の形を見る。
 令呪。冬木でマスターをしていた頃と同一の形。それがあることに眉を顰める。……あまり良い思い出とは言えないもの、その象徴がこの令呪だった。
 自分を偽っていたあの頃。頑なに衛宮士郎を演じ、生き抜いた約十年間の闘争期間。……俺は、衛宮士郎になってから、聖杯戦争を制覇するまでの時間、ずっと地獄のような戦争をしていたのだ。
 自分を見失わないための戦い。自分を失わないための戦い。命を懸けるよりも、あるいはずっと辛かったかもしれない。他人の生き方を投影した代償は、己のアイデンティティーの崩壊だった。もう、あんな真似はしたくないと、心から思う。

 ――唯一。あの日々の中で心が安らいだのは……。さて、いつの頃だったか。

 回想に向かい、遠退きそうになった意識を繋ぎ止める。
 奇しくも冬木に再来し、同じ形の令呪を持つ。それが、自分を『衛宮士郎』にする呪いのようで、胸くそ悪くなっていた。

「……いや、待て」

 気づく。右腕を見た。二の腕から千切れていた腕が完全に修復されている。ついで腰を見た。こちらも同様。見た目だけなら正常だ。
 解析する。完治はしていない、しかし確実に死の危機から遠ざかっていた。なぜだと考えそうになって、はたと思い至った。
 なぜ令呪が俺にある? いや、そうじゃない。令呪があるということは、つまり俺はマスターになってしまっているということ。そしてマスターにはサーヴァントが付いているものだ。

「――先輩」

 背後から、声。気づかなかったのがどうかしているほど強大な魔力を内包した気配だった。自らの迂闊さを内心罵りながら振り向くと、そこには。

「……マシュ……?」
「はい。貴方のデミ・サーヴァント、シールダー。マシュ・キリエライトです、先輩」

 漆黒の鎧に、身の丈以上の巨大な盾。華奢な体躯にはあまりに不釣り合いで、しかしその凛とした雰囲気と完璧に調和した武装形態だった。
 それはマシュだった。見間違うことはあり得ない。彼女がサーヴァント化していることに対する驚きは、ああ、そういえばそうだったか、という納得によって消えていた。
 ――そうか。彼女が、グランド・オーダーを旅するサーヴァントだったのか。

 マシュが心配そうにこちらを覗き込んできた。

「先輩? 大丈夫ですか? 傷が痛みますか?」
「……完治はしていないが、行動に支障はない。ひとまずは問題ないはずだ。それよりマシュはどうだ? 見たところ怪我は治っているようだが」
「はい。デミ・サーヴァント化したためか、わたしに異変は見られません。むしろ、すこぶる調子が良いです」
「それは重畳だが……もしカルデアが無事なら、ロマニにメディカル・チェックして貰わないとな」
「そうですね。先輩も、きちんとした治療を受けないといけません。そのために、」
「ああ。なんとかカルデアと連絡をとらないとな」

 地獄のような赤景色。花の代わりに咲くのは炎。大気に満ちる汚染された呪いの風。
 最悪の景色は、しかし見慣れている。冬木で、海外を回る中で見つけた死都で、もう見飽きてしまった。
 カルデアは無事なのか。――無事だと信じる。少なくとも、ロマニだけは俺を信頼してくれていた。俺の言葉を蔑ろにはしていないはずで、あの万能の天才ダヴィンチにもテロへの警戒は促していた。カルデアを爆破した犯人が誰かは知らないが、犯人が警戒意識を持っているダヴィンチを出し抜ける可能性は低いはずだ。
 少なくとも、最悪の事態にはなっていない確証はある。レイシフトした俺とマシュが無事な時点で、カルデアは壊滅していない。施設や観測スタッフがいなくなってしまえば、俺とマシュは意味消失しとっくに消え去ってしまっているだろう。

 両目に強化の魔術を叩き込み、見晴らしの悪い周囲を見渡す。こんな混迷とした状況だ、まず第一に身の安全を確保しないといけない。

 すると、北の方角から骸骨――竜牙兵が群れとなってこちらを目指しているのを見つけた。
 数は十。斧や剣、槍などで武装した蜥蜴頭と二足歩行の獣戦士の姿もある。こちらは合わせて五体。
 マシュも気づいた。デミ・サーヴァント化しているせいか、気配探知能力も高まっているらしい。こちらに警戒を促し俺の前に出ようとするより先に、俺は詠唱していた。

投影開始(トレース・オン)

 手には黒い洋弓。狙撃の経験を積むにつれ、自身に最適なモデルを一から作成した、宝具の射出にも耐える渾身の一作。投影するのに一呼吸もかからない。夫婦剣・干将莫耶と同じぐらい使い込んだもの。

 矢継ぎ早に矢をつがえ、十五本打ち放つ。

 狙ってはいない。だが当たる(・・・)。その確信は、十五体の敵性体が全て沈黙したことで証明された。
 目を白黒させてこちらを見るマシュに、微笑みかける。

「どうだ。俺もやるものだろう」
「確かにすごいです。……でも、先輩は怪我人なんですから、無茶だけはしないでください。戦闘はわたしが請け負います」
「ああ、頼りにさせてもらう。だが俺も、守られるだけの男じゃない。――女の子の背中に隠れてなにもしない男など、死んでしまえば良い。俺はそう思う。せめて援護ぐらいはするから、背中は任せてくれて良いぞ、マシュ」
「――はい。心強いです、マスター。わたしを、守ってください。わたしは先輩を守ります」
「よろしく頼む。……行こう。ここは危ない。落ち着ける場所を探し、そこでカルデアとの通信を試みる」
「はい」

 俺とマシュの間には、霊的な繋がりがある。一組のマスターとサーヴァントになった証拠だ。
 俺の体が癒えつつあるのは、何かの拍子に彼女と融合したらしい英霊の持つ加護の力だろうか。

 マシュがなぜデミ・サーヴァントになったのか。それについての疑問はある。
 しかし今はそれを追求しても意味はなかった。とにかく、生き残ることが先決で。それは、俺の得意分野だった。



 

 

赤い彗星なのか士郎くん!



 敵、三。距離、三百。照準、完了。
 ――()つ。

 北東の方角に新たな敵影。竜牙兵が六、蜥蜴兵が二体。距離、四百。照準、完了。――射つ。
 目標沈黙。次いで南西の方角に蜥蜴兵五体。距離、四百二十。照準と同時に射つ。

「……あの」

 崩れ落ちた瓦礫の山、その影に敵影確認。矢をつがえ、上空に向けて角度をつけて射つ。獣頭の戦士の脳天に落下、三体の頭蓋をそれぞれ貫通。

「その、先輩」
「……!」

 西の方角、距離一千に看過できぬ脅威を視認。数は一、しかし侮れぬ霊格。他の雑兵とは違う。さながら蛮族の神のような、異形のデーモン。つがえた矢に強化の魔術を叩き込み、矢を短槍の如くに膨れ上がらせる。
 指に全力を込める。射ち放った矢は音速を越えた。荒ぶる蛮神、デミゴッドとでも言うべきデーモンはこちらに気づいていなかったようだ。奇襲となった一撃は、過たず眉間を貫き頭部を吹き飛ばした。
 ――残心。一呼吸の間を空け、周囲に敵影が見られなくなったのを確認して、ようやく俺は弓を下ろした。

「……」

 と。
 頬を膨れさせ、ジト目で俺を睨むマシュを見つけ少しギョッとしてしまう。

「……どうかしたのか?」

 思わずそう訊ねると、マシュは不満そうに唇を尖らせた。

「……先輩は、スゴいです」
「あ、ああ。ありがとう……。誉めてくれるのは嬉しいが、なぜ睨む?」
「……スゴすぎて、わたしのすることがありません。わたし、先輩のデミ・サーヴァントなのに」
「あー……」

 マシュが何を不満に思っているのか理解した俺は、微妙に困ってしまった。
 俺が最も得意とする単独戦術は狙撃だ。そして殲滅戦も同じ程度に得意である。なにせ、吸血鬼によって死都と化した場所では、全てを殲滅しなければ被害は拡大の一途を辿る。逃がすわけにはいかないし、見逃すわけにはいかない状況も経験していた。
 必然、索敵能力と殲滅力は高められ、下手に白兵戦をするよりも狙撃の方が確実ということもあり、射撃の腕は向上する一方だったのだ。
 衛宮士郎と言えば格上殺し(ジャイアントキリング)といった印象が付きまとうかもしれない。が、俺もそうだがその真骨頂は格下殺し(シャア・アズナブル)、赤い彗星なのである。だからこそ英霊エミヤは守護者、アラヤの掃除屋として重宝されてしまっているのだろう。

「マシュ。雑魚は俺に任せて良い。弓兵が無闇に敵の接近を許しては、職務怠慢の謗りは避けられないだろう?」
「むー……」
「それにな……俺としては、できる限りマシュには危険な目に遭ってほしくない。俺がマシュを守る。だからマシュは、俺が危ない時に助けてくれたら良い」
「……先輩が危なくなる局面で、わたしが役立てるとは思えなくなってきたのですが」
「そんなことはない。強がっているが俺も人間だ。長時間に亘って戦闘能力を維持するのは困難だし、相手がサーヴァントのような高位の存在だと手に余る。そういう時は、マシュに前に出てもらうことになるだろう。謂わば、俺はマシュの露払いをしているにすぎないんだ」
「……わかりました。でしたら、わたしは先輩の盾に徹します。こんなに大きな盾があるんですし、きっと護りきれるはずです」
「頼りにしてるよ」

 言いながら、宥めるようにマシュの髪を撫でた。照れたように頬を染め、俯く様は可憐である。かわいい妹、或いは娘に対するような心境だった。
 こうしてマシュを愛でておくのも悪くなかったが、生憎とそんな場合ではない。悠長に構えていられるほど、俺に余裕があるわけではなかった。ただ、マシュがいるから、安心させたくて普段通りの態度を心がけているだけで。

「……」

 演技は、得意だ。望むと望まざるとは別に、得意にならざるをえなかった。
 俺は道化だ。かつて対峙した英雄王は、俺を贋作者とは呼ばず道化と呼んで蔑んだ。……流石にあの英雄王まで欺くことはできなかったが、それ以外は俺の偽りの在り方を見抜けていなかったと思う。
 だから大丈夫。マシュを安心させるために、俺は泰然として構えていられる。

 ――いかんな。特異点とはいえ冬木にいるせいか、どうにも思考が過去に引き摺られそうになってしまう。

 頭を振る。振り切るように「行こう」とマシュに声をかけ、周囲の安全を確保できる地点を探す。
 警戒は怠らず、しかしマシュのメンタルを気にかけることもやめず、歩くこと暫し。彼女と話していると現在のマシュの状態を知る運びとなった。

 カルデアは今回、特異点Fの調査のため事前にサーヴァントを召喚していたこと。先程の爆破でマスター陣が死亡し、サーヴァントもまた消える運命にあったこと。しかしその直前に名も知らないサーヴァントがマシュに契約を持ちかけてきたという。
 英霊としての力と宝具を譲る代わりに、この特異点の原因を排除してほしい、と。真名も何も告げずに消えていったため、マシュは自分がどんな能力を持っているのか分からないらしい。

 ……実のところ俺は、彼女に力を託して消えていったという英霊の正体に勘づいてしまっていた。

 なんのことはない。彼女は自分と契約している。故にその繋がりを介してしまえば、彼女の宝具を解析するのは容易だった。
 投影することの意義の薄い特殊な宝具――清廉にして高潔、完璧な騎士と称された彼の英霊が敢えて何も語らずに消えたということは、何か深い考えがあってのことなのかもしれない。
 安易に真名を教えるのはマシュのためにならない、と俺も考えるべきか。

 煩悶とした思いに悩んでいると、不意にこの場にいないはずの男の声がした。

『――ああっ!? よかった、やっと繋がった!!』

 それはあの爆発の中俺が安否を気にしていた男。ロマニ・アーキマンその人だった。








「ロマニ! 無事だったか!」

 思わず声を張り上げ、どこからか聞こえてくる声に反応する。それが聞こえたのだろう、ロマニもかじりつくような勢いで反駁してきた。

『士郎くんか!? こちらカルデア管制室だ、聞こえるかい?!』
「聞こえている! Aチームメンバーの衛宮士郎、特異点Fへのシフトを完了した。同伴者は同じくAチームメンバー、マシュ・キリエライト。心身ともに問題はない。そちらの状況を報せてくれ!」

 ロマニの焦りにあてられたのか、柄にもなく俺の声にも焦燥が滲んでいた。
 落ち着け、という声が聞こえる。それは常に自分を客観視する、冷徹な自分の声だった。
 いつからか、焦りが強くなると、唐突に冷や水を被せられたかの如く、冷静になっている己を見つけてしまう。それは、良いことだ。自分は大人である。子供の前で醜態を晒さないで済むなら、それに越したことはない。

『マシュも無事なのか! よかった……けど、その格好はいったい……!?』
「ロマニ、無駄口を叩く暇があるのか? 口頭で説明するのも手間だ、マシュの状態をチェックしろ。平行して情報の共有だ。そちらは今どうなっている?」
『あ、ああ……。……これは、身体能力、魔術回路、全て跳ね上がっている……まさか、カルデア六つ目の実験が成功していたのか……? いや、すまない。こちらの状況だったね』

 ぶつぶつと何事かを呟いていたロマニだったが、思い直したように口振りを改め、深刻な語調で言った。

『さっきの爆破で、カルデアの施設の多くが破壊された。管制室も、実のところ半壊している。今急ピッチでダヴィンチちゃんとスタッフで修理している途中だ。
 悪いけど通信も安定していない。あと二分で通信は一旦途絶するだろう。スタッフも七割が重傷を負うか死亡して身動きがとれない。マスター候補は……君たちを除いて無事な者はいない』
「そうか……俺以外のAチームのマスターもか?」
『………』
「……了解した。では質問を変える。そちらからの支援は期待して良いのか?」

 残酷なことを言っているという自覚はあった。しかし、そうせねばならないのもまた事実であり、現実だった。死者を悼むことは、後でもできるのだから。
 それにロマニは今、忙しさに忙殺していた方がいい。死者に心を引きずられるよりその方が建設的だった。

『……ちょっと待ってくれ。今から物資を一つだけ送る。管制室もほとんどダメになってるけど、本当に重要な機材は無傷(・・)で残ってるんだ』

 ロマニはそう言って、少しの間を空けた。

『士郎くん。きみの言う通りだった。カルデアは、内部からの攻撃に弱い。忠告通りに警備を厳重にしておけたら、今回のことも防げていたかもしれない』
「……」

 俺は以前にロマニからの信頼を得ていた。だから彼を通してダヴィンチとも接触し、カルデアの防備を固めようとしていたのだが……悉くに許可は出なかった。
 所長オルガマリーが――正確にはレフ・ライノールが不要だと言い張ったのだ。
 責任者であるオルガマリーが全幅の信頼を置くレフの言葉である。オルガマリーは新参である俺よりも、古参であるレフの意見に重きを置いた。そしてオルガマリーの許しもなくダヴィンチもロマニも動くわけにはいかなかった。

 悪いのはロマニではない。だから謝る必要はない。

 念のため、俺は独断で動き、カルデアの主要な設備に強化の魔術を目一杯かけていた。魔術が切れる頃にはまたかけ直し、定期的に強化を重ねてもいた。
 それが功を奏した形になったが、人命まではどうにもならなかったようだ。

 瞑目し、すぐに目を開く。

「送ってくる物資と言うのはなんだ?」
『聖晶石だ。簡単に言うと魔力の塊で、サーヴァント召喚のための触媒だよ』
「なに?」
『本当は霊脈のターミナルの上でやった方がいいんだけどね、今回は特別だ。カルデアの電力の一割を回す。どうせしばらくは使う機会もない、無理矢理にでもサーヴァントを召喚してくれ。きみたちに死なれたら、全て終わりだ』
「待て、サーヴァントを呼べるのか?! 仮に召喚できても俺の魔力がもたないぞ!
『サーヴァントの召喚、維持はカルデアの英霊召喚システムが代行してくれる。心配は要らない。通信限界時間まで間がないんだ、あと三十秒! マシュの盾を基点にして召喚態勢に入ってくれ!』
「えぇい……! 簡単に言ってくれる!」

 吐き捨て、マシュの傍に転送されてきた一つの石――金平糖のような物――を掴み上げる。素早く盾を地面に置いていたマシュを労い、聖晶石とやらを盾の傍に設置する
 カルデアのシステムが作動し始めたのだろう、まばゆい光が巻き起こり、莫大な魔力が集束していく。
 来る、と信じがたい思いと共に驚きを飲み込む。この感覚は識っていた。サーヴァントが召喚されてくる――

 やがて、光が収まり、俺に新たな繋がりができたことを悟る。
 光の中、立ち上がったのは深紅のフードを被った、細身の男。ロマニとの通信が途絶えたのと同時に、サーヴァントは涸れた声を発した。

「アサシンのサーヴァント、召喚に応じ参上した。……やれやれ、ろくな状況じゃなさそうだ」

 凍りついたのは、俺だった。この、声は――

「説明を、マスター。無駄口はいらない。合理的に、端的に頼む。僕は今、どうすればいい」

 それは、いつか見た、男との再会だった。
 






 

 

気まずそうです士郎くん

気まずいです士郎くん!





 (僕はね。子供の頃、正義の味方に――)

 穏やかな顔で、かつての夢を語る男の姿が脳裏に浮かびかけた刹那。
 心の防衛機構が作動したのだろう、あらゆる感情が瞬時に凍結された。

「――」

 なんて、悪夢。
 よりにもよって、この身の罪科、その原点を思い返すような声を、再び耳にすることになるなんて。
 いや、と頭を左右に振る。ただ、声が似ているだけだ。あの男がサーヴァントになるなんて、決してあり得ない。そう、あり得ないのだ。あの男に声が似ているだけの英霊も、きっといるに違いない。
 そう思い、気を取り直して、俺は深紅のフードを目深に被った暗殺者を正面から正視した。

「っ……」



(ああ……安心した)



 ――チ……。何なんだ……。

 一番最初の、罪の形。偽り、謀り、欺いた。
 偽物の思いに、馬鹿みたいに安堵して。ひっそりと眠るように死んでいった、独りの男。
 目の前のアサシンは、どうしようもなくあの男に似ていた。顔なんて見えないのに、声しか聞こえないのに、その、纏っている空気が。あまりにも、知っているものに酷似していた。

「……どうすればいい、か」

 アサシンの言葉を鸚鵡返しにして間を保たして、なんとか頭を回す。
 この胸に甦った混沌とした熱情を雑念と断じ、なにげなく彼の装備を観察した。

 ……腰に大型のコンバット・ナイフ、背部に背負っているのはキャリコM950か。
 銃火器を装備したサーヴァント、それも英霊になるほどの暗殺者? 装備からして現代に近い者に違いはないが、神秘の薄れた現代に、名うての暗殺者などが仮にいたとしても、現代は既に英霊の座に登録されるほどの功績を立てるのが極めて困難な時代だ。
 世界が容易く滅びの危機に陥り、些細なことで危機が回避される……世界を救う程度ではもはや偉業とも認識されない。そんな時代で、どうやって英霊の座に招かれるというのだ。
 それに……これは勘だが、このアサシンは正純な英雄などではない。むしろ、淡々と任務をこなすどこぞの特殊部隊員の方にこそよく似ていた。

「……見たところ、正規の英霊ではないな。お前はどこの英霊だ」

 言うと、アサシンは興味なさげに無感情に応じる。

「それを気にしてどうする。僕は確かに大層な英雄サマなんかじゃないが、そんなものは重要じゃない。務めを果たせるか、果たせず死ぬか、どちらかだ」
「その通りだが、履き違えるな。俺はマスターだ。駒の性能を把握もせず作戦を立てるほど愚かじゃない。カタログに載っていない性能を知るために、素性を気にするのは当然のことだ」
「なるほど、確かにそうだ。どうやら話の通じるマスターのようだ。安心したよ」

 一連の短いやり取りで、こちらの気質を推し測っていたのか、アサシンはまるで気を緩めた様子もなく、『安心』という言葉を使った。
 それはあくまでビジネスライクなスタンスであり、マシュはやり辛そうだったが、実のところ俺にとってはやり易い相手だった。
 印象は、兵士。最小の戦闘単位。目的のためなら何もかもを投げ出せる自己のない機械。
 その印象は間違っていない、という確信があった。なにせ俺は、そんな手合いを何人も知っている。えてしてそうした者こそが、俺にとっては難敵であり、同時に心強い味方でもあったのだから。

 こういった、情を絡めずに確実に任務を遂行できるだろう手合いは、大きな作戦を実行するにあたり必ず一人は必要な人材である。
 事が急であり、確実性を求められる場面であれば、このアサシンほど信頼して用いられる兵士はいない。俺はアサシンの性質を好ましいと感じていた。無論仕事の上では、だが。

 アサシンは言った。どこか自嘲の滲んだ声音で。

「残念ながら、あんたの目は確かだ。僕は正規の英霊じゃない。守護者といえば伝わるか?」
「……抑止力(カウンター・ガーディアン)か」
「その通り。そして僕はその中でも更に格の落ちる、とある守護者の代行でしかない。本来の僕はしがない暗殺者、守護者にすらなれない半端者さ。こうして召喚されたのが何かの間違いだと言えるほどのね」
「……守護者の代行だと?」
「ああ。僕の真名は――」

 言いながら、アサシンはフードを外した。

 壊死しているかのような褐色の肌、色素の抜け落ちた白髪。露になったその風貌に、
 俺は、絶句する。

「《《エミヤ》》だ。――まあ、僕の真名には一発の弾丸ほどの価値もない。忘れていい」








 褐色の肌、白髪。エミヤと名乗ったアサシンのサーヴァントを前に、マシュ・キリエライトは目を丸くしていた。
 それは奇しくも、マシュがマスターに仰ぐ男性の姓でもあったのだ。
 何か特別な繋がりでもあるのだろうか。マシュがそう思ったのも束の間、不意に、マシュの傍に立っていた士郎がよろめいた。

「っ? 先輩……!?」

 慌てて体を支える。士郎の顔は、これ以上なく青ざめていた。

「エミヤ……? エミヤ、キリツグ……?」

 うわ言のように呟いた士郎に、アサシンはその氷のように冷たい表情を微かに変化させた。マシュには読み取れないほど、本当に小さな変化。

「……驚いたな。僕を知ってるのか?」

 それは、肯定の意味を持つ問いかけだった。
 士郎は声もなく立ち尽くす。まるで、もう二度と会うはずのない男の亡霊に遭遇したかのような、魂の抜けた顔だった。

「……知っている。……知っているとも。俺は、俺は……」

 震えた声が、親からはぐれた子供を想起させる。

「俺は……衛宮、士郎。あんたの、養子(むすこ)なんだから」

 その告白は、血を吐くような悲痛さを伴って。
 は、とマシュはアサシンと士郎を見比べる。まるで似ていない。義理の親子なのだろうか。
 アサシンは、ぴくりと片眉を跳ね上げる。

「なんだって? 僕の、息子? ……本気か?」

 アサシンの言葉は、士郎の耳に届いていなかった。恐ろしい想像が彼の中を駆け巡っていたのだ。

「俺は……いや、なぜ切嗣が守護者の代行なんて……代行? 誰の……俺、か……?」

 ――錬鉄の英雄、エミヤシロウ。それは、この世界線では決して生まれない存在。
 世界は矛盾を嫌う。世界にとって、英霊エミヤの誕生は決定事項。そのエミヤが生まれないとなれば、その穴を補填する者が必要だ。
 では、何者であればエミヤの代行足り得るのか。現代で、彼の戦術ドクトリンに近いものを持つ人間を列挙し、その中でエミヤに縁の深い者を特定すれば……それは、同じエミヤ以外にはあり得ない。

 血の気が引いた。

 士郎は、頭が真っ白になった。先輩! 先輩! そう何度も呼び掛け、肩を揺する少女の声も届かない。
 その想像は、近いようで遠い。似たような因果で切嗣は守護者代行として存在しているが、そこにこの世界の士郎が関与する余地は微塵もなかった。
 だが、士郎の中の真実は違う。自分が守護者にならなかったせいで――世界と契約しなかったせいで、死後の切嗣の魂が呪わしい輪廻に囚われてしまったのだと誤解した。
 火の海の中、かつて救われた者と、救った者と同じ起源を持つ者が対峙する。

 動揺のあまり気が抜けてしまった士郎――しかし、アサシンは残酷にも、真実を淡々と告げた。

「何を勘違いしているか知らないが、僕はあんたを知らない。あんたの言う衛宮切嗣と僕は別物だ。だからあんたが勝手に罪悪感を抱くこともない。指示を出せ、マスター。サーヴァントはマスターに従うモノだ」

 その言葉は、端的に真実だけを表している。しかし士郎からすれば、それは自分を気遣った言葉に聞こえてくるものだった。
 士郎は、優しかった切嗣を知っている。優しすぎて破滅した男を知っている。士郎にとっての切嗣の真実は魔術師殺しではない。うだつの上がらない、あの、気の抜けたような男だったのだ。
 知識なんて関係ない。そんなもの、既にないに等しい。

 腑抜けた士郎に、アサシンはなおも辛辣だった。

「はぁ……あんたの事情なんて知ったことじゃないし、聞きたくもない。ともかくサーヴァントとしての務めだけは果たす。……僕はそれでいいんだ。だからマスター、あんたはあんたの務めを果たせ」
「……っ!」

 それは彼なりの、別の可能性の自分が持ったかもしれない、名前も知らない息子へと向けた不器用な優しさだった。
 言葉も、声も、表情さえ、徹底して冷徹なままだったが、それでもそこには優しさの名残があった。士郎にはそれがわかった。感じられた。……たとえそれが錯覚だったとしても、士郎にとっては救いだった。

「そう、だな……その通りだ。……今はうだうだと時を浪費してはいられない。迅速に、直ちに事態を終息させないといけない」

 自分に言い聞かせるように呟き、士郎はマシュに詫びた。情けない姿を見せてしまったのだ、大人として不甲斐ない限りだった。
 マシュは、柔らかく微笑むだけで、それを受け入れる。何があったのかなんて知らないけれど、自分だけはきっと寄り添っているから。なぜなら、自分は先輩のデミ・サーヴァントなのだ。
 少女の健気さに、胸を打たれる。士郎は腑抜けた己を戒め、鉄の意思を固めた。事態が一刻を争うのは間違いない、とにもかくにも行動あるのみ。

「……アサシン。アンタはこの冬木のことをどこまで覚えている?」
「覚えてるも何も、来たこともない。だから土地勘なんて期待されても応えられない
「……そうか。だが俺はこの地のことをよく知っている。そしてこの惨状の原因――聖杯戦争にも心当たりがある。この時期この街で行われた聖杯戦争の当事者だったからな
「そうか。それは朗報だ。しかし疑問がある。その戦争とやらは、特異点を生み出すほどのものだったのか?」
「ああ。この冬木の聖杯戦争の景品、聖杯は超抜級の魔力炉心だ。充分可能だろう。街一つ滅ぼすなんて指先一つでちょちょいのちょいだ」
「なるほど。なら、世界だって滅ぼせるだろうな。いや、既に滅んでいるのか」

 言いながら、アサシンと士郎は多様なハンドサインを出し合い、意思疏通に問題がないことを確認しあっていた。
 端から見ていたマシュには、二人がなんの取り決めをしているのか見当もつかない。なんだか置いてけぼりにされてるようで、なんとなく面白くなかった。

「纏めよう」

 恐らくはマシュのために、士郎は言葉に出して話し始めた。既にアサシンとは方針を固めたのだろう。今度、今のハンドサインを教えてもらおうと決意しながら、マシュは真剣に士郎の話しに聞き入った。

「冬木が特異点になりうる原因は聖杯以外にあり得ない。故にこれを回収することを第一目標とする。そうすると、聖杯をかけて争っている――争っていただろう七騎のサーヴァントは全て敵になるな。そしてこれが重要だ。この特異点が修復不能なものになっていないということは、まだ聖杯は完成していないということになる。そして聖杯を完成させないために、冬木のサーヴァントはなるべく倒してはならない。戦闘は極力避け冬木の聖杯の大元、円蔵山の内部にある洞窟を目指して急行する。聖杯を守る某かの障害が予想されるがこれは躊躇わなくていい、すぐ排除する。――ここまでで質問は?」

「ありません。強いて言えば、もし仮に戦闘を強いられるような状況になった場合、わたしはどう動くべきでしょうか」

「基本的には俺の盾だ。俺の傍を離れず、徹底して防御を固めるだけでいい。攻撃は全て俺が担当する」
「アサシンさんはどうするんですか?」

 言いながら、マシュが視線を向けると、そこにアサシンはいなかった。
 微塵も気配を感じなかった。そのことに驚くマシュに、士郎は不敵に笑いながら言った。

「アサシンの気配遮断のランクはA+だ。敏捷のステータスも同様で、単独行動スキルもAランクで保有してある。つまりアサシンは遊撃が最適のポジションということだ。隠密に徹したアサシンを発見するのは、同じサーヴァントでも不可能だろう」

 マシュは悟った。この二人は、かなりえげつない戦術を執る気なのだ、と。
 微妙そうな顔になるマシュだったが、気にしないことにした。そういう狡さこそが、えてして勝因になるのだと聡い故に理解できていたのだ。

「……カルデアとの連絡はどうしましょう」
「必要ない。今のカルデアの状況から察するに、出来る支援は地形を調べたりすることぐらいだろう。だがそれは、俺がここにいるからには必要ない。それ以外に支援できないだろうから、カルデアからの支援はこの特異点では無用だ。俺とマシュの意味消失を避けるために、観測自体は常にされているだろうから、聖杯を回収する頃には向こうから連絡できるだろう。重要な施設は無傷だとロマニは言っていただろう? 心配することはない」
「了解しました。マシュ・キリエライト、円蔵山まで急行します」

 方針を理解し、マシュは力強く声を張った。士郎は頷きを返し、両足を強化して疾走をはじめる。
 目的地まで一直線に駆けていく。マシュは士郎の健脚に驚く。サーヴァントの最大速度には当然及ばないまでも、生身の人間としては破格の足の速さだったのだ。恐らく自動車並みの足である。

 でも、やっぱり。

 走りながら弓を射ち、時々アサシンが強力な敵性個体を発見するなりバック・スタブを叩き込んで仕留めているのを見ると、なんとも言えない気分になった。
 雑魚は士郎が片付け、強力な個体は士郎が気を引きつつ背後からアサシンが仕留める。それだけで、無人の野を行くが如しだ。なんというか、士郎とアサシンの息が合いすぎてて、嫉妬してしまいそうになる。

「……もし無事に帰れたら、わたし先輩と訓練しないと。このままじゃ、ダメです」

 ぽつりと呟いたマシュは、自分が守られる立場に立っているのを強烈に自覚し、強くなることに意欲を抱きつつあった。



 

 

突撃、隣の士郎くん!





 重苦しい沈黙。呪いの火に焼かれる街並みに、かつての名残は微塵もない。
 悉くが燃え散り、砕け散った残骸都市。吸血鬼により死に絶えた、末期の死都よりもなお毒々しかった。
 幸いなのは、既に住民が全滅していること。
 そう、全滅だ。比喩でなく、文字通りの意味で人間は死滅している。
 それを幸いだと思ったのは、一々救助する手間が省けたこと。そして、『見捨てる』という当然の決断をしなくて済んだこと。これに尽きた。
 さすがに、アサシンは見捨てる判断に否を唱えないだろう。むしろどんな犠牲を払ってでも特異点の修復を優先すべきだと言うに違いない。俺もそれに全面的に同意したいところだが、生憎とここにはマシュがいる。そんな重い判断に従わせたくなかった。
 無駄な感傷だとアサシンは断じるだろう。くだらない私情は捨てろと言うだろう。だが俺は、マシュには俺の影響を受けて、誰かを見捨てるという判断が出来る人間になってほしくなかった。くだらない私情と言われればその通りだが、マシュの前でだけは時に合理的に判断出来ない時がある。

 ――にしても、静かすぎる(・・・・・)な。

 俺は辺りを見渡し、胸中にて独語する。視線を1時の方角、ちょうど俺にだけ姿を認められる周囲の死角に実体化したアサシンが、ハンドサインで敵影なし、と報告してきた。
 妙だな、と思う。この円蔵山付近に来るまでに、何度か雑魚と交戦することがあったが、大聖杯に着実に近づいているにも関わらず、敵がいなくなるようなことがあるだろうか。
 ハンドサインで隠密と遊撃、および斥候を継続するように指示する。アサシンは短く了解の意思を示し、実体化を解いて周囲の環境に融かし込むように気配を遮断した。

「マシュ、何かおかしい。ここからは――」

 慎重に行こう、と言いかけた瞬間。俺は、反射的に干将・莫耶を投影し、こちらを貫かんと飛来してきた矢玉を叩き落としていた。

「……!」
「先輩!」

 同時にマシュにも襲いかかっていた矢を、マシュは自身で処理し防いでいた。
 すぐさま俺の前にマシュが出る。眼球に強化を施して、矢の飛んできた方角を睨む。すると、遠くに黒く染まった人影があるのを発見した。
 遠目にしただけではっきりとわかる高密度の魔力、間違いない、あれは、

「サーヴァント……! マシュ、向かって11時、距離1200! 視認しろ!」
「……見えました、恐らくアーチャーのサーヴァントです! 次弾装填しこちらを狙っています! あれは剣……剣を矢に見立てて……!?」

 ちぃ、と俺は露骨に舌打ちした。
 冬木の聖杯の泥に汚染されているのだろう、黒く染まっているためか輪郭がはっきりとしないが、剣を矢にするサーヴァントなんぞ俺には覚えが一人しかいない。思わず吐き捨てた。

アイツ(・・・)……下手打ちやがったな……!」

 ――いや、むざむざ聖杯の泥に呑まれるようなタマじゃない。あれは抜け目のない男だった、恐らく泥にのまれたのは何者かに倒された後だろう。

 しかしあの姿を見て、推測が確信に変わったことがいくつかある。

 一つ、やはり聖杯は汚染された、俺の知るもの。
 二つ、いずれかのサーヴァントが聖杯を握り、他のサーヴァントを撃破して泥に取り込み、自身の手駒として利用していること。
 三つ、恐らくほぼ全てのサーヴァントは脱落済み。ここまで来て迎撃に出てきたのがアーチャーだけということは、他のサーヴァントは生き延びたサーヴァントを追っているものと思われる。
 すなわち、詰みに入っているがゆえの防備の薄さ、ということだ。

 であれば――、

「……!」

 思いを込めて、アサシンを見る。一瞬だけ、目が合った。
 戦術における思考は、俺とアサシンは似ていた。俺の戦闘能力も、パターンもここに来るまでで把握してあるはず。
 あとは、俺がこの局面で何を考えるか、察してもらえることを期待するしかない。
 アーチャーがあの赤い外套の男なら、口の動き、目の動きだけでこちらの動きを察知しかねなかった。気配を溶かしていたアサシンは――黙って頷き、円蔵山の洞窟に先行していく。

 見送るようなことはせず、俺は黒弓を投影した。宝具ではないが、名剣をつがえるなりすぐに射つ。

「……っ、」

 放ったのは十三。対し、遠方の高台に陣取ったアイツは二十七もの剣弾を放っていた。
 俺の剣弾は全て撃墜され、残った十四の剣弾が飛来してきたのを干将・莫耶でなんとかはたき落とす。
 ……思い上がっていた。弓の腕は互角のつもりでいたが、そんなことはない。奴の方が俺よりも上手だ!
 今のでよくわかった、霊基という壁がある限り俺が奴に比肩するのは極めて困難だ。単純に技量が違うし経験量も段違い、それをすぐに認める。この分では接近戦は避けた方がいい。そう判断する。

「って、おい! 殺意が高過ぎやしないか……!?」

 俺は、奴が次に弓につがえた剣を見て、思わず叫んでいた。

 捩れた刀身、空間を捩り切る対軍宝具。躊躇なし、手加減なしの全力全開。極限まで魔力を充填しているのか、魔力が赤く、禍々しく迸っている。
 俺は焦って、叫んだ。俺を見て、驚愕に目を見開いていた男は、相手が異邦の存在だと見抜き、そしてそれが衛宮士郎だと察して嗤ったのだ。
 手は抜かない、確実に殺す。そう、奴の目が語っていた。

 偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 俺はそれを視認し、威力を推定して――悟る。防げない。俺には盾の宝具の持ち合わせなどなかった。
 故に俺はマシュに指示した。四の五の言ってる場合ではない、盾の英霊には悪いが、力業で力を引き出させてもらう。

「マシュ。令呪で補助する、宝具を解放しろ」
「そんな……!? わたし、力を貸してくれてる英霊の真名を知りません! 使い方もわからないのにどうするんですか先輩!?」
「その身はサーヴァントだ、令呪を使えば体が勝手に真名解放するべく動作する。本人の意思にかかわりなくだ。そうすれば、真名を唱えられなくても擬似的に宝具を発動できる。故に大事なのは心の持ち様、マシュが持つ意思の力が鍵になる!」
「わたしの、意思……?」
「イメージしろ。常に想像するのは最強の自分だ。外敵などいらない、お前にとって問いかけるべきは自分自身の内面に他ならない」
「わたしの内面……」

 呟き、マシュは素直に受け入れ、目を伏せて自分に何かを問いかけた。
 数瞬の間。顔をあげたマシュの目に、強い意思の光が点る。

「……わたしは……守る者です。わたしが……先輩を、守ります!」

 発露したのは黄金の意思。守護の決意。体が動作するのなら、後は心の問題――だったら、本能に身を任せよう。

 その輝きに、俺は目を見開いた。
 あまりにまっすぐで、穢れのない尊い光。
 薄汚れた俺には持ち得ない、本物の煌めきだった。

 ――賭けよう。マシュに、全てを。

 この意思を汚してはならない、自然とそう思った。そして、マシュに令呪の強制力は無粋だと感じた。
 自分のサーヴァントを信じられずして何がマスターか。俺は決めた。令呪を使わないことを。
 ただ、言葉にするだけだ。不出来な大人が、少女の立ち上がる姿を応援するだけ。後押しだけが出来ることだと弁える。

「……デミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトに命じる。宝具を発動し、敵の攻撃を防げ!」
「了解――真名、偽装登録――」

 岩から削り出したような漆黒の大盾、それを地面に突き立てて、マシュは力を込めて唱えた。同時に俺も宝具の投影を終え、弓につがえる。

「いけます! 宝具、展開!」

 ――飛来せしは螺旋の剣。虹の剣光を纏う穿ちの一閃。
 赤い弓兵、渾身の一射だった。ランクにしてA、上級宝具の一撃。ギリシャ神話最強の大英雄をも屠りえる脅威の具現。それを、奴は自身のセオリーに従い、こちらを有効範囲に捉えるのと同時に自壊させた。
 壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)――投影宝具の内包する神秘、魔力を暴発させ、爆弾とするもの。唯一無二の宝具をそのように躊躇いなく扱えるのは衛宮士郎のような異能者だけだろう。

 それを迎え撃つのは無名の盾。煌めく燐光が固まり守護障壁となって一組の主従を包み込む。
 螺旋の剣の直撃に、マシュが呻いた。苦しげに声を漏らし、耐え凌いでいる最中に螺旋剣が爆発する。瞬間的に跳ね上がった威力に意表を突かれ、マシュは衝撃に耐えられずに倒れそうになり――その背中を、無骨な手がそっと支えた。

「――」

 踏み留まる。なけなしの力を振り絞り、マシュは声もなく吠えた。

 爆発が途切れる。螺旋剣の残骸が地に落ちる。
 マシュは、耐えきった。肩を叩いて労い、その場にマシュがへたり込むのを尻目に、俺は投影して魔力の充填を終えていた螺旋剣を黒弓につがえる。

 それはアイツのものを視認したのと同時に固有結界へ貯蔵された剣。莫大な魔力消費に全身が、魔術回路が悲鳴をあげていた。
 だが、無視する。俺は今、マシュが成し遂げた小さな偉業に感動していた。マシュが獲得したこの隙を、無駄にするわけにはいかない。

「体は剣で出来ている」

 そう。この魂は剣ではない。だが体は、間違いなく剣なのだから。

「我が骨子は捩れ狂う――偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)!!」

 放たれたのは、鏡合わせのような螺旋の虹。自身の全力が防がれた驚愕に固まっていた弓兵は、しかしすぐさま最適の手段をとる。
 虹を遮るのは薄紅の七枚盾。ロー・アイアス。投擲物に無敵の力を発揮する、盾の宝具。
 こちらは、完璧に螺旋剣を防ぎきっている。俺の投影に不備はない、単純な相性の差だった。マシュの盾は仮のもの、円卓ゆかりの者の宝具なら相性がよく防げたかも知れなかったが、カラドボルグを防ぐには全霊を振り絞らねばならなかっただろう。

「単独で射撃と防御、どちらも俺達を上回るか……」

 流石、と言えば自画自賛になるだろうか。マシュの腕をとり、立たせてやって、アイアスと鬩ぎ合っていた投影宝具の魔力を暴発・爆発させる。
 閃光に包まれた敵影。その瞬間、俺は走り出していた。

「先輩……今、宝具を投影してませんでしたか……!?」
「その話は後でする。今は走れ! 距離を詰める、遠距離だと分が悪い!」

 マシュが我が目を疑うように目を丸くして、驚いていたが、相手にしない。する暇がない。

 爆発が収まり、光が消えると、弓兵は獲物の思惑を悟って舌打ちする。獲物が二人、円蔵山に入っていこうとしていたのだ。
 今から矢を射っても牽制にしかならない。足は止まらないだろう。かといって宝具を投影しても、射撃体勢に入る頃には洞窟の中に侵入されてしまう。
 是非もなし。弓兵は舌打ち一つ残して、先回りするために高台を下っていった。





 

 

卑の意志なのか士郎くん!

卑の意思なのか士郎くん!




 黒化した弓兵の射程圏内を脱し、俺とマシュは円蔵山の洞窟に突入した。

 薄暗く、大火に呑まれた街にはない冷気が漂っている。だが、目には見えなくとも、濃密な魔力が奥の方から流れ込んできているのがはっきりとわかった。
 聖杯が顕現しているのだ、とかつて冬木の聖杯を目の当たりにしていた俺は確信する。
 ちらとマシュを見る。……戦うことが怖いと思う少女を、戦いに引き込まざるを得ない己の未熟を呪う。
 先程のアーチャーは、間違いなく英霊エミヤだ。俺が奴ほどの戦闘技能を持っていなかったために、こうしてマシュを戦いに駆り立てざるを得ない。
 霊基という壁がある、人間がサーヴァントに太刀打ちできる道理はない――そんなことはわかっている。だが理屈ではないのだ。戦いに生きた英霊エミヤと、戦いだけに生きるつもりのない俺。差が出るのは当然で、守護者として様々な武具を貯蔵し、戦闘記録を蓄積し続けている奴に勝てる訳がないのは当たり前だ。なのに、俺は自分の力を過信して、ある程度は戦えるはずだと慢心していた。
 そんなはずはないのに。サーヴァントという存在を知っていたのに。なんたる愚かさか。先程も、マシュが宝具を擬似的に展開していなければ、俺は死んでいただろう。
 俺の戦いの能力は人間の域を出ない。固有結界とその副産物である投影がなければ、到底人外に立ち向かうことはできなかった。固有結界という特大の異能がなければ、俺は切嗣のような魔術師殺しとなり暗殺、狙撃を重視した戦法を取っていただろう。そして、それはサーヴァントには通じないものだ。
 俺は、確かに戦える。しかし必ずしも戦いの主軸に立つ必要はないのだと肝に銘じなければならない。今の俺に求められているのはマスターとしての能力だ。強力な1マスターではない、必勝不敗のマスターになることを求められているのである。

 勝利だ。俺が掴まねばならない物はそれしかない。

 この身にはただの一度も敗走はない。しかし、これからは不敗ではなく、常勝の存在として君臨するしかなかった。それはあの英霊エミヤにも出来なかったこと。それを、俺は人間のまま、奴より弱いままに成し遂げねばならないのだ。
 故に――

「マシュ。これから敵と交戦するにあたって、俺の出す指示に即応できるか?」

 俺は、マシュに問いかけた。
 マシュを戦わせたくない、だが勝つためにマシュが必要だ。
 ……吐き気がする。なんて矛盾だ。その矛盾を、俺は呑み込まねばならなかった。

「戦いは怖いだろう? 怯えはなくならないだろう? 辛く、痛い。そんな物に触れたくない。そう思っているはずだ。……それでも俺はお前に戦えと命じる。俺を呪ってもいい、俺の指示に迷いなく従えるか?」
「はい」

 即答、だった。

 恐怖はある。不安げに揺れる瞳を見ればわかる。だが、それ以上に強く輝く意思の萌芽があった。

「わたしは先輩のデミ・サーヴァントですから。それに、先輩を守りたい――その思いは本当だって、わたしは胸を張れます。だから、迷いなんてありません。先輩のために、わたしは戦います」

 そうか、と頷く。その健気さに報いる術を今、俺は持っていない。
 あらゆる感傷を、切り捨てる。この思いを、利用する。蔑まれるかもしれない、嫌われるかもしれない、それでも俺は、勝たねばならない。俺のために。俺の生きた証を守るために。

 マシュが生きた世界を守る。俺のために。

 その結果、マシュに嫌悪されることになろうとも。俺に迷いはない。俺の戦い方を、ここでマシュに知ってもらう。

「ならいい。――勝つぞ。勝ってカルデアに帰ろう」
「はいっ!」

 気合いの入った返事に、俺は更に決意を固める。

 狭い通路を抜け、拓けた空間に出た。

 大聖杯は近い。肌に感じる魔力の波動がいっそう強くなっている。そして、

「――そこまでだ、衛宮士郎」

 俺とマシュの行く手を阻むため、前方に弓兵のサーヴァントが実体化した。











「やはり来たか」

 ぽつりと呟く。
 物理的に考えれば、俺とマシュを狙撃できる高台からここに先回りしてくるのは不可能である。だが、奴はサーヴァント。霊体化して、神秘を宿さない物質を素通りできる存在。
 生身しか持たない俺達を先回りして待ち受けるのは容易だったろう。

「妙な因果だ。そうは思わないか?」

 何を思ったのか、奴は俺に語りかけてきた。

「そうだな。なんだって英霊化した自分と対峙することになる。出来の悪い鏡でも見せられている気分だ」
「フン。それはこちらの台詞だがね」

 応じる必要なんてないのに、奴の皮肉げな口調に、思わず毒を含んだ言葉を返していた。
 マシュが驚いたように声を上げた。先の前哨戦、姿は見えても顔までははっきり見えていなかったのだろう。

「先輩が……二人……?」
「……ああ。どういうわけか、アイツと俺は似た存在だ。真名はエミヤシロウ。十年前俺が体験した聖杯戦争で、俺はアイツに会っている。……因縁を感じるな、という方が無理な話だ」
「ほう? では貴様はオレに遭っていながら生き延びたわけだ。――となると貴様は、あの時(・・・)の小僧か」

 ぴくり、とエミヤは眉を動かした。彼の抱く願望からすれば、衛宮士郎を見逃すなんてあり得ない。仮に見逃すとしたら、それは私情を抜きにして動かねばならない事態となったか、巡りあった衛宮士郎が正義の味方にならないと――英霊エミヤと別人になると判断したかになる。
 そして、俺とのやり取りで、エミヤは不敵に笑って見せた。俺がセイバーと共に戦い抜いた衛宮士郎だと悟ったのだろう。
 サーヴァントは通常、現界するごとにまっさらな状態となる。記憶の持ち越しは普通は出来ない。つまりエミヤが俺を識っているということは、このエミヤもまた第五次聖杯戦争の記録を記憶として保持していることになる。特殊な例だった。

 自分殺しがエミヤの望み。正確には、自己否定こそが行き着いた理想の結末だ。

 同情はしない。俺は奴とは別人だが、それを分かって貰おうとも思わない。
 仮に奴が、俺がエミヤにならないと知っても、ここを守る立場にある以上は戦闘は避けられないだろう。なら奴は所詮、倒すべき敵でしかない。

「衛宮士郎。どうやら貴様は、世界と契約していないようだな」
「分かるのか」
「当たり前だ。世界と契約し、死後を預けた衛宮士郎が、貴様のような弱者であるものか」
「……お前から見て、俺は弱いか?」
「弱い。見るに堪えん。投影の精度の高さだけは認めるが、それ以外はお粗末に過ぎる。なんだ先程の体たらくは。生前のオレなら、二十七程度の剣弾などすべて撃ち落とせている」

 なるほど……あれでまだ、本気ではなかったのか。螺旋剣の一撃こそ殺す気で放ったが、それ以外は全力でなかった、と。
 笑いだしそうだった。英雄王の言う通り、俺は道化の才能があるのかもしれない。

 だが。

「そうか。なら、やっぱり俺達は別人だ。それがはっきりして――ああ、とても安心したよ」
「……ふん。オレは失望したがな。貴様には殺す価値もないが、生憎とここを通すわけにもいかん。ここで死ね衛宮士郎。たとえ別人であったとしても、その顔を見ていると吐き気がする」
「そうかよ。じゃあ、最後に一つ言わせてもらおう」

 俺とエミヤは同時に干将・莫耶を投影した。両腕をだらりと落とし、戦闘体勢に入る。
 鏡合わせのような姿だ。英霊と人間、贋作と偽物、強者と弱者――
 今に戦闘に入りそうになる刹那に、俺はエミヤに言葉を投げる。奴が絶対に無視できない、挑発の文言を吐くために。

「なんだ。遺言でも言うつもりか? ああ、それぐらいなら待とう。未熟者の末期の言葉がどんなものになるか、興味がある」
「……」

 露骨な敵意。エミヤが悪意を抱く、唯一の相手。それが俺だ。その俺が今から吐く言葉は――きっと毒になる。

「なあ、アーチャー」
「なんだ」

「お前は、正義の味方に一度でも成れたか?」

「……なに?」

 一瞬、その問いにエミヤの顔が歪む。亀裂が走ったように、動きが止まった。
 それは、奴にとっての核心。エミヤを象る理想の名前。俺は精一杯得意気に見えるよう表情を操作した。
 俺が、さも誇らしげに語っているように聞こえるように、声の抑揚にも注意を払う。

「答えろアーチャー。お前は正義の味方になれたのかと聞いている」
「……戯れ言を。正義の味方だと? そんなものは幻想の中にしか存在しない偽りの称号だ。存在しないものになど成れるものか」
「……なんだ、成れてないのか」

 失望したように。
 笑いを、こぼす。

 エミヤの顔色が変わった。俺にとっての、正義の味方の表情が苛立ちに染まる。

「何が言いたい」
「お前は俺のことを弱者と言ったな? その通り、俺は弱い。お前よりもずっと。なら強者であるお前は? アーチャーは成れたのか。正義の味方に。それが気になってな。その如何を是非とも聞きたかった訳だが……そうか成れなかったのか。正義の味方に」
「……言いたいことはそれだけか」
「いいや今のは聞きたかったことだ。言いたかったのは、こうだ。――正義の味方に、俺は成れたみたいだぞ」

「――――」

 エミヤに、空白が打ち込まれる。俺の告白は、奴にとってあまりにも重く、無視しがたく、流せない言葉だったのだ。
 俺は、更に一言、告げた。

「今、人理は崩壊の危機にある。これを修復することは人類を救うことと同義。――これが正義でなくてなんだ。人理のために戦う俺が正義の味方でなくてなんだ。――正義の味方に敵対する、お前はなんだ?」
「……黙れ」
「わかった、黙ろう。だがその前に謝罪するよアーチャー。すまなかった。そしてありがとう。悪として立ちふさがるお前を、正義の味方として倒す。分かりやすい構図だ。善悪二元論……喜べ。お前は悪として、俺の正義を証明できる」

「   」

 エミヤの目から、色が消えた。
 その鷹の目が、俺だけを見る。俺だけを捉える。
 マシュが、固い顔をしていた。俺のやり方が読めたのだろう。聡明な娘だ。
 やれるのか、マシュは。一瞥すると少女は頷いた。揺らがない、少女は決してブレない。戦うのは、自分のためでなく。ひとえに己のマスターのためだから。

 ――これで、アーチャーには俺しか見えない。

 呼気を見計らう。緊迫感が高まっていく。息が苦しい、殺気が痛い。アーチャーの全身が、脱力した。その意味を俺は知っている。攻撃に移る前兆。
 俺は弾けるように指示を飛ばしていた。

「マシュ! 突撃(チャージ)!」
「了解! マシュ・キリエライト、突貫します!」

 大盾を構え、突撃するマシュ。それをアーチャーは無表情に迎え撃った。
 大盾を前面に押し出し、質量で攻めるマシュ。干将と莫耶を十字に構え、ぐぐぐ、と弓の弦につがえられた矢のように力を溜めるや、干将の切っ先に力点を移しながら強烈な刺突を放つ。
 っぅ……! 苦悶するマシュが盾ごと跳ね返されて後退する。同時に踏み込み、アーチャーはマシュを押し退けるように莫耶で薙ぎ払い、マシュの体を横に流した。――そこに、俺の投擲していた干将と莫耶が迫る。マシュに対していたような流麗な剣捌きが見る影もなく荒々しくなった。完全に力任せの一撃。俺を否定するように干将と莫耶を叩き落とし、まっしぐらに俺にぶつかってこようとして、

 させじとマシュが横合いから殴りかかる。

「……!」
「させ、ません……!」

 マシュの膂力はアーチャーを凌駕している。まともにやれば押し負けるだろう。だが英霊エミヤとて百戦錬磨の練達。今さら自分より力が強いだけの相手に手こずる道理はない。
 マシュは圧倒的に経験が足りなかった。デミ・サーヴァントとなって盾の英霊の戦闘能力を得ていても、それを活かせるだけの経験がないのだ。心と体の合一していない者に、アーチャーは決して負けることがない。
 それを証明するようにアーチャーは再度、マシュをあしらう。懸命に食いつくマシュを打ちのめす。
 強靭な盾を相手に斬撃は意味をなさない。斬るのではなく叩く、打撃する。呵責のないアーチャーの功勢にマシュは再び競り負け――俺は黒弓を投影し、剣弾を放ってアーチャーの追撃を断った。

「マシュ、援護する。一心に挑み、戦いのコツを掴むんだ。胸を借りるつもりで行け」
「はい!」

 名もない名剣を弾丸として放ちながら俺は立ち位置を調整する。マシュとアーチャーがぶつかり合い、果敢に攻めかかる少女にアドバイスを送りながら援護した。

「攻めるな! 押す(・・)だけでいい! その盾の面積と質量は立派な武器だ。防御を固め体ごとぶつかっていけ! 相手の体勢を打ち崩し押し潰す、呼吸を掴むまで無理はするな!」
「はい! はぁっ――!!」

 途端、鬱陶しそうにアーチャーは眉を顰めた。
 素人が様々な工夫を凝らそうとするより、単純で迷いのないワンパターン攻撃の方が余程厄介なものだ。
 マシュの耐久はAランク。盾の英霊の力もあり、並大抵の攻撃で怯むことはない。必然、アーチャーも威力の高い攻撃を選択しなければならず、そうすると一拍の溜めが必要になる。そのために、アーチャーはマシュを振りきれず、大技に訴え排除しようにも別の宝具を投影する素振りを見せればそれを俺が妨害した。
 そして頃合いを見計らい、俺は新たに干将を投影する。すると、先に俺が投擲し叩き落とされていた莫耶が引き寄せられ、アーチャーの背後から襲いかかる形になる。

 アーチャーは当たり前のように飛び上がって回避して、回転しながら俺の方に戻ろうとしている莫耶を、強化された足で蹴り飛ばした。

「そこ……!」

 マシュが吠え、空中にいるアーチャーにぶつかっていく。ハッ、とアーチャーが嗤った。
 敢えて突撃を受け吹き飛ばされたことで距離を取った。慌てて詰めていくマシュの顔に向けて干将と莫耶を投じる。
 咄嗟に盾で防いだマシュの視界が一瞬塞がり――アーチャーは自ら踏み込んで死角に回り込み、盾を掻い潜ってマシュの腹に蹴りを叩き込んだ。

「かはっ――!?」

 サーヴァントの本能か腕で蹴りをガードしてクリーンヒットは防いだものの、今度こそマシュは吹き飛ばされる。
 アーチャーが馳せる。瞬く間に俺に接近してくる。干将莫耶を投影し迎撃した。

「やはりこうなるか……!」
「……ォオ!!」

 憎らしげにアーチャーが吠えた。瞬間的に袈裟と逆袈裟に振るわれた双剣を防ぐも、己の双剣で俺の双剣を押さえ込み、ゼロ距離にまで踏み込んできたアーチャーに頭突きを食らわされてしまう。
 更に距離を詰められアーチャーはあろうことか双剣を手放し拳を放ってきた。わかっていても防げない堅実な拳打。こちらも双剣を捨て両腕を立て頭と胴を守り防御に専念する。
 拳を防ぐ腕の骨が軋んだ。強化していなければ一撃で砕かれていただろう。歯を食い縛って堪え忍ぶ。

 コンパクトに纏められた無数の拳打、三秒間の内に防いだ数は十八撃。ガードを崩す為の拳撃だとわかっていても、到底人間には許容できない威力に俺の防御が崩される。
 腕の隙間を縫った奴のアッパーカットが俺の顎に吸い込まれた。ガッ、と苦鳴する。だが、思考は止めない。頭を跳ね上げられると、俺は反射的に飛び下がっていた。
 一瞬前に俺の首があった位置を干将の刃が通過していく。アッパーカットを当てるや流れるように双剣を投影して首を狙ったのだ。

 追撃に来るアーチャーの剣を、なんとか双剣を投影して防ぐ。俺とアーチャーの双剣が激突し火花が散った――瞬間。見覚えのない景色が、脳裏に浮かぶ。

「っ……!?」
「くっ……!」

 アーチャーもまた戸惑ったように動きが鈍る。そこにマシュが駆け込み、大盾でアーチャーを殴り飛ばした。

 まともに入った一撃に、マシュ自身が最も戸惑っていた。

「あ、当たった……? ……いえ、それよりも先輩、大丈夫ですか!?」

 喜びかけるも、マスターの状態を気にかけてマシュが心配そうに駆け寄ってきた。俺は血を吐き捨てる。口の中を切ってしまっていた。
 大丈夫だと返しつつ、思う。なんだ今のは、と。

(知らない男がこちらに向けて泣き縋り、白髪の男が無念そうにしている光景)

 ――そんなものは知らない。

 溢れる未知の記憶が、光となって逆流してくる。見たことも聞いたこともない事象がどんどんと。

 ――これは、なんだ? ……まさか……アーチャーの、記憶……か?

 バカな、と思う。愕然とした。
 前世の自分を降霊し、前世の自分の技術を習得する魔術があるという。アーチャーと衛宮士郎は人間としての起源を同じくする故に、特例として互いの記憶を垣間見て、技術を盗むことが可能だった。
 現に俺の知る『衛宮士郎』は、アーチャーとの対決の中で加速度的に成長していた。あれは、アーチャーの戦闘技能を文字通り吸収していたからであり、同時にアーチャーの記憶をも見てしまっていたからだ。

 言えるのは、あんな現象が起こるのは『衛宮士郎』と英霊エミヤだけということ。両者が、厳密には別人だったとしても、緊密な関係を持っていたからこそ起こった現象なのだ。
 翻るに、この俺は『衛宮士郎』ではない。自分の名前が思い出せずとも。かつての自分が何者かわからずとも。俺は俺であり、俺以外の何者でもなかった。
 だからあり得ないのだ。俺がアーチャーと――英霊エミヤと共鳴し、その記憶を垣間見ることになるなんてことは。

 だってこれは、エミヤシロウ同士でないとあり得ないことで。それが起こるということは……?

 ……いや、まさか、そんな……。

 俺は……『衛宮士郎』なのか……?

「貴様は……」

 エミヤが、呆然とこちらを見ていた。
 愕然と、信じられないものを見た、とでも言うかのように。
 何を見た? 奴は、俺の何を見た。

「先輩! どうかされたんですか?! まさかアーチャーが魔術を使って……? ……先輩! しっかりしてください、先輩!」
「マシュ……」

 虚ろな目で、マシュを見る。その目に、光が戻っていく。
 ……俺は、誰だ。

「マシュ、俺は、誰だ?」
「先輩は先輩です。それ以外の何者でもありません」

 マシュの声は、全力で俺を肯定していた。
 それに、勇気付けられる。そうだ、俺は俺だ。惑わされるな、俺は全知全能じゃない。知らないことだってある。むしろ知らないことばかりだ。
 今、たまたま俺の知らない現象があった。それだけだ。何も変わらない。
 意思を強く持て、何度も揺らぐな、ぶれるな。大人だろうが!

「……俺は、大丈夫だ。俺が俺である『証』は、ちゃんと俺の自我を証明しているはずだ。だから、大丈夫」

 自分に言い聞かせる。そう、問題はない。

 ふぅ、と息を吐き出し、アーチャーと相対する。

「ふざけるな……」
「……なに?」
「ふざけるな……! 衛宮士郎! 貴様はこれまで何をして生きてきた!?」

 突如、アーチャーが激昂した。訳がわからない。いきなりどうしたと言うのだ。
 マシュが警戒して前に出る。マシュの認識ではこのアーチャーはエミヤシロウでも、自分のマスターに怪しげな魔術を使ったかもしれない相手なのだ。警戒するな、という方が無理な相談である。
 だが、そんなことなど気にもせず、アーチャーは握り締めた拳を震わせて、激情に歪む顔を隠しもせず、歯を剥いて吠え立てた。

「答えろ、貴様はどんな生涯を辿ってきた?!」
「……何を突然。答える義理はないな」
「なんだあれは。なんだそれは。そんな……そんな簡単に……貴様は……貴様が!?」

 錯乱したような有り様だった。あの、英霊エミヤがだ。

(ありがとう、お兄さん!)
(いや、助かった。若いのによくやるねえ)
(ねえ、ねえ! シロウ兄ちゃん! この間話してくれたヒーローの話聞かせてくれよ!)

(助けて! 助けてください! シロウさん、うちの娘が、化け物に拐われて!)
(いやぁ! 助けてよ、シロウさん!)

(助けに来てくれたの……? こんな、化け物の根城まで? ……ありがと)

(美味しい! なにこれ! すっごく美味しいよ!)

(僕たち、シロウさんに出会えてよかった!)

(ありがとう)

(ありがとう!)



『ありがとう!』



「なんだ、これは……なぜ貴様の記憶には、こんなにも『笑顔(幸福)』がある!? これではまるで……正義の味方(・・・・・)のようではないか!?」

 頭を抱えて、入ってきた記憶に苛まれるようにアーチャーが叫んだ。
 血を吐くような、嫉妬に狂いそうな魂からの雄叫びだった。

 それは、アニメか漫画にでも出てきそうな、ヒーローだった。かつて、エミヤシロウが思い描いた、理想の姿だった。
 それが。
 それを成しているのが、目の前の未熟な衛宮士郎。
 アーチャーには分からなかった。何をどうすれば、あんなことになる。わからないから、叫んだのだ。

「何をバカなこと言ってる。正義の味方はお前だろうが、アーチャー」
「オレが?! オレがか!? 周りを不幸にし続けたこのオレのどこが?!」

 妬ましいのはこちらの方だというのに、奴は必死に問い質してきていた。
 どう考えても、正義の味方はエミヤの方であるというのに。

「俺はただ、俺のために慈善事業に手を出していただけだよ。誰かのため、なんて考えたこともない。徹頭徹尾、自己中心。所詮は偽善だ、そんなものが正義の味方なんて張れるわけないだろう」
「……今、なんと言った?」
「……俺のために生きてきたと言っただけだが」
自分の(・・・)ためだと? 衛宮士郎が!?」
「そうだ、それの何が悪い」

 俺は俺の生き方を選んだ。そこに恥じるものはなにもない。俺は俺のために生きている。だから、俺は俺が悔やむようなことはしないし、嫌だと思うことは一度もしてこなかった。
 それだけだ。だから、他人のために死ぬまで戦い続け、死んだあとでまで人間のために戦い続けているエミヤに、俺は正直畏敬の念を覚えていたのだ。
 俺にはそんなことはできない。だって、俺にとっての一番は、俺自身に他ならないのだから。

「……そうか。わかった。衛宮士郎、オレは、お前をもう未熟者とは言わん。お前はオレにとって、絶対に倒さねばならない『敵』だと認識する」
「ふん。もともと敵同士だっただろうが。何を今更」
「……そうだな。確かに、今更だ」

 どこか、苦笑めいた声だった。

 ―― I am the bone of my sword.

「先輩! アーチャーは明らかに宝具を使おうとしています! 阻止しましょう!」

 決然と唱えた文言は、魔力を宿さずとも世界に語りかける荘厳な響きを伴っていた。
 その雰囲気だけで察したのだろう。マシュがそう訴えてくるも、俺は首を左右に振って、それを拒否した。

 黙って見守る。それは、決して男の生き様を見届けるためなどでは断じてない。
 俺は奴の固有結界を見ることに意味があるから黙っているのだ。奴もそんな打算などお見通しだろう。
 だが、それでも、力で押し潰せると奴は考えている。そしてそれは正しい。エミヤが固有結界『無限の剣製』を発動すれば、今の未熟なマシュと、不出来な俺は押し負けてしまうだろう。唯一の手段は、俺も固有結界を展開して、奴と心象世界のぶつけ合い、打ち勝つことだけ。

 エミヤが望んでいるのはそれだろう。自分の世界で、俺の世界に勝つ。そうしてこその勝利だ。

 だが――



 ――So as I pray, unlimited blade works.



 詠唱が完成する。紅蓮が走る。世界が広がり、世界が侵食されていく。
 見上げれば、緋色の空。無限の剣が突き立つ紅の丘。
 空の中で巨大な歯車が回っている。その枯渇した威容がエミヤの心象を物語っていた。

「――固有結界、無限の剣製。やれやれ、俺には一生を掛けてもこんなに宝具を貯蔵したりはできないな」

 苦笑する。周囲を見渡して改めて、格の違いというものを思い知った。

 どれだけ戦い続けて来たのか。何もかもを犠牲にして、理想のために歩み続けてきた男の結実がこれか。
 盗み見た己の矮小さ、卑小さが滑稽ですらある。

「どうした、見ただけで戦意を喪失したのか、衛宮士郎」
「まさか」

 試すような言葉に、俺は失笑した。
 俺の辞書に諦めるという言葉は載っていない。
 そして、勝算もなく敵の切り札の発動を許すほどおろかでもない。

「――卑怯だと思うか? なら、それがお前の敗因だ」
「なに?」

 俺は、言った。

 気配を遮断したまま、エミヤの背後にまで迫っていたサーヴァントに。



「やれ、アサシン。宝具展開しろ」



 エミヤは直前になって気づいた。固有時制御によって体内時間を遅延させて潜伏していた状態を解き、攻撃体勢に入ったがゆえに気配遮断が甘くなった第三者に。

「な――」
時のある間に薔薇を摘め(クロノス・ローズ)

 そして。敏捷A+ランクのアサシンが、三倍の速度で奇襲を仕掛けてきて、それを防げるだけの直感を、彼は持っていなかった。

 見るも無惨な、芸術的な奇襲。

 急所を狙った弾丸の洗礼を、腕を犠牲に防いだエミヤに。
 容赦なくトドメのため、彼の起源を利用して作成されたナイフを投げ放つ。
 心臓に直撃を食らったエミヤは、その暗殺者の面貌に、驚愕のあまり目を見開いたまま――固有結界を崩壊させ、物も言えぬまま消滅していった。

「――お見事、暗殺者」
「そちらこそ、我が主人」

 面白味もなく、アサシンは己の戦果を誇りもしなかった。




 

 

それでいいのか士郎くん





 いつしか変質してしまった聖杯戦争。

 万能の杯に満たされたるは黒い泥。

 その正体の如何など、最早どうだっていい。重要なのは、この聖杯がために世界は滅びたということだ。
 度しがたいことに、この冬木に於ける首魁は我が身である。聖杯を与えるなどという甘言に乗せられて、愚かにも手を取ってしまった小娘の末がこれだった。

 ……小娘とてなんの考えもなかったわけではない。自らに接触してきた者が人ならざるモノであることを見抜き、その思惑を打ち砕くために敢えて奴の傀儡となったのだ。
 そして掴んだ聖杯を、小娘は使わなかった。
 ほぼ全てのサーヴァントを打倒して我が物とした聖杯を。手に入れることを切望した聖杯を。使わずに、何者の手にも渡らぬよう守護していたのだ。
 この変質した聖杯戦争の裏に潜むモノの思惑を薄々感じ取り、聖杯の使用は何か致命的な事態を引き起こすと直感したがためである。
 しかし、出来たことと言えばそれだけ。聖杯は呪われていた。なにもしなくとも、聖杯は膨張した呪いを吐き出し、結果として世界は滅びてしまったのだ。小娘のしたことなど、所詮は徒労。滅びを遅らせるのが精々だったのである。

 だが、すべてが無駄だったわけではない。滅びが緩やかなものとなったお陰で、『あること』を知ることができたのだ。

 この特異点は、人類史を焼却するためのもの。即ち人間界のみならず、世界そのものを焼き払う所業だったのである。
 そうなれば、たとえば人の世界より離れた幽世『影の国』もまた焼却されて滅びるということ。そして、影の国すら滅ぶということは、あの妖精郷(アヴァロン)すらも危ういということになる。
 今でこそ無事だが、2016年を境に余さず滅相され燃え尽きるだろう。そして未来に於いてアヴァロンが滅びるということは、そこにいたアーサー王もまた滅んだ、ということだ。

 英霊の座に時間の概念などない。

 死に至ったのなら、英雄は一部例外を除いて座に招かれることになる。

 アーサー王は、アヴァロンにて眠りにつく定めだった故に、死しても英霊の座に招かれることはないはずだったが、そのアヴァロンが無くなるとなると『死んだ』という事実だけが残り、英霊の座に流れていくことになった。
 それは人類史が滅びるが故の異常事態である。もしも人類史が焼却を逃れ、復元されれば、アーサー王が英霊の座に登録されたという事実も消え、アヴァロンにて眠りにつくことになるだろうが、それはまだ先の話。

 否、夢物語か。

 現時点のアーサー王は既に生者ではなく英霊として存在している。順序が逆のあべこべな状態だが、それは間違いない。
 故にこそ、この冬木に在るサーヴァントのアーサー王は、自分が平行世界の聖杯戦争で戦い、そこで得たものの記録を共有することになったのだ。

 ――よもやこの私が、な……。

 聖杯に侵され、黒く染まり、属性の反転した我が身ですら微笑をこぼしてしまうほどの驚きだった。
 まさか平行世界で自分がこの時代に召喚され、仰いだマスターを女として愛する可能性があったなど、まさに想像の埒外の出来事であったのだ。
 黒い騎士王は鉄面皮を微かに崩し一瞬だけ微笑む。だが、それも本当に一瞬だけ。騎士王を監視する者も気づくことはなかった。

 蝋のような病的に白い肌、色の抜けた金の髪、反転して掠れた黄金瞳。

 ぴくりともせず、黙って聖杯を見つめ続ける。
 その絶対悪を無感動に眺め、佇む姿は彫像のようであった。
 この特異点の黒幕とも言える存在の傀儡となって以来、ただの一度も口を開かずにいた騎士王は――その時(・・・)になって漸く、氷のような表情にさざ波を立てる。
 黒い鎧を軋ませて、この大空洞に至る入り口を振り返った。

 ――アーチャーが敗れたか。

 それは、確信だった。鋼のような気配が乱れ、消えていくのをはっきり感じたのだ。

 赤い外套の騎士、アーチャーはこの聖杯戦争で最も手こずった相手である。
 もとが大英雄であるバーサーカーは理性無きが故に、赤い弓兵ほどには苦戦せず、その他は雑兵のような英霊ばかりであった。もしもあのキャスターが槍兵のクラスだったなら最も手強い強敵と目したろうが所詮はドルイド、反転して低下したが、極めて高い対魔力を持つ騎士王が正面から戦えば敵足り得るものではない。
 そんな中、英霊としての格は最も低かったであろう赤い弓兵は、徹底してまともに戦わず、遅延戦術を選択して遠距離戦闘をこちらに強いた。マスターを失っても、単独行動スキルがあるためか逆に枷がなくなったとでも言うように――魔力が尽きるまでの二日間、黒い騎士王を相手に戦い抜いたのである。

 見事である。その戦果に報いるように騎士王はアーチャーを打ち倒した。彼の戦いぶりは、それほどまでに見事なものだった。
 そして、反転した騎士王の手駒となってからは、アレが騎士王の許に寄れぬように、門番となって守護する者になることを選んだ。その在り方は、騎士王をして見事と言えるものだった。円卓にも劣らぬとすら、胸中にて誉め称えたものだ。

 そんな男が、戦闘をはじめて半刻もせずに倒されたとは、にわかには信じがたい。

 ――いや。あの男の持ち味は、冷徹なまでの戦闘論理にある。泥に侵され思考能力が低下すれば、案外こんなものか。

 加えてあの場所は、弓兵として十全に戦える戦場でもなかった。ある程度の力を持つ者なら、あの男を打倒することは決して不可能ではないだろう。
 しかし問題は、誰があの男を倒したかだ。
 唯一の生き残りであるキャスター、アイルランドの光の御子は、槍兵のクラスだったなら近距離戦でアーチャーを一蹴するだろう。あの大英雄には矢避けの加護もある。相性の良さから騎士王が手こずったほど苦戦することもなかったはずだ。
 だが、光の御子はキャスターとして現界した故に、アーチャーの弓を凌ぐことはできても詠唱できず、攻勢に回ることができなかったはずだ。しかも、黒化したサーヴァントに追われ、ゲリラ的に戦い続けている最中でもあったはず。聖剣すらも凌いで逃げ切る辺り呆れたしぶとさだが、逆に言えばそれだけで、単独でこちらに攻めかかることは出来ないはずだ。

 では、誰が。

 ――なるほど。異邦の者達か。

 暫しの沈思の末、騎士王は思い至った。人類が滅びるほどの事態、抑止力が働かぬ道理なし。されど、この滅びは既に決定付けられている。既に滅んでいるのだ、滅んだものに抗う術などあるはずもなく、必然、抑止力が働くことがあるはずもなし。
 であれば答えは自明。過去に因果なく、現在に命なしとなれば、特異点と化したこの時代を観測する術を持った未来の者しか介入は出来ない。
 異邦の者が人理を守らんがために過去に飛ぶ――出来すぎた話だ。都合が良すぎる。しかし、そんな奇跡がもしあるとしたなら……この身は試練として立ち塞がるしかないだろう。

 既に滅んだものを救おうというのなら。滅びの運命を覆さんとするのなら。――魔術王(・・・)の偉業に荷担する羽目になった小娘一人、打ち倒せずして使命を果たせるわけがない。

 ――私を超えられもせず、聖杯探索(グランド・オーダー)を果たしきれるはずもない。超えて魅せろ、この私を。

 王としての矜持か、意図して屈するような腑抜けにはならない。むしろ全力で迎撃し、これより聖杯を求めて来るだろう者達を滅ぼす腹積もりであった。
 全力の騎士王を打倒してこそ、はじめてグランド・オーダーに挑む資格ありと認められる。そう、騎士王アルトリア・ペンドラゴンは信じていた。
 信じていたのだ。

 その男(・・・)を見るまでは。







 ――弓兵を倒し、先に進んだ。

 何か物言いたげなマシュの頭に手を置き、今は勘弁してくれと頼んだ。
 嘆息一つ。仕方ないですね、とマシュは微笑んだ。困ったようなその笑顔に、やっぱりマシュはいい娘だなと思う。普通、あんな卑劣な戦法を取った奴に、そんな含みのない笑みを向けられるものではない。
 しかし、「勝つためなら仕方ないです。この特異点をなんとかしないと、人類が危ないんですから」と言われた時は、流石に閉口してしまいそうだった。無垢なマシュが、自分に影響されていくようで、なんとも言えない気持ちになったのだ。

 ――それでも、もう心は固めている。特異点となっているのが冬木と聞いた時から、覚悟は決めていた。

 進んだ先に、顕現した聖杯を仰ぎ見る。十年前に見て、破壊した運命を直視する。
 そして、その下に。
 いつか見た女の姿を認めて、俺は一瞬だけ瞑目した。

「先輩? どうかされましたか?」

 まだ、マシュは気づいていないのだろう。鷹の目を持つ俺だから先に視認できただけのことだ。突然立ち止まった俺に声をかけてくるマシュに、口癖となった言葉を返す。なんでもない、と。

 ――目が、合った。

 気のせいじゃない。黒く染まった騎士王が、黒い聖剣を持つ手をだらりと落とし、驚愕に目を見開く姿を見た時に、俺は悟っていた。
 ああ。あれは、俺の知るセイバーなんだ、と。
 理屈じゃない。『衛宮士郎』と絆を結んだセイバーじゃなくて、俺に偽られていた女なのだと言語を越えた部分で直感したのだ。
 天を仰ぐ。なんて悪辣な運命なのか。もしここにセイバーがいたとしても、顔が同じなだけの他人として割りきり、俺は迷わず戦闘に入っていただろう。だが、なんでかここにいるのは俺のよく知る騎士王だった。

「……悪く思え。俺は、お前を殺す」

 好きになってしまって。
 でも、死にたくないからと偽って。
 本当の自分を、ただの一度もさらけ出さなかった。

 ――シロウ。貴方を、愛しています。

 その言葉は果たしてこの身の欺瞞を見破った上でのものなのか。彼女が愛したのは、『衛宮士郎』なのではないか。
 怖くて聞けなくて。そして、何よりも。

 生き残る為に『衛宮士郎』を成し遂げた達成感に、これ以上ない多幸感に包まれて、彼女を偽っていた罪悪感を忘れた俺に、今更会わせる顔などあるわけがなかった。
 俺は『衛宮士郎』ではない。事実がどうあれ、俺はそう信じる。俺が『衛宮士郎』ではない証拠など何もないが、信じて生きていくと決めていた。
 だから躊躇わない。黒弓を投影し、後ろ手に回した手でハンドサインを送ったあと、マシュに戦闘体勢に入れと指示を出した。

 呪われた大剣、赤原猟犬(フルンディング)を弓につがえる。決意を固めるため、言葉を交わすこともせず、俺はもう一度、自分に言い聞かせるために呟いた。

「セイバー。――お前を、殺す」

 最低な言葉。

「お前が愛したのは、俺じゃない」

 あの思いを、否定する。

「俺はあの時の俺じゃない」

 愛した女への思いを忘れ去る。

「許しは乞わない。罵ってもいい。殺そうとしてもいい。だが殺されてやるわけにはいかないんだ。俺は死にたくない。こんな場所が俺の死に場所なわけがない」

 なんて、屑。

「俺に敵対するのなら、死ね」

 ――心を固める。魂が鋼となる。
 最後に、しっかりと言葉に出して、俺は宣言した。

「勝ちにいく。奴を倒すぞ、マシュ。俺と、お前とでだ」
「はいっ!」

 勝算はある。だってアルトリア。あの日、お前と共に戦ったことを、俺は今でも覚えているのだから。






 

 

約束された修羅場の士郎くん!

■約束された修羅場の剣(上)




 一人の愚か者が、その女を愛していたのだと気づいたのは、全てが終わってからだった。

 その時の俺は『衛宮士郎』の演目を終え、無事に生き延びたことに無上の達成感を覚えていた。
 第五次聖杯戦争を勝ち抜き、これでもう俺は赤の他人を演じる必要を無くして――本当の自分を出して生きていけると思い、絶頂するほどに興奮したのだ。

 『衛宮士郎』をやめて周囲の者に「変わったな、衛宮は」と言われるようになった。後味の悪さを覚えても、俺はそれを否定しなかった。俺は変わったのではなく、他人を演じるのをやめただけなのだと、わざわざ告白するようなことはしなかった。
 バイトはやめなかったが、色々なことを始めた。野球、サッカー、水泳、陸上……将棋に囲碁に、語学に料理。思い付く限りのことに手を出した。

 何をしても楽しかった。何をしなくても充実していた――なのにどこか物足りなかったのは何故か。

 漠然と、完成したはずのパズルに、最後のピースが足りないと思った。何が足りないのか。考えてもよくわからず、暫くのあいだ首を捻りながら過ごした。
 高校を卒業後、何かに追いたてられるようにして冬木から飛び出した。何かにつけて『衛宮士郎』と俺を比較する周囲の人間に耐えられなかったのもある。慎二を亡くし、いっそう儚くなった桜をどうにかしたいと思ったのもある。

 だが俺は、それよりも別の何かを追い求めていたのだ。

 胸の中に空いた空白。それの正体に気づけたのは、冬木を飛び出すや真っ先にイギリスのアーサー王の墓に足を運んでしまっていたからだ。
 なぜ、自分はこんなところに来ているのか。呆然と墓を眺めて、俺は漸く悟った。
 いつの間にか料理をたくさん作りすぎるようになったのも。武家屋敷の道場を何をするでもなく眺めるようになっていたのも。何度も同じ道を辿って歩くようになっていたのも――全て、セイバーと共有した思い出に、未練を抱いていたからなのだ。

『ああ――』

 すとん、とその事実は胸に落ちた。

 一目見たあの時、恋を知って。
 日々を共にして思いを深めて。
 体を重ねて情が移って。
 いつしか俺は、彼女のことを心から愛し、その感情に蓋をして――






「赤原を()け、緋の猟犬――」






 ――魔力の充填に要するのは四十秒。黒弓につがえられた魔剣が、はち切れそうなほどの魔力を発する。
 迸る魔力が、解き放たれる寸前の猟犬を彷彿とさせた。狙った獲物に今に食いつかんと欲する凶悪な欲望を垂れ流している。
 単身、突撃していくマシュを視界に修めつつ、俺は食い入るようにこちらを見る黒い騎士王に、これまでの全ての思いを込めた指先で応えた。
 ぎり、ぎりり、ぎりりり……! 黒弓の弦に掛けられた指が。つがえられた魔剣が。俺の中にある雑念を吸い上げ、燃料として燃えている錯覚がした。
 そうだ、全てを吸え、呪いの魔剣。心の中で呟く。そして行け、忌まわしき記憶と共に。

 マシュが、俺の指示を守り、防御を固めた体勢のまま騎士王に挑みかかる。視線をこちらに向けたまま、凄まじい魔力放出と共にセイバーはマシュを吹き飛ばした。
 一度、二度、三度。幾度も同じことを繰り返し、何を苛立ったのかセイバーはマシュに向けて渾身の剣撃を叩き込んだ。成す術なく薙ぎ払われ地面に叩き伏せられるも、受け身をとってすぐさま跳ね起きたマシュだったが――眼前にまで迫っていたセイバーの姿に、ハッと身を強ばらせてしまった。
 ちょうど、四十秒。あわや、というところを狙い、遂に赤原猟犬を解き放つ。解放の雄叫びをあげるように、魔剣は獲物目掛けて飛翔した。音速の六倍の早さで飛来した魔剣、されど一瞬たりともこちらへの警戒を怠っていなかった騎士王は両手で聖剣を振りきって俺の魔弾を弾き返した。

 だが、一度凌がれた程度で獲物を諦める猟犬ではない。

 射手が狙い続ける限り、何度でも食らいつき続ける魔剣の脅威は並みではない。弾き返された魔弾はその切っ先を再度騎士王に向けて、執念深く襲いかかっていった。
 それを目にしながらも手を止めない。新たに偽・螺旋剣を投影する。
 壁役のマシュが足止めし、俺が狙撃する。セイバーの癖は知り抜いていた。必勝の機を作り出すのは不可能ではない。このままフルンディングで食い止め、カラドボルグを射掛ける。そして二つの投影宝具をセイバーの至近距離で爆発させれば仕留められる。そこまで上手くいかずとも確実なダメージを狙えた。

 だが、それ(・・)を見て俺はぼやいた。

「やはり既知だったか……」

 アーチャーと交戦した経験でもあるのだろう。セイバーは猟犬が再び噛みついてくることを知っていた。素早く身を翻して回避し、マシュと魔剣が一直線上に結ばれる位置になった瞬間、黒い聖剣の真名を解放した。

 ――卑王鉄槌。極光は反転する。光を呑め、約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)

 果たして解放された聖剣の極光は魔剣を呑み込み、マシュをもその闇で粉砕せんと迫った。
 それを、マシュは宝具を疑似展開し、なんとか防ぎきる。カラドボルグほど苦しくはなかっただろう。あの盾は、円卓ゆかりの宝具に対してすこぶる相性がいい。例え騎士王の聖剣でも、否、聖剣だからこそ破るのは困難だろう。
 盾を解析し聖剣を知っていたからこそ、それを見越してマシュに前衛を頼んだのだ。そうでなければ、マシュ一人に前衛を任せられはしない。

「……偽・螺旋剣」

 無造作にエクスカリバーの撃ち終わりの隙を突き、冷徹に投影宝具を投射する。
 魔力の充填は不十分。本来の威力は期待できない。だがそれがどうした。セイバーがこの特異点で、アーチャーと交戦し下しているのは既知のこと。あの男の固有結界から引き出した魔剣を、セイバーが見知っていても不思議ではない。
 故に赤原猟犬(フルンディング)を餌とした。セイバーなら、迷わず魔剣とマシュを同時に破壊するために聖剣を解放すると分かっていた。
 その上で確実に隙を作れる。故のフルンディング、魔力が充填されておらずとも一定の効果が見込めるカラドボルグなのだ。

 音速で奔る偽・螺旋剣を、しかし騎士王には直撃させない。この投影宝具は張りぼて、聖剣の一振りで砕かれる程度の代物。聖剣がぎりぎりで届かない程度の間合いを通過し、周囲の空間ごと削る虹の魔力で騎士王を絡めとるのが関の山。

 だがそれでいい。

「はぁぁあ――ッ!!」

 聖剣を防いだ体勢のまま……疑似展開された宝具を構えたままマシュが光を纏ってセイバーに突進した。
 巨大な壁となってぶつかってくるマシュを、黒い騎士王は跳ね除けることが出来なかった。有り余る魔力で押し返そうにも、疑似とはいえ展開された盾の宝具をどうこうできるものでなく、聖剣の真名解放をしようにも偽・螺旋剣の空間切削に体を巻き取られて体勢を崩しているため不可能。果たしてマシュの突撃をまともに食らったセイバーは、切り揉みしながら吹き飛んだ。
 フルンディングとカラドボルグ、前者が先に破壊されたパターンの時、どうすればいいかあらかじめ指示を出していたとはいえ、よく合わせたとマシュを誉めてやりたかったが、まだ仕事は終わっていない。
 宝具を展開したままという、体にかなりの負担を強いる戦法を取らせたが、その程度の無理もせずして騎士王に有効な攻撃を当てるのは無理な話だ。

 俺は吹き飛んだ騎士王に向け、一瞬の躊躇いもなく、淡々と無銘の剣弾を叩き込む。予測通り騎士王の反応は遅れ、無銘の剣弾は騎士王の眉間に吸い込まれていった――








「やった!」

 マシュが快哉を叫ぶ。
 はじめ、マスターである士郎から、セイバーの真名を聞かされた時は不安にもなったが、士郎の言う通りに動いただけで面白いように上手くことが運んだ。
 さすが先輩と両手を広げ、体全体を使い賞賛の意を表現する。そこに、宝具を酷使して疲弊させられたことに対する不満はない。マシュの中には、やるべきことをやれたという誇らしさがあるだけだ。

 トドメとなる剣弾を、士郎が放った。

 それは狙い過たず騎士王の眉間に吸い込まれていった。
 直撃したように見えて、マシュは勝ったのだと思い士郎の方へ駆け寄ろうとしたが……何故か、士郎は顔色を険しくし、無言で次々と騎士王へ剣弾を撃ち込み続ける。
 塵すら残さぬとでも言うような死体に鞭打つ非道。さしものマシュも面くらい、何をしているのかと問い掛けようとして……緊迫した士郎の顔がそれを許さなかった。

 射掛けられた剣弾が次々と着弾、爆発を繰り返し、土煙が巻き起こる。それを目を細くして眺め、残心していた士郎だったが、ややあってぽつりと呟いた。

「……流石」

 顔に表情はない。しかし短い賞賛の言葉が嬉しげなものに聞こえたのはなぜなのか。

 え? とマシュは呆気に取られた。竜巻の如き魔力放出が場を席巻する。予想だにしない事態にマシュは泡をくって動揺しそうになった。
 黒い風によって土煙が吹き飛ばされる。同時、士郎が叫んだ。

「マシュ、カバーだ!」

 反射的にマシュは士郎の元に馳せる。だが、遅かった。
 マシュを追い抜き、黒い砲弾が士郎に襲いかかる。

「マスター!」

 少女が悲鳴のような声をあげた。士郎は事前に干将と莫耶を投影し、腰に帯びていたお陰で、なんとか反応することに成功する。
 黒い聖剣による振り下ろし。弓を捨てながら双剣で受け、流して後退。凄まじい剣撃に膝をつきそうになりながらも、ほぼその威力を地面に逃がすことに成功した。地面が陥没し弾け飛ぶように下がった士郎に、更に深く踏み込んできた騎士王が聖剣を振るった。

 二撃、三撃、四撃と受け流しながら後退するも、双剣が砕けた瞬間に次の投影をさせじと、足元で魔力をジェット噴射し、息を吐く間も与えず斬りかかる。
 果たしてマシュは間に合わなかった。武器を無くした士郎は両手を空のまま、首に突きつけられた聖剣を前に膝をつく。

「……」

 二人の目が合い、一瞬見つめ合う。様々な感慨が胸中に過り、まず口を開いたのは漆黒の騎士王だった。

「……強くなりましたね、シロウ」
「……敵を前にお喋りか。余裕だな」
「ええ。それほどに、彼我の戦力はかけ離れている。惜しいところでしたが、今回は私が上回った。それだけのことです」

 言った騎士王の左腕は折れている。黒い甲冑もほとんどが破損し、全身無事な箇所の方が少ない有り様だった。
 それでも、なお騎士王は士郎を上回っている。否、片手でも全力の士郎を捩じ伏せられるだろう。

「貴方の容貌がアーチャーと同じものになっていたことには驚きました。しかし、一目で貴方だと私にはわかった」
「……」
「貴方も、そうであるはずだ」
「……どうかな」

 呟き、士郎はちら、とマシュを一瞥した。こっちに来るな、と視線で制する。

「だが私以外の者をサーヴァントにするとは、捨て置けることではありません。しかもよりにもよって彼の英霊の力を持ったサーヴァントとは……」
「……お陰さまで、相性はいいようだがな」
「そうでしょう。穢れのない高潔な彼と、穢れをよしとしない貴方は確かに相性はいいかもしれない。しかし、それとこれとは話は別だ」
「……ふん」

 静かに糺す騎士王に、しかし士郎は無感情に呟いた。

「もう勝ったつもりでいるのは結構だがな。勘が鈍ったかセイバー」
「――」

 刹那、士郎は挑むようにかつてのサーヴァントを睨み付ける。ぴり、と騎士王の首に悪寒が走った。
 ――背後から回転しながら飛来する双剣。背後からの奇襲に、見えていないにも関わらず咄嗟に反応。騎士王は振り返り様に聖剣を一閃し、一撃で双剣を砕いた。
 だが、その隙を逃す士郎ではない。背中を蹴りつけて自身も後ろに跳び、間合いを離しながら黒弓と剣弾を投影。射掛けながら更に後退する。

「馴れ合うつもりはないぞ、セイバー」
「ならば、手足を折ってでも付き合ってもらいます」

 驚異的な回復力だった。秒刻みで全身の傷が癒えていく様は、あと数分で全快することを教えてくれる。
 マシュは、今度こそ士郎に駆け寄り、その盾となるべく身構えた。

「……プランBだ。畳み掛けるぞ、マシュ」
「はい。行きましょう、わたしも全力を尽くします」

 寄り添い合うその様を、無表情に、しかし苛立たしげにセイバーは睨み。
 いざ、決戦となる段で。

 不意に第三者の声が響き渡った。





「――よう、楽しそうじゃねえか。オレも混ぜてくれよ」





 それは、この戦局を動かす想定外の要素。

 ドルイドの衣装に身を包んだケルト神話最強の英雄、光の御子クー・フーリンが、士郎達の背後に参上していた。







 

 

約束された修羅場の士郎くん! 2

■約束された修羅場の剣(中)



「……貴方か、キャスター」

 忌々しげに吐き捨てたセイバーの殺意が、半ば八つ当たりのように一点に集中し、聖剣の切っ先が微かに揺らいだ。
 それは動揺というより、新たな獲物に対する威嚇行動に似ている。黄金の瞳が殺気に彩られて凄絶に煌めき、主の鬼気に応えるように黒い聖剣が胎動する。
 セイバーは明らかにこちらを邪魔者と断じている。ドルイドのクー・フーリンは苦笑した。なにやら因縁を感じさせる両者の間に割って入るのは、実のところ気の引けることではあった。
 だがこれは変質したとはいえ聖杯戦争。その参加者であるクー・フーリンは、騎士王と同じく当事者である。にもかかわらず、異邦のマスターとそのサーヴァントに全てを任せきりにしたままというのは……流石に無責任というものだ。

 筋骨逞しい赤毛のマスター。宝具の投影という異能を振るう魔術使い。あの弓兵に酷似した――否、肌と髪の色以外、完全に一致する容貌と能力の男が、己がサーヴァントと共に慎重に立ち位置をズラす。
 それは、新たに現れたクー・フーリンを警戒してのもの。当たり前の姿勢。不用意に友好的な姿勢を示さないのは当然のことだ。赤毛のマスター、衛宮士郎は様子を窺うようにして、キャスターのサーヴァントに問いかける。

「……突然の参入だが、こちらに敵対する意思は?」
「それはねえから安心しな。そっちの事情は知らねえが、俺はこの戦争を終わらせるつもりでいるだけだ」
「……なるほど、流石アイルランドの光の御子。この異常事態にあって為すべきことを心得ていると見える」
「アーチャー似のマスター、世辞をくれんのは結構だが、いいのかい?」

 意味深に問い返すキャスターに、訝しげに士郎は反駁した。

「何がだ」
「見るからに因縁深そうな感じがするが、俺が割り込む事になんの遺恨もないのか、ってことだ」
「少し気になるが。あんたには以前、世話になったことがある。邪険には出来ない」
「あん? どっかで会ったか」

 キャスターは杖で肩を叩きつつ、眉根を寄せて士郎を見る。……しかし思い当たる節がないのか、なんとも気まずそうに目を逸らした。

「……わっりぃ。見覚えねぇわ。お前さんみたいな骨太、忘れるとも思えんが」
「無理もない。あの頃の面影など残ってないからな。俺としても思い出してほしいわけではない。気にするなランサー。俺が勝手に恩に着ているだけだ」

 お? とキャスターは眉を跳ねあげた。士郎は今、己を槍兵と呼んだ。つまり槍兵の自分と会ったことがあるということだが……それよりも。先程までの重苦しい表情がほぐれ、不敵な笑みを浮かべるこの男ときたらどうだ。
 まるで、否、真実歴戦を経た戦士なのだろう。己の成してきたことに誇りを持っていなければ出来ない顔だ。容姿と能力こそあのいけ好かない弓兵だが、中身はまるで違うらしい。
 ともするとあの弓兵の生前の人物なのかとも思っていたが、今キャスターの中で弓兵と目の前の男は完全に乖離した。自然キャスターの顔にも笑みが浮かぶ。

「……いいな、アンタ。一時の関係とはいえ、共闘相手としちゃ申し分無い。この一戦に限るだろうが、よろしく頼むぜ、色男」
「は。細君に師、女神に女王、おまけに妖精とまで関係を持った伝説のプレイボーイにそう言われると、なんとも面映ゆい気分だ。……こちらこそ宜しく頼む。主従ともに未熟者だ、ドルイドの導きに期待する」
「言うねえ。ああ、男のマスターとしちゃ理想的だ。気の強いイイ女ってのが女のマスターの条件だが、男のマスターってのは不敵で、戦に際しちゃ軽いぐらいがちょうどいい。肩を並べるに値する(つわもの)なら更に言うことなしだ」

 まさかのべた褒めに士郎は面食らったが、マシュは自分のマスターを誉められて悪い気はしないらしい。一気に機嫌を良くして、キャスターをいい人認定したようだ。

「キャスターさん、わたしも宜しくお願いします。歴戦のサーヴァントの立ち回り、参考にさせていただきますね」
「おう。こっちもよろしくな、盾の嬢ちゃん。見てたぜ、あの聖剣を防ぎきるとは大したもんだ。俺の方こそ当てにさせてもらう」

 にやりと笑うキャスターだが、実際その力が対魔力を持つセイバーに通じるものか疑問がある。が、彼はアイルランドの光の御子。勝算もなく出てくるとも思えない。何か切り札があるはずだ。

 ――騎士王は黙ってそのやり取りを見つめていた。

 それは騎士道精神から来る静観ではない。盾の娘はともかくとして、キャスターも士郎も、こちらが動く素振りを見せれば即座に対応できるように警戒を怠っていなかっただけのことだ。
 彼女は、自身に対魔力があるとはいえ、決してキャスターを侮ってはいなかった。純粋な魔術師の英霊ならば戦の勘も薄く、恐れるに足りないが、クー・フーリンとは歴戦の勇士。槍兵として最高位に位置し、個人の武勇で言えば間違いなくアーサー王を上回る大英雄だ。
 生涯を戦いだけに生きた生粋の戦士と、戦いだけに生きるわけにはいかなかった王とでは、どうしたって差が出るものである。今のクー・フーリンは魔術師だが、その戦闘勘が鈍っているわけではない。鈍っていれば己の聖剣の一撃を凌ぎ、他全てのサーヴァントに追われながらここまで生き延びられるわけがないのだ。

「……キャスター。ランサーやアサシン、ライダーはどうした。貴公の追撃に出していたはずだが」
「ああ、奴等なら燃やし尽くしたぜ」

 問うと、キャスターはあっさりと言い放った。
 それはつまり、単独で、マスターもなく、潤沢な魔力供給のあったアサシンらを始末したということ。
 流石に、英雄としての格が違う。槍がないからと侮るのはやはり危険だった。

「んなもんで、バーサーカー以外で、残ったのはお前さんだけだ。厄介なアーチャーもいねえ、心強い共闘相手がいる、俺としちゃここまでの好機を逃す理由がないわな」
「……消えかけの身で、私とシロウの間に割って入る愚を犯すとは、よほど命が要らないらしい。いいだろう、相手にとって不足はない。私に挑む蛮勇、後悔させてやる」

 ぴり、と空気に電撃が走る。キャスターとセイバーは互いに身構えていた。
 士郎はそんな両者を見比べ、己の状態を省みる。
 ……些か無理が過ぎたのか魔術回路が限界に近い。魔力は底が見え始め、体にガタが出ている。
 マシュだって気丈に振る舞っているが、戦いの経験がなかった精神は限界だろう。その上でキャスターは消えかけときた。
 対し、セイバーは時を置くごとに回復していく。折れていた左腕以外、既に元通りという有り様だ。時間はセイバーの味方、長期戦はこちらに不利。……であれば不利の要因を一つでも解消しなければならない。

 士郎はキャスターに素早く駆け寄り、その肩に手を置いた。

「キャスター。パスを繋ぐ、受け入れてくれ」
「あ? いいのかよ、魔力はそこの嬢ちゃんに供給するだけで精一杯じゃねえのか?
「いや、供給源は俺じゃない。カルデアという、俺のバックにある組織のシステムから流れてくる。俺の負担になることはないし、これも一時限りの仮契約だ。不服はないはずだが、どうだ?」
「いいぜ、お前さんなら文句はねえ。仮とはいえマスターとして認めてやる。繋げよ」
「ああ」

 肩に触れている手から、霊的な繋がりをキャスターに結ぶ。
 すると、キャスターは異なる次元から流れてくる魔力を確かに感じた。へえ、こりゃいい、と感嘆する。
 予想以上に潤沢な魔力――のような何かだ。不足はない。現世への楔となる依り代、マスターの器にも不満はなかった。マスター運も上向いてきたらしい、と好戦的に笑う余裕も出てきた。

 それに、士郎は誰かに見せつけるように笑い、言った。

「……俺のサーヴァント(・・・・・・・・)はこれで二人になったわけだが、まさか卑怯とは言わないよな、セイバー?」
「……」

 ぴくり、と騎士王の肩が揺れる。
 そしてやおらキャスターを睨み付けると、静かに言った。

「……シロウに盾のサーヴァント、そこにキャスターが加わるとなれば、流石の私も分が悪い。敗色濃厚なのは認めざるを得ないでしょう」
「へえ、負け腰じゃねえか聖剣使い。そんなんで俺らの相手が務まるのかい?」
「さあどうだろうな。しかしなんにしても言えるのは一つだ。……盾の娘は、特別によしとしてもいい。だが貴公は赦さないぞ、光の御子。刺し違えてでも貴公だけは討つ」
「は……?」

 突然の宣言に、クー・フーリンといえども呆気にとられた。そしてその横で、小さくガッツポーズを取る男が一人。キャスターは悟った。様々な無理難題を投げ掛けられ、また多くの悪女を知っている男である。この流れは実によく知っていた。

「テメッ!? 謀ったな?!」
「伊達に女難の相持ちではないということだキャスター。俺とマシュのため、当てにさせてもらう」
「ああそうかい! ちくしょう、マスター運に変動はありませんでしたってかぁ!?」
 ニヒルに笑い、黒弓に剣弾をつがえる士郎は、光の御子の発する陽気さに当てられたのか先程までの悲壮感はなくなっていた。
 親しき者でも、因縁の深い相手であろうと、語るべきことのある相手であろうと。今は、ただ勝つのみ。

 決戦の直前、士郎は少し軽くなった心で、かつての罪の証に語りかけた。

「セイバー」
「……なんですか」
「いつか、お前を喚ぶ時が来るかもしれない。積もる話もあるが……それは、その時までお預けだ」
「――」

 己の為したことは、決して許されることではない。だが無かったことにも出来ない。なら、いつかは向き合うべきで、そしてそれは今ではなかった。
 セイバーは暫し目を見開き、士郎を見ていたが、その硬質で冷たい美貌にうっすらと笑みを浮かべる。

「……ええ。その時を楽しみにしています。しかし、」
「ああ、お前の負けず嫌い、骨身に染みて思い知っているよ。だから気持ちよく負かしてやる。――来い、セイバー。お前の負けん気に、キャスターが付き合う」
「俺かよ!?」
「はい。行きます、シロウ。そして覚悟しろキャスター。どうにも今の私は気が荒ぶって仕方がない。後腐れのないように全てをぶつける!」
「あーもう! わぁったよかかって来いや畜生めぇ! なんかこういう役回りが多いと思うのは気のせいか!?」

 くす、とマシュは微笑む。
 突然起こった事件だけど、最後はどうやら後腐れなく終われそうだった。
 それに、マスターの士郎の心も晴れてきた。それはとても、いいことだと思う。

 ――決戦が始まる。しかし、そこに悲壮感はない。





 

 

約束された修羅場の士郎くん! 3

■約束された 勝利の剣(下)




 ――指示あるまで待機。別命を待て。

 大聖杯のある空間にまで至った時、マスターはそう言ってアサシンに潜伏を命じた。
 弓兵の時のように背中を刺せとでも言うのかと思いきや、どうやら違うらしい。
 有効な手段であれば何度でも同じことをしてもいいが、相手は伝説の騎士王。極めてランクの高い直感スキルを持ち、奇襲などの手段が有効になることはまずないのだという。

 であれば正面戦力としては脆弱と言わざるを得ないアサシンは騎士王に仕掛けるべきではない。手数として数えるよりも、手札として伏せていた方が応用が利くため最初は自分とマシュだけで当たり様子を見る。

 ……己のマスターの説明は明瞭であり、また誤った戦力の運用をしないとしたスタンスは正しいと判断した。ゆえにこそアサシンはマスターの指示に従ったのだ。
 己に下された指示は待機の他に二つ。一つがマスターかデミ・サーヴァントの少女、どちらかが危機に陥った場合これを助けること。つまり身代わり(スケープゴート)になれと言われたのだ。
 暗殺者が戦力として期待できないなら、戦力となる者のために盾とする――それは冷徹なようでいて実に合理的な判断である。

 アサシンはその命令を受諾した。そして、もう一つの指示が――

 (あれは……キャスターのサーヴァントか)

 周囲の観察に余念のなかったアサシンだからこそ、誰よりも先にマスターらの戦闘領域に向かう存在に気づけた。
 それは、マスターから説明された冬木の状況から推察するに、恐らくは聖杯に汚染されていない生き残りのサーヴァントであると考えられた。
 一瞬、足止めするかと考えたが、それはやめる。あのキャスターは冬木の聖杯を争うサーヴァント。であれば敵対すべきはマスターではなく、セイバーである騎士王だ。物の道理に沿い、合理的に考えたなら、まずマスターの協力者となるだろう。よほど性質の破綻したサーヴァントでもない限り、その思惑を裏切ることはあるまい。

 騎士王や聖杯に対する既知感、押し寄せる感覚を全て雑念として処理しつつ、アサシンはジ、とマスターからの指示を待ち続けた。

 ややあって、キャスターを味方としたマスターと、盾の少女が騎士王との戦闘に移った。どうやら問題なくキャスターを戦力に組み込めたようだ。やはり抜かりのないマスターだな、と思う。
 セイバーとの因縁も、問題なく感情と切り離して処理できている。感情的に振る舞っているようで、その実、極めて冷静な光をその鋭い眼光に宿していた。
 そして一見ふざけているようで、騎士王からのヘイトを上手くキャスターに押し付けて見せた。単独戦闘能力はもとより、計算高さもまた充分なものだと品定めをする。真にマスターとしての力量を持つか、これで判断できた。
 彼は、恐らくマスターとしての適正が極めて高い。合理的でありながら時として非合理的に物事を考え、結果として最善を掴む。実戦経験は豊富で、硬軟併せ持った思考能力を持つが故に物腰に余裕があり、対人関係(コンビネーション)に支障を来たすこともない。話してみたところ思想は善に傾き、余程歪んだ者でもない限り問題なく戦力として活用できる知性もある。加えて、かなりの戦上手でもあるな――アサシンはもう一つの指示を思い返し、胸中にて独語した。

 『不慮の事態を想定し、大聖杯の真下に伏せて周囲への警戒を怠るな』

 ……特異点という異常地帯では、常に想定外の事態が起こり得る。名将の資質とは、そういったものへの備えを怠らないこと。
 何があるか分からない――分からない(・・・・・)ということは戦場では最大級の危険であるのだ。そういったものに備えるのは当然である。
『予想外だったから防げなかった』というのは言い訳にもならない。未知のトラブルに対するカウンター措置を用意するのは武装集団としての鉄則であった。

 そういう観点から見ても、衛宮士郎はマスターとして申し分ない。彼なら上手くやるだろうとアサシンが信用できるほどに。

 (大聖杯の真下で待機か。位置も見晴らしもいい。ここからならマスターの戦闘も、作戦領域に侵入しようとして来る存在も見通せる。……唯一警戒すべきものが、最も近い位置にある聖杯の泥とはね。皮肉なものだ)

 下手に聖杯への注意を切れば、時折り溢れてくる泥に呑み込まれてしまう。そんな阿呆のような末路を晒すわけにはいかない。
 ことが人類史に関わる重大事である。この場にいる全ての者に失敗は許されず、特異点を修復し、定礎を復元するためならこの一命を賭す価値が充分あった。

(さて。お手並み拝見だ、カルデアのマスターさん)

 この身を捨て駒とする用意はあった。用いるか用いぬかはマスターが決めることだ。そこまでは関知しない。

 熱のこもらないアサシンの視線の先で、冬木最後の戦いが繰り広げられていた。









 ――流石に強いな。

 不遜だが、俺も頭数に入れると三対一になるというのに、黒い騎士王は一歩も退くことを知らなかった。その奮迅はまさに獅子の如し。彼女の実力をよく知る俺ですら瞠目するに値した。
 左腕は折れたままだというのに、押されているのはむしろこちらの方。このまま両腕をセイバーが取り戻したら、きっと戦局は絶望的なものとなる。

 だが、妙な気分だった。俺は黒弓に次々と矢をつがえ、目標に射ち込みながら独語する。

 視界が拓け、心が澄み、頭が冷たい。なのに胸は熱く、自身を俯瞰する視点にブレは微塵も現れない。
 限界は近い。指は固く、魔力も集中力も底を突きそうだ。……なのに何故だろうか。全く以て、負ける気がしなかった。

 マシュを前衛に押し出し、キャスターをその背面に配置して詠唱させる。自身はひたすらにセイバーへ矢を射掛けるのみ。それだけだ。大火力の攻撃は、キャスターに任せた。
 対魔力を突破できるのか。そう訊ねると、自信ありげに任せろと言われた。ならば信じるのみ。大言壮語で終わらない、英雄の言葉を信じずしてなんとする。
 マシュの動きも鋭さを増していく一方。身に宿した英霊の戦闘技術の継承がもうすぐ完了するのだろう。生き生きとし始めたのが傍目にもはっきりとわかる。

 射撃に徹する傍らで、時折り鋭く警告を発する。セイバーの動きの癖、思考パターンを洞察し、彼女の狙いがマシュからキャスターに、キャスターからマシュに移り変わるタイミングを何度も指摘した。
 セイバーの剣は基本に忠実な王道のもの。奇を衒うよりもその剛剣にこそ注意せねばならない。随所で、要所で、強力な剣弾を射出してセイバーの意識をこちらに向けさせて、キャスターやマシュの援護を完璧に果たす。
 セイバーは俺の矢を無視できない。一度は俺の矢であわやというところまで行ったのだ。投影した剣弾は爆発させれば充分な攻撃力を発揮する。俺から目を逸らそうものなら、なけなしの魔力を振り絞って宝具を投影し、決定打を放つ腹積もりでいた。
 それが分かっているからか、壁役のマシュの守りを叩きながら、キャスターに化け物じみた魔力を乗せた卑王鉄槌を撃ち詠唱を妨害しつつ、徐々に聖剣に魔力を込めていっている。
 起死回生、聖剣の一撃に賭けるつもりなのか。臨界にまで達した聖剣が黒い極光の柱となって膨張している。鉄壁の防御を固めたマシュをいなしつつ、遂に左腕を癒しきった騎士王が逆襲に走った。

 ――約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)ッ……!

 解き放たれる闇の剣。究極斬撃。キャスターを狙った人類最強の聖剣は、しかし展開された燐光の盾に防がれる。苦し紛れの聖剣は、この盾にだけは通じないと分かっているはずなのに……いや、これは!?
 俺は目を剥いた。聖剣の振り終わり、切って返す振り上げの一撃は、まだ瀑布のような魔力をまとっている!

 ――何回耐えられる、盾の娘! 行くぞ、約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)!!

 連発! 聖杯からの魔力供給は凄まじく、セイバーは聖剣の連射によって盾の守りを突破しようというのだ。なんたる力業、暴竜が如き息吹。
 アァァァ――ッ! マシュが悲鳴に近い声で吠えた。度重なる疑似宝具展開に限界を迎えたのだろう。だが、猛攻は終わらない。

 ――まだまだ行くぞ、約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)!!



「体は剣で出来ている――」



 熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)

 咄嗟に手を伸ばしマシュの盾に重ねるように薄紅の七枚盾を投影する。出力の弱まっていたマシュの盾ではもう防げないと確信したのだ。
 全身から魔力を振り絞っての投影。七枚の花弁、その一枚一枚が古の城壁に匹敵するが、しかし。一瞬の拮抗の後にその全てを闇の津波に破壊され、マシュもまた弾かれるようにして吹き飛び気を失った。

「キャァスタァア!」
(まぁかぁ)せぇろォ!」

 力なく倒れ伏すマシュを気遣う余裕はない。鼻血を吹き、右肩から剣を突き出させながら吠えた。
 応じるのは詠唱を完了させたケルト神話最強の大英雄。影の国の門番、女王スカサハに授けられた原初の十八ルーン、その全てを虚空に描き同時に起動した。真名を解放、渾身の言霊を込めて光の御子は唱える。

大神刻印(オホド・デウグ・オーディン)――!! 善を気取り悪を語るもの、二元の彼岸問わずに焼き尽くされなァ……ッ!」

 光が奔る。大気が燃える。音が砕け世界が染まる。
 ランクにしてA、対城宝具に位置する魔力爆撃。光の御子のルーン使いとしての奥義は黒い騎士王の対魔力を貫通した。
 総身を灼かれ、莫大な熱量に包まれ騎士王の姿が消えていく。

 その様を見ながら、しかし俺は無意識の内に唱えていた。

投影、開始(トレース・オン)

 腹から、背から剣が突き出る。血反吐を溢しながら、死力を尽くした。

 手には息をするような自然さで、黄金の宝剣が握られていた。それは、俺があの日、彼女のために投影した彼女の剣。選定の、剣。

 息も吐けぬまま、黒弓につがえる。そして、何も見えない光の中へ、狙いも定めずに撃ち放った。

 ――まるで、導かれるような一射であった。

 全身に闇の魔力をまとい、全力で耐えきった黒い騎士王は、満身創痍の瀕死の姿で大神刻印の只中から飛び出し脱出する。上位の英霊ですら燃え尽きるような光を、その対魔力と回復力、溢れんばかりの魔力放出によって耐え、辛うじて死を免れたのだ。

 その胸の中心に、勝利すべき黄金の剣(カリバーン)が突き立つ。

「……信じていた。お前なら、きっと、こちらの予想を上回る、って……」

 こほ、と俺とセイバーは血を吐く。

 セイバーは、力なく微笑んだ。

「――シロウ。本当に、強くなりましたね」
「ああ……まったく。負けず嫌いも大概にしろよ……」
「まだ終わりではないのです。聖杯探索(グランド・オーダー)は、これからが始まりなのですから」
「……そうか、まだ、終わりじゃないのか」

 思い出したように笑い、俺はセイバーが投げて寄越した水晶体を受け取った。

「……これは?」
「見た目では分からないでしょうが、聖杯です。それは、私に勝った貴方のものだ。どうか受け取ってほしい」
「……わかった。これで終わりじゃないのなら、セイバーともこれが最後というわけでもないだろう。……また会おう。今度は肩を並べるために」

 黒い騎士王は、ただ微笑んで、消えていった。
 キャスターが嘆息する。その体は、セイバーに続いて消えかけている。
 聖杯戦争が終わったのだ。ならば、後は消え去るのみ。

「やれやれ大事の気配だな。ま、いいさね。お前さんなら上手くやるだろう。もしオレを喚ぶようなことがあんなら、そん時ゃランサーで呼べよ」
「……ああ。是非、そうさせてもらう。ついでだ、心臓を突かれた時の恨み、晴らさせて貰うかな」

 は? と疑問符を浮かべたキャスターの髪を数本引き抜き、投影した魔力殺し(マルティーン)の聖骸布で包む。これで、キャスターが消えても髪の毛だけは保存できるだろう。
 それをキャスターは微妙そうに見て、仕方無さそうに苦笑した。

「……ったく、こき使う気満々じゃねえか。貧乏くじばっかだねぇ、俺も。……じゃあな、小僧(・・)。次は仮契約じゃねえ。お前の槍として戦ってやる」

 そう言ってひらりと手を振り、キャスターもまたあっさりと消えていった。

 俺は思わず体から力を抜いて、その場に座り込みそうになる。
 だが、今座れば立ち上がるのに相当の時間を要する気がして、なんとか立ったまま天を仰ぐ。

 ……マシュを起こそう。

 特異点を作り出していた原因とおぼしき聖杯を手にいれたのだ。じきに、この特異点は修復され、定礎も復元されて何もかもがなかったことになる。
 カルデアからの連絡もまだだが、そろそろ来るだろう。後は事態の推移をロマニに説明するだけだ。

 と――その時。

 マシュに歩みより、体を揺すって起こそうとする俺の背中に、ここにはいないはずの男の声が掛けられた。

「やあ、衛宮士郎」
「……レフ・ライノールか」 

 振り返ると。そこには人外の気配を放つ男の姿があって。
 俺は、うんざりしたように溜め息を吐いた。








 

 

卑の意志は型月にて最強



士郎「変身しそうだった。今なら()れると思った。今は満足している」

 ――などと意味不明な供述を繰り返してしており、被告からは終始反省の色はうかがえませんでした。

士郎「反省も後悔もしていません。同じことがあったらまたやります。『俺は悪くない』」

 ――と検察側に語り、再犯の可能性は極めて高いと言わざるをえず、重い実刑判決が下されるものと見て間違いないとカルデア職員一同は――









「――というわけだ。納得頂けたかな? マシュ、ドクター」

 カルデアの管制室にて。
 特に何事もなく帰還した俺が特異点Fでのあらましを語り終えると、マシュは沈痛な顔で『まさか教授が……』と俯き、ロマニは難しい顔をして黙り込んだ。

「あっ――っははははははは! なんだそれ、なんだそれ――!!」

 唯一、声を上げて爆笑しているのは、三年前にカルデアに召喚されていた英霊、万能の天才ことレオナルド・ダ・ヴィンチその人のみ。
 管制室のモニターをばんばんと手で叩きながら、モナリザに似せた姿形の美女(に見える男)は、目に涙すら浮かべて笑い転げていた。
 抱腹絶倒とはこのことである。ある種、見事なまでの笑いぶりに、呆れたようにダ・ヴィンチを見遣るロマニとマシュ。眉を落として肩を竦める俺。一頻り笑い続けていたダ・ヴィンチだったが、暫くして気が済んだのかようやく笑いを収めた。

「それで? 奴さんは最期になんて言ったんだい?」

 まだ知り合って間もない相手ではあるが、その問いは俺にとって許しがたいものである。憮然として言った。

「最期の言葉を許すほど、俺もアサシンも甘くない」
「……つまり、何も言えなかった? 捨て台詞の一つも?」
「もちろん」
「……ぷふっ。な、なんだそれ……なんだそれ! 悪役としても三流とは! 傑作だよ!」

 ダ・ヴィンチはもう辛抱堪らんといった風情だった。彼の中の悪役像が気になる物言いである。

 ――時は一時間前に遡る。

 セイバーを倒した後に聖杯を確保し、聖杯戦争の終結に伴いキャスターが消滅すると、俺はマシュを起こしてカルデアへ通信を試みようとしていた。
 その時だ。突如、俺の背後に現れた緑の外套の男、レフ・ライノール。奴は頼んでもいないのに勝手に自分がカルデア爆破テロの犯人と名乗り出て、しぶとく生き残った俺を罵倒し、カルデアがまだ機能していることを知っていたのか「どうせカルデア内の時間が2015年を過ぎたら、外の世界と同じく焼却されるさだめにあるのさ!」と語ってくれた。わざわざタイムリミットを教えてくれるというおまけつきで。

 あまつさえ、何を勝ち誇っているのか、レフの言う「あのお方」なる黒幕の存在を教えてくれて、他にも特異点が発生することまで丁寧に教えてくれた。
 後は、この消えてなくなる特異点と運命を共にするといい! などと吐き捨て去っていこうとした所を、

 まあ、あれだ。

 ……真に申し訳ないが、あんまりにも隙だらけだったもので。

 つい、()っちゃったわけである。

 こう、アサシンに背中を刺させて。ぐさり、と心臓を一突き。まあ、なんだ。それだけだと死にそうになかったので、剣弾を都合七発叩き込んで針鼠にした。アサシンも念のため宝具のナイフを撃ち込んだ後、キャリコで滅多撃ちにしていたものだ。
 結果、大物を気取る小物なテロリストを、なんやかんやと仕留めることが出来たわけである。
 あまりにも予定調和過ぎて描写の必要性も感じないほどで、見所だったのは殺されてしまった自分を自覚し、顔を歪めたところだけだった。

 な、アサシン……!?

 あの顔はそんな驚きに染まっていた。一時とはいえ同じ組織に属した仲間だったこともあり、なんとも言えない気分にさせられたものだ。

「……」

 ロマニは難しい顔のままマシュの状態をチェックしておきたいという名目で、マシュを穏便に管制室から追い出した。
 それから、彼にしては珍しくかなり真剣な面持ちで俺に問いかけてくる。

「……それで、今の話だけど、僕はどこまで士郎くんを信じていいのかな?」
「む。ロマニは俺が信じられないのか?」

 それは、緊急時とはいえ、カルデアのトップに突然立たされた男の責任感ゆえの問いだった。
 個人的に信じられるかどうかではない。組織人として信用できるのかを見極めんとする、当たり前の疑いである。こんな問いかけをすること自体、人のいいロマニにとっては辛いはずだ。
 それを理解しているから、俺は疑われたぐらいでロマニに怒りの感情を抱くことはなかった。

 やや芝居かかった俺の態度に、しかしロマニは真摯に応じる。

「信じたい。けど、それ以上に僕はレフ・ライノールが裏切り者だったことが信じがたいんだ。悪いけど、僕はその現場を見ていないからね」
「……まあ尤もな話ではあるか」

 奴と俺では積み上げてきた信頼の度合いが違う。俺を信じろ! などと強弁したところで、なんの証拠もなく信じられるものではない。
 むしろ俺の方が怪しいとも言えた。一番始めにカルデアの内部犯に対する防備の薄さを危険視し、防備を固めるべしと提言。実際に爆破テロがあり、俺は狙ったように生き残り、レイシフトした上で帰還した俺の方がよほど胡散臭かった。端的に言って、出来すぎなのである。
 だが、俺が何かを言うより先に、ダヴィンチが意味深に笑みを浮かべながら言った。

「無駄な問答はやめときなよ、ロマニ」
「……無駄かな、これ」
「そりゃ無駄さ。カルデア最後のマスターは、我々にとって幸運なことに頭の切れる歴戦の勇士だ。これを見てみなよ、彼の経歴をまるっと纏めた資料だ」

 ダ・ヴィンチはカルデアが収集したとおぼしき俺の過去を記した資料を懐から出し、ロマニに渡す。その用意のよさに俺は微妙に嫌な気分になった。
 ロマニは医療機関の人間だったからか、詳しく俺の活動記録を把握していなかったのだろう。ざっと速読するだけで目を点にしていた。

 ……複雑なものだ。本人を前にそんな物を持ち出されるのは。

 嫌そうに顔を顰める俺を尻目に、ロマニは感心した風に呟く。
 どこか安心したように。

「……士郎くんは掛け値なしに善人なんだね、やっぱり」
「やめろ。そう改まって言うことか。ダ・ヴィンチが言いたかったのはそんなことじゃないだろう」
「そうさ。ロマニ、大事なのは彼が善人かどうかじゃない。読んでて気づかないかい? 彼は何度も外道な魔術師を狩っている。つまりそういった人間に対する嗅覚が備わっているのみならず、魔術協会から咎められないよう、保身を計れる計算高さがあるということさ。そんな彼が、己が潔白の証明を疎かにするはずがない。あるんだろう? 士郎くん。君には自分の証言の正しさを証明する物証が」

 何もかも見通したような言葉に、俺は苦笑した。なるほど、頭の出来が違う。この男ほどの智者には、俺如きの浅知恵など無意味らしい。
 肯定するように頷いて合図を出そうとすると、ふと資料を眺めていたロマニがあれ? と声を出した。

「? どうしたロマニ」
「いや、これ……なんか『殺人貴』とか書いて――」

 ぐしゃ。
 ぬっと腕を伸ばしてロマニの前にある資料を握り潰す。ああっ! と声を上げるロマニを俺は黙殺した。

「――無論抜かりはない。俺への疑いを張らす証拠はきっちり確保してある。……マシュをこの場から外してくれたことには感謝するぞ、ロマニ。あまりあの娘には見せたくない代物だからな」

 言って、今度こそ俺は合図(・・)を出した。
 何もなかったはずの場所に、突如、深紅のローブを被った暗殺者が現れる。
 ぎょっとしたように体をびくつかせたロマニと、感嘆したように口笛を吹くダ・ヴィンチ。

「見事な気配遮断だ、この私が全く気づかな……ああなるほど。それ(・・)は確かにこれ以上ない物証だね」

 感心したように頷いたダ・ヴィンチは、しかしそれ(・・)を見て表情を真剣なものにする。
 ロマニが呆気に取られたように目を見開く中、アサシンは肩に担いでいたものを、無造作に投げ出した。

 それは、人型の化け物、人外の存在。

 レフ・ライノール。そう名乗っていた男の、魔神柱とやらへの『変身途中』の遺体だった。







 

 

俺達の戦いはこれからだ!






 管制室から出た瞬間、男は膝から崩れ落ちるように倒れかかった。

「君は……なんというか、実に馬鹿だな」

 それを。アサシンのサーヴァントは受け止め、肩を貸しながら心なし呆れたように呟く。
 士郎は、口許に微かな弧を描きながら、囁きに近い声音で応じた。

「……すまん、切嗣」
「名前で呼ぶな。僕はアサシンだ」
「なんて呼ぶかは、俺の自由だけどな」
「……」

 この期に及んで調子を崩さない男に嘆息し。アサシンは利かん坊のマスターをさっさと医療スタッフに引き渡すことにした。
 外面こそ取り繕っているものの、マスターである男の体は危険な状態だった。
 現状、ただ一人マスターの能力、その詳細を聞かされているアサシンは、自身も固有結界を取り扱う魔術の使い手ということもあり、彼の体内で固有結界が暴走し術者の体を害していることがはっきりと分かっていた。

 体の内側から剣に串刺しにされ、魔術回路もショート寸前。一般的な魔術師の魔術回路の質が針金だとすると、マスターの魔術回路の強度はワイヤーである。そんな馬鹿みたいに強靭な回路が焼き切れる寸前なのだ。どれほどに無理を重ねていたのか、阿呆でも分かろうというもの。
 今、マスターは控えめに言ってズタ袋のようなもの。ただ生きてるだけの肉袋とも言える。彼が感じている痛みは、絶え間なく熱した鉛を全身に振り掛けられているようなものだろう。よく正気でいられるものだ。

 ――いや、あるいはもう、正気ではないのか。

 この男は狂っている、とアサシンは思う。
 だが、それでいい。狂いもせず、人類の命運は背負えやしない。それほどに重いものなのだ、自分以外の命を背負うということは。
 マスターは、とっくの昔に限界なんて越えているだろうに、ただ見栄を張りたいがために平気な顔をして管制室に足を運び、自身が得た情報を提供してこれからの方針を話し合っていたのだ。
 アサシン以外の目がなくなって、ようやく張り詰めていたものが切れたのだろうが……よりにもよって、この男は最もアサシンを信頼している。愚かなことだと暗殺者は思った。

「君をこれから医療スタッフに引き渡す。なにか言いたいことは?」
「ああ……ちょっと待て」
「なんだ」
「その前に、風呂に入りたい」
「……そんなもの、君が寝てる間に医療スタッフが清潔にしてくれる。死にかけの身で気にするようなことか」
「俺はこの程度じゃ死なないよ、切嗣」

 そう言われて、一瞬ぴたりと足を止めた。
 あたかも、このレベルの負傷は体験済みとでも言いたげな物言いである。流石のアサシンも閉口しそうになったが、マスターに言われると思わず納得しそうになった。

「死んでなければ安い。あんたもそう思うだろう」
「……」

 確かにと思ったアサシンは、マスターと似た者同士なのかもしれない。
 しかしアサシンとマスターの命は等価ではない。アサシンの代わりはいるがマスターにはいないのである。同じ尺度で図れるものではなかった。

「君は自分の価値をもっと自覚するべきだな。君というパーツは、唯一無二のものだ。僕と同じ視点でものを言う資格はない」
「……なあ、切嗣」
「……」
「……アサシン」
「なんだい?」
「俺のことは名で呼べ。君とかあんたとか、他人行儀な姿勢は好ましくない」
「……君は、まだ僕を自分の父親に重ねて見ているのか?」
「いや。だが俺達はもう『戦友』だろう」

 その言葉に、思わずアサシンはマスターの顔を凝視した。
 正気か、と再び思う。狂ってる、と思う。いや、と首を振った。コイツは、ただのバカだ。

「親子以前に、命を預け合う関係なら、もっと信頼し合うべきだ。こういうのは一方通行じゃ意味がない」
「……」
「切嗣」
「……はあ。とんだマスターに召喚されたもんだ。わかった、マスター命令だ。大人しく従うとする。士郎(・・)――これでいいかい?」
「グッドだ」

 満足げに微笑み、士郎はぐったりと体から力を抜いた。

 医療スタッフにマスター……士郎を引き渡しながらアサシンは思う。
 その笑顔(かお)は、あの少女にでも見せてやるんだな、と。







 ふと目を覚ますと、無機的な清潔さを保つ部屋にいた。
 視線の先には染み一つない白い天井。左手首には点滴を繋ぐ管がある。思ったように体が動かなかったので、視線だけを彷徨わせると、鈍った頭で自身が病室にいることを悟った。
 全身には包帯。何やら薬品臭いところから察するに緊急的な手術でもあったのかもしれない。
 大袈裟な連中だ、と思う。こんな程度でどうこうなるほど柔じゃないのに、と。
 だがまあ、疲れていたのは確かだ。少しくらいなら大人しく休んでもいいか、と曖昧に呟く。声には出なかったが、気配はしたのだろう。右手側に、んぅ、と可愛らしい寝息が聞こえた。
 そちらに目を向けると、マシュがいた。白衣に、眼鏡。縋りつくように俺の手を握っていた。

「……」

 その姿がいじらしく、なんとも言えない擽ったさを覚えて、俺はなんとなしに少女の髪を右手で梳いた。
 心地良さそうに、マシュは相好を崩す。
 子供の頭を撫でるのには慣れていた。流石にマシュを子供扱いはできなくなってきたが、それでも俺の中でマシュは慈しむべき妹分なのだ。……まあ世界中の弟分も含めたら結構な数になるが、それは言いっこなしだろう。血の繋がりだけが全てではないのだから。

 ふと、マシュが目を開いた。そして俺と目が合う。

「あ……せんぱい……」

 寝惚け気味にこちらを見て、嬉しそうに俺を呼ぶ。なんだか夢見心地のようで、暫く呆としていたが、少しして意識が戻ったのだろう。
 ハッとして目を一杯まで見開くと、驚き七割喜び三割といった表情で口を開く。

「ど、ど、」
「……ど?」
「ドクター! 先輩が目を覚ましました! ドークーター!!」

 突然跳ね起き、ロマニを呼びながら病室から飛び出ていった。それを眺めながら、俺は苦笑する。
 クールな外見に反して天然なところもある。それがマシュだった。時に独特な物言いもするし、変わったところも多々あるが、それでもいい娘なのに疑いの余地はない。

 ところで、俺はどれぐらい寝ていたのだろう。

 支給されたカルデア戦闘服を個人的に改造し、その上にいつぞや出会ったカレー好きの代行者から譲り受けた、赤い聖骸布を纏っていたのだが、今の俺は見ての通り病人服姿である。
 剣にかける魔力消費量より二倍かかるが、投影できないこともない。しかし思い入れのある品なので、出来れば目の届くところに置いておきたいのだが……。対魔力の低い俺にとって、外界への守りである赤い聖骸布は命綱なのだ。手元にないと心もとなくなる気持ちも分かってほしい。

 そんな益体もないことをつらつらと考えていると、妙に慌ただしい足音が聞こえてきた。
 ばしゅ、と空気圧の抜ける音と共に扉がスライドする。飛び込むように入室してきたのは気の抜けた雰囲気のロマニである。

「士郎くん!」

 ロマニは俺と目が合うと、大慌てで俺の体の調子を調べ始めた。
 機械を使い、触診し、俺が健常な状態と知ると大きな声で俺に怒鳴った。

「ほんっ――とに、君はバカだなぁ!」
「……起き抜けに失礼な奴だな」

 あんまりな物言いに、温厚な俺でもムッとする。
 なにやら俺が、如何に酷い状態だったか言い聞かせてきたが、聞くだけ無駄なので聞き流す。こういう時の医者はやたらと話を大きくしたがるのが悪いところだと思った。解析の結果、俺はもういつでも動けると分かっているのに。

 やがて怒鳴り疲れたのか、ロマニは肩で息をしつつ気を鎮めた。無理矢理落ち着けた語調で、ロマニは言う。

「……士郎くん。君は、自分がどれぐらい眠り続けたか分かってるのかい?」
「さあ。……三日?」
一週間(・・・)だ! 君が寝ている間に、次の特異点も発見してある!」
「……なるほど。じゃあすぐ行こう」
「バカ! このおバカ! 病み上がりに無理させられるわけあるか! 君はカルデア最後のマスターなんだぞ!?」
「だからこそだ」

 荒ぶるロマニを受け流しつつ、俺はベッドから降り立った。思ったより両足はしっかりとしている。これなら激しく動いても問題あるまい。

「ちょ!? 安静にするんだ! 医療に携わる人間として見過ごせないぞ!」
「あー、わかった、わかった。次の特異点とやらを修復したらゆっくり休む。だからそう騒ぐな」
「僕は! 今! 休めと言ってるんだよ!!」
「ロマニ、頼みがある。戦力増強のためサーヴァントを喚びたい。大至急条件を整えてくれ」
「人の話を聞かないなぁ君は!」

 近くにロッカーがあったので開いてみると、そこには黒い改造カルデア戦闘服と、赤い聖骸布が納められていた。
 手早く着替え始める俺を無理にでも取り押さえようとするロマニを片手であしらいつつ、着替え完了。
 ぜぇはぁと息を乱すロマニに、俺は言った。

「頼む。急ぎなんだろう?」
「……ちくしょー! 後で休ませるからな! 縛り付けてでも休ませてやる! マシュに頼んで押さえつけてもらって、レオナルドに怪しげな薬を打ってもらうからな!」
「わかった」

 善は急げだ。早くしろよ、と部屋から追い出し、俺もさっさとロマニに続いて病室から出た。
 特異点が特定されているのなら一刻の猶予もない。俺は病室の外で待っていたらしいマシュに声をかける。

「マシュ、ちょっといいか?」
「先輩……。……どうせ、休んでくださいって言っても無駄ですよね」
「分かってるじゃないか。いや、中でのやり取りが聞こえたか? まあそれはいい。俺にはマシュがいる。マシュが俺を守ってくれるから、何も怖くはない」
「もう。調子がいいんですから」

 さしものマシュも苦笑せざるを得ない言い方だった。でも、悪い気はしない。本当に悪い人です、と小さく口の中で呟いたのに、俺は気づくことがなかった。
 マシュに頼み、俺は英霊召喚のために用意されていた部屋に向かった。彼女の盾が召喚の基点になるとはいえ、一応マシュがいる中で召喚した方がいい。

「触媒は使わないんですか?」
「使わない。呼び掛けることが大事なんだ。仮に彼女(・・)が召喚できなくても、俺はちゃんと呼んだって言い訳になる。出てこないそっちが悪いってな」
「……流石先輩。保身に長けてますね」
「……皮肉? マシュが? ……そんなまさか」

 ちくりと言葉で刺された気がしたが、俺は気のせいということにした。
 マシュに毒を吐かれたら自殺ものである。泣きたくなるので勘弁してほしい。

 俺はここに来るまでにダ・ヴィンチの工房からくすねてきた呼符をマシュの盾に設置した。

「さて」

 鬼が出るか蛇が出るか。
 伸るか反るかの大博打、実はあまり期待してない。
 召喚を始める。光が点る。
 爆発的な魔力が集束し、英霊召喚システムとカルデアの電力が唸りをあげる。

 やがて、一際強く光が満ち、召喚は恙無く完了した。

「――ここまで来ると腐れ縁か」

 苦笑して、呟く。
 光の中に現れたシルエットは――

「サーヴァント、セイバー。召喚に応じ参上しました。問います、貴方が私のマスターですか?

 ――シロウ」

 ああ、と頷いた俺。まさか本当に来るとは思わなかったが、結果オーライという奴である。
 本命はランサーのクー・フーリンです、といったらどんな顔をするだろう。
 ちょっと見てみたい気もしたが、ぶん殴られそうなので黙っておく。

 なんにせよ、

「そうだ。久しぶり、セイバー。……アルトリア」

 名を呼ぶと、光の中から現れた『青い』装束の少女は微笑み。

 マシュは少しだけ機嫌悪そうに、俺の袖を掴んでいた。

「俺達の戦いはこれからだぞ、二人とも」

 だから仲良くしてください。
 俺はそう心の中で一人ごちる。

 ――こうして、俺達の人理を巡る戦いは幕を上げた。

 勝てるのか、と心の中で誰かが弱音を吐いた。
 勝てるさ、と俺は意図して断じた。

 俺がやらないで誰がやる。俺が勝てないなら誰が勝つ。
 必ず勝つ。勝って、俺は俺の誇れる俺になる。
 未来は俺に任せろ。俺は不可能を可能にする。人類は俺が救う。俺が生きた証を残すため、世界よ、俺のために救われろ。

 決意は胸に秘めるもの。だが一度だけ言わせてほしい。

「――俺達は無敵だ。そうだろう、二人とも」

 決意表明。青臭いが、きっとこれでうまくいく。
 セイバーが。マシュがいる。なら、俺の心に不安なんて生まれない。
 
 迷いがないなら、俺の道に壁はない。


 ――俺達の戦いはこれからだ!







 

 

メンタルケアだよ士郎くん!(※なおする側の模様)

 
前書き
コミュ回。

 

 



 ――何時か何処かの時間軸。



 ロマニ・アーキマンは、部下の医療スタッフが疲れきった顔をしているのに対して、柔和でありながら真摯な面持ちで向き合っていた。

 ここカルデアがレフ・ライノールによる爆破により壊滅的な損害を被り、スタッフの過半数が死亡、マスターがたった一人きりとなって暫くが経った。世は全てこともなし――なんてことがあるわけもなく、今日も今日とて激務に沈む。

 親しい同僚を亡くし、外界は滅び、日夜新たな人類史の異常を探りながら、なけなしの物資を遣り繰りする日々が続いている。
 タイムリミットは一年もないのに目に見える成果は殆どない。そんな状況で気の滅入る者が居ないはずもなく、スタッフの中には絶望し自殺を試みる者まで出始めていた。
 医療機関のトップであったのが、他に幹部がいないからという理由でカルデアのトップに立たされたのはロマニである。彼は士気の低いスタッフ達のメンタルをケアしながら、全体の作業の指揮を執るという激務という形容すら生ぬるい環境の只中にあり、気の休まる時間がない所か、体を休めることも儘ならない有り様だった。

 ――レフ・ライノールは実にいい仕事をしてくれたものである。

 彼は分け隔てなくカルデアの破壊工作に尽力し、その被害は七割にも及んでいた。戦争で言えばとっくに詰んでいると言っていい。
 そんな状況だから、スタッフの一人一人が担う仕事量は贔屓目なしに見ても殺人的なもの。医療スタッフも手隙の者がいたなら、他の部門のスタッフのメンタルをケアしつつ、その仕事を補佐して回らねばカルデアが立ち行かなくなっていた。
 必然タフな医療スタッフも限界を迎え、他のスタッフには見せられない弱った姿を、自身の直属の上司であるロマニに晒して精神の安定を計っていた。
 他者のメンタルをケアする側の人間が、精神的に疲弊した姿を周囲に見せられる訳がないのだ。誰が弱っている者に縋れる、寄りかかれる。ロマニの部下である医療スタッフ達は、もはやカルデアの精神的支柱となっていたと言っていい。そんな彼らは気負わざるをえない。その重責に、自身の心の均衡が崩れ始めてしまっても無理からぬ。

 だが、もし生き残った医療スタッフの一人でも心が折れてしまえば、途端にそれはカルデア全体の空気を汚染し、致命的な事態を引き起こしかねなかった。故にロマニは部下達の状態に常に目を光らせ、部下達の倍以上に働いた。
 自分のそんな姿を見せて、まだカルデアは大丈夫なのだと示さねばならないから。
 自分達なら人類史の修復という、有史以来最大の大偉業を成し遂げられると信じさせねばならないから。
 ロマニは目立たないが、確かにカルデアの大黒柱となっていた。……ならなくてはならなかった。

「……」

 部下との談話を終え、和やかに別れたロマニは、自室に戻るとストン、とベッドに腰を落とした。その寝台が使用された形跡はない。
 ロマニは時計を見た。
 午前3時。あと2時間後には部下が起床していつもの仕事に入るだろう。それまでに自分も出なくてはならない。
 今、横になったら起きられないだろうな、と思う。だからロマニはベッドに腰かけていたのを、デスクの椅子に移って体から力を抜いた。
 座ったままの仮眠。これなら一時間で起きられる。健康には悪いが……なに、一年も耐えなくてもいいとなれば楽なものである。直接命を張っているマスターの彼より、よほど楽な仕事だった。

 呆と、頭を空にして虚空を眺める。明かりは点いたままで、照明が眩しい。だが、なんでだろう。眠気がない。……ちょっと、まずいかな、と思った。

 思考が鈍い。仕方ないから薬でも飲んで誤魔化そうと決めた。今、自分が倒れたら、誰がカルデアを支える。マスターの彼と、マシュを誰が助けられる。
 スタッフの中に、余裕のある人間なんていない。体力的にはまだまだ元気な自分が頑張らなくてどうするというのだ。そう自身を励ましていると、ぱしゅ、と空気圧の抜ける音がして、扉がスライドした。意識なくのろのろと目を向けると、そこにはロマニの部屋を訪ねてきた男――黒塗りの改造戦闘服を纏った衛宮士郎が立っていた。

「よっ」

 なんて言って、二つのグラスと酒瓶を持つ手を上げてくる士郎。瞬間、ロマニの意識は覚醒した。
 かっと頭に血が昇る。唾を飛ばす勢いで士郎に食ってかかった。

「士郎くん!? なんでこんな所に……! もう午前3時だぞ!? 特異点が新しく特定されたばかりなのに、どうして休んでないんだ! 君の状態は常に良好に保ってないとダメだってあれほど――」
「ああ、はいはい、わかってるわかってる。だから、な? 落ち着けロマニ」

 無理矢理ベッドにまで押し返され、ロマニは片手で押し込まれるようにして座らされた。暴れる患者も押さえつけられるロマニが、腕力でまるで相手にもならない。流石に精悍な戦士は体格が違う。

「医者の不養生とはよく言ったものだ。気づいてるかロマニ、酷い顔だぞ」
「えっ……」

 言われて、ロマニは自分の顔に手を這わせた。目元に出来ている隈は隠してる。顔色もなんとか。
 ロマニにグラスを押し付けると、士郎は椅子をロマニの前まで運んでどかりと座る。そして、無造作にロマニに凸ピンを食らわせた。

「あっだぁぁー!」

 凄まじい威力に頭が吹き飛んだかと思った。

「いきなり何をするんだ!」とロマニは抗議したが、士郎は聞く耳を持たず。

 ロマニの手にあるグラスへ酒瓶の中身を――果実酒をなみなみと注いでいた。

「……えっと?」
「苺の果実酒、手作りだ。市販されてない奴だぞ。飲めロマニ。たまには男二人、酒を酌み交わすのも悪くないだろう」
「……」

 視線を手元に落とすと、そこにはなんとも旨そうな果実酒があった。
 知らず、喉を鳴らす。恐る恐る口に運んでみると、程よく甘く、アルコールが気持ちよくするすると胃の腑の中に落ちていった。

「……美味しい。すごい、こんな美味しい果実酒、飲んだことがない」
「そうか、それはよかった。そう言ってもらえると、手間をかけた甲斐があるというものだ」

 無骨に笑いながら、士郎も酒を口に含んだ。  暫しの沈黙。ちびちびと果実酒を飲んでいると、ふとロマニは気づいた。

「……これ、レモン入ってる?」
「入っている。普通は気づかない程度なんだが、意外と舌が肥えてるんだな」
「……もしかして僕、気遣われてたりするのかな」

 果実酒は、苺もそうだが、レモンもビタミンCを多く含み、ストレスへの抵抗性と心身の疲労を回復する効果があった。更にレモンの香りには高いリラックス効果もあり、ロマニは士郎が自分のために訪ねて来てくれたのだと遅まきながらに気がついた。
 士郎は飄々と肩を竦めた。

「なんのことか分からんな。勘違いだろう」
「……あのね、こんなの飲まされて気づかないわけないだろう? 気にしなくても僕は大丈夫だから」
「だから、勘違いだ。俺はセイバーから逃げてきたんだよ」
「……はい?」

 まさかの士郎の言い分にロマニの目が点になった。
 士郎は疲れたように溜め息を吐いていた。

「俺の趣味の一つに酒作りがあってな。今日も暇を見つけて日本酒でもと用意していたら……奴が現れた」
「奴、って……」
「俺が作った酒を飲んでみたいとか言ってな。まあ奴も舌は肥えてる。味見役にはちょうどいいと思い、飲ませてみたのが運の尽きだった。奴は酒もイケる口でなかなかの卓見を示してくれたが……いつの間にか酔いが回っていてな。……まあ、そういうことだ」
「あー……」

 ロマニの目に同情の色が浮かぶ。士郎はよく見ると窶れていた。暴君と化した騎士王に士郎は成す術なく付き合わされ、なんだか話がおかしな方向に転びかけたところを健気な後輩の献身によって逃れることが出来たのだという。
 己のマスターのために体を張ったマシュに、ロマニはちょっと目頭が熱くなった。

「そういうわけだ。だからちょっと俺の時間潰しに付き合え。どうせ暇なんだろう」
「……そうだね、暇だし付き合ってあげようかな」

 ここ十年は飲んだことがない美酒の魔力か、ロマニは士郎の戯れ言をあっさり信じ、士郎と酒を酌み交わすことになった。少しだけだよ、と前置きしながら。

 それから、何を話したのだったか。不覚にもロマニははっきりと覚えていない。ただアルコールが入ったせいか、やや饒舌になってしまったことは覚えていた。
 対面の男は聞き役に徹している。
 相槌のタイミング、空になったグラスに酒を足すタイミング、どれも秀逸で、あまりにも話しやすかったものだから、ついロマニも熱が入ってしまった。

 ――いつの間にか、ロマニは泣いていた。大粒の涙を流しながら所長のオルガマリーのこと、裏切ったレフのこと、死んだ部下のこと、仕事の大変さ、理不尽な今への愚痴を全て吐き出してしまっていた。
 いつしか泣きながらベッドに蹲り、寝入ってしまったことに、ロマニは最後まで気づかなかった。

 士郎は彼の体に掛布をかけ、ふう、と嘆息する。その顔には、責任感と絶望感に負けないように、意図的に激務に打ち込んでいた男に対する呆れと……それ以外の何か温かい感情が含まれていた。

「……ダ・ヴィンチ。終わったぞ」
「お、さすがのお手前」

 ロマニの部屋の外に出て、待機していた天才に士郎はそう言う。衒いのない賛辞に鼻を鳴らして、士郎は腕を組んだ。

「いやー、助かったよほんと。ロマニの奴、私が何を言っても聞かないんだもん。人前で倒れられたらまずいって言ったのに」
「それで、こんな芝居をやらせたのか。呆れた男だ」
「なんだとー。そっちだって乗り気だったじゃん。普通に睡眠薬飲ませるだけでいいって言ったのに、わざわざ果実酒作って、溜め込んでるもの吐き出させたんだから」

 あーあ、大の男が泣きながら寝ちゃって。これ記憶残ってたら恥ずかしさのあまり悶絶するねー。
 ダ・ヴィンチが意味深に流し目を送ってくるのに、士郎は再度溜め息を吐くことで応じる。

「……で、ロマニの抜けた穴はどうする気だ?」
「そこは天才ダ・ヴィンチちゃんにお任せあれ、ってね。さすがにサーヴァントの私は目立つからいなくなる訳にいかない。だからシミュレーターを使ってると言い張れる、不在でも怪しまれない士郎くんにお任せするよ。ロマニの身代わりを、ね」
「……体格も声も何もかも、俺とロマニは似ても似つかないんだが」
「じゃーん。こんなこともあろうかと、立体ホロ変装装置を作っちゃったんだ。これでロマニのガワを被れてしまうのだよ」
「……ドラえもんかお前は。まあいい、ただし一日だけだぞ。俺も暇じゃないんだ」
「ドラ……? ……分かってる。ていうか、一日もやれるの? ボロ出ちゃわない?」
「舐めるなよ。敵地侵入の際に敵幹部に成り代わり、その仕事を恙無く果たしていたこともある。ロマニの仕事ぶりはもう何日も見た。一日だけなら、まあなんとかできる」
「いやー、なんだかんだ士郎くんも万能だよね。私ほどじゃないけど」

 物真似は得意だからなと呟き、士郎はダヴィンチの手から怪しげな腕輪の装置を奪い取る。
 しかし、これが言う通りの性能を発揮するならかなり便利なのだが――

「あ、それカルデアの中でしか使えないから」
「……シミュレーターの機能と繋いでるのか」
「その通り! さすがにそんなのをどこでも使えるようにはできないかなー。あと私クラスの天才が二人いたら違ってくるだろうけど」
「何をバカな。お前みたいなキワモノが早々いてたまるか」
「あっ、酷い! そんなこと言うのか士郎くんは」

 軽口を叩き合いながら、二人はロマニの部屋から離れていく。
 士郎とダ・ヴィンチはロマニの眠る部屋を一度だけ振り返り――小さく、おやすみ、と呟いた。

 ある日の小さな一幕。
 そんなこともあった、と彼は後に懐古した。






 

 

お腹が空きました士郎くん!

 
前書き
青王コミュ 

 


青王とのコミュ回。




 ――カルデアに超級のサーヴァント『アーサー王』が召喚された。

 人理修復の戦い、聖杯探索に於いて戦力は幾らあっても足りるということがない。故に彼女のような強力なサーヴァントを召喚出来たことは、戦略的観点から見て実に喜ばしいことだった。
 だが、残念ながら個人的にはそうでもない。実際は複雑な因縁のために、手放しに喜べるものではなかった。

 騎士王アルトリア・ペンドラゴンは万人にとって善き生活、善き人生を善しとする理想の王である。だからこそ十年前の己の罪業が重く圧し掛かって来て、個人的な後ろめたさのために彼女との再会を喜べないでいたのだ。
 ……しかし俺も子供じゃない。一身上の都合を聖杯探索に持ち込むような愚は犯さない。
 うだうだと迷い、惑うのは信条に反する。切嗣亡き後の衛宮家の家訓は「迷ったらやれ、決めたらやれ、倒れる時は前のめり」で。冬木から出た後、知り合った人間が「明日からやるよ」とか抜かすと、「明日(・・)って今さ!」と真顔で言って尻を蹴るのは当たり前だった。

 子供達のような保護対象以外に対して、割と傍迷惑な野郎であるこの俺は、いつだって決めたことはやり遂げてきたものである。『衛宮士郎』に成り切ったことだって決めた通りに達成できたのだ。今更うじうじするほど女々しくはないし、過去の己の所業から目を逸らすつもりも、後悔することもない。
 いっそのこと、過去は過去として割り切り、何も言わずに黙っておくことも考えた。人間としては最低だが、要らぬ軋轢を生まないようにするのは一組織人として、唯一のマスターとして当然の配慮である。
 大人しく罪を清算しよう――なんて殊勝なことも考えないでもなかった。しかしこの人類の危機の中で、個人的な罪悪感から裁きを受け、マスターとしての役割を放棄するわけにはいかない。

 俺は人としての道に反することなく、同時にカルデアのマスターとして責任ある態度を取ることを求められていたのだ。

 ――そんな、何時か何処かの時間軸。

 彼女から向けられる信頼の眼差しが痛い。邪気なく微笑む顔に見惚れてしまった。謂れのないマシュの威嚇に戸惑う姿には笑みが漏れていた。気づけば何も言えてなくて。その癖、無意識の内に彼女の姿を目で追っていた。
 こりゃダメだ、と白旗を上げても許されるだろう。処置なしだ、どうやら俺は彼女に対してだけは普段の自分を張り通せない。
 惚れた弱みと昔の罪悪感が絶妙にブレンドし、ほぼ完璧にイエスマンに成り掛けている。というかなっていた。これは困ったぞと切嗣に相談したが、

『アレとは反りが合わない。僕とアレは会わない方がいい。これは確信だよ士郎。僕は可能な限りアレと接触することはない。だからアレのことで相談されても何も言えないな。率直に言って、面倒くさい』

 と、取りつく島もなく追い返されてしまった。
 訓練しましょうと誘われたらほいほいついて行き、シロウのお酒は美味しいですねと言われたら彼女が反転するまで酌をして、話をしましょうと言われたらこの十年で磨いた話術で彼女を笑顔にし、なんやかんやと我が儘を受け入れて甘やかして青ニート化させてしまいつつあった。
 駄目人間製造機の面目躍如である。このままじゃダメだと奮起した俺であった。
 そんな矢先のことだ。マシュとの戦闘訓練を終え、厨房を借りて個人的な賄い食でもと料理していると、どこから匂いを嗅ぎ付けてきたのか青いバトルドレス姿のアルトリアがやって来た。

「シロウ、お腹が空きました」

 ――まるで餌付けされた子犬のように、見えざる尻尾をぶんぶんと高速回転させたオウサマが食堂に現れた。

「……」

 ぐつぐつと煮込まれている春キャベツの重ね煮。白菜と豚肉のミルフィーユ。
 シンプルだが味わい深い季節のスープと、熱々の炊きたてご飯の相性は抜群だった。
 俺は不思議と凪いだ気持ちで、自然とアルトリアを黙殺する。いつもの俺にはできないことだ。アルトリアもちょっと調子が外れて頭の上にクエスチョンマークを出していた。

「……む。これはなかなか……」

 春キャベツの重ね煮のスープを平たい小皿によそって、味見をし文句のない出来映えに自画自賛する。
 俺の百八ある趣味の一つである料理の腕は、メル友のフランス料理界の巨匠から太鼓判を押される領域に至っていた。是非後継者にと迫られた時は満更でもなかったが、あれは酒の席のジョークに過ぎない。流石に本気にはしてなかった。
 まだまだ料理は奥が深い。シンプルなものにこそ腕と知識、閃きが問われる。極めたとはとてもじゃないが言えたものではないし、真の意味で極められる者など存在しないと断言できた。
 食堂にいたアルトリアが「おお……」と感嘆したような声を上げる。厨房から俺の賄い食の薫りが漂ってきたのだろう。目をこれでもかと輝かせて厨房を覗き込んで来ようとして――瞬間、俺は激怒(・・)した。

「出ていけ」
「えっ?」
「神聖な厨房に、料理する(たたかう)者以外が踏み込むんじゃあない……!!」

 静かに激する俺に気圧されたように、セイバーはすごすごと引き下がっていった。
 ……今、俺は怒ったのか? セイバー、アルトリアに?  はたと冷静になり、俺はその事実を咀嚼した。
 確かに、俺は怒った。アルトリアのイエスマンと化していた俺が。アルトリアを甘やかすことママの如しと揶揄されたこの俺が、だ。

 恐る恐る食堂のアルトリアを見ると、可哀想なほど小さくなって、何やら怯えた子犬のように濡れた目で俺を見ていた。

「ッ……」

 罪悪感で心労がマッハだった。すぐ駆け寄ってお腹一杯になるまでオマンマを食べさせてあげたい衝動に駆られる。しかし、しかし、堪えろ俺……! 今のカルデアには、到底あの胃袋お化けを満足させるだけの物資は残されていない……!
 俺はぐ、と耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ。そして、俺は完成した俺専用の賄い食をお盆に乗せて、食堂のテーブルにまで移動した。……無意識にアルトリアのいる席に。

「し、シロウ……」
「……」
「すみません……私としたことが配慮に欠けていました。シロウのような料理人(戦う者)にとって、厨房とは神聖なものであるというのは気づいて当然のことなのに……どうにも、シロウには甘えてしまう。シロウなら許してくれると度し難いことを無意識に考えていました」
「……こっちこそ、すまなかった。突然怒ったりして悪かったと思う。こうやって怒ったりするのはあまりないことだから……正直、俺も戸惑ってる」

 なんだか妙な空気だった。互いに謝りあっている。俺にとって、厨房があんなにデリケートな領域だとは思っていなかった。保護した子供達は、何故か普段の構ってちゃんぶりの鳴りを潜め、遠巻きにしていただけだが……もしかすると俺の雰囲気がいつもと違うと悟っていたのかもしれない。
 反省せねば。俺が悪い。アルトリアは悪くない。

「あの、シロウ……これは……」

 ふと、気がつくと俺は自分の賄い食をアルトリアの前に置いていた。
 涎がスゴい。目が釘付けになっている。
 ……俺は苦笑した。

「――どうぞ召し上がれ。思えばアルトリアに振る舞うのは久し振りだもんな」
「し、シロウ……!」

 感極まったようにアルトリアは俺を上目遣いに見上げ、神に祈るように両手を組んだ。
 大袈裟な奴、と更に苦笑を深くする。……まあ、一食ぐらい抜いても大事ない。今回ぐらいは甘やかしてもいいかな、と思った。
 アルトリアは行儀よく両手を合わせていただきますと言って、箸を器用に使って食べ始めた。
 一口で、アルトリアの顔色が変わる。そして震える声で言った。

「シロウ――貴方が私の鞘だったのですね」
「おいそれここで言うのか」

 なんか色々台無しにされた気分だ。

「シロウは神の一手を極めた。私はとても誇らしい」
「その表現はなんか違う」

 あと、別に極めてない。料理に極まることなんてない。そこは間違えてはならない。
 本当に美味しそうに食べてくれるアルトリアに、俺は自然と笑顔になってその食事風景を眺めた。
 少し夢中になっていたアルトリアは、食べている姿をじっと見られていることに気づいて顔を赤くする。物言いたげな目をしていたが、それでも箸が止まっていなかった。
 いちいち味を楽しみ、頷きながら食べる姿に、懐かしい思いが甦る。
 そして、なんだか昔のことがどうでもよくなってきた。昔の関係を偽りだと感じるのなら、新しく始めてしまってもいいのでは、と、実に手前勝手で傲慢な考えに支配されたのだ。

 偽物を、本物にする。まあ、そう思うことは許されるのではないだろうか。だからといって過去のことがなくなるわけではないが。俺はアルトリアに嫌われたくないし、俺は俺のエゴで罪を忘れよう。
 最悪で、最低だが――人類を救うのだ、ちょっとぐらい多目に見てもらってもいいはずだ。

 一瞬、見透かしたような顔で微笑んだアルトリアには気づかず。

 俺は、世間話のようにアルトリアに提案した。

「なあ、セイバー」
「はい、なんでしょう」

 綺麗に完食し、流石に少しは弁えているのかお代わりの要求はなく。アルトリアは、見惚れるぐらい綺麗な姿勢で俺に応えた。

「ロマニだけじゃないが、カルデア職員の負担が大きすぎる。なんとか出来るサーヴァントを呼びたい。誰か、アルトリアが喚んだら来てくれないか?」
「……む。……それでしたら、適任の者がいます」

 一瞬考え込み、すぐにアルトリアは思い至ったのか円卓の騎士を推挙した。

「その忠誠に曇りなく、文武に長けた忠義の騎士。
 ――サー・アグラヴェイン。
 彼ならきっと、こんな私にも応えてくれます。円卓の中で彼ほど今のカルデアで助けになる者はいないでしょう」

 なるほど、ありがとうと呟く。
 マシュのあの盾を基点に、騎士王が召喚を呼び掛けたらきっと円卓なら狙って呼び出せる。
 個人的に円卓にいい印象がないので、出来るなら一人も喚びたくなかったが、ロマニの激務を一日だけとはいえ体験した今、見過ごせはしない。
 一人だけならいいかと思う。叶うなら、その騎士と上手くやれたらいいなと呟いた。

「シロウなら大丈夫ですよ」
「……何を根拠に?」

 胸を張って断言するアルトリアに、俺は問いかけた。

「だってシロウは鉄よりも固くて、剣よりも熱い。アグラヴェインは人嫌いですが、貴方の前では形無しでしょう」
「……そうか?」

 わかるような、わからないような……いや、やっぱりわからん。
 地頭が良くないのだ、妙な表現には首を捻ってしまう。
 まあいいや、と口の中で溢し。

「そうだ、アルトリア」
「なんでしょう」
「今夜、どうだ」
「――はい」

「酒にな、付き合えよ」
「――、……」
「……?」
「シロウ。あまり、私を怒らせない方がいい」

「???」





 

 

やっぱりマシュマロなのか士郎くん!




 ――何時か何処かの時間軸。



 カルデアの食堂にしれっと居座り、サーヴァントでありながら完全に馴染んでいる青いバトルドレス姿の騎士王サマ。
 彼女に対してえもいえぬ敬意を霊基(カラダ)の奥底から感じるも、それよりも更に深い、自身の内側より生じている強い感情の渦に、マシュは自分でも戸惑っていた。

 制御できない想い。騎士王が召喚されてからずっと続く心の感触。こんな気持ちは初めてで、正直なところ持て余してしまっている。
 こういう時は尊敬する先輩に訊ねればいいと経験上学んでいた。あの人はとても物知りだから、きっと今度もこの感情の正体を教えてくれるはずだ。

 ……でも、流石にいつも教えられてばかりというのは情けない。少しは自分で考えてみよう。

「セイバーさん……」
「? はい、なんでしょう」

 正体不明の感情を自分で分析してみると、論理的に考えてその原因はイバーにあるような気がして、マシュは思い切って彼女に対し今抱いている疑問を質してみることにした。
 声は固く、顔も堅い。マシュ自身は気づいていないが、それはとても友好的とは言えない表情だった。常の礼儀正しく生真面目な少女には見られない表情は、きっとマシュをよく知る人物ほど驚くものだろう。

 しかしその、どこか剣呑な顔に、セイバー・アルトリアは気を悪くした様子もなく、いたって好意的で友好的な、物腰柔らかな調子で応じた。
 その余裕のある態度も、マシュを苛立たせている。苛立っていることに気づかないまま、棘のある声音で彼女は問いを投げた。

「今、カルデアの物資は乏しく、誰もが辛い思いをしています。食料の備蓄も非常に心許ないので、特異点にレイシフトした際には、聖杯探索と平行して食料を調達することも重要な任務となっているのはセイバーさんもご存知のはずです」
「ええ、確かに」
「――でしたら何故セイバーさんは食堂(ここ)に? 食事の必要のないサーヴァントの方は、みんな自重してくださっているのですから、セイバーさんもみなさんに倣うべきではないでしょうか」

 サーヴァントだって元々は人間なのだから、娯楽に乏しいカルデアの中で食事ぐらい楽しみたいはずだ。
 だが、今のカルデアには無駄にしていい食料は米粒一つありはしない。故にサーヴァント達は皆、生きている人間のために食事を我慢しているのだ。
 先輩の父であるアサシン、強くて頼りになるランサーのクー・フーリン、とても厳しいけど信頼できるアグラヴェイン。彼らは文句一つ言わない。特にアグラヴェインなんて、カルデアに召喚されて以来、恐らくカルデアで一番働いてくれている。一度も休まずに。サーヴァントに休養は要らないと言って。我が王のために、と。

 だというのにこの騎士王と来たら……堪え性というものがないのかと厳しめに言ってしまいたくなる。
 しかし。アルトリアの余裕は崩れなかった。

「その通りです。ですので私も、最初の一度だけで自重しています。ここにいるのは、食事以外の楽しみがあるからです」
「食事以外に食堂ですることなんてないはずです」
「いいえ。……ここからはシロウの姿がよく見える。私にはそれだけでいい」

 アルトリアは、日向のように温かい表情で、厨房でマシュと自身の分の料理をしている先輩――衛宮士郎の姿を眺めていた。
 真剣に料理と向き合う佇まいには、ある種の風格がある。言葉一つ差し挟むことの出来ない領域にいる彼に、アルトリアはマシュの知らない心を向けていた。
 思わず、言葉を失う。それは、なんて――

「……サー・アグラヴェインが何も言えない訳です」

 ぽつりと溢れた呟きは、マシュの物ではなかった。霊基が仕方無いな、と言っているようで。なんだか、負けたくないなんて、何かの勝負しているわけでもないのに思ってしまった。
 アグラヴェインは騎士王を見て何を思ったのか。複雑そうな、苦しげな、熱した鉄を飲み下すような苦渋の表情で、それでも騎士王を「我が王」と呼んだ。
 ただその後に彼は士郎を何処かに呼び出して、何かを話していたようだった。その後の彼は、恐らく過去一度もないほどに酔い潰れていて、士郎は頬を赤く腫らしていた。

 それからの彼は士郎をマスターとしっかり呼び、士郎はアグラヴェインを親しげにアッくんと呼び始めた。
 アグラヴェインは嫌そうな顔を崩さなかったが、それでもどこか士郎のことを認めていた。

 酔わないはずのサーヴァントが酔っていたのは、例によって例の如くダ・ヴィンチが絡んでいるのだろう。例え死んでいようと神様だって酔わせて見せるとは士郎の言である。何を目指しているのかは不明だが、なぜか今までで最も毅然としていたものだ。

「……」

 むすっと黙り込んで、マシュも士郎の姿を負けじと見つめる。
 なんとも言えない空気の中、士郎は調理を終え、夕食となるホタテのホイル焼きとさつま芋のレモン煮を二人分運んできた。ほくほくの白米もある。

「お待たせ。……アルトリアも飽きないな。見ていて何が楽しいんだか」
「何を楽しみにするかは私の勝手でしょう。それに」

 言いながら、アルトリアはマシュに慈しむような目を向けた。

「待っている間、彼女と話しておくのも私にとっては楽しいものです。まるで年の離れた妹を見ているようで」
「ん? 仲良くやれてるのか。それは重畳」
「……」
「マシュ? どうかしたのか?」

 むっつりとした表情でむくれているマシュを、士郎は気遣うように頭を撫でた。
 ……色々な時代の様々な特異点にレイシフトして、そこで多くの人々と触れ合う中で気づいたのだが、士郎が頭を撫でるのは子供などの保護対象だけである。それはつまり――そういうことだった。

「……やめてください」
「!?」

 ぽつりと呟くと、士郎は驚愕したように固まった。そして「マシュに反抗期が!? そんな、バカな、うちの子に限っては有り得ないと思ってたのに……!」なんて慄いている。
 わたし、子供じゃないです……誰にも聞かせるつもりのない呟きが聞こえたのか、ぴたりと止まった士郎とアルトリア。俯いたマシュに、士郎はややあって優しく言った。

「……どうかしたのか?」
「……」
「……アルトリア、悪いが少し席を外してくれ。余り聞かれたいことでもなさそうだ」
「はい」

 アルトリアは席を立ち、離れていく。そしてその姿と気配が食堂から無くなると、士郎はもう一度、噛んで含めるように語りかけてきた。

「なあマシュ。何か気になることでもあったのか?」
「……」
「俺は神様じゃない。言ってくれないと分からない。だから、思ったこと、感じたことをそのまま言ってほしい」
「……わたし、は……」

 包み込むような包容力だった。そこには隠しようのない慈愛の色があって、マシュは溢れてくる気持ちを抑えることができなかった。
 醜い気持ちを、溢してしまう。こんな汚い想いを知られてしまえば、きっと嫌われてしまう。怖いのに、止められなかった。

「……わたし、セイバーさんが嫌いです」
「……」
「今まで、先輩はわたしといてくれたのに……最近はずっと、セイバーさんとばかりいて……」
「……」
「……え、あ、違っ、そんな、わたしはそんな、嫌いなんて……」
「本当に?」
「あ、ぁ……」
「本当はアルトリアが気に入らないんじゃないのか」
「ぅ、……」
「……」
「……わたし、最低です……セイバーさんは、あんなにもいい人なのに……」
「……そうか。……よかった」

 マシュにとって、この気持ちは感じたことのないもので。
 醜いと、汚いと思ったから、知られたくなくて。
 でも、聞かれてしまって。自分を抑えられなくて。
 知られてしまった、士郎に嫌われてしまう。嫌だ、それだけは、嫌だ。そう思って、混乱しそうになっていると。――士郎は信じられないことに、安堵の息を吐いていた。

「……え?」

 戸惑い、声を上げる。

「これは受け売りなんだが……」

 そう前置きして、士郎は苦笑した。誰かを思い出すような目だった。

「少女は嫉妬を手に入れて、初めて女になるそうだ。……おめでとう、マシュ。お前は今、人として成長した。卑下することはない。ただ認めてこれからの糧とするといい。それが……大人の特権だ」

 言って、マシュの頭を撫でようとし、手を止める。
 困ったように笑みを浮かべながら、士郎は手を引っ込めた。

「……子供扱いはできないな。これからは、レディとして扱わないと」
「ぅ……」
「食べよう。冷めたら味が落ちるからな。ほら、いただきます」
「ぃ、いただき、ます……」

 促されて、マシュは赤い顔を隠しながら両手を合わせた。
 ……これは、喜び?  大人として見られたことへの。それとも……。ぐるぐると頭の中で感情の波が渦を巻く。
 胸が苦しい。なのに、悪くない気持ちだった。

 ――セイバーさんに、謝らないと。

 士郎と向き合って、汚い感情を手に入れて。
 それでもマシュ・キリエライトの心に変容はない。
 いっそう強まった意思の結晶が、少女を女にして、輝きを強いものとしていった。





 

 

急げ士郎くん!

 
前書き
プロローグ 

 



「由々しき事態だ」

 憔悴しきった顔で、ロマニ・アーキマンは言った。

「……落ち着いて聞いてほしい。君が眠っている間に特異点を七つ観測したというのは話したね」

 首肯する。ブリーフィングで確かに聞いた。

「今回、レイシフト先に選んだのは、その中で最も揺らぎの小さいものだったんだ。けど……」

 カルデアには、今回の第一特異点で、今後のために聖杯探索の勝手をマスターに掴んで貰おうという思惑があるのだ。その選択は決して間違ってはいない。
 今後、カルデア唯一のマスターが至上命題とするのは、人類史のターニング・ポイントとなるものを歪ませる異物を特定、排除すること。その上で、おそらくあるだろうと推測される聖杯を回収、または破壊することである。

 聖杯ほどの願望器でもなければ、とてもじゃないが時間旅行、歴史改変など不可能。せっかく歴史の流れを正しいものに戻しても、聖杯が残っていればもとの木阿弥とはロマニの言だった。

 管制室のコフィンの前で改造戦闘服の上に赤い聖骸布『赤原礼装』を纏い、ダ・ヴィンチ謹製の射籠手である概念礼装を左腕に装着する。
 改造戦闘服により、投影によって魔術回路にかかる負荷が軽減している感触と、射籠手を通してカルデアから供給される魔力の充実感に己の感覚を擦り合わせ、実戦の最中に齟齬が生じないように当て嵌めた。

 ダ・ヴィンチによると、英霊を維持し、魔力を供給するよりも、概念礼装を通してマスターに魔力を流す方が遥かに簡単だということだったが……ここまでの効果があるとは流石に思わなかった。これなら、まず魔力切れを恐れる必要もなくなってくる。
 カルデア職員から渡されたペットボトルに口をつけ水分を補給する。礼を短く言って返却し、コフィンに入りながらロマニに話の続きを促した。

「……実は君が起きて、レイシフトに向けて準備を整えてる間に……異常なことが起こったんだよ」

 顔面蒼白だった。からからに乾いた声が、危機的状況を端的に告げている。

「この第一特異点の修復完了後の予定として、レイシフトするはずだった第二特異点の座標を早期に特定出来たんだ。それはいいことだろう? でも、それが……僕らが観測した時には、人理定礎の崩壊がかなり進んだ状態になっていたんだ。――ああっ、つまりだね、簡単に、簡潔に言うとだ、人理が崩壊する寸前なんだよっ!」

 喚くようにロマニは唾を散らした。その様は錯乱に近い。
 他のスタッフはまだ何も知らされていないのだろうが、この管制室にいるスタッフは流石に知っているのだろう。張り詰めた雰囲気は、破裂寸前の風船を彷彿とさせる。

 頭の片隅で、人手不足のせいで全体の作業能率が低下しているんだなと悟り。時間に余裕ができたら、その問題を解決する方法を考えねばならないと思う。
 ロマニは息を整えて、なんとか言った。

「カルデアスは既に、第一特異点に座標を固定してある。レイシフトの準備も終わっていて、今更レイシフト先を変更することはできない。下手をすると第一特異点を見失いかねないからだ」

 道理である。予定を土壇場で変更して、急遽別の任務を挟んでもいいことなど何もない。レイシフトを予定通りに行なうというロマニの判断は正しい。
 だが、正しいからとそれで事態が丸く収まるわけではない。

「無茶を承知で頼む。士郎くん、これから赴く特異点の人理定礎を、早急に修復してくれ。一刻の猶予もないんだ、なるべく、なんて曖昧なことは言えない。比喩抜きで、一秒でも早く(・・・・・・)、戻ってきてくれ」

 タイムリミットは。
 聞くと、ロマニは固い唾を呑み込んだ。
 自分がどれほどの無茶を言わんとしているのか、その重圧に喘ぐようにして囁いた。

「――次の特異点が、致命的に修復不可能なところにいくまでに要する時間は、おそらく十日だ」

 管制室のカルデア職員達が、固唾を飲んでこちらを見る。
 凄まじい重圧に、しかし負けず。跳ね返す鋼のような声で、カルデアのマスターは応答した。

「――了解。四日(・・)以内に戻る。それまでに次のレイシフトの準備をしておけ」

 士郎くん、と呼ぶ声。

「病み上がりなのに、すまない。でも、それでも僕らは君に頼らないといけない。お願いだ、どうか無事に戻ってきてくれ……!」

 ロマニ、と苦笑した声。

「俺を誰だと思っている。任せろ、必ず上手くいかせてみせるさ」

 ――アンサモンプログラム スタート
 ――霊子変換を開始 します
 ――レイシフトまで後 3、2、1……
 ――全工程 完了(クリア)  ――グランドオーダー 実証を 開始 します









「さて……」

 今度はコフィンを使用して、正規の手順でレイシフトしたためか、特に問題なく意識は覚醒した。
 傍らを見ると、マシュとアルトリアがいる。召喚予定だったクー・フーリンは、召喚のための準備が間に合わなかった。
 まあ、それはいい。瞬間的に気配を消し、姿を隠したアサシンも、こちらの声が届く所にいるだろう。
 辺りを見渡すと、どうやらここは、どこかの森の中らしい。木々が生い茂り、のどかな空気を醸していた。

 マシュが、緊張に強張った声で言う。

「……時代を特定しました。1431年です、先輩」
「中世か。しかもその時代となると、」
「百年戦争が事実上終結しジャンヌ・ダルクが火刑に処された年でもあります。……それよりもシロウ、気づきましたか」

 アルトリアが補足するように言い、促してくる。俺はそれに頷いて、空を見上げた。

 そこには、青空が広がっていて。
 巨大な光の環(・・・)が、ブラックホールのように横たわっていた。

 な、とマシュが呆気に取られた声をあげる。俺は目を細めた。
 カルデアからの通信が繋がった。ロマニに空を調べるように言うと、彼も酷く驚き、アメリカ大陸ほどの大きさだと教えてくれる。

 空にアメリカ大陸サイズの光の環、か。こうまで目に見える異常があると、なんとも危機感が煽られてくる。
 移動しましょうというアルトリア。それには応えず、沈黙したまま腕を組む。
 訝しげに俺を見るマシュ達を無視し、沈思するフリをしていると、やがて気配を断ったまま俺にだけ見える位置にアサシンが実体化した。
 ハンドサインが、一方的に送られてくる。
 それでいい。アサシンには、レイシフトしたらすぐに周囲の索敵をするように指示していた。

 焦点は合わせず、視界に映ったものを全て見る捉え方をしていると視野が広く保て、アサシンを注視しないでもそのサインは確実に見てとれた。

 敵影なし。

 武装集団あり。

 脅威度『低』。

 接触済み。

 情報入手済み。

 南東に敵性体がある可能性『高』。

 進行を提案。

 ――流石に仕事が早いな。俺は一人ごち、二人に対して言った。

「……南東に向かう。召喚サークルの設置は現時点では不要だ。急ぐぞ」  




 

 

悲しいけど戦争なのよね士郎くん!





 敵と交わす口上無く。
 敵に対して容赦無く。
 敵の事情を斟酌せず。
 一切の情けなく撃滅するべし。

 時間との戦いだ。必要以上に気負うことはないが、かといって余裕を持ち過ぎてもならない。
 合理的に、徹底して効率を突き詰めて自分達を管理せねばならなかった。
 森の中で、用を足すと言って茂みに隠れ、そこでアサシンと小声でやり取りし情報を得る。

 ――竜の魔女として甦ったジャンヌ・ダルク。殺害されたフランスの国王シャルル七世と撤退したイングランド。大量発生している竜種とそれを操っているらしい黒いジャンヌ。確認されたサーヴァントらしき者は現状四騎は確定――

(了解だ、切嗣)

 フランスは世界で最も早く自由を標榜した国家だ。もしフランスが滅びてしまったとしたら、それは時代の停滞を引き起こし、未来はその姿を変えることになるかもしれない。
 そういった意味で、確かにこの時代が特異点足り得る因果があることを認め、アサシンと俺は竜の魔女とやらが特異点の原因であり、聖杯を所有している可能性の高い存在だと推測した。
 目標決定。ジャンヌ・ダルクを討つ。その上で聖杯を確保する。竜の魔女は南東にいるという、向かわぬ理由はない。仮に当てが外れたとしても核心に近い存在なのは明らかだ。

 強行軍で南東の方角に向かっていると、道中、この時代のフランス軍――その残党を発見。接触し、情報を得るべきだというアルトリアの意見を退ける。
 なぜと問われ、俺は端的に答えた。現地の人間と関わる必要がない。必要な情報は既に俺の使い魔が入手して把握してある、と。

 アルトリアは眉を顰め、怪訝そうにした。使い魔? 自分のマスターはいつの間にそんなことを。そこまで考えて、アルトリアは察した。
 自分達の他にサーヴァントがいる。しかしマスターはそれを知らせるつもりはない。マスターの気質から考えるに、そのサーヴァントの方が自分達の前に姿を現すのを拒んでいるのか。気配のなさ、素早い行動と高い情報収集能力から類推するにクラスはアサシンだろう。裏方に徹し、あくまで裏からマスターを補佐しようというプロ意識なのかもしれない。それならば、アルトリアから言うことはなかった。陰の、草となる者は必ず必要だからだ。

 問題はいつ召喚されていたのかだが……いや、そんなことはどうだっていい。確認する意味がない。
 時間にして二時間と三十分ほど一直線に駆けた。英霊とデミ・サーヴァントにはどうということもない距離だが、生身の人間には厳しいのではとマシュがマスターを心配する。するとマスターは言った。

 無用な気遣いだ。この程度どうということもない。その気になれば一日だって駆けていられる。人の身で人外の怪物と渡り合うにはヒトの極限に至らねばならず、そのための訓練は積んでいるんだ。

 戦争の中で最も過酷なのは行軍である。であれば如何に戦闘技術が高かろうと、足腰が弱く足の遅い者達の軍は精強とは言えない。軍隊で延々と走らされるのは、体力作りのためでもあるが、何より長距離の移動を歩行で行なえる下地を作るためなのである。
 アルトリアが同意する。まさにその通りだと。足の遅い、長距離の移動がままならない軍など物の役にも立たない。いつの時代もそれは共通していた。

 進行方向に敵影。

 敵性飛翔体。竜種――あれは下級のワイバーンか。断じて十五世紀のフランスにいていいものではない。
 数は九体か。こちらには気づいていないが……。
 どうしますか、とアルトリアがマスターに訊ねる。汗一つ流していないマスターは、戦闘体勢を取る二人を制し待機を命じた。

 丁度良い機会だ。敵の脅威を図る。

 射籠手に包まれた左手に黒弓を。右手に最強の魔剣グラムと、選定の剣カリバーンの原典に当たる「原罪(メロダック)」を投影。
 エクスカリバーほどではないが、触れるモノを焼き払う光の渦を発生させることができる。消費した魔力はすぐにカルデアから充填されるのだ。魔術回路にかかる負荷は想定していたものより遥かに軽微。
 投影した宝剣を弓につがえ、ワイバーンの内の一体に投射。貫通。射線上のもう二体も易々と貫き、三体を葬った。ワイバーンがこちらに気づき向かってくる。

 構わず。

 今度は投影工程を一つ省き、魔力も絞った再現度七割の「原罪」を投影。無造作に投射。これも貫通。鱗も肉も骨もまるで紙のように貫いた。残り五体。
 更に投影工程を省略。再現度五割「原罪」投影。投射。貫通。残り四体。
 継続して工程を省略。もはや張りぼての粗悪品でしかない再現度三割の「原罪」を投影。投射する。ワイバーンを貫くも、貫通した「原罪」の威力が目に見えて低下していた。残り三体。
 算を乱し逃げ出したワイバーンに向けて、通常の剣弾を放つ。都合六発。一体に対して二射、心臓部と頭部への射撃で事足りた。

 弓を下ろし、マスターは適切な投影効率を割り出せたことを確信。ワイバーンに対しては宝具の投影の必要はない。

「……呆けている場合か? 行くぞ」

 感嘆したように目を瞠くサーヴァント達を促し、マスターらは一路駆けていく。
 マスターは思う。魔力の充実感が凄まじい。強化した脚力を維持することがまるで苦にならない。なるほど、マスターが昏睡している間、冬木での戦闘データから専用の概念礼装を発明したダ・ヴィンチは確かに天才だ。これほどの装備、望んで手に入る物ではない。

 だが、弁えるべし。所詮この身は贋作者。人の域を出ない定命の人間。
 相手がサーヴァントか、それと同位の存在が現れたなら、決して今のように上手くいくことはない。分不相応の魔力を手にしただけで増長すれば命取りになる。
 やがて、マスターとサーヴァント二騎は一つの砦を発見した。
 火炎に炙られ、城壁は崩れ、城門は砕かれている。戦闘の気配はないが、破壊の痕跡はまだ新しい。

「……壊滅してまだ間がないのかもしれません」
「ええ。敵が残っているかもしれません。警戒していきましょう」

 マシュとアルトリアの言葉に頷く。そして暫し沈思し、アルトリアにこの場で待機することを命じた。

「なにを? 戦力の分散は……」
「下策だ。だが、お前をここに残すことの意味、戦争の視点で見れば分かるだろう」
「……それは、確かに有効です。しかしあそこにはまだ無辜の民がいる可能性があります」
いない(・・・)

 マスターの断言に、アルトリアは眉根を寄せる。

「……根拠はなんです?」
「分かっていることを聞くな。敵の拠点を制圧、占拠することが目的なら、あそこまで徹底して砦を破壊することはない。俺達が敵とする連中は、相手がなんだろうと殲滅する手合いだろうさ。そして仮に生き残りがいたとしても意味がない。真の意味で人々を救おうとするのなら、この特異点を正しい歴史の流れに戻し、今ある悲劇をなかったことにするしかないだろう。違うか?」
「道理です。……今は大義を優先します。マスターの命に服しましょう」
「助かる。マシュは俺と来い。お前の守りが頼りだ」
「はいっ」

 場違いなほど気合いの入った応答に、アルトリアと顔を見合わせる。張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ、ような気がした。
 少し苦笑し、アルトリアを残して砦を迂回。向こう側から突入する。
 マシュに身辺の警戒を任せ、自身は遠くを警戒。砦の奥にまで行くと、そこには――

「――――」

 竜を象る旗を持つ黒尽くめの女を発見。こちらを見て、にやりと嗤う。サーヴァント反応。敵、竜の魔女と断定。四騎はいると聞いていたが、五騎ここにいる。ということは、まだいるかもしれない。
 黒衣の男と、仮面の女は吸血鬼か。死徒の気配に似ているが、こちらはそれとは異なり更に『深い』。
 中性的な容貌の剣士が一騎。レイピア状の剣をすぐに解析。担い手の真名はシュヴァリエ・デオン。
 それに、もう一人。十字架を象る杖を持った女。十字架からキリスト教関連の英霊と推定。女となれば、聖女の部類か。挙げられる候補は少ない。行動パターンを割り出せば真名を看破するのは容易だろう。
 男の吸血鬼は杭のような槍を持っている。ヴラド三世の可能性が高い。女の吸血鬼は拷問用の鞭を持ち、蝋のような白い肌をしていた。――血の伯爵婦人だろうか。

 敵戦力評価。ヴラド三世が最たる脅威である。最優先撃破対象に指定。この場で確実に撃破する。

 黒い女が何かを言った。その口上を意識的に遮断。必要な情報だけを得る。
 こちらがマスターで、マシュがデミ・サーヴァントだと見抜いてきた。そして、砦の外に置いてきたアルトリアの存在まで知られている。見え透いた伏兵に掛かると思っているの? と、嘲笑していた。

 ――何故? 気づかれるような落ち度はなかったはずだ。感知能力が高いという一言だけでは片付けられない。それだけの感知能力があるなら、気配遮断しているアサシンにも気づけるはず。なのに気づいていない。
 ……可能性としてあの竜の魔女はルーラーか、それに類するエクストラクラスを得ていると考えられる。ジャンヌ・ダルクならばあり得ない話ではない。
 過去、聞いたことがあった。聖杯戦争を監督するためのサーヴァントが存在すると。それがルーラー。調停者のサーヴァントは、サーヴァントの位置を把握することが可能だと言うが……。それならアルトリアの位置を知られていることにも筋が通る。

 であれば、相手は常にこちらの位置を把握して戦略を練れるということだ。

 それは、こちらに圧倒的に不利となる情報。いつでも奇襲される恐れがある。まだこちらがレイシフトしたばかりということもあり、手を打たれてはいないとなれば……今が最大の好機。都合が良いことに敵の主力と思われるサーヴァントも揃っている。

 やる必要はあっても、やらない理由はない。ここを逃せば対抗策はアサシンだけしかない。

「――令呪起動(セット)。システム作動。セイバーのサーヴァント、アルトリア・ペンドラゴンを指定。『宝具解放』し、聖剣の最大火力で砦を薙ぎ払え」

 なっ!? 自分達ごと!? と驚愕する敵勢力。爆発的な魔力の気配。
 咄嗟に動いたのは聖女らしきサーヴァント。宝具で対抗しようと言うのか。
 手にしていた黒弓に投影したまま背負っていた「原罪」をつがえ放つ。宝具の解放を妨害する目的で、ヴラド三世と聖女を中心に巻き込むように「原罪」で壊れた幻想を使用。
 有効なダメージを確認。目的達成、宝具展開阻止。

「マシュ、宝具だ」
「了解。宝具、偽装登録――展開します!」

 構えた盾から淡い光の壁が構築される。

 迸る黄金の光の奔流が、横薙ぎ(・・・)にマスターごと砦を、五騎の敵サーヴァント達を呑み込んだ。
 マシュの盾と、アルトリアの聖剣の相性がいいから出来ることだ。もしもブリテンの聖剣以外で、Aランク超えの対城宝具を撃たれたらマシュは耐えられない。
 光の津波を遮る盾の後方で、マスターはその鷹の目でヴラド三世と思われる吸血鬼、カーミラらしき女吸血鬼、竜騎兵のデオン、聖女が聖剣の光に焼き払われたのを見届けた。

 しかし、肝心の竜の魔女は回避した。空を飛んで。

 ――飛行できる? 不味いな。

 決死の顔で回避した竜の魔女は、何かを喚きながら飛び去っていく。
 マスターは冷徹にそれを見据え、最大攻撃力を発揮できる螺旋状の剣弾を弓につがえた。

 魔力充填開始。見る見る内に遠ざかっていく黒い女はまだ射程圏内。仕損じた時のため、念を入れて命じる。

「アサシン。行け!」

 瞬間、赤い影が馳せた。
 それに構わず、遥か上空を行く魔女に向けて、マスターは投影宝具を射出した。
 カラドボルグ。空間ごと捻りきる魔剣。竜の魔女は直前で気づき、防御の構えを見せた。

「――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 着弾の瞬間、螺旋剣を爆破。

 手応えはあった。どのみち、これで射程圏内からは離れただろう。追撃は困難。
 今ので仕留められたのなら僥倖。少なくとも深傷は与えた。しばらくは動けまい。

「先輩。これからどうしましょうか」

 アルトリアが合流してくるのを遠目に見て、マシュが指示を仰いできたのに応じる。
 廃墟となっていた砦は、綺麗さっぱりなくなっていた。人類最強の聖剣、対城宝具を受けたのだから当然だ。
 無事なのは、マシュの後ろにあった瓦礫の山だけ。火も消し飛んでいる。

 マスターは言った。霊脈としては下の下だが、ここでも特に不自由はない。

「――召喚サークルをここに設置しよう。今日はここまでだ」

 日が傾き、夜が来る。深追いは禁物だった。








 

 

勝ちたいだけなんだよ士郎くん!


■勝ちたいだけなんだよ士郎くん!




「ア、イツ……らぁ……! ぐ、っぅ……、バッカじゃないの……!?」

 じくじくと肉が爛れ、何か強大な力によって再生されていく体。狂いそうな(なつかしい)痛みに、涙すら浮かべながら竜の魔女は怨嗟を溢した。

 聖剣というカテゴリー、その中で最強の位に位置する星の息吹。ブリテンの赤い竜と謳われた伝説の騎士王が担ったその極光で、あろうことかあのキ●ガイは自分達ごとこちらを薙ぎ払ったのだ。
 バーサークしたランサー、アサシン、セイバー、ライダーがお陰で死んだ。自分もあと一歩遅ければ、あの忌々しい光に焼かれて脱落()ちてしまっていただろう。

 凄まじい熱量だった。掠めただけでも死は免れなかった。咄嗟に飛翔して完全に回避してなお、全身に重篤な火傷を負ってしまったほどだ。
 ……火に焼かれて滅んだジャンヌ・ダルクが、怨嗟によって蘇り、しかして再び焼かれて死ぬなど断じて認められるものではない。しかも皮肉なことに、我が身を焼いた俗物達の炎とは異なり、聖剣のそれは間違いなく聖なるものなのだ。

 冗談ではない。ふざけるな、と叫びたかった。
 そんな余分はない。手勢を失い、圧倒的不利に陥った瞬間、魔女は即座に撤退を選択した。
 邪悪なるもの(ファヴニール)を召喚する暇などなかった。他に取れる選択肢がなかった。無様に逃げ去るしかなかったのだ。その屈辱に歯噛みして、今度は他のサーヴァントを全て投入し、ファヴニールも手加減なしに使って仕返ししてやると復讐を誓ったものである。

 だが甘かった。あのキチ●イは飛んで逃げられたからと大人しく諦めるような甘い輩ではなかったのだ。

 奴は、信じがたいことに宝具を使ってきた。
 ただの人間が。サーヴァントでもない常人がだ。一級の魔剣を、矢として放ち、あまつさえそれを全力で防ごうとした竜の魔女に着弾した瞬間爆破した。
 英霊にとって唯一無二であるはずの宝具を、なんの躊躇いもなしに自壊させ使い捨てたのである。正気の沙汰ではなかった。
 あれは人間。故にその名も能力も分からない。だがはっきりしているのは侮って良い甘ちゃんではないということ。そして、絶対に殺すべき敵だということ。

 正義の味方気取りの奴があんなのだなんて笑えてくる。アレは自分ごとアーサー王に聖剣で攻撃させた。防げるとわかっていても出来ることではない。断言できた。憎悪の塊、復讐の権化である竜の魔女だからこそ確信できた。

 ――アイツは、気が狂ってる……!

 弱味を見せたら徹底的に突いてくるだろう。そこに手加減はない。容赦はない。呵責なく攻めてくる。絶対に勝てるという好機を逃すわけがない。
 魔剣の直撃を受け、撃墜された魔女は近くにあった森に這って行った。完全に回避した聖剣の熱よりも、あの螺旋の矢の方がよほど魔女に深手を与えていた。
 いつ死んでもおかしくないほどの傷。全身がぐちゃぐちゃになって、自分にも分からない力で再生しなければ、きっと一分もせずに消滅していたはずだ。

「……きっと、ジルね。ジルが私に何かをした。だから助かったんだわ」

 ジル。ジル・ド・レェ。今も昔も、魔女にとって最も頼りになる存在。いつも味方でいてくれた彼なら、きっと自分を助けてくれる。
 だから、この再生はジルのお陰なのだろう。……あとで礼でも言ってやろう。特別に一度だけ。

 体の傷が塞がった。驚異的な回復力。痛みが引いたからか、魔女は冷静に考えることができた。

 ――あの執念深い正義の味方様ならきっと私を追ってくる。私が深手を負った、というのもあるでしょうけど、それよりも私はサーヴァントを四騎も失った。好機だと睨むはずよ。実際に、こちらも危ないことに違いはないのだし。

 手元にいるのはジルにバーサークしたアーチャーだけ。これは、非常に不味い。ファヴニールがまだいるとはいえ、ジャンヌ・ダルクの目にはあの極光が焼き付いていた。

 最強の聖剣、エクスカリバー。ファヴニールを屠った聖剣よりもランクは確実に上。アーサー王自身も竜殺しに比肩、或いは上回る大英雄だ。
 流石に竜殺しの属性まではないだろうが、あの火力を連発できるとしたら不利は否めない。早急に新たなサーヴァントを召喚しなければならないだろう。
 しかし、問題は。
 あのキ●ガイの追撃を振り切って、本拠地の城に戻れるかどうかだ。

 無理だ、と魔女は直感する。何も手を打たないで逃げていたらきっと追い付かれる。
 そうなれば、またあの聖剣か、あの剣弾が飛んでくるだろう。

 ――怖い。

 それは恐怖だった。
 誤魔化しようのない畏怖だった。
 ここにいるのが自分一人だからそれを隠すことなく素直に認められた。

 恐ろしいものを、恐ろしいと認められないのは、人間的成長のない愚か者だ。私は違う、とジャンヌは思う。
 令呪を起動。迷いなく一角を消費し、アーチャーを空間転移させてきて、端的に命じた。

「……ここに私を追って敵が来るわ。勝たなくてもいい。少しでも長く敵の足を止めるの。私が新しくサーヴァントを召喚するための時間稼ぎぐらいきっちりしなさい。いいわね?」

 言うだけ言って、ジャンヌは再び飛翔した。後に残されたのは、一人の女狩人。女神アルテミスを信仰する純潔の弓使い。
 アタランテ。獅子の姿の狩人は、狂化によって鈍った思考で了解と短く告げた。

 ――だが、狩人も、そして魔女も知らなかった。

 カルデアのマスターは、敢えて追撃になど打って出ておらず。魔女を追尾する暗殺者は、狂化で勘の鈍った狩人をまんまと素通りして魔女を追っていた。

 夜が明けるまで影の如く追い続け、一つの城に魔女が逃げ込んだのを確認すると、暗殺者は得た情報を纏めた。

 ――致命傷から回復する再生能力。サーヴァントの追加召喚を可能にする能力。……聖杯の所有者はコイツで決まりだな。本拠地も確認、伏兵も認識。任務は一先ず完了、帰投するとしよう。








「問題だ。ジャンヌ・ダルクはどうして百年戦争時、連戦して連勝出来たと思う?」

 召喚サークルを設置し、カルデアに近況を報告したあと。焚き火をして暖を取り、携帯していた保存食を口に運びながら士郎が言った。
 同じように焚き火の前に座り、盾を円卓代わりにしていたマシュは、顎に手を当てて考えた。

「……軍の指揮が巧みだったから、ですか?」
「違う。神の声を聞くまでただの小娘だったんだぞ。文盲で、学がない少女に軍略の心得なんてあるわけがないだろう」

 まあ、後になってジル・ド・レェ辺りにでも講義を受け、ひとかどの軍略を身に付けたのかもしれない。だが結局最後まで字は読めず、学を手にすることはなかった。

「ヒントは、ジャンヌ・ダルクは源義経と同じだということだ」
「極東の大英雄と……?」
「マシュ、よく考えてみてください。答えは意外と単純ですよ」
「アルトリア、シャラップ」

 何か知恵を貸そうとしたアルトリアの口に、日がある内に射落として調理した鳥の手羽先を押し込んだ。
 はうっ、と声をあげ。次の瞬間には「んぅー」と満足そうに食べ物に夢中になるアルトリアに苦笑しながら、士郎は再度マシュに目を向けた。

「えっと……ジャンヌ・ダルクは神の声を聞いたとされています。何か、啓示のようなものがあって、そのお陰だったりするのでしょうか」
「それも違う。あまり話を引っ張るのもアレだしな、答えを言うとだ。……ジャンヌ・ダルクは世間知らずで、当時の戦争のルールを全く知らなかったんだよ」
「え?」
「そもそも百年戦争と銘打ってるが、常に全力で殺し合っていたわけではないことはマシュも知っているだろう。騎士は勇壮に戦い、しかし負けて捕虜になると身代金を払って解放される……まあ、温いと感じるかもしれないが、基本的に騎士は殺されることがなかった。殺してはならない、なんて暗黙の了解があったほどだ。なんせ殺したら自分も殺されるかもしれないからな」

 だが、ジャンヌ・ダルクはそんな暗黙の了解など知らなかった。ルールを知らなかった。日本の武士のように戦争前に口上を述べたりしなかった。
 必然ジャンヌ・ダルクは敵国イングランドの騎士を殺した。殺すことを躊躇わなかった。戦争はそういうものだと思っていたし、戦争なのだからと戦う前の口上も述べずに軍を率いて突撃した――軍から突出して口上を述べていたイングランドの騎士に向かって。
 そして、殺した。

「それは」

 マシュが目を見開いた。

「そう。源義経と同じというのはそういうことだよ。彼らは当時の風習、決まりごとを無視して先手を取り続けたから勝てた。正面からの奇襲が出来たわけだからな、勝つのは簡単だったろう」

 無論、それが通じるのは最初だけ。後は己の才覚、運、味方の働きにかかっている。

「そして味方を勝利させる乙女ともなれば、フランス軍がその存在に熱狂していくのもわかる。勝利は気持ちいいからな。だが、そんなやり方で勝ってしまえば、それはもう敵方から恨まれるだろう。イングランドが何をおいてもオルレアンの乙女を異端として処刑したがったのは、ジャンヌ・ダルクがそれほどに憎かったからだ」
「……」
「ジャンヌ・ダルクが捕虜になった最後の戦い。なぜジャンヌ・ダルクが敗れたのか。それはルール破りの常習犯ジャンヌ・ダルクを相手にイングランドがルールを守ることをやめたからだ。結果的に、ジャンヌ・ダルクは自分と同じことをされて負けたというわけだな」

 さて。
 ジャンヌ・ダルクを敵とする時、以上のことを知った上で何を警戒するべきか、これで分かっただろう。

「ジャンヌ・ダルクは常識知らずだったが馬鹿じゃない。味方が有能でも、馬鹿が何度も戦争で勝てる道理はない。歴戦を経る中で軍略も学んだだろう。そんな彼女の戦術ドクトリンは極めて単純で明快なものだ。即ち、勝てば良い――まったく、気が合いそうなことだな」

 皮肉げに言う士郎に、アルトリアが一言。
 今、少しアーチャーに似ていましたよ。

 士郎はきょとんとし、次に苦笑した。それは、誉め言葉だ、と。

「警戒すべきは型破りの用兵だ。そして使われる戦術は単純で手堅い。シンプル故に破りがたい手段をとるだろう。次に相手からこちらに仕掛けてくるとすれば、戦力の拡充を果たし、確実に勝てると確信してからのはずだ」
「……でしたら先輩、すぐにでも追撃するべきだったのでは?」
「いや。あの時に追撃するのは上手くなかった。奴はまだ手札を残しているだろう。四騎もサーヴァントを従えていたんだ、まだいると思って良い。聖杯戦争なら七騎はいるはずだから、ジャンヌ・ダルクを含めても後二騎は最低でも控えている。加え、奴は竜の魔女だ。ワイバーンの大軍とサーヴァント、さらに強力な竜種がいる可能性も捨てきれない。足元も覚束ない状況で深追いすれば、痛い目を見るのはこちらだろう」

 そんな中で、アルトリアが上げた戦果はまさに大殊勲である。彼女のお陰で優位に立てているようなものだ。

「ということは、今するべきは情報収集ですか」
「できればこちらも戦力を増やしたいところですね。シロウはどうするつもりです」

 どうするか?  士郎は立ち上がり、明けていく空を見上げた。

「――決まってる。情報が舞い込むのを待ちつつ、利用できそうなものを探すのみだ」

 行こう、と士郎は言った。

 二日目の朝、午前。士郎達はワイバーンの群れに襲われているフランス軍を発見。これを助ける。
 そして日が真上に来る前に、帰還したアサシンから情報を得て。

 即断した。

「時間はやはり俺達の敵だな。……四日というのは撤回する。『今日』で決めるぞ、マシュ、アルトリア」







 

 

酷すぎるぞ士郎くん!





 足がほしい、と俺は切に思った。

 乗り物という意味の足である。移動速度の遅さは如何ともし難い。何とかして短縮したいが、どうにかならないだろうか。ダ・ヴィンチえもんにでも頼んで、何か乗り物でも作って貰おうか。

 いや、単純にライダーがいたら良い。戦車持ちならなおよしだ。いっそのこと、贅沢は言わないから高い機動力を持つランサーがいたらいい。それならわざわざ俺が走らなくても、ランサーに追撃を任せて優雅に構えていられる。

 ――そういえば知名度補正全開のクー・フーリンなら戦車も持ってるはずだよな……。

 ライダーでなくても持ってくれていたら、俺の悩みも一挙に解決なのだが。まあそのクー・フーリンの召喚はまだ先なわけで。出来れば槍兵がいいとはいえ、戦車を確実に持っているだろう騎乗兵のクラスでの召喚も捨て難くなってきた。
 うーん、悩む。悩むなぁ。

「先輩。現実を見てください先輩」
「やめろ。やめてください。奇天烈でファンシーな獅子を象ったバイクなんて知らない。ドゥン・スタリオン号とかラムレイ号とか知らない。俺は今滅茶苦茶スマートでイカシたバイクを吹かしてるんだぜベイベ」
「せんぱーい! 帰ってきてくださーい! 現実、これが現実なんです……!」

 颯爽と風を切り、疾走する二台のバイク。獅子の頭を持った馬の名前の機械馬。ネイキッドというスマートなバイクを素体にしているからか、無駄に胴体部位が格好良いのが腹が立つ。

 俺が乗っているのが黒い獅子頭のラムレイ号。武器庫代わりのサイドカーをつけて、後ろに盾娘マシュを相乗りさせている。
 並走しているのは、巧みなハンドル捌きの騎士王サマ。白いドゥン・スタリオン号とかいう獅子頭のファンシーなネイキッド。

 昨夜。敵サーヴァント四騎を撃沈させた砦跡地で夜営をした俺達は、下の下とはいえ霊脈として機能させられないこともない土地だったこともあり、召喚サークルを設置してカルデアから補給物資を貰った。
 そこで、俺はかねてからダ・ヴィンチに依頼していた移動用の乗り物を転送して貰ったわけだが。

 それが、なぜかご覧の有り様である。
 ダ・ヴィンチ曰く、外装の獅子頭は騎士王の熱い想いのために実装した代物なのだとか。レイシフト初日に間に合わず、夜に召喚サークルを設置した時に何とか開発・作成を間に合わせたダ・ヴィンチの奮闘には頭の下がる思いだ。素直に感謝するし短期間で発明品を実用に耐えるレベルに持っていく手腕には尊敬の念を抱く。
 だがこれはない。幾ら移動速度を爆発的に高められていると言っても、これはない。

 俺は諸悪の根源を睨んだ。

 びくりとするキシオウ様。操縦しているドゥン・スタリオン号が揺れた。

「……おい。弁解するなら今だぞ。さすがの俺も無視できなくなってきた。さっきのフランス兵の顔を見たか。まるで色物戦隊でも見る目だったぞ」
「うっ。……い、いいじゃないですか獅子頭。かっこいいでしょう」
「お前のセンスが死んでるのはわかった。頼むからダ・ヴィンチに自分好みの改造をさせるな。普通で良いんだ、普通が良いんだよバイクは」

 あとバイクにでかでかと『ラムレイ号』とか刻んだネームプレートを張り付けないでほしい。かなり恥ずかしいのだ。乗っていると獅子頭の後頭部が見えて死にたくなるのだ。
 俺は昨日の夜から定期的に宝具を投影し、武器庫(サイドカー)に貯蔵しているわけだが、きらりと光り、夥しい魔力を放つ投影宝具がシュールに見えて仕方ない。

 おかしいなあ。こんなはずじゃなかったのに……。俺が涙目になっていると、アルトリアも涙目になっていた。
 自分のセンスを全否定されて泣きそうなのか。俺も泣きたい。なんで他のことだとメンタル強くなってるのにそういうとこだけ昔より脆くなってるのですか。王よ、私には貴方の心がわからない。私は悲しい。ぽろろーん。

「先輩、休憩しましょう。疲れてるんですよきっと。休んだら元気が出るはずです」

 相乗りしているマシュが健気にもそう言って気遣ってくれた。
 よし休憩しよう。何時間も走り続けてると俺まで獅子頭と人機一体になってしまう。無駄に乗り心地良いのが憎たらしい。ハンドル捌きが達者なキシオウ様がやたらムカつく。

 この時ばかりは、アルトリアに刺々しいマシュも態度に棘をなくし、憐憫の眼差しで見遣っていた。

 アルトリアはラムレイ号を止めた俺の隣にドゥン・スタリオン号を停車させ、小さくなって俯いていた。そんな彼女に冷たい目を向け、俺は露骨に嘆息する。

「あーあ。敵サーヴァントを一気に片付けた誰かさんのこと凄いと思ってたのになー。台無しだなー。わたしはかなしー」
「うぅ……」
「ぽろろーん。ぽろろーん」
「サー・トリスタンの物真似はやめて差し上げてくださいっ」
「ちちうえー。ちちうえー」
「グググ……!」
「モードレッド卿もだめです!」
「ちちうえとか言われてるが、言うほど乳はないよなアルトリア」
「ぅう、うわあああ!!」

 ドゥン・スタリオン号に縋りつくようにしてアルトリアは泣き崩れた。
 それを尻目に、俺は呟く。

「ほんと円卓は地獄だぜ……」
「いえ、今は円卓は関係ないかと……あとセクハラです先輩」

 脳内に展開していた偽螺旋剣の設計図に魔力を通し投影する。全工程を完了し、それをサイドカーに貯蔵して、ラムレイ号から離れた。
 現在、貯蔵しているのは偽螺旋剣を五本。赤原猟犬を四本。原罪を六本。勝利すべき黄金の剣を五本。余裕がある時に投影しておこうと思ったのだ。実戦に際して一々投影していては間に合わないし、非効率的だと思ったのである。
 夜通し、じっくり丁寧に時間をかけて、負担が掛からないように気を使いながら投影した。これからは暇さえあれば投影宝具を増やしていこうと思っている。
 そこで、ふと気づいた。俺達は今、名前も知らない森の手前にいるわけだが、樹の影から何かがこちらを見ている。――切嗣だった。仕事帰りの独身サラリーマンの如く目が死んでいる。

 咽び泣くアルトリアと、それを慰めるマシュを背にアサシンの元に向かった。

「マシュ、シロウが、シロウが苛めます。どうしてです、私はよかれと思って……」
「余計なお世話という奴ですね」
「円卓の騎士の物真似がなんであんなに上手いんですか。辛いです」
「自業自得ですよね」
「槍の私なら胸だって……きっとあるはずなんです」
「でもセイバーのアルトリアさんの現実はそれです」
「……マシュ。貴女とは少し話し合う必要があるようですね」
「? わたしは特に話すことなんて……」

 ……。
 ……慰めて、る?

 いやあれも立派なコミュニケーションだ。間違いない。マシュは良い娘なので、何も問題ない。

「……で、首尾はどうだ」
「この森は通るな。伏兵がいる。女の狩人のサーヴァントだ。獅子の尾、耳からするに純潔の誓いを立てたアタランテだろう。森で相手をするのは自殺行為だ」
「ん? ……この森か?」
「ああ」

 思いっきり走り抜けるつもりだった俺である。危なかった、本当危なかった。危うく罠にかかって森ごとアタランテを聖剣で焼き払わねばならなくなるところだった。

「迂回しよう。魔力は節約だ。使わないで良いなら使わない。節制は美徳なり」
「お母さん……」
「ん?」

 マシュがこちらを見て、ぽつりと呟いた。

「何か言ったか」
「いえ、何も」

 見れば、アルトリアもこちらを見ている。しかし切嗣は抜け目なく彼女達の樹の影の死角に立っていた。徹底している。さすが切嗣。遊びがない。
 そんな切嗣は、やはり遊びのない眼差しで言葉を続けた。

「ついでに敵本拠地を発見した。オルレアンだ。ここはジュラという森。ここから北西の位置にオルレアンがある。僕は奇襲するべきだと判断するが、どうするマスター」
「……奇襲だと? 俺達だけで、か?」
「そうだ。ジャンヌ・ダルクはサーヴァントを追加で呼び出せるようだ。このままでは折角のアドバンテージが崩れ去る」
「サーヴァントの追加召喚? ……ジャンヌ・ダルクは聖杯を持っているな」
「ああ。僕もそう睨んでいる」

 暫し沈思し、俺は決断する。
 本当ならフランス軍を利用し、人海戦術で攻めるつもりだった。そのためにフランス兵を助け、フランス軍元帥のジル・ド・レェに接触するつもりだったのだが……。

 サーヴァントの前に、普通の人間は無力。サーヴァントを増やせるというのなら、四騎を脱落させた甲斐がない。
 ならば、多少の博打はやむを得ない。今後の戦いが長引けば人類は終わる。

「奇襲成功率は」
「三割だな」
「……分の悪い賭けは大嫌いだ。作戦を立てよう」
「聞こう」
「これを受け取れ」

 言って、俺はマシュに目配せした。最近、アイコンタクトだけで多少は動けるようになってきていたのはいい成果だろう。
 マシュは俺の意を汲み、武器庫から宝剣「原罪」を四本持ってきた。それに、投影したマルティーンの聖骸布を巻き付け、切嗣に手渡す。
 これは? 視線で訊ねてくる切嗣に、俺は端的に告げた。「爆弾だよ。用途は分かるな? 俺とマシュとアルトリアで正面から仕掛ける。聖剣による対城の一撃を叩き込んだ後、ひたすら俺が投影した宝具を撃ち込んでいく。出てくればよし、出てこないならそのまま城を枕にさせて爆殺する」
「――了解。二段仕掛けか。それで仕留められなかったらどうする?」
「アサシンは状況を見て勝手に動け。俺達はそのまま決戦に移る。旗色が悪くなれば、投影宝具を積んだラムレイ号を突っ込ませて爆破し撤退する」
「了解。……ラムレイ号、あれか。随分可愛らしい外見だな」
「……ん?」

 可愛らしい?  それが聞こえたのか、切嗣の声に何かを思い出そうと顔を顰めていたアルトリアが目を輝かせた。このアサシンはわかってる! そんな顔。
 俺は思い出した。

 ――そういえば切嗣のセンスも死んでいたな……。






 

 

いい加減に士郎くん!


■いい加減に士郎くん!




 ジュラの森から北西に向けて走ること数時間。
 高かった陽は地平線に傾き、夕焼けに染まる晴天に夜の訪れを感じた。

 遠くにオルレアンの城が聳えているのが見えた。
 風を切って疾く駆ける機械仕掛けの馬。その燃料も尽きかけていたが、使い潰すことを考えれば後半刻はその走りを継続できるだろう。

「……人がいない」

 カルデアのマスターが呟く。その声は風に浚われ、相乗りしているデミ・サーヴァントの少女にしか聞こえていなかった。

「竜の魔女の勢力圏だからでしょう。恐らく、もう生きている人はいないかと」
「無関係の者を巻き込む恐れはない、ということだ。――アルトリア、マシュ、心に刻め。手加減や容赦は一切無用だ。人類の興廃はこの一戦にある。正しい歴史に流れを戻すことが、魔女の殺戮を否定する唯一の手段だと肝に銘じろ」

 セイバーのサーヴァントが重々しく頷く。
 精霊との戦いではなく、邪悪との戦いであり、私欲のない戦いであり、世界を救う戦いである。一対一の戦いではないが聖剣は相手が己よりも強大なモノであると認め、秘めたる星の息吹を放っていた。

 赫と輝きを増す聖剣はその真の力を拘束する十三の条件の過半を解除され、今やかつての聖杯戦争の時よりも力を増している。

 令呪の補助もなく、マスターからの魔力供給だけで放てるのは一度が限度だろう。カルデアから魔力を供給されているマスターですら、全開に近い聖剣を支えるには足らないのだ。
 だが、マスターの手には三画の令呪がある。一日に一画、令呪を補填されるため、使い惜しむ必要は微塵もない。マスターは聖剣を使用する時は、躊躇いなく令呪を切るつもりだった。

「……正面、敵影。どうやら馬鹿正直に籠城に徹さずに、こちらの力を削ぐため迎撃に出たか」

 敵は魔女とはいえルーラーと思われる。
 サーヴァントの位置情報を把握できるのなら、オルレアンに一直線に近づいていくカルデアのサーヴァントにも早い段階で気づけただろう。
 迎撃に出てきたのは、見るに耐えない醜い魔物だった。それに、竜種のワイバーンもいる。魔物の混成軍といっても混沌とした様相を呈していた。

「あれは……」

 セイバーが表情を険しくさせた。巧みにバイクを操縦しマスターと並走しながら近づく。

「マスター。私はあれを知っています。海魔です。敵にキャスターのジル・ド・レェがいる。注意してください」
「ん? フランスの元帥がキャスター? 騎士ではなくか」
「はい。あれは堕落した反英雄『青髭』として恐れられた怪物が宝具で召喚した魔物でしょう。あの群れを殲滅しても意味はありません。魔力の続く限り無限に召喚出来るはずなので徒労に終わるでしょう」
「……知っていることを話してくれ」

 やたらと詳しいセイバーに聞くと、どうやら第四次聖杯戦争の時にあの海魔とやらを召喚するキャスターのサーヴァントと交戦したことがあるらしい。
 ことの顛末を省き、能力だけを聞くと、その厄介さに顔を顰めた。
 召喚は容易。呼び出すだけ呼び出し、後は放し飼いにすれば勝手に魔物が獲物を求めて動き出す。典型的な宝具が強力なタイプのキャスターで、最後の決戦の時には聖剣の真名解放をしなければ打倒できなかったほどだという。

 最低限の手綱を握り、自身と味方だけは襲わせないようにすれば、近場に生き物がいないためこちらを率先して襲ってくるわけだ。しかも、ワイバーンの群れも多数存在している。あれも竜の魔女が召喚したものだとすれば、恐らく単純な兵力だけでこちらを押し潰すことも不可能ではない。
 無限に湧いてくる海魔とワイバーン。あまり相手にしたくない組み合わせだ。どうやら、相手も本気のようだし……やはり出し惜しみは出来ないか。

「アルトリア、お前の意見を聞きたい。オルレアン城に辿り着くまでの最短ルートはなんだ?」
「このまま直進し、敵を宝具で一掃して進むのが最短ですね」
「……聖剣は使えないぞ。燃費が悪いのもあるが、お前のそれは対城宝具だろう。軍勢を相手にすれば討ち漏らしが必ず出てくる」
「ええ。なのでマスター、貴方の投影した勝利すべき黄金の剣(カリバーン)を使わせてください」

 その言葉に、マスターはサイドカーに積まれた投影宝具のカリバーン五本を見る。

 メロダックは四本、アサシンに持たせてあるため一本しか貯蔵がない。元が偽螺旋剣と赤原猟犬を含め、二十本という頭の悪い数だったから残り十六本貯蔵されていた。

「……何本使う?」
「二本で充分です。一度の真名解放で砕け散るでしょうが、それを恐れなければ平時の聖剣に伍する力を発揮できる。ランクにしてA+は固いでしょう。一度のカリバーンで今見える範囲にいる敵を一掃、討ち漏らしをもう一度カリバーンで薙ぎ払えば問題なく殲滅できます」

 それを聞いて、マスターは投影宝具をセイバーに託すことを即決した。しかし、自身が消費する魔力量を計算しなければならない。
 魔力量に不安はなくとも、魔術回路は無尽蔵ではないのだ。幾ら負荷が軽減されるとはいえ、調子に乗っていたら特異点Fの時の二の舞である。

「以前バーサーカーと戦った時の未熟なマスターですら、カリバーンの真名解放に耐えられたのです。カルデアのバックアップがある今、成熟している貴方には大した負担にはならないと思いますが」
「……簡単に言ってくれる。あの時は割りと死にそうだったんだが」

 まあいい。躊躇えるだけの余裕はない。元々こういう時のために多めに投影していたのだ。セイバーの意見に従おう。
 マスターはちらりと己の右手、その指先を見遣る。――微かに黒ずんでいる親指を。

 バイクを停車し、セイバーがひらりと鋼鉄の馬から降りる。マスターも停止し、サイドカーから二本のカリバーンを抜き取って投げ渡した。
 彼女に繋がるパスに魔力を通す。
 カルデアからマスター、マスターからサーヴァント。供給される魔力に不足はない。ただ、流れていく魔力によって魔術回路が疲弊するだけのこと。
 ん、と声をあげ、魔力を感じるセイバー。
 迫り来る海魔とワイバーンに目掛け、光輝く黄金の剣を突き出した。

「選定の剣よ、力を。邪悪を断て――勝利すべき黄金の剣(カリバーン)!」

 閃光が閃く。解き放たれた光が敵軍勢の中心に突き刺さり、光を散らすように爆発した。
 やはり凄まじい火力である。魔力はカルデアが負担してくれているとはいえ、それを通しているマスターの魔術回路が悲鳴をあげていた。
 尋常の魔術師なら心が折れかねない痛みがある。しかしまあ、この程度は特に堪えない。マスターは冷静に海魔とワイバーンが壊滅したのを見届けた。

「……予想通り討ち漏らしが出たな」
「ええ。なのでもう一度――勝利すべき黄金の剣(カリバーン)!」

 敵の第一陣と、二本の選定の剣は塵一つ残さず消え去った。地形もえらいことになっている。まるで弾道ミサイルでも着弾したかのような有り様(クレーター)に、しかしこれといった感慨もなく。マスターとサーヴァントはバイクに跨がり、再びオルレアンに向けて走り始めた。










「……なにあれ」

 呆気に取られたように、オルレアンで待ち構えていた竜の魔女は呟いた。

 バーサーク・アーチャーを伏した森を迂回し、一直線にこちらに向かい出した時は伏兵を見抜かれたことに敵も相当の智者だと歯噛みしたものだ。
 意味もなく戦力を森に置き続ける意味もないし、単独で仕掛けさせれば無駄死にさせるだけなのは目に見えていたため、アーチャーに奴らの背後を突かせるようなことはせず帰ってくることを念話で命じていた。

 後はアーチャーの合流を待って、新たに召喚したバーサーカー・ランスロット、バーサーク・アサシンのシャルル=アンリ・サンソン、ファントム・オブ・ジ・オペラと、切り札のファヴニールを使って決戦を挑むつもりだったのだ。アーチャーが合流してくるまでの繋ぎとして、海魔とワイバーンは使ったにすぎない。

 嫌がらせ程度の戦力だ。雑魚を一掃するために聖剣でも使って消耗してくれたら御の字と思っていたのだが。

「えっ。なにあれ。ほんとなに? ねえジル、私の頭おかしくなっちゃったの? なんか、同じ宝具を幾つも持ってるように見えたんだけど」
「そのようですねぇ」

 呑気にも聞こえる声で応じたのは、筋骨逞しいローブ姿の巨漢である。
 悪魔的な風貌の、目玉の飛び出した男の名は、かの悪名高き青髭……。嘗ての救国の英雄ジル・ド・レェであった。
 声音こそ穏やかで場違いなほど落ち着いたものだったが、遠見の水晶から見て取れた光景にその眼が険しくなっている。

「ねえジル! なんかあいつ、あのヘンテコなドリルみたいな剣を弓につがえてるんだけど!」
「不味いですねぇ。こんな神秘も何もない城では防げないでしょう」
「あっちの王様なんか、聖剣ぶちかます気満々なんですけど。もう籠城とか無理でしょこれ。どう見てもこの城が私達を閉じ込める牢獄にしかなってないんだけど」
「ええ、ええ、これはもう打って出た方が賢明でしょう。邪竜を含めた全戦力で決戦を挑んだ方がいい。そちらの方が勝算がある。というより、どう見てもここに閉じ籠ったままでは完封されてしまうだけ。ジャンヌ、私も貴女の旗と共に全力で戦います。ですからどうか、号令を」

 常の狂気よりも、卓越した軍略家としての本能が上回っているのだろう。青髭は平坦な、しかしジャンヌを落ち着かせる優しげな声で取り成した。
 竜の魔女はその声に安心する。いつも困った時はこの声を聞いて落ち着いた。彼の軍略家としての能力は本物、仮にも一国の元帥であり、敗戦の憂き目にあった国を建て直した立役者、救国の英雄なのである。

「……そうね。そうよ。私の戦いはいつも不利なものばかりだった。戦局は絶望的じゃない。諦めなんて知らない。私は勝つの。あんなキ●ガイになんて負けないんだから」

 ジルの言うことなら間違いない。そう信じられるから頷いて、ジャンヌはその竜の旗を振りかざした。

「邪悪なる竜、災厄の化身よ! 来なさい、そして蹂躙なさい! あまねく光、あらゆる命がおまえの贄だ。さあ、いでよ――ファヴニール!」

 城内であってもまるで構わず、竜の魔女はその幻想種の頂点を召喚した。
 呼び掛けに応じ、邪竜が顕現せんと爆発的な魔力の奔流を迸らせる。

 その力の具現、暴力の息吹、邪なる波動に魔女ジャンヌ・ダルクは高揚した。
 勝てる。この竜さえいたら。相手がアーサー王だろうとキチ●イだろうと、絶対勝てる! アーサー王を超える実力の騎士だってこちらにはいるのだ。敗けはない。
 ふつふつと沸き立つ歓喜に、ジャンヌは高笑いした。
 いや、しようとした。

 その邪竜を召喚する異常な魔力の高ぶりは、未だ聖剣の射程圏内に到達していないカルデアの面々にもはっきりと感じられた。
 カルデアのマスターは、これを新たなサーヴァントの召喚の予兆と捉えた。そしてそれを阻止しなければならないと考えた。
 故に。手順を変えた。

 聖剣、投影宝具の飽和攻撃ではなく。

 まずは、意表を突くことにしたのだ。



「あはっ、あはは、あっははは――」



 声も高らかに魔女が哄笑した瞬間。

 その足場が崩れ落ちた。

 否――オルレアン城がその土台から崩壊した。

 城の基点に仕掛けられていた四つの投影宝具、その全てが同時に起爆し。遥か未来の建造物爆破解体技術と知識を持つ匠の手腕によって。
 斯くして邪竜召喚は途中で頓挫。

 竜の魔女は、青髭とその他のサーヴァント共々、消えていった邪竜をまざまざと見せつけられながら瓦礫の山に埋もれていった。





 

 

そこまでにしておけ士郎くん!





「これは酷い」

 帰還後、戦闘記録を閲覧した某優男の感想がそれ。

「ラムレイ号ぉぉぉ!」

 失われた命を嘆く某天才の悲しみの声。

「好機だった。今なら殺れると思った。今は満足している」

 被告E氏は意味不明な供述を繰り返しており、爆破幇助についての反省は終始窺えませんでした。

「死体蹴り? ……基本じゃないのか?」

 実行犯はそう検察側に語り、再犯の可能性は極めて高いと言わざるをえず、重い実刑判決が下されるものと見て間違いないとカルデア職員一同は――









 ――四連する大爆発。土台から崩れ落ちたオルレアンの城。アルトリアはそれを見て思わず動きを止め、マスターである男を振り返った。

 力強く頷く顔に達成感はない。冷徹に次の手を算段する冷たさがある。それは、衛宮士郎の前に契約していた男を彷彿とさせる表情とやり口。
 しかし今のアルトリアにそれを疎む気持ちはない。現金な性質なのか、それをやったのが己の現マスターであるというだけで、許容できてしまっている自分がいた。それにここまで冷徹にことを推し進めなければ勝てない戦いもあるのである。

 今カルデア最大の敵は時間だ。速攻は義務であり、確実な手段に訴えるのは当然のことだった。
 マスターの男、衛宮士郎は一切の衒いなく、冷酷に手札を切る。城を倒壊させた程度でサーヴァントを倒せるものではない。

「畳み掛けるぞ。令呪起動(セット)、システム作動。『宝具解放』し聖剣の輝きを此処に示せ」
「拝承致しました。我が剣は貴方と共にある。その証を今一度示しましょう」

 聖剣を覆っていた風の鞘を解き、露になった黄金の光を振りかざす。
 大上段に構えての、両手の振り抜き。オルレアン城の残骸に向けて、己の勘に従って「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」を振り下ろす。

 星の極光が轟き、光の奔流が瓦礫の山を斬り抜けていく。誰も視認すら出来なかったが、この究極斬撃は敵方のアサシン、ファントム・オブ・ジ・オペラと天敵のバーサーカー、ランスロットが霊体化し、瓦礫の山から脱出しようとしていたところを捉えた。  断末魔もなく二騎のサーヴァントが脱落。それを確認する術などなく、偽螺旋剣を武器庫から取り出し、魔力を充填。真名解放し、瓦礫に打ち込む。
 そして再びの爆破。

停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)

 更にあらかじめ投影していた無数の剣弾を解凍し、虚空に忽然と姿を表した二十七弾の掃射を開始。
 オルレアンを更地にせんばかりの怒濤の追撃(死体蹴り)である。
 ほぼ全ての工程をカットした斬山剣『虚・千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)』を含めた全てを爆発させ、剣林弾雨は比喩抜きの絨毯爆撃と化した。
 土煙が舞う。
 半死半生、片腕を無くし、決死の表情で土煙から飛び出して士郎に向かうシャルル=アンリ・サンソン。黒い外套も吹き飛び、もはや手にする斬首剣の一振りに命を注ぎ込んでの突撃だった。

 マシュとアルトリアが即座に立ち塞がる。だが、それよりも早く、動く者があった。

「正面から行くとは、底が知れるぞ処刑人」

 背後。土煙に突入していた深紅の暗殺者の銃撃が瀕死の処刑人を穿つ。体から力が抜けた瞬間、伸ばされた腕がサンソンを土煙の中に引きずり込み、更に乾いた発砲音が響く。土煙が晴れた時、そこにはもう何もなかった。
 士郎はその全てを見届け、首筋に冷たい汗が流れる。その斬首剣を見ただけで解析・固有結界に貯蔵し恐ろしい能力を知って戦慄したのだ。

 サンソンの宝具『死は明日への希望なり』――由来は罪人を斬首する処刑器具のギロチン。真の処刑道具、ギロチンの具現化。
 一度発動してしまえば死ぬ確率は呪いへの抵抗力や幸運ではなく、『いずれ死ぬという宿命に耐えられるかどうか』という概念によって回避できるかどうかが決定される。
 精神干渉系の宝具であり、戦死ではなく処刑されたという逸話がある対象には不利な判定がつく。中距離以内で真名を発動させるとギロチンが顕現し、一秒後に落下して判定が行われるのだ。

 これを確実に防げるのは、そもそも死の運命にはなかったはずのアルトリアだけ。マシュは不明だが、士郎は確実に死に、アサシンの切嗣もまた同様だろう。
 天敵と言える。接近されていれば不味かった。アルトリアがいたとはいえ、肝の冷える瞬間だった。

 ……まだ攻めが甘かったということだ!  士郎は躊躇わなかった。

「総員退避! ラムレイ号、突貫する!」

 決断した士郎は更に追撃(死体蹴り)を敢行。
 えっ、と声を上げた騎士王を無視し、士郎は自動操縦モードを起動。ただ真っ直ぐ走るだけの機能は士郎が注文して付けていたものだ。
 乗り手もなく疾走する黒い獅子頭のバイクは、もはや瓦礫すらも消し飛び更地となっていたオルレアン跡地に突っ込んでいき――トドメの爆撃となった。

壊れた幻想(ブロークンファンタズム)ッ!」
「ら、ラムレイぃぃっ!!」

 悲痛な騎士王の嘆きは爆音に掻き消された。この瞬間、海魔を壁として耐え続けていた青髭は、十三本の投影宝具の一斉起爆に巻き込まれ消滅。
 庇われていた竜の魔女もまた、己の『所有者』の消滅を以って偽りの人格は剥がれ落ち、ただの『器』となって消滅した。

 ……そこにあったかもしれない両者の最期のやり取りを、知るものは皆無。

「――敵消滅を確認。お疲れさまでした先輩」
「ああ、なんとか上手く行ってくれてよかった。こんな無茶苦茶なこと、もう二度としたくない。確実性がどこにもなかったんだからな」

 ふぅ、と息を吐き、なぜか膝と両手を地面についているアルトリアに首を傾げつつ、出現していた水晶体の聖杯を回収に向かう。

「……聖杯の回収を確認。馬鹿げた魔力だ。なるほどこれを手にした者が万能感に酔いしれるのも分からないでもない」

 特異点の原因を排除し聖杯を回収したからだろう。この特異点が元の歴史に戻るため修正が始まっている。じきにこの世界は消滅し、なかったことになるだろう。

 だが、それでいい。なんの問題もない。名誉も、功績も残らないが、そんなものを求めたことはないのだから。

「さ、帰るぞ皆。次の仕事が待っている」

 ドクター・ロマンから通信が入り、聖杯の回収を確認したこと、レイシフトの準備が完了していることを知らされる。
 次の特異点は、ここほど急ぐことはない。駆け足なのは当たり前だが、しかし新たな強力なサーヴァントの召喚が決まっている。取れる戦術は増え、確実さを増した手段も取れるようになる。焦ることはなかった。

 まあ、その前に、一日ぐらい休んでもいいか、と思う。流石に休養もなく走り抜けていたら、倒れてしまうだろうから。







 第一特異点「邪●百●戦●オルレアン」定礎復元







 

 

鬼!悪魔!士郎くん!

 第一特異点 定礎復元 完了 を 確認

 所要時間 三十九時間四十三分二十七秒





 ――それは衛宮士郎がレイシフト以前に宣言していた四日間を大幅に短縮した記録。九十六時間の半分以下、約一日と半日で一度目の聖杯探索を終えたことになる。

 瞠目に値するこの戦果に、絶望に染まりそうだったカルデアは沸き立った。
 無理もない、十日以内に二つもの特異点の定礎を復元し、聖杯を回収することなど、どんな英雄にだって不可能に近い難業である。
 誰しもが諦めかけていた。もう駄目だと膝を屈しかけていた。
 だが、カルデア最後のマスターは、第一特異点の聖杯を二日と経たない内に回収し歴史の流れを修正してのけたのである。ならばもう一つだって不可能じゃない。このマスターなら、あと八日も猶予があれば必ず成し遂げられる。

 そう信じることで、希望を持つことができた。悲観的な状況にある彼らにとって、その希望がどれほど得難いものかは想像に難くない。彼らカルデア職員らの期待と縋るような目に、マスターはあくまで泰然とした姿勢を見せていたものだが――

 ――俺、衛宮士郎は自室にまで来ると、ベッドにどすんと腰掛け、深々と、深々と、深々と溜め息を吐いた。

 それは鉛を通り越し、鋼のように重い吐息だった。

「もう二度とやらないぞ、こんな無茶苦茶なことは」

 薄氷の上の勝利だった。また同じことをしろと言われても絶対に無理だと言える。というか可能でもやりたくない。

 もしアサシンの情報に誤りがあれば。もし早期に聖杯所有者を発見できなかったら。もし敵の主力を纏めて一掃できなかったら。もしも敵本拠地を発見するのが遅れていたら。もし敵の警戒心がもう少し高ければ。もし敵に聖剣を防げる超級のサーヴァントがいたら。もし、もし、もし――何か一つでもミスがあったら敗れていたのはこちらである。

 完全に運の要素の高い戦いだった。如何にして情報を収集するか、完全にアサシンの切嗣頼りで、ダ・ヴィンチに移動用のバイクを送って貰わなければ戦いにも時間制限にも間に合わなかった。
 危機的状況。伸るか反るかの大博打。なにやらアラヤさんからの熱い視線を感じないでもない一幕。

 暫し頭を空にして、虚空を何をするでもなく眺め、のろのろと赤原礼装、射籠手、改造戦闘服、下着を脱ぎ裸体となる。
 そして全身を隈無く検分すると、右手の親指以外にも、左足首から先がほぼ黒ずんでいるのが確認できて顔を顰めた。
 帰還する直前の辺りから、左足に奇妙な痺れを感じていたが、どうやら左足首から先の皮膚が壊死し、黒くなっていたようだ。何か身体に異常が出ていないかロマニに診て貰う必要がある。
 解析の結果は、問題ないのだが。念のため。

 とりあえず、自室のシャワールームに入り、汗を流す。頭と体を洗ってから出て、バスタオルで水気を拭き取る。洗面台で髪を乾かすためにドライヤーを使っていると、不意に鏡に写った自分の髪の毛数本が白くなっているのを見つけた。

「……」

 たったの数本、されど数本。色素の抜けた髪を見て流石に宝具の投影をやり過ぎたかと思う。
 いや、肌が黒くなる、髪が白くなる程度がなんだというのか。別に死に瀕するような危機でもあるまいに気にしすぎだ。
 俺は頭を振りながら、用意していた替えの下着を穿き、黒地のタンクトップを着る。そのラフな姿のまま台所に向かい、冷蔵庫を開けた。

 俺の部屋は亡きオルガマリーに無理を言って台所付きの特別なものにしてもらった。他者に振る舞うための料理も悪くないが、時々でもいいので自分一人のためにしたいこともあったからだ。
 そんなわけで、俺は冷蔵庫に秘めていた秘蔵の発泡酒と、三段重ねの小さなケーキのようなお手製チーズを取り出す。ぱしゅ、と気の抜ける音を立てて発泡酒の缶を開け、ぐびりと一口。そしてナイフをさりげに投影して一口サイズにカットし、チーズ一切れを口に運び咀嚼する。

「……くぅ! やっぱり、たまにはやらないとなぁ、こういうのもなぁ」

 このチーズの名前はモンテボーレという。
 アペニン山脈のリグーリア州、ピエモンテ州で古くから食されており、非常に癖のあるチーズである。
 実はこのモンテボーレは、生前の万能人レオナルド・ダ・ヴィンチがこよなく愛したチーズであり、非常に強いこだわりを持っていたらしい。

 しかしダ・ヴィンチの大々好物だったモンテボーレのレシピは後に失われてしまい、十数年前にピエモンテ州で再現しようという動きが起こった。

 俺は七年前に偶然そのピエモンテ州に立ち寄り、再現途中のモンテボーレを試食させてもらい、牛の乳を七割と羊の乳を三割使えばいいのではと意見を言った覚えがある。
 その後どうなったかは知らない。ただ個人的にそのモンテボーレを再現してみようと試みた結果、非常に癖はあるが満足の行く出来映えとなり、以降俺の中でモンテボーレは「気難しいが愛嬌のある猫」的な立ち位置となった。

「……ダ・ヴィンチにも持っていってやるか」

 果たしてダ・ヴィンチの愛したモンテボーレの味を再現できているか気になるところでもあるし、今回彼には大いに助けられた。いわば礼も兼ねてのささやかなお返しという奴である。
 ……ついでに切嗣も呼ぶか。僕はサーヴァントだ、食い物なんて要らないとか言いそうだが、そこはマスター命令で食わせてしまえばいい。切嗣、ダヴィンチと話し合い、今後どのような装備を開発して貰うか注文したくもある。

 通信機がほしい。冬木式の聖杯戦争だと、サーヴァントとマスターはレイラインを通じて念話できたが、カルデア式の契約システムだと念話は成り立たない。
 今回の戦いで俺が最も痛感したのは、単独行動の多い切嗣との連絡手段の貧弱さである。もし通信機があれば切嗣もあんな無理して走り回ることもなかったはずだ。
 カルデアを経由する通信には依存できない。あれは次元を隔てたものであるから不安定、いざという時に繋がりませんでしたなんて冗談としても笑えない。現地で機能し、現地で使える、そんな通信強度の高い機械なり礼装なりが必要だった。

 これは後で知ったことだが、切嗣はこちらに負担をかけないように、自前の魔力だけで宝具を長時間発動し、固有時制御で二倍から三倍、加速し続けていたそうだ。
 カルデアに帰る直前には、受けたダメージは皆無にも関わらず消える寸前だったのには衝撃を覚えたものである。

 セイバーという魔力の大食いと、宝具の投影量産という役割をこなしていたマスターにこれ以上の負担を掛けるわけにはいかないという合理的な判断だと言っていたが……

「……切嗣にも酒を回すかな。嫌がるだろうが、酔わせてぐでんぐでんにしてやる。令呪使ってでも」

 流石にあそこまで機械然としているのは人生損している。どこかで割り切らせ……平時だけでもいい、俺の知る切嗣のような穏やかさを手に入れてほしかった。

 勝手なエゴ、押し付けがましい善意なのかもしれない。しかし彼は俺の知る切嗣ではなくても、たしかに衛宮切嗣なのだ。なら、彼だってただの暗殺者を『卒業』できるはずである。
 これは勘だ。ただの暗殺者、ただの合理主義、それだけでこの聖杯探索――グランドオーダーを勝ち抜くのは不可能だと思う。合理性を突き詰めただけで勝てるなら、これほど簡単なことはないからだ。

 いつかは切嗣の望むと望まざるとは別に、アルトリアらと連携を取る必要も出てくるだろう。そういう時に互いを信頼できなければ結果は見えている。……国に永遠はなくても、戦友は永久のもの。背を預けられる誰かを切嗣も手にしなければならない。
 その第一歩として、俺だ。
 社会不適合者を社会復帰させた経験もある。なんとかしてみせるさ、と胸中にこぼした。幸いにも彼と俺はサーヴァントとマスター、切っても切れぬ関係だ。邪険にはできないはずだし、仮にしてきても無視できる。なんて傍迷惑な野郎だと罵られたのは何時で、誰からだったか……。正直覚えがありすぎて判じ難い。

 そんなわけで改造戦闘服と赤原礼装を着込む。なんやかんや言ったところで今は戦時中だ。いつでも出撃できる態勢でいるのは当然のこと。概念礼装の射籠手を装着し、己の魔術回路に接続される感覚と流れてくる魔力の充謐感に手応えを合わせる。

 ……この潤沢な魔力に慣れてしまうと、すべてが終わった後が大変そうだが……これ個人用にプレゼントしてもらえないだろうか。永久に貸し出してくれたら本当に助かるのだが。死徒撲滅運動も捗るはず。
 そんなことを考えつつ、やって来たのはダ・ヴィンチの工房だ。切嗣は機械みたいな生態なので、呼べばいつでもどこでも出てくるはずである。わざわざ探すまでもない。

 工房の前で扉をノックし、中に入ろうとする前。
 ノックしようと手を伸ばすと、中から異様な雰囲気を感じて手を止めた。

「……?」

 眉を顰め、何事かと耳を澄ませる。すると、何やら啜り泣く声が聞こえた。

『ううう、ラムレイ、ラムレイぃぃ……』
『なんてことだ、私のラムレイ号が、こんな見るも無惨な姿に……!』
『ひどい、ひどすぎます。シロウは変わってしまいました、かつては誰にでも優しい良い子だったはずなのに……それがどうしてあんな……うぅぅ』
『……泣いてるだけじゃダメだ、騎士王さま』
『ダ・ヴィンチ……』
『これから私は、新たにラムレイ号を生まれ変わらせる。ラムレイ号はラムレイ二号機として甦る』
『おぉ……! そ、それはかつてのラムレイの勇姿を引き継ぐということですね!』
『無論だとも。かつてよりも勇壮に、かつてよりも可憐に、ラムレイの獅子頭は進化する! それが天才であるこの私の仕事だ!!』

「……」

 バカなのだろうか。
 なんかドッと疲れた気がする。白髪が増えたかもしれない。
 俺は帰ることにした。

『むっ! ……その芳しいチーズの匂い……さてはシロウですね!?』

 アルトリアの声。無駄に勘がいいのがホント腹立つのですが。というかチーズって……判断基準は食い物なのか。
 色々やるせない気持ちになる。昔は、とか語るなら俺にも言わせてほしい。昔のお前はもっと生真面目で委員長気質な騎士様だったろう? それがなんでそんなふうになってるんですかね。

 扉がスライドし、中からアルトリアが飛び出てくる。

「シロウ! 話があります、中に入って正座してください! ラムレイに対するあの仕打ち、看過できることではありません!」
「……せめて俺の眼を見て言えよ」

 手にしている皿の上のチーズと発泡酒から眼を離せ。
 俺は嘆息して、工房の中に入った。

「あ、本当に士郎くんだ。さすが騎士王さま、呆れた嗅覚をして……、……その芳しい香り、雄々しいチーズの山はまさかッッッ!?」

 余裕綽々といったいつもの態度が、俺の持つモンテボーレに気づいた瞬間、驚愕に眼を瞠き、真顔で俺を見た。

「そ、それは! そんな、まさか……! 失われたオーパーツの――」
「モンテボーレだ」
「お、おお! おおお!!」
「シロウ! 私に! 今回敵サーヴァントを四騎以上は倒している私にそれを! あとお酒も!」
「あっ、こら騎士王さま! それは私のダ! 断じてこの私を差し置いたままモンテボーレを手にすることは許さないゾ!」
「……」

 取っ組み合い、なぜか諍いを起こし始めた二人を冷めた目で見つつ、俺は呟く。

「ラムレイ……」
「……!?」
「獅子頭……」
「くっ……?!」
「ハァ……」

 物悲しそうにしながら、俺はやれやれと溜め息を吐く。

「帰るか。一人で食って、一人で飲もう……音楽性の違う奴らとは一緒に飲めないし……」
「シロウ!!」
「ん?」
「ラムレイは死にました! もういません! なので私と食べましょう!」
「あっ、狡いぞぅ! 私だってぶっちゃけ獅子頭とかどうでもいいのサ! ちゃんとまともに性能アップするからそれくださいなんでもしますから!!」
「ん? 今、なんでもするっていったよな?」
「う? あ、ああ……」
「ならこの間、ダ・ヴィンチの工房から呼符をくすねたの許してくれヨ。あと特異点でも使える通信機も人数分よろしくナ!」
「そんなことしてたの君!? 道理で探してもないはずだよ!」

 よろよろと寄ってきたアルトリアに、モンテボーレを一切れ与えた。
 むしゃむしゃと一瞬の躊躇いもなく食べ始めたアルトリアに、ダヴィンチが悲鳴をあげた。

「あああーー!! 許す、あと作る! だからそれを私にもぉ!」
「あと特異点に一緒にレイシフトしてくれたら心強いのにナ」
「鬼!悪魔!士郎くん!人の弱味につけこむとは見下げ果てたぞ!」
「弱点見せた方が悪いと思うんですけど」
「グググ……!」
「俺はともかくアルトリアの胃袋はなめるなよ。もう次の獲物を求めて手を伸ばしてきてる」
「わかった、今は無理だけど一緒にレイシフトするからそれを恵んでプリーズ!!」

 よろしい。ならば契約だ。
 何か忘れてる気がするが、別に問題ないはずである。






 

 

影分身の術なのか士郎くん!




 人理崩壊まで、あと八日。

 急いては事を仕損じるという。焦らずじっくりと腰を据え、休める時に休んでおく。
 仮に次の特異点の定礎を復元できたとしても、それはあくまでも急場を凌いだことにしかならないのだ。
 戦いはまだ序盤。七つの聖杯を回収するのに、まだ折り返し地点にも来ていない。焦っていては必ずどこかで破綻する。

 俺はゆっくりと風呂に入って湯船に浸かり、風呂上がりに医療スタッフの男性を呼んだ。全身を揉みほぐして貰い、丁寧に体の疲れを落とす。

 「僕たちは、大丈夫ですよね」「貴方なら信じられますよね」――医療スタッフの男性は頻りに俺に対して訊ねてくる。彼だけじゃない、俺とすれ違ったカルデアのスタッフは、口を揃えてそう聞いてきた。

 本来プロである彼らが、こうも取り乱したりはしないだろう。しかし人理崩壊までのタイムリミットがはっきりとして間近に迫っていると、流石に平常心を保てないでいるらしかった。なんでもいい、確証がなくても良い、とにかく安心が欲しくて堪らないのだ。
 そんな状態でも、自分達の職務を決して投げ出さずにいるのには素直に頭が下がる思いだ。俺は何度でも言った。大丈夫だ俺に任せろ、なんとかするのが俺の仕事だ、と。

 なんの根拠もないその言葉にも、彼らは安堵する。少なくとも一つの特異点を二日も掛からずに攻略した実績は信じられたのだ。

「……責任は重大だな」

 分かりきっていたことをぽつりと呟く。
 真っ暗で無音の空間に設定したシミュレーター室で座禅しながら、震える精神を鎮め統一する。
 己の内側に籠り、投影魔術を行使。投影宝具を量産し何時でも使用できるようにしておくのも、大切な下準備である。

 俺の本分は戦うことでも、ましてや狙撃することでもなかった。こうして武器を造ること――それこそが俺の本領なのだ。これを怠ることは出来ない。充実した武装は必要不可欠だ。
 俺は今、主に選定の剣の投影、量産に励んでいる。ペースは二時間に一本。かれこれ三本目になるか。
 偽螺旋剣も、赤原猟犬も、極めて強力な剣弾だが、流石に火力ではアルトリアの使うカリバーンには及ばない。最大火力を発揮する彼女の武装を整えるのはマスターである俺の役割だ。人理守護のために真価を発揮している聖剣はともかく、アルトリア自身の霊基はかつてよりも脆弱なのである。全力にはほど遠い性能しか発揮できていない彼女のためにも、霊基再臨し霊格を高めねばならない。
 が、今はそんな余裕はなかった。故にこうして今、出来ることをしているのである。
 聖剣は切り札として用い、それ以外の時は俺の投影したカリバーンを使って貰う。そしていざという時のために、ダ・ヴィンチに魔力を貯めておける礼装を製作して貰っていた。

 令呪を使うわけにはいかない状況と、俺から魔力を引っ張るわけにはいかない状況で聖剣を使用せざるを得ない時、その使い捨ての礼装で魔力を賄うのが狙いだ。現在ダ・ヴィンチ率いる技術部は急ピッチで開発に勤しんでくれていた。
 ……こういう時に、所詮己は贋作者なのだと痛感する。
 剣製に特化し、防具や布、小道具なども剣の倍魔力を使えば投影できるとは言え、無から何かを作り出すことは決してできないのだ。

 贋作とは真作ありきのもの。偽物が本物に劣る道理がなくとも、真作なくして贋作はあり得ないことを深く心得ねばならない。

 それにしても通信機、ラムレイ二号ときて、魔力を貯めておける礼装と、随分便宜を図って貰えている。事態が事態だ。マスター足る衛宮士郎の要求にはなんでも応じる、カルデアが一体となってマスターを支えると言ってくれた。
 それは、素直に喜ばしいことだ。そして彼らの期待と尽力に、なんとしても応えねばならないと思う。

 俺は取りうる戦術、想定すべき事態をアサシンの切嗣と密に話し合った。彼の思考は俺と似ているとはいえ、冷酷なまでの合理的な思考力は彼の方が上であった。故に、彼の意見は参考になる。無論アルトリアやマシュともミーティングを重ねた。百戦錬磨にして常勝の王であるアルトリアは元より、元マスター候補のA班であるマシュの頭脳も侮れないものがある。彼女たちの考えと、自分と切嗣の思考、戦術を擦り合わせ、より成功率の高い作戦を組み上げていくのは大事な作業だ。
 俺達はチームだ。能力で言えば、アルトリアがチームリーダーを張るべきなのだろうが、リーダーは俺である。意見を取りまとめ、決定したことにはチーム一丸となり従わせるし、俺も従わねばならない。
 俺の考えるリーダーシップは、ワンマンの単独トップではないのだ。あくまで皆の意見を纏め、チームの方針を決定し、定められたルールを順守させ、責任をしっかり取ることがリーダーに求められることだと考えている。

 幸い今のところ俺のチームはルールをきっちりと守る面々で固まっている。切嗣だけは特例として汚れ役も担うため、ルールの外側を行く時はあるが、それはあくまで伏せておくべきこと。彼に独断を許すが、その所業の責任は俺に帰することを弁えておく。

 技術部に依頼して装備を整え、旨い飯を食って気力を充たし、緻密に作戦を練って、互いの命が全て己の命であると意識する。そうして、俺の一日は過ぎていった。

「……なに?」

 夜となり、後は充分な睡眠を取るだけとなった。
 明日、遂に問題の特異点にレイシフトする。満足に寝られるのは今日を逃せばないかもしれない。これより七日間、最悪不眠不休の日が続くことも覚悟していた。
 合理主義の権化である切嗣にも、今日だけは眠るようにしっかりと伝えてあったし、アルトリアやマシュも同様だ。リーダーであり、唯一生身の人間である俺が夜更かしするわけにはいかなかった。

 いかなかったのだが……。

「やあ士郎くん。召喚可能の霊基一覧に歪みが生まれてしまったようだ。念のため、英霊召喚システムのテストをしたい。至急英霊召喚ルームに来てくれ」

 ――などと天才に通信を入れられてしまったら、流石に無視するわけにはいかなかった。

 思わず、なに? と反駁してしまった。明日はレイシフト当日であり、新たに召喚するサーヴァントも決まっていた。ランサーのクー・フーリン、その全盛期である。
 彼をどのように運用するか、どんなふうに作戦に組み込むかは、アルトリアらと話し合って決めてあった。前提として彼がいることは俺達の中の共通認識であるのだ。今更召喚システムに歪みとか言われても大いに困る。かなり困る。命に関わるほど困った。

 仮に、システムが正常に復旧したとしても、システムのテストをするということは、サーヴァントが召喚されて増えるということ。正直、別枠のサーヴァントが来ても運用に支障が出るし、もし万が一にも問題のあるサーヴァントが来てしまったら、さらに頭の痛い問題になってしまう。
 ……仮に、あの英雄王が召喚されたのなら、これほど心強いことはない。特異点の人理定礎復元も大いに楽になるのだが。まあ、流石にそんなご都合主義は期待するだけ無駄である。
 そも贋作者にして道化である俺の召喚に、英雄王が応じるとはとてもじゃないが思えない。

「勘弁してくれ、今問題なんて起こったら致命的だぞまったく」

 頭が痛い。が、文句を言ったところで何が変わるでもなし、俺は仕方なしに指定されたルームに向かい、システムのテストに付き合わされることとなった。

 そこで、俺は眩暈を感じる。  ――ああ、もう……今から波乱の予感しかしない。
 メンテナンスの後、テスト的に起動した英霊召喚システム・フェイト。
 ダ・ヴィンチ謹製の呼符を用いての召喚に魔力が高まり、目を焼く光と共に顕現したのは――いつか見た、黒き聖剣の王その人だったのである。

「どうしました、シロウ。盟約により、召喚に応じ参上しました。さあ、雑魚どもを蹴散らしに参りましょう」







 

 

逝くは死線、臨めよ虎口






 湿りを帯びたざらつきが、ぺろりと頬を舐めた。

 敵意はない。反射的に防御しようとする本能を律して、俺はうっすらと目を開き苦笑した。

「キュー……キャーウ」

 そこにいたのは、白い毛玉のようなリス……に見えなくもない猫。この場合、魔猫とでも言うべきか。寝起き特有の倦怠感に包まれながらも、俺はその小動物――フォウの頭を柔らかく撫でた。
 気持ちよさげに目を細める様に平和を感じ、か細い声で言う。

「……なんだ。随分と久し振りに感じるな、お前と会うのも」

 確か……特異点Fに飛ばされる前に会ったきりだったはずだ。以来、一度も見ていなかったのに、こうして寝起きに顔を見せに来るとは気まぐれな奴、と呆れてしまう。
 まったく……今日はお前に構ってはやれないというのにな。そうぼやいて、また暇があったら飯作ってやるからな、と語りかける。フォウ! と嬉しそうにしているのを見ると、人の言葉を理解しているようで、やはり動物とは思えないほど賢いなと思った。

「おはようございます。よく眠れましたか、先輩」

 扉がスライドし、部屋に入ってきたマシュがそう挨拶してきた。眼鏡に白衣姿の彼女には、俺の部屋への入室をいつでも許可してある。というよりも、基本的に俺は誰に対しても来る者拒まずだった。
 扉が開くとフォウはマシュに向けて飛び付き、慣れたように受け止めたマシュに「フォーウ!」と挨拶でもするように声をかけ、そのまま部屋から去っていった。
 微笑しながらそれを見送ったマシュに、俺はベッドから降り立ちつつ応じる。

「……まあ、思ったよりは寝れたかな」
「……? 何かあったんですか?」
「少し。昨日の晩、マシュ達が就寝してからサーヴァントを一騎召喚することになったから……それ関係で寝るのが遅れたんだ」
「え? サーヴァントを召喚したんですか?」

 驚くように目を見開くマシュ。入念な話し合いの末に取るべき戦法、コンビネーションの訓練をアルトリアと行なっていたマシュである。いきなり新しいサーヴァントを呼ばれても困惑するしかないはずだ。
 俺は頭を掻きながら事情を説明する。……ついでに俺が喚んだサーヴァントについても。

「それは……なんというか、因果なものですね」

 マシュは微妙そうな顔をしつつ、なんとも言い難そうに言葉を濁した。
 俺、マシュ、キャスターのクー・フーリンの三対一で戦い、なおも圧倒された相手である。及び腰になりそうな気持ちも分からないでもないが……。

「……いえ、彼女はアーサー王の別の側面とはいえ、同一人物のはず。戦力としてとても頼りになるでしょう。ですよね、先輩」
「ああ、その認識で間違いない」

 寧ろ俺との戦略的な相性は、本来のアルトリアよりも良さそうなのがなんとも言えない。

「後で会うことになるだろうが、彼女のことはオルタと呼べばいい。一応、それは周知してある」
変化(オルタ)……分かりました。以後、黒いアルトリアさんのことはそのように呼称させていただきます」

 了解の意を示したマシュは、時計を一瞥し、律儀にスケジュールを述べる。

「この後の予定は、朝食を頂き、そのあと管制室でブリーフィングを行なった後、第二特異点へのレイシフトとなります。頑張りましょう、先輩」

 勿論、最大限の努力を誓う。俺は黙って頷き、礼装一式を纏うと部屋を後にする。

 ――朝食を平らげて管制室に向かうと、そこにはすでにレイシフトメンバーは揃っていた。

 ガラスのように脆く、静電気のように乾いた空気が漂う中、俺は嘆息しつつ、持ち運ばれていた装備を点検する。
 ドゥン・スタリオン号と、ラムレイ二号。前者について敢えて触れず、生まれ変わった武器庫――サイドカー付きの軍用バイクに解析の魔術をかけ、その性能を改めて把握し、どこにも不調がないのを確認する
 『勝利すべき黄金の剣』五本と『赤原猟犬』と『偽・螺旋剣』を二本ずつ。一日で己の負担にならない投影宝具の量産数はそれが限界だった。無理をすれば倍までいけただろうが、そんなことをすれば後に響く。投影が本分とはいえ、それにかまけるばかりでマスターとして動けなくなるのでは本末転倒であろう。
 ラムレイ二号のサイドカーに投影宝具を積み込み、前もって干将と莫耶を投影。それを背部の鞘に納めて吊るしておく。黒弓は武器庫だ。さて、と辺りを見渡すと、互いを完全に無視するように顔を背け合い、重苦しい空気を醸すアルトリアとオルタを見た。

 俺と共に管制室まで来たマシュは、その空気の重さに何も言えずにいた。俺も出来たら何も言いたくないが、リーダーとしてそれはできない。意を決して、二人に声をかける。

「アルトリア、それからオルタ。これから出向く戦場では勝利が義務となる。分かっているとは思うが無駄な諍いを起こすなよ」
「無論です」「当然です」
「……」

 生真面目な声音に、重く威圧感のある声音。声質は同一なのにも関わらず、どちらが発言したかははっきりと識別できた。
 秩序をよしとする騎士王。暴虐をもって圧政を敷く騎士王。互いが己の側面であると認め、同じ自分だと知るからこそ相容れぬのだろう。
 だが共に轡を並べて戦いに赴く段となり、連携を必須とされる中、己達の軋轢を表面化させて場を乱すほど二人とも子供ではない。互いに声を掛け合うことはないが、自分同士ということもあり連携に支障を来すことはあるまい。だが、念は入れておく必要がある。

「もし二人がいがみ合い、作戦実行の効率が下がると判断したら、リーダーとして、マスターとして非のある方を令呪で自害させ、カルデアに帰還させるつもりでいる。異論はあるか」
「……ありません。その時は令呪を使うまでもない。己の不始末は、この手で決着をつけます」
「如何様にも、シロウ。私は貴方と共に戦うと誓った身。その盟約がある限り、私がシロウの重荷となることは決してない。……ああ、どんな非道な作戦でも、私は受け入れられる」
「……っ!」

 ぎり、と歯噛みするアルトリア。何かを言いかけ、しかし口をつぐんだ。
 俺は嘆息し、オルタとアルトリアの間に立つ。二人ともが距離を置いていたから手招きした。
 青い騎士王、黒い騎士王は怪訝そうにしながらも、俺の左右を固める形で近づいてくる。あくまで互いが視覚に映らないよう、俺を間に挟んで。
 俺はオルタの額を小突いた。

「くっ……シロウ、何を? 謂れのない罰ならば私も黙ってはいませんが」
「煩い。無意味にアルトリアを刺激する言い方をしたからだ。いいか、お前がリーダーのチームじゃない。俺がチームリーダーだ。圧政による指揮ではなく、和による結束を旨としている。昨日もそう言ったはずだな? オルタ。頼むから、俺の顔を潰すような言動は慎んでくれ」
「……了解しました。シロウの言うことです、従いましょう」
「よし。それじゃあ、二人とも友好の握手を」

 思いっきり嫌そうな顔をする二人だったが、アルトリアもオルタも逆らわなかった。
 手を重ねる両者の間から抜け、俺は出来る限り柔らかく言う。

「うん。こうしてみると、ちょっと仲の悪い双子の姉妹って感じだな」
「っ……。シロウ、その表現には頷けません。私とこのオルタは鏡合わせの同一存在。決して姉妹などではない」
「同意する。仮に姉妹だとしても、こんな出来の悪い()の面倒は見られない。撤回を要求しますシロウ」
「! 誰が妹です。貴女は私の側面でしかないのだから、私が姉でしょう!」
「フン。同じ国を治め、同じ結末を経たのなら、その精神性によって上下は明らかにするべきだ。他のつまらない戦いならいざ知らず、このグランドオーダーに於いてくだらぬ綺麗事を並べ、シロウの足を引っ張りかねない貴様よりも、私の方が遥かに優れていると判断できるが」
「何を! これが人理を守護する戦いであるからこそ、秩序だった行動と理念は不可欠だ! 無法の罷り通る戦いなどあるものか!」
「どれだけの悪逆を為そうとも、それは無かったこととして修正される。ならば何を躊躇う必要がある。敵ごと国を焼き払おうが、勝てばいいだろう」
「それは無道だ! 人理を崩さんとする輩と同列にまで堕ちる気か! 自分だけではなく、シロウまで巻き込んで!」
「……」

 ……姉妹呼びは、さすがに軽率だっただろうか。
 何やら激論を交わし始めた二人に嘆息し、しかし仲裁はしない。
 離れた俺を見て、戸惑ったようにマシュが聞いてきた。

「あ、あの……止めなくていいんですか?」
「止めなくていい。互いを無視して険悪になるよりも、言いたいことを言って睨み合う方が遥かに健全だ。それに、ああして意見を言い合うのは良いことだからな、レイシフトするまでは放っておいてもいい」

 ああしていると、どこかで折り合いをつけることも出来るだろう。そうなれば、少なくとも俺の懸念した令呪を使っての自害もさせずに済む。
 そう言うと、マシュはなるほどと言って頷いた。
 ややすると規定の時間となり、管制室にロマニ・アーキマンとダ・ヴィンチがやって来た。

 ロマニは憔悴した顔色に変わりはない。寧ろ酷くなっていたが、この間のように錯乱はしていなかった。落ち着いた物腰で、俺たちを見る。

 対し、ダ・ヴィンチは今にも死にそうだった。休養の必要のないサーヴァントとはいえ、その精神は生前となんら変わりのないものなのだから、ここ数日間の激務にはさしもの天才も根を上げそうなのだろう。
 特異点でも使える通信機の開発、ラムレイ二号の新設、宝具専用に魔力を貯蔵しておける礼装の開発、回収した聖杯の解析にとダ・ヴィンチをはじめとした技術部はてんてこまいだ。

「やあ、おはよう」
「おはようロマニ、ダ・ヴィンチ。……首尾は?」
「……おはよぉ。回収した聖杯は技術部が解析中……んで宝具の使用にも耐える魔力貯蔵型礼装はまだ。たぶん完成は四日後かな……」
「そうか。それじゃあ、通信機は?」

 言うと、寝不足な目をしたままだらしなく笑い、ダ・ヴィンチは得意気に一つの魔力計を取り出した。
 そしてわざわざ紐に通し、俺の首に下げてくれた。

 これは? 目で問うと、彼は力尽きた亡者のように力なく言った。

「懐中時計型通信機……っていうのは見たまんま過ぎてアレだけど。要は、外付け念話装置だよ」
「……?」
「あー、士郎くんに分かりやすく言うとだ、冬木式の聖杯戦争の時みたく、マスターとサーヴァント間の繋がりを利用した、遠距離での会話を可能とする優れものさ」
「それは……凄いな。通信可能距離は?」
「互いが生きてたらどこでも繋がるよ、理論上はね。だってさ、互いを繋ぐレイラインが電話線の役割を果たすんだから。まあ、その外付け装置が破壊されたらダメだから、一応強度には気を使ったけれどね、サーヴァントとかの攻撃を受けたら壊れるから。そこは気を付けて」
「……首に下げてるものを破壊されるなら、俺も破壊されているだろうし、気にすることでもないな」
「あははー、かもねー。……あ、ダメだこれ。ごめんちょっと休ませ、て……」

 ばたり、と電池の切れた人形のようにその場に倒れ伏すダ・ヴィンチ。相当に無理をしていたようだ。さすがに回収した聖杯の解析までしているとなれば、今回のレイシフトに付き合わせるわけにはいかないだろう。今ぐらいは休ませてもいい、と俺は思う。しかし、ロマニは割りと容赦なく言った。

「レオナルドはすぐ起こすとして……」
「……」
「実動部隊として今回君達を支援するのは僕とレオナルドだ。気は遣わなくていいよ? 無理してるのはレオナルドだけじゃない。みんなそうだ。特に、きみたちはね」
「……まあ、ロマニがそう言うなら」
「ああ――レイシフトの準備は整っている。今回君たちが向かうのは一世紀のヨーロッパだ。より具体的に言うと古代ローマ。イタリア半島から始まり、地中海を制した大帝国だよ」
「一世紀の古代ローマ、か。著名なのはカリギュラ帝とネロ帝だな」

 こういった話には即食いついてきそうなダ・ヴィンチは、完全に沈黙している。いたたまれない気分になるが、構わずロマニは続けた。

「良いかな士郎くん。転移地点は帝国首都であるローマを予定している。地理的には前回と近似のものと思ってくれても構わない。存在するはずの聖杯の正確な場所は不明。歴史に対して、どういった変化が起こっているかも不明だ」

 ふむ、と腕を組む。頭の中でざっと計算し俺は訊ねた。

「……その転移地点は変更できるか?」
「む、出来なくはないけど、なぜだい?」
「いや……これは俺の経験則だが、いきなり人の集まる地点に突入してもろくなことにはならない。俺としては首都ローマより離れた――しかし離れすぎてもないブリタニア辺りが望ましい。どうだ?」
「……出来なくはない、とは思う。けどそこまで警戒することかな?」
「人あるところに災禍あり、だ。本当ならすぐにそういった場所に飛び込むべきなんだろうが、今回はそのセオリーを外した方がいい」
「……それは勘かな」
「ああ。勘だ。第六感的なものじゃなく、あくまで計算と経験から来るものだが」
「……」

 はぁー、とロマニは嘆息した。自分は文官、武官ではない。ならこういった現場の意見は尊重するべきだろう。それに、なんの考えもなく言ってるわけでもなさそうだし。仕方ないな、とロマニは頷いた。

「いいよ。ただし、十分時間はもらう。設定を変えるのもスイッチ一つで、というわけにはいかないからね。その間なにもしないわけにもいかないし、ブリーフィングを終わらせておこうか」
「ああ、頼む」
「作戦の要旨は前回と同じ、特異点の調査、修正。そして聖杯の調査および入手、または破壊だ。人類史の存続は君たちの双肩にかかっている。今回も成功させてくれ」

 ロマニは窶れた顔で、しかし静かに、強く言った。

「そして……。無事に帰ってくるんだ。いいね?」

 了解、とマシュと声が重なった。

 しばらくの沈黙の末、ロマニはレイシフトの設定の変更を終えたのだろう。何も言わず、無言で俺達にコフィンへ入るよう促した。

 ――アンサモンプログラム スタート

 ――霊子変換を開始 します

 ――レイシフトまで後 3、2、1……

 ――全工程 完了(クリア)

 ――グランドオーダー 実証を 開始 します






 

 

敗将、枯れた赤薔薇






 レイシフト完了直後、周囲の光景に視界の像を結ぶ前に、青と黒の影が瞬時に動いて左右にバラけ警戒する。双剣を抜き放ち、素早く辺りに目を走らせる男の傍らには、大盾を構えて防御体勢を取る少女の姿。

 場所はまたしても名も知らぬ森林。やがて辺りに動くものがないことを確認すると、男が双剣を下ろすのと同じくして青と黒の騎士、盾の少女もまた警戒体勢を解除した。

(こちらアサシン。周囲十メートルから百メートルに敵影はない)

 レイラインを通し、切嗣の声が脳裏に響く。問題なく念話も機能しているようだが、騎士達の反応の薄さからサーヴァントからサーヴァントには声が届かないらしい。

(引き続き警戒を頼む。これより北西に進み霊脈を確保、その後に召喚サークルを設置する)
(了解した。通信限界域を見極めるため、継続的に通信を入れる)

 頼むと返すのと同じくして、切嗣は北西の方角に先行していく。
 やはりリアルタイムに情報を更新できることへの安心感は大きい。後は……ダ・ヴィンチが言っていた通り、どこからでも念話が通じることを期待するしかない。
 しかし所詮は理論しかないアイテムだ。慎重に性能を測らねばならない。またいざという時を想定し、あまり依存しすぎるのも宜しくないだろう。

 俺はアルトリア、オルタ、マシュの顔を見て目を合わせ、しっかりと頷く。アイコンタクトをし、素早く移動を開始する。
 チーム全体に周知してある行動方針は、第一に転移直後の周囲警戒、第二に危機がなければ霊脈の特定と召喚サークルの設置である。カルデアからドゥン・スタリオン号とラムレイ号を送って貰うためだ。

 足を確保してから、漸く本格的に行動を開始できる。――と、ここまでが基本行動。今回は召喚サークルを設置後に、かねてよりカルデアと連結した召喚システムを起動し特定の英霊を召喚することになっていた。

 クー・フーリンである。

 俺の中で最強の英霊は誰かと言われたら、文句なしに英雄王だ。
 しかしあれは些か特例的であり、戦力としての運用は厳しい。最強だがサーヴァントとしては論外という存在。
 ヘラクレスもまた最強だが、あの大英雄は宝具からして規格外。とてもじゃないがあの常時発動型の『十二の試練』の消費魔力量を賄える気がしなかった。

 ヘラクレスのマスターは、イリヤにしか無理だと今でも確信している。

 そもそも両者ともに触媒がない。確実な召喚が出来ない以上、選択肢にも入らないのだ。その点クー・フーリンの場合、本人の髪の毛というこれ以上ない触媒がある。
 しかもその戦闘能力は、冬木という知名度皆無の土地であるにも関わらず狂戦士のヘラクレスに対する勝機を有し、ギルガメッシュという人類史の特異点そのものである最上級の英雄を相手に半日も戦闘し、少なくない消耗を強いた戦士として最高格の物だ。

 戦士としてのキャリアはケルト神話最強の名に恥じず、また腕っぷしだけでなく教養も一流。そして人柄は知っての通りとても頼りになる兄貴肌。聖杯戦争の開催地が、知名度の高いアイルランドであったなら、アーサー王以上の霊格を有し理性のあるヘラクレスとも互角に戦えるだろう。
 経験豊富にして百戦錬磨。戦場を選ばない実力、知性、人柄、宝具、燃費と五拍子も揃った大英雄。――告白するとだ。あの魔槍に宿った記憶と経験を解析、知識として蓄積している身としては、ぶっちゃけた話アーサー王が一人では確実に敗北し、アーサー王と同格の英雄が二人がかりでも仕留めきれず、三人でかかればあっさり離脱されるだろう、というのが俺の所感だった。

 ずばり俺にとっての最強はクー・フーリンである。

 アルトリアやオルタには絶対に言えないな、と思った。正直、アルトリアとオルタは望外の存在だった。ぶっちゃけ来てくれて大いに助かったわけだが、当初の考えではいないものとして作戦を練っていたわけだ。本命は今も変わらずクー・フーリンである。
 そして、彼の召喚のために俺はこのブリタニアを転移地点に指定したのだ。
 ブリタニア。それはグレートブリテン島の古い呼び名である。そしてグレートブリテン島には、アイルランドが含まれていた。つまりクー・フーリンのホームである。しかもご丁寧に時代は一世紀。流石に本人は死んでいるだろうが知名度はそれはもう色濃く残っているだろう。最新の伝説として、だ。

 そして一度全盛期の状態で召喚してしまえばこちらのもの。カルデアの霊基一覧に完全体クー・フーリンが登録され、他の時代や国に移動しても実力が衰えることはない。
 これはもう勝ったな、と慢心しても許されるレベルだった。

 ――それが大きな間違いだと気づかされたのは、すぐだった。

(士郎。緊急事態だ。森を出て開けた場所に出るのにあと百メートル。森から出たらすぐに南東の方角を見ろ。大至急だ)

「……?」

 切嗣の機械的な、しかし緊急性を感じさせる報告に眉を顰める。
 南東、ちょうど進行方向の真逆。いったい何があったというのか。俺は嫌な予感に冷や汗を流し始めている自分に気づく。
 ……嫌な感じだ。まるで、腑海林(アインナッシュ)の領域に侵入した時のようだ。正直死ぬかと思ったあの時の記憶が甦る時点で、俺の危機感は最高潮に達している。

 ――今ここに「殺人貴」はいない。あの時のような奇跡はもう起きない。

 自然、早足となった俺に、アルトリアらは追随しながら不審げに訊ねてきた。

「どうかしたのですか、シロウ」

 あと少しでわかる、と短く応じる。その様子に、確かな危機感を感じた彼女達も気を引き締める。
 あと十メートルで森から出る。足が重くなる。
 あと八メートル。歩行が遅くなる。
 あと、一メートル。立ち止まって、深呼吸する。
 森から出た。日差しが俺達を照らし出す。嫌に熱いが季節は夏なのだろうか。
 俺は更に進み、額から脂汗が溢れてくるのを手の甲で拭う。

 ゆっくりと、振り返った。

 ――そして俺は、この特異点での戦いが、決して一筋縄でいくものではないと確信した。させられた。

「……召喚サークルの設置を確認しました。先輩、いつでも英霊召喚は可能です」

 固い声で、マシュが報告してきた。
 俺はそれに頷く。召喚サークルが置かれ、カルデアと繋がると、すぐさまドゥン・スタリオン号とラムレイ二号が送られてくる。
 そして、ロマニの声が届けられた。

『やあ、今のところは順調みたいで何よりだ。何か変わりはないかな?』
「……」
『……何かあったみたいだね。どうしたんだい?』
「……ロマニ。南東、ローマ帝国の首都がある方角をモニターしろ。それで分かる」
『? 南東だね、わかっ……?! な、なんだこれは……!?』

 驚愕に引き攣った声を上げるロマニに、俺は深く溜め息を吐きながら応じた。

「見た通りだ。……紅い大樹(・・・・)が、ローマ帝国の国土、その大半を覆い尽くして(・・・・・・)いる」

 目に見える異常。第一特異点とは比較にならない明確な、特大規模の特異な光景。
 地形変動どころの騒ぎではない。国土侵食とでも言うべき、歴史の根幹から崩壊する変化だった。
 俺の言葉に、向こう側では絶句して言葉もない。

「正確な大きさが知りたい。ロマニ、呆けてないで頭と手を動かせ!」

 一喝すると、ロマニは我に返ったようだ。慌てて手元の装置を弄り、データを取り始める。

『なんだこれは……信じられない! 士郎くんの目測は正しい、その大樹はローマ帝国を呑み込んでいる。そして今も拡大を続けている(・・・・・・・・・・)! 君たちのいる方に向けてだ!』
「……」
『しかも……これはただ事じゃないぞ!? この反応は宝具だ、その大樹からは宝具の反応がある(・・・・・・・・)!!』
「……、なるほど。やはりあれはサーヴァントの仕業で、あんな出鱈目が成されているということは……」
『ああ、聖杯だ、こんなこと、聖杯でもない限り絶対にあり得ない! しかもなんだ、この反応は明らかに暴走――』
「ロマニ? ……ロマニ! 応答しろ、ロマニ!」

 唐突に通信が途絶える。
 俺は何度か呼び掛けるが、返答はない。やがてカルデアとの通信が完全に途絶えていることを悟ると、俺は一瞬瞑目し、不安げに瞳を揺らすマシュを。凛然と背筋を伸ばすアルトリアを。露ほどの動揺もないオルタを見渡す。

「……聞いての通りだ。事態はどうやら予断を許さないらしい。あんまりのんびりとはしていられないぞ」
「もとより速攻こそが本分でしょう。むしろ除くべき異常が明確なことを喜ぶべきだ」

 不遜なオルタの物言いに、俺は少し緊張が緩まる。
 なるほど、物は言いようだなと頷いた。

 確かに聖杯を探し、歴史を修正するために東西南北を駆けずり回るよりはいいかもしれない。
 発覚した問題が手に負えるかどうかは別として。

「……」

 暫し沈黙し、俺は首を左右に振った。どうするべきか一通り考えたものの妙案と呼べる閃きはなかった。
 聖剣であの大樹を焼き払いながら進むのもいいが、その場合、俺の魔力の方が先に尽きる。他の手段はなにもない。なにせ、相手がシンプルに過ぎるのだ。
 単純に、規格外の質量を拡大させ続けている。それだけだ。それだけだから取れる方策が限られてしまっている。

 ……ダメだな、まるで思い付かん。

 俺は一旦思考を破棄し、脳裏に描いていた策の全てを白紙に戻す。

「……とにかく、さっさとクー・フーリンを召喚しよう。話はそれからだ」

 マシュの盾に呼符と触媒をセットする。後はシステムを作動させるだけだが……そこで、またしても待ったがかかった。

(少しいいか)

 それは切嗣だった。今度はなんだ、とうんざりしかけた俺に、彼はまたしてこの特異点での大殊勲を挙げたことを報せてくれた。

 その報せは、特異点修復のために欠かせないピース。
 計らずも手に入った最初で最後の希望だった。

ネロ帝(・・・)を保護した。こちらを見るなり短剣で喉を突き自害しようとしたから無力化し、意識を奪ってある。指示を仰ぎたい)






 

 

全滅の詩、語れ薔薇の皇帝




  『暴君』ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。

 彼の皇帝の悪名の殆どは、実は後世の脚色ばかりであり、実際に彼一人の責任と言えるのは弟を、母を、妻を殺したことだけと言える。しかしそれさえもネロの二番目の妻ポッパエアの讒言に惑わされたがためとも言われていた。
 諸悪の根源はこのポッパエア。諸説あるが近年になってそういった説が有力視され、ネロ帝が打ち出した「人の知恵の限りを尽くした施策」の数々を再評価する動きも活発になっている。

 しかし、情緒不安定で、自分勝手であり、自意識過剰気味だったのは確かであった。

 彼の皇帝は自らを「芸術家」と自認し、黄金宮殿(ドムス・アウレア)を建築。それ自体の耐久性の高さは評価され、ローマン・コンクリートと評されるに至った。
 が。それは栄光の一幕でしかない。
 ネロ帝は歌が好きで、数千人に及ぶ観衆を集めコンサートと称して自分の為のショーを開くのを楽しみとし、「青年祭」と称した私的な祭典まで興したという。
 更に詩人としての才覚も一流のものであると信じて疑わず、ネロは民衆を集めて幾度も独唱会を開いたとか。
 しかし、ネロ帝に詩人としての才覚はなく、ネロ帝の聞くに堪えない歌に民衆から逃げ出す者が続出。ネロ帝はこれを見越して劇場の出入り口を塞いだというからなんとも言えない。このために堀をよじ登ってでも脱出する者が頻発し、死んだふりをして棺桶に入れられて外に運び出された者も出たというのだから驚きだ。
 ネロ帝の親友の一人などはネロ帝の演奏があまりに退屈だったため眠ってしまい、これが原因でネロ帝から絶交を申し伝えられたというエピソードまであった。

 他にも部下の美人な妻を略取しただとか、見目麗しい美少年を去勢し妻にしただとか……身勝手で独善的な振る舞いには枚挙に暇がない。
 暴君と謗られるに足る下地は確かにあり、そういった観点から見れば個性的の一言では流せない人物だったのだろう。

 だが、それでもネロ帝は後世、神格化されるほどに民から慕われ、ネロ帝の死が後のローマ内戦の引き金になるほどの影響力を持っていたのは確かだった。

 一世紀の華、ネロ・クラウディウス。彼の皇帝は、性根がひん曲がっていることを考慮に入れても傑物と評するに値する人物だったのだ。








「……」

 ワイヤーを芯として編まれたロープで手足を拘束され、口に猿轡を噛まされた華のような美女を見下ろした。
 我が目を疑う。力なく地面に横たわり、擦りきれた紅いドレスを纏った女が……あのネロ帝だと? 俺は念のため、アサシンに声もなく問いを投げた。

(切嗣。この女性が、かのネロ帝だという確証は?)

(自分でそう名乗った。このネロ・クラウディウス、生きて虜囚の辱しめは受けないなんて言ってね。現時点では『自称』ネロ帝だが、僕を敵と見るなり自害しようとした点から信憑性は高いと判断した。かの騎士王が女だったこともある。ネロ帝が実は女でしたというのも必ずしも否定できたことではないと踏んだまでだ)

(…………)

 一々尤もである。歴史の真実には頭の痛くなることが多々あるが、これがはじめての経験というわけでもなかった。
 まあ問題は、だ。切嗣がネロ帝を捕縛し、縛り上げて近くまで運んできた後、それを持ってアルトリアらの前に運んだのはこの俺だということだ。
 嫌に冷たい眼差しのアルトリア。ジト目のマシュ。冷ややかに薄い笑みを浮かべるオルタに囲まれては、さしもの俺とて動揺せずにはいられない。
 俺は咳払いをして、声を震えさせないように意識しながら本題に入る。

「……俺のサーヴァントが、この場にいる者の他に一人いる。クラスはアサシンだ。そのアサシンが彼女を発見し、拘束。俺に処断を任せるために運んできたらしい」

 と、ここまで言って、反応を窺う。

「……では、どうして彼女に見惚れていたのでしょうか」

 ぐさりと刺してきたのはオルタだった。俺は俺の全知全能を懸けて応える。なぁに、こういう修羅場を幾度(いくたび)も捌いて不敗を貫いてきたのだ。問題ない。

「この女性の顔立ちが、どことなくアルトリア達に似ていたからな。拘束されてる姿に倒錯的な魅力を感じたんだ。すまない、不躾な視線だった」
「っ……」

 アルトリアとオルタはその遠回しな誉め言葉に攻め気を鈍らせた。
 実際、ネロ帝らしい女性の顔立ちはアルトリアに良く似ていた。しかし武人ではないためかどこか丸みを帯び、印象にも少々の灰汁があるように思える。

 二人の反応を受けて、よし、いける――と、思ったら。今度は伏兵に横腹を刺された。マシュだ。ジト目のまま少女はぼそりと呟いた。

「……でも先輩、胸見てましたよね。似ても似つかない部位です」

 カチン

 アルトリアとオルタの目が、ネロ帝の胸部に向けられる。横向けに倒れているためか、腕に挟まれぐにゃりと形を歪めている豊かな双丘――凍りついた空気の中、俺の心眼はこの場に残された唯一の活路を導き出す。間を置かず瞬時にそこに飛び付いた。

「――彼女の名をアサシンは聞き出している。ネロ・クラウディウスというらしい。言うまでもなく、この時代の中心人物と言っても過言ではないだろう」
「……ネロ帝ですって?」
「彼女がですか」

 その名を出すと、アルトリアとオルタの目から私情は消えた。

 危機は去った。くだらない危機だったが、チーム瓦解の地雷でもあった。上手く回避できてよかったと心から思う。
 頭を振り、俺も思考から弛んだものを絞り出す。戯れ合い、互いの緊張を緩めるのはこれで充分だ。

 俺は肯定し、提案する。

「そうだ。現時点ではあくまで『自称』だがな。が、今の俺たちにとっては貴重な情報源に成り得るという点では、自称でも一向に構わない。話さえ聞けるならな。彼女を起こし、話をしようと思うが、どうだ?」
「……そうですね。では、起こしましょうか」

 アルトリアがマシュを見る。どこか納得してない風な膨れ面のマシュだったが、この流れに逆らうだけの棘はなかったらしく、しっかりと頷いた。
 まず、マシュに言って持ち物を調べさせる。また自害されそうになると、止めるのも面倒だ。
 ボディチェックをしている光景から目を逸らし、何も持っていません、とマシュが報告してくるのを待って、俺は手足の拘束を解き猿轡を外すように言った。
 そして、体を揺すり、マシュがネロ帝を起こす。

 苦しげに呻き、華やかな美貌の皇帝は目を開いた。

「っ……!? な、なんだ貴様らは! 余をローマ帝国第五代皇帝、ネロ・クラウディウスと知っての狼藉か!」
「知らん」

 跳ね起きるなり飛び退いて間合いを離し、鈴の鳴るような美声で誰何してきたネロ帝に、俺はばっさりと切り捨てた。
 気色ばむネロ帝を尻目にザッと考えを纏める。
 今、ネロ帝は起き抜けに見知らぬ者達に囲まれていて、些か動揺している。そして手元に護身のための武器がないことも身ぶりだけで確かめているのも見えた。
 ……手に武器がなく、見知らぬ者らに囲まれ冷静さをまだ取り戻せていない。この場合は、こちらがイニシアチブを握るのは容易だ。俺は彼女が何かを言う前に、さっさと名乗った。

「俺の名は衛宮士郎。こっちがアルトリアに、オルタとマシュだ。俺の仲間がボロ小屋の前で貴女が蹲っているのを見つけ、話し掛けようとしたところ、いきなり自裁しようとしたから無力化し一旦眠って貰った。俺達はローマの民ではないが貴女を狙う者でもない。その証拠として一切の危害を加えないことを誓う。……把握して貰えたか?」
「……」

 長々と語り聞かせていると、ネロは注意深く俺、アルトリア、マシュ、オルタを順繰りに見渡し、やがて無理矢理にでも落ち着いたのか、皮肉げに苦笑した。

「……では、余は貴様らを敵と早とちりして自害しようとしたのだな」
「そうなる」
「……ふ、無様極まる。余ともあろう者が、敵意の有無すら見抜けぬとは。……手間をかけたな。詫びとして何かを取らせてやりたいが、生憎と財は全てローマに置いてきた。なにもくれてやることは出来ぬ」
「富は要らない。だが情報はほしい。何があったか、話してくれないか」

 俺はローマのある方角――深紅の大樹が侵食する帝国を指差し、ネロに訊ねた。
 俺の物言いは、本来不敬とも取れる。ネロはそれに不快感を示すだろうと思っていたが、あてが外れた。
 敢えて怒らせて気力を沸き上がらせようと思ったのだが、言葉遣い程度の不敬に目くじらをたてるほど狭量ではない、ということだろうか。
 だとすれば、少し気まずかった。器を測り損ねたのもそうだが、一度この口調を使ったがために止め時が掴めない。……仕方ないか、と妥協した。

「……其の方ら、もしやカルデアとやらの者達か?」
「っ、……ああ。どこでその名前を?」

 ふと、黙り込んでいたネロが口にした単語に、俺は目を見開く。ネロは淡く微笑んだ。不敵に笑おうとして失敗した、今に命の尽きそうな顔だった。
 ……嫌な感じだ。これは、死相である。

「他にも知っておる。マスター、サーヴァント、聖杯に、人類史の焼却……。よもや余がその責を負うことになるとはな……」
「……失礼、ネロ帝。貴女に触れる無礼を許してほしい」
「ふ。構わぬ、好きにせよ。先の見えた命だからな」

 俺は断りをいれ、ネロの肩に手を置いた。そして彼女の体に解析の魔術をかけ――俺はすぐさまマシュに指示を飛ばした。

「っ! マシュ、カルデアに通信をいれろ! 大至急だ!」
「えっ? あ、はい!」

 俺はすぐにネロの体を横たえた。
 召喚サークルに手をかざし、マシュはカルデアに呼び掛ける。だが、繋がらない。

「先輩!」
「繋がるまでやれ! ネロの応急処置(・・・・)だけはこっちでやれる!」

 ――ネロは死に瀕していた。

 全身になんらかの呪いが纏わりつき、ネロの体を植物(・・)に置換していっていたのだ。
 このままなんの処置もしなければ長くは保たない! 俺は己とネロの間にラインを通じる。ネロは乾いた笑みを浮かべた。

「ローマだ……」
「……なに?! 何を言ってる! 分かるように言え!」
「ローマ建国の祖、かの神祖ロムルスは、槍をパラディウムの丘に突き刺し、大樹と化させた。その大樹の成長は、ローマ建国の伝説そのもの。現世に甦った神祖は、再び、ローマの建国を再現した。そうだ、神祖は余を、今のローマを否定し……ぐ、」

 どこかうわ言のように呟き、ネロは苦しげに呻いた。よろよろと首を左右に振る。

「……いや、違う。神祖は、ローマだ。それがローマを否定するなど、有り得ぬ。何者かが、神祖を歪めたに違いない……。許せぬ、それだけは、決して許せぬ……! よりにもよって、神祖にローマを否定させるなど……断じて、許せるものか……!」
「……話は後で聞くことにした。痛いぞ、死ぬほど。だから死力を尽くして耐えろ! 生きたいなら!」

 俺はネロの耳元で叫び、魔力をネロの体へ強引に流し込んだ。ぐああ! 体を海老反りにし、絶叫するネロ。
 体内の呪いを、無理矢理に魔力で洗い流しているのだ。ネロにとって未知の痛みは、爪の先に針を刺されている痛みを十倍に拡大しているようなものだ。
 一度で洗い流せたのは、呪いの十分の一。一旦、中断して声をかけた。

「……あと九回、今のに耐えてくれ。そうしたら、少しは寿命が延びる」
「ふ、ふふふ……痛い、痛いな……。が、よい。この痛みが、生の証ならば。……だが、分かっているだろう。余のそれは、余がローマだからこそ蝕むもの。神祖の槍に触れたのだ、逃れても一時の誤魔化しにしかならぬ」
「それでも、やらないよりはましだろうが!」

 今度は、ネロは叫ばなかった。歯を噛み締め、全身から脂汗を垂れ流し、死に物狂いに耐えていた。
 ――こんな様で、よく今まで生きてたな!
 俺は内心で怒鳴る。ネロの体は、体内の三割が樹木と化していたのだ。普通なら死んでいる。だが、生き永らえていたのは生への執念か、それとも古代の人間に特有の神秘的な生命力故か。
 九回、全てにネロは声ひとつあげなかった。
 見事、と称える。息も絶え絶えにネロは口許だけで微笑んだ。

「どう、やら……本当に、余を……助けてくれて、いるのだな……」
「……」
「もう、ローマは呑まれ、余も槍の一部となるところだったが……。まさか、はは、まだ立ち上がるだけの……力を手にできるとは……感謝、するぞ……エミュア・シェロ」
「……士郎だ。が、まあシェロと呼ぶのはいい」

 それと、と。一瞬、懐かしい何かを思い出しかけた士郎だったが、すぐに気を取り直して言った。

「所詮は一時しのぎだ。呪いそのものは貴女の体と、魂そのものにまで絡み付いている。俺にはそれを遅らせ、ある程度押し留めるのが限界だよ」
「充分……だ。……すまぬが、少し眠ってよいか? ローマから、こんな辺境まで、休む間もなく逃げてきたのだ。流石の余も、少し疲れた……」
「ご随意に、皇帝陛下」
「ふ、……其の方ほど、敬語の似合わぬ男もおるまいな」

 そう溢したきり、ネロはぐったりと泥のように眠りについた。布団と敷布団を投影し、ネロをそこに寝かせる。
 俺は嘆息し、マシュを見た。マシュは首を左右に振る。まだカルデアとは繋がらないらしい。ここは、霊脈に設置した召喚サークルなのに。

 まだ続けろ、と目だけで指示し、俺はアルトリアとオルタに言った。それは、ネロのうわ言を聞く内に得た確信だった。

「最悪だ、二人とも」
「何がでしょう」
「この時代が修正不能になるのに、もう瀬戸際まで来ている。――ローマは実質滅び、全ての国土は大樹に呑まれ、まだ拡大は続くだろう。人理が完全に修復不可能に未だなっていないのは……」
「ネロ帝が生きているから、ですか」

 オルタの言葉に、うなずく。

「この時代の中心人物で、唯一、一世紀の原形として残っている皇帝ネロ。彼……いや、彼女が死ねば、歴史の修正は不可能だ。分かるな、二人とも。ネロ帝は絶対に死なせるわけにはいかない、彼女の死は俺達の敗北を意味する」

 鉄を噛むような心地で言い切り、俺はマシュを見る。
 マシュは、パッと顔を輝かせた。

「繋がりました! カルデアとの通信が復活しました!」
『ああっ! やっと繋がった! マシュ、士郎くん! 無事かい!?』
「ロマニ!」

 俺は食いつくようにして怒号を発する。気を呑むように激しく、反論を許さぬように。

「大至急、手配してほしいことがある。頼めるか?!」
『えっ?! あ、ああ! なんでも言ってくれ! 出来ることならなんでもする!』
「よし、なら技術部に言え、聖杯の解析は後回しだ、すぐに使うように指示しろ!」
『ちょ、ええっ?!』

 ロマニが驚愕したように声を張り上げた。そんなむちゃくちゃな! 何があるかわからないのに、そんなことはさせられない! と。それは道理だ。
 だが、

「四の五の言ってる場合じゃないんだよ!!」

 血を吐くように怒号する。そして今、俺達の置かれた状況を教え、何がなんでもネロを死なせるわけにはいかないことを伝える。
 そのために、聖杯を使わねばならない。
 ネロを蝕んでいる聖杯を使った呪いに立ち向かうには、同じく聖杯を使うしかなく。これからの戦いを思えば、とてもじゃないがネロを単独で動かすわけにはいかない。
 故に、だ!

「ネロを聖杯で治療後、聖杯でネロをカルデアの職員だと世界に誤認させ、カルデアのマスターとして運用する!」
『はあっ!? そんな無茶な!』
「無茶でもやらなきゃ世界が滅ぶ! 特異点が修正されればネロ帝の不在もなかったことになって、カルデア職員のネロは残り続けるだろうさ!」
『それは!? それがどういうことかわかってるのか、士郎くん!!』

「わかってる! 悪魔でも鬼畜でもなんとでも呼べ! 俺個人の呼び名よりも、人理を守護する方がよっぽど大事だろうが!! ええ、違うか!?」

 違わない、違うはずがない、故に俺はロマニに頼むのだ。これからのために。

「ネロ帝をマスターに設定し、クー・フーリンをサーヴァントとして付ける! とりあえず、今は治療だけでいい。ネロ帝が起きたら説得する。俺達と共に戦ってくれと。身勝手にも、自分を捨ててくれと!」

 聖杯で、カルデアのマスターを一人増やす。
 悪魔的な発想だった。最低の、外道の考えだった。

 だが、これ以上ない効果を望める起死回生に繋がる策でもあった。

 ネロ帝は、恐らくこの悪魔の契約を結ぶだろう。
 例えカルデアに生身のネロが加わっても、人理が修復されるとネロは『いる』ものとして歴史は進む。世界の修正力とはそういうものだ。
 説得できなければ、諦める。無理強いしても意味がないから。だが、俺は確信していた。ネロは、この手を掴む。それほど追い詰められている。立ち上がり、戦うために、万策を尽くす覚悟があり――そのためなら世界(自分)を捨てることが出来る英雄だと感じさせられた。

 ロマニは、やけくそのように髪を掻き毟り、了解したよくそぉっ! と怒鳴り返してきた。

『ただし、説得はそっちがしてくれよ! 失敗したらダメだからな!』
「わかってる。……すまん、ロマニ」
『ボクに謝ったって意味ないでしょ!』

 其の通りだ。

「まったく……」

 俺は、地獄に落ちるかもな……。

 ――安心してください。その時は、私達も共に参ります。

 三人の声が、心を軽くしてくれた。









 

 

英雄猛りて進撃を(上)



「うむ、仔細承知した。よきに計らうがよい」

 ――そう言って、ネロ・クラウディウスは至極あっさりと己の進退を決定した。
 そのカラッとした陽気に士郎達は呆気に取られる。
 今、ネロ帝は悪魔の契約書に、迷う素振りすらなくサインしたのだ。
 それは世界に自分を売るが如き所業。独りの正義の味方が、世界に己を売り渡し守護者となったのと同じ事。救った世界に自分がいなくてもいいと……己を省みぬ選択だった。
 あまりの即決ぶりに、マシュが困惑したように訊ねた。ともすると、その言葉の意味を理解できていないのではないか、なんて疑ってしまったのだ。――それは、ネロという皇帝を知らぬが故の無粋な問い。ローマ皇帝をよく知る者なら愚問であると笑うだろう。

「あ、あの……本当に……? わたし達と一緒に戦ってくれるんですか……?」

 それは、己という存在を消すことを意味するのに。
 どこか怖がるような声音に、果たしてネロは一笑に付すのみだった。

「ふ、何を恐れておる。余の命を救ったのは其の方らであるぞ?」

 聖杯は使われた。呪いは払われた。命の危機は、当面は去った。

「もとより死したも同然であった余が今一度立ち上がり、神祖の歪みを正せる好機を得られた。まさに望外の快事である! 神祖を正す、それ即ちローマの過ちを正すのと同義。そして人類史を修正するという大業に加わること即ち未来(ローマ)を救うに同意! まさに快なり! 余にはそなたらと轡を並べるに足る大義がある!」

 可々大笑し、胸を反らした赤い薔薇。まさにローマを舞台として舞う華の赤。

「それにな、余は敗軍の将なのだ。負けた者は、本来何もすることが出来ぬもの。であればもう、余は死人よ。既に死んでいるのなら死んでいるものとして、余は生きているのだと満身より声を絞り叫ぶまで! 人類史を修正すれば余に成り代わったものがネロとなる……大いに結構! 死人である余のローマを引き継がせる戦いが(これ)である。後顧の憂いがないならば、後は勝ちに行くのみだ。であろう、シェロ!」
「ああ……全く以てその通り。だが……生きながらにして死ぬという責め苦、その本当の苦しみを。自分が自分でなくなる恐怖を。いつか本当に、自分が変容するおぞましさを。貴女は覚悟できているのか? 安易に進めば、それは地獄の炎となって貴女を襲うだろう」
「は! そんなものは知らぬ!」

 最後の忠告だった。士郎の、心底に沈澱する核心的恐怖を、しかしネロは何も考えずに一刀両断にした。
 知らぬものについて考えを及ばせ、無駄に怯えるような深慮はない。ネロは、莞爾と笑い両手を広げる。

「――知らぬが、余が折れそうな時は存分に頼らせて貰おう! 余を助けることを許す、いつでも余を助けるのだぞ、シェロ。マシュ。アルトリアにオルタ!」

 清々しい開き直りだった。常人には有り得ぬ思いきりのよさである。
 それに、一瞬士郎は憧憬の念を抱きかけたが、すぐに忘れた。彼女を世界に売り渡した当人が、何を恥ずかしげもなく憧れそうになっている。
 頭を振り、士郎は冷徹な思考を意識の裏で張り巡らせる。これで、ピースは揃っ――

「――と、その前に一つ、聞いておかねばならぬことがあったのだ」

 そんな、士郎の思考を断つように、ネロは士郎を真摯に見詰めた。その目に、士郎は思わず居住まいを正す。

「心して答えよ。一切の虚偽も許さぬ。もし偽りを述べるのなら、余が其の方らに与する約定はなかったものとする。よいな?」
「……ああ。俺に答えられることなら、なんでも聞いてくれていい」
「ではシェロ。問うぞ。――其の方、何ゆえに人類史を救わんとする?」
「……?」

 何を聞かれるかと身構えていなかったと言えば嘘になる。だからこそ、ネロがそんな一身上の行動理由を訊ねてくるとは思わず意表を突かれた。
 咄嗟に口を衝きそうになったのは、真実七割嘘三割の建前。それをなんとか呑み込み、士郎は瞑目した。
 ……他の誰かに対して嘘を吐くのはいい。だが彼女にはアルトリア達と同じように、真実だけを話すべきだ。それが俺に示せる唯一の誠意だろう。

 士郎は意を決し、自らの本音を話した。

「俺が人理修復のために戦うのは、これまで生きてきた中で、俺と関わった全てを無為なものにさせないためだ。俺が知るモノには価値があると信じている。ああいや――飾らずに言えば、俺は俺のために人を救うんだ。そうすることが、俺の生きた証になると信じてるから」
「なるほどな。己のため、と来たか。それは究極的な意味では真実であり、シェロの中では偽らざる本音なのであろう。――だが違う。それは違うだろう。シェロ、そなたは今、余に嘘を吐いた(・・・・・)な!」

 なに、と俺は目を剥いた。嘘偽りなく本当の気持ちをさらけ出した、なのにそれを偽りだと? 何を根拠に否定する?

「余はローマ皇帝である!」

 それが根拠だった。陰謀渦巻く華美と暗躍の都で生きてきた皇帝の、華やかなだけではない人間の醜さを知るが故の……魂の審美を判ずる眼力だった。
 皇帝は男の独善を見抜いていた。自分本位な在り方を感じていた。しかし不快ではない、彼の定義する自己が、かなり広義の意味を持つが故に醜悪さを感じさせないからだった。
 だが、そのエゴを広く感じることへの違和感があった。故に問いを投げたのだ。そして今、ネロ帝の中で確信が固まる。

「其の方の胸の内、しかと聞き届けた。自覚なきが故に一度は許そう。だが二度はない。答えよ、そなたの言う自分(・・)とはどこまでを言う?」
「徹頭徹尾、この俺一人に終始する」
「うむ。だがシェロよ、気づいておらぬのか。そなたがそうまで戦わんとするのは――この世界が、美しいものだと感じておるからではないか」

 ……何を戯言を。士郎は内心吐き捨てる。

 ――世界が美しい? 違う、そんなことは感じてはいない。むしろ、逆に世界の汚濁に吐き気すら覚えている。だから、

「……」

 そこで、はたと思い至った。
 士郎は世界の汚さを思い知っている。しかし――士郎は汚れを許せぬ性質だった。潔癖性なのだ。
 汚いのは許せない、だから綺麗にする。俺がこの汚ならしい世界を、『俺が』耐えられる程度には綺麗にする。
 そのために、世界を巡ったのだ。外道を働き俺の世界を汚す野良の魔術師を狩り、人を餌として見るのみならず惨と醜とを絡めて喰らう怪物を殺して回った。
 苦しみ、喘ぎ、嘆く声と顔に我慢が出来なかったから偽善者と呼ばれても慈善事業を始めた。
 俺のためにだ。俺の生きた証を残しながら、俺のいた世界が汚かったという事実を否定して回った。

 一人の力に限界を感じて。手を取り合える仲間を集めて。環の力で世界を少しは綺麗にするべく、世界の汚れを掃除する。全ては俺のために。俺が認識する世界のためにだ。

(シロウさんは、まるで――)

 ふと、士郎は己が死徒との戦いに巻き込まれる切っ掛けとなった、ある名もなき死徒の戯れのために拐われた一人の少女の言葉を思い出す。

(士郎。あんた、ほんと馬鹿ね――)

 そして。心底仕方無さそうに苦笑して、暇があったら手を貸してあげると言ってくれた、お人好しの魔術師の声が脳裏に去来した。

 ――白野……遠坂……。

「……いや、そうか」

 ネロ帝の言わんとすること、その真意を察し、士郎は納得した。
 士郎は自分のために生きている。極論してしまえば、自己満足をするために生きているのだ。
 ――なのに、この胸には今、過去への悔恨が突き刺さっている。自分のために生きているのなら……それを捨て置くのはダメだろう。
 俺は俺のために、後悔を残したままでいてはならないのだ――士郎はようやっとそのことに気づいた。

「……貴女に感謝を。どうやら気遣われたようだ」
「む、悟られてしまったか。余もまだまだのようだ」

 ネロ帝は唇を尖らせ、やれやれと己の未熟を嘆くように肩を竦めた。本当に未熟なのはこちらなのに。

「――ふむ。回り道をしたが、悟られてしまった以上は直截的に言おう。シェロよ、そなたは何やら蟠りを抱えておるな? ならばそれを早くに解消せよ。余と肩を並べる勇者は、衒いなき(まなこ)を持っておらねばならん。曇りを晴らせよ、カルデアのマスター……いや、我が先達よ」
「――」

 ほんとう、古代の王様達は、なぜこんなにも心に響くことを言えるのか。
 ネロ帝は皇帝だが、意味合いは王と似ている。まったく呆れた眼力だよ、と士郎は苦く笑うしかない。隠すこと、騙すことは得意なはずなのに、これでは自信をなくしてしまいそうだった。

 アルトリアを見る。……何かを言いかけ、止めた。
 明日のことを語れば鬼が笑う。今は止そう。だが、そうだな……蟠りを抱えたままというのも気持ち悪い話だ。落ち着ける時が来たら、少し話をしよう。士郎はそう思った。

「――ネロ帝。いや、名で呼び捨てても?」
「許す。余はカルデアのマスターとやらになるのだ。であれば先達たるそなたが余におもねるようなことがあってはならん。それでは他に示しがつかぬからな」
「ではネロと。――ああ、いや、誉め言葉が溢れて何も言えない。だから、代わりに感謝する。まだ時ではないが、いずれ必ず貴女の助言に沿わせて貰う」
「うむ。幾らかは晴れたか。ならばよし! 余からは何も言うことはない! さあ、後はよきに計らうがよいぞ!」

 堂々たる立ち姿で腕を組み、ネロは眼を閉じて時を待つ。
 士郎は微笑ましげにしているアルトリア達に対し、背中が痒くなる感覚を覚えたが、誤魔化すようにカルデアのロマニにゴーサインを出した。






 ――斯くして、ここにカルデア二人目のマスターが生まれた。

 起動した聖杯は、過つことなく願いを叶える。
 ネロ・クラウディウスが現代の存在であり、カルデア職員であると世界に誤認させる。人理焼却に喘ぎ、防御が薄くなっているが故それはあっさり成功した。
 なおかつ、同時にこの特異点に於いてはローマ皇帝であるという矛盾を押し付け成立させる。どれほど弱まっていようとも、抑止力は人の身で抗えるものではない。しかし聖杯を使えばなんの問題もなかった。一度機能させてしまえば、聖杯の力の一部しか使用せずとも、半月は問題なく矛盾を成り立たせることが出来るとカルデアは測定したのだ。
 半月もあれば充分である。もともと十日も時間はないのだ。それまでに特異点を修正し、矛盾を正し、ネロをカルデアに正式に迎え入れればよい。
 ネロが現代人として存在が確立すれば、もう聖杯に存在を維持させる必要もないということだ。時代が修復されれば、ネロは『いる』ものとして歴史は進む。

 全てが終わっても、傍目にはネロの何が変わった訳でもない。正直、何も変わって見えなかった。

 だが当事者であるネロには何かが感じられたのだろう。大切な物から自身が切り離されたかのような、寂しげな眼で空を見上げ……次の瞬間には何事もなかったかのように不敵な笑みを浮かべた。

 ネロがどこで聖杯やカルデア、サーヴァントやマスターのことを知ったのか。訊ねると、サーヴァントとして敵側に現界していたという征服王……その若かりし姿の王子、アレキサンダーと名乗った少年が教えてくれたのだという。
 ネロは一時期、アレキサンダーと交戦し、敗れ、捕虜となる寸前までいったそうだ。そこで彼は、なにを思ったのか突然ネロを試すようなやり口を改め、脇目も振らずにネロに今後必須とされるだろう知識を授けてきたのだという。
 そして半信半疑のネロに言ったのだ。

(どうやら僕はここまでのようだ。次、会う頃には、僕から理性は失われているだろう。いいように操られるのも業腹だからね、せめてもの意趣返しとして君に塩を送らせて貰う。――もし後がなくなり、逃れる場所がなくなったのなら……そうだね、ブリタニアだ。あそこまで逃げるといい。そこが、最も神祖の手が及ぶのに時がかかるだろうから。カルデアに目端の利く者がいたら、そこに現れるだろう)

 そう言ったきり、アレキサンダーはネロを放逐したのだという。
 後に事の真相を知り、神祖と対面する頃には、ネロは因縁浅からぬブーディカ、何やらネロを知るらしいエリザベート、タマモキャットと名乗るナマモノ、暗殺者の荊軻と狂戦士のスパルタクス、ランサーのレオニダス一世と合流し、一時はローマ連合軍とやらを押し返すほどの獅子奮迅の働きをしていた。

 だが――Mと名乗った男が全てを狂わせたのだ。

 Mは手にした聖杯を使い、自らの支配下にあるサーヴァント全てに狂化を付与。それすらはね除け自我を完璧に保った神祖ロムルスには一つの命令と共に聖杯を埋め込み暴走させたのだという。
 その命令とは――ネロは、「ローマを否定せよ」だと睨んでいる。如何に神祖が強大な存在であろうと、その身はサーヴァントのものでしかない。聖杯そのものを使って暴走を謀られれば抗える物ではなかった。
 神祖は、一度は矛を交えたネロに、全霊を賭した言葉を残した。

(我が子よ、お前が(・・・)――ローマだ(・・・・)!!)

 それは偉大な歴代皇帝達を前に迷い、煩悶としていたネロに強い一歩を踏み出させる、これ以上ないほどの激励だった。
 ネロは奮起し、なんとしても神祖を倒さんと必死に戦ったが……惜しくも敗れ、ブリタニアへと逃走せざるを得なかった。

 敗走するネロを守るため、最初にランサー、レオニダス一世が散った。殿軍として追手の前に立ちふさがり、一日あまりの時間を稼いだという。
 レオニダス一世ですら、一日しか保たなかった。しかし千金に値する一日だった。
 荊軻はいつのまにか姿を消していた。軍事行動では役に立たぬと弁え、敵陣に単身潜入し――恐らくはカリギュラを討ったと思われる。追ってきた敵の中に、カリギュラの姿が無くなっていたからだ。
 皇帝の代名詞たる歴史上屈指の名将、カエサルに追い付かれた時、ブーディカとスパルタクスが足止めに向かった。一時間と保たなかったが、ネロは多くの将兵を残して更に馬を走らせた。
 片腕のないダレイオス三世は大軍を率い、ネロを猛追してきた。だがここでも、これまでと同じように、エリザベートとタマモキャットがネロを逃がした。

 ネロは仲間の全てを失い、神祖の期待にも沿えずに逃げ続け、失意と絶望の中、なんとかブリタニアまで辿り着いたのだという。



「――神祖ロムルスを筆頭に、皇帝カエサル、アレキサンダー、ダレイオス三世ときたか。おうおう、錚々たる面々だねぇ。位負けしねぇか今からちょい不安になっちまうぜ」



 欠片もそう思っていない語調で明るく言って、好戦的な笑みを浮かべたのは、満を持して召喚されたサーヴァント。クラスは槍兵。アイルランドの光の御子、クー・フーリンである。

 匂い立つ強壮たる佇まい。身長は嘗て見知ったものでありながら、その重量感は冬木の時の比ではない。全身のしなやかな筋肉と、鍛え上げられた肉体の醸す質量は、どう見ても以前の青い槍兵より一回り上回っていた。

 身に纏うのは青い戦装束。その上に、白いリネンのローブとルーンを象った刺繍入りの外套を羽織り、ケルト文様の金のブローチを身に付けている。
 白銀の籠手と肩当てが逞しい肉体を堅固なものに映えさせ、青みを帯びた黒髪を無造作に結わえた姿が香り立つ男の色気を増幅させていた。
 彼はアルスター王の甥にして、太陽神ルーの子である。正しい意味での貴種の中の貴種だ。
 光の御子とまで称えられた美男子はアルスター屈指の文化人でもあり、俗に言う貴公子という形容がぴったりと似合っていた。

 ケルトの大英雄は、真紅の呪槍で肩を叩きながら大まかな話の流れを反芻し、獰猛な笑みを口許に刷く。

 彼のマスターはネロ――ではない。
 士郎である。当初、予定を変更してクー・フーリンをネロに召喚して貰おうとしたのだが、ネロはこれを固く拒否。これより共に戦っていくことになる仲間を、他者に指図されるまま召喚するのは違うだろう、と言った。
 縁に頼らず、触媒に依らず、まったくのランダムで召喚する。それがネロの意思だった。
 相性だとか、戦力だとか、そんな雅でない基準はない。自分が喚び、来てくれたどこの誰とも知れぬ英雄と駆けていくのがマスターとしての覚悟だった。
 それを否定することはできなかった。士郎は、やむなく自身でクー・フーリンを呼び出し、そして見事、クー・フーリンは槍兵として完全な状態で現界したのである。

(ランサーのサーヴァント、クー・フーリン。召喚に応じ参上した。……ん? また会ったな。またぞろ妙な状況みてぇだが、いつぞや言ってた通りにこき使うつもりかよ?)

 軽く笑いかけて来ながらそう言う彼の存在感は、この場の誰よりも重厚なものだった。
 再会を喜ぶより先に、圧倒されてしまった。
 マシュが気圧され、アルトリアとオルタは驚愕に眼を見開いていたものである。自分達の知るクー・フーリンとまるで違う別格の霊基を感じ取っていたのだ。

「貴公がそれを言うと、嫌みにしか聞こえないな」

 アルトリアが苦笑しながらクー・フーリンに対して言った。
 位負けしそう? 何を馬鹿な。冗談にしたって笑えない。完全な状態のクー・フーリンに位で並ぶ者はそうはいない。気を抜くと、アルトリアすら武者震いに剣を執る手が強張りそうなほどなのに。
 断言できる。武人として、この特異点に存在する全ての者がこの英雄の前には霞んでしまう、と。

「おっと。お前さんにそうも称えられると悪い気はしねぇな。名にし負うアーサー王の聖剣の輝き、オレも照らされてみたいもんだ」
「ふ、世辞と分かっていても、私にとっては誉れだ。これより先の戦い、大いにあてにさせてもらうぞ、ランサー」
「応、幾らでも頼りな。命がけの旅、荷物と期待は重いほどいいってな。……っと、空気が違いすぎてパッと見わからなかったが、同じ顔が三、それもとんでもねえ別嬪さん揃いと来た。しかも二つは同じ女、と。オレのマスターはまたまた業の深そうな感じだな?」

 さらりと嫌みなくアルトリアからの賛辞を流し、光の御子は意味深な眼を士郎に向ける。士郎は憮然として言った。

「ランサー、あまりからかうな。アルトリアとオルタは兎も角、ネロは違う。マシュに至っては妹みたいなものだ。そんな相手じゃない」
「へえ? なるほどね、道は長いか。負けるなよ、盾のお嬢ちゃん」
「……?」
「おっと、こっちもか。やれやれ、楽しそうな職場だこったな」

 女は怖ぇぞ、早いこと手を打っとけ、と耳打ちしてくるクー・フーリン。余計なお世話と言えない士郎の哀しさ。何やら苦笑しつつ、クー・フーリンは本題に入った。

「で。どうすんだマスター。状況は分かったが、オレとしちゃさっさと動きたい気分なんだがね」
「知恵が欲しい。どう考えても行き詰まってる気がしてならないから、俺達とは違う視点で考えられるあんたの意見を聞きたい」
「んなの言うまでもねえ。退けば死、進めば死、なら進んで前のめりに死のうぜ」
「……あのな」

 飄々と、なんでもないように気負わず言うものだから、士郎は流石に呆れてしまった。
 不思議と、切迫感はない。彼と共に戦える、それだけで負ける気がしなくなってくるのだ。
 王や将軍が感じさせるカリスマではない。もっと別の、戦士同士の信頼が作る安心感――戦いを恐れぬ勇猛さを与える英雄の風格が感じられる。
 なるほど、アルスターの戦士のほとんどが慕ったというのも分かる人徳だな、と士郎は思う。

 クー・フーリンは、ぴくりと眉を跳ね、南東の方角に眼を向ける。しかし、それだけで、特にリアクションはなかった。
 一拍遅れて、アルトリアが何かを気取ったようにハッと顔色を変えた。

「――どのみちもう詰んでんだ。小難しく考えたってしゃあねぇだろ。シンプルなものにはシンプルにぶつかるのが王道ってもんさ。違うかい?」
「……道理、ではあるな」
「それに、来たぜ。敵だ」

「……!」


(こちらアサシン。南東、敵軍勢を視認した。数は一万、異形の軍だ)

 丁度、切嗣からの念話がその言葉の裏付けとなる。
 士郎は暫し黙り込み、クー・フーリンに訊ねた。

「……どうやって気づいた?」
「空気さ。戦の空気がした。こういうのは、勘でなんとなくわかっちまうもんなんだぜ」
「……そういうものか?」
「そういうもんだ。さって、と。敵はどんなか、分かるかい?」
「……」

(切嗣。敵軍の特徴は)

 訊ね、返ってきた答えをそのまま伝える。

「異形、動く死体と骸骨の軍勢、大将は三メートル超えの巨漢らしい」
「っ……! それは、ダレイオス三世だ!」

 ネロが顔を険しくして言った。厳しい表情だった。
 難敵、というだけではない。何か個人的な借りがある、そんな顔だった。

 士郎は、クー・フーリンを見る。

「やれるか?」
「応。それが命令ならな」
「じゃあ頼む。その力を俺達に見せつけてくれ」

 あっさりと命じた士郎に、ネロは驚きながら食って掛かった。ネロは知っているのだ、あのダレイオス三世を。
 エリザベートやタマモを屠った、悪魔の軍勢を。

「――正気か!? 敵は一万の軍勢だぞ! それも、ただのサーヴァントよりも厄介な不死性までも持っている!」
「ふぅん。一万の大軍、不死性を持った厄介な奴か……。で? それだけかよ?」
「な、なに?」

 反駁され、ネロは気色ばんだ。

 クー・フーリンは。
 クランの猛犬、戦場王と号された大戦士は。
 にやり、と伝説の勇者に相応しい硬骨な笑みを浮かべた。

たった(・・・)一万でオレを止められるとでも?」

 クー・フーリンは、一騎討ちよりも、対軍戦闘をこそ真価とする多数戦闘のプロフェッショナル。
 生前、アルスターの戦士全てが大痙攣により動けなくなり、メイヴ率いる対アルスター(クー・フーリン)連合軍数十万を相手に戦い抜き、勝利して伝説を成し遂げた。
 相手はただの戦士ではない。戦いに生きた修羅の戦士揃いのケルト戦士である。
 これにより、メイヴは戦いによって勝つことを諦めた。陰謀で、クー・フーリンは破滅した。

 複数の国を全て同時に相手取り――大将狙いでも何でもない、軍勢相手に真っ向勝負を挑んで数十万に勝利した怪物を相手に。

 ……たった(・・・)一万?

「――」
「不死の軍? 死なねえ奴はごまんと見てきたが、殺せない奴(・・・・・)は見たことねぇな」

 不死の怪物など幾らでも殺してきた怪物退治の達人が、クー・フーリンである。
 それを相手に、動くだけの死体、骸骨。……バカにしているのか? 数を揃えれば強く見せられるとでも思っているのだろうか。

 ――ダレイオス三世。彼にとっての天敵は、間違いなくクー・フーリンである。

「ま。いいから任せときな、ローマ皇帝。オレの戦いぶりを見て、オレを召喚する機会を手放したことを後悔しろ」
「……は、はは。なるほど、豪気な。見たことがないほどの勇者であるな、ランサーよ」
「だろう? これでも最強の名で通っていてな。ま、それが伊達じゃないことを証明してくらぁ」

 得意気に笑い、クー・フーリンはさっさとこちらに背を向けて歩き始めた。
 手には真紅の呪いの槍。颯爽とケルト文様の外套を翻し、目にも留まらぬ速さで掻き消える寸前、ネロが叫んだ。

「ランサー! 奴は……余の友、エリザベートとタマモの仇だ! だから……頼むぞ!」
「――応、任せとけ。これが終わったら、きっちり守ってやるから大船に乗ったつもりでいな」






 

 

英雄猛りて進撃を(下)





 海を航る幽なる霊。往くは悪鬼の如き不死の群。只人には目視すら能わぬ霊体の軍団は今、薔薇の皇帝を追いブリタニアの地に到達する。
 踏み締めた大地が苦悶の音を鳴らす。実体化したのは小山のように雄大な体躯の王。知性なく、狂した瞳は獲物を求めて見開かれた。
 地鳴りのような呻き声が、ブリタニアの大地を震撼させる。魔性の障気が巨躯から溢れて止まらない。鬼火が如き青白い火を纏い、かつては大国の王だった(・・・)巨人は、ひたすらに怨敵を探し求める悪霊と化していた。

 もはや英霊でも、反英霊でもない。狂ったダレイオス三世には、目に映る敵全てが打ち倒すべき宿敵に見えている。聖杯による狂化は元々バーサーカーであった彼にも付け足され、もはや精神性の原型すら残らぬほどに狂乱していたのだ。

 根本から断たれた左の腕。慰めるように右手で傷跡を覆い、苦しげに呻く。
 それは以前己の行く手を阻んだ二人の小娘によって付けられた傷――ではない。
 宿敵の、幼い姿の者を討った(・・・)時に受けたものであった。
 理性を失い掛けながらも、聖杯の支配が及ぶ前に、自身の好奇心から「未来」の好敵手であるダレイオス三世に一目会いに来たところを、ダレイオス三世が襲いかかったのだ。
 見た目は違えど、アレキサンダーが宿敵本人であると本能で悟ったのである。そうなれば、バーサーカーであるダレイオス三世に自制が効くはずもない。激闘の末、ダレイオス三世はアレキサンダーを屠った。左腕を代償として。

「……◼」

 戦斧を握りしめ、狂王は屈辱に打ち震える。狂っているとはいえ、万全ではないとはいえ……宿敵の、よりにもよって未熟な状態に遅れを取ったことがダレイオス三世には耐えられなかったのだ。
 もはやこの怒りを鎮めるには、目につく宿敵全て(・・・・)を血祭りに上げねばならない!

「◼◼◼◼◼◼―――ッッッ!!」

 聖杯から流れ込んでくる負の熱量。魂を焦がすその熱が、不死軍の王を猛らせる。
 宿敵はどこだ! イスカンダル! あの不遜なる小僧! 不敬なる蛮族! この手で! 今度こそ! その細首をへし折ってくれる!

 言語として成立しない咆哮は、ブリタニア全土に轟き渡る。小鳥が散り、虫が潜み、獣は逃げた。
 死の気配に、ブリタニアに存在する全てのモノはその脅威を感じ取っていた。

 無限大にまで肥大した憎悪が標的を探し求める。

 ――そして、見つけた。

 広野を隔て、いつの間にか現れていた一人の男。気配はサーヴァント。
 ダレイオス三世は憎しみを込めて睨み据える。群青の戦装束の上に、白いリネンのローブと、勇壮な刺繍が施された深紅の外套を羽織っている。
 金のブローチが、眼に映える。白銀の籠手が降り注ぐ陽の煌めきに照らされ光っていた。
 結わえられた青みのある黒髪を風に靡かせ、真紅の槍と紅蓮の盾を手に、まるでダレイオス三世の行く手を阻むかの如くに悠然と構えている。

 イスカンダル!

 ダレイオス三世は、宿敵の征服王に似ても似つかぬ戦士を見て、しかし極大の殺意を抱いた。
 赦せぬ、自らを神の子などと佞言を垂れ、己の国を簒奪した下賤なる獣。白痴のような妄想を謳い、軍を率いた辺境の王に過ぎなかった蟻一匹。
 ――そんなものに幾度も敗れた我が身の無能。

「     !!」

 音もなく血を吐く狂王。喉を引き裂き絶叫する。
 赦さぬ、断じて! 吾を敗者へ貶めた者よ、吾に仇為す敵対者よ! これに見よ、これこそが吾が『不死の一万騎兵(アタナトイ・テン・サウザンド)』である!

 狂王の下に集いし群体の不死、史実として存在した一万の精鋭。伝説となり、不滅性と不死性が強調されたダレイオス三世が擁する無二の矛、盾、軍!
 この不滅の軍勢を以って貴様を捻り潰してくれる!

 ダレイオス三世が右手の戦斧を掲げた。

 動く死体、骸骨の軍勢が、悪魔的な喚声を上げる。そのおぞましさは、まさに地獄の獄卒。悪の化身。ダレイオス三世は前方の敵一騎に向け、不死の一万騎兵を差し向けた。
 さあ、蹂躙してくれるぞ!



「――なんだ。それだけかよ?」



 不敵に笑む、無敵の勇士。迫り来る軍勢を前に、臆する様子は微塵もない。
 手の中でくるりと朱槍を回転させ、左手の赤い盾に叩きつける。戦の作法、出陣の儀礼――かつて盾を叩く槍の音を聞いた時、並みいる修羅のケルト戦士は戦慄した。

「出せるものがあるなら今の内に出しときな。後から負け惜しみを聞いてもつまんねぇからよ」

 不死の兵。不滅の死体。……余りに鈍臭くて欠伸が出そうだ。かの偉大なる征服王、その雄飛の足掛かりとなった大王よ、狂っているとはいえ正面からの突撃とは芸がない。

「んじゃ、往くぜ。まずは挨拶代わりだ。凌げねえなら影の国(あっち)でしごいて貰えや。死なねえからって気ぃ抜いてたら、笑えるぐらいあっさり逝っちまうぜ?」

 嘯くや否や、呪いの朱槍を放り、足に引っ掛け宙に蹴り上げる。
 自身も後を追って跳躍し、魔力を吸い上げ不気味に光る魔槍の石突きを、振り抜いた足が完璧に捉えた。

「  突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)  」

 真名解放。飛来する波擣の獣の頭蓋の一片。権能を秘めた神獣の欠片。溜め込んだ魔力を炸裂させ、一際強く赤く煌めいた魔槍はその内に秘める千の鏃を解き放つ。

 降り注ぐ千の棘。雨の如くの死の誘い。

 ――その悪夢のような光景に、見入られたように空を見上げる不死の兵。
 貫かれ、穿たれ、息絶えた不死兵は。
 死んだ。殺された。死を遠ざけた軍勢が、為す術もなく削られた。
 ただの一撃で、三百の不死不滅が概念ごと粉砕された。

「◼◼◼◼◼……!」

 驚愕などない。「驚く」といった感情など残っていない。それでも狂王は宿敵(・・)がやはり侮れぬと狂奔し、己の宝具、その真の姿を開陳した。

 容易くいくと思うな、『不死の一万騎兵(アタナトイ・テン・サウザンド)』の真髄とはこれである!

 ダレイオス三世の誇る精鋭が集結し「死の戦象」となった。黒く、雄々しく、猛々しい戦象。鬼火を纏う漆黒の戦象兵となったダレイオス三世は、自ら戦斧を手に軍勢を率い、恐るべき魔力の一撃を繰り出すべく敵対者を破壊せんと怒濤の如くに迫る。
 ランサー、クー・フーリンは飄々と言う。そうだ、それでいい、出し惜しむようならそのまま鏖殺してしまおうと思っていたが、それでこそ遣り甲斐があるというものだ。

 ……しかし、なんだ。

「言いたかねぇが、こりゃメイヴの方が数段怖ぇな。見劣りするぜ、逃げ腰王」

 苦笑して、クー・フーリンは手に戻った朱槍で肩を叩きながら悪態をつく。逃げ腰王――征服王と幾度も戦い、不利になれば真っ先に逃げ出して軍の潰走を招いたダレイオス三世の弱腰。それを揶揄した皮肉だった。

 狂うのはいい、それは恐怖を退ける一つの手段だ。
 荒ぶるのもいい、戦う者は己の全力を尽くさねばならぬから。
 だが、目の前の敵を見ない(・・・)のは駄目だ。敵に失礼だし何より途端に恐さを欠いてしまう。
 迫力がないのだ。こちらの向こう側に誰かを見て、実際に戦う相手を見ていない。槍一本、盾一個、体一つで万の敵に呑み込まれながらも、クー・フーリンは丁寧に、豪快に、精妙に槍で突き殺し、盾で砕き、足で穿つ。そして改めて実感する。
 この狂王は、自分ではない誰か――宿敵と戦うように軍勢を指揮している。それでどうして万夫不当の英雄を倒せるだろうか。

「……」

 熱していたものが、失意に冷めていく感覚を得て、クー・フーリンは敵軍のただ中にも関わらず嘆息した。
 いい戦いといい獲物、加えていい主人がいるなら番犬は満足なのだが。
 人理修復のための戦い、なるほど結構。大義があるのはいいことだ。マスターの男は骨のある硬骨漢、共に戦うに値する戦士。クー・フーリンに不満はない。
 正直な話、ここまでいい環境に恵まれたのははじめてと言っていいだろう。生前はとんと縁のなかった話だし、英霊となってからも覚えている限りでは最低の職場ばかりだった。後はいい獲物さえいたら完璧なのだが……。

「お前さん、つまんねぇな」

 強敵と聞いていた。故にテンションを上げてきた。
 この目で見た。確かになかなか強そうだった。
 そして、だからこそ失望した。

 ――敵を見ねえ輩なんざ怖くもなんともねぇよ。殺意が足りねえ。比較対象があれだけどな、メイヴの絶対殺すっつう呪いじみた妄執と比べたら、お前さん、見劣りどころか比べるのも烏滸がましく思えちまう。

「目隠ししといてオレに勝てるつもりでいんのか? ……だとしたら、それは許し難い侮辱だ。いいぜ、そっちがその気なら、オレがテメェに付き合う道理は無い。さっさと終わらせちまうが、文句はねえな。あっても聞かんが」

 今のマスターの許での初仕事なのだ。
 あれだけの大見得を切っておきながら苦戦したのでは面目に関わる。
 盲目の敵を相手に大人げないかもしれないが……少し本気を出すとする。

 左手の盾で近い間合いの内側の敵兵を押し退けついでに首を折り、目の前の敵を前蹴りで吹っ飛ばして空白の間合いを一瞬作る。雲霞の如くに押し寄せる敵に呑まれず駆け、眼前で剣を振り上げる骸骨の頭を踏んで高く跳躍した。
 一連の動作の中で、魔力を吸い上げていた魔槍が紅く発光していた。くるりと回転して姿勢を制御し力を溜めて、

「宝具じゃねえぜ? それだけは安心していい。勿体ないからな、テメェには」
 
 特に狙いもつけずに戦象の上の王を狙い、魔槍を投擲。数十もの死体が盾となって立ちふさがるが、全てあっさり貫通し、狂王の振るった戦斧を弾いてその体を傷つけた。
 憤怒の怒号を発する不死軍の王。対照的に、虚しそうに目を細めるクランの猛犬。
 生前、幾度も経験した単独での「殲滅戦」が始まった。









 と、まあ。

 結末は順当だった。

 最初の一投以外、クー・フーリンは宝具を出し惜しんだ。ただルーンを駆使し、槍で貫き、薙ぎ払う。強烈な一撃を与えて即座に離脱し、再び軍の一角を突き崩してはまた離脱。
 これを百回繰り返した。見る見る内にその数を減らしていった不死の一万騎兵。ダレイオス三世の決死の奮戦も虚しく、まるで相手にもされずにひらりひらりと躱されるばかり。どれだけ激怒しようと、赫怒に燃えようと、冷徹に軍勢を削られていく。
 槍の一突きで三騎屠り、横に薙ぎ払えば七騎の首が宙を舞う。魔槍の呪いを使うまでもなく、ルーンは不死の概念を無視して殺せてしまっていた。
 元々が『死ににくい』だけだ。本当の不死でも不滅でもない。そうだと謳われているだけで、真実の不死不滅には程遠い。
 所要時間は二時間ほど。逃げず、退かず、単調な攻めを繰り返す狂王が相手だからか、クー・フーリンの作業は順調に済んだ。

 最後には流石に面倒になったのか、魔槍の真名を解放して二度ほど蹴り穿ち、千の鏃で雑魚を一掃すれば――後に残ったのは、指揮する不死兵団を失った狂王、ただ一人だけだった。

「あー……なんだ」

 大軍殲滅の専門家クー・フーリンは、完全に冷めきった顔で、吠え狂いながらなおも挑みかかってくるダレイオス三世に忠告した。
 それは余りに今更過ぎて、当たり前な意見だった。

「狂戦士に言っても意味ねえかもしんねえけどよ。――王が狂ってどうするよ? 折角の軍略も、見る影もねえぜ?」

 そう言って、ダレイオス三世の戦斧をあっさり躱し、クー・フーリンはその心臓を無造作に穿った。
 戦士としての格が違いすぎる。一対一で対峙した時点でこの終わりは当然の帰結だった。
 霊核を破壊されたからか、狂化が解け理性の戻った瞳でアケメネス朝最後の王は、本来の大器を窺わせる声音で静かに言った。

「……見苦しい姿を見せたのみならず、要らぬ手間までもかけたか……」
「……」
「益荒男よ。次があれば、その時に吾が精鋭の力を……」

 消滅したダレイオス三世は、口惜しげにクー・フーリンを見ていた。
 無言でその死に様を見届け、クー・フーリンは己の主人がいるだろう方角に向けて声を張り上げた。

「――どうだい。やるもんだろう? オレも」

 答えは帰ってこない。だが構わず続けた。

「だが物足りねえな! オレはまだ本気を出してねえ。城も戦車も出してねえし、この朱槍も使いきってねえ! これがオレの全てだと思われちゃ心外だ!」

 だから、と獰猛に犬歯を剥き、アイルランドの光の御子は猛る闘争本能のまま、ローマを指して進撃をと訴えた。

「オレに命じろよマスター。敵を倒せ、獲物を食らえってな。今度は誰を殺ればいい? 命令(オーダー)だ、命令(オーダー)を出せマスター! 番犬はまだ飢えてるぜ!」

 衰えることを知らぬ闘争への渇望。
 修羅の国ケルトに於いて、死後もその死を信じられず、恐れられ続けた死神以上の死の具現。
 主人は苦笑しながら言った。声なき声が、確かに聞こえた。
 それに、クー・フーリンは猛る。ならば進撃だ、敵の本拠地まで攻め込んで、主人の敵となるもの全てを根絶やしにする。

 彼の師が見れば惜しんだだろう。最期の戦いに臨む前、己の弟子は確かに『最強』だったのである。
 その『最強』を見た時、師はなんと言うだろう。クー・フーリンは己の槍を見た。そして、

「――は。未練か。このオレなら、飽きもせず鍛練を積んでるだろう師匠でも殺せそうなんだがねえ……」

 やれやれ、と首を振り、意識を切り替える。
 命令は下った。次なる獲物はローマ皇帝、その代名詞。

 ガイウス・ユリウス・カエサル。

 歴史上、比類なき名将にして、ローマ最大の野心家。ともすると神祖以上の強敵ともなりうる、史上最高峰の軍略家の一人であった。

 相手にとって不足はない。クー・フーリンは、燃えていた。







 

 

テロリストは斯く語りき





「忘れてはいけないのは、俺達はテロリストだということだ」

 保存食の干し肉を喰らいながら言った俺に、アルトリアは嫌そうに顔を顰め、オルタはさもありなんと頷き同意を示す。
 こちらも神妙に頷いたマシュの傍で、ネロが怪訝そうに首を傾げた。

「シェロよ、『てろ』とはなんだ?」
「ん? ……そういえばネロの時代にテロという呼び方はなかったんだったか」

 ネロは一世紀の皇帝だ。聖杯の力の影響か、彼女が過去の時代の存在だと、意識しないと忘れてしまっている。
 しかし、ネロが現代の人間に存在を置換されたとしても、ネロが現代の常識を網羅するわけではない。そのことを理解していなければならなかった。

「テロは正確にはテロリズムといってな――ネロにはクリュプテイアの反対と言えば伝わるか?」
「む……」

 クリュプテイアとは、古代ギリシアやスパルタの秘密勤務と称される制度である。国家監督官が派遣した若者が田園地方を巡回し、奴隷の反乱防止のため、危険視される者を夜間に殺害することを職務とした。
 転じてそれは奴隷側が反発し、体制に歯向かう活動を生み出した。――テロリズムである。
 テロリズムとは政権の奪取や政権の攪乱、破壊、政治的外交的優位の確立、報復、活動資金の獲得、自己宣伝などを達成するために暗殺や暴行、破壊活動などの手段を行使することである。
 そしてテロリストとは、それらの手段を政治的に行使する者のことだ。

「……むぅ。言いたくはないが、雅さに欠けるな」
「テロはテロだからな。雅もへったくれもない」

 ネロにとって最も身近なテロは、ローマ帝政の礎を築いた男――衰退の一途を辿っていたローマを、「強者」に盛り返したローマ最大の英雄ガイウス・ユリウス・カエサルの暗殺事件であろう。あれもまた、歴史的観点から見れば最大級のテロと言える。

「大勢は既に決している。ローマは滅び、残党は僅かに七人。特異点は磐石と言ってもよく、俺達はそれに抗う少数武装勢力でしかないのが現状だ」

 後は、ネロ・クラウディウスの死を以てして、人類史はめでたく終了だ。
 ネロが死なずとも、六日か七日でローマの滅びは確定したものとされ、やはり人類史は焼却完了となる。
 正直に言おう。

詰み(・・)だ。正攻法では何をしてもこの大勢は覆らん。敵サーヴァントを幾ら倒しても意味がない。抑止力によってカウンター召喚されたらしいサーヴァントもいるというのは朗報だったが、これも全滅済み。戦力の拡充はネロの召喚するサーヴァント頼みと来た」
「……言いづらいのですが、逆転の芽はあるのでしょうか?」

 肩を竦めた俺に、マシュが深刻そうに眉根を寄せて発言した。続いてアルトリアが言う。王としての観点で、だ。

「控えめに言って戦況は絶望的ですね。光明が全く見えてきません。ランサーの加入は心強くはありますが、正道に沿って行けばどうしようもないというのが私の見解です」

 そうだろうな、と俺は頷く。敵にこちらを攻める必要はない。一週間ほど防御に徹していれば、自動的に勝利は確定される。

 敵には暗殺された経験という、本来はあり得ない経歴を持つカエサルがいるのだ。人類最大クラスの名将が生前と同じ轍をむざむざ踏むわけもなく、そういった方面への警戒も強いだろう。
 だから俺は「詰み」だと言ったのだ。
 正道も邪道も、戦略戦術も、どの視点から見てもこちらの敗北は決まっている。せめて後一週間だけでも早くここに来れていたら、まだ話は変わっていたのだろうが……そんな「たられば」に意味はない。
 流石としか言いようがなかった。カエサルはもう勝利しているのである。戦略的に、戦術的に、国家的に、政治的に。故にダレイオス三世の単独の突出も放っておいた。……否、それは違うか。手綱の握れぬ狂戦士は不要として、放し飼いにされていたのかもしれない。獲物さえ間違わなければ、狂戦士も有用ではある。
 現状俺達はカエサルと戦うことすら出来ないというのが実情であり。まあ堅実な指揮官、現実的な王、正道の英雄は打つ手なしと言うだろう。その上で立ち向かうからこそ英雄と言われるのだろうが……。生憎と俺はそんな上等なものではない。

「だから、な。言ったろう。俺達はテロリストだってな」
「鎮圧されるだけの暴徒、ということですか」
「端的な評価をありがとうオルタ。ずばりその通りだよ」

 冷徹なまでの客観視が必要だ。オルタは――いや騎士王はそれができる王だ。
 杯を人数分出す。カルデアに通信が繋がった時にわざわざ送ってもらっていたのだ。それぞれマシュ、アルトリア、オルタ、ネロのグラスに手製の甘酒を注いでいく。ノンアルコールだが、味わいには自信がある一品だ。王様方には物足りないだろうがマシュには丁度いいだろう。無論、酒もある。

 まだこの場にはいない、ランサーのグラスにこれは度入りの酒を注ぐ。自分の物にはこっそりと渾身の一作、最も馴染み深い日本酒を注ぎ、一気に呷った。

 空になったグラスの底を暫し眺め、俺は深く深呼吸をした。そして、言う。全てを賭けた、一か八かの大博打。
 胃の腑に熱い液体が流れてくる。少しすると、腹の底から熱が回ってきた。いい酒だなんて自画自賛し、俺は透き通る思考のまま、心の奥底に酒ごと何かの感情を押し込んで……冷徹な眼差しで告げた。

「――自爆テロを仕掛ける」

 それは最悪の戦法。
 アレキサンダーは言ったそうだ。カルデアに目端の効く者がいたならブリタニアに現れるはずだ、と。
 幼い征服王がそう言って、実際それは正解だった。であれば、あのカエサルが同様の答えに至っていないわけがない。
 ブリタニアに敵がいる。仮にダレイオス三世を退けるようなら、それは一定の脅威足り得るとカエサルも認めるはずだ。ならば、こちらはある程度の知恵を持ち、ダレイオス三世を返り討ちにする程度に力があると考えるだろう。相手があのユリウス・カエサルだ、確実なことなんて何もないが……。
 構わない。読まれていい。こちらの勝利条件はカエサルに勝つ(・・・・・・・)ことではないのだ。

 ならば、戦うことはない。

 戦えないなら戦わない。勝てない相手に、無理して勝ちにいくことはないのだ。
 無視できないほど巨大な存在。
 恒星の如く煌めく伝説の名将。
 無視し難い、だからこそ(・・・・・)――無視する(・・・・)

「――失敬。エレガントに言い直させてくれ」

 正気を疑うような四対の目に、俺は微笑みながら訂正する。

「進退窮まった。斯くなる上は我ら火の玉となり、玉砕覚悟で敵本丸に打ち掛かる。万歳、神風特攻!」







 ランサー、クー・フーリンは、ダレイオス三世を完膚なきまでに粉砕し、猛る血潮を鎮めながら主人のもとへ帰還した。
 まず戦功一つ。それなりの働きだったはずだ。労いの言葉を期待しているわけではない。ただこれからの采配に大いに期待を寄せていた。
 何せ、今回のマスターは自分のことをよく分かっている。無理難題を吹っ掛けてくるはずだ。そしてそれをこなしてこその英雄であるとクー・フーリンは考えている。このマスターは――どんな命令を出すのか、実に楽しみだった。

 そうして主人達の待つ仮初めの拠点、召喚サークルの設置された所へ戻ると、クー・フーリンは思わず眉根を寄せた。
 味方のサーヴァント達、そしてローマ皇帝が揃って難しい顔をしていたのだ。唯一マスターだけが平然としたふうに酒を呷っているためか、奇妙な空気が流れている。

 こちらに気づいたのか、マスターが笑いながらグラスを差し出してきた。

「駆けつけ一杯」

 応、と受けとる。これがこのマスター流の労りなのだろう。それを快く受け取って、一気に飲み干し――

「ぶふぉっ?!」

 吹き出した。

「なんじゃこりゃあ!? 何、なんですか?! これは新手の苛めかなんかなんですかねぇ!?」

 喉を焼き、臓腑を燃やす炎の酒。――クー・フーリンの印象は劇物だった。
 先程まで見せつけていた無敵の勇者然とした姿はそこにはない。親しみやすく、身分の別なく付き合える気安いニイちゃんがそこにいた。
 ネロが目を丸くした。あの勇士が、こんな甘く美味でまろやかな甘酒(さけ)を飲んでこんな大袈裟にしているのがおかしかったのだ。

「なんと……かの大英雄ヘラクレスを彷彿とさせたランサーが、下戸だったとは……」
「いや、違うと思うぞ。――すまん。あんたの時代の酒という名の水と、俺の時代の酒は別物だと気がつかなかった」

 言って、マスターはネロの勘違いを正した。大体、ネロが飲んでいたのはノンアルの甘酒である。それにさえも満足感を得ているネロに言えたことではない。
 むべなるかな。ネロとクー・フーリンはほぼ同時代の英雄だが、一世紀のローマの酒はワインが主流で、それに次いでメジャーだったのが蜂蜜酒のアクア・ムルサというもの。言うまでもないが現代の酒の度数と比べると、酒好きからすれば天と地ほどの差がある。士郎からすれば、この時代の酒は濁った水程度。酔う酔わない以前に、酒とも思えない。無論神代の神秘を含んだ酒は別物として考えるが。
 古代の人間であるクー・フーリンとネロにとっては、現代の酒は度数が弱い。甘酒で充分酒として通用するし、そもそもぐでんくでんに酔っ払ったことなどないだろう。
 それが、いきなり現代の日本酒――特に士郎向けに調整してある手製の物を飲んでしまえば、驚いてひっくり返るのも無理はない。

 士郎の隠し持っていた日本酒の瓶に手を伸ばすネロ。士郎は気づくのが遅れ、気づいたアルトリアが制止の声を掛けた時にはネロはらっぱ飲みで日本酒を口にしていた。

「待ちなさい! 貴女にそれは――」
「ぶふぁっ!?」
「……」

 口に含んだものを一気に吹き出して、士郎はそれを頭から浴びてしまって固まった。
 皇帝云々以前に女として見せてはならない醜態を晒したネロは、あわあわと慌てながら弁解した。

「あっ、こ、これはだな……クー・フーリンが吹き出すほどの酒がどんなものか興味があってだな……? 余、余は別に悪くないぞ? いやむしろこんなものを平気な顔で飲んでおるシェロが悪い!!」
「……うん。そうだね。俺が悪いね」

 顔を赤くしているネロは、酒を飲んだことがないうぶな少女のようだった。それになんとも言えない気分で相槌を打ち、士郎は布を投影して顔を拭いた。
 自慢の酒を吹かれてこんなもの呼ばわりされて立腹しかけていたが、しかしクー・フーリンがなんとか自分の分を飲み干したことで機嫌を直した。

「ぷはぁっ。……最初は驚いたが、この火みたく体の中で燃える感覚は悪くねぇな、マスター」
「!! 分かるかランサー!?」
「お、おう……」
「やっぱり違いが分かる男なんだなぁクー・フーリンは! クー・フーリン『は』!」
「むっ! まるで余だけが違いも分からぬ小娘のように言いおって! よかろう、それはローマに対する重大な挑戦と受け取った! これに見よ我が勇姿! こんなもの容易く飲み干してくれる!」
「ああっ、止しなさいネロ! 貴女が酔ったら色々詰みます! シロウも止めてください!」

 ふふん、とアルトリアに羽交い締めにされたネロに得意気な笑みを向け、士郎はグラスに注いだ日本酒をこれみよがしに飲み干した。ぐぬぬ、と呻くネロの視線こそ最高の肴とでも言うかのような表情だった。
 とまあ、戯れ合いはここまでとして。うがああ! と暴れるネロをアルトリアとオルタ、マシュが三人で完全に身動きを封じている傍ら、士郎はクー・フーリンに向けて労いの言葉をかけた。

「ご苦労さん。流石はアルスター最強の戦士は物が違う。一つの神話で頂点に君臨する武勇は伊達じゃないな」
「誉めろ誉めろ。オレは誉められて伸びる性質なんでね。誉めた分だけ働くぜ、オレはよ」

 ちなみにアーサー王伝説も広義の意味で言えばケルト神話に属している。
 なのにクー・フーリンは知名度が低くアーサー王伝説だけが有名なのは……まあ今はどうでもいい。

「……ランサー。俺は決めたよ。『死ぬなら前のめり』だな」
「へぇ、腹が決まったか。良い面だぜマスター。男なら、死ぬと分かっていても突っ込まなきゃならねえ時もある」

 なんでもないように主人の決意を聞き、クー・フーリンは明るく歯を見せて笑い掛けた。
 恐怖の色を呑み、しかしそれに足の竦む恐懦はない。なるほどイイ男だ、オレの次にな、とクー・フーリンは笑った。そんなサーヴァントに苦笑して、その分厚い胸板を拳で叩く。

「特攻だ。敵のど真ん中に突っ込み、敵大将を()る」
「いいねぇ、好きだぜそういう分かりやすいのは。で、もちろんオレに先鋒は任せてもらえるんだよな?」

 当然のように、クー・フーリンは確信していた。主人の敵と一番に矛を交えるのは自分の役割だと。
 だが。信じがたいことに、士郎は首を振った。横に。

「いや。先鋒はない。俺はマシュとアルトリア、オルタとネロともう一人で敵の大将を討つ。あんたの席はない」
「……は?」

 ――途端。クー・フーリンの目が険悪に歪む。世界が死ぬほどの怒り。それを感じた途端、辺りは緊張する。

「それはオレが力不足だから、とでも言うつもりか? ダレイオスの野郎を相手に力は見せたと思ってたんだが」
「充分に見た。その上で言っている。クー・フーリン、お前に敵大将は任せられない」
「――いちおう、聞いとく。なんでだ?」

 その答え如何ではこれからの関係に遺恨を残すことになる。そんなこと、分かりきっているのに、士郎に気負った様子は微塵もなかった。
 あくまで自然に。士郎は言う。

「なあランサー。今、ローマはどこにある?」
「あ?」
「ネロがローマで、カエサルもローマだ。……だが勘違いしてないか? 敵の大将はカエサルじゃない(・・・・・・・・)んだぞ」
「――」

 言われてみれば、そうだ。クー・フーリンはカエサルというビッグネームに、勝手にカエサルを倒すべき敵と思っていたが……更にデカい敵を、デカいが故に見落としてしまっていた。

「俺達は六人でもう一つ(・・・・)のローマに挑む。ランサー。クー・フーリン。
 あんたは。
 一人で。
 カエサルというローマと戦え」
「――は、」

 軋むように、嗤う赤枝の騎士。

「俺達は敵本丸に乗り込み、神祖ロムルス単騎と戦う。その間、カエサルが邪魔だ。カエサルと、ローマ全てを、神祖から切り離すヤツがいる。――それをあんたに任せる。敵はローマ。世界の中心だ。それと、一人で、あんたに戦えと俺は命じる」

「――はっ。ははは。ははははははははははは!!!!」

 クー・フーリンは腹を抱えて笑った。
 大いに笑った。これ以上なく爆笑した。

 ――わかってる! やはりこのマスターはオレの使い方をよくわかってやがる!!

「いいねぇ、いいぞマスター! その命令確かに承ったぜ! たまらねぇ、たまらねぇなぁ! オレに世界と(・・・)戦えと来たか!」

 こいつはバカなのか、それともとんでもなく豪胆な指揮官なのか。ああどちらでもいい、やはり振り切れたバカとつるむのは楽しいもんだ!
 笑い転げていたクー・フーリンは、しかし次の瞬間には真剣な顔つきとなった。片膝を地につき、槍と盾を置いて顔を伏せた。それは臣下の礼だった。
 マスターとサーヴァントではない、本当の主人として、クー・フーリンは士郎を認めたのだ。

「アルスターの赤枝の騎士、クー・フーリン。これより我が槍は御身のもの。如何様に振るうも我が主人の意のままに。命令を、マスター! いつでも出撃の覚悟は出来ている!」
「――槍を預かる。代わりに俺の命運を預ける。行け、派手に戦い、力と知恵と勇気の限りを尽くして、ガイウス・ユリウス・カエサルを打倒しろ」
「承知!」

 立ち上がり様、クー・フーリンは槍を掲げた。空に向けて大音声を張り上げる。
 さあ兄弟! 出陣の命が下った! オレの往く道にテメェらがいないんじゃ話にならねぇ! 往くぜ、往くぜ、往くぜぇ!

 轟く豪炎。
 光の如くに眩い炎が起こり、その中から二頭の竜馬が駆け()でる。
 黒塗りの鋼鉄戦車を牽き、手綱を握るのは御者の王ロイグ。戦車を牽く竜馬は馬の王と称えられた灰色のマハ、黒色のセングレン。クー・フーリン生誕より、死ぬまでを共に駆け抜けた希代の名馬。
 革鎧と、赤いリネンのローブを纏った大男は、無言で己の胸を叩いて戦友の主人に礼を示し、仕草だけで戦車に乗るようにクー・フーリンに促した。
 ははっ! 高揚するままに乗り込み、クー・フーリンを乗せた戦車は走り出す。炎を纏った羅刹の戦車は見る見る内に遠ざかる。クー・フーリンはこれ以上何も言わず、背を向けたまま槍を掲げて勝利を約した。

「――シロウ」

 呼ばれ、士郎が振り返ると、そこにはどこか機嫌の悪そうなアルトリアとオルタがいた。

「私が、貴方の剣です。それをお忘れなく」
「――何を言うかと思えば」

 士郎は呆れ返った。

「とっくの昔に、お前の剣は預かってるだろう」

 苦笑し、士郎はオルタに己の愛機のキーを渡した。

「ほら、行くぞ。着いたら全部ランサーが片付けてましたってんじゃ、あんまりにも締まりが悪いからな」
「はい」
「はいっ」

 したり顔でキーを受け取り、オルタが武器庫つきのバイクに跨がった。アルトリアもすぐにドゥン・スタリオン号に飛び乗り火を入れる。
 士郎は武器庫(サイドカー)に乗り込んだ。ネロにはアルトリアの後ろに乗るように言う。
 そんな士郎に、

「あ、あのっ」

 マシュが、焦ったように声をかける。

「わ、わたしは……わたしも! 先輩のために戦いますから!」
「は?」

 一瞬、呆気に取られ、士郎は間の抜けた声を発した。
 マシュの顔が青くなる。その反応が、怖いものに思えて――

「バカ。俺の隣にお前がいなくてどうする。嫌だって言っても離さないから覚悟しろ」
「は――はいっ!」

 その言葉に。
 弾けるような笑顔を咲かせて、急いでマシュはラムレイ二号のオルタの後ろに乗り込んだ。


「――ところで余のサーヴァント召喚はいつにする?」


 あ。

 ネロの言葉に、全員が思い出したような顔をして。

 どこかで暗殺者が呆れたように嘆息した。








 

 

麗しの女狩人




 こほん。

 咳払いをして気を取り直し、改めて召喚サークルを設置する。カルデアから例の如く呼符を転送してもらい、マシュの盾を基点に英霊召喚システムを起動。
 俺が近くにいたら、割と召喚儀式がろくな結果にならないと直感し、離れに退避。ネロに後を託す。
 ネロは運が良さそうだし、触媒も何も使わなくても相性のいいサーヴァントを呼べるだろう。ネロ自身が古代出身ということもあり、聖杯によって現代人に置換されても身に宿す神秘は高く、サーヴァントとも戦える身体能力『は』あるので、実質サーヴァント二騎分の戦力は固い。
 キャスターがいいなと思う俺がいるが、作家系を筆頭に戦闘スキルの低いサーヴァントや、性格や性質の悪い輩でなければ誰でもいいというのが本当のところだ。

 戦力が充分という訳ではない。しかし不確定要素の強いランダム召喚で、そこまで期待する方が間違っている。だからクー・フーリンの触媒を譲ろうとしたのだが、ネロは頑として受け取ろうとしなかった。
 曰く「余のガチャ運を舐めるなよ!」とのこと。
 俺は嘆息し、気合い充分にふんすと鼻息を吐き出して、戸惑っているマシュの腰を抱きながら召喚に臨むネロを見守った。
 マシュはローマ式コミュニケーションに戸惑っているが嫌がっている様子はない。ガードが緩くて悪い男に引っ掛からないか、お兄ちゃんは今からとても心配です……。

「さて……ネロのガチャ運はどれほどのものか……」

 豪語するほどの結果が伴えばいいのだが。
 肝心のネロは、「シェロがクー・フーリンなら余はヘラクレスだ! いざ、星座の果てから余の呼び声に応えよ――!」なんて、自身が激しくリスペクトする大英雄に呼び掛けていた。
 これで本当にヘラクレスが来たら色んな意味で最高だが、生憎とその場合、ヘラクレスの宝具の負担を負わねばならなくなるので、ネロが一瞬で枯れてしまわないように気をつけなければならない。

 お手並み拝見だ、可愛い皇帝さん。

 絶対外れだと予想し、俺はほくそ笑んだ。ガチャには物欲センサーがあるのである。ネロほど強欲に希って、まともな結果になるわけがない。
 もし外れだったら笑ってやると、ネロと召喚されたサーヴァントに殺されそうなことを考えつつ、ネロが召喚したサーヴァントの正体を見極めんと目を細め。
 今、システムが正常に作用し、夥しい魔力と光に視界が塞がった。

「問おう――」

 声が響く。凛とした、野生に生きる生気の強さ。自らの信条に肩入れする、誇り高い自然の存在。
 ふわりと翻る緑のスカート。ふりふりと揺れる獅子の尾。豊かな髪は獅子の鬣を彷彿とさせ、額にかかる髪は自然の緑だった。

「――汝が私のマスターか?」

 空気が凍った。主に俺の。
 マシュが気まずそうに目を逸らし、アルトリアが居たたまれなさそうに立ち位置をズラした。唯一、オルタだけは怪訝そうに首を傾げ、俺達が微妙そうな顔をしているのに疑問を持った。
 小さな声でマシュに訳を訊ね、事態を把握したらしいオルタは堪らず吹き出してしまう。

 幸い、それには気づかず。ネロは上機嫌に頷き、鷹楊に腕を組んで肯定した。
 狙い通りのヘラクレスでなかったからと落胆せず、嫌みなく応えられるのは流石だった。

「うむ! 余がそなたのマスター! で、ある!」
「うん。よろしく頼む。私のクラスはアーチャー、真名はアタランテだ」
「おお! カリュドンの猪退治にて名を馳せた麗しのアタランテだと!? 流石は余であるな!」

 余もやるものであろう! こちらを振り向くネロは満面の笑み。俺は曖昧に頷いて、案の定、フランスでスルーさせて貰ったアタランテらしい女狩人の視界から逃れようとした。
 が、無駄だった。アタランテは目敏くこちらを発見し、何を思ったのかツカツカと歩み寄ってきて――

 ひたり、とその両手で俺の顔を挟み、こちらの目を覗き込んできた。

「な、何かな……?」
「汝は今、私に後ろめたさに似た感情を向けたな。なぜだ?」
「別に後ろめたくなんてないぞ。本当だぞ。やむにやまれぬ事情があって、君に似た女性との遭遇を避けたことがあるだけだ」
「……嘘ではないようだが……なにか、はぐらかされた気がする」

 言ってることは本当である。嘘なんて欠片もない。あのフランスのアタランテと、ここにいるアタランテは、英霊という存在からして厳密には違う個体だ。
 アルトリア? コイツは特例である。
 クー・フーリンも記憶は曖昧みたいだし、直接会ってもいない俺のことなんてアタランテが覚えてるわけがない。
 故に俺は嘘をついてない。高度な嘘というのは、逆に真実しか言わないものなのだ。果たして、どこか納得のいってない様子のアタランテも、訝しげにしながらも離れてくれた。
 また女難が仕事をしたようだが、なに、この程度はどうということもない。桜ほどの地雷はそうはいないものである。女難限定地雷撤去班の班長とまで言われたことのあるこの俺が、こんな見え見えの地雷に引っ掛かるわけがないのだ。

 アルトリアが口許を手で覆った。

「シロウが、シロウのやり口が手慣れすぎてますっ。やはりシロウはこの十年の間に変わってしまったのですね……」

 オルタが興味深そうに相槌を打った。

「十年か。その間、シロウが何をしていたのか、知る必要がありそうだ。ダ・ヴィンチに便宜を図らねば……」

 ……それら全てを聞こえなかったフリをして、俺はそっぽを向いた。

 頻りに首を傾げながら、アタランテは再びネロに歩み寄った。

「すまない。マスターを蔑ろにしてしまった」
「構わぬ。麗しのアタランテ、アルゴー船にも乗ったことのある伝説の狩人と出会えた余は感動しておるのだ。その立ち居振舞いの一々に余は見惚れてしまう。どうして麗しのアタランテを責められよう……」
「そ、そうか。しかしその麗しの、というのはやめてくれないか。なんというか、こそばゆい気分になって仕方がない」
「むぅ……ぴったりの異名だと思うのだが……ダメか?」
「んっ。そ、そんな子犬のような目で見てもダメなものはダメだ。照れてしまうではないか……」

 ネロの主従が早速、親睦を深め始めたのを尻目に、俺はその様子を観察する。

 するりと相手の懐に入ってしまうネロは流石だが、相性自体も悪くなさそうだ。
 アタランテと言えば、その敏捷性もさることながら足も早く、弓の腕も優れているだろう。狩りの腕は英霊屈指と言えるかもしれない。またそれに付随する嗅覚も。

 だが……。

 ――アーチャーか。よりにもよって。

 俺は溜め息をこっそり吐いた。
 やはり、ランダム召喚などするものではない。
 ネロは俺と同じく、最も重要度の高い警護対象である。故に守りに長けたサーヴァントか、戦車などで行動を共に取れるサーヴァントが望ましかった。
 なのにアーチャーである。おまけに単独行動に秀でた狩人ときた。誰かの護衛などしたこともないだろうし、誰かを守るという行為自体に適正がなさそうだ。
 これは、アルトリアにネロのことをよく守って貰わないといけない。オルタは性格的に除外して、俺の守りはマシュが外せない。対し、アルトリアは俺がまだしょっぱかった頃を護衛したことがあるし、そもそもが優れた騎士だ。守りは固い。
 アルトリアをネロの守りに配置し、アタランテは遊撃戦力として運用したいが、彼女はネロのサーヴァントであるからして、ネロの采配に託すしかなかった。

 なにはともあれ。

「ネロのサーヴァントも召喚は完了した。行こう、もう憂いはないはずだ」

 俺は皆に促し、今度こそローマに向けて進行を開始した。









 ――何を隠そう、このドゥン・スタリオン号とラムレイ二号は水陸両用の水上も走れる高性能バイクである。
 凪いだ海を航るのに時間はかかった為、ブリタニアを後にしてガリアに上陸する頃にはすっかり陽も暮れていた。
 ネロは、変わり果てたローマを見て、唖然としている。
 見渡す限りの木、木、木。
 深紅の神樹は遠くに屹立し、更に雄大なものとなっている。過剰なほどの緑豊かな森がローマの大地を埋めつくし、ガリアの都市も木々に囚われ無惨なものとなっていた。
 なんたることだ……喘ぐようにネロはそう溢し、頭を振って決然と前を見た。

 人の営みを否定する自然の猛威。やはりローマは、ローマを、人を否定している。

 俺はふと、首を刺す違和感に目を細めた。
 昔から世界の異常には敏感だった。だから気づけたのだろう。

「――マスター。見られて(・・・・)いる。気をつけろ」
「……うむ。気を付けよう」

 俺が何かを言う前に、アタランテがそう言った。
 少し驚いた。この狩人も、自分と同じで世界の異変に敏感なのだろうか。

「アタランテ。なぜ気づいた?」
「私は森で生きてきた。森で生きるものは、生き物の視線に敏感でなければ生き残れない」

 それだけ言って、アタランテは弓を構えた。
 なるほどな、と俺はうなずく。神代の英雄は、やはり俺の理解を超える。

 しかしローマ全土を覆う森に入っただけで敵に察知されるということは、先行したクー・フーリンもとっくの昔に発見されているということだ。クー・フーリンに四時間遅れてガリアに来たが、彼は今何処に……

 ん? と。

 目を凝らして、近くに見えてきたガリアの城壁を凝視する。森化している大地に呑まれているためか、見晴らしが悪くすぐには分からなかったが……。
 ガリアの城壁は、完全に崩壊していた。
 まるで、とんでもない怪物に襲われた後、みたいな光景である。

 ガリアの城に入ると、そこに人影はない。ただ破壊されているだけだ。

 ――人はいないと見て、ただ破壊だけして先に行ったのか……ランサー。

 呆れたパワーファイトだが、確かにこれはド派手である。すぐに脅威のほどは知れるだろう。
 無視できない怪物の襲来――どう出ても構わない、手当たり次第に総当たり、といった方針か。

 ありがたいことに、ついでに露払いもしてくれている。岩のゴーレムの残骸が無数に散らばっている。
 クー・フーリンの働きは、現時点で目を瞠るほどだ。



 だが……。



 流石に、一筋縄ではいかないらしい。

 前方より津波となって押し寄せる大樹の質量を見て。
 否。大樹に取り込まれたローマの民、その人面の浮かぶ大樹の枝を見て。
 俺は、ネロは、神祖の変質が致命的なものになっていることを知った。






 

 

魔の柱、森の如くに





 人面犇めく大樹の津波。寄せる波濤は野山の奔流。

 質量兵器ローマ。

 枝葉の成長が濁流となって迫る様は圧巻。
 その正体はパラディウムの丘に突き立てられた建国の証。ローマを象徴し、その興亡を見届けた過去・現在・未来の帝都の姿を造成する対軍宝具。
 しかしその正体が『槍』であるなどと、一見して誰が見抜けるというのか。
 枝葉を束ねた大樹は、造られた自然そのもの。如何に解析しても神秘を含有した樹木に過ぎないのだ。
 だが、その本質を見抜ける者なら、その大樹自体が「国」そのものであることを悟るだろう。

構成材質(トレース)解析完了(オン)

 綺羅光る星屑と、満天に座す満月の光に照らされる中、蠢く赤い森の只中で、夜の帳を突き破るようにして鋭い命令が飛ぶ。

「アルトリア、オルタ。それぞれ風王鉄槌(ストライク・エア)卑王鉄槌(ヴォーティガーン)を使え。出力七割。アルトリアは威力よりも攻撃範囲を広く持ち、オルタは破壊力に重きを置け。見た目は派手だが材質はただの樹木だ。気兼ねは要らない」

「待て!」

 制止の声を張り上げたのはネロだった。
 ここはガリアだ。ブリタニアへと逃れる時に通った道。人面の中には、変わり果てていても確かに見覚えのある顔があった。
 焦燥に駆られ、怒りに震え、それでもはっきりと皇帝は訴えた。

「あれは余の民(・・・)だ! それを巻き込んでの攻撃など――」
「悪い報せだ。あれに呑まれている奴はまだ生きてはいる(・・・・・・)。死なせてやった方がよほど救われるぞ」
「な、」

 絶句するネロを、士郎は冷徹な眼差しで一瞥した。無責任なことは言わない。自らが体験したことに基づき、冷酷に言う。

「成長の糧として、『必要もないのに』あの人間達は養分にされている。似たことを体験したことがあるから言えるが、体の内から吸われていく感覚は地獄の苦しみだぞ。――俺を止めるか、ネロ」

 ローマの否定。即ち、そこに生きた人間の否定。
 国とは人、人とは国。民の苦痛は国の悲鳴。ローマの否定は、その民を惨禍に叩き落とす所業である。
 善き生活、善き営みを反転させた苦痛を味わう民の顔は干からびて、苦と醜と痛とを絡めた絶望に染まっている。唇を強く噛むあまり、血が流れるのにも構わず、ネロは苦渋の滲んだ声音で躊躇いを捨てた。

「……止めぬ。介錯もまた余の責であろう」
「勘違いするな、カルデアの(・・・・・)マスター。これは指示を出した俺の責だ。ネロ帝は民を傷つけてなどいない」
「余の荷を負うと……?」
「後輩のケツは先輩が持つものだ。大したことじゃないな」
「……馬鹿者め。皇帝として、礼は言わぬ。しかし、ただのネロ・クラウディウスとしては……」

 ――爆ぜよ風王結界、『風王鉄槌(ストライク・エア)』!

 ――暴竜の息吹よ、『卑王鉄槌(ヴォーティガーン)』!

 バイクから降りるなり風の鞘を解き、アルトリアが打ち出した暴風の槌は樹木の津波を遮る。オルタの黒い旭光は障害を砕いた。微塵の如くに破壊された木片がぱらぱらと地に落ちる。
 人面の樹木は血を流さなかった。樹液のようなものが夜の闇の中に四散しただけ。苦悶の顔のまま果てたそれを目に焼き付けながら、ネロが呟いた声は暴風の音に掻き消された。
 ただ、士郎は黙って頷いた。その目は第二波となる樹海の振動を睨み据え、アルトリアらに同様の攻撃をするように指示を出した。

「……アサシン。このままじゃキリがない。どこかに樹海を発生させる基点のようなものがあるはずだ。それを探し出して破壊しろ。困難なら俺に言ってくれ」

(了解)

 気配なく、されどレイラインを通して確かな応答があった。
 こういった単純な質量を前にアサシンは無力である。故に別の用途に投入したに過ぎないが、戦果は期待薄だろう。

「……アタランテ、余からも頼む。樹海発生の基点を探し出してくれぬか」
「承知した」

 ネロの命に応じるや否や、アタランテが駆け、跳んだ。蠢く大樹や枝葉の妨害をするするとすり抜けていき、あっという間に姿が見えなくなる。

 ……神代の狩人というのは、ああいったことが普通にできるのか?
 身軽と言うより、羽が生えているとでも言った方が適切な跳躍力だ。士郎は呆れるやら感心するやら、見えなくなったアタランテから意識を切り、武器庫から黒弓と螺旋の剣弾を抜き取る。
 障害物の多い中で、通常の剣弾は用を為さない。貫通力に秀でた投影宝具を選ぶのは当然である。

 しかし、第二波以降、大樹の津波は収まった。

「……なんだ?」

 不気味な静寂。士郎は突然収まった攻勢に眉を顰めて周囲への警戒を緩めなかった。
 アルトリアを見る。首を左右に振った。
 警戒を維持したまま無言でバイクに乗るように促す。士郎は顔を青くしていたマシュの背中をそっと押し、黒いバイクに乗るように言った。
 ……人面大樹とはいえ、元々が人間だ。それが破壊された光景を見て気分が悪くなったのだろう。敢えて優しい言葉はかけない。いつかは人を相手にしなければならない時が来るかもしれない。
 マシュに、人の死に慣れろと言いたいのではない。ただ、そういった場面に直面する時が来ることを伝えねばならなかった。いや、言葉では言っていても、実感はなかっただろう。それが今、無惨な人の死を見て吐きそうになっている。

 バイクに乗り、移動を開始する。念話で切嗣に移動を再開したことを伝えた。応答が返ってくる。
 一時間余りも走っただろうか。代わり映えのしない景色に心が膿み始めた頃、定期的に入れていたアサシンへの念話に異変があった。
 互いの現在地を報せ合うための定時連絡だ。こちらが伝え、切嗣が答える形だったのに――反応がない。

(――――)

 応答がない。

「……アサシン?」

(――――)

 異常事態だ、と瞬時に士郎は判断した。
 すぐオルタとアルトリアにバイクを止めさせる。
 アサシンからの応答が失せたと伝えると、緊張が深まる。

(――――い)

「! ……アサシン?」

(すまない。しくじった。僕はここでリタ――)

 ぷつん、と念話が途絶える。士郎は驚愕した。切嗣がしくじるとは、何があった?
 士郎は首に下げていた計器をはずした。前方を走るドゥン・スタリオン号を操縦するアルトリアの後ろにいるネロに計器を投げ渡す。

「シェロ、これはなんだ?」
「自身と契約するサーヴァントとの念話を可能にする装置だ。ネロ、アタランテに伝えてくれ。アサシンが消滅した」
「!」

 空気が電撃を帯びる。士郎は最後に互いの位置を確認した時と、移動距離と時間経過から割り出した、アサシンがいただろう地点を予測し、その座標をネロに伝える。
 ネロは頷き、アタランテに連絡したようだ。

 暫く移動を停止し、アタランテからの報告を待つ。

「……アタランテからの報告だ。何もないそうだぞ」
「……」
「ただ、何か巨大な、円形の穴が空いていたらしい」
「巨大な……穴?」
「うむ。まるで錨のようだとアタランテは――」

 ――瞬間、大地が激しく振動した。地震? こんなタイミングでそれはあり得ない! ならば、

「アルトリア!」
「下です!」

 言葉短く叫び返してきた言葉を認識するや、士郎は即座にオルタに合図した。ラムレイ号が急発進する。黒弓に螺旋の剣弾を装填する。
 アルトリアが愛機より離れ、聖剣を構えて厳戒体勢に移った。

 やがて地面が大きく盛り上がり、地中からおぞましい肉の柱が飛び出てくる。

「――」

 円柱のような、肉の塊。
 幾筋もの赤い裂け目が心臓のように脈打ち、無数にある黒緑色の魔眼の奥から、歪な瞳孔が開ききっているのが見えた。
 膨大な魔力。優にサーヴァント数騎分もの力を内包した異形の柱。

 それが、まるでこの特異点に投げ込まれた錨のようで――

 士郎達は、戦慄と共にそれを見上げた。






 ――魔神柱(・・・)出現(・・)










 

 

戦術の勝、戦略の勝

戦術の勝、戦略の勝




 ぎょろりと蠢く無数の目。波動となって肌を打つ桁外れの魔力量。そそり立つ肉の柱を見上げた俺の所感は、巨大な魔物から感じる威圧感への戦慄と――得体の知れない、正体不明の既知感だった。
 この魔力を、俺は知っている気がする。
 それがなんなのか、すぐには思い出せず。慎重に、足元から突き出てきた異形の柱の出方を窺う。
 ちょうど、柱を隔てて向こう側に立つアルトリアがこちらを見た。首を横に振る。仕掛けるな、側にいるネロの護衛に専念しろ、と視線で制する。

「……マシュ。大丈夫か?」

 青白い顔の少女。盾の英霊のデミ・サーヴァント。人面大樹となった者達の死の衝撃は抜けきっていないようだ。
 俺は、マシュを気に掛けたわけではない。いや心情的には心配で堪らなかったが、死への感傷は自分で処理できるようにならなければならない。そうでないと彼女は誰かに依存して、その在り方を歪めてしまうだろう。
 故に俺の言葉の意味は、マシュを戦力に数えてもいいか、という冷酷な質問。ここで踏ん張れないようなら、俺はもうマシュに土壇場で信頼を寄せることはできなくなる。安定した戦力こそが鉄火場で必要とされるからだ。そこに情の介在する余地はない。アニメや漫画にありがちな、劇的な成長と爆発的覚醒を期待するのは馬鹿のすることである。

「だ、大丈夫、です。マシュ・キリエライト、いつでも行けます」
「……マシュ。死に慣れろと言うつもりはない。たが少しでも無理をしているなら……」
「大丈夫です! わたしは……先輩のデミ・サーヴァントですから……!」

 必死の形相で俺を見るマシュ。その意識はこちらに向いて、他への注意は逸れた。

「……そうか。なら守りは任せる。頼むぞ」
「はい!」

 表情を少し明るくしたマシュを横に、俺はちらりと魔物の柱を見た。
 今、俺の守りの要であるマシュを、わざと言葉で揺さぶり、守りを薄くしたのだが……この柱はまるでそれに釣られず、沈黙を保ったまま目を頻りに動かしていた。
 無数にある眼、その一つがオルタから視線を逸らさないでいるのに俺は舌打ちする。

 マシュの守りが薄くなったところで俺を狙えば、オルタに横から仕掛けさせるつもりだったのだが……厄介だ。敵の知能を見極めるべきだろう。
 アルトリアとネロへの警戒は薄い。防御に専念する必要があると知っているのか……
 俺を凝視する眼は多い。が、逆にマシュはまったく注意を払われていない。マシュを側から離さないと察している……?

 次いで、警戒されているのがオルタだろう。

 現在、戦力として浮いているのがオルタだ。決定打を放てる攻撃力をも併せ持ち、この場では最も自由度の高い運用が可能である。
 つまりこの魔物は敵の脅威と戦力を冷静に推し量れる知能があるということ。過小評価はできない。否、あの切嗣を仕留めたことから考えるに、侮れる相手でないのは自明だった。

「……」

 睨み合う。睨み合うことで俺は、違和感を覚えた。
 敵から感じる殺意が薄い。敵意はある、しかし知性があるのに、ここで仕留めるという気概が感じられなかった。

 ……あの、眼。
 まさか……こちらを見定めようと……?



 ――その直感に、鳥肌がたった。



 これは意思と高い知能を持ち、そして切嗣を時間をかけずに仕留められる力を持ちながら、こちらをこの場で倒す必要はないと考えている可能性が高い。
 油断しているのではない、大上段に傲慢な構えをしているのでもない。純粋に、これは威力偵察をしに来ただけだ。
 つまり……こちらを確実に屠れる戦局を選べるだけの余力が……『退路』があるということ。後がない俺達とは違う、万全の戦力をいつでも投入できる確実さを持っているということだ。

 俺はこの時、はじめて『敵』の大きさを――この人類史焼却の裏に潜む巨大な『影』を見た気がした。

『――こちらでアサシンの脱落を確認した。霊基復元には一日かかる。士郎くん、いったいそちらで何が起こって――って、なんだその醜悪な化け物は?!』

 カルデア管制室のロマニから通信が入る。アサシンの脱落を、霊基一覧で確認できたからだろう。
 俺はロマニには、必要がない限り通信を入れるなと言ってあった。例えば強力なキャスターのサーヴァントが敵側にいた場合、なんらかの干渉を受けてしまうかもしれないからだ。

『それに……この反応はレフ?! そこにレフ・ライノールがいるのか!?』

 混乱したような叫びに、思わず眉を顰める。

「落ち着け。ここにレフはいない。ソイツは始末したはずだ。遺体もカルデアで確保して、頭の天辺から足の先まで解剖し解析している最中だろう」
『いやでも、これは確かにレフから検出されたものと同じ反応が……なんだ? これは……そんな!?』

 信じられない! とロマニが喚いた。

『レフから検出された反応は弱すぎて分からなかったけど、これは伝説上の悪魔と同じ反応だぞ!?』
「……なに? どういう意味だ?」
『言葉通りの意味だよ! 人間ともサーヴァントとも違う、第六架空要素の反応がその柱からはする!』

 ――第六架空要素。それは人の願いに取り憑きその願いを歪んだ方法で成就せんとする存在。
 悪魔に憑かれると、人を構成する要素に異変が起こり精神が変容。最終的には肉体も変化して異形の怪物と化すという。
 言ってみれば、人間に寄生する幻想のウイルスのようなものである。

「……なるほど。ということは、レフはあの時これに変身するつもりだったのか」

 レフだけでなく、同一の反応を発するものがここにあるということは、他にもこの柱がある可能性が出てきた。
 そしてレフのいた所とは別の特異点に柱があったということは、人類史焼却の暴挙は組織的なものであるということになる。
 冬木でレフが、ローマでコイツが。ならフランスにも柱があったのかもしれない。俺達が遭遇しなかっただけで。そして、これから先の特異点全てにも。

「……ゾッとする話だ。なあおい。お前もレフと同じで、人間が変身した奴なのか?」

 曖昧に、引き攣りそうな顔を誤魔化すように笑い、目の前の柱に問いを投げる。
 その眼が、測るように俺を注視した。

「だとしたらなぜ人類史の焼却なんて馬鹿げたことに荷担する? 愚かに過ぎる、傲慢に過ぎる。人の歴史を途絶えさせようとするばかりか、なかったことにしようとするとは。増上慢も甚だしい、そうは思わないのか?」

 ――その眼に、微かに苛立ちの光が走ったのを俺は見逃さなかった。

 確証はない、しかし確定したと判断する。奴はレフと同じ人間だ。いや今は悪魔かもしれないが、かつて人間であったことは間違いない。
 つまり、人間に通じる駆け引きは、コイツにも通じるということ。それは、光明になり得る。

「……」

 眼光が、鋭くなる。意識が更に俺に向く。
 何か俺の言葉に含むものがあるのか? なんであれ――好機。

 左手に魔力を通す。そして、更に言葉を続けながら念じた。

(令呪起動――)

「神にでもなったつもりか? それとも人を粛清することに大義でも見い出したのかな? いや人の未来に絶望したアトラスの錬金術師の可能性もあるか……」

(システム作動。――のサーヴァント、――を指定)

「だとすると更に度し難い。己の手前勝手な絶望に、人類全てを巻き込もうとするなど餓鬼にも劣る。ああ、流石にそれはないか。人類を滅ぼそうとするほどの悪党が、そんなちっちゃい輩な訳がない。だとすると他に考えられるのは……誰かに唆された道化かな」

 冷淡に語りかけ、嘲笑する。

 何か、柱が反応する寸前。令呪は作動した。



(宝具解放、ノータイムで最大火力を発揮し、敵性体を討滅しろ)



「――卑王鉄槌(ヴォーティガーン)の息吹よこれに」

 瞬間。

「『約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)』!!」

 指令通り一瞬にして臨界にまで達した黒い聖剣が、黒い極光を迸らせる。
 横合いから殴り付ける究極斬撃。反応は間に合わず直撃した。

『容赦ないな!?』

 ロマニの突っ込みに肩を竦める。
 これで決まればいいが――

 まあ、そこまで甘くないか。

 俺は苦笑する。


 柱は吹き飛んだ。しかし、俺の眼は確かにそれを見た。


 いずこかへ消えていく人の影。その手に輝く聖杯の魔力。
 あたかも消え去るようにして、それはこの特異点から去っていった。

「――しくじった。俺のやり口を知られたのに取り逃がしたか」

 まあ、いい。こちらにも収穫はあった。
 敵は人だ。得体の知れない謎が一つ解けた。

 そして敵が人間となれば、これほどやり易く、そして手強いものはない。
 俺はやれやれと嘆息し、皆にバイクに乗るように促した。まだやるべきこと、成さねばならぬことは残っている。

 消費した令呪も、あと二時間ほどで補填される頃合いだ。火力の面では不足はない。
 あれが持っていた聖杯がなんなのか、気にはなる。神祖ロムルスに埋め込まれているのではなかったか? それとも……他の特異点の聖杯か?
 なんであれ、本番はこれからだ。俺達はなんとしても、帝都ローマで待ち構える神祖を討つ。敗北は許されない。俺達の戦いはこれからなのだから……!


「――え、もしかしてこのノリで余もいかねばならぬのか?」


 その疑問に、バイクに同乗していた騎士王は重々しくうなずいた。








 

 

戦場の王、大国の王

戦場の王、大国の王



 アルスター王の妹の子として生まれ、戦士としての道を志し、いつしか英雄としての栄光を掴んでいた。

 妬まれ、僻まれ、様々な禁忌に縛られた。
 高まった名声は鬱陶しいだけで、意識して誇ったことはない。ただ己の信条に肩入れし、英雄として生きる己を誇った。
 赤枝の騎士として、己は一戦士なのだと自らを規定した。斯く在れかしと望まれても、それに流されることはなく。己に相応しいと思った生き方を貫いて鮮烈に生きた。
 その生涯に疚しさはないと断言できる。男は信じた道を貫けたのだ。

 ――戦士として戦い続け、英雄として名を馳せるにつれて、多くの人間、神、妖精を知ることになった。

 コノートの王アリルと、女王メイヴ。アルスター王にして自らの伯父でもあるコンホヴォル。三州のそれぞれの君主。妖精郷の神々――己の知る王という人種に、ろくな奴はいなかった。
 アリルも、メイヴも、三州の三人の君主も、最低で最悪な、性根のひん曲がった外道ばかりだった。己が傲慢な王を嫌うのは、無意識の内に生前関わった王を思い出してしまうからなのかもしれない。

 中でも特に酷かったのは、こともあろうに「権威・悪・狂気」の三位を司る女王メイヴではなく、自らが仕えたアルスターの王その人だった。
 クーリーの牛争いが勃発した時、アルスターの戦士達全てが体を痙攣させて身動きを取れず、コノートを含めた四カ国連合の侵攻を前に無力だったのは、アルスター王コンホヴォルが妊婦だった女神ヴァハに無体を働き、その怒りと憎悪を買って「国難の時、国中の戦士全てが戦えなくなる」という呪いをかけられていたからなのだ。
 その時、己は影の国にいた。だからこそ、その呪いに掛からずに済み――呪いに掛からなかったからアルスターを守るため、単身で戦うことになったのである。
 妊婦に暴行を振るい、初夜権を行使して国の新婦を抱き、思うがまま振る舞う外道。それがコンホヴォルという男だ。
 甥であり国一番の戦士だった己には気を使い、己の妻には手を出さなかったが……もし手を出したり、戦士として無能で、為政者として最悪で、伯父ではなかったら、きっと自分もまたフェルグスと共にアルスターから出奔していたかもしれない。
 だがコンホヴォルは外道だったが、身内には甘く、優しい男だった。王としての能力もあった。戦士としての力量も備えていた。ただ、それ以外が最悪だっただけだ。

 ガキの頃から知っていて、自分には特に目をかけてくれた恩人でもある。だから見捨てられなかった。どんなに最悪の糞野郎でも、裏切りだけはしなかったから、自分もコンホヴォルを裏切らなかった。
 狗のようだ、とコノートの戦士に罵られたことがある。即座に殺したが、同時にこうも思った。最悪の野郎を裏切る。――それは自分がそれ以下の存在に成り下がることにはならないか?
 コノートの側についたフェルグスは別にいい。フェルグスは元々アルスターの王だったが、コンホヴォルの母に王位を掠め取られた過去を持つ。コンホヴォルに従う道理はないのに、彼からの背信があるまで騎士団の若頭として武勇を振るっていたのだから、充分以上に義理は果たしていた。
 だが、自分はそうでない。ただ、それだけの理由でクー・フーリンはアルスターの為に戦ったのである。
 
 生前は、主に恵まれなかった。

 生前に、まともな王はいなかった。

 座にある膨大な記録の中で、覚えている限り、唯一まともだったのは冬木の本来の女マスターだけ。これも、やはり縁はなかったのか、一度も肩を並べて戦う機会はなかった。

 だが――どうだ? この、人類史に纏わる大戦で、遂に己は望みうる中で最高のマスターを得られたではないか。
 いい戦いといい獲物、加えていい主人がいたら番犬は満足である。その全ての条件を満たしてくれたのは今生のマスターだけであった。
 気骨があり、人の使い方に長け、知略に秀でる。死する場を心得、博打を知り、死地に自ら飛び込む胆力を備える。――最高の戦いと、最高の獲物を同時に揃え、己の命運を躊躇いなくこちらに委ねてくる信頼もあった。

 なら……これに応えずして何が英雄か!

 男――クー・フーリンは高鳴る鼓動にうっかり最終宝具(へんしん)しかけてしまったが、御者のロイグが一睨みをくれると我に返り、わりぃ、と謝った。
 そうだ。所構わず暴れるなんてつまらない真似はできない。なんたってオレは、騎士として仕えるという誓いを立てたんだからな、と自重する。
 今の己は生前の狂戦士ではいられない。理性と業と忠誠を持って戦う槍兵なのだ。戦いの狂気すらも御して、全霊を振り絞り戦いに徹するのみ。

 ――そうだろ? ロイグ。

 語りかけるも、手綱を握り、戦車を操るロイグは何も答えない。戦車の一部として宝具化し、自我が稀薄になっているとはいえ、元々が寡黙な男だった。
 照れ臭いが、親友、と言える数少ない男である。自我が稀薄でも、彼が何を思い、何を感じているのか、手に取るように感じ取ることができた。
 口数が少ないくせに、たまに喋ったらと思うとやけに辛辣な性質である。ロイグはきっと、「大した頭でもなかろう。御託を並べる暇があるなら、黙って槍でも振るっていろ」とでも言うに違いなかった。
 声を出して笑い、クー・フーリンはロイグに言う。

 ――まったくだ。そろそろ奴さんも本気で来るだろうし、オレらも本気出していくかね。

 世界(ローマ)を相手に戦え、なんて馬鹿げた命令を受けた。それを快しと受諾した。
 今、己はどこを駆けているのか。指令を受け戦いをはじめて既に二日が経っている。乱立する樹木、押し寄せる大樹を粉砕しながら進み、打って出てきた生身の敵兵を一万は蹂躙しただろう。ローマ全土を虱潰しに駆けずり回り、破壊した城は四つを数え、討ち取った指揮官は二十七を数えたか。国土は半壊、大将の潜んでいそうな場所もだいたい見えてきた気がする。
 襲いかかってくる樹木の津波を正面から突撃して破壊し、見えてきた新たな都市の前に隊列を組んでいる敵軍十万――いや二十万か?――の姿を目視する。

 そこだけは、森ではなく、開けた空間になっていた。

 なんともまあ、雑魚ばかり揃えられたものだと感心する。
 肌の所々が樹木と化し、霊体への攻撃を通せるようになっているらしい奴さん。
 シャドウサーヴァントの影もちらほら見えた。暗殺者、騎兵、狂戦士に獣に槍兵の小娘。それにあれはダレイオス三世のシャドウまでいやがる。

 流石に雑魚と言うのは過小評価か。雲霞の如く並みいる軍勢はまさに総力の結集だ。ここが決戦の場と定めたらしい。
 遥か彼方の大都市、その城壁の上に、恰幅のいい赤い装束のサーヴァントがいるのが見える。
 あの巨人的な存在感。二十万の大軍を自らの規格に組み込む統率力。あれが、カエサルか。なるほどローマ最大の英雄の名は伊達ではないらしい。狂気のきの字も見られない。これは、手強そうだ。
 しかし二十万の大軍を一ヶ所に集めるなど正気ではない。こんな大胆な布陣を取れるという事は、兵站を気にかける必要はないと言うことだろうか? であればあの兵も、ここに来るまでに散々見た人面樹と同じで死んでるようなものなのだろう。
 なら遠慮はいらねえな――呟き、クー・フーリンはロイグに突撃を指示しようとして――ふと、気づく。気づいてしまった。

 気づかねばよかった。このまま突撃し、蹂躙してしまえば良かったのだ。

 だが、気づいてしまった。

 生身(・・)の、完全に生きている、人間の、子供。

 身なりからして奴隷の、少年。



 ――見るな!



 ロイグが叫んだ。自我の稀薄さを感じさせない、往年の猛々しい声。だが遅い。既にクー・フーリンは気づいてしまっていた。

 少年が、叫んだ。――ねえ、一緒にご飯を食べようよ(・・・・・)

 は。と、笑う。有名すぎるのも考えものだな。
 黒と灰の二頭の竜馬と、死の棘を持つ豪炎の戦車。そして己の姿と紅い槍。更にここまで散々に暴れ回ったことから得られる情報。
 例え、宝具を使ってなくても分かるだろう。この身が持つ呪いを。

 苦笑して、クー・フーリンは戦車を止めた。ロイグは自我を持つが、扱いは宝具の一部である。クー・フーリンの意向を妨げることはない。
 そしてクー・フーリンは己のゲッシュに従う為、戦車を降り、少年の誘いに乗って、隠されていた台に近づき、少年が席について肉料理を食べ始めるのを見守った。
 そして、自分のために用意された――犬の肉料理をみる。少年が食べ終わるのを見計らって、躊躇わず肉を摘まみ一気に咀嚼し飲み干した。

 途端、左手から力が抜ける。ゲッシュを破らされ、呪いが働いたのだ。左手に握っていた赤い盾が地に落ち消え去る。クー・フーリンは苦笑して、怯えていた少年の頭を握り、軽く揺さぶる。あっさり気絶した少年を担ぎ、戦車に戻って少年を確保。
 左半身が麻痺している。久しい感覚だ。腕と、耳が死に、目も見えない。右半身は無事で、幸い左足は生きているので踏ん張りは利きそうだ。

 ――やってくれるぜ、あのデブ野郎……。

 苦笑し。



 激怒する(・・・・)



「殺す」

 クー・フーリンは躊躇う素振りもなく右の耳を潰した。これで無粋な誘いの声は聞こえない。
 更に戦いの狂気を呼び起こし、意図的に狂熱に浸って目に映る全てを敵と認識する。
 クー・フーリンはロイグに言った。加減は無しだ、全力でいくと。本気の中の全力。あの野郎は確実に殺す。

 こともあろうに、騎士としての初陣で……こんな醜態を曝させられるとは屈辱の極みだった。
 クー・フーリンは吠える。精霊が怯え、混乱に落ちて狂騒を齎す。ローマの地は、クー・フーリンの赫怒に染まった。
 敵兵の士気が目に見えて落ちた。恐慌に陥った。カエサルによって冷静を取り戻したが、それでもクー・フーリンへの畏れが消えたわけではない。

 死の槍を掲げ、光の御子が。
 戦場の王とまで讃えられた勇者が。

 今、溢れ出る殺意と共に、大国(ローマ)の王に決戦を挑む。



「――『轢き潰す死棘の蹄(ロイグ・マハ・セングレン)』ッッッ!!!」



 開戦の号砲。それは、死の戦車の本領発揮であった。




 

 

真紅の神祖

真紅の神祖





 ――んぅ……マスター、猪は好きか? 仕留めたは良いが、あまり好きではないことを思い出した。

 敵首魁の座する帝都に近づくにつれ、次第に緊張を露にし始めてきたネロに対し、アタランテがそんなことを言っていた。

 悪魔と同一の反応を持つ柱を退け、ガリアを過ぎ、山脈を躱して、二日間でマッシリアからメディオラヌムに進んだ頃である。
 国土は樹林に侵され、生態系は狂い、幻想種がどこからともなく現れ自らの縄張りを張っている。そこを通りかかった俺達は格好の獲物であり、魔猪やキメラなどの類いに幾度も襲われていた。
 陽も暮れ、辺りも暗くなり、そろそろ腹が減ってきた時分でもある。ネロとアタランテに、それを譲ってくれと頼んだ。
 ネロは訝しげに俺を見たが、別にネロ自身に猪をどうこうすることなど出来る訳ではない、とこちらに快く譲ってくれた。
 ……アルトリアがいきなりそわそわし始めたが、俺は気づかないフリをして、魔猪の体を解析する。
 信じがたいことに、どうやら人間が食べても問題はないようだった。普通の猪よりも肉は柔らかく、むしろ豚に近しいと言える。幻想種化する前はただの豚だった可能性もあった。

 今の面子はアルトリア、マシュ、オルタ、ネロ、アタランテ……味覚的な意味でネロとオルタが難敵だったが……まあ同時に二人を満足させることも出来なくはない。
 ジャンクでありながら豪奢、贅沢でありながら雑味のある肉料理……中東の少年兵からヨーロッパのお貴族様までご満悦だったのだから、間違いあるまい。

 俺はまずマシュに召喚サークルを設置させ、カルデアから米と野菜、調味料各種を転送して貰う。
 アタランテには焚き火を二つほど作って貰い、アルトリアとオルタには魔猪――いや呼び方は豚でいいか。豚の手足を縛らせて俺の腕ほどもある太い枝に吊るさせた。俺は専用の包丁を投影。腕を巻くって豚の肛門を切開し、手を突っ込んで内臓を引きずり出す。
 思い出したように「見ない方がいいぞ」と言ったが全員特になんともなさそうで、アタランテは特に興味深そうにこちらの下処理を観察していた。
 逞しい女性陣だことで……と呆れるやら感心するやら、俺は肩を竦めて豚の毛を綺麗に削ぎ落とす。

 マシュとネロに言って内臓の下処理をさせておく。これも旨いので、無駄にする気はない。ネロはおっかなびっくりだったが、マシュも素人であるし、こっちはこっちで作業しながら下処理のやり方を口頭で教える。流石に器用で危なげなく作業をしていた。

 それを横目に、空になった豚の腹の中に、薄く味付けをした白菜で包んだ米と、ホウレン草の包みで覆った米と香辛料を詰める。
 豚の腹がパンパンに膨れ、何も入らなくなると肛門を糸状の強靭な紐でぎゅっと縛り上げ、焚き火に火種を放り込んで火を強くしてから、吊るしていた豚をこんがりと焼き上げ始めた。

 暫くすると、香ばしい薫りが辺りに充満し始め、幻想種の獣が釣られてきたとロマニから通信が入る。

 アルトリアとオルタに目配せし、三十分後には戻ってこいよ、と言うと二人は猛然と駆け出した。飢えた獣は、それ以上に飢えた二頭の獅子に狩られてしまうのだろう。ご愁傷さまである。
 豚を吊るす火の前に陣取り、豚の体を回しながら満遍なく火が通るようにしておく。少し包丁を通すと香辛料の風味と、肉の香ばしい薫りが混ざり合い、なんとも腹を刺激する匂いが漂った。
 ごくり、と誰かが生唾を飲み込む。
 肉汁が滴り始める直前、薄く肉を削いで口に運ぶ。その焼き加減を吟味して、マシュにあと十分ゆっくり回しながら全身を焼けと伝え、その場を離れる。慌てて後を引き継いだマシュから目を離し、今度は内臓を使って串焼きを作り始める。
 この頃になると、早くも獣の殲滅を終えたらしいアルトリアとオルタが帰還し、まだかまだかと勝手に皿とナイフとフォークを人数分用意し始めた。
 苦笑し、ネロとアタランテを手招きし、豚モツの串焼きの調理手順を教授して、一本作ると後はネロ達に任せた。
 素人にやらせてよいのか!? と戸惑ったように言うネロだったが、アタランテという狩人が共にいるなら任せてもいいと答えておく。実際アタランテほどの狩人が、狩った獲物を解体し料理したことがないはずもなく、手本さえあれば問題なくやれていた。

 俺は武器庫に向かい、ごそごそと物色して、隠していた葡萄酒を取り出した。

 またか、と呆れた視線を受けたが、気にしない。酒なくしては人生の半分は損している。というか俺から酒を取ったら何が残るというのか。
 肉汁がぽつぽつと火元に落ち、じゅ、じゅ、と音を鳴らし始めると、マシュと変わって火を消した。
 吊るした豚の肉を薄く削ぎ、アルトリアがさっと差し出してきた皿によそい、ナイフで切り分け、食べてみる。
 うん、上等。呟きながら葡萄酒の瓶を呷り、旨い、と口の中で溢した。

 シロウ! 物欲しそうなアルトリアにデコピンし、怯んだサーヴァントを放置する。
 腹を切り分け、中から野菜に包まれた米を取り出して、それをアタランテの皿によそい、手渡す。彼女は猪が苦手らしいので、たっぷりと肉汁と香辛料の染み込んだ米と野菜を食べて貰うことにしたのだ。
 恐る恐る一口食べ、旨いと囁くように言い、その仏頂面に笑みが浮かんだのを見て、俺は微笑して皆に言う。各自、勝手に肉を切って、勝手に食い始めていい、と。

 アルトリアとオルタ、双方があっという間に肉を切り取り、米と野菜を取って、いただきますとお行儀よく挨拶して食べ始める。
 その様から、食の好みが正反対のはずの二人が満足できているようで、俺はひとまず安心した。
 ネロも美味であると笑みを溢していた。うん、いい仕事をしたと満足しておく。

 暫し取り憑かれたように皆が黙って貪り続ける。ロマニが「ボクも食べたいな……」と呟いたが無視した。無理な話である。
 俺はそれを見守り、少ししてから手拭いで入念に手を拭き、手と口許をべとべとにしていたマシュに近づいて、口許を拭いてやる。

「あ……」

 恥ずかしそうに頬を染める。夜の焚き火に照らされていたから、その頬は橙色に染まって見えていた。
 旨いか、と聞くと、マシュはこくりと小さく頷く。言葉では言い表せません、と。

「先輩と、それから皆さんと一緒に食べてると、とても胸が温かくて……」

 そこまで言って、マシュは不意に、ぽろぽろと涙を流し始めた。
 辛い道程だ、溜め込んでいたものもあるだろう。俺はマシュを抱き寄せ、胸の中で嗚咽を溢すマシュの背中をそっと撫でた。

 時の流れはまったりとしていた。
 和やかな空気だ。
 やがて泣き止んだマシュは、すっきりしたような、照れたような、恥ずかしげな表情をしてありがとうございました、と頭を下げた。
 気にするな、と返す。誰もが通る道だからな、と。
 そう言うと、マシュは周りを見渡した。アルトリアとオルタ、ネロとアタランテ。それぞれが無言で、しかし目を逸らさずに苦笑していた。

 よし、食うか! と俺も食べ始める。モツの串焼きと葡萄酒を合わせ、ひとり堪能していると、アルトリアが物欲しげに見てきたが……

「悪いな、この酒はマスター専用なんだ」

 と言って断っておく。アルトリアは悔しげにしながらも、その食欲は衰えを知らず、ゆっくりと、されど確実に豚を食らっていった。
 ネロにもやれない。ネロはまだ現代の酒に慣れていないので、容易に酔い潰れるのが目に見えていた。

 肉を切り取り、米と野菜と一気に食べる。我ながら旨いと思えた。特にこの、かりっとした皮が堪らん。酒が進む進む。

「――なんというか」

 ふと、ネロが小さな声で言った。

「シェロの料理は、胸がぽかぽかとするな」
「……そうか?」
「そうだろうとも。シロウだからな」

 首をかしげた俺に、オルタがしたり顔で頷いた。
 ……わからん。気分的なものなら、それは受け取り手次第なので、俺には何も言えなかった。

 しかし、そういえば、昔にも同じことを言われた覚えがある。確かあれは――

 ――と、何かを思い出そうとしていた時だった。



「ふむ。これもまた、浪漫(ローマ)であるか」



 ――聞きなれぬ、されど無視できぬ声がした。

「……っ!!」

 最初に反応したのはアルトリアだった。瞬時に立ち上がり、聖剣を構え――それを、俺は目で制した。
 ちらりとロマニの映るモニターに目をやると、ロマニが慌てたように言った。

『そ、そこにはなんの反応もない! そこにいるのはなんだ!? まるで幻だぞ!』

 褐色の、見惚れるような偉丈夫であった。
 筋骨逞しく、されど物々しくなく。雄大で、偉大な英雄の存在感。……しかし、ロマニの言う通り、酷く儚かった。
 格としては彼の英雄王にも匹敵するものがある。俺はそれに内心圧倒されながらも、静かに手にしていたものを置き、冷静に誰何した。

「……何者だ?」
(ローマ)は、ローマである」

 その独特な物言い。ネロをみると、土気色の顔色で呆然とその超人を見ていた。

「……神祖、ロムルスか」
「如何にも。カルデアのマスターよ。(ローマ)が、ローマだ。そして――」

 こちらに歩みより、どっかと腰を下ろした超人は、並んで座っていた俺とネロを見据え、はっきりと言った。

「――聖杯に取り込まれ、暴走した(ローマ)が英霊としての(ローマ)を切り離し、そなたらの許に向かわせたのが、残滓(ローマ)であるこの(ローマ)である」

「……」

 俺は、とりあえず敵ではないとだけ理解し、酒を口に運んで、言った。

「……もう一度、分かるように言ってくれ」







 

 

全て、全て、全ての言葉はローマに通ずる






「――聖杯に取り込まれ、暴走した(ローマ)が英霊としての(ローマ)を切り離し、そなたらの許に向かわせたのが、残滓(ローマ)であるこの(ローマ)である」

 士郎は、とりあえず敵ではないとだけ理解し、酒を口に運んで、言った。

「……もう一度、分かるように言ってくれ」

「わ、分からぬのか!?」

 独特に過ぎる言い様に困惑しながら頼むと、なぜかネロが驚きながら反駁してきた。
 隣のネロを、ジト目で見る。分かるわけあるか、と言外に滲ませて。



 ――ふむ。これもまた、ローマであるか。

 ――ローマは、ローマである。

 ――如何にも。カルデアのマスターよ。ローマが、ローマだ。そして――

 ――聖杯に取り込まれ、暴走したローマが英霊としてのローマを切り離し、そなたらの許に向かわせたのが、ローマであるこのローマである。



 ……何回ローマと言ったのかはどうでもいいとしてだ。
 実際なんとなくニュアンスで判断できなくもないが、具体的に何を言っているのかはまったく理解できなかった。寧ろこれで分かれというのが無理な相談である。
 士郎は経歴柄、語学には堪能な部類だが、古文書の解読専門家ではない。名詞の殆どが『ローマ』とか、まともに話す心算があるのか甚だ疑問である。
 こめかみを揉みつつ士郎は神祖ロムルスに言った。

「すまない。そちらが何を言ってるのか、まるでわからない。出来れば俺にも分かるように話して欲しい」
「ぶ、無礼であるぞシェロ! 神祖に対してそのような――」
「よい、我が子ネロよ。それもまたローマである。その身が未熟であろうといずれローマの言葉の真意を悟れるようにもなろう」
「……」

 鷹楊に構えるロムルスは、その生来の余裕から全く士郎の物言いに気分を害した様子はない。……が、分かりやすく言い直す気もないようだった。
 流石に英雄王とタメを張れる格の持ち主。吹けば飛びそうな儚い存在感からすら、途方もない王気が衰えることなく発せられている。自我の強大さも英雄王に比するとは、感服するしかなかった。

 もう一度言おう。

 感服する『しか』なかった。

 これまでの経験上、ぶっちゃけ理解不能すぎて素面で相手するのは困難な部類だと判断せざるを得なかった。士郎は諦めたように嘆息し、酒を呷る。二度、三度。
 そして酒が回ってくる感覚に眼を瞑り、対面に胡座をかいて座す神祖の残滓に、酒を差し出した。

「……何はともあれ、駆けつけ一杯」
「うむ。有り難く頂戴しよう」

 瓶ごと呷りロムルスは豪快に飲み干した。まだ半分ほど残っていたはずだが……まあいい。気を利かしてくれたマシュが、せっせと武器庫から葡萄酒の瓶を二本持ってきてくれた。
 ありがとう、と言って受け取り、一本をロムルスに手渡す。彼は古代人には度の高すぎる葡萄酒にも面食らった様子もなく、いたって平然として舌鼓を打っていた。

「美味であるな。これはそなたの手製の物か」
「ああ。度数は平気なのか?」
「大事ない。ローマの知る中でも美酒の部類ではあるが、ローマの秘蔵する神酒には一手及ばぬ」
「……なんだと?」
「ふむ、矜持を傷つけてしまったか。だが、案ずることはない。そなたの腕は確かだ。問題は材料にある。神代の(ローマ)と、そなたの時代の(ローマ)では、同一の製法(ローマ)を用いても味わいに差が出てもおかしくはない。寧ろ神代を終えた未来(ローマ)でこれだけの物を手掛けられた己の腕を誇るがよい」
「……上があると知りながら、今に甘んじて向上することを諦められはしない。答えろローマ、じゃない神祖。その神酒の材料はなんだ」
「し、シェロ? なんの話をしておる? 今はそれどころでは――」
「だまらっしゃい!!」

 ネロが何やら言いかけてきたが、士郎はそれを掻き消すように怒声を発した。
 びくっ、と肩を揺らし、困惑しながらネロはマシュを見た。マシュは、重苦しい表情で、左右に首を振る。こうなった先輩は止められません、と早くも諦めモードだった。
 アタランテは嘆息して呆れていて。アルトリアとオルタは我関せずと豚を平らげることに夢中だった。しかし、まあ、いざとなったら即応できそうなのは、流石に騎士王ではあるが……。
 ネロは孤立無援であることを悟る。ここは空気を読んで、暫しマスターの先達と、偉大な神祖のやり取りを黙って聞いておくことにした。酔いの入った輩ほど面倒な手合いもいないからだ。

 やがて、神祖と酒について激論を戦わせ始めた士郎だったが、納得のいく答えを得られたのだろう。神祖に深々と頭を下げ、情報提供に感謝していた。

「神祖の博学ぶりには感嘆の念を禁じ得ない。よもや竜種の逆鱗と爪、デーモンの心臓と脊髄にそんな味が隠されているとは……」
「キメラの爪と、鳳凰の羽根、呪いを帯びた凶骨もよい養分となる。隠し味としては、ローマは虚影の塵が好ましい」
「!! では世界樹の種はどうだ? あれは食ってみたら活力が沸いてきた。気力も充実するから鬱を一発で解消させることも出来るはずだ」
「ほう、興味深い……鋭い見識であるな。なるほど、ローマである。ではローマも秘めたる知恵を開陳するとしよう。土の精霊の宿った根である聖霊根、そして二角獣の頭毛の中に隠れている小さな角が、神酒をより高みへと導く標となるのだ」
「なんだって……クソォ! 逆鱗と竜とキメラの爪、デーモンの心臓、竜牙兵の特に強い呪いを宿した骨しか持っていない……!! 畜生、こんな無念が他にあるか……!?」
「悔やむな。これから先、手に入れる機会はいつでもあろう。苦境に陥っても、その心を強く持てば、そなたもまたローマの真髄を得られるだろう」
「……!! 神祖!」
「うむ」

 不意に立ち上がり、がっしと手を取り合った士郎と神祖に、ネロはなんだか顔が青白くなるほど緊張していたのが嘘のように気が楽になった。
 なんだか、緊張していた自分がバカらしくなったのかもしれない。ふっ、と肩から力が抜けて、表情にいつもの余裕が戻ってきた気がする。

 士郎は武器庫に向かい、ごそごそと底の方を漁り始め、隠し床を開けて中から一つの壺を取り出した。
 濃厚な風味の薫る、神秘的な香り。アルトリアとオルタの目の色が変わった。ネロも、思わずその壺に眼を奪われる。
 士郎はそれらを意にも介さず、神祖の前まで戻り、壺を開けた。

「得難き知恵を与えてくれた礼だ。世界樹の種を使って作った肴だ。誰にも振る舞ったことはないが……俺の知るなかでは現状、最も旨いと思う」
「ほお……」

 差し出された壺を見て、中から一粒の種を手に取り神祖はその薫りを楽しむようにしながら、ゆっくりと口に運んだ。
 そして、神祖は始めて、沈黙する。

「……」
「……」
「……ローマである」

 ぽつりと溢した感想と共に、ロムルスは微かな笑みを湛えた。
 その言葉の意味を、士郎は理解できた。
 なるほど、これがローマか、と。

 完全に酔っていた。

「……ところでなんの話をしていたんだったか」
「ふむ? ……ふむ。さて、なんだったか」
「神祖!? シェロ!?」

 酔っ払い達は、やがて微睡むように薄く微笑みを浮かべ、座ったまま寝入ってしまった。
 ネロが泡を食ったように名を叫んだが、二人の耳には届かなかった。

 話が進むのは、夜が明け、陽が昇って二人が目を覚ましてからである。













「……で、だ」

 ひくひくと目元を痙攣させ、底冷えのする眼差しで見下ろすのは、眼前で正座し顔を俯けるアルトリアとオルタ、アタランテにネロ……そしてマシュである。

 本日は晴天なり。陽は既に高く、麗らかな日差しに包まれた森に、獣の遠吠えが木霊していた。

 昨夜、時間を無駄に浪費してはならないのに、ついうっかりと酔い潰れ、七時間もの間、熟睡してしまったのは不覚である。
 しかし、しかしだ。それはこちらの過失として認めざるを得ないが、かといって斯様な狼藉が許されるわけではない。

 俺は、空になっている(・・・・・・・)世界樹の種の入っていた壺を指差し、静かに、一切の感情を込めずに質問した。

「……誰が、俺のツマミを食った。怒らないから、正直に答えろ。正直に、だ」

 誰が予想するだろう。一晩、たった一晩だ。それだけで大事なツマミが全滅すると、もう泣きたくなってくる。
 この悲しみを、どうすれば解って貰えるだろう。俺は悲しみに打ち震えるしかない。

「お、怒っておる……絶対怒っておる……」
「あ? なんだって?」
「な、なんでもないぞ!? ほんとだぞ!!」

 あわあわと慌てるネロに、ガラス玉のように色のない目を向ける俺。
 もう一度、誰が食った、と繰り返し問うと、全員が全員、互いを指差した。

「なるほど……全員が犯人か」

 ビキビキと青筋が浮かぶ。凄まじい怒気に冷や汗を流す面々。アタランテの尻尾がへにゃりと地面に垂れた。
 俺は、ロマニに聞いた。

「ロマニ。一つ聞く。誰の霊基が(・・・)最も上がっている?」
『あ、あー……その、あまり怒らないであげて欲しいんだけど』
「怒る? 何を言う。俺は全く怒ってない。ただ事実確認をしているだけだが」
『あ、あはは……うん、ごめん無理だ。下手に宥めたらこっちに飛び火すると見た。だから観念してくれ』
「ロマニ!?」
「ドクター貴様ぁ!」

 裏切られた! みたいな反応をする容疑者筆頭達。ロマニは言った。極めて正直に。

『霊基が向上してるのは、青と黒の騎士王サマ方だ』
「やっぱりか」
『次点でアタランテ。魔力が充実してるのはネロくんで、あまり変化がないのがマシュだよ』
「……順当すぎて言葉も出んぞ」

 はあ。と、深く溜め息を吐く。びくりと露骨に反応する騎士王達。
 俺は、込み上げる様々な激情を飲み干して、そんな場合ではないからと、なんとか怒りを鎮めた。
 まず、マシュを見る。俺に怒気を向けられたことがなかったためか、酷く狼狽して怯えていた。
 手招きすると、びくびくとしながら立ち上がり、近づいてくる。ぬっ、と両手を伸ばし、マシュの柔らかいほっぺを摘まみ、限界まで引っ張って、ぱちんと離した。
 ほっぺを赤くし、あぅぅ、と痛そうにするマシュの頭に手を置いて、言う。

「今ので許す。次からは俺に断ってから食べなさい。いいな」
「は、はい……。その……ごめんなさい」
「うん。よく謝れた。そういう素直なところが好きだよ、俺は」
「ぅぅ……」

 次いで、ネロを手招く。ほっぺをガードしながら近づいてきたネロに、容赦なく拳骨を落とした。
 あいたぁっ!? と悲鳴を上げたネロに、悪戯をした子供にするように噛んで含める語調で告げる。

「叱られるとは思わなかったのか君は」
「余、余は皇帝だぞ……余を叱れる者などそうはおらん……」
「そうか。だがこれからは、悪いことをしたら誰からでも叱責が飛ぶと知れ。そして、悪いことをしたら言うことがあるはずだが?」
「う、うむ……すまぬ」
「あ?」
「ご、ごめんなさい! これでよいか!?」
「……まあいいか」

 焦っているためか、逆ギレしたように大声で謝り、頭を下げたネロに、とりあえず溜飲を下ろす。アタランテを見ると、ぎくりと肩を揺らして、すぐにでも逃げたそうな目をしていた。

「……」
「……ま、マスター。私は悪くない、それを彼に説明して欲しい。そうだ、私は悪くない! マスターが私に勧めたから仕方なくだな、」
「アタランテ」
「はい!」

 思わず飛び上がって応えた狩人に、俺は言った。

「主人の罪はサーヴァントの罪だ」
「そ、そんな理不尽が許されていいのか……!?」
「ギリシャ神話ほど理不尽な事例が多い神話もそうはないぞ。十秒動くな、それで許す」
「う、うむ。汝がそう言うなら、十秒動かない。それで許してくれ」
「ああ」

 頷いて、いきなりアタランテの尻尾を掴む。
 びくりと激しく体を揺らし、アタランテが動揺したように何かを言いかけたが、聞かずに尻尾を撫で回して、獅子の耳にも手を伸ばす。
 中々の毛並み、素晴らしくふかふかだ。
 十秒経つと手を離す。いきなりの暴挙にアタランテは腰砕けになってその場に座り込み、息も絶え絶えに艶めいた息を吐いた。

「せ、セクハラです先輩……」
「何を言うんだ。あれを見たら誰でも触りたくなる。仕方ないだろう?」
「……それは、まあ、確かに……」

 納得したような、しないような、曖昧な感じに首を傾げるマシュ。素晴らしかったから、隙あらばマシュも触ってみるといいと伝え、アルトリアとオルタを見た。
 どちらも明後日の方を見ている。目を合わせようとすらしていない。俺は特に何をするでもなく、二人に言った。

「両名に申し伝える。今後一ヶ月、飯抜きだ」
「!?」
「そんなっ、そんな無体な!?」
「慈悲を、シロウ、慈悲を!!」
「ええい、ならん! 縋り付くな鬱陶しい!」

 青黒騎士オーズが足元に縋り付いてくるのをはね除け、俺は裁定を終えた。
 そして、待たせる形となってしまった褐色肌の偉丈夫――神祖ロムルスに向けて頭を下げる。

「――すまない。一身上の怒りに駆られ、時間を取ってしまった」
「構わぬ。通すべき筋であった。我が子ネロにも良い教訓となったであろう」
「そう言ってくれると助かる。それで……少し時間を置いてしまったが、改めてそちらの真意を聞きたい。神祖ロムルス、一体貴方は何を以てして俺達に接触してきた?」

 居住まいを正し、これまでの空気を一掃するようにして訊ねる。一人、ロマニだけが『やっと話が進む』と嘆息していたことを俺は知らなかった。
 武装も何も持たない、ロムルスの残滓は常の余裕のある物腰を寸毫たりとも崩さず、静かに葡萄酒の瓶を呷った。

「カルデアのマスター……否、酒を酌み交わした以上は(ローマ)の友であると認めよう。その意気は、ローマに通ずるものであるが故に」
「彼の神祖に友と呼ばれることは誉れだ。恐縮してしまいそうだが……敢えて受け入れよう。対等の目線で物を言うことを許してくれるか?」
「構わぬ。その心は既に完成し、(ローマ)の庇護下にはない。故に直言を許す。非礼を許す。そして全てを許そう。エミヤシロウよ、(ローマ)の愛はそなたも包んでいる」

 故に、とロムルスはその雄大な体躯で、まっすぐにこちらに向いた。
 体格はほぼ同じなのに、呑まれそうになる存在感。それに気圧されぬよう腹に力を込めて対峙する。俺に、否、カルデアにロムルスは告げた。

「――対等であるからこそ、(ローマ)は憚ることなく忠告する。
 シロウよ。そしてシロウに従うサーヴァントよ。

 即刻、我が子ネロを置き、ローマの地より去れ。

 もはやそなたらに勝機はない。一時退却し、態勢を立て直した後に、帝都ローマに現れよ」

 ――その言葉に凍りついたのはマシュとロマニだけだった。

 士郎は、吟味するように神祖の言葉を反芻する。強張ったネロの顔は、何かを悟ったようで。騎士王達は纏う空気に電撃を帯びて緊迫感を露にする。
 見定めるように、アタランテは士郎とネロを見詰めた。

「――それは、どういう意味だ?」

 頭ごなしには否定せず、士郎はロムルスに訊ねた。感情的に何かを否定するほど子供ではないし、そもそも相手がロムルスである。決して、意味のないことは言わないはずだ。彼はネロを捨てていけと言っているのだから、断じて冗談を言っている訳がない。

「勝機がない、と言ったか。万が一にも?」
「そうだ。万が一にも、現状のそなたらに勝ち目はない。シロウが彼の光の御子を喚び出した時は、もしかするかもしれぬとは思ったが……我が子、カエサルによって彼の英傑は封じ込まれた」
「……ランサーが?」

 小さく呟く。あのクー・フーリンが、封じ込まれただと?
 ロムルスは、讃えるように言った。

「光の御子の武勇、神域の武人の中でも更に比類なきものであろう。彼の者の霊基が解放されたなら、(ローマ)が万全であろうと、一対一の決戦では遅れを取るやも知れぬ」
「……」
「だが、我が子カエサルとて皇帝の代名詞である。英雄としての格は決して引けをとるものではない。そして今のカエサルは、あらゆる意味で純化しているが故に、勝利の為ならあらゆる非道にも手を染めよう」
「……まるでローマで起こっていることを全て、把握しているような口振りだな」
「如何にも。(ローマ)は、ローマの全てを認識下に置いている。気づいておるだろう、今のローマは異界化しているのだと」
「……それは、お前の宝具か?」
すべては我が愛に通ずる(モレス・ネチェサーリエ)――(ローマ)の結界宝具である。それが聖杯により拡大変容し、ローマを包み、異界化させているものの正体だ」

 曰くレムスを自身の手で誅した逸話。血塗られた愛の城壁に由来する宝具だという。

 宝具としては、空間を分断する城壁を出現させることで壁の内側を守護するというもの。この城壁が、ロムルスの領域を覆い、透明な結界と化しているのだ。
 士郎とアタランテがローマに足を踏み入れた時に感じた違和感の正体がこれである。
 結界としての側面が強化、拡大されているため、城壁の形を失い文字通りの結界と化し、結界の内側はロムルスの体内に等しくなっているのだ。
 つまり、ローマ全てが聖杯に取り込まれ暴走する、ロムルスの知覚領域内であるということ。その規格外はロムルスのような強大な格の英霊にしか発揮できないものだ。

 ――あの魔の柱の者が、あっさりとこの特異点から立ち去ったのは、暴走するロムルスを止める手立てなどないと確信していたからか。

 だが、流石にロムルスがこうして暴走下にありながら、正常だった部分を切り離し、士郎らの許に向かったのは計算外だったろう。
 さもなければ、この邂逅はあり得ぬものだったに違いない。

「既に確かめたであろうが、(ローマ)の内にある限り遠く離れた者との意思疎通は不可能である。光の御子とのやり取りは出来ぬだろう」
「……カルデアとの通信は繋がるが?」
(ローマ)は、暴走していようと(ローマ)である。満身より力を込め、全霊を振り絞り聖杯に抗い、辛うじてそなたらへの妨害を弱めている。もしもそなたとサーヴァントを繋ぐ装置の完成度が今少し高ければ、離れた地にいるサーヴァントとも意思の疎通は行なえたであろう」

 流石に急造の念話装置では無理があったか、と今はネロの首に提げられている懐中時計を見る。
 確かに以前試したが、クー・フーリンとの連絡は取れていない。だが……令呪で召喚すれば、こちらに呼び戻すことは出来るはずだが……。

「不可能である。空間跳躍による召喚は(ローマ)といえど見過ごせぬだろう。(ローマ)の意思とは関わりなく、聖杯によって令呪の巨大な魔力を関知し、妨害することになる。空間跳躍は失敗し、無駄に令呪を損なうだけだ」
「……ランサーは今、どうなっている?」
「ゲッシュを破らされ、半身が麻痺し、それでも獅子奮迅の働きを以て我がローマを相手に互角以上に戦いを進めている」
「……」

 流石、と口の中で呟く。それでこそだ、と。
 だがロムルスは言った。それは本来のカエサルならば絶対に取らぬ外道の策である。

「カエサルは聖杯により、属性が反転している。言ったであろう、今のカエサルは非道な策であっても平然と実行すると」
「……?」
「ゲッシュを光の御子に破らせるに用いたのは奴隷の子である。光の御子は王族故に、大半の者が目下に位置する故、わざわざ奴隷の子を使ってゲッシュを破らせる必要はないというのに。なぜ、奴隷の子を用いたか、分かるか?」
「……おい。まさか」
「左様。カエサルは光の御子の気質が真っ当な英雄のものであると見抜いておる。故に奴隷の、それも子供であれば、ほぼ確実に保護する(・・・・)と確信していた。そしてそれは的中した。今、光の御子の戦車には、爆弾と化した(・・・・・・)子が乗っている」
「……ッ!!」

 歯を強く噛み締める。アタランテがぶわりと総身の毛を逆立たせ、激怒のあまり立ち上がった。
 ロムルスは、静かに言った。

「誤解なきように頼む。本来のカエサルならば、決して執らぬ非道の策だ。そして、既に手遅れである。たった今、爆弾は機能し、光の御子の戦車は破壊された。光の御子自身は辛うじて勘づき逃れたようだが、手傷を負い、更にはシャドウサーヴァントと、十万を超えるローマの子らに包囲され、カエサルも決めに掛かった。ここから逆転することは困難であろう」
「……ふん」

 そこまで聞いて、なおも士郎は鼻を鳴らした。
 あるのは、信頼。一度信じ、託した以上、その敗北はあり得ないと信じている。

「逆転は困難? 侮るなよ、ロムルス。奴は最強の槍兵だ。その程度の逆境、跳ね返すに決まっている」
「……ふむ。確かに、まだ勝敗は解らぬ。恐るべきは光の御子の生存能力であるか」

 ロムルスもまた否定しなかった。だが、意見を翻すこともなかった。
 仮にその場で勝利しようと、重大な手傷と呪いを受け、令呪の支援は届かず、空間跳躍による召喚が不可能となれば、あちらの勝敗の如何などこちらには関係がなくなってくる。――クー・フーリンは、士郎達の戦いには間に合わない。

 だがそれがどうした。

 あちらは任せた。こちらは任せろと言ったのは士郎である。であれば、もとより増援をあてになどしていない。彼は役目を全うしている。それを知れただけで充分だった。

「分からないな」

 だからこそ、士郎は挑むようにロムルスに言った。

「ランサーは俺達の戦いに間に合わない――そんなことは端から考慮しているし、そもそも過度に期待していない。不利は承知の上、それでもロムルスのもとにさえ辿り着いたなら、勝利することは絶対に不可能ではないだろう」
「左様である。確かに(ローマ)の許にさえ辿り着けたなら勝利できる可能性はあるだろう。しかしそれは叶わぬ目論見だ」
「……どういうことだ」
「天晴れなるは光の御子。(ローマ)はそなたらの妨害をほぼ片手間で行なっていたに過ぎぬ。進撃する光の御子に集中し仕留めようと全力を振り絞っていたが、彼の英傑を止めることは遂に敵わなかった。――そしてカエサルめが光の御子を実質無力化した以上、聖杯の一部として機能する(ローマ)が光の御子に注力することはない。……分かるか? これより先、(ローマ)は樹槍の力を最大限に駆使しそなたらの侵攻を阻むことになろう。そなたらが蹴散らしてきた一割(・・)のローマの津波など、比較にもならぬ質量だ。仮に一度、二度凌げたとしてそれ以降が続くと思うか?」
「……それは、無理だな」

 士郎は苦々しく、素直に答える。

 ここまで来るのに見てきた枝葉の津波が、たったの一割程度……? それが、残りの九割加算される?
 ……確かに何度かは凌げる。聖剣の火力は聖杯ごと神祖を打ち倒せるほどのものだ。
 だが何度も使えるものではない。波状攻撃を仕掛けられれば、たちまちの内に魔力切れとなり、あっさりと呑み込まれるだろう。聖杯のある帝都ローマに辿り着くことすら出来ない。

「……だが退いてなんになる? 一旦カルデアに戻って、帝都ローマにレイシフトし直す……無理だ。魔力が渦巻き、特異点の中心地と化した場所に直接乗り込むのは、現段階で不可能になっている。そうだろう? ロマニ」
『……ああ。その通りだ。今現在の帝都は、もう観測すら出来ない状態になっている。そこにレイシフトを試みたら、意味消失は免れない』
「そうか。だが、その魔力の渦を一時、解除する手段があるとすれば――どうだ?」
「なに?」

 そんな手段があるというのか。思わず反駁した士郎に、ロムルスはそれ(・・)を口にする。
 空気が凍ることを、言った。



「我が子ネロを差し出せとはそういうことだ。

 ネロを取り込めば、ローマは滅び、特異点は完結する。だが、一瞬のみ、ほんの短時間のみなら、人理焼失を食い止めることが出来よう。役目を果たした聖杯を(ローマ)が掌握し、ほんの一時のみ猶予を作れるのだ。

 なれば、そなたらは直接帝都に乗り込み、聖杯を持つ(ローマ)に挑む機会を得られよう。戦いは避けられないが、そうすることで初めて勝機を見い出せる」



 その言葉に。

 士郎は沈黙し目を伏せた。
 苦しく、痛く、重い沈黙。ネロは意を決したようにロムルスの許に歩み寄ろうとし、咄嗟にアタランテがそれを止めた。

「マスター! 惑わされるな、()の言を鵜呑みにしてどうする!」
「そうは言うがな、アタランテ。余にはどうにも、他に策があるとは思えぬ。ならば神祖の申し出を受けることこそが、ローマ皇帝として、カルデアのマスターとして執るべき方策ではないか?」
「そんなことはない! 私はマスターを見殺しにはできない!」
「そうか。短き関係ではあったがそなたの忠義、嬉しく思う。――令呪を以て命じる。余を止めるな、麗しのアタランテよ」
「マスター!!」

 絶対命令権を行使され、アタランテの手は離された。
 ネロは、士郎達を見る。そして渾身の笑みを浮かべた。

「とまあ……そんな訳で余はこれよりそなたらの勝利に賭けるチップとなる。頼むぞ、余が無駄死にでなかった証を立ててくれ。余は、そなたらを友と思う。それと……アタランテを頼む、余の大事な臣下だ」
「……ふむ。では、それでよいな、シロウ」

 ロムルスが、最後の確認のように言った。

 それに。

 シロウは。

 アタランテが怒号を発するのに耳も貸さず、マシュを。アルトリアを。オルタを見た。
 察し、それでこそと笑みを浮かべる少女と、御意のままにと微笑む騎士王。ここぞという時には甘いな、と黒い聖剣使いもまた冷たい美貌に微笑みを浮かべる。
 そして、士郎は言った。

「――ネロを差し出せ、だって?」

 顔を上げ、決然と士郎は吠えた。



「 断る!! 」



 驚いたように目を見開くネロを傍らに、ロムルスが破顔して、満面に笑みを浮かべた。

「それでこそだ。まこと――快なり!!」

 ロムルスは、神祖は――合理を蹴飛ばす不屈をこそ望んでいた。







 

 

灯せ、原初の火





「こ――断る、だと?」

 ネロ・クラウディウスは、恐らくこの生涯で最たる驚愕に貫かれていた。
 極限まで詰め(・・)られた盤面を見せられ、打つ手はないとはっきりとした。その上で打開策を提示され、もはやそれ以外に手はないと思われた。
 であれば、短い付き合いだが、合理的な戦術を好むシェロ――衛宮士郎は、その策を採択すると思っていた。情に厚いが、しかしどこまでも冷徹に成りきれる男だとネロは見定め、事実それはその通りであった。
 だのに、この男は力強く、はっきりと神祖ロムルスの差し伸べた手を払った。そして神祖はそれを快なりと受け入れ満面に笑みを浮かべた。
 なんという不合理。万能の天才を自負するが、未だ発展途上の才覚と器。その選択の由縁が解らず、真意を問い質そうとして――はたと。ネロはシェロの瞳を見て、全ての疑問が溶けてしまった。

 ――美しい、蒼穹の空。

 男の中に、その心象を見た。見てしまった。故に、己の疑問は無粋であると感じて。何より美しいものを尊ぶネロは、不意に肩から力を抜いて苦笑した。
 やれやれと嘆息して。それでも気になったから、無粋と知りつつ敢えて問いを投げた。

「一応、聞いておく。シェロ、なぜだ? なぜそなたは自ら勝機を手放さんとする」
「愚問だな。それは俺の目を見開かせたお前の責任だぞ」
「余の?」
「俺は――後悔しない(・・・・・)。悔やまず己の生を全うする。ネロ、お前は俺を友だと思っていると言ったな?」
「……うむ。確かに言った」

 苦笑を、微笑に変えて、ネロは真実心からの笑みを口許に刷いた。

「俺もそうだ。友情と愛情に時間の長さは関係ない。ネロ、お前を友だと思っている。だから見殺しにはしないし、出来ない。お前は自ら友と呼んだ俺に、『友を見殺しにした』と後悔させる(・・・・・)つもりか?」
「……参った。一本取られてしまったか」

 嬉しげに、しかし困ったように、ネロは眉尻を落とした。

 ネロ帝は貴族よりも市民を第一として施政を行なった。愛を持って。ネロの渾身の愛で。
 しかしその愛は、市民の求める物ではなかった。通じ合えなかったのだ、ネロとローマ市民は。
 そのことを薄々と感じていたからネロは――こうして自らの『愛』が通じた存在に、途方もなく巨大な歓喜を覚え、心の底から震えてしまったのだ。
 これは……誓って言えるが、断じて、断じて恋愛感情などではない。そのような低俗なものではない。ネロは今、今生のあらゆる友よりも強い『友情』を、高尚な心のうねりを感じていた。

 出会った時期。
 過ごした時間。
 そんなもの真の友情の前には全く関係ないのだと、ネロは悟った。

「まったく、泣かせるでない。余は……嬉しい」

 眦に滲んだ滴を誤魔化しもせず、ネロは素直に胸の裡を明かした。
 それに微かに照れた男を、友として慈しみの目で見る。そしてネロは神祖に向き直った。
 精一杯の敬意と謝意を露に、しかし毅然と告げる。

「誉れ高くも建国を成し遂げた王、神祖ロムルスよ。すまぬが、余は友を後悔させる訳にはいかぬ。一度はその思慮に傾いておきながら勝手ではあるが、どうか余が彼らと共に行くのを許してほしい」
「赦す。元より(ローマ)は快なりとお前達の答えを受け入れている。代わりに、名乗れ我が愛し子よ」

 それは、荘厳なる誰何であった。
 厳かにネロは応じる。それに答えないわけにはいかないと、その魂が薔薇の皇帝に名乗り上げさせた。

「――余は、余こそはローマ帝国第五代皇帝であり、そしてカルデアのマスターである。ネロ・クラウディウス、永久なるローマのため、この身を人理修復の戦いに投じる覚悟がある!」
「……うむ。愛し子よ。(ローマ)はその目と声を聞きたかった。ならば、躊躇うことはない。ローマは世界である。故に、世界は永遠でなくてはならぬ。(ローマ)はそなたらに賭けよう。そなたらこそが、魔術王ソロモンの企みを打ち砕くものと信仰する」
『ソロモンだって……!?』

 不意に出た名に、ロマニの驚愕に染まった反駁が返る。
 それには答えず、ロムルスはネロの手にある隕鉄の赤い剣に手を翳した。
 そのらしくない性急さは、もはや一刻の猶予もないことをこちらに教えている。

 だがロムルスの余裕はなくならない。雄大な愛と慈しみの眼差しで、ロムルスは『皇帝特権』を行使した。

「ネロ・クラウディウス。残滓である(ローマ)に出来るのはお前の裡にあるローマをカタチとし、皇帝足る特権を――サーヴァントのスキルを生者であるお前に与えることだ」
「これは――」

 ネロに与えられたのは、皇帝特権のスキル。生身であるが故に、サーヴァントのクラス別スキルも、サーヴァントとしてのスキルも持たず、才あるとはいえ剣士としての力量は下の下だったネロに戦う力を与えるものだった。
 他者に、スキルを与えるその規格外の特権は、真実EXランクの皇帝特権。
 影の国の女王が持つ魔境の叡知が、女王の認めた英雄にのみスキルを与えることが出来るのと同じ。ロムルスはネロを英雄と、皇帝と認めたのである。

「……友よ。すまぬが、(ローマ)に余分な力はない。既に完成しているその身に、(ローマ)が与えるものはない」
「端から求めていない。ただまあ……また機会があれば頼む。あって困るものではないからな」
「ふ……強かであるな。そして、だからこそ託そうとも。ローマの命運を。そなたらの戦いが世界(ローマ)を永久のものにすると(ローマ)は固く信ずる」

 その体が幻のように薄まり、消えていく。カルデアの計器に相変わらず反応はない。
 元々が幻だった。奇跡のような邂逅だった。そしてだからこそ必然の出会いだった。
 最後に、ロムルスはネロの剣『原初の火』に炎を灯す。それは、この戦いの行く先を占う希望の火。

「――帝都で待つ。その炎を、決して絶やすな。(ローマ)の樹槍は、その炎を、愛し子のローマたる気概を愛し、肯定するだろう」
「感謝を偉大なる神祖。誉れ高き建国の王。余は必ずやそなたの待つ帝都に辿り着き、神祖の暴走を食い止めよう。余には頼もしい友と臣下がいる。彼らは強者だ、必ずや成し遂げる、今度こそ!」

 ネロの宣誓に、『原初の火』の炎は一層、激しく燃えた。

 それを見届けて、残滓であるロムルスは光の粒子となって消えていった。





 

 

第一節、その体は

第一節、その体は




 I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)






「……?」

 霧煙る都、その地下深く。
 人理焼却の錨が一柱足る男は、本来己の担っていた計画を恙無く進行していた。

 聖杯を用い手駒となるサーヴァントを幾人も召喚。聖杯によるカウンター召喚によって現れた野良のサーヴァントに対する策を練りつつも、それに拘泥することはなく、あくまで自身と手駒による直接戦闘は避けて、秘密裏に事を推し進めていた。
 野良のサーヴァントは、戦闘に特化している知恵の足りない愚図か、或いは作家として名を馳せた程度の雑魚でしかない。こちらから下手に戦いを仕掛けない限り、連中はこちらの計画の全貌を知ることもなく特異点ごと焼却されるだろう。

 第二特異点に於いて、Mと名乗った男は、自らが担当する第四の特異点でも同様に名乗り、あくまで自らを表す記号(なまえ)を伏せ、人理焼却のために持てる能力の全てを費やしていたのだが……。

 ふと、彼は自身が立ち去った第二特異点のことが、嫌に気にかかっていることに気づいた。

「……」

 何か、見落としている。その予感。
 永く生きている内に自然と身に付いた、ある種の直感のようなもの。
 男は自らの疑念を捨て置かなかった。元々が勤勉であり、生真面目な学者肌の男である。生じた疑問を捨て置くことを、彼の性格が許さなかったのだ。
 手にする聖杯を使い、第二特異点の人理修復に奔走するカルデアの勢力を観測。リアルタイムで進むやり取りを聞いて、男はぴくりと眉を跳ねた。

 カルデアは、何故か、男が従う魔術王について言及し議論を戦わせていたのだ。

 ――なぜ、奴等が魔術王の存在を知っている……?
 観測している映像の時間を巻き戻し、観測する。すると、彼らが聖杯によって暴走しているはずの神祖ロムルスと接触している光景が見えた。

「……侮ったというのか。私が、神祖を」

 それは、万事に対して周到に事を進める男には考えられない失態だった。
 男はその神祖が、聖杯に取り込まれ暴走している神祖の残滓に過ぎぬと一目で看破していた。そして、ただの人間に過ぎなかった皇帝ネロが、ロムルスにより強化され、一個の戦力として確立されたことも見抜いてのけた。
 だがそれ以上に、今更のように気づく。ネロ・クラウディウスの姿が、はっきりと見えないのだ。

 それは人理焼却を免れたカルデアに所属する者。マスターの衛宮士郎と同一の反応。魔術王の力を以てしても干渉が困難な、焼却された人類史にこびりつく特異点。
 もしや……あの女狩人のマスターは、衛宮士郎ではなく、ネロ・クラウディウスなのか?

「……」

 魔神柱に変じ、敢えてリスクを犯して彼らと接触した時。男はネロ・クラウディウスを取るに足りぬ存在と決めつけ、全く観察していなかった。新たに増えていたサーヴァントも、衛宮士郎のものだろうと考えていたのだ。それが、誤りだったと?
 少し注意すれば、すぐに気づけただろう。男の目は節穴ではない。カルデアの始末に失敗するに飽きたらず、第二特異点のサーヴァントすら御せず野放しにしていた無能のレフ・ライノールとは違う。油断も、慢心も、遊びもなかった。
 なのに何故、男はネロ・クラウディウスの存在が変容していることに気づけなかったのか。



 ――なあ、おい。お前もレフと同じで、人間が変身した奴なのか?



 脳裏に過るのは、人理焼却に抗う愚か者の声。自らに問いかけてきた不敵な顔。



 ――だとしたらなぜ人類史の焼却なんて馬鹿げたことに荷担する? 愚かに過ぎる、傲慢に過ぎる。人の歴史を途絶えさせようとするばかりか、なかったことにしようとするとは。増上慢も甚だしい、そうは思わないのか?

 ――神にでもなったつもりか? それとも、人を粛清することに大義でも見い出したのかな? いや人の未来に絶望したアトラスの錬金術師の可能性もあるか……。

 ――だとしたら更に度し難い。己の手前勝手な絶望に人類全てを巻き込もうとするなど餓鬼にも劣る。ああ、流石にそれはないか。人類を滅ぼそうとするほどの悪党が、そんなちっちゃい輩なわけがない。だとすると他に考えられるのは……誰かに唆された道化かな。



「……そうか。貴様か」

 不覚だった。あんな、安い挑発に気が昂った己の未熟。あの時、男は衛宮士郎を憎んだ。あの男に反論しようとしてしまった。
 その隙を突かれ聖剣に薙ぎ払われたのだ。ネロ・クラウディウスなど眼中にもなかったのが災いしたことになる。
 男は己の不明を認めた。そしてロムルスがなんらかの手をカルデアに加えた以上、第二特異点が修復される可能性が出てきたことを認めざるを得なかった。
 その可能性を計算する。彼らの勝利に至る確率を想定する。
 確率は、一%かそこら。
 到底、絶対的オーダーの組み込まれた聖杯に支配される神祖に勝利できるとは思えない。

 しかし――

 マスター化し戦力となったネロ帝と、ロムルスが与えたとおぼしき火の力。
 そして、ほぼ瀕死となりながらも、シャドウサーヴァント数騎を討ち、性質の反転したカエサルを屠ってのけた光の御子。
 一日と半日もの激戦の末。彼の英霊は灰色の愛馬に跨がり、朱槍を右手に持ってカエサルの『黄の死』に切り裂かれた傷を物ともせず、生き残ったローマ軍の追撃からギリギリの所で逃れている。黒い馬に跨がった巨漢が主人を逃がすため、シャドウサーヴァントを足止めしている姿も見えた。

「……万が一が、あるかもしれぬ、か」

 枝葉の津波は、ネロの持つ隕鉄の剣に灯った火を避け、帝都に向けてひた駆けるカルデアの面々を遮れずにいる。神祖の樹槍が、その火をロムルス――自らの担い手と誤認し、圧倒的質量で押し潰すのを避けているのだろう。
 道中の魔猪、獣の戦士、キメラも一蹴されていた。破竹の勢いと言える。この勢いはえてして奇跡を呼び込む類いのものだった。

 ――よかろう。貴様らを、障害と認識する。

 故に策を講じるのだ。
 言葉に出さず、男は聖杯を使う。
 干渉するのは第三特異点。第二特異点に対して、男が出来ることはもうない。元々、あれは男の担当ではなかったのだ。レフがしくじった為に、その皺寄せがこちらにまで来ている。
 有能な敵より、無能な味方の方が厄介だな……。男はひとりごちながら、愚かなサーヴァントの船に召喚されるサーヴァントを弄った。
 狂戦士は物の役にも立たぬ無能であると身に染みて思い知った。サーヴァント――英霊はその知性と経験を十全に発揮してこそ有能な手駒となるのだ。それをダレイオス三世の醜態と、卓越したカエサルの手腕が証明している。
 故に、狂戦士は取り除く。しかし、かの大英雄に理性があれば、人理焼却に荷担するとは思えない。

「……ふむ。ならば、復讐者としての側面を強化し、在り方を歪めて召喚すればいい」

 反転ではなく、歪曲。その力業を、聖杯は可能とした。
 男は更に、頭を捻った。
 仮に第二特異点を突破したとして。
 あり得ないが、第三特異点で立ち塞がるサーヴァントを打倒できたとして。
 確率はゼロに等しい。それでも、悉くこちらの策を潜り抜け、男の担当する第四特異点にまで辿り着いてきたなら……。

 ――衛宮、士郎。

 侮れる敵では、ない。
 彼はともすると第四特異点のはぐれサーヴァントを取り込み、こちらの計画を探り当て、この眼前に立つ可能性がコンマ一程度の確率で考えられた。
 であれば、だ。僅かでも可能性があるならば、それに対するカウンター手段を講じなければならない。

「……計画を変更するか……?」

 顎に手を遣り、思索する。
 幾らか順序を前倒しにし、計画を早める……ダメだ、確実性を損なうのは危険。
 ならば付属出来る要素を探り、利用するか? それも愚策。詰められた計画に、後から余計な手を加えるべきではない。
 いや……だが……。

「……緻密な計画は繊細で、単純な力押しに弱い。今の計画では万が一、カルデアに露見した場合、頓挫する可能性は極めて高い……」

 ぶつぶつと思考を呟く、若い頃の癖が出た。
 男はそれに気づかず、続ける。

「いっそのこと、私の主導する計画の概要はそのままに、ある程度構造に遊びのある、自由に弄れる部分を残した計画を新たに練るか? ……この国には未来に甦る王がいるとされる。それを利用……いや、しかし……待て、星の開拓者を狂化し、装置として運用出来れば……。……無理だな。英霊を軽視出来るほど私は大層な存在ではない」

 男の視線の先には聖杯によって写し出された、赤黒い肌の巨漢。頭からネメアの獅子の毛皮を被った、異様な風体の復讐者。
 更に転じ、進行するカルデアの面々を見て、男は露骨に舌打ちした。無能な味方の失敗のために、こうも頭を悩ませる羽目になるのは腹立たしいことだった。
 ――計画をどうするかは、もう少し煮詰めて考える必要がある。いきなりの変更は無理があった。
 時間がいる。思考するための時間が。それを作るためにも、カルデアの妨害に力を傾けた方が、現段階では建設的かも知れない。

「第二特異点の担当権を、一時とはいえ担ったが故の力業を押し込むか……」

 第二特異点に対して出来ることはない。だが、こちらが召喚したサーヴァントを、一騎新たに送り込む余地ぐらいはあった。
 どうするか。男は頭を悩ませ、決断した。

「……理性ある戦いに狂戦士は不要。しかし場を引っ掻き回すのには有用だ。

 ――レフの置き土産、精々利用させてもらうとしよう」

 男は一切の理性を残さぬ極大の狂化を施した、フンヌの戦闘王、神の鞭の第二特異点への投入を決定したのだった。







 

 

第二節、その心は



 Steel is my body, and fire is my blood.(血潮は鉄で、心は硝子)






 ジンクスがある。嫌なジンクスだ。

 何年か前の話だ。借金で首が回らなくなった遠坂をからかうのが楽しくて、調子に乗りすぎた結果、真冬のテムズ川に突き落とされたことがある。
 絶倫眼鏡の修羅場を焚き付けて遊んでいたら、逆に修羅場に巻き込まれて痛い目を見たり。ヤクザな姉御とその娘さんの仲を揶揄し、娘さんが暴走するのを楽しく眺めていたら姉御に殺されかけたり。赤原礼装を譲って貰ったお礼に、好物だと前々から聞かされていたカレーを振る舞ったら監禁されかけたり。

 ――とかく俺が調子に乗った時、或いは物事が上手く軌道に乗り始めた時に限って、手痛いしっぺ返しが必ずあった。

 今回もそうなのだろう。順調に事が進み、帝都まで後一日という所まで迫るや、ロマニが慌てたように通信を入れてきた。
 俺はうんざりと溜め息を吐く。またか、と。テムズ川に突き落とされて以来続くこのジンクス。これを遠坂の呪いと名付けても許されると俺は思った。

『――皆、大変だ! 前方に巨大な魔力反応が発生した! 気を付けてくれ、この反応はサーヴァントのものだ! 敵か味方か分からない、ここは慎重に――』
「敵だ、ロマニ」
『え? 何を根拠に敵だって言うのさ!?』
「根拠も何も……こうもあからさまに殺気をぶつけられたんじゃ、誤解しようもないだろう」

 相変わらず見晴らしの悪い樹林である。その新たなサーヴァントの姿は、雑多な枝葉に遮られて影も形も見えやしない。
 だが、この全身を強かに打ち据える殺意の波動を受けて、「これは味方だ」なんて誰が思えるものか。
 それに、帝都まで後少しという嫌らしいタイミングでもある。敵本拠地の間近で都合よく新しい仲間と巡り会うなんて幸運があるはずもない。

 そのサーヴァントは敵だと断定する。

 しかし、断定しながらも疑問が湧いた。

 新たな敵戦力の投入……冷静に考えると違和感を呼んだ。何故今更になって? と。
 確かに効果はあるが、戦力の逐次投入は戦術的に下策だ。もっと適切なタイミングは幾らでもあっただろうに、何を考えている。
 人理焼却の黒幕、その容疑者が魔術王ソロモンと目されている今、あの魔の柱の名称は仮に魔神柱とされた。もしあの魔神柱がサーヴァントと共に現れていたら、不意打ちの聖剣は通じなかった公算が高い。そうなればこちらは危機的状況に立たされていただろう。それ以外にも、幾らでもこちらを襲撃するタイミングはあった。不意打ちを狙うなら、神祖と酒を酌み交わしていた時など絶好の好機だったはずだ。
 何故、今なんだ? 帝都まであと一日まで迫ったところで、今更戦力を神祖と別けて投入する意図が解らない。

 ……筋道を立て、論理的に考える。

 まず、この手を打った者は、根本的に戦争のための戦術を理解していない節がある。
 俺の経験上、魔術師などの理論が先立つ学者タイプに似ているような気がした。
 戦争は得手ではない、しかし頭は回る……典型的な理論派、感覚よりも数値を重んじる打ち手……。荒事が苦手なのは間違いない。さもなければ神祖と別けてサーヴァントを投入する訳がない。

 ……いや、過小評価は危険か。行動の一つ一つに意味を持たせ、無駄なことはしないと考えた方がいい。

 戦力を別ける意味……パッと思い付く魔術師らしい思考の癖を沿う。
 例えば人形を使い魔として用いる、工房に閉じ籠る魔術師が、己の使い魔を同士討ちさせないために打つ手法。……これを仮にサーヴァントに当て嵌めて考えると、神祖と新手のサーヴァントは別口の召喚である線が浮上する。もしそうだったら、神祖にも無差別に攻撃するかも知れない。だから別けた?
 ……強引な説だが、そのサーヴァントが物の分別のつかない狂戦士のサーヴァントだとしたら、筋が通らないこともない。他に考えられることもほぼ有り得ないと切り捨てられる故に、この仮説を下地にもう少し切り込んで思索する。

 この特異点にある聖杯でサーヴァントを召喚したなら、神祖は無条件に味方としてサーヴァントの霊基に刻まれ、余程の条件が揃わない限り狂戦士であっても同士討ちはしないはず。
 ならば考えられるのは、神祖を取り込んだのとは別の聖杯を用いての召喚だが……そうなると、何者がこのサーヴァントを召喚したのか容易に察せられた。

 魔神柱の状態でこちらを襲撃し、俺達を観察した『人間』である。

 手を上げてチームに停止するように指示しつつ、その思考をトレースし、プロファイリングする。
 荒事を専門としない、理論派の魔術師。戦術は不得手だが頭は回る。わざわざこちらを直接観察に来る慎重さと大胆さ、手の早さから無駄を好まない合理的な性格と思われる。
 この第二特異点だけに舞台を限定して考えてはならない。相手はこちらがレイシフトするのと同じで特異点から別の特異点に移動する手段を持っているのだ。
 そこまで考えて、一歩思考を下げる。
 なんの為に神祖と新手のサーヴァントを別けたか。この理由を仮に違う聖杯を用いての召喚だからだとする。
 相手が別の特異点で活動している輩とすると、俺達がしくじらない限り、いずれはカルデアとぶつかるのは確定的である。
 であれば相手は盤面の向こう側にカルデアを想定して動くようになる。ならこれまでにも活動していたとして、その活動の方針を転換することも考えられた。そうすると、一度は思考をリセットするだろう。そして、慎重な性格ならゆっくりと考える時間を求める。するとまず、何をするか。

 ――盤面の向こう側。相手の打ち手を止めるため、妨害の一手(・・・・・)を打つ。

「……」

 仮説に仮説を繋ぎ合わせ、違和感の少ないピースをすかすかの仮説に組み込んで、辛うじて見られるパズルを作った。

 それを改めて離れた視点から俯瞰し、この仮説の正確性を客観的に分析すると――不思議と。全くの見当外れとは思えなかった。
 えてしてそういった感覚は、理論を超えて真理に至ることを俺は知っていた。
 少なくとも的外れではない、その確信が思考を澄み切らせる。

 ――このサーヴァントは、こちらを襲撃し少しでも時間を稼ぐ目的を持っている……。いやそんな半端を好む手合いではない。
 討てるなら討つ、そのための強力な一手だろう。今の俺達にとって時間は敵なのだ。こちらの居場所が相手に割れていると思われる以上、敵サーヴァントを避けていられる余裕はない。躊躇わず戦闘に入り、迅速な撃破を望んでいると相手が読んでいるとしたら、正面戦闘に強い三騎士か騎兵のサーヴァントを放って来るに違いない。
 そして相応の格を持つ英霊というのは、一部例外を除いて世界の存続を望んでいるはずだ。であれば抜け目のない打ち手のすることは限られる。手駒の反逆を防ぐため、主人に歯向かえるだけの理性を殺す狂化を付与することだ。

 ――嫌な敵だ、と思う。

 厄介なのは、ここまで全ての推論が的中していたとしても、こちらに打ち返せる手がないことである。相手の目論み通りにしか動けない、後手に後手にと回らされている感じがした。
 こと勝負事に於いて、後手に回るばかりで反撃もできないとなれば敗北は必定。何か、相手の意表を突く必要がある。
 これはと思う妙手は浮かばない。仮説が正解だったと確認できたらまた話は違ってくるのだろうが、今はそれどころでもない。今は目の前の問題に対処するのに手一杯だ。



「……一日だ。後、一日で帝都に到達する。そうだなロマニ」



『あ、ああ。その通りだよ』

 ロマニに確認すると、戸惑い気味に肯定が返ってくる。下手に戦い、損耗を強いられるのは面白くない。俺は最も攻撃力に長けたオルタに指示を飛ばした。

「オルタ。聖剣解放」
「承った」

 言うと、オルタは腰を落とし、腰溜めに黒い聖剣を構えた。それに合わせたわけではないが令呪を起動、システムを稼働させる。
 ロマニがどこか諦めたように問いかけてきた。

『も、もしかして、もしかする感じかな……?』
「さあな。ただ、聖剣の射程圏にサーヴァントを捉えた瞬間、オルタの一撃で消えて貰うだけだ。今は悠長に構っていられる余裕はない」
『そうか、そうだよね……一日あれば使った令呪も回復する、なら使い惜しむ理由はない……』
「解って来たじゃないか」
『あはは……その容赦のなさが素敵と思い始めたボクはもう駄目かもしれない……よし、なら未確認のサーヴァント反応の位置を伝えよう。そちらからは樹林が邪魔で姿が見えないだろうからね』
「頼む」

 言って、オルタの肩に手を置き、耳元に口を寄せて囁いた。
 ――避けられるかもしれない。威力は落としてもいい、横薙ぎ(・・・)で広範囲を焼き払えるか?
 その要望に、オルタはフッと嗤った。
 撃破出来ればそれで良し。仮に回避されるなりしても、樹林を一掃し見晴らしを良く出来る。こちらの力を十全に発揮できるフィールドを一手で整えられる上手い手です、シロウ。

 オルタの小声の賛辞を、端的に切って捨てた。

「おべっかを言っても断食は取り止めないからな」
「……チッ」
「オルタ? 貴女、今私を出し抜こうとしませんでした?」

 アルトリアの問いかけにオルタは答えず。ロマニのカウントダウンが始まった。

『目標、五時の方角、五百メートル前方。速度から逆算するに聖剣の間合いに入るまで後五秒、四秒』

 宝具解放。セイバーのサーヴァント、アルトリア・オルタを指定。

『三秒』

 オルタ。聖剣を解放し、

『二秒』

 聖剣の間合いにあるモノ全てを、

『一秒』

 薙ぎ払え。

「――約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)!!」

 黒い極光、暴竜の息吹が解き放たれる。
 地獄の淵より鎌首をもたげる竜の首、鬱蒼と生い茂る木々を塵芥とする死の吐息。星の光を束ねた究極の斬撃は、確実に一帯を更地と化させた。

「……おい」

 俺は、それ(・・)を見て、目を細める。

「……エクスカリバーは聖剣のカテゴリーの頂点に位置する最強の対城宝具だったはずだな?」

 返るのは、不快げに姿勢を戻した黒い騎士王の答え。
 如何にもその通りである、と。特にオルタの攻撃力は、通常の騎士王よりも上回る規模のそれ。

「ならそれを相殺したあれ(・・)はなんだ? 英雄王の乖離剣なのか?」

 星の聖剣を上回るのは、原初の王が持つ乖離剣のみ。星造りの権能を宿す絶対の一だけのはずだった。

 ならば。

 拓けた地形、照り輝く日輪を背に。
 真紅の原色の剣、しなる鞭の如き斬撃――空間切断に近しいそれを為したのは何者なのか。
 オルタは断言した。

「私が万全ならば、あの忌々しい金色の王以外に、聖剣を相殺されるような無様は晒しません」
「……」

 そこで、はたと俺は思い至った。
 今のオルタ――いやアルトリアもだが、マシュも、アタランテも、そしてクー・フーリンまでもがカルデアの召喚システムの都合上、霊基を縮小された状態であった。
 ロマニが言いにくそうに口を挟んでくる。

『……あのだね。士郎くんは、初期レベのパーティーを率いてここまでのステージをクリアしてきたようなものなんだ。うん、つまりそろそろ火力が足りなくなって来たんじゃないかなって……』
「……仕方ないだろう、時間がなかったんだ。霊基再臨のための時間が取れなかったんだ」
『うん、ぶっちゃけ初期レベ縛りでそこまでいった士郎くんは異常だと言いたい。オカシイのは騎士王サマ方の火力とクー・フーリンもだけど。――でも、それもここまでみたいだ。どうするんだい、士郎くん』

 どうするもこうするもあるか、と吐き捨てる。

 悠然とこちらに近づいてくる、褐色の肌の女。白いローブ、短い白髪、肌に走る白い線。
 無機的な、破滅的な虚無の眼差しで、狂気の欠片もなく狂った狂気の塊。
 観測される霊基の規模はこちらのサーヴァント全員を束ねたものよりも強大だった。

 圧倒的なまでの威圧感。魔力の波動。三つの原色を連ねた鞭のような剣。

 疑いの余地なく大英雄の風格だった。冬木の聖杯戦争に参戦していても、なんら遜色のない傑物である。
 それを前に、俺は覚悟を決めて、黒弓を取って投影宝具を装填した。

「――斯くなる上は、正面から打ち破るのみ!」






 

 

第三節、不破不敗




 I have created over a thousand blades.(幾度の戦場を越えて不敗)

 Unaware of beginning.(ただの一度の敗走はなく)

 Nor aware of the end.(ただの一度の勝利もなし)






 砂利をこれみよがしに踏み締め、投影宝具『赤原猟犬』を放たんとしていた士郎の前に出たのは、『天穹の弓(タウロポロス)』を構えた純潔の女狩人だった。
 先制射撃を放つ腹積もりだったのに、出鼻を挫かれる形となった士郎は、む、と物問いたげに狩人――アタランテとそのマスターであるネロを横目に見た。

 ネロが苦笑し言った。ここは一つ、アタランテに任せよと。やはり一番手は麗しの狩人にこそ相応しい。
 遠距離から一方的に射撃を加え、打倒する。それが出来ずとも、敵サーヴァントの手札を切らせられたら白兵戦でも有利になる。弾幕を張るのは間違った選択ではなく、士郎もそのネロの案に乗ることにした。
 マシュ、狩りの基本だ。敵の動きをよく見ておけ。――芯のある返事を横に、アタランテは限界まで弦を引き、『天穹の弓』の力によってAランクを超える物理攻撃力を宿した矢で以て、宝具の真名解放を実行。
 『北斗の七矢』。天上に向けて放たれた矢は、地に落ちぬ北天の星座『大熊座の七つ星』に転ずる。アタランテの矢は流れる七星と化し、アタランテ渾身の一矢による超高速七連射を解き放った。

 音速で飛来する石柱をも貫通する矢が、ほぼ一瞬の内に標的を襲う。

 頭上より飛来する七連矢。その精度はアタランテの技量に拠り、必中のそれと言ってもいい。
 カリュドンの猪の皮膚をも破り血を流させ、北欧の竜殺しの鎧をも貫通してのけた矢が、ほぼ同時に頭上から連続して襲い掛かってくるのだ。並大抵の英霊なら七撃の矢で七度殺してのけるだろう。

 浅黒い肌に、白いベールの女。一瞬、女の体を這う白い紋章が脈動する。

 三原色の剣がしなった。
 冷静に狂う女戦士は、その宝具の完全な回避は不可能であると判断。さりとて先手を取ろうとした折に、後から動き始めた狩人に先手を取られるというあべこべな展開に巻き込まれてしまった事から、己の力量にのみ拠った応手では封じ込まれると予感した。
 女戦士は大火力による力業での強行突破を敢行。その唇が微かに真名を囁いたのを、鷹の目を持つ士郎は読唇術により読み取った。

『――軍神の剣(フォトン・レイ)

 それは『神の懲罰』たる三色の光の剣。マルスの贈り物と喜んだ、五世紀に大陸を席巻した大王の宝。
 剣であるにも関わらず、剣製に特化した士郎の解析を阻む某かの力の正体を、真名を知ることで士郎は察した。あれは剣というより、異能のそれなのだ。剣が宝具なのではない、あの『戦闘王アッティラ・ザ・フン』が握ったものが宝具となるのだ。

 故に士郎に投影はできない。したとしても、なんの変哲もない長剣を剣製するだけに終わる。

 三色の光の帯が、しなる鞭の如く振るわれ、七本の矢を薙ぎ払う。

 己の対人宝具が更なる破壊の対軍宝具によって粉砕されたのだ。英雄なら、己の矜持とも言える宝具を破られたら怒りに震えるだろう。だが彼女は狩人。肌で感じる霊基の差から、何を見ても驚くような拙さを見せはしない。
 宝具の解放直後の硬直を狙い、淡々と引き絞っていた矢を放つ。流星の如く虚空を駆けた矢は、女戦士の右肩を見事に射抜いた。

 流石だな、とネロは満足げに頷く。だがアタランテの顔は晴れなかった。戦闘王は右肩に突き立った矢を――本来なら貫通させるつもりで放った矢を、こともなげに剣の柄頭でへし折り、まるで痛痒を覚えた様子もなくこちらを見据えた。
 その傷口が、見る見る内に塞がっていく。有り余る魔力供給の恩恵かその治癒能力は常軌を逸していた。アタランテは言う。殺すなら一撃だな、と。心臓か、頭か。どちらかを吹き飛ばさねば止まるまい。
 一度は顔を明るくしたネロも気を引き締める。士郎が言った。あれは戦闘王アッティラだ、と。真名の看破が異様に早いことに、しかし彼のチームは戸惑わない。彼の異能は、ここに辿り着くまでに話してあった。

 士郎は冷徹な声音で言う。近づかれたら厄介だ、もう少し手の内を知りたい、アタランテと俺で弾幕を張るから近接組は観察に回れ。ネロ、戦闘は俺達が担当する、策を練るのは任せた。
 うむ、任せよ。力強く頷くネロに頷きを返し、士郎はアタランテと並んで矢継ぎ早に剣弾と矢の雨をアッティラに射掛ける。
 しなる剣を自在に操り、一本ずつと言わず、秒間三十本の矢と剣弾が射ち出されて来るのを破壊しつつ、着実に間合いを詰めてくるアッティラ。士郎とアタランテは交互に矢玉を放って互いの隙を無くしつつ、アッティラがどこにどのようなタイミングで攻撃を受けたら、どのような動きで反応し対処するのかの情報を暴き出していく。それは戦闘というより、獣狩りに似た工程だった。
 併せて千本の矢と剣弾を凌がれ、間合いが残すところ百メートルとなった時、士郎は言った。剣技、体術の癖は大凡割り出せた。後は大技への対処のデータを取りたい。二射の間、最低二十メートルの接近に留められるか?
 その問いに、アタランテは首肯した。汝の手並み、見届けよう。暫らくは任せるがいい。
 皇帝特権により軍略スキルを獲得したネロが指示を発する。宝具『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』で足止めせよ!

 ――士郎は手を後ろに回し、矢筒に差していた螺旋剣を抜き取る。十秒をかけてたっぷりと魔力を充填、臨界に達した剣弾を黒弓につがえ形質を変化させて矢として放つ。

 真名解放『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 射手がアタランテ一人となっていた十秒の間に、しかし戦闘王アッティラは間合いを詰めるのに手こずっていた。尋常でない弾幕、狙いは粗いが規格は対軍のそれ。捌ききるには足を止め、確実に被弾を避ける必要があった。
 アタランテの『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』が尽きるのに、九秒の時を要した。その内に士郎は剣弾を滑らかに装填。片膝をついて射出体勢を取り、いざ疾走し一気に距離を詰めようとしていたアッティラに照準して、空間を引き裂く螺旋の剣弾を射ち放った。

『――軍神の剣(フォトン・レイ)

 着弾の瞬間、壊れた幻想によって破壊力を高めた投影宝具が、その爆炎ごと三色の光の奔流に呑み込まれた。
 顔を顰める士郎。自身の最大攻撃力を誇る一撃が、悪魔的なまでの魔力に底上げされている宝具で掻き消されたのだ。その攻撃力は、聖剣に匹敵すると改めて見せつけられる形だ。
 恐るべきは、宝具を連発してなお衰えた様子のない戦闘王の猛威。底の抜けた器のような戦いに、アッティラ本人の体が軋んでいた。

 ――後先を考えない暴走だな。この戦いにアッティラが勝っても、彼女の霊基は崩壊するだろう。

 士郎の読みは正鵠を射ていた。アッティラは己が滅びるのも厭わず戦いに没頭している。
 二射と言ったがもうデータはこの一射で充分だった。士郎は前言を撤回すると告げ、ネロを見た。指揮を任せる、ここまで観察していて活路は見い出せたはずだ。ネロは頷き、火に包まれた剣を掲げて高らかに詠った。

 余のアタランテよ、機動力を活かして矢を射掛け続けよ! アルトリアとオルタは余に続け! シェロは援護を頼む!

 何!? と驚愕する士郎を置き、騎士王達を率いてネロは自ら戦闘王に向けて突撃した。

 皇帝特権を持つネロである。下手を打ったわけではないはずだが、それでも士郎は傍らのマシュに指示した。ネロを守れ! 俺はここから援護に徹する!
 それは自身から守りを離す暴挙。だが何より危険なのは直接アッティラと矛を交えるネロだ。士郎もネロも、どちらも欠いてはならないのだから、より危険な方に守り専門のタンクを回すのは当然の選択だった。
 マシュは決然と大盾を構えて前線に赴く。そこに恐怖はあれど迷いはない。士郎は大声で叫んだ。ネロ、信じるぞ! カルデア第二のマスターは不敵に微笑んで応じた。余に任せよ、最高の戦果を得て魅せる!

 一番に斬りかかったネロは、果たしてアッティラの一撃で手が痺れて体勢を崩し、屠られそうになったがアルトリアがさせじと割り込む。振り下ろされた軍神の剣を聖剣が受け止め、アルトリアが苦悶に顔を歪ませて足が地面に陥没していった。
 背後からオルタが迫る。見えているようにアッティラは対処し、アルトリアとオルタを弾き飛ばした。
 あれは技量の差というより、霊基の差による出力の違い。紙のように空を舞わされながらも、青と黒の騎士王は魔力放出によって空中で体勢を制御し、魔力をジェット噴射して猛然とアッティラに挑んだ。
 霊基の差、そんなものは怯む理由になりはしない。ネロとマシュと、即席とは思えぬ巧みな連携で、主にネロの守護に重きを置きながら立ち回る。
 それでも形勢は不利だった。一撃が致命打となる剣撃の嵐、今のカルデアのサーヴァントはそれに抗うのに手一杯で、ともすると決定打となる一撃を貰いそうになる場面が幾つもあった。
 その度に、彼女達の周囲を旋回するように駆け回るアタランテの矢と、巧みに戦局を回す士郎の剣弾が危機を救った。アタランテ、士郎、どちらかの援護が欠けていたら、たちまちの内に誰かが斬り伏せられ、ドミノ倒しのように全員が戦闘王の前に膝を屈していただろう。
 それは戦っているアッティラにも良く分かったはずだ。ネロが何かを見計らうようにアルトリアとオルタ、マシュの立ち位置を調整するように立ち回り、それを悟られぬように猛攻を仕掛ける。
 だが、アッティラは悉くを凌ぎ、腕に走る星の紋章に魔力を注いで、逆に強烈な竜の尾のような一閃でネロ達を吹き飛ばした。

 その目が、士郎を睨む。

 アタランテの足には追い付けない、ならばもう一人の戦闘の要である弓兵を狙い膠着状態を脱さんとするのは極めて自然な流れだった。
 瞬間、吹き飛ばされていたネロが叫んだ。
 アルトリア! オルタ! マシュ! シェロォオ!
 常勝の王達と、戦巧者の士郎は、各々の立ち位置からネロの真意を一瞬で悟る。ネロの企図した作戦通りの展開がこれなのだ。

 士郎は瞬時に命じた。令呪、起動!

 オルタの黒い聖剣が、横合いから殴り付けるように解放される。
 黒い極光、闇の斬撃。アッティラは振り返り様に宝具を発動。

軍神の剣(フォトン・レイ)

 黒い極光と拮抗し、アッティラの足が止まったのと同時に、ネロは怪力のスキルを取得。マシュの手を掴み、士郎とアルトリアの間に投げ放った。
 士郎はマシュに叫んだ。守りは任せた! 令呪起動!

 それは、完璧に決まった聖剣のクロスファイヤー。アッティラを抑える黒い聖剣の反対側から、アルトリアが聖剣を解放。黄金の極光によりアッティラを撃つ。
 戦闘王アッティラは、アルトリアの聖剣の先に士郎がいることから宝具の解放はないと見ていたのが誤りだった。こと円卓ゆかりの者の宝具に対しては無敵の防御力を発揮するマシュを知らなかったのだ。

 仮想宝具を疑似展開。十字架の大盾の前面に張られた淡い光の結界は、アルトリアと士郎の間に展開され――

 オルタに抑えられていたアッティラは、回避もままならずに星の息吹に呑み込まれた。



 戦闘王の打倒。士郎は一息吐きながら、悩ましげに呟いた。


「――令呪全部使ってしまったんだが。ネロ、どうするんだ」

「う、うむ。しかしこれが最善だと余は思ったのだが……駄目だったか?」

「いや……一画は補充されるし……俺もこれが最善の結果だったと思う」

 士郎が思うのは、一つ。


 ――やられた。


 令呪を使い切らされた。消耗させられたのだ。まんまと一杯食わされた事実に、先の戦いがより厳しくなったことを悟らざるを得なかった。





 

 

第四節、剣の鍛ち手




 Withstood pain to create weapons,(担い手はここに一人)

 waiting for one's arrival.(剣の丘にて鉄を鍛つ)









 戦闘王アッティラ討伐後、一日が経った。
 システムにより令呪は補充され、俺は一画、ネロは三画の令呪を保有した状態に回復した。
 ネロから俺に令呪を移せればいいのだが、生憎とそんな真似が出来るほど俺は器用ではない――というよりそんな真似が出来るほどの魔術師ではない――し、生き残ったカルデアの職員達でも繊細で複雑な、既に完成されているシステムを弄る事は出来なかった。
 故にどうしようもない。そのままで、先へ赴くしかなかった。



 ――そうして帝都ローマに辿り着いた一行が目にしたのは、文字通り天を衝くほどの巨木である。



 城壁を押し潰す、一つの都市ほどの半径を持つ幹。
 塔のように威圧的な枝葉。
 そして雲の上まで届いている天蓋の如き樹冠。
 陽は遮られ、闇に包まれた帝都の有り様は、もはや筆舌に尽くせぬ魔境のそれであった。

『――信じられない……こんなものが、有り得ていいのか』

 まるで北欧神話のユグドラシルみたいだ、とロマニは呆然として呟いた。
 言い得て妙だ、と俺は思う。ネロは絶句し、自らの都の変わり果てた姿に色をなくしていた。
 さて、どうするか。どうしたものか。
 俺はその世界樹のような樹槍の偉容に気圧されながらも、手を付けられない『圧倒的な質量』を前に思考を進めた。手も足も凍りつき、唯一自由になる頭を働かせることしか出来なかったのだ。

 ……まず聖杯を回収するためにはローマ建国の王、ロムルスを討たねばならない。そのためには帝都で待つ彼の神祖の眼前まで行かねばならないのだが……帝都はご覧の有り様だ。
 ご丁寧に入り口なんて拵えられているはずもなく、どこから帝都に入ったものか皆目見当もつかない。戦う戦わない以前に、勝負の土俵にすら上がれそうになかった。
 ……マズイ。いきなり手詰まりだ。言葉にして表現するのも馬鹿らしい圧倒的すぎる質量を前にした時、人はなにもすることが出来ず呆然と立ち竦むしかないのだと改めて思い知った。

 聖剣でユグドラシルが如き巨木を斬り倒すか? 無理だ。対城宝具のエクスカリバーでも、この巨大な樹木を斬り倒すには純粋に射程距離が足りない。精々幹の半分に届くかどうかだろう。
 つまり、完全に斬り倒すには二回、聖剣を振るう必要がある。俺の手には一画の令呪のみ。聖剣に全振りしても斬り倒すには一画足りない。明日まで待っても斬り倒すことしか出来ず、帝都の中にいる聖杯に取り込まれたロムルスを聖剣なしで倒さねばならなくなってしまう。
 では令呪が三画回復するまで待つか? それも却下だ。明後日には時間切れで人理修復は不可能になる。
 そもそも、仮にこの巨大樹を斬り倒したとして、それがこちらに向けて倒れてきたらどうする? ぺちゃんこになってしまうだろう。
 一か八か、聖剣で切りつけた場所に聖杯があることに賭けるか? 馬鹿馬鹿しい、そんな確実じゃない手段に訴えるなんて愚か者のすることだ。

「……」

 疲れているのだろう。くだらないことまで考えてしまう。こめかみを揉みながら、俺は頭を振った。
 どうするかなと巨大樹を見上げながら、ぼんやりと空を埋める枝葉を眺める。時の流れは緩やかだが、かといって決して心が安らぐようなものでもなかった。
 むしろ刻一刻と過ぎ去る時に、胸の内に灯った焦りの火が徐々に勢力を強めてきたのを感じる。
 眼を閉じて、気を落ち着ける。ここに来てまさかの手詰まりに浮き足立ちそうになるのも無理はないのかもしれない。だが今の俺はチームリーダーなのだ。弱音を溢すのも、癇癪を起こすのも無しだ。
 ふう、と鉛色の吐息に全てを乗せて吐き出し、気持ちをリセットした。眼を開き、仲間を見渡す。

「で、どうする。残念ながら俺に策はない。さすがにこんなもの、想定してなかった」
「……わたしもです。ですが先輩、こんなに大きな樹が帝都を呑み込んでいたのに、帝都を間近にするまで誰一人気づきもしなかったなんておかしくありませんか?」
「……視覚阻害か、空間隔離か。帝都一帯がローマの国土を囲む結界宝具とは別たれ、界層が異なったものになっているのかもな」

 腕の立つ魔術師の工房にはありがちな仕組みだ。
 異界と異界を結合させ、それぞれを別空間とすることで身を隠すなり、実験体を捕らえるなりしていることがざらにある。まあ、こちらの方が規格も規模も桁外れに上なのだが。
 マシュの疑問に答えつつ、他に気づいたことはあるか、と問う。

「……ネロさんが神祖ロムルスに授けられた『ローマの火』があれば、あれの中にも入れるのではないでしょうか」
「入ってどうする? あの中が空洞だというなら話は別だが、そうでないなら帝都に入ったところでネロ以外が押し潰されて終わりだ」
「えっと……すみません。何も思い付かないです」
「それは俺もだ。気に病むな、マシュ」

 肩を落とすマシュの背を軽く叩いて気付けをし、俺は他の面子も見る。ここで必要なのは火力ではない。閃きと、知恵だ。
 アタランテは、首を横に振った。言うことはないということか。
 アルトリアは、俺と目が合うと、静かに言う。

「……一つだけ案があります」
「聞かせてくれ」
「私の聖剣であの巨大樹を斬りつける。これしかありません」
「……、……言ってることが分かってるのか?」

 眼を細め問い質すと、アルトリアはハッキリと頷いた。

「無論です。最後の令呪を切り、聖剣で斬り付ける。神祖は言っていたでしょう、聖杯に取り込まれた自分は暴走していると。暴走しているなら、自制は利かない可能性があります。攻撃を受けたらなんらかのアクションがあるかもしれません」
「……」

 沈黙する俺に代わり、オルタが反駁した。

「アクションがなければどうする。令呪の無駄打ちになるだけだぞ」
「これは賭けだ、オルタ。私達全員の……いや人類の命運を賭けた一か八かの」
「フン、話にならんな。アクションがなければ無駄手間に終わり、仮にアクションがあったとしても、それがあの樹木をこちらに倒し私達を押し潰さんとしたらどうする。聖剣なくしてあの質量を薙ぎ払うことは出来んだろう」

 そうだ。アクションがなければ論外。あったとしてもそれがこちらを押し潰すものだったらどうにもならない。
 力業に訴えられたら詰む。それだけは回避しなければ……。

「オルタ、それにシロウ。本当は分かっている筈だ。現状、何をしても手詰まりなのに変わりはない。なら一%でも可能性のある道に賭けるしかないでしょう」
「……アクションがあり、それが俺達にとって致命的なものでなく、且つ対処可能なものである確率に賭けろって?」
「はい。私はそれしかないと考えます。聖杯に取り込まれた神祖に複雑な思考を可能とする能力がなくなっている……或いは思考力が残っていたとしても、彼が私達に利するように動くことに、私達の全てを賭けるべきだと思います」

 ネロを見る。帝都の有り様を眼にしての驚愕は抜け切り、ネロは俺を見て首肯した。

「余はアルトリアの策に乗るのがよい気がする。勘だが……やはり神祖が聖杯如きにいいように操られるままとは思えん」
「……確実じゃないんだぞ」
「確実なだけの運命などあるものか」
「……正気か? 人理が懸かっているのに、そんな分の悪い賭けに乗れと二人して言うのか?」

 強く頷く騎士王と、ローマ皇帝。
 オルタは否定的なスタンスを崩さない。マシュも、どちらかと言えば否定したがっている。
 アタランテは……マスターのネロに従う構えだ。

 ……切嗣。あんたならどうする?

 胸中にて問い掛け、俺は決断した。

「……死ぬ時は、前のめりだ」
「……」

 その一言で、俺の意図を察したのだろう。アルトリアが風王結界の鞘を解き、黄金の剣を解放して大上段に聖剣を振りかぶった。

令呪起動(セット)。システム作動。サーヴァント・セイバー、真名アルトリア・ペンドラゴンを指定。宝具解放し、任意の対象を切り裂け」

「感謝を、シロウ。この一刀に全てを託しましょう。約束された(エクス)――」

 聳え立つ雄大な樹槍。天を衝く偉容。
 それに、星の輝きを束ねる光の剣が、遥か地上より天高く聳えるローマを照らす。

「――勝利の剣(カリバー)!!」

 振り下ろされた星の聖剣。縦に斬り込まれた巨大樹は、確かにその半身を半ばまでその傷を届かせた。
 果たして。

 巨大樹は胎動し、大地を激しく揺らしながら、その幹を縦に割り――ゆっくりと、その質量を俺達のいる方に倒れ込ませてきたのだった。







 

 

偽伝、無限の剣製 (前)



 ソラが、落ちてきた。

 聖剣の光に照らされ、(かし)いだ北欧神話の世界樹(ユグドラシル)の如き樹槍。その偉容はローマの歴史その物の質量に比し、たった数騎の英霊など容易く押し潰してしまうだろう。
 聖剣の一振りで消し飛ばすには巨大すぎる。楯で受け止めるには重すぎる。人智で計るには荷が勝ちすぎた。
 一瞬、諦念が脳裏を過る。ここまでか、と体から力が抜けてへたり込みそうになる。だが諦めて堪るかという、強烈な怒りにも似た激情に俺は天蓋の崩落を睨み付けた。
 しかしそれがなんになる。不屈の闘志が一体なんになるというのだ。そんな精神論、この現実の事象にどう左右するという。ゆっくりと傾ぐ樹体、後のない危機的状況。まさに絶対絶命という奴であろう。
 だが、それこそなんだというのか。絶対絶命なんてもの、これまで幾度も乗り越えてきたではないか。今度も乗り越えられる、乗り越えて見せる、現実に施行可能な選択肢を思考しろ、何がこの危機を打開せしめるのか見極めろ。

 マシュの楯で凌ぐ――却下だ。マシュのそれが強力無比な防壁となるのは確かだ。しかし上から圧し掛かってくるものを受け止めるという事は、そのまま巨大質量を支える事に繋がる。そうなると宝具の長期展開を余儀なくされるだろう。
 宝具を長時間展開出来るだけの魔力を、俺もマシュも残していない。仮に実行した場合、魔力が尽きるまでの間、死期が遠ざかるだけ。時間を稼いで策を練る猶予を稼げるかもしれないが、それだけだ。今より消耗した状態で一体何が成せるというのだ。
 ではアルトリア、或いはオルタによる聖剣抜刀はどうか。――これも却下である。マシュの楯すら満足に発動出来るかどうか定かでないというのに、最強の聖剣の魔力消費に今の俺が耐えられる筈もない。そもそもこんな巨大なものを焼き尽くすほど、広範囲に放射出来るものでもなかった。無理矢理に聖剣を解放させたとしても、魔力の不足故に通常の威力を発揮する事すら出来まい。
 となるとネロ、アタランテ。この二人もまた論外だ。単純に火力がない。ネロの剣に灯る火も、果たして全員を守護するのに足りるのか。不確定なものに賭け、縋るのは無責任である。

 ――無意識の内に、一節を口ずさんでいた。

 マシュを見た。薄く儚い少女。普通の、女の子。デミ・サーヴァントとして楯を構え、なんとか防ごうと気組を立てている。その目は只管に俺を見ていた。
 何故俺を見る? 俺ならどうにか出来るとでも? ……いや。自分に命じろとマシュは言いたいのだろう。自分が真名解放し一時とはいえローマの質量だろうと支えて見せるから。その間に、なんとか逃げてほしい、と。
 その献身は。
 命を賭してでも俺に尽くそうとする姿勢は、誰かのために在ろうとする感謝の気持ちは。尊い物のはずのに、吐き気がして。
 俺の神経を逆撫でにする。逆上にも似た怒りが俺を発奮させた。

 ――お前を犠牲にする手なんて、選べるか。

 三十路手前のいい年したおっさんが、ガキに縋るようになったらお仕舞いだ。
 渾身の魔力を振り絞り、紡いだ二節。軋む肉体。哭く回路。強がりは男の子の特権だ。だが苦境の強がりはおっさんの義務である。剣製に特化した魔術回路が唸りをあげ、鋼の剣が内部から総身を突き刺していく。痛くないよと痛がって、表情の上に鉄を置く。微塵も顔色を変えない、もうこうなったら意地だった。
 アルトリアとオルタを見た。無理矢理に聖剣を解放しようとしている。己の存在を維持する魔力を聖剣に充て、充填させていく。責任を取るつもりなのか、この事態を招いた事を責任と捉えているのか。
 ばかめ。決定し実行したのは俺だ。ならその責任は俺のものだ。リーダーは俺だろう。偉ぶる為にリーダーを張ってる訳じゃない。断じてお前達に重荷を背負わせるものか、こんな所でお前達を失って堪るか。
 俺は、待て、と断固として言った。
 ハッとして俺を見る碧い瞳、琥珀色の眼。信じ難い物を見たというような顔は、属性が正反対であっても同一人物である事を納得させた。
 立ったまま顔を伏せ、内側から突き出てきた剣山に貫かれ無惨な肉塊と化した左腕をぷらんと落とす。眼を閉じ右手で祈るように拳を作った。

 ネロは何を察したのだろう。アタランテは事を成さんとする男を見守っている。

 みんなは俺の成そうとする事を知っている。俺の能力は話してある。故にだろうか、託すように俺を見ていた。
 その信頼が重い。その視線が痛い。もう使う事はないと、自らに禁じていた、あの朝焼けの丘。克明に浮かび上がるイメージに心的外傷の瘡蓋が剥げる心地がした。
 あらゆる信条をネジ曲げても、魔力が足りないという現実的問題がある。展開出来ても十秒そこそこだろう。結界の範囲を限界まで広げ、外部の世界から遮断し――其処からどうする。異世界というシェルターを敷いて、其処から、どうするというのだ。

 三節、四節、五節。

 唱える内に、傾いだ樹国はソラとなって落ちてくる。いつの間にか側まで来ていたマシュが肉塊となった左腕を掴み、倒れそうな体を支えてくれた。

「――yet, (けれど)

 頭をカラにして、紡ぐ六節。

my flame never ends(この生涯は未だ果てず)――」

 頭痛がする。喉元を競り上がる鉄の味に、束の間、現実を忘れた。

My whole body was (偽りの体は)

 この偽物が、借り物の人生が、俺のものなのだと謳う厚顔無恥。
 恥知らずな我が身。省みぬ罪禍。
 本物の尊さを語る術はない。偽物の偽者だ。何を言っても白々しく何を知っても空々しい。この身に赦されたのは、仮初めのもの。所詮は空想、幻想に至らない夢のカケラ。

still (それでも)

 七節。
 詠唱は完成する。偽物だと自嘲した口で、情けない本音が囀ずられる。
 それでも、と。これしか自分にはないのだから。
 己のためではなく。せめて誰かのために刃を振るう事は、赦してほしい。そう願う。
 認める者はいない。俺の秘密を知る者もいない。だがそれでいい、誰も知らなくていい、俺が偽物のエミヤだと、知らなくていい。みんな俺を本物だと信じる。なら、俺は偽物でも、本物として恥知らずに駆け続ける。
 だって、どう足掻いたところで。(こころ)が偽物でも、この体はきっと――

"unlimited blade works"(無限の剣で出来ていた)

 ――走り続ける限り、折れる事はないと信仰する。

 真名が世界に熔け、崩落する樹国がソラより落ち、大地にあるもの悉くを押し潰す刹那。
 鉄を鍛つ火が駆けて、人理の守護者らを取り込んだ。








 固有結界(リアリティ・マーブル)

 曰く、固有結界とは悪魔が持つ『異界常識』だった。それを人間にも使用可能な範疇に落とし込み、魔術として確立したのが魔法に最も近い魔術。魔術世界の禁呪である。
 それは術者の心象風景で現実の世界を塗り潰し、内部の世界そのものを変えてしまう魔術結界。御大層なことに魔術に於ける到達点の一つとされるもの。本来衛宮士郎のような未熟な魔術使いに至れる境地ではない、叡知の結晶だ。
 だが。
 この体は固有結界にのみ特化した魔術回路。この回路を通して行使される魔術は、悉くがリアリティ・マーブルの副産物に過ぎない。
 剣製が出来るのではない。剣製しか出来ないのだ。魂ではなく、肉体に埋め込まれた聖剣の鞘に、起源を剣に変えられて。故に固有結界の現す異能は剣製の枠組みから外れ得ない。
 衛宮士郎は、例えどう在っても、剣製に特化した魔術使いでしかないのだ。

「これは……」

 ――晴れ渡る蒼穹のソラ。

 果てなく広がる底無しの青空を、赤い土に突き立つ無限の剣が支えている。
 雲一つない晴れ模様が憚りなく心象を示す。
 影一つ生まない日輪の歯車が淀みなく廻る。
 無限に精製される剣群、絶え間なく流れる清流の涼風。なんて恥知らずの具現なのか。偽物は己に恥じるものなどないと信じているのだ。
 完璧に滑稽。まさに道化だ。だが、弁えよ。道化の所業であれ、扱う用途によっては価値もある。急速に溶けゆく魔力に命尽き掛けるのを、俺は歯を噛み締めて堪えた。
 流石に馬鹿にならない魔力消費量だ。人理が焼却されている故に、世界の修正力もほぼなくなっているにも関わらず、俺如きでは展開しただけで内臓をシェイクされているような激甚な痛みを覚え眩暈がする。
 それでも、マシュに無理をさせるよりはマシだった。アルトリアとオルタをこの局面で落とすよりずっと良かった。友と呼んだネロに縋るよりもこれが最善だったと言い張れるだろう。

 カルデアから通信が入る。驚愕にまみれたそれは、果たしてロマニのものだった。

『この反応は……固有結界か……!? まさか士郎くん、きみがこれを……?』
「すまんがくっちゃべってる暇はない! ロマニ、戦闘服を通じて俺にカルデアの電力を廻してくれ。そう長くは保たんぞ……!」

 元々限界寸前だったのだ。無理矢理魔力を捻り出したせいで左腕が逝った。完治させるのに一週間はかかると見ていい。どう足掻いた所でもうこの特異点では使い物にならない。
 張り詰めたものを感じてくれたのか、ロマニが「滅茶苦茶痛いけど、我慢してくれよ!」と言って電力を回してくれた。改造戦闘服のシステムが、電力を魔力に変換し、俺の魔力負担を軽減してくれる。代わりに、魔術回路に得体の知れない異物が流れ込んでくるような感覚がある。
 痛いとは思わなかった。痛覚は操作できるものだが、今は純粋に痛みを感じる機能が落ちていたのだ。固有結界を維持する魔力をカルデアが担ったが、それもあくまで一部だけ。到底、アルトリア達の聖剣には回せない。

「これが……固有結界。先輩の、心象風景……」
「恥ずかしいから、あまり見ないでくれると助かる」

 感嘆符でも付きそうな表情のマシュやアルトリア達に、俺は渋面で言った。
 俺にとって自らの恥知らずっぷりを露呈させる最悪の禁呪だ。出来るなら使用は避けたかったのである。
 そもそもこれは、戦闘向けの魔術ではない。これが有効なのは有象無象の雑魚か、英霊の中でも最強に位置する英雄王に対してだけ。今回はシェルター代わりに展開して外界から切り離し、ローマに押し潰されるのを防ぐのに使ったが……それとて苦渋の思いを圧し殺しての事。不本意だった。

「……マシュは俺の前に。ネロ、アタランテは俺の傍だ。アルトリアとオルタ、二人は前衛として構えろ」
「……? 何故だ、シェロ? そなたのこれは世界から切り離された異世界なのだろう? ならば警戒すべきものはないであろう」
「――必要がなければ言わん! 早くしろ!」

 一喝し、すぐに指示通りの陣形を取らせる。流石に歴戦の英霊達は動きが早い、アタランテは即座にネロの手を掴んで俺の傍らまで来るや油断なく弓を構え、一拍遅れ駆けつけたマシュの死角をカバーする。
 アルトリアとオルタは瞬時に、黄金と漆黒の聖剣を晴眼に構え周囲を警戒した。

『なるほど、そういう事か』

 固有結界をマスターが使える事への驚きを呑み込み、ロマニは納得したふうに呟いた。固有結界の特性を、彼は知っているのだろうか。

『士郎くんが固有結界を展開した時に、結界の範囲内には君達以外にもそれ(・・)があったね』
「ドクター、それとはなんですか?」

 マシュが訊ねる。ロマニは強い緊迫感を表皮に這わせるようにして言った。

『すぐ側まで倒れ込んできていた巨大な樹木だよ。丁度(・・)、巨大な樹木の中腹辺りの(・・・・・)ね』
「……ぁっ、」

 マシュの瞳に理解の色が広がる。途端、顔を強張らせて周囲を警戒し出した。
 だがその必要はない。紛いものとはいえ、この結界の内側は俺の領域。意図せずして取り込んでしまった(・・・・・・・・・)異物の感知など、赤子の手を捻るよりも容易い。

『――固有結界内の魔力反応急激に増大! 来るぞマシュ、士郎くん!』

 警告と共に、赤い土が盛り上がる。
 莫大な魔力噴流、活火山の噴火の如き勢力で大地を蹴散らして飛び出てきたのは、濁流のように垂れ流される汚濁の魔力塊である。
 濡れた泥のような粘性のそれが、ぬちゃりと周囲に撒き散らされ、触手じみてうねる樹木が錨のようにソラを刺した。

「……!」

 蒼穹のソラを汚染する油。それの正体に気づいたネロが、悲痛に表情を歪めた。
 帝都を埋め尽くしていた、異様な偉容を誇った樹木、その中枢にあったと思われる、恐らくは樹槍の本体。即ち――

『! 気を付けるんだみんな、それからは聖杯(・・)の反応がする! 間違いない、それはローマ建国王の――』

「――いいや。奴はもう、ロムルスじゃない」



 魔神霊、顕現



 夥しいまでの眼、眼、眼。
 さながら魔神柱の如く、魔力の塊である樹木の表面を深紅の眼球が埋め尽くしていた。
 うねる触手の樹面を掻き分けるようにして、膨大な魔力熱量に焼け爛れた、天性の肉体が進み出てくる。
 見る影もない、神性も真性も失った神祖の遺骸(霊基)――それに寄生する魔神の悪意。聖杯の力で、英霊ロムルスを汚染する特異点に投錨されたもの。

「ぉ、ぉお、おお……な、なんたる事だ……」

 余りに無惨。余りに悲惨。怨嗟を漏らし、睨み付ける眼は激怒の涙に濡れてすらいる。
 ネロは怒りの限度を超えて言葉を失っていた。薔薇の皇帝が、神祖に託された『火』を一層激しく燃え盛らせる。原初の火の銘を持つ剣を、ぎゅぅぅう、と強く握り締めた。

 見ろ、と注意を喚起するためにオルタが促した。

 ヘドロのように溶け落ちた樹槍を持つ魔神が立っている。
 沸騰した溶岩のような魔力を放ち、その膨大な魔力は何重にも重なった防壁となっていた。あれがある限り、火力という面で騎士王に大きく劣る女狩人では、とても有効打を与える事は叶うまい。
 む、とアタランテは物言いたげにオルタを見る。侮られたと感じたのか。しかし限界まで弦を引き絞ればAランクにも達する一撃を放てるとはいえ、連射が出来ぬならここぞという局面まで力を温存すべきだというオルタの見解は正しい。

「シロウ、指示を」

 オルタの冷徹な眼差しは、この特異点の戦いが最終局面に達したのだと告げている。
 微塵の揺らぎもない機械めいた姿は頼もしくすらあった。俺はネロを見る。気遣われていると思ったのか、気丈に薔薇の皇帝は俺を睨む。侮るな、と。ここまで来て怒りに立ち止まる事も、嘆きに鈍る事もない。余はローマなのだからとその眼が雄弁に語っている。
 ならば気遣うのは逆に失礼だろう。ネロから視線を切り、俺は総員を見渡した。

 神祖の霊基を乗っ取った魔神が、ようやっとこちらへ焦点を合わせ、ヘドロの槍を振りかざす。

 赤土が隆起した。魔神を基点に巨大樹の根が幹が津波となって襲い来る。
 この特異点ではすっかり見慣れた光景だ。マシュが飛び散る木片から後衛と俺を庇うように立つ。その様は、まさに城壁の如き楯――

「敵性個体、戦闘態勢に入りました! 来ます!」
「ああ、完膚なきまでに勝ちにいくぞ。各自最善を尽くせ、全兵装使用自由(オールウエポンズフリー)だ! 露払いは俺に任せろ、往け!」

 青と黒の騎士王が打ち出された砲弾のように疾走する。黄金と漆黒、交差する聖剣の軌跡が同時に風の穿孔を解き放った。

 風王鉄槌(ストライク・エア)

 卑王鉄槌(ヴォーディガーン)

 樹海の津波を穿ち、己の道を切り開いたそれが開戦の号砲となる。







 

 

偽伝、無限の剣製 (中)





 未確認の敵性体と偶発的に遭遇してしまい戦闘が避けられない状況(もの)となった場合。まず第一にすべき事は何か。

 それは敵脅威度の判定である。

 瞬時に見極めねばならない。敵の戦力はどれほどか? 敵の種別は?
 見て取るなり考察せねばならない。どのように対処するのが効果的か? 敵が目的とするものは?
 適当に銃弾をバラまいて片付けられるのは、理外に身を置かない常道の存在のみ。一歩裏道に踏み込めば、たちまち物理法則を嘲笑う不条理な現象に襲われる。
 故に求められるのは反射的に敵を撃ち殺す脊髄反射ではない。倒すべきか、逃げるべきなのか、捕縛を狙うか、時間稼ぎに徹するか――瞬時に判別すべきものは多く、その局面に立たされた時に冷静さを保っているのは前提条件だ。
 闇雲に動いた結果が功を奏するのは子供の喧嘩まで。大人の――軍事や魔道に纏わる者の戦闘に於いて偶然という要素は極限まで排されてしまう。
 勝つべくして勝つのだ。負けるべくして負けるのである。運の要素は確かにあるが、それだけを頼りにすればたちまち往生するだろう。

 現在明らかなのは敵性個体が神祖ロムルスの霊基を乗っ取っている事、そして聖杯を所有している事である。この時点で想定出来るのは、基本的な性能は神祖に準ずる可能性と、魔力は聖杯により無尽蔵であろう事だ。
 即ち、単純に考えても脅威度は最大。魔力や精神力に限りのあるこちらが長期戦を挑むのはあまりに無謀。ただでさえ消耗しているのだ、短期決戦しか活路はない。力を出し惜しむのは愚か極まる。

 故に俺は迷わなかった。

 現状発揮し得る最大火力で一気に叩く。敵に何かをさせない、一気呵成に叩き潰す。仮にこちらを一撃で屠れる手段を相手が持っていたとしても、何もさせなければ問題はないのだから。

 弓の弦より解き放たれた矢の如く、青と黒の軌跡が一直線に魔神霊を葬らんと疾駆する。
 それを視界の隅に収め、射手たる術者が片手を掲げた。地に突き立つ千の剣群が浮遊する。贋作とはいえ仮にも宝具、見渡す限りのそれが術者の意思に呼応する様は壮観だろう。だがネロ・クラウディウスはそれに目を奪われる事なく、毅然と己のサーヴァントへ指令を発した。

「追って沙汰する! 今は駆けよ!」

 剣の丘に深緑の風が吹く。駿足の女狩人が疾走したのだ。
 真っ向から迫り来る騎士王らに泥肉のような樹木の幹が襲いかかる。

 ――男に二言はない。やらせはしない、露払いは俺の役割だ。

 照準固定、一斉射撃。掲げた手を振り下ろすや、疾駆する騎士王らを再度呑み込まんとする樹木の触手を撃ち抜いていく。千の剣群が剣林弾雨となって降り注いだ。鷹の目の確度、射撃の精度は高水準で保持出来ている。枝葉一つ、見逃しはしない。
 飛び散る木片全てが魔力の塊、汚染源の泥。一つ残さずマシュが叩き落とす、ネロの剣の神聖な火が蓄積する泥を焼き払う。裂帛の気合いを放ってアルトリアが接敵した。剣弾に丸裸にされた樹木の壁など、名にし負う騎士王には紙も同然。易々と突き破り黄金の聖剣が魔神の首を刎ね飛ばした。
 やった……? それを見た瞬間、マシュがぽつりと呟く。俺は叱咤した。

「離れろ! アルトリア、オルタ!」
「―――っ!?」

 咄嗟に飛び退いたが、退避が間に合ったのは機動力で微かにアルトリアに劣っていたが故に、接敵するのに一拍遅れていたオルタだけであった。
 首を無くしたにも関わらず、平然と駆動する泥の魔神。ヘドロの槍を振りかざし、地に突き立てた。



 すべては我が槍に通ずる(マグナ・ウォルイッセ・マグヌム)



 それは神祖の第一宝具、その真名解放。固有結界内の赤土からヘドロの芽が発芽し、無数の枝葉が退避しようとしていたアルトリアの左足に絡み付く。
 瞬く間に膨張するヘドロは、ローマそのものを汚し冒涜する邪悪なもの。ネロが怒号を発し丘に突き立っていた無名の剣を擲った。飛来したそれが、天高く持ち上げられ振り回されていたアルトリアを解放する。足に絡み付いていた触手を切断したのだ。
 着地すらままならぬ様子のアルトリア。虚空に投げ出された華奢な体躯を、思わず駆け出していた俺はなんとか受け止めた。鎧の重さのせいか、左腕が逝ってるためか、支えきれずもろともに転倒してしまう。
 ヘドロの濁流が怒濤の奔流となって迫る。倒れたまま、刃渡り十メートルにも及ぶ巨大な剣を十、投影し防壁とする。おぞましい波擣を数瞬押し留めるも、呑み込まれかけた刹那に内包した神秘を暴走させ、指向性を持った爆発を起こす。
 『壊れた幻想』である。爆風の中、腕の中のアルトリアに訊ねる。無事か? と。

「――すみません、シロウ。どうやら私はここまでのようです」
「……何?」

 淡く微笑んだアルトリアは、己の左足を指した。泥の触手に取られた足――そこからはヘドロの芽が萌芽し、徐々にアルトリアの体を侵食しつつあるではないか。
 目を剥き、一瞬、俺は言葉を無くす。最高ランクの対魔力を持つアルトリアを蝕むという事は、あれは聖杯の泥に比類する呪いという事だろう。つまり能力的には歯が立たないが、気合いで割りとなんとかなるという事である。聖杯の泥はそうだった。
 なんとかアルトリアを助け起こすと、手を伸ばしてその額にかかっているアルトリアの髪を掻き上げる。

「シロウ……? ……っ?」

 軽く、額に口づけする。顔を離すと、呆気に取られていたアルトリアに言った。

「もう充分だ。休んでいろ。いいな」

 情を一切込めず、淡々と言って聞かせ、俺はマシュの許に戻り再度剣群の投射に専心する。
 何やら咎めるような、はぶてたような、面白くなさそうなマシュの顔に、俺は気づきつつも何も言わず。無くした首を再生させた名も知らぬ魔神に舌打ちし、際限なく沸き起こり、降誕する樹界の坩堝に戦法を改める必要を認めた。

 魔力を廻し、全力稼働する魔術回路にカルデアの電力を変換した魔力を供給。筆舌で表現し難い異物感に眉を顰めつつ、百、二百、三百と剣群を撃ち込み俺は思考する。
 ヘドロの噴流留まることなく。アルトリア、オルタ、アタランテ、俺の火力で押し込み、押し潰し、一気に打倒する事能わぬ。であれば無理に攻め続けるは愚行。いたずらに消耗するだけとなれば、手を変えなければならない。
 ではどうする。速攻による成果は魔神の首を刎ねた事だ。しかし魔神は首を無くしても再生した、体内の聖杯が延命させたのか、そもそも人の形をしていても急所は人体とは異なる可能性もある。ならば心臓を潰しても無為。聖杯を奪い取る事がそのまま魔神を葬る事に繋がる。
 それか、聖杯の回収は諦め、もろともに破壊するか。ここからは力攻めではなく、隙を伺い一点集中の大火力で討ち取るべき状況にシフトしたと見るのが賢明だろう。俺はネロにその旨を告げた。

「賛同しよう。ならば畳み掛ける段に移るならば余もアタランテと共に駆けようとも。生きるか死ぬか、伸るか反るか、全てを賭けるべきであろう」

 アルカディアの狩人は、突如足元から障害物が現れても慌てる事なく縦横無尽に駆け回り、魔神の注意(ヘイト)を稼いで小刻みに矢を射掛けていた。ネロはそんなアタランテ目掛け自身の剣を投擲する。
 咄嗟に剣を掴み取ったアタランテは、熱くない火に照らされネロを見る。マスターはサーヴァントに告げた。暫し預ける、ここぞという時を逃すでないぞ! と。
 俺は『原初の火』と同型の剣を投影しネロに渡す。そしてネロの言に応じた。

「そうだな。今更臆する理由もない。下手を打てばそれまでだが、そうしないとならないなら俺も全てを賭ける」

 俺はマシュの肩に手を置いた。酷く細い女の子の華奢な肩だ。とても戦う者の体ではない。その目も、抱く意思も、戦場に似つかわしくない。
 しかし、それでも彼女は戦うと決めている。その意思をねじ曲げる権利など誰にもない。俺も、何も言う資格はなかった。故に――

「乾坤一擲となる。マシュ……」
「はい。分かっています、先輩。どこまでもお供します。きっとわたしも、先輩のお役に立ってみせますから」

 オルタが暴竜の如く魔力を噴射し、自身を取り囲まんとしていたヘドロの触手を一息に吹き飛ばす。しかし無尽蔵に沸く質量に、オルタすら抗うのは困難なのか、直前まで己のいた地点に槍の如くそそり立った樹木を蹴りつけ俺達の傍にまで退いてきた。
 まるで見当外れな事を言うマシュの中で、俺がどれほど大きいのか……その大きさがそのまま俺の責任である。なら俺は、マシュの想いを裏切る事だけは決してしない。

「……ばかだな。役に立つ処か、マシュは俺の生命線だ。死んでも手放さないから、そのつもりでいろ」
「……! はい!」

 苦笑してそう言うと、マシュはほんのりと頬に桜を散らし、力強く楯を構えた。

 微かに息を乱していたオルタが、若干目を眇めて俺を睨む。そのジト目になんとなく居たたまれなくなる。なんだ、なんでそんな目で俺を見る?
 傍に寄ってくるなり、何故か無言で前髪を掻きあげ額を見せてくるオルタに、俺は難しそうに首を傾げざるをえない。いったい何が言いたいのか……察してはならない気がした。

 オルタは舌打ちし、黒い聖剣に指を這わせ俺に言った。

「シロウ。決着は早い方が望ましい。私も魔力に不安が出てきました。聖剣を使わずとも、全力戦闘ともなると保って数分といった所です」
「……八割に抑えれば?」
「10分ですね」
「上等だ。5分、八割で保たせろ。その後に仕掛ける」

 行くぞ、と俺は声を掛けた。

 ネロが力強く頷いた。
 オルタは黒鉄の甲冑を解除し、深い闇色のドレス姿となって応じる。

 マシュは――アルトリアに呼び止められた。

「シロウ、マシュを借ります。すぐに返しますので、どうか構わず」

「解った。
 アタランテにばかり働かせると後が怖い。往くぞ!」

 







 改造戦闘服の上に着込んだ赤原礼装を翻し、壊死した左腕をぶらさげて。エミヤを騙る男は陽剣・干将を右手に駛走する。
 前方を馳せるオルタが大敵に専念出来るように、条理を逸脱した巨木の鞭を剣弾で穿ち散らすのを主眼に置いた陣形である。
 故に男の左脇を固めるのは敗残の身から再起したローマ皇帝ネロ。奇抜な深紅のドレスのまま、投影された大剣を携え、押し寄せる枝葉を優雅な剣捌きにて切り捨てる。
 その太刀筋は一流の剣の英霊のそれだ。騎士王には劣るものの、彼女が神祖より賜った皇帝特権により、彼女は一級の剣術スキルを会得しているのである。

「アルトリアさん、なんでわたしを行かせてくれないんですっ! 先輩が戦っているのに、わたしだけこうしているのは耐えられません!」

 左足を侵す汚泥は、アルトリアの体を徐々に樹体化させつつあった。マシュが焦っているのは、アルトリアの容態を慮ってのものでもあるだろう。彼女の中の霊基は、騎士王という王を決して無視できない。そうでなくても、マシュという少女はアルトリアの状態を看過出来る性質ではなかった。
 そんな事などお見通しなのだろう。かつて、理想の王という装置に徹する余り、人の心が分からぬ者となった騎士王は、今は肩から力が抜け人の心が良く分かるようになっている。故に、マシュのもどかしさも良く理解していた。

 それでもアルトリアはマシュを行かせない。

 途方もない激痛に、アルトリアは額に脂汗を浮かばせつつも、決して乱れる事なく静かな語調で告げる。

「マシュ、よく聞きなさい。今の貴女をシロウの許へ行かせる訳にはいきません」
「っ? な、何故ですか! 先輩はわたしを、自分の生命線だと仰ってくれました! わたしもお供しますって、言いました! なら、行かないと――わたしは、先輩のお役に立ちたいんです!」

 『誰かの為に』ではない。そんな曖昧な想いではない。明確に慕うマスターの事を想ってマシュは言っている。それを否定する気はアルトリアにはなかった。
 だが、

「私が貴女を行かせないのは、今のマシュでは足手まといにしかならないからです」
「ッ! ……それはっ、そうかも、しれませんけど……!」

 あれを、と。ブリテンの騎士王が指し示した先には芳しくない状況が置かれてある。
 樹槍の膨張甚だしく、急激に成長する樹林は固有結界を埋め尽くす勢いで広がり、暖かい赤土に夥しい量の泥の根を張り巡らし、晴れ渡る蒼穹の空に蓋をしようと暗いヘドロを撒き散らしている。

 カルデアは局地的に抵抗しているだけといった有り様だ。

 アタランテは身軽に駆け回り、一向に樹界に囚われる気配はない。しかし背負った大剣を活かす機会がない。ちまちまと射掛ける矢は悉く魔神に命中しているが、まるで効いた様子もなく、生え乱れる泥の樹林に矢の一本すら阻まれ通らなくなりつつある。
 男の剣群は己やアタランテ、オルタ、ネロに迫る泥の津波を押し留めるのに全力を注がれている。オルタの卑王鉄槌、ネロの剣撃、どれも一定の威力を発揮しているが、全体を通して見ればまるで意味を成していなかった。
 無限の剣は無尽の泥に押し流されつつある。こんな大局の戦い、押し切るには圧倒的な個の力か、それに類する大局の力が必須となるだろう。
 それは、残念ながらここにはない。
 アルトリアも、オルタも、その霊基は初期のそれ。幾分か嵩増しはされているが、そんなのは誤差の範囲。本格的に霊基を再臨せねば、とても大局の個とは成り得ない。

 そして、無限の剣では世界の重みに抗し得ないだろう。剣を振るうだけのネロとオルタでも意味がなかった。狩人の技も世界を前には無為である。ここに、楯を持つだけの騎士を投入しても只管に無駄なのは自明である。
 男は、アルトリアにとって妬ましいながら、マシュへ非常に肩入れしている。マシュは最期の最後で男に庇われるだろう。あの男は、そういう男だ。故に一個の戦闘単位としてのマシュをそのままにはしておけない。
 本来は黙っておくべきなのだろう。その成長を見守るべきなのだろう。
 だが優しく育てる時期は逸した。これよりアルトリアが為すのは独断のそれ。そうせねばならないと直感(・・)したのだ。

 絶望的な戦局。男は5分とオルタに言った。それまでに、なんとかするのが自分だとアルトリアは自認する。座して待つだけの者ではない、この身は貴方の剣であると誓ったのだ。
 剣は、振るわれなければならない。そして、剣は楯と一体でなければならない。アルトリアは強靭な意思を込めてマシュと相対する。

「あなたの実力は高い。それは当然です。貴女と一体となっている霊基は『世界で最も偉大な騎士』のもの。その技量は我が友ランスロットにも比する。故に貴女がいれば戦力が高まるのは確かです」
「ならわたしは行きます! 先輩のお力になれないなら、わたしには何も――」

「聞きなさい!
 ギャラハッド卿(・・・・・・・)!」

「ッッッ!?」

 その王命(・・)に、マシュの体は反射的に固まった。
 ――今、アルトリアは。騎士王はなんと自分を呼んだのか。
 そんな事も意識できぬほどの衝撃。短い付き合いなのに身近に感じる人からの叱責。怒られた事への驚きは、生前(・・)では無かった事だったからこそのもの。
 マシュは思わずたじろぎ、強い光を放つアルトリアの目を凝視した。
 凄烈なる騎士王は言う。諭すように、マシュとその内の霊基のズレ――似通う性質の持ち主とはいえ、確実に他人同士である彼女/彼の方向の違いを正すために。

「思い出しなさいマシュ、ギャラハッド。あなた達の在り方を。あなたは強い、それは確かです。しかし強いだけ(・・・・)なら、何もあなたである必要はない。
 ――あなたの盾は、そうではないでしょう。強力な脅威を弾く物質ではない。あなたの楯は、その心を映し出すものなのだから」
「―――」

 声もない、とはこの事だろうか。
 黒鎧の少女は、十字架のような大盾の取っ手を無意識に握り締めた。

「マシュに教えておきます。貴女に力を与えたギャラハッドは消えていません。貴女の中に残り続けている。そして貴女を見守っている。デミ・サーヴァントとは、英霊と一体となった者。ならば消える事などないと知りなさい」
「わたしを、見守って……?」
「ええ。折角『世界で最も偉大な騎士』を宿しているのです、まず己の裡に在る者を辿りなさい。そして、己の在り方を問うのではなく、自身がどう在りたいか、どう在るべきなのかを定めるのです。それが貴女でしょう、マシュ」
「―――」

 何か、眼が開いた心地だった。
 マシュは問う。自分はどう在りたいのか。
 ――役に立ちたい。先輩のお役に。
 それは勿論ある。だが、より具体的には、どうか。
 ――わたしは。
 アルトリアは微かに微笑み、子供の成長しようと足掻く姿を眩しそうに見届けて。
 颯爽と歩く。苦しく、体が変異する痛みにも怯まず。そして背を向けたまま、アルトリアはマシュの(なか)に言葉を向けた。

「純潔、王道、大いに結構。ですがギャラハッド、見守るだけでは駄目でしょう。時には導く事をしなければ。今のマシュは貴方の妹のようなもの、これを導かなければ――父上のようになってしまいますよ?」
「ッッッ??」

 茶目っ気を見せて笑ったアルトリアに、マシュの霊基が強烈に反応した。
 思わず飛び上がりそうになる。マシュは驚いて、聖剣を構えたアルトリアを見る。

 導く、か……。

 心の中で、アルトリアは呟く。
 かつて人の夢を束ねる覇王に糾弾された事がある。お前は導く事をしなかった、と。
 なるほどそれは正しい。アルトリアはそれを認めた。ならば、今、導く。過去出来なかったそれを、現在で果たす。
 姿形は違えど、臣下である。騎士である。ならばこれを導いてこその王。あの覇王とは決して相容れないが、正しいと認めた部分だけは素直に聞いてやろうではないか。

「マシュ、見ていなさい。これが『役に立つ』という事です」

 解放された聖剣が、アルトリアから魔力を吸出し、目映い黄金の煌めきを放つ。
 切っ先が睨むのは、今まさにカルデアを押し潰さんとする汚泥の波濤。人間の奮闘をキキキキと嘲笑う魔神の暗黒。
 死に物狂いで薄紅の七枚楯で凌ぐ男と、捨て身で反転した極光を解き放たんとする黒騎士。青い騎士王は堂々と剣を担ぐ。そして、最後に言った。

「ですが、貴女は『役に立つ』だけで満足してはいけません。彼を――シロウを『守る』。それは貴女にしか出来ないことだ」
「アルトリアさん……」

 参る、と謳う常勝の王。
 見守る臣下の目を背に受けて、約束された勝利の栄光を主君に届けよう。
 己の存在を維持する魔力を全て注ぎ込み、粒子となって消えていきながら、アルトリアは渾身の力を込めて必勝の輝きを解放する。
 其の真名は。




約束された(エクス)――

       ――勝利の剣(カリバー)!」




 絶命の窮地にて、自身らを救い出した黄金の光。
 男は唇を噛み締め、オルタは忌々しげに先を越されてしまったかと吐き捨てた。

 マシュは、その王を知る。本当の意味で感じる。
 そっか、と呟いた少女の目には、衒いのない純潔の炎が燃え盛っていた。
 成すべき事を知って。楯の少女は、出撃する。

 密かに潜む獣の気配を、誰も感じないまま。







 

 

偽伝、無限の剣製 (後)

偽伝、無限の剣製 (下)





 俺の厚かましさの具現とも言える蒼空は汚泥に染まり、取り繕ったような暖かみを持つ丘は禍々しい樹海を育む土壌とされた。
 少しは見れる風景になったなと自嘲するも、結界が敵を討つ空間ではなく、俺やネロ達の逃げ場を無くす牢獄と化した事実は変わらない。もはやこの剣の丘を支配するのは俺ではないのだ。我が物顔で樹槍を振るう神祖の霊基の成れの果て――魔術王の名も知らぬ下僕こそがこの世界の王である。

 魔神の意思によって機能する聖杯が、この結界を侵食しているのだ。未熟な魔術使い如きが支配権を取り戻せるほど甘くはあるまい。
 お陰様で剣製の効率は低下し、カルデアからの魔力供給も著しく滞っている。おまけに地の利はほぼ喪失したと来た。結界の維持に費やすはずだった魔力こそ温存できているが手詰まり感は否めない。打つ手なし、挽回の余地なし、端から見れば絶望的な戦況だろう。

「――ク、」

 可笑しくて笑ってしまう。俺もヤキが回ったか。こんなにも追い詰められ、間もなく終わりが訪れようとしているのに、気にしているのは他人の事ばかり。
 脳裏を過るのは、やり残した事。カルデアの外にいる者。焼却された凡ての事象。
 傍らの友。大切な相棒。庇護すべき少女。働きすぎる司令官。キャラの濃い万能の天才。
 因縁の借金あくま。取り残した桜色の後輩。救った人、救ってくれた人。殺した相手、殺そうとしてきた敵。絶倫眼鏡、極女将。真祖に代行者に修道女に執行者!
 まったく馬鹿げている、俺の世界は本当に、俺より尊いもので溢れているのだから。

 足下から伸びた蔓が太股を貫く。即座に干将で飛び出た芽を切り捨てる。ネロを取り囲む樹林に剣弾の雨を降らせ脱出させる。只管に細かい枝葉を触手のようにうねらせ、オルタの消耗を狙う樹木を炎の剣で薙ぎ払う。
 その隙に槍のような枝葉に腹を喰われた。そのまま呪いの黒泥を流し込まれ俺は笑った。遂に食人樹となったか、魔神の呪い! 枝葉の先、ヘドロの樹の幹に見るに堪えない乱喰歯が見える。大きく開かれた口が、俺を嘲笑っている。貴様は終わりだ、ここで終わりだ、そのまま呪いに溺れて死ぬがいいと。
 腹から芽が咲いた。内臓を啄まれる心地に失笑する。生憎だった、この手の痛みと呪いなんて慣れっこである。この世全ての悪の方がまだ悪辣だ。こんな程度で死ねだと? こんなもので終わりだと? 俺がこれぐらいで死ぬだと?

「舐めるなよ……! 俺を殺りたきゃ心臓潰して首を飛ばしなァッ! この程度で勝ったと思ってんじゃねぇぞクソッタレがぁ!!」

 血反吐を吐きながら剣製する。
 激情に突き動かされるまま、両腕を開いたよりも太い幹を両断した。死狂い一騎、満足に片付けられもせず勝ち誇るとは底が見えたな糞魔神!
 俺は嘲弄する。俺は確信していた。俺は勝つと、俺達は勝つのだと。
 流麗な剣捌きで踊るネロを見ろ。豪快に樹海を滅する暴竜の如きオルタを見ろ。まだまだ余力を残している、余裕がないのは俺だけだ。ザマァない、死に損ないすら満足に殺せない輩が人理焼却? 笑わせる、せめて俺を瞬殺出来る程度でなければ、とても人を滅ぼせるものか。
 人間の生き汚さをナメるな、この俺の面の皮の厚さを侮るな。どこまでも厚顔に、洗濯物に染み着いた油汚れの如くに居残り続けてやる。根比べで俺より上の奴なんていないって教えてやる。俺は雑魚だがしつこさだけは一級だ!
 さあ来い、すぐ来い、もっと来い! 俺はまだ生きているぞ!

「シェロ! 無事か?!」

 赤薔薇が舞う。
 腹から鋼の剣を生やした俺を見てネロは息を呑む。
 俺は快活に応じた。

「無事に見えるか?」
「うむ、見えぬ!」

 力強く即答し、素早く俺の状態を確認したネロは飛来した数十の枝葉の渦を切り払う。

「しかし今すぐに死にそうにもないな!」
「ああ、なら問題はないな」
「問題はあろう!? どういう理屈で腹の中から剣に貫かれるのだ?!」
「腹の中に呪詛の類いを弾く剣を投影しただけだ。慣れたら意外と病み付きだぞ」

 元々低い対魔力だ。他人に呪われること幾数回、俺の見い出した対策がこれ。最終手段だが意外と効果的で笑えてしまう。患部を直接投影宝具で貫けば、大概の呪詛はイチコロだ。
 アルトリアの対魔力を貫通する以上、時間稼ぎにしかならない応急手当だが、やらないよりはましである。延命できて10分、その間に魔神を倒せれば呪いも解れて消えるだろう。

 大地が波打つ。
 聖杯の反応が一際強く脈打った。

 敵主力の要を負傷させた魔神が攻め時と見たのか、一気にカルデアを滅ぼさんと仕掛けてきたのだ。
 貴様ら人間の旅はここで終わりだと告げるように。分かりやすく、単純に、純粋な質量で圧倒的に圧殺せんと、顕在する全てのヘドロの樹海を天高く掲げ、鞭のように振り下ろす。

 さながら褶曲のアンデス山脈そのものが倒壊してくるかの如き光景。
 偽物の丘は暗影に覆い尽くされた。
 無恥なる天空は汚辱され尽くした。
 ちっぽけな人間を蹂躙せんと迫り来るのに、しかし人間に諦念はない。
 爛々と燃える双眸は最後まで諦めない不屈の炎を宿す。
 大地を踏み締める両の脚はまさに不退転。

 ぎらりと目を光らせる。
 此処だ、
 此処しかない。
 叫んだ。

「オオォォォ――ッ!」

 全てを懸けた雄叫びに真っ先に応じたのはオルタだった。闇色のドレスを翻し、漆黒の刀身に奔る赤い紋様を指先で撫でる。黒の聖剣を下段に構えて闇の柱と化させ、渾身の逆撃を以て仕留めに掛かる敵の隙を狙う。
 俺はほぼ喪失した固有結界の能力を全て導入する。干将を捨て、右手を天に掲げて汚泥の樹界、その降誕を遮らんと薄紅の花弁を剣の丘から取り出した。

熾天覆う(ロォォオオオ)――七つの円環(アイアァァァス)ッッッ!!」

 崩落する天を支える。
 全身の筋肉が軋んだ。魔術回路がひしゃげる感覚に魂が破裂しそうだった。
 片膝をつく。体が圧力に潰れそうに、否、実際に潰れていく。断絶する筋繊維、ぶちぶちと手足の先から引き千切られていく実感に気が狂いそうだ。

 しかし、見えた。

 天に集めた汚泥の樹木。支えられるのはほんの数秒。天と地を水平に別ち、ヘドロの樹界を落下させた魔神は今、完全に無防備だった。
 オルタが聖剣を振るう。こちらの狙いを悟った魔神が咄嗟に防御体勢を取ろうとする。ぐずぐずと爛れた黒体、無惨に崩れる樹槍でどう防ぐ? 決めに掛かる刹那、オルタの放たんとする卑王鉄槌に魔神が嘲笑を浮かべた。
 悪寒がした。そんな程度の魔力ではどうにもならぬと余裕を見せている。強がり? いやそんな事をする意味は――もはや思考に費やせる時などあろうはずもなく、敗北を予感しながらもオルタの剣に託すしかなかった。

 だが。

 騎士達の王の参陣せし戦に、敗北など有り得ない。

 金色の星の息吹が敗着の結末を吹き飛ばす。何もかもを圧殺せんとしていたヘドロの樹界が突如薙ぎ払われた。
 其は輝ける命の奔流――固有結界を侵食していた泥を圧し流し、圧倒的な魔力の光が固有結界を崩壊させる。獲物を追い詰める為に空間を維持していた魔神は、魔力の氾濫を纏めて受け止める事となり、期せずして魔神はその霊基の四分の一を損壊させてしまう。

 星の燐光は主君のソラを取り戻し、誇らしげに散った。

 ――貴方に勝利を。

 俺の、俺達の勝利を確信して消えたアルトリアの気配に、俺は気を取られ。
 樹界を一掃し、あまつさえ魔神の半身を両断した聖剣はカルデアに勝機を齎した。

「っぅ……!」

 だが動けない。体はとっくに限界だった。ぐつぐつと煮え滾る闘志は無限、しかし体の方がついてこない。声すら出なかった。
 今、魔神は喪った半身を再生するために停止している。この隙を逃す訳にはいかないのに、瞬時に駆け出したオルタは間に合わない。アタランテの脚でも届かない。魔神の再生速度は常軌を逸する。折角見えた光明を掴めぬまま死にゆくしかないというのか。

 いや。

「っ……? ……ふ、はは、ははは、」

 笑い声が漏れた。
 なんてこった、こんな時に、いやこんな時だからこそなのか。
 予期せぬ気配に、轟いた雄叫びに、絶望に硬直していた空気は打ち砕かれた。

 穴だらけの結界の外。

 激しい馬蹄が迫り来る。

 遥か高く跳躍して一騎の英雄――愛馬は力尽き消え去って。英雄も殆ど消えかけていながら、なおも豪快に咆哮していた。



「我が朋友コナルの名に懸けて!」



 ルーンを象った刺繍入りの外套を靡かせ、
 白銀の籠手が包む逞しい腕が担ぐのは。
 巨大な、

 ()であった。

「――勝利の栄冠は、諦めねぇ奴の頭上にこそ輝くのさ!」

 高らかに謳う益荒男のスケールに、誰しもが圧倒される。

「ダンドークの城を枕に逝きな、『圧し潰す死獣の褥(ソーラス・カスラーン)』!」

 字面としても滑稽な形容である。投擲された城が、再生し尽くす直前の魔神を、いとも容易く押し潰したのだ。

 軽やかに着地した蒼い槍兵は、獰猛に牙を剥いて、消えかけの体で礼を示した。

「マスター! 報告するぜ。世界の一端、確かに撃破して来た。今のはちょっとしたサプライズって奴さ」
「ランサー……お前、」
「んだぁ? だらしねぇ、男ならしゃんと立ってろ」

 膝をついたままの俺に、最強のランサーたるクー・フーリンは呆れたように手を差し伸べ、無理矢理にでも立たせてくれた。
 脚が消えている。体も、ほぼ全てが光の粒子となって消えていた。だがそれでも、ランサーは言う。肩を叩き、活性のルーンを俺に刻みながら。
 真剣に、男が、男に、告げるのだ。

「テメェはオレに言ったな? 二つの世界の片割れをオレに任せる、テメェらはもう一つの方を始末するってな」
「……」
「オレは勝ったぜ。なら、今度はそっちの番だ。オレの認めたマスターなら、きっちり勝ちきってみせろや」

 ドン、と胸の中心に拳を当てられる。
 消えていくクー・フーリンは、やれやれ、これでオレの仕事は一旦終わりだなと言って消滅した。
 まるで、俺が勝つのは当たり前だと言うような、余りにも爽やかで、後腐れのない退場。

 拳の触れた胸が、熱い。

 負けてたまるか、なんて分かりやすい気力が湧いた。
 元より勝利への想いは無限、溢れるものも勝利への渇望のみ。俺は、自身を潰す城を膨大な量の樹木で押し退けた魔神に向かう。
 そうだ。まだだ、まだやれる、やれるとも。剣化する肉体はまだ動く。なら行こう。勝ちに行こう。休んでろと言ったのに勝手に逝ったアルトリアに文句を言わなきゃならない。俺にはまだ『先』が必要なんだ。まだ生きていたいのだ。

 状況は振り出しに戻った。だが、負ける気がしない。声もなく、俺は駆け出す。何も持たず、拳だけを握って、衝動的に一直線に走り出した。
 オルタが前を行く。その前をアタランテが馳せる。傍らのネロが高揚するままに何かを歌っていた。

 嗚呼――負ける気がしない。その俺の心に呼応するように、()が響いた。






「真名、開帳。わたしは災厄の席に立つ」






 ――霊基(こころ)と身体が合一する。
 どこか甘かった機構の歯車が、がっちりと噛み合った。
 ――嗚呼、本当に。なんて人達なんだろう。
 少女は想う。
 青い騎士王の鮮烈な輝きを。黒い騎士王の凄絶な煌めきを。優美に咲く赤薔薇の皇帝、神話の時代の伝説の狩人、一つの神話で最強を誇る蒼い槍兵。そして、



「――其は全ての疵、全ての怨恨を癒す我らが故郷……」



 無色の世界に、色彩を齎してくれた、大切なひと。
 まだ、人理が焼却されていなかった頃。
 ドクターと、所長と、一緒に歌ってくれた。一緒に美味しいものを作って、一緒に食べてくれた。
 外の世界の事を沢山話してくれた。
 苦手だったけど、楽しい運動を一緒にしてくれた。

 壮絶に戦う彼の背中は、等身大の生への渇望だった。

 ――守りたい。

 自分なんかがそう想うのが厚かましいぐらいあのひとは強いけど。それでも、助けになりたい、どこまでも一緒に在りたい、これからの未来を一緒に見たい。
 その想いが、少女を走らせた。
 一生懸命に駆ける。遠い、遠い背中に追い付きたくて。あのひとの見ている景色がどんなものなのか、知りたくて。

 絶望が見える。

 未来を無くそうとする、とても怖い、魔神。
 瞬く間に樹界を復活させ、全てを呑み込もうとしていた。
 だけど、大丈夫。
 雪花の楯を駆けながら構えて、裡から導かれるままに唱えて。



「顕現せよ」



 顕すのは、想い。
 形にするのは、それだけでいい。
 素直に見つめよう。迷いなく見据えよう。
 四方から取り囲むように迫る暗い樹界を、決してあのひとには届かせない。



「『いまは遙か(ロォォド)』ッッ――」



 頑張って、力を振り絞る。
 驚いて振り向くあのひとに、楯の少女は全力で微笑んだ。



「『理想の城(キャメロット)』!」



 ――そうして顕現した白亜の城壁は、あらゆる不浄を祓い、あらゆる穢れを落とし、あらゆる脅威を打ち払う鉄壁の守りと化した。
 ここに絶大なる質量は無力に堕す。
 城壁の外から押し潰さんとするヘドロの樹木は悉く弾かれ、白亜の城に取り込まれた魔神は一切の穢れを放てない。腐り落ちていた樹槍は純潔の領域に赤みを取り戻し、人の心なき魔神の瞳に、微かに光が戻った。

 アタランテが気合いと共に『火』の灯る大剣を魔神に突き刺した。
 『火』が魔神に吸収される。本来あるべき器へと。
 そして、あたかも自分から刃を受けるように魔神は止まった。
 オルタが黒き聖剣で袈裟に叩き切る。
 ネロが大剣を思い切り振り抜いた。

 そして、

 剥き出しとなった聖杯を、男の渾身の拳が撃ち抜いた。

 霊基(からだ)から聖杯が飛び出る。駆け続けていたマシュが、それを走り抜き様に回収した。

 仁王立ちする魔神は、身体を崩壊させながら眼前の男に――否、この場全ての者に向けて短く告げる。勇者らの健闘を讃えるが如く。
 本来の、神祖の威厳を伴って。

「――見事。お前達の勝ちだ」






 

 

曙光、されど暗雲晴れず





 ――見事。お前達の勝ちだ。

 厳かに言祝ぐ赤色の視線に、俺は何も言えずその場に頽れた。
 力が尽きた。
 張り詰めていた線が途絶えた。
 難業を成し遂げられた安堵に意識が切れた。
 聖杯片手に大慌てで駆け寄ってくるマシュが最後に見えて、苦笑する。
 相も変わらず、最後の最後が締まらない。もうちょっと格好よく終わりたかったと思うのは我儘だろうか。余力を残してスマートに片付ける……そんな終わり方もありの筈だろう。
 特異点化の原因は排除した。定礎は復元し、特異点は消える。冬木を併せれば三つ目の人類史の異常が正される。
 七つある内の、まだ二つだ。なのに半分もこなしていないのにこんなザマ。少しはゆっくり確実な方法で戦いに臨みたい。ギリギリなのはこれが最後だと思いたい。時間的猶予が皆無なのは本当勘弁して欲しかった。
 そういえば、冬木の特異点……あれは……なぜ七つの特異点にカウントされていない? 些末な事だが、七つではなく、八つと数えるべきではないか?
 意識は無くても、うっすらと体が揺れるのを感じる。カルデアに帰還したのだろう。コフィンから運び出されると、俄かに周囲が騒然とした。

 ――衛宮殿がまた死にかけておられるぞ!

 医療班の誰かがそんな事を叫んだ。コイツは日本人だなと重たい意識の中で思う。
 確信だった。間違いない。なんか後藤に似ているな、なんて――冬木で学生をしていた頃の同級生と、下らない相似点を見つけて馬鹿らしくなった。
 なんだかなぁ。好きで死にかけてる訳ではないのに、死にかけてる所を見てネタに走らなくてもいいだろう。
 というかカルデアに今のネタが通じる奴がいるだろうか。いなかったら不謹慎なネタに周囲はくすりともせず、ネタを口走った奴は針の筵に座らされる事になるだろうに。馬鹿だなぁ。ほんと……馬鹿だなぁ。

「……」

 ふと気がつくと、染み一つない白い天井を見上げていた。

 清潔な空間だ。病的なまでに。
 きっと医務室だろう。ここで眠っていたのはこれが二度目だった。
 なんとなしに右手を持ち上げる。手を握ったり開いたり。なんの問題もなく動作するのを確かめて、次は左腕を動かそうとした。

 ――動かない(・・・・)

「……」

 視線をやると、椅子に腰かけたマシュが、俺の左手を握ったまま縋りつくようにして眠っていた。
 デミ・サーヴァントとして武装した姿ではない。カルデア局員としての制服を纏い、いつかとても似合うと誉めた眼鏡を掛けている。
 過酷な旅路だった。荒事や行軍に慣れていない少女には、精神的にとても辛かっただろう。なんだか起こすのも悪い気がしてそのままにしておく事にした。
 すぅ、すぅ、と一定の寝息をたてる、ずれた眼鏡の奥に見えるマシュの寝顔がなんだか可愛い。やはり眼鏡はいい文明だなと改めて確信する。

 左腕に感覚はある。しかしそれは、とても鈍い。

 傷の具合からして、俺が医務室に運び込まれ一日といったところか? 流石に何も無しとはいかなかったが、五体満足で帰ってこられたなら上等だろう。

「目が覚めたのですね、シロウ」

 気配を感じなかった。頭の芯がボケている。
 右側から声がしたので釣られるようにそちらを見ると、そこにはマシュと同じ白衣を纏ったアルトリアがいた。椅子に腰掛け、穏やかな面持ちで俺を見ている。果物ナイフでリンゴの皮を剥いて、自分でしゃりしゃりと食んでいた。傍らにいるオルタはぴくりとも動いていない。
 彼女が現代風の衣装を着込んだ姿を見るのは初めてではない。しかしその格好は些か予想外であった。思わず目をぱちくりとさせると、何故かハッとして、アルトリアは大慌てでリンゴを隠す。
 その様が可笑しくて、俺は不用意に口を滑らせてしまった。

「……なんだ、普通の女の子みたいだな」

 な、と開口一番の不意打ちに、アルトリアは頬に桜を散らして押し黙った。
 言ってから、しまった怒られる、と後悔した所へその反応。昔は女の子扱いされるとすぐに怒っていたというのに、どうしたというのか。
 アルトリアとは少し距離を置き、こちらを見詰めているオルタは、闇色のゴシックロリータじみた格好で静止している。その雰囲気に察して、俺は問いかけた。

「もしかして、ずっと着いててくれたのか?」

 二人に訊ねると、こほん、と咳払いしてアルトリアが応じた。

「ええ。シロウが倒れているとなると、私達もする事がありませんから。どうせなら着いておこうと決めて、オルタと共に傍にいさせて貰いました」
「……そっか。ありがとうな、アルトリア、オルタ」
「いえ。礼には及びません。勝手にしている事ですから」
「……本当にな。その『私』は寝ているシロウの額に唇を落とす程度には勝手だ」
「!? お、オルタ!?」

 突然の暴露にアルトリアが慌てて背後を振り返った。
 オルタはそんな自身を薄く笑いながら揶揄する。先の戦いの最中の事を指して。

「シロウ。余り『私』をからかわない方がいい。私はともかく、その『私』は、貴方が思っているほど慎みがある訳ではない」
「そっ、そんな事はしていません! シロウ、今のはオルタの虚言です、私はそんな破廉恥な真似はしていませんから!」
「……」

 額を触ると、なんとなくされた気がする。
 一瞬だけ柔肉が触れたような、触れていないような。曖昧な、錯覚と言えなくもない感じ。微笑んで、悪くない気分だよ、と呟く。
 固まるアルトリアを横に、オルタに言った。

「羨ましいならオルタにもしてやろうか?」
「……何を」

 一瞬体を揺らしたオルタは、半眼で俺を睨んだ。ちょっとした冗談なのに……。

「起き抜けに冗談を言えるとは、どうやら思っていたよりも元気そうですね。結構な事です。今度私の霊基を再臨する為のプログラムに付き合って貰いましょう」
「ああ。お前達の強化は必須だからな。必ず付き合う。約束する。……ところで他の連中は?」
「ネロは新規マスターとして色々な手続き、現代の常識の詰め込み等、超特急で知識を植え込まれています。アタランテはランサーに付き合い、専ら種火集めとやらに集中しているようです」

 そうか、と呟く。俺が寝ていても、カルデアは変わらず大忙しという訳だ。
 働きすぎて誰かが倒れなきゃいいが。特に、あの臨時司令官殿とか。
 今度機会があったらゆっくりと話したい。何かあの男は俺に対して遠慮がある。その垣根を取り払って普通に付き合いたかった。誰にも弱味を見せられない立場の者同士、言い合える事もあるはずだから。

 安心しきっているのか、無防備なマシュのふやけた寝顔に目をやって、淡く微笑む。
 あの時。真の力を発揮したマシュの想いは真っ直ぐに俺に届いた。恥ずかしいとか、照れ臭いとか、そういう余分な感情は無い。ただ嬉しかった。その心が心地よかった。白百合のような魂に向き合える事の喜びは、きっと何よりも得難いものだろう。
 上体を起こして、右手を伸ばす。ほっぺたを指先でつつくと、少女は眉根を寄せて難しそうに唸った。その様に、アルトリアも微笑み、オルタすら相好を崩す。

「守られてばかり、というのも情けない話だ。俺も、まだまだ強くならないと、な」
「貴方ならきっと、まだまだ強くなれるでしょう。私が保証します」

 そりゃ心強い、とオルタが相槌を打つのに俺は応じる。アルトリアも、遠いものを見る目で告げた。

「あの赤い外套の騎士の領域に、シロウは近づいて行くのでしょう。強くなるのは良い事ですがくれぐれも御自愛ください。シロウは今や、人理を守る最後の砦のメンバーなのですから」

 アルトリアの碧い瞳は俺の頭部を見ている。なんだ? と思って髪の毛を一本抜いてみると、それは白く染まって――否、正確には元の色素が抜け落ちていた。
 もしかして、真っ白? 問うと頷かれ、俺は暫し沈黙する。
 宝具の投影を、短期間でこなし過ぎた弊害だろう。別に死ぬ訳ではないし、肌はまだ無事だから気にしないでおく。マシュとお揃いだ、なんて笑ってみると、アルトリアは呆れたふうに嘆息した。

 緊張感も無くなると、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように空気音がした。扉が横にスライドする。医務室に、新たな訪問者がやって来たのだ。

「やあ。目が覚めたようだね」

 やって来たのは、ロマニ。医療部門のトップで、現カルデア・トップ。そして過労が最も嵩張る優男だ。目元にびっしりと濃い隈がある。
 その窶れた顔を見ると、ゆっくり寝ていた俺が悪い奴に思えて、若干居たたまれない気分になった。ロマニはそれでも、しっかりした足取りでベッドの横まで来ると、眠るマシュに微笑みを落としてまずアルトリアらに言った。

「割り込むようで恐縮だけど、ちょっといいかな?」
「ええ、構いません。……貴方には返しきれない恩がある。邪魔はしない」

 ……? そのやり取りに、首を傾げる。
 アルトリアとロマニは、俺が寝ている時に何かあったのだろうか。意味深な会話に、しかし深い疑問は抱かない。ロマニが俺の横に立って困ったふうに語りかけてきたからだ。

「さて。調子はどうだい、士郎くん」
「悪くはないな。ただ左腕の鈍りが酷い」
「魔術回路が焼き切れる寸前だったからね、それは仕方ないよ。寧ろそれで済んだのは幸運と言える」

 脇に抱えていた鏡をロマニは俺に向けた。
 ……肌の色以外、赤い弓兵と瓜二つの顔。やはり鏡は見ていて愉快になれるものではない。
 今のロマニはどうやらお医者様のようだ。こちらの怪我の具合、完治まで要する時間、現在の容態を詳細に説明してくれる。
 その上で、彼は髪の色について触れた。

「士郎くんの髪から色素が抜けた件だけど……士郎くんは、原因は分かっているね?」
「自分のした事だ、把握はしている」
「ならいいんだ。後遺症は今のところ確認出来ていないけど……」

 一旦、ロマニは言葉を切る。その上で前置きをした。

「これは医療部門を預かる者としての言葉だ。そうと知っておいてほしい」
「ああ」
「士郎くん。……もう固有結界は使っちゃダメだ」
「……」

 真剣な目だ。疲労ゆえか遊びのない、直截な物言い。
 分かりきっていた事である。当たり前の事を、彼は言っていた。

「固有結界。魔術の世界の奥義。使えるのはスゴいよ、それは認める。けれどキミの体は能力の割に回路が少なすぎる。サーヴァントを複数運用する身ではかかる負担を処理し切れない。今後、下手をするとキミは再起不能に陥りかねない程だ」
「……」
「……で、言いにくいんだけど、今度はカルデアの司令官として言わせてもらう。キミの固有結界はとても有用だ。能力じゃなく、結界という特性がだ」

 矛盾した事を言っている。そうと弁えているからこそなのか、ロマニは気まずげに目を背けながら髪を掻いた。
 ロマニの言わんとしている事はわかる。いや寧ろ言われるまでもなく有用性など知っていた。

「……敵がどれ程多くても関係ない、狙った敵だけを結界に取り込んで、こちらが数の優位を確保したまま戦闘に入れる優位性、士郎くんなら言うまでもなく分かって貰えると思う」
「まあな」
「ボクも言いたくはないけど、言わないといけない。もし今後、戦いを決めにいく時、或いは圧倒的多数の敵に囲まれた時、必要なら躊躇わず固有結界を使うんだ。タイミングは士郎くんが判断して良い」
「了解だ、司令官」

 苦しそうに言うロマニに、しかし俺はあくまで軽く応じた。戸惑ったようにこちらに視線を戻してきた優男に、俺はなるべく陽気に笑いかける。

「どうした、気に病む必要はないぞ、ロマニ。お前は当たり前の事を命令しただけだ。ロマニは正しい、全く以て。反論の余地などどこにもない」
「……」
「俺は最後のマスターだった。だが今はネロがいる。つまり、俺だけが人類の命運を担っているわけではない。最悪俺を切り捨て、ネロを生かすべき状況も今後出てくるかもしれないんだ。あらゆる可能性を想定しておくのは必要なことだ」
「……そうだとしても、ボクは、そんな命令はしたくないんだよ」

 絞り出すような声音だった。静かに激する瞳は、しかし気弱そうな、情けない表情に隠されている。
 マシュを見下ろし、ロマニはぽつりと言った。

「キミがカルデアに来たばかりの事、覚えてるかい?」
「ああ」
「マシュが何も知らないで……いや、知識ではなく、何も体験が積めてない状態でいた事に、キミはとても怒った。一発殴られたの、今でもはっきり覚えてるよ」
「……おい、その話は済んだだろう。後、お前も殴り返してきたろう」
「殴り返せと言ったのはキミだ」

 殴られた左頬を擦るロマニは、なぜか嬉しそうだった。

「それから、キミはボクやマリーに、マシュに情操教育と称して色んなレクリエーションをさせた。歌ったり踊ったり……楽しかったよ。マリーもマシュの事を怖がってたけど、最後らへんはヤケクソになって楽しんでたと思う。ボクは……不躾だけど、士郎くんのことを友人だと、思ってる」
「……」
「……マシュが今みたいに活気づいて、普通の女の子になれたのはキミのお蔭なんだ。ボクはキミにとても感謝しているんだよ、士郎くん。だから、」
「……ロマニ。それ以上は言うな」

 苦笑して言葉を遮る。
 彼が自分に友情を感じてくれているのは素直に嬉しい。
 だがそれとこれとは話は別だ。俺だって死ぬ気はないし死にたくないが、公的には優先順位というものがある。
 私的には幾らでも私情を垂れ流していいが、ロマニや俺の立場を思えばそれさえも自制すべきなのだ。
 なぜなら今のカルデアは、ロマニという存在と、俺の実績によって保っているようなもの。せめてカルデアのスタッフらがメンタル面で持ち直すまで、あらゆる場面で泰然としていなければならない。

「感謝しているのは俺も同じなんだよ、ロマニ」
「え……?」
「カルデアに雇われたお蔭で人理焼却から免れた。命の恩人なんだ、お前達は。そしてこんな俺が、強制的とはいえ正義の味方じみた偉業に携われている。……形だけの、看板だけの正義の味方だが、こうしていられる事はとても幸運なんだと思う」
「……」
「だからロマニ、お前は何も気にするな。正式な雇い主はアニムスフィアだが、今はお前が代行だろう。雇われ者として最善は尽くす。だからロマニは命令すればいい。人理を守れ、エミヤさんってな」
「……分かった」

 後ろめたさのようなものを隠しながらロマニは頷いた。
 カルテを纏め、ロマニは数瞬、俺を見て。
 何かを言いかけ、酷く迷う素振りを見せた。だが、

「ロマニ・アーキマン」

 オルタが唐突に口を開き、ロマニに釘を刺した。

「黙っていろ。それ(・・)はシロウが知る必要はない事だ」
「……でも、これは」
「黙れと言った。私は気にしないし、シロウも知った所で気にしない。だから余分だ、それは。無駄な事を貴様は自己満足で口走ろうとしている。自制しろ。死ぬまで」
「……」
「当人の前で堂々と秘密事か? 余り良い気はしないな」

 人間誰しも秘密は抱えているものだが、こうも明け透けにされると鼻白むものがある。
 思わず呆れると、オルタはそっぽを向いた。
 アルトリアは何も言わない。ロマニも気まずそうだ。
 はぁ、と嘆息する。

「そんな重苦しい顔をするな。よく分からんが、俺が知ってもどうしようもない事なんだろう? なら言わなくて良い。そこのところはお前が判断しろ、ロマニ」
「……すまない、ちょっと変なことを言い掛けたかもだ」

 マシュもそろそろ起きそうな気配がする。俺はそれで、と本題(・・)に入る事にした。

「で。何しに来たロマニ。スタッフを使わず、わざわざ自分で俺の所まで来た事情を言え。どうせろくでもない事だろうけどな」
「……お見通しか。流石だよ」
「何が流石だ、そんなあからさまに何かありますよって面しておいて」

 もう苦笑すら出来ない。本当、忙しないなと思う。
 体調は万全ですらないのだからトラブルは勘弁してほしいなと心から願った。
 が、無常。現実は残酷である。
 意を決したロマニが、重苦しく言った。

「新たに特異点が二つ(・・)観測された」
「………………なに?」
二つ(・・)の、七つの特異点とは別に、人類史の歪みを発見した」
「……………………」

 アルトリアを見ると、目を逸らされた。
 天を仰ぐ。神よ、どうか殴らせたまえと呟くしかない。
 ロマニは言った。

「ついてはカルデアは、それぞれの特異点に衛宮士郎、ネロ・クラウディウス両名をレイシフトし、同時に特異点をなんとかする事になった」
「………………いつ?」
「三日後」
「……………………」

 俺は思った。
 糞過ぎるだろ、と。

 しかし腐っていても仕方ない、俺はロマニに提案するしかなかった。

「新規のサーヴァントを二騎、出来るなら三騎召喚したい。至急手配するようにレオナルドに言ってくれ」







 

 

人理守護戦隊衛宮




 ――あなたのお名前は、なんですか?

 人理継続保障機関に、マスターとして招聘されてより幾日。色彩の欠いた少女は、儀礼的にそう問いかけてきた。

 咄嗟に、返す言葉を見失った。

 無垢といえば、無垢。しかし根本的には別種の、どこか冬の少女を彷彿とさせる無色感。あらゆる虚飾、欺瞞を淘汰する清浄な視線に、俺はなんと答えるべきか判じかねたのだ。
 衛宮士郎、と名乗ればいい。それでいいはずだ。これまでその名で通してきた。この名を名乗ることに些かの不具合も感じない。
 ――なのに、その名を口にする事を俺は酷く躊躇ってしまった。
 思い出せない、本当の名前。
 衛宮士郎が本名だと理解している。衛宮士郎という記号は己を表すのだと了解している。なのに何故躊躇うのか。違和感も異物感もないのに、どうしてすぐに答えられなかったのか。
 問われても、返すべき名前は一つだけ。故に一瞬の迷いと共に、俺は本当(いつわり)の名前を舌に乗せる。偽りだと感じるのは自分だけだと知って(おもって)いるから。

「おはようございます、先輩。朝ですよ。今朝からスケジュールはきつきつですが、いつも通り頑張りましょう!」

 束の間、ユメを視ていた。
 医務室にやって来たマシュの、気合い十分な姿に霧散した夢見心地。曖昧な歯車の残照が、ふわふわとした現実の重さを取り戻す。
 俺は大儀そうに体を起こす。左腕の回復までまだ時間は掛かりそうだ。ベッドから抜け出してなんとなしに体の節々を動かし状態を整え、病人服のまま後輩と呼ぶには歳の差のありすぎる少女に、挨拶と共に短く問いかけた。

「おはようマシュ。今朝は何をする予定だ?」

 寝惚けているのか今一予定を思い出せない。
 マシュは一瞬、目をぱちくりとさせた後、やや戸惑いがちに説明してくれた。

「え? え、っと……新たな特異点へのレイシフトまで後二日。今日と明日を挟んで、明後日の午前十時丁度に作戦を実行する運びとなっています。それまでに先輩は、今日と明日を利用して、新たなサーヴァントの召喚を試み、内何騎かはネロさんと仮契約して頂くよう説得すると昨日ドクターと話し合われたはずですが……」
「……そう、だな。うん、そうだった。思い出したよ」

 序でにレオナルド・ダ・ヴィンチにカルデアのシステムを弄らせ、俺とネロの霊的経路を繋げる事でマシュの盾の恩恵――複数の英霊と契約可能な権利――を共有出来るようにして貰っていた。
 マシュが自らの霊基の名を知った事で、彼女と契約していると守護の力がマスターに付与されるのが判明。その守護の力の配分は、マシュ本人の意識的にか無意識的にか割り振られる。人外魔境では非常に頼りとなる力なのは疑いの余地がない。

 俺は頭を振る。眠気を晴らしてマシュに言った。

「……さて。朝一番の英気を生むためにも、まずは飯にするとしようか」

 何が良いか。ここは無難に白米に味噌汁、簡単なサラダと鯖の塩焼きにしようか。
 何事も人間の気力次第。何を成すにもまずはやる気になる事が大事だ。一日の活力となる朝食を抜くなんて有事の際を除いて有り得ない。「朝御飯の支度、わたしも手伝いますね!」と白衣の少女は元気よく相槌を打ってくれた。
 そうだな、そうしてくれると助かると微笑み。俺はとりあえず洗面台に向かって顔を洗い意識を覚醒させた。

 ――鏡に映る剣の丘。光を忘れた歯車が、蒼穹のソラの中で廻っている。

 目の霞んだ先に幻視する。高度な文明の結集されたカルデアの灯。清潔で、冷徹で、人の居住区画としては些か生活感の欠けた風景にも、すっかり慣れてしまった。
 しかし時々、平凡な屋敷の住まいが恋しくなる時がある。その度に、生活感の大切さを思い出すのだ。

 第二特異点の人理定礎を復元してよりマシュは変わった。
 根っこの部分はそのままに、より活闥に、より積極的に、より能動的に振る舞う、外の世界を知ったばかりの小動物じみた印象を受ける。よい変化なのだろう。微笑ましく思う。

「フォウ!」
「――ん?」

 廊下に出て、通路を辿り食堂を目指していると、不意に背後から聞き慣れた小動物の鳴き声がした。振り向くと、ふわふわとした白色の獣が飛び掛かってくるところだった。
 顔にぴたりと止まって、頭の上に登り、そこからマシュの肩に飛び移った獣はもう一度フォウ! と愛らしく鳴いた。

「あ、フォウさんおはようございます。一緒に朝御飯でもどうですか?」
「フォウ! フォウ! キュ」
「……おはようフォウ。しかし、フォウは何を食べるんだ? リスと同じ木の実とかでいいんだろうか」

 そんな事はないのになんだか久しぶりに見た気がする白い獣。頭の白い俺とマシュ、フォウを並べてみると微妙に絵面的にマッチしていて可笑しかった。
 相好を崩しつつ、指先でフォウの顎下を撫でると気持ち良さそうに目を細める。
 何を食べるか分からないので、とりあえずこの小動物の反応を見ながらぼちぼち試すかな、と思う。
 少女と小動物の組み合わせはなかなかいいものだな、なんてのんびりとした事を考えつつ、俺は食堂に着くと手早く朝食の用意を始めた。

「そういえばアルトリア達の姿が見えないが、どうしたんだ? 大体これぐらいの時間帯には食堂でスタンバってるんだが」
「アルトリアさんやオルタさんは現在、カルデア・ゲートで仮想竜種と延々疑似戦闘を行っています。なんでも『逆鱗……逆鱗……』『牙落とせ……牙……』と、うわ言のように繰り返していたとか」
「……逆鱗? 意味分かるか?」
「さあ……」

 朝早くから何やら励んでいる様子。邪魔するのも悪いから何も言わずにおくのが吉か。フォウ、と呆れた風に嘆息した小動物に、俺はなんとなく苦笑する。
 朝食の支度を終えて、僅か10分で二人分の米が炊けたのに『やっぱこの釜欲しい』とカルデア驚異の技術力に感嘆する。小動物には一応サラダを提供してみたが、反応はまあ普通。何事もなくもしゃもしゃと食べている。ドレッシングも避ける様子はない。後プチトマト辺りが気に入ったと見た。

「フォウ!」
「……あ、ああ。すまん」

 じー、と食事風景を観察していると、不意に小動物は不満げにこちらを睨んで鳴き声をあげた。まるで『そんなに見られたら食べづらい』と抗議を受けた気分になって、俺はなんとなく謝罪した。
 くすくす、とマシュが笑う。気恥ずかしくなり、黙々と朝食を口に運んだ。
 長閑な空気の中、食器の音だけが鳴る。やがてマシュやフォウ共々綺麗に平らげると、ごちそうさまの挨拶を置いて、俺は食器を纏めると台所に移動した。

「そういえば先輩は、この後の英霊召喚についてどう思われていますか?」
「ん……どう、とは?」

 曖昧な問いに、俺は食器を洗いながら聞き返す。質問の意図が不明瞭だった。

「あの……なんと言いますか。また(・・)、アルトリアさんが来ちゃうような気がするんです」
「……」

 俺が密かに抱いていた懸念を、そのまま口に出したマシュに一瞬手が止まった。
 すぐに動き出し、俺は応じる。

「そうそう同じ奴は来ないだろう。というか、英霊は万といるんだぞ。その中でピンポイントに同じ奴が揃う訳がない。どんな確率だっていうんだ」
「……でも、その、カルデアの英霊召喚システムは緩いと言いますか。正直あり得ないとは言い切れないかな、と」
「……まあ、それはそうだが」

 真面目な話、もうアルトリアは勘弁して欲しいというのが本音である。
 何もアルトリア顔を邪険にしているのではなく、戦力の種類的に同型が重なるのは好ましい事とは言えないのだ。大火力、大いに結構だが現実的に運用するとなると話は変わってくる。二人のアルトリアだけでもやや持て余し気味なのに、三人目、四人目と嵩張ると俺が一瞬で干上がるのは確定である。
 オールマイティーな戦術を採れる低燃費な英霊か、自分で魔力を補える独立型か、はたまた正統な魔術師タイプが来て欲しい。

「まあ何を言ったところで結果が変わる訳でもない。何時の時代の奴が来ても相応の対処はするさ」
「例えばどんなふうにです?」
「ん? 例えば……青髭とかだな。奴は問答無用で退去させる。子供を害するという事は、人の未来を奪っている事に他ならない。そんな輩と肩を並べるのは不可能だ」
「なるほど……」

 ジル・ド・レェは救国の英雄である。知名度的に聖女ジャンヌ・ダルクが持ち上げられるが実質的にフランスを勝利させたのはジル・ド・レェであり、実態を見ればジャンヌ・ダルクはジル・ド・レェの添え物でしかない。
 英霊としての格は、どうしたって聖女の下になるだろうが、実力で言えばジャンヌなど歯牙にも掛けぬものがある。最盛期の元帥としてなら、戦略という見地からすれば非常に頼りとなるだろう。
 だが、人格的に信用ならない。如何なる理由があれど、聖女の火刑の後に狂い数多の罪業に手を染めた事実は動かないのだ。信奉する聖女が守ったはずの国から裏切られ処刑されたとしても、全く関係のない無辜の民を傷つけていい理由にはならない。
 『自分は酷い目に遭ったから酷い事をしてもいい』なんて――悲劇の主人公ぶった振る舞いをする奴は軽蔑に値する。そんなに赦せないなら反乱でもして当時のフランスの上層部や異端認定した輩を根絶やしにすれば良かったのだ。当時のジル・ド・レェの名声や実力からして、相当良いところまで行けたはずである。
 まあ最後は普通に破綻するだろうが。それをせず弱者にのみ悪意を向けたジル・ド・レェは、はっきり言って気骨の欠けた匹夫でしかない。

 雑談はそこで切り上げ、俺はマシュと共に英霊召喚ルームに移動した。
 とてとてと付いてくるフォウに和む。癒し系小動物は見ていてとても気分が和らぐ。かわいいは正義と人は言うが全くその通りだ。正義の味方としてかわいいの味方になるのは正しい事である。フォウはもう駄々甘に甘やかして、これでもかと可愛がるのがいいかもしれない。

 ぶっちゃけマシュとの組み合わせが大正義なので、その場合はマシュも一緒でないとならないが。

 そんなこんなで到着した儀式の間。俺はマシュの盾が設置されるのを見届けて、ふと思った。
 アルトリアが出てきたらどうしよう……。
 個人的には嬉しいのは嬉しい。彼女の別側面とか別の可能性とか見てみたい。
 しかし、しかしだ。現実的に魔力が足りないので勘弁して欲しいのが本音。どういうわけか、自分と彼女の縁は深く、下手すれば全クラスをコンプしてしまいそうな恐怖がある。もしアルトリアが来たら……どうしたらいいのだろう。

 今更だ。どのみち戦力は多いに越したことはないと諦めるしかない。俺は決然と告げた。

「始めよう。ロマニ、レオナルド、こっちの準備は整ったぞ。呼符も確かに設置した」
『こちらでも確認したよ。霊基一覧も起動した。電力を廻すからいつでも始めてくれ』

 ああ、と頷き、俺は召喚システムを作動させる。
 爆発的な魔力が巻き起こる。青白い燐光が呼び出される霊基に輪郭を与えていく。
 さあ誰が来る。槍トリアか。弓トリアか。騎馬トリアかそれともエクストリアか。誰でも来い、と腹を括った。もうあれだ、ここまで来たら覚悟も出来た。円卓系列なんだろどうせと思う。

 やがて、光の中に現れた人影は、逞しい男性の姿を象っていく。

 ああ、アルトリアじゃなくて円卓の騎士か。ランスロットはダメだ。ガウェインかこの前アルトリアの言っていたアグラヴェインがいい。特にアグラヴェインとか今のカルデアに必要な人材である。
 あ、アルトリアを連れてくればよかった、と思う。明日はアルトリアを連れてこようと決めて、俺は光の中に声をかけた。

「よく来てくれた。カルデアは召喚に応じてくれたサーヴァントを歓迎する」

 儀礼的にそう告げる。

「俺は衛宮士郎。こっちはマシュ・キリエライト。よければそちらの真名とクラスを教えてくれ」
「……」

 答えはない。重苦しい空気だった。
 ん? と首を傾げる。そういえばこのシルエット、どこかで見たような……。

 光が失せる。視界が安定する。そうして徐々に明瞭となっていく視界の中。まず目に映ったのは逆立った白い髪と浅黒い肌。赤い外套だった。

「……」
「……」

 絶句、した。
 マシュもまた、絶句していた。
 サーヴァントも、絶句していた。

「……」

 ……。

 暫し、沈黙したまま向き合い。
 赤い外套の弓兵は、なんとも複雑そうに名乗るのだった。

「……アーチャーのサーヴァント、召喚に応じる気はなかったが、気づいたら此処にいた。強引にオレを呼びつけるとは、物好きにも程があるな?」
「……」

 新たに二騎か三騎召喚する内の、記念すべき一騎目に。
 なんの因果か、よくよく縁のある男を引き当ててしまった。

 誤魔化しようがない。俺は遠くを見た。神様って奴はほんと良い趣味してるなぁ、なんて。不覚にも、現実から逃避してしまった。

 そう。
 英霊召喚サークルの中心には、
 あの、
 英霊エミヤがいたのだ。






 

 

円卓の衛宮





 所変わって食堂である。

 時刻にして14時35分。局員らの憩いの場として賑わっていたのも少し前。人気が散ってすっかり淋しくなった食堂で、溜まっていた食器を軒並み片付けた男は。
 食堂の片隅で腕を組み、立ったまま壁に背を預け、沈黙している赤いフードの暗殺者と。同じく無言で佇む赤い外套の弓兵を尻目に、ホワイトボードを片手に台所の前に立った。
 男もまた非常に悩ましげに眉を顰めている。黒ペンのキャップを抜き、持ってきたホワイトボードに乱暴に『円卓の衛宮』と殴り書いた。
 事案発生である。
 青い騎士王が見たらトラウマが再発して泣きそうなまでに固く、強張った空気の中、男は極めて重々しく口を開く。誤解を避ける為に言うが、彼は限りなく真面目だった。

「第一回、チキチキ円卓の衛宮開幕です。全衛宮は素直に言う事を聞きなさい。聞かなきゃ令呪使うのでそのつもりで」

 ――ひと言付け足すと、彼は血迷っている。

「……」
「……」

 無言の重さは剣の丘、或いは起源切り嗣ぐ魔術回路といった所か。男は一つ頷き、やはり自身が仕切らねば何も進まぬと確信を深めて口火を切ることにする。
 ホワイトボードに『議題1』と書き込み、暫しペン先を虚空にさ迷わせ、やや躊躇いがちに『特異点F炎上汚染都市冬木』と記入する。途端に弓兵の頬がぴくりと引き攣った。

「さて、まず何から話すべきか……」

 全員白髪である。見ようによっては全員に血の繋がりがあるように思えるかもしれない。
 しかしその実態は、血縁上は赤の他人の暗殺者と、血縁どころか平行世界の自分自身の計三人。ある意味血よりも濃い概念で繋がった三人である。舵取り役もなく放っておいたら、穏やかに話が進む訳もない。暗殺者は完全にどうでも良さそうで、弓兵はそんな暗殺者が気になって仕方なく、男は男で弓兵が気になっていた。
 なにはともあれ、黙っていたのではなんにもならない。男は悩ましげに頭を掻いて、まずはハッキリさせておくべき事を考えた。

「えー……と。そうだな……。よし、こうだ」

 ホワイトボードへまず『弓宮』と記入。その下に『切宮』、更にその下に『俺宮』と書いた。微妙に分からないようで分かる仮称に、変な奴を見る目で暗殺者と弓兵は男を見た。
 そして、弓宮の横に『加害者』、切宮の横に『実行犯』、俺宮の横に『被害者』と書く。男は振り返り、左右のエミヤに向けて厳粛な面持ちで問いかけた。

「これでおーけー?」
「待て」「待て」

 弓兵は苛立たしげに吐き捨てた。暗殺者も赤いフードの下で物言いたげである。

「貴様、よくも己は被害者等と言い張れたものだな」
「余り言えた口じゃないが、駒の打ち手が被害者面するのは気にくわない。兵士の撃った銃の引き金は、上官のものとして計上するべきだ」
「ふむ」

 ふたりの意見を聞き、加害者、実行犯、被害者の記述を消してそれぞれに『お前が悪い』、『情状酌量の余地あり』、『俺は悪くぬぇ!』と書き込んだ。
 ぴくぴくと口端を震えさせ弓兵は男を睨むも、男はまるで痛痒を覚えずどこ吹く風。口笛を吹きながらわざとらしく議題1終了と記入。そのまま流れるようにして議題2の『カルデア内での取り決め』を記して男は弓兵――英霊エミヤに視線を向ける。
 彼は率直に告げた。ずるずると蟠りを後まで引き摺るほどガキではないし、そもそも彼は英霊エミヤを嫌っている訳でもない。いや寧ろこの世で最もリスペクトする英雄のトップ5以内にランクインしているほどだ。なのでなんら負の感情もなく彼に言える。

「――ぶっちゃけ冬木のあれは本当に俺は悪くないので謝らないから」

 心底嫌そうにエミヤは顔を歪めた。
 彼がこうまで露骨に、ほぼ無条件に嫌悪感を出すのは、世界広しといえども衛宮に対してだけだろう。それ以外には大抵情状を酌量して、相応しい態度を算出しているはずである。
 エミヤは男からの言葉をばっさりと切り捨てた。彼にとっても、そんなものは無価値でしかないのだ。

「端から貴様に謝られたいと思っておらんわ、戯け」

 詰まる所、あの時は敵対していたから戦ったというだけでしかない。勝敗の行方も、順当と言えば順当なものだった。
 エミヤはあの時、聖杯の泥によって黒化し、思考能力が低下していた。持ち前の心眼が曇っていたのだ。そうなれば本来の実力を発揮出来るはずもなく、アサシンという鬼札を持っていた衛宮に敗北したのは自然だった。

 衛宮はエミヤを嫌っておらず、エミヤも衛宮を既に己とは別人だと割り切っている。その時点で両者に怨恨の類いは一切ない。ただ、エミヤの方は色々と複雑なものを抱えている訳であるが。

「ならいい。恨みっこなし、そこは割り切ろうぜ。お互いガキじゃないんだしな」
「……そうだな。だがそれはそれとして、オレとて聖人君子ではない。こちらに言いたい事があるのは貴様も了解しているだろう」

 衛宮は頷く。エミヤが言いたい事は解っていた。貴様に敗けたままなのは我慢がならん、再戦を要求する――という事だろう。
 然もあらんとエミヤは頷いた。彼は自分との対決の不毛さを弁えているが、かといってあんな(・・・)負け方をしてそのままにしておけるほど大人でもなかった。

「自傷は趣味ではないが聞いておこう。あの時、もしオレが黒化していなかった場合、貴様はオレを倒せたか?」
「ああ」

 衛宮は即答した。彼はエミヤの手札を知っている。そしてエミヤは切嗣の存在を知らなかった。こんな好条件で戦って、どうやれば負けるというのか。しかも、こちらにはマシュもいたのである。勝算は充分すぎるほどあると言えた。

「まあ懸念はあるがな。遠距離からの狙撃をそちらが徹底した場合、こちらの執れる行動は二つ。アーチャーを無視して本丸に乗り込むか、狙撃を防ぎながら狙撃手に接近するかだ」
「オレを無視した場合、オレはセイバーと合流しようとしただろう」
「そうするよな、当然。それは非常に面白くない」

 あの時にアーチャーとセイバーを同時に相手にするのは非常にマズかった。
 キャスタークラスのクー・フーリンが後から参戦してくれただろうが、それでも厄介さは変わらない。

「後者の場合、オレは只管に狙撃ポイントを移りながら執拗に盾の少女を狙っていただろう。今の彼女は知らないが、あの時は心に隙が見えた。突くなら徹底したろうさ」
「俺はマシュを激励しつつ、意地でもお前を俺の射程圏に収め、カラドボルグからの壊れた幻想コンボを叩きつけようとするだろう。マシュはあれでガッツがある、苦戦するだろうが俺の射程距離にお前を捕まえる所までは行けたはずだ」
「? ……まあ、そうだな。射撃戦で貴様がオレに勝るとは思えんが、交戦開始より7分から14分辺りで貴様の第一射が始まったろう」
「で、カラドボルグを射たれたらそちらはどうしていた?」

 一瞬、エミヤはあの時の状況を脳裏に浮かべ自らの戦闘論理に沿い一つの結論を導き出す。
 カラドボルグは強力だが、連発出来る代物ではない。広範囲を巻き込む壊れた幻想に繋げられると爆発に巻き込まれかねない。故に、ほぼ確実に薄紅の七枚盾を展開した筈だ。そうすれば、投影品の螺旋剣は完璧に遮断される。

「それで詰みだ」

 衛宮がそう言う。なに? とエミヤは問い返した。
 そこで衛宮は、これまでエミヤが出来るだけ視界に映さないようにしていた衛宮切嗣へ解説を促した。

「切嗣、この負けず嫌いに教えてやれ」
「……了解。まあ、これからは味方だ、教えても問題はないか」

 切嗣が懐からナイフを取り出す。
 物の構造を把握することにかけては異能じみた眼力を誇るエミヤである。その異様さを瞬時に察する。
 そしてあの時、自身を仕留めたナイフの存在を思い出し、エミヤはその顔が苦り走るのを抑えられなかった。

「『神秘轢断(ファンタズム・パニッシュメント)』――僕の第二宝具だ。これは僕の起源である『切断』と『結合』が具現化したもの。どんな作用があるかは身を以て思い知っただろう」
「……ああ。まさかアンタにやられるとは思いもしなかったから、よくよく覚えているよ」

 皮肉げに、エミヤは呟いた。
 彼の身の上を知らされたエミヤの驚愕を、絶望と諦念を、理解し得る者はいまい。
 双方共に敢えて親しくする気も、何かを話す気にもなれず、エミヤは切嗣を避け、切嗣もエミヤに関心はない故に関係を改めようとはしていなかった。
 衛宮はノータッチである。どうせこれから長いのだ、同じ戦場で戦っている内に、なんやかんやで戦友として付き合うようになれると思っている。

「『熾天覆う七つの円環』は最高の護りだが、その性質上魔力を送り込む(・・・・・・・)事で強度を高める事が出来る。つまり、アイアスは魔術回路と繋がった魔術礼装と同系統の物。切嗣の第二宝具を撃ち込まれたら如何なアーチャーでも無力化してしまう。違うか?」
「……それに加えて、切嗣の気配遮断のランクがかなり高い事もオレは体感した。アイアスを展開した所を狙い撃たれれば結果は同じ。ふん、切嗣を知らなかった以上、オレの敗北は動かなかったか」

 忌々しげに舌打ちし、エミヤは問う。
 切嗣や自身と同系統の戦闘論理を持つ衛宮、この二人に加えてあの盾の少女、二人の騎士王にローマの第五代皇帝、アルカディアの狩人にあの(・・)アイルランドの光の御子。
 これだけ揃っていて更に英霊召喚を試みるとはどれほどの事態が起こっているのか。人理の危機は承知しているが、その詳細を知らないエミヤはそれを説明して貰いたかった。
 衛宮は、心せよ、そして絶望しろ、とエミヤに言う。特異点Fからの第一特異点の戦闘詳細、第二特異点での顛末を聞くにつれエミヤは顔を険しくし、更に明後日二つの特異点を同時に攻略すると聞かされ頭を抱えた。

「……貴様、よもや善からぬモノに呪われているのではないか?」

 エミヤは真剣にその可能性を検討した。いくらなんでも酷すぎる。人理の危機に泣き言など言っていられないが、それにしたって最悪だ。人類滅ぶべしという世界の悪意が聞こえて来そうである。

「人が気にしている事を……。……だが、アーチャーも俺達の窮状はこれで理解してくれたな? 全面的な協力を要請する。アーチャー、あんたの全能力を人類史を救うために貸して貰いたい。頼む」

 深々と頭を下げた衛宮を、エミヤは複雑そうな目で見るしかなかった。
 最初からこうだ。こちらは何かにつけ邪険にするのに、衛宮は全くエミヤに敵意を向けない。そのせいでどれだけやり辛く感じるか、やはりこの男には解らないのだろう。
 意地を張るのもバカらしくなる、まるで一人相撲ではないか。馬鹿馬鹿しくなり、エミヤは嘆息して言った。

「……はあ。やむをえまい、こんな時に私情を交えるほど私も愚かではないのでな。人類史を護るため、貴様に力を貸してやる。有り難く思え」
「ああ。有り難く思う。そして言質取った。早速力貸してくれ」
「……ん?」

 サッと頭を上げた衛宮は満面に笑みを浮かべていた。それはもう晴れやかな笑顔である。
 咄嗟に反応出来ず、我知らずエミヤは反駁しかけた。
 だが、それに先んじて懐から一枚の紙面を取りだし、衛宮はそれを赤い弓兵に押し付けた。

「それ、投影頼む。いやぁーっ、まさかアーチャーが来てくれるなんてなぁー、助かるわ! いやほんと。じゃ、後頼んだぜ。じゃあな」
「なん……だと……?」

 衛宮はポン、と弓兵の肩を叩いてさっさと食堂から去って行った。
 紙面には、螺旋剣が一日何本、赤原猟犬が一日何本――等と事細かに投影宝具量産の要請が書き込まれてあった。
 思わずエミヤは切嗣を見た。赤いフードを退けて、彼はやや哀れむようにしてエミヤに言った。

「お手並み拝見だ、本物のエミヤさん」
「……」

 切嗣はそれっきり、エミヤから視線を切って食堂から立ち去っていく。
 一人残された彼がホワイトボードを見ると、そこには何時の間に書き足されていたのか、議題2の所に『マスター命令は絶対』と記されていた。

『これで負担が減るヤッフゥゥゥウ!!』

 衛宮の歓喜の雄叫びがエミヤの耳に届き、

 この時、エミヤの中に殺意の波動が芽生えたのだった。






 

 

カルデアの救世主





「我ら影の群れを従えた以上は勝利も必至。ご安心召されよ、マスター」

 ――その日、カルデアは沸いた。

 薔薇の皇帝ネロのマスター勢としての加入によって『唯一』と冠されこそしなくなったが、その実績と実力から多大な信頼を寄せられるマスター、衛宮士郎の負担が軽減されたのだ。
 英霊エミヤの加入によってである。
 マスターの消耗は、少なければ少ないほど良い。同一能力者の参戦により士郎の負担は大幅に減じ、カルデアの誇るマスターが英霊に至りうる人物であったことが判明してカルデア職員の士気があがった。
 それだけではない。続く第二召喚により、士郎は凄まじい引き運を発揮。召喚サークルから発されるアサシンの霊基パターンに一瞬気落ちしかけたが、カルデアの人手(マンパワー)不足を一挙に解決してのける人材を獲得したのだ。

 ――そう。百貌のハサンである。

 その性質。その能力。その宝具。百人近くの分身を作り出し、それぞれが独立して――それも低燃費で――活動できる彼、或いは彼女は、今のカルデアが喉から手を出すほど欲する存在だったのだ。
 その事実にいち早く気づいた衛宮士郎は発狂した。急ぎロマニ・アーキマンとレオナルド・ダ・ヴィンチを呼び出し、共に発狂した三人で百貌のハサンを説得。カルデアでの業務をダ・ヴィンチを筆頭に数人の職員で数日間仕込み、ハサン約百体をカルデア運営に回すことがただちに決定された。

 カルデア救世主ハサン誕生の瞬間である。

「召喚早々悪いが、お前を戦場に連れていくことはない」
「なんですと?」

 最初、実力不足と断じられたと感じた百貌は不満を覚えたようだったが、士郎は言葉巧みに百貌を説き伏せた。

「そんな雑兵の仕事など百貌のハサンには相応しくないからな! そう、伝説の騎士王や神話最強の英雄にも真似できない、人理継続のための最前線こそが山の翁足るハサンに相応しい」
「むっ」
「百貌のハサン、その真の力を遺憾なく発揮させる事こそがマスターである俺の使命! 俺達の、人類の命運はある意味でお前達に掛かっていると言っても過言じゃない! 頼む、地獄のような戦いを潜り抜け、カルデアを救えるのはお前しかいないんだ!」
「ぬぅ……そうまで言われては否やはありませぬ。不肖ハサン・サッバーハ、カルデアの為、ひいては人理継続の大義のため、身を粉にして働くことを誓いましょう」
「(よっしゃ言質取ったぁ!)」
「……なにか?」
「いやいやいやその心意気に感動した! まこと感服仕まつる!」

 不眠不休で働けて、飲食の必要もない無敵の労働力確保に士郎は内心快哉を叫んだ。その背後でダ・ヴィンチやロマニ、カルデア職員全員が狂喜したのは言うまでもない。
 ブラック企業カルデア。かつてない熱烈歓迎ぶりに戸惑いつつも、喜びを隠せないハサンは知らなかった。自身が悪魔の契約書にサインしたことを。馬車馬の如く酷使される未来を。

 まあ低燃費群体サーヴァントとか便利過ぎるからね、仕方ないね。

「――来てる! アーチャーに百貌、今流れが来てる! カルデアの、ひいては俺達の負担が軽減される流れが! 間違いないぞこれは! 運が俺達の味方をしてきてるんだよぉ!」

 食堂でかつてないほどのハイ・テンションで祝杯を上げるのは、誰あろう衛宮士郎である。
 主賓は当然百貌のハサン(一体)だ。料理人はエミヤとエミヤ。エミヤの二人。常のエミヤならどちらのエミヤの腕が立つか競う所だが、今回はどちらのエミヤも自重して純粋にエミヤの料理の腕前を披露するに留め、ネロやマシュ、アルトリアとオルタリアの両名など、主だった面子に振る舞ったのだった。

 流れを感じる。そう、まるで意識不明で瀕死のアラヤが突如最後の力を振り絞り、微弱ながら抑止力を働かせてカルデアをバックアップしているような!

「……不穏だな」
「ああ、不穏だ」

 アルコールがインして見事に出来上がっている士郎を横に、ぼそりと溢したのは弓兵のエミヤである。そして暗殺者のエミヤもまた、彼と同じく妙な予感を覚えていた。
 歴戦のつわもの二人が同様の予感を懐くも、他に同意する者はいない。それは意外なほど酒乱の気がある士郎の仕業だった。
 どこに隠し持っていたのか多種多様の酒類を持ち出した士郎により、既にネロとアタランテは轟沈。クー・フーリンやハサンも意識が混濁している有り様。お子様なマシュは寝んねの時間であり、辛うじて意識を保てているのは初期からの付き合いがあった故に退避が間に合ったアサシン・エミヤ、士郎の作り出した料理の方に意識が向いていたアーチャー・エミヤ、そしてアルトリアのみである。
 オルタリアことアルトリア・オルタは、士郎のすぐ傍にいたが為にいの一番に沈んでいた。

 弓兵エミヤは士郎の腕に脅威を感じていた。それは士郎も同じであったが、今度機会があれば雌雄を決するか、或いは互いにじっくり味比べをしてみたいと考えていた。
 レベルは近い、ここまで来るとどちらが上かではなく、純粋に己の持つ味を比べ合い楽しむ方向にシフトするものである。

 エミヤは錯乱しているとしか思えない士郎を横目に、切嗣へ言う。

「……そろそろ止めた方がいいんじゃないか?」
「いや、止めなくていい」

 知っている顔ばかりの職場であるが、エミヤには特に不満はなかった。
 完全究極体へ変貌したあのランサーとは是非とも距離を置かせて貰いたいもので、今の所はこれといった絡みはない。
 しかしほぼ磨耗しているとはいえ、記憶に残る養父と同じサーヴァントとして人理修復に臨むことになるとは思いもしなかった。自身の養父とは別人だと理解していても、どうにも複雑な心境にされる。
 まあ似たような戦闘論理、戦術眼を持つということもあり、馬が合う部分があるのには面映ゆい気分にされるが、悪い気はしない。どこに行ってもついて回る女難も、ここでは避雷針があるので心配することもなかった。

 切嗣の返答に、エミヤはやや意外そうに眉を跳ねる。

「今流れが来ているのは確かだ。お前もそういうモノが大事だというのは知っているだろう」
「それは……知ってはいるが……」
「あのマスターは調子に乗れば乗るほど何かを起こす。今回はそれが良い方に転ぶことを祈るんだな」
「……分の悪い賭けは嫌いなんだがね。まあいいさ。言わんとしていることは分かる。一先ずは放っておこう」

 切嗣の言い分は意外だったが、頷ける所ではある。長い間戦場に身を置いていると肌で感じる時があるのだ。今、自分に運が向いていることを。『流れ』としか呼べない奇妙な運気を。
 そういう時は、不思議と何をしても死なないものだ。銃弾飛び交う死地で、弾の方が自分を避けていると感じるのである。
 だから、エミヤはそういった運と呼べるものを軽視しない。それは切嗣も、そして己とは別人である衛宮士郎も同じだろう。

 何やら気炎を上げて、アルトリアを連れ食堂を後にした士郎を捨て置き、エミヤは切嗣と戦術のすり合わせを含めて奇妙な懐かしさに浸るのだった








「乗るしかない、このビッグウェーブに!」

 ――後に士郎は述懐する。
 『調子に乗っていた。酒を飲んで呑まれていた。今は反省している』

 もはやお馴染みとなった衛宮式ダイナミックうっかり――遠坂の赤い悪魔と相乗効果を引き起こすという、ともすれば特異点化も夢ではないほどのパニック源の半分。
 防犯のためカルデアで『酒気帯び召喚禁止』の発端となった事件が今、士郎の手によって起ころうとしていた。

「シロウ、それが呼符なるものですか」

 所は召喚ルーム。アルトリアがしげしげと興味深げに金のプレートを眺める。
 士郎は召喚ルームに設置されたままとなっていたマシュの盾に呼符をセットした。

「ああ! これが! これこそがカルデア驚異の科学力! 複雑な召喚術式の内容は俺が一生かかっても理解できない代物だ! これを媒介に召喚された英霊は、漏れなくカルデアの英霊召喚システム『フェイト』に接続され、通常戦闘ならカルデアの電力を基におこなうことが出来るようになる! 何がどうなってそうなってるのかなんてまるで分からんがな!」
「なるほど」

 頭が可笑しくなっている士郎に、なんのツッコミも入れないアルトリア。

 ……そう、彼女も(酒で)狂っていた。

 要らぬ欲を掻いた士郎は、アルトリアを召喚現場に連れてくることによって、強力な円卓の騎士の召喚を試みんとしていたのだ。
 ダ・ヴィンチも士郎に回ってきた運気を感じていた所である。天才ゆえにそれを感じていたから、士郎の要請に応じて召喚ルームに電力を回したのだ。ややもすると、本当に円卓の騎士が召喚できるかもしれない。召喚出来れば戦力の向上は確実だ。試さない手はない。

 まあ天才だって魔が差す時ぐらいあるのだ。

 そんなわけで召喚である。もともと後一騎は呼ぶ予定だったこともあり、手配は滞りなく進んだ。士郎はアルトリアの背を押す。アルトリアは稼働した召喚システムを通じて、目を酒気に曇らせつつ厳かに告げた。

「モードレッド以外の円卓の騎士よ! 今こそ我が呼び声に応じて来たれ! もし来たらモードレッドは即座に退去させるとして、後の円卓の騎士は歓迎します!」
「――もっと熱くなれよぉ!」
「えっ!?」
「本音をさらけ出せよ! もっと素直になれよおぉ! そんなんで円卓が来る訳ねぇだろうがぁ!」
「わ、分かりました! ――ランスロット被害者面うぜぇ! モードレッドは構ってちゃんうぜぇ! 貴様ら二人以外なら誰でもい――やっぱりアグラヴェイン貴方に決めた来いアグラヴェインんんんんゥゥ!」
「アグラヴェイン――!」

 この現場を見て、管制室のダ・ヴィンチは悟った。
 ――あ、ダメな奴だ……。士郎くんやらかすぜこれ。
 流石天才である。その予感は正しい。果たして滅茶苦茶な魔力の指向性に召喚システムは誤作動を起こし、霊基パターンが狂いに狂って特定のクラスにサーヴァントを招くことが出来ない。カルデア職員が叫んだ。

『サーヴァントの霊基パターンが乱れています! こ、このままではまともなサーヴァントとしての召喚は――』
『誰かあの二人を止めるんだぁ!』

 ドクター・ロマン、魂の叫びである。
 しかし無常、間に合わず。いや寧ろ間に合ったと言うべきか、召喚システムは稼働して盛大に魔力を爆発させた。
 目映いエーテル光の中に、一騎の騎士が参じる。
 それは即座に跪いて臣下の礼を取り、己のマスターと主君に向けて名を告げた。

「――サーヴァント、アグラヴェイン。お召しにより参上致しました。我が王よ、再び御身のもとに侍ることをお許しください」
「おお、サー・アグラヴェイン! まさか本当に来てくれるとは!」

 そのサーヴァントこそが、鉄のアグラヴェイン。厳つい顔立ちの黒騎士。円卓崩壊の序章を担ったブリテンの宰相である。
 彼の辣腕ぶりと、その仕事ぶりを知るアルトリアは素直に喜んだ。人柄についても信頼のおける、円卓の数少ない良心だ。問題児ばかりの円卓を率いたアルトリアの感動も一入だった。

「……」

 突然静かになった士郎は、無言で騎士と騎士王を見る。
 そしてアグラヴェインがマスターである士郎に向き直り簡素な儀礼を交わした時、事は起こった。

「マスター、聞いての通り我が名はアグラヴェイン。騎士王アーサーに仕えし者。不安定な召喚のツケか、クラスのない亡霊のような状態だ。力になれるか分からないが、よろしく頼む」
「そうか。それは別にいい。よく来てくれた。カルデアは貴方の参陣を歓迎する」

 茫洋とした眼差しで、士郎は鷹楊に頷いた。
 クラスの枠に嵌まっていない、サーヴァントとして完全ではない亡霊としての現界に取り乱す気配は微塵もなかった。アグラヴェインはその泰然とした雰囲気に士郎への心証を上方に設定する。
 ただ士郎の頭の中で、化学反応が起こっただけであるとも知らず。

 士郎は酒で鈍った頭で思った。――アルトリアは士郎の身内。その身内の身内が召喚された。初対面だから挨拶しないと。そういえばアグラヴェインはアルトリアの活躍を知らない。せっかく共通の知人を持ってるのだからアルトリアを話の出汁に使おう。まずはアルトリアを誉めるところから入るべし。

 瞬時に士郎はそこまで考え、アルトリアの肩を抱き寄せた。士郎的には親密さと仲の良さをアピールする以外の意図はなかった。ただ言葉のチョイスが最悪だった。

「――アンタの王様、(戦果的な意味で)最高だったぜ」
「っ?」
「し、シロウ! そ、そんな……(戦果的な意味で)最高だなんて……」

 その時、アグラヴェインの脳裏に閃光が走る。

 マスターの言葉。王の、本来の性別を感じさせる照れた顔。――いきなりトラウマ地雷を踏み抜かれたアグラヴェインは発作的に激怒した。

 そして、そのまま士郎の顔面を殴り飛ばし。吹き飛んだ士郎は多くの機材を巻き込み損傷させる。風の如く駆け、士郎のマウントを取り憎悪の叫びを上げて拳を振り下ろし続けるアグラヴェインにアルトリアは呆気にとられた。
 誰か止めろぉ! 酔いが醒めて必死に防ぐ士郎。アグラヴェインが冷静だったら即死確定だっただろう。
 そんな士郎のポケットから、ダ・ヴィンチの工房からくすねてきていた呼符が一枚、溢れ落ちる。
 士郎の決死の叫びに応えるが如く召喚サークルが再度、起動した。それに気づく者はなく、ダ・ヴィンチらは大慌てで士郎を救出に召喚ルームに駆けてきて、我に返ったアルトリアと共に錯乱するアグラヴェインを取り押さえた。

 そして、ロマニが召喚ルームに駆け込んで来て、なんとか場の収拾に努めようとした時である。

 丁度、召喚サークルが士郎の呼符に反応して起動した。
 瞬間。あっ、と間の抜けた声が溢れ落ちた。

 光が満ちる。光が消える。

 召喚サークルから進み出てきた人物に、誰よりもカルデアの司令官が驚愕していた。



「――キャスターのサーヴァント。

 魔術王ソロモン、召喚に応じ参上した。

 きみが私のマスターかな?」



 一瞬後。冷静になった士郎が叫んだ。



「下手人だ、取り押さえろぉぉおおお!!」





 

 

急転直下のカルデア事情





「下手人だ、取り押さえろぉぉおおお!!」









 取り押さえられませんでした。

 魔術王ソロモンの名に偽りなしか。士郎の発した拘束の令呪を息をするように容易く弾き、アルトリアの対魔力を指差し一つで貫通、強制的にこの場より退去せしめる。
 アルトリアの対魔力に絶大な信頼を置いていた士郎である。思わず呆気に取られ、彼らしからぬ隙を晒してしまい――瞬間、カルデア職員含め、士郎やダ・ヴィンチ、アグラヴェインは召喚ルームから外廊へ強制転移させられた。

 人理継続保障機関の司令官、ロマニ・アーキマンを除いて、である。

「ロマニ! ……チィッ!」

 過去、神代の魔女メディアが行使可能とする転移魔術へ、なんらかの対策を講じることを意識させられた士郎は素早く周囲を確認し、ロマニの姿がないことに激しく舌打ちした。
 魔術師の冠位資格者足る魔術王ソロモンは、穏やかな面貌に困惑を滲ませつつ、ある一点で目を止めていたのを、士郎は見逃さなかった。
 まさかあの一瞬で司令塔を見抜くとは、流石の眼力。英雄王にも引けを取るまい。なんとかして召喚ルームに踏み込まんとするも、びくともしない。

 ダ・ヴィンチが素早く手の杖で解析する。

「……駄目だ、古の城塞並みの神秘で固められてる。対城宝具でないと正面からは破れないよ、これ」

 あの一瞬でここまでの防護術式を展開するなんて、流石に桁外れだなぁ、なんて。どこか感心した風なダ・ヴィンチを横に、士郎は顔を顰めた。

「カルデアの中で対城宝具を撃てる訳あるか。……アグラヴェイン、なんとか出来ないか?」

 先程までの内輪揉めを瞬間的に棚上げし、現場に居合わせた唯一の手持ちサーヴァントに問う。彼もまた、己の王の対魔力の凄まじさを知る故に、騎士王が魔術で転移させられた事実に驚愕していたが、問われるや即座に意識を復帰させ応じる。
 彼もまた先刻の騒ぎを無かったものとして、冷静かつ端的に答えた。

「出来ない。今の私は霊基が不定、サーヴァントとしてのクラスすら定まらぬ亡霊だ。働くのはこの頭のみと思って貰って結構」
「分かった。では現場の判断により、一時的にロマニの指揮権を預かる。異論のある者は?」

 士郎が回りを見渡し誰何するも、職員らはもとよりダ・ヴィンチやアグラヴェインにも否はなかった。
 無言の了解を得た士郎は間を置かず的確に指示を飛ばす。意識に酔いはない、明晰に醒めている。

「レオナルドは防壁の解析を継続。抜け道を探してくれ」
「りょーかい。でも期待はしないでくれよ? なんたって相手はかの魔術王だからね」
「分かってる。だから別にフリだけでいい。囮みたいなもんさ。――カルデア職員は全て管制室に移動、魔術王からの干渉があるかもしれない。第一級警戒体制で当たれ」

 「はい!」と職員らは駆け出していった。すぐにそれから目を逸らし、必ずここに居合わせたであろう存在に指示を飛ばす。

「ハサン、職員の管制室への誘導及びサーヴァントの招集を任せる。行け」

 「御意」影からの応答。カルデアで彼のいない場所はない。一通り指示を行き渡らせ、後はランサーらが集まるまでやることはない――訳ではない。
 士郎はサー・アグラヴェインを見る。彼の目に激発した怒気はない。冷徹に事態を分析する。戦乱のブリテンを支えた宰相の瞳でマスターを見据えていた。
 彼とのディスカッションは滞りなく進められそうだと判断した士郎はおもむろに言った。

「魔術王召喚からここまで、取り上げられる要素は?」
「我が王の対魔力を貫通する魔術。刹那の間に我らを全て外廊へ追い出し、召喚ルームに立て籠り現状を把握するために動く行動力。カルデアの司令官を一瞥のみで見抜く洞察力。カルデアの司令官を即座に人質に取る咄嗟の機転だ」
「城塞並みの防護を一瞬で構築、いきなりの令呪を無効にする反応の早さまでが魔術王の側から読み取れる情報だ」
「翻るにマスターはミスをしている。如何なる事情があるのか私はまだ知らないが、いきなり声を大にして指示を飛ばしたのは失策だった。加えて、令呪の無駄打ち。これは痛いだろう」
「アグラヴェインに通達しておこう。魔術王は人理焼却の実行者だ」
「――情報源は?」
「第二特異点にて聖杯を握っていたローマ建国王ロムルスだ。信頼の置ける人物だ、情報の確度は高い」
「……なるほど、マスターの過敏な反応の理由は把握した。是が非でも話を聞かねばならないという訳か」
「ああ。そして人理焼却を行うような輩だ。何をされるか分かったもんじゃない。有無を言わさず制圧し拘束するのが正答と判断した」
「正しいな。しかしカルデアに魔術王を無力化出来る者など――」
「いる」
「――なに?」
いる(・・)

 情報は纏まった。
 エミヤ、切嗣ともディスカッションは滞りなく行えるが、アグラヴェインの方が頭の回転と認識力、分析力は上だ。
 何せ召喚から間を置かず、激怒させられておきながら急な事態にも動じずに応じてのけたのだ。士郎も彼のお蔭で理解が深まった。
 士郎の中でアグラヴェインのポジションが決まったのはこの時である。

 アグラヴェインの反駁に、士郎は答えず。
 そこへ迅速に駆けつけてきたのは、世界の古今を見渡しても間違いなく最強格の英雄である槍兵クー・フーリンだ。
 有事となれば体に沈澱していたアルコールを排するなど、サーヴァントには当たり前に出来ることである。戦装束に身を固め、呪いの朱槍と丸盾を手に推参した彼に、士郎は頷いた。

「一人目がこのランサーだ。真名はクー・フーリン。カルデア最強が彼だ」
「クー・フーリン……!」

 さしものアグラヴェインも驚きを露にする。彼から感じる力の波動のようなものは、日中のサー・ガウェインに比するものだったのだ。
 クー・フーリンはアグラヴェインを見遣る。そして気負いなく挨拶を投げた。

「よ。新顔だな、見た感じ不完全みてぇだが、ここに来たからには同胞だ。よろしく頼むぜ」
「……こちらこそ、よろしく頼む。高名のほどは遠くブリテンでも鳴り響いていた」
「あーあー、そういうお堅いのはいらねぇよ。賛辞も聞き飽きてるしな」

 その賛辞の果てがクー・フーリンの末路である。強すぎるが故に、修羅の国ケルトの戦士ですら戦うことを諦め、女王の仕掛けた謀殺を選んだほどの。

 サー・ガウェインの最も有名な伝承はクー・フーリンの逸話を下敷きに描かれた物なのだ。彼と血縁関係にあるアグラヴェインは当たり前のようにそれを知悉している。
 そして続いてやって来たのがアサシンのサーヴァント、エミヤキリツグである。士郎としては彼が本命だ。

「パスを通じてマスターから情報の共有はされている。僕のすべきことは理解しているから説明は要らない。いつでもやれる」
「よし。念のため聞くが、レフの死体に第二宝具は反応したか?」
「反応はあった。あれは一種の高度な魔術式なんだろう。今後は僕の宝具で魔神柱へ対応が可能だ。魔術王の魔術にも同様の効果が見込める」
「――期待通りだ。ランサー、召喚ルームに突入し次第、魔術王ソロモンの無力化を頼む。奴の魔術はアルトリアの対魔力を貫通するぞ。高速神言スキルも持っていると見ていい」
「応。要はやられる前にやれ(・・・・・・・・)ってこったろ?」
「端的な理解だがそれでいい。五秒で仕掛けるぞ、いいな?」

 五、とカウントダウンするや、切嗣がナイフを構える。
 それは彼の代名詞。サーヴァントととしての宝具名は『神秘轢断(ファンタズム・パニッシュメント)』だ。
 これにより召喚ルームを塞ぐ防護壁を破壊、魔術王にダメージも与えられる。そして不意のダメージに魔術王が少しでも驚いてくれたら儲けもの。その瞬間にクー・フーリンに叩きのめされるか、少し抵抗してクー・フーリンに叩きのめされるかだ。どれほどの怪物であれ、霊基の脆いカルデアのサーヴァントである以上、クー・フーリンに敵うべくもない。

 一、と呟く。

 切嗣がナイフを握り直した。
 と、同時。

 召喚ルームが、突如開かれる。身構える士郎らを、引き攣った笑顔が迎えた。

「や、やあ……」

 ロマニである。彼は両手を上げて、自身は何もされてないアピールをしている。

「……ロマニ?」
「この通り僕は無事だよ。ただソロモンはいきなりのことに怒って退去しちゃったよ。あはは残念だなぁ折角強力なサーヴァントだったのに」
「……」

 召喚ルームの中を覗き込む。
 すると、確かに無人だ。霊体化したソロモンもいない。曖昧な笑みを浮かべ説明口調な彼に士郎は笑みを浮かべた。

「……ロマニの姿に化けるとは太い輩だ」
「うぇっ?」
「しかも演技も上手い。ロマニにしか見えないとは驚嘆を隠せんぞ魔術王!」
「ま、待て! 待つんだ士郎くん! 僕だ、分からないのかい?!」
「煩い黙れ俺の目は誤魔化せても霊基の規模でバレバレなんだよ! 今度こそ取り押さえろ!」
「うわああああ!?」

 殺到したサーヴァントと士郎に、成す術なく取り押さえられるロマニ。



 ロマニ・アーキマン、確保。







 

 

再編、カルデア戦闘班





冠位(グランド)の称号に、冠位魔術師(グランドキャスター)の魔術王、ねぇ……」

 魔術王は召喚ルームに立て籠り、人質としていたロマニへ自らの霊基を溶かし込んで、ロマニの肉体を乗っ取っていた。
 奇しくもそれは、マシュと同様のデミ・サーヴァントと呼べる形態であるが、素直にそれを信じるほど平和ボケも信頼関係も構築していない。まずは疑って掛かるのが常道であるから、俺は極めて真っ当な嫌疑のもと魔術王を尋問していた。

 結果、判明したのは当たり前の事実と控えておくべき基礎知識。
 この魔術王は人理修復に協力的。人理焼却を実行した魔術王ではない。召喚直後の扱いには遺憾の意を表明。容疑を否認、犯人は別にいるので冤罪を主張、と。
 そして魔術王はあくまで自我はロマニ・アーキマンであり、決して魔術王ソロモンではないと必死に訴えてきた。
 まあ、俺としても直感的には信じてもいいかな、と思わないでもない。

 背後には何故か笑いを堪えるダ・ヴィンチと鉄面皮のアグラヴェインを従え。俺はロマニの顔にライトを当て、出来立てほやほやのカツ丼を容疑者に食らわせつつ問う。

「魔術王ソロモンが人理焼却に無関係であるという証拠は?」
「逆に関係あるという証拠がないしそもそも関わってたら召喚に応じるわけないだろう!?」
「カルデアに乗り込み内側から掻き回さんとする意図があるのだろう」
「異議あり! それはもはや根拠のない言いがかりに過ぎない! 検察はもうちょっと煮詰めた容疑を掛けるんだ! というか僕に弁護士を付けてくれ! あとライト近いよ! カツ丼ご馳走さまです!」
「痛覚を遮断するなど容易い魔術王に身体的な拷問は意味がない。こうなれば奥の手を使うしかないか……」

 例の物を、と俺は騒ぎを聞き付けて起き出してきたマシュに言う。
 ロマニが魔術王に乗っ取られた――その報に悲痛な顔をしたマシュに、ロマニの顔をした魔術王は巧みに本物のような悔しげな顔をしていたが、まだ弱い。
 「はい……」とマシュは俺の指示に従い、俺に一つのカルデア作の最新型ノートパソコンを渡した。ロマニの顔がきょとん、とする。なぜここにノートパソコンを? と。
 俺は言った。ドルオタには禁じ手となる、必殺の切り札を切るべく。これで本物のロマニか否かの判断がつく。ノートパソコンを起動し、その画面をロマニへ見せ――発作的にロマニが悲鳴をあげた。

「ま、まさか……や、やめっ、やめてくれ……」
「ロマニが愛好していた『マギ☆マリ』のホームページ。後は一クリックでロマニのアクセス権は永遠に失われる。レオナルド協力の下、確実にロマニのアカウントは焼却されるだろう。人類史の如くに。お前はマギマリのカルデア足り得るか否か、見せて貰おう」
「なぁっ!? ぼ、僕の心のオアシス、僕の生き甲斐を奪うというのか!? 鬼! 悪魔! 士郎くん!」
「――しかし外部との通信は途絶してるのに、このマギマリとかいうのは何処に繋がってるんだ……? ……いや、今はそれはいいとして、さあ魔術王。お前が真にロマニ・アーキマンであり、カルデアに一切の敵意がなく、人理修復に協力するというなら、何一つ隠しだてせず俺の質問に答えろ」
「答える! 答えるからそれだけはほんとやめてくれぇ!」
「では問う。心して即答しろ」

 俺は嘆息する。もうダ・ヴィンチの顔で察していた。あの顔はあからさまに事情を知ってますよという顔。それを察してしまえば緊迫感も続かない。
 半ば投げ槍に俺は問いかけた。



「ロマニ・アーキマンはソロモンの縁者或いは同一存在だな?」



「――っ?」

 ギョッ、としたのはロマニ。即答しろと言ったのに言葉に詰まる辺り本気で驚いているのだろう。俺はそれはもう態とらしく溜め息を吐いた。
 その反応だけで相対する者にとっては充分過ぎ、そして彼が魔術王ではない証になったと言える。
 俺は分かりきったことを説明した。

「アルトリア、オルタ、アーチャー・エミヤ、俺。色違いでも同じ顔が二組も揃ってる職場だぞ。あの魔術王の顔とロマニの容貌が一致することなんて一瞥して気づいたわ」
「……あっ」
「加えてデミ・サーヴァントの成功例はマシュだけ。その成功確率は適性諸々を引っくるめて英霊側の心証にも左右される不安定なもの。如何な魔術王とてなんの下準備もなく行い、無造作に成功させられるものか」
「……ぅぅ」
「――にも関わらず現実にロマニは魔術王と融合を果たしている。なら逆説的に考えて成功するに至った要因が最初から揃っていたということになる。最も考えられる可能性は、ロマニが魔術王との相性が抜群に良かったことだな。例えばロマニの血統が魔術王に連なっていたり、ロマニ自身が魔術王だったり、な」
「おお、士郎くんは探偵もやってけそうなほど冴えた推理をするね」

 ダ・ヴィンチが茶々を入れてくる。俺は肩を竦めた。

「実際探偵をやったこともあるしな。昔取った杵柄という奴だ」

 推理とはそう難しいものではない。目の前の事象を可視不可視に関わりなく抽出し、謎に当て嵌めていくパズルである。
 仕組みさえ把握し、解き方さえ知っていれば誰でも出来る。推理の要訣とはパズルのピースをどうやって見つけるか、見つけたピースを上手く型に嵌められるかだ。
 探偵の技能は大いに役立つ。逃げた敵の追跡や、罠の有無の確認、捕捉した敵を追い詰める手法――実戦はその仕事量と規模規格を上げたものだ。
 
「で。ロマニ・アーキマンが魔術王本人だという可能性は荒唐無稽ではない。ソロモン=ロマニという図式を現実にするものがあることを俺達は知っているはずだな」
「――あ! 聖杯ですね!」

 マシュが顔を明るくする。ロマニが乗っ取っられていない可能性の浮上と共に、その素性の真実に驚きの色彩を表情に浮かべていた。

「過去冬木で聖杯戦争があっ――」

 ぴしり、と頭に痛みが走る。

 唐突な頭痛。セーフティが掛かったような、急な思考停止。マシュが訝しげにセンパイ? と窺ってくるのに、ややロマンが慌てたように制止した。

「――っ! そこまでだ士郎くん。あまり僕の(・・)身の上を詮索しない方がいい」

 頭を振る。遠退いた意識に、魔術の介在を疑うも、ダ・ヴィンチは首を横に振った。
 カルデアでは感知されていない、魔術ではなく別方面からの干渉を受けた? ……目の前の、ソロモンから?

「……どういうことだ?」

 訊ねると、ロマニは真剣な顔で告げた。

「言えない。こればっかしは、君にだけは絶対に言えない」
「『俺にだけは』、ときたか。この場でそれが通ると思ってるのか? 折角晴れ掛かってきた疑いがまた再燃するぞ」
「構わない。でも、本当に言うわけにはいかないし、僕の過去を君が(・・)詮索するのは絶対に駄目だ」
「……」

 ちら、とアグラヴェインを見る。彼は首を横に振った。それは論理的に認められぬという意思表示。
 沈黙してロマニを見る。
 彼は魔術王ではない。それは信じられる。しかし過去を詮索するなとはどういうことなのか具体的な説明もなしに認められはしない。
 しかし意固地になったロマニには強要出来ないし、したくない。友人なのだから。
 仕方なく、妥協した。

「せめてなんで駄目なのかぐらい教えてくれ」
「言えない」
「……」

 お手上げである。俺は大袈裟な身振りで欧米チックに首を振り嘆息した。

「仕方ない。なら話を変える。お前はロマニだな?」
「……うん。そうだよ。それは信じて貰っていいさ」
「……聞いておいて悪いが、やはり信じるわけにはいかない。お前は兎も角、中身のソロモンは絶賛人理焼却の有力な容疑者だ。監視も置かずにいて、好き放題される可能性を考えると、カルデアのマスターとして見過ごせないな」

 ネロ、エミヤを見る。彼らは冷静に頷いた。同意である。
 アルトリア、オルタ、クー・フーリン、アグラヴェインも同意見なのか、口を挟まない。――アルトリアとオルタの顔がやや緊張を孕んでいるのに俺は目敏く気づいたが、今は追求しなかった。
 マシュは、固唾を飲んで俺の裾を掴む。その心を訴えるような眼差しに俺は微笑みかけた。悪いようにはしないさ、と。

「……じゃあ、どうする?」
「今のロマニは俺のサーヴァントだ。故に俺のサーヴァントとして常に行動を共にして貰う。俺やマシュ、アルトリア達でお前を監視するためにな。無論カルデアに細工されないように、特異点へレイシフトする時はカルデアに残させない。俺達と一緒に戦って貰うぞ」
「……! 先輩、それって――!」

 マシュが、嬉しげに笑顔を咲かせた。ダ・ヴィンチが言祝ぐように微笑む。ロマニは呆気に取られ、その言葉の真意を質した。

「ど、どういうことだい? 僕が離れたら、カルデアの指揮は誰が――」
「それはレオナルドとアグラヴェインに一任する。カルデアの人手不足はハサンが解決してくれたし、無理なく運営出来るはずだ。ロマニには悪いが司令官の座からは降りて貰うぞ」
「――それって」
「なあ、ロマニ。俺やマシュと、旅をするのも良いんじゃないか?」
「――」

 ぽかん、とロマニはアホ面を晒した。
 彼にとって、それはこれまで考えられないことだったのだ。
 否、敵が魔術王である可能性を考慮すると、鬼札と成り得る自分の存在を隠し通すのは、ロマニにとって当たり前のこと。
 なのに、拒否する考えが浮かばなかった。

 旅をする。

 カルデアの司令官としてではなく。ただマスターを送り出すだけのナビゲーターとしてではなく。共に肩を並べて戦い、旅をする仲間になるなんて。
 これまで、一度として考えたこともなくて。十年もの孤独な戦いに徹してきて彼には思い付きもしないことで。
 とても魅力的な、悪魔めいた誘惑だった。

 俺はロマニの事情を知らない。だが別に気負う必要はないのだ。

「マシュ」

 声を掛ける。すると、マシュは頷いて、ロマニに――育ての親とも言える、非人道的な研究から救い出してくれた恩人に告げた。

「ドクター。私と、一緒に旅をしましょう」

 その言葉に。色彩に。
 ダ・ヴィンチは笑った。

「君の敗けだロマニ。どんな計算も、あの笑顔には敵わない。そうだろう?」
「……参った。うん、敵が魔術王なら、僕の存在は隠しておかないとまずいっていうのに。どうやら僕は、彼らに逆らえそうにない」
「ん? どういうことだ?」
「全部話すよ、僕の知ってることは」

 ロマニは仕方なさそうに苦笑して、マシュの頭を撫でた。大きな慈愛の気持ちを込めて、優しく、優しく。くすぐったげなマシュを見守る、本当の親のように。

「ただ先に言っておくと、どうやら敵は魔術王(ぼく)の力を超えているようでね、僕の千里眼でも正体は見抜けなかった。大体の察しは付いたけど、知らない方がいいかな、今は」
「……そう言うなら信じよう。論理的じゃないが、論理だけで世界は回らないからな」

 受け入れる。秘密主義も行きすぎない限りは必要だ。時には味方にも秘するべきものはある。
 ロマニは言った。

「僕の知っている情報を開示する前に決めておくことがあるだろう。もうすぐ二つの特異点へ同時にレイシフトすることになるけど、その時は編成をどうするんだい?」
「それは決めてある」

 変異特異点とでも呼ぶべきもの。
 冬木の方へ、俺が行く。もう一方をネロが担当する。

「俺の班はランサー、マシュ、ロマニ。
 ネロの班はアタランテ、エミヤ、アルトリア。
 残りはカルデアに待機。各々はそれぞれの班の救援に即座に駆けつけられるようにして貰う。
 その采配はアグラヴェインに託そうと考えている」

 む、と異論ありげなアルトリアらを制し、俺は言った。

「これを常態として、今回のようなケースを除いて片方の班は緊急時に備えカルデアで待機させる。組織の歯車に遊びがないといざという時に脆いからな」
「うん、それがいいと思う。組み合わせもいいね」

 ロマニが賛意を示し、編成は決まった。

 ふぉう! と愛らしい獣がマシュの頭に飛び乗り、嬉しげに鳴く。まるでマシュを祝福するように。
 俺は苦笑してフォウの顎を擽った。

「じゃ、話して貰うぞロマニ。お前の知り得たことを」






 

 

槍の主従の憩い





「なあ、ランサー」

 魔術王ソロモン改め、ロマニ・アーキマンより提供された幾つかの話を纏めた俺は、不意に思い付いたことをクー・フーリンに訊ねた。

「ランサーは持ってないのか、冠位」
「……はあ?」

 カルデア・ゲートという、ここまでの特異点のデータを参考に開かれた疑似特異点とでも言うべきシミュレータールームに彼らはいる。
 明日に控えた冬木の変異特異点へのレイシフト。未確定な状況で凝り固まった戦術を立てる無意味さを知っているから、俺はカルデアで最も武力に秀でた英霊と共に無数の敵エネミーを撃破しつつ、互いの連携密度を高めていた。
 骸骨兵、偽魔神、ロマニが再現した魔神柱、第二特異点で相対した神祖の魔神霊のデータを撃破して、それらの霊基パターンをランサーの霊基に蓄積。既に三度の霊基再臨を果たし、生前の力に近づきつつあるランサーは、己のマスターからの問い掛けに訝しげな反応を示した。

 冠位。

 トップサーヴァントの中でも一部の者のみが条件を満たし、所持しているという冠位英霊の称号。魔術王が持つというそれ。
 俺としては、アルトリアも冠位剣士の資格はあると思うし、クー・フーリンも同様であると思うのだが。俺の知り得る中で、他に冠位を持っていそうなのがヘラクレスであり、そんな彼と並ぶ力を持つクー・フーリンなら冠位を持っていてもおかしくはないと思うのだ。
 クー・フーリンは朱槍を薙ぎ、こともなげにデータ上の魔神霊の首を刎ね、首のない体を三体の魔神柱の方へ蹴り飛ばしてノーモーションで跳躍。魔槍の投擲によりあっさりと殲滅して着地する。
 幾何学的な軌道を描き帰還した魔槍を掴み、クー・フーリンは俺に言った。

「なんだいきなり。持ってなきゃおかしいのかよ?」
「アルトリアもそうだが、逆に持ってない方がおかしい。ケルト神話最強の実力、槍兵の中でも最速に近い速度、権能一歩手前の宝具、この三拍子が揃ってるんだ。で、持ってるのか?」
「……質問に質問で返して悪いが、持ってた方がいいのか?」

 面倒臭げに髪を掻きつつ、お馴染みの蒼タイツ姿になったクー・フーリンは反駁する。
 じゃらじゃらした宝石、衣服は野生の戦いを好むクー・フーリンにはどうにも堅苦しく、無駄を省いた最低限の兵装に切り替えた結果、彼は蒼タイツに肩当てだけの姿になっていた。
 盾もマントも封印し、必要があれば使うスタンスに切り替えたのだ。兵装の上では縛りプレイに近いが、まあ、クー・フーリンがそうしたいならそうしてもいい、と俺は思う。

「いいや、ただの確認。仲間の力はなるべく正確に把握しておきたいからな」

 実際問題、持っていても現状のカルデアの召喚術式と電力事情的に、冠位の実力を支えるなど不可能なのだが。
 しかしそんな事情を横に置いても、俺は別に冠位の有無は然して重要ではないと考える。保有する戦力の正確な力を知りたいというのは本音だった。

 クー・フーリンは槍の柄で肩を叩きつつ、嘆息して応じた。

「持ってるぜ、冠位(それ)
「お。やっぱりか」
「だがはじめに断っておく。オレは冠位として戦う気はねぇ。オレはサーヴァントとして人理修復に協力するが、これは人間の――お前らカルデアの戦いだ。でしゃばるつもりはねぇよ」
「まあランサーはそうするだろうな」

 分かりきっていたことである。俺の反応に、クー・フーリンは苦笑した。
 場合によっては批難されて然るべき物言いを衛宮士郎は至極当然のものとして受け入れたのだ。
 履き違えてはならない。カルデアは助けて貰う側で、主導して戦わねばならない者。協力してくれる者に大上段に構えていい道理はない。英霊側のスタンスを変えさせたければ、相応の理を用意するのが筋だ。

「ただまあ」

 クー・フーリンは不敵に犬歯を剥く。

「例外はあるがな」
「例外?」
「人間じゃあどう足掻いても敵わない――冠位持ちが戦うべきモノは、死が有ろうが無かろうが主義を曲げて殺してやるよ」

 人類悪、クラス・ビーストのことを言っているのだろう。
 ロマニから聞いたが、冠位の存在はそれへの対抗措置的なものだという。霊基の規模からして桁外れ。人間ではどう足掻いても勝てない災害。
 その時は是非頼む、と俺は肩を竦めた。
 ロマニはカルデアのサーヴァントの括りに収まっているためか、その能力には制限が掛かっている。霊基を強化すれば使える力も増すが、今は精々が神代の魔女メディアの最盛期程度の力しかないという。――初期霊基で何言ってんだコイツ、と俺は思った。比較対象がおかし過ぎる。充分すぎた。
 その結果、彼が知り得るのは全智に及ばず。のみならず、知り得ることの大部分も敵側の魔術王の存在を考慮し伏せられた。
 ロマニ曰く、自分は人間に擬装して霊基を誤魔化すことは出来る。しかし俺や他のサーヴァントを経由して、自分の存在やロマニを通して得た知識が相手に流出することだけは避けねばならない。
 故に俺が知れたのは必要最低限の知識のみ。まあそれもないよりはマシなので、納得はしている。機密とは時に味方にも伏せるべきものなのだ。

 シミュレータールームを出て、俺は掻いた汗をタオルで拭う。
 如何に精巧でも所詮はデータ上の存在、参考程度に攻略方法を考案するに留めた方がいい。クー・フーリンの霊基強化が目的とはいえ、余り根を詰めてやるべきでもなかった。
 クー・フーリンは感心した風に言った。

「いや、しかしあの時の小僧が見違えたもんだ」
「ランサーから見てどうだ。俺は」
「人間としちゃトップランクだ。その異能と頭の切れ、素の実力も勘案すりゃあ戦闘を生業にしてねぇサーヴァントは安定して翻弄出来るだろうよ」
「……俺が? アーチャーの奴の足元の影ぐらいにしか及んでないのにか」

 予想以上の高評価に嬉しさ半分、疑い半分。
 俺の微妙な反応にクー・フーリンは鼻を鳴らす。

「アーチャーとマスターを比べたら、確かに一枚も二枚もあの野郎のが上手だ。だが過小評価はするもんじゃねえぜ? アイツは確かにステータスだけなら雑魚も雑魚、良くて並み程度だが――アーチャーは本物の戦上手だ。どんな格上が相手でも、一定の戦果は安定して出せる一種のジャイアントキリングだぜ。性能なんざ論じるだけ無駄、マスターがアーチャーを見習うべきはその戦闘論理だ」
「……そうだな。確かにそうだ」
「オレはアイツとは腐れ縁でね。ある程度の真似事は出来る。肌にゃ合わんが、明日出向く戦場で少し見せてやるよ。オレ並みのステータスを持ってる奴がアーチャーみたいな戦法を使った時の嫌らしさをな」
「いいのか?」
「応。誇りの欠片もない槍なんざ振るいたくもねぇが、マスターの参考になるんなら一回だけやってやるよ」

 オレは主には尽くすサーヴァントなんだぜ、と。クー・フーリンはにやりと笑み、俺も微苦笑して感謝する。
 確かにトップサーヴァントがエミヤのものに近い戦法を取ったらどうなるか興味はあった。もし敵方で遭遇したら、どう対処すべきかも見えるかもしれない。少なくと初見殺しにはならないのだから、是非やって貰うべきだろう。

 ふと思い出したようにクー・フーリンは言った。食堂に到着し、厨房に入った俺に向けて。

「――そういやさっきの冠位云々だけどよ」
「ん?」
「もし敵方に出たら気を付けるべき奴を、槍兵の視点で進言しとく」
「ランサーの視点となると、ランサーと同じ槍兵の冠位持ちってことか?」
「当てずっぽうだけどな」

 言いつつ、クー・フーリンはどっかと椅子に腰掛け虚空に視線を這わせる。

「ケルトにゃオレ以外冠位はいねえ。それは間違いないな」
「ランサーの師匠は?」
「ありゃ駄目だ。腕はあっても魂が腐ってる。そもそも人理焼却中の今はサーヴァントになれるだろうが、オレの時代から二千年以上経ってるんだぜ? 取り返しがつかねえぐらい腐ってるのは間違いない。第一、オレのが強ぇ」
「へえ」
「敵にはしたくねえけどな。生前のオレか、それに近い状態のオレなら、師匠がどれだけ腕を上げてても後れは取らねぇ。素でオレが強えし互いに変身してもオレのが上だ。だから師匠に冠位は無ぇ」

 オレのガキが長生きしてたらオレ以上になってたろうが……と、彼らしくない独白を溢す。

 それは聞かなかったことにして俺は頷いた。
 ケルトは少なくともクー・フーリン以外に槍兵の冠位持ちはいない。確かにフィン・マックールもディルムッド・オディナも英雄としてクー・フーリンより格下だから納得できる。
 というか、ヘラクレスと同格のクー・フーリンと並ぶ奴がそうそういるはずもないのだが。

「ギリシャはあれだ。可能性があるのはアキレウスとかいう小僧だが――まあ、神々の恩寵ありきの英雄だしな。腕も気質も魂も相応しいがあんまり考えられねぇ」
「アキレウスって言ったら『最速』だぞ? 槍兵として出たらヤバイだろ」
「最速? オレを差し置いて本当にそう言えんのかねぇ?」

 まあ、伝承の関係上そう言われてるから、俺からはなんとも言えない。
 しかし伝承で言うならクー・フーリンも大概だ。馬の王と称えられた音より速いマハより、クー・フーリンは更に速いと明文化されているのである。速さで言えばいい勝負ではなかろうか。音より速い馬より速いのだから、ある意味でクー・フーリンも『視界全てが間合い』と言えなくもないだろう。
 実物を見てもないのだから比べようもない。判断は保留だ。個人的には己の力に依って戦い抜いたクー・フーリンの方が、神々の恩恵を膨大に受けたアキレウスよりも英雄として格上だとは思うが。

 あれだ、アキレウスとか完全にその素行が蛮族なので、出来れば関わり合いになりたくないのが本音である。
 侵攻軍側なのに、防衛側のヘクトールが親友を殺したとか言って死体を戦車で引き回すとか完全に頭おかしい。いやまあ、感情は理解できるが、ぶっちゃけ怖い。アキレウスかヘクトールかと言われたらコンマ一秒もなくヘクトールを選ぶ。

 その他にも、クー・フーリンは無数の神話の英雄の名を挙げた。
 しかし近代の英霊は一人も挙げない。
 それは単純な実力ではなく、冠位への条件に当てはまらないからだそうだ。

 冠位の条件。興味深いが、クー・フーリンは説明を面倒臭そうに端折った。別に知ってても知らなくても関係がない、というのがクー・フーリンの考えのようで、確かにその通りなので追求はしなかった。

「よし、出来た」
「待ってました! いやぁ色んな意味で腕の立つマスターを持てたオレは名実ともに幸運Eを脱却したな! で、今回はなに食わせてくれるんだ?」
「第二特異点MVPのランサーにはとっておきを用意した。腕によりをかけて作ったからご賞味あれ」

 厨房から出て、クー・フーリンの席の前に置く。渾身の力を込め、迫真の顔で料理名を告げた。

「――ドッグフードだ!!」
「おい」
「冗談なので睨まないでください怖いです」





 

 

睦まじきかな、盾の少女




「冗談だったのに……」

 まさか本当にドッグフードを出すわけもないのに、拳骨を貰う羽目になった俺は不貞腐れて食堂を後にした。

 しかしまあ、冷静になってみるとクー・フーリンという英雄にとって犬というものは色んな意味が付随するもの。過敏に反応して当たり前であり、冗談でも言って良いこと悪いことがあるのは社会では常識だ。その境界線を見誤ったこちらに落ち度がある。
 親しき仲にも礼儀あり。結束の固い主従であればこそ相手を思いやるべし。寧ろ拳骨一発で許してくれたクー・フーリンに感謝すべきだ。
 そうと弁え、反省し、後で改めて謝罪しに行くかと決めて、俺はマイルームに向かう。その途上、足許にすり寄ってきた小動物に気づいて俺は感心した。

「――っと。普通に気配を感じなかった。アサシン並みだなフォウ君」
「ふぉーう」

 白い毛むくじゃらな獣。手を腰にやると、それを取っ掛かりにフォウが肩まで登ってきた。

 フォウを君付けで呼び始めたのは最近だ。

 これは個人的な意見だが、無垢な動物というのは相対する者の鏡なのだと思っている。
 愛情を注げば素直な愛情を。憎悪を向ければ負の感情を還してくれるのだ。これほど分かりやすい指標があるだろうか?
 注ぐものが愛情であっても向け方や趣によって還ってくるものは違う。動物の人間への態度は、ある意味で自身への問いかけに近い。
 甘やかすだけが愛ではなく、愛玩するだけでは対等ではないと教えてくれる。人が人に接する時、相手にどう見えているかを示してくれるのならどうしてそれを邪険に出来る?
 故に、俺の動物への接し方は基本が人間と同じ。知能によって幼い子供と同じように接し、またフォウのように高い知能を持っていると判断した場合は相応に扱うことにしていた。

 それに、フォウは純粋に可愛らしい。些かの贔屓が出てしまうのも人情であろう。

「……そういえば菓子が余ってたな。後でマシュと一緒に食べるといい。他の奴等、特にアルトリアとオルタには絶対に秘密だぞ」
「ふぉう!」
「果物の方がいいのか? ちょっと贅沢覚えて来たなお前」

 愛らしいつぶらな瞳が間近でジッと見つめてきて、なんとなしに話しかけると短い前肢でテシ、と頬を小突かれる。
 それが彼なりの自己主張で、そうと意思を汲み取れるのはフォウをただの獣として見ていないからだ。
 彼は人の言葉を理解している節がある。時々知らんぷりする賢しさがあるが、その挙動を注意深く観察していればフォウがどう見ても人の言葉を解して行動しているのは読み取れた。
 人外の蔓延る世の中である。獣に人の言葉が分かるわけないと頭から決めつけたり出来ない身の上であるから、そういった機微にも気を付けていたら自然と察せられた。

 俺に要求を突きつけたフォウは、肩から飛び降りて忙しなく駆け去っていく。マシュを呼びに行くのだろう。
 俺のマイルームには冷蔵庫などの設備があるので、別に食堂にとって返す必要もない。小さな獣が駆ける様を微笑ましげに見送る。と、曲がり角の手前で急にフォウが立ち止まった。

「どうした?」

 声を掛けると、静かにしろとでも言うように視線を向けてくる。
 訝しげに眉を顰め、俺はフォウの止まった角から顔を出すと、そこにはマシュがいて、そしてアサシンのサーヴァントである切嗣がいた。

 意外な組み合わせである。

 切嗣はマシュを除き最初に召喚したサーヴァントで、その実力に大きな信頼を寄せている。だが他のサーヴァントとの相性を考慮してか、彼がコミュニケーションを取っている所を見たことがないのが懸念材料となっていた。
 そんな彼が、マシュと話しているのは本当に意外で、だからこそフォウも驚いたように立ち止まったのだろう。

 何を話しているのか、無粋ながら耳を傾けてみるも声はしない。怪訝に思い目を凝らすと、切嗣とマシュはハンドサインで会話していた。

「ああ……」

 そういえば、特異点Fか第一特異点のどちらかで、マシュが切嗣と俺がハンドサインでやり取りしているのを見て、自分もハンドサインを覚えたいと言っていたのを思い出した。
 自分にではなく、切嗣に教わっているのは何故か。それは切嗣と親しくなって信頼関係を構築する意味もあるのだろうが――

「……」

 一番の意味を察して、俺は苦笑して踵を返した。
 見なかったことにする。少女の影の努力を指摘するような無粋を、俺はする気がなかった。
 マシュの学習意欲と頭の回転、記憶力からすると僅かな学習のみでハンドサインをマスターしてしまえるだろう。ここまでに何度か学んでいた証として、今ちらりと見た感じだと殆ど詰まることなくやり取りが成立していたように思う。
 ゆっくりとお茶とフォウのミルクを用意し、林檎や葡萄などを小皿に盛って時を空けていると、控え目にノックと共に声がした。

『先輩、入室の許可を』

 マシュの声だ。心なし、溌剌とした声音に苦笑して招き入れる。

 サーヴァントとマスターは一心同体だ。主従であり、戦友であり、兄妹であり、変な意味ではなく恋人のようでもある。
 命運を同期させるとはそういうことだ。またそうでない者にどうして命を預けることが出来るというのか。当然の心構えであり、そうでなくても俺はマシュを妹のように可愛がっていた。
 ぷしゅ、と空気の抜ける音と共に扉がスライドし、淡い色彩の少女が入室してきた。

「マシュ。前にも勝手に入っていいって言ったろう? 俺の部屋はマシュの部屋でもあるんだから」
「ぁ、は、はい」
「ふぉうふぉーう!」

 マシュの肩から飛び降りたフォウが、テーブルの上に用意していた果物の盛り合わせの前に向かった。
 心得たもので一人で食べ始めたりしない。お行儀が悪いぞ、と以前指摘したことを覚えているのだ。

「先輩!」
「ん、なんだ?」
「見て欲しいものがあるんです、いいでしょうか!」
「いいぞ」

 矢鱈と力んでいるマシュの語意に、手にしていたカップをソーサーに置いて頷いた。
 むん、と鼻息荒く、やや緊張ぎみにマシュが小さくよし、と気合いを入れた。その様に、俺は微笑ましげに目を細める。
 ややあって、片手を胸の前にやり、一定の早さで手を動かす。そのサインを見て、俺はさも驚いたように声を上げマシュの送ってきたサインに応じた返事を返す。
 意味が通じた。マシュは嬉しそうに顔を輝かせ、頻りにサインを送ってくる。手話に近いが意味合いは異なるそれは、端から見ているとまるで意味が分からないだろう。

 どれほどそうしていたのか、興奮ぎみの少女の気が済むまで付き合う気でいたが、傍で眺めていたフォウが途中二人だけの空気に耐えかねて鳴き声をあげた。

「ふぉう! ふぉーう! ふぉーう!」
「ん?」
「あ、フォウさん。……むぅ、フォウさんを放って二人だけで話すのはいけなかったですか」
「フォウ君は構ってちゃんだからなぁ」

 俺がそういうと、後ろ足二本で立ったフォウが前肢で俺の肩を叩き遺憾の意を表明した。
 鼻を軽く押してひっくり返させ、その腹を撫でてやるとフォウは擽ったそうにもがく。ははは、と笑いながら擽り続けると、今度はマシュが手を伸ばして擽り始めた。

「ぶるふぉぉおお!」

 悲鳴をあげてなんとかフォウは飛び退いた。
 離れて睨み付けてくるも迫力はない。怒っているのではなく、照れ怒りのようなものだ。

「ふふふ」

 微笑むマシュに、俺も相好を崩す。どちらも可愛いものだ。
 マシュに飛び付いて仕返しのように懐に潜り込もうとするフォウをマシュは意外とあっさり捕まえた。

「先輩。私のサイン、どうでした?」
「完璧だな。言うことはない。切嗣に習ったんだな」
「はい! アサシンさんは、その、話しづらい方かと思ってましたけど、別にそんなことはなくて、教えを請いに行ったら丁寧に教えてくれました!」
「そっか。うん。そりゃよかった」
「あの! これで私、先輩のお役にもっと立てるようになったでしょうか!」
「ばか。最初から役に立ちっぱなしさ、マシュは」

 それに、役に立つ立たないで態度なんか変えない。そう思うも、言ってもマシュは変わらないだろう。そして、それでもいいと思う。
 マシュは今のままでいい。穢れは全て大人が担う。無垢でいて欲しいと、俺は思うのだ。まあ、独り善がりだと言われたらそれまでだが。大人のエゴとはそういうものだろう。

 嬉しげに、本当に心から喜んで微笑むことの出来る少女。彼女は思い付いたように言った。

「あの、折角なんでドクターにも教えてあげてはどうでしょうか。今度から一緒に旅をするんですし」
「――ん、いい案だ。ロマニもここに呼ぼう」
「はい!」

 魔術王としての力を使えば、初見でも応じて来るだろう。しかしそれを言うのは無粋で、ロマニも誘われれば喜ぶだろう。
 何せ指揮権をアグラヴェインに移譲し、今はゆっくり休まされて暇を持て余しているだろうから。

 ロマニにとり、マシュは保護すべき存在で。
 マシュにとり、ロマニは親代わりの存在だ。

 未来は決して明るくない。否、寧ろ未来なんて失われている。
 それでも人は前を向ける。やって来たロマニに、得意気にハンドサインを教授し始めたマシュを尻目に、俺は改めて決意した。

 正義は後付けで付いてくる。故に、俺の手の届く者全てに幸福を。
 曇りなく、思う。マシュを、ロマニを、そしてカルデアの善き人々を、決して損なわせはしない。





 ――その勘定に、衛宮士郎は自分を含める。

 しかし。

 その鍍金に、皹が入っていることに、彼は気づいていなかった。


 ふぉーう。


 獣の瞳が、それを見ている。







 

 

アバンタイトルだよ士郎くん!





 いつもの装備を整える。射籠手型の礼装や、改造戦闘服、赤原礼装、ダ・ヴィンチ謹製通信機。

 干将と莫耶を鞘に納めて腰の後ろに吊るし、カルデア製閃光手榴弾を二つ懐に納める。サーヴァントには効果はないが、対マスターを想定して銃器の類いを装備することも考えたが、今回の戦略を考慮するに不要と判断。
 今回、あらかじめ用意していた投影宝具の出番はない。俺がメインで出張る予定もないし、バイクで移動することもないので持っていくこともない。
 何せ戦場は地理を知り抜いている冬木だ。冬木で何回聖杯戦争やらねばならんのかと呆れてしまう。何せ冬木の聖杯戦争はこれで三度目。人理修復の旅が無事終われば、今度は冬木で第六次が控えている。最低でも四度目が約束されている俺は、冬木の聖杯戦争のエキスパートにされていた。

 ……やっぱり冬木は呪われているのではないだろうか。そう思うも、否定する材料がない。

「……よし、準備は万端か」

 体調は万全。魔術回路の回転率良好。固有結界も特に問題なく稼働している。
 マイルームを出ると、そこにはネロがいた。
 カルデアの制服に身を包んだローマ皇帝は、現代衣裳をなんの問題もなく着こなしている。が、その――胸部装甲の主張が青少年の股間を直撃する感じだった。
 顔がアルトリアに似ているせいか、俺はなんとなく居たたまれない気分になりつつネロに声を掛ける。

「どうしたネロ。そんな所で突っ立って」
「うむ、シェロか。なんだか久しく感じるな」

 俺を見るなりそう言ってきて、そう言えば第二特異点からそんなに時が経ってないのに久しぶりな気がした。
 帰ってきて以来、ネロは現代の常識や最低限の知識の詰め込みのため、教師役の職員と缶詰状態だった上に、それが終わればすぐさまアタランテとカルデアゲートで仮想戦闘に没頭。
 新たな特異点へ共にレイシフトするサーヴァントとの連携の構築に余念のなかったネロは、体感した時間密度から久しぶりに感じるのかもしれない。俺も、時間密度では負けてないので一日二日間に挟んだだけで久しく感じてしまうのだろう。

「俺も久しぶりな気がする。似合ってるぞ、それ」
「当然であろう。何せ余はネロ・クラウディウスであるぞ!」
「あーはいはい、そうですね」

 ネロのカルデアの制服姿は目に毒であるが、眼福でもある。特にあれだ、胸の上下を横切るベルトが双子山を強調していて、その、凄い。
 胸を張るネロはそれを分かっているのだろうか。……分かっているだろうな、コイツは。どや顔が愛嬌に繋がる辺り、美形は何しても得だなと思う。

「む。なんだそのあやすような反応は」
「これでも男で、年上だからな。年下の女の子にはそれっぽい態度を取る主義だ」
「……そういえばシェロは余よりも年上であったか。だが! 年長者だからといって威張り散らすでないぞ? 余を泣かしたら酷いからな?」
「誰が。女の子を女の子として扱うだけだ。俺にとっちゃネロはもう、ただの後輩だからな」
「う、うむ。であるか」
「それで、ネロがこうして来たのは打ち合わせのためか?」

 何やら頬を赤らめたネロ。緊張しているのだろう。何せこれから、初のマスターとしてのレイシフトである。緊張していても無理はない。
 その緊張をほぐしてやるのが、先輩としての役割だ。ぶっちゃけ、ネロが緊張しているとは思えんが。

「そ、そうだ。これより先の戦い、我らは二手に別れて挑む。シェロは冬木なる地を知悉しているが故に冬木へ、余はどちらであっても未知故にもう一方へ。……シェロ、余の挑む特異点が如何なるものか、聞いているか?」
「無論だ」

 ネロの率いるサーヴァントはアタランテ、エミヤ、アルトリアだ。基本運用はアルトリアが盾、エミヤが後衛からの射撃、アタランテの遊撃。エミヤとアタランテが主な攻撃を引き受けて、大火力が必要になればアルトリアが聖剣を抜刀する。
 そしてネロチームが挑む特異点は、直接人類史に関わりがあるものではない。いつの時代のどんな国なのか判然としていないのだ。

 カルデア命名『特異点アンノウン』――それがネロの挑むもの。

 だが、俺はそんなに不安に思ってはいない。ネロは文武に長ける元神代の人間、アタランテはギリシャ一の狩人、エミヤやアルトリアは言うに及ばず、バックアップはアグラヴェインやダ・ヴィンチが務め、カルデアには切嗣とオルタが緊急事態に備え援軍としての控えで残っている。更にロマニがいる以上はカルデアへの通信妨害はほぼ無効化されると見ていい。
 備えは万全、後は問題に対処するだけだ。

「ネロだけに限った話じゃないが、どちらが早く特異点を攻略しても、もう一つの特異点へ援軍として出向く予定だ。無理をすることも、急ぐ必要もない。堅実に、確実に、場合によっては状況を維持するだけでもいい。俺達は一人じゃないんだ、楽にやろう」

 もしマスターが俺だけだったら第一特異点の如きタイムアタックに挑まねばならなかった。
 そう、ネロがいなければ半ば詰んでいたのである。彼女の存在がどれほど有り難いものか、それは俺が一番わかっている。

 ネロは頷いた。

「うむ。余の役割は全てが不明瞭な特異点の調査。シェロがやって来るまで待つもよし、容易い敵であれば早急に片付けシェロの援軍に向かうもよし。この認識を共有しておきたかったのだ」
「なら、行こう。皆が待っているだろうしな」

 鷹楊に頷いたネロと連れ立って管制室に向かう。

 すると、既にレイシフトの準備は完了しているのか、俺とネロを見るなりアグラヴェインが吐き捨てた。

「遅い。何をしていた」
「遅くはないだろう。時間通りだ。それよりアッ君」
「アッ君!?」

 まさかの呼び名に驚愕する鉄のアグラヴェイン。そんな彼に、士郎は小声で告げた。

「ネロを頼む。俺達は兎も角、本来の時代から離れたばかりのネロの内面は、些か本調子とは言い難いだろう。サポートしてやってくれ」
「……言われずともそのつもりだ。マスター、そう言う貴様に支援は不要なのか」
「ああ。恐らくな。注意すべきサーヴァントが誰か、最初から分かっているならやりようはある。最低限の支援で充分だ」
「そうか。……それと、アッ君はやめろ。……頭が痛くなる」

 本当に頭が痛そうなアグラヴェインだが、俺は思う。
 誤解は解けた。解けたが、いきなり殴られた恨みは忘れてない。故にアッ君呼びはずっと続けるつもりだった。

 ネロの肩を叩いて、俺は一つ頷くと自らのチームの下へ向かう。
 クー・フーリン、マシュ、そして白衣姿のままのロマニ。正直、その戦力比からして、余程下手に立ち回らない限りは負ける気がしない。
 なるべく早く、特異点を崩し、人理定礎を修復してネロを助けにいく。そういう気概で俺は挑む。








「……行ったか」

 ネロはレイシフトした士郎らを見送り、ぽつりと呟く。
 その呟きを聞き拾ったアタランテが言った。

「不安か、マスター。汝らしくもない、常の不敵な笑みはどうした」
「笑み、笑みか……こう、であろう?」

 浮かべた強い笑みには空虚がある。
 士郎の前では気丈であったのは、彼女の意地だ。友人に、対等な友へ弱く見られたくないという。
 ふ、と笑みを消し、ネロは自嘲した。

「……笑ってくれてもよいぞ、麗しのアタランテ。余は、他に選択肢がなかったとはいえ、自らの国を、世界を捨てたのだ。それをカルデアで過ごす内に改めて実感してな、少し……寂しいのだ」
「そうか。だが、私は国というものに執着心はない。私からは何も言えはしないだろう」
「……」
「しかしサーヴァントとしてなら言える。マスター、今は前を向け。これより先は死地と心得ねば、汝は命を落とすだろう」
「……うむ。忠言、確かに受け取ったぞ」

 アグラヴェインはそれを見て、先程の士郎の言葉が的を射ていたことを理解する。
 人の内面を汲み取るのが上手い。そして、人を使うのも。かつてのブリテンで圧倒的に不足していた人的潤滑油。このマスターがブリテンにいたら、結末は違っていただろう、とらしくもない慨嘆を懐き掛け。
 鉄のアグラヴェインは、鉄の自制心によりその益体のない思考を捨て去った。



 そして、ネロもまた特異点へと赴く。

 全てが不明瞭な、『特異点アンノウン』へ。




 彼女はまだ、熾烈なる戦いを予感していない。

 スカイ島。

 聖杯の力により、現世より切り離されなかった『影の国』。『影の国の女王』との死闘を。




 ――全工程 完了

 ――グランドオーダー 実証を 開始 します














 レイシフトした直後の感覚は、中々に味わい深い。

 例えるならジェットコースターとくるくる回る遊園地のカップを足して二で割らなかった感じの物に乗せられ、上下左右均等にシェイクされたような心地になれるのだ。なので素晴らしく素敵な気分である。
 尤もそれは俺だけらしい。霊体であるクー・フーリンはけろりとしているし、マシュはもっとソフトな感じ方だという。ロマニに至っては何も感じないと来た。
 しかしそんな酷い感覚も数回繰り返せばすっかり慣れたもので、俺は込み上げる吐瀉物を堪えつつ思う。

 ――燃えてない冬木とか珍しい……。

 素直な感想がそれな辺り、俺はもう色んなものに毒され過ぎたのかもしれない。

「これが、本当の冬木の街なんですね」

 白衣を着込み眼鏡を掛けた姿のマシュが感慨深げに呟く。その純粋な反応が眩しかった。

 彼女は特異点Fの燃え盛る炎に呑まれた光景しか知らない。故に真新しさ、新鮮さを感じるのだろう。彼女の出自的に近代国家の町並みはこれまでと同じくデータでしか知らなかったのだろうし、無理もないと思う。
 しかし俺にとっては違った。本来知る冬木よりもやや古い空気を感じる。そういえば最近、里帰りしてないが、桜はどうしただろう。
 冬木の聖杯戦争の難易度的に、間桐を潰すついでに様子を見てみようか。蟲の翁のために用意しておいた礼装が効果あるか、投影品で試験を行える絶好の好機ではあるまいか。

 ――考慮の余地ありだな。

 聖杯の解体に際して当然仕掛けてくるだろう誤算家、もとい御三家に対するカウンター的な措置も練ることが出来る。
 ロード=エルメロイ二世と凛は事を荒立てたくないだろうが、聖杯を解体しようとして穏便に事が済むなど有り得ないと俺は断言していた。間桐の亡霊は必ず抵抗するし、そのために英霊の力を利用しようとするのは自明。第六次聖杯戦争が起こる可能性は極めて高く、そこに桜が巻き込まれるのは明らかで、それをどうにかしてやるのが……慎二を死なせた償いだ。

 夜は更けている。

 人の気配は少ないが、まあ、街から文明の薫りがするのはいいことだ。あの文明破壊王には見せられない町並みである。

「……」

 ロマニが難しい表情をして黙り込んでいる。
 どうしたのだろう。もしや、彼のスキルである啓示が発動したのか?

「ロマニ、何か気になることでも?」
「――いや、なにも。ただ強いて言うと、こんな街中で聖杯戦争をするなんてイカれてるな、と思ってね……」
「あ……」

 マシュがロマニの言に声を上げる。何かを堪えるような顔に、ロマニはやはりロマニなのだと感じられた。
 しかしまあ、俺にとっては今更である。努めて平静に応じた。

「冬木は燃えるものだからな、仕方ないな」
「なにその諦観!? 士郎くん諦めたらそこで仕合終了だってマギ☆マリも言ってたよ!?」
「あっ、そのマギ☆マリなんだが……」

 人理焼却された中、繋がる先として残っていそうな所をピックアップし、魔術(マギ)とマリを繋げた結果、それは魔術師マーリンのことではないかと思う俺である。
 しかしドルオタなロマニにその推測は憤死案件なのではと思い当たり口を噤んだ。
 魔術王は生前から千里眼でマーリンの人柄を知っているだろう。俺はアルトリアの話と夢で知っている。普通にろくでなしなので言わない方がいいと思われた。
 せめてもの慈悲として俺は沈黙を選ぶ。それが優しさ、友情だ。

「? なんだい士郎くん。マギ☆マリがどうしたのさ」
「いや別に。現実って儘ならないなって思っただけだから。あと千里眼の使用を自重するのはほんと良いことだと思うぞ」
「……?」
「おい。コントしてねぇで仕事しろ」

 レイシフト直後、周囲の索敵を行いに走って貰っていたクー・フーリンが戻ってきた。
 俺は気安く応じる。

「戻ってきたか。で、どうだった?」

 具体的には聞かない。何を伝えるべきか、情報の取捨選択が出来ないクー・フーリンではない。ケルト戦士屈指のインテリでもあるのだ、彼は。
 いやまあ、風貌や佇まいは野性そのものであるから、そんな理知的な印象はないのだが。

 クー・フーリンはあっさりと答える。

「マスターが知るべき点は二つだな」
「それは?」
「一つは教会と遠坂のお嬢ちゃんの館の偵察結果だ。オレが知ってるのより若い言峰の野郎はいた。お嬢ちゃんの親父らしい奴の姿もあった」
「確定だな。第四次聖杯戦争の時系列か」
「で。追加で情報だ」

 ん? と首を捻る。
 時間軸の特定は、カルデアからの調査で絞れてはいる。
 しかし裏付けはない。故にそれを確認するため、目印として使える人間をクー・フーリンに探して貰っていたのだ。
 それが言峰綺礼、衛宮切嗣、遠坂凛の父だ。まあ、切嗣に関しては見つからなくても仕方ないが、言峰と遠坂父は比較的容易に見つけられると踏んでいた。後は言峰と組んでいる英雄王の対策だが――

「いたぜ、英雄王の野郎が。遠坂のサーヴァントとしてな」
「――なに? ……いや、マスターを鞍替えしたわけか」

 一瞬、言峰綺礼のサーヴァントが英雄王ではないことに驚くも、すぐに事情を察する。
 凛の父は第四次で死んでいる。その凛の父のサーヴァントが黄金の王で、なおかつ生存していた言峰のサーヴァントだった時点で事情は明らかだ。
 ただし、ここが平行世界線ではなかったら、という但し書きが付くが……今はその可能性を考慮する段階ではない。俺は凛の父がどうせうっかりしてたんだろと偏見で決めつけつつ、とりあえずの方針を練る。

「一応聞いておくが、気づかれなかっただろうな?」
「オレがそんなヘマするかっての。下手なアサシンより周囲に溶けこむのは巧いぜ? ルーンもあるしな」
「ほう、そうか。前から思ってたがルーン便利だな。汎用性的に凄く使いたい」
「マスターにゃ無理だ。才能が無ぇ」
「知ってる」

 言い合いつつロマニに財布を放って投げた。大まかに算段を立て、戦略を思い付いたのだ。
 ロマニに渡した財布には、俺の個人的な金が入っている。それを掴み取ったロマニに俺は告げた。

「ロマニ。ちょっと別行動しよう」
「うわぁ……またぞろ悪巧みしてる顔だね」
「ん? そういうの、分かるのか?」
「分かるよ。友達だし」

 苦笑してロマニは了解してくれた。「今の僕は士郎くんのサーヴァントだし、ご命令とあらば否とは言えないね」、と。
 なんとも気恥ずかしいことを平気な顔で言う男である。俺も釣られて苦笑しつつ、マシュに言った。

「マシュ。ロマニと一緒にいてくれ」
「私も別行動なんですか?」
「ああ。ロマニと親娘で行ってこい。たまにはいいだろ、こういうのも」
「っ!? せ、先輩! もうっ!」

 背中を押してロマニにマシュを預ける。親娘と言われたのが恥ずかしいのか、照れているのか、マシュはむくれつつも素直にロマニについた。
 ロマニは穏やかにマシュを受け入れつつ、問いかけてくる。

「で、これからどう動くつもりなのかな? 我がマスターは」
「ああ、うん。――ちょっと聖杯戦争に混ざろうと思ってな。ランサーのサーヴァント、そのマスターとして」

 その言葉の意味を察したのか、ロマニは苦笑を深める。

「うっわぁ。やっぱえげつないね、士郎くんはさ」

 正規のマスターに扮して聖杯戦争をやりながら、外部にデミ・サーヴァントを二人控え、更にカルデアからのバックアップもある男が、マスターとして参加するなんて外道も良いところである。
 ロマニはすぐにその戦術の真価を察して、なぜ別行動なのかを理解し、暫しの遊興を楽しむことにした。

 冬木の聖杯戦争の仕組みは知悉している。聖杯を完成させるのは不味い、というのは常識的な判断だ。
 だが、だからこそ(・・・・・)完成させる。その上で破壊する。完成直後の聖杯は、この世全ての悪を出産させるのに僅かなインターバルがあるだろう。何せ聖杯を握った者の願望を叶える体で出てこなければならないからだ。願望器という在り方の弊害ゆえに。
 完成して間を空けなければ問題なく処理は可能だ。そしてそのためには邪魔なサーヴァントとマスターを全て片付けるのが手っ取り早い。難しく立ち回ることはないのだ、単純に一刀両断にするのが最良である。

「流石だなマスター。楽しくなってきた」

 獰猛に笑うクー・フーリンと、説明を聞いて先輩らしいですと苦笑するマシュ。
 ロマニとマシュは街中に消えていった。暫くはのんびり出来るだろうが、直に動いて貰う。一番の問題はやはり英雄王で、如何にして彼を退場させるかが鍵だ。

「おっと忘れてた。二つ目の報告があるぜ、マスター」

 クー・フーリンがわざとらしく言う。
 なんだ、と先を促すと、アイルランドの光の御子は悪戯っぽく嘯いた。

「単騎で動いてるサーヴァントを見つけたぜ。明らかに他の奴等を誘ってるソイツは、

 ランサー(・・・・)だった」

 それを聞き、俺は笑みを浮かべる。



「決まりだな。第四次のランサーと、第五次のランサーを入れ替えてしまおう」



 ランサー入れ替わり事件勃発の瞬間である。





 

 

割と外道だね士郎くん!

割と外道だね士郎くん!




 槍兵のサーヴァント、ディルムッド・オディナは落胆を隠せなかった。

 主命を帯び、敵陣営の主従を釣り上げるべく街中を練り歩いた。サーヴァントの気配を隠しもせず、堂々と。あれで気づかぬのは節穴しか有り得ず、そうでないとなれば聖杯戦争に参戦したのはディルムッドの挑発に応える気概もない臆病者ばかりということになる。
 ディルムッドにはそれが酷く残念だった。今生で主と仰いだ者へ敵の首級を捧げると誓ったというのに、敵の臆病がために果たせなんだとは。
 それでも英雄か、聖杯を掴まんとする魔術師か。そんな弱腰でなんとする――ディルムッドは慨嘆しつつ、倉庫街まで移動して誰も応えねば今夜は諦め、次は手を変える必要があると考えていた。

 そんな彼の嘆きは、晴らされる。望外の敵手を迎えることで。

「――よぉ、いい夜だな色男」

 倉庫街に足を向けていたディルムッドの背後から声が投げられる。
 ディルムッドは咄嗟に振り返った。
 いとも容易く背中を取られた――その事実は一つの時代で最も武勲に輝いた騎士に驚愕を与えたのだ。
 輝く貌の騎士は目にする。青みを帯びた髪を野生のままに伸ばし、されど貴人の血により色香に変じさせる神性のサーヴァントを。
 身に纏うは蒼い戦闘服、ルーン石の肩当て。全身の戦闘服に刻まれたルーンの守り。
 軽飄な獣の如き様。真紅の長槍を肩に、背中をビルの影に預け、好戦的な笑みを浮かべディルムッドを見ていた。

 ぞわり、と背筋が粟立つ。

 極大の戦慄。霊基がひしゃげるが如き圧迫。
 目にした瞬間、目を離せなくなった。否、目を離した瞬間に死ぬと確信したのだ。
 ディルムッドは、瞬きの内に観察を終える。装いは自分のそれと似ている、ケルトに連なる戦士だろう。身軽さを重んじた槍の使い手は、古代エリンに多かった。
 自分より後の時代の戦士ではあるまい。己の時代以降にこれほどの戦士がいたとは考えづらく、瞳の神性は神代真っ盛りのものと感じられる。

「……その槍、よもやランサーなどと嘯きはしまいが。御身はライダーのサーヴァントか?」
「さてな。存外ランサーかもしれん。だが殺し合いにそんな区分は必要か? オレにとっちゃ余分だと思うがね」
「……その通りだ。果たし合いに於いて敵手のクラスなど些事。いや、つまらん問いだった。許されよ」

 ――はたと、気づく。

 己の物腰が、目上の者に対するそれになっていることに。
 まさか、と思う。
 改めて、見る。真紅の瞳。蒼い戦装束に、真紅の長槍。生前の主より伝え聞いた耳飾り。そして魂で感じる戦慄と、目と経験で感じる敵手の武量。

 声が、震えた。

「その威風。まさか、御身は――」

 半神の槍使いは肩を竦める。
 薄笑いと共に、挑戦状を叩きつけた。

「問うな。元より我らは戦う者。答えの真偽は槍で探るものだろう」
「――ならば」
「ああ。後は殺り合いながら、だ。敵と刃を交えるなら、ただ屠るのみ」
「此処で?」
「此処でだ。ルールは簡単だ。物を壊さず、他者に気取られず、槍兵らしく速さを競う。鮭跳びの秘術――修めてねぇとは言わねぇよな?」
「無論ッ!」

 叫ぶように応えるや否や、ディルムッドは空気の壁を突き破って馳せていた。
 幼少の頃。夢見た邂逅。時の果てに叶った憧れの輝き。武者震いと共に顔が歓喜に歪んだ。
 クー・フーリン。全てのエリンの戦士の憧れ。死の象徴。最強にして死の境を越える者――双槍を操り打ち掛かり、術技を振り絞って挑戦する。
 異邦の槍兵と、冬木の槍兵は、一陣の風すら置き去りに音速の遥か先で駆ける。虚空に無数の火花を散らしながら、ビルの壁を足場に、時には互いが衝突した衝撃を利用して空中で舞う。

 それは、人の目には何も映らぬ神域の速さ比べ。

 クー・フーリンは猛々しく笑い、己の槍を振るうに足る敵と認めた。

「この一撃、手向けとして受け取るがいい。
刺し穿つ(ゲイ)』――」








「ランサーのマスターだな?」

 ぬ、と背後から伸びた手に肩を叩かれ、気安げにそう問い掛けてきた男にケイネス・エルメロイ・アーチボルトは自らの不覚を悟った。
 ケイネスの婚約者ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリは此処にはいない。ホテルの一室で待って貰っている。しかし単独でランサー・ディルムッドを運用し、いずれかの陣営を釣り出そうと目論んでいたケイネスが、容易く背後を取られるとは思いもしなかった。
 慎重を期すのは当たり前。魔術を用い自らの姿を隠していたはずのケイネスを、この男は当たり前のように見つけ出し、背後を取った。冷や汗が流れそうになるのを、魔術師としての精神力で堪え、ケイネスは背中に膨大な神秘を感じながらも誰何した。

「――如何にも。私はランサーのマスター、ケイネス・エルメロイだ。後ろから素性を問うのがそちらの流儀なのかね? 些か野蛮だと指摘しよう」
「おっと。これは失礼した。なにしろ臆病者でね。名にし負うロード=エルメロイの正面に立つには、ある程度の精神的優位性がないとやってられんのさ」

 流暢な英語による応答である。
 ケイネスはそこに不愉快な訛りがないことにおや、と思いつつ、ゆっくりと振り返った。
 其処には、東洋人がいた。若干の落胆を覚えるも、身に纏う礼装の質に気を持ち直す。
 色素の抜けきった白髪と、鍛え上げられた肉体。赤い聖骸布と、籠手の礼装。現代風の衣装に仕立て、街中にいても不自然ではない格好である。加え、後ろ腰に下げた剣は明らかに尋常ではない魔力濃度だった。

「こちらは名乗ったのだ。貴様も名乗ってはどうかね?」

 ケイネスが不敵に問うと男は慇懃に応じた。

「エミヤ、といえば伝わるか」
「――何?」

 その悪名は時計塔にも鳴り響いていた。
 曰く、魔術師殺し――野蛮な近代兵器を用い卑劣な手段で魔術師を屠る魔術師の面汚し。
 もしも機会があればこの手で誅伐してやろうと常々考えていた野良犬。
 不愉快げに歪んだ眉根に、男は苦笑した。

「おっと。誤解があるようだ」
「誤解だと?」
「如何にも。確かに俺はエミヤで、ロードの思い当たっただろう魔術師殺しではある。だが、俺は別に卑劣な手法で魔術師を狩る卑怯者ではない。大方、ロードの聞き及んだ俺の風評は、俺が自分で流した悪評だろう」
「自分で悪評を流しただと? なんのために」
「この秘密を露見させないためさ」

 言って、エミヤは腰から螺旋状の剣を抜き放った。
 白と黒の夫婦剣――ではない。それよりも高位の、神秘の位階の高い宝具。

 そう、宝具だ。

 ケイネスをして瞠目する。そして男の言に納得した。

「貴様、『伝承保菌者(ゴッズホルダー)』か!」
「俺が自らの悪評を流してでも隠すものはこれで、そしてそれを知ったからにはただでは帰せなくなったぞ、ロード=エルメロイ」
「ふん。なるほど、『伝承保菌者』ならば相手にとって不足はない。いざ尋常に立ち会おうではないか!」

 ふ、とエミヤは不敵に笑いつつ、言った。

「ああ――その前に。これは善意なんだが、足元に注意した方がいい」
「な、」

 足元を見る。そこには、白と黒の夫婦剣が落ちていた。
 これも宝具。看破したケイネスの眼力は確かで。次の瞬間、その剣が内包する神秘が暴走しているのに、咄嗟に水銀の礼装を解放し守りを固め。

 現代の魔術師の礼装如きが、宝具による『壊れた幻想』を凌げる道理などなく。

 あっさりと爆発に呑み込まれ、だめ押しに投影していた偽・螺旋剣を下投げで投げ込んで、跡形もなく消し飛ばした。

「……ランサーの宝具解放のタイミングに合わせはしたが、中々難しかったな」

 爆風に煽られつつ、そう呟いた男の名は衛宮士郎。

 二十年後の未来、魔術師殺しの再来と呼ばれた魔術使いである。

 ――彼は正直者なので、謙遜以外では何も嘘は言っていなかった。







 

 

運命的だね士郎くん!





 新たに干将と莫耶を投影し、腰の鞘に納めておく。

 周囲を検めると大きく陥没した地面や、神秘爆発の規模からして妥当な破壊の跡が残っている。
 この場に留まれば騒ぎを聞き付けた一般人がやって来るかもしれない。そうでなくとも、魔力の高まりを感じたマスターやサーヴァントに来られたのでは面倒だ。早々にその場を後にする。

「こっちは片したぜ。そっちも上手くやったみてぇだな、マスター」

 夜闇に紛れ、移動する俺の側に、実体化したままのクー・フーリンが現れ戦果を報告してきた。
 俺は頷く。こちらも問題なくマスターを始末出来た。ロード=エルメロイの名が出たのには驚いたが、そういえば第四次で二世の前のロードは戦死していたのだ。考えてみればいるのを思い出せたろうが、完全に忘れていた。
 言峰綺礼、衛宮切嗣を出し抜くことにばかり頭が行ってたようで、そこは自制せねばなるまい。

「相手側のランサーはどうだった?」

 問うと、クー・フーリンは微妙そうな顔をした。おや、雑魚だったのか?

「同じケルトの騎士だった。真名はディルムッド・オディナ。技量だけ見たらオレに近い、手強い奴だったぜ」
「そういう割りには浮かない顔だな。どうしたんだ?」
「あー……その、なんだ。オレがこう(・・)だから感覚ズレてんだろうが、日本でのケルト(オレら)の知名度ってのがあるだろ?」
「あっ」
「あれだ。宝具とか、ステータスとか。スキルとかな。……ちょっとしょっぱい感じだったぜ」

 ――の割に、躊躇いなく宝具を使ったのは、彼なりの賛辞なのだろう。
 彼の口ぶりではまともな戦いも成立しなかったろうに、技量だけは冠たるものを見せつけたのだ。クー・フーリンをして宝具の使用を惜しませないほどに。
 故に己の槍で穿つに足ると彼は認めたのだろう。

「こっちの話は良いだろ。こっからどうするマスター。目論み通り冬木のランサー陣営に成り代われんだろ」
「ああ。まあ、アインツベルンと教会には一騎脱落したのは筒抜けだろうけどな」
「ん、そうなのか?」
「アインツベルンは小聖杯に注がれた魂で脱落に気づく。教会は霊器盤で。まあ、俺らの存在はバレるだろ」

 というか、バレなかったら拍子抜けである。気づきもしない節穴ばかりなら、そもそも面倒な策を練るものか。

 クー・フーリンは「あー、なるほどね」と何やら察したように頷き、俺の一歩後ろを歩く。

 こういう騎士然とした何気ない所作で、本当に敬意を持ってマスターとして遇して貰うと、なんとも気の引き締まる感じがする。
 あのクー・フーリンに、本気で臣下の礼を取られたら、相応しく在ろうと思うものだ。
 それはそれとして、今後の動きである。

「冬木のランサーの動きからして、挑発ぎみに動いて敵を釣ろうとしていたんだろう? なら俺達も今夜はそれに肖ろう。マスターが正統派な魔術師だったし、敵が釣れたら戦う場として人気のない場所を選定するだろうな」

 言いつつ、ざっと脳裏に地図を走らせ、現在地と正統派の魔術師の思考を投影し考える。
 戦いの場として選ぶとしたら……やはり、倉庫街辺りが無難か。

「という訳で、ランサー。敵が釣れるか試してみよう。釣れたら今は亡きランサー陣営の遺志を継いで戦わんでもない」
「了解。で、どこまでやる気概だ?」
「マスターにサーヴァント、全て消えて貰う」

 ついでに間桐も。

「不穏分子には退場願って、穏当に聖杯を回収するか破壊する。まあ、破壊の方が確実だろうが」
「血気盛んなのはいいが、いいのかマスター。テメェの親父がいるんだろ?」

 クー・フーリンの念押しに鼻を鳴らした。
 衛宮切嗣。確かにいるだろう。
 だが、だからこそだ。

「だからこそ手は抜けないな。本気でやる。切嗣相手に半端は出来ない。隙を見せたらやられるのはこっちだぞ」

 しち面倒くさい策謀を巡らせ、転ぶのは勘弁だ。
 シンプルに片付ける。単純な戦略と基本的な戦術で。無理に奇をてらう必要はないのだ、奇策に頼ると隙を見せかねない。手堅く堅実に、されど大胆不敵に王道で勝つ。
 切嗣や俺の弱点は、正当に強い正統な英雄であり、如何なる小細工も意に介さない強者だ。切嗣なら、理性ありのヘラクレス並みのクー・フーリンを見れば、必ず正攻法は避ける。奇策に転じるだろう。それが隙となる。

 切嗣は見つけ次第消す。誰よりもその能力と実力を知るが故に、確実にだ。

「――っと、何か釣れたぜ。真っ直ぐついて来やがる」

 クー・フーリンが敵の気配を察知する。俺は肩を竦めた。

「今夜で二騎脱落か。急ぎ足の戦争になりそうだな」
「おいおい、皮算用はやめとけよ。そんな上手く行くもんでもねぇだろ」
「上手く行かせるのさ。俺達にはそれが出来るはずだ。だろう、ランサー」
「は。おだてるのが巧いこって。分かった、やってやるよ、仕事は完璧にこなす主義だ」

 軽いノリで戦える相方というのは得難いものだ。マシュは真面目にやらんといかんし、アルトリア達はその騎士道に気を付けている。
 自然体で一番やれるのが、切嗣とランサーのようだ。俺としてはやりやすくて本当に助かる。

 敵の気配を俺も感じた。令呪に反応がある。マスターだろう。
 着いてきているから、場所を移すことを察しているのだ。

 さて、誰が釣れる?

 キャスターは有り得ないとして、アサシンも同じ。ライダー、セイバー辺りが食いついてきたのだろう。
 そうあたりをつけ、倉庫街でランサー共々待ち構えていると――彼女(・・)らは姿を表した。

 凛とした、見慣れた美貌。ダークスーツに身を包んだ、少年といっても通じる気品。
 白い女のマスター。イリヤスフィールに似通ったひと。

「はは」

 思わず笑った。

「マジか」

 ついぞ見ることのなかった、彼女の警戒心。
 敵を見る目。

「おい。いきなりペース乱れてるぜ」
「――ばか言うな。問題ない。寧ろ興奮してるね。敵の(・・)アルトリア、倒して組み伏せるのも楽しそうだ」

 まあ、冗談だが。いずれは来る時で、それがまさか今だとは思っていなかっただけ。
 俺の軽口に、クー・フーリンも応じた。

「そういやあの時(・・・)もこの面子だったな。いや、あの女は居なかったが」
「だな。組み合わせはあべこべだが――」

 セイバーのサーヴァント。
 切嗣が背後に控えた、騎士王。

 アルトリア・ペンドラゴンは。ここで。

「ちゃちゃっと片付けて帰ろうぜ。一番やり易い奴と会えて良かった」

 ――倒れて貰う。




 

 

青天の霹靂だね士郎くん!






「――ようこそ、麗しいレディ達」

 慇懃に出迎える、曲者。
 態とらしい微笑みは貼り付けられた偽りのもので。また笑みを取り繕っているのを隠そうともしていない。
 黒塗りの戦闘服、射籠手の礼装。その上の、赤い聖骸布。通常の魔術師には考えられぬほど鍛え上げられた筋骨。精悍な面構えに、色素の抜けた髪。

 セイバーのサーヴァントは、白い女を背後に守る。その肩越しに、姫君は不遜なる男へ応じた。

「随分と礼儀がなっていないのね。誘いを掛けていながら長々と歩かせるなんて」

 堂々と、毅然とした面持ち。
 その人ならざる赤い双眸に、白髪の男は苦笑して両手を広げた。

「これは失礼した。しかしながら弁明させて欲しい。まさか人里真っ只中で事を起こす訳にはいかないだろう? それとも、貴女は無関係の者を巻き込むことを良しとするのか?」
「まさか。でも安心したわ。あんな挑発的なお誘いをかけてくるから、良識と常識に欠ける輩なのかと思ったもの」

 冬の女。微塵の気の緩みもなく、男を睨む。
 男はサーヴァントの後ろに隠れるでもなく、自信に満ちた面持ちで佇む。その様で只者ではないと女は思い。それを裏打ちするようにセイバーが言った。
 敵マスターは一廉の武人です。油断なさらないでください、と。セイバーに守られる女は頷いた。元々彼女に油断はない。

「さて。我らは互いに異なる立場、異なる陣営に属する者だ。長々と語らうような間柄ではない。最低限、名だけを交換して訣別しよう」
「そうね。ではお招きに与った私から名乗らせて貰うわ。私はアイリスフィール・フォン・アインツベルン。此度の聖杯を掴む者よ」
「その名、確かに覚えた。返礼といこう。俺は――エミヤ」

 男は名乗り、セイバーとアイリスフィールの反応を窺った。
 特に反応がない。おや、とエミヤは首を捻った。あたかも、期待した反応がなかったような顔。逆にアイリスフィールらの方が怪訝に思った。

「――失礼。俺はエミヤシロウという。貴女達の関係者に衛宮切嗣がいるだろう? それの縁者だ」
「え……? エミヤキリツグ……? 何を言ってるのかしら」

 素で言っているのだろう。アイリスフィールは訝しげに反駁した。
 セイバーが後を引き継いで言う。

「貴方は勘違いをしているようだ。そのエミヤ某と、私達はなんら関わり合いがない」
「なんだと?」

 衛宮士郎は、アイリスフィールは兎も角として、アルトリアの事はよく知っている。
 嘘を好んで口にすることのない清廉な人柄。必要なら嘘を言うが、その時の微妙な空気の違いを士郎は感じ取れる。

 翻るにアイリスフィールは、あのイリヤスフィールの母だろう。第四次の小聖杯だ。アイリスフィールは切嗣の妻ではないのか?

 ここにきて別の可能性が浮上する。なぜここが特異点化したのか。なんらかの差異があるのは当然で、であれば――衛宮切嗣がアインツベルンに属していない。正確にはセイバーのサーヴァントのマスターではない可能性がある。

「(えっ。切嗣のいない第四次聖杯戦争とか、炭酸の抜けたサイダーのようなものだぞ)」

 真剣にそう思う。いや油断、慢心が過ぎるだろうか。いやいやと士郎は思う。
 じゃあ、難題は言峰と英雄王だけ? 本当にか? 仮にアイリスフィールのスペックを最高傑作のイリヤスフィールと同等と仮定しても、戦闘用ホムンクルスでないのなら倒すのは容易い。極論アルトリアをクー・フーリンに抑えて貰えば、十分も掛けずにアイリスフィールを無力化出来る。

 他のマスターは遠坂に間桐。
 数合わせと、言峰。

 ……。

 …………。

「……」

 あれ? 本格的に英雄王にだけ意識を向けてもいい気がしてきた。士郎は慢心が過ぎるかなと自問し改めて考える。
 間桐。その魔術特性は研究し尽くした。
 遠坂。凛以上ということはない宝石魔術。
 エルメロイは抜いて。
 アインツベルンの特性も良く良く理解済み。
 数合わせ……いないとは言い切れないにしても時計塔の――若き日のロード=エルメロイ二世がいるのだったか。彼は指導者としては有能故に警戒はすべき。現時点での能力は未知数。
 士郎。言うに及ばず。
 言峰。現時点でのサーヴァントは不明。

「んんんぅ?」

 士郎。言峰。アインツベルン。遠坂。間桐。若き日のエルメロイ二世。

「……」

 ピックアップするに、どう考えても言峰と英雄王だけが抜きん出て危険なだけ。
 それにつけても切嗣がいないと仮定しただけで難易度が半減どころの騒ぎではない。
 いや、頭からいないと決めつけるのは良くないか。例えば遠坂なり間桐なりに雇われていたとか。アインツベルンが脱落した際のスペアとしているとか。令呪が手に入らなかったので、アインツベルンを襲ってアルトリアのマスター権を奪ったとか。考えられるパターンは無数にある。

 そう考えると、戦略も変わる。

 元々アインツベルンだけは聖杯の降臨する器ということもあり、最後まで生かすつもりではいた。しかしアインツベルンからアルトリアが切嗣に奪われるとすると、とんでもないことになる。
 切嗣の指揮に従うアルトリア。……最悪だ。その場合の信頼関係は最悪だろうが、割り切るところは割り切れるだろう。聖杯奪取という目的のため、冷徹に徹することもありうる。

 臨機応変に戦術は変えようと思っていたが事情が変わった。
 切嗣。いてもいなくても不気味だ。いや寧ろはっきり"いる"と分かっていた方がまだしもマシだったろう。士郎は嘆息して傍らのランサーに言う。

「すまんなランサー。遊べなくなった。序盤はだらりと流すことにしていたが、きちっと行くぞ」
「オレはどっちでもいいぜ。お前のやる気次第だ。で、やんのかマスター?」
「ああ。アルトリア(・・・・・)には此処で倒れて貰う」

「なっ!?」

 さらりと口にされた真名に、アイリスフィールとアルトリアが驚愕する。
 まだ戦ってすらいない、言葉を二、三回交わしただけだ。宝具も見せてないのに、いきなり真名が露見するなど有り得ない。
 どういうことなのか。問い質す間も置かず、士郎は躊躇うことなく令呪を切った。

「 ――令呪起動(セット)。システム作動。ランサー、全力でセイバーを打倒しろ」
「了解だ」

 応じるや否や、士郎の前にクー・フーリンが進み出る。アルトリアは警戒して身構えるも、肌に感じる武威と、命令が下るや激流の如くに発された魔力に冷や汗が流れた。
 アイリスフィールをマスターにしたアルトリアのステータスは高い。にも関わらず、槍兵を視界の中心に置くだけで背筋が粟立った。

 蒼い槍兵。真紅の槍と、瞳。

 飄々としていた顔に、凄まじき殺気が点る。まるで鎖から解き放たれた番犬。主人の命令に忠実な、まさに『サーヴァント』。

「そういうわけだ。今回は前みてぇに面倒な縛りは無い。加減無しで――殺してやるよ」

 アルトリアとアイリスフィールには意味の分からない宣言と共に。

 光の御子が、牙を剥いた。

















 ――初撃を躱せたのは注視していたからだ。

 超常の存在であるサーヴァントにとっては、一呼吸分でしかない彼我の間合い。
 それでも戦いの呼吸を知るなら充分に余裕のある距離だ。
 距離を詰めるには、魔術師でない以上は二本の脚を使うしかない。その際に、戦いとなれば腰を落とし、脚を曲げ、地面を蹴らねばならないだろう。
 接近する間のインターバル、得物の振るいはじめから移動地点の確保。工程を数え上げればキリがない。故にざっくり纏めて六の工程がある。

 セイバーは、それを目で見ていた。

 断言できる。気の緩みはなかった。油断もしていなかった。蒼い槍兵の挙動を見極めんとした。
 だが、その動きのほとんどが。常勝の騎士王をして見えなかった(・・・・・・)のだ。

「――ッッッ!?」

 地面を蹴るまでは見えていた。しかし地面を弾けさせてからは目視すら能わなかった。
 移動距離。己にとり都合の良い位置取り。セイバーが知覚できたのは、背後に回り込んできた槍兵が、槍を片腕で突き出さんとした気配。
 瞬時に地面に身を投げ出して回避した。視界で捉えようとは思えない。目で視て動いたのでは間に合わないと一瞬で判断した。
 跳ね起き様に聖剣を横薙ぎに振るう。風の鞘に包まれた不可視のそれ。掠りもせず、地表に張り付くかの如く伏せた槍兵に躱された。構わない、元々牽制のための一閃、体勢を整えるための呼気。
 ちり、とうなじに電気が走る感覚。
 回避に転じるのと同時だった。獣の如く地に伏せた状態から、蒼い槍兵は槍を立て体を捻転させた。軽々と繰り出されしは回し蹴り。首を刈る軌道。
 仰け反る。鼻先を掠めた。途方もない威力を風に感じ、直撃すれば一撃で死ぬと理解し戦慄――する間もない。蹴りを放つも、躱されるのは織り込み済み。そう言わんばかりの攻め手。立てた槍、軸にしての回し蹴り、その反動を利して体を持ち上げ、虚空で身を捻り槍を大上段より振り下ろした。

 獣どころではない。

 魔人の挙動だ。

 体が勝手に動いた。掲げた剣で辛うじて頭をカチ割られるのを防ぐ。
 遠心力、単純な膂力、押し負けそうなのを魔力を放出して堪える。そのままセイバーの剣を支えに虚空で更に身を捻る槍兵。脊髄に氷柱を叩き込まれたかのような寒気。
 威力は低いが回避は成らず顔面に蹴撃を叩き込まれ、セイバーは思わずたたらを踏んで後退した。意識が一瞬白む。その曖昧な意識の中、漸く思う。速い、と。

 それでも剣を正面に構え、辛うじて戦闘体勢を堅持した。

 ランサーが言った。槍を旋回させて穂先で地面を削りながら。

命令(オーダー)全力(・・)だ。オレがどれほど出来るかマスターに直接見せる、初の戦いでもある。出し惜しみはしねぇ」

 言うや否や、風車の如く回転させ、槍の先で削った地面が仄かに光る。
 それは一種の文字。ルーン文字。込められた魔力は――

「ルーン……魔術……!?」

 空中に踊る無数のルーン文字が、ランサーの肉体に入り込む。それは耐久、筋力を増強させるもの。

「セイバー!」

 予期せぬ圧倒的な流れ。焦りながらも、アイリスフィールは叫んだ。
 その意を、セイバーは過たず受けとる。そして瞬時に構えを変えた。打ち合い、戦うのではなく。全身を魔力で覆い、徹底的に守りを固める防御体勢。――それに反応したのはランサーではない。

 士郎だ。

 ぴくりと眉を跳ねる。特異点化の原因を考えていた。なんらかの差異があるのは確定的。
 さて。何があると観察に徹し、ランサーの文字通りの目にも留まらぬ速さに感嘆しつつ、まだ速くなるのかと感心し。セイバーの防御体勢に違和感を捉えた。

 セイバーの気質はよく知っている。彼女は極端なまでに勝負強く、また極端に負けず嫌いである。
 そのセイバーが、ろくに反撃すら出来ないまま防御を固めるだと? あんな構えでは、本当に防御しか出来ないではないか。堪え忍び、ランサーの動きを掴もうという算段か?

 ギアを更に上げ、ランサーが馳せる。

 神速。離れた場所から『見』に徹している士郎の鷹の目をして、残像が見えるか見えないかといったほど。正面のセイバーは防御を固めて尚も反応が遅れた。
 受け損ない、槍の刃が二の腕を掠める。浅く血が吹き出た。眉間、喉、心臓、穿つ三連、全弾急所――悉く目で捉えられず、籠手で眉間を泥臭く守り、剣で喉を守り、魔力の大部分を回して固めた鎧の強度で耐える。
 胴を強かに打たれ苦悶するセイバー。一瞬も止まらず、また一瞬も隙を与えず、攻め続けるランサーの槍。セイバーは嵐に吹かれる木枯らしの如くに打ちのめされ、全身に浅い傷を作っていった。

「そぉらそんなもんかよセイバー!」
「くぅ……!!」

 まともに勝負すら成り立っていない。一方的だった。守りの間隙を巧みに突き、セイバーは瞬く間に傷を負っていく。そのまま行けば体力が尽きて無防備な心臓を晒すだろう。その時が最後だ。
 セイバーはなんとかランサーの槍を阻まんと不可視の剣を振るうも、まるで聖剣の刃渡りを熟知しているかの如くに見切られ、回避と同時に反撃が飛ぶ。不用意な動きは即座に捌かれ、代償にセイバーは手痛い傷を負った。
 呪槍を大きく薙ぎ払って強撃を叩き込み、腕を痺れさせるや背後に回り込んだランサーがセイバーの背中を切り裂いた。

「ぁぐッ……?!」

 なんとか身を捻ってランサーを正面に置いたセイバーに、ランサーは下段より突き上げた槍で聖剣を握る手を一撃した。
 危うく剣を取り落としそうになりながら、セイバーは必死に後退する。剣の握りが甘くなった、これでは下手に受けることすら出来ない!
 そしてそれは決定的な隙だった。
 ランサーの目がぎらりと光る。誰も知覚できぬ速度で踏み込みセイバーを蹴りつけ、敢えて更に間合いを開かせると同時に自身も後退。

 高く――高く跳躍し。深紅の槍を逆手に構えた。

 魔力の猛りは波濤の予兆。宝具を解放せんとしている。トドメを放たんとしているのだ。



 その時。



 セイバーが、剣を構える手を下ろした。 

「――」

 諦めた、訳がない。闘志が萎えていない。
 起死回生の策がある。それはなんだ。聖剣の真名解放? なら何故剣を下げた。

突き穿つ(ゲイ)――」

 必殺の槍を投擲せんとする、ランサー。それを睨み付けるセイバー。
 瞬間、既知の感覚。
 電撃的な閃きに士郎が叫んだ。

「待て! ランサー!」

「――ぬッ、」

 戦闘の熱に熱中していたランサーは、しかし瞬間的に急停止しマスターの指示を忠実に守った。槍を投じず、そのまま着地し、槍に集めていた魔力を霧散させる。
 呆気に取られたのは、セイバーだ。唖然とする彼女から目を逸らさず、ランサーは激するでもなく士郎に訊ねた。

「なんで止めた?」
「ああ、なに。なんてことはない。セイバーが何やら狙ってるのが分かったんでな」

 言って、士郎は態とらしいまでにはっきりとセイバーに問いかけた。

「セイバー。お前、鞘を持っているな?」

「――」

 今度こそ、完全に驚愕したセイバー。
 その反応に士郎は頷く。しまった、と。慮外に過ぎる指摘に迂闊な反応を示したセイバーは歯を噛み締める。

「なるほどな。ランサーの宝具を誘発し、それを鞘で防いでその隙に一撃を叩き込む算段か」
「――貴方は」

 冷や汗を流し、セイバーは思わず問いを投げた。

「貴方は何者です。私の真名のみならず、どうして宝具まで……」
「さて。それを明かす義理は――あるが、今は無視させて貰う。それより回復しないのか? どうせ出来るんだろう」
「……」

 セイバーは無言で、それまでに負った全ての傷を治癒した。

 アイリスフィールの魔術ではない。担い手を不死にするという宝具『全て遠き理想郷(アヴァロン)』の効果だ。
 不死をも殺すゲイ・ボルクなら、心臓に刺されば即死させられるだろう。しかしそれ以外の傷は、治癒を阻害させる呪いをも無視するに違いない。

 士郎は嘆息した。

「……これまでだ。一旦退くぞランサー。鞘を持つセイバーを仕留めきるのは無理だ。仕切り直して戦略を変える」
「……了解だ。だがいいのかマスター。お前さんならオレがセイバーを抑えてる間にマスターを殺れんだろ」

「!!」

 アイリスフィールがびくりと緊張する。
 しかし、士郎は再度嘆息した。

 特異点化の理由がなんとなくだが分かった。
 アインツベルンが、この聖杯戦争を制する可能性が高いからだ。
 凛がマスターの時より高いだろうステータスに、宝具が連発できる魔力供給量。加えて鞘。これなら正攻法だけで英雄王にも勝ちを狙えるし、未来予知じみた直感と勝負強さを持つセイバーなら充分勝てる。

 が、その結果は『この世全ての悪』の誕生だ。本来の歴史とは致命的に離れすぎて、変異特異点と化すのも分からない話ではない。

「殺れる。が、殺るだけが戦争じゃない。今は機ではなかった、それだけだ。いくぞランサー。不満があれば聞くが」
「不満はねぇ。マスターの指示に従う。頭の出来はマスターのが上だしな」

「待て!」

 見切りをつけるやさっさと踵を返した二人にセイバーが制止をかけた。

「逃げるのか!」
「いや? 『態度を変える』のさ。また後日、改めて窺わせて貰う」

 ああ、と士郎は皮肉げにランサーを見る。そして気取った口調で言った。

「『追ってくるのなら構わんぞ。だがその時は、決死の覚悟を抱いてこい』」
「は――」

 ははは! と腹を抱えてランサーが笑い転げそうになった。
 なんて懐かしいというか、執念深いというべきか。その台詞にランサーは笑うしかない。

 それの何が可笑しいのか。セイバーらには分からないが。追う時は確かにその覚悟は必要になるだろう。
 剣を下ろし、去ろうとする二人を追わないことを示す。まだ初戦、決死の覚悟はまだ早い。

 ――その時だ。

 遠雷の響く音。

 野太い男の声が、空に響いた。








 

 

安定のスルー力だね士郎くん! & 割と外道だね士郎くん!(二話合併版)




「余の名は征服王イスカンダル! 此度の聖杯戦争ではライダーのクラスを得て現界した!」

 セイバーとランサーの間に割って入り、両腕を広げて高らかに名乗りを上げたのは。
 二頭の雷牛の曳く戦車に乗った赤毛の巨漢、ライダーのサーヴァントである。

 聖杯戦争の常識を無視したその破天荒な名乗り上げに、アイリスフィールやセイバーは唖然としてクー・フーリンは軽く口笛を吹く。
 奔放な振る舞いは、世に冠絶せし傑物の波動を放つ。登場一つのただ一撃、それのみで周囲の空気を一変させる様は圧倒的だ。
 士郎もまた、一瞬虚を突かれたように反応が遅れ。しかしすぐに何かを思い出したように、忌々しげに眉根を寄せた。

「其の方らの正面切っての果たし合い、真に見事! 特にランサーよ、うぬの武勇まさに神域のそれよな!」
「そりゃどうも。だがアンタも大概だぜ? ライダー」
「ふははは! 誉め言葉として受け取るぞ! セイバーにしてもよくランサーの猛攻を堪え忍んだ! 其の方らの打ち合う剣戟の音色に惹かれ、ついつい出張ってきてしまったわい!」
「……そうか。だが攻められただけの無様を称賛されても、決していい気はしない」

 起死回生の策は不発だった。セイバーは不満げで。それにライダーの前で宝具を使う所だったのだから面白いはずもない。
 ふと、クー・フーリンは士郎を見た。何やら苦虫を噛み潰したような顔。どうしたと訊ねる前に、ライダーがクー・フーリンらに問いを投げ掛けてきた。

「うぬらとは聖杯を求めて相争う巡り合わせだが……矛を交えるより先に、まずは問うておくことがある。うぬらが聖杯に何を期するのかは知らぬが、今一度考えてもみよ。その願望、余の天地を喰らう大望に比してもなお、まだ重いものであるのか」

 はあ? と露骨に顔を顰めたのはセイバーとクー・フーリンである。
 「それ、どういう意味?」とアイリスフィールが反駁すると、にかりと歯を見せたライダーが言った。

「うむ、噛み砕いて言うとだな。ひとつ我が軍門に降り、聖杯を余に譲る気はないか? さすれば余は貴様らを朋友として遇し、世界を征する愉悦を共に分かち合う所存でおる」
「なんだと?」
「はン」

 軍門に下れ。その言葉に、険悪な声音でセイバーとクー・フーリンが反応した。セイバーは王として。クー・フーリンは、槍を捧げた主君の面前ゆえ。
 特にクー・フーリンの形相は一変していた。青筋が浮き上がり、発するは凄まじい怒気。情けのない、ひゃ、という悲鳴が上がる。戦車の中のウェイバーが腰を抜かしたのだ。
 セイバーは咄嗟に剣を構える。ライダーも表面上はそのままだが、その手綱に手が掛けられた。

「テメェ、言うに事欠いてこのオレに『軍門に下れ』と来たか。戦士の矜持に真っ向から泥を引っ掛けやがるとはいい度胸じゃねえかよ」
「……ふむ。反応からするに、うぬはそこなマスターに忠義を誓っておるのだな」
「応よ。生前通して得られなかった理想の主って奴だ。槍に懸けて忠誠を捧げたこのオレが、ちっちゃい野心を掲げるテメェなんぞに膝を屈するなど有り得ねぇな」
「余の野心が『小さい』とな!?」

 小さい。そのように評されたことがライダーの矜持を傷つけたのか、ライダーの目から稚気が消えた。
 腹を据え、ライダーが覇気も露に問う。

「では聞かせて貰おうか! うぬのマスターの野心とは何かを!」
「は。答える義理はない……が、それでマスターを小さく見せたんじゃオレの沽券にも関わる。いいぜ、その耳かっぽじってよく聞きな。オレのマスターはな――この世の糞溜めも、日溜まりも、丸ごと引っくるめた全部の歴史を保障すんのさ。目の前の世界しか見えてねぇテメェと比べることすら烏滸がましいんだよ」
「――なんと」

 ライダーが、呆気に取られる。目を丸くして士郎を見た。
 眼中になかったマスターが、そんな存在だとは想像もつかなかったのだ。クー・フーリンの言葉に偽りは感じられず、その言葉の意味の半分も捉えられなかったが、スケールのデカさは伝わった。

 そしてそれは、ライダーに重々しく受け取られる。

 征服する星の歴史の保障。ライダーは、そこに敗北を見た。ぬぅ、と呻き、腕を組んだ。
 セイバーやアイリスフィール、ウェイバーにはなんの話かも分からない。しかし、ランサーの言葉に真実が宿っているのは伝わった。そのために誰も馬鹿には出来ず、法螺吹きとも謗れなかった。

「喋りすぎだぞランサー」
「っと、出過ぎたか。すまねぇなマスター」
「いいが。それよりさっさと退くぞ。嫌な空気だ」
「待てランサーのマスター!」

 何やら嫌な予感を得た士郎に促され、クー・フーリンは撤退を了承する。
 それに待ったを掛ける征服王。だが、士郎は足を止めなかった。クー・フーリンに言う。

「俺はあの手の輩をよく知っててね。たとえばウルトラ求道僧とかな。ああいう手合いに付き合えば、最悪の騒動に遭うのもざらだ。関わる方がマズイ。ウルトラ求道僧に付き合ったせいで、またぞろ魔性菩薩とかと出くわす羽目になるのは御免だぞ」
「あー、なんのことかは知らんが、言わんとすることは分かった。なるほどな、確かに騒ぎを大きくする奴ってのはいるもんだ」

 ランサーは女王メイヴを思い出す。なるほど確かに、さもありなんと頷かざるを得ない。
 征服王の制止を完全に無視して士郎とクー・フーリンは倉庫街より離れていき、場の空気を完璧に無視出来る士郎は思った。

(あー、ライダーとセイバーで潰し合ってくれたら楽なんだけどなぁ)

 士郎は自身の判断が英断だったことを後で知る。英雄王、バーサーカーが集った四つ巴戦が行われたのだ。
 士郎は幸薄き故に、危険察知からの離脱が早いのが混戦を避けられた要因である。後に、それをロマニに指摘された士郎は泣きそうになったという。














『――今朝のニュースです。昨夜未明、偽札を使用し無銭飲食を働いた住所不定無職の外国人男性、ロマニ・アーキマンが逮捕、拘留されました。犯人は「畜生覚えてろあの野郎」などと供述しており、事態の真相を追って取り調べを進めて――』

 ぶふぉ、と。飲んでいたモーニングコーヒーを噴き出し、俺は思わず咳き込んだ。
 ホテルの一室である。何気なくテレビを眺めていたら放送されたニュースに、流石に噴き出さざるを得なかった。

『何をやっている、貴様……』

 丁度通信を繋げ、連絡を取り合っていたカルデアから、アグラヴェインの呆れ声が届いた。

「いや普通気づくだろ。あの時点で俺が1990年代の日本の通貨を持ってる訳ないって」

 年代を考えろ。この時間軸から十年以上先の未来の通貨だぞ。しかも俺の活動域に日本は含まれていない。寧ろカルデアに入った時点で手持ちに日本円があったこと自体が奇縁だったというのに! 普通ギャグ、ユーモアに決まってるだろう……! 本気で使う奴があるか……!?
 魔術王なら気づく! それでなくても常識があれば気づく! 常識がなくても頭が回れば気づく! ロマニはあれで有能だから気づかないとおかしい! というか無能でも分かるぞ!?

「陰謀だ。間違いない」
『誰を嵌めるためのどういった陰謀だ』
「分からん。流石は叡智の王、全くその意図が読めん……」

 これは、警戒が必要だな。密かに警戒心を高める俺に、アグラヴェインは露骨に嘆息した。

 クー・フーリンには今、周囲の偵察を頼んでいるため密室に一人きりだ。念のため切嗣と同じ顔を見つけたらサーチ&デストロイを頼んである。
 敵がアインツベルンで、アルトリアが鞘持ちであること、ランサー陣営を潰し成り代わったことなど、今後の方針についてもカルデアには話してあった。ダ・ヴィンチやアグラヴェインからもGOサインは出ている。後は慎重に動くだけのはずだったのが、先ほどのニュースにより色々気分が台無しとなってしまった。

『私にもロマニ・アーキマンの意図は掴めんがあれは味方だろう。貴様の不都合になる動きは取らないはずだ』
「ばかめ。あれは空気が読めない男だぞ。素で何を仕出かすか分かったもんじゃない」

 アグラヴェインの背後でダ・ヴィンチが噴き出して笑い声を上げた。的確だね士郎くん、と太鼓判を押してくれた。

「まあいいや。それより何か話があるから定時でもないのに連絡を入れたんだろう。用件はなんだ? まさかネロに何かあったんじゃないだろうな」

 気分を切り替える。一緒だったマシュが心配だったが、まあそこはそれ、上手く切り抜けて貰うことを願うしかない。
 さもなければ特異点化の原因を取り除くまでロマニが留置所から出られない。まあ、それはそれで貴重な体験になるだろうが。

 ともあれ、今回カルデアはネロの方の支援を重点的におこなうことになっていた。
 それなのにいきなり通信があった。何かあったのではないかと思ってしまう。

『ネロ・クラウディウスは現在「特異点アンノウン」の調査を続けている。経過は順調とは云い難いが、特に何事もない。今のところは、だが。それよりもその特異点に関してアサシン――百貌のハサン・サッバーハから重要な情報が入った。貴様は参考にしかせんだろうが、一応は伝えておくべきだと判断した。故に――』
『退けアグラヴェイン』
『お、王!? また御乱心なさいましたか――!?』

 蹴り飛ばされて画面から消えたアグラヴェインに、俺は哀愁を感じつつ。代わりに映り込んできたのはアルトリア・オルタだ。
 俺は言った。

「作り置きしてたバーガーの山をもう平らげたのか? しまったな、控えにアーチャーを置いておくべきだった。まったく、もう少し堪え性と言うものをだな」
『何を言っているのです。そんなもの、昨日の内に片付けました。私を満足させたければ、せめてあの三倍は用意してください』

 傍若無人なオルタリアだが、俺がマスターだからか一定の敬意を払った応対をしてくれる。対比してそれ以外へは辛辣に感じるのは仕様だろう。
 俺は思う。やはりアルトリア二人を養うには物資が足りない。聖杯で食料を願うか、と真剣に検討する必要がある。

『それよりも昨夜の戦闘データについてですが聞きたいことがあります』
「ん? アルトリアが鞘を持っていたことか」
『違います。可能なら鞘を回収して貰いたいのですが……無理は言いません。それよりもその時間軸の私に関して言ったことを追及しますが。私を「倒して押し倒す」といった発言の意図はどういったものです』
「……」

 昨夜うっかり溢した言葉に、俺は暫し沈黙した。

「……おかしいな。そんな発言、俺のログにはないが」
『惚けますか。いいでしょう、帰ったら覚悟するように』
「断食案件でござるな」
『!? ひ、卑劣……! 血も涙もない! 外道ですよシロウ!』
「何を言ってるか分からないからね、仕方ないね」

 ぶっちゃけ物資的な意味でも暫くサーヴァント勢は断食しなければマズイのだが。
 それは兎も角。ダ・ヴィンチから秘匿通信が入った。――何? 背後に剣を振れ?

 ……。

「ジャ――ッ!」

 振り向き様、瞬時に干将を振るう。すると、予期せぬ手応えが返ってきた。
 ぐぁッ!? そんな悲鳴。肉を切った感触。斬っておいてなんだが、俺が一番驚いた。何故ならそれは――カルデアの救世主だったのだ。

「アサシン……!? う、裏切ったのか!?」
『違いますぞ。それはその時間軸に冬木へ召喚されていた者! 断じて我らは不義理を働いておりませぬ!』
「分かってる。冗談だ」

 カルデア救世主に寝首を掻かれるようになったらお仕舞いだ。簡単に暗殺されてしまう。現にまったく近づかれてるのに気づかなかったのだから。
 霧散していくアサシンを尻目に、アサシンからの重要な情報が何かを察し、俺は嘆息した。

『それはともかくとして、八十分の一の、白兵戦には弱い我が影とはいえ、一太刀で斬り伏せるとは見事!』
「アーチャーの動きを投影したし、アサシンも背後を取って油断しきっていたから斬れたんだろう」

 殺されかけていたが、まあ、よくあることなので動転することでもない。
 俺はさっさと促した。

「それより百貌の。もしかすると第四次の大まかな流れ、サーヴァント、マスターの素性まで知ってたりするのか?」
『無論。それは――セイバー!? 何を!?』
「……」

 百貌が蹴り出され、再びオルタが出てきた。
 俺は苦笑するしかない。

『私の前に出るとは良い度胸だな貴様。私が話すから貴様はさっさと観測作業に戻れ』

 くっ、覚えてろー! と捨て台詞が聞こえ、オルタは改めて俺に向き合った。

『さて。では情報を伝えます。心して聞くように』
「……まあいいや。聞かせてくれ」

 オルタを控えにする判断は間違いだったかもしれん、と若干反省しつつ。
 俺は百貌からの情報を聞き、結論を下した。

「まあ、今の方針のままでいいな」

 なんの問題もない。鞘を持つアルトリアと、英雄王に気を付ければいいだけだ。
 ただ。

「――キャスターは殺す。そのマスターもだ。居場所を教えろオルタ」

 青髭。連続猟奇殺人鬼。
 無為に血を流す輩を、そのままにする気は断じてなかった。
  






 

 

陰謀と冒険の匂いだね士郎くん!




(やっこ)さん、留守だぜ。もぬけの殻だ。決行直前に引き払った感じだな」
「――何?」

 斥候に向かわせたクー・フーリンからの報告に、襲撃案を三通りほど練っていた俺は盛大に顔を顰めた。
 百貌のハサンから提供された情報をもとに、キャスターのサーヴァントが築いているという下水の工房へ出向いたのだが。其処に、キャスターはいなかった(・・・・・)のだ。
 切嗣の所在不明、アインツベルン陣営の強力化に続く差異である。俺の中で本来の第四次聖杯戦争とは異なるとの確信が強まる。と、同時に。やはり当時を知る者の証言は参考にしかならないと断定した。
 アルトリアの証言は多分に主観が入りがち。それに今回は特異点ということもあって、客観的な彼女の意見も無視していたが、それが正しい状況になったというわけである。

「どんな感じだ?」
「入れ違いって感じだ。で、オレの潜入には気づいてねぇ。単に事情があったか、他からの襲撃があったか。オレから見た感じ多分襲われたんだと思うぜ」
「……アサシンの情報通り、キャスターの青髭は正規の魔術師ではなく工房への潜入は容易だった訳か。で、なんで襲われたって判断した?」
「工房全体が、その痕跡すら残さず焼き払われてたからだ」

 焼き払われていた、か。それもクー・フーリンが言うほど徹底的に。
 焼き払う、即ち火。百貌のハサンの情報通りなら、火属性を扱う魔術師は遠坂時臣だ。
 ……なんらかの要因があって遠坂時臣がキャスターの所業を知り、英雄王を使ってキャスターを討ったのか? 英雄王が出てきたなら青髭のキャスターなんぞ瞬殺だろう。

 ――まあ、それはない。

 遠坂はキャスター征伐を教会を通して行い、令呪一画をせしめんとしていた。
 その動き方からして、遠坂は根っからの魔術師。そんな輩に迅速な対処は望めないだろう。
 遠坂の他に有り得そうなのは、百貌の情報通りの面子だとして、蟲翁だ。キャスターのマスターを襲い、キャスターを令呪で掌握。その霊基を媒介に新たなキャスターを召喚――といった裏技ぐらいやりかねない。
 もしもそうだったら切嗣並みに厄介な陣営と化すだろう。しかし、仮にそれ以外の可能性が通るとしたら……?

「今は考えるのは無駄か。引き返すぞ」
「確実にキャスターが倒されたって訳でもねえのにか?」
「今回の襲撃は、キャスターがアサシンの情報通りの存在で、情報通りの行動を取っていることが前提だった。それが崩れた以上は長居は無用だ。状況も状態も曖昧な戦争だ、臭い奴から消す。早急に間桐の消毒に移るぞ」
「了解だ。オレのすることはルーンで間桐って奴の塒を隔離しちまうことだったな?」
「ああ。間桐の特性はもう教えたな? 最後の仕上げも任せる。今回は俺の見つけた礼装が、蟲の妖怪に通じるか試す意味合いもある。本命じゃないから、危険だと思えば介入してくれ」
「応。念のため見切りをつけるのは早めにする。そっちの都合が巧く行かなくてもキレんじゃねぇぞ」
「その場合、ランサーは俺の命の恩人になってる訳だ。キレるわけないって」

 苦笑して俺は言う。流石にそれは逆恨みと言うものだ。それに、温厚な俺をキレさせたら大したもんですよ。――と、不意に一人の少女が夜の街を、魔力計を手に彷徨いているのを視界に捉えて。

 俺は発作的に怒号を発した。

「そこの小娘ェ! なぁにをしてやがるかこの戯けがァッ!」
「ひゃっ」






 所は夜の公園。思い出遥か、とは言い難い因縁の存在。目の前で膨れ面をしている幼き日の遠坂凛に、俺は心の底から溜め息を吐いた。
 ニヤニヤと笑いながら見守るクー・フーリンは、当たり前だが霊体化している。
 俺は影ながら聖杯戦争の神秘秘匿を担当する魔術協会の魔術師を自称していたが、流石に無理のある設定だと思う。が、どうにも幼い凛は素直な面があるらしく余り疑ったりはしなかった。
 ロンドンの冬、二度も俺を橋から落としてくれたあの悪魔が、随分と無邪気なものである。

「で。遠坂の令嬢が、どうしたってこんな時間に、こんな場所を彷徨いてる?」
「……別になんだっていいでしょ。あんたなんかに関係ないんだから」
「関係は大いにある。君が聖杯戦争に巻き込まれ死亡した場合、その後始末をするのは俺だからな」

 俺がそういうと、ロリ凛は怯んだように身構えた。少し言葉が強いが、これで素直に帰ってくれたらいい。子供大好き殺人鬼に見つかってたら大事だ。俺としても寝覚めが悪くなる。

「……家まで送ってやるから、大人しく帰れ。今は子供の時間ではないんだぞ」
「い、嫌よ! わ、わたしにはやらなくちゃなんないことがあるんだから!」
「あー……」

 幼いとはいえその気性はそのままか。道理を説けば聞ける利発さがありながら、聞き分けが悪いのは例の心の贅肉故だろう。どうせまたぞろお人好しの虫が騒ぎだしたに違いない。

「友人でも探してるのか?」
「えっ!? な、なんで……!?」
「顔に書いてる、困ってる奴助けなきゃー、ってな」

 嘆息して、俺は天を仰いだ。

「『お父様は忙しいし遠坂としてわたしが探さないと』?」
「!?」
「……ばか。圧倒的おばか」
「な、何よ! ばかって言った方がバカなんだからね!? ていうかなんで分かるの?! わたしになんか魔術使った?!」
「使ってたらそもそもこんな問答するわけあるか」

 そもそも使えないというね。魔術師としては二流止まりが俺だ。現時点の遠坂凛にすらレジストされかねないという。
 別にそれはいいのだ。問題は本当に凛の年頃で夜中を出歩くのが危険だということ。キャスターがどうしているか不明である中、もしばったり出くわしてみろ。一発で言葉にするのも憚られる悲惨な目に遭うことになる。

「まあいい。お前の利かん気の強さはよくよく思い知ってるんでな。悪いが実力行使させて貰う」

 凛の友達とやらは後で探してやるとする。
 素早く凛の腰を抱き、そのまま担ぎ上げた。

「なっ?! ど、どこ触ってんのよ変態! 変態! 変態!」
「誰が変態か! 親切に家まで送り届けてやるんだ、大人しくしろコラァ!」

 凛を抱え、肩に担ぐと盛大に暴れまわり謂れのない罵倒を受けた。俺は遺憾の意を表明するも、それは悪手であった。
 人気は少ないと言っても街中である。偶然にも騒ぎを聞き付けた誰かが叫んだ。

『た、大変だぁ! 子供が変質者に拐われそうになってるぞ!』

「やばっ」

 俺は咄嗟に強化の魔術を脚に叩き込み、脱兎の如く駆け出した。
 乗用車並みの速度で急に走り始めた俺に、凛は悲鳴をあげてしがみついてくる。霊体のまま並走してきたクー・フーリンが揶揄するように言った。

『客観的に見て絵面がまるっきり変質者だぜ、マスター』
「煩い! わかってるんだよそんなことは!」

 苦虫を噛み潰した貌で吐き捨て、俺は大いに嘆いた。なんだって、どうしてこうなった!?
 畜生、特異点復元したらなかったことになるんだから見捨ててれば良かった! ――ああでもだ、知った貌を見捨てられるほど薄情にもなれないんだよ!

『ははははは』
「クッソがぁ!」

 面白そうに笑うクー・フーリンに俺は悪態を吐くしかない。俺は記憶にある遠坂邸にまで凛を持ち運び、すっかり悲鳴を上げ疲れてぐったりした凛を、遠坂邸に乗り込んで送り届けた。

「へいお待ち! 娘さん一丁!」
「なっ!? り、凛!? 貴様凛に何を!?」
「うるさい黙れ似非優雅の顎髭野郎! 娘の監督も出来ずに優雅ぶってんな糞野郎!」

 遠坂邸の主にばったり出くわした俺は、もう叫ぶしかなかった。










 

 

軌道修正だね士郎くん!

軌道修正だね士郎くん!




 遠坂時臣は冷たい汗を流していた。

 自身の領域足る遠坂邸、その魔術防衛機構をあっさりと――それも工房の主、時臣に感知させないほど鮮やかに突破してのけ、書斎にいた時臣の眼前に娘の凛を担いだ男が現れたのだ。
 動揺するなという方が無理な話であり、動揺こそすれ、すぐさま我に返った時臣の精神力は優れたものだと言えるだろう。しかし如何に秀でた精神力を有していようとも、その誰何する声が震えるのは仕方のないことである。

「……貴様は何者だ?」
「見て分からんか」

 白髪の男である。肌の色はアジア人のそれ。言葉は標準語の日本語で、国外の言語による訛りなどは見られない。
 髪を脱色したか、魔術の反動で髪の色素が抜けた日本人である、と時臣は見抜く。
 しかし外見から判じられるのはそれだけである。「見て分からんか」などと言われて察せられるようなものではない。
 苛立たしげな彼の先程の言葉。時臣は彼が何者であれ、魔術で気絶させられているらしい娘を、白髪の男が抱えているのは見過ごせなかった。

「履き違えていた。貴様が何者であろうと関係がない。明白なのは、貴様が私の娘を楯とする卑怯者ということだ」
「工房の守りを抜かれたことに、気づきもしなかった間抜けがよく言った。その気概に免じ、この場では殺さないでおいてやる」

 その大上段に構えた壮語を笑い飛ばそうとした瞬間である。
 不意に背中に感じた刃の鋭さに、時臣は絶句した。

「――んだよ。ここで殺っといた方がいいと思うぜ、オレは」
「そう言うな。ちゃんと考えはある」
「さ、サーヴァント……? では貴様は、」

 聖杯戦争の参加者、マスターの一人。

 背後に在る以上、そのサーヴァントの姿は見えない。だが暗殺者の如く唐突に現れた気配に驚愕する。
 人智を越えた濃密な神秘の気配。背筋が凍る尋常でない殺気。勘違いするなど有り得ない、それはまさにサーヴァント。
 慄然とした時臣は、咄嗟に令呪を意識する。英雄王を喚ぶ以外にこの状況を切り抜けられない、と彼は感じた。だが、令呪を発動するだけの隙があるようには思えなかった。
 下手に動けば命はない。背中から心臓に狙いを付けられている。指先ひとつ動かせば、或いは魔術回路を起動すれば、たちまち時臣の心臓は串刺しにされる。どうする、と頭脳が高速で回転し――時臣は、目の前の男が自身を冷徹な眼差しで観察していることに気づいた。

「この髪は目立つんだがな。俺の外見的特徴に対する無反応、背後のランサーに対する鈍さからして、まだ言峰綺礼から俺の存在は知らされていないらしい」
「ッ!?」
「ああ、喋るな。俺が勝手に喋ってるだけだ」

 その言葉は。綺礼と時臣が協力関係にあることを、すでに知っていることの証左であり。同時に背後のサーヴァントが近接戦に秀でたクラスであると口にすることで、万が一にも隙がないと牽制する意図が含められていた。
 男は意識のない凛を抱えたまま、書斎から出ていった。その間、ランサーは背後で時臣の監視をしている。暫くして戻ってきた男は、凛を抱えてはいなかった。

「凛は適当な寝室に寝かせてきた。本当は用なんてなかったが、来てしまったからには仕方がない。話をするか、遠坂時臣」
「話だと? 脅しではなくか」

 命を握られていようと、流石に数分ほど時を置けば冷静にもなる。魔術師は死と向き合う者なのだ、死に瀕した程度で怯えたりするようでは未熟。極めて落ち着いて、時臣は応じた。
 この時点で時臣は覚悟を固めていた。娘は死んだものと考え、必要とあらば切り捨てる腹を決めたのだ。時臣の正面に回ってきた男は、デスクに腰かけて悠然と脚を組む。挑発的な面持ちで、時臣を見据えた。

「脅す気はない。無駄だからな。今ここでお前を殺すのは赤子の手を捻るほど簡単だが、それも得策じゃない以上は見逃すことにしている」
「……私を殺さない? どういうつもりだ」
「単純な話だ。お前というマスターを失った場合、英雄王の動きが読めなくなる。マスターがいなくなったとしても、現界を維持できそうな英雄王には最終局面の手前まで生きていて貰わないとな」
「……」

 英雄王の真名が看破されているだと?

 アサシンの脱落を偽装させた初戦と、倉庫街での一戦以外で、英雄王は戦っていない。その二回で真名に行き着いたのか。或いは英雄王の擲った宝具が全て本物であると察知し、そこから真名を推測して、当てずっぽうに口にしているだけなのか。
 適度に手札を切りながら揺さぶりを掛けてくる男に、時臣は顔を険しくする。
 口数は多いが、反比例して男の目はどこまでも冷たい。何を見ようとしている、と警戒心を最大限に高めた。一瞬も隙を晒すわけにはいかない。

「お前に良いことを教えてやる。信じるか信じないかは別だが、セイバーはアーサー王だ」
「なに?!」
「能力は――」

 スキル構成、所有する宝具とそのランク。加えて戦闘に際しての思考形態を、口頭で簡単に告げてくる男に時臣は驚いてしまう。
 それだけではなかった。男は懇切丁寧にセイバーの攻略法を口にし、その上まだ引き出しがあったのだ。

「そしてバーサーカーはブリテンの円卓の騎士最強、『湖の騎士』ランスロットだ。英雄王が本気を出せば攻略は簡単だろうが、慢心している状態だとそこそこ手こずるだろう」
「……なぜ私にそれを?」
「言わなくても分かってるだろうに。潰し合って欲しいから、ってのが一つと。セイバーの方は、英雄王が本気でも勝ちを狙える陣営だから教えてやろうと思ったまでだ」
「……」

 良いように利用しようというわけか。知らぬふりをしようにも、男の話が本当ならセイバーはかなりの難敵。無視できるものではない。ましてやマスターがアインツベルンであるなら尚更だ。
 この男は何者だ。着実に時臣の思考を縛っていく。ともするとアサシンを味方に置く時臣と同等、或いはそれ以上に情報を掴んでいるように感じられる。そして話運びが巧みで、魔術もなく意識を誘導されている感覚がした。

「私に要求はないのか」
「ないな。お前がそれに応じるとは限らんし、そもそも俺は魔術師という人種を一部例外を除いて信頼しない。目的のためなら平然と約定を破棄する、それが魔術師だ。故に俺が口にするのは事実のみ、それによってお前がどう動こうとも構わないさ。なんなら、英雄王をけしかけ俺にぶつけたって構わないとも」
「……なるほど。貴様のサーヴァントは、英雄王を相手にしても時間稼ぎぐらいは出来ると踏んでいる訳か。その間に、貴様が私を討つと」
「さて。どうだろうな」

 含み笑う男に虚勢はない。最強の英霊、ギルガメッシュを相手取ってもなお戦えると確信し、時臣を打ち倒せると考えている。
 工房の守りを難なく突破した手腕からして、それは自惚れではない、確固とした確信があるようだ。舐めてくれる、と時臣の頭に血が上りかける。

「さぁて。英雄王もそろそろ、のんべんだらりと帰ってくる頃合いか。退くぞ、ランサー」
「了解。しかしなんだ、なんか回りくどいな。ここで片した方がいいと思うんだがね」
「やめとけ。遠坂時臣は常識的な判断と行動をする典型的な魔術師らしい。今日日珍しいほど純粋なね。放っておいても脅威とはならんさ」
「……」

 露骨なまでの挑発を置いて、彼らは正面から堂々と去っていく。
 時臣はそれを見送るしかなく。
 苛立ちを込めて、デスクを拳で叩き割った。







「しっかしなんだ。マスターは面倒を増やす天才だな」

 面白そうに揶揄するクー・フーリンの言に、俺は忌々しげに舌打ちして応じた。

「災い転じて福と成す天才でもあるぞ」
「自分で言うのかよ」

 いやまあ、なかなか楽しませて貰ったが、と含み笑うクー・フーリン。
 俺としては予定になかったアクションを、なんとか誤差の範囲に収めた手腕を称えて欲しい気分だ。いやまあ、身から出た錆なので虚しさは拭えないが。

 全部ロ凛が悪い。

「で、こっからどうする」
「方針に変更はない。現時点で元々の第四次聖杯戦争の知識が宛にならなくなった以上、最も聖杯戦争から外れた行動をし、何をするか分からん奴から消す」
「キャスターだな」
「ああ。次点でライダーだな。だがそれのみに固執する気もない。今のアルトリアは極めて強力だ。聖剣を平然と連発出来るのは間違いないから、恐らく強力な個とは言い難いライダーは相手にならん。小難しいことを考えず倒して良いのはキャスター、ライダーだけだな」
「応。具体的な方策は固めないままでいいんだな」
「いい。こんな状況だ、変に頭を固めるのは策士気取りの戯け(遠坂時臣)だけ、場当たり的に動いた方が上手くいくだろうよ」

 元々が稀代の英傑が集う舞台だ、脚本通りに万事が進むわけがない。仮に上手く行っていても途中で必ず頓挫する。英雄とはそういう星の下に生まれた連中ゆえに。
 嘆息し、俺は思う。あと一騎ぐらい脱落したら、なんらかのイレギュラーが起こるだろうなと。
 変異特異点、何があるやらと俺は肩から力を抜き、まあ何があっても対処するさと気楽に構える。
 気負ったところで何が変わるでもないのだから。

 ――そして、やはりというか。

 現時点で、俺の知らないところで想定を外れる事態が起こっていた。

 既にキャスターが、何者かに倒されていたのだ。





 

 

因果は回るよ士郎くん!






 カルデアのアッ君との通信を終える。

 『特異点アンノウン』に挑んでいるネロの進捗状況は、報告によれば今の所微々たるもの。判明したのは地形と時代、地名のみである。
 地形は翼のような形の島。広さは1,700km程度とざっくり測られ、推測になるが世界から切り離される以前の影の国、スカイ島と思われるようだ。
 時間軸は神秘の濃さからして神代、紀元前一世紀から一世紀。スカイ島には様々な神代の怪物で溢れているらしく、エミヤ、アタランテ、アルトリアの三人でも思うように拠点とした場所から離れられず、釘付けにされているらしい。

 敵が何で、何が特異点化の原因なのか、それは全くの不明で。先程堕ちた神霊と交戦したらしく、ゴジラ並みに巨大な『波濤の獣』と神霊の怪獣大決戦に巻き込まれ、エミヤとアルトリアが宝具を連発したものだから魔力負担が大きく、ネロに泣きが入ってきたようだ。
 正直ネロで泣きが入るなら、更に魔力の少ない俺なら枯渇して死んでいたかもしれない。戦力の振り分けは正解だったらしい。
 歩く投影宝庫エミヤは早速酷使され疲弊し、アルトリアも先行きの暗い状況に険しい顔を崩さない。カルデアのアッ君はアサシンの衛宮、略して殺宮の派遣を決定し、アタランテに拠点付近の索敵を。殺宮に極めて広範囲の索敵を指示したとのこと。

 現在、殺宮は休憩を一つも挟まず機械のように淡々と調査を進めつつ、既に二回溶けたらしいが、その度にカルデアで霊基復元され調査に回されているようだ。
 殺宮に不満はなく、霊基の損傷も気にせずに淡々と調査を続行し、もう少しで何かを掴めそうだという。流石の手腕だが――もう少し、こう、なんだ。俺の言えたことではないかもしれないが、鉄のアグラヴェインは中々にブラック上司の資質が見られた。
 俺でも引くほどの酷使である。合理的だが、ぶっちゃけやりすぎだ。オルタリアすら少し距離を置くとか相当だと思う。円卓から誤解されまくってたというが、残念ながら当然だった。

 俺はとりあえず、殺宮を使い潰すことは禁じておいた。流石にそんなことはしないと思いたいが、念のため。

「――あー。その、なんだ。なんか師匠が迷惑掛けてそうですまねぇな」

 クー・フーリンが気まずそうに言った。いやまあ、言わんとしていることは分かる。
 影の国が特異点化しているとなれば、元凶は十中八九、影の国の門番にして女王だろう。少なくとも有力な容疑者とはなり得る。身内から敵が出ても容赦なく始末するクー・フーリンだが、流石に申し訳ないとは思うらしかった。

「俺に謝られても困る。まあこれで、特異点化の原因候補として『死の世界である影の国がスカイ島から剥がれ落ちず、世界の裏側に流れなかった』ことが考えられるな。死の世界の位相がズレるのが一年遅れるだけで、その差異が大きくなるのは自明。聖杯か何かの力で『世界』に貼り付いてる死の世界を、なんとか剥がしてしまえばいいのかもしれんな」

 言いながら、クー・フーリンを見た。なにか思うところでもないかと気遣ってみたが、特に何もないらしい。飄々として、何も含ませずに言い捨てた。

「なんでもいいけどよ。向こうの面子だけで片がつくならそれでいいだろ。ま、手に余るようならこっちが終わった後に出向いてもいいぜ、オレは」
「こっちを終わらせてからの話になるがな」

 さて、と俺は気持ちを切り替えホテルを引き払う。何日も同じ場所に陣取るほど抜けてはいない。
 俺はクー・フーリンを連れてある場所を目指す。遠坂時臣との件を考えれば、我ながら面の皮が厚いと思われるかもしれないが、厚顔無恥も使い方によっては武器となるものだ。
 いつか通った道を辿り、目的の森へ踏み込んでいく。罠の類いはメンド臭かったのでクー・フーリンの戦車で潰しながら進んだ。

「快適だなこれ」
「だろ?」
「都市部以外が戦場になったら、もうこれで移動したんでいいと思うな」

 バイクとか要らね、と本気で思ったが、まあないよりはあった方がいいかもしれない。
 しかし荒れ地の方はもう、問答無用で走破出来る戦車に搭乗したかった。

 森林を薙ぎ倒し、進んでいく。やがて見えてきたのは、懐かしのアインツベルン城だ。
 戦車で現れたのが俺とクー・フーリンであると予め察知していたらしいアルトリアとアイリスフィールが、最大の警戒心を持って出迎えてくる。
 俺は言った。

「まあ待てご両人。過日の言の通り、態度を変えてきた」

 訝しげな彼女達に、俺は微笑み掛ける。
 アイリスフィールを手に掛けるつもりのない俺にとって、アルトリアを倒しきるのが困難となれば、取れる手段など一つか二つだ。この局面で最も理想的な案がこれである。

同盟を(・・・)申し込みに来た。仲良くさせてほしいな、王様にお姫様?」

 遠坂陣営に情報を上げてきたことなど露ほども感じさせず、イギリスで培った厚かましさで俺は申し出たのであった。








 ――酒樽を担いだ赤毛の巨漢は、戦車に乗り込む寸前にゆるい空気の男を見かけた。
 眼鏡を掛けた白衣の少女を連れている。巨漢は無意識の内に声を張り上げていた。

「おぉい、そこの者ら! 少し待たんか!」

 直感に突き動かされるまま呼び掛けると、色彩の薄い少女は目を丸くして固まり、癖の強い白髪の青年は、この時代に見合わぬ衣装姿のままゆったりと振り返る。
 余裕と知性の滲む物腰に、巨漢の顔に骨太な笑みが浮かんだ。
 数多の地を征服し、数多の王を見、降してきた彼の眼力が捉えたのだ。
 青年の呼吸に、王気とでも呼ぶべき器があるのを。

 辺りの目も気にせず、巨漢は叫んだ。

「余の名は征服王イスカンダル! 其の方もさぞかし名のある王と見た! これより騎士王と金ぴかを交え、酒を酌み交わさんと考えておるが、うぬもその席に着いてはみんか!?」
「ちょ、おまっ、また真名出してんじゃねぇですよこの馬鹿ーっ!」

 自身のマスターの魂の叫びに、しかし征服王イスカンダルは耳も貸さず。
 対する青年は、指先ひとつ動かすだけで周囲の目と耳を散らして微笑んだ。

「――酒が飲めるのか。ツマミが出るならご相伴に預かろうかな。ちょうどお腹減ってたし」
「んっ、ツマミとな?」

 青年の言葉に、イスカンダルは虚を突かれる。酒のツマミ、それは確かに大事だ!
 忘れていたとは不覚である、どこで調達したものか……。悩ましげに唸るイスカンダルをよそに、少女が慌てたようにあわあわと手を振った。

「ど、ドクター!? そんな勝手な……!」
「ん? 何か問題あったかな」
「先輩に訊かなくていいんですか!?」
「いいんだよ別に。アイツの言うことなんか無視だ無視」
「せんぱぁい! ドクターがご乱心です!」

 青年のマスターらしき少女と小声でやり取りし、青年はなんら気負う様子もなく歩み寄る。
 そして悪戯っぽく言った。まるで場の空気も読まず、堂々と。別に深い考えもなく。

「それより、名乗られたなら名乗り返さないとね」
「えっ」
「私の名は魔術王ソロモン。キャスターのサーヴァントだ。で、こっちがマスターのマシュ・キリエライト。よろしく頼むよ、名にしおう大王様?」

 まさか名乗り返されるとは思いもしなかったイスカンダルは驚嘆した。
 余の目に狂いはなかった! 時代を冠する偉大な王とまみえられるとはな!
 興奮も露に感嘆するイスカンダルを横に。そのマスター、ウェイバー・ベルベットは。魔術世界の神とも言える名が飛び出たことに魂消て口をぱくぱくと開閉させるしかない。
 ソロモンは自身の大それた言動にまるで価値を感じてはおらず、頭にあるのは自身を嵌めてくれた輩への報復ばかり。先程片手間に滅した(・・・・・・・)本来のキャスター、青髭の件もある。胸糞悪い気分にさせてくれ、マシュが危うくあの(・・)光景を見そうになったのを防ぐのに大いに神経を磨り減らしたのを、彼は完全に自身の友人のせいにしていた。

「彼を一発殴る権利がボクにはある。だよね、マシュ」
「うっ。……私もそれは否定できませんけどっ」

 今頃幻の青年を相手に取り調べを続けているだろう警察の人達に同情しつつ、流石に弁護できないと項垂れる少女。
 こうして、そうとは知らずにロマニ・アーキマン――魔術王ソロモンは王の宴に招かれた。その場に憎きあん畜生が居合わせている事を、神ならぬ少女はまだ知らず。

 ロマニは自覚のないままに、混沌を造り出そうとしていた。






 

 

そんなに嫌か士郎くん!





「同盟を申し込みに来た、ですって……?」

 アインツベルンの森に仕掛けられていた罠の数々を、戦車の疾走によって強引に潰してやって来たのは、倉庫街でセイバーを翻弄し圧倒したランサーの主従であった。
 森の守りを破られ、警報が鳴ったことに内心慌てていたアイリスフィールは、予期せぬ来客の予想外の申し出に柳眉を逆立てる。
 三十路手前の、男盛りの白髪の戦士。中華の双剣を鞘に納め腰に吊るしたその男は、現在アイリスフィールらが最も警戒する存在だったのだ。

 万全のアーサー王をして守りに徹さねば押し切られるほどのランサー。サーヴァント戦では苦戦を免れず、強力無比なランサーに短くない時をアーサー王は封じ込まれるだろう。やもすると、アーサー王が敗北することも充分考えられた。
 そうなれば、マスター同士の戦いが勝敗を決すると言ってよく、生憎と戦いの心得などないアイリスフィールでは、見るからに戦い慣れている白髪の男に太刀打ちできるとは思えない。

 ……それに、クラスは分からないが、既に二騎のサーヴァントが脱落している。
 聖杯戦争が長引き、後半にさしかかる頃にはアイリスフィールは身動きすらままならなくなり、影武者のホムンクルスがアイリスフィールの代わりにマスターを務めることになる。

 現時点で衰弱しているアイリスフィールだ。戦えばまず敗北すると言っていい。英霊の魂に圧迫され、小聖杯が剥き出しとなって、アイリスフィールという人格が死ぬまで余裕は殆どないのである。故に彼女たちアインツベルン陣営は、目下ランサー陣営への対策を考えるのに全神経を傾けていたところなのだ。

 そんな、アルトリア・ペンドラゴンと意見の一致を見た、今次聖杯戦争最大の敵からの同盟の申し出。警戒しない道理などない。
 アイリスフィールは油断なく白髪の男を睨んで言った。

「――にしては、礼儀がなっていないわね。同盟を申し込もうという相手の陣地を、こうも徹底的に破壊した上で、相手が同盟の申し込みに首を縦に振ると思っているのかしら」
「ああ、思う」
「どうしてかしら」

 訝しげな冬の姫。――この時アイリスフィールはミスを犯した。

 彼女の眼前にいるのは海千山千の魑魅魍魎と鎬を削ってきた論戦のスペシャリストである。屁理屈を捏ねさせたら天下一品、腐れ縁の赤い悪魔をして『喋る前に殴る』と言わしめた歴戦の停戦調停者。()が言ったか『口先の魔術師』である。
 折角会話の主導権を持ちながら、わざわざ男に喋るターンをあけ渡すなど愚の骨頂、この時点で赤い悪魔は天を仰ぐだろう。案の定、男は敵地に在りて大胆不敵に微笑む。理屈を捏ねるのは好みだった。

「『どうして』ときたか。では逆に聞くぞ。陣地に引っ込んだ魔術師を相手に、どう対等な関係を結べと言う? ましてやそちらとは、直前まで敵対関係にあり、まともに会話が成り立つ保障もなかったのだ。まともに出向いたのではけんもほろろに追い出されるかもしれんし、交渉を行えたとしてもその席が決裂した場合、自らの陣地にいるそちらが圧倒的に有利となる。襲われない保障はどこにもない。だろう? 故にまずは対等な交渉のテーブルに着かせるために、そちらに有利となる陣地は破壊せねばならない」

「え……?」

 言わんとしていることは分かる、しかし納得がいかない様子のアイリスフィールに、だが男は考える暇を与えない。

「そしてそちらは、俺達の力を既に思い知っているはずだ。かなりの危険度だと判断しているのではないか?」
「……さあ、それはどうかしら」
「取り繕うことはない。アインツベルンの事情から、アルトリア・ペンドラゴンまで全て知り抜いている。アインツベルンの魔術特性と一族の実態、悲願、アルトリアの宝具からスキル、ステータス、性格から戦闘スタイルまで。何を隠そう以前の聖杯戦争で俺とセイバーは俺お前の関係で、シロウと青ペンちゃんと呼び合っていた仲だ」
「『青ペンちゃん』!?」

 堪らずアルトリアが反応する。未知の呼び方に驚愕を隠せず、横で聞いていたランサーが吹き出した。
 アイリスフィールはなんとか相手のペースに呑まれまいとして、男から情報を聞き出さんとする。

「以前の聖杯戦争? ……貴方は第三次聖杯戦争に参加していたの!?」
「答える必要はないな。生憎とその青ペンちゃんは、愛を誓い合った俺のことを薄情にも忘れてくれてるらしいが、そんなことは今は関係ない。例え忘れられていても俺の好意は変わらないからな。敵なら殺すが」
「え? ……え?」

 好意は変わらないけど敵なら殺す発言には混乱するしかないアルトリアである。というか本当に青ペンちゃん呼ばわりで通されるのか? なんか直感的に男が嘘を言ってるけど言っていないと感じてしまってますます混乱してしまう。
 アイリスフィールは冷や汗を流しながらなんとか冷静さを保った。

「ともかく今なら互いに得しかないぞ。そちらは俺達と一緒に戦うことでこちら側の情報を得られる、こちらは打倒するのが面倒臭い相手を最小の労力で倒せる。俺が共同で倒したいのは黄金のアーチャーだ。真名は英雄王ギルガメッシュ。そちらにとっても無視できない相手だと思うが、どうだ?」
「英雄王ですって?!」
「そう英雄王だ。あらゆる英霊の頂点に立つ最強の一角、ぶっちゃけ初見の利がなければ、青ペンちゃんですら鞘があっても勝ち目のない相手だ。宝具の詳細を俺が知る限り話そう」

 高い単独行動スキルからステータス、宝具の特性、極めつけにそれを十全に運用できる知能に乖離剣。
 混乱から段々と戦慄に塗り変わる顔色に、男はあくまで矢継ぎ早に言う。

「令呪が効かない、マスターが死んでもなんとか出来かねん、何をしでかすか分からん――そんな危険人物を野放しとか有り得んだろう。早急に片付けたいから協力してくれ。今なら豪華特典をおつけします!」
「ちょっと待って、ちょっと考えさせて!」
「考えるのは後でも出来るからとりあえず最後まで聞いてアイリスフィールお義母さん!」
「お義母さん!?」
「いいか! ここにいるランサーはぶっちゃけ一対一なら最強だ! 一対多でも最強だ! でも真名バレると割と詰む! そんなランサーの情報得られるとかアドバンテージ半端ない! そして同盟組んでくれるのなら聖杯譲ってもいい! 聖杯とか本気で要らないのでお義母さんと青ペンちゃんに差し上げます! 今すぐこの場でセルフ・ギアス・スクロール書いてもいいぞ!」
「セルフ・ギアス・スクロールを!? 貴方正気なの!? 聖杯戦争に参加していながら聖杯が要らないって何しに来たのよ! それとお義母さんって何?!」
「何しに来たかだと? 決まっている、青ペンちゃんに会いに来たんだよ!」
「私ですか!?」
「嘘だよ!」

 ふぅ、と一気に捲し立て、男は密かに呟く。まあ、ルールブレイカーあるし――と。
 コイツ最悪だなと無表情の裏で笑いを堪えるクー・フーリンである。

 一頻り喋って落ち着いたのか、男、エミヤシロウは居住まいを正した。

「それで、答えは如何に?」

 アイリスフィールはなんとかシロウの勢いを捌き、冷静に考える。果たして同盟の誘いを受けるべきか否か。
 なお同盟交渉が決裂したなら、その瞬間にシロウはこの場から離脱するつもりだった。なにせこの城は、橋に次ぐシロウの鬼門であるからして。長居して良いことなどないと彼は弁えていた。

 アイリスフィールは自分だけでは考えない。自らの経験が全く足りないことは自覚していたし、自身のサーヴァントが経験豊かな常勝の王だということもあって、アルトリアに相談することになんの迷いもなかったのだ。
 故に、彼女はアルトリアに訊ねる。貴女はどうしたらいいと思う? と。

 ――この提案は受けるべきかと。

 どうして? 全く怪し過ぎる男だ。何故か憎めない感じがして戸惑ってしまうが、それでも本能的に近しく感じてしまう空気感を彼は持っている。
 アルトリアは小声で言った。

 ――多弁な輩の言葉は全て聞き流すのが吉です。肝要なのは話の要点だけを抜き取り理解すること。その上で考えるとランサーのマスターの提案は旨味が多い。少しでもランサー攻略の手掛かりが掴められたら上々、そうでなくともアーチャー打倒までの協力体制と割り切ればいいのです。アイリスフィール、少なくともあのマスターは不意打ちや騙し討ちはしてこないと思いますよ。

 それはつまり、男の言った通りにした方がいいということではないか。
 アイリスフィールは今更になって戦慄した。アルトリアも理解しているだろう、目の前の男はふざけているようで全くふざけておらず、自身の懐を探らせないまま自らの提案が最善であると思わせてきたことを。
 男の提案を覆す思考が浮かばない。アインツベルン最高のマスターであるアイリスフィールは、男の言に一理も二理もあることを認めざるを得なかった。

 仕方ない、提案を呑もう。アイリスフィールはそう決意し、虎穴に飛び込む気概を固めた。

「いいわ。貴方と同盟を結びます、エミヤシロウ」
「それは良かった。――ああ、本当に」

 アイリスフィールの返答に、シロウは心底安堵したように息を吐いた。

 その時である。



「――ほぉ? なにやら薄汚い雑種が馴れ合っているのかと思って来てみれば、存外奇抜な取り合わせが揃っておるではないか」



 人形に、小娘に、半神に道化。珍種のバーゲンセールか何かかと笑う、聞き知った傲慢な声音。
 咄嗟に城壁の上を見上げると、そこには夜の空を背に抱いた黄金、魔の太陽とすら言える偉容の王者が屹立しているではないか。
 アイリスフィールは慌ててそちらに向き、アルトリアは聖剣を構える。クー・フーリンは早速来たかと好戦的な笑みを浮かべた。
 そして、シロウは顔を強張らせ、これまでの全てを台無しにする勢いで、クー・フーリンに小声で言った。

「――あの、ちょっと急用思い出したから帰っていいかな」
「はあ!? ダメに決まってんだろいきなり何言ってんだ」
「この流れはマズイだろどう考えても。来てる、これ絶対に来てるから」

 シロウの顔は真っ青だ。先程まで強気に話を進めていた男とも思えない。
 だが無理もなかった。彼は思い出したのだ。百貌から聞いた情報を。

 第四次聖杯戦争で、かの英雄王がアインツベルンの城に訪れた際、起こった『聖杯問答』という酒宴。それに思いっきり巻き込まれる未来を予見して、シロウはなんとかこの場からの離脱を望んでいたのだ。
 というかこのタイミングで来なくてもいいだろ! とシロウは頭を抱えそうだった。
 これはろくでもないことになる間違いない、とシロウは確信してしまう。

 すると案の定、雷鳴を引き連れた蹄の音がここまで聞こえてきたではないか。

 またいつものパターンか、とシロウはもう諦めの境地に達していた。









 

 

謁見だよ士郎くん!





 半神に共通する真紅の神性。
 紅玉よりもなお紅く、魔性の視線には強烈な意思の光が輝いている。
 他を圧する暴力的なまでの我意。比類なき強大な自我。黄金の魂。恒星に等しい存在力を無作為に発散しながら、愉快な喜劇でも眺めるようにその双眸が細められた。

 俺は忌々しげに舌打ちしたくなる衝動を抑える。この冬木で一番見たくない顔だった。

「……英雄王。こんな寂れた城になんの用だ?」

 アイリスフィールの物言いたげな目を流す。俺が森の結界から何まで台無しにしたとはいえ城そのものは無傷なのだ。事実を口にすることぐらい許してほしいものである。
 俺の問いに、英雄王はしかし機嫌を害してはいないようだ。許しなく顔を見るなとか、雑種風情が問いを投げるか、と意味不明な怒り方をする男だが、奴には奴の筋がある。それを読み違わねば、意外と英雄王は寛大だ。

 それとなく身構えるクー・フーリンと青ペンちゃん。アイリスフィールが同盟の申し出に頷いた以上、二騎のサーヴァントは連携する用意がある。英雄王が何をしても即座に反応できる態勢だ。
 二騎の大英雄の敵意。特にクー・フーリンの眼光は視線だけで殺せそうなもの。しかし英雄王はそれには怯まず、逆に面白げな視線で応じて、俺の問いに答える。

「――なんの用と来たか。随分とツレないな、雑種。久しい(・・・)のだろう、この我に拝謁する栄誉を賜ったのは」
「っ……?」
「何やら滑稽な筋書きに踊らされ、未だそれを自覚できずにいるらしいな? 見込んだ以上の道化だな、贋作者(フェイカー)

 黄金の王の言葉の大半を、咄嗟に理解できなかった。しかし英雄王が俺を(・・)知っているらしいということは察せられた。
 予想だにしなかった事態である。この変異特異点――否、この時間軸では英雄王は俺の存在を認知など出来るはずもない。一体どんな手を使った? 宝具で未来を視たとでも? いや、そんなつまらないことをする男ではない。仮に未来を視るとしたら、この男は宝具に拠らずに自力で視るだろう。
 ……ということは、英雄王は宝具ではなく、自身に備わった自前の能力で未来を視ることが出来る?
 俺の思考など掌の上なのか、ギルガメッシュは肯定するようにわざわざ俺を見下ろした。

「おう、金ぴか」

 クー・フーリンがこめかみに青筋を浮き上がらせ、怒気も露に呼ばう。

「マスターを知ってるってこたぁ、このオレのことも知っていると踏んでいいな」
「無論だクー・フーリン。見違えたぞ、以前のそれとは比べ物にもならん。今の貴様になら同じ半神のよしみで本気を出してやってもいい」
「は、囀ずってんじゃねぇ」

 心底興味なさげに、英雄王の賛辞を横に捨てる。
 クー・フーリンという真名にアルトリアとアイリスフィールが反応したが、そんなものになど欠片も意識を向けず、最強の槍兵は呪いの朱槍を突きつけた。

「テメェ、よくこのオレの眼前でマスターを侮辱してくれた。滑稽だと宣ったその舌、よほど惜しくねぇと見える」
「ハッ。クランの猛犬が飼い慣らされたか。よもや貴様が騎士を気取るとはな」

 嘲けりではなく、不敵な笑みだ。視線の交わる先で火花を散らす両者に俺は制止の声を掛ける。

「待てランサー。英雄王の物言いに一々目くじらを立てていたら埒が明かん。戦いは任せるが今は俺に任せてくれ」
「……チ、わぁったよ。ただしマスターも腹括ってろ。苦手だからって腰が引けてたんじゃあ、男として少しばかり情けねぇぞ」

 耳に痛い忠言である。確かに俺は英雄王が苦手だった。
 その真実を見通す眼が、こちらの虚飾を剥ぎ取るようで、どうにも正視に耐えない。
 が、そんなことも言っていられない。俺は腹を据える。頭のギアを最大にまで上げた。

 ――ギルガメッシュは俺だけでなく、クー・フーリンの存在も認知している。

 ということは、疑いの余地なく第五次聖杯戦争のことも知っていることになる。
 ギリ、と歯を食い縛って、過去の苦い記憶を一旦忘れた。

「相方が突っかかって悪かった。それでギルガメッシュ。あんたはなんの用でここに来た?」

 知識としては識っている。聖杯問答とやらをしに来たのだろう。しかし第五次の戦いを識っているらしい英雄王が、果たして同様の理由でやって来るだろうか?
 俺の問いに超越者は口許を緩める。嫌に機嫌がいい、嫌な予感しかしない。

カルデアの(・・・・・)マスターよ。言わずとも察しているならわざわざ問いを投げるな。この我に無駄に言の葉を紡がせるは死罪に値する不敬だぞ」
「大体があんたからしたら不敬だろうが。機嫌良いなら見逃せ」

 察しているから嫌になってるというのに。
 ああ、異邦人だと見抜かれているんだろう。加えて何が目的かも察してもいるらしい。その上で、奴は何かを目的に此処へ来た。
 どうやって知ったかなんてこの際どうだっていい。現実問題として奴は冬木の聖杯に纏わる秘密を知っている。聖杯の正体を知っているなら、自身の宝でもない聖杯に興味はない筈だ。
 この時代に受肉していたなら、聖杯の呪いを使って人類を間引こうとするだろうが、霊体である今は歪んでいない素の英雄王である。この時代に干渉する気はないと見ていい。

 なら、王としての裁定を下すのがギルガメッシュだ。そこから推測される目的は――俺を見定めに来た? ついでに俺を弄びに来た、とも言えるかもしれない。

「その通りだ」
「……」

 俺の脳内と会話しないで貰いたい。

「だが貴様を見定める儀は既に済ませてある。故にもう、貴様に下す裁定は一言に付すのみ。――星詠みの天文台よ、大儀である。篤と励め」
「――は?」
「分からぬか。我は貴様を殺さん。このような寄り道など手早く終わらせ、さっさと次に駒を進めよと言ったのだ」

 目を見開く。ギルガメッシュはアインツベルンの城の城壁の上で、腕を組みながらこちらを睥睨した。

「贋作を造るその頭蓋は気に食わんが、特例として存在することを赦す。その小賢しい知恵と悪運を駆使し、人理を巡る戦を見事、戦い抜くがいい」
「……」
「だが今のままでは道半ばで倒れるは必定であろうな。今の内にその因果を清算しておけ。此度はそれだけを告げに来た」
「因果……?」

 そこまで言って、ギルガメッシュは片手をあげた。

 こちらからは見えない地点、城壁の向こう側から空を舞う王の御座が現れる。
 エメラルドの天舟。それに跳び移り、玉座に腰を下ろした王は唖然とする一同を見渡した。

「先を『視てしまった』以上、この場の余興に絡むのも面倒だ。故に雑種は雑種同士、せいぜい適当に戯れているがいい。我はこの先の宴を心待ちにしているぞ、クランの猛犬」

 謎めいた言葉を残し、それ以上の弁を費やす事なく英雄王は去っていった。

 俺は呆然とする。

 全然、全く、これっぽっちも予期し得ない事態だ。
 いったい、俺が話していた相手は誰だった?
 あれが、本当にギルガメッシュだったのか?
 傲岸不遜、慢心の塊、絶対者ギルガメッシュだったと、本当に言えるのか?

「……相変わらず訳が分からねぇ野郎だが、雌雄を決する機会はもうちょい先らしいな」

 クー・フーリンが独語する。それで我に返った俺は、がりがりと頭を掻いた。
 訳が分からずとも現実は変わらない。本来、聖杯問答に参加するはずだった英雄王は去ってしまった。
 杯で挑まれたら逃げるわけにはいかないのが王ではなかったか? それを曲げてでも成さねばならないことがあったとでも? やはりあの王のことは分からない。一方通行の理解だけを持っていかれた。

 ちら、とアイリスフィールを盗み見る。

 どうやら世間知らずが祟って、この時代ではまだマイナーだったカルデアの名前は知らないらしい。いまいち話に付いてこられていなかったようだ。
 ならいい、理解されていたら正体がバレ、同盟は破綻していた。同盟解消はもう少し先の局面でないといけない。
 だが、英雄王は俺を殺す気はないと言っていた。なら無理をして倒しに行く必要はない? いやしかし、『この先の宴』とはなんだ。冬木の聖杯に招かれた存在である以上、それはこの冬木での出来事を指す筈だが……。

「……妙だ」

 アルトリアがふと言う。

「気づきませんか。先程聞こえた雷鳴――恐らくは征服王の戦車のものでしょう。それが遠くから聞こえたのに、一向に近づいてくる気配がありません」
「……言われてみれば確かに」

 目の前の英雄王に集中しすぎた。普段はしないような珍ミスである。
 俺は嘆息し、思考を切り替える。クー・フーリンに言った。

「どう視る」
「ああ、どうにも(やっこ)さん、面倒なことになっちまってるぜ」
「面倒?」
「見てみろよ。マスターの方が眼がいいだろ。あっちだ」

 言われるがまま、俺は脚に強化を叩き込んで軽く跳び、城壁の上に登って高所からアインツベルンの森の外れの方へ目を遣った。
 目を細める。
 そこには俺の見たことのない、しかし知識として識る魔物――『泥』に塗れた海魔の群れが氾濫し、この城に流れ込んでこようとしているではないか。
 それを期せずして塞き止める形となっているのは、戦車を操る赤毛の巨漢と。

 なんか見覚えのある魔術王。

「……」

 俺はいつの間にか隣にまで来ていたクー・フーリンに視線を向ける。
 曖昧な表情で肩を竦めた彼に、心の底からの疑問を投げた。

「なにやってんだアイツ」

 オレが知るか、とクー・フーリンは苦笑した。





 

 

アーキマンなのかソロマンくん!






 うわぁ、と気の抜けた声で呻いたのは、誰あろう魔術世界に於ける始祖である。

 あらゆる魔術師の頂点に君臨し、魔術に分類される全てを支配する絶対者。魔術王ソロモンの転生体にしてそのデミ・サーヴァント。二つのソロモンの魂が重複した異例中の異例だ。

 魔術王の魂を持つロマニ・アーキマンとしての生身を持つ故に、魔術王の霊基との親和性は完全である。
 ただのロマニだった頃から持ち合わせた一の指輪と、サーヴァントとして所有していた九の指輪を十指に嵌め、ソロモンは眼前のそれを眺める。

 津波の如くに押し寄せる呪いの泥。それは強大な――七十二柱の魔神にも匹敵する呪いの規模を持ち、汚泥の如くに現出した反英霊の霊基反応が感じられる。現れた大量の海魔は、その反英霊の宝具によって召喚されたものだ。
 なんらかの機能が作動し、脱落したサーヴァントを聖杯が取り出して、こちらに差し向けたのだろう――ただ一目視ただけでその正体とからくりを看破していながら、魔術王は緊張感の欠片もなく嘆息した。

「おい魔術王! こやつらが何者かはひとまず横に置くとして、この無粋な賊どもを片付ける手はあるか!」

 雷牛の牽く戦車に乗った征服王が、のんびりと構えたままの魔術王に呼び掛ける。
 強大なその呪いは、サーヴァントにとっては鬼門である。触れただけで融かされるだろう。
 酒盛りに来ただけなのにこのような事態に遭遇したともなれば、愚痴の一つも吐きたくなるというもの。征服王はやや剣呑な眼差しで海魔の物量を一瞥した。
 戦車による全力疾走で、轢き潰してやるのもいいが、征服王の眼力は冴えない表情の魔術王の方が対処に適任と見たのだ。故に水を向けたのである。ソロモン王の力を見たいという打算もあった。

「うーん……まあ、そうだね……」

 有り体に言って、この海魔とその使役者はソロモンからすれば敵にも成り得ない。
 対処は容易いの一言で、その気になれば海魔の召喚術式に介入し、キャンセルして異界へ送還してしまえる。実際、冬木のキャスターをそうして丸裸にし焼却したのだ。宝具による召喚だろうが、それが魔術による代物である以上、ソロモンの支配下に置けるのは当然である。

 故に彼が残念に思うのは、この騒ぎのせいで『あん畜生』に気づかれてしまったことだ。折角驚かせてやろうと思っていたのに台無しである。
 ソロモンの胸中を察していた少女、マシュ・キリエライトは苦笑した。ドクターが楽しそうで良かったです、なんて――この場にはそぐわない穏やかな表情だった。

 ソロモン――ロマニ・アーキマンはそれには気づかず、とりあえず思案した。

 ここで海魔を異界へ送還してしまうのは簡単だ。が、それを征服王の前で見せてやる必要はない。ソロモン王の逸話から簡単に推測できる能力の方で対処した方が手札は隠せるだろう。
 それに、一度やられた手法に対して、冬木のキャスターがなんの対策もせずにいることから――まあそもそも対策なんて出来ないだろうが――冬木のキャスターに自我はない、と彼は断定する。
 堕ちたりとはいえ、まがりなりにもフランス救国の英雄だ。ジャンヌ・ダルクの添え物として見られがちだが、実態はその逆である大元帥ジル・ド・レェ伯が同じミスをするとも思えない。故に間違いないと言えた。
 まあ、敢えて同じミスをして、相手の油断を誘発する策とも見れるが、それをする意味はない。何故ならカルデアの陣営に、油断や慢心は無縁であるから。

「普通に焼き払ったんでいいんじゃないかな」

 なげやりに言いながら、ソロモンは魔術を行使する。
 召喚魔術に特化した術者ソロモンは、詠唱を瞬きの間もなく完成させ、目的のものを召喚した。

「――来たれ地獄の大伯爵。第三十四柱の魔神フュルフュールよ」

 別名フルフル。英霊ソロモンに付随する、自我のないただの術式――人理焼却の実行犯にはなんら関わりのないただの使い魔だ。
 と言っても、伝承に語られる最高峰(ハイエンド)の使い魔である。宝具の域にも届くそれを、ただの召喚魔術に過ぎないと看破できる者はこの場にいない。

 久方ぶりの、ソロモンとしての魔術行使に感じるものはない。あるのは奇妙な自己の齟齬。かつて純粋なソロモン王だった頃にはなかった人間としての心を持ちながら、ソロモンの力を振るうことへの心地好い異物感のみ。自分が変われていることへの実感だ。
 白衣を纏い、眼鏡を掛け、ソロモンによって霊基を誤魔化され、普通の人間に見せられているマシュを庇うように立ち、傍らに魔神を召喚する。

 現れたのは背に翼を持つ牡鹿。燃え立つ火の蛇尾が特徴的な魔神である。
 優美なる威厳を備えたその魔神は、地獄とされる異界にて二十六の軍団を率い、雷や稲妻を操る異能を保有していた。真実を話させる呪文を唱えない限り召喚者に対しては嘘を吐き続けるが、現在は自我を持たない使い魔である。喋る機能はあるがそれは切ってあり、魔神は無言で佇んだ。

「おお!」

 第三十四柱、フュルフュール。噛まなくて良かったと人知れず呟くソロモンに、征服王の感嘆の声が上がる。そのマスターである少年ウェイバー・ベルベットは、ただただ圧倒されて魅入られるのみ。

 ソロモンが楽団の指揮者の如くに腕を薙ぐ。フュルフュールは主の指示に従いその異能を遺憾なく発揮した。
 異次元の音波を発して牡鹿が嘶き、見事な七支刀のような角を誇示する。雷光が閃き、その身が宿す膨大な魔力を大雷へと変換して、百を超える海魔へ向けて撃ち放つ。
 その威力は、さながら電磁加速砲により投射された砲弾の如し。凄まじい雷弾の破壊の余波は物理的な破壊力を伴う衝撃波を発し、周辺に夥しいまでの破壊を撒き散らす。
 射線にあった森林は壊滅し、地面は地割れを起こしたように抉れ、着弾を受けた百の海魔は一瞬で蒸発した。

 宣言通りに焼き払い――否、焼却し、ソロモンは張り切りすぎたと反省する。
 対軍宝具にも匹敵する一撃を事も無げに放ったのは、せめてものマスターへの意趣返しだ。今頃突然の魔力消費にそれなりに苦みばしった顔をしているはずだと思う。
 オルガマリーの父、マリスビリー・アニムスフィアがマスターなら今の位階の砲撃を五連射出来たが、士郎の魔力量では連発すら危うい。今ので溜飲をさげようとソロモンは思う。余り後に引き摺るのは大人げないし。

「嘘だろ……今のレベルの大魔術を、なんの下準備もなしで、それもたった一息でだなんて……」

 ウェイバーが絶句していた。魔術による大規模破壊は、噂に聞く彼のミス・ブルーを上回っている。とても現実の光景とは思えない破壊の跡に、彼の中の常識ががらがらと音を立てて崩れていった。
 それを尻目に、今の一撃で誰の目にも触れさせず、冬木のキャスターも倒せたのを確認し、ソロモンはひとまず自身の正体を有耶無耶に出来ることを確信する。
 ロマニとしての研鑽と、ソロモンとしての叡知が掛け合わされている今、士郎の策謀を見抜くことは困難ではない。故にそれに合わせるために、ソロモンは自身の正体を秘匿する。

「流石よなぁ、魔術王! 今の一撃を事も無げに放ってのけるとは、余をしても度肝を抜かれたぞ!」
「賛辞は受け取ろう。しかし私からすれば、今の魔術は児戯にも等しい。これが全力と思われたなら心外だね」
「ほぉ! 今のが児戯ときたか! 俄然其の方に興味が沸いてきたわい」

 豪胆な征服王の賛辞に余裕を持って微笑む。
 相性のいい下位のサーヴァントが相手だから一撃で倒せたのだ。これが征服王を狙ったものなら回避されただろうし、カルデア最強の槍兵なら反撃ついでの投げ槍で手傷を負わされかねない。
 やはり魔術師である以上、神殿を作って籠っている方がいいなと思う。まあこの編纂事象の処理が叶わなかった変異特異点で、ソロモンは自分の陣地を持つつもりはなかったが。

 ソロモン――ロマニ・アーキマンは、自分の保有する最高位の千里眼を封印していた。
 過去・現在・未来の全てを見通すそれは、確かに便利ではある。しかしそれは人の心を持つ者には無用であり、人の戦いである特異点修復の旅に用いるべきではなかった。
 それでも、これは自身に関わる事件だ。故にこそロマニは千里眼を使い、迅速に事態の終息を図るつもりでいたのである。しかし――

 ――ロマニ。マスターとして指示するが、その千里眼()は閉じておけ。

 カルデアのマスターは、そう言ってロマニに千里眼の使用を禁じた。
 それはソロモンはともかく、ロマニの人の心では、『全て』なんてものを見れば必ず引き摺られる(・・・・・・)からで。もちろん、人理焼却の黒幕に気づかれないようにするためでもある。
 こんな事態にあってすら、ロマニ一人の心を慮り、全知ではなく人知による戦いを肯定している彼に、ロマニは感謝の念と共に決めたのである。彼のサーヴァントとして、そして――ただの友人として、共に特異点を旅して戦おう、と。

「――む、魔術王! 新手だぞ!」

 征服王の警戒を呼び掛ける声。ちらりと見ると、残像すら残さず蒼い風が吹いた。
 マシュが声を漏らす。それは今しがた脳裏を掠めた冠位の槍兵。ソロモンと同格の勇者。
 クー・フーリン。
 呪いの朱槍を肩に担ぎ、征服王とソロモンよりやや間合いの離れた位置に立つ彼は、意味深な眼をマシュとソロモンに向けた後にぐるりと辺りを見渡した。

「んだよ、もう片付けちまったのか」
「貴様、ランサーではないか!」
「おう。ライダーはともかく、そっちははじめましてだな」

 征服王の誰何に応じ、清々しいまでに初対面を装う彼に、ソロモンは悪びれもせずに平然と乗っかった。

「こちらこそはじめましてだね、ランサー。それで何の用かな? 戦いに来たというなら迎え撃つけれど」
「まあ待て。オレはそれでも構わねえが、マスターからの指示でな。今の雑魚の掃討に手を貸しに来てやった所だ。まあテメェだけで瞬殺したようだから無駄足だったが」
「それは悪いことをした。申し訳なく思うよ」
「は、よくも抜かしやがる」

 クー・フーリンは失笑し、そして征服王を見た。

「で、ライダーに――キャスターだな。テメェらは今のアレが何か、知ってるか?」
「その前にランサー、うぬに確かめておくことがある」

 話をばっさりと切り、自身の方に話の流れを強引に引き寄せたイスカンダルが、鋭い眼光で槍兵を睨み付ける。
 虚偽を赦さぬ圧倒的な威圧感である。その直撃を受けたクー・フーリンは、しかし涼しい顔を崩しもしないまま応じた。

「おう、なんだ」
「うぬに駆け引きは無用であろう。故に直截的に訊ねるが――貴様は今、この森の奥から来たな。ランサーよ、貴様はセイバーと決着をつけてきたのか?」

 見方によればそうも見えるだろう。
 アインツベルンの森から、セイバーではなくランサーが現れ、あまつさえランサーの口からそのマスターが健在であることを語られる。
 そうなれば、セイバーが倒されてしまった可能性も浮上するのだ。
 しかしそれに、隠す気もなくクー・フーリンは応じた。

「いいや? 単にオレのマスターが、セイバーのマスターと手を結んだだけのことだ」
「なんと――」

 考えられるもう一つの可能性――戦況としては最悪の展開にイスカンダルは声を上げる。

「それはなんと羨ま――否、なんと卑劣な!」

 イスカンダルは胸の前で拳を握り、心底口惜しげに嘆き、

「勝ち抜き戦の聖杯戦争で、よもや他陣営と盟を結ぶとは! ――これはもう余らも手を結ぶしかないのではないか、キャスターよ!」

 本人にとってはさりげない勧誘に、ソロモンは苦笑した。ここで、実は冬木のランサーとキャスター陣営はとうに敗れ、入れ替わった自分達が一つの陣営だと教えたらどんな顔をするのだろう。
 まあ明らかに聖杯が異常な活動を始めた以上、どんな事態にも柔軟に対処できる位置取りをしておいた方がいい。ソロモンは曖昧に頷いた。

「この件は持ち帰り、マスターと前向きに検討させて貰うよ」
「おぉ、真か!」

 前向きに検討すると言っただけで、別に同盟するとは言っていないのにこの喜び様である。
 これは有耶無耶の内に自分に都合よく動かすタイプの、論戦などでは滅茶苦茶な論法での論破を図るタイプと見た。
 適度な距離感が必要かなと思いつつ、ソロモンはそろそろ本題に入ることにした。

「それより二人とも。今の雑魚いのに関してと、本来の用件もあるんだし、そろそろセイバーの所にお邪魔しないかい? そこにランサーのマスターもいるだろうし、楽しい話が出来ると思うな」

 士郎くんの驚く顔が見られなくなったのは残念だけど、彼なら『この形・状況』で出来る、最善の手段に思い至るだろう――とソロモンは思う。
 異邦人である自分達がいる以上、イレギュラーは確実に起こるのだ。方針を転換する必要がある。カルデアでの状況もある、場合によってはクー・フーリンには離脱して貰って、影の国の方に救援に出向いて貰った方がいい。

 ソロモンの提案に、イスカンダルとクー・フーリンも気楽に乗った。





 

 

クールになるんだ士郎くん!







 終末の角笛が吹き鳴らされた。

 天地を(どよ)もすその咆哮が、およそ尋常なる生物によるものでないのは明白だ。
 哭けば吹く風は逆巻く竜の尾を想わせる。それはさながら海神(わだつみ)の如き威容を誇り、藤の花を想起させる青紫の外殻は、権能にも通ずる強大な呪いを帯びていた。
 全長三十メートルは優に越す古の巨獣。遠き海に在りし偉大なる海の化身。――その名は信念(クリード)。自らを信ずるモノ。自らにのみ拠って立つ単一の系統樹。嘗て自らの同位体コインヘンと戦い、これに勝利した個体だ。後に戦に長けた神霊と戦い、敗れ去ったそれは、この特異点に復活を遂げて大いに猛っていた。

 それは一度は自身を屠ってのけた神霊――ボルグ・マク・ブアインを、その(うで)によって串刺しにし、即死させたことへの歓喜である。
 自らを後押しする得体の知れない力の存在など微塵も気にかけず、ただただ海の化身は死の国に君臨した。

 果てに待つものなど知らぬ。ただ存在するだけの大自然。自然への信仰、幻想の持つ神秘、象る生命の奔流――波濤の獣は渦巻く潮流を纏い、この変異特異点『死国残留海域スカイ』にて生命を謳歌する。
 自らに挑む小さきもの達を迎え入れ、獣は今に謳うだろう。頭蓋に秘められたる必死の呪いを解き放ち、因果律に干渉する権能を奮って、無謀にも己を滅ぼさんとする者達を串刺しにした後に。自らで自らを讃える、勝利の栄光を。

 氾濫する死霊の軍団を観測、マスターに間断なく更新されていく情報を送り、緊迫した空気の中で指示を飛ばし続ける鉄の宰相は、もはや一分の余裕もないと判断し、万能の天才にもう一方の特異点にいるマスターへ、救援要請を出すことを求めた。

 果たしてレオナルド・ダ・ヴィンチは一瞬の逡巡の後に決断する。
 調査の末に特定できた時代と地域、該当する神話から、対処に最適と目されるサーヴァントを、冬木から送り出して貰うことを。

 白銀の騎士王とその反転存在、錬鉄の弓兵とアルカディアの狩人。そして魔術師殺しの暗殺者。送られた増援だけでは足らなかったのだ。
 ケルト神話の頂点、クー・フーリンこそが、この原始の世界には必要とされていた。










「貴方は……剛胆な方ですね」

 予期せぬ評価に、ん、と首を捻る。

 遠くに視た海魔の群れ撃滅のため、ロマニ達の手伝いに槍兵を差し向けた所だ。
 本当はクー・フーリンを向かわせる必要性は皆無であり、あの征服王とロマニだけで充分なのは承知していた。
 しかしそれでも、敢えて槍兵を自分の許から離したのは、ひとえに自分とアルトリア、アイリスフィールだけの場を作っておきたかったから。
 俺はこの世界に対する知識のほぼ全てを忘却したが、それでも冬木に関する聖杯戦争については正確に記憶している。それだけ色褪せない鮮烈な経験だったというのもあるが、冬木の聖杯が内包するものに、一度は呑み込まれた体験が、俺に『忘れる』という逃避を許さなかったのだ。

 故にこそ聖杯の泥とそれにまつわる因縁を、俺は知悉している。

 あの海魔は、聖杯に取り込まれた英霊の宝具によるもの――即ち黒化英霊の出現を示したものだ。である以上、アインツベルンであり、また小聖杯でもあるアイリスフィールが異変を察知していないわけがなく、俺はアイリスフィールにそれとなく探りを入れるつもりだった。
 そのために俺はサーヴァントを傍から離し、一見して無防備であるように見せた。力関係的にサーヴァントを傍に置くアイリスフィールの方が優位であり、その精神的な優位は相手に安心と油断を招く。ある意味嫌らしい手法だが、俺からすれば油断する方が悪い。

 そんなことを考えていた俺に、アルトリアは感心したような、呆れたような、微妙な声音で語り掛けてきた。

「俺が剛胆? 何を見てそう思う」

 眉を落としてのアルトリアの言葉に、小心者の俺はほんの少し可笑しさを感じた。
 自分のことを知らないアルトリアが、いやに新鮮に思える。それだけ深い付き合いだったのだと思うと懐く感慨も味わい深かった。

「貴方は私を前にしていながら、自身の傍からランサーを離した。異変を察知するなり下したその判断に敬意を抱きもしますが、それよりも些か不用心だとも思います」
「なんだ、そんなことか」

 何を以て剛胆と称したのか不可解だったが、彼女からすれば直前まで敵対していた相手に、こうも無防備を晒すのは驚くに値したのだ。信頼するには時期尚早ではないか――俺の軽挙とも取れる判断を、高潔なアルトリアは戒めてくれている。
 俺は苦笑した。俺にとって同盟を組んだアインツベルンは信頼するに値する存在だったからだ。
 何せ――

「アインツベルンと俺は同盟を結んだ。であればそのサーヴァントであるお前が、俺に対して刃を向けるなど有り得ないことだ。騎士王アルトリアはそういう奴で、そのマスターであるアイリスフィール・フォン・アインツベルンも、同盟を組んだ相手の不意を突いて殺めようとはしないだろう。もしも斬られたなら、その時は俺の眼が節穴だっただけのことだよ」

 もし切嗣がいたら絶対に信頼しなかったが。

 ともかく、一旦味方となった相手を、信義に悖る行いに手を染めてまで斬る不義の輩ではないと俺は知っている。アイリスフィールについては、そういう人物なのだと勝手に判断したまでのことだ。
 あのアルトリアがなんの迷いもなく彼女を信頼し、衒いなく戦えている時点で、彼女もまた信じるに値する。アルトリアを通しての判断だから、アイリスフィールが見込み外れの不埒な輩だったらやはり、それは俺の自業自得でしかない。

 アルトリアは目を丸くして、アイリスフィールはほんのりと頬を緩めた。アイリスフィールは俺がアルトリアを通して自分の人柄を見越したのだと察したのだろう。

「セイバーのこと、よく知ってるのね」
「それはそうだ。俺と青ペンちゃんは愛し合った仲なんだから」
「はっ!?」
「あら! 面白そうな話ね、是非詳しく聞かせて貰いたいのだけど」
「ああ、それは構わない。だがその前に、」
「ええ、その前に聞かなくちゃならないわね」

 俺の戯れ言にアルトリアは心底虚を突かれて挙動不審になるも、アイリスフィールと俺は含むものを匂わせて相対する。
 冬の聖女の写し身である白い女は、そんな俺の態度に軽く表情を動かし、確信を持って訊ねてきた。

「……第三次聖杯戦争に参加したらしい貴方なら何か知っていそうね」
「さて、なんの話だ?」
「惚けないで」

 アイリスフィールは一転して厳しく問いただして来る。
 彼女の娘であるイリヤスフィールと同等の機能を獲得した聖杯である彼女は、やはりあの冬木の泥について察知したのだろう。存在するはずのない、脱落したサーヴァントの気配も。
 故にこうして矢鱈と事情通な俺に探りを入れて来た。そしてその反応から、彼女は冬木の聖杯に宿る『この世全ての悪』について何も知らされていないと判断できた。

「どうして今、私の城に聖杯の(・・・)気配が近づいてくるの? そして何故、こんなに悍ましい呪いを発しているの? 何か知ってるんでしょう。話して貰うわ」
「構わないとも。俺達は今や盟友、情報は共有すべきだ」

 剣呑な面持ちで威嚇してくる彼女に迫力はない。いや、高貴な育ち故の威厳はあるが、ギルガメッシュやアルトリア、そしてネロや神祖を知る身としては威圧される訳もない。
 言っては悪いが深窓の令嬢だった箱入り娘である。そんなアイリスフィールの厳しい目は、どことなく可愛くすら思える。いや、イリヤの母親に当たるひとを可愛いと称していいのかは微妙だが。

「俺が先程目視したのは、言ってみれば産業廃棄物だ」
「え? 産業、廃棄物……?」
「詳しく話すと長くなるから省略するが、端的に言って冬木の大聖杯は汚染されている。第三次聖杯戦争でアインツベルンが召喚した怨霊、アンリ・マユによってな」
「アンリ・マユですって?!」

 その名に驚きを露にするアイリスフィール。俺は思った。アインツベルン、報連相ぐらい徹底しろよと。
 最初から事情を知らされた上で参戦していたなら、途中で事情を知り心変わりする可能性も低くなるだろうに。そんなだから本来の歴史で切嗣に裏切られるのである。 
 なお事前に説明しても裏切られるだろうが。まあそこはそれ、もともと神霊を召喚しようと試みるにしろ、『この世全ての悪』という謎のチョイスが悪い。もっと別の、戦いに向いた、善性の、触媒の用意しやすい奴がいただろって話だ。

 今でも思う。なんでアンリ・マユなんだよ、と。そんなマイナーで触媒の手配も難しい悪性の奴とか有り得ない。同じ神話に悪と対になる奴もいるんだからそいつにしとけと思うのだ。

「ぐ――」

 不意に急激に魔力を持っていかれ、俺は思わず声を漏らす。

 魔力の過半を持っていかれた。
 ロマニの奴だ。あの野郎、豚箱に放り込まれたことを逆恨みして腹いせしてきやがったな!
 なんて野郎だ、と苦い顔をしかけるも、アイリスフィール達の前だ。なんとか平静な顔を保つ。

 悪いことは重なるもので、左の手首に巻き付けていたカルデアの通信機が点滅した。
 連絡が入ったのだ。俺は嫌な予感に駆られつつ、それとなくアイリスフィールに断りを入れた。

「すまんが少し席を外す。話は後だ、すぐに戻るから待っててくれ」
「え……? どこに行くの?」

 悪いと思いつつも無視して急ぎ足で城から離れ、樹木の影に隠れる。
 そこで通信機に応答すると、写し出された立体映像は完璧な美を体現したダ・ヴィンチだった。

 穏やかならぬ顔である。俺は嫌そうな顔をするのを止められなかった。

「なんだ、レオナルド。報告なら最小限で構わないと言っただろう」
『ああ、出てきたのがアグラヴェインじゃなくて、私の顔を見るなり何やら察したらしい士郎くん。朗報だ、君にはいつもの縛りプレイをして貰うことになった』
「オーケー、ちょっと待とうか。いきなりだなおい」

 いつものとか言うな。分かっちゃいたが面白くもなんともないぞ。
 折角危なげない戦略で最短の距離を駆け抜けようとしているんだ、もう少し待ってくれてもいいだろう……? 頼むから後二日待ってほしい、そしたらなんとかするから……。
 その思いを寸でで口にせず、俺はこめかみを揉んだ。

「端的でいい、なんでそうなった」
『ネロ達のレイシフトした特異点、アンノウンの時代と地域を特定した話はしたろう? 正式名称を変異特異点『死国残留海域スカイ』とした。そこでネロ達は神霊クラスの幻想種と交戦に入ったんだけど……それがどうにも聖杯を宿してるらしくてね。聖剣を食らっても死なない、再生する、ちょー強いの三拍子で全滅まで待ったなし。撤退しようにも死霊の数が万を超えていて、カルデアに一旦戻って貰って体勢を整えようにも、ネロ達の妨害がないとこの特異点が人類史に付着して、決して定礎復元できない状態になる。戦うしかないわけだけど戦力不足だ。以上、何か質問は?』
「オルタはもう出したのか?」
『現状出せる戦力は全部出した。その上でじり貧だ。いやもっと言おう、時の経過と共に詰んでいく。どうやらここでは知恵とか戦略とかよりも、純粋な強さだけが尊ばれているらしい』

 サーヴァントを全て出したということは、ネロは一人でアタランテ、アルトリア、エミヤーズ、オルタの五人を使役していることになる。
 負担は半端ではなく大きいだろう。愚痴とか不服とか諸々をグッと呑み込む。言っても詮無きことだ。そんなものを吐き出す暇があるなら状況に対応するべきである。

「了解した。一旦ランサーを戻す。タイミングはそちらに合わせるが、具体的にはいつ頃になりそうだ?」
『話が早くて助かるよ。そうだね、じゃあ半日後だ。ネロにも通達しておく』
「半日後だな。ああ、そうだ。そちらにはもう切嗣は要らないだろう。出来たらでいいから切嗣をこっちに回してくれ」
『了解。こっちでもしないといけないことがあるからここらで失礼するよ』

 プ、と通信が切られる。
 俺は頭痛すら感じつつ、ようやくソロモンの意図を察した。

 ――あの野郎、こうなることも想定してキャスターに成り代わったのか?

 クー・フーリンに抜けられたら戦略はガラッと変わる。だがソロモンがキャスター陣営に成り代わったことで、辛うじてだが修正は可能な範囲に収まるだろう。
 全て計算づくなら流石は叡知の王といったところだが……ロマニだしなぁ。ただの偶然とも考えられる辺り、流石の威厳である。

 問題は、せっかく張り切ってくれてるクー・フーリンに、どう言って納得して貰うかだ。
 クソッタレなことに否とは言えない。言わせてやれない。仕方ないと受け入れる他にない。俺はどう状況に対応したものかと頭を悩ませつつ、踵を返してアイリスフィール達の元に戻っていった。

 もうすぐロマニ達もこちらに来るだろう。そこで打ち合せして、知恵を絞ることにした。

 混沌とする戦局に、流石に一人だけで考えられる事態ではなくなりつつあると悟っていたから。






 

 

頭脳を回せ、決めに行くぞ士郎くん!







 諸問題が脳裏を駆け回る。
 頭蓋骨の内側で複雑に入り乱れる糸を解きほぐしながら、俺はゆっくりと現状を再認した。

 頭がこんがらがる前に問題点を挙げよう。今の状況は複雑怪奇である。一つ一つ迅速に対応策を用意し、上手く作戦を回さねばならない。
 今、最優先で対応しなければならないのは、この特異点の戦いではない。ネロ達が当たっている影の国の特異点である。それに必要とされているのはクー・フーリンであり、クー・フーリンをあちらに回したともなれば、俺はこの聖杯戦争での立ち回りを激変させねばならなくなる。

 何せ俺は他の陣営にランサーのマスターであると誤認させているのだ。クー・フーリン以外のサーヴァントを表立って使役出来ない。カルデアのシステム上、斃される事が必ずしも致命的ではないとはいえ、訳もなくクー・フーリンが突然いなくなるのも、何者かに斃されるのも論外である。
 奴のマスターとして態と負けろ等と命じる訳にはいかないし、クー・フーリン程の英雄を斃すとなれば、どうしたって人目につく激戦になるのは必至。アインツベルン陣営と同盟を結んでいる今、他の陣営に斃されるのは不可能だ。
 唯一英雄王なら可能かもしれないが、どういう訳か俺と戦う気はないらしい。それは気が楽でいいのだが、それはそれで問題でもあった。

 いっその事アインツベルンとの関係を切って姿を消すか? 元々俺とアインツベルンは、対英雄王を念頭に置いた共闘関係。構築したばかりのそれは早くも破綻している。
 他ならない英雄王が俺と戦う気がないことを仄めかしているのを、アインツベルンとアルトリアは聞いているのだ。それを察してしまわれていたら、向こうから解消を申し込んで来るかもしれないが……。
 今はなし崩しに同盟関係を保持しておくべきか? だがそうするとクー・フーリンをネロの方へ派遣した後、手元に残るサーヴァントはデミであるマシュ、ソロマンのみとなる。向こうから回されてくるのは切嗣だが――いや。同盟関係を保持する手だてはある。

 とりあえずクー・フーリンをネロの方へ回すのは決定事項だ。これは変えられない。どうやってクー・フーリンを説得するかだが、頼み込むしかない。ごねるような問題児ではないのだから、のっぴきならぬ状況を理解してもらえば快くとは言わずとも納得してくれるだろう。

 後、辻褄を合わせる方法も考えなければ。ついでにロマンのクソタワケとどう話を合わせるか。おまけにそれら全てを解決した上で、どう今後動いていくか。頭が痛いのは正面を張れる戦力を手元に残せない事だが――そこは俺の立ち回り次第で、機が来るまで持ちこたえさせる事は出来ないこともない。三割イケる。

 最後にアインツベルンの状況認識がどの程度かも想定しておこう。まずギルガメッシュが今宣っていた事は、ほぼ理解不能と言っていい。カルデアはまだマイナー、知名度は低い故に箱入りっぽいアインツベルンは認知していないだろう。こちらの素性を知られた可能性は限りなく零だと仮定する。というか零でないと詰むのだ。

 次に脱落したサーヴァントの数。アインツベルンはサーヴァントの魂を容れる器だ。脱落したサーヴァントの数は把握しているのは確実。俺の知る限りだと脱落者は二騎。ランサーとキャスターだ。当然アイリスフィールはそれを認識している。聖杯の器ゆえに。
 アイリスフィールの認識の上では、恐らく俺がすげ代わったランサー陣営で一、ソロマンのバカが討ち取り成り代わったキャスターで二。自分のセイバーで三、ライダーとアーチャーで五。計五騎が存在している。
 もしもアイリスフィールがバーサーカーとアサシンが脱落していると仮定しているとしたら今後、バーサーカーとアサシンと遭遇したらシステムの齟齬に勘づくだろう。そうなる前に、こちらから手を打つべきだ。

「どうかしたのですか、ランサーのマスター」

 今や赤い悪魔には全く信用されなくなった、暗い表情を意図して作って考え込む素振りを見せると、怪訝そうにアルトリアが訊ねてきた。アルトリアの気を引く仕草は把握済み。こうすれば向こうから話しかけてくるという空気の間合いを作ったのだ。
 望むタイミングで、望む相手から話しかけて貰うというのは、某メシマズ国の外交官が備えている技能である。俺はそれを、頭に二つのドリルを装備した金髪のお嬢様から学んだ。

 俺は纏う空気と声音を緊張した時のものに置換し、重々しく口を開いた。

「……青ペ――アルトリア。お義母さ――アイリスフィールさん。……ごほん」

 いまいち役に入り込めなかったので呼び方を切り替え仕切り直す。

「一つ聞く。アイリスフィール、貴女は脱落したサーヴァントの数を把握出来ているだろう。そいつを教えてくれ」
「……私の機能を……貴方はそんなことまで知っているのね?」

 答えない。
 彼女は俺が第三次聖杯戦争の参加者だと誤解している。どこまでアインツベルンの内情が漏れているか気が気でないのだ。が、本当は別口からの情報だなんて教える訳にはいかない。

 手に取るようにアイリスフィールの心の内が把握できる。底知れなさを感じて戦慄しているのだろう。無垢な少女を相手にしているような気分だ。
 アイリスフィールは賢明な女性だった。聖杯の泥や、アンリ・マユについて話してあり、聖杯に起こっている異常を認識している以上、露見している情報を秘匿するよりも共有する事を進めようとするはずだ。

 案の定、アイリスフィールは俺を警戒しつつ答えてくれた。

「貴方がどこまで、何を知っているかは気になるけど……それは後にしましょう。私の知る限りだと、現段階で二騎が落ちているわ。暗殺者と狂戦士じゃないかしら」
「……」

 脱落者が二騎だと教えて貰い、『俺が二騎脱落している』事を知ったという建前をアイリスフィールに植え付ける。
 これで俺が二騎が脱落している事を承知しているという既成事実が出来上がった。俺は沈黙し、顔を険しくさせる。そうするとアルトリアとアイリスフィールは怪訝そうにこちらを伺った。

「妙だ」

 呟き、そっとアルトリアを指差した。
 頭にクエスチョンマークを浮かび上がらせるアルトリアから、つい、と指先をクー・フーリンが向かった先に向ける。

「一、二、三、四……」

 そして英雄王の去っていった方角を指差す。

「五」
「……サーヴァントの数、ですか」

 アルトリアの質問に頷く。

「とすると、向こうにはランサーとライダーの他にもう一騎がいる……ランサーから報告があったのですね」
「ああ。そして向こうで聖杯の中身を撃破したらしい。――さっき中断した情報提供の続きをしよう。聖杯は、いやアンリ・マユは脱落したサーヴァントを反転した存在として取り出し、使役できる。撃破した敵は、アイリスフィールの言った聖杯の呪いそのものだ」
「なっ――!?」

 訥々と語る。俺の知る聖杯の仕組みを。
 もはや朧気だが、俺の経験した第五次は三通りのパターンがあった、はずだ。その三つ目が桜を起点とし、アルトリアが反転したオルタとして立ち塞がる、というような話だった気がする。――こんな事なら知識をメモっておくべきだったと後悔するも後の祭りだ。
 アンリ・マユの話も絡め、手短に語り終えると、アイリスフィールとアルトリアは唖然としていたが。それを横に置いて話を進めた。

「そしてもう一つ。今俺が数え上げたサーヴァント以外に、俺の陣営はアサシンを目撃している。この意味がわかるか?」
「っ……! ……数が、合わないわ!」

 アイリスフィールは今度こそ愕然とした。
 聖杯戦争に召喚されるサーヴァントは原則として七騎である。アイリスフィールの認識の上で健在な五騎の他に、アサシンの目撃情報があるとすれば、たちまち前提が破綻するのだ。
 脱落したのは二騎だと感じているのだから、明らかに一騎、余分に多い。土気色の顔でアイリスフィールが口許を手で覆う。その頭の中で様々な憶測が錯綜しているだろう。そこに、更に彼女を混乱させる情報を追加した。

「ランサーが向こうで会ったのは、キャスターとライダーらしい。だが――斃した敵も、キャスターだったようだぞ」
「そんな!?」
「馬鹿な……有り得ない……!」
「そう。クラスが重複するなど、聖杯戦争では有り得ない。にも関わらず二騎のキャスターがいる。そしてサーヴァントの数も合わない。明らかに――この聖杯戦争はおかしい。原因を追究するべきだと考えるが、貴女はどう思う? アイリスフィール」

 畳み掛け、アイリスフィールを混乱させる。アルトリアは冷静に思慮を張り巡らせているようだが、彼女は騎士王であり魔術師ではない。聖杯のからくりと、今の話の陥穽に気づける知識がない。仮に違和感があるのを直感しても、それを言語化させて言葉として肉付け出来ないとなれば、一旦違和感を呑み込むしかないだろう。
 そしてそれで充分である。俺は淡々と彼女達に告げた。

「アイリスフィール、一時聖杯戦争を中断して大聖杯を確認しに行くべきじゃないか?」

 俺がそう言うと。
 図ったように同意する言葉が辺りに響いた。

「――私もそれに賛同しよう。今は戦いの時ではない」
「ッ! アイリスフィール、下がって」

 荒らされた森からやって来たのは、白衣を纏い眼鏡を掛けたマシュと、それを庇うように背に連れた白髪の男だった。
 ゆるい表情で緊張感の欠片もないその男は、紛れもなく魔術王ソロモン。ロマニ・アーキマンである。俺の立ち位置がアイリスフィールとアルトリアの背後であった為、思わずロマニに向けて中指を立てた。ロマニはにっこりと親指で首を撫でる。男二人、確かに通じ合った瞬間だった。

「……?」

 警戒するアルトリアとアイリスフ