人理を守れ、エミヤさん!


 

成し遂げたぜ士郎くん!




『――シロウ』

 黄金に煌めく朝焼けを背に、淡い微笑みを湛えた少女が愛おしげに少年の名を呼ばわった。
 穏やかな風。柔らかな空気に溶けるように、少女は儚げに佇んでいる。名を呼ばれた少年は、胸中に押し寄せる様々な感慨に声を詰まらせてしまい、何も言えずにその貴い幻想を見詰めていた。
 少年のその顔を見ていると、少女の脳裏に万の言葉が満ちていく。それがなんだか気恥ずかしく、同時に誇らしくもあった。語り尽くせぬほどの想いがある、それは自分が彼のことを、何よりも大切に思っているという証だろうから。
 だけどもう時間がない。複雑怪奇な、因縁と因果が絡んだ二度の(・・・)聖杯戦争。彼の今後を想えば伝えねばならないはずで。しかし精神を病んでいる彼の耳と心には、何を言っても伝わらない。

 だから、少女はたったひとつの言葉に全てを込めた。

『――貴方を、愛しています』

 駆け抜けてきた生涯の中で最も愛した少年に、少女はその言葉だけを遺した。
 朝陽が昇る。ふと少年が気づくと、少女の姿はもうどこにも見当たらなかった。自分と彼女の間にあった繋がりも綺麗さっぱり消え去ってしまっている。

 それはつまり、全てが終わったということ。

 土蔵に少女――騎士王アルトリア・ペンドラゴンを召喚してから始まった全てが。
 十年前の大火災から始まった悪夢のような日々が。
 文字通り、血を吐きながら積み上げてきた魔術と武道の研鑽の日々が。

 全て、終わったのだ。

 少年――衛宮士郎は、万感の思いを込めて、たった一言だけ呟いた。

「――成し遂げたぜ」




















 ――ある日、気がついたら衛宮士郎になっていた。

 こう聞くと余りに馬鹿馬鹿しく、絵空事じみて聞こえるが、事実として俺は、ある時全くの別人に成り代わってしまっていたのである。
 ネット小説などのサブカルチャーでよく見られる、憑依だか転生だかの不可思議極まる不思議現象。それを自身が体験することになるとは想像だにせず、当時の俺は動揺するやら錯乱するやらで大忙しだったものだ。

 なんで俺がこんな目にとか。俺が憑依したせいで元の衛宮士郎がいなくなってしまった、とか。自身の不幸を嘆くやら本当の衛宮士郎に対して罪悪感を抱くやら、とにもかくにも俺は他の何かに手をつけることが出来ないほど余裕をなくしていた。
 しかし、時間とは残酷なもので。
 衛宮切嗣に引き取られ穏やかながらも忙しない日々を送る内に、俺はいつしか現実を受け入れてしまっていた。
 何はともあれ、泣いても喚いても何が変わるでもなし。ならせいぜい俺は俺らしく生きていくしかあるまい、と一ヶ月近くも経って漸く割り切れたのである。
 悶々とした何かを無くすことが出来たわけではないが。それはそれとして、そこで俺ははた(・・)と気付いてしまったのだ。

 ――あれ? そういや俺って、このままじゃ死亡フラグとダンスっちまうんじゃね?

 何しろ俺は衛宮士郎である。ちょっとした油断や間違いなんかであっさり死んじゃいそうな、命が軽い系の筆頭格なのだ。
 その俺が、のほほんと過ごしていいのか。少なくとも今の俺は、日本に数いる普通の青少年などでは断じてない。この身に特大の異能『固有結界』を宿している。
 怪異を持つ者はまた別の怪異を引き寄せる――この世界に於ける因果のロジックから察するに、衛宮士郎が平穏な日々を送ることはまず不可能と云っても過言ではないだろう。

 もし罷り間違って遠坂凛のようなお人好し以外の魔術師に固有結界の存在を見抜かれたら、一発でホルマリン漬けの標本コース一直線である。そんなの嫌だ、と子供みたいに我が儘を言ってもどうしようもない。人間の悪意に際限はないのだ。
 それは別としても、衛宮士郎は衛宮切嗣の養子であるからして、切嗣の負の遺産とでもいうべき過去の因果も絡んでいる。代行者の神父とか、聖杯な姉とか。
 つまり、何かをしてもしなくても、いずれ俺はなにがしかの魔術絡みの事件に巻き込まれるのは確定的に明らかということ。冬木から逃げても聖杯な姉が俺の存在を知っている以上は、逃げた先に来られたら色々と詰んじゃうので逃げれない。もし仮に聖杯な姉が来なくても、自衛手段もなく見知らぬ土地――どこに魔術師がいるかわからない場所――を歩けるほど豪胆にもなれない。

 俺は死にたくなかった。

 なんらかの強迫観念に支配されているのではなく、純粋に一個の生命として、命の危機を自覚し死を忌避する本能が目覚めたのだ。
 ではどうするかと言われても、これといって具体的な対策が思い付くわけでもなく。結局俺が出来たことと言えば、知識にある流れを順守して、如何に無難且つ無事に生き延びられるか思案することだけだった。

 俺が憑依したせいで、起源や魔術属性が衛宮士郎本来のものと掛け離れたものになっているかもしれないという不安はあったが、どうやらそれは要らぬ心配だったようで、切嗣に指導を仰ぎ魔術の使い方を覚えて試した結果、俺は普通に剣製に特化した投影使いを目指せるようだと判明した。
 しかも、なんというか、魔術の鍛練の時には奇妙な感じがした。
 体が衛宮士郎というガワだからだろうか。魔術の鍛練をしていると、魔術を行使しているのが俺じゃなくて、俺という魔術回路が勝手に作動している感じがするのだ。

 つまり俺という人格(プログラム)とは別に、魔術を行使するためだけの別人格(プログラム)が存在しているようなのだ。

 俺が剣を投影しよう、何か別のものを解析、強化してみようと試みると、俺が具体的なイメージを持っていなくても、その刃物やら投影元のオリジナルに込められた理念などへの共感、経験の憑依などが行えたのである。
 まるで俺とは別に、本当の衛宮士郎が存在して、魔術専用の杖として俺の頭の中に存在しているような異物感があって、途方もない吐き気がしたが、便利だったのは間違いない。最初こそ俺の中の投影杖(と便宜上呼称する)は練度が低く、原作冒頭の衛宮士郎レベルだったが、俺が彼の到達点であるアーチャーのエミヤを知っていて、衛宮士郎の異能的な投影魔術の概要を知っていたためか、めきめきと魔術の位階(レベル)を上げていった。



 ――じゃあ、なんで俺は最初から見たこともない(・・・・・・・)宝具を投影できたのか――



 そうなってくると、俺はある決断が出来た。自分の命がかかっているからと勇気を出し、最初期の衛宮士郎がこなしていた間違った(・・・・)魔術鍛練を行い、魔術回路の強度を高めはじめたのだ。
 無論、俺がやれば一発でミスし、死んでしまっていただろうが、生憎俺の頭の中には投影杖がある。俺が魔術を行使しているわけではない以上ミスの恐れはほとんどなかった。それほどまでに、俺は投影杖を信用、あるいは過信していたのだ。



 ――信頼ではない。当たり前を、当たり前になぞっただけだ――



 軽率だったと後から思ったが、まあ実際に魔術回路の強度を高めることには成功したと思う。それに、何故かは知らないが、自殺紛いの魔術鍛練を積んだ結果、本来の衛宮士郎同様の凄まじい集中力を得ることができ、副次的にあの驚異的な百発百中の弓の腕を得ることが出来た。
 「当てるのではなく、既に当たっている」。本当の衛宮士郎がそう言っていたが、今ではその感覚がよくわかる。投影杖におんぶにだっこな現状だが、自身の能力が高まる感覚には不覚にも高揚する物があった。

 俺は魔術の鍛練に平行して体を鍛えつつ、あることを考えていた。

 どうすれば俺はこの先生きのこれるのか。どうすれば、どうすれば。――うだうだと過去の思考を垂れ流しても意味がない。結論として俺が選択したのは「衛宮士郎の生き方を投影すること」だった。
 先の分からぬ未来である。中身平凡な俺が色々考えたって、衛宮士郎のような未来を得ることができるとは思えない。幸い、俺は衛宮士郎が生き残るための道筋を知っているし、忘れないように記録もしている。投影杖のおかげか副作用か、他者の物真似は得意だった。

 不可能ではない、と俺は判断し。実際にブラウニーのように活動して、衛宮士郎という壊れた生き方を実践できたと思う。



 ――周りの人間の反応がおかしかった――



 それはとんでもなく、苦痛だった。演じる内に、それが本当の生き方なのだと錯覚しそうにもなった。
 だが、結果として俺は間桐兄妹と仲良くなり、桜と親密になり、慎二と決裂し、誰にも見抜かれることなく正義の味方に憧れる少年を投影できた。
 そして、運命の夜。
 俺は赤い弓兵と、青い槍兵の戦いを目撃し、心臓を破壊され、遠坂に助けられ、帰り道でイリヤスフィールと出会い、槍兵の襲撃を受けて土蔵に逃げ込み、そこで騎士王を召喚した。

 そこからは、怒濤のように時が流れた。
 俺はかねてより考えていた通りに、セイバー・ルート (と便宜上呼称する)に沿った。
 遠坂ルートと桜ルートは俺的にリスキーに過ぎる。アーチャーと一騎討ちなんてしたくないし、英雄王を倒すなんて無理だし、桜を助けるためにバーサーカーとかセイバーを倒すのはもっと無理。その前にアーチャーの腕を移植しても、中身が俺だと適合するかわかったもんじゃない。



 ――確実に適合する――



 最も難易度が低いのが、セイバーのルートだったと思う。
 無論、だからといって簡単に済むはずがなく、綱渡りの連続どころじゃなかったが、それでも俺は完璧にやり遂げることが出来た。その過程でセイバーと懇ろな関係になるという役得もあったが、まあ多少はそういうご褒美があっても許されるはずだ。

 そうして、紆余曲折を経て、俺は原作通りにことを終えることが出来た。

 最終決戦を終え、セイバーが消えた瞬間。

 俺は、絶頂した。

 ぶっちゃけ射精した。

 十年単位の一大事業を成し遂げ、俺は途方もない達成感と多幸感に包まれ脱力してしまったものである。
 それから俺は、衛宮士郎を演じるのをすっぱりとやめた。
 俺はやり遂げたのだ。全ての地雷を回避して、地雷になりそうなのを桜以外撤去完了し、もう俺が俺を偽る必要性は消えたのである。
 と言っても長年のツケが回ってきたためか、無意識の内に衛宮士郎の如くに振る舞ってしまったこともあるが、それでも俺にはそれを演じている自覚がないために重荷に思うこともなく。俺は何事もなく高校を卒業し、半ば飛び出るようにして冬木から旅立った。



 ――そうしなければならない気がした――



 そして、まあ、なんというか、正義の味方を志していたわけではないが、気がつくと俺は海外を回り、慈善事業に手を出して、飢餓に苦しむ人々のために可能な限り援助の手を差し出し続けていた。
 学校に通うこともできない貧しい子供たちのために、俺が教えられる範囲で勉強を教えてあげて。建物を建てる方法を学んでそれを教えてあげたり、まあ、思い付く限りに力を尽くしていた。
 楽しかった、というわけではないが。まあ、遣り甲斐はあった。正直なんでこんなことをしているか分からなかったが、別にお天道様に顔向けできないことをしているわけでもなく、俺は真っ当に生きているという自負があった。



 ――かつての後悔をやり直しているような後ろめたさが付き纏った――



 魔術や弓、剣を用いた戦いの鍛練は怠らず、世界を回っていると目につく外道な魔術師を打ち倒し、死徒やらなんやらの裏の抗争に巻き込まれたりしたが、まあ後悔はない。
 俺は自分が大好きだから、誰かを救うために世界と契約し守護者になるようなこともなく。俺は俺の人生を生きていた。

 そんな、ある日のことだ。俺の元に、ある女性が訪ねてきた。

 女性はオルガマリー・アニムスフィアと名乗り。

「衛宮士郎。冬木の第五次聖杯戦争の勝者である貴方を、私のカルデアのマスター候補にスカウトしにきたの」

 そう言って、俺にかつてない衝撃を齎した。



 ――え? ここってカルデアあるの?





 

 

逃げたら死ぬぞ士郎くん!





 それは西暦2015年のこと。
 人類の営みを永遠に存在させるため、秘密裏に設立された「人理継続保障機関フィニス・カルデア」にて恐るべき研究結果が証明された。

「2016年、人類は絶滅する──」

 決して認められないことだ。霊長を自認する人類にとって、その滅びはあってはならないことであった。
 原因を調査する内、魔術サイドが作り上げた近未来観測レンズ・シバは過去である西暦2004年の冬木に観測不能の領域があるのを発見する。
 有りえない事象にカルデアの者達は、これが人類史が狂い絶滅に至る理由と仮定。テスト段階ではあるものの、理論上は実行可能レベルになった霊子転移(レイシフト)による時間遡行を敢行。その目的は2004年に行われた聖杯戦争に介入し、狂った歴史を正すことである――



 ――というのが俺が覚えているカルデアの概要、その全てである。



 残念ながら、現在28歳であるところの俺、衛宮士郎はカルデアに関することをほぼ忘れてしまっていた。
 それは、俺が『衛宮士郎』だからである。
 俺の記憶が確かなら、2004年に行われた聖杯戦争でカルデアの前所長、即ちオルガマリー・アニムスフィアの父親が勝者となり、聖杯は彼の手に渡っていたはずだ。
 それに、第四次聖杯戦争以前に行われた聖杯戦争は無く、必然冬木の大火災は発生せず、●●士郎は衛宮切嗣に拾われずにいたため、衛宮士郎自体が生まれていなかったはずなのだ。
 だから俺は、俺が『衛宮士郎』である時点で、ここがカルデアの世界ではないと断定し、カルデアの存在を綺麗さっぱり忘却し、記録自体取っていなかった。

 あとは時間によって覚えていた知識も風化してしまい、現在に至ったわけだ。

 『衛宮士郎』がいるということは、第四次聖杯戦争はあって、冬木の大火災もあったということ。そして第五次聖杯戦争はこの俺が勝者となっているし、そもそも聖杯自体破壊した。またいずれ聖杯は顕現するかもしれないが、それは切嗣が生前に大聖杯へ施した仕掛けによってあり得ないものになったと俺は考えている。
 ……まあ、あの蟲の翁が何かをしたらあり得るかもしれないと思っているが、それはさておきこの時点でカルデア自体の存在が矛盾したものと気づけるだろう。

 ……なのに、カルデアが実在し、そのマスター候補としてオルガマリーが俺をスカウトに来た。

 有り得ない。どうなっている? カルデアがあり、実働しているということは、少なくともカルデアは正式に魔術協会に活動を認められているということ。マスター候補を探しているということは、2016年から先の未来を観測できなくなったということ。それは、イコールで魔術王ソロモンによる人理焼却が発生している証拠となる。
 しかしカルデアは、オルガマリーの父が聖杯を勝ち取り、恐らくは資金源として研究施設を獲得して成立したもの。つまりオルガマリーの父は聖杯戦争に参加し勝利していることになる。少なくとも冬木以外で、だ。

 ……この世界には、冬木の聖杯と同等か、それ以上の物が他所にあったのか? そしてそれを、オルガマリーの父が手に入れた、と?

 有り得ない、とは一概に断定出来ない。平行世界は無限に存在する。俺がいるのがそういう世界だと考えることもできる。
 だがしかし、冬木の大聖杯の基になったのは、アインツベルンの冬の聖女である。聖杯の術式も、それを見た英雄王が「神域の天才」と評したほどの完成度を誇る。そんなものが、他にもあったとは流石に考え辛いが、さて――



「――ちょっと、聞いてるのかしら? 衛宮士郎」



 咎めるような女の声。それに、俺は思考を一旦打ち切った。袋小路に入り掛けていた思考をリセットしておく。今は悠長に思索にかまけてはいられなかった。考察は後でも出来ること。今オルガマリー女史から詳しい話を聞いているところであるのだし、そちらに集中するのが賢明だろう。
 カルデアにスカウトしに来たとか、マスター候補になって欲しいとか、そんなことを突然言われても普通は事態を把握できないし、俺自身もカルデアの詳細な情報など遥か忘却の彼方だから、彼女から話を聞いておくのは大切なことだと思う。

 俺は現在、ロンドンの喫茶店にいた。流石にイギリス、紅茶だけは旨い。

 英霊エミヤとは違い、特に悪党以外からは恨まれていないし、外道な魔術師を独自に仕留めても、その研究成果自体は俺の保身のために時計塔に二束三文で売り払ったりしているため、魔術協会に目をつけられたりもしていない。
 固有結界持ちであることも今のところは隠しきれているし、平気な顔でロンドンに居座っていてもなんら困るものはなかった。
 時々遠坂凛(懐かしい顔)を見掛けることはあっても、特に険悪にはならないし、せいぜい「たまには帰郷して桜に顔を見せてあげなさい」と小言を言われるぐらいだ。彼女も人生充実しているようだし何よりである。
 そんな具合なもんだから、ロンドンを彷徨(うろつ)いていた俺が、あっさりとオルガマリーに捕捉されてもおかしくないわけであった。

 俺は努めて冷静に銀髪の女――オルガマリーに対して切り返した。

「……ああ、もちろん聞いている。お前達が何者で、何を目的とし、なんのために俺に接触を図ってきたのか。聞き落としなくきちんと聞いていたとも」

 言いつつ、俺は対面に座すオルガマリーと、その両脇を固めるように立っている男、レフ・ライノールとロマニ・アーキマンと名乗った男たちを見据えた。
 ちなみに、衛宮士郎を演じなくなった俺の口調は、激した時の英霊エミヤに似ている。だからどうしたという話だが、俺はエミヤに影響を受けているわけではないという自意識を持っていた。
 俺は日本人離れした高身長(たっぱ)を持っているし、筋骨隆々としている体に相応しい体重もある。華奢な女性と向き合っていると、どうにも見下ろす形になってしまうのだが、威圧感を与えてしまっていないか少し心配である。

 ちら、とオルガマリーの両脇に立つ男達を見る。

 レフという男は、緑の外套に緑のシルクハットという、何か拘りのようなものを感じさせる格好だった。彼がカルデアを舞台とする物語でどんな役柄を演じていたのか覚えていないが、彼からは奇妙な視線を感じる。値踏みするような目だ。が、魔術師とは基本的にそんな輩ばかり。余り気にするほどでもない。

 一方のロマニ・アーキマンは、なんというか線が細く芯も脆そうな、しかし意外と頼りになりそうな印象がある優男だった。

 俺の探るような目に何を思ったのか、レフとロマニは曖昧に表情を緩めた。何も言わないところを察するに、この場ではオルガマリーを立てて黙っているらしい。もしかすると、俺に対する護衛の役割でもあるのかも知れなかった。
 まあ十中八九、ただの連れ添いだろうが。
 時計塔のロードの一角であるアニムスフィアに、魔術協会の膝元のロンドンで危害を加えるほど俺もバカじゃない。というより理由がない。彼らから視線を切り、改めてオルガマリーに向き直る。

「――だからこそ、よく分からないな」

 紅茶を口に含み、たっぷり話を吟味する素振りを見せながら言った。

「何が分からないの?」
「さて。そちらの事情については、些か荒唐無稽だがとりあえず本当のことだと信じてみるとしよう。すると少し腑に落ちないところが出てくるんだ。――マスター候補の中の本命、A班に俺を招きたいそうだがなぜ俺なんだ? 年がら年中、世界を飛び回っている俺に接触するよりも、彼女に接触する方が遥かに容易いだろうに」
「ミス遠坂のことね」
「ああ」

 すんなりオルガマリーから遠坂の名が出ても、俺に驚きはなかった。俺の交友関係については調査済みだろう。プロとしてそれは当たり前のことである。

「今回はたまたま俺がロンドンに来ていたから良かったものの、そうでなかったらお前達が俺に接触することは難しかったはずだ。なぜ遠坂でなく、俺を選んだ? こう言ってはあれだが、遠坂の方が魔術師としてもマスターとしても遥かに優れているぞ」
「簡単なことよ。貴方を見つけたのは偶然で、私が直々に声をかけたのも偶然近くにいるのがわかったから。別に貴方を特別視して囲い込みに来たわけじゃないの」
「……なるほど。つまり俺に声をかけたのは、たまたま使い勝手の良さそうなのが近場にいたから声をかけるぐらいはしておこう……そんな程度に考えてのことだったのか」
「ええ。そうよ」

 ……俺は少し意外に思った。彼女は俺に重い価値があるわけではない、殊更に重要視しているわけではないと言い、こちらが大きな態度を取る前に牽制してきたのだ。
 当たり前だが、俺より年下の彼女も、海千山千の怪物犇めく時計塔で、多くの政敵と鎬を削っているのだ。見た目の印象とは裏腹に、そうしたやり取りは充分経験しているのだろう。貴族的な家柄ということもあり、交渉事では手強い相手になると思った。
 まあまともに交渉するほど俺も間抜けでないし、そもそも交渉しなくてはならないこともない。相手に合わせて要求を出し、きっちり対価を貰うことで相手の安心を買うぐらいはするが、それだって余り重要視することでもなかった。

「それと、ミス遠坂をなぜ召集しなかったのかは、言うまでもなく貴方なら分かるはずよね?」
「……分からなくはない。遠坂がロード・エルメロイⅡ世の教え子だからだろう」

 正確にはエルメロイⅡ世が遠坂の後ろ楯になっているだけなのだが、時計塔内の政治力学的に言うと余り間違ってはいない。要は、遠坂がエルメロイの派閥に属している、という形が重要なのだ。

「頭は回るようね。その通りよ。アニムスフィアであるこの私が、エルメロイのところの魔術師に弱味を見せるわけにはいかないわ。だからミス遠坂に話すことはないの。貴方もくれぐれもこの話を言い触らさないように。一応、機密事項なんだから」
「……」

 人類絶滅の危機に瀕してもまだ派閥争いに気を配るのか。思わず呆れてしまうが、まあ人間そんなもんだよなと思う程度に納める。
 大方オルガマリーはまだ事が重大なものではないと思っているのだろう。自分達の力だけでなんとかなると思っているし、そうでなければならないとも思っているはずだ。だからそんな悠長なことを言っていられる。
 本当に人類が絶滅したらどうする。危機意識を一杯に持っておけと口を酸っぱくして叱りつけてやりたかったが、ここはグッと堪えておく。言っても詮無きことである。

「話はわかった。人類の危機ともなれば、流石に我関せずを通すわけにもいかないだろう。オルガマリー・アニムスフィア、貴女の誘いに乗ろう。――条件はあるが」
「あら、聖杯戦争の覇者の協力が得られるのは有りがたいことだけど、無理なことを言われても頷けないわよ?」
「分かっている」

 ――あまりうだうだと話すのも好きじゃない。さっさと話を終わらせに掛かった。

 大事なのは、無償で協力しないことである。
 人間心理とは難しいもので、ことが重要であればあるほど何か対価を貰わねばならない。特に深い繋がりがあるわけでもない相手は、そうした対価を支払うことで相手を信頼、信用していくのである。
 もし最初から見返りも求めずにいたら、間違いなく不気味がられ、信頼されることなくいずれ淘汰されていく羽目になる。俺としてはそれは避けたかった。なにせ俺は死にたくないのだ。

 そう。死にたくないのである。

 このままだと人理焼却に巻き込まれ、俺は死んでしまうことになる。物語的に事態は解決し、結果として俺は死んでいないということになるのかもしれないが、見ず知らずのだれかに自分の命運を託すほど愚かなことはない。
 俺は自分の運命は自分で決めたかった。故にカルデアが実在し、そこにスカウトされた時点で、俺の去就は決まったも同然である。死にたくないなら、カルデアで人理を守護するしかないのだから。

「条件は二つだ」

 言いつつ、ざっと思考を走らせる。目の前の女は無能を嫌い、話の遅い人間を嫌う神経の細い有能な女である。
 単刀直入な物言いを許容する度量はあるだろうから、すっぱり要求を告げるべきだ

「まず一つ。俺がカルデアに所属し、そちらの指揮系統に服従する代わりに、ことが終わればアニムスフィアに俺の活動の援助をしてもらいたい」
「貴方の活動って……慈善事業のことかしら」
「ああ。そろそろ単独で動くのにも限界を感じていたしな。俺がロンドンに来たのは、パトロンになってくれる人間を探すためだったんだ。……世界中の、飢えに苦しむ人達のために起業して、食料品を取り扱う仕事をしたいと考えている」
「……つまり、資金の提供ね? それに関しては、カルデアでの貴方の働き次第よ。全面協力をこの場で約束することは出来ないわ」
「当然だな。それで構わない」

 まずは、分かりやすく金を求める。俗物的だが、俺はそう思われても構わない。実際俗物だしな。
 分かりやすいというのは良いことだ。難解な人間よりも単純な人間の方が親しまれやすいのは世の真理である。
 現に、目に見えてロマニとオルガマリーの俺を見る目が変わった。レフはよくわからんが、魔術師とはえてして腹芸が得意なものである。気にするだけ無駄で、隙を見せなければそれでよかった。

「二つ目だが……いいかな?」
「ええ。言うだけ言ってみなさい。前向きに検討するぐらいはしてあげる」
「今後は名前で呼び合おう。これから力を合わせていくんだ、貴女のような美しい人と親密になりたいと思うのは、男として当然のことだろう?」

 洒落っけを見せながらそう言うと、ロマニは苦笑し、オルガマリーは「なっ」と言葉につまった。

 やはりこういった明け透けな言葉には弱かったらしい。
 最後に高慢な女性に有りがちな弱点を見つけ、オルガマリーのなんとも言えなさそうな表情を堪能しつつ、俺は席を立って半ば勢いでオルガマリーの手を取った。
 友好の証の握手だと言い張ると、オルガマリーは微妙に赤面しつつ応じてくれた。

 そうして、俺のカルデア入りが決定したのである。





 

 

普通に死にかける士郎くん!





 英霊エミヤ。

 それは衛宮士郎の能力を完成させ、正義の味方として理想を体現した錬鉄の英雄。
 言ってしまえば、衛宮士郎である俺が、戦闘能力の面で目指すべき到達点の一つであり――同時に決して至ってはならない破滅地点でもあった。

 翻るに、今の俺はあのエミヤに並ぶ力を手にしているだろうか?

 おそらく、などと推測するまでもない。今の俺はエミヤほどの実力には到底至れていないだろう。
 冬木から飛び出て以来、必死に戦い続けたエミヤ。同時期に冬木から出て海外を回ってはいるものの、慈善事業の片手間で鍛練している俺。戦えばどちらに軍配が上がるかは明白だった。
 無論俺とて多くの実戦を潜り抜け、固有結界の展開も短時間なら可能になった。投影の精度もエミヤに劣るものではないはずだし、狙撃の腕はエミヤほどではないがそれなりのものだという自負がある。
 それに、俺は戦闘にばかりかまけていたわけではない。世界を見渡しても高名な料理人とメル友だし、料理の腕はエミヤに並んでいるのではないか。というか、戦闘以外でエミヤに劣るものはないと壮語を吐けるだけの自信を持っていた。

 三国志で例えるなら黄忠がエミヤで、俺が夏候淵といったところだろう。一騎討ちなどでは夏候淵は黄忠に負けるが、それ以外は夏候淵の方が上手なのと同じである。
 戦闘経験という面でも、守護者として戦い続け戦闘記録を蓄積し続けているエミヤに敵わないが。それでも耐え凌げるまでは持っていけるはずである。

 ――そんなことを考えつつ、俺は眼前のサーヴァント擬きを陽剣・干将で斬り伏せ、戦闘シミュレーションをクリアした。

『……凄いな』

 管制室にいるのだろう、レフ・ライノールの感心したふうな声がスピーカーを通して聞こえてきた。
 どことも知れぬ森林を戦場(フィールド)として設定し、アサシンのサーヴァントを擬似的に再現していたのだ。目的は、俺の戦闘技能の確認である。

 場所は既に人理継続保障機関カルデアの内部。アニムスフィア家が管理する国連承認機関だ。標高六㎞の雪山の斜面に入り口があり、そこから地下に向かって広大な施設が広がっているのだ。
 まるで秘密組織の本拠地みたいだ、と俺が感想をこぼすと、ロマニなどは笑いながら「みたいだ、じゃなくてまさにその通りなんだよ」と言っていた。

 投影した陽剣・干将を解除はせず、あらかじめ投影していた陰剣・莫耶と同じように革の鞘に納めて背中に背負う。俺の投影は異端のそれ、下手に宝具の投影など見せようものなら即座に封印指定されてしまうだろう。それゆえに、俺は干将と莫耶だけは投影したものを解除したりはせず、常に礼装だと言い張って持ち歩いていた。そう言っておけば、みだりに解析などさせずに済む。礼装は、いわば魔術師にとっての切り札のようなもの。それを解析させろなどとは言えないはずだ。

 額に滲んだ汗を拭い、乱れた呼気を整えつつ、一応は残心を示しながら、管制のレフへ強がるように応答する。

「この程度、さほど苦戦するほどでもないな」
『ほう。英霊の出来損ない(シャドウ)とはいえ、仮にも英霊の力の一端は再現できていたはずなんだが。流石に死徒をも単騎で屠る男は言うことが違う』
「戯け。今のが英霊の力の一端だと? 冗談も休み休み言え」

 探るような気配のあるレフの物言いに不快感を感じるも、潜在的な警戒心を隠しつつ無造作に返す。
 カルデア戦闘服とやらを着用しているからか、魔力の目減りはまるでなく、寧ろかつてなく調子が良い。これならバーサーカー・ヘラクレスを五分間ぐらい足止めし、殺されるぐらいはできるだろう。……結局殺されるのに違いはないわけだが。

 今まで無理な投影など、第五次聖杯戦争の時以外でしたことはないためか、未だに髪は艶のある赤銅色を保ち、肌も浅黒くはなっていない。赤い髪を掻き上げて、俺は自らの所感を述べた。

「アサシン――今のは山の翁か。あれは暗殺者でありながら気配の遮断が甘く、奇襲に失敗した後の対処が拙い。暗殺者が、こともあろうに正面から戦闘に入るとは論外だ。加え、いざ戦ってみれば敏捷性は低く力も弱い。逃げる素振りも駆け引きする様子もない。戦闘パターンもワンパターン。まるで駄目だな。オリジナルのアサシンなら、初撃で俺を仕留められなかったら即座に撤退していただろう。思考ルーチンから組み直すべきだと進言する。これでは英霊の力の十分の一にも満たんぞ」
『ふむ。……そんなものか』
「……」

 レフの言葉は、アサシン擬きに向けられたものか。それとも俺に向けられたものか。定かではない、ないが、しかし。底抜けに凝り固まった悪意の気配から、きっと俺へ向けた嘲弄なのだろうと思う。
 そうなら良い、と思った。俺は無言でシミュレーター室から退出し、レフの視線から外れた瞬間に、額に掻いていた汗をぴたりと止め、呼吸を平常のものに落ち着けた。

 実のところ、俺は全く疲弊してはいなかった。本物の英霊、それもアーサー王やクランの猛犬、ヘラクレスやギルガメッシュを知る身としては、あの程度の影に苦戦するなどあり得ない話だ。宝具の投影を自重せずにやれば、開戦と同時に一瞬で仕留められる自信がある。

 本当なら味方のはずのレフや、カルデアに対して実力を隠すのは不義理と言える。あるいは不誠実なのかもしれない。
 しかし、俺は魔術師という人種を、遠坂凛以外欠片も信用していなかった。敵を騙すにはまず味方からともいう。彼らを欺くことに罪悪感はなかった。
 それに、どのみちグランド・オーダーが始まれば、力を隠し続ける意味も余力もなくなるだろう。俺が期待以上の働きをすれば、ことが終わっても俺を売り、封印指定にまで持っていくこともあるまい。それまでは適当に力を抜いておくに限る。

「フォウ!」
「ん?」

 ふと、毛玉のような獣が道角から飛び出してきて、俺の肩に飛び乗って頭にすがり付いてきた。咄嗟に叩き落としかけたが、害意はないようだし放っておく。

「なんだ、ご機嫌だな。なにか良いことでもあったのか?」

 苦笑しながら腕を伸ばすと、意図を察したらしい毛玉の小動物――猫? ウサギ? みたいな何か――は頭から伸ばされた腕に移り、そのくりくりとした目で俺を見上げてきた。
 賢い奴だ、と思う。かいぐりかいぐりと頭や顎下を撫でてやると、気持ち良さそうに目を細めていた。
 どうやらなつかれたらしい。俺は昔から、どうにも動物の類いに好まれる傾向にあるが、初見の奴にまでこうも踏み込まれるとは思わなかった。

 戦闘シミュレーションを終えて、特にすることもなかった俺は、とりあえずこれの相手をして暇でも潰そうか、と思った。

「なんだったら菓子でも作ってやろうか。お前みたいなのでも食えそうなのも、俺のレパートリーにはあるんだ」
「フォウ! フォウ!」

 まるでこちらの言葉が分かっているかのような反応に、怪訝な気持ちになるが、まあ可愛いしいいか、と思っておく。大方、どこぞの魔術師が実験体にして、思考レベルを本来のものより強化しているのだろう。
 ざっと解析したところ、特に脅威になりそうな反応もない。危険はないと見て良いはずだ。――危険が多きすぎて逆に危険じゃないとも言う。

「フォウさん? どこに行ったんですか、フォウさーん!」

 ふと聞き知った声が聞こえてきた。そちらを見ると、白衣を纏った銀髪の少女――眼鏡がチャーミングなマシュ・キリエライトが歩いてきていた。

「……あ、エミヤ先輩」
「やあマシュ」

 こちらに気づいたらしい少女に、俺は半ば無意識に甘く微笑んでいた。女好きを自認する俺であるが、どうにも美女、美少女を見ると物腰が柔和なものになってしまう。
 ちょっと露骨過ぎやしないか、と自分でも思うが、なぜか改めることの出来ないエミヤの呪いである。まあマシュも満更ではなさそうなのでよしとしておこう。眼鏡っ娘の後輩属性とは、なかなかに得難いものである。なぜ先輩呼びなのかは謎だが。

「おはようございます、エミヤ先輩。今こっちに毛むくじゃらなフォウさんが来ませんでしたか?」
「ああ、おはようマシュ。そのフォウさんというのは彼のことかな。――ほら」

 言いつつ、いつのまにか俺の背後に回っていた猫っぽいウサギ、ウサギっぽい猫の首を摘まみあげて、マシュの方へ差し出した。
 フォウを受けとると、マシュは目を丸くして驚いていた。

「……驚きました」
「ん? 何に驚いたんだ?」
「いえ、フォウさんがこうまで誰かに親しげなのは見たことがなくて。……流石です、エミヤ先輩」
「……」

 何が流石なのかよくわからず、苦笑するに留めた。すると、フォウがマシュの腕の中で物言いたげに鳴いた。

「フォウー!」
「……ん、ああ……そうか。うん、わかってるさ」
「……? なにかあったんですか?」
「いやなに、たった今、彼に菓子を作ってやると約束したばかりでね……なんだったらマシュもどうだ?」
「え、あ……いいんですか?」
「いいとも。これでも菓子作りにも自信があってな。いつかマシュにも振る舞おうと思っていたんだ」
「……でしたら、その、ご相伴に与ります」

 菓子と聞いては捨て置けなかったのか、照れたようにはにかみながらマシュは俺の誘いに乗った。
 やはり女の子、甘いものへの誘惑には勝てないらしい。

「……うん。やっぱり後輩キャラはこうでないとな……、……っ?!」

 なんとなくそう呟いたとき、なぜか背中に悪寒が走った士郎くんなのであった。







   ――――――――――――――







『ロマニ。彼女はホムンクルスか……?』

『え!? い、いきなり何を言うんだ、士郎くんは』

『個人的にホムンクルスには詳しい身の上でね。一目見れば、彼女……マシュ・キリエライトがまっとうな生まれでないことぐらいは分かる』

『……』

『見たところ、ホムンクルスに近い。が、近いだけでそれそのものではない。――なんらかの目的のために生み出されたデザイナーベビー、というのが真相に近いか?』

『………』

『昔からモノの構造を把握するのは得意でね。それは人体も例外じゃない。医者の真似事が板に着いてきたのもそのおかげだな』

『……士郎くん』

『それに少し言葉を交わせば、マシュが如何に浮き世離れしているかすぐに分かる。彼女はあまりに無垢に過ぎるからな。大方カルデアから出たこともないんだろう。カルデアという無菌室で育った為に、マシュの体は外の世界に適応できないんじゃないか?』
『………』

『……マシュは、あと何年生きられる?』

『……機密だよ。マシュ本人も知らないはずだ。言い触らして良いものじゃない』

『そうか。……俺の見立てでは、あと一年といったところだが。どうだ?』

『……!?』

『なるほど、良く分かった。それではな、ロマニ。せいぜい悔いが残らないようにしろ。そんな辛そうな顔をするんだ、お前がマシュの件に関与していないことは分かったよ』

『……』

『俺は俺で、やれることはするさ。大人のエゴに子供を巻き込んで良い道理などない。――そうだな、とりあえず、甘いものを食べさせてあげよう。それから外の世界のことも話してあげよう。彼女の生きる世界は、決してカルデアだけで完結するものじゃないんだと、いつか証明できるようにしよう』

『……それは……』

『ああ。それはとても素敵なことだと俺は思う。不可能ではない。俺はそう信じる』

『……そう、だね。その通りだ』

『ロマニ。俺はね、出来ることはなんでもしてきた。それだけが俺の行動理念だった。……今回もそうだ。出来ることをする、それだけだよ』



 ――そう。出来ること(・・・・・)をする。死なないために、生きるために。



 自分の命を軽く見ることはないが、逆に固執しすぎることもない。思いすぎればそれは呪いとなり、俺はいつしか生に執着するだけの亡霊となるだろう。
 それは嫌だ。だから俺は俺という人間を全うするだけである。そしてそのためなら、俺は俺の全能力を躊躇いなく費やすだろう。
 俺という人間、その自我、自意識だけが俺の持つアイデンティティーだから。名前も体もなくし、赤の他人として生きねばならなくなったあの日から、俺はいつしか俺だけのために、俺の信条だけに肩入れして生きていこうと決めていた。

「……」

 美味しいお菓子と、日本ではあり触れた漫画やアニメ、それの内容を語って聞かせるだけで、マシュは大袈裟に驚き、大真面目に感動し、真摯に涙した。
 感情が豊かなのもある、だがそれ以上にマシュは何も知らなさすぎた。
 カルデアに来て、マシュと同じA班に配属されて出会ってから、俺は彼女に積極的に話し掛け続けた。俺の知っていることをなんでも教えてあげた。それは、俺が彼女と似た境遇の血の繋がらない姉(イリヤスフィール)を知っていたからこその接し方だったのかもしれない。
 ただの欺瞞なのかもしれない。だが、それでいいと俺は思う。
 どんな思いがあっても、マシュがどう感じ、何を信じるかは自由だ。マシュが何を思うかが大切なのだ。そこに俺の感情などが差し込まれる余地はない、所詮は雑念にしかならない。

 この広く、暗く、薄汚れた大人たちの世界では、正直マシュや義姉の境遇は珍しいものではないだろう。似たような環境で、より過酷な世界で育った子供を俺は何人も知っている。そして、そんな子供たちをよく知っているからこそ――そういう子供たちを保護し、接してきたからこそ。俺はそういったものに敏感で在り続けたいと思っている。

 何も感じないほど鈍感になってしまえばどんなにか楽だろうが、そんなものは糞くらえだ。子供たちの悲劇に敏感で在れ。安い同情でも良い、動機なんてなんでも良い、実際に行動した者こそが正義だ。綺麗事を囀ずり非難するだけの輩の言葉に耳を傾ける価値はない。やらない善よりやる偽善、それが本物の善だと俺は信じている。

 俺の知るアニメソング、一世を風靡した名曲を二人で熱唱し、マシュはいつのまにか疲れ果て、俺にあてがわれた部屋のベッドで穏やかな寝息をたて始めていた。

 こうしてマシュとデュエットするのもはじめてではない。最初は恥ずかしがっていたし、歌声も音程を外した音痴なものだったが、数をこなす内に上達して俺よりも上手くなっていた。
 時には半ば連れ去る強引さでロマニやオルガマリーも参加させ、声が枯れるまで歌ったものだ。オルガマリーなど、始めこそ低俗な歌なんて歌わないと意地を張っていたが……まあ、あの手の女性をあやし、或いはおだて、その気にさせるのは得意だった。いつのまにか一番本気で歌っていたのはオルガマリーで、あとからからかうと顔を真っ赤にして怒鳴ってきたものである。

 マシュの寝顔を見下ろしながら、その髪を手櫛で梳く。フォウはマシュの懐で丸くなり一緒になって眠っていた。

「……俺は、俺が気持ち良く生きるために動いてる。だからマシュ。俺のために、幸福に生きろ」

 マシュのような子供は、駄々甘に甘やかしこれでもかと可愛がるのが俺のやり方だ
 厳しさに意味がないのではない。厳しさよりも、可愛がることの方が個人的に有意義なだけだ。

 餓えに苦しむ人がいるのを知ってしまった。
 争いを嘆く人々がいるのを知ってしまった。
 貧しさに喘ぐ子供がいるのを知ってしまった。

 ――知ってしまったら、見て見ぬふりはできない。

 素知らぬ振りをして生きてしまえば、それはその瞬間に、俺という自我が俺らしくないと叫んでしまう。
 無視できないし、してはならない。俺が俺らしく生きるため、俺という人間をまっとうするために、極めて自己中心的に、そういった『求める声』に応え続ける。

 ……人間として破綻しているはずがない。俺は俺の欲求に素直に生きているだけなのだから。
 だから、善人たち。無垢な人たち。俺のために、俺の人生のために救われろ。俺の一方的な価値観を押し付けてやる。俺の思う『幸福』の形で笑えるようにしてやる。要らないならはっきり言えばいい。俺はすぐにいなくなるだろう。
 俺に救われた人間は、俺という人間の生きた証になる。俺が衛宮士郎ではないという証明になる。だから俺は俺のための慈善事業を継続するだろう。
 世界中を回っているのはそのため。冬木に残した後輩を、本当の意味で救うために対魔・対蟲の霊器を求めてのことでもあった。

 だから。そんな『俺の生きた証』を台無しにする人理焼却など認めない。

 死にたくないし、死なせるわけにはいかないのだ。なによりも、俺のために――






 
 ――爆音。

 カルデア全体が揺れたかのような轟音が轟き、警告音が垂れ流しにされ、視界が赤いランプの光で真っ赤に染まった。
 なんだとは思わない。不測の事態には慣れていた。ほとんど知識の磨耗した俺が、事前に防げることなどないに等しい。自分を守り、備えるのがせいぜいだった。

 今日は、すべてのマスター候補の召集が完了し、特異点へのレイシフトを実行する日だった。
 オルガマリーが、時計塔から来た連中の手綱を握るための日であり、そしてずぶのド素人のマスター候補に事態を説明する日でもある。大事なブリーフィングが日程に組まれていた。
 オルガマリーの指揮には服従すると契約していた俺は、諾々と彼女の求めるままにそのすべてに立ち会った。

 今回発見された特異点は、衛宮士郎の故郷である冬木であった。そういう意味で、最も状況に対応しやすいだろうと目され、オルガマリーからも期待されていた。
 まあ、予想は裏切っても、期待には応えるのが出来る男というものだ。期待通りの結果を出そうとオルガマリーには言っておいた。

 そうして、俺はオルガマリーらがカルデアのスタッフが見守る中、規定通りに霊子筐体(クラインコフィン)というポッドの中に入り、レイシフトの時を待った。その前に、同じA班のマシュと目が合った気がして――

 次の瞬間、俺の入っていたポッドは、他のポッドと同じように爆破されていた。

「――――」

 普通に瀕死の重傷を負った。

 視界がチカチカと明滅し、耳が麻痺してしまっている。咄嗟に己の体を解析すると、上半身と下半身がほぼ泣き別れになっていて、内臓ははみ出し、右腕が千切れていた。
 奇跡的に即死せず、頭が無事で意識が残っている。日頃から痛みに耐性をつけてあったお陰だろう、俺は凍りついたような冷静さで、死に瀕して体内で暴走しかけていた固有結界を制御、活用し上半身と下半身を接続。内臓もきっちり体内に納め、右腕も応急処置的に同じようにしてくっつけた。

 即死さえしなければ、どうとでもなる。

 我ながら化け物じみた生き汚なさだが、これはかつて俺の中で作動していた全て遠き理想郷(アヴァロン)が、傷を負った俺の体を修復していた手順を真似ているにすぎない。固有結界『無限の剣製』によって、体を継ぎ接ぎだらけのフランケン状態にしただけで、今にも死にそうなのに違いはなかった。
 早急にオペってほしいがそうも言っていられない。俺は死体に鞭打ち(・・・・・・)ながらコフィンから這い出て、炎に包まれた辺りを見渡した。

 ……オルガマリーが、死んでいた。俺と似たような状態になって。他のマスター候補たちも、死にかけている。

 怒りを抑える。今の俺に出来ることは、かなり限られていた。
 冷静さを失ってはならない。意識のある者を探していると、一人だけ残っていた。

 マシュだ。彼女も、瀕死の重体だった。
 下半身が瓦礫に潰されてしまっている。

「――」

 声が、出ない。声帯をやられたか。いや、一時的に声を発する機能が麻痺しているだけだ。時をおけばまた喋れるようになる、と自分を解析して診断する。
 無言で瓦礫を撤去し、下半身の潰れたマシュを抱き上げて、炎に包まれかけていたこの場を去る。他に生存者を探し、事態の把握に努めねばならなかった。
 マシュが何かを言っていたようだが、何を言っているのかまるで聞き取れない。死なせない、と口を動かして微笑みかけた。強がりだった。

 結局、生存者を見つけることはできなかった。

 カルデアスが、深紅に染まっている。

 中央隔壁が閉鎖された。閉じ込められたか。遠く、微かに回復した聴力が、機械音声を聞き取った。






 ――システム、レイシフト、最終段階へと移行します。

 ――座標、西暦2004年、1月30日、日本。マスターは最終調整に入って下さい。

 ――観測スタッフに警告。

 ――カルデアスに変化が生じました。

 ――近未来100年に亘り、人類の痕跡は発見できません。

 ――人類の生存を保障できません。

 ――レイシフト要員規定に達していません。

 ――該当マスターを検索中。

 ――発見しました。

 ――番号2をマスターとして再登録します。

 ――レイシフト開始まで。

 ――3。

 ――2。

 ――1。

 ――全行程クリア。ファーストオーダー実証を開始します。







「――待て。生き残りは、俺たちだけなのか……?」







 

 

帰郷しちゃった士郎くん!




 ――必死の表情で、彼はこの手を掴んでいた。

 腰から下が瓦礫に押し潰され、もう幾ばくの時も残されていないようなわたしを助けようと。
 自分だって、今にも死んでしまいそうなのに。自分以外に生きてる人を、懸命に探していた。

 わたしがまだ生きているのを見つけると、とても嬉しそうに目を輝かせて。まるで、助けられたのが自分の方であるかのような、そんな顔をして。
 その様が、あまりにも綺麗だったから。もう、わたしのことなんて放っておいて、貴方だけでも生きてほしいと強く思った。

「先輩。――わたし、死にたくありません。こわい、です」

 ――なのに。わたしは、そんなばかなことを訴えてしまっていた。

 エミヤ先輩は、血塗れの顔で、ギチギチと鋼の剣を擦り合わせたような音を出しながら、それでもはっきりわかるぐらい微笑んでくれた。
 きっと、わたしの声は聞こえていないだろうに、喋る余力もないくせに、彼はわたしを安心させようと力強くうなずき、わたしを抱き上げて歩き始めていた。

 嗚呼。わたしは今、安堵してしまっていた。命を救われるよりも、心を救済された。
 彼と接した時間は短いけど、なによりも色づいた鮮烈なものだったと思う。エミヤ先輩とのふれあいが、わたしにはどれほどありがたいものだったのか、今にしてようやくわかった。
 未練だ。まだ生きていたいと思ってしまった。だから情けなく、誰より大切なエミヤ先輩に縋ってしまって。……そんな駄目なわたしを、先輩は当たり前のように助けてくれようとした。

 レイシフトが始まる。

 炎に焼かれながら、煤と熱からわたしを守ってくれる人がいる。それは、なんて幸福なことなのだろう。
 わたしはもう死ぬのだろう。体の半分が潰れても、生きていられる人間はそんなにいない。そんなことは先輩も理解しているだろうに。先輩は、わたしを安心させようと、声のない励ましを何度もくれた。
 炎に包まれ、熱いはずなのに。
 そんなものより、心の方が暖かかった。
 わたしを抱き締めて。辛いものから守ってくれる。そんな、庇護者のような尊い人。
 だけど、そんな人も、すぐに死んでしまうだろう。わたしよりも、よっぽどひどい状態だったのをわたしは見てしまっていた。

 死なせたくない。この人を、死なせてはいけない。

 心がそう叫んでいた。この人を守りたいと思った。そう思うことは、ひどく傲慢なことなのだろう。それでも、思うことは止められなかった。
 先輩の手の大きさ、わたしを守るために見せる笑顔を、わたしはきっと忘れない。瞼に焼き付いた光景にどこまでも救われたから。
 レイシフトした先で、先輩は無事ではいられないだろう。彼を助けたい、守りたい、思いだけが膨らんでいく。

 なんてこと。わたしは、無力だ。今は、それがとても口惜しい。















 ――懐かしい景色だ。

 焦土と化し、尚も炎上する汚染された都市、冬木。その中心の都市部にレイシフトした俺は、奇妙な感慨を抱きそうになるのを寸でで堪えた。
 意識の断絶は少なくとも自覚している限りはない。状況を把握しようとして、ふと、自身の右手に懐かしい刻印の形を見る。
 令呪。冬木でマスターをしていた頃と同一の形。それがあることに眉を顰める。……あまり良い思い出とは言えないもの、その象徴がこの令呪だった。
 自分を偽っていたあの頃。頑なに衛宮士郎を演じ、生き抜いた約十年間の闘争期間。……俺は、衛宮士郎になってから、聖杯戦争を制覇するまでの時間、ずっと地獄のような戦争をしていたのだ。
 自分を見失わないための戦い。自分を失わないための戦い。命を懸けるよりも、あるいはずっと辛かったかもしれない。他人の生き方を投影した代償は、己のアイデンティティーの崩壊だった。もう、あんな真似はしたくないと、心から思う。

 ――唯一。あの日々の中で心が安らいだのは……。さて、いつの頃だったか。

 回想に向かい、遠退きそうになった意識を繋ぎ止める。
 奇しくも冬木に再来し、同じ形の令呪を持つ。それが、自分を『衛宮士郎』にする呪いのようで、胸くそ悪くなっていた。

「……いや、待て」

 気づく。右腕を見た。二の腕から千切れていた腕が完全に修復されている。ついで腰を見た。こちらも同様。見た目だけなら正常だ。
 解析する。完治はしていない、しかし確実に死の危機から遠ざかっていた。なぜだと考えそうになって、はたと思い至った。
 なぜ令呪が俺にある? いや、そうじゃない。令呪があるということは、つまり俺はマスターになってしまっているということ。そしてマスターにはサーヴァントが付いているものだ。

「――先輩」

 背後から、声。気づかなかったのがどうかしているほど強大な魔力を内包した気配だった。自らの迂闊さを内心罵りながら振り向くと、そこには。

「……マシュ……?」
「はい。貴方のデミ・サーヴァント、シールダー。マシュ・キリエライトです、先輩」

 漆黒の鎧に、身の丈以上の巨大な盾。華奢な体躯にはあまりに不釣り合いで、しかしその凛とした雰囲気と完璧に調和した武装形態だった。
 それはマシュだった。見間違うことはあり得ない。彼女がサーヴァント化していることに対する驚きは、ああ、そういえばそうだったか、という納得によって消えていた。
 ――そうか。彼女が、グランド・オーダーを旅するサーヴァントだったのか。

 マシュが心配そうにこちらを覗き込んできた。

「先輩? 大丈夫ですか? 傷が痛みますか?」
「……完治はしていないが、行動に支障はない。ひとまずは問題ないはずだ。それよりマシュはどうだ? 見たところ怪我は治っているようだが」
「はい。デミ・サーヴァント化したためか、わたしに異変は見られません。むしろ、すこぶる調子が良いです」
「それは重畳だが……もしカルデアが無事なら、ロマニにメディカル・チェックして貰わないとな」
「そうですね。先輩も、きちんとした治療を受けないといけません。そのために、」
「ああ。なんとかカルデアと連絡をとらないとな」

 地獄のような赤景色。花の代わりに咲くのは炎。大気に満ちる汚染された呪いの風。
 最悪の景色は、しかし見慣れている。冬木で、海外を回る中で見つけた死都で、もう見飽きてしまった。
 カルデアは無事なのか。――無事だと信じる。少なくとも、ロマニだけは俺を信頼してくれていた。俺の言葉を蔑ろにはしていないはずで、あの万能の天才ダヴィンチにもテロへの警戒は促していた。カルデアを爆破した犯人が誰かは知らないが、犯人が警戒意識を持っているダヴィンチを出し抜ける可能性は低いはずだ。
 少なくとも、最悪の事態にはなっていない確証はある。レイシフトした俺とマシュが無事な時点で、カルデアは壊滅していない。施設や観測スタッフがいなくなってしまえば、俺とマシュは意味消失しとっくに消え去ってしまっているだろう。

 両目に強化の魔術を叩き込み、見晴らしの悪い周囲を見渡す。こんな混迷とした状況だ、まず第一に身の安全を確保しないといけない。

 すると、北の方角から骸骨――竜牙兵が群れとなってこちらを目指しているのを見つけた。
 数は十。斧や剣、槍などで武装した蜥蜴頭と二足歩行の獣戦士の姿もある。こちらは合わせて五体。
 マシュも気づいた。デミ・サーヴァント化しているせいか、気配探知能力も高まっているらしい。こちらに警戒を促し俺の前に出ようとするより先に、俺は詠唱していた。

投影開始(トレース・オン)

 手には黒い洋弓。狙撃の経験を積むにつれ、自身に最適なモデルを一から作成した、宝具の射出にも耐える渾身の一作。投影するのに一呼吸もかからない。夫婦剣・干将莫耶と同じぐらい使い込んだもの。

 矢継ぎ早に矢をつがえ、十五本打ち放つ。

 狙ってはいない。だが当たる(・・・)。その確信は、十五体の敵性体が全て沈黙したことで証明された。
 目を白黒させてこちらを見るマシュに、微笑みかける。

「どうだ。俺もやるものだろう」
「確かにすごいです。……でも、先輩は怪我人なんですから、無茶だけはしないでください。戦闘はわたしが請け負います」
「ああ、頼りにさせてもらう。だが俺も、守られるだけの男じゃない。――女の子の背中に隠れてなにもしない男など、死んでしまえば良い。俺はそう思う。せめて援護ぐらいはするから、背中は任せてくれて良いぞ、マシュ」
「――はい。心強いです、マスター。わたしを、守ってください。わたしは先輩を守ります」
「よろしく頼む。……行こう。ここは危ない。落ち着ける場所を探し、そこでカルデアとの通信を試みる」
「はい」

 俺とマシュの間には、霊的な繋がりがある。一組のマスターとサーヴァントになった証拠だ。
 俺の体が癒えつつあるのは、何かの拍子に彼女と融合したらしい英霊の持つ加護の力だろうか。

 マシュがなぜデミ・サーヴァントになったのか。それについての疑問はある。
 しかし今はそれを追求しても意味はなかった。とにかく、生き残ることが先決で。それは、俺の得意分野だった。



 

 

赤い彗星なのか士郎くん!



 敵、三。距離、三百。照準、完了。
 ――()つ。

 北東の方角に新たな敵影。竜牙兵が六、蜥蜴兵が二体。距離、四百。照準、完了。――射つ。
 目標沈黙。次いで南西の方角に蜥蜴兵五体。距離、四百二十。照準と同時に射つ。

「……あの」

 崩れ落ちた瓦礫の山、その影に敵影確認。矢をつがえ、上空に向けて角度をつけて射つ。獣頭の戦士の脳天に落下、三体の頭蓋をそれぞれ貫通。

「その、先輩」
「……!」

 西の方角、距離一千に看過できぬ脅威を視認。数は一、しかし侮れぬ霊格。他の雑兵とは違う。さながら蛮族の神のような、異形のデーモン。つがえた矢に強化の魔術を叩き込み、矢を短槍の如くに膨れ上がらせる。
 指に全力を込める。射ち放った矢は音速を越えた。荒ぶる蛮神、デミゴッドとでも言うべきデーモンはこちらに気づいていなかったようだ。奇襲となった一撃は、過たず眉間を貫き頭部を吹き飛ばした。
 ――残心。一呼吸の間を空け、周囲に敵影が見られなくなったのを確認して、ようやく俺は弓を下ろした。

「……」

 と。
 頬を膨れさせ、ジト目で俺を睨むマシュを見つけ少しギョッとしてしまう。

「……どうかしたのか?」

 思わずそう訊ねると、マシュは不満そうに唇を尖らせた。

「……先輩は、スゴいです」
「あ、ああ。ありがとう……。誉めてくれるのは嬉しいが、なぜ睨む?」
「……スゴすぎて、わたしのすることがありません。わたし、先輩のデミ・サーヴァントなのに」
「あー……」

 マシュが何を不満に思っているのか理解した俺は、微妙に困ってしまった。
 俺が最も得意とする単独戦術は狙撃だ。そして殲滅戦も同じ程度に得意である。なにせ、吸血鬼によって死都と化した場所では、全てを殲滅しなければ被害は拡大の一途を辿る。逃がすわけにはいかないし、見逃すわけにはいかない状況も経験していた。
 必然、索敵能力と殲滅力は高められ、下手に白兵戦をするよりも狙撃の方が確実ということもあり、射撃の腕は向上する一方だったのだ。
 衛宮士郎と言えば格上殺し(ジャイアントキリング)といった印象が付きまとうかもしれない。が、俺もそうだがその真骨頂は格下殺し(シャア・アズナブル)、赤い彗星なのである。だからこそ英霊エミヤは守護者、アラヤの掃除屋として重宝されてしまっているのだろう。

「マシュ。雑魚は俺に任せて良い。弓兵が無闇に敵の接近を許しては、職務怠慢の謗りは避けられないだろう?」
「むー……」
「それにな……俺としては、できる限りマシュには危険な目に遭ってほしくない。俺がマシュを守る。だからマシュは、俺が危ない時に助けてくれたら良い」
「……先輩が危なくなる局面で、わたしが役立てるとは思えなくなってきたのですが」
「そんなことはない。強がっているが俺も人間だ。長時間に亘って戦闘能力を維持するのは困難だし、相手がサーヴァントのような高位の存在だと手に余る。そういう時は、マシュに前に出てもらうことになるだろう。謂わば、俺はマシュの露払いをしているにすぎないんだ」
「……わかりました。でしたら、わたしは先輩の盾に徹します。こんなに大きな盾があるんですし、きっと護りきれるはずです」
「頼りにしてるよ」

 言いながら、宥めるようにマシュの髪を撫でた。照れたように頬を染め、俯く様は可憐である。かわいい妹、或いは娘に対するような心境だった。
 こうしてマシュを愛でておくのも悪くなかったが、生憎とそんな場合ではない。悠長に構えていられるほど、俺に余裕があるわけではなかった。ただ、マシュがいるから、安心させたくて普段通りの態度を心がけているだけで。

「……」

 演技は、得意だ。望むと望まざるとは別に、得意にならざるをえなかった。
 俺は道化だ。かつて対峙した英雄王は、俺を贋作者とは呼ばず道化と呼んで蔑んだ。……流石にあの英雄王まで欺くことはできなかったが、それ以外は俺の偽りの在り方を見抜けていなかったと思う。
 だから大丈夫。マシュを安心させるために、俺は泰然として構えていられる。

 ――いかんな。特異点とはいえ冬木にいるせいか、どうにも思考が過去に引き摺られそうになってしまう。

 頭を振る。振り切るように「行こう」とマシュに声をかけ、周囲の安全を確保できる地点を探す。
 警戒は怠らず、しかしマシュのメンタルを気にかけることもやめず、歩くこと暫し。彼女と話していると現在のマシュの状態を知る運びとなった。

 カルデアは今回、特異点Fの調査のため事前にサーヴァントを召喚していたこと。先程の爆破でマスター陣が死亡し、サーヴァントもまた消える運命にあったこと。しかしその直前に名も知らないサーヴァントがマシュに契約を持ちかけてきたという。
 英霊としての力と宝具を譲る代わりに、この特異点の原因を排除してほしい、と。真名も何も告げずに消えていったため、マシュは自分がどんな能力を持っているのか分からないらしい。

 ……実のところ俺は、彼女に力を託して消えていったという英霊の正体に勘づいてしまっていた。

 なんのことはない。彼女は自分と契約している。故にその繋がりを介してしまえば、彼女の宝具を解析するのは容易だった。
 投影することの意義の薄い特殊な宝具――清廉にして高潔、完璧な騎士と称された彼の英霊が敢えて何も語らずに消えたということは、何か深い考えがあってのことなのかもしれない。
 安易に真名を教えるのはマシュのためにならない、と俺も考えるべきか。

 煩悶とした思いに悩んでいると、不意にこの場にいないはずの男の声がした。

『――ああっ!? よかった、やっと繋がった!!』

 それはあの爆発の中俺が安否を気にしていた男。ロマニ・アーキマンその人だった。








「ロマニ! 無事だったか!」

 思わず声を張り上げ、どこからか聞こえてくる声に反応する。それが聞こえたのだろう、ロマニもかじりつくような勢いで反駁してきた。

『士郎くんか!? こちらカルデア管制室だ、聞こえるかい?!』
「聞こえている! Aチームメンバーの衛宮士郎、特異点Fへのシフトを完了した。同伴者は同じくAチームメンバー、マシュ・キリエライト。心身ともに問題はない。そちらの状況を報せてくれ!」

 ロマニの焦りにあてられたのか、柄にもなく俺の声にも焦燥が滲んでいた。
 落ち着け、という声が聞こえる。それは常に自分を客観視する、冷徹な自分の声だった。
 いつからか、焦りが強くなると、唐突に冷や水を被せられたかの如く、冷静になっている己を見つけてしまう。それは、良いことだ。自分は大人である。子供の前で醜態を晒さないで済むなら、それに越したことはない。

『マシュも無事なのか! よかった……けど、その格好はいったい……!?』
「ロマニ、無駄口を叩く暇があるのか? 口頭で説明するのも手間だ、マシュの状態をチェックしろ。平行して情報の共有だ。そちらは今どうなっている?」
『あ、ああ……。……これは、身体能力、魔術回路、全て跳ね上がっている……まさか、カルデア六つ目の実験が成功していたのか……? いや、すまない。こちらの状況だったね』

 ぶつぶつと何事かを呟いていたロマニだったが、思い直したように口振りを改め、深刻な語調で言った。

『さっきの爆破で、カルデアの施設の多くが破壊された。管制室も、実のところ半壊している。今急ピッチでダヴィンチちゃんとスタッフで修理している途中だ。
 悪いけど通信も安定していない。あと二分で通信は一旦途絶するだろう。スタッフも七割が重傷を負うか死亡して身動きがとれない。マスター候補は……君たちを除いて無事な者はいない』
「そうか……俺以外のAチームのマスターもか?」
『………』
「……了解した。では質問を変える。そちらからの支援は期待して良いのか?」

 残酷なことを言っているという自覚はあった。しかし、そうせねばならないのもまた事実であり、現実だった。死者を悼むことは、後でもできるのだから。
 それにロマニは今、忙しさに忙殺していた方がいい。死者に心を引きずられるよりその方が建設的だった。

『……ちょっと待ってくれ。今から物資を一つだけ送る。管制室もほとんどダメになってるけど、本当に重要な機材は無傷(・・)で残ってるんだ』

 ロマニはそう言って、少しの間を空けた。

『士郎くん。きみの言う通りだった。カルデアは、内部からの攻撃に弱い。忠告通りに警備を厳重にしておけたら、今回のことも防げていたかもしれない』
「……」

 俺は以前にロマニからの信頼を得ていた。だから彼を通してダヴィンチとも接触し、カルデアの防備を固めようとしていたのだが……悉くに許可は出なかった。
 所長オルガマリーが――正確にはレフ・ライノールが不要だと言い張ったのだ。
 責任者であるオルガマリーが全幅の信頼を置くレフの言葉である。オルガマリーは新参である俺よりも、古参であるレフの意見に重きを置いた。そしてオルガマリーの許しもなくダヴィンチもロマニも動くわけにはいかなかった。

 悪いのはロマニではない。だから謝る必要はない。

 念のため、俺は独断で動き、カルデアの主要な設備に強化の魔術を目一杯かけていた。魔術が切れる頃にはまたかけ直し、定期的に強化を重ねてもいた。
 それが功を奏した形になったが、人命まではどうにもならなかったようだ。

 瞑目し、すぐに目を開く。

「送ってくる物資と言うのはなんだ?」
『聖晶石だ。簡単に言うと魔力の塊で、サーヴァント召喚のための触媒だよ』
「なに?」
『本当は霊脈のターミナルの上でやった方がいいんだけどね、今回は特別だ。カルデアの電力の一割を回す。どうせしばらくは使う機会もない、無理矢理にでもサーヴァントを召喚してくれ。きみたちに死なれたら、全て終わりだ』
「待て、サーヴァントを呼べるのか?! 仮に召喚できても俺の魔力がもたないぞ!
『サーヴァントの召喚、維持はカルデアの英霊召喚システムが代行してくれる。心配は要らない。通信限界時間まで間がないんだ、あと三十秒! マシュの盾を基点にして召喚態勢に入ってくれ!』
「えぇい……! 簡単に言ってくれる!」

 吐き捨て、マシュの傍に転送されてきた一つの石――金平糖のような物――を掴み上げる。素早く盾を地面に置いていたマシュを労い、聖晶石とやらを盾の傍に設置する
 カルデアのシステムが作動し始めたのだろう、まばゆい光が巻き起こり、莫大な魔力が集束していく。
 来る、と信じがたい思いと共に驚きを飲み込む。この感覚は識っていた。サーヴァントが召喚されてくる――

 やがて、光が収まり、俺に新たな繋がりができたことを悟る。
 光の中、立ち上がったのは深紅のフードを被った、細身の男。ロマニとの通信が途絶えたのと同時に、サーヴァントは涸れた声を発した。

「アサシンのサーヴァント、召喚に応じ参上した。……やれやれ、ろくな状況じゃなさそうだ」

 凍りついたのは、俺だった。この、声は――

「説明を、マスター。無駄口はいらない。合理的に、端的に頼む。僕は今、どうすればいい」

 それは、いつか見た、男との再会だった。
 






 

 

気まずそうです士郎くん

気まずいです士郎くん!





 (僕はね。子供の頃、正義の味方に――)

 穏やかな顔で、かつての夢を語る男の姿が脳裏に浮かびかけた刹那。
 心の防衛機構が作動したのだろう、あらゆる感情が瞬時に凍結された。

「――」

 なんて、悪夢。
 よりにもよって、この身の罪科、その原点を思い返すような声を、再び耳にすることになるなんて。
 いや、と頭を左右に振る。ただ、声が似ているだけだ。あの男がサーヴァントになるなんて、決してあり得ない。そう、あり得ないのだ。あの男に声が似ているだけの英霊も、きっといるに違いない。
 そう思い、気を取り直して、俺は深紅のフードを目深に被った暗殺者を正面から正視した。

「っ……」



(ああ……安心した)



 ――チ……。何なんだ……。

 一番最初の、罪の形。偽り、謀り、欺いた。
 偽物の思いに、馬鹿みたいに安堵して。ひっそりと眠るように死んでいった、独りの男。
 目の前のアサシンは、どうしようもなくあの男に似ていた。顔なんて見えないのに、声しか聞こえないのに、その、纏っている空気が。あまりにも、知っているものに酷似していた。

「……どうすればいい、か」

 アサシンの言葉を鸚鵡返しにして間を保たして、なんとか頭を回す。
 この胸に甦った混沌とした熱情を雑念と断じ、なにげなく彼の装備を観察した。

 ……腰に大型のコンバット・ナイフ、背部に背負っているのはキャリコM950か。
 銃火器を装備したサーヴァント、それも英霊になるほどの暗殺者? 装備からして現代に近い者に違いはないが、神秘の薄れた現代に、名うての暗殺者などが仮にいたとしても、現代は既に英霊の座に登録されるほどの功績を立てるのが極めて困難な時代だ。
 世界が容易く滅びの危機に陥り、些細なことで危機が回避される……世界を救う程度ではもはや偉業とも認識されない。そんな時代で、どうやって英霊の座に招かれるというのだ。
 それに……これは勘だが、このアサシンは正純な英雄などではない。むしろ、淡々と任務をこなすどこぞの特殊部隊員の方にこそよく似ていた。

「……見たところ、正規の英霊ではないな。お前はどこの英霊だ」

 言うと、アサシンは興味なさげに無感情に応じる。

「それを気にしてどうする。僕は確かに大層な英雄サマなんかじゃないが、そんなものは重要じゃない。務めを果たせるか、果たせず死ぬか、どちらかだ」
「その通りだが、履き違えるな。俺はマスターだ。駒の性能を把握もせず作戦を立てるほど愚かじゃない。カタログに載っていない性能を知るために、素性を気にするのは当然のことだ」
「なるほど、確かにそうだ。どうやら話の通じるマスターのようだ。安心したよ」

 一連の短いやり取りで、こちらの気質を推し測っていたのか、アサシンはまるで気を緩めた様子もなく、『安心』という言葉を使った。
 それはあくまでビジネスライクなスタンスであり、マシュはやり辛そうだったが、実のところ俺にとってはやり易い相手だった。
 印象は、兵士。最小の戦闘単位。目的のためなら何もかもを投げ出せる自己のない機械。
 その印象は間違っていない、という確信があった。なにせ俺は、そんな手合いを何人も知っている。えてしてそうした者こそが、俺にとっては難敵であり、同時に心強い味方でもあったのだから。

 こういった、情を絡めずに確実に任務を遂行できるだろう手合いは、大きな作戦を実行するにあたり必ず一人は必要な人材である。
 事が急であり、確実性を求められる場面であれば、このアサシンほど信頼して用いられる兵士はいない。俺はアサシンの性質を好ましいと感じていた。無論仕事の上では、だが。

 アサシンは言った。どこか自嘲の滲んだ声音で。

「残念ながら、あんたの目は確かだ。僕は正規の英霊じゃない。守護者といえば伝わるか?」
「……抑止力(カウンター・ガーディアン)か」
「その通り。そして僕はその中でも更に格の落ちる、とある守護者の代行でしかない。本来の僕はしがない暗殺者、守護者にすらなれない半端者さ。こうして召喚されたのが何かの間違いだと言えるほどのね」
「……守護者の代行だと?」
「ああ。僕の真名は――」

 言いながら、アサシンはフードを外した。

 壊死しているかのような褐色の肌、色素の抜け落ちた白髪。露になったその風貌に、
 俺は、絶句する。

「《《エミヤ》》だ。――まあ、僕の真名には一発の弾丸ほどの価値もない。忘れていい」








 褐色の肌、白髪。エミヤと名乗ったアサシンのサーヴァントを前に、マシュ・キリエライトは目を丸くしていた。
 それは奇しくも、マシュがマスターに仰ぐ男性の姓でもあったのだ。
 何か特別な繋がりでもあるのだろうか。マシュがそう思ったのも束の間、不意に、マシュの傍に立っていた士郎がよろめいた。

「っ? 先輩……!?」

 慌てて体を支える。士郎の顔は、これ以上なく青ざめていた。

「エミヤ……? エミヤ、キリツグ……?」

 うわ言のように呟いた士郎に、アサシンはその氷のように冷たい表情を微かに変化させた。マシュには読み取れないほど、本当に小さな変化。

「……驚いたな。僕を知ってるのか?」

 それは、肯定の意味を持つ問いかけだった。
 士郎は声もなく立ち尽くす。まるで、もう二度と会うはずのない男の亡霊に遭遇したかのような、魂の抜けた顔だった。

「……知っている。……知っているとも。俺は、俺は……」

 震えた声が、親からはぐれた子供を想起させる。

「俺は……衛宮、士郎。あんたの、養子(むすこ)なんだから」

 その告白は、血を吐くような悲痛さを伴って。
 は、とマシュはアサシンと士郎を見比べる。まるで似ていない。義理の親子なのだろうか。
 アサシンは、ぴくりと片眉を跳ね上げる。

「なんだって? 僕の、息子? ……本気か?」

 アサシンの言葉は、士郎の耳に届いていなかった。恐ろしい想像が彼の中を駆け巡っていたのだ。

「俺は……いや、なぜ切嗣が守護者の代行なんて……代行? 誰の……俺、か……?」

 ――錬鉄の英雄、エミヤシロウ。それは、この世界線では決して生まれない存在。
 世界は矛盾を嫌う。世界にとって、英霊エミヤの誕生は決定事項。そのエミヤが生まれないとなれば、その穴を補填する者が必要だ。
 では、何者であればエミヤの代行足り得るのか。現代で、彼の戦術ドクトリンに近いものを持つ人間を列挙し、その中でエミヤに縁の深い者を特定すれば……それは、同じエミヤ以外にはあり得ない。

 血の気が引いた。

 士郎は、頭が真っ白になった。先輩! 先輩! そう何度も呼び掛け、肩を揺する少女の声も届かない。
 その想像は、近いようで遠い。似たような因果で切嗣は守護者代行として存在しているが、そこにこの世界の士郎が関与する余地は微塵もなかった。
 だが、士郎の中の真実は違う。自分が守護者にならなかったせいで――世界と契約しなかったせいで、死後の切嗣の魂が呪わしい輪廻に囚われてしまったのだと誤解した。
 火の海の中、かつて救われた者と、救った者と同じ起源を持つ者が対峙する。

 動揺のあまり気が抜けてしまった士郎――しかし、アサシンは残酷にも、真実を淡々と告げた。

「何を勘違いしているか知らないが、僕はあんたを知らない。あんたの言う衛宮切嗣と僕は別物だ。だからあんたが勝手に罪悪感を抱くこともない。指示を出せ、マスター。サーヴァントはマスターに従うモノだ」

 その言葉は、端的に真実だけを表している。しかし士郎からすれば、それは自分を気遣った言葉に聞こえてくるものだった。
 士郎は、優しかった切嗣を知っている。優しすぎて破滅した男を知っている。士郎にとっての切嗣の真実は魔術師殺しではない。うだつの上がらない、あの、気の抜けたような男だったのだ。
 知識なんて関係ない。そんなもの、既にないに等しい。

 腑抜けた士郎に、アサシンはなおも辛辣だった。

「はぁ……あんたの事情なんて知ったことじゃないし、聞きたくもない。ともかくサーヴァントとしての務めだけは果たす。……僕はそれでいいんだ。だからマスター、あんたはあんたの務めを果たせ」
「……っ!」

 それは彼なりの、別の可能性の自分が持ったかもしれない、名前も知らない息子へと向けた不器用な優しさだった。
 言葉も、声も、表情さえ、徹底して冷徹なままだったが、それでもそこには優しさの名残があった。士郎にはそれがわかった。感じられた。……たとえそれが錯覚だったとしても、士郎にとっては救いだった。

「そう、だな……その通りだ。……今はうだうだと時を浪費してはいられない。迅速に、直ちに事態を終息させないといけない」

 自分に言い聞かせるように呟き、士郎はマシュに詫びた。情けない姿を見せてしまったのだ、大人として不甲斐ない限りだった。
 マシュは、柔らかく微笑むだけで、それを受け入れる。何があったのかなんて知らないけれど、自分だけはきっと寄り添っているから。なぜなら、自分は先輩のデミ・サーヴァントなのだ。
 少女の健気さに、胸を打たれる。士郎は腑抜けた己を戒め、鉄の意思を固めた。事態が一刻を争うのは間違いない、とにもかくにも行動あるのみ。

「……アサシン。アンタはこの冬木のことをどこまで覚えている?」
「覚えてるも何も、来たこともない。だから土地勘なんて期待されても応えられない
「……そうか。だが俺はこの地のことをよく知っている。そしてこの惨状の原因――聖杯戦争にも心当たりがある。この時期この街で行われた聖杯戦争の当事者だったからな
「そうか。それは朗報だ。しかし疑問がある。その戦争とやらは、特異点を生み出すほどのものだったのか?」
「ああ。この冬木の聖杯戦争の景品、聖杯は超抜級の魔力炉心だ。充分可能だろう。街一つ滅ぼすなんて指先一つでちょちょいのちょいだ」
「なるほど。なら、世界だって滅ぼせるだろうな。いや、既に滅んでいるのか」

 言いながら、アサシンと士郎は多様なハンドサインを出し合い、意思疏通に問題がないことを確認しあっていた。
 端から見ていたマシュには、二人がなんの取り決めをしているのか見当もつかない。なんだか置いてけぼりにされてるようで、なんとなく面白くなかった。

「纏めよう」

 恐らくはマシュのために、士郎は言葉に出して話し始めた。既にアサシンとは方針を固めたのだろう。今度、今のハンドサインを教えてもらおうと決意しながら、マシュは真剣に士郎の話しに聞き入った。

「冬木が特異点になりうる原因は聖杯以外にあり得ない。故にこれを回収することを第一目標とする。そうすると、聖杯をかけて争っている――争っていただろう七騎のサーヴァントは全て敵になるな。そしてこれが重要だ。この特異点が修復不能なものになっていないということは、まだ聖杯は完成していないということになる。そして聖杯を完成させないために、冬木のサーヴァントはなるべく倒してはならない。戦闘は極力避け冬木の聖杯の大元、円蔵山の内部にある洞窟を目指して急行する。聖杯を守る某かの障害が予想されるがこれは躊躇わなくていい、すぐ排除する。――ここまでで質問は?」

「ありません。強いて言えば、もし仮に戦闘を強いられるような状況になった場合、わたしはどう動くべきでしょうか」

「基本的には俺の盾だ。俺の傍を離れず、徹底して防御を固めるだけでいい。攻撃は全て俺が担当する」
「アサシンさんはどうするんですか?」

 言いながら、マシュが視線を向けると、そこにアサシンはいなかった。
 微塵も気配を感じなかった。そのことに驚くマシュに、士郎は不敵に笑いながら言った。

「アサシンの気配遮断のランクはA+だ。敏捷のステータスも同様で、単独行動スキルもAランクで保有してある。つまりアサシンは遊撃が最適のポジションということだ。隠密に徹したアサシンを発見するのは、同じサーヴァントでも不可能だろう」

 マシュは悟った。この二人は、かなりえげつない戦術を執る気なのだ、と。
 微妙そうな顔になるマシュだったが、気にしないことにした。そういう狡さこそが、えてして勝因になるのだと聡い故に理解できていたのだ。

「……カルデアとの連絡はどうしましょう」
「必要ない。今のカルデアの状況から察するに、出来る支援は地形を調べたりすることぐらいだろう。だがそれは、俺がここにいるからには必要ない。それ以外に支援できないだろうから、カルデアからの支援はこの特異点では無用だ。俺とマシュの意味消失を避けるために、観測自体は常にされているだろうから、聖杯を回収する頃には向こうから連絡できるだろう。重要な施設は無傷だとロマニは言っていただろう? 心配することはない」
「了解しました。マシュ・キリエライト、円蔵山まで急行します」

 方針を理解し、マシュは力強く声を張った。士郎は頷きを返し、両足を強化して疾走をはじめる。
 目的地まで一直線に駆けていく。マシュは士郎の健脚に驚く。サーヴァントの最大速度には当然及ばないまでも、生身の人間としては破格の足の速さだったのだ。恐らく自動車並みの足である。

 でも、やっぱり。

 走りながら弓を射ち、時々アサシンが強力な敵性個体を発見するなりバック・スタブを叩き込んで仕留めているのを見ると、なんとも言えない気分になった。
 雑魚は士郎が片付け、強力な個体は士郎が気を引きつつ背後からアサシンが仕留める。それだけで、無人の野を行くが如しだ。なんというか、士郎とアサシンの息が合いすぎてて、嫉妬してしまいそうになる。

「……もし無事に帰れたら、わたし先輩と訓練しないと。このままじゃ、ダメです」

 ぽつりと呟いたマシュは、自分が守られる立場に立っているのを強烈に自覚し、強くなることに意欲を抱きつつあった。



 

 

突撃、隣の士郎くん!





 重苦しい沈黙。呪いの火に焼かれる街並みに、かつての名残は微塵もない。
 悉くが燃え散り、砕け散った残骸都市。吸血鬼により死に絶えた、末期の死都よりもなお毒々しかった。
 幸いなのは、既に住民が全滅していること。
 そう、全滅だ。比喩でなく、文字通りの意味で人間は死滅している。
 それを幸いだと思ったのは、一々救助する手間が省けたこと。そして、『見捨てる』という当然の決断をしなくて済んだこと。これに尽きた。
 さすがに、アサシンは見捨てる判断に否を唱えないだろう。むしろどんな犠牲を払ってでも特異点の修復を優先すべきだと言うに違いない。俺もそれに全面的に同意したいところだが、生憎とここにはマシュがいる。そんな重い判断に従わせたくなかった。
 無駄な感傷だとアサシンは断じるだろう。くだらない私情は捨てろと言うだろう。だが俺は、マシュには俺の影響を受けて、誰かを見捨てるという判断が出来る人間になってほしくなかった。くだらない私情と言われればその通りだが、マシュの前でだけは時に合理的に判断出来ない時がある。

 ――にしても、静かすぎる(・・・・・)な。

 俺は辺りを見渡し、胸中にて独語する。視線を1時の方角、ちょうど俺にだけ姿を認められる周囲の死角に実体化したアサシンが、ハンドサインで敵影なし、と報告してきた。
 妙だな、と思う。この円蔵山付近に来るまでに、何度か雑魚と交戦することがあったが、大聖杯に着実に近づいているにも関わらず、敵がいなくなるようなことがあるだろうか。
 ハンドサインで隠密と遊撃、および斥候を継続するように指示する。アサシンは短く了解の意思を示し、実体化を解いて周囲の環境に融かし込むように気配を遮断した。

「マシュ、何かおかしい。ここからは――」

 慎重に行こう、と言いかけた瞬間。俺は、反射的に干将・莫耶を投影し、こちらを貫かんと飛来してきた矢玉を叩き落としていた。

「……!」
「先輩!」

 同時にマシュにも襲いかかっていた矢を、マシュは自身で処理し防いでいた。
 すぐさま俺の前にマシュが出る。眼球に強化を施して、矢の飛んできた方角を睨む。すると、遠くに黒く染まった人影があるのを発見した。
 遠目にしただけではっきりとわかる高密度の魔力、間違いない、あれは、

「サーヴァント……! マシュ、向かって11時、距離1200! 視認しろ!」
「……見えました、恐らくアーチャーのサーヴァントです! 次弾装填しこちらを狙っています! あれは剣……剣を矢に見立てて……!?」

 ちぃ、と俺は露骨に舌打ちした。
 冬木の聖杯の泥に汚染されているのだろう、黒く染まっているためか輪郭がはっきりとしないが、剣を矢にするサーヴァントなんぞ俺には覚えが一人しかいない。思わず吐き捨てた。

アイツ(・・・)……下手打ちやがったな……!」

 ――いや、むざむざ聖杯の泥に呑まれるようなタマじゃない。あれは抜け目のない男だった、恐らく泥にのまれたのは何者かに倒された後だろう。

 しかしあの姿を見て、推測が確信に変わったことがいくつかある。

 一つ、やはり聖杯は汚染された、俺の知るもの。
 二つ、いずれかのサーヴァントが聖杯を握り、他のサーヴァントを撃破して泥に取り込み、自身の手駒として利用していること。
 三つ、恐らくほぼ全てのサーヴァントは脱落済み。ここまで来て迎撃に出てきたのがアーチャーだけということは、他のサーヴァントは生き延びたサーヴァントを追っているものと思われる。
 すなわち、詰みに入っているがゆえの防備の薄さ、ということだ。

 であれば――、

「……!」

 思いを込めて、アサシンを見る。一瞬だけ、目が合った。
 戦術における思考は、俺とアサシンは似ていた。俺の戦闘能力も、パターンもここに来るまでで把握してあるはず。
 あとは、俺がこの局面で何を考えるか、察してもらえることを期待するしかない。
 アーチャーがあの赤い外套の男なら、口の動き、目の動きだけでこちらの動きを察知しかねなかった。気配を溶かしていたアサシンは――黙って頷き、円蔵山の洞窟に先行していく。

 見送るようなことはせず、俺は黒弓を投影した。宝具ではないが、名剣をつがえるなりすぐに射つ。

「……っ、」

 放ったのは十三。対し、遠方の高台に陣取ったアイツは二十七もの剣弾を放っていた。
 俺の剣弾は全て撃墜され、残った十四の剣弾が飛来してきたのを干将・莫耶でなんとかはたき落とす。
 ……思い上がっていた。弓の腕は互角のつもりでいたが、そんなことはない。奴の方が俺よりも上手だ!
 今のでよくわかった、霊基という壁がある限り俺が奴に比肩するのは極めて困難だ。単純に技量が違うし経験量も段違い、それをすぐに認める。この分では接近戦は避けた方がいい。そう判断する。

「って、おい! 殺意が高過ぎやしないか……!?」

 俺は、奴が次に弓につがえた剣を見て、思わず叫んでいた。

 捩れた刀身、空間を捩り切る対軍宝具。躊躇なし、手加減なしの全力全開。極限まで魔力を充填しているのか、魔力が赤く、禍々しく迸っている。
 俺は焦って、叫んだ。俺を見て、驚愕に目を見開いていた男は、相手が異邦の存在だと見抜き、そしてそれが衛宮士郎だと察して嗤ったのだ。
 手は抜かない、確実に殺す。そう、奴の目が語っていた。

 偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 俺はそれを視認し、威力を推定して――悟る。防げない。俺には盾の宝具の持ち合わせなどなかった。
 故に俺はマシュに指示した。四の五の言ってる場合ではない、盾の英霊には悪いが、力業で力を引き出させてもらう。

「マシュ。令呪で補助する、宝具を解放しろ」
「そんな……!? わたし、力を貸してくれてる英霊の真名を知りません! 使い方もわからないのにどうするんですか先輩!?」
「その身はサーヴァントだ、令呪を使えば体が勝手に真名解放するべく動作する。本人の意思にかかわりなくだ。そうすれば、真名を唱えられなくても擬似的に宝具を発動できる。故に大事なのは心の持ち様、マシュが持つ意思の力が鍵になる!」
「わたしの、意思……?」
「イメージしろ。常に想像するのは最強の自分だ。外敵などいらない、お前にとって問いかけるべきは自分自身の内面に他ならない」
「わたしの内面……」

 呟き、マシュは素直に受け入れ、目を伏せて自分に何かを問いかけた。
 数瞬の間。顔をあげたマシュの目に、強い意思の光が点る。

「……わたしは……守る者です。わたしが……先輩を、守ります!」

 発露したのは黄金の意思。守護の決意。体が動作するのなら、後は心の問題――だったら、本能に身を任せよう。

 その輝きに、俺は目を見開いた。
 あまりにまっすぐで、穢れのない尊い光。
 薄汚れた俺には持ち得ない、本物の煌めきだった。

 ――賭けよう。マシュに、全てを。

 この意思を汚してはならない、自然とそう思った。そして、マシュに令呪の強制力は無粋だと感じた。
 自分のサーヴァントを信じられずして何がマスターか。俺は決めた。令呪を使わないことを。
 ただ、言葉にするだけだ。不出来な大人が、少女の立ち上がる姿を応援するだけ。後押しだけが出来ることだと弁える。

「……デミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトに命じる。宝具を発動し、敵の攻撃を防げ!」
「了解――真名、偽装登録――」

 岩から削り出したような漆黒の大盾、それを地面に突き立てて、マシュは力を込めて唱えた。同時に俺も宝具の投影を終え、弓につがえる。

「いけます! 宝具、展開!」

 ――飛来せしは螺旋の剣。虹の剣光を纏う穿ちの一閃。
 赤い弓兵、渾身の一射だった。ランクにしてA、上級宝具の一撃。ギリシャ神話最強の大英雄をも屠りえる脅威の具現。それを、奴は自身のセオリーに従い、こちらを有効範囲に捉えるのと同時に自壊させた。
 壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)――投影宝具の内包する神秘、魔力を暴発させ、爆弾とするもの。唯一無二の宝具をそのように躊躇いなく扱えるのは衛宮士郎のような異能者だけだろう。

 それを迎え撃つのは無名の盾。煌めく燐光が固まり守護障壁となって一組の主従を包み込む。
 螺旋の剣の直撃に、マシュが呻いた。苦しげに声を漏らし、耐え凌いでいる最中に螺旋剣が爆発する。瞬間的に跳ね上がった威力に意表を突かれ、マシュは衝撃に耐えられずに倒れそうになり――その背中を、無骨な手がそっと支えた。

「――」

 踏み留まる。なけなしの力を振り絞り、マシュは声もなく吠えた。

 爆発が途切れる。螺旋剣の残骸が地に落ちる。
 マシュは、耐えきった。肩を叩いて労い、その場にマシュがへたり込むのを尻目に、俺は投影して魔力の充填を終えていた螺旋剣を黒弓につがえる。

 それはアイツのものを視認したのと同時に固有結界へ貯蔵された剣。莫大な魔力消費に全身が、魔術回路が悲鳴をあげていた。
 だが、無視する。俺は今、マシュが成し遂げた小さな偉業に感動していた。マシュが獲得したこの隙を、無駄にするわけにはいかない。

「体は剣で出来ている」

 そう。この魂は剣ではない。だが体は、間違いなく剣なのだから。

「我が骨子は捩れ狂う――偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)!!」

 放たれたのは、鏡合わせのような螺旋の虹。自身の全力が防がれた驚愕に固まっていた弓兵は、しかしすぐさま最適の手段をとる。
 虹を遮るのは薄紅の七枚盾。ロー・アイアス。投擲物に無敵の力を発揮する、盾の宝具。
 こちらは、完璧に螺旋剣を防ぎきっている。俺の投影に不備はない、単純な相性の差だった。マシュの盾は仮のもの、円卓ゆかりの者の宝具なら相性がよく防げたかも知れなかったが、カラドボルグを防ぐには全霊を振り絞らねばならなかっただろう。

「単独で射撃と防御、どちらも俺達を上回るか……」

 流石、と言えば自画自賛になるだろうか。マシュの腕をとり、立たせてやって、アイアスと鬩ぎ合っていた投影宝具の魔力を暴発・爆発させる。
 閃光に包まれた敵影。その瞬間、俺は走り出していた。

「先輩……今、宝具を投影してませんでしたか……!?」
「その話は後でする。今は走れ! 距離を詰める、遠距離だと分が悪い!」

 マシュが我が目を疑うように目を丸くして、驚いていたが、相手にしない。する暇がない。

 爆発が収まり、光が消えると、弓兵は獲物の思惑を悟って舌打ちする。獲物が二人、円蔵山に入っていこうとしていたのだ。
 今から矢を射っても牽制にしかならない。足は止まらないだろう。かといって宝具を投影しても、射撃体勢に入る頃には洞窟の中に侵入されてしまう。
 是非もなし。弓兵は舌打ち一つ残して、先回りするために高台を下っていった。





 

 

卑の意志なのか士郎くん!

卑の意思なのか士郎くん!




 黒化した弓兵の射程圏内を脱し、俺とマシュは円蔵山の洞窟に突入した。

 薄暗く、大火に呑まれた街にはない冷気が漂っている。だが、目には見えなくとも、濃密な魔力が奥の方から流れ込んできているのがはっきりとわかった。
 聖杯が顕現しているのだ、とかつて冬木の聖杯を目の当たりにしていた俺は確信する。
 ちらとマシュを見る。……戦うことが怖いと思う少女を、戦いに引き込まざるを得ない己の未熟を呪う。
 先程のアーチャーは、間違いなく英霊エミヤだ。俺が奴ほどの戦闘技能を持っていなかったために、こうしてマシュを戦いに駆り立てざるを得ない。
 霊基という壁がある、人間がサーヴァントに太刀打ちできる道理はない――そんなことはわかっている。だが理屈ではないのだ。戦いに生きた英霊エミヤと、戦いだけに生きるつもりのない俺。差が出るのは当然で、守護者として様々な武具を貯蔵し、戦闘記録を蓄積し続けている奴に勝てる訳がないのは当たり前だ。なのに、俺は自分の力を過信して、ある程度は戦えるはずだと慢心していた。
 そんなはずはないのに。サーヴァントという存在を知っていたのに。なんたる愚かさか。先程も、マシュが宝具を擬似的に展開していなければ、俺は死んでいただろう。
 俺の戦いの能力は人間の域を出ない。固有結界とその副産物である投影がなければ、到底人外に立ち向かうことはできなかった。固有結界という特大の異能がなければ、俺は切嗣のような魔術師殺しとなり暗殺、狙撃を重視した戦法を取っていただろう。そして、それはサーヴァントには通じないものだ。
 俺は、確かに戦える。しかし必ずしも戦いの主軸に立つ必要はないのだと肝に銘じなければならない。今の俺に求められているのはマスターとしての能力だ。強力な1マスターではない、必勝不敗のマスターになることを求められているのである。

 勝利だ。俺が掴まねばならない物はそれしかない。

 この身にはただの一度も敗走はない。しかし、これからは不敗ではなく、常勝の存在として君臨するしかなかった。それはあの英霊エミヤにも出来なかったこと。それを、俺は人間のまま、奴より弱いままに成し遂げねばならないのだ。
 故に――

「マシュ。これから敵と交戦するにあたって、俺の出す指示に即応できるか?」

 俺は、マシュに問いかけた。
 マシュを戦わせたくない、だが勝つためにマシュが必要だ。
 ……吐き気がする。なんて矛盾だ。その矛盾を、俺は呑み込まねばならなかった。

「戦いは怖いだろう? 怯えはなくならないだろう? 辛く、痛い。そんな物に触れたくない。そう思っているはずだ。……それでも俺はお前に戦えと命じる。俺を呪ってもいい、俺の指示に迷いなく従えるか?」
「はい」

 即答、だった。

 恐怖はある。不安げに揺れる瞳を見ればわかる。だが、それ以上に強く輝く意思の萌芽があった。

「わたしは先輩のデミ・サーヴァントですから。それに、先輩を守りたい――その思いは本当だって、わたしは胸を張れます。だから、迷いなんてありません。先輩のために、わたしは戦います」

 そうか、と頷く。その健気さに報いる術を今、俺は持っていない。
 あらゆる感傷を、切り捨てる。この思いを、利用する。蔑まれるかもしれない、嫌われるかもしれない、それでも俺は、勝たねばならない。俺のために。俺の生きた証を守るために。

 マシュが生きた世界を守る。俺のために。

 その結果、マシュに嫌悪されることになろうとも。俺に迷いはない。俺の戦い方を、ここでマシュに知ってもらう。

「ならいい。――勝つぞ。勝ってカルデアに帰ろう」
「はいっ!」

 気合いの入った返事に、俺は更に決意を固める。

 狭い通路を抜け、拓けた空間に出た。

 大聖杯は近い。肌に感じる魔力の波動がいっそう強くなっている。そして、

「――そこまでだ、衛宮士郎」

 俺とマシュの行く手を阻むため、前方に弓兵のサーヴァントが実体化した。











「やはり来たか」

 ぽつりと呟く。
 物理的に考えれば、俺とマシュを狙撃できる高台からここに先回りしてくるのは不可能である。だが、奴はサーヴァント。霊体化して、神秘を宿さない物質を素通りできる存在。
 生身しか持たない俺達を先回りして待ち受けるのは容易だったろう。

「妙な因果だ。そうは思わないか?」

 何を思ったのか、奴は俺に語りかけてきた。

「そうだな。なんだって英霊化した自分と対峙することになる。出来の悪い鏡でも見せられている気分だ」
「フン。それはこちらの台詞だがね」

 応じる必要なんてないのに、奴の皮肉げな口調に、思わず毒を含んだ言葉を返していた。
 マシュが驚いたように声を上げた。先の前哨戦、姿は見えても顔までははっきり見えていなかったのだろう。

「先輩が……二人……?」
「……ああ。どういうわけか、アイツと俺は似た存在だ。真名はエミヤシロウ。十年前俺が体験した聖杯戦争で、俺はアイツに会っている。……因縁を感じるな、という方が無理な話だ」
「ほう? では貴様はオレに遭っていながら生き延びたわけだ。――となると貴様は、あの時(・・・)の小僧か」

 ぴくり、とエミヤは眉を動かした。彼の抱く願望からすれば、衛宮士郎を見逃すなんてあり得ない。仮に見逃すとしたら、それは私情を抜きにして動かねばならない事態となったか、巡りあった衛宮士郎が正義の味方にならないと――英霊エミヤと別人になると判断したかになる。
 そして、俺とのやり取りで、エミヤは不敵に笑って見せた。俺がセイバーと共に戦い抜いた衛宮士郎だと悟ったのだろう。
 サーヴァントは通常、現界するごとにまっさらな状態となる。記憶の持ち越しは普通は出来ない。つまりエミヤが俺を識っているということは、このエミヤもまた第五次聖杯戦争の記録を記憶として保持していることになる。特殊な例だった。

 自分殺しがエミヤの望み。正確には、自己否定こそが行き着いた理想の結末だ。

 同情はしない。俺は奴とは別人だが、それを分かって貰おうとも思わない。
 仮に奴が、俺がエミヤにならないと知っても、ここを守る立場にある以上は戦闘は避けられないだろう。なら奴は所詮、倒すべき敵でしかない。

「衛宮士郎。どうやら貴様は、世界と契約していないようだな」
「分かるのか」
「当たり前だ。世界と契約し、死後を預けた衛宮士郎が、貴様のような弱者であるものか」
「……お前から見て、俺は弱いか?」
「弱い。見るに堪えん。投影の精度の高さだけは認めるが、それ以外はお粗末に過ぎる。なんだ先程の体たらくは。生前のオレなら、二十七程度の剣弾などすべて撃ち落とせている」

 なるほど……あれでまだ、本気ではなかったのか。螺旋剣の一撃こそ殺す気で放ったが、それ以外は全力でなかった、と。
 笑いだしそうだった。英雄王の言う通り、俺は道化の才能があるのかもしれない。

 だが。

「そうか。なら、やっぱり俺達は別人だ。それがはっきりして――ああ、とても安心したよ」
「……ふん。オレは失望したがな。貴様には殺す価値もないが、生憎とここを通すわけにもいかん。ここで死ね衛宮士郎。たとえ別人であったとしても、その顔を見ていると吐き気がする」
「そうかよ。じゃあ、最後に一つ言わせてもらおう」

 俺とエミヤは同時に干将・莫耶を投影した。両腕をだらりと落とし、戦闘体勢に入る。
 鏡合わせのような姿だ。英霊と人間、贋作と偽物、強者と弱者――
 今に戦闘に入りそうになる刹那に、俺はエミヤに言葉を投げる。奴が絶対に無視できない、挑発の文言を吐くために。

「なんだ。遺言でも言うつもりか? ああ、それぐらいなら待とう。未熟者の末期の言葉がどんなものになるか、興味がある」
「……」

 露骨な敵意。エミヤが悪意を抱く、唯一の相手。それが俺だ。その俺が今から吐く言葉は――きっと毒になる。

「なあ、アーチャー」
「なんだ」

「お前は、正義の味方に一度でも成れたか?」

「……なに?」

 一瞬、その問いにエミヤの顔が歪む。亀裂が走ったように、動きが止まった。
 それは、奴にとっての核心。エミヤを象る理想の名前。俺は精一杯得意気に見えるよう表情を操作した。
 俺が、さも誇らしげに語っているように聞こえるように、声の抑揚にも注意を払う。

「答えろアーチャー。お前は正義の味方になれたのかと聞いている」
「……戯れ言を。正義の味方だと? そんなものは幻想の中にしか存在しない偽りの称号だ。存在しないものになど成れるものか」
「……なんだ、成れてないのか」

 失望したように。
 笑いを、こぼす。

 エミヤの顔色が変わった。俺にとっての、正義の味方の表情が苛立ちに染まる。

「何が言いたい」
「お前は俺のことを弱者と言ったな? その通り、俺は弱い。お前よりもずっと。なら強者であるお前は? アーチャーは成れたのか。正義の味方に。それが気になってな。その如何を是非とも聞きたかった訳だが……そうか成れなかったのか。正義の味方に」
「……言いたいことはそれだけか」
「いいや今のは聞きたかったことだ。言いたかったのは、こうだ。――正義の味方に、俺は成れたみたいだぞ」

「――――」

 エミヤに、空白が打ち込まれる。俺の告白は、奴にとってあまりにも重く、無視しがたく、流せない言葉だったのだ。
 俺は、更に一言、告げた。

「今、人理は崩壊の危機にある。これを修復することは人類を救うことと同義。――これが正義でなくてなんだ。人理のために戦う俺が正義の味方でなくてなんだ。――正義の味方に敵対する、お前はなんだ?」
「……黙れ」
「わかった、黙ろう。だがその前に謝罪するよアーチャー。すまなかった。そしてありがとう。悪として立ちふさがるお前を、正義の味方として倒す。分かりやすい構図だ。善悪二元論……喜べ。お前は悪として、俺の正義を証明できる」

「   」

 エミヤの目から、色が消えた。
 その鷹の目が、俺だけを見る。俺だけを捉える。
 マシュが、固い顔をしていた。俺のやり方が読めたのだろう。聡明な娘だ。
 やれるのか、マシュは。一瞥すると少女は頷いた。揺らがない、少女は決してブレない。戦うのは、自分のためでなく。ひとえに己のマスターのためだから。

 ――これで、アーチャーには俺しか見えない。

 呼気を見計らう。緊迫感が高まっていく。息が苦しい、殺気が痛い。アーチャーの全身が、脱力した。その意味を俺は知っている。攻撃に移る前兆。
 俺は弾けるように指示を飛ばしていた。

「マシュ! 突撃(チャージ)!」
「了解! マシュ・キリエライト、突貫します!」

 大盾を構え、突撃するマシュ。それをアーチャーは無表情に迎え撃った。
 大盾を前面に押し出し、質量で攻めるマシュ。干将と莫耶を十字に構え、ぐぐぐ、と弓の弦につがえられた矢のように力を溜めるや、干将の切っ先に力点を移しながら強烈な刺突を放つ。
 っぅ……! 苦悶するマシュが盾ごと跳ね返されて後退する。同時に踏み込み、アーチャーはマシュを押し退けるように莫耶で薙ぎ払い、マシュの体を横に流した。――そこに、俺の投擲していた干将と莫耶が迫る。マシュに対していたような流麗な剣捌きが見る影もなく荒々しくなった。完全に力任せの一撃。俺を否定するように干将と莫耶を叩き落とし、まっしぐらに俺にぶつかってこようとして、

 させじとマシュが横合いから殴りかかる。

「……!」
「させ、ません……!」

 マシュの膂力はアーチャーを凌駕している。まともにやれば押し負けるだろう。だが英霊エミヤとて百戦錬磨の練達。今さら自分より力が強いだけの相手に手こずる道理はない。
 マシュは圧倒的に経験が足りなかった。デミ・サーヴァントとなって盾の英霊の戦闘能力を得ていても、それを活かせるだけの経験がないのだ。心と体の合一していない者に、アーチャーは決して負けることがない。
 それを証明するようにアーチャーは再度、マシュをあしらう。懸命に食いつくマシュを打ちのめす。
 強靭な盾を相手に斬撃は意味をなさない。斬るのではなく叩く、打撃する。呵責のないアーチャーの功勢にマシュは再び競り負け――俺は黒弓を投影し、剣弾を放ってアーチャーの追撃を断った。

「マシュ、援護する。一心に挑み、戦いのコツを掴むんだ。胸を借りるつもりで行け」
「はい!」

 名もない名剣を弾丸として放ちながら俺は立ち位置を調整する。マシュとアーチャーがぶつかり合い、果敢に攻めかかる少女にアドバイスを送りながら援護した。

「攻めるな! 押す(・・)だけでいい! その盾の面積と質量は立派な武器だ。防御を固め体ごとぶつかっていけ! 相手の体勢を打ち崩し押し潰す、呼吸を掴むまで無理はするな!」
「はい! はぁっ――!!」

 途端、鬱陶しそうにアーチャーは眉を顰めた。
 素人が様々な工夫を凝らそうとするより、単純で迷いのないワンパターン攻撃の方が余程厄介なものだ。
 マシュの耐久はAランク。盾の英霊の力もあり、並大抵の攻撃で怯むことはない。必然、アーチャーも威力の高い攻撃を選択しなければならず、そうすると一拍の溜めが必要になる。そのために、アーチャーはマシュを振りきれず、大技に訴え排除しようにも別の宝具を投影する素振りを見せればそれを俺が妨害した。
 そして頃合いを見計らい、俺は新たに干将を投影する。すると、先に俺が投擲し叩き落とされていた莫耶が引き寄せられ、アーチャーの背後から襲いかかる形になる。

 アーチャーは当たり前のように飛び上がって回避して、回転しながら俺の方に戻ろうとしている莫耶を、強化された足で蹴り飛ばした。

「そこ……!」

 マシュが吠え、空中にいるアーチャーにぶつかっていく。ハッ、とアーチャーが嗤った。
 敢えて突撃を受け吹き飛ばされたことで距離を取った。慌てて詰めていくマシュの顔に向けて干将と莫耶を投じる。
 咄嗟に盾で防いだマシュの視界が一瞬塞がり――アーチャーは自ら踏み込んで死角に回り込み、盾を掻い潜ってマシュの腹に蹴りを叩き込んだ。

「かはっ――!?」

 サーヴァントの本能か腕で蹴りをガードしてクリーンヒットは防いだものの、今度こそマシュは吹き飛ばされる。
 アーチャーが馳せる。瞬く間に俺に接近してくる。干将莫耶を投影し迎撃した。

「やはりこうなるか……!」
「……ォオ!!」

 憎らしげにアーチャーが吠えた。瞬間的に袈裟と逆袈裟に振るわれた双剣を防ぐも、己の双剣で俺の双剣を押さえ込み、ゼロ距離にまで踏み込んできたアーチャーに頭突きを食らわされてしまう。
 更に距離を詰められアーチャーはあろうことか双剣を手放し拳を放ってきた。わかっていても防げない堅実な拳打。こちらも双剣を捨て両腕を立て頭と胴を守り防御に専念する。
 拳を防ぐ腕の骨が軋んだ。強化していなければ一撃で砕かれていただろう。歯を食い縛って堪え忍ぶ。

 コンパクトに纏められた無数の拳打、三秒間の内に防いだ数は十八撃。ガードを崩す為の拳撃だとわかっていても、到底人間には許容できない威力に俺の防御が崩される。
 腕の隙間を縫った奴のアッパーカットが俺の顎に吸い込まれた。ガッ、と苦鳴する。だが、思考は止めない。頭を跳ね上げられると、俺は反射的に飛び下がっていた。
 一瞬前に俺の首があった位置を干将の刃が通過していく。アッパーカットを当てるや流れるように双剣を投影して首を狙ったのだ。

 追撃に来るアーチャーの剣を、なんとか双剣を投影して防ぐ。俺とアーチャーの双剣が激突し火花が散った――瞬間。見覚えのない景色が、脳裏に浮かぶ。

「っ……!?」
「くっ……!」

 アーチャーもまた戸惑ったように動きが鈍る。そこにマシュが駆け込み、大盾でアーチャーを殴り飛ばした。

 まともに入った一撃に、マシュ自身が最も戸惑っていた。

「あ、当たった……? ……いえ、それよりも先輩、大丈夫ですか!?」

 喜びかけるも、マスターの状態を気にかけてマシュが心配そうに駆け寄ってきた。俺は血を吐き捨てる。口の中を切ってしまっていた。
 大丈夫だと返しつつ、思う。なんだ今のは、と。

(知らない男がこちらに向けて泣き縋り、白髪の男が無念そうにしている光景)

 ――そんなものは知らない。

 溢れる未知の記憶が、光となって逆流してくる。見たことも聞いたこともない事象がどんどんと。

 ――これは、なんだ? ……まさか……アーチャーの、記憶……か?

 バカな、と思う。愕然とした。
 前世の自分を降霊し、前世の自分の技術を習得する魔術があるという。アーチャーと衛宮士郎は人間としての起源を同じくする故に、特例として互いの記憶を垣間見て、技術を盗むことが可能だった。
 現に俺の知る『衛宮士郎』は、アーチャーとの対決の中で加速度的に成長していた。あれは、アーチャーの戦闘技能を文字通り吸収していたからであり、同時にアーチャーの記憶をも見てしまっていたからだ。

 言えるのは、あんな現象が起こるのは『衛宮士郎』と英霊エミヤだけということ。両者が、厳密には別人だったとしても、緊密な関係を持っていたからこそ起こった現象なのだ。
 翻るに、この俺は『衛宮士郎』ではない。自分の名前が思い出せずとも。かつての自分が何者かわからずとも。俺は俺であり、俺以外の何者でもなかった。
 だからあり得ないのだ。俺がアーチャーと――英霊エミヤと共鳴し、その記憶を垣間見ることになるなんてことは。

 だってこれは、エミヤシロウ同士でないとあり得ないことで。それが起こるということは……?

 ……いや、まさか、そんな……。

 俺は……『衛宮士郎』なのか……?

「貴様は……」

 エミヤが、呆然とこちらを見ていた。
 愕然と、信じられないものを見た、とでも言うかのように。
 何を見た? 奴は、俺の何を見た。

「先輩! どうかされたんですか?! まさかアーチャーが魔術を使って……? ……先輩! しっかりしてください、先輩!」
「マシュ……」

 虚ろな目で、マシュを見る。その目に、光が戻っていく。
 ……俺は、誰だ。

「マシュ、俺は、誰だ?」
「先輩は先輩です。それ以外の何者でもありません」

 マシュの声は、全力で俺を肯定していた。
 それに、勇気付けられる。そうだ、俺は俺だ。惑わされるな、俺は全知全能じゃない。知らないことだってある。むしろ知らないことばかりだ。
 今、たまたま俺の知らない現象があった。それだけだ。何も変わらない。
 意思を強く持て、何度も揺らぐな、ぶれるな。大人だろうが!

「……俺は、大丈夫だ。俺が俺である『証』は、ちゃんと俺の自我を証明しているはずだ。だから、大丈夫」

 自分に言い聞かせる。そう、問題はない。

 ふぅ、と息を吐き出し、アーチャーと相対する。

「ふざけるな……」
「……なに?」
「ふざけるな……! 衛宮士郎! 貴様はこれまで何をして生きてきた!?」

 突如、アーチャーが激昂した。訳がわからない。いきなりどうしたと言うのだ。
 マシュが警戒して前に出る。マシュの認識ではこのアーチャーはエミヤシロウでも、自分のマスターに怪しげな魔術を使ったかもしれない相手なのだ。警戒するな、という方が無理な相談である。
 だが、そんなことなど気にもせず、アーチャーは握り締めた拳を震わせて、激情に歪む顔を隠しもせず、歯を剥いて吠え立てた。

「答えろ、貴様はどんな生涯を辿ってきた?!」
「……何を突然。答える義理はないな」
「なんだあれは。なんだそれは。そんな……そんな簡単に……貴様は……貴様が!?」

 錯乱したような有り様だった。あの、英霊エミヤがだ。

(ありがとう、お兄さん!)
(いや、助かった。若いのによくやるねえ)
(ねえ、ねえ! シロウ兄ちゃん! この間話してくれたヒーローの話聞かせてくれよ!)

(助けて! 助けてください! シロウさん、うちの娘が、化け物に拐われて!)
(いやぁ! 助けてよ、シロウさん!)

(助けに来てくれたの……? こんな、化け物の根城まで? ……ありがと)

(美味しい! なにこれ! すっごく美味しいよ!)

(僕たち、シロウさんに出会えてよかった!)

(ありがとう)

(ありがとう!)



『ありがとう!』



「なんだ、これは……なぜ貴様の記憶には、こんなにも『笑顔(幸福)』がある!? これではまるで……正義の味方(・・・・・)のようではないか!?」

 頭を抱えて、入ってきた記憶に苛まれるようにアーチャーが叫んだ。
 血を吐くような、嫉妬に狂いそうな魂からの雄叫びだった。

 それは、アニメか漫画にでも出てきそうな、ヒーローだった。かつて、エミヤシロウが思い描いた、理想の姿だった。
 それが。
 それを成しているのが、目の前の未熟な衛宮士郎。
 アーチャーには分からなかった。何をどうすれば、あんなことになる。わからないから、叫んだのだ。

「何をバカなこと言ってる。正義の味方はお前だろうが、アーチャー」
「オレが?! オレがか!? 周りを不幸にし続けたこのオレのどこが?!」

 妬ましいのはこちらの方だというのに、奴は必死に問い質してきていた。
 どう考えても、正義の味方はエミヤの方であるというのに。

「俺はただ、俺のために慈善事業に手を出していただけだよ。誰かのため、なんて考えたこともない。徹頭徹尾、自己中心。所詮は偽善だ、そんなものが正義の味方なんて張れるわけないだろう」
「……今、なんと言った?」
「……俺のために生きてきたと言っただけだが」
自分の(・・・)ためだと? 衛宮士郎が!?」
「そうだ、それの何が悪い」

 俺は俺の生き方を選んだ。そこに恥じるものはなにもない。俺は俺のために生きている。だから、俺は俺が悔やむようなことはしないし、嫌だと思うことは一度もしてこなかった。
 それだけだ。だから、他人のために死ぬまで戦い続け、死んだあとでまで人間のために戦い続けているエミヤに、俺は正直畏敬の念を覚えていたのだ。
 俺にはそんなことはできない。だって、俺にとっての一番は、俺自身に他ならないのだから。

「……そうか。わかった。衛宮士郎、オレは、お前をもう未熟者とは言わん。お前はオレにとって、絶対に倒さねばならない『敵』だと認識する」
「ふん。もともと敵同士だっただろうが。何を今更」
「……そうだな。確かに、今更だ」

 どこか、苦笑めいた声だった。

 ―― I am the bone of my sword.

「先輩! アーチャーは明らかに宝具を使おうとしています! 阻止しましょう!」

 決然と唱えた文言は、魔力を宿さずとも世界に語りかける荘厳な響きを伴っていた。
 その雰囲気だけで察したのだろう。マシュがそう訴えてくるも、俺は首を左右に振って、それを拒否した。

 黙って見守る。それは、決して男の生き様を見届けるためなどでは断じてない。
 俺は奴の固有結界を見ることに意味があるから黙っているのだ。奴もそんな打算などお見通しだろう。
 だが、それでも、力で押し潰せると奴は考えている。そしてそれは正しい。エミヤが固有結界『無限の剣製』を発動すれば、今の未熟なマシュと、不出来な俺は押し負けてしまうだろう。唯一の手段は、俺も固有結界を展開して、奴と心象世界のぶつけ合い、打ち勝つことだけ。

 エミヤが望んでいるのはそれだろう。自分の世界で、俺の世界に勝つ。そうしてこその勝利だ。

 だが――



 ――So as I pray, unlimited blade works.



 詠唱が完成する。紅蓮が走る。世界が広がり、世界が侵食されていく。
 見上げれば、緋色の空。無限の剣が突き立つ紅の丘。
 空の中で巨大な歯車が回っている。その枯渇した威容がエミヤの心象を物語っていた。

「――固有結界、無限の剣製。やれやれ、俺には一生を掛けてもこんなに宝具を貯蔵したりはできないな」

 苦笑する。周囲を見渡して改めて、格の違いというものを思い知った。

 どれだけ戦い続けて来たのか。何もかもを犠牲にして、理想のために歩み続けてきた男の結実がこれか。
 盗み見た己の矮小さ、卑小さが滑稽ですらある。

「どうした、見ただけで戦意を喪失したのか、衛宮士郎」
「まさか」

 試すような言葉に、俺は失笑した。
 俺の辞書に諦めるという言葉は載っていない。
 そして、勝算もなく敵の切り札の発動を許すほどおろかでもない。

「――卑怯だと思うか? なら、それがお前の敗因だ」
「なに?」

 俺は、言った。

 気配を遮断したまま、エミヤの背後にまで迫っていたサーヴァントに。



「やれ、アサシン。宝具展開しろ」



 エミヤは直前になって気づいた。固有時制御によって体内時間を遅延させて潜伏していた状態を解き、攻撃体勢に入ったがゆえに気配遮断が甘くなった第三者に。

「な――」
時のある間に薔薇を摘め(クロノス・ローズ)

 そして。敏捷A+ランクのアサシンが、三倍の速度で奇襲を仕掛けてきて、それを防げるだけの直感を、彼は持っていなかった。

 見るも無惨な、芸術的な奇襲。

 急所を狙った弾丸の洗礼を、腕を犠牲に防いだエミヤに。
 容赦なくトドメのため、彼の起源を利用して作成されたナイフを投げ放つ。
 心臓に直撃を食らったエミヤは、その暗殺者の面貌に、驚愕のあまり目を見開いたまま――固有結界を崩壊させ、物も言えぬまま消滅していった。

「――お見事、暗殺者」
「そちらこそ、我が主人」

 面白味もなく、アサシンは己の戦果を誇りもしなかった。




 

 

それでいいのか士郎くん





 いつしか変質してしまった聖杯戦争。

 万能の杯に満たされたるは黒い泥。

 その正体の如何など、最早どうだっていい。重要なのは、この聖杯がために世界は滅びたということだ。
 度しがたいことに、この冬木に於ける首魁は我が身である。聖杯を与えるなどという甘言に乗せられて、愚かにも手を取ってしまった小娘の末がこれだった。

 ……小娘とてなんの考えもなかったわけではない。自らに接触してきた者が人ならざるモノであることを見抜き、その思惑を打ち砕くために敢えて奴の傀儡となったのだ。
 そして掴んだ聖杯を、小娘は使わなかった。
 ほぼ全てのサーヴァントを打倒して我が物とした聖杯を。手に入れることを切望した聖杯を。使わずに、何者の手にも渡らぬよう守護していたのだ。
 この変質した聖杯戦争の裏に潜むモノの思惑を薄々感じ取り、聖杯の使用は何か致命的な事態を引き起こすと直感したがためである。
 しかし、出来たことと言えばそれだけ。聖杯は呪われていた。なにもしなくとも、聖杯は膨張した呪いを吐き出し、結果として世界は滅びてしまったのだ。小娘のしたことなど、所詮は徒労。滅びを遅らせるのが精々だったのである。

 だが、すべてが無駄だったわけではない。滅びが緩やかなものとなったお陰で、『あること』を知ることができたのだ。

 この特異点は、人類史を焼却するためのもの。即ち人間界のみならず、世界そのものを焼き払う所業だったのである。
 そうなれば、たとえば人の世界より離れた幽世『影の国』もまた焼却されて滅びるということ。そして、影の国すら滅ぶということは、あの妖精郷(アヴァロン)すらも危ういということになる。
 今でこそ無事だが、2016年を境に余さず滅相され燃え尽きるだろう。そして未来に於いてアヴァロンが滅びるということは、そこにいたアーサー王もまた滅んだ、ということだ。

 英霊の座に時間の概念などない。

 死に至ったのなら、英雄は一部例外を除いて座に招かれることになる。

 アーサー王は、アヴァロンにて眠りにつく定めだった故に、死しても英霊の座に招かれることはないはずだったが、そのアヴァロンが無くなるとなると『死んだ』という事実だけが残り、英霊の座に流れていくことになった。
 それは人類史が滅びるが故の異常事態である。もしも人類史が焼却を逃れ、復元されれば、アーサー王が英霊の座に登録されたという事実も消え、アヴァロンにて眠りにつくことになるだろうが、それはまだ先の話。

 否、夢物語か。

 現時点のアーサー王は既に生者ではなく英霊として存在している。順序が逆のあべこべな状態だが、それは間違いない。
 故にこそ、この冬木に在るサーヴァントのアーサー王は、自分が平行世界の聖杯戦争で戦い、そこで得たものの記録を共有することになったのだ。

 ――よもやこの私が、な……。

 聖杯に侵され、黒く染まり、属性の反転した我が身ですら微笑をこぼしてしまうほどの驚きだった。
 まさか平行世界で自分がこの時代に召喚され、仰いだマスターを女として愛する可能性があったなど、まさに想像の埒外の出来事であったのだ。
 黒い騎士王は鉄面皮を微かに崩し一瞬だけ微笑む。だが、それも本当に一瞬だけ。騎士王を監視する者も気づくことはなかった。

 蝋のような病的に白い肌、色の抜けた金の髪、反転して掠れた黄金瞳。

 ぴくりともせず、黙って聖杯を見つめ続ける。
 その絶対悪を無感動に眺め、佇む姿は彫像のようであった。
 この特異点の黒幕とも言える存在の傀儡となって以来、ただの一度も口を開かずにいた騎士王は――その時(・・・)になって漸く、氷のような表情にさざ波を立てる。
 黒い鎧を軋ませて、この大空洞に至る入り口を振り返った。

 ――アーチャーが敗れたか。

 それは、確信だった。鋼のような気配が乱れ、消えていくのをはっきり感じたのだ。

 赤い外套の騎士、アーチャーはこの聖杯戦争で最も手こずった相手である。
 もとが大英雄であるバーサーカーは理性無きが故に、赤い弓兵ほどには苦戦せず、その他は雑兵のような英霊ばかりであった。もしもあのキャスターが槍兵のクラスだったなら最も手強い強敵と目したろうが所詮はドルイド、反転して低下したが、極めて高い対魔力を持つ騎士王が正面から戦えば敵足り得るものではない。
 そんな中、英霊としての格は最も低かったであろう赤い弓兵は、徹底してまともに戦わず、遅延戦術を選択して遠距離戦闘をこちらに強いた。マスターを失っても、単独行動スキルがあるためか逆に枷がなくなったとでも言うように――魔力が尽きるまでの二日間、黒い騎士王を相手に戦い抜いたのである。

 見事である。その戦果に報いるように騎士王はアーチャーを打ち倒した。彼の戦いぶりは、それほどまでに見事なものだった。
 そして、反転した騎士王の手駒となってからは、アレが騎士王の許に寄れぬように、門番となって守護する者になることを選んだ。その在り方は、騎士王をして見事と言えるものだった。円卓にも劣らぬとすら、胸中にて誉め称えたものだ。

 そんな男が、戦闘をはじめて半刻もせずに倒されたとは、にわかには信じがたい。

 ――いや。あの男の持ち味は、冷徹なまでの戦闘論理にある。泥に侵され思考能力が低下すれば、案外こんなものか。

 加えてあの場所は、弓兵として十全に戦える戦場でもなかった。ある程度の力を持つ者なら、あの男を打倒することは決して不可能ではないだろう。
 しかし問題は、誰があの男を倒したかだ。
 唯一の生き残りであるキャスター、アイルランドの光の御子は、槍兵のクラスだったなら近距離戦でアーチャーを一蹴するだろう。あの大英雄には矢避けの加護もある。相性の良さから騎士王が手こずったほど苦戦することもなかったはずだ。
 だが、光の御子はキャスターとして現界した故に、アーチャーの弓を凌ぐことはできても詠唱できず、攻勢に回ることができなかったはずだ。しかも、黒化したサーヴァントに追われ、ゲリラ的に戦い続けている最中でもあったはず。聖剣すらも凌いで逃げ切る辺り呆れたしぶとさだが、逆に言えばそれだけで、単独でこちらに攻めかかることは出来ないはずだ。

 では、誰が。

 ――なるほど。異邦の者達か。

 暫しの沈思の末、騎士王は思い至った。人類が滅びるほどの事態、抑止力が働かぬ道理なし。されど、この滅びは既に決定付けられている。既に滅んでいるのだ、滅んだものに抗う術などあるはずもなく、必然、抑止力が働くことがあるはずもなし。
 であれば答えは自明。過去に因果なく、現在に命なしとなれば、特異点と化したこの時代を観測する術を持った未来の者しか介入は出来ない。
 異邦の者が人理を守らんがために過去に飛ぶ――出来すぎた話だ。都合が良すぎる。しかし、そんな奇跡がもしあるとしたなら……この身は試練として立ち塞がるしかないだろう。

 既に滅んだものを救おうというのなら。滅びの運命を覆さんとするのなら。――魔術王(・・・)の偉業に荷担する羽目になった小娘一人、打ち倒せずして使命を果たせるわけがない。

 ――私を超えられもせず、聖杯探索(グランド・オーダー)を果たしきれるはずもない。超えて魅せろ、この私を。

 王としての矜持か、意図して屈するような腑抜けにはならない。むしろ全力で迎撃し、これより聖杯を求めて来るだろう者達を滅ぼす腹積もりであった。
 全力の騎士王を打倒してこそ、はじめてグランド・オーダーに挑む資格ありと認められる。そう、騎士王アルトリア・ペンドラゴンは信じていた。
 信じていたのだ。

 その男(・・・)を見るまでは。







 ――弓兵を倒し、先に進んだ。

 何か物言いたげなマシュの頭に手を置き、今は勘弁してくれと頼んだ。
 嘆息一つ。仕方ないですね、とマシュは微笑んだ。困ったようなその笑顔に、やっぱりマシュはいい娘だなと思う。普通、あんな卑劣な戦法を取った奴に、そんな含みのない笑みを向けられるものではない。
 しかし、「勝つためなら仕方ないです。この特異点をなんとかしないと、人類が危ないんですから」と言われた時は、流石に閉口してしまいそうだった。無垢なマシュが、自分に影響されていくようで、なんとも言えない気持ちになったのだ。

 ――それでも、もう心は固めている。特異点となっているのが冬木と聞いた時から、覚悟は決めていた。

 進んだ先に、顕現した聖杯を仰ぎ見る。十年前に見て、破壊した運命を直視する。
 そして、その下に。
 いつか見た女の姿を認めて、俺は一瞬だけ瞑目した。

「先輩? どうかされましたか?」

 まだ、マシュは気づいていないのだろう。鷹の目を持つ俺だから先に視認できただけのことだ。突然立ち止まった俺に声をかけてくるマシュに、口癖となった言葉を返す。なんでもない、と。

 ――目が、合った。

 気のせいじゃない。黒く染まった騎士王が、黒い聖剣を持つ手をだらりと落とし、驚愕に目を見開く姿を見た時に、俺は悟っていた。
 ああ。あれは、俺の知るセイバーなんだ、と。
 理屈じゃない。『衛宮士郎』と絆を結んだセイバーじゃなくて、俺に偽られていた女なのだと言語を越えた部分で直感したのだ。
 天を仰ぐ。なんて悪辣な運命なのか。もしここにセイバーがいたとしても、顔が同じなだけの他人として割りきり、俺は迷わず戦闘に入っていただろう。だが、なんでかここにいるのは俺のよく知る騎士王だった。

「……悪く思え。俺は、お前を殺す」

 好きになってしまって。
 でも、死にたくないからと偽って。
 本当の自分を、ただの一度もさらけ出さなかった。

 ――シロウ。貴方を、愛しています。

 その言葉は果たしてこの身の欺瞞を見破った上でのものなのか。彼女が愛したのは、『衛宮士郎』なのではないか。
 怖くて聞けなくて。そして、何よりも。

 生き残る為に『衛宮士郎』を成し遂げた達成感に、これ以上ない多幸感に包まれて、彼女を偽っていた罪悪感を忘れた俺に、今更会わせる顔などあるわけがなかった。
 俺は『衛宮士郎』ではない。事実がどうあれ、俺はそう信じる。俺が『衛宮士郎』ではない証拠など何もないが、信じて生きていくと決めていた。
 だから躊躇わない。黒弓を投影し、後ろ手に回した手でハンドサインを送ったあと、マシュに戦闘体勢に入れと指示を出した。

 呪われた大剣、赤原猟犬(フルンディング)を弓につがえる。決意を固めるため、言葉を交わすこともせず、俺はもう一度、自分に言い聞かせるために呟いた。

「セイバー。――お前を、殺す」

 最低な言葉。

「お前が愛したのは、俺じゃない」

 あの思いを、否定する。

「俺はあの時の俺じゃない」

 愛した女への思いを忘れ去る。

「許しは乞わない。罵ってもいい。殺そうとしてもいい。だが殺されてやるわけにはいかないんだ。俺は死にたくない。こんな場所が俺の死に場所なわけがない」

 なんて、屑。

「俺に敵対するのなら、死ね」

 ――心を固める。魂が鋼となる。
 最後に、しっかりと言葉に出して、俺は宣言した。

「勝ちにいく。奴を倒すぞ、マシュ。俺と、お前とでだ」
「はいっ!」

 勝算はある。だってアルトリア。あの日、お前と共に戦ったことを、俺は今でも覚えているのだから。






 

 

約束された修羅場の士郎くん!

■約束された修羅場の剣(上)




 一人の愚か者が、その女を愛していたのだと気づいたのは、全てが終わってからだった。

 その時の俺は『衛宮士郎』の演目を終え、無事に生き延びたことに無上の達成感を覚えていた。
 第五次聖杯戦争を勝ち抜き、これでもう俺は赤の他人を演じる必要を無くして――本当の自分を出して生きていけると思い、絶頂するほどに興奮したのだ。

 『衛宮士郎』をやめて周囲の者に「変わったな、衛宮は」と言われるようになった。後味の悪さを覚えても、俺はそれを否定しなかった。俺は変わったのではなく、他人を演じるのをやめただけなのだと、わざわざ告白するようなことはしなかった。
 バイトはやめなかったが、色々なことを始めた。野球、サッカー、水泳、陸上……将棋に囲碁に、語学に料理。思い付く限りのことに手を出した。

 何をしても楽しかった。何をしなくても充実していた――なのにどこか物足りなかったのは何故か。

 漠然と、完成したはずのパズルに、最後のピースが足りないと思った。何が足りないのか。考えてもよくわからず、暫くのあいだ首を捻りながら過ごした。
 高校を卒業後、何かに追いたてられるようにして冬木から飛び出した。何かにつけて『衛宮士郎』と俺を比較する周囲の人間に耐えられなかったのもある。慎二を亡くし、いっそう儚くなった桜をどうにかしたいと思ったのもある。

 だが俺は、それよりも別の何かを追い求めていたのだ。

 胸の中に空いた空白。それの正体に気づけたのは、冬木を飛び出すや真っ先にイギリスのアーサー王の墓に足を運んでしまっていたからだ。
 なぜ、自分はこんなところに来ているのか。呆然と墓を眺めて、俺は漸く悟った。
 いつの間にか料理をたくさん作りすぎるようになったのも。武家屋敷の道場を何をするでもなく眺めるようになっていたのも。何度も同じ道を辿って歩くようになっていたのも――全て、セイバーと共有した思い出に、未練を抱いていたからなのだ。

『ああ――』

 すとん、とその事実は胸に落ちた。

 一目見たあの時、恋を知って。
 日々を共にして思いを深めて。
 体を重ねて情が移って。
 いつしか俺は、彼女のことを心から愛し、その感情に蓋をして――






「赤原を()け、緋の猟犬――」






 ――魔力の充填に要するのは四十秒。黒弓につがえられた魔剣が、はち切れそうなほどの魔力を発する。
 迸る魔力が、解き放たれる寸前の猟犬を彷彿とさせた。狙った獲物に今に食いつかんと欲する凶悪な欲望を垂れ流している。
 単身、突撃していくマシュを視界に修めつつ、俺は食い入るようにこちらを見る黒い騎士王に、これまでの全ての思いを込めた指先で応えた。
 ぎり、ぎりり、ぎりりり……! 黒弓の弦に掛けられた指が。つがえられた魔剣が。俺の中にある雑念を吸い上げ、燃料として燃えている錯覚がした。
 そうだ、全てを吸え、呪いの魔剣。心の中で呟く。そして行け、忌まわしき記憶と共に。

 マシュが、俺の指示を守り、防御を固めた体勢のまま騎士王に挑みかかる。視線をこちらに向けたまま、凄まじい魔力放出と共にセイバーはマシュを吹き飛ばした。
 一度、二度、三度。幾度も同じことを繰り返し、何を苛立ったのかセイバーはマシュに向けて渾身の剣撃を叩き込んだ。成す術なく薙ぎ払われ地面に叩き伏せられるも、受け身をとってすぐさま跳ね起きたマシュだったが――眼前にまで迫っていたセイバーの姿に、ハッと身を強ばらせてしまった。
 ちょうど、四十秒。あわや、というところを狙い、遂に赤原猟犬を解き放つ。解放の雄叫びをあげるように、魔剣は獲物目掛けて飛翔した。音速の六倍の早さで飛来した魔剣、されど一瞬たりともこちらへの警戒を怠っていなかった騎士王は両手で聖剣を振りきって俺の魔弾を弾き返した。

 だが、一度凌がれた程度で獲物を諦める猟犬ではない。

 射手が狙い続ける限り、何度でも食らいつき続ける魔剣の脅威は並みではない。弾き返された魔弾はその切っ先を再度騎士王に向けて、執念深く襲いかかっていった。
 それを目にしながらも手を止めない。新たに偽・螺旋剣を投影する。
 壁役のマシュが足止めし、俺が狙撃する。セイバーの癖は知り抜いていた。必勝の機を作り出すのは不可能ではない。このままフルンディングで食い止め、カラドボルグを射掛ける。そして二つの投影宝具をセイバーの至近距離で爆発させれば仕留められる。そこまで上手くいかずとも確実なダメージを狙えた。

 だが、それ(・・)を見て俺はぼやいた。

「やはり既知だったか……」

 アーチャーと交戦した経験でもあるのだろう。セイバーは猟犬が再び噛みついてくることを知っていた。素早く身を翻して回避し、マシュと魔剣が一直線上に結ばれる位置になった瞬間、黒い聖剣の真名を解放した。

 ――卑王鉄槌。極光は反転する。光を呑め、約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)

 果たして解放された聖剣の極光は魔剣を呑み込み、マシュをもその闇で粉砕せんと迫った。
 それを、マシュは宝具を疑似展開し、なんとか防ぎきる。カラドボルグほど苦しくはなかっただろう。あの盾は、円卓ゆかりの宝具に対してすこぶる相性がいい。例え騎士王の聖剣でも、否、聖剣だからこそ破るのは困難だろう。
 盾を解析し聖剣を知っていたからこそ、それを見越してマシュに前衛を頼んだのだ。そうでなければ、マシュ一人に前衛を任せられはしない。

「……偽・螺旋剣」

 無造作にエクスカリバーの撃ち終わりの隙を突き、冷徹に投影宝具を投射する。
 魔力の充填は不十分。本来の威力は期待できない。だがそれがどうした。セイバーがこの特異点で、アーチャーと交戦し下しているのは既知のこと。あの男の固有結界から引き出した魔剣を、セイバーが見知っていても不思議ではない。
 故に赤原猟犬(フルンディング)を餌とした。セイバーなら、迷わず魔剣とマシュを同時に破壊するために聖剣を解放すると分かっていた。
 その上で確実に隙を作れる。故のフルンディング、魔力が充填されておらずとも一定の効果が見込めるカラドボルグなのだ。

 音速で奔る偽・螺旋剣を、しかし騎士王には直撃させない。この投影宝具は張りぼて、聖剣の一振りで砕かれる程度の代物。聖剣がぎりぎりで届かない程度の間合いを通過し、周囲の空間ごと削る虹の魔力で騎士王を絡めとるのが関の山。

 だがそれでいい。

「はぁぁあ――ッ!!」

 聖剣を防いだ体勢のまま……疑似展開された宝具を構えたままマシュが光を纏ってセイバーに突進した。
 巨大な壁となってぶつかってくるマシュを、黒い騎士王は跳ね除けることが出来なかった。有り余る魔力で押し返そうにも、疑似とはいえ展開された盾の宝具をどうこうできるものでなく、聖剣の真名解放をしようにも偽・螺旋剣の空間切削に体を巻き取られて体勢を崩しているため不可能。果たしてマシュの突撃をまともに食らったセイバーは、切り揉みしながら吹き飛んだ。
 フルンディングとカラドボルグ、前者が先に破壊されたパターンの時、どうすればいいかあらかじめ指示を出していたとはいえ、よく合わせたとマシュを誉めてやりたかったが、まだ仕事は終わっていない。
 宝具を展開したままという、体にかなりの負担を強いる戦法を取らせたが、その程度の無理もせずして騎士王に有効な攻撃を当てるのは無理な話だ。

 俺は吹き飛んだ騎士王に向け、一瞬の躊躇いもなく、淡々と無銘の剣弾を叩き込む。予測通り騎士王の反応は遅れ、無銘の剣弾は騎士王の眉間に吸い込まれていった――








「やった!」

 マシュが快哉を叫ぶ。
 はじめ、マスターである士郎から、セイバーの真名を聞かされた時は不安にもなったが、士郎の言う通りに動いただけで面白いように上手くことが運んだ。
 さすが先輩と両手を広げ、体全体を使い賞賛の意を表現する。そこに、宝具を酷使して疲弊させられたことに対する不満はない。マシュの中には、やるべきことをやれたという誇らしさがあるだけだ。

 トドメとなる剣弾を、士郎が放った。

 それは狙い過たず騎士王の眉間に吸い込まれていった。
 直撃したように見えて、マシュは勝ったのだと思い士郎の方へ駆け寄ろうとしたが……何故か、士郎は顔色を険しくし、無言で次々と騎士王へ剣弾を撃ち込み続ける。
 塵すら残さぬとでも言うような死体に鞭打つ非道。さしものマシュも面くらい、何をしているのかと問い掛けようとして……緊迫した士郎の顔がそれを許さなかった。

 射掛けられた剣弾が次々と着弾、爆発を繰り返し、土煙が巻き起こる。それを目を細くして眺め、残心していた士郎だったが、ややあってぽつりと呟いた。

「……流石」

 顔に表情はない。しかし短い賞賛の言葉が嬉しげなものに聞こえたのはなぜなのか。

 え? とマシュは呆気に取られた。竜巻の如き魔力放出が場を席巻する。予想だにしない事態にマシュは泡をくって動揺しそうになった。
 黒い風によって土煙が吹き飛ばされる。同時、士郎が叫んだ。

「マシュ、カバーだ!」

 反射的にマシュは士郎の元に馳せる。だが、遅かった。
 マシュを追い抜き、黒い砲弾が士郎に襲いかかる。

「マスター!」

 少女が悲鳴のような声をあげた。士郎は事前に干将と莫耶を投影し、腰に帯びていたお陰で、なんとか反応することに成功する。
 黒い聖剣による振り下ろし。弓を捨てながら双剣で受け、流して後退。凄まじい剣撃に膝をつきそうになりながらも、ほぼその威力を地面に逃がすことに成功した。地面が陥没し弾け飛ぶように下がった士郎に、更に深く踏み込んできた騎士王が聖剣を振るった。

 二撃、三撃、四撃と受け流しながら後退するも、双剣が砕けた瞬間に次の投影をさせじと、足元で魔力をジェット噴射し、息を吐く間も与えず斬りかかる。
 果たしてマシュは間に合わなかった。武器を無くした士郎は両手を空のまま、首に突きつけられた聖剣を前に膝をつく。

「……」

 二人の目が合い、一瞬見つめ合う。様々な感慨が胸中に過り、まず口を開いたのは漆黒の騎士王だった。

「……強くなりましたね、シロウ」
「……敵を前にお喋りか。余裕だな」
「ええ。それほどに、彼我の戦力はかけ離れている。惜しいところでしたが、今回は私が上回った。それだけのことです」

 言った騎士王の左腕は折れている。黒い甲冑もほとんどが破損し、全身無事な箇所の方が少ない有り様だった。
 それでも、なお騎士王は士郎を上回っている。否、片手でも全力の士郎を捩じ伏せられるだろう。

「貴方の容貌がアーチャーと同じものになっていたことには驚きました。しかし、一目で貴方だと私にはわかった」
「……」
「貴方も、そうであるはずだ」
「……どうかな」

 呟き、士郎はちら、とマシュを一瞥した。こっちに来るな、と視線で制する。

「だが私以外の者をサーヴァントにするとは、捨て置けることではありません。しかもよりにもよって彼の英霊の力を持ったサーヴァントとは……」
「……お陰さまで、相性はいいようだがな」
「そうでしょう。穢れのない高潔な彼と、穢れをよしとしない貴方は確かに相性はいいかもしれない。しかし、それとこれとは話は別だ」
「……ふん」

 静かに糺す騎士王に、しかし士郎は無感情に呟いた。

「もう勝ったつもりでいるのは結構だがな。勘が鈍ったかセイバー」
「――」

 刹那、士郎は挑むようにかつてのサーヴァントを睨み付ける。ぴり、と騎士王の首に悪寒が走った。
 ――背後から回転しながら飛来する双剣。背後からの奇襲に、見えていないにも関わらず咄嗟に反応。騎士王は振り返り様に聖剣を一閃し、一撃で双剣を砕いた。
 だが、その隙を逃す士郎ではない。背中を蹴りつけて自身も後ろに跳び、間合いを離しながら黒弓と剣弾を投影。射掛けながら更に後退する。

「馴れ合うつもりはないぞ、セイバー」
「ならば、手足を折ってでも付き合ってもらいます」

 驚異的な回復力だった。秒刻みで全身の傷が癒えていく様は、あと数分で全快することを教えてくれる。
 マシュは、今度こそ士郎に駆け寄り、その盾となるべく身構えた。

「……プランBだ。畳み掛けるぞ、マシュ」
「はい。行きましょう、わたしも全力を尽くします」

 寄り添い合うその様を、無表情に、しかし苛立たしげにセイバーは睨み。
 いざ、決戦となる段で。

 不意に第三者の声が響き渡った。





「――よう、楽しそうじゃねえか。オレも混ぜてくれよ」





 それは、この戦局を動かす想定外の要素。

 ドルイドの衣装に身を包んだケルト神話最強の英雄、光の御子クー・フーリンが、士郎達の背後に参上していた。







 

 

約束された修羅場の士郎くん! 2

■約束された修羅場の剣(中)



「……貴方か、キャスター」

 忌々しげに吐き捨てたセイバーの殺意が、半ば八つ当たりのように一点に集中し、聖剣の切っ先が微かに揺らいだ。
 それは動揺というより、新たな獲物に対する威嚇行動に似ている。黄金の瞳が殺気に彩られて凄絶に煌めき、主の鬼気に応えるように黒い聖剣が胎動する。
 セイバーは明らかにこちらを邪魔者と断じている。ドルイドのクー・フーリンは苦笑した。なにやら因縁を感じさせる両者の間に割って入るのは、実のところ気の引けることではあった。
 だがこれは変質したとはいえ聖杯戦争。その参加者であるクー・フーリンは、騎士王と同じく当事者である。にもかかわらず、異邦のマスターとそのサーヴァントに全てを任せきりにしたままというのは……流石に無責任というものだ。

 筋骨逞しい赤毛のマスター。宝具の投影という異能を振るう魔術使い。あの弓兵に酷似した――否、肌と髪の色以外、完全に一致する容貌と能力の男が、己がサーヴァントと共に慎重に立ち位置をズラす。
 それは、新たに現れたクー・フーリンを警戒してのもの。当たり前の姿勢。不用意に友好的な姿勢を示さないのは当然のことだ。赤毛のマスター、衛宮士郎は様子を窺うようにして、キャスターのサーヴァントに問いかける。

「……突然の参入だが、こちらに敵対する意思は?」
「それはねえから安心しな。そっちの事情は知らねえが、俺はこの戦争を終わらせるつもりでいるだけだ」
「……なるほど、流石アイルランドの光の御子。この異常事態にあって為すべきことを心得ていると見える」
「アーチャー似のマスター、世辞をくれんのは結構だが、いいのかい?」

 意味深に問い返すキャスターに、訝しげに士郎は反駁した。

「何がだ」
「見るからに因縁深そうな感じがするが、俺が割り込む事になんの遺恨もないのか、ってことだ」
「少し気になるが。あんたには以前、世話になったことがある。邪険には出来ない」
「あん? どっかで会ったか」

 キャスターは杖で肩を叩きつつ、眉根を寄せて士郎を見る。……しかし思い当たる節がないのか、なんとも気まずそうに目を逸らした。

「……わっりぃ。見覚えねぇわ。お前さんみたいな骨太、忘れるとも思えんが」
「無理もない。あの頃の面影など残ってないからな。俺としても思い出してほしいわけではない。気にするなランサー。俺が勝手に恩に着ているだけだ」

 お? とキャスターは眉を跳ねあげた。士郎は今、己を槍兵と呼んだ。つまり槍兵の自分と会ったことがあるということだが……それよりも。先程までの重苦しい表情がほぐれ、不敵な笑みを浮かべるこの男ときたらどうだ。
 まるで、否、真実歴戦を経た戦士なのだろう。己の成してきたことに誇りを持っていなければ出来ない顔だ。容姿と能力こそあのいけ好かない弓兵だが、中身はまるで違うらしい。
 ともするとあの弓兵の生前の人物なのかとも思っていたが、今キャスターの中で弓兵と目の前の男は完全に乖離した。自然キャスターの顔にも笑みが浮かぶ。

「……いいな、アンタ。一時の関係とはいえ、共闘相手としちゃ申し分無い。この一戦に限るだろうが、よろしく頼むぜ、色男」
「は。細君に師、女神に女王、おまけに妖精とまで関係を持った伝説のプレイボーイにそう言われると、なんとも面映ゆい気分だ。……こちらこそ宜しく頼む。主従ともに未熟者だ、ドルイドの導きに期待する」
「言うねえ。ああ、男のマスターとしちゃ理想的だ。気の強いイイ女ってのが女のマスターの条件だが、男のマスターってのは不敵で、戦に際しちゃ軽いぐらいがちょうどいい。肩を並べるに値する(つわもの)なら更に言うことなしだ」

 まさかのべた褒めに士郎は面食らったが、マシュは自分のマスターを誉められて悪い気はしないらしい。一気に機嫌を良くして、キャスターをいい人認定したようだ。

「キャスターさん、わたしも宜しくお願いします。歴戦のサーヴァントの立ち回り、参考にさせていただきますね」
「おう。こっちもよろしくな、盾の嬢ちゃん。見てたぜ、あの聖剣を防ぎきるとは大したもんだ。俺の方こそ当てにさせてもらう」

 にやりと笑うキャスターだが、実際その力が対魔力を持つセイバーに通じるものか疑問がある。が、彼はアイルランドの光の御子。勝算もなく出てくるとも思えない。何か切り札があるはずだ。

 ――騎士王は黙ってそのやり取りを見つめていた。

 それは騎士道精神から来る静観ではない。盾の娘はともかくとして、キャスターも士郎も、こちらが動く素振りを見せれば即座に対応できるように警戒を怠っていなかっただけのことだ。
 彼女は、自身に対魔力があるとはいえ、決してキャスターを侮ってはいなかった。純粋な魔術師の英霊ならば戦の勘も薄く、恐れるに足りないが、クー・フーリンとは歴戦の勇士。槍兵として最高位に位置し、個人の武勇で言えば間違いなくアーサー王を上回る大英雄だ。
 生涯を戦いだけに生きた生粋の戦士と、戦いだけに生きるわけにはいかなかった王とでは、どうしたって差が出るものである。今のクー・フーリンは魔術師だが、その戦闘勘が鈍っているわけではない。鈍っていれば己の聖剣の一撃を凌ぎ、他全てのサーヴァントに追われながらここまで生き延びられるわけがないのだ。

「……キャスター。ランサーやアサシン、ライダーはどうした。貴公の追撃に出していたはずだが」
「ああ、奴等なら燃やし尽くしたぜ」

 問うと、キャスターはあっさりと言い放った。
 それはつまり、単独で、マスターもなく、潤沢な魔力供給のあったアサシンらを始末したということ。
 流石に、英雄としての格が違う。槍がないからと侮るのはやはり危険だった。

「んなもんで、バーサーカー以外で、残ったのはお前さんだけだ。厄介なアーチャーもいねえ、心強い共闘相手がいる、俺としちゃここまでの好機を逃す理由がないわな」
「……消えかけの身で、私とシロウの間に割って入る愚を犯すとは、よほど命が要らないらしい。いいだろう、相手にとって不足はない。私に挑む蛮勇、後悔させてやる」

 ぴり、と空気に電撃が走る。キャスターとセイバーは互いに身構えていた。
 士郎はそんな両者を見比べ、己の状態を省みる。
 ……些か無理が過ぎたのか魔術回路が限界に近い。魔力は底が見え始め、体にガタが出ている。
 マシュだって気丈に振る舞っているが、戦いの経験がなかった精神は限界だろう。その上でキャスターは消えかけときた。
 対し、セイバーは時を置くごとに回復していく。折れていた左腕以外、既に元通りという有り様だ。時間はセイバーの味方、長期戦はこちらに不利。……であれば不利の要因を一つでも解消しなければならない。

 士郎はキャスターに素早く駆け寄り、その肩に手を置いた。

「キャスター。パスを繋ぐ、受け入れてくれ」
「あ? いいのかよ、魔力はそこの嬢ちゃんに供給するだけで精一杯じゃねえのか?
「いや、供給源は俺じゃない。カルデアという、俺のバックにある組織のシステムから流れてくる。俺の負担になることはないし、これも一時限りの仮契約だ。不服はないはずだが、どうだ?」
「いいぜ、お前さんなら文句はねえ。仮とはいえマスターとして認めてやる。繋げよ」
「ああ」

 肩に触れている手から、霊的な繋がりをキャスターに結ぶ。
 すると、キャスターは異なる次元から流れてくる魔力を確かに感じた。へえ、こりゃいい、と感嘆する。
 予想以上に潤沢な魔力――のような何かだ。不足はない。現世への楔となる依り代、マスターの器にも不満はなかった。マスター運も上向いてきたらしい、と好戦的に笑う余裕も出てきた。

 それに、士郎は誰かに見せつけるように笑い、言った。

「……俺のサーヴァント(・・・・・・・・)はこれで二人になったわけだが、まさか卑怯とは言わないよな、セイバー?」
「……」

 ぴくり、と騎士王の肩が揺れる。
 そしてやおらキャスターを睨み付けると、静かに言った。

「……シロウに盾のサーヴァント、そこにキャスターが加わるとなれば、流石の私も分が悪い。敗色濃厚なのは認めざるを得ないでしょう」
「へえ、負け腰じゃねえか聖剣使い。そんなんで俺らの相手が務まるのかい?」
「さあどうだろうな。しかしなんにしても言えるのは一つだ。……盾の娘は、特別によしとしてもいい。だが貴公は赦さないぞ、光の御子。刺し違えてでも貴公だけは討つ」
「は……?」

 突然の宣言に、クー・フーリンといえども呆気にとられた。そしてその横で、小さくガッツポーズを取る男が一人。キャスターは悟った。様々な無理難題を投げ掛けられ、また多くの悪女を知っている男である。この流れは実によく知っていた。

「テメッ!? 謀ったな?!」
「伊達に女難の相持ちではないということだキャスター。俺とマシュのため、当てにさせてもらう」
「ああそうかい! ちくしょう、マスター運に変動はありませんでしたってかぁ!?」
 ニヒルに笑い、黒弓に剣弾をつがえる士郎は、光の御子の発する陽気さに当てられたのか先程までの悲壮感はなくなっていた。
 親しき者でも、因縁の深い相手であろうと、語るべきことのある相手であろうと。今は、ただ勝つのみ。

 決戦の直前、士郎は少し軽くなった心で、かつての罪の証に語りかけた。

「セイバー」
「……なんですか」
「いつか、お前を喚ぶ時が来るかもしれない。積もる話もあるが……それは、その時までお預けだ」
「――」

 己の為したことは、決して許されることではない。だが無かったことにも出来ない。なら、いつかは向き合うべきで、そしてそれは今ではなかった。
 セイバーは暫し目を見開き、士郎を見ていたが、その硬質で冷たい美貌にうっすらと笑みを浮かべる。

「……ええ。その時を楽しみにしています。しかし、」
「ああ、お前の負けず嫌い、骨身に染みて思い知っているよ。だから気持ちよく負かしてやる。――来い、セイバー。お前の負けん気に、キャスターが付き合う」
「俺かよ!?」
「はい。行きます、シロウ。そして覚悟しろキャスター。どうにも今の私は気が荒ぶって仕方がない。後腐れのないように全てをぶつける!」
「あーもう! わぁったよかかって来いや畜生めぇ! なんかこういう役回りが多いと思うのは気のせいか!?」

 くす、とマシュは微笑む。
 突然起こった事件だけど、最後はどうやら後腐れなく終われそうだった。
 それに、マスターの士郎の心も晴れてきた。それはとても、いいことだと思う。

 ――決戦が始まる。しかし、そこに悲壮感はない。





 

 

約束された修羅場の士郎くん! 3

■約束された 勝利の剣(下)




 ――指示あるまで待機。別命を待て。

 大聖杯のある空間にまで至った時、マスターはそう言ってアサシンに潜伏を命じた。
 弓兵の時のように背中を刺せとでも言うのかと思いきや、どうやら違うらしい。
 有効な手段であれば何度でも同じことをしてもいいが、相手は伝説の騎士王。極めてランクの高い直感スキルを持ち、奇襲などの手段が有効になることはまずないのだという。

 であれば正面戦力としては脆弱と言わざるを得ないアサシンは騎士王に仕掛けるべきではない。手数として数えるよりも、手札として伏せていた方が応用が利くため最初は自分とマシュだけで当たり様子を見る。

 ……己のマスターの説明は明瞭であり、また誤った戦力の運用をしないとしたスタンスは正しいと判断した。ゆえにこそアサシンはマスターの指示に従ったのだ。
 己に下された指示は待機の他に二つ。一つがマスターかデミ・サーヴァントの少女、どちらかが危機に陥った場合これを助けること。つまり身代わり(スケープゴート)になれと言われたのだ。
 暗殺者が戦力として期待できないなら、戦力となる者のために盾とする――それは冷徹なようでいて実に合理的な判断である。

 アサシンはその命令を受諾した。そして、もう一つの指示が――

 (あれは……キャスターのサーヴァントか)

 周囲の観察に余念のなかったアサシンだからこそ、誰よりも先にマスターらの戦闘領域に向かう存在に気づけた。
 それは、マスターから説明された冬木の状況から推察するに、恐らくは聖杯に汚染されていない生き残りのサーヴァントであると考えられた。
 一瞬、足止めするかと考えたが、それはやめる。あのキャスターは冬木の聖杯を争うサーヴァント。であれば敵対すべきはマスターではなく、セイバーである騎士王だ。物の道理に沿い、合理的に考えたなら、まずマスターの協力者となるだろう。よほど性質の破綻したサーヴァントでもない限り、その思惑を裏切ることはあるまい。

 騎士王や聖杯に対する既知感、押し寄せる感覚を全て雑念として処理しつつ、アサシンはジ、とマスターからの指示を待ち続けた。

 ややあって、キャスターを味方としたマスターと、盾の少女が騎士王との戦闘に移った。どうやら問題なくキャスターを戦力に組み込めたようだ。やはり抜かりのないマスターだな、と思う。
 セイバーとの因縁も、問題なく感情と切り離して処理できている。感情的に振る舞っているようで、その実、極めて冷静な光をその鋭い眼光に宿していた。
 そして一見ふざけているようで、騎士王からのヘイトを上手くキャスターに押し付けて見せた。単独戦闘能力はもとより、計算高さもまた充分なものだと品定めをする。真にマスターとしての力量を持つか、これで判断できた。
 彼は、恐らくマスターとしての適正が極めて高い。合理的でありながら時として非合理的に物事を考え、結果として最善を掴む。実戦経験は豊富で、硬軟併せ持った思考能力を持つが故に物腰に余裕があり、対人関係(コンビネーション)に支障を来たすこともない。話してみたところ思想は善に傾き、余程歪んだ者でもない限り問題なく戦力として活用できる知性もある。加えて、かなりの戦上手でもあるな――アサシンはもう一つの指示を思い返し、胸中にて独語した。

 『不慮の事態を想定し、大聖杯の真下に伏せて周囲への警戒を怠るな』

 ……特異点という異常地帯では、常に想定外の事態が起こり得る。名将の資質とは、そういったものへの備えを怠らないこと。
 何があるか分からない――分からない(・・・・・)ということは戦場では最大級の危険であるのだ。そういったものに備えるのは当然である。
『予想外だったから防げなかった』というのは言い訳にもならない。未知のトラブルに対するカウンター措置を用意するのは武装集団としての鉄則であった。

 そういう観点から見ても、衛宮士郎はマスターとして申し分ない。彼なら上手くやるだろうとアサシンが信用できるほどに。

 (大聖杯の真下で待機か。位置も見晴らしもいい。ここからならマスターの戦闘も、作戦領域に侵入しようとして来る存在も見通せる。……唯一警戒すべきものが、最も近い位置にある聖杯の泥とはね。皮肉なものだ)

 下手に聖杯への注意を切れば、時折り溢れてくる泥に呑み込まれてしまう。そんな阿呆のような末路を晒すわけにはいかない。
 ことが人類史に関わる重大事である。この場にいる全ての者に失敗は許されず、特異点を修復し、定礎を復元するためならこの一命を賭す価値が充分あった。

(さて。お手並み拝見だ、カルデアのマスターさん)

 この身を捨て駒とする用意はあった。用いるか用いぬかはマスターが決めることだ。そこまでは関知しない。

 熱のこもらないアサシンの視線の先で、冬木最後の戦いが繰り広げられていた。









 ――流石に強いな。

 不遜だが、俺も頭数に入れると三対一になるというのに、黒い騎士王は一歩も退くことを知らなかった。その奮迅はまさに獅子の如し。彼女の実力をよく知る俺ですら瞠目するに値した。
 左腕は折れたままだというのに、押されているのはむしろこちらの方。このまま両腕をセイバーが取り戻したら、きっと戦局は絶望的なものとなる。

 だが、妙な気分だった。俺は黒弓に次々と矢をつがえ、目標に射ち込みながら独語する。

 視界が拓け、心が澄み、頭が冷たい。なのに胸は熱く、自身を俯瞰する視点にブレは微塵も現れない。
 限界は近い。指は固く、魔力も集中力も底を突きそうだ。……なのに何故だろうか。全く以て、負ける気がしなかった。

 マシュを前衛に押し出し、キャスターをその背面に配置して詠唱させる。自身はひたすらにセイバーへ矢を射掛けるのみ。それだけだ。大火力の攻撃は、キャスターに任せた。
 対魔力を突破できるのか。そう訊ねると、自信ありげに任せろと言われた。ならば信じるのみ。大言壮語で終わらない、英雄の言葉を信じずしてなんとする。
 マシュの動きも鋭さを増していく一方。身に宿した英霊の戦闘技術の継承がもうすぐ完了するのだろう。生き生きとし始めたのが傍目にもはっきりとわかる。

 射撃に徹する傍らで、時折り鋭く警告を発する。セイバーの動きの癖、思考パターンを洞察し、彼女の狙いがマシュからキャスターに、キャスターからマシュに移り変わるタイミングを何度も指摘した。
 セイバーの剣は基本に忠実な王道のもの。奇を衒うよりもその剛剣にこそ注意せねばならない。随所で、要所で、強力な剣弾を射出してセイバーの意識をこちらに向けさせて、キャスターやマシュの援護を完璧に果たす。
 セイバーは俺の矢を無視できない。一度は俺の矢であわやというところまで行ったのだ。投影した剣弾は爆発させれば充分な攻撃力を発揮する。俺から目を逸らそうものなら、なけなしの魔力を振り絞って宝具を投影し、決定打を放つ腹積もりでいた。
 それが分かっているからか、壁役のマシュの守りを叩きながら、キャスターに化け物じみた魔力を乗せた卑王鉄槌を撃ち詠唱を妨害しつつ、徐々に聖剣に魔力を込めていっている。
 起死回生、聖剣の一撃に賭けるつもりなのか。臨界にまで達した聖剣が黒い極光の柱となって膨張している。鉄壁の防御を固めたマシュをいなしつつ、遂に左腕を癒しきった騎士王が逆襲に走った。

 ――約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)ッ……!

 解き放たれる闇の剣。究極斬撃。キャスターを狙った人類最強の聖剣は、しかし展開された燐光の盾に防がれる。苦し紛れの聖剣は、この盾にだけは通じないと分かっているはずなのに……いや、これは!?
 俺は目を剥いた。聖剣の振り終わり、切って返す振り上げの一撃は、まだ瀑布のような魔力をまとっている!

 ――何回耐えられる、盾の娘! 行くぞ、約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)!!

 連発! 聖杯からの魔力供給は凄まじく、セイバーは聖剣の連射によって盾の守りを突破しようというのだ。なんたる力業、暴竜が如き息吹。
 アァァァ――ッ! マシュが悲鳴に近い声で吠えた。度重なる疑似宝具展開に限界を迎えたのだろう。だが、猛攻は終わらない。

 ――まだまだ行くぞ、約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)!!



「体は剣で出来ている――」



 熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)

 咄嗟に手を伸ばしマシュの盾に重ねるように薄紅の七枚盾を投影する。出力の弱まっていたマシュの盾ではもう防げないと確信したのだ。
 全身から魔力を振り絞っての投影。七枚の花弁、その一枚一枚が古の城壁に匹敵するが、しかし。一瞬の拮抗の後にその全てを闇の津波に破壊され、マシュもまた弾かれるようにして吹き飛び気を失った。

「キャァスタァア!」
(まぁかぁ)せぇろォ!」

 力なく倒れ伏すマシュを気遣う余裕はない。鼻血を吹き、右肩から剣を突き出させながら吠えた。
 応じるのは詠唱を完了させたケルト神話最強の大英雄。影の国の門番、女王スカサハに授けられた原初の十八ルーン、その全てを虚空に描き同時に起動した。真名を解放、渾身の言霊を込めて光の御子は唱える。

大神刻印(オホド・デウグ・オーディン)――!! 善を気取り悪を語るもの、二元の彼岸問わずに焼き尽くされなァ……ッ!」

 光が奔る。大気が燃える。音が砕け世界が染まる。
 ランクにしてA、対城宝具に位置する魔力爆撃。光の御子のルーン使いとしての奥義は黒い騎士王の対魔力を貫通した。
 総身を灼かれ、莫大な熱量に包まれ騎士王の姿が消えていく。

 その様を見ながら、しかし俺は無意識の内に唱えていた。

投影、開始(トレース・オン)

 腹から、背から剣が突き出る。血反吐を溢しながら、死力を尽くした。

 手には息をするような自然さで、黄金の宝剣が握られていた。それは、俺があの日、彼女のために投影した彼女の剣。選定の、剣。

 息も吐けぬまま、黒弓につがえる。そして、何も見えない光の中へ、狙いも定めずに撃ち放った。

 ――まるで、導かれるような一射であった。

 全身に闇の魔力をまとい、全力で耐えきった黒い騎士王は、満身創痍の瀕死の姿で大神刻印の只中から飛び出し脱出する。上位の英霊ですら燃え尽きるような光を、その対魔力と回復力、溢れんばかりの魔力放出によって耐え、辛うじて死を免れたのだ。

 その胸の中心に、勝利すべき黄金の剣(カリバーン)が突き立つ。

「……信じていた。お前なら、きっと、こちらの予想を上回る、って……」

 こほ、と俺とセイバーは血を吐く。

 セイバーは、力なく微笑んだ。

「――シロウ。本当に、強くなりましたね」
「ああ……まったく。負けず嫌いも大概にしろよ……」
「まだ終わりではないのです。聖杯探索(グランド・オーダー)は、これからが始まりなのですから」
「……そうか、まだ、終わりじゃないのか」

 思い出したように笑い、俺はセイバーが投げて寄越した水晶体を受け取った。

「……これは?」
「見た目では分からないでしょうが、聖杯です。それは、私に勝った貴方のものだ。どうか受け取ってほしい」
「……わかった。これで終わりじゃないのなら、セイバーともこれが最後というわけでもないだろう。……また会おう。今度は肩を並べるために」

 黒い騎士王は、ただ微笑んで、消えていった。
 キャスターが嘆息する。その体は、セイバーに続いて消えかけている。
 聖杯戦争が終わったのだ。ならば、後は消え去るのみ。

「やれやれ大事の気配だな。ま、いいさね。お前さんなら上手くやるだろう。もしオレを喚ぶようなことがあんなら、そん時ゃランサーで呼べよ」
「……ああ。是非、そうさせてもらう。ついでだ、心臓を突かれた時の恨み、晴らさせて貰うかな」

 は? と疑問符を浮かべたキャスターの髪を数本引き抜き、投影した魔力殺し(マルティーン)の聖骸布で包む。これで、キャスターが消えても髪の毛だけは保存できるだろう。
 それをキャスターは微妙そうに見て、仕方無さそうに苦笑した。

「……ったく、こき使う気満々じゃねえか。貧乏くじばっかだねぇ、俺も。……じゃあな、小僧(・・)。次は仮契約じゃねえ。お前の槍として戦ってやる」

 そう言ってひらりと手を振り、キャスターもまたあっさりと消えていった。

 俺は思わず体から力を抜いて、その場に座り込みそうになる。
 だが、今座れば立ち上がるのに相当の時間を要する気がして、なんとか立ったまま天を仰ぐ。

 ……マシュを起こそう。

 特異点を作り出していた原因とおぼしき聖杯を手にいれたのだ。じきに、この特異点は修復され、定礎も復元されて何もかもがなかったことになる。
 カルデアからの連絡もまだだが、そろそろ来るだろう。後は事態の推移をロマニに説明するだけだ。

 と――その時。

 マシュに歩みより、体を揺すって起こそうとする俺の背中に、ここにはいないはずの男の声が掛けられた。

「やあ、衛宮士郎」
「……レフ・ライノールか」 

 振り返ると。そこには人外の気配を放つ男の姿があって。
 俺は、うんざりしたように溜め息を吐いた。








 

 

卑の意志は型月にて最強



士郎「変身しそうだった。今なら()れると思った。今は満足している」

 ――などと意味不明な供述を繰り返してしており、被告からは終始反省の色はうかがえませんでした。

士郎「反省も後悔もしていません。同じことがあったらまたやります。『俺は悪くない』」

 ――と検察側に語り、再犯の可能性は極めて高いと言わざるをえず、重い実刑判決が下されるものと見て間違いないとカルデア職員一同は――









「――というわけだ。納得頂けたかな? マシュ、ドクター」

 カルデアの管制室にて。
 特に何事もなく帰還した俺が特異点Fでのあらましを語り終えると、マシュは沈痛な顔で『まさか教授が……』と俯き、ロマニは難しい顔をして黙り込んだ。

「あっ――っははははははは! なんだそれ、なんだそれ――!!」

 唯一、声を上げて爆笑しているのは、三年前にカルデアに召喚されていた英霊、万能の天才ことレオナルド・ダ・ヴィンチその人のみ。
 管制室のモニターをばんばんと手で叩きながら、モナリザに似せた姿形の美女(に見える男)は、目に涙すら浮かべて笑い転げていた。
 抱腹絶倒とはこのことである。ある種、見事なまでの笑いぶりに、呆れたようにダ・ヴィンチを見遣るロマニとマシュ。眉を落として肩を竦める俺。一頻り笑い続けていたダ・ヴィンチだったが、暫くして気が済んだのかようやく笑いを収めた。

「それで? 奴さんは最期になんて言ったんだい?」

 まだ知り合って間もない相手ではあるが、その問いは俺にとって許しがたいものである。憮然として言った。

「最期の言葉を許すほど、俺もアサシンも甘くない」
「……つまり、何も言えなかった? 捨て台詞の一つも?」
「もちろん」
「……ぷふっ。な、なんだそれ……なんだそれ! 悪役としても三流とは! 傑作だよ!」

 ダ・ヴィンチはもう辛抱堪らんといった風情だった。彼の中の悪役像が気になる物言いである。

 ――時は一時間前に遡る。

 セイバーを倒した後に聖杯を確保し、聖杯戦争の終結に伴いキャスターが消滅すると、俺はマシュを起こしてカルデアへ通信を試みようとしていた。
 その時だ。突如、俺の背後に現れた緑の外套の男、レフ・ライノール。奴は頼んでもいないのに勝手に自分がカルデア爆破テロの犯人と名乗り出て、しぶとく生き残った俺を罵倒し、カルデアがまだ機能していることを知っていたのか「どうせカルデア内の時間が2015年を過ぎたら、外の世界と同じく焼却されるさだめにあるのさ!」と語ってくれた。わざわざタイムリミットを教えてくれるというおまけつきで。

 あまつさえ、何を勝ち誇っているのか、レフの言う「あのお方」なる黒幕の存在を教えてくれて、他にも特異点が発生することまで丁寧に教えてくれた。
 後は、この消えてなくなる特異点と運命を共にするといい! などと吐き捨て去っていこうとした所を、

 まあ、あれだ。

 ……真に申し訳ないが、あんまりにも隙だらけだったもので。

 つい、()っちゃったわけである。

 こう、アサシンに背中を刺させて。ぐさり、と心臓を一突き。まあ、なんだ。それだけだと死にそうになかったので、剣弾を都合七発叩き込んで針鼠にした。アサシンも念のため宝具のナイフを撃ち込んだ後、キャリコで滅多撃ちにしていたものだ。
 結果、大物を気取る小物なテロリストを、なんやかんやと仕留めることが出来たわけである。
 あまりにも予定調和過ぎて描写の必要性も感じないほどで、見所だったのは殺されてしまった自分を自覚し、顔を歪めたところだけだった。

 な、アサシン……!?

 あの顔はそんな驚きに染まっていた。一時とはいえ同じ組織に属した仲間だったこともあり、なんとも言えない気分にさせられたものだ。

「……」

 ロマニは難しい顔のままマシュの状態をチェックしておきたいという名目で、マシュを穏便に管制室から追い出した。
 それから、彼にしては珍しくかなり真剣な面持ちで俺に問いかけてくる。

「……それで、今の話だけど、僕はどこまで士郎くんを信じていいのかな?」
「む。ロマニは俺が信じられないのか?」

 それは、緊急時とはいえ、カルデアのトップに突然立たされた男の責任感ゆえの問いだった。
 個人的に信じられるかどうかではない。組織人として信用できるのかを見極めんとする、当たり前の疑いである。こんな問いかけをすること自体、人のいいロマニにとっては辛いはずだ。
 それを理解しているから、俺は疑われたぐらいでロマニに怒りの感情を抱くことはなかった。

 やや芝居かかった俺の態度に、しかしロマニは真摯に応じる。

「信じたい。けど、それ以上に僕はレフ・ライノールが裏切り者だったことが信じがたいんだ。悪いけど、僕はその現場を見ていないからね」
「……まあ尤もな話ではあるか」

 奴と俺では積み上げてきた信頼の度合いが違う。俺を信じろ! などと強弁したところで、なんの証拠もなく信じられるものではない。
 むしろ俺の方が怪しいとも言えた。一番始めにカルデアの内部犯に対する防備の薄さを危険視し、防備を固めるべしと提言。実際に爆破テロがあり、俺は狙ったように生き残り、レイシフトした上で帰還した俺の方がよほど胡散臭かった。端的に言って、出来すぎなのである。
 だが、俺が何かを言うより先に、ダヴィンチが意味深に笑みを浮かべながら言った。

「無駄な問答はやめときなよ、ロマニ」
「……無駄かな、これ」
「そりゃ無駄さ。カルデア最後のマスターは、我々にとって幸運なことに頭の切れる歴戦の勇士だ。これを見てみなよ、彼の経歴をまるっと纏めた資料だ」

 ダ・ヴィンチはカルデアが収集したとおぼしき俺の過去を記した資料を懐から出し、ロマニに渡す。その用意のよさに俺は微妙に嫌な気分になった。
 ロマニは医療機関の人間だったからか、詳しく俺の活動記録を把握していなかったのだろう。ざっと速読するだけで目を点にしていた。

 ……複雑なものだ。本人を前にそんな物を持ち出されるのは。

 嫌そうに顔を顰める俺を尻目に、ロマニは感心した風に呟く。
 どこか安心したように。

「……士郎くんは掛け値なしに善人なんだね、やっぱり」
「やめろ。そう改まって言うことか。ダ・ヴィンチが言いたかったのはそんなことじゃないだろう」
「そうさ。ロマニ、大事なのは彼が善人かどうかじゃない。読んでて気づかないかい? 彼は何度も外道な魔術師を狩っている。つまりそういった人間に対する嗅覚が備わっているのみならず、魔術協会から咎められないよう、保身を計れる計算高さがあるということさ。そんな彼が、己が潔白の証明を疎かにするはずがない。あるんだろう? 士郎くん。君には自分の証言の正しさを証明する物証が」

 何もかも見通したような言葉に、俺は苦笑した。なるほど、頭の出来が違う。この男ほどの智者には、俺如きの浅知恵など無意味らしい。
 肯定するように頷いて合図を出そうとすると、ふと資料を眺めていたロマニがあれ? と声を出した。

「? どうしたロマニ」
「いや、これ……なんか『殺人貴』とか書いて――」

 ぐしゃ。
 ぬっと腕を伸ばしてロマニの前にある資料を握り潰す。ああっ! と声を上げるロマニを俺は黙殺した。

「――無論抜かりはない。俺への疑いを張らす証拠はきっちり確保してある。……マシュをこの場から外してくれたことには感謝するぞ、ロマニ。あまりあの娘には見せたくない代物だからな」

 言って、今度こそ俺は合図(・・)を出した。
 何もなかったはずの場所に、突如、深紅のローブを被った暗殺者が現れる。
 ぎょっとしたように体をびくつかせたロマニと、感嘆したように口笛を吹くダ・ヴィンチ。

「見事な気配遮断だ、この私が全く気づかな……ああなるほど。それ(・・)は確かにこれ以上ない物証だね」

 感心したように頷いたダ・ヴィンチは、しかしそれ(・・)を見て表情を真剣なものにする。
 ロマニが呆気に取られたように目を見開く中、アサシンは肩に担いでいたものを、無造作に投げ出した。

 それは、人型の化け物、人外の存在。

 レフ・ライノール。そう名乗っていた男の、魔神柱とやらへの『変身途中』の遺体だった。







 

 

俺達の戦いはこれからだ!






 管制室から出た瞬間、男は膝から崩れ落ちるように倒れかかった。

「君は……なんというか、実に馬鹿だな」

 それを。アサシンのサーヴァントは受け止め、肩を貸しながら心なし呆れたように呟く。
 士郎は、口許に微かな弧を描きながら、囁きに近い声音で応じた。

「……すまん、切嗣」
「名前で呼ぶな。僕はアサシンだ」
「なんて呼ぶかは、俺の自由だけどな」
「……」

 この期に及んで調子を崩さない男に嘆息し。アサシンは利かん坊のマスターをさっさと医療スタッフに引き渡すことにした。
 外面こそ取り繕っているものの、マスターである男の体は危険な状態だった。
 現状、ただ一人マスターの能力、その詳細を聞かされているアサシンは、自身も固有結界を取り扱う魔術の使い手ということもあり、彼の体内で固有結界が暴走し術者の体を害していることがはっきりと分かっていた。

 体の内側から剣に串刺しにされ、魔術回路もショート寸前。一般的な魔術師の魔術回路の質が針金だとすると、マスターの魔術回路の強度はワイヤーである。そんな馬鹿みたいに強靭な回路が焼き切れる寸前なのだ。どれほどに無理を重ねていたのか、阿呆でも分かろうというもの。
 今、マスターは控えめに言ってズタ袋のようなもの。ただ生きてるだけの肉袋とも言える。彼が感じている痛みは、絶え間なく熱した鉛を全身に振り掛けられているようなものだろう。よく正気でいられるものだ。

 ――いや、あるいはもう、正気ではないのか。

 この男は狂っている、とアサシンは思う。
 だが、それでいい。狂いもせず、人類の命運は背負えやしない。それほどに重いものなのだ、自分以外の命を背負うということは。
 マスターは、とっくの昔に限界なんて越えているだろうに、ただ見栄を張りたいがために平気な顔をして管制室に足を運び、自身が得た情報を提供してこれからの方針を話し合っていたのだ。
 アサシン以外の目がなくなって、ようやく張り詰めていたものが切れたのだろうが……よりにもよって、この男は最もアサシンを信頼している。愚かなことだと暗殺者は思った。

「君をこれから医療スタッフに引き渡す。なにか言いたいことは?」
「ああ……ちょっと待て」
「なんだ」
「その前に、風呂に入りたい」
「……そんなもの、君が寝てる間に医療スタッフが清潔にしてくれる。死にかけの身で気にするようなことか」
「俺はこの程度じゃ死なないよ、切嗣」

 そう言われて、一瞬ぴたりと足を止めた。
 あたかも、このレベルの負傷は体験済みとでも言いたげな物言いである。流石のアサシンも閉口しそうになったが、マスターに言われると思わず納得しそうになった。

「死んでなければ安い。あんたもそう思うだろう」
「……」

 確かにと思ったアサシンは、マスターと似た者同士なのかもしれない。
 しかしアサシンとマスターの命は等価ではない。アサシンの代わりはいるがマスターにはいないのである。同じ尺度で図れるものではなかった。

「君は自分の価値をもっと自覚するべきだな。君というパーツは、唯一無二のものだ。僕と同じ視点でものを言う資格はない」
「……なあ、切嗣」
「……」
「……アサシン」
「なんだい?」
「俺のことは名で呼べ。君とかあんたとか、他人行儀な姿勢は好ましくない」
「……君は、まだ僕を自分の父親に重ねて見ているのか?」
「いや。だが俺達はもう『戦友』だろう」

 その言葉に、思わずアサシンはマスターの顔を凝視した。
 正気か、と再び思う。狂ってる、と思う。いや、と首を振った。コイツは、ただのバカだ。

「親子以前に、命を預け合う関係なら、もっと信頼し合うべきだ。こういうのは一方通行じゃ意味がない」
「……」
「切嗣」
「……はあ。とんだマスターに召喚されたもんだ。わかった、マスター命令だ。大人しく従うとする。士郎(・・)――これでいいかい?」
「グッドだ」

 満足げに微笑み、士郎はぐったりと体から力を抜いた。

 医療スタッフにマスター……士郎を引き渡しながらアサシンは思う。
 その笑顔(かお)は、あの少女にでも見せてやるんだな、と。







 ふと目を覚ますと、無機的な清潔さを保つ部屋にいた。
 視線の先には染み一つない白い天井。左手首には点滴を繋ぐ管がある。思ったように体が動かなかったので、視線だけを彷徨わせると、鈍った頭で自身が病室にいることを悟った。
 全身には包帯。何やら薬品臭いところから察するに緊急的な手術でもあったのかもしれない。
 大袈裟な連中だ、と思う。こんな程度でどうこうなるほど柔じゃないのに、と。
 だがまあ、疲れていたのは確かだ。少しくらいなら大人しく休んでもいいか、と曖昧に呟く。声には出なかったが、気配はしたのだろう。右手側に、んぅ、と可愛らしい寝息が聞こえた。
 そちらに目を向けると、マシュがいた。白衣に、眼鏡。縋りつくように俺の手を握っていた。

「……」

 その姿がいじらしく、なんとも言えない擽ったさを覚えて、俺はなんとなしに少女の髪を右手で梳いた。
 心地良さそうに、マシュは相好を崩す。
 子供の頭を撫でるのには慣れていた。流石にマシュを子供扱いはできなくなってきたが、それでも俺の中でマシュは慈しむべき妹分なのだ。……まあ世界中の弟分も含めたら結構な数になるが、それは言いっこなしだろう。血の繋がりだけが全てではないのだから。

 ふと、マシュが目を開いた。そして俺と目が合う。

「あ……せんぱい……」

 寝惚け気味にこちらを見て、嬉しそうに俺を呼ぶ。なんだか夢見心地のようで、暫く呆としていたが、少しして意識が戻ったのだろう。
 ハッとして目を一杯まで見開くと、驚き七割喜び三割といった表情で口を開く。

「ど、ど、」
「……ど?」
「ドクター! 先輩が目を覚ましました! ドークーター!!」

 突然跳ね起き、ロマニを呼びながら病室から飛び出ていった。それを眺めながら、俺は苦笑する。
 クールな外見に反して天然なところもある。それがマシュだった。時に独特な物言いもするし、変わったところも多々あるが、それでもいい娘なのに疑いの余地はない。

 ところで、俺はどれぐらい寝ていたのだろう。

 支給されたカルデア戦闘服を個人的に改造し、その上にいつぞや出会ったカレー好きの代行者から譲り受けた、赤い聖骸布を纏っていたのだが、今の俺は見ての通り病人服姿である。
 剣にかける魔力消費量より二倍かかるが、投影できないこともない。しかし思い入れのある品なので、出来れば目の届くところに置いておきたいのだが……。対魔力の低い俺にとって、外界への守りである赤い聖骸布は命綱なのだ。手元にないと心もとなくなる気持ちも分かってほしい。

 そんな益体もないことをつらつらと考えていると、妙に慌ただしい足音が聞こえてきた。
 ばしゅ、と空気圧の抜ける音と共に扉がスライドする。飛び込むように入室してきたのは気の抜けた雰囲気のロマニである。

「士郎くん!」

 ロマニは俺と目が合うと、大慌てで俺の体の調子を調べ始めた。
 機械を使い、触診し、俺が健常な状態と知ると大きな声で俺に怒鳴った。

「ほんっ――とに、君はバカだなぁ!」
「……起き抜けに失礼な奴だな」

 あんまりな物言いに、温厚な俺でもムッとする。
 なにやら俺が、如何に酷い状態だったか言い聞かせてきたが、聞くだけ無駄なので聞き流す。こういう時の医者はやたらと話を大きくしたがるのが悪いところだと思った。解析の結果、俺はもういつでも動けると分かっているのに。

 やがて怒鳴り疲れたのか、ロマニは肩で息をしつつ気を鎮めた。無理矢理落ち着けた語調で、ロマニは言う。

「……士郎くん。君は、自分がどれぐらい眠り続けたか分かってるのかい?」
「さあ。……三日?」
一週間(・・・)だ! 君が寝ている間に、次の特異点も発見してある!」
「……なるほど。じゃあすぐ行こう」
「バカ! このおバカ! 病み上がりに無理させられるわけあるか! 君はカルデア最後のマスターなんだぞ!?」
「だからこそだ」

 荒ぶるロマニを受け流しつつ、俺はベッドから降り立った。思ったより両足はしっかりとしている。これなら激しく動いても問題あるまい。

「ちょ!? 安静にするんだ! 医療に携わる人間として見過ごせないぞ!」
「あー、わかった、わかった。次の特異点とやらを修復したらゆっくり休む。だからそう騒ぐな」
「僕は! 今! 休めと言ってるんだよ!!」
「ロマニ、頼みがある。戦力増強のためサーヴァントを喚びたい。大至急条件を整えてくれ」
「人の話を聞かないなぁ君は!」

 近くにロッカーがあったので開いてみると、そこには黒い改造カルデア戦闘服と、赤い聖骸布が納められていた。
 手早く着替え始める俺を無理にでも取り押さえようとするロマニを片手であしらいつつ、着替え完了。
 ぜぇはぁと息を乱すロマニに、俺は言った。

「頼む。急ぎなんだろう?」
「……ちくしょー! 後で休ませるからな! 縛り付けてでも休ませてやる! マシュに頼んで押さえつけてもらって、レオナルドに怪しげな薬を打ってもらうからな!」
「わかった」

 善は急げだ。早くしろよ、と部屋から追い出し、俺もさっさとロマニに続いて病室から出た。
 特異点が特定されているのなら一刻の猶予もない。俺は病室の外で待っていたらしいマシュに声をかける。

「マシュ、ちょっといいか?」
「先輩……。……どうせ、休んでくださいって言っても無駄ですよね」
「分かってるじゃないか。いや、中でのやり取りが聞こえたか? まあそれはいい。俺にはマシュがいる。マシュが俺を守ってくれるから、何も怖くはない」
「もう。調子がいいんですから」

 さしものマシュも苦笑せざるを得ない言い方だった。でも、悪い気はしない。本当に悪い人です、と小さく口の中で呟いたのに、俺は気づくことがなかった。
 マシュに頼み、俺は英霊召喚のために用意されていた部屋に向かった。彼女の盾が召喚の基点になるとはいえ、一応マシュがいる中で召喚した方がいい。

「触媒は使わないんですか?」
「使わない。呼び掛けることが大事なんだ。仮に彼女(・・)が召喚できなくても、俺はちゃんと呼んだって言い訳になる。出てこないそっちが悪いってな」
「……流石先輩。保身に長けてますね」
「……皮肉? マシュが? ……そんなまさか」

 ちくりと言葉で刺された気がしたが、俺は気のせいということにした。
 マシュに毒を吐かれたら自殺ものである。泣きたくなるので勘弁してほしい。

 俺はここに来るまでにダ・ヴィンチの工房からくすねてきた呼符をマシュの盾に設置した。

「さて」

 鬼が出るか蛇が出るか。
 伸るか反るかの大博打、実はあまり期待してない。
 召喚を始める。光が点る。
 爆発的な魔力が集束し、英霊召喚システムとカルデアの電力が唸りをあげる。

 やがて、一際強く光が満ち、召喚は恙無く完了した。

「――ここまで来ると腐れ縁か」

 苦笑して、呟く。
 光の中に現れたシルエットは――

「サーヴァント、セイバー。召喚に応じ参上しました。問います、貴方が私のマスターですか?

 ――シロウ」

 ああ、と頷いた俺。まさか本当に来るとは思わなかったが、結果オーライという奴である。
 本命はランサーのクー・フーリンです、といったらどんな顔をするだろう。
 ちょっと見てみたい気もしたが、ぶん殴られそうなので黙っておく。

 なんにせよ、

「そうだ。久しぶり、セイバー。……アルトリア」

 名を呼ぶと、光の中から現れた『青い』装束の少女は微笑み。

 マシュは少しだけ機嫌悪そうに、俺の袖を掴んでいた。

「俺達の戦いはこれからだぞ、二人とも」

 だから仲良くしてください。
 俺はそう心の中で一人ごちる。

 ――こうして、俺達の人理を巡る戦いは幕を上げた。

 勝てるのか、と心の中で誰かが弱音を吐いた。
 勝てるさ、と俺は意図して断じた。

 俺がやらないで誰がやる。俺が勝てないなら誰が勝つ。
 必ず勝つ。勝って、俺は俺の誇れる俺になる。
 未来は俺に任せろ。俺は不可能を可能にする。人類は俺が救う。俺が生きた証を残すため、世界よ、俺のために救われろ。

 決意は胸に秘めるもの。だが一度だけ言わせてほしい。

「――俺達は無敵だ。そうだろう、二人とも」

 決意表明。青臭いが、きっとこれでうまくいく。
 セイバーが。マシュがいる。なら、俺の心に不安なんて生まれない。
 
 迷いがないなら、俺の道に壁はない。


 ――俺達の戦いはこれからだ!







 

 

メンタルケアだよ士郎くん!(※なおする側の模様)

 
前書き
コミュ回。

 

 



 ――何時か何処かの時間軸。



 ロマニ・アーキマンは、部下の医療スタッフが疲れきった顔をしているのに対して、柔和でありながら真摯な面持ちで向き合っていた。

 ここカルデアがレフ・ライノールによる爆破により壊滅的な損害を被り、スタッフの過半数が死亡、マスターがたった一人きりとなって暫くが経った。世は全てこともなし――なんてことがあるわけもなく、今日も今日とて激務に沈む。

 親しい同僚を亡くし、外界は滅び、日夜新たな人類史の異常を探りながら、なけなしの物資を遣り繰りする日々が続いている。
 タイムリミットは一年もないのに目に見える成果は殆どない。そんな状況で気の滅入る者が居ないはずもなく、スタッフの中には絶望し自殺を試みる者まで出始めていた。
 医療機関のトップであったのが、他に幹部がいないからという理由でカルデアのトップに立たされたのはロマニである。彼は士気の低いスタッフ達のメンタルをケアしながら、全体の作業の指揮を執るという激務という形容すら生ぬるい環境の只中にあり、気の休まる時間がない所か、体を休めることも儘ならない有り様だった。

 ――レフ・ライノールは実にいい仕事をしてくれたものである。

 彼は分け隔てなくカルデアの破壊工作に尽力し、その被害は七割にも及んでいた。戦争で言えばとっくに詰んでいると言っていい。
 そんな状況だから、スタッフの一人一人が担う仕事量は贔屓目なしに見ても殺人的なもの。医療スタッフも手隙の者がいたなら、他の部門のスタッフのメンタルをケアしつつ、その仕事を補佐して回らねばカルデアが立ち行かなくなっていた。
 必然タフな医療スタッフも限界を迎え、他のスタッフには見せられない弱った姿を、自身の直属の上司であるロマニに晒して精神の安定を計っていた。
 他者のメンタルをケアする側の人間が、精神的に疲弊した姿を周囲に見せられる訳がないのだ。誰が弱っている者に縋れる、寄りかかれる。ロマニの部下である医療スタッフ達は、もはやカルデアの精神的支柱となっていたと言っていい。そんな彼らは気負わざるをえない。その重責に、自身の心の均衡が崩れ始めてしまっても無理からぬ。

 だが、もし生き残った医療スタッフの一人でも心が折れてしまえば、途端にそれはカルデア全体の空気を汚染し、致命的な事態を引き起こしかねなかった。故にロマニは部下達の状態に常に目を光らせ、部下達の倍以上に働いた。
 自分のそんな姿を見せて、まだカルデアは大丈夫なのだと示さねばならないから。
 自分達なら人類史の修復という、有史以来最大の大偉業を成し遂げられると信じさせねばならないから。
 ロマニは目立たないが、確かにカルデアの大黒柱となっていた。……ならなくてはならなかった。

「……」

 部下との談話を終え、和やかに別れたロマニは、自室に戻るとストン、とベッドに腰を落とした。その寝台が使用された形跡はない。
 ロマニは時計を見た。
 午前3時。あと2時間後には部下が起床していつもの仕事に入るだろう。それまでに自分も出なくてはならない。
 今、横になったら起きられないだろうな、と思う。だからロマニはベッドに腰かけていたのを、デスクの椅子に移って体から力を抜いた。
 座ったままの仮眠。これなら一時間で起きられる。健康には悪いが……なに、一年も耐えなくてもいいとなれば楽なものである。直接命を張っているマスターの彼より、よほど楽な仕事だった。

 呆と、頭を空にして虚空を眺める。明かりは点いたままで、照明が眩しい。だが、なんでだろう。眠気がない。……ちょっと、まずいかな、と思った。

 思考が鈍い。仕方ないから薬でも飲んで誤魔化そうと決めた。今、自分が倒れたら、誰がカルデアを支える。マスターの彼と、マシュを誰が助けられる。
 スタッフの中に、余裕のある人間なんていない。体力的にはまだまだ元気な自分が頑張らなくてどうするというのだ。そう自身を励ましていると、ぱしゅ、と空気圧の抜ける音がして、扉がスライドした。意識なくのろのろと目を向けると、そこにはロマニの部屋を訪ねてきた男――黒塗りの改造戦闘服を纏った衛宮士郎が立っていた。

「よっ」

 なんて言って、二つのグラスと酒瓶を持つ手を上げてくる士郎。瞬間、ロマニの意識は覚醒した。
 かっと頭に血が昇る。唾を飛ばす勢いで士郎に食ってかかった。

「士郎くん!? なんでこんな所に……! もう午前3時だぞ!? 特異点が新しく特定されたばかりなのに、どうして休んでないんだ! 君の状態は常に良好に保ってないとダメだってあれほど――」
「ああ、はいはい、わかってるわかってる。だから、な? 落ち着けロマニ」

 無理矢理ベッドにまで押し返され、ロマニは片手で押し込まれるようにして座らされた。暴れる患者も押さえつけられるロマニが、腕力でまるで相手にもならない。流石に精悍な戦士は体格が違う。

「医者の不養生とはよく言ったものだ。気づいてるかロマニ、酷い顔だぞ」
「えっ……」

 言われて、ロマニは自分の顔に手を這わせた。目元に出来ている隈は隠してる。顔色もなんとか。
 ロマニにグラスを押し付けると、士郎は椅子をロマニの前まで運んでどかりと座る。そして、無造作にロマニに凸ピンを食らわせた。

「あっだぁぁー!」

 凄まじい威力に頭が吹き飛んだかと思った。

「いきなり何をするんだ!」とロマニは抗議したが、士郎は聞く耳を持たず。

 ロマニの手にあるグラスへ酒瓶の中身を――果実酒をなみなみと注いでいた。

「……えっと?」
「苺の果実酒、手作りだ。市販されてない奴だぞ。飲めロマニ。たまには男二人、酒を酌み交わすのも悪くないだろう」
「……」

 視線を手元に落とすと、そこにはなんとも旨そうな果実酒があった。
 知らず、喉を鳴らす。恐る恐る口に運んでみると、程よく甘く、アルコールが気持ちよくするすると胃の腑の中に落ちていった。

「……美味しい。すごい、こんな美味しい果実酒、飲んだことがない」
「そうか、それはよかった。そう言ってもらえると、手間をかけた甲斐があるというものだ」

 無骨に笑いながら、士郎も酒を口に含んだ。  暫しの沈黙。ちびちびと果実酒を飲んでいると、ふとロマニは気づいた。

「……これ、レモン入ってる?」
「入っている。普通は気づかない程度なんだが、意外と舌が肥えてるんだな」
「……もしかして僕、気遣われてたりするのかな」

 果実酒は、苺もそうだが、レモンもビタミンCを多く含み、ストレスへの抵抗性と心身の疲労を回復する効果があった。更にレモンの香りには高いリラックス効果もあり、ロマニは士郎が自分のために訪ねて来てくれたのだと遅まきながらに気がついた。
 士郎は飄々と肩を竦めた。

「なんのことか分からんな。勘違いだろう」
「……あのね、こんなの飲まされて気づかないわけないだろう? 気にしなくても僕は大丈夫だから」
「だから、勘違いだ。俺はセイバーから逃げてきたんだよ」
「……はい?」

 まさかの士郎の言い分にロマニの目が点になった。
 士郎は疲れたように溜め息を吐いていた。

「俺の趣味の一つに酒作りがあってな。今日も暇を見つけて日本酒でもと用意していたら……奴が現れた」
「奴、って……」
「俺が作った酒を飲んでみたいとか言ってな。まあ奴も舌は肥えてる。味見役にはちょうどいいと思い、飲ませてみたのが運の尽きだった。奴は酒もイケる口でなかなかの卓見を示してくれたが……いつの間にか酔いが回っていてな。……まあ、そういうことだ」
「あー……」

 ロマニの目に同情の色が浮かぶ。士郎はよく見ると窶れていた。暴君と化した騎士王に士郎は成す術なく付き合わされ、なんだか話がおかしな方向に転びかけたところを健気な後輩の献身によって逃れることが出来たのだという。
 己のマスターのために体を張ったマシュに、ロマニはちょっと目頭が熱くなった。

「そういうわけだ。だからちょっと俺の時間潰しに付き合え。どうせ暇なんだろう」
「……そうだね、暇だし付き合ってあげようかな」

 ここ十年は飲んだことがない美酒の魔力か、ロマニは士郎の戯れ言をあっさり信じ、士郎と酒を酌み交わすことになった。少しだけだよ、と前置きしながら。

 それから、何を話したのだったか。不覚にもロマニははっきりと覚えていない。ただアルコールが入ったせいか、やや饒舌になってしまったことは覚えていた。
 対面の男は聞き役に徹している。
 相槌のタイミング、空になったグラスに酒を足すタイミング、どれも秀逸で、あまりにも話しやすかったものだから、ついロマニも熱が入ってしまった。

 ――いつの間にか、ロマニは泣いていた。大粒の涙を流しながら所長のオルガマリーのこと、裏切ったレフのこと、死んだ部下のこと、仕事の大変さ、理不尽な今への愚痴を全て吐き出してしまっていた。
 いつしか泣きながらベッドに蹲り、寝入ってしまったことに、ロマニは最後まで気づかなかった。

 士郎は彼の体に掛布をかけ、ふう、と嘆息する。その顔には、責任感と絶望感に負けないように、意図的に激務に打ち込んでいた男に対する呆れと……それ以外の何か温かい感情が含まれていた。

「……ダ・ヴィンチ。終わったぞ」
「お、さすがのお手前」

 ロマニの部屋の外に出て、待機していた天才に士郎はそう言う。衒いのない賛辞に鼻を鳴らして、士郎は腕を組んだ。

「いやー、助かったよほんと。ロマニの奴、私が何を言っても聞かないんだもん。人前で倒れられたらまずいって言ったのに」
「それで、こんな芝居をやらせたのか。呆れた男だ」
「なんだとー。そっちだって乗り気だったじゃん。普通に睡眠薬飲ませるだけでいいって言ったのに、わざわざ果実酒作って、溜め込んでるもの吐き出させたんだから」

 あーあ、大の男が泣きながら寝ちゃって。これ記憶残ってたら恥ずかしさのあまり悶絶するねー。
 ダ・ヴィンチが意味深に流し目を送ってくるのに、士郎は再度溜め息を吐くことで応じる。

「……で、ロマニの抜けた穴はどうする気だ?」
「そこは天才ダ・ヴィンチちゃんにお任せあれ、ってね。さすがにサーヴァントの私は目立つからいなくなる訳にいかない。だからシミュレーターを使ってると言い張れる、不在でも怪しまれない士郎くんにお任せするよ。ロマニの身代わりを、ね」
「……体格も声も何もかも、俺とロマニは似ても似つかないんだが」
「じゃーん。こんなこともあろうかと、立体ホロ変装装置を作っちゃったんだ。これでロマニのガワを被れてしまうのだよ」
「……ドラえもんかお前は。まあいい、ただし一日だけだぞ。俺も暇じゃないんだ」
「ドラ……? ……分かってる。ていうか、一日もやれるの? ボロ出ちゃわない?」
「舐めるなよ。敵地侵入の際に敵幹部に成り代わり、その仕事を恙無く果たしていたこともある。ロマニの仕事ぶりはもう何日も見た。一日だけなら、まあなんとかできる」
「いやー、なんだかんだ士郎くんも万能だよね。私ほどじゃないけど」

 物真似は得意だからなと呟き、士郎はダヴィンチの手から怪しげな腕輪の装置を奪い取る。
 しかし、これが言う通りの性能を発揮するならかなり便利なのだが――

「あ、それカルデアの中でしか使えないから」
「……シミュレーターの機能と繋いでるのか」
「その通り! さすがにそんなのをどこでも使えるようにはできないかなー。あと私クラスの天才が二人いたら違ってくるだろうけど」
「何をバカな。お前みたいなキワモノが早々いてたまるか」
「あっ、酷い! そんなこと言うのか士郎くんは」

 軽口を叩き合いながら、二人はロマニの部屋から離れていく。
 士郎とダ・ヴィンチはロマニの眠る部屋を一度だけ振り返り――小さく、おやすみ、と呟いた。

 ある日の小さな一幕。
 そんなこともあった、と彼は後に懐古した。






 

 

お腹が空きました士郎くん!

 
前書き
青王コミュ 

 


青王とのコミュ回。




 ――カルデアに超級のサーヴァント『アーサー王』が召喚された。

 人理修復の戦い、聖杯探索に於いて戦力は幾らあっても足りるということがない。故に彼女のような強力なサーヴァントを召喚出来たことは、戦略的観点から見て実に喜ばしいことだった。
 だが、残念ながら個人的にはそうでもない。実際は複雑な因縁のために、手放しに喜べるものではなかった。

 騎士王アルトリア・ペンドラゴンは万人にとって善き生活、善き人生を善しとする理想の王である。だからこそ十年前の己の罪業が重く圧し掛かって来て、個人的な後ろめたさのために彼女との再会を喜べないでいたのだ。
 ……しかし俺も子供じゃない。一身上の都合を聖杯探索に持ち込むような愚は犯さない。
 うだうだと迷い、惑うのは信条に反する。切嗣亡き後の衛宮家の家訓は「迷ったらやれ、決めたらやれ、倒れる時は前のめり」で。冬木から出た後、知り合った人間が「明日からやるよ」とか抜かすと、「明日(・・)って今さ!」と真顔で言って尻を蹴るのは当たり前だった。

 子供達のような保護対象以外に対して、割と傍迷惑な野郎であるこの俺は、いつだって決めたことはやり遂げてきたものである。『衛宮士郎』に成り切ったことだって決めた通りに達成できたのだ。今更うじうじするほど女々しくはないし、過去の己の所業から目を逸らすつもりも、後悔することもない。
 いっそのこと、過去は過去として割り切り、何も言わずに黙っておくことも考えた。人間としては最低だが、要らぬ軋轢を生まないようにするのは一組織人として、唯一のマスターとして当然の配慮である。
 大人しく罪を清算しよう――なんて殊勝なことも考えないでもなかった。しかしこの人類の危機の中で、個人的な罪悪感から裁きを受け、マスターとしての役割を放棄するわけにはいかない。

 俺は人としての道に反することなく、同時にカルデアのマスターとして責任ある態度を取ることを求められていたのだ。

 ――そんな、何時か何処かの時間軸。

 彼女から向けられる信頼の眼差しが痛い。邪気なく微笑む顔に見惚れてしまった。謂れのないマシュの威嚇に戸惑う姿には笑みが漏れていた。気づけば何も言えてなくて。その癖、無意識の内に彼女の姿を目で追っていた。
 こりゃダメだ、と白旗を上げても許されるだろう。処置なしだ、どうやら俺は彼女に対してだけは普段の自分を張り通せない。
 惚れた弱みと昔の罪悪感が絶妙にブレンドし、ほぼ完璧にイエスマンに成り掛けている。というかなっていた。これは困ったぞと切嗣に相談したが、

『アレとは反りが合わない。僕とアレは会わない方がいい。これは確信だよ士郎。僕は可能な限りアレと接触することはない。だからアレのことで相談されても何も言えないな。率直に言って、面倒くさい』

 と、取りつく島もなく追い返されてしまった。
 訓練しましょうと誘われたらほいほいついて行き、シロウのお酒は美味しいですねと言われたら彼女が反転するまで酌をして、話をしましょうと言われたらこの十年で磨いた話術で彼女を笑顔にし、なんやかんやと我が儘を受け入れて甘やかして青ニート化させてしまいつつあった。
 駄目人間製造機の面目躍如である。このままじゃダメだと奮起した俺であった。
 そんな矢先のことだ。マシュとの戦闘訓練を終え、厨房を借りて個人的な賄い食でもと料理していると、どこから匂いを嗅ぎ付けてきたのか青いバトルドレス姿のアルトリアがやって来た。

「シロウ、お腹が空きました」

 ――まるで餌付けされた子犬のように、見えざる尻尾をぶんぶんと高速回転させたオウサマが食堂に現れた。

「……」

 ぐつぐつと煮込まれている春キャベツの重ね煮。白菜と豚肉のミルフィーユ。
 シンプルだが味わい深い季節のスープと、熱々の炊きたてご飯の相性は抜群だった。
 俺は不思議と凪いだ気持ちで、自然とアルトリアを黙殺する。いつもの俺にはできないことだ。アルトリアもちょっと調子が外れて頭の上にクエスチョンマークを出していた。

「……む。これはなかなか……」

 春キャベツの重ね煮のスープを平たい小皿によそって、味見をし文句のない出来映えに自画自賛する。
 俺の百八ある趣味の一つである料理の腕は、メル友のフランス料理界の巨匠から太鼓判を押される領域に至っていた。是非後継者にと迫られた時は満更でもなかったが、あれは酒の席のジョークに過ぎない。流石に本気にはしてなかった。
 まだまだ料理は奥が深い。シンプルなものにこそ腕と知識、閃きが問われる。極めたとはとてもじゃないが言えたものではないし、真の意味で極められる者など存在しないと断言できた。
 食堂にいたアルトリアが「おお……」と感嘆したような声を上げる。厨房から俺の賄い食の薫りが漂ってきたのだろう。目をこれでもかと輝かせて厨房を覗き込んで来ようとして――瞬間、俺は激怒(・・)した。

「出ていけ」
「えっ?」
「神聖な厨房に、料理する(たたかう)者以外が踏み込むんじゃあない……!!」

 静かに激する俺に気圧されたように、セイバーはすごすごと引き下がっていった。
 ……今、俺は怒ったのか? セイバー、アルトリアに?  はたと冷静になり、俺はその事実を咀嚼した。
 確かに、俺は怒った。アルトリアのイエスマンと化していた俺が。アルトリアを甘やかすことママの如しと揶揄されたこの俺が、だ。

 恐る恐る食堂のアルトリアを見ると、可哀想なほど小さくなって、何やら怯えた子犬のように濡れた目で俺を見ていた。

「ッ……」

 罪悪感で心労がマッハだった。すぐ駆け寄ってお腹一杯になるまでオマンマを食べさせてあげたい衝動に駆られる。しかし、しかし、堪えろ俺……! 今のカルデアには、到底あの胃袋お化けを満足させるだけの物資は残されていない……!
 俺はぐ、と耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ。そして、俺は完成した俺専用の賄い食をお盆に乗せて、食堂のテーブルにまで移動した。……無意識にアルトリアのいる席に。

「し、シロウ……」
「……」
「すみません……私としたことが配慮に欠けていました。シロウのような料理人(戦う者)にとって、厨房とは神聖なものであるというのは気づいて当然のことなのに……どうにも、シロウには甘えてしまう。シロウなら許してくれると度し難いことを無意識に考えていました」
「……こっちこそ、すまなかった。突然怒ったりして悪かったと思う。こうやって怒ったりするのはあまりないことだから……正直、俺も戸惑ってる」

 なんだか妙な空気だった。互いに謝りあっている。俺にとって、厨房があんなにデリケートな領域だとは思っていなかった。保護した子供達は、何故か普段の構ってちゃんぶりの鳴りを潜め、遠巻きにしていただけだが……もしかすると俺の雰囲気がいつもと違うと悟っていたのかもしれない。
 反省せねば。俺が悪い。アルトリアは悪くない。

「あの、シロウ……これは……」

 ふと、気がつくと俺は自分の賄い食をアルトリアの前に置いていた。
 涎がスゴい。目が釘付けになっている。
 ……俺は苦笑した。

「――どうぞ召し上がれ。思えばアルトリアに振る舞うのは久し振りだもんな」
「し、シロウ……!」

 感極まったようにアルトリアは俺を上目遣いに見上げ、神に祈るように両手を組んだ。
 大袈裟な奴、と更に苦笑を深くする。……まあ、一食ぐらい抜いても大事ない。今回ぐらいは甘やかしてもいいかな、と思った。
 アルトリアは行儀よく両手を合わせていただきますと言って、箸を器用に使って食べ始めた。
 一口で、アルトリアの顔色が変わる。そして震える声で言った。

「シロウ――貴方が私の鞘だったのですね」
「おいそれここで言うのか」

 なんか色々台無しにされた気分だ。

「シロウは神の一手を極めた。私はとても誇らしい」
「その表現はなんか違う」

 あと、別に極めてない。料理に極まることなんてない。そこは間違えてはならない。
 本当に美味しそうに食べてくれるアルトリアに、俺は自然と笑顔になってその食事風景を眺めた。
 少し夢中になっていたアルトリアは、食べている姿をじっと見られていることに気づいて顔を赤くする。物言いたげな目をしていたが、それでも箸が止まっていなかった。
 いちいち味を楽しみ、頷きながら食べる姿に、懐かしい思いが甦る。
 そして、なんだか昔のことがどうでもよくなってきた。昔の関係を偽りだと感じるのなら、新しく始めてしまってもいいのでは、と、実に手前勝手で傲慢な考えに支配されたのだ。

 偽物を、本物にする。まあ、そう思うことは許されるのではないだろうか。だからといって過去のことがなくなるわけではないが。俺はアルトリアに嫌われたくないし、俺は俺のエゴで罪を忘れよう。
 最悪で、最低だが――人類を救うのだ、ちょっとぐらい多目に見てもらってもいいはずだ。

 一瞬、見透かしたような顔で微笑んだアルトリアには気づかず。

 俺は、世間話のようにアルトリアに提案した。

「なあ、セイバー」
「はい、なんでしょう」

 綺麗に完食し、流石に少しは弁えているのかお代わりの要求はなく。アルトリアは、見惚れるぐらい綺麗な姿勢で俺に応えた。

「ロマニだけじゃないが、カルデア職員の負担が大きすぎる。なんとか出来るサーヴァントを呼びたい。誰か、アルトリアが喚んだら来てくれないか?」
「……む。……それでしたら、適任の者がいます」

 一瞬考え込み、すぐにアルトリアは思い至ったのか円卓の騎士を推挙した。

「その忠誠に曇りなく、文武に長けた忠義の騎士。
 ――サー・アグラヴェイン。
 彼ならきっと、こんな私にも応えてくれます。円卓の中で彼ほど今のカルデアで助けになる者はいないでしょう」

 なるほど、ありがとうと呟く。
 マシュのあの盾を基点に、騎士王が召喚を呼び掛けたらきっと円卓なら狙って呼び出せる。
 個人的に円卓にいい印象がないので、出来るなら一人も喚びたくなかったが、ロマニの激務を一日だけとはいえ体験した今、見過ごせはしない。
 一人だけならいいかと思う。叶うなら、その騎士と上手くやれたらいいなと呟いた。

「シロウなら大丈夫ですよ」
「……何を根拠に?」

 胸を張って断言するアルトリアに、俺は問いかけた。

「だってシロウは鉄よりも固くて、剣よりも熱い。アグラヴェインは人嫌いですが、貴方の前では形無しでしょう」
「……そうか?」

 わかるような、わからないような……いや、やっぱりわからん。
 地頭が良くないのだ、妙な表現には首を捻ってしまう。
 まあいいや、と口の中で溢し。

「そうだ、アルトリア」
「なんでしょう」
「今夜、どうだ」
「――はい」

「酒にな、付き合えよ」
「――、……」
「……?」
「シロウ。あまり、私を怒らせない方がいい」

「???」





 

 

やっぱりマシュマロなのか士郎くん!




 ――何時か何処かの時間軸。



 カルデアの食堂にしれっと居座り、サーヴァントでありながら完全に馴染んでいる青いバトルドレス姿の騎士王サマ。
 彼女に対してえもいえぬ敬意を霊基(カラダ)の奥底から感じるも、それよりも更に深い、自身の内側より生じている強い感情の渦に、マシュは自分でも戸惑っていた。

 制御できない想い。騎士王が召喚されてからずっと続く心の感触。こんな気持ちは初めてで、正直なところ持て余してしまっている。
 こういう時は尊敬する先輩に訊ねればいいと経験上学んでいた。あの人はとても物知りだから、きっと今度もこの感情の正体を教えてくれるはずだ。

 ……でも、流石にいつも教えられてばかりというのは情けない。少しは自分で考えてみよう。

「セイバーさん……」
「? はい、なんでしょう」

 正体不明の感情を自分で分析してみると、論理的に考えてその原因はイバーにあるような気がして、マシュは思い切って彼女に対し今抱いている疑問を質してみることにした。
 声は固く、顔も堅い。マシュ自身は気づいていないが、それはとても友好的とは言えない表情だった。常の礼儀正しく生真面目な少女には見られない表情は、きっとマシュをよく知る人物ほど驚くものだろう。

 しかしその、どこか剣呑な顔に、セイバー・アルトリアは気を悪くした様子もなく、いたって好意的で友好的な、物腰柔らかな調子で応じた。
 その余裕のある態度も、マシュを苛立たせている。苛立っていることに気づかないまま、棘のある声音で彼女は問いを投げた。

「今、カルデアの物資は乏しく、誰もが辛い思いをしています。食料の備蓄も非常に心許ないので、特異点にレイシフトした際には、聖杯探索と平行して食料を調達することも重要な任務となっているのはセイバーさんもご存知のはずです」
「ええ、確かに」
「――でしたら何故セイバーさんは食堂(ここ)に? 食事の必要のないサーヴァントの方は、みんな自重してくださっているのですから、セイバーさんもみなさんに倣うべきではないでしょうか」

 サーヴァントだって元々は人間なのだから、娯楽に乏しいカルデアの中で食事ぐらい楽しみたいはずだ。
 だが、今のカルデアには無駄にしていい食料は米粒一つありはしない。故にサーヴァント達は皆、生きている人間のために食事を我慢しているのだ。
 先輩の父であるアサシン、強くて頼りになるランサーのクー・フーリン、とても厳しいけど信頼できるアグラヴェイン。彼らは文句一つ言わない。特にアグラヴェインなんて、カルデアに召喚されて以来、恐らくカルデアで一番働いてくれている。一度も休まずに。サーヴァントに休養は要らないと言って。我が王のために、と。

 だというのにこの騎士王と来たら……堪え性というものがないのかと厳しめに言ってしまいたくなる。
 しかし。アルトリアの余裕は崩れなかった。

「その通りです。ですので私も、最初の一度だけで自重しています。ここにいるのは、食事以外の楽しみがあるからです」
「食事以外に食堂ですることなんてないはずです」
「いいえ。……ここからはシロウの姿がよく見える。私にはそれだけでいい」

 アルトリアは、日向のように温かい表情で、厨房でマシュと自身の分の料理をしている先輩――衛宮士郎の姿を眺めていた。
 真剣に料理と向き合う佇まいには、ある種の風格がある。言葉一つ差し挟むことの出来ない領域にいる彼に、アルトリアはマシュの知らない心を向けていた。
 思わず、言葉を失う。それは、なんて――

「……サー・アグラヴェインが何も言えない訳です」

 ぽつりと溢れた呟きは、マシュの物ではなかった。霊基が仕方無いな、と言っているようで。なんだか、負けたくないなんて、何かの勝負しているわけでもないのに思ってしまった。
 アグラヴェインは騎士王を見て何を思ったのか。複雑そうな、苦しげな、熱した鉄を飲み下すような苦渋の表情で、それでも騎士王を「我が王」と呼んだ。
 ただその後に彼は士郎を何処かに呼び出して、何かを話していたようだった。その後の彼は、恐らく過去一度もないほどに酔い潰れていて、士郎は頬を赤く腫らしていた。

 それからの彼は士郎をマスターとしっかり呼び、士郎はアグラヴェインを親しげにアッくんと呼び始めた。
 アグラヴェインは嫌そうな顔を崩さなかったが、それでもどこか士郎のことを認めていた。

 酔わないはずのサーヴァントが酔っていたのは、例によって例の如くダ・ヴィンチが絡んでいるのだろう。例え死んでいようと神様だって酔わせて見せるとは士郎の言である。何を目指しているのかは不明だが、なぜか今までで最も毅然としていたものだ。

「……」

 むすっと黙り込んで、マシュも士郎の姿を負けじと見つめる。
 なんとも言えない空気の中、士郎は調理を終え、夕食となるホタテのホイル焼きとさつま芋のレモン煮を二人分運んできた。ほくほくの白米もある。

「お待たせ。……アルトリアも飽きないな。見ていて何が楽しいんだか」
「何を楽しみにするかは私の勝手でしょう。それに」

 言いながら、アルトリアはマシュに慈しむような目を向けた。

「待っている間、彼女と話しておくのも私にとっては楽しいものです。まるで年の離れた妹を見ているようで」
「ん? 仲良くやれてるのか。それは重畳」
「……」
「マシュ? どうかしたのか?」

 むっつりとした表情でむくれているマシュを、士郎は気遣うように頭を撫でた。
 ……色々な時代の様々な特異点にレイシフトして、そこで多くの人々と触れ合う中で気づいたのだが、士郎が頭を撫でるのは子供などの保護対象だけである。それはつまり――そういうことだった。

「……やめてください」
「!?」

 ぽつりと呟くと、士郎は驚愕したように固まった。そして「マシュに反抗期が!? そんな、バカな、うちの子に限っては有り得ないと思ってたのに……!」なんて慄いている。
 わたし、子供じゃないです……誰にも聞かせるつもりのない呟きが聞こえたのか、ぴたりと止まった士郎とアルトリア。俯いたマシュに、士郎はややあって優しく言った。

「……どうかしたのか?」
「……」
「……アルトリア、悪いが少し席を外してくれ。余り聞かれたいことでもなさそうだ」
「はい」

 アルトリアは席を立ち、離れていく。そしてその姿と気配が食堂から無くなると、士郎はもう一度、噛んで含めるように語りかけてきた。

「なあマシュ。何か気になることでもあったのか?」
「……」
「俺は神様じゃない。言ってくれないと分からない。だから、思ったこと、感じたことをそのまま言ってほしい」
「……わたし、は……」

 包み込むような包容力だった。そこには隠しようのない慈愛の色があって、マシュは溢れてくる気持ちを抑えることができなかった。
 醜い気持ちを、溢してしまう。こんな汚い想いを知られてしまえば、きっと嫌われてしまう。怖いのに、止められなかった。

「……わたし、セイバーさんが嫌いです」
「……」
「今まで、先輩はわたしといてくれたのに……最近はずっと、セイバーさんとばかりいて……」
「……」
「……え、あ、違っ、そんな、わたしはそんな、嫌いなんて……」
「本当に?」
「あ、ぁ……」
「本当はアルトリアが気に入らないんじゃないのか」
「ぅ、……」
「……」
「……わたし、最低です……セイバーさんは、あんなにもいい人なのに……」
「……そうか。……よかった」

 マシュにとって、この気持ちは感じたことのないもので。
 醜いと、汚いと思ったから、知られたくなくて。
 でも、聞かれてしまって。自分を抑えられなくて。
 知られてしまった、士郎に嫌われてしまう。嫌だ、それだけは、嫌だ。そう思って、混乱しそうになっていると。――士郎は信じられないことに、安堵の息を吐いていた。

「……え?」

 戸惑い、声を上げる。

「これは受け売りなんだが……」

 そう前置きして、士郎は苦笑した。誰かを思い出すような目だった。

「少女は嫉妬を手に入れて、初めて女になるそうだ。……おめでとう、マシュ。お前は今、人として成長した。卑下することはない。ただ認めてこれからの糧とするといい。それが……大人の特権だ」

 言って、マシュの頭を撫でようとし、手を止める。
 困ったように笑みを浮かべながら、士郎は手を引っ込めた。

「……子供扱いはできないな。これからは、レディとして扱わないと」
「ぅ……」
「食べよう。冷めたら味が落ちるからな。ほら、いただきます」
「ぃ、いただき、ます……」

 促されて、マシュは赤い顔を隠しながら両手を合わせた。
 ……これは、喜び?  大人として見られたことへの。それとも……。ぐるぐると頭の中で感情の波が渦を巻く。
 胸が苦しい。なのに、悪くない気持ちだった。

 ――セイバーさんに、謝らないと。

 士郎と向き合って、汚い感情を手に入れて。
 それでもマシュ・キリエライトの心に変容はない。
 いっそう強まった意思の結晶が、少女を女にして、輝きを強いものとしていった。





 

 

急げ士郎くん!

 
前書き
プロローグ 

 



「由々しき事態だ」

 憔悴しきった顔で、ロマニ・アーキマンは言った。

「……落ち着いて聞いてほしい。君が眠っている間に特異点を七つ観測したというのは話したね」

 首肯する。ブリーフィングで確かに聞いた。

「今回、レイシフト先に選んだのは、その中で最も揺らぎの小さいものだったんだ。けど……」

 カルデアには、今回の第一特異点で、今後のために聖杯探索の勝手をマスターに掴んで貰おうという思惑があるのだ。その選択は決して間違ってはいない。
 今後、カルデア唯一のマスターが至上命題とするのは、人類史のターニング・ポイントとなるものを歪ませる異物を特定、排除すること。その上で、おそらくあるだろうと推測される聖杯を回収、または破壊することである。

 聖杯ほどの願望器でもなければ、とてもじゃないが時間旅行、歴史改変など不可能。せっかく歴史の流れを正しいものに戻しても、聖杯が残っていればもとの木阿弥とはロマニの言だった。

 管制室のコフィンの前で改造戦闘服の上に赤い聖骸布『赤原礼装』を纏い、ダ・ヴィンチ謹製の射籠手である概念礼装を左腕に装着する。
 改造戦闘服により、投影によって魔術回路にかかる負荷が軽減している感触と、射籠手を通してカルデアから供給される魔力の充実感に己の感覚を擦り合わせ、実戦の最中に齟齬が生じないように当て嵌めた。

 ダ・ヴィンチによると、英霊を維持し、魔力を供給するよりも、概念礼装を通してマスターに魔力を流す方が遥かに簡単だということだったが……ここまでの効果があるとは流石に思わなかった。これなら、まず魔力切れを恐れる必要もなくなってくる。
 カルデア職員から渡されたペットボトルに口をつけ水分を補給する。礼を短く言って返却し、コフィンに入りながらロマニに話の続きを促した。

「……実は君が起きて、レイシフトに向けて準備を整えてる間に……異常なことが起こったんだよ」

 顔面蒼白だった。からからに乾いた声が、危機的状況を端的に告げている。

「この第一特異点の修復完了後の予定として、レイシフトするはずだった第二特異点の座標を早期に特定出来たんだ。それはいいことだろう? でも、それが……僕らが観測した時には、人理定礎の崩壊がかなり進んだ状態になっていたんだ。――ああっ、つまりだね、簡単に、簡潔に言うとだ、人理が崩壊する寸前なんだよっ!」

 喚くようにロマニは唾を散らした。その様は錯乱に近い。
 他のスタッフはまだ何も知らされていないのだろうが、この管制室にいるスタッフは流石に知っているのだろう。張り詰めた雰囲気は、破裂寸前の風船を彷彿とさせる。

 頭の片隅で、人手不足のせいで全体の作業能率が低下しているんだなと悟り。時間に余裕ができたら、その問題を解決する方法を考えねばならないと思う。
 ロマニは息を整えて、なんとか言った。

「カルデアスは既に、第一特異点に座標を固定してある。レイシフトの準備も終わっていて、今更レイシフト先を変更することはできない。下手をすると第一特異点を見失いかねないからだ」

 道理である。予定を土壇場で変更して、急遽別の任務を挟んでもいいことなど何もない。レイシフトを予定通りに行なうというロマニの判断は正しい。
 だが、正しいからとそれで事態が丸く収まるわけではない。

「無茶を承知で頼む。士郎くん、これから赴く特異点の人理定礎を、早急に修復してくれ。一刻の猶予もないんだ、なるべく、なんて曖昧なことは言えない。比喩抜きで、一秒でも早く(・・・・・・)、戻ってきてくれ」

 タイムリミットは。
 聞くと、ロマニは固い唾を呑み込んだ。
 自分がどれほどの無茶を言わんとしているのか、その重圧に喘ぐようにして囁いた。

「――次の特異点が、致命的に修復不可能なところにいくまでに要する時間は、おそらく十日だ」

 管制室のカルデア職員達が、固唾を飲んでこちらを見る。
 凄まじい重圧に、しかし負けず。跳ね返す鋼のような声で、カルデアのマスターは応答した。

「――了解。四日(・・)以内に戻る。それまでに次のレイシフトの準備をしておけ」

 士郎くん、と呼ぶ声。

「病み上がりなのに、すまない。でも、それでも僕らは君に頼らないといけない。お願いだ、どうか無事に戻ってきてくれ……!」

 ロマニ、と苦笑した声。

「俺を誰だと思っている。任せろ、必ず上手くいかせてみせるさ」

 ――アンサモンプログラム スタート
 ――霊子変換を開始 します
 ――レイシフトまで後 3、2、1……
 ――全工程 完了(クリア)  ――グランドオーダー 実証を 開始 します









「さて……」

 今度はコフィンを使用して、正規の手順でレイシフトしたためか、特に問題なく意識は覚醒した。
 傍らを見ると、マシュとアルトリアがいる。召喚予定だったクー・フーリンは、召喚のための準備が間に合わなかった。
 まあ、それはいい。瞬間的に気配を消し、姿を隠したアサシンも、こちらの声が届く所にいるだろう。
 辺りを見渡すと、どうやらここは、どこかの森の中らしい。木々が生い茂り、のどかな空気を醸していた。

 マシュが、緊張に強張った声で言う。

「……時代を特定しました。1431年です、先輩」
「中世か。しかもその時代となると、」
「百年戦争が事実上終結しジャンヌ・ダルクが火刑に処された年でもあります。……それよりもシロウ、気づきましたか」

 アルトリアが補足するように言い、促してくる。俺はそれに頷いて、空を見上げた。

 そこには、青空が広がっていて。
 巨大な光の環(・・・)が、ブラックホールのように横たわっていた。

 な、とマシュが呆気に取られた声をあげる。俺は目を細めた。
 カルデアからの通信が繋がった。ロマニに空を調べるように言うと、彼も酷く驚き、アメリカ大陸ほどの大きさだと教えてくれる。

 空にアメリカ大陸サイズの光の環、か。こうまで目に見える異常があると、なんとも危機感が煽られてくる。
 移動しましょうというアルトリア。それには応えず、沈黙したまま腕を組む。
 訝しげに俺を見るマシュ達を無視し、沈思するフリをしていると、やがて気配を断ったまま俺にだけ見える位置にアサシンが実体化した。
 ハンドサインが、一方的に送られてくる。
 それでいい。アサシンには、レイシフトしたらすぐに周囲の索敵をするように指示していた。

 焦点は合わせず、視界に映ったものを全て見る捉え方をしていると視野が広く保て、アサシンを注視しないでもそのサインは確実に見てとれた。

 敵影なし。

 武装集団あり。

 脅威度『低』。

 接触済み。

 情報入手済み。

 南東に敵性体がある可能性『高』。

 進行を提案。

 ――流石に仕事が早いな。俺は一人ごち、二人に対して言った。

「……南東に向かう。召喚サークルの設置は現時点では不要だ。急ぐぞ」  




 

 

悲しいけど戦争なのよね士郎くん!





 敵と交わす口上無く。
 敵に対して容赦無く。
 敵の事情を斟酌せず。
 一切の情けなく撃滅するべし。

 時間との戦いだ。必要以上に気負うことはないが、かといって余裕を持ち過ぎてもならない。
 合理的に、徹底して効率を突き詰めて自分達を管理せねばならなかった。
 森の中で、用を足すと言って茂みに隠れ、そこでアサシンと小声でやり取りし情報を得る。

 ――竜の魔女として甦ったジャンヌ・ダルク。殺害されたフランスの国王シャルル七世と撤退したイングランド。大量発生している竜種とそれを操っているらしい黒いジャンヌ。確認されたサーヴァントらしき者は現状四騎は確定――

(了解だ、切嗣)

 フランスは世界で最も早く自由を標榜した国家だ。もしフランスが滅びてしまったとしたら、それは時代の停滞を引き起こし、未来はその姿を変えることになるかもしれない。
 そういった意味で、確かにこの時代が特異点足り得る因果があることを認め、アサシンと俺は竜の魔女とやらが特異点の原因であり、聖杯を所有している可能性の高い存在だと推測した。
 目標決定。ジャンヌ・ダルクを討つ。その上で聖杯を確保する。竜の魔女は南東にいるという、向かわぬ理由はない。仮に当てが外れたとしても核心に近い存在なのは明らかだ。

 強行軍で南東の方角に向かっていると、道中、この時代のフランス軍――その残党を発見。接触し、情報を得るべきだというアルトリアの意見を退ける。
 なぜと問われ、俺は端的に答えた。現地の人間と関わる必要がない。必要な情報は既に俺の使い魔が入手して把握してある、と。

 アルトリアは眉を顰め、怪訝そうにした。使い魔? 自分のマスターはいつの間にそんなことを。そこまで考えて、アルトリアは察した。
 自分達の他にサーヴァントがいる。しかしマスターはそれを知らせるつもりはない。マスターの気質から考えるに、そのサーヴァントの方が自分達の前に姿を現すのを拒んでいるのか。気配のなさ、素早い行動と高い情報収集能力から類推するにクラスはアサシンだろう。裏方に徹し、あくまで裏からマスターを補佐しようというプロ意識なのかもしれない。それならば、アルトリアから言うことはなかった。陰の、草となる者は必ず必要だからだ。

 問題はいつ召喚されていたのかだが……いや、そんなことはどうだっていい。確認する意味がない。
 時間にして二時間と三十分ほど一直線に駆けた。英霊とデミ・サーヴァントにはどうということもない距離だが、生身の人間には厳しいのではとマシュがマスターを心配する。するとマスターは言った。

 無用な気遣いだ。この程度どうということもない。その気になれば一日だって駆けていられる。人の身で人外の怪物と渡り合うにはヒトの極限に至らねばならず、そのための訓練は積んでいるんだ。

 戦争の中で最も過酷なのは行軍である。であれば如何に戦闘技術が高かろうと、足腰が弱く足の遅い者達の軍は精強とは言えない。軍隊で延々と走らされるのは、体力作りのためでもあるが、何より長距離の移動を歩行で行なえる下地を作るためなのである。
 アルトリアが同意する。まさにその通りだと。足の遅い、長距離の移動がままならない軍など物の役にも立たない。いつの時代もそれは共通していた。

 進行方向に敵影。

 敵性飛翔体。竜種――あれは下級のワイバーンか。断じて十五世紀のフランスにいていいものではない。
 数は九体か。こちらには気づいていないが……。
 どうしますか、とアルトリアがマスターに訊ねる。汗一つ流していないマスターは、戦闘体勢を取る二人を制し待機を命じた。

 丁度良い機会だ。敵の脅威を図る。

 射籠手に包まれた左手に黒弓を。右手に最強の魔剣グラムと、選定の剣カリバーンの原典に当たる「原罪(メロダック)」を投影。
 エクスカリバーほどではないが、触れるモノを焼き払う光の渦を発生させることができる。消費した魔力はすぐにカルデアから充填されるのだ。魔術回路にかかる負荷は想定していたものより遥かに軽微。
 投影した宝剣を弓につがえ、ワイバーンの内の一体に投射。貫通。射線上のもう二体も易々と貫き、三体を葬った。ワイバーンがこちらに気づき向かってくる。

 構わず。

 今度は投影工程を一つ省き、魔力も絞った再現度七割の「原罪」を投影。無造作に投射。これも貫通。鱗も肉も骨もまるで紙のように貫いた。残り五体。
 更に投影工程を省略。再現度五割「原罪」投影。投射。貫通。残り四体。
 継続して工程を省略。もはや張りぼての粗悪品でしかない再現度三割の「原罪」を投影。投射する。ワイバーンを貫くも、貫通した「原罪」の威力が目に見えて低下していた。残り三体。
 算を乱し逃げ出したワイバーンに向けて、通常の剣弾を放つ。都合六発。一体に対して二射、心臓部と頭部への射撃で事足りた。

 弓を下ろし、マスターは適切な投影効率を割り出せたことを確信。ワイバーンに対しては宝具の投影の必要はない。

「……呆けている場合か? 行くぞ」

 感嘆したように目を瞠くサーヴァント達を促し、マスターらは一路駆けていく。
 マスターは思う。魔力の充実感が凄まじい。強化した脚力を維持することがまるで苦にならない。なるほど、マスターが昏睡している間、冬木での戦闘データから専用の概念礼装を発明したダ・ヴィンチは確かに天才だ。これほどの装備、望んで手に入る物ではない。

 だが、弁えるべし。所詮この身は贋作者。人の域を出ない定命の人間。
 相手がサーヴァントか、それと同位の存在が現れたなら、決して今のように上手くいくことはない。分不相応の魔力を手にしただけで増長すれば命取りになる。
 やがて、マスターとサーヴァント二騎は一つの砦を発見した。
 火炎に炙られ、城壁は崩れ、城門は砕かれている。戦闘の気配はないが、破壊の痕跡はまだ新しい。

「……壊滅してまだ間がないのかもしれません」
「ええ。敵が残っているかもしれません。警戒していきましょう」

 マシュとアルトリアの言葉に頷く。そして暫し沈思し、アルトリアにこの場で待機することを命じた。

「なにを? 戦力の分散は……」
「下策だ。だが、お前をここに残すことの意味、戦争の視点で見れば分かるだろう」
「……それは、確かに有効です。しかしあそこにはまだ無辜の民がいる可能性があります」
いない(・・・)

 マスターの断言に、アルトリアは眉根を寄せる。

「……根拠はなんです?」
「分かっていることを聞くな。敵の拠点を制圧、占拠することが目的なら、あそこまで徹底して砦を破壊することはない。俺達が敵とする連中は、相手がなんだろうと殲滅する手合いだろうさ。そして仮に生き残りがいたとしても意味がない。真の意味で人々を救おうとするのなら、この特異点を正しい歴史の流れに戻し、今ある悲劇をなかったことにするしかないだろう。違うか?」
「道理です。……今は大義を優先します。マスターの命に服しましょう」
「助かる。マシュは俺と来い。お前の守りが頼りだ」
「はいっ」

 場違いなほど気合いの入った応答に、アルトリアと顔を見合わせる。張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ、ような気がした。
 少し苦笑し、アルトリアを残して砦を迂回。向こう側から突入する。
 マシュに身辺の警戒を任せ、自身は遠くを警戒。砦の奥にまで行くと、そこには――

「――――」

 竜を象る旗を持つ黒尽くめの女を発見。こちらを見て、にやりと嗤う。サーヴァント反応。敵、竜の魔女と断定。四騎はいると聞いていたが、五騎ここにいる。ということは、まだいるかもしれない。
 黒衣の男と、仮面の女は吸血鬼か。死徒の気配に似ているが、こちらはそれとは異なり更に『深い』。
 中性的な容貌の剣士が一騎。レイピア状の剣をすぐに解析。担い手の真名はシュヴァリエ・デオン。
 それに、もう一人。十字架を象る杖を持った女。十字架からキリスト教関連の英霊と推定。女となれば、聖女の部類か。挙げられる候補は少ない。行動パターンを割り出せば真名を看破するのは容易だろう。
 男の吸血鬼は杭のような槍を持っている。ヴラド三世の可能性が高い。女の吸血鬼は拷問用の鞭を持ち、蝋のような白い肌をしていた。――血の伯爵婦人だろうか。

 敵戦力評価。ヴラド三世が最たる脅威である。最優先撃破対象に指定。この場で確実に撃破する。

 黒い女が何かを言った。その口上を意識的に遮断。必要な情報だけを得る。
 こちらがマスターで、マシュがデミ・サーヴァントだと見抜いてきた。そして、砦の外に置いてきたアルトリアの存在まで知られている。見え透いた伏兵に掛かると思っているの? と、嘲笑していた。

 ――何故? 気づかれるような落ち度はなかったはずだ。感知能力が高いという一言だけでは片付けられない。それだけの感知能力があるなら、気配遮断しているアサシンにも気づけるはず。なのに気づいていない。
 ……可能性としてあの竜の魔女はルーラーか、それに類するエクストラクラスを得ていると考えられる。ジャンヌ・ダルクならばあり得ない話ではない。
 過去、聞いたことがあった。聖杯戦争を監督するためのサーヴァントが存在すると。それがルーラー。調停者のサーヴァントは、サーヴァントの位置を把握することが可能だと言うが……。それならアルトリアの位置を知られていることにも筋が通る。

 であれば、相手は常にこちらの位置を把握して戦略を練れるということだ。

 それは、こちらに圧倒的に不利となる情報。いつでも奇襲される恐れがある。まだこちらがレイシフトしたばかりということもあり、手を打たれてはいないとなれば……今が最大の好機。都合が良いことに敵の主力と思われるサーヴァントも揃っている。

 やる必要はあっても、やらない理由はない。ここを逃せば対抗策はアサシンだけしかない。

「――令呪起動(セット)。システム作動。セイバーのサーヴァント、アルトリア・ペンドラゴンを指定。『宝具解放』し、聖剣の最大火力で砦を薙ぎ払え」

 なっ!? 自分達ごと!? と驚愕する敵勢力。爆発的な魔力の気配。
 咄嗟に動いたのは聖女らしきサーヴァント。宝具で対抗しようと言うのか。
 手にしていた黒弓に投影したまま背負っていた「原罪」をつがえ放つ。宝具の解放を妨害する目的で、ヴラド三世と聖女を中心に巻き込むように「原罪」で壊れた幻想を使用。
 有効なダメージを確認。目的達成、宝具展開阻止。

「マシュ、宝具だ」
「了解。宝具、偽装登録――展開します!」

 構えた盾から淡い光の壁が構築される。

 迸る黄金の光の奔流が、横薙ぎ(・・・)にマスターごと砦を、五騎の敵サーヴァント達を呑み込んだ。
 マシュの盾と、アルトリアの聖剣の相性がいいから出来ることだ。もしもブリテンの聖剣以外で、Aランク超えの対城宝具を撃たれたらマシュは耐えられない。
 光の津波を遮る盾の後方で、マスターはその鷹の目でヴラド三世と思われる吸血鬼、カーミラらしき女吸血鬼、竜騎兵のデオン、聖女が聖剣の光に焼き払われたのを見届けた。

 しかし、肝心の竜の魔女は回避した。空を飛んで。

 ――飛行できる? 不味いな。

 決死の顔で回避した竜の魔女は、何かを喚きながら飛び去っていく。
 マスターは冷徹にそれを見据え、最大攻撃力を発揮できる螺旋状の剣弾を弓につがえた。

 魔力充填開始。見る見る内に遠ざかっていく黒い女はまだ射程圏内。仕損じた時のため、念を入れて命じる。

「アサシン。行け!」

 瞬間、赤い影が馳せた。
 それに構わず、遥か上空を行く魔女に向けて、マスターは投影宝具を射出した。
 カラドボルグ。空間ごと捻りきる魔剣。竜の魔女は直前で気づき、防御の構えを見せた。

「――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 着弾の瞬間、螺旋剣を爆破。

 手応えはあった。どのみち、これで射程圏内からは離れただろう。追撃は困難。
 今ので仕留められたのなら僥倖。少なくとも深傷は与えた。しばらくは動けまい。

「先輩。これからどうしましょうか」

 アルトリアが合流してくるのを遠目に見て、マシュが指示を仰いできたのに応じる。
 廃墟となっていた砦は、綺麗さっぱりなくなっていた。人類最強の聖剣、対城宝具を受けたのだから当然だ。
 無事なのは、マシュの後ろにあった瓦礫の山だけ。火も消し飛んでいる。

 マスターは言った。霊脈としては下の下だが、ここでも特に不自由はない。

「――召喚サークルをここに設置しよう。今日はここまでだ」

 日が傾き、夜が来る。深追いは禁物だった。








 

 

勝ちたいだけなんだよ士郎くん!


■勝ちたいだけなんだよ士郎くん!




「ア、イツ……らぁ……! ぐ、っぅ……、バッカじゃないの……!?」

 じくじくと肉が爛れ、何か強大な力によって再生されていく体。狂いそうな(なつかしい)痛みに、涙すら浮かべながら竜の魔女は怨嗟を溢した。

 聖剣というカテゴリー、その中で最強の位に位置する星の息吹。ブリテンの赤い竜と謳われた伝説の騎士王が担ったその極光で、あろうことかあのキ●ガイは自分達ごとこちらを薙ぎ払ったのだ。
 バーサークしたランサー、アサシン、セイバー、ライダーがお陰で死んだ。自分もあと一歩遅ければ、あの忌々しい光に焼かれて脱落()ちてしまっていただろう。

 凄まじい熱量だった。掠めただけでも死は免れなかった。咄嗟に飛翔して完全に回避してなお、全身に重篤な火傷を負ってしまったほどだ。
 ……火に焼かれて滅んだジャンヌ・ダルクが、怨嗟によって蘇り、しかして再び焼かれて死ぬなど断じて認められるものではない。しかも皮肉なことに、我が身を焼いた俗物達の炎とは異なり、聖剣のそれは間違いなく聖なるものなのだ。

 冗談ではない。ふざけるな、と叫びたかった。
 そんな余分はない。手勢を失い、圧倒的不利に陥った瞬間、魔女は即座に撤退を選択した。
 邪悪なるもの(ファヴニール)を召喚する暇などなかった。他に取れる選択肢がなかった。無様に逃げ去るしかなかったのだ。その屈辱に歯噛みして、今度は他のサーヴァントを全て投入し、ファヴニールも手加減なしに使って仕返ししてやると復讐を誓ったものである。

 だが甘かった。あのキチ●イは飛んで逃げられたからと大人しく諦めるような甘い輩ではなかったのだ。

 奴は、信じがたいことに宝具を使ってきた。
 ただの人間が。サーヴァントでもない常人がだ。一級の魔剣を、矢として放ち、あまつさえそれを全力で防ごうとした竜の魔女に着弾した瞬間爆破した。
 英霊にとって唯一無二であるはずの宝具を、なんの躊躇いもなしに自壊させ使い捨てたのである。正気の沙汰ではなかった。
 あれは人間。故にその名も能力も分からない。だがはっきりしているのは侮って良い甘ちゃんではないということ。そして、絶対に殺すべき敵だということ。

 正義の味方気取りの奴があんなのだなんて笑えてくる。アレは自分ごとアーサー王に聖剣で攻撃させた。防げるとわかっていても出来ることではない。断言できた。憎悪の塊、復讐の権化である竜の魔女だからこそ確信できた。

 ――アイツは、気が狂ってる……!

 弱味を見せたら徹底的に突いてくるだろう。そこに手加減はない。容赦はない。呵責なく攻めてくる。絶対に勝てるという好機を逃すわけがない。
 魔剣の直撃を受け、撃墜された魔女は近くにあった森に這って行った。完全に回避した聖剣の熱よりも、あの螺旋の矢の方がよほど魔女に深手を与えていた。
 いつ死んでもおかしくないほどの傷。全身がぐちゃぐちゃになって、自分にも分からない力で再生しなければ、きっと一分もせずに消滅していたはずだ。

「……きっと、ジルね。ジルが私に何かをした。だから助かったんだわ」

 ジル。ジル・ド・レェ。今も昔も、魔女にとって最も頼りになる存在。いつも味方でいてくれた彼なら、きっと自分を助けてくれる。
 だから、この再生はジルのお陰なのだろう。……あとで礼でも言ってやろう。特別に一度だけ。

 体の傷が塞がった。驚異的な回復力。痛みが引いたからか、魔女は冷静に考えることができた。

 ――あの執念深い正義の味方様ならきっと私を追ってくる。私が深手を負った、というのもあるでしょうけど、それよりも私はサーヴァントを四騎も失った。好機だと睨むはずよ。実際に、こちらも危ないことに違いはないのだし。

 手元にいるのはジルにバーサークしたアーチャーだけ。これは、非常に不味い。ファヴニールがまだいるとはいえ、ジャンヌ・ダルクの目にはあの極光が焼き付いていた。

 最強の聖剣、エクスカリバー。ファヴニールを屠った聖剣よりもランクは確実に上。アーサー王自身も竜殺しに比肩、或いは上回る大英雄だ。
 流石に竜殺しの属性まではないだろうが、あの火力を連発できるとしたら不利は否めない。早急に新たなサーヴァントを召喚しなければならないだろう。
 しかし、問題は。
 あのキ●ガイの追撃を振り切って、本拠地の城に戻れるかどうかだ。

 無理だ、と魔女は直感する。何も手を打たないで逃げていたらきっと追い付かれる。
 そうなれば、またあの聖剣か、あの剣弾が飛んでくるだろう。

 ――怖い。

 それは恐怖だった。
 誤魔化しようのない畏怖だった。
 ここにいるのが自分一人だからそれを隠すことなく素直に認められた。

 恐ろしいものを、恐ろしいと認められないのは、人間的成長のない愚か者だ。私は違う、とジャンヌは思う。
 令呪を起動。迷いなく一角を消費し、アーチャーを空間転移させてきて、端的に命じた。

「……ここに私を追って敵が来るわ。勝たなくてもいい。少しでも長く敵の足を止めるの。私が新しくサーヴァントを召喚するための時間稼ぎぐらいきっちりしなさい。いいわね?」

 言うだけ言って、ジャンヌは再び飛翔した。後に残されたのは、一人の女狩人。女神アルテミスを信仰する純潔の弓使い。
 アタランテ。獅子の姿の狩人は、狂化によって鈍った思考で了解と短く告げた。

 ――だが、狩人も、そして魔女も知らなかった。

 カルデアのマスターは、敢えて追撃になど打って出ておらず。魔女を追尾する暗殺者は、狂化で勘の鈍った狩人をまんまと素通りして魔女を追っていた。

 夜が明けるまで影の如く追い続け、一つの城に魔女が逃げ込んだのを確認すると、暗殺者は得た情報を纏めた。

 ――致命傷から回復する再生能力。サーヴァントの追加召喚を可能にする能力。……聖杯の所有者はコイツで決まりだな。本拠地も確認、伏兵も認識。任務は一先ず完了、帰投するとしよう。








「問題だ。ジャンヌ・ダルクはどうして百年戦争時、連戦して連勝出来たと思う?」

 召喚サークルを設置し、カルデアに近況を報告したあと。焚き火をして暖を取り、携帯していた保存食を口に運びながら士郎が言った。
 同じように焚き火の前に座り、盾を円卓代わりにしていたマシュは、顎に手を当てて考えた。

「……軍の指揮が巧みだったから、ですか?」
「違う。神の声を聞くまでただの小娘だったんだぞ。文盲で、学がない少女に軍略の心得なんてあるわけがないだろう」

 まあ、後になってジル・ド・レェ辺りにでも講義を受け、ひとかどの軍略を身に付けたのかもしれない。だが結局最後まで字は読めず、学を手にすることはなかった。

「ヒントは、ジャンヌ・ダルクは源義経と同じだということだ」
「極東の大英雄と……?」
「マシュ、よく考えてみてください。答えは意外と単純ですよ」
「アルトリア、シャラップ」

 何か知恵を貸そうとしたアルトリアの口に、日がある内に射落として調理した鳥の手羽先を押し込んだ。
 はうっ、と声をあげ。次の瞬間には「んぅー」と満足そうに食べ物に夢中になるアルトリアに苦笑しながら、士郎は再度マシュに目を向けた。

「えっと……ジャンヌ・ダルクは神の声を聞いたとされています。何か、啓示のようなものがあって、そのお陰だったりするのでしょうか」
「それも違う。あまり話を引っ張るのもアレだしな、答えを言うとだ。……ジャンヌ・ダルクは世間知らずで、当時の戦争のルールを全く知らなかったんだよ」
「え?」
「そもそも百年戦争と銘打ってるが、常に全力で殺し合っていたわけではないことはマシュも知っているだろう。騎士は勇壮に戦い、しかし負けて捕虜になると身代金を払って解放される……まあ、温いと感じるかもしれないが、基本的に騎士は殺されることがなかった。殺してはならない、なんて暗黙の了解があったほどだ。なんせ殺したら自分も殺されるかもしれないからな」

 だが、ジャンヌ・ダルクはそんな暗黙の了解など知らなかった。ルールを知らなかった。日本の武士のように戦争前に口上を述べたりしなかった。
 必然ジャンヌ・ダルクは敵国イングランドの騎士を殺した。殺すことを躊躇わなかった。戦争はそういうものだと思っていたし、戦争なのだからと戦う前の口上も述べずに軍を率いて突撃した――軍から突出して口上を述べていたイングランドの騎士に向かって。
 そして、殺した。

「それは」

 マシュが目を見開いた。

「そう。源義経と同じというのはそういうことだよ。彼らは当時の風習、決まりごとを無視して先手を取り続けたから勝てた。正面からの奇襲が出来たわけだからな、勝つのは簡単だったろう」

 無論、それが通じるのは最初だけ。後は己の才覚、運、味方の働きにかかっている。

「そして味方を勝利させる乙女ともなれば、フランス軍がその存在に熱狂していくのもわかる。勝利は気持ちいいからな。だが、そんなやり方で勝ってしまえば、それはもう敵方から恨まれるだろう。イングランドが何をおいてもオルレアンの乙女を異端として処刑したがったのは、ジャンヌ・ダルクがそれほどに憎かったからだ」
「……」
「ジャンヌ・ダルクが捕虜になった最後の戦い。なぜジャンヌ・ダルクが敗れたのか。それはルール破りの常習犯ジャンヌ・ダルクを相手にイングランドがルールを守ることをやめたからだ。結果的に、ジャンヌ・ダルクは自分と同じことをされて負けたというわけだな」

 さて。
 ジャンヌ・ダルクを敵とする時、以上のことを知った上で何を警戒するべきか、これで分かっただろう。

「ジャンヌ・ダルクは常識知らずだったが馬鹿じゃない。味方が有能でも、馬鹿が何度も戦争で勝てる道理はない。歴戦を経る中で軍略も学んだだろう。そんな彼女の戦術ドクトリンは極めて単純で明快なものだ。即ち、勝てば良い――まったく、気が合いそうなことだな」

 皮肉げに言う士郎に、アルトリアが一言。
 今、少しアーチャーに似ていましたよ。

 士郎はきょとんとし、次に苦笑した。それは、誉め言葉だ、と。

「警戒すべきは型破りの用兵だ。そして使われる戦術は単純で手堅い。シンプル故に破りがたい手段をとるだろう。次に相手からこちらに仕掛けてくるとすれば、戦力の拡充を果たし、確実に勝てると確信してからのはずだ」
「……でしたら先輩、すぐにでも追撃するべきだったのでは?」
「いや。あの時に追撃するのは上手くなかった。奴はまだ手札を残しているだろう。四騎もサーヴァントを従えていたんだ、まだいると思って良い。聖杯戦争なら七騎はいるはずだから、ジャンヌ・ダルクを含めても後二騎は最低でも控えている。加え、奴は竜の魔女だ。ワイバーンの大軍とサーヴァント、さらに強力な竜種がいる可能性も捨てきれない。足元も覚束ない状況で深追いすれば、痛い目を見るのはこちらだろう」

 そんな中で、アルトリアが上げた戦果はまさに大殊勲である。彼女のお陰で優位に立てているようなものだ。

「ということは、今するべきは情報収集ですか」
「できればこちらも戦力を増やしたいところですね。シロウはどうするつもりです」

 どうするか?  士郎は立ち上がり、明けていく空を見上げた。

「――決まってる。情報が舞い込むのを待ちつつ、利用できそうなものを探すのみだ」

 行こう、と士郎は言った。

 二日目の朝、午前。士郎達はワイバーンの群れに襲われているフランス軍を発見。これを助ける。
 そして日が真上に来る前に、帰還したアサシンから情報を得て。

 即断した。

「時間はやはり俺達の敵だな。……四日というのは撤回する。『今日』で決めるぞ、マシュ、アルトリア」







 

 

酷すぎるぞ士郎くん!





 足がほしい、と俺は切に思った。

 乗り物という意味の足である。移動速度の遅さは如何ともし難い。何とかして短縮したいが、どうにかならないだろうか。ダ・ヴィンチえもんにでも頼んで、何か乗り物でも作って貰おうか。

 いや、単純にライダーがいたら良い。戦車持ちならなおよしだ。いっそのこと、贅沢は言わないから高い機動力を持つランサーがいたらいい。それならわざわざ俺が走らなくても、ランサーに追撃を任せて優雅に構えていられる。

 ――そういえば知名度補正全開のクー・フーリンなら戦車も持ってるはずだよな……。

 ライダーでなくても持ってくれていたら、俺の悩みも一挙に解決なのだが。まあそのクー・フーリンの召喚はまだ先なわけで。出来れば槍兵がいいとはいえ、戦車を確実に持っているだろう騎乗兵のクラスでの召喚も捨て難くなってきた。
 うーん、悩む。悩むなぁ。

「先輩。現実を見てください先輩」
「やめろ。やめてください。奇天烈でファンシーな獅子を象ったバイクなんて知らない。ドゥン・スタリオン号とかラムレイ号とか知らない。俺は今滅茶苦茶スマートでイカシたバイクを吹かしてるんだぜベイベ」
「せんぱーい! 帰ってきてくださーい! 現実、これが現実なんです……!」

 颯爽と風を切り、疾走する二台のバイク。獅子の頭を持った馬の名前の機械馬。ネイキッドというスマートなバイクを素体にしているからか、無駄に胴体部位が格好良いのが腹が立つ。

 俺が乗っているのが黒い獅子頭のラムレイ号。武器庫代わりのサイドカーをつけて、後ろに盾娘マシュを相乗りさせている。
 並走しているのは、巧みなハンドル捌きの騎士王サマ。白いドゥン・スタリオン号とかいう獅子頭のファンシーなネイキッド。

 昨夜。敵サーヴァント四騎を撃沈させた砦跡地で夜営をした俺達は、下の下とはいえ霊脈として機能させられないこともない土地だったこともあり、召喚サークルを設置してカルデアから補給物資を貰った。
 そこで、俺はかねてからダ・ヴィンチに依頼していた移動用の乗り物を転送して貰ったわけだが。

 それが、なぜかご覧の有り様である。
 ダ・ヴィンチ曰く、外装の獅子頭は騎士王の熱い想いのために実装した代物なのだとか。レイシフト初日に間に合わず、夜に召喚サークルを設置した時に何とか開発・作成を間に合わせたダ・ヴィンチの奮闘には頭の下がる思いだ。素直に感謝するし短期間で発明品を実用に耐えるレベルに持っていく手腕には尊敬の念を抱く。
 だがこれはない。幾ら移動速度を爆発的に高められていると言っても、これはない。

 俺は諸悪の根源を睨んだ。

 びくりとするキシオウ様。操縦しているドゥン・スタリオン号が揺れた。

「……おい。弁解するなら今だぞ。さすがの俺も無視できなくなってきた。さっきのフランス兵の顔を見たか。まるで色物戦隊でも見る目だったぞ」
「うっ。……い、いいじゃないですか獅子頭。かっこいいでしょう」
「お前のセンスが死んでるのはわかった。頼むからダ・ヴィンチに自分好みの改造をさせるな。普通で良いんだ、普通が良いんだよバイクは」

 あとバイクにでかでかと『ラムレイ号』とか刻んだネームプレートを張り付けないでほしい。かなり恥ずかしいのだ。乗っていると獅子頭の後頭部が見えて死にたくなるのだ。
 俺は昨日の夜から定期的に宝具を投影し、武器庫(サイドカー)に貯蔵しているわけだが、きらりと光り、夥しい魔力を放つ投影宝具がシュールに見えて仕方ない。

 おかしいなあ。こんなはずじゃなかったのに……。俺が涙目になっていると、アルトリアも涙目になっていた。
 自分のセンスを全否定されて泣きそうなのか。俺も泣きたい。なんで他のことだとメンタル強くなってるのにそういうとこだけ昔より脆くなってるのですか。王よ、私には貴方の心がわからない。私は悲しい。ぽろろーん。

「先輩、休憩しましょう。疲れてるんですよきっと。休んだら元気が出るはずです」

 相乗りしているマシュが健気にもそう言って気遣ってくれた。
 よし休憩しよう。何時間も走り続けてると俺まで獅子頭と人機一体になってしまう。無駄に乗り心地良いのが憎たらしい。ハンドル捌きが達者なキシオウ様がやたらムカつく。

 この時ばかりは、アルトリアに刺々しいマシュも態度に棘をなくし、憐憫の眼差しで見遣っていた。

 アルトリアはラムレイ号を止めた俺の隣にドゥン・スタリオン号を停車させ、小さくなって俯いていた。そんな彼女に冷たい目を向け、俺は露骨に嘆息する。

「あーあ。敵サーヴァントを一気に片付けた誰かさんのこと凄いと思ってたのになー。台無しだなー。わたしはかなしー」
「うぅ……」
「ぽろろーん。ぽろろーん」
「サー・トリスタンの物真似はやめて差し上げてくださいっ」
「ちちうえー。ちちうえー」
「グググ……!」
「モードレッド卿もだめです!」
「ちちうえとか言われてるが、言うほど乳はないよなアルトリア」
「ぅう、うわあああ!!」

 ドゥン・スタリオン号に縋りつくようにしてアルトリアは泣き崩れた。
 それを尻目に、俺は呟く。

「ほんと円卓は地獄だぜ……」
「いえ、今は円卓は関係ないかと……あとセクハラです先輩」

 脳内に展開していた偽螺旋剣の設計図に魔力を通し投影する。全工程を完了し、それをサイドカーに貯蔵して、ラムレイ号から離れた。
 現在、貯蔵しているのは偽螺旋剣を五本。赤原猟犬を四本。原罪を六本。勝利すべき黄金の剣を五本。余裕がある時に投影しておこうと思ったのだ。実戦に際して一々投影していては間に合わないし、非効率的だと思ったのである。
 夜通し、じっくり丁寧に時間をかけて、負担が掛からないように気を使いながら投影した。これからは暇さえあれば投影宝具を増やしていこうと思っている。
 そこで、ふと気づいた。俺達は今、名前も知らない森の手前にいるわけだが、樹の影から何かがこちらを見ている。――切嗣だった。仕事帰りの独身サラリーマンの如く目が死んでいる。

 咽び泣くアルトリアと、それを慰めるマシュを背にアサシンの元に向かった。

「マシュ、シロウが、シロウが苛めます。どうしてです、私はよかれと思って……」
「余計なお世話という奴ですね」
「円卓の騎士の物真似がなんであんなに上手いんですか。辛いです」
「自業自得ですよね」
「槍の私なら胸だって……きっとあるはずなんです」
「でもセイバーのアルトリアさんの現実はそれです」
「……マシュ。貴女とは少し話し合う必要があるようですね」
「? わたしは特に話すことなんて……」

 ……。
 ……慰めて、る?

 いやあれも立派なコミュニケーションだ。間違いない。マシュは良い娘なので、何も問題ない。

「……で、首尾はどうだ」
「この森は通るな。伏兵がいる。女の狩人のサーヴァントだ。獅子の尾、耳からするに純潔の誓いを立てたアタランテだろう。森で相手をするのは自殺行為だ」
「ん? ……この森か?」
「ああ」

 思いっきり走り抜けるつもりだった俺である。危なかった、本当危なかった。危うく罠にかかって森ごとアタランテを聖剣で焼き払わねばならなくなるところだった。

「迂回しよう。魔力は節約だ。使わないで良いなら使わない。節制は美徳なり」
「お母さん……」
「ん?」

 マシュがこちらを見て、ぽつりと呟いた。

「何か言ったか」
「いえ、何も」

 見れば、アルトリアもこちらを見ている。しかし切嗣は抜け目なく彼女達の樹の影の死角に立っていた。徹底している。さすが切嗣。遊びがない。
 そんな切嗣は、やはり遊びのない眼差しで言葉を続けた。

「ついでに敵本拠地を発見した。オルレアンだ。ここはジュラという森。ここから北西の位置にオルレアンがある。僕は奇襲するべきだと判断するが、どうするマスター」
「……奇襲だと? 俺達だけで、か?」
「そうだ。ジャンヌ・ダルクはサーヴァントを追加で呼び出せるようだ。このままでは折角のアドバンテージが崩れ去る」
「サーヴァントの追加召喚? ……ジャンヌ・ダルクは聖杯を持っているな」
「ああ。僕もそう睨んでいる」

 暫し沈思し、俺は決断する。
 本当ならフランス軍を利用し、人海戦術で攻めるつもりだった。そのためにフランス兵を助け、フランス軍元帥のジル・ド・レェに接触するつもりだったのだが……。

 サーヴァントの前に、普通の人間は無力。サーヴァントを増やせるというのなら、四騎を脱落させた甲斐がない。
 ならば、多少の博打はやむを得ない。今後の戦いが長引けば人類は終わる。

「奇襲成功率は」
「三割だな」
「……分の悪い賭けは大嫌いだ。作戦を立てよう」
「聞こう」
「これを受け取れ」

 言って、俺はマシュに目配せした。最近、アイコンタクトだけで多少は動けるようになってきていたのはいい成果だろう。
 マシュは俺の意を汲み、武器庫から宝剣「原罪」を四本持ってきた。それに、投影したマルティーンの聖骸布を巻き付け、切嗣に手渡す。
 これは? 視線で訊ねてくる切嗣に、俺は端的に告げた。「爆弾だよ。用途は分かるな? 俺とマシュとアルトリアで正面から仕掛ける。聖剣による対城の一撃を叩き込んだ後、ひたすら俺が投影した宝具を撃ち込んでいく。出てくればよし、出てこないならそのまま城を枕にさせて爆殺する」
「――了解。二段仕掛けか。それで仕留められなかったらどうする?」
「アサシンは状況を見て勝手に動け。俺達はそのまま決戦に移る。旗色が悪くなれば、投影宝具を積んだラムレイ号を突っ込ませて爆破し撤退する」
「了解。……ラムレイ号、あれか。随分可愛らしい外見だな」
「……ん?」

 可愛らしい?  それが聞こえたのか、切嗣の声に何かを思い出そうと顔を顰めていたアルトリアが目を輝かせた。このアサシンはわかってる! そんな顔。
 俺は思い出した。

 ――そういえば切嗣のセンスも死んでいたな……。






 

 

いい加減に士郎くん!


■いい加減に士郎くん!




 ジュラの森から北西に向けて走ること数時間。
 高かった陽は地平線に傾き、夕焼けに染まる晴天に夜の訪れを感じた。

 遠くにオルレアンの城が聳えているのが見えた。
 風を切って疾く駆ける機械仕掛けの馬。その燃料も尽きかけていたが、使い潰すことを考えれば後半刻はその走りを継続できるだろう。

「……人がいない」

 カルデアのマスターが呟く。その声は風に浚われ、相乗りしているデミ・サーヴァントの少女にしか聞こえていなかった。

「竜の魔女の勢力圏だからでしょう。恐らく、もう生きている人はいないかと」
「無関係の者を巻き込む恐れはない、ということだ。――アルトリア、マシュ、心に刻め。手加減や容赦は一切無用だ。人類の興廃はこの一戦にある。正しい歴史に流れを戻すことが、魔女の殺戮を否定する唯一の手段だと肝に銘じろ」

 セイバーのサーヴァントが重々しく頷く。
 精霊との戦いではなく、邪悪との戦いであり、私欲のない戦いであり、世界を救う戦いである。一対一の戦いではないが聖剣は相手が己よりも強大なモノであると認め、秘めたる星の息吹を放っていた。

 赫と輝きを増す聖剣はその真の力を拘束する十三の条件の過半を解除され、今やかつての聖杯戦争の時よりも力を増している。

 令呪の補助もなく、マスターからの魔力供給だけで放てるのは一度が限度だろう。カルデアから魔力を供給されているマスターですら、全開に近い聖剣を支えるには足らないのだ。
 だが、マスターの手には三画の令呪がある。一日に一画、令呪を補填されるため、使い惜しむ必要は微塵もない。マスターは聖剣を使用する時は、躊躇いなく令呪を切るつもりだった。

「……正面、敵影。どうやら馬鹿正直に籠城に徹さずに、こちらの力を削ぐため迎撃に出たか」

 敵は魔女とはいえルーラーと思われる。
 サーヴァントの位置情報を把握できるのなら、オルレアンに一直線に近づいていくカルデアのサーヴァントにも早い段階で気づけただろう。
 迎撃に出てきたのは、見るに耐えない醜い魔物だった。それに、竜種のワイバーンもいる。魔物の混成軍といっても混沌とした様相を呈していた。

「あれは……」

 セイバーが表情を険しくさせた。巧みにバイクを操縦しマスターと並走しながら近づく。

「マスター。私はあれを知っています。海魔です。敵にキャスターのジル・ド・レェがいる。注意してください」
「ん? フランスの元帥がキャスター? 騎士ではなくか」
「はい。あれは堕落した反英雄『青髭』として恐れられた怪物が宝具で召喚した魔物でしょう。あの群れを殲滅しても意味はありません。魔力の続く限り無限に召喚出来るはずなので徒労に終わるでしょう」
「……知っていることを話してくれ」

 やたらと詳しいセイバーに聞くと、どうやら第四次聖杯戦争の時にあの海魔とやらを召喚するキャスターのサーヴァントと交戦したことがあるらしい。
 ことの顛末を省き、能力だけを聞くと、その厄介さに顔を顰めた。
 召喚は容易。呼び出すだけ呼び出し、後は放し飼いにすれば勝手に魔物が獲物を求めて動き出す。典型的な宝具が強力なタイプのキャスターで、最後の決戦の時には聖剣の真名解放をしなければ打倒できなかったほどだという。

 最低限の手綱を握り、自身と味方だけは襲わせないようにすれば、近場に生き物がいないためこちらを率先して襲ってくるわけだ。しかも、ワイバーンの群れも多数存在している。あれも竜の魔女が召喚したものだとすれば、恐らく単純な兵力だけでこちらを押し潰すことも不可能ではない。
 無限に湧いてくる海魔とワイバーン。あまり相手にしたくない組み合わせだ。どうやら、相手も本気のようだし……やはり出し惜しみは出来ないか。

「アルトリア、お前の意見を聞きたい。オルレアン城に辿り着くまでの最短ルートはなんだ?」
「このまま直進し、敵を宝具で一掃して進むのが最短ですね」
「……聖剣は使えないぞ。燃費が悪いのもあるが、お前のそれは対城宝具だろう。軍勢を相手にすれば討ち漏らしが必ず出てくる」
「ええ。なのでマスター、貴方の投影した勝利すべき黄金の剣(カリバーン)を使わせてください」

 その言葉に、マスターはサイドカーに積まれた投影宝具のカリバーン五本を見る。

 メロダックは四本、アサシンに持たせてあるため一本しか貯蔵がない。元が偽螺旋剣と赤原猟犬を含め、二十本という頭の悪い数だったから残り十六本貯蔵されていた。

「……何本使う?」
「二本で充分です。一度の真名解放で砕け散るでしょうが、それを恐れなければ平時の聖剣に伍する力を発揮できる。ランクにしてA+は固いでしょう。一度のカリバーンで今見える範囲にいる敵を一掃、討ち漏らしをもう一度カリバーンで薙ぎ払えば問題なく殲滅できます」

 それを聞いて、マスターは投影宝具をセイバーに託すことを即決した。しかし、自身が消費する魔力量を計算しなければならない。
 魔力量に不安はなくとも、魔術回路は無尽蔵ではないのだ。幾ら負荷が軽減されるとはいえ、調子に乗っていたら特異点Fの時の二の舞である。

「以前バーサーカーと戦った時の未熟なマスターですら、カリバーンの真名解放に耐えられたのです。カルデアのバックアップがある今、成熟している貴方には大した負担にはならないと思いますが」
「……簡単に言ってくれる。あの時は割りと死にそうだったんだが」

 まあいい。躊躇えるだけの余裕はない。元々こういう時のために多めに投影していたのだ。セイバーの意見に従おう。
 マスターはちらりと己の右手、その指先を見遣る。――微かに黒ずんでいる親指を。

 バイクを停車し、セイバーがひらりと鋼鉄の馬から降りる。マスターも停止し、サイドカーから二本のカリバーンを抜き取って投げ渡した。
 彼女に繋がるパスに魔力を通す。
 カルデアからマスター、マスターからサーヴァント。供給される魔力に不足はない。ただ、流れていく魔力によって魔術回路が疲弊するだけのこと。
 ん、と声をあげ、魔力を感じるセイバー。
 迫り来る海魔とワイバーンに目掛け、光輝く黄金の剣を突き出した。

「選定の剣よ、力を。邪悪を断て――勝利すべき黄金の剣(カリバーン)!」

 閃光が閃く。解き放たれた光が敵軍勢の中心に突き刺さり、光を散らすように爆発した。
 やはり凄まじい火力である。魔力はカルデアが負担してくれているとはいえ、それを通しているマスターの魔術回路が悲鳴をあげていた。
 尋常の魔術師なら心が折れかねない痛みがある。しかしまあ、この程度は特に堪えない。マスターは冷静に海魔とワイバーンが壊滅したのを見届けた。

「……予想通り討ち漏らしが出たな」
「ええ。なのでもう一度――勝利すべき黄金の剣(カリバーン)!」

 敵の第一陣と、二本の選定の剣は塵一つ残さず消え去った。地形もえらいことになっている。まるで弾道ミサイルでも着弾したかのような有り様(クレーター)に、しかしこれといった感慨もなく。マスターとサーヴァントはバイクに跨がり、再びオルレアンに向けて走り始めた。










「……なにあれ」

 呆気に取られたように、オルレアンで待ち構えていた竜の魔女は呟いた。

 バーサーク・アーチャーを伏した森を迂回し、一直線にこちらに向かい出した時は伏兵を見抜かれたことに敵も相当の智者だと歯噛みしたものだ。
 意味もなく戦力を森に置き続ける意味もないし、単独で仕掛けさせれば無駄死にさせるだけなのは目に見えていたため、アーチャーに奴らの背後を突かせるようなことはせず帰ってくることを念話で命じていた。

 後はアーチャーの合流を待って、新たに召喚したバーサーカー・ランスロット、バーサーク・アサシンのシャルル=アンリ・サンソン、ファントム・オブ・ジ・オペラと、切り札のファヴニールを使って決戦を挑むつもりだったのだ。アーチャーが合流してくるまでの繋ぎとして、海魔とワイバーンは使ったにすぎない。

 嫌がらせ程度の戦力だ。雑魚を一掃するために聖剣でも使って消耗してくれたら御の字と思っていたのだが。

「えっ。なにあれ。ほんとなに? ねえジル、私の頭おかしくなっちゃったの? なんか、同じ宝具を幾つも持ってるように見えたんだけど」
「そのようですねぇ」

 呑気にも聞こえる声で応じたのは、筋骨逞しいローブ姿の巨漢である。
 悪魔的な風貌の、目玉の飛び出した男の名は、かの悪名高き青髭……。嘗ての救国の英雄ジル・ド・レェであった。
 声音こそ穏やかで場違いなほど落ち着いたものだったが、遠見の水晶から見て取れた光景にその眼が険しくなっている。

「ねえジル! なんかあいつ、あのヘンテコなドリルみたいな剣を弓につがえてるんだけど!」
「不味いですねぇ。こんな神秘も何もない城では防げないでしょう」
「あっちの王様なんか、聖剣ぶちかます気満々なんですけど。もう籠城とか無理でしょこれ。どう見てもこの城が私達を閉じ込める牢獄にしかなってないんだけど」
「ええ、ええ、これはもう打って出た方が賢明でしょう。邪竜を含めた全戦力で決戦を挑んだ方がいい。そちらの方が勝算がある。というより、どう見てもここに閉じ籠ったままでは完封されてしまうだけ。ジャンヌ、私も貴女の旗と共に全力で戦います。ですからどうか、号令を」

 常の狂気よりも、卓越した軍略家としての本能が上回っているのだろう。青髭は平坦な、しかしジャンヌを落ち着かせる優しげな声で取り成した。
 竜の魔女はその声に安心する。いつも困った時はこの声を聞いて落ち着いた。彼の軍略家としての能力は本物、仮にも一国の元帥であり、敗戦の憂き目にあった国を建て直した立役者、救国の英雄なのである。

「……そうね。そうよ。私の戦いはいつも不利なものばかりだった。戦局は絶望的じゃない。諦めなんて知らない。私は勝つの。あんなキ●ガイになんて負けないんだから」

 ジルの言うことなら間違いない。そう信じられるから頷いて、ジャンヌはその竜の旗を振りかざした。

「邪悪なる竜、災厄の化身よ! 来なさい、そして蹂躙なさい! あまねく光、あらゆる命がおまえの贄だ。さあ、いでよ――ファヴニール!」

 城内であってもまるで構わず、竜の魔女はその幻想種の頂点を召喚した。
 呼び掛けに応じ、邪竜が顕現せんと爆発的な魔力の奔流を迸らせる。

 その力の具現、暴力の息吹、邪なる波動に魔女ジャンヌ・ダルクは高揚した。
 勝てる。この竜さえいたら。相手がアーサー王だろうとキチ●イだろうと、絶対勝てる! アーサー王を超える実力の騎士だってこちらにはいるのだ。敗けはない。
 ふつふつと沸き立つ歓喜に、ジャンヌは高笑いした。
 いや、しようとした。

 その邪竜を召喚する異常な魔力の高ぶりは、未だ聖剣の射程圏内に到達していないカルデアの面々にもはっきりと感じられた。
 カルデアのマスターは、これを新たなサーヴァントの召喚の予兆と捉えた。そしてそれを阻止しなければならないと考えた。
 故に。手順を変えた。

 聖剣、投影宝具の飽和攻撃ではなく。

 まずは、意表を突くことにしたのだ。



「あはっ、あはは、あっははは――」



 声も高らかに魔女が哄笑した瞬間。

 その足場が崩れ落ちた。

 否――オルレアン城がその土台から崩壊した。

 城の基点に仕掛けられていた四つの投影宝具、その全てが同時に起爆し。遥か未来の建造物爆破解体技術と知識を持つ匠の手腕によって。
 斯くして邪竜召喚は途中で頓挫。

 竜の魔女は、青髭とその他のサーヴァント共々、消えていった邪竜をまざまざと見せつけられながら瓦礫の山に埋もれていった。





 

 

そこまでにしておけ士郎くん!





「これは酷い」

 帰還後、戦闘記録を閲覧した某優男の感想がそれ。

「ラムレイ号ぉぉぉ!」

 失われた命を嘆く某天才の悲しみの声。

「好機だった。今なら殺れると思った。今は満足している」

 被告E氏は意味不明な供述を繰り返しており、爆破幇助についての反省は終始窺えませんでした。

「死体蹴り? ……基本じゃないのか?」

 実行犯はそう検察側に語り、再犯の可能性は極めて高いと言わざるをえず、重い実刑判決が下されるものと見て間違いないとカルデア職員一同は――









 ――四連する大爆発。土台から崩れ落ちたオルレアンの城。アルトリアはそれを見て思わず動きを止め、マスターである男を振り返った。

 力強く頷く顔に達成感はない。冷徹に次の手を算段する冷たさがある。それは、衛宮士郎の前に契約していた男を彷彿とさせる表情とやり口。
 しかし今のアルトリアにそれを疎む気持ちはない。現金な性質なのか、それをやったのが己の現マスターであるというだけで、許容できてしまっている自分がいた。それにここまで冷徹にことを推し進めなければ勝てない戦いもあるのである。

 今カルデア最大の敵は時間だ。速攻は義務であり、確実な手段に訴えるのは当然のことだった。
 マスターの男、衛宮士郎は一切の衒いなく、冷酷に手札を切る。城を倒壊させた程度でサーヴァントを倒せるものではない。

「畳み掛けるぞ。令呪起動(セット)、システム作動。『宝具解放』し聖剣の輝きを此処に示せ」
「拝承致しました。我が剣は貴方と共にある。その証を今一度示しましょう」

 聖剣を覆っていた風の鞘を解き、露になった黄金の光を振りかざす。
 大上段に構えての、両手の振り抜き。オルレアン城の残骸に向けて、己の勘に従って「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」を振り下ろす。

 星の極光が轟き、光の奔流が瓦礫の山を斬り抜けていく。誰も視認すら出来なかったが、この究極斬撃は敵方のアサシン、ファントム・オブ・ジ・オペラと天敵のバーサーカー、ランスロットが霊体化し、瓦礫の山から脱出しようとしていたところを捉えた。  断末魔もなく二騎のサーヴァントが脱落。それを確認する術などなく、偽螺旋剣を武器庫から取り出し、魔力を充填。真名解放し、瓦礫に打ち込む。
 そして再びの爆破。

停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)

 更にあらかじめ投影していた無数の剣弾を解凍し、虚空に忽然と姿を表した二十七弾の掃射を開始。
 オルレアンを更地にせんばかりの怒濤の追撃(死体蹴り)である。
 ほぼ全ての工程をカットした斬山剣『虚・千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)』を含めた全てを爆発させ、剣林弾雨は比喩抜きの絨毯爆撃と化した。
 土煙が舞う。
 半死半生、片腕を無くし、決死の表情で土煙から飛び出して士郎に向かうシャルル=アンリ・サンソン。黒い外套も吹き飛び、もはや手にする斬首剣の一振りに命を注ぎ込んでの突撃だった。

 マシュとアルトリアが即座に立ち塞がる。だが、それよりも早く、動く者があった。

「正面から行くとは、底が知れるぞ処刑人」

 背後。土煙に突入していた深紅の暗殺者の銃撃が瀕死の処刑人を穿つ。体から力が抜けた瞬間、伸ばされた腕がサンソンを土煙の中に引きずり込み、更に乾いた発砲音が響く。土煙が晴れた時、そこにはもう何もなかった。
 士郎はその全てを見届け、首筋に冷たい汗が流れる。その斬首剣を見ただけで解析・固有結界に貯蔵し恐ろしい能力を知って戦慄したのだ。

 サンソンの宝具『死は明日への希望なり』――由来は罪人を斬首する処刑器具のギロチン。真の処刑道具、ギロチンの具現化。
 一度発動してしまえば死ぬ確率は呪いへの抵抗力や幸運ではなく、『いずれ死ぬという宿命に耐えられるかどうか』という概念によって回避できるかどうかが決定される。
 精神干渉系の宝具であり、戦死ではなく処刑されたという逸話がある対象には不利な判定がつく。中距離以内で真名を発動させるとギロチンが顕現し、一秒後に落下して判定が行われるのだ。

 これを確実に防げるのは、そもそも死の運命にはなかったはずのアルトリアだけ。マシュは不明だが、士郎は確実に死に、アサシンの切嗣もまた同様だろう。
 天敵と言える。接近されていれば不味かった。アルトリアがいたとはいえ、肝の冷える瞬間だった。

 ……まだ攻めが甘かったということだ!  士郎は躊躇わなかった。

「総員退避! ラムレイ号、突貫する!」

 決断した士郎は更に追撃(死体蹴り)を敢行。
 えっ、と声を上げた騎士王を無視し、士郎は自動操縦モードを起動。ただ真っ直ぐ走るだけの機能は士郎が注文して付けていたものだ。
 乗り手もなく疾走する黒い獅子頭のバイクは、もはや瓦礫すらも消し飛び更地となっていたオルレアン跡地に突っ込んでいき――トドメの爆撃となった。

壊れた幻想(ブロークンファンタズム)ッ!」
「ら、ラムレイぃぃっ!!」

 悲痛な騎士王の嘆きは爆音に掻き消された。この瞬間、海魔を壁として耐え続けていた青髭は、十三本の投影宝具の一斉起爆に巻き込まれ消滅。
 庇われていた竜の魔女もまた、己の『所有者』の消滅を以って偽りの人格は剥がれ落ち、ただの『器』となって消滅した。

 ……そこにあったかもしれない両者の最期のやり取りを、知るものは皆無。

「――敵消滅を確認。お疲れさまでした先輩」
「ああ、なんとか上手く行ってくれてよかった。こんな無茶苦茶なこと、もう二度としたくない。確実性がどこにもなかったんだからな」

 ふぅ、と息を吐き、なぜか膝と両手を地面についているアルトリアに首を傾げつつ、出現していた水晶体の聖杯を回収に向かう。

「……聖杯の回収を確認。馬鹿げた魔力だ。なるほどこれを手にした者が万能感に酔いしれるのも分からないでもない」

 特異点の原因を排除し聖杯を回収したからだろう。この特異点が元の歴史に戻るため修正が始まっている。じきにこの世界は消滅し、なかったことになるだろう。

 だが、それでいい。なんの問題もない。名誉も、功績も残らないが、そんなものを求めたことはないのだから。

「さ、帰るぞ皆。次の仕事が待っている」

 ドクター・ロマンから通信が入り、聖杯の回収を確認したこと、レイシフトの準備が完了していることを知らされる。
 次の特異点は、ここほど急ぐことはない。駆け足なのは当たり前だが、しかし新たな強力なサーヴァントの召喚が決まっている。取れる戦術は増え、確実さを増した手段も取れるようになる。焦ることはなかった。

 まあ、その前に、一日ぐらい休んでもいいか、と思う。流石に休養もなく走り抜けていたら、倒れてしまうだろうから。







 第一特異点「邪●百●戦●オルレアン」定礎復元







 

 

鬼!悪魔!士郎くん!

 第一特異点 定礎復元 完了 を 確認

 所要時間 三十九時間四十三分二十七秒





 ――それは衛宮士郎がレイシフト以前に宣言していた四日間を大幅に短縮した記録。九十六時間の半分以下、約一日と半日で一度目の聖杯探索を終えたことになる。

 瞠目に値するこの戦果に、絶望に染まりそうだったカルデアは沸き立った。
 無理もない、十日以内に二つもの特異点の定礎を復元し、聖杯を回収することなど、どんな英雄にだって不可能に近い難業である。
 誰しもが諦めかけていた。もう駄目だと膝を屈しかけていた。
 だが、カルデア最後のマスターは、第一特異点の聖杯を二日と経たない内に回収し歴史の流れを修正してのけたのである。ならばもう一つだって不可能じゃない。このマスターなら、あと八日も猶予があれば必ず成し遂げられる。

 そう信じることで、希望を持つことができた。悲観的な状況にある彼らにとって、その希望がどれほど得難いものかは想像に難くない。彼らカルデア職員らの期待と縋るような目に、マスターはあくまで泰然とした姿勢を見せていたものだが――

 ――俺、衛宮士郎は自室にまで来ると、ベッドにどすんと腰掛け、深々と、深々と、深々と溜め息を吐いた。

 それは鉛を通り越し、鋼のように重い吐息だった。

「もう二度とやらないぞ、こんな無茶苦茶なことは」

 薄氷の上の勝利だった。また同じことをしろと言われても絶対に無理だと言える。というか可能でもやりたくない。

 もしアサシンの情報に誤りがあれば。もし早期に聖杯所有者を発見できなかったら。もし敵の主力を纏めて一掃できなかったら。もしも敵本拠地を発見するのが遅れていたら。もし敵の警戒心がもう少し高ければ。もし敵に聖剣を防げる超級のサーヴァントがいたら。もし、もし、もし――何か一つでもミスがあったら敗れていたのはこちらである。

 完全に運の要素の高い戦いだった。如何にして情報を収集するか、完全にアサシンの切嗣頼りで、ダ・ヴィンチに移動用のバイクを送って貰わなければ戦いにも時間制限にも間に合わなかった。
 危機的状況。伸るか反るかの大博打。なにやらアラヤさんからの熱い視線を感じないでもない一幕。

 暫し頭を空にして、虚空を何をするでもなく眺め、のろのろと赤原礼装、射籠手、改造戦闘服、下着を脱ぎ裸体となる。
 そして全身を隈無く検分すると、右手の親指以外にも、左足首から先がほぼ黒ずんでいるのが確認できて顔を顰めた。
 帰還する直前の辺りから、左足に奇妙な痺れを感じていたが、どうやら左足首から先の皮膚が壊死し、黒くなっていたようだ。何か身体に異常が出ていないかロマニに診て貰う必要がある。
 解析の結果は、問題ないのだが。念のため。

 とりあえず、自室のシャワールームに入り、汗を流す。頭と体を洗ってから出て、バスタオルで水気を拭き取る。洗面台で髪を乾かすためにドライヤーを使っていると、不意に鏡に写った自分の髪の毛数本が白くなっているのを見つけた。

「……」

 たったの数本、されど数本。色素の抜けた髪を見て流石に宝具の投影をやり過ぎたかと思う。
 いや、肌が黒くなる、髪が白くなる程度がなんだというのか。別に死に瀕するような危機でもあるまいに気にしすぎだ。
 俺は頭を振りながら、用意していた替えの下着を穿き、黒地のタンクトップを着る。そのラフな姿のまま台所に向かい、冷蔵庫を開けた。

 俺の部屋は亡きオルガマリーに無理を言って台所付きの特別なものにしてもらった。他者に振る舞うための料理も悪くないが、時々でもいいので自分一人のためにしたいこともあったからだ。
 そんなわけで、俺は冷蔵庫に秘めていた秘蔵の発泡酒と、三段重ねの小さなケーキのようなお手製チーズを取り出す。ぱしゅ、と気の抜ける音を立てて発泡酒の缶を開け、ぐびりと一口。そしてナイフをさりげに投影して一口サイズにカットし、チーズ一切れを口に運び咀嚼する。

「……くぅ! やっぱり、たまにはやらないとなぁ、こういうのもなぁ」

 このチーズの名前はモンテボーレという。
 アペニン山脈のリグーリア州、ピエモンテ州で古くから食されており、非常に癖のあるチーズである。
 実はこのモンテボーレは、生前の万能人レオナルド・ダ・ヴィンチがこよなく愛したチーズであり、非常に強いこだわりを持っていたらしい。

 しかしダ・ヴィンチの大々好物だったモンテボーレのレシピは後に失われてしまい、十数年前にピエモンテ州で再現しようという動きが起こった。

 俺は七年前に偶然そのピエモンテ州に立ち寄り、再現途中のモンテボーレを試食させてもらい、牛の乳を七割と羊の乳を三割使えばいいのではと意見を言った覚えがある。
 その後どうなったかは知らない。ただ個人的にそのモンテボーレを再現してみようと試みた結果、非常に癖はあるが満足の行く出来映えとなり、以降俺の中でモンテボーレは「気難しいが愛嬌のある猫」的な立ち位置となった。

「……ダ・ヴィンチにも持っていってやるか」

 果たしてダ・ヴィンチの愛したモンテボーレの味を再現できているか気になるところでもあるし、今回彼には大いに助けられた。いわば礼も兼ねてのささやかなお返しという奴である。
 ……ついでに切嗣も呼ぶか。僕はサーヴァントだ、食い物なんて要らないとか言いそうだが、そこはマスター命令で食わせてしまえばいい。切嗣、ダヴィンチと話し合い、今後どのような装備を開発して貰うか注文したくもある。

 通信機がほしい。冬木式の聖杯戦争だと、サーヴァントとマスターはレイラインを通じて念話できたが、カルデア式の契約システムだと念話は成り立たない。
 今回の戦いで俺が最も痛感したのは、単独行動の多い切嗣との連絡手段の貧弱さである。もし通信機があれば切嗣もあんな無理して走り回ることもなかったはずだ。
 カルデアを経由する通信には依存できない。あれは次元を隔てたものであるから不安定、いざという時に繋がりませんでしたなんて冗談としても笑えない。現地で機能し、現地で使える、そんな通信強度の高い機械なり礼装なりが必要だった。

 これは後で知ったことだが、切嗣はこちらに負担をかけないように、自前の魔力だけで宝具を長時間発動し、固有時制御で二倍から三倍、加速し続けていたそうだ。
 カルデアに帰る直前には、受けたダメージは皆無にも関わらず消える寸前だったのには衝撃を覚えたものである。

 セイバーという魔力の大食いと、宝具の投影量産という役割をこなしていたマスターにこれ以上の負担を掛けるわけにはいかないという合理的な判断だと言っていたが……

「……切嗣にも酒を回すかな。嫌がるだろうが、酔わせてぐでんぐでんにしてやる。令呪使ってでも」

 流石にあそこまで機械然としているのは人生損している。どこかで割り切らせ……平時だけでもいい、俺の知る切嗣のような穏やかさを手に入れてほしかった。

 勝手なエゴ、押し付けがましい善意なのかもしれない。しかし彼は俺の知る切嗣ではなくても、たしかに衛宮切嗣なのだ。なら、彼だってただの暗殺者を『卒業』できるはずである。
 これは勘だ。ただの暗殺者、ただの合理主義、それだけでこの聖杯探索――グランドオーダーを勝ち抜くのは不可能だと思う。合理性を突き詰めただけで勝てるなら、これほど簡単なことはないからだ。

 いつかは切嗣の望むと望まざるとは別に、アルトリアらと連携を取る必要も出てくるだろう。そういう時に互いを信頼できなければ結果は見えている。……国に永遠はなくても、戦友は永久のもの。背を預けられる誰かを切嗣も手にしなければならない。
 その第一歩として、俺だ。
 社会不適合者を社会復帰させた経験もある。なんとかしてみせるさ、と胸中にこぼした。幸いにも彼と俺はサーヴァントとマスター、切っても切れぬ関係だ。邪険にはできないはずだし、仮にしてきても無視できる。なんて傍迷惑な野郎だと罵られたのは何時で、誰からだったか……。正直覚えがありすぎて判じ難い。

 そんなわけで改造戦闘服と赤原礼装を着込む。なんやかんや言ったところで今は戦時中だ。いつでも出撃できる態勢でいるのは当然のこと。概念礼装の射籠手を装着し、己の魔術回路に接続される感覚と流れてくる魔力の充謐感に手応えを合わせる。

 ……この潤沢な魔力に慣れてしまうと、すべてが終わった後が大変そうだが……これ個人用にプレゼントしてもらえないだろうか。永久に貸し出してくれたら本当に助かるのだが。死徒撲滅運動も捗るはず。
 そんなことを考えつつ、やって来たのはダ・ヴィンチの工房だ。切嗣は機械みたいな生態なので、呼べばいつでもどこでも出てくるはずである。わざわざ探すまでもない。

 工房の前で扉をノックし、中に入ろうとする前。
 ノックしようと手を伸ばすと、中から異様な雰囲気を感じて手を止めた。

「……?」

 眉を顰め、何事かと耳を澄ませる。すると、何やら啜り泣く声が聞こえた。

『ううう、ラムレイ、ラムレイぃぃ……』
『なんてことだ、私のラムレイ号が、こんな見るも無惨な姿に……!』
『ひどい、ひどすぎます。シロウは変わってしまいました、かつては誰にでも優しい良い子だったはずなのに……それがどうしてあんな……うぅぅ』
『……泣いてるだけじゃダメだ、騎士王さま』
『ダ・ヴィンチ……』
『これから私は、新たにラムレイ号を生まれ変わらせる。ラムレイ号はラムレイ二号機として甦る』
『おぉ……! そ、それはかつてのラムレイの勇姿を引き継ぐということですね!』
『無論だとも。かつてよりも勇壮に、かつてよりも可憐に、ラムレイの獅子頭は進化する! それが天才であるこの私の仕事だ!!』

「……」

 バカなのだろうか。
 なんかドッと疲れた気がする。白髪が増えたかもしれない。
 俺は帰ることにした。

『むっ! ……その芳しいチーズの匂い……さてはシロウですね!?』

 アルトリアの声。無駄に勘がいいのがホント腹立つのですが。というかチーズって……判断基準は食い物なのか。
 色々やるせない気持ちになる。昔は、とか語るなら俺にも言わせてほしい。昔のお前はもっと生真面目で委員長気質な騎士様だったろう? それがなんでそんなふうになってるんですかね。

 扉がスライドし、中からアルトリアが飛び出てくる。

「シロウ! 話があります、中に入って正座してください! ラムレイに対するあの仕打ち、看過できることではありません!」
「……せめて俺の眼を見て言えよ」

 手にしている皿の上のチーズと発泡酒から眼を離せ。
 俺は嘆息して、工房の中に入った。

「あ、本当に士郎くんだ。さすが騎士王さま、呆れた嗅覚をして……、……その芳しい香り、雄々しいチーズの山はまさかッッッ!?」

 余裕綽々といったいつもの態度が、俺の持つモンテボーレに気づいた瞬間、驚愕に眼を瞠き、真顔で俺を見た。

「そ、それは! そんな、まさか……! 失われたオーパーツの――」
「モンテボーレだ」
「お、おお! おおお!!」
「シロウ! 私に! 今回敵サーヴァントを四騎以上は倒している私にそれを! あとお酒も!」
「あっ、こら騎士王さま! それは私のダ! 断じてこの私を差し置いたままモンテボーレを手にすることは許さないゾ!」
「……」

 取っ組み合い、なぜか諍いを起こし始めた二人を冷めた目で見つつ、俺は呟く。

「ラムレイ……」
「……!?」
「獅子頭……」
「くっ……?!」
「ハァ……」

 物悲しそうにしながら、俺はやれやれと溜め息を吐く。

「帰るか。一人で食って、一人で飲もう……音楽性の違う奴らとは一緒に飲めないし……」
「シロウ!!」
「ん?」
「ラムレイは死にました! もういません! なので私と食べましょう!」
「あっ、狡いぞぅ! 私だってぶっちゃけ獅子頭とかどうでもいいのサ! ちゃんとまともに性能アップするからそれくださいなんでもしますから!!」
「ん? 今、なんでもするっていったよな?」
「う? あ、ああ……」
「ならこの間、ダ・ヴィンチの工房から呼符をくすねたの許してくれヨ。あと特異点でも使える通信機も人数分よろしくナ!」
「そんなことしてたの君!? 道理で探してもないはずだよ!」

 よろよろと寄ってきたアルトリアに、モンテボーレを一切れ与えた。
 むしゃむしゃと一瞬の躊躇いもなく食べ始めたアルトリアに、ダヴィンチが悲鳴をあげた。

「あああーー!! 許す、あと作る! だからそれを私にもぉ!」
「あと特異点に一緒にレイシフトしてくれたら心強いのにナ」
「鬼!悪魔!士郎くん!人の弱味につけこむとは見下げ果てたぞ!」
「弱点見せた方が悪いと思うんですけど」
「グググ……!」
「俺はともかくアルトリアの胃袋はなめるなよ。もう次の獲物を求めて手を伸ばしてきてる」
「わかった、今は無理だけど一緒にレイシフトするからそれを恵んでプリーズ!!」

 よろしい。ならば契約だ。
 何か忘れてる気がするが、別に問題ないはずである。






 

 

影分身の術なのか士郎くん!




 人理崩壊まで、あと八日。

 急いては事を仕損じるという。焦らずじっくりと腰を据え、休める時に休んでおく。
 仮に次の特異点の定礎を復元できたとしても、それはあくまでも急場を凌いだことにしかならないのだ。
 戦いはまだ序盤。七つの聖杯を回収するのに、まだ折り返し地点にも来ていない。焦っていては必ずどこかで破綻する。

 俺はゆっくりと風呂に入って湯船に浸かり、風呂上がりに医療スタッフの男性を呼んだ。全身を揉みほぐして貰い、丁寧に体の疲れを落とす。

 「僕たちは、大丈夫ですよね」「貴方なら信じられますよね」――医療スタッフの男性は頻りに俺に対して訊ねてくる。彼だけじゃない、俺とすれ違ったカルデアのスタッフは、口を揃えてそう聞いてきた。

 本来プロである彼らが、こうも取り乱したりはしないだろう。しかし人理崩壊までのタイムリミットがはっきりとして間近に迫っていると、流石に平常心を保てないでいるらしかった。なんでもいい、確証がなくても良い、とにかく安心が欲しくて堪らないのだ。
 そんな状態でも、自分達の職務を決して投げ出さずにいるのには素直に頭が下がる思いだ。俺は何度でも言った。大丈夫だ俺に任せろ、なんとかするのが俺の仕事だ、と。

 なんの根拠もないその言葉にも、彼らは安堵する。少なくとも一つの特異点を二日も掛からずに攻略した実績は信じられたのだ。

「……責任は重大だな」

 分かりきっていたことをぽつりと呟く。
 真っ暗で無音の空間に設定したシミュレーター室で座禅しながら、震える精神を鎮め統一する。
 己の内側に籠り、投影魔術を行使。投影宝具を量産し何時でも使用できるようにしておくのも、大切な下準備である。

 俺の本分は戦うことでも、ましてや狙撃することでもなかった。こうして武器を造ること――それこそが俺の本領なのだ。これを怠ることは出来ない。充実した武装は必要不可欠だ。
 俺は今、主に選定の剣の投影、量産に励んでいる。ペースは二時間に一本。かれこれ三本目になるか。
 偽螺旋剣も、赤原猟犬も、極めて強力な剣弾だが、流石に火力ではアルトリアの使うカリバーンには及ばない。最大火力を発揮する彼女の武装を整えるのはマスターである俺の役割だ。人理守護のために真価を発揮している聖剣はともかく、アルトリア自身の霊基はかつてよりも脆弱なのである。全力にはほど遠い性能しか発揮できていない彼女のためにも、霊基再臨し霊格を高めねばならない。
 が、今はそんな余裕はなかった。故にこうして今、出来ることをしているのである。
 聖剣は切り札として用い、それ以外の時は俺の投影したカリバーンを使って貰う。そしていざという時のために、ダ・ヴィンチに魔力を貯めておける礼装を製作して貰っていた。

 令呪を使うわけにはいかない状況と、俺から魔力を引っ張るわけにはいかない状況で聖剣を使用せざるを得ない時、その使い捨ての礼装で魔力を賄うのが狙いだ。現在ダ・ヴィンチ率いる技術部は急ピッチで開発に勤しんでくれていた。
 ……こういう時に、所詮己は贋作者なのだと痛感する。
 剣製に特化し、防具や布、小道具なども剣の倍魔力を使えば投影できるとは言え、無から何かを作り出すことは決してできないのだ。

 贋作とは真作ありきのもの。偽物が本物に劣る道理がなくとも、真作なくして贋作はあり得ないことを深く心得ねばならない。

 それにしても通信機、ラムレイ二号ときて、魔力を貯めておける礼装と、随分便宜を図って貰えている。事態が事態だ。マスター足る衛宮士郎の要求にはなんでも応じる、カルデアが一体となってマスターを支えると言ってくれた。
 それは、素直に喜ばしいことだ。そして彼らの期待と尽力に、なんとしても応えねばならないと思う。

 俺は取りうる戦術、想定すべき事態をアサシンの切嗣と密に話し合った。彼の思考は俺と似ているとはいえ、冷酷なまでの合理的な思考力は彼の方が上であった。故に、彼の意見は参考になる。無論アルトリアやマシュともミーティングを重ねた。百戦錬磨にして常勝の王であるアルトリアは元より、元マスター候補のA班であるマシュの頭脳も侮れないものがある。彼女たちの考えと、自分と切嗣の思考、戦術を擦り合わせ、より成功率の高い作戦を組み上げていくのは大事な作業だ。
 俺達はチームだ。能力で言えば、アルトリアがチームリーダーを張るべきなのだろうが、リーダーは俺である。意見を取りまとめ、決定したことにはチーム一丸となり従わせるし、俺も従わねばならない。
 俺の考えるリーダーシップは、ワンマンの単独トップではないのだ。あくまで皆の意見を纏め、チームの方針を決定し、定められたルールを順守させ、責任をしっかり取ることがリーダーに求められることだと考えている。

 幸い今のところ俺のチームはルールをきっちりと守る面々で固まっている。切嗣だけは特例として汚れ役も担うため、ルールの外側を行く時はあるが、それはあくまで伏せておくべきこと。彼に独断を許すが、その所業の責任は俺に帰することを弁えておく。

 技術部に依頼して装備を整え、旨い飯を食って気力を充たし、緻密に作戦を練って、互いの命が全て己の命であると意識する。そうして、俺の一日は過ぎていった。

「……なに?」

 夜となり、後は充分な睡眠を取るだけとなった。
 明日、遂に問題の特異点にレイシフトする。満足に寝られるのは今日を逃せばないかもしれない。これより七日間、最悪不眠不休の日が続くことも覚悟していた。
 合理主義の権化である切嗣にも、今日だけは眠るようにしっかりと伝えてあったし、アルトリアやマシュも同様だ。リーダーであり、唯一生身の人間である俺が夜更かしするわけにはいかなかった。

 いかなかったのだが……。

「やあ士郎くん。召喚可能の霊基一覧に歪みが生まれてしまったようだ。念のため、英霊召喚システムのテストをしたい。至急英霊召喚ルームに来てくれ」

 ――などと天才に通信を入れられてしまったら、流石に無視するわけにはいかなかった。

 思わず、なに? と反駁してしまった。明日はレイシフト当日であり、新たに召喚するサーヴァントも決まっていた。ランサーのクー・フーリン、その全盛期である。
 彼をどのように運用するか、どんなふうに作戦に組み込むかは、アルトリアらと話し合って決めてあった。前提として彼がいることは俺達の中の共通認識であるのだ。今更召喚システムに歪みとか言われても大いに困る。かなり困る。命に関わるほど困った。

 仮に、システムが正常に復旧したとしても、システムのテストをするということは、サーヴァントが召喚されて増えるということ。正直、別枠のサーヴァントが来ても運用に支障が出るし、もし万が一にも問題のあるサーヴァントが来てしまったら、さらに頭の痛い問題になってしまう。
 ……仮に、あの英雄王が召喚されたのなら、これほど心強いことはない。特異点の人理定礎復元も大いに楽になるのだが。まあ、流石にそんなご都合主義は期待するだけ無駄である。
 そも贋作者にして道化である俺の召喚に、英雄王が応じるとはとてもじゃないが思えない。

「勘弁してくれ、今問題なんて起こったら致命的だぞまったく」

 頭が痛い。が、文句を言ったところで何が変わるでもなし、俺は仕方なしに指定されたルームに向かい、システムのテストに付き合わされることとなった。

 そこで、俺は眩暈を感じる。  ――ああ、もう……今から波乱の予感しかしない。
 メンテナンスの後、テスト的に起動した英霊召喚システム・フェイト。
 ダ・ヴィンチ謹製の呼符を用いての召喚に魔力が高まり、目を焼く光と共に顕現したのは――いつか見た、黒き聖剣の王その人だったのである。

「どうしました、シロウ。盟約により、召喚に応じ参上しました。さあ、雑魚どもを蹴散らしに参りましょう」







 

 

逝くは死線、臨めよ虎口






 湿りを帯びたざらつきが、ぺろりと頬を舐めた。

 敵意はない。反射的に防御しようとする本能を律して、俺はうっすらと目を開き苦笑した。

「キュー……キャーウ」

 そこにいたのは、白い毛玉のようなリス……に見えなくもない猫。この場合、魔猫とでも言うべきか。寝起き特有の倦怠感に包まれながらも、俺はその小動物――フォウの頭を柔らかく撫でた。
 気持ちよさげに目を細める様に平和を感じ、か細い声で言う。

「……なんだ。随分と久し振りに感じるな、お前と会うのも」

 確か……特異点Fに飛ばされる前に会ったきりだったはずだ。以来、一度も見ていなかったのに、こうして寝起きに顔を見せに来るとは気まぐれな奴、と呆れてしまう。
 まったく……今日はお前に構ってはやれないというのにな。そうぼやいて、また暇があったら飯作ってやるからな、と語りかける。フォウ! と嬉しそうにしているのを見ると、人の言葉を理解しているようで、やはり動物とは思えないほど賢いなと思った。

「おはようございます。よく眠れましたか、先輩」

 扉がスライドし、部屋に入ってきたマシュがそう挨拶してきた。眼鏡に白衣姿の彼女には、俺の部屋への入室をいつでも許可してある。というよりも、基本的に俺は誰に対しても来る者拒まずだった。
 扉が開くとフォウはマシュに向けて飛び付き、慣れたように受け止めたマシュに「フォーウ!」と挨拶でもするように声をかけ、そのまま部屋から去っていった。
 微笑しながらそれを見送ったマシュに、俺はベッドから降り立ちつつ応じる。

「……まあ、思ったよりは寝れたかな」
「……? 何かあったんですか?」
「少し。昨日の晩、マシュ達が就寝してからサーヴァントを一騎召喚することになったから……それ関係で寝るのが遅れたんだ」
「え? サーヴァントを召喚したんですか?」

 驚くように目を見開くマシュ。入念な話し合いの末に取るべき戦法、コンビネーションの訓練をアルトリアと行なっていたマシュである。いきなり新しいサーヴァントを呼ばれても困惑するしかないはずだ。
 俺は頭を掻きながら事情を説明する。……ついでに俺が喚んだサーヴァントについても。

「それは……なんというか、因果なものですね」

 マシュは微妙そうな顔をしつつ、なんとも言い難そうに言葉を濁した。
 俺、マシュ、キャスターのクー・フーリンの三対一で戦い、なおも圧倒された相手である。及び腰になりそうな気持ちも分からないでもないが……。

「……いえ、彼女はアーサー王の別の側面とはいえ、同一人物のはず。戦力としてとても頼りになるでしょう。ですよね、先輩」
「ああ、その認識で間違いない」

 寧ろ俺との戦略的な相性は、本来のアルトリアよりも良さそうなのがなんとも言えない。

「後で会うことになるだろうが、彼女のことはオルタと呼べばいい。一応、それは周知してある」
変化(オルタ)……分かりました。以後、黒いアルトリアさんのことはそのように呼称させていただきます」

 了解の意を示したマシュは、時計を一瞥し、律儀にスケジュールを述べる。

「この後の予定は、朝食を頂き、そのあと管制室でブリーフィングを行なった後、第二特異点へのレイシフトとなります。頑張りましょう、先輩」

 勿論、最大限の努力を誓う。俺は黙って頷き、礼装一式を纏うと部屋を後にする。

 ――朝食を平らげて管制室に向かうと、そこにはすでにレイシフトメンバーは揃っていた。

 ガラスのように脆く、静電気のように乾いた空気が漂う中、俺は嘆息しつつ、持ち運ばれていた装備を点検する。
 ドゥン・スタリオン号と、ラムレイ二号。前者について敢えて触れず、生まれ変わった武器庫――サイドカー付きの軍用バイクに解析の魔術をかけ、その性能を改めて把握し、どこにも不調がないのを確認する
 『勝利すべき黄金の剣』五本と『赤原猟犬』と『偽・螺旋剣』を二本ずつ。一日で己の負担にならない投影宝具の量産数はそれが限界だった。無理をすれば倍までいけただろうが、そんなことをすれば後に響く。投影が本分とはいえ、それにかまけるばかりでマスターとして動けなくなるのでは本末転倒であろう。
 ラムレイ二号のサイドカーに投影宝具を積み込み、前もって干将と莫耶を投影。それを背部の鞘に納めて吊るしておく。黒弓は武器庫だ。さて、と辺りを見渡すと、互いを完全に無視するように顔を背け合い、重苦しい空気を醸すアルトリアとオルタを見た。

 俺と共に管制室まで来たマシュは、その空気の重さに何も言えずにいた。俺も出来たら何も言いたくないが、リーダーとしてそれはできない。意を決して、二人に声をかける。

「アルトリア、それからオルタ。これから出向く戦場では勝利が義務となる。分かっているとは思うが無駄な諍いを起こすなよ」
「無論です」「当然です」
「……」

 生真面目な声音に、重く威圧感のある声音。声質は同一なのにも関わらず、どちらが発言したかははっきりと識別できた。
 秩序をよしとする騎士王。暴虐をもって圧政を敷く騎士王。互いが己の側面であると認め、同じ自分だと知るからこそ相容れぬのだろう。
 だが共に轡を並べて戦いに赴く段となり、連携を必須とされる中、己達の軋轢を表面化させて場を乱すほど二人とも子供ではない。互いに声を掛け合うことはないが、自分同士ということもあり連携に支障を来すことはあるまい。だが、念は入れておく必要がある。

「もし二人がいがみ合い、作戦実行の効率が下がると判断したら、リーダーとして、マスターとして非のある方を令呪で自害させ、カルデアに帰還させるつもりでいる。異論はあるか」
「……ありません。その時は令呪を使うまでもない。己の不始末は、この手で決着をつけます」
「如何様にも、シロウ。私は貴方と共に戦うと誓った身。その盟約がある限り、私がシロウの重荷となることは決してない。……ああ、どんな非道な作戦でも、私は受け入れられる」
「……っ!」

 ぎり、と歯噛みするアルトリア。何かを言いかけ、しかし口をつぐんだ。
 俺は嘆息し、オルタとアルトリアの間に立つ。二人ともが距離を置いていたから手招きした。
 青い騎士王、黒い騎士王は怪訝そうにしながらも、俺の左右を固める形で近づいてくる。あくまで互いが視覚に映らないよう、俺を間に挟んで。
 俺はオルタの額を小突いた。

「くっ……シロウ、何を? 謂れのない罰ならば私も黙ってはいませんが」
「煩い。無意味にアルトリアを刺激する言い方をしたからだ。いいか、お前がリーダーのチームじゃない。俺がチームリーダーだ。圧政による指揮ではなく、和による結束を旨としている。昨日もそう言ったはずだな? オルタ。頼むから、俺の顔を潰すような言動は慎んでくれ」
「……了解しました。シロウの言うことです、従いましょう」
「よし。それじゃあ、二人とも友好の握手を」

 思いっきり嫌そうな顔をする二人だったが、アルトリアもオルタも逆らわなかった。
 手を重ねる両者の間から抜け、俺は出来る限り柔らかく言う。

「うん。こうしてみると、ちょっと仲の悪い双子の姉妹って感じだな」
「っ……。シロウ、その表現には頷けません。私とこのオルタは鏡合わせの同一存在。決して姉妹などではない」
「同意する。仮に姉妹だとしても、こんな出来の悪い()の面倒は見られない。撤回を要求しますシロウ」
「! 誰が妹です。貴女は私の側面でしかないのだから、私が姉でしょう!」
「フン。同じ国を治め、同じ結末を経たのなら、その精神性によって上下は明らかにするべきだ。他のつまらない戦いならいざ知らず、このグランドオーダーに於いてくだらぬ綺麗事を並べ、シロウの足を引っ張りかねない貴様よりも、私の方が遥かに優れていると判断できるが」
「何を! これが人理を守護する戦いであるからこそ、秩序だった行動と理念は不可欠だ! 無法の罷り通る戦いなどあるものか!」
「どれだけの悪逆を為そうとも、それは無かったこととして修正される。ならば何を躊躇う必要がある。敵ごと国を焼き払おうが、勝てばいいだろう」
「それは無道だ! 人理を崩さんとする輩と同列にまで堕ちる気か! 自分だけではなく、シロウまで巻き込んで!」
「……」

 ……姉妹呼びは、さすがに軽率だっただろうか。
 何やら激論を交わし始めた二人に嘆息し、しかし仲裁はしない。
 離れた俺を見て、戸惑ったようにマシュが聞いてきた。

「あ、あの……止めなくていいんですか?」
「止めなくていい。互いを無視して険悪になるよりも、言いたいことを言って睨み合う方が遥かに健全だ。それに、ああして意見を言い合うのは良いことだからな、レイシフトするまでは放っておいてもいい」

 ああしていると、どこかで折り合いをつけることも出来るだろう。そうなれば、少なくとも俺の懸念した令呪を使っての自害もさせずに済む。
 そう言うと、マシュはなるほどと言って頷いた。
 ややすると規定の時間となり、管制室にロマニ・アーキマンとダ・ヴィンチがやって来た。

 ロマニは憔悴した顔色に変わりはない。寧ろ酷くなっていたが、この間のように錯乱はしていなかった。落ち着いた物腰で、俺たちを見る。

 対し、ダ・ヴィンチは今にも死にそうだった。休養の必要のないサーヴァントとはいえ、その精神は生前となんら変わりのないものなのだから、ここ数日間の激務にはさしもの天才も根を上げそうなのだろう。
 特異点でも使える通信機の開発、ラムレイ二号の新設、宝具専用に魔力を貯蔵しておける礼装の開発、回収した聖杯の解析にとダ・ヴィンチをはじめとした技術部はてんてこまいだ。

「やあ、おはよう」
「おはようロマニ、ダ・ヴィンチ。……首尾は?」
「……おはよぉ。回収した聖杯は技術部が解析中……んで宝具の使用にも耐える魔力貯蔵型礼装はまだ。たぶん完成は四日後かな……」
「そうか。それじゃあ、通信機は?」

 言うと、寝不足な目をしたままだらしなく笑い、ダ・ヴィンチは得意気に一つの魔力計を取り出した。
 そしてわざわざ紐に通し、俺の首に下げてくれた。

 これは? 目で問うと、彼は力尽きた亡者のように力なく言った。

「懐中時計型通信機……っていうのは見たまんま過ぎてアレだけど。要は、外付け念話装置だよ」
「……?」
「あー、士郎くんに分かりやすく言うとだ、冬木式の聖杯戦争の時みたく、マスターとサーヴァント間の繋がりを利用した、遠距離での会話を可能とする優れものさ」
「それは……凄いな。通信可能距離は?」
「互いが生きてたらどこでも繋がるよ、理論上はね。だってさ、互いを繋ぐレイラインが電話線の役割を果たすんだから。まあ、その外付け装置が破壊されたらダメだから、一応強度には気を使ったけれどね、サーヴァントとかの攻撃を受けたら壊れるから。そこは気を付けて」
「……首に下げてるものを破壊されるなら、俺も破壊されているだろうし、気にすることでもないな」
「あははー、かもねー。……あ、ダメだこれ。ごめんちょっと休ませ、て……」

 ばたり、と電池の切れた人形のようにその場に倒れ伏すダ・ヴィンチ。相当に無理をしていたようだ。さすがに回収した聖杯の解析までしているとなれば、今回のレイシフトに付き合わせるわけにはいかないだろう。今ぐらいは休ませてもいい、と俺は思う。しかし、ロマニは割りと容赦なく言った。

「レオナルドはすぐ起こすとして……」
「……」
「実動部隊として今回君達を支援するのは僕とレオナルドだ。気は遣わなくていいよ? 無理してるのはレオナルドだけじゃない。みんなそうだ。特に、きみたちはね」
「……まあ、ロマニがそう言うなら」
「ああ――レイシフトの準備は整っている。今回君たちが向かうのは一世紀のヨーロッパだ。より具体的に言うと古代ローマ。イタリア半島から始まり、地中海を制した大帝国だよ」
「一世紀の古代ローマ、か。著名なのはカリギュラ帝とネロ帝だな」

 こういった話には即食いついてきそうなダ・ヴィンチは、完全に沈黙している。いたたまれない気分になるが、構わずロマニは続けた。

「良いかな士郎くん。転移地点は帝国首都であるローマを予定している。地理的には前回と近似のものと思ってくれても構わない。存在するはずの聖杯の正確な場所は不明。歴史に対して、どういった変化が起こっているかも不明だ」

 ふむ、と腕を組む。頭の中でざっと計算し俺は訊ねた。

「……その転移地点は変更できるか?」
「む、出来なくはないけど、なぜだい?」
「いや……これは俺の経験則だが、いきなり人の集まる地点に突入してもろくなことにはならない。俺としては首都ローマより離れた――しかし離れすぎてもないブリタニア辺りが望ましい。どうだ?」
「……出来なくはない、とは思う。けどそこまで警戒することかな?」
「人あるところに災禍あり、だ。本当ならすぐにそういった場所に飛び込むべきなんだろうが、今回はそのセオリーを外した方がいい」
「……それは勘かな」
「ああ。勘だ。第六感的なものじゃなく、あくまで計算と経験から来るものだが」
「……」

 はぁー、とロマニは嘆息した。自分は文官、武官ではない。ならこういった現場の意見は尊重するべきだろう。それに、なんの考えもなく言ってるわけでもなさそうだし。仕方ないな、とロマニは頷いた。

「いいよ。ただし、十分時間はもらう。設定を変えるのもスイッチ一つで、というわけにはいかないからね。その間なにもしないわけにもいかないし、ブリーフィングを終わらせておこうか」
「ああ、頼む」
「作戦の要旨は前回と同じ、特異点の調査、修正。そして聖杯の調査および入手、または破壊だ。人類史の存続は君たちの双肩にかかっている。今回も成功させてくれ」

 ロマニは窶れた顔で、しかし静かに、強く言った。

「そして……。無事に帰ってくるんだ。いいね?」

 了解、とマシュと声が重なった。

 しばらくの沈黙の末、ロマニはレイシフトの設定の変更を終えたのだろう。何も言わず、無言で俺達にコフィンへ入るよう促した。

 ――アンサモンプログラム スタート

 ――霊子変換を開始 します

 ――レイシフトまで後 3、2、1……

 ――全工程 完了(クリア)

 ――グランドオーダー 実証を 開始 します






 

 

敗将、枯れた赤薔薇






 レイシフト完了直後、周囲の光景に視界の像を結ぶ前に、青と黒の影が瞬時に動いて左右にバラけ警戒する。双剣を抜き放ち、素早く辺りに目を走らせる男の傍らには、大盾を構えて防御体勢を取る少女の姿。

 場所はまたしても名も知らぬ森林。やがて辺りに動くものがないことを確認すると、男が双剣を下ろすのと同じくして青と黒の騎士、盾の少女もまた警戒体勢を解除した。

(こちらアサシン。周囲十メートルから百メートルに敵影はない)

 レイラインを通し、切嗣の声が脳裏に響く。問題なく念話も機能しているようだが、騎士達の反応の薄さからサーヴァントからサーヴァントには声が届かないらしい。

(引き続き警戒を頼む。これより北西に進み霊脈を確保、その後に召喚サークルを設置する)
(了解した。通信限界域を見極めるため、継続的に通信を入れる)

 頼むと返すのと同じくして、切嗣は北西の方角に先行していく。
 やはりリアルタイムに情報を更新できることへの安心感は大きい。後は……ダ・ヴィンチが言っていた通り、どこからでも念話が通じることを期待するしかない。
 しかし所詮は理論しかないアイテムだ。慎重に性能を測らねばならない。またいざという時を想定し、あまり依存しすぎるのも宜しくないだろう。

 俺はアルトリア、オルタ、マシュの顔を見て目を合わせ、しっかりと頷く。アイコンタクトをし、素早く移動を開始する。
 チーム全体に周知してある行動方針は、第一に転移直後の周囲警戒、第二に危機がなければ霊脈の特定と召喚サークルの設置である。カルデアからドゥン・スタリオン号とラムレイ号を送って貰うためだ。

 足を確保してから、漸く本格的に行動を開始できる。――と、ここまでが基本行動。今回は召喚サークルを設置後に、かねてよりカルデアと連結した召喚システムを起動し特定の英霊を召喚することになっていた。

 クー・フーリンである。

 俺の中で最強の英霊は誰かと言われたら、文句なしに英雄王だ。
 しかしあれは些か特例的であり、戦力としての運用は厳しい。最強だがサーヴァントとしては論外という存在。
 ヘラクレスもまた最強だが、あの大英雄は宝具からして規格外。とてもじゃないがあの常時発動型の『十二の試練』の消費魔力量を賄える気がしなかった。

 ヘラクレスのマスターは、イリヤにしか無理だと今でも確信している。

 そもそも両者ともに触媒がない。確実な召喚が出来ない以上、選択肢にも入らないのだ。その点クー・フーリンの場合、本人の髪の毛というこれ以上ない触媒がある。
 しかもその戦闘能力は、冬木という知名度皆無の土地であるにも関わらず狂戦士のヘラクレスに対する勝機を有し、ギルガメッシュという人類史の特異点そのものである最上級の英雄を相手に半日も戦闘し、少なくない消耗を強いた戦士として最高格の物だ。

 戦士としてのキャリアはケルト神話最強の名に恥じず、また腕っぷしだけでなく教養も一流。そして人柄は知っての通りとても頼りになる兄貴肌。聖杯戦争の開催地が、知名度の高いアイルランドであったなら、アーサー王以上の霊格を有し理性のあるヘラクレスとも互角に戦えるだろう。
 経験豊富にして百戦錬磨。戦場を選ばない実力、知性、人柄、宝具、燃費と五拍子も揃った大英雄。――告白するとだ。あの魔槍に宿った記憶と経験を解析、知識として蓄積している身としては、ぶっちゃけた話アーサー王が一人では確実に敗北し、アーサー王と同格の英雄が二人がかりでも仕留めきれず、三人でかかればあっさり離脱されるだろう、というのが俺の所感だった。

 ずばり俺にとっての最強はクー・フーリンである。

 アルトリアやオルタには絶対に言えないな、と思った。正直、アルトリアとオルタは望外の存在だった。ぶっちゃけ来てくれて大いに助かったわけだが、当初の考えではいないものとして作戦を練っていたわけだ。本命は今も変わらずクー・フーリンである。
 そして、彼の召喚のために俺はこのブリタニアを転移地点に指定したのだ。
 ブリタニア。それはグレートブリテン島の古い呼び名である。そしてグレートブリテン島には、アイルランドが含まれていた。つまりクー・フーリンのホームである。しかもご丁寧に時代は一世紀。流石に本人は死んでいるだろうが知名度はそれはもう色濃く残っているだろう。最新の伝説として、だ。

 そして一度全盛期の状態で召喚してしまえばこちらのもの。カルデアの霊基一覧に完全体クー・フーリンが登録され、他の時代や国に移動しても実力が衰えることはない。
 これはもう勝ったな、と慢心しても許されるレベルだった。

 ――それが大きな間違いだと気づかされたのは、すぐだった。

(士郎。緊急事態だ。森を出て開けた場所に出るのにあと百メートル。森から出たらすぐに南東の方角を見ろ。大至急だ)

「……?」

 切嗣の機械的な、しかし緊急性を感じさせる報告に眉を顰める。
 南東、ちょうど進行方向の真逆。いったい何があったというのか。俺は嫌な予感に冷や汗を流し始めている自分に気づく。
 ……嫌な感じだ。まるで、腑海林(アインナッシュ)の領域に侵入した時のようだ。正直死ぬかと思ったあの時の記憶が甦る時点で、俺の危機感は最高潮に達している。

 ――今ここに「殺人貴」はいない。あの時のような奇跡はもう起きない。

 自然、早足となった俺に、アルトリアらは追随しながら不審げに訊ねてきた。

「どうかしたのですか、シロウ」

 あと少しでわかる、と短く応じる。その様子に、確かな危機感を感じた彼女達も気を引き締める。
 あと十メートルで森から出る。足が重くなる。
 あと八メートル。歩行が遅くなる。
 あと、一メートル。立ち止まって、深呼吸する。
 森から出た。日差しが俺達を照らし出す。嫌に熱いが季節は夏なのだろうか。
 俺は更に進み、額から脂汗が溢れてくるのを手の甲で拭う。

 ゆっくりと、振り返った。

 ――そして俺は、この特異点での戦いが、決して一筋縄でいくものではないと確信した。させられた。

「……召喚サークルの設置を確認しました。先輩、いつでも英霊召喚は可能です」

 固い声で、マシュが報告してきた。
 俺はそれに頷く。召喚サークルが置かれ、カルデアと繋がると、すぐさまドゥン・スタリオン号とラムレイ二号が送られてくる。
 そして、ロマニの声が届けられた。

『やあ、今のところは順調みたいで何よりだ。何か変わりはないかな?』
「……」
『……何かあったみたいだね。どうしたんだい?』
「……ロマニ。南東、ローマ帝国の首都がある方角をモニターしろ。それで分かる」
『? 南東だね、わかっ……?! な、なんだこれは……!?』

 驚愕に引き攣った声を上げるロマニに、俺は深く溜め息を吐きながら応じた。

「見た通りだ。……紅い大樹(・・・・)が、ローマ帝国の国土、その大半を覆い尽くして(・・・・・・)いる」

 目に見える異常。第一特異点とは比較にならない明確な、特大規模の特異な光景。
 地形変動どころの騒ぎではない。国土侵食とでも言うべき、歴史の根幹から崩壊する変化だった。
 俺の言葉に、向こう側では絶句して言葉もない。

「正確な大きさが知りたい。ロマニ、呆けてないで頭と手を動かせ!」

 一喝すると、ロマニは我に返ったようだ。慌てて手元の装置を弄り、データを取り始める。

『なんだこれは……信じられない! 士郎くんの目測は正しい、その大樹はローマ帝国を呑み込んでいる。そして今も拡大を続けている(・・・・・・・・・・)! 君たちのいる方に向けてだ!』
「……」
『しかも……これはただ事じゃないぞ!? この反応は宝具だ、その大樹からは宝具の反応がある(・・・・・・・・)!!』
「……、なるほど。やはりあれはサーヴァントの仕業で、あんな出鱈目が成されているということは……」
『ああ、聖杯だ、こんなこと、聖杯でもない限り絶対にあり得ない! しかもなんだ、この反応は明らかに暴走――』
「ロマニ? ……ロマニ! 応答しろ、ロマニ!」

 唐突に通信が途絶える。
 俺は何度か呼び掛けるが、返答はない。やがてカルデアとの通信が完全に途絶えていることを悟ると、俺は一瞬瞑目し、不安げに瞳を揺らすマシュを。凛然と背筋を伸ばすアルトリアを。露ほどの動揺もないオルタを見渡す。

「……聞いての通りだ。事態はどうやら予断を許さないらしい。あんまりのんびりとはしていられないぞ」
「もとより速攻こそが本分でしょう。むしろ除くべき異常が明確なことを喜ぶべきだ」

 不遜なオルタの物言いに、俺は少し緊張が緩まる。
 なるほど、物は言いようだなと頷いた。

 確かに聖杯を探し、歴史を修正するために東西南北を駆けずり回るよりはいいかもしれない。
 発覚した問題が手に負えるかどうかは別として。

「……」

 暫し沈黙し、俺は首を左右に振った。どうするべきか一通り考えたものの妙案と呼べる閃きはなかった。
 聖剣であの大樹を焼き払いながら進むのもいいが、その場合、俺の魔力の方が先に尽きる。他の手段はなにもない。なにせ、相手がシンプルに過ぎるのだ。
 単純に、規格外の質量を拡大させ続けている。それだけだ。それだけだから取れる方策が限られてしまっている。

 ……ダメだな、まるで思い付かん。

 俺は一旦思考を破棄し、脳裏に描いていた策の全てを白紙に戻す。

「……とにかく、さっさとクー・フーリンを召喚しよう。話はそれからだ」

 マシュの盾に呼符と触媒をセットする。後はシステムを作動させるだけだが……そこで、またしても待ったがかかった。

(少しいいか)

 それは切嗣だった。今度はなんだ、とうんざりしかけた俺に、彼はまたしてこの特異点での大殊勲を挙げたことを報せてくれた。

 その報せは、特異点修復のために欠かせないピース。
 計らずも手に入った最初で最後の希望だった。

ネロ帝(・・・)を保護した。こちらを見るなり短剣で喉を突き自害しようとしたから無力化し、意識を奪ってある。指示を仰ぎたい)






 

 

全滅の詩、語れ薔薇の皇帝




  『暴君』ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。

 彼の皇帝の悪名の殆どは、実は後世の脚色ばかりであり、実際に彼一人の責任と言えるのは弟を、母を、妻を殺したことだけと言える。しかしそれさえもネロの二番目の妻ポッパエアの讒言に惑わされたがためとも言われていた。
 諸悪の根源はこのポッパエア。諸説あるが近年になってそういった説が有力視され、ネロ帝が打ち出した「人の知恵の限りを尽くした施策」の数々を再評価する動きも活発になっている。

 しかし、情緒不安定で、自分勝手であり、自意識過剰気味だったのは確かであった。

 彼の皇帝は自らを「芸術家」と自認し、黄金宮殿(ドムス・アウレア)を建築。それ自体の耐久性の高さは評価され、ローマン・コンクリートと評されるに至った。
 が。それは栄光の一幕でしかない。
 ネロ帝は歌が好きで、数千人に及ぶ観衆を集めコンサートと称して自分の為のショーを開くのを楽しみとし、「青年祭」と称した私的な祭典まで興したという。
 更に詩人としての才覚も一流のものであると信じて疑わず、ネロは民衆を集めて幾度も独唱会を開いたとか。
 しかし、ネロ帝に詩人としての才覚はなく、ネロ帝の聞くに堪えない歌に民衆から逃げ出す者が続出。ネロ帝はこれを見越して劇場の出入り口を塞いだというからなんとも言えない。このために堀をよじ登ってでも脱出する者が頻発し、死んだふりをして棺桶に入れられて外に運び出された者も出たというのだから驚きだ。
 ネロ帝の親友の一人などはネロ帝の演奏があまりに退屈だったため眠ってしまい、これが原因でネロ帝から絶交を申し伝えられたというエピソードまであった。

 他にも部下の美人な妻を略取しただとか、見目麗しい美少年を去勢し妻にしただとか……身勝手で独善的な振る舞いには枚挙に暇がない。
 暴君と謗られるに足る下地は確かにあり、そういった観点から見れば個性的の一言では流せない人物だったのだろう。

 だが、それでもネロ帝は後世、神格化されるほどに民から慕われ、ネロ帝の死が後のローマ内戦の引き金になるほどの影響力を持っていたのは確かだった。

 一世紀の華、ネロ・クラウディウス。彼の皇帝は、性根がひん曲がっていることを考慮に入れても傑物と評するに値する人物だったのだ。








「……」

 ワイヤーを芯として編まれたロープで手足を拘束され、口に猿轡を噛まされた華のような美女を見下ろした。
 我が目を疑う。力なく地面に横たわり、擦りきれた紅いドレスを纏った女が……あのネロ帝だと? 俺は念のため、アサシンに声もなく問いを投げた。

(切嗣。この女性が、かのネロ帝だという確証は?)

(自分でそう名乗った。このネロ・クラウディウス、生きて虜囚の辱しめは受けないなんて言ってね。現時点では『自称』ネロ帝だが、僕を敵と見るなり自害しようとした点から信憑性は高いと判断した。かの騎士王が女だったこともある。ネロ帝が実は女でしたというのも必ずしも否定できたことではないと踏んだまでだ)

(…………)

 一々尤もである。歴史の真実には頭の痛くなることが多々あるが、これがはじめての経験というわけでもなかった。
 まあ問題は、だ。切嗣がネロ帝を捕縛し、縛り上げて近くまで運んできた後、それを持ってアルトリアらの前に運んだのはこの俺だということだ。
 嫌に冷たい眼差しのアルトリア。ジト目のマシュ。冷ややかに薄い笑みを浮かべるオルタに囲まれては、さしもの俺とて動揺せずにはいられない。
 俺は咳払いをして、声を震えさせないように意識しながら本題に入る。

「……俺のサーヴァントが、この場にいる者の他に一人いる。クラスはアサシンだ。そのアサシンが彼女を発見し、拘束。俺に処断を任せるために運んできたらしい」

 と、ここまで言って、反応を窺う。

「……では、どうして彼女に見惚れていたのでしょうか」

 ぐさりと刺してきたのはオルタだった。俺は俺の全知全能を懸けて応える。なぁに、こういう修羅場を幾度(いくたび)も捌いて不敗を貫いてきたのだ。問題ない。

「この女性の顔立ちが、どことなくアルトリア達に似ていたからな。拘束されてる姿に倒錯的な魅力を感じたんだ。すまない、不躾な視線だった」
「っ……」

 アルトリアとオルタはその遠回しな誉め言葉に攻め気を鈍らせた。
 実際、ネロ帝らしい女性の顔立ちはアルトリアに良く似ていた。しかし武人ではないためかどこか丸みを帯び、印象にも少々の灰汁があるように思える。

 二人の反応を受けて、よし、いける――と、思ったら。今度は伏兵に横腹を刺された。マシュだ。ジト目のまま少女はぼそりと呟いた。

「……でも先輩、胸見てましたよね。似ても似つかない部位です」

 カチン

 アルトリアとオルタの目が、ネロ帝の胸部に向けられる。横向けに倒れているためか、腕に挟まれぐにゃりと形を歪めている豊かな双丘――凍りついた空気の中、俺の心眼はこの場に残された唯一の活路を導き出す。間を置かず瞬時にそこに飛び付いた。

「――彼女の名をアサシンは聞き出している。ネロ・クラウディウスというらしい。言うまでもなく、この時代の中心人物と言っても過言ではないだろう」
「……ネロ帝ですって?」
「彼女がですか」

 その名を出すと、アルトリアとオルタの目から私情は消えた。

 危機は去った。くだらない危機だったが、チーム瓦解の地雷でもあった。上手く回避できてよかったと心から思う。
 頭を振り、俺も思考から弛んだものを絞り出す。戯れ合い、互いの緊張を緩めるのはこれで充分だ。

 俺は肯定し、提案する。

「そうだ。現時点ではあくまで『自称』だがな。が、今の俺たちにとっては貴重な情報源に成り得るという点では、自称でも一向に構わない。話さえ聞けるならな。彼女を起こし、話をしようと思うが、どうだ?」
「……そうですね。では、起こしましょうか」

 アルトリアがマシュを見る。どこか納得してない風な膨れ面のマシュだったが、この流れに逆らうだけの棘はなかったらしく、しっかりと頷いた。
 まず、マシュに言って持ち物を調べさせる。また自害されそうになると、止めるのも面倒だ。
 ボディチェックをしている光景から目を逸らし、何も持っていません、とマシュが報告してくるのを待って、俺は手足の拘束を解き猿轡を外すように言った。
 そして、体を揺すり、マシュがネロ帝を起こす。

 苦しげに呻き、華やかな美貌の皇帝は目を開いた。

「っ……!? な、なんだ貴様らは! 余をローマ帝国第五代皇帝、ネロ・クラウディウスと知っての狼藉か!」
「知らん」

 跳ね起きるなり飛び退いて間合いを離し、鈴の鳴るような美声で誰何してきたネロ帝に、俺はばっさりと切り捨てた。
 気色ばむネロ帝を尻目にザッと考えを纏める。
 今、ネロ帝は起き抜けに見知らぬ者達に囲まれていて、些か動揺している。そして手元に護身のための武器がないことも身ぶりだけで確かめているのも見えた。
 ……手に武器がなく、見知らぬ者らに囲まれ冷静さをまだ取り戻せていない。この場合は、こちらがイニシアチブを握るのは容易だ。俺は彼女が何かを言う前に、さっさと名乗った。

「俺の名は衛宮士郎。こっちがアルトリアに、オルタとマシュだ。俺の仲間がボロ小屋の前で貴女が蹲っているのを見つけ、話し掛けようとしたところ、いきなり自裁しようとしたから無力化し一旦眠って貰った。俺達はローマの民ではないが貴女を狙う者でもない。その証拠として一切の危害を加えないことを誓う。……把握して貰えたか?」
「……」

 長々と語り聞かせていると、ネロは注意深く俺、アルトリア、マシュ、オルタを順繰りに見渡し、やがて無理矢理にでも落ち着いたのか、皮肉げに苦笑した。

「……では、余は貴様らを敵と早とちりして自害しようとしたのだな」
「そうなる」
「……ふ、無様極まる。余ともあろう者が、敵意の有無すら見抜けぬとは。……手間をかけたな。詫びとして何かを取らせてやりたいが、生憎と財は全てローマに置いてきた。なにもくれてやることは出来ぬ」
「富は要らない。だが情報はほしい。何があったか、話してくれないか」

 俺はローマのある方角――深紅の大樹が侵食する帝国を指差し、ネロに訊ねた。
 俺の物言いは、本来不敬とも取れる。ネロはそれに不快感を示すだろうと思っていたが、あてが外れた。
 敢えて怒らせて気力を沸き上がらせようと思ったのだが、言葉遣い程度の不敬に目くじらをたてるほど狭量ではない、ということだろうか。
 だとすれば、少し気まずかった。器を測り損ねたのもそうだが、一度この口調を使ったがために止め時が掴めない。……仕方ないか、と妥協した。

「……其の方ら、もしやカルデアとやらの者達か?」
「っ、……ああ。どこでその名前を?」

 ふと、黙り込んでいたネロが口にした単語に、俺は目を見開く。ネロは淡く微笑んだ。不敵に笑おうとして失敗した、今に命の尽きそうな顔だった。
 ……嫌な感じだ。これは、死相である。

「他にも知っておる。マスター、サーヴァント、聖杯に、人類史の焼却……。よもや余がその責を負うことになるとはな……」
「……失礼、ネロ帝。貴女に触れる無礼を許してほしい」
「ふ。構わぬ、好きにせよ。先の見えた命だからな」

 俺は断りをいれ、ネロの肩に手を置いた。そして彼女の体に解析の魔術をかけ――俺はすぐさまマシュに指示を飛ばした。

「っ! マシュ、カルデアに通信をいれろ! 大至急だ!」
「えっ? あ、はい!」

 俺はすぐにネロの体を横たえた。
 召喚サークルに手をかざし、マシュはカルデアに呼び掛ける。だが、繋がらない。

「先輩!」
「繋がるまでやれ! ネロの応急処置(・・・・)だけはこっちでやれる!」

 ――ネロは死に瀕していた。

 全身になんらかの呪いが纏わりつき、ネロの体を植物(・・)に置換していっていたのだ。
 このままなんの処置もしなければ長くは保たない! 俺は己とネロの間にラインを通じる。ネロは乾いた笑みを浮かべた。

「ローマだ……」
「……なに?! 何を言ってる! 分かるように言え!」
「ローマ建国の祖、かの神祖ロムルスは、槍をパラディウムの丘に突き刺し、大樹と化させた。その大樹の成長は、ローマ建国の伝説そのもの。現世に甦った神祖は、再び、ローマの建国を再現した。そうだ、神祖は余を、今のローマを否定し……ぐ、」

 どこかうわ言のように呟き、ネロは苦しげに呻いた。よろよろと首を左右に振る。

「……いや、違う。神祖は、ローマだ。それがローマを否定するなど、有り得ぬ。何者かが、神祖を歪めたに違いない……。許せぬ、それだけは、決して許せぬ……! よりにもよって、神祖にローマを否定させるなど……断じて、許せるものか……!」
「……話は後で聞くことにした。痛いぞ、死ぬほど。だから死力を尽くして耐えろ! 生きたいなら!」

 俺はネロの耳元で叫び、魔力をネロの体へ強引に流し込んだ。ぐああ! 体を海老反りにし、絶叫するネロ。
 体内の呪いを、無理矢理に魔力で洗い流しているのだ。ネロにとって未知の痛みは、爪の先に針を刺されている痛みを十倍に拡大しているようなものだ。
 一度で洗い流せたのは、呪いの十分の一。一旦、中断して声をかけた。

「……あと九回、今のに耐えてくれ。そうしたら、少しは寿命が延びる」
「ふ、ふふふ……痛い、痛いな……。が、よい。この痛みが、生の証ならば。……だが、分かっているだろう。余のそれは、余がローマだからこそ蝕むもの。神祖の槍に触れたのだ、逃れても一時の誤魔化しにしかならぬ」
「それでも、やらないよりはましだろうが!」

 今度は、ネロは叫ばなかった。歯を噛み締め、全身から脂汗を垂れ流し、死に物狂いに耐えていた。
 ――こんな様で、よく今まで生きてたな!
 俺は内心で怒鳴る。ネロの体は、体内の三割が樹木と化していたのだ。普通なら死んでいる。だが、生き永らえていたのは生への執念か、それとも古代の人間に特有の神秘的な生命力故か。
 九回、全てにネロは声ひとつあげなかった。
 見事、と称える。息も絶え絶えにネロは口許だけで微笑んだ。

「どう、やら……本当に、余を……助けてくれて、いるのだな……」
「……」
「もう、ローマは呑まれ、余も槍の一部となるところだったが……。まさか、はは、まだ立ち上がるだけの……力を手にできるとは……感謝、するぞ……エミュア・シェロ」
「……士郎だ。が、まあシェロと呼ぶのはいい」

 それと、と。一瞬、懐かしい何かを思い出しかけた士郎だったが、すぐに気を取り直して言った。

「所詮は一時しのぎだ。呪いそのものは貴女の体と、魂そのものにまで絡み付いている。俺にはそれを遅らせ、ある程度押し留めるのが限界だよ」
「充分……だ。……すまぬが、少し眠ってよいか? ローマから、こんな辺境まで、休む間もなく逃げてきたのだ。流石の余も、少し疲れた……」
「ご随意に、皇帝陛下」
「ふ、……其の方ほど、敬語の似合わぬ男もおるまいな」

 そう溢したきり、ネロはぐったりと泥のように眠りについた。布団と敷布団を投影し、ネロをそこに寝かせる。
 俺は嘆息し、マシュを見た。マシュは首を左右に振る。まだカルデアとは繋がらないらしい。ここは、霊脈に設置した召喚サークルなのに。

 まだ続けろ、と目だけで指示し、俺はアルトリアとオルタに言った。それは、ネロのうわ言を聞く内に得た確信だった。

「最悪だ、二人とも」
「何がでしょう」
「この時代が修正不能になるのに、もう瀬戸際まで来ている。――ローマは実質滅び、全ての国土は大樹に呑まれ、まだ拡大は続くだろう。人理が完全に修復不可能に未だなっていないのは……」
「ネロ帝が生きているから、ですか」

 オルタの言葉に、うなずく。

「この時代の中心人物で、唯一、一世紀の原形として残っている皇帝ネロ。彼……いや、彼女が死ねば、歴史の修正は不可能だ。分かるな、二人とも。ネロ帝は絶対に死なせるわけにはいかない、彼女の死は俺達の敗北を意味する」

 鉄を噛むような心地で言い切り、俺はマシュを見る。
 マシュは、パッと顔を輝かせた。

「繋がりました! カルデアとの通信が復活しました!」
『ああっ! やっと繋がった! マシュ、士郎くん! 無事かい!?』
「ロマニ!」

 俺は食いつくようにして怒号を発する。気を呑むように激しく、反論を許さぬように。

「大至急、手配してほしいことがある。頼めるか?!」
『えっ?! あ、ああ! なんでも言ってくれ! 出来ることならなんでもする!』
「よし、なら技術部に言え、聖杯の解析は後回しだ、すぐに使うように指示しろ!」
『ちょ、ええっ?!』

 ロマニが驚愕したように声を張り上げた。そんなむちゃくちゃな! 何があるかわからないのに、そんなことはさせられない! と。それは道理だ。
 だが、

「四の五の言ってる場合じゃないんだよ!!」

 血を吐くように怒号する。そして今、俺達の置かれた状況を教え、何がなんでもネロを死なせるわけにはいかないことを伝える。
 そのために、聖杯を使わねばならない。
 ネロを蝕んでいる聖杯を使った呪いに立ち向かうには、同じく聖杯を使うしかなく。これからの戦いを思えば、とてもじゃないがネロを単独で動かすわけにはいかない。
 故に、だ!

「ネロを聖杯で治療後、聖杯でネロをカルデアの職員だと世界に誤認させ、カルデアのマスターとして運用する!」
『はあっ!? そんな無茶な!』
「無茶でもやらなきゃ世界が滅ぶ! 特異点が修正されればネロ帝の不在もなかったことになって、カルデア職員のネロは残り続けるだろうさ!」
『それは!? それがどういうことかわかってるのか、士郎くん!!』

「わかってる! 悪魔でも鬼畜でもなんとでも呼べ! 俺個人の呼び名よりも、人理を守護する方がよっぽど大事だろうが!! ええ、違うか!?」

 違わない、違うはずがない、故に俺はロマニに頼むのだ。これからのために。

「ネロ帝をマスターに設定し、クー・フーリンをサーヴァントとして付ける! とりあえず、今は治療だけでいい。ネロ帝が起きたら説得する。俺達と共に戦ってくれと。身勝手にも、自分を捨ててくれと!」

 聖杯で、カルデアのマスターを一人増やす。
 悪魔的な発想だった。最低の、外道の考えだった。

 だが、これ以上ない効果を望める起死回生に繋がる策でもあった。

 ネロ帝は、恐らくこの悪魔の契約を結ぶだろう。
 例えカルデアに生身のネロが加わっても、人理が修復されるとネロは『いる』ものとして歴史は進む。世界の修正力とはそういうものだ。
 説得できなければ、諦める。無理強いしても意味がないから。だが、俺は確信していた。ネロは、この手を掴む。それほど追い詰められている。立ち上がり、戦うために、万策を尽くす覚悟があり――そのためなら世界(自分)を捨てることが出来る英雄だと感じさせられた。

 ロマニは、やけくそのように髪を掻き毟り、了解したよくそぉっ! と怒鳴り返してきた。

『ただし、説得はそっちがしてくれよ! 失敗したらダメだからな!』
「わかってる。……すまん、ロマニ」
『ボクに謝ったって意味ないでしょ!』

 其の通りだ。

「まったく……」

 俺は、地獄に落ちるかもな……。

 ――安心してください。その時は、私達も共に参ります。

 三人の声が、心を軽くしてくれた。









 

 

英雄猛りて進撃を(上)



「うむ、仔細承知した。よきに計らうがよい」

 ――そう言って、ネロ・クラウディウスは至極あっさりと己の進退を決定した。
 そのカラッとした陽気に士郎達は呆気に取られる。
 今、ネロ帝は悪魔の契約書に、迷う素振りすらなくサインしたのだ。
 それは世界に自分を売るが如き所業。独りの正義の味方が、世界に己を売り渡し守護者となったのと同じ事。救った世界に自分がいなくてもいいと……己を省みぬ選択だった。
 あまりの即決ぶりに、マシュが困惑したように訊ねた。ともすると、その言葉の意味を理解できていないのではないか、なんて疑ってしまったのだ。――それは、ネロという皇帝を知らぬが故の無粋な問い。ローマ皇帝をよく知る者なら愚問であると笑うだろう。

「あ、あの……本当に……? わたし達と一緒に戦ってくれるんですか……?」

 それは、己という存在を消すことを意味するのに。
 どこか怖がるような声音に、果たしてネロは一笑に付すのみだった。

「ふ、何を恐れておる。余の命を救ったのは其の方らであるぞ?」

 聖杯は使われた。呪いは払われた。命の危機は、当面は去った。

「もとより死したも同然であった余が今一度立ち上がり、神祖の歪みを正せる好機を得られた。まさに望外の快事である! 神祖を正す、それ即ちローマの過ちを正すのと同義。そして人類史を修正するという大業に加わること即ち未来(ローマ)を救うに同意! まさに快なり! 余にはそなたらと轡を並べるに足る大義がある!」

 可々大笑し、胸を反らした赤い薔薇。まさにローマを舞台として舞う華の赤。

「それにな、余は敗軍の将なのだ。負けた者は、本来何もすることが出来ぬもの。であればもう、余は死人よ。既に死んでいるのなら死んでいるものとして、余は生きているのだと満身より声を絞り叫ぶまで! 人類史を修正すれば余に成り代わったものがネロとなる……大いに結構! 死人である余のローマを引き継がせる戦いが(これ)である。後顧の憂いがないならば、後は勝ちに行くのみだ。であろう、シェロ!」
「ああ……全く以てその通り。だが……生きながらにして死ぬという責め苦、その本当の苦しみを。自分が自分でなくなる恐怖を。いつか本当に、自分が変容するおぞましさを。貴女は覚悟できているのか? 安易に進めば、それは地獄の炎となって貴女を襲うだろう」
「は! そんなものは知らぬ!」

 最後の忠告だった。士郎の、心底に沈澱する核心的恐怖を、しかしネロは何も考えずに一刀両断にした。
 知らぬものについて考えを及ばせ、無駄に怯えるような深慮はない。ネロは、莞爾と笑い両手を広げる。

「――知らぬが、余が折れそうな時は存分に頼らせて貰おう! 余を助けることを許す、いつでも余を助けるのだぞ、シェロ。マシュ。アルトリアにオルタ!」

 清々しい開き直りだった。常人には有り得ぬ思いきりのよさである。
 それに、一瞬士郎は憧憬の念を抱きかけたが、すぐに忘れた。彼女を世界に売り渡した当人が、何を恥ずかしげもなく憧れそうになっている。
 頭を振り、士郎は冷徹な思考を意識の裏で張り巡らせる。これで、ピースは揃っ――

「――と、その前に一つ、聞いておかねばならぬことがあったのだ」

 そんな、士郎の思考を断つように、ネロは士郎を真摯に見詰めた。その目に、士郎は思わず居住まいを正す。

「心して答えよ。一切の虚偽も許さぬ。もし偽りを述べるのなら、余が其の方らに与する約定はなかったものとする。よいな?」
「……ああ。俺に答えられることなら、なんでも聞いてくれていい」
「ではシェロ。問うぞ。――其の方、何ゆえに人類史を救わんとする?」
「……?」

 何を聞かれるかと身構えていなかったと言えば嘘になる。だからこそ、ネロがそんな一身上の行動理由を訊ねてくるとは思わず意表を突かれた。
 咄嗟に口を衝きそうになったのは、真実七割嘘三割の建前。それをなんとか呑み込み、士郎は瞑目した。
 ……他の誰かに対して嘘を吐くのはいい。だが彼女にはアルトリア達と同じように、真実だけを話すべきだ。それが俺に示せる唯一の誠意だろう。

 士郎は意を決し、自らの本音を話した。

「俺が人理修復のために戦うのは、これまで生きてきた中で、俺と関わった全てを無為なものにさせないためだ。俺が知るモノには価値があると信じている。ああいや――飾らずに言えば、俺は俺のために人を救うんだ。そうすることが、俺の生きた証になると信じてるから」
「なるほどな。己のため、と来たか。それは究極的な意味では真実であり、シェロの中では偽らざる本音なのであろう。――だが違う。それは違うだろう。シェロ、そなたは今、余に嘘を吐いた(・・・・・)な!」

 なに、と俺は目を剥いた。嘘偽りなく本当の気持ちをさらけ出した、なのにそれを偽りだと? 何を根拠に否定する?

「余はローマ皇帝である!」

 それが根拠だった。陰謀渦巻く華美と暗躍の都で生きてきた皇帝の、華やかなだけではない人間の醜さを知るが故の……魂の審美を判ずる眼力だった。
 皇帝は男の独善を見抜いていた。自分本位な在り方を感じていた。しかし不快ではない、彼の定義する自己が、かなり広義の意味を持つが故に醜悪さを感じさせないからだった。
 だが、そのエゴを広く感じることへの違和感があった。故に問いを投げたのだ。そして今、ネロ帝の中で確信が固まる。

「其の方の胸の内、しかと聞き届けた。自覚なきが故に一度は許そう。だが二度はない。答えよ、そなたの言う自分(・・)とはどこまでを言う?」
「徹頭徹尾、この俺一人に終始する」
「うむ。だがシェロよ、気づいておらぬのか。そなたがそうまで戦わんとするのは――この世界が、美しいものだと感じておるからではないか」

 ……何を戯言を。士郎は内心吐き捨てる。

 ――世界が美しい? 違う、そんなことは感じてはいない。むしろ、逆に世界の汚濁に吐き気すら覚えている。だから、

「……」

 そこで、はたと思い至った。
 士郎は世界の汚さを思い知っている。しかし――士郎は汚れを許せぬ性質だった。潔癖性なのだ。
 汚いのは許せない、だから綺麗にする。俺がこの汚ならしい世界を、『俺が』耐えられる程度には綺麗にする。
 そのために、世界を巡ったのだ。外道を働き俺の世界を汚す野良の魔術師を狩り、人を餌として見るのみならず惨と醜とを絡めて喰らう怪物を殺して回った。
 苦しみ、喘ぎ、嘆く声と顔に我慢が出来なかったから偽善者と呼ばれても慈善事業を始めた。
 俺のためにだ。俺の生きた証を残しながら、俺のいた世界が汚かったという事実を否定して回った。

 一人の力に限界を感じて。手を取り合える仲間を集めて。環の力で世界を少しは綺麗にするべく、世界の汚れを掃除する。全ては俺のために。俺が認識する世界のためにだ。

(シロウさんは、まるで――)

 ふと、士郎は己が死徒との戦いに巻き込まれる切っ掛けとなった、ある名もなき死徒の戯れのために拐われた一人の少女の言葉を思い出す。

(士郎。あんた、ほんと馬鹿ね――)

 そして。心底仕方無さそうに苦笑して、暇があったら手を貸してあげると言ってくれた、お人好しの魔術師の声が脳裏に去来した。

 ――白野……遠坂……。

「……いや、そうか」

 ネロ帝の言わんとすること、その真意を察し、士郎は納得した。
 士郎は自分のために生きている。極論してしまえば、自己満足をするために生きているのだ。
 ――なのに、この胸には今、過去への悔恨が突き刺さっている。自分のために生きているのなら……それを捨て置くのはダメだろう。
 俺は俺のために、後悔を残したままでいてはならないのだ――士郎はようやっとそのことに気づいた。

「……貴女に感謝を。どうやら気遣われたようだ」
「む、悟られてしまったか。余もまだまだのようだ」

 ネロ帝は唇を尖らせ、やれやれと己の未熟を嘆くように肩を竦めた。本当に未熟なのはこちらなのに。

「――ふむ。回り道をしたが、悟られてしまった以上は直截的に言おう。シェロよ、そなたは何やら蟠りを抱えておるな? ならばそれを早くに解消せよ。余と肩を並べる勇者は、衒いなき(まなこ)を持っておらねばならん。曇りを晴らせよ、カルデアのマスター……いや、我が先達よ」
「――」

 ほんとう、古代の王様達は、なぜこんなにも心に響くことを言えるのか。
 ネロ帝は皇帝だが、意味合いは王と似ている。まったく呆れた眼力だよ、と士郎は苦く笑うしかない。隠すこと、騙すことは得意なはずなのに、これでは自信をなくしてしまいそうだった。

 アルトリアを見る。……何かを言いかけ、止めた。
 明日のことを語れば鬼が笑う。今は止そう。だが、そうだな……蟠りを抱えたままというのも気持ち悪い話だ。落ち着ける時が来たら、少し話をしよう。士郎はそう思った。

「――ネロ帝。いや、名で呼び捨てても?」
「許す。余はカルデアのマスターとやらになるのだ。であれば先達たるそなたが余におもねるようなことがあってはならん。それでは他に示しがつかぬからな」
「ではネロと。――ああ、いや、誉め言葉が溢れて何も言えない。だから、代わりに感謝する。まだ時ではないが、いずれ必ず貴女の助言に沿わせて貰う」
「うむ。幾らかは晴れたか。ならばよし! 余からは何も言うことはない! さあ、後はよきに計らうがよいぞ!」

 堂々たる立ち姿で腕を組み、ネロは眼を閉じて時を待つ。
 士郎は微笑ましげにしているアルトリア達に対し、背中が痒くなる感覚を覚えたが、誤魔化すようにカルデアのロマニにゴーサインを出した。






 ――斯くして、ここにカルデア二人目のマスターが生まれた。

 起動した聖杯は、過つことなく願いを叶える。
 ネロ・クラウディウスが現代の存在であり、カルデア職員であると世界に誤認させる。人理焼却に喘ぎ、防御が薄くなっているが故それはあっさり成功した。
 なおかつ、同時にこの特異点に於いてはローマ皇帝であるという矛盾を押し付け成立させる。どれほど弱まっていようとも、抑止力は人の身で抗えるものではない。しかし聖杯を使えばなんの問題もなかった。一度機能させてしまえば、聖杯の力の一部しか使用せずとも、半月は問題なく矛盾を成り立たせることが出来るとカルデアは測定したのだ。
 半月もあれば充分である。もともと十日も時間はないのだ。それまでに特異点を修正し、矛盾を正し、ネロをカルデアに正式に迎え入れればよい。
 ネロが現代人として存在が確立すれば、もう聖杯に存在を維持させる必要もないということだ。時代が修復されれば、ネロは『いる』ものとして歴史は進む。

 全てが終わっても、傍目にはネロの何が変わった訳でもない。正直、何も変わって見えなかった。

 だが当事者であるネロには何かが感じられたのだろう。大切な物から自身が切り離されたかのような、寂しげな眼で空を見上げ……次の瞬間には何事もなかったかのように不敵な笑みを浮かべた。

 ネロがどこで聖杯やカルデア、サーヴァントやマスターのことを知ったのか。訊ねると、サーヴァントとして敵側に現界していたという征服王……その若かりし姿の王子、アレキサンダーと名乗った少年が教えてくれたのだという。
 ネロは一時期、アレキサンダーと交戦し、敗れ、捕虜となる寸前までいったそうだ。そこで彼は、なにを思ったのか突然ネロを試すようなやり口を改め、脇目も振らずにネロに今後必須とされるだろう知識を授けてきたのだという。
 そして半信半疑のネロに言ったのだ。

(どうやら僕はここまでのようだ。次、会う頃には、僕から理性は失われているだろう。いいように操られるのも業腹だからね、せめてもの意趣返しとして君に塩を送らせて貰う。――もし後がなくなり、逃れる場所がなくなったのなら……そうだね、ブリタニアだ。あそこまで逃げるといい。そこが、最も神祖の手が及ぶのに時がかかるだろうから。カルデアに目端の利く者がいたら、そこに現れるだろう)

 そう言ったきり、アレキサンダーはネロを放逐したのだという。
 後に事の真相を知り、神祖と対面する頃には、ネロは因縁浅からぬブーディカ、何やらネロを知るらしいエリザベート、タマモキャットと名乗るナマモノ、暗殺者の荊軻と狂戦士のスパルタクス、ランサーのレオニダス一世と合流し、一時はローマ連合軍とやらを押し返すほどの獅子奮迅の働きをしていた。

 だが――Mと名乗った男が全てを狂わせたのだ。

 Mは手にした聖杯を使い、自らの支配下にあるサーヴァント全てに狂化を付与。それすらはね除け自我を完璧に保った神祖ロムルスには一つの命令と共に聖杯を埋め込み暴走させたのだという。
 その命令とは――ネロは、「ローマを否定せよ」だと睨んでいる。如何に神祖が強大な存在であろうと、その身はサーヴァントのものでしかない。聖杯そのものを使って暴走を謀られれば抗える物ではなかった。
 神祖は、一度は矛を交えたネロに、全霊を賭した言葉を残した。

(我が子よ、お前が(・・・)――ローマだ(・・・・)!!)

 それは偉大な歴代皇帝達を前に迷い、煩悶としていたネロに強い一歩を踏み出させる、これ以上ないほどの激励だった。
 ネロは奮起し、なんとしても神祖を倒さんと必死に戦ったが……惜しくも敗れ、ブリタニアへと逃走せざるを得なかった。

 敗走するネロを守るため、最初にランサー、レオニダス一世が散った。殿軍として追手の前に立ちふさがり、一日あまりの時間を稼いだという。
 レオニダス一世ですら、一日しか保たなかった。しかし千金に値する一日だった。
 荊軻はいつのまにか姿を消していた。軍事行動では役に立たぬと弁え、敵陣に単身潜入し――恐らくはカリギュラを討ったと思われる。追ってきた敵の中に、カリギュラの姿が無くなっていたからだ。
 皇帝の代名詞たる歴史上屈指の名将、カエサルに追い付かれた時、ブーディカとスパルタクスが足止めに向かった。一時間と保たなかったが、ネロは多くの将兵を残して更に馬を走らせた。
 片腕のないダレイオス三世は大軍を率い、ネロを猛追してきた。だがここでも、これまでと同じように、エリザベートとタマモキャットがネロを逃がした。

 ネロは仲間の全てを失い、神祖の期待にも沿えずに逃げ続け、失意と絶望の中、なんとかブリタニアまで辿り着いたのだという。



「――神祖ロムルスを筆頭に、皇帝カエサル、アレキサンダー、ダレイオス三世ときたか。おうおう、錚々たる面々だねぇ。位負けしねぇか今からちょい不安になっちまうぜ」



 欠片もそう思っていない語調で明るく言って、好戦的な笑みを浮かべたのは、満を持して召喚されたサーヴァント。クラスは槍兵。アイルランドの光の御子、クー・フーリンである。

 匂い立つ強壮たる佇まい。身長は嘗て見知ったものでありながら、その重量感は冬木の時の比ではない。全身のしなやかな筋肉と、鍛え上げられた肉体の醸す質量は、どう見ても以前の青い槍兵より一回り上回っていた。

 身に纏うのは青い戦装束。その上に、白いリネンのローブとルーンを象った刺繍入りの外套を羽織り、ケルト文様の金のブローチを身に付けている。
 白銀の籠手と肩当てが逞しい肉体を堅固なものに映えさせ、青みを帯びた黒髪を無造作に結わえた姿が香り立つ男の色気を増幅させていた。
 彼はアルスター王の甥にして、太陽神ルーの子である。正しい意味での貴種の中の貴種だ。
 光の御子とまで称えられた美男子はアルスター屈指の文化人でもあり、俗に言う貴公子という形容がぴったりと似合っていた。

 ケルトの大英雄は、真紅の呪槍で肩を叩きながら大まかな話の流れを反芻し、獰猛な笑みを口許に刷く。

 彼のマスターはネロ――ではない。
 士郎である。当初、予定を変更してクー・フーリンをネロに召喚して貰おうとしたのだが、ネロはこれを固く拒否。これより共に戦っていくことになる仲間を、他者に指図されるまま召喚するのは違うだろう、と言った。
 縁に頼らず、触媒に依らず、まったくのランダムで召喚する。それがネロの意思だった。
 相性だとか、戦力だとか、そんな雅でない基準はない。自分が喚び、来てくれたどこの誰とも知れぬ英雄と駆けていくのがマスターとしての覚悟だった。
 それを否定することはできなかった。士郎は、やむなく自身でクー・フーリンを呼び出し、そして見事、クー・フーリンは槍兵として完全な状態で現界したのである。

(ランサーのサーヴァント、クー・フーリン。召喚に応じ参上した。……ん? また会ったな。またぞろ妙な状況みてぇだが、いつぞや言ってた通りにこき使うつもりかよ?)

 軽く笑いかけて来ながらそう言う彼の存在感は、この場の誰よりも重厚なものだった。
 再会を喜ぶより先に、圧倒されてしまった。
 マシュが気圧され、アルトリアとオルタは驚愕に眼を見開いていたものである。自分達の知るクー・フーリンとまるで違う別格の霊基を感じ取っていたのだ。

「貴公がそれを言うと、嫌みにしか聞こえないな」

 アルトリアが苦笑しながらクー・フーリンに対して言った。
 位負けしそう? 何を馬鹿な。冗談にしたって笑えない。完全な状態のクー・フーリンに位で並ぶ者はそうはいない。気を抜くと、アルトリアすら武者震いに剣を執る手が強張りそうなほどなのに。
 断言できる。武人として、この特異点に存在する全ての者がこの英雄の前には霞んでしまう、と。

「おっと。お前さんにそうも称えられると悪い気はしねぇな。名にし負うアーサー王の聖剣の輝き、オレも照らされてみたいもんだ」
「ふ、世辞と分かっていても、私にとっては誉れだ。これより先の戦い、大いにあてにさせてもらうぞ、ランサー」
「応、幾らでも頼りな。命がけの旅、荷物と期待は重いほどいいってな。……っと、空気が違いすぎてパッと見わからなかったが、同じ顔が三、それもとんでもねえ別嬪さん揃いと来た。しかも二つは同じ女、と。オレのマスターはまたまた業の深そうな感じだな?」

 さらりと嫌みなくアルトリアからの賛辞を流し、光の御子は意味深な眼を士郎に向ける。士郎は憮然として言った。

「ランサー、あまりからかうな。アルトリアとオルタは兎も角、ネロは違う。マシュに至っては妹みたいなものだ。そんな相手じゃない」
「へえ? なるほどね、道は長いか。負けるなよ、盾のお嬢ちゃん」
「……?」
「おっと、こっちもか。やれやれ、楽しそうな職場だこったな」

 女は怖ぇぞ、早いこと手を打っとけ、と耳打ちしてくるクー・フーリン。余計なお世話と言えない士郎の哀しさ。何やら苦笑しつつ、クー・フーリンは本題に入った。

「で。どうすんだマスター。状況は分かったが、オレとしちゃさっさと動きたい気分なんだがね」
「知恵が欲しい。どう考えても行き詰まってる気がしてならないから、俺達とは違う視点で考えられるあんたの意見を聞きたい」
「んなの言うまでもねえ。退けば死、進めば死、なら進んで前のめりに死のうぜ」
「……あのな」

 飄々と、なんでもないように気負わず言うものだから、士郎は流石に呆れてしまった。
 不思議と、切迫感はない。彼と共に戦える、それだけで負ける気がしなくなってくるのだ。
 王や将軍が感じさせるカリスマではない。もっと別の、戦士同士の信頼が作る安心感――戦いを恐れぬ勇猛さを与える英雄の風格が感じられる。
 なるほど、アルスターの戦士のほとんどが慕ったというのも分かる人徳だな、と士郎は思う。

 クー・フーリンは、ぴくりと眉を跳ね、南東の方角に眼を向ける。しかし、それだけで、特にリアクションはなかった。
 一拍遅れて、アルトリアが何かを気取ったようにハッと顔色を変えた。

「――どのみちもう詰んでんだ。小難しく考えたってしゃあねぇだろ。シンプルなものにはシンプルにぶつかるのが王道ってもんさ。違うかい?」
「……道理、ではあるな」
「それに、来たぜ。敵だ」

「……!」


(こちらアサシン。南東、敵軍勢を視認した。数は一万、異形の軍だ)

 丁度、切嗣からの念話がその言葉の裏付けとなる。
 士郎は暫し黙り込み、クー・フーリンに訊ねた。

「……どうやって気づいた?」
「空気さ。戦の空気がした。こういうのは、勘でなんとなくわかっちまうもんなんだぜ」
「……そういうものか?」
「そういうもんだ。さって、と。敵はどんなか、分かるかい?」
「……」

(切嗣。敵軍の特徴は)

 訊ね、返ってきた答えをそのまま伝える。

「異形、動く死体と骸骨の軍勢、大将は三メートル超えの巨漢らしい」
「っ……! それは、ダレイオス三世だ!」

 ネロが顔を険しくして言った。厳しい表情だった。
 難敵、というだけではない。何か個人的な借りがある、そんな顔だった。

 士郎は、クー・フーリンを見る。

「やれるか?」
「応。それが命令ならな」
「じゃあ頼む。その力を俺達に見せつけてくれ」

 あっさりと命じた士郎に、ネロは驚きながら食って掛かった。ネロは知っているのだ、あのダレイオス三世を。
 エリザベートやタマモを屠った、悪魔の軍勢を。

「――正気か!? 敵は一万の軍勢だぞ! それも、ただのサーヴァントよりも厄介な不死性までも持っている!」
「ふぅん。一万の大軍、不死性を持った厄介な奴か……。で? それだけかよ?」
「な、なに?」

 反駁され、ネロは気色ばんだ。

 クー・フーリンは。
 クランの猛犬、戦場王と号された大戦士は。
 にやり、と伝説の勇者に相応しい硬骨な笑みを浮かべた。

たった(・・・)一万でオレを止められるとでも?」

 クー・フーリンは、一騎討ちよりも、対軍戦闘をこそ真価とする多数戦闘のプロフェッショナル。
 生前、アルスターの戦士全てが大痙攣により動けなくなり、メイヴ率いる対アルスター(クー・フーリン)連合軍数十万を相手に戦い抜き、勝利して伝説を成し遂げた。
 相手はただの戦士ではない。戦いに生きた修羅の戦士揃いのケルト戦士である。
 これにより、メイヴは戦いによって勝つことを諦めた。陰謀で、クー・フーリンは破滅した。

 複数の国を全て同時に相手取り――大将狙いでも何でもない、軍勢相手に真っ向勝負を挑んで数十万に勝利した怪物を相手に。

 ……たった(・・・)一万?

「――」
「不死の軍? 死なねえ奴はごまんと見てきたが、殺せない奴(・・・・・)は見たことねぇな」

 不死の怪物など幾らでも殺してきた怪物退治の達人が、クー・フーリンである。
 それを相手に、動くだけの死体、骸骨。……バカにしているのか? 数を揃えれば強く見せられるとでも思っているのだろうか。

 ――ダレイオス三世。彼にとっての天敵は、間違いなくクー・フーリンである。

「ま。いいから任せときな、ローマ皇帝。オレの戦いぶりを見て、オレを召喚する機会を手放したことを後悔しろ」
「……は、はは。なるほど、豪気な。見たことがないほどの勇者であるな、ランサーよ」
「だろう? これでも最強の名で通っていてな。ま、それが伊達じゃないことを証明してくらぁ」

 得意気に笑い、クー・フーリンはさっさとこちらに背を向けて歩き始めた。
 手には真紅の呪いの槍。颯爽とケルト文様の外套を翻し、目にも留まらぬ速さで掻き消える寸前、ネロが叫んだ。

「ランサー! 奴は……余の友、エリザベートとタマモの仇だ! だから……頼むぞ!」
「――応、任せとけ。これが終わったら、きっちり守ってやるから大船に乗ったつもりでいな」






 

 

英雄猛りて進撃を(下)





 海を航る幽なる霊。往くは悪鬼の如き不死の群。只人には目視すら能わぬ霊体の軍団は今、薔薇の皇帝を追いブリタニアの地に到達する。
 踏み締めた大地が苦悶の音を鳴らす。実体化したのは小山のように雄大な体躯の王。知性なく、狂した瞳は獲物を求めて見開かれた。
 地鳴りのような呻き声が、ブリタニアの大地を震撼させる。魔性の障気が巨躯から溢れて止まらない。鬼火が如き青白い火を纏い、かつては大国の王だった(・・・)巨人は、ひたすらに怨敵を探し求める悪霊と化していた。

 もはや英霊でも、反英霊でもない。狂ったダレイオス三世には、目に映る敵全てが打ち倒すべき宿敵に見えている。聖杯による狂化は元々バーサーカーであった彼にも付け足され、もはや精神性の原型すら残らぬほどに狂乱していたのだ。

 根本から断たれた左の腕。慰めるように右手で傷跡を覆い、苦しげに呻く。
 それは以前己の行く手を阻んだ二人の小娘によって付けられた傷――ではない。
 宿敵の、幼い姿の者を討った(・・・)時に受けたものであった。
 理性を失い掛けながらも、聖杯の支配が及ぶ前に、自身の好奇心から「未来」の好敵手であるダレイオス三世に一目会いに来たところを、ダレイオス三世が襲いかかったのだ。
 見た目は違えど、アレキサンダーが宿敵本人であると本能で悟ったのである。そうなれば、バーサーカーであるダレイオス三世に自制が効くはずもない。激闘の末、ダレイオス三世はアレキサンダーを屠った。左腕を代償として。

「……◼」

 戦斧を握りしめ、狂王は屈辱に打ち震える。狂っているとはいえ、万全ではないとはいえ……宿敵の、よりにもよって未熟な状態に遅れを取ったことがダレイオス三世には耐えられなかったのだ。
 もはやこの怒りを鎮めるには、目につく宿敵全て(・・・・)を血祭りに上げねばならない!

「◼◼◼◼◼◼―――ッッッ!!」

 聖杯から流れ込んでくる負の熱量。魂を焦がすその熱が、不死軍の王を猛らせる。
 宿敵はどこだ! イスカンダル! あの不遜なる小僧! 不敬なる蛮族! この手で! 今度こそ! その細首をへし折ってくれる!

 言語として成立しない咆哮は、ブリタニア全土に轟き渡る。小鳥が散り、虫が潜み、獣は逃げた。
 死の気配に、ブリタニアに存在する全てのモノはその脅威を感じ取っていた。

 無限大にまで肥大した憎悪が標的を探し求める。

 ――そして、見つけた。

 広野を隔て、いつの間にか現れていた一人の男。気配はサーヴァント。
 ダレイオス三世は憎しみを込めて睨み据える。群青の戦装束の上に、白いリネンのローブと、勇壮な刺繍が施された深紅の外套を羽織っている。
 金のブローチが、眼に映える。白銀の籠手が降り注ぐ陽の煌めきに照らされ光っていた。
 結わえられた青みのある黒髪を風に靡かせ、真紅の槍と紅蓮の盾を手に、まるでダレイオス三世の行く手を阻むかの如くに悠然と構えている。

 イスカンダル!

 ダレイオス三世は、宿敵の征服王に似ても似つかぬ戦士を見て、しかし極大の殺意を抱いた。
 赦せぬ、自らを神の子などと佞言を垂れ、己の国を簒奪した下賤なる獣。白痴のような妄想を謳い、軍を率いた辺境の王に過ぎなかった蟻一匹。
 ――そんなものに幾度も敗れた我が身の無能。

「     !!」

 音もなく血を吐く狂王。喉を引き裂き絶叫する。
 赦さぬ、断じて! 吾を敗者へ貶めた者よ、吾に仇為す敵対者よ! これに見よ、これこそが吾が『不死の一万騎兵(アタナトイ・テン・サウザンド)』である!

 狂王の下に集いし群体の不死、史実として存在した一万の精鋭。伝説となり、不滅性と不死性が強調されたダレイオス三世が擁する無二の矛、盾、軍!
 この不滅の軍勢を以って貴様を捻り潰してくれる!

 ダレイオス三世が右手の戦斧を掲げた。

 動く死体、骸骨の軍勢が、悪魔的な喚声を上げる。そのおぞましさは、まさに地獄の獄卒。悪の化身。ダレイオス三世は前方の敵一騎に向け、不死の一万騎兵を差し向けた。
 さあ、蹂躙してくれるぞ!



「――なんだ。それだけかよ?」



 不敵に笑む、無敵の勇士。迫り来る軍勢を前に、臆する様子は微塵もない。
 手の中でくるりと朱槍を回転させ、左手の赤い盾に叩きつける。戦の作法、出陣の儀礼――かつて盾を叩く槍の音を聞いた時、並みいる修羅のケルト戦士は戦慄した。

「出せるものがあるなら今の内に出しときな。後から負け惜しみを聞いてもつまんねぇからよ」

 不死の兵。不滅の死体。……余りに鈍臭くて欠伸が出そうだ。かの偉大なる征服王、その雄飛の足掛かりとなった大王よ、狂っているとはいえ正面からの突撃とは芸がない。

「んじゃ、往くぜ。まずは挨拶代わりだ。凌げねえなら影の国(あっち)でしごいて貰えや。死なねえからって気ぃ抜いてたら、笑えるぐらいあっさり逝っちまうぜ?」

 嘯くや否や、呪いの朱槍を放り、足に引っ掛け宙に蹴り上げる。
 自身も後を追って跳躍し、魔力を吸い上げ不気味に光る魔槍の石突きを、振り抜いた足が完璧に捉えた。

「  突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)  」

 真名解放。飛来する波擣の獣の頭蓋の一片。権能を秘めた神獣の欠片。溜め込んだ魔力を炸裂させ、一際強く赤く煌めいた魔槍はその内に秘める千の鏃を解き放つ。

 降り注ぐ千の棘。雨の如くの死の誘い。

 ――その悪夢のような光景に、見入られたように空を見上げる不死の兵。
 貫かれ、穿たれ、息絶えた不死兵は。
 死んだ。殺された。死を遠ざけた軍勢が、為す術もなく削られた。
 ただの一撃で、三百の不死不滅が概念ごと粉砕された。

「◼◼◼◼◼……!」

 驚愕などない。「驚く」といった感情など残っていない。それでも狂王は宿敵(・・)がやはり侮れぬと狂奔し、己の宝具、その真の姿を開陳した。

 容易くいくと思うな、『不死の一万騎兵(アタナトイ・テン・サウザンド)』の真髄とはこれである!

 ダレイオス三世の誇る精鋭が集結し「死の戦象」となった。黒く、雄々しく、猛々しい戦象。鬼火を纏う漆黒の戦象兵となったダレイオス三世は、自ら戦斧を手に軍勢を率い、恐るべき魔力の一撃を繰り出すべく敵対者を破壊せんと怒濤の如くに迫る。
 ランサー、クー・フーリンは飄々と言う。そうだ、それでいい、出し惜しむようならそのまま鏖殺してしまおうと思っていたが、それでこそ遣り甲斐があるというものだ。

 ……しかし、なんだ。

「言いたかねぇが、こりゃメイヴの方が数段怖ぇな。見劣りするぜ、逃げ腰王」

 苦笑して、クー・フーリンは手に戻った朱槍で肩を叩きながら悪態をつく。逃げ腰王――征服王と幾度も戦い、不利になれば真っ先に逃げ出して軍の潰走を招いたダレイオス三世の弱腰。それを揶揄した皮肉だった。

 狂うのはいい、それは恐怖を退ける一つの手段だ。
 荒ぶるのもいい、戦う者は己の全力を尽くさねばならぬから。
 だが、目の前の敵を見ない(・・・)のは駄目だ。敵に失礼だし何より途端に恐さを欠いてしまう。
 迫力がないのだ。こちらの向こう側に誰かを見て、実際に戦う相手を見ていない。槍一本、盾一個、体一つで万の敵に呑み込まれながらも、クー・フーリンは丁寧に、豪快に、精妙に槍で突き殺し、盾で砕き、足で穿つ。そして改めて実感する。
 この狂王は、自分ではない誰か――宿敵と戦うように軍勢を指揮している。それでどうして万夫不当の英雄を倒せるだろうか。

「……」

 熱していたものが、失意に冷めていく感覚を得て、クー・フーリンは敵軍のただ中にも関わらず嘆息した。
 いい戦いといい獲物、加えていい主人がいるなら番犬は満足なのだが。
 人理修復のための戦い、なるほど結構。大義があるのはいいことだ。マスターの男は骨のある硬骨漢、共に戦うに値する戦士。クー・フーリンに不満はない。
 正直な話、ここまでいい環境に恵まれたのははじめてと言っていいだろう。生前はとんと縁のなかった話だし、英霊となってからも覚えている限りでは最低の職場ばかりだった。後はいい獲物さえいたら完璧なのだが……。

「お前さん、つまんねぇな」

 強敵と聞いていた。故にテンションを上げてきた。
 この目で見た。確かになかなか強そうだった。
 そして、だからこそ失望した。

 ――敵を見ねえ輩なんざ怖くもなんともねぇよ。殺意が足りねえ。比較対象があれだけどな、メイヴの絶対殺すっつう呪いじみた妄執と比べたら、お前さん、見劣りどころか比べるのも烏滸がましく思えちまう。

「目隠ししといてオレに勝てるつもりでいんのか? ……だとしたら、それは許し難い侮辱だ。いいぜ、そっちがその気なら、オレがテメェに付き合う道理は無い。さっさと終わらせちまうが、文句はねえな。あっても聞かんが」

 今のマスターの許での初仕事なのだ。
 あれだけの大見得を切っておきながら苦戦したのでは面目に関わる。
 盲目の敵を相手に大人げないかもしれないが……少し本気を出すとする。

 左手の盾で近い間合いの内側の敵兵を押し退けついでに首を折り、目の前の敵を前蹴りで吹っ飛ばして空白の間合いを一瞬作る。雲霞の如くに押し寄せる敵に呑まれず駆け、眼前で剣を振り上げる骸骨の頭を踏んで高く跳躍した。
 一連の動作の中で、魔力を吸い上げていた魔槍が紅く発光していた。くるりと回転して姿勢を制御し力を溜めて、

「宝具じゃねえぜ? それだけは安心していい。勿体ないからな、テメェには」
 
 特に狙いもつけずに戦象の上の王を狙い、魔槍を投擲。数十もの死体が盾となって立ちふさがるが、全てあっさり貫通し、狂王の振るった戦斧を弾いてその体を傷つけた。
 憤怒の怒号を発する不死軍の王。対照的に、虚しそうに目を細めるクランの猛犬。
 生前、幾度も経験した単独での「殲滅戦」が始まった。









 と、まあ。

 結末は順当だった。

 最初の一投以外、クー・フーリンは宝具を出し惜しんだ。ただルーンを駆使し、槍で貫き、薙ぎ払う。強烈な一撃を与えて即座に離脱し、再び軍の一角を突き崩してはまた離脱。
 これを百回繰り返した。見る見る内にその数を減らしていった不死の一万騎兵。ダレイオス三世の決死の奮戦も虚しく、まるで相手にもされずにひらりひらりと躱されるばかり。どれだけ激怒しようと、赫怒に燃えようと、冷徹に軍勢を削られていく。
 槍の一突きで三騎屠り、横に薙ぎ払えば七騎の首が宙を舞う。魔槍の呪いを使うまでもなく、ルーンは不死の概念を無視して殺せてしまっていた。
 元々が『死ににくい』だけだ。本当の不死でも不滅でもない。そうだと謳われているだけで、真実の不死不滅には程遠い。
 所要時間は二時間ほど。逃げず、退かず、単調な攻めを繰り返す狂王が相手だからか、クー・フーリンの作業は順調に済んだ。

 最後には流石に面倒になったのか、魔槍の真名を解放して二度ほど蹴り穿ち、千の鏃で雑魚を一掃すれば――後に残ったのは、指揮する不死兵団を失った狂王、ただ一人だけだった。

「あー……なんだ」

 大軍殲滅の専門家クー・フーリンは、完全に冷めきった顔で、吠え狂いながらなおも挑みかかってくるダレイオス三世に忠告した。
 それは余りに今更過ぎて、当たり前な意見だった。

「狂戦士に言っても意味ねえかもしんねえけどよ。――王が狂ってどうするよ? 折角の軍略も、見る影もねえぜ?」

 そう言って、ダレイオス三世の戦斧をあっさり躱し、クー・フーリンはその心臓を無造作に穿った。
 戦士としての格が違いすぎる。一対一で対峙した時点でこの終わりは当然の帰結だった。
 霊核を破壊されたからか、狂化が解け理性の戻った瞳でアケメネス朝最後の王は、本来の大器を窺わせる声音で静かに言った。

「……見苦しい姿を見せたのみならず、要らぬ手間までもかけたか……」
「……」
「益荒男よ。次があれば、その時に吾が精鋭の力を……」

 消滅したダレイオス三世は、口惜しげにクー・フーリンを見ていた。
 無言でその死に様を見届け、クー・フーリンは己の主人がいるだろう方角に向けて声を張り上げた。

「――どうだい。やるもんだろう? オレも」

 答えは帰ってこない。だが構わず続けた。

「だが物足りねえな! オレはまだ本気を出してねえ。城も戦車も出してねえし、この朱槍も使いきってねえ! これがオレの全てだと思われちゃ心外だ!」

 だから、と獰猛に犬歯を剥き、アイルランドの光の御子は猛る闘争本能のまま、ローマを指して進撃をと訴えた。

「オレに命じろよマスター。敵を倒せ、獲物を食らえってな。今度は誰を殺ればいい? 命令(オーダー)だ、命令(オーダー)を出せマスター! 番犬はまだ飢えてるぜ!」

 衰えることを知らぬ闘争への渇望。
 修羅の国ケルトに於いて、死後もその死を信じられず、恐れられ続けた死神以上の死の具現。
 主人は苦笑しながら言った。声なき声が、確かに聞こえた。
 それに、クー・フーリンは猛る。ならば進撃だ、敵の本拠地まで攻め込んで、主人の敵となるもの全てを根絶やしにする。

 彼の師が見れば惜しんだだろう。最期の戦いに臨む前、己の弟子は確かに『最強』だったのである。
 その『最強』を見た時、師はなんと言うだろう。クー・フーリンは己の槍を見た。そして、

「――は。未練か。このオレなら、飽きもせず鍛練を積んでるだろう師匠でも殺せそうなんだがねえ……」

 やれやれ、と首を振り、意識を切り替える。
 命令は下った。次なる獲物はローマ皇帝、その代名詞。

 ガイウス・ユリウス・カエサル。

 歴史上、比類なき名将にして、ローマ最大の野心家。ともすると神祖以上の強敵ともなりうる、史上最高峰の軍略家の一人であった。

 相手にとって不足はない。クー・フーリンは、燃えていた。







 

 

テロリストは斯く語りき





「忘れてはいけないのは、俺達はテロリストだということだ」

 保存食の干し肉を喰らいながら言った俺に、アルトリアは嫌そうに顔を顰め、オルタはさもありなんと頷き同意を示す。
 こちらも神妙に頷いたマシュの傍で、ネロが怪訝そうに首を傾げた。

「シェロよ、『てろ』とはなんだ?」
「ん? ……そういえばネロの時代にテロという呼び方はなかったんだったか」

 ネロは一世紀の皇帝だ。聖杯の力の影響か、彼女が過去の時代の存在だと、意識しないと忘れてしまっている。
 しかし、ネロが現代の人間に存在を置換されたとしても、ネロが現代の常識を網羅するわけではない。そのことを理解していなければならなかった。

「テロは正確にはテロリズムといってな――ネロにはクリュプテイアの反対と言えば伝わるか?」
「む……」

 クリュプテイアとは、古代ギリシアやスパルタの秘密勤務と称される制度である。国家監督官が派遣した若者が田園地方を巡回し、奴隷の反乱防止のため、危険視される者を夜間に殺害することを職務とした。
 転じてそれは奴隷側が反発し、体制に歯向かう活動を生み出した。――テロリズムである。
 テロリズムとは政権の奪取や政権の攪乱、破壊、政治的外交的優位の確立、報復、活動資金の獲得、自己宣伝などを達成するために暗殺や暴行、破壊活動などの手段を行使することである。
 そしてテロリストとは、それらの手段を政治的に行使する者のことだ。

「……むぅ。言いたくはないが、雅さに欠けるな」
「テロはテロだからな。雅もへったくれもない」

 ネロにとって最も身近なテロは、ローマ帝政の礎を築いた男――衰退の一途を辿っていたローマを、「強者」に盛り返したローマ最大の英雄ガイウス・ユリウス・カエサルの暗殺事件であろう。あれもまた、歴史的観点から見れば最大級のテロと言える。

「大勢は既に決している。ローマは滅び、残党は僅かに七人。特異点は磐石と言ってもよく、俺達はそれに抗う少数武装勢力でしかないのが現状だ」

 後は、ネロ・クラウディウスの死を以てして、人類史はめでたく終了だ。
 ネロが死なずとも、六日か七日でローマの滅びは確定したものとされ、やはり人類史は焼却完了となる。
 正直に言おう。

詰み(・・)だ。正攻法では何をしてもこの大勢は覆らん。敵サーヴァントを幾ら倒しても意味がない。抑止力によってカウンター召喚されたらしいサーヴァントもいるというのは朗報だったが、これも全滅済み。戦力の拡充はネロの召喚するサーヴァント頼みと来た」
「……言いづらいのですが、逆転の芽はあるのでしょうか?」

 肩を竦めた俺に、マシュが深刻そうに眉根を寄せて発言した。続いてアルトリアが言う。王としての観点で、だ。

「控えめに言って戦況は絶望的ですね。光明が全く見えてきません。ランサーの加入は心強くはありますが、正道に沿って行けばどうしようもないというのが私の見解です」

 そうだろうな、と俺は頷く。敵にこちらを攻める必要はない。一週間ほど防御に徹していれば、自動的に勝利は確定される。

 敵には暗殺された経験という、本来はあり得ない経歴を持つカエサルがいるのだ。人類最大クラスの名将が生前と同じ轍をむざむざ踏むわけもなく、そういった方面への警戒も強いだろう。
 だから俺は「詰み」だと言ったのだ。
 正道も邪道も、戦略戦術も、どの視点から見てもこちらの敗北は決まっている。せめて後一週間だけでも早くここに来れていたら、まだ話は変わっていたのだろうが……そんな「たられば」に意味はない。
 流石としか言いようがなかった。カエサルはもう勝利しているのである。戦略的に、戦術的に、国家的に、政治的に。故にダレイオス三世の単独の突出も放っておいた。……否、それは違うか。手綱の握れぬ狂戦士は不要として、放し飼いにされていたのかもしれない。獲物さえ間違わなければ、狂戦士も有用ではある。
 現状俺達はカエサルと戦うことすら出来ないというのが実情であり。まあ堅実な指揮官、現実的な王、正道の英雄は打つ手なしと言うだろう。その上で立ち向かうからこそ英雄と言われるのだろうが……。生憎と俺はそんな上等なものではない。

「だから、な。言ったろう。俺達はテロリストだってな」
「鎮圧されるだけの暴徒、ということですか」
「端的な評価をありがとうオルタ。ずばりその通りだよ」

 冷徹なまでの客観視が必要だ。オルタは――いや騎士王はそれができる王だ。
 杯を人数分出す。カルデアに通信が繋がった時にわざわざ送ってもらっていたのだ。それぞれマシュ、アルトリア、オルタ、ネロのグラスに手製の甘酒を注いでいく。ノンアルコールだが、味わいには自信がある一品だ。王様方には物足りないだろうがマシュには丁度いいだろう。無論、酒もある。

 まだこの場にはいない、ランサーのグラスにこれは度入りの酒を注ぐ。自分の物にはこっそりと渾身の一作、最も馴染み深い日本酒を注ぎ、一気に呷った。

 空になったグラスの底を暫し眺め、俺は深く深呼吸をした。そして、言う。全てを賭けた、一か八かの大博打。
 胃の腑に熱い液体が流れてくる。少しすると、腹の底から熱が回ってきた。いい酒だなんて自画自賛し、俺は透き通る思考のまま、心の奥底に酒ごと何かの感情を押し込んで……冷徹な眼差しで告げた。

「――自爆テロを仕掛ける」

 それは最悪の戦法。
 アレキサンダーは言ったそうだ。カルデアに目端の効く者がいたならブリタニアに現れるはずだ、と。
 幼い征服王がそう言って、実際それは正解だった。であれば、あのカエサルが同様の答えに至っていないわけがない。
 ブリタニアに敵がいる。仮にダレイオス三世を退けるようなら、それは一定の脅威足り得るとカエサルも認めるはずだ。ならば、こちらはある程度の知恵を持ち、ダレイオス三世を返り討ちにする程度に力があると考えるだろう。相手があのユリウス・カエサルだ、確実なことなんて何もないが……。
 構わない。読まれていい。こちらの勝利条件はカエサルに勝つ(・・・・・・・)ことではないのだ。

 ならば、戦うことはない。

 戦えないなら戦わない。勝てない相手に、無理して勝ちにいくことはないのだ。
 無視できないほど巨大な存在。
 恒星の如く煌めく伝説の名将。
 無視し難い、だからこそ(・・・・・)――無視する(・・・・)

「――失敬。エレガントに言い直させてくれ」

 正気を疑うような四対の目に、俺は微笑みながら訂正する。

「進退窮まった。斯くなる上は我ら火の玉となり、玉砕覚悟で敵本丸に打ち掛かる。万歳、神風特攻!」







 ランサー、クー・フーリンは、ダレイオス三世を完膚なきまでに粉砕し、猛る血潮を鎮めながら主人のもとへ帰還した。
 まず戦功一つ。それなりの働きだったはずだ。労いの言葉を期待しているわけではない。ただこれからの采配に大いに期待を寄せていた。
 何せ、今回のマスターは自分のことをよく分かっている。無理難題を吹っ掛けてくるはずだ。そしてそれをこなしてこその英雄であるとクー・フーリンは考えている。このマスターは――どんな命令を出すのか、実に楽しみだった。

 そうして主人達の待つ仮初めの拠点、召喚サークルの設置された所へ戻ると、クー・フーリンは思わず眉根を寄せた。
 味方のサーヴァント達、そしてローマ皇帝が揃って難しい顔をしていたのだ。唯一マスターだけが平然としたふうに酒を呷っているためか、奇妙な空気が流れている。

 こちらに気づいたのか、マスターが笑いながらグラスを差し出してきた。

「駆けつけ一杯」

 応、と受けとる。これがこのマスター流の労りなのだろう。それを快く受け取って、一気に飲み干し――

「ぶふぉっ?!」

 吹き出した。

「なんじゃこりゃあ!? 何、なんですか?! これは新手の苛めかなんかなんですかねぇ!?」

 喉を焼き、臓腑を燃やす炎の酒。――クー・フーリンの印象は劇物だった。
 先程まで見せつけていた無敵の勇者然とした姿はそこにはない。親しみやすく、身分の別なく付き合える気安いニイちゃんがそこにいた。
 ネロが目を丸くした。あの勇士が、こんな甘く美味でまろやかな甘酒(さけ)を飲んでこんな大袈裟にしているのがおかしかったのだ。

「なんと……かの大英雄ヘラクレスを彷彿とさせたランサーが、下戸だったとは……」
「いや、違うと思うぞ。――すまん。あんたの時代の酒という名の水と、俺の時代の酒は別物だと気がつかなかった」

 言って、マスターはネロの勘違いを正した。大体、ネロが飲んでいたのはノンアルの甘酒である。それにさえも満足感を得ているネロに言えたことではない。
 むべなるかな。ネロとクー・フーリンはほぼ同時代の英雄だが、一世紀のローマの酒はワインが主流で、それに次いでメジャーだったのが蜂蜜酒のアクア・ムルサというもの。言うまでもないが現代の酒の度数と比べると、酒好きからすれば天と地ほどの差がある。士郎からすれば、この時代の酒は濁った水程度。酔う酔わない以前に、酒とも思えない。無論神代の神秘を含んだ酒は別物として考えるが。
 古代の人間であるクー・フーリンとネロにとっては、現代の酒は度数が弱い。甘酒で充分酒として通用するし、そもそもぐでんくでんに酔っ払ったことなどないだろう。
 それが、いきなり現代の日本酒――特に士郎向けに調整してある手製の物を飲んでしまえば、驚いてひっくり返るのも無理はない。

 士郎の隠し持っていた日本酒の瓶に手を伸ばすネロ。士郎は気づくのが遅れ、気づいたアルトリアが制止の声を掛けた時にはネロはらっぱ飲みで日本酒を口にしていた。

「待ちなさい! 貴女にそれは――」
「ぶふぁっ!?」
「……」

 口に含んだものを一気に吹き出して、士郎はそれを頭から浴びてしまって固まった。
 皇帝云々以前に女として見せてはならない醜態を晒したネロは、あわあわと慌てながら弁解した。

「あっ、こ、これはだな……クー・フーリンが吹き出すほどの酒がどんなものか興味があってだな……? 余、余は別に悪くないぞ? いやむしろこんなものを平気な顔で飲んでおるシェロが悪い!!」
「……うん。そうだね。俺が悪いね」

 顔を赤くしているネロは、酒を飲んだことがないうぶな少女のようだった。それになんとも言えない気分で相槌を打ち、士郎は布を投影して顔を拭いた。
 自慢の酒を吹かれてこんなもの呼ばわりされて立腹しかけていたが、しかしクー・フーリンがなんとか自分の分を飲み干したことで機嫌を直した。

「ぷはぁっ。……最初は驚いたが、この火みたく体の中で燃える感覚は悪くねぇな、マスター」
「!! 分かるかランサー!?」
「お、おう……」
「やっぱり違いが分かる男なんだなぁクー・フーリンは! クー・フーリン『は』!」
「むっ! まるで余だけが違いも分からぬ小娘のように言いおって! よかろう、それはローマに対する重大な挑戦と受け取った! これに見よ我が勇姿! こんなもの容易く飲み干してくれる!」
「ああっ、止しなさいネロ! 貴女が酔ったら色々詰みます! シロウも止めてください!」

 ふふん、とアルトリアに羽交い締めにされたネロに得意気な笑みを向け、士郎はグラスに注いだ日本酒をこれみよがしに飲み干した。ぐぬぬ、と呻くネロの視線こそ最高の肴とでも言うかのような表情だった。
 とまあ、戯れ合いはここまでとして。うがああ! と暴れるネロをアルトリアとオルタ、マシュが三人で完全に身動きを封じている傍ら、士郎はクー・フーリンに向けて労いの言葉をかけた。

「ご苦労さん。流石はアルスター最強の戦士は物が違う。一つの神話で頂点に君臨する武勇は伊達じゃないな」
「誉めろ誉めろ。オレは誉められて伸びる性質なんでね。誉めた分だけ働くぜ、オレはよ」

 ちなみにアーサー王伝説も広義の意味で言えばケルト神話に属している。
 なのにクー・フーリンは知名度が低くアーサー王伝説だけが有名なのは……まあ今はどうでもいい。

「……ランサー。俺は決めたよ。『死ぬなら前のめり』だな」
「へぇ、腹が決まったか。良い面だぜマスター。男なら、死ぬと分かっていても突っ込まなきゃならねえ時もある」

 なんでもないように主人の決意を聞き、クー・フーリンは明るく歯を見せて笑い掛けた。
 恐怖の色を呑み、しかしそれに足の竦む恐懦はない。なるほどイイ男だ、オレの次にな、とクー・フーリンは笑った。そんなサーヴァントに苦笑して、その分厚い胸板を拳で叩く。

「特攻だ。敵のど真ん中に突っ込み、敵大将を()る」
「いいねぇ、好きだぜそういう分かりやすいのは。で、もちろんオレに先鋒は任せてもらえるんだよな?」

 当然のように、クー・フーリンは確信していた。主人の敵と一番に矛を交えるのは自分の役割だと。
 だが。信じがたいことに、士郎は首を振った。横に。

「いや。先鋒はない。俺はマシュとアルトリア、オルタとネロともう一人で敵の大将を討つ。あんたの席はない」
「……は?」

 ――途端。クー・フーリンの目が険悪に歪む。世界が死ぬほどの怒り。それを感じた途端、辺りは緊張する。

「それはオレが力不足だから、とでも言うつもりか? ダレイオスの野郎を相手に力は見せたと思ってたんだが」
「充分に見た。その上で言っている。クー・フーリン、お前に敵大将は任せられない」
「――いちおう、聞いとく。なんでだ?」

 その答え如何ではこれからの関係に遺恨を残すことになる。そんなこと、分かりきっているのに、士郎に気負った様子は微塵もなかった。
 あくまで自然に。士郎は言う。

「なあランサー。今、ローマはどこにある?」
「あ?」
「ネロがローマで、カエサルもローマだ。……だが勘違いしてないか? 敵の大将はカエサルじゃない(・・・・・・・・)んだぞ」
「――」

 言われてみれば、そうだ。クー・フーリンはカエサルというビッグネームに、勝手にカエサルを倒すべき敵と思っていたが……更にデカい敵を、デカいが故に見落としてしまっていた。

「俺達は六人でもう一つ(・・・・)のローマに挑む。ランサー。クー・フーリン。
 あんたは。
 一人で。
 カエサルというローマと戦え」
「――は、」

 軋むように、嗤う赤枝の騎士。

「俺達は敵本丸に乗り込み、神祖ロムルス単騎と戦う。その間、カエサルが邪魔だ。カエサルと、ローマ全てを、神祖から切り離すヤツがいる。――それをあんたに任せる。敵はローマ。世界の中心だ。それと、一人で、あんたに戦えと俺は命じる」

「――はっ。ははは。ははははははははははは!!!!」

 クー・フーリンは腹を抱えて笑った。
 大いに笑った。これ以上なく爆笑した。

 ――わかってる! やはりこのマスターはオレの使い方をよくわかってやがる!!

「いいねぇ、いいぞマスター! その命令確かに承ったぜ! たまらねぇ、たまらねぇなぁ! オレに世界と(・・・)戦えと来たか!」

 こいつはバカなのか、それともとんでもなく豪胆な指揮官なのか。ああどちらでもいい、やはり振り切れたバカとつるむのは楽しいもんだ!
 笑い転げていたクー・フーリンは、しかし次の瞬間には真剣な顔つきとなった。片膝を地につき、槍と盾を置いて顔を伏せた。それは臣下の礼だった。
 マスターとサーヴァントではない、本当の主人として、クー・フーリンは士郎を認めたのだ。

「アルスターの赤枝の騎士、クー・フーリン。これより我が槍は御身のもの。如何様に振るうも我が主人の意のままに。命令を、マスター! いつでも出撃の覚悟は出来ている!」
「――槍を預かる。代わりに俺の命運を預ける。行け、派手に戦い、力と知恵と勇気の限りを尽くして、ガイウス・ユリウス・カエサルを打倒しろ」
「承知!」

 立ち上がり様、クー・フーリンは槍を掲げた。空に向けて大音声を張り上げる。
 さあ兄弟! 出陣の命が下った! オレの往く道にテメェらがいないんじゃ話にならねぇ! 往くぜ、往くぜ、往くぜぇ!

 轟く豪炎。
 光の如くに眩い炎が起こり、その中から二頭の竜馬が駆け()でる。
 黒塗りの鋼鉄戦車を牽き、手綱を握るのは御者の王ロイグ。戦車を牽く竜馬は馬の王と称えられた灰色のマハ、黒色のセングレン。クー・フーリン生誕より、死ぬまでを共に駆け抜けた希代の名馬。
 革鎧と、赤いリネンのローブを纏った大男は、無言で己の胸を叩いて戦友の主人に礼を示し、仕草だけで戦車に乗るようにクー・フーリンに促した。
 ははっ! 高揚するままに乗り込み、クー・フーリンを乗せた戦車は走り出す。炎を纏った羅刹の戦車は見る見る内に遠ざかる。クー・フーリンはこれ以上何も言わず、背を向けたまま槍を掲げて勝利を約した。

「――シロウ」

 呼ばれ、士郎が振り返ると、そこにはどこか機嫌の悪そうなアルトリアとオルタがいた。

「私が、貴方の剣です。それをお忘れなく」
「――何を言うかと思えば」

 士郎は呆れ返った。

「とっくの昔に、お前の剣は預かってるだろう」

 苦笑し、士郎はオルタに己の愛機のキーを渡した。

「ほら、行くぞ。着いたら全部ランサーが片付けてましたってんじゃ、あんまりにも締まりが悪いからな」
「はい」
「はいっ」

 したり顔でキーを受け取り、オルタが武器庫つきのバイクに跨がった。アルトリアもすぐにドゥン・スタリオン号に飛び乗り火を入れる。
 士郎は武器庫(サイドカー)に乗り込んだ。ネロにはアルトリアの後ろに乗るように言う。
 そんな士郎に、

「あ、あのっ」

 マシュが、焦ったように声をかける。

「わ、わたしは……わたしも! 先輩のために戦いますから!」
「は?」

 一瞬、呆気に取られ、士郎は間の抜けた声を発した。
 マシュの顔が青くなる。その反応が、怖いものに思えて――

「バカ。俺の隣にお前がいなくてどうする。嫌だって言っても離さないから覚悟しろ」
「は――はいっ!」

 その言葉に。
 弾けるような笑顔を咲かせて、急いでマシュはラムレイ二号のオルタの後ろに乗り込んだ。


「――ところで余のサーヴァント召喚はいつにする?」


 あ。

 ネロの言葉に、全員が思い出したような顔をして。

 どこかで暗殺者が呆れたように嘆息した。








 

 

麗しの女狩人




 こほん。

 咳払いをして気を取り直し、改めて召喚サークルを設置する。カルデアから例の如く呼符を転送してもらい、マシュの盾を基点に英霊召喚システムを起動。
 俺が近くにいたら、割と召喚儀式がろくな結果にならないと直感し、離れに退避。ネロに後を託す。
 ネロは運が良さそうだし、触媒も何も使わなくても相性のいいサーヴァントを呼べるだろう。ネロ自身が古代出身ということもあり、聖杯によって現代人に置換されても身に宿す神秘は高く、サーヴァントとも戦える身体能力『は』あるので、実質サーヴァント二騎分の戦力は固い。
 キャスターがいいなと思う俺がいるが、作家系を筆頭に戦闘スキルの低いサーヴァントや、性格や性質の悪い輩でなければ誰でもいいというのが本当のところだ。

 戦力が充分という訳ではない。しかし不確定要素の強いランダム召喚で、そこまで期待する方が間違っている。だからクー・フーリンの触媒を譲ろうとしたのだが、ネロは頑として受け取ろうとしなかった。
 曰く「余のガチャ運を舐めるなよ!」とのこと。
 俺は嘆息し、気合い充分にふんすと鼻息を吐き出して、戸惑っているマシュの腰を抱きながら召喚に臨むネロを見守った。
 マシュはローマ式コミュニケーションに戸惑っているが嫌がっている様子はない。ガードが緩くて悪い男に引っ掛からないか、お兄ちゃんは今からとても心配です……。

「さて……ネロのガチャ運はどれほどのものか……」

 豪語するほどの結果が伴えばいいのだが。
 肝心のネロは、「シェロがクー・フーリンなら余はヘラクレスだ! いざ、星座の果てから余の呼び声に応えよ――!」なんて、自身が激しくリスペクトする大英雄に呼び掛けていた。
 これで本当にヘラクレスが来たら色んな意味で最高だが、生憎とその場合、ヘラクレスの宝具の負担を負わねばならなくなるので、ネロが一瞬で枯れてしまわないように気をつけなければならない。

 お手並み拝見だ、可愛い皇帝さん。

 絶対外れだと予想し、俺はほくそ笑んだ。ガチャには物欲センサーがあるのである。ネロほど強欲に希って、まともな結果になるわけがない。
 もし外れだったら笑ってやると、ネロと召喚されたサーヴァントに殺されそうなことを考えつつ、ネロが召喚したサーヴァントの正体を見極めんと目を細め。
 今、システムが正常に作用し、夥しい魔力と光に視界が塞がった。

「問おう――」

 声が響く。凛とした、野生に生きる生気の強さ。自らの信条に肩入れする、誇り高い自然の存在。
 ふわりと翻る緑のスカート。ふりふりと揺れる獅子の尾。豊かな髪は獅子の鬣を彷彿とさせ、額にかかる髪は自然の緑だった。

「――汝が私のマスターか?」

 空気が凍った。主に俺の。
 マシュが気まずそうに目を逸らし、アルトリアが居たたまれなさそうに立ち位置をズラした。唯一、オルタだけは怪訝そうに首を傾げ、俺達が微妙そうな顔をしているのに疑問を持った。
 小さな声でマシュに訳を訊ね、事態を把握したらしいオルタは堪らず吹き出してしまう。

 幸い、それには気づかず。ネロは上機嫌に頷き、鷹楊に腕を組んで肯定した。
 狙い通りのヘラクレスでなかったからと落胆せず、嫌みなく応えられるのは流石だった。

「うむ! 余がそなたのマスター! で、ある!」
「うん。よろしく頼む。私のクラスはアーチャー、真名はアタランテだ」
「おお! カリュドンの猪退治にて名を馳せた麗しのアタランテだと!? 流石は余であるな!」

 余もやるものであろう! こちらを振り向くネロは満面の笑み。俺は曖昧に頷いて、案の定、フランスでスルーさせて貰ったアタランテらしい女狩人の視界から逃れようとした。
 が、無駄だった。アタランテは目敏くこちらを発見し、何を思ったのかツカツカと歩み寄ってきて――

 ひたり、とその両手で俺の顔を挟み、こちらの目を覗き込んできた。

「な、何かな……?」
「汝は今、私に後ろめたさに似た感情を向けたな。なぜだ?」
「別に後ろめたくなんてないぞ。本当だぞ。やむにやまれぬ事情があって、君に似た女性との遭遇を避けたことがあるだけだ」
「……嘘ではないようだが……なにか、はぐらかされた気がする」

 言ってることは本当である。嘘なんて欠片もない。あのフランスのアタランテと、ここにいるアタランテは、英霊という存在からして厳密には違う個体だ。
 アルトリア? コイツは特例である。
 クー・フーリンも記憶は曖昧みたいだし、直接会ってもいない俺のことなんてアタランテが覚えてるわけがない。
 故に俺は嘘をついてない。高度な嘘というのは、逆に真実しか言わないものなのだ。果たして、どこか納得のいってない様子のアタランテも、訝しげにしながらも離れてくれた。
 また女難が仕事をしたようだが、なに、この程度はどうということもない。桜ほどの地雷はそうはいないものである。女難限定地雷撤去班の班長とまで言われたことのあるこの俺が、こんな見え見えの地雷に引っ掛かるわけがないのだ。

 アルトリアが口許を手で覆った。

「シロウが、シロウのやり口が手慣れすぎてますっ。やはりシロウはこの十年の間に変わってしまったのですね……」

 オルタが興味深そうに相槌を打った。

「十年か。その間、シロウが何をしていたのか、知る必要がありそうだ。ダ・ヴィンチに便宜を図らねば……」

 ……それら全てを聞こえなかったフリをして、俺はそっぽを向いた。

 頻りに首を傾げながら、アタランテは再びネロに歩み寄った。

「すまない。マスターを蔑ろにしてしまった」
「構わぬ。麗しのアタランテ、アルゴー船にも乗ったことのある伝説の狩人と出会えた余は感動しておるのだ。その立ち居振舞いの一々に余は見惚れてしまう。どうして麗しのアタランテを責められよう……」
「そ、そうか。しかしその麗しの、というのはやめてくれないか。なんというか、こそばゆい気分になって仕方がない」
「むぅ……ぴったりの異名だと思うのだが……ダメか?」
「んっ。そ、そんな子犬のような目で見てもダメなものはダメだ。照れてしまうではないか……」

 ネロの主従が早速、親睦を深め始めたのを尻目に、俺はその様子を観察する。

 するりと相手の懐に入ってしまうネロは流石だが、相性自体も悪くなさそうだ。
 アタランテと言えば、その敏捷性もさることながら足も早く、弓の腕も優れているだろう。狩りの腕は英霊屈指と言えるかもしれない。またそれに付随する嗅覚も。

 だが……。

 ――アーチャーか。よりにもよって。

 俺は溜め息をこっそり吐いた。
 やはり、ランダム召喚などするものではない。
 ネロは俺と同じく、最も重要度の高い警護対象である。故に守りに長けたサーヴァントか、戦車などで行動を共に取れるサーヴァントが望ましかった。
 なのにアーチャーである。おまけに単独行動に秀でた狩人ときた。誰かの護衛などしたこともないだろうし、誰かを守るという行為自体に適正がなさそうだ。
 これは、アルトリアにネロのことをよく守って貰わないといけない。オルタは性格的に除外して、俺の守りはマシュが外せない。対し、アルトリアは俺がまだしょっぱかった頃を護衛したことがあるし、そもそもが優れた騎士だ。守りは固い。
 アルトリアをネロの守りに配置し、アタランテは遊撃戦力として運用したいが、彼女はネロのサーヴァントであるからして、ネロの采配に託すしかなかった。

 なにはともあれ。

「ネロのサーヴァントも召喚は完了した。行こう、もう憂いはないはずだ」

 俺は皆に促し、今度こそローマに向けて進行を開始した。









 ――何を隠そう、このドゥン・スタリオン号とラムレイ二号は水陸両用の水上も走れる高性能バイクである。
 凪いだ海を航るのに時間はかかった為、ブリタニアを後にしてガリアに上陸する頃にはすっかり陽も暮れていた。
 ネロは、変わり果てたローマを見て、唖然としている。
 見渡す限りの木、木、木。
 深紅の神樹は遠くに屹立し、更に雄大なものとなっている。過剰なほどの緑豊かな森がローマの大地を埋めつくし、ガリアの都市も木々に囚われ無惨なものとなっていた。
 なんたることだ……喘ぐようにネロはそう溢し、頭を振って決然と前を見た。

 人の営みを否定する自然の猛威。やはりローマは、ローマを、人を否定している。

 俺はふと、首を刺す違和感に目を細めた。
 昔から世界の異常には敏感だった。だから気づけたのだろう。

「――マスター。見られて(・・・・)いる。気をつけろ」
「……うむ。気を付けよう」

 俺が何かを言う前に、アタランテがそう言った。
 少し驚いた。この狩人も、自分と同じで世界の異変に敏感なのだろうか。

「アタランテ。なぜ気づいた?」
「私は森で生きてきた。森で生きるものは、生き物の視線に敏感でなければ生き残れない」

 それだけ言って、アタランテは弓を構えた。
 なるほどな、と俺はうなずく。神代の英雄は、やはり俺の理解を超える。

 しかしローマ全土を覆う森に入っただけで敵に察知されるということは、先行したクー・フーリンもとっくの昔に発見されているということだ。クー・フーリンに四時間遅れてガリアに来たが、彼は今何処に……

 ん? と。

 目を凝らして、近くに見えてきたガリアの城壁を凝視する。森化している大地に呑まれているためか、見晴らしが悪くすぐには分からなかったが……。
 ガリアの城壁は、完全に崩壊していた。
 まるで、とんでもない怪物に襲われた後、みたいな光景である。

 ガリアの城に入ると、そこに人影はない。ただ破壊されているだけだ。

 ――人はいないと見て、ただ破壊だけして先に行ったのか……ランサー。

 呆れたパワーファイトだが、確かにこれはド派手である。すぐに脅威のほどは知れるだろう。
 無視できない怪物の襲来――どう出ても構わない、手当たり次第に総当たり、といった方針か。

 ありがたいことに、ついでに露払いもしてくれている。岩のゴーレムの残骸が無数に散らばっている。
 クー・フーリンの働きは、現時点で目を瞠るほどだ。



 だが……。



 流石に、一筋縄ではいかないらしい。

 前方より津波となって押し寄せる大樹の質量を見て。
 否。大樹に取り込まれたローマの民、その人面の浮かぶ大樹の枝を見て。
 俺は、ネロは、神祖の変質が致命的なものになっていることを知った。






 

 

魔の柱、森の如くに





 人面犇めく大樹の津波。寄せる波濤は野山の奔流。

 質量兵器ローマ。

 枝葉の成長が濁流となって迫る様は圧巻。
 その正体はパラディウムの丘に突き立てられた建国の証。ローマを象徴し、その興亡を見届けた過去・現在・未来の帝都の姿を造成する対軍宝具。
 しかしその正体が『槍』であるなどと、一見して誰が見抜けるというのか。
 枝葉を束ねた大樹は、造られた自然そのもの。如何に解析しても神秘を含有した樹木に過ぎないのだ。
 だが、その本質を見抜ける者なら、その大樹自体が「国」そのものであることを悟るだろう。

構成材質(トレース)解析完了(オン)

 綺羅光る星屑と、満天に座す満月の光に照らされる中、蠢く赤い森の只中で、夜の帳を突き破るようにして鋭い命令が飛ぶ。

「アルトリア、オルタ。それぞれ風王鉄槌(ストライク・エア)卑王鉄槌(ヴォーティガーン)を使え。出力七割。アルトリアは威力よりも攻撃範囲を広く持ち、オルタは破壊力に重きを置け。見た目は派手だが材質はただの樹木だ。気兼ねは要らない」

「待て!」

 制止の声を張り上げたのはネロだった。
 ここはガリアだ。ブリタニアへと逃れる時に通った道。人面の中には、変わり果てていても確かに見覚えのある顔があった。
 焦燥に駆られ、怒りに震え、それでもはっきりと皇帝は訴えた。

「あれは余の民(・・・)だ! それを巻き込んでの攻撃など――」
「悪い報せだ。あれに呑まれている奴はまだ生きてはいる(・・・・・・)。死なせてやった方がよほど救われるぞ」
「な、」

 絶句するネロを、士郎は冷徹な眼差しで一瞥した。無責任なことは言わない。自らが体験したことに基づき、冷酷に言う。

「成長の糧として、『必要もないのに』あの人間達は養分にされている。似たことを体験したことがあるから言えるが、体の内から吸われていく感覚は地獄の苦しみだぞ。――俺を止めるか、ネロ」

 ローマの否定。即ち、そこに生きた人間の否定。
 国とは人、人とは国。民の苦痛は国の悲鳴。ローマの否定は、その民を惨禍に叩き落とす所業である。
 善き生活、善き営みを反転させた苦痛を味わう民の顔は干からびて、苦と醜と痛とを絡めた絶望に染まっている。唇を強く噛むあまり、血が流れるのにも構わず、ネロは苦渋の滲んだ声音で躊躇いを捨てた。

「……止めぬ。介錯もまた余の責であろう」
「勘違いするな、カルデアの(・・・・・)マスター。これは指示を出した俺の責だ。ネロ帝は民を傷つけてなどいない」
「余の荷を負うと……?」
「後輩のケツは先輩が持つものだ。大したことじゃないな」
「……馬鹿者め。皇帝として、礼は言わぬ。しかし、ただのネロ・クラウディウスとしては……」

 ――爆ぜよ風王結界、『風王鉄槌(ストライク・エア)』!

 ――暴竜の息吹よ、『卑王鉄槌(ヴォーティガーン)』!

 バイクから降りるなり風の鞘を解き、アルトリアが打ち出した暴風の槌は樹木の津波を遮る。オルタの黒い旭光は障害を砕いた。微塵の如くに破壊された木片がぱらぱらと地に落ちる。
 人面の樹木は血を流さなかった。樹液のようなものが夜の闇の中に四散しただけ。苦悶の顔のまま果てたそれを目に焼き付けながら、ネロが呟いた声は暴風の音に掻き消された。
 ただ、士郎は黙って頷いた。その目は第二波となる樹海の振動を睨み据え、アルトリアらに同様の攻撃をするように指示を出した。

「……アサシン。このままじゃキリがない。どこかに樹海を発生させる基点のようなものがあるはずだ。それを探し出して破壊しろ。困難なら俺に言ってくれ」

(了解)

 気配なく、されどレイラインを通して確かな応答があった。
 こういった単純な質量を前にアサシンは無力である。故に別の用途に投入したに過ぎないが、戦果は期待薄だろう。

「……アタランテ、余からも頼む。樹海発生の基点を探し出してくれぬか」
「承知した」

 ネロの命に応じるや否や、アタランテが駆け、跳んだ。蠢く大樹や枝葉の妨害をするするとすり抜けていき、あっという間に姿が見えなくなる。

 ……神代の狩人というのは、ああいったことが普通にできるのか?
 身軽と言うより、羽が生えているとでも言った方が適切な跳躍力だ。士郎は呆れるやら感心するやら、見えなくなったアタランテから意識を切り、武器庫から黒弓と螺旋の剣弾を抜き取る。
 障害物の多い中で、通常の剣弾は用を為さない。貫通力に秀でた投影宝具を選ぶのは当然である。

 しかし、第二波以降、大樹の津波は収まった。

「……なんだ?」

 不気味な静寂。士郎は突然収まった攻勢に眉を顰めて周囲への警戒を緩めなかった。
 アルトリアを見る。首を左右に振った。
 警戒を維持したまま無言でバイクに乗るように促す。士郎は顔を青くしていたマシュの背中をそっと押し、黒いバイクに乗るように言った。
 ……人面大樹とはいえ、元々が人間だ。それが破壊された光景を見て気分が悪くなったのだろう。敢えて優しい言葉はかけない。いつかは人を相手にしなければならない時が来るかもしれない。
 マシュに、人の死に慣れろと言いたいのではない。ただ、そういった場面に直面する時が来ることを伝えねばならなかった。いや、言葉では言っていても、実感はなかっただろう。それが今、無惨な人の死を見て吐きそうになっている。

 バイクに乗り、移動を開始する。念話で切嗣に移動を再開したことを伝えた。応答が返ってくる。
 一時間余りも走っただろうか。代わり映えのしない景色に心が膿み始めた頃、定期的に入れていたアサシンへの念話に異変があった。
 互いの現在地を報せ合うための定時連絡だ。こちらが伝え、切嗣が答える形だったのに――反応がない。

(――――)

 応答がない。

「……アサシン?」

(――――)

 異常事態だ、と瞬時に士郎は判断した。
 すぐオルタとアルトリアにバイクを止めさせる。
 アサシンからの応答が失せたと伝えると、緊張が深まる。

(――――い)

「! ……アサシン?」

(すまない。しくじった。僕はここでリタ――)

 ぷつん、と念話が途絶える。士郎は驚愕した。切嗣がしくじるとは、何があった?
 士郎は首に下げていた計器をはずした。前方を走るドゥン・スタリオン号を操縦するアルトリアの後ろにいるネロに計器を投げ渡す。

「シェロ、これはなんだ?」
「自身と契約するサーヴァントとの念話を可能にする装置だ。ネロ、アタランテに伝えてくれ。アサシンが消滅した」
「!」

 空気が電撃を帯びる。士郎は最後に互いの位置を確認した時と、移動距離と時間経過から割り出した、アサシンがいただろう地点を予測し、その座標をネロに伝える。
 ネロは頷き、アタランテに連絡したようだ。

 暫く移動を停止し、アタランテからの報告を待つ。

「……アタランテからの報告だ。何もないそうだぞ」
「……」
「ただ、何か巨大な、円形の穴が空いていたらしい」
「巨大な……穴?」
「うむ。まるで錨のようだとアタランテは――」

 ――瞬間、大地が激しく振動した。地震? こんなタイミングでそれはあり得ない! ならば、

「アルトリア!」
「下です!」

 言葉短く叫び返してきた言葉を認識するや、士郎は即座にオルタに合図した。ラムレイ号が急発進する。黒弓に螺旋の剣弾を装填する。
 アルトリアが愛機より離れ、聖剣を構えて厳戒体勢に移った。

 やがて地面が大きく盛り上がり、地中からおぞましい肉の柱が飛び出てくる。

「――」

 円柱のような、肉の塊。
 幾筋もの赤い裂け目が心臓のように脈打ち、無数にある黒緑色の魔眼の奥から、歪な瞳孔が開ききっているのが見えた。
 膨大な魔力。優にサーヴァント数騎分もの力を内包した異形の柱。

 それが、まるでこの特異点に投げ込まれた錨のようで――

 士郎達は、戦慄と共にそれを見上げた。






 ――魔神柱(・・・)出現(・・)










 

 

戦術の勝、戦略の勝

戦術の勝、戦略の勝




 ぎょろりと蠢く無数の目。波動となって肌を打つ桁外れの魔力量。そそり立つ肉の柱を見上げた俺の所感は、巨大な魔物から感じる威圧感への戦慄と――得体の知れない、正体不明の既知感だった。
 この魔力を、俺は知っている気がする。
 それがなんなのか、すぐには思い出せず。慎重に、足元から突き出てきた異形の柱の出方を窺う。
 ちょうど、柱を隔てて向こう側に立つアルトリアがこちらを見た。首を横に振る。仕掛けるな、側にいるネロの護衛に専念しろ、と視線で制する。

「……マシュ。大丈夫か?」

 青白い顔の少女。盾の英霊のデミ・サーヴァント。人面大樹となった者達の死の衝撃は抜けきっていないようだ。
 俺は、マシュを気に掛けたわけではない。いや心情的には心配で堪らなかったが、死への感傷は自分で処理できるようにならなければならない。そうでないと彼女は誰かに依存して、その在り方を歪めてしまうだろう。
 故に俺の言葉の意味は、マシュを戦力に数えてもいいか、という冷酷な質問。ここで踏ん張れないようなら、俺はもうマシュに土壇場で信頼を寄せることはできなくなる。安定した戦力こそが鉄火場で必要とされるからだ。そこに情の介在する余地はない。アニメや漫画にありがちな、劇的な成長と爆発的覚醒を期待するのは馬鹿のすることである。

「だ、大丈夫、です。マシュ・キリエライト、いつでも行けます」
「……マシュ。死に慣れろと言うつもりはない。たが少しでも無理をしているなら……」
「大丈夫です! わたしは……先輩のデミ・サーヴァントですから……!」

 必死の形相で俺を見るマシュ。その意識はこちらに向いて、他への注意は逸れた。

「……そうか。なら守りは任せる。頼むぞ」
「はい!」

 表情を少し明るくしたマシュを横に、俺はちらりと魔物の柱を見た。
 今、俺の守りの要であるマシュを、わざと言葉で揺さぶり、守りを薄くしたのだが……この柱はまるでそれに釣られず、沈黙を保ったまま目を頻りに動かしていた。
 無数にある眼、その一つがオルタから視線を逸らさないでいるのに俺は舌打ちする。

 マシュの守りが薄くなったところで俺を狙えば、オルタに横から仕掛けさせるつもりだったのだが……厄介だ。敵の知能を見極めるべきだろう。
 アルトリアとネロへの警戒は薄い。防御に専念する必要があると知っているのか……
 俺を凝視する眼は多い。が、逆にマシュはまったく注意を払われていない。マシュを側から離さないと察している……?

 次いで、警戒されているのがオルタだろう。

 現在、戦力として浮いているのがオルタだ。決定打を放てる攻撃力をも併せ持ち、この場では最も自由度の高い運用が可能である。
 つまりこの魔物は敵の脅威と戦力を冷静に推し量れる知能があるということ。過小評価はできない。否、あの切嗣を仕留めたことから考えるに、侮れる相手でないのは自明だった。

「……」

 睨み合う。睨み合うことで俺は、違和感を覚えた。
 敵から感じる殺意が薄い。敵意はある、しかし知性があるのに、ここで仕留めるという気概が感じられなかった。

 ……あの、眼。
 まさか……こちらを見定めようと……?



 ――その直感に、鳥肌がたった。



 これは意思と高い知能を持ち、そして切嗣を時間をかけずに仕留められる力を持ちながら、こちらをこの場で倒す必要はないと考えている可能性が高い。
 油断しているのではない、大上段に傲慢な構えをしているのでもない。純粋に、これは威力偵察をしに来ただけだ。
 つまり……こちらを確実に屠れる戦局を選べるだけの余力が……『退路』があるということ。後がない俺達とは違う、万全の戦力をいつでも投入できる確実さを持っているということだ。

 俺はこの時、はじめて『敵』の大きさを――この人類史焼却の裏に潜む巨大な『影』を見た気がした。

『――こちらでアサシンの脱落を確認した。霊基復元には一日かかる。士郎くん、いったいそちらで何が起こって――って、なんだその醜悪な化け物は?!』

 カルデア管制室のロマニから通信が入る。アサシンの脱落を、霊基一覧で確認できたからだろう。
 俺はロマニには、必要がない限り通信を入れるなと言ってあった。例えば強力なキャスターのサーヴァントが敵側にいた場合、なんらかの干渉を受けてしまうかもしれないからだ。

『それに……この反応はレフ?! そこにレフ・ライノールがいるのか!?』

 混乱したような叫びに、思わず眉を顰める。

「落ち着け。ここにレフはいない。ソイツは始末したはずだ。遺体もカルデアで確保して、頭の天辺から足の先まで解剖し解析している最中だろう」
『いやでも、これは確かにレフから検出されたものと同じ反応が……なんだ? これは……そんな!?』

 信じられない! とロマニが喚いた。

『レフから検出された反応は弱すぎて分からなかったけど、これは伝説上の悪魔と同じ反応だぞ!?』
「……なに? どういう意味だ?」
『言葉通りの意味だよ! 人間ともサーヴァントとも違う、第六架空要素の反応がその柱からはする!』

 ――第六架空要素。それは人の願いに取り憑きその願いを歪んだ方法で成就せんとする存在。
 悪魔に憑かれると、人を構成する要素に異変が起こり精神が変容。最終的には肉体も変化して異形の怪物と化すという。
 言ってみれば、人間に寄生する幻想のウイルスのようなものである。

「……なるほど。ということは、レフはあの時これに変身するつもりだったのか」

 レフだけでなく、同一の反応を発するものがここにあるということは、他にもこの柱がある可能性が出てきた。
 そしてレフのいた所とは別の特異点に柱があったということは、人類史焼却の暴挙は組織的なものであるということになる。
 冬木でレフが、ローマでコイツが。ならフランスにも柱があったのかもしれない。俺達が遭遇しなかっただけで。そして、これから先の特異点全てにも。

「……ゾッとする話だ。なあおい。お前もレフと同じで、人間が変身した奴なのか?」

 曖昧に、引き攣りそうな顔を誤魔化すように笑い、目の前の柱に問いを投げる。
 その眼が、測るように俺を注視した。

「だとしたらなぜ人類史の焼却なんて馬鹿げたことに荷担する? 愚かに過ぎる、傲慢に過ぎる。人の歴史を途絶えさせようとするばかりか、なかったことにしようとするとは。増上慢も甚だしい、そうは思わないのか?」

 ――その眼に、微かに苛立ちの光が走ったのを俺は見逃さなかった。

 確証はない、しかし確定したと判断する。奴はレフと同じ人間だ。いや今は悪魔かもしれないが、かつて人間であったことは間違いない。
 つまり、人間に通じる駆け引きは、コイツにも通じるということ。それは、光明になり得る。

「……」

 眼光が、鋭くなる。意識が更に俺に向く。
 何か俺の言葉に含むものがあるのか? なんであれ――好機。

 左手に魔力を通す。そして、更に言葉を続けながら念じた。

(令呪起動――)

「神にでもなったつもりか? それとも人を粛清することに大義でも見い出したのかな? いや人の未来に絶望したアトラスの錬金術師の可能性もあるか……」

(システム作動。――のサーヴァント、――を指定)

「だとすると更に度し難い。己の手前勝手な絶望に、人類全てを巻き込もうとするなど餓鬼にも劣る。ああ、流石にそれはないか。人類を滅ぼそうとするほどの悪党が、そんなちっちゃい輩な訳がない。だとすると他に考えられるのは……誰かに唆された道化かな」

 冷淡に語りかけ、嘲笑する。

 何か、柱が反応する寸前。令呪は作動した。



(宝具解放、ノータイムで最大火力を発揮し、敵性体を討滅しろ)



「――卑王鉄槌(ヴォーティガーン)の息吹よこれに」

 瞬間。

「『約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)』!!」

 指令通り一瞬にして臨界にまで達した黒い聖剣が、黒い極光を迸らせる。
 横合いから殴り付ける究極斬撃。反応は間に合わず直撃した。

『容赦ないな!?』

 ロマニの突っ込みに肩を竦める。
 これで決まればいいが――

 まあ、そこまで甘くないか。

 俺は苦笑する。


 柱は吹き飛んだ。しかし、俺の眼は確かにそれを見た。


 いずこかへ消えていく人の影。その手に輝く聖杯の魔力。
 あたかも消え去るようにして、それはこの特異点から去っていった。

「――しくじった。俺のやり口を知られたのに取り逃がしたか」

 まあ、いい。こちらにも収穫はあった。
 敵は人だ。得体の知れない謎が一つ解けた。

 そして敵が人間となれば、これほどやり易く、そして手強いものはない。
 俺はやれやれと嘆息し、皆にバイクに乗るように促した。まだやるべきこと、成さねばならぬことは残っている。

 消費した令呪も、あと二時間ほどで補填される頃合いだ。火力の面では不足はない。
 あれが持っていた聖杯がなんなのか、気にはなる。神祖ロムルスに埋め込まれているのではなかったか? それとも……他の特異点の聖杯か?
 なんであれ、本番はこれからだ。俺達はなんとしても、帝都ローマで待ち構える神祖を討つ。敗北は許されない。俺達の戦いはこれからなのだから……!


「――え、もしかしてこのノリで余もいかねばならぬのか?」


 その疑問に、バイクに同乗していた騎士王は重々しくうなずいた。








 

 

戦場の王、大国の王

戦場の王、大国の王



 アルスター王の妹の子として生まれ、戦士としての道を志し、いつしか英雄としての栄光を掴んでいた。

 妬まれ、僻まれ、様々な禁忌に縛られた。
 高まった名声は鬱陶しいだけで、意識して誇ったことはない。ただ己の信条に肩入れし、英雄として生きる己を誇った。
 赤枝の騎士として、己は一戦士なのだと自らを規定した。斯く在れかしと望まれても、それに流されることはなく。己に相応しいと思った生き方を貫いて鮮烈に生きた。
 その生涯に疚しさはないと断言できる。男は信じた道を貫けたのだ。

 ――戦士として戦い続け、英雄として名を馳せるにつれて、多くの人間、神、妖精を知ることになった。

 コノートの王アリルと、女王メイヴ。アルスター王にして自らの伯父でもあるコンホヴォル。三州のそれぞれの君主。妖精郷の神々――己の知る王という人種に、ろくな奴はいなかった。
 アリルも、メイヴも、三州の三人の君主も、最低で最悪な、性根のひん曲がった外道ばかりだった。己が傲慢な王を嫌うのは、無意識の内に生前関わった王を思い出してしまうからなのかもしれない。

 中でも特に酷かったのは、こともあろうに「権威・悪・狂気」の三位を司る女王メイヴではなく、自らが仕えたアルスターの王その人だった。
 クーリーの牛争いが勃発した時、アルスターの戦士達全てが体を痙攣させて身動きを取れず、コノートを含めた四カ国連合の侵攻を前に無力だったのは、アルスター王コンホヴォルが妊婦だった女神ヴァハに無体を働き、その怒りと憎悪を買って「国難の時、国中の戦士全てが戦えなくなる」という呪いをかけられていたからなのだ。
 その時、己は影の国にいた。だからこそ、その呪いに掛からずに済み――呪いに掛からなかったからアルスターを守るため、単身で戦うことになったのである。
 妊婦に暴行を振るい、初夜権を行使して国の新婦を抱き、思うがまま振る舞う外道。それがコンホヴォルという男だ。
 甥であり国一番の戦士だった己には気を使い、己の妻には手を出さなかったが……もし手を出したり、戦士として無能で、為政者として最悪で、伯父ではなかったら、きっと自分もまたフェルグスと共にアルスターから出奔していたかもしれない。
 だがコンホヴォルは外道だったが、身内には甘く、優しい男だった。王としての能力もあった。戦士としての力量も備えていた。ただ、それ以外が最悪だっただけだ。

 ガキの頃から知っていて、自分には特に目をかけてくれた恩人でもある。だから見捨てられなかった。どんなに最悪の糞野郎でも、裏切りだけはしなかったから、自分もコンホヴォルを裏切らなかった。
 狗のようだ、とコノートの戦士に罵られたことがある。即座に殺したが、同時にこうも思った。最悪の野郎を裏切る。――それは自分がそれ以下の存在に成り下がることにはならないか?
 コノートの側についたフェルグスは別にいい。フェルグスは元々アルスターの王だったが、コンホヴォルの母に王位を掠め取られた過去を持つ。コンホヴォルに従う道理はないのに、彼からの背信があるまで騎士団の若頭として武勇を振るっていたのだから、充分以上に義理は果たしていた。
 だが、自分はそうでない。ただ、それだけの理由でクー・フーリンはアルスターの為に戦ったのである。
 
 生前は、主に恵まれなかった。

 生前に、まともな王はいなかった。

 座にある膨大な記録の中で、覚えている限り、唯一まともだったのは冬木の本来の女マスターだけ。これも、やはり縁はなかったのか、一度も肩を並べて戦う機会はなかった。

 だが――どうだ? この、人類史に纏わる大戦で、遂に己は望みうる中で最高のマスターを得られたではないか。
 いい戦いといい獲物、加えていい主人がいたら番犬は満足である。その全ての条件を満たしてくれたのは今生のマスターだけであった。
 気骨があり、人の使い方に長け、知略に秀でる。死する場を心得、博打を知り、死地に自ら飛び込む胆力を備える。――最高の戦いと、最高の獲物を同時に揃え、己の命運を躊躇いなくこちらに委ねてくる信頼もあった。

 なら……これに応えずして何が英雄か!

 男――クー・フーリンは高鳴る鼓動にうっかり最終宝具(へんしん)しかけてしまったが、御者のロイグが一睨みをくれると我に返り、わりぃ、と謝った。
 そうだ。所構わず暴れるなんてつまらない真似はできない。なんたってオレは、騎士として仕えるという誓いを立てたんだからな、と自重する。
 今の己は生前の狂戦士ではいられない。理性と業と忠誠を持って戦う槍兵なのだ。戦いの狂気すらも御して、全霊を振り絞り戦いに徹するのみ。

 ――そうだろ? ロイグ。

 語りかけるも、手綱を握り、戦車を操るロイグは何も答えない。戦車の一部として宝具化し、自我が稀薄になっているとはいえ、元々が寡黙な男だった。
 照れ臭いが、親友、と言える数少ない男である。自我が稀薄でも、彼が何を思い、何を感じているのか、手に取るように感じ取ることができた。
 口数が少ないくせに、たまに喋ったらと思うとやけに辛辣な性質である。ロイグはきっと、「大した頭でもなかろう。御託を並べる暇があるなら、黙って槍でも振るっていろ」とでも言うに違いなかった。
 声を出して笑い、クー・フーリンはロイグに言う。

 ――まったくだ。そろそろ奴さんも本気で来るだろうし、オレらも本気出していくかね。

 世界(ローマ)を相手に戦え、なんて馬鹿げた命令を受けた。それを快しと受諾した。
 今、己はどこを駆けているのか。指令を受け戦いをはじめて既に二日が経っている。乱立する樹木、押し寄せる大樹を粉砕しながら進み、打って出てきた生身の敵兵を一万は蹂躙しただろう。ローマ全土を虱潰しに駆けずり回り、破壊した城は四つを数え、討ち取った指揮官は二十七を数えたか。国土は半壊、大将の潜んでいそうな場所もだいたい見えてきた気がする。
 襲いかかってくる樹木の津波を正面から突撃して破壊し、見えてきた新たな都市の前に隊列を組んでいる敵軍十万――いや二十万か?――の姿を目視する。

 そこだけは、森ではなく、開けた空間になっていた。

 なんともまあ、雑魚ばかり揃えられたものだと感心する。
 肌の所々が樹木と化し、霊体への攻撃を通せるようになっているらしい奴さん。
 シャドウサーヴァントの影もちらほら見えた。暗殺者、騎兵、狂戦士に獣に槍兵の小娘。それにあれはダレイオス三世のシャドウまでいやがる。

 流石に雑魚と言うのは過小評価か。雲霞の如く並みいる軍勢はまさに総力の結集だ。ここが決戦の場と定めたらしい。
 遥か彼方の大都市、その城壁の上に、恰幅のいい赤い装束のサーヴァントがいるのが見える。
 あの巨人的な存在感。二十万の大軍を自らの規格に組み込む統率力。あれが、カエサルか。なるほどローマ最大の英雄の名は伊達ではないらしい。狂気のきの字も見られない。これは、手強そうだ。
 しかし二十万の大軍を一ヶ所に集めるなど正気ではない。こんな大胆な布陣を取れるという事は、兵站を気にかける必要はないと言うことだろうか? であればあの兵も、ここに来るまでに散々見た人面樹と同じで死んでるようなものなのだろう。
 なら遠慮はいらねえな――呟き、クー・フーリンはロイグに突撃を指示しようとして――ふと、気づく。気づいてしまった。

 気づかねばよかった。このまま突撃し、蹂躙してしまえば良かったのだ。

 だが、気づいてしまった。

 生身(・・)の、完全に生きている、人間の、子供。

 身なりからして奴隷の、少年。



 ――見るな!



 ロイグが叫んだ。自我の稀薄さを感じさせない、往年の猛々しい声。だが遅い。既にクー・フーリンは気づいてしまっていた。

 少年が、叫んだ。――ねえ、一緒にご飯を食べようよ(・・・・・)

 は。と、笑う。有名すぎるのも考えものだな。
 黒と灰の二頭の竜馬と、死の棘を持つ豪炎の戦車。そして己の姿と紅い槍。更にここまで散々に暴れ回ったことから得られる情報。
 例え、宝具を使ってなくても分かるだろう。この身が持つ呪いを。

 苦笑して、クー・フーリンは戦車を止めた。ロイグは自我を持つが、扱いは宝具の一部である。クー・フーリンの意向を妨げることはない。
 そしてクー・フーリンは己のゲッシュに従う為、戦車を降り、少年の誘いに乗って、隠されていた台に近づき、少年が席について肉料理を食べ始めるのを見守った。
 そして、自分のために用意された――犬の肉料理をみる。少年が食べ終わるのを見計らって、躊躇わず肉を摘まみ一気に咀嚼し飲み干した。

 途端、左手から力が抜ける。ゲッシュを破らされ、呪いが働いたのだ。左手に握っていた赤い盾が地に落ち消え去る。クー・フーリンは苦笑して、怯えていた少年の頭を握り、軽く揺さぶる。あっさり気絶した少年を担ぎ、戦車に戻って少年を確保。
 左半身が麻痺している。久しい感覚だ。腕と、耳が死に、目も見えない。右半身は無事で、幸い左足は生きているので踏ん張りは利きそうだ。

 ――やってくれるぜ、あのデブ野郎……。

 苦笑し。



 激怒する(・・・・)



「殺す」

 クー・フーリンは躊躇う素振りもなく右の耳を潰した。これで無粋な誘いの声は聞こえない。
 更に戦いの狂気を呼び起こし、意図的に狂熱に浸って目に映る全てを敵と認識する。
 クー・フーリンはロイグに言った。加減は無しだ、全力でいくと。本気の中の全力。あの野郎は確実に殺す。

 こともあろうに、騎士としての初陣で……こんな醜態を曝させられるとは屈辱の極みだった。
 クー・フーリンは吠える。精霊が怯え、混乱に落ちて狂騒を齎す。ローマの地は、クー・フーリンの赫怒に染まった。
 敵兵の士気が目に見えて落ちた。恐慌に陥った。カエサルによって冷静を取り戻したが、それでもクー・フーリンへの畏れが消えたわけではない。

 死の槍を掲げ、光の御子が。
 戦場の王とまで讃えられた勇者が。

 今、溢れ出る殺意と共に、大国(ローマ)の王に決戦を挑む。



「――『轢き潰す死棘の蹄(ロイグ・マハ・セングレン)』ッッッ!!!」



 開戦の号砲。それは、死の戦車の本領発揮であった。




 

 

真紅の神祖

真紅の神祖





 ――んぅ……マスター、猪は好きか? 仕留めたは良いが、あまり好きではないことを思い出した。

 敵首魁の座する帝都に近づくにつれ、次第に緊張を露にし始めてきたネロに対し、アタランテがそんなことを言っていた。

 悪魔と同一の反応を持つ柱を退け、ガリアを過ぎ、山脈を躱して、二日間でマッシリアからメディオラヌムに進んだ頃である。
 国土は樹林に侵され、生態系は狂い、幻想種がどこからともなく現れ自らの縄張りを張っている。そこを通りかかった俺達は格好の獲物であり、魔猪やキメラなどの類いに幾度も襲われていた。
 陽も暮れ、辺りも暗くなり、そろそろ腹が減ってきた時分でもある。ネロとアタランテに、それを譲ってくれと頼んだ。
 ネロは訝しげに俺を見たが、別にネロ自身に猪をどうこうすることなど出来る訳ではない、とこちらに快く譲ってくれた。
 ……アルトリアがいきなりそわそわし始めたが、俺は気づかないフリをして、魔猪の体を解析する。
 信じがたいことに、どうやら人間が食べても問題はないようだった。普通の猪よりも肉は柔らかく、むしろ豚に近しいと言える。幻想種化する前はただの豚だった可能性もあった。

 今の面子はアルトリア、マシュ、オルタ、ネロ、アタランテ……味覚的な意味でネロとオルタが難敵だったが……まあ同時に二人を満足させることも出来なくはない。
 ジャンクでありながら豪奢、贅沢でありながら雑味のある肉料理……中東の少年兵からヨーロッパのお貴族様までご満悦だったのだから、間違いあるまい。

 俺はまずマシュに召喚サークルを設置させ、カルデアから米と野菜、調味料各種を転送して貰う。
 アタランテには焚き火を二つほど作って貰い、アルトリアとオルタには魔猪――いや呼び方は豚でいいか。豚の手足を縛らせて俺の腕ほどもある太い枝に吊るさせた。俺は専用の包丁を投影。腕を巻くって豚の肛門を切開し、手を突っ込んで内臓を引きずり出す。
 思い出したように「見ない方がいいぞ」と言ったが全員特になんともなさそうで、アタランテは特に興味深そうにこちらの下処理を観察していた。
 逞しい女性陣だことで……と呆れるやら感心するやら、俺は肩を竦めて豚の毛を綺麗に削ぎ落とす。

 マシュとネロに言って内臓の下処理をさせておく。これも旨いので、無駄にする気はない。ネロはおっかなびっくりだったが、マシュも素人であるし、こっちはこっちで作業しながら下処理のやり方を口頭で教える。流石に器用で危なげなく作業をしていた。

 それを横目に、空になった豚の腹の中に、薄く味付けをした白菜で包んだ米と、ホウレン草の包みで覆った米と香辛料を詰める。
 豚の腹がパンパンに膨れ、何も入らなくなると肛門を糸状の強靭な紐でぎゅっと縛り上げ、焚き火に火種を放り込んで火を強くしてから、吊るしていた豚をこんがりと焼き上げ始めた。

 暫くすると、香ばしい薫りが辺りに充満し始め、幻想種の獣が釣られてきたとロマニから通信が入る。

 アルトリアとオルタに目配せし、三十分後には戻ってこいよ、と言うと二人は猛然と駆け出した。飢えた獣は、それ以上に飢えた二頭の獅子に狩られてしまうのだろう。ご愁傷さまである。
 豚を吊るす火の前に陣取り、豚の体を回しながら満遍なく火が通るようにしておく。少し包丁を通すと香辛料の風味と、肉の香ばしい薫りが混ざり合い、なんとも腹を刺激する匂いが漂った。
 ごくり、と誰かが生唾を飲み込む。
 肉汁が滴り始める直前、薄く肉を削いで口に運ぶ。その焼き加減を吟味して、マシュにあと十分ゆっくり回しながら全身を焼けと伝え、その場を離れる。慌てて後を引き継いだマシュから目を離し、今度は内臓を使って串焼きを作り始める。
 この頃になると、早くも獣の殲滅を終えたらしいアルトリアとオルタが帰還し、まだかまだかと勝手に皿とナイフとフォークを人数分用意し始めた。
 苦笑し、ネロとアタランテを手招きし、豚モツの串焼きの調理手順を教授して、一本作ると後はネロ達に任せた。
 素人にやらせてよいのか!? と戸惑ったように言うネロだったが、アタランテという狩人が共にいるなら任せてもいいと答えておく。実際アタランテほどの狩人が、狩った獲物を解体し料理したことがないはずもなく、手本さえあれば問題なくやれていた。

 俺は武器庫に向かい、ごそごそと物色して、隠していた葡萄酒を取り出した。

 またか、と呆れた視線を受けたが、気にしない。酒なくしては人生の半分は損している。というか俺から酒を取ったら何が残るというのか。
 肉汁がぽつぽつと火元に落ち、じゅ、じゅ、と音を鳴らし始めると、マシュと変わって火を消した。
 吊るした豚の肉を薄く削ぎ、アルトリアがさっと差し出してきた皿によそい、ナイフで切り分け、食べてみる。
 うん、上等。呟きながら葡萄酒の瓶を呷り、旨い、と口の中で溢した。

 シロウ! 物欲しそうなアルトリアにデコピンし、怯んだサーヴァントを放置する。
 腹を切り分け、中から野菜に包まれた米を取り出して、それをアタランテの皿によそい、手渡す。彼女は猪が苦手らしいので、たっぷりと肉汁と香辛料の染み込んだ米と野菜を食べて貰うことにしたのだ。
 恐る恐る一口食べ、旨いと囁くように言い、その仏頂面に笑みが浮かんだのを見て、俺は微笑して皆に言う。各自、勝手に肉を切って、勝手に食い始めていい、と。

 アルトリアとオルタ、双方があっという間に肉を切り取り、米と野菜を取って、いただきますとお行儀よく挨拶して食べ始める。
 その様から、食の好みが正反対のはずの二人が満足できているようで、俺はひとまず安心した。
 ネロも美味であると笑みを溢していた。うん、いい仕事をしたと満足しておく。

 暫し取り憑かれたように皆が黙って貪り続ける。ロマニが「ボクも食べたいな……」と呟いたが無視した。無理な話である。
 俺はそれを見守り、少ししてから手拭いで入念に手を拭き、手と口許をべとべとにしていたマシュに近づいて、口許を拭いてやる。

「あ……」

 恥ずかしそうに頬を染める。夜の焚き火に照らされていたから、その頬は橙色に染まって見えていた。
 旨いか、と聞くと、マシュはこくりと小さく頷く。言葉では言い表せません、と。

「先輩と、それから皆さんと一緒に食べてると、とても胸が温かくて……」

 そこまで言って、マシュは不意に、ぽろぽろと涙を流し始めた。
 辛い道程だ、溜め込んでいたものもあるだろう。俺はマシュを抱き寄せ、胸の中で嗚咽を溢すマシュの背中をそっと撫でた。

 時の流れはまったりとしていた。
 和やかな空気だ。
 やがて泣き止んだマシュは、すっきりしたような、照れたような、恥ずかしげな表情をしてありがとうございました、と頭を下げた。
 気にするな、と返す。誰もが通る道だからな、と。
 そう言うと、マシュは周りを見渡した。アルトリアとオルタ、ネロとアタランテ。それぞれが無言で、しかし目を逸らさずに苦笑していた。

 よし、食うか! と俺も食べ始める。モツの串焼きと葡萄酒を合わせ、ひとり堪能していると、アルトリアが物欲しげに見てきたが……

「悪いな、この酒はマスター専用なんだ」

 と言って断っておく。アルトリアは悔しげにしながらも、その食欲は衰えを知らず、ゆっくりと、されど確実に豚を食らっていった。
 ネロにもやれない。ネロはまだ現代の酒に慣れていないので、容易に酔い潰れるのが目に見えていた。

 肉を切り取り、米と野菜と一気に食べる。我ながら旨いと思えた。特にこの、かりっとした皮が堪らん。酒が進む進む。

「――なんというか」

 ふと、ネロが小さな声で言った。

「シェロの料理は、胸がぽかぽかとするな」
「……そうか?」
「そうだろうとも。シロウだからな」

 首をかしげた俺に、オルタがしたり顔で頷いた。
 ……わからん。気分的なものなら、それは受け取り手次第なので、俺には何も言えなかった。

 しかし、そういえば、昔にも同じことを言われた覚えがある。確かあれは――

 ――と、何かを思い出そうとしていた時だった。



「ふむ。これもまた、浪漫(ローマ)であるか」



 ――聞きなれぬ、されど無視できぬ声がした。

「……っ!!」

 最初に反応したのはアルトリアだった。瞬時に立ち上がり、聖剣を構え――それを、俺は目で制した。
 ちらりとロマニの映るモニターに目をやると、ロマニが慌てたように言った。

『そ、そこにはなんの反応もない! そこにいるのはなんだ!? まるで幻だぞ!』

 褐色の、見惚れるような偉丈夫であった。
 筋骨逞しく、されど物々しくなく。雄大で、偉大な英雄の存在感。……しかし、ロマニの言う通り、酷く儚かった。
 格としては彼の英雄王にも匹敵するものがある。俺はそれに内心圧倒されながらも、静かに手にしていたものを置き、冷静に誰何した。

「……何者だ?」
(ローマ)は、ローマである」

 その独特な物言い。ネロをみると、土気色の顔色で呆然とその超人を見ていた。

「……神祖、ロムルスか」
「如何にも。カルデアのマスターよ。(ローマ)が、ローマだ。そして――」

 こちらに歩みより、どっかと腰を下ろした超人は、並んで座っていた俺とネロを見据え、はっきりと言った。

「――聖杯に取り込まれ、暴走した(ローマ)が英霊としての(ローマ)を切り離し、そなたらの許に向かわせたのが、残滓(ローマ)であるこの(ローマ)である」

「……」

 俺は、とりあえず敵ではないとだけ理解し、酒を口に運んで、言った。

「……もう一度、分かるように言ってくれ」







 

 

全て、全て、全ての言葉はローマに通ずる






「――聖杯に取り込まれ、暴走した(ローマ)が英霊としての(ローマ)を切り離し、そなたらの許に向かわせたのが、残滓(ローマ)であるこの(ローマ)である」

 士郎は、とりあえず敵ではないとだけ理解し、酒を口に運んで、言った。

「……もう一度、分かるように言ってくれ」

「わ、分からぬのか!?」

 独特に過ぎる言い様に困惑しながら頼むと、なぜかネロが驚きながら反駁してきた。
 隣のネロを、ジト目で見る。分かるわけあるか、と言外に滲ませて。



 ――ふむ。これもまた、ローマであるか。

 ――ローマは、ローマである。

 ――如何にも。カルデアのマスターよ。ローマが、ローマだ。そして――

 ――聖杯に取り込まれ、暴走したローマが英霊としてのローマを切り離し、そなたらの許に向かわせたのが、ローマであるこのローマである。



 ……何回ローマと言ったのかはどうでもいいとしてだ。
 実際なんとなくニュアンスで判断できなくもないが、具体的に何を言っているのかはまったく理解できなかった。寧ろこれで分かれというのが無理な相談である。
 士郎は経歴柄、語学には堪能な部類だが、古文書の解読専門家ではない。名詞の殆どが『ローマ』とか、まともに話す心算があるのか甚だ疑問である。
 こめかみを揉みつつ士郎は神祖ロムルスに言った。

「すまない。そちらが何を言ってるのか、まるでわからない。出来れば俺にも分かるように話して欲しい」
「ぶ、無礼であるぞシェロ! 神祖に対してそのような――」
「よい、我が子ネロよ。それもまたローマである。その身が未熟であろうといずれローマの言葉の真意を悟れるようにもなろう」
「……」

 鷹楊に構えるロムルスは、その生来の余裕から全く士郎の物言いに気分を害した様子はない。……が、分かりやすく言い直す気もないようだった。
 流石に英雄王とタメを張れる格の持ち主。吹けば飛びそうな儚い存在感からすら、途方もない王気が衰えることなく発せられている。自我の強大さも英雄王に比するとは、感服するしかなかった。

 もう一度言おう。

 感服する『しか』なかった。

 これまでの経験上、ぶっちゃけ理解不能すぎて素面で相手するのは困難な部類だと判断せざるを得なかった。士郎は諦めたように嘆息し、酒を呷る。二度、三度。
 そして酒が回ってくる感覚に眼を瞑り、対面に胡座をかいて座す神祖の残滓に、酒を差し出した。

「……何はともあれ、駆けつけ一杯」
「うむ。有り難く頂戴しよう」

 瓶ごと呷りロムルスは豪快に飲み干した。まだ半分ほど残っていたはずだが……まあいい。気を利かしてくれたマシュが、せっせと武器庫から葡萄酒の瓶を二本持ってきてくれた。
 ありがとう、と言って受け取り、一本をロムルスに手渡す。彼は古代人には度の高すぎる葡萄酒にも面食らった様子もなく、いたって平然として舌鼓を打っていた。

「美味であるな。これはそなたの手製の物か」
「ああ。度数は平気なのか?」
「大事ない。ローマの知る中でも美酒の部類ではあるが、ローマの秘蔵する神酒には一手及ばぬ」
「……なんだと?」
「ふむ、矜持を傷つけてしまったか。だが、案ずることはない。そなたの腕は確かだ。問題は材料にある。神代の(ローマ)と、そなたの時代の(ローマ)では、同一の製法(ローマ)を用いても味わいに差が出てもおかしくはない。寧ろ神代を終えた未来(ローマ)でこれだけの物を手掛けられた己の腕を誇るがよい」
「……上があると知りながら、今に甘んじて向上することを諦められはしない。答えろローマ、じゃない神祖。その神酒の材料はなんだ」
「し、シェロ? なんの話をしておる? 今はそれどころでは――」
「だまらっしゃい!!」

 ネロが何やら言いかけてきたが、士郎はそれを掻き消すように怒声を発した。
 びくっ、と肩を揺らし、困惑しながらネロはマシュを見た。マシュは、重苦しい表情で、左右に首を振る。こうなった先輩は止められません、と早くも諦めモードだった。
 アタランテは嘆息して呆れていて。アルトリアとオルタは我関せずと豚を平らげることに夢中だった。しかし、まあ、いざとなったら即応できそうなのは、流石に騎士王ではあるが……。
 ネロは孤立無援であることを悟る。ここは空気を読んで、暫しマスターの先達と、偉大な神祖のやり取りを黙って聞いておくことにした。酔いの入った輩ほど面倒な手合いもいないからだ。

 やがて、神祖と酒について激論を戦わせ始めた士郎だったが、納得のいく答えを得られたのだろう。神祖に深々と頭を下げ、情報提供に感謝していた。

「神祖の博学ぶりには感嘆の念を禁じ得ない。よもや竜種の逆鱗と爪、デーモンの心臓と脊髄にそんな味が隠されているとは……」
「キメラの爪と、鳳凰の羽根、呪いを帯びた凶骨もよい養分となる。隠し味としては、ローマは虚影の塵が好ましい」
「!! では世界樹の種はどうだ? あれは食ってみたら活力が沸いてきた。気力も充実するから鬱を一発で解消させることも出来るはずだ」
「ほう、興味深い……鋭い見識であるな。なるほど、ローマである。ではローマも秘めたる知恵を開陳するとしよう。土の精霊の宿った根である聖霊根、そして二角獣の頭毛の中に隠れている小さな角が、神酒をより高みへと導く標となるのだ」
「なんだって……クソォ! 逆鱗と竜とキメラの爪、デーモンの心臓、竜牙兵の特に強い呪いを宿した骨しか持っていない……!! 畜生、こんな無念が他にあるか……!?」
「悔やむな。これから先、手に入れる機会はいつでもあろう。苦境に陥っても、その心を強く持てば、そなたもまたローマの真髄を得られるだろう」
「……!! 神祖!」
「うむ」

 不意に立ち上がり、がっしと手を取り合った士郎と神祖に、ネロはなんだか顔が青白くなるほど緊張していたのが嘘のように気が楽になった。
 なんだか、緊張していた自分がバカらしくなったのかもしれない。ふっ、と肩から力が抜けて、表情にいつもの余裕が戻ってきた気がする。

 士郎は武器庫に向かい、ごそごそと底の方を漁り始め、隠し床を開けて中から一つの壺を取り出した。
 濃厚な風味の薫る、神秘的な香り。アルトリアとオルタの目の色が変わった。ネロも、思わずその壺に眼を奪われる。
 士郎はそれらを意にも介さず、神祖の前まで戻り、壺を開けた。

「得難き知恵を与えてくれた礼だ。世界樹の種を使って作った肴だ。誰にも振る舞ったことはないが……俺の知るなかでは現状、最も旨いと思う」
「ほお……」

 差し出された壺を見て、中から一粒の種を手に取り神祖はその薫りを楽しむようにしながら、ゆっくりと口に運んだ。
 そして、神祖は始めて、沈黙する。

「……」
「……」
「……ローマである」

 ぽつりと溢した感想と共に、ロムルスは微かな笑みを湛えた。
 その言葉の意味を、士郎は理解できた。
 なるほど、これがローマか、と。

 完全に酔っていた。

「……ところでなんの話をしていたんだったか」
「ふむ? ……ふむ。さて、なんだったか」
「神祖!? シェロ!?」

 酔っ払い達は、やがて微睡むように薄く微笑みを浮かべ、座ったまま寝入ってしまった。
 ネロが泡を食ったように名を叫んだが、二人の耳には届かなかった。

 話が進むのは、夜が明け、陽が昇って二人が目を覚ましてからである。













「……で、だ」

 ひくひくと目元を痙攣させ、底冷えのする眼差しで見下ろすのは、眼前で正座し顔を俯けるアルトリアとオルタ、アタランテにネロ……そしてマシュである。

 本日は晴天なり。陽は既に高く、麗らかな日差しに包まれた森に、獣の遠吠えが木霊していた。

 昨夜、時間を無駄に浪費してはならないのに、ついうっかりと酔い潰れ、七時間もの間、熟睡してしまったのは不覚である。
 しかし、しかしだ。それはこちらの過失として認めざるを得ないが、かといって斯様な狼藉が許されるわけではない。

 俺は、空になっている(・・・・・・・)世界樹の種の入っていた壺を指差し、静かに、一切の感情を込めずに質問した。

「……誰が、俺のツマミを食った。怒らないから、正直に答えろ。正直に、だ」

 誰が予想するだろう。一晩、たった一晩だ。それだけで大事なツマミが全滅すると、もう泣きたくなってくる。
 この悲しみを、どうすれば解って貰えるだろう。俺は悲しみに打ち震えるしかない。

「お、怒っておる……絶対怒っておる……」
「あ? なんだって?」
「な、なんでもないぞ!? ほんとだぞ!!」

 あわあわと慌てるネロに、ガラス玉のように色のない目を向ける俺。
 もう一度、誰が食った、と繰り返し問うと、全員が全員、互いを指差した。

「なるほど……全員が犯人か」

 ビキビキと青筋が浮かぶ。凄まじい怒気に冷や汗を流す面々。アタランテの尻尾がへにゃりと地面に垂れた。
 俺は、ロマニに聞いた。

「ロマニ。一つ聞く。誰の霊基が(・・・)最も上がっている?」
『あ、あー……その、あまり怒らないであげて欲しいんだけど』
「怒る? 何を言う。俺は全く怒ってない。ただ事実確認をしているだけだが」
『あ、あはは……うん、ごめん無理だ。下手に宥めたらこっちに飛び火すると見た。だから観念してくれ』
「ロマニ!?」
「ドクター貴様ぁ!」

 裏切られた! みたいな反応をする容疑者筆頭達。ロマニは言った。極めて正直に。

『霊基が向上してるのは、青と黒の騎士王サマ方だ』
「やっぱりか」
『次点でアタランテ。魔力が充実してるのはネロくんで、あまり変化がないのがマシュだよ』
「……順当すぎて言葉も出んぞ」

 はあ。と、深く溜め息を吐く。びくりと露骨に反応する騎士王達。
 俺は、込み上げる様々な激情を飲み干して、そんな場合ではないからと、なんとか怒りを鎮めた。
 まず、マシュを見る。俺に怒気を向けられたことがなかったためか、酷く狼狽して怯えていた。
 手招きすると、びくびくとしながら立ち上がり、近づいてくる。ぬっ、と両手を伸ばし、マシュの柔らかいほっぺを摘まみ、限界まで引っ張って、ぱちんと離した。
 ほっぺを赤くし、あぅぅ、と痛そうにするマシュの頭に手を置いて、言う。

「今ので許す。次からは俺に断ってから食べなさい。いいな」
「は、はい……。その……ごめんなさい」
「うん。よく謝れた。そういう素直なところが好きだよ、俺は」
「ぅぅ……」

 次いで、ネロを手招く。ほっぺをガードしながら近づいてきたネロに、容赦なく拳骨を落とした。
 あいたぁっ!? と悲鳴を上げたネロに、悪戯をした子供にするように噛んで含める語調で告げる。

「叱られるとは思わなかったのか君は」
「余、余は皇帝だぞ……余を叱れる者などそうはおらん……」
「そうか。だがこれからは、悪いことをしたら誰からでも叱責が飛ぶと知れ。そして、悪いことをしたら言うことがあるはずだが?」
「う、うむ……すまぬ」
「あ?」
「ご、ごめんなさい! これでよいか!?」
「……まあいいか」

 焦っているためか、逆ギレしたように大声で謝り、頭を下げたネロに、とりあえず溜飲を下ろす。アタランテを見ると、ぎくりと肩を揺らして、すぐにでも逃げたそうな目をしていた。

「……」
「……ま、マスター。私は悪くない、それを彼に説明して欲しい。そうだ、私は悪くない! マスターが私に勧めたから仕方なくだな、」
「アタランテ」
「はい!」

 思わず飛び上がって応えた狩人に、俺は言った。

「主人の罪はサーヴァントの罪だ」
「そ、そんな理不尽が許されていいのか……!?」
「ギリシャ神話ほど理不尽な事例が多い神話もそうはないぞ。十秒動くな、それで許す」
「う、うむ。汝がそう言うなら、十秒動かない。それで許してくれ」
「ああ」

 頷いて、いきなりアタランテの尻尾を掴む。
 びくりと激しく体を揺らし、アタランテが動揺したように何かを言いかけたが、聞かずに尻尾を撫で回して、獅子の耳にも手を伸ばす。
 中々の毛並み、素晴らしくふかふかだ。
 十秒経つと手を離す。いきなりの暴挙にアタランテは腰砕けになってその場に座り込み、息も絶え絶えに艶めいた息を吐いた。

「せ、セクハラです先輩……」
「何を言うんだ。あれを見たら誰でも触りたくなる。仕方ないだろう?」
「……それは、まあ、確かに……」

 納得したような、しないような、曖昧な感じに首を傾げるマシュ。素晴らしかったから、隙あらばマシュも触ってみるといいと伝え、アルトリアとオルタを見た。
 どちらも明後日の方を見ている。目を合わせようとすらしていない。俺は特に何をするでもなく、二人に言った。

「両名に申し伝える。今後一ヶ月、飯抜きだ」
「!?」
「そんなっ、そんな無体な!?」
「慈悲を、シロウ、慈悲を!!」
「ええい、ならん! 縋り付くな鬱陶しい!」

 青黒騎士オーズが足元に縋り付いてくるのをはね除け、俺は裁定を終えた。
 そして、待たせる形となってしまった褐色肌の偉丈夫――神祖ロムルスに向けて頭を下げる。

「――すまない。一身上の怒りに駆られ、時間を取ってしまった」
「構わぬ。通すべき筋であった。我が子ネロにも良い教訓となったであろう」
「そう言ってくれると助かる。それで……少し時間を置いてしまったが、改めてそちらの真意を聞きたい。神祖ロムルス、一体貴方は何を以てして俺達に接触してきた?」

 居住まいを正し、これまでの空気を一掃するようにして訊ねる。一人、ロマニだけが『やっと話が進む』と嘆息していたことを俺は知らなかった。
 武装も何も持たない、ロムルスの残滓は常の余裕のある物腰を寸毫たりとも崩さず、静かに葡萄酒の瓶を呷った。

「カルデアのマスター……否、酒を酌み交わした以上は(ローマ)の友であると認めよう。その意気は、ローマに通ずるものであるが故に」
「彼の神祖に友と呼ばれることは誉れだ。恐縮してしまいそうだが……敢えて受け入れよう。対等の目線で物を言うことを許してくれるか?」
「構わぬ。その心は既に完成し、(ローマ)の庇護下にはない。故に直言を許す。非礼を許す。そして全てを許そう。エミヤシロウよ、(ローマ)の愛はそなたも包んでいる」

 故に、とロムルスはその雄大な体躯で、まっすぐにこちらに向いた。
 体格はほぼ同じなのに、呑まれそうになる存在感。それに気圧されぬよう腹に力を込めて対峙する。俺に、否、カルデアにロムルスは告げた。

「――対等であるからこそ、(ローマ)は憚ることなく忠告する。
 シロウよ。そしてシロウに従うサーヴァントよ。

 即刻、我が子ネロを置き、ローマの地より去れ。

 もはやそなたらに勝機はない。一時退却し、態勢を立て直した後に、帝都ローマに現れよ」

 ――その言葉に凍りついたのはマシュとロマニだけだった。

 士郎は、吟味するように神祖の言葉を反芻する。強張ったネロの顔は、何かを悟ったようで。騎士王達は纏う空気に電撃を帯びて緊迫感を露にする。
 見定めるように、アタランテは士郎とネロを見詰めた。

「――それは、どういう意味だ?」

 頭ごなしには否定せず、士郎はロムルスに訊ねた。感情的に何かを否定するほど子供ではないし、そもそも相手がロムルスである。決して、意味のないことは言わないはずだ。彼はネロを捨てていけと言っているのだから、断じて冗談を言っている訳がない。

「勝機がない、と言ったか。万が一にも?」
「そうだ。万が一にも、現状のそなたらに勝ち目はない。シロウが彼の光の御子を喚び出した時は、もしかするかもしれぬとは思ったが……我が子、カエサルによって彼の英傑は封じ込まれた」
「……ランサーが?」

 小さく呟く。あのクー・フーリンが、封じ込まれただと?
 ロムルスは、讃えるように言った。

「光の御子の武勇、神域の武人の中でも更に比類なきものであろう。彼の者の霊基が解放されたなら、(ローマ)が万全であろうと、一対一の決戦では遅れを取るやも知れぬ」
「……」
「だが、我が子カエサルとて皇帝の代名詞である。英雄としての格は決して引けをとるものではない。そして今のカエサルは、あらゆる意味で純化しているが故に、勝利の為ならあらゆる非道にも手を染めよう」
「……まるでローマで起こっていることを全て、把握しているような口振りだな」
「如何にも。(ローマ)は、ローマの全てを認識下に置いている。気づいておるだろう、今のローマは異界化しているのだと」
「……それは、お前の宝具か?」
すべては我が愛に通ずる(モレス・ネチェサーリエ)――(ローマ)の結界宝具である。それが聖杯により拡大変容し、ローマを包み、異界化させているものの正体だ」

 曰くレムスを自身の手で誅した逸話。血塗られた愛の城壁に由来する宝具だという。

 宝具としては、空間を分断する城壁を出現させることで壁の内側を守護するというもの。この城壁が、ロムルスの領域を覆い、透明な結界と化しているのだ。
 士郎とアタランテがローマに足を踏み入れた時に感じた違和感の正体がこれである。
 結界としての側面が強化、拡大されているため、城壁の形を失い文字通りの結界と化し、結界の内側はロムルスの体内に等しくなっているのだ。
 つまり、ローマ全てが聖杯に取り込まれ暴走する、ロムルスの知覚領域内であるということ。その規格外はロムルスのような強大な格の英霊にしか発揮できないものだ。

 ――あの魔の柱の者が、あっさりとこの特異点から立ち去ったのは、暴走するロムルスを止める手立てなどないと確信していたからか。

 だが、流石にロムルスがこうして暴走下にありながら、正常だった部分を切り離し、士郎らの許に向かったのは計算外だったろう。
 さもなければ、この邂逅はあり得ぬものだったに違いない。

「既に確かめたであろうが、(ローマ)の内にある限り遠く離れた者との意思疎通は不可能である。光の御子とのやり取りは出来ぬだろう」
「……カルデアとの通信は繋がるが?」
(ローマ)は、暴走していようと(ローマ)である。満身より力を込め、全霊を振り絞り聖杯に抗い、辛うじてそなたらへの妨害を弱めている。もしもそなたとサーヴァントを繋ぐ装置の完成度が今少し高ければ、離れた地にいるサーヴァントとも意思の疎通は行なえたであろう」

 流石に急造の念話装置では無理があったか、と今はネロの首に提げられている懐中時計を見る。
 確かに以前試したが、クー・フーリンとの連絡は取れていない。だが……令呪で召喚すれば、こちらに呼び戻すことは出来るはずだが……。

「不可能である。空間跳躍による召喚は(ローマ)といえど見過ごせぬだろう。(ローマ)の意思とは関わりなく、聖杯によって令呪の巨大な魔力を関知し、妨害することになる。空間跳躍は失敗し、無駄に令呪を損なうだけだ」
「……ランサーは今、どうなっている?」
「ゲッシュを破らされ、半身が麻痺し、それでも獅子奮迅の働きを以て我がローマを相手に互角以上に戦いを進めている」
「……」

 流石、と口の中で呟く。それでこそだ、と。
 だがロムルスは言った。それは本来のカエサルならば絶対に取らぬ外道の策である。

「カエサルは聖杯により、属性が反転している。言ったであろう、今のカエサルは非道な策であっても平然と実行すると」
「……?」
「ゲッシュを光の御子に破らせるに用いたのは奴隷の子である。光の御子は王族故に、大半の者が目下に位置する故、わざわざ奴隷の子を使ってゲッシュを破らせる必要はないというのに。なぜ、奴隷の子を用いたか、分かるか?」
「……おい。まさか」
「左様。カエサルは光の御子の気質が真っ当な英雄のものであると見抜いておる。故に奴隷の、それも子供であれば、ほぼ確実に保護する(・・・・)と確信していた。そしてそれは的中した。今、光の御子の戦車には、爆弾と化した(・・・・・・)子が乗っている」
「……ッ!!」

 歯を強く噛み締める。アタランテがぶわりと総身の毛を逆立たせ、激怒のあまり立ち上がった。
 ロムルスは、静かに言った。

「誤解なきように頼む。本来のカエサルならば、決して執らぬ非道の策だ。そして、既に手遅れである。たった今、爆弾は機能し、光の御子の戦車は破壊された。光の御子自身は辛うじて勘づき逃れたようだが、手傷を負い、更にはシャドウサーヴァントと、十万を超えるローマの子らに包囲され、カエサルも決めに掛かった。ここから逆転することは困難であろう」
「……ふん」

 そこまで聞いて、なおも士郎は鼻を鳴らした。
 あるのは、信頼。一度信じ、託した以上、その敗北はあり得ないと信じている。

「逆転は困難? 侮るなよ、ロムルス。奴は最強の槍兵だ。その程度の逆境、跳ね返すに決まっている」
「……ふむ。確かに、まだ勝敗は解らぬ。恐るべきは光の御子の生存能力であるか」

 ロムルスもまた否定しなかった。だが、意見を翻すこともなかった。
 仮にその場で勝利しようと、重大な手傷と呪いを受け、令呪の支援は届かず、空間跳躍による召喚が不可能となれば、あちらの勝敗の如何などこちらには関係がなくなってくる。――クー・フーリンは、士郎達の戦いには間に合わない。

 だがそれがどうした。

 あちらは任せた。こちらは任せろと言ったのは士郎である。であれば、もとより増援をあてになどしていない。彼は役目を全うしている。それを知れただけで充分だった。

「分からないな」

 だからこそ、士郎は挑むようにロムルスに言った。

「ランサーは俺達の戦いに間に合わない――そんなことは端から考慮しているし、そもそも過度に期待していない。不利は承知の上、それでもロムルスのもとにさえ辿り着いたなら、勝利することは絶対に不可能ではないだろう」
「左様である。確かに(ローマ)の許にさえ辿り着けたなら勝利できる可能性はあるだろう。しかしそれは叶わぬ目論見だ」
「……どういうことだ」
「天晴れなるは光の御子。(ローマ)はそなたらの妨害をほぼ片手間で行なっていたに過ぎぬ。進撃する光の御子に集中し仕留めようと全力を振り絞っていたが、彼の英傑を止めることは遂に敵わなかった。――そしてカエサルめが光の御子を実質無力化した以上、聖杯の一部として機能する(ローマ)が光の御子に注力することはない。……分かるか? これより先、(ローマ)は樹槍の力を最大限に駆使しそなたらの侵攻を阻むことになろう。そなたらが蹴散らしてきた一割(・・)のローマの津波など、比較にもならぬ質量だ。仮に一度、二度凌げたとしてそれ以降が続くと思うか?」
「……それは、無理だな」

 士郎は苦々しく、素直に答える。

 ここまで来るのに見てきた枝葉の津波が、たったの一割程度……? それが、残りの九割加算される?
 ……確かに何度かは凌げる。聖剣の火力は聖杯ごと神祖を打ち倒せるほどのものだ。
 だが何度も使えるものではない。波状攻撃を仕掛けられれば、たちまちの内に魔力切れとなり、あっさりと呑み込まれるだろう。聖杯のある帝都ローマに辿り着くことすら出来ない。

「……だが退いてなんになる? 一旦カルデアに戻って、帝都ローマにレイシフトし直す……無理だ。魔力が渦巻き、特異点の中心地と化した場所に直接乗り込むのは、現段階で不可能になっている。そうだろう? ロマニ」
『……ああ。その通りだ。今現在の帝都は、もう観測すら出来ない状態になっている。そこにレイシフトを試みたら、意味消失は免れない』
「そうか。だが、その魔力の渦を一時、解除する手段があるとすれば――どうだ?」
「なに?」

 そんな手段があるというのか。思わず反駁した士郎に、ロムルスはそれ(・・)を口にする。
 空気が凍ることを、言った。



「我が子ネロを差し出せとはそういうことだ。

 ネロを取り込めば、ローマは滅び、特異点は完結する。だが、一瞬のみ、ほんの短時間のみなら、人理焼失を食い止めることが出来よう。役目を果たした聖杯を(ローマ)が掌握し、ほんの一時のみ猶予を作れるのだ。

 なれば、そなたらは直接帝都に乗り込み、聖杯を持つ(ローマ)に挑む機会を得られよう。戦いは避けられないが、そうすることで初めて勝機を見い出せる」



 その言葉に。

 士郎は沈黙し目を伏せた。
 苦しく、痛く、重い沈黙。ネロは意を決したようにロムルスの許に歩み寄ろうとし、咄嗟にアタランテがそれを止めた。

「マスター! 惑わされるな、()の言を鵜呑みにしてどうする!」
「そうは言うがな、アタランテ。余にはどうにも、他に策があるとは思えぬ。ならば神祖の申し出を受けることこそが、ローマ皇帝として、カルデアのマスターとして執るべき方策ではないか?」
「そんなことはない! 私はマスターを見殺しにはできない!」
「そうか。短き関係ではあったがそなたの忠義、嬉しく思う。――令呪を以て命じる。余を止めるな、麗しのアタランテよ」
「マスター!!」

 絶対命令権を行使され、アタランテの手は離された。
 ネロは、士郎達を見る。そして渾身の笑みを浮かべた。

「とまあ……そんな訳で余はこれよりそなたらの勝利に賭けるチップとなる。頼むぞ、余が無駄死にでなかった証を立ててくれ。余は、そなたらを友と思う。それと……アタランテを頼む、余の大事な臣下だ」
「……ふむ。では、それでよいな、シロウ」

 ロムルスが、最後の確認のように言った。

 それに。

 シロウは。

 アタランテが怒号を発するのに耳も貸さず、マシュを。アルトリアを。オルタを見た。
 察し、それでこそと笑みを浮かべる少女と、御意のままにと微笑む騎士王。ここぞという時には甘いな、と黒い聖剣使いもまた冷たい美貌に微笑みを浮かべる。
 そして、士郎は言った。

「――ネロを差し出せ、だって?」

 顔を上げ、決然と士郎は吠えた。



「 断る!! 」



 驚いたように目を見開くネロを傍らに、ロムルスが破顔して、満面に笑みを浮かべた。

「それでこそだ。まこと――快なり!!」

 ロムルスは、神祖は――合理を蹴飛ばす不屈をこそ望んでいた。







 

 

灯せ、原初の火





「こ――断る、だと?」

 ネロ・クラウディウスは、恐らくこの生涯で最たる驚愕に貫かれていた。
 極限まで詰め(・・)られた盤面を見せられ、打つ手はないとはっきりとした。その上で打開策を提示され、もはやそれ以外に手はないと思われた。
 であれば、短い付き合いだが、合理的な戦術を好むシェロ――衛宮士郎は、その策を採択すると思っていた。情に厚いが、しかしどこまでも冷徹に成りきれる男だとネロは見定め、事実それはその通りであった。
 だのに、この男は力強く、はっきりと神祖ロムルスの差し伸べた手を払った。そして神祖はそれを快なりと受け入れ満面に笑みを浮かべた。
 なんという不合理。万能の天才を自負するが、未だ発展途上の才覚と器。その選択の由縁が解らず、真意を問い質そうとして――はたと。ネロはシェロの瞳を見て、全ての疑問が溶けてしまった。

 ――美しい、蒼穹の空。

 男の中に、その心象を見た。見てしまった。故に、己の疑問は無粋であると感じて。何より美しいものを尊ぶネロは、不意に肩から力を抜いて苦笑した。
 やれやれと嘆息して。それでも気になったから、無粋と知りつつ敢えて問いを投げた。

「一応、聞いておく。シェロ、なぜだ? なぜそなたは自ら勝機を手放さんとする」
「愚問だな。それは俺の目を見開かせたお前の責任だぞ」
「余の?」
「俺は――後悔しない(・・・・・)。悔やまず己の生を全うする。ネロ、お前は俺を友だと思っていると言ったな?」
「……うむ。確かに言った」

 苦笑を、微笑に変えて、ネロは真実心からの笑みを口許に刷いた。

「俺もそうだ。友情と愛情に時間の長さは関係ない。ネロ、お前を友だと思っている。だから見殺しにはしないし、出来ない。お前は自ら友と呼んだ俺に、『友を見殺しにした』と後悔させる(・・・・・)つもりか?」
「……参った。一本取られてしまったか」

 嬉しげに、しかし困ったように、ネロは眉尻を落とした。

 ネロ帝は貴族よりも市民を第一として施政を行なった。愛を持って。ネロの渾身の愛で。
 しかしその愛は、市民の求める物ではなかった。通じ合えなかったのだ、ネロとローマ市民は。
 そのことを薄々と感じていたからネロは――こうして自らの『愛』が通じた存在に、途方もなく巨大な歓喜を覚え、心の底から震えてしまったのだ。
 これは……誓って言えるが、断じて、断じて恋愛感情などではない。そのような低俗なものではない。ネロは今、今生のあらゆる友よりも強い『友情』を、高尚な心のうねりを感じていた。

 出会った時期。
 過ごした時間。
 そんなもの真の友情の前には全く関係ないのだと、ネロは悟った。

「まったく、泣かせるでない。余は……嬉しい」

 眦に滲んだ滴を誤魔化しもせず、ネロは素直に胸の裡を明かした。
 それに微かに照れた男を、友として慈しみの目で見る。そしてネロは神祖に向き直った。
 精一杯の敬意と謝意を露に、しかし毅然と告げる。

「誉れ高くも建国を成し遂げた王、神祖ロムルスよ。すまぬが、余は友を後悔させる訳にはいかぬ。一度はその思慮に傾いておきながら勝手ではあるが、どうか余が彼らと共に行くのを許してほしい」
「赦す。元より(ローマ)は快なりとお前達の答えを受け入れている。代わりに、名乗れ我が愛し子よ」

 それは、荘厳なる誰何であった。
 厳かにネロは応じる。それに答えないわけにはいかないと、その魂が薔薇の皇帝に名乗り上げさせた。

「――余は、余こそはローマ帝国第五代皇帝であり、そしてカルデアのマスターである。ネロ・クラウディウス、永久なるローマのため、この身を人理修復の戦いに投じる覚悟がある!」
「……うむ。愛し子よ。(ローマ)はその目と声を聞きたかった。ならば、躊躇うことはない。ローマは世界である。故に、世界は永遠でなくてはならぬ。(ローマ)はそなたらに賭けよう。そなたらこそが、魔術王ソロモンの企みを打ち砕くものと信仰する」
『ソロモンだって……!?』

 不意に出た名に、ロマニの驚愕に染まった反駁が返る。
 それには答えず、ロムルスはネロの手にある隕鉄の赤い剣に手を翳した。
 そのらしくない性急さは、もはや一刻の猶予もないことをこちらに教えている。

 だがロムルスの余裕はなくならない。雄大な愛と慈しみの眼差しで、ロムルスは『皇帝特権』を行使した。

「ネロ・クラウディウス。残滓である(ローマ)に出来るのはお前の裡にあるローマをカタチとし、皇帝足る特権を――サーヴァントのスキルを生者であるお前に与えることだ」
「これは――」

 ネロに与えられたのは、皇帝特権のスキル。生身であるが故に、サーヴァントのクラス別スキルも、サーヴァントとしてのスキルも持たず、才あるとはいえ剣士としての力量は下の下だったネロに戦う力を与えるものだった。
 他者に、スキルを与えるその規格外の特権は、真実EXランクの皇帝特権。
 影の国の女王が持つ魔境の叡知が、女王の認めた英雄にのみスキルを与えることが出来るのと同じ。ロムルスはネロを英雄と、皇帝と認めたのである。

「……友よ。すまぬが、(ローマ)に余分な力はない。既に完成しているその身に、(ローマ)が与えるものはない」
「端から求めていない。ただまあ……また機会があれば頼む。あって困るものではないからな」
「ふ……強かであるな。そして、だからこそ託そうとも。ローマの命運を。そなたらの戦いが世界(ローマ)を永久のものにすると(ローマ)は固く信ずる」

 その体が幻のように薄まり、消えていく。カルデアの計器に相変わらず反応はない。
 元々が幻だった。奇跡のような邂逅だった。そしてだからこそ必然の出会いだった。
 最後に、ロムルスはネロの剣『原初の火』に炎を灯す。それは、この戦いの行く先を占う希望の火。

「――帝都で待つ。その炎を、決して絶やすな。(ローマ)の樹槍は、その炎を、愛し子のローマたる気概を愛し、肯定するだろう」
「感謝を偉大なる神祖。誉れ高き建国の王。余は必ずやそなたの待つ帝都に辿り着き、神祖の暴走を食い止めよう。余には頼もしい友と臣下がいる。彼らは強者だ、必ずや成し遂げる、今度こそ!」

 ネロの宣誓に、『原初の火』の炎は一層、激しく燃えた。

 それを見届けて、残滓であるロムルスは光の粒子となって消えていった。





 

 

第一節、その体は

第一節、その体は




 I am the bone of my sword.(体は剣で出来ている)






「……?」

 霧煙る都、その地下深く。
 人理焼却の錨が一柱足る男は、本来己の担っていた計画を恙無く進行していた。

 聖杯を用い手駒となるサーヴァントを幾人も召喚。聖杯によるカウンター召喚によって現れた野良のサーヴァントに対する策を練りつつも、それに拘泥することはなく、あくまで自身と手駒による直接戦闘は避けて、秘密裏に事を推し進めていた。
 野良のサーヴァントは、戦闘に特化している知恵の足りない愚図か、或いは作家として名を馳せた程度の雑魚でしかない。こちらから下手に戦いを仕掛けない限り、連中はこちらの計画の全貌を知ることもなく特異点ごと焼却されるだろう。

 第二特異点に於いて、Mと名乗った男は、自らが担当する第四の特異点でも同様に名乗り、あくまで自らを表す記号(なまえ)を伏せ、人理焼却のために持てる能力の全てを費やしていたのだが……。

 ふと、彼は自身が立ち去った第二特異点のことが、嫌に気にかかっていることに気づいた。

「……」

 何か、見落としている。その予感。
 永く生きている内に自然と身に付いた、ある種の直感のようなもの。
 男は自らの疑念を捨て置かなかった。元々が勤勉であり、生真面目な学者肌の男である。生じた疑問を捨て置くことを、彼の性格が許さなかったのだ。
 手にする聖杯を使い、第二特異点の人理修復に奔走するカルデアの勢力を観測。リアルタイムで進むやり取りを聞いて、男はぴくりと眉を跳ねた。

 カルデアは、何故か、男が従う魔術王について言及し議論を戦わせていたのだ。

 ――なぜ、奴等が魔術王の存在を知っている……?
 観測している映像の時間を巻き戻し、観測する。すると、彼らが聖杯によって暴走しているはずの神祖ロムルスと接触している光景が見えた。

「……侮ったというのか。私が、神祖を」

 それは、万事に対して周到に事を進める男には考えられない失態だった。
 男はその神祖が、聖杯に取り込まれ暴走している神祖の残滓に過ぎぬと一目で看破していた。そして、ただの人間に過ぎなかった皇帝ネロが、ロムルスにより強化され、一個の戦力として確立されたことも見抜いてのけた。
 だがそれ以上に、今更のように気づく。ネロ・クラウディウスの姿が、はっきりと見えないのだ。

 それは人理焼却を免れたカルデアに所属する者。マスターの衛宮士郎と同一の反応。魔術王の力を以てしても干渉が困難な、焼却された人類史にこびりつく特異点。
 もしや……あの女狩人のマスターは、衛宮士郎ではなく、ネロ・クラウディウスなのか?

「……」

 魔神柱に変じ、敢えてリスクを犯して彼らと接触した時。男はネロ・クラウディウスを取るに足りぬ存在と決めつけ、全く観察していなかった。新たに増えていたサーヴァントも、衛宮士郎のものだろうと考えていたのだ。それが、誤りだったと?
 少し注意すれば、すぐに気づけただろう。男の目は節穴ではない。カルデアの始末に失敗するに飽きたらず、第二特異点のサーヴァントすら御せず野放しにしていた無能のレフ・ライノールとは違う。油断も、慢心も、遊びもなかった。
 なのに何故、男はネロ・クラウディウスの存在が変容していることに気づけなかったのか。



 ――なあ、おい。お前もレフと同じで、人間が変身した奴なのか?



 脳裏に過るのは、人理焼却に抗う愚か者の声。自らに問いかけてきた不敵な顔。



 ――だとしたらなぜ人類史の焼却なんて馬鹿げたことに荷担する? 愚かに過ぎる、傲慢に過ぎる。人の歴史を途絶えさせようとするばかりか、なかったことにしようとするとは。増上慢も甚だしい、そうは思わないのか?

 ――神にでもなったつもりか? それとも、人を粛清することに大義でも見い出したのかな? いや人の未来に絶望したアトラスの錬金術師の可能性もあるか……。

 ――だとしたら更に度し難い。己の手前勝手な絶望に人類全てを巻き込もうとするなど餓鬼にも劣る。ああ、流石にそれはないか。人類を滅ぼそうとするほどの悪党が、そんなちっちゃい輩なわけがない。だとすると他に考えられるのは……誰かに唆された道化かな。



「……そうか。貴様か」

 不覚だった。あんな、安い挑発に気が昂った己の未熟。あの時、男は衛宮士郎を憎んだ。あの男に反論しようとしてしまった。
 その隙を突かれ聖剣に薙ぎ払われたのだ。ネロ・クラウディウスなど眼中にもなかったのが災いしたことになる。
 男は己の不明を認めた。そしてロムルスがなんらかの手をカルデアに加えた以上、第二特異点が修復される可能性が出てきたことを認めざるを得なかった。
 その可能性を計算する。彼らの勝利に至る確率を想定する。
 確率は、一%かそこら。
 到底、絶対的オーダーの組み込まれた聖杯に支配される神祖に勝利できるとは思えない。

 しかし――

 マスター化し戦力となったネロ帝と、ロムルスが与えたとおぼしき火の力。
 そして、ほぼ瀕死となりながらも、シャドウサーヴァント数騎を討ち、性質の反転したカエサルを屠ってのけた光の御子。
 一日と半日もの激戦の末。彼の英霊は灰色の愛馬に跨がり、朱槍を右手に持ってカエサルの『黄の死』に切り裂かれた傷を物ともせず、生き残ったローマ軍の追撃からギリギリの所で逃れている。黒い馬に跨がった巨漢が主人を逃がすため、シャドウサーヴァントを足止めしている姿も見えた。

「……万が一が、あるかもしれぬ、か」

 枝葉の津波は、ネロの持つ隕鉄の剣に灯った火を避け、帝都に向けてひた駆けるカルデアの面々を遮れずにいる。神祖の樹槍が、その火をロムルス――自らの担い手と誤認し、圧倒的質量で押し潰すのを避けているのだろう。
 道中の魔猪、獣の戦士、キメラも一蹴されていた。破竹の勢いと言える。この勢いはえてして奇跡を呼び込む類いのものだった。

 ――よかろう。貴様らを、障害と認識する。

 故に策を講じるのだ。
 言葉に出さず、男は聖杯を使う。
 干渉するのは第三特異点。第二特異点に対して、男が出来ることはもうない。元々、あれは男の担当ではなかったのだ。レフがしくじった為に、その皺寄せがこちらにまで来ている。
 有能な敵より、無能な味方の方が厄介だな……。男はひとりごちながら、愚かなサーヴァントの船に召喚されるサーヴァントを弄った。
 狂戦士は物の役にも立たぬ無能であると身に染みて思い知った。サーヴァント――英霊はその知性と経験を十全に発揮してこそ有能な手駒となるのだ。それをダレイオス三世の醜態と、卓越したカエサルの手腕が証明している。
 故に、狂戦士は取り除く。しかし、かの大英雄に理性があれば、人理焼却に荷担するとは思えない。

「……ふむ。ならば、復讐者としての側面を強化し、在り方を歪めて召喚すればいい」

 反転ではなく、歪曲。その力業を、聖杯は可能とした。
 男は更に、頭を捻った。
 仮に第二特異点を突破したとして。
 あり得ないが、第三特異点で立ち塞がるサーヴァントを打倒できたとして。
 確率はゼロに等しい。それでも、悉くこちらの策を潜り抜け、男の担当する第四特異点にまで辿り着いてきたなら……。

 ――衛宮、士郎。

 侮れる敵では、ない。
 彼はともすると第四特異点のはぐれサーヴァントを取り込み、こちらの計画を探り当て、この眼前に立つ可能性がコンマ一程度の確率で考えられた。
 であれば、だ。僅かでも可能性があるならば、それに対するカウンター手段を講じなければならない。

「……計画を変更するか……?」

 顎に手を遣り、思索する。
 幾らか順序を前倒しにし、計画を早める……ダメだ、確実性を損なうのは危険。
 ならば付属出来る要素を探り、利用するか? それも愚策。詰められた計画に、後から余計な手を加えるべきではない。
 いや……だが……。

「……緻密な計画は繊細で、単純な力押しに弱い。今の計画では万が一、カルデアに露見した場合、頓挫する可能性は極めて高い……」

 ぶつぶつと思考を呟く、若い頃の癖が出た。
 男はそれに気づかず、続ける。

「いっそのこと、私の主導する計画の概要はそのままに、ある程度構造に遊びのある、自由に弄れる部分を残した計画を新たに練るか? ……この国には未来に甦る王がいるとされる。それを利用……いや、しかし……待て、星の開拓者を狂化し、装置として運用出来れば……。……無理だな。英霊を軽視出来るほど私は大層な存在ではない」

 男の視線の先には聖杯によって写し出された、赤黒い肌の巨漢。頭からネメアの獅子の毛皮を被った、異様な風体の復讐者。
 更に転じ、進行するカルデアの面々を見て、男は露骨に舌打ちした。無能な味方の失敗のために、こうも頭を悩ませる羽目になるのは腹立たしいことだった。
 ――計画をどうするかは、もう少し煮詰めて考える必要がある。いきなりの変更は無理があった。
 時間がいる。思考するための時間が。それを作るためにも、カルデアの妨害に力を傾けた方が、現段階では建設的かも知れない。

「第二特異点の担当権を、一時とはいえ担ったが故の力業を押し込むか……」

 第二特異点に対して出来ることはない。だが、こちらが召喚したサーヴァントを、一騎新たに送り込む余地ぐらいはあった。
 どうするか。男は頭を悩ませ、決断した。

「……理性ある戦いに狂戦士は不要。しかし場を引っ掻き回すのには有用だ。

 ――レフの置き土産、精々利用させてもらうとしよう」

 男は一切の理性を残さぬ極大の狂化を施した、フンヌの戦闘王、神の鞭の第二特異点への投入を決定したのだった。







 

 

第二節、その心は



 Steel is my body, and fire is my blood.(血潮は鉄で、心は硝子)






 ジンクスがある。嫌なジンクスだ。

 何年か前の話だ。借金で首が回らなくなった遠坂をからかうのが楽しくて、調子に乗りすぎた結果、真冬のテムズ川に突き落とされたことがある。
 絶倫眼鏡の修羅場を焚き付けて遊んでいたら、逆に修羅場に巻き込まれて痛い目を見たり。ヤクザな姉御とその娘さんの仲を揶揄し、娘さんが暴走するのを楽しく眺めていたら姉御に殺されかけたり。赤原礼装を譲って貰ったお礼に、好物だと前々から聞かされていたカレーを振る舞ったら監禁されかけたり。

 ――とかく俺が調子に乗った時、或いは物事が上手く軌道に乗り始めた時に限って、手痛いしっぺ返しが必ずあった。

 今回もそうなのだろう。順調に事が進み、帝都まで後一日という所まで迫るや、ロマニが慌てたように通信を入れてきた。
 俺はうんざりと溜め息を吐く。またか、と。テムズ川に突き落とされて以来続くこのジンクス。これを遠坂の呪いと名付けても許されると俺は思った。

『――皆、大変だ! 前方に巨大な魔力反応が発生した! 気を付けてくれ、この反応はサーヴァントのものだ! 敵か味方か分からない、ここは慎重に――』
「敵だ、ロマニ」
『え? 何を根拠に敵だって言うのさ!?』
「根拠も何も……こうもあからさまに殺気をぶつけられたんじゃ、誤解しようもないだろう」

 相変わらず見晴らしの悪い樹林である。その新たなサーヴァントの姿は、雑多な枝葉に遮られて影も形も見えやしない。
 だが、この全身を強かに打ち据える殺意の波動を受けて、「これは味方だ」なんて誰が思えるものか。
 それに、帝都まで後少しという嫌らしいタイミングでもある。敵本拠地の間近で都合よく新しい仲間と巡り会うなんて幸運があるはずもない。

 そのサーヴァントは敵だと断定する。

 しかし、断定しながらも疑問が湧いた。

 新たな敵戦力の投入……冷静に考えると違和感を呼んだ。何故今更になって? と。
 確かに効果はあるが、戦力の逐次投入は戦術的に下策だ。もっと適切なタイミングは幾らでもあっただろうに、何を考えている。
 人理焼却の黒幕、その容疑者が魔術王ソロモンと目されている今、あの魔の柱の名称は仮に魔神柱とされた。もしあの魔神柱がサーヴァントと共に現れていたら、不意打ちの聖剣は通じなかった公算が高い。そうなればこちらは危機的状況に立たされていただろう。それ以外にも、幾らでもこちらを襲撃するタイミングはあった。不意打ちを狙うなら、神祖と酒を酌み交わしていた時など絶好の好機だったはずだ。
 何故、今なんだ? 帝都まであと一日まで迫ったところで、今更戦力を神祖と別けて投入する意図が解らない。

 ……筋道を立て、論理的に考える。

 まず、この手を打った者は、根本的に戦争のための戦術を理解していない節がある。
 俺の経験上、魔術師などの理論が先立つ学者タイプに似ているような気がした。
 戦争は得手ではない、しかし頭は回る……典型的な理論派、感覚よりも数値を重んじる打ち手……。荒事が苦手なのは間違いない。さもなければ神祖と別けてサーヴァントを投入する訳がない。

 ……いや、過小評価は危険か。行動の一つ一つに意味を持たせ、無駄なことはしないと考えた方がいい。

 戦力を別ける意味……パッと思い付く魔術師らしい思考の癖を沿う。
 例えば人形を使い魔として用いる、工房に閉じ籠る魔術師が、己の使い魔を同士討ちさせないために打つ手法。……これを仮にサーヴァントに当て嵌めて考えると、神祖と新手のサーヴァントは別口の召喚である線が浮上する。もしそうだったら、神祖にも無差別に攻撃するかも知れない。だから別けた?
 ……強引な説だが、そのサーヴァントが物の分別のつかない狂戦士のサーヴァントだとしたら、筋が通らないこともない。他に考えられることもほぼ有り得ないと切り捨てられる故に、この仮説を下地にもう少し切り込んで思索する。

 この特異点にある聖杯でサーヴァントを召喚したなら、神祖は無条件に味方としてサーヴァントの霊基に刻まれ、余程の条件が揃わない限り狂戦士であっても同士討ちはしないはず。
 ならば考えられるのは、神祖を取り込んだのとは別の聖杯を用いての召喚だが……そうなると、何者がこのサーヴァントを召喚したのか容易に察せられた。

 魔神柱の状態でこちらを襲撃し、俺達を観察した『人間』である。

 手を上げてチームに停止するように指示しつつ、その思考をトレースし、プロファイリングする。
 荒事を専門としない、理論派の魔術師。戦術は不得手だが頭は回る。わざわざこちらを直接観察に来る慎重さと大胆さ、手の早さから無駄を好まない合理的な性格と思われる。
 この第二特異点だけに舞台を限定して考えてはならない。相手はこちらがレイシフトするのと同じで特異点から別の特異点に移動する手段を持っているのだ。
 そこまで考えて、一歩思考を下げる。
 なんの為に神祖と新手のサーヴァントを別けたか。この理由を仮に違う聖杯を用いての召喚だからだとする。
 相手が別の特異点で活動している輩とすると、俺達がしくじらない限り、いずれはカルデアとぶつかるのは確定的である。
 であれば相手は盤面の向こう側にカルデアを想定して動くようになる。ならこれまでにも活動していたとして、その活動の方針を転換することも考えられた。そうすると、一度は思考をリセットするだろう。そして、慎重な性格ならゆっくりと考える時間を求める。するとまず、何をするか。

 ――盤面の向こう側。相手の打ち手を止めるため、妨害の一手(・・・・・)を打つ。

「……」

 仮説に仮説を繋ぎ合わせ、違和感の少ないピースをすかすかの仮説に組み込んで、辛うじて見られるパズルを作った。

 それを改めて離れた視点から俯瞰し、この仮説の正確性を客観的に分析すると――不思議と。全くの見当外れとは思えなかった。
 えてしてそういった感覚は、理論を超えて真理に至ることを俺は知っていた。
 少なくとも的外れではない、その確信が思考を澄み切らせる。

 ――このサーヴァントは、こちらを襲撃し少しでも時間を稼ぐ目的を持っている……。いやそんな半端を好む手合いではない。
 討てるなら討つ、そのための強力な一手だろう。今の俺達にとって時間は敵なのだ。こちらの居場所が相手に割れていると思われる以上、敵サーヴァントを避けていられる余裕はない。躊躇わず戦闘に入り、迅速な撃破を望んでいると相手が読んでいるとしたら、正面戦闘に強い三騎士か騎兵のサーヴァントを放って来るに違いない。
 そして相応の格を持つ英霊というのは、一部例外を除いて世界の存続を望んでいるはずだ。であれば抜け目のない打ち手のすることは限られる。手駒の反逆を防ぐため、主人に歯向かえるだけの理性を殺す狂化を付与することだ。

 ――嫌な敵だ、と思う。

 厄介なのは、ここまで全ての推論が的中していたとしても、こちらに打ち返せる手がないことである。相手の目論み通りにしか動けない、後手に後手にと回らされている感じがした。
 こと勝負事に於いて、後手に回るばかりで反撃もできないとなれば敗北は必定。何か、相手の意表を突く必要がある。
 これはと思う妙手は浮かばない。仮説が正解だったと確認できたらまた話は違ってくるのだろうが、今はそれどころでもない。今は目の前の問題に対処するのに手一杯だ。



「……一日だ。後、一日で帝都に到達する。そうだなロマニ」



『あ、ああ。その通りだよ』

 ロマニに確認すると、戸惑い気味に肯定が返ってくる。下手に戦い、損耗を強いられるのは面白くない。俺は最も攻撃力に長けたオルタに指示を飛ばした。

「オルタ。聖剣解放」
「承った」

 言うと、オルタは腰を落とし、腰溜めに黒い聖剣を構えた。それに合わせたわけではないが令呪を起動、システムを稼働させる。
 ロマニがどこか諦めたように問いかけてきた。

『も、もしかして、もしかする感じかな……?』
「さあな。ただ、聖剣の射程圏にサーヴァントを捉えた瞬間、オルタの一撃で消えて貰うだけだ。今は悠長に構っていられる余裕はない」
『そうか、そうだよね……一日あれば使った令呪も回復する、なら使い惜しむ理由はない……』
「解って来たじゃないか」
『あはは……その容赦のなさが素敵と思い始めたボクはもう駄目かもしれない……よし、なら未確認のサーヴァント反応の位置を伝えよう。そちらからは樹林が邪魔で姿が見えないだろうからね』
「頼む」

 言って、オルタの肩に手を置き、耳元に口を寄せて囁いた。
 ――避けられるかもしれない。威力は落としてもいい、横薙ぎ(・・・)で広範囲を焼き払えるか?
 その要望に、オルタはフッと嗤った。
 撃破出来ればそれで良し。仮に回避されるなりしても、樹林を一掃し見晴らしを良く出来る。こちらの力を十全に発揮できるフィールドを一手で整えられる上手い手です、シロウ。

 オルタの小声の賛辞を、端的に切って捨てた。

「おべっかを言っても断食は取り止めないからな」
「……チッ」
「オルタ? 貴女、今私を出し抜こうとしませんでした?」

 アルトリアの問いかけにオルタは答えず。ロマニのカウントダウンが始まった。

『目標、五時の方角、五百メートル前方。速度から逆算するに聖剣の間合いに入るまで後五秒、四秒』

 宝具解放。セイバーのサーヴァント、アルトリア・オルタを指定。

『三秒』

 オルタ。聖剣を解放し、

『二秒』

 聖剣の間合いにあるモノ全てを、

『一秒』

 薙ぎ払え。

「――約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)!!」

 黒い極光、暴竜の息吹が解き放たれる。
 地獄の淵より鎌首をもたげる竜の首、鬱蒼と生い茂る木々を塵芥とする死の吐息。星の光を束ねた究極の斬撃は、確実に一帯を更地と化させた。

「……おい」

 俺は、それ(・・)を見て、目を細める。

「……エクスカリバーは聖剣のカテゴリーの頂点に位置する最強の対城宝具だったはずだな?」

 返るのは、不快げに姿勢を戻した黒い騎士王の答え。
 如何にもその通りである、と。特にオルタの攻撃力は、通常の騎士王よりも上回る規模のそれ。

「ならそれを相殺したあれ(・・)はなんだ? 英雄王の乖離剣なのか?」

 星の聖剣を上回るのは、原初の王が持つ乖離剣のみ。星造りの権能を宿す絶対の一だけのはずだった。

 ならば。

 拓けた地形、照り輝く日輪を背に。
 真紅の原色の剣、しなる鞭の如き斬撃――空間切断に近しいそれを為したのは何者なのか。
 オルタは断言した。

「私が万全ならば、あの忌々しい金色の王以外に、聖剣を相殺されるような無様は晒しません」
「……」

 そこで、はたと俺は思い至った。
 今のオルタ――いやアルトリアもだが、マシュも、アタランテも、そしてクー・フーリンまでもがカルデアの召喚システムの都合上、霊基を縮小された状態であった。
 ロマニが言いにくそうに口を挟んでくる。

『……あのだね。士郎くんは、初期レベのパーティーを率いてここまでのステージをクリアしてきたようなものなんだ。うん、つまりそろそろ火力が足りなくなって来たんじゃないかなって……』
「……仕方ないだろう、時間がなかったんだ。霊基再臨のための時間が取れなかったんだ」
『うん、ぶっちゃけ初期レベ縛りでそこまでいった士郎くんは異常だと言いたい。オカシイのは騎士王サマ方の火力とクー・フーリンもだけど。――でも、それもここまでみたいだ。どうするんだい、士郎くん』

 どうするもこうするもあるか、と吐き捨てる。

 悠然とこちらに近づいてくる、褐色の肌の女。白いローブ、短い白髪、肌に走る白い線。
 無機的な、破滅的な虚無の眼差しで、狂気の欠片もなく狂った狂気の塊。
 観測される霊基の規模はこちらのサーヴァント全員を束ねたものよりも強大だった。

 圧倒的なまでの威圧感。魔力の波動。三つの原色を連ねた鞭のような剣。

 疑いの余地なく大英雄の風格だった。冬木の聖杯戦争に参戦していても、なんら遜色のない傑物である。
 それを前に、俺は覚悟を決めて、黒弓を取って投影宝具を装填した。

「――斯くなる上は、正面から打ち破るのみ!」






 

 

第三節、不破不敗




 I have created over a thousand blades.(幾度の戦場を越えて不敗)

 Unaware of beginning.(ただの一度の敗走はなく)

 Nor aware of the end.(ただの一度の勝利もなし)






 砂利をこれみよがしに踏み締め、投影宝具『赤原猟犬』を放たんとしていた士郎の前に出たのは、『天穹の弓(タウロポロス)』を構えた純潔の女狩人だった。
 先制射撃を放つ腹積もりだったのに、出鼻を挫かれる形となった士郎は、む、と物問いたげに狩人――アタランテとそのマスターであるネロを横目に見た。

 ネロが苦笑し言った。ここは一つ、アタランテに任せよと。やはり一番手は麗しの狩人にこそ相応しい。
 遠距離から一方的に射撃を加え、打倒する。それが出来ずとも、敵サーヴァントの手札を切らせられたら白兵戦でも有利になる。弾幕を張るのは間違った選択ではなく、士郎もそのネロの案に乗ることにした。
 マシュ、狩りの基本だ。敵の動きをよく見ておけ。――芯のある返事を横に、アタランテは限界まで弦を引き、『天穹の弓』の力によってAランクを超える物理攻撃力を宿した矢で以て、宝具の真名解放を実行。
 『北斗の七矢』。天上に向けて放たれた矢は、地に落ちぬ北天の星座『大熊座の七つ星』に転ずる。アタランテの矢は流れる七星と化し、アタランテ渾身の一矢による超高速七連射を解き放った。

 音速で飛来する石柱をも貫通する矢が、ほぼ一瞬の内に標的を襲う。

 頭上より飛来する七連矢。その精度はアタランテの技量に拠り、必中のそれと言ってもいい。
 カリュドンの猪の皮膚をも破り血を流させ、北欧の竜殺しの鎧をも貫通してのけた矢が、ほぼ同時に頭上から連続して襲い掛かってくるのだ。並大抵の英霊なら七撃の矢で七度殺してのけるだろう。

 浅黒い肌に、白いベールの女。一瞬、女の体を這う白い紋章が脈動する。

 三原色の剣がしなった。
 冷静に狂う女戦士は、その宝具の完全な回避は不可能であると判断。さりとて先手を取ろうとした折に、後から動き始めた狩人に先手を取られるというあべこべな展開に巻き込まれてしまった事から、己の力量にのみ拠った応手では封じ込まれると予感した。
 女戦士は大火力による力業での強行突破を敢行。その唇が微かに真名を囁いたのを、鷹の目を持つ士郎は読唇術により読み取った。

『――軍神の剣(フォトン・レイ)

 それは『神の懲罰』たる三色の光の剣。マルスの贈り物と喜んだ、五世紀に大陸を席巻した大王の宝。
 剣であるにも関わらず、剣製に特化した士郎の解析を阻む某かの力の正体を、真名を知ることで士郎は察した。あれは剣というより、異能のそれなのだ。剣が宝具なのではない、あの『戦闘王アッティラ・ザ・フン』が握ったものが宝具となるのだ。

 故に士郎に投影はできない。したとしても、なんの変哲もない長剣を剣製するだけに終わる。

 三色の光の帯が、しなる鞭の如く振るわれ、七本の矢を薙ぎ払う。

 己の対人宝具が更なる破壊の対軍宝具によって粉砕されたのだ。英雄なら、己の矜持とも言える宝具を破られたら怒りに震えるだろう。だが彼女は狩人。肌で感じる霊基の差から、何を見ても驚くような拙さを見せはしない。
 宝具の解放直後の硬直を狙い、淡々と引き絞っていた矢を放つ。流星の如く虚空を駆けた矢は、女戦士の右肩を見事に射抜いた。

 流石だな、とネロは満足げに頷く。だがアタランテの顔は晴れなかった。戦闘王は右肩に突き立った矢を――本来なら貫通させるつもりで放った矢を、こともなげに剣の柄頭でへし折り、まるで痛痒を覚えた様子もなくこちらを見据えた。
 その傷口が、見る見る内に塞がっていく。有り余る魔力供給の恩恵かその治癒能力は常軌を逸していた。アタランテは言う。殺すなら一撃だな、と。心臓か、頭か。どちらかを吹き飛ばさねば止まるまい。
 一度は顔を明るくしたネロも気を引き締める。士郎が言った。あれは戦闘王アッティラだ、と。真名の看破が異様に早いことに、しかし彼のチームは戸惑わない。彼の異能は、ここに辿り着くまでに話してあった。

 士郎は冷徹な声音で言う。近づかれたら厄介だ、もう少し手の内を知りたい、アタランテと俺で弾幕を張るから近接組は観察に回れ。ネロ、戦闘は俺達が担当する、策を練るのは任せた。
 うむ、任せよ。力強く頷くネロに頷きを返し、士郎はアタランテと並んで矢継ぎ早に剣弾と矢の雨をアッティラに射掛ける。
 しなる剣を自在に操り、一本ずつと言わず、秒間三十本の矢と剣弾が射ち出されて来るのを破壊しつつ、着実に間合いを詰めてくるアッティラ。士郎とアタランテは交互に矢玉を放って互いの隙を無くしつつ、アッティラがどこにどのようなタイミングで攻撃を受けたら、どのような動きで反応し対処するのかの情報を暴き出していく。それは戦闘というより、獣狩りに似た工程だった。
 併せて千本の矢と剣弾を凌がれ、間合いが残すところ百メートルとなった時、士郎は言った。剣技、体術の癖は大凡割り出せた。後は大技への対処のデータを取りたい。二射の間、最低二十メートルの接近に留められるか?
 その問いに、アタランテは首肯した。汝の手並み、見届けよう。暫らくは任せるがいい。
 皇帝特権により軍略スキルを獲得したネロが指示を発する。宝具『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』で足止めせよ!

 ――士郎は手を後ろに回し、矢筒に差していた螺旋剣を抜き取る。十秒をかけてたっぷりと魔力を充填、臨界に達した剣弾を黒弓につがえ形質を変化させて矢として放つ。

 真名解放『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 射手がアタランテ一人となっていた十秒の間に、しかし戦闘王アッティラは間合いを詰めるのに手こずっていた。尋常でない弾幕、狙いは粗いが規格は対軍のそれ。捌ききるには足を止め、確実に被弾を避ける必要があった。
 アタランテの『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』が尽きるのに、九秒の時を要した。その内に士郎は剣弾を滑らかに装填。片膝をついて射出体勢を取り、いざ疾走し一気に距離を詰めようとしていたアッティラに照準して、空間を引き裂く螺旋の剣弾を射ち放った。

『――軍神の剣(フォトン・レイ)

 着弾の瞬間、壊れた幻想によって破壊力を高めた投影宝具が、その爆炎ごと三色の光の奔流に呑み込まれた。
 顔を顰める士郎。自身の最大攻撃力を誇る一撃が、悪魔的なまでの魔力に底上げされている宝具で掻き消されたのだ。その攻撃力は、聖剣に匹敵すると改めて見せつけられる形だ。
 恐るべきは、宝具を連発してなお衰えた様子のない戦闘王の猛威。底の抜けた器のような戦いに、アッティラ本人の体が軋んでいた。

 ――後先を考えない暴走だな。この戦いにアッティラが勝っても、彼女の霊基は崩壊するだろう。

 士郎の読みは正鵠を射ていた。アッティラは己が滅びるのも厭わず戦いに没頭している。
 二射と言ったがもうデータはこの一射で充分だった。士郎は前言を撤回すると告げ、ネロを見た。指揮を任せる、ここまで観察していて活路は見い出せたはずだ。ネロは頷き、火に包まれた剣を掲げて高らかに詠った。

 余のアタランテよ、機動力を活かして矢を射掛け続けよ! アルトリアとオルタは余に続け! シェロは援護を頼む!

 何!? と驚愕する士郎を置き、騎士王達を率いてネロは自ら戦闘王に向けて突撃した。

 皇帝特権を持つネロである。下手を打ったわけではないはずだが、それでも士郎は傍らのマシュに指示した。ネロを守れ! 俺はここから援護に徹する!
 それは自身から守りを離す暴挙。だが何より危険なのは直接アッティラと矛を交えるネロだ。士郎もネロも、どちらも欠いてはならないのだから、より危険な方に守り専門のタンクを回すのは当然の選択だった。
 マシュは決然と大盾を構えて前線に赴く。そこに恐怖はあれど迷いはない。士郎は大声で叫んだ。ネロ、信じるぞ! カルデア第二のマスターは不敵に微笑んで応じた。余に任せよ、最高の戦果を得て魅せる!

 一番に斬りかかったネロは、果たしてアッティラの一撃で手が痺れて体勢を崩し、屠られそうになったがアルトリアがさせじと割り込む。振り下ろされた軍神の剣を聖剣が受け止め、アルトリアが苦悶に顔を歪ませて足が地面に陥没していった。
 背後からオルタが迫る。見えているようにアッティラは対処し、アルトリアとオルタを弾き飛ばした。
 あれは技量の差というより、霊基の差による出力の違い。紙のように空を舞わされながらも、青と黒の騎士王は魔力放出によって空中で体勢を制御し、魔力をジェット噴射して猛然とアッティラに挑んだ。
 霊基の差、そんなものは怯む理由になりはしない。ネロとマシュと、即席とは思えぬ巧みな連携で、主にネロの守護に重きを置きながら立ち回る。
 それでも形勢は不利だった。一撃が致命打となる剣撃の嵐、今のカルデアのサーヴァントはそれに抗うのに手一杯で、ともすると決定打となる一撃を貰いそうになる場面が幾つもあった。
 その度に、彼女達の周囲を旋回するように駆け回るアタランテの矢と、巧みに戦局を回す士郎の剣弾が危機を救った。アタランテ、士郎、どちらかの援護が欠けていたら、たちまちの内に誰かが斬り伏せられ、ドミノ倒しのように全員が戦闘王の前に膝を屈していただろう。
 それは戦っているアッティラにも良く分かったはずだ。ネロが何かを見計らうようにアルトリアとオルタ、マシュの立ち位置を調整するように立ち回り、それを悟られぬように猛攻を仕掛ける。
 だが、アッティラは悉くを凌ぎ、腕に走る星の紋章に魔力を注いで、逆に強烈な竜の尾のような一閃でネロ達を吹き飛ばした。

 その目が、士郎を睨む。

 アタランテの足には追い付けない、ならばもう一人の戦闘の要である弓兵を狙い膠着状態を脱さんとするのは極めて自然な流れだった。
 瞬間、吹き飛ばされていたネロが叫んだ。
 アルトリア! オルタ! マシュ! シェロォオ!
 常勝の王達と、戦巧者の士郎は、各々の立ち位置からネロの真意を一瞬で悟る。ネロの企図した作戦通りの展開がこれなのだ。

 士郎は瞬時に命じた。令呪、起動!

 オルタの黒い聖剣が、横合いから殴り付けるように解放される。
 黒い極光、闇の斬撃。アッティラは振り返り様に宝具を発動。

軍神の剣(フォトン・レイ)

 黒い極光と拮抗し、アッティラの足が止まったのと同時に、ネロは怪力のスキルを取得。マシュの手を掴み、士郎とアルトリアの間に投げ放った。
 士郎はマシュに叫んだ。守りは任せた! 令呪起動!

 それは、完璧に決まった聖剣のクロスファイヤー。アッティラを抑える黒い聖剣の反対側から、アルトリアが聖剣を解放。黄金の極光によりアッティラを撃つ。
 戦闘王アッティラは、アルトリアの聖剣の先に士郎がいることから宝具の解放はないと見ていたのが誤りだった。こと円卓ゆかりの者の宝具に対しては無敵の防御力を発揮するマシュを知らなかったのだ。

 仮想宝具を疑似展開。十字架の大盾の前面に張られた淡い光の結界は、アルトリアと士郎の間に展開され――

 オルタに抑えられていたアッティラは、回避もままならずに星の息吹に呑み込まれた。



 戦闘王の打倒。士郎は一息吐きながら、悩ましげに呟いた。


「――令呪全部使ってしまったんだが。ネロ、どうするんだ」

「う、うむ。しかしこれが最善だと余は思ったのだが……駄目だったか?」

「いや……一画は補充されるし……俺もこれが最善の結果だったと思う」

 士郎が思うのは、一つ。


 ――やられた。


 令呪を使い切らされた。消耗させられたのだ。まんまと一杯食わされた事実に、先の戦いがより厳しくなったことを悟らざるを得なかった。





 

 

第四節、剣の鍛ち手




 Withstood pain to create weapons,(担い手はここに一人)

 waiting for one's arrival.(剣の丘にて鉄を鍛つ)









 戦闘王アッティラ討伐後、一日が経った。
 システムにより令呪は補充され、俺は一画、ネロは三画の令呪を保有した状態に回復した。
 ネロから俺に令呪を移せればいいのだが、生憎とそんな真似が出来るほど俺は器用ではない――というよりそんな真似が出来るほどの魔術師ではない――し、生き残ったカルデアの職員達でも繊細で複雑な、既に完成されているシステムを弄る事は出来なかった。
 故にどうしようもない。そのままで、先へ赴くしかなかった。



 ――そうして帝都ローマに辿り着いた一行が目にしたのは、文字通り天を衝くほどの巨木である。



 城壁を押し潰す、一つの都市ほどの半径を持つ幹。
 塔のように威圧的な枝葉。
 そして雲の上まで届いている天蓋の如き樹冠。
 陽は遮られ、闇に包まれた帝都の有り様は、もはや筆舌に尽くせぬ魔境のそれであった。

『――信じられない……こんなものが、有り得ていいのか』

 まるで北欧神話のユグドラシルみたいだ、とロマニは呆然として呟いた。
 言い得て妙だ、と俺は思う。ネロは絶句し、自らの都の変わり果てた姿に色をなくしていた。
 さて、どうするか。どうしたものか。
 俺はその世界樹のような樹槍の偉容に気圧されながらも、手を付けられない『圧倒的な質量』を前に思考を進めた。手も足も凍りつき、唯一自由になる頭を働かせることしか出来なかったのだ。

 ……まず聖杯を回収するためにはローマ建国の王、ロムルスを討たねばならない。そのためには帝都で待つ彼の神祖の眼前まで行かねばならないのだが……帝都はご覧の有り様だ。
 ご丁寧に入り口なんて拵えられているはずもなく、どこから帝都に入ったものか皆目見当もつかない。戦う戦わない以前に、勝負の土俵にすら上がれそうになかった。
 ……マズイ。いきなり手詰まりだ。言葉にして表現するのも馬鹿らしい圧倒的すぎる質量を前にした時、人はなにもすることが出来ず呆然と立ち竦むしかないのだと改めて思い知った。

 聖剣でユグドラシルが如き巨木を斬り倒すか? 無理だ。対城宝具のエクスカリバーでも、この巨大な樹木を斬り倒すには純粋に射程距離が足りない。精々幹の半分に届くかどうかだろう。
 つまり、完全に斬り倒すには二回、聖剣を振るう必要がある。俺の手には一画の令呪のみ。聖剣に全振りしても斬り倒すには一画足りない。明日まで待っても斬り倒すことしか出来ず、帝都の中にいる聖杯に取り込まれたロムルスを聖剣なしで倒さねばならなくなってしまう。
 では令呪が三画回復するまで待つか? それも却下だ。明後日には時間切れで人理修復は不可能になる。
 そもそも、仮にこの巨大樹を斬り倒したとして、それがこちらに向けて倒れてきたらどうする? ぺちゃんこになってしまうだろう。
 一か八か、聖剣で切りつけた場所に聖杯があることに賭けるか? 馬鹿馬鹿しい、そんな確実じゃない手段に訴えるなんて愚か者のすることだ。

「……」

 疲れているのだろう。くだらないことまで考えてしまう。こめかみを揉みながら、俺は頭を振った。
 どうするかなと巨大樹を見上げながら、ぼんやりと空を埋める枝葉を眺める。時の流れは緩やかだが、かといって決して心が安らぐようなものでもなかった。
 むしろ刻一刻と過ぎ去る時に、胸の内に灯った焦りの火が徐々に勢力を強めてきたのを感じる。
 眼を閉じて、気を落ち着ける。ここに来てまさかの手詰まりに浮き足立ちそうになるのも無理はないのかもしれない。だが今の俺はチームリーダーなのだ。弱音を溢すのも、癇癪を起こすのも無しだ。
 ふう、と鉛色の吐息に全てを乗せて吐き出し、気持ちをリセットした。眼を開き、仲間を見渡す。

「で、どうする。残念ながら俺に策はない。さすがにこんなもの、想定してなかった」
「……わたしもです。ですが先輩、こんなに大きな樹が帝都を呑み込んでいたのに、帝都を間近にするまで誰一人気づきもしなかったなんておかしくありませんか?」
「……視覚阻害か、空間隔離か。帝都一帯がローマの国土を囲む結界宝具とは別たれ、界層が異なったものになっているのかもな」

 腕の立つ魔術師の工房にはありがちな仕組みだ。
 異界と異界を結合させ、それぞれを別空間とすることで身を隠すなり、実験体を捕らえるなりしていることがざらにある。まあ、こちらの方が規格も規模も桁外れに上なのだが。
 マシュの疑問に答えつつ、他に気づいたことはあるか、と問う。

「……ネロさんが神祖ロムルスに授けられた『ローマの火』があれば、あれの中にも入れるのではないでしょうか」
「入ってどうする? あの中が空洞だというなら話は別だが、そうでないなら帝都に入ったところでネロ以外が押し潰されて終わりだ」
「えっと……すみません。何も思い付かないです」
「それは俺もだ。気に病むな、マシュ」

 肩を落とすマシュの背を軽く叩いて気付けをし、俺は他の面子も見る。ここで必要なのは火力ではない。閃きと、知恵だ。
 アタランテは、首を横に振った。言うことはないということか。
 アルトリアは、俺と目が合うと、静かに言う。

「……一つだけ案があります」
「聞かせてくれ」
「私の聖剣であの巨大樹を斬りつける。これしかありません」
「……、……言ってることが分かってるのか?」

 眼を細め問い質すと、アルトリアはハッキリと頷いた。

「無論です。最後の令呪を切り、聖剣で斬り付ける。神祖は言っていたでしょう、聖杯に取り込まれた自分は暴走していると。暴走しているなら、自制は利かない可能性があります。攻撃を受けたらなんらかのアクションがあるかもしれません」
「……」

 沈黙する俺に代わり、オルタが反駁した。

「アクションがなければどうする。令呪の無駄打ちになるだけだぞ」
「これは賭けだ、オルタ。私達全員の……いや人類の命運を賭けた一か八かの」
「フン、話にならんな。アクションがなければ無駄手間に終わり、仮にアクションがあったとしても、それがあの樹木をこちらに倒し私達を押し潰さんとしたらどうする。聖剣なくしてあの質量を薙ぎ払うことは出来んだろう」

 そうだ。アクションがなければ論外。あったとしてもそれがこちらを押し潰すものだったらどうにもならない。
 力業に訴えられたら詰む。それだけは回避しなければ……。

「オルタ、それにシロウ。本当は分かっている筈だ。現状、何をしても手詰まりなのに変わりはない。なら一%でも可能性のある道に賭けるしかないでしょう」
「……アクションがあり、それが俺達にとって致命的なものでなく、且つ対処可能なものである確率に賭けろって?」
「はい。私はそれしかないと考えます。聖杯に取り込まれた神祖に複雑な思考を可能とする能力がなくなっている……或いは思考力が残っていたとしても、彼が私達に利するように動くことに、私達の全てを賭けるべきだと思います」

 ネロを見る。帝都の有り様を眼にしての驚愕は抜け切り、ネロは俺を見て首肯した。

「余はアルトリアの策に乗るのがよい気がする。勘だが……やはり神祖が聖杯如きにいいように操られるままとは思えん」
「……確実じゃないんだぞ」
「確実なだけの運命などあるものか」
「……正気か? 人理が懸かっているのに、そんな分の悪い賭けに乗れと二人して言うのか?」

 強く頷く騎士王と、ローマ皇帝。
 オルタは否定的なスタンスを崩さない。マシュも、どちらかと言えば否定したがっている。
 アタランテは……マスターのネロに従う構えだ。

 ……切嗣。あんたならどうする?

 胸中にて問い掛け、俺は決断した。

「……死ぬ時は、前のめりだ」
「……」

 その一言で、俺の意図を察したのだろう。アルトリアが風王結界の鞘を解き、黄金の剣を解放して大上段に聖剣を振りかぶった。

令呪起動(セット)。システム作動。サーヴァント・セイバー、真名アルトリア・ペンドラゴンを指定。宝具解放し、任意の対象を切り裂け」

「感謝を、シロウ。この一刀に全てを託しましょう。約束された(エクス)――」

 聳え立つ雄大な樹槍。天を衝く偉容。
 それに、星の輝きを束ねる光の剣が、遥か地上より天高く聳えるローマを照らす。

「――勝利の剣(カリバー)!!」

 振り下ろされた星の聖剣。縦に斬り込まれた巨大樹は、確かにその半身を半ばまでその傷を届かせた。
 果たして。

 巨大樹は胎動し、大地を激しく揺らしながら、その幹を縦に割り――ゆっくりと、その質量を俺達のいる方に倒れ込ませてきたのだった。







 

 

偽伝、無限の剣製 (前)



 ソラが、落ちてきた。

 聖剣の光に照らされ、(かし)いだ北欧神話の世界樹(ユグドラシル)の如き樹槍。その偉容はローマの歴史その物の質量に比し、たった数騎の英霊など容易く押し潰してしまうだろう。
 聖剣の一振りで消し飛ばすには巨大すぎる。楯で受け止めるには重すぎる。人智で計るには荷が勝ちすぎた。
 一瞬、諦念が脳裏を過る。ここまでか、と体から力が抜けてへたり込みそうになる。だが諦めて堪るかという、強烈な怒りにも似た激情に俺は天蓋の崩落を睨み付けた。
 しかしそれがなんになる。不屈の闘志が一体なんになるというのだ。そんな精神論、この現実の事象にどう左右するという。ゆっくりと傾ぐ樹体、後のない危機的状況。まさに絶対絶命という奴であろう。
 だが、それこそなんだというのか。絶対絶命なんてもの、これまで幾度も乗り越えてきたではないか。今度も乗り越えられる、乗り越えて見せる、現実に施行可能な選択肢を思考しろ、何がこの危機を打開せしめるのか見極めろ。

 マシュの楯で凌ぐ――却下だ。マシュのそれが強力無比な防壁となるのは確かだ。しかし上から圧し掛かってくるものを受け止めるという事は、そのまま巨大質量を支える事に繋がる。そうなると宝具の長期展開を余儀なくされるだろう。
 宝具を長時間展開出来るだけの魔力を、俺もマシュも残していない。仮に実行した場合、魔力が尽きるまでの間、死期が遠ざかるだけ。時間を稼いで策を練る猶予を稼げるかもしれないが、それだけだ。今より消耗した状態で一体何が成せるというのだ。
 ではアルトリア、或いはオルタによる聖剣抜刀はどうか。――これも却下である。マシュの楯すら満足に発動出来るかどうか定かでないというのに、最強の聖剣の魔力消費に今の俺が耐えられる筈もない。そもそもこんな巨大なものを焼き尽くすほど、広範囲に放射出来るものでもなかった。無理矢理に聖剣を解放させたとしても、魔力の不足故に通常の威力を発揮する事すら出来まい。
 となるとネロ、アタランテ。この二人もまた論外だ。単純に火力がない。ネロの剣に灯る火も、果たして全員を守護するのに足りるのか。不確定なものに賭け、縋るのは無責任である。

 ――無意識の内に、一節を口ずさんでいた。

 マシュを見た。薄く儚い少女。普通の、女の子。デミ・サーヴァントとして楯を構え、なんとか防ごうと気組を立てている。その目は只管に俺を見ていた。
 何故俺を見る? 俺ならどうにか出来るとでも? ……いや。自分に命じろとマシュは言いたいのだろう。自分が真名解放し一時とはいえローマの質量だろうと支えて見せるから。その間に、なんとか逃げてほしい、と。
 その献身は。
 命を賭してでも俺に尽くそうとする姿勢は、誰かのために在ろうとする感謝の気持ちは。尊い物のはずのに、吐き気がして。
 俺の神経を逆撫でにする。逆上にも似た怒りが俺を発奮させた。

 ――お前を犠牲にする手なんて、選べるか。

 三十路手前のいい年したおっさんが、ガキに縋るようになったらお仕舞いだ。
 渾身の魔力を振り絞り、紡いだ二節。軋む肉体。哭く回路。強がりは男の子の特権だ。だが苦境の強がりはおっさんの義務である。剣製に特化した魔術回路が唸りをあげ、鋼の剣が内部から総身を突き刺していく。痛くないよと痛がって、表情の上に鉄を置く。微塵も顔色を変えない、もうこうなったら意地だった。
 アルトリアとオルタを見た。無理矢理に聖剣を解放しようとしている。己の存在を維持する魔力を聖剣に充て、充填させていく。責任を取るつもりなのか、この事態を招いた事を責任と捉えているのか。
 ばかめ。決定し実行したのは俺だ。ならその責任は俺のものだ。リーダーは俺だろう。偉ぶる為にリーダーを張ってる訳じゃない。断じてお前達に重荷を背負わせるものか、こんな所でお前達を失って堪るか。
 俺は、待て、と断固として言った。
 ハッとして俺を見る碧い瞳、琥珀色の眼。信じ難い物を見たというような顔は、属性が正反対であっても同一人物である事を納得させた。
 立ったまま顔を伏せ、内側から突き出てきた剣山に貫かれ無惨な肉塊と化した左腕をぷらんと落とす。眼を閉じ右手で祈るように拳を作った。

 ネロは何を察したのだろう。アタランテは事を成さんとする男を見守っている。

 みんなは俺の成そうとする事を知っている。俺の能力は話してある。故にだろうか、託すように俺を見ていた。
 その信頼が重い。その視線が痛い。もう使う事はないと、自らに禁じていた、あの朝焼けの丘。克明に浮かび上がるイメージに心的外傷の瘡蓋が剥げる心地がした。
 あらゆる信条をネジ曲げても、魔力が足りないという現実的問題がある。展開出来ても十秒そこそこだろう。結界の範囲を限界まで広げ、外部の世界から遮断し――其処からどうする。異世界というシェルターを敷いて、其処から、どうするというのだ。

 三節、四節、五節。

 唱える内に、傾いだ樹国はソラとなって落ちてくる。いつの間にか側まで来ていたマシュが肉塊となった左腕を掴み、倒れそうな体を支えてくれた。

「――yet, (けれど)

 頭をカラにして、紡ぐ六節。

my flame never ends(この生涯は未だ果てず)――」

 頭痛がする。喉元を競り上がる鉄の味に、束の間、現実を忘れた。

My whole body was (偽りの体は)

 この偽物が、借り物の人生が、俺のものなのだと謳う厚顔無恥。
 恥知らずな我が身。省みぬ罪禍。
 本物の尊さを語る術はない。偽物の偽者だ。何を言っても白々しく何を知っても空々しい。この身に赦されたのは、仮初めのもの。所詮は空想、幻想に至らない夢のカケラ。

still (それでも)

 七節。
 詠唱は完成する。偽物だと自嘲した口で、情けない本音が囀ずられる。
 それでも、と。これしか自分にはないのだから。
 己のためではなく。せめて誰かのために刃を振るう事は、赦してほしい。そう願う。
 認める者はいない。俺の秘密を知る者もいない。だがそれでいい、誰も知らなくていい、俺が偽物のエミヤだと、知らなくていい。みんな俺を本物だと信じる。なら、俺は偽物でも、本物として恥知らずに駆け続ける。
 だって、どう足掻いたところで。(こころ)が偽物でも、この体はきっと――

"unlimited blade works"(無限の剣で出来ていた)

 ――走り続ける限り、折れる事はないと信仰する。

 真名が世界に熔け、崩落する樹国がソラより落ち、大地にあるもの悉くを押し潰す刹那。
 鉄を鍛つ火が駆けて、人理の守護者らを取り込んだ。








 固有結界(リアリティ・マーブル)

 曰く、固有結界とは悪魔が持つ『異界常識』だった。それを人間にも使用可能な範疇に落とし込み、魔術として確立したのが魔法に最も近い魔術。魔術世界の禁呪である。
 それは術者の心象風景で現実の世界を塗り潰し、内部の世界そのものを変えてしまう魔術結界。御大層なことに魔術に於ける到達点の一つとされるもの。本来衛宮士郎のような未熟な魔術使いに至れる境地ではない、叡知の結晶だ。
 だが。
 この体は固有結界にのみ特化した魔術回路。この回路を通して行使される魔術は、悉くがリアリティ・マーブルの副産物に過ぎない。
 剣製が出来るのではない。剣製しか出来ないのだ。魂ではなく、肉体に埋め込まれた聖剣の鞘に、起源を剣に変えられて。故に固有結界の現す異能は剣製の枠組みから外れ得ない。
 衛宮士郎は、例えどう在っても、剣製に特化した魔術使いでしかないのだ。

「これは……」

 ――晴れ渡る蒼穹のソラ。

 果てなく広がる底無しの青空を、赤い土に突き立つ無限の剣が支えている。
 雲一つない晴れ模様が憚りなく心象を示す。
 影一つ生まない日輪の歯車が淀みなく廻る。
 無限に精製される剣群、絶え間なく流れる清流の涼風。なんて恥知らずの具現なのか。偽物は己に恥じるものなどないと信じているのだ。
 完璧に滑稽。まさに道化だ。だが、弁えよ。道化の所業であれ、扱う用途によっては価値もある。急速に溶けゆく魔力に命尽き掛けるのを、俺は歯を噛み締めて堪えた。
 流石に馬鹿にならない魔力消費量だ。人理が焼却されている故に、世界の修正力もほぼなくなっているにも関わらず、俺如きでは展開しただけで内臓をシェイクされているような激甚な痛みを覚え眩暈がする。
 それでも、マシュに無理をさせるよりはマシだった。アルトリアとオルタをこの局面で落とすよりずっと良かった。友と呼んだネロに縋るよりもこれが最善だったと言い張れるだろう。

 カルデアから通信が入る。驚愕にまみれたそれは、果たしてロマニのものだった。

『この反応は……固有結界か……!? まさか士郎くん、きみがこれを……?』
「すまんがくっちゃべってる暇はない! ロマニ、戦闘服を通じて俺にカルデアの電力を廻してくれ。そう長くは保たんぞ……!」

 元々限界寸前だったのだ。無理矢理魔力を捻り出したせいで左腕が逝った。完治させるのに一週間はかかると見ていい。どう足掻いた所でもうこの特異点では使い物にならない。
 張り詰めたものを感じてくれたのか、ロマニが「滅茶苦茶痛いけど、我慢してくれよ!」と言って電力を回してくれた。改造戦闘服のシステムが、電力を魔力に変換し、俺の魔力負担を軽減してくれる。代わりに、魔術回路に得体の知れない異物が流れ込んでくるような感覚がある。
 痛いとは思わなかった。痛覚は操作できるものだが、今は純粋に痛みを感じる機能が落ちていたのだ。固有結界を維持する魔力をカルデアが担ったが、それもあくまで一部だけ。到底、アルトリア達の聖剣には回せない。

「これが……固有結界。先輩の、心象風景……」
「恥ずかしいから、あまり見ないでくれると助かる」

 感嘆符でも付きそうな表情のマシュやアルトリア達に、俺は渋面で言った。
 俺にとって自らの恥知らずっぷりを露呈させる最悪の禁呪だ。出来るなら使用は避けたかったのである。
 そもそもこれは、戦闘向けの魔術ではない。これが有効なのは有象無象の雑魚か、英霊の中でも最強に位置する英雄王に対してだけ。今回はシェルター代わりに展開して外界から切り離し、ローマに押し潰されるのを防ぐのに使ったが……それとて苦渋の思いを圧し殺しての事。不本意だった。

「……マシュは俺の前に。ネロ、アタランテは俺の傍だ。アルトリアとオルタ、二人は前衛として構えろ」
「……? 何故だ、シェロ? そなたのこれは世界から切り離された異世界なのだろう? ならば警戒すべきものはないであろう」
「――必要がなければ言わん! 早くしろ!」

 一喝し、すぐに指示通りの陣形を取らせる。流石に歴戦の英霊達は動きが早い、アタランテは即座にネロの手を掴んで俺の傍らまで来るや油断なく弓を構え、一拍遅れ駆けつけたマシュの死角をカバーする。
 アルトリアとオルタは瞬時に、黄金と漆黒の聖剣を晴眼に構え周囲を警戒した。

『なるほど、そういう事か』

 固有結界をマスターが使える事への驚きを呑み込み、ロマニは納得したふうに呟いた。固有結界の特性を、彼は知っているのだろうか。

『士郎くんが固有結界を展開した時に、結界の範囲内には君達以外にもそれ(・・)があったね』
「ドクター、それとはなんですか?」

 マシュが訊ねる。ロマニは強い緊迫感を表皮に這わせるようにして言った。

『すぐ側まで倒れ込んできていた巨大な樹木だよ。丁度(・・)、巨大な樹木の中腹辺りの(・・・・・)ね』
「……ぁっ、」

 マシュの瞳に理解の色が広がる。途端、顔を強張らせて周囲を警戒し出した。
 だがその必要はない。紛いものとはいえ、この結界の内側は俺の領域。意図せずして取り込んでしまった(・・・・・・・・・)異物の感知など、赤子の手を捻るよりも容易い。

『――固有結界内の魔力反応急激に増大! 来るぞマシュ、士郎くん!』

 警告と共に、赤い土が盛り上がる。
 莫大な魔力噴流、活火山の噴火の如き勢力で大地を蹴散らして飛び出てきたのは、濁流のように垂れ流される汚濁の魔力塊である。
 濡れた泥のような粘性のそれが、ぬちゃりと周囲に撒き散らされ、触手じみてうねる樹木が錨のようにソラを刺した。

「……!」

 蒼穹のソラを汚染する油。それの正体に気づいたネロが、悲痛に表情を歪めた。
 帝都を埋め尽くしていた、異様な偉容を誇った樹木、その中枢にあったと思われる、恐らくは樹槍の本体。即ち――

『! 気を付けるんだみんな、それからは聖杯(・・)の反応がする! 間違いない、それはローマ建国王の――』

「――いいや。奴はもう、ロムルスじゃない」



 魔神霊、顕現



 夥しいまでの眼、眼、眼。
 さながら魔神柱の如く、魔力の塊である樹木の表面を深紅の眼球が埋め尽くしていた。
 うねる触手の樹面を掻き分けるようにして、膨大な魔力熱量に焼け爛れた、天性の肉体が進み出てくる。
 見る影もない、神性も真性も失った神祖の遺骸(霊基)――それに寄生する魔神の悪意。聖杯の力で、英霊ロムルスを汚染する特異点に投錨されたもの。

「ぉ、ぉお、おお……な、なんたる事だ……」

 余りに無惨。余りに悲惨。怨嗟を漏らし、睨み付ける眼は激怒の涙に濡れてすらいる。
 ネロは怒りの限度を超えて言葉を失っていた。薔薇の皇帝が、神祖に託された『火』を一層激しく燃え盛らせる。原初の火の銘を持つ剣を、ぎゅぅぅう、と強く握り締めた。

 見ろ、と注意を喚起するためにオルタが促した。

 ヘドロのように溶け落ちた樹槍を持つ魔神が立っている。
 沸騰した溶岩のような魔力を放ち、その膨大な魔力は何重にも重なった防壁となっていた。あれがある限り、火力という面で騎士王に大きく劣る女狩人では、とても有効打を与える事は叶うまい。
 む、とアタランテは物言いたげにオルタを見る。侮られたと感じたのか。しかし限界まで弦を引き絞ればAランクにも達する一撃を放てるとはいえ、連射が出来ぬならここぞという局面まで力を温存すべきだというオルタの見解は正しい。

「シロウ、指示を」

 オルタの冷徹な眼差しは、この特異点の戦いが最終局面に達したのだと告げている。
 微塵の揺らぎもない機械めいた姿は頼もしくすらあった。俺はネロを見る。気遣われていると思ったのか、気丈に薔薇の皇帝は俺を睨む。侮るな、と。ここまで来て怒りに立ち止まる事も、嘆きに鈍る事もない。余はローマなのだからとその眼が雄弁に語っている。
 ならば気遣うのは逆に失礼だろう。ネロから視線を切り、俺は総員を見渡した。

 神祖の霊基を乗っ取った魔神が、ようやっとこちらへ焦点を合わせ、ヘドロの槍を振りかざす。

 赤土が隆起した。魔神を基点に巨大樹の根が幹が津波となって襲い来る。
 この特異点ではすっかり見慣れた光景だ。マシュが飛び散る木片から後衛と俺を庇うように立つ。その様は、まさに城壁の如き楯――

「敵性個体、戦闘態勢に入りました! 来ます!」
「ああ、完膚なきまでに勝ちにいくぞ。各自最善を尽くせ、全兵装使用自由(オールウエポンズフリー)だ! 露払いは俺に任せろ、往け!」

 青と黒の騎士王が打ち出された砲弾のように疾走する。黄金と漆黒、交差する聖剣の軌跡が同時に風の穿孔を解き放った。

 風王鉄槌(ストライク・エア)

 卑王鉄槌(ヴォーディガーン)

 樹海の津波を穿ち、己の道を切り開いたそれが開戦の号砲となる。







 

 

偽伝、無限の剣製 (中)





 未確認の敵性体と偶発的に遭遇してしまい戦闘が避けられない状況(もの)となった場合。まず第一にすべき事は何か。

 それは敵脅威度の判定である。

 瞬時に見極めねばならない。敵の戦力はどれほどか? 敵の種別は?
 見て取るなり考察せねばならない。どのように対処するのが効果的か? 敵が目的とするものは?
 適当に銃弾をバラまいて片付けられるのは、理外に身を置かない常道の存在のみ。一歩裏道に踏み込めば、たちまち物理法則を嘲笑う不条理な現象に襲われる。
 故に求められるのは反射的に敵を撃ち殺す脊髄反射ではない。倒すべきか、逃げるべきなのか、捕縛を狙うか、時間稼ぎに徹するか――瞬時に判別すべきものは多く、その局面に立たされた時に冷静さを保っているのは前提条件だ。
 闇雲に動いた結果が功を奏するのは子供の喧嘩まで。大人の――軍事や魔道に纏わる者の戦闘に於いて偶然という要素は極限まで排されてしまう。
 勝つべくして勝つのだ。負けるべくして負けるのである。運の要素は確かにあるが、それだけを頼りにすればたちまち往生するだろう。

 現在明らかなのは敵性個体が神祖ロムルスの霊基を乗っ取っている事、そして聖杯を所有している事である。この時点で想定出来るのは、基本的な性能は神祖に準ずる可能性と、魔力は聖杯により無尽蔵であろう事だ。
 即ち、単純に考えても脅威度は最大。魔力や精神力に限りのあるこちらが長期戦を挑むのはあまりに無謀。ただでさえ消耗しているのだ、短期決戦しか活路はない。力を出し惜しむのは愚か極まる。

 故に俺は迷わなかった。

 現状発揮し得る最大火力で一気に叩く。敵に何かをさせない、一気呵成に叩き潰す。仮にこちらを一撃で屠れる手段を相手が持っていたとしても、何もさせなければ問題はないのだから。

 弓の弦より解き放たれた矢の如く、青と黒の軌跡が一直線に魔神霊を葬らんと疾駆する。
 それを視界の隅に収め、射手たる術者が片手を掲げた。地に突き立つ千の剣群が浮遊する。贋作とはいえ仮にも宝具、見渡す限りのそれが術者の意思に呼応する様は壮観だろう。だがネロ・クラウディウスはそれに目を奪われる事なく、毅然と己のサーヴァントへ指令を発した。

「追って沙汰する! 今は駆けよ!」

 剣の丘に深緑の風が吹く。駿足の女狩人が疾走したのだ。
 真っ向から迫り来る騎士王らに泥肉のような樹木の幹が襲いかかる。

 ――男に二言はない。やらせはしない、露払いは俺の役割だ。

 照準固定、一斉射撃。掲げた手を振り下ろすや、疾駆する騎士王らを再度呑み込まんとする樹木の触手を撃ち抜いていく。千の剣群が剣林弾雨となって降り注いだ。鷹の目の確度、射撃の精度は高水準で保持出来ている。枝葉一つ、見逃しはしない。
 飛び散る木片全てが魔力の塊、汚染源の泥。一つ残さずマシュが叩き落とす、ネロの剣の神聖な火が蓄積する泥を焼き払う。裂帛の気合いを放ってアルトリアが接敵した。剣弾に丸裸にされた樹木の壁など、名にし負う騎士王には紙も同然。易々と突き破り黄金の聖剣が魔神の首を刎ね飛ばした。
 やった……? それを見た瞬間、マシュがぽつりと呟く。俺は叱咤した。

「離れろ! アルトリア、オルタ!」
「―――っ!?」

 咄嗟に飛び退いたが、退避が間に合ったのは機動力で微かにアルトリアに劣っていたが故に、接敵するのに一拍遅れていたオルタだけであった。
 首を無くしたにも関わらず、平然と駆動する泥の魔神。ヘドロの槍を振りかざし、地に突き立てた。



 すべては我が槍に通ずる(マグナ・ウォルイッセ・マグヌム)



 それは神祖の第一宝具、その真名解放。固有結界内の赤土からヘドロの芽が発芽し、無数の枝葉が退避しようとしていたアルトリアの左足に絡み付く。
 瞬く間に膨張するヘドロは、ローマそのものを汚し冒涜する邪悪なもの。ネロが怒号を発し丘に突き立っていた無名の剣を擲った。飛来したそれが、天高く持ち上げられ振り回されていたアルトリアを解放する。足に絡み付いていた触手を切断したのだ。
 着地すらままならぬ様子のアルトリア。虚空に投げ出された華奢な体躯を、思わず駆け出していた俺はなんとか受け止めた。鎧の重さのせいか、左腕が逝ってるためか、支えきれずもろともに転倒してしまう。
 ヘドロの濁流が怒濤の奔流となって迫る。倒れたまま、刃渡り十メートルにも及ぶ巨大な剣を十、投影し防壁とする。おぞましい波擣を数瞬押し留めるも、呑み込まれかけた刹那に内包した神秘を暴走させ、指向性を持った爆発を起こす。
 『壊れた幻想』である。爆風の中、腕の中のアルトリアに訊ねる。無事か? と。

「――すみません、シロウ。どうやら私はここまでのようです」
「……何?」

 淡く微笑んだアルトリアは、己の左足を指した。泥の触手に取られた足――そこからはヘドロの芽が萌芽し、徐々にアルトリアの体を侵食しつつあるではないか。
 目を剥き、一瞬、俺は言葉を無くす。最高ランクの対魔力を持つアルトリアを蝕むという事は、あれは聖杯の泥に比類する呪いという事だろう。つまり能力的には歯が立たないが、気合いで割りとなんとかなるという事である。聖杯の泥はそうだった。
 なんとかアルトリアを助け起こすと、手を伸ばしてその額にかかっているアルトリアの髪を掻き上げる。

「シロウ……? ……っ?」

 軽く、額に口づけする。顔を離すと、呆気に取られていたアルトリアに言った。

「もう充分だ。休んでいろ。いいな」

 情を一切込めず、淡々と言って聞かせ、俺はマシュの許に戻り再度剣群の投射に専心する。
 何やら咎めるような、はぶてたような、面白くなさそうなマシュの顔に、俺は気づきつつも何も言わず。無くした首を再生させた名も知らぬ魔神に舌打ちし、際限なく沸き起こり、降誕する樹界の坩堝に戦法を改める必要を認めた。

 魔力を廻し、全力稼働する魔術回路にカルデアの電力を変換した魔力を供給。筆舌で表現し難い異物感に眉を顰めつつ、百、二百、三百と剣群を撃ち込み俺は思考する。
 ヘドロの噴流留まることなく。アルトリア、オルタ、アタランテ、俺の火力で押し込み、押し潰し、一気に打倒する事能わぬ。であれば無理に攻め続けるは愚行。いたずらに消耗するだけとなれば、手を変えなければならない。
 ではどうする。速攻による成果は魔神の首を刎ねた事だ。しかし魔神は首を無くしても再生した、体内の聖杯が延命させたのか、そもそも人の形をしていても急所は人体とは異なる可能性もある。ならば心臓を潰しても無為。聖杯を奪い取る事がそのまま魔神を葬る事に繋がる。
 それか、聖杯の回収は諦め、もろともに破壊するか。ここからは力攻めではなく、隙を伺い一点集中の大火力で討ち取るべき状況にシフトしたと見るのが賢明だろう。俺はネロにその旨を告げた。

「賛同しよう。ならば畳み掛ける段に移るならば余もアタランテと共に駆けようとも。生きるか死ぬか、伸るか反るか、全てを賭けるべきであろう」

 アルカディアの狩人は、突如足元から障害物が現れても慌てる事なく縦横無尽に駆け回り、魔神の注意(ヘイト)を稼いで小刻みに矢を射掛けていた。ネロはそんなアタランテ目掛け自身の剣を投擲する。
 咄嗟に剣を掴み取ったアタランテは、熱くない火に照らされネロを見る。マスターはサーヴァントに告げた。暫し預ける、ここぞという時を逃すでないぞ! と。
 俺は『原初の火』と同型の剣を投影しネロに渡す。そしてネロの言に応じた。

「そうだな。今更臆する理由もない。下手を打てばそれまでだが、そうしないとならないなら俺も全てを賭ける」

 俺はマシュの肩に手を置いた。酷く細い女の子の華奢な肩だ。とても戦う者の体ではない。その目も、抱く意思も、戦場に似つかわしくない。
 しかし、それでも彼女は戦うと決めている。その意思をねじ曲げる権利など誰にもない。俺も、何も言う資格はなかった。故に――

「乾坤一擲となる。マシュ……」
「はい。分かっています、先輩。どこまでもお供します。きっとわたしも、先輩のお役に立ってみせますから」

 オルタが暴竜の如く魔力を噴射し、自身を取り囲まんとしていたヘドロの触手を一息に吹き飛ばす。しかし無尽蔵に沸く質量に、オルタすら抗うのは困難なのか、直前まで己のいた地点に槍の如くそそり立った樹木を蹴りつけ俺達の傍にまで退いてきた。
 まるで見当外れな事を言うマシュの中で、俺がどれほど大きいのか……その大きさがそのまま俺の責任である。なら俺は、マシュの想いを裏切る事だけは決してしない。

「……ばかだな。役に立つ処か、マシュは俺の生命線だ。死んでも手放さないから、そのつもりでいろ」
「……! はい!」

 苦笑してそう言うと、マシュはほんのりと頬に桜を散らし、力強く楯を構えた。

 微かに息を乱していたオルタが、若干目を眇めて俺を睨む。そのジト目になんとなく居たたまれなくなる。なんだ、なんでそんな目で俺を見る?
 傍に寄ってくるなり、何故か無言で前髪を掻きあげ額を見せてくるオルタに、俺は難しそうに首を傾げざるをえない。いったい何が言いたいのか……察してはならない気がした。

 オルタは舌打ちし、黒い聖剣に指を這わせ俺に言った。

「シロウ。決着は早い方が望ましい。私も魔力に不安が出てきました。聖剣を使わずとも、全力戦闘ともなると保って数分といった所です」
「……八割に抑えれば?」
「10分ですね」
「上等だ。5分、八割で保たせろ。その後に仕掛ける」

 行くぞ、と俺は声を掛けた。

 ネロが力強く頷いた。
 オルタは黒鉄の甲冑を解除し、深い闇色のドレス姿となって応じる。

 マシュは――アルトリアに呼び止められた。

「シロウ、マシュを借ります。すぐに返しますので、どうか構わず」

「解った。
 アタランテにばかり働かせると後が怖い。往くぞ!」

 







 改造戦闘服の上に着込んだ赤原礼装を翻し、壊死した左腕をぶらさげて。エミヤを騙る男は陽剣・干将を右手に駛走する。
 前方を馳せるオルタが大敵に専念出来るように、条理を逸脱した巨木の鞭を剣弾で穿ち散らすのを主眼に置いた陣形である。
 故に男の左脇を固めるのは敗残の身から再起したローマ皇帝ネロ。奇抜な深紅のドレスのまま、投影された大剣を携え、押し寄せる枝葉を優雅な剣捌きにて切り捨てる。
 その太刀筋は一流の剣の英霊のそれだ。騎士王には劣るものの、彼女が神祖より賜った皇帝特権により、彼女は一級の剣術スキルを会得しているのである。

「アルトリアさん、なんでわたしを行かせてくれないんですっ! 先輩が戦っているのに、わたしだけこうしているのは耐えられません!」

 左足を侵す汚泥は、アルトリアの体を徐々に樹体化させつつあった。マシュが焦っているのは、アルトリアの容態を慮ってのものでもあるだろう。彼女の中の霊基は、騎士王という王を決して無視できない。そうでなくても、マシュという少女はアルトリアの状態を看過出来る性質ではなかった。
 そんな事などお見通しなのだろう。かつて、理想の王という装置に徹する余り、人の心が分からぬ者となった騎士王は、今は肩から力が抜け人の心が良く分かるようになっている。故に、マシュのもどかしさも良く理解していた。

 それでもアルトリアはマシュを行かせない。

 途方もない激痛に、アルトリアは額に脂汗を浮かばせつつも、決して乱れる事なく静かな語調で告げる。

「マシュ、よく聞きなさい。今の貴女をシロウの許へ行かせる訳にはいきません」
「っ? な、何故ですか! 先輩はわたしを、自分の生命線だと仰ってくれました! わたしもお供しますって、言いました! なら、行かないと――わたしは、先輩のお役に立ちたいんです!」

 『誰かの為に』ではない。そんな曖昧な想いではない。明確に慕うマスターの事を想ってマシュは言っている。それを否定する気はアルトリアにはなかった。
 だが、

「私が貴女を行かせないのは、今のマシュでは足手まといにしかならないからです」
「ッ! ……それはっ、そうかも、しれませんけど……!」

 あれを、と。ブリテンの騎士王が指し示した先には芳しくない状況が置かれてある。
 樹槍の膨張甚だしく、急激に成長する樹林は固有結界を埋め尽くす勢いで広がり、暖かい赤土に夥しい量の泥の根を張り巡らし、晴れ渡る蒼穹の空に蓋をしようと暗いヘドロを撒き散らしている。

 カルデアは局地的に抵抗しているだけといった有り様だ。

 アタランテは身軽に駆け回り、一向に樹界に囚われる気配はない。しかし背負った大剣を活かす機会がない。ちまちまと射掛ける矢は悉く魔神に命中しているが、まるで効いた様子もなく、生え乱れる泥の樹林に矢の一本すら阻まれ通らなくなりつつある。
 男の剣群は己やアタランテ、オルタ、ネロに迫る泥の津波を押し留めるのに全力を注がれている。オルタの卑王鉄槌、ネロの剣撃、どれも一定の威力を発揮しているが、全体を通して見ればまるで意味を成していなかった。
 無限の剣は無尽の泥に押し流されつつある。こんな大局の戦い、押し切るには圧倒的な個の力か、それに類する大局の力が必須となるだろう。
 それは、残念ながらここにはない。
 アルトリアも、オルタも、その霊基は初期のそれ。幾分か嵩増しはされているが、そんなのは誤差の範囲。本格的に霊基を再臨せねば、とても大局の個とは成り得ない。

 そして、無限の剣では世界の重みに抗し得ないだろう。剣を振るうだけのネロとオルタでも意味がなかった。狩人の技も世界を前には無為である。ここに、楯を持つだけの騎士を投入しても只管に無駄なのは自明である。
 男は、アルトリアにとって妬ましいながら、マシュへ非常に肩入れしている。マシュは最期の最後で男に庇われるだろう。あの男は、そういう男だ。故に一個の戦闘単位としてのマシュをそのままにはしておけない。
 本来は黙っておくべきなのだろう。その成長を見守るべきなのだろう。
 だが優しく育てる時期は逸した。これよりアルトリアが為すのは独断のそれ。そうせねばならないと直感(・・)したのだ。

 絶望的な戦局。男は5分とオルタに言った。それまでに、なんとかするのが自分だとアルトリアは自認する。座して待つだけの者ではない、この身は貴方の剣であると誓ったのだ。
 剣は、振るわれなければならない。そして、剣は楯と一体でなければならない。アルトリアは強靭な意思を込めてマシュと相対する。

「あなたの実力は高い。それは当然です。貴女と一体となっている霊基は『世界で最も偉大な騎士』のもの。その技量は我が友ランスロットにも比する。故に貴女がいれば戦力が高まるのは確かです」
「ならわたしは行きます! 先輩のお力になれないなら、わたしには何も――」

「聞きなさい!
 ギャラハッド卿(・・・・・・・)!」

「ッッッ!?」

 その王命(・・)に、マシュの体は反射的に固まった。
 ――今、アルトリアは。騎士王はなんと自分を呼んだのか。
 そんな事も意識できぬほどの衝撃。短い付き合いなのに身近に感じる人からの叱責。怒られた事への驚きは、生前(・・)では無かった事だったからこそのもの。
 マシュは思わずたじろぎ、強い光を放つアルトリアの目を凝視した。
 凄烈なる騎士王は言う。諭すように、マシュとその内の霊基のズレ――似通う性質の持ち主とはいえ、確実に他人同士である彼女/彼の方向の違いを正すために。

「思い出しなさいマシュ、ギャラハッド。あなた達の在り方を。あなたは強い、それは確かです。しかし強いだけ(・・・・)なら、何もあなたである必要はない。
 ――あなたの盾は、そうではないでしょう。強力な脅威を弾く物質ではない。あなたの楯は、その心を映し出すものなのだから」
「―――」

 声もない、とはこの事だろうか。
 黒鎧の少女は、十字架のような大盾の取っ手を無意識に握り締めた。

「マシュに教えておきます。貴女に力を与えたギャラハッドは消えていません。貴女の中に残り続けている。そして貴女を見守っている。デミ・サーヴァントとは、英霊と一体となった者。ならば消える事などないと知りなさい」
「わたしを、見守って……?」
「ええ。折角『世界で最も偉大な騎士』を宿しているのです、まず己の裡に在る者を辿りなさい。そして、己の在り方を問うのではなく、自身がどう在りたいか、どう在るべきなのかを定めるのです。それが貴女でしょう、マシュ」
「―――」

 何か、眼が開いた心地だった。
 マシュは問う。自分はどう在りたいのか。
 ――役に立ちたい。先輩のお役に。
 それは勿論ある。だが、より具体的には、どうか。
 ――わたしは。
 アルトリアは微かに微笑み、子供の成長しようと足掻く姿を眩しそうに見届けて。
 颯爽と歩く。苦しく、体が変異する痛みにも怯まず。そして背を向けたまま、アルトリアはマシュの(なか)に言葉を向けた。

「純潔、王道、大いに結構。ですがギャラハッド、見守るだけでは駄目でしょう。時には導く事をしなければ。今のマシュは貴方の妹のようなもの、これを導かなければ――父上のようになってしまいますよ?」
「ッッッ??」

 茶目っ気を見せて笑ったアルトリアに、マシュの霊基が強烈に反応した。
 思わず飛び上がりそうになる。マシュは驚いて、聖剣を構えたアルトリアを見る。

 導く、か……。

 心の中で、アルトリアは呟く。
 かつて人の夢を束ねる覇王に糾弾された事がある。お前は導く事をしなかった、と。
 なるほどそれは正しい。アルトリアはそれを認めた。ならば、今、導く。過去出来なかったそれを、現在で果たす。
 姿形は違えど、臣下である。騎士である。ならばこれを導いてこその王。あの覇王とは決して相容れないが、正しいと認めた部分だけは素直に聞いてやろうではないか。

「マシュ、見ていなさい。これが『役に立つ』という事です」

 解放された聖剣が、アルトリアから魔力を吸出し、目映い黄金の煌めきを放つ。
 切っ先が睨むのは、今まさにカルデアを押し潰さんとする汚泥の波濤。人間の奮闘をキキキキと嘲笑う魔神の暗黒。
 死に物狂いで薄紅の七枚楯で凌ぐ男と、捨て身で反転した極光を解き放たんとする黒騎士。青い騎士王は堂々と剣を担ぐ。そして、最後に言った。

「ですが、貴女は『役に立つ』だけで満足してはいけません。彼を――シロウを『守る』。それは貴女にしか出来ないことだ」
「アルトリアさん……」

 参る、と謳う常勝の王。
 見守る臣下の目を背に受けて、約束された勝利の栄光を主君に届けよう。
 己の存在を維持する魔力を全て注ぎ込み、粒子となって消えていきながら、アルトリアは渾身の力を込めて必勝の輝きを解放する。
 其の真名は。




約束された(エクス)――

       ――勝利の剣(カリバー)!」




 絶命の窮地にて、自身らを救い出した黄金の光。
 男は唇を噛み締め、オルタは忌々しげに先を越されてしまったかと吐き捨てた。

 マシュは、その王を知る。本当の意味で感じる。
 そっか、と呟いた少女の目には、衒いのない純潔の炎が燃え盛っていた。
 成すべき事を知って。楯の少女は、出撃する。

 密かに潜む獣の気配を、誰も感じないまま。







 

 

偽伝、無限の剣製 (後)

偽伝、無限の剣製 (下)





 俺の厚かましさの具現とも言える蒼空は汚泥に染まり、取り繕ったような暖かみを持つ丘は禍々しい樹海を育む土壌とされた。
 少しは見れる風景になったなと自嘲するも、結界が敵を討つ空間ではなく、俺やネロ達の逃げ場を無くす牢獄と化した事実は変わらない。もはやこの剣の丘を支配するのは俺ではないのだ。我が物顔で樹槍を振るう神祖の霊基の成れの果て――魔術王の名も知らぬ下僕こそがこの世界の王である。

 魔神の意思によって機能する聖杯が、この結界を侵食しているのだ。未熟な魔術使い如きが支配権を取り戻せるほど甘くはあるまい。
 お陰様で剣製の効率は低下し、カルデアからの魔力供給も著しく滞っている。おまけに地の利はほぼ喪失したと来た。結界の維持に費やすはずだった魔力こそ温存できているが手詰まり感は否めない。打つ手なし、挽回の余地なし、端から見れば絶望的な戦況だろう。

「――ク、」

 可笑しくて笑ってしまう。俺もヤキが回ったか。こんなにも追い詰められ、間もなく終わりが訪れようとしているのに、気にしているのは他人の事ばかり。
 脳裏を過るのは、やり残した事。カルデアの外にいる者。焼却された凡ての事象。
 傍らの友。大切な相棒。庇護すべき少女。働きすぎる司令官。キャラの濃い万能の天才。
 因縁の借金あくま。取り残した桜色の後輩。救った人、救ってくれた人。殺した相手、殺そうとしてきた敵。絶倫眼鏡、極女将。真祖に代行者に修道女に執行者!
 まったく馬鹿げている、俺の世界は本当に、俺より尊いもので溢れているのだから。

 足下から伸びた蔓が太股を貫く。即座に干将で飛び出た芽を切り捨てる。ネロを取り囲む樹林に剣弾の雨を降らせ脱出させる。只管に細かい枝葉を触手のようにうねらせ、オルタの消耗を狙う樹木を炎の剣で薙ぎ払う。
 その隙に槍のような枝葉に腹を喰われた。そのまま呪いの黒泥を流し込まれ俺は笑った。遂に食人樹となったか、魔神の呪い! 枝葉の先、ヘドロの樹の幹に見るに堪えない乱喰歯が見える。大きく開かれた口が、俺を嘲笑っている。貴様は終わりだ、ここで終わりだ、そのまま呪いに溺れて死ぬがいいと。
 腹から芽が咲いた。内臓を啄まれる心地に失笑する。生憎だった、この手の痛みと呪いなんて慣れっこである。この世全ての悪の方がまだ悪辣だ。こんな程度で死ねだと? こんなもので終わりだと? 俺がこれぐらいで死ぬだと?

「舐めるなよ……! 俺を殺りたきゃ心臓潰して首を飛ばしなァッ! この程度で勝ったと思ってんじゃねぇぞクソッタレがぁ!!」

 血反吐を吐きながら剣製する。
 激情に突き動かされるまま、両腕を開いたよりも太い幹を両断した。死狂い一騎、満足に片付けられもせず勝ち誇るとは底が見えたな糞魔神!
 俺は嘲弄する。俺は確信していた。俺は勝つと、俺達は勝つのだと。
 流麗な剣捌きで踊るネロを見ろ。豪快に樹海を滅する暴竜の如きオルタを見ろ。まだまだ余力を残している、余裕がないのは俺だけだ。ザマァない、死に損ないすら満足に殺せない輩が人理焼却? 笑わせる、せめて俺を瞬殺出来る程度でなければ、とても人を滅ぼせるものか。
 人間の生き汚さをナメるな、この俺の面の皮の厚さを侮るな。どこまでも厚顔に、洗濯物に染み着いた油汚れの如くに居残り続けてやる。根比べで俺より上の奴なんていないって教えてやる。俺は雑魚だがしつこさだけは一級だ!
 さあ来い、すぐ来い、もっと来い! 俺はまだ生きているぞ!

「シェロ! 無事か?!」

 赤薔薇が舞う。
 腹から鋼の剣を生やした俺を見てネロは息を呑む。
 俺は快活に応じた。

「無事に見えるか?」
「うむ、見えぬ!」

 力強く即答し、素早く俺の状態を確認したネロは飛来した数十の枝葉の渦を切り払う。

「しかし今すぐに死にそうにもないな!」
「ああ、なら問題はないな」
「問題はあろう!? どういう理屈で腹の中から剣に貫かれるのだ?!」
「腹の中に呪詛の類いを弾く剣を投影しただけだ。慣れたら意外と病み付きだぞ」

 元々低い対魔力だ。他人に呪われること幾数回、俺の見い出した対策がこれ。最終手段だが意外と効果的で笑えてしまう。患部を直接投影宝具で貫けば、大概の呪詛はイチコロだ。
 アルトリアの対魔力を貫通する以上、時間稼ぎにしかならない応急手当だが、やらないよりはましである。延命できて10分、その間に魔神を倒せれば呪いも解れて消えるだろう。

 大地が波打つ。
 聖杯の反応が一際強く脈打った。

 敵主力の要を負傷させた魔神が攻め時と見たのか、一気にカルデアを滅ぼさんと仕掛けてきたのだ。
 貴様ら人間の旅はここで終わりだと告げるように。分かりやすく、単純に、純粋な質量で圧倒的に圧殺せんと、顕在する全てのヘドロの樹海を天高く掲げ、鞭のように振り下ろす。

 さながら褶曲のアンデス山脈そのものが倒壊してくるかの如き光景。
 偽物の丘は暗影に覆い尽くされた。
 無恥なる天空は汚辱され尽くした。
 ちっぽけな人間を蹂躙せんと迫り来るのに、しかし人間に諦念はない。
 爛々と燃える双眸は最後まで諦めない不屈の炎を宿す。
 大地を踏み締める両の脚はまさに不退転。

 ぎらりと目を光らせる。
 此処だ、
 此処しかない。
 叫んだ。

「オオォォォ――ッ!」

 全てを懸けた雄叫びに真っ先に応じたのはオルタだった。闇色のドレスを翻し、漆黒の刀身に奔る赤い紋様を指先で撫でる。黒の聖剣を下段に構えて闇の柱と化させ、渾身の逆撃を以て仕留めに掛かる敵の隙を狙う。
 俺はほぼ喪失した固有結界の能力を全て導入する。干将を捨て、右手を天に掲げて汚泥の樹界、その降誕を遮らんと薄紅の花弁を剣の丘から取り出した。

熾天覆う(ロォォオオオ)――七つの円環(アイアァァァス)ッッッ!!」

 崩落する天を支える。
 全身の筋肉が軋んだ。魔術回路がひしゃげる感覚に魂が破裂しそうだった。
 片膝をつく。体が圧力に潰れそうに、否、実際に潰れていく。断絶する筋繊維、ぶちぶちと手足の先から引き千切られていく実感に気が狂いそうだ。

 しかし、見えた。

 天に集めた汚泥の樹木。支えられるのはほんの数秒。天と地を水平に別ち、ヘドロの樹界を落下させた魔神は今、完全に無防備だった。
 オルタが聖剣を振るう。こちらの狙いを悟った魔神が咄嗟に防御体勢を取ろうとする。ぐずぐずと爛れた黒体、無惨に崩れる樹槍でどう防ぐ? 決めに掛かる刹那、オルタの放たんとする卑王鉄槌に魔神が嘲笑を浮かべた。
 悪寒がした。そんな程度の魔力ではどうにもならぬと余裕を見せている。強がり? いやそんな事をする意味は――もはや思考に費やせる時などあろうはずもなく、敗北を予感しながらもオルタの剣に託すしかなかった。

 だが。

 騎士達の王の参陣せし戦に、敗北など有り得ない。

 金色の星の息吹が敗着の結末を吹き飛ばす。何もかもを圧殺せんとしていたヘドロの樹界が突如薙ぎ払われた。
 其は輝ける命の奔流――固有結界を侵食していた泥を圧し流し、圧倒的な魔力の光が固有結界を崩壊させる。獲物を追い詰める為に空間を維持していた魔神は、魔力の氾濫を纏めて受け止める事となり、期せずして魔神はその霊基の四分の一を損壊させてしまう。

 星の燐光は主君のソラを取り戻し、誇らしげに散った。

 ――貴方に勝利を。

 俺の、俺達の勝利を確信して消えたアルトリアの気配に、俺は気を取られ。
 樹界を一掃し、あまつさえ魔神の半身を両断した聖剣はカルデアに勝機を齎した。

「っぅ……!」

 だが動けない。体はとっくに限界だった。ぐつぐつと煮え滾る闘志は無限、しかし体の方がついてこない。声すら出なかった。
 今、魔神は喪った半身を再生するために停止している。この隙を逃す訳にはいかないのに、瞬時に駆け出したオルタは間に合わない。アタランテの脚でも届かない。魔神の再生速度は常軌を逸する。折角見えた光明を掴めぬまま死にゆくしかないというのか。

 いや。

「っ……? ……ふ、はは、ははは、」

 笑い声が漏れた。
 なんてこった、こんな時に、いやこんな時だからこそなのか。
 予期せぬ気配に、轟いた雄叫びに、絶望に硬直していた空気は打ち砕かれた。

 穴だらけの結界の外。

 激しい馬蹄が迫り来る。

 遥か高く跳躍して一騎の英雄――愛馬は力尽き消え去って。英雄も殆ど消えかけていながら、なおも豪快に咆哮していた。



「我が朋友コナルの名に懸けて!」



 ルーンを象った刺繍入りの外套を靡かせ、
 白銀の籠手が包む逞しい腕が担ぐのは。
 巨大な、

 ()であった。

「――勝利の栄冠は、諦めねぇ奴の頭上にこそ輝くのさ!」

 高らかに謳う益荒男のスケールに、誰しもが圧倒される。

「ダンドークの城を枕に逝きな、『圧し潰す死獣の褥(ソーラス・カスラーン)』!」

 字面としても滑稽な形容である。投擲された城が、再生し尽くす直前の魔神を、いとも容易く押し潰したのだ。

 軽やかに着地した蒼い槍兵は、獰猛に牙を剥いて、消えかけの体で礼を示した。

「マスター! 報告するぜ。世界の一端、確かに撃破して来た。今のはちょっとしたサプライズって奴さ」
「ランサー……お前、」
「んだぁ? だらしねぇ、男ならしゃんと立ってろ」

 膝をついたままの俺に、最強のランサーたるクー・フーリンは呆れたように手を差し伸べ、無理矢理にでも立たせてくれた。
 脚が消えている。体も、ほぼ全てが光の粒子となって消えていた。だがそれでも、ランサーは言う。肩を叩き、活性のルーンを俺に刻みながら。
 真剣に、男が、男に、告げるのだ。

「テメェはオレに言ったな? 二つの世界の片割れをオレに任せる、テメェらはもう一つの方を始末するってな」
「……」
「オレは勝ったぜ。なら、今度はそっちの番だ。オレの認めたマスターなら、きっちり勝ちきってみせろや」

 ドン、と胸の中心に拳を当てられる。
 消えていくクー・フーリンは、やれやれ、これでオレの仕事は一旦終わりだなと言って消滅した。
 まるで、俺が勝つのは当たり前だと言うような、余りにも爽やかで、後腐れのない退場。

 拳の触れた胸が、熱い。

 負けてたまるか、なんて分かりやすい気力が湧いた。
 元より勝利への想いは無限、溢れるものも勝利への渇望のみ。俺は、自身を潰す城を膨大な量の樹木で押し退けた魔神に向かう。
 そうだ。まだだ、まだやれる、やれるとも。剣化する肉体はまだ動く。なら行こう。勝ちに行こう。休んでろと言ったのに勝手に逝ったアルトリアに文句を言わなきゃならない。俺にはまだ『先』が必要なんだ。まだ生きていたいのだ。

 状況は振り出しに戻った。だが、負ける気がしない。声もなく、俺は駆け出す。何も持たず、拳だけを握って、衝動的に一直線に走り出した。
 オルタが前を行く。その前をアタランテが馳せる。傍らのネロが高揚するままに何かを歌っていた。

 嗚呼――負ける気がしない。その俺の心に呼応するように、()が響いた。






「真名、開帳。わたしは災厄の席に立つ」






 ――霊基(こころ)と身体が合一する。
 どこか甘かった機構の歯車が、がっちりと噛み合った。
 ――嗚呼、本当に。なんて人達なんだろう。
 少女は想う。
 青い騎士王の鮮烈な輝きを。黒い騎士王の凄絶な煌めきを。優美に咲く赤薔薇の皇帝、神話の時代の伝説の狩人、一つの神話で最強を誇る蒼い槍兵。そして、



「――其は全ての疵、全ての怨恨を癒す我らが故郷……」



 無色の世界に、色彩を齎してくれた、大切なひと。
 まだ、人理が焼却されていなかった頃。
 ドクターと、所長と、一緒に歌ってくれた。一緒に美味しいものを作って、一緒に食べてくれた。
 外の世界の事を沢山話してくれた。
 苦手だったけど、楽しい運動を一緒にしてくれた。

 壮絶に戦う彼の背中は、等身大の生への渇望だった。

 ――守りたい。

 自分なんかがそう想うのが厚かましいぐらいあのひとは強いけど。それでも、助けになりたい、どこまでも一緒に在りたい、これからの未来を一緒に見たい。
 その想いが、少女を走らせた。
 一生懸命に駆ける。遠い、遠い背中に追い付きたくて。あのひとの見ている景色がどんなものなのか、知りたくて。

 絶望が見える。

 未来を無くそうとする、とても怖い、魔神。
 瞬く間に樹界を復活させ、全てを呑み込もうとしていた。
 だけど、大丈夫。
 雪花の楯を駆けながら構えて、裡から導かれるままに唱えて。



「顕現せよ」



 顕すのは、想い。
 形にするのは、それだけでいい。
 素直に見つめよう。迷いなく見据えよう。
 四方から取り囲むように迫る暗い樹界を、決してあのひとには届かせない。



「『いまは遙か(ロォォド)』ッッ――」



 頑張って、力を振り絞る。
 驚いて振り向くあのひとに、楯の少女は全力で微笑んだ。



「『理想の城(キャメロット)』!」



 ――そうして顕現した白亜の城壁は、あらゆる不浄を祓い、あらゆる穢れを落とし、あらゆる脅威を打ち払う鉄壁の守りと化した。
 ここに絶大なる質量は無力に堕す。
 城壁の外から押し潰さんとするヘドロの樹木は悉く弾かれ、白亜の城に取り込まれた魔神は一切の穢れを放てない。腐り落ちていた樹槍は純潔の領域に赤みを取り戻し、人の心なき魔神の瞳に、微かに光が戻った。

 アタランテが気合いと共に『火』の灯る大剣を魔神に突き刺した。
 『火』が魔神に吸収される。本来あるべき器へと。
 そして、あたかも自分から刃を受けるように魔神は止まった。
 オルタが黒き聖剣で袈裟に叩き切る。
 ネロが大剣を思い切り振り抜いた。

 そして、

 剥き出しとなった聖杯を、男の渾身の拳が撃ち抜いた。

 霊基(からだ)から聖杯が飛び出る。駆け続けていたマシュが、それを走り抜き様に回収した。

 仁王立ちする魔神は、身体を崩壊させながら眼前の男に――否、この場全ての者に向けて短く告げる。勇者らの健闘を讃えるが如く。
 本来の、神祖の威厳を伴って。

「――見事。お前達の勝ちだ」






 

 

曙光、されど暗雲晴れず





 ――見事。お前達の勝ちだ。

 厳かに言祝ぐ赤色の視線に、俺は何も言えずその場に頽れた。
 力が尽きた。
 張り詰めていた線が途絶えた。
 難業を成し遂げられた安堵に意識が切れた。
 聖杯片手に大慌てで駆け寄ってくるマシュが最後に見えて、苦笑する。
 相も変わらず、最後の最後が締まらない。もうちょっと格好よく終わりたかったと思うのは我儘だろうか。余力を残してスマートに片付ける……そんな終わり方もありの筈だろう。
 特異点化の原因は排除した。定礎は復元し、特異点は消える。冬木を併せれば三つ目の人類史の異常が正される。
 七つある内の、まだ二つだ。なのに半分もこなしていないのにこんなザマ。少しはゆっくり確実な方法で戦いに臨みたい。ギリギリなのはこれが最後だと思いたい。時間的猶予が皆無なのは本当勘弁して欲しかった。
 そういえば、冬木の特異点……あれは……なぜ七つの特異点にカウントされていない? 些末な事だが、七つではなく、八つと数えるべきではないか?
 意識は無くても、うっすらと体が揺れるのを感じる。カルデアに帰還したのだろう。コフィンから運び出されると、俄かに周囲が騒然とした。

 ――衛宮殿がまた死にかけておられるぞ!

 医療班の誰かがそんな事を叫んだ。コイツは日本人だなと重たい意識の中で思う。
 確信だった。間違いない。なんか後藤に似ているな、なんて――冬木で学生をしていた頃の同級生と、下らない相似点を見つけて馬鹿らしくなった。
 なんだかなぁ。好きで死にかけてる訳ではないのに、死にかけてる所を見てネタに走らなくてもいいだろう。
 というかカルデアに今のネタが通じる奴がいるだろうか。いなかったら不謹慎なネタに周囲はくすりともせず、ネタを口走った奴は針の筵に座らされる事になるだろうに。馬鹿だなぁ。ほんと……馬鹿だなぁ。

「……」

 ふと気がつくと、染み一つない白い天井を見上げていた。

 清潔な空間だ。病的なまでに。
 きっと医務室だろう。ここで眠っていたのはこれが二度目だった。
 なんとなしに右手を持ち上げる。手を握ったり開いたり。なんの問題もなく動作するのを確かめて、次は左腕を動かそうとした。

 ――動かない(・・・・)

「……」

 視線をやると、椅子に腰かけたマシュが、俺の左手を握ったまま縋りつくようにして眠っていた。
 デミ・サーヴァントとして武装した姿ではない。カルデア局員としての制服を纏い、いつかとても似合うと誉めた眼鏡を掛けている。
 過酷な旅路だった。荒事や行軍に慣れていない少女には、精神的にとても辛かっただろう。なんだか起こすのも悪い気がしてそのままにしておく事にした。
 すぅ、すぅ、と一定の寝息をたてる、ずれた眼鏡の奥に見えるマシュの寝顔がなんだか可愛い。やはり眼鏡はいい文明だなと改めて確信する。

 左腕に感覚はある。しかしそれは、とても鈍い。

 傷の具合からして、俺が医務室に運び込まれ一日といったところか? 流石に何も無しとはいかなかったが、五体満足で帰ってこられたなら上等だろう。

「目が覚めたのですね、シロウ」

 気配を感じなかった。頭の芯がボケている。
 右側から声がしたので釣られるようにそちらを見ると、そこにはマシュと同じ白衣を纏ったアルトリアがいた。椅子に腰掛け、穏やかな面持ちで俺を見ている。果物ナイフでリンゴの皮を剥いて、自分でしゃりしゃりと食んでいた。傍らにいるオルタはぴくりとも動いていない。
 彼女が現代風の衣装を着込んだ姿を見るのは初めてではない。しかしその格好は些か予想外であった。思わず目をぱちくりとさせると、何故かハッとして、アルトリアは大慌てでリンゴを隠す。
 その様が可笑しくて、俺は不用意に口を滑らせてしまった。

「……なんだ、普通の女の子みたいだな」

 な、と開口一番の不意打ちに、アルトリアは頬に桜を散らして押し黙った。
 言ってから、しまった怒られる、と後悔した所へその反応。昔は女の子扱いされるとすぐに怒っていたというのに、どうしたというのか。
 アルトリアとは少し距離を置き、こちらを見詰めているオルタは、闇色のゴシックロリータじみた格好で静止している。その雰囲気に察して、俺は問いかけた。

「もしかして、ずっと着いててくれたのか?」

 二人に訊ねると、こほん、と咳払いしてアルトリアが応じた。

「ええ。シロウが倒れているとなると、私達もする事がありませんから。どうせなら着いておこうと決めて、オルタと共に傍にいさせて貰いました」
「……そっか。ありがとうな、アルトリア、オルタ」
「いえ。礼には及びません。勝手にしている事ですから」
「……本当にな。その『私』は寝ているシロウの額に唇を落とす程度には勝手だ」
「!? お、オルタ!?」

 突然の暴露にアルトリアが慌てて背後を振り返った。
 オルタはそんな自身を薄く笑いながら揶揄する。先の戦いの最中の事を指して。

「シロウ。余り『私』をからかわない方がいい。私はともかく、その『私』は、貴方が思っているほど慎みがある訳ではない」
「そっ、そんな事はしていません! シロウ、今のはオルタの虚言です、私はそんな破廉恥な真似はしていませんから!」
「……」

 額を触ると、なんとなくされた気がする。
 一瞬だけ柔肉が触れたような、触れていないような。曖昧な、錯覚と言えなくもない感じ。微笑んで、悪くない気分だよ、と呟く。
 固まるアルトリアを横に、オルタに言った。

「羨ましいならオルタにもしてやろうか?」
「……何を」

 一瞬体を揺らしたオルタは、半眼で俺を睨んだ。ちょっとした冗談なのに……。

「起き抜けに冗談を言えるとは、どうやら思っていたよりも元気そうですね。結構な事です。今度私の霊基を再臨する為のプログラムに付き合って貰いましょう」
「ああ。お前達の強化は必須だからな。必ず付き合う。約束する。……ところで他の連中は?」
「ネロは新規マスターとして色々な手続き、現代の常識の詰め込み等、超特急で知識を植え込まれています。アタランテはランサーに付き合い、専ら種火集めとやらに集中しているようです」

 そうか、と呟く。俺が寝ていても、カルデアは変わらず大忙しという訳だ。
 働きすぎて誰かが倒れなきゃいいが。特に、あの臨時司令官殿とか。
 今度機会があったらゆっくりと話したい。何かあの男は俺に対して遠慮がある。その垣根を取り払って普通に付き合いたかった。誰にも弱味を見せられない立場の者同士、言い合える事もあるはずだから。

 安心しきっているのか、無防備なマシュのふやけた寝顔に目をやって、淡く微笑む。
 あの時。真の力を発揮したマシュの想いは真っ直ぐに俺に届いた。恥ずかしいとか、照れ臭いとか、そういう余分な感情は無い。ただ嬉しかった。その心が心地よかった。白百合のような魂に向き合える事の喜びは、きっと何よりも得難いものだろう。
 上体を起こして、右手を伸ばす。ほっぺたを指先でつつくと、少女は眉根を寄せて難しそうに唸った。その様に、アルトリアも微笑み、オルタすら相好を崩す。

「守られてばかり、というのも情けない話だ。俺も、まだまだ強くならないと、な」
「貴方ならきっと、まだまだ強くなれるでしょう。私が保証します」

 そりゃ心強い、とオルタが相槌を打つのに俺は応じる。アルトリアも、遠いものを見る目で告げた。

「あの赤い外套の騎士の領域に、シロウは近づいて行くのでしょう。強くなるのは良い事ですがくれぐれも御自愛ください。シロウは今や、人理を守る最後の砦のメンバーなのですから」

 アルトリアの碧い瞳は俺の頭部を見ている。なんだ? と思って髪の毛を一本抜いてみると、それは白く染まって――否、正確には元の色素が抜け落ちていた。
 もしかして、真っ白? 問うと頷かれ、俺は暫し沈黙する。
 宝具の投影を、短期間でこなし過ぎた弊害だろう。別に死ぬ訳ではないし、肌はまだ無事だから気にしないでおく。マシュとお揃いだ、なんて笑ってみると、アルトリアは呆れたふうに嘆息した。

 緊張感も無くなると、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように空気音がした。扉が横にスライドする。医務室に、新たな訪問者がやって来たのだ。

「やあ。目が覚めたようだね」

 やって来たのは、ロマニ。医療部門のトップで、現カルデア・トップ。そして過労が最も嵩張る優男だ。目元にびっしりと濃い隈がある。
 その窶れた顔を見ると、ゆっくり寝ていた俺が悪い奴に思えて、若干居たたまれない気分になった。ロマニはそれでも、しっかりした足取りでベッドの横まで来ると、眠るマシュに微笑みを落としてまずアルトリアらに言った。

「割り込むようで恐縮だけど、ちょっといいかな?」
「ええ、構いません。……貴方には返しきれない恩がある。邪魔はしない」

 ……? そのやり取りに、首を傾げる。
 アルトリアとロマニは、俺が寝ている時に何かあったのだろうか。意味深な会話に、しかし深い疑問は抱かない。ロマニが俺の横に立って困ったふうに語りかけてきたからだ。

「さて。調子はどうだい、士郎くん」
「悪くはないな。ただ左腕の鈍りが酷い」
「魔術回路が焼き切れる寸前だったからね、それは仕方ないよ。寧ろそれで済んだのは幸運と言える」

 脇に抱えていた鏡をロマニは俺に向けた。
 ……肌の色以外、赤い弓兵と瓜二つの顔。やはり鏡は見ていて愉快になれるものではない。
 今のロマニはどうやらお医者様のようだ。こちらの怪我の具合、完治まで要する時間、現在の容態を詳細に説明してくれる。
 その上で、彼は髪の色について触れた。

「士郎くんの髪から色素が抜けた件だけど……士郎くんは、原因は分かっているね?」
「自分のした事だ、把握はしている」
「ならいいんだ。後遺症は今のところ確認出来ていないけど……」

 一旦、ロマニは言葉を切る。その上で前置きをした。

「これは医療部門を預かる者としての言葉だ。そうと知っておいてほしい」
「ああ」
「士郎くん。……もう固有結界は使っちゃダメだ」
「……」

 真剣な目だ。疲労ゆえか遊びのない、直截な物言い。
 分かりきっていた事である。当たり前の事を、彼は言っていた。

「固有結界。魔術の世界の奥義。使えるのはスゴいよ、それは認める。けれどキミの体は能力の割に回路が少なすぎる。サーヴァントを複数運用する身ではかかる負担を処理し切れない。今後、下手をするとキミは再起不能に陥りかねない程だ」
「……」
「……で、言いにくいんだけど、今度はカルデアの司令官として言わせてもらう。キミの固有結界はとても有用だ。能力じゃなく、結界という特性がだ」

 矛盾した事を言っている。そうと弁えているからこそなのか、ロマニは気まずげに目を背けながら髪を掻いた。
 ロマニの言わんとしている事はわかる。いや寧ろ言われるまでもなく有用性など知っていた。

「……敵がどれ程多くても関係ない、狙った敵だけを結界に取り込んで、こちらが数の優位を確保したまま戦闘に入れる優位性、士郎くんなら言うまでもなく分かって貰えると思う」
「まあな」
「ボクも言いたくはないけど、言わないといけない。もし今後、戦いを決めにいく時、或いは圧倒的多数の敵に囲まれた時、必要なら躊躇わず固有結界を使うんだ。タイミングは士郎くんが判断して良い」
「了解だ、司令官」

 苦しそうに言うロマニに、しかし俺はあくまで軽く応じた。戸惑ったようにこちらに視線を戻してきた優男に、俺はなるべく陽気に笑いかける。

「どうした、気に病む必要はないぞ、ロマニ。お前は当たり前の事を命令しただけだ。ロマニは正しい、全く以て。反論の余地などどこにもない」
「……」
「俺は最後のマスターだった。だが今はネロがいる。つまり、俺だけが人類の命運を担っているわけではない。最悪俺を切り捨て、ネロを生かすべき状況も今後出てくるかもしれないんだ。あらゆる可能性を想定しておくのは必要なことだ」
「……そうだとしても、ボクは、そんな命令はしたくないんだよ」

 絞り出すような声音だった。静かに激する瞳は、しかし気弱そうな、情けない表情に隠されている。
 マシュを見下ろし、ロマニはぽつりと言った。

「キミがカルデアに来たばかりの事、覚えてるかい?」
「ああ」
「マシュが何も知らないで……いや、知識ではなく、何も体験が積めてない状態でいた事に、キミはとても怒った。一発殴られたの、今でもはっきり覚えてるよ」
「……おい、その話は済んだだろう。後、お前も殴り返してきたろう」
「殴り返せと言ったのはキミだ」

 殴られた左頬を擦るロマニは、なぜか嬉しそうだった。

「それから、キミはボクやマリーに、マシュに情操教育と称して色んなレクリエーションをさせた。歌ったり踊ったり……楽しかったよ。マリーもマシュの事を怖がってたけど、最後らへんはヤケクソになって楽しんでたと思う。ボクは……不躾だけど、士郎くんのことを友人だと、思ってる」
「……」
「……マシュが今みたいに活気づいて、普通の女の子になれたのはキミのお蔭なんだ。ボクはキミにとても感謝しているんだよ、士郎くん。だから、」
「……ロマニ。それ以上は言うな」

 苦笑して言葉を遮る。
 彼が自分に友情を感じてくれているのは素直に嬉しい。
 だがそれとこれとは話は別だ。俺だって死ぬ気はないし死にたくないが、公的には優先順位というものがある。
 私的には幾らでも私情を垂れ流していいが、ロマニや俺の立場を思えばそれさえも自制すべきなのだ。
 なぜなら今のカルデアは、ロマニという存在と、俺の実績によって保っているようなもの。せめてカルデアのスタッフらがメンタル面で持ち直すまで、あらゆる場面で泰然としていなければならない。

「感謝しているのは俺も同じなんだよ、ロマニ」
「え……?」
「カルデアに雇われたお蔭で人理焼却から免れた。命の恩人なんだ、お前達は。そしてこんな俺が、強制的とはいえ正義の味方じみた偉業に携われている。……形だけの、看板だけの正義の味方だが、こうしていられる事はとても幸運なんだと思う」
「……」
「だからロマニ、お前は何も気にするな。正式な雇い主はアニムスフィアだが、今はお前が代行だろう。雇われ者として最善は尽くす。だからロマニは命令すればいい。人理を守れ、エミヤさんってな」
「……分かった」

 後ろめたさのようなものを隠しながらロマニは頷いた。
 カルテを纏め、ロマニは数瞬、俺を見て。
 何かを言いかけ、酷く迷う素振りを見せた。だが、

「ロマニ・アーキマン」

 オルタが唐突に口を開き、ロマニに釘を刺した。

「黙っていろ。それ(・・)はシロウが知る必要はない事だ」
「……でも、これは」
「黙れと言った。私は気にしないし、シロウも知った所で気にしない。だから余分だ、それは。無駄な事を貴様は自己満足で口走ろうとしている。自制しろ。死ぬまで」
「……」
「当人の前で堂々と秘密事か? 余り良い気はしないな」

 人間誰しも秘密は抱えているものだが、こうも明け透けにされると鼻白むものがある。
 思わず呆れると、オルタはそっぽを向いた。
 アルトリアは何も言わない。ロマニも気まずそうだ。
 はぁ、と嘆息する。

「そんな重苦しい顔をするな。よく分からんが、俺が知ってもどうしようもない事なんだろう? なら言わなくて良い。そこのところはお前が判断しろ、ロマニ」
「……すまない、ちょっと変なことを言い掛けたかもだ」

 マシュもそろそろ起きそうな気配がする。俺はそれで、と本題(・・)に入る事にした。

「で。何しに来たロマニ。スタッフを使わず、わざわざ自分で俺の所まで来た事情を言え。どうせろくでもない事だろうけどな」
「……お見通しか。流石だよ」
「何が流石だ、そんなあからさまに何かありますよって面しておいて」

 もう苦笑すら出来ない。本当、忙しないなと思う。
 体調は万全ですらないのだからトラブルは勘弁してほしいなと心から願った。
 が、無常。現実は残酷である。
 意を決したロマニが、重苦しく言った。

「新たに特異点が二つ(・・)観測された」
「………………なに?」
二つ(・・)の、七つの特異点とは別に、人類史の歪みを発見した」
「……………………」

 アルトリアを見ると、目を逸らされた。
 天を仰ぐ。神よ、どうか殴らせたまえと呟くしかない。
 ロマニは言った。

「ついてはカルデアは、それぞれの特異点に衛宮士郎、ネロ・クラウディウス両名をレイシフトし、同時に特異点をなんとかする事になった」
「………………いつ?」
「三日後」
「……………………」

 俺は思った。
 糞過ぎるだろ、と。

 しかし腐っていても仕方ない、俺はロマニに提案するしかなかった。

「新規のサーヴァントを二騎、出来るなら三騎召喚したい。至急手配するようにレオナルドに言ってくれ」







 

 

人理守護戦隊衛宮




 ――あなたのお名前は、なんですか?

 人理継続保障機関に、マスターとして招聘されてより幾日。色彩の欠いた少女は、儀礼的にそう問いかけてきた。

 咄嗟に、返す言葉を見失った。

 無垢といえば、無垢。しかし根本的には別種の、どこか冬の少女を彷彿とさせる無色感。あらゆる虚飾、欺瞞を淘汰する清浄な視線に、俺はなんと答えるべきか判じかねたのだ。
 衛宮士郎、と名乗ればいい。それでいいはずだ。これまでその名で通してきた。この名を名乗ることに些かの不具合も感じない。
 ――なのに、その名を口にする事を俺は酷く躊躇ってしまった。
 思い出せない、本当の名前。
 衛宮士郎が本名だと理解している。衛宮士郎という記号は己を表すのだと了解している。なのに何故躊躇うのか。違和感も異物感もないのに、どうしてすぐに答えられなかったのか。
 問われても、返すべき名前は一つだけ。故に一瞬の迷いと共に、俺は本当(いつわり)の名前を舌に乗せる。偽りだと感じるのは自分だけだと知って(おもって)いるから。

「おはようございます、先輩。朝ですよ。今朝からスケジュールはきつきつですが、いつも通り頑張りましょう!」

 束の間、ユメを視ていた。
 医務室にやって来たマシュの、気合い十分な姿に霧散した夢見心地。曖昧な歯車の残照が、ふわふわとした現実の重さを取り戻す。
 俺は大儀そうに体を起こす。左腕の回復までまだ時間は掛かりそうだ。ベッドから抜け出してなんとなしに体の節々を動かし状態を整え、病人服のまま後輩と呼ぶには歳の差のありすぎる少女に、挨拶と共に短く問いかけた。

「おはようマシュ。今朝は何をする予定だ?」

 寝惚けているのか今一予定を思い出せない。
 マシュは一瞬、目をぱちくりとさせた後、やや戸惑いがちに説明してくれた。

「え? え、っと……新たな特異点へのレイシフトまで後二日。今日と明日を挟んで、明後日の午前十時丁度に作戦を実行する運びとなっています。それまでに先輩は、今日と明日を利用して、新たなサーヴァントの召喚を試み、内何騎かはネロさんと仮契約して頂くよう説得すると昨日ドクターと話し合われたはずですが……」
「……そう、だな。うん、そうだった。思い出したよ」

 序でにレオナルド・ダ・ヴィンチにカルデアのシステムを弄らせ、俺とネロの霊的経路を繋げる事でマシュの盾の恩恵――複数の英霊と契約可能な権利――を共有出来るようにして貰っていた。
 マシュが自らの霊基の名を知った事で、彼女と契約していると守護の力がマスターに付与されるのが判明。その守護の力の配分は、マシュ本人の意識的にか無意識的にか割り振られる。人外魔境では非常に頼りとなる力なのは疑いの余地がない。

 俺は頭を振る。眠気を晴らしてマシュに言った。

「……さて。朝一番の英気を生むためにも、まずは飯にするとしようか」

 何が良いか。ここは無難に白米に味噌汁、簡単なサラダと鯖の塩焼きにしようか。
 何事も人間の気力次第。何を成すにもまずはやる気になる事が大事だ。一日の活力となる朝食を抜くなんて有事の際を除いて有り得ない。「朝御飯の支度、わたしも手伝いますね!」と白衣の少女は元気よく相槌を打ってくれた。
 そうだな、そうしてくれると助かると微笑み。俺はとりあえず洗面台に向かって顔を洗い意識を覚醒させた。

 ――鏡に映る剣の丘。光を忘れた歯車が、蒼穹のソラの中で廻っている。

 目の霞んだ先に幻視する。高度な文明の結集されたカルデアの灯。清潔で、冷徹で、人の居住区画としては些か生活感の欠けた風景にも、すっかり慣れてしまった。
 しかし時々、平凡な屋敷の住まいが恋しくなる時がある。その度に、生活感の大切さを思い出すのだ。

 第二特異点の人理定礎を復元してよりマシュは変わった。
 根っこの部分はそのままに、より活闥に、より積極的に、より能動的に振る舞う、外の世界を知ったばかりの小動物じみた印象を受ける。よい変化なのだろう。微笑ましく思う。

「フォウ!」
「――ん?」

 廊下に出て、通路を辿り食堂を目指していると、不意に背後から聞き慣れた小動物の鳴き声がした。振り向くと、ふわふわとした白色の獣が飛び掛かってくるところだった。
 顔にぴたりと止まって、頭の上に登り、そこからマシュの肩に飛び移った獣はもう一度フォウ! と愛らしく鳴いた。

「あ、フォウさんおはようございます。一緒に朝御飯でもどうですか?」
「フォウ! フォウ! キュ」
「……おはようフォウ。しかし、フォウは何を食べるんだ? リスと同じ木の実とかでいいんだろうか」

 そんな事はないのになんだか久しぶりに見た気がする白い獣。頭の白い俺とマシュ、フォウを並べてみると微妙に絵面的にマッチしていて可笑しかった。
 相好を崩しつつ、指先でフォウの顎下を撫でると気持ち良さそうに目を細める。
 何を食べるか分からないので、とりあえずこの小動物の反応を見ながらぼちぼち試すかな、と思う。
 少女と小動物の組み合わせはなかなかいいものだな、なんてのんびりとした事を考えつつ、俺は食堂に着くと手早く朝食の用意を始めた。

「そういえばアルトリア達の姿が見えないが、どうしたんだ? 大体これぐらいの時間帯には食堂でスタンバってるんだが」
「アルトリアさんやオルタさんは現在、カルデア・ゲートで仮想竜種と延々疑似戦闘を行っています。なんでも『逆鱗……逆鱗……』『牙落とせ……牙……』と、うわ言のように繰り返していたとか」
「……逆鱗? 意味分かるか?」
「さあ……」

 朝早くから何やら励んでいる様子。邪魔するのも悪いから何も言わずにおくのが吉か。フォウ、と呆れた風に嘆息した小動物に、俺はなんとなく苦笑する。
 朝食の支度を終えて、僅か10分で二人分の米が炊けたのに『やっぱこの釜欲しい』とカルデア驚異の技術力に感嘆する。小動物には一応サラダを提供してみたが、反応はまあ普通。何事もなくもしゃもしゃと食べている。ドレッシングも避ける様子はない。後プチトマト辺りが気に入ったと見た。

「フォウ!」
「……あ、ああ。すまん」

 じー、と食事風景を観察していると、不意に小動物は不満げにこちらを睨んで鳴き声をあげた。まるで『そんなに見られたら食べづらい』と抗議を受けた気分になって、俺はなんとなく謝罪した。
 くすくす、とマシュが笑う。気恥ずかしくなり、黙々と朝食を口に運んだ。
 長閑な空気の中、食器の音だけが鳴る。やがてマシュやフォウ共々綺麗に平らげると、ごちそうさまの挨拶を置いて、俺は食器を纏めると台所に移動した。

「そういえば先輩は、この後の英霊召喚についてどう思われていますか?」
「ん……どう、とは?」

 曖昧な問いに、俺は食器を洗いながら聞き返す。質問の意図が不明瞭だった。

「あの……なんと言いますか。また(・・)、アルトリアさんが来ちゃうような気がするんです」
「……」

 俺が密かに抱いていた懸念を、そのまま口に出したマシュに一瞬手が止まった。
 すぐに動き出し、俺は応じる。

「そうそう同じ奴は来ないだろう。というか、英霊は万といるんだぞ。その中でピンポイントに同じ奴が揃う訳がない。どんな確率だっていうんだ」
「……でも、その、カルデアの英霊召喚システムは緩いと言いますか。正直あり得ないとは言い切れないかな、と」
「……まあ、それはそうだが」

 真面目な話、もうアルトリアは勘弁して欲しいというのが本音である。
 何もアルトリア顔を邪険にしているのではなく、戦力の種類的に同型が重なるのは好ましい事とは言えないのだ。大火力、大いに結構だが現実的に運用するとなると話は変わってくる。二人のアルトリアだけでもやや持て余し気味なのに、三人目、四人目と嵩張ると俺が一瞬で干上がるのは確定である。
 オールマイティーな戦術を採れる低燃費な英霊か、自分で魔力を補える独立型か、はたまた正統な魔術師タイプが来て欲しい。

「まあ何を言ったところで結果が変わる訳でもない。何時の時代の奴が来ても相応の対処はするさ」
「例えばどんなふうにです?」
「ん? 例えば……青髭とかだな。奴は問答無用で退去させる。子供を害するという事は、人の未来を奪っている事に他ならない。そんな輩と肩を並べるのは不可能だ」
「なるほど……」

 ジル・ド・レェは救国の英雄である。知名度的に聖女ジャンヌ・ダルクが持ち上げられるが実質的にフランスを勝利させたのはジル・ド・レェであり、実態を見ればジャンヌ・ダルクはジル・ド・レェの添え物でしかない。
 英霊としての格は、どうしたって聖女の下になるだろうが、実力で言えばジャンヌなど歯牙にも掛けぬものがある。最盛期の元帥としてなら、戦略という見地からすれば非常に頼りとなるだろう。
 だが、人格的に信用ならない。如何なる理由があれど、聖女の火刑の後に狂い数多の罪業に手を染めた事実は動かないのだ。信奉する聖女が守ったはずの国から裏切られ処刑されたとしても、全く関係のない無辜の民を傷つけていい理由にはならない。
 『自分は酷い目に遭ったから酷い事をしてもいい』なんて――悲劇の主人公ぶった振る舞いをする奴は軽蔑に値する。そんなに赦せないなら反乱でもして当時のフランスの上層部や異端認定した輩を根絶やしにすれば良かったのだ。当時のジル・ド・レェの名声や実力からして、相当良いところまで行けたはずである。
 まあ最後は普通に破綻するだろうが。それをせず弱者にのみ悪意を向けたジル・ド・レェは、はっきり言って気骨の欠けた匹夫でしかない。

 雑談はそこで切り上げ、俺はマシュと共に英霊召喚ルームに移動した。
 とてとてと付いてくるフォウに和む。癒し系小動物は見ていてとても気分が和らぐ。かわいいは正義と人は言うが全くその通りだ。正義の味方としてかわいいの味方になるのは正しい事である。フォウはもう駄々甘に甘やかして、これでもかと可愛がるのがいいかもしれない。

 ぶっちゃけマシュとの組み合わせが大正義なので、その場合はマシュも一緒でないとならないが。

 そんなこんなで到着した儀式の間。俺はマシュの盾が設置されるのを見届けて、ふと思った。
 アルトリアが出てきたらどうしよう……。
 個人的には嬉しいのは嬉しい。彼女の別側面とか別の可能性とか見てみたい。
 しかし、しかしだ。現実的に魔力が足りないので勘弁して欲しいのが本音。どういうわけか、自分と彼女の縁は深く、下手すれば全クラスをコンプしてしまいそうな恐怖がある。もしアルトリアが来たら……どうしたらいいのだろう。

 今更だ。どのみち戦力は多いに越したことはないと諦めるしかない。俺は決然と告げた。

「始めよう。ロマニ、レオナルド、こっちの準備は整ったぞ。呼符も確かに設置した」
『こちらでも確認したよ。霊基一覧も起動した。電力を廻すからいつでも始めてくれ』

 ああ、と頷き、俺は召喚システムを作動させる。
 爆発的な魔力が巻き起こる。青白い燐光が呼び出される霊基に輪郭を与えていく。
 さあ誰が来る。槍トリアか。弓トリアか。騎馬トリアかそれともエクストリアか。誰でも来い、と腹を括った。もうあれだ、ここまで来たら覚悟も出来た。円卓系列なんだろどうせと思う。

 やがて、光の中に現れた人影は、逞しい男性の姿を象っていく。

 ああ、アルトリアじゃなくて円卓の騎士か。ランスロットはダメだ。ガウェインかこの前アルトリアの言っていたアグラヴェインがいい。特にアグラヴェインとか今のカルデアに必要な人材である。
 あ、アルトリアを連れてくればよかった、と思う。明日はアルトリアを連れてこようと決めて、俺は光の中に声をかけた。

「よく来てくれた。カルデアは召喚に応じてくれたサーヴァントを歓迎する」

 儀礼的にそう告げる。

「俺は衛宮士郎。こっちはマシュ・キリエライト。よければそちらの真名とクラスを教えてくれ」
「……」

 答えはない。重苦しい空気だった。
 ん? と首を傾げる。そういえばこのシルエット、どこかで見たような……。

 光が失せる。視界が安定する。そうして徐々に明瞭となっていく視界の中。まず目に映ったのは逆立った白い髪と浅黒い肌。赤い外套だった。

「……」
「……」

 絶句、した。
 マシュもまた、絶句していた。
 サーヴァントも、絶句していた。

「……」

 ……。

 暫し、沈黙したまま向き合い。
 赤い外套の弓兵は、なんとも複雑そうに名乗るのだった。

「……アーチャーのサーヴァント、召喚に応じる気はなかったが、気づいたら此処にいた。強引にオレを呼びつけるとは、物好きにも程があるな?」
「……」

 新たに二騎か三騎召喚する内の、記念すべき一騎目に。
 なんの因果か、よくよく縁のある男を引き当ててしまった。

 誤魔化しようがない。俺は遠くを見た。神様って奴はほんと良い趣味してるなぁ、なんて。不覚にも、現実から逃避してしまった。

 そう。
 英霊召喚サークルの中心には、
 あの、
 英霊エミヤがいたのだ。






 

 

円卓の衛宮





 所変わって食堂である。

 時刻にして14時35分。局員らの憩いの場として賑わっていたのも少し前。人気が散ってすっかり淋しくなった食堂で、溜まっていた食器を軒並み片付けた男は。
 食堂の片隅で腕を組み、立ったまま壁に背を預け、沈黙している赤いフードの暗殺者と。同じく無言で佇む赤い外套の弓兵を尻目に、ホワイトボードを片手に台所の前に立った。
 男もまた非常に悩ましげに眉を顰めている。黒ペンのキャップを抜き、持ってきたホワイトボードに乱暴に『円卓の衛宮』と殴り書いた。
 事案発生である。
 青い騎士王が見たらトラウマが再発して泣きそうなまでに固く、強張った空気の中、男は極めて重々しく口を開く。誤解を避ける為に言うが、彼は限りなく真面目だった。

「第一回、チキチキ円卓の衛宮開幕です。全衛宮は素直に言う事を聞きなさい。聞かなきゃ令呪使うのでそのつもりで」

 ――ひと言付け足すと、彼は血迷っている。

「……」
「……」

 無言の重さは剣の丘、或いは起源切り嗣ぐ魔術回路といった所か。男は一つ頷き、やはり自身が仕切らねば何も進まぬと確信を深めて口火を切ることにする。
 ホワイトボードに『議題1』と書き込み、暫しペン先を虚空にさ迷わせ、やや躊躇いがちに『特異点F炎上汚染都市冬木』と記入する。途端に弓兵の頬がぴくりと引き攣った。

「さて、まず何から話すべきか……」

 全員白髪である。見ようによっては全員に血の繋がりがあるように思えるかもしれない。
 しかしその実態は、血縁上は赤の他人の暗殺者と、血縁どころか平行世界の自分自身の計三人。ある意味血よりも濃い概念で繋がった三人である。舵取り役もなく放っておいたら、穏やかに話が進む訳もない。暗殺者は完全にどうでも良さそうで、弓兵はそんな暗殺者が気になって仕方なく、男は男で弓兵が気になっていた。
 なにはともあれ、黙っていたのではなんにもならない。男は悩ましげに頭を掻いて、まずはハッキリさせておくべき事を考えた。

「えー……と。そうだな……。よし、こうだ」

 ホワイトボードへまず『弓宮』と記入。その下に『切宮』、更にその下に『俺宮』と書いた。微妙に分からないようで分かる仮称に、変な奴を見る目で暗殺者と弓兵は男を見た。
 そして、弓宮の横に『加害者』、切宮の横に『実行犯』、俺宮の横に『被害者』と書く。男は振り返り、左右のエミヤに向けて厳粛な面持ちで問いかけた。

「これでおーけー?」
「待て」「待て」

 弓兵は苛立たしげに吐き捨てた。暗殺者も赤いフードの下で物言いたげである。

「貴様、よくも己は被害者等と言い張れたものだな」
「余り言えた口じゃないが、駒の打ち手が被害者面するのは気にくわない。兵士の撃った銃の引き金は、上官のものとして計上するべきだ」
「ふむ」

 ふたりの意見を聞き、加害者、実行犯、被害者の記述を消してそれぞれに『お前が悪い』、『情状酌量の余地あり』、『俺は悪くぬぇ!』と書き込んだ。
 ぴくぴくと口端を震えさせ弓兵は男を睨むも、男はまるで痛痒を覚えずどこ吹く風。口笛を吹きながらわざとらしく議題1終了と記入。そのまま流れるようにして議題2の『カルデア内での取り決め』を記して男は弓兵――英霊エミヤに視線を向ける。
 彼は率直に告げた。ずるずると蟠りを後まで引き摺るほどガキではないし、そもそも彼は英霊エミヤを嫌っている訳でもない。いや寧ろこの世で最もリスペクトする英雄のトップ5以内にランクインしているほどだ。なのでなんら負の感情もなく彼に言える。

「――ぶっちゃけ冬木のあれは本当に俺は悪くないので謝らないから」

 心底嫌そうにエミヤは顔を歪めた。
 彼がこうまで露骨に、ほぼ無条件に嫌悪感を出すのは、世界広しといえども衛宮に対してだけだろう。それ以外には大抵情状を酌量して、相応しい態度を算出しているはずである。
 エミヤは男からの言葉をばっさりと切り捨てた。彼にとっても、そんなものは無価値でしかないのだ。

「端から貴様に謝られたいと思っておらんわ、戯け」

 詰まる所、あの時は敵対していたから戦ったというだけでしかない。勝敗の行方も、順当と言えば順当なものだった。
 エミヤはあの時、聖杯の泥によって黒化し、思考能力が低下していた。持ち前の心眼が曇っていたのだ。そうなれば本来の実力を発揮出来るはずもなく、アサシンという鬼札を持っていた衛宮に敗北したのは自然だった。

 衛宮はエミヤを嫌っておらず、エミヤも衛宮を既に己とは別人だと割り切っている。その時点で両者に怨恨の類いは一切ない。ただ、エミヤの方は色々と複雑なものを抱えている訳であるが。

「ならいい。恨みっこなし、そこは割り切ろうぜ。お互いガキじゃないんだしな」
「……そうだな。だがそれはそれとして、オレとて聖人君子ではない。こちらに言いたい事があるのは貴様も了解しているだろう」

 衛宮は頷く。エミヤが言いたい事は解っていた。貴様に敗けたままなのは我慢がならん、再戦を要求する――という事だろう。
 然もあらんとエミヤは頷いた。彼は自分との対決の不毛さを弁えているが、かといってあんな(・・・)負け方をしてそのままにしておけるほど大人でもなかった。

「自傷は趣味ではないが聞いておこう。あの時、もしオレが黒化していなかった場合、貴様はオレを倒せたか?」
「ああ」

 衛宮は即答した。彼はエミヤの手札を知っている。そしてエミヤは切嗣の存在を知らなかった。こんな好条件で戦って、どうやれば負けるというのか。しかも、こちらにはマシュもいたのである。勝算は充分すぎるほどあると言えた。

「まあ懸念はあるがな。遠距離からの狙撃をそちらが徹底した場合、こちらの執れる行動は二つ。アーチャーを無視して本丸に乗り込むか、狙撃を防ぎながら狙撃手に接近するかだ」
「オレを無視した場合、オレはセイバーと合流しようとしただろう」
「そうするよな、当然。それは非常に面白くない」

 あの時にアーチャーとセイバーを同時に相手にするのは非常にマズかった。
 キャスタークラスのクー・フーリンが後から参戦してくれただろうが、それでも厄介さは変わらない。

「後者の場合、オレは只管に狙撃ポイントを移りながら執拗に盾の少女を狙っていただろう。今の彼女は知らないが、あの時は心に隙が見えた。突くなら徹底したろうさ」
「俺はマシュを激励しつつ、意地でもお前を俺の射程圏に収め、カラドボルグからの壊れた幻想コンボを叩きつけようとするだろう。マシュはあれでガッツがある、苦戦するだろうが俺の射程距離にお前を捕まえる所までは行けたはずだ」
「? ……まあ、そうだな。射撃戦で貴様がオレに勝るとは思えんが、交戦開始より7分から14分辺りで貴様の第一射が始まったろう」
「で、カラドボルグを射たれたらそちらはどうしていた?」

 一瞬、エミヤはあの時の状況を脳裏に浮かべ自らの戦闘論理に沿い一つの結論を導き出す。
 カラドボルグは強力だが、連発出来る代物ではない。広範囲を巻き込む壊れた幻想に繋げられると爆発に巻き込まれかねない。故に、ほぼ確実に薄紅の七枚盾を展開した筈だ。そうすれば、投影品の螺旋剣は完璧に遮断される。

「それで詰みだ」

 衛宮がそう言う。なに? とエミヤは問い返した。
 そこで衛宮は、これまでエミヤが出来るだけ視界に映さないようにしていた衛宮切嗣へ解説を促した。

「切嗣、この負けず嫌いに教えてやれ」
「……了解。まあ、これからは味方だ、教えても問題はないか」

 切嗣が懐からナイフを取り出す。
 物の構造を把握することにかけては異能じみた眼力を誇るエミヤである。その異様さを瞬時に察する。
 そしてあの時、自身を仕留めたナイフの存在を思い出し、エミヤはその顔が苦り走るのを抑えられなかった。

「『神秘轢断(ファンタズム・パニッシュメント)』――僕の第二宝具だ。これは僕の起源である『切断』と『結合』が具現化したもの。どんな作用があるかは身を以て思い知っただろう」
「……ああ。まさかアンタにやられるとは思いもしなかったから、よくよく覚えているよ」

 皮肉げに、エミヤは呟いた。
 彼の身の上を知らされたエミヤの驚愕を、絶望と諦念を、理解し得る者はいまい。
 双方共に敢えて親しくする気も、何かを話す気にもなれず、エミヤは切嗣を避け、切嗣もエミヤに関心はない故に関係を改めようとはしていなかった。
 衛宮はノータッチである。どうせこれから長いのだ、同じ戦場で戦っている内に、なんやかんやで戦友として付き合うようになれると思っている。

「『熾天覆う七つの円環』は最高の護りだが、その性質上魔力を送り込む(・・・・・・・)事で強度を高める事が出来る。つまり、アイアスは魔術回路と繋がった魔術礼装と同系統の物。切嗣の第二宝具を撃ち込まれたら如何なアーチャーでも無力化してしまう。違うか?」
「……それに加えて、切嗣の気配遮断のランクがかなり高い事もオレは体感した。アイアスを展開した所を狙い撃たれれば結果は同じ。ふん、切嗣を知らなかった以上、オレの敗北は動かなかったか」

 忌々しげに舌打ちし、エミヤは問う。
 切嗣や自身と同系統の戦闘論理を持つ衛宮、この二人に加えてあの盾の少女、二人の騎士王にローマの第五代皇帝、アルカディアの狩人にあの(・・)アイルランドの光の御子。
 これだけ揃っていて更に英霊召喚を試みるとはどれほどの事態が起こっているのか。人理の危機は承知しているが、その詳細を知らないエミヤはそれを説明して貰いたかった。
 衛宮は、心せよ、そして絶望しろ、とエミヤに言う。特異点Fからの第一特異点の戦闘詳細、第二特異点での顛末を聞くにつれエミヤは顔を険しくし、更に明後日二つの特異点を同時に攻略すると聞かされ頭を抱えた。

「……貴様、よもや善からぬモノに呪われているのではないか?」

 エミヤは真剣にその可能性を検討した。いくらなんでも酷すぎる。人理の危機に泣き言など言っていられないが、それにしたって最悪だ。人類滅ぶべしという世界の悪意が聞こえて来そうである。

「人が気にしている事を……。……だが、アーチャーも俺達の窮状はこれで理解してくれたな? 全面的な協力を要請する。アーチャー、あんたの全能力を人類史を救うために貸して貰いたい。頼む」

 深々と頭を下げた衛宮を、エミヤは複雑そうな目で見るしかなかった。
 最初からこうだ。こちらは何かにつけ邪険にするのに、衛宮は全くエミヤに敵意を向けない。そのせいでどれだけやり辛く感じるか、やはりこの男には解らないのだろう。
 意地を張るのもバカらしくなる、まるで一人相撲ではないか。馬鹿馬鹿しくなり、エミヤは嘆息して言った。

「……はあ。やむをえまい、こんな時に私情を交えるほど私も愚かではないのでな。人類史を護るため、貴様に力を貸してやる。有り難く思え」
「ああ。有り難く思う。そして言質取った。早速力貸してくれ」
「……ん?」

 サッと頭を上げた衛宮は満面に笑みを浮かべていた。それはもう晴れやかな笑顔である。
 咄嗟に反応出来ず、我知らずエミヤは反駁しかけた。
 だが、それに先んじて懐から一枚の紙面を取りだし、衛宮はそれを赤い弓兵に押し付けた。

「それ、投影頼む。いやぁーっ、まさかアーチャーが来てくれるなんてなぁー、助かるわ! いやほんと。じゃ、後頼んだぜ。じゃあな」
「なん……だと……?」

 衛宮はポン、と弓兵の肩を叩いてさっさと食堂から去って行った。
 紙面には、螺旋剣が一日何本、赤原猟犬が一日何本――等と事細かに投影宝具量産の要請が書き込まれてあった。
 思わずエミヤは切嗣を見た。赤いフードを退けて、彼はやや哀れむようにしてエミヤに言った。

「お手並み拝見だ、本物のエミヤさん」
「……」

 切嗣はそれっきり、エミヤから視線を切って食堂から立ち去っていく。
 一人残された彼がホワイトボードを見ると、そこには何時の間に書き足されていたのか、議題2の所に『マスター命令は絶対』と記されていた。

『これで負担が減るヤッフゥゥゥウ!!』

 衛宮の歓喜の雄叫びがエミヤの耳に届き、

 この時、エミヤの中に殺意の波動が芽生えたのだった。






 

 

カルデアの救世主





「我ら影の群れを従えた以上は勝利も必至。ご安心召されよ、マスター」

 ――その日、カルデアは沸いた。

 薔薇の皇帝ネロのマスター勢としての加入によって『唯一』と冠されこそしなくなったが、その実績と実力から多大な信頼を寄せられるマスター、衛宮士郎の負担が軽減されたのだ。
 英霊エミヤの加入によってである。
 マスターの消耗は、少なければ少ないほど良い。同一能力者の参戦により士郎の負担は大幅に減じ、カルデアの誇るマスターが英霊に至りうる人物であったことが判明してカルデア職員の士気があがった。
 それだけではない。続く第二召喚により、士郎は凄まじい引き運を発揮。召喚サークルから発されるアサシンの霊基パターンに一瞬気落ちしかけたが、カルデアの人手(マンパワー)不足を一挙に解決してのける人材を獲得したのだ。

 ――そう。百貌のハサンである。

 その性質。その能力。その宝具。百人近くの分身を作り出し、それぞれが独立して――それも低燃費で――活動できる彼、或いは彼女は、今のカルデアが喉から手を出すほど欲する存在だったのだ。
 その事実にいち早く気づいた衛宮士郎は発狂した。急ぎロマニ・アーキマンとレオナルド・ダ・ヴィンチを呼び出し、共に発狂した三人で百貌のハサンを説得。カルデアでの業務をダ・ヴィンチを筆頭に数人の職員で数日間仕込み、ハサン約百体をカルデア運営に回すことがただちに決定された。

 カルデア救世主ハサン誕生の瞬間である。

「召喚早々悪いが、お前を戦場に連れていくことはない」
「なんですと?」

 最初、実力不足と断じられたと感じた百貌は不満を覚えたようだったが、士郎は言葉巧みに百貌を説き伏せた。

「そんな雑兵の仕事など百貌のハサンには相応しくないからな! そう、伝説の騎士王や神話最強の英雄にも真似できない、人理継続のための最前線こそが山の翁足るハサンに相応しい」
「むっ」
「百貌のハサン、その真の力を遺憾なく発揮させる事こそがマスターである俺の使命! 俺達の、人類の命運はある意味でお前達に掛かっていると言っても過言じゃない! 頼む、地獄のような戦いを潜り抜け、カルデアを救えるのはお前しかいないんだ!」
「ぬぅ……そうまで言われては否やはありませぬ。不肖ハサン・サッバーハ、カルデアの為、ひいては人理継続の大義のため、身を粉にして働くことを誓いましょう」
「(よっしゃ言質取ったぁ!)」
「……なにか?」
「いやいやいやその心意気に感動した! まこと感服仕まつる!」

 不眠不休で働けて、飲食の必要もない無敵の労働力確保に士郎は内心快哉を叫んだ。その背後でダ・ヴィンチやロマニ、カルデア職員全員が狂喜したのは言うまでもない。
 ブラック企業カルデア。かつてない熱烈歓迎ぶりに戸惑いつつも、喜びを隠せないハサンは知らなかった。自身が悪魔の契約書にサインしたことを。馬車馬の如く酷使される未来を。

 まあ低燃費群体サーヴァントとか便利過ぎるからね、仕方ないね。

「――来てる! アーチャーに百貌、今流れが来てる! カルデアの、ひいては俺達の負担が軽減される流れが! 間違いないぞこれは! 運が俺達の味方をしてきてるんだよぉ!」

 食堂でかつてないほどのハイ・テンションで祝杯を上げるのは、誰あろう衛宮士郎である。
 主賓は当然百貌のハサン(一体)だ。料理人はエミヤとエミヤ。エミヤの二人。常のエミヤならどちらのエミヤの腕が立つか競う所だが、今回はどちらのエミヤも自重して純粋にエミヤの料理の腕前を披露するに留め、ネロやマシュ、アルトリアとオルタリアの両名など、主だった面子に振る舞ったのだった。

 流れを感じる。そう、まるで意識不明で瀕死のアラヤが突如最後の力を振り絞り、微弱ながら抑止力を働かせてカルデアをバックアップしているような!

「……不穏だな」
「ああ、不穏だ」

 アルコールがインして見事に出来上がっている士郎を横に、ぼそりと溢したのは弓兵のエミヤである。そして暗殺者のエミヤもまた、彼と同じく妙な予感を覚えていた。
 歴戦のつわもの二人が同様の予感を懐くも、他に同意する者はいない。それは意外なほど酒乱の気がある士郎の仕業だった。
 どこに隠し持っていたのか多種多様の酒類を持ち出した士郎により、既にネロとアタランテは轟沈。クー・フーリンやハサンも意識が混濁している有り様。お子様なマシュは寝んねの時間であり、辛うじて意識を保てているのは初期からの付き合いがあった故に退避が間に合ったアサシン・エミヤ、士郎の作り出した料理の方に意識が向いていたアーチャー・エミヤ、そしてアルトリアのみである。
 オルタリアことアルトリア・オルタは、士郎のすぐ傍にいたが為にいの一番に沈んでいた。

 弓兵エミヤは士郎の腕に脅威を感じていた。それは士郎も同じであったが、今度機会があれば雌雄を決するか、或いは互いにじっくり味比べをしてみたいと考えていた。
 レベルは近い、ここまで来るとどちらが上かではなく、純粋に己の持つ味を比べ合い楽しむ方向にシフトするものである。

 エミヤは錯乱しているとしか思えない士郎を横目に、切嗣へ言う。

「……そろそろ止めた方がいいんじゃないか?」
「いや、止めなくていい」

 知っている顔ばかりの職場であるが、エミヤには特に不満はなかった。
 完全究極体へ変貌したあのランサーとは是非とも距離を置かせて貰いたいもので、今の所はこれといった絡みはない。
 しかしほぼ磨耗しているとはいえ、記憶に残る養父と同じサーヴァントとして人理修復に臨むことになるとは思いもしなかった。自身の養父とは別人だと理解していても、どうにも複雑な心境にされる。
 まあ似たような戦闘論理、戦術眼を持つということもあり、馬が合う部分があるのには面映ゆい気分にされるが、悪い気はしない。どこに行ってもついて回る女難も、ここでは避雷針があるので心配することもなかった。

 切嗣の返答に、エミヤはやや意外そうに眉を跳ねる。

「今流れが来ているのは確かだ。お前もそういうモノが大事だというのは知っているだろう」
「それは……知ってはいるが……」
「あのマスターは調子に乗れば乗るほど何かを起こす。今回はそれが良い方に転ぶことを祈るんだな」
「……分の悪い賭けは嫌いなんだがね。まあいいさ。言わんとしていることは分かる。一先ずは放っておこう」

 切嗣の言い分は意外だったが、頷ける所ではある。長い間戦場に身を置いていると肌で感じる時があるのだ。今、自分に運が向いていることを。『流れ』としか呼べない奇妙な運気を。
 そういう時は、不思議と何をしても死なないものだ。銃弾飛び交う死地で、弾の方が自分を避けていると感じるのである。
 だから、エミヤはそういった運と呼べるものを軽視しない。それは切嗣も、そして己とは別人である衛宮士郎も同じだろう。

 何やら気炎を上げて、アルトリアを連れ食堂を後にした士郎を捨て置き、エミヤは切嗣と戦術のすり合わせを含めて奇妙な懐かしさに浸るのだった








「乗るしかない、このビッグウェーブに!」

 ――後に士郎は述懐する。
 『調子に乗っていた。酒を飲んで呑まれていた。今は反省している』

 もはやお馴染みとなった衛宮式ダイナミックうっかり――遠坂の赤い悪魔と相乗効果を引き起こすという、ともすれば特異点化も夢ではないほどのパニック源の半分。
 防犯のためカルデアで『酒気帯び召喚禁止』の発端となった事件が今、士郎の手によって起ころうとしていた。

「シロウ、それが呼符なるものですか」

 所は召喚ルーム。アルトリアがしげしげと興味深げに金のプレートを眺める。
 士郎は召喚ルームに設置されたままとなっていたマシュの盾に呼符をセットした。

「ああ! これが! これこそがカルデア驚異の科学力! 複雑な召喚術式の内容は俺が一生かかっても理解できない代物だ! これを媒介に召喚された英霊は、漏れなくカルデアの英霊召喚システム『フェイト』に接続され、通常戦闘ならカルデアの電力を基におこなうことが出来るようになる! 何がどうなってそうなってるのかなんてまるで分からんがな!」
「なるほど」

 頭が可笑しくなっている士郎に、なんのツッコミも入れないアルトリア。

 ……そう、彼女も(酒で)狂っていた。

 要らぬ欲を掻いた士郎は、アルトリアを召喚現場に連れてくることによって、強力な円卓の騎士の召喚を試みんとしていたのだ。
 ダ・ヴィンチも士郎に回ってきた運気を感じていた所である。天才ゆえにそれを感じていたから、士郎の要請に応じて召喚ルームに電力を回したのだ。ややもすると、本当に円卓の騎士が召喚できるかもしれない。召喚出来れば戦力の向上は確実だ。試さない手はない。

 まあ天才だって魔が差す時ぐらいあるのだ。

 そんなわけで召喚である。もともと後一騎は呼ぶ予定だったこともあり、手配は滞りなく進んだ。士郎はアルトリアの背を押す。アルトリアは稼働した召喚システムを通じて、目を酒気に曇らせつつ厳かに告げた。

「モードレッド以外の円卓の騎士よ! 今こそ我が呼び声に応じて来たれ! もし来たらモードレッドは即座に退去させるとして、後の円卓の騎士は歓迎します!」
「――もっと熱くなれよぉ!」
「えっ!?」
「本音をさらけ出せよ! もっと素直になれよおぉ! そんなんで円卓が来る訳ねぇだろうがぁ!」
「わ、分かりました! ――ランスロット被害者面うぜぇ! モードレッドは構ってちゃんうぜぇ! 貴様ら二人以外なら誰でもい――やっぱりアグラヴェイン貴方に決めた来いアグラヴェインんんんんゥゥ!」
「アグラヴェイン――!」

 この現場を見て、管制室のダ・ヴィンチは悟った。
 ――あ、ダメな奴だ……。士郎くんやらかすぜこれ。
 流石天才である。その予感は正しい。果たして滅茶苦茶な魔力の指向性に召喚システムは誤作動を起こし、霊基パターンが狂いに狂って特定のクラスにサーヴァントを招くことが出来ない。カルデア職員が叫んだ。

『サーヴァントの霊基パターンが乱れています! こ、このままではまともなサーヴァントとしての召喚は――』
『誰かあの二人を止めるんだぁ!』

 ドクター・ロマン、魂の叫びである。
 しかし無常、間に合わず。いや寧ろ間に合ったと言うべきか、召喚システムは稼働して盛大に魔力を爆発させた。
 目映いエーテル光の中に、一騎の騎士が参じる。
 それは即座に跪いて臣下の礼を取り、己のマスターと主君に向けて名を告げた。

「――サーヴァント、アグラヴェイン。お召しにより参上致しました。我が王よ、再び御身のもとに侍ることをお許しください」
「おお、サー・アグラヴェイン! まさか本当に来てくれるとは!」

 そのサーヴァントこそが、鉄のアグラヴェイン。厳つい顔立ちの黒騎士。円卓崩壊の序章を担ったブリテンの宰相である。
 彼の辣腕ぶりと、その仕事ぶりを知るアルトリアは素直に喜んだ。人柄についても信頼のおける、円卓の数少ない良心だ。問題児ばかりの円卓を率いたアルトリアの感動も一入だった。

「……」

 突然静かになった士郎は、無言で騎士と騎士王を見る。
 そしてアグラヴェインがマスターである士郎に向き直り簡素な儀礼を交わした時、事は起こった。

「マスター、聞いての通り我が名はアグラヴェイン。騎士王アーサーに仕えし者。不安定な召喚のツケか、クラスのない亡霊のような状態だ。力になれるか分からないが、よろしく頼む」
「そうか。それは別にいい。よく来てくれた。カルデアは貴方の参陣を歓迎する」

 茫洋とした眼差しで、士郎は鷹楊に頷いた。
 クラスの枠に嵌まっていない、サーヴァントとして完全ではない亡霊としての現界に取り乱す気配は微塵もなかった。アグラヴェインはその泰然とした雰囲気に士郎への心証を上方に設定する。
 ただ士郎の頭の中で、化学反応が起こっただけであるとも知らず。

 士郎は酒で鈍った頭で思った。――アルトリアは士郎の身内。その身内の身内が召喚された。初対面だから挨拶しないと。そういえばアグラヴェインはアルトリアの活躍を知らない。せっかく共通の知人を持ってるのだからアルトリアを話の出汁に使おう。まずはアルトリアを誉めるところから入るべし。

 瞬時に士郎はそこまで考え、アルトリアの肩を抱き寄せた。士郎的には親密さと仲の良さをアピールする以外の意図はなかった。ただ言葉のチョイスが最悪だった。

「――アンタの王様、(戦果的な意味で)最高だったぜ」
「っ?」
「し、シロウ! そ、そんな……(戦果的な意味で)最高だなんて……」

 その時、アグラヴェインの脳裏に閃光が走る。

 マスターの言葉。王の、本来の性別を感じさせる照れた顔。――いきなりトラウマ地雷を踏み抜かれたアグラヴェインは発作的に激怒した。

 そして、そのまま士郎の顔面を殴り飛ばし。吹き飛んだ士郎は多くの機材を巻き込み損傷させる。風の如く駆け、士郎のマウントを取り憎悪の叫びを上げて拳を振り下ろし続けるアグラヴェインにアルトリアは呆気にとられた。
 誰か止めろぉ! 酔いが醒めて必死に防ぐ士郎。アグラヴェインが冷静だったら即死確定だっただろう。
 そんな士郎のポケットから、ダ・ヴィンチの工房からくすねてきていた呼符が一枚、溢れ落ちる。
 士郎の決死の叫びに応えるが如く召喚サークルが再度、起動した。それに気づく者はなく、ダ・ヴィンチらは大慌てで士郎を救出に召喚ルームに駆けてきて、我に返ったアルトリアと共に錯乱するアグラヴェインを取り押さえた。

 そして、ロマニが召喚ルームに駆け込んで来て、なんとか場の収拾に努めようとした時である。

 丁度、召喚サークルが士郎の呼符に反応して起動した。
 瞬間。あっ、と間の抜けた声が溢れ落ちた。

 光が満ちる。光が消える。

 召喚サークルから進み出てきた人物に、誰よりもカルデアの司令官が驚愕していた。



「――キャスターのサーヴァント。

 魔術王ソロモン、召喚に応じ参上した。

 きみが私のマスターかな?」



 一瞬後。冷静になった士郎が叫んだ。



「下手人だ、取り押さえろぉぉおおお!!」





 

 

急転直下のカルデア事情





「下手人だ、取り押さえろぉぉおおお!!」









 取り押さえられませんでした。

 魔術王ソロモンの名に偽りなしか。士郎の発した拘束の令呪を息をするように容易く弾き、アルトリアの対魔力を指差し一つで貫通、強制的にこの場より退去せしめる。
 アルトリアの対魔力に絶大な信頼を置いていた士郎である。思わず呆気に取られ、彼らしからぬ隙を晒してしまい――瞬間、カルデア職員含め、士郎やダ・ヴィンチ、アグラヴェインは召喚ルームから外廊へ強制転移させられた。

 人理継続保障機関の司令官、ロマニ・アーキマンを除いて、である。

「ロマニ! ……チィッ!」

 過去、神代の魔女メディアが行使可能とする転移魔術へ、なんらかの対策を講じることを意識させられた士郎は素早く周囲を確認し、ロマニの姿がないことに激しく舌打ちした。
 魔術師の冠位資格者足る魔術王ソロモンは、穏やかな面貌に困惑を滲ませつつ、ある一点で目を止めていたのを、士郎は見逃さなかった。
 まさかあの一瞬で司令塔を見抜くとは、流石の眼力。英雄王にも引けを取るまい。なんとかして召喚ルームに踏み込まんとするも、びくともしない。

 ダ・ヴィンチが素早く手の杖で解析する。

「……駄目だ、古の城塞並みの神秘で固められてる。対城宝具でないと正面からは破れないよ、これ」

 あの一瞬でここまでの防護術式を展開するなんて、流石に桁外れだなぁ、なんて。どこか感心した風なダ・ヴィンチを横に、士郎は顔を顰めた。

「カルデアの中で対城宝具を撃てる訳あるか。……アグラヴェイン、なんとか出来ないか?」

 先程までの内輪揉めを瞬間的に棚上げし、現場に居合わせた唯一の手持ちサーヴァントに問う。彼もまた、己の王の対魔力の凄まじさを知る故に、騎士王が魔術で転移させられた事実に驚愕していたが、問われるや即座に意識を復帰させ応じる。
 彼もまた先刻の騒ぎを無かったものとして、冷静かつ端的に答えた。

「出来ない。今の私は霊基が不定、サーヴァントとしてのクラスすら定まらぬ亡霊だ。働くのはこの頭のみと思って貰って結構」
「分かった。では現場の判断により、一時的にロマニの指揮権を預かる。異論のある者は?」

 士郎が回りを見渡し誰何するも、職員らはもとよりダ・ヴィンチやアグラヴェインにも否はなかった。
 無言の了解を得た士郎は間を置かず的確に指示を飛ばす。意識に酔いはない、明晰に醒めている。

「レオナルドは防壁の解析を継続。抜け道を探してくれ」
「りょーかい。でも期待はしないでくれよ? なんたって相手はかの魔術王だからね」
「分かってる。だから別にフリだけでいい。囮みたいなもんさ。――カルデア職員は全て管制室に移動、魔術王からの干渉があるかもしれない。第一級警戒体制で当たれ」

 「はい!」と職員らは駆け出していった。すぐにそれから目を逸らし、必ずここに居合わせたであろう存在に指示を飛ばす。

「ハサン、職員の管制室への誘導及びサーヴァントの招集を任せる。行け」

 「御意」影からの応答。カルデアで彼のいない場所はない。一通り指示を行き渡らせ、後はランサーらが集まるまでやることはない――訳ではない。
 士郎はサー・アグラヴェインを見る。彼の目に激発した怒気はない。冷徹に事態を分析する。戦乱のブリテンを支えた宰相の瞳でマスターを見据えていた。
 彼とのディスカッションは滞りなく進められそうだと判断した士郎はおもむろに言った。

「魔術王召喚からここまで、取り上げられる要素は?」
「我が王の対魔力を貫通する魔術。刹那の間に我らを全て外廊へ追い出し、召喚ルームに立て籠り現状を把握するために動く行動力。カルデアの司令官を一瞥のみで見抜く洞察力。カルデアの司令官を即座に人質に取る咄嗟の機転だ」
「城塞並みの防護を一瞬で構築、いきなりの令呪を無効にする反応の早さまでが魔術王の側から読み取れる情報だ」
「翻るにマスターはミスをしている。如何なる事情があるのか私はまだ知らないが、いきなり声を大にして指示を飛ばしたのは失策だった。加えて、令呪の無駄打ち。これは痛いだろう」
「アグラヴェインに通達しておこう。魔術王は人理焼却の実行者だ」
「――情報源は?」
「第二特異点にて聖杯を握っていたローマ建国王ロムルスだ。信頼の置ける人物だ、情報の確度は高い」
「……なるほど、マスターの過敏な反応の理由は把握した。是が非でも話を聞かねばならないという訳か」
「ああ。そして人理焼却を行うような輩だ。何をされるか分かったもんじゃない。有無を言わさず制圧し拘束するのが正答と判断した」
「正しいな。しかしカルデアに魔術王を無力化出来る者など――」
「いる」
「――なに?」
いる(・・)

 情報は纏まった。
 エミヤ、切嗣ともディスカッションは滞りなく行えるが、アグラヴェインの方が頭の回転と認識力、分析力は上だ。
 何せ召喚から間を置かず、激怒させられておきながら急な事態にも動じずに応じてのけたのだ。士郎も彼のお蔭で理解が深まった。
 士郎の中でアグラヴェインのポジションが決まったのはこの時である。

 アグラヴェインの反駁に、士郎は答えず。
 そこへ迅速に駆けつけてきたのは、世界の古今を見渡しても間違いなく最強格の英雄である槍兵クー・フーリンだ。
 有事となれば体に沈澱していたアルコールを排するなど、サーヴァントには当たり前に出来ることである。戦装束に身を固め、呪いの朱槍と丸盾を手に推参した彼に、士郎は頷いた。

「一人目がこのランサーだ。真名はクー・フーリン。カルデア最強が彼だ」
「クー・フーリン……!」

 さしものアグラヴェインも驚きを露にする。彼から感じる力の波動のようなものは、日中のサー・ガウェインに比するものだったのだ。
 クー・フーリンはアグラヴェインを見遣る。そして気負いなく挨拶を投げた。

「よ。新顔だな、見た感じ不完全みてぇだが、ここに来たからには同胞だ。よろしく頼むぜ」
「……こちらこそ、よろしく頼む。高名のほどは遠くブリテンでも鳴り響いていた」
「あーあー、そういうお堅いのはいらねぇよ。賛辞も聞き飽きてるしな」

 その賛辞の果てがクー・フーリンの末路である。強すぎるが故に、修羅の国ケルトの戦士ですら戦うことを諦め、女王の仕掛けた謀殺を選んだほどの。

 サー・ガウェインの最も有名な伝承はクー・フーリンの逸話を下敷きに描かれた物なのだ。彼と血縁関係にあるアグラヴェインは当たり前のようにそれを知悉している。
 そして続いてやって来たのがアサシンのサーヴァント、エミヤキリツグである。士郎としては彼が本命だ。

「パスを通じてマスターから情報の共有はされている。僕のすべきことは理解しているから説明は要らない。いつでもやれる」
「よし。念のため聞くが、レフの死体に第二宝具は反応したか?」
「反応はあった。あれは一種の高度な魔術式なんだろう。今後は僕の宝具で魔神柱へ対応が可能だ。魔術王の魔術にも同様の効果が見込める」
「――期待通りだ。ランサー、召喚ルームに突入し次第、魔術王ソロモンの無力化を頼む。奴の魔術はアルトリアの対魔力を貫通するぞ。高速神言スキルも持っていると見ていい」
「応。要はやられる前にやれ(・・・・・・・・)ってこったろ?」
「端的な理解だがそれでいい。五秒で仕掛けるぞ、いいな?」

 五、とカウントダウンするや、切嗣がナイフを構える。
 それは彼の代名詞。サーヴァントととしての宝具名は『神秘轢断(ファンタズム・パニッシュメント)』だ。
 これにより召喚ルームを塞ぐ防護壁を破壊、魔術王にダメージも与えられる。そして不意のダメージに魔術王が少しでも驚いてくれたら儲けもの。その瞬間にクー・フーリンに叩きのめされるか、少し抵抗してクー・フーリンに叩きのめされるかだ。どれほどの怪物であれ、霊基の脆いカルデアのサーヴァントである以上、クー・フーリンに敵うべくもない。

 一、と呟く。

 切嗣がナイフを握り直した。
 と、同時。

 召喚ルームが、突如開かれる。身構える士郎らを、引き攣った笑顔が迎えた。

「や、やあ……」

 ロマニである。彼は両手を上げて、自身は何もされてないアピールをしている。

「……ロマニ?」
「この通り僕は無事だよ。ただソロモンはいきなりのことに怒って退去しちゃったよ。あはは残念だなぁ折角強力なサーヴァントだったのに」
「……」

 召喚ルームの中を覗き込む。
 すると、確かに無人だ。霊体化したソロモンもいない。曖昧な笑みを浮かべ説明口調な彼に士郎は笑みを浮かべた。

「……ロマニの姿に化けるとは太い輩だ」
「うぇっ?」
「しかも演技も上手い。ロマニにしか見えないとは驚嘆を隠せんぞ魔術王!」
「ま、待て! 待つんだ士郎くん! 僕だ、分からないのかい?!」
「煩い黙れ俺の目は誤魔化せても霊基の規模でバレバレなんだよ! 今度こそ取り押さえろ!」
「うわああああ!?」

 殺到したサーヴァントと士郎に、成す術なく取り押さえられるロマニ。



 ロマニ・アーキマン、確保。







 

 

再編、カルデア戦闘班





冠位(グランド)の称号に、冠位魔術師(グランドキャスター)の魔術王、ねぇ……」

 魔術王は召喚ルームに立て籠り、人質としていたロマニへ自らの霊基を溶かし込んで、ロマニの肉体を乗っ取っていた。
 奇しくもそれは、マシュと同様のデミ・サーヴァントと呼べる形態であるが、素直にそれを信じるほど平和ボケも信頼関係も構築していない。まずは疑って掛かるのが常道であるから、俺は極めて真っ当な嫌疑のもと魔術王を尋問していた。

 結果、判明したのは当たり前の事実と控えておくべき基礎知識。
 この魔術王は人理修復に協力的。人理焼却を実行した魔術王ではない。召喚直後の扱いには遺憾の意を表明。容疑を否認、犯人は別にいるので冤罪を主張、と。
 そして魔術王はあくまで自我はロマニ・アーキマンであり、決して魔術王ソロモンではないと必死に訴えてきた。
 まあ、俺としても直感的には信じてもいいかな、と思わないでもない。

 背後には何故か笑いを堪えるダ・ヴィンチと鉄面皮のアグラヴェインを従え。俺はロマニの顔にライトを当て、出来立てほやほやのカツ丼を容疑者に食らわせつつ問う。

「魔術王ソロモンが人理焼却に無関係であるという証拠は?」
「逆に関係あるという証拠がないしそもそも関わってたら召喚に応じるわけないだろう!?」
「カルデアに乗り込み内側から掻き回さんとする意図があるのだろう」
「異議あり! それはもはや根拠のない言いがかりに過ぎない! 検察はもうちょっと煮詰めた容疑を掛けるんだ! というか僕に弁護士を付けてくれ! あとライト近いよ! カツ丼ご馳走さまです!」
「痛覚を遮断するなど容易い魔術王に身体的な拷問は意味がない。こうなれば奥の手を使うしかないか……」

 例の物を、と俺は騒ぎを聞き付けて起き出してきたマシュに言う。
 ロマニが魔術王に乗っ取られた――その報に悲痛な顔をしたマシュに、ロマニの顔をした魔術王は巧みに本物のような悔しげな顔をしていたが、まだ弱い。
 「はい……」とマシュは俺の指示に従い、俺に一つのカルデア作の最新型ノートパソコンを渡した。ロマニの顔がきょとん、とする。なぜここにノートパソコンを? と。
 俺は言った。ドルオタには禁じ手となる、必殺の切り札を切るべく。これで本物のロマニか否かの判断がつく。ノートパソコンを起動し、その画面をロマニへ見せ――発作的にロマニが悲鳴をあげた。

「ま、まさか……や、やめっ、やめてくれ……」
「ロマニが愛好していた『マギ☆マリ』のホームページ。後は一クリックでロマニのアクセス権は永遠に失われる。レオナルド協力の下、確実にロマニのアカウントは焼却されるだろう。人類史の如くに。お前はマギマリのカルデア足り得るか否か、見せて貰おう」
「なぁっ!? ぼ、僕の心のオアシス、僕の生き甲斐を奪うというのか!? 鬼! 悪魔! 士郎くん!」
「――しかし外部との通信は途絶してるのに、このマギマリとかいうのは何処に繋がってるんだ……? ……いや、今はそれはいいとして、さあ魔術王。お前が真にロマニ・アーキマンであり、カルデアに一切の敵意がなく、人理修復に協力するというなら、何一つ隠しだてせず俺の質問に答えろ」
「答える! 答えるからそれだけはほんとやめてくれぇ!」
「では問う。心して即答しろ」

 俺は嘆息する。もうダ・ヴィンチの顔で察していた。あの顔はあからさまに事情を知ってますよという顔。それを察してしまえば緊迫感も続かない。
 半ば投げ槍に俺は問いかけた。



「ロマニ・アーキマンはソロモンの縁者或いは同一存在だな?」



「――っ?」

 ギョッ、としたのはロマニ。即答しろと言ったのに言葉に詰まる辺り本気で驚いているのだろう。俺はそれはもう態とらしく溜め息を吐いた。
 その反応だけで相対する者にとっては充分過ぎ、そして彼が魔術王ではない証になったと言える。
 俺は分かりきったことを説明した。

「アルトリア、オルタ、アーチャー・エミヤ、俺。色違いでも同じ顔が二組も揃ってる職場だぞ。あの魔術王の顔とロマニの容貌が一致することなんて一瞥して気づいたわ」
「……あっ」
「加えてデミ・サーヴァントの成功例はマシュだけ。その成功確率は適性諸々を引っくるめて英霊側の心証にも左右される不安定なもの。如何な魔術王とてなんの下準備もなく行い、無造作に成功させられるものか」
「……ぅぅ」
「――にも関わらず現実にロマニは魔術王と融合を果たしている。なら逆説的に考えて成功するに至った要因が最初から揃っていたということになる。最も考えられる可能性は、ロマニが魔術王との相性が抜群に良かったことだな。例えばロマニの血統が魔術王に連なっていたり、ロマニ自身が魔術王だったり、な」
「おお、士郎くんは探偵もやってけそうなほど冴えた推理をするね」

 ダ・ヴィンチが茶々を入れてくる。俺は肩を竦めた。

「実際探偵をやったこともあるしな。昔取った杵柄という奴だ」

 推理とはそう難しいものではない。目の前の事象を可視不可視に関わりなく抽出し、謎に当て嵌めていくパズルである。
 仕組みさえ把握し、解き方さえ知っていれば誰でも出来る。推理の要訣とはパズルのピースをどうやって見つけるか、見つけたピースを上手く型に嵌められるかだ。
 探偵の技能は大いに役立つ。逃げた敵の追跡や、罠の有無の確認、捕捉した敵を追い詰める手法――実戦はその仕事量と規模規格を上げたものだ。
 
「で。ロマニ・アーキマンが魔術王本人だという可能性は荒唐無稽ではない。ソロモン=ロマニという図式を現実にするものがあることを俺達は知っているはずだな」
「――あ! 聖杯ですね!」

 マシュが顔を明るくする。ロマニが乗っ取っられていない可能性の浮上と共に、その素性の真実に驚きの色彩を表情に浮かべていた。

「過去冬木で聖杯戦争があっ――」

 ぴしり、と頭に痛みが走る。

 唐突な頭痛。セーフティが掛かったような、急な思考停止。マシュが訝しげにセンパイ? と窺ってくるのに、ややロマンが慌てたように制止した。

「――っ! そこまでだ士郎くん。あまり僕の(・・)身の上を詮索しない方がいい」

 頭を振る。遠退いた意識に、魔術の介在を疑うも、ダ・ヴィンチは首を横に振った。
 カルデアでは感知されていない、魔術ではなく別方面からの干渉を受けた? ……目の前の、ソロモンから?

「……どういうことだ?」

 訊ねると、ロマニは真剣な顔で告げた。

「言えない。こればっかしは、君にだけは絶対に言えない」
「『俺にだけは』、ときたか。この場でそれが通ると思ってるのか? 折角晴れ掛かってきた疑いがまた再燃するぞ」
「構わない。でも、本当に言うわけにはいかないし、僕の過去を君が(・・)詮索するのは絶対に駄目だ」
「……」

 ちら、とアグラヴェインを見る。彼は首を横に振った。それは論理的に認められぬという意思表示。
 沈黙してロマニを見る。
 彼は魔術王ではない。それは信じられる。しかし過去を詮索するなとはどういうことなのか具体的な説明もなしに認められはしない。
 しかし意固地になったロマニには強要出来ないし、したくない。友人なのだから。
 仕方なく、妥協した。

「せめてなんで駄目なのかぐらい教えてくれ」
「言えない」
「……」

 お手上げである。俺は大袈裟な身振りで欧米チックに首を振り嘆息した。

「仕方ない。なら話を変える。お前はロマニだな?」
「……うん。そうだよ。それは信じて貰っていいさ」
「……聞いておいて悪いが、やはり信じるわけにはいかない。お前は兎も角、中身のソロモンは絶賛人理焼却の有力な容疑者だ。監視も置かずにいて、好き放題される可能性を考えると、カルデアのマスターとして見過ごせないな」

 ネロ、エミヤを見る。彼らは冷静に頷いた。同意である。
 アルトリア、オルタ、クー・フーリン、アグラヴェインも同意見なのか、口を挟まない。――アルトリアとオルタの顔がやや緊張を孕んでいるのに俺は目敏く気づいたが、今は追求しなかった。
 マシュは、固唾を飲んで俺の裾を掴む。その心を訴えるような眼差しに俺は微笑みかけた。悪いようにはしないさ、と。

「……じゃあ、どうする?」
「今のロマニは俺のサーヴァントだ。故に俺のサーヴァントとして常に行動を共にして貰う。俺やマシュ、アルトリア達でお前を監視するためにな。無論カルデアに細工されないように、特異点へレイシフトする時はカルデアに残させない。俺達と一緒に戦って貰うぞ」
「……! 先輩、それって――!」

 マシュが、嬉しげに笑顔を咲かせた。ダ・ヴィンチが言祝ぐように微笑む。ロマニは呆気に取られ、その言葉の真意を質した。

「ど、どういうことだい? 僕が離れたら、カルデアの指揮は誰が――」
「それはレオナルドとアグラヴェインに一任する。カルデアの人手不足はハサンが解決してくれたし、無理なく運営出来るはずだ。ロマニには悪いが司令官の座からは降りて貰うぞ」
「――それって」
「なあ、ロマニ。俺やマシュと、旅をするのも良いんじゃないか?」
「――」

 ぽかん、とロマニはアホ面を晒した。
 彼にとって、それはこれまで考えられないことだったのだ。
 否、敵が魔術王である可能性を考慮すると、鬼札と成り得る自分の存在を隠し通すのは、ロマニにとって当たり前のこと。
 なのに、拒否する考えが浮かばなかった。

 旅をする。

 カルデアの司令官としてではなく。ただマスターを送り出すだけのナビゲーターとしてではなく。共に肩を並べて戦い、旅をする仲間になるなんて。
 これまで、一度として考えたこともなくて。十年もの孤独な戦いに徹してきて彼には思い付きもしないことで。
 とても魅力的な、悪魔めいた誘惑だった。

 俺はロマニの事情を知らない。だが別に気負う必要はないのだ。

「マシュ」

 声を掛ける。すると、マシュは頷いて、ロマニに――育ての親とも言える、非人道的な研究から救い出してくれた恩人に告げた。

「ドクター。私と、一緒に旅をしましょう」

 その言葉に。色彩に。
 ダ・ヴィンチは笑った。

「君の敗けだロマニ。どんな計算も、あの笑顔には敵わない。そうだろう?」
「……参った。うん、敵が魔術王なら、僕の存在は隠しておかないとまずいっていうのに。どうやら僕は、彼らに逆らえそうにない」
「ん? どういうことだ?」
「全部話すよ、僕の知ってることは」

 ロマニは仕方なさそうに苦笑して、マシュの頭を撫でた。大きな慈愛の気持ちを込めて、優しく、優しく。くすぐったげなマシュを見守る、本当の親のように。

「ただ先に言っておくと、どうやら敵は魔術王(ぼく)の力を超えているようでね、僕の千里眼でも正体は見抜けなかった。大体の察しは付いたけど、知らない方がいいかな、今は」
「……そう言うなら信じよう。論理的じゃないが、論理だけで世界は回らないからな」

 受け入れる。秘密主義も行きすぎない限りは必要だ。時には味方にも秘するべきものはある。
 ロマニは言った。

「僕の知っている情報を開示する前に決めておくことがあるだろう。もうすぐ二つの特異点へ同時にレイシフトすることになるけど、その時は編成をどうするんだい?」
「それは決めてある」

 変異特異点とでも呼ぶべきもの。
 冬木の方へ、俺が行く。もう一方をネロが担当する。

「俺の班はランサー、マシュ、ロマニ。
 ネロの班はアタランテ、エミヤ、アルトリア。
 残りはカルデアに待機。各々はそれぞれの班の救援に即座に駆けつけられるようにして貰う。
 その采配はアグラヴェインに託そうと考えている」

 む、と異論ありげなアルトリアらを制し、俺は言った。

「これを常態として、今回のようなケースを除いて片方の班は緊急時に備えカルデアで待機させる。組織の歯車に遊びがないといざという時に脆いからな」
「うん、それがいいと思う。組み合わせもいいね」

 ロマニが賛意を示し、編成は決まった。

 ふぉう! と愛らしい獣がマシュの頭に飛び乗り、嬉しげに鳴く。まるでマシュを祝福するように。
 俺は苦笑してフォウの顎を擽った。

「じゃ、話して貰うぞロマニ。お前の知り得たことを」






 

 

槍の主従の憩い





「なあ、ランサー」

 魔術王ソロモン改め、ロマニ・アーキマンより提供された幾つかの話を纏めた俺は、不意に思い付いたことをクー・フーリンに訊ねた。

「ランサーは持ってないのか、冠位」
「……はあ?」

 カルデア・ゲートという、ここまでの特異点のデータを参考に開かれた疑似特異点とでも言うべきシミュレータールームに彼らはいる。
 明日に控えた冬木の変異特異点へのレイシフト。未確定な状況で凝り固まった戦術を立てる無意味さを知っているから、俺はカルデアで最も武力に秀でた英霊と共に無数の敵エネミーを撃破しつつ、互いの連携密度を高めていた。
 骸骨兵、偽魔神、ロマニが再現した魔神柱、第二特異点で相対した神祖の魔神霊のデータを撃破して、それらの霊基パターンをランサーの霊基に蓄積。既に三度の霊基再臨を果たし、生前の力に近づきつつあるランサーは、己のマスターからの問い掛けに訝しげな反応を示した。

 冠位。

 トップサーヴァントの中でも一部の者のみが条件を満たし、所持しているという冠位英霊の称号。魔術王が持つというそれ。
 俺としては、アルトリアも冠位剣士の資格はあると思うし、クー・フーリンも同様であると思うのだが。俺の知り得る中で、他に冠位を持っていそうなのがヘラクレスであり、そんな彼と並ぶ力を持つクー・フーリンなら冠位を持っていてもおかしくはないと思うのだ。
 クー・フーリンは朱槍を薙ぎ、こともなげにデータ上の魔神霊の首を刎ね、首のない体を三体の魔神柱の方へ蹴り飛ばしてノーモーションで跳躍。魔槍の投擲によりあっさりと殲滅して着地する。
 幾何学的な軌道を描き帰還した魔槍を掴み、クー・フーリンは俺に言った。

「なんだいきなり。持ってなきゃおかしいのかよ?」
「アルトリアもそうだが、逆に持ってない方がおかしい。ケルト神話最強の実力、槍兵の中でも最速に近い速度、権能一歩手前の宝具、この三拍子が揃ってるんだ。で、持ってるのか?」
「……質問に質問で返して悪いが、持ってた方がいいのか?」

 面倒臭げに髪を掻きつつ、お馴染みの蒼タイツ姿になったクー・フーリンは反駁する。
 じゃらじゃらした宝石、衣服は野生の戦いを好むクー・フーリンにはどうにも堅苦しく、無駄を省いた最低限の兵装に切り替えた結果、彼は蒼タイツに肩当てだけの姿になっていた。
 盾もマントも封印し、必要があれば使うスタンスに切り替えたのだ。兵装の上では縛りプレイに近いが、まあ、クー・フーリンがそうしたいならそうしてもいい、と俺は思う。

「いいや、ただの確認。仲間の力はなるべく正確に把握しておきたいからな」

 実際問題、持っていても現状のカルデアの召喚術式と電力事情的に、冠位の実力を支えるなど不可能なのだが。
 しかしそんな事情を横に置いても、俺は別に冠位の有無は然して重要ではないと考える。保有する戦力の正確な力を知りたいというのは本音だった。

 クー・フーリンは槍の柄で肩を叩きつつ、嘆息して応じた。

「持ってるぜ、冠位(それ)
「お。やっぱりか」
「だがはじめに断っておく。オレは冠位として戦う気はねぇ。オレはサーヴァントとして人理修復に協力するが、これは人間の――お前らカルデアの戦いだ。でしゃばるつもりはねぇよ」
「まあランサーはそうするだろうな」

 分かりきっていたことである。俺の反応に、クー・フーリンは苦笑した。
 場合によっては批難されて然るべき物言いを衛宮士郎は至極当然のものとして受け入れたのだ。
 履き違えてはならない。カルデアは助けて貰う側で、主導して戦わねばならない者。協力してくれる者に大上段に構えていい道理はない。英霊側のスタンスを変えさせたければ、相応の理を用意するのが筋だ。

「ただまあ」

 クー・フーリンは不敵に犬歯を剥く。

「例外はあるがな」
「例外?」
「人間じゃあどう足掻いても敵わない――冠位持ちが戦うべきモノは、死が有ろうが無かろうが主義を曲げて殺してやるよ」

 人類悪、クラス・ビーストのことを言っているのだろう。
 ロマニから聞いたが、冠位の存在はそれへの対抗措置的なものだという。霊基の規模からして桁外れ。人間ではどう足掻いても勝てない災害。
 その時は是非頼む、と俺は肩を竦めた。
 ロマニはカルデアのサーヴァントの括りに収まっているためか、その能力には制限が掛かっている。霊基を強化すれば使える力も増すが、今は精々が神代の魔女メディアの最盛期程度の力しかないという。――初期霊基で何言ってんだコイツ、と俺は思った。比較対象がおかし過ぎる。充分すぎた。
 その結果、彼が知り得るのは全智に及ばず。のみならず、知り得ることの大部分も敵側の魔術王の存在を考慮し伏せられた。
 ロマニ曰く、自分は人間に擬装して霊基を誤魔化すことは出来る。しかし俺や他のサーヴァントを経由して、自分の存在やロマニを通して得た知識が相手に流出することだけは避けねばならない。
 故に俺が知れたのは必要最低限の知識のみ。まあそれもないよりはマシなので、納得はしている。機密とは時に味方にも伏せるべきものなのだ。

 シミュレータールームを出て、俺は掻いた汗をタオルで拭う。
 如何に精巧でも所詮はデータ上の存在、参考程度に攻略方法を考案するに留めた方がいい。クー・フーリンの霊基強化が目的とはいえ、余り根を詰めてやるべきでもなかった。
 クー・フーリンは感心した風に言った。

「いや、しかしあの時の小僧が見違えたもんだ」
「ランサーから見てどうだ。俺は」
「人間としちゃトップランクだ。その異能と頭の切れ、素の実力も勘案すりゃあ戦闘を生業にしてねぇサーヴァントは安定して翻弄出来るだろうよ」
「……俺が? アーチャーの奴の足元の影ぐらいにしか及んでないのにか」

 予想以上の高評価に嬉しさ半分、疑い半分。
 俺の微妙な反応にクー・フーリンは鼻を鳴らす。

「アーチャーとマスターを比べたら、確かに一枚も二枚もあの野郎のが上手だ。だが過小評価はするもんじゃねえぜ? アイツは確かにステータスだけなら雑魚も雑魚、良くて並み程度だが――アーチャーは本物の戦上手だ。どんな格上が相手でも、一定の戦果は安定して出せる一種のジャイアントキリングだぜ。性能なんざ論じるだけ無駄、マスターがアーチャーを見習うべきはその戦闘論理だ」
「……そうだな。確かにそうだ」
「オレはアイツとは腐れ縁でね。ある程度の真似事は出来る。肌にゃ合わんが、明日出向く戦場で少し見せてやるよ。オレ並みのステータスを持ってる奴がアーチャーみたいな戦法を使った時の嫌らしさをな」
「いいのか?」
「応。誇りの欠片もない槍なんざ振るいたくもねぇが、マスターの参考になるんなら一回だけやってやるよ」

 オレは主には尽くすサーヴァントなんだぜ、と。クー・フーリンはにやりと笑み、俺も微苦笑して感謝する。
 確かにトップサーヴァントがエミヤのものに近い戦法を取ったらどうなるか興味はあった。もし敵方で遭遇したら、どう対処すべきかも見えるかもしれない。少なくと初見殺しにはならないのだから、是非やって貰うべきだろう。

 ふと思い出したようにクー・フーリンは言った。食堂に到着し、厨房に入った俺に向けて。

「――そういやさっきの冠位云々だけどよ」
「ん?」
「もし敵方に出たら気を付けるべき奴を、槍兵の視点で進言しとく」
「ランサーの視点となると、ランサーと同じ槍兵の冠位持ちってことか?」
「当てずっぽうだけどな」

 言いつつ、クー・フーリンはどっかと椅子に腰掛け虚空に視線を這わせる。

「ケルトにゃオレ以外冠位はいねえ。それは間違いないな」
「ランサーの師匠は?」
「ありゃ駄目だ。腕はあっても魂が腐ってる。そもそも人理焼却中の今はサーヴァントになれるだろうが、オレの時代から二千年以上経ってるんだぜ? 取り返しがつかねえぐらい腐ってるのは間違いない。第一、オレのが強ぇ」
「へえ」
「敵にはしたくねえけどな。生前のオレか、それに近い状態のオレなら、師匠がどれだけ腕を上げてても後れは取らねぇ。素でオレが強えし互いに変身してもオレのが上だ。だから師匠に冠位は無ぇ」

 オレのガキが長生きしてたらオレ以上になってたろうが……と、彼らしくない独白を溢す。

 それは聞かなかったことにして俺は頷いた。
 ケルトは少なくともクー・フーリン以外に槍兵の冠位持ちはいない。確かにフィン・マックールもディルムッド・オディナも英雄としてクー・フーリンより格下だから納得できる。
 というか、ヘラクレスと同格のクー・フーリンと並ぶ奴がそうそういるはずもないのだが。

「ギリシャはあれだ。可能性があるのはアキレウスとかいう小僧だが――まあ、神々の恩寵ありきの英雄だしな。腕も気質も魂も相応しいがあんまり考えられねぇ」
「アキレウスって言ったら『最速』だぞ? 槍兵として出たらヤバイだろ」
「最速? オレを差し置いて本当にそう言えんのかねぇ?」

 まあ、伝承の関係上そう言われてるから、俺からはなんとも言えない。
 しかし伝承で言うならクー・フーリンも大概だ。馬の王と称えられた音より速いマハより、クー・フーリンは更に速いと明文化されているのである。速さで言えばいい勝負ではなかろうか。音より速い馬より速いのだから、ある意味でクー・フーリンも『視界全てが間合い』と言えなくもないだろう。
 実物を見てもないのだから比べようもない。判断は保留だ。個人的には己の力に依って戦い抜いたクー・フーリンの方が、神々の恩恵を膨大に受けたアキレウスよりも英雄として格上だとは思うが。

 あれだ、アキレウスとか完全にその素行が蛮族なので、出来れば関わり合いになりたくないのが本音である。
 侵攻軍側なのに、防衛側のヘクトールが親友を殺したとか言って死体を戦車で引き回すとか完全に頭おかしい。いやまあ、感情は理解できるが、ぶっちゃけ怖い。アキレウスかヘクトールかと言われたらコンマ一秒もなくヘクトールを選ぶ。

 その他にも、クー・フーリンは無数の神話の英雄の名を挙げた。
 しかし近代の英霊は一人も挙げない。
 それは単純な実力ではなく、冠位への条件に当てはまらないからだそうだ。

 冠位の条件。興味深いが、クー・フーリンは説明を面倒臭そうに端折った。別に知ってても知らなくても関係がない、というのがクー・フーリンの考えのようで、確かにその通りなので追求はしなかった。

「よし、出来た」
「待ってました! いやぁ色んな意味で腕の立つマスターを持てたオレは名実ともに幸運Eを脱却したな! で、今回はなに食わせてくれるんだ?」
「第二特異点MVPのランサーにはとっておきを用意した。腕によりをかけて作ったからご賞味あれ」

 厨房から出て、クー・フーリンの席の前に置く。渾身の力を込め、迫真の顔で料理名を告げた。

「――ドッグフードだ!!」
「おい」
「冗談なので睨まないでください怖いです」





 

 

睦まじきかな、盾の少女




「冗談だったのに……」

 まさか本当にドッグフードを出すわけもないのに、拳骨を貰う羽目になった俺は不貞腐れて食堂を後にした。

 しかしまあ、冷静になってみるとクー・フーリンという英雄にとって犬というものは色んな意味が付随するもの。過敏に反応して当たり前であり、冗談でも言って良いこと悪いことがあるのは社会では常識だ。その境界線を見誤ったこちらに落ち度がある。
 親しき仲にも礼儀あり。結束の固い主従であればこそ相手を思いやるべし。寧ろ拳骨一発で許してくれたクー・フーリンに感謝すべきだ。
 そうと弁え、反省し、後で改めて謝罪しに行くかと決めて、俺はマイルームに向かう。その途上、足許にすり寄ってきた小動物に気づいて俺は感心した。

「――っと。普通に気配を感じなかった。アサシン並みだなフォウ君」
「ふぉーう」

 白い毛むくじゃらな獣。手を腰にやると、それを取っ掛かりにフォウが肩まで登ってきた。

 フォウを君付けで呼び始めたのは最近だ。

 これは個人的な意見だが、無垢な動物というのは相対する者の鏡なのだと思っている。
 愛情を注げば素直な愛情を。憎悪を向ければ負の感情を還してくれるのだ。これほど分かりやすい指標があるだろうか?
 注ぐものが愛情であっても向け方や趣によって還ってくるものは違う。動物の人間への態度は、ある意味で自身への問いかけに近い。
 甘やかすだけが愛ではなく、愛玩するだけでは対等ではないと教えてくれる。人が人に接する時、相手にどう見えているかを示してくれるのならどうしてそれを邪険に出来る?
 故に、俺の動物への接し方は基本が人間と同じ。知能によって幼い子供と同じように接し、またフォウのように高い知能を持っていると判断した場合は相応に扱うことにしていた。

 それに、フォウは純粋に可愛らしい。些かの贔屓が出てしまうのも人情であろう。

「……そういえば菓子が余ってたな。後でマシュと一緒に食べるといい。他の奴等、特にアルトリアとオルタには絶対に秘密だぞ」
「ふぉう!」
「果物の方がいいのか? ちょっと贅沢覚えて来たなお前」

 愛らしいつぶらな瞳が間近でジッと見つめてきて、なんとなしに話しかけると短い前肢でテシ、と頬を小突かれる。
 それが彼なりの自己主張で、そうと意思を汲み取れるのはフォウをただの獣として見ていないからだ。
 彼は人の言葉を理解している節がある。時々知らんぷりする賢しさがあるが、その挙動を注意深く観察していればフォウがどう見ても人の言葉を解して行動しているのは読み取れた。
 人外の蔓延る世の中である。獣に人の言葉が分かるわけないと頭から決めつけたり出来ない身の上であるから、そういった機微にも気を付けていたら自然と察せられた。

 俺に要求を突きつけたフォウは、肩から飛び降りて忙しなく駆け去っていく。マシュを呼びに行くのだろう。
 俺のマイルームには冷蔵庫などの設備があるので、別に食堂にとって返す必要もない。小さな獣が駆ける様を微笑ましげに見送る。と、曲がり角の手前で急にフォウが立ち止まった。

「どうした?」

 声を掛けると、静かにしろとでも言うように視線を向けてくる。
 訝しげに眉を顰め、俺はフォウの止まった角から顔を出すと、そこにはマシュがいて、そしてアサシンのサーヴァントである切嗣がいた。

 意外な組み合わせである。

 切嗣はマシュを除き最初に召喚したサーヴァントで、その実力に大きな信頼を寄せている。だが他のサーヴァントとの相性を考慮してか、彼がコミュニケーションを取っている所を見たことがないのが懸念材料となっていた。
 そんな彼が、マシュと話しているのは本当に意外で、だからこそフォウも驚いたように立ち止まったのだろう。

 何を話しているのか、無粋ながら耳を傾けてみるも声はしない。怪訝に思い目を凝らすと、切嗣とマシュはハンドサインで会話していた。

「ああ……」

 そういえば、特異点Fか第一特異点のどちらかで、マシュが切嗣と俺がハンドサインでやり取りしているのを見て、自分もハンドサインを覚えたいと言っていたのを思い出した。
 自分にではなく、切嗣に教わっているのは何故か。それは切嗣と親しくなって信頼関係を構築する意味もあるのだろうが――

「……」

 一番の意味を察して、俺は苦笑して踵を返した。
 見なかったことにする。少女の影の努力を指摘するような無粋を、俺はする気がなかった。
 マシュの学習意欲と頭の回転、記憶力からすると僅かな学習のみでハンドサインをマスターしてしまえるだろう。ここまでに何度か学んでいた証として、今ちらりと見た感じだと殆ど詰まることなくやり取りが成立していたように思う。
 ゆっくりとお茶とフォウのミルクを用意し、林檎や葡萄などを小皿に盛って時を空けていると、控え目にノックと共に声がした。

『先輩、入室の許可を』

 マシュの声だ。心なし、溌剌とした声音に苦笑して招き入れる。

 サーヴァントとマスターは一心同体だ。主従であり、戦友であり、兄妹であり、変な意味ではなく恋人のようでもある。
 命運を同期させるとはそういうことだ。またそうでない者にどうして命を預けることが出来るというのか。当然の心構えであり、そうでなくても俺はマシュを妹のように可愛がっていた。
 ぷしゅ、と空気の抜ける音と共に扉がスライドし、淡い色彩の少女が入室してきた。

「マシュ。前にも勝手に入っていいって言ったろう? 俺の部屋はマシュの部屋でもあるんだから」
「ぁ、は、はい」
「ふぉうふぉーう!」

 マシュの肩から飛び降りたフォウが、テーブルの上に用意していた果物の盛り合わせの前に向かった。
 心得たもので一人で食べ始めたりしない。お行儀が悪いぞ、と以前指摘したことを覚えているのだ。

「先輩!」
「ん、なんだ?」
「見て欲しいものがあるんです、いいでしょうか!」
「いいぞ」

 矢鱈と力んでいるマシュの語意に、手にしていたカップをソーサーに置いて頷いた。
 むん、と鼻息荒く、やや緊張ぎみにマシュが小さくよし、と気合いを入れた。その様に、俺は微笑ましげに目を細める。
 ややあって、片手を胸の前にやり、一定の早さで手を動かす。そのサインを見て、俺はさも驚いたように声を上げマシュの送ってきたサインに応じた返事を返す。
 意味が通じた。マシュは嬉しそうに顔を輝かせ、頻りにサインを送ってくる。手話に近いが意味合いは異なるそれは、端から見ているとまるで意味が分からないだろう。

 どれほどそうしていたのか、興奮ぎみの少女の気が済むまで付き合う気でいたが、傍で眺めていたフォウが途中二人だけの空気に耐えかねて鳴き声をあげた。

「ふぉう! ふぉーう! ふぉーう!」
「ん?」
「あ、フォウさん。……むぅ、フォウさんを放って二人だけで話すのはいけなかったですか」
「フォウ君は構ってちゃんだからなぁ」

 俺がそういうと、後ろ足二本で立ったフォウが前肢で俺の肩を叩き遺憾の意を表明した。
 鼻を軽く押してひっくり返させ、その腹を撫でてやるとフォウは擽ったそうにもがく。ははは、と笑いながら擽り続けると、今度はマシュが手を伸ばして擽り始めた。

「ぶるふぉぉおお!」

 悲鳴をあげてなんとかフォウは飛び退いた。
 離れて睨み付けてくるも迫力はない。怒っているのではなく、照れ怒りのようなものだ。

「ふふふ」

 微笑むマシュに、俺も相好を崩す。どちらも可愛いものだ。
 マシュに飛び付いて仕返しのように懐に潜り込もうとするフォウをマシュは意外とあっさり捕まえた。

「先輩。私のサイン、どうでした?」
「完璧だな。言うことはない。切嗣に習ったんだな」
「はい! アサシンさんは、その、話しづらい方かと思ってましたけど、別にそんなことはなくて、教えを請いに行ったら丁寧に教えてくれました!」
「そっか。うん。そりゃよかった」
「あの! これで私、先輩のお役にもっと立てるようになったでしょうか!」
「ばか。最初から役に立ちっぱなしさ、マシュは」

 それに、役に立つ立たないで態度なんか変えない。そう思うも、言ってもマシュは変わらないだろう。そして、それでもいいと思う。
 マシュは今のままでいい。穢れは全て大人が担う。無垢でいて欲しいと、俺は思うのだ。まあ、独り善がりだと言われたらそれまでだが。大人のエゴとはそういうものだろう。

 嬉しげに、本当に心から喜んで微笑むことの出来る少女。彼女は思い付いたように言った。

「あの、折角なんでドクターにも教えてあげてはどうでしょうか。今度から一緒に旅をするんですし」
「――ん、いい案だ。ロマニもここに呼ぼう」
「はい!」

 魔術王としての力を使えば、初見でも応じて来るだろう。しかしそれを言うのは無粋で、ロマニも誘われれば喜ぶだろう。
 何せ指揮権をアグラヴェインに移譲し、今はゆっくり休まされて暇を持て余しているだろうから。

 ロマニにとり、マシュは保護すべき存在で。
 マシュにとり、ロマニは親代わりの存在だ。

 未来は決して明るくない。否、寧ろ未来なんて失われている。
 それでも人は前を向ける。やって来たロマニに、得意気にハンドサインを教授し始めたマシュを尻目に、俺は改めて決意した。

 正義は後付けで付いてくる。故に、俺の手の届く者全てに幸福を。
 曇りなく、思う。マシュを、ロマニを、そしてカルデアの善き人々を、決して損なわせはしない。





 ――その勘定に、衛宮士郎は自分を含める。

 しかし。

 その鍍金に、皹が入っていることに、彼は気づいていなかった。


 ふぉーう。


 獣の瞳が、それを見ている。







 

 

アバンタイトルだよ士郎くん!





 いつもの装備を整える。射籠手型の礼装や、改造戦闘服、赤原礼装、ダ・ヴィンチ謹製通信機。

 干将と莫耶を鞘に納めて腰の後ろに吊るし、カルデア製閃光手榴弾を二つ懐に納める。サーヴァントには効果はないが、対マスターを想定して銃器の類いを装備することも考えたが、今回の戦略を考慮するに不要と判断。
 今回、あらかじめ用意していた投影宝具の出番はない。俺がメインで出張る予定もないし、バイクで移動することもないので持っていくこともない。
 何せ戦場は地理を知り抜いている冬木だ。冬木で何回聖杯戦争やらねばならんのかと呆れてしまう。何せ冬木の聖杯戦争はこれで三度目。人理修復の旅が無事終われば、今度は冬木で第六次が控えている。最低でも四度目が約束されている俺は、冬木の聖杯戦争のエキスパートにされていた。

 ……やっぱり冬木は呪われているのではないだろうか。そう思うも、否定する材料がない。

「……よし、準備は万端か」

 体調は万全。魔術回路の回転率良好。固有結界も特に問題なく稼働している。
 マイルームを出ると、そこにはネロがいた。
 カルデアの制服に身を包んだローマ皇帝は、現代衣裳をなんの問題もなく着こなしている。が、その――胸部装甲の主張が青少年の股間を直撃する感じだった。
 顔がアルトリアに似ているせいか、俺はなんとなく居たたまれない気分になりつつネロに声を掛ける。

「どうしたネロ。そんな所で突っ立って」
「うむ、シェロか。なんだか久しく感じるな」

 俺を見るなりそう言ってきて、そう言えば第二特異点からそんなに時が経ってないのに久しぶりな気がした。
 帰ってきて以来、ネロは現代の常識や最低限の知識の詰め込みのため、教師役の職員と缶詰状態だった上に、それが終わればすぐさまアタランテとカルデアゲートで仮想戦闘に没頭。
 新たな特異点へ共にレイシフトするサーヴァントとの連携の構築に余念のなかったネロは、体感した時間密度から久しぶりに感じるのかもしれない。俺も、時間密度では負けてないので一日二日間に挟んだだけで久しく感じてしまうのだろう。

「俺も久しぶりな気がする。似合ってるぞ、それ」
「当然であろう。何せ余はネロ・クラウディウスであるぞ!」
「あーはいはい、そうですね」

 ネロのカルデアの制服姿は目に毒であるが、眼福でもある。特にあれだ、胸の上下を横切るベルトが双子山を強調していて、その、凄い。
 胸を張るネロはそれを分かっているのだろうか。……分かっているだろうな、コイツは。どや顔が愛嬌に繋がる辺り、美形は何しても得だなと思う。

「む。なんだそのあやすような反応は」
「これでも男で、年上だからな。年下の女の子にはそれっぽい態度を取る主義だ」
「……そういえばシェロは余よりも年上であったか。だが! 年長者だからといって威張り散らすでないぞ? 余を泣かしたら酷いからな?」
「誰が。女の子を女の子として扱うだけだ。俺にとっちゃネロはもう、ただの後輩だからな」
「う、うむ。であるか」
「それで、ネロがこうして来たのは打ち合わせのためか?」

 何やら頬を赤らめたネロ。緊張しているのだろう。何せこれから、初のマスターとしてのレイシフトである。緊張していても無理はない。
 その緊張をほぐしてやるのが、先輩としての役割だ。ぶっちゃけ、ネロが緊張しているとは思えんが。

「そ、そうだ。これより先の戦い、我らは二手に別れて挑む。シェロは冬木なる地を知悉しているが故に冬木へ、余はどちらであっても未知故にもう一方へ。……シェロ、余の挑む特異点が如何なるものか、聞いているか?」
「無論だ」

 ネロの率いるサーヴァントはアタランテ、エミヤ、アルトリアだ。基本運用はアルトリアが盾、エミヤが後衛からの射撃、アタランテの遊撃。エミヤとアタランテが主な攻撃を引き受けて、大火力が必要になればアルトリアが聖剣を抜刀する。
 そしてネロチームが挑む特異点は、直接人類史に関わりがあるものではない。いつの時代のどんな国なのか判然としていないのだ。

 カルデア命名『特異点アンノウン』――それがネロの挑むもの。

 だが、俺はそんなに不安に思ってはいない。ネロは文武に長ける元神代の人間、アタランテはギリシャ一の狩人、エミヤやアルトリアは言うに及ばず、バックアップはアグラヴェインやダ・ヴィンチが務め、カルデアには切嗣とオルタが緊急事態に備え援軍としての控えで残っている。更にロマニがいる以上はカルデアへの通信妨害はほぼ無効化されると見ていい。
 備えは万全、後は問題に対処するだけだ。

「ネロだけに限った話じゃないが、どちらが早く特異点を攻略しても、もう一つの特異点へ援軍として出向く予定だ。無理をすることも、急ぐ必要もない。堅実に、確実に、場合によっては状況を維持するだけでもいい。俺達は一人じゃないんだ、楽にやろう」

 もしマスターが俺だけだったら第一特異点の如きタイムアタックに挑まねばならなかった。
 そう、ネロがいなければ半ば詰んでいたのである。彼女の存在がどれほど有り難いものか、それは俺が一番わかっている。

 ネロは頷いた。

「うむ。余の役割は全てが不明瞭な特異点の調査。シェロがやって来るまで待つもよし、容易い敵であれば早急に片付けシェロの援軍に向かうもよし。この認識を共有しておきたかったのだ」
「なら、行こう。皆が待っているだろうしな」

 鷹楊に頷いたネロと連れ立って管制室に向かう。

 すると、既にレイシフトの準備は完了しているのか、俺とネロを見るなりアグラヴェインが吐き捨てた。

「遅い。何をしていた」
「遅くはないだろう。時間通りだ。それよりアッ君」
「アッ君!?」

 まさかの呼び名に驚愕する鉄のアグラヴェイン。そんな彼に、士郎は小声で告げた。

「ネロを頼む。俺達は兎も角、本来の時代から離れたばかりのネロの内面は、些か本調子とは言い難いだろう。サポートしてやってくれ」
「……言われずともそのつもりだ。マスター、そう言う貴様に支援は不要なのか」
「ああ。恐らくな。注意すべきサーヴァントが誰か、最初から分かっているならやりようはある。最低限の支援で充分だ」
「そうか。……それと、アッ君はやめろ。……頭が痛くなる」

 本当に頭が痛そうなアグラヴェインだが、俺は思う。
 誤解は解けた。解けたが、いきなり殴られた恨みは忘れてない。故にアッ君呼びはずっと続けるつもりだった。

 ネロの肩を叩いて、俺は一つ頷くと自らのチームの下へ向かう。
 クー・フーリン、マシュ、そして白衣姿のままのロマニ。正直、その戦力比からして、余程下手に立ち回らない限りは負ける気がしない。
 なるべく早く、特異点を崩し、人理定礎を修復してネロを助けにいく。そういう気概で俺は挑む。








「……行ったか」

 ネロはレイシフトした士郎らを見送り、ぽつりと呟く。
 その呟きを聞き拾ったアタランテが言った。

「不安か、マスター。汝らしくもない、常の不敵な笑みはどうした」
「笑み、笑みか……こう、であろう?」

 浮かべた強い笑みには空虚がある。
 士郎の前では気丈であったのは、彼女の意地だ。友人に、対等な友へ弱く見られたくないという。
 ふ、と笑みを消し、ネロは自嘲した。

「……笑ってくれてもよいぞ、麗しのアタランテ。余は、他に選択肢がなかったとはいえ、自らの国を、世界を捨てたのだ。それをカルデアで過ごす内に改めて実感してな、少し……寂しいのだ」
「そうか。だが、私は国というものに執着心はない。私からは何も言えはしないだろう」
「……」
「しかしサーヴァントとしてなら言える。マスター、今は前を向け。これより先は死地と心得ねば、汝は命を落とすだろう」
「……うむ。忠言、確かに受け取ったぞ」

 アグラヴェインはそれを見て、先程の士郎の言葉が的を射ていたことを理解する。
 人の内面を汲み取るのが上手い。そして、人を使うのも。かつてのブリテンで圧倒的に不足していた人的潤滑油。このマスターがブリテンにいたら、結末は違っていただろう、とらしくもない慨嘆を懐き掛け。
 鉄のアグラヴェインは、鉄の自制心によりその益体のない思考を捨て去った。



 そして、ネロもまた特異点へと赴く。

 全てが不明瞭な、『特異点アンノウン』へ。




 彼女はまだ、熾烈なる戦いを予感していない。

 スカイ島。

 聖杯の力により、現世より切り離されなかった『影の国』。『影の国の女王』との死闘を。




 ――全工程 完了

 ――グランドオーダー 実証を 開始 します














 レイシフトした直後の感覚は、中々に味わい深い。

 例えるならジェットコースターとくるくる回る遊園地のカップを足して二で割らなかった感じの物に乗せられ、上下左右均等にシェイクされたような心地になれるのだ。なので素晴らしく素敵な気分である。
 尤もそれは俺だけらしい。霊体であるクー・フーリンはけろりとしているし、マシュはもっとソフトな感じ方だという。ロマニに至っては何も感じないと来た。
 しかしそんな酷い感覚も数回繰り返せばすっかり慣れたもので、俺は込み上げる吐瀉物を堪えつつ思う。

 ――燃えてない冬木とか珍しい……。

 素直な感想がそれな辺り、俺はもう色んなものに毒され過ぎたのかもしれない。

「これが、本当の冬木の街なんですね」

 白衣を着込み眼鏡を掛けた姿のマシュが感慨深げに呟く。その純粋な反応が眩しかった。

 彼女は特異点Fの燃え盛る炎に呑まれた光景しか知らない。故に真新しさ、新鮮さを感じるのだろう。彼女の出自的に近代国家の町並みはこれまでと同じくデータでしか知らなかったのだろうし、無理もないと思う。
 しかし俺にとっては違った。本来知る冬木よりもやや古い空気を感じる。そういえば最近、里帰りしてないが、桜はどうしただろう。
 冬木の聖杯戦争の難易度的に、間桐を潰すついでに様子を見てみようか。蟲の翁のために用意しておいた礼装が効果あるか、投影品で試験を行える絶好の好機ではあるまいか。

 ――考慮の余地ありだな。

 聖杯の解体に際して当然仕掛けてくるだろう誤算家、もとい御三家に対するカウンター的な措置も練ることが出来る。
 ロード=エルメロイ二世と凛は事を荒立てたくないだろうが、聖杯を解体しようとして穏便に事が済むなど有り得ないと俺は断言していた。間桐の亡霊は必ず抵抗するし、そのために英霊の力を利用しようとするのは自明。第六次聖杯戦争が起こる可能性は極めて高く、そこに桜が巻き込まれるのは明らかで、それをどうにかしてやるのが……慎二を死なせた償いだ。

 夜は更けている。

 人の気配は少ないが、まあ、街から文明の薫りがするのはいいことだ。あの文明破壊王には見せられない町並みである。

「……」

 ロマニが難しい表情をして黙り込んでいる。
 どうしたのだろう。もしや、彼のスキルである啓示が発動したのか?

「ロマニ、何か気になることでも?」
「――いや、なにも。ただ強いて言うと、こんな街中で聖杯戦争をするなんてイカれてるな、と思ってね……」
「あ……」

 マシュがロマニの言に声を上げる。何かを堪えるような顔に、ロマニはやはりロマニなのだと感じられた。
 しかしまあ、俺にとっては今更である。努めて平静に応じた。

「冬木は燃えるものだからな、仕方ないな」
「なにその諦観!? 士郎くん諦めたらそこで仕合終了だってマギ☆マリも言ってたよ!?」
「あっ、そのマギ☆マリなんだが……」

 人理焼却された中、繋がる先として残っていそうな所をピックアップし、魔術(マギ)とマリを繋げた結果、それは魔術師マーリンのことではないかと思う俺である。
 しかしドルオタなロマニにその推測は憤死案件なのではと思い当たり口を噤んだ。
 魔術王は生前から千里眼でマーリンの人柄を知っているだろう。俺はアルトリアの話と夢で知っている。普通にろくでなしなので言わない方がいいと思われた。
 せめてもの慈悲として俺は沈黙を選ぶ。それが優しさ、友情だ。

「? なんだい士郎くん。マギ☆マリがどうしたのさ」
「いや別に。現実って儘ならないなって思っただけだから。あと千里眼の使用を自重するのはほんと良いことだと思うぞ」
「……?」
「おい。コントしてねぇで仕事しろ」

 レイシフト直後、周囲の索敵を行いに走って貰っていたクー・フーリンが戻ってきた。
 俺は気安く応じる。

「戻ってきたか。で、どうだった?」

 具体的には聞かない。何を伝えるべきか、情報の取捨選択が出来ないクー・フーリンではない。ケルト戦士屈指のインテリでもあるのだ、彼は。
 いやまあ、風貌や佇まいは野性そのものであるから、そんな理知的な印象はないのだが。

 クー・フーリンはあっさりと答える。

「マスターが知るべき点は二つだな」
「それは?」
「一つは教会と遠坂のお嬢ちゃんの館の偵察結果だ。オレが知ってるのより若い言峰の野郎はいた。お嬢ちゃんの親父らしい奴の姿もあった」
「確定だな。第四次聖杯戦争の時系列か」
「で。追加で情報だ」

 ん? と首を捻る。
 時間軸の特定は、カルデアからの調査で絞れてはいる。
 しかし裏付けはない。故にそれを確認するため、目印として使える人間をクー・フーリンに探して貰っていたのだ。
 それが言峰綺礼、衛宮切嗣、遠坂凛の父だ。まあ、切嗣に関しては見つからなくても仕方ないが、言峰と遠坂父は比較的容易に見つけられると踏んでいた。後は言峰と組んでいる英雄王の対策だが――

「いたぜ、英雄王の野郎が。遠坂のサーヴァントとしてな」
「――なに? ……いや、マスターを鞍替えしたわけか」

 一瞬、言峰綺礼のサーヴァントが英雄王ではないことに驚くも、すぐに事情を察する。
 凛の父は第四次で死んでいる。その凛の父のサーヴァントが黄金の王で、なおかつ生存していた言峰のサーヴァントだった時点で事情は明らかだ。
 ただし、ここが平行世界線ではなかったら、という但し書きが付くが……今はその可能性を考慮する段階ではない。俺は凛の父がどうせうっかりしてたんだろと偏見で決めつけつつ、とりあえずの方針を練る。

「一応聞いておくが、気づかれなかっただろうな?」
「オレがそんなヘマするかっての。下手なアサシンより周囲に溶けこむのは巧いぜ? ルーンもあるしな」
「ほう、そうか。前から思ってたがルーン便利だな。汎用性的に凄く使いたい」
「マスターにゃ無理だ。才能が無ぇ」
「知ってる」

 言い合いつつロマニに財布を放って投げた。大まかに算段を立て、戦略を思い付いたのだ。
 ロマニに渡した財布には、俺の個人的な金が入っている。それを掴み取ったロマニに俺は告げた。

「ロマニ。ちょっと別行動しよう」
「うわぁ……またぞろ悪巧みしてる顔だね」
「ん? そういうの、分かるのか?」
「分かるよ。友達だし」

 苦笑してロマニは了解してくれた。「今の僕は士郎くんのサーヴァントだし、ご命令とあらば否とは言えないね」、と。
 なんとも気恥ずかしいことを平気な顔で言う男である。俺も釣られて苦笑しつつ、マシュに言った。

「マシュ。ロマニと一緒にいてくれ」
「私も別行動なんですか?」
「ああ。ロマニと親娘で行ってこい。たまにはいいだろ、こういうのも」
「っ!? せ、先輩! もうっ!」

 背中を押してロマニにマシュを預ける。親娘と言われたのが恥ずかしいのか、照れているのか、マシュはむくれつつも素直にロマニについた。
 ロマニは穏やかにマシュを受け入れつつ、問いかけてくる。

「で、これからどう動くつもりなのかな? 我がマスターは」
「ああ、うん。――ちょっと聖杯戦争に混ざろうと思ってな。ランサーのサーヴァント、そのマスターとして」

 その言葉の意味を察したのか、ロマニは苦笑を深める。

「うっわぁ。やっぱえげつないね、士郎くんはさ」

 正規のマスターに扮して聖杯戦争をやりながら、外部にデミ・サーヴァントを二人控え、更にカルデアからのバックアップもある男が、マスターとして参加するなんて外道も良いところである。
 ロマニはすぐにその戦術の真価を察して、なぜ別行動なのかを理解し、暫しの遊興を楽しむことにした。

 冬木の聖杯戦争の仕組みは知悉している。聖杯を完成させるのは不味い、というのは常識的な判断だ。
 だが、だからこそ(・・・・・)完成させる。その上で破壊する。完成直後の聖杯は、この世全ての悪を出産させるのに僅かなインターバルがあるだろう。何せ聖杯を握った者の願望を叶える体で出てこなければならないからだ。願望器という在り方の弊害ゆえに。
 完成して間を空けなければ問題なく処理は可能だ。そしてそのためには邪魔なサーヴァントとマスターを全て片付けるのが手っ取り早い。難しく立ち回ることはないのだ、単純に一刀両断にするのが最良である。

「流石だなマスター。楽しくなってきた」

 獰猛に笑うクー・フーリンと、説明を聞いて先輩らしいですと苦笑するマシュ。
 ロマニとマシュは街中に消えていった。暫くはのんびり出来るだろうが、直に動いて貰う。一番の問題はやはり英雄王で、如何にして彼を退場させるかが鍵だ。

「おっと忘れてた。二つ目の報告があるぜ、マスター」

 クー・フーリンがわざとらしく言う。
 なんだ、と先を促すと、アイルランドの光の御子は悪戯っぽく嘯いた。

「単騎で動いてるサーヴァントを見つけたぜ。明らかに他の奴等を誘ってるソイツは、

 ランサー(・・・・)だった」

 それを聞き、俺は笑みを浮かべる。



「決まりだな。第四次のランサーと、第五次のランサーを入れ替えてしまおう」



 ランサー入れ替わり事件勃発の瞬間である。





 

 

割と外道だね士郎くん!

割と外道だね士郎くん!




 槍兵のサーヴァント、ディルムッド・オディナは落胆を隠せなかった。

 主命を帯び、敵陣営の主従を釣り上げるべく街中を練り歩いた。サーヴァントの気配を隠しもせず、堂々と。あれで気づかぬのは節穴しか有り得ず、そうでないとなれば聖杯戦争に参戦したのはディルムッドの挑発に応える気概もない臆病者ばかりということになる。
 ディルムッドにはそれが酷く残念だった。今生で主と仰いだ者へ敵の首級を捧げると誓ったというのに、敵の臆病がために果たせなんだとは。
 それでも英雄か、聖杯を掴まんとする魔術師か。そんな弱腰でなんとする――ディルムッドは慨嘆しつつ、倉庫街まで移動して誰も応えねば今夜は諦め、次は手を変える必要があると考えていた。

 そんな彼の嘆きは、晴らされる。望外の敵手を迎えることで。

「――よぉ、いい夜だな色男」

 倉庫街に足を向けていたディルムッドの背後から声が投げられる。
 ディルムッドは咄嗟に振り返った。
 いとも容易く背中を取られた――その事実は一つの時代で最も武勲に輝いた騎士に驚愕を与えたのだ。
 輝く貌の騎士は目にする。青みを帯びた髪を野生のままに伸ばし、されど貴人の血により色香に変じさせる神性のサーヴァントを。
 身に纏うは蒼い戦闘服、ルーン石の肩当て。全身の戦闘服に刻まれたルーンの守り。
 軽飄な獣の如き様。真紅の長槍を肩に、背中をビルの影に預け、好戦的な笑みを浮かべディルムッドを見ていた。

 ぞわり、と背筋が粟立つ。

 極大の戦慄。霊基がひしゃげるが如き圧迫。
 目にした瞬間、目を離せなくなった。否、目を離した瞬間に死ぬと確信したのだ。
 ディルムッドは、瞬きの内に観察を終える。装いは自分のそれと似ている、ケルトに連なる戦士だろう。身軽さを重んじた槍の使い手は、古代エリンに多かった。
 自分より後の時代の戦士ではあるまい。己の時代以降にこれほどの戦士がいたとは考えづらく、瞳の神性は神代真っ盛りのものと感じられる。

「……その槍、よもやランサーなどと嘯きはしまいが。御身はライダーのサーヴァントか?」
「さてな。存外ランサーかもしれん。だが殺し合いにそんな区分は必要か? オレにとっちゃ余分だと思うがね」
「……その通りだ。果たし合いに於いて敵手のクラスなど些事。いや、つまらん問いだった。許されよ」

 ――はたと、気づく。

 己の物腰が、目上の者に対するそれになっていることに。
 まさか、と思う。
 改めて、見る。真紅の瞳。蒼い戦装束に、真紅の長槍。生前の主より伝え聞いた耳飾り。そして魂で感じる戦慄と、目と経験で感じる敵手の武量。

 声が、震えた。

「その威風。まさか、御身は――」

 半神の槍使いは肩を竦める。
 薄笑いと共に、挑戦状を叩きつけた。

「問うな。元より我らは戦う者。答えの真偽は槍で探るものだろう」
「――ならば」
「ああ。後は殺り合いながら、だ。敵と刃を交えるなら、ただ屠るのみ」
「此処で?」
「此処でだ。ルールは簡単だ。物を壊さず、他者に気取られず、槍兵らしく速さを競う。鮭跳びの秘術――修めてねぇとは言わねぇよな?」
「無論ッ!」

 叫ぶように応えるや否や、ディルムッドは空気の壁を突き破って馳せていた。
 幼少の頃。夢見た邂逅。時の果てに叶った憧れの輝き。武者震いと共に顔が歓喜に歪んだ。
 クー・フーリン。全てのエリンの戦士の憧れ。死の象徴。最強にして死の境を越える者――双槍を操り打ち掛かり、術技を振り絞って挑戦する。
 異邦の槍兵と、冬木の槍兵は、一陣の風すら置き去りに音速の遥か先で駆ける。虚空に無数の火花を散らしながら、ビルの壁を足場に、時には互いが衝突した衝撃を利用して空中で舞う。

 それは、人の目には何も映らぬ神域の速さ比べ。

 クー・フーリンは猛々しく笑い、己の槍を振るうに足る敵と認めた。

「この一撃、手向けとして受け取るがいい。
刺し穿つ(ゲイ)』――」








「ランサーのマスターだな?」

 ぬ、と背後から伸びた手に肩を叩かれ、気安げにそう問い掛けてきた男にケイネス・エルメロイ・アーチボルトは自らの不覚を悟った。
 ケイネスの婚約者ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリは此処にはいない。ホテルの一室で待って貰っている。しかし単独でランサー・ディルムッドを運用し、いずれかの陣営を釣り出そうと目論んでいたケイネスが、容易く背後を取られるとは思いもしなかった。
 慎重を期すのは当たり前。魔術を用い自らの姿を隠していたはずのケイネスを、この男は当たり前のように見つけ出し、背後を取った。冷や汗が流れそうになるのを、魔術師としての精神力で堪え、ケイネスは背中に膨大な神秘を感じながらも誰何した。

「――如何にも。私はランサーのマスター、ケイネス・エルメロイだ。後ろから素性を問うのがそちらの流儀なのかね? 些か野蛮だと指摘しよう」
「おっと。これは失礼した。なにしろ臆病者でね。名にし負うロード=エルメロイの正面に立つには、ある程度の精神的優位性がないとやってられんのさ」

 流暢な英語による応答である。
 ケイネスはそこに不愉快な訛りがないことにおや、と思いつつ、ゆっくりと振り返った。
 其処には、東洋人がいた。若干の落胆を覚えるも、身に纏う礼装の質に気を持ち直す。
 色素の抜けきった白髪と、鍛え上げられた肉体。赤い聖骸布と、籠手の礼装。現代風の衣装に仕立て、街中にいても不自然ではない格好である。加え、後ろ腰に下げた剣は明らかに尋常ではない魔力濃度だった。

「こちらは名乗ったのだ。貴様も名乗ってはどうかね?」

 ケイネスが不敵に問うと男は慇懃に応じた。

「エミヤ、といえば伝わるか」
「――何?」

 その悪名は時計塔にも鳴り響いていた。
 曰く、魔術師殺し――野蛮な近代兵器を用い卑劣な手段で魔術師を屠る魔術師の面汚し。
 もしも機会があればこの手で誅伐してやろうと常々考えていた野良犬。
 不愉快げに歪んだ眉根に、男は苦笑した。

「おっと。誤解があるようだ」
「誤解だと?」
「如何にも。確かに俺はエミヤで、ロードの思い当たっただろう魔術師殺しではある。だが、俺は別に卑劣な手法で魔術師を狩る卑怯者ではない。大方、ロードの聞き及んだ俺の風評は、俺が自分で流した悪評だろう」
「自分で悪評を流しただと? なんのために」
「この秘密を露見させないためさ」

 言って、エミヤは腰から螺旋状の剣を抜き放った。
 白と黒の夫婦剣――ではない。それよりも高位の、神秘の位階の高い宝具。

 そう、宝具だ。

 ケイネスをして瞠目する。そして男の言に納得した。

「貴様、『伝承保菌者(ゴッズホルダー)』か!」
「俺が自らの悪評を流してでも隠すものはこれで、そしてそれを知ったからにはただでは帰せなくなったぞ、ロード=エルメロイ」
「ふん。なるほど、『伝承保菌者』ならば相手にとって不足はない。いざ尋常に立ち会おうではないか!」

 ふ、とエミヤは不敵に笑いつつ、言った。

「ああ――その前に。これは善意なんだが、足元に注意した方がいい」
「な、」

 足元を見る。そこには、白と黒の夫婦剣が落ちていた。
 これも宝具。看破したケイネスの眼力は確かで。次の瞬間、その剣が内包する神秘が暴走しているのに、咄嗟に水銀の礼装を解放し守りを固め。

 現代の魔術師の礼装如きが、宝具による『壊れた幻想』を凌げる道理などなく。

 あっさりと爆発に呑み込まれ、だめ押しに投影していた偽・螺旋剣を下投げで投げ込んで、跡形もなく消し飛ばした。

「……ランサーの宝具解放のタイミングに合わせはしたが、中々難しかったな」

 爆風に煽られつつ、そう呟いた男の名は衛宮士郎。

 二十年後の未来、魔術師殺しの再来と呼ばれた魔術使いである。

 ――彼は正直者なので、謙遜以外では何も嘘は言っていなかった。







 

 

運命的だね士郎くん!





 新たに干将と莫耶を投影し、腰の鞘に納めておく。

 周囲を検めると大きく陥没した地面や、神秘爆発の規模からして妥当な破壊の跡が残っている。
 この場に留まれば騒ぎを聞き付けた一般人がやって来るかもしれない。そうでなくとも、魔力の高まりを感じたマスターやサーヴァントに来られたのでは面倒だ。早々にその場を後にする。

「こっちは片したぜ。そっちも上手くやったみてぇだな、マスター」

 夜闇に紛れ、移動する俺の側に、実体化したままのクー・フーリンが現れ戦果を報告してきた。
 俺は頷く。こちらも問題なくマスターを始末出来た。ロード=エルメロイの名が出たのには驚いたが、そういえば第四次で二世の前のロードは戦死していたのだ。考えてみればいるのを思い出せたろうが、完全に忘れていた。
 言峰綺礼、衛宮切嗣を出し抜くことにばかり頭が行ってたようで、そこは自制せねばなるまい。

「相手側のランサーはどうだった?」

 問うと、クー・フーリンは微妙そうな顔をした。おや、雑魚だったのか?

「同じケルトの騎士だった。真名はディルムッド・オディナ。技量だけ見たらオレに近い、手強い奴だったぜ」
「そういう割りには浮かない顔だな。どうしたんだ?」
「あー……その、なんだ。オレがこう(・・)だから感覚ズレてんだろうが、日本でのケルト(オレら)の知名度ってのがあるだろ?」
「あっ」
「あれだ。宝具とか、ステータスとか。スキルとかな。……ちょっとしょっぱい感じだったぜ」

 ――の割に、躊躇いなく宝具を使ったのは、彼なりの賛辞なのだろう。
 彼の口ぶりではまともな戦いも成立しなかったろうに、技量だけは冠たるものを見せつけたのだ。クー・フーリンをして宝具の使用を惜しませないほどに。
 故に己の槍で穿つに足ると彼は認めたのだろう。

「こっちの話は良いだろ。こっからどうするマスター。目論み通り冬木のランサー陣営に成り代われんだろ」
「ああ。まあ、アインツベルンと教会には一騎脱落したのは筒抜けだろうけどな」
「ん、そうなのか?」
「アインツベルンは小聖杯に注がれた魂で脱落に気づく。教会は霊器盤で。まあ、俺らの存在はバレるだろ」

 というか、バレなかったら拍子抜けである。気づきもしない節穴ばかりなら、そもそも面倒な策を練るものか。

 クー・フーリンは「あー、なるほどね」と何やら察したように頷き、俺の一歩後ろを歩く。

 こういう騎士然とした何気ない所作で、本当に敬意を持ってマスターとして遇して貰うと、なんとも気の引き締まる感じがする。
 あのクー・フーリンに、本気で臣下の礼を取られたら、相応しく在ろうと思うものだ。
 それはそれとして、今後の動きである。

「冬木のランサーの動きからして、挑発ぎみに動いて敵を釣ろうとしていたんだろう? なら俺達も今夜はそれに肖ろう。マスターが正統派な魔術師だったし、敵が釣れたら戦う場として人気のない場所を選定するだろうな」

 言いつつ、ざっと脳裏に地図を走らせ、現在地と正統派の魔術師の思考を投影し考える。
 戦いの場として選ぶとしたら……やはり、倉庫街辺りが無難か。

「という訳で、ランサー。敵が釣れるか試してみよう。釣れたら今は亡きランサー陣営の遺志を継いで戦わんでもない」
「了解。で、どこまでやる気概だ?」
「マスターにサーヴァント、全て消えて貰う」

 ついでに間桐も。

「不穏分子には退場願って、穏当に聖杯を回収するか破壊する。まあ、破壊の方が確実だろうが」
「血気盛んなのはいいが、いいのかマスター。テメェの親父がいるんだろ?」

 クー・フーリンの念押しに鼻を鳴らした。
 衛宮切嗣。確かにいるだろう。
 だが、だからこそだ。

「だからこそ手は抜けないな。本気でやる。切嗣相手に半端は出来ない。隙を見せたらやられるのはこっちだぞ」

 しち面倒くさい策謀を巡らせ、転ぶのは勘弁だ。
 シンプルに片付ける。単純な戦略と基本的な戦術で。無理に奇をてらう必要はないのだ、奇策に頼ると隙を見せかねない。手堅く堅実に、されど大胆不敵に王道で勝つ。
 切嗣や俺の弱点は、正当に強い正統な英雄であり、如何なる小細工も意に介さない強者だ。切嗣なら、理性ありのヘラクレス並みのクー・フーリンを見れば、必ず正攻法は避ける。奇策に転じるだろう。それが隙となる。

 切嗣は見つけ次第消す。誰よりもその能力と実力を知るが故に、確実にだ。

「――っと、何か釣れたぜ。真っ直ぐついて来やがる」

 クー・フーリンが敵の気配を察知する。俺は肩を竦めた。

「今夜で二騎脱落か。急ぎ足の戦争になりそうだな」
「おいおい、皮算用はやめとけよ。そんな上手く行くもんでもねぇだろ」
「上手く行かせるのさ。俺達にはそれが出来るはずだ。だろう、ランサー」
「は。おだてるのが巧いこって。分かった、やってやるよ、仕事は完璧にこなす主義だ」

 軽いノリで戦える相方というのは得難いものだ。マシュは真面目にやらんといかんし、アルトリア達はその騎士道に気を付けている。
 自然体で一番やれるのが、切嗣とランサーのようだ。俺としてはやりやすくて本当に助かる。

 敵の気配を俺も感じた。令呪に反応がある。マスターだろう。
 着いてきているから、場所を移すことを察しているのだ。

 さて、誰が釣れる?

 キャスターは有り得ないとして、アサシンも同じ。ライダー、セイバー辺りが食いついてきたのだろう。
 そうあたりをつけ、倉庫街でランサー共々待ち構えていると――彼女(・・)らは姿を表した。

 凛とした、見慣れた美貌。ダークスーツに身を包んだ、少年といっても通じる気品。
 白い女のマスター。イリヤスフィールに似通ったひと。

「はは」

 思わず笑った。

「マジか」

 ついぞ見ることのなかった、彼女の警戒心。
 敵を見る目。

「おい。いきなりペース乱れてるぜ」
「――ばか言うな。問題ない。寧ろ興奮してるね。敵の(・・)アルトリア、倒して組み伏せるのも楽しそうだ」

 まあ、冗談だが。いずれは来る時で、それがまさか今だとは思っていなかっただけ。
 俺の軽口に、クー・フーリンも応じた。

「そういやあの時(・・・)もこの面子だったな。いや、あの女は居なかったが」
「だな。組み合わせはあべこべだが――」

 セイバーのサーヴァント。
 切嗣が背後に控えた、騎士王。

 アルトリア・ペンドラゴンは。ここで。

「ちゃちゃっと片付けて帰ろうぜ。一番やり易い奴と会えて良かった」

 ――倒れて貰う。




 

 

青天の霹靂だね士郎くん!






「――ようこそ、麗しいレディ達」

 慇懃に出迎える、曲者。
 態とらしい微笑みは貼り付けられた偽りのもので。また笑みを取り繕っているのを隠そうともしていない。
 黒塗りの戦闘服、射籠手の礼装。その上の、赤い聖骸布。通常の魔術師には考えられぬほど鍛え上げられた筋骨。精悍な面構えに、色素の抜けた髪。

 セイバーのサーヴァントは、白い女を背後に守る。その肩越しに、姫君は不遜なる男へ応じた。

「随分と礼儀がなっていないのね。誘いを掛けていながら長々と歩かせるなんて」

 堂々と、毅然とした面持ち。
 その人ならざる赤い双眸に、白髪の男は苦笑して両手を広げた。

「これは失礼した。しかしながら弁明させて欲しい。まさか人里真っ只中で事を起こす訳にはいかないだろう? それとも、貴女は無関係の者を巻き込むことを良しとするのか?」
「まさか。でも安心したわ。あんな挑発的なお誘いをかけてくるから、良識と常識に欠ける輩なのかと思ったもの」

 冬の女。微塵の気の緩みもなく、男を睨む。
 男はサーヴァントの後ろに隠れるでもなく、自信に満ちた面持ちで佇む。その様で只者ではないと女は思い。それを裏打ちするようにセイバーが言った。
 敵マスターは一廉の武人です。油断なさらないでください、と。セイバーに守られる女は頷いた。元々彼女に油断はない。

「さて。我らは互いに異なる立場、異なる陣営に属する者だ。長々と語らうような間柄ではない。最低限、名だけを交換して訣別しよう」
「そうね。ではお招きに与った私から名乗らせて貰うわ。私はアイリスフィール・フォン・アインツベルン。此度の聖杯を掴む者よ」
「その名、確かに覚えた。返礼といこう。俺は――エミヤ」

 男は名乗り、セイバーとアイリスフィールの反応を窺った。
 特に反応がない。おや、とエミヤは首を捻った。あたかも、期待した反応がなかったような顔。逆にアイリスフィールらの方が怪訝に思った。

「――失礼。俺はエミヤシロウという。貴女達の関係者に衛宮切嗣がいるだろう? それの縁者だ」
「え……? エミヤキリツグ……? 何を言ってるのかしら」

 素で言っているのだろう。アイリスフィールは訝しげに反駁した。
 セイバーが後を引き継いで言う。

「貴方は勘違いをしているようだ。そのエミヤ某と、私達はなんら関わり合いがない」
「なんだと?」

 衛宮士郎は、アイリスフィールは兎も角として、アルトリアの事はよく知っている。
 嘘を好んで口にすることのない清廉な人柄。必要なら嘘を言うが、その時の微妙な空気の違いを士郎は感じ取れる。

 翻るにアイリスフィールは、あのイリヤスフィールの母だろう。第四次の小聖杯だ。アイリスフィールは切嗣の妻ではないのか?

 ここにきて別の可能性が浮上する。なぜここが特異点化したのか。なんらかの差異があるのは当然で、であれば――衛宮切嗣がアインツベルンに属していない。正確にはセイバーのサーヴァントのマスターではない可能性がある。

「(えっ。切嗣のいない第四次聖杯戦争とか、炭酸の抜けたサイダーのようなものだぞ)」

 真剣にそう思う。いや油断、慢心が過ぎるだろうか。いやいやと士郎は思う。
 じゃあ、難題は言峰と英雄王だけ? 本当にか? 仮にアイリスフィールのスペックを最高傑作のイリヤスフィールと同等と仮定しても、戦闘用ホムンクルスでないのなら倒すのは容易い。極論アルトリアをクー・フーリンに抑えて貰えば、十分も掛けずにアイリスフィールを無力化出来る。

 他のマスターは遠坂に間桐。
 数合わせと、言峰。

 ……。

 …………。

「……」

 あれ? 本格的に英雄王にだけ意識を向けてもいい気がしてきた。士郎は慢心が過ぎるかなと自問し改めて考える。
 間桐。その魔術特性は研究し尽くした。
 遠坂。凛以上ということはない宝石魔術。
 エルメロイは抜いて。
 アインツベルンの特性も良く良く理解済み。
 数合わせ……いないとは言い切れないにしても時計塔の――若き日のロード=エルメロイ二世がいるのだったか。彼は指導者としては有能故に警戒はすべき。現時点での能力は未知数。
 士郎。言うに及ばず。
 言峰。現時点でのサーヴァントは不明。

「んんんぅ?」

 士郎。言峰。アインツベルン。遠坂。間桐。若き日のエルメロイ二世。

「……」

 ピックアップするに、どう考えても言峰と英雄王だけが抜きん出て危険なだけ。
 それにつけても切嗣がいないと仮定しただけで難易度が半減どころの騒ぎではない。
 いや、頭からいないと決めつけるのは良くないか。例えば遠坂なり間桐なりに雇われていたとか。アインツベルンが脱落した際のスペアとしているとか。令呪が手に入らなかったので、アインツベルンを襲ってアルトリアのマスター権を奪ったとか。考えられるパターンは無数にある。

 そう考えると、戦略も変わる。

 元々アインツベルンだけは聖杯の降臨する器ということもあり、最後まで生かすつもりではいた。しかしアインツベルンからアルトリアが切嗣に奪われるとすると、とんでもないことになる。
 切嗣の指揮に従うアルトリア。……最悪だ。その場合の信頼関係は最悪だろうが、割り切るところは割り切れるだろう。聖杯奪取という目的のため、冷徹に徹することもありうる。

 臨機応変に戦術は変えようと思っていたが事情が変わった。
 切嗣。いてもいなくても不気味だ。いや寧ろはっきり"いる"と分かっていた方がまだしもマシだったろう。士郎は嘆息して傍らのランサーに言う。

「すまんなランサー。遊べなくなった。序盤はだらりと流すことにしていたが、きちっと行くぞ」
「オレはどっちでもいいぜ。お前のやる気次第だ。で、やんのかマスター?」
「ああ。アルトリア(・・・・・)には此処で倒れて貰う」

「なっ!?」

 さらりと口にされた真名に、アイリスフィールとアルトリアが驚愕する。
 まだ戦ってすらいない、言葉を二、三回交わしただけだ。宝具も見せてないのに、いきなり真名が露見するなど有り得ない。
 どういうことなのか。問い質す間も置かず、士郎は躊躇うことなく令呪を切った。

「 ――令呪起動(セット)。システム作動。ランサー、全力でセイバーを打倒しろ」
「了解だ」

 応じるや否や、士郎の前にクー・フーリンが進み出る。アルトリアは警戒して身構えるも、肌に感じる武威と、命令が下るや激流の如くに発された魔力に冷や汗が流れた。
 アイリスフィールをマスターにしたアルトリアのステータスは高い。にも関わらず、槍兵を視界の中心に置くだけで背筋が粟立った。

 蒼い槍兵。真紅の槍と、瞳。

 飄々としていた顔に、凄まじき殺気が点る。まるで鎖から解き放たれた番犬。主人の命令に忠実な、まさに『サーヴァント』。

「そういうわけだ。今回は前みてぇに面倒な縛りは無い。加減無しで――殺してやるよ」

 アルトリアとアイリスフィールには意味の分からない宣言と共に。

 光の御子が、牙を剥いた。

















 ――初撃を躱せたのは注視していたからだ。

 超常の存在であるサーヴァントにとっては、一呼吸分でしかない彼我の間合い。
 それでも戦いの呼吸を知るなら充分に余裕のある距離だ。
 距離を詰めるには、魔術師でない以上は二本の脚を使うしかない。その際に、戦いとなれば腰を落とし、脚を曲げ、地面を蹴らねばならないだろう。
 接近する間のインターバル、得物の振るいはじめから移動地点の確保。工程を数え上げればキリがない。故にざっくり纏めて六の工程がある。

 セイバーは、それを目で見ていた。

 断言できる。気の緩みはなかった。油断もしていなかった。蒼い槍兵の挙動を見極めんとした。
 だが、その動きのほとんどが。常勝の騎士王をして見えなかった(・・・・・・)のだ。

「――ッッッ!?」

 地面を蹴るまでは見えていた。しかし地面を弾けさせてからは目視すら能わなかった。
 移動距離。己にとり都合の良い位置取り。セイバーが知覚できたのは、背後に回り込んできた槍兵が、槍を片腕で突き出さんとした気配。
 瞬時に地面に身を投げ出して回避した。視界で捉えようとは思えない。目で視て動いたのでは間に合わないと一瞬で判断した。
 跳ね起き様に聖剣を横薙ぎに振るう。風の鞘に包まれた不可視のそれ。掠りもせず、地表に張り付くかの如く伏せた槍兵に躱された。構わない、元々牽制のための一閃、体勢を整えるための呼気。
 ちり、とうなじに電気が走る感覚。
 回避に転じるのと同時だった。獣の如く地に伏せた状態から、蒼い槍兵は槍を立て体を捻転させた。軽々と繰り出されしは回し蹴り。首を刈る軌道。
 仰け反る。鼻先を掠めた。途方もない威力を風に感じ、直撃すれば一撃で死ぬと理解し戦慄――する間もない。蹴りを放つも、躱されるのは織り込み済み。そう言わんばかりの攻め手。立てた槍、軸にしての回し蹴り、その反動を利して体を持ち上げ、虚空で身を捻り槍を大上段より振り下ろした。

 獣どころではない。

 魔人の挙動だ。

 体が勝手に動いた。掲げた剣で辛うじて頭をカチ割られるのを防ぐ。
 遠心力、単純な膂力、押し負けそうなのを魔力を放出して堪える。そのままセイバーの剣を支えに虚空で更に身を捻る槍兵。脊髄に氷柱を叩き込まれたかのような寒気。
 威力は低いが回避は成らず顔面に蹴撃を叩き込まれ、セイバーは思わずたたらを踏んで後退した。意識が一瞬白む。その曖昧な意識の中、漸く思う。速い、と。

 それでも剣を正面に構え、辛うじて戦闘体勢を堅持した。

 ランサーが言った。槍を旋回させて穂先で地面を削りながら。

命令(オーダー)全力(・・)だ。オレがどれほど出来るかマスターに直接見せる、初の戦いでもある。出し惜しみはしねぇ」

 言うや否や、風車の如く回転させ、槍の先で削った地面が仄かに光る。
 それは一種の文字。ルーン文字。込められた魔力は――

「ルーン……魔術……!?」

 空中に踊る無数のルーン文字が、ランサーの肉体に入り込む。それは耐久、筋力を増強させるもの。

「セイバー!」

 予期せぬ圧倒的な流れ。焦りながらも、アイリスフィールは叫んだ。
 その意を、セイバーは過たず受けとる。そして瞬時に構えを変えた。打ち合い、戦うのではなく。全身を魔力で覆い、徹底的に守りを固める防御体勢。――それに反応したのはランサーではない。

 士郎だ。

 ぴくりと眉を跳ねる。特異点化の原因を考えていた。なんらかの差異があるのは確定的。
 さて。何があると観察に徹し、ランサーの文字通りの目にも留まらぬ速さに感嘆しつつ、まだ速くなるのかと感心し。セイバーの防御体勢に違和感を捉えた。

 セイバーの気質はよく知っている。彼女は極端なまでに勝負強く、また極端に負けず嫌いである。
 そのセイバーが、ろくに反撃すら出来ないまま防御を固めるだと? あんな構えでは、本当に防御しか出来ないではないか。堪え忍び、ランサーの動きを掴もうという算段か?

 ギアを更に上げ、ランサーが馳せる。

 神速。離れた場所から『見』に徹している士郎の鷹の目をして、残像が見えるか見えないかといったほど。正面のセイバーは防御を固めて尚も反応が遅れた。
 受け損ない、槍の刃が二の腕を掠める。浅く血が吹き出た。眉間、喉、心臓、穿つ三連、全弾急所――悉く目で捉えられず、籠手で眉間を泥臭く守り、剣で喉を守り、魔力の大部分を回して固めた鎧の強度で耐える。
 胴を強かに打たれ苦悶するセイバー。一瞬も止まらず、また一瞬も隙を与えず、攻め続けるランサーの槍。セイバーは嵐に吹かれる木枯らしの如くに打ちのめされ、全身に浅い傷を作っていった。

「そぉらそんなもんかよセイバー!」
「くぅ……!!」

 まともに勝負すら成り立っていない。一方的だった。守りの間隙を巧みに突き、セイバーは瞬く間に傷を負っていく。そのまま行けば体力が尽きて無防備な心臓を晒すだろう。その時が最後だ。
 セイバーはなんとかランサーの槍を阻まんと不可視の剣を振るうも、まるで聖剣の刃渡りを熟知しているかの如くに見切られ、回避と同時に反撃が飛ぶ。不用意な動きは即座に捌かれ、代償にセイバーは手痛い傷を負った。
 呪槍を大きく薙ぎ払って強撃を叩き込み、腕を痺れさせるや背後に回り込んだランサーがセイバーの背中を切り裂いた。

「ぁぐッ……?!」

 なんとか身を捻ってランサーを正面に置いたセイバーに、ランサーは下段より突き上げた槍で聖剣を握る手を一撃した。
 危うく剣を取り落としそうになりながら、セイバーは必死に後退する。剣の握りが甘くなった、これでは下手に受けることすら出来ない!
 そしてそれは決定的な隙だった。
 ランサーの目がぎらりと光る。誰も知覚できぬ速度で踏み込みセイバーを蹴りつけ、敢えて更に間合いを開かせると同時に自身も後退。

 高く――高く跳躍し。深紅の槍を逆手に構えた。

 魔力の猛りは波濤の予兆。宝具を解放せんとしている。トドメを放たんとしているのだ。



 その時。



 セイバーが、剣を構える手を下ろした。 

「――」

 諦めた、訳がない。闘志が萎えていない。
 起死回生の策がある。それはなんだ。聖剣の真名解放? なら何故剣を下げた。

突き穿つ(ゲイ)――」

 必殺の槍を投擲せんとする、ランサー。それを睨み付けるセイバー。
 瞬間、既知の感覚。
 電撃的な閃きに士郎が叫んだ。

「待て! ランサー!」

「――ぬッ、」

 戦闘の熱に熱中していたランサーは、しかし瞬間的に急停止しマスターの指示を忠実に守った。槍を投じず、そのまま着地し、槍に集めていた魔力を霧散させる。
 呆気に取られたのは、セイバーだ。唖然とする彼女から目を逸らさず、ランサーは激するでもなく士郎に訊ねた。

「なんで止めた?」
「ああ、なに。なんてことはない。セイバーが何やら狙ってるのが分かったんでな」

 言って、士郎は態とらしいまでにはっきりとセイバーに問いかけた。

「セイバー。お前、鞘を持っているな?」

「――」

 今度こそ、完全に驚愕したセイバー。
 その反応に士郎は頷く。しまった、と。慮外に過ぎる指摘に迂闊な反応を示したセイバーは歯を噛み締める。

「なるほどな。ランサーの宝具を誘発し、それを鞘で防いでその隙に一撃を叩き込む算段か」
「――貴方は」

 冷や汗を流し、セイバーは思わず問いを投げた。

「貴方は何者です。私の真名のみならず、どうして宝具まで……」
「さて。それを明かす義理は――あるが、今は無視させて貰う。それより回復しないのか? どうせ出来るんだろう」
「……」

 セイバーは無言で、それまでに負った全ての傷を治癒した。

 アイリスフィールの魔術ではない。担い手を不死にするという宝具『全て遠き理想郷(アヴァロン)』の効果だ。
 不死をも殺すゲイ・ボルクなら、心臓に刺されば即死させられるだろう。しかしそれ以外の傷は、治癒を阻害させる呪いをも無視するに違いない。

 士郎は嘆息した。

「……これまでだ。一旦退くぞランサー。鞘を持つセイバーを仕留めきるのは無理だ。仕切り直して戦略を変える」
「……了解だ。だがいいのかマスター。お前さんならオレがセイバーを抑えてる間にマスターを殺れんだろ」

「!!」

 アイリスフィールがびくりと緊張する。
 しかし、士郎は再度嘆息した。

 特異点化の理由がなんとなくだが分かった。
 アインツベルンが、この聖杯戦争を制する可能性が高いからだ。
 凛がマスターの時より高いだろうステータスに、宝具が連発できる魔力供給量。加えて鞘。これなら正攻法だけで英雄王にも勝ちを狙えるし、未来予知じみた直感と勝負強さを持つセイバーなら充分勝てる。

 が、その結果は『この世全ての悪』の誕生だ。本来の歴史とは致命的に離れすぎて、変異特異点と化すのも分からない話ではない。

「殺れる。が、殺るだけが戦争じゃない。今は機ではなかった、それだけだ。いくぞランサー。不満があれば聞くが」
「不満はねぇ。マスターの指示に従う。頭の出来はマスターのが上だしな」

「待て!」

 見切りをつけるやさっさと踵を返した二人にセイバーが制止をかけた。

「逃げるのか!」
「いや? 『態度を変える』のさ。また後日、改めて窺わせて貰う」

 ああ、と士郎は皮肉げにランサーを見る。そして気取った口調で言った。

「『追ってくるのなら構わんぞ。だがその時は、決死の覚悟を抱いてこい』」
「は――」

 ははは! と腹を抱えてランサーが笑い転げそうになった。
 なんて懐かしいというか、執念深いというべきか。その台詞にランサーは笑うしかない。

 それの何が可笑しいのか。セイバーらには分からないが。追う時は確かにその覚悟は必要になるだろう。
 剣を下ろし、去ろうとする二人を追わないことを示す。まだ初戦、決死の覚悟はまだ早い。

 ――その時だ。

 遠雷の響く音。

 野太い男の声が、空に響いた。








 

 

安定のスルー力だね士郎くん! & 割と外道だね士郎くん!(二話合併版)




「余の名は征服王イスカンダル! 此度の聖杯戦争ではライダーのクラスを得て現界した!」

 セイバーとランサーの間に割って入り、両腕を広げて高らかに名乗りを上げたのは。
 二頭の雷牛の曳く戦車に乗った赤毛の巨漢、ライダーのサーヴァントである。

 聖杯戦争の常識を無視したその破天荒な名乗り上げに、アイリスフィールやセイバーは唖然としてクー・フーリンは軽く口笛を吹く。
 奔放な振る舞いは、世に冠絶せし傑物の波動を放つ。登場一つのただ一撃、それのみで周囲の空気を一変させる様は圧倒的だ。
 士郎もまた、一瞬虚を突かれたように反応が遅れ。しかしすぐに何かを思い出したように、忌々しげに眉根を寄せた。

「其の方らの正面切っての果たし合い、真に見事! 特にランサーよ、うぬの武勇まさに神域のそれよな!」
「そりゃどうも。だがアンタも大概だぜ? ライダー」
「ふははは! 誉め言葉として受け取るぞ! セイバーにしてもよくランサーの猛攻を堪え忍んだ! 其の方らの打ち合う剣戟の音色に惹かれ、ついつい出張ってきてしまったわい!」
「……そうか。だが攻められただけの無様を称賛されても、決していい気はしない」

 起死回生の策は不発だった。セイバーは不満げで。それにライダーの前で宝具を使う所だったのだから面白いはずもない。
 ふと、クー・フーリンは士郎を見た。何やら苦虫を噛み潰したような顔。どうしたと訊ねる前に、ライダーがクー・フーリンらに問いを投げ掛けてきた。

「うぬらとは聖杯を求めて相争う巡り合わせだが……矛を交えるより先に、まずは問うておくことがある。うぬらが聖杯に何を期するのかは知らぬが、今一度考えてもみよ。その願望、余の天地を喰らう大望に比してもなお、まだ重いものであるのか」

 はあ? と露骨に顔を顰めたのはセイバーとクー・フーリンである。
 「それ、どういう意味?」とアイリスフィールが反駁すると、にかりと歯を見せたライダーが言った。

「うむ、噛み砕いて言うとだな。ひとつ我が軍門に降り、聖杯を余に譲る気はないか? さすれば余は貴様らを朋友として遇し、世界を征する愉悦を共に分かち合う所存でおる」
「なんだと?」
「はン」

 軍門に下れ。その言葉に、険悪な声音でセイバーとクー・フーリンが反応した。セイバーは王として。クー・フーリンは、槍を捧げた主君の面前ゆえ。
 特にクー・フーリンの形相は一変していた。青筋が浮き上がり、発するは凄まじい怒気。情けのない、ひゃ、という悲鳴が上がる。戦車の中のウェイバーが腰を抜かしたのだ。
 セイバーは咄嗟に剣を構える。ライダーも表面上はそのままだが、その手綱に手が掛けられた。

「テメェ、言うに事欠いてこのオレに『軍門に下れ』と来たか。戦士の矜持に真っ向から泥を引っ掛けやがるとはいい度胸じゃねえかよ」
「……ふむ。反応からするに、うぬはそこなマスターに忠義を誓っておるのだな」
「応よ。生前通して得られなかった理想の主って奴だ。槍に懸けて忠誠を捧げたこのオレが、ちっちゃい野心を掲げるテメェなんぞに膝を屈するなど有り得ねぇな」
「余の野心が『小さい』とな!?」

 小さい。そのように評されたことがライダーの矜持を傷つけたのか、ライダーの目から稚気が消えた。
 腹を据え、ライダーが覇気も露に問う。

「では聞かせて貰おうか! うぬのマスターの野心とは何かを!」
「は。答える義理はない……が、それでマスターを小さく見せたんじゃオレの沽券にも関わる。いいぜ、その耳かっぽじってよく聞きな。オレのマスターはな――この世の糞溜めも、日溜まりも、丸ごと引っくるめた全部の歴史を保障すんのさ。目の前の世界しか見えてねぇテメェと比べることすら烏滸がましいんだよ」
「――なんと」

 ライダーが、呆気に取られる。目を丸くして士郎を見た。
 眼中になかったマスターが、そんな存在だとは想像もつかなかったのだ。クー・フーリンの言葉に偽りは感じられず、その言葉の意味の半分も捉えられなかったが、スケールのデカさは伝わった。

 そしてそれは、ライダーに重々しく受け取られる。

 征服する星の歴史の保障。ライダーは、そこに敗北を見た。ぬぅ、と呻き、腕を組んだ。
 セイバーやアイリスフィール、ウェイバーにはなんの話かも分からない。しかし、ランサーの言葉に真実が宿っているのは伝わった。そのために誰も馬鹿には出来ず、法螺吹きとも謗れなかった。

「喋りすぎだぞランサー」
「っと、出過ぎたか。すまねぇなマスター」
「いいが。それよりさっさと退くぞ。嫌な空気だ」
「待てランサーのマスター!」

 何やら嫌な予感を得た士郎に促され、クー・フーリンは撤退を了承する。
 それに待ったを掛ける征服王。だが、士郎は足を止めなかった。クー・フーリンに言う。

「俺はあの手の輩をよく知っててね。たとえばウルトラ求道僧とかな。ああいう手合いに付き合えば、最悪の騒動に遭うのもざらだ。関わる方がマズイ。ウルトラ求道僧に付き合ったせいで、またぞろ魔性菩薩とかと出くわす羽目になるのは御免だぞ」
「あー、なんのことかは知らんが、言わんとすることは分かった。なるほどな、確かに騒ぎを大きくする奴ってのはいるもんだ」

 ランサーは女王メイヴを思い出す。なるほど確かに、さもありなんと頷かざるを得ない。
 征服王の制止を完全に無視して士郎とクー・フーリンは倉庫街より離れていき、場の空気を完璧に無視出来る士郎は思った。

(あー、ライダーとセイバーで潰し合ってくれたら楽なんだけどなぁ)

 士郎は自身の判断が英断だったことを後で知る。英雄王、バーサーカーが集った四つ巴戦が行われたのだ。
 士郎は幸薄き故に、危険察知からの離脱が早いのが混戦を避けられた要因である。後に、それをロマニに指摘された士郎は泣きそうになったという。














『――今朝のニュースです。昨夜未明、偽札を使用し無銭飲食を働いた住所不定無職の外国人男性、ロマニ・アーキマンが逮捕、拘留されました。犯人は「畜生覚えてろあの野郎」などと供述しており、事態の真相を追って取り調べを進めて――』

 ぶふぉ、と。飲んでいたモーニングコーヒーを噴き出し、俺は思わず咳き込んだ。
 ホテルの一室である。何気なくテレビを眺めていたら放送されたニュースに、流石に噴き出さざるを得なかった。

『何をやっている、貴様……』

 丁度通信を繋げ、連絡を取り合っていたカルデアから、アグラヴェインの呆れ声が届いた。

「いや普通気づくだろ。あの時点で俺が1990年代の日本の通貨を持ってる訳ないって」

 年代を考えろ。この時間軸から十年以上先の未来の通貨だぞ。しかも俺の活動域に日本は含まれていない。寧ろカルデアに入った時点で手持ちに日本円があったこと自体が奇縁だったというのに! 普通ギャグ、ユーモアに決まってるだろう……! 本気で使う奴があるか……!?
 魔術王なら気づく! それでなくても常識があれば気づく! 常識がなくても頭が回れば気づく! ロマニはあれで有能だから気づかないとおかしい! というか無能でも分かるぞ!?

「陰謀だ。間違いない」
『誰を嵌めるためのどういった陰謀だ』
「分からん。流石は叡智の王、全くその意図が読めん……」

 これは、警戒が必要だな。密かに警戒心を高める俺に、アグラヴェインは露骨に嘆息した。

 クー・フーリンには今、周囲の偵察を頼んでいるため密室に一人きりだ。念のため切嗣と同じ顔を見つけたらサーチ&デストロイを頼んである。
 敵がアインツベルンで、アルトリアが鞘持ちであること、ランサー陣営を潰し成り代わったことなど、今後の方針についてもカルデアには話してあった。ダ・ヴィンチやアグラヴェインからもGOサインは出ている。後は慎重に動くだけのはずだったのが、先ほどのニュースにより色々気分が台無しとなってしまった。

『私にもロマニ・アーキマンの意図は掴めんがあれは味方だろう。貴様の不都合になる動きは取らないはずだ』
「ばかめ。あれは空気が読めない男だぞ。素で何を仕出かすか分かったもんじゃない」

 アグラヴェインの背後でダ・ヴィンチが噴き出して笑い声を上げた。的確だね士郎くん、と太鼓判を押してくれた。

「まあいいや。それより何か話があるから定時でもないのに連絡を入れたんだろう。用件はなんだ? まさかネロに何かあったんじゃないだろうな」

 気分を切り替える。一緒だったマシュが心配だったが、まあそこはそれ、上手く切り抜けて貰うことを願うしかない。
 さもなければ特異点化の原因を取り除くまでロマニが留置所から出られない。まあ、それはそれで貴重な体験になるだろうが。

 ともあれ、今回カルデアはネロの方の支援を重点的におこなうことになっていた。
 それなのにいきなり通信があった。何かあったのではないかと思ってしまう。

『ネロ・クラウディウスは現在「特異点アンノウン」の調査を続けている。経過は順調とは云い難いが、特に何事もない。今のところは、だが。それよりもその特異点に関してアサシン――百貌のハサン・サッバーハから重要な情報が入った。貴様は参考にしかせんだろうが、一応は伝えておくべきだと判断した。故に――』
『退けアグラヴェイン』
『お、王!? また御乱心なさいましたか――!?』

 蹴り飛ばされて画面から消えたアグラヴェインに、俺は哀愁を感じつつ。代わりに映り込んできたのはアルトリア・オルタだ。
 俺は言った。

「作り置きしてたバーガーの山をもう平らげたのか? しまったな、控えにアーチャーを置いておくべきだった。まったく、もう少し堪え性と言うものをだな」
『何を言っているのです。そんなもの、昨日の内に片付けました。私を満足させたければ、せめてあの三倍は用意してください』

 傍若無人なオルタリアだが、俺がマスターだからか一定の敬意を払った応対をしてくれる。対比してそれ以外へは辛辣に感じるのは仕様だろう。
 俺は思う。やはりアルトリア二人を養うには物資が足りない。聖杯で食料を願うか、と真剣に検討する必要がある。

『それよりも昨夜の戦闘データについてですが聞きたいことがあります』
「ん? アルトリアが鞘を持っていたことか」
『違います。可能なら鞘を回収して貰いたいのですが……無理は言いません。それよりもその時間軸の私に関して言ったことを追及しますが。私を「倒して押し倒す」といった発言の意図はどういったものです』
「……」

 昨夜うっかり溢した言葉に、俺は暫し沈黙した。

「……おかしいな。そんな発言、俺のログにはないが」
『惚けますか。いいでしょう、帰ったら覚悟するように』
「断食案件でござるな」
『!? ひ、卑劣……! 血も涙もない! 外道ですよシロウ!』
「何を言ってるか分からないからね、仕方ないね」

 ぶっちゃけ物資的な意味でも暫くサーヴァント勢は断食しなければマズイのだが。
 それは兎も角。ダ・ヴィンチから秘匿通信が入った。――何? 背後に剣を振れ?

 ……。

「ジャ――ッ!」

 振り向き様、瞬時に干将を振るう。すると、予期せぬ手応えが返ってきた。
 ぐぁッ!? そんな悲鳴。肉を切った感触。斬っておいてなんだが、俺が一番驚いた。何故ならそれは――カルデアの救世主だったのだ。

「アサシン……!? う、裏切ったのか!?」
『違いますぞ。それはその時間軸に冬木へ召喚されていた者! 断じて我らは不義理を働いておりませぬ!』
「分かってる。冗談だ」

 カルデア救世主に寝首を掻かれるようになったらお仕舞いだ。簡単に暗殺されてしまう。現にまったく近づかれてるのに気づかなかったのだから。
 霧散していくアサシンを尻目に、アサシンからの重要な情報が何かを察し、俺は嘆息した。

『それはともかくとして、八十分の一の、白兵戦には弱い我が影とはいえ、一太刀で斬り伏せるとは見事!』
「アーチャーの動きを投影したし、アサシンも背後を取って油断しきっていたから斬れたんだろう」

 殺されかけていたが、まあ、よくあることなので動転することでもない。
 俺はさっさと促した。

「それより百貌の。もしかすると第四次の大まかな流れ、サーヴァント、マスターの素性まで知ってたりするのか?」
『無論。それは――セイバー!? 何を!?』
「……」

 百貌が蹴り出され、再びオルタが出てきた。
 俺は苦笑するしかない。

『私の前に出るとは良い度胸だな貴様。私が話すから貴様はさっさと観測作業に戻れ』

 くっ、覚えてろー! と捨て台詞が聞こえ、オルタは改めて俺に向き合った。

『さて。では情報を伝えます。心して聞くように』
「……まあいいや。聞かせてくれ」

 オルタを控えにする判断は間違いだったかもしれん、と若干反省しつつ。
 俺は百貌からの情報を聞き、結論を下した。

「まあ、今の方針のままでいいな」

 なんの問題もない。鞘を持つアルトリアと、英雄王に気を付ければいいだけだ。
 ただ。

「――キャスターは殺す。そのマスターもだ。居場所を教えろオルタ」

 青髭。連続猟奇殺人鬼。
 無為に血を流す輩を、そのままにする気は断じてなかった。
  






 

 

陰謀と冒険の匂いだね士郎くん!




(やっこ)さん、留守だぜ。もぬけの殻だ。決行直前に引き払った感じだな」
「――何?」

 斥候に向かわせたクー・フーリンからの報告に、襲撃案を三通りほど練っていた俺は盛大に顔を顰めた。
 百貌のハサンから提供された情報をもとに、キャスターのサーヴァントが築いているという下水の工房へ出向いたのだが。其処に、キャスターはいなかった(・・・・・)のだ。
 切嗣の所在不明、アインツベルン陣営の強力化に続く差異である。俺の中で本来の第四次聖杯戦争とは異なるとの確信が強まる。と、同時に。やはり当時を知る者の証言は参考にしかならないと断定した。
 アルトリアの証言は多分に主観が入りがち。それに今回は特異点ということもあって、客観的な彼女の意見も無視していたが、それが正しい状況になったというわけである。

「どんな感じだ?」
「入れ違いって感じだ。で、オレの潜入には気づいてねぇ。単に事情があったか、他からの襲撃があったか。オレから見た感じ多分襲われたんだと思うぜ」
「……アサシンの情報通り、キャスターの青髭は正規の魔術師ではなく工房への潜入は容易だった訳か。で、なんで襲われたって判断した?」
「工房全体が、その痕跡すら残さず焼き払われてたからだ」

 焼き払われていた、か。それもクー・フーリンが言うほど徹底的に。
 焼き払う、即ち火。百貌のハサンの情報通りなら、火属性を扱う魔術師は遠坂時臣だ。
 ……なんらかの要因があって遠坂時臣がキャスターの所業を知り、英雄王を使ってキャスターを討ったのか? 英雄王が出てきたなら青髭のキャスターなんぞ瞬殺だろう。

 ――まあ、それはない。

 遠坂はキャスター征伐を教会を通して行い、令呪一画をせしめんとしていた。
 その動き方からして、遠坂は根っからの魔術師。そんな輩に迅速な対処は望めないだろう。
 遠坂の他に有り得そうなのは、百貌の情報通りの面子だとして、蟲翁だ。キャスターのマスターを襲い、キャスターを令呪で掌握。その霊基を媒介に新たなキャスターを召喚――といった裏技ぐらいやりかねない。
 もしもそうだったら切嗣並みに厄介な陣営と化すだろう。しかし、仮にそれ以外の可能性が通るとしたら……?

「今は考えるのは無駄か。引き返すぞ」
「確実にキャスターが倒されたって訳でもねえのにか?」
「今回の襲撃は、キャスターがアサシンの情報通りの存在で、情報通りの行動を取っていることが前提だった。それが崩れた以上は長居は無用だ。状況も状態も曖昧な戦争だ、臭い奴から消す。早急に間桐の消毒に移るぞ」
「了解だ。オレのすることはルーンで間桐って奴の塒を隔離しちまうことだったな?」
「ああ。間桐の特性はもう教えたな? 最後の仕上げも任せる。今回は俺の見つけた礼装が、蟲の妖怪に通じるか試す意味合いもある。本命じゃないから、危険だと思えば介入してくれ」
「応。念のため見切りをつけるのは早めにする。そっちの都合が巧く行かなくてもキレんじゃねぇぞ」
「その場合、ランサーは俺の命の恩人になってる訳だ。キレるわけないって」

 苦笑して俺は言う。流石にそれは逆恨みと言うものだ。それに、温厚な俺をキレさせたら大したもんですよ。――と、不意に一人の少女が夜の街を、魔力計を手に彷徨いているのを視界に捉えて。

 俺は発作的に怒号を発した。

「そこの小娘ェ! なぁにをしてやがるかこの戯けがァッ!」
「ひゃっ」






 所は夜の公園。思い出遥か、とは言い難い因縁の存在。目の前で膨れ面をしている幼き日の遠坂凛に、俺は心の底から溜め息を吐いた。
 ニヤニヤと笑いながら見守るクー・フーリンは、当たり前だが霊体化している。
 俺は影ながら聖杯戦争の神秘秘匿を担当する魔術協会の魔術師を自称していたが、流石に無理のある設定だと思う。が、どうにも幼い凛は素直な面があるらしく余り疑ったりはしなかった。
 ロンドンの冬、二度も俺を橋から落としてくれたあの悪魔が、随分と無邪気なものである。

「で。遠坂の令嬢が、どうしたってこんな時間に、こんな場所を彷徨いてる?」
「……別になんだっていいでしょ。あんたなんかに関係ないんだから」
「関係は大いにある。君が聖杯戦争に巻き込まれ死亡した場合、その後始末をするのは俺だからな」

 俺がそういうと、ロリ凛は怯んだように身構えた。少し言葉が強いが、これで素直に帰ってくれたらいい。子供大好き殺人鬼に見つかってたら大事だ。俺としても寝覚めが悪くなる。

「……家まで送ってやるから、大人しく帰れ。今は子供の時間ではないんだぞ」
「い、嫌よ! わ、わたしにはやらなくちゃなんないことがあるんだから!」
「あー……」

 幼いとはいえその気性はそのままか。道理を説けば聞ける利発さがありながら、聞き分けが悪いのは例の心の贅肉故だろう。どうせまたぞろお人好しの虫が騒ぎだしたに違いない。

「友人でも探してるのか?」
「えっ!? な、なんで……!?」
「顔に書いてる、困ってる奴助けなきゃー、ってな」

 嘆息して、俺は天を仰いだ。

「『お父様は忙しいし遠坂としてわたしが探さないと』?」
「!?」
「……ばか。圧倒的おばか」
「な、何よ! ばかって言った方がバカなんだからね!? ていうかなんで分かるの?! わたしになんか魔術使った?!」
「使ってたらそもそもこんな問答するわけあるか」

 そもそも使えないというね。魔術師としては二流止まりが俺だ。現時点の遠坂凛にすらレジストされかねないという。
 別にそれはいいのだ。問題は本当に凛の年頃で夜中を出歩くのが危険だということ。キャスターがどうしているか不明である中、もしばったり出くわしてみろ。一発で言葉にするのも憚られる悲惨な目に遭うことになる。

「まあいい。お前の利かん気の強さはよくよく思い知ってるんでな。悪いが実力行使させて貰う」

 凛の友達とやらは後で探してやるとする。
 素早く凛の腰を抱き、そのまま担ぎ上げた。

「なっ?! ど、どこ触ってんのよ変態! 変態! 変態!」
「誰が変態か! 親切に家まで送り届けてやるんだ、大人しくしろコラァ!」

 凛を抱え、肩に担ぐと盛大に暴れまわり謂れのない罵倒を受けた。俺は遺憾の意を表明するも、それは悪手であった。
 人気は少ないと言っても街中である。偶然にも騒ぎを聞き付けた誰かが叫んだ。

『た、大変だぁ! 子供が変質者に拐われそうになってるぞ!』

「やばっ」

 俺は咄嗟に強化の魔術を脚に叩き込み、脱兎の如く駆け出した。
 乗用車並みの速度で急に走り始めた俺に、凛は悲鳴をあげてしがみついてくる。霊体のまま並走してきたクー・フーリンが揶揄するように言った。

『客観的に見て絵面がまるっきり変質者だぜ、マスター』
「煩い! わかってるんだよそんなことは!」

 苦虫を噛み潰した貌で吐き捨て、俺は大いに嘆いた。なんだって、どうしてこうなった!?
 畜生、特異点復元したらなかったことになるんだから見捨ててれば良かった! ――ああでもだ、知った貌を見捨てられるほど薄情にもなれないんだよ!

『ははははは』
「クッソがぁ!」

 面白そうに笑うクー・フーリンに俺は悪態を吐くしかない。俺は記憶にある遠坂邸にまで凛を持ち運び、すっかり悲鳴を上げ疲れてぐったりした凛を、遠坂邸に乗り込んで送り届けた。

「へいお待ち! 娘さん一丁!」
「なっ!? り、凛!? 貴様凛に何を!?」
「うるさい黙れ似非優雅の顎髭野郎! 娘の監督も出来ずに優雅ぶってんな糞野郎!」

 遠坂邸の主にばったり出くわした俺は、もう叫ぶしかなかった。










 

 

軌道修正だね士郎くん!

軌道修正だね士郎くん!




 遠坂時臣は冷たい汗を流していた。

 自身の領域足る遠坂邸、その魔術防衛機構をあっさりと――それも工房の主、時臣に感知させないほど鮮やかに突破してのけ、書斎にいた時臣の眼前に娘の凛を担いだ男が現れたのだ。
 動揺するなという方が無理な話であり、動揺こそすれ、すぐさま我に返った時臣の精神力は優れたものだと言えるだろう。しかし如何に秀でた精神力を有していようとも、その誰何する声が震えるのは仕方のないことである。

「……貴様は何者だ?」
「見て分からんか」

 白髪の男である。肌の色はアジア人のそれ。言葉は標準語の日本語で、国外の言語による訛りなどは見られない。
 髪を脱色したか、魔術の反動で髪の色素が抜けた日本人である、と時臣は見抜く。
 しかし外見から判じられるのはそれだけである。「見て分からんか」などと言われて察せられるようなものではない。
 苛立たしげな彼の先程の言葉。時臣は彼が何者であれ、魔術で気絶させられているらしい娘を、白髪の男が抱えているのは見過ごせなかった。

「履き違えていた。貴様が何者であろうと関係がない。明白なのは、貴様が私の娘を楯とする卑怯者ということだ」
「工房の守りを抜かれたことに、気づきもしなかった間抜けがよく言った。その気概に免じ、この場では殺さないでおいてやる」

 その大上段に構えた壮語を笑い飛ばそうとした瞬間である。
 不意に背中に感じた刃の鋭さに、時臣は絶句した。

「――んだよ。ここで殺っといた方がいいと思うぜ、オレは」
「そう言うな。ちゃんと考えはある」
「さ、サーヴァント……? では貴様は、」

 聖杯戦争の参加者、マスターの一人。

 背後に在る以上、そのサーヴァントの姿は見えない。だが暗殺者の如く唐突に現れた気配に驚愕する。
 人智を越えた濃密な神秘の気配。背筋が凍る尋常でない殺気。勘違いするなど有り得ない、それはまさにサーヴァント。
 慄然とした時臣は、咄嗟に令呪を意識する。英雄王を喚ぶ以外にこの状況を切り抜けられない、と彼は感じた。だが、令呪を発動するだけの隙があるようには思えなかった。
 下手に動けば命はない。背中から心臓に狙いを付けられている。指先ひとつ動かせば、或いは魔術回路を起動すれば、たちまち時臣の心臓は串刺しにされる。どうする、と頭脳が高速で回転し――時臣は、目の前の男が自身を冷徹な眼差しで観察していることに気づいた。

「この髪は目立つんだがな。俺の外見的特徴に対する無反応、背後のランサーに対する鈍さからして、まだ言峰綺礼から俺の存在は知らされていないらしい」
「ッ!?」
「ああ、喋るな。俺が勝手に喋ってるだけだ」

 その言葉は。綺礼と時臣が協力関係にあることを、すでに知っていることの証左であり。同時に背後のサーヴァントが近接戦に秀でたクラスであると口にすることで、万が一にも隙がないと牽制する意図が含められていた。
 男は意識のない凛を抱えたまま、書斎から出ていった。その間、ランサーは背後で時臣の監視をしている。暫くして戻ってきた男は、凛を抱えてはいなかった。

「凛は適当な寝室に寝かせてきた。本当は用なんてなかったが、来てしまったからには仕方がない。話をするか、遠坂時臣」
「話だと? 脅しではなくか」

 命を握られていようと、流石に数分ほど時を置けば冷静にもなる。魔術師は死と向き合う者なのだ、死に瀕した程度で怯えたりするようでは未熟。極めて落ち着いて、時臣は応じた。
 この時点で時臣は覚悟を固めていた。娘は死んだものと考え、必要とあらば切り捨てる腹を決めたのだ。時臣の正面に回ってきた男は、デスクに腰かけて悠然と脚を組む。挑発的な面持ちで、時臣を見据えた。

「脅す気はない。無駄だからな。今ここでお前を殺すのは赤子の手を捻るほど簡単だが、それも得策じゃない以上は見逃すことにしている」
「……私を殺さない? どういうつもりだ」
「単純な話だ。お前というマスターを失った場合、英雄王の動きが読めなくなる。マスターがいなくなったとしても、現界を維持できそうな英雄王には最終局面の手前まで生きていて貰わないとな」
「……」

 英雄王の真名が看破されているだと?

 アサシンの脱落を偽装させた初戦と、倉庫街での一戦以外で、英雄王は戦っていない。その二回で真名に行き着いたのか。或いは英雄王の擲った宝具が全て本物であると察知し、そこから真名を推測して、当てずっぽうに口にしているだけなのか。
 適度に手札を切りながら揺さぶりを掛けてくる男に、時臣は顔を険しくする。
 口数は多いが、反比例して男の目はどこまでも冷たい。何を見ようとしている、と警戒心を最大限に高めた。一瞬も隙を晒すわけにはいかない。

「お前に良いことを教えてやる。信じるか信じないかは別だが、セイバーはアーサー王だ」
「なに?!」
「能力は――」

 スキル構成、所有する宝具とそのランク。加えて戦闘に際しての思考形態を、口頭で簡単に告げてくる男に時臣は驚いてしまう。
 それだけではなかった。男は懇切丁寧にセイバーの攻略法を口にし、その上まだ引き出しがあったのだ。

「そしてバーサーカーはブリテンの円卓の騎士最強、『湖の騎士』ランスロットだ。英雄王が本気を出せば攻略は簡単だろうが、慢心している状態だとそこそこ手こずるだろう」
「……なぜ私にそれを?」
「言わなくても分かってるだろうに。潰し合って欲しいから、ってのが一つと。セイバーの方は、英雄王が本気でも勝ちを狙える陣営だから教えてやろうと思ったまでだ」
「……」

 良いように利用しようというわけか。知らぬふりをしようにも、男の話が本当ならセイバーはかなりの難敵。無視できるものではない。ましてやマスターがアインツベルンであるなら尚更だ。
 この男は何者だ。着実に時臣の思考を縛っていく。ともするとアサシンを味方に置く時臣と同等、或いはそれ以上に情報を掴んでいるように感じられる。そして話運びが巧みで、魔術もなく意識を誘導されている感覚がした。

「私に要求はないのか」
「ないな。お前がそれに応じるとは限らんし、そもそも俺は魔術師という人種を一部例外を除いて信頼しない。目的のためなら平然と約定を破棄する、それが魔術師だ。故に俺が口にするのは事実のみ、それによってお前がどう動こうとも構わないさ。なんなら、英雄王をけしかけ俺にぶつけたって構わないとも」
「……なるほど。貴様のサーヴァントは、英雄王を相手にしても時間稼ぎぐらいは出来ると踏んでいる訳か。その間に、貴様が私を討つと」
「さて。どうだろうな」

 含み笑う男に虚勢はない。最強の英霊、ギルガメッシュを相手取ってもなお戦えると確信し、時臣を打ち倒せると考えている。
 工房の守りを難なく突破した手腕からして、それは自惚れではない、確固とした確信があるようだ。舐めてくれる、と時臣の頭に血が上りかける。

「さぁて。英雄王もそろそろ、のんべんだらりと帰ってくる頃合いか。退くぞ、ランサー」
「了解。しかしなんだ、なんか回りくどいな。ここで片した方がいいと思うんだがね」
「やめとけ。遠坂時臣は常識的な判断と行動をする典型的な魔術師らしい。今日日珍しいほど純粋なね。放っておいても脅威とはならんさ」
「……」

 露骨なまでの挑発を置いて、彼らは正面から堂々と去っていく。
 時臣はそれを見送るしかなく。
 苛立ちを込めて、デスクを拳で叩き割った。







「しっかしなんだ。マスターは面倒を増やす天才だな」

 面白そうに揶揄するクー・フーリンの言に、俺は忌々しげに舌打ちして応じた。

「災い転じて福と成す天才でもあるぞ」
「自分で言うのかよ」

 いやまあ、なかなか楽しませて貰ったが、と含み笑うクー・フーリン。
 俺としては予定になかったアクションを、なんとか誤差の範囲に収めた手腕を称えて欲しい気分だ。いやまあ、身から出た錆なので虚しさは拭えないが。

 全部ロ凛が悪い。

「で、こっからどうする」
「方針に変更はない。現時点で元々の第四次聖杯戦争の知識が宛にならなくなった以上、最も聖杯戦争から外れた行動をし、何をするか分からん奴から消す」
「キャスターだな」
「ああ。次点でライダーだな。だがそれのみに固執する気もない。今のアルトリアは極めて強力だ。聖剣を平然と連発出来るのは間違いないから、恐らく強力な個とは言い難いライダーは相手にならん。小難しいことを考えず倒して良いのはキャスター、ライダーだけだな」
「応。具体的な方策は固めないままでいいんだな」
「いい。こんな状況だ、変に頭を固めるのは策士気取りの戯け(遠坂時臣)だけ、場当たり的に動いた方が上手くいくだろうよ」

 元々が稀代の英傑が集う舞台だ、脚本通りに万事が進むわけがない。仮に上手く行っていても途中で必ず頓挫する。英雄とはそういう星の下に生まれた連中ゆえに。
 嘆息し、俺は思う。あと一騎ぐらい脱落したら、なんらかのイレギュラーが起こるだろうなと。
 変異特異点、何があるやらと俺は肩から力を抜き、まあ何があっても対処するさと気楽に構える。
 気負ったところで何が変わるでもないのだから。

 ――そして、やはりというか。

 現時点で、俺の知らないところで想定を外れる事態が起こっていた。

 既にキャスターが、何者かに倒されていたのだ。





 

 

因果は回るよ士郎くん!






 カルデアのアッ君との通信を終える。

 『特異点アンノウン』に挑んでいるネロの進捗状況は、報告によれば今の所微々たるもの。判明したのは地形と時代、地名のみである。
 地形は翼のような形の島。広さは1,700km程度とざっくり測られ、推測になるが世界から切り離される以前の影の国、スカイ島と思われるようだ。
 時間軸は神秘の濃さからして神代、紀元前一世紀から一世紀。スカイ島には様々な神代の怪物で溢れているらしく、エミヤ、アタランテ、アルトリアの三人でも思うように拠点とした場所から離れられず、釘付けにされているらしい。

 敵が何で、何が特異点化の原因なのか、それは全くの不明で。先程堕ちた神霊と交戦したらしく、ゴジラ並みに巨大な『波濤の獣』と神霊の怪獣大決戦に巻き込まれ、エミヤとアルトリアが宝具を連発したものだから魔力負担が大きく、ネロに泣きが入ってきたようだ。
 正直ネロで泣きが入るなら、更に魔力の少ない俺なら枯渇して死んでいたかもしれない。戦力の振り分けは正解だったらしい。
 歩く投影宝庫エミヤは早速酷使され疲弊し、アルトリアも先行きの暗い状況に険しい顔を崩さない。カルデアのアッ君はアサシンの衛宮、略して殺宮の派遣を決定し、アタランテに拠点付近の索敵を。殺宮に極めて広範囲の索敵を指示したとのこと。

 現在、殺宮は休憩を一つも挟まず機械のように淡々と調査を進めつつ、既に二回溶けたらしいが、その度にカルデアで霊基復元され調査に回されているようだ。
 殺宮に不満はなく、霊基の損傷も気にせずに淡々と調査を続行し、もう少しで何かを掴めそうだという。流石の手腕だが――もう少し、こう、なんだ。俺の言えたことではないかもしれないが、鉄のアグラヴェインは中々にブラック上司の資質が見られた。
 俺でも引くほどの酷使である。合理的だが、ぶっちゃけやりすぎだ。オルタリアすら少し距離を置くとか相当だと思う。円卓から誤解されまくってたというが、残念ながら当然だった。

 俺はとりあえず、殺宮を使い潰すことは禁じておいた。流石にそんなことはしないと思いたいが、念のため。

「――あー。その、なんだ。なんか師匠が迷惑掛けてそうですまねぇな」

 クー・フーリンが気まずそうに言った。いやまあ、言わんとしていることは分かる。
 影の国が特異点化しているとなれば、元凶は十中八九、影の国の門番にして女王だろう。少なくとも有力な容疑者とはなり得る。身内から敵が出ても容赦なく始末するクー・フーリンだが、流石に申し訳ないとは思うらしかった。

「俺に謝られても困る。まあこれで、特異点化の原因候補として『死の世界である影の国がスカイ島から剥がれ落ちず、世界の裏側に流れなかった』ことが考えられるな。死の世界の位相がズレるのが一年遅れるだけで、その差異が大きくなるのは自明。聖杯か何かの力で『世界』に貼り付いてる死の世界を、なんとか剥がしてしまえばいいのかもしれんな」

 言いながら、クー・フーリンを見た。なにか思うところでもないかと気遣ってみたが、特に何もないらしい。飄々として、何も含ませずに言い捨てた。

「なんでもいいけどよ。向こうの面子だけで片がつくならそれでいいだろ。ま、手に余るようならこっちが終わった後に出向いてもいいぜ、オレは」
「こっちを終わらせてからの話になるがな」

 さて、と俺は気持ちを切り替えホテルを引き払う。何日も同じ場所に陣取るほど抜けてはいない。
 俺はクー・フーリンを連れてある場所を目指す。遠坂時臣との件を考えれば、我ながら面の皮が厚いと思われるかもしれないが、厚顔無恥も使い方によっては武器となるものだ。
 いつか通った道を辿り、目的の森へ踏み込んでいく。罠の類いはメンド臭かったのでクー・フーリンの戦車で潰しながら進んだ。

「快適だなこれ」
「だろ?」
「都市部以外が戦場になったら、もうこれで移動したんでいいと思うな」

 バイクとか要らね、と本気で思ったが、まあないよりはあった方がいいかもしれない。
 しかし荒れ地の方はもう、問答無用で走破出来る戦車に搭乗したかった。

 森林を薙ぎ倒し、進んでいく。やがて見えてきたのは、懐かしのアインツベルン城だ。
 戦車で現れたのが俺とクー・フーリンであると予め察知していたらしいアルトリアとアイリスフィールが、最大の警戒心を持って出迎えてくる。
 俺は言った。

「まあ待てご両人。過日の言の通り、態度を変えてきた」

 訝しげな彼女達に、俺は微笑み掛ける。
 アイリスフィールを手に掛けるつもりのない俺にとって、アルトリアを倒しきるのが困難となれば、取れる手段など一つか二つだ。この局面で最も理想的な案がこれである。

同盟を(・・・)申し込みに来た。仲良くさせてほしいな、王様にお姫様?」

 遠坂陣営に情報を上げてきたことなど露ほども感じさせず、イギリスで培った厚かましさで俺は申し出たのであった。








 ――酒樽を担いだ赤毛の巨漢は、戦車に乗り込む寸前にゆるい空気の男を見かけた。
 眼鏡を掛けた白衣の少女を連れている。巨漢は無意識の内に声を張り上げていた。

「おぉい、そこの者ら! 少し待たんか!」

 直感に突き動かされるまま呼び掛けると、色彩の薄い少女は目を丸くして固まり、癖の強い白髪の青年は、この時代に見合わぬ衣装姿のままゆったりと振り返る。
 余裕と知性の滲む物腰に、巨漢の顔に骨太な笑みが浮かんだ。
 数多の地を征服し、数多の王を見、降してきた彼の眼力が捉えたのだ。
 青年の呼吸に、王気とでも呼ぶべき器があるのを。

 辺りの目も気にせず、巨漢は叫んだ。

「余の名は征服王イスカンダル! 其の方もさぞかし名のある王と見た! これより騎士王と金ぴかを交え、酒を酌み交わさんと考えておるが、うぬもその席に着いてはみんか!?」
「ちょ、おまっ、また真名出してんじゃねぇですよこの馬鹿ーっ!」

 自身のマスターの魂の叫びに、しかし征服王イスカンダルは耳も貸さず。
 対する青年は、指先ひとつ動かすだけで周囲の目と耳を散らして微笑んだ。

「――酒が飲めるのか。ツマミが出るならご相伴に預かろうかな。ちょうどお腹減ってたし」
「んっ、ツマミとな?」

 青年の言葉に、イスカンダルは虚を突かれる。酒のツマミ、それは確かに大事だ!
 忘れていたとは不覚である、どこで調達したものか……。悩ましげに唸るイスカンダルをよそに、少女が慌てたようにあわあわと手を振った。

「ど、ドクター!? そんな勝手な……!」
「ん? 何か問題あったかな」
「先輩に訊かなくていいんですか!?」
「いいんだよ別に。アイツの言うことなんか無視だ無視」
「せんぱぁい! ドクターがご乱心です!」

 青年のマスターらしき少女と小声でやり取りし、青年はなんら気負う様子もなく歩み寄る。
 そして悪戯っぽく言った。まるで場の空気も読まず、堂々と。別に深い考えもなく。

「それより、名乗られたなら名乗り返さないとね」
「えっ」
「私の名は魔術王ソロモン。キャスターのサーヴァントだ。で、こっちがマスターのマシュ・キリエライト。よろしく頼むよ、名にしおう大王様?」

 まさか名乗り返されるとは思いもしなかったイスカンダルは驚嘆した。
 余の目に狂いはなかった! 時代を冠する偉大な王とまみえられるとはな!
 興奮も露に感嘆するイスカンダルを横に。そのマスター、ウェイバー・ベルベットは。魔術世界の神とも言える名が飛び出たことに魂消て口をぱくぱくと開閉させるしかない。
 ソロモンは自身の大それた言動にまるで価値を感じてはおらず、頭にあるのは自身を嵌めてくれた輩への報復ばかり。先程片手間に滅した(・・・・・・・)本来のキャスター、青髭の件もある。胸糞悪い気分にさせてくれ、マシュが危うくあの(・・)光景を見そうになったのを防ぐのに大いに神経を磨り減らしたのを、彼は完全に自身の友人のせいにしていた。

「彼を一発殴る権利がボクにはある。だよね、マシュ」
「うっ。……私もそれは否定できませんけどっ」

 今頃幻の青年を相手に取り調べを続けているだろう警察の人達に同情しつつ、流石に弁護できないと項垂れる少女。
 こうして、そうとは知らずにロマニ・アーキマン――魔術王ソロモンは王の宴に招かれた。その場に憎きあん畜生が居合わせている事を、神ならぬ少女はまだ知らず。

 ロマニは自覚のないままに、混沌を造り出そうとしていた。






 

 

そんなに嫌か士郎くん!





「同盟を申し込みに来た、ですって……?」

 アインツベルンの森に仕掛けられていた罠の数々を、戦車の疾走によって強引に潰してやって来たのは、倉庫街でセイバーを翻弄し圧倒したランサーの主従であった。
 森の守りを破られ、警報が鳴ったことに内心慌てていたアイリスフィールは、予期せぬ来客の予想外の申し出に柳眉を逆立てる。
 三十路手前の、男盛りの白髪の戦士。中華の双剣を鞘に納め腰に吊るしたその男は、現在アイリスフィールらが最も警戒する存在だったのだ。

 万全のアーサー王をして守りに徹さねば押し切られるほどのランサー。サーヴァント戦では苦戦を免れず、強力無比なランサーに短くない時をアーサー王は封じ込まれるだろう。やもすると、アーサー王が敗北することも充分考えられた。
 そうなれば、マスター同士の戦いが勝敗を決すると言ってよく、生憎と戦いの心得などないアイリスフィールでは、見るからに戦い慣れている白髪の男に太刀打ちできるとは思えない。

 ……それに、クラスは分からないが、既に二騎のサーヴァントが脱落している。
 聖杯戦争が長引き、後半にさしかかる頃にはアイリスフィールは身動きすらままならなくなり、影武者のホムンクルスがアイリスフィールの代わりにマスターを務めることになる。

 現時点で衰弱しているアイリスフィールだ。戦えばまず敗北すると言っていい。英霊の魂に圧迫され、小聖杯が剥き出しとなって、アイリスフィールという人格が死ぬまで余裕は殆どないのである。故に彼女たちアインツベルン陣営は、目下ランサー陣営への対策を考えるのに全神経を傾けていたところなのだ。

 そんな、アルトリア・ペンドラゴンと意見の一致を見た、今次聖杯戦争最大の敵からの同盟の申し出。警戒しない道理などない。
 アイリスフィールは油断なく白髪の男を睨んで言った。

「――にしては、礼儀がなっていないわね。同盟を申し込もうという相手の陣地を、こうも徹底的に破壊した上で、相手が同盟の申し込みに首を縦に振ると思っているのかしら」
「ああ、思う」
「どうしてかしら」

 訝しげな冬の姫。――この時アイリスフィールはミスを犯した。

 彼女の眼前にいるのは海千山千の魑魅魍魎と鎬を削ってきた論戦のスペシャリストである。屁理屈を捏ねさせたら天下一品、腐れ縁の赤い悪魔をして『喋る前に殴る』と言わしめた歴戦の停戦調停者。()が言ったか『口先の魔術師』である。
 折角会話の主導権を持ちながら、わざわざ男に喋るターンをあけ渡すなど愚の骨頂、この時点で赤い悪魔は天を仰ぐだろう。案の定、男は敵地に在りて大胆不敵に微笑む。理屈を捏ねるのは好みだった。

「『どうして』ときたか。では逆に聞くぞ。陣地に引っ込んだ魔術師を相手に、どう対等な関係を結べと言う? ましてやそちらとは、直前まで敵対関係にあり、まともに会話が成り立つ保障もなかったのだ。まともに出向いたのではけんもほろろに追い出されるかもしれんし、交渉を行えたとしてもその席が決裂した場合、自らの陣地にいるそちらが圧倒的に有利となる。襲われない保障はどこにもない。だろう? 故にまずは対等な交渉のテーブルに着かせるために、そちらに有利となる陣地は破壊せねばならない」

「え……?」

 言わんとしていることは分かる、しかし納得がいかない様子のアイリスフィールに、だが男は考える暇を与えない。

「そしてそちらは、俺達の力を既に思い知っているはずだ。かなりの危険度だと判断しているのではないか?」
「……さあ、それはどうかしら」
「取り繕うことはない。アインツベルンの事情から、アルトリア・ペンドラゴンまで全て知り抜いている。アインツベルンの魔術特性と一族の実態、悲願、アルトリアの宝具からスキル、ステータス、性格から戦闘スタイルまで。何を隠そう以前の聖杯戦争で俺とセイバーは俺お前の関係で、シロウと青ペンちゃんと呼び合っていた仲だ」
「『青ペンちゃん』!?」

 堪らずアルトリアが反応する。未知の呼び方に驚愕を隠せず、横で聞いていたランサーが吹き出した。
 アイリスフィールはなんとか相手のペースに呑まれまいとして、男から情報を聞き出さんとする。

「以前の聖杯戦争? ……貴方は第三次聖杯戦争に参加していたの!?」
「答える必要はないな。生憎とその青ペンちゃんは、愛を誓い合った俺のことを薄情にも忘れてくれてるらしいが、そんなことは今は関係ない。例え忘れられていても俺の好意は変わらないからな。敵なら殺すが」
「え? ……え?」

 好意は変わらないけど敵なら殺す発言には混乱するしかないアルトリアである。というか本当に青ペンちゃん呼ばわりで通されるのか? なんか直感的に男が嘘を言ってるけど言っていないと感じてしまってますます混乱してしまう。
 アイリスフィールは冷や汗を流しながらなんとか冷静さを保った。

「ともかく今なら互いに得しかないぞ。そちらは俺達と一緒に戦うことでこちら側の情報を得られる、こちらは打倒するのが面倒臭い相手を最小の労力で倒せる。俺が共同で倒したいのは黄金のアーチャーだ。真名は英雄王ギルガメッシュ。そちらにとっても無視できない相手だと思うが、どうだ?」
「英雄王ですって?!」
「そう英雄王だ。あらゆる英霊の頂点に立つ最強の一角、ぶっちゃけ初見の利がなければ、青ペンちゃんですら鞘があっても勝ち目のない相手だ。宝具の詳細を俺が知る限り話そう」

 高い単独行動スキルからステータス、宝具の特性、極めつけにそれを十全に運用できる知能に乖離剣。
 混乱から段々と戦慄に塗り変わる顔色に、男はあくまで矢継ぎ早に言う。

「令呪が効かない、マスターが死んでもなんとか出来かねん、何をしでかすか分からん――そんな危険人物を野放しとか有り得んだろう。早急に片付けたいから協力してくれ。今なら豪華特典をおつけします!」
「ちょっと待って、ちょっと考えさせて!」
「考えるのは後でも出来るからとりあえず最後まで聞いてアイリスフィールお義母さん!」
「お義母さん!?」
「いいか! ここにいるランサーはぶっちゃけ一対一なら最強だ! 一対多でも最強だ! でも真名バレると割と詰む! そんなランサーの情報得られるとかアドバンテージ半端ない! そして同盟組んでくれるのなら聖杯譲ってもいい! 聖杯とか本気で要らないのでお義母さんと青ペンちゃんに差し上げます! 今すぐこの場でセルフ・ギアス・スクロール書いてもいいぞ!」
「セルフ・ギアス・スクロールを!? 貴方正気なの!? 聖杯戦争に参加していながら聖杯が要らないって何しに来たのよ! それとお義母さんって何?!」
「何しに来たかだと? 決まっている、青ペンちゃんに会いに来たんだよ!」
「私ですか!?」
「嘘だよ!」

 ふぅ、と一気に捲し立て、男は密かに呟く。まあ、ルールブレイカーあるし――と。
 コイツ最悪だなと無表情の裏で笑いを堪えるクー・フーリンである。

 一頻り喋って落ち着いたのか、男、エミヤシロウは居住まいを正した。

「それで、答えは如何に?」

 アイリスフィールはなんとかシロウの勢いを捌き、冷静に考える。果たして同盟の誘いを受けるべきか否か。
 なお同盟交渉が決裂したなら、その瞬間にシロウはこの場から離脱するつもりだった。なにせこの城は、橋に次ぐシロウの鬼門であるからして。長居して良いことなどないと彼は弁えていた。

 アイリスフィールは自分だけでは考えない。自らの経験が全く足りないことは自覚していたし、自身のサーヴァントが経験豊かな常勝の王だということもあって、アルトリアに相談することになんの迷いもなかったのだ。
 故に、彼女はアルトリアに訊ねる。貴女はどうしたらいいと思う? と。

 ――この提案は受けるべきかと。

 どうして? 全く怪し過ぎる男だ。何故か憎めない感じがして戸惑ってしまうが、それでも本能的に近しく感じてしまう空気感を彼は持っている。
 アルトリアは小声で言った。

 ――多弁な輩の言葉は全て聞き流すのが吉です。肝要なのは話の要点だけを抜き取り理解すること。その上で考えるとランサーのマスターの提案は旨味が多い。少しでもランサー攻略の手掛かりが掴められたら上々、そうでなくともアーチャー打倒までの協力体制と割り切ればいいのです。アイリスフィール、少なくともあのマスターは不意打ちや騙し討ちはしてこないと思いますよ。

 それはつまり、男の言った通りにした方がいいということではないか。
 アイリスフィールは今更になって戦慄した。アルトリアも理解しているだろう、目の前の男はふざけているようで全くふざけておらず、自身の懐を探らせないまま自らの提案が最善であると思わせてきたことを。
 男の提案を覆す思考が浮かばない。アインツベルン最高のマスターであるアイリスフィールは、男の言に一理も二理もあることを認めざるを得なかった。

 仕方ない、提案を呑もう。アイリスフィールはそう決意し、虎穴に飛び込む気概を固めた。

「いいわ。貴方と同盟を結びます、エミヤシロウ」
「それは良かった。――ああ、本当に」

 アイリスフィールの返答に、シロウは心底安堵したように息を吐いた。

 その時である。



「――ほぉ? なにやら薄汚い雑種が馴れ合っているのかと思って来てみれば、存外奇抜な取り合わせが揃っておるではないか」



 人形に、小娘に、半神に道化。珍種のバーゲンセールか何かかと笑う、聞き知った傲慢な声音。
 咄嗟に城壁の上を見上げると、そこには夜の空を背に抱いた黄金、魔の太陽とすら言える偉容の王者が屹立しているではないか。
 アイリスフィールは慌ててそちらに向き、アルトリアは聖剣を構える。クー・フーリンは早速来たかと好戦的な笑みを浮かべた。
 そして、シロウは顔を強張らせ、これまでの全てを台無しにする勢いで、クー・フーリンに小声で言った。

「――あの、ちょっと急用思い出したから帰っていいかな」
「はあ!? ダメに決まってんだろいきなり何言ってんだ」
「この流れはマズイだろどう考えても。来てる、これ絶対に来てるから」

 シロウの顔は真っ青だ。先程まで強気に話を進めていた男とも思えない。
 だが無理もなかった。彼は思い出したのだ。百貌から聞いた情報を。

 第四次聖杯戦争で、かの英雄王がアインツベルンの城に訪れた際、起こった『聖杯問答』という酒宴。それに思いっきり巻き込まれる未来を予見して、シロウはなんとかこの場からの離脱を望んでいたのだ。
 というかこのタイミングで来なくてもいいだろ! とシロウは頭を抱えそうだった。
 これはろくでもないことになる間違いない、とシロウは確信してしまう。

 すると案の定、雷鳴を引き連れた蹄の音がここまで聞こえてきたではないか。

 またいつものパターンか、とシロウはもう諦めの境地に達していた。









 

 

謁見だよ士郎くん!





 半神に共通する真紅の神性。
 紅玉よりもなお紅く、魔性の視線には強烈な意思の光が輝いている。
 他を圧する暴力的なまでの我意。比類なき強大な自我。黄金の魂。恒星に等しい存在力を無作為に発散しながら、愉快な喜劇でも眺めるようにその双眸が細められた。

 俺は忌々しげに舌打ちしたくなる衝動を抑える。この冬木で一番見たくない顔だった。

「……英雄王。こんな寂れた城になんの用だ?」

 アイリスフィールの物言いたげな目を流す。俺が森の結界から何まで台無しにしたとはいえ城そのものは無傷なのだ。事実を口にすることぐらい許してほしいものである。
 俺の問いに、英雄王はしかし機嫌を害してはいないようだ。許しなく顔を見るなとか、雑種風情が問いを投げるか、と意味不明な怒り方をする男だが、奴には奴の筋がある。それを読み違わねば、意外と英雄王は寛大だ。

 それとなく身構えるクー・フーリンと青ペンちゃん。アイリスフィールが同盟の申し出に頷いた以上、二騎のサーヴァントは連携する用意がある。英雄王が何をしても即座に反応できる態勢だ。
 二騎の大英雄の敵意。特にクー・フーリンの眼光は視線だけで殺せそうなもの。しかし英雄王はそれには怯まず、逆に面白げな視線で応じて、俺の問いに答える。

「――なんの用と来たか。随分とツレないな、雑種。久しい(・・・)のだろう、この我に拝謁する栄誉を賜ったのは」
「っ……?」
「何やら滑稽な筋書きに踊らされ、未だそれを自覚できずにいるらしいな? 見込んだ以上の道化だな、贋作者(フェイカー)

 黄金の王の言葉の大半を、咄嗟に理解できなかった。しかし英雄王が俺を(・・)知っているらしいということは察せられた。
 予想だにしなかった事態である。この変異特異点――否、この時間軸では英雄王は俺の存在を認知など出来るはずもない。一体どんな手を使った? 宝具で未来を視たとでも? いや、そんなつまらないことをする男ではない。仮に未来を視るとしたら、この男は宝具に拠らずに自力で視るだろう。
 ……ということは、英雄王は宝具ではなく、自身に備わった自前の能力で未来を視ることが出来る?
 俺の思考など掌の上なのか、ギルガメッシュは肯定するようにわざわざ俺を見下ろした。

「おう、金ぴか」

 クー・フーリンがこめかみに青筋を浮き上がらせ、怒気も露に呼ばう。

「マスターを知ってるってこたぁ、このオレのことも知っていると踏んでいいな」
「無論だクー・フーリン。見違えたぞ、以前のそれとは比べ物にもならん。今の貴様になら同じ半神のよしみで本気を出してやってもいい」
「は、囀ずってんじゃねぇ」

 心底興味なさげに、英雄王の賛辞を横に捨てる。
 クー・フーリンという真名にアルトリアとアイリスフィールが反応したが、そんなものになど欠片も意識を向けず、最強の槍兵は呪いの朱槍を突きつけた。

「テメェ、よくこのオレの眼前でマスターを侮辱してくれた。滑稽だと宣ったその舌、よほど惜しくねぇと見える」
「ハッ。クランの猛犬が飼い慣らされたか。よもや貴様が騎士を気取るとはな」

 嘲けりではなく、不敵な笑みだ。視線の交わる先で火花を散らす両者に俺は制止の声を掛ける。

「待てランサー。英雄王の物言いに一々目くじらを立てていたら埒が明かん。戦いは任せるが今は俺に任せてくれ」
「……チ、わぁったよ。ただしマスターも腹括ってろ。苦手だからって腰が引けてたんじゃあ、男として少しばかり情けねぇぞ」

 耳に痛い忠言である。確かに俺は英雄王が苦手だった。
 その真実を見通す眼が、こちらの虚飾を剥ぎ取るようで、どうにも正視に耐えない。
 が、そんなことも言っていられない。俺は腹を据える。頭のギアを最大にまで上げた。

 ――ギルガメッシュは俺だけでなく、クー・フーリンの存在も認知している。

 ということは、疑いの余地なく第五次聖杯戦争のことも知っていることになる。
 ギリ、と歯を食い縛って、過去の苦い記憶を一旦忘れた。

「相方が突っかかって悪かった。それでギルガメッシュ。あんたはなんの用でここに来た?」

 知識としては識っている。聖杯問答とやらをしに来たのだろう。しかし第五次の戦いを識っているらしい英雄王が、果たして同様の理由でやって来るだろうか?
 俺の問いに超越者は口許を緩める。嫌に機嫌がいい、嫌な予感しかしない。

カルデアの(・・・・・)マスターよ。言わずとも察しているならわざわざ問いを投げるな。この我に無駄に言の葉を紡がせるは死罪に値する不敬だぞ」
「大体があんたからしたら不敬だろうが。機嫌良いなら見逃せ」

 察しているから嫌になってるというのに。
 ああ、異邦人だと見抜かれているんだろう。加えて何が目的かも察してもいるらしい。その上で、奴は何かを目的に此処へ来た。
 どうやって知ったかなんてこの際どうだっていい。現実問題として奴は冬木の聖杯に纏わる秘密を知っている。聖杯の正体を知っているなら、自身の宝でもない聖杯に興味はない筈だ。
 この時代に受肉していたなら、聖杯の呪いを使って人類を間引こうとするだろうが、霊体である今は歪んでいない素の英雄王である。この時代に干渉する気はないと見ていい。

 なら、王としての裁定を下すのがギルガメッシュだ。そこから推測される目的は――俺を見定めに来た? ついでに俺を弄びに来た、とも言えるかもしれない。

「その通りだ」
「……」

 俺の脳内と会話しないで貰いたい。

「だが貴様を見定める儀は既に済ませてある。故にもう、貴様に下す裁定は一言に付すのみ。――星詠みの天文台よ、大儀である。篤と励め」
「――は?」
「分からぬか。我は貴様を殺さん。このような寄り道など手早く終わらせ、さっさと次に駒を進めよと言ったのだ」

 目を見開く。ギルガメッシュはアインツベルンの城の城壁の上で、腕を組みながらこちらを睥睨した。

「贋作を造るその頭蓋は気に食わんが、特例として存在することを赦す。その小賢しい知恵と悪運を駆使し、人理を巡る戦を見事、戦い抜くがいい」
「……」
「だが今のままでは道半ばで倒れるは必定であろうな。今の内にその因果を清算しておけ。此度はそれだけを告げに来た」
「因果……?」

 そこまで言って、ギルガメッシュは片手をあげた。

 こちらからは見えない地点、城壁の向こう側から空を舞う王の御座が現れる。
 エメラルドの天舟。それに跳び移り、玉座に腰を下ろした王は唖然とする一同を見渡した。

「先を『視てしまった』以上、この場の余興に絡むのも面倒だ。故に雑種は雑種同士、せいぜい適当に戯れているがいい。我はこの先の宴を心待ちにしているぞ、クランの猛犬」

 謎めいた言葉を残し、それ以上の弁を費やす事なく英雄王は去っていった。

 俺は呆然とする。

 全然、全く、これっぽっちも予期し得ない事態だ。
 いったい、俺が話していた相手は誰だった?
 あれが、本当にギルガメッシュだったのか?
 傲岸不遜、慢心の塊、絶対者ギルガメッシュだったと、本当に言えるのか?

「……相変わらず訳が分からねぇ野郎だが、雌雄を決する機会はもうちょい先らしいな」

 クー・フーリンが独語する。それで我に返った俺は、がりがりと頭を掻いた。
 訳が分からずとも現実は変わらない。本来、聖杯問答に参加するはずだった英雄王は去ってしまった。
 杯で挑まれたら逃げるわけにはいかないのが王ではなかったか? それを曲げてでも成さねばならないことがあったとでも? やはりあの王のことは分からない。一方通行の理解だけを持っていかれた。

 ちら、とアイリスフィールを盗み見る。

 どうやら世間知らずが祟って、この時代ではまだマイナーだったカルデアの名前は知らないらしい。いまいち話に付いてこられていなかったようだ。
 ならいい、理解されていたら正体がバレ、同盟は破綻していた。同盟解消はもう少し先の局面でないといけない。
 だが、英雄王は俺を殺す気はないと言っていた。なら無理をして倒しに行く必要はない? いやしかし、『この先の宴』とはなんだ。冬木の聖杯に招かれた存在である以上、それはこの冬木での出来事を指す筈だが……。

「……妙だ」

 アルトリアがふと言う。

「気づきませんか。先程聞こえた雷鳴――恐らくは征服王の戦車のものでしょう。それが遠くから聞こえたのに、一向に近づいてくる気配がありません」
「……言われてみれば確かに」

 目の前の英雄王に集中しすぎた。普段はしないような珍ミスである。
 俺は嘆息し、思考を切り替える。クー・フーリンに言った。

「どう視る」
「ああ、どうにも(やっこ)さん、面倒なことになっちまってるぜ」
「面倒?」
「見てみろよ。マスターの方が眼がいいだろ。あっちだ」

 言われるがまま、俺は脚に強化を叩き込んで軽く跳び、城壁の上に登って高所からアインツベルンの森の外れの方へ目を遣った。
 目を細める。
 そこには俺の見たことのない、しかし知識として識る魔物――『泥』に塗れた海魔の群れが氾濫し、この城に流れ込んでこようとしているではないか。
 それを期せずして塞き止める形となっているのは、戦車を操る赤毛の巨漢と。

 なんか見覚えのある魔術王。

「……」

 俺はいつの間にか隣にまで来ていたクー・フーリンに視線を向ける。
 曖昧な表情で肩を竦めた彼に、心の底からの疑問を投げた。

「なにやってんだアイツ」

 オレが知るか、とクー・フーリンは苦笑した。





 

 

アーキマンなのかソロマンくん!






 うわぁ、と気の抜けた声で呻いたのは、誰あろう魔術世界に於ける始祖である。

 あらゆる魔術師の頂点に君臨し、魔術に分類される全てを支配する絶対者。魔術王ソロモンの転生体にしてそのデミ・サーヴァント。二つのソロモンの魂が重複した異例中の異例だ。

 魔術王の魂を持つロマニ・アーキマンとしての生身を持つ故に、魔術王の霊基との親和性は完全である。
 ただのロマニだった頃から持ち合わせた一の指輪と、サーヴァントとして所有していた九の指輪を十指に嵌め、ソロモンは眼前のそれを眺める。

 津波の如くに押し寄せる呪いの泥。それは強大な――七十二柱の魔神にも匹敵する呪いの規模を持ち、汚泥の如くに現出した反英霊の霊基反応が感じられる。現れた大量の海魔は、その反英霊の宝具によって召喚されたものだ。
 なんらかの機能が作動し、脱落したサーヴァントを聖杯が取り出して、こちらに差し向けたのだろう――ただ一目視ただけでその正体とからくりを看破していながら、魔術王は緊張感の欠片もなく嘆息した。

「おい魔術王! こやつらが何者かはひとまず横に置くとして、この無粋な賊どもを片付ける手はあるか!」

 雷牛の牽く戦車に乗った征服王が、のんびりと構えたままの魔術王に呼び掛ける。
 強大なその呪いは、サーヴァントにとっては鬼門である。触れただけで融かされるだろう。
 酒盛りに来ただけなのにこのような事態に遭遇したともなれば、愚痴の一つも吐きたくなるというもの。征服王はやや剣呑な眼差しで海魔の物量を一瞥した。
 戦車による全力疾走で、轢き潰してやるのもいいが、征服王の眼力は冴えない表情の魔術王の方が対処に適任と見たのだ。故に水を向けたのである。ソロモン王の力を見たいという打算もあった。

「うーん……まあ、そうだね……」

 有り体に言って、この海魔とその使役者はソロモンからすれば敵にも成り得ない。
 対処は容易いの一言で、その気になれば海魔の召喚術式に介入し、キャンセルして異界へ送還してしまえる。実際、冬木のキャスターをそうして丸裸にし焼却したのだ。宝具による召喚だろうが、それが魔術による代物である以上、ソロモンの支配下に置けるのは当然である。

 故に彼が残念に思うのは、この騒ぎのせいで『あん畜生』に気づかれてしまったことだ。折角驚かせてやろうと思っていたのに台無しである。
 ソロモンの胸中を察していた少女、マシュ・キリエライトは苦笑した。ドクターが楽しそうで良かったです、なんて――この場にはそぐわない穏やかな表情だった。

 ソロモン――ロマニ・アーキマンはそれには気づかず、とりあえず思案した。

 ここで海魔を異界へ送還してしまうのは簡単だ。が、それを征服王の前で見せてやる必要はない。ソロモン王の逸話から簡単に推測できる能力の方で対処した方が手札は隠せるだろう。
 それに、一度やられた手法に対して、冬木のキャスターがなんの対策もせずにいることから――まあそもそも対策なんて出来ないだろうが――冬木のキャスターに自我はない、と彼は断定する。
 堕ちたりとはいえ、まがりなりにもフランス救国の英雄だ。ジャンヌ・ダルクの添え物として見られがちだが、実態はその逆である大元帥ジル・ド・レェ伯が同じミスをするとも思えない。故に間違いないと言えた。
 まあ、敢えて同じミスをして、相手の油断を誘発する策とも見れるが、それをする意味はない。何故ならカルデアの陣営に、油断や慢心は無縁であるから。

「普通に焼き払ったんでいいんじゃないかな」

 なげやりに言いながら、ソロモンは魔術を行使する。
 召喚魔術に特化した術者ソロモンは、詠唱を瞬きの間もなく完成させ、目的のものを召喚した。

「――来たれ地獄の大伯爵。第三十四柱の魔神フュルフュールよ」

 別名フルフル。英霊ソロモンに付随する、自我のないただの術式――人理焼却の実行犯にはなんら関わりのないただの使い魔だ。
 と言っても、伝承に語られる最高峰(ハイエンド)の使い魔である。宝具の域にも届くそれを、ただの召喚魔術に過ぎないと看破できる者はこの場にいない。

 久方ぶりの、ソロモンとしての魔術行使に感じるものはない。あるのは奇妙な自己の齟齬。かつて純粋なソロモン王だった頃にはなかった人間としての心を持ちながら、ソロモンの力を振るうことへの心地好い異物感のみ。自分が変われていることへの実感だ。
 白衣を纏い、眼鏡を掛け、ソロモンによって霊基を誤魔化され、普通の人間に見せられているマシュを庇うように立ち、傍らに魔神を召喚する。

 現れたのは背に翼を持つ牡鹿。燃え立つ火の蛇尾が特徴的な魔神である。
 優美なる威厳を備えたその魔神は、地獄とされる異界にて二十六の軍団を率い、雷や稲妻を操る異能を保有していた。真実を話させる呪文を唱えない限り召喚者に対しては嘘を吐き続けるが、現在は自我を持たない使い魔である。喋る機能はあるがそれは切ってあり、魔神は無言で佇んだ。

「おお!」

 第三十四柱、フュルフュール。噛まなくて良かったと人知れず呟くソロモンに、征服王の感嘆の声が上がる。そのマスターである少年ウェイバー・ベルベットは、ただただ圧倒されて魅入られるのみ。

 ソロモンが楽団の指揮者の如くに腕を薙ぐ。フュルフュールは主の指示に従いその異能を遺憾なく発揮した。
 異次元の音波を発して牡鹿が嘶き、見事な七支刀のような角を誇示する。雷光が閃き、その身が宿す膨大な魔力を大雷へと変換して、百を超える海魔へ向けて撃ち放つ。
 その威力は、さながら電磁加速砲により投射された砲弾の如し。凄まじい雷弾の破壊の余波は物理的な破壊力を伴う衝撃波を発し、周辺に夥しいまでの破壊を撒き散らす。
 射線にあった森林は壊滅し、地面は地割れを起こしたように抉れ、着弾を受けた百の海魔は一瞬で蒸発した。

 宣言通りに焼き払い――否、焼却し、ソロモンは張り切りすぎたと反省する。
 対軍宝具にも匹敵する一撃を事も無げに放ったのは、せめてものマスターへの意趣返しだ。今頃突然の魔力消費にそれなりに苦みばしった顔をしているはずだと思う。
 オルガマリーの父、マリスビリー・アニムスフィアがマスターなら今の位階の砲撃を五連射出来たが、士郎の魔力量では連発すら危うい。今ので溜飲をさげようとソロモンは思う。余り後に引き摺るのは大人げないし。

「嘘だろ……今のレベルの大魔術を、なんの下準備もなしで、それもたった一息でだなんて……」

 ウェイバーが絶句していた。魔術による大規模破壊は、噂に聞く彼のミス・ブルーを上回っている。とても現実の光景とは思えない破壊の跡に、彼の中の常識ががらがらと音を立てて崩れていった。
 それを尻目に、今の一撃で誰の目にも触れさせず、冬木のキャスターも倒せたのを確認し、ソロモンはひとまず自身の正体を有耶無耶に出来ることを確信する。
 ロマニとしての研鑽と、ソロモンとしての叡知が掛け合わされている今、士郎の策謀を見抜くことは困難ではない。故にそれに合わせるために、ソロモンは自身の正体を秘匿する。

「流石よなぁ、魔術王! 今の一撃を事も無げに放ってのけるとは、余をしても度肝を抜かれたぞ!」
「賛辞は受け取ろう。しかし私からすれば、今の魔術は児戯にも等しい。これが全力と思われたなら心外だね」
「ほぉ! 今のが児戯ときたか! 俄然其の方に興味が沸いてきたわい」

 豪胆な征服王の賛辞に余裕を持って微笑む。
 相性のいい下位のサーヴァントが相手だから一撃で倒せたのだ。これが征服王を狙ったものなら回避されただろうし、カルデア最強の槍兵なら反撃ついでの投げ槍で手傷を負わされかねない。
 やはり魔術師である以上、神殿を作って籠っている方がいいなと思う。まあこの編纂事象の処理が叶わなかった変異特異点で、ソロモンは自分の陣地を持つつもりはなかったが。

 ソロモン――ロマニ・アーキマンは、自分の保有する最高位の千里眼を封印していた。
 過去・現在・未来の全てを見通すそれは、確かに便利ではある。しかしそれは人の心を持つ者には無用であり、人の戦いである特異点修復の旅に用いるべきではなかった。
 それでも、これは自身に関わる事件だ。故にこそロマニは千里眼を使い、迅速に事態の終息を図るつもりでいたのである。しかし――

 ――ロマニ。マスターとして指示するが、その千里眼()は閉じておけ。

 カルデアのマスターは、そう言ってロマニに千里眼の使用を禁じた。
 それはソロモンはともかく、ロマニの人の心では、『全て』なんてものを見れば必ず引き摺られる(・・・・・・)からで。もちろん、人理焼却の黒幕に気づかれないようにするためでもある。
 こんな事態にあってすら、ロマニ一人の心を慮り、全知ではなく人知による戦いを肯定している彼に、ロマニは感謝の念と共に決めたのである。彼のサーヴァントとして、そして――ただの友人として、共に特異点を旅して戦おう、と。

「――む、魔術王! 新手だぞ!」

 征服王の警戒を呼び掛ける声。ちらりと見ると、残像すら残さず蒼い風が吹いた。
 マシュが声を漏らす。それは今しがた脳裏を掠めた冠位の槍兵。ソロモンと同格の勇者。
 クー・フーリン。
 呪いの朱槍を肩に担ぎ、征服王とソロモンよりやや間合いの離れた位置に立つ彼は、意味深な眼をマシュとソロモンに向けた後にぐるりと辺りを見渡した。

「んだよ、もう片付けちまったのか」
「貴様、ランサーではないか!」
「おう。ライダーはともかく、そっちははじめましてだな」

 征服王の誰何に応じ、清々しいまでに初対面を装う彼に、ソロモンは悪びれもせずに平然と乗っかった。

「こちらこそはじめましてだね、ランサー。それで何の用かな? 戦いに来たというなら迎え撃つけれど」
「まあ待て。オレはそれでも構わねえが、マスターからの指示でな。今の雑魚の掃討に手を貸しに来てやった所だ。まあテメェだけで瞬殺したようだから無駄足だったが」
「それは悪いことをした。申し訳なく思うよ」
「は、よくも抜かしやがる」

 クー・フーリンは失笑し、そして征服王を見た。

「で、ライダーに――キャスターだな。テメェらは今のアレが何か、知ってるか?」
「その前にランサー、うぬに確かめておくことがある」

 話をばっさりと切り、自身の方に話の流れを強引に引き寄せたイスカンダルが、鋭い眼光で槍兵を睨み付ける。
 虚偽を赦さぬ圧倒的な威圧感である。その直撃を受けたクー・フーリンは、しかし涼しい顔を崩しもしないまま応じた。

「おう、なんだ」
「うぬに駆け引きは無用であろう。故に直截的に訊ねるが――貴様は今、この森の奥から来たな。ランサーよ、貴様はセイバーと決着をつけてきたのか?」

 見方によればそうも見えるだろう。
 アインツベルンの森から、セイバーではなくランサーが現れ、あまつさえランサーの口からそのマスターが健在であることを語られる。
 そうなれば、セイバーが倒されてしまった可能性も浮上するのだ。
 しかしそれに、隠す気もなくクー・フーリンは応じた。

「いいや? 単にオレのマスターが、セイバーのマスターと手を結んだだけのことだ」
「なんと――」

 考えられるもう一つの可能性――戦況としては最悪の展開にイスカンダルは声を上げる。

「それはなんと羨ま――否、なんと卑劣な!」

 イスカンダルは胸の前で拳を握り、心底口惜しげに嘆き、

「勝ち抜き戦の聖杯戦争で、よもや他陣営と盟を結ぶとは! ――これはもう余らも手を結ぶしかないのではないか、キャスターよ!」

 本人にとってはさりげない勧誘に、ソロモンは苦笑した。ここで、実は冬木のランサーとキャスター陣営はとうに敗れ、入れ替わった自分達が一つの陣営だと教えたらどんな顔をするのだろう。
 まあ明らかに聖杯が異常な活動を始めた以上、どんな事態にも柔軟に対処できる位置取りをしておいた方がいい。ソロモンは曖昧に頷いた。

「この件は持ち帰り、マスターと前向きに検討させて貰うよ」
「おぉ、真か!」

 前向きに検討すると言っただけで、別に同盟するとは言っていないのにこの喜び様である。
 これは有耶無耶の内に自分に都合よく動かすタイプの、論戦などでは滅茶苦茶な論法での論破を図るタイプと見た。
 適度な距離感が必要かなと思いつつ、ソロモンはそろそろ本題に入ることにした。

「それより二人とも。今の雑魚いのに関してと、本来の用件もあるんだし、そろそろセイバーの所にお邪魔しないかい? そこにランサーのマスターもいるだろうし、楽しい話が出来ると思うな」

 士郎くんの驚く顔が見られなくなったのは残念だけど、彼なら『この形・状況』で出来る、最善の手段に思い至るだろう――とソロモンは思う。
 異邦人である自分達がいる以上、イレギュラーは確実に起こるのだ。方針を転換する必要がある。カルデアでの状況もある、場合によってはクー・フーリンには離脱して貰って、影の国の方に救援に出向いて貰った方がいい。

 ソロモンの提案に、イスカンダルとクー・フーリンも気楽に乗った。





 

 

クールになるんだ士郎くん!







 終末の角笛が吹き鳴らされた。

 天地を(どよ)もすその咆哮が、およそ尋常なる生物によるものでないのは明白だ。
 哭けば吹く風は逆巻く竜の尾を想わせる。それはさながら海神(わだつみ)の如き威容を誇り、藤の花を想起させる青紫の外殻は、権能にも通ずる強大な呪いを帯びていた。
 全長三十メートルは優に越す古の巨獣。遠き海に在りし偉大なる海の化身。――その名は信念(クリード)。自らを信ずるモノ。自らにのみ拠って立つ単一の系統樹。嘗て自らの同位体コインヘンと戦い、これに勝利した個体だ。後に戦に長けた神霊と戦い、敗れ去ったそれは、この特異点に復活を遂げて大いに猛っていた。

 それは一度は自身を屠ってのけた神霊――ボルグ・マク・ブアインを、その(うで)によって串刺しにし、即死させたことへの歓喜である。
 自らを後押しする得体の知れない力の存在など微塵も気にかけず、ただただ海の化身は死の国に君臨した。

 果てに待つものなど知らぬ。ただ存在するだけの大自然。自然への信仰、幻想の持つ神秘、象る生命の奔流――波濤の獣は渦巻く潮流を纏い、この変異特異点『死国残留海域スカイ』にて生命を謳歌する。
 自らに挑む小さきもの達を迎え入れ、獣は今に謳うだろう。頭蓋に秘められたる必死の呪いを解き放ち、因果律に干渉する権能を奮って、無謀にも己を滅ぼさんとする者達を串刺しにした後に。自らで自らを讃える、勝利の栄光を。

 氾濫する死霊の軍団を観測、マスターに間断なく更新されていく情報を送り、緊迫した空気の中で指示を飛ばし続ける鉄の宰相は、もはや一分の余裕もないと判断し、万能の天才にもう一方の特異点にいるマスターへ、救援要請を出すことを求めた。

 果たしてレオナルド・ダ・ヴィンチは一瞬の逡巡の後に決断する。
 調査の末に特定できた時代と地域、該当する神話から、対処に最適と目されるサーヴァントを、冬木から送り出して貰うことを。

 白銀の騎士王とその反転存在、錬鉄の弓兵とアルカディアの狩人。そして魔術師殺しの暗殺者。送られた増援だけでは足らなかったのだ。
 ケルト神話の頂点、クー・フーリンこそが、この原始の世界には必要とされていた。










「貴方は……剛胆な方ですね」

 予期せぬ評価に、ん、と首を捻る。

 遠くに視た海魔の群れ撃滅のため、ロマニ達の手伝いに槍兵を差し向けた所だ。
 本当はクー・フーリンを向かわせる必要性は皆無であり、あの征服王とロマニだけで充分なのは承知していた。
 しかしそれでも、敢えて槍兵を自分の許から離したのは、ひとえに自分とアルトリア、アイリスフィールだけの場を作っておきたかったから。
 俺はこの世界に対する知識のほぼ全てを忘却したが、それでも冬木に関する聖杯戦争については正確に記憶している。それだけ色褪せない鮮烈な経験だったというのもあるが、冬木の聖杯が内包するものに、一度は呑み込まれた体験が、俺に『忘れる』という逃避を許さなかったのだ。

 故にこそ聖杯の泥とそれにまつわる因縁を、俺は知悉している。

 あの海魔は、聖杯に取り込まれた英霊の宝具によるもの――即ち黒化英霊の出現を示したものだ。である以上、アインツベルンであり、また小聖杯でもあるアイリスフィールが異変を察知していないわけがなく、俺はアイリスフィールにそれとなく探りを入れるつもりだった。
 そのために俺はサーヴァントを傍から離し、一見して無防備であるように見せた。力関係的にサーヴァントを傍に置くアイリスフィールの方が優位であり、その精神的な優位は相手に安心と油断を招く。ある意味嫌らしい手法だが、俺からすれば油断する方が悪い。

 そんなことを考えていた俺に、アルトリアは感心したような、呆れたような、微妙な声音で語り掛けてきた。

「俺が剛胆? 何を見てそう思う」

 眉を落としてのアルトリアの言葉に、小心者の俺はほんの少し可笑しさを感じた。
 自分のことを知らないアルトリアが、いやに新鮮に思える。それだけ深い付き合いだったのだと思うと懐く感慨も味わい深かった。

「貴方は私を前にしていながら、自身の傍からランサーを離した。異変を察知するなり下したその判断に敬意を抱きもしますが、それよりも些か不用心だとも思います」
「なんだ、そんなことか」

 何を以て剛胆と称したのか不可解だったが、彼女からすれば直前まで敵対していた相手に、こうも無防備を晒すのは驚くに値したのだ。信頼するには時期尚早ではないか――俺の軽挙とも取れる判断を、高潔なアルトリアは戒めてくれている。
 俺は苦笑した。俺にとって同盟を組んだアインツベルンは信頼するに値する存在だったからだ。
 何せ――

「アインツベルンと俺は同盟を結んだ。であればそのサーヴァントであるお前が、俺に対して刃を向けるなど有り得ないことだ。騎士王アルトリアはそういう奴で、そのマスターであるアイリスフィール・フォン・アインツベルンも、同盟を組んだ相手の不意を突いて殺めようとはしないだろう。もしも斬られたなら、その時は俺の眼が節穴だっただけのことだよ」

 もし切嗣がいたら絶対に信頼しなかったが。

 ともかく、一旦味方となった相手を、信義に悖る行いに手を染めてまで斬る不義の輩ではないと俺は知っている。アイリスフィールについては、そういう人物なのだと勝手に判断したまでのことだ。
 あのアルトリアがなんの迷いもなく彼女を信頼し、衒いなく戦えている時点で、彼女もまた信じるに値する。アルトリアを通しての判断だから、アイリスフィールが見込み外れの不埒な輩だったらやはり、それは俺の自業自得でしかない。

 アルトリアは目を丸くして、アイリスフィールはほんのりと頬を緩めた。アイリスフィールは俺がアルトリアを通して自分の人柄を見越したのだと察したのだろう。

「セイバーのこと、よく知ってるのね」
「それはそうだ。俺と青ペンちゃんは愛し合った仲なんだから」
「はっ!?」
「あら! 面白そうな話ね、是非詳しく聞かせて貰いたいのだけど」
「ああ、それは構わない。だがその前に、」
「ええ、その前に聞かなくちゃならないわね」

 俺の戯れ言にアルトリアは心底虚を突かれて挙動不審になるも、アイリスフィールと俺は含むものを匂わせて相対する。
 冬の聖女の写し身である白い女は、そんな俺の態度に軽く表情を動かし、確信を持って訊ねてきた。

「……第三次聖杯戦争に参加したらしい貴方なら何か知っていそうね」
「さて、なんの話だ?」
「惚けないで」

 アイリスフィールは一転して厳しく問いただして来る。
 彼女の娘であるイリヤスフィールと同等の機能を獲得した聖杯である彼女は、やはりあの冬木の泥について察知したのだろう。存在するはずのない、脱落したサーヴァントの気配も。
 故にこうして矢鱈と事情通な俺に探りを入れて来た。そしてその反応から、彼女は冬木の聖杯に宿る『この世全ての悪』について何も知らされていないと判断できた。

「どうして今、私の城に聖杯の(・・・)気配が近づいてくるの? そして何故、こんなに悍ましい呪いを発しているの? 何か知ってるんでしょう。話して貰うわ」
「構わないとも。俺達は今や盟友、情報は共有すべきだ」

 剣呑な面持ちで威嚇してくる彼女に迫力はない。いや、高貴な育ち故の威厳はあるが、ギルガメッシュやアルトリア、そしてネロや神祖を知る身としては威圧される訳もない。
 言っては悪いが深窓の令嬢だった箱入り娘である。そんなアイリスフィールの厳しい目は、どことなく可愛くすら思える。いや、イリヤの母親に当たるひとを可愛いと称していいのかは微妙だが。

「俺が先程目視したのは、言ってみれば産業廃棄物だ」
「え? 産業、廃棄物……?」
「詳しく話すと長くなるから省略するが、端的に言って冬木の大聖杯は汚染されている。第三次聖杯戦争でアインツベルンが召喚した怨霊、アンリ・マユによってな」
「アンリ・マユですって?!」

 その名に驚きを露にするアイリスフィール。俺は思った。アインツベルン、報連相ぐらい徹底しろよと。
 最初から事情を知らされた上で参戦していたなら、途中で事情を知り心変わりする可能性も低くなるだろうに。そんなだから本来の歴史で切嗣に裏切られるのである。 
 なお事前に説明しても裏切られるだろうが。まあそこはそれ、もともと神霊を召喚しようと試みるにしろ、『この世全ての悪』という謎のチョイスが悪い。もっと別の、戦いに向いた、善性の、触媒の用意しやすい奴がいただろって話だ。

 今でも思う。なんでアンリ・マユなんだよ、と。そんなマイナーで触媒の手配も難しい悪性の奴とか有り得ない。同じ神話に悪と対になる奴もいるんだからそいつにしとけと思うのだ。

「ぐ――」

 不意に急激に魔力を持っていかれ、俺は思わず声を漏らす。

 魔力の過半を持っていかれた。
 ロマニの奴だ。あの野郎、豚箱に放り込まれたことを逆恨みして腹いせしてきやがったな!
 なんて野郎だ、と苦い顔をしかけるも、アイリスフィール達の前だ。なんとか平静な顔を保つ。

 悪いことは重なるもので、左の手首に巻き付けていたカルデアの通信機が点滅した。
 連絡が入ったのだ。俺は嫌な予感に駆られつつ、それとなくアイリスフィールに断りを入れた。

「すまんが少し席を外す。話は後だ、すぐに戻るから待っててくれ」
「え……? どこに行くの?」

 悪いと思いつつも無視して急ぎ足で城から離れ、樹木の影に隠れる。
 そこで通信機に応答すると、写し出された立体映像は完璧な美を体現したダ・ヴィンチだった。

 穏やかならぬ顔である。俺は嫌そうな顔をするのを止められなかった。

「なんだ、レオナルド。報告なら最小限で構わないと言っただろう」
『ああ、出てきたのがアグラヴェインじゃなくて、私の顔を見るなり何やら察したらしい士郎くん。朗報だ、君にはいつもの縛りプレイをして貰うことになった』
「オーケー、ちょっと待とうか。いきなりだなおい」

 いつものとか言うな。分かっちゃいたが面白くもなんともないぞ。
 折角危なげない戦略で最短の距離を駆け抜けようとしているんだ、もう少し待ってくれてもいいだろう……? 頼むから後二日待ってほしい、そしたらなんとかするから……。
 その思いを寸でで口にせず、俺はこめかみを揉んだ。

「端的でいい、なんでそうなった」
『ネロ達のレイシフトした特異点、アンノウンの時代と地域を特定した話はしたろう? 正式名称を変異特異点『死国残留海域スカイ』とした。そこでネロ達は神霊クラスの幻想種と交戦に入ったんだけど……それがどうにも聖杯を宿してるらしくてね。聖剣を食らっても死なない、再生する、ちょー強いの三拍子で全滅まで待ったなし。撤退しようにも死霊の数が万を超えていて、カルデアに一旦戻って貰って体勢を整えようにも、ネロ達の妨害がないとこの特異点が人類史に付着して、決して定礎復元できない状態になる。戦うしかないわけだけど戦力不足だ。以上、何か質問は?』
「オルタはもう出したのか?」
『現状出せる戦力は全部出した。その上でじり貧だ。いやもっと言おう、時の経過と共に詰んでいく。どうやらここでは知恵とか戦略とかよりも、純粋な強さだけが尊ばれているらしい』

 サーヴァントを全て出したということは、ネロは一人でアタランテ、アルトリア、エミヤーズ、オルタの五人を使役していることになる。
 負担は半端ではなく大きいだろう。愚痴とか不服とか諸々をグッと呑み込む。言っても詮無きことだ。そんなものを吐き出す暇があるなら状況に対応するべきである。

「了解した。一旦ランサーを戻す。タイミングはそちらに合わせるが、具体的にはいつ頃になりそうだ?」
『話が早くて助かるよ。そうだね、じゃあ半日後だ。ネロにも通達しておく』
「半日後だな。ああ、そうだ。そちらにはもう切嗣は要らないだろう。出来たらでいいから切嗣をこっちに回してくれ」
『了解。こっちでもしないといけないことがあるからここらで失礼するよ』

 プ、と通信が切られる。
 俺は頭痛すら感じつつ、ようやくソロモンの意図を察した。

 ――あの野郎、こうなることも想定してキャスターに成り代わったのか?

 クー・フーリンに抜けられたら戦略はガラッと変わる。だがソロモンがキャスター陣営に成り代わったことで、辛うじてだが修正は可能な範囲に収まるだろう。
 全て計算づくなら流石は叡知の王といったところだが……ロマニだしなぁ。ただの偶然とも考えられる辺り、流石の威厳である。

 問題は、せっかく張り切ってくれてるクー・フーリンに、どう言って納得して貰うかだ。
 クソッタレなことに否とは言えない。言わせてやれない。仕方ないと受け入れる他にない。俺はどう状況に対応したものかと頭を悩ませつつ、踵を返してアイリスフィール達の元に戻っていった。

 もうすぐロマニ達もこちらに来るだろう。そこで打ち合せして、知恵を絞ることにした。

 混沌とする戦局に、流石に一人だけで考えられる事態ではなくなりつつあると悟っていたから。






 

 

頭脳を回せ、決めに行くぞ士郎くん!







 諸問題が脳裏を駆け回る。
 頭蓋骨の内側で複雑に入り乱れる糸を解きほぐしながら、俺はゆっくりと現状を再認した。

 頭がこんがらがる前に問題点を挙げよう。今の状況は複雑怪奇である。一つ一つ迅速に対応策を用意し、上手く作戦を回さねばならない。
 今、最優先で対応しなければならないのは、この特異点の戦いではない。ネロ達が当たっている影の国の特異点である。それに必要とされているのはクー・フーリンであり、クー・フーリンをあちらに回したともなれば、俺はこの聖杯戦争での立ち回りを激変させねばならなくなる。

 何せ俺は他の陣営にランサーのマスターであると誤認させているのだ。クー・フーリン以外のサーヴァントを表立って使役出来ない。カルデアのシステム上、斃される事が必ずしも致命的ではないとはいえ、訳もなくクー・フーリンが突然いなくなるのも、何者かに斃されるのも論外である。
 奴のマスターとして態と負けろ等と命じる訳にはいかないし、クー・フーリン程の英雄を斃すとなれば、どうしたって人目につく激戦になるのは必至。アインツベルン陣営と同盟を結んでいる今、他の陣営に斃されるのは不可能だ。
 唯一英雄王なら可能かもしれないが、どういう訳か俺と戦う気はないらしい。それは気が楽でいいのだが、それはそれで問題でもあった。

 いっその事アインツベルンとの関係を切って姿を消すか? 元々俺とアインツベルンは、対英雄王を念頭に置いた共闘関係。構築したばかりのそれは早くも破綻している。
 他ならない英雄王が俺と戦う気がないことを仄めかしているのを、アインツベルンとアルトリアは聞いているのだ。それを察してしまわれていたら、向こうから解消を申し込んで来るかもしれないが……。
 今はなし崩しに同盟関係を保持しておくべきか? だがそうするとクー・フーリンをネロの方へ派遣した後、手元に残るサーヴァントはデミであるマシュ、ソロマンのみとなる。向こうから回されてくるのは切嗣だが――いや。同盟関係を保持する手だてはある。

 とりあえずクー・フーリンをネロの方へ回すのは決定事項だ。これは変えられない。どうやってクー・フーリンを説得するかだが、頼み込むしかない。ごねるような問題児ではないのだから、のっぴきならぬ状況を理解してもらえば快くとは言わずとも納得してくれるだろう。

 後、辻褄を合わせる方法も考えなければ。ついでにロマンのクソタワケとどう話を合わせるか。おまけにそれら全てを解決した上で、どう今後動いていくか。頭が痛いのは正面を張れる戦力を手元に残せない事だが――そこは俺の立ち回り次第で、機が来るまで持ちこたえさせる事は出来ないこともない。三割イケる。

 最後にアインツベルンの状況認識がどの程度かも想定しておこう。まずギルガメッシュが今宣っていた事は、ほぼ理解不能と言っていい。カルデアはまだマイナー、知名度は低い故に箱入りっぽいアインツベルンは認知していないだろう。こちらの素性を知られた可能性は限りなく零だと仮定する。というか零でないと詰むのだ。

 次に脱落したサーヴァントの数。アインツベルンはサーヴァントの魂を容れる器だ。脱落したサーヴァントの数は把握しているのは確実。俺の知る限りだと脱落者は二騎。ランサーとキャスターだ。当然アイリスフィールはそれを認識している。聖杯の器ゆえに。
 アイリスフィールの認識の上では、恐らく俺がすげ代わったランサー陣営で一、ソロマンのバカが討ち取り成り代わったキャスターで二。自分のセイバーで三、ライダーとアーチャーで五。計五騎が存在している。
 もしもアイリスフィールがバーサーカーとアサシンが脱落していると仮定しているとしたら今後、バーサーカーとアサシンと遭遇したらシステムの齟齬に勘づくだろう。そうなる前に、こちらから手を打つべきだ。

「どうかしたのですか、ランサーのマスター」

 今や赤い悪魔には全く信用されなくなった、暗い表情を意図して作って考え込む素振りを見せると、怪訝そうにアルトリアが訊ねてきた。アルトリアの気を引く仕草は把握済み。こうすれば向こうから話しかけてくるという空気の間合いを作ったのだ。
 望むタイミングで、望む相手から話しかけて貰うというのは、某メシマズ国の外交官が備えている技能である。俺はそれを、頭に二つのドリルを装備した金髪のお嬢様から学んだ。

 俺は纏う空気と声音を緊張した時のものに置換し、重々しく口を開いた。

「……青ペ――アルトリア。お義母さ――アイリスフィールさん。……ごほん」

 いまいち役に入り込めなかったので呼び方を切り替え仕切り直す。

「一つ聞く。アイリスフィール、貴女は脱落したサーヴァントの数を把握出来ているだろう。そいつを教えてくれ」
「……私の機能を……貴方はそんなことまで知っているのね?」

 答えない。
 彼女は俺が第三次聖杯戦争の参加者だと誤解している。どこまでアインツベルンの内情が漏れているか気が気でないのだ。が、本当は別口からの情報だなんて教える訳にはいかない。

 手に取るようにアイリスフィールの心の内が把握できる。底知れなさを感じて戦慄しているのだろう。無垢な少女を相手にしているような気分だ。
 アイリスフィールは賢明な女性だった。聖杯の泥や、アンリ・マユについて話してあり、聖杯に起こっている異常を認識している以上、露見している情報を秘匿するよりも共有する事を進めようとするはずだ。

 案の定、アイリスフィールは俺を警戒しつつ答えてくれた。

「貴方がどこまで、何を知っているかは気になるけど……それは後にしましょう。私の知る限りだと、現段階で二騎が落ちているわ。暗殺者と狂戦士じゃないかしら」
「……」

 脱落者が二騎だと教えて貰い、『俺が二騎脱落している』事を知ったという建前をアイリスフィールに植え付ける。
 これで俺が二騎が脱落している事を承知しているという既成事実が出来上がった。俺は沈黙し、顔を険しくさせる。そうするとアルトリアとアイリスフィールは怪訝そうにこちらを伺った。

「妙だ」

 呟き、そっとアルトリアを指差した。
 頭にクエスチョンマークを浮かび上がらせるアルトリアから、つい、と指先をクー・フーリンが向かった先に向ける。

「一、二、三、四……」

 そして英雄王の去っていった方角を指差す。

「五」
「……サーヴァントの数、ですか」

 アルトリアの質問に頷く。

「とすると、向こうにはランサーとライダーの他にもう一騎がいる……ランサーから報告があったのですね」
「ああ。そして向こうで聖杯の中身を撃破したらしい。――さっき中断した情報提供の続きをしよう。聖杯は、いやアンリ・マユは脱落したサーヴァントを反転した存在として取り出し、使役できる。撃破した敵は、アイリスフィールの言った聖杯の呪いそのものだ」
「なっ――!?」

 訥々と語る。俺の知る聖杯の仕組みを。
 もはや朧気だが、俺の経験した第五次は三通りのパターンがあった、はずだ。その三つ目が桜を起点とし、アルトリアが反転したオルタとして立ち塞がる、というような話だった気がする。――こんな事なら知識をメモっておくべきだったと後悔するも後の祭りだ。
 アンリ・マユの話も絡め、手短に語り終えると、アイリスフィールとアルトリアは唖然としていたが。それを横に置いて話を進めた。

「そしてもう一つ。今俺が数え上げたサーヴァント以外に、俺の陣営はアサシンを目撃している。この意味がわかるか?」
「っ……! ……数が、合わないわ!」

 アイリスフィールは今度こそ愕然とした。
 聖杯戦争に召喚されるサーヴァントは原則として七騎である。アイリスフィールの認識の上で健在な五騎の他に、アサシンの目撃情報があるとすれば、たちまち前提が破綻するのだ。
 脱落したのは二騎だと感じているのだから、明らかに一騎、余分に多い。土気色の顔でアイリスフィールが口許を手で覆う。その頭の中で様々な憶測が錯綜しているだろう。そこに、更に彼女を混乱させる情報を追加した。

「ランサーが向こうで会ったのは、キャスターとライダーらしい。だが――斃した敵も、キャスターだったようだぞ」
「そんな!?」
「馬鹿な……有り得ない……!」
「そう。クラスが重複するなど、聖杯戦争では有り得ない。にも関わらず二騎のキャスターがいる。そしてサーヴァントの数も合わない。明らかに――この聖杯戦争はおかしい。原因を追究するべきだと考えるが、貴女はどう思う? アイリスフィール」

 畳み掛け、アイリスフィールを混乱させる。アルトリアは冷静に思慮を張り巡らせているようだが、彼女は騎士王であり魔術師ではない。聖杯のからくりと、今の話の陥穽に気づける知識がない。仮に違和感があるのを直感しても、それを言語化させて言葉として肉付け出来ないとなれば、一旦違和感を呑み込むしかないだろう。
 そしてそれで充分である。俺は淡々と彼女達に告げた。

「アイリスフィール、一時聖杯戦争を中断して大聖杯を確認しに行くべきじゃないか?」

 俺がそう言うと。
 図ったように同意する言葉が辺りに響いた。

「――私もそれに賛同しよう。今は戦いの時ではない」
「ッ! アイリスフィール、下がって」

 荒らされた森からやって来たのは、白衣を纏い眼鏡を掛けたマシュと、それを庇うように背に連れた白髪の男だった。
 ゆるい表情で緊張感の欠片もないその男は、紛れもなく魔術王ソロモン。ロマニ・アーキマンである。俺の立ち位置がアイリスフィールとアルトリアの背後であった為、思わずロマニに向けて中指を立てた。ロマニはにっこりと親指で首を撫でる。男二人、確かに通じ合った瞬間だった。

「……?」

 警戒するアルトリアとアイリスフィールを尻目に、ふと既視感を感じて首を捻った。

 ――俺の前に立つセイバー。見知らぬ男を傍らに置く、魔術王ソロモン。

 ロマニが、いやソロモンが穏やかな。感情の欠片もない機械めいた声で何事かを語った。セイバーが重苦しく応じる。

 ――頭が 痛  い

 ビギリ、と頭痛がして、眩暈を覚える。
 クー・フーリンが傍らに降り立った瞬間、幻視した光景は霧散する。

「誰だ」

 すっとぼけて、ソロマンに誰何する。
 ソロマンもにこやかに応じた。

「私はソロモン。魔術王ソロモン。キャスターのサーヴァントだ」

 狙い通り。
 思った通り。
 ソロマンはあたかも、こちらの思惑に乗る形で、そう名乗ったのだった。





 

 

なんくるないさ士郎くん!






 眩暈は一瞬だった。

 微かに残った、酩酊にも似た心地を瞬時に除去する。敵性魔術師による精神干渉系の魔術を魔力抵抗(レジスト)する技能は、この世界で生き抜くには必須である以上、自身の精神的コンディションを安定させる術を身に付けるのは画然たる措置である。
 魔術回路に強引に魔力を流して洗浄する事で体内に入り込んだ魔術を押し流す。俺のその反応は既に反射の域にあった。故に対処は迅速で――同時に内心首を捻る。今、誰が俺の精神領域に触れた? 魔術を掛けられたような感じでもない。俺の対魔力は魔除けの指輪よりも低いから、ある程度の魔術で汚染されてしまえば、体内に対魔術の宝具を投影して魔術回路を串刺しにし無理矢理解呪するのだが。それが必要だという緊急性も感じない。

 単に疲れが出ただけと判断し、一旦雑念をリセットする。眼前には魔術王を名乗ったキャスターのサーヴァントがいた。正確にはデミで、しかも冠位とかいう資格を持つという意味で、サーヴァントという名乗りには正確性を欠いているのだが。別に言う必要はない。だって聞かれてないし。

「魔術王、ですって……!?」
「……!」

 俺からすればロマニの前世――というと語弊があるが、かといって他に適当な表現もない存在が、よりにもよって魔術世界の神とすら言える賢者であるとは信じがたいのだが。
 サーヴァントである以上、アイリスフィールやアルトリアの驚愕は正当なものである。何せ平然とアルトリアの最高峰の対魔力も抜いて来かねない手合いであるのだ。しかもアインツベルン製ホムンクルスといえど、アイリスフィールも魔術師である以上は、魔術の祖であるソロモンにかなりの脅威を感じても無理はない。

 聖剣を油断なく構えるアルトリアと、その背に庇われているアイリスフィールの後ろで、俺はそっと契約しているサーヴァントと通信する装置に触れる。

『ロマニ。後で裏山な』
『そっちこそ。ブタ箱のご飯は美味かったよ。マシュによくも変な経験をさせてくれたね』

 表面上は穏やかな顔のまま、一同を睥睨するキャスターに、俺は露骨に呆れた風に肩を竦めて首を振った。

『賢者なソロモン様なら、俺の財布の中身がこの時代で使えるわけないって分かると思ったんだけどなー。所詮ロマニはロマニか。それとマシュに関してはほんとにすまん』
『あ、いえ……ふふ、でも、ドクターが楽しそうだったから、良かったです。適度にイジメテあげてください。きっと喜んでますよ』
『マシュ!? ボクは別に楽しんでないんだけど!?』
『――と、雑談はここまでだ。ロマニ、ちょい俺とマシュ、ランサーに意識を接続して加速させてくれ。可及的速やかに認識と情報、意見を交換したい』
『りょーかい、マスター』

 アイリスフィールとアルトリアは気を張り詰め、ロマニとその背後に庇われているマスターらしき少女――マシュを警戒している。急激に意識が引き伸ばされる感覚に身を委ね、俺は眼球の動きすら遅滞させられながら、ゆっくりと口火を切った。

『さて。ロマニとマシュ、ランサーはまだ現状を知らないから報告しておく』

 ソロモンなら千里眼で全てを見通してしまえるのだろうが、今は千里眼を厳重に封印している。過去現在未来の『全て』は、魔術王ならともかく人間であるロマニの魂には重すぎる。最悪精神に異常を来すか、頭パーン! となりかねない故に、使わせるつもりは毛頭ない。
 それに実際、ロマニの証言ではこの人理焼却に別の魔術王が絡んでいるらしいから、千里眼を持つ者同士は互いに認識出来るという特性上使わせる訳にはいかない実際性もある。

 ソロモンではあって、ロマニでもあるから、その知能と知性がどれほどのものかは未知数。過度な期待はしない。報連相は緊密に行う。

『ネロ達が解決に当たっている特異点の詳細が判明した。時代は紀元元年、場所はスカイ半島で特異点の名称は「死国残留海域スカイ」というらしい』
『……あー。うん。それで?』
『ランサー君。君に朗報だ。ネロ達がそこで交戦したのは体内に聖杯を持った戦神並みの怪物、ゲイ・ボルクの素材クリードさんらしい。出番ですよランサー君』
『マジか。マジなのか』
『安定の幸運Eですねぇ……』
『そりゃテメェだろマスター。今のオレはDランクだ』
『……聞かなかったことにしよう。ランサー、お前にはネロの増援に向かって貰う。悪いが拒否権はない。代わりに向こうは筋力Dの見せ筋とアサシン、オルタの三人を撤退させ、こっちにはアサシンと百貌の内一人を回して貰う。オルタと見せ筋野郎は非常時に備えて待機させようと考えてある。何か意見は?』

 忌々しげにクー・フーリンは舌打ちした。無論のこと意識領域内なので音はない。
 だが文句は出なかった。クー・フーリンはやれやれ、生前のツケがこんな所で巡って来るなんてなぁ、とぼやいただけだ。
 マシュは不思議そうに疑問を発した。

『先輩、なぜ切嗣さんと百貌さんの一人、なんですか?』
『それはだね、マシュ。士郎くんの義父は普通にアサシンとして運用する為なのと、変装技能を持つ百貌の一体を呼び寄せてランサーに化けさせて、表向きランサーが残っているっていう体裁を整えたいからさ』
『そういう事だ。実際の戦力としては紙だが、見せ札としてランサーの存在は神だ。中身ぺらぺらでも戦闘を避けたら使えないこともない。百貌はカルデアに欠かせない人員だからな、割けるのは一人だけだろうという判断もある』
『あ、はい。また始まるんですね……』

 何事かを察し、遠い目をするマシュである。なぜなのか。
 不満たらたらなクー・フーリンに俺は言う。

『ランサー。こっちは最短二日、最長三日で片付ける。お前なら速攻で救援を片付けて戻って来るって信じるぞ。片付けてすぐ戻ってこい』
『……は。やれやれ、そう言われたんじゃ期待に応えない訳にはいかねぇな。だが実際、そう簡単にはいかないと思うがね』
『最大限支援はさせる。具体的には五時間置きに量産型ラムレイ号に見せ筋の投影宝具を搭載させて爆撃支援をする。要所で活用してくれ』
『君って割と自分には容赦ないよね……』
『世界のために戦えるんだから喜んで投影爆弾師になってくれるよ彼ならきっと多分絶対』

 真面目な話、誰一人楽は出来ない。待機させるオルタも、決戦戦力として火力を担うのだから、最悪こちらとネロの方を行ったり来たりしなければならなくなる可能性もある。ネロの負担を考えれば、余りサーヴァントを抱え込ませる訳にはいかないが――

『ランサー。この際だから競争しようか』
『あ?』
『俺がここを片付けてネロの救援に駆けつけるか。ランサーがネロを助けて人理定礎を復元してこっちに戻ってくるか。どちらが早いか賭けよう。もし俺が早かったら、ランサーはルーン量産要員になって貰って次の特異点はお留守番な』
『面白ぇ。ならオレが早かったら、マスターの事でも吐いて貰おうかね。カルデアに来る前のマスターが何してたか、興味があるからな』
『え、なに? 聞こえなーい』
『おい』

 そうなったら令呪でなかった事に……出来ないか。うーん。

『あ、それ私も気になります』
『マシュ?』
『ならボクに任せてくれ。士郎くんの記憶を映像化してカルデアで上映してあげよう』
『ロマニぃ……プライバシーの侵害はいけませんよ……』
『編集するから大丈夫だって』
『ノンフィクションなのが問題なんだっつの』

 サーヴァントなら夢に視る事もあるんだから別に要らんだろと思う。
 俺は嘆息し、意見を募ってみた。

『で、ここまででこうしたい、ああしたらいいみたいな意見はあるか?』
『オレはねぇ。槍は捧げてる。好きに使え』
『私もありません。先輩なら大丈夫だと思います。……思います』
『ボクもないかな。まあ何かあれば軌道修正がてらフォローはするけどね』
『お前ら……』

 丸投げってどういうことなの……。特に魔術王様、その叡知で助けてくれてもいいだろ……。
 その思いが通じたのか、ロマニは苦笑しているような声で言った。

『大丈夫、なんやかんや上手くいかせる事に関して言えば、君は無能な王ソロモンよりずっと上さ。君なら出来る、そう信じてるからボクも気楽にいける』
『……フォローはちゃんとしろよ』
『勿論。大まかな流れは理解してる。大船に乗ったつもりでガンガンいきなよ?』

 そこで加速していた意識が現実の時間に戻ってくる。
 何食わぬ顔でロマニはアイリスフィール達に向けて言った。

「やあセイバーと、そのマスターのフロイライン。私に戦闘の意思はない、どうか剣を下ろしてくれないかな?」
「……俺からも頼む。今は各陣営で徒に事を荒立てる時期じゃない」
「ランサーのマスター……」

 アルトリアが思案げに俺を見て、次いでアイリスフィールを窺った。冬の聖女の生き写しである女性は、固い顔と声で難しそうに眉根を寄せる。
 当然の警戒心だ。魔術師にとって魔術王の存在は余りに重い。偽物なのか、本物なのか、判断に困りながらも、アイリスフィールは的確な判断を下す。

「……剣を下ろして、セイバー」
「いいのですか」
「ええ。キャスターが本当に魔術王であるにしろ、そうでないにしろ、セイバーとランサーを同時に相手にしようとするほど無謀そうな殿方にも見えないわ。とりあえずは、話だけならしてもいいんじゃないかしら」
「……」

 えもいえない罪悪感に、マシュが困り顔をした。すみません、孤立してるのは貴女達なんです……そんな貌である。
 マシュは可愛いなぁ。遠い目をしそうになりながら、俺は微妙に哀しくなる。いっそのこと本当の事情を話して協力者になって貰うのも視野に入れているが、ぶっちゃけこの時代の人間である彼女には全く信じられないだろうから、信じざるをえない状況になるまでは騙しておくしかない。
 今後じわりじわりと種を撒き、こちらに引き入れる工作をしよう。アルトリアと英雄王以外は斃れて貰うのだ、なんとかしたいものである。後、蟲老害にも試さにゃならん事もあった。

 雷鳴を引き連れてやって来る征服王の気配を感じながら、俺は何気なくロマニに念話を送った。

『ロマニ。後でいいから、彼女から聖杯の器抜き取って、代わりの心臓精製して入れ換える事は出来るか?』
『出来るよ。まあその場合、彼女の心臓は魔神のものになっちゃうけどね』
『死ぬよりはいいだろ。流石に義母を死なせる訳にもいかない。頼む』
『いいよ。いっそのこと聖杯を浄化して普通に聖杯戦争終わらせるのもいいんじゃない?』

 え。

 聖杯……って、浄化出来るんだ……。

 神代の魔術師の力を失念していた。いや、単にアンリ・マユの頑固汚れのしぶとさに、出来るわけがないという固定観念が出来上がっていたのだろう。
 この時、俺は思った。
 人理修復が無事終わったら、ロマニと冬木に来よう、と。大体それで丸く治まる気がした。

 ――結局やる事は変わらないのだが。






 

 

正義って何さ士郎くん!





「するとあれか。一旦聖杯戦争を中断し、大聖杯とやらの状態を確かめに行こうという腹か」

 赤毛に虎髭の巨漢、征服王イスカンダルが訝しげに反駁するのに俺は頷いた。
 この場にはライダー、セイバー、カルデアのキャスターにランサー、伏兵状態のシールダーが揃っている。セイバー陣営とも手を組んでおり、キャスターのソロモンも中立と見せ掛けてこちら側なので、イスカンダルは完全に孤立していた。異を唱えようものなら即座に包囲して確実に始末する気でいる。
 俺としてはライダーは此処で消してもなんら問題ないのだが、流石にアルトリア達の手前、強引過ぎる攻撃は却って不信を招くと判断し、ライダーの出方を見る事にしたのだ。

『茶番だねぇ。あのアサシンならセイバーとライダーをここで倒して、アインツベルンの器を破壊。邪魔するなら英雄王も数の利を活かして仕留め、大聖杯を破壊して「ミッションコンプリート」って言いそうだよ』

 ロマニの言に眉根を寄せる。その遣り方は有りと言えば有りだ。
 だが軽挙である。合理的に動くのが必ずしも正解とは限らない。人間は機械じゃないんだ。機械みたいに動くモノは人じゃない。俺は人間だ、人間だから人間としての感情には素直で在りたい。

『俺はアルトリアを殺したくはない。アイリスフィールだって死なせたくない。多少の遠回りは許容するさ。人理を守るのは機械じゃなくて人間だろう。人間でないといけない。愚かだと解っていてもそこは譲っちゃいけないと思う』

 冬木でも、フランスでも、ローマでも、周りの人に被害が行くような状況ではなかった。
 だがこれから先、人里で戦わざるを得ない状況もあるかもしれない。その時は最悪巻き込んでしまうかもしれないが――極力そういうのは無しで行きたいと考えていた。

『そっか。ま、ボクはそういう方針は君に一任するよ。司令官の立場はアグラヴェインに取られちゃってるからさ』

 ロマニの分かっているといった物言いに、見透かされるのはやはりいい気分はしないと、鼻の頭を掻く。
 気を取り直してライダーに言った。

「不服か、征服王。文句があるなら聞くが」
「文句はない、ないが一つ聞きたい。ランサーのマスターよ」

 難しそうに唸るライダーに、俺は表情を動かさないまま応じる。なんだ、と。

「いやな、余は聖杯を征した暁には受肉をしようと思っておるのだが、その汚染された聖杯とやらは余の願いを叶えられるのか?」
「はぁ!?」

 戦車の中で小柄な少年が喚き立てる。「お前世界征服したいんじゃないのかよ!」とかなんとか。ライダーにデコピン一発で黙らされる姿に、俺はまたも物悲しい気持ちにさせられた。
 ロード=エルメロイⅡ世……。そりゃ少年期の事、語りたがらない訳だ……。あの厳つい講師の暗黒時代、こんな形で目にする事になると……不謹慎ながら笑えてくる。今度時計塔に行く事があればからかってやろう。

「受肉という願い自体は叶うだろうよ」
「真か?」
「真だ。だがまあこの聖杯で受肉を願おうものなら、なんらかの(ひず)みを抱え込む事は覚悟しないといけないだろうがね。例えば、そうだな。――受肉は出来た、ただし『この世全ての悪』の器として、とか。最低でも英霊としての属性が反転するのは確実だな」

 幾ら大英雄であっても、ギルガメッシュのように、誰しもが聖杯の汚染を耐え抜く事が出来る訳ではない。理性ありのヘラクレス辺りなら普通に耐えそうだが。伊達に狂い慣れてはいない! とか言いながら。

 さしものライダーも顔を顰めた。属性の反転もアンリ・マユの器認定も、どちらも自分ではない誰かに他ならない。オルタ化は厳密には本人でも、反転した側からすればそれぞれ認識が違うだろう。ライダーの場合、反転など御免被りたいはずだ。

「では仕方がない……余も休戦には同意しよう。どのみち景品がそんなものでは戦うだけ無駄というものだ。それに、なぁ……」

 ライダーはにやりと笑むや、悪戯っけのある表情で指摘した。

「うぬは休戦に反対すれば、余をここで討つつもりなのだろう?」

 え?! とウェイバー・ベルベットが仰天し俺とライダーを交互に見る。
 アホらしいと鼻を鳴らした。

「なんの事だか」
「ダッハッハ! 図星を突かれても顔色一つ変えんとはな! よいよい、言わずとも分かっておる。うぬとセイバーめは手を組んでおるのだろう? 余もこの距離でうぬらを同時に敵に回そう等という無謀は犯せん」

 アルトリアとアイリスフィールの冷めた目が痛いから、余りそういう事を大きな声で言って欲しくはない。まったく、反対=敵対というのは道理だろうに。
 カルデアの方のアルトリアなら、多分遠い目をするだけだったはずだ。オルタなら平然とカリバってくれただろう。

 クー・フーリンが愉快げに言った。

「マスター、なんなら今消しとこうぜ。どのみち後で殺っちまうのは決まってんだろう?」

 暗に自分がいなくなる前に、強敵は減らしておけと言いたいのだろうが、スゴい目で俺を見るウェイバー君に目元を緩め肩を竦める。

「駄目だな。ライダーが黒化して出てこられたら面倒だ。今はまだ生かしておいた方がいい。……ライダーのマスター君、だから安心していいよ。敵対しない限りはまだ手を出さないから」

 言いつつ、聖杯をどうにかしたらその場で仕留めるのが最上だなとは思う。
 まあその時にはクー・フーリンはいない。絡め手でやるしかないから、その場で不意打ちするのは不可能だろうが。

 ウェイバー君は完全に警戒して戦車の中から僅かに顔を出すだけとなってしまった。
 それに噴き出してしまう。あのロード=エルメロイⅡ世が、なんて小動物チックなのか。可愛らしすぎて、相好を崩しながら言った。

「話は纏まったな。この場の陣営全てで、円蔵山の大聖杯を検めに行く。一先ず今夜は別れよう。明朝、山の麓で会おう」
「? 今から行かないの?」

 アイリスフィールからの問い掛けに、俺は尤もらしく言った。

「ライダーのマスターもそうだろうが、キャスターのマスターと貴女も、相応に準備はしておきたいだろう? 根本のところで信頼するにはまだ付き合いが浅い。俺も備えるが、他にやらなきゃならない事もある」
「ふむ。やらなければならぬ(・・・)事、か。それはなんだ、ランサーのマスターよ」
「教える義理はないな、ライダー。だが休戦の発起人として、ある程度は明かしておこう。

 脱落したはずのアサシン――ソイツを片付けておくまでの事だ」








 教会にいる言峰から令呪を剥ぎ取り、アサシンを殺る。
 適当に目についた宿に入った俺は、自身の領域でもないのに『空間転移』で合流してきたロマニとマシュを交えてそう言った。

「言峰の野郎か。チッ……オレが殺りたい所だが……」
「残念だが、君はここまでだ」

 マシュの設置した盾を基点に開いたサークルを通り、カルデアから来援した赤いフードの暗殺者――切嗣がそう言った。クー・フーリンは露骨に舌打ちし、サークルの上に立つ。
 光の御子は俺の方を見て、飄々として宣う。

「マスター、言峰の野郎は殺っちまった方が世のため人のためだぜ」
「ここは特異点だぞ。やっても何も変わらん。なら流れる血は無い方がいい」
「は。奴の本性を知っててそう言うんだから筋金入りだな。んじゃ、賭けの始まりだ。言い訳して逃れようとすんなよ」

 笑いながら消えていくクー・フーリンに、俺は微笑んだ。

「賭け? なんの話か分かりませんね……」
「おい」
「俺のログには何もないなぁ」
「おうキャスター、マシュの嬢ちゃん。何がなんでもコイツに吠え面掻かせてやっから、見とけよ」
「応援してるよ。本気で」
「はい。頑張ってください、ランサーさん」

 にやにやと。にこにこと。ロマニとマシュはクー・フーリンを激励した。
 なんて事だ、俺の味方はいないのか……? 人の過去なんか見て何が楽しいんだか。
 揃いも揃って趣味が悪い。マシュまで巻き込むのはやめろと言いたい。

 消えていったクー・フーリンを見送り、入れ違いにやって来たのはクー・フーリンの姿をした百貌のハサンである。俺は感心し称賛した。

「よく来たアサシン。大したもんだ、どこからどう見ても光の御子そのまんまだぞ」
「そうかい? そいつは重畳。ま、なんだ。戦力としちゃマスターにも劣るが、見掛け倒しぐらいは任せてくれや」

 大英雄クー・フーリンそのままの声と口調、素振りで情けない事を堂々と言われるのに可笑しさを覚える。
 だが本気で大したものだった。霊基の規模以外では見分けがつかない。

 とりあえず役者は揃った。俺は人好きのする爽やかな笑みを湛えて通告する。

「さ、仕事の時間だ。アサシンを消し、アイリスフィールの心臓をすげ替える。切嗣は投影宝具(コイツ)を持って間桐邸に侵入し適当に設置、そこの住人を蟲けら以外避難させろ」
「纏めて消さないのかい?」
「俺は正義だからな、正義は無闇に血を流さないのである」
「君の正義は爆破なんだね」
「正義とは……人とは……なんなのでしょう……」

 マシュが遠い目で呟いた。哲学するマシュ、いい……。

「ロマニは俺と教会だ。マシュも来てくれ。マスターに偽装したままでな」
「うん」
「分かりました」
「オレはどうすんだ?」

 偽クー・フーリンの疑問に、俺はあくまで爽やかさを維持したまま答えた。

「寝てろ。邪魔だ」






 

 

強えええ!してみたかったんだね士郎くん!




 ――荘厳なりや、神の家。

 草木も眠る丑三つ時、その庭に侵入する人影在り。

 改造戦闘服と魔術礼装の射籠手、外界への護りである赤い外套を纏った常の形態。
 白髪の男は腰の剣帯に吊るした白黒の雌雄一対剣を揺らしながら、鷹の目に無機質な光を湛えながら歩を刻む。

「神の家多すぎだな。一軒ぐらい減っても神も気づかないだろう」

 世界中の基督教圏に点在する教会の総数を数えつつ、不穏な呟きを漏らして男は魔術回路を励起させていた。
 投影開始(トレース・オン)、と。投影した剣群は最後の一工程でストップし、実体を持たせないまま虚空に浮かべ待機させている。

 神の別荘取り潰し案件だ。狭い島国の敷地は神社一択でと、割と罰当たりな事を考える匠は仕事に取りかからんとしていた。
 ギィ、と扉の金具を軋ませながら、男は教会に踏み込んでいく。中には老神父が、その到来を前以て察知していたように待ち構えていた。男は冷徹な愛想笑いを面貌に滲ませ、両手を広げてフレンドリーさをアピールする。

「こんばんは、神父様。佳い月夜だ」

 良い夜ね、良い月ね――それらの文言はこの白髪の男にとっては殺害予告に等しい台詞である。実際その台詞と共に義姉に襲われた経験のある男は、不吉な声音に妙なリアリティを持たせられた。
 そういえばあの夜は、教会からの帰りだったなとどうでも良い事を思い出す。……本当にどうでもよかった。今夜は帰る前に使われる台詞である。

 老神父はその殺害予告を額面通りに受け取ったらしい。言峰綺礼の実父にしては高齢だが、人柄は良いらしい。人の良い笑みを浮かべ、形だけは歓迎する格好を見せている。

「こんばんは。確かに良い夜ですな、お客人。して、何用ですかな? 見たところ令呪をお持ちのようで、サーヴァントも健在らしい。聖杯戦争に参加するマスターが此処にやって来る用件など限られておりますが――もしや、棄権なさるおつもりで?」
「いや。そんなつもりはない。今日は別件で訪ねさせて貰った」

 一歩、二歩とゆっくりと歩み寄りながら、硬いブーツの踵を鳴らす。己の間合いに老神父を捉えるやピタリと静止し、白髪の男は単刀直入に本題に入った。

「お宅の息子さんに用事がある」
「……綺礼にですかな? はて、あれに貴方のような知り合いがいるとは知りませんでしたな」
「一方的に知っているだけだよ、ご老体。ああ遠回しにやり取りするのは無しにしよう。俺も暇じゃあない。アサシンのマスターである彼を殺しに来たんだ」
「――!」

 ピリッ、と老神父の眉間に緊張が走る。
 息子を殺しに来たと聞かされ、気が気でないのだろう。穏やかな口調こそ変えなかったが、その眼差しに不穏な敵意が混ざるのを隠しきれていなかった。
 年の功と強靭な精神力がありながら、こうも素直に反応する辺り我が子を溺愛しているのかもしれない。白髪の男は肩を竦め、老神父が反駁してくるのを待った。

「解せませんな。あれはサーヴァントを失い脱落している。今更あれを狙うとは、一体如何なる了見で?」
「ふん? 惚けているのか、それとも貴方は謀られているのか。アサシンは脱落などしていないよ。現に俺はアサシンに襲われている。故に所在の明らかなアサシンのマスターを始末しに来たまでだよ」
「……」

 惚ける事は無理だと、力強く言葉を射込んで断じると、白髪の男は身じろぎした老神父に優しく言った。

「俺が此処にいるからと、今の内に息子を外に逃がそう等と考えない方がいい。アサシンのマスターの事だ、どうせ俺のランサーとセイバーの戦いも覗いていたのだろう? ランサーが待ち構えていると言えば、外に逃れる愚かしさも分かろうさ」
「……息子は本当に脱落していない、と?」
「ああ。まさか教会が特定の陣営に肩入れし、癒着(・・)している等有り得んだろう? 分かっている(・・・・・・)とも、教会と遠坂が(・・・)裏で繋がっている訳があるまい。――抵抗しなければ殺さん。アサシンのマスターも、大人しくサーヴァントを自害させるか、令呪を放棄するなら見逃そう」

 最大限の譲歩がそれだと暗に示す。全て知っているぞと。
 事前知識がなくとも白髪の男は教会と遠坂、言峰綺礼の間にある繋がりを看破していただろう。
 何せ英雄王と百貌の出来レースじみた偽の初戦は、あからさまなまでに出来すぎている。アサシンが真っ正面から工房に挑むわけがない。切嗣なら見抜いた上で「逆に罠なのでは」と疑いそうなレベルで分かりやすい。

 遠坂時臣のミスは二つ。一つ、アサシンを迎撃に出た英雄王が明らかに待ち構えていた事。二つ、英雄王の力を見せつけ示威を狙った事。欲を掻いて一石二鳥を狙わなければ、まだ真実味を持たせられただろうに。二兎を追うものは一兎をも得ずという諺を知らないらしい。

 ゆっくりと、見せつけるように白と黒の中華剣を抜き放つ。これ見よがしな殺気を放つと、目に見えて老神父は身構えた。
 堂の入った格闘技の構え。見たところ八極拳か。この老神父から言峰綺礼に、言峰綺礼から赤い悪魔にその技は連綿と受け継がれたのだと察して一瞬感慨深さに浸った。

 それを隙と見たのか。

 死角より短刀を投げつけてきた黒影を、振り向きもせずに仕留める。
 流れるような動きだった。黒の剣、莫耶で短刀を叩き落とし。白の剣、干将を投じて暗闇に潜んでいた影を穿ったのである。

 ――その反応速度、感知力、身体能力、全てが人間の域を超えていた。

 百に迫ろうかという影が実体化する。教会を埋め尽くさんばかりの数の多さに対し、男は不敵に笑むばかり。
 魔術王の強化の魔術は格別の効力を発揮している。極限まで鍛え込まれた人間の戦闘者を、死徒を超える怪物に変貌させるなど余りに容易い。今の白髪の男は平均よりやや下程度の英霊相手なら互角に渡り合えるだろう。性能で言えばエミヤシロウの半分といったところか。
 戦闘を前提にしていない処か、複数に分裂して能力の劣化している暗殺者など相手にもならない。ましてやこの男の本質は単一の戦闘単位に非ず、本領は極限の神秘の塊足る宝具の大量生産者――撃鉄を脳裏に上げ、男は不敵に微笑んだ。

「それがお前達の答えか。了解した、これより殲滅に移る」

 ――憑依経験、共感削除。

 口ずさむ。撃鉄が落ちた。魔術の行使の気配を敏感に察知した百貌のアサシンが一斉に仕掛けてくる。視認できる限りでも、闇夜に紛れる黒塗りの短刀は二十。巧いもので、この三倍は迫っているのだろうなと男は見積もった。
 無造作に乱造した特大の剣を、己の周囲に実体化させる。盾として使う予定だった張りぼての剣だ。男の全身を覆い尽くす大剣は、老神父をも同じように包み込む。

 鋼を打つ音を聞きながら言う。

「ああ――死にたくなければ其処から出ない方がいい」

 警告はそれだけ。短刀の雨が止むのと同時、自身を囲んでいた張りぼての大剣の魔力をカット。虚ろに消えゆく剣を一顧だにせず、接近戦を挑んでくる無数の影に笑いかけた。

「悪く思え。後方注意だ」

 注意を喚起する声が影の群れの中からも走るも、遅い。反応が間に合うことはなく、投げ放たれていた干将が担い手の許に帰還してきた。それは一体の影を切り裂き、ハサン・サッバーハらに威圧感を与える。
 干将を掴み取り、だらりと両腕を落とした立ち姿で戦闘体勢を完了する。男は再び囁いた。

 ――工程完了(ロールアウト)全投影、待機(バレットクリア)

 本能的に危機を察知したのか、影達は今度こそ一斉に男へ殺到した。
 だが場所が悪い。狭く、長椅子などの障害物もある。男は双剣を過剰に強化しその形状を長剣のそれへ膨張させる。そうして影を袈裟に、幹竹に、水平に両断し、瞬く間に十体を切り伏せた。

 ただの人間に、この有り様。怯んだように立ち竦んだ暗殺者達に、魔術王に下駄を履かせて貰っている男は苦笑してしまった。

「馬鹿め。危機を察していながら攻め続けないとは。――停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)

 詠唱は高らかに。エミヤのように早くはないが、精度だけは劣らない。自身を中心に扇状に展開されるは神秘の濃度だけを詰め込んだ刀剣である。
 数にして三十。宝具の概念も何もないただの神秘。それでも切れ味だけは本物だ。それを、一斉に掃射するや無数の影が貫かれる。馬鹿な宝具の投影だと!? その叫びに男は苦笑を深めた。

「遺言はそれか? ――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 薄紅の花弁が四枚、男を包み込み。老神父を三枚の花弁が保護する。
 瞬間。

 ――教会を根刮ぎ吹き飛ばす、甚大且つ大規模な爆発が轟いた。











「流石です先輩。……流石です」

 気絶させられた言峰綺礼を担いだマシュの、なんとも言い難い顔に出迎えられ、衛宮士郎は皮肉げに首を竦めた。

 若々しい言峰綺礼の令呪は色を失っている。アサシンが全滅した証だ。跡形もない教会に呆然とする老神父を置き去りに立ち去りながら、衛宮士郎は魔術王と盾の少女に飄々と嘯いた。

効率的(スマート)だろ? 何はともあれ任務完了、次に移る」

 ああ、と士郎は黒ずんだ右手を擦りつつ、お約束を宣った。

「言峰綺礼、ゲットだぜ」
「マスターの現地調達なんて君しかしないよ」

 ロマニの呆れたようなツッコミは、優雅に聞き流された。




 

 

ブラック脱却を目指す士郎くん!



 くえすちょん。マスター登用制度とは。

 説明しよう! 聖杯戦争が行われている特異点があれば、そこでマスターを勧誘してカルデアのマスターになって貰う制度の事である!
 これによりカルデアのマスター陣の充実、負担の軽減、多面的な状況への対応能力を高め、より確実な人理定礎の復元を目指すのである!

 求人情報は以下の通り。

『パート・アルバイト大募集!
 応募資格:18歳以上!(高校生不可、フリーター大歓迎!)
 資格:学歴不問。レイシフト適性とやる気のある人大歓迎!
 業務内容:マスター、人理救済、聖杯の回収等(暖かい同僚達が待ってます!)
 業務地:人理継続保障期間カルデア、特異点(出張あり)
 時間:0:00~23:59
 給与:月給500,000円(危険手当て有り)
 待遇:交通費支給、寮あり、制服貸与、従業員割引、週休二日制無し』

 なんということでしょう! こんな、ゆ、優良企業なんて見たことも聞いたこともありません! 皆の協力し合うお仕事で、如何にして負担を軽減するかが肝です! 死なないように気を付けましょう!



「あ、駄目だこの人。レイシフト適性がない」



 俺の目論見は、ロマニのその一言で粉砕された。

「ちっ。使えねぇ……」
「ヒドッ! 掌返すの早っ!?」

 君には失望したよ綺礼くん。そう呟いて、俺は冷たい眼差しで気絶したままの言峰綺礼を見下ろす。

 所はホテル。俺の名義で借りた其処に、俺とマシュとロマニはいた。言峰綺礼は完璧に拘束してある。魔術王による行動制限で、だ。
 この部屋から出られない、誰かに連絡を取ることもできない、ただここで聖杯戦争中は過ごして貰うだけだ。
 やれやれとこれ見よがしに嘆息し首を振る俺に、見事なツッコミを入れたロマニが、綺礼の適性を調べてくれたのである。結果は今しがた言われた通り、有望な戦士だっただけに残念でした。俺的に言峰は嫌いではないし。
 なんというか、本能的? な何かで、俺はこの男の事がどうしても憎めなかった。理由は考えるつもりはない。ただ、コイツが味方なら心強いと思っただけである。

「あーあ。切嗣とか弓宮とかと組ませてやりたかったな……相性抜群だったのにきっと」
「鬼だね士郎くん!? 君から聞いた関係性的にどう考えても悲惨な事にしかならないと思うんだけど!」
「それがいいんじゃないか……というのは冗談として。大丈夫、彼らはプロだ。仕事に私情は挟まないよ。まあレイシフト出来ないなら予定は白紙だけどな」
「流石です先輩……略してさすせん」
「マシュ!? マシュが虚ろな目を! 士郎くんのダーティーな一面に遠い目をしちゃってるよ!」

 ? 何がいけないのか……。マシュの前では特に酷い事をしていないのだが。
 俺は首を捻りつつマシュに言う事にした。

「なあマシュ。何に戸惑ってるのかは分からないが、俺だって無理矢理マスターにさせる気はなかったぞ」
「あ、そうだったんですか? 安心しました」

 ホッとしたように安堵するマシュに、俺は苦笑する。誤解させてしまったのなら申し訳がない。

「ちゃんと本人の意思ぐらい確認するさ。嫌だと言われたら諦めるし、どうしても人手が欲しいならカルデアで眠ってるマスター候補から選ぶよ」
「え? あ……」

 忘れていたという顔をするロマニ。おい医療部門トップ、と軽く小突いた。
 マシュも虚を突かれたように目を瞬く。言われてみればそうだ、聖杯もあるし不可能ではない、と悟ったらしい。

「今全員を蘇生しないのは、単純にあの人数分のサーヴァントを賄う余裕がないのと、実戦経験を積ませてやれるお手軽な戦いでもないからだ。それに彼らには悪いが、時計塔から選抜された頭でっかちにカルデアを掻き回される訳にはいかない。下手に発言力を持ってる奴を蘇生させてみろ、口喧しくして混乱を齎すに決まっている」

 A班の連中で見込みがあるのはカドックやオフェリアぐらいだ。後は人格破綻者や、ちょっと化け物じみてて逆に先行きが怪しくなる輩ばかり。
 カドックとオフェリアに関しては蘇生を考える必要がある。俺やネロが死んだ場合、彼らになら引き継がせても大丈夫かもしれないのだ。

「まあ……そう、かもしれないですね」
「そういう面倒さのない一般枠の連中にしたって、病み上がりともなれば体の機能も落ち込んでるだろう。リハビリさせてやる時間がない。こんな極限の状況下だ、下手にストレスを溜め込ませるわけにはいかないな。カルデアの職員にも、だ。暴発されたら堪らないだろう?」
「はい……」
「事が終わったら、だ。彼らを蘇生させるのはな」

 そこで言葉を切る。今考えることではない。

「言峰を説得する云々以前に、レイシフト適性がないなら話すだけ無駄だ。さっさと次に行こう」
「そうだね。……でも他のマスターに当たったりはしないのかい?」

 ああ、とロマニの質問に頷く。頭の中にはカルデア側の百貌から齎されたマスター達の情報が過った。

「遠坂時臣は典型的な魔術師だ。カルデアに入れる訳にはいかないし、そもそも俺達の時代で奴は死んでいるのが確定している。ネロのように別人として組み込んだとしても、何かを企むのが明らかな魔術師をカルデアに入れるのは危険だ。間桐雁夜は微妙。想い人の娘のために犠牲になる所は見上げた奴だが、肝心の戦う動機を本人が把握出来ていない点からして、極限の状況でどうなるのか未知数。積極的に声をかける必要性を感じる人材じゃない。快楽殺人鬼は論外。ウェイバー君はいいが、はっきり言って体力が無さすぎる。モヤシ君だ。せめて人並みの体力がほしいから論外。ケイネスは――うん、時臣と同じだ。言峰は知っての通りだろう。アイリスフィールだけだな。声をかけるのは」

 これが第五次聖杯戦争なら、遠坂とイリヤスフィール、桜に葛木と、誘いをかけられる面子が多いのだが。……え? 衛宮士郎? 知らない子ですね……。

 俺はマシュとロマニを促し部屋を出る。言峰綺礼を置き去りに。起きた後の彼の戸惑いは察して余りあるが、ルームサービスを呼んでるので餓死とかはしないだろう。
 さて……本命の一つを片付けよう。

 冬木で今も待つ桜のために。害虫駆除のために。ロマニがいれば不要だが、俺もロマニも無事で終わる保障はない。最悪どちらも倒れた時のために、用意した霊器の効果を確かめ、俺達が駄目だった場合に備えカルデアに預ける必要がある。託す相手は、遠坂しかいないだろう。

『マスター、こちらの作業は完了した。間桐邸に投影宝具を設置し、屋内にいた男一人と間桐桜を保護した。相手にも気づかれていないはずだ。――この娘に仕掛けさえなければ』

 切嗣からの通信が入る。
 流石に仕事が早い。俺は一つ頷き応答した。

『こっちも冬木のアサシンは消し、マスターも無力化した。保護した娘を連れてきてくれ。間桐鶴野は適当なところで放流しろ』
『了解した。間桐邸より離脱する』

 ホテルから出て、歩きながら目を閉じる。
 意識を集中し、遠くにある投影宝具を認識する。

 そして、呟いた。壊れた幻想と。

 ――大規模な爆発が、間桐邸を飲み込んだ。




 

 

宝具爆発! きみがやらなきゃ誰がやる士郎くん!




 命の価値の差という、モノの計り方がある。
 倫理観が強かったり、ある種の世間知らずなら思想そのものに反感を抱きそうなあれだ。
 逆にスレてる奴ならあっさり肯定する考え方で、俺はどちらかというと後者である。
 が、正確に言うなら俺はどちらでもない。傾向としては後者というだけで、本当は命に価値の差なんてないと思っている。しかしだ、命の重さに本質的な差はなくても、生きていてはいけないモノというのは、人間社会の事情や感情的に存在しているというのも厳然たる事実だった。

 話を纏めると、

 ――やっぱり蟲ケラは削除案件だな。

 切嗣に保護されてきた見知った少女、その幼き日の姿を目の当たりにした俺の中で、どす黒い殺意が湧き起こる。
 間桐桜。拐われて来たというのに、まるで騒ぎもしない死んだ瞳の顔馴染み。出会った頃の何もかもを諦めた顔ではない。中学生の頃の桜は、打たれに打たれ過ぎて逆に強かになった精神的な余力が備わっていた。
 だがこの小さい桜はそうではない。年相応に絶望し、心が死んでいる。五体満足で生きてるだけ、俺の知る最悪な状態の人々よりは遥かにましとはいえ、それでも胸に満ちるのは煮え滾る赫怒。一瞬視界が真っ赤になるほどに怒りが燃え上がり――すぐに鎮火する。

 桜を前に怒りを撒き散らすような真似はしたくない。俺は努めて穏やかさを装った。
 人生経験の豊富でないマシュは、どう声を掛ければいいか迷っている節がある。行動できるだけの厚みはない。切嗣は論外だ。性根から腐り落ちてる訳ではないとはいえ、小さい娘への気遣いが出来る訳がなかった。
 膝をついて視線の高さを同じにし、桜の頭を撫でてやる。

今のお前に(・・・・・)言うことじゃないが――」

 嘗ては言えなかった、言う術もなかった言葉を、前借りして言っておく。

「桜。お前を助けに来た」
「……?」

 名前を呼ばれて、反応しただけといった機械的な仕草に息が詰まる。思わずその頭を胸の中に抱き締め、その背中を優しく撫でてやった。

「先輩……その、もしかして、お知り合いの方ですか……?」
「ああ。大事な――置き去りにしてしまってる娘だ」

 察したように、マシュが問いかけてくる。
 幼い桜は平坦な声音で、腕の中から声を発した。掠れきって、襤褸のような音だった。

「おじさん、だれ? わたしのこと……知ってるの?」
「知ってるよ。俺は衛宮。君の……そうだな、正義の味方だ」
「……?」

 君だけのとは言えないし、言う資格もない。だがそれでも、桜にとっての正義のヒーローになる事はできる。そう信じて、桜を離して肩に両手を置き、虚無の瞳を見詰めて言った。

「もう、君は怖い思いをしなくていい。――ロマニ」
「ん。スキャニングしたけど、その娘の体内に不純物はない(・・)よ」
「そうか」

 ないということは、ある(・・)ということだ。既にこの時期から、マキリの蟲ケラは桜の体内に核を逃がしていたのだろう。
 考えてみれば当然の事だ。間桐雁夜という、自身に反骨心丸出しの男をマスターとして傍に置いているのだ。雁夜自身は体内の蟲で、その気になれば即座に抹殺出来るだろうが、直前に令呪を使われて殺しに掛かられたのでは面倒である。令呪を乗っ取るのも簡単な事ではない。
 魔術師の常として、最悪を想定して雁夜が絶対に手出しできない所に核を隠すのは当然だ。合理的過ぎて、至極読みやすかった。

 ――マキリ・ゾォルケンは、他者を食い物に延命する害虫である。

 しかし被害の規模で言えば、実はそれほど大した輩ではない。問答無用で死刑の即判決が決まる大量殺人者だが、時計塔が無視を決め込む程度には穏健な存在なのだ。魔術師の観点からすれば。
 だが吐き気を催す邪悪である事に変わりはない。世界にはマキリ以上の残虐さ、非道さ、被害の規模を持つ輩は多数いるが、それらに全く見劣りしない外法の徒である。下手に聖杯を掴もうとしている分、危険度では段違いかもしれない。

 俺は懐から薬の瓶を取り出す。

 世界中を巡って探し出した霊器。それがこの瓶で、中身はお手製の鋼である。霊器の効果は単純なもので、魔力を保存する性質があった。
 魔力とは基本的に魔術を使用するための燃料でしかない。しかし魔力そのものが魔術としての特性を持つものもあり、それが聖杯であったり真性悪魔のようなものである。
 この霊器に名前はない。これを作製したとされる魔術師は知っているだろうが、少なくとも俺は知らない。また興味もない。必要なのはその効力だけ――即ち「魔術の特性を持った魔力でも保存できる」というもの。

 俺は英霊エミヤの干将と莫耶、偽螺旋剣の存在を知っていた。そこから着想を得たのが改造宝具である。俺は破邪、浄化、退魔、排斥の属性を持った刀剣を、それぞれ一つの属性のみを残して投影した。そしてそれら四本の投影宝具を溶かし、消滅する前に瓶に納めたのだ。
 瓶の中にある液体とは、即ち四本の投影宝具がその神秘だけを残した鋼のそれ。液体になってしまっているのは、そうなるように加工しておいたからだ。瓶から出ればたちまち消滅する代物であるが、それで充分だ。前以て用意していたそれを、俺はそっと桜に見せる。

「桜、すまない。変な味がするかもしれないがこれを飲んでくれ」
「お薬……?」
「ああ」

 渡すと、桜はその瓶を色の無い眼差しで見詰め、そっと口をつけた。
 言われるがままといった、意思の無い人形じみた姿に胸が痛むが、今はその素直さに感謝する。本当なら怪しくて言うことなんて聞いてくれないだろう。
 すると、すぐに効果が出た。
 液体を嚥下するなり、桜は苦しげに胸を抑えて踞った。げぇげぇと吐瀉物を吐き出す。

 ――その中には、大小数匹の蟲が混ざっていた。

 悶え苦しむ親指ほどの醜悪な蟲。それ以外を踏み潰し、一番大きな蟲を指先で摘まんだ。
 俺の知る桜には最初から寄生虫が巣食っていた。この時間軸ではどうなのか、確証はなかった。しかし存在の有無を見切れるロマニがいる以上、余計な手間を掛けずに済んだ。

「ご機嫌はいかがかな? 妖怪マキリ・ゾォルケン」
『ぐ、ぎィ……?! な、何、何が……!?』
「効き目は充分。大変結構だ」

 生理的な反応で、嘔吐(えず)いたせいか涙目の桜が目を丸くしてこちらを見ていた。
 桜の体内に宝具は残らない。所詮は投影されたもの、消滅すれば世界には残らない。俺は微笑んで指に挟んでいた蟲を見せる。

「声で分かるだろう? これは、君を怖くて気持ち悪い目に遭わせてきた諸悪の根元、間桐の爺さんだ」
「おじいさま……?」
「そう。そしてソイツは、今いなくなる」

 軽く虚空に放り、慣れた工程を踏んで投影した干将で蟲を真っ二つに切り裂いた。
 そうして間桐の支配者は、劇的でもなんでもなく、あっさりとドラマもなしに命の旅を終える。
 これは個人的な見解だが、魔術師を相手にちんたらとやりあうのは愚かである。殺ると決めたら電撃的でなければならない、不意を打つなら一撃で仕留めねばならない、魔術師に対策させてはならない。魔術師殺し三原則である。
 上手くやれば、長々とドラマチックな展開になんてなる訳もないのだ。

 無表情で――しかしどこか呆然として蟲の残骸を見詰める桜の頭に手を置く。

「ごめんな。嘔吐させて。でもこれで、君の体は君だけのものになった。君を苦しめるものもなくなった」
「……」
「……突然過ぎて分からなかったか。すまないが今夜は俺達と寝よう。もう遅い時間だ」

 切嗣に目配せすると、彼は頷いて霊体化してこの場を去っていく。切嗣には他の仕事もこなして貰わねばならない。
 桜の手を引き、歩幅を合わせて歩く。マシュに目をやって促すと、マシュも桜を安心させるために優しく微笑んで反対の手を取った。両手を引かれて歩く桜は、呆然としているものの、何かを思い出したように俺とマシュを見上げていた。

 ホテルに入ると、そのままマシュと挟んで、三人で川の字になって寝た。それで、この夜は終わる。




「あれ、ボクは?」
「起きてろ。お前は見張りな」






 

 

風雲急を告げる士郎くん!




 これも職業病という奴か。日の出を感じた直後、切り替わるように目が覚める。うっすらと瞼を開くと、腕に軽い負荷が掛かっているのを感じた。
 その正体を察しながらも横を向けば、安心しきった顔で深く眠りについている桜がいた。桜は俺の腕を枕に寝息を立てていたのだ。いつの間にと思うも、桜も無意識だったのかもしれない。
 そっと腕を抜いて、枕の上に頭の位置を導くと、音を立てずにベッドから抜け出る。俺の反対側で眠っているマシュは穏やかな寝顔をしていて、微笑を溢すと俺は二人の頭を優しく撫でてしまっていた。
 身動ぎするマシュと、むにゅむにゅと口を動かす桜。小さな声で、おとうさん、と呟いたのが聞こえて。どうにも後味が悪くなる。

 まだ幼い子供をカルデアに連れていく訳にはいかない。誰も面倒を見れないし、そもそも人類史を守るための戦いの最前線に桜を置く事は人としてやっちゃいけない。桜は戦いの場所にいてはいけないという私情もあった。
 だから、この子はこの特異点の住人のままでいい。喩えここで俺のした事が意味のない事でも。本来の歴史通りに、酷い虐待に逢うのだとしても。戦いに巻き込まれ、最悪の死を迎えるよりはいいと、独善的に判断せざるをえない。

「ロマニ、何か変わりはなかったか?」

 ソファーに腰掛け、どこから調達したのか雑誌を手にコーヒーなんて飲んでいたロマニに問いかける。するとびくりと肩を揺らして、ロマニは浅黒い肌に汗を浮かべて反応する。

「あ、起きたんだね。おはよう士郎くん」
「……? ああ。寝ずの番ご苦労様。で、何してる?」
「あっ、はは! 気にしなくてもいいとも! 結界張ったりしてたからホテル周辺に異常がないのは分かってるし!」

 無言で近づくと雑誌を後ろに回して隠すロマニ。俺はロマニに足払いをかけた。

「どわぁぁ!?」
「どれどれ……って」

 転倒したロマニに馬乗りになり、雑誌をもぎ取るとそれに目を落とす。――そこには水着姿のアイドルとかの姿が!
 呆れた。いや失望した。絶望すらした。この野郎、アイドルオタクだからってそんなの見てる場合じゃねぇだろ。

「魔術王がドルオタって時計塔の魔術師が知ったら首を括るな……というか外見から凄い乖離してるからやめろ。元の姿ならともかく」
「べっ、別にいいだろぉ!? ボクが何を趣味にしてても!」
「こんな時にこんなものを見ているのが問題なんだこのドたわけが! もっと他にする事が無かったのか!?」
「やれる事はやったさ! 結界張ったりホテルを神殿化したり! でも千里眼封印してるから外の様子なんか分かりっこないだろ!? ボクの使い魔は魔神七十二柱だから召喚したら魔力アホみたいに食うし! かといってネズミとか触りたくないし! 休息中の士郎くんの魔力使う訳にはいかないだろ! 二人のアサシンがいるから偵察は代行して貰えるしネ!」
「うるせぇ! 他にもやれる事ならあっただろろ!? 神殿化してる感じはまったく分からんが、カルデアと交信して情報交換と指示を仰いだりとか! 支援物資が貰えるなら貰うとか! ネロの方の状況が何か分かれば、こっちも動き方を変えたりしないといけなくなる可能性もある!」
「あっ……」

 失念していたという反応をするロマニに頭が痛くなる。顔を手で覆いながら、俺はロマニの上から退いて嘆息した。

「お前ほんと前世魔術王なのか? 全然それっぽくないんだが」
「あ、そう?」
「なんで嬉しそうなんだよ……」

 マギ☆マリの正体がマーリンですとか法螺吹いて絶望させてやろうかこの野郎。
 まあいい。ロマニの事は元々魔術王ではなくロマニ・アーキマンとして認識している。ロマニに魔術王並みの能力が備わっているだけだ。いやほんと、何がどうなったらロマニみたいな奴になるんだ。あのソロモン王が。魔術世界最大の謎かもしれない。

 手首に巻いてある通信機を起動する。カルデアに通信を送ると、すぐさま繋がりアグラヴェインのホログラムが浮かび上がった。

「こちら衛宮。現状を報告するが、その前に何か伝達事項はあるか?」
『マスターか。では先に、こちらの把握している死国残留海域スカイでの戦闘記録を伝達しよう』
「聞かせてくれ」

 鉄壁の強面に、暗黒騎士然とした無機質さを感じさせる声音の揺れのなさに物怖じせず淡々と促す。

『ランサーは波濤の獣クリードと交戦を開始。五時間後、カルデアに戻ったアーチャー・エミヤの投影した宝具、計五十挺を搭載した量産型ラムレイ号とやらを送り込み、自動操縦によって波濤の獣へぶつけ爆破した。相応のダメージを受け、怯んだ隙を突き波濤の獣をランサーは撃破。然る後にB班のマスター・ネロと、そのサーヴァントであるアタランテ、ランサーは特異点の探索に移った』
「二つ聞く。波濤の獣の中にあったはずの聖杯は? それとネロの所にはランサーとアタランテしかいないのか?」
『聖杯は回収出来なかった。敵方のサーヴァントらしきセイバー、ランサーが言うからにはコノート最強の戦士フェルディアが現れ、これを回収。自身の霊基を強化し撤退した。凄まじい速度で、追尾するために機動力の劣る我が王は一時カルデアに送還され、状況の変化に即応できる態勢を取っている』
「了解した。敵方のサーヴァントを追跡している最中、という事だな」
『その認識で構わない。そちらの状況は?』
「アサシンは消した。不確定要素と成り得る現地の魔術師もな。何事もなければ今日中、遅くとも明日には片がつくと考えている」

 少し前までは明後日まで掛かると踏んでいたが、よくよく状況を整理してみると、後は詰みに掛かるだけである。
 故に何が起ころうとも余り時間は掛からないと考えた。――仮になんらかの計算外が起こり俺が死んだとしても、決着の時期は動かない。

『承知した。では我々は明日にマスターが帰還するものと想定して態勢を整える。何か支援物資、或いは援軍は必要か?』
「いや、不要だ。だが最悪の事態を考えると、気兼ねなく使える火力が必要になるかもしれない。念のためオルタを待機させておいてくれ。勿論ネロの方を優先してくれても構わない。カルデア内での動きは?」
『職員らには順番で休息を取らせている。七時間の睡眠、三度の食事、一時間毎に十分の休憩時間もある。彼らが抜けた穴は私とダ・ヴィンチ、百貌によって埋め、専ら職員らには貴様とクラウディウスの意味消失を防ぐ観測作業、及び機材のメンテナンスに専念して貰っている』
「百貌様々だな……分かった、通信を終わる」
『了解した。健闘を祈る』

 通信を切り、とりあえずロマニに蹴りを入れておく。痛い! 鯖虐待反対! と騒ぎ立てるドルオタに冷たい一瞥を向け、サーヴァントとパスを通じて連絡する為にもう一つの通信機を起動した。 
 繋げる相手は無論切嗣だ。放っておけば命を投げ捨ててでも仕事に専念するワーカーホリックの彼には信頼がある。切嗣はすぐに応じた。

『なんだい、士郎』
「何か動きがあれば知りたい。それと独断で何かしてないか?」

 切嗣が独断専行すれば血の雨が降るので割と心配だ。その危惧を鼻で笑い飛ばし、切嗣は破滅的に嘯いた。

『僕の出来る事はやったさ。この冬木での戦いに必要なのは情報だろう? 戦闘は君達が受け持つべきだ。だから宝具を使い、三倍速で冬木中を駆け回って粗方の情報は掴んだ。百貌の変装した奴にも協力して貰ってね』
「おい、何をした。――あんた、消えかかっているな」

 切嗣の存在が希薄になっているのに遅ればせながら気づく。パスから流れてくるのは、消滅間近な状態である事。眉を顰めていると、切嗣はこちらには頓着せずに報告をはじめた。

『冬木市内に今の所は反応なし。バーサーカーのマスターは下水道だ。英雄王の姿は確認できていない。遠坂時臣の行方も不明。僕の方で遠坂葵とその娘は確保し、言峰綺礼のいるホテルの同室に監禁しておいた。そこにいるドルオタに魔術で行動制限も掛けて貰っている。他の陣営は士郎も予想できるだろうけど、そちらからの接触を待っているな。そして――大聖杯だが明らかに意思を持って動き出している』
「……色々突っ込みどころ満載だな。それで?」
『双槍遣いの黒化英霊に襲撃された。逃げ切りはしたが、致命傷を負った。限界を超えて宝具を使っていたからね、僕はもうすぐ消える。だが働きは充分だろう? カルデアに一足先に戻るとする。後は任せた』
「おい、最後に聞け、切嗣」
『なんだい?』
「二度と勝手に自分を使い潰すな。不愉快だ」
『……』

 怒気を滲ませて命令する。
 幾ら消滅しても再召喚が可能とはいえ、俺は誰かを使い捨ての駒にする気はなかった。何より、切嗣がそうやって動くのは、どうしても耐えがたいものを感じてしまう。
 呆れたように嘆息した切嗣が、遠く離れた場所で消えながら応じた。

『君は合理的だが、そうでない感情的なものも多いな。理解できない』
「理解しろ。――いや理解させてやる。罰として、あんたにはアインツベルンのお姫様と会わせてやる」
『――それ、は』

 既にアインツベルン陣営のマスター、アイリスフィールの事は目にしているはずで、やはり切嗣は動揺した。
 身に覚えがなくても、因果的な繋がりがないわけではない。特異点化しているこの世界だと顔も知らないだろうが、切嗣は本来、アインツベルンと繋がりがあるのが正しい。
 故にその正しさになんらかの影響は受けていて然るべきだ。そして俺のその予想は正しかったらしい。俺は可能ならアイリスフィールを勧誘するという想いを強める。無論、無理強いはしないが。

『――手厳しいな、士郎は』

 苦虫を噛み潰したように、切嗣は独語して消滅する。

 俺はランサーと共に斃した本来の冬木のランサー、ディルムッドの再出現に眉を顰め、今日の方針を固めようと知恵を絞る。
 そろそろマシュ達も起こしておこう。桜には――そう、ミニマム・レッドデーモン・リリィの所に連れていくのがベストかと考えていると、ランサーの声で切羽詰まったふうな通信が入った。

『マスター、大変だ!』
「おぉ……本物が聞いたら頭抱えそうな声音でどうした」

『キャスターだ! 青髭の野郎が未遠川にいやがる! 野郎、大海魔を召喚する気だ!』

 その報告に、俺は露骨に嫌悪を声に出す。何? と。

 ――聖杯の意思は、いよいよ手段を選ばず抵抗しようとしていた。










 

 

王様に物申す士郎くん!



 嫌。その一言だけを溢し、ひしりと俺の脚にしがみつく桜に眉を落とす。

 所詮は非力な幼女のささやかな抵抗。引き剥がすのは至極容易い。だが、幼いとはいえ桜にそれをされると――弱る。振り払えない。何故と理由を探すまでもなく答えは明瞭だ。
 彼女が桜だから(・・・・)、それ以外に何を答えに出来るというのか。
 切嗣の最後の報告によれば、聖杯が意思を持ち動き出したという。撃破したキャスターとランサーが黒化して復活し、周囲の被害も考慮に入れずに災禍を振り撒かんとしているのだ。特にキャスターは既にロマニが二回(・・)撃破しているのに三回目の登場。この分では黒化英霊を打倒する事にはなんの意味もないと見るべきだろう。
 そしてランサーは兎も角、キャスターは広範囲に亘る戦略的な作戦行動を実現可能な故に、その脅威度はランサーの遥か上を行く。迅速な対処行動が今最も求められているのだ。合理的に考えるまでもなく、足手纏いになる桜を連れていく事など出来ない。

 桜を連れて行く事は論理的に却下されて然るべきだろう。故にお母さんとお姉さんのいる所に連れて行ってやると、優しい声音で穏やかに言ったのだが――置いて行かれる事を、桜は全力で嫌がっていた。

「桜……」

 予期しなかった駄々に困り果てる。俺の知っている桜は、まだ聞き分けのいい奴だったというのに。幼いと我が出やすいのだろうか? 悩ましい気分でいると、ロマニがやれやれと苦笑しながらとんでもない事を言い出した。

「仕方ない、この娘も連れていこう」
「何?」

 剣呑な表情が声に出る。しかしなんでもないように、人畜無害なロマンチストは宣った。

「心配要らないだろう? 何があっても、僕や君がいる。マシュだって。これだけいて、小さな女の子一人守れないと思うのかい?」
「……」
「それに――元々この人理を巡る戦いは、人を守る為の戦いだ。小さな我儘一つ聞けないで、これから先を戦い抜けるとは思えないね」
「……言ってくれる」

 毒づくも、俺は心の何処かでその放言を肯定していた。マシュの目もある、彼女の前では格好のいい大人でいようと決めた身だ。
 細く、短く、嘆息する。腹は決まった。俺は桜を抱き上げる。

「一つ聞かせてくれ、桜。どうして俺といたいんだ?」
「……だって。おじさん、わたしを助けに来てくれたって」
「――」
「セイギノミカタだって……もう、こわいことなんかないって、言ってくれたから……わたし、おじさんといたい、です」
「ぷっ、ははは! これは一本取られたね士郎くん! 君も大人なら、自分の言葉には責任を持った方がいいよ」

 噴き出したロマニが腹を抱えながら言った。俺はそれを睨み付け、しかし何も言えない。
 こんな時こそペラ回して、桜を安全な場所に連れて行くべきなのに。子供を言いくるめるのなんて簡単なのに、俺はそれをしないで強がるように口角を持ち上げていた。

「――分かった。ただし桜、お前を連れて行く代わりに一つ、条件がある」
「……なに? わたし、言うこときくよ」

 現在進行形で我儘を言っているのに、言うことは聞くときたか。やれやれと苦笑して、少しだけ気になっていた部分を訂正する。

「俺の事は『おじさん』じゃなくて、士郎さんと呼べ。『お兄さん』との約束だ」
「……? うん、わかった。士郎さん――これでいい?」
「ああ」

 俺の台詞に、マシュも堪えきれなくなって噴き出した。ロマニはロマニで、さっきから笑いすぎだ。後が酷いぞアーキマン……。お前も俺に近い歳だろうが……。
 この年頃の子供には、俺ももう、いい歳したおっさんである事に変わりはないのだろうが、まだ三十路手前なのだから『お兄さん』と呼んでほしい男心である。







 魔術王の魔術によって、神殿化していたホテルを出る。その際に神殿化を解除させておくのも忘れない。もう此処に戻って来る事はないから必要がなくなったのだ。
 酷く非合理的な事をしている自覚はあった。馬鹿げていると自分を罵りたくもある。しかし繋いだこの小さな手を、離してはいけないとも強烈に感じていた。

「マシュ」
「はい」

 第二特異点で能力を覚醒させたマシュに、全幅の信頼を置いていた。
 こと守護の一点に於いて、俺の知る全てよりも優れていると、貴い守りなのだと言語を超えた領域で理解していた。故にまず第一に恃むのはマシュである。

「もしもの時は、桜を頼む――なんて軽い事は言わないぞ。桜と俺を、二人とも守ってくれ」
「――はい」

 力強く、嬉しそうに微笑むマシュに衒いも、憂いもない。年下の少女に、守ってくれなんて台詞を投げるのは情けないが、そんな下らない矜持を無視出来る相棒としての信頼がある。
 アルトリアにしたって、クー・フーリンにしたって、切嗣やアーチャーの野郎にしたって、桁外れの信頼を置いている。全員が最高の仲間だ。ああ、もちろんネロやアタランテだってそうだ。ダ・ヴィンチにもどれだけ助けられているか。アグラヴェインは司令塔として無二の信頼が置けるし、百貌なんて戦闘を支える最重要の戦力である。だからまあ――

「あれ、僕は?」
「五月蝿い」

 ――だからまあ、今回もきっと上手くやれると希望を抱く。希望を繋ぐ旅路、それなくして戦い抜ける道理もない。
 いや道理も糞もなく、単純に希望のない戦いなど御免被る。世界には救う価値もないクソッタレが掃いて捨てるほど在るが、それでも人理を救う戦いは、この小さな手を光差す未来に届かせるものなのだ。

 故に、桜。本当ならフライングも良いところだが、先に過去のお前から助けてやる。
 勘違いはするな、俺は自分の為に過去のお前を助けているに過ぎない。自己満足で、未来のお前も救ってやるさ。
 ああ、上から目線上等だ。なんたってそんな不幸(ヨゴレ)、綺麗好きの俺には耐えられない。せめて俺の目の届く範囲は幸福(キレイ)でないと、潔癖性の俺は気が狂いそうだ。

 だからこんな特異点なんか、人理定礎を巡る旅なんか、簡単にパパッと片付けてやる。ロマニやマシュが、もっと好き勝手に生きられる世界に連れ出してやる。

 だから――

「――邪魔をするなら、例えお前が相手であっても容赦はしない」



 黄金とエメラルドによって形成された輝舟、『黄金帆船(ヴィマーナ)』――御座に腰掛け、在るのは原初の絶対者、黄金の英雄王。



 黒化した青髭が儀式を執り行う、未遠川に急行している最中、眼前に立ち塞がるようにして現れたのは輝舟に搭乗した暴君であった。
 俺は敵意も露に真紅の双眸を睨み付ける。喜悦に細まる瞳が見据えるのは――俺だった。
 デミ・サーヴァントであるマシュではない。千里眼を持つ同士にして、同等の格を持つ魔術王のデミ・サーヴァントのロマニでもない。俺にこそ立ち塞がっている。

「吼えたな、道化」

 クツクツと可笑しげに笑む英雄王は、背後の空間に百を超える波紋を出現させていた。そこから顔を出すのは、いうまでもなく宝具の原典――俺とは戦わないと言い、その舌の根が乾く前に再度立ち塞がる了見は天災のそれだ。

「……」
「まさか送り届けてくれるのかい? 流石は英雄王(センパイ)様、太っ腹だね」
「フン。(まなこ)を見開いたまま寝言を垂れるとは器用な奴よ。人間に堕ちた貴様はこの我を仰ぐべき雑種に過ぎん。貴様の生んだ因果を清算しに来てやったのだ、その栄誉に咽び臣に加わるのなら同乗させてやらんでもない」

 英雄王の存在感を前に、緊張に身を強張らせるマシュと、戯れ言を吐くロマニ。
 どこか機嫌良さげにギルガメッシュは鼻を鳴らす。――それに、ロマニは目を見開いた。
 相も変わらず訳が分からない。その千里眼を持つ者同士の謎の共感をやめろ。今のロマニは千里眼を厳重に封印しているから『視えない』のだ、ロマニにも俺にも分かるように言え。

「感動に打ち震えよ、道化。貴様の膿、冬木(ここ)で出し切ってやろうと云うのだ」
「要らないお世話だな、英雄王。其処を退け、今はお前に構っている暇はない」
「釣れない事を言うな、一生にそう何度とない王の慈悲だ。有り難く甘受するがいい。――それにしても、懲りもせず寄り道に精を出す愚かさは変わらんな、贋作者(フェイカー)
「……」

 真紅の瞳に、桜が映る。びくりと震え、怯える桜を背中に庇い、俺は苛立ちも露に問いかけた。

「何が目的だ」
「何度も言わせるな、雑種。道化も業が過ぎれば不快でしかない」
「カルデアと戦わないと言った口で何を言う。余りおふざけが過ぎるようだと諫言にも力が入るというものだ」

 軽い挨拶のような殺意に皮肉で返す。へりくだる者には死を、阿る者にも死を賜す王だ。何を言っても気分次第、ならば自身の言動に気を遣うだけバカらしい。偽らない素の自分で向き合う事だけが、結果として英雄王に対するのに相応しい態度だ。
 干将と莫耶を投影する。相手が英雄王であっても、こちらにはマシュと魔術王がいるのだ、遅れは取らない自負がある。マシュも周囲に他陣営の目がない故か、白衣からデミ・サーヴァントとしての姿に転身し大楯を構えた。
 その臨戦態勢にギルガメッシュは嘲笑を浮かべる。

「自らの恃む最強の槍と剣を欠いたまま、この我の裁定に歯向かうか」
「槍と剣はないが、楯と術はある。俺の諫言は耳に痛いぞ、英雄王」
「ハッ――」

 黄金の超越者は失笑を溢し、そして。

「自らの在り方に惑う道化風情がよく吼えた。だが所詮はアラヤの走狗(・・・・・・)、掃除屋如きの諫言を、この我が聞き届ける道理はない」
「――なに?」

 聞き捨てならない事を、言った。

 反駁しかける。だが、英雄王は百挺を超える宝具を照準する。狙いは――桜だ。
 激発する理性が疑念を焼却する。迎撃の為に用意していた投影宝具群に実像を結び、

「ではな――自らの起源を知れ、雑種」

 ――黄金は、殺意もなく。王には戦いですらない、下らない雑事の始末を始めた。




 

 

状況整理だセイバーさん!






 この聖杯戦争は狂っている。

 聖杯の器であるアイリスフィールの中には、既に二騎のサーヴァントの魂が在った。

 剣士は騎士王である。
 弓兵は英雄王である。
 騎兵は征服王である。
 暗殺者は山の翁である。
 狂戦士は卓越した武練の持ち主である。
 魔術師は魔術王である。
 槍兵は、光の御子である。

 アイリスフィールは、脱落者は初戦で敗れた暗殺者と、所在と正体の知れぬ狂戦士であると思っていた。
 だが黒化英霊として魔術師がいる。脱落したと思われていたアサシンは健在だった。異変に気づくまでに二騎の脱落を感じ、つい先程三騎目が脱落していよいよ混乱した。
 魔術師のクラスが重複しているのみならず、どう数えても冬木の聖杯戦争に於ける七騎の縛りに計算が合わない。アイリスフィールは七騎の英霊にクラスの重複は有り得ないと従来通りに考え、単純にアサシンが初戦、遠坂邸にて英雄王に本当に屠られて一つ、姿の見えない狂戦士で二つと考えていた故に、山の翁の健在をあの白髪の男から知らされ動揺した。

 異常事態だ。

 白髪の男の言っていたことが本当なら、三騎の脱落者は一体何者なのか。キャスターと狂戦士が斃れているとしても後一騎は何者だ。訳がわからない。

「――アイリスフィール、状況を整理しましょう」

 新都の只中を冬の姫と歩きながらセイバーが言う。指を一本立てた。

「確実に斃れているのはキャスターのサーヴァントです。バーサーカーは不明。しかし私の所感としては、あのバーサーカーが簡単に倒されるとは思えません。そして貴女が感じるには三騎目が脱落した……これは恐らくですがアサシンでしょう」

 確信の籠った断定に、アイリスフィールは反駁した。確かにランサーのマスターは別れ際、アサシンを討つとは言っていたが、潜在的には最大の敵とも言える。正直に本当の目的を明かしたとは思えないのだが……。

「どうしてアサシンだと分かるの?」
「ランサーのマスターは、機知と行動力に富んでいます。アサシンに襲撃されその生存を知ったと彼は言いました。アサシンのマスターの所在は割れています、ならば彼は私達と別れた直後に教会を襲撃し、そこに保護されていたアサシンのマスターを撃破、アサシンを脱落させる……ランサーと彼ならば容易い事でしょう」
「……そうね。なら三騎目はアサシンという事になるわ」

 セイバーの言には説得力があった。そしてアイリスフィールは、疑念を拭えないままそれを肯定する。しかしそれでも二騎目は誰だ、という疑問は晴れない。セイバーはバーサーカーが簡単に敗れるとは考え辛いというが、それでは斃れた三騎の内訳が不透明になる。
 あの光の御子のマスターは、セイバーの言うように知略と行動力、胆力と武力に秀でた歴戦の魔術使いのようだった。ならマスターの天敵とも言えるアサシンを野放しにはしない。そのマスターの所在が明らかな内に手を打つと考えるのは妥当と言えるが……。

 騎士王は二本目の指を立てる。

「問題なのはキャスターとアサシンの他に誰が脱落しているのかが不明な点です。キャスターのクラスが重複し、聖杯戦争に於ける七騎の縛りに数が合わなくなっている時点で、必ずしもバーサーカーが脱落しているとは断定出来ないのが悩みの種です。現状で判明している英霊は私と英雄王、光の御子。他に征服王、魔術王、バーサーカーにアサシン、キャスターとなります。この時点で八騎存在している事になりますが――」
「――私の中には既に三騎いる」

 聖杯の仕組みについて、アイリスフィールはセイバーに話していた。己が脱落したサーヴァントの魂を回収し、聖杯に焚べる器になるのだと。即ちアイリスフィール自身が聖杯なのだと話したのだ。
 セイバーはこれに驚きはしたが――彼女には彼女の悲願がある。確実な燃料として、他の英霊の写し身であるサーヴァントを捧げるのに躊躇いはない。そしてアイリスフィールが滅びる事も勘定に入れ、公私を分けて結末を受け入れていた。

「確実に生き残っていると言えるのは三騎士と征服王、魔術王を合わせての五騎ね。脱落者はアサシンで一、そして重複しているキャスターで二とする。――後一騎は何者なのか……これが謎よ」
「妥当に考えればバーサーカー……ですが、ランサーとライダーのマスターは、倉庫街での戦闘以来、バーサーカーと交戦していないと言っていました。私達もそれは同じです。アーチャーの戦闘だと派手になる、ですのでどこかで戦えば分かるはず……アーチャーが斃した可能性も薄い。アサシンかキャスターがバーサーカーのマスターを斃した可能性はありますが、確実ではありません」
「もし仮にバーサーカーが健在なら、三騎目の脱落者が不明ね。八騎目のサーヴァントがいたのだから九騎目がいないとは断定出来ない。最悪の場合、正体不明の敵サーヴァントが何処かに潜んでいる事になる」

 ……。

「頭がこんがらがってきたわ。ねえセイバー、貴女はどうしたらいいと思う?」

 聡明な頭脳を持っていると言っても、実戦経験など持ち得ないアイリスフィールは、すんなりと常勝の王へ意見を乞う。
 それがアイリスフィールの長所だった。他のマスターなら自分で考え、使い魔でしかない彼女に意見を乞う事など思い付きもせず、考え付いたとしても宛てにしないだろう。
 ゲームのプレイヤーはあくまでマスターなのだ。しかしそんな固定観念を、アイリスフィールは無垢故に無視してしまえる。分からない事があれば他者の、セイバーの考えを訊く柔軟さがあったのだ。そしてセイバーは、意見を請われれば率直に口にする気質である。

「幸いな事に、私達には確実に味方と言える陣営があります」
「ランサーね?」
「ええ。光の御子は知っての通り、マスターも実力と人柄に疑いはありません。戦力という意味では彼らと組んでいる私達が最も突出している。聖杯の異常を調査する間は征服王や魔術王とも停戦していますが、彼らとは同盟を結んでいるわけではないので油断は出来ません。確実な味方と言える強力な存在は、今は歓迎すべきでしょう。今成すべきは、存在するかもしれない九騎目のサーヴァントを警戒しつつ、聖杯を調査する事。これが最優先です」

 つまり、エミヤと名乗った男の提示した道筋の通りである。
 アイリスフィールは腑に落ちないものを感じていた。それはセイバーも同じなようで、どこか考え込むような表情をしている。

「……道理は通っているわ。合理的で、筋が通っていて、隙間も陥穽もない。そうするのが自然なのが、逆に不自然ね……」
「しかしアイリスフィール、そうするしかないというのも事実です。人柄は信頼できる、しかしその弁には些か誘導している気配がする、かといって背くには道理と筋が通っている。まるで性質の悪い幻術に掛けられているようだ」

 エミヤを完全に信頼していいのか。セイバーの直感は、大きな目で見ればエミヤを信じるべきだと――否、寧ろエミヤと共に戦うべきだと感じているが……。王としての経験で培った眼力が、謀られている予感を訴えている。
 しかし隙がない。疑念が噴出する要素を見つけられない。ブリテンの宮廷魔術師にからかわれているような錯覚がする。

 とりあえず、やるべき事は改めて決めた。兎に角聖杯だ。それが異常なのは明白なのだから調査する事は避けられない。であれば今は頭を捻っても答えが出ない問題は後回しでいい。悩むだけ無駄である。
 そうと割り切った剣の主従は、大聖杯のある円蔵山の方角へ足を向ける。光の御子や征服王と落ち合う場所は其処なのだ。

 しかし。聖杯は、自らに近づかんとする者を拒む為に、足掻く。

「――ッ!?」
「これは……宝具の大規模な魔力反応……!?」

 感知能力が秀でている訳でもない彼女達が、それでもはっきりと感じ取れるほどの莫大な魔力が、不意に空間に波及して届く。
 アイリスフィールは驚愕し、焦燥に塗れた貌で絶句した。

「そんな……近いわ! こんな、まだ人がいるのに、こんな規模の魔術行使をするだなんて!」
「アイリスフィール!」
「――行って! 私もすぐ追いかけるから!」

 セイバーは迷わずアイリスフィールの指示に応じて駆け出した。疾風と化して疾走する。
 向かうは未遠川、黒化し自我を剥奪された英霊、道具として起動する聖杯の自衛本能。その宝具の性質上、真名解放も担い手の自我も不要とする『青髭』が、制御不能の大海魔を召喚しようとしていた。






 

 

撹乱する意思の蠢き(上)




「小林ぃぃいいい――ッッッ!!」






 全てが手遅れだった。

 駆けつけた騎士王、征服王の奮戦も虚しく、よりにもよって聖杯戦争へ、科学世界の武力が介入してきたのだ。
 戦闘機。その正式な名称を知る者は、少なくとも冬木のサーヴァントとマスターには存在しない。確かなのは未遠川に出現した謎の霧、謎の『塔のように巨大な蠢く影』に、科学世界の武力の象徴とも言える戦闘機が接近して――捕食(・・)された事である。
 その詳細を、濃霧に阻まれ目撃できた一般人はいない。それは幸いと言えるのかもしれないが、しかし。それは必ずしも歓迎できる事態とは言えなかった。異様な濃霧に吸い寄せられるように集まり、うっすらと見える巨大な影に目を凝らす余りに逃げ出す機会を逸しているのだから。
 もし未遠川に突如として起こった濃霧、その先に召喚された大海魔が本格的に活動を開始すれば、真っ先に捕食されるのは彼らなのだ。故に罪もない彼らを救う為に戦わねばならない。ならないのだが――




「フハハハハ! 自慢の悪知恵と口汚さはどうした!? そらそら何かして魅せよ!」



 ――そんなものなど意にも介さない天災がある。

 人越の美貌を愉しげに歪め、開いた口腔より迸るは嘲りの笑声。複雑な軌道を虚空に描き、飛翔するは黄金の輝舟である。
 搭乗者の思考速度と同等の速力を発揮する黄金の輝舟は、その玉座に至高の王を戴く事で音をも置き去りに飛行する。指先で肘置きを叩くや開錠されるは原初の王の宝物庫。金色の波紋が花弁の如くに花開き、次々と射出されるのは絶殺の魔弾である。
 等しく万物を撃ち砕く裁きの雨。煌めく財宝は――百を超えた時点で数える意義すらない。絶対者にして超越者、英雄の王足る至尊の王が裁定を下す。――それに、士郎は悪態を吐く余裕すら剥ぎ取られていた。

「グ――」

 ――工程完了(ロールアウト)

 臨界の熱量に頭蓋が膨張し、回路に灼熱が奔る感覚に、食い縛った口から呻き声が漏れる。
 上空より一方的に加えられる審判の鉄槌。これを退けぬ事には何も成らぬ。輝舟の破壊、もしくは英雄王の撃破、撃退こそが課せられた試練。――だがあらゆる英雄の頂点に君臨する、黄金の王相手にそれを成すのは至難であった。
 限界を計るかの如く、はじめは二十挺。そして次に四十、八十、百六十――底の抜けた倍々ゲーム(チキンレース)。迎撃可能数はとうの昔に過ぎ去った。自衛のみが限界で、己に迫る爆撃のみを相殺するのが限度。
 周囲への被害、神秘の隠匿など歯牙にも掛けぬ暴虐の偉思が嗤っている。――その悪逆に叛いてこその偉業である。

「――ロマニィッ!」

 指揮官(コマンダー)として細かく指示する余力もない。令呪を起動し膨大な魔力のみを送り込むのが限度。しかしその意図に過たず沿える信頼がある。
 果たして魔術王は士郎の意を正確に汲み、令呪の魔力を変換して大魔術を連続行使した。

「来たれ地獄の伯爵――序列四十六位、魔神ビフロンス!」

 第一に喚び出されしは実像のない霧の魔神。額らしき部分にのみ実体の一角が隆々と聳え、意志なき霧の魔神は忠実に使役者の意向を実現する。
 展開されるは無尽の幻影。現実に上書きされる幻の術。生み出されし奈落の如き闇が、英雄王の射ち出した財宝の行き先に広がり呑み込んでいく。完全に幻の向こう側へ呑まれ消失する前に、ギルガメッシュは財宝を回収するも、間に合わなかったものもある。
 その幻術に、無差別にバラ撒かれる宝具の矛先を凌ぐ意図はない。純粋に周辺に齎される破壊の被害を抑える事、それ一点。それのみが能う限界。しかし魔術王の使役する魔神は、確かに無辜の市民に一切の被害を出さず、一切の認知を赦さず、あらゆる災厄の福音を遮断してのけた。この期に及び、士郎とロマニが第一としたのは自衛ではなく、被害を抑える事だったのだ。

 ――賛美する獣の鳴き声が響く。

「ほう。やるではないか、魔術王……! それでこそ、この我に次ぐ第二等の王だ。が……それのみではあるまい?」

 愉しげに細められる真紅の瞳。それにソロモンは舌打ちしそうだった。

 ――従来の聖杯戦争であれば、マスターを持ち、令呪に縛られるサーヴァントに魔術王の敵はいない。令呪に介入し、纏めて自害させればなんの手間もなく斃せてしまうからだ。
 今回の冬木でそれをしないでいるのは、己のマスターにして、友人である士郎の手腕を己の目で直接見る為でもある。それに本来の特異点では通用しない手段を無闇に用いるべきではないとも考えていた。
 だがそれらを無視してでも英雄王を始末してしまおうとした。それほどまでに英雄王は危険極まる。ソロモンではなくロマニにとって。だが、それが叶わない。何故なら――英雄王に、令呪の縛りがないのだ。マスターがいない、はぐれサーヴァント状態なのである。
 マスターはどうしたのか。そんな事は問わない。問うまでもない。マスターを殺めるまでもなく契約を切る手段は持っているのだろう。
 マスターがいなくて、どうしてこんなに暴れられるのか。その答えは単独行動スキルと宝具による併せ技だろうと見当もつく。

 令呪を介して脱落させる術が通じないなら実力で排除するしかない。だが相手は音速を超えて飛翔する英雄王。断じて容易くはない。カルデアのシステムは今、二極戦線を抱え魔力供給はとうに限界である。士郎の魔力に依存するしかないが、その士郎の魔力も多くはないのだ。
 少ない魔力で立ち回る不便、それを不便と感じる人間性が魔術王を縛っていた。

 しかし――

「運べ地獄の大公爵、序列十八位の魔神バティン! ……マスター!」
「ああ!」

 ――前世にてただの一度も感じなかったその不遇が、人となった魔術王の心を燃え上がらせる。
 青褪めた巨馬に跨がり、蛇の尾を持つ頑健なる貴人が召喚される。意志なき魔神は空間転移を容易とする魔術式だ。其れは士郎が待機させていた投影宝具に干渉し、瞬く間に黄金輝舟の全方位を囲むように配置する。
 固有結界の内ではない故に、士郎に全方位攻撃の手立てはない。固有結界に英雄王を捕らえようにも黄金輝舟に搭乗されていては捕捉する事も能わない。故に全力の補助を宛がうのだ。

 魔術王――否、ロマニの合図に士郎は阿吽の呼吸で応じた。投影され実体もないまま待機していた宝具。刹那に撃ち放つは贋作の霰。

全投影(ソードバレル)……連続層写(フルオープン)……ッ!」

 真作の輝きにも迫る贋作が英雄王へ迫る。しかしそれすらも英雄王は容易く対処した。
 未来視。其処(・・)へ来る事など最初から分かっていたように迎撃宝具が贋作を撃ち砕く。だが、人を超えた視座の対処を、人の戦術眼は当然のように予期していた。
 士郎は胸に抱える桜を護る。ぎゅぅうと目を閉じ、冠位魔術師の強化によって乗用車を置き去りにする速度で駆ける士郎に必死にしがみつく少女を確りと抱えたまま、傍らに追走する楯の少女に告げていた。

「行けるな、マシュ」
「はいっ!」

 楯の少女が答えるや、己の魔術のサポートに回っていた魔神バティンに目配せする。
 転瞬マシュの姿が消えた。英雄王が微かに目を瞠る。そして凄絶な笑みを浮かべた。己の輝舟の中、王の眼前にマシュが突如として現れたのだ。
 空間転移である。裂帛の気合いを爆発させ、マシュ・キリエライトが吼えた。

「やぁぁああああ!!」
「フ――興じさせるではないか、道化!」

「――来たれ地獄の大伯爵。序列三十四位の魔神フュルフュール――来たれ、来たれ『色欲』司りし西方の魔王! 序列三十二位の魔神アスモデウス……!」

 同時。魔術王は自身に費やされていた令呪の魔力を全て燃焼させる。召喚されしは二柱の魔神。一撃の雷光を以て青髭を海魔の群れごと焼き払った魔神フュルフュールと、魔王とすら渾名され、嘗ては魔術王への反逆を成した事もあるアスモデウス。
 牛と人、羊の頭を持ち、ガチョウの足と毒蛇の尻尾を備える魔神の王。地獄の竜に跨がる異様な偉丈夫は、軍旗と槍を掲げ、その口腔より灼熱の獄炎を熱線として吐き出した。

 雷光と熱線は英雄王の迎撃宝具を焼き払い、輝舟の軌道を制限して、瞬きの間のみ輝舟上のマシュの足場に安定を齎す。ギルガメッシュは嗤い、宝物庫より嵐の斧を取り出すや、迫るデミ・サーヴァントへ王自ら迎え撃つ栄誉を賜した。

「風を放つ――踏ん張れるか娘ッ!」
「くぅぅうう!?」

 楯の質量で王に一撃を加えんとするマシュの護りに、楯の上から剛擊を放つギルガメッシュである。宝具の補助により筋力を大幅に増強させた黄金の斧の一撃は、マシュの膂力を上回り輝舟上より弾き飛ばした。
 瞬く間にマシュを虚空に置き去りにした英雄王は、玉座に戻りながら言い捨てる。

「は、未熟極まる! 我を地に落としたければ必殺の覚悟を抱いて来い! 此処で死ぬか、真なる聖者の器よ!」

 翔ぶ術なきマシュは慄然とする。輝舟は飛び去り様に三十挺もの剣槍を放ってきていた。重力に引かれ落ち行くマシュに、それを躱す手立てはない。死――脳裏に過る予感を士郎とロマニが阻まんとするも、それよりも迅く救いに馳せる黒影在り。

「――!?」

 それは戦闘機を操る黒騎士である。
 大海魔へ接近していた二機の戦闘機、その内の一機に乗り移って、宝具『騎士は徒手にて死せず』によって宝具化させたモノ。
 士郎はそれの正体を即座に察する。カルデアの百貌のハサンから伝え聞いていたその正体。湖の騎士、ランスロット。
 マシュの霊基との関係は――そこまで考えた士郎は即決した。

「――バーサーカー!」

 桜を傍らの魔術王に預け、叫ぶ。

マシュを頼む(・・・・・・)!」
「■■■■■■――ッッッ!!」

 黒騎士は宝具化した戦闘機の上で、マシュの華奢な肩を抱き支えながら吼えた。それは返答だったのかもしれない。
 それを聞き届けるや、士郎はロマニに言う。

「こっちは任せた、俺は青髭に対処する!」
「……ああ、任せてくれ! けど桜ちゃんは君の腕の中をご所望だ、すぐに終わらせてくれよ!」
「当たり前だッ」

 不安に揺れる桜に一瞬笑みを投げ、士郎は駆ける。

 マシュは不思議な感覚に、黒騎士を見ていた。

「貴方は……」
「……」
「いえ、なんでもありません。――狂化していれば(・・・・・・・)駄目な所のない父ですね(・・・・・・・・・・・)

 微笑みが溢れ、マシュのものではない独白が無意識に溢れ落ちる。複雑な親愛――本来とは異なる器の親子が空を馳せ、黄金の英雄王を撃ち落とさんと飛翔する。






 

 

撹乱する意思の蠢き(下)




 威容とは言えぬ、醜悪なる異様な肉溜まり。得体の知れぬ粘性のぬめり(・・・)を帯びた触手と吸盤。高層ビルのそれに迫る巨躯は濃霧に覆われ、未遠川にて順調に巨大さを増す大海魔が動き出すのは時間の問題と言えた。
 動き出せば、近隣のみならず、甚大な被害が出る。そして大海魔は決してサーヴァントになど意識を向けないだろう。そも、その自意識の存在すら不確かだ。幾ら傷を負おうとも瞬く間に修復する大海魔に、何度剣や槍を見舞っても全くの無意味なのだから。
 このまま手をこまねいていれば、悍ましい異界の怪物は貪欲な本能に従って暴食を働き、生あるモノを悉く貪り尽くすに違いない。
 断じて斃さねばならない。大海魔の召喚が完全に終えるまでに。――しかし打つ手がなかった。

「……!」

 何度目だ。風の鉄槌を叩きつけ、渾身の剣撃を浴びせたセイバーは顔を顰めた。相応の痛手を受けて然るべきであるのに、まるで効果が見られないのだ。その事実に歯噛みする。
 聖剣を開帳し極光を振るうべきだ。それならば大海魔の巨体を消し飛ばして余りある。しかし、その余り(・・)が大きすぎる。被害は大海魔だけではなく、極大の斬撃の先にある人里にも大きな爪痕を残してしまうだろう。
 大海魔が齎す損害に比べれば、遥かにましかもしれない。だがそれは最後の手段だ。最悪の一手だ。セイバーは無辜の民草に被害を及ぼす無道を避けたかった。――そうも言っていられない時は、間もなく。苦渋を滲ませながらも聖剣へ魔力を充填し始めた時、その男はやって来た。

「――『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』」

 飛来した剣弾の雨。大海魔の巨体に着弾した瞬間、投影宝具は爆音と共に炸裂した。大海魔の総体の、実に三分の一が消し飛ぶ。
 その男は何時だってそうだった。どんな地獄にも、どんな窮地にも必ず間に合ってきた。手遅れになる悲劇など認めぬと。そして今も未曾有の殺戮を食い止める為に、間に合う。

「……ッ!? 今のは、宝具!?」

 セイバーは驚愕と共に背後を振り返った。未遠川の畔、そこには白髪の男がいた。黒い戦闘服に外界への守りとなる赤布、射籠手を身に付けた男が黒弓を手に。
 鷹のような瞳で黒弓につがえるのは、紛れもなく宝具の剣。捻れた刀身のそれが、弦と共に引き絞られるや形状を矢のそれへ変化させ、爆発的な魔力の昂りを発露した。
 サーヴァントでもない者が何故宝具を――そんな疑問は戦場には不要。すぐさま意識を切り替えた。無数の宝具を持ち、平然と使い捨てるなど考えられないが、ともあれセイバーはその男へと問いかけた。

「――ランサーのマスター! サーヴァントはどうした!」

 光の御子。この場に在ればこれ以上なく頼もしい援軍であるが、しかし。衛宮士郎は鼻を鳴らした。

「生憎と、此処には来ない」
「何故?!」
「敵に絡まれてな。そちらへの対処に回した。何、案ずることはない。こんなもの、俺が来るだけで充分というものだ」

 ――嘘の気配はない。勘はそう言うも、やはり違和感はある。空に展開される熾烈なドッグファイトは、英雄王と――バーサーカー、そして召喚した魔神の背に立つ魔術王によるもの。そちらに手を割かれているのかと歯噛みする。
 しかしこの男はなんと言ったのか。この大海魔を相手に、自分が来るだけで良いと? それはつまりセイバーと、今も戦車の雷撃を大海魔に浴びせたライダーだけで対処が叶うという事か。

 男は剣弾を放つ。真名はカラドボルグ、ケルト・アルスターサイクルの英雄、フェルグス・マック・ロイの螺旋の剣。
 それは大海魔の肉塊を易々と貫き、中枢に至るや再び炸裂させた。巻き起こる甚大な爆発。内部の肉塊が爆ぜ、内部にいる黒化英霊の姿が垣間見えた。

「其処か」

 なんという――セイバーは驚嘆した。破壊力の凄まじさはAランク宝具に匹敵する。炸裂させた分を計上すれば、A+ランクにも届くだろう。大海魔本体と環境への宝具の相性と、使い方も良い。貫通弾は周辺に余計な被害を及ぼさず、そのままでは遠くまで飛来するそれを爆発させる事で最大効果を発揮したのだ。
 それによって召喚の核となっている黒化英霊の位置を把握した。次に放てば決して外さないだろう。再び同一の宝具を右手に顕し、弦につがえる。セイバーは目を見開いた。宝具の投影――言うまでもなく異能の業である。
 
 しかし大海魔は本能的に危険を察知したのだろうか、無数の触手を震わせ衛宮士郎に襲いかかる。完全な召喚が果たされる前に黒化英霊を屠られれば、存分に食欲を満たす事は叶わないと。――或いは大海魔すら、聖杯の意思の支配下にあるのか。セイバーはすぐさま衛宮士郎の傍に駆け寄ると、その触手を切り払う。
 だがそれだけで諦める大海魔ではない。更に倍する触手を放ち、是が非でも自らの脅威を食らわんとした。

 雄々しい雄叫びが雷鳴を伴って轟く。二頭の雷牛に牽かれた戦車が、セイバーだけでは払いきれない超重の肉の鞭を焼き払ったのだ。

「乗れッ、ランサーのマスターよ!」

 つぶさに戦局を見据え、故に士郎の放った剣弾の効果が必殺になると確信したのだろう。士郎を回収し空へ逃れ、戦車の機動力で大海魔の手を避けんとしているのだ。
 本来ならば敵である士郎を戦車に乗せるのは愚の骨頂なれど、今はそのような事を言っている場合ではない。英霊として断じて大海魔の存在を許しておけぬ。その思いはライダーも同じだった。
 
 唐突に言われ、しかし萎縮して物怖じする男でもない。士郎は一切躊躇わずに戦車に飛び乗ると、宝具の投影を目の当たりにして固まっていたウェイバーに笑い掛ける。

「お邪魔させてもらう、ウェイバーくん」
「は? えっ? ……ちょっ、らららライダー! コイツも乗せるとか正気かよ!?」

 言われつつも、ライダーは雷牛に鞭をくれ、戦車を暗い上空へと駆け上がらせている。征服王は十を超える触手を巧みに躱しながらも己のマスターを叱責するように諭した。

「ウェイバーよ。彼奴に今、最も有効打を与えられるのはランサーのマスターだ。しかしその男には機動力がない、一ヶ所に留まっていては餌食となろう。なに、心配するな。もし不埒な真似をすれば、その瞬間に余が貴様の仇を討ってやる」
「そういう事だ、俺が君に手を出せる所ではない。安心しろ」

 小心なウェイバーが、そう言われても安心出来る訳もなかった。
 宝具の投影など、封印指定されるのも確実の異能である。明らかに人間業ではないそれを目の当たりにし、魔術師の端くれである少年が気を抜けるはずもなかった。
 だがウェイバーの不安など考慮していられる状況ではなかった。ライダーは触手が戦車に触れそうになるのをキュプリオトの剣で斬り、雷撃で払うも、こうも集中砲火を浴びれば危うくなる。ライダーは士郎へ詰問した。

「ランサーのマスターッ! 足場を安定させてはやれん、狙えるかッ!」
「厳しいな……狙えはする、しかし些か触手が目障りだ。ああも射線上に肉塊の柱があれば、狙いが逸れるかもしれん」

 それに人の身で過度の投影を繰り返しているのも問題だ。顔色一つ変えていない士郎だが、魔術回路は焼ききれる寸前。英雄王との戦線を離脱するまでに魔力を使いすぎ、今も魔術王やマシュへの魔力供給を続行しているのである。
 ジジジ、と士郎の右耳の皮膚が壊死し、黒ずんでいる。もはや螺旋剣の投影は後一射が限度だろう。必中を確信するまで放てはしない。

 征服王は舌打ちする。しかし士郎はなんとなしに見抜いていた。

 ――知能の欠片もない怪物が、何故俺に狙いを絞る? 危険を察知する本能すらない類いだろうに……。……なら、こんなのはどうだ?

「セイバー!」

 地上、水面上を駆け、大海魔に剣撃を浴びせ続ける少女騎士に要請する。予想が正しければ行けるはずだ。
 士郎は一旦螺旋剣を戦車の中に置き、なんの変哲もない矢を投影する。その鏃もつけていない木の矢に文字を刻印する。その矢をセイバーに緩く放った。
 殺意もなく、直前に呼び掛けられたこともあり、直感に従ってその矢をセイバーは掴み取った。瞬時にその一文を読み取ったセイバーは素早く大海魔から距離を取り始める。

 ――流石ッ、判断が早い。

 士郎はライダーに言った。

「ライダー、大海魔の直上へ行ってくれ」
「おうッ、任せよ!」

 螺旋剣を手に取り、黒弓につがえる。触手が追い立てて来るが、しかしその動きが鈍った。
 セイバーだ。大上段に聖剣を構え、黄金の輝きを魅せている。エクスカリバーの魔力の奔流に、大海魔はライダーを追う触手の半数を割いた。同時、セイバーが離脱する。聖剣を放つ気など毛頭無かったのである。
 ライダーが笑った。愉快そうに。

「そういう事か、味な真似を……! やれい、ランサーのマスター!」
「――我が骨子は捻れ狂う……! 『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』!」

 魔力の限界が来る。士郎は唇の端を噛み切りながらも魔力を振り絞り――傍らのウェイバーは一瞬、幻視した。ガゴンッ、と廻る、途方もなく大きな歯車が回るのを。
 幻覚なのだろう。瞬きの瞬間に消え去る歯車のイメージ。しかし剣弾を放とうとするや、限界を超えたはずの魔力が底上げされたように膨れ上がる。触手の脅威が半減した刹那、大海魔の直上に至った戦車から、士郎が螺旋剣を射ち放った。

 大海魔の本体を、過たず穿つ螺旋の剣弾。肉の層を掻き混ぜて進み、中枢に至るや炸裂させる。黒化英霊を確実に仕留めたのだろう、士郎は大海魔の存在が解れ、異界へ送還されていくのを見ると残心を解く。

「やるではないかっ、ランサーのマスター! 流石は余の見込んだ、この聖杯戦争で最たる敵なだけはある!」
「お褒めに与り光栄だな、征服王。それより地上に下ろしてくれないか。飛行機の類いは苦手でね」

 皮肉を飛ばす士郎にライダーは豪放に笑う。
 戦略的にはここで士郎を仕留めてしまうのが合理的だが、その前に士郎はウェイバーを斬るだろう。それにそんな合理、ライダーの辞書には存在しない。
 戦車を地上に下ろすと、士郎は戦車から飛び降りる。大海魔は消えた。ならば共同戦線は、そのまま聖杯の調査に向かうべきである。問題は、今も空で繰り広げられる熾烈な空中機動戦だろう。そちらをなんとかしなければ、と士郎が考え始めるや――こちらに合流しようとしていたセイバーが、鬼気迫る声音で喚起してきた。

「シロウ――ッ!」

 その声に、体が反応する。ライダーも気づいた。だが、遅い。

 ――最速の座(・・・・)に据えられるに相応しい黒影が、背後から士郎へと迫り。不気味に脈打つ呪いの黄が、閃く。

「――穿て、『必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)』」





 

 

未遠川の穹




 ――その光景を、見た。

 大海魔の召喚基点となっていた冬木のキャスター、それを撃破してのけたのは人間である衛宮士郎だった。
 だがそれは殊更に騒ぎ立てる戦果ではない。彼の身体能力は、魔術王の強化の魔術によってサーヴァントのそれに比肩している。投影宝具という鬼札もあるのだ、そこらのサーヴァントとなら正面切って戦い勝利すら掴み得る。大海魔など、相性のよい宝具を投影出来る士郎からすれば、ただのデカイ的に過ぎまい。
 故に問題はその後。大海魔という脅威を一先ずは片付け、気が微かに緩んだ瞬間だ。士郎は戦闘のプロフェッショナル、戦闘経験の量では英霊にも引けをとらない。故に気の緩みは極僅か、瞬きの後には兜の緒を締め直すだろう。
 しかしその刹那を突ける者がいた。――冬木のランサーだった。黒化し、反転した彼の真名はディルムッド・オディナ。フィオナ騎士団の一番槍。呪いの黄槍が呪詛を吐き出し、士郎の背後を襲ったのだ。

「士郎くん――ッ!」

 気づくのも、注意を喚起するのも間に合わなかった。ディルムッドの黄槍が突き出される。回避は間に合わない。しかし相手がアサシンではなかった事が幸いした。ランサーの奇襲に士郎は直前に気づき、身を捻る事が出来たのだ。
 急所だけは避ける、咄嗟の行動。――ディルムッドは不意打ちによる必殺を不可と感じるや槍を繰る。その槍捌きは精妙で、急所を穿てぬならばと右腕の腱を断ち切った。自らの苦痛や驚愕を無視し、瞬間的に反撃に出た士郎の反応は歴戦の戦士のそれである。
 背後――セイバーの駆けてくる方に跳びながら投げ放つは莫耶。質よりも量と投影速度を重視し、虚空に投影した剣弾を速射砲の如くに撃ち出す。そうして強引に追撃を絶ち、窮地から即座に離脱していく。

 士郎の右腕がだらりと落ちていた。肩の付近を穿たれたのだ。傷は深い。治癒不能の呪いが掛かっている。痛みを鉄壁の表情に隠し、さも何事もないように装っているが、そんなものは痩せ我慢に過ぎない。
 冬木のランサーはライダーと、セイバーを見て即座に離脱していく。厄介な能力の持ち主である士郎に手傷を負わせた事で、この場の戦果としては充分と見切ったのだろう。ひとまずの危機は去った。ほ、と吐息を溢した瞬間だ。

「――何を余所見などしている?」

 虚空を蹴って未遠川の穹を駆ける魔神アスモデウスの乗騎、地獄の竜である黒き幻想。
 魔術王の内包している魔力の限界は近い、実像を保っている魔神はこのアスモデウスのみであり、他は退去させていた。
 魔術王はアスモデウスの背後、西洋竜の姿をした黒竜の広い背の上に立っている。英雄王の輝舟に搭載されていた財宝と、アスモデウスを包囲するように展開された『王の財宝』が、魔術王ただ一人を抉らんと射ち出された。
 アスモデウスは大槍と軍旗を振るって剣槍の霰を薙ぎ払い、高位の宝具は口腔より熱線を吐いて辛うじて軌道を逸らす。黒竜の飛行速度は竜種を象ってあるだけに中々のものだが、輝舟に追い縋れるほどではなく。英雄王は魔術王に一方的に財宝の絨毯爆撃を敢行出来た。

 ぱちんとソロモンは指を鳴らす。数にして五百にも及ぶ幾何学的な紋様の召喚陣が夜空を席巻し、其処から黄金の大楯二百、小楯三百を召喚して身を守った。これはシバの女王と出会った後、自ら造り上げた魔術礼装である。
 魔術王によって魔術の刻まれた金色の楯は、真名解放の為されていない宝具ならば問題なく凌ぐ。しかしそう何度も防げるものでもなかった。英雄王の擲った剣や槍、斧などの宝具は実に二千を数える。瞬く間に破壊されていく楯は金色の破片を撒き散らすも間を開けるには充分――隙を晒した魔術王を狙った間隙に、宝具化し黒く染まったF-15戦闘機が急接近する。火箭が吐き出され輝舟を撃墜せんとした。一気に浮上し回避する輝舟だが、輝舟に追随できる機動力が戦闘機にはある。猛追した。
 ソロモン――ロマニ・アーキマンはバーサーカーを見る。マシュを同乗させたバーサーカーは、息子()を守るためかやや回避運動が大きく、大袈裟だ。ただでさえ燃費が悪く、マスターは機を見る目が曇っている間桐雁夜。彼のマスターは限界だろう。

 マシュも立派になった。そんなに気を遣わなくてもいい。

「――仕方ない。どのみちボクらに時間はないんだ、決着を急がせてもらう」

 ロマニはソロモンとしての力を行使する。特殊ではあるが、ロマニの前世とも言える魔術王はカルデアの召喚基点であるマシュと、霊基の繋がりがあった。それは同じシステムによって現界している他のカルデアのサーヴァントも同様である。故にマシュが触れているものは、ロマニも(・・・・)間接的に触れているという解釈が成り立つ。
 例えば花の魔術師は、自分が生まれていない過去に、自身が存在しない故に死んでいるも同然という滅茶苦茶な解釈で過去に召喚される事が出来る。なら似たような真似、同じ冠位魔術師であるソロモンに出来ないはずがなく。

 間接的に触れているなら、そこに流れるパスも逆算出来るのだ。

「――其処にいたんだね、間桐雁夜」

 下水に身を隠している男の姿を見つける。千里眼を封じていてもはっきりと見えた。
 パスを辿り、魔術を行使する。バーサーカーの制御権である令呪を奪う(・・・・・)

「令呪を以て湖の騎士に命じる」

 ビクンと黒騎士が反応した。自身のマスターが代わった事を感じたらしい。騎士の誇りがあるなら抵抗するだろうが、彼は狂戦士。そして対魔力もないに等しかった。
 他のサーヴァントには出来ない……というよりは、しない方法だ。こんな邪法、好むものでもなかった。

「――ごめん、謝るよ。だけど英雄王に此処で退場してもらうには、キミを此処で使い潰さないといけない。『バーサーカー、全力で英雄王を討て』」

 残されていた全ての令呪を注ぎ込み、士郎の負担になるバーサーカーのマスター権を破棄する。これでバーサーカーはこの世への楔をなくし、魔力が尽きるとそのまま消滅するだろう。
 しかし令呪の齎した魔力は膨大だ。この一戦に限り、全力戦闘が可能である。マシュが自身の触れている黒騎士の異変に気づいた。

『……ドクターっ? 彼に何かしましたか!?』
「いいや、何も悪い事はしてないよ」

 悪い事ではない、善悪を除いた合理的な手を打っただけだ。そして、それをマシュが知る必要はない。……ああ、と思う。

 ――やっぱりボクは冷酷なソロモンだ。だけど、そんなボクでも、キミの助けには成れる。正義はキミの領分だろう、士郎くん――

 だから。余計な事をする英雄王には、此処で斃れてもらわないといけない。士郎が士郎でいられるように、偽善ですらない独善であると謗られようとも。

「■■■■■■ッッッ!!」

 バーサーカーが脈動する。

 全力を発揮するバーサーカーの全てが英雄王に向けられた。自身の霊基に満ちる令呪の魔力は、狂戦士の全スペックを解放したのだ。脆弱なマスターの縛りがなく、もとよりなかった自滅への恐れもなく、英雄王しか見えなくなった彼にマシュを気にする理性すらない。
 だが――流石は完璧な騎士。湖の騎士だ。令呪に縛られようと、狂化に完全な支配を受けようと、背にある者を振り落とし、無差別に攻撃だけはしなかった。

「ぬ……」

 英雄王が何かに気づく。そして笑みを浮かべた。嫌な予感に目を細め、ソロモンは指輪に魔力を込める。
 アスモデウスを還し、ソロモンは落下していきながら輝舟の周囲の空間を固定していき、更にその周囲に遺失したもの、現存するもの問わずにあらゆる呪詛へ指向性を与え英雄王へばら撒いた。

「――士郎くん!」
『魔力を回す。決めにいくぞ、マシュ!』
『はいっ!』

 限界などとうに迎えているだろうに、更に魔力を振り絞りマシュへ回す気力は流石だった。
 一瞬、動きの止まった輝舟。英雄王ならば瞬く間に空間固定を解除し、呪詛を解呪してしまうだろう。しかし高速機動戦の最中、僅かの停滞も命取りである。バーサーカーが戦闘機を突貫させた。
 マシュは戦闘機より飛び出し、一瞬早くバーサーカーよりも先に英雄王を捉える。

『――顕現せよ「いまは遥か理想の城(ロード・キャメロット)」!』

 穹に拓かれるは白亜の城。一切の穢れなき、究極の守りの一つ。
 しかしその城は、何も防壁にのみ用いられない訳ではない。内部に取り込んだものを閉じ込める、脱出不可能の絶壁ともなるのだ。英雄王とバーサーカーを取り込み、輝舟の飛行を不可とした刹那、乗り捨てられた戦闘機が宝具化が解除される前に、全兵装ごと炸裂する。
 凄まじい爆破だ。それは輝舟を破壊し、英雄王にも届いた。しかしマシュと、マシュに味方と認識されているバーサーカーには一つとして傷はつかない。それどころかバーサーカーには更なる恩恵がある。幸運を除いた全ステータスの強化が加わった。――それに、彼は円卓の騎士である。その恩恵は絶大である。

『英ユウ王、カク悟――ッッッ!!』

 咆哮と共に抜刀されるは湖の騎士の最強宝具、無毀なる湖光。全ステータスが更に向上し、日輪を戴く太陽の騎士に比肩する。白亜の城は彼の狂化をも祓い、言語野が復活した。狂化の恩恵だけを受け、理性を回復させた湖の騎士は魔剣の真名を解放する。

『「縛鎖全断・過重湖光(アロンダイト・オーバーロード)」――!』

 無毀なる湖光に過負荷を与え、籠められた魔力を漏出させ攻撃に転用する剣技。光の斬撃となる魔力を敢えて放出せず、対象を斬りつけた際に解放する。
 ――英雄王は崩れ去った輝舟の玉座から動かなかった。最強の乖離剣を抜こうともしない。薄い笑みを浮かべたまま、超越者は嘯く。

「健闘、見事であると言っておこうか。貴様らの奮闘に免じ、此処等で退いてやろう。――どのみち我の目的は果たされた」

 魔剣が黄金の鎧を一撃で断つ。膨大な魔力は切断面から溢れ、その青い光はまさに湖の様――白亜の城は解れ、消える。
 同時にサー・ランスロットもバーサーカーへと還る。マシュもまた落下していくも、それは飛行魔術によって浮遊していたロマニに抱き止められ――

「……」
「英雄王、撃破しましたっ! ……ドクター?」

 ――なぜ、英雄王を今ので倒せた?
 もっと出来るだろう。マスターとの契約を破った後、令呪は回収しているはず。あれはそういった王だ。その令呪を使って強制転移で逃れる事も出来たはずだ。
 険しい顔で、ロマニは英雄王の消えた穹を見上げる。しかし全知全能ではない、自らを制限した状態の自分では見抜けなかった。人間ロマニ・アーキマンの頭脳では、英雄王が何を視たのかが……。

「なんでもないさ。大戦果だったね、マシュ」

 マシュの頭を撫でてやりながら、霊体化して消えたバーサーカーを尻目に地表へ降り立った。







 

 

サーヴァントは神速を尊ぶ




「――今、のは……」

 覚えのある、魔力だった。いや、()力などとは形容出来ない、神聖にして純潔なる聖域の残り香――セイバーは在りし日の円卓、伝説に語られる栄光の残滓に慄いた。
 友を斬ったために魔剣としての属性を得てしまった朋友の聖剣、その力も感じられた。あの清らかな湖のように澄んだ魔力を、セイバーは他に知らない。奇跡の力を宿した円卓、それを中心に据えた白亜の城の残光も相俟って、酷く胸がざわついた。
 セイバーは失われた栄光を懐古する気持ちを振り切り懐疑する。この冬木の聖杯戦争に円卓の騎士がいるのか? 数の縛りが狂っているこの聖杯戦争に、湖の騎士とキャメロットを宝具にする騎士が。

 まさか、と思う。穹を舞っていた戦闘機は、サー・ランスロットが搭乗していたのではないだろうか。そうとしか思えない、しかしあの湖の騎士が、よりにもよって狂戦士に堕ちるなど信じられなかった。
 だが事実として、セイバーは覚えている。倉庫街で自身の名を叫び、襲い掛かってきた正体不明の狂戦士の存在を。その狂っていてもなお狂いのない武技、正体を隠蔽する宝具、掴んだ武具を自らのものとする力。湖の騎士の逸話に符合するのだ。

「ッ……」

 歯を食い縛る。朋は、狂うほどに己を憎んでいたのかと。心が折れそうになった。無理矢理に意思を奮い立たせなければ戦えなくなりそうになる。そうだ、私は失敗した。だからやり直しを望んでいる。その憎しみもやり直せると信じるしかない。聖杯ならそれは叶うはずなのだから。
 ――貴公なら、私を諫めるのでしょうか、純潔の騎士よ。
 白亜の理想城を顕現できる円卓の騎士は、彼を置いて他にはいない。ギャラハッド。サー・ランスロットの息子にして、世界で最も偉大な騎士。サー・ランスロットが円卓より抜け落ちた後、完璧な騎士の名声を父より受け継いだのは彼だった。

 彼も、この冬木にいるのなら。必ずこの不明な王を糺すだろう。しかし、

「私は、それでも……」

 決して止まるわけにはいかない。セイバーの覚悟は今にも挫けそうなほどに脆いが、それしか故国を救う手立てはないのだ。聖杯を、この手に掴む。そうする事が国を滅ぼしてしまった事の贖罪である。

「――セイバー」

 士郎が声を掛けてくる。右腕をだらりと落とした姿は痛ましく、しかしその血は止まっていた。ギチギチと、鋼の鳴る音がして、セイバーは顔をあげる。

「ありがとう。感謝する。お前の声がなければアレの奇襲に気づかなかった。やはり俺は、お前がいなければ駄目なんだな」
「っ……」

 冷徹な戦闘者、巧みなる戦術家。その顔とは全く異なる、親愛の存在を見詰めるような無防備な笑顔に胸がざわめく。
 サーヴァントではなく、ましてや騎士王ではなく、アルトリアという少女を見詰める瞳。それに一瞬、酷く動揺しそうになった。
 思えば倉庫街で対峙した時からそうだった。戦闘に入るとその色は消えても、アインツベルンの城で会った時には再び現れ、そして今も大きな信頼と親愛の情を、なんの臆面もなく見せてくるこの男が、セイバーは苦手だった。
 この男は以前の聖杯戦争で自分と共に戦ったという。しかしセイバーにはその記憶はなかった。だから出任せだとばかり決めつけていたのだが、それならばどうしてセイバーの真名や宝具の詳細を知っているのか。こちらの戦いでの呼吸を掴まれているのか説明できない。
 勘が言っている。衛宮士郎は、何一つ嘘を吐いていないと。故に、その目と顔、親愛にも嘘偽りはなくて。セイバーは、その男から目を逸らした。

「シロウ、貴方に聞かねばならない事がある」
「ん、名前で呼んでくれるんだな」
「ッ! ……不快でしたら、ランサーのマスターと言い改め――」
「いや、名前で呼んでくれ。代わりに俺も名前で呼ぶよ、アルトリア」
「――」

 ペースが乱れる。個を捨て、国に身命を捧げたアルトリアという小娘の心臓が脈打つ。
 誰もが王としてしか自分を見ない、そう在ると誓ったが故に見ないようにしていた小娘の願望――捨て去ったはずの、アルトリアという小娘が夢想した、ただの少女としての望み。
 アルトリアは断固としてそれを押し隠した。しかし頬が赤らんでいるのには気づかず、なんとか訂正する。

「セイバーと。真名を明け透けにされると、私としては困る」
「どうせ他の奴らにも筒抜けさ。今更隠したってなんの意味もない。なら堂々としていた方が却って清々しいだろう? 嫌じゃないなら名前で呼びたいな」
「……」

 いけない。ペースが、乱れる。しかし、なんとなく察した。士郎はアルトリアに質問されるのを、有耶無耶にしようとしているのだ。それさえ分かればアルトリアは構わなかった。
 気力を込めて睨み付ける。その目に、王の迫力が欠けている自覚はなかった。

「シロウ、質問する。先程の黒化していたサーヴァントはランサーだった。貴方に何か心当たりは?」

 アルトリアが流れを断ち切って問うと、士郎は肩を竦めた。この男は嘘は言わない、ただ本当の事も言わない。これまでのやり取りでそうと見抜いた。サー・ケイが、都合の悪い事を隠す時と似たような感じだ。
 外交官としても一流に成れると、王としての目では思う。交渉や戦闘、戦術、戦略に明るい彼のような者が騎士として自分に仕えていてくれたら、きっとキャメロットの治世にも役立ってくれたのではないかとぼんやり思う。それに人間関係の調節にも器用に立ち回り、円卓の緊迫した関係を改善してくれたかもしれない。
 或いは円卓に欠けていたのは、この男なのかもしれないとすら思った。すると、想像してしまう。この男が円卓にいたらどうなっていたのかと。そして――自分の傍にいて、自分をアルトリアと呼んでくれる士郎を思い描き掛け、

 益体もない想像を切り捨てる。妄想だ。くだらない。ああ、まったく。自分はどうかしてしまったのか。アルトリアは努めて余分な心の贅肉を切り落とした。

 見ればライダーとそのマスター、そしてアイリスフィールも近くに寄って来ていた。彼らに囲まれていても、士郎は飄々としている。大した度胸だ。肝が据わっている。

「心当たりならある」
「……それは?」
「あのランサーは、俺と俺のランサーで斃したからな」
「……はっ?」

 臆面もなく晒された告白に、アルトリアは虚を突かれた。そういえばそのランサーは何処にいるのだろう。そう思った瞬間、彼の傍に光の御子が現れる。
 唐突な出現。さながらアサシンのような。
 なんだというのか。存在の密度とも言える気配が酷く希薄だった。

「よぉ、マスター。戻ったぜ」
「ああ……どうだった?」
「アーチャーの野郎の始末は終わった。が、オレは御覧の有り様だ。わりぃが回復に専念させてもらうぜ」
「分かった。消えていろ」
「おう」

 報告に来ただけなのだろう。余程に消耗しているのなら、その存在感の希薄さも辻褄は合うとは思える。しかし、よもやあの常識破りの空中戦で英雄王を脱落させるとは――流石光の御子と言うべきか、それとも彼と魔術王とサー・ランスロット、そしてギャラハッドの総掛かりで尚も苦戦させられていた英雄王を讃えるべきか。
 見れば眼鏡を掛け、白衣を着た少女と、そのサーヴァントらしい魔術王も姿を現した。征服王が大声で呼ばう。――そういえば、大海魔は消えたというのに濃霧が消えない。魔術王の仕業だろうか。

「おう魔術王! あの金ぴかを打ち倒したそうだな。いや、流石は余の見込んだ王である!」
「一対一ではなかったから、誉められた話でもないと思うけれどね」

 魔術王。この男もキャスターだ。そして、黒化英霊は、ランサーにキャスター。
 士郎。魔術王。繋がりは見られない。しかし何か気になる。この違和感を感じているのは、アルトリアだけのようだが。点と点がある、だがその点が繋がらない感覚にもどかしさを覚えた。

「それで、どうするつもりだい?」
「どうするって?」

 魔術王の問いに、アイリスフィールが反駁する。それに彼は肩を竦めた。

「聖杯に呑まれたサーヴァントは無尽となるらしい。現にあのキャスターは何度となく斃しているのに、また現れた。ならまたいつか、今度みたいな騒ぎを起こすかもしれない」
「えぇ!?」

 ライダーのマスターが上擦った驚愕の声を上げる。
 魔術王はそれには構わずに続けた。

「無限に蘇生するサーヴァントなんて、敵にするなら面倒極まりない。そこのランサーのマスターが斃したっていう双槍使いの槍兵もいるみたいだし、それに――たった今倒した英雄王もね」
「ッッッ!!」

 全員が息を呑んだ。あの無尽蔵の宝具を持つ英雄王が、幾度斃しても復活して立ち塞がる悪夢を想像して。しかし士郎は言った。

「英雄王に限ってそれは有り得ないな。聖杯の泥ごときに汚染されるタマじゃない。まあ英雄王は別にしても、俺達の中で脱落したサーヴァントが出たら、ああして聖杯の走狗にされるだろうけどな」
「……」
「ランサーのマスター。キミはどうするべきだと思う? アサシンが脱落していたら、常にマスター殺しを警戒しないといけない、バーサーカーが脱落していたら、聖杯に魔力を供給されている湖の騎士を相手にしないといけない。長期戦は不利でしかないと思うけどね」
「答えは出ているじゃないか。なあ義母さん」
「誰が義母さんよっ」

 顔を真っ赤にしてアイリスフィールが怒鳴った。士郎は苦笑し、マスター達を見渡す。

「ウェイバーくん、君に異論はないだろう?」
「うっ」

 言わんとしている事を察しながらも尻込みする少年を誰も咎めない。尻込みはしていても、逃げようとはしていないから、その小さな勇気に敬意を払っていた。

「魔術王のマスター、お前は何かあるか?」
「いえ、何も。すべき事は明瞭です」
「そうだな」

 もごもごと言い淀みそうな白い少女に士郎は微笑む。
 慈しむような笑顔に、アルトリアは一瞬、士郎を睨み付けそうになった。不可解な心の動きに戸惑う。なんだ、今のは?
 士郎は言った。自らの負傷を、まるで気にもしていないように。

「決まりだな。この足で円蔵山に急行する。一分一秒も無駄には出来ないぞ」

 兵は拙速を尊ぶと言うが、サーヴァントの拙速は神速だと士郎は嘯き。場の流れは決定された。
 異論は、誰にもなかった。




 

 

油断大敵だね士郎くん!





 右腕が動かない。治癒不能の黄槍を受けてしまったからだ。
 干将莫耶による二刀の近接戦闘は不可と断じる。敵に近づかれる事自体を避けねばならない。英霊エミヤならば、片腕でもある程度は戦えるのだろうが、生憎と奴ほどの戦闘勘がない俺には無理だ。あの男の位階は、戦いに生涯を捧げてはじめて至れる境地。そんなものは俺には要らないし、求めるつもりも毛頭ない。

 ソロモンの強化の魔術によって、サーヴァント並みの身体能力を得られるからと驕れば痛い目を見るのは自明だ。
 片腕が不能な以上弓も使えない。投影宝具の掃射による中距離からの支援を徹底するしかなかった。今後の展開を考えれば、固有結界を使う機会もないはずである。
 傷口の周りの皮膚を剣の鋼で無理に塞ぎ、強引に止血しているから、下手に固有結界を使おうとして暴走してしまえば即死する恐れがあった。例えば今、ディルムッドの魔を断つ赤槍を受ければ、それだけで致命傷だろう。
 右腕を取り戻すには黄槍を破壊するか、ディルムッドを撃破するしかないが、聖杯に使役されている以上は奴を倒しても時間が経てば復活する。完全に倒した訳ではないから、傷が治らない可能性が僅かにある故に、黄槍を破壊するのが最も確実だろう。
 マシュが心配そうにこちらを窺ってくれている。不自然ではない範囲でさりげなく右側に立ち、カバーしてくれる辺りにシールダーとしての高い意識が垣間見える。頼りになるが、そこまで気にしなくてもいいとも思った。
 それに心配してくれているのはマシュだけではない。俺が背に負った桜も気遣ってくれている感じがして、俺は薄く微笑を溢す。おうロマニ、お前この二人の爪の垢煎じて飲めよ。

「……」

 想定される敵は湖の騎士、輝く貌、百貌、青髭だ。前者の二騎はともかく、後者の二騎は脅威にはならない。青髭は前準備がされていたら厄介だが、大聖杯に向けて急行している現状、大聖杯への接近を防ぐ為に復活してきても迎撃態勢は不完全となる。
 それならアルトリアの聖剣や、ロマニの魔神召喚で一撃で屠れると実証済み。百貌に至ってはマスターの近くにサーヴァントがついている以上はさして脅威とも言えない。油断してサーヴァントの守りを外し、不意打ちを受けさえしなければ問題なかった。

 勝ち筋は見えている。後は大聖杯まで行ってロマニに『この世全ての悪』を洗浄して貰い、大聖杯の脅威を排除した後にネタばらしだ。
 彼らが納得してくれればよし、理解が得られなかったら戦闘開始となる。まあ十中八九戦闘になるだろう。理解と納得は別物だ。――やり方が少々黒幕チックなのは勘弁してほしい所である。
 さておき、ロマニに征服王を、マシュにアルトリアを抑えてもらって、俺がセイバーのマスターとしてのアイリスフィールに『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』を刺し、アルトリアを脱落させるのが合理的だろう。
 その後に征服王を数で叩けばいい。征服王には『王の軍勢』という、独立サーヴァントの連続召喚を行う宝具があるらしいが、魔術王としてのロマニが魔神を召喚すれば、恐らくなんとかなるとのロマニの見立てがある。

 ――言うまでもなく皮算用だ。実際にそこまで都合よく進むとは思っていない。

 だが自軍の都合がいいように進ませるのが指揮官(コンダクター)の仕事だ。その状況での切り札は聖杯になる。ロマニに浄化してもらえば好きに使える魔力タンクだ、使わないのは勿体ない。ロマニのバックアップに使えば、七十二の魔神全召喚も可能になる。どう戦力を計算しても勝てると断じられた。
 円蔵山が見えてきた。……これで何度目だ? 此処に来るのは。いい加減見飽きたし、これで最後にしたいものだが――どう足掻いてもこの人理を巡る戦いが終われば、桜の為に再び来ねばならない可能性がある。
 冬木の第五次で一回目、特異点の冬木で二回目、そして今回で三回目、後に四回目もあるのかもしれない。生涯でそれだけ大聖杯を見る機会があるだなんて、冬木は呪われているのではなかろうか? 超抜級の魔力炉心といっても何度も見れば有り難みも皆無である。

 ……待てよ。コイツを持ち帰ればカルデアの食費が浮くのでは……?

 レオナルドやロマニに依頼し、聖杯を改造してダグザの大釜みたいにすれば食料無限湧きも可能ではなかろうか。もし可能なら設備復元も可能! そうなったら職員の職場環境を大幅に改善できる!
 おお、夢が広がるな! 人理が回復すれば聖杯の使用データも一瞬で消去、不都合なデータも改竄自由! はっはっは! これは良いことを思い付いてしまった! 特異点で手に入れる、特異点化ばかりに使われるなんちゃって聖杯じゃないんだ、まさに万能の願望器。他の特異点にも持って行って、脱落した敵サーヴァントの魂を回収していけば再利用召喚も出来るかもしれない。経費ゼロで! なんだこれは無敵じゃないか!

 ――まあ無理なんですがね。

 レイシフトは繊細で精密なシステム。そんな莫大なデータを積んでいたら、漏れなく俺の意味消失は免れない。普通に死ねるのでやる訳がなかった。聖杯で出来るのは、カルデア内であれこれする事だけである。



「……先輩、あれを」



 ――か細いマシュの固い声に、意識が急激に収斂する。雑念が全て消え、俺は直ぐ様マシュの指し示すものを見遣った。マシュは悼むように目を伏せる。
 円蔵山の麓、大聖杯のある空間へと至る為の洞窟の入り口に、奴らはいた。
 悍ましい怨念を纏う黒化英霊。個の質を極めた輝く貌、湖の騎士。そして単身の百貌、魔本を開いた青髭。加速度的に海魔が召喚されていき、百貌が分裂していった。
 うんざりと溜め息を溢す。その醜悪な面を見ていたら、蛸が今後食い辛くなる。なるほど、いつぞやのアルトリアが蛸料理に怯んでいた理由が分かった。厳密には違う生物だが、こうも似ていると苦手意識が湧くのも頷ける。

 (やっこ)さんはどうしても俺達を中に入れたくないらしい。黒化英霊達が戦闘態勢に移行する。
 ディルムッドが双槍を構え、ランスロットが魔剣を抜き放つ。百貌が周囲を取り囲むように分散し、魔本の魔力が高まった。張り詰めていく空気に、ぎゅ、と小さな手で桜が俺の赤い外套を握る。その不安を解くように、俺は背中の桜に軽く言った。

「心配するな、激しく動いたりはしない」

 すぐに片をつける。だからしっかり掴まっていろよと告げた。
 正直な話、こんな所にまで付いてくる桜には説教が必要なんだろうが、それよりも桜に必要なのは我が儘を聞いてくれる存在だ。思う存分に我が儘を聞いてくれて、頼らせてくれて、それでいて守ってくれる存在が今の桜には必要なのである。
 桜の意思を守りながらその命を守り、そして特異点を攻略する。それを全部成し遂げねばならないのが大人の辛いところだが。なに、荷物を背負うのには慣れている。今は人理の命運を背負っているのだ、少女の命が乗っかった程度でハンデにはならない。

 油断はしない。しかし緊張も過度にしない。順当に戦い、順当に勝つ。宝具の図面を脳裏にイメージし、擊鉄を上げる。と、その工程に割り込む声があった。

「――早速か。此処は余が引き受けよう」
「ら、ライダー……?」

 戦車の御台に座り、手綱を握っている赤毛の征服者だ。戦車の中で不安げに見上げている少年の頭に分厚く大きな手を置き、征服王は自信ありげに笑う。
 その雄らしい精悍な笑みを浮かべたまま、彼は堂々と告げる。

「彼奴らは余が討つ。うぬらは先に進むがいい」
「……ライダー、何か策が?」
「策? そんな小賢しいものはない! 英霊の誇りを失った彼奴らに、余の王道を示してやるまでの事よ。なぁに、たかがサーヴァント四騎如き、余の敵ではないわ」

 アルトリアの問いに、威風を昂らせるイスカンダルの放言は、彼が犠牲になるつもりなどない事を感じさせる。
 俺にはイスカンダルのしようとしている事が分かった。そしてそれが最も合理的である事も同時に理解する。

「聖杯はうぬらに任せよう。然る後に雌雄を決しようぞ」
「意気込みは有り難いが、余り遅いようだと手遅れになるぞ。ああ、俺としてはそちらの方が助かるが」
「ランサーのマスターよ、余を出し抜かんとする意気込みやよし! その時はうぬが一枚上手だっただけである。怨み言は言わん、好きにするがいい。だが忘れるな、余はうぬとランサーをこの聖杯戦争最強の敵と見込んでおる。覚悟しておれ、必ずうぬらを征して見せよう」
「――ああ。ただし、俺はアンタと争うつもりはないがな」

 一瞬だけ笑みを交換し、イスカンダルが吼える。

「さあ征くぞウェイバー! 己が召喚した者が真に最強の王であった事の証を魅せよう!」

 瀑布のような魔力が吹き荒ぶ。熱砂の混じる灼熱の風が辺りを席巻し、黒化英霊らがさせじと馳せるのも意に介さず、征服王の宝具『王の軍勢』が発動した。
 瞬く間に灼熱の心象風景に呑み込まれ、五騎の英霊達が消える。ウェイバーもまたイスカンダルと共に固有結界の中に消えた。

「――きっ、消えた!?」
「この感じは固有結界だ。全く――長ったらしい詠唱もなしに、展開は一瞬か。……行こう、悠長に構えている暇はない」

 アイリスフィール達を促し、円蔵山の洞窟に入る。その際、アルトリアは遂に確信を得たように問い掛けてきた。

「シロウ」
「なんだ、アルトリア」
「貴方はライダーの宝具を知っているようだった。貴方は何者だ」
「――さて。その問いには、聖杯の件が済んだら答える。包み隠さず、全部な。今はそれで納得してくれ」
「……いいでしょう。確かに今は、問答している場合ではない」

 やれやれ、イスカンダルの宝具展開に驚かなかった、それだけで悟られるなんてアルトリアの直感はやはり冴えすぎだ。
 勘のいい手合いには理屈と言葉、態度を一貫し、煙に巻くのが一番だが……アルトリアだけはほんの僅かな失点だけでご破算になるから気が抜けない。まあいずれは勘付かれると分かっていたから、寧ろここまで煙に巻けて良かったと思っておこう。

 洞窟を進んでいくと、次第に強大な呪詛に濡れた大聖杯の魔力を肌で感じられるようになってくる。アイリスフィールは目に見えて顔を強張らせつつあった。俺はふと思い出した事がある。それとなく宝具を投影し最後の工程を凍結して待機させておいた。
 やがて開けた空間に出る。そして大聖杯の全貌を拝んだ。マシュやロマニも、一度は見ている冬木の大聖杯。汚染されたそれに、驚きはなかったが――アイリスフィールとアルトリアは驚愕していた。

「そんな……まさか本当に……!? 大聖杯が呪いの塊になっているじゃない!?」
「――いえ、塊ではありません。アイリスフィール、あれは、大聖杯は呪いを孕んでいます。間もなく誕生するのかもしれません。……魔術王、貴公は本当にこれを浄化出来るのか? この場で破壊した方がいいと思うが」
「浄化なら問題ないよ。『この世全ての悪』を濾過して消滅させれば、元通りの無色の魔力炉に戻る。まあ、三十分ぐらい時間をもらわないといけないけどね」

 ロマニの言に、俺は頷いた。そして目敏くアイリスフィールの容態の変化を見咎める。

「っ……!? ぅ、な、なに……?」
「……」
「あ、ぁぁ、セイバー……! 逃げ、て!」
「アイリスフィール? どうしました!?」

 体を掻き抱き、苦悶の声をあげる冬の姫。呪いに侵されていくアイリスフィールの変貌にアルトリアは狼狽した。が、まあ――そう来るだろうなと予見できていた。
 アイリスフィールはイリヤと同等の性能を持つらしい小聖杯だ。大聖杯と繋がりがある。故に『この世全ての悪』は、この状況を覆すために器を欲するだろう。まあ、読み通りだ。

「『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』」

 投影の凍結を解除し、手に顕した短刀をアイリスフィールに突き立てる。アルトリアが柳眉を逆立てた。

「何を!?」
「――アイリスフィールは大聖杯に乗っ取られそうだった。だから奴との繋がりを絶ったんだ」

 言いつつ、俺では契約を選んで破戒する事は出来ない。故にアルトリアとアイリスフィールの間にあったパスも絶ってしまう。アルトリアは慌てた。アイリスフィールは余りにも大きな負荷を受けて気絶し、その場に頽れて昏倒する。

「お前を騙し討つつもりはない。彼女が意識を取り戻すまでの間、俺と仮契約してくれ。後で必ず契約を解き、アイリスフィールの許へ返すと約束する」
「……貴方を信じろと?」
「虚言だったら俺を斬れ。まだ右腕は動かない、お前なら簡単に俺を斬れるだろう」
「……。……承知した。ただし、貴方の傍に控えさせてもらう。偽りだったら、令呪を使う間もなく私の剣が裁く」

 だめ、と桜が呟く。俺は苦笑して桜を下ろした。

「すまない、マシュ。この子を頼む」
「……はい。余り無茶な約束をしないでください」
「生憎と性分だよ。今更生き方を変えるつもりはない」

 呪文を唱える。冬木式の、再契約の呪文だ。――どこかで聞いた――いや、見た? ……なんだろうか、記憶が曖昧だが覚えている。それを自然に舌に乗せて結びとすると、アルトリアは俺の手を取り仮初めの契約が此処に――



 “”――キャスター、貴様……!“”



「ッ……?」

「士郎くん! 何をしてるんだ!?」

 アルトリアと契約を結んだ瞬間、ビジョンが走る。激しい頭痛がした。ロマニの焦った声が響く。先輩! マシュの声が激しく鼓膜を叩いた。視界が白熱し、認識が遅れる。
 アイリスフィールを器に出来なかった『この世全ての悪』が足掻いた。大聖杯から津波のような汚泥が迸っている。俺は愕然とした。アルトリアを意識する余裕もなく吼えた。

「――マシュ、宝具を展開しろ! お前なら防げる!」
「先輩も早く私の後ろへ!」

 言われるまでもなく、アルトリアの手を引いて走り始めていた。だが――忘れる訳にはいかない。咄嗟にアルトリアをマシュの方へ突き飛ばし、アイリスフィールを確保すると、彼女をアルトリアへ投げ飛ばす。

「シロウッ!? 貴方は、何を――!」

 ――汚泥が、この身を呑み込む。

 白亜の城があらゆる穢れを祓う光景を見て、俺は失笑した。
 ……この期に及んで、人助けをしてやられるなんてな。まったく、仕方がない。汚泥に全身を呑まれ、暗転していく意識の片隅で思った。

 ――油断は、してなかったんだが。どうもな、体が保身よりも先に、動いてしまったんだから仕方がない。

 マシュが叫ぶ。桜の悲痛な悲鳴が聞こえた。それになんとか強がりを返そうとして……何も声が出ない。たまには助けられる側になろうと皮肉ぶる。ロマニがいる、マシュも。頼れる奴らだ、少し耐えるだけでいい。なに、昔から――《b》昔から?《/b》――我慢比べで誰かに負けた事はないんだ。アンリ・マユなんて小者に、負ける気は――




 ――よぉ。ご機嫌如何かな? エミヤシロウ。




 聞き慣れた、声がした。眼前に、全身に刺青の施された青年が立っていた。








 

 

真名開示 エミヤシロウ



 カン、カン。

 ――(てつ)()つ心象、蒼穹の空は硝子の細工。透明な風景に熱はなく、淡々と廻る空の歯車は機械の部品。
 無限に鍛えられる剣の丘に、佇む男は目を閉じている。目を凝らすと、それが何者か判じる事が出来た。『赤い外套の弓兵』だ。意思を剥奪された、霊長の守護者。ただの掃除屋とすら言えない、使役されるだけの自我無き奴隷。
 大きな歯車が廻ってる。剣の丘を十全に廻す為の機構。何故あの男は此処に? 懐疑する意識を遮断する。そんなものよりも、向き合わねばならないモノがいた。

「……『この世全ての悪(アンリ・マユ)』か」
「ご名答。いや、悪いね。人理修復の旅の途中にこんな寄り道させちまってさ」

 すぐ傍に影法師がいる。士郎の姿を黒く塗り潰した悪意の塊だ。友好的とも言える物言いとは裏腹にその目にあるのは煮詰まった毒念のみ。凡そ人間の持ち得る負の感情の坩堝だ。
 嫌悪感も露に一瞥する。殺めようとしてもなんら意味がない。故に剣を握ろうとはしなかった。だが自分の姿を見ると、いつだって反吐が出る。
 黒い肌をのたくる刺青は不定形。それは常に流動し、赤いバンダナを額に巻いている顔はへらへらと軽薄な笑みを浮かべながらも、混沌とした殺意を渦巻かせている。

 士郎は嘆息した。アンリ・マユは聖杯の泥を通して士郎に触れている。なら士郎の知っている事ならアンリ・マユもまた知る事が出来るだろう。

「安い男だ。いや女なのか? どうでもいいが、アイリスフィールを操るのに失敗すれば、誰でもいいから器にしようだなんてな」
「ああ、同意するぜ。我ながらバカな事をした。まったく、最初から詰んでるなんてクソゲーどころの騒ぎじゃねぇよ。クレーマーさながらに文句を垂れたいところだね」

 やれやれと肩を竦める様は、まるで焦りを感じさせないものだ。本当に手遅れだと悟り、刑の執行を待つ服役者のような潔さを感じさせる。
 だがそれは欺瞞だ。自らの誕生を諦めたとしても、それでこの悪意を諦める理由にはならない。アンリ・マユはにやにやと嗤っていた。

「カルデアだっけか? 人類史の為に孤立無援の戦いに挑む、感動的だね。ああ、とっくに滅んだ死体を、無理に蘇生させようと努力する様は涙を誘われらぁ」
「好きに言え。好きに呪え。そんなもので、俺が揺らぐと思うならな」
「そりゃあ揺らぐ訳ねぇよな。テメェは世の為人の為、そして何よりもどれよりも自分の為に人理を救うんだろ? 知ってる、誰だって死にたくはねぇもんなぁ。分かる分かる、痛いほどよく分かる。オレもなぁ、死にたくねぇもん」
「だがお前は死ぬ。いや産まれる事もないから死ぬんじゃない、産まれないだけだ」
「酷い話だ。今もおたくを助けようって、魔術王がオレを速攻溶かそうとしてやがる。あーあ、こりゃあ無理だわ。テメェの精神、マジ鉄壁。つけ込む余地がねぇし、反転しても今のままとか何よそれ。時間ないから打つ手なしだ。なんだよ中立中庸とか。正義の味方なら善だろ普通。反転したら悪になるもんだろ?」
「生憎だったな。俺は善じゃない。俺は俺の為に人理を正す。俺が死なない為に。他は俺が助かるついでに掬い上げるだけだ」



「 本当に? 」



 その顔に、亀裂が走る。黒い影法師が、醜悪な笑みを浮かべている。士郎は理由もなく背筋が凍る心地を味わった。

「つけ込む余地はねぇよ、テメェには。けどよ、抉る事は出来るぜ」
「……抉る、だと?」
「これでもこの世全ての悪なんてぇ大層な祈りで昇華した存在だ。成す術なく大人しく消えるなんて、つまんねぇ最期は迎えねぇよ。こちとら呪いで飯食ってんでね」
「……」

 目を細める。抉るだと? 何を、どのように。脛に傷を持つ、後ろ暗い生き方はしていない。抉られて痛むものはない。
 下手に心の隙を晒せば、アンリ・マユに何をされるか分かったものではなかった。ロマニがアンリ・マユを消すまで気は抜かない。心を固める。そしてアンリ・マユを促した。ここは聖杯の中、聞かないふりは通用しないだろう。耳を塞いでも声は聞こえる。そういった素振りを見せたら却ってアンリ・マユは調子に乗るに決まっていた。

 いけしゃあしゃあと、アンリ・マユは揶揄する。

「今まで大変だったなぁ、エミヤシロウ? 第五次聖杯戦争からこっち、十年以上誰に言われたわけでもないのに世界に出て、他人を救って回ってたんだろ? ご苦労様だね、とても真似できねぇよ。ああ、目の届く範囲にある不幸が我慢ならない――だったか? 泣かせるねぇ。聖人かなんかなの? おたく」
「……」
「挙げ句一人じゃ何も変えられねぇってんで、なんか慈善事業団体作ろうとしてたんだろ。パトロン探してロンドンまで行って、アニムスフィアにカルデアに誘われた。この旅が無事終われば、おたくは契約通りにアニムスフィアの後援を得られる。そうしてまた目の届く範囲の不幸を根絶しようと宛もない旅を始める。一大スペクタクルな人生だドラマに出来る」

 ――ところでさぁ。

 滴り落ちる毒意。士郎はその言葉の意味が分からずに困惑する。

「知ってっかよ、エミヤシロウ。テメェの一つの未来の可能性、その末路の掃除屋もさ、その属性は中立中庸なんだぜ(・・・・・・・・)

 英霊エミヤも士郎と契約しているのである。マスターである故に、そのパーソナリティーは把握していた。
 そして士郎が知っているなら、アンリ・マユも知っている事になるのだ。だから別段、アンリ・マユに言及されて驚く事ではない。
 要点は、なぜそんな事を言い出すのか、だ。

「……何が言いたい?」
「不思議だよな? おたくらは起源は同じでも別人のはずだ。特にあんたの認識だと、明確に違う存在のはずだろう? なのになんで、属性が同じなのかねぇ」
「……」

 面白そうに腕を組み、にやにや、にやにや、醜悪な害意を匂わせる。なぶり殺しにしようとする外道の魔術師を想起させられた。
 
「ああ、覚えてない(・・・・・)のか。趣味が悪い、いやオレに言えた口じゃねぇけど? おたくの対魔力はナメクジみてぇなもんだし、無理もねえか?」
「……?」
「問題です。五問連続正解したら、何事もなくおたくを解放してやるよ」
「なに……?」

 唐突な提案に、士郎は眉を顰めた。何を考えている……。どのみちアンリ・マユに時間はない。ロマニが大聖杯から異物を排除するのに掛かる時間は少しだ。
 ならここは乗って、時間を潰した方がいいと判断する。無駄話で乗り切れるならそれに越した事はない。

「いいだろう、答えてやる」
「へっ、それでこそエミヤシロウだ」
「……」

 いちいちフルネームで呼ばれるのに、鬱陶しさを覚える。露骨に舌打ちすると、陽気にアンリ・マユは言った。

「問一、あなたのお名前はなんでしょう!?」
「……馬鹿にしているのか?」
「いいから答えろって。カウントダウン、ごー、よーん、さーん」
「……衛宮士郎だ」
「ぴんぽんぴんぽーん! だぁいせいかーい! やるねえ、こんな難問にいきなり正答を出せるなんて、中々出来る事じゃねぇぜ?」
「……」

 狂人かこれは。士郎は努めて苛立ちを抑え込む。幼稚な茶々でペースを崩されるなんて、情けない醜態だろう。何が嬉しいのか喜悦を瞳に宿す影法師。その調子は留まる事がない。両手を広げて、奴は問いかけてくる。

「問二、この光景はなんでしょう?」
「……俺の心象風景だ」
「ぴんぽーん! すっげぇな、おい。いや、嫌みじゃねぇぜ? それが分かるなんて本気で大したもんだ」
「……」

 固有結界の使い手が、自身の心象風景も把握出来ない愚図なわけがあるまい。
 ……そういえば、なんの意図があってアンリ・マユは、士郎の心象風景を再現している。聖杯の中だろう、これは。ならば、こんなものを見せる必要は――

「ああこれは問題じゃねぇけど聞いてくれよ。なあエミヤシロウ、ありゃなんだ?」
「あれとは?」
「あれだよあれ(・・)! ほら、あの空に浮かんでる奴!」

 それは、歯車。アンリ・マユは、悪意も露に指差していた。
 答えようとして、絶句する。今まで、なんの違和感もなかった。故にまるで考慮する事もなかった。だが――なんだあれは。何故、何故あんなもの(・・・・・)が固有結界にある……?

「問三」

 有り得てはならないものだ。有ってはならないものだ。だって、だってそれは――
 アンリ・マユは、嗤う。嘲笑う。

「あの歯車は、本来の衛宮士郎の固有結界には存在しません。しかし英霊エミヤには存在します。この二人の最大の違いはなぁんだ?」
「――」
「サービスだ。オレが答えてやるよ。人間か、奴隷かだ。英霊の方のエミヤシロウはアラヤの奴隷だ。……さて問題です。問四。あなたの固有結界にあるあの歯車が指す因果はなんですかぁ?」

 慄然と空を視る。

 なんだ、いやまさか、そんな――そんな訳、そんなはずが――待て、待て待て待て。
 待て。それじゃあ、俺は(・・)そういう事(・・・・・)なのか? 馬鹿な、そんな馬鹿な事は有り得ない!
 だって、士郎は。
 士郎は世界と契約した(・・・・・・・)覚えはまるでないのだから――

 だが、悪であれと祈られた生け贄は、否定する士郎を抉る。事実、それのみが、衛宮士郎を綻ばせる毒となるのだから。

「――エミヤシロウ。テメェはアラヤの抑止力の支援を受けている。
 だから瀕死の重傷を負っても、即死でなければ辛うじて生きられた。
 魔力が足りなくなってたら、何処かから魔力が湧いてきた。
 そしてそしてぇ?
 そもそもテメェは本当に契約はしてないのに、奴隷の歯車(あかし)があるのはなんでか? それは……」

 ――見せてやるよ、テメェは忘れていても、忘れさせられ(・・・・・・)ていても、その体に積まれた歴史は誤魔化せない。

 心象風景が歪む。足元がぐらついた気がした。士郎は呆然と、その光景を見る。移ろう場面の連続は、第五次聖杯戦争の記録だった。



 「――問おう。貴方が私のマスターか」



 それは、月下の出会い。

 衛宮士郎は、可憐な少女騎士と出会った。
 青い槍兵に心臓を穿たれ、遠坂凛に命を救われて。生き延びた士郎を、青い槍兵が再び始末に来た。土蔵で士郎は運命と出会ったのだ。
 そして遠坂凛と赤い弓兵の二人と共闘する事になって。冬の少女と狂戦士と戦って、そして――

 魔術師の英霊は、魔術王だった。

「――は?」

 そしてそのマスターは、枯れた殺人鬼ではなく見知らぬ男だった。

 魔術王と騎士王が戦っている。高い対魔力を活かし、苦戦しながらも善戦していた。召喚される魔神、士郎に仕掛ける男。アルトリアは士郎を庇いながら、その場から辛うじて撤退した。
 それから幾度となく騎士王と魔術王は競う。最高峰の対魔力を持つ騎士王を除き、魔術王に敵う者はいなかった。令呪を奪われれば、容易く自害させられる。士郎は早々に全ての令呪を使い切って令呪による妨害を阻んでいた。
 だがそれは賭けだった。令呪という切り札をなくして、魔術王と戦わねばならないなど。敵として魔術王に立ちはだかれたのは、令呪を敢えて使いきった士郎と遠坂凛達だけだった。
 他の全てのサーヴァントは、魔術王を前に敗退している。残された二騎は果敢に魔術王に挑み、遠坂凛は士郎と共に魔術王のマスターと交戦していた。

 その最終決戦は、大聖杯の前で。

 魔術王は聖杯を掌握していた。聖杯に巣食っていた悪性を排除していたのだ。そして未完成の聖杯を用い、赤い弓兵を三十柱の魔神を費やし押し潰した。そこからは消化試合そのものだ。
 騎士王は膝をつき、魔術王に敗れた。少女騎士が消滅する間際、魔術王とそのマスターは呑気に会話を交わしていた。

『――見事だキャスター。これで他の六人のマスターを全て排除した。聖杯戦争は我らの勝利に終わった。後は令呪で君を自害させれば、儀式は完成だ。この大聖杯に七騎のサーヴァントの魂が満ち、根源に至るための魔術炉心に灯が点る。それによって第三魔法はカタチになるだろう。第三魔法は魂の物質化。肉体の枷から逃れた人類は「有限」が生み出す全ての苦しみから解放され、新たなステージに向かう。君はその為の犠牲だ。了解してくれるだろう? キャスター』

 歯噛みしてそれを見る少年の士郎。騎士王は今に力尽きようとしている。男の言は時期尚早だ。まだ戦いは終わっていない。
 だが趨勢が決しているのも事実だった。もはや抗えないのだ。男の勝利への確信を、誰も覆せない。

『いや冗談だ。冗談だよキャスター。すまないな私も浮かれていたようだ。協力者であり、功労者である君を大聖杯に捧げる気はない。令呪も使わない。そもそも君には通じない。私は大聖杯を起動させない。第三魔法などどうでもいい。私は、我ら天体科を司るアニムスフィアは、独自のアプローチで根源に至らなくてはならない。他の魔術師の理論に乗るなど有り得ない。アインツベルンの提唱した奇蹟……魂の物質化、人類の成長なんて夢物語には、はじめから付き合う気はなかったのさ』

 男は語る。
 彼が求めたものは自らの人類愛が燃やす理想。その為の燃料の確保。男が願うのは、永遠の命でも根源への到達でもなく、巨万の富だったのだ。
 そしてそれに、魔術王は賛同した。理解を示した。元より召喚者の願いを叶える為に召喚に応じたらしいのだ。

『……ありがとう、キャスター。君ならそう言ってくれると信じていた。君がそう言ってくれるのなら、この結末は我々だけの秘密に出来る』
『だけど、マリスビリー。まだここには、セイバーとそのマスターがいる。彼らを打ち倒さない限り、この聖杯戦争は終わっていない』
『それだよ。私は彼らを利用する事にした』
『利用?』

     頭が、痛い

 何か、あってはならないものを、見ている。
 男は笑った。道徳心の欠片もない打算がある。
 少年は意識を掠れさせながらも、腕の中に意識のない遠坂凛を庇い、消えかけている騎士王を必死に繋ぎ止めていた。

 そんな彼らを、マリスビリーと呼ばれた男は見る。

『冬木で起きた聖杯戦争は、セイバーとそのマスターが勝利した事にすればいい』

 ――な、に……?

『ふむ。それはいい案だ。しかしマリスビリー、それだけでは大聖杯の魔力は尽きないだろう』
『おいおい、キャスター。惚けてもらっては困るな。アインツベルンの宣伝通りだ。聖杯戦争の勝者は願いを叶える――なら君にだってその資格はあるだろう。私は巨万の富を得る、では君は? 過去の改竄は不可能だが、解釈換えぐらいは出来るだろう。それとも受肉して第二の生を手に入れるか?』
『いや――私にも、願いはある。本当に――何を願ってもいいのだな、マリスビリー』
『ああ。召喚者であるこの私、マリスビリー・アニムスフィアの命以外ならね。我が契約者にして唯一の友よ、キャスター。いや、魔術の王ソロモンよ。君の願いであれば、それは正しいもののはずだ。堂々と願えばいい』
『……しかし。それでも。大聖杯には今、八騎分のサーヴァントの魂が満ちている。とても君の富と私の願いを足しても使いきれないだろう』
『なんだって?』
『英雄王の魂は、三騎分のそれだった。彼はこの聖杯戦争で、間違いなく最強の敵だったろう』
『ふむ……』
『故にマリスビリー、君の隠蔽工作を補強するために、余剰分の魔力を使おう』

 ――何を。何を言っている?

『冬木の聖杯戦争では、セイバーとそのマスターが勝利した事にするんだったね。なら余剰分の魔力は「第五次聖杯戦争の再演」へ使えばいい。幸い私達は、マスターを一人も殺害していない。キャスターの枠さえ埋め直せば、我々の存在しない聖杯戦争が行われるだろう』
『そんな事が可能なのか?』
『可能だとも。元々大聖杯は、魔力が満ちれば聖杯戦争を再び開催する仕組みだ。「第六次聖杯戦争」が、ほんの数日後に、ほぼ変わりのないキャストに演じられるだけなのだから』
『――なるほど。ならば無駄な隠蔽工作も不要となるわけだ。流石だ、流石は魔術王ソロモン。その叡知、讃える他ない』

 魔術王は、無機的な眼差しで。なんの感情もない瞳で、少年を見る。
 そして、言った――騎士王がそれを、聞いていた。

『 全て忘れて、やり直すといい。今度こそ勝てると良いね 』

 そして。ソロモンは人間に成る事を願った。

 マリスビリーは富を得た。

 それで終わり。終わるはずだったのだ。だが、ソロモンはその力を全て失う寸前に、人類史が焼却される未来を視てしまう。そこで――運命はねじ曲がった。

 ソロモンは、人間となった。人間となった彼が最後に見た光景は――人間故に、アラヤに勘づかれ、アラヤは自らの滅びを回避するために――それを回避する為の手駒を欲した。だがそんな者はいない。人類史焼却に抗う手がない。
 故に。この場にあった守護者の魂を利用したのだ。同一存在である少年に憑依させる(・・・・・)事で、破滅へ対抗する切り札として投入した。

 聖杯戦争の再演に伴う、参加者の記憶の改竄。自意識があやふやとなり、そして同一存在であるが故に憑依は滞りなく済まされた。
 誰にも知られず。本人すら知る事のないまま。抑止力は、誰の目にも触れない。

 そして、聖杯戦争は再演した。

『問おう、貴方が私のマスターか』

 ――少年は惑った。どうしようもない既知感、これを識っているという感覚。
 知っていて当然だった。記憶がなくとも、それは英霊エミヤの(・・・・・・)記録である。魂に同化した存在が識っている、故に彼は自分が全てを騙していると感じて、罪悪感に苦しんだ。

 桜や慎二。藤村大河。大切な人達を欺いていると誤解した。嘗ての記憶すらも二重に存在する故に、彼は勝手に己を嫌悪した。
 唯一、違いがあったとすれば。
 この世界の衛宮士郎は、英霊エミヤとは異なり壊れた人間などではなかった事――ただのお人好しで。正義の味方としての警察官を志していただけの――地に足ついた考え方をする正常な人間だった事だ。

 英霊エミヤとこの世界の衛宮士郎は、完全に別人だった。

 だが、英霊エミヤという、自我のない守護者の思想に多大な影響を受けてしまった。
 未熟な魔術師でありながら、十全に投影を行えるのはそれが故。彼が『投影杖』と呼んでいたのは、英霊エミヤの感覚をなぞれるが故の違和感。

『俺は、お前を愛してなんか――!』

 最後の時、少年は懺悔しようとした。しかし、アルトリアは確信を持って、ふわりと微笑んだ。

『いいえ――貴方は私を愛しています』
『――』
『シロウ。そして私も、貴方を愛してます』

 それは、掠れて消えた記憶。



「――問五。おたくの名前は?」



 真っ暗な、暗黒の中に立ち返る。響いた悪意の名は――

「俺、は……?」
「――そう。
 おたくはエミヤシロウ(・・・・・・)だ。
 おめでとう、おめでとう! アンタは今本当の名前を思い出せた!」

 拍手と共に祝福する『この世全ての悪』を、見る事も出来ない。アイデンティティーが完全に、足元から崩れ去るかのような心地だった。
 幻だ。偽りだ。虚言だ。そう断じるのは容易いはずなのに否定する事が出来ない。

「――俺は、知っている。衛宮士郎じゃない俺は! この世界がフィクションとして描かれる世界から流れ着いた魂のはずだ!」
「なにその痛い妄想? 第二魔法かよ。しかも魂だけ他所から流れてきて、赤の他人に憑依して正気を保てる人間なんざいねぇよ。破綻者だ、正気でいられるとすれば。大方自身の記憶の齟齬をそんな痛々しい妄想で補填していたんだろうけどな? じゃあなんで人類史焼却の事件の事をおたくは知ってるのに、その概要を全然知らないんだ?」
「記憶が、磨耗しているんだ。そう何年も覚えていられる訳がない!」

 必死に否定する。ぐらつく足場に踏み留まる。嘲笑が浴びせられた。

「ばーか。エミヤシロウはどう足掻いてもカルデアに辿り着く定めだったのさ。抑止力に後押しされてな。アンタのその知識は英霊の方のアンタのそれと、抑止力がアンタを誘導する為に植え付けたモンなんだよ。本当は分かってんだろ? 認めちまえって」

 認められるはずがなかった。なら、自分が歩んできたこれまでの道は――英霊エミヤの強迫観念に突き動かされてきただけだという事になる。
 そんなのは認められない。認めてはならない。だってそんなの――まるで自分がただの、操り人形のようではないか。

 認められない、契約していないのに。英霊エミヤと同化しているから、死後もアラヤに回収されてしまうなんて。そんなの――あんまりじゃないか。なんのために生きているのかすら、覚束なくなる。

「なあエミヤシロウ。おたく、フィクションとしてこの世界を観測する場所から来た魂だって言ったよな? じゃあさ、なんで――」
「やめろ……」
「――なんで、第五次聖杯戦争の事と、カルデアの存在……英霊エミヤの事しか知らなかったんだよ?」
「やめろ――!」

 頭が真っ白になる。

「第一次から第四次聖杯戦争を知らない。他の世界中の全ての事件を網羅してる訳じゃない。言っちゃあなんだが、この世界、エンターテイメントとして眺めるにはうってつけの娯楽だと思うんだがねぇ。あ、もしかしてウケが悪かった? 売れない世界観だったかな? ギャハハハハ!」

 ――そんな言葉は聞こえない。

 確かにそうだった。士郎は何故、第五次聖杯戦争以前の事変を何も知らなかった。
 いや正しくは何故、それ以外を。エミヤシロウではないはずの、別の名前が思い出せないのか。そもそもそんな人間などいなかったのなら――思い出せる訳がない。存在しないのだから。

「俺は――エミヤシロウ、だったのか……?」

 その呟きは、認めるそれだ。

 目が眩む。意識が一瞬、そう一瞬だけ揺らいだ。

 瞬時に建て直すだろう。士郎は自分の成してきた事に後悔などないのだから。動揺も少しだけ、決して士郎が変質する事はない。
 だがアンリ・マユにはその一瞬で十分だった。極大の悪意が、嗤う。

「鼬の最後っ屁だ――お休み、エミヤシロウ」

 瞬間。

 士郎の心に生まれた微かな間隙を突いて、泥が流れ込む。気づいた時には既に遅い――士郎はその意識を暗転させた。












「――先輩!?」
「お兄ちゃん!」

 大聖杯の浄化が完了した。
 『この世全ての悪』は完全に消滅し、大聖杯は無色の魔力へと回帰する。その瞬間、聖杯の泥に呑まれていた士郎は、その場に頽れた。
 意識がない。慌てて駆け寄ったマシュと桜が、その体に縋りつく。
 彼と霊的繋がりがあったマシュは、その至近にいた故に彼の見せられていた光景を見ていた。――ロマニも、また。
 暴かれた真実に、立ち竦む。それは人間だからこその、ロマニだからこその、非人間的な行いへの罪悪感。

 魔術王ソロモンがカルデアに再度召喚されたのは、何もロマニがいたからだけではない。
 士郎との縁が魔術王にもあったからだ。直視させられた罪に、ロマニの心が軋む。

「シロウ――貴方は……」

 そして。

 彼と契約で繋がっていたのは、マシュ達だけではない。アルトリアもまた、その因果を見た。
 そして彼らの秘密も理解する。その旅路を知った。人類史の守護、この男に課せられた重すぎる使命――死した後の、過酷な運命。

 救いがない。――それを救いたいと、アルトリアは思った。

 このまま放っておけば、衛宮士郎は呪いに犯されて死に至る。『この世全ての悪』の遺した呪いは、彼の魂にまで至っている。魔術王すら、これを取り除く事は出来ないほど、根深いそれであった。

 故に、アルトリアは士郎の傍に片膝をつき、その体へ触れた。

「っ! アルトリアさん!? 何を!」
「マシュ・キリエライト。貴女が宿す英霊は、貴女の心根の貴さを証明している。なら私は、彼を助けましょう。――貴方達の戦いに『この』私は同道出来ませんが、せめてその一助となる事は出来ます」

 アルトリアの手で、聖剣の鞘が士郎へ押し込まれる。魔法の域にある宝具は、祓えぬはずの呪いをも祓うだろう。右腕の呪詛をも、根刮ぎ。
 マシュは目を見開く。騎士王は高潔だった。詐術にかけられていた事を知っても、それが世界を救うためだったならばまるで咎めない。アーサー王は、真実騎士道の王だった。

「――この特異点の所以までは見えませんでしたが。どうやらこの戦いは、あってはならないものだった。行きなさい、マシュ・キリエライト。ロマニ・アーキマン。こんな所で足踏みしている暇はないでしょう。彼を連れ、カルデアで英気を養うのです」
「その、鞘は――」
「差し上げる。シロウが宿すもよし、そちらの私に譲るもよし。些か急ですが、お別れの時間のようですね。この特異点の原因が排除された故に、どうやら貴方達の退去が始まったようだ」

 淡く微笑むアルトリアに、マシュは改めて敬意を抱き直した。
 本当に、凄い人なんだ――
 士郎を抱き上げ、マシュは一礼する。カルデアのマスターは、今暫しの時を眠り続けるだろう。次の特異点には間に合わないかもしれない。だがそれでも、また立ち上がる。彼はそういう男だった。
 故に――アルトリアは彼を心配しない。代わりに彼女は沈黙する青年へ告げた。

「ロマニ・アーキマン」
「っ」
「貴方は、魔術王ではない。人間だ。なら、気に病むばかりではいけない。それを罪だと思うのなら、起きた彼に一言謝ればいい。それが友人というものでしょう」
「――は、はは。まったく、敵わないなぁ……」

 ロマニは力なく笑い、

 そして冬木の特異点は、消え去る。この寄り道が、幸となるか、不幸となるか――人間の彼らに知る術はない。




 

 

戦後処理だねカルデアさん!


 変異特異点の人理定礎は復元された。
 特異点の原因であった聖杯の回収にも成功し、掛けられた時間と、費やされた戦力比率を考慮すれば驚異的な戦果であったと言える。
 しかし何も問題がなかったかと言われれば決してそうと言えるものでもなかった。

 第一に、衛宮士郎の昏睡。

 カルデア職員は、彼の活躍をよく知っている。特異点Fから第一、第二特異点の電撃的な攻略は今や語り草に成りつつある。その能力、人柄から精神的支柱に成っていたのだ。
 予備役としてのマスターは確かに他にもいる。彼のローマ皇帝、ネロその人が。
 しかし確かに目にした実績として士郎への信頼が勝るのは必然と言えよう。このグランド・オーダーが始まるまで、彼らは実際にカルデアで生活を共にしていたのもある。彼がいれば大丈夫、きっとなんとかなると信じられた。
 その彼が、原因不明の眠りについたのだ。目覚める予兆はない。彼を蝕んでいた呪いは聖剣の鞘によって祓われ、体にはなんら不具となるものがないにも関わらず――士郎は眠り続けている。

 士郎が倒れる事で、カルデアの士気は低下していた。カルデア職員の士郎への依存にも近い信頼は、本来なら可及的速やかに対処しなければならない問題である。しかし、打つ手がない。
 これで心の拠り所となるマスターが、なんの力もない平凡な存在だったなら――まだ未熟な少年や少女であったなら――彼らも奮起しただろう。だが士郎は余りにも頼りになりすぎた。これを期に職員の意識改革に努めねばなるまい。

 万能の天才は士郎の昏睡の原因を、心的衝撃によって生じた隙を、『この世全ての悪』に衝かれた反動であると推定した。彼……彼女も士郎との付き合いはそれなりだ。柔靭な精神的タフネスを誇る彼が今回の件で再起不能になる事はないと、事の顛末を聞いて判断していた。それもある種の信頼と言えるだろう。
 だから彼の昏睡は問題ではあるが、そこまで問題視する必要はないと司令部は見ていた。必要なのは彼が目覚めるまでの時間のみ。ロマニやアルトリアは特に重苦しい面持ちだったが――彼らの問題は、士郎の意識が覚醒するまで持ち越しとなる。

 第二の問題。それこそが、ダ・ヴィンチやアグラヴェインの頭を悩ませていた。当然、名目上の司令官代理であるロマニもなんとも言えない顔をしてそれを見詰めている。

「……困った」
「困ったねぇ……」
「……」

 管制室のモニターに映っているのは、医療室のベッドでこんこんと眠っている男と、幼い少女(・・・・)である。
 少女の名は――間桐桜。変異特異点の住人。なんの間違いか、彼女もまたカルデアへとやってきてしまっていた。

 聞き込みを行った結果原因は明らかとなった。間桐桜は士郎と離れたくない(・・・・・・)と、その時強く願っていたのだという。その願いを、無色の聖杯が汲み上げてしまったのだ。特異点から退去する士郎らと共に、カルデアに現れたのはそれが原因である。万能の願望器は、事実万能であったからこその事故だった。

 アグラヴェインは厳つい顔を一層厳つく顰め、こめかみを揉んでいた。

「どうする。我らに子守りをしている暇はない。そしてカルデアに来てしまった以上、放逐する場もない。冬木の変異特異点は消え去ったのだぞ」
「あんな幼子を放逐なんて、誰も認めないだろうけどねぇ……」
「というか士郎くんの前でそんな事言っちゃ駄目だからね。激怒不可避だよ」

 やんわりと、合理性を突き詰めた発言をするアグラヴェインを窘めるロマニ。今の彼は白衣で、人間としての姿だ。
 桜は士郎の横に付き添っている。食事、入浴、トイレの時以外は、片時も離れようとしない。無言で、感情の薄い貌が男を見詰めている。小さな手が、男の分厚い手を掴んでいた。

「あれ、どう見ても依存してるよね……」

 ダ・ヴィンチは嘆息して髪を掻き上げる。

「曲がりなりにも心を開くのは、士郎くんを除けばロマニとマシュだけ。他の誰かは近づくだけで怖がる。士郎くんが地獄から救ってくれた、救ってくれた時に士郎くんの傍にいた、だから君達しか信じてない。――よろしくない状態だ」
「それだけならまだマシだ」

 アグラヴェインは苦々しく吐き捨てる。それは何も、桜を毛嫌いしてのものではない。あくまで合理性を突き詰めた思考故のものだ。そこに情を介在させてはいない。

「あの少女は相当に欲張りだったと見える。よもや我がマスターと共にいたいと願うのみならず、強くなりたい(・・・・・・)とも願っていたとはな。キリエライト女史という具体的な例を見ていた故か現実的なイメージで力を欲し、あろう事かキリエライト女史と同じ存在(・・・・)になったのだからな」

 管制室のモニターが示す、桜のパーソナルデータは、人間の物ではない(・・・・・・・・)のだ。そう、それはデミ・サーヴァントのものである。
 ロマニが頭を抱えた。

「――大聖杯の中にあった湖の騎士の霊基(・・・・・・・)と同化するなんて、しかもそれでなんの問題も起こらないなんて、どれだけあの娘はメチャクチャなんだ!」
「さしづめ桜ンスロットっていった所かな?」

 あははー、と。言ったダ・ヴィンチ本人は乾いた笑いを溢している。笑うしかなかった。
 桜が間近で直接見た、最も強いサーヴァントが彼だったのだろう。
 アグラヴェインは忌々しげに桜の霊基パターンを睨み付けている。生前の彼を殺めた騎士が、堪らなく不愉快なのかもしれなかった。しかしその負の感情を桜へ向けている訳ではないあたり、流石に理不尽な八つ当たりのような真似はすまい。

「……アレは、マスターと共に在る事を望んでいる。どうする、万能の。そして司令官代理。特異点の攻略に、あのような娘を連れていくなど足手纒いにしかならないぞ」
「勿論ボクはあの娘を連れて特異点に行くのは反対だよ。論理的にも、感情的にも認められない」
「あの湖の騎士のデミ・サーヴァントなのに?」

 ダ・ヴィンチの反駁に鉄の宰相は三白眼で一瞥する。

「あの男の実力は知っている。真実あの娘があの男そのものであったならば反対はしない。だが所詮は戦いの心得すらない小娘だろう。戦う術を知らない素人を、どうして戦力として計上出来ると思う」
「知ってる、言ってみただけさ。――問題はあの娘、かなりキテ(・・)るぜ。士郎くんと離されそうになったら、あの力で暴れかねない。一番の問題はそこだ」
「……」
「……」

 倫理の欠けた幼い少女が、癇癪を起こして暴れる光景。サーヴァントの力で、だ。人間には太刀打ちならず、カルデアに甚大な被害が齎されかねない。
 具体的なビジョンが目に浮かぶようで、カルデアの最高頭脳達は揃って沈黙した。暫しの間を空け、そして彼らは決断する。

「全部士郎くんに丸投げしよう」

 万能の天才の提案に、男達は異議なしと声を揃えた。













 『死国残留海域スカイ』と銘打たれた特異点は復元されていた。士郎らが帰還する、ほんの五分前の事だ。
 カルデアに帰ってきたネロは疲労困憊を極め、帰還するなりそのまま眠りについた。同道していたアーチャーのアタランテとエミヤはフェルディアによって撃破され、英霊召喚システムによる再召喚待ちである。
 健在なのは光の御子クー・フーリンのみ。しかし彼もまた満身創痍だ。全身傷のない箇所は見当たらず、大儀そうに鉛色の吐息を溢している。

「……おう、お嬢ちゃんじゃねぇか。マスターの様子はどうだ?」

 マシュが光の御子と出くわしたのは士郎のメディカル・ルームを出た廊下である。
 クー・フーリンはサーヴァントだ。見た目を取り繕う事で、外見だけは回復しているように見せているが、その霊基は非常に損傷が激しい。マシュは彼を気遣うも無用だと手で示され、クー・フーリンの問いに答える。

「先輩は無事……ではないですが、命に別状はありません。近い内に目を覚ますだろうとドクターとダ・ヴィンチちゃんは言っています」
「そうか。……チ、オレがもうちょい早く始末つけられりゃよかったんだが」

 番犬が聞いて呆れるぜ、と。士郎が聖杯の泥に呑まれた件を聞いていたのか、クー・フーリンは腹立たしげに舌打ちする。

「この失点は次の戦いで取り戻す。やれやれ……今回ばかりはオレも疲れた、ちょい休ませてもらうぜ」
「あ、クー・フーリンさん」
「あん?」
「その、そちらの戦いはどうなったんですか?」

 マシュもまた、士郎に付きっきりだった故に、まだネロ達が攻略に当たった特異点での戦闘記録を知らなかった。
 疲れたというクー・フーリンを呼び止めるのは気が引けたが、聞いておかねばならない気がしたのだ。
 アイルランド随一の英雄は、心底から疲れきった声音で応じる。戦士は自らの手柄を吹聴するものではないが、求められれば口を開くものだ。

「わりぃが大分はしょるぜ。詳しく知りたけりゃ記録を見ればいいんだしな」
「はい」
「波濤の獣を討った所までは知ってるな? ソイツの中にあった聖杯を、フェルディアの野郎が回収して行きやがった。で、ちんたら鬼ごっこしてやる暇もなかったんでな、ネロとアーチャーの野郎、それからアルカディアの狩人にフェルディアを任せてオレは本丸に突っ込んだ。そこで待ち構えていた師匠――ああ、スカサハだな。ソイツと一騎討ちして、終わった」
「終わった?」
「悪いな。覚えてねぇよ。どんなふうに戦ったかなんてよ」

 首を傾げるマシュに、クー・フーリンは片眉を落として苦笑する。実際覚えていないのだから仕方がないのだ。
 記録を見た方が分かりやすいと言ったのも、それが理由である。

「本気でやったからな。変身しちまった」
「あっ」
「理性がトンで、何があったかなんざ記憶にねぇよ。だがまあ、それでほぼ相討ちだったんだから笑えねぇ。お蔭で正気に戻れたけどな」

 此処穿たれたんだぜと笑うクー・フーリンの指は、心臓から指一本分逸れた位置を指している。
 魔槍と魔槍のぶつかり合いに決着はなかった。故にその傷は、純粋なスカサハの技量によってつけられたものなのだろう。本来なら死に至る傷の深さである。しかし、

「ま、この程度で死ぬようじゃあ、オレは英雄になんぞなってねぇ。相討ちに近い形で、オレの槍がスカサハの心臓を抉って――仕舞いだ」

 ゲイ・ボルクは不死殺しの魔槍である。死のないスカサハといえど、この魔槍で心臓を穿たれれば、死なぬ道理はない。例え死を剥奪されていたとしても、その存在を『殺す』のがゲイ・ボルク故に。

 奇しくも生き汚さが生死を分けたのである。死ぬつもりのないクー・フーリンと、死にたがりのスカサハ。勝敗は最初から決まっていたのかもしれない。

「そういう訳だ。――お、そうだお嬢ちゃん。暇がありゃあマスターに伝えておいてくれ」
「あ、はい。何をでしょう?」
「『賭けはオレの勝ちだ。とっとと起きろ馬鹿野郎』だ。頼んだぜ」

 ひらひらと後ろ手に手を振って、歩き去っていくクー・フーリンに、マシュは微笑んだ。そして実感する。今回も、カルデアに帰ってこれたんだ――と。








 

 

人理守護戦隊エミヤ(前)





 再召喚の一番手は、どうやらアルカディアの狩人だったらしい。召喚サークルを通してカルデアに現界すると、直接出迎えてくれたのはネロとアタランテ、マシュ、そしてアルトリア達だった。

 少々意外に思う。
 この場にあの男がいないのが、だ。

 どのような因果があろうと、自身のサーヴァントを労うのを厭う性格ではないと思っていたのだが――まあ構うまい。どうせ嫌らしい歓迎の用意でもしているのだろう。想像するに、今頃厨房で料理でもしているのかもしれない。
 どちらが上か思い知らせてやる等と、オレをネロ班に回す時に不敵に嘯いていたのを思い出し、口角を上げる。面白い、ならばその腕を品評してやろう。そしてどちらが上か比べるのもいいかもしれない。
 と、そんな事を思っていると、ネロが真っ先に歩み寄ってきて腕を叩いてきた。

「おぉ、アーチャー! ご苦労である。スカイでの奮戦、真に見事であったぞ! ローマであったら将軍に召し上げるほどの活躍である! ……うん、余のカルデアのマスターとしての初陣、少しばかりキツすぎた気がするが、無事乗り越えられてよかった!」
「一度消滅させられた身としては、無事とは言い難い気もするがね」

 思わず苦笑する。名高き薔薇の皇帝が女性で、しかもカルデアのマスターに引き抜かれていたというのは此処でしか見られない珍事であるが、オレはすんなりとそれを受け入れられた。
 カルデアなら何があっても可笑しくはない。それにネロは魔力量、指揮官としての力量、人柄、どれも申し分のない存在だ。仮マスターなのが惜しいと感じるほどに。
 天真爛漫とすら感じさせる物言いも、愛嬌として受け入れられる。容姿がどことなくアルトリアにも似てなくもないからか、自分で思っていたよりも好意的に接する事ができた。

「何はともあれ、誇るがいい、エミヤ。汝がマスターを庇わねば、フェルディアの刃はマスターを切り裂いていただろう。汝の功は大きい」
「彼のアルゴナイタイの紅一点、アルカディアの狩人にそうまで言われると面映ゆいな。君の功も大きなものだったと記憶しているが」

 そう返すと、アタランテは苦笑ぎみに肩を竦めた。こちらを認めてくれたような、信を置くに不足のない者として見る佇まいだ。彼女は掛けてきた言葉は少ないが、それで充分に理解し合えた気がする。

 アタランテ。ギリシャ神話でも特筆すべき弓の名手だ。その駿足は彼のアキレウスにも劣らぬものだろう。事、森林での戦いならば、恐らくあの光の御子にも引けは取るまい。
 大英雄とは言えない、しかしその実力は間違いなく一級だ。オレがフェルディアからネロを庇った際、一瞬の隙を突いてフェルディアの腕を矢で射抜いた光景を確かに見ていた。その傷があったからこそ、ネロは辛うじて単独での防戦が叶い、カルデアから再派遣されてきたアルトリアが聖剣を振るう間を稼げた。

「……アーチャー」
「戻ってきたか、アーチャー。大儀だったと一先ずは労ってやる。褒美だ、受け取れ」
「む? セイバー、何、をッ?」

 アルトリアと、オルタリア等とあの男に呼ばれていた騎士王達。涙が出るほど懐かしい彼女に、こうして出迎えられるのは感慨深い。
 しかしアルトリアはなんとも複雑な目をして、オルタにいたっては無造作に腹部へ鉄拳を見舞ってきた。躱す事も儘ならずに直撃され、思わず蹲りそうになる。腹筋が爆発したような衝撃だ。だが手加減はされていたのだろう、本気だったら間違いなく悶絶していた。

 いきなり何をと抗議しようとするも、オルタは鼻を鳴らして踵を返した。そのまま召喚ルームを後にする黒き騎士王。アルトリアはそれを見送ると軽く頭を下げた。

「すみません、アーチャー。私の側面が八つ当たりをして」
「……八つ当たりとは? 私が彼女の気に障る事をした覚えはないが……まさかあの男が何かしたのか?」
「いえ……詳しくはまた後で。一応忠告をしておきます。アーチャー、貴方はとりあえず、覚悟しておいた方がいいかもしれません」
「覚悟? 何を覚悟しろと?」
「では私もこれで。ご苦労様でしたアーチャー。言い遅れましたが、貴方と再び共に戦える事は、私としても心強い」

 不吉な物言いに嫌な予感がする。
 なんだというのか。立ち去るアルトリアの背中を困惑して見送るオレに、マシュは固い顔で近づいてきた。

「お疲れ様でした、エミヤさん。それと、再召喚に応じて下さり感謝します」

 このカルデアにエミヤは三人いる。あの男に、オレに、IFの切嗣だ。気を取り直してマシュと向き合う。

「……構わないさ。私としてもこんな途上でカルデアから脱落する気はない。処でマシュ嬢、あの男はどこだ? なんなら……。
 ……? ……ま、マシュ? その娘は……?」

 不意にマシュの背中からひょっこりと顔を出した幼い少女に、古い記憶が刺激される。
 思わず顔を引き攣らせた。まだ小学生になったかならないか程度の、幼い少女の髪は薄紫の色彩を帯び、感情の薄い瞳でこちらを見上げてきている。マシュの服の裾を握り、オレを見る目は酷く小動物的で――この少女が、オレにも縁深い存在である事を予感させた。
 マシュが何かを答えるより先に、少女はマシュの後ろから問い掛けるように口を開いた。

「……はじめまして。わたしは、間桐桜、です。あなたは、士郎さん……ですか?」
「――」

 その、姿が。どうしようもなく、己にとって大切で――救えなかった者と重なる。日常の象徴だった、大切な存在だったヒトの、幼い姿。それを見間違うなど、どれほど磨耗していても、まず有り得ない。例えどうしようもなく摩り切れていても、その姿を見て、声を聞けば、鮮明に思い出せる。

 それで悟った。その名前で理解した。あの男がどこで戦っていたかを知っている。

「なんでさ」

 頭を抱えた。 













「……なるほど。そんな事が……」

 カルデアの食堂で、事の経緯を説明して貰う。
 そしてオレの一応のマスターである、あの男の状態も把握した。

 この世界の衛宮士郎の体験した、冬木の第五次聖杯戦争。そしてそのガワを被せられた、第六次聖杯戦争。第五次時点で大聖杯に焚べられていたオレの魂を、アラヤによって憑依させられ同化した存在。
 故に別人でありながら似たような、しかし決定的に異なる軌跡を紡いだ『エミヤシロウ』が此処にいる。――天井を見上げ、そして瞑目した。アラヤの抑止力の遣り口には、いつだって苦い想いをさせられる。

「あ、あの、エミヤさん。先輩は……どうなるんでしょう……?」

 向かいの席に座っているマシュが、心配げに問いかけてくる。オレはなんと答えたものか、頭を捻るも――有りのままを伝えるしかなかった。

「恐らく、死後はアラヤの奴隷として組み込まれるだろうな」
「そんな!」

 本来あの衛宮士郎は、決してオレと同じ末路を辿る事はなかっただろう。
 人間性が違いすぎる。あの男はあくまでオレと起源を同じくするだけの、完全な別人なのだ。エミヤシロウはあのように、自分を大事に出来る男ではない。エミヤシロウはあのように、他を省みる事の出来る人間ではない。借り物の理想しか見ていなかったエミヤシロウとは、決定的に違う。しかしそこにエミヤシロウという余分な魂を同化させられた事で歪み、本来目指していた正義の味方とは異なる道を歩んだ。
 そして自身の人間性こそ保っているものの、その魂は限りなくオレと同じと見ていい。でなければ、奴の固有結界にオレと同じ歯車などないはずなのだから。

 マシュの悲鳴じみた反駁を受け顎に手をやる。傍らの席に桜がいるのが、どうにもやりづらい。

「……士郎さん、どうなっちゃうの?」
「君が気にする事じゃないさ。……それから、紛らわしいから私の事はアーチャーと。君を助けた男を士郎と呼べばいい」
「うん」

 フォークでパスタを不器用に絡めとり、口周りを汚しながら頬張る無垢な様に頬が緩む。
 しかし……なんだ。何故そのフォークが宝具化している。桜の状態も聞かされたから、一応は理解は出来るが、フォークはどう考えても『武器』のカテゴリではないはずだ。

「アーチャー、対策は何かないのか。私のシロウを、アラヤ如きの走狗にさせるなど、想像するだけで腸が煮え繰り返る」

 オルタが漆黒のドレス姿で脚を組み、苛立たしげに問いを投げてくる。よほど、この世界の衛宮士郎は騎士王に入れ込まれているらしい。オルタではない方のアルトリアも、黙ってはいるが痛いほど重い視線を突き刺してきている。
 オレはそれが、少し妬ましい。しかし彼女達のそんな感情を得たのは、この世界の衛宮士郎だからこそだろう。彼女を救えなかったオレに、つべこべ言う資格はない。妬みをおくびにも出さず、首を左右に振った。

「あの男の結末は既に決まっている。これを覆すには、あの男がまだ生きている内に、その魂を跡形もなく焼却する以外に方法はない」
「ですがアーチャー、貴方は然程この問題を重く捉えていないように見える。まさか貴方は、シロウがどうなろうと構わないと思っている訳ではありませんよね」
「無論だ」

 色々と複雑だし、思うところが何もない訳ではないが。オレとあの男は名前が同じなだけの赤の他人。くだらない私怨を交えるつもりはない。

「あの男が自らの意思で世界と契約するような愚か者なら、同情の余地は微塵も有り得ん。しかしあの男の状態は、謂わば詐欺によって不当な契約を結ばされた被害者のようなもの。ならば私も、なんとかしてやろうと知恵を絞りはする」
「では」
「――と言っても、期待はするな。私とて確証があるわけではない。何せこんなもの、はじめて耳にする例だ」

 桜が聞き耳を立てているのを察して、その頭を軽く撫でる。気持ち良さそうに目を細める桜に、食事を続けるように促して意識を逸らすと、真剣に話の続きに耳を傾ける三人に向き直った。
 アルトリア、オルタ、マシュ。――まったく、あの男も罪な奴だ。こうまで慕われているのを見せつけられると、同族嫌悪すら出来ない。

「同化した魂を切り分ける事は不可能だ。なんであれ私とあの男は、性質的な意味でほとんど同一人物だからな。どこからどこが本来の奴の魂かなど、第三魔法による魂の物質化を実現しても見分けはつくまい」

 ふと、食堂の外で聞き耳を立てている存在に気づく。……こんな話をわざわざ聞きに来るとしたら、後はロマニ・アーキマンぐらいだろう。
 そんな所にいないで、食堂の中に入り聞けばいいものを。奴なりに罪の意識があるらしいが、そんなものはお門違いだ。

「私が考えるに対策は一つ。それは世界の認識する『エミヤシロウ』と、あの男が完全に別物だと認識させる事だけだ」
「……どういう事ですか?」

 いまいち意味が伝わらなかったのか、マシュが首を捻る。

「ふむ。マシュ、君は抑止の守護者がどんな存在か知っているかね?」
「はい、一応は」
「なら話は早い。細かい解説は要らないな。簡単に言うと私のような霊格の低い英霊は、人類を守るアラヤの抑止力に組み込まれる。名のある英霊は様々な理由で、アラヤではなく星寄りの――つまりガイア寄りの存在になっているからだ。
 そうだな……守護者として該当するのは、英霊を英霊たらしめている信仰心が薄い英霊か、或いは生前に世界と契約を交わし、死後の自身を売り渡した元人間と言えば分かりやすいか? 衛宮士郎を救いたくば、このアラヤの枠組みから脱する他に手立てはない。既に死んでいる私は不可能だが、まだ生きている衛宮士郎ならば絶対に不可能とは言えないだろう」
「つまり、アーチャー。貴方はこう言いたいのですか? 『シロウをアラヤの走狗にしないで済ませる方法は、霊格の高い英霊として祀り上げる必要がある』と」
「その通りだ、セイバー」

 早い話、アラヤが掃除屋として運用できるのは格の低い英霊のみだ。例外は世界と直接契約した者のみ。そしてこの世界の衛宮士郎は、契約した状態からスタートしてはいるが――生憎と本来のこの世界の衛宮士郎は『契約していない』し、その意思もなかった。
 であれば、不可逆の事象が成立する。契約する意思のない者が巨大な功績を打ち立て、人々の信仰を集める事で高位の霊格を手にすれば、それは英霊として祀られるに相応しい存在となる。
 現代では英霊は生まれにくい。なぜなら世界を救う程度の功績では、英雄とは言えなくなっているからだ。しかし何も功績とは世界を救うばかりではない。不特定多数の人間を明確に救い、その功績の認知度が高まり――未来の教科書に載るほどの存在になれば、充分に英霊として認められるようになる。

 かもしれない。

「なんだそれは」
「だから、あくまで可能性だ。この人理復元の旅は、生憎と功績だと認められはしないだろう。世界は既に滅んでいる。滅んでいるモノがどうやって功業を評価する? 奴は宛のない旅を続けねばならない。高位の英霊だと認められるに足る功績を打ち立てねばならない。さもなくば、奴は永劫に人類の掃除屋となる」

 高位の霊格を持てば、それは『エミヤシロウ』ではないという解釈が成立し、奴の中のオレは分離されるだろう。或いは同化したままかもしれないが、奴の能力として組み込まれるだけだ。
 まあなんだっていい。どのみちオレにしてやれる事など――と。アルトリアやオルタは、互いを一瞥して頷き合っていた。

「決めたぞ、アーチャー」
「ええ。私も」
「……何をだ?」

 思わず問い掛けると、アルトリア達は決然と言った。

「愚問だ。この人理修復を巡る旅が終われば、」
「私はカルデアに協力した報酬として、回収した聖杯の使用権を貰います。それで受肉を果たし、シロウを助ける為に共に在る」
「――そういう事だ」
「……」

 それは、また。随分と思いきったものだ。
 笑ってしまう。嫌みではない。未来を語る事の出来る彼女達が、酷く眩しい。

 ――マシュが顔を曇らせたのに、不意に気づいた。

 どうかしたのかと訊ねようとする。彼女もきっと、あの男を助けたいと望んでいるはずだと思ったのだが……。しかし今回は、話を聞く機会を逃した。食堂に光の御子がやって来たのだ。

「おう、此処にいやがったか、アーチャー」
「! ランサー……一体どうしたのかね?」

 猛烈に嫌な予感がする。彼が現れた瞬間、アルトリア達はサッと席を立った。未来予知に近い直感が危機を察知したのかもしれない。出遅れたと察するも、そもそも逃げ場などなかった。
 クー・フーリンは、にやりと笑みを浮かべ、友好的に肩を組んでくる。気味が悪い――払い除けようとするが、がっちりと捕まえられた。

「な、なんだね。私に何か用でも?」
「用? ああ、たっぷり三時間も寝たからよ、寝起きの運動に付き合わせる相手を探してたんだ。で、そこでテメェだ。本気の中の本気のオレを、テメェには見せとかねぇといけねぇ気がした」
「――」

 脳裡を過る、先の特異点での怪獣大決戦。トップサーヴァントの中の更にトップ陣に食い込む、このカルデア最強のサーヴァントの力。はっきり言って、冬木の時の比ではない。額に脂汗が浮かんだ。

「き、急用を思い出した。オペレーターのお嬢さんとティータイムを――」
「まあまあまあまあ、そう言うなって! シミュレーターでちょいと()り合おうぜ。師匠と殺り合った熱が抜けきってなくてな――ストレス発散、付き合えよ。な?」
「ま、待て――!!」

 白兵戦ではオレを圧倒するアルトリアを圧倒するバグ染みた男と耐久戦闘コースなど御免被る! 必死に抵抗する、が――捕まった時点で運命は決まっていた。










 気配を断って食堂の隅にいた赤いフードの男が密かに呟いた。

「お手並み拝見だ、ケルトの英雄さん――」

 彼はまだ、クー・フーリンの実力を把握出来ていない。それを見極める機会として、エミヤシロウはうってつけの存在だった。



 

 

人理守護戦隊エミヤ(後)




 幾度も戦場を渡り歩き、培ってきた淡い矜持があった。

 投影の速度と精度を窮め鉄壁と自負する防禦を基礎にした戦闘術を磨き、果てにサーヴァントとして心眼のスキルを獲得するに至った、卓越した戦闘論理を構築した。
 己よりも強大な敵は、それこそ幾度も目にして来た。だが決して容易くは敗れぬという自負がある。防戦に徹し相手の呼吸を図り、挑発を重ね、効果的な戦術と投影を組み合わせて勝利をもぎ取る。勝てぬまでも退路は常に残し、時として死や降伏を擬装して潜伏する事もあった。
 戦いに絶対はない。故に勝てるモノを、勝てる状況で、勝てるように運用する。それがエミヤにとって唯一の戦闘論理である。戦いに於いておよそ誇りと言えるものを持たないエミヤだが、自らの戦闘術に関しては自信があった。

 しかし同時に、エミヤは理解していた。

 それは所詮、人の業である。投影魔術、固有結界という異能を有していても、決して無敵ではない。最強でもない。究極の一に至った担い手には及ばない。自らでは及びもつかない絶対強者というものは存在する。
 例えば英雄王がその一人だ。相性の関係で有利に立ち回れはするが、それはあくまで英雄王が慢心していればこそ。エミヤを格下と知るからこそ英雄王は全力を出さない。もし仮に、英雄王が城を、船を、霊薬を、概念に類する宝物を繰り出せば、剣に特化している贋作者では太刀打ち出来ないだろう。それこそ百回やっても、千回やっても万が一はない。一度全力を出されれば、それだけで英雄王という天災に等しい存在には敗北を決定される。
 
 それと同じ事だ。ヘラクレスに理性があれば、どんな状況設定であってもエミヤに勝ち目は皆無なのと同じである。アイルランドの光の御子がその能力を完全に発揮すれば、元がただの人間であるエミヤにとっては嵐も同然だ。天災に個人が敵う道理などない。故に――敗着は必然であった。

「――まあ、予想していたよりは楽しめたぜ」

 クー・フーリンはそう言って『クールダウン』を終えた。疲労困憊、満身創痍に陥ったエミヤだが、クー・フーリンにとっては戦いの余韻を冷ますだけの単純な作業だった。
 荒い呼気を正すのに精一杯で、皮肉のひとつも返せないほど疲弊したエミヤは、意地だけで膝をつかなかった。手も足も出ず、亀のように守りを固めていただけの時間だったと言える。本気ではなく、徐々にギアを上げていく感じだったが、二時間以上も攻められるとは思っていなかった。

 そして模擬戦が終わったからと、互いに歩み寄るほど親しくもなければ馬も合わない。エミヤとしてはこの男に己を完全に認めさせ、無二のマスターとして仰がせた衛宮士郎が自身と別人である事を痛感せざるを得なかった。改めて思い知ったが、どう在っても不倶戴天、気に入らないのだ。
 クー・フーリンは魔槍を肩に担いでシミュレーター・ルームから立ち去っていく。その間際に、ふと思い出したように言う。

「おう、アーチャー」
「……、……なんだ」
「防禦が巧ぇのは分かっちゃいたが、こと防戦に限って言えば赤枝の騎士にもそうはいねぇレベルだったぜ」
「……?」
「じゃあな」
「……」

 立ち去ったクー・フーリンの背中を、呆気に取られたようにエミヤは見送った。

 今のは……誉められたのか?

 困惑する。

 理不尽に絡まれたかと思えばこれだ。エミヤの知るクー・フーリンとはこんな男だったのか? もしや今の模擬戦は、彼なりのコミュニケーションだったりするのだろうか。これがケルト流の心暖まる触れ合いだと? 頭を振る。流石にそれはないだろう。あって堪るものか。
 思考を切り換える。冬木で戦った時は相当に弱体化していたのは分かった。何はともあれあの位階の英雄の力を、死の恐れもなしに知れたのはいい経験である。この経験を糧に立ち回りを練る機会が得られたのだ。次はこうも簡単に捩じ伏せられはしない。

 さりとて、接近戦は不毛だろう。単純に速さが段違いなのだ。敢えて隙を作って攻撃を誘導する手法は有効的ではない。純粋に対処が間に合わない。
 やはり本職の弓兵に立ち返るしかないだろう。だが生半可な矢はクー・フーリンには通じない。最大火力を以て一撃で決さねば、こちらの命がないのは目に見えている。手堅いのはアルトリアと同等かそれ以上の前衛を置く事だが――そもそもあの脚だ、前衛を無視してこちらに突っ込んでくる様がありありと想像できる。

「……今は、あの男が味方でよかったと思っておこう」

 嘆息してエミヤもシミュレーター・ルームを後にする。時刻は午後の六時ほどか。手も空いている事だ、折角だから職員達の分の夕食でも作っておこうと思う。
 そう思い立つと、エミヤは食堂に向かった。このカルデアは科学と魔術の最先端、どれほどの調理器具が揃っているか、実は召喚初日から気にはなっていたのだ。もしかするとあの男が持ち込んだ物品もあるかもしれない。もしあれば吟味してやろう。

 厨房は一つの戦場だ。「幾度の戦場を超えて不敗」の呪文は伊達だが、幾度の厨房を巡ったとしても何者にも敗れるつもりはなかった。
 食堂に着くも、人の気配が幾つかある。どうやら先客がいるようだ。人の振る舞う料理も乙なものだが、今日は鍋をしたい気分だ。特に意味はないが。厨房は広い、先客がいようと隅の方を借りて作ればいい。そう思って赤原礼装を解除する。
 エプロンを投影しそれを身に付け、厨房の入り口にあったアルコール消毒液で手を消毒する。霊体であるサーヴァントには意味はないが、これは厨房に入る者として当然の嗜みだ。
 厨房に入る。すると、食堂に入った時点で感じていた薫りが、更に芳醇に感じられた。知らず、呻いてしまう。

「……中々やる」

 調理には一家言あるエミヤをして、そう溢さずにはいられない薫りだ。たかが匂い如きと侮るなかれ、見た目、味と同じぐらい薫りも料理には大切なものなのだから。
 この濃厚な薫りからして、作られているのはシチュー辺りかと予想する。そして改めて厨房の中を覗き――絶句した。そこに立っていたのは、事もあろうに、

 衛宮士郎だったのだ。

「――貴様、何をしている」
「あ、エミヤさん」

 エミヤの声音に怒りが滲む。
 ん? とこちらを振り返った男の傍には、熱心にメモを取るエプロン姿のマシュがいた。そして白い割烹着を着た桜が士郎に肩車されている。付け加えるなら、そんな桜の頭の上には一匹のモコモコがいた。
 モコモコは全身をビニール袋で包まれていた。露出しているのは白い四肢と、顔だけである。非常に愛らしいエプロン姿とでもいうべきか。

 マシュが軽く会釈をしてくる。それに目礼のみで応えた。

 昏睡状態に在るはずの士郎が何食わぬ顔で復帰している事に驚きがあった。まだ寝ていなくてはダメだろうとか、言わねばならない事は山ほどあるが。それよりも――

「――衛宮士郎。貴様、事もあろうにこの厨房(聖域)で子供を肩車しているとは何事か!?」
「そこか。そこなのか。まずは俺の心配が先なんじゃないか? 普通は」

 ことことと煮込んだ鍋の様子を見ながら、士郎は苦笑した。「きゅー?」と白いリスのような獣が小首を傾げている。

「戯け、起きてもなんともないと判断したから此処にいるのだろう。その程度の判断も出来ん未熟者ではあるまい。それよりもだ、動物まで此処に入れているとは……貴様には料理人としての自覚がないのか!?」

 どんな神経をしていると逆上する。断じて有り得ないと言える所業を糾弾するも、とうの士郎は不満そうだった。

「桜に聞いたらビーフシチューが食べたいって言うから……」

 言い訳にもならない。

「そうしたらマシュが料理を勉強したいと言い出して、桜もついでに来る事になった。で、フォウはいつの間にかいた。だから俺は悪くない」

 テシテシと桜の頭を叩く、フォウと呼ばれた小動物。とうの桜は無反応であった。
 俺は悪くないと自己を正当化する物言いに頭痛がするエミヤだ。何せ容姿は肌の色以外は同一、声も自分そのものなのである。セルフキャラ崩壊を見せられているようでいい気はしない。

「桜の身長じゃあ、ここの台所が高すぎて見えないだろ? 料理の手順を見せる為には、肩車もやむをえなかったんだ。フォウには一応ビニール被せてるし問題ないだろ。元々コイツは清潔だし、フォウには桜の親衛隊長を務めるという重要な任務がある。な?」
「フォーウ!」

 元気よく士郎の言葉に応じるフォウは、桜が反応しない事で飽きたのか、その頭の上で四肢を伸ばしてリラックスしていた。
 茫洋とそれを受け入れつつ、頭を揺らさないようにしている律儀な桜である。士郎の頭に掴まりながら微動だにしない幼女へマシュは苦笑し手にしていたメモを畳んだ。

「エミヤさんはどうしてこちらに?」
「どうしてもこうしてもない。手が空いたから忙しい職員達の為に、夕飯の支度でもしておこうと考えたまでだ。それよりも衛宮士郎! そこに直れ! どうやら貴様には、厨房に立つ者としての心得から叩き込まねばならんようだな!」
「あーあーうるさいな……お前は俺の母さんか。もう終わったんだから大目に見ろ」
「ふざけた事を抜かすな。大体貴様は――」
「この後も予定詰めてんだから勘弁しろ。さーくらー、食器用意しててくれ」
「……うん」

 桜を肩から下ろすと、士郎はエプロンを外しながら厨房から出た。桜はトテトテと、頭の上の小動物を落とさないようにバランスを取りながら食器の準備を始める。
 マシュが微笑んで、手伝いますねと断りを入れて食器棚の高い位置にある大皿を取り出す。それを尻目に士郎もエプロンを外し、手を洗ってエミヤを促し厨房を出た。

「なんだ」
「いや何、とりあえずアルトリアーズとネロ、ランサーと切嗣、お前と俺、マシュ、桜、ロマニにレオナルド、アタランテ――後アグラヴェインに百貌様、追加で今から召喚するサーヴァント三騎の分は作り終わったからな。……アルトリア二人の分で二十人分消し飛んだが。特異点二つ同時攻略の祝勝会兼新顔歓迎会だし、奮発するのもたまにはいい」
「……カルデアの備蓄は保つのか?」
「勿論。現状最優先で、冬木の聖杯をダグザの大釜に改造して貰っている。レオナルドが言うには明日には完成するそうだ。食料問題はこれで解決する」
「新規でサーヴァントを追加召喚する理由は」
「戦力の内容が片寄りすぎだからだ」

 明るい顔で説明していたのが一転、真顔で士郎は言った。心当たりのあるエミヤは微妙な顔になる。内心同意見だったのだ。

「切嗣は言うまでもないから省く。ランサーは大火力が必要な時、本気を出す時は相応の魔力を必要とするが、それ以外では低燃費でも運用できる。だからレギュラーだ。
 そしてマシュ、あの娘とはそもそも契約しているだけで、あらゆる毒素への耐性を得られる恩恵がある。純粋な守りの要でもあるからマシュもレギュラー。
 で、ロマニ。人理焼却の黒幕が魔術王かそれに類するモノであると推定される以上、奴の存在は秘した方がいい。だから魔神柱のいる特異点には連れて行けず、冬木のような変異特異点でしか出番はない。よって補欠だ」
「……セイバー達はどうなんだ?」
「その前に伝えておくが、俺が一つの特異点に連れて行くサーヴァントは四人だ。ランサー、マシュ、切嗣は固定で、後の一人は場合による。例外的に五人目が加わるかもしれないが、それは余り想定していない。別行動のネロ班にアタランテが固定だから此処に三人を入れる予定だ。自動的にアルトリア、オルタ、アーチャーがそうなるのが自然だがアルトリアとオルタのどちらかは、俺やネロの直面した状況に合わせて投入される切り札にしたい。いざという時に備えてのカルデアでの待機組だな。オールマイティーに動かせるアーチャーはネロにつけたいと思っているから、実質カルデアに待機させる戦力内容が火力組しかいないのはわかって貰えると思う。

 ――ぶっちゃけキャスターが欲しい。道具作成はレオナルドがやってくれるから、欲しいのは回復役をこなせる救急組だ。戦場に衛生兵がいないのは問題だろう?」

 ぐうの音も出ない正論である。エミヤは納得してしまった。
 衛生兵は実際必要不可欠なのだ。カルデアにも医療班はいるが、それは人間である。いざという時、特異点にレイシフトして治療に出向ける訳ではない。

「という訳で召喚ルームに行くぞ」
「今からか?」
「今からだ。キャスターだからと回復技能持ちとは限らない。一気に三騎召喚する。内一騎でも回復技能か宝具持ちであったら御の字だ。レオナルドと魔術王の霊基パターンにある共通事項から、キャスタークラスを狙い撃ち出来るようにしたらしいし、後は運任せだな」
「……」

 その運任せが如何に信用ならないか、この男は何も学習していないのだろうか。
 貫禄の幸運Eのエミヤと士郎である。そもそもオレが行く必要はあるのかとエミヤは思う。かんらかんらと士郎は破顔した。

「はっはっは。キャスターで俺達に縁があるのはコルキスの王女ぐらいなものだろう? 何も心配は要らない。キャスターならアルトリアが増える事もまずないしな」
「……」

 それはどうだろうか。キャスター適性も有り得るのがアーサー王である。何せ騎士王の宝具の中には炉やら姿隠しのマントやらがある。
 まあ流石に心配しすぎか。

「私が同行する理由は?」
「ぶっちゃけない。お説教がうるさくなりそうだったから、その場の勢いで連れ出しただけだ。なぁに、幸運は舐めても俺のガチャ運は舐めるなよ。これでも外れを引いた事はないんだ」
「……」

 サーヴァント召喚をガチャ呼ばわりは悪い文明である。しかし実績的にあながち間違いでもなさそうなあたり、この男は性質が悪い。
 士郎と話していると頭が痛くなってくる。平行世界の衛宮士郎とはいえ、こんなにも性格が違うと流石に思う事もあった。これで容姿が同じでなかったら、気兼ねする事なく付き合えたものを。言っても詮無き事ではあるが。

 召喚ルームに到着する。呼符なるものを三枚召喚サークルに設置した。

 管制室に合図を出す。電力が回され、魔力へと英霊召喚システムが変換する。そうして魔力が満ちていく中、不意に管制室から声が響いた。カルデア職員とロマニだ。

『何してるんだい、皆?』
『あ、司令官代理。いえ、士郎さんがサーヴァントを召喚したいと申請してきましたので……』
『――はぁ!? 士郎くん起きてたのかい!? って何召喚しようとしてるんだよ!? レオナルドー! アグラヴェインー! 早く来てくれえぇ!』

「……おい」
「あーうるさいうるさい。おーい、ロマニの声カットしてくれ。傷に響く」
「傷はないだろう」

 思わず呆れるエミヤである。この男は自分が起きた事を司令部に伝えていなかったらしい。マシュなら伝えるはずだから、彼女はこの男に煙に巻かれたのだろう。悪い男である。

『士郎くん! 何をしてるんだい!? まだ寝てなくちゃいけ――』

 ぶつ、と通信が切れる。士郎が通信の電源を落としたのだ。
 魔力が満ちる。いい加減誰か、この男のストッパーになれる人材が必要だろう。その役は御免被るエミヤだ。

「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
「間違いなく別の意味の鬼が後で出るがな」

 かんかんに怒り狂うアルトリア達の姿が目に浮かぶ。雷が落ちるだろう。
 いい気味だ。
 士郎はエミヤの皮肉を聞き流し、召喚サークルに現界するサーヴァントの姿を指し示した。

「ともあれ俺のガチャ運をお前に知らしめるいい機会だ。とくと見ろ、俺に外れ籤はない」

 そして、三騎のサーヴァントが姿を表す。霊基パターンは、確かに三騎ともがキャスターだ。
 その姿は――





「わっ、わわわ! なになになにー!? いったい今度は何事ー!?」
イリヤ(・・・)、下がって! 謎の光が、突然……!」
「あらあら……大にぎわいね?」





 見覚えしかない冬の少女と、黒髪の少女、そして冬木でまみえたばかりの、冬の聖女の生き写しだった。

「――ほら見ろ、これが俺のガチャ運だ」

 遠い目をした士郎が嘯くのに、エミヤは頭を抱えた。








 

 

エミヤだよ!全員集合!





 康寧の目覚めを迎える。

 夢は、見なかった。

 電灯の点す淡い光を見詰めた。瞳が焦点を結ぶのに数秒掛かる。此処はカルデアの医務室か。茫洋とした意識が自覚するに、『この世全ての悪』にしてやられ、今の今まで失神していたらしい。
 不覚を喫した己を恥じる。俺にとっては寝耳に水で、真実驚愕に値する因果が明らかになったとはいえ、それで敵に対して隙を晒すなど未熟も良い所だ。あんな事で死ぬ羽目になってみろ、俺は間抜けでしかない。
 しかし――この身の裡に侵入した呪詛は根刮ぎ払われている。ロマニの仕業かと思ったが、どうにも違和感があった。

 同調開始(トレース・オン)

 意図するまでもなく、反射で自身の肉体を精査する。積年の戦闘経験を経て、それはもはや習性となっていた。
 読み解くのは自らの肉体、その設計図。基本骨子から構成材質、念を入れこれまでの記録と比較する為に蓄積年月も詳びらかにする。
 『世界図』を捲り返す大禁呪、固有結界に異常なし。魔術回路二十七本正常。固有結界に関しては、異物を明確に自覚した故か余分なものを認知出来るようになったが、使用に問題が生じる事はないだろう。

 ――『この世全ての悪』が再現した俺の心象風景に在った錬鉄の守護者。自我なき正義の味方。俺が投影を十全に使いこなせるようになってからは、投影杖などと呼んでいたアイツの補助は機能しなくなっていた。
 ある意味、奴が俺とアラヤを繋ぐ接点なのだろう。俺の危機に応じて、アラヤの端末であるアイツから魔力が供給されているのかもしれない。
 死に瀕する程の重傷――例えばカルデアがレフによって爆破された際、上半身と下半身が千切れたのを修復出来たのは、奴の恩恵を得られていたからと思われる。
 あれほどの重態となったのは、はじめてではなかったが。今まで死なずにいられたのは、皮肉にもアラヤが俺をカルデアに送り込む為だったのだろう。もっと早くに自力で気づくべきだったのだろうが、それを自覚出来ないようにアラヤが仕組んでいた可能性は高い。 

 そして、俺の体には『全て遠き理想郷』が埋め込まれていた。

 少し驚く。この宝具を俺に埋め込んだ者は、彼女以外に有り得ない。
 冬木の特異点にいたアルトリアだ。俺が意識を断絶させた後、ロマニ達は上手いこと聖杯を獲得したようだが、思わぬ拾い物があった。
 あの時、仮契約とはいえ繋がりがあった為、アルトリアは俺の事情を知ったのかもしれない。そして今後の助けになるようにと、聖剣の鞘を与えてくれたらしい。
 ……なんというか、どんな世界だろうと変わらないあの在り方が眩しくて、貴い。生まれ変わったら円卓の騎士になりたいレベルだ。むしろギネヴィアのポジションにつきたい、男として。

 何はともあれ、生きているならいい。

 俺の事情は、俺のものでしかない。他人は関係ない。カルデアでの戦いを終わらせるまで、俺の事は後回しだ。全てが終わった後に、俺は自分の為に動こう。
 やる事は変わらない。成すべき事も。なら、迷う事なんて何もなかった。『この世全ての悪』は俺が自分の状態に絶望し、再起不能になると思っていたのかもしれないが、生憎とこの程度で絶望するほど心は硝子ではない。仮に硝子だったとしてもそれは強化硝子だ。

 俺はエミヤシロウなのだろう。勘違いで勝手に苦悩していた戯けなのだろう。だが、それでも、俺はあくまで衛宮士郎だ。
 英霊エミヤではない。エミヤの記録にある『衛宮士郎』でもない。俺は俺だ。平行世界の自分がなんだ。俺の自我は、俺の立脚点は、決して他の誰の物でもないと断言できる。なら――ブレる恐れはない。揺らぐ事なんて有り得ない。悲劇の主人公なんて柄ではないのだ、精々足掻くとする。一流の悲劇より三流の喜劇の方が好きなのだから。
 陳腐でいい、安っぽくてもいい、俺の人生だ。幕を引いて満足するのは俺だ。俺でなければならない。俺が一番大切なのは、俺自身が晴れ晴れとしていられる事。結果として周囲を幸福に出来たらいいのだと、今でも思っている。

 たっぷり七時間から八時間は寝ただろう。休養は充分だ。これ以上は体が鈍る。さっさと起きるとしよう。

「ん?」

 医務室のベッドの横で、椅子に座ってこちらを看病してくれていたらしいアルトリアとオルタを見つける。汗を拭ってくれていたのか、アルトリアが手拭いを持っている。
 そしてベッドに上体を凭れ、俯せに眠っている幼女がありけり。

 ……。
 …………。
 ………………え?

「し、シロウ……? もう起きたのですか!?」

 俺が目を開いたのに気づいたアルトリアが、目をぱちくりさせた後、驚いたように声を上擦らせた。

「あ、ああ……アルトリア、この娘は……」
「桜ですか? 彼女は――」

 説明を受け、俺は頭を抱えた。

 仏陀の野郎、寝てやがる。人理焼却されてるからご臨終しているのかもしれない。そして聖杯、キミは録に願いを叶えた実績がないのにこんな時だけ本気を出すなと小一時間ほど文句を言ってやりたくなる。持ち帰れてるならダグザの大釜へ改造不可避だ。

「起きて大丈夫なのですか?」
「ん、あー……そう、だな……どうだろう」

 アルトリアの問いに、俺は数瞬考える。起きると言っても、寝てろと言われるのは目に見えていた。が、もう充分に休んだ。聞けばクー・フーリン達はスカイを攻略してきたらしいが、エミヤ達の再召喚はこれから行うらしい。
 頭を捻っていると、ふとオルタが林檎の皮を黒い聖剣で剥いているのを横目に見咎める。おい、とツッコミを入れたくなるのを堪えた。

「入院患者のお見舞いみたいだな。というかオルタ、お前林檎の皮剥けたのか……」
「バカにしないでもらいたい。私とてこの程度、出来ないはずがないでしょう」
「そりゃそうだ。わざわざありが――ってお前が食うのかよ!」

 皮を剥き、六等分に切り分けた林檎をしゃくりと鳴らして咀嚼するオルタ。
 俺が堪えられずにツッコミを入れるとオルタはにやりと笑った。

「欲しいですか? なら食べさせてあげます。口を開けて」
「は? ……いや口に咥えた林檎を近づけるな……って、まあいいか」
「シロウ!? オルタ! シロウを誑かすものではありません! シロウも乗らないで!」

 んー、と林檎を口に咥えたまま顔を近づけて来るオルタに、俺はまあいいかと顔を近づけると、アルトリアが顔を真っ赤にしてオルタと俺の額に手をやって無理矢理引き離した。
 チッ。俺の抱えていた罪悪感が無駄なものと分かった今、躊躇う気はなかったのだが。さすがにアルトリアには刺激が強かったらしい。乙女か、と揶揄してみたくなるが、それは我慢する。
 
 むぅ、とむずがる桜。些か騒ぎすぎたらしい。俺は苦笑して桜の頭を撫でる。……来てしまったものは仕方がない。カルデアお留守番部隊が賑やかになるだけだ。
 ランスロットの力があろうが、子供を戦場に連れて行く気はなかった。それに、デミ・サーヴァントの影響は体に負担が大きすぎる。無用な負担をこの小さな体に掛けるつもりはなかった。

「俺は少し寝る。二人とも席を外していいぞ」
「そうですか? なら……」
「では私達はレイシフトを利用し霊基の強化に努めていましょう。……シロウ、冬木にいた私との件は忘れていませんので」
「忘れろ」

 忘れて。

「冬木での私との件……? オルタ、詳しく」
「やめろ。やめて。断食案件解除するから」
「ふっ」

 勝ち誇るオルタ。どや顔のオルタにアルトリアは愕然とした。そんな! 私は!? そう言いたげなアルトリアに、はいはいお前も解除するから寝かせてくれと投げ遣りに言う。

 俺が目を閉じると、青と黒のアルトリア達が満足げに退室する。
 暫く黙って、静寂を保つ。一分ほどそうしていて、気配が完全に遠退いたのを感じると、俺は上体を起こした。

「よし、起きるか」

 一分寝ました。寝た後に活動しないとは言ってない。桜をそっと抱えてベッドに横たえさせる。
 ブーツを履き、患者服から戦闘服に着替える。射籠手はしないが、赤い外套は羽織っておいた。
 関節を軽く回して調子を整え、さあ出るかと足を扉に向ける。すると俺が近づく前に、パシュ、と空気の抜ける音がして扉が開いた。

「あ、」
「? ――って先輩!? 起きて大丈夫なんですか!?
 ど、ドクター! 来てくださ――」
「まあまあまあ」

 やって来たのはマシュだった。
 大慌てでロマニを呼びに行こうとしたマシュを呼び止める。白衣姿の可愛いマシュ、眼鏡を掛けていると文系優等生の後輩みたいで可愛い。まあ後輩と言っても十歳の年の差があるんですがね。寧ろ親戚の子で妹的なサムシングだ。

「ロマニには連絡入れてるから」
「そ、そうなんですか? でしたら寝ていた方が……」
「問題ないとさ。起きても」

 ロマニには(何時間か後には)連絡入れてる(はずだ)から――事後報告である。便利な言葉だ事後報告。何時間も起きてたらロマニも問題ないとヤケクソ気味に言うだろう。
 うん、完璧な理論武装だ。難点はマシュの信用を失い、第二の赤い悪魔と化しかねない事だが、マシュはそれぐらいアグレッシブで丁度いいと思う。俺はさしづめ、我が身を犠牲に後輩の自己表現力を育まんとする先輩の鏡だな。

「ん……士郎さん……?」

 っと、マシュが大きな声出すから桜が起きてしまった。
 寝惚け眼を擦りながら起きた桜が、俺とマシュを見てきょとんとする。うーむ、父性に目覚めそうな愛らしさだ。仕事に行ったら拾ってきた子犬、という訳ではないが。似たような感じがする。放っておけない。

「おはよう桜。看ててくれたみたいだな、ありがとう」
「……」

 ふるふると首を振る仕草は眠たげだ。このまま寝ておくかと柔らかく言うと、桜はこれにも首を振る。

「なんか、出会った頃のマシュの妹みたいだな」
「わ、私の妹、ですか?」
「……」

 一瞬、桜は複雑そうに目を伏せた。ああ、デリカシーが無かった。実姉の遠坂の奴を思い出してしまったのかもしれない。
 しかし吐いた唾は飲めない。それにマシュは目を輝かせていた。

「雰囲気が似てるからな。二人には同じ後輩属性を感じる。ほら、桜。マシュが姉なのは嫌か?」
「……」
「……」

 期待に輝くマシュの顔に桜は一瞬考えて、横に首を振った。おお! 桜の奴マシュを気遣った。空気を読んだぞ。マシュは満面に笑みを浮かべて桜の許に駆け寄り抱き締めた。

「むぐっ……」
「やったぁ! やりました先輩! 私に待望の妹が出来ました!」
「良かったなぁ」

 ほろりと涙が出そう。それぐらいはしゃいでいる。しかしなんだ、空元気っぽい。マシュも俺の事情を知ってしまったからなのか? その話題は避けた方がよさそうだ。

「桜ちゃん、わ、私の事は、お、お姉ちゃんと呼んでくれてもいいんですよ?!」
「……お姉ちゃん?」
「はい!」
「むぐっ」

 ぎゅうぎゅうにマシュマロッパイに顔を埋められる桜。嫌がってないどころか、何となく嬉しそうな、照れてるような表情だ。無表情の中に、仄かに朱が差している。
 麗しきかなとほのぼのしていると、不意に遠坂さん家の凛さんが助走をつけて殴り掛かってくるイメージが去来した。クロスカウンターでノックダウンしてやる。ふ、想像するのは常に最強の自分だ。イメージの中で負けはしない。イメージの中でしか勝てないとも言う。
 ふと唐突にサーヴァントを召喚しなければならないという使命感に駆られた。
 来るー、きっと来るー、きっと来るー、と妙な音楽が脳裏を過る。来るならガチャ回さなければ……!
 冬木の聖杯はダグザの大釜化決定なので奮発して歓迎会兼祝勝会と洒落込もう。

「桜、何か食いたいものはあるか?」
「……?」
「先輩?」
「ああ、飯作ろうと思ってな。折角だし、桜のリクエストを聞こうと思って。マシュはなんでもいいとしか言わないし……な」
「うっ」

 だって先輩の作るもの、なんでも美味しいんですもん。と、唇を尖らせて言い訳するマシュ。
 うーん、この感じ、来ますな。と思ったら本当に来た。桜を抱き締めたままのマシュを伴い、扉を開けて廊下に出た瞬間、白いモコモコがマシュに飛び付いてきた。

「わわっ、フォウさん!?」
「ふぉーう!」
「おう、なんか久し振りに感じるな、フォウ君」

 マシュの体をよじ登り、肩の上に落ち着いた小動物に微笑む。すると「そうだね」と言うように一鳴きした。
 プリティーである。フォウは桜という新顔に気づき、鼻を寄せて匂いを嗅ぐ仕草をした。

「間桐桜って子だ。マシュの妹分だから、仲良くしてやってくれ」
「……きゅう、ふぉう!」
「桜は危なっかしいからな。フォウ君が付いてくれてたら安心だ。桜はさみしがり屋でもあるし、フォウ君がいてくれると助かる」

 任せておけと言わんばかりに、フォウは桜の頭に飛び移った。少し揺れる桜の頭。不思議そうにする桜の頭をテシテシとフォウが前肢で叩いた。
 気に入ってくれたみたいだ。小動物と幼女、組み合わせ的に最強である。

「先輩、先輩のお料理、勉強させてもらっていいですか?」
「なんだ藪から棒に」
「私も、その……手料理、ドクターや、先輩に振る舞ってみたいんです」
「ふむ。……いいぞ」
「本当ですか? やたっ」

 喜ぶマシュ、可愛い。うーん、父性大爆発だ。というかマシュを連れていくのはいいが、桜もついて来たがるだろうし……すると自動的にフォウまで来てしまう。
 人数分のエプロンと給食着を投影し、マシュと桜に渡す。着替えてもらうと、フォウにはビニール袋を着てくれるように頼んだ。
 流石に動物のモコモコした毛は気になる。料理の道を志す者を邪険にする訳にはいかないから、ついてくるならフォウには我慢してもらわねばならない。

「……」

 フォウが嫌そうに顔を顰めるも、仕方なさそうに許諾した。着付けを手伝ってやると、四肢と顔だけがビニール袋から露出した姿に変わる。

「……これは」

 思わず呻く。

「フォウさん、可愛い……」
「……フォウくん? うん、可愛い」
「ふぉーう!?」
「ドフォーウ!」

 桜が自発的に喋った事に、思わずフォウ鳴きしてしまう。するとフォウは真似をするの禁止とばかりに顔面に体当たりしてきた。
 ……少し痛い。正直すまなかった。
 しかし無垢な少女と幼女に誉められ悪い気はしなかったのか、不機嫌そうだったのが得意気になっていた。現金な奴……。

「士郎さん……わたし、しちゅーが、食べたいです」
「お。了解。よく言えたな」
「……」

 ワシャワシャと頭を撫でてやると、桜はきょとんとした。その自己主張する箇所を育てていかねばならない。いずれは元祖桜の如くに――な、なんだ。今寒気が……? や、やめよう。この桜は普通にのびのびと育てる方向で行く。
 しかしシチューか。ビーフシチューにしよう。よぉし戦いだ、得意だから全力で行こうか! といつぞやのアルトリアの過去を夢で見た時、見る事の出来た花の魔術師の台詞をもじる。

 料理とは、戦う事と、見つけたり。衛宮士郎、心の一句。季語なし。

 さて、厨房である。アルトリア達は凄まじく喰うから、あの二人で二十人分は作らねばならないだろう。二人に下準備を手伝ってもらいながら、料理の手順とマナーを伝えていく。
 本当ならフォウは立ち入り禁止だが、今回だけは大目に見る。桜にはフォウが常についているといった刷り込みがしたい。何故なら桜は本気で危なっかしいからだ。
 デミ・サーヴァントになるとは、この海の衛宮と言われた俺の目でも見抜けなかった。なってしまったものは仕方ないが、なるべく誰かがついていないといけない。その点、フォウはしっかりしてるから付き人……付き獣? にしていたら安心だ。

 流石に作る量が多いから時間が掛かる。マシュが桜と共に席を外した。アーチャーの奴の再召喚に立ち会うらしい。
 これは俺の事情について聞きに行く気だなと察するも、好きにさせた。暫く一人で調理する。
 そういえば、桜はマシュに連れていかれてしまったが、桜と厨房に立ったのはいつ以来だろう。俺はあの時から十歳年を食い、桜は十歳若返っているが……懐かしい。昔、桜は中学生だった時、桜に料理を教えていた頃の記憶が甦る。望郷の念を抱いてしまった。

 そうしてしんみりしていると、マシュが桜と戻ってきた。希望を見つけたみたいな、しかしその難題に悩んでいるような、悔しそうな感じがする。
 何も言わずに髪を撫でてやり、何事もなかったように料理の教示を再開した。
 ビーフシチューだけ、というのは勿体ない。他にも色々な物を作る。初心者には難しいものもあるが、一度で全部を覚える必要はない。

 戦い(料理)をはじめて、何時間かが経った後。来客が来た。アーチャーだ。
 アーチャーはフォウを見るなり激怒する。気持ちは分かるが落ち着け、桜の為なのだ。
 しかし説教モードに入りそうである。仕方ないので、有耶無耶にして連れ出そう。丁度こちらも終わった事だし、サーヴァントを三騎追加召喚に向かうとする。

 アーチャーを強引に連れ、召喚ルームに向かった。

 そこで、俺のガチャ運が炸裂する事になるとも知らず。




 

 

聖杯のキミ達とエミヤなオレ達





 魔力が満ちる。英霊召喚システムは絶好調。この後に控える小言の雨霰は全力で無視する所存。

「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
「間違いなく別の意味の鬼が後で出るがな」

 アーチャー、それを言うな。かんかんに怒り狂うアルトリア達の姿が目に浮かぶ。特大の雷が落ちるだろう。しかしアルトリアに怒られるのは、それはそれでありだと言わせてもらおう。
 赤い弓兵の皮肉を聞き流し、召喚サークルに現界するサーヴァントの姿を指し示した。

「ともあれ俺のガチャ運をお前に知らしめるいい機会だ。とくと見ろ、俺に外れ籤はない」

 そして、三騎のサーヴァントが姿を表す。霊基パターンは、確かに三騎ともがキャスターだ。
 その姿は――

「わっ、わわわ! なになになにー!? いったい今度は何事ー!?」
「イリヤ、下がって! 謎の光が、突然……!」
「あらあら……大にぎわいね?」

 見覚えしかない冬の少女と、黒髪の少女、そして冬木でまみえたばかりの、冬の聖女の生き写しだった。

「――ほら見ろ、これが俺のガチャ運だ」

 遠い目をして嘯くと、エミヤは頭を抱えた。
















 沈黙の帳が落ちた。

 俺も小学生の頃に着ていた、見覚えのある制服姿の二人の小学生女子と、これも見覚えしかない天の衣を纏った女性。
 頭を抱えていたアーチャーも、その容姿を識別するや驚愕に目を見開いていた。
 対し、幼女達もまた固まっていた。想定外の、唐突な事態。見知らぬ部屋。警戒心も露に周囲に視線を走らせ、眼前の男達に焦点を結び――固まる。え? と白い少女が声を漏らし、黒髪の少女も限界一杯まで目を見開いている。

 驚愕する気持ちは、俺も同じだった。心臓が強く脈打つ。早鐘のように。白い少女の姿に、眩暈がしそうだ。
 天の衣の女性、アイリスフィールはともかく、白い少女に関しては他人の空似だと己に言い聞かせる。あの義姉には英霊に至れるほどの歴史はない。
 琥珀色の瞳の少女と、二人で一組のサーヴァントなのかもしれない。そういう者も中にはいるだろう。だから、うん……彼女達の後背辺りに浮遊する、某愉快型の礼装は幻影だな、間違いない。三騎召喚したんだから二人一組は有り得ないとか思わない。

「すまないが、君達は――いや、違うな。まずは俺達から名乗るのが筋か」
『おぉ! 未成年者略取の容疑者が筋を通すとは!』
『姉さん! 余り刺激するような事を言わないでください! 非常事態なんですよ! この方達が危険人物だったらどうするんですか!』

 口火を切ったのは、俺だ。聞き覚えしかない声は幻聴である。疲れてるのだきっと。原典の赤いステッキとか2Pカラーな青色とか見えない。

 名乗りを上げるのは、普通はサーヴァントからだ。が、どうにも二人ほど混乱しているように見える。明らかにイレギュラーが発生しているようなのだから、こちらから語り掛けるべきだろう。

「だがその前に、君達はどんな状況か把握できているか?」

『このスルーぢから、ただ者じゃありませんね! って、あれ? この方……』

「私は出来ているけれど……。なんだかこの娘達は出来ていないみたいね?」
「あ、え……そ、その……ってママ!? なにその格好!? なんでママが――」
「イリヤ、少し静かにして。……はい。出来ていません。それより、貴方達は……」

 アイリスフィールは白い少女をキラキラした目で見ているが、流石に空気を読んで何かをしたり言おうとはしていない。というかあれどう見てもアイリスフィールですよねというツッコミはしなかった。他人の空似、あると思います。天の衣によく似た装束ですね……。
 そして白い少女は未だに混乱ぎみだ。それよりも比較的冷静な様子の黒髪の少女は、歳の割には落ち着けている。大したもので、もう一人の少女を庇うように半歩前に出ていた。

 目と目が合う。琥珀色の瞳と、琥珀色の瞳が。少女は微かにその目を揺らした。動揺している? さて、何に対してか。身長差が激しいから怯んだのかもしれない。なるべく威圧感を与えないように、声音に気を遣う。

「此処はカルデア。人理の完全な焼却を防ぐ為、人理定礎復元の為に戦う人類史救済の最前線だ。そしてこの赤いキザ野郎は俺のサーヴァントの一人でクラスはアーチャー」
「誰が赤いキザ野郎だ。貴様も赤いだろう」
「黙れガングロ。顔が厳ついんだよ、見せ筋が」
「貴様……」
「筋力Dが凄むな。ランサーけしかけるぞ」
「虎の威を借る狐か貴様は! オレと同じ体型でほざくな……!」

 ビキビキと青筋を浮かばせ、額を押し付け合い至近距離でメンチを切り合う。
 唐突に険悪になった男達に、白い少女があわあわとして。アイリスフィールは微笑ましそうに見ている。しかし黒髪の少女だけは、ふと思い出したように顔を強張らせていた。

「アーチャーの……クラスカード」
「え? って、ああああ!! ほんとだ!?」
「クラスカード?」

 白い少女の叫びに反応する。どうやら赤い弓兵に見覚えがあるらしい。というか俺にもその目が向けられ、アーチャーと見比べられた。
 まあ肉体的には同一人物だからな。そっくりさんに見えても仕方ない。というかそっくりさんどころか完全に双子か何かに見えるだろう。気を取り直し、自己紹介する。

「話を続けるぞ。俺はカルデアのマスター、衛宮士郎。二十八歳だ。君達は――」
「ええええ!?!? お、お兄ちゃん!?」
「うそ……お兄ちゃんなの……?」
「は? お兄ちゃん……?」

 二人の少女の絶叫に、目が点になる。

 お兄ちゃん……? いやいや、そんなまさか。愕然とする二人を訝しむ。が、流石に現実逃避も無理が出た。俺は嘆息し、腹を据え、問う。

「キミ、名前は? もしかして、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンだったりするか?」
「ひぇっ。わたしの名前……!? や、やっぱりお兄ちゃん!? ていうかなんで二十八歳!? なになにわたし達今度は十年後の世界に来ちゃったのー!?」
「……」

 ……。

 ……え、誰この娘。

 目が点になるテンション。俺の知るイリヤとはあまりに違う、年相応の天真爛漫さ。思わずアーチャーの方を見ると、アーチャーも目を点にしていた。よかった、俺の記憶がおかしいわけではなかったらしい。
 表情を忙しなく動かし、わたわたと手足をばたつかせる様は、どう考えてもあの愉快犯的な小悪魔属性を持つ妹、もとい義姉のものではない。
 俺はこめかみを揉む。どうすればいいのか考えた。すると、イリヤらしき少女がズビシッ、と擬音付きで人差し指を突きつけてくる。

「う、嘘だっ! だってお兄ちゃん、そんなに身長高くないもん! こんなカッコよくないもん! 髪白くないもん! そんなに筋肉ついてないもん!」
『いやー、どうやら嘘じゃないと思いますよイリヤさん。生体反応がほぼ完全に一致してますし』
「嘘でしょルビー!? え!? 本物のお兄ちゃんだわーいじゃなかった、うぇえええ!?」

 嘘でしょ遠坂……なんかこの杖、幻覚じゃないらしいんですが……。

 しかし今のやり取りで大方の見当はついた。というかあのゼルレッチの黒歴史であるステッキがいる時点で察しがつく。伊達に遠坂の実験失敗に巻き込まれてはいない。
 第二魔法、平行世界の運営。端的に言って、この娘達は平行世界のイリヤ達なのだろう。それなら全て納得がいく。アーチャーの意見を訊こうと目を向けると、アーチャーは虚ろな目でステッキを見ていた。思い出しそう、しかし思い出したくない、そんな様子。記憶が磨耗しているが、それでも忘れられないトラウマでもあるのか。
 甘いな、俺なんてトラウマなんてもの――腐るほど有りすぎてなんともないぜ。

 ……あれ、なんでだろう。涙が出ちゃう。でも仕方ないよね、男の子だもん……。

「よし!」

 切り替えていこう。左右の掌を打ち付け合う。場が混沌としている時、交互に喋っていたのではどうにもならない。順番に認識と知識を交換するのが最善だ。
 俺が手を打ち鳴らしたのに、びくりとするイリヤ達。俺は気を引き締め直す。そして釘を指しておくのも忘れない。

「カレイドステッキだな」
『おや? 私の事をご存知で?』
「遠坂のバカと色々あってな。あの時は笑わせてもら――ごほん。大変な目に遭わされた。だからお前の遣り口、性格、全て熟知してある。今から話す事に余計な茶々は入れるな、入れたらお前とイリヤの契約を切るぞ」
『あははー、そんな事が貴方に出来る訳が――って「破戒すべき全ての符」!? 投影出来るんですかこの世界の士郎さんは!?』
「黙ってろ。せめて今だけは」
『あははのはー。……はい、今だけですね』
「訂正。話が終わるまでだ」
『!? この士郎さん、出来る……!』

 投影した『破戒すべき全ての符』をチラ見せして、投影を解除する。イリヤは俺の投影にまた大騒ぎしそうだったが、ともかく。――黒髪の娘は寂しげにしていた。まるで少なからず落胆したような……。

「ぁ」

 小さい子のあやし方はお手のもの。俺はその子の傍に膝をつき、目線を合わせて微笑んだ。そっと手櫛で髪を梳いてやる。

「君の名前は?」
「み、美遊です……美遊・エーデルフェルト……」
「エーデルフェルト? ルヴィアの所のか。アイツの所に世話になってるんだな……で、本当の名前は?」
「っ?」
「最初、俺の事を兄と呼んでいたな。なら君も平行世界の俺とは兄妹だった訳だ。エーデルフェルトじゃなくて、本当の名前を教えてくれ」
「お、お兄ちゃん? で、いいのかな……? ええっと、暫定お兄ちゃん! 美遊にはお兄ちゃんに似たお兄さんがいるってだけだよ!」

 イリヤの言葉に目をぱちくりさせる。アルトリア顔ならぬエミヤ顔が平行世界には沢山いるのだろうか? なんて悪夢だ。
 しかし、美遊と名乗った娘は小さな声で何事かを呟いた。――それに、俺は口許を緩め、ワシャワシャと頭を撫で付けた。

「――分かった。よろしく、美遊。俺の事は好きに呼べ。お兄ちゃんでもいいぞ」
「……! ……はい、士郎さん」
「固いな」

 苦笑いし、立ち上がる。さて、と呟いて間を置き、空気を変えた。
 まずアイリスフィールを見る。

「気遣い感謝する。まずは貴女だが、真名とクラスを教えてくれ。差し支えなければルーツも」
「ええ、了解したわ、マスター」

 するすると動いてイリヤの背後に陣取り、ひしりと抱き締めるアイリスフィール。困惑ぎみにそれを母の腕の中から見上げるイリヤ。
 なんで抱き締めた、というツッコミを呑み込みサーヴァントを促す。

「真名はアイリスフィール・フォン・アインツベルン、クラスはキャスター。ルーツは大聖杯の嬰児――って言えば伝わるかしら? 大聖杯に還った端末が分霊としてサーヴァント化したもので、仮初めのサーヴァントね。だから座に私はいないわ」
「……カルデアの召喚システムはガバガバだからな。そういう事もある、のかもな……」

 無理矢理納得する。しかしアイリスフィールだとは言っても、厳密には別人だろう。冬木での件を記録として引き継いでいるだけで、実際の冬木にいたどの世界線のアイリスフィールとも別人である。
 カルデアにいると忘れそうになるが、サーヴァントとはそういうものだ。俺との事を覚えているエミヤや、アルトリア達、クー・フーリンなどが異例なのである。異例、特例、この業界はそんなのばっかりでもあるが。
 仮初めのサーヴァントだと言ったのは、彼女が聖杯だからだろう。実質、俺やカルデアへの魔力負担はないと言える。極めてエコな性能だ。
 アイリスフィールに断りを入れてステータスを見る。スキル構成も。……こちらも素晴らしい。

「アイリスフィールさん。貴女の宝具は?」
「真名は『白き聖杯よ、謳え(ソング・オブ・グレイル)』よ。ランクはBで種別は魔術宝具。最大で二十人ぐらいかしらね、効果範囲に含められるのは」
「効果は?」
「私が味方と判別した人の傷、疲労を回復して、バッドステータスを全解除する事ね。あ、あと火傷とか呪いとかの持続するダメージの類も解除されるわ。霊核の欠片でも残っていれば、戦闘不能状態となったサーヴァントの復活も可能よ」
「……」

 内容を吟味する。すると例えば輝く貌の槍兵が保有していた、呪いの黄槍の呪詛やゲイ・ボルクの治癒阻害も無視して癒せるという事か。ふむ。……ふむ。なるほど。

 ちらりとアーチャーを見た。

「その得意気なしたり顔をやめろ」

 どうだ俺のガチャ運は。生粋の幸運Eであるアーチャーには縁のない運気だろう?

「イリヤスフィール達の事を考えなければな」

 心を読んだ、だと。いや、それはいい。
 俺は三人に向き直り、食事に誘うことにした。

「こんな所で立ち話もなんだ、食堂に行こう。急いで話してもイリヤと美遊には難しい話かもしれない。ゆっくり事情を説明する。その後に、君達の事情を教えてくれ」 
「ご飯!? お兄ちゃん、もとい暫定お兄ちゃんが作ったの!?」
「そうだぞ、イリヤ。あと普通に呼んでくれ。暫定とかつけなくていいから。ああ、それから味の方は期待してくれていい。単純に言って、家庭料理の域を出なかった十年前の俺とは違うという事が分かるぞ」

 ごくりと生唾を呑み込むイリヤの素直な反応に、俺とアーチャーは微笑んでいた。
 どこか遠慮のある、距離感の取り方に悩んでいるらしい美遊を抱き上げ、慌てるその少女をだっこして食堂に向かった。途上、最初はもがいていた美遊だったが、最後には諦めて大人しくなっていた。頬を染めている美遊に、アイリスフィールが苦笑する。

「女たらしね、マスターは」
「ん? 子供たらしの間違いだろ」

 これでも子供に好かれる事に定評のあるお兄様なんだ。断じて女たらしではない。寧ろ子供以外は、厄介なのばかり寄ってくるから困っているぐらいである。
 女難の相、割と命に関わる事案ばかりなのは本当に勘弁してほしかった。

「あ、そうだ。アイリスフィールさん。アイリさんって呼んでいいか?」
「いいけど……どうしたの?」
「あのさぁ、ウチ、切嗣って奴がいるんだけど……会ってかない?」
「えぇ? いいわねぇ……」
「外道か貴様……」

 アーチャーが何か言っていたが無視する。ノリのいいアイリスフィール、流石だ。しかし切嗣がいる事に驚いてはいるらしい。というより、このアイリスフィールは切嗣の事を知っているみたいな反応だが――どの世界線の人なんだろうか。
 よく分からないが……そこはなんだっていい。要訣は切嗣が幸せに浸り苦痛に顔を歪める事。幸福に苦悩するがいいふははは。

 ――因果応報、その言葉が俺に突き刺さるまであと五分。















「――うん、色々言いたい事はあるけど、この際それは横に置いとこう。君がそんな奴だって事、知ってたはずなのに油断したボクらが悪い」

 所は食堂である。何故か魔術王に変身しているロマニの怒気に、ドキッとした。おやおや、私は何か、彼らを怒らせるような事をしましたっけ?

「そうだな。またワケわからん面倒事引っ張って来やがったし、こりゃあ、なぁ?」

 クー・フーリンが呆れながら、半笑いで肯定している。おーい、俺の槍なんですよね貴方。

「ランサー、確か貴様……シロウと賭けをしていたな」
「おう」
「ロマニ・アーキマン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、新参の者達に手っ取り早くシロウと、カルデアの状況を報せる手段は明白だな」

 オルタリア、お前もか。

「お、そうだね。士郎くんにはそろそろお灸を据えなきゃって思っていたところさ」

 ダ・ヴィンチはあくまで朗らかで、明らかに面白がっている。天才は人でなしばかり、間違いない。

「士郎くん……約束は、守ろうね?」

 にこりと嗤う、サーヴァント達。
 なんて事だ、俺に味方はいないのか? マシュは? 切嗣は?
 マシュは首を左右に振った。気持ち、怒ってる感じがする。切嗣は露骨に無視した。あからさまに不機嫌そうだ。

「アーチャー!」
「地獄に落ちろマスター」

 そんな……自分にすら見捨てられる俺の人徳って……チクショウ、こんな所にいられるか! 俺は部屋に帰らせてもらう!

 一瞬で鎮圧された。光の御子と騎士王二人と魔術王と万能の天才と正義の味方には勝てなかったよ……。
 イリヤ達に現状を報せる為に、二時間後クー・フーリンとの賭け事が履行される事になった。








 

 

士郎くんの足跡(前)





 問題です。自分の過去を聞かれるのではなく、視られるとなると、視られる側の心境は如何なるものになるでしょうか。

 答え。穴があったら入りたくなる、です。

 俺はてっきり、俺の口から簡単に過去の出来事を話す程度だと軽く考えていた。
 しかしどうだ、ロマニによる記憶抽出と、ダ・ヴィンチによる謎の装置によって俺の記憶の映像化が成され、霊子演算装置・トリスメギストスによる事象分析、解析によって、俺の記憶なのに俯瞰視点で俺の姿を見る事が出来るようになっていた。
 まるでアトラクション物の映画。最悪である。なんてこったと頭を抱えた。

「うわぁ……」
「万能である私をしてドン引きだよ士郎くん」
「……」

 無論お子様方には見せられないグロとかがあるから、映像の編集の為に一足先に俺の過去を早送りに視たロマニとダ・ヴィンチが引いていた。
 さもありなん、と俺は頷く。俺がスプラッタな目に遭うのは珍しくないのだ。今思うとアラヤの俺を生かそうとする意思がなければ何回死んでいただろう。死徒さながらの生き汚さだった。

「女性遍歴がヤヴァイ」
「シモの方も百戦錬磨とか、とてもじゃないけど子供達には見せられないよ? キミは騎士王様を愛してるんじゃなかったのかな?」
「そこか。そこなのか。レオナルドはともかく、ソロモンだったロマニに言われたくないぞ」

 違うのだ。俺にだって性欲あるんだぞ。慕ってくれる女性に誘惑されて我慢出来るか? 寧ろよく我慢してた方だろう。
 俺の返しにロマニは怯んだ。自分には確かにいう資格がない、と思ったのだろう。実際はそんな事ないのに。だが突っ込んでこない事は有り難いので訂正しない。しかし流石に万能、ダ・ヴィンチは怯む事なく呆れた様子で反駁した。

「そりゃあさ、一人や二人ならまだ分かるよ? でも何さ、古い友人に始まって戦場で出会った執行者、世界各地の女性、慕ってくれた妙齢の女性を現地妻にしてるって……愛多き男って言ってもこれはない。幻滅だよ士郎くん」
「待て。現地妻ってなんだ。合意の上だし合法に決まってるだろ。――あとその記憶映像は編集で消してください」

 思わず声が小さくなる。

「当たり前だ、こんなの見せられるもんか。でも騎士王様達には告げ口しちゃう」
「やめろ。やめてください」

 最悪だ。軽薄な軟派男と思われたらどうしてくれる。誤解だ誤解なんだ。断じて無理矢理とか有り得ないし、というか向こうから迫ってくるし場の空気に呑まれたのだ。
 それにアルトリアとはあの丘で別れた。死別して、二度と会えないと思っていたのだ。だから浮気じゃないし? 新たな出会いに素直で在り続けただけです。

 ダ・ヴィンチは不意に、ニヤリと笑った。

「士郎くんの弱味ゲットぉ~。さ、暇があれば私に例のチーズを進呈したまえ。それを口止め料にしてあげよう」
「分かりました」

 この件に関しては全面降伏である。多少の労は惜しまない。
 しかし思うのだ。プライバシーを破壊されるのだから、大目に見てくれてもいいのではないか、と。いやまあ、大目に見たから好物であるチーズで勘弁してくれるのだろうが。










 二時間後。所変わってシミュレーター・ルームである。

 此処に士郎の記憶映像を再現し、四方八方の空間に記憶の中の世界を具現化するらしい。
 作業早すぎませんかと士郎は思ったが、カルデアの設備と魔術王、万能の人が揃えば人間一人の人生を丸裸にするのに、本来は十分と掛からないらしい。寧ろ二時間も掛かった事の方が驚嘆に値するとか。

「先輩の過去……を、覗き見、ですか……な、なんだかイケナイ事をしている感じがします……」

 マシュ、そう言うのなら、そのワクワクした表情を隠してから言ってくれと、士郎の目は言っていた。そして深々と嘆息し、ひらひらと手を振ってシミュレーター・ルームを後にする。
 シロウ、どこへ? そう問うアルトリアに、士郎は肩を竦めた。何が楽しくて自分の記憶を自分で見るんだ、五時間も、と。

「五時間っ?! そんなにあるの!?」
「あー、イリヤちゃんだっけ? 士郎くんの人生矢鱈と濃くてさ、これ以上短く出来なかったんだよ」

 イリヤの叫びに、ダ・ヴィンチは苦笑して答えた。あ、トイレ休憩は二時間半後に入れるよと、半笑いで言った。
 そして立ち去る士郎の背中にダ・ヴィンチは声を掛ける。「この二時間と少しのウチに、アグラヴェインが彼女達の世界に関する事を聞き出して資料に纏めてるらしいから、暇なら目を通しといてね」と。士郎は後ろ手に了解と告げ、そのまま姿が見えなくなる。扉がスライドして閉まった。

「さて。今から五時間、私達は士郎くんの記憶の中に入る。と言っても立体映像なんだけどね。だから何も干渉はされないし、出来ない。そこは弁えておくように。それと! 割と凄い事になってるから、気分悪くなったら何時でも言うこと! 勿論映像は大分マイルドにしてるけどね」
「えぇ……? そんなふうに言われるお兄ちゃんの今までって……」
「……」

 現時点でドン引きするイリヤと、深刻な顔をする美遊。観客――と言うと不謹慎だが、この場にはイリヤ、美遊、アイリスフィールをはじめとして、桜、アルトリア、オルタ、クー・フーリンに百貌の一体、アグラヴェインにネロ、アタランテ、マシュ、ダ・ヴィンチがいる。
 英霊エミヤも、隅の方で腕組みをして立っていた。特異点Fにて一度、垣間見たとはいえ――気になるのだろう。平行世界の自分が辿った道が。切嗣は本来、こんな所に来たくもなかったのだろうが、アイリスフィールに捕まって、腕を絡められて彼女の隣にいる。赤いフードで顔を隠してはいるが、アイリスフィールへの困惑と、面倒臭そうな雰囲気は隠せていない。

 イリヤ達少女組は、用意された椅子に座った。流石に何時間も立ちっぱなしではいられないだろうという配慮だった。ロマニはいない、彼は多忙だから――ではなく。既に早送りとはいえ一部始終を視ている。仕事に移っていた。

「それじゃあ、はじめるよ」

 ダ・ヴィンチが自身の杖を軽く振る。すると、辺りが一気に暗く、赤くなった。

 現れた光景は、炎に呑まれた冬木。イリヤ達はいきなりの炎獄と、そこにある凄惨な光景に絶句する。え、いきなり? と。
 しかし冬木を何度か見ているサーヴァント達やマシュはさして驚きはしなかった。

 炎の中を、赤毛の少年が歩いている。士郎だ。ふらふらと歩き通し、助けを乞う声に耳を塞ぎ、あてもなく彷徨っている。一目で、この少年が士郎なのだと誰の目にも分かった。
 この子だけでもと、瓦礫の下から子供の骸を出し、死んでいる事にも気づかぬまま助けを求める誰かの親がいる。死にたくないと喘ぐ声がある。自分が助かる事だけに精一杯で、それら全ての声を黙殺して――少年は只管に歩いていた。罪悪感に潰れそうになりながらも、しかし、少年の目は死んでいない。

 生きてと、母に願われた。逃げろと、炎に呑まれた家から押し出してくれた父がいた。だから、少年は必死に生きようとしていた。お父さん、お母さん――譫言のように両親を呼びながら、流れそうな涙を堪えて、足を引きずりながら必死に歩いていた。
 空に穿たれた黒い孔を見上げ、歩く。歩き続ける。やがて少年は限界を迎えた。全身を焼かれながら歩いていたのが、その小さな体が倒れ伏す。

 誰も声もない。呪詛に焼かれた街と、炎に呑まれて消えた命。悲惨な地獄絵図の中、少年の命が尽きようとしている。

 ――それが、救われた。

『生きてる! 生きてる! よかった、生きている! ありがとう、ありがとう……!』

 少年を救い出したのは、衛宮切嗣だった。お父さん……? イリヤが呟く。見た事もないほど必死な、自らの実の父を見た。そして美遊も、見た事がない養父の姿に呆然とする。
 少年は、自身の手を掴む男を見上げ――安堵の溜め息を溢した。ありがとう……。その意思は、心は壊れていなかった。

 暗転する。士郎が自身の養父となった切嗣と、穏やかな日々を送る。魔法使いなんだ、と言った切嗣に。あの地獄から救ってくれた切嗣に憧れた少年は、なんでも彼の真似をしたがった。
 魔法を教えてくれよとせがむ士郎に、渋々応じる切嗣だが――士郎の異質さに気づく。そして、その才能が災いを齎す事を危惧し、わざと誤った鍛練方法を教えた。全く実を結ばない方法を。これならきっと諦めてくれるだろうと、切嗣は楽観したのだ。

 場面が変わる。まだ高校生だった剣道少女、藤村大河と出会った。実の姉弟のように仲良くなった二人は、老け込んでいた切嗣を振り回してよく遊びに出掛けていた。
 士郎は切嗣を父とは呼ばない。ジイサン、切嗣と呼ぶ。父親の名前も、母親の愛も、親しかった友達の事も覚えている。彼らの事をなかった事に出来なかった。それに――養父を、父と呼ぶのが照れ臭かった。

 切嗣は頻繁にどこかへ旅立って。一人になると嘆く。イリヤ、と。士郎はそれを、偶然聞いた。
 イリヤって誰だよと訊く。切嗣は慌ててなんでもないと言うも、士郎はしつこかった。何度も訊ねるにつれ、遂に切嗣は折れてこう答えた。

『士郎。イリヤというのはね、僕の娘なんだ』
『はあ?』
『君の、そうだね……姉だ。なんとか会いに行こうとしてるんだけど……中々会えなくてね』

「え、姉……?」

 困惑するイリヤ。エミヤは瞠目している。磨耗し果てた記憶、正確な事は覚えていない。しかしこの士郎は、明らかに自分とは違う存在だと、この時点で悟っていた。

『なんでだよ』
『……妻がいた。その妻の家が、娘に会わせてくれないんだ』
『父娘を会わせないって、なんだよ。どうにかならないのか、それ』
『うん……どうにか、したいんだけどね。……でももう、諦めるよ。今の僕じゃあ、どう頑張っても辿り着けない』
『なんで諦めるんだよ!』
『士郎?』

 少年は怒っていた。難しい事は解らなくても、理不尽な何かに怒っていた。不条理な事が、一方的な事が、少年には堪らなく我慢ならなかったのだ。

『……ごめん。そして、ありがとう。怒ってくれて』
『ジイサン!』
『いいんだ。ただ――士郎。君がもし、イリヤに会えたらでいい。その時は、君が助けてあげてほしいんだ。僕の娘を。君の、姉を』
『っ……! もういい!』

 憧れている正義の味方の、弱り果てた笑顔に、士郎は憤りも露に走り去る。
 時が経つ。場面が変わると、そこは武家屋敷の縁側だった。月が綺麗で――更に老け込んだ切嗣と、少し成長した士郎が並んで座っていた。

『――僕はね、昔、正義の味方に憧れていた』
『……それも諦めたのか』
『うん』

 何年か前の、娘の事を話したのを士郎が覚えていると察して、切嗣は薄く笑う。儚い老人の笑みだ。実年齢からは考えられない。
 呪いに侵されているのが誰の目にも明らかだ。終始穏やかに、正義の味方について、切嗣は語った。期間限定の存在を、大人になっても追い求め続け、その理想に潰された。切嗣の独白に、赤いフードの暗殺者は無言だった。

 それに、少年が言った。

『なら、俺が代わりになってやるよ』
『――え?』
『ジイサンは歳だから無理でも、俺ならなんとかなるだろ。任せろって、ジイサンの夢は俺が叶えてやるから。姉ちゃんだって、俺が助ける。な? 安心できるだろ』

 その、少年の言葉に。切嗣は目を限界まで見開き、そして微笑んだ。

『ああ――安心した』

 その静かな夜、切嗣は眠るように息を引き取った。

『切嗣? ……寝たのか? ったくしょうがねぇなぁ』

 月を見上げる少年は、養父の死に気づかず、一人囁いた。

『いい夢見ろよ。……父さん』

「……先輩」

 切嗣の死に気づかないまま、照れ臭そうに切嗣を父と、はじめて呼んだ少年に、マシュが目頭を押さえる。
 そして、葬式が終わった。士郎は人目も憚らず号泣していた。大河もそれに釣られ、幼子のように泣きじゃくった。

 月日が流れる。

 中学生になった士郎は、正義感に突き動かされるまま、弱者の味方となって喧嘩に明け暮れていた。不良のレッテルを貼られ、周囲に煙たがられても、在り方を変えなかった。

『何やってんだか。オマエ、馬鹿だろ』

 それが見ていられなかったのだろう。間桐慎二と名乗った少年が、孤立していた士郎の味方をした。

 間桐、その名に桜が反応する。

 気紛れだったのかもしれない。或いは彼なりの正義感だったのかもしれない。慎二がそれとなく周囲に働きかけた結果として、士郎は不良扱いされなくなった。
 あくまで弱い者苛めをするグループに向かって行く士郎のフォローをして、慎二は周囲との軋轢が生まれないように立ち回ってくれたのだ。二人で夕日の中帰路についていた士郎は、ふと笑う。
 喧嘩で殴られた頬が、痛々しく腫れている。しかし全くそう感じさせない、晴れやかな笑顔だった。

『すまん、慎二。いつも助かってるよ』
『謝んな馬鹿。オマエ頭は悪くないんだからもう少し要領よくやればいいだろ』
『それが出来たらいいんだけど、無理だな。無理だから弱ってたんだ。――はあ。やっぱ人間一人じゃ出来る事なんか限られてるんだなぁ』
『はあ?』
『いや、こっちの話さ。んじゃ、今後とも尻拭いよろしく』
『ふざけんな。もうこれ以上衛宮みたいな馬鹿の面倒見てらんないよ。それよりオマエ、体力有り余ってんなら部活でもしたら?』
『部活? ……あー、高校入ったらな。今更俺が入ったって、どこも困るだけだろ』
『ま、それもそうか。不良扱いはなくなっても、敬遠されてるもんな、オマエ』

 士郎が高校進学後、弓道部に入ったのはこの時のやり取りがあったからだろう。
 二人の少年はよくつるんでいた。親友、と言えるのかもしれない。慎二は断固として否定するだろうし、士郎は首を捻って悩むだろうが、それでも最も親しい友人同士だった。
 気が合ったから、なのか。それとも一人にしていたら、士郎が面倒を起こすに決まっているからか。慎二は妹を士郎に紹介した。どんくさい奴だし、オマエ暇だろうし、僕が部活でいない時ぐらい面倒見といてくれよ。貸しを返すと思って。

『間桐桜です……』

 目の死んだ、暗い少女だった。士郎は慎二の頼みだからと安請け合いし、そうして二人の付き合いははじまった。
 幼い桜は、まじまじとそれを見る。不思議そうに、中学生の自分を。
 慎二と士郎、そしてその間に桜がいた。次第に笑顔を見せるようになっていく桜の変化が、幼い桜にはよく分からない。

 やがて桜は、士郎の屋敷に通い詰めるようになる。慎二も週に二回か三回は必ず顔を出して、夕食代を士郎に押し付け、大河を合わせて四人でご飯を食べた。
 和やかに過ぎる青春時代。事態が急転し、士郎が変質するのは、高校二年生の冬の時期だった。

 高校に進学してきた桜を弓道部に迎え、一年の頃から弓道部を続けていた士郎と慎二は桜を歓迎した。
 しかし桜は先輩の女子から陰湿な苛めに遭い、士郎は男女平等拳を握り込む――のを慎二が押さえ、苛めの加害者の上を行く陰湿な手で加害者を部から追い出した。がらの悪い少年を四人連れてきた女の先輩が直接的な仕返しに来た時は士郎が出張ると、壮絶な殴り合いの我慢比べで、四人の少年を相手に粘り切り、相手を根負けさせた。
 馬鹿じゃねぇの? 馬鹿なんですか? 間桐兄妹に呆れられるも、士郎は笑っていた。いいんだよと。正義の味方として悪には負けんと、高校二年生にもなって、恥ずかしげもなく言い放った。

 馬鹿だなと慎二が嘲笑する。しかしその裏にある親しみを知る。
 馬鹿です……桜が心配する。芽生えた好意が、士郎を見詰めた。

 しかし、ある時を境にして、慎二は桜に辛く当たるようになる。士郎はその訳を聞き出そうとするも、慎二は士郎を避けた。
 それから暫くして、ある時。バイト先で腕を火傷した士郎は、慎二に弓道部を退部するように迫られる。醜い火傷の痕を周りに見せるなと、慎二なりに心配しての悪態だと理解したのは、桜と士郎だけだった。

 士郎は弓道部を去った。まあ、いいかと。未練はあっても、後腐れはなかった。

 魔術の鍛練。筋力トレーニング。ジョギング。座学。やる事、やれる事は山ほどある。
 将来は警官になるのがいいと、士郎はぼんやりと将来のビジョンを定めていた。

 やがて冬の風が辛くなると、士郎は奇妙な少女を見掛ける。

「私……?」

 イリヤが呟く。

 それは紫のコートを纏った、雪の妖精のような少女だった。無垢なイリヤとは異なる、不思議な雰囲気の少女は、士郎の脇を通り抜ける。ふと背後を振り向くと、その少女の姿は消えていた。
 首を捻る。気のせいか? と。再会まで、長い時は掛からない事を、イリヤと美遊は予感する。

 ある日の朝、遠坂凛と出くわした。朝、早いんだな。なんとなしに、すれ違い様に士郎が言うと凛は目を瞬いていた。その日の放課後だ。慎二が廊下の向かいから、士郎に声を掛けてきた。
 曰く、弓道場の掃除代わりにやってくれ、との事。暇だろ、僕は忙しいから頼むよ。そんな理屈にもならない横柄な態度に、士郎は笑った。

『やっと話し掛けてくれたな』
『はあ?』
『それ、お前の仕事だろ。大体俺はもう弓道部は辞めたんだし、代わってやる訳ないだろうが。でも手伝いぐらいはしてやる。来いよ』
『ちょ、はぁ!? 僕の話聞いてたか!? 忙しいって言っただろ!』
『はいはい』

 慎二の腕を掴んで、士郎は無理矢理慎二を弓道場に連れて行った。
 文句を言いながらも、慎二は仕方なく掃除を始める。外が暗くなる頃、士郎は雑巾掛けをしながら話しかけた。

『で、慎二』
『なんだ衛宮』
『お前、キモいなぁ』
『はあ!? 誰がキモいだって!?』
『慎二が。だってさ、本当は俺と話す切っ掛けが欲しかったんじゃないか? だからあんな態度で話し掛けてきた。男のそれ、キモいだろ』
『はっ。誰が衛宮なんかと話す切っ掛けなんか欲しがるもんか。自意識過剰なんじゃないの? オマエの方がキモいね』
『慎二のキモさには負ける。ワカメヘアーとかどうなの? 頭の軽い女引っ掛けて悦に浸るのも、遠坂に変に絡んで一蹴されるのも、つっけんどんに一成の奴に毒吐くのも、全部キモい。何より妹に当たる様は見てて吐き気がする』
『……あのさ、衛宮』
『なんだよ』
『オマエ、ウザい。そういうこと言ってると、後悔するぜ』
『は、誰が』
『衛宮に決まってるだろ? そんな事も言われなきゃ分かんないのかよ』
『慎二は現在進行形で後悔してる臭いけどな』
『……は?』
『お、やるか?』

 慎二が掃除の手を止め、士郎を睨む。士郎も立ち上がって慎二を睨んだ。
 ――その時だ。ふと、校庭の方から、何か鋼の打ち鳴らされる音が聞こえた。

『ん、なんだ?』
『……、……!』

 首を捻る士郎と、何かを察して顔を青ざめさせる慎二。士郎は掃除を止めて校庭の方に向かう。それを、慎二は血相を変えて止めた。

『待て衛宮! 行くな!』
『なんでだよ? まだ居残ってる奴が、なんかばか騒ぎしてるだけだろ。注意の一つでもしてやんないとな。この頃物騒だし』
『馬鹿か!? ちょっ、待て! 衛宮!』

 慎二の制止も聞かず、軽い気持ちで鋼の音の聞こえる方へ足を向ける士郎に、慎二は立ち尽くした。暫くして、頭を掻き毟り、慎二はクソッ! と毒吐くと士郎を追う。引き留める為に。
 しかし、慎二のその逡巡していた時間が、運命の分かれ道だった。

 士郎は見た。校庭で激しく戦う赤い男と、青い男を。真紅の槍、中華風の双剣。掻き鳴らされる壮絶な戦いの現場。人間の動体視力では遠くにいても視認すら出来ない。

「――速い。全く見えない……!」

 かつてランサーのクラスカードを使用した事のある美遊が愕然とする。青い槍兵の正体を、美遊とイリヤはすぐに察したが、その戦闘能力は自分達の知るどの黒化英雄よりも数段上だったのだ。
 それは赤い弓兵も同じ。剣の冴え、立ち回り、次元が違う。曲がりなりにも魔法少女としての力を持つ二人ですらそうなのだから、ただの一般人だった士郎にとっては人智を越えた戦いだった。
 槍兵が真紅の槍を構える。穂先を地面に向けた謎の構え。迸る魔力の咆哮に、士郎は思わず後ずさりした。

『――誰だッ!』

 青い槍兵が気配を察知するには、それで充分であった。士郎は咄嗟に背中を向けて走り出す。
 その際、槍の魔力にあてられ立ち竦んでいた慎二を見つけた士郎は駆け寄り、その腕を引いて走り出す。そしてすぐに直感した。逃げ切れない、二人だとダメだ、と。

『慎二、逃げろ……!』
『え、衛宮……!?』

 小声で叫び、士郎は慎二を自身の進行方向の反対側に突き飛ばした。よろめいた慎二を尻目に、士郎は小石を拾って、自身の向かう方にある校舎の窓に投げつける。
 窓ガラスが割れた。士郎はそちらに走る。全力疾走する士郎に余裕はない。慎二は悟る、二手に別れたのは、どちらかが助かる為――そして、士郎は自分が囮になったのだ。

『あの、馬鹿……!』

 慎二は士郎の意図を汲んで、走り出す。だが、見捨てた訳じゃないと、言い訳をした。

『ライダーを連れて、すぐ行ってやるから……それまで死ぬんじゃないぞ、衛宮……!』

 士郎は走る。走って、校舎のどこかにいた。

 必死過ぎて、どこを走っていたのかすら覚えていない。そして、槍兵が追ってきていない事を確かめる為に背後を振り向き、誰の姿もない事に安堵の息を吐き出して――その背後から、声を掛けられる。よう、随分遠くまで逃げたな、と。
 前方には誰もいなかったはず。慌てて振り向いた士郎の心臓に、真紅の槍が突き刺さった。

「ひっ」

 イリヤの短い悲鳴。士郎の胸から槍が引き抜かれ、血が溢れる。血溜まりに倒れ伏した少年は、遠退く意識の中で、少女の声を聞いた。

 そして、目覚める。死んだはずなのに、生きている不思議に首を捻り。意識を朦朧とさせたままで、落ちていた宝石を拾い上げると、よろめきながらなんとか帰路に着いた。
 帰巣本能だ。それより、何より、落ち着ける場所を欲していた。暗い自宅の中士郎は自問する。あの男は、口封じの為に襲ってきたようだ。もし自分が生きている事を察したら――その時、屋敷に張られていた結界に反応があった。
 本能的に危機を察して、士郎はポスターを強化すると、土蔵に向かおうとする。何か武器になるものを求めて。しかし、簡単には行けなかった。不意に頭上から現れた槍兵の攻撃を、咄嗟に回避した拍子に、槍兵は嘆息して士郎を強化したポスターごと外へ弾き飛ばしたのだ。

 勝てるわけがない。そんな事は百も承知だったが、士郎は諦めなかった。決死の覚悟で土蔵へ向けて逃げ出すも、蹴り飛ばされる。大きく吹き飛んだ士郎は、歪んだ土蔵の門を潜り、なんとか中に入る。

 槍を突きつけられる。じゃあな小僧、意外と楽しめたぜ――そう言って、簡単に殺そうとしてくる男へ、士郎は激怒した。ふざけるな、こんな奴に、こんな所で殺されて堪るか!
 その激しい感情の発露に、応える者が在った。召喚の陣が光り、槍兵が驚愕する。

『七人目のサーヴァントだと……!?』

 そして、月下。槍兵を土蔵の外へ弾き返した蒼銀の少女騎士が、尻餅をついていた士郎へ振り返る。そして月明かりを背にした少女が己の運命へ問う。

『問おう――貴方が私のマスターか』

 そう、衛宮士郎の運命は、ここで加速した。





 

 

士郎くんの足跡(中)

士郎くんの足跡(中)





『問おう――貴方が私のマスターか』

 この時を以て、衛宮士郎の運命は確定した。
 最早無知な一般人へと戻る事は能わない。彼は戦う事を決意したのではなかった。死にたくないが為に、誰かを死なせたくがない為に、戦わざるをえなかった。
 運命は加速する。槍兵を撃退した少女騎士は、新たにやって来た二騎のサーヴァントの気配に、警戒の念も露に迎撃する意思を固めた。事情がてんで呑み込めない士郎はなんとか現実を理解しようとするも、サーヴァントが己の知る使い魔とは結び付かず、聖杯戦争の事など理解の外だった。
 正門の前にやって来た赤い外套の騎士を少女騎士は一太刀で斬り伏せる。赤の少女が咄嗟に己のサーヴァントを令呪で霊体化させなければ、ここで脱落していただろう。

『待て!』

 士郎は制止する。訳が分からないまま勝手に進む現実の状況、意味不明なまま後戻りできない事態に巻き込まれた事を察していたからこそ事情を理解したかった。
 制止された事で不服そうにするセイバー、アルトリア。暗闇から姿を表し、休戦を申し出る遠坂凛。

「リンさん……?」
「……」

『其処にいるのは分かっている、姿を表したらどうだ』

 そして、もう一騎のサーヴァントへ、厳しい目を向けるセイバー。暫しの間を開けて、観念したのか目をバイザーで隠した妖艶な美女が物陰から進み出てくる。その後ろには、苦々しく顔を歪める慎二がいた。

『慎二!?』
『……うそ、間桐君じゃない』
『は……衛宮、オマエ……魔術師だったんだな』

 酷く傷ついたような、それを隠すような、引き攣った半笑いの表情だ。何かを懸命に堪えるその表情に、士郎は。

『や、違うぞ』
『は?』
『え?』
『え?』

 慎二と凛、セイバーはその返しに思わず間の抜けた声を漏らす。

『俺は正義の味方だ』
『……』
『……』
『……なんだそりゃ』

 ふ、と慎二は笑った。肩から力が抜ける。ただの馬鹿だと、自分の知る衛宮士郎なのだと、慎二は理解したのだ。こほんと凛が咳払いをする。士郎へ事情を説明する為に、一旦衛宮邸に入る事を提案した。
 そこで聖杯戦争に関する説明が行われた。そして士郎は驚き、憤りながらも、あっさりと決断を下す。

『そっか……なら、止めないとな』
『止めるって、何を?』
『決まってるだろ。こんな街中で戦争だなんて間違ってる。無関係な人間を巻き込みかねないってんなら、速攻で終わらせるしかないだろ。聖杯なんか興味もないしな』

 興味もない。

 万能の願望器に対して、士郎は心の底からどうでもいいと言っていた。嘘がないのは、出会って間もないセイバーにも分かった。

『なあ慎二、遠坂。手を貸せよ。聖杯ならお前らが勝手にしていい。ああ、セイバーも聖杯要るんだっけか。なら戦いが終わった後にお前らで話し合って、聖杯を誰の物にするか決めればいい。その後に聖杯を壊せば万事解決だ』
『……あの、衛宮君? これ、バトルロワイヤルだって言わなかったかしら?』

 慎二は呆気に取られ、口を半開きにしている。凛がこめかみを揉みながら言うと、士郎は露骨に嘆息した。

『なんだ。遠坂、聖杯なんかが欲しいのか?』
『要らないわよ。遠坂として勝ちに来ただけだしね、私』
『は……!?』
『ならいいだろ? どこかの誰かが勝手に決めたルールなんか無視だ無視。要は勝てばいいんだ。それにこういうのって、ルール違反はばれなきゃ犯罪じゃない』
『正義の味方の発言じゃないわよ、それ……』

 凛はもう呆れるやら笑えるやら、微妙な顔をしていた。しかし、本来なら突っぱねる提案を、凛は受け入れかけている。それは士郎の不思議な雰囲気に絆されてのものだった。
 彼は全く嘘を吐いていない。それに予感があるのだ。コイツは敵に回したら厄介だ、という。天才的な魔術師である凛が、素人に毛が生えた程度の未熟な魔術使いに対して、本能的な警戒心を抱かせたのである。

『慎二は?』
『あ、いや……僕は……あ……ふ、ふん! オマエなんかに教える義理はないな!』
『そうか? どうせそのワカメヘアーをどうにかしたいってだけだろ』
『なんでだよ!? なんでそうなる!? あと誰がワカメヘアーだ!』
『で、セイバーは聖杯がほしい。俺は要らない。戦いを他人に被害が出ない内に終わらせたいだけだ。遠坂が勝てばいい、聖杯はセイバーが掴めばいい、慎二はワックスを買えばいい。これで万事解決だ。七騎で争う戦争だってんなら、三騎が組めば最強の陣営の出来上がりじゃないか?』
『勝手に決めるな、馬鹿衛宮!』
『勝手に決めるな? すまん、ワックスの種類はちゃんと慎二が決めていい――』
『そっちじゃねぇよ! ああもう……!』

 頭を掻き毟り、しかし不意に慎二は深々と嘆息した。そしてもう、笑うしかないといった風に、心底可笑しそうに笑った。
 妖艶な美女――ライダーは、ぽかんとして士郎を見ている。そして憑き物が落ちたような表情の慎二を、呆気に取られて士郎と見比べた。

『そういえば、その、ライダーだっけ? それと遠坂の――』
『アーチャーよ』
『そのアーチャーな。お前達は何か、聖杯に託す願いはないのか? ないならこれで決めちまうけど』
『勝手ですね……』

 ライダーが口を開く。その呟きに、士郎は悪戯好きの少年のように口許を緩める。

『勝手に始まって、勝手に他人を巻き込むような儀式なら、俺が勝手しちゃいけないってルールはないだろ。あっても「勝手に決めるな」で押し通せばいい。咎められたら面倒だから、表立っては違反しないけどな』
『……これだ。もういいよ、ライダー。オマエ、願いなんかアレしかないんだし、僕の願いも万能の聖杯なら片手間で足りるはずだ。遠坂は勝ちたいなら勝てばいい、衛宮は何も要らない。ムカつくからぶん殴る――それでいいだろ。僕は衛宮と組むぜ。コイツなんだかんだで頭もキレるからな、敵にしたくない』
『間桐君、本気?』
『ああ本気だよ遠坂。オマエも乗れ、さもなきゃ僕のライダーと、衛宮のセイバーで袋にするぜ。今のアーチャー、セイバーにやられて碌に戦えもしないんじゃないか?』
『うっわ……最悪……』
『言われてるぞ、慎二。人の弱味につけこむとか最低だな』
『オマエだろそれ!?』
『貴方達二人の事よ!』

 凛の叫びに、少年達は顔を見合わせた。お前だろ、いやオマエだ。最悪のレッテルを擦り付け合い、そして笑い合った。
 そうして三つの陣営が同盟を結んだのだ。セイバーは呟く。これは――可笑しな巡り合わせですね、と。自身のマスターへ微笑んだ。
 教会に届け出に行かないのかと言う凛に、士郎は端的に切って捨てた。誰が行くか面倒くさい、と。聖杯戦争を辞めさせるんじゃなくて、監督する立場とかふざけんじゃない、というのが士郎の見方だった。戦争を幇助するような連中を士郎は蛇蝎の如く嫌った。聖杯戦争についての説明は凛からだけで充分だった。

 三人で組む。ならまず誰から倒すか、という話になると、まずは敵の居場所を掴まねばならないという事になる。
 翌日。士郎は霊体化できないセイバーを連れ、学校に平然と伴った。曰く編入する予定の留学生が、この学校へ下見に来たのだと。
 帰路。士郎は凛と慎二を呼んでそれぞれの意見を言い合う事にした。ランサー、キャスター、アサシン、バーサーカー。この四騎を倒すなら、優先順位として慎二はランサーを、凛がキャスターを、士郎はアサシンを第一優先順位とするべきだと話し合った。
 晩飯の買い物をしながらの話だ。微妙そうな顔の凛に、士郎は飯は大事だの一点張り。それに高校生三人が表だってこんな話をしていても、ゲームか何かの話にしか聞こえないから問題ないと断言した。確かにその通りなのだが、釈然としない凛である。慎二は軽く流していた。

『ランサーだろ普通。三騎士のクラスは強敵だ。セイバーとアーチャーが揃ってんなら、まずコイツを叩けば僕達とまともにやりあえる奴はいなくなるんじゃないか?』
『違うわね。確かにランサーは強敵よ。でも三人掛かりなら、強さじゃなくて厄介さで測るべきに決まってる。最優先はキャスターよ。陣地に引き込もって、力を蓄えたら何を仕出かすか分かったもんじゃないわ』
『お前ら馬鹿か。アサシンだ。気配が感じられないとか怖くて夜も眠れない。セイバーに添い寝してもらうとか俺は子供か』
『衛宮、オマエ……』
『衛宮君、マスターの立場を笠に着てそんな事してるなんて……』
『違うからな? セイバーがやって来るんだ。凄い剣幕で断れない。ぶっちゃけ初対面の女の子と同衾とか、したくねぇよ。で、真面目な話。
 あれだ。俺達の同盟は俺達の存在ありきなんだよ。もし誰かが欠けてみろ、セイバーはともかくアーチャーやライダーに、同盟を続ける意味がなくなる。代わりのマスター探さなくちゃなんないし、そのマスターが同盟に加わる保証はない。それにセイバー達は貴重な戦力なんだから、死ぬまで戦えとか言えるか? 数のアドバンテージを捨てるとかナンセンスだ。不利になるなら撤退一択で、仕切り直せばいい。だから最優先は、気配もなく俺達をサクッと殺せるアサシンだ。数はこっちが上なんだぞ? 同盟の要を不意打ちで崩せるアサシンを脱落させたら、後は順当に数で潰して行けばいい』
『……え、何? 衛宮君、貴方何者?』
『衛宮は頭がキレるって言っただろ。ただ馬鹿なだけで』
『うるさい。数で袋にされた経験があったら、嫌でも数の優位性が骨身に染みるだけだ』

「先輩……この頃から、変わってなかったんですね……」
『えげつない! えげつないですよ、この士郎さん!』

 マシュがまた遠い目をしていた。ルビーのツッコミに、イリヤは絶句している。しかし美遊の顔は、呆れというよりも、憧れているみたいに輝いていた。実に合理的で深く共感と納得が出来た。
 正しい物の見方だと、切嗣は分析する。ただエミヤは無言で白目を剥いていた。この現場に自分がいれば、果たしてどんな気持ちで士郎の発言を聞いていたのかと想像すれば、硝子の心から涙が出そうである。

『決まりね。衛宮君の意見を採用しましょう。アサシンを倒す、でもそのアサシンがどこにいるのか分からないと話にならないわ』
『それなら考えがある』

 士郎が言うと、しらぁ、と凛は目を向けた。

 嫌な悪寒、と呟いたのは誰か。

『この話を聞かれてたら意味がないけどな』
『流石にそれはないんじゃないかしら。昨夜に同盟を組んだばかりだし、此処にはセイバーとライダーがいるのよ? アーチャーは私の家で傷を癒してるけど、三人のマスターと二騎のサーヴァントが一緒にいたら、普通は警戒するはず。仮に私達を見つけていたとしても、自分のマスターに報告して遠巻きにしてるのが精々じゃないかしら』
『だな。考えってなんだ、衛宮。言ってみろよ』
『セイバーを俺の家に置いていく。アーチャーはそのまま遠坂の家で待機。ライダーは周囲を索敵して、俺達三人は固まって夜中、街をぶらつく』
『シロウ!? 何を馬鹿な! そんなもの狙ってくださいと言っているようなものです!』
『いや、狙ってくださいって言ってるんだよ。実際』
『そんな、危険です!』

 セイバーの訴えに、士郎は笑った。凛は厳しい目をし、慎二も嫌そうである。だが、意見が変わる。士郎の作戦を聞けばセイバーも考え込んだ。

『危険じゃないぞ、全然って訳じゃないが』
『何故そう言い切れるんですか』
『まず夜中と言っても街中だ。良識のあるマスターなら、サーヴァントはけしかけない。ならこの時点でランサーは来ないな。刃物持ってズバッてやるには場所が悪い。俺を口封じに殺しに来るぐらいだ、人目につく真似はしないわな』
『……キャスターは?』
『キャスターってのは魔術師だろ? そしてそのマスターだって俺みたいな奴じゃないなら正統な魔術師と見ていい。人目につく真似はしないんじゃないか。どうだ遠坂』
『……そうね』
『バーサーカーは怖いが、流石にそんな奴が近づいて来たらすぐ分かる。周囲を走り回って索敵するライダーが報せてくれれば、俺達は逃げる。逃げ切れないなら令呪でセイバーを呼ぶ』
『……そういう事ね。オマエ、やっぱえげつないな』
『慎二も、遠坂も分かってくれたみたいだな。俺達を街中で始末しに来れるのはアサシンだけって事になる。ライダーも気配のないアサシンには気づけない。そのライダーは遠くを円形に走り回ってるから、咄嗟の時には間に合わないとアサシンも判断するだろ』

 そう考えると、確かにそうだ。アサシンしか仕掛けて来れない、普通は。

『一番怖いのは後先考えない、馬鹿が相手だった時だ。バーサーカーなりランサーなりをけしかけてこられるのが一番困る。キャスターが周りも巻き込もうとしても困る。そうさせない為に、コイツらが近づいて来れないように、ライダーには索敵を完璧にしてもらわないといけない。アサシン以外が近づいてきたら、すぐに俺達が逃げるのは周りを巻き込まない為だ』
『肝心の所を話してないじゃない。上手くいってアサシンが仕掛けてきたとする、その時はどうする気なの?』
『攻撃態勢に入ったら気配が漏れるんだろ。気配遮断スキルって。遠坂、敵意を感知する魔術とか使えないのか?』
『微弱な結界を私達の周りに展開しておくって形なら使えるけど……まさか、』
『そうだ。令呪を使う。敵意を感知したら、俺がセイバーを喚ぶ。セイバーは俺が喚んだら戦闘開始の合図だと思えばいい。そしてアサシンを出来たら一撃で倒してくれ』
『人目があるってアンタが言ったんじゃない! そんな事出来る訳ないでしょ!?』
『サーヴァントは倒したら消えるんだろ? いきなりセイバーが出た、いきなり現れたアサシンが消えた――マジックですの一点張りだ。常識的に考えて有り得ないなら、噂にはなっても誰も信じないぞ』
『神秘の秘匿は絶対よ! そんなのできっこないわ!』
『なら路地裏でたむろってればいい。人目も最低限で、場所は狭い。ますますアサシンは仕掛けやすくなる』
『あ、あんたね……それ、酷い賭けよ? 令呪が間に合わなかったらどうするのよ』
『間に合うように、感知を頑張ってくれ、遠坂』
『……頭痛いわ』

 遠坂は頭を抱えた。しかし、敵の仕掛けてくるタイミングをこちらで誘い、厄介なアサシンを仕留められるかもしれないとなれば、一考の余地はある。そして、

『出来ないのか? なら仕方ないな』

 士郎のその挑発に、凛は吼えてしまった。

『出来るわよ! 私を舐めないで!』
『なら問題ないじゃないか』
『あっ……』
『遠坂……オマエ、迂闊過ぎるぞ……』

『凛さんが手玉に取られてますね……』

 カレイドルビーの妹機、サファイアが呟く。滅多に見れないレアな光景だ。
 しかし、美遊は言う。

「でも勝算は立ちます。ならやる価値はある」
「ミユの目がマジな感じ……お兄ちゃん……」

 イリヤは友人の様子に乾いた笑いが漏れ、士郎があくまで平行世界の兄だという事を改めて理解する。だってイリヤの義兄はここまでアレな感じではないからだ。

 しかし、長閑な帰路の作戦会議は、そこで中断された。進行方向に、この世界のイリヤが現れたのだ。立ち止まった一行が身構え、セイバーは凛から借りた中学時代のセーラー服から騎士甲冑に戻った。
 わたし……? イリヤの呟きは途切れる。背後に鉛色の巨人を従えていたからだ。それは、イリヤ達にとって最強の敵だったモノ――黒化英雄のヘラクレスよりも、数倍もの威圧感を放つ存在。その圧倒的な武威、佇まいだけで気圧される。この世界の英霊とは、こんな化け物みたいなのばかりなのか。

『――はじめまして、ね。お兄ちゃん』
『バーサーカー……やば、アイツ、桁外れよ』
『わたしはイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えば分かるかしら、リン』
『イリヤ……?』

 スカートの裾を摘まみ、優雅に礼を示す少女の名乗りに、士郎は鸚鵡返しに呟く。
 少年は覚えていた。忘れるわけがなかった。何故ならその名は、彼にとって決して忘れられるものではなかったから。お兄ちゃんと呼ばれるのではない、年下の幼い少女にしか見えない彼女は、士郎の目標にも含まれているのだから。

『? お兄ちゃん、わたしの事知ってるの?』
『……』
『……おい、衛宮。知り合いか?』
『……いや、はじめて会った。ただ、俺の養父、切嗣から聞いた事はある』
『っ……!』

 余裕に満ちていた少女の顔が、一気に強張る。そして剣呑に士郎を睨み付けた。

『大事な娘だって。もし会えたら、仲良くしてくれって、言っていた』
『っ……なん、ですって? 大事な、娘……? そんな事、よくも……! よくもそんな事が言えるわ! 許さない……やっちゃえ、バ――』
『切嗣は、何回もイリヤに会いに行った』
『――!?』
『けど、妻の家――イリヤの家か? それが会わせてくれないって、死ぬ間際まで、死が近づいてる体で、何度も会いに行っても会えなくて、悔しそうにしていた』
『え? 死……? 切嗣……死んじゃってる……の……?』
『ああ。何年も前の事、だけどな』
『……そう……なんだ。切嗣、死んじゃってたんだ……嘘吐き……何回も、会いに来てたって……そんなの、知らない……そんなの、嘘……だって、だっておじいさまは、切嗣は裏切ったって……わたしの事、捨てたって……』

 イリヤスフィールはその小さな肩を震わせた。俯いて、表情が髪に隠れる。その譫言に、士郎は言った。

『イリヤ、切嗣はイリヤを捨ててなんかいなかった。最後までイリヤに会いたがっていた。俺はイリヤと仲良くしたい。血は繋がってなくても、兄妹(姉弟)なんだから』
『……うるさい……』
『イリヤ』
『うるさい! 何も聞きたくない! やっちゃえバーサーカー!』

 巨人が吼える。両手を広げてイリヤスフィールに語りかけていた士郎を拒んで、イリヤスフィールは悲鳴をあげるように命じていた。
 雄叫びを上げて襲い掛かってくるバーサーカーを、セイバーが真っ向から迎撃に向かう。斧剣と不可視の剣が激突した。その余波だけで凄まじい爆風が巻き起こる。ライダーはマスターを狙おうとしたが、しかし士郎を見て、バーサーカーに向かった。

『イリヤ!』
『うるさい、うるさい、うるさい……! 嘘吐き、切嗣はわたしを捨てたんだ――! 皆殺しちゃえ、壊しちゃえ! 狂いなさい、バーサーカーぁあああ!!』

 バーサーカーの威が膨れ上がる。ライダーと協力しあい、辛うじて互角に立ち回っていたセイバーとライダーが一瞬で弾き飛ばされた。
 剣撃の風切りの衝撃だけで、セイバーの額から血が流れる。

『嘘でしょ!? こんな化け物、どうしろってのよ!?』

 凛の驚愕は、二騎のサーヴァントが全く歯が立たない最強のバーサーカーへ向けられていた。

『どうすんだよ、あの筋肉達磨! 想定外もいいとこだろ!? 衛宮、ライダー達が足止めしてる内にさっさと逃げないと……!』
『分かってる! けど後少しだけ、少しだけでいい、イリヤと話させてくれ!』
『話す事なんか、ない!』

 予期しなかった死闘が始まる。セイバーは決死の形相でバーサーカーの猛攻を凌いでいた。だが長くは保たないだろう。士郎は歯噛みした。戦いの素人だ。喧嘩の経験なら幾らあっても、あんな天災じみた輩への対処など想像もつかない。
 苦し紛れにセイバーへ云う。戦いながらだと、とても苦しい質問だった。

『セイバー! どこか、やり易い所はないか!』
『ッ! ぐ、なら――』

 ライダーは近づく事すら出来ない。接近戦は不可能。近づくだけで殺される。敏捷性を活かそうにも、それを超える迅さで叩き潰されるのが目に見えていた。辛うじて防戦が成り立っているのはセイバーだけだ。それも、直に捻り潰されて終わる。それほどの猛威。

 余りの迫力に、カルデアのイリヤは腰を抜かしていた。影響はないと知っていても、無意識にアルトリアやアタランテ、エミヤも臨戦態勢を取ってしまう。

 セイバーが飛び退く。バーサーカーを誘うように教会の墓地へ向かっていった。狂戦士の猛追をまともに受け、セイバーの端整な美貌が歪む。

『クソッ!』

 士郎は意を決して駆け出した。衛宮君!? 衛宮!? 凛達の呼び掛けを無視しイリヤに向かって士郎が走る。
 イリヤが髪を抜く。魔力が奔り、象るのは巨大な針金細工の剣。飛来するそれを、士郎は辛うじて躱すも完全に避ける事は出来なかった。掠めると左腕が千切れ掛け、鮮血が吹き出た。歯を食い縛り悲鳴を堪え、脚を縺れさせながらも、それでも士郎は走るのをやめなかった。
 バーサーカーがセイバーを追っていた足を止め戻ってくる。イリヤスフィールの命令だろう。一瞬にしてイリヤスフィールの眼前に降り立った巨雄が、斧剣を振り上げる。そこに魔力を放出して飛来し、必死に割り込んだのはセイバーだ。
 だが、咄嗟の事だった。強烈な死を予感していた故に、士郎はセイバーがサーヴァントである事を忘れた。士郎の本質が、最悪のタイミングで顔を出したのだ。

『なっ――!?』

 士郎が、セイバーを突き飛ばした。思わぬ事にセイバーはたたらを踏み、そして――斧剣が、士郎の体を引き裂いた。

『え……?』
『衛宮君!?』

 士郎が倒れる。即死だった。イリヤスフィールは呆然とした。凛と慎二が駆け寄ろうとし、バーサーカーがそちらを狙おうとするとライダーが二人を肩に抱えて飛び退いた。
 セイバーもまた呆然とし、どうして――と、呟く。

 出血の映像は途切れている。しかし士郎の体が真っ二つに泣き別れた光景に、イリヤは競り上がる吐瀉を堪えた。美遊もまた口許を覆う。

『……何これ。こんなの……、……つまんない。帰るわよ、バーサーカー』

 激発していた癇癪が鳴りを潜める。そうして、あたかも逃げ去るようにしてイリヤスフィールは狂戦士を連れ、その場を立ち去った。

 士郎が死んだ。皮一枚で体は繋がっているに過ぎない。だが――映像が暗転する。
 場所は衛宮邸に移っていた。体に手を当て、死んだはずだと喘ぐ士郎に、セイバーが言う。士郎はひとりでに再生されたのだと。凛が言うには、セイバーと契約する事で、なんらかの恩恵が得られているのではないかという事だった。
 バーサーカーの余りの強さに、今後の事を話し合う。明確な方策は無く、イリヤとは俺が話をつけると士郎は譲らなかった。

 士郎は翌日の学校を休んだ。実際に死にかけた事で気分が悪く、顔色が悪かったからか、ひどく心配する大河や桜を宥めて学校へ送り出した。
 しかし夕方になると、凛や慎二に電話をして、彼らに気を遣われながらも街に繰り出す。そうして作戦通りにアサシンを釣る事に成功した。片腕が奇形のアサシンは、攻撃の間際に凛の魔術に感知され、令呪で呼び出されたセイバーによって倒されたのだ。

 上手くは行った。だが仮にアーチャーが復帰したとしても、あのバーサーカーに太刀打ち出来るとも思えない。宝具で距離を詰められる前に倒すか、イリヤを叩かねばならないが――士郎はイリヤを倒す事を、断固として拒絶した。
 イリヤを救ってやってほしい――切嗣の言葉は遺言となっていた。呪いではない、しかし士郎はそれを破るつもりは毛頭なかった。例え殺され掛けたのだとしても。

 残るは、キャスターとランサー、バーサーカーだが。ランサーの所在は杳として知る事が出来なかった。あてもなく、変装したセイバーと霊体化したライダーを連れ、慎二や凛と街を彷徨い歩くばかりだった。
 その次の日の夜だった。不意に強大な魔力の発動を感じた。凛はおろか、士郎や慎二すら感じ取れるほどの爆発的なそれは、黄金の光と爆音を発している。時間にして一分だったろう、士郎達が現場に急行する。

 そこで出会ったのだ。あまねく魔術を支配する王と。

 消え去ったサーヴァントは、魔術王に敗れたのか。――黄金の鎧の欠片が散らばっていたのが、消滅する。

『――二騎のサーヴァント。新手だ、どうする? マリスビリー』
『君の消耗を考えれば、此度は撤退した方がいいね。ここは退こう』

 男が言う。転移魔術を詠唱もなしに使用した魔術師達は幻のように消えていた。

『今のは――アーチャー……!?』

 セイバーの驚愕だけが、その場に溢れ落ちた。


 

 

士郎くんの足跡(後)





 想定外な事ばかりだった。

 セイバー、アーチャー、ライダーは自陣営。アサシンは倒した故に、後はバーサーカー、キャスター、ランサーが健在だ。しかしアーチャーという、前回の聖杯戦争に参加していた輩がいた。それはキャスターに倒されたようだが、それこそが厄介だったのだ。
 セイバーが云うには、あのアーチャーは断じて与し易い敵ではなかったという。前回の聖杯戦争で最も強大であり、セイバーも勝てなかったほどである。

 それが倒された。

 バーサーカーの強さもそうだが、キャスターもまた得体が知れない。後は数で潰す、なんて真似は通じないのだ。可能ならバーサーカーを味方につけ、欲を言えばランサーも引き込みキャスターを排除してしまいたいが、それは不可能だろう。
 そして士郎にとって最も大きな衝撃となったのはイリヤスフィールの存在である。切嗣の事は置いておくとしても、あれほど錯乱していたイリヤスフィールだ。気に掛けるなという方が無理な話であり、士郎はイリヤスフィールをどうすればいいのか考え続けた。

 しかし時間は待ってくれない。そして誰も士郎の迷いを考慮してはくれない。動き出した時間の針は、決して止まらない。時間は巻き戻らない。
 既に賽は投げられている。奈落へと駆け落ちていくのみ――

 アーチャーが復帰した。

 不自然なほどライダーは弱い。そしてセイバーとアーチャーが揃っていても、バーサーカーは打倒困難な難敵である。そしてキャスターもまた、戦って倒さねばならない存在だ。万全を期し士郎達三人のマスターと、三騎のサーヴァントは常に行動を共にする事になった。
 街中と言わず、冬木中を散策する。敵を求めての事ではない。いや見つければ戦闘は避けられないだろうが、それよりも僅かな希望を繋げる代案が必要だった。
 そして見つけた。ランサーだ。教会の付近に来ると姿を現した。戦闘になる。キャスターやバーサーカーを打倒する共同戦線を提案したが、考える素振りすらなく一蹴された。

 以前ランサーはアーチャーとほぼ互角の戦いを繰り広げた。そしてセイバーとの初戦では圧倒されていた。勝てない敵ではない――そんな甘い見立ては、全力を発揮したランサーの前に霧散させられる。
 速い、只管に迅い。バーサーカーを超える敏捷性と、初動からの最大速度。目で捉える事すら儘ならず、三騎で掛かっても苦戦を強いられた。辛うじて追い込むも、そこからの粘り強さは異様なほどであり、後一歩の所まで追い詰めてもその度に仕切り直され、遂には離脱された。

『――これほどの、者か。アイルランドの光の御子は』

「そんなもんじゃなかったろ? アーチャー」
「……」

 クー・フーリンの揶揄がエミヤに飛び、とうのエミヤは苦々しそうに顔を顰めた。カルデアの光の御子ならば、三騎掛かりでも返り討ちにされる畏れが多大にある。
 明らかに不吉な予感のする記憶映像の中、よくもそんな軽口を叩けるものだと感心すらしかけてしまう。

 ランサーの協力は得られず、また倒す事も出来なかった。何故教会付近にいたのかを考えてみても、特に理由は思い浮かばない。教会から出てきた言峰綺礼は、こんなところで戦う者がいるとはと嫌味を言い、凛を弄って笑みを浮かべていた。
 士郎が言う。イリヤスフィールに会いに行こうと。避けては通れない道だ。必ず会わねばならない。なら時間を置くよりも先に、こちらから会いに行く方がいい――そう思い、凛の案内でアインツベルンの城へ向かった。

 鬱蒼とした森の中を進む。凛の顔が強張っていた。

『――結界が、ないわね』

 本来なら自身の領域に踏み込んだ者を報せる警報、罠の類いがなかったのだ。不自然なほど何もない。進んでいくと、濃密な魔力の昂りを感じて士郎達は足を早めた。
 爆音が轟く。雷鳴が散る。城が崩れるほどの。風が渦巻き嵐となって、時には現実を歪めるほどの幻術の余波が士郎達の行く手を阻んだ。何が、と戦慄する一同を出迎えたのは――またしても、キャスターのサーヴァントだった。

 どれほどの激戦が繰り広げられたのか。
 頬に赤い血の筋を走らせ、肩で息をするキャスター。
 臨戦態勢を取る士郎達の目に、倒れ伏し、消滅していく狂戦士の姿が映る。そしてキャスターのマスターらしき男が、バーサーカーの消滅に絶望するイリヤの腕を掴んでいる――

『イリヤを離せ、テメェ――!!』

 怒気を激発させて怒号を発し、士郎が走った。バーサーカーを倒し油断していたのだろう、キャスターのマスターは士郎の接近に気づかず、キャスターにはセイバーとアーチャーが仕掛けた。
 矢雨を風を起こして薙ぎ、セイバーが接近するのに短距離を転移で移動して躱すも、キャスターの自身のマスターへの援護は間に合わず、士郎の拳が男の顔面を抉った。
 殴り飛ばされた男は思わずイリヤスフィールの手を離していた。不意の打撃に、しかし冷静さを保っていた男は素早く凛の追撃を避ける為に後退する。そのすぐ傍にキャスターが転移で現れた。

『また君達か。それに、一騎増えている』

 男は面倒そうに嘆息する。キャスターは視線で主の意向を問うと、男はあっさりと言った。

『仕方ない、撤退する。本当はここで小聖杯を確保しておきたかったのだが……流石に今回は私の方が消耗している。キャスターへの魔力供給が不安だ。不確定な勝負はしない』
『待て! もう一発殴らせろ!』
『セイバーのマスター……真っ直ぐな少年だね。また会おう』

 殴られた事を欠片も気にせず、男は士郎へと微笑み、またしても空間転移で撤退していった。
 まんまと逃げられた事に歯噛みするセイバーをよそに、士郎は呆然自失しているイリヤの肩を揺すった。

『イリヤ、おい、イリヤ。無事か?』
『……え? お兄、ちゃん……?』
『ああ。とにかく、今は此処を出よう』

 士郎は一度は己を死のふちに落としたイリヤを欠片も恐れず、躊躇う事なく背負った。
 されるがままだったイリヤは、なんで、と掠れた声で問い掛ける。

『決まってる。妹――じゃないか。姉を助けない弟なんていないだろ?』
『……』

 恐る恐る、首に腕を回してきて、しがみつくイリヤに笑い、士郎は元気つけるように明るい声で話し掛け続けた。切嗣の事、自分の事、イリヤの事。旨い食べ物、今夜の夕食――次第に小さな相槌が返されるようになると、士郎はますます張り切って語り掛ける。
 それに、凛は呆れたようだ。

『……はあ。アイツ、よくあんなふうに出来るわね。一度は殺し掛けられた奴なのに』
『衛宮は子供に好かれる奴だからな。ガキをあやすのはお手のものなんだろうぜ』
『っ、間桐君?』
『地、出てるぜ。普段猫被ってやがったな』

 慎二が失笑しながら凛に云うと、露骨に顔を顰めた凛は慎二を無視した。

 そんなやり取りと士郎の様子を、カルデアと冬木のアーチャーは複雑そうに見ている。こんな事があるとは……その心境は冬木の己とも被るだろうとエミヤは確信していた。

 やがて士郎は、イリヤを衛宮邸に連れ込むと凛や慎二に提案した。お前達もここで住めよ、と。もちろん聖杯戦争中だけだが。
 凛は少し考え、承諾した。聖杯戦争中は、キャスターを警戒して単独で行動しない方がいいと判断されたのだ。
 無論、大河は無理だが桜は暫く衛宮邸に来ないように、慎二の口から要請させる。慎二の邪険で横柄な態度に、しかし桜は嬉しそうだったのが印象に残った。兄さんが先輩とまた、仲良くなれてるのが嬉しくて――士郎が機嫌がよさげな理由を問うと、桜はそう言った。慎二は鼻を鳴らして取り合わなかったが……否定はしなかった。

 束の間の平穏が過ぎる。

 イリヤスフィールの容態が芳しくない。イリヤスフィールは自身を小聖杯だと告白し、脱落したサーヴァントの魂を回収する器なのだと言った。既に三騎――イリヤスフィールの知らない、恐らくは前回のアーチャーが脱落している為に、殆ど動けなくなっている。
 三騎脱落しているのに、負荷は五騎のそれと同等だという。イリヤスフィールは息も絶え絶えに警告した。

『あのキャスター、わたしの令呪に干渉したわ。魔力は相応に使うみたいだけど、今度会えば令呪でリンやお兄ちゃんのサーヴァントは、自害させられる。それを抜きにしても桁外れに強かった』

 バーサーカーの真名は、ヘラクレスだったという。その宝具を士郎達に伝え、一度の自害では滅びなかったヘラクレスを、キャスターは魔神を立て続けに同時召喚して――五十柱の魔神によって討ち滅ぼしたのだと告げた。
 それでも、理性がなくとも一矢報いたのは、ヘラクレスの意地だったのかもしれない。

『あのキャスターの真名は、ソロモン。全ての魔術の祖にして支配者。令呪がある限り、お兄ちゃん達に勝ち目はないわ。だって、ヘラクレス以外に複数の命を持ってる奴なんて、早々いないものね』

 キャスターの真名に絶句する凛と慎二を横に、その偉大さを実感として知らない士郎はあっさりと返した。なら令呪、全部使えばいいだろ、と。
 セイバーのみならず、アーチャーやライダーも驚愕した。何をバカな、と。しかし止める間もなく士郎は令呪を連続して使う。正常な契約を結べてないんだろ? ならこうすればいい、と。
 令呪で無理矢理セイバーと自身のパスを繋いだのだ。極めて無理のある荒業に、士郎は痛みで気絶した。

「馬鹿が……」
「でも、先輩らしいです」

 エミヤの悪態に、マシュは微笑む。

 目覚めた士郎は、セイバーにこんこんと説教された。あんな無茶な真似をするな、そもそも貴方は危険に対して無頓着過ぎる、バーサーカーの時も、アサシンの時も、そしてあの城の時も、と。サーヴァントを律する令呪を使いきるなど有り得ない、不慮の事態があればどうするのですか、私が裏切るとは思わないのですか、などと。くどくどと責められ続け、士郎は辟易として言った。

『セイバーが俺を裏切るなんて有り得ないだろ』
『何故言い切れるのですか。まだ付き合いの浅い私を信頼するなど――』
『信頼してる。時間なんて関係あるか。だってセイバー、俺の剣になるって言ってくれただろ? 自分を斬る剣なんか持った覚えはないし、それに女の子の言葉は信じる主義だ。嘘泣きだと分かっていても、敢えて騙されてやるのが男だって、ジイサンも言ってたしな』

 ぽかんとしたセイバーに、士郎は快活に笑う。ははは可愛い奴、なんて。セイバーは顔を真っ赤にして怒った。女扱いは不服だと。

『なんでだ? セイバー、女の子だろ』
『私は女である事を捨てた。女である前に騎士であり王です。そんな扱いは不要だ』
『嫌だね。お前のマスターが俺である限り、そんな言い訳は聞かない。女の子を女の子扱いするなとか無理だ』
『シロウッ!』
『この件で逆らうと飯抜きな』
『!? ……クッ、卑劣な……! しかし、そんな脅しには屈しません。撤回しなさい、私は騎士です、貴方の言葉は受け入れられない!』
『あっそ。じゃあ今夜、セイバーの分は作らないから』

 とか言いながら食事の場にもセイバーを伴う士郎である。和やかな食事風景に、セイバーは心底辛そうに俯いているが、その匂いと網膜に焼き付いた料理が理性を焼く。
 翌日。特に新たな発見も、動きもない日だ。朝食から夕食まで、セイバーは飯抜きである。問答を再開する気は士郎にはなさそうだった。

『……』
『うわぁ……』

 お通夜のように重い空気で沈黙するセイバーに凛は引いた。

『心を攻めるが上策って云うけど、色んな意味でこの兵糧攻めはきっついわ。鬼ね、衛宮君』
『セイバーが悪い。マスターだぞ俺。マスターの俺に反抗的だから飯抜きなんだ』
『亭主関白かっ! 割と最低な論法よそれ!』
『家の問題に口を突っ込まないでくれますか、遠坂さん』
『家の問題なのこれ!?』

 凛のツッコミを聞き流し、士郎は嘆息して立ち上がった。台所に向かい、お椀と箸、皿を出す。それをセイバーの前に置くと、顔を上げた少女騎士に微笑んだ。

『すまん。意地悪が過ぎた。食ってくれ』
『……要りません』
『ごめん、謝るって。昨日の件は撤回するから。セイバーに今、倒れられても困る。ほら、食べて力にしてくれ』

 士郎の言葉に、あくまで渋々といった様子で箸を受け取るセイバーである。しかしそれに、士郎は意地悪く笑った。
 ゆっくりと食事をはじめたセイバーへ、士郎は言う。

『昨日の事は撤回した。でもまた言わないとは言ってないぞ』
『!? ごほっ、ごほ! し、シロウ!?』
『女の子扱いするから、そのつもりで』
『……!』
『あ、今更食うの止めるなよ。お残しは許さん断じて許さん。それは全ての農家その他諸々への侮辱であり冒涜だ。王様ならそんな事しないよな』
『くぅ……! やはり、貴方は卑劣だ……!』

 そうして嫌がる素振りで、その実しっかり味わい箸を動かすセイバー。

「な、なんですか!? これは私の責任ではありませんよ!? どう見てもこのシロウが悪い!」

 カルデアで、己に集まる生暖かい目線にアルトリアは抗議した。しかしその訴えの説得力は欠片もない。
 やがて女の子扱いに、特に不満も覚えなくなりつつあるセイバーの様子に、カルデアの生暖かい空気は濃密に漂っていく。アルトリアはまた抗議するも、やはり説得力はなかった。

 不気味な平穏が続く。三日が経つと、士郎達は街に息抜きへ出ていた。病気に由来する体調の変化でないなら、イリヤスフィールを置いていく理由はないと、士郎はイリヤスフィールを背負って歩いた。
 服を見たり、外食したり。バッティング・センターでストレスを発散したり――憩いの空気に、浸る。迫り来る嫌な予感を振り払うように。もう戻らない時間を、せめて楽しいものにするかのように。

 切嗣の墓参りに来る。大所帯だ。士郎は月に一度は藤ねえと来るんだと溢した。

 イリヤスフィールは、士郎に教わった作法で両手を合わせる。祈る時間は、長かった。
 疲れたのだろう。墓参りが終わると、すっかり寝入ってしまったイリヤスフィールをアーチャーに預ける。流石に長時間背負って、士郎も疲れたのだ。アーチャーは壊れ物に触れるように、恐る恐るイリヤスフィールを背負い、その様を凛が指を指して盛大に笑った。そっぽを向くアーチャーが、尚更に可笑しい。

 士郎はセイバーに、ふと言った。なんでもないような、日常の会話の延長のように。唐突な、驚天動地の台詞を。

『セイバー』
『はい、なんでしょう』
『俺、今気づいたんだけどさ、お前の事が好きみたいなんだ』
『はい。……はい? し、シロウ、何を……!?』
『はあああ!?』

 凛と慎二が絶叫した。

『あ、アンタっ!』
『桜はどうした!? オマエ、ふざけて言ってんじゃないだろうな!?』
『なんで桜が出てくる? ふざけてこんな事言えるか、馬鹿。一目惚れらしい、今気づいた』
『ちょ、』
『……はぁあ!?』
『シロウ……!? そんな、戯けた事を……!』
『別に誰を好きになっても俺の勝手だろ。受け入れてくれって訳でもない。そんな場合でもないしな。ただ、覚えてて欲しいんだ、セイバーに。応えなくていい、ただ俺がお前のマスターだった事を。俺がお前に惚れてたって事を』

 士郎の、余りに真っ直ぐな好意と言葉に、セイバーは返す言葉が見つからなかった。
 お前が欲しいとは言わなかった。答えを求められた訳でもなかった。ただ覚えていてほしいと、それだけを求められた。――返事のしようが、ない。拒む拒まないではないのだ、そんな次元ではない。

『はは。初恋は叶わない――って、本当だったんだなぁ』

 何故なら士郎は弁えていた。セイバーは違う時代の人間で、別れは必然である。悲しむでも、嘆くでもなく、あくまで嬉しげだった。
 慎二は思わず訊ねる。なんでそんな、笑ってられんだよ、と。惚れちまったんなら、手に入れたいって思わないのかと。

『は? 馬鹿だな。いいか? 忘れないでくれって頼めば、セイバーはきっと、俺の事を忘れないでいてくれる。それってつまり、永遠って事だろう? 思い出が手に入った。そこには、俺にとっての全てがある。セイバーはもう、手に入れてるんだよ』
『――』

 セイバーは、返す言葉を見つけられなかった。士郎の透徹とした笑顔を直視して――堪らず、顔を伏せる。
 在りし日、始まりの時、捨てたはずの少女が疼くのを殺して、セイバーは囁いた。

『――はい。私は、例え地獄に落ちても、貴方を忘れません。シロウ』
『そっか。よかった』

 それは誓いだった。士郎を守る、絶対に守る。セイバーはサーヴァントとマスターという関係とは別に、衛宮士郎の剣である事を誓ったのだ。
 顔から火を吹きそうなオルタとアルトリアを、ダ・ヴィンチはニヤニヤしながら見詰め、アグラヴェインは心底から形容しがたい表情をしていたが。――そんなふうに緩んだ空気は、凍る。

 衛宮邸に帰宅し、気が抜けた瞬間だった。

 不意に現れた魔術王が、イリヤスフィールを転移魔術で連れ去ったのである。

『な――』

 本当に一瞬の隙だった。
 誰の手も触れておらず、誰からの目も向けられていなかった、本当に一瞬。
 連れ去られたという事実に、士郎は憤怒し。それはアーチャーもまた同様だった。

 血眼になって市内を探し求め、しかしその日は遂にイリヤスフィールと魔術王を見つけ出す事が出来なかった。
 必死になって捜索して二日目。
 槍兵が自身の槍で心臓を穿ち、自害させられているのを発見する。令呪を奪われたのだろう。サーヴァントには、抗えない。これを目の当たりにして、凛は自身も令呪を使いきる。アーチャーに一見無意味な、漠然とした縛りを与えた。
 絶対に勝利する事、といった命令を。

 そして、見つけた。イリヤスフィールが、円蔵山の大聖杯の元で、イリヤスフィールを聖杯として起動していたのだ。彼のマスターの男が歓迎の構えを見せる。ここで決着をつけよう、と。
 士郎とアーチャーの赤黒い憤怒の形相は、数日の間を空けても翳る気配すらなかった。怒号を発して、最後の戦いが始まる。
 男が言った。

『今のキャスターは聖杯のバックアップを得た。魔力の心配はない。君達に勝てると思うかな、魔術王に』
『ゴチャゴチャうるせぇ、イリヤを返せぇ!!』

 気迫は、勝敗を左右しない。聖杯の魔力を得た魔術王は圧倒的だった。
 蹂躙が始まる。七十二柱の魔神が全て、同時に召喚され、それらが一斉に牙を剥いたのだ。
 ライダーが斃される。アーチャーが三十数柱の魔神に包囲される。固有結界は発動できず、投影した宝具で対応するしかない。セイバーが聖剣を解放し、光の斬撃で半数以上を消し飛ばしても、再召喚によって魔神は再び現れた。

 士郎は咄嗟に、消滅間際のライダーに言った。

『慎二を頼む……! 此処から連れ出してくれ! ……邪魔だ!』
『……ええ、分かりました』

 邪魔だと言う士郎の顔は、必死だった。この死地に、親友をおいておけないという、必死さ。
 慎二は目を剥く。ランサーに追われた、最初の日の事が脳裡を過ったのか。ライダーに担がれ、遠ざかっていく戦場に叫ぶ。

『ふざけるな! ふざけんなよ衛宮ぁ! 対等だろ!? 僕らは、どっちかが一方的に助けたり助けられたりするような甘えた仲じゃないだろ!? 最後まで戦わせろよ、足手まといでも、僕は、僕らは親友だったんじゃないのかよ! 衛宮、衛宮! クソ、離せライダー、離せよぉッ! おい……! チクショウ、チクショウ! 衛宮ぁあああ!!』

 叫び声が聞こえなくなる。士郎は一瞬笑い、そしてそれでも走る。アーチャーに指南された投影魔術を使い、双剣を手に駆けた。聖剣を再度放ったセイバーが、魔力を枯渇させながらも獅子奮迅の武勇を魅せる。
 魔術王に肉薄していくも、転移で距離を取られ続けるのに歯噛みして。セイバーは聖剣の真名解放を行えないほどに弱っていく。執拗な魔神による絨毯爆撃に、セイバーよりも先にアーチャーが倒れた。

『アーチャー!?』

 凛が悲鳴を上げる。死に物狂いで、それこそ嘗てなく必死に奮闘していたアーチャーが力尽きたのだ。サーヴァントが消滅した凛は、魔神に呑まれる。

『遠坂!? テッメェェエエエ!』

 吼える。士郎が意地でも仇を取ろうと、イリヤスフィールを助けようと駆ける。それを、

『――素晴らしい気迫だ』

 男、マリスビリーは称賛した。

『安心していい、ライダーのマスターを見逃したように、アーチャーのマスターの命も見逃そう。私の目的は、無為な殺生じゃあないからね』

 セイバーも、膝をつく。士郎もまた、もはや動けなかった。否、とうの昔に限界だったのを、意地だけで無理矢理走り、抗っていたに過ぎない。
 まだだ、まだだ、まだ終わりじゃねぇ……! 士郎の目は死んでいなかった。だからこそ、マリスビリーは彼を称賛したのだ。

『ああ、聖杯の彼女も無事だ。死んではいない。聖杯を起動する装置になっているだけさ』
『イリヤを離せ……ッ』
『私達が望みを叶えたら、解放しよう。……ただで、とは言えないがね』

 ――そして、士郎達は魔術王へ敗北した。

 記憶を消され、何もなかったように記憶を捏造されて。士郎にアラヤが介入する。自己が曖昧になり、己の記憶が英霊エミヤのそれと混同され、何が本当の己かも見失い……士郎は、第六次聖杯戦争に身を投じる事になる。

 死。理不尽な死を予感する。士郎は、なんの覚悟もない時に、明確な死の運命を自覚してそれを恐れた。

『オマエ暇だろ? 弓道場の掃除代わってくれよ』

 その慎二の問いに士郎は頷く。慎二を引っ張って無理に行こうとはせず、溝は埋まらなかった。

『問おう――貴方が、私のマスターか』

 再開した時、セイバーは全てを覚えていて尚、何もかもを忘れ、そして己を偽る少年に接する態度に惑った。どうしたらいいのか、悩んだ。

『じゃあ殺すね。やっちゃえ、バーサーカー』

 父の真実を知る事なく、無邪気に殺意を告げる少女がいた。

 士郎は己を塗り潰した死の恐怖と、自身の人間性と英霊エミヤの記憶の齟齬から、切嗣を看取った時に彼を偽っていると誤解し――それまでの己を見失っていたから。だから士郎は止まれなかった。偽る事をやめられなかった。罪悪感に一人悶え苦しんだ。
 この通りに演じれば助かると、英霊エミヤの記憶を辿り。持ち前の頭の回転は、常に錯乱していた士郎を、エミヤの知らない道へと歩ませても生存への道を歩ませた。

『……誰だ、オマエは』
『慎二?』
『オマエ、誰だ! 衛宮じゃないな!? 気色悪い顔しやがって!』

 第五次聖杯戦争の記憶はなくとも、それ以前の記憶までなくなった訳ではない。
 故に、人間性の解離に、その少年が気づくのは必然で。完全に別人な、壊れた人間を友人だと認めず敵対した。
 少年は、何がなんでもあの気色の悪い輩をなんとかしようとし、暴走した。何かよくないモノに憑かれている――その憑いているモノを除こうと学舎にライダーの結界宝具を張らせるほどに、思い詰めた。

『ひっ、ひぃィ!?』

 夜の街、聖剣によって消滅したライダー。慎二は逃げ出した。気味の悪いあの男が、自分を殺すだろうと恐怖して、逃げたのだ――

『――ふん。道化め。己の在り方すら見失った雑種など、殺す価値もない』

 全てを踏破した先に待ち構えていた英雄王は、些かの憐憫を滲ませ士郎を道化と称した。

『だが我もまた、此度は道化か。不意を打たれたとはいえ、敗れたのだからな。ならば、是非もあるまい。此度のみ、この茶番に乗ってやる』

 英雄王と戦った。そして彼の王は、侮蔑も露にセイバーを罵った。

『戯け。貴様がついていながらこのザマとはな。成すべき事を成そうともせん貴様に、この我の寵愛を受ける資格はない。女を磨き出直すがいい。その時こそ我が相手するに足る』

 何を言っているのか、士郎にはさっぱり分からなかった。だがセイバーの心は、動いたのかもしれない。

『シロウ――貴方を、愛しています』

 全ての決着が着いた時、アルトリアは秘め続けるつもりだった心を告げる。尚も錯乱していた士郎は、それでも我から出た言葉で、懺悔した。
 俺は、お前を愛してなんか――そう涙ながらに告げる少年に、アルトリアは微笑む。

『いいえ。貴方は私を愛しています』

 ――その、万の言葉よりも勝る保証が、少年を錯綜する混乱より救い上げた。
 そして、カルデアで二時間半が経つ。衛宮士郎の旅は、こうして始まるのだ。





 

 

士郎くんとロマニくん





 魔法少女。その単語がアグラヴェインのレポートの頭の上にあり、俺は己の目を疑った。眼精疲労だろうか。

 しかし何度見直しても、目薬を注しても、その単語は動かない。イリヤの身の上から始まり、美遊の事情(美遊は隠し事をしている気配ありとの注釈がある)。カレイドステッキのルビー、サファイア。クラスカード。クラスカードの回収任務に当たっていながらいがみ合い、ステッキに愛想を尽かされた凛にルヴィア。

 ……何やってんだアイツら。

 なんだかコメディチックだなと思う。背景は全然笑えない、ブラックそのものなんだが、その闇の深さは普通に家のお風呂ぐらいに感じる。馬鹿にしているのではなく、ありふれたものに感じるのだ。そう感じる俺の感性が、この世界に染まり過ぎている証明なのかもしれない。
 魔法少女云々は、カレイドステッキが関わっている時点で理解した。ああ、そういう事か、と。面倒なのに引っ掛かったなと同情する。
 さて。カレイドルビーに聞いた話だそうだが、イリヤや美遊の対戦したクラスカード、或いはバゼットに撃破されていたらしい黒化英雄と呼称されている存在について。
 まずあのダメットに倒されたらしい黒化英雄のクー・フーリン。雑魚だ。ダメットはあれで、私生活はダメダメだが、戦闘能力はピカ一である。人間離れして強い――が、それはあくまで人間の範疇でしかないのも事実。人間離れしてはいるが、非常識ではないのだ。切り札の宝具が厄介なだけで、戦闘型のサーヴァントなら普通に戦って普通に倒せるレベルでしかない。
 俺はバゼットと戦えば、近距離に詰められたら襤褸屑にされるが、ある程度距離が空いていればほぼ完封できる。そういった力関係だ。それを物差しにすれば、バゼットに倒されてしまっている時点で黒化英雄とかいうクー・フーリンの劣化は著しい。冬木のクー・フーリンの半分ほどか?

 この黒化英雄というのは、本来の英霊と比べて何枚も落ちる存在だと考察できる。同じくバゼットに倒されているアーチャーの奴も、その考察の一助となっていた。
 何故ならアーチャーや俺の切り札とは固有結界に他ならない。そしてこれは、バゼットのようなタイプに使用される事はないものだ。故にこの黒化英雄のアーチャーは、バゼットのフラガラックを実質ただの宝具に貶めてる状態で戦ったという事であり。万全の状態で敗れたという事になる。幾らなんでも弱くなりすぎだ。

 という事は、クラスカードで夢幻召喚というのをしたイリヤスフィールが、幾ら持ち前の大魔力があるとはいえ、アーチャーの力を使ってアルトリアを倒してしまえるのは可笑しい。
 あのアルトリアを、だ。騎士王を、アーチャーの力で、接近戦で互角に戦い、聖剣の撃ち合いで倒した。……その有り得なさを俺はよくよく知っていた。何せその力は俺の力でもあるのである。

 つまり黒化英雄全般は、本来の英霊より遥かに劣る存在だという事だ。クラスカードとやらを媒介にして実体化していた為の劣化、という考察に落ち着く。

 イリヤ達は実戦経験こそあるようだが、バゼットという人間レベルが倒せる程度の連中に、ああも悪戦苦闘していたのなら――はっきり言って、戦力として換算できない。足手まといと言えた。イリヤの特性上、火力だけなら一線級だろうがやはり……結論は変わらない。ランサーのクラスカードを使い魔槍を使うだけなら充分通用する場面もあるが、大体子供を戦わせるという発想が俺にはあり得なかった。

 ロマニやダ・ヴィンチに、彼女達が元の世界に帰れるよう、至急手伝わせる必要がある。カルデアの召喚システムに召喚されたとはいえ、死んでも再召喚、或いは蘇生が可能な保障はない。またそれを確かめる事は断じて許されない。
 故にイリヤスフィールや美遊は、何があってもカルデアでお留守番だ。桜もだが。

「……」
「……」

 資料を読み耽っている俺のマイ・ルームに来客があった。扉が開き、閉じる音と、背後に気配。資料に目を向けたまま、言う。

「何か用か? ロマニ」

 問い掛けると、ロマニは暫しの沈黙を経て、重苦しく頭を下げたようだ。

「ごめん」
「……何が?」

 資料の束をテーブルの上に放り、回転椅子を回して座ったまま体ごと振り返る。
 ロマニが深く頭を下げていた。素で聞き返すとその優男は懺悔するように呟く。

「全部だ。僕が君にした事、君がどんな目に遭ったか知っていながら、友人面をしていた事」
「……」
「はじめての、友達だった。だから――怖かったんだ。嫌われるのが。だから、知っていて、何も言えなかった。でもキミが――」
「ああ、待て。大体分かった」

 ロマニが何故謝っているのかの理由を察する。
 俺は嘆息した。第五次と、その再演によって起こった諸々に関してか。
 長くなりそうだったので、ひらひらと手を振って簡単に結論だけ言っておく。

「俺はお前を恨んじゃいない」
「え……?」
「間違えるなよ? ソロモンは断じて許さん。目の前にいれば八つ裂きにしてやる。だがお前はソロモンじゃない。ロマニ・アーキマンだ。ロマニは俺の友人で戦友だろう。恨む訳がない。筋違いも良いところだ」
「なっ――そんな……」

 絶句するロマニに、俺は苦笑する。俺をなんだと思ってるんだ、コイツは。

「お前の過去は、夢で何度か見た。自由意思なんて無かったんだろ? ならソロモンは道具だ。そして人間に成りたいと願い、お前になった。傀儡だったソロモンを恨みこそすれ、人間のロマニを恨む筋合いはない。もし誰かがお前に怒ったり、殴ろうとしてきたら俺に言え。俺がソイツを殴り返してやる」

 話は終わりか? なら仕事に戻れ。暇じゃないだろ。そう言ってもロマニは呆然としたまま立ち尽くしている。……聞こえなかったのだろうか。

「おい」
「……キミは、僕を恨む資格があるんだよ?」
「ない。そんなもの」
「なん、で……」
「なんでも何も今言っただろうが。何度も言わせるな。いいかロマニ。もう一回だけ言ってやる。お前はロマニだ、ソロモンじゃない。いいな? それを忘れるな。お前は人間なんだよ。だから謝るんじゃない」

 呆れて嘆息し机に向き直る。資料は読み終わっていたが、話す事はないという意思表示のために手に取り視線を落とした。
 ロマニは立ち尽くしている。重い静寂があり、啜り泣く声が聞こえた。しかし、それに声は掛けない。許す許さないの話ではない、見当外れな罪悪感を、なんとかしてやる事は出来なかった。
 その罪の意識を、許すと言わないのは――俺の八つ当たりだろう。その見当違いの罪悪感が拭えないというなら、甘んじてこの八つ当たりを受け入れてもらいたい。

 啜り泣きが終わるまで、無言で佇む。ふと或る探し物の天才である人の言葉を思い出した。
 彼は普段煙草を吸わないのだが、精神が不安定な人の前では敢えて吸う事があるのだという。それは煙草を吸うというポーズが、リラックスしている事を示し、それを見た相手の気を緩ませるらしい。
 俺も精神状態の悪い人間と対する機会は多い。故に彼の真似をして煙草を吸う事もある。これはそこそこ効果があるようで、普段は絶対吸わないが携帯している。机の引き出しに入れていたオイルライターと安物の煙草を取り出し、煙草を口に咥え火を点ける。

 吸って、吐く。ゆらゆらと立ち上る紫煙を見上げ、切嗣はこれを精神安定に使っていたのかと思う。俺の心も平坦になる、気がした。なんだかんだで俺も冷静ではなかったのかもしれない。誰も気づかなかっただけで。

 やがてロマニは泣き止んだ。おずおずと、口を開く。

「……煙草、体に悪いよ」
「問題ない。煙草だが、中身は魔術による精神安定の薬効が含まれている。気休めだが、まあそこそこ効果はあったみたいだ」

 吸うか? 煙草を出すと――ボクが吸うのはダメな気がするけど、今回だけ、と。受け取ってくれた。火を点けてやると、思いっきり吸って、思いっきり咳き込んだ。
 苦笑しながら吸い方を教えてやる。そういえば残り本数が少ない。魔術と薬学を混ぜて、闇医者として活動しているフリーの彼女に、カルデアの戦いが終わったら注文しなければ。
 実際体に害はない仕様だ。魔術もそういう使い方ばかりされればいいのにな、と思う。言っても詮無き事なのかもしれないが。

「ごめん。……ありがとう」
「おう」

 灰皿を出しながら、ありがとうという言葉だけを受け入れた。俺は吸い殻を灰皿に押し付け火を消すと、出来る限り明るくロマニへ言った。

「さ、仕事だ。働くぞ」
「……うん」





 

 

士郎くんの戦訓 1/5





 後味の悪さだけが残された。

 本来なら知覚出来るはずのない、霊長の世界の存続を願う願望。人類の無意識の集合体であるアラヤの抑止力の介入を、無自覚・自覚の差異はあれど士郎が知覚していた故に、記憶映像に捉える事が出来たのだ。
 赤い外套の弓兵、英霊エミヤ。記憶を改竄され意識が混沌としていた最中に混入されたアラヤの端末が、声なき声で命じていたのだ。
 人類史が焼却される。人類をこの未曾有の危機から救え。カルデアへ行け。その為に可能な限りの支援を行う――その結果が、再演された聖杯戦争中の錯乱だった。混濁とした記憶、確立されない行動原理。残されたのはアラヤの抑止力の願望で――死にたくない、助かりたい、そんな無責任な声に後押しされるばかりだった。

 本来の士郎には有り得ない言動。再演時には存在しなかったコルキスの王女を居ると思い込み、キャスターとしての座に据えられた英雄王をアーチャーであると思い込んだ。
 それは英霊エミヤの記録である。そして、その英霊エミヤの記録とは異なる軌跡を描いてなお、士郎は全く別の認識でいた。己は聖杯戦争を、記憶にある通り生き抜いたのだと。――生き延びられたのだ、と。

 死にたくない、助かりたい。

 アラヤの抑止力に影響を大きく受け、死なずに済んだという安堵から士郎は多大な多幸感に浸った。そこに、セイバーに愛されていた、自分が彼女を愛していたという保証を得られた事による感動も混ざっていたのを、本人だけが自覚していなかった。

「――アラヤっていうの、こんなのなんだ」

 嫌悪と畏れの滲んだ、イリヤの独語には悲痛さがある。ネロもまた、眉根を寄せて腕を組み、難しそうに唸った。士郎はネロにとっても、無二の友である。ネロは士郎という男との付き合いは短い、しかし彼にはこんな理不尽な悲劇は似合わないと思った。

「――余も、この時代に根を下ろした」

 本来は交わるはずのない旅の道。時代を超えてなおも波乱に満ちた人生の航海は続いている。錨を下ろし、一個の人間としてカルデアの当事者となったのだ。故に皇帝ではなくなったネロは、友を助けようと決めた。
 元よりカルデアに一生を捧げるつもりなど毛頭ない。人理修復の旅の後は世界を見て回るつもりでいた。ならばその旅路を友と往く事に何を躊躇う事がある。何、あの友と共に在れば、少なくとも退屈とは無縁のハッピーエンドを掴めるだろう。ネロは「うむ」と頷き意思を固めた。

 二時間半が過ぎ、休憩時間になると、各々が手洗いや水分補給を済ませる。しかし――不意に何を思い立ったのか、幼い桜が漆黒の鎧を具現化させた。仮面のような禍々しい兜のスリットから、赤い光が悍ましく発される。黒く染まった魔剣を抜いてどこかへ行こうとする桜。マシュが慌てて制止した。

「デミ・サーヴァントの力を無断で使う事は禁止されています! 元の姿に戻ってください!」
「どうして? 士郎さんが、こんな事になってたの……そろもん、って人のせいなんだよね? ならいなくなってもらわないと……」

 桜の唐突な変化に、イリヤと美遊は度肝を抜かれた。自身よりも年下の女の子が、自身らを遥かに超える戦力を発露させたのだ。
 だが、所詮は自我の曖昧な少女。クー・フーリンが嘆息し、マシュの拙い言葉では止めれないと判断して動こうとするのに先んじ、弓兵が動いていた。

「よせ、桜。奴はそんな事を望んではいまい」

 エミヤもまた、桜を止めた。桜は首を傾げ、不思議そうに赤い外套の騎士を見上げる。

「アーチャーさん……でも……」
「ソロモンに怒りを向けるのはいい。だがカルデアにソロモンはいない。いるのはロマニ・アーキマンという人間だけだ。それに、衛宮士郎は桜がその力を使う事を好ましく思わん」

 鉄槌のような声音だった。
 甘さのない叱責。しかしその瞳には、桜を真摯に諭す優しい光が点っていた。

「何より無為に力を振りかざそうとするのは、人として下の下の遣り方だ。自分も役立つのだと見せたいのかもしれないが、時と場合を弁えろ。いいな」
「……はい」

 しゅんと落ち込み、桜は元の姿に戻る。ごめんなさいと頭を下げた。

「ああ。素直に謝れるのは君の美徳だ。その姿勢を損なってくれるな」
「……うん」
「……」

 マシュは密かに落ち込んだ。お姉ちゃんの自分が諭すべきだったのを、その役目をエミヤに取られたのだ。そんなマシュの様子に苦笑を漏らしながらも、桜のよくない変化を士郎へ報せるべきかと嘆息する。
 幼い子供が、それも内向的で善悪の判断基準も壊れている娘が強大な力を手に入れたのだ。放置すれば厄介な事になると、エミヤは判断する。言うまでもない事なのだろう、しかし敢えて言う事で一層気にかけるはずだ。
 桜も、アーチャーの言う事には素直だが、それよりも士郎の言葉の方がこの娘には響く。

「意外だな」
「え?」

 エミヤを尻目に、クー・フーリンはマシュへそう声を掛けた。アルトリアやオルタも同意見なのか、静謐な眼差しでマシュを見遣る。

「もっと取り乱すもんだと思ってたぜ」
「そうですか? 確かにショックで、酷いと思いますけど……これは過去です。現在(いま)の先輩は、此処にいます。なら心配はありません。未来(さき)の事は分かりませんけど、きっとなんとかなります」

 それは希望的観測だった。根拠のない展望でしかなかった。しかしその、未来を語るマシュをダ・ヴィンチは微笑んで見守った。
 クー・フーリンは可笑しげに唇の端を吊り上げる。

「――へえ? 大したもんだ。冬木で震えていやがったあの小娘が、いっぱしのモンに成長()ってやがる」
「未来を語れるのは、強さの証です。マシュ、その気持ちを忘れてはいけませんよ」
「は、はい」

 アイルランドとイギリスの大英雄からの、予想だにしなかった賛辞に、マシュは無垢に照れた。オルタは揶揄かう。

「確かに大したものだ。キリエライト、貴様はあのシロウと接していながら、シロウの濃さに染まる事なく在れている。兎のように気弱でありながら、獅子のような芯を備えているな。貴様が私の時代にいたならば、騎士として取り立てていただろう。無論、ギャラハッドの力を抜きにしての話だ」
「そ、そんな、オルタさんまで……」
「アグラヴェイン、貴様からは何かないのか」

 唐突に水を向けられた鉄のアグラヴェインは、表情にさざなみ一つの揺らぎもないまま応じた。

「特に何も。しかし騎士として遇するには、キリエライトは力不足。更なる修練が必須でしょう」
「チッ。つまらん男だ。実直なのは構わんが、硬軟を織り混ぜる事も覚えたらどうだ」
「……」

 しゅんと肩を落とすマシュを尻目に、理不尽な叱責を受けたアグラヴェインも微妙な面持ちだった。クー・フーリンが言う。

「テメェに言えた口かよ?」
「私は王だ。王ならば言える」

 暴君である。やれやれと肩を竦めたクー・フーリンをよそに、ダ・ヴィンチが手を鳴らした。

「はい休憩終了ー! 後半戦に入るよ、そろそろいいかな?」
「はい、ダ・ヴィンチせんせい!」
「お、何かなイリヤちゃん」

 着席して挙手したイリヤに、ダ・ヴィンチは柔らかな笑顔で応じた。
 ダ・ヴィンチを教科書で見ていたイリヤは、その偉人の容貌に驚いてはいたがすんなり受け入れていた。そして何故か先生と呼び始めたのだ。

「えっと、ここまででかなーり、お腹一杯なんですけど……ここから先は、流石に重くないですよね……?」

 平凡な一般人として最近まで育っていたイリヤには、既にキツすぎるものがあった。それは当然である。ショッキング過ぎた。しかしダ・ヴィンチは笑った。笑うしかなかったのだ。

「残念。こっからが本番なんだぜ、士郎くんは」
「えっ。今までのが序章に過ぎなかった……?」
『あははー。……え? この士郎さん、波瀾万丈過ぎません?』

 愉快型ステッキのルビーすら、マジトーンで返すほどだった。流石に人の不幸を見て笑う性悪ではない。
 美遊が挙手する。

「はい、美遊ちゃん」
「正直この視聴会の意義を見失いました。そもそも何故、おに――士郎さんの過去を観る必要があるのでしょうか?」
「あらら、核心突くね」

 ダ・ヴィンチは内心美遊への評価を一気に吊り上げる。というのも、ここまでの映像記録だけで当初の趣旨など覚えていられないものと思っていたのだ。
 何せ、彼女達は小学生だ。士郎の過去は衝撃的な劇物であり、彼女達の平静さを奪ってしまって当然である。だのに、冷静さを保つ客観性が美遊にはある。それは瞠目すべき事だ。
 運動能力、理解力、精神力、頭脳。全てが均一に高い才能がある。ダ・ヴィンチは美遊が天才である事を察した。同類だと、『万能』のダ・ヴィンチが認めたのだ。美遊を見る目が変わる。

「視聴会の意義、というより『理由』は三つだ」

 眼鏡を掛け、ダ・ヴィンチは講義した。

「一つ、ランサーと士郎くんは賭けをしていた。二つ同時に攻略しなければならなかった変異特異点、どちらが先に成し遂げるかの競争をしたんだよ。くだらない賭け事だけど賭けは賭け。負けた士郎くんは、ランサーの提示したものを実行する義務があった」
「はい」
「二つ目。士郎くんは百戦錬磨の戦上手だ。その頭のキレは、戦術や戦略という一点に於いてはこの私をも上回る。現場指揮官として、卓越した能力がある。生まれた時代が違えば、希代の名将になっていたかもね」

 ダ・ヴィンチの評に、エミヤが顔を顰める。さしものエミヤとて、ダ・ヴィンチにそこまで評価されるほどではない。自身との差異がここにもあるのだとエミヤは感じていた。
 ――が、それは違う。エミヤにも、実はその素質はあるのだ。
 彼は己を非才の身だと認識している。それは事実だ。生前の剣の才は並、運動能力も並、鍛え上げた人間程度でしかない。しかしエミヤには別の才能があった。それは『戦士』の才能だ。剣才がなくとも立ち回りで補い、戦術を組み立て、有効な武器を運用する。それを突き詰めて最後には必ず勝ってきた。戦いというジャンルにおいて、過程はともかく最後には必ず勝利へと至る才覚がエミヤにはあり、それを窮めたからこそ心眼のスキルを獲得するに至り、希代の大英雄と対峙しても防戦に徹すればある程度は持ちこたえられるのだ。

 エミヤのステータスは並みの英霊のそれでしかないのに、それだけ戦えるのは――彼が戦上手だからである。

 士郎はエミヤとは違う道を窮めた、それだけの事だ。己のみで勝ち抜き、生き残るのではなく。他を恃み、仲間を率いて皆で勝ちにいく方面へ。謂わば個か衆かの違いであり、ジャンルが異なるのみだった。

「そんな士郎くんも、最初からそれほどの切れ者だった訳じゃない。当然数多くの失敗もした。そして錬磨していったからこそ、どれほどの苦境でも勝利をもぎ取ってきた。その過去をざっくり追体験するのは貴重な学習の機会になる。だから皆で見る場があるなら、それにキミ達を招待しない理由はない。何せ貴重な戦力に成り得るからね、君達も。命の危険がない所で、数多の実戦を肌で感じられるのは決して損にはならないだろう?」
「なるほど……」
「あ、そうそう。特異点での戦闘記録は別枠だからさ、そっちはまた時間が空いた時にイリヤちゃんと一緒に見てみなよ。士郎くんの集大成的な戦果だから」
「はい」

 ダ・ヴィンチは眼鏡を外す。そして苦笑した。
 首を傾げる美遊に、万能の人は肩を竦める。

「で、三つ目。――実戦の過酷さをキミ達に知らしめるのが最大の理由だ」
「……? わたし達も、それなりに修羅場を潜って来ました。それは、」
「分かってる。キミ達の話は聞いてるよ。だから決して馬鹿にはしてないし、命の危険があったんだから危機の軽重を論じたりはしない。私が言いたいのは、士郎くんは決してキミ達を特異点攻略に連れていく気がないって事さ」

 それに、イリヤはなんと言えばいいのか分からず、美遊も軽はずみな反発はしなかった。

「私は戦力になるなら、と思わなくもない。勿論子供が戦うなんて反対さ、けど自発的に戦うというなら止めはしない。なぜって? ――カルデアには、どれだけ戦力があっても、それで充分とは言えない危機的な状況だからだ。けどそんな理屈は士郎くんには通じない。子供は絶対に戦わせないだろうね、例え英霊だったとしても。
 だから私はキミ達に士郎くんの戦いを知ってもらう。これを見ても共に戦ってくれる気になったら、私は歓迎しよう。士郎くんは首を縦に振らないだろうけど、どうしようもない状況というのは常に想定しておくべきだ。それこそカルデアが滅びるという場面も有り得る。
 ――その時、子供を守る余裕はない。キミ達が元の世界に戻れるように努力はするけど、こちとら人理が最優先。キミ達の事は、申し訳ないけど後回しにしないといけないんだ。いざという時、キミ達は自衛しなくてはならないかもしれない。つまり短く纏めると、キミ達二人には覚悟を持って欲しいんだ。
 ――カルデアの戦いは、退路のない背水の陣。有事の際に、何よりキミ達を優先する余裕がないから、その時キミ達はどうするのかを考える助けにする為に、最も分かりやすい視覚で訴える。それがこの視聴会の意義だと、キミ達が誤って召喚された事を知った時に私は考えた」

 長々と語り、カルデアの窮状を隠す事なく伝える。イリヤの顔は真っ青だった。そして美遊は、考え込む。茫洋とした眼差しで桜は自身の手を見た。

 ダ・ヴィンチはわざとらしく咳払いをする。そして停止していた記憶映像を動き出させるべく、その杖を振るった。

「さあ、再開だ。残り二時間半、本当は後五時間は欲しかったけど。それはともかく、ダイジェストで見て行こうじゃないか。――希望があれば、もっと長いバージョンを個別に見れるようにするよ。それじゃ、スタート」

 




 

 

士郎くんの戦訓 2/5





 高校を卒業すると、士郎は日本を発った。強迫観念に突き動かされるように。

 彼を止める声が、彼には聞こえていても、その足を止める事は出来なかった。凛が悪態を吐き、桜やイリヤが寂しげに佇み、大河がなんとか説得しようとしても、聞く耳を持たなかったのだ。
 何をしても、誰といても、どうにもしっくりと来ない。修学の末に、実用的な英語を片言で話せるようになると、最低限の荷物を持って冬木を離れた。

 勿論行くあてなど無かった。元々明確な目的はなかったのだ。ただ曖昧に、他者の不幸を許せないという情熱に駆り立てられた。
 海外を転々として、様々な人と触れ合い、語り合い、言語を学んだ。親しくなった男性の家に下宿させてもらい、その家で料理を作る。そういった事を繰り返していると、ある場末のバーの男性と出会い、彼の下で酒の奥深さを学んだ。
 コックの男性と意気投合しては、彼の下で修行し、その師を紹介してもらって更に料理の腕を磨く。そうして英語を流暢に話せるようになる頃には、英語圏の有名なコック達と知己を結ぶようになった。次第に活動する場を広げ、ロンドンに出向く頃には二年の月日が流れていた。
 そこで士郎は凛と再会する。驚きながらも凛も魔術師なのだから時計塔にいてもおかしくないかと納得する。最初は凛も予想だにしなかった再会に驚いていたが、落ち着くと士郎を叱りつけ近い内に冬木へ帰れと説得した。待っている人がいるでしょ、と。
 士郎は頷き、顔を出すぐらいはする事を約束する。しかし暫くはロンドンに滞在すると言うと、凛は士郎を己の部屋に下宿させてやった。色っぽい事はなかった。ただ旧交を暖め、凛の手が空いた時には魔術の手解きを受けた。
 強化、解析、投影。基本はこの三つを。本当は必要がない練度を、投影杖と呼んでいるものの補助で得ていたが、やはり正統な魔術師の手解きは身になった。

 同居生活は、思いの外長く続いた。
 馬が合ったのだろうか。次第に距離感が近くなり、殆ど身内同然となると凛が酒の席で溢した。

『今のアンタ、昔よりずっといい感じね』

 意地悪な笑みは、猫のようだ。凛の借りている部屋で、テーブルを挟んで向き合っていた士郎は訝しむ。

『は? なんだそれ』
『なんかいっつも張り詰めてたじゃない。ほら、聖杯戦争の時よ』
『……そうだったか?』
『そうよ。何を我慢してたのかは知らないし興味もないけど。今は伸び伸びと出来てるじゃない。冬木を出て、しっくり来る物が見つかったの?』
『……いや。今は色々勉強中だな』
『なんの勉強よ』
『さて。色んな奴に会って、話して。言葉を学んで、料理の腕を磨いて。格闘技も習った。ほら、俺って解析魔術が得意だろ? 世界中の建築物を解析して、建築学に活かしてる』
『……士郎が何目指してんのか、さっぱりわかんないんだけど』

 凛が呆れると、士郎は苦笑した。俺もさっぱり分からんと。ジョッキを呷って麦酒を干す。からん、と氷の鳴る音に目を細めた。

『そういえばさ、イリヤスフィールから聞いたんだけど』
『ん? 連絡取り合ってるのか』
『取ってるに決まってるじゃない。冬木に連絡してないの、アンタぐらいなもんよ。っと、話が逸れかけたわね。――イリヤスフィールが最近気づいたみたいだけど、自分達に聖杯の影響があるんだってさ』
『イリヤが? そりゃあってもおかしくないんじゃないか。聖杯(イリヤ)なら』
『イリヤスフィールだけじゃないわよ。私も、桜も、藤村先生も。アンタも。たぶん影響受けてる奴はもっと多いんじゃないか、だって』
『……? 原因は分かってるのか』
『さあね。年単位で調べなきゃ分かんないぐらい根深くて、厄介な呪いらしいし……気長に調べるらしいわ。気長に、ね』
『……』

 事情に通じていながら、そこに含められた因果を察せない暗愚はいまい。士郎は己の手元のグラスに視線を落とす。

『士郎。アイツ――寿命が近いわよ』

 士郎は押し黙った。凛は麦色の液体をグラスの中で揺らめかせ、小さく囁く。
 会わなかったら後悔するわよ、と。数瞬の間を空けて、士郎は分かっていると答える。ちゃんと分かってる――そう繰り返した。
 凛は嘆息する。士郎の目に、強い光があったからだ。

『考えはあるみたいね。何をする気?』
『……なんだよそれ。俺が何かを考えてるのはお見通しって言い種は』
『だって知ってるもの。アンタが時計塔で、色々と聞き込んでるの。足を使ってあっちこっち回ってたのってさ、元々イリヤスフィールをなんとかしたいって思っていたからなんじゃないの? そして、探し物を見つけた。だから落ち着いてる。違う?』
『……さあ、な』

 曖昧に暈し、その話はこれっきりだった。士郎はそれから二ヶ月ほどロンドンに滞在する。その間に、凛と士郎は性差を超えた友人となった。
 助手として第二魔法の研究に付き合わされた事もある。その最中の事だ、実家に置いておく事も出来なかった呪いのアイテムを、うっかり封印解除してしまった凛は、二十歳なのに魔法少女と化してしまう。

「ぶふぉ」

 アーチャーが噴き出した。ふるふると体を震えさせ、必死に笑いを堪えている

 しかし士郎は笑いを堪える素振りすらなく、指を指して爆笑した。

『忘れろぉ!』

 案の定八極拳でボコられ気絶した士郎は、凛にテムズ川へ投げ落とされた。
 真剣に危なかったと激怒した士郎は復讐に燃える。リン・トオサカ魔法少女化の案件を時計塔に吹聴し、知り合って以来、矢鱈と好意的なルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトに面白おかしく話し、噂を積極的に広めに広めた。
 ミス・トオサカはいい歳してコスプレ・オタクであると見なされ、凛だけがそれに気づかず。ほくそ笑んだ士郎は、このままそっとロンドンを離れる決意を固めた。
 が、ロンドンを発つと報せると、凛は親切にも送ってくれるという。ゆっくり並んで歩き、和やかに談笑しながら橋の上まで来ると、ばったりルヴィアと遭遇してしまった。
 恒例の口論が始まる。またかと士郎が呆れていると、特に口止めをされていなかったルヴィアが口を滑らせた。ミス・トオサカは高尚なご趣味をお持ちのようですわね? と。それになんの事かと凛が訊ね、噂の詳細と出所を聞くと烈火の如く猛り――既に全力疾走を始めていた士郎にガンドを撃ち込み転倒させると、士郎をテムズ川に突き落とした。

 二度も落とすとは、やってくれる……! 凛へ復讐する決意を新たに更新し、士郎は覚えてろと捨て台詞を吐いてロンドンを去った。

 士郎は冬木に帰郷する。特に連絡もなしに突然帰ってきた士郎に、大河やイリヤ、桜はひっくり返りそうなほど驚いていた。大河は怒りながらも泣き、同時に喜ぶという器用な態度で。桜は思わず士郎の傍に駆け寄り抱擁してきた。
 やんわりとそれに応え、少しして引き離すと、士郎はまたすぐに冬木を離れると言う。またすぐ戻ってくるからと大河の荒ぶりを鎮め、士郎は宣言通りに冬木を離れる。――イリヤを連れて。
 ホムンクルスとしての寿命が近い。体力のないイリヤを連れた士郎は、日本の観光地をゆっくりと共に回った。一週間をたっぷり使っての旅行を経て、辿り着いたのは閑散とした田舎街だった。
 どうして自分を連れ回すのか。最後の思い出作りのつもりなのかとイリヤが問うと、士郎は違うと微笑む。腕時計で時間を確かめながら、士郎は言った。

『なあ、イリヤ』
『何、シロウ』
『俺の我が儘を聞いてほしいんだ。いいか?』
『……? いいわよ。なんでも言って。お姉ちゃんは懐が深いから、久し振りに会ったバカな弟のお願いも聞いてあげるわ』
『ありがとう。じゃあ何も言わず、今からの事を全て受け入れてくれ』
『? ええ。わかったわ』

 喫茶店に入る。客入りの少ない店だ。迷う素振りもなく奥へ進むと、客席には先客がいる。
 女性だった。赤毛の美女である。橙色のコートを羽織った女は、対面の椅子に断りを入れて座った士郎とイリヤに視線を向けた。

『お待たせしました』
『――呼び出しておいて私より後に来るとはいい度胸だ』
『申し訳ない。何分、時間には正確な性質で』
『ふん……』

 煙草を取り出し、火を点けると不味そうに吸い紫煙を吐き出す。イリヤは一瞥しただけで、女が何者かを看破していた。魔術師――そう呟き、警戒心も露にする。

『俺は衛宮士郎。こっちがイリヤスフィール。今回は貴女に依頼があって、呼び出させてもらいました』
『よく私に繋がる伝を見つけられたものだな』
『ロード=エルメロイ二世に借りを作りました』
『ほう? そこまでしたのか。まあそれはいい。そっちのお嬢さんに事情は説明していないようだな。蒼崎橙子だと名乗れば察しはつくか?』
『!? 蒼崎ですって……? シロウ、』
『イリヤ、俺に任せてくれ』

 驚愕に目を見開くイリヤに、士郎は断固として言い聞かせる。我が儘、聞いてくれるんだよな? と。それにイリヤは眦を吊り上げるも、嘆息して力を抜いた。
 悟ったのだ。これまでの二年間、士郎がしていた事を。ずっと――イリヤを助ける手立てを探していたに違いない。その途上で何をしていても、根幹にあった目的はイリヤだろう。
 悟ってしまったからには、イリヤは士郎の気持ちを拒絶する気にはなれなかった。

『それで? 私にどうして欲しい』
『イリヤの新しい体を二つ(・・)作って欲しい。最高位の人形師である貴女に。一体は普通の人間として生きられる体を。一体は今のイリヤの体を模倣した器を。対価はアインツベルンの聖杯であるイリヤの体です』
『――アインツベルンの、聖杯だと? ほう、これはまた、とんでもないものを……』

 面白いなと橙子は薄い笑みを浮かべる。冬木の魔術儀式を知らぬ魔術師は相当なもぐりである。橙子は当たり前のように冬木の聖杯戦争について知っていた。そしてその覇者となったらしい衛宮士郎の名も、また。
 一般的な魔術師とは異なる、独自の哲学を持つ橙子ではあるが、聖杯に興味がない訳ではない。イリヤを興味深げに観察する。
 興が乗ったのか、色好い返事を即答で出した。橙子からすれば、人形を二体作るだけで聖杯の器を手に入れられるなら、逆に貰いすぎなほどだと受け取れるからだ。

 代わりに、貰いすぎた分は口止め料と、深く事情を詮索しない事で帳消しにするとした。ギブ&テイク、ビジネスライクに話を畳んだ方がいい。士郎の提案に橙子は乗り、商談は成立した。幾日かをかけて、器の作成から魂を移す工程を終えると士郎達は橙子と別れる。
 イリヤはその全てを見届けていた。弟の我が儘は――イリヤに生きて欲しい、というもので。その為に奔走していた労力に報いるには、姉として受け入れるしかないと思ったのだ。

『……我が儘ね。ほんと、勝手なんだから』

 人並みの寿命を、新しい体ごと手に入れたイリヤは微笑んだ。彼女の起源は「聖杯」である。そして魔術回路は魂に根差したもの。別の器であっても、イリヤの性能はさして劣化する事はなかった。
 寧ろ健全な肉体を得て、肉体の成長という機能を得られたのだから、プラスにしかならない。アインツベルンの秘法が外部に漏洩しても、イリヤは拘るつもりはなくなっていた。

『ねえ、シロウ。貴方の旅は終わったの?』
『……いや。今度は桜だ』
『だと思った。というか知ってたのね? 他にも色々とやるんでしょうけど――ちゃんと帰って来なさい。シロウの家に。そこでわたしは、ずっと待ってるから』

 イリヤを冬木に送り届けた士郎は、その日の内に日本を発った。
 今度は桜の番だ、と言ったが。それだけではない。冬木には居られない、居たくないという気持ちが強かったのだ。何故なら――何故なら……? やらねばならない事がある、気がしていた。だから士郎は一心に活動する。自分が自分ではないような違和感が拭えないから。自分にしか出来ない事をして、自分の自我を証明したかったから。
 自分の為に。そう、士郎は自己満足の為に、目に映る人々の不幸を絶やさんとした。傲慢にも走り始めようとしていた。

 しかしその前にやる事がある。士郎はイリヤの体を運んだ。イリヤの魂の入っていない、本当の意味での器を。

 それをアインツベルンの本拠地、冬の城へと持ち運んだ。当然、侵入はしない。出来ない。仮に打ち入れば生きては帰れないだろう。その雪に阻まれた森の前で、だから叫んだ。
 イリヤスフィールが死んだ、と。故にその亡骸を返却しに来たと。衛宮とアインツベルンの縁はこれで完全に切れた、と。
 冠位魔術師、最高位の人形師である蒼崎橙子の作品は、完璧にイリヤの肉体を模倣していた。アインツベルンですら、それをイリヤの骸と誤認するだろう。
 これで、因縁は終わった。かかわり合いのなくなった衛宮の事など、ホムンクルスであるアインツベルンの一族が気に掛ける事はあるまい。
 来たる第六次聖杯戦争まで、アインツベルンは冬木の地を捜査する事もない。そういったプログラムを持っていない。故にイリヤが冬木にいても気づく事は決してないだろう。無論、次の聖杯戦争までに――アインツベルンを野放しにするつもりはなかったが。否、聖杯戦争を続けさせるつもりはないと言った方が正確か。

 士郎は中東へ向かった。何も紛争に介入し、最小の犠牲で事を治めようだとか、出過ぎた事を考えての事ではない。死が常態となった所には、常に貧困と――死を食い物にする外道が存在する事を知っていたのだ。間桐の翁に有効な礼装、霊薬や霊器を所有している可能性もある。
 何故知っているのか、そこに疑問はない。頭に埋め込まれたように識っていたのだ。それを違和感として感じられない状態だった。
 蛇の道は蛇と云う。武器商人に接触し銃器を一通り揃える。取り扱い、整備の仕方も知識にあった。士郎は神秘の秘匿に関しては人一倍気を付けるつもりでいる。特に己の魔術は異能のそれ、知られれば封印指定されるのは明白だ。故に武装の類いは基本、銃火器とナイフなどで賄うつもりでいる。

 死を食い物にする輩を討ち、その研究成果を奪う。士郎に不要な物は全て時計塔に二束三文で売り払う。そうするつもりでいて、しかし真っ先に士郎の目に入ったのは――『悪』ではなかった。

 身も心も痩せ細った人間だ。病に侵された者、餓えに苦しむ者、学を志しても何も成せぬ者。それこそ、日本のテレビにも写っていた――ありふれた、等身大の人々だった。
 士郎は恥じた。悪を、汚れを許せないと、人を救わねばならないと義務感だけでやって来た己を自覚し恥じ入った。
 成すべきは悪を滅ぼす事ではない、外道を排除する事でもない。こういった人達に救いの手を差し伸べる事ではないのか? 体の飢えを満たし、貧しい心を育ませる事。それを第一とすべきで、人々の悲劇に寄生する悪しき魔術師の排除は二の次、三の次だろう。

 それはあらゆる罪よりも強大な敵との戦いだ。

 どうすればいいのか、皆目見当もつかない。故に全ては手探りだった。
 衛宮士郎の名前を使う気はない。フジマルという偽名を名乗り、紛争跡地の復興に努める。募金を募り、人を集め、食事の配給をする。自分なりに考え計算していた物資は瞬く間になくなった。
 食べ物を前に人々が暴徒と化し、無関係な人達を混乱させてしまった事がある。銃やナイフを突きつけられ、所持しているものを脅し取ろうとする者もいた。利権に絡むからやめろと、暴利を貪る者や、勝手をするなら賄賂を寄越せと軍の人間が絡んでくる事もあった。凡そ想像しうる限りの困難が士郎を襲った。
 直接的な命の危険は、どうとでもなった。戦闘技術で、国軍の軍人を相手にしても遅れを取りはしない。身体能力を強化し、必要な火器を投影して戦う士郎は、たとえ手ぶらであっても常に武装しているに等しい。狙撃されるかもしれない箇所には、そもそも近づかないか、狙撃地点となる場には常に細心の注意を払った。毒殺などの暗殺の危機も、事前に察知する術がある。

 故に士郎が最も悩んだのは、彼が庇護しようとする人々が巻き込まれた時だ。

 何度無辜の人を人質に取られたか。捕まり、拷問されたか。殺されそうになったか。その度に、なんで俺はこんな馬鹿な事をしてるんだと、自嘲した。でも止める事は出来なかった。
 逃れ、脱出し、自身を捕らえた者とも辛抱強く交渉した。しかし話にもならない。聞く耳を持たれない。――殺すと脅し、身内を襲うと威圧し、汚い手を何度も使って、己が薄汚れた大人になっていく実感に吐き気を催しながらも、その地域での活動を黙認させるに至るのに一年もの月日を要した。
 蓄えてきた知識を使い、自身で難民の人々が住める家を設計し、建築した。それを手伝ってくれる人々がいた。士郎の行いに恩義を感じてくれた人達だ。また士郎を手伝う事は、自分達の利にもなるという打算もあった。

 士郎は良心の呵責もなく、国家元首を脅すようになっていた。

 特殊部隊に襲われるのも日常茶飯事で。彼らを殺さずに制圧するのは困難で。逃走し、隠れ、狙撃で一方的に殺戮する。無用に命を潰えさせる事を嫌悪した。彼らに命令を出す立場の人間の居場所を探し出して、それを狙撃する事も何度かあったのだ。
 次第に士郎の存在は、彼らにとって看過できない大きな物となっていく。国を脅す個人――情報を操作して彼を悪人に仕立て上げようとしても、その動きを読んでいたように銃弾が襲う事が繰り返されれば、その動きも止まった。

 血に染まった手が、弱き人を救う。正義の味方だと子供に名乗る。なんて事だ、偽善どころではない。穢らわしく、悍ましい所業ではないか。こんな事をしてなんになる? もう充分ではないのか? そもそも彼らを助ける義理はない。
 だが、彼らの営みを豊かにする働きは、士郎の生きた証となる。曖昧な自我、蒙昧な自己を保証できる存在となる。俺はアーチャーじゃない、あんなふうには決してなれないと士郎は思う。自分なりに活動する事で、士郎は己という存在を自分で認められるようになっていく。

 それが全てだ。それだけが全てだ。士郎は自嘲する。人の幸福が自分の助けになるのだ。ぐちぐちと迷う事は、ない。

 国連にかねてより申請していたボランティア団体の設立案が通った。世論を味方につける為に、辛抱強く色んな国の取材も受けてきた苦労が実を結んだのだ。
 代表は自分ではない。士郎がこの地に来て以来意志を同じくしてくれていた、気立てのいい女性に代表を務めてもらったのだ。この地に根を張るつもりなどないのだから、地元の人間に務めてもらった方がいい……その意を汲んでもらったのである。
 教員を募った。食糧・衣類・文房具などの物資を手配するコネや金を、ここ数年で覚えてしまった忌々しい手段で獲得していた士郎は、それらが私欲で国に横領される事を抑止すべく――またしても脅迫した。

 自分はこの国を離れるが。もし何かあれば必ず戻ってきてお前達を皆殺しにする、と。

 士郎は口では己を正義の味方と云う。前途ある子供達に綺麗事を語る。しかし二十三歳になった士郎の胸中には、それとは真逆の思いがあった。
 やはり己は正義の味方などではない。こんな外道畜生が正義などであるものか。俺は決して、あの赤い外套の弓兵のようには成れない――凪いだ湖面のように平たい絶望が心を蝕んでいた。
 何人殺したのか、士郎は覚えていない。悪人ばかりだった、悪人に使われる兵士だった。しかしだからと言って殺してもいい理由にはならない。士郎はそう思っていた。己の偽善のために、人を殺して、脅して、奪った。その犠牲の上に様々な善を敷いた。――まさに偽善者だった。性質の悪い事に、この偽善は悉く己のエゴから生じたものなのである。そして後悔がまるでないと来た。

「……」

 アーチャーは腕を組み、痛みを堪えるように目を瞑る。切嗣は赤いフードの下で、静かにその足跡を見届ける。

 士郎が後に残したのは、食糧の配給、建築学、団体の維持の方法や外部組織との交渉のノウハウだ。立ち去る間際、士郎の設立した団体の代表を務める事となる女性は士郎に縋りついた。あなたを愛しています、と。滴を眦から滲ませ、微笑む女性は美しかった。

「……」

 アーチャーはこめかみを揉み、脂汗を額に浮かばせて目を背ける。切嗣はソッと目を逸らした。

「あなた? どうかしたのかしら」

 鋭敏に切嗣の気配の変化にアイリスフィールが気づく。しかし切嗣は、頑として口を開く事はなかった。

 視点が暗転する。場面は空港だった。士郎はその地を離れるのである。そして士郎はヨーロッパに飛んだ。
 特にこれといって目的があった訳ではない、ちょっとした療養の為だった。自然豊かな土地で、これまでの疲れを癒すつもりでいた。
 それが転機だった。士郎の戦いが、常識の世界から、非常識の世界へと反転する、ターニング・ポイント――

『しーろーうーさんっ! 遊んで! 構って!』

 後ろから駆け寄ってきた幼い少女が、満面の笑みで士郎の腰に抱きついた。士郎は苦笑して、その娘の頭を撫でる。何故か、どこに行っても子供に好かれていたから、こうした事にも慣れたものだった。
 そしてその少女は士郎同様、旅行に来ていた日本人一家の一人娘であり。

 彼女は名を、岸波白野と云った。






 

 

士郎くんの戦訓 3/5





 麗らかな日差しに微睡んでいると、なんでもない日々の尊さに感じ入れる。
 木の枝に遮られた木漏れ日が、平凡な宝石のようで。激動の日々に疲弊していた心身を癒す。
 何もない土地だった。風光明媚と言えば聞こえはいいが、自然の中にある都市に名物となる観光名所があるでもなし。他者の目を引くような特別な催しがあるでもない。
 故に閑散としている。しかし寂れている訳でもない。生まれ育った者にとっては退屈で、いずれは巣立つだろう土地だった。

 子供は少なく、若者はそれなりの、年寄りばかりの街。時の流れが酷く緩やかで、士郎はそれを気に入った。恐らく岸波一家の夫妻もそこを気に入り、この都市に滞在しているのだろう。

『あ、いたいた! しーろーうーさーん!』

 何をするでもなく木の陰で地面に横たわっていると、士郎を探していたらしい少女が駆け寄ってきた。
 何が楽しいのかにこにこして、士郎の傍にやって来たのは栗色の髪を背中まで伸ばした、小学生高学年ぐらいの少女だった。
 その容姿には取り立てて特徴といったものはない。しかし充分に愛らしい、稚気と快活さを持った爛漫な少女だ。彼女は士郎の傍まで来ると、士郎を真似るようにダイブして、士郎の腕に頭を乗せた。

『何か用か、白野』

 甘んじて腕枕を受け入れ、士郎がそう言うと、白野はごろごろと喉を鳴らした。

『んーん。特に何もないよ。何もないから来たのだ』
『なんだそれ』

 苦笑する。確かに子供にとっては、本当に何もない故に退屈だろう。その何もないというのが、得難いものだと云う事をまだ知らないから。そして出来れば、知らないままの方がずっといい。

『日向ぼっこー』
『……』

 暇と体力を持て余し、ごろごろと転がる白野が士郎の腹に頭を乗せた。そして目を瞬く。

『固い!』

 ぼす、と頭を上下させて腹筋の感触を確かめる白野。士郎は呆れた。

『……構ってほしいのか?』
『うん。構えー、構ってー』
『……』

 黙っていたら物静かな印象なのに、口を開けば活発な性が顔を出す。そんな白野に士郎は嘆息をして上体を起こした。
 木の幹に背を預ける。白野は士郎の膝に転がっていった。丁度いい位置を探り、膝枕をする。それだけで無邪気に笑う様に、青年は微笑んで頭を撫でてみた。くすぐったそうにする少女は、ふと思い出したようにねだってきた。

『ね、士郎さん。お話しして、昨日の続き!』
『俺の語りは退屈だろうに』
『娯楽のないこの街は、わたしには退屈過ぎる。なので士郎さんの語りは充分楽しいのだ』

 裏を返せば他の娯楽があれば訊かないと云う事でもある。語るに落ちる素直な告白に嘆息一つ。記憶を掘り返して、昨夜の夕餉前まで話していた伝説を話し始める。
 アーサー王伝説だ。それ以前にも、多種多様な神話や、歴史上の偉人についても語って聞かせていたが、どうやらこの白野はそういった方面に興味があるらしい。ゆくゆくは歴史学者かなと思いながらも、とっておきの話をした。

『――白野は知ってるか? アーサー王は実は女性だったんだ』
『え? またまたそんな……冗談きついよ』

 白野は苦笑いする。まるで信じていないが、それも当然だろう。薔薇の皇帝やらフンヌの王、日本で言えば源氏の頼光や義経、織田信長やら沖田総司が実は女だと言っているようなものだ。有り得ないだろう、士郎の主観では特に源氏二人と信長と天才剣士とか。

『そして物凄い健啖家で、不老だったから容姿は十代半ばの少女のそれだったんだ』
『ぷふっ!』
『お国の雑な料理に胸を痛め、円卓の騎士にはぶられて涙目になってたりするんだ』
『あははは! なにそれ! ないない、そんなの絶対ないって!』

 分からないぞ、と。まだまだ青さの残る顔つきで笑む青年を、微妙そうな目で見詰めるアルトリア達である。
 しかし何も言わなかった。語る士郎の目が、ひどく懐かしげな光を湛え、心の内が穏やかだったからだ。白野は信じなかったが、士郎の噺を面白そうに聞いている。

『――歴史から学べるものは多い。だが其処に居た英雄や偉人の生き様、偉業から学べるものは一つしかない』
『一つだけなの?』
『ああ。俺の考えだがな。だって彼らは天才だったり、特別な生まれだったりする。そんなのは真似できないだろ? 追えるのは結果だけ、過程を踏むのは学問でしかない。俺のような凡人にその軌跡をなぞる事は出来ないだろう。だから学ぶべきは諦めない(・・・・)事だけだ』
『諦めない事……』
『例え伝説の英雄、時代を代表する天才であっても、苦難に見舞われない訳じゃない。挫折しない訳でもない。彼らは皆、才能の如何に拘わりなく絶対に諦めなかった。その体よりも心が強かった。才能や血筋は真似できないが、その心の在り方だけなら辿る事は出来る。だから白野、ここぞという時には、絶対に諦めるな。世の中には理不尽な事ばかりだから、人間一人じゃどうしようもない事は沢山ある。だがそれでもと言い続けろ。諦めない限り、生きている限り、絶対に道は拓けると信じるんだ』

 本人に自覚はないのだろう。しかしその言葉には、途轍もない重みがあった。
 それこそ人生経験の浅い少女にどう響いたのかは判じようがない。だが白野は頷いた。それはとても大切な事のように思えたからだ。
 士郎は冗談めかして相好を崩す。

『ま、場合によりけりだがな。時には諦めも肝心だって言うだろ?』
『……なにそれ』

 可笑しそうに、白野も頬を緩めた。

 とりとめもない会話は夕暮れまで続いた。士郎は白野を両親の泊まる宿に送り届け、彼らと卓を囲んで夕飯を共にした。白野の両親とも打ち解けていて、互いの連絡先を交換し合うほどだった。
 その席で士郎は云う。そろそろここを発とうと思っています、充分休んだので、と。白野はごねた。一緒にいてと。だが士郎はまた会えるからと繰り返し説得して、彼らとの別れを惜しみながらもその街を出た。

 思い立ったら、時間帯に関係なく動く。士郎の癖だった。

 街を歩いて出る。元々目的の地はなかったのだから、隣街まで歩いて、そこでタクシーなりバスなりに乗ろうと思っていた。
 ――いい街だった。いい出会いがあった。いやどこに行っても出会いは必ずある。彼ら一家との思い出を胸に抱けば、善き営みの思い出に勇気を貰える――

 二時間ほど歩いただろうか。

 辺りはすっかり暗くなっている。人気のない道だからか、車が通りかかる事もない。
 道沿いに歩いていると、不意に士郎の所持していた携帯電話が着信した。
 見ると、着信相手は岸波夫妻の旦那である。なんだろうと思い電話に出る。すると――



『――助げ、でよぉ! じろうざッ、』



 ヅ、と。
 それだけで、通話が途切れる。

『――』

 なんだ、今のは。白野の、声?
 真に迫る、魂を削る懇願。悪戯なんて可能性は絶無だ。涙に濡れた、幼い悲鳴に偽りはない。
 咄嗟に元来た道を振り返る。夜、その空は綺麗な星光に輝いていたのに、振り返った先の空は、冒涜的な紅蓮に染まっていた。
 強化の魔術を眼球に叩き込む。心臓が一際強く脈打った。正確に見て取れる距離ではない、しかしそれは、嫌になるほど目にした事のある――戦火である。

 判断は刹那。行動まで一瞬。

 無駄な荷物はその場に捨てた。革の鞘を投影し左右の腰に交差する形にする。そこに投影した干将莫耶を差し、それを隠すように灰色の外套を投影する。そして大口径の拳銃デザートイーグルと対物ライフルを投影した。
 剣ではない故に通常よりも魔力は食うが、宝具ではない故に負担は然程ない。脚を強化し全力で走り出す。士郎の冷徹な部分が確信していた。

 間に合わない、と。



 ――それは突然だった。予兆も何もない唐突さだった。
 長閑なその街に現れたのは、黒衣の男達。十字架を首に提げた、無慈悲な断罪者。時代錯誤な騎士団がいる。彼らは呆気に取られる住人を前にするや――殺戮を始めた。
 街に火を放ち、住人の浄化(・・)を始めたのだ。
 成す術なく、殺められる人々は、混乱して逃げ出した。しかし街は包囲されている。逃げ場はなく、点在する十字架の黒衣や騎士達、そしてそれとは違う学者然とした者達が人々を殺害し、燃やしていく。

『――この街に逃げ込んだ死徒は見つかったか』
『いえ、未だ』
『祖に迫る不死性を持つと云う。逃せば後々の禍根となるのは必定。ここで滅するぞ。この街を滅ぼしてでも』

 そんな会話が成されている。だがそんなものに耳を傾ける余裕は誰にもあるまい。逃げ惑う人々は訳も分からぬままに切り裂かれ、焼かれ、滅されていく。
 誰が噛まれているか(・・・・・・・・・)分からない故に。疑わしきは滅ぼす、殄勠(てんりく)の命が下っている故に。

 浄化が進む。長閑な街が、死都となっていく。

 その紅蓮を、目に焼き付ける人々がいて。人の死が、心に焼き付く者がいた。

 必死に息を潜め、隠れる者もいる。だが――巻き込まれる。元より逃げ場などない。死徒を見つけたぞ! その声に続々と参じる聖堂騎士、単独の群れから成る代行者。漁夫の利を得んとする魔術協会の蒐集者達。
 代行者の一人を引き裂き、一個の吸血鬼が死に物狂いで血路を拓いて逃走していた。
 死闘が繰り広げられる。精鋭であるはずの聖堂騎士や、魔術師達が犠牲を払いながら死徒を追い立てていた。着実に追い詰めていく。やがて死徒は衆寡敵せず、多少の損耗は度外視して逃げの一手を打った。
 結界に囚われる訳にはいかぬ。彼もまた必死であり。自らの傷を癒す為に餌を求めた。
 逃げ惑い、隠れ潜んでいた幾人かの無辜の住民をその場で喰らい、己の養分とする。そして自らの手足である魔獣を使役し非常食を確保した。囲みを突破し死徒が逃げ去る。殺戮者達がそれを追う。一団を指揮する者に、或る者が問い掛けた。どうしますか、と。その問いの意味は。

『浄化せよ。この街は、既に穢れている』

 誰が噛まれているか分からない。故に根刮ぎ滅するのみ。

 一部の精鋭が死徒を追った。残された聖堂騎士らが浄化の炎を掲げる。

 隠れ潜んでいた者は、止まらぬ殺戮に絶望していた。こんな所で、こんな訳もわからないまま死んでしまうのか。殺されてしまうのか。
 その絶望の火の海。燃やし尽くされるモノ。残骸に呑まれる。そして此処に、殺されるまでもなく火に炙られ、息絶えようとする者もいた。

『ああ――誰か、頼む……助け……』

 仰向けに倒れ、虚空に伸ばされた手が、力尽きて地に落ちる。
 だが、落ちる寸前。その手を掴む者がいた。

『――任せろ』

 それは。

 先刻別れたばかりの、精悍な顔立ちの青年だった。



 火の手を放った者らの正体を、一目で察した士郎は、彼らと事を構える考えを棄却した。
 しかし救える者を救わない訳にはいかない。士郎は彼らの目を盗み、時に発見される恐れが高い場合は容赦なく不意を打ち射殺した。忍び寄り、双剣により切り裂く事にも躊躇はない。
 士郎は自身が保護した者を、街の外れまで運んでいた。或いは安全な地点を知らせ、自身の脚で動ける者は誘導した。今、最後に岸波夫妻を保護し、街の外れにある森に連れて行きそこに固まっていた住人達と合流する。

 少ない。たったの、十名ほどか。

 だがこれが限界だった。己の力の無さを悔やむも、後悔に浸る暇もない。士郎は一番重態だった岸波夫妻の旦那に応急処置を施し、彼らにここで騒ぎが治まるまで動かないよう厳命する。
 彼らに、死徒に噛まれた者がいないのは確認済みだ。
 これだけ組織立っての行いだ、下手に助けを呼べば犠牲が広がるだけだと説明し、決して勝手な真似をするなと言い聞かせる。そんな士郎に縋りつく女がいた。白野の母だ。彼女は今まで気絶していたが、目を覚ますなり取り乱して士郎に縋ったのだ。娘を助けて、と。士郎はそれに力強く頷いてその場を離れる。重態でも意識を保っていた白野の父に、事の次第を聞いていた。曰く、化け物に襲われたと。娘が連れ去られた、と。

 迷いなど有り得ない。士郎は死徒を追った聖堂教会の代行者や騎士団、魔術協会の執行者らを目撃していた。それを追跡すればいい。その先にこそ、白野がいる。――既に殺されている可能性は高い。
 その場合は最悪だ。死徒に噛まれ、直後に食屍鬼(グール)と化す事はまず有り得ない。死後すぐに活動を開始する訳ではなく、死体となった後に脳髄が溶け、魂が肉体から解放されるまでに数年をかけるのだ。そして起き上がったモノが、死徒となるのである。
 故に白野が死徒として復活する事はまずないと言える。何故なら死徒に噛まれ、死んでいた場合――その遺体を、燃やし尽くすのだから。

 士郎さん――白野の笑顔と、声が脳裏を過る。口の端を噛み、その結末が訪れない事を祈った。

 何に祈るのか、神か、悪魔か。――いいや、違う。そんな偶像()に縋る意義はない。そんな異形(悪魔)に甘える意志はない。祈りの対象は、白野自身だ。あの娘が生き延びられる運命に祈った。その運命が自分である。ならば、一秒でも早く駆けつけねばならない。助けて、士郎さん。そう彼女は言った。なら、助けに行くのが俺だと士郎は決めている。そう、それは――エミヤシロウだからではなくて。士郎が元来、助けを求める声に背を向けた事などなかったが故の――

 死体が、転がっている。

 少女の、死体。

『――』

 残像を引いて、森林の中を駆け抜けていた時の事だ。士郎は咄嗟にその傍に立ち止まり、遺体を確認する。――金髪の、見知らぬ少女だった。
 黒衣を纏っている。十字架を首に提げていた。白野ではない。それに安堵する己を嫌悪し、彼女の冥福を祈る。せめて彼女が信じた信念()が報われるように。

 辺りを見渡せば多数の遺体が散見される。年齢はまばらで男女の境もない。それらの遺体は少女同様に、体の何処かが大型の獣に捕食されたように食い千切られていた。
 そして太い樹木が薙ぎ倒され、大穴を穿たれ、地面が無惨に抉られている。耳を澄ませば死闘の気配を感じ取れた。魔力の高まり、凄絶な魔獣の咆哮、立ち上る血の臭い。逃げられないと察したのか、それとも勝機を見いだしたのか、死徒が戦闘に踏み入ったのだろう。代行者と執行者が共闘している可能性がある。
 追跡していた際の痕跡と、この近辺に散らばる死体の数からして、代行者・執行者の生き残りは三人か二人――或いは既に一人になっているかもしれないと感じる。
 ならばそんな怪物に士郎が単独で当たったところで勝機は殆どないだろう。かといって退く事は選択肢としても存在しない。救援に来たフリーランスの魔術使いという線で、横槍を入れるのが最善だ。

 ここまでで消耗していた対物ライフル、デザートイーグルの弾丸を投影し、装填。弾丸、銃身を強化し、耐久力と破壊力を向上させる。対人としては元より過剰火力なそれを、だ。
 相手は物質を伴った存在。霊体のサーヴァントではない。故にこの手の武器も通用する。肉体を破壊する一点に於いては。

 戦闘の現場に辿り着く。即座に周囲の状況に目を走らせながら士郎は拳銃を口に咥える。対物ライフルを両手に構え、片膝をつき、全身を強化して無茶な態勢での狙撃を行う準備に入った。
 開けた空間だった。湖がある。その畔で、一人の女が戦闘を行っていた。人間の無惨な死体が二体転がっている。既に壊滅していたのか。死徒は人間の形態を逸脱し、都合三体の魔獣を使役している。本体は全長三メートル、体重三百㎏はありそうな、筋骨隆々かつ二足歩行の獅子といった姿をしていた。三体の魔獣はそれぞれ、羆、虎、大猩々である。

 何故逃走を選んだはずの死徒が戦闘に突入したのか。

 敗色濃厚だったからではないのか? そしてその要因がなくなったと判断したから戦っている。その要因とは? 先程と異なるのは、戦場。そして人間側の数。少数精鋭には勝てると踏んだ? この場所なら勝てると? 後者は考え辛い、流水を克服出来ない死徒が、わざわざ湖の畔を戦場に選ぶ意義がない。ならば数か。
 だが質で言えば、代行者や執行者は、決して聖堂騎士団に遅れを取らない。では比較するに、代行者や聖堂騎士の違いは? ――死徒が恐れているのは討伐する装備ではなく、己を封印出来る結界を警戒しているのだろう。それほどに、己の不死性に自信があるのかもしれない。

 女が軽快なステップを踏み、革手袋に包まれた拳を振るう。一閃、二閃。稲光のように鋭く迅い拳の軌跡が嗜虐心も露に襲い掛かってくる死徒の腕を弾き、顎を下からカチ上げる。
 獅子を象る頭部が破裂するほどの拳撃。されど女はバックステップで素早くその場から飛び退いた。死徒は頭を潰された程度では死なないのか。瞬く間に頭部が再生する。虎、羆、大猩々の三体の魔獣が女を襲う。それらを捌きながら女は立ち回り、着実に損耗を強いる。何度死徒を殺したのか数えるのも億劫だ。しかし士郎は気配を殺したまま佇む。

 女は強い、しかし魔獣らを使役する死徒は狡猾だった。女を逃がさないように常に包囲を崩さない上に、それぞれが女を遥かに上回る身体能力を持っている。この女さえ殺せれば、と死徒は躍起になっているらしい。
 代行者や執行者などの精鋭を屠れば、後は烏合の衆。封印される前に聖堂騎士も屠れる自信があるのだろう。聖堂騎士団の楯と成り得る彼らさえいなければ。

 しかし、女はそれでも粘る。冷徹に戦闘を押し進めている。やがて養分が足りなくなってきたのか、死徒は焦りを見せ始めた。そろそろか、と口の中で呟く。
 灰の外套を肌蹴、鞘に納めていた干将を手近の木の幹に突き刺し、莫耶を虚空に溶かす。今は不要だ。そして対物ライフルの引き金に指を掛けゆっくりと銃口を定める。

 女の疲弊が極限まで高まっていた。地面が死徒の血や肉片でぬかるんでいる。それに足を取られ転倒した瞬間、虎型の魔獣が襲い掛かり死徒は勝ち誇った。
 その頭部を狙撃する。強化した身体能力に物を言わせた二連射は、虎の魔獣と死徒の獅子頭を吹き飛ばした。流石に頭が無くなれば、再生するまで視覚と嗅覚、聴覚は死ぬ。女は咄嗟に転がって死地を逃れ、狙撃地点に目を向けてきた。

『――援護する』

 言いながら更に二連射し、羆と大猩々の頭部を吹き飛ばす。素早く後ろ手に莫耶を投影し、あたかもそれを鞘から抜き放ったようにしながら、死徒の視界が潰れている内に投擲。

『何者かは知りませんが、助かります』

 冷徹な声音には、しかし微かな安堵の色があった。戦闘技術は卓越していながら、精神は張り詰めていたのだろう。故に疲弊していたとはいえ、足をとられて転倒してしまった。
 死徒の頭部が再生する。怒り狂って士郎を睨む獅子頭。士郎は嘯いた。『お前が喰らった街の人間の怨みだ、此処で死ね』と。すると死徒は憎悪の滲む瞳に喜悦を滲ませ、自らの巨体の腹に手を突っ込んだ。――奇妙な膨らみがある故に怪しいと睨んでいたが。案の定か。
 それは、白野だった。人間を喰らい、その養分を補給するつもりなのだろう。士郎が街の人間の怨みと言ったから、これ見よがしに見せつけながら喰らおうとしている。士郎は失笑した。馬鹿が、と。獲物を前に舌舐めずり――三流のする事だ。

 白野の小さな体を、頭から食い潰さんと顎を開く獅子の後頭部に、木の幹に突き刺していた干将に引き寄せられた、投擲しておいた莫耶が突き刺さる。慮外の一撃――干将莫耶のオリジナルは対怪異に絶大な威力を発揮する。今回投影した干将莫耶は、英霊エミヤが好んで投影する物をオリジナルに近い性能にしている故に効果は莫大だった。
 後頭部に突き立った莫耶に悲鳴を上げ、動きが止まる寸前に木の幹の干将を引き抜いて投擲。莫耶に吸い寄せられ獅子頭の眉間に突き刺さる。
 白野を取り落とし、倒れ伏した瞬間に対物ライフルを捨て駆け出して、士郎は白野を救出した。――息は、ある。まだ生きている。生きていなければ命を、魂を喰らえない故に当然だ。安堵して気は抜かない。士郎は白野を抱えて女の傍に移動した。

『あれは――』
『俺は伝承保菌者(ゴッズホルダー)だ』

 女が干将莫耶が宝具である事を悟ると、それについて何かを言われる前に伝える。虚偽だ。宝具を投影するなどと知られる訳にはいかない。
 執行者がいるという事は、この死徒は封印指定の魔術師の元人間なのだろう。知られた瞬間に、士郎もまた魔術協会に追われる身となるのは目に見えていた。まだ伝承保菌者扱いされる方がマシである。

『俺は衛宮士郎。フリーランスの魔術使いだ。あんたは?』
『私は――』

 士郎の死角から襲い掛かってきた羆の頭部を女が拳の一撃で粉砕し、女の死角から迫ってきた虎の頭部を士郎が拳銃で撃ち抜く。女は名乗った。
 これより先、長く共に共同戦線を張る事になるその名を。

『バゼット・フラガ・マクレミッツ。封印指定の執行者です』

 暗闇故に、顔は見えなかったが。その名に、頼もしさを抱く。

『聖杯戦争の覇者と肩を並べる事になるとは、奇遇ですね』
『――こちらの台詞だ。話は後だ、奴を仕留めるぞ、バゼット!』

 バゼットの死角になるように体の向きを変え、反対の手にもう一挺の拳銃を投影する。死徒がもがきながら干将莫耶を抜き、それを地面に捨てた。血走った目が睨み付けてくる。

 負ける気は、まるでしなかった。






 

 

士郎くんの戦訓 4/5




 ――所詮は数ある轍の一つ。結果を論じるのも無粋だろう。

 魔術師にとって最悪の刺客『封印指定執行者』バゼット・フラガ・マクレミッツと衛宮士郎は、祖に匹敵する不死性を持つ元人間の死徒を、白野という護るべき者を抱えたままに屠った。

 恐るべきはその身体性能とその不死性。だが裏を返せばそれのみにしか脅威はなかった。真正の祖であれば話は別だろうが、元が実戦経験の浅い学者が本質である死徒だ。死徒へと変じたのが人の短すぎる寿命より脱却する為であれば実戦を経験しようとするはずもない。自らの目的を達する為の探究に耽っていた死徒は、歴戦の執行者と魔術使いの連携を前に敗れたのだ。
 残されたのは、封印指定されるほどの魔術師の秘法、その情報の全てが刻まれた魔術刻印付きの死徒の骸である。それを前にフリーランスの魔術使いを自称する士郎と、執行者であるバゼットは互いを牽制し合っていた。

『――経過はともあれ、仕留めたのは俺だ。異論は?』
『ありませんね。確かに貴方の銃弾がこれの命を射止めた。しかし私も仕事です、これを貴方に譲る事は出来ない』
『そうか。だが俺としても、無償でそちらに譲れば赤字だ。かといってアンタと事を構える気もない。それはアンタにも言えるだろう?』
『……ええ。私も些か消耗しています。手持ちのルーンも、体力も。まだ余力のある貴方と奪い合い、命のやり取りをするのは気が引けます』

 バゼットは士郎が援護に来たのはギリギリで、危機を救ってもらったと思っているが実際は違う。バゼットと死徒を潰し合わせ、頃合いを見計らって介入したのである。
 士郎は元々仕事で来ていたわけではない。が、ここではそのように思わせ振りな言動を選んだ。何故なら――

『俺としても時計塔に睨まれる真似は控えたいからな。交換条件を呑むなら、この商品をアンタに譲るよ』

 相手から譲歩を引き出し易くする為の欺瞞。中東にいた頃このような言い回しを覚えた。
 ロンドンにいた頃、ルヴィアから貴族に特有の勿体ぶった話術を習ったが、それを独自に磨いたものである。

『……条件とは?』
『俺が救出したこの街の生き残り――彼らを見逃す事だ。無論聖堂教会からも手出しがないように手配しろ』
『それは……』

 バゼットは即答しなかった。出来るか否かよりも、怪訝さが前面に出ている。しかしこれを譲る気は士郎にはない。威圧する殺気は、本物だ。

『呑めないなら、アンタを此処で始末して、俺が自分で時計塔と交渉する。この商品を手土産にすれば、まず呑ませられる』
『……分かりました。しかし、なぜフリーランスである貴方が彼らに肩入れを? このような事は珍しくないでしょう』

 バゼットの問いは、真理だった。一つの都市を死都に変えてでも、吸血種を滅ぼさんとする聖堂教会のやり口は古来、珍しいものでもなんでもない。ありふれた犠牲であり陳腐な悲劇だなんて――そんな事は知っていた。だが「知っていただけ」だと士郎は痛感し、苦々しげに吐き捨てる。

『俺は俺の信条に肩入れしているだけだ』
『……信条に、ですか』
『ああ。――あこぎな商売だ。余所様に迷惑を掛ける真似は、しちゃいけないし、させてもいけない』

 バゼットは、そう語る士郎の目を見ていた。
 ややあって彼女は頷く。士郎にはなんら利のない話だが、その為に商品価値の高い魔術刻印を諦めると言うなら嘘はあるまい。彼の言葉を信じる事にしたのだ。
 そうして商談は成立する。バゼットは死徒を回収し、その場を辞し。士郎は白野を背負って彼女の家族の待つ場へと向かう。
 士郎に涙ながらにありがとうと何度も頭を下げる岸波夫妻、彼らが礼をしたいと言うのを士郎は丁重に辞した。代わりに娘を大事にしてほしいと。言うまでもない事だったが。そして数少ない生き残りの彼らを隣街まで護衛して歩き、そこで暫し固まって待機して。翌日に魔術協会から出向してきた魔術師に暗示を掛けてもらい、彼らに昨夜の事件を不幸な大火災だったと思い込ませた。
 忘れて貰う。そうするのが一番だと士郎にも分かっている。だが釈然としない。無知でいる事が身を守る最善の手段だが、無知のままでは彼ら無辜の人々は食い物にされるだけだ。

 士郎は己の認識が余りにも甘かった事に、身を切る思いだった。

 何も知らない人々だけが搾取される。そんなものは間違っている。
 死徒。外道の魔術師。――彼らの存在は、百害あって一利なし。存在するだけで火種となる。
 昔からそうだと知っていた。識っていただけだと思い知った。聖堂教会は教義がどうこう言っているくせに、強力な死徒に関しては野放しにしている。手に負えないから――割に合わないから。そんな弱腰、赦してはならない。
 ああ、そうだとも。士郎は己の成すべき事を定めた。誰もが見て見ぬふりをする巨悪を滅ぼす、それだけが正義の味方(エミヤ)ではない自分でも成せる正義だ。

『――死徒。諸悪の根源の一つ』

 その祖を、滅ぼすのだ。殆どの死徒の根は、彼らだ。根から絶つ、故に根刮ぎと云う。

 存在するだけで多くの命を食らう、人理を否定する存在を滅する。人の営みに寄生する吸血種を狩り尽くせば、岸波一家のような事例は激減するだろう。人の身を捨て、死徒となる魔術師も狩りの対象だ。他者を食い物にする事でしか成せぬものなど価値がない。

 戦地の復興、飢餓の根絶、それらもまた戦うべき強大な敵だが。それらより先に滅ぼすべきは、表社会の誰も認知していない怪物である。
 士郎は独自に戦いを始めた。見果てぬ戦い、命が幾つあっても足りない壮絶な戦争の始まりである。しかし、士郎は思い知る事になる。己がただ逸っただけの、愚か者であると。



『ぁ、ぁあぁ、あああああ――!?』



 殺した、殺した、殺した。
 隠れ潜む魔術師を探し出し、これを討ち。その研究成果を魔術協会に横流しする。士郎に利のある礼装だけを回収する。そんな事を幾度か繰り返し、隠れているモノを暴き出す作業に手慣れてきた頃。士郎は痛恨のミスを犯した。
 断じて。断じて言おう。士郎は最善を尽くし、最善の結果を得た。水際で被害を食い止めた。だが、それこそがミスだったのだ。
 或る魔術師を追っていた。隠れ潜んでいたモノを暴いた。だが、士郎が辿り着いた時には、既に死徒化の秘薬が外部に漏れ、死徒と化した無辜の少年が被害を拡散させてしまったのだ。
 士郎は元凶の魔術師を仕留めていた。そして秘薬が外部に漏れていた事にも気づいていた。迅速に対処に移ろうとして――しかし間に合わなかった。単純に、手が足りず。時間が足りなかったのである。

 己の愚かさを呪った。

 ――俺一人でも出来る、等と傲っていた。
 全ては士郎が単独で活動していたが故の失態。協力者を作り、複数で当たっていれば防げた事態だったはずだ。
 知っていた。弁えていた。人間一人で出来る事など限られている。なのに二年間の活動を、一人で上手くやれていた為に傲っていた。一人ででも戦い抜いてみせる、なんて。思い上がりも甚だしいと気づかなかった。
 平和な田舎町が、死都となった。士郎は無実の人々を、罪もない人々を、己の手で殺戮せねばならなくなった。――士郎に遅れてやって来た、魔術協会の魔術師の団体が、死都を滅するのに加担しなければならなかった。

 心が折れそうになった。

 死にたくないと、涙する死徒の少年を、己の手で殺した。

 心が砕けそうだった。

 この子だけはと懇願する、我が子を守ろうとする死徒の女性を親子共々射殺した。

 心が萎えそうだった。

 ――なんて事を。なんて馬鹿な事を、俺はしてしまったんだ……!

 後悔先に立たず。膝を折ろうとした。だが、士郎は立ち止まる事が出来なかった。
 もしここで止まれば、士郎の増長の為に防げなかった悲劇を、ただの轍としてしまう。萎えそうな己に活を入れ、士郎は二度と同じ失敗をしない為に協力者を得ようと考えた。
 真っ先に思い浮かんだのは、執行者。封印指定対象の魔術師と対する事の多い士郎なら、利害は一致する。味方につけるのに苦労はしないはず。そして連想されたのは、士郎と面識のあるバゼットだった。

 士郎は封印指定対象の魔術師の刻印を手土産に魔術協会と交渉した。自分がこれまで上げた過去の成果を例に挙げ、今後も活動を続け確実な利益を手にする為に、封印指定執行者と行動を共にさせてもらいたいと。その執行者はバゼットを希望した。
 彼女の家は、神代から伝わる数々の魔術、宝具や秘宝を保持する名家だが、頑として外部との繋がりを断っていた。バゼットが家督を継いでから魔術協会の門を叩いたが、権威はあっても権力のない彼女を持て余した魔術協会は、封印指定執行者として便利使いしていたのだ。
 謂わば厄介者である。魔術協会は士郎の齎す利益故に、彼の覚えがめでたかったのも手伝って交渉は成立した。

『まさか、貴方と行動を共にする事になるとは思いもしませんでした』
『謝らないぞ。俺は俺の道を行く為に、アンタの力が必要だった』
『構いません。これも仕事です』

 相棒(バディ)となった二人だが、意外にも相性は良かった。
 互いに合理主義で、戦闘に於いてはバゼットが前衛を、士郎が後衛を務める。役割と能力が噛み合い、阿吽の呼吸となるのに場数は必要なかったのだ。そして私生活に於いても、相性がよかったと言える。
 彼女は生命活動が送れるのならば、どんな状況でも構わないとほとんどホームレス状態だった。食事を楽しむという意識も欠け、味や栄養は二の次で、食べ終わるまでの時間のみを気にしていたのだ。行きつけの外食店はチェーン展開された牛丼屋であるという有り様で、その理由は商品が出てくるまでの時間も、食べ終わるまでの時間も短いからというもの。服装も機能性があればよい。装飾は無用。娯楽にも疎い。おまけに己が女である意識も薄い。

 相棒の惨状に士郎は激怒した。

 ダメダメな相棒の身の回りを管理するのも相棒たる者の務めとばかりに、規則正しい食生活を提供し始める。同じ屋根の下に暮らし、朝から晩までの料理を作りバゼットに振る舞った。
 最初こそ、それこそハンバーガーでもいいなんて宣っていたダメな女だったバゼットは――しかし、故にこそ士郎に胃袋を掴まれた。

『そん、な――』

 バゼットは落涙した。

『私は、貴方に出会うまでの人生を、全て台無しにしていた――!』

 貧相な食事を思い返し、バゼットは悲嘆に暮れた。こんなバカな事が、と。もうシロウのご飯しか食べたくありませんとまで――依存した。
 人生経験が偏っている事から、出会った男性に片っ端から惚れ込むほれっぽい面があったバゼットである。傍目に見ても明らかなほど士郎に入れ込んでいるのが明らかだった。

 中身はアレだが、外見は美女である。士郎もまんざらではなくて――

「……」

 冷淡な目でそれを見守る、アルトリアとオルタである。気持ち、マシュの目も冷たい。
 何故歩む、修羅の道を! エミヤはもう色んな意味で見ているのが辛かった。

『し、シロウっ』
『ん?』
『どうしてですか!? どうして……!?』

 そんな中、士郎はバゼットと別行動をする事になった。祖の一人の根城を探り当て、そこに殴り込むのに最大の好機を掴んだと士郎は確信していたのだ。
 というのも、その祖の子に当たる死徒が、反逆したのだという。祖と子の代替わりをかけた死闘は、介入して根絶やしにする絶好の機会。相手は死徒二十七祖、可能な限りいい条件で事を構えるべきだったのだが――士郎は此処に、単独で攻め込むとバゼットに告げたのだ。
 何故か。それはこの件の他にも、同時に隠れ潜む魔術師の居場所を探り当ててしまった故だ。これまでの経験から一刻の猶予もないと看破した士郎は、バゼットにそちらへの対処を頼んだ。
 見過ごせなかったのである。しかし祖を襲撃する好機もまた千載一遇、二兎を追う者は一兎をも得ずと云うが、今回ばかりはそうするしかない。士郎は年上の女性なのに、子供みたいに別行動へ難色を示すバゼットの頭を撫で、微笑んだ。
 俺が心配なら、速攻で片付けて、応援に来てくれと。バゼットは赤い顔で頷き、すぐに彼の許を発った。

 士郎も行動を開始する。バゼットを信頼していない訳ではないが、投影魔術に関して知る人間は少ない方がいい。祖の特異さを考えれば、宝具を投影する事もあるだろう戦いである。可能な限り最大のパフォーマンスを発揮するなら、一人の方がいい。
 士郎はそうして二十七祖の一角――十八位に列される怪物退治に向かった。

 そこで出会ったのだ。新たな同志となる、半人半死徒の男、エンハウンスと。

 艶のある銀の髪、赤いコートを羽織ったその男と十八位の死徒の祖。その戦いに介入した当初は両者の潰し合いを静観し、好機が到来すれば纏めて始末するつもりだった。祖とされるほどの怪物の性能、能力を計り、今後の活動の指標とする狙いもあった。

 だが士郎は興味を抱いた。銀髪の青年が、完全な死徒ではなく。何より祖より奪ったらしい魔剣を振るう半死徒の青年が、憎悪も露に死に物狂いの形相で牙を剥いていたのだ。
 不本意に死徒とされたのだろう。その過程で大切なものを失ったのかもしれない。しかしその背景を推し量る意義はなく、士郎は彼を利用できると踏んだ。あれだけの憎悪、ただ事ではない。もしかすると、その憎しみが死徒全体へ向くかもしれないとなれば、士郎との利害は一致すると言えた。

 士郎は銀髪の青年を援護する事にした。

 強化の魔術によって、異形の怪物銃となった対物ライフル・バレットM82で狙撃する。祖の頭部を吹き飛ばし、窮地にあった半死徒の後方に陣取る。

『……アンタ、何者だ?』
『衛宮士郎』
『ハ――気に入らないね。これはオレの戦いだ。だが、勝手にしろ。アンタにはアンタの戦いがあんだろう』
『そちらの名前は?』
『エンハウンスだ』
『了解、援護する』

 元々、ほぼ拮抗していたのだろう。エンハウンスに士郎がついた事で、十八位の祖は追い詰められていく。
 だが一手足りない。エンハウンスの魔剣は特に警戒され、士郎の射撃は必要経費とばかりに無視される事すらある。変身能力で躱される頻度も高くなっていた。
 流石の不死性、容易にはいかない。圧していても油断すれば一瞬でひっくり返されそうだ。これが祖か、と士郎は嗤う。――冬木の聖杯戦争で見たギリシャ最強、伝説のアーサー王、アイルランドの光の御子と比べれば、まだ可愛いものだ。
 彼らが相手だったならば、既にエンハウンスと士郎は斃されている。容易ならざる相手とはいえ戦いが成り立っている時点で――士郎は相手を仕留める算段を立てられていた。

 元々死徒の不死性が如何に厄介かを知悉している士郎である。その対策を何もしていない訳がなく。対死徒の切り札を用意しているのも当然だった。

『決めに行く。陽動を頼んだ』
『――いいぜ。オレだけでも殺れたが、アンタの力を見ておきたい』

 士郎はエンハウンスになら投影魔術を知られてもいいと判断していた。
 半死徒である時点で、魔術協会や聖堂教会に加われる道理はない。組織からの外れ者となるのは自明。ならば彼から漏れる恐れは低く、もしもその危険があると判断すれば、口封じをするまでの事である。

 士郎は宝具を投影する。飛びっきりの不死殺しを。

 完全な複製品ではない。機能の半分を削り、形状を改造した、士郎独自の手が入った改造宝具。剣ではない、故に魔力負担は大きいが、これまで宝具の投影を多用して来なかった故に、冬木での戦い以上の負荷もない。
 黒弓につがえるは真紅の矢弾。長大なそれが迸らせる禍々しい魔力の奔流に、十八位の祖は目を見開いた。宝具を投影しただと、と。にやりと嗤い、士郎は真名を解放した。

『――偽・死棘槍(ゲイ・ボルクⅡ)

 形状は短槍。矢とすれば些か長いが、射出に支障はない。必中の呪詛は削り落とした。故に射手が狙いを外せば(あた)りはしないが、士郎の矢は射つ前に中っている。イメージが磐石ならば必中だった。
 真作に近く再現したのは、その必殺の呪詛。例え聖剣の真作でも殺しきれぬ不死でも殺し尽くす絶殺のそれ。

「へぇ、悪くねぇ出来だな」

 士郎の投影した槍の真作の担い手が感心したふうに溢す。自身の宝具を投影されても特に気にした様子がないのは、クー・フーリンの感性では武器は武器でしかないからなのかもしれない。

 だがこれ以上なくその矢は効果的だった。

 真祖をも不死性で上回る『混沌』すら屠る魔槍は、真祖より劣る不死の祖の心臓を抉り、即死させる。
 斯くして祖の一角を滅ぼした士郎は、エンハウンスと今後を話し合った。エンハウンスは言う、死徒を殺し尽くすと。士郎も言う、なら俺と来ないかと。目的は同じである。自分ならエンハウンスだけでは殺し尽くせないモノも殺せると。
 エンハウンスは、士郎の仲間となった。そして――十八位の祖を討ちにやって来ていた埋葬機関の代行者とも、出会う事となった。

『これは……!』

 既に戦いの終わった現場に現れたのは、『弓』のシエルである。
 後に士郎へ外界への守り、赤原礼装を贈る事になる――士郎を中心とする対死徒の狩猟団に与する三人目の同志。その邂逅だった。





 

 

士郎くんの戦訓 5/5

士郎くんの戦訓 5/3




「……時間」

 美遊がポツリと溢す。あっ、とイリヤが時計を見た。するとどうだ、既に上映開始より五時間が経過しているではないか。
 それを抜きにしても、普通の小学生女児メンタルであるイリヤには色んな意味でキツい。続きは気になるが精神的疲弊は積み重なりつつあった。寧ろこれまでよく耐えていると、手放しに讃えられてもいい。イリヤは引き攣った顔で挙手した。

「あ、あの! ダ・ヴィンチ先生! これって五時間で終わるんじゃなかったんですか!?」
「いやぁ、ごめんごめん。……あれぇ? なんか予定過ぎてる……?」

 ダ・ヴィンチは悪びれる素振りもなく舌を出して謝ったが、次いで不思議そうに首を捻った。
 五時間のはずが、時間を超過して間もなく六時間となる。どうしてかなと考えてみるも、すぐに思考を放棄した。あんまりにも濃かったからね、天才としての本能が雑な仕事を拒み、無意識に密度を上げたら時間が延びたのだろう。

「まあいいじゃないか。うん、後ちょっとだからね」
「ダ・ヴィンチ。フルバージョンというのを、後で渡してください。後で個人的に視聴します。今は席を外しますので」
「あっ」

 アルトリアとオルタが席を外した。思わず声をあげ、この後の事を察したダ・ヴィンチは両手を合わせ合掌する。士郎くん、強く生きて、と。










 ――埋葬機関。

 其れは聖堂教会の最高位異端審問機関である。教会の矛盾点を、法ではなく力で強制的に排除する組織で、悪魔祓いではなく悪魔殺しを行う代行者の中でも、特に優れた者達が所属するという。
 構成員は七名と、予備役の一名の少数精鋭。聖堂騎士団の手に負えない怪物や、災厄に見舞われた際に出動し、彼らの行動が事後承諾でない時はない。場合によっては教会の意向に背ける強権が与えられているとか。曰く教会内に於ける異端、厄介者と謗られているという。

 その内の一人にして、第七位『弓』のシエルと出会った。死徒二十七祖の一角を滅ぼし、エンハウンスが十八位の座を襲った直後である。
 当初戦闘になりそうだったが、カソック姿のシエルは豊富な魔術の知識故に、エンハウンスが普通の死徒ではない事を見抜いた。そして人間の士郎がこの場に居合わせた事で、彼らに尋問する気になったようだ。

 士郎は包み隠さず己の目的を告げた。死徒を根絶する為に、在野の魔術師狩りと死徒狩りを並行して行っている事も。此度は十八位の祖と『子』に当たるエンハウンスの争いを聞き付け、これを好機と捉えて諸共に始末する気でやって来た。
 しかしエンハウンスが半人半死徒と察し、エンハウンスもまた死徒を鏖にするつもりでいると聞いた。利害が一致した故に協力関係を結び、十八位の祖を滅ぼした所にシエルがやって来たのだ。

 シエルはその話を簡単に信じた。というのも、聖堂教会でも士郎の名は広まっているらしい。

 聖杯戦争の経緯、それからの海外での活動。最近は精力的に魔術師狩りを行い、特に聖堂教会よりも先に死徒を探し当て滅ぼす情報収集力、居場所を割り出す分析力、実際に討滅に移る行動力は話題になっているとか。
 金銭目的の俗物とは一線を画する、ある種の執念によって行動するフリーランスの魔術使い。時計塔が誇る最強の封印指定執行者、バゼット・フラガ・マクレミッツを引き抜いてからは、さらにその効率と撲滅運動が加速している。聖堂教会は彼らの活動を黙認し、利用する気でいるらしい。

 シエルとしては死徒を撲滅する志には共感するものがあるらしい。エンハウンスに表立って協力は出来ないが士郎は人間故に共同戦線を張るのも吝かではないと言った。
 連絡先を交換し合う。これから先、戦場を共にする事もあるかもしれませんね、と。薄い笑みを交換し合い、その場は別れる――といった所でバゼットが合流した。士郎が居場所を調べ上げた在野魔術師を速攻で斃し、その足で急行してきたらしい。まるで飼い主に懐いた猟犬の如き様子に苦笑した士郎は、バゼットにシエルを紹介して、和やかに別れ――

『シロウ、ところで今夜の夕食は……』
カレー(・・・)だ。一晩寝かせたし、美味しくなってるぞ。保存もばっちりだから食中毒の心配もない』

『――』

『楽しみです。一流シェフも絶賛するシロウが、旨くなっていると自信を垣間見せるとは。今から待ち遠しい。さあ早く帰って夕飯としましょう。エンハウンス、貴方は?』
『オレか? あー……そうだな。ピザなんか作れるか?』
『ピザか。カレーに浸して食するのも乙なものだろうし、一品追加するのもいいな。よし、任せろエンハウンス。歓迎の印として振る舞おう』

『――待ちなさい。その夕餉、私も同席させてもらいます』

 は? と。士郎はシエルの唐突な通告に振り返る。そして引いた。振り返った士郎の目の前に、シエルの据わった目があったのだ。
 恫喝するかの如き声音と迫力に、思わず首を縦に振ってしまう士郎である。まあ今後共に戦う事もあるだろう存在だ。特に拒む理由もない。腹が減ってたんだろうなと呑気に受け入れた。
 早く行きますよと急かすシエルに首を捻りつつも、士郎は新たに仲間に加わったエンハウンスも自分の拠点に案内した。

『――これ、は……』

 そして、実食。士郎の調理したカレーを口に運んだシエルは言葉を失っていた。その様子に得意満面になりつつも、士郎は焼いたピザを勧める。それをカレーに浸して更に一口。
 シエルが綺麗に完食する頃にはエンハウンスとバゼットも食事を終えており、バゼットは食後の運動の為にジョギングに出ていた。エンハウンスは感心する。

『大したもんだ。旨かったぜ。こんなに旨いピザは食った事がねえよ。何か秘訣でもあるのか?』
『ああ、ピザの生地、焼き加減、調味料。全てにコツがある。材料は全部一から手作りだしな。なんなら解説してやっても――』
『――衛宮くん。お話があります』

 唐突にシエルは席を立った。ゆらりと幽鬼の如く立ち上がり、黒鍵を抜き放つ。何事かと身構える士郎に、シエルは先刻の十八位の祖をも圧倒的に上回る威圧と共に告げた。

『貴方はカレー・マスターと成り得る世界の宝。無為な戦いで命を、腕を損なう危険があるのは余りに惜しい。――カレー愛好家の名の下に貴方を拘束します。永遠にカレーを作り続けなさい! それが貴方の生まれた理由、背負った使命!』
『お前は何を言ってるんだ』

 黒鍵を突きつけ、目をぐるぐると回して言うシエルに、士郎は真顔で反駁した。なにゆえに錯乱したのか、士郎を捕縛せんとするシエル。理解不能だが限りなく本気であると悟った士郎はシエルと戦闘に移ってしまった。
 辺りの設備を破壊しながらの激闘は、帰ってきたバゼットを交えエンハウンスと士郎の三人掛かりでシエルを取り押さえるまで続く事となった。寧ろ三人掛かりでも負けそうになるほど凄まじい力だった。明らかに本来の実力以上の力を発揮していたのは何故なのか。

 「私はダメな代行者です」というプラカードを首に提げさせられたシエルを正座させて、士郎は嘆息する。真剣に身の危険を感じた為か、冷や汗が止まらない。なんて下らない戦いだったんだ。負けていたら確実に監禁されていたと確信した。
 シエルは冷静になったのか肩身が狭そうにして反省している。しかし士郎が『もうカレー作るのやめようかな』と呟くと、シエルは必死に思い留まらせようと説得した。

『そんな勿体ない! 衛宮くんのカレーは正に絶品でした、それをもう作らないなんて……! 世界の損失です、世界遺産が悪趣味な蒐集家の蔵に死蔵されるようなもの! なんでもしますからそんな事を言わないでください……!』
『ん? 今、なんでもするって言ったよな?』
『あっ』

 士郎はにっこりと笑顔を浮かべた。シエルは失言に気づく。

『バゼット、エンハウンス、何か要求は?』
『は。なんだこの茶番? いや、いいけどな。なら死徒に有効な銃でも貰いたいね』

 そうしてエンハウンスは、シエルから教会製の長銃型概念武装「聖葬砲典」を譲り受ける事に。

『私からは特に何も。ただ今後、このような事がないようにして下さい』
『バゼットからは特になしか。ならバゼットの分の迷惑料は俺が貰うか』

 特に要求のなかったバゼットの代わりに、士郎はかねて自身の対魔力の低さを懸念していた事から、彼女から外界への護りとなる聖骸布を手配して貰う事に。以降、士郎が戦いに赴く際には決して欠かせない赤原礼装が贈られる事となった。

『で、俺の分の迷惑料だが。――今後教会からの指令がない限りは、俺達と行動を共にし続けろ』
『そ、それはっ!』
『カレー……毎日作るのになぁ……』
『貴方が私のリーダーです』

 大丈夫かこの代行者と、バゼットすらシエルを心配した。呆れて物も言えないようである。
 士郎も苦笑を隠せないでいるが――ともあれ、士郎を含めると同志はこれで四人となった。戦力が充実しているが――この一団には、まだ新たに加わる者がいた。

 死徒狩りは、いよいよ佳境に入る。

 士郎とシエルが情報を集め、多角的に分析しながら狩りの獲物を探す。リストアップした死徒二十七祖、既に滅んでいるものや封印されているものを除けば、その殆どが極めて強力な個体ばかりである。
 シエルが加わって以来、数ヵ月の間に四体もの死徒と、五人もの魔術師を屠った。苛烈にして電撃的な活動に、士郎らの一団は魔術世界に戦慄を齎す。在野の魔術師の研究は鳴りを潜め、犠牲を出さない傾向に傾く。何せたった一人の不審死、行方不明からすら足取りを掴まれた者もいたのである。彼らの存在は抑止とすらなり始め、時計塔のロードすら一目を置いた。

 各地に点在するアジト、その一室にて、士郎は顔写真つきのリストにナイフを突き立てる。

『――次の標的は活動を再開した死徒二十七祖、第七位「腑海林アインナッシュ」だ』

 その正体については、シエルから聞き及んでいる。一行の知恵袋がシエルなら、分析し行動指針を立て、作戦を立案するのが士郎である。
 誰よりも早く情報を掴んだ士郎は、アインナッシュの活動再開の情報を、魔術協会と聖堂教会にリークする。どうせ独自に知る所となるのなら、こちらから先に報せて恩を着せると共に、彼らの行動するタイミングを予測し易くする狙いがあった。

 アインナッシュは生物ではなく吸血植物だ。森林一帯そのものがアインナッシュであるという。通常通りにやって滅ぼせる手合いではない。その核となるものを探し出す必要があった。
 また魔術協会や聖堂教会はアインナッシュに生る実を求め、他にも在野の魔術師もやって来る可能性は大いにある。士郎はアインナッシュを滅ぼす手立てを立てられなかった故に、やって来る双方の勢力を利用するつもりでいた。

 相手が知性のない存在なら、それは戦いではなく作業である。

 油断も慢心もない。しかしながら一切の気負いもない。そうして――その地にて、士郎達はその『死神』と遭遇した。
 曰く、死徒狩りの死神。またの忌み名を『殺人貴』という。真祖の吸血衝動を抑制する為にアインナッシュに生る実を求めて来たという彼は、士郎よりも幾つか年若い。

 瞬く間に封印指定の魔術師『フォルテ』を打ち倒した彼は、魔眼殺しの包帯を眼に巻いていた。死神の通り名に偽りのない、死を具現化させたような彼は、シエルと知り合いらしく士郎らに牙を向ける事はなかった。
 士郎は提案する。アインナッシュの実に興味はない、滅ぼしに来ただけだ。協力しようと。シエルの説得もあり、一時的に共同戦線を張った彼らは特に山場もなくアインナッシュを滅ぼした。

 本名は遠野志貴というらしい。彼は直死の魔眼を持ち、真祖アルクェイド・ブリュンスタッドの守護者をやっているという。彼の能力により死の点なるモノを突かれたアインナッシュは滅んだ。その問答無用の必殺ぶりは、死徒狩りには持ってこいだった故に仲間に勧誘したが、すげなく断られた。
 しかしもし今後出くわすような事があれば、敵対する事はしないという約束だけは取り付けられたので良しとする。士郎としても無闇に敵を作る趣味はない。それに元々、志貴は単独で動いた方が高いパフォーマンスを発揮するタイプのようだった。ルヴァレという死徒を狩りに赴いた際には先を越され、志貴が仕留めていたのだ。

『――次は大物だ。死徒二十七祖、十七位「白翼公」トラフィム・オーテンロッゼを仕留める』

 アジトにて。リストにナイフを突き立てる。

 死徒の王の一角。その勢力を焼却する。士郎達の一団は、標的として遂に死徒の王を狙えるものとなっていた。エンハウンスはにやりと好戦的な笑みを浮かべる。何やら含むものがあるようだが、それは語られはしなかった。
 先日、死徒ルヴァレを狙ったのは、その死徒がトラフィムの勢力に属していたからだ。士郎達は真っ先に死徒の王を狙う事はせず、その勢力に属する死徒を優先的に狙った。

 士郎は既に、バゼットらに全幅の信頼を置いていた。故に己の能力についても話している。その上で必殺の戦術を編み出していた。
 前衛のバゼットとエンハウンスが切り込み、シエルが中距離から黒鍵を投擲して穿ち、或いは結界を用いて死徒を『括る』。そして遠距離から援護に徹する士郎が、トドメとして投影宝具の偽・死棘槍を撃ち込む。もしも獲物が強力な切り札を切ってこの流れが作れなくなったら、バゼットの『斬り抉る戦神の剣』がカウンターを放ち、獲物の切り札をキャンセルさせ、エンハウンスの魔剣アヴェンジャーで斬り、聖葬砲典の砲撃を浴びせ、シエルが結界で括る。そして最後はやはり士郎の投影宝具で確実に仕留める。――この流れが必勝戦術であり、嵌まれば死徒の王であっても殺せるだろう。現に祖ほどの力がなくとも充分に強力な死徒は、全てこの戦法でキルスコアを確実に稼いでいた。

 しかし数多の成果を上げ、死徒や魔術師の骸を時計塔に流して、魔術世界に威名を轟かせている士郎達といえども、死徒の王は一筋縄でいく手合いではなかった。この戦いの相手は単独の個ではない。一つの陣営を統べる王が相手であり、黒翼公に比肩する怪物である。
 決して表舞台には語られない死闘は、殺人貴も交え幾度も繰り広げられた。その最終決戦の場に士郎は居合わせる事はなかったが、エンハウンスと殺人貴によってトラフィムは死亡し、死徒の勢力図は大幅に書き換えられる事となる。

 その後始末、或いは別件の任務を割り振られたシエルが一時離脱。バゼットもまた時計塔に呼び出され一団を離れ、エンハウンスは瀕死の重態となっていた故に療養を余儀なくされた。士郎は一人になると、無理はせず活動を自粛。一時ばかりの平穏を楽しむ事となる。
 と言っても、多方面に怨みを買っている身だ。死徒や、後ろ暗いもののある魔術師が士郎を襲わないとも限らない。故に士郎はエンハウンスを冬木に連れていき、衛宮邸にて療養に努めさせる事にした。瀕死とはいえエンハウンスなら、士郎の身内を守ってくれると見込んでの事だ。
 しかし士郎は目の当たりにする。長年留守にしたせいか――士郎への想いを盛大に拗らせた、妹分の少女達の惨状を。

 士郎は後に述懐している。地獄のような天国だった。事が済んだらすぐに帰る予定です、と。

 冬木から逃げるようにロンドンに向かった士郎は、凛に泣きついた。あなたの妹さんがおっかないの、助けて。大の男が矢鱈と情けない。そんな士郎に凛は爆笑した。ちっとも変わってないわねアンタ! なんて。
 士郎は逆上した。処女拗らせて面倒臭い奴になりやがってこの女郎! そんなだから男が寄り付かないんだよ! ――その売り文句は第三次テムズ川ダイブ事件の引き金となった。
 ただし士郎も三度目はただでは落ちなかった。凛を道連れに落ちたのだ。最悪! アンタほんと最悪! 風邪を引いて言語能力の低下した凛に対し、健康体のままピンピンしていた士郎は笑った。笑いながら凛の看病をしていると――なんでか奇妙な空気となっていた。

『……あれ?』

 なんでそうなったのか、よく分からないが。士郎は首を捻っていると、顔を真っ赤にした凛に追い出されるままロンドンを後にした。
 バゼットはおらず、シエルもまだ別件の任務に当たっている。エンハウンスも復帰には時間がかかる。時折襲撃してくる死徒や魔術師を返り討ちにしつつ、士郎はとりあえず何をしようかと首を傾げ。

 思い立った。

『そうだ、慈善事業を始めよう』

 死徒の勢力図が塗りかわるのを待つのも馬鹿らしいが、かといって一人で何かをしようとすれば死にに行くようなもの。無理はしなかった。
 とりあえず、出資者を募ろうと各地を巡ってみる。通りかかったブリュンスタッドの城に顔を出し、顔馴染みとなった殺人貴と真祖の姫を冷やかして殺されかかったり。一日泊めてもらったはいいものの、夜のあれこれを聞く羽目になって一睡も出来なかったり。
 客がいるのになんて奴らだ末長くお幸せにね! とばかりに、これまでの旅で手に入れてきた、士郎には無用の生命力を増幅させる霊薬やらを置いていった。

 日本でもそうだ。とりあえず金を持っていそうな連中に片っ端から声を掛けて回るも手応えはなかった。畜生なんてこった! これが資本主義の弊害! 人情を忘れた祖国の人々を嘆くふりをして。士郎は刀剣蒐集趣味を持つ姐御と眼鏡の素敵な隻眼の男性と知り合った。
 お熱い関係をからかわずにはいられない。例え殺されそうになっても士郎はその愉悦を忘れる事なんて出来なかった。仲睦まじさを祝福したい、その気持ちは決して、間違いなんかじゃないんだから――!

 命からがら士郎は日本を発った。

 何はともあれ気を持ち直し、士郎は真剣に出資者を募る。士郎の持つ資産は一生を遊んで暮らしても、三代先まで安泰なほどだが。そんなものではとても足りない。どうしたものかと悩みつつやって来たのは、士郎のコネが最もあるロンドンであった。ルヴィアを頼ってみようと考えたのだ。

 ――そして、士郎の運命は此処に辿り着く。

 オルガマリー・アニムスフィアに、カルデアへ勧誘されたのだ。





 

 

剣なのか鞘なのか





 突貫作業と云えども精度に狂いなし。絶賛すべきはカルデア職員諸氏の敢闘精神と優秀さ。僅か五時間にして大聖杯の改造が完了した。
 題して『ダグザの大釜』である。嘗て幾度もの災禍を振り撒いた大聖杯が、食糧を無限供給する夢の器と化したのだ。災い転じて福と成すという諺の理想形であろう。

 ふと思ったのだがアニムスフィアからの出資と称してこれを貰えないだろうか。真面目な話、ダクザの大釜があれば、極めて助かるのだが。俺がではなく、多くの人間が。これは要検討するまでもなく確定である。
 ……聖杯をコレクションしても、どうせ国連を通して魔術協会とか聖堂教会に引っ張っていかれるのだ。死蔵されるか悪用されるか分かったものではない。なら俺が有効活用した方が世のため人のためになる。

 なぁに聖杯コレクションは多い、一つや二つ程度、ちょろまかしてもバレまい。決めた、ダクザの大釜は俺の物にする。異論は認めたくない。認めないわけではないのがミソだ。

 もう一度真面目に言うが、断言する。特に魔術協会なんかの管理下に聖杯がいけば、絶対にろくな事にはならない。よしんば悪用されずとも死蔵される。道具は使ってなんぼだが、奴らの場合使われた方が最悪だ。
 根源への到達だって、一つですら特異点化させるほどの魔力リソースのある聖杯が無数にあれば、充分に可能だと判断されるだろう。派閥争い、利権の奪い合い――果てに魔術世界全体で戦争でも起こるかもしれない。

 それらの理由を鑑みて、大聖杯『ダグザの大釜』は是が非でも俺の手元に置きたかった。これも私欲という事になるのかもしれないが、カルデアの蒐集した聖杯も全て凍結し、決して誰も扱えないようにするか、或いはいつでも外部に持ち出して奴らの手に渡らないように手配する必要がある。

 と言ってもだ。素直にダグザの大釜をおくれやす、なんて京都弁で言ってもカルデア職員を説得出来るか否か……彼らは運命を共にする戦友で善良な者達だが、彼らにだって立場はある。
 まあ気長にやっていこう。時間は腐るほどあるなんて口が裂けても言えないが、彼らの賛同を得られるように努力する事から始めたらいい。もし俺の意見が誤りなら、それを指摘してくれる人はきっといる。全部を自分一人で決めていたら、それは驕りと堕落へ繋がるだろう。
 頭がどれほど回ろうと、どれだけ特異な異能を持とうと、所詮俺も凡夫でしかない。人間生きていれば過ちの一つは必ずある。彼らが反対するなら俺も潔く諦めるまでだ。

 さて、前置きが長くなった。早速だがダグザの大釜はフル稼働している。
 というのも、すっからかんに近い食糧庫を満たさねばならないのだ。
 幾らいつでも食糧を供給できるからといって、不測の事態というのはいつだって有り得る。ダグザの大釜が使用不能になった時、食糧庫が空でした、なんて事になったら笑うに笑えない。
 ついでに俺の生き甲斐の為に素材を生み出しておく。無限に湧く食材――その品質も勿論最高峰だ。ランクEX宝具とすら言える大釜なのだからそこは心配要らない。そんな訳で取り出したるは無数の果実である。

 ――話は変わるが仕事の合間の飲酒は悪だろうか? 毛むくじゃらな小動物から、頭頂部に前肢でゲシゲシと連続打撃を受けながら自問する。

 普通に考えたら悪だ。最悪の部類と言える。通常の企業であれば解雇一直線であるのは間違いない。
 しかし生憎と、悪徳ブラック企業カルデアに通常の規定が通るだろうか。答えは否、二十四時間勤務もザラ、適度に気を休めねば過労死不可避。であれば独自の裁量で休んでもいいのではあるまいか。殊に俺なんてプライバシー大破壊視聴会を絶賛開催されている。傷心の俺には自らを慰める慰安タイムが与えられて然るべきだ。
 うむ、理論武装に綻びなし。あったとしても裁決の権利は俺の手にある。俺議会満場一致で可決だ。

「フォーウ! ドフォーウ!」
「痛てて……待て、落ち着けフォウくん。というかだな、君は桜に付いていてくれるんじゃなかったのか」

 四六時中一緒にいるわけあるかと顔面に尻尾が叩きつけられる。目に毛が入るので勘弁して欲しい。弓兵兼指揮官は目が命なので切実に止めて頂きたい。
 賄賂か? 賄賂を求められているのか? 是非もなし、仕方がないのでフォウにも大人の味を進呈せねばなるまいて。

 猪口を用意する。八十年ものに匹敵するワインとて、ダクザの大釜から取り出した素材を流用すれば簡単に仕上がる。いや、俺の酒造の腕もあるのだがな。多分に大釜のおかげでもあるが。
 ワインを作り、大釜に注文して酒造したワインを浸すこと十秒。するとあら不思議、年代物に早変わりという寸法だ。ふはは、これは工夫次第で神代の酒を作り出す事も夢ではない。
 竜の牙やら逆鱗、その他の貴重な資源を投じてまで酒を作る必要はなくなる。我が腕の研鑽の為に余裕があれば是非チャレンジしたいものだが、今ばかりは多少の怠惰も許されよう。

「ささ、一献どうぞ、フォウ君」
「ふぉ!? きゅうきゅい、ふぉーう!」
「味も知らずして批判するのはお子様だぜ。まずは味を知り、そしてその上で俺を批判するなら聞こうとも。これは心の栄養剤、俺の言い分を否定すると言うのなら――恐れずして掛かってくるがいい!」
「……」

 フォウは物凄く微妙な目で俺を見ていた。
 なんとなく言ってる事が分かるのは、何もサーヴァントのスキルのようなものの恩恵があるからではない。
 単純な話だ。確かな知性を持つと認め、確りと向き合えば、言葉は通じなくても意思は通じる。俺みたいに言葉が通じない外人さんとの触れ合いが多くなると、相手の言わんとする事をなんとなく察せられるようにもなるのだ。
 人間に最も大事な能力の一つは『コミュニケーション能力』である。まあどうしたって理解不能な奴はいるので、そういった手合いには「うんうんそれもまたローマだね」とでも言っておけば万事上手くいく。だって神祖ロムルス君がそう言ってたし。流石ロムルス、説得力が違う。

 フォウは嘆息した。そんな姿すらラヴリー。しかし俺の詭弁に一定の理があると認めてくれたのか、猪口の中のワインをぺろ、と嘗めてくれた。

「……きゅぅぅ」

 そして、ぱたり、と。フォウは目を回して倒れてしまった。
 おやおや味覚はお子様のようですねぇ。それにしても一嘗めでダウンとは情けない。お前はチョロい系ヒロインなのかと小一時間ほど問い詰めたくなった。
 可愛いから許す。いや俺が許しを乞わねばならないのか? まあそこはいい。とりあえずフォウを医務室に連れていく。
 職員にフォウを預けると、呆れた目で見られてしまった。口止め料と称してワインを進呈する。後で仲間内で飲んでくれと渡す。ツマミは? と言われたので厨房の冷蔵庫に一通り揃ってるぞと伝えておく。酒好きとしてツマミの作り置きは万全である。

「……」

 自室に戻り、独りチビチビとやる。
 うーん、堪らんね。生きてるって感じがする。大人数でワイワイやるのもいいが、たまには独りで杯を傾けるのも乙なもの。――と言いつつカルデアに来てからは基本一人酒なのだが。
 とりあえずデスクに向かい、酒を飲みながら特異点での出来事やデータを纏めたレポートを仕上げていく。酔ったからと雑な仕事はしない。気分が良くなるだけで記憶が飛んだりする性質でもなかった。
 この後はどんな仕事が待ってるのだったか。雑務は百貌様が、総務はアグラヴェインが、開発はダ・ヴィンチとアーチャーが担当である。医療の総括はロマニ――ああ、そうだ。そろそろ一人、マスター候補として招集されていた人材の治療が完了し、凍結を解除するんだった。
 そこに立ち会い、場合によってはカウンセリングしないといけないな。メンタルがどうなっているか見ておかないと。ロマニとかの医療部門の連中の管轄だが、俺だってその道のプロにも劣らない自負がある。伊達に精神崩壊者を幾人も立ち直らせてきた訳ではなかった。

 いつ凍結を解除するんだったか。確か今日じゃなくて、明日だったか? ならする事はほとんどない訳だが――

「っ!?」

 レポートを纏め終え、椅子を回して背後を向く――と、目の前にアルトリアとオルタがいて、俺は驚き余ってひっくり返りそうになった。

「な、なんだ……来てたのか。声ぐらいかけてくれても良かっただろ?」
「……」
「……」
「……あ、あの? アルトリアさん? オルタさん……な、なんでそんな、能面みたいな無表情をしていらっしゃる……?」

 青と黒のドレス姿のアルトリアと、オルタ。二人は無言で俺を見ている。
 な、なんだ。どうしたっていうんだ。こんなアルトリア達なんか見た事が……!

「シロウ、何か私に言う事はありませんか?」

 静かに口を開いたアルトリアに、俺は咄嗟にこれまでの事を振り返る。――か、考えろ。俺は何かアルトリアの逆鱗に触れるような事をしたか?
 まずい、全く分からん。飯か? お腹減った? いやしかしさっき――と言っても五時間以上前か。小腹が空いたに違いない。いや待て、俺は今酒を飲んでいる。……分かったぞ、アルトリア達も飲みたい気分だったんだな!

「……飲むか?」
「飲みません」
「ああ、ツマミがないな。今持ってくる」
「要りません」
「なん……だと……?」

 アルトリアが……食べ物を、要らない、だと。顔が一気に青ざめた。

「ど、どこか悪いのか!? 大変だ急いでメディカル・ルームに行かないと……!」
「シロウ。私達に悪い所はありませんよ」

 オルタが言う。豚を見るような目だ。俺は本気で分からなくなった。

「……まあ座れ。悪いが、二人が何を言わんとしてるのか全く分からない。事情を説明してくれ」

 言うと、アルトリアはベッドに。オルタは俺が先程まで向かっていたデスクに腰掛けた。
 俺の言に視線が絶対零度となる。……嫌な予感がする。ここは真面目な話をして矛先を逸らすべきだ。

「アルトリア達ならもう知ってるかもしれない。今俺の体の中にはアルトリアの聖剣の鞘、その現物がある」
「……」
「これは召喚された宝具じゃない。聖遺物として現存していた物だ。変異特異点にいたアルトリアから譲り受けた。担い手から譲られたものだから所有権は俺に移ってるが……戦力拡充の為にアルトリアかオルタのどちらかに返還しようと思っていたんだが――」
「鞘は無用だ。シロウの生存力を上げる為に、シロウが持っておくべきです。それと、話を逸らそうとしても無駄ですよ」
「……」

 鞘を要らないとはね除けるアルトリアの表情に変化はない。もともとそう言うつもりだったのだろう。
 どうやら作戦は失敗したらしい。どうしてだ。いや俺の心眼が言っている、長引かせれば後が怖いぞと。ここは単刀直入に安楽死を選ぶべき場面だ。断頭台に立とう。なぁに簡単には死なんぞ。幾度もの裁判を経て不敗の身、赤い悪魔なくしてこの俺を止められる者などいない。

「何をそんなに怒ってるんだ。言っておくが、俺に後ろ暗い事なんて――」
「シロウ。私とあの丘で別れて以来、何人の女と寝ましたか?」
「――っ?」
「……」
「……」
「……」
「…………うん、ちょっと待って」

 落ち着け、クールになるんだ衛宮士郎。アルトリアは今、なんて言った?
 何人の女と寝たか、と訊いてきたのか? ははは、馬鹿な。乙女な彼女がそんな下世話な事を口にするはずが――

「中東での思い出は私には聞かせられませんか」
「――」
「バゼットなる女性は、綺麗な方でしたね」
「ちょ」
「シエルという方とはどういった関係で?」
「待った。待って。え? 何? ……なんでそんな事を?」

 中東の思い出(アスリ)とかバゼットとかシエルとか、そんな想像が働かない編集が入っているはずでは……?

「……」
「黙りですか」
「正直に答えなさい。シロウ、何人と寝ました? 名前を挙げなさい。私が理性的である内に」

 オルタとアルトリアが代わる代わる口を開く。同一人物だからか息ぴったしで実によろしい。双子のようだ。

 ――レオナルドぉぉおお! おまっ、悟られるような雑な仕事してんじゃないよもぉぉおお!

 雑じゃない仕事をしたらバレたんだぜ☆ みたいな事を言いそうなダ・ヴィンチである。彼奴とのチーズ契約は此処に破られた。絶対に許さない絶対にだ。
 冷や汗が浮かぶ。俺は諦めた。直感の鋭い彼女達に誤魔化しは利かない。嘘も無理。人間やっぱり諦めが肝心みたいだよ、白野……。下手に苦しみを長引かせるだけだ……。
 だが足掻く。諦めたのは事態の露呈。しかし被害は最小限に留めてみせよう……!

「その前に一つ。誓って言うが、俺から迫った事はないし、遊びだった事なんて一度もない。それは――いいでふか?」

 噛んだ。遺憾の意を表明する。酔ってるから呂律が回らなかっただけだ、本当だ。動揺なんてしてない。

「いいでしょう、言ってみなさい」
「……名前だけ。セレン、アスリ、ファティマ、バゼット、桜、イリヤ、遠坂……です、はい」

 シエルとはそんな関係じゃない。時々妙な空気にはなるが、一線越えてないからセーフのはず。

「……」
「……、……」

 沈黙が痛い。

 俺は……ここで死ぬのか? 聖剣で斬られたりする……?
 なんか凄く俺が遊び人に聞こえる経歴だけど、本当に俺から迫った事なんてないんだ。遊びでもない。というかちゃんと定期的に彼女達の様子は見に行っている。
 待って欲しい。切実に迫られて断れなかったんだ。俺も男だ、色んなものを溜め込んでるんだ。

「シロウ……」

 ふと、アルトリアは俯いた。オルタはデスクから離れて、背中を向ける。その声が、肩が震えている。

「私の事は……忘れたんですか……?」
「忘れる訳がないだろっ!?」

 声が濡れている。――泣いてる、のか?
 咄嗟に反駁するが、空々しく響いても仕方がなかった。俺はもうアルトリアとは死別した気でいた、もう二度と会えないと思っていた。だがそんな事はアルトリア達には何も関係がないんだと、今更ながらに思い当たった。

「だったら、どうして……!」

 アルトリアが顔をあげる。滴が頬を伝い、顔を濡らしていた。哀しみに染まったそれに、俺は絶句する。

「どうして、そんなにも……!」
「……」
「黙ってないで、何か言ってください!」
「――待て、私の側面」

 返す言葉が見つからない。何を言っても空虚になる、軽薄になる、そんな気がしてしまった。
 アルトリアが激昂するも、しかしオルタは静かに振り返り俺を見た。

「仕方がないだろう。我らの感覚ではシロウと別れて一ヶ月も経ってはいない。しかしシロウの時間は十年も経っていた。責めるのは酷だと自分でも分かっているはずだ」
「分かっています! でも、だからって……簡単に呑み込めるはずがない!」
「受け入れろ。我らはもとより、最後には別れる事になると、あの時から覚悟していたはずだ」
「――それはっ! ……そんな、事は!」
「過去は大事だ。しかし、数奇な運命の巡り合わせで、我らは再び縁を結んだ。ならば大事にするべきなのは過去ではなく現在(いま)で、そして我らとシロウの紡ぐ未来だろう。――シロウ、私は貴方を愛している。シロウは……どう、なんですか」
「――愛してるに決まってるだろう」

 愛、という言葉に照れ臭さを感じる青さはなくなっている。彼女の事を忘れたことなんて一度もなかった。だからこれだけは自信を持って言う事が出来た。だが、

「信じられません」

 オルタは、そう告げる。……当たり前だった。俺には言い返す資格がない。
 しかし不意にオルタは微笑んだ。予想しなかった表情に戸惑う。

「ですので、信じさせてください。貴方は私の鞘です。故に――言葉は要らない。行動で示した事だけを信じましょう」

 オルタはそう言って、そっと俺の胸の中に収まってきた。

「――いい、のか?」
「言葉は要らないと言ったはず。ええ、シロウの一番が私であるなら、それでいい。私から言えるのはそれだけだ」
「オルタ……」

 ――そうまで言われて、尻尾を丸めて逃げる腰抜けではない。腹を決めた。

「俺がセイバーという剣の鞘なのは否定しないが、俺の起源も剣だぞ。実はオルタの方が鞘なんじゃないか?」
「ほう。面白い冗談です。確かめてみましょう」

 不敵に笑い合う。
 俺はオルタを抱えあげ、ベッドに向かい。

「何をしてるんですかぁぁあああ!?!?」

 既にベッドにいたアルトリアに殴られ、ぐふっ、と苦悶の声を漏らして、ぱたりと倒れた。

「――あっ」
「し、シロウ……?」
「シロウぉおおおおお!?!?」
「ばっ、馬鹿か貴様!? 折角そういう空気に修正したというのに……! シロウ、無事ですかシロウ! 起きてください、シロウ――!」

 返事はない。士郎くんは鳩尾へのナックルに轟沈していた。


 

 

 

親子なのか自分なのか






 特に何もなかったが、汗を掻いたのでシャワーを浴びた。

 体が怠い。気力が萎えている。酔いは完全に醒めていた。もう何もする気になれない。このまま寝ようと髪を乾かして横になったはいいものの、喉の渇きを覚えて水分を補給しようと思い立つ。
 マイ・ルームの冷蔵庫に酒を入れていたはず。飲み直して寝よう。明日も忙しい。今は寝酒をしたい気分だった。幾度もの戦場を越えさせられて不敗とはいえ、今日は非常に疲れた。例えるならサバンナで獅子の群れに襲われたようである。
 命懸けの闘いを制した勝利の美酒を求めても罰は当たるまい。そう思ったのだが、冷蔵庫に酒の貯蔵はなかった。

「……」

 ――そういえば変異特異点二つを同時攻略した後、激務に追われていたカルデアの皆を労う為、自身の蓄えである秘蔵の酒を放出していたのだった。その時はまだダグザの大釜もなかった故だ。
 嘆息して厨房に向かう。其所のワインセラーには確かスパークリングワインがあった筈である。今は水で満足出来ない。
 飲まずにはいられなかった。諸々の感慨を落ち着けねば、とても落ち着いて床に着けない気がするのである。そんなわけで目的のブツを回収し、マイルームに戻って行く――途中の事だ。

 サーヴァントに与えられる部屋の前を通り掛かると、何やら話し声が聞こえてきた。と言っても専ら女性の声がするだけだが。
 しかし酷く沈鬱な雰囲気である。扉越しとはいえ、エアリーディング検定一級の俺には察せられるのだ。何事かと耳を澄ませてみると、どうやら敢えて明るく喋っているのはアイリスフィールらしい。……ここ、アイリスフィールの部屋ではないのだが。なんだって切嗣の部屋に……?

「あっ」

 察した俺は紳士ゆえに立ち去る事にする。あの絶倫貴と真祖さんの時の二の舞は御免だ。
 何が悲しくて平行世界の義父と義母の睦み事を聞かねばならんのだ。幼少時に実父実母が妹か弟をこさえようとしていたのを目撃してしまったトラウマが甦りそうである。
 そそくさとその場を離れようとすると、意外な声がして思わず足を止めた。

『……オレは、自らの成そうとした理想を過ちだとは思っていない。だが――そうだな。私は他者に理解されようと努力した事がなかった。一人で駆け抜け、一人で理想を遂げようとした。……あんな道も、あったのだな……』

 扉越しに聞こえたのは、アーチャーの独白だった。
 悔恨を噛み締めているのではなく、あたかも気づきもしなかった別の道を見て、生前の行いを省み、想いを馳せているかのような――

『そうね。私は貴方の過去を知らないけれど、貴方が言うのならそうなんでしょう。けれど間違ってはダメよ? アーチャーはああも成れた、でも貴方とマスター……シロウくんの道に優劣なんてない。いいえ、そもそも比べる事すら烏滸がましいわ』
『……分かっているさ。だが客観的に見れば劣等感を感じてしまう。奴は成し遂げた功績で生前のオレを超えているだろう。別にそんな功績(もの)に関心はない……が、別人だと理解していても平行世界の「エミヤシロウ」だ。どうしても比較してしまう』

 自嘲するように呟くのは、己の思考そのものを嘲笑っているようだ。それに切嗣が身じろぎする気配がする。

『オレは人々を直接悲劇から救おうとした。だが奴はその悲劇の元凶の一つを根本から潰していたんだ。直接救った人間はオレの方が多くとも、間接的にあの男は未来を救っている。――同胞を集い、個ではなく数で、己のエゴを押し通した。オレにはそちらの方が尊く思える』
「――なんだとこの野郎」

 無意識に足が動いていた。扉が開き、中にいたネームレス・レッド目掛けてワインの瓶を投げつけていた。
 時速200㎞で迫ったそれを、驚きながらも掴み取った反応の早さは流石と言える。こちらを識別するなり、アーチャーはばつが悪そうに顔を顰めた。俺も苦虫を瞼で挟み潰したような顔をしてしまう。反射的に釣られてしまった格好だ。

「あら」

 アイリスフィールは目をぱちくりさせる。とても成人女性には見えない愛らしさだ。イリヤも後五年ぐらいしたら《《こう》》なるのかもしれないと思うと、色んな意味で死にたくなった。
 主にアイリスフィールを見てイリヤを連想した事が最低である。いや、アインツベルンの親子なのだから、瓜二つになって当たり前なのだけど。
 違うのは性格から来る表情と雰囲気、髪型だろう。アイリスフィールはロングヘアーでザ・プリンセスといった感じだが、イリヤは肉体の成長に伴い活達な印象のショートヘアー少女へと変身している。――ん? よくよく考えたら連想してしまったイリヤとアイリさんは全然似てなかった。

「……何をする」
「『何をする』じゃねぇよ。何を寝言垂れてんだテメェ」

 アーチャーは聞かれたくない事を俺に聞かれた気分なのだろうが、ばつが悪いのはこちらも同じだ。なんだって入ってしまったのか、どうしてこんな事を聞いてしまったのか。本当、衝動に突き動かされてしまった。
 すっかり真っ白になった髪を掻き毟る。違うのは肌の色だけの、例の一件まで根底からして別人だと思っていた男――掛け値なしに正義の味方そのものと尊敬していた存在が英霊エミヤだ。俺自身が衛宮士郎であると《《思い出した》》故、遠回しな自画自賛のようでこっ恥ずかしいが、その想いは今も変わらない。

「なんだ。まさかとは思うが記憶映像(あんなもの)を見て妙な思い違いをしてるんじゃあないだろうな」
「思い違いだと? 何がだ」
「俺を正義の味方だとでも思っていそうな口振りに聞こえたぞ」
「……立ち聞きか。趣味が悪い」
「俺も聞こうとしていた訳じゃねぇよ。……ったく、なんだってこんな……アイリさんと切嗣の愛の巣だと思って遠ざかろうとしてたってのに」
「あら。愛の巣ですって、切嗣!」
「……」

 意味もなく武装のキャリコを分解し、点検している切嗣は完全に無反応だ。しかしその意識はこちらに向いている気がする。
 嘆息する。らしくない、ものの見事に頭に血が上ってしまっていた。俺は努めて血の気を鎮圧して冷静になる。

「言っておくがな、俺は正義の味方なんて立派なものじゃない。いいとこ庭師だ。滅私で人を救ったんじゃない、俺の裡に埋め込まれたお前の強迫観念に突き動かされて無謀な旅をしただけで、死徒を狩って回ったのは単なる害獣駆除の為だ。人が人と争うのを止められないと諦めたんだよ。救おうとする事を、お前の理想があったにも関わらず不可能だと投げ出した。だからせめて、目障りな不幸の種としちゃあ小粒もいいところの小者共を排除していただけだ」
「……はぁ。――この際だ、言いたい事を言っておこうか。まったく……死後守護者となった後にこんな下らない問答をする羽目になるとは……」

 エミヤは壁に背を預けて立っていたのを、俺の眼前に立ちはだかるようにして屹立する。

「いいか衛宮士郎。正義の味方とは思想ではなく行動と結果によって示される存在だ。その点で言えば貴様はそれに当たる。人々を救い感謝され、明確な悪を滅ぼす行動と結果は正義そのもの。オレや切嗣が目指した在り方だ」
「……僕はそんな立派なものじゃないけどね」
「は。見解の相違だなアーチャー。俺はエゴを押し通しただけだ。成した事はともあれ他人(おまえ)の理想がなければ、俺は今頃日本で警官でもやってたろうよ。借り物どころじゃない、俺はお前の影法師みたいなもんだ。
 いいか、正義の味方ってのは、結果とか行動に依らない。その理想を成就させようと邁進し、理想に殉じ、溺死する結末も受け止められる奴だ。まずは心ありきなんだよ。それ以外は粉飾に過ぎない。前提を間違えるな、純粋に救おうと奔走したお前が本物だ。俺は偽物なんだよ。……切嗣はまあ、うん。ノーコメントで」

 とりあえず此処は切嗣の部屋なので、部屋の主にも水を向けようかと思ったが、切り出したら微妙な気分になりそうだったのでやめておく。
 国際テロリストとして指名手配されてなかったのが奇跡とすら言える危険人物にして、魔術協会やらから蛇蝎の如く嫌われていた魔術師殺しだ。その二代目と目され一時えらい敬遠されて来た俺の気持ちは分かってほしい。
 切嗣は無言だ。どうでもいいが気配遮断するなと言いたい。地味に存在を忘れそうになる。もっと存在感出してこいよ、アンタの部屋だろ此処。

「日本の諺よね? 隣の芝生は青い、だったかしら」

 ふとアイリスフィールが言った。

「正直に言うわね。第三者な上に正義とか悪、主義主張は分からないけれど、きっと貴方達の話は平行線のままで帰結しないわ。だって二人とも正義の味方じゃない」
「……」
「……」
「……あのな、アイリさん。なんだってそうなるんだ。あとナチュラルに切嗣ハブるのやめてやってくれるか。切嗣のメンタルは鉄に見せかけた豆腐だから」

 天然で刺されるほど痛い言葉はない。切嗣の表面に変化はないし、内面も殆ど平坦だろうが、微かに揺らぐものはあるだろう。
 アイリスフィールは苦笑した。

「この私も、この切嗣も、本当はなんのかかわり合いもない赤の他人よ。でも私は切嗣を愛しいと感じてる。別の世界だと、きっと素敵な出会いがあったんだわ。でも詳しくは知らないから、偉そうに評価なんて出来ないわよ。貴方達に対してもそう、私は感想を言ってるだけ。切嗣は私にとって愛しい人で、それ以外は知らないわ。そしてマスターとアーチャーは、掛け値なしに本物よね。正義の味方って、自称じゃなくて他人が評するものなんじゃない? だったら第三者の私が保証してあげる。それで一件落着って事でいいんじゃないかしら」

 ね? と首を傾げるアイリスフィールの仕草は愛らしい。俺とアーチャーは顔を見合わせた。
 そして不意に、ふっと肩から力を抜いて苦笑する。なるほど、道理だ。この人には敵わない。的確に言い返せない筋を通してくる。
 まったくその通りだと納得するしかない。俺としては不服だが、筋が通っているなら言い返す訳にはいかなかった。何故ならそれは、ひどく格好悪いからだ。

「これまでの事はもういい。これからの事について考えましょうよ。折角それぞれが本来とは違う形だけど、家族が揃ったんだから。仲良くしたいと思うのは私のワガママかしら」
「そうだな。……とんでもないワガママだ。が、違いない。異存はあるか、アーチャー」
「……ないな。貴様は名前と能力が同じなだけの他人、拘る事でもない。それにキャスター……」
「名前でいいわよ?」
「……と、切嗣、イリヤは放ってはおけん」
「――僕の意見は無視かい?」
「うるさい気配遮断してろ」

 切嗣の嫌そうな顔に、俺はにべもなく切って捨てる。露骨に嘆息する切嗣に、俺は宣言した。

「幸せ衛宮家計画でも立てるとするよ。アンタも主役だ」
「……」
「まあ素敵! それってどんなものなの?」

 ノリがいいのはアイリスフィールだけか。
 分かってはいたが、とことん付き合いの悪い男達である。アーチャーは皮肉げに嫌みを言ってくる。

「どうでもいいが、その下らないネーミングセンスはどうにかならないのか?」
「うっさい受肉させっぞ」
「どんな脅し文句だ、それは」
「マスターに対してなんて口の利き方だ。反抗的なサーヴァントは罰として受肉させてやる。切嗣もだ。人理を修復したら冬木で暮らしてもらうからな」
「――は?」

 赤い外套の男が、目を点にする。俺は嫌がらせめいて笑いかけた。まさか本気だとは思わなかったらしい。アイリスフィールの話に乗っかっただけの軽い冗談だと受け止めていたのか。
 しかし空気を読まない男、切嗣がすげなく断りを入れてくる。

「悪いが僕は、仕事が終わればカルデアから退去するよ」
「却下する」

 この件に関して切嗣の意向は全部無視だ。何せこの男、幸福から逆走する事に全力のダメ人間である。

「アンタの仕事はマスターの指示に従う事だ。雇い主の言う事は絶対だぞ」
「――その理屈でいくと、貴様は死後霊長の抑止力に組み込まれるのを是としているふうに聞こえるな」
「不正な契約は断固として認めない。そして正規の契約を結んでいるサーヴァントに拒否権は認めない」
「……横暴だな貴様は」
「アイリさんに切嗣、お前に俺、イリヤ――衛宮勢揃いだ。なんの不満がある? 異論は認めないぞ、大家族化したら俺の手には負えん。真面目な話……助けて」

 イリヤやら桜やら遠坂やら藤姉やらアルトリア達やらバゼットやらその他諸々やら……。積もりに積もった問題解決は、人理修復以上の難題である。彼らの力、というか存在があれば負担は軽減するはずである。

 ――ああ、打算抜きに思う。きっと全員が欠ける事なく揃った未来は、とても賑やかで幸福な、美しい光景だろうと。

 その展望が途方もなく甘く、途轍もなく脆い、砂上の楼閣じみた儚い夢想だとしても。やはり俺は、ハッピーエンドを夢見ていたい。






 

 

生きているのか死んでいるのか







 翌朝である。

 今日も今日とて大忙しな日取りだ。ぐっすりと五時間は寝ただろう。ベッドを整え、顔を洗い、歯を磨き、一通りの身支度を整える。魔術回路や肉体の状態を解析するのは一種のルーチンだ。
 お医者様要らずの俺、飽きもせずに大変健康である。『全て遠き理想郷』が正常に稼働しているお蔭だろう。と言っても、俺自身の能力と素質が足りない故か、当たり前だが聖剣の鞘はその全能を発揮できない。不死身になるほどの不死性は無く、精々があらゆる呪詛への耐性、異様に死に難い再生力、肉体の老化が停滞などの恩恵を得られている程度だ。まあ元々の俺の生き汚さと抑止力のバックアップも合わさって、肉体の四割以上が消し飛ばされない限りは死ぬ事はないと言えた。

 そして魔力量だ。

 俺の魔力量は大したものではない。それこそ固有結界だって、カルデアからの支援がなければ単独で使用するなど不可能だ。俺自身のみの力で固有結界を扱うには、後十年は研鑽しないといけないだろう。
 しかし抑止力の存在がある。人理が焼却された事により、人理焼却者を直接どうにかできる力を持たない上に、影響力などほぼ皆無だ。だから予め俺に埋め込んだ端末が持つ分の魔力しか上乗せ出来ない。
 俺の限界魔力量を超えれば、アラヤの端末から魔力が供給されてくるようだが、それは貯金を切り崩しているようなもので、余り宛にしていると抑止力からのバックアップは途絶えるだろう。
 留意すべきは俺の魔力量を超えた魔術行使は控える事。致命傷を負わない事だ。どちらを侵しても貯金を切り崩すようになる。
 抑止力から供給される最大魔力量は宝具の投影だけに限れば、限界を超えた状態で聖剣を三回ほど真に迫って投影できる。それはさしづめ『エクスカリバー・イマージュ』といったところか? 固有結界は一回の使用時間を三十分とすると五回使用可能――それ以上は貯金が無くなるように感じた。

 専門知識がない素人なら微妙に感じるかもしれないが、これは馬鹿げた魔力数値である。流石に膨大だと言えるだろう。アラヤは糞だが、その生へとしがみつく執念だけは認めよう。この魔力の貯金を今後の計算に組み込めるのは大きい。
 よく俺の器がパンクしないで保たせられるものだと感心するが、これは恐らく俺に埋め込まれた抑止力の端末――英霊エミヤを経由する事で、負荷を激減させているのだろう。言い方を凝らせば、ある種のセーフティだろうか? 嫌な言い方をすると首輪とも言える。

「……」

 唐突に、望郷の念に襲われた。

 なんの脈絡もない。不意な感情だ。傍に誰かがいる時は、何も考えないように意識していたが。こうして朝起きて、誰もいないと封じ込めていた感情が鎌首をもたげる。

 俺は何をしてるんだろうな――

 本当の第五次聖杯戦争。懸命に戦った。いや、戦ったと言うより、抗ったのか。訳の分からない魔術儀式という、人様の住んでる街中でドンパチやらかそうとする連中を追い出したくて。
 結果は、振り返るまでもない。自分のものではない強迫観念に突き動かされ、己の意思であると信じていた足跡は、このカルデアに辿り着く為の洗脳だった。
 長く、辛く、苦しい旅路だった。何故命を懸けてこんな事をしている? 馬鹿らしい、阿呆らしい。そんな理不尽に対する憤怒が競り上がって来る。――いや、そんな事はどうでもいいのだ。俺は後悔していない。他人の理想がー、とか。カルデアに来る事は仕組まれていたー、とか。そんな些末事は気にするものじゃない。

「慎二……」

 古傷ではない。未だに血を流していた。それに気づいていなかっただけで。心の出血が俺に空虚さを覚えさせていたのだ。
 高校を出た後、何をしてもしっくりと来なかったのはなんでか。そうだ、俺が馬鹿をしてもケツを持ってくれる対等なダチがいなかったからだろう。――死ぬはずはなかったアイツが、俺が自失して下手をやらかしたから、死んだ。

 桜はどう思っただろう。いや、今もどう思っているのか。きっと俺が死なせたようなものだと、知りもしないのかもしれない。

「……」

 ふらふらと歩いていた。その足がカルデアの外に向かっているのに気づいた俺は、失笑して立ち止まる。出たら死ぬ、分かりきっているのに。
 罪を罪とも思っていなかった。思い出しても、向き合うのが怖かったから無意識に思い出さないようにしていた。なんて惰弱――俺は死んで詫びるべきだろう、本当なら。

「――いや、待て」

 自己嫌悪の想念に支配される直前、ふと思い返す。俺はなんで……慎二が死んだと思い込んでいるんだ……?

 俺は慎二の死体を見たか? 慎二の葬儀に出たか? 慎二が死んでいたなら聖杯戦争直後の桜は落ち込んでいたはず。桜は何か気落ちした様子だったか?

「……」

 桜は、慌ただしそうではあった。
 あの頃の俺は誰の話も聞く耳を持たず、海外に飛び出した。だから桜が何を俺に言っていたかも覚えていない――当時の俺には人の言葉に耳を傾けられる余裕がなかったからだ。
 もし、もし慎二が殺されていなかったら……? 入院していたとか、そんなオチだったら……? そもそも誰が慎二を殺すんだ。あの時に健在のサーヴァントは、アルトリアが倒したライダー以外の全騎。慎二が行方知れずになったのは、あのビルから逃げ出した時だ。
 慎二を殺すとしたら、誰だ? 遠坂……は、ない。慎二を手に掛けたら、それを俺に言っているだろう。罪悪感をひた隠して。そもそも遠坂は甘い、殺しはせず記憶を奪う程度に収める。アイツはそういう奴だ。ランサーは? ……いや、そういえば誰がランサーのマスターだったのかを、俺は知らない。だいたい、再演された聖杯戦争は、俺がアーチャーの記憶通りにおこなったと思い込んでいただけで、全く異なる形だった。

 キャスターはメディアではなく、英雄王で。アサシンは腕の長いハサン・サッバーハだった。

 アーチャーの記録通りではなかった部分を、俺は自失したまま駆け抜けた……。そんな状態で勝ち抜ける甘い敵ばかりだったろうか。そんなはずはない。
 まずい、混乱してきた。整理しよう。セイバーはアルトリア、アーチャーはエミヤ、ランサーはクー・フーリン、ライダーはメデューサ、アサシンはハサン、キャスターは英雄王、バーサーカーはヘラクレスだった。

 序盤はエミヤの記録通りだった……はずだ。

 詳細に思い出せないのは……俺が混乱していたからだろう。アーチャーの記録通りに動けばいいと高を括っていたのに、序盤以降に想定外の事があって、錯乱していた俺は更に精神が不安定になり、支離滅裂な思考をしていたように思う。記憶障害にすら陥っていたかもしれない。
 では消去法だ。あの場に居合わせ、慎二を殺すとしたら――俺と遠坂は無し。ランサーは……アイツはサーヴァントを失ったマスターを、仕事でもない限り積極的に殺そうとはしない。都合よくランサーのマスターが殺せと言っていて、都合よくランサーが居合わせた可能性は低い。アサシンのマスターは……誰だ? 俺は見ていたはずだ。思い出せ、思い出せ、思い――

「――間桐臓硯、か?」

 朧気に、そんな気がする。俺の中にある端末の記録は、カルデアや冬木にいたアーチャー自身が持たない記憶も含んでいた。何せアラヤの端末であるエミヤの本体そのものと繋がっているようなものだからだ。だから俺はこのままだと死後に、掃除屋であるエミヤと統合される。
 冬木での聖杯戦争には様々なパターンがある。その内の一つの可能性に、間桐臓硯がアサシンのマスターになっていたものがある。再演時のアサシンのマスターが間桐の蟲翁だという保証はないが、俺は薄らと臓硯を見ていたような気がした。
 それが確かなら、アサシンが慎二を殺す理由がない。身内だからだ。蟲翁が身内に甘いかどうかは知らないが、殺す理由が無ければ殺さないだろう。一時の感情で身内を始末するような奴なら、今まで時計塔やら教会やらに足元を掬われる迂闊さを持っていた事になる。軽はずみには殺さないのが、魔術師という影の世界の住人ゆえに。

 三騎士、騎兵、暗殺者がないとなれば、後は二騎だが。英雄王は終始、再演時の聖杯戦争ではやる気がなかった。積極的に動かなかったどころか俺を勝者にしようとすらしていたように思える。
 でなければ、錯乱していた俺なんて、簡単に殺されていたはずだ。本気で戦った英雄王が、錯乱していた俺を護る事に苦慮していたアルトリアを打倒できないとも思えない。

 なら――答えは一つ。イリヤだ。イリヤが慎二を唯一、殺せる可能性が高い。何せ事ある毎に俺に絡んで来ていたのだから。あの時も、俺の近くまで来ていた可能性は最も高い。
 イリヤが慎二を殺したのか? だが――イリヤは薄らと、何かへと違和感を感じていたように思う。確実じゃないが、聖杯による記憶の改竄に、聖杯の器であるイリヤがなんの異変も察知しないままでいるとも思えない。現に何年か前の遠坂は言っていただろう、イリヤが記憶の改竄について思い当たっていた事を。数年越しとはいえ、そこに気づけたイリヤだ、もしかすると慎二を見逃したりするかもしれない。それこそ再起不能になる程度に収めるとか、聖杯戦争中にでしゃばってこないように記憶を奪ったりとか。

「……」

 希望的観測だ。あの頃のイリヤに慈悲は期待出来ない上に、聖杯戦争の常識とばかりに負けた奴は死ねと言いそうだ。それでもイリヤが見逃すとすれば、やはりそれは気紛れか、或いは誰かの思惑に乗っていると気づいた場合の――そう、意趣返しだ。イリヤは負けず嫌いだから……可能性は非常に低いながらも、なくはない……と、思う。
 第五次、第六次聖杯戦争は俺が高校二年生の冬の時期に起こった。それから一年もの間、慎二の姿を見ていない時点で、イリヤの気紛れがなく、俺が記憶障害ではなかったなら、慎二は死んでいる事になる。

 なんにせよ事実は今は分からない。冬木に帰れば、聞けばいい。イリヤに――慎二はどうした、とでも。桜にはとても訊けないが……これは逃げだろうか。

「……女々しい、情けない」

 なのに希望があると感じている俺は滑稽だ。度しがたい。だが――そんな希望を持っても、バチは当たらないはずだろう。

「ん?」

 なんであれ、事実確認は戦いが終わるまでは不可能だ。これ以上は不毛である。死んでいると決めつけて、これからの戦闘へのモチベーションを下げるより、生きているかもしれないと希望を抱いて戦う方が余程健全で前向きだ。
 今は、今だけはそう割り切っておく。俺は意識を切り替え、今日の仕事に入ろうと管制室に向かう――と。

 食堂から出て来たらしいイリヤと美遊を見掛けた。

「おはよう」

 出来るだけ柔らかな笑みでそう言うと、イリヤは顔を強張らせた。
 そして不自然にあたふたして、深々と頭を下げてくる。

「おっ、おはよう! それじゃわたし、行くね……!?」
「あ、イリヤ? ……おはようございます、士郎さん。失礼します」

 イリヤは――《《怯えた素振り》》でそそくさと離れていき。美遊も会釈をすると、複雑そうに俺を見てイリヤを追って行った。

「んんぅ?」

 もしかして、俺……怖がられてるのか?







 

 

兄妹なのか友情なのか




 暫しの精神統一。原因として思い当たる代物は唯一無二。こめかみを揉む。独力での状況改善は困難と判断するのは難しくなかった。
 ではどうする。元々深く関わるつもりはなかったとはいえ、不和の種に成りうる原因は取り除いておきたいのが人情。迂遠な自画自賛に聞こえるかもしれないが、子供にあんな態度を取られた経験がほぼない身としては、迂闊に動いて根を深くしかねない軽挙は控えた方が賢明だろう。
 即ちすべき事は自明である。俺は一つ頷くと第二特異点以来、中々接する間のなかった友人の許に颯爽と赴いた。

「――ネロえもーん! 子供達に嫌われたよぉ、どうしよう……!」
「うむ。……シェロよ、あくまで友情に基づき忠告するが、そなたの容姿でその口調は色々と厳しいものがあるぞ」

 特にアーチャーが聞けば激怒は避けられまいと元・薔薇の皇帝。人理焼却中につき、色々とガバガバ故にあっさりと現代にその存在が定着したネロである。
 彼女はカルデアのマスターが着用する魔術協会の制服――魔術礼装である衣服を着用していた。本来なら艶や華やかさ等とは無縁の衣服だが、流石に人類史に名を刻んだ暴君、もとい皇帝。ネロが着ている、それだけで周囲を照らす絢爛な煌めきを放っているように見える。
 ネロは自室にて、現代に適応するための座学に勤しんでいるようだった。既に現代の英語と日本語をマスターしたとの事。驚異的と評すべき学習速度だが、ネロなら驚きに値しないと感じてしまうのも流石と云うべきか。それとも神祖ロムルスに与えられたスキル、皇帝特権が有能極まるのか――恐らく両者の組み合わせが噛み合ったのだろう。ネロの偏頭痛も快癒の一途を辿っているというし、人理焼却案件さえなかったら順風満帆だ。

 ネロは椅子をくるりと回してこちらを向くと、んーっ、と両手を合わせて腕を上に伸ばし、背筋を逸らして凝っていた体をほぐした。その際、豊か極まる胸部装甲が無闇矢鱈と強調されるが、不思議な事に特に惹かれない。
 ネロに魅力がないというのではなく、単純に俺やネロが、互いをそういう対象として見ていないからだろう。あくまで友愛的な感情しか抱いていなかった。男女の友情は成立しないと言うが、それが当てはまらない『例外』だと思っている。
 なに、例外なんてものが数多く蔓延る業界だ。珍しくもないだろう、そんなもの。

「で、なんだシェロ。確かこういうのを……藪から棒に、というのだったか?」
「ああ。それで合ってるぞ。……ところで、今の俺のキャラ、可笑しかったか?」
「可笑しいというより気色悪い。余の珠の肌に鳥肌が立ったぞ」

 ほれ、と袖を捲って腕を見せてくる。うーむ、確かに鳥肌が立ってる……。そんなに酷いのか。

「考えてもみよ、アーチャーが今の台詞を言ってきたら、そなたはどうする?」
「グーで殴る」

 右ストレートでぶっとばす。

「それと同じよ。アーチャーもそなたと同様のリアクションを取るであろうな。で、シェロよ。余は喉が渇いたぞ」
「そんな事もあろうかと、赤ワインを持ってきておいた」

 ふふん、と得意になって鼻を鳴らす。『こんな事もあろうかと』という訳ではないが、昨夜結局飲み損なっていたのである。赤ワインを持参した俺に死角はない。ネロは呆れたようだ。朝っぱらからそれかという小言を聞き流す。
 俺から酒を取ったら何も残らないのだ。グラスとテーブルを投影してセッティングする。ネロと自分の分をグラスに注いでいると、華美なる美女は眉根を寄せながら苦笑した。

「このようなものに投影魔術を使うとは……」
「堅物のアーチャーならしないだろうな。けど俺は使えるものは使う主義だ。自分の能力だろうがな」

 アーチャーは羽目を外して『フィィイッシュ!』とか言うぐらいになると不明だが、流石にそんなふざけた感じになる事はないだろう。ニヒルを気取る皮肉屋だし。

「合理的なのは結構だが、余には現代の酒は度が強すぎる……これは大丈夫なのか?」
「問題ない。度は強くないよ」

 第二特異点で、俺が振る舞った酒を盛大に噎せたネロである。若干の苦手意識があるのかもしれない。酒好きとして看過できない問題だ。故に最初は弱いものから慣らしていくのが無難である。
 そんな訳で乾杯――しようとすると、プシュ、と空気音がして扉が開いた。来客かと思うと、訪れたのはネロのサーヴァントであるアタランテであった。

「む、シロウか」
「お邪魔してる。っと、それは……」

 アタランテはその手に小皿を持っていた。そこには切り分けられた林檎が載せられている。
 見ればもう一方の手には、あと一口でなくなろうかという林檎があった。赤々とした皮と、林檎の芯も丸ごと食しているらしい。しゃく、と小気味良く咀嚼している。唇が果汁で潤っていた。野性的なのに気品がある彼女のそれには色気すら感じるが、一先ず注意しておく。

「食べ歩きとは行儀が悪いぞ」
「目くじらをたてるな。朝から酒を酌み交わそうとしている汝に言えた口ではないだろう」
「それを言われると弱るな……」

 と言いつつ、グラスを一つ追加する。酒の席、来るもの拒まず去るもの逃がさず。アタランテは苦笑しつつも断りはせず席に着く。

「ネロに何か用でもあるのか? なんなら席を外すが」
「気にするな、用はない。ここは私の部屋でもある」
「? アタランテの部屋は隣だったはずじゃあ」
「マスターが同じ部屋にいてほしいとぐずるからな。それに同じベッドで寝ろなどとワガママを言う。まるで大きな子供だ」

 微笑むアタランテとネロの関係は良好のようである。今度は俺が呆れる番だった。

「流石はネロ、手が早い。同性すらお構いなしなのか?」
「何を言う! 余はどっちもイケる口なだけだ。愛さえあれば問題はなかろう?」
「問題はないがアタランテはいいのか?」
「愛はない。しかし子供のワガママだ、添い寝してあやしてやるのもサーヴァントの務めだろう」
「余を子供扱いするな! ほれ、こんなにも立派ではないか!」

 こんなにも、と自身の胸を示すネロに、俺とアタランテは苦笑した。
 振る舞いに邪気がなく、自信満々なところが幼さを感じさせるのだ。だからアタランテも邪険にしないし、寧ろ愛おしさを感じているのかもしれない。グラスを掲げて軽く乾杯すると、俺はふと思い出して本題に入った。

「そう、子供だ。なあネロ、あとアタランテ。なんか俺、イリヤ達に怖がられてるみたいなんだ。初対面の時はそうでもなかったのに。心当たりはあるか?」
「それはあれであろう、昨夜の上映会が原因であるな」
「うん、私もそう思う」

 二人の相槌に、やはりかと頭を抱えた。
 何がいけなかったのかと真剣に悩んでしまう辺り、一般の感性が錆び付いているのかも。そこら辺、大事なものなので思い出しておかなければならない。

「なんでだ。別に俺、悪事なんかしてないぞ。怖がられる理由はないはずだぞ。理由が分かるなら教えてくれ」

 それは本気で言っているのかと白い目を向けてくるアタランテである。ネロは嘆息した。

「……いや、言っては悪いが、幼子にそなたの経歴は壮絶に過ぎよう? 怖がられる程度でよかったと思うぞ」
「女関係が奔放なのも問題だな。私は気にしないが流石にあのような無垢な娘にとって、平行世界の自分が慕っていた兄を拘束・監禁紛いの事をした光景は刺激が――」
「――レオナルドぉぉおお!!」

 編集しろって言っただろうが! なんでそこを検閲しなかった!? 行為諸々を省いてもそれはアウトだろ!?

 芸術家として雑な仕事はしたくなかった、今は反省してる☆ なんて言ってるのが目に浮かぶ。
 許さん、絶対に許さん、奴にはダグザの大釜の使用厳禁令を発令し、今後チーズ絶食の刑に処さねばならない。俺の話術と築き上げた信頼とを全て行使して、カルデア職員の皆さんに根回ししてやる。あとマスターの立場も全力で利用しよう。百貌様に頼んで説得をしてもらえば、今のカルデアは断じてノーとは言わないはずだ。

 というかそんな感じだと、ハリウッド映画並みにマイルドにしてると思っていた予想が外れていそうだ。まさかとは思うが……え? グロ修正をしてダイジェストにした程度だったりするのか?
 言いたくないが、死徒殲滅はともかくとして。在野のはぐれ魔術師狩りは、一見すると罪もない人を魔女狩りの如くに断罪する異端審問官に見える。疑わしきは罰する姿勢に見えるのだ。
 綿密な調査を重ねて、表では善良でも裏では外道な輩を潰し、魔術師として再起不能にした後、魔術刻印を摘出し協会に売り捌いているだけなのだが。そこら辺をダイジェストではしょられるとただの無慈悲な殺戮者に見られかねない。
 実際に手に掛けたのは、魔術刻印を失い、魔術回路を失っても、あらゆる手を尽くして魔道を邁進する者のみだ。それ以外は生かしているし、日常生活ならなんの問題もないようにしている。
 もし俺の懸念が正しければ、怖がられても仕方がないとしか言えない……!

「それと魔術師狩りが苛烈過ぎるぞ。あれでは幼子には距離を取られてしまっても仕方がない」

 頭を抱える。相手が野良の魔術師であれば、無差別に殺し回る無慈悲な男だと思われた可能性が極めて高い。レオナルドは天才だ、有史以来並ぶ者は指の数で足りるほどの。子供も視聴するという観点から、そうした方面への気遣いも出来る奴だ。内面も才能の高さ、好奇心と向上心と行動力の全てが比例した稀有な善人である。
 が、どうにも職人肌というか、芸術家肌というか。それらが疼くと羽目を外してしまう傾向がある。悪い面が出たのかもしれない。

 俺がイリヤ達に怖がられる理由が最初、分からなかったのは、レオナルドなら大丈夫だと思っていたからなのだが。思わぬところで駄目な側面が顔を出したらしい。

「……いや、いいか」

 俺は怖い奴だと思ってもらった方がいいのかもしれない。そうしたら妙な気を起こさず、大人しくしてくれるだろう。
 カレイドルビーだけは不安材料だが、何、命の掛かっている状況で――それも子供の――ふざけた真似は仕出かさないはずだ。少なくとも致命的な事だけは。愉快型の糞ステッキとは遠坂の言だが、流石に締めるべき箇所は弁えているはず。

「なんとかしようと思っていたが、俺は彼女達に嫌われているぐらいが丁度いい。よくよく考えてみたらレオナルドが考えなしな行動をする訳がないしな。あのイリヤ達は無関係な子供、巻き込まないように大人しくさせるため、俺を利用したんだろう」

 せめて一言ぐらい断りを入れてもらいたいものだが、まあ些細なことだ。
 俺が一人納得していると、ネロは不満げに腕を組む。

「我が友が幼子に嫌われているのは面白くない。余に任せよ、きっとすぐに『お兄ちゃんの事しゅき。はーと』と言わせてみせよう!」
「やめろ。やめろ」

 矢鱈と黄色い声でお兄ちゃん発言はやめて頂きたい。ネロにお兄ちゃんと呼んでもらいたくなるではないか。倒錯的な感じがして実にイイ。
 アタランテはなんとも言い難げに唸る。子供を慈しむゆえか、イリヤ達を危険から遠ざけたいと感じているらしく、ネロに意見した。

「そうはいうが、マスター。事実あの娘達を深く関わらせない方がいいのは確かだぞ。例え実戦の経験があろうと、聞く限りあの者らと我らの戦いでは、敵の強大さが余りに違いすぎる。それにあの平和な娘は、とても戦いの場に相応しいとは言えない。シロウの言うように現状が最も好ましいのではないか?」
「それとこれとは話が別であろう。何より余が嫌だ! 仲良きことは美しき哉と日本では云うのだろう、余は美しい故に、余の周りも美しくなければならん! 顔ではなく心と環境がだ!」
「あー……心意気は嬉しいが、俺もアタランテと同意見――」
「やだやだ余は嫌だーっ!」
「子供か!」
「皇帝である!」
「元な! 今はカルデアのマスターだ!」
「シェロの友でもある! 余にとって友が皆に好かれている方が気持ちがいい。余が皆に好かれるのは当然故な!」
「ダメだ……あ、そうだ」

 言うことを聞いてくれそうにないと見て、俺は唐突な話題転換に打って出た。問題の先送りにしかならないが、どうせなるようにしかならない。それに嫌われていようと好かれていようと、イリヤ達がお留守番なのにも変わりはない。

「ネロ、すまないがサーヴァントを二騎追加召喚してくれ」
「むっ! 話を逸らそうとするな!」
「子供達の件は好きにしてくれ……俺は関与しない。で、真面目な話、ネロ直轄のサーヴァントがアタランテだけというのもバランスが悪いだろ。毎度俺から貸し出す形なのも歪だ。全騎が戦いに出向く訳ではないにしろ、幅広い戦力の拡充は未だ急務だ。三騎召喚して補うはずが、アイリさん以外は宛にしちゃいけないしな……」
「むむむ、それは確かに……うむ! 任せよ! 余の力を以てすれば、きっと神祖も応えてくれるに違いない!」

 ロムルスさんですか……。まあ確かに彼が来てくれたら頼もしさマックスなんですが、欲を言えばアサシンかライダーがいい。バーサーカーは論外だが。
 こうしてはおられん! とネロはるんるんとアタランテを伴い颯爽と召喚ルームに向かう。俺も後に続いてネロの部屋を出ようとして――

 アタランテの尻尾と耳、髪の毛。そしてネロの散らかしたお部屋を見渡した。
 ……。
 …………掃除して行くか。





 
 

 
後書き
次はチャンネルネタ 

 

英霊ちゃんねるネタ 

■†英霊ちゃんねる†





【速報】突然召喚されたと思ったら何もないまま終わった件について【野良鯖】

1:フランスの火刑娘

 どういうことなの……。



2:名無しに代わりまして英霊がお送りします

 なに、つまり何が起こったの?



3:名無しに代わりまして英霊がお送りします

 ちょっと待って。なんか人理終わってね?



4:名無しに代わりまして英霊がお送りします

 はあ? 何言ってんだ〉〉3は
 人理終わったらおれらも消えるだろ。
 そんなことよりおれは聖杯戦争に呼ばれ隊の一員として祈願してんだから邪魔すんな。



5:名無しに代わりまして英霊がお送りします

 〉〉4無知すぎワロタ。てか何しにこのスレ来たんだよw
 とりま〉〉4よ、α世界線の人理焼却案件について語るスレあっから覗いてきな。話はそれからだ。

 で、結局何があったんだ〉〉1



6:フランスの火刑娘

 それがよく分からないんです……七つある特異点の一番最初、フランスの特異点なんですが、私はそこに召喚されたんです。
 その時の私は生前の時代だったせいか、それとも私が死んだ直後の時間軸だったせいか、なぜかサーヴァントとしての感覚が希薄で……。
 例えるなら、サーヴァントの新人みたいな感覚だったんです。



7:名無しに代わりまして英霊がお送りします

 鯖の新人とかなにそれw 噴いたわw
 ってか、あれよ。サーヴァントってのはおれらの全盛期の姿なわけよ? しかも召喚された時代とか国とかに合わせて知識も感覚もあるわけ。新人とかありえんw



8:フランスの火刑娘

 本当なんです! しかも私の偽物か、それとももう一人の私なのかは知りませんが、竜の魔女というのがいまして、私はそれを探して必死に戦っていたんです! どういう事態だったのかも当時は正確に把握できてませんでしたし!

 というわけでどなたか、当時の事情を知る方はどこかにいらっしゃいませんか!?



9:フランスの王妃

 ……。



10:フランスの音楽家

 ……。



11:フランスのアイドル

 ……あれっ? もしかして私の出番!?




12:アラヤのパシリ

 ……その、だな。
 余り想像はしたくないのだが。

 〉〉1よ、カルデアのマスターには会わなかったのか?
 


13:名無しに代わりまして英霊がお送りします

 空気を読んで黙っておくおれら。さすがだよな。



14:フランスの火刑娘

 あ、そういえば会っていません。人理定礎を修復するためにレイシフト、というのをして、焼却された人類史から唯一逃れた、特殊な拠点の者達がやって来るのでしたよね。

 それがどうかなさったのですか?



15:アラヤのパシリ

 ……。



16:フランスの火刑娘

 あの、パシリさん?
 というかコテハン酷すぎません?



17: 名無しに代わりまして英霊がお送りします

 ばかっ!〉〉1察しろ!
 お掃除屋さんの兄さんだろたぶん。



18:フランスの火刑娘

 あっ(察し)



19:アラヤのパシリ

 その反応の方が傷つくのだが。
 まあいい。この程度、もはや私のガラスハートにも響かない。フフフフフフ



20:フランスのアイドル

 あーもー!! なにうじうじしてんのよ! 私の方が泣きたいんだけど!? 私も〉〉1と同じとこいたのに気づいたら送還されてきたんだけど!!!

 蜥蜴とか骨とか頑張って倒してたのに目立たないまましゅーりょーとかなにそれふざけてんの!? 辛いのはあんただけじゃないんだから何があったのかほーこくしなさいよ!



21:アラヤのパシリ

 ……お前達は知っているか? 第一特異点の前にも特異点が一つあったんだ。



22:フランスの火刑娘

 あ、そうなんですか?



23:アラヤのパシリ

 冬木という場所だ。カルデアはそこへ最初にレイシフトしてきた。私はそこでカルデアと戦うことになった。
 最初に言っておくと、私は好きこのんでカルデアと敵対していたわけではない。相応の事情があったんだ。

 ……あったんです。

 あったの。

 おれはじんりしょうきゃくにかたんするあくじゃない!!!!



24:フランスの火刑娘

 あ、はい。



25:フランスの音楽家

 とりあえず巻で話して貰える?
 こっちも何がなんだかわかってないし。いやまあ遠くでどんぱちしてるような音は聞こえたけど。



26:アラヤのパシリ

 すまない、取り乱した。

 そのカルデアのマスター……と、それに従うサーヴァントの内の一騎だが……その、あれだ。合理主義と効率重視の悪魔合体した主従でな。
 それと私は燃え尽きたアラヤから最低限の情報をキャッチしてあるから、第一と第二の特異点の事をある程度感じ取っていた。

 それで……第二特異点が、だな。人理定礎の復元が、もうすぐ不可能な領域に突入しそうだった。

 つまりそういうことだ。



27:メシマズ国の黒剣

 むっ、ロム専が横から失礼するぞ。ちょっとそのカルデアに召喚される感覚がある。ではなアーチャー、ここでメソメソしているがいい。頭からきのことか生やして。



28:アラヤのパシリ

 ん!? 君はまさかバーガー王!?



29:フランスの王妃

 えー、と。つまりどういうことかしら?



30:フランスの音楽家

 ああ、そういうことか。だとするとカルデアのマスターはとても優秀だね。
 つまりだね〉〉29
 次がつっかえてるから、カルデアは超特急でフランスの特異点を攻略したんだ。

 やれやれ。私達は結局、無駄に歩き回っただけだったね。



31:フランスの竜の魔女

 カルデア絶許



32:フランスの火刑娘

 !?

 あ、あなたはまさか!?



33:フランスのCOOL

 フフフフ
 かるであ。
 かるであかるであかるであああああああ!!

 おのれ! よくも! よくもぉおおおおおおお!!!



34:アラヤのパシリ

 あっ(察し)



35:フランスのアイドル

 なに!? きもっ!



36:フランスの処刑人

 ……。



37:フランスの串刺しおじさん

 ……。



38:フランスの竜騎兵

 ……。



39:フランスの夫人

 ……。



40:フランスの火刑娘

 な、なにか突然湧いてきましたね……。
 貴方たちは何者です!



41:フランスのCOOL

 おお聖処女よ! 私の悲願! 私の渇望!
 おのれ天に在りし神よ! ここまで私を! 聖処女を愚弄するかぁああああ!!



42:フランスの火刑娘

 なぜでしょう。
 突然〉〉41に目潰しをしたくなってきました。



43:フランスの王妃

 穏やかじゃないわね。いったい何があったのかしら。



44:フランスの処刑人

 カルデアの所業を納めた映像データなら「カルデアのマスターを応援し隊」スレで見る事ができる。気になるなら見てくるといい



45:フランスの火刑娘

 ほんとですか! ちょっと見てきます!



46:フランスのアイドル。

 ……え。なにあれ。



47:フランスの王妃

 あら……。



48:フランスの音楽家

 あっはははははははははははは!!!
 ひぃ、ひぃ!!?!!??

 なwんwだwいこwれwはw

 傑作だ! こんなにも笑えるものはじめて見た! なあサンソン!?



49:フランスの串刺しおじさん

 ……効果的だ。それしか言わん。



50:フランスの夫人

 ……。



51:フランスの竜騎兵

 ……。



52:アラヤのパシリ

 知ってた。



53:フランスの火刑娘

 あ、あの……皆さん、見てきました……。



54:フランスの被害者

 ……笑いなさいよ



55:フランスの火刑娘

 ……ご、ご愁傷さまです。



56:フランスの被害者

 私を哀れむなぁ!!

 なんなのよアイツ! 開幕聖剣ぶっぱとか正気!? しかも自分事巻き込んでとか気が狂ってんじゃないの!?
 蜥蜴ファブリーズ召喚させなさいよぉ!!

 ころす! 絶対泣かしてやる! リベンジしてやるんだからぁあああ!!



57:フランスの火刑娘

 とりあえず、状況は把握できました。皆さんありがとうございました。
 ところで第二特異点での映像が出回ってますね。私はそれで、カルデアを見守っておこうと思います。



58:騎士団一のイケメン

 御子殿の本気が見れると聞いて。



59:メシマズ国の湖

 我が王と息子?の勇姿が見れると聞いて。



60:メイヴちゃんさいこー!

 クーちゃんの本気が見れると聞いて



61:影の国の門番

 馬鹿弟子の全力が見れると聞いて。

 ふむ。手元に聖杯もあることだ、馬鹿弟子のこともある、少しばかりカルデアの実力を見てやろう。



62:アラヤのパシリ

 聖杯?

 ……おい。まさか〉〉61!?



63:フランスの火刑娘

 なっ!? 正気ですか!?



64:フランスの被害者

 あっはははは! いいわね! 私も手を貸してやるわよ! 盛大に燃やしてやりましょう!



65:Y

 ローマ






 

 

英霊ちゃんねるその2 ローマ特異点





【彼方の鯖よ】カルデアを応援し隊【この光をご覧あれ!】


 ××スレ目


1:メシマズ国の湖
 ということで、前スレでの問答は「マシュは私の娘」という決着を迎えたわけだが。


2:マッシュポテト
 阻止


3:台所の男装娘
 阻止


4:永遠の童貞
 阻止
 というかですね、湖の事を少しでも父親だと認識していた少年期は本気で僕の黒歴史です。
 生前の所業を思い返し悔い改めて、どうぞ。


5:湖
 迎えたわけだが!
 〉〉4の辛辣さに湖が濁りかけたのはさておくとしても、事実聖なる童貞は私の子である故に、逆説的に霊基の混ざりあったあの娘も私の娘になるのは動かしがたき事実である!
 

6:童貞
 ……人理が無事に復元できた暁には、申し訳ないがあの娘から霊基を離そうかな。


7:台所
 お願いです湖卿……わたしの憧れの気持ちをこれ以上曇らせないでください……


8:ポテト
 ところで湖卿。童貞の認知は? 母君は?
 普段レディに粉をかける不誠実さは?
 悔い改めましたか?

 本来私も言えた口ではありませんが、流石に貴方にだけは言えると思うのです。


9:湖
 ……さて! カルデアの冬木に於ける戦ぶりの考察も済み、当事者であればSAN値直葬ものの惨劇――フランスでの一幕の閲覧も終えた我々メシマズ国の成すべきは何か?
 それはいつ何時であろうと、我が王のいるカルデアに召喚される準備を整えること!
 その時の為に、如何なる状況であっても即座に状況に対応する為、カルデアの状況を我々はモニタリングする必要がある!

 というわけで人理終了五秒前といった有り様の第二特異点を、カルデアに先んじて観察しておこうと思う。


10:謎の孔明X

 おい。

 おい。


11:私は悲しい
 おおっとここでショタライダーを庇い脱落したローマ軍師の登場です――!!


12 :謎の孔明X
 なんだ? 座とはこんなノリなのか?
 寧ろ何故私が座に……? 私はそんな器ではないぞ。


13:湖
 敢えて真面目に考察するならば、だ。卿は名のある軍師の疑似鯖だったのだろう? それが諸共に消滅した故に、卿の魂と元の英霊が同じ座に記録として蓄積されたのだ。
 謂わば卿は、ローマの軍師であってそうでない、軍師の記録から形成された人格に過ぎないだろう。ニートな軍師が面倒臭がりでもして、卿という作り出された人格を表に出しているに過ぎない。
 謂わば君はオリジナルの軍師。ローマの軍師を模した本物。疑似鯖の方の彼が活動出来るとしたらイレギュラーの塊、カルデアしか有り得ないだろうとも。


14:童貞
 頭はいいんだから、いつもそうやって真面目だったら……!


15:謎の孔明X
 なるほど。言われてみればそのようだが、生憎と今の私の認識ではお前達の言うローマの軍師でしかない。故にここではそのように扱ってくれ。


16:ポテト
 承知しました。
 所でX殿、第二特異点はどうなっているのです?


17:謎の孔明X
 人理終了五秒前と、自分達で言っていただろう。状況は把握していないのか?


18:台所
 すみません。無駄に手の早い湖卿しか事態を把握してはいないものかと……。


19:謎の孔明X
 ふむ。では簡単に箇条書きするとしよう。

 ・魔神柱、第二特異点の原因である聖杯に命令コマンドを刻み、ローマのYへ埋め込み暴走させた。
 ・史実のローマ軍、及び市民、城、山。国土全体がYの宝具によって呑み込まれ、生ある者を取り込む魔境と化した。謂わばローマという国を自らの体内だと定義したわけだ。なお国民に関してだがあくまで「取り込まれただけ」で死んではいない。Yの聖杯にも呑まれぬ意思の力には感服した。
 ・野良鯖、ネロ帝を逃がすために、魔神柱側の鯖からの追撃に対する盾となり全滅。
 ・ネロ帝半死半生でブリタニアへ逃れる←今ここ

 ふむ。Yの慧眼には呻いてしまうな。ネロ帝がブリタニアに追い込まれたのは、Yによる策略だろう。あそこが最も安全で、且つカルデアの現れる公算の高い地だからな。
 流石としか言えない。聖杯に取り込まれていながらこれだ、彼はなんなのだろうな。


20:Y
 ローマは、ローマだ。


21:湖
 ?!


22 :ポテト
 !?


23 :台所
 !Σ( ̄□ ̄;)


24:童貞
 時空を越えていらっしゃった!?


25:Y
 ローマはローマ故に、ローマの行き先はローマにしかない。であれば導き出される答えは、ローマ以外に有り得ぬ。詰まらぬ消去法よ。


26:湖
 申し訳ないが何を言っているのかまるで分からない。


27:ポテト
 英語でおk


28:狐と見せ掛けた狼
 あははあはは! 我々への報酬にニンジンを所望する!


29:台所
 あの、もしかして、第二特異点詰んでませんか……?


30:私は悲しい
 ポロローン


31:童貞
 ……詰み、ですね。
 野良鯖なし。ローマ全体がYの体内、即ち敵の懐。
 ネロ帝を守る戦力なし。
 そこにカルデアが来たとしても、あの戦力では……。


32:輝くイケメン
 御子殿の出番と聞いて。


33:メイヴちゃんさいこー!
 クーちゃんの出番と聞いて


34:狼と見せ掛けた狐
 功労者が無視されてると聞いてー! に・ん・じ・ん! 寄越すのだワン! 猫パンチ!


35:湖
 光の御子? ……考えられない訳ではないか。


36:謎の孔明X
 なんの確証があって光の御子が出てくる?


37:台所
 冬木の惨劇という映像データを参照なさってください。カルデアのマスターはそこで出会った光の御子の髪の毛を、触媒として確保してあります。


38:湖
 赤い弓兵の惨状には愉悦げふんげふん同情不可避。


39:謎の孔明X
 ……見てきた。なるほどな。光の御子の出番だろう。戦力不足に加え、ブリタニアというお誂え向きの土地。呼ばない理由がない。
 Yはこれを?


40:Y
 ローマはローマ故に、ローマだ。


41:童貞
 英語でどうぞ。
 解読班? どこかにいらっしゃいません?


42:ポテト
 ! 皆さん、ブリタニアにカルデアが現れました!


43:湖
 キタ━(゚∀゚)━(゚∀゚ 三 ゚∀゚)━(゚∀゚)━!


44:ポテト
 我が王! 我が王ではありませっ――二人?


45 :私は悲しい
 冬木の黒いのと我々の知る王……そんな事が。


46:台所
 聖剣一対とか最強ですね勝ったわ風呂入ってきます(思考停止)


47:イケメン
 騎士王……


48:童貞
 ……。


49:湖
 ……いや、黒い我が王、略して黒王はカルデアのマスターに付き従っておられる。冬木での痴態を見るに、反転したからといって黒王の根底にあるものは変わっていないと見た。


50:ポテト
 しかし……黒化する可能性があったということは、我々が王をあそこまで追い込んでいたということでは……。


51:私は悲しい
 やはり兜は許されない


52:湖
 〉〉51オマエモナー


53:童貞
 〉〉1オマエモナー


54:狐狼
 円卓は今日も地獄なのだな……!


55:メイヴちゃんさいこー!
 大体皆悪いんじゃない?(名推理 


56 :台所
 そうこうしている内にネロ帝と合流しましたね。


57:月が綺麗ですね
 ネロォォォ!!


58:童貞
 あの、ネロ帝、死に瀕してませんか……?


59:月
 ネロぉぉぉ!?


60:ポテト
 カルデアのマスターがネロ帝の状態を把握して応急処置をしています。迅速な判断ですね。


61:謎の孔明X
 そしてそう聖杯を使うか……合理的だな。戦力の拡充にも繋がる。


62:月
 ネロくぁwせdrftgyふじこlp




 〉〉月が運営ゼルにBANされました





63:湖
 ふぅ(一仕事終えた感


64:童貞
 この外道! なんてことを!


65:私は悲しい
 私は悲しい……姪を案じる叔父を締め出すとは……。


66:ポテト
 まあまあ、狂化のない座で叫び続けられるのも迷惑ですし。是非もありません。


67 :Y
 ローマ故致し方なし。 


68:台所
 そろそろYがここにいる訳を追求すべきなのでは……?


69:イッケメーン
 ! 来た、御子殿キタ━(゚∀゚)━!


70:メイヴちゃんさいこー!
 うっ……ふぅ……。


71:正座タイツ
 ほぉ……全盛期のヤツは知らなかったが……これならば……。

 馬鹿弟子――! 儂だー! 殺しに来い!


72:イケメン
「で。どうすんだマスター。状況は分かったが、オレとしちゃさっさと動きたい気分なんだがね」
「知恵が欲しい。どう考えても行き詰まってる気がしてならないから、俺達とは違う視点で考えられるあんたの意見を聞きたい」
「んなの言うまでもねえ。退けば死、進めば死、なら進んで前のめりに死のうぜ」

 見てるかグラニア! これが本当のケルト的イケメンだぞグラニア!


73:メイヴちゃんさいこー!
 そして蹂躙される木っ端王。
 そら(たかが一万程度の軍と狂ってる王だと)そう(なるわ)よ


74:ポテト
 これは凄まじい……! 日中の私でもこんなに容易くはいかない……! 


75:台所
 そういえば〉〉74は光の御子の伝説にちなんだ逸話がありましたね。


76:湖
 あの槍はずるくないか……? 


77:イッケメーン!
「アルスターの赤枝の騎士、クー・フーリン。これより我が槍は御身のもの。如何様に振るうも我が主人の意のままに。命令を、マスター! いつでも出撃の覚悟は出来ている!」
「――槍を預かる。代わりに俺の命運を預ける。行け、派手に戦い、力と知恵と勇気の限りを尽くして、ガイウス・ユリウス・カエサルを打倒しろ」
「承知!」

 忠誠を誓った、だと……?
 俺もあんなマスターに召喚されたい!
 羨ましい御子殿……!(血涙


78:メイヴちゃんさいこー!
 ギリ……!


79:湖
 ふっ、私も我が王にあそこまで信頼されていたのだ。


80:ポテト
 裏切りましたけどね。


81:童貞
 〉〉1もうあんたは黙っていろ。


82:台所
 湖卿……。


83:謎の孔明X
 さて、カルデアはどう戦う……?







 以下ケルト英霊民の流入相次ぎ絶叫コメで埋め尽くされる。





 

 

英霊ちゃんねるその3 ローマ特異点





801:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 光の御子はランサー時さいきょーだって言ってんだろ!! にわかが!


802:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 〉〉801にわかはどっちなんですかねぇ。同じ時代に生きてもないくせにしゃしゃんな、クソガキが。
 御子殿はランサーは勿論として、アーチャー以外の六クラスに適正のある方だぞ。

 普通に考えてライダーが最強だ!


803:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 〉〉802同意


804:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 〉〉802禿同


805:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 原典見て来い。話はそれからだにわかめ。


806:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 ここで敢えてバーサーカー最強説を唱えてみる。


807:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 〉〉806いやぁぁあああああ!!?!!


808:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 〉〉806おいばかやめろ。

 やめて


809:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 そのネタは禁止だって前に言ったろ!!!


810:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 生前の悪夢を思い出しちまっただろいい加減に士郎!


811:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 そんな御子殿をしばき倒したタイツ師匠こそさいきょーなのでは?


812 :英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 〉〉811
 いやそれ十五才から十六才の頃の話……。


813: 英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 御子殿の最盛期は二十代半ばなんやで。
 それまで悠久の時を生きてきたタイツ師匠の『すべて』を一年と一日で体得した御子殿なんやし、十年以上密度の濃い戦場で命懸けで戦ってたんだ、今もどっかで漂ってるタイツ師匠がいて、ずっと鍛練して成長していてもよくて互角なんじゃね?


814:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 あんなババアとかマジどうでもいいし。御子殿の話しようぜ。


815:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 〉〉814無茶しやがって……


816:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 〉〉814
 強く生きて……。


817:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 はあ? お前ら何言ってんの?


818:おっぱいタイツ
 〉〉817
 スッ……( ^ω^ )


819:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 ヒェッ


820:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 アババババ


821:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 ウワァァ! ごめんなさい! 許して! 見逃して! 私には妻と娘ががが


822 :英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 スッ(目を閉じる


823 :英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 憐れな……。


824:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 陰口は厳禁。影の国の門番だけに。


825:湖
 ……ここはケルト民の多いインターネッツでつね……。
 七百以上コメが埋まるとはこの湖のリハクの目でも見抜けなんだ……。


826:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 お、スレ乗っ取られたメシマズの不倫野郎じゃん。我らが輝いちゃった貌の廉価版、どした?


827:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
(^ω^≡^ω^)おっおっおっ
 ねえ今どんな気持ち? スレ乗っ取られて今どんな気持ち?www
(^ω^≡^ω^)おっおっおっ


828:湖
 〉〉827通報しました。


829:ポテト
 このスレにて議論に関係ない煽りは禁則事項……覚えておきなさい。


830:童貞
 そろそろ特異点攻略に乗り出したカルデアに集中しましょう。


831:私悲
 覇権(スレ)を我らの元に取り戻すためとはいえ私は悲しい(ポロローン


832:輝かないイケメン
 ローマの地に四時間も先に踏み入った御子殿が心配だ。いや、心配など畏れ多いか。
 純粋にそちらが見たい。


833:台所
 〉〉832
 残念ながらこのスレはカルデア視点がメインですので。


834:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 こっちはこっちで実に知性的ケルトで、あのマスターを気に入りつつある俺はケルト民として異端なのだろうか


835:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 合理的な無慈悲殺戮戦法……いいよね


836:湖
 いい……


837:ポテト
 変装からのアロンダイトとか悪夢が甦るからやめロッテ


838:私は悲しい
 彼には騎士道が足りない
 これでは円卓はついてきせんよ


839:メイヴちゃんさいこー!
 そもそも必要とされてないんじゃない?(名推理


840:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 流石は〉〉839!
 皆が思っていても言わなかった事を平然と口にする! そこに痺れる憧れるぅ!


841:童貞
 〉〉839
 残念ながら当然


842:謎の孔明X
 円卓の必要性の是非は置いておくとして、来たぞ。
 樹海の津波とは……質量兵器として単純に手強いな。


843:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 人民巻き込んで養分にする樹海の津波とか、ドルイドが見たら発狂ものな件。


844:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 そして獅子耳娘逝ったー!


845 :英霊に代わりましてローマ民がお送りします
 ネロちゃまの鯖が簡単に逝くわけないだろいい加減に士郎!
 すいすい素通りして進む凛々しさに惚れる。


846:英霊に代わりましてローマ民がお送りします
 先行偵察か。この状況で伏兵なんてあったら詰むからな。アサシンも行ったみたいだ


847:湖
 冬木とフランスのMVP……
 これは来ますね……(予言


848:童貞
 〉〉1
 ?


849:ポテト
 何が来るのでしょう〉〉1よ


850:湖
 お約束的あれだ


851:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 御子殿が早速暴れまわられているようだ。
 挨拶代わりに城粉砕……流石。
 対御子殿のスペシャリスト、〉〉839はどう思われます?


852:メイヴちゃんさいこー!
 うっ……ふぅ。

 〉〉851
 うーん。悪夢再来。戦車と槍と御者揃ってるクーちゃん相手にするとか(ヾノ・∀・`)
 じゃけんゲッシュ破らせるとこからはじめましょうねー


853:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 さすがえぐい……
 でも残当


854:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 世界ひとつを相手に勝てと無茶ぶりされて喜んでる父さん相手だもんね、是非もないよね……


855:湖
 アサシン逝ったー!(知ってた


856 :パシリ
 じいさん――!


857:童貞
 !?


858:ポテト
 魔神柱!?
 なんですかあの醜悪な化け物は!


859:台所
 そして魔神柱に知性があるのを見抜いて即座に煽りにかかるカルデアのマスター。ブレない

 そしてカリバる、と。
 勝ちましたね風呂入ってきます。 


860:私は悲しい
 うーんこの。
 もはやお約束。もしや湖卿はこの流れを……?


861:湖
 流石にそこまでは。アサシンが逝くだろうなと思ってはいたが。


862:謎の孔明X
 チャンネルを変えて光の御子を見てみよう(ポチッ


863:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 キタ━(゚∀゚)━!


864:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 ケルトの星さすが。Yの目が釘付けでカルデアへの攻撃が散漫に。そして既に戦果の上では一国が滅びてるまである(白目


865:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 DEBU発見。イケー!父さん!ぶっ殺せ!
 って、あっ(察し


866:メイヴちゃんさいこー!
 あ、ふーん(無関心


867 :湖
 子供!? 宴会の支度!? 来るぞゆーま!


868:ポテト
 子供に食事の誘いをさせる、ですって……?


869:私は悲しい
 反転した鯖は怖い。はっきりわかります。


870:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 あぁ! 犬の肉食わせやがった!!


871:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 絶許
 やはりローマは悪


872:輝かないイケメン
 死ね。氏ねじゃなくて死ねDEBUが!


873:メイヴちゃんさいこー!
 ……。


874:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 おおっと対御子戦スペシャリストが黙っておられる。


875:メイヴちゃんさいこー!
 あっははは! 犬の肉だけとか詰めが甘いわね! 全然ダメよ、ゲッシュ全破りさせても私の軍を半壊させたクーちゃん相手に半端は! 怒り狂うだけって子供戦車に乗せたー!?


876:謎の孔明X
 なるほど、DEBUも考えたな。
 詩人の言葉に逆らわないゲッシュを破らせることはDEBUには不可能。なぜならその詩人とはケルトに由来する吟遊詩人のみ。それを用意できぬとなれば、別の策を講じるまで……。


877:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 父さんぶっ殺せー! いけ! そこだ!


878 :メイヴちゃんさいこー!
 案の定ぶちギレである。こうなったら止まらないわよー。


879:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 粉砕!玉砕!大喝采!


880:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 何回も言ってるけど流石としか言えない。


881:輝いたイケメン 
 御子殿ー! 俺ですー! 立ち合ってください!


882:メイヴちゃんさいこー!
 子供を爆弾にして戦車壊す所まではよかったわ。
 けど御者と馬の王と紅蓮の蹄残しちゃうのはダメダメね。
 槍と戦車と剣と体の自由奪って初めて対等よ。
 そんなだと殺せないわ。


883:湖
 余りの生命力に本物の戦闘続行スキルを見た


884:ポテト
 うーむ。戦闘続行というより殺戮続行というかですね


885:謎の孔明X
 ここでチャンネルを変えよう(ポチッ


886:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 うわぁぁ!!


887:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 ぎゃああ! 最後まで見たかったー!


888:台所
 あれ、Yがいますね……。
 なんか食テロを見逃した感。ホッとしたような、残念なような。
 なんか降伏勧告されてます。ネロ渡せとか。


889:英霊に代わりましてローマ民がお送りします
 渡すわけないだろいい加減に士郎!


890:英霊に代わりましてローマ民がお送りします
 渡すなよ絶対渡すなよふりじゃないからな
 渡したら死なす


891:輝かなくなったイケメン
「逆転は困難? 侮るなよ、ロムルス。奴は最強の槍兵だ。その程度の逆境、跳ね返すに決まっている」

 ……(血涙)


892:英霊に代わりましてケルト民がお送りします
 まぁたイッケメーンが血涙しておられる……


893:英霊に代わりましてローマ民がお送りします
「 断る!! 」

 よく言った! よく言ったぁぁああ!!


894:英霊に代わりましてローマ民がお送りします
「それでこそだ。まこと――快なり!」

 神祖マジ神祖


895:いっけめーん
くぁwせdrftgyふじこlp


896:湖
 彼が……円卓にいたら……(ボソッ


897:ポテト
 言わないでください……


898:台所
 食事が……人間関係が……


899:童貞
 人理崩壊待ったなし(ブリテン救済的な意味で


900:いっけめーん
 うがぁぁあああああああああ!!!!!







 以下イケメンの嫉妬とローマ民の神祖コールとお通夜な円卓コメでスレは埋め尽くされた……





 

 

【我が弟子に】カルデアを覗き隊【殺された】





【我が弟子に】カルデアを覗き隊【殺された】

1:ケルト最強最美の女戦士
 スレ立てとはこんな感じか?


2:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 立て乙。って〉〉1はもしや影の国の……!


3:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 乙。そんな感じです。ってスレ題!


4:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 嫌な悪寒……。予感じゃなくて悪寒。
 弟子に殺されたって、あんた死なないんじゃなかったのかよ! ってか世界から切り離されたあんたの国で、どんな弟子があんたを殺したんだ?


5:最美の女戦士
 うむ、無事に立てられたようだな。
 魔境、深淵の叡智!(ポチー
 と頑張った甲斐がある。


6:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 www


7:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 それなんか違うw あとなんか、テンションおかしくないですかw


8:最美の女戦士
 早速だが、私は遂に、念願の死を手に入れた。そして英霊の座に招かれた故に、こうしてスレ立てが叶うようになったのだ。此度はその感慨をどこかに吐き出したく、このような場を用意したのだ。


9:名無しに変わりまして輝く貌がお送りします
 ……申し訳ない、影の国の女王よ。既に嫌な予感がするのですが。


10:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 奇遇だな〉〉9よ、オレもだ。


11:名無しに変わりまして被害者がお送りします
 ……。


12 :名無しに変わりまして英霊がお送りします
 弟子に殺された。カルデアを覗き隊。
 ……カルデアって、あのカルデアだろ? はははっ、ぶるっちまうぜ。


13:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 って〉〉11! どうしたんだ?


14:最美の女戦士
 笑ってくれ。実はな、私はふとした事で聖杯を手に入れた。いや手に入れたというよりも、送りつけられたというべきか。それでな、うむ。
 特異点を作ったのだ。


15:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 !?!?!?


16:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 なにぃぃぃいいいい!?!?


17:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 何やっとんじゃ我ぇぇええ!!


18:最美の女戦士
 テヘペロ
 許せ。


19:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 あら可愛い。って許すかぁぁ! おまっ、自分が何したかわかってんの!?


20:最美の女戦士
 では問うが、英霊達よ。お主らは己の未練を濯ぐ機会を得たなら……何もせずにおれるか?


21:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 むっ。それを言われると弱い……。


22 :名無しに変わりまして英霊がお送りします
 それとこれとは話は別じゃね? 英霊としちゃ木っ端もいいとこの俺らだけどよ、やって良い事と悪い事の分別はつくぜ。マジレスで悪いけど、あんたのやった事は許される事じゃない。


23 :名無しに変わりまして英霊がお送りします
 〉〉22
 お前の言うことは全面的に正しい。けど、まあ〉〉1の気持ちも分かる。一概に否定はしないよ、俺は。


24:最美の女戦士
 すまない。今だから反省しよう。当時は他を省みられる精神ではなかった。魂が腐っていた、というのは言い訳だが、座に来る事で魂の状態が人間に近い形に戻れたのだ。
 そして反省はしているが、やはりやってよかったと思っている。


25:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 うわぁ……。流石は光の御子をして魂が腐ってるとまで言われた魔女。控えめに言って糞です。普段なら報復が怖くて言わんが、糞だ糞。


26:最美の女戦士
 報復はせん。甘んじて受け止めよう。しかし、信じた甲斐があった。カルデアには私の馬鹿弟子がいる。奴ならば、必ずや私の愚行を正しに来るだろうとな。


27:輝いちゃった貌
 御子殿ならば確かに。実際に変異特異点で御子殿と槍を交えられた栄誉、今も確かに鮮明に思い返せる。素晴らしき槍の冴え、まさに無双……!


28:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 シャイニーてめぇ! しれっと自慢してんじゃねぇよ!


29:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 許されない。絶対に許されない。


30:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 貴様は……そんなにも……そんなにも自慢したいか!? そうまでして羨んで欲しいか!? この俺が……たった一つ懐いた祈りさえ踏みにじって……貴様はッ、何一つ恥じることもないのか!? 赦さん……断じて貴様を赦さんッ! 名利に憑かれ、騎士の誇りを貶めた亡者ども……その夢を我が血で穢すがいい! 〉〉27に呪いあれ! その自慢に災いあれ! いつか地獄の釜に落ちながらこの〉〉28から〉〉29の怒りを思い出せ!


31:輝いちゃった貌
 www
 それは俺の持ちネタだ!w


32:親指ちゅぱちゅぱ
 〉〉31……。それはネタであったか。


33:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 まぁたケルトだよ……。


34:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 頼むからケルト勢、大人しくしててくれ。いつぞやのようにスレが埋め尽くされてしまう。


35:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 〉〉34ひどい事件だったね……。


36:最美の女戦士
 そろそろ話を戻そう。ともあれ私は特異点を作った。場所はスカイ。案の定、カルデアが乗り込んできた。最初の面子は薔薇の皇帝をマスターに、騎士王、アルカディアの狩人、名も無き赤い外套の弓兵、暗殺者が現れた。そこに馬鹿弟子の姿はなかった。


37:名無しに変わりましてローマがお送りします
 ちょ! ネロちゃま!? なしてネロちゃまがマスターに!?


38:名無しに変わりましてローマがお送りします
 〉〉37馬鹿め、ネロちゃまは時空を越える。常識だぞにわかめ。


39:名無しに変わりましてローマがお送りします
 〉〉38馬鹿乙。〉〉37に真面目に返すなら、そのネロちゃまはサーヴァントではない、本人だ。
 詳細は第二特異点での顛末を見ると良い。


40:名無しに変わりましてローマがお送りします
 〉〉39なるほど、サンクス。


41:〉〉34に変わりまして英霊がお送りします
 頼むからローマ勢、大人しくしててくれ。いつぞやのようにスレが埋め尽くされてしまう。


42:名無しに変わりまして〉〉34がお送りします
 あれ、おれいつレスしたっけ?


43:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 〉〉41ひどい事件だったね……。


44:名無しに変わりまして>>35がお送りします
 〉〉43あれ、おれいつレスしたっけ?


45 :名無しに変わりまして英霊がお送りします
 ここは同一人物の多いインターネッツでつね。


46:最美の女戦士
 ノリが軽い……こんな気持ちはじめて!


47:名無しに変わりまして螺旋♂がお送りします
 そんなにノリの軽い姐御もはじめて見たな……


48:最美の女戦士
 ともあれ、宛の外れた私は幾人かのサーヴァントを召喚した。聖杯でな。呼び寄せたのは七騎。
 セイバーにフェルディア、アーチャーに……何故か魔弾を持っていたコナル、ランサーに栄光のライリー。ライダーとしてメイヴ、キャスターにドルイドのカトヴァド、バーサーカーにクラン・カラティン、そしてアヴェンジャーとしてジャンヌ・ダルク・オルタ。


49:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 見事にケルトで埋め尽くされ……って最後www


50:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 最後なにがあったwww


51:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 〉〉11ってもしかしてお前かwww


52:復習者
 ……笑いなさいよ。


53:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 おう笑ってやるよwww
 コテハンからして誤字だしw


54:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 www


55:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 wwwwwww


56 :名無しに変わりまして英霊がお送りします
 wwwwwwwwwwww


57:名無しに変わりまして作家がお送りします
 殺伐とした空間に笑いを提供する心のオアシスですなwww


58:復讐者
 うっさい!! これでいいんでしょ!? 知ってたわよ、ちょっとしたジョークじゃない!


59:最美の女戦士
 なぜ奴が来たのかは、聞かないでやってくれ。私にも慈悲の心はある。


60:メイヴちゃんさいこー!
 はぁ~~~……。
 もう……さいっこ~。


61:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 そしてこの、真名隠す気皆無の〉〉60である。


62:メイヴちゃんさいこー!
 あんなに完璧なクーちゃんをまた見られるなんて……ふふふ、見事に蹂躙されたわ。


63:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 あ、なんか流れ予想できた。


64:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 奇遇だな〉〉63おれもだ。


65:名無しに変わりまして太陽の騎士がお送りします
 追い付きました。
 ……ふむ。流石はアイルランドの光の御子。察してしまえますね。


66:聖なる童貞
 それはそうと冬木で幼子に霊基を譲った湖は断罪されるべきでは……?


67 :湖の騎士
 娘がまた一人増えてしまった……。
 とまあ、冗談はさておいて〉〉66よ、あれは不可抗力だ。それと、あの娘は不安定に過ぎる。内から支える者がいてもいいだろう。それが偶然私だっただけの事だ。


68:童貞
 む、すみません。……女性関係さえなければ、尊敬できる完璧な騎士なのに……。


69:台所のボーマン
 お風呂から上がってきました。このスレはなんです?


70:太陽
 本当にお風呂好きですね……見てから来なさい(慈愛の目


71:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 頼むから円卓勢、大人しく(ry


72:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 あれ、おれいつレス(ry


73:最美の女戦士
 目的と違う故、とりあえず全力を出した。波濤の獣を召喚し、聖杯を与え、暴れさせた。
 現地にいた神霊や、カウンターサーヴァントなどの邪魔者を排除したのだ。その際にアーチャーとランサー、キャスターが斃れたが……それはいい。元々カルデアとの戦いで真っ先に脱落するだろう面子だったからな。
 そして波濤の獣と死闘を繰り広げるカルデア。暫くすると、待ち人が来る。そう、馬鹿弟子だ。


74:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 キタ━(゚∀゚)━!


75:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 キター!(゚∀゚ 三 ゚∀゚)


76:最美の女戦士
 キター!♪o(゚∀゚o)(o゚∀゚)o♪
 となった私は、セイバーを出した。結末は見えていた故な。果たして波濤の獣と互角以上に戦い抜いた馬鹿弟子は、カルデアの援護もあり仕留めてのけた。セイバーは波濤の獣から聖杯を回収して撤退。あわよくば追撃させ、馬鹿弟子と再戦させるつもりだったが……セイバーには残念な事に馬鹿弟子はこれをスルー。私の狙いを察したのだろう。セイバーをカルデアに任せ、私のいる本丸に単身乗り込んできた。


77:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 えぇ……?


78 :名無しに変わりまして英霊がお送りします
 普通に自殺行為なんですがそれは。


79:最美の女戦士
 バーサーカーとライダー、アヴェンジャーと私のいる城だ、常識通りの英雄ならば瞬殺してやったが……知っての通り、そんな常識など容易く踏み越えてこそのアルスターサイクル最強の戦士。流石に侮りはしなかったさ。
 が、ライダーめ、バーサーカーを従えて独断で動きおってな。自分達だけで出撃しおった。


80:メイヴちゃんさいこー!
 仕方ないじゃない! あんなの見せられて興奮しない訳ないでしょ!? 私は悪くぬぇー!
 でもこの私のコノート軍と最高傑作だったバーサーカーなら、少しは戦えると思ったのよ。


81:最美の女戦士
 そして生前の二の舞だ。所要時間、四時間。全滅だ。


82:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 うわぁ……。


83:親指ちゅぱちゅぱ
 ((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル


84:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 あっとー! 〉〉83がPTSDを発症してるー!?


85:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 生前の悪夢が甦る……。
 いいかー、実際に体験しての恐れと、後世で伝え聞いて憧れるのとは、全然違うんだからなー!


86:最美の女戦士
 むしろ四時間もよく保ったなと誉めてやりたいところだ。そしてそのままの勢いで侵攻を開始した馬鹿弟子は、アヴェンジャーと会敵。奴はばか正直に真っ正面から迎撃した。

ア「よく此処まで来れたわね! 誉めてあびゃ」

光「邪魔だ、失せろ……! この先に用があるんだこっちは! 刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)――!」

 瞬殺だった。


87:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 wwwwwwww


88:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 wwwwwwwwwwwww


89:名無しに変わりましてローマがお送りします
 wwwwwwwwwwwwwwwww


90:被害者
 草生やしてんじゃないわよ!?
 っていうか何あの化け物! ファブニールも形無しよ! 私これでもサーヴァントとしてのステータス高いんですけど!?


91:最美の女戦士
 所詮はカタログスペックだ。その程度で苦戦するようなら、奴は神話の頂点とまで呼ばれはしない。
 さておき、待望の瞬間だった。城の奥深くで対面した私は震えたよ。影の国にいた頃の未熟な馬鹿弟子ではない……当時の私と互角程度だった、今の私とは比べるべくもない小僧ではなくなっていたのだ。


92:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 ゴクリンコ


93:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 ……。


94:最美の女戦士
 私はあれから、二千年もの間、悠久の時を鍛練に費やしていた。槍の極みも、更に研ぎ澄ませ、別の神話の武神、戦神にも遅れを取らぬ域に至っていたと自負している。
 その私がだ。武者震いに震えた。奴は十代も半ばで、影の国にいた私の全てを学んだ。そしてそれから二千年、私は自らを高めた。
 二千年だぞ。私は一目見た瞬間、笑みを抑えきれなかった。奴は影の国を出て十年ほどで死んだが――その十年は、私の二千年に匹敵していたのだ。


95:輝いちゃった貌
 ( ^ω^ )


96:最美の女戦士
 口上を述べた、はずだ。
 だがそんなものは忘れたさ。気がつけば槍を交えていた。どれほど戦い続けたか、意識から外れてしまったよ。
 そして、互いの体に傷が多数刻まれ、奴も私との交わり(戦い)に興奮してくれたのか、遂に本気の中の本気、全力の中の全力を見せてくれたのだ。

 そう、変身した。


97:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 ((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル


98:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 ぐわぁああああああ!?!?!?


99:名無しに変わりましてケルトがお送りします



100:名無しに変わりましてケルトがお送りします



101:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 嘘だろ、変身の一言でケルト勢が沈黙した……


102:最美の女戦士
 私も釣られて本気を出して変身してしまった。
 もっと長くやりあいたかったが、それよりも目の前の強敵を斃したくて仕方がなかった。


103:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 あんた死にたいんじゃなかったっけ……?


104:最美の女戦士
 それはそれ、これはこれだ。
 うむ、名残惜しかったが、決着は早かったな。死力を尽くして殺し合い、最後の必殺を槍に託した。理性はなくなっていようと、流石は我が一番弟子。槍の真名を唱えられぬ無様は晒さなかったよ。魔槍と魔槍をぶつけ合い、全く同じ軌跡を描いて相殺された槍を、互いの胸に突き刺した。
 私の槍は、奴の右の胸に。そして奴の槍は――私の心臓を穿っていた。

 魔槍ゲイ・ボルクは、相手が不死であろうと、問答無用で殺してしまう。星の触覚である真祖であっても、心臓のない概念的な存在であっても。故に私に死が無くとも、魔槍は私を殺し尽くしたのだ。

 すまない、長くなった。そうして私は死んだのさ。

「……待たせた。この槍を、あんたに見せたかったんだ」

 ……うむ、とても心地好い最期だったぞ。


105:輝いちゃった貌
 ……なんと。流石は光の御子。さすみこ。


106:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 不覚にも感動した。死ねて良かったな!


107:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 死を祝福するケルトである。


108:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 でもまあ、悲願が成就したのには素直に祝福するのもいいと思った。


109:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 とりあえず〉〉1よ、あなたはカルデアに謝りに行った方がいい。迷惑料を支払うべきだ。


110:最美の女戦士
 〉〉109
 確かにな。うむ、召喚されれば、あらゆる案件で全力で力を貸そう。召喚されれば、だが。
 それはそれとして、そろそろスレ題を思い出してくれ。――実は馬鹿弟子の胸を穿った時、ルーンを埋め込んでおいた。

 そう、発信器的なのだ。

 喜べ英霊諸君。これでお主らはカルデアの中も覗けるようになったぞ――!


111:名無しに変わりまして英霊がお送りします
 !!!!!


112:名無しに変わりましてケルトがお送りします
 !?!?!!Σ( ̄□ ̄;)


113:名無しに変わりましてローマがお送りします
 (・_・?)


114:名無しに変わりまして円卓がお送りします
 でかした!!!




 

 

アバンタイトルだね士郎くん!




「■■■■■■ッッッ!!」

 怪物が猛る。人中に振るえる者などない長柄のバルディッシュ双振りを、恐るべき怪力を以てしてそれぞれ左右の腕で振るう。正に猛威、称して竜巻。局地的な嵐を起こし牛の頭蓋で象られた仮面の巨漢が災害を撒き散らす。
 当たれば即死。当たらずとも余波のみで瀕死は免れまい。怪物の発する迫力は、稀代の英傑をしてその心胆を寒からしめるだろう。

 ――だがあろう事か、その直撃を幾度も敢えて(・・・)受け、それで尚も全くの無傷(・・・・・)である敵手は何者なのか。

 さながら幼子の駄々を受け止めるが如く。
 あたかも猛牛の突進をいなす闘牛士の如け。
 人理を阻む神獣の嚢を加工し、垂れ幕のように頭部を覆って素顔を隠した偉丈夫は、全身を赤黒い染料で染め上げている。
 その神獣の嚢が、怪物の双斧を完全に弾いていた。人の手によって生み出された双斧故に、神獣の嚢を前にすれば無力だったのだ。
 怪物の膂力そのものは徹るはずだったが、それは真紅の偉丈夫の卓越した体捌きで威力を逃がされている。

 その有り様は、牛の怪物の興奮を煽っているかのよう。

 しかしその実、偉丈夫には別段怪物を嘲る意図はなかった。せめてもの情けとでも言うのか、或いは神ならぬ身だからこそ――同じ神の被害者だからこそ同情(・・)に近しい蔑みを以て、怪物に貶められた反英雄の猛りを受けていたのかもしれない。
 だがそれも此処までだ。充分に付き合っただろう。男は神獣の嚢が外れないように固定した、頭部へ巻き付けた鎖を鳴らしながら口を開く。

「――気は済んだか、ミノタウロス」
えうりゅあれ(・・・・・・)を、かぁえぇせぇぇええ!!」

 気など済むものか。こんなもので止まれるものか。激甚なる憤怒に身を焦がす迷宮の怪物は、怪物として侵入者と相対しているのではない。身を護るために戦っているのでもない。
 それは、ひとえに護るため。己ではなく、己を人の名前で呼んでくれた、大切な女神(ひと)を取り返し、護り抜くためにその全霊を尽くしている。

 偉丈夫の片手にあるのは、反転した聖大剣アルミアドワーズ。魔大剣とでも言うべきか、黄金に煌めいていたはずの栄光の大剣は黒く染まり、悍ましく禍々しい魔力を迸らせている。

 そして。もう一方の手には。――小柄な少女の姿をした、非力な女神の細頸が握られていた。

「ぎっ、ぅ、く……」

 宙吊りにされているが生きてはいる。しかし呪詛に等しい極大の憎悪が分厚い掌から感じられ、首を掴まれておらずとも呼吸を困難にさせる圧迫感があった。
 そこに華奢な身を案じる慈悲はない。ただ死なねばいいという無造作な残酷さがある。偉丈夫の名乗った真名を雷光の名を持つ反英雄は叫んだ。

「あるけいです――!」
「コレが神である事を考えなければ、貴様の行いは尊いものなのだろう。だが、コレへ尽くす行いや想いは醜悪だ。ああ、最低限幼子の駄々に付き合ってやっただけ、有り難く思え」

 傲慢な物言いだった。神と神に連なる全てを、蛇蝎の如く憎み抜く満身の憎悪であった。

 彼の名はヘラクレス――ギリシャ最大にして最強。真の意味で並ぶ者などいない、強大なる雄。第三の特異点に現れた伝説のアルゴー号に、最も適性の高い弓兵の座で招かれた大英雄。
 されどその偉大なる魂魄は魔神の奸計によって反転した。この特異点の聖杯を握るモノが、或る細工を施したが為に、最大の英雄は最悪の化身へと変生したのだ。

 故に此処にいるのは高潔な英雄ヘラクレスではない。

 勇猛無比なるヘラクレスではないのだ。神性が抜け落ちたが故に身長は人の規格へ。筋骨のこそげ落ちた、長身痩躯の怨念の者は、その真名をヘラクレスの影法師――あらゆる恩讐を遂げんとする『復讐者アルケイデス』である。
 卑劣なる外道にも平然と手を染め、神々への復讐を成すためならば、如何なる辱しめも実行する下劣畜生。復讐のためならば、人理の存亡など彼の知った事ではない。人理が滅びればあらゆる神性も滅亡するとあれば――どうして躊躇う物がある。立ちはだかるのなら、例え何者であっても容赦はしない。それが――あらゆる理を捩じ伏せる、人理最強に等しい大英雄の成れの果て。
 故に強敵としのぎを削る、等という無駄を犯す蛮勇は、彼には有り得なかった。

「返せと言ったか。いいだろう、離すなよ」
「ッ?」

 斧が通じないと狂戦士の枠の内に在っても漸く悟ったのか、双斧を棄てて掴み掛かって来る雷光の英雄の眼前へと女神を掲げる。
 ぴたりと、放たれていた拳砲が止まる。あわや護るべき存在の頭部を粉砕しかけたのが、寸前で止まった。止まるはずのない拳擊が。小柄な女神エウリュアレをアルケイデスが頸を掴んで宙吊りにしたまま前方に掲げた故に、咄嗟に全力で止まったのである。
 そして、やんわりと放り渡される。エウリュアレは非力にして貧弱、些細な事で怪我をする。故に雷光(アステリオス)は、その優しさゆえに抱き止めて。苦しげに咳き込む女神に意識を向けてしまう。えうりゅあれ、と。

「……憐れだな」

 隙だらけのその体に、魔大剣の切っ先が滑り込む。皮を裂き、肉を絶ち、肋骨の隙間を通った刃は怪物の心臓を確実に破壊していた。
 霊核を破壊した。しかし、ヘラクレスは怪物狩りの英雄である。抜かりなく、するりと心臓から刃を抜き放つや、返す刃で首を刎ね飛ばした。

「アステリ、オス……!?」

 甲高い女神の悲鳴が上がる。

 自身を抱き止めた優しい怪物の首から、鮮血が噴水のように噴き出し、その血が女神の全身に降り掛かったのだ。
 自らの体を濡らす血に――否、アステリオスが殺された事の怒りに、女神は復讐者を睨む。

「ヘラクレス……!」
「――私をその名で呼ぶな」

 虫酸が走る、と。エウリュアレの怒りを遥かに上回る赫怒の視線が、その呼吸を止めさせる。体が硬直する女神の口を掌で抑え、そのまま掴み上げると、女神はその小さな手でアルケイデスの無骨な手を叩き、必死に逃れようとする。
 だがそんな事で逃れられるはずもない。アルケイデスは暫しその美貌を眺め、ポツリと呟いた。ゾッとするほど冷たく、酷薄な声音で。

「生きてさえいればいいのだったな」

 そしてアルケイデスはもう一方の腕を伸ばし、エウリュアレの華奢な脚を鷲掴みにすると。
 そのまま枯れ木のようにあっさりと、

 ――女神の脚をへし折った。

 掌に遮られ、くぐもった絶叫が、崩れ始めた迷宮の中に響き渡った。
















 アーサー王伝説の騎士王と、その反転存在。

 同じくアーサー王伝説から『鉄』のアグラヴェイン。
 別世界出身の間桐桜に宿った湖の騎士。
 そしてマシュの中にいる湖の騎士の実子にして世界最高の騎士である純潔。

 史実にその名を残す『万能の人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。

 イスラム教の伝承にある『暗殺教団』の歴代教主の一人、百貌のハサン。

 一世紀にて暴君と呼ばれた薔薇の皇帝ネロ・クラウディウス。

 ギリシャ神話のアルゴナウタイの一人、アルカディアの狩人アタランテ。

 ケルト神話アルスター・サイクル最強の戦士、光の御子クー・フーリン。

 無銘の弓兵と暗殺者、聖杯の嬰児。

 本物の魔法少女二人。

 そして古代イスラエルの伝説のソロモン王を宿したロマニ・アーキマン。



 漆黒の鎧姿の人がてきぱきと指示を周囲に出して、髑髏の面をした影達が機材を操作し、資材を運んだりしている。
 職員の人達もレイシフトの為のコフィンの最終メンテナンスを終え、レイシフト中の意味消失を防ぐ為にオペレーターとしてモニターの前に座っている。
 とにかく慌ただしく、ドクター・ロマン以外のサーヴァントもピリピリしていた。戦いの時が近いのだ。

「……」

 伝説上の英雄達。本物の戦闘を知る大人達。その直中にいる自分が凄く場違いに思える。皆が駆け回る中、ぽつんと立ち尽くす事しか出来ない。
 濃すぎる面子の中、一際異彩を放つ平行世界の魔法少女二人も、ただただ、ひたすら圧倒されていた。

「あ、あの! わたし達にも、何か手伝える事はありませんか!?」

 健気にもイリヤスフィールが近くの人に声を掛けた。それに、職員の女性は困ったように微笑む。足を止めたのは少しだけだった。
 気持ちは嬉しいけど、大人しくしてくれてるだけでいいからと相手にもされない。すぐに元の世界に帰れるように頑張るから、今はちょっとだけ待っててね、と。小学校の制服姿のイリヤは、ぎゅ、とスカートの裾を掴んで俯いた。

 少し離れた所には、士郎がいる。改造されたカルデア戦闘服の上に赤い外套を羽織って、左腕に赤い射籠手を着けてる。歴戦の戦士の風格があった。
 精悍な顔立ちを柔和に緩めて片膝をつき、桜の頭を撫でてあげていた。

「いい子にしてるんだぞ、桜」
「……わたしも行きたいです」
「駄目だ。これは大人の仕事だからな。子供はいい子で留守番をするのが仕事だぞ」
「わたしだって……マシュお姉ちゃんみたいに、戦えるもん」
「それでもだ。聞き分けてくれ。桜の気持ちは嬉しいが、遊びに行く訳でも、桜の面倒を見られるだけの余裕がある訳でもない」
「……」
「桜」
「……わかり、ました」

 士郎の有無を言わさない態度に俯いて、落ち込んだふうに桜を見かねたのか、白衣姿のロマニが手招きした。

「ロマニさん……」
「ほら、此処に座って。いいかい? ここで士郎くん達の戦いを見守ろう。無事に帰ってこれるようにお祈りしていれば、きっと大丈夫だから」

 ゆるふわな雰囲気は、こんな状況でも完全には消えてない。見るからに人見知りしそうな桜も素直にその傍に座った。

「ロマニさんは、行かないの?」

 手持ち無沙汰らしいロマニに桜が問い掛けると苦笑する。

「ああ、うん。ボクは事情があってね。光の御子や騎士王にも負けない力はあるんだけど、通常の特異点には出向けないんだ。で、指揮系統がごちゃごちゃにならないようにアグラヴェインに指揮は一任してる。雑務はハサンがやってくれてるし……ボクはカルデアで唯一の暇人なんだよね。お留守番部隊はボクや桜ちゃん、あとはイリヤちゃん、美遊ちゃんだ。せめて彼らを応援していよう。ね?」

 イリヤや美遊も呼んで、ロマニがそう慰める。美遊は、戦闘服姿の士郎を見ていた。懐かしそうな、悲しそうな瞳で。
 その士郎は、最後の事前ミーティングをしているようだった。緊張感はあっても、固くなり過ぎていない頼れる後ろ姿――リーダーシップの強い、縋ってしまいそうな存在感がある。
 その周りには戦闘班のサーヴァント達がいる。そして魔術礼装の制服を着たネロもいた。

「――カルデアのマスター二名による、初の同一特異点攻略が始まる。それにあたって俺の班をA班、ネロの班をB班と呼称するぞ。連絡はこの通信機で密に取り合う」

 全員が懐中時計型の通信機を持っていた。レイシフト先の特異点内でも独立して使えるもので、ダ・ヴィンチが作成したらしい。
 特異点にいるとカルデアとの通信が途切れる事が多々あった。なのでその対策がこれなのだ。

「ネロには新たにサーヴァントを一騎召喚して貰う予定だったが、第三特異点の座標を特定したとの報が入った故に一時中断した。特異点内で召喚を実行する。この新規サーヴァントによって、班員は変動する可能性はあるが、現段階でほぼ確定していると思ってもらっていい。じゃあ、班員を発表するぞ」

 A班、マスターの衛宮士郎。セイバーのアルトリア、ランサーのクー・フーリン、シールダーのマシュ、キャスターのアイリスフィール。

 B班、マスターのネロ・クラウディウス。セイバーのアルトリア・オルタ、アーチャーのエミヤシロウ、同じくアーチャーのアタランテ、そして新規サーヴァント。

 無銘のアサシンは斥候、偵察役故に、どちらの班にも属さず、遊撃。オルタとアルトリアを別けたのは、海に面したフィールドが予想される為、水面を走れる加護を持つ二人は固めない方が合理的だからだ。

「アッ君、もといアグラヴェイン。現状判明している特異点の情報は」

 水を向けられ、参謀のように士郎の隣に立つアッ君ことアグラヴェイン。彼はアッ君呼びを完全に無視して応じる。

「時代は西暦1573年。先程伝えた通り、見渡す限りの大海原へレイシフトする事になる。特異点を中心に地形の変化が認められており、どこに現れるかは現段階では不明だ」
「いつも通りという訳だ。いきなり海面に着水しても、各自慌てないように。泳げない者は落ち着いて、手近の者を頼れ」
「その海域には島が無数に点在しているのみ。原因の究明を急がねばなるまい。また特異点が完結し、人理焼却が完遂される予兆は今のところ観測されていない。これまでと異なり、比較的時間の猶予は期待できるだろう」
「第一にすべきなのは、海を渡れる船の手配だ。が、今のカルデアにそんなものはない。故に現地で調達する必要がある。アグラヴェイン、宛はあるか?」
「海賊の蔓延る時代だ。そこらの海賊船を奪ってしまえばいい」
「――という訳だ。俺達は海賊狩りも平行して行う可能性もある。無益な殺生は、人類史への影響を最小に留める為に基本は禁止する。無力化して捕虜にするぞ」

 士郎は冗談めかしているが、本気で言っている。

 それでミーティングは締めらしい。ムニエルが手を上げて合図を出してきた。士郎はそれに軽く応じ、手を叩いて各自に伝えた。

「さあレイシフト転送の準備が整ったようだぞ。コフィンに入れ。後の方針は現地で定める。それと、いきなり会敵するような事はまずないと思うが、もしもそうなれば先手必勝だ。臨戦態勢に入り、レイシフト後に俺が合図するまで警戒を解くな。以上」

 全員が、コフィンというポッドのような物に入っていく。直後、待っていたように放送が入った。

 ――アンサモンプログラム スタート

 量子変換を開始 します

 レイシフト開始まで後 3 2 1……全工程完了

 グランドオーダー 実証を 開始 します

 ――レイシフトが完了しA班とB班、そして遊撃一名の総勢十名が第三特異点に出現した。幸いにも海面にいきなり接する事はなかった。船の上である。
 幸先が極めていい、と普通なら思う所だが。
 士郎の指示通り臨戦態勢に入っていたサーヴァント達は、海賊船の只中に現れてしまっていた。

 それも、ただの(・・・)海賊船ではない。



「――ぅおっ!? 手前ら何(モン)だ!? むさい野郎は殺すとして、可愛い女の子が沢山――まさか拙者へのご褒美タイムですかな!? ヨッシャア! ならばならばぁ? これより強奪略奪の時間、即ちぃ、子供は寝る時間ですなァ! 」



 サーヴァントの船、即ち宝具の中にレイシフトしてしまったのである。

 なお。

「――マヂすんませんっした……!」

 サーヴァント『黒髭』は、マッハで制圧されたという。









 

 

掌の上だと気づいて士郎くん!




 嘗てヘラクレスが成した十二の功業。その三番目の試練として課されたのが、牝でありながら黄金の角を持つケリュネイアの牝鹿の捕獲である。
 ケリュネイアの牝鹿は、狩りと弓の腕に優れた女神アルテミスすら捕らえるのを諦めた聖獣だ。これをヘラクレスは、ケリュネイアの牝鹿を傷つけるのを禁じられた故に、一年もの間追い続けて漸く捕獲した。
 人理を阻む皮を持つ神獣、ネメアの獅子。ヒュドラ種の中でも特殊変異種である、宇宙一の猛毒を持つヒュドラ。双方に次ぐほどにヘラクレスが苦戦し、時を掛けた駿足の獣である。その速力はアルテミスのみならず、ヘラクレスすら正攻法による捕獲を諦めさせたほどだ。彼の駿足のアキレウスに勝るとも劣らぬ脚を持ち、その余りの速さ故になんら海に関する加護を持たぬ獣でありながら、水面を蹴って走行するのに支障を来さなかった。

 ――アルケイデスは宝具『十二の栄光(キングス・オーダー)』により、嘗て捩じ伏せた生前の試練から宝具を引き出せる。このケリュネイアの牝鹿もその一つである。

 アルケイデスは聖杯を奪取する為に黒髭を襲撃し、サーヴァントを三騎撃破した。この時代の星の開拓者フランシス・ドレイクには、船を損傷させ手傷を与えたものの、突然の嵐の中で帆を張り、空を飛ぶようにして逃げ出された故に取り逃がしたが――これを追う意義は見いだせなかった故に放置している。
 迷宮を踏破して、怪物を屠り、女神を捕獲した。島を巡り契約の箱(アーク)を探し求め、途中発見した狩人の霊基で現界していた月女神を屠った。潜んでいたアルカディアの狩人も、同じアルゴー船に召喚されていながら離脱した者故に処分した。

 まだ成果は上がらない。捕獲した際に重傷を与えた女神を連れ回し、苦痛に顔を歪めるのを眺める趣味は無かったが、代わりに気に掛ける事もしていなかったとはいえ――いい加減苦痛に呻く女神の存在が煩わしくなったアルケイデスである。彼は一旦船に戻り、女神を友人に預けるべく帰還する。
 アルゴー号の船長にして、此度の現界に際しての召喚主であるのは、アルケイデスの不肖の友人だ。名はイアソン、生前英雄以上の怪物であったアルケイデスを信頼し、友情を懐かせてくれた存在である。

 ――なるほど、君が『     』か。
 ――素晴らしい、羨ましい! 確かに噂通りの化け物だ!
 ――安心してほしい。私は君を優遇し、使ってみせる。
 ――私と……オレと共にいる間だけ、君は化け物じゃあなくなるよ。
 ――未来の王を護りし、大英雄だ。

 生前出会った時に掛けられた言葉を。アルケイデスは、その霊基が跡形もなく反転してしまった今でも思い返せる。
 余りにも強すぎ、余りにも超越していた故に。己は英雄ではなく、化け物なのではないかと苦悩した日がある。或いはこの言葉が無ければ、アルケイデスは英雄ではなく化け物になっていたかもしれないと、心底で思っていた。
 故にヘラクレス(アルケイデス)は、この友人だけは決して裏切らない。忠誠ではなく友情ゆえに。そして誰が貶そうとも、アルケイデスだけはイアソンを擁護する。彼を罵倒する事は、即ちこの身をも謗るに等しい故に。

「――イアソン、今戻った。女神の捕獲の任、確かに果たしたぞ」

 大海原を漂っていた英雄船に帰還し、ケリュネイアの牝鹿の背から飛び降りたアルケイデスは、アルゴー号の船上へと女神を放り出す。
 しかし返って来たのは沈黙である。なんらかの騒がしい労いと皮肉が飛んでくるものと思っていたが、それがない。怪訝そうに眉を顰め、アルケイデスはアルゴー船の船内を検分した。

「……留守にしているのか? あの男が」

 無人である。船を残して誰もいない。アルケイデスは慮外の事態に困惑した。
 あの男は無能ではない。想定外の事態に極めて弱いが、追い詰められれば真価を発揮する類いの英雄である。伝承とは異なり武勇は然程ではないが、容易く屠られる手合いではなかった。
 あのコルキスの王女もいる。敵に遭遇した、という訳ではないだろう。戦っていたのなら、船がそのまま残っている訳がなく、罷り間違って敗北していたなら船は残らない。このアルゴー船はイアソンの宝具故に。

 サーヴァントである。故に霊体化すれば、海の上だろうと移動は出来るが……。

「む、くっ……!」

 猿轡を噛ませ、腕が鬱血するほどにきつく両腕を縛り、脚を折ってある女神が憎悪を込めて呻くのを聞いて、一旦思考を中断する。
 その腹に軽く蹴りを入れて黙らせ、船の中に投げ入れる。無造作な所作だ。脱走の恐れはない、逃げられないように脚を折ってある。
 それでも想定外はあるだろう。念のため、アルケイデスは或るモノを取り出した。それは毒瓶である。矢の鏃に水滴一つ分浸し、更に海水で数十倍に希釈したそれを女神エウリュアレの脚に突き刺した。

「――ッッッ!?!?」

 言語にならぬ絶叫が上がった。神霊が、自らの不死を返上してでも死を希求する猛毒である。
 しかも折れている脚に毒が回り、此度の霊基では二度と立ち上がる事も叶わぬだろう。かなりの少量の毒ゆえに、即座に死ぬ事もない。脆弱とはいえ神格、半月は保つ。
 アルケイデスは直感していた。スキルによるものではなく、戦士や狩人としての直感である。半月もしない内に決着はつくだろう、という。

 そして女神は脆弱ゆえに発狂する。霊体化して逃げるという発想すら湧かない。湧いたところで実現は不可能なほど、この毒は女神を苦しめる。
 愉悦ではなく、そうした方が万全という冷徹な判断があった。アルケイデスは暫しの間イアソンの帰還を待つ。

「――」

 しかし天高く在った太陽が地平線に失せ、再び昇り始めるまで待ってもイアソンは戻ってこない。アルケイデスは舌打ちした。何をしている、あの戯けは、と。またぞろコルキスの王女に唆されたか。
 アルケイデスはあの王女を疎んでいた。毛嫌いする王族だからというのもあるが、あの女も遡れば神に属するルーツを持つ。アルゴー号の動力源にされてさえいなければ捻り潰していた。
 何より嫌っていたのは、イアソンを操っているような雰囲気を感じ取ったからである。奸物だと見抜いた故に――友人を操る魔女を機会があれば殺してしまおうと思っていた。

 幾ら待っても帰ってこないなら、いるだけ無駄である。アルケイデスは船を出て、自発的に契約の箱の所有者ダビデを探す事にする。
 アルケイデスが女神の捕獲に出る前、トロイアのヘクトールが聖杯を持ち帰ったが、それ以来姿を見せていない。あの男は何をしているのか。
 あれほどの男、そう簡単に斃れはしないだろうが――もしもは有り得る。カルデアが人理修復の為に現れ、あの男と交戦して撃破するというのは想定される事態だ。

 味方として恃める人格と実力である。戦っているなら援護を、アルケイデスが先にカルデアと遭遇したならこれを撃滅するのもやむを得まい。
 アルケイデスとしてはカルデアに悪印象はないが、生憎と敵対する定めである。敵であるならば是非もない。復讐者は己の目的の為に、友人の理想の為に弓を執るだろう。

 ――しかし、その前に。

「……星の開拓者を見逃したのは、失敗だったやも知れんな」

 あれほどの離れ業を、幸運にも果たしてのけた女だ。人間であり、今を生きる者故に見逃したが――後になってそれは失敗だった可能性を考えてしまう。
 アルケイデスは人間を舐めていない。残滓程度だが僅かな英霊としての意識がフランシス・ドレイクを見逃させたが、後顧の憂いになり得ると舐めていないが故に思い直した。

「再度出会う事があれば、屠っておくとしよう」

 そう一人ごち、アルケイデスはらしくもなく苦笑する。
 独り言が多い己を嗤ったのだ。まるでイアソンに会えなかったのが悔しかったかのようではないか。

 ちくりと喉を刺す、小魚の骨のような違和感を感じながらも、アルケイデスはケリュネイアの牝鹿に騎乗して船を出た。
 目標の一つに、フランシス・ドレイクの殺害を加えて。
 











 早まったかと頭を抱えるも後の祭り。後悔先に立たず、覆水は盆に返らない。悪党を縛る契約の儀は、そのまま自縄自縛の態を成していた。

「――デュフフwww よもやあの騎士王が斯様に可憐な乙女であったとは、この海の黒髭の目を以てしても見抜けなんだwww あ、握手してください一生洗いませぬ故!」
「……」
「無視! 完璧な無視! くぅ~www 少女的な美貌とも合わさって拙者、不覚にもときめいてしまいましたぞ! 性別を隠して王になる……デュフフ、ブリテンは未来に生きておりますな! あ。アーサー王は未来に甦る王……なるほどこれはしたり。『未来に生きている』の語源は此処にあったのでござるなぁ……後世に生きた者として感慨もひとしお……ところで拙者、潮風に乗って漂ってくるフローラルな香りで絶頂よろしいか?」

「――むぅ! お主も騎士王ですと!? 同一人物の別側面が同時に存在する……それなんてエロゲ? 現実は二次元だった……? 病的に白い肌にくすんだ金髪、拙者知っておりますぞこれは闇落ち! あの闇落ちですな! むはー! 堪らんとです!」
「死ね」
「オウフwww いわゆるストレートな罵倒キタコレですなwww おっとっとwww 拙者『キタコレ』などとついネット用語がwww まあ拙者の場合死ねと言われて死ぬ潔さは持ち合わせぬ身www 拙者これでもアーサー王伝説は好きなんですぞwww しかし好きとは言っても、いわゆるアーサー王物語としてのアーサーでなく、文学作品として見ているちょっと変わり者ですのでwww ジェフリー・オブ・モンマスの影響がですねドプフォwww ついマニアックな知識が出てしまいましたいや失敬失敬www まあ燃えのメタファーとしてのマーリンは純粋によく書けてるなと賞賛できますがwww 拙者みたいに一歩引いた見方をするとですねwww ポストキリストのメタファーと商業主義のキッチュさを引き継いだキャラとしてのですねwww ボーマンと言われたガレス卿の文学性はですねwww フォカヌポウwww 拙者これではまるでオタクみたいwww 拙者はオタクではござらんのでwww コポォ」
「死ね」

「なんと! ローマ皇帝ネロが女性?! っておんなじリアクション使い回して申し訳ないwww でもどことなく騎士王と容姿が似通っていらっしゃるから是非もしwww!」
「……お主、なかなか個性的よな……」
「オブラートに包まれたwww その優しさに全黒髭が泣くwww そう拙者は没個性な英霊界の革命児www ぶっちゃけ拙者とか青髭辺りが英霊として存在してる辺り英霊界マジ魔境www そこんとこ人理バグってんじゃないのとマジレスしちゃう黒髭氏なのであった、まる」
「う、うむ……お主が言うと説得力が違うな」
「このオブラートに包みきれぬ毒であるwww これまたぶっちゃけちゃうと、カルデアは人理修復の前にそっちに修正ペンを走らせるべきなのではwww? おっとっとwww つい真理を的確に突いてしまったwww そして没個性な英霊界とは申しましたが、この黒髭よりも個性溢れる方がいそうな辺り英霊界マジ魔境www 大事な事だから二度言ったwww ところで薔薇の皇帝陛下、自分、見逝きよろしいか?」
「……しぇ、シェロ! 助けよ! 余にはこの者の相手は無理だ! 怖い!」

「アルカディアの狩人! ほうwww ほうほうほうwww アタランテの矢はあたらんて……おぅふ名前ネタという最低なギャグに拙者を見る目が虫を見るようにwww それはそれとして実に、実に見事な獣耳! 自分、けものフレンズの紳士ゆえwww そういうのにも目がござらぬのですwww モフッて宜しいかwww?」
「近寄るな。汝は不愉快だ」
「『汝』! なんと古風な……野性的でありながら気品のある佇まい……これは萌える! どことなく孤高でありながら柔らかな物腰……さてはお主、子供好きでござるな? ドゥフwww 実は拙者も子供と遊ぶのは好きだったりするのでござるwww 萌え萌えキュンwww この胸に燻るこの気持ち……まさか恋? 自分、惚れてよろしいか?」
「……」

「なんと無垢で穢れなきお瞳……一見BBAであると敬遠する所を、この黒髭の眼は騙されない! 生後十年に満たぬと見た! 拙者の守備範囲ですぞプリンセス・アイリスフィール! 大事なのは外見ではなくその心……お主とならプラトニックな純愛を育めそうな気がしますぞ!」
「ご、ごめんなさい、その、あなたにもきっと素敵な方が見つかるわよ? たぶん……」
「ドゥフフwww 語尾に隠しきれぬ自信のなさが素直さを表してござるwww ときめきが抑えられないwww 結婚したいwww 拙者の生前にお主のような女性にお目にかかれなかったのが真剣に悔しい……」
「そ、そう……」

「そこの可憐な白百合の如き少女! 名前を聞かせるでござる! さもないと――今日は拙者、眠る時にキミの夢を見ちゃうゾ♪」
「マシュ・キリエライトですッッッ!」
「マシュちゃんかぁ。うん、端的に言って拙者と結婚を前提にお付き合――どぅわッ!?」

「そこまでにしておけよ黒髭……」

 頭痛が痛いという重複表現をしてしまう。俺はこめかみを揉みながら、黒髭目掛けて莫耶を投げつける。黒髭は態とらしく大袈裟に身を避けたが当てる気はなかった。
 投影を解除せず、腰に差してあった干将に引き寄せられて戻ってきた莫耶を掴み取り鞘に納め、白けた眼を黒髭に向ける。すると黒髭は極めて真剣な男の表情になる。真顔という奴だ。
 そうするとまさに大海賊といった風貌になる。火遊び好きな女なら簡単に釣れるだろう、危険さを孕んだ面構えだ。やおら重々しく口を開いたかと思えば、俺に対して確信と嫉妬を込めて見詰めてきた。

「……マスター氏」
「その『氏』とか言うのやめろ」
「お主、彼女達人類史の宝と、ただならぬ関係でござるな?」
「は?」
「いや隠さないでよろしいでござるよ。拙者には分かる。見たところ五段階評価中、騎士王のお二方、マシュ殿は五。ネロ陛下とアイリスフィール殿が四、アタランテ殿が四に近い三といった所。エロゲ主人公の親友ポジに不可欠な好感度スカウターが示すこの数値は、全員がヒロインに成り得るという恐るべき現実を示唆しているでござる」
「……はぁ?」

 真剣な顔をして何を言うかと思えば、何を寝言垂れてんだ……。
 だがあながち的外れでもない辺りが恐ろしい。アルトリア達とマシュはそんな感じだろう。いやマシュのそれは恋愛感情に結び付く好意ではないはずだし、ネロは友人だ。アタランテにいたっては接点は余りない。的外れではないが、ちょっと明後日の方にある的を射抜いてる。
 しかし、恐れるべきはそこではない。

「なんで初対面の連中の事でそんなに断言出来るんだか……」

 極短いやり取りとも言えないやり取りで、そこまで感情を見抜けるのは空恐ろしさを覚える。
 要点は、人の感情を見抜く眼力である。そのふざけた言動の裏にある鋭さは、接する時間が長ずれば人心掌握も簡単にしてしまえるものだ。本人の気質的に本人の望む純愛には使えなさそうなのには目を瞑るとして。

 黒髭は割と真剣に答えた。

「見る者が見ればすぐ分かりますぞ。というよりこれは拙者が鋭いのではなく、マスター氏の存在感? みたいなもののせいですな」
「俺?」
「デュフフ、彼女達は明らかにマスター氏をリーダーとして信頼しているでござる。絆レベルで言えば五は超えてますな。アタランテ殿は四かな? けども他の面子は五を壁とすると十に近いか、八か七といった感じでござる」

 限界超えてるんだが。

「その好意と信頼、拙者の船を制圧した時の雰囲気に、マスター氏自身の采配、切れ者の雰囲気、歴戦の戦士の風格、そしてイケメン。あふれでるリア充の波動をこの黒髭が見間違う訳がござらぬでコポォwww」
「……言うほど整った顔立ちでもないはずだが」
「充分整ってござろうが! 謝れ! 拙者や拙者の同胞らに謝れ!」
「す、すまん……」
「それに男は雰囲気も大事でござるよ? あ、話しやすい……気になる……頼れる……頼りたい……そんなふうに相手に思わせられる、これは大事な、そう大事なポイント。幾らか顔面偏差値が低くとも、そこさえ持てれば異性の眼を引くは必定! ところでマスター氏、一つ折り入って相談が」
「……なんだ」

「拙者を! 弟子にしてくだちぃドゥフwww」

 なんの弟子だ。それから頼むんなら真面目に言えと伝えたい。

「断る」
「そこをなんとか! 拙者もマスター氏のように心の綺麗な美女美少女に慕われたいでござぁ!」
「まずはそのふざけた言動をやめろ。話はそれからだ」
「なん……だと……?」

 愕然とする黒髭である。なんでだ、普通の事を言っただけなのだが。

「拙者の英霊としてのアイデンティティーを捨てろと……?」
「そんなアイデンティティーは捨ててしまえ」
「後生でござる! 今のままの、ありのままの黒髭を弟子にして欲しいでござるぅ!」
「無理」
「やはり格好でござるか? ブルマを穿けと?」
「お前が穿いたら控えめに言って地獄絵図だぞ」
「そんなぁぁああ――あ? おっとマスター氏、島が見えてきましたぞ」

 黒髭が馬鹿騒ぎを起こしていると、漸く仮の目的地が見えてきた。流石に宝具、航海速度は大したものである。
 黒髭曰く、敵は真名不明。しかし最低でもヘクトールと件の弓兵が敵である。故に俺は戦力は多いに越した事はないと判断し、他に現地にカウンターとして召喚されたサーヴァントの生き残りがいないか探す事にしたのだ。

 その最初の一歩がこの無人島。敵の目的やら何やらが不明な為、まずは敵の戦略目標を知らない事にははじまらない。
 しかしなんだ、ドッと疲れた。この黒髭劇場を封じる為に、女性陣とは隔離して、野郎で周りを固める他ないと判断する。

 ――しかし、なんだろうか。

 俺はなんとなく嫌な感じがした。カルデアが後手に回るのは仕方がないにしても……何か、特定の道を歩まされてるような……誘導されているような感じがする。
 そうと断じるには判断材料に乏しい。何故そう感じるのかを、これから見定めていくしかない。言えるのは、少なくとも黒髭がこちらを陥れようとはしていない事。少なくとも今は。

 ――戦争は、将棋みたいなものだ。

 個人の戦いではなく、戦略を練るなら将棋みたいなもの。俺は姿の見えない指し手と対局しているように思える。
 第一特異点を速攻で片付けてからだ。第二特異点の始まりから、連鎖した変異特異点。大局的に見て、この第三特異点でも同様の打ち筋を朧気に感じられる。
 弟子にぃ、何卒弟子にぃ! と脚に縋りついてくる大男を足蹴にしながら、近づいていく無人の島を見る。

 何はともあれ、これからだ。この特異点にも魔神柱はいるのだろう。その気配を辿れば、必ず狙いも見えてくる。第二特異点でこちらの偵察を、変異特異点で時間を稼いだような……合理的な打ち筋だ。ならやり易い。合理的な打ち手なら確実にその道筋を辿れる。その思考の癖さえ掴んでしまえば後は簡単だ。だが今は――時間は敵である。前も、今も。

「……」

 敵の掌の上から脱せるのは、いつになるのか。今も敵の思惑通りの状況なのか。
 その敵は、この特異点にはいない。少なくとも俺がその『敵』ならいないだろう。そして合理的な思考を持つ魔術師なら――

 第二特異点で偵察。
 変異特異点で時間稼ぎ。
 三番目の打ち手は……。

「――実験(・・)、か?」

 その呟きは、海賊船の掻き分ける潮騒に紛れて消えた。











 

 

「その一撃は」




 到達した小さな島、切り立った山の隙間に海賊船が錨を打って、岸壁に停泊しているのを発見する。黒髭が言った。これはフランシス・ドレイクの船であると。
 宝具でもなんでもない、極普通の船だ。神秘性の欠片もない。その海賊船は損傷が激しく、次の航海にはとても耐えられそうもなかった。だが、逆に言えばそれだけであるのも事実。黒髭は骨太な笑みを浮かべて呟いていた。――流石は俺の憧れた星の開拓者……あの化けモンから、たったこれだけの被害で逃げ延びるとは、と。

 士郎は迷った。この時代の、生身の人間であるドレイクと接触してもいいのだろうか、と。挙げ句巻き込んでしまって、死なせでもしたなら被害は馬鹿にならない。ある意味この時代の主役とも言えるドレイクだ、もし死なせでもしたら人理定礎の不安定な特異点にどんな影響が出るか分かったものではない。
 その懸念を黒髭は笑い飛ばした。舐めるなよ、カルデアのマスター。そんな道理、捩じ伏せたからこそのフランシス・ドレイクだ。どこの馬の骨かも分からないサーヴァントを味方にするより、生身のドレイクを味方に付けたほうが万倍心強ぇだろうが。
 これに士郎は当惑した。というのも近代の英雄や偉人は、所詮普通の人間に過ぎない。英霊となりサーヴァントとして召喚されてはじめて戦力となるのが魔術世界の戦いだ。確かにサーヴァントの襲撃から逃げ(おお)せたのは見事だ、しかし神秘を内包しない人間にサーヴァントの相手は不可能なのである。

 間違えてはならない。神代の英雄は生身の時の方がサーヴァント時より遥かに強いが、近代の英雄はサーヴァントになった時の方が遥かに強いのだ。

 そういえばその生身の神代の魔女を、サーヴァントであるクー・フーリンが斃したのを思い出してしまう。渋い顔をしてその時の事を士郎が問うと、クー・フーリンは笑った。力の差を覆し、不可能を可能にしてこその英雄だぜ、と。それに師匠は死にたがっていたからな、心で勝っていればどうとでもなる。件の海賊もその口だろうさ。心配しなくても充分に立ち回れると思うぜ。
 信頼する槍兵の言に、なるほどと士郎は一応納得する。人理焼却に対するカウンターのサーヴァントを探して来たのに、生身の人間を見つけた時はどうしたものかと悩んだが、直接会って話した方がいいか。

 斯くして小島を探索する。といっても、索敵に優れたクー・フーリンとアタランテ、赤いフードで顔を隠した切嗣がいる。ドレイクとその部下を発見するのに然したる時間は掛からなかった。
 三方に別れて斥候に出て、まずドレイクを発見したのはアタランテだった。

『重傷者多数。件のフランシス・ドレイクと思われる「女」は、右腕を骨折して左目を失明してるようだ。命に別状はないが、他の海賊の中には死に瀕している者もいる』

 女だと? と反応したのは最初のみ。続いた報告に士郎達は顔を険しくさせ、アタランテの案内でドレイクらの元へ急行した。
 海賊達は突然姿を現した士郎達に驚愕しつつ、即座に臨戦態勢に入った。全員が大なり小なり負傷している。それでも戦意を失わず、咄嗟に上座に背を預け、こちらを見据える女海賊を守るように身構えていた。
 黒髭を見るなり敵意を露にする。士郎にとっては意味はないが、腰のベルトに吊るしていた干将莫耶を彼らの前方に投げ捨てた。敵意はないと手振りで示す。黒髭は俺達が制圧し、傘下に加えている。故にこの男もお前達の敵ではないと、流暢な英語で語り掛けた。

 音声の同時翻訳はカルデアの技術で可能だが、敢えてこの時はそれをしない。海賊達はそれでも武器を下ろさなかった。
 テメェら何モンだ! 荒い語調の誰何には、追い詰められた手負いの獣じみた凄みがある。しかしそんな彼らに、右腕に添え木をした女傑が言った。その左目は濁っている。

「やめな。今のアタシらが事を構えたって、いいように料理されるのが関の山さね。大体殺す気で来たんなら、今のアタシらは隙だらけ、奇襲一発で昇天しちまう。それに――見たところかなりの戦士揃いだ、そんな道理弁えてんだろう?」

 格好もキテレツで時代錯誤な連中もいる。大方アンタらも、あの化けモンとおんなじ感じの奴らに決まってるよ。

 不意の出会いにも関わらず、曇りを知らないドレイクの慧眼に士郎は確信する。なるほど傑物だと。士郎は代表して(・・・・)名乗った。カルデアの者だ、と。時計塔の天文科のロード、アニムスフィア家は十六世紀でも活動していた。
 海賊は職業柄、天文とは切っても切れない。アニムスフィアは知らずとも、カルデアについては知っていよう。案の定、ドレイクは顔を顰めた。

「カルデアぁ? 星見屋が何の用だい? 新しい星図でも売りつけにきたとか?」

 そんな訳がないだろうと苦笑する。ただの星見屋が、こんな戦力を連れてる訳がない。ドレイクもただの冗談だったのだろう、鼻で笑った。
 士郎達は軽く自己紹介をし、自分達の事情を語る。荒唐無稽だろう、しかし実際にサーヴァントと交戦している彼女は容易く信じた。人間を超えた存在を、文字通り痛いほど痛感している。

「で、そんなアホらしいほどデカイ話を持ってきて、アタシに何をして欲しいんだい?」

 戦力は少しでも多いに越した事はない。あんた達の協力が欲しい。士郎がそう言うと海賊相手にただで働けってのかい、とドレイクは失笑する。

『――マスター』

 頃合いを見計らっていたのか不意に鋼鉄の声が響く。カルデアの管制室からの通信、アグラヴェインだ。何処からともなく届いた声に、海賊達とドレイクを眼を見開いた。
 なんだ、と応じる士郎に、鉄の宰相は言う。

『聖杯の反応がある。その海賊フランシス・ドレイクからだ。間違いなく聖杯を所有しているぞ』

 驚愕に値する情報に、士郎達は厳しい眼をドレイクに向けた。聖杯を持ってるのか? と。
 ドレイクはなんのこっちゃと惚け、しかしすぐに思い至ったのか懐から黄金の杯を取り出した。ああこれか、と。どうやら彼女は、この特異点の聖杯ではなく、この時代にあった聖杯を手に入れていたらしい。なんでも復活したポセイドンを、海の神を名乗る気に食わない奴らという事で、アトランティスごと海の底に沈めたらしい。
 は? と珍しく士郎は呆気に取られる。カルデアやら人理焼却やらよりも、余程のオカルトだった。人間が……神霊を下して聖杯を奪っただと? なんだそれはふざけてるのか神霊仕事しろ。

 だがまあ、聖杯はドレイクのものだと納得するしかない。それに特異点化の原因となる物ではないのなら、カルデアが無理に回収する必要はないと言えた。まあ貰えるなら貰うが。

「だぁから、このアタシがただでお宝を譲る訳ないだろう? 一昨日来な」
「……ふむ。では物々交換ならどうだ」
「交換? このお宝に釣り合うのかい」
「さあ。それはお前が決める事だ」
「『お前』ね、このアタシに向けて。それに対等にお宝を取引しようたぁ……ハッ、大した胆力だねぇ」

 からからと愉快そうに笑うドレイクが、試すように言う。じゃあ見せてもらおうじゃないか、アンタの言うこの杯に見合う宝って奴を――

 士郎は時代背景などを思い返し、暫し沈思するとマシュに向けて言った。携帯している調味料を出してくれるか、と。
 マシュの楯の裏には、小さな隙間がある。そこには士郎が野戦料理をする際に用いる小道具が格納されたりしている。武器を格納したりするのがいいのだろうが、生憎とそれは間に合っている故に香辛料を入れているのだ。
 と、楯の隙間から顔を出したのは、毛むくじゃらな小動物だった。フォウである。付いてきていたのか、と驚く士郎とマシュに、フォウは口に加えていた瓶を渡してきた。

「……まあいいか。ほら、あんたにとって、この上ない宝をくれてやる」
「……、……なんだい、これ」

 海賊が絶叫している。ドレイクは目の焦点が合わなくなっていた。

「胡椒だ。瓶一杯の」
「――……は、胡椒……? マジでぇぇええ!?」

 ドレイクは絶叫して瓶を取り落とし、驚愕の余り失神した。元々の疲労もあったのだろう。うわああああ! と海賊達も慌てふためいていた。
 この十六世紀のヨーロッパでは、胡椒は極めて重宝された香辛料である。同質量の黄金にも勝る価値があった。
 士郎は苦笑し、白いキャスターに向けて言う。

「アイリさん、すまないが彼らを治してやってくれるか。流石に重傷者達をほっとくのも寝覚めが悪いし、ドレイクは重要な存在だ」
「うふふ、そんなとってつけた理由は要らないわよ? 助けたいだけって言えばいいのに」
「……アイリさん。そういうのはいいから」

 顔を顰めながら士郎は手を振る。微笑ましげな周囲の目から逃れるように眼を逸らし、

 そして。











 ――………。

 元より推測は立てられていた。この時代この海域の地形を知悉している訳ではないが、島の配置や気候の変化などの条件が不自然なものであるとは感じていたのだ。
 学問として理解しているのではない。豊かな自然と共に生きた人生の経験故に、あからさまなまでに道理の通らない気象の変化が、超常的なものが関わっているが故の物なのだと推理出来た。
 まず言えるのは、これが神霊の権能ではないという点。この時代に神霊が現界、復活したとしても全盛期の力など望むべくもないだろう。例えば神霊ポセイドンなどが現れたとしても、ただの人間如きに敗れる可能性も小数点以下の確率で有り得てしまうのだ。本来なら不可能を不可能のまま踏破する星の開拓者だったとしても、覆せない力があったとしても――神秘の薄れたこの時代に現れた時点で、神代ほどの力など望むべくもない。
 故にこれは、聖杯によるものではないかと推察する。特異点化の原因である聖杯はこちらが確保しているのだから、出所の異なる聖杯があるのだろう。まあそれはいい。

 島から島を探索し、そうして幾つか目の小島にやって来る。そして見つけた。あの女海賊の船である。

 相当の痛手を被っているらしい。それもそうだろう、かなり損傷させた船で成した荒業の後だ。船員も、船長も手傷を負っていると見ていい。
 しかし、鋭敏に感知する。サーヴァントの気配だ。どうやらほぼ同じタイミングでやって来ているらしいが――サーヴァントの数が多い。隠れ潜んで気配を殺し目視する。その中に一度は屠った狩人の姿があるのに眼を見開く。

 別口で召喚されたのだろう。あれは霊核を確実に破壊したのだから。となると、こちらの存在が露見している可能性はない。
 しかし隙がなかった。三騎ほど強力なサーヴァントがいる。下手に仕掛ける賭けはまだ犯せないだろう。同じ顔立ちの少女騎士……いや待て、あれは記憶にある。――そうだ、反転する前の己の記憶だ。冬木、だったか。あの時は狂化していたとはいえ、朧気に覚えている。

 あのセイバーが、二騎。あの黒い剣士は同一存在の別側面か。そしてあの槍兵。神性を持つ忌々しい英霊は――冬木の時とは桁外れの力を感じてしまう。ともすると、一騎討ちでも相当苦戦するだろう。
 それとは別に、冬木での赤い弓兵もいる。生身の人間、マスターらしき男は弓兵と同じ顔だが、子孫か何かなのだろうか。あの男もかなりの戦上手である。力量は蹴散らせる程度だが、後衛に回られると厄介だ。

 奇縁だ。冬木の面々の顔を見るのも。己がそれを記憶していたのも。

 一時撤退も視野に入れる。しかしまだ気づかれてはいない。暫し追跡しつつ観察していると、例の人間の女海賊と遭遇したようだ。

 白髪の男が代表して(・・・・)話し始める。

 ――あの男が指揮官か(・・・・・・・・)

 生身の人間は他に金髪の女がいる。そちらの存在感も図抜けているが、男を信頼し代表を任せているのだ、間違いあるまい。
 そして白いキャスターが、宝具を起動する。すると、重傷者達がたちどころに快癒していくではないか。回復系の宝具……厄介極まる。回復させる刹那、微かな隙を見いだす。今の機会を活かさない理由はない。

 アルケイデスは、毒瓶に九本の鏃を浸ける。そして狙いを定め――

 偶然か。白髪の男と目が合った。だが遅い、間に合わない。真名を唱えた。



 ――『「射殺す百頭(ナインライブズ)」』



「『熾天覆う七つの円環(ロォォオ・アイアァス)』――ッッッ!!」

 絶叫だった。余りに咄嗟で、形振り構わず展開された紅色の楯は三枚。一枚が己、他二枚がアイリスフィールを包む。
 その直前アルトリアが直感に弾き飛ばされたように動いていた。一瞬遅れてオルタも即応する。だが彼女達の力を知っていたが故に、解き放たれた竜の首を象る九条の矢箭の内、四本が彼女達の足止めに割かれる。遮二無二に迎撃するも、アルトリア達は吹き飛ばされた。

 五条の矢箭。その内の二本が瞬間的に危機を察知した槍兵の迎撃に止まる。十八のルーンの防壁だった。残るは三条、その一条が白髪の男を。二条が白いキャスターを狙う。紅色の楯は一瞬しか保たなかった。だが――その一瞬であらゆる覚悟を固めるには充分だった。

 男は残る四枚の花弁を纏い、白い女を突き飛ばす。だが急造故に強度が足りない。威力を減衰させる事は出来たが、人体を貫通しない程度に威力を残した矢が虚空を駆けた。

 故に必然。その身に三条の矢箭が――ヒュドラの毒の浸かった鏃が、男へと突き刺さった。



「がぁアァああアアア――ッッッ!?!?!?!」



 左腕が飛び、右脚が四散し、腹部に大穴を空けて。体が腐蝕していく――

 目標の片割れは逃したが、ともあれ。

 奇襲、成れり。






 

 

何度でも蘇る士郎くん!






「がぁアァああアアア――ッッッ!?!?!?!」

 解き放たれた矢箭の殺傷能力は、確かに限界まで減退させた。例え肉体に直撃を受けたとしてもその鏃は浅く突き立つ程度だろう。
 だが士郎の受けた矢箭は、毒が塗られていた。それも只の毒などではない。最古の毒殺者セミラミスなどが召喚を可能とするヒュドラ、そのヒュドラを超える毒牙を持つ大毒蛇バシュムとすら、到底比較にならぬ真のヒュドラの神毒である。
 ギリシャ神話最強最大の怪物神テュポーンと、ガイアとタルタロスの娘エキドナの間に生まれた――謂わばギリシャの怪物の中で云う処のヘラクレスに相当する存在である本物のヒュドラだ。後世で雑多に見られる雑種蛇とは比較にもならない惑星最強の猛毒は、士郎の持つあらゆる耐性を貫通する。

 英霊ギャラハッドの霊基と楯を持つマシュ・キリエライトと契約している事で、マシュ自身の無意識が彼に割いた多大な状態異常への耐性。士郎がその身に内包する『全て遠き理想郷』の自浄作用。抑止力の端末による、人類の枠組みに於ける最高の生命力――それらをいとも容易く宇宙最悪の神毒は貫いたのだ。
 元より『全て遠き理想郷』は不死性こそ所有者に与えはするが、その苦痛を和らげる訳ではない上に、士郎は聖剣の鞘の全能を発揮できる資質を持ち得ず、老化の停滞や不死に近い生命力を獲得するに留まっている。故に不死身ではない。
 暗殺教団の歴代教主の一人、静謐のハサンの毒すら歯牙にも掛けぬ世界最高の騎士の恩恵も無敵ではない。聖剣の鞘と抑止力の後押しにより死にはしないだろう、しかし――今こそ知るがいい。

 彼の神毒は不死の存在をこそ最も苛む激痛の極致。

 命を奪う程度の毒は生温い。其は心を蝕み魂を腐蝕させる、現行神話、人理史上に於ける窮極の一である。不死の神をも死に追いやり、神々と対等に戦った恐るべき巨人族をも多数屠った魔法の域の毒素は伊達ではない。
 毒矢の被弾箇所は三。腹部、左腕、右脚。着弾した箇所の骨肉は腐敗して、腕は鏃が刺さった程度の微かな衝撃で飛び落ちた。脚は体重を支えられずに崩れ、腹部は溶けた。
 しかし死なない。死なないが、必然的にその明瞭な意識野が白熱する。焼き切れる。

「ギぃィいイイイァああああ――ッッッ!?!?!」

 ――痛死熱圧狂痛寒楽苦死死死死死死――

 冬木の聖杯の泥に呑まれたのとも比較にならぬ絶望と激痛の嵐。神経が焼き切れ理性が蒸発し本能が死を求め肉体が死に蘇生され理性が溶け本能が死に肉体が狂乱し蘇生され死に蘇生され魂が砕け散り修繕され死んで蘇生され――刹那に体感した死と復活は百では足らぬ、千では利かぬ、万で足先に届いたか否か。
 地面をのたうち回り、呼吸すら行えず、その場で陸に打ち上げられた魚の様に痙攣し、口から泡を吹き血を全身の穴から吹き出す。眼球がぐるりぐるりと眼窩を回った。ぴくりとも動かぬようになるのに二秒も掛からなかった。

「ッッッ!! 指揮を引き継ぐ! 余の声に従え英霊達よ!」

 あの、鋼のような男の姿が、跡形もない。絶句してしまうのを無理矢理嚥下し、薔薇の皇帝だったネロが吼える。

「ランサー、セイバー、オルタ、アーチャー、アタランテは狙撃手に仕掛けよ! アサシンはキャスターを護衛し、キャスターはシェロの治療だ! 急げ!」

 マシュは――とネロは盾兵のデミ・サーヴァントに指示を出そうとして唇をきつく噛み締める。
 士郎が。この男が、余りにも優れていたが故の弊害が出ていた。心の拠り所になれ、信頼出来、縋れる存在。依存していた。頼りきってきた。そして盲信していた。彼がいれば大丈夫、彼がいたら絶対に勝てる、彼は絶対に死なない。
 それは戦いを恐れる極普通の少女だったマシュの、極々普通の帰結だった。信頼し、盲信し、依存していた、心の拠り所にして最も慕っていた存在が死すら生温い責め苦に晒されているのだ。縋りつき、その体を揺する。少女の悲痛な叫びが響き渡った。

「先輩!? 先輩! へ、返事をしてください、先輩――!?」

 生身の人間である海賊らは立ち尽くす事しか出来ない。

 涙に濡れた顔で少女は錯乱していた。
 士郎はぴくりとも反応せず、見開かれた双眸の中を眼球が暴れ、今に飛び出ようとしている。止めどなく出血し、血の泡を吹き、時折り激しく痙攣していた。
 ネロは素早くマシュの許に駆け寄り、その腕を取って無理矢理立たせると、手加減もなく頬を平手で張った。厳しく、凄まじい怒気と威厳を発しながら言い聞かせる。

「聞け! マシュ・キリエライト!」
「ひっ、」
「そなたはシェロの楯であろう!? よいか、是が非でもシェロを守護せよ! 死守するのだ! キャスターが治療している間、アサシンとそなたで守り切れ! 今! シェロの命はそなたの力に掛かっていると肝に銘じよ! よいな!?」

 士郎の命が自分に掛かっている――それに、マシュの瞳に理性が戻った。気力は戻らずとも、その意思が整う。はいっ! 涙を拭って無理矢理に楯を構えたマシュは鉄壁の城塞として身構えた。
 その背に護るべき人を。そしてその大切な人を治してくれるはずの女性を。赤いフードの暗殺者はそれを見て、冷徹に最善の位置を取る。正面は盾兵が守る、ならば暗殺者は他の襲撃があっても対応できるように距離を置いた。

「開け、天の杯!」

 聖杯の嬰児が宝具を開帳する。自身を庇ったが為に斃れた平行世界の義理の息子を救わんと。

「『白き聖杯よ、謳え(ソング・オブ・グレイル)』――!」

 愛と母性が聖杯と結び付き、真摯にして清らかなる祈りを一時的に叶える。願望器としての機能ではなく、あくまで彼女の存在が昇華されたものがその宝具の正体だ。
 その効果は対象や周囲を回復し、バッドステータスや持続ダメージの類を解除する、治癒という概念の極限である。霊核の欠片でも残っていれば戦闘不能状態となったサーヴァントの復活も可能であり、それを単一の個に力を集中させればヒュドラ毒すら例外なく浄化する。
 本来のヒュドラ毒ならそれも不可能だった。だがその毒はサーヴァントの宝具と化していた故に効果は激減している。だからこそ治せた。

 だがその意識が復活する事はなかった。刻まれた衝撃は魂をも全損させている。それを治した所で、一度壊れたという事実が消えた訳ではないのである。
 アイリスフィールは、ひゅ、と掠れた吐息を溢し、士郎を抱き締めた。

「――――」

 槍兵が馳せる。深紅のマントや宝石などの装飾を剥ぎ捨て、竜胆色の戦装束のみを纏った姿で。
 真紅の呪槍が担い手の秘めた激情に呼応して脈動していた。担い手の双眸は据わっている。滾る殺意と憤怒に空間が歪んで見えるほどだ。音を置き去りに、残像を残し、空気の壁を突破して光に手が届くか否かの神速で走る。
 マスターの状態を、パスで繋がるが故に感じていた。白い光が煌めいたのを背中に感じても、最悪の結末が脳裡を過ったのを拭えない。

 最高のマスターだ。実力、人格、環境。そんなものは関係がない。何故なら既に、生前を通して得られず、英霊に至ってすら記録にないほどに、心の底から槍を捧げ主だと認めていたのだから。
 騎士が、忠誠を。戦士が、敬意を。男が、友情を感じた。故にその身を脅かす存在を断じて捨て置ける訳がない。

 憤怒は、己へ。
 何が騎士、何が番犬か。不意討つ下郎に気づきもしなかった間抜けがと罵る。
 殺意は、敵へ。
 殺す、問答は無用。あらゆる主義主張など聞く耳持たぬ。今殺す、すぐ殺す。

 二十㎞以上離れていた狙撃地点に辿り着くのに僅か一秒と半。視認したのは二メートルを超す痩身の狙撃手。布が頭部から膝下まで垂れ、風に靡いていた。赤黒い染料で染め上げられた肉体、手にしているのは大弓。宝具解放直後の硬直はすぐさま解かれ、槍兵を迎撃する体勢が整っていた。

「――雄ォォオオラァァッッッ!!」

 切り立った崖の上。充分な加速を以て正面から突進する。朱槍が空間を貫きその摩擦で火を纏った。
 弓兵は大弓で槍を受ける。その感触、手応えで感じるのは己を超える膂力。だが、それを凌駕する手立ては此処へ到達するまでに打っていた。
 筋力を強化するルーンが起動する。刹那の間に繰り出されるは三十を超える刺突の雨。
 怒れる猛犬の牙は力のみならず、技もまた槍の極みだ。だが真紅の弓兵も負けてはいない。弓という接近戦に不向きな武装で防禦に回り、只管に捌き切る。薙ぎ、撃ち下ろし、突き放たれる槍を神域の武勇が凌がせた。
 冴え渡る武技、見開かれる心眼。だが弓は弓、防戦に徹した所で白兵戦最優の武装、兵器の王とまで言われる槍の猛攻を凌ぐには足らぬ。使い手の技量が拮抗していたのなら、優劣を分けるのは武具の差だった。

 舌打ちが漏れ、弓兵が徐々に圧され後退していく。三百の交錯、末に綻んだ鉄壁の守りを鋭敏に見抜いたクー・フーリンの眼がギラリと光った。槍をしならせ撃ち下ろし、大弓で頭部を守った弓兵の懐に潜り込み――握り締められた鉄拳が弓兵の下顎をカチ上げた。

「グ――」

 続け様に屈み込み、迅雷の如く腹部を蹴り穿たれ弓兵の躰が宙に浮いた。踏ん張りの利かぬ空中は死の空間。追撃はルーンだった。

(アンサズ)!」

 迸るは火焔の奔流。全開のルーン魔術による砲弾。例えサーヴァントであっても一撃で灰塵と帰さしめる絶殺の具現。
 しかしそれは、弓兵が煩わしげに振るった腕で掻き消される。最高ランクの対魔力かと一目で看破したが、元より光の御子はルーンは防がれるだろうと視ていた。弓ですら己の槍を凌がんとする猛者、簡単に斃せると楽観する槍兵ではない。
 故に目的は攻撃ではない。己に負けず劣らずに激怒し、猛る赤竜らへ繋ぐ布石こそが狙いだ。

 これは、英雄と英雄による一騎討ちではない。

「――ッ!」

 ハッと弓兵が虚空を見上げる。中天に座す太陽を背に、月の煌めきが如き極光を放つ聖剣が陽射しをも塗り潰していた。
 猛り狂う魔力のうねり。冷徹で静かな貌の奥に激甚なる憤怒が燃え滾っている。主にして、愛を結び直した男。騎士として、女として猛らぬ道理はない。手加減も呵責もなく、騎士王は吼えた。

「『約束された(エクス)』――」

 弓兵、この期に及んで尚も磐石。
 虚空に召喚されるは宝具『十二の栄光(キングス・オーダー)』による逸話の引き出し。地獄の番犬ケルベロス。
 弓兵の反転により神の加護を無くして神獣ではなくなっているが、それでも構わない。もとより用途は捨て石だ。弓兵はその腹を蹴って空中で移動する。

「――『勝利の剣(カリバー)』ァッ!」

 果たして地獄の番犬は両断された。だが弓兵の離脱は間に合った。そこに殺到する狩人の矢。
 しかし弓兵は一瞥のみで矢玉を視認するなり防禦すらしなかった。引き絞られた天穹の弓の弦から放たれた矢の威力は、防御宝具の守りをも突破するというのに。
 矢は閃いた神獣の皮に呆気なく弾き返される。アタランテは驚愕した。まさかとは思っていた。視認した狙撃の宝具、そしてその人理を阻む神獣の皮。姿形が余りに違い見知った高潔な英雄には有り得ない不意討ちから、そんなはずはないと己に言い聞かせていたのに。思わず誰何していた。

「――汝はヘラクレスか!?」

 返答は無限大の殺意に塗れた矢だった。単発の矢、しかしその狙いの精度と威力は既知のそれ。即ち直撃すればそれだけで即死する。
 咄嗟に回避したアタランテの全身に戦慄が駆け抜ける。畏怖と共に確信した。あれはヘラクレスだ、だが同時にヘラクレスでは有り得ない。アタランテの誰何と反応、そして実際に矛を交えて把握した力量から、クー・フーリンは相手がヘラクレスか、それに準じる存在であると理解する。

「無様だな、外道」

 侮蔑。クー・フーリンが吐き捨てた。ケルベロスを犠牲にして飛び退いた弓兵は無言でアタランテの誰何に矢を返し、更に虚空で身を翻しながら青銅の矢をつがえた。
 魔力の高まりは怪鳥の声。青銅の矢の形状が変化する。第六試練の逸話より引き出した『ステュムパリデスの鳥』を今に放たんとするが、弓兵は己を狙う更に別の殺意を感知した。

「卑王鉄槌、極光は反転する――」

 それは黒王。空を背に上空より聖剣を放つのが光の聖剣なら、地の底から手を伸ばすのは闇の聖剣。槍兵が繋ぎ、聖剣の騎士王が動かし、狩人が注意を引いた一連の流れ。そこから算出される移動先の地点を直感していた黒王が、充填した破壊の吐息を吐き掛ける。
 凝縮された殺意は加速し、収束した。黒き聖剣が唸る。

「――光を呑め、『約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)』ッ!」

 崖下から天空目掛けて吹き出る黒き極光。さながら地獄の底から噴き出たかのようなそれ。弓兵は青銅の矢と大弓を消し、代わりに取り出したるは魔大剣。身を捩り、満身に蓄えた力を放つ。

「『射殺す百頭(ナイン・ライブズ・マルミアドワーズ)』」

 宝具の域にまで昇華された技巧の究極。瞬間的に暴力的なまでの魔力が大剣へと注ぎ込まれ、最強の聖剣を迎撃した。
 瀑布の如き斬撃だった。島をも沈める九連する暴風の剣は黒い極光を塗り潰さんばかりに更に暗い。果たして拮抗する。騎士王は瞠目した。打ち勝ったのは聖剣、されど肉体に積んだ耐久のみで凌げる程度に威力が殺されていた。

 着地した弓兵は、自身を包囲するカルデアの英霊らを見渡す。フンと鼻を鳴らした弓兵に、アタランテが再度、信じられないように問い掛けた。

「汝は、何者だ」
「愚問だなアルカディアの狩人」

 思いの外静かな声だった。知っている声音に、アタランテは動揺する。

「ああそうだ。我が骨肉、我が魂こそは《《神になり下がった愚者》》の影法師よ! 」

 オリュンポスの神々を否定し蹂躙する――神であるならなんであれ滅ぼす。ただそれだけの為に産み出された歪み、それがこの復讐者の魂。
 例え世界を滅ぼしてでも復讐を成す。その為ならばなんだってするだろう。

「我が名はアルケイデス。アムピトリュオンとアルクメネの子にして、ミュケナイ王家の血を引く者なり」

 ヘラクレスではない。神の血を否定し、神性とそれに由来する不死性、無双の怪力を捨てた。
 此処にいるのは人間だ。人間が持ち得る復讐心の塊である。――そう謳う復讐者へ、失笑を浴びせたのは誇り高き光の御子だった。

「莫迦が。己の生まれすら否定するとは、人間としても下の下だぜ。戦士の風上にも置けねぇ」
「囀ずるな、光の御子。神に列なる貴様を視界に入れる事すら不快だ」
「は、よく言った。テメェには言葉を交わす時間すら勿体ねぇ。――殺す」
「此処が貴様の死地だ、復讐者よ」

 クー・フーリンが魔槍を構える。アルトリアとオルタが聖剣に更なる魔力を充填した。
 先程の聖剣の真名解放は、士郎が近くにいたが故にカルデアからの魔力供給で捻出出来たもの。だが今はサーヴァントの楔であるマスターから離れ過ぎている。故にカルデアからの供給は困難だが、アルトリアとオルタは自前の魔力を割いてでも確実に仕留める気概でいた。それはクー・フーリンも例外でない。

 アタランテが言った。

「奴の被る裘はネメアの獅子の毛皮だ。人理を弾くそれは、人造の武器では歯が立たない」
「だが聖剣なら通る」
「オレの槍もな。神獣から削り出された槍だぜ」

 オルタとクー・フーリンは素っ気ない。殺意の全てが復讐者に向けられ――アルケイデスは悪意も露に嘲笑する。

「余り強い言葉を使うな――弱く見えてしまう」

 その嘲りが第二ラウンドの開始を告げる号砲となる。
 飛来したアタランテと赤い外套の弓兵の矢を獣布が弾き、馳せる英雄らに向けてアルケイデスは卑劣に笑んだ。

「――余程あの男が大事らしいな。気を付けろ、私はあの男を重点的に狙うぞ」

 火に油を注ぐ発言が、三騎の英雄達を更に深く激怒させた。

 激戦の序章はそうして幕を上げたのである。






 

 

鉄の心の士郎くん!





「『刺し穿つ(ゲイ)』――ッ!」

 怒りの余り凶悪なる戦士へ変貌する予兆、目映い太陽色の英雄光が迸る。
 槍兵がサーヴァントとなり、神の血を覚醒させる力が宝具と化して、ある程度の任意発動が可能になっていなければ現時点で暴威の化身となっていただろう。理性が押し留めるのは、これが一対一ではないからだ。一度禁忌の宝具を発動すれば敵味方の区別がつかなくなるのは、味方との連携時は致命的失態である。

 槍兵が呪槍を唸らせる。復讐者は槍兵の真名を知るが故にその宝具が己を殺す必殺だと識る。
 真名解放をさせじと『十二の栄光』を発動し、引き出すは第四試練にて生け捕った『エリュマントスの猪』だ。出し惜しみは敗着を招くと弁え、躊躇う素振りすらなく使い捨てる。
 現れるは小山に匹敵する大魔猪。三日月の如き二本の牙と獰猛な瞳が猛犬を睨み付け、轢き殺さんと疾走した。地を蹴る衝撃すらもが軽度の地震を引き起こす。
 光の御子は対人最強の一角、されど彼もまた怪物殺しの名手である。魔槍の本領の出先を潰されたと見るや即座に標的を切り替え、その呪詛を解き放った。

「――『死棘の槍(ボルク)』ッ!」

 一撃を以てして宝具である大魔猪を屠り、消滅させる。その隙に事もあろうに他の全ての英霊を無視して、アルケイデスは盾兵の護るカルデアの急所目掛けて駆け出していた。
 させじと騎士の王が聖剣でその背を切り裂く。背を向けた敵とはいえ戦いは終わってすらいない故に、騎士道に背く所業ではなかった。しかしそれすらもアルケイデスは甘んじて受ける。背中の傷は戦士にとって恥であるにも関わらず。痛手となる傷を、平然と受けて尚走る脚を止めないのにアルトリア達は慄然とした。
 アタランテが矢を射掛ける。神獣の嚢には無意味と知るが故に、剥き出しの踵を射抜かんと。だがこれは、アルケイデスが卓越した眼力で狙いを見抜き狩人の矢を走る足を浮かして踏み潰した。そのまま疾駆するのを止める素振りすらない。アタランテはそれでも猛追する。矢を射掛けながら妨害するのは、己では有効打を与えられぬと知る故に支援に徹していたからだ。

「莫迦が――」

 アルケイデスを超える速力を持つ光の御子が、彼の卑劣な狙いを見過ごす道理はない。
 狩人の援護は充分に役立っていた。一瞬で最高速に達したクー・フーリンは、魔槍に必殺の呪詛を乗せ、ルーンで強化した身体能力を遺憾なく発揮し跳躍する。

「『抉り穿つ鏖殺の槍(ゲイ・ボルク)』!」

 肉体の自壊すら厭わぬ全力を超えた投擲。ルーンが崩れた躰を再生させる激痛など気にも留めぬ全力のそれ。それが放たれるや迎撃などさせぬと限界まで天穹の弓を引き絞ったアタランテが矢を放ち、アルケイデスの魔大剣の腹を殴打した。
 例え本体に影響はなくとも、武器はその限りではない。ならばその挙動の悉くを妨害するのみ。狩人の冷静な一矢は――数多の理不尽を超越した復讐者に通じなかった。

 元より迎撃の挙動は皆無だったのだ。ただ魔大剣の柄を握る手とは反対の手へと『或る物』を現して、口に含んだのみ。アタランテは優れた視力でそれを視認していた。

「いけないッ――!」

 魔槍が飛翔する。それは過たず着弾し、確実にアルケイデスの霊核を破壊してのけた。外道を討ち取ったという確信が、着地したクー・フーリンの動きを止め。――アタランテの叫びにまさかと思った。
 魔槍が心臓を穿つのと同時に、彼は口に含んだ『黄金の果実』を噛み砕いていた。それは黄金の林檎。神々の求めた不死を得られる秘宝である。流石に宝具、そこまでの権能は得られないが、命を与えるという機能のみは残っていた。

 第十一の試練にて獲得した『ヘスベリエスの果実』は、魔槍で即死したアルケイデスを即座に復活させる。
 元より人間の忍耐、その究極の精神を持つアルケイデスが、死んで蘇生した直後だからと脚を止める脆弱さを見せるはずもない。死の実感を息をするように捩じ伏せ、アルケイデスは加速した。

「なんだとッ」

 絶句する三騎の大英雄。されど遅滞は刹那、即座に追い縋るも――さしものクー・フーリンですら追い付くには刹那の間が遠かった。
 魔槍に破壊された心臓は治癒できない……その呪詛は魔術界の理、より大きな神秘によって打ち消されていた。

 アルケイデスが魔大剣に魔力を充填する。立ちはだかったのは赤い弓兵。
 錬鉄の騎士は弓を消し、しかし双剣を投影する事もない。近づかれれば切り結ぶ事すら不可能だと弁えていた。故に彼は復讐者にとっての最悪、カルデアにとっての最善を選択する。

「――貴様なら、確実に此処まで来ると解っていたぞ」
「久しいな、アーチャー。貴様と技を競うのも悪くはないが、今は邪魔だ。失せよ、『射殺す百頭(ナイン・ライブズ)』」
「本来の大英雄には有り得ぬ不遜、油断だぞ」

 魔大剣の真名を含めぬ、ただの斬撃の猛威。それはアーチャーを即死させ骸を四散させるだけの力があった。
 無論アルケイデスに油断はない。これが最速の道だからこその選択だ。光の御子と騎士王らに追い付かれるのは面白くない、故に最小の力で最短の道を駆けようとしたのだ。

 だが弓兵はアルケイデスも認める戦上手。彼の失点は、エミヤシロウに己を止める力はないと見切った事――確かにそうだ。それは事実である。間違いではない。
 しかし元よりエミヤシロウは『戦う者』ではなく……彼の本質は『造る者』だ。己の力で足りぬなら、最悪の復讐者を止められるだけの物を造るまで。

「『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』……!」

 顕現するは一枚の花弁すら古の城壁に匹敵する紅色の楯。それは七枚の守り、完全なそれ。投擲物には無類の効果を発揮する。
 無論、剣技による『射殺す百頭』へその全能を発揮する事は能わない。そんな事は百も承知。あの黒き聖剣の究極斬撃を殆ど相殺してのけた威力は視ている。――そして、その技の起こりとなる予備動作も。

 故に成すは防壁による防禦ではない。魔大剣を振るわんとする復讐者の動作の起こりに合わせ、展開した七枚の花弁を押し付ける(・・・・・)。アルケイデスは舌打ちして半歩下がり、紅色の楯を魔力消費のない奥義を以て破壊する。
 それはアイアスの楯を破壊して尚も破壊力を残し、エミヤシロウに深傷を与えた。

「グッ、」

 右肩から左腰にかけて袈裟に切り裂かれ、錬鉄の騎士は苦悶する。一直線に詰め寄ったアルケイデスの拳が彼を殴り飛ばし、赤い外套の弓兵は藻屑の如くに吹き飛んだ。
 半歩の間。宝石に勝る至玉の時。アルケイデスは忌々しさを圧し殺し接敵する。最後に立ちはだかるはカルデアの楯。迫り来る真紅の復讐者の圧力に怯みながらも、少女は怯懦に固まらずに裂帛の気を吐いた。

「行かせません――ッ! 私は、先輩を護る!」
「やれるのか、私を相手に」
「やって――見せます!」

 十字の大楯は聖なる護り。復讐者は呵責なき猛攻に打って出る。
 一歩も退かぬと唇を噛み締め、アルケイデスの剣撃を凌ぐ。刺突、斬撃、打撃、瞬間的に楯を打ち据えられる二十七の暴威。アルケイデスは賞賛する。

「見事。我が最強を以て、貴様の矜持を打ち砕こう」

 賛辞は本物だった。無垢なる少女の清らかなる誓いを、復讐者は嘲る事なく認める。
 認めたが故に魔大剣の力を発露させるのだ。吹き荒ぶ殺意の颶風が気弱な心を殺さんとする。

「っ。――護る、私がぁ! 先輩を! 護る! 例え誰が相手でも――絶対に負けない!」
「『射殺す百頭(ナイン・ライブズ・マルミアドワーズ)』」
「顕現せよ! 『いまは遥か理想の城(ロォォドッ・キャメロット)』ォォオオ!!」

 開帳される殲滅の嵐。耐えきって見せると吼える心の護り。その心に一点の曇りなし、故にその尊さは復讐者を驚嘆させ――その隙を狙い撃つからこその暗殺者。

「宝具解放。『時のある間に薔薇を摘め(クロノス・ローズ)』」

 神速へ至る加速のそれ。銃器、ナイフは効かないのは把握している。故にこそ暗殺者はたった一つの最悪の手段に訴えた。
 聖なる楯に阻まれた復讐者の背後を取る。そしてその太い首に腕を回して圧迫した。意識を瞬間的に落としに掛かったのだ。だが――復讐者は微塵も動揺しない。余りに非力、暗殺者の腕を掴むや手首を破壊し、躰を捻って前方の少女の楯に叩きつけ、その胴へ魔大剣の切っ先を埋め込む。
 暗殺者に成す術はなかった。徒手空拳の業すらも最高峰の復讐者である。マシュが悲鳴を上げようとし。消え行く赤いフードの暗殺者は不敵に嗤う。

「――卑怯だと思うか? なら、それが貴様の敗因だ」
「……!」

 錬鉄の弓兵が稼いだ半歩の(とき)
 無垢なる少女が凌ぎ、暗殺者が封じた()
 ――これで間に合わぬようで、何が最強の槍兵だというのか。

 ちり、と焦げ付く戦慄の予感に、アルケイデスは咄嗟に魔大剣を背後へ振るう。
 かち合った魔槍と魔大剣の鬩ぎ合いを基点に地面が陥没し、アルケイデスの両足が足首まで地に埋まった。
 真紅の双眸が告げていた。赫怒を。謳っていた……曇りなき殺意を。上空より最大の遠心力を乗せた撃ち下ろし。魔槍の一撃を受け止めた魔大剣を支えに、光の御子は魔人の挙動を魅せる。
 魔大剣を支えに体勢を変え、そのままの勢いで復讐者の背後に跳びながら首を刈り取る蹴撃が放たれた。死角から迫るそれを片腕を上げて防いだアルケイデスだが、意識の外から飛んできた衝撃によろめく。

 ――蹴られた?

 側頭部に重い蹴撃を受けたのだ。バカな、私は防いだはず――その驚愕で鈍る男ではない。不利な体勢、不意の奇襲を受けた故に見切れなかっただけの事。同じ手は二度と受けない。
 光の御子が盾兵の少女を背に着地する。真紅の復讐者が魔大剣を構えて対峙する。
 転瞬、同時に馳せた驍勇の魔人ら。魔槍と魔大剣が交錯する度に大気がひび割れ、余波で地面に裂傷が刻まれていく。アルケイデスは光の御子を相手に接近戦は不利と認めた。人を相手にした戦歴に於いては、己はこの大英雄に劣る。技量は拮抗していても、人を相手にした戦いの巧さで負けている。
 激甚なる剣戟の中、アルケイデスの腕に『軍神の戦帯』が纏われる。膨大な神気を魔大剣に流し込み、光の御子を弾き飛ばした。

「ヌ――」

 手応えが軽い。咄嗟に自ら後ろに跳んだのだと理解した彼に、クー・フーリンは煮えたぎる笑みを投げ掛けた。間抜け――罵倒の真意は、果たして。

 答えは先刻の再現。
 強襲した声無き聖剣の輝きを視界の隅に捉えてアルケイデスは悟る。
 なるほど、敵中深くで囲まれるのは御免被りたいが――ならば執るべき策は有言実行、それ一つのみ。

「はぁああ!」

 生身の人間、ネロ・クラウディウスが赤い剣に炎を纏って斬りかかってきた。無造作に神獣の嚢で受け、アルケイデスは反撃に拳を握る、と見せ掛けその場で真上に跳躍する。アルトリアの聖剣を迎撃したのだ。魔大剣を巧みに操り、獅子の如き戦意を露にする騎士王を叩き落とすや、魔大剣の柄を口に咥えて大弓を顕す。
 青銅の矢をつがえ、『ステュムパリデスの鳥』を明後日の方角に射ち放って黒き騎士王を強引に足止めするや、次々と矢を撃ち込む。

 狙いは士郎、アイリスフィール、ネロ、そして神話の戦いに呆然とする海賊達。

 士郎への矢はマシュが。アイリスフィールは地面に叩きつけられていたアルトリアが。ネロは駆けつけたアタランテが引っ掴み強引に回避させ、海賊への矢はクー・フーリンが弾き飛ばす。
 それで充分。喚び出すはケリュネイアの牝鹿である。その背に着地したアルケイデスは巧みに牝鹿を操り疾走させ、クー・フーリンに匹敵する速力を発揮する牝鹿の背から矢継ぎ早に矢を放ち始めた。

「クソッタレがぁ!」

 悪罵がクー・フーリンの口を衝いて出る。狙いは徹底していた。無力な者をこそ狙う外道の戦術。ネロ、アイリスフィール、士郎、そして普通の人間である海賊。それを護るのに釘付けにされ、唯一自由となったオルタではケリュネイアの牝鹿を捉えきれない。そしてオルタがクー・フーリンと守りの役を代わろうとするだけの間が空かない。

 アルケイデスは矢を膨大な魔力に物を言わせ無理矢理に作り出している。如何なる原理なのか、スキルなのか。矢が尽きる気配はなく――翻ってカルデアの魔力は限界を見ようとしていた。
 連続された宝具の解放。後はマスターである士郎やネロの負担になる。だがネロはともかく、今の士郎に負担を掛ける訳にはいかない。このままでは、まずい。

「――削り殺してやろう」

 悪意を以て嗤う復讐者が止まらない。――敗北の予感に襲われる。



 故にこそ。



 敗北の運命を覆す者が、この場にはいたのだと思い出す。

「  」

 マシュがハッとする。しかし何を思ったのか、すぐに平静を取り繕う。だがその瞳に喜色が浮かぶのを隠しきれなかった。
 少女は躊躇わなかった。瞬時に守りを破棄してクー・フーリンに駆け寄る。アルケイデスは訝しみながらも矢を放ち、クー・フーリンはマシュの動きだけで察して笑う。
 そして槍兵はアルケイデスへ向けて馳せた。マシュがクー・フーリンの代役を勤める。しかし士郎の護りが空いた……その意味を復讐者が汲み取れなかったのは、アルケイデスの理解を超えていたから。

 無慈悲な矢は、顕現した紅色の楯によって阻まれる。

「何――!」

 士郎が目を開き、息も絶え絶えながらも上体を起こして手を掲げていた。
 ――こんな短時間で意識が覚醒しただと、あの毒を受けてか!?

「侮ったな、外道!」

 理解を超えた現象ゆえに、隙が生じた。クー・フーリンは吼え、魔槍を一閃する。アルケイデスは反応するも間に合わず、その右腕が宙を舞う。
 アルケイデスは侮っていたのではない。だが、どうして想像できる。身を以て思い知っている激痛の海を渡り、意識を取り戻す人間がいる等と。
 あらゆる加護、あらゆる後押し、そんなものに依存しない鉄の心。あらゆる心的負荷に堪え忍び精神死から蘇生する人間の精神――そんなモノが神代でなく現代に存在する理不尽。
 嘗て男は或る少女に語った。絶対に諦めない、その心を歴史の偉人に学べと。ならばそんな講釈を垂れた身が、どうして躰を残して死んでいられる。楯の花弁は一枚、それは破壊された。士郎は力を使い果たしたように倒れる。だが意識はあった。

「――よかろう。此度は、貴様らの勝ちだ」

 言い捨て、隻腕となったアルケイデスはケリュネイアの牝鹿を走らせ撤退する。
 それをクー・フーリンを含め、誰も追わない。単騎で追撃するには不穏だった。新手がないとも限らない。ならばマスターを守護するのが最上である。
 敵の気配が完全に遠ざかったのを確信し、クー・フーリンが念のためルーン魔術で探知の陣を張ると、マシュは安堵してその目に涙を浮かべた。

「先輩っ」

 倒れている男の首根っこに抱きついて、全身で喜びを露にする少女に、士郎は力なく微笑む事しか出来ない。



 こうして恐るべき復讐者との一度目の(・・・・)戦いは幕を下ろした。





 

 

「健在なのは」





「却下だ」

 憔悴し切った面貌である。頬は痩け、遂に全体の皮膚の色が褐色へと変色していた。
 疲弊した声には精彩が欠けており、体調は万全であるにも関わらず最悪の状態だ。さながら死病に冒された重病人で、今に意識と命が途絶えても不思議ではない。
 実際に彼は幾度となく気絶と覚醒を繰り返し、漸くある程度落ち着いたばかりである。会話が出来るまで回復するのに掛かったのは、実に一昼夜余りであった。

『……正気か? 貴様は己のバイタルを把握出来ているのだろう。とても実戦に耐えられるとは思えん』

 日差しが中天を過ぎ去り地平線に差し掛かりつつある。黄昏の陽を横顔に受ける男は、長く寝ていても殆ど回復した気がしていなかった。
 鉄のアグラヴェインの直言は正論だ。躰は健康そのもの、されど士郎の魂は深刻な状態である。

 ――そも『魂』とは何か。その解説には専門的な魔術の知識を必要とする。

 魂とは物体の記録だ。肉体に依存しない存在証明であり、物質界に於いて唯一不滅のモノ。肉体が根差す物質界にではなく、その上の星幽界という概念に属している。
 だが肉体なくして、単体で現世に留まる事は不可能だ。肉体に宿すと自身を肉体によって再現するが、その代わり肉体という器に固定され、肉体の死という有限を宿命付けられる。記録であるが故に、この魂が健在であれば肉体の遺伝情報が失われたとしても、嘗ての自身を復元する事が可能だった。

 だが――例えば間桐の蟲翁などは、その魂が腐敗し果てていた為に、復元した肉体も老いた状態で固定されていた。あまつさえ復元した後でも、すぐさま腐敗を始めてしまう。
 つまり魂は肉体に深刻な影響を与えるモノだという事。士郎には早急な休息が必要なのだ。激戦が予想される場にいるべきではない。

『カルデアに帰還しろ。貴様の命は、貴様だけのものではない。マスター、いつも通りに合理的な判断を下せ』
「合理的に判断を下したから、却下だと言った」

 士郎はあくまで冷淡だった。――否、あらゆる気力が枯渇している故に、言葉に力が入らないだけである。

「俺が帰還したら、この特異点にマスターはネロだけになる。そうなるとこの特異点に残せるサーヴァントは最大で三騎、無理を押して四騎といった所だ。判明している敵はヘラクレス――いや、アルケイデスだったか。兎も角最強格のサーヴァントだろう。あの手口から察するに、こちらの弱味を最大限突いてくるのは想像に難くない」

 まだ見ぬ敵の事を想定すれば、三、四騎のサーヴァントでは心許ないのだ。

「俺が帰還した場合、ネロの下に残すサーヴァントはランサー、アルトリア、マシュ、キャスター……つまりアイリさんだな。その辺りが妥当だろう。真っ向勝負ならランサーで奴を抑えられるにしろ、奴がそれに応じる訳もない。人質を取るかもしれない、奇襲闇討ちは当たり前だ。罠を仕掛けるのも基本だな。――最も狙われるのは、アイリさんとネロだ。アルトリア達を信頼してない訳じゃない、ネロの能力が足りてない訳でもない。単純に敵の脅威とこちらが保持する戦力、守らないといけない人数の釣り合いが取れてないんだ」
『その海賊達を護る必要はない。現地人が他にいても同様で、そもそも人質は無視すればいい。大事の前の小事だ、敵の撃滅のみを考えねばならない局面に在る』
「――認める。お前の言う事は正しい。だが正しいだけだ。それじゃあ、駄目だろう? 人理を巡る戦いって、のは……大事も小事もない。……生きる為の戦いに、貴賤はないんだ……」

 不意に意識が混濁としたようだ。言葉尻が緩くなる。意見の具申に聞く耳を持たないマスターに業を煮やすも、英霊としての本能で納得してしまいアグラヴェインは苦々しく顔を顰めた。
 きゅぅ……と、フォウが鳴き、士郎の頬を嘗める。それに反応を示す余力もなく、士郎はか細い息を吐き出した。

『……マスター、一時帰還し急速を挟んで、再度レイシフトすればいい。それでいいだろう』
「駄目だ」

 木の幹に背を預け、片膝を立てて座っていた士郎は、言下にカルデアの司令官代理の提案を退けた。

「……そこにロマニはいるか?」
『いないよ。今は休んでる。あと二時間の仮眠を挟んで戻ってくるよ』

 通信に割り込んできたのはレオナルドだった。
 士郎は安堵する。アグラヴェインは本人が聞いていようがお構いなしに今の台詞を吐いていただろうから。
 レオナルドがアグラヴェインに代わって言う。

『私も君が一時帰還する事に関しては賛成だ。――無理すれば死ぬよ、士郎くん』
「……生憎と、無理を通して道理を蹴っ飛ばして生きてきた口でね。この程度で死にはしない」
『士郎くんに廃人になられたら困るって言ってるんだ! 士郎くんが倒れたらカルデアの士気は破綻しかねないんだぞ!? それぐらい大きすぎる信頼が君の命には掛かってるんだ、一回ぐらい素直に言う事を聞けこの分からず屋!』
「……すまないが、譲れないな」

 レオナルドの叱責とも、懇願とも、罵倒とも取れる怒声に士郎は苦笑した。
 全面的に彼らの言い分は正しいのだ。それでも譲らない理由は意地であり、計算であり、情でもあり、信念でもある。

 やられっぱなしでいられるかという意地。
 明確に弱っている士郎は格好の餌になる故に、敵の狙いを誘導し易くなるという計算。
 ネロ一人を死地に送り出したくないという情。
 言葉にするのは難しい、信念――

 どれも譲る気はない。そのどれか一つでも妥協出来ていたなら、そもそも士郎は死徒狩りをはじめとする苛烈な戦いに身を投じていなかっただろう。

「この話は終わりだ。もっと建設的な話をしたいよ、俺は」
『どの口が……! その建設的な話とやらを蹴ったのは貴様ではないかッ』
「怒るなアッ君」
『我が王よ、どうかこの愚か者へ裁定を。私の言葉は届かずとも、王のお言葉ならば耳を傾けるやもしれません』

 士郎の傍には、アルトリアとオルタ、マシュがいた。他のサーヴァント達はネロの指揮の下、哨戒に当たっている。あの痛烈な奇襲が強烈に刷り込まれていた。
 アルトリアは静かな眼差しで士郎を見詰めた。オルタは視線すら向けない。赤い弓兵と完全に一致するようになってしまった風貌の青年は、彼女が口を開くのを待った。

「シロウ」

 目を逸らさず、アルトリアは説く。

「私は騎士です。貴方の剣になるという誓いは、些かも揺らいでいません。貴方が命じたのなら、私は如何なる者も斬る刃となるでしょう。しかし私は木偶ではないつもりです。諾々と従うだけでどうして騎士であると誇れるでしょうか。
 故に私は、騎士として諫言しましょう。シロウはもう限界だ。いえ、もう限界を超えている。貴方は休むべきです。誰もシロウが休息を取る事に異議はない。あったとしても、私が黙らせます。
 シロウ、私は貴方だけの騎士だ。貴方が不在でも、必ずや勝利を掴みましょう。私を信じて、下がってはくれませんか……?」

 哀願ではない。懇願しているのでもない。身を案じ、主の無謀を諫めている。
 本当は愛する青年に縋り、涙ながらに休んでくれと愁訴したかったのを、士郎の鋼のような瞳に封じられていた。

 琥珀色の瞳を伏せ、士郎は瞑目する。吹けば飛びそうな程に弱った、老人のような佇まいで。

「……アルトリア、俺はお前を信じてる。嘘偽りなく、その力と心を信頼している。それはお前もそうだと思っている」
「はい」
「だから――俺がどう答えるかは、言わなくても分かっているはずだ」
「……」
「先輩」

 哀しさを隠すように目を閉じたアルトリアに代わり、マシュが心細げに呼び掛けた。ふぉう、と小動物が鳴く。

「私は、どう言えばいいかなんて、解りません。けど先輩が――いなくなってしまうかもしれないと思うと、どうかしてしまいそうで……」
「大丈夫だ。俺はいなくならない。死んだりなんかしない。マシュやアルトリアが護ってくれるんだからな」
「……ずるいです」

 そんな事を言われたら、本当に何も言えない。士郎の意思を曲げさせられない。
 しかし士郎も弱っていた。つい、白状する。

「A班の全力戦闘を俺が支えられるのは、保って後三回だ」
「……シロウ、それは」

 オルタが漸く視線を向けてくる。ばつが悪そうに頭を掻いて、士郎は嘆息する。

「つまりその三回の戦闘の後は、カルデアに帰還するという事ですね」
「……そう、だな。ああ、俺だって無駄に死にたくなんてない。後三回の戦いの後は、大人しく帰還する。それは約束するさ」

 三回。何を以て三回だと決めたのか。
 士郎は左手首に巻き付けてあるカルデアの通信機に向けて、己の所感を述べた。

「アグラヴェイン、レオナルド。俺の考えを伝えておく。恐らくだが……あのクソッタレのヘラクレス野郎は、近い内にまた仕掛けて来る」
『……根拠は』
「分かってるはずだ。奴の主観で考えると自明だろう。カルデアのマスターを消耗させ、サーヴァントを一騎脱落させてある。だが躰を蝕んだ、ヒュドラの毒をも癒したアイリさんの存在を視ているから、俺を回復させてしまう可能性がある。一度は撃退されたが、時を置けば折角のアドバンテージが無くなるかもしれない。奴はそう考え、警戒されているのは承知の上で仕掛けて来る」

 道理である。レオナルドやアグラヴェインには言うまでもない。それでも訊ねたのは……今の士郎に、それが気づけるか試したのだ。
 結果が示すのは如何に気が萎えていようと、曇らない洞察力の切れ味。気づかないようであればそれを口実に、無理矢理にでも帰還させるつもりだっただけに、一概に良い事とは言えなかった。

 ――どのみち一度目のアルケイデスの奇襲は痛み分けに近い。二度も三度も同じ手が通じるとは思わないはずだ。

 ならば今度は更に強力に襲撃し、なんらかの決定打を決めたいのが敵の心情。アルケイデスの召喚者が誰で、敵の残存数は何騎かも不明なあちらと異なり、こちらの実情は割れている。警戒していても不利なのはカルデアなのだ。その優位を活かさないでどうする。
 そしてこちらの陣容の厚さから、次からは奇襲だろうが正攻法だろうが結果は同じになると判断できる。ならアルケイデスとしては士郎が回復する前に決着を付けた方がいい。

「……正念場、か」

 幾度も体験してきたそれは、しかし今回がとびきりのものであると感じた。それは気弱な囁きである。士郎は自身の手をマシュが握っている事に気づかないまま、ふと呟く。

「……で、お前はさっき、どこ行ってやがった。――黒髭」

 森の茂みが、がさりと鳴る。隠れていたつもりなのだろうが、マシュやアルトリア達には筒抜けだった。彼女達の視線の向き先に違和感があったから、士郎は潜んでいる者にあたりを付けて呼び掛けたに過ぎない。
 潔く茂みから出てきたのは、やはり黒髭の大男である。躰についた葉やら枝やらを払い落とし、黒髭はにぱっ、と笑みを浮かべる。

「デュフフ、気づかれてしまいましたな」
「俺は気づかなかった。ま、今の俺にお前の隠密を悟れる余裕はないが」
「いやぁ、両手に華どころか一輪余っておりますぞ。実に羨ましい限りwww ちょっと拙者と代わって欲しいですなリア充めwww」
「さっきの戦闘、参加しなかった所か、いつの間にか消えていたらしいな。何をしていた」

 ふざけた言動にリアクションを取る気にもなれない。端的な詰問に黒髭は頬を染めた。

「ちょっとお花を摘みに行っておりますたw」
「……」
「……ゴホン。真面目に答えると、拙者がいても瞬殺されるのが関の山でござる。流石に拙者が消えるのは困るでござろう? あそこで宝具(ふね)を出しても壊されるだけですしおすし」
「……それだけか? 天下の黒髭様が、用心して隠れてましたってだけじゃないだろ」

 空元気ながらも士郎が煽るように言うと、黒髭はにやりと笑った。

「当たり前だぜ。この俺を誰だと思ってやがる。ケツ捲って逃げてったあの野郎が何処に向かったのか、この島のいっちゃん高ぇところから見てたんだよ」
「――流石」

 その方角を掴めるだけで、かなり今後の状況が違ってくる。士郎はマシュとアルトリア達を見渡し、少し身長差に苦笑して黒髭に言った。

「エドワード、肩貸してくれ」
「……ほほぉ? 拙者を名前呼びwww もしやデレたのですかな?www」
「バカか。何時までも渾名の『黒髭』呼びだったら他人行儀だろう。それにティーチって呼んでたら、日本の海賊漫画の三下みたいになっちまう。お前、あんな三下じゃねぇしな」
「ブフォw 拙者がモデルのあれですかwww あれはあれでいいものですぞwww
 師匠www」
「誰が師匠か。というか知ってるのかよ。その知識は何処から来てるんだ……? とりあえず、ロボトミー手術を受けた後なら弟子入りも考えてやるよ」
「んんんwww 拙者の性格全否定www」

 ひょいと士郎の腕を掴み上げ、黒髭は気安く士郎に肩を貸した。その際、士郎にだけ聞こえるように黒髭が呟く。

「――おう、カルデアのマスター。テメェ、知らねぇだろうから教えてやるよ。どうせ後で聞かされるだろうがな」

 光の御子が切り落とした、復讐者の片腕。それが――忽然と消えたというのだ。









「――」

 ケリュネイアの牝鹿から飛び降りる。自身が更地に変えた無人の島故に、見張らしはいい。万が一にも奇襲される恐れはない。
 アルケイデスは考えていた。カルデアの主柱らしき男の事を。
 宝具化に際してスケールダウンしているとはいえ、最悪の神毒を受けて尚もその精神が死に至らぬどころか、僅かな時で意識を覚醒せしめたあの男。

「素晴らしい忍耐力だ」

 ぽつりと讃える。サーヴァントである己は、その死因ゆえにヒュドラの毒を受ければ行動不能に陥るだろう。しかしそれとは別の所で、毒物への畏怖はある。拭いがたいものだ。それを耐えきった男を、彼は認める。
 あの男は現代に生きる最新の英雄。なればこそ戦士としての血が騒ぐのだ。それでこそ人間、神の力などなくとも、人があの毒に耐え得るのが素直に喜ばしい。実に打ち倒し甲斐があるというもの。

 そして、思い出す。

「まさかな。あの男が、冬木の時の小僧だったとは」

 縁というのは、やはりバカにできない。自身の記憶にある、忌々しい神に成り下がった愚物が仕えた、冬の妖精のような少女の義弟があの男だ。
 気持ちの良い少年だった。『二度目の茶番時は見れたものではなかったが』、その力は赤い弓兵のそれと同一だった。
 同じ顔、同じ力――同一存在なのだろう。内面は違うのだろうが……まあそれはいい。

 問題は敵の陣容の厚さ。片腕を失ったのは、極めて大きな損失である。あの男が復活する前に仕掛けたいが、正面から向かうのは無謀。かといって二番煎じの奇襲では対処されるのがオチだ。
 まともに戦いを成立させられないほどの痛手、これをどう補うかが――

「むッ」

 ――と、勝負の分かれ目について思考していたアルケイデスは、悍ましい異物感を覚える。
 腕の切断面が疼き、グヂュグヂュと肉が沸騰したように沫立ったのだ。ぞわりとした不快な感覚は、しかしすぐさま立ち消える。
 それらを遥かに上回る驚愕と、得体の知れぬ納得があったのだ。

 喪ったはずの腕が再生していた(・・・・・・・・・・・・・・)

 ――これなら戦える。

 亀裂が走ったように不気味に笑み、復讐者は嗤う。そう己はカルデアに(・・・・・)復讐する為に存在するのだから。



 その思考に、違和感はなかった。








 

 

戦慄の出会いだね士郎くん!





 ガシガシと紅髪を掻き、これより後に星の開拓者として人理に名を刻まれる女は、気まずそうに目を逸らした。

「あー……すまなかったね。アタシが寝てた時にそんな大事があったなんて」

 寧ろあの戦闘の最中に寝ていられる豪胆さは、ある意味で大したものだ。貶しているのではなく素直に感心してしまえる。
 俺がそう言うと、ドレイクは顔を顰めた。折れていた腕と、光を失っていた目を瞼の上から撫でる。

「……おまけにこれだ。アタシの腕と眼、ウチの死にかけの連中をワケの分からない力で治してくれた上に、アタシの『黄金の鹿号』までアンタの部下に直してもらってると来た。とても返しきれないでっかい借りが出来ちまったよ」

 気にする事はない。怪我を治したのは治せる奴がいたからで、おたくの船を直したのは俺が寝てる間に赤と青の野郎にネロが指示をしたからだ。俺ではなくネロに感謝してくれ。

「アンタね……それマジで言ってんのかい? だとしたらとんでもない野郎だ。アタシの大ッ嫌いな正義漢そのものじゃないか」

 心外だ。無償で恩を受けるのが嫌だってんなら何か協力してくれ。聖杯を持ってるんなら、サーヴァント相手でも攻撃が通るかもしれない。不思議な聖杯パワーで。
 ……いや、やっぱり今のは無しだ。聞かなかった事にしてくれ。生きてる人間にあのヘラクレス野郎と戦わせる無謀は冒させたくない。借りだと思ってくれるなら、どこか遠くへ逃げてくれ。

「……舐めてくれたねぇ。けどま、道理っちゃ道理だ。なんせ相手は酔っ払いの法螺話にもなりゃしないギリシャ神話のヘラクレス! しかもそれが神話と真逆の性格になって、手段を選ばず命を奪りに来るとなったら誰だってブルッちまうもんさ。ましてや実物を見ちまってんなら尚更ね」

 キャプテン・ドレイクの顔は挑戦的な笑みを浮かべている。沸き立つ海賊の血潮は、怒りやら屈辱やらに燃えていた。

「アンタ、知ってるかい? アタシの『黄金の鹿号』は、クリストファー・ハットンの紋章に因んで改名したもんだ。ペリカンって間抜けな名前が気に入らなくてね。
 ……ハットンの紋章の由来はヘラクレスの三番目の功業、ケリュネイアの牝鹿の捕獲に掛かってるんだ。ハットンはエリザベス女王を支えた三番目の男で、その『三番目』ってのに掛けたんだろう。あの旦那はアタシの大のお得意様だ。ヘラクレスを貶める真似は、ハットンを侮辱してるって事だ。そしてそれは、巡り巡ってこのアタシも虚仮にしてるって事なんだよッ!」

 ドレイクは激怒していた。あの復讐者のルーツに。海賊は面子が命である、それはフランシス・ドレイクにとっても同様だ。
 故に、彼女は赦さないのである。

「ハットンの名誉はアタシの面子にも掛かってんだ。例え本家本元だろうが赦せるもんかい。いいじゃないか、英雄殺し! 手ぇ貸すよ。腕と目、アタシの部下の命に船の補修! 力を貸したって天秤はそっちに傾いてる。事が終わったら胡椒の入った瓶一つで、アンタの言う聖杯とやらもくれてやらぁ!」

 お前の部下は怖じ気づいてるぞ。なんせそのヘラクレス野郎の力を間近で見てる。ビビった兵は戦いの役に立たないが。

「はっ。心配しなさんな、アタシが気合い入れてやるからね。仮にもこのアタシの部下なんだよ? もし尻尾丸めてたらキンタマ潰してやるさ」

 ……お手柔らかに。ああ、天下のドレイク船長が味方してくれるんなら百人力だ。

「いいって事さね。元々こいつはアタシの戦いでもあるんだ。命に砲弾――勝つも負けるも、派手に使い切るまでさ」

 そう言って、後の太陽を落とした女は莞爾とした笑みを浮かべたのだった。
















 敵戦力の総体は未知数。判明している敵は『復讐者』へ霊基を変じたアルケイデスに、『兜輝く(クラノス・ランプスィ)』の異名を持つ九大英霊の一角、ヘクトール。
 この二騎だけでもかなりの難敵だ。アルケイデスは言うに及ばず、ヘクトールもアルトリアに匹敵する強敵である。厄介なのは、ヘクトールがかなりの切れ者で、防戦に関しては最高峰の手腕を逸話上持っている事だ。
 知名度も決してヘラクレスに負けていない。トランプのダイヤのジャックがヘクトールだと言えば、どれほどの知名度かは容易に想像できよう。

 ――敵はアルケイデスを通して、こちらの陣容を把握している。切嗣がカルデアで再召喚されるには、まだ時が掛かるだろう。敵の予測を上回るには、新たに陣容の厚みを増す必要があった。
 故にネロだ。彼女には新規にサーヴァントを召喚してもらう。切り札となるかは分からないが、強力なサーヴァントが戦線に加わってもらえれば先の一戦時に隠れた黒髭とも合わさり、切り札に成り得るのだ。

「という……訳だ。頼むぞ」
「うむ、任せよ! ――(いで)よ神祖ロムルス! 余の声を聞き届け、いざ人理を救う戦に出陣願う! 神祖! 神祖! 神祖! 伯父上は座っててネ! はぁあぁあ――ッッッ!」

 マシュの楯を基点に設置された召喚サークルを前に、ネロは凄まじい熱気で気合いを叫んだ。
 うん、気持ちは分かる。神祖が来てくれたらもう勝ったと慢心出来るレベルだ。海の下から樹木を召喚して足場にするとか、そんな桁外れの真似だってやってのけるかもしれない。そうなったら海上での戦闘でもやり易くなる。
 だが余りに暑苦しい呼び掛けだ。そんなに叫ぶ必要なんかないのだが。マシュも苦笑している。
 召喚に使う魔力リソースは、レオナルド謹製の呼符である。いつもの如く奴の工房からくすねて来た。カルデアの向こうで『またなのかい士郎くん!?』とモナリザ・ムンク叫びが聞こえた気がしたが気のせいである。

『!? 来た、強力な魔力反応! 具体的に言ったらSSRクラスの霊基規模だ!』

 ロマニの声がする。奴め、ネットアイドルだけじゃなく、スマホのソーシャルゲームにも手を出していたのか……喩えが色々と台無しである。禁断のガチャを回して廃人と化している様が目に浮かぶようだ。

「おお! 流石は余、この場面で幸先がいい! という事は神祖だな! 余には分かるぞ、だって神祖がSSRじゃない訳がないもんネ!」
「おめでとう」

 おめでとう、おめでとうございます! おめでとさん。

 胸を張ってどや顔をするネロに、皆生暖かい眼差しで拍手をした。しかしそこに水を差すのがアグラヴェインである。

『……霊基パターンから、恐らくはキャスターではないかと予測されるが』

 ピシ、とネロが彫像と化す。ローマ史のネロの頭像を彷彿とさせる表情だ。
 俺は白い目でネロを見る。キャスターはもういいよ、供給過多だよという趣旨の視線に、ネロはがっくりと膝を地面に落とした。

「……何故だ、神祖は何故来てくれぬのだ……まさか余はもうローマではない……? 鬱だ、立ち直れぬ……芸術家枠で伯父上が来たら、どうしたらよいのだ……」
「それはないから安心しろ。カリギュラ帝も建設事業に着手してるが……英霊としての彼にSSRの格は無い」
「なんだと!? ローマを莫迦にするなシェロ! 偉大なるローマ皇帝は全員SSRだ戯けめ!」
「召喚されたサーヴァントがローマに関係あるとも限らないがな」

 尤も、一番可能性があるとしたら、キャスターのネロ辺りだ。何せ本人の逸話的にキャスターが最も符合する上に、召喚者が本人である。
 えすえすあーる、ってなんなんでしょう? と首を傾げるマシュ。どうかそのままのマシュでいてほしかった。

 それにつけてもこの緊張感の無さである。初っぱなのネロのヒート気味のテンションが原因だった。割とシリアスな空気だったのにこれである。

「来るぞ。召喚主が応じてやらないでどうする」
「む……仕方ない、出迎えてやるとしよう。これよりは余の臣下となる者である。ところでシェロよ、伯父上だったらどうしたらよい?」
「知るか」

 矢鱈とカリギュラ帝を気に掛けるネロだが、あれは嫌がっているのではなく、子供が授業参観に来た保護者に、照れてつっけんどんな態度を取る感じだと見た。微笑ましい限りである。

 そして、

 その獣はやって来た。

 ――燃え尽きた世界が遣わせしは衛宮士郎へのカウンター。その行いへの抑止力。或いは、今の士郎へ最も必要とされる存在。
 星と人の抑止力の干渉はない。あるのは縁。遥か遠い時の涯、此処ではない何処かで結ばれた、召喚者との奇縁である。

 其の名は、


「ご用とあらば即参上! 貴方の頼れる巫女狐、キャスター降臨っ! です! ――ってあら? 何故にwhy? 何故どうして皇帝様が生身で私のマスターなのでしょうか……? この召喚待った事故ってます! えーん、せっかく溢れんばかりのイケ魂の気配に釣られミコーン! ってやって来たのにぃ!」


 ――『玉藻の前』である。





 

 

運命を感じなくもないね士郎くん!

 
前書き

 

 




「キャット!? なぜキャットが此処に……逃げたのか? 自力で特異点から脱出を?」

 現代社会の闇は深い。僅かな期間で華のローマ皇帝が、日本のサブカルチャーに由来するネタを解するまでになった。
 ……現代社会ではなく、日本の闇の文化(アニメ・ラノベ)かこれは。まあどちらも立派な商業で芸術、闇と云うと語弊があるのだが。なんであれ可愛ければ許される世の中故に、ネロは余裕で生き残っていけるだろう。果ては伝説のアイドルかセレブな美女か。スーパー・ユー○ューバーに成る可能性もあった。

 ……ん? アイ、ドル……? うっ、頭が……!

「あのぉ、それきっと別(じん)の私です。よりにもよって、キャットとかいうナマモノと間違うのはやめて頂けます?」

 ネロによって召喚されたのは、青い和服を艶やかに着崩した傾国の美女だ。美貌で言えばアルトリアやネロ以上――何気ない所作や言葉遣いから教養の深さが滲み出ていた。
 彼女の生前の戦場は、血腥い戦争の場ではなく宮廷だったのだろう。何より特徴的なのは、その頭部に屹立する狐耳……臀部の尻尾だ。……ふむ、ネロのサーヴァントはけ○のフレンズでなければならない縛りでもあるのだろうか。アタランテに続き、キャスターまでけ○のフレンズだとは。これは召喚主の嗜好が出ている可能性がある。もしそうだとすると、ネロはケモナーだった……?

 戯れ言はさておくとして。

 ネロ曰く第二特異点での事だ。カルデアがやって来る前の戦いで、カウンター・サーヴァントと共に抗っていた所、ネロに力を貸して戦った者の中にキャスターと瓜二つの風貌をしたサーヴァントがいたらしい。
 タマモ・キャットと名乗ったバーサーカーだというが――タマモだって? それに狐っぽい尾と耳……もしやこの和装のキャスターの真名は『玉藻の前』だったりするのか?

 そう問うと、和装のキャスターはキャットとやらと同一視され盛大に顔を顰めていたのを、太陽のような笑顔に変えて肯定した。

「はい、ご賢察でございますイケ魂の方! この身は黄帝陵墓の守護者にして、崑侖よりの運気を導く陰の気脈。金色の陽光弾く水面の鏡――真名を玉藻の前。此処ではない彼方にて、自他ともに認める素敵な殿方の良妻勤めますれば、此度の召喚の儀にて不思議な(でんぱ)をビビッと拾って罷りこしました」

 そこまで晴れやかな笑顔で告げた御狐様。が、ふと俺の顔を見て怪訝そうに眉根を寄せた。
 まるで知己の人物の意外な姿を見た、といった表情だ。随分とオチャメな性格らしい。表情からキャラまで分かりやすい。

「――って、あれれぇ? 何やらキザな弓兵さんとおんなじお顔……おまけに折角のイケ魂が見るも無惨な有り様ではございませんか」

 玉藻の前の目がぐるりと周囲を見る。「げっ! ランサーさんにアーチャーさん……なんですこれ、同窓会か何かなんですか……?」と嫌そうに呟いた。……イケタマとはなんだろうか?
 どうやら他の聖杯戦争で、サーヴァントのネロやクー・フーリン、アーチャーを見知っているらしい。青と赤の野郎達に気だるい視線を向けると彼らは首を左右に振った。玉藻の前と同様の記憶は無いらしい。その視線のやり取りを玉藻の前は見て取り察したのか、途端に興味を無くしたように赤と青から意識を外し、俺の全身を見渡した。

「みこーん? なんですこれ? まるでイケない大陸狐に十年以上ぶっ通しで拷問された後かのような? てっきり地上のご主人様かと思って召喚に応じてみればあら不思議。『絶対諦めないマン』的な魂の似てる別人でした。
 ま、いっか! そこはそれ、お顔は気にしない良妻狐、折角素敵な魂に惹かれて来たのですし、人理を巡る貴方達の旅路に同道させて頂きます。とりあえず魂の傷、さくっと治しちゃいます?」

 え? 治せるのですか……?

「声も出したくないほど億劫なのでございましょう? というかなんで二本足で立ってられてんですかね……普通床に伏せてて三日後ぐらいにはポックリご臨終コースなんですけれど」
「なんだと!?」

 玉藻の前の言に血相を変えたのはネロだけではない。マシュやアルトリア、オルタ……というより全員だ。俺は居たたまれない気分でそっと目を逸らす。

「シロウ! 何故黙っていたのですか!? 三回戦えるというのは、もしかして……!」
「……や、訊かれなかったから……」
「ガキかテメェ! 勝手にくたばるところじゃねえか!」
「ランサー……そうは言う、が、どうせ死ぬなら前のめり、だろ……? あの毒で駄目になった魂の治癒とか……アイリさんの宝具でも無理だったじゃないか」
「先輩……」

 だから俺は悪くない。そう締めると、オルタは険しい顔で歩み寄ってくる。そのまま拳を握るとそれを俺の腹に叩き込んできた。
 魔力放出を行わない拳擊は、ただの少女の膂力のものだ。だが、そこに籠められた激情が響く。甘んじて受けるしかない。

「良く分かりました。シロウの口から出た『大丈夫』は全く信用に値しない事が。キャスター、貴様はシロウに治すかと訊いたな? 出来るのか」
「素晴らしいキレの一撃……! お手本のような腹パンです! ワザマエ! ――おっと。まあ、出来るか出来ないかで言えば出来ますが。というより出来なければ、いよいよ水天日光の存在価値がないといいますか……」
「やれ。……いや、やってほしい。頼む、この通りだ」

 オルタが頭を下げる。俺は――ああッ、糞ッ。自分の騎士に、女に頭を下げさせるなんて、無様も極まったぞ。どうせ死ぬなら少しでも役に立って、それからくたばろうとした浅慮な己を恥じる。俺が死ぬのを拒絶してくれる人がいるってのに、何を格好良く死のうとしてるんだ俺は。
 俺は萎えた脚を殴り付け、キャスターの前まで行くと深く頭を下ろす。オルタにだけ頭を下げさせる訳にはいかない。

「出会い頭ですまん。後生だ、治してくれ。俺はまだ、死ぬわけにはいかない……!」
「むむむ……もしかして私、とんでもなくナイスなタイミングで召喚されちゃいました? 流石は私、イケ魂を救う宿命を常に負う良妻狐! もちろん構いません、対価も結構。義を見てせざるは愛なきなり。水天日光の真価、出血大サービスでお見せしましょう!」

 と、言うわけで。コホンと咳払いをした玉藻の前は厳粛な面持ちで宝具を開帳した。
 神前で神楽を舞う巫女の如き貞淑さと神聖さを醸し出し――謳うは神宝、その祝詞。膨大な魔力反応が辺り一帯を照らし出す。

「ちょっと神様っぽいところ、見せちゃおっと。掴みの第一印象実際大事! ではでは――軒轅陵墓(けんえんりょうぼ)、冥府より尽きる事なく。出雲に神在り。審美確かに(たま)に息吹を、山河水天(さんがすいてん)天照(アマテラス)。これ自在にして禊ぎの証、名を玉藻鎮石(たまものしずいし)神宝宇迦之鏡(しんぽううかのかがみ)なり――! なぁんちゃって☆」

 彼女の周囲を浮遊していた鏡が俺の姿を照らし出す。その水天の照り返す日光を満身に浴びた。
 ちろりと舌先を出して、てへっと茶目っ気を見せる彼女のノリの軽さは、まさに日輪のように明るかった。













 宝具『水天日光天照八野鎮石(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)』。

 宝具としてのランクは、本来の玉藻の前なら評価規格外だが、サーヴァントの玉藻の前ではDランクが精々らしい。種別は対軍だという。
 その由来は天照の天岩戸の逸話で登場する八咫鏡。鏡の形をした宝具で、出雲にて祀られていた神宝にして出雲大神の神体だ。
 この宝具は『魂と生命力を活性化させる』力を持つ。本来は死者すら蘇らせる事すら出来る、冥界の力を秘めた神宝中の神宝だが、一尾でしかない今の玉藻の前では真の力は引き出せない。

 だが――それがどうしたというのか。

「は……ははは! はははは! 治った、治ったぞ……!」

 腹の底の底、沈澱していた澱みが一掃され、一気に虫食い状態だった魂が修復されていく実感に高揚する。

「うおっ、眩しっ!?」

 喩えるなら電撃に打たれた瞬間、見事に蘇生した末期患者だ。何もかもへの気力が萎えていたのが、今に走り出してしまいたくなる元気を注入された気分である。
 何故か玉藻の前は腕を翳して、和服の裾で目を隠していたのに構わずその手を取る。

「――ありがとう。君と、君を召喚したネロは命の恩人だ。この恩は決して忘れない」
「あ、あはは……やばい、この方の全開のイケ魂は私の天敵……! ワイルド肉食狩人系イケ魂でございましたか……! 死に瀕していた弱々しい魂が、快癒した事で生命力に溢れたギャップに、この良妻ともあろう者が、不覚にも心を狩られるところでございました……! これはもう呪相・玉天崩を放つしか!」

 みだりに女性の手を握り続けるわけにもいかない。感謝の念を出来る限り強く伝え、ネロの手を取る。同じように感謝した。

「ありがとう、ネロ。本当に助かった。玉藻の前を召喚してくれたお前も、俺の命の恩人だ」
「楽にせよ、シェロ。きっと神祖は、必要なのが自分ではなく、此度の招きに応じてくれたキャスターだと判断して繋げてくれたに相違あるまい。それに命の恩人というのは余にも言えた事だ。第二特異点のローマにて救われた恩……これで返した事にしてくれればそれでよい。気にするな」

 ああ、本当に得難い友人と出会えた。
 人理を巡る旅の途上でも、いい縁に巡り会えるのが救いだった。

 岸の方から声がした。ドレイクだ。出航するよ野郎共! ちんたらしてないでさっさとしな! 勇ましい海賊の、ヤケクソ気味な閧の声もする。どうやら無事に焚き付けられたらしい。それもひとえにドレイクへの信頼があるから出来た事なのだろう。

 俺は苦笑する。そして俺達は黒髭の宝具である『アン女王の復讐号(クイーンアンズ・リベンジ)』へと乗り込んだ。目的を探すのが目的の、宛のない航海のはじまりだ。
 ふと閃いて、俺は嗤う。あのヘラクレス野郎をぶちのめす奇策が。ネロと会話している玉藻の前に頼めばやれるはずだ。彼女は呪術の使い手なのだから。

「――にしても、まさか生前のネロさんと主従になるだなんて、この海の狐の目を以てしても見抜けませんでしたよ」
「うむ。そなたは英霊の余と会った事があるのだったな? どんな経緯であれ、余がローマ皇帝として英霊に名を列ねているのは安心できる。余はこうしてカルデアにいるが、余の成した事が後世に繋がっているのだからな……」
「というより私からしてみたら、特異点から別の時間軸にマスターとして引き抜かれるだなんて、聖杯の力業と言っても無茶苦茶じゃないです? そこんところ悔いとか、恨み節とかないんですか?」
「ない。サーヴァントの余には興味はあるが、カルデアの余とは起源を同じくするだけの別人だ。それにカルデアが来ねば、そもそも余は死んでいたし……来ても来なくとも、あの特異点でのローマは滅んでいた。謂わば余は帰る国のない亡国の皇帝だ。今後はそのつもりで接するがよい、キャス狐よ」
「……はい。それもまた是です。ネロさんが手強い恋敵ではないというのも些か寂しくもあり嬉しくもあり……広い世界です、そういう事もあるのでしょう。ご主人様との事がないから、いい友人になれそうですしね」
「――ああ、見知らぬ誰かの良妻狐の玉藻さん。略してタマさん。話があるんだが、いいか?」

 何やら意味深なやり取り故に割って入るのは躊躇われたが、どうにも一段落ついたようなので、一応の断りを入れる。
 すると玉藻の前はにこやかに応じてくれた。矢鱈とフレンドリーというか、距離感が近い。何故なのか。

「はい。その前に一つ、こちらからよろしいですか?」
「ああ、どうぞ。レディ・ファーストだ」
「あらお上手。――えっとぉ、いきなり過ぎて可笑しく思うかもしれませんが、貴方のお名前は衛宮士郎、あそこのキザな弓兵とは起源が同じなだけの別人である殿方ですよね?」
「? そうだ。それがどうかしたか?」
「いえ。ということは、辿った人生の道筋も異なると受け取って構いません?」
「ああ」

 何が聞きたいのか、僅かな逡巡と共に彼女は曖昧に言う。

「ふわっとした感覚でお訊ねするのもアレなのですけど……以前私がお仕えしたご主人様――あ、もちろん今もお仕えしてるんですが。それはそれとして、奇妙な直感というか良妻の予感と云いますかですね……」
「……?」

「あの、もしかして、荒唐無稽で脈絡がないのは百も承知ですが……エミヤさん。もしかして貴方は……『岸波白野』様というお名前に聞き覚えがあったり……します?」

「白野? 知ってるが……なんだ。まさかタマさんのマスターは白野だったのか?」

 何気なく応じる。というか白野……平行世界の事なんだろうが、お前も聖杯戦争に巻き込まれてるのか……。思うところはあるが、玉藻の前の雰囲気的に無事ではあるのかもしれない。

 ビーン! と玉藻の前の耳と尻尾が逆立った。おお! と感動を露にするタマさん。俺としてはその耳と尻尾が気になる。切実に触りたい。が、流石に不躾かつ破廉恥なので自重した。
 何を隠そう俺は犬派であり猫派でもある。寧ろ可愛いものは満遍なく好きだった。

「やっぱり! で、で! どんな感じでお知り合いに!?」
「話せば長く――は、ならないか。普通に旅先で出会って、幼い白野に懐かれてな。白野のご両親共々親しくさせてもらっただけさ」

 一体の死徒を巡り、聖堂教会と魔術協会の狩りが行われ……旅先の長閑な街は火に包まれた。
 俺にとっては今後、滅ぼすべき邪悪を見定めたターニング・ポイントだったが、被害者にとってはあくまで悲惨な悲劇だった訳である。一言で語れるものではないし、軽々しく語るべきでもないだろう。だから親しくさせてもらった、という部分しか言えない。

 玉藻の前は目を輝かせて幼い頃の白野の話をねだってくる。それに応えて、出来る限り詳細に当時のやり取りを語った。
 しかしふと、俺も感じていた違和感を、玉藻の前は問い掛けてきた。

「――あの、もしかしてエミヤさんの仰るご主人様は……女性、だったりするんですか?」
「ああ。というより、タマさんの云う白野は男みたいだな」
「ええ、男性です。しかしあの方の記憶――幼い故に顔などは曖昧でございましたが、確かにエミヤさんとのやり取りは明瞭に残っておりました。私のご主人様のオリジナルである方は男性ですが、異なる世界でも貴方と出会っていたのですね」
「そうか……白野が男か。ふ、さぞかしいい男になったんだろうな……」
「それはもう! そして――ええ、どうやら貴方はご主人様にとって、とても大切な方のようです。それだけ分かればもう充分! 私が惹かれたご主人様に、貴方が多大な影響を与えたとなれば私にとっても恩人です。善き出会いを、ありがとうございますと言わせてください」
「礼は要らない。白野が歩み、白野が君を惚れさせた。ならそこに俺みたいな外野が関わる余地なんか無いんだからな」
「それは確かに。私のご主人様はまあ、厳密に言えばその、地上のご本人とは直接的な繋がりをお持ちではありませんでしたし。――でも、そんな中でも、貴方との事を覚えていられるほど深い想いでした。ですので、私が貴方に感謝するのは私の勝手。そういう事です」

 なるほど。
 勝手に感謝されるのは座りが悪いが、それを咎める権利はこちらにはない。玉藻の前が感謝してくれているなら、そんな俺に恥じない在り方を俺が保てばいいだけだ。

「――私に呼び掛ける声が届いたのは、私にネロさんとの縁があったのと……私と懇ろにお付き合いくださるご主人様と、エミヤさんに深い縁があったからなのでしょうね。謂わば貴方がここで命を拾ったのは、貴方のこれまでの道が貴方を見捨てなかったから。エミヤさんは、善き道を歩まれていたから、勝手に助かった。ですのでエミヤさん、私に感謝する必要はありません。どうか自然体でよろしくお願いしますね」
「了解した。だが感謝の気持ちは忘れない。それも俺の『勝手』だろ?」
「みこっ? あら。これは私としたことが、一本取られてしまいましたね」

 そう言って、玉藻の前は口許を裾で隠し、典雅に微笑んだのだった。






 

 

策戦の時間だね士郎くん!




「拙者の船に美女がひぃwふぅwみぃw うおおお! みwなwぎwっwてwキター!www
 可憐にして清廉な騎士王様! 可憐なれど冷酷な騎士王様! 穢れを知らない純情無垢なマシュマシュ! 暴君とはなんだったのか美の化身ネロちゃま! アルゴノーツの紅一点アタランテちゅわん! そしてそしてぇ! 古き佳き大和撫子! ケモ耳尻尾のモフモフ系超絶美女のタマモ殿! デュフフwww 拙者の船にこれだけ乗ってもらえるなんて光栄の極み……はっ! 拙者の船に乗る……? サーヴァントにとって、宝具は本体……つまり拙者の上にそれぞれ趣の異なる美女達が乗っているのと同義なのでは!? くふー! とか守護者総括的な興奮を示してみたりwww そう拙者こそは美女達の守護者www」

 うぜぇ、と直截的に顔を顰めるのはクー・フーリンだ。男性陣を頭数に入れず、さらりと完全にスルーする黒髭の語りに、俺としても放置一択しか有り得ない。
 黒髭は航海に出てからずっとこの調子だ。フルスロットルで喚き続けている。騒がしい奴だなと頭が痛くなる一方、知らず頬が緩んだ。この気が狂ったような喚声は、何も黒髭の言う所の美女を多数乗せている故のものではなかった。
 『アン女王の復讐号』と並んで航行する『黄金の鹿号』に、子供のようにはしゃぎ回りたいのを誤魔化しているだけなのだ。謂わばプロ野球選手に憧れていた野球少年が、大人になってプロ野球選手となり、憧れの人と同じ球団に入って野球をする事が出来た――といった風情の感動である。
 それと判じられるからこそ、俺は制止しない。まあだからといって誤魔化しの対象とされている女性陣が、不愉快な巨漢の言動に大人しくしている必要もないのだが。

 玉藻の前は盛大に顔を引き攣らせ、ネロに問い掛けていた。

「――ちょっとネロさん、なんですかあの顔も魂もイケてないナマモノ。顔はイケてても心がひねくれてたら獣も同義、これ即ちイケモンですが、あれは顔も心もモンスター! 繋げてモンモン、逆に可愛らしい響きなのがまさに吐き気を催す邪悪……! 黒々とした魂の中に、無駄に純粋な所があって逆に不快なのですけど! (わたくし)、良妻たるもの人を見掛けで判断はしませんが、アレは無理です! 台所を不意に横切る、黒光りするG並みに無理! 近づくだけで鳥肌ならぬフォックス肌になってしまいそうデス!」
「……諦めよ。余は諦めた。あれで海上では唯一の足として重宝するのだ。多少の無礼は見て見ぬふり、存在自体をスルーせよ。どうにもアレからの賛辞を受け取っても全く嬉しくない上に、逆にぞわっとクるものがある故な」
「そ、そうですか……ネロさんをドン引きさせるとは大したものですねあのブラック・ビアード・クリーチャー。略してBBC。ですがもし不埒な真似をしようとたら、躊躇う余地なく猥褻物陳列処刑砲、もとい必殺の玉天崩を放たねばなりせんね……」

 しゅ! しゅ! 切れ味のあるシャドー金的の蹴りに冷や汗が噴き出る。さっき俺に言っていた呪相・玉天崩とは金的の事だったのか……。
 ごくりと生唾を呑み込み、戦慄を隠しつつ傍らのクー・フーリンに言った。

「……いざとなったら、楯になってくれ」
「は? オレに死ねってのか!?」
「お前霊体だろ、こっちは生身だ。潰れて困るブツじゃないだろランサーのは」
「男に潰れて困らねぇブツは無ぇよ!」
「大丈夫だから。満身創痍になっても平気な顔をしていられるお前なら金的も大丈夫だから」
「そっくりそのまま返すぜ糞マスターが!」
「……醜い争いはやめたまえ。見苦しい事この上ないぞ」

 アーチャーが心底下らなさそうに制止してくるのに、俺とクー・フーリンは顔を見合わせる。
 玉藻の前のシャドー金的によって、割れかけていた心が一つになった瞬間だった。

「生け贄はコイツだな」
「そうだな。顔は同じだしアーチャーがやられても俺がやられても同じだ」
「どんな理屈だ貴様! キャスターに貴様の所業を伝えるぞ!」
「おっ。遠回しに自殺か。流石は色男、なかなか出来る事じゃねぇな」
「くっ……! それを言ったら貴様もだろうランサー! 貴様の好色ぶりは伝説にも語られるほどだと忘れるな!」

 男性陣の絆がたかがシャドー金的で崩壊寸前に……! だめ、やめて! 私の為に争わないで!

「まあいざとなったら令呪があるしいっか」
「!? テメエ血も涙も無ぇのか!?」
「それをやったら戦争だぞ……! 戦争するしか無くなるぞ……!」
「ふはは、マスターの身代わりになる栄誉だ、咽び泣きたまえ。だが安心しろ、この特異点の間なら、黒髭の奴が最優先で使われるから」
「なんの慰めにもなって無ぇ!」

 ははは、と笑う俺を、何故か生暖かい眼差しで見守る騎士オーズ。オルタは黒髭を蹴り倒し、頭を足でグリグリと踏みにじっているので、その暖かい眼差しとの乖離具合が実に混沌としている。
 ほろりとマシュが涙を流し、アイリスフィールなど感極まったように口許を両手で覆った。

「先輩が元気に……! いつもの先輩が帰って来ました……!」
「そうねっ。ええ、マスターが元気になってくれて嬉しいわ」

 ……居たたまれなくなったので咳払いをする。マシュとアイリスフィールに俺がどう見えているのか、一度膝をつき合わせて問い質す必要があるかもしれない。

 風に乗り、波を掻き分け進む二隻の海賊船。潮風と波打つ海の調べと、どこからか聞こえてくる海鳥の鳴き声を背景に、今のところ一度もドレイクと黒髭が立ち寄っていない最寄りの島を探し求めていた。
 海図が宛にならないこの海域の状況、原因は聖杯であると見て間違いあるまい。それがドレイクの持つ聖杯のせいなのか、はたまたまだ見ぬ敵の黒幕による狙いがあるのかはまだ判然としなかった。問題は地形の把握が著しく難しくなっている事である。これは敵の探索、戦場の選択を大幅に難しくさせるのだ。指揮官(コンダクター)としては頭の痛い状況である。

 クー・フーリンとアーチャー、アイリスフィールと玉藻の前、ネロに視線をやってからデッキの手摺に向かう。其処に肘を乗せて縋りながら、俺は彼らが寄ってくるのを待つ。

「なんだ、シェロ。意味深な視線を寄越して」

 ネロが開口一番に問い掛けてくる。肩を竦め、俺は白波の立っていない穏やかな海から視線を離さず、『黄金の鹿号』のドレイクとその部下のやり取りを眺めた。
 船首に立つ星の開拓者の生前の姿。その全盛期にはほんの少しばかり若いだろう女傑はこちらの視線に気づくと不敵な笑みを浮かべた。幾人かサーヴァントを同乗させようかと出航前に訊ねたのだが、彼女は要らないと退けた。そっちの方が面白いだろう? と。まあそれならそれでいい。やる事は何も変わらないのだ。
 振り返り、デッキの手摺に背を預けて集まった連中の顔を見渡す。

「そろそろ具体的な作戦を詰めておこうと思ってな。なんの取り決めもなしにぶっつけ本番ってのはバカ丸出しだろう? 一度は奇襲された、これからも襲撃されるのは分かっている――ならその対策と立ち回りを周知して、意思統一を図るのは当然だ」
「うむ、道理である。ヘラクレスの名を汚すあの下郎は、なんとしても討たねばならん。そなたが言い出さねば余から言おうと思っておった所だ」

 ローマ皇帝ネロは、熱烈なヘラクレスのファンである。神祖が一番だろうが、二番目に是非とも召喚したいサーヴァントの候補だろう。
 故にアルケイデスの所業が赦せない。アルトリア達やクー・フーリンに、負けず劣らず腸が煮え繰り返る思いなのは想像に難くなかった。

「で、具体的にはどうするのだ? 船の上では、あの黒髭めやドレイク、騎士王らしかまともに戦えぬだろう。何せ奴の駆る牝鹿は水面でも問題なく走るというではないか」
「堅実且つ現実的に作戦を練るなら、やはりどこかの陸地で迎い撃ちとうございますね」
「それが一番だけどな、タマさん。だがそんな事はあのヘラクレス野郎も承知している。単騎で仕掛けて来る事は考え辛いが、逆に単騎でも立ち回れるとしたら、俺達が海の上にいる時だ。何せこちらの戦力の過半が海上だと無力。エドワードやドレイクの砲撃も、素早いケリュネイアの牝鹿に直撃させるなんて無理な話だろう。相手にも船を宝具に持つサーヴァントがいたら話は変わって来るが――これはアルトリアも共通認識だが、恐らく次もヘラクレス野郎は単騎で来るだろう」

 俺の場合は純然たる経験や、戦術の観点からの勘だが、アルトリアの場合はそれを込みにした生まれ持っての直感である。
 未来予知に近いその勘が、俺に同意してくれるなら間違いはほぼないと言えた。
 アーチャーは腕を組む。片目を閉じて意見を口にした。

「……確かに貴様の考えは選択肢の一つだ。だが何故そうも確信を持てる? 寡兵を以て大軍を討つ、その考えが通用する条件ではない。我々も苦戦はするだろうが、如何なる相手であっても単騎を相手に決して遅れを取りはしないぞ」
「ピントがずれてるんだ、アーチャー。俺達とあちらの事情が」

 事情? とアイリスフィールが首を傾げた。彼女は聡明だがやはり戦闘の素人である。今の一言だけで彼女以外の全員が納得していた。

「――そうか。あの復讐者の視点では、未だ衛宮士郎は快癒していない。ならば完全に立ち直られる前にもう一撃、もう一押しが欲しくなる。アサシンも落とした、多少のリスクは承知の上でも攻めるだけの価値はある」
「そういう事だ。向こうはタマさんの加入は想定外、アイリさんの宝具の力がどれほどなのかも正確には把握していないだろう。だから俺が何処まで治っているのかが今一掴めない。それを確かめる意味でも、素早く攻撃を加えに来る。――今の航路は、ヘラクレス野郎が撤退していった方角をなぞっている。次の島に着く前か、着いた直後辺りに戦闘になるだろう」
「そうこなくっちゃな」

 クー・フーリンが好戦的に嗤う。犬歯を剥き出しにした獰猛な戦意に海がざわついた。
 玉藻の前は心底不思議そうだ。あのランサーさんが此処まで強そうになってるとか、どんなインチキしたんです? その疑問に、俺は笑って答えた。聖杯戦争でインチキしないのは素人だぞと。さもあらんと玉藻の前も苦笑した。

「それにあたって考えるべきは、あの野郎にとって都合のいいタイミングだ」
「余らにとって、ではなくか?」
「単独行動の利点は、イニシアチブを握りやすい事だ。集団行動をする側は足並みを揃えなくてはならないからな。反面単独なら自分の好き勝手が出来る。リスクとなるのは危機に陥っても助けが入らない点だが、それさえ切り抜けられるならリスクを無視するのも充分にアリだろう。そして現代の戦争に於ける戦術、戦略の中で最も忌避されるのが――」
「ゲリラっつう訳だ」

 槍兵の言葉に、その通りだと俺は頷く。

 古代の名将を侮る気も、下に見るつもりもないが、こと戦術や戦略に於いて俺は劣っていると感じていない。
 何故なら彼らの時代よりも、現代のそれは遥かに洗練されている。道具は使い手によってその効果を増減させる故に、必ずしも現代の指揮官格が古代の将軍に勝っている訳ではないが、高度な視点を持っている者なら寧ろ上を行くだろう。
 俺がそうだ、とは思っていない。しかし古代の名将と対等には語れると思っている。そして断言できるのは、個としては最強でも軍を率いては、はっきり言って一流未満であったヘラクレスに負ける気はしない。

 狩人、戦士としてのヘラクレスが相手なら、俺は逃げの一手。だが武力だけではなく戦術が介在するなら――そして相手が『なんでもする』類いの外道なら、至極やり易い格好のカモである。
 俺が最も苦手とする手合いは、自分が賢いと勘違いしている底抜けの阿呆だ。思考が読めない馬鹿ほど厄介なものはないのだから。その点ヘラクレス野郎は半端に頭が切れる。ああカモだとも。

「――奴に俺を殺し切れなかった事を後悔させてやる」
「うむ」
「だな」
「うわぁ……この方は肉食系ですやっぱり……玉藻こわーい!」

 玉藻の前の戯れ言をさらりと流し、俺は彼らに向けて笑みを投げた。

「纏めよう。俺としては、奴は俺達が上陸する寸前に仕掛けて来ると踏んでいる。そのタイミングなら普通気が抜けるからな。そして海上でも遠距離から仕掛けられる奴にとって最も都合がいい。俺達の迎撃を考慮に入れても、仕掛けない理由はないだろう。ネロ、この時に俺達がすべき事はなんだ?」
「まずはドレイクらが落とされぬよう、守備を固める事だな。アルケイデスと名乗る事すら烏滸がましい下劣な外道ならば、必ず狙ってくる」
「それが一点。アーチャーは?」
「フン。決まっている。奴の優先順位は後衛である私やアルカディアの狩人、何よりもマスターである皇帝と貴様だ。奴にとって目障りな回復役のキャスターは必ず仕留めたいだろう。それをさせない配置を心掛ける必要がある」
「それで二点。だが定石だな。一つ言っておくと俺は次でヘラクレス野郎を仕留めようと思っちゃいない」
「なんでかしら?」

 アイリスフィールの質問に俺は丁寧に答えた。

「アイリさん、奴は戦術家としては大した事はないが、無能じゃない。そして戦士や狩人としては一つの神話の頂点でもある。簡単に殺しきれると考えるのはナンセンスだろう? 奴が海上で仕掛けて来る利点は、引き際を見誤らなければほぼ確実に撤退出来る点だ」
「あ、そうね。じゃあどうするのかしら」
「第一の目標は、全員が無傷で切り抜ける事。第二の目標は――奴の手札を可能な限り晒させる事だ」

 仕留められるならそうする、だが無理はしないで次に繋げる。方針はそれだ。
 次で仕留めるのは難しいだろう。だから次か、その次までに手札を全て晒させ、三度目で必ず殺すというのが、玉藻の前が召喚される寸前まで考えていた事だ。それには今も変更はない。無論、敵の新手が来た場合についても考慮の内だ。

「好いた殿方の事は一つでも多く事前に把握し、ここ一番の本番でそのハートを鷲掴むって事ですねエミヤさん!」
「タマさん、その喩えはちょっと……いやまあ、トドメの心臓(ハート)をゲットする役はランサーになるだろうけどな」
「おい。嫌な言い方すんなよ。やり(・・)辛くなるだろうが」
()だから?」
「うるせぇ!」

 槍の石突きで軽く小突かれ、俺は笑いながらも謝った。
 微かに空気が弛緩する。その弛みを引き締めようとはせず、あくまで自然に続けた。

「定石は踏む。が、それだけだったら詰まらないな。折角の賓客、催しの一つぐらいないとな?」

 それに、全員がにやりとする。俺は玉藻の前に言った。奴が存在を知らない彼女が、次の戦闘でのジョーカーだ。







 

 

おもてなしだね士郎くん!




 寧静なる海域に風が出てきた。
 潮流にうねりが入り、波高く、白波が船体に打ち付けられて飛沫が舞う。渦潮も散見された。
 温和な母なる海が、我が子に危機が迫りこれを守らんと気を立てるかのような大海原の表情。嵐の予感がある。比喩ではない嵐と、比喩である嵐の。自然と弛んでいた空気が引き締まり、上げられたドレイクの声が、弓の弦のように気を張り詰めさせた。

「野郎共支度をしな! もうすぐ念願の陸だ!」

 アーチャー、とネロが固い声で呼び掛ける。霊体化した赤い弓兵はマストの上に実体化し、強風にも揺らがず高い位置から遠くを見る。視認したのか、マストから飛び降りてきた彼は告げた。

「距離四千。切り立った岩肌が前方にある。そこを迂回すれば舟をつけられる岸壁があるだろう。向かって一時の方角に船首を向けて進めば、砂浜につける事も可能だ」

 報告を受けたネロが頷く。「総員、戦闘配置」と呼び掛けた。
 臨戦の熱を秘めた視線を周囲に向け、サーヴァント達が配置につくのを見届けると、前方を進む海賊船のドレイクへ大声で呼び掛ける。大音声を張り上げねば、声が届かないほどの風だ。

「フランシス・ドレイクよ、来るとしたらそろそろであるぞ!」
「は、そうだね! アタシのうなじもビリビリしてらぁ! おら野郎共、気張りなァ!」

 ヤケクソの鬨の声。肝を据えた海の男は、いざとなっても及び腰にはならない。
 それを頼もしいとは思わない。安易な敵ではないのだ。どっしり腰を据えたからと、簡単に勝てるほど易い復讐者ではないだろう。

 ――転瞬、『アン女王の復讐号』が揺らぐ。敵襲だ! アタランテの声が響く。やはり来たかとネロが忌々しげに剣を握った。

 多数のサーヴァントの知覚出来る限界域の外、荒れた海面を抉る、長大な矢が飛来したのだ。
 黒髭エドワード・ティーチが哄笑する、大胆不敵なる大海賊の嘲笑である。

「ダァッハハハハ――ッ! 俺の船をたかが矢なんざで沈めようたぁ、ふてぇ野郎だ! だがよぉ! 俺ぁそんな易かねぇぞ……!」

 激甚な憤怒に彩られた凶相が殺意を放つ。
 宝具『アン女王の復讐号』の最大戦速は大した事がない。しかしその代わりに装甲が厚い。
 そして何よりも、黒髭艦隊の旗艦は搭乗した船員の力量によってその装甲や火力を向上させる特性があった。黒髭の愛船には今、九騎のサーヴァントがいる。その強度と火力は飛躍的に向上し、アルケイデスがサーヴァントの半身を消し飛ばす威力の矢を直撃させても、船に損傷は全くの皆無であった。

 その巨躯より凶悪な獣気を立ち上らせ、海賊は吼えた。

「全砲門開いてぇ! そしてぇ、撃て撃て撃て撃てぇ――!
 んんwww 一方的ですぞwww」

 黒髭の旗艦より四十門の大砲が顔を出す。その威容は宝具の特性で魔界の牙が如きそれへと変貌している。大砲に面していた海面が、砲撃の衝撃で大きく抉れた。
 砲弾は矢の飛来した方角へ向けられていた。間断なく撃ち放たれる絨毯爆撃は、一国を一時間もあれば焦土に変えてしまいかねない大火力。打ち上がる水柱は天にも届き――爆発は海をも引き裂く。誰の予想をも上回る火力の強化率に黒髭は喝采を上げた。

「ハッハハハ、ハァーハッハッハハハハデュフフフwww 行けや低級霊の野郎どもぉ! 虫の息の糞野郎からお宝を根刮ぎ奪って来やがれハハハ! これで勝った、黒髭完!」

 具現化するは黒髭艦隊の無数の低級霊、全てが海賊である。
 嘗てカリブ海に君臨した大悪党の支配下にあった多数の海賊、その物量は数多の英霊が持つ宝具の中でも極めつけだった。
 船員に多数のサーヴァントがいたら、海という戦場に於ける最強は黒髭なのではないか――その戦慄に多大な説得力が滲む。

 低級霊もまた大幅な強化が加わり、その一体すらもがサーヴァントの残留霊基であるシャドウ・サーヴァントに匹敵する。圧倒的物量に質が加わり、もはや単騎の敵に成す術はないかに思われたが――しかし。海賊の亡霊らは海面を疾走し、不気味な鬨の声と共に矢を放って来たであろう復讐者に襲い掛かるも。

 其処には誰もいなかった。

 戸惑ったように振り上げた剣の行き場を探す海賊の亡霊。高笑いしていた黒髭は目を点にする。あり? あの糞野郎はいずこへ?
 困惑する黒髭の後頭部へ矢玉が飛来する。黒髭がまるで反応すら出来ていなかったそれを、槍の一閃で叩き落としクー・フーリンが喚起する。

「来たぜッ」

 ――げに恐ろしきは神速の聖獣。召喚者が神性を捨てた者故に神獣の位は喪失しているも、その脚が鈍る事はなかった。
 自身を捕捉すらしていない砲撃など恐れるまでもないとばかりに、ケリュネイアの牝鹿は『アン女王の復讐号』による砲撃を、発射前から爆撃地点より脱出していたのだ。
 正確な位置を掴まれる前から回避していた聖獣は、騎乗者の意思を受けて船体の後尾についたのである。そのまま荒海を蹴り海賊船の頭上より船を展開している黒髭を弓で狙った。矢は弾かれる、あわや絶命する寸前であった黒髭は、しかし危機感を抱いた素振りすらなく頭上を仰ぐ。

 優雅に虚空を飛び越えていく、黄金の角を持つ牝鹿。巨漢は吼えた。

「――分かってんだよ、勘で撃った砲弾に当たるほど鈍くは無ぇってなぁッ!」

 ネメアの獅子の毛皮を剥いで加工した、神獣の裘より船上を垣間見る復讐者の眼光。『アン女王の復讐号』の上空を飛び越えるまでの時は刹那、されど卓越した動体視力を持つ復讐者にはそれで充分。
 黒髭、光の御子、錬鉄の弓兵、二騎の騎士王、楯の少女、聖杯の嬰児、狩人――狐? 新たな敵影を確認する。未知のサーヴァントだが武威は感じられない。風貌とも合わさってまず戦士ではない。暗殺者でも。であれば、

「キャスターか」

 能力は何か。日ノ本の英霊であれば、魔術ではなく呪術とやらを扱うのかもしれない。それなら対魔力は役に立つまい。最高ランクの対魔力を持つからと慢心する訳にはいかない。
 あの白髪の男は何処だ? 姿が見えないが。やはり船内で休んでいるのか。しかし黒髭の宝具である船にこれだけのサーヴァントが乗っているのだ。であれば防備の観点から見て、その前方を往く海賊船にサーヴァントのマスターが乗っている事はあるまい。現に金髪の女マスターは宝具の海賊船にいる。
 であればそちらを狙い海の藻屑としても敵戦力の削減は望めない。狙う価値はないが――だからこそ狙う。

「どぉっせい! 槍男、逝けやァ――!」
「見え透いてんだ、テメェのやりそうな事は」

 黒髭がその膂力を唸らせる。両手を組み、光の御子を空中に押し出した。
 推進力を得たクー・フーリンは、前方の『黄金の鹿号』に弓を向けた復讐者へ挑み掛かる。真紅の呪槍を以て刺突を放つが、復讐者は来るのが分かっていた故にあっさりと牝鹿の身を躱させ、大弓で槍を払う。空中ゆえに踏ん張りが利かず、本来の力を出し切れない光の御子を嘲った。

「今度は以前のようにはいかんぞ、忌々しき神の御子よ」
「ほざいてろ――」

 交錯は一瞬。重力に引かれ、落下していく槍兵に最低限の意識を常に割きながら、牝鹿を海面に着地させる。再び跳躍させ、船ごとフランシス・ドレイクを消し飛ばさんと弓を構えた。
 星の開拓者が吼える。

「――全砲門開けぇ! 藻屑と消えな!」

 時は干潮。潮が低い。海底より剣山のような岩の突起が覗いている。そこへ船員が縄の輪を投げ掛け、剣山の如き岩を起点に『黄金の鹿号』が急激に旋回する。船体の真横に獲物を捉え、空中の牝鹿目掛けて砲弾が撃ち放たれた。
 アルケイデスが己に狙いを定める寸前より旋回は始まっていた。己を睨む砲口に復讐者は憎悪に染まった瞳で暗く笑む。

 迫る砲弾は、己にはまるで功を奏さない。だが牝鹿は違う。騎乗する忌々しい聖獣を護る為、舌打ちしながら砲弾を矢で撃墜した。

「おいおい……冗談きついよ?」

 砲撃より半秒としない内に全弾を撃ち落とされたのを目撃し、さしものドレイクも顔を引き攣らせる。
 聖杯を所有するドレイクの乗る船だ。その銃撃や打撃は言うに及ばず、彼女の駆る船もまたサーヴァントに有効な攻撃を与える事が可能となっていた。
 にも関わらず、全ての砲弾が撃ち落とされたのである。神業だ。弓は矢をつがえ、弦を引き、狙いを定め、放つという動作があるというのに、それを全く感じさせない速射だった。

 『黄金の鹿号』は旋回し『アン女王の復讐号』の後尾につく。アルケイデスに接敵するや多数の剣群、矢の雨がケリュネイアの牝鹿を襲った。
 錬鉄の弓兵とアルカディアの狩人だ。自身らの矢や剣が、アルケイデスに効果がないと見切っている故に、その足となっているケリュネイアの牝鹿を狙うのは必然だった。
 アルケイデスは無造作に牝鹿の腹を腿で締め付け、牝鹿の頭を下げさせると、海面を黄金の角で掻き上げさせた。水柱が突き上がるも、そんなもの防壁にもならずに剣群と矢雨は突き抜ける。
 だが――水柱が消えると、アルケイデスの姿もまた消えていた。聖獣もいない。一同が瞠目し、その行方を探るも周囲にその姿はない。ならば上かと見上げるも、そこにあるのは天高くある日輪を翳らせる暗雲のみ。奴はどこへ? アルトリアが鋭く指した。

「後ろです!」

 言うのと同時だった。
 アルケイデスを乗せた牝鹿が海中から現れたのである。

「海の中から!?」
「奴め、性懲りもなく……!」

 アイリスフィールが驚愕し、ネロが憎々しく吐き捨てる。復讐者が狙うはまたもドレイクの船であった。弓に矢をつがえ、今度こそ撃沈せしめんと狙いを定めた。ヤバイ、とドレイクが戦慄した瞬間、

「――だから、見え透いてるっつってんだろうが」

 アイルランドの光の御子がその直上へ突っ込んだ。

「ヌ……!」

 咄嗟にアルケイデスは槍の穂先を大弓で受け止める。鬩ぎ合いは一瞬、神獣の裘越しに交差した視線。侮蔑の視線、憎悪の眼光。聖獣がアルケイデスの受け止めた槍の衝撃に足を痺れさせた。
 転瞬、槍を打ち払いアルケイデスは失笑した。

「荒波に呑まれ、失せよ」
「そうは問屋が卸さねぇぜ」

 弾き飛ばされたクー・フーリンは『海面に』着地した。慮外の現象にアルケイデスは目を剥く。本能的に危機を察し、離脱するべく牝鹿を走らせるも、聖獣は見えない壁に阻まれたかの如く制止させられた。

「貴様――空間を固定したのか……!」
「は、袋の鼠ってなぁ!」

 それはルーン魔術。彼の師であるスカサハの魔術奥義『死溢るる魔境への門(ゲート・オブ・スカイ)』、その応用だ。
 本来は影の国へ通じる門を開き、その地へ送還するものだが、影の国の王ではないクー・フーリンにはそれは再現出来ない。故に彼はその一部、魔力を急激に吸収する効果と、周囲空間を固定化する力を再現したのだ。だからクー・フーリンは海面に立てた。そしてその場に閉じ込めたアルケイデスの魔力を吸収し、能力を劣化させたのである。

 キャスターのクラスのクー・フーリンに出来る事は、ランサーのクー・フーリンにも出来る――

「アーチャー、やれ!」
「『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』――!」

 ネロの指示が飛び、クー・フーリンは即座にその場を離脱する。アルケイデスは咄嗟に牝鹿を送還して消したが、己へ迫る剣弾への対処は遅れてしまった。
 錬鉄の弓兵が黒弓につがえた螺旋の剣を射出する。それはルーンの結界を易々と貫き、アルケイデスに着弾する。同時に投影宝具は炸裂した。壊れた幻想――無論、人の手による作である螺旋剣は神獣の裘を突破出来ない。されどそれに覆われていない部分はその限りではなかった。
 炸裂した爆発がアルケイデスに確実なダメージを刻み込んだ。激痛よりもその屈辱に呻き、アルケイデスは結界が崩れ去るより前にそれを足場に跳躍した。

 『黄金の鹿号』の船上に乗り込んだアルケイデスは、神獣の裘に覆われていなかった腕や脚を焼け爛れさせ、憎悪と共に弓を消し魔大剣を取り出す。

「――やってくれる」
「まだまだたんまりあるよ? コイツはアタシの奢りだぁ!」

 デッキの隅に下がった船員をよそに、ドレイクは怯む素振りすらなく二挺の拳銃を連射した。
 その全ては神獣の裘に阻まれ、まるで意味がない。故に彼女から視線を外し、一足先に船の上にて待ち構えていたクー・フーリンを睨み付けた。魔大剣を構え、アルケイデスは大剣の間合いまで瞬時に踏み込もうとする。

「魔槍は使わせん」
「余所見とはな。その傲り、高くつくぜ?」
「何――?」
「どこ見てんだいッ!」

 銃撃がまるで意味を成さぬと見るや――ドレイクは素手で殴り掛かってきていた。
 生身の、それも女が明らかな格上に白兵戦を挑んできたのに、さしものアルケイデスも面食らった。その拳を咄嗟に受け止めたのがアルケイデスの不覚。なまじ卓越した反射神経を持っていたのが不運。瞬時にドレイクの拳を握り潰すもその瞬間は明確な隙だった。

「呪いの朱槍をご所望みてぇだな? 喰らいな、『刺し穿つ(ゲイ)』――」
「グッ……!」

 ドレイクを捨て置きアルケイデスは全力で後退した。隔絶した戦士を前にして隙を晒すなど言語道断、己の失態にアルケイデスは歯軋りし、魔槍の真名解放を凌ぐべく肉壁を押し付ける。
 宝具『十二の栄光』より召喚せしは『クレタ島の暴れ牛』と『ディオメデス王の人喰い馬』だ。海神により凶暴化した魔獣の牛と、軍神の子が飼い慣らしていた四頭の聖獣がクー・フーリンに迫る。

「――『死棘の槍(ボルク)』ッ!」

 魔獣を一突きで屠り、四頭の聖獣の合間を掻い潜ったクー・フーリンはアルケイデスに肉薄した。

「飛べ」

 己の腹筋が爆発したような衝撃に苦悶する。光の御子の蹴撃がまともに入り、アルケイデスはドレイクの船から『アン女王の復讐号』まで吹き飛ばされる。
 黒髭の旗艦のマストにぶつかり、落下した復讐者を待ち構えていたのは、楯の少女と騎士王ら。黄金と漆黒の聖剣の光が復讐者を照らしている。

「やぁぁ!」

 マシュ・キリエライトは果敢に攻める。大楯を前面に押し出した体当たり。その楯を破ること能わぬと、復讐者は認めていた。故にアルケイデスは魔大剣ではなく、片腕でその突進を受け止め、マシュの背後より飛び出してきた黒王の剣撃を魔大剣で止める。
 重い。片腕では止めきれない。たたらを踏んだアルケイデスへ、麗しき華の怒りが叩きつけられた。

「不快である、余の眼前より消えよ――!」
「後詰めは拙者に任されてぇ!」

 深紅の工芸品が如き剣は灼熱を纏っていた。アルケイデスはその剣を、この期に及んで曇りもしない心眼で捉え、敢えて神獣の裘で止める。しかし死角より飛び込んできた黒髭の飛び膝蹴りは防げなかった。いや、防がなかった。
 感じていた。巨漢の殺気を。だがそれは致命的ではない。敢えて打撃を受ける事で、アルケイデスは自ら吹き飛ばされてこの死地からの離脱を目論んだのだ。だが――蒼き騎士王が打撃の一つのみで易々と逃しはしない。お土産を忘れているぞとばかりに暴風を装填している。

「風よ、撃て――『風王鉄槌(ストライク・エア)』!」
「ッ!」

 アルケイデスの全身を風の魔力が打ち据える。船外に押し出されたアルケイデスは己が決して軽くない傷を負ったのを自覚する。
 襤褸屑となった体が宙を舞い、されどカルデアの猛攻は止まらない。

「我が弓と矢を以って太陽神と月女神の加護を願い奉る。この災厄を捧がん。――『訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)』」

 アルカディアの狩人の宝具である。天に向かって放たれた二本の矢が、雲を突き抜け変じた。
 間断なく降り注ぐは矢の弾幕。一軍をも射殺す封殺の空間。それはアルケイデスの守りに対して全くの無力だった。だが、空中に打ち出されていたアルケイデスに回避はままならず、迎撃も間に合わなかった。
 全身を矢の弾幕に打ち据えられ、あらゆる動きが封じられた。ケリュネイアの牝鹿も召喚出来ない。下手に呼び出せば瞬く間に蜂の巣となるだろう。故にアルケイデスは、そのままなら海面へと叩きつけられ、そのまま沈んでいく定めだった。

 故に、アルケイデスは手札を切る。

「森羅万象とは遍く暴威(カミ)の似姿だ」

 ――不意に海流がうねった。歪み果てた復讐者が、海面に落ち行く中で赤黒い腕を天に伸ばしている。
 天を翳らせる暗雲。逆巻く瀑布の如き魔力の奔流。稲妻を纏いてアルケイデスの腕へと堕ちる、自然(カミ)の力。

「謳うは悍ましき暴君の弑逆。なればこそ、私は万象(カミ)の力をも捩じ伏せよう……!」

 天より逆巻きて堕落する暗雲は竜の如く。彼を呑まんとする大海もまた翻り、彼の下へと集う。
 あたかも天の権能を簒奪するかのような。海の潮流を踏みにじるかのような――海面へと落ちたアルケイデスを、大海は甘んじて受け入れる。

 組伏せられた手弱女を彷彿とさせられる。
 真紅の復讐者は自然の理を捩じ伏せ――その脚で海の上に立った。

 神話に曰く。

 『ヘラの栄光』と名乗らされた英雄はその第五の試練にて、決して洗い落とせぬと思われていた神獣、聖獣の糞尿に塗れた家畜小屋を洗浄する為に、二つの河の流れを呼び込んで強引に洗い流したという。――即ちそれこそは、水の理の支配に他ならない。
 束ねられた天と海の理、その圧倒的な魔力は大地を削り、大陸をも抉るだろう。其れは軍勢など歯牙にも掛けず、城壁など防波堤としても機能させない。国を滅ぼし、世界に亀裂を刻む、まさに暴圧の具現。

 雲という水、海という水を近くに置いていたアルケイデスにこそ地の理はあった。

 復讐者は自らの腕に装填した、桁外れの潮流と雷鳴を轟かせ、軋むような憎しみを込めて囁く。

「『人の星、震撼せし万象(アウゲイアス・ヒュドール)』」




 二つの札を潰され、一つの鬼札を切った。

 人理の救済を目指す男は嗤う。狙い通り、と。
 歪まされた大英雄の残骸も嗤う。思った通り、と。

 思惑を乗せた船は航行を止めず、もう間もなく陸地へと辿り着こうとしていた。






 

 

サドンデスだ士郎くん!




 荒れ狂う大海を踏み躙り、森羅万象をも捩じ伏せんと軋む真紅の腕。それを基点に、日輪を想起させる稲光が閃き暴風雨が渦を巻く。
 ――彼の周りだけが不気味に凪ぎ、陸の平地を想わせる程に海は平らな足場となっている。それはあたかも大海原が単独の個に屈服したかのような、人智を超えた光景だった。

 聳え立つ螺旋の水柱が、紅蓮に脈動する復讐者の豪腕へ圧縮されていく。
 其れは天上へと牙を剥く水の龍。激発寸前の濁流の砲門、削岩の顎。大陸をも削り割らんと鳴動する力の束は、地殻変動に三倍するエネルギーを捻出していた。

『馬鹿な……』

 呻いたのは、カルデアの管制室から現場を観測する『鉄』のアグラヴェインだった。

『魔力観測値2000000オーバーだと!? 最上級の宝具火力すら1000から3000でしかないというのにッ、陛下の聖剣、その通常火力すら比較にならん……! 奴は権能を掌握しているとでも云うのか!? 対軍、対城、対国の枠にすら留まらない、対界宝具だとでも……!』
『待つんだアグラヴェイン……これは権能なんかじゃない。魔力に物を言わせた反則だ! なんらかの、いや、アヴェンジャーは確実に聖杯の(・・・)バックアップを受けている!』

「――聖杯だと? ……それがなんだ。レオナルド、狼狽えるんじゃない。……どんなものであれ、俺達は超えるしかないんだ」

 悲鳴にも似た叫びに応える者が在る。黒髭の旗艦より姿を現し、船首より眼下の悪鬼を見下ろすのは、カルデアの主柱と目される歴戦無敗の鉄心・衛宮士郎である。

 暗澹たる顔色だ。精魂尽き果てた、今にその生気が燃え尽きる寸前の面相である。蝋燭の火が、消える直前に燃え上がるように、爛々と琥珀色の瞳を燃やして赤黒い悪鬼を見据えていた。
 その姿を視認した悪鬼が嗤った。やはり出てきたか、と。
 歪んだ憎悪を燃やす羅刹は確信していたのだ。危機に陥れば、あの男ならばどんな状態であっても確実に出て来るであろう事が。
 さあどうする。こちらは札を切ったぞ。こちらにだけ札を切らせ、そちらは何もなし等と虫のいい事をさせはしない。見せてみるがいい、お前が憎むに値する強者であるかを。蟻を踏み潰すかのような鏖殺を望んでいるのではない。驕り高ぶる力持つ暴君を、この腕で縊り殺したいのだ。――カルデアは……暴君か?
 自問は溶けて消える。考え事をしている場合ではない。

「アーチャー、間に合わせよッ!」
「無茶を言ってくれる……!」

 ネロが錬鉄の弓兵に指示を飛ばす。慌ただしく弓兵が船の後尾に回った。

「セイバー、やってくれるか」

 ――ここ一番の大事な局面で士郎が恃むのは、最も信を置く剣。騎士王アルトリア・ペンドラゴンである。星の内海で鍛えられた最強の聖剣を手に、壮絶な覇気を気炎として、劫々と燃える清冽な偉志が騎士の盟を謳っている。
 その(まなこ)が告げていた。――お任せを。シロウの道に立ち塞がるあらゆる障害は、我が聖剣を以て打ち砕くが我が忠節。騎士の誉れは貴方と共にある。マスター、指示を。

 衒いなき騎士王の信に、鉄心の男もまた揺るぎなき信で応えた。

令呪起動(セット)。セイバー、お前の剣に、俺達の勝利の輝きを」

 具体性の欠いた、抽象的な指令に蒼き騎士王は莞爾と笑む。言葉の裏に隠された祈りと信頼に、応えられずして何が騎士王、何がサーヴァント、何が愛する男の剣か。
 敗着の運命など訪れない。この剣は未来を照らす希望の光。輝ける命の奔流。伝説に名高き騎士達の王は、今こそ聖剣の封を解く。

「十三拘束解放──円卓議決開始」

 それはブリテンにて円卓を築いたアルトリアの戒め。『強すぎる兵器は、ここぞという時しか使用してはならない』というもの。特定の条件を半数クリアする事でその拘束が解かれるのだ。
 アルトリアの脳裡に在りし日の戒めが過る――

 『共に戦う者は勇者でなくてはならない』と、サー・グリフレットが忠告した。
 『心の善い者に振るってはならない』とサー・ボールスは窘めた。
 『是は生きる為の戦いであるか』と、 サー・ケイは糺した。
 『是は己より強大な者との戦いであるか』と、サー・ベディヴィエールは諌めた。
 『是は人道に背かぬ戦いであるか』とサー・ガヘリスに問われた。
 『是は精霊との戦いではないか』とサー・ランスロットが念を押した。
 『是は邪悪との戦いである事』を、モードレッドは王の在り方と共に確かめた。
 『是は私欲なき戦いである』と聖杯に選ばれしギャラハッドは確かに認めた。

 そして。

「是は――世界を救う戦いである」

 解き放たれるは九つの封。星の鍛えた最強の幻想(ラスト・ファンタズム)は、眩い黄金の燐光で周囲を照らす。おお……。信じがたいものを見たように、黒髭が眼を見開いている。



「『人の星、震撼せし万象(アウゲイアス・ヒュドール)』」

「『約束された(エクス)――勝利の剣(カリバー)』ァッ!」



 打ち出されるは二柱の水の龍。辺りの海水全てを巻き込み、膨大窮まる数千トンもの質量を無限に等しい魔力の猛りに後押しさせて束ねている。大陸を四つに引き裂く対界宝具が撃ち放たれ、震撼する大海の悲鳴が海底の土を露出させた。
 潮流が大いに狂い足場となる船は掻き回され地に落ちるが摂理なれど、黒髭の船は宝具である。多量の魔力を燃焼させ――海賊船は「空を翔んだ」。
 赤い弓兵によって投影された数十ものワイヤーに連結された『黄金の鹿号』もまた、引き摺られるようにして空を舞う。迫る恩讐の狂咆。迎え撃つは、不敗の男へ寄り添う常勝の王。彼と我が共にあるならば、万が一にも敗走など有り得ないと高らかに謳う。
 禍々しく咆哮する、天昇る二柱の水龍。
 只管に尊い黄金を煌めかせる、究極斬撃。
 激突の瞬間、光が死に、音が絶える。刹那の拮抗は無限に等しく――果たして最強の幻想は、対界に至った暴龍の咆哮を蒸発させた。
 周囲数百メートル四方もの海水と、天を覆わんとしていた暗雲を束ねた、対界宝具を根刮ぎ蒸発させたのだ。その極光は嘗てない煌めきを伴い、日輪の輝きにも劣らない燐光の雨が燦々と降り注ぐ。

「あ、姐さんっ、お、俺らの船が翔んでますぜ!?」
「黙ってな、舌噛むよ! ――にしても、ハハハハ! コイツはご機嫌だッ! 船で空を翔ぶなんてねぇ!」

 海賊にとってこの貴き幻想の輝きよりも、自身の船が空に在る事の方が驚嘆に値するらしい。
 大穴の空いた海を埋めんと、辺りから海水が押し寄せている。その流れの激しさは渦潮を無数に生み、大海嘯の轟音は世界の終わりを如実に物語る。
 宝具同士の撃ち合いは、聖剣が上回った。その事実に、宝具を放った直後に跳躍していた大英雄は歓喜する。――それでこそ世界の救済者達。お前達ならばこの身を超える事も叶うだろう。
 その称賛の念は翳る。潰れて消える。膨れ上がる憎しみの呻き。十二の栄光の内にある最大規模の試練(きりふだ)が踏破され、純化していく復讐者は恍惚としていた。

「見事だ。――この賛辞を送るのはこれで幾度目だ? 楯の少女、カルデアのマスター、アイルランドの光の御子……そして誉れ高き聖剣の王。どれほど讃えてもまるで足りぬ、お前達は真実、無上の英雄達だ」

 空に在る黒髭の旗艦、そのマストの上に、赤黒い復讐者が現れていた。
 だがその様子がおかしい。その偉容に負の想念が無かった。今の彼は雄大な山脈のように雄々しく、広大な平原の如くに広く、無辺の大海原のように深い。爽快さすら感じる暗黒の波に呑まれ逝きながらも、高潔な英霊の霊基(ほんのう)が微笑んでいたのだ。

「へ、ヘラクレス……?」

 ネロが呆然と呟く。聖杯の支配、何者かの呪い――それすらも、大英雄を完全に支配し切れてはいないのだ。
 だがその意志が表出するのは、これが最後なのかもしれない。華の皇帝の憧れた、驍勇無双の武人。その成れの果ては限界を越えていてなおも口惜しげに嘆いた。

「叶うならば本来の私として対峙したい所だったが、生憎とそうはいかん。警告しよう、人理の守護者達。なんとしても星の開拓者の船を護るがいい。さもなくば――」

 遺志が途絶える。代わりに表れるは反転存在、無双の勲を打ち捨てる卑劣外道。
 噴き出す邪悪な魔力の噴流が、夥しい呪詛の思念と共に嘲笑した。

「――ああ、貴様らの旅路を潰えさせてやろう」
「ッ、来るぞ!」

 偉丈夫足るアルケイデスの身の丈ほどもある、長大な魔剣マルミアドワーズが現れる。
 それを片腕に握り、もう一方の腕が虚空を鷲掴みにした。

「空を飛ぶ船、実に嬲り甲斐がある。だが忘れてはいまいな? 地の利は未だ私にある。貴様達の人の和で、果たしてどこまで持ちこたえられるか――見せてもらおう」

 下方の海流が突如として噴き上がる。活火山の噴火にも似た濁流がそそり立った。真名解放ならざるその水柱を受けても、黒髭の『アン女王の復讐号』は健在だろう。
 だがしかし、聖杯の所有者フランシス・ドレイクがいるとはいえ、宝具ならざる『黄金の鹿号』が耐えられる道理はない。なんとしても護れと大英雄は告げた。その意図は不可解で応じる理由はない。復讐者が卑劣にも大英雄を模して嘯いただけの可能性もある。現実的に言って信じる道理はなかった。

 だが――英雄は英雄を知る。

「ランサー……!」
「応ッ! もうやってるぜ!」

 先の警告を欠片も疑わず、クー・フーリンは即座に応じた。手持ちのルーン全てを投じ黒髭の旗艦とドレイクの愛船を囲い、上級宝具の一撃をも防ぐ防壁が展開される。

「キャス狐、この壁を更に堅牢に出来るか?」
「はい♪ コーンなの、朝御飯前ですっ」

 ネロもまた抜け目がなかった。玉藻の前は軽く請け負って腕を振るい、評価規格外の規模を誇る呪術がクー・フーリンの防壁を更に固める。
 それによって空中の二隻は、逃げ場のない牢獄と化した。大海がドーム状に形成されるも、外部よりの脅威を凌ぐ壁は、内部からの脱出すらも困難なものとしているのだ。

 こうなると分かっていての一手。間断なく防壁を削る荒潮で、自身諸共に閉じ込めたアルケイデスは、圧倒的不利な状況でありながら不遜な笑みを絶やしていなかった。
 寧ろ膨れ上がる暴威を漲らせ、品定めするように敵対者達を見渡す。

 楯の少女、これは否。
 聖剣の王ら、これらも否。
 純白の女、これも否。
 黒髭の巨漢、候補の一つだが宝具ならざる船が一隻健在な内は対象外。
 和装の女、手に合わぬ故に否。
 赤い弓兵、真価を発揮出来ぬ贋作ばかり、これも否。
 獅子の狩人、否。

 最大の脅威である光の御子――

「――往くぞ。此度の試練もまた、私は踏破してくれる」

 にやりと嗤った復讐者が、襲い掛かる。







 

 

「封鎖戦域クイーンアンズ・リベンジ」






 直上より墜落した報復の徒は、鍛治神ヘパイストスが彼の為だけに鍛造した大剣を振り翳す。
 狙われたのは士郎ではない。ネロでも、ましてやアイリスフィールや玉藻の前を狙う素振りすら見せなかった。真っ先に狙われる恐れのある士郎やネロ、二騎のキャスターと黒髭は一塊になっていた。彼らを護るは聖なる楯と蒼き騎士王、光の御子、黒王に錬鉄の弓兵である。守りの堅牢な彼らよりも、この場で最もアルケイデスの脅威足り得ない者が狙われるのは必然であった。

 狙われたのは、アタランテである。

 生前のヘラクレスという、天涯の怪物を知る狩人は、自らを射抜く殺気に総毛立つ。数多の英雄が集ったアルゴノーツに在りて、尚も圧倒的だった大英雄が己を殺さんと迫るのは悪夢だった。
 だがそれで怯懦に縛られ、その駿足を翳らせる程度の狩人ではない。アタランテは瞬時に飛び退き彼の斬撃を躱す。
 アルケイデスの豪剣が『アン女王の復讐号』の甲板を抉る。彼の腕には戦神の軍帯が巻かれ、その神気が只でさえ強力な剣撃を災害のそれへと高めていた。
 魔大剣マルミアドワーズを振り下ろしながらの着地、その予備動作による剣圧すらもが殺人的な破壊を撒き散らす。完全に躱したにも関わらず、己の躰に刻まれる裂傷にアタランテは苦悶した。直撃どころか、掠めただけで挽き肉になりかねない。耐久が最低ランクしかないアタランテなど、一度でも直撃を受ければ防禦の上からでも即死するだろう。

「――ああ。アルカディアの狩人よ」

 不意に、邪悪な喜悦に染まった悪意が、口を開く。聞くな、とアタランテの本能が警告した。
 天穹の弓で矢を射掛ける。だがそれが功を奏さないのは明らかだった。神獣ネメアの谷の獅子、その皮は人理に属するあらゆる産物を拒絶する。理不尽なまでのその性能は、これまでの交戦で嫌というほど思い知っていたはずだ。
 だのに矢を射掛けるのを止められない。アタランテが狙われた事で、その増援に入ろうとする英霊達の動きが引き伸ばされ、アルケイデスの紡ぐ言葉だけが通常の時間軸に置かれたように耳に届く。

「『カルデアの』お前なら知らぬのだろうが、この特異点には『月女神アルテミス』がいたぞ」
「――なんだと?」

 聞く事が出来たのはそこまでだった。注意を引くやアタランテの腹部にアルケイデスの蹴撃が炸裂する。ぐぁッ――アタランテは吐瀉を吐いて吹き飛ばされ、マストに背中を強打した。
 帆がはためいた。……何故殺さなかった? 戦神の軍帯で神気を込めていれば、今の一撃でアタランテの胴に大穴を空けられていたはずである。舐められた? 手心を加えられたとでも? 有り得ない、何が狙いなのか。

 霞んだ目に力を込め、睨み付ける先で光の御子と互角に切り結ぶ『神の栄光』の影法師がいる。神速の魔槍術、神代の弓使いであるアタランテの動体視力すら追い付かぬそれは、人理最速の誉れも高い『駿足のアキレウス』にも匹敵するのではないか。
 速さは駿足の英雄に近い、しかしその技量と巧みさは確実にクー・フーリンが上であろう。戦歴が違う、潜った修羅場の数が違い、下した強敵の数も知れぬ。クー・フーリンは事実、ヘラクレスに匹敵する『最強』だった。

 だがその光の御子を前に、アルケイデスは一歩も引かない。防戦に徹するやただの一度も被弾せず拮抗状態を作り出している。攻める気概のない姿勢は、これが一騎討ちではない故だ。地面と平行に降り注ぐ真紅の雨の如き槍光は、魔槍が数十本に分裂しているかのような残像を生み、アルケイデスをその場に縫い付けている。
 光の御子の背後より黒き騎士王が飛び出した。
 剣の技巧という一点に於いて、騎士王は確かにヘラクレスやクー・フーリンに劣っている。されど戦巧者としての彼女は負けていない。類い稀な勝負勘、ジェット噴射のように魔力放出を加えた剣撃はアルケイデスの一撃を凌駕する。そしてオルタはアルトリアよりも攻撃の重さでは上だ。侮ればその黒獅子の牙に喉笛を食い千切られよう。
 アルケイデスは即座に、そして躊躇う素振りすらなく腕を楯とした。魔槍の穂先が貫通する。筋肉を固め魔槍が抜けぬようにした刹那、戦神の軍帯より魔大剣を握る腕に神気が渡る。
 振り抜いた魔大剣はオルタをも弾き飛ばした。自身渾身の魔力放出を乗せ、黒き聖剣を柱のように伸長した魔力の束を叩きつけようとした瞬間の事である。自らの一撃を優に越えて見せた反撃にオルタは面食らうも、

「――間抜け」

 腕に突き刺さっていた穂先より呪詛が弾ける。千の棘が炸裂し、アルケイデスの左腕が内側から爆発した。鮮血に血と骨が混ざり、光の御子が魔槍を引く。だがアルケイデスは欠片も怯まない。オルタを弾き飛ばした瞬間から構えを取り、正面のクー・フーリンが己の左腕を破壊したのと同時に呟いていた。

 射殺す百頭、と。

 確実に捉えた九連撃。一つの斬撃が九つ、ほぼ同時に放たれる。しかしクー・フーリンは魔槍を引き抜くや、柄をしならせ、勢いよく船の甲板を叩きその反動で高く跳躍していた。
 不利な間合いから間髪を入れずに離脱する仕切り直し。アルケイデスの奥義は空振り、槍の間合いの外へ軽やかに着地したクー・フーリンは油断も慢心もなく静かに敵を見据える。

「今のを避けるか……」

 それは自身へ向けた囁きである。アルケイデスは見るも無惨な左腕の有り様を一瞥した。するとグジュ、と肉が迫り上がり、沸騰するようにして元の形を取り戻す。再生した左腕の動作を確認する復讐者に、クー・フーリンは怪訝そうにした。

「解せねぇな」
「何がだ、光の御子」
「テメェ、その力は誰に恵んで貰った? 英霊の業にしちゃ、そいつは過ぎたもんだ。宝具による再生でも、魔術の治癒でも、ましてや自前のスキルによるものでもあるまい。いるはずだ、テメェをなんらかの外法でバックアップする輩が。ソイツは何者だ?」
「……?」

 クー・フーリンの詰問に、アルケイデスは心底不思議そうに静止した。
 敵にそれを明かすとでも? そう返すのが道理であろう。しかし――アルケイデスの様子は、今一思い当たる節がないかのようで。
 殺意、赫怒、嘲り、侮蔑。それらしか復讐者へ抱く感情(もの)の無かったクー・フーリンをして、それは。

「……哀れなもんだ」

 只管に、無様に過ぎ。例えようがないまでに、姿のない敵首魁への憤りを湧かせる。

「貴様の剣には決定的に『自我』が欠けている。道理でその剣に重みを感じねぇ訳だ」

 本来のアルケイデスなら、或いはヘラクレスなら、今の射殺す百頭を無傷で躱し切れはしなかっただろう。

「重みだと?」

 怪訝そうに、アルケイデスも応じる。その目はクー・フーリンに向けられているが、油断なく周囲のサーヴァントも視界に入れ、結界を背にして死角を潰している。

「おう、それが正であれ負であれ、己の技には宿るものがある。誇り、信念、決意――なんでもいいがよ、己の行いに懸ける意気込みって奴は、どうあれ一撃を重くするもんさ」
「くだらんな。そんな精神論が、物質にどう作用するという」
「自分でも分かってんのに訊くんじゃねぇよ。己から湧いた熱がない、さしづめ貴様は操り人形ってとこか。誰に聞いたって貴様の有り様をこう評するだろうぜ――無様極まるってな。己の名と矜持を腐らせる前に、此処で大人しく死んでおけ」

 それは英雄が英雄の反転存在に向けた、唯一の同情だった。
 アルケイデスは剣先を一瞬下ろす。しかしすぐに剣を持ち上げ、心底から可笑しそうに嗤った。

「……熱がない、操り人形か。そうだろうとも、私は確かに醜態を晒している。ギリシャの神の悉くを滅し、神性を持つあらゆる存在を駆逐したい――それは忌々しいヘラクレスすらも、その腹の底に抱く復讐の火種だ。故に私が復讐の決意を固めるのは何もおかしくはない。だがどうだ? どうした訳か今の私は『貴様らに復讐したい』等と戯けた感情を懐いている。こんな私の物ではない復讐心で振るった剣に、重みなど宿るはずもないだろう」
「気づいてやがったか」
「当然だ。私の復讐は私のものでしかない。何者であろうとこれを歪める事など出来ん。指向性の歪んだモノで、私を操ろうなどとは侮られたものだが……なんであっても、お前達が私の敵である事実に変わりはあるまい。ならば討ち果たさずしてどうする。敵として相見えた以上は、どちらかが果てるまで戦うのは必然だろう」
「そうかよ。ヘラクレスなんざどうだっていいが――アルケイデスと名乗った戦士に対する、せめてもの手向けだ。その心臓、このオレが貰い受ける……!」

 魔槍の穂先を下に向けた独特な構え。辺りのマナを吸い上げ、禍々しい呪詛を放つ魔槍。
 担うはケルト最強の英雄。対するはギリシャ最強の英雄の暗黒面。アルケイデスもまたゆったりと魔大剣を構える。魔槍の呪いを封じるには、そもそも魔槍を放たせないか、その一撃を相殺・破壊するだけの一撃が求められる。
 因果に類する宝具など、アルケイデスは持っていない。故に相殺は不可能。魔槍の呪詛を、その一刺ごと叩き潰す破壊力が必要だった。

 緊迫感が増していく。場に敷き詰められた殺気が陽炎のように空間を歪ませた。
 徐々に臨界にまで高まる中、不意に腹を押さえたアタランテが訊ねた。

「待て、ランサー……!」
「……ああ? なんだ、獅子の姉ちゃん」
「その男に訊かねばならん事がある。アルテミス様がこの特異点にいただと? どういう事だ、それは!」

 神霊が単独で顕現可能な時代ではない。人理が焼却されているとはいえ、この時代は神秘の廃れたものでしかないのだ。仮に現界出来たとしてもその霊基は英霊の規模にまで下がってしまう。
 一体どんな神霊が、弱体化してまで現界する。する理由がない。またその術も想像できない。アタランテの問いに――アルケイデスは、悪意を噴出させた。

 にたり、と笑む。それはカルデアとの戦いでは見られなかった、彼自身の熱。壮絶な邪悪の発露である。アタランテは鳥肌が立った。酷い悪寒に襲われたのだ。

「教えてやろう。奴はアルテミスとして現界したのではない。人理焼却へのカウンターとして召喚された、マスターのいないサーヴァント・オリオンの霊基で現界していた」
「な、何……?」
「無論そうである以上は英霊オリオンの力しか発揮できん。オリオンが召喚される際に、その召喚に乗っかる形で付いてきたのだろう。まったく滑稽な女神だ。オリオン自身は熊のぬいぐるみに成り下がっていたのだからな」

 明確に嘲弄する復讐者へ、アタランテは怒気も露に反駁しようとした。だがそれよりも早く彼は言う。

「だが気にする事はない。アルテミスは既に殺している。この私がな」
「――」
「まず脚を折った――いや腕だったか? どちらでもいいな。ともあれ、笑えたぞ。身動きの出来なくなった、芋虫同然の姿にしてやっても気丈に睨み付けてきたが――お前の貌を潰し、それをオリオンに見せつけてやると言うと……フハッ、奴め必死に逃げようとした。その貌を蹴り抜き、殴り抜き、鼻を拉ぎ歯を全て叩き折り、一つの目玉を潰して髪を削ぎ落とした。そしてそれをぬいぐるみに見せてやったさ、するとな――泣いたよ。ああ人間の女のように泣いたのだ、女神が。まさに、甘露のようだったぞ」
「きッ――さ、まァ……」
「そしてアルカディアの狩人もいた。カルデアのお前ではなく、カウンターとしてのお前が。アレも今のお前と同じ顔をしたぞ。そして、私がどうしたか分かるか? 確か……お前にはアルテミスへの誓いがあったはずだな?」
「――アルケイデスぅぅウウウッッッ!!」

 激昂した。

 アタランテは常の冷静な、冷徹な狩人としての自制を全て焼き切られて疾走する。嘗て感じた事のない憎悪に魂魄が焼かれるようだった。
 彼女の中で、ヘラクレスとアルケイデスを結ぶ等号が完全に消える。あの怪物じみた大英雄がそんな事をするはずがないと知っていたから――彼女の畏れる英雄と、この鬼畜外道が完全な別物である事が確信出来たのだ。それは拭い難い畏怖を消し去り、同時にアタランテに我を忘れさせた。
 舌打ちしたのはクー・フーリンである。魔槍の間合いに、アルケイデスとの射線上にアタランテが入ったのだ。アルケイデスは巧みにアタランテの躰を楯として立ち位置を変えクー・フーリンの正面に決して入らない。

 ネロの叱責が飛んだ。

「何をしておるアタランテ! そんなものはただの挑発に過ぎぬのだぞ!? ディアーナ(アルテミス)が本当に居たという証拠はない、そなたがいたという証明も出来ん、根も葉もない戯言である!」

 極めて真っ当且つ現実的な物の見方だ。だがアタランテの耳には届いていなかった。
 何故なら確信していたのだ。奴は本当にアルテミスを殺していると。別の自分がどうされたかなどどうでもよい。自身の信仰した神を殺される、これ以上の冒涜と侮辱があるだろうか。
 錬鉄の弓兵が舌打ちし、ネロを見る。ネロは唇を噛み締め、宝剣『原初の火(アエストゥス エストゥス)』の柄を握り締めた。仕方がないが、貴様はアタランテに構うな、と断腸の思いで告げる。

「令呪よ、痛ましき余の臣を縛れ。アタランテよ冷静になるのだ!」

 やむをえずネロは令呪を切った。それが効力を発揮した瞬間、強制的にアタランテは冷静さを取り戻す。故にこそアタランテは慄然とした。
 クー・フーリンと、アルトリア・オルタだけが攻撃に出ている。その二騎以外は要となる複数のサーヴァント、マスターの守備についていた。故に二対一という構図で、アルケイデスを屠らんとしていたのが、冷静さを欠いたアタランテが割り込んだが為に詰め切れずにいる。
 それだけではない。クー・フーリンとオルタはアタランテが自身の眼前に来るように、アルケイデスに操作されていた。視線や足捌きなどを含めた立ち回りによって。必然、アルケイデスの目の前で突如冷静さを取り戻したアタランテは、ぎくりと身を強張らせてしまう。

 己の失態、安い挑発――アルケイデスという脅威は、アタランテのあらゆる攻撃を無効化する。動きが止まったのは一瞬だった、アルケイデスにはそれで充分であり。

「がぁっ!?」

 アルケイデスの掌が、細いアタランテの頸を鷲掴みにする。どんなに暴れても、まるで意味がない。ぴくりともさせられない。アルケイデスは魔大剣をアタランテの心臓よりややずらして突き刺し致命傷を与える。即死をさせるほどではない。
 ごぶ、と血を吐いたアタランテを楯にアルケイデスが突進する。クー・フーリンに対する楯。光の御子は盛大に舌打ちし、なんとか阻もうとするもアタランテが邪魔でアルケイデスを攻撃できない。オルタもまた、神気を纏ったマルミアドワーズの薙ぎ払いに襲われ、辛うじて躱すのが精一杯だった。

「貴様ッ!」

 アルトリアが聖剣を構え、余りにも非道なやり口に義憤に駆られる。クー・フーリンがやむを得ない判断として、アタランテごとアルケイデスを穿たんとするのを察知した復讐者は、クー・フーリンに向けて無造作にアタランテを投げつけた。
 光の御子は咄嗟に抱き止める事をせず、横っ飛びに回避したものの――そのクー・フーリンに、アルケイデスは健在だった『ステュムパリデスの鳥』を放つ。青銅の矢が変化したそれは、矢避けの加護を持つクー・フーリンをして手間取らせた。
 だがそれを破壊するのに五秒と掛かるまい。ほんの一時のみの時間稼ぎで十分で――そしてそれは、風の砲弾を今に放たんとする蒼き騎士王にも言えた事だ。

「凌ぎ切るか、それとも死ぬか? 射殺す百頭(ナイン・ライブズ)
「は――ァアアア!」

 迫り来る九連撃。己を木っ端微塵に変える死の乱舞に、アルトリアは欠片も怯まず迎撃した。全身に風を纏い、黄金に煌めく聖剣を叩きつけたのだ。真名解放に準じる極撃は、辛うじてアルケイデスの奥義を相殺する。――だがそれだけだ。
 腕が痺れ、足が止まった。その眼前を悠々と駆け抜けるアヴェンジャーを止める事が出来ない。

 残るは、錬鉄の騎士。だが距離は三歩遠い。アルケイデスの疾走を止められない。楯の少女。それはネロの傍に立っている。間に合わない。黒髭と聖杯の嬰児、和装の女は士郎を守るようにして立っていた。
 守るがいいとも。海賊も聖杯も、和装の女もカルデアのマスターも、余さず標的に過ぎない。
 彼らは死ぬだろう、魔大剣に充填された魔力が解放され、彼の奥義と掛け合わされたそれは、真名解放された聖剣の一撃をも相殺してのけたのだから。

「先輩っ!」

 楯の少女が悲鳴を上げる。迫る死の運命を覆せる者など此処にはいない――



 いや、いる。此処にいた。



「――タマさん」
「はーい♪ 良妻ですもの、節約節約♪」

 呪術が解かれる(・・・・)。士郎を呪っていた呪詛が解除された。

「な――」

 アルケイデスは驚愕する。男が威風堂々と立っていた。なんだと? 莫迦な――混乱が思考に混じる。

 ――簡単な話だった。

 アルケイデスは士郎が快癒していると知らないのだ。故にこそ、本当に(・・・)呪いに蝕まれていたなら、それがヒュドラ毒による後遺症と判断してしまう。
 実際に玉藻の前に己を呪わせる(・・・・・・・・・・・・・・)事で、アルケイデスの眼力を騙し。マシュやアーチャーを自身らの防御に置かず。クー・フーリン、アルトリア、オルタの戦力とアルケイデスの能力、戦法を計算して分析すると、アルケイデスなら必ず守護対象を狙えると断じた。
 アタランテの行動こそ計算外だったが、それも修正できる。霊基さえ残っていたら、消滅さえしていなければ、アイリスフィールが治せるのだ。

 必然、アルケイデスは最も防備の薄かった、士郎を狙った。――士郎が快癒していないと思い込んでいたからこその思考の落とし穴、そこを突いた誘引の一手。虚を突かれたアルケイデスに、士郎が逆撃を浴びせる。

停止解凍(フリーズアウト)熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)――合わせろ、アーチャー!」
「ふん――付いてこれるか?」
「御託はいい。テメェの方こそ付いて来やがれ――!」

 果たして敢えて間合いを外していた錬鉄の騎士は、アルケイデスの背後を襲う伏兵と化した。
 アーチャーと士郎によるアイアスの楯の投影、十四枚ものそれが自身らではなく『アルケイデスの周囲に』展開される。鉄壁の守りが牢獄となったのだ。アルケイデスは戦慄する――マズイ、離脱を――どうやって?

「魔力を廻す。決めに行くぞ、皆!」
「ええ、決着をつけましょう」
「啼け、地に墜ちる時だ」
「呪いの朱槍をご所望かい?」

 応じるはアルトリア、オルタ、クー・フーリンである。慄然とするアルケイデスが宙に浮く。アイアスの楯を展開しているアーチャーと士郎が行った、三騎の宝具の指向性を上方へ向けられるようにする為の操作だった。

「令呪よ」

 ネロの二画目の令呪が、黒き騎士王へ注がれる。

全令呪起動(セット)――宝具を解放し、敵を討て」

 魔大剣に込めた魔力を解放し、戦神の軍帯より神気を込め、射殺す百頭を放った。その絶大な破壊力は、投擲に対しては無敵でも斬撃にはその限りではない楯を破壊し切る事は叶ったが……致命的なまでに手遅れだった。
 ぉ、ぉぉおおあああああ――ッッッ! 決死の形相でアルケイデスは離脱しようとする。魔大剣を楯にしながらも、なんとか逃れようと。

 だが、令呪のバックアップを受けた彼らの方が早い。

約束された勝利の剣(エクスカリバー)!」
約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)!」
抉り穿つ鏖殺の槍(ゲイ・ボルク)――!」

 第一波は黄金の究極斬撃。先の対界に匹敵する火力を相殺したほどのものではないが、必殺とするのに不足はない。星の聖剣は無理な体勢で放たれた、魔大剣を用いての『射殺す百頭』を呑み込み、魔大剣に亀裂を刻んで――
 続く第二波は漆黒の究極斬撃。神気を暴発させた戦神の軍帯による『壊れた幻想』と、咄嗟に召喚したケリュネイアの牝鹿を楯にして凌ぐも余波で全身が焼け爛れ――

 トドメとばかりに迫った魔槍は、魔大剣の真名を解放した上での『壊れた幻想』で無理矢理に相殺する。

「グ、」
「しぶてぇ野郎だ、あれだけやってまだ生きてやがる……!」

 右腕は断ち切られ、全身は見るも無惨な姿となっている。もはや生きているのが不思議なほどの重態だ。クー・フーリンが慄然と言った直後、アルケイデスは即座に船の甲板を蹴る。
 クー・フーリンが張り、玉藻の前が強化した防壁は、三連した宝具の鬩ぎ合いによって崩壊していたのだ。追撃せんとアルトリアとオルタが駆けるのを、アルケイデスは裂帛の咆哮を放って阻止する。

 水を操る第五試練の理は尽きる寸前。されど彼を支える膨大極まる魔力が不可能を可能とした。
 水柱が上がり、それがアルケイデスを呑み込んだのだ。あっという間に死地より逃れていくアルケイデスは、己を下したのがサーヴァントではなく、そのマスターである事を認識していた。

 敗北した。

 言い訳の余地なく、完膚なきまでに負けた。

 自分が。ただの人間に敗れた。

 アルケイデスは、武人としての血が騒ぐのを抑えながらも、去り際に士郎を見据える。 
 無限に等しい厭忌の()言が、士郎の耳朶にこびりついた。

「狂い哭け――」

 怨嗟に侵された悍ましい頌辞は、紛れもなく己を撃退した男を呪って(讃えて)いた。

「――貴様の末路は英雄だ」






 

 

幕間「仕掛けは大詰め」





 策は嵌まった。面白いほど完璧に。

 唯一の瑕はアルケイデスの挑発にまんまと乗せられたアタランテであるが、その責を問うのは酷というものだ。
 士郎は空翔ぶ海賊船から離脱したアルケイデスの行き先を、目視可能の限界域まで見届けると、固い息を吐いて戦闘態勢を解除する。それに合わせてカルデアの面々も緊張を解く。
 黒髭がぷるぷると震え、口を突き出し、汗を吹き出して気色悪い表情になった。あ、もうマヂ無理、墜落しょ……と呟くや『アン女王の復讐号』は穏やかさを取り戻した海に軟着した。星の開拓者の『黄金の鹿号』が連結されていた故か最後の力を振り絞っての、極めて軟らかい墜落である。

 空を翔ぶのにはかなりの魔力を消費するのだ。短時間とはいえ、あの激戦の舞台を維持するのは相当に無理があったらしい。黒髭が宝具の維持は困難だと途切れ途切れに云うと、一同は慌ててドレイクの船に跳び移った。
 黒髭の旗艦が消える。一先ず最優先にすべきは霊核に致命的な損傷を受けたアタランテの治療である。アルケイデスは敢えて彼女を即死させず、致命傷を与えるだけに留めていたのだ。それはアタランテが重態のまま生きていれば、ある程度の気を払わねばならないからで、またアタランテ自身はアルケイデスの脅威足り得ないという認識があった為である。アタランテ以外であれば容赦なく殺されていただろう。

「――私を治すな、キャスター」
「ど、どうして?」

 アタランテはアイリスフィールが宝具を使おうとすると、それを止めて治癒を拒んだ。
 驚いたように目を見開く一同に、彼女は訥々とした語調で謝罪する。

「さっきは足並みを乱してすまなかった。だが、次あの男を見た時も冷静でいられる自信はない。私は――この戦いでは無用の存在だろう。大人しく脱落し、カルデアで再召喚されるまで――いや再召喚してくれるなら、それまでに頭を冷やしておく……」
「気に病む事はないぞ、麗しのアタランテ。貴様が役に立たぬ訳がないのだからな」
「そうだ。確かにお前はヘラクレス野郎とは相性が悪い。だが他にも敵が存在する可能性が濃厚なのに変わりはないぞ。そちらで力を振るってくれればいい。失点は取り返せる範囲だ」
「マスター、エミヤ……そう言ってくれるのは、素直に嬉しい。しかし私は私の、狩人にあるまじき失態を赦せない。戦場が船の上か、狭い孤島ばかりでは……やはり十全に働く事は難しい。それなら私に割いている魔力リソースを、他に回した方が、ずっといい。……ふ、話している間に時間切れだ。すまない、別の戦いでは、ちゃんと役に立って――」

 そこまで言って、アタランテは消滅した。

 カルデアに霊基を登録されている故に、再召喚に応じてくれたなら再び会える。だが、だからと言って簡単に呑み込めるものではなかった。特にネロにとっては。難しい顔をするネロに、士郎は重苦しく言う。

「……切り替えろ、なんて簡単には言わない。だがアタランテに自責の念を懐かせたまま、俺達が負ける訳にはいかないだろう。人理修復はまだ途上だ。また次にでもアタランテに力を借りよう」
「分かっておる。分かってはいるのだ。……しかし、今少し上手く余の気持ちを伝えられていれば……アタランテは残ってくれたのではないか? そう思うとな……」
「何引き摺ってんのwww 今は消えた奴の事よりこれからの事だと拙者は思うでがんすwww」
「くっ――黒髭ッ!」

 ふざけたように混ぜっ返す黒髭に、ネロは目を剥いて怒りを露にした。だが黒髭は堪えた素振りもなしに平然と続ける。

「ぶっちゃけあの女の言う通りだ。役に立たねぇよ森の狩人は。海の上で必要なのは脚の速さでも弓の腕でもねぇ、冷酷に冷徹に立ち回れる胆なんだよ。それが敵一人のせいで持てないってんなら邪魔だから消えてろ――ってのが拙者の忌憚のない意見ですデュフwww」
「黒、髭ぇ……! 貴様……!」
「よせ、ネロ」
「シェロ! この男はアタランテを侮辱したのだぞ! 黙っていられるか!?」

 巨漢の海賊に食って掛かろうとするネロの前に腕を伸ばし、士郎が止める。それにネロは顔を赤くして反駁した。しかし、士郎は首を横に振る。ますます怒りを強めるネロへ、『黄金の鹿号』のドレイクが気まずそうに言った。

「あー……ちょっといいかい? アタシはアンタらとは知り合ったばかりだからね、なんとも言いがたいんだけどさ、その海賊の言う事にも一理はあるんじゃないか? 今は消えた奴より今後の事を話そうじゃないのさ」
「くっ……! ……そう、だな。その通りだ……」

 完全な第三者の視点から言われ、ネロは怒りを呑み込んだ。世界の中心だったローマ帝国の皇帝だった女だ、癇癪さえ抑えられれば物の道理は弁えられる。
 鎮静化された空気は、電撃の余韻があるように刺々しい。マシュが居心地悪そうに身動ぎする。士郎が手を叩いて空気を入れ換えた。

「敵戦力の分析を行う」

 異論はないかそれぞれの顔を見渡し、何かあればすぐに言ってくれと身振りで促した。
 何もないようなので士郎は人差し指を立てる。

「――復讐者のサーヴァント、真名をアルケイデス。この男の宝具は十二の功業に纏わるものだ。異なる見解はないな?」
「はい、先輩。ですが彼はそれ以外にも宝具があるようです」
「そうだな。奴の使っていた大剣がそれだ。銘はマルミアドワーズ。逸話によるが伝説の聖剣エクスカリバーよりも格上の剣だ。尤も、エクスカリバーが最強の聖剣である以上、それよりも上というのは誇張だろうが――担い手がヘラクレスではなくアルケイデスだからその力を発揮できていない可能性はある。……奴はそれをランサーの宝具を相殺する為に捨てた。マルミアドワーズが今後振るわれる事はないだろう。考える必要はない」

 エクスカリバー以上の剣、という下りにアルトリアは物言いたげな顔をしたが、それは流す。
 マルミアドワーズを手に入れたアルトリアは、喜んでエクスカリバーからマルミアドワーズに剣を持ち換えようとしてマーリンに叱られた、という逸話があった。またはエクスカリバーを臣である騎士に貸し与えたとも。

「問題は奴の宝具だ。十二の試練に関わるものを宝具として取り出せる――これは破格だろう。狂戦士のヘラクレスが持っていた蘇生の不死性はないのだろうが、それにしたって壊れ性能だ」
「だが奴の宝具は粗方破壊した。奴の手札も戦力も底が見えるのではないか?」
「だな、アーチャー。念の為お復習(さらい)だ、奴の試練に纏わるものをどれだけ破壊したかのな」

 第一試練、ネメアの谷の獅子。これの産物であろう裘にはかなりの損傷を与えたが、まだ失われたわけではない。
 第二試練、ヒュドラ退治。一度目の交戦の際に奇襲に用いられただけで、まだ備蓄はあると思われる。油断は禁物だ。もし食らえばその戦闘で復帰するのは難しい。アイリスフィールの宝具、玉藻の前の宝具を使用する隙を与えようとはしないだろう。
 第三試練、ケリュネイアの牝鹿の捕獲。神獣であるケリュネイアの牝鹿は、オルタの聖剣で消し飛んだ。
 第四試練、エリュマントスの猪。これはクー・フーリンの魔槍で屠っている。
 第五試練、アウゲイアス王の家畜小屋の掃除。これは水の理を支配する形で具現化していたが、その殆どは消耗させたはずである。まだ使用可能である可能性はある。警戒は必要だ。
 第六試練、ステュムパリデスの鳥。ヘラクレスはこれを追い散らすのに鳴子を使ったのだが、どうした訳か青銅の矢が変化する形で具現化している。或いは鳴子の方もあるかもしれない。これも油断は禁物。
 第七試練、クレタ島の暴れ牛。クー・フーリンに以下同文。
 第八試練、ディオメデス王の人食い馬。クー・フーリン以下同文。
 第九試練、ヒッポリュテ女王の帯。オルタの聖剣を相殺する為に、ケリュネイアの牝鹿もろとも使い潰された。
 第十試練、ゲリュオンの飼い牛。クー・フーリン以下略。
 第十一試練、黄金の林檎。以下略。
 第十二試練、地獄の番犬。以下略。

「……」
「……」
「……」

 クー・フーリン、殺り過ぎである。
 士郎は咳払いをして続けた。

「逸話から分かる通り、奴の移動手段は最早存在しない。第五試練のものを使えば単独でも動ける可能性はあるが、奴はもうそれをしないだろう。――次は必ず仲間を連れて来る。つまり決戦になると見ていい」

 決戦。その響きに、マシュとアイリスフィールは固い唾を呑み込んだ。
 しかしその瞳に怯えはあれど、死んでいない。それで充分だ。士郎は今ある情報を纏めつつ告げた。

「敵の目的、詳細な陣容は不明なままだ。だがそれでも戦いが決する時もある。ヘラクレス野郎は聖杯と繋がっている――つまり奴の背後には必ず聖杯を所有する黒幕がいて、その敵首魁がこの特異点に於ける錨、魔神柱の操り人形であるはずだ」

 魔神柱。ソロモン王の七十二の使い魔の名を騙るモノ。今、カルデアでロマニが取り掛かっている重大な任務は、特異点Fで仕留めたレフ・ライノールの遺骸の解析だ。それを果たせば分かるものもあるだろう。
 だがソロモン王のデミ・サーヴァントであるロマニをして、解析には手こずっているらしい。簡単には分からず、今は宛にできない。

「ヘラクレスの野郎の戦力は大幅に落ちたのは間違いない。役割を決めよう。ランサー」
「応」
「お前は奴を仕留めろ。一対一だ」
「了解。手早く片付けて他の連中の援護に回れってんだろ?」
「そうだ。奴がどれだけの強敵であれ、あれほど宝具を消耗したんだ。遅れを取るお前じゃないと信じる。だが奥の手はまだ隠しているかもしれない。気を付けろ」
「あいよ」

 軽く応じるクー・フーリンは、あくまで自然体だ。気負った様子もなく、戦場を支配した王の如き不敵な威風がある。彼に任せれば不覚はないと信じられた。

「アルトリア、オルタ。お前達は敵にヘクトールがいた場合これを抑えろ。アルトリアもそうだがヘクトールも九大英霊の一角。防戦の巧みさは伝説に刻まれるほどだ。二人掛かりでも決めきれないかもしれないが、最悪抑えるだけでいい」
「……ランサーには打倒しろと言うのに、私には足留めですか」
「いいでしょう、挑戦と受け取りました。最速で打ち倒して御覧に入れる。もしもランサーが奴を倒すよりも先だったなら、バーガーを山のように作って頂く」
「はは、怖いな。だが頼もしい。是非俺の予想を超えてくれ」

 安心感では騎士王達もクー・フーリンに負けていない。それぞれが同一人物とはいえ、一騎だけでも聖杯戦争で主役を張り、勝利を掴み得る騎士である。ならば惑う事などあるものか。
 士郎は全幅の信頼を置く三人を見渡し、それから黒髭とドレイクを見る。

「エドワード。ドレイク。この特異点は海が主なフィールドだ。敵は必然、船に纏わる英霊の可能性がある。ヘラクレス野郎が挑発の為に溢した、もう一人のアタランテの存在……そしてヘラクレス野郎を召喚出来る縁を持つと来れば、連想は簡単だろう? アルゴノーツのイアソンが敵首魁なのかもしれない。神代最高の知名度を持つ船乗りが敵になるとしたら、お前とドレイクは立派なメインを張る事になる。その時は頼むぞ。正面から打ち砕けるのはお前達だけだ」
「デュフフ、神話の船乗りなんざぁ、古すぎて朝御飯前ですwww ちゃちゃっと沈めてお宝奪っちゃいますぞwww」
「いいねぇ……エミヤっていったっけ? アンタ人を乗せるのが上手いじゃないのさ。アタシとした事が滾って来ちまったよ……!」

 苦笑して士郎はドレイクの熱視線を受け止める。たじろぎもしない不動の姿は、海賊からしても好感を持てるものらしかった。

「さて。残りだが、マシュ以外は全員ネロの指揮に従ってくれ」
「む? シェロはどうするのだ?」
「俺はランサーのバックアップだ。信頼してるし任せているが――ああいう手合いには、最大限の警戒を重ねる主義だ」

 士郎の断固とした決定の表と裏には、アルケイデスへの厳重な警戒心がびっしりと敷き詰められている。それ程までに彼はアルケイデスを――ヘラクレスを畏れていたのだ。
 一回目の交戦時はいい。だが先刻の戦いでは、仕留めきれると思ったのだ。策が完全に嵌まり、二振りの聖剣と、魔槍が放たれたのである。当初は手札を削る、明かし切るのが目的だったが、それ以上は出来たはずで。あそこから逃がす羽目になった時点で、士郎はアルケイデスは絶対確実に倒さねばならないと確信したのだ。
 野放しには出来ない――そんな危険性がある。士郎の言に一同は頷いた。そして、ふと。

 くぅ、と可愛らしい音がする。

 おやと全員が音源を探すと、顔を真っ赤にして俯いたマシュがいた。士郎は微笑み、ドレイクに言う。

「あの小島に行って、飯にしよう。腹が減っては戦は出来ない、ってな」











 ――完全に敗北した。完膚なきまでに敗れ去った。
 アルケイデスは己の状態を確認するも、暗澹たる有り様である。

 宝具『十二の栄光』は破綻した。第五試練の水の理を操る力も、死地よりの離脱を経て全ての力を出し切ってしまった。
 残されたのはネメアの獅子の裘と、ヒュドラの毒だけだ。これでは単身で挑むのは自殺行為でしかない。牝鹿という脚もなくなった。聖杯はアルケイデスの肉体は癒すが、その宝具までは回復出来なかった。これ以上は流石に、仲間が必要である。

 アルケイデスは霊体化して海の上を彷徨う。亡霊のように。そうしてアルゴー号へ帰還したアルケイデスは、仲間達と共に決戦に赴くべきだと考える。
 問題は、あの偏屈な男をどう説得し、イアソンを動かすかだが――暫く考えを纏めていると、アルケイデスはふと気配を感じて振り返った。

「――ようやく帰ったか、イアソン。待ちくたびれたぞ」

 斜に構えた金髪の優男が嗤う。おいおいどうした最強、と。それでも■■■■■か、と。アルケイデスも苦笑して己の様を笑った。
 ああ、ここまでしてやられて黙っていられるものか。反撃といこう。後は『契約の箱』を手に入れるだけなのだから――






 

 

大・天・罰!戦慄する士郎くん!





「ランサー、火をくれ」
「あ? お、おう……」

 何処とも知れぬ小島である。とてもではないが第二特異点の時のように狩りを行い、豪快な野戦料理を行うのは無理があった。
 元より野営は避けられないのが人理修復の旅。ならば最高の調理器具と食材を携帯するのは必須の心意気……! 基本なんでも出来るケルト戦場型万能ロボ・猛犬がいれば薪やライターは不要、ルーンで火を熾せてしまう。
 俺は何者にも有無を言わせぬ重圧を放ちつつ、投影したフライパンやら包丁やらを使って料理を始めた。その際にアーチャーに俺のとは別の品を調理してもらう。ふ、付いて来れるか? テメェの方こそ付いて来やがれ――! お約束のやり取りで妙な満足感を二人して得つつ、アーチャーと俺は無敗の料理王へと登極する。補助は玉藻の前とクー・フーリンだ。

 いざ鉄火のIKUSABAへ。最早何者も俺を止められはしねぇ……!

「きゅん♥ ってなってしまいそうなガチ・モードっ。ごくり、勉強させていただきますっ」

 玉藻の前の声など聞こえぬ。俺はまず、海水を濾過させて用意した真水を沸騰させ、玉藻の前に冷やしてもらう。その真水でじゃがいもを洗い、皮をつけたまま親指の先ほどのサイズに角切りして鍋に入れ、鍋を火のルーンの上に置いて中火にしてもらう。こうして粉吹き芋を作るのだ。
 気を付けねばならないのは決して焦がさないこと。火加減、茹でる時間、全てが計算尽くでなければならない。

 そしてソーセージ野郎とベーコンさんを、適度な大きさにスライス。これまた中火で温めたフライパンにオリーブオイルとニンニクを投入する。香りが出てくるや、即座にソーセージ野郎とベーコンさんをこんがり炒めフライパンの中で挙式させる。仲人はフライパンだ。
 頃合いを見計らい、粉吹き芋を投下。塩コショウで味付けをしながら挙式に乱入させる。お前のベーコンさん(新婦)は俺のものだと叫ばせるのである。ソーセージ野郎(新郎)が怒ったら即火を切り、粉末状のマスタードを仲裁人として追加して和え、もう全員結婚しちゃいなYO! と微塵切りにしたパセリを品に掛けて終了。

 まずは一品ジャーマンポテト! 大所帯だからこれだけでも大変なのだ!

「胡椒をそんな贅沢な使い方をしていいのかい……!?」

 まだだぜ、ドレイク。ま だ だ!! お次は鶏肉をカリッカリに焼いて、ネギ塩のレモンソースを掛けた奴を、ヤるッ!

 ジャーマンポテトを作りながら、平行して用意していた別のフライパンやらの調理器具。温めておいたそれに皮を下にして鶏肉を焼く。カリカリに焼けたら反対も。
 人数分を焼いている途中にも手は止めない。ネギ塩のタレが求められる。俺が求める。ネギを比喩的な意味の音速で微塵切りにし、ボウルに胡麻油と塩コショウをぶちこんでかき混ぜ、これを更に別のあったかフライパンに投下。火加減は徹底して中火、ネギ塩のタレを適度に炒めレモン汁を投入。これが煮詰まればタレは完成し――ピッタシ鶏肉が焼き上がる。
 皿を投影。消せば洗う必要なしな代物だ。投影は実際かなり便利である。
 カリッカリに焼いた鶏肉をカットして、その上にタレをかけ、スライスしていたレモンを飾って完成。俺とアーチャーで手分けして投影しておいたフォークとナイフ、テーブルと椅子。そのテーブルの上に並べていく。アルトリアがごくりと生唾を呑んだ。

 アルトリアの繊細な舌、オルタの好む雑味、ドレイクの時代では王家すら無理な豪華料理。皆満足俺満足。トドメはこれだ。ドイツ本場仕込みのジャーマンポテトと言えばギンギンに冷えたビールが無ければ画竜点睛に欠くというもの。なおドイツのビールは冷たくないので日本基準のビールだ。
 これがあれば荒くれ者の海賊一発昇天俺成仏。酒! 飲まずにはいられない! ただし未成年のマシュはお預けである。是非もなし。オレンジのジュースで勘弁してくれ。

「実際問題、酒やら食材やら、よく持ってこれるな……」
「武器よりこっちの方が重要だからな。過酷な戦場には豊かな食事がなければ堪えられないだろ。で、アーチャーは出来たか」
「無論だ。貴様のレシピは横目で一瞥しただけで把握できた。ならば私はそれらに反発せず、調和し、しかし相乗効果を生むものを創るまで」

 言って、エプロン装備のアーチャーも手慣れた動作でテーブルに品を並べていく。
 こっ、これは!? 千切りにしたキュウリとタマネギ、ニンジンの上に刺身風に切ったローストビーフッ! 炒めたニンニクを肉の上に飾るニクさ……。やりおる。そして本格派のエビピラフで米好きに対応、更にパン好きの為にロールパンにハムマヨだと……ふ、ふふふ。見ただけで分かるレシピ。解析の魔術を舐めるなよ……それはそれとして俺に並ぶのはやはりこの男ぐらいか……!

 長テーブルに就いた各々は、既に我慢の限界に達しようとしていた。というかドレイクの部下が多すぎて滅茶苦茶時間かかったし大変だったんですが。下手をしなくとも、アルケイデスと戦った時より余裕で時間を食っていた。

「それでは各々のやり方で、『いただきます』」

 おう! いただきます! 待ってたぜ! そんな野太い声と可憐な声音に。同じ顔の男が二人、互いの健闘を讃えて熱い握手。さて俺達も食おうぜと、お互いの味を水面下で比べる。
 ビールに肉に米にパン。野菜もちゃっかり入ってるニクい心意気。マシュとアルトリア、オルタが舌皷を打ち、もっきゅもっきゅと食べる姿に俺ほっこり。いい食べっぷりですわ。
 クー・フーリンの傍に寄り、空になったジョッキへビールを注ぎ足す。

「お? わりぃな」
「構わんさ。いつもの大戦果、少しでも報いないとな」
「は――オレのじゃねぇが、いい女にウマイ飯、極楽の酒に頼れる仲間、んで最高の戦場に最高のマスターがいんだ。オレは充分報われてるし満足してるぜ。オレにとっちゃ最高にホワイトな職場だ」
「ホワイトの定義が乱れたぞ今。なあランサー、それなら人理修復の戦いが終わったら、受肉して俺と来ないか? 死徒殲滅に力を貸してくれ。化け物退治はお手のものだろ?」
「仕事が終わった後の福利厚生までついてやがんのか。いいねぇ、オレでいいなら付き合うぜ」
「ッ、シャァッッッ!!」

 渾身のガッツポーズ。死徒殲滅編完! 衛宮士郎の次の活躍にご期待ください!
 もう勝ったな飯食ってくる。ガッツポーズをした俺に苦笑いするクー・フーリンから離れ、ガツガツと飯を食らっていく荒くれどもを見る。
 神話の戦いを間近で感じ、命の危機に瀕した後の飯だ。そしてこの時代では旨すぎる酒と飯、ご機嫌である。黒髭は『黄金の鹿号』のクルー達に混ざってビールのジョッキ片手に、豪快に大笑いしていた。ドレイクと肩を組んで海の歌などを下手くそに歌っている。だが聞いていると陽気な気分に――と、ネロが釣られて歌い出そうとするのを、俺は瞬時に止めた。飲酒の後の歌は美声を損なうぞ! と久し振りに純度百パーセントの嘘を言ってしまった。が、後悔はない。俺は犠牲になるのだ、犠牲の犠牲にな……。

 さておきアルトリアやオルタも、マシュも皆美味しそうに食ってくれて嬉しいものだ。アイリスフィールはお上品に食べながら、微笑ましげに皆を見守っている。うん、流石は義母殿。母性が違いますよ。いつの間にか海賊達に混ざり、「僕はやるよ、かなりやる」とか言いながらビールを飲む青年がいるが気にしない。

 ……ん? 今変なのいなかったか?

「ああ、アビシャグが沢山いる! 酔いが回ったのかな? 和服の彼女も、けしからん格好の白い彼女も! 騎士っぽい少女達も! 華やかな黄金の髪の乙女も! 皆素敵だ!」

 うっとりとしながら口説き回る緑髪の野郎。
 ……うん、幻覚じゃないな。……なんだアイツ。ふざけてるのか? とりあえず取り押さえさせるかと誰かに指示を出そうとして――不意に玉藻の前が問い掛けた。

「あのぉ~……つかぬ事をお伺いしますが、貴方はどちらさまで?」
「おや、なんだいアビシャグ。僕が分からないのかい? ああ、君は僕が老年の頃の妻だからね、今の私は若いから気づかなかったのか。僕だよ、ダビデだ。僕はブヒるよ、かなりブヒる」
「あ、そうですか……ところで貴方、何人口説きました、今?」
「え? えぇと……君に白いアビシャグに青と黒と白のアビシャグ、そして楯のアビシャグだけど……?」
「……うふ。うふふ……!」

 ――瞬間。世界から音が消えた。正確には玉藻の前の周囲以外の音が。
 代わりに玉藻の前の声だけがする。

「勘弁ならねぇっ! この私の前で平然とハーレムを作らんとするそのふてぶてしさ! 大・天・罰を下さざるを得ねぇ間違いない!」
「あ、アビシャグ……? どうしたんだい?」
「問答無用! まずは金的っ! 次も金的っ! 懺悔しやがれ、コレがトドメの金的だ――!」

 怒りを解き放った玉藻の前が躍動する。キレッキレなモーションで素早く回避の隙を与えない蹴りを放ったのである。ダビデと名乗った青年に。
 うごぉ、と屠殺される豚のような悲鳴が上がった。瞬間、俺はぶわりと脂汗を吹き出す。緑髪の人ー! 死ぬな、死なないでくれー!
 そんな男達の魂の声援を受けても、ダビデは股間を抑えて踞り、何も反応できない。そんな彼を尻目に玉藻の前は可愛らしく跳ね上がって喜んでいた。

「よし一夫多妻去勢拳、完成です! ハーレム展開なんて、神が許してもこの私が許しません!」

 ――その日、今度の特異点で特に緊張してしまう。玉藻の前の殺意にも似た波動に肝が潰れる。

  あ、あれを食らわされたら死ぬぞ、俺……。

 ともあれ、そうしてこの島で、俺達はダビデと合流したのだった。







 

 

涙を誘われる士郎くん!




「……」

 男の痛みは男にしか分からない。あれは確実に潰れた、絶対死んだ、再起不能だろう。股間を押さえて蹲り、白目を剥いて泡を噴く緑髪の青年の姿に、思わず涙を誘われる士郎である。 
 耽美な美貌も形無しだ。見ていた男性陣の股間がキュッ、となるのも無理からぬ。英霊故に種はバラ蒔けないので、生殖器が機能しなくとも何も問題はないが、それでも青年を襲う悲哀に士郎は冥福を祈った。
 謎の達成感を得て、額を拭う素振りをする玉藻の前に根源的な恐怖を懐く。クー・フーリンもアーチャーも、脂汗を浮かべて思わず目を逸らしていた。

「……」

 これどうすんの、アイツ絶対カウンター・サーヴァントだよね、人理焼却を阻止する側の、謂わば仲間なんだよねと通信機越しにロマニと囁き合う。ロマニはチン(・・)痛な表情で応じた。多分そうだよ、と。しかし開幕から金的された彼が仲間になってくれるのか、甚だ疑問である。心証は最悪ではなかろうか。
 宴もたけなわ、落ち着いてきた頃合いである。余ったものはタッパーに詰めておいてくれとアルトリアとオルタ、マシュに頼んで、士郎はアイリスフィールに要請した。彼を治してやってほしい、と。聖杯の嬰児は甚だ微妙な面持ちで、彼を治してくれた。

 だが無言。ダビデと名乗った青年は、顔を引き攣らせて玉藻の前から距離を置いた。

「ウチの者がすまなかった」

 誠心誠意頭を下げる。彼のタマは治ったが、タマさんへの恐れは治らず、そしてタマを襲ったチン撃の痛みが幻痛となって彼を苛んでいた。
 しかしそこは流石の英霊、ダビデを名乗るだけの事はある。さりげに士郎の体を楯に玉藻の前から隠れながら、なんとか応じてくれた。

「いや、構わないよ。僕は気にしてない、と言ったら嘘になるけど。うん、僕はサーヴァントだから、カルデアのマスターに壁を作りはしないさ」
「現在進行形で俺を壁にしてるが」
「……それは言いっこなしだよね。僕は男で、君も男だろう? なら男の痛みは分かるはずだ」
「……ネロ、頼むからタマさんに説教してくれ。普通に合理的に」
「う、うむ。キャス狐よ、こちらへ来い」
「みこっ? もしかしてこの流れ……私、吊し上げられちゃいます? えーん、私、女の敵を滅しただけなのにぃー!」

 味方になってくれるかもしれないサーヴァントに攻撃する奴があるか! と極めて真っ当なお説教をかまされ、正座させられた玉藻の前は首にプラカードを提げられた。『私はダメなサーヴァントです』と。
 あれだよ。あれ。女に男の痛みなんか理解できないんだから、玉藻の前が真に理解する事はできない。故に合理的に叱ってもらうしかなく、それは彼女のマスターであるネロの仕事だ。

「とりあえず、お前は本当にダビデ王なのか?」
「そうだよ。でも僕が嘗ての王だって事は余り気にしなくていいよ。……いや寧ろ気にしないでほしい。サーヴァントである時ぐらいは、羊飼いの気持ちでいたいんだ……」
「なるほど。了解した。それで早速で悪いが、俺達の仲間になってくれないか?」
「うん、それは無理だね」
「……」

 ですよねー。

「僕だって聖人君子じゃない。全てを水に流して許せる訳じゃないんだ。ああ責める気はないよ? 彼女が君や彼女のマスターの指示で僕の僕に攻撃した訳じゃないのは分かる。けどね、彼女を視界に入れたら縮み上がって動けなくなるよ、絶対。うん、僕はやる、かなりやるけど、そんなんじゃあの化け物みたいな奴との戦いでは足手まといにしかならないよ」
「……まあ、無理強いはしないが」
「それに現実問題として、僕は前線に出ない方が絶対にいい。僕の宝具や敵の目的にも繋がるからね」
「! 敵の目的だって? 知ってるのか」

 まあね、とダビデは頷く。教えてくれと頼むと彼は勿体ぶるでもなくあっさり告げた。
 彼の宝具、『契約の箱』について。それは実体化したままで、霊体化せず、ダビデが死んでも所有者が代わっていれば現世に留まり続ける。そしてこれに神霊を生け贄に捧げると、周囲一帯が消し飛ばされ、人理定礎があやふやな特異点でそれが起こると、人理焼却の完遂を待たずしてこの時代の人類史が復元不能となるらしい。
 そして既に敵は神霊を捕獲している。この宝具を奪われる事は、即ちカルデアの敗北に直結するのだ。

「最初はアルカディアの狩人と潜んでいたんだけどね、月女神を殺したと挑発してきたヘラクレス擬きに彼女は殺されてしまった……。彼の挑発は悪辣で、他の女神も捕らえて地獄の苦しみを与えたと言っていたから――彼女も冷静さを失っていたよ。僕も怒りを覚えたけど、流石に勝てる気がしなくて、僕は最後まで隠れていた。ヘラクレス擬きが辺りを薙ぎ払ってしまって隠れる場所がなかったから、海に潜ってね。そうして僕は、海を泳いで――まあ神に身を任せてこの小島まで流れ着いたんだ」
「……賢明な決断を下してくれたんだな。ありがとうお前のお蔭でまだ取り返しはつく」
「いいよ別に。元はといえば僕が召喚されてしまったのがいけないんだし。不可抗力なんだけどね。と、そんな訳で僕は君達とは行けない。『契約の箱』を守って隠れておくよ」
「分かった。次で決着をつけるつもりでいる、それまで辛抱してくれ」
「そうするよ。頑張ってくれ、僕の分も。何、君達は見たところ戦力は充実してる。僕の力を宛にしなくともやれるはずだ」

 そう言って本来の調子を取り戻したダビデに、士郎はホッとした。正直な話、問答無用で険悪に別れられても文句は言えない立場だったのだ。
 士郎としては彼と、極めて合理的で理性的な話が出来た事を喜びたい。それに『契約の箱』か。ヘラクレス野郎は女神を既に捕獲している……アルテミス以外の神霊を。それが何者なのかはさておくとしても、可能なら救出しておきたい。心情的にも合理的にも。

 頭の隅にそれを入れておきながら、士郎はふと思い出して問い掛けた。

「そういえば、ダビデ王はソロモン王の父親だったよな」
「ん? そうだね」
「ウチにソロモンがいるんだが。それについて何か言う事、聞きたい事はないか?」
「え? ソロモンがカルデアにいるのかい? ふうん……で、それが? 言う事なんかないけど。後それを僕に言う意味も分からないな」

 ナチュラルにクズい発言が出た。えぇ……と思わず通信機に映っているロマニの顔を見る。

「あ、そうですか……」

 おいロマニ、お前は何かないのか? 一応父親だろ? そう小声で問い掛けると、ソロモンことロマニもまた真顔で言った。

『え? ボクに父親なんかいないんだけど。母にバト・シェバがいるだけで、彼女についても特に親しみを感じないね。だってそんな自由がソロモンにはなかったから』
「……」

 完全に無関心である。冷淡とすら言える表情であった。そこに士郎は冷め切る以前に、そもそもなんの関係もない赤の他人を見るような温度を感じて、軽く眩暈がする。
 伝説で知ってはいたが、ダビデの野郎、本気で親としてアレらしい。いや、仕方ないと言えば仕方がないのかもしれないが。というよりダビデは割と人間として屑な真似もやらかしてるが……。
 まあ接してみた感じ、元々の女好きな気質と、王という立場に対する過度なストレスで色々参っていただけというふうにも見える。根っからの外道でも屑でもないはずだ。軽薄なきらいはあるがそれはいい。個性というものだ。

 まあ人様の家庭関係、しかも英霊となって過去として終わったものをほじくり返す趣味はない。
 俺は彼らの関係について触れるのはやめようと思った。いつかダビデ王と会うような事があり、伝説にあるような人間だったら、ロマニに対して「やーいお前のとーちゃんダービデっ!」と煽ろうと考えていたが、それはしない事にした。どう考えてもネタにしていい話題ではない。
 ロマニはネタにされても気にしないだろうが、やはり本人が気にしてないからと踏み込んでいい理由にはならないのだ。

「なあ、ダビデ。俺はお前の希望通り王としては扱わない。羊飼いとしての――個人としてのお前に訊きたい」
「なんだい? そんな改まって」
「俺達はまだヘラクレス野郎しか見てないが、他に敵サーヴァントを見なかったか? 正体が割れると助かるんだが」

 そう問うと、彼は真剣な顔で答えてくれた。

「敵ではあったけど、僕を助けてくれた槍兵はいた」
「……なんだって?」

 衝撃的な告白に、目を瞠る。彼は告げた。

「流石の僕でもヘラクレスの反転存在の目を誤魔化して、逃げ隠れは出来ないさ。彼――ヘクトールが、アルケイデスと名乗る敵が僕に気づかないようにして逃がしてくれたんだよ」
「……そのヘクトールはどうした?」
「さあ? どうなったかは知らない。あくまでバレないように僕を逃がしてくれただけだからね」

 ヘクトールは……敵ではないのか?

 新たに入った情報に、士郎はなんとも言えない悪寒を味わった。
 ――まだ、敵の掌の上にいる。決戦は近いはずなのだが、敵の真の狙いが他にあるような気がして……背筋を、嫌な汗が伝った。





 

 

名探偵士郎くん!





 絡み付く策意。糸に絡めとり補食する蜘蛛の如き手法。
 感じた事がある。手駒を捨て石として、相手の身を削り本命を当てる策の癖。沈思黙考する士郎は自身の戦術論理に基づき思考を構築し、人理を巡る緒戦から紐解いていく。
 第二特異点の戦歴を参照し、己の感じるものの正体を探った。ローマでの戦いで何があった? 要点を纏めて脳裏に箇条書きしつつ、思い出す。
 ……敵は何者か。魔神柱だ。ローマで見た魔神柱はこちらを分析していた。その後の魔神霊ロムルスとの決戦の前に、あたかもこちらの戦力を削減させるためだけに現れたような、アッティラ王との交戦。そして思い返すこの第三特異点での戦歴では、初戦からアルケイデスと戦い、既に二度も交戦している。まるで選べる道を狭め、塞ぎ、誘導してくるような戦術の手口が、ローマでの流れと被る。

「――あくまで戦術の感覚的なものだ。レオナルド、アグラヴェイン、お前達は何か分かるか?」

 カルデアとの通信を繋げ、己の所感を二大頭脳に伝える。鉄の宰相は厳つい顔を険しくさせ、レオナルドもまた難しげに呻いた。

『……士郎くん、君は頭が切れる。こと戦術に関しては私よりも秀でてるだろう。でもそんな士郎くんが助言を求めるって事は、もう何か掴めてるんじゃないのかな?』
「朧気には、な」
『マスター。私は現場にいた訳ではない。しかし第二の特異点での戦闘記録は閲覧している。私に言えるのは、恐らくマスターの感じているものと同種だ。――後手に回らされているな。打つ手のない状況故に、先手が取れていない』
「……そうだな。敵は明らかに(・・・・)俺達と戦おうとしている。或いは戦わざるを得ない状況にしている。それがなんの為か、今一掴みかねるのが現状なんだ」

 カルデアの戦力を測るため? 否、英霊召喚を行えるカルデアの戦力は、常に一定という訳ではない。敵からすればいつ変動するか分からない数値を参考とはしないだろう。
 魔神柱は単体でもサーヴァント数騎分の戦闘能力がある。魔神柱の黒幕がいるのはほぼ固まった推理だが、馬鹿正直に正面から戦わせる事になんの意味がある?
 消耗を狙う……それはあるかもしれないが、違うような感じがする。
 恐らく第二、第三の特異点の図面を描いたのは同じ魔神柱だ。指し手の癖が同じ故に、仮に別の魔神柱でも同じ事。小技で削り本命で叩き潰す、基本に忠実な策士だ。相手方の駒の指し癖は大方これで把握した。対等な、或いは有利な状況に運べれば一方的に叩いて伸ばして引き裂ける手合いではあるが……それは今ではない。

 士郎は知識を総動員して知恵を絞る。
 この衛宮士郎はアーチャー……エミヤシロウと比べると細やかな気配りや、戦士としての資質は劣るが――その分、指揮官としての視座に優れていた。頭のキレがある。歴戦の経験が練磨し、天性の頭脳が――聖剣の鞘を埋め込まれる以前の起源『分解』の知性が冴える。
 全ての事象を分解して、己の理解に落とし込む理性或いは本能。エミヤシロウと同一の発祥点を持ちながら、そこが最も異なる存在。

 起源は今、『剣』である。しかし生まれ持った起源の性質は理性に、知性に残っていたが故の、歴戦の戦士としての鋭利な思考があった。
 彼は思考する。そして結論を出した。アグラヴェインやレオナルドの後押しが、彼の中の曖昧な推論に自信を与えたのだ。

「――大体分かった」

 策を用いて潰えさせんとする手合いは、士郎が最も得意とするカウンターの獲物である。
 沈思していた士郎の呟きに、エミヤが目を見開いた。

「何? ……何が分かった?」
「この特異点と、第二特異点で絵図を描いたのが同じ奴で、今の心理状態と狙いだ。恐らく奴は、次――第四特異点にいる」

 その発想と分析に、ネロが鷹楊に腕を組む。

「うむ! まるで分からんのが分かった! シェロよ、如何にしてそのような結論が出たのだ?」
(わたくし)も気になりますねぇ。全然判断材料がない気がするんですけど?」
「タマさんは仕方ないさ。飛び入り参加だしな。だがネロはもう少し考えような? 第二特異点で『奴』は俺達の旅を終わらせようと本気だった。魔神霊ロムルスを俺達が倒すのは想定外だったろう。その自信を持てるだけの力があの魔神霊にはあったはずだ。その前にアッティラ・ザ・フンをぶつけてきているから、磐石だと思ったろうさ。
 だが俺達はそれを突破した。奴は念のため、第三特異点にヘラクレス野郎という保険を残していたが、本命は第四だろう。根拠は打ち手の癖だ。奴はミスを犯している」
「ミス、ですか。それはなんでしょう、先輩」

 マシュの反駁に、士郎は微笑む。
 彼の飛躍した発想は悪魔的で、故に彼の推理に誰しもが聞き入るだけの磁力があった。

「奴は焦った」
「焦った……?」
「超えられるはずのない第二を突破された。だから第三でも指し口の癖を変える事もしていない。変える余裕が、無駄が思考に介在してないんだよ。それで俺は奴の思考の癖が分かった。奴が第四にいるという根拠は、この思考の焦りだよ。第五、第六、第七にいるならまだ余裕があるはず。そもそも特異点に関わっていないなら、焦る必要すらない。次は自分の城に攻められる――その焦りがあるから第三では馬鹿正直に正面から戦う手を打った。恐らく此処でも俺達を『確実に』叩き潰せる策を用意してるんだろうし、現状の俺達はそれを正面から破るしか方策はないが――ああ、やり方は全部覚えた。第四では一方的に潰してやれる」

 確信の籠った言の葉である。士郎の言にアルトリアが微笑む。オルタは一瞬瞑目し、そして静かに確認した。

「――それはつまり。この特異点での戦いでは、敵は正面からしか戦わないという事ですね」
「そうだ。真っ向切ってこっちと戦い、その上でなんらかの『奇襲』を掛けてくる。ランサー、敵を正面から打ち砕くのはお前の力が恃みだ。頼むぞ」
「は、任せろ。元々細かい計算を正面から突き破るのは得意分野だ。横合いから殴り付けてくる手合いはマスターに任せるぜ」
「――まあ、俺達に来るんならな……」

 そこで不意に、歯切れ悪く士郎は濁した。
 アイリスフィールが目敏く問う。

「どうかしたの? 何か気になるのかしら」
「……どうも腑に落ちないんだ。『奴』の手口は全部把握した。だからその『奇襲』の矛先がどこに向かうかも分かる。分かるんだが……」

 そう、分かるからこその困惑だ。基本に忠実、そして徹底的に手加減も容赦もなく磐石な手を打つ策士。そんな奴が正面から戦った後に『奇襲』するとしたら、それは――後方拠点(・・・・)でしかない。
 士郎達の後方拠点……それはカルデアだ。そこに奇襲を仕掛ける? そんなもの、出来るなら今ごろカルデアは全ての魔神柱や、手駒としたサーヴァントが多数襲撃してきているはずである。
 カルデアは特異な力場で守られ、ある種の特異点となっている。人理焼却の黒幕、『魔術王』を騙る存在がカルデアの座標を把握しているなら、放置する理由は有り得ない。

 故に不可解なのだ。

「ロマニ……レオナルド、カルデアの防備を最大限固めろ。アタランテと切……アサシンの再召喚を急げ。それからアルトリア、悪いが退去してカルデアに戻ってくれ」
「シロウ?! な、何故ですか?」
『? 士郎くん、カルデアは今のところ安全なんだけど?』
「いいから。杞憂だったらいい。ヘクトールが敵ではないかもしれないなら、アルトリアとオルタを揃えて置いておく必要はない。頼む」

 士郎の唐突な要請で場に奇妙な沈黙が落ちる。
 レオナルドとアグラヴェインは士郎の懸念に思い至るも半信半疑だ。
 最初に応じたのは、士郎を信頼する男だった。

『……分かった準備しておく。それでいいね?』
『ロマニ?』
「すまん、頼んだ」
『いいさ。士郎くん達が不安なく安心して戦えるようにする、それが後方支援するボクらの役割だからね』

 ロマニの返答に、士郎は救われたように安堵の吐息を溢した。
 『ただしそれが杞憂で、無駄に戦力を分散しただけだったら、後で徒労のツケを払ってもらうけどね?』そんなロマニの軽口に士郎は苦笑する。ああ普通に外れてくれたなら、それはそれで何も構わない。なんでもは言い過ぎだが出来る限りの事はさせてもらうさ、と。
 ロマニは胸を叩く。彼は魔術王のデミ・サーヴァントだ。

『カルデアはボクが……私が守る。だから安心してくれ』
「ああ。信頼してる」

 よし、と士郎はその場から立ち上がった。自陣の面々を見渡し、彼は告げる。

 ――決戦への航海に出よう。頼りにしてるぞ、皆。









 

 

幕間「決戦寸前、号砲を撃て」





 束の間の回帰。憤怒に、赫怒に染まる。

「そうか、そういう事か――これが貴様らの遣り方なのか」

 嗚呼、いと憎し。オリュンポスの神々よ、お前達の悪逆に比する、傲岸不遜なるモノを見付けてしまった。いと口惜しや、よもやこのヘラクレス(・・・・・)に纏わる者を斯様なまでに辱しめるとは。狂おしいまでに屈辱である。
 我を玩弄せし料簡、報いねばならん。憎悪では足りぬ、激情でも足りぬ。地上にある人語の臨界を遥かに上回る凄絶な義憤、私情、私怨が渦を巻く。そしてあらゆる負の想念を総括した、我が身の持ち得る邪悪な思潮。満ち満ちたり、心念の炎業よ。
 猛り狂う理性の蒸発。装填される猛毒の呪詛。埋め込まれる聖なる徴、史に打ち込まれる錨の重みが我を傀儡にせんとする。
 嘗てない満身の全霊を以てしても打ち払うには足りない。嗚呼、我が反逆の旗は折られるか。我が勲の悉くが無価値に堕すか。我独りで成せる偉業ではない、と。
 だが――心せよ。あの人間はお前達を超えていく最新の英雄だ。
 そして覚えおけ、私は断じてお前達を赦しはしない。喩え地獄の炎に焼かれようとも、此度の無念はこのヘラクレス(アルケイデス)が、断じて忘れぬ、断固として報いてくれる。

 人理を守護せんとする者ら、我が屍を超えていけ。果てにて我は御身を待つ。
















 宛は無くとも勘はある。白波の立つ嵐の中、航路を往くは二隻の船。
 無辜なる民草にとり、海賊船とは不吉を運ぶはずのものである。しかし今や、その二隻は救世の御旗を掲げる方舟となっていた。

 皮肉なもんだぜ、と見事な黒髭を蓄えた巨漢が嘯く。海賊なんざが世界を救うと来た! この俺がだ!
 こんな悪逆が他にあるか? 海の平和を守るだなんだと宣ってやがった、海軍の役目っつうもんだろうになぁ!
 奴らのお題目を悪党が演じる、ハハハ、こりゃあ愉快だ、なぁ!?

 エドワード・ティーチから水を向けられたのはフランシス・ドレイクである。
 並走する船の船首に立つ女傑は、同じく自身の船の船首に立つ大男の声に豪快且つ単純に言い放つ。

 なぁに寝惚けたこと言ってんだい? 元々この海はアタシらのものじゃないのさ。そいつを奪おうってんなら神様相手でもぶっ飛ばす! それだけだろう? 他の理屈、大義なんざ要らないね!

 敬愛する女海賊の言葉に、黒髭は弾かれたように仰け反った。そして頭を叩き、呵呵大笑する。そいつぁ言えてんな! 俺とした事が莫迦げた戯れ言吐いちまったぜ! ダァッハハハハ!
 船が往く。嵐の中を。それに負けない気炎を燃やして、暗雲立ち込める荒波を切る。高揚する海の男は燃えていた。押しも押されぬ大悪党、時代を切り開いた嵐の航海者、共に気勢は充分。決戦を目前に控えようと縮み上がる肝っ玉など有りはしない。大胆不敵に(みらい)を奪おうとする不逞な輩を撃沈せんと、彼らは激越な怒号を鬨として吼えた。

 意気火炎にして士気軒昂、進む船の舵は波を掴み、帆は嵐を捉え、主の意思が乗り移ったよう進み続ける。

 不思議な……そう、不思議なまでに静かな……凪いだ時が流れていた。

 海穏やかならずとも、悪の旗と自由の旗の下にある船員は凪いだ心境で佇む。
 しかしその薄皮一枚下で、ぐつぐつと溶岩のように煮えた戦意が燃え盛っていた。
 甲板にて槍兵が胡座を掻き、魔槍を抱いて瞑目している。柵に手を置いて周囲を警戒する盾兵は落ち着けない空気に震えを抑え、白髪の男が肩を叩いて蒼穹の心象のままに微笑んだ。
 黒き聖剣王は不動のまま。錬鉄の弓兵は鷹の目を細め。薔薇の麗人は覇気を纏ってその時を待っている。聖杯の嬰児が緊張の坩堝に体を強張らせているのに、和装の巫女はたおやかに励ました。

 時が近い、刻々と進む船は、地平線の果てまで陸の見えない大海原へと到達している。
 全員が感じている。強大な海の果てが壁となり自分達を押し潰そうとしていると。戦慄に総毛立つ者もいる中で、時間の流れが停滞していく錯覚に決戦の訪れを予感した。

「――見えたぞ」

 マストの上で遠くを臨んでいた錬鉄の弓兵が、赤い外套をはためかせるまま告げる。
 その声は嵐の風に負けず、全員の耳に届いた。豪雨が降り始めている。垂れ幕のように視界を塞ぐ雨粒の弾幕は、しかし鷹の目を遮れない。暴風の向こう側から、一隻の船が見えてきていた。
 ゆっくりと立ち上がった槍兵を尻目に、カルデアから通信が入ったのに衛宮士郎が応答する。

『マスター』
「なんだ、アグラヴェイン」
『敵サーヴァント反応、アルケイデスのものもある。それから出力の安定した宝具の存在と……この特異点の元凶である聖杯の反応も確認した』

 真っ向切っての総力戦である。宝具とやらは船であろうと察しがつく。
 好戦的に構える荒くれ者に、士郎が淡々と指示を出した。

「エドワード、頼むぞ」
「だぁっははははドゥフフwww 合点承知の助さぁ!」

 己の太腕を叩き、ぐっと力瘤を作った巨漢が多数の低級霊を召喚する。その数は少なく見積もっても千は下らない。彼は此処で全てを出し切るつもりでいる。
 士郎は己の手の甲を見た。全ての令呪を使い切り、先ほど一画だけ回復した。ネロは二画の令呪がある。やれるか、と思う。やれるさ、と呟く。アグラヴェインが巌のような声音で告げた。

『敵サーヴァントの反応は――八騎(・・)だ』

 一瞬、間が空く。楯の少女が目を剥いていた。そんな、と。しかし彼女の頭を撫でる男に動揺はない。やはり隠し球はあるか、と。微塵も揺らがない士郎に、マシュは知らず安堵する。
 寄り掛かってこい、俺はお前達を負けさせやしない。俺も、負けない。不敗の将は自陣を奮い立たせる。不敵に笑うのだ、指揮官は動じない。鉄壁の自制心がある。
 まだだろう? まだあるんだろう。晒していないものが。その全てを暴いてやる、全てを叩きのめしてやる。充溢した気迫が炉の火の如く盛っていた。

 しかし――ロマニの声が、固い。

『いや……待ってくれ。これは――』

 真名は知らない。顔も知らない。だが亡霊のように嵐を切って接近してくる船には、

 輝く兜のヘクトールがいた。
 史実に女海賊として名を残すアン・ボニーとメアリー・リードがいた。
 血斧王エイリーク・ブラッドアクスがいた。
 迷宮の怪物アステリオスがいた。
 裏切りの魔女の幼き日の姿メディアが。
 アルゴー号の船長イアソンが。
 姿は見えずとも船内には囚われのエウリュアレが。
 そして言うまでもなく、五体満足のアルケイデスがいた。

 だが、それは――全て。総てが、

『――全部死体だ(・・・・・)! その船のサーヴァントは全部死んでる! 霊基の残骸、残留霊基(シャドウ・サーヴァント)だ!』

 英雄船は、事実幽霊船だった。

 英雄らは眉を顰める。士郎もまた顔を歪めた。
 真実、不快だった。そうか、そう来るのか。そうしてしまうのか!
 どこまで愚弄する、どこまで弄ぶ、英霊は所詮使い魔、使い捨ての駒だと? いいだろう、そちらがそのつもりならば。

「――叩き潰す。捻り潰す。人間の尊厳、人間の誇りを踏み躙る下劣畜生がッ!
 皆、勝つぞ!」

 士郎の檄に怒気の滲んだ咆哮が応じた。

「部隊を再編する! マシュ、ネロを頼む!」
「え、わ、私は……!」
「お前しかいない。頼む」
「……はい、先輩もご無事で!」
「ああ。――ランサー、セイバー! お前達は俺と来い!」
「応ッッッ!!」
「ええ」

 光の御子クー・フーリンの眼が怒りの余り充血している。黒き聖剣王アルトリア・ペンドラゴンが冷徹に応じる。オルタは己をセイバーと呼ぶ男の怒気を感じ、感化されるように竜の猛りを腹に潜めた。
 矢継ぎ早に指示を飛ばす鉄心は、しかし熱く、頭は極めて冷静だった。

「他の面々はネロの指揮に従え。エドワード、お前も頭だ。ドレイクともどもお前らは勝手にやってくれ。それが一番強い!」
「ハッ! わかってんじゃないのさ色男! そうさせて貰うよッ!」
「……おうよ、俺も乗るぜ。久々にマジギレちまった。俺の部下だった奴の骸を使うたぁなぁ。ギャハハハ! 無様も無様……ブッ殺す!」

 二隻と一隻が互いを射程圏内に捉える。今、激烈な死闘が幕を上げんとし――衛宮士郎は静かに詠唱をはじめていた。

 体は剣で出来ている、と。








 

 

開戦!二極戦線オケアノス

 
前書き
スマホ替わったせいで頂いてた挿絵が全失……。
ごめんなさい。
 

 
開戦! 二極戦線オケアノス




「そら野郎共! 行くよ、突貫だぁ!」

 黒髭の喚び出した低級霊は雲霞の如く敵船へ攻め込んでいる。しかし英雄船は巧み極まる帆の操術で風を掴み、波に乗り低級霊が接近する前に航行して間を外される。その間に一掃されるのだ。
 英雄船より放たれる射撃。魔女の魔力砲撃は、海面をも蒸発させる五条の熱線である。触れれば英霊であっても、対魔力が無ければただでは済まない。そして擲たれる無数の名も無き槍は『輝く兜』が放っている。本来ならクー・フーリンの投槍にも劣らぬ技巧と威力は、残留霊基へ劣化した故に翳っていても、雑兵如きに遅れを取る霊基ではない。
 そして――雑魚を散らすのに難儀する『神の栄光』の名を担った巨雄に非ず。姿はそのままに、半神ヘラクレスに伍す巨躯へ膨張した真紅の弓兵が、霰のように大矢を速射していた。
 これによって黒髭の軍勢は瞬く間に狩り取られていた。無尽蔵に召喚されては全滅し、『アン女王の復讐号』と『黄金の鹿号』による砲撃、赤い弓兵と鉄心の弓兵による射撃、彼らの投影した無銘の槍を放つ光の御子の投槍も、危なげなく撃墜されている。

 壮絶なる射撃戦の影に隠れがちではあるが、手数で勝るカルデアに英雄船が引けを取らないでいられるのには、嵐の中であっても曇る事なき帆の操術――英雄船を巧みに操船する英雄間者イアソンの存在が大きかった。
 このままでは埒が明かない。いずれ太陽の国を陥とす事となる女が気勢を上げる。白兵戦を挑もうというのだ。ネロは戦局を見据え『原初の火』の柄を握りながら確認した。

「マシュ・キリエライト!」
「は、はいっ!?」
「そなたは余の守護を託された。そなたに余を守り抜ける自信はあるか?」
「わかりませんっ」

 即答でマシュが応じる。直後に狼狽えたように付け加えた。

「でも、頑張ります!」

 自信がある、ないではなく……頑張る。それにらしさを感じたネロは微笑んだ。
 守護の任に自信があってもなくても、直向きに打ち込まんとする体当たりな姿勢。生来のものかそれとも士郎に鍛えられた故のものか。付き合いの浅いネロ故にそこは判然としない。しかし好ましく感じられる。

「それでよい。余の命、そなたに預ける。代わりにそなたの命も余に預けよ。互いの命が己のものではなく、互いが守り合うのであれば、即ち! 余らは無敵である!」
「は、はいっ!」
「ふふふ、愛い奴よ……シェロは善き者に慕われるな。では往くぞ、乱戦になる故に細々と指示は出さぬ。各自全霊を賭して奮起せよ! 人類の興廃この一戦に有り!」

 不敵に笑って錬鉄の弓兵が『黄金の鹿号』へと飛び移る。彼だけではない、玉藻の前もそちらに移った。白兵戦に移行するのなら、サーヴァントを二手に別けてドレイクを護らねばならない。彼女を死なせる訳にはいかないのだ。ドレイクが守る必要のない女傑である事は考慮に値せず、故に守戦に長けたエミヤと回復役の玉藻の前が彼女の近衛となる。
 ネロの下にいるのはマシュ、アイリスフィールと黒髭。黒髭が微塵の弛みもなく裂帛の殺意を吼える。それは大海賊の本気、全身全霊を振り絞る正真正銘の全力である証左だ。
 剥き出しの上半身、鍛え上げられた筋骨が膨張し、凄絶な眼光が光る。右腕には鉤爪のついた手甲を、左手には拳銃を。静電気に弾かれたように黒い髭が尖り、無造作に切られていた髪が俄かに総毛立つ。

「――華の殺り合いだ、この黒髭の首ぃ、簡単に奪れると思うなやぁッ!」

 嵐の航海者、黒髭の旗艦が海賊の誉れを謳い、太陽を落とす女に先んじて切り込んだ。英雄船の船首に正面から突撃し、超質量同士がぶつかり合う。瞬時に二体一対の女海賊と血斧王が飛び込んできた。マシュが咄嗟に迎撃せんとするのを、黒髭が骨太に笑って制し自ら突貫する。

「俺の獲物だ、お嬢さんは別に当たりなッ!」

 自らの獲物と定めたのは嘗ての部下。黒髭の旗艦に乗り込んで、着地してくるなり長身の女アン・ボニーの顔面を殴り飛ばす。
 鉄拳が女の残留霊基を吹き飛ばし、銃口を向けて射撃した。させじと矮躯の女賊メアリー・リードがカトラスで斬りかかってくるのを手甲で受け止めた。隔絶した筋力差、踏んだ場数と海賊としての格――サーヴァントの残骸である彼女たちと比較するのも烏滸がましい。手甲で刃を受けるやその腹に情け容赦なく蹴撃を叩き込んで吹き飛ばし、血斧王の大斧の一撃を飛び退いて回避する。
 メアリーを蹴り抜いた脚には浅い切り傷があった。メアリーもただでは蹴り抜かれず、その脚を切り裂いていたのだ。しかし微塵も痛痒を覚えた様子はなく、連続して銃撃をアンに浴びせながら哄笑した。悉く回避するアンの踊るような体捌きなど気にも留めず。
 大海賊の気炎が彼を巨大化させているようだった。陽炎のように立ち上る気迫に、味方であるはずのマシュは気圧される。これがあの、終始ふざけていた黒髭なのか? まるで別人のようで、故にこそエドワード・ティーチが如何に怒り狂っているのかが分かる。

「彼奴らは黒髭に任せる。来るぞマシュ! 余も援護する、往け!」

 続いて飛び込んできたのは――双巨斧を操る牛面の怪物であった。女海賊らと血斧王を合わせてなお凌駕する神話の反英雄、迷宮の主。
 その異様なまでの威容にマシュは歯を食い縛り大楯を構えた。そのマシュの霊基に魔術が装填される。ネロが魔術礼装の機能を起動して少女の身体能力を向上させたのだ。襲い掛かってくる怪物の斧と、強化されてなおマシュを大幅に上回る怪力が彼女の全身を震えさせた。

「エ■……■■ア、レ……■■■■■■――ッッッ!」
「くぅっ!?」

 護る者故に伝わる無念と猛り。死してなお、消える事のない怨嗟と慟哭。死してなお護ろうと奮い立つ雷光の巨力にマシュもまた応じた。

「負け、ない……! 私は……絶対負けないッ」

 一歩も退かぬと足に根を張り、濁流の如く振り掛かられる双巨斧の乱打を捌き、逸らし、打ち返す。切り結ぶ両雄の剣戟は莫大な衝撃の坩堝を生み、足場の甲板が軋み、ひび割れる。
 必死に護ろうと怨嗟する怪物。必死に護ろうと奮起する少女。桁外れの怪力にマシュの手が痺れる、マシュの顔が苦痛に歪む。されど退かぬ、絶対に退けない。幼子のように狂い哭く怪物の、怒濤の連撃は加速する。ネロが『原初の火』を振りかざし踏み込んだ。神祖に与えられたが故に保有するスキル『皇帝特権』による剣術の取得、達人に迫る剣撃が怪物を痛打した。
 苦悶しながらも怯まずに応じる雷光が悲憤に猛る。「■■■■■■――!!」だが薔薇の麗人は雪花の楯に微笑みかけた。「そなたは一人ではない、共に守り合いこの敵を制覇してくれよう!」マシュは汗を浮かべながらも安堵も露に頷いた。心強い仲間だ。

 ――英雄船より『兜輝くヘクトール』が降り立った。

 はためく深紅のマント、油断なく携えられた極槍、表情のない瞳。狙いは護る者のいない聖杯の嬰児だ。毅然と己を睨み付ける彼女に向け遊びのない槍の煌めきが照準される。――そこに飛来する剣弾の霰。己の五体を針鼠とする剣弾を、彼は無造作に振るった極槍で撃ち落とす。
 ちらりと視線が黄金の鹿号に向く。マストの上に立ち己を視る鷹の目と視線が絡み合った。射撃の精度、威力、数。それらから下手に聖杯の嬰児を狙えば鷹に啄まれるのは己だと理解した大英雄が跳躍した。槍兵の座に恥じぬ軽やかな体捌きを以て、大英雄の残骸が黄金の鹿号に移動する。

「――いきます! 一合、二合、大・天・罰! これが私の、奥の手です! 弁明無用、浮・気・撲・滅っ! またの名を、一夫多妻去勢拳!」

 応じて踏み込んだのは慮外のサーヴァント、玉藻の前。魔術師の座にあるまじき近接への挑戦。執拗なまでの蹴撃は、されど悉く防がれ、透かされ、逸らされた。反撃の極槍が唸る、絶死の黄閃は一撃で巫女を殺すだろう。咄嗟に玉藻の前は自らの手に呪を纏い受け止めた。
 呪層・黒天洞、防御の要。しかし玉藻の前は戦士に非ず、卓越した槍の閃光は二回辛うじて凌いだ玉藻の前の防禦を破り、両手が上方に弾かれ無防備な胴を晒してしまう。ぎくりと硬直する玉藻の前を屠らんと極槍が唸り、させじと剣弾が飛来する。
 弓兵が一喝した。

「戯け! 何をしている!? 早く下がれ、キャスター!」
「言われずとも! ……えーん! そういえばこの方、押しも押されぬ愛妻家でした!」

 飛び退き様に放たれるは呪相・密天。圧縮された風の弾丸がヘクトールに殺到する。ヘクトールは瞬時に槍を旋回させて風の呪詛を払い、一撃が通らない。そのまま剣弾も悉く払い落とし、槍を回転させた勢いを殺さず黒弓を握る弓兵へと投擲した。
 咄嗟に黒弓を破棄し双剣を投影したエミヤは極槍を防ぐ。真名解放せず、予備動作もない、威力の低いはずの投槍は、しかし鉄壁を誇るエミヤをマストの上から叩き落とした。
 しかし極槍を投げ放ったヘクトールは徒手空拳である。部下を下がらせた女海賊フランシス・ドレイクが、二挺の拳銃を以て銃撃を撃ち込む。確実に的中させられる、その確信は――しかし神々の予測すら容易に裏切り、あわや勝利の寸前まで祖国を導いた英雄に阻まれる。
 具現化する輝く兜の偉容。頭部を覆い、その身を固めるのは黄金の鎧だ。パトロクロスを討ち取り、戦利品として獲得した『アキレウスの鎧』である。エミヤを甲板に落とし、虚空に在った極槍が落下してくるのを掴み取ると、大英雄は微塵の己を囲む二騎と一人を見据えた。残留霊基とは思えぬ、測り知れぬ威圧感に戦慄が過る。

「――」

 そして。
 それぞれがそれぞれの敵手と相対する中、英雄船に切り込んだのは冬木三騎士。
 ブリテンの騎士王、アルトリア・ペンドラゴンの反転存在。攻撃力の一点ならば青き騎士王をも上回る暴竜の化身。
 アイルランドの光の御子、クー・フーリンの全盛足る姿。生前の力に限りなく近い光輝の英雄。
 錬鉄の英雄その人でありながら別人であり、英霊ですらなく生身の人間でありながら、誰しもが認める鉄心、衛宮士郎。

 対するはギリシャ神話最大にして最強の英雄、ヘラクレス。その反転存在であるアルケイデスはしかし、その身の丈を半神ヘラクレスに並ぶ程に膨れ上がらせ、痩せていた五体には強靭な筋肉の鎧が纏われていた。
 発する力の武威は『神の栄光』にも劣らない。霊基が損壊していながら存在の劣化は見られず、寧ろ増大すらしているではないか。漲る覇気は純化され、背後の友の亡骸を護るようにして立ちはだかっていた。

 ヘラクレスなのか、アルケイデスなのか。判じる術はない。ただその手にあるのは弓ではなかった。魔大剣でもなく、在るのは――柱のような巨槍(・・・・・・・)である。オルタが油断の欠片もなく警告する。

「気を付けろランサー。あれは――最果ての槍(・・・・・)だ。西の世界の果てとされた『ヘラクレスの柱』だろう。……シロウ、」
「分かっている。メディアとイアソンに邪魔されるのは面白くない。確実にいく」

 迸る魔力はカルデアからの供給である。彼の改造した戦闘服、ダ・ヴィンチの発明した射籠手より、士郎はマスターの身でありながら潤沢な魔力を得られていた。
 故に最大且つ最強の敵を戦場から切り離し、隔離する一手を躊躇いなく打つ。己へ掛かる負荷など度外視してでも。
 そしてそれを止める者などこの大敵を前にいるはずもなく――

 詠唱を終えてよりやって来ていた士郎が、中断していた力ある呪文を唱える。

「my flame never ends (この生涯は未だ果てず)――」

「My whole body was (偽りの体は)」

「still (それでも)」

「――unlimited blade works" (無限の剣で出来ていた)」

 ――炎が奔る。大禁呪の異界が現実を塗りつぶす。捉えるは己と二騎の英霊と、そして『神の栄光』である。
 辺りの大海原は駆逐され、在る世界は剣の丘。晴れ渡る蒼穹に廻る歯車を背に、世界の主は微塵の油断もなく鉄心の光を瞳に宿し、全力で挑まねばならぬ大敵を睨み据えた。

「往くぞ、ヘラクレス(・・・・・)。宝具の貯蔵は充分か?」

 ――二極化した戦線の一角は、たった一騎を相手にした死闘であった。










 

 

海賊の誉れは悪の華

海賊の誉れは悪の華




 海賊、黒髭。エドワード・ティーチ。

 彼の者の轟く悪名、時代を跨ぎ。カリブ海を恐怖のドン底に叩き落とした稀代の大悪党。成した悪逆数知れず、蓄えた財宝綺羅星の如し。ある俗説に曰く、黒髭の財宝は国家予算に匹敵し、それを目当てにウッズ・ロジャーズ総督は海賊共和国と渾名されたニュープロビデンス島の平定、海賊の駆逐に乗り出したという。
 ――残忍無比、怜悧狡猾、大胆不敵。傲岸なる海賊エドワードは、銃の名手に非ず。剣の達人に非ず。血に飢えた狂王に非ず。その本質はどこまでも悪党であり、死後反英雄として英霊の座に刻まれようとも彼が改心するなど有り得ない話だ。
 にも関わらず、彼の言動はどこまでも軽く、薄く、他者の蔑みや嘲笑を買う道化のものだった。だが、時間軸の縛りのない英霊の座から仕入れた現代の軽薄な言論を引き出し、それを使っているのは彼の気紛れなどではない。
 生前の経験から純愛に憧れていた。それは確かだ。本当の愛に飢えていた、それも真実である。本物で不変の愛など架空の存在にしかないのではと諦めていた、というのもまた事実だ。だがそれがどうしてあの他者の蔑みを買う言動に繋がる?

 答えは一つ。大海賊、黒髭エドワード・ティーチは『識った』からだ。

 己の暴れ回った世界の狭さ。生前より憧れた星の開拓者により知識として世界を知っていたが、英霊の座に刻まれる事で更に先、星の果てまで人の手が伸びようとしている事実を知った。
 古今に名高き英雄豪傑、無数の冒険、伝説の財宝――それらは過去確かに実在し、現代の世界を見渡すにこれを出し抜くのは己であってもひどく困難であると知った。
 比するにどうか、己の悪行は。神話や伝説の勇者、悪党、怪物の財宝は。たかがカリブ海に一時期君臨した程度ではないか。

 己を遥かに上回る化け物がいる。己を上回る悪がある。これに媚び諂うのが悪党か? 否だ、断じて否だ。己の矮小さを知った、だからなんだ? 悪党は悪党らしく、どんな汚い手を使おうとその喉笛に食らいつかねばならない。例え格上が相手であっても。
 それが故の軽薄極まる言動だった。好きに笑い好きに見下せ、その代わり――『勝つ』のは俺だ。最後に笑うのはこの黒髭だ。海賊の誉れは自由である事と勝つ事、奪う事。悪党の本懐を果たすのが黒髭の矜持――否、海賊の誇り。これに泥を塗る事は誰であっても断じて赦さず決して逃さない。

 屑には屑の、悪には悪の、触れてはならない物がある。越えてはいけない一線がある。

 悪辣、残虐、残忍上等。血も涙もない悪鬼と好きに謗れ。しかし悪は、悪の華を咲かせる者は、外道(・・)であってはならない。
 善良なる皆様につきましては悪も外道も区別はつくまい。だが違う、一流の悪とは己の中に線がある。線引きを行い、その線の外には出ない。故に悪は外道ではないのだ。善悪一対などと嘯きはしないが、相応の覚悟がある。末路がある。
 悪の死に様はそれはもう惨めなものだろう。だが、だからこそ――自由なのだ。その自由を貶める者を赦さないのは、悪が悪であるが故である。

 故に。

「テメェら……そのザマで『海賊(じゆう)』の旗を掲げられんのか? 無理だわなぁ。一時とはいえこの俺の船に乗ったモンが醜態晒しやがって……」

 ――自由を失った海賊に生きる価値なし。存在する意義なし。ましてやその骸を弄ばれ傀儡として捨て石にされるなど笑い話にもならない。
 船長責任、などとも言うまい。アン・ボニー、メアリー・リード……彼女達が死んだのは黒髭の指揮が拙かったからではないのだ。弱いから死んだ、悪運が足りなかったから死んだ。悪の死は己のみの責任である。

 だが、同じ悪、同じ海賊として、懸ける情けはある。死後の亡骸を弄ばれる……そんなザマ、己が死後に首を刎ねられ晒されたようではないか。
 悪の死を利用するなとは言わない。しかしその誇りを汚すのなら……汚されているのなら、取り戻してやるのが海賊だ。

 ――銃撃の名手アンとカトラス使いのメアリーは海賊である。比翼にして連理、比類ない連携の殺しの技が悪の華。
 エドワードは剣の達人でも、銃の名手でも、徒手空拳の荒事に長けるでもない。故にその阿吽の呼吸より編み出される死の網を潜り抜ける技能を持っていなかった。
 エドワードは狂わない。巨大な自負がある。自由な悪が、あらゆる因果を己のものとする海賊が狂うなどあるはずもない。故に比翼連理の連撃に巻き込まれる事も厭わず、味方であるはずの比翼らの銃撃を浴び、斬撃を浴びても襲い掛かる血斧王の狂気を躱さない。

 黒髭は満身創痍だった。全身に傷のない箇所などなく、己の血に塗れ、それでも不敵に笑う。
 彼は殺されるだろう。秀でた筋力、化け物じみた頑強さと生き汚さがあろうと、それが通じる手合いではない。彼の銃撃は躱され、彼の肉体による打撃は届かない。多対一、同じサーヴァントである故にその差を覆せる力量がない。
 大斧がエドワードを横殴りに殴打し、吐瀉を撒き散らして巨体がマストに叩き付けられた。跳ね起きた黒髭の胴を銃弾が貫通する。斬りかかってくるカトラスの刃で袈裟に切り裂かれる。黒髭は己の霊核に致命的な損傷が入ったのを自覚した。
 メアリーを殴り飛ばす。カトラスで受けられ、自ら後ろに跳ぶ事で衝撃を殺された。
 感情の欠片もなく己へ銃口を向けるアン。今にこちらへ飛び掛からんとするエイリーク。体勢を整え再び斬り込まんとするメアリー。黒髭は、血に濡れた口許を荒々しく手の甲で拭う。蓄えた髭に付着した血の脂が鬱陶しい。だが今は気にならない。

「大したもんだ……」

 嘗ての部下の中には、これほどの腕利きの銃や剣の名手はいなかった。これほどの気狂いもいなかった。故に称賛する。ああ、お前らの力は、確かにこの黒髭を殺せるもの。誰か一人でも欠けていれば力業で殺せるが、三騎という数がバランスの妙だった。紙一重で黒髭は殺される。それを覆せる力が黒髭にはない。

 しかし――だからこそ、黒髭は嘲笑し勝ち誇るのだ。

「――莫ぁ迦が! ここはどこだ? 俺の船だろうが! ならよぉ……俺の船で俺の僕を出せない訳ねぇだろッッッ!」

 元より海賊、黒髭は己の武略によってのみ生きたに非ず。その奸智と悪逆によって台頭した悪党である。
 己にトドメを刺さんとした三騎の脚を、甲板の下から伸びた腕が掴んだ。低級霊、実体がないまま実体のあるものに触れる亡霊である。彼らとの交戦で一度も海賊の亡霊を呼び出さずにいたのは、この一瞬のため。

 亡霊が比翼の女海賊の脚を掴み、下から這い出た亡霊が腕を押さえ、首を絞め非力な女海賊らの身動きを拘束する。血斧王は無理矢理にでも襲い掛かって来たが、それでも動きは大幅に鈍っていた。
 容赦なく、無慈悲に。それこそが慈悲なのだとエイリークの首に腕を回して、脇に挟むと一息に圧し折った。どぉ、と倒れ伏す血斧王が霧となって消えていくのを見もせずに、完全に拘束された比翼の女海賊らに歩み寄る。もがく彼女らの、黒く染まった霊体に目を眇め、黒髭は呟く。

「あばよ」

 別れの言葉はそれだけだ。脳天に銃弾を一発ずつ撃ち込む。比翼故に片方を撃つだけで両名とも消えるが、彼女らの誇りは片割れのみの脱落をよしとしないだろう。
 ――なんだよ。最初からそうだったら素直に敬ってたのにさ。
 ――さすが、と言っておきますわ。船長(キャプテン)
 比翼らが口々に嫌みと皮肉を投げて寄越し、消滅していく。
 エドワードはふらふらとよろめき、柵を背にして座り込んだ。聖杯の嬰児が駆け寄ってくる。急いで治すわ、と。それに黒髭は嗤った。こんなにも無垢で、善良な彼女が、悪党を救おうとしている。それがおかしかった。荒々しく、しかし優しく、紳士的に押し退ける。

「要らねぇよ。ほっといてくれや」

 でも、その傷だと貴方は! そう反駁する聖母に、黒髭は嗤いを深める。

「安心しな、簡単にくたばりゃしねぇよ。今はちょいと、感慨に浸ってたくてな」

 重い声音である。聖杯の嬰児アイリスフィールは悟ったように目を見開き、そっと傍から離れていく。
 ああ――いい女だ。男の感傷を理解してくれるなんざぁ。ったく、俺はどうして、そんな女と縁がなかったのかねぇ。

「悪党だからな」

 鼻を鳴らし、エドワードは自らの黒髭に触れる。そこには先刻、同盟相手から押し付けられたものがあった。勝利の美酒の代わりだ、やっとけよ、と。血を吐いて、散々に切り刻まれ撃ち抜かれていたが、それでもそれ(・・)は奇跡的に無事だった。これも悪運かと失笑する。
 口に咥え、髭に織り込んでいた導火線の栓を抜く。火がついたそれを抜き取り、煙草に火を移した。

 肺に染み渡る。ぶはぁ、と虚空に吐き出した紫煙を見上げた。海賊は嗤う。

「この俺と組んだんだ。……負けやがったら承知しねぇぞ、マスター」






 

 

悪意の牙、最悪の謀 (前)





 I am the bone of my sword
 体は剣で出来ている

 Steel is my body, and fire is my blood.
 血潮は鉄で、心は硝子

 I have created over a thousand blades.
 幾度の戦場を越えて不敗

 Unaware of beginning.
 ただの一度の敗走はなく

 Nor aware of the end.
 ただの一度の勝利もなし

 Withstood pain to create weapons,
 担い手はここに一人

 waiting for one's arrival.
 剣の丘にて鉄を鍛つ

 yet,
 けれど――

 my flame never ends
 この生涯は未だ果てず

 My whole body was
 偽りの体は

 still
 それでも――

「unlimited blade works&quot
 無限の剣で出来ていた」



 固有結界、無限の剣製。――心象を顕す呪の文言に変化はない。魂魄に埋め込まれたアラヤ識の楔が抜けていないから。力の根源に霊長の守護者が在るから。
 しかし世界卵を反転させ、世界を己の心の在り方で塗り潰す心象世界は変容していた。
 幼少の大火災に焦げ付いた空は、廻った世界の美景(人々)に除かれ曇りなき蒼穹へ。
 再演の差響に歪み、染み着いた血の赤い丘は緑豊かな濡れた草原へ。
 墓標のようですらあった無限の剣に、青々とした茎が巻き付いて、武骨な剣を自然の中へ取り込んだようになっている。
 心根豊穣にして地盤頑健なる剣の丘。鋼の与える頑強な安堵感が、心象世界に取り込んだ者へと贈られる。善なる者へ祝福を、無辜なる者へ安心を――悪なる敵には更なる無限の鉄剣を。廻る歯車(アラヤ識)が世界の主を支え、縛り、後押しする。ガゴッ、と歯車が鳴った。

「――セイバー。固有結界を崩壊させる規模の聖剣の解放は一時封じろ。奴にも大規模なものを撃たせるな」

 真っ直ぐに敵を見据える眼光に曇り無く、鉄槌のような声音が敵対者の討滅を告げている。セイバーと己を呼んだ主へ、黒王は首肯する。
 だがしかし、光の御子はニヤリと口端を上げた。

「いや、オレの宝具を使えば、固有結界(コイツ)の受ける負荷を肩代わりしてやれるぜ」
「――城か(・・)
「おう。おまけにオレとセイバー、マスターの体のキレも上げられる。良いこと尽くしだ」
「分かった。だが瞬時に奴を取り込めるわけじゃないだろう。追い込み、囲み、叩く。俺が合わせる、行けるな?」

 応じるように魔槍が構えられる。獣のように前傾となった光の御子が四肢に力を溜め。暴竜の猛りを秘めた黒王が、聖剣に膨大な魔力を充填してゆく。
 臨戦態勢は最初から整っていた。いつでも戦える。しかし、胸中に去来するものがあった。数奇な運命だと三者が感じていたのだ。
 共に冬木の三騎士でありながら、全員が力か属性が異なっている。弓兵に至っては同一人物にして別人で、人間で、マスターであり。そして再演前の弓兵はそのマスターの力の根源となっている始末。あまつさえ敵としているのは第五次聖杯戦争最強の英雄なのだ。可笑しさすら湧いてきていた。正しく三者三様、当時の配役からはみ出ているのである。
 だが不足はない、万の味方を得た以上の心強さを感じている。互いの力を知り抜き、同じ戦場を駆けた。強敵の座を経て戦友になったのだ。ならば細々とした合図や指揮など無用の物。ならば共通の敵を討ち果たすのみ。

「往くぞ、ヘラクレス。宝具の貯蔵は充分か?」

 その宣戦布告に、破れ掛けている神獣の裘の下で神性の霊基が笑んだ。
 三mを超える武骨な柄、切り立った二枚の岩盤が螺旋を描いた形状の穂先――最果ての燐光を纏う巨槍を旋回させ石突きで地面を叩く。
 巌のような指が巨槍に添えられ、『神の栄光』が構えた。堂の入った槍術の武練、武芸百般の武人の誇りが垣間見える。

 クー・フーリンが小さく笑った。最後の最後に立ち返ったのか。僅かにでも。
 ヘラクレスと呼ばれた巨雄は赫怒を覗かせていた。私をその名で呼ぶなと。――ヘラクレスとアルケイデス……同一人物でありながら、決して相容れぬ属性。それらが混ざっているのだ。

「不快な」

 騎士王は吐き捨てる。立ち返ったのではないと見抜いていた。意図的に混ぜられただけであると。故に強敵を迎えた高揚は無く、有るのは脳裡に鳴り響く警鐘への不快感。本来の騎士王よりも鈍化しているとはいえ、鋭敏極まる直感の鋭さが彼女の秀麗な美貌を歪めさせた。
 黒い聖剣が膨張する。黒々とした暗黒の魔力が噴出したのだ。周囲の味方への気兼ねはない。蒼き騎士王は自らの力を律し控えていたが、その反面である彼女は暴竜の力の解放を躊躇わない。

「踏み潰す」

 その身より噴き出る黒き波動は、ブリテン島の原始の呪力。既に開戦の号砲は鳴っている、元より仇敵なのだ。一対一の騎士道に則った戦いではなく、数の利を活かして蹂躙する事への後ろめたさなど欠片もない。彼女は赤刻の走る黒剣を握り締めると地面を蹴り抜いた。
 ジェット噴射も斯くやといった爆発が起こる。強力な魔力炉心が起動し、膨大な魔力が唸った。斬り込むのは黒い聖剣王アルトリア・オルタ。周囲の仲間を巻き込む訳にはいかなかった一度目、船上故に加減をしていた二度目の戦いの時とは違う、正真正銘の全力を発揮する。
 直線の速力ならばクー・フーリンの突進にも迫り、魔力放出にものを言わせたその一撃の重さはクー・フーリンを超える。腰だめから戦車の砲撃を上回る剣撃が振るわれ、残留霊基の黒い残滓を纏うアルケイデスが応じて巨槍を振るった。
 剣の間合いに踏み込ませぬ迎撃の刺突は瀑布の如く。槍の壁が押し寄せるかのような点の軌跡。オルタは力で圧すも微塵もアルケイデスを圧倒出来ない。精妙無比な槍術の枠が却ってオルタに被弾する。攻め込んだはずがあべこべの防戦へ、しかし堅固な鎧は擦り傷程度跳ね返し、瞬間的には拮抗する。オルタは吼えた。

「ジャッ!」

 敢えて槍の一撃を左肩の鎧に受け、裂帛の気閃と共に原始の呪力を撃ち放つ。下段より切り上げた一撃はアルケイデスに捌かれるも、微かに両の足が浮いた――其処へ飛来する無数の剣弾。四方八方より殺到する伝説の魔剣、聖剣、宝剣。刀身に絡み付いていた草々の根、蔦が地に落ちる。
 アルケイデスからすれば、それを防ぐ必要は本来ならない。神獣の裘はそれら人理に属する投影宝具を遮断する。しかし生まれ持ってのそれと、研鑽の末に身に付けた心眼は防禦を選択させた。

 巨槍を縦横無尽に振るって次々と撃墜する。砕け散る鋼が虚空に融け、しかし無限に続く絨毯爆撃は留まる事を知らない。そして不意に間合いと呼吸を見抜いた鷹の目の心眼が仕掛けた。巨雄の槍に更なる投影宝具の霰が撃ち落とされる寸前、その全てが爆発したのだ。
 壊れた幻想による飽和爆破。人理に属していた投影宝具とはいえ、その現象は神秘の炸裂だ。そして爆風、爆裂という属性は人理の如何などに関わらない。アルケイデスは瞬時に顔を腕で庇い、自らを地面に縫い付けるが如き爆撃の中で防禦を固める。
 オルタが聖剣に魔力を込める。卑王鉄槌――刀身を砲台に見立てた魔力砲撃。腰を落として両手で構えた聖剣より、いざその魔力の暴風を解き放たんとした刹那。爆撃地よりアルケイデスが脱出する。
 全身を煤けさせながら、しかし欠片たりともその気迫を衰えさせず、凄惨な火傷や裂傷を負った姿でオルタに刺突を見舞う。大規模な爆撃に晒されていた途上でそれだ。故にその突進がオルタには不意打ちとなる。面食らうオルタだが即座に反応し槍を受け止めた。しかし巨槍より圧縮された燐光が解放され、オルタの全身を打ち据える。

 巨大な槌に殴打されたような衝撃。意識が刹那の間だけブラックアウトする。それほどの一撃。吹き飛んだオルタへ、しかしアルケイデスは追撃に出ない。それを断つ剣弾の雨が吹き飛んだオルタの後方より放たれ、無理矢理アルケイデスの進撃を食い止めたのだ。
 アルケイデスは舌打ちし飛び退く。絨毯爆撃に縫い止められるのは面白くない。転瞬、その背後より迫った朱槍の気配を感じて振り向き様に巨槍を振るった。火花が散り、豪腕が唸る。

「ハッ、オレを忘れちゃいなかったようだな!」
「痴れ言を。お前を忘れるなど、痴呆にでも懸からん限りは有り得ん」

 魔人の挙動を成すクー・フーリン、彼の見舞う魔槍術は変幻自在、豪快無尽だ。しかしアルケイデスもまた負けてはいない。偉大な師を戴く者同士、そして互いに師を超えた者同士、神域の果てにて鬩ぎ合う槍の極みは噛み合った。
 魔槍が閃き、巨槍が轟く。激突は一拍の間に百を超えた。二騎の槍手の中心の気流が暴れ、ただの槍術の凌ぎ合いが固有結界を軋ませる。彼我の膂力はアルケイデスが微かに上回る、しかし槍術はクー・フーリンが上を行った。全くの互角、されど明暗を別けたのは対人技能に秀でた光の御子――ではない。超雄同士の激突は、その決着を見る前に援護が入ったのだ。

 自らのサーヴァントであるクー・フーリンを、巻き込まんばかりの剣林弾雨だ。周囲を囲み浮遊した剣弾が躊躇なく降り注ぐ。アルケイデスは目を剥いた、光の御子を捨て石にするか、と。
 されどそのような愚行など有り得ない。瞬間的にアルケイデスは悟った。剣弾の悉くが極めて位階の低い宝剣でしかないのだ。

「ヅッ!!」

 アルケイデスに宝剣の霰が直撃する。アルケイデスのみに、だ。クー・フーリンは笑った。
 光の御子クー・フーリン。彼の保有する加護に『矢避けの加護』がある。生まれついて飛び道具による攻撃で傷を負った事のない彼を、遠距離から傷を負わさんと欲するなら、高位の宝具による射撃でなければならない。
 つまりクー・フーリンは、この低位の宝剣では被弾しないのだ。彼に当たる軌道の宝剣は不意に起こった風に逸らされ、あらぬ方へ飛んでいく。果たして宝剣の弾雨に晒されるのはアルケイデスだけだ。無論それらはアルケイデスになんら傷を与えられない。しかし彼の動作を阻害する効果はあった。互角の力量、故にこそその差は極めて大きくなる。クー・フーリンの赤眼がぎらりと光った。

「ゼァッ!」
「ぐ、」

 激越な気合いと共に魔槍が奔る。多数の隙を生み出されたアルケイデスは急所を守るしかなかった。肩を抉る魔槍の呪詛に苦悶する。しかし体は停滞しない。巨槍に魔力を送って豪快に振り地面を叩く。発される衝撃が地面を隆起させ、クー・フーリンを間合いから押し出した。最果ての槍の風圧が剣弾をも弾き飛ばし、態勢を整えようとしたが――その隙を逃さず飛び込んできたのはオルタである。
 先の意趣返しとなる剣撃は、柱の如くに膨張した黒剣の振り下ろし。完全に死角から振るわれたそれを、しかしアルケイデスは咄嗟に槍を掲げて受け止める。オルタの渾身の魔力放出が加わり、アルケイデスの両足が地面にめり込んだ。

 後退したクー・フーリンが魔槍を投じる。真名解放によるものではない。されどルーンで強化された膂力によって擲たれたそれは、充分にアルケイデスを殺し得る。
 受け止める、それは不可。躱す、それも不可。防ぐなど以ての他だ。オルタの剣撃を防ぐ為に両手で巨槍を防ぐのに塞がっていた。

「ォ、」

 一瞬の判断。

「ォォオオオオ――ッッッ!」

 無理矢理に体を捻り、心臓に突き立たんとしていた魔槍を躱した。代償にオルタの黒剣が自らの胴を袈裟に切り裂くのに、彼女に拳を叩き込んで吹き飛ばす。オルタは黒剣の腹で拳を受け、損害なく身軽に着地する。魔槍が担い手の許へ帰還する中、そこへ殺到するのは剣弾の雨。
 剣の丘に縫い付ける爆撃がアルケイデスを封じ込める。クー・フーリンは確信した。今だと。しかしオルタはハッとした。爆発に呑まれたアルケイデスの眼が不気味に光っている。直感した。

「待て! ラン――」
「出な、『圧し潰す死獣の褥(ソーラス・カスラーン)』!」

 顕現する光の御子の城。四方を囲み、城内の味方や己の幸運と宝具、魔力以外のステータスを増強させるそれ。固有結界の中に築かれた城塞は、内部の影響を結界に与えずに屹立する。聳え立つ城壁の威容は現代にまで現存する城、その古代のものであり、クー・フーリンの本拠地として機能した。

 黒剣により深傷を負ったアルケイデスが立ち上がる。巨槍が発する燐光が辺りに撒かれ、防壁となり剣弾を遮断したのだ。
 オルタやクー・フーリン、士郎を大幅に強化した城に、彼は笑っていた。

 固有結界を奪う、容易いが己には意味がない。無限の剣を発現するのは弓兵の異能、心象風景を顕すそれは、アルケイデスの心象風景を顕すだけでなんら価値がない。しかも術者は人間であり、これは魔術だ。宝具ではない。故に奪おうにも抵抗され、ほぼ効果がない可能性もある。
 しかしかといって騎士王の聖剣を奪う、これは容易くなかった。そして光の御子の魔槍を奪う、これは相手の力量ゆえに不可能。

 だがこれはどうだ? 己に重圧を与え、敵に加護を与えているこの宝具は。

「待ちに待ったぞ」

 この宝具があるのは知らなかった。だがしかし虎視眈々と機会を窺い続けた甲斐はあった。
 己の刑場となっている城の宝具。己にも重圧を掛けるそれは、間接的に己に触れているのと同義だった。
 アルケイデスは虚空に腕を伸ばす。彼の負った傷は秒毎に治癒していく。無尽蔵の魔力が己にはあった。今、彼は秘め続けた宝具を開帳する。その真名は、

「『天つ風の簒奪者(リインカーネーシヨン・パンドーラ)』」

 宝具を簒奪する宝具である。










 

 

英雄の誉れ、花開く策謀






 ボッ。

 それは空気の壁を貫く不毀の極槍の擦過音である。大気が燃え、衝撃波を伴い、雪崩を打ったように弓兵へ押し寄せた。
 干将莫耶、陰陽一対の双剣。一級の戦巧者であるエミヤは防禦を固め歯を食い縛った。
 災害のような猛攻と同居する精緻な槍捌き、己を遥かに上回る霊格の勇者。トロイア最強の将軍にして戦士、指揮官にして政治家である『兜輝くヘクトール』の武技には、その性質そのままの堅実さと怜悧さがあった。
 光の御子のような圧倒的な力と速さ、豊富極まる経験と才能、昇華された技量によるものではない。血の滲むような鍛練と、類い稀な克己心から来る忍耐力、真の狙いを悟らせない狡猾な心技が立ちはだかる。彼の術技には無数の隙が散見されるが、されどその隙は全て餌であり、それに食いつけば即座に殺される。エミヤは確信していた。彼の者はエミヤでは至れなかった境地に立つ、己の完全なる上位互換の存在だと。

「ヅッ!」

 投影する端から双剣が砕かれる。その破片が虚空を彩り、エミヤは防戦一方に押し込まれた。
 色のない暗い瞳が己を見据える。淡々と敵兵を始末するような眼光が不気味に照っている。突く槍の引き手は見える、しかし刺突が斬撃に、斬撃が刺突に、薙ぎ払いに変化する自在な槍捌きは、エミヤの心眼を以てすら見切れない巧みさがあった。
 左の二の腕を浅く抉られる。右の頬を穂先が掠める。首許を狙う小さな振りの、撫でるような刃を躱す。しかし全て無傷とはいかない。
 残留霊基と化して尚、曇る事のない無謬の槍。カルデアにて光の御子と相対し、桁外れの槍術を体験していなければ、既にエミヤは刺し殺されていただろう。これほどの槍手をして逃げの一手を打たせたアカイア最強の戦士とは、どれほどの怪物だったというのか。双剣を投影する端から悉く破壊され、エミヤは全身に浅い傷を負いながらも後退する。
 だが、付かず離れず、槍の最大効果を発揮する間合いからは、それでも逃れられない。このままでは押し切られると、双剣を砕かれエミヤが己の絶命を心眼にて導き出した刹那――ヘクトールはあっさりと自分から退いた。

 死角から殺到する呪相・炎天。炎の呪術が強力な弾丸となって彼を襲っていたのだ。同時に銃弾の洗礼も送られてくる。それへ不毀の極槍を丁寧に突き込み相殺し、全く危なげなく銃弾を右の手甲で捌き、躱し、旋回させた極槍で残りの呪術を掻き消す。

 これだ。あと一息でエミヤを屠れる所まで追い詰めてもそれに固執しない。常に周りが見えている。功を焦らない。加えて玉藻の前の呪術、ドレイクの銃撃を防ぎ切れる鎧兜で身を固めていながら、彼は態と受けるという傲慢さがなかった。
 どこまでも冷静に、丁寧に迎撃される。格下だからと力を抜かず、油断せず、慢心しない。彼は忌々しいまでに磐石だった。本当に残留霊基なのかと疑いたくなる。

 青銅製の兜はT字型の鼻当て、孔雀のような羽飾りのついたコリント式兜である。それは硬度は勿論ながら、宝具として相応しい加護を被る者に与える。
 ヘクトールの兜は被る者に戦時に於ける類い稀な洞察力を与えるのだ。生まれついての心眼か、鍛練の末に身に付けるそれか、はたまたその両方か。そして彼の身に付ける鎧は――と、不意に彼は黄金の鎧を脱ぎ捨てた。

「……?」

 本当に、無造作に。兜輝くヘクトールは躊躇う素振りすらなく、『アキレウスの鎧』を体から剥ぎ取ると、海に捨てたのだ。その真意が読めず、警戒するエミヤや玉藻の前、ドレイクの眼前でおもむろにヘクトールが左手を掲げる。
 その手に、トロイアを象徴する意匠の刻まれた丸楯が現れた。磨き上げられた鏡のようですらある、清らかな祈りの籠った護国の願いは楯となって彼の左手に収まる。そしてその身に装備されるのは所謂コート・オブ・プレート――腹部へ横方向に長い板を上から五枚ほど連結し、胸部は縦長の板を並列にして、背面と側部は縦長の板を並列に並べ、小さな肩当がある形状のもの。

 深紅のマントが潮風に吹かれはためく。彼の纏う鎧兜は、パトロクロスを討ち取り戦利品として得たアキレウスの鎧ではない。彼自身の、シャルルマーニュ伝説にて名高いものである。
 眼に見えて彼の佇まいが一変していた。ただでさえ力の差を感じさせる武威があったのを、明確に全ステータスが向上したような威圧感がある。それは彼の鎧によるものか。幸運と宝具以外の能力が増大している。
 即ちこれこそが『兜輝くヘクトール』の本当の姿だという事。右手に握られる極槍とも合わさりその偉容は計り知れない。――しかし何故唐突に本気の姿勢を見せる? 先程までの装備でも充分にエミヤらを打倒し得た。仮に最初から本来の装備に変更するつもりだったのだとしても、もっと効果的な場面はあったはずだ。それを無視して、無意味なタイミングで無意味に切り札を晒して来るのは、ヘクトールほどの大英雄には似つかわしくない性急さと拙速だ。

 ――なんだ?

 エミヤが油断なく新たに投影した双剣を構えていると、その耳にネロの声が届いた。

「バーサーカー、討ち取った! アーチャー、キャス狐、ドレイクよ! 今少しその者を抑えておけ! 余らが敵船に乗り込み決着をつける!」

 ――そういう事か!

 エミヤの眼に理解の光が点る。ネロとマシュが敵残留霊基を討ち取り、敵本丸である英雄船に乗り込んだのだ。敵バーサーカーは強敵だったが、能力の劣化した狂戦士では、ギャラハッドの力を継承したマシュを傷つける事能わず、即席とは思えないネロとの連携で打ち倒したのである。
 残すは敵大将らしきイアソンとメディアのみ。後はヘクトールさえ倒せば壊滅する。しかし無理をしてヘクトールを倒す必要はないのだ。カルデアの目的は特異点化の原因である聖杯の確保、そしてそれ以外の元凶の排除である。無理をしてエミヤらがヘクトールを倒す必要はない。しかし、ヘクトールはそうは言えない。彼は味方大将を守る必要がある。細々と堅実に勝つ、という訳にはいかないのだ。
 多少のリスクは承知の上で、速攻で眼前の敵を屠るか、この場を離脱して大将の守備につかねばならない。この際僅かな負傷すら織り込んで、エミヤらを突破せねばならないだろう。何せネロとマシュの猛攻を、メディアだけで防ぎきれるものではないからだ。イアソンは一目見て分かるほど明らかに、伝承とは異なって武勇に長けていないのだから。

「そういう事だ。今暫く付き合ってもらうぞ、トロイアの英雄!」

 ――光明は見えた。しかし吹き付ける逆風がそれを掻き消す。
 ヘクトールが仕掛ける。人間の限界……《《神代の》》人間の限界を極めた、神々の寵愛を一身に受けた大英雄をも翻弄した武略がゆっくりと牙を剥いた。
 腰を落とし、楯を前面に構え、ヘクトールはじりじりとエミヤににじり寄る。彼の背には守るべき後衛と、ドレイクがいる。エミヤは弓兵なれど退くわけにはいかない。迎撃のために防戦の覚悟を固めた。楯に身を隠し、極槍の穂先がエミヤを捉えている。ジリ、とうなじが焦げ付くような焦燥を感じた。己の焦りだ、極槍を解析した故にエミヤは見抜けたのである。ヘクトールの取らんとする戦法が。



 ブツッ――



 ――不意にカルデアとの通信が途絶えた。
 それに、戦闘中故に気づく者はおらず。敏感に察知したであろう士郎は、固有結界の裡で死闘を繰り広げている。

「っ……」

 不屈の闘志を宿すエミヤは気圧されない、しかし脳裡に響く警鐘が告げている。――負ける。斬られるか、突かれるか、薙ぎ倒されるか。無数に見える敗北の光景がありありと眼に浮かぶ。
 ヘクトールの極槍が右腕のみの力で突き出される。先程までの両腕による槍撃ではない故に、それを捌くのは難しくない。されど容易くもない。彼へ目掛けて放たれる、玉藻の前の呪術による呪詛は効果を発揮しない。

「うっそぉ!? なにそれチート! チートですよ! なんですかそれ!?」

 玉藻の前の批難など歯牙にも掛けられない。ヘクトールの聖楯は、担い手の状態異常を無効化するのだ。
 ヘクトールは聖楯で身を守りながら、エミヤに牽制のような刺突を繰り返す。何が狙いなのかを見抜いていても応じない訳にはいかない。エミヤは分の悪い賭けに出るしかなかった。

「――鶴翼、欠落ヲ不ラズ(しんぎ、むけつにしてばんじゃく)

 双剣を投じる。叩き落とされるも構わず別の双剣を投影し、更に至近距離から投げつける。

「――心技、泰山ニ至リ(ちから、やまをぬき)

 聖楯に阻まれる。やがて槍の間合いではなく、剣の間合いとなった。取り回しの悪い槍の間合いではない、しかしいつ間にか極槍の柄が短縮し、剣となっていた。分かっていたのにまんまと剣の間合いに近づかれたエミヤを責めるのは酷というものである。ヘクトールの間合いの見計らい方、距離の潰し方が余りに巧みだったのだ。
 剣の間合いに踏み込むや猛烈な剣撃を振るう。エミヤはなんとか双剣で身を守り、無数の火花を散らす剣戟を交わすも、不意に突進してきたヘクトールに奥歯を噛み砕かんばかりに食い縛る。
 楯の一撃(シールド・バッシュ)。全身の体重と膂力の込められた激烈な打撃がエミヤの双剣を砕き、両腕を粉砕し、その額が割られ血を噴き出す。

「ガッ、」

 殺られる――

「させるもんかいッ!」
「『水天日光天照八野鎮石(すいてんにっこうあまてらすやのしずいし)』!」

 ドレイクが銃弾の雨を見舞う。彼女の持つ聖杯によって、その銃撃はサーヴァントにも通じるようになっているのだ。ヘクトールは難なくそれを防ぐも玉藻の前の宝具が起動する間は稼げた。
 玉藻の前の神宝が一時解放され、彼女の呪力行使のコストが零となる。そして自陣の者に膨大な魔力供給を継続的に行い、それによって玉藻の前の呪力が急速にエミヤの負傷を癒す。

「っ、助かったぞ、キャスター」
「そーゆーのいいですから早く早く!」
「分かっている!」

 魔力の出し惜しみはしなくてよくなった。エミヤは双剣を更に投じ、最後に投影した干将と莫耶を過剰に強化して、その刀身を大剣の如くに膨張させる。

「――心技黄河ヲ渡ル(つるぎ、みずをわかつ)

 四方八方より殺到する陰陽の双剣。ヘクトールが眼を細めた。必中不可避の絶技、刀剣の檻。肥大した双剣をオーバー・エッジ形態へ移行させたエミヤが、自ら両翼の如き干将莫耶を広げて斬りかかった。

「――唯名、別天ニ納メ(せいめい、りきゅうにとどき)。――両雄、共ニ命ヲ別ツ(われらともにてんをいだかず)……!」

 鶴翼三連。叩き込まれるそれらを、ヘクトールは初見で見切った。躱せないと。全弾は防げないと。故に彼は果断だった。正面から迫るエミヤにのみに意識を傾け、楯を構える。斬りかかったエミヤは歯噛みした。分の悪い賭け――それに嵌まるほどヘクトールは容易くない。
 彼の全身を、鎧を砕くほどの剣撃の嵐が彼の背後、真横から飛来する。それら全てに被弾して、鮮血を噴き出しながらもヘクトールはエミヤ渾身の斬撃を聖楯で受け、そして不毀の極剣(ドゥリンダナ・スパーダ)を巧みに閃かせてエミヤの左腕を切り落とす。

「オォ、ァアアア――ッッッ!」

 肘から先の腕を無くしながらもエミヤもまた負けてはいない。深傷を負ったヘクトールが聖楯で身を守るよりも先に肩口から突進し、彼を無理矢理に押し退ける。『アン女王の復讐号』の戦闘が決着した故に、駆けつけたアイリスフィールが宝具を開帳せんとする。来るな! エミヤが一喝した。
 咄嗟に立ち止まったアイリスフィールの鼻先を聖楯が通り過ぎ、ドレイクの船のマストにめり込んだ。不用意に駆けていれば彼女の頭蓋が砕けていただろう。アイリスフィールはたじろいだ。
 ヘクトールが馳せ、極剣をエミヤに突き出した。剣の間合いではない、切っ先は届かない。しかしエミヤは大きく身を横に倒して回避する。極剣が長大な極槍へ伸長していた。突き出すのと同時の形態変化である。
 錬鉄の弓兵が苦悶する。額から脂汗が吹き出ていた。剣が槍に、槍が剣に、伸縮を繰り返し、腕の動きではなく手首の向きだけを見て回避せねばならない、マシンガンのような連続の刺突だ。彼の手の中で剣槍が伸縮する事で発生する乱打を莫耶で必死に凌ぐも、ヘクトール自身の剣撃と槍撃が交わると防戦すら覚束なくなる。

「ハッ――ハ、ハッ、」

 喘ぐような呼気。エミヤの息が乱れた。流星の如き剣の刺突が、腕を突き出す速力に加速され、極槍へと伸びる。グンッ、と通常の槍術には有り得ない奇抜な加速がエミヤの目測を狂わせた。
 肩を貫かれる。満身創痍のエミヤへ、ヘクトールは踏み込んだ。重傷であっても怯まない強靭な忍耐力である。槍から剣へ短縮しながら極剣を袈裟に振り下ろし、敢えて莫耶で防がせると、ヘクトールは更に踏み込んでエミヤの顔面を固い拳で殴り抜いた。

 派手に吹き飛び甲板を転がるエミヤにトドメを刺さんとする『兜輝く』ヘクトール。そこへ、

「アタシを無視すんなぁッ!」

 怒号を発したドレイクが至近距離から二挺の銃より弾丸を浴びせる。咄嗟にヘクトールは身を捻り、両手を床について自らの脚を斧として薙ぐ。ドレイクの両手を粉砕し、銃も破壊した。今は最も手強い戦士を確実に仕留めるのが上策、ヘクトールは一瞥も向けずエミヤに向かって行こうとし――

「ッ、虚仮にしてくれたねぇ……コイツは高くつくよ……。……アタシをォッ! 舐めんなって何度も言わせんな――ッッッ!!」

 両手を砕かれ、武器を失い、それでもドレイクは怯まなかった。果断に突進したドレイクが、頭を後ろに逸らし、そしてヘクトールの後頭部に渾身の頭突きを見舞う。
 兜を被っているヘクトールには効かない。しかし、彼はよろめいた。慮外の一撃だったのだ。
 武器を失い、手も使えない。しかも人間だ。どうしてそれで退かないのか。合理的ではない。実際にヘクトールはなんの痛痒も覚えていない。頭突きで額が割れ、血を流すドレイクの眼光は手負いの獣だ。だがどこまでも己を信じる気高い自負の光が煌めいている。

「――ったく、オジサンもヤキが回ったかね……」

 不意に、ヘクトールはエミヤへの追撃をやめ、苦笑しながら立ち止まった。喋った!? と玉藻の前が眼を見開く。
 ドレイクの一撃は、確かにヘクトールの砕けた霊基に届いていたのだ。叩き起こされた心地で、九偉人の一人である大英雄は兜を外す。

「おまけに、こんなザマだ。オジサンとしたことが、多数を相手に正面から戦うなんてなぁ。槍も投げてないしよ……」
「ヘクトール……」
「いよ! 見事だったぜ、弓兵。その巧さで接近戦は専門じゃないって、そりゃどんな詐欺だ?」

 なんとか上体を起こしたエミヤに、ヘクトールはからからと笑う。そしてちらりと英雄船に眼を向けると、飄々と肩を竦める。
 やれやれ……結局利用されて終わりかよ……。ガリガリと頭を掻いた彼は、ドレイクに体ごと振り向いて軽く頭を下げた。

「いや、感服した。いい頭突きだったよ」
「……へっ、こちとら度胸で生きてんでね」
「海賊だからかぃ? 国側のモンとしちゃ、狩るにゃちょいと難儀しそうだ。お陰様で死んでたのに生き返っちまった」
「そうかい。…そいつは重畳ってなもんだ。……で、まだやんの?」
「あー……それなんだが、オジサン、相手によるが見知らぬ誰かに利用されたり、勝手な都合で振り回されんのが反吐が出るほど嫌いでね……」

 へらへらと言いながらも、彼の眼は煮えたぎる怒気に染まっていた。今も戦えってなぁ声が聞こえんのよ、と。

「んじゃ、そういうこった」
「おぉ、そういう事。はっはっは、迷惑かけた。にしてもそこのキャスター、出会い頭に金的狙いとかえげつないな? オジサン、びびったよ」
「きっちり防いでそれ言います?」
「はっはっは。……んじゃあ、ちょい先に逝くからな。縁がありゃ、今度は味方として戦わせてくれ」

 ドレイクが肩を竦めるとヘクトールは応じる。彼は極剣を持ち上げ、それを首に添えると、躊躇う素振りすらなく薙ぎ払った。
 自決して果てたヘクトールの霊基が、今度こそ完全に消滅する。エミヤは深く溜め息を吐いた。あのまま戦っていれば、敗れていただろう。呆れたような、感心したような眼でドレイクを見た。

「……規格外だな、君は」
「おうさ、規格に嵌められてちゃあ海賊なんざやってられるもんか」
「……ふ。お蔭で助かった」

 アイリスフィールが今度こそ彼とドレイクを癒そうとする。しかしふと玉藻の前が声をあげた。

「あ、」
「……? どうかしたのかね」
「いえ、なんか敵さん降伏しちゃいましたよ?」
「なに?」

 見れば、幼いメディアが英雄船の船上で、ネロへ聖杯を手渡しているではないか。ネロは困惑しながらもそれを受け取る。
 イアソンはいない。メディアの防衛を突破したマシュが倒したのだ。

「……? カルデアに、通信が繋がらない……?」

 そこで、ようやくマシュが気づく。

 カルデアからの通信がないのだ。そして感じるものがあった。天地が揺らいでいるのである。
 これは特異点化の原因が排除され、人理の修復が起こり始めたのである。だのに、だというのに――

「人理定礎が……復元された……?」

 ――何が起こっているというのか。戦いは終わったはずだ。だのに、士郎が固有結界を展開したまま戻ってこない。
 特異点が崩壊していく。元の形に戻ろうと人類史が修正されていく。特異点化の元凶である聖杯を回収したのだ。それは正しい現象である。

 なのに。

 それなのに。

 ――どうしてカルデアの者達が強制退去されないのか――

 カルデアとの通信も途絶えたままである。
 加速度的に崩壊していく世界の中で、彼女達は呆然と立ち尽くすばかりだった。

 










 

 

悪意の牙、最悪の謀 (後)




「『天つ風の簒奪者(リインカーネーション・パンドーラ)』」

 逆巻く魔力が紅蓮の大渦となり、忌むべき復讐者の(かいな)より真紅の大嵐が解放される。それは光輝と功名の城の城壁に纏わりつき、刹那の抵抗も許さぬまま侵食していった。
 驚愕は自身らの性能が『圧し潰す死獣の褥』によって強化される前のものに落とされた者達へ。士郎は愕然とする。

「宝具を奪う宝具だと……? そんなものが、なんだってヘラクレスに有り得る?!」

 反転して復讐者となったアルケイデスにのみ発現する第三宝具、それこそが評価規格外の位階に据えられる『天つ風の簒奪者』である。
 しかし彼の伝承や逸話、そこから導き出し推理するのは何者にも叶わない荒唐無稽な宝具だ。ただでさえ強力だった復讐者アルケイデスのステータスが、光の御子の城によって幸運と宝具以外の全てが飛躍的に増大する。
 アルケイデスとヘラクレスの中庸となる霊基、縛りつけられた復讐者の座、無尽蔵の魔力、光の御子の城によって人理に在るあらゆる英霊を上回る性能を彼の者は手にする。マスターとしての特権がある士郎は、彼のステータスを透視して慄然とした。

 筋力と敏捷、耐久がA+++で、魔力が評価規格外のEXとは――敏捷性のみならず、その最大速度もクー・フーリンを超えるだろう。それを手にしているのが無双の大英雄なのだ。その破滅的な脅威は計り知れない。
 なんたる切り札、鬼札か。士郎の想定を遥かに上回る凶悪な宝具である。立っているだけで全身より発される力の波動に顔が強張る。もはや徒手空拳の打撃ですら、本来のヘラクレスが持つ『十二の試練』を突破し、耐性を貫通し十二回殴り殺せても可笑しくない。漲る武威に、士郎は悟った。長期戦は余りにも無謀、短期決戦で打倒する必要がある。

「セイバー、ランサー! 五分以内に全ての力を振り絞れ、後の事を考える必要はない! 全力で、一切の配分もなく全霊で奴を斃すぞ!」

 彼の意図は余さず槍兵と剣士に伝わる。決戦に移るまでに準備していたルーンを解放して、光の御子が己の筋力と耐久を強化する。魔力炉心を解放し原始の呪力を発揮して、黒王が全身に纏う甲冑の硬度を増し顔を覆うバイザーが現れる。
 クー・フーリンの足元に、ゲイ・ボルクの複製品が剣製される。彼は心得たようにそれを掴むと、複製された魔槍が担い手の意思と込められる魔力によって脈打った。クー・フーリンは己をルーンで強化するのみならず、限りなく真作に近い魔槍の意思を呼び起こし、その身に魔槍の素材となった紅海の神獣クリードの外骨格を顕現させて身に纏う。
 赤く脈動する漆黒の鎧。クー・フーリンの頭部を覆う一角の兜。そして彼の手には自身の愛槍であるゲイ・ボルクが握られている。衛宮士郎をマスターとしているからこそ取れる最強形態の一つだ。
 魔槍は剣ではない、故に投影に当たり魔力消費量は二倍掛かる。カルデアとの繋がりが途絶えたのを彼は感じていた。後はもう、己の魔力とアラヤ識に齎された魔力の備蓄のみで戦うしかない。士郎は備蓄を使用するのを躊躇わなかった。
 黒王の元には三本の選定の剣カリバーンが投影される。オルタはそれを背負い、魔力で形成されている甲冑に固定した。漆黒の聖剣に渾身の呪力を装填する。

 士郎が何を感じたのかは知らない。カルデアとの繋がりが絶たれている事を知らない。だが彼が短期決戦でなければならないと断ずるには相応の訳があると瞬時に了解した光の御子と黒王は、一切の出し惜しみを無くして即座に決着をつける事を覚悟した。
 対し、アルケイデスは悠然と構える。だが彼の大英雄は、士郎らの意思に応じて短期決戦をよしとした。それは武人の心意気か、英雄としての誇りか、或いは――未だに完全に操られていない、大英雄の桁外れの精神力故か。

全兵装使用自由(オールウエポンズフリー)だ! 支援は俺に任せろ、往けッ!」

 鉄心が吼える。弾かれたように二騎の大英霊が疾走する。先頭を駆けるは波濤の獣の外骨格を纏う凶悪な大英霊。
 規格外の膂力、敏捷、耐久を備え今のアルケイデスにも追随する能力を持つ。やはりお前こそが我が最大の敵か、とアルケイデスが嗤った。迎え撃たんと巨槍を構える、その眼前に迫ったクー・フーリンは唐突に跳躍した。

「『卑王鉄槌(ヴォーディガーン)』!」

 クー・フーリンの背後より迫っていた呪力の風弾が、光の御子が跳躍したことでアルケイデスへと迫る。彼は最果ての槍に極光を瞬間的に装填し放った。オルタ渾身の一撃を溜めも無しに相殺し、気流が爆発し爆風が轟く。地面が大きく陥没し飛来してきた無数の剣を吹き飛ばした。
 士郎はそれを視るなり剣弾は無用と見切り、自身の脳裏に設計図を敷く。――投影、重装(トレース、フラクタル)――自身の限界を遥かに超える投影魔術に魔術回路が悲鳴を上げるのも無視し、虚空にある無数の歯車が火花を散らして高速で廻り始める。

「オラァァアアッッッ!!」

 頭上より全力で魔槍を振り下ろすクー・フーリンを、アルケイデスは磐石なる武技で迎え撃つ。隕石の墜落にも比する大力に、振るわれた魔槍と巨槍が激突し空間が軋んだ。その衝撃を互いに逃しアルケイデスの背後に着地したクー・フーリンが神速の魔槍術を縦横無尽に振るう。しかしアルケイデスは、自らの筋肉に覆われた腕を犠牲にして魔槍の穂先を受け止めた。自らの腕が破壊されるのにも構わず、振り向き様に復讐者は最果ての槍を彼の足下に突き込む。
 大英雄の心眼は、幾度も交戦したクー・フーリンの次手を見切っていた。軽く跳んで躱した彼の足下で最果ての槍の燐光が小規模な爆発を起こした。クー・フーリンの体勢が微かに揺らぐ。その隙を狙い澄ましてアルケイデスは踏み込み、一瞬にして治癒された豪腕で彼を殴り飛ばす。
 腹部を貫く拳擊にクー・フーリンは吐瀉を撒き散らして吹き飛び、城壁に叩きつけられた。
 手応えはあった、しかし仕留めるには到底至らない。だがそれで構わなかった。斬りかからんとしていたオルタは、即座に黒剣を虚空に放り、背中の選定の剣を三本とも引き抜く。柄を三本握り締め、全てに魔力を込めた。所詮は使い捨ての投影宝具、躊躇う必要はない。

「撃ち抜け、『勝利すべき黄金の剣(カリバーン)』――!」

「――『射殺す百頭(ナインライブズ・アトラース)』」

 三条の極閃が放たれる。オルタの魔力に耐えられなかった投影宝具が自壊する。迎撃は転瞬、アルケイデスが槍技に於ける奥義を開陳した。
 巨躯の筋肉を膨張させ、躰を丸めるようにして力を溜めたアルケイデスが、両手で構えた巨槍を打ち出すようにして突き出す。九連する極光の閃きが、三条の宝剣の煌めきを完全に打ち消した。

「『約束された(エクスカリバー)』――」

 しかしオルタに動揺はない。この一撃で決める為の布石に過ぎなかったのだ。あらかじめ充填を終えていた、手元に落ちてきた黒剣を掴んで下段に構え、城諸共に全てを破壊する破壊の撃槌を放たんとしていた。
 ――だが、自らの奥義を次手の布石としたのはアルケイデスも同様だった。彼は最果ての槍を擲つ体勢を整えている。オルタの全身に鳥肌が立つも、止まれない。止まる訳にはいかない。

「大地を支える者。西の果てに埋もれる者。旧き神々の末裔アトラスよ、天地を投げ出し逃れるがいい。その五体、別つ時が来たのだ――」

「――『勝利の剣(モルガン)』ッッッ!!」

「さあ!『最果てを担いし巨神の柱(アトラース・ディアプトラ)』よ! (カミ)の力に抗えい!」

 黒き極光が斬り上げられる。黒王の全力の聖剣解放、対するは全くの同位に位置する最果ての槍である。投擲された最果ての槍が地の底より噴出した、黒い津波のような黒光の奔流を、正面から破らんと黄金の光を纏って飛来する。
 激突の瞬間、光が消え、音が死ぬ。炸裂した桁外れの宝具の鬩ぎ合いは完全に互角だった。城が防壁となっていなければ固有結界は崩壊していただろう。その城も余波のみで多大な損傷にひび割れようとしている。
 ――宝具が互角なら、決定打となるのは担い手の力量である。
 オルタの魔力、筋力を遥かに上回るアルケイデスの巨槍が打ち勝った。真名解放の魔力は打ち消されるも、投擲の威力は残っていたのだ。飛来した巨槍は、最大の一撃を放っていた故に硬直していたオルタに突き刺さる。

「か、は……っ」

 腹部を貫く槍で地面に縫い付けられるオルタ。アルケイデスが地を蹴り一瞬にして間合いを潰すと槍を引き抜き、なんとか踏ん張るオルタにトドメを刺そうと巨槍を振る――寸前。彼は(・・)、最早力尽きる寸前のサーヴァントなど見捨てればよかったものを、断じて見捨てぬ(・・・・・・・)と詰め寄っていた。

「『永久に遥か黄金の剣(エクスカリバー・イマージュ)』!」
「ッ……!」

 マスターが自ら近づいてくるのに眼を見開き、しかしアルケイデスは応手を誤らない。己の限界を超えた投影に疲弊している彼を――最新の英雄を、大英雄は断じて甘く見ていなかった。
 故に黒王の聖剣に遥かに劣る黄金の剣撃が不意打ちとなっても瞬時に反応出来た。巨槍を旋回させ贋作の聖剣の刀身を横に逸らし、その閃光の直撃を避ける。琥珀色をした鉄心の瞳と視線が合う。語るものはなく、アルケイデスは巨槍の穂先で彼を両断した。

「ぬ、」

 予想外の手応え。鋼を打つそれ。
 袈裟に切り裂かれた士郎が血を吹き出したが、躰が真っ二つにはならなかった。躰の内側に無限の剣があったような感触――半歩踏み込みが足りていれば間違いなくそれごと切り裂けたが、その半歩が足りなかった故に仕留め切れなかった。

「シロウッ!」

 オルタが彼を支え咄嗟に飛び退く。追撃に出んとするも殺気を感じて背後を振り向く。己の主人を斬られ憤怒に燃える猛犬が復帰していた。

「『刺し穿つ(ゲイ)』――!」
「……ッ!」

 狙うは心臓、謳うは必中。その魔槍の真価に、アルケイデスは後退を考える。しかしそれは間に合わない、見事な不意打ち。故にアルケイデスは果断だった。
 下がるのではなく、進む。自ら間合いを潰す踏み込みの速さはクー・フーリン以上。目を見開くクー・フーリンの魔槍を脇に挟んで掌で掴む。機先を制する無双の武量、彼はニヤリと嗤った。

「『天つ風の(リインカーネーション)』――」
「野郎……! 薄汚ねぇ手でオレの槍に触れてんじゃねぇッッッ!!」

 しかしクー・フーリンもまた負けていない。二度も宝具を奪われる醜態など晒さない。槍を掴む腕はそのままに、クー・フーリンは渾身の力でアルケイデスの腹部を拳で撃ち抜く。
 神獣クリードの外骨格を纏った拳である。紅い棘が食い込みアルケイデスの内臓を殲滅した。ショック死してもおかしくはない衝撃に――しかし人間の忍耐、その究極に在るアルケイデスは怯まなかった。辛うじて心臓は無事、死んでいないのなら充分だ。瞬間的に回復するだろう。元よりこの白打の間合いも己のもの。巨槍を地面に突き刺し、拳を握った彼が巌のような鉄拳を振るう。
 超雄同士が魔槍を奪い合うように片腕で握り合い、互角の膂力で真正面から殴り合う。アルケイデスは心臓と頭部を抉る拳のみを躱し、クー・フーリンを殴り抜く。
 筋力は同等、耐久も等しい。だが白打の技量はアルケイデスが上を行く。しかもアルケイデスはクー・フーリンからの打撃を如何に受けようと次の瞬間には回復しているのだ。一方的に消耗していくクー・フーリンは、しかし微塵も衰えぬ闘志を燃やしている。次第にクー・フーリンは真の姿を見せ始めていた。全身の筋肉が膨張し、身長がヘラクレスに比するまでに筋骨が拡張されていく。しかし理性を手放すものかと懸命に堪えた。本能で暴れる訳にはいかない。
 アルケイデスは沸騰する闘争本能に身を委ね、過去最大の強敵との殴り合いに奮い起っていた。まだだ、まだまだこんなものではないだろう、さあ魅せてみるがいい、抑えている力を解放しろ。無駄な自制を捨てろ――! 醜い神性を解放するがいい!
 アルケイデスの乱打にクー・フーリンの意識野が白熱する。無駄なのか、堪えるのは。自問が過る。だがその自制は無駄ではなかった。

 その、自らの『槍』の奮闘の熱気が、気絶し掛けていた士郎の意識を覚醒させたのだ。

 オルタが懸命に魔力を送り彼の中の聖剣の鞘が稼働していたお蔭でもあるのだろう。オルタを押し退けて立ち上がった士郎が改造した礼装、カルデア戦闘服の機能を使用する。
 サーヴァントを強化する支援魔術――『瞬間強化』だ。クー・フーリンの四肢に活力が戻る。のみならず一瞬のみ、明確にアルケイデスを凌駕した。ギラリとクー・フーリンの眼が光る。殴打の雨に晒され外骨格が破損した故に、拳を覆う紅棘は折れている。剥き出しの拳がアルケイデスの反応速度を超えて顔面に突き刺さった。

 真の姿を晒す宝具は治まる。人間としての姿に戻り、身長や筋力も元に戻った。展開されていた外骨格の鎧も限界を迎え消え去っている。破損が酷く、投影品のそれでは耐えられなかったのだ。
 だがそれで充分。想像を超えたクー・フーリンの拳擊によって、アルケイデスは魔槍を手放してしまっていた。踏鞴を踏んだ彼は、手を伸ばしても巨槍に届かないギリギリの間合いに押し退けられてしまった。

「これで終いだァッ!」
「いいや、まだだ!『射殺す(ナイン)』――」

 武芸百般の大英雄は、徒手空拳であっても奥義を放てる無双の勇者である。魔槍の真名解放よりも先んじて放てる。
 踏み込む。激甚なる体捌きが、今に魔槍を放たんとする光の御子の懐に潜り込ませた。
 もはや回避は出来ない。この奥義を以て最大最強の好敵手を葬らん――!

令呪起動(セット)――」

 アルケイデスはハッとした。クー・フーリンの目が死んでいない。焦っていない。これは一騎討ちではなく、信頼する主人の指示を待つ猛犬が、牙を剥くタイミングを測っていたのだ。
 失策を悟る。狙うべきは光の御子などではなかった。初戦でも、二度目の時も、己を撃退し、打ち負かしたのはあの男だったではないか。不覚を喫したと、アルケイデスは悟り――穏やかに、微笑んだ。

 やられた、な……。

「ランサー! ヘラクレスの背後に転移しろ! 今すぐに!」

 アルケイデスの拳が空を切る。眼前にいたはずのクー・フーリンが掻き消えていた。
 どう足掻いても俊敏に動ける体勢ではなかったはずだ。故に彼が消えたのは、錬鉄の鉄心がただ一画残していた令呪によるものだろう。背後に現れたクー・フーリンが、構えていた魔槍を解放する。

「――『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』ッ!」

 過たず己の心臓を貫く魔槍を感じる。背後からの必殺の槍。これを受けては、さしものアルケイデスでも生存は不可能。黄金の果実もない。
 己の敗北を認めた。三回戦い、三回とも、この最新の英雄によって己は敗れたのだと。

 その場に崩れ落ちるようにして、アルケイデスは倒れ。

 そして、アルケイデス『は』、二度と動く事はなかった。



「は――は、ハッ、は――ぁ」



 士郎は息を吐き出す、喘ぐようにして呼気を整える。二騎の大英霊の全力戦闘をカルデアからの支援も無しに支えつつ、自身は固有結界を維持しながら、聖剣の贋作を無理矢理に造り上げ、あまつさえ死にかけた。
 アラヤ識によって蓄えられていた、無尽蔵に近かった魔力が、このたった一度の戦闘で七割がた消費させられたのだ。なんて奴だと改めてヘラクレスへの畏怖の念を強める。

「よく、やってくれた。セイバー……ランサー」

 労う。心からの感謝と、賞賛の心があった。
 クー・フーリンは笑う。得難い強敵を打倒した歓喜が彼にもあったが、それでも。

「あんたがいたから勝てたんだぜ。つくづく思う、オレのマスターがあんたでよかったってな」
「……そうか。ああ、なら今後もそう在りたいものだな」
「それはそれとしてお腹が空きました。帰ったら祝宴をあげましょう」
「オルタ……お前な……。……いや、いいか。腕によりを掛けて作ってやる」

 呆れるも、しかしすぐに微笑み、士郎はオルタの頭を撫でた。手を置くのに丁度いい位置に頭があるのだ。オルタは頬に桜を散らし、抗議するように主君を見上げる。

「……私は子供ではありません」
「いいだろ、別に。可愛いオルタさん」
「っ……」
「おいおい……あんま見せつけないでくれるか? オレも流石に気まずいぜ……」
「ん? そうか。ならやめとこう」
「シロウ、早く固有結界を解除してください。……帰ったら、此度の功に報いてもらいます。ええ、今夜は長くなりますよ」

 その宣告に士郎は苦笑して、言われるまま固有結界を解除――

 解除出来ない(・・・・・・)

「ッッッ!?」

 士郎は顔色を変えた。固有結界を維持する魔力を切ったのだ。にも関わらず、この心象世界が現実世界に塗り戻されない。
 士郎の顔色の変化に、そして鋭い直感故に、オルタがハッとしてアルケイデスの倒れたままの骸を見る。

「死体が残っている……!? いや、それだけではない……これは……聖杯!? シロウ! あそこに聖杯の反応が!」

 霊核を破壊されたサーヴァントの死体が残るなんて有り得ない。必ず消滅する。
 にも関わらず、どうして彼の骸が残り続けているのか。オルタの言に、クー・フーリンが厳しい顔つきになり臨戦態勢となる。そして士郎の脳裏に電撃が走った。

 カルデアとの通信が途絶えた。いつも肝心な時に切れるから、今回も「またか」と感じただけで気にしていなかった。だがそれが何かの予兆だったとしたら……? アルケイデスが死んでも残り続ける骸、縫い止められたような心象世界。そしてオルタが真っ先に気づいた聖杯の反応――
 そしてかつて敵の思考と心理を分析し、その能力と特性を考察していたのが、全てこの瞬間に結び付く。

「そう、か――!?」

 愕然とする。

 もっと早くに気づくべきだった。人類史焼却者は聖杯を使って特異点を造り出している。
 製造したのか、はたまた調達したのかは定かではないにしろ、魔神柱らは複数の聖杯を(・・・・・・)所有している(・・・・・・)のである。それ即ち、一つの特異点に複数の聖杯があってもおかしくない、という事ではないか。

 この第三特異点の元凶となる聖杯とは別に、もう一つ聖杯があり、それを埋め込まれたのがヘラクレスだったのだ。

 魔神柱は世界に落とされた錨。世界を固定するモノ(・・・・・・・・・)。それは固有結界という名の心象『世界』を固定し、術者が解除する事を決して許さない。果たして固有結界・無限の剣製は士郎らを閉じ込める牢獄となった。
 最強の大英雄の力の根源だった無尽蔵の魔力。骸は消えない。死んでも残っている。ただでさえ強大だった霊基が、死体のまま数倍に膨れ上がって――

 ――読まれていた。知られていた。第二特異点で交戦した魔神霊から情報を得ていたのか、士郎が固有結界を使える事を知っていたのだ。

 そうとしか考えられない。魔神柱は、士郎が切り札を切って戦いを終わらせると分析していたのである。
 そして魔神柱はこう考えている。士郎らが魔神霊を倒せないならそれでよし、倒されるにしろ、時間は確実に稼げる。――いや待て、おかしい。自然に流してしまったが、魔神柱が互いに情報をやり取り出来るのはいい、そうでなければ士郎が固有結界を扱える事を知っているはずがない。
 だが冷静に思い返せ。士郎が固有結界の使い手だと魔神側で知っているのは、第二特異点で戦った魔神霊のみのはず。そこからしか漏れようがない。この周到な策には、固有結界の存在を織り込んでいなければ有り得ない数式がある。

 しかしその魔神霊は倒した。であればどこから漏れる? ――決まってる、倒した魔神霊そのもの(・・・・・・・・・・)からだ。死徒のように殺しても死なない……或いは倒しても通常の手段では殺せない特性を持ち、殺した後に復活されたか。
 ないとは言えない。殺しても別の場所で復活するだけというのは魔術世界では充分有り得る現象である。つまり魔神柱は不死である可能性が浮上するのだ。そしてカルデアとの通信が途絶えたという事は、カルデアが攻撃されている可能性も考えられる。カルデアの者が、カルデアに退去する際に逆探知されて座標が割れたかもしれない。
 しかしカルデアは今、特異な力場に守られ、冠位魔術師の英霊でも座標の特定は不可能に近いらしい。簡単に座標の逆探知など出来るものなのか。

「……いや、待て」

 さぁ、と顔から血の気が引く。

「不死……魔神柱……そうか、そういう事か!?」

 譫言のように呟きながら思考と記憶を纏め、全てを悟った士郎は、聳え立つ錨を見上げるようにして叫んだ。

「――レフ・ライノール! お前かッッッ!」

 カルデアに安置されているその死体。逆探知は出来ずとも、その遺体を利用する事は叶うかもしれない。痛恨の失策に気づいた士郎の叫びを嘲るように、彼らを脅かす最悪の敵が鎌首をもたげる。
 最悪の策謀は、此処に成った。アルケイデス(ヘラクレス)の霊基に打ち込まれた錨が、彼らの前に立ち塞がったのだ。



 ――魔神霊、顕現。



 

 

風前の灯、少女達の戦い (前)





 第三特異点の不穏な様相を、人理継続保障機関フィニス・カルデアは、特に何事もなくモニタリング出来ていた。出来てしまっていた。

 機能する通信。継続する観測。意味消失を防ぐため交代で続けられるカルデアの戦い。

 何もせずただモニターを眺めるだけの自分達に後ろめたさのような、慚愧の念がないとは言えない。事細かに行き交う管制室の職員達の喧騒は本当に忙しなくて。美遊やイリヤスフィールはいたたまれない気持ちだった。桜だけは茫洋としていたけど。
 それでも序盤の、黒髭エドワード・ティーチとの遭遇では笑っていられた。彼のキャラクター性もあり、緊張感もなく不運な人だなぁ、と。フランシス・ドレイクとの出会いでも、学校で習った! とミーハーな気持ちで気楽に構えていられた。
 だがその直後から空気は一変する。敵サーヴァント、アルケイデスと名乗った復讐者の奇襲を受けて、カルデアの精神的主柱であった士郎が甚大なダメージを負ったのだ。

 言語を絶する激痛に彩られた悲鳴だった。魂の壊れる断末魔だった。どんな傷にも呻き声ひとつ上げなかったという士郎が、人間の許容できる痛みの限界を遥かに超えるそれに絶叫していた。
 レイシフトした者の存在を観測する職員の人が慌て、動揺する。観測している存在すら揺らぐ激痛の大海、神毒の侵食。魔術回路がズタズタに引き裂かれ、肉体が溶解し、計測している魂が破損していく。
 その叫びには聞く者の精神を侵す猛毒がある。美遊が顔を真っ青にした。イリヤは吐き気がして、思わず耳を塞いでしまった。涙を流して桜がコフィンに入ろうとするのを、髑髏の仮面をした女の人が必死に抑え込んでいた。
 悲鳴すら途切れると、管制員が呆然と呟いた。士郎さんが、死亡しました……と。精神死した、と。誰もそれを信じられなかった。特異点では戦闘が始まっている。やがてアルケイデスと名乗った敵サーヴァントの真名から、今のがヒュドラの神毒である事が判明した。

 士郎が死んだ。そんな……と誰かが喘ぐ。イリヤは顔面蒼白で立ち尽くす。

 だが初戦の戦闘で、アルケイデスを撃退するに至ったのは、死んだはずの士郎による反撃が切っ掛けだった。その後アイリスフィールの宝具でなんとか快復したはずの士郎だったが、聖杯ですら癒し切れない魂の状態が計測されている。
 その後にネロが召喚した玉藻の前によって魂が修復されなければ、士郎は本当に死んでいただろう。いや、それまでに精神死を遂げていなかった事の方が驚くに値した。カルデアの機器すら誤認するほどに危うい状態だったのである。ロマニは周囲の強張った空気をほぐす為に、敢えて軽い語調で言った。

「さ、さすがは士郎くんだ。不死身の英雄ですら不死を手放して、死を選択する猛毒を食らっても生きてたんだからね」

 応える者はいない。握り締めた拳から血を滴らせているロマニは、遅れて気づく。自分の声も、顔も、纏う空気すら硬質な軽口に、同調できる人間なんていないだろう。
 ロマニは嘆息して、やるせなさそうに握り拳を解いた。そして少女達に言う。サッと腕を振ると血の滲んだ手袋は白さを取り戻していた。

「気分が悪くなったなら、休んでいてもいいよ」
「……いえ。見てます」

 ふわふわとしていた、現実感の欠如を塞ぐ破壊的な初戦だった。
 イリヤは青白い顔できっぱりと言う。見ている事しか出来る事がない。士郎は言っていた、カルデアの人達は全員が戦っている。戦わないでいるのは、赦されない。美遊もまた赦されてはいけないと、今ようやく感じられた。
 だが普通の女の子のイリヤには厳しかったのだろう。青い顔のまま、医療班の人に付き添われて管制室から離れていった。それを咎める事は誰もしない。出来ない。しかし美遊は残っていた。

「美遊ちゃんは休まないのかい?」
「はい。お兄ちゃん……士郎さんは、戦っています。何もしてないのに逃げられません」

 蒼白な顔のまま、だがその琥珀色の瞳は現実に向き合っている。ロマニはその目を覗き込んでいた。そして何かに気づいたように、キミは……と目を見開いた。しかしすぐに頭を振り、ロマニは美遊の意思を尊重する。
 時間経過で食事、休憩、仮眠を挟みながらカルデアは武器を用いない戦いを続けた。
 カルデアに逃げ場はない。イリヤは暗い顔のままだったが、時間が経つと戻ってきた。モニターしている士郎の無事な姿を見て、それでようやく安堵したようである。あのまま士郎が死んでいたら、彼女は過酷な戦場の空気に耐えられなかったかもしれない。

 二度目のアルケイデスとの戦い。士郎の作戦で敵サーヴァントに多大な損害を与える事に成功する。その後、ダ・ヴィンチやアグラヴェインとのやり取りの後に士郎が突然言った。カルデアの防備を固めろと。それを受けてアルトリアが退去して来て、アタランテや切嗣が急ぎ再召喚される。
 何を彼が感じたのか、美遊には分からなかったが。けれど漠然と緊張する。ロマニがカルデアの職員達を最低限残して下がらせ、百貌のハサン達に管制員を半数交代させた。各区画を封鎖しシステムをロックし、厳重な警戒態勢が敷かれる。

 やがて第三特異点の三回目の戦い――決戦が繰り広げられる。

 順調に皆が敵を倒していく。士郎が固有結界を使用した。
 その辺りからだ。唐突に、レイシフトしている皆との通信が途絶した。

「……これは、ビンゴっぽいな」

 ロマニがダ・ヴィンチとアグラヴェインと目配せする。万能の人はあくまで柔和な面持ちで驚いた素振りを見せた。
 図ったようなタイミングだ。これまでもカルデアの通信は安定していなかったが、今回ばかりは余りにも出来過ぎている。何らかの思惑を感じられるだけの通信の断絶だ。

「わぁお。士郎くんの読みが当たったのかな。だとしたら……」
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」
「分かっているよ司令官代理。逆探知(・・・)されないように細心の注意を図るよ」
「分かっているならいい。ロマニ・アーキマン、お前も成すべきを為せ」
「勿論さ。ボクの魔力の隠蔽、並行してカルデアの一時的な神殿化、設備の構造強化、全部やってある。アグラヴェイン、キミは緊急時の戦闘指揮を執ってくれよ」
「無論だ。……王よ」

 管制室に詰めているサーヴァント、騎士王アルトリアは鉄の宰相の呼び掛けに頷いた。

「今は卿が指揮官だ。私も卿ならば安心して任せられる。私に気兼ねする事なく采配を振るうといい」
「は。しかし王の行動を縛るつもりは毛頭ございません。何か『感じる』ものがあれば、思うように動いていただきたい」
「私の勘で……。……思えば最も振り回して来たのは卿だった。すまないが、また頼む。アグラヴェイン卿」
「御意のままに。……山の翁よ。アーチャーとアサシンの再召喚はまだか」

 影のように各所に潜む山の翁がアグラヴェインに質され応じた。

「完了しております。彼の者らは、あらかじめ定められていた配置についているとの事」
「む、そうか……」

 探るように周囲を見るも、霊基の不確かなサーヴァントであるアグラヴェインには、気配を遮断した切嗣のみならず、巧妙に周囲の気配に同化したアタランテを探り当てる事は出来なかった。
 だが配置についているなら問題はない。アグラヴェインは弓兵と暗殺者が配置についているのなら位置を探る意味はない。
 不意に彼は視線を横に流す。鉄のように固く、友好さを微塵も感じさせない瞳が見据えたのは、三人の幼い少女達だった。

「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、美遊・エーデルフェルト、間桐桜。私はお前達に何も期待しない」
「っ、」
「アグラヴェイン!」
「口を挟むな、ロマニ・アーキマン。カルデアはいつから保育施設になった? 戦力として期待できない者を保護する施設ではあるまい」

 鉄槌のように厳しく、重い声音にロマニが抗議するも、アグラヴェインはそれを一顧だにしなかった。感情の色の浮かばない、異名通りに鉄のような男の視線に美遊やイリヤは唇を噛み締める。
 少女達はこの男を畏れていた。情けというものをまるで感じさせない、人間ではなく機械のような印象を抱かせる、この巌の如き男が。美遊の隣でイリヤが身を縮めている。特に桜の怯えようは酷かった。怒りというものに、或いは無機的な瞳に晒される恐怖感は強いのだろう。だが幼い少女が怯えているからと、手心を加えるアグラヴェインではなかった。
 元より彼は人間という種を信用していない。そして女という生き物を毛嫌いしていた。幼くとも関係がないのだ。彼の脳裡にあるのは『清純』を謳いながらも、騎士と密通した唾棄すべき王妃の存在である。無垢であろうと、なんであろうと、女である以上は信用に値しないのだ、彼にとっては。例外は――生前仕え、王に徹していた騎士王のみである。

「剣を握った事もなく、戦場に出た事もない。そんな貴様達に力を期待する者はこの場にはいない。それを弁え、せめて場を混乱させる事だけはしてくれるな。私は元より、戦う力のない者を守る余分は我らに赦されていない。分かるか、このカルデアは本陣だ。そこに攻め込まれるような事があれば、即ち死力を振り絞って死ぬまで戦わねばならん。貴様らを守護するよりも、全霊を賭して守らねばならんものがある」
「分かっています」

 キッと目に力を込めて、美遊は応答した。アグラヴェインがぴくりと眉を動かしたのは些か意外であったからだろう。美遊は怯んでいても怯懦に縛られてはいなかったのだ。
 小娘でしかない彼女が睨み返してくるだけの気概があるのが、アグラヴェインには意外だったのである。

「み、美遊……」
「大丈夫」

 イリヤが腕の裾を掴んで、アグラヴェインの眼光に怯えながらも美遊を呼んだ。それに美遊は柔らかく微笑む。
 負けん気の強さは男の人にも負けていない。美遊の琥珀色の瞳に――イリヤは慣れ親しんだ兄の影を見て目を瞠いた。え、と戸惑うイリヤの手を握り、少女は鉄の男を睨む。

「邪魔はしません。もしそうなりそうだったら、見捨ててくれても構いません」
「……」
「でも何か私に出来る事はありませんか。私、ここての事は何も知らないですけど……出来る事があるなら、それから逃げたりなんかしません」
「美遊ちゃん……」
「ドクター。きっと士郎さんなら、こう言いますよね?」

 はにかんだ少女だが、その脚は今に震え出してしまいそうだった。イリヤはそれに気づく。怖いんだ……。イリヤは恐怖を感じているのが自分だけではないと今になって悟る。今までそうと気づけていなかったが、美遊だって硬質な表情の中に恐れの色がある。
 自分達の知る黒化英霊を、遥かに上回る敵。駆け引きの緊迫感、濃密な殺気。大人と子供の戦いの境界をはっきりと感じていた。美遊が幾ら才気煥発の少女とはいっても、脅威を感じて恐怖する感情はあるのだ。桜なんて、イリヤよりも年下なのだ。イリヤは自分が情けなく震えている様が、酷くみっともなく感じて唇を噛む。

 美遊の手を離し、自分に視線を向けたアグラヴェインに向けてイリヤは決然と言った。

「私も! 私も……逃げない! ルビーも、美遊もいるんだもん! 皆は私が守る!」
「……」

 それにアグラヴェインは露骨に嘆息して視線を切った。優しい言葉も、何も掛けない。尊い想いであろうが、なんだろうが……そんなもので戦いに勝てる訳ではないのだ。
 幼い決意表明、聞く価値はない。彼はどこまでも合理的で、故にこそ彼は計算のあてになる者達に言う。

「――魔神柱がこちらの想定通り、或いはそれ以上の事を可能とするなら、逆探知によるカルデアへの侵入も有り得るだろう。カルデアの座標を知られる事は我らの敗北を意味する。なんとしても阻止せねばならん。レオナルド・ダ・ヴィンチ、確実に逆探知は防げるか?」
「んー……」

 ダ・ヴィンチは気遣うような目を少女達に向けるが、今はそれどころではないと諦め、後でフォローしておこうと割り切る。

「ま、防いでみせるさ。出来なくちゃ負けるんだし。問題はそれ以外の手段でなんらかの干渉を受ける事なんじゃない? カルデアで戦闘だなんて馬鹿げてる。精密機械がどれだけあると思ってるんだ」
「逆探知が行われるとしたら、それは特異点での戦いが終わって、ローマ皇帝達が退去する辺りになると思う。となると厄介だぞ。ボクらの観測がないと士郎くん達は意味消失する。仮に敵が乗り込んできたら、特異点の定礎復元が済む前にカルデアに皆を退去させないと取り返しがつかなくなる。こっちで決着をつけるとしたら、タイムリミットは10分だ」
「魔神柱がまず侵入してくるとしたら何処が考えられる?」
管制室(ここ)だよ」

 ロマニの言にアグラヴェインは顔を顰めた。万能の人も同意見のようだ。

「根拠は」
「此処を通らない事には、レイシフト先から戻って来られない。逆探知するにしろ、なんらかの抜け穴があるにしろ、必ずカルデアの出入り口となる此処を通る」
「……戦闘にはどれほど耐えられる」
「此処はカルデアの心臓と言っていい。どんな些細なダメージも許容できない。だからここでの大規模な攻撃は一切許可できないよ」

 アグラヴェインはますます顔を険しくする。
 事象記録電脳魔・ラプラス、疑似地球環境モデル・カルデアス、近未来観測レンズ・シバ、守護英霊召喚システム・フェイト、霊子演算装置・トリスメギストス、レイシフトしたマスターたちの入った霊子筐体、そしてカルデアの炉であるプロメテウスの火がある。
 まさに管制室とはカルデアの心臓にして頭脳。些細な損傷すら致命傷となりかねないのだ。

 ダ・ヴィンチが言った。

「だからやるとなったら最小規模で、最短で、侵入者が現れたら一撃必殺で仕留めなきゃいけない。諸事情からロマニは攻撃に参加させられないからね、騎士王様と他のサーヴァント達で決めないと詰む」
「……分かった。そうするしかないのなら、そうするまでだ」

 ――決意を示しても、覚悟を持っても、大人達は自分達を蚊帳の外に置いている。
 その光景に美遊達は悔しさを抱いた。だがどうにもならない。俯いて、邪魔にならないようにしているしかないのか。
 そんな彼女達に、アルトリアが微笑む。

「イリヤスフィール」
「……? え、セイバーさん……?」
「私と仮契約をしましょう」

 アルトリアの突然の誘いにイリヤは眼を剥いた。
 だがイリヤよりも驚いたのはアグラヴェインである。イリヤらは、英霊召喚システムによって迷い込んできた故に、生者でありながらサーヴァントの霊基を持つ。サーヴァント同士が仮とはいえ契約できるものなのか?
 例え出来るとしても、何故アルトリアはそこまで小娘を買うのだろう。

「陛下、それは……」
「彼女には戦う覚悟がある。それを無下にしたままなのはいただけない。それに私はサーヴァントだ。マスターが近くにいなければ充分な力を発揮できない。イリヤスフィールは仮染とはいえサーヴァントだが、霊基はキャスターだ。カルデア内部の極限られた時間内なら出来ないものではないだろう」
「……しかし……いえ、御身がそのような眼をした時、私の進言が容れられた事はありませんでしたな」
「すまない、アグラヴェイン卿」

 呆れ気味のアグラヴェインに、アルトリアは穏やかに謝意を向ける。
 そうしてすぐにアルトリアはイリヤを見据えた。透徹とした眼差しが、平凡な少女を捉え。そしてイリヤは、その目から逃げなかった。

「貴女にはマスターの資格がある。魔力でも、武力でもない。諦めない心、それを持つ貴女になら剣を預けられる。私と仮契約していただけますか?」
「私で……いいんですか?」
「ええ。私のマスターはシロウだけだ。だからこれは一時のみの仮契約。人理を守護せんとする志を同じくするなら、共に戦うことに否はありません。さあ」
「……はい! よろしくお願いします!」
「ふふ。そう固くならないでも大丈夫ですよ」

 穏やかに、優しく、そして導くように手を差し伸べる騎士王に、イリヤは勇気が百倍する心地を得られた。この人がいるなら大丈夫――士郎に感じたものにも負けない安堵感がある。これが、一国を統べた王のカリスマというものなのだろうか。
 手を取ると、何かが繋がったような気がして。イリヤの手に令呪が現れる。左手の甲に現れた刻印を抑えて、イリヤは決然と奮い立った。

「サクラ」
「……」
「いいえ、ランスロット卿」

 そして騎士王は桜の元に片膝をつき、彼女と目線の高さを合わせる。
 桜は眼を逸らそうとしたが、彼女の中の霊基の影響だろうか。不思議とアルトリアの目から逃れられない。吸い寄せられるように無言で己を見詰める少女を通して、アルトリアは万の信頼を込めて告げるのだ。

「サクラを守りなさい。卿ならば問題なく務められると信じている。サクラを守り、カルデアを守る。卿ならば容易い事だ。卿の剣を、頼りにしている。何時かのように、私の背中を預けよう」
「……」

 こくりと桜は無意識に頷いた。そして桜は自覚する。自分に力を貸してくれる存在を。
 小さな体の中を無作為に暴れていた力が治まっていた。それどころか知らないはずの戦い方や、宝具の使い方までもが桜の認識下に滑り込んで来たのだ。彼女の小さな体に黒い甲冑が現れる。

「イリヤスフィール、ミユ」
「は、はい!」
「……」

 そしてアルトリアは、ステッキの魔術礼装を握り締める聖杯の乙女達に語り掛けた。

「戦う覚悟を持つのはいい。しかし自分達だけで戦おうとしてはいけない。ここには私がいる、アグラヴェインや魔術王、ダ・ヴィンチやアルカディアの狩人……顔は知りませんが、確かな実力のあるアサシンも。気負う事はない、出来る事を出来る範囲でしなさい。逸らずに、落ち着いて。それが最も私達の力になる」
「はい!」

 イリヤと美遊の性格の違いが出る、明るさと覚悟の籠った返事だった。アルトリアはそれに微笑み、風の鞘に覆われた聖剣を顕す。
 やれやれ……流石騎士王様だとダ・ヴィンチは苦笑し、ロマニも安心したように肩から力を抜いた。
 そこにいる。
 それだけで力になる存在こそ、騎士王のような偉大な王なのだろう。ややあって、程好い緊張感に包まれた空気の中――アルトリアは静かに警戒を促した。冴え渡る第六感が、その時が来た事を告げたのだ。

「――来る。アグラヴェイン!」
「総員戦闘配置。様子見はない、ただちに状況を決するぞ。……構え!」

 アグラヴェインの号令が場を律する。

 そして――






 

 

風前の灯、少女達の戦い (後)





「――ほう、ほう。これはこれは、錚々たる顔触れじゃないか」

 アグラヴェインの号令が下った次の瞬間、突如として人理継続保障機関フィニス・カルデアの心臓部、中央管制室に濃霧のような霧状の魔力が立ち込んだ。
 床を舐める毒ガスじみた魔力の霧。其処から立ち上がるは竜の牙で構成された骸骨兵。槍、剣、弓で武装した雑兵。空間を縦に引き裂いて姿を現したのはカルデアに縁深い男である。
 鬣のように蓄えられた錆色の髪、深緑のコートと紳士然としたシルクハット。そして他者を見下した面構え。魔術師然としていながら、何処か俗的な人間臭さを感じさせる瞳。

 人間を遥かに超え、数騎のサーヴァントにも比する膨大な霊基規模を備えたその男は名を――レフ・ライノールといった。

「レフ……!?」

 知己の間柄だったロマニが眼を見開く。
 カルデアの実働に貢献した魔術師、人類の裏切り者、死んだはずの男。その遺体は今も医療施設に安置され、研究と解析が進められている。
 貴重な魔神柱のサンプルだった。その遺伝子情報や体内の魔術式も大方の解析を終えている。だが魔術王であるロマニをして読み解くのが困難なブラックボックスがあった。英霊の霊基では足りない――生前の魔術王でなければ至れない式だ。
 だがブラックボックスの中身、その一部の内容が現在の状況が結び付き、思い至る。まさか! と。

「ああ、クソッ! レオナルド、逆探知されたのか!?」
「いやそれらしき干渉は全て絶った! カルデアの座標はまだ掴まれていないはずだ!」

 ダ・ヴィンチをして、レフの出現は慮外のものだった。愕然と眼を見開き、驚愕も露に計器を流し見る。しかしそこに異変はなんら見当たらず、外部からの干渉は悉く跳ね除けている痕跡だけがあった。
 やはりかとロマニは悔しそうに呻く。逆探知による侵入ではないのなら、彼の中で確信的な答えは一つしか有り得ないのだ。

レフの亡骸を触媒にして逆召喚したのか(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)!?」

 魔術王ソロモンは召喚術に特化した冠位魔術師だった。人理焼却の実行犯がソロモンではないかと目されているのであれば、それは想定して然るべき魔術である。ロマニは己の見込みの甘さに歯噛みする。ロマニは認識した、魔神柱は不死であり、その不死は七十二柱の魔神の特性で総体を滅ぼし尽くさない限りは不滅のものだと。
 ならレフは死なない。死んでいないならば、その骸をカルデアに置くのは自殺行為だ。可及的速やかにレフの亡骸を破棄しなければならない! レフ・ライノール・フラウロスはロマニの叫びにやや意外そうに眼を瞬いた。

「まさか思い至ったのか、お前が? はははは、これはいい! 昼行灯を気取っていたのか、ロマニ・アーキマン! その通り、お前達は私をこのカルデアに招待してくれたも同然なのだよ」

 嘲笑する悪意。得意気に明かす真実は、堅実に敵の正体を探ろうとしたのがそもそもの間違いだと糾弾していた。
 竜牙兵が不揃いなマリオネットのように関節を鳴らす。仰々しく両手を広げ、舞台役者の如くにレフは醜悪に嗤った。

「ごきげんよう、そしてさようなら、だ。お前達の旅は此処で終わる。他ならぬお前達自身の傲慢が! お前達を滅ぼすのさ!」

「――遺言はそれで終わりか? 招かれざる客、早々にお帰り願おう」

 宝具『時のある間に薔薇を摘め(クロノス・ローズ)』が起動する。
 不意討つは冬木の焼き増しの如く赤いフードの暗殺者。穿つは第二宝具、魔術師殺しの代名詞足る『神秘轢断(ファンタズム・パニッシュメント)』である。雑兵悉く無視しての暗殺者の一撃は、過たずレフの背後を襲いその心臓を貫いた。ゴボと吐血したレフは、しかし。己を背後から貫くナイフの感触に刷いた笑みを絶やさない。

「アサシンか……つくづく芸のない……」

 レフが斃れる。そのまま骸は魔霧に溶けて消えていく。だがレフは嗤っていた。

「莫迦め。そう何度も同じ手で私を――」
「煩い蝿だ。黙っていろ」

 尚も囀ずるレフの頭蓋に、アサシンはコンテンダーの銃口を向けて発砲する。弾け飛ぶ頭部に、イリヤが短い悲鳴をあげた。アサシン……切嗣はそれにぴくりと反応するも、それだけだ。
 レフが穿たれたのと同時に動き出していたアルトリアとアタランテが、竜牙兵を一掃する。そうして侵入者は撃滅され――

「ははははは! この私を一度は殺してくれたお前に、私が注意を割いていないと思ったか?」

 ――次の瞬間には、フィルムを逆巻いたように再生していく。

「これは……!?」

 現れたのは竜牙兵だけではなかった。

 低位神格を持つ、異境の民が祀る異形の蛮神。常人を遥かに超える巨躯、蝙蝠のそれに近い禍々しい翼、山羊のような捻れた大角、黒々とした皮膚。蛮人の神悪魔(デーモン)と呼称される怪物がいた。獅子の頭と胴、山羊の後ろ足と頭、尾として生える蛇を持つキメラが。最上位の亡霊に等しい魔性の霊、エンシェントゴーストが。
 強力なエネミーが同時に多数出現したのだ。この中央管制室に。それだけではない。嘗て与しやすいと侮られていた魔神柱が今――カルデアに未曾有の大打撃を与える真の姿を明らかにする。

「顕現せよ。牢記せよ。これに至るは七十二柱の魔神なり」

 居合わせた職員が、戦闘に巻き込まれる恐怖を飲み干して喚起した。医療区画より大規模な魔力反応! ――召喚魔術です! 此処に、管制室に魔神柱が!?
 アグラヴェインが剣を抜く。クラスを持たないサーヴァントとはいえ、戦闘が不可能な雑兵ではない。鉄の司令塔は油断の欠片もなく、そして危機に在りても鉄面皮に揺らがさず指令を発した。

「ロマニ・アーキマン、レオナルド・ダ・ヴィンチ。各区画の破壊を防ぎに向かえ。アーチャー、アサシン、ハサン! お前達は敵エネミーの殲滅だ。王よ、あなたは魔神柱を撃破していただきたい。私も援護します」

 ――魔神柱、顕現――

 カルデアの床を下から貫くようにしてその肉の柱が具現化する。多数の魔眼の眼球が、嘲弄の念も露に全ての者を見下した。嘲った。
 警報が鳴り響く。赤いランプが点灯する。レフは確かに殺された。だが死んだとて復活する触媒はカルデアにあるのだ。この器を用いての顕現である。カルデア内部に巨大な魔神柱が発生した事で、たちまち渡り廊下や壁面、電灯を破損させてしまう。

 敵エネミーが一斉に動き出した。アタランテが迎撃の矢を放つ。アサシンが舌打ちして短機関銃を掃射した。百貌のハサンが雑魚の掃討に乗り出す。分裂する暗殺者の統制の取れた連携は、あくまで竜牙兵のみを狙ったものだ。
 アルトリアが風の鞘を解く。裂帛の気合いと共に疾走し、その背後を黒い甲冑を纏った騎士が追う。魔神柱が凝視した、魔眼が無作為に魔力を発してカルデアの設備ごと蹂躙せんと嘲笑を爆発させた。

 イリヤは、震え上がった。

 明確な殺意、殺気――命の危機が、彼女を総毛立たせる。
 死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない――! 竜牙兵が剣を振り翳してイリヤに躍りかかった。それを砕いたのはダ・ヴィンチの腕に嵌め込まれた巨腕、打ち出されたパイル・バンカーである。

「御免ッ! 私はもう行く、カルデア内に湧いた敵が此処にしかいない訳じゃないんだ。イリヤスフィールちゃん、踏ん張ってくれ!」

 駆け去り際に、ロマニはイリヤの肩を叩いた。魔神柱にすら気取らせぬ魔術が掛けられる。イリヤと桜、美遊を繋ぐレイラインの構築。そして彼女へと付与される身体硬度の増す防御魔術。ロマニは苦渋の顔で言った。逃げてもいい、だから生き延びてくれ――

 生存本能の訴える悲鳴が五月蝿い。哭き喚くような心臓の鼓動。ダ・ヴィンチの激励、ロマニの優しさ――イリヤは挫けない、ここで立ち往生していては、それこそ死に至る。死の恐怖に支配されながらも、生き残る芽があるなら止まらないのが彼女の本質だった。
 瞭然たる脅威。進撃せんとする敵性体。己を眼中にも入れていない魔神柱。誰も期待せず、見向きもされていなかったイリヤは吼えた。

「ぁ、ぁぁあああ――ッッッ!!」

 満身から吼えた。腹の底から咆哮した。
 そして己の頬を叩いて怯懦に竦む心に活を入れ、イリヤは人間として、生物として立ち上がった。

「桜ちゃん! お願い、行って!」
「……っ!」

 幼い少女の体を覆う黒い甲冑。繋がれたパスを通じて注ぎ込まれるのは令呪の魔力。脆い体の耐久が、少女が実戦に耐えられるように、令呪の頑強さが一時的に鎧われる。
 桜の未熟な肉体には、サーヴァントの霊基は厳しすぎると聞いていた。その身を慮れる優しい思いに後押しされ、抜き放たれるは魔剣アロンダイト。小さな体には余りにも不釣り合いな剣を、桜は内なる霊基に導かれるまま握り締める。
 恐怖は不思議なほどない。いや、ある。あるのに、体はまるで固くない。力強い霊基が教えてくれる。勇気の持ち方を、武器の使い方を、宝具の力を。そして如何なる精神状態であっても翳らぬ無窮の武練を。桜は大きな安堵感に包まれた。この霊基(ひと)が一緒に居てくれる……優しい人が勇気を分けてくれる……わたしは、大丈夫。

 魔剣を引き摺るようにして桜が走り出した。魔神柱が眼を剥く。こんなにも幼い少女があの娘と同じデミ・サーヴァントである事に少なくない驚愕と、関心を抱いたのだ。

 アルトリアが囁く、「風よ――」魔霧を周囲に蔓延しないように封鎖する竜巻だ。辺りに一切の風圧を及ぼさせず、制御されたそれはエネミーを取り囲む。桜が魔剣の切っ先を引き摺りながら走り、小さな弾丸の如く竜巻を突破した。そして不慣れな気合いが口腔より迸る。一閃が竜牙兵を砕き亡霊を容易く切り裂いた。蛮神の眼が悍ましい光を発する。桜は回避しようとして、その前にアルトリアが飛び出し桜を守った。
 高位の対魔力を貫いて着弾した眼光は、しかしアルトリアの堅牢な鎧に煤をつけただけだ。アルトリアは横目に桜の無事を確認する。

「イリヤスフィールとミユはコフィンを!」
「はい!」「分かりましたっ」

 赤と青のカレイドステッキを握った少女達が魔法少女カレイドルビー、カレイドサファイアへと変身するや、マジカル・ルビーが奇声を発した。

『おお! 久々の! 召喚されて以降久々の出番とセリフ――』
「は……? は――ははははは!? なんだ、なんだそれは!? カルデアは一体いつから色物を混ぜ合わせた!? 面白い、笑わせてくれる。こんな人類(もの)……残す価値などないな」

 失笑が溢れる。魔神柱は嘲笑っていた。少女達の奮起を、果敢に戦わんとする勇気を。
 無駄だ、無駄だ、守るものがあるのだろう? 命より大事なカルデアの発明品があるのだろう? コフィンに入っている生身の者らを守らねばならないのだろう? 全てを守り抜く? 多勢に無勢だ、出来はしない。元より魔神柱フラウロスに『勝利してやろうという目的はない』

 真っ先に気づいたのはアグラヴェインだった。

 周囲の者に気を配るアルトリアよりも、アグラヴェインは只管に魔神柱の隙だけを伺っていたのだ。故に気づけた。
 多数の魔眼の齎す破滅の魔力、その颶風。際限なく湧き出る竜牙兵をはじめとするエネミーを斬り伏せながら、アグラヴェインは目前にしていた蛮神の爪に晒されるのにも構わず跳躍した。
 魔神の凝視が熱線を放った。狙われたのは疑似地球環境モデル・カルデアスである。遠巻きにして、ハサンに守られていた職員が悲鳴を迸らせ、

「ッッッ!!」

 アグラヴェインが身を呈してその熱線よりカルデアスを庇った。

「アグラヴェイン!?」

 アルトリアが驚愕する。彼の甲冑を貫通した熱線が、アグラヴェインの胴を大きく抉っていたのだ。直前に蛮神の爪を背に浴びていた事も合わさり重大な負傷である。
 だが断固としてアグラヴェインは吼えた。

「陛下ッ!」
「――!」

 同じ円卓を囲った同胞である。アルトリアはその遺志を汲み取って馳せた。辺り一面無作為に迸る、魔神柱の魔の力の籠った視線を掻い潜る。
 魔神柱はアルトリアにまるで注意を向けなかった。眼中にないのではなく、気にする必要はないという意識が透けて見える……。
 醜悪な肉の柱を聖剣が切り裂いた。痛打を浴びせられても魔神柱はなお、無数の魔眼から夥しい熱線を発していた。アルトリアが吼える。させじと、迅速に斬り倒すと。だが魔神柱の生命力は強大だった。幾度も聖剣の斬撃を浴びても。体当たりのように桜が魔剣を突き刺しても力尽きない。

 魔神柱フラウロスは分かっていた。弁えていた。単独でカルデアを打倒する事は不可能だと。勝利を目指すのは現実性の欠けた目論見だと。故に彼は、

 カルデアの設備を破壊する為だけに現れたのだ。

「おぉぉぉおおお――ッッッ!」
「司令官代理に遅れるなッ!」
「させるか……!」

 アグラヴェインが更に体を楯とする。死力を尽くし、命を賭けて守護する――命じるだけではない、有言実行する指揮官がいた。
 カルデアスに浴びせられる熱線を悉く防ぐ。剣が熔け鎧が爆ぜると、腕を楯にし体を楯にする。
 無数のハサンが、嘗めるように走る魔の視線から近未来観測レンズ・シバや、霊子演算装置・トリスメギストスを死守して消滅していく。

「は、はは、はははは――!! 英霊ともあろうものが、己を捨て石とするか!?」

 魔神柱が飽きる事なく嘲笑していた。嘲り、罵り、見下し――健闘を讃える響きが根底にある。
 だが苛烈な熱線は留まる事を知らない。魔神柱を基点に無限に湧くエネミーを、切嗣は迅速に処理していきながらアタランテに鋭く言った。聖剣や魔剣の斬撃を浴びる端から再生する魔神柱へ標的を変えろと。

「アーチャー、雑魚の掃討は僕に任せろッ。君は魔神柱に」
「!? だがそうなれば多勢に無勢――いや、分かった。頼むぞ!」
「『時のある間に薔薇を摘め(クロノス・ローズ)』……!」

 切嗣が再度宝具を起動する。彼の銃撃が竜牙兵を塵芥とし、ナイフで蛮神を刻む。そうしながらイリヤの背後に迫っていたキメラの口に腕を突っ込んだ。

「イリヤぁ!」
『イリヤさん、後ろですっ!』
「え?」

 美遊の悲鳴、ルビーの喚起。イリヤが振り向く先に、赤いフードの暗殺者が立っていた。彼女を噛み砕かんとした牙で腕を圧搾され、しかしコンテンダーの銃撃を口腔より脳天に貫通させた暗殺者は、立ち竦む白い少女を首を巡らせて振り返り……背中越しに声を掛けた。

「無事か」
「ぇ……お父……さん?」

 イリヤはその背中に――普段は情けない、自分の父の後ろ姿を幻視する。
 暗殺者はそれに応えない。端的に告げる。

「火力は申し分ない。だが、立ち回りが致命的だな。とても見れたものじゃない」
「ご、ごめんなさい……!」

 淡々としながらも、切嗣は短機関銃の射撃を止めなかった。イリヤは切嗣の顔が見えない故に、その腕の傷の酷さに顔を青くしていたが――続く切嗣の言葉に眼を白黒させた。

「少しはそこの、美遊という娘を見習え。だが今すぐに学習しろというのも無理な話だ。担ぐぞ」
「え? え? わ、わわわわ!?」

 切嗣は短機関銃を捨てると、無造作にイリヤの矮躯を担ぎ上げた。大いに慌てるイリヤを無事な腕で抱えると、彼は合理的に言う。

「立ち回りは僕がやる。君は敵を撃つことだけに集中しろ。いいな?」
「は――はいっ!」

 頼りになる……不思議と安心する。イリヤはこんな時なのに胸を踊らせた。切嗣はフード越しに美遊を見る。

「美遊・エーデルフェルト」
「は、はいっ」
「君に言うことはない。その調子でやればいい。コフィンの守りを任せる。二十秒保たせるだけでいい」
「……はい!」

 美遊はこの暗殺者に苦手意識があった。只管に苦手、それだけ――なのに、間違いはないと信じられるのは何故だろう。
 切嗣が加速する。自身の常識を超える超速にイリヤは眼を回しそうになりながらも、ルビーの補助のお蔭か誤射もなく次々と雑兵を駆逐していった。イリヤの持つ膨大な魔力にものを言わせた魔力弾は、エンシェントゴーストやキメラ、デーモンをも次々と屠っていく。
 無限に湧き出るエネミーの数が目に見えて削れていくではないか。イリヤは己を肩車する暗殺者が――士郎や英霊エミヤのように、自分に近しい誰かなのでは……もしかすると、あの人なんじゃないかと感じ始めていた。

 敵の出現するペースを上回る撃破効率。切嗣は宝具の酷使に口から血を溢れさせているが、フードの下にそれを隠していた。

 アタランテが魔神柱の撃破に参加する。削り切らんと弓を引き絞った。刻一刻とハサンが消滅していく。百体の山の翁が半数を切った。
 そして――アグラヴェインが血塗れになり、両腕を失った体で。口に、英霊エミヤが投影して備蓄していた宝具を咥えた。

「勝機を作る。これ以上はさせるものか――!」

 投影宝具は、真名を金剛杵(ヴァジュラ)という。使い捨ての投擲弾、それを咥えた鉄の男が決死の形相で突貫した。

「アグラヴェイン……!?」
「王よ、先に逝く不忠……御許しを……!」

 アグラヴェインは魔神柱に突撃し、金剛杵を叩きつけ、その霊基ごと爆散した。魔神柱が苦悶する。大きな風穴が空いた。アルトリアは激情の任せるままに、されど一寸の冷徹さを損なわず風を束ねた。

「桜、ランスロット! 合わせろ!」
「は……いっ!」

 魔剣に魔力が充填される。聖剣に束ねられた風王鉄槌が打ち出される。それは魔神柱を貫通し、魔神柱の背後で跳躍した湖の騎士の魔剣が、貫いてきた風弾を相殺した。魔神柱が哄笑する。その身が致命的な損傷を受けて、再生が叶わないと悟った故に。

「おめでとう、諸君の勝ちだ。おめでとう、おめでとう! そして――は、ははは! これからも是非とも頑張りたまえ! 諸君がそれで何処まで行けるか、見物だな!?」

 ハハハハ! フラウロスの嘲りが木霊する。

 魔神柱の撃破と共に、エネミーの出現は止んだ。急ぎ残敵を駆逐すると、後に残ったのは交戦の結果残された爪痕だった。
 カルデアの職員達は顔面を蒼白にする。アルトリアや、切嗣、アタランテ……彼らは顔を険しくする。勝利の喜びなどない。その空気に生き残った安堵感に浸る事は、イリヤや桜、美遊にも出来なかった。

 被害は、甚大ではない。されど軽微でもない。細やかな損害すら致命傷となるカルデアの心臓部で、人理の守護者達は立ち尽くした。












『被害報告:
  脱落者:アグラヴェイン、百貌のハサン
 設備損害:疑似地球環境モデル・カルデアス、損傷皆無
      近未来観測レンズ・シバ、損傷皆無
      霊子演算装置・トリスメギストス、損傷皆無



      疑似霊子演算器、小破
      ・レイシフト召喚、喚起システムに影響あり

      守護英霊召喚システム・フェイト、中破
      ・霊基(セイントグラフ)データ破損
      ・新規サーヴァントの召喚不可
      ・再召喚不可
      ・早急なる修復の必要性を認む

      事象記録電脳魔・ラプラス、小破
      ・レイシフト対象の保護機能に狂い

      霊子筐体、不明
      ・損傷は見られない。しかしなんらかの術式の反応が埋め込まれている』




 

 

絶望を焚べよ、光明は絶えよ






 血飛沫が舞う。鋼が砕ける。防禦の為に交差した陰陽の双剣が微塵に散った。

 飛び退いた士郎は、視界の半分が闇に覆われたのに、須臾の遅れを経て気がついた。槍撃の余波――? アドレナリンが分泌され、体が興奮状態に陥っているのが分かる。疼痛を抱えたまま後退した士郎は、呻き声一つ上げず冷徹に己の状態を解析する。

 ――固有結界、強制展開状態。結界の維持に回す魔力を限界まで引き下げても心象世界が崩れる気配はなかった。結界の解除は魔神霊を斃さねば不可能と見るべきだろう。とはいえ、必然的に吸い上げられる魔力量は莫迦になるものではない。このままでは当然の帰結として魔術回路が焼き切れるか、魔力が枯渇して枯死する。
 残存する全魔力量、数値にすると1000か。秒間1の魔力を消費、ランクB以上の投影は控えても、干将莫耶の投影は一度に2の魔力を消費する。クー・フーリンやオルタの戦闘を支えるのに秒間で10で、大技を放てば100は軽い。
 全力全開での短期決戦にしか活路はない。3分以内に仕留めなければ、士郎の魔力はアラヤ識の支援の分も尽き、運が良くても死ぬ。令呪は零。魔術礼装の機能も、アルケイデスの一撃で破損しており使用不可。加えて士郎はたった今、左目が潰された。自身で戦闘を行うのは不可能だ。剣製した剣弾で援護するにも精密さは望めない。精緻な制御が出来ないなら戦力は半減と言える。

 だがこちらも負けてはいない。魔神霊は最果ての槍こそ振るっているが、アルケイデスやヘラクレスの保有していたスキル、心眼が機能していないようなのだ。武芸の腕前はそのままで、宝具も使用可能だが、白兵戦での脅威は格段に低下している。宝具を撃たせず接近戦で仕留めれば、まだ生き残る芽はあった。
 しかしそれでも戦局は芳しくない。心眼が機能していないとはいえ、魔神霊の膂力、速力、敏捷性、魔力、耐久力はサーヴァントの枠を明らかに超えている。

 加えてオルタだ。表面上の傷は修復しているがアルケイデスとの戦闘で、腹部を巨槍で貫かれているのである。負傷している状態では……。

 「シロウッ!」主が傷つけられた剣騎士が怒号を発する。唸りを上げて聖剣を振るわれた。
 激突する黒剣と巨槍。ジェット噴射のように魔力を放出し、躰ごとぶつかっていく超重の剣撃は城塔をも倒壊させるだろう。しかし迎え撃つ魔神霊は一寸足りとも圧されない。どころか、軽々とオルタの剣撃を跳ね返しその矮躯を震撼させる。
 腹部の負傷が響いている。圧倒されていくオルタに士郎は歯を食い縛り決断を下した。カルデアとの繋がりが絶たれている今、大英霊たるオルタやクー・フーリンの戦闘を独力で支えるのは不可能。アラヤ識から供給されていた魔力は底が尽きるまで秒読み。一か八か、勝つか負けるか、生きるか死ぬか……賭けねばならない。

 深呼吸をして、肩筋を大きく抉られ、重傷を負っているクー・フーリンを見た。

 ほんの十秒の休息。

 オルタが弾き飛ばされた。黒剣の切っ先で地面を削り、吹き飛ばされる衝撃を殺して踏ん張ったオルタの間合いに魔神霊が踏み込む。豪快に振るわれた巨槍がオルタを打ち据えその堅牢な鎧を砕き割った。
 吐瀉に混じる血。苦痛に歪むオルタの秀麗な美貌。士郎は短く指示を飛ばした。下がれと。そして、彼は傍らのクー・フーリンに、

「ランサー、一人で奴を抑えてくれ」

 死んでくれと、命じた。

「ハ――それしかねぇか。任せろよ」

 クー・フーリンは莞爾と笑った。死地など幾度も越えてきた、こんな所で死ぬ己ではない。ましてや敵は英雄でもなければ戦士でもなく、怪物ですらない英雄の骸だ。こんな相手に殺されるものかと彼は確信している。
 分の悪い賭け……ではない。勝算は充分ある。半刻も手こずっているが、必ず勝てると確信していた。
 オルタが下がってくるのに合わせ、光の御子が翔んだ。蹴り穿つ蹴撃が魔神霊の腕に阻まれた。何ら痛痒を覚えず、魔槍を地面に突き刺し基点としたクー・フーリンは、己を襲う最果ての槍を紙一重で躱した。掠める歪な穂先が翻り、着地したクー・フーリンを打ち倒さんと乱気流を巻き起こす槍撃が乱れ打たれる。応じてクー・フーリンは魔槍を閃かせた。
 消耗は激しい。ルーンは尽き、最果ての槍の真名解放を城を楯にする形で防ぐも肩筋を大きく抉られていた。常人なら瀕死と言える重傷である。しかしそれでも戦えるのがクー・フーリンだ。口腔が開く、「雄ォォオオオ――ッッッ!!」精強なるケルトの戦士をして心折られ、戦いを放棄させるまでに萎縮させる雄叫びが轟いた。

「……セイバー、次の一撃に総てを賭ける。お前の聖剣で、俺に勝利をくれ」
「――拝承した。私の命運は貴方と共にある。シロウ、我がマスター。貴方に勝利を約束しましょう」

 激甚なる瀕死の光輝、死したる骸の魔神霊の応酬が刃鋼の音色を奏でる。
 空間が拉げ、気流が爆発し、剣の丘を爆心地に変える壮絶な死の宴だ。血反吐を吐きながら時を稼ぐクー・フーリンは、聖剣へ爆発的に注ぎ込まれる原始の呪力を感知し阻止せんとする魔神霊を単騎、食い止める。

 黒い聖剣が瀑布のような魔力の猛りに呼応し、魔竜の牙の如くに膨張していく。士郎は己の魔力の大半を注ぎ込んだ。オルタの魔力炉がそれを錬成して倍増を繰り返す。黒剣に充填された魔力が闇に変換され、集束・加速を臨界まで反復し、運動量を増大させる。
 オルタもまたその高まる魔力に肉体の限界を迎えていた。もはや真名解放の反動を受け止めきれるか判然としない。だがそれで怖じる胆力ではない。オルタは己の力への自負を抱く。

 クー・フーリンの躰のキレが悪い。傷が重く、不利な戦況を仕切り直す訳にもいかず、あくまで踏み留まる彼は魔神霊という濁流を塞き止める限界を迎えた。圧倒的な膂力に圧され、魔槍が跳ね退けられ胴の隙を晒してしまう。咄嗟に丸楯を取り出して巨槍の軌跡を逸らすも、脇腹に最果ての槍が突き立った。がッ――苦鳴は短く。突き上げられたクー・フーリンが振り回され、その遠心力で彼方へと放り出された。

「……! セイバー!」
「まだです、まだ……! あれを消し飛ばすのに今少しの溜めが必要ですッ」

 クー・フーリンの安否は気になる。だが突進して来る魔神霊の迫力に焦りを抑えられない。
 士郎はしかし、その焦りを殺す。そして双剣を投影した。シロウ……!? 驚愕するオルタに、鉄の瞳が重なる。士郎は、言った。

「二秒保たせる。……信じてるぞ、セイバー」
「――はい。必ず!」

 全身を強化する。隻眼となっている士郎は右目を見開いた。突撃してくる魔神霊は、進撃してくる人間に。魔神霊は嗤う、マスターである士郎を殺しさえすれば、オルタに注意を割く必要はないのだ。
 無謀を犯す塵芥を蹂躙せんと最果ての槍が煌めく。士郎は聳え立つ山脈を前にしたような圧迫感に死を視るも、怯まなかった。竦まなかった。死の覚悟なんて捨てている、あるのは無限に湧いてくる生への渇望。死にに逝くのではない、生きに往くのだ。死中に活あり、無敗の戦歴に華を添えるだけだと男は笑う。

「オォォオオオ――!!」

 初撃。侮りか、見切りか。胴を貫く軌道の直突き。双剣で流す。受ければ腕もろともに双剣は砕ける。魔神霊の槍、アルケイデスの武、嫌になるほど目に焼き付いていた。彼の心眼は過つ事なく初撃を捌く。
 しかし、それでも強化したはずの腕に皹が入った。戦車の突撃を生身の腕で止めようとするようなものだ、然るべき損害である。
 双剣が刃毀れした。補強、新たに投影し直す暇はない。空間を波打たせるように巨槍が振り上げられ――振り下ろすと見せ掛けての虚撃。巨槍の石突きが穂先を振り上げた勢いそのままに、下から食いつくように掬い上げられてくる。

 左下からの強襲。死角を突く軌道。士郎は防げない。咄嗟に胴を守る為に下げた莫耶が、それを握る腕ごと砕かれた。血反吐を吐く。衝撃に内臓が破裂したのか、肋骨が纏めて三本折れた。
 巨槍が旋回する。躰を左半回転させて胴を薙ぎ払う軌道、肋骨が折れている、左半身に受ける訳にはいかない。干将を間に割り込ませるしかないが――飛来した朱の閃光が刹那の時を稼ぐ。
 死に体でありながら魔槍を投じたクー・フーリンだ。魔槍が魔神霊の胸を背後から貫いたのである。動きが一瞬止まる、防禦ではなく回避が間に合った。一秒と半、あと半秒――魔神霊は胸を穿たれていても尚駆動する。沸騰したように肉が脈打ち、胸に空いた風穴を塞いだのだ。治癒ではない、再生でもない、もっと悍ましい何かだ。
 魔槍が担い手の許へ帰還していく軌跡を見る間もなく、士郎は死に物狂いで退くも追撃は迅い。干将を巨槍の軌道に置いて辛うじて受け流すも、干将も破損する。再び反動だけで右腕が砕けた。進退極まり、万事休す……されど士郎は諦めずにその場に倒れ込む。受け身も取れないで倒れた士郎の真上を巨槍が過ぎ去る。大気を貫き真空の穴が生まれるほどの刺突――二秒、経った。

約束された(エクスカリバー)……!」

 全身全霊、乾坤一擲。オルタが士郎の後を繋いで飛び込んでくる。射出機(カタパルト)より撃ち出された戦闘機の如き彼女を、魔神霊は容易に対処出来ると嘲笑う。この霊基は切り返して黒王を屠る事を可能とする性能があった。
 黒王の顔が曇る。マズイ、と。だが止まる訳にはいかないのだ。これで決めねば、負ける。負ける訳にはいかない。主の信頼を裏切る訳にはいかないのだ。躰を張って価千金の二秒を稼いだ彼の労を無為にする訳にはいかないのである。黒王は吼えた。魔竜の咆哮が轟く。
 なれど磐石なるモノを前に奇跡は起きない。そんなものは何処にもない。

 ――故にそれは必然であった。

 魔神霊の躰が止まる。驚愕する魔神霊の霊基が最後の力を振り絞ったのだ。
 英霊を蔑み、見下し、駒とした彼の魔神にとって有り得てはならない反逆。彼は、ヘラクレスを嘗めた。敗因はそれだった。

勝利の剣(モルガン)!」

 そしてその一瞬の隙を見逃すオルタではなかった。解き放たれる闇の断層、究極斬撃。闇の奔流ではなく、聖剣へ籠められた莫大な魔力を直接叩き込む。大上段からの斬撃は確実に魔神霊を真っ二つに切り裂――

『■■■■■■■――!!』

 声にならぬ絶叫が上がる。両断されながらも魔神霊は足掻いた。頭部を斬断される寸前、巨槍を握る腕が遮二無二振るわれ。

 オルタの胸を穿った。

「カ、ハ……!?」

 魔神霊が縦に割れる。膨大な闇の斬撃の奔流に五体が四散し死を遂げる。聖杯が溢れ落ちた。
 同時、オルタが膝をつく。

「セイバー!?」

 士郎は跳ね起きて、自身の傷すら省みず倒れるオルタを抱き止めた。砕けたままの腕が激痛を訴える事など気にもならなかった。
 悟る。オルタの霊核に致命的な損傷が入ったのだ。最後の最後で足掻いた魔神霊が相討ちに持っていったのである。オルタはただでさえ白い貌を青くし、薄く笑みを浮かべた。

「シロウ……なんて貌をしているのですか」
「……っ」
「勝ったのです。誇ってください、私はまた、貴方の声に応えカルデアに戻ります」
「もういい、喋るな。再召喚の必要はない、すぐに固有結界を解除する。アイリさんに治してもらえばいいんだ」
「そう……でしたね。ならもう少し……気を張って――」

 士郎が強制的に貼り付けられていた心象世界を閉じる。縫い止めていた錨が抜けたのだ、もはや阻むものはなく世界は閉じた。
 現れる地点を、地べたに座り込んでいるクー・フーリンとオルタ、自分も纏める。そうして現実世界に帰還する寸前、オルタの顔色が変わった。

 根拠のない、勘。虫の知らせ。まだ何も終わっていない、いや寧ろ漸く何かが始まったような……

「なっ!?」

 現実世界の元の座標、私椋船『黄金の鹿号』の甲板に帰還するはずが、士郎達が現れたのは海の上だった。
 着水した士郎が驚愕したのは、何も海に落ちたからではない。空が崩れ、世界の理が修復されていく光景を目にしたからだ。
 定礎復元が成されたらしい。問題はドレイク達の姿が見えず、辺りに誰もいなかった事である。士郎は焦った、満身創痍のクー・フーリン、消滅間際のオルタ、そして自分のカルデアへの退去が始まっている。カルデアとの通信が戻った。

『士郎くんッ!』
「……ロマニか?」

 立ち泳ぎするのも難儀な傷だ。士郎は嵐が治まっている幸運に感謝しながら応じた。
 切羽詰まった声が届く。ロマニが鬼気迫る顔で言い募った。

『いいかい、自分の存在を確り認識して、イメージしておいてくれ!』
「……何かあったのか」
『カルデアが攻撃された! レフだ! 機材が損傷してる、レイシフトが万全に行えない可能性があるんだ! 他の皆はなんとか帰還出来たけど士郎くんはまだ安心できない、頼むから気を張っててくれ!』

 士郎はその報せに苦虫を噛み潰したように歯噛みする。カルデアとの繋がりを克明に意識しながら士郎は言った。

「オルタが致命傷を負っている。そちらでアイリさんをスタンバイさせておいてくれ」
『オルタが? ……分かった、だからなんとか無事でいてくれよ、士郎くん』

 オルタはえもいえぬ悪寒に震えた。士郎の腕を掴む。無理矢理に捻出されたオルタの魔力が、士郎の中にある聖剣の鞘に注がれた。魔力が足りなかったのか、左目は治癒されなかったが両腕は治る。

「オルタ! 余計な事を――」
「聞いてください、シロウ」

 既に消えかけている身で無茶をするオルタへ、怒号を発そうとした士郎を制して彼女は強張った顔で告げた。
 それは、これから始まる地獄のような未来を直感してのものだった。声に詰まる士郎へ、彼女は悪寒を抑えている。

「嫌な感じがします。万全の態勢を整えていてくださ――」

 転瞬、オルタとクー・フーリンが消えた。カルデアへ退去したのだ。士郎は間もなく己も退去するのだろうと身構える。
 どこかへと引かれる感覚は、いつものレイシフトのそれで――



 ――士郎は、海から陸へと転移していた。



「は……?」

 目を白黒させる。此処はどこだと、咄嗟に辺りを見渡した。
 見渡す限りの荒野である。人気はない。空には光の帯のような、これまでの特異点で見慣れたものがある。士郎はカルデアへ通信を取ろうとするも、それは途絶えていた。どういう事だと愕然とする士郎の鷹の目が――彼方に一個小隊規模の軍勢を捉えた。

 それは、鎧兜で身を固めていた。

 槍と楯。逞しく筋骨に秀でた体躯と豊かな髭。
 その姿を士郎は知っていた。他ならぬ己のサーヴァント、クー・フーリンの過去を夢で見た彼は――それ(・・)が『ケルトの戦士』である事を悟る事が出来たのだ。

「は、ぁ……?」

 いや、なんでさ……と。士郎は空を仰ぐ。

 カルデアとの繋がりはない。アラヤ識による貯蔵魔力もない。令呪はなく、サーヴァントもおらず。改造カルデア戦闘服も破損したまま。魔術回路は限界。一刻も早く休息を取らねばならない状態だ。
 なのに。

 士郎は、特異点から別の特異点に転移させられていた。













 人類の裏切り者は嗤う。彼は衛宮士郎だけは決して見くびらなかった。侮らなかった。もしやと思わせる危険性が衛宮士郎にはあったのだ。
 だが衛宮士郎の入ったコフィンの破壊は成せなかった。存外あの小娘達は健闘してくれたのだ。目障りなほどに。
 故にそれは、彼からの贈り物。破壊ではなく細やかな召喚術式の刻印を贈った。不可視のそれは、その場の全員の目を掻い潜り、感知を潜り抜けたのだ。魔術王を出し抜けるのもまた魔術王のみで――カルデアについて知悉しているフラウロスだから可能な芸当だった。

「私を招いてくれたお礼だよ。

 今度は私から招かせてもらった。

 楽しんでくれたまえ。『第五の特異点』はお前を歓迎してくれる。

 ああ、ハルファスは甘くない。せいぜい、頑張りたまえ」










 

 

カルデア戦線異常あり!

カルデア戦線異常あり!




「――マシュ・キリエライト、ネロ・クラウディウス、両名とも特異点からの退去完了しました」

「聖杯の回収に成功」

「第三特異点の定礎復元まで残り5分です」

「疑似霊子演算器の異常を検知」

「A班、疑似霊子演算器が検出した異常を正常域に修正して。ムニエルくん、B班とC班の指揮を頼む、手動でパネルを操作するんだ。技術班、レオナルドの指揮で破損箇所の修理と、システムのバックアップと修正を並列してやってくれ!」

「了解!」

「士郎くんの状況は?」

「現在魔神霊と固有結界内にて戦闘中です。通信は依然繋がりません!」

「サーヴァント・エミヤ、アイリスフィール、玉藻の前、無事帰還しました!」

 退避していたカルデアのスタッフが続々と持ち場に戻る。つい先刻まで戦闘があった事を感じさせない迅速さは、彼らが有能である事の証明だ。
 矢継ぎ早に上げられる報告に淀みはない。親しんだ百貌のハサンの脱落と、その再召喚が不可能な今、悲愴な雰囲気は隠せていない。しかしそれでも彼らは前を向いている。心は折れていない。心の支えであるマスター陣のリーダーをなんとしても助ける意思が彼らを支えていた。
 ロマニは急遽指揮権を握り、間断なく指示を飛ばす。それは帰還した戦闘班にも向けられた。

「マシュ、帰ってきてすぐで悪いけどメディカルルームへ。ネロ帝はアタランテと一緒にカルデア内に残敵や罠がないかの確認!」

 うむ、と。ネロも疲れているだろうに、それをおくびにも出さず快諾した。
 ネロは回収した第三特異点の聖杯をロマニに渡し、アタランテを連れ中央管制室を出ていく。そんな彼女を尻目に、不安げにマシュが訊ねた。

「あの……ドクター。先輩は大丈夫なのでしょうか」
「きっと大丈夫。だから行ってくれ、マシュには休息が必要だ。――ん?」

 ブロック状の聖杯をネロから受け取ったロマニは軽く眉を顰める。嘆息しながら、爆弾と化していた潜在的な術式を一息に解除した。コルキスの王女か、と。呆れ気味に。

「アーサー王とアーチャー、アサシンも見回りに行ってくれ。レフを撃退はしたけど安心は出来ない。アイリスフィールと玉藻の前は待機」

 何事もなかったように司令塔をこなすロマニに、マシュにだけ構う余裕は流石になかった。司令塔を代われるアグラヴェインを欠いた事で、以前までの負担が戻ってきたのである。
 マシュは制服姿に戻り悔しそうに俯くも、ここにいても邪魔になるだけだと理解して頭を下げ、急ぎ足にメディカル・ルームに向かった。その前に手紙をロマニに渡して。
 見回りに行くついでにと、アルトリアらに寄り添われながらマシュは退室する。アサシンの切嗣だけは早々に見回りに出た。

 騒然とする中ロマニは乱雑に書きなぐられた英文に目を通す。それは黒髭からだった。いや、ドレイクの一文もある。
 黒髭からは端的に。――カルデアに喚ばれたら協力してやるぜ。まだ同盟は切れてねぇよ。
 ドレイクもまた豪快に綴っていた。――ネロとかいう奴の懐に聖杯ってのを忍ばせてあるよ。気づいてないのかねぇ? 代金の胡椒の瓶詰めは、また会った時にでも寄越してくれたらいいさね。

 彼ららしい、とロマニは笑い。一段落つくと、幼い少女達へと振り向く。

「桜ちゃん、イリヤちゃんと美遊ちゃん、ご苦労様。疲れただろう? 指示を出せなくてごめんね。休んでもいいよ」
「ううん、わたしはお兄ちゃんを……士郎さんをここで待ってます!」
「私も」
「……」

 彼女達の眼には、既に浮き足立った色はない。地に足ついて、カルデアの当事者である事をしっかりと認識していた。
 ロマニは目を瞬き、次いで微笑む。桜達を過保護に遠ざけるつもりは、既に彼にもなくなっていた。それどころではないというのが実情だが。

 未だにレイシフトしたままの士郎を観測するスタッフらは、彼を信頼して待つ。定礎復元まで後1分を切ると、待ちかねたようにスタッフが声を上げた。

「魔神霊の反応ロスト!」

「マスター・衛宮士郎が魔神霊を撃破した模様! 通信が回復しました!」 

「繋いでくれ!」

 映像がモニターに浮かぶ。左目が潰れ、両腕が砕けている痛々しい姿の士郎が、海の中で立ち泳ぎをしている。ひっ、と短い悲鳴をあげるイリヤをよそに、士郎へロマニが手短に現在のカルデアの様子を伝える。その後、士郎がオルタの状態を伝えてくると、ロマニはアイリスフィールに視線を向けた。
 聖杯の嬰児は頷き、宝具の解放準備を整える。すぐさま士郎らの退去が始まった。その最中モニターの中でオルタが士郎に魔力を送る。両腕が瞬く間に癒えるもオルタは……。

 ――突如、管制室に魔力反応が発生する。

「なんだ!?」

 ロマニの切迫した声に、オペレーターの女性が即座に応じた。

「司令官代理、コフィンから魔術の起動を確認! シロウさんの入ってるコフィンからです!」
「……ッ? これは……転移魔術か!? マズイ、解除を――」

 慌てて霊基を解放し、魔術王の姿になったロマニがコフィンに向けて走るも、そのプロテクトの頑強さは魔術王をして解除に困難を極めた。
 不可視の術式は、生前の魔術王が発動した魔術に等しい強度を誇っていた。サーヴァントの霊基でしかないロマニでは、その存在に未然に気づき対処する事は出来ず、そして咄嗟の事に魔術の解除を行うのが間に合わず。

「サーヴァント・ランサー……帰還しました」
「サーヴァント・セイバー、オルタさんの――消滅を確認」
「! 司令官代理! シロウさんが帰還してきません!」

 蒼い槍兵が帰還する。しかしオルタは最後に力尽きたのか帰還が完了する直前に消滅していた。
 ロマニは絶句する。オルタは――非情なようだが、消滅してもいい。時間があれば守護英霊召喚システムの復旧は可能だ、霊基データさえ無事ならまた召喚出来る。だが、

「おい」

 クー・フーリンが険しい表情で辺りを見渡す。己の主君の姿が見えないのに、鬼気迫る形相でロマニを睨んだ。

「マスターはどうしたんだ?」
「……待ってくれ」

 ロマニもまた常の弛んだ空気を拭い去り、緊迫した面持ちで魔術を使用していた。カルデアに干渉し、たった今コフィンに刻まれていた術式から情報を抜き取る。そして毛先ほどの乱れも赦さぬ神業めいた魔術制御で、それをカルデアの機器に反映した。

「……よし、逆探知を! 士郎くんは特異点から別の特異点に転移させられてる、今の魔術から反応を逆算した、後は座標を特定するだけだ!」

 固唾を呑んでイリヤ達は見守る。異様なまでの緊迫感に圧倒されていた。
 しかし、オペレーターの女性が呻く。

「……ダメです! 特定できません!」
「なんでだ!?」

 ロマニが怒号を発し、握り拳をモニターに叩きつけた。凄まじい焦りと怒気に空気が凍る。
 嘗て王だった頃――そして人間になってからの日々――それらを経て、はじめて得た対等の友人が士郎だった。故に、ロマニ・アーキマンの焦りは誰にも負けないほど強い。だがそれで自分を見失う男でもなかった。

「――存在証明は?」
「継続されています!」
「意味消失だけは絶対に阻止するんだ。二十四時間体制で、交代で常に観測していてくれ。座標の特定が困難な理由は? マスターがレイシフト状態なんだ、カルデアが観測してるんだから簡単なはずだろう?」
「それが……代わりに特定されたのは別の特異点です。第四特異点が障害となっていて、その先にいるシロウさんの反応が朧気になっています」
「なんだって? じゃあ士郎くんは第五かそれ以降の特異点にいる事になるのか……」

 唇を噛み締め、ロマニは意を決したのか険しい顔をしているランサー、クー・フーリンを見る。そして少女たちにも視線を向けた。

「……チッ。そういう事かよ。道理でオルタの奴がああも無茶した訳だ」
「そうだね。辛うじて士郎くんの腕が治ったのは本当に助かった。だけど予断は許されない。第四特異点の特定は済んだみたいだし、悪いんだけどイリヤちゃん……行ってくれるかな?」

 それは、余りにも唐突な出動要請だった。
 ギョッとしたイリヤだが、体力的にはなんら問題ない。彼女は詳しくは状況を飲み込めていなかったが、それでも士郎が危機的状況にあるのは理解していた。彼女は頷く。

「はい、行きます!」
「……ありがとう。今から二時間後にレイシフトを開始する。その二時間後にネロ帝に出てもらうから、準備しておいてくれ。……皆! 大変だろうけど踏ん張りどころだ、協力してくれ!」

 はい! とスタッフ達の声が揃う。
 彼らの意志は一致していた。正念場だと。休んでいる場合ではない。想像を絶する激務が待ち構えていても、彼らには元より退路がなかった。
 イリヤは自分なりに腹を括る。弱音は噛み殺した。女は度胸だと持ち前の向こう見ずさで突然の実戦に飛び込む覚悟を固める。大丈夫、わたしは一人じゃないんだから、と。――自分に言い聞かせて。

 ロマニはイリヤの連れていくサーヴァントに、マシュは組み込むとして、他の面子を決めようと思考を巡らせる。その前にやらねばならない事もあった。
 イリヤはまだ生きているがサーヴァントの霊基を持っている。システムを弄って彼女がマスターとして正式に動けるようにしなくては――その時だった。予想だにしていなかった通信が入ったのだ。瞬時に応じたロマニは、モニターを開いた。
 相手は、危機的状況にいるはずの士郎だった。

「士郎くん!?」
『……こちら、衛宮士郎だ。聞こえているか?』
「聞こえてる! それよりどうやって通信を……いやそれより無事なのか!?」
『……ダメだな、聞こえない。一方通行なのか? まあ……いいか』

 ロマニの声に、士郎はまるで何も聞こえていないように頭を掻いた。染み着いた疲労が伺える。士郎にはロマニの声と姿が届いていないらしい。安定していない通信に、ロマニは本気で怒りを抱く。なんだってこんな肝心な時にばかり! と。
 映像の中の士郎は見慣れた格好ではなかった。左目に当てられた黒い眼帯、そして詰め襟の軍服らしきものを着込み、露出している首から上にも無数の傷跡が新たに刻まれている。何が起こってるんだと困惑する一同に、士郎は言った。

『一応、カルデアにこちらの音声が届いているものと仮定して、報告はしておく。俺は今のところは無事だ。が、どうにもこの特異点はオカシイ。カルデアの通信機にある時計の進み方とこちらで体感している時間の流れに大分差がある。俺の体感では既に半年は経った』

「半年!?」

 驚愕を置き去りに、士郎は淡々と告げた。

『いや、五ヶ月か? まあ……そこらはいいか。通信限界時間はすぐそこだ。……俺は世界の異常には敏感な質でな。念のため自身の感覚を正常にするために様々な手段を講じた。結果、俺の体感時間と特異点内の時間に差はないと判断した。
 カルデアとの時間差についてだが、この特異点内は外との時間の流れにズレがあるらしい。そちらの時間で言えば二日でこっちは十年が経つか? あて推量だから正確には知らん。ただ聖剣の鞘のお蔭で、老化はかなり停滞させられている。五十年生きて五十代手前ぐらいの容姿になる程度に。だが俺は――っと、それより先にデータを送る。第四特異点の攻略指南だ。
 ネロに行かせてくれ。間違ってもイリヤにはやらせるな。単純に体力が足りんだろう。攻略は容易だ、ネロと共に投入できる戦力なら二日でクリア出来る。理想の面子はマシュとアタランテ、アサシンとランサーだな。とにかく脚の速さが必須だ。ネロには簡単な仕事になるだろう。イリヤ達は休ませてやってくれ。俺も休みたい。相棒が可愛くて辛い。
 こちらの年代は1782年のアメリカだ。座標特定に役立ててくれ。あー……と。データは行ったか? 虚数空間に向けて独り言を呟いてるみたいで俺も辛いんだ。そろそろ通信限界だ、次も通信が繋がったらデータをまた送る。状況の報告も。ああ――それと。

 別に、この特異点を一人でクリアしても構わんのだろう?』

 乾いた笑顔で士郎が強がった瞬間、通信が途絶えた。直前に『冗談だ、早く増援を寄越し――』とまで言っていたのが、微妙な余裕を伺わせる。
 なんとも言えない沈黙が流れる。緊張感が切れた。しかし、ロマニは笑う。しぶとく士郎は生き残っていた。まだ希望はある。

「――士郎くんをお爺ちゃんにする訳にはいかない。速攻で片付けて救援に行くよ!」

 カルデアはそれに、力強く頷いた。





 

 

全力疾走だねネロちゃま!



「それじゃあ、第四特異点へのレイシフトを始めるよ。マスターはネロ帝、もといネロ。随伴するサーヴァントは四騎。マシュ、ランサー(クー・フーリン)セイバー(アルトリア)アサシン(切嗣)だ。各自ネロちゃんとの臨時契約を頼むよ」

 ロマニは無事送られてきたデータを纏め、要点だけを纏めたレポートに目を通しながらネロに言う。そのサーヴァント数と構成を決めたのはロマニだった。やや疲弊の滲んだネロに、ロマニは軽く言う。

「大丈夫だよ、ネロさん。ぶっちゃけ士郎くんの読み通りなら二日もあれば楽勝な戦いだから」
「そうなのか?」
「そうそう。ところでネロさん、マラソンは得意かな」

 なんでマラソン? と首を捻りながら、ネロは答える。「まあ、それなりには体力にも自信はあるぞ」と。
 それを聞いたロマニは安心したように笑みを深めた。

「ならいいか。正直言うとね、今回のレイシフトでネロさんはほぼ走るだけでいい」
「む?」
「実戦を熟した実感も出ないんじゃないかな。こっちから指示するからとりあえずササッと処理しちゃって」
「え?」

 ふぉーう! と白いモコモコ小動物フォウが、ネロの頭に飛び乗った。まるで『マラソンと言えばおれだろう? ついてこれるか』と言っているようである。
 ロマニはフォウに頭に乗られてわたわたするネロに微笑み、最後の調整に入った。まだ疑似霊子演算器は修理できていない。故にレイシフトのための準備はより入念に、更に慎重に行うために調整を行っているのだ。それも間もなく終わるが。
 マシュが微笑みながらネロに言う。

「お願いします、ネロさん」
「うむ、よく分からぬが余に任せよ」

 切嗣はネロに一瞥すら寄越さない。無言でネロの肩に手を置き、レイラインを繋げるとそのまま離れ、短機関銃とナイフの点検に移った。
 赤いフードの下の素顔を見せない暗殺者だが、ネロはそれに不服を感じることはなかった。鷹揚に構える彼女に、切嗣はやり辛さのようなものを感じるものの、溜め息をこぼしてレイシフトに備える。
 クー・フーリンは苦笑しながらそんなアサシンを横目に見遣り、何気なくレイラインを繋ぎ合わせられる。

「あー、こうして話すのははじめてだったか? ネロって呼ぶぜ」
「うむ、好きに呼ぶと良いぞ。今の余は皇帝ではない故な」
「おう。アイツはあんなふうに愛想の欠片もねぇが、腕は確かだぜ。とりあえず単独行動させときゃ戦果は必ず挙げやがる。頼りになるがテメェ自身を捨て駒にするのも厭わねぇからな。そこんとこは気を付けてやってくれや」
「分かっているとも。シェロもそこは頭を悩ませていたな」

 仕方ない奴だと笑うネロに、クー・フーリンは肩を竦める。

 そんなネロへ、アルトリアが顔に陰を落としながら声を掛けた。

「……急ぎましょう、ネロ。どうにも嫌な感じがします」
「直感という奴か? ……うむ、一刻も早くシェロの許へ行かねば、シェロが老いてしまうのだったな」
「それもあります。しかしそれ以上に……なんというか、シロウが良からぬ事を仕出かしている気がしてならない。シロウの許へ急行し問いたださねばならない気が……」
「シェロなら大丈夫ではないのか?」
「ネロはシロウの事を美化して見過ぎです! 彼を侮ってはいけない、どこの馬の骨ともしれない女に誑かされていてもおかしくはない……!」
「う、うむ……?」

 可愛い子なら誰でも好きだよ、オレは――とは錬鉄の弓兵の台詞である。そんな彼と妙なところで似ている士郎なので油断は禁物だ。
 なお英霊エミヤは、第四特異点に向かうネロやマシュの為に携帯食料を持参してきていたが、アルトリアがネロと話し始めたのを目撃した瞬間にロマニに食料を押し付け離脱していた。スタッフの食事でも作りに行くと言って。見事な状況判断である。

「よし、準備は万端だ!」

 ロマニが手を叩く。皆の注意を集め、彼はエミヤに預けられた荷物をマシュに渡した。大楯にそれを収納したマシュを尻目に、ロマニは作戦の概要を説明する。

「第四特異点の詳細が判明した。時代は西暦1888年、産業革命時代の霧煙る帝都ロンドンだ。だが、どうやら街全体が謎の霧に覆われているらしい」
「霧に?」
「ああ。念のため毒ガスを警戒してマスクの装着を、と言いたいところだけど。マシュと仮契約しているなら問題はないだろう。この娘の霊基は毒への耐性が強い、加護という形でネロさんを守るだろう」

 そうなのか? とネロが訊ねると、マシュは首をひねる。ロマニは苦笑した。魔術王の霊基が、ロマニに人ならぬ視点と洞察力を与えているのだ。いや『復活させている』という形容が正しい。
 ともあれロマニは説明と推測を交えながら続けた。

「第四特異点は最長二日でケリをつける。魔神柱は士郎くんを人間の寿命で殺すつもりなんだろうから、持久戦に持ち込もうとしてるかもしれないが、逆にそれは好都合だ。こちらの行動は完全に相手の意表を突くだろうからね。敵首魁を速攻で見つけて速攻で倒せる。最終攻撃はアサシンの奇襲、二段目でランサーの宝具、それで仕留められなかったら三段目に騎士王の聖剣だ」
「うっ……流石シェロ、えげつないな……」
「慣れましょう。先輩はえげつない事を絶対するので」

 マシュは悟りを開いた菩薩のような目をする。ネロは聞かされた作戦の詳細から、それが俗に言う『嵌め殺し』になる事が容易に察せられたのだ。
 逆に敵が可哀想だとすら感じる。士郎の作戦案に対する不安はなかった。士郎の考察が記されたデータには、説得力が大いにあった。

「士郎くんの作戦案は2パターンあった。広大なフィールドの場合と、都市部の場合だ」
「ざっくり過ぎないか?」
「いや、これだけでいいらしい。やる事も極めて単純だ。まずレイシフト後、都市の外縁部を一周走り回って、都市を縦と横に十字に走る。状況を把握したらそこで第一段階終了。この時に敵エネミーが妨害して来たり敵サーヴァントと遭遇するかもしれないけど、撃破する必要はないよ。無理がないなら普通に倒していいけどね」
「……ああ、それで『マラソン』なのだな」
「そ。ほぼ走るだけだよ。はぐれサーヴァントがいるかもしれないから、火力のあるサーヴァントなら味方に引き入れるのもありだ。勿論協力的ならね。説得とかが必要になるんなら捨て置いてもいい。この段階で必要なのは、走る事と、大まかな異常の把握だね」

 簡単過ぎる。が、流石に走り回るネロの疲労は大きくなるだろう。しかし疲れるだけでいいというのは、ネロの心的負担を大幅に軽減させてくれる。
 しんどそうだな……と呟くネロだが、悲愴な色はなかった。

「第二段階。これは一つだけだ。異常の箇所を点と点で捉え、線で結び、その中心地の『地下』に入ればいい。入り口は騎士王の聖剣で作る」
「え、よいのか? 都市部なのだが……民を巻き込んでしまうであろう」
「ネロさんが令呪を使えばいいんだよ。聖剣の指向性を一点集中して、斬撃じゃなく刺突にすればいい」
「あ、そうか。セイバーよ、それは出来るか?」
「可能です。エクスカリバーの前に使っていたカリバーンの要領で放てばいい。しかし私の聖剣は大味な代物、精密性に欠けます。令呪のバックアップがあった方がいい」

 ――ところで、士郎くんの通信では騎士王の名前がなかったのに、攻略案にはキッチリ記されていたのはなんでだろうね?

 ロマニは遠い目をする。またか、またなのか士郎くん、と。後ろめたさを感じさせた。幸いあの場にはアルトリアはいなかったのでツッコミはなかったが。もし居合わせたらどんな顔をしたのだろうと、ロマニは怖いもの見たさで気になった。

「……で、次がさっき言った最終段階だ。以上で作戦は終了、帰投してくれ」
「……え? それだけか?」
「そうだよ。それだけだ。ま、騙されたと思ってやってみなよ」

 さ、コフィンに入ってくれとロマニに促され、マシュとネロはコフィンに入る。
 他のサーヴァントは守護英霊召喚システムで、カルデアの観測下にあるマスターの許へ送り込められるので、コフィンに入る必要はない。

 レイシフトが始まる。カウントダウンが始まり――ネロの意識は一瞬暗転した。

 そして、彼女達は霧煙る街ロンドンに現れた。

 毒性のある魔霧に包まれた町並みに、アルトリアは険悪な目をするが、ネロを促して早速走り始める。ついてきていたフォウがネロの前を先導するように走っているのが笑みを誘った。すると唐突にアサシンが気配を遮断しながら先行し、暫くすると通信機を通して報告してきた。

『表通りに人影はない。それと、サーヴァントを発見した』
「え、もう!?」
『そちらに向かっている。サーヴァントの進行方向にこちらがレイシフトしていたらしい。お手並み拝見だ、可愛いマスターさん』

 ぶぅっ! ネロは噴き出す。いきなりの可愛い発言に、ネロは笑ってしまったのだ。
 それはそれとして、ネロは考える。どうしたものか、敵じゃないかもしれない――そう考えてる間に、人影を視認した。それは全身を鎧兜で纏めた騎士だった。
 その騎士は駆けてくる数騎のサーヴァントを目撃し、瞠目して剣を構えるも、アルトリアを見るなり驚愕して声を上げた。

「なっ!? ち、父上!?」
「? 誰だ貴公は」

 宝具の効果だろう。彼の騎士の正体を掴みかねたアルトリアは、駆ける足を緩めながらネロの前に出て誰何する。すると兜の騎士は宝具を解除して素顔を露にした。アルトリアに瓜二つな顔を。
 途端、アルトリアの顔が能面のように無表情となる。

「オレ、いや私だアーサー王! モードレッドだ! 父上、どうして貴方が――」
「ネロ! あれは敵だ、早急に撃破する! ランサー、手を貸せ! マシュはネロの守護を頼みます!」
「なぁっ!?」
「いいのかよ……」
「いやいやいやいや」「ふぉーう!?」

 敵じゃなさそうではないか! と。ネロはショックを受けて固まるモードレッドを庇った。






 

 

決着なんだよネロちゃま……!





「な、なぁ! なんで走るのやめないんだ?」
「それ、はっ、ハァ、これが作戦――」
「黙れモードレッド卿。貴公はただ我らの前を走り雑魚を散らしていればいい」

 先頭を走らされているモードレッドは頻りに背後を振り返り、強行軍の訳を訊ねる。
 ネロは走りながらも律儀に答えようとするも、それをアルトリアに制されてモードレッドを冷たくあしらった。

「ネロに余裕はない。無駄に喋らせて体力を削るのは利敵行為だ。道理を弁え役割に没頭するがいい」

 にべもないアルトリアの理論武装にモードレッドは「ぐぬぬ」と呻いた。
 彼女にとって予想だにしていなかった騎士王との再会である。なんとか話をするなりしたかったのだが……嘗てブリテンを治めていた頃よりも、遥かに上回る威圧感に気圧されて噛みつけない。
 こわっ!? 父上が怖ぇ! 逆らったら殺される! ――その確信がモードレッドを無条件に従わせていた。時折り遭遇する人形(ドール)やホムンクルス、竜牙兵を蹴散らすのに専念し、とりあえず落ち着くまでそうしていようと思考を放棄していた。というより敬愛し憎悪し誰よりも焦がれた騎士王の前で、剣を振るえるのは彼女にとっても悪くはない。寧ろ高揚していた。

 そんなモードレッドに、マシュが話しかけた。

「あの、モードレッド卿」
「あ? んだよ楯野郎……って、なんだそりゃ? なんか妙なナリになってんな」
「あっ、ギャラハッド卿のデミ・サーヴァント、マシュ・キリエライトです。よろしくお願いします!」
「お、おう……」

 マシュの生真面目な挨拶にモードレッドは面食らったようである。
 彼女の瞳が汚れ一つない純真なものだったからか、はたまたマシュの特殊な出生を、秀でた直感的本能が嗅ぎ取って親近感を感じたからか。
 なんであれモードレッドはマシュを邪険にはしなかった。

「あの、モードレッド卿はこの特異点にいつからいらっしゃるのでしょうか?」
「そんなの割と最近だぜ。軟弱なガキと優男が他にもいるが……ソイツんとこを拠点に、ロンディニウムを見回ってたんだ」
「なるほど。でしたら――」

 マシュは首肯して腰に巻き付けていた地図を取り出す。走りながら地図を広げたマシュはそれをモードレッドに見せた。

「モードレッド卿は何か違和感というか、異常のようなものを感じた場所はありませんか? あったら教えてください」
「ああいいぜ、っと。邪魔だオラァッ!」

 王剣クラレントを振るい、脇道から飛び出してきた人形二体を一撃で砕く。モードレッドはなんでもないようにマシュの横に戻り、地図を指差した。

「勘だけどな。此処と、此処、此処ら辺がクセェな」
「なるほど、ご協力感謝します」
「おう、どんどん頼っていいぜ」

 ふふん、と得意気なモードレッドである。アルトリアは時折り遭遇する雑兵を蹴散らしながら走るモードレッドに、極めて平坦な声音で溢した。

「マシュ、ネロに地図を。走らねばならない範囲が半減したようです。……モードレッドも偶には役に立つ」
「!? あ、当たり前だ! 何せこのモードレッド様なんだからな! ハハハハハ!」

 息を切らして走るネロに声を出す余裕はない。マシュに見せてもらった地図で、×印がつけられた地点を避けて走る。
 モードレッドはアルトリアの台詞に過敏に反応して鼻高々だ。絶対それ誉めてない奴だよと教えて上げられないネロやマシュである。なにせモードレッドの喜び様と来たら、水を差すのが気の毒なほどなのだ。現にアルトリアの目は氷のように冷たい。クー・フーリンがおどけて言った。

「おいおい、オルタがいやがるぜ。セイバーはどこ行きやがった?」
「ランサー、私は別に黒化し(キレ)てはいない。単に不愉快なだけだ」
「何!? 父上、いったい何が……畜生! 誰が父上を不愉快にさせてんだ!? テメェか!」

 アルトリアの声には常にアンテナでも立っているのか、鋭敏に聞き拾って殺気も露にクー・フーリンを睨み付ける。先頭を走りながらも首を回して、自分を睨んでくる狂犬に彼は苦笑した。

「おう、オレだ。なんなら相手してやろうか?」
「上等だテメェ! 父上を不快にさせる奴はオレがぶっ殺してやる!」
「っ、ダメだコイツ面白すぎる……!」

 立ち止まり剣を構えるモードレッドに、クー・フーリンは腹を抱えて笑ってしまった。ネロも釣られて立ち止まると、アルトリアが冷ややかに兜の騎士を一瞥した。

「誰が止まっていいと言った」
「ヒッ! おおおおお、オレ、じゃない私は父上を不快にさせた奴を叩っ切ろうとしてるだけなのに!」
「貴公ではランサーには勝てん。それに貴様……味方に剣を向けるとは何事だ? 死にたいのか貴様。斬るぞ」
「ひぃっ。な、なんなんだ!? なんで父上こんなにキレてるんだよ!?」
「だぁっはははは! ひ、ひぃ、」

 クー・フーリンが二人のやり取りで腹を痛そうに押さえて痙攣した。どこがツボなのだろう。ケルト的に平和な親子喧嘩にでも見えているのだろうか。
 ネロは両膝に手をついて必死に息を整える。既に一時間は走っているだろう。ネロは頑張った、かなり頑張った。横でコントをされても挫けずに頑張っていた。
 アーサー王と反逆の騎士の因縁について、どうしたらいいのかとネロは悩む。息切れしながらもネロはアルトリアに言った。

「き、騎士王よ」
「はい、なんですかネロ」
「父上!?」

 ネロが呼び掛けるなり途端に穏やかになったアルトリアの変貌に、モードレッドは目を剥いて驚愕した。

「って、なんだテメェ! 父上に対して気安――」
「黙れ」
「はい」

 ネロに噛みつこうとするモードレッドの首に聖剣が添えられていた。ぴたと制止するモードレッドの満面には冷や汗が流れていた。
 そのまま穏やかにアルトリアが自分を見ているのに、ネロは頬を引き攣らせる。

「その、だな……可哀想だからやめてやったらどうだ?」
「……いいでしょう」

 す、と聖剣を下ろしたアルトリアに、ネロは一応態度の緩和を頼んでやる事にした。流石にモードレッドが哀れである。

「あのだな、とりあえず今は味方なのだ、かなーり頑張ってくれておるのだから、モードレッドにもう少し優しくしてあげても――」
「無理です」
「だよねー……」
「諦めんなよ! そこで諦めんなよ!」

 あっさり「無理か~、まあ無理なら仕方ない」と諦めたネロにモードレッドは縋りついた。彼女は感じていた、ネロが押せば父上からの風当たりが緩くなるはずだ……! と。
 ネロはモードレッドの懇願に苦笑いを浮かべ、とりあえずもう少し粘ってみる事にした。

「えー……とだな。無理か?」
「無理です」
「そこをなんとか、な?」
「無理です」
「……シェロは、度量の広い騎士王が好きだと言っていたのだがな……」
「!」

 ぼそりと呟いたネロには、確実に士郎の影響を受けていた。口から出任せな発言に士郎は抗議するだろう。度量が狭くてダメなアルトリアもいいものだぞいい加減にしろ! と。
 しかしアルトリアはびくりと肩を揺らし、苦渋の表情で、苦虫を纏めて百匹は噛み潰したように兜の騎士へ視線を向ける。

 嘆息し、モードレッドに言った。

「モードレッド」
「お、おう!」
「おう、ではなく『はい』でしょう」
「はい!」
「……彼女に自己紹介しなさい。騎士たる者が名乗りもしないとは何事か」
「あ。――オレの名はモードレッドだ、よろしくな!」
「うむ、余はネロ・クラクディウス、よろしく頼むぞモードレッドよ」
「彼女は私の伴侶の盟友、謂わば私にとっても同盟者のようなもの。貴公も礼を示しなさい」
「なっ!?」

 モードレッドは聞き流せないアルトリアの言葉に食って掛かる。

「ちょっと待ってくれよ父上! 伴侶ってなんだよ!? まさかギネヴィア……な訳ないか。どこの馬の骨だ!」
「貴公に関係あるのか?」
「関係あるだろ!? 父上の嫡子であるオレ――」
「――貴公に、関係が、あるのか?」

 赤竜の威圧にモードレッドは口ごもった。こわひ、と。怖い、ではなく、こわひ。騎士でも王でもない類いの威圧感は未知だった。というより、騎士としても王としても、アルトリアがこのような威圧を誰かに向けた所を見た事がない。
 アルトリアは嘆息する。ネロが休んでいる内に簡潔に伝えた。

「衛宮士郎。私のマスターで、剣を預け命運を預かった。昔は頼りなかったが、それでも真っ直ぐな少年で、今は心身ともに肩を並べるに足る知略と胆力を身に付け、互いに愛し合った。謂わば騎士としての私の主である男。これ以上の説明がいるか?」
「な、な、な――」

 ベタ惚れである事を淡々と告げるアルトリアにマシュは複雑そうだった。ムッとして、対抗心を表情に漏らしている。モードレッドは愕然としてしまった。
 そして嫉妬する。敬愛し、憎んだ、己の全てと言えるアーサー王が、自分の知らぬ間にそれほどの信頼と親愛を結んだ相手がいる事に。認められたい、愛されたいと心の底で渇望しているモードレッドには、今のアルトリアは余りにも遠く感じられた。顔も知らない男にモードレッドは嫉妬と憎しみを募らせる。だが、不意にネロが言った。

「なあ、何故にセイバーが『父上』なのだ? 普通は母上なのでは……」
「はあ? 父上は父上だろうが!」
「ふぅむ。ではシェロは『母上』になる……?」
「!?」

 何気ない独語にモードレッドとアルトリアがぴくりと反応した。唐突にアルトリアが微笑みつつモードレッドの肩に手を置く。

「モードレッド」

 優しげな呼び掛けにモードレッドは仰天した。
 いきなりの豹変に度肝を抜かれたのだ。

「シロウはとても素晴らしい人だ。貴公もきっと認められる。だから彼と会う事があれば、シロウを『母上』と呼びなさい」
「で、でも父上、オレの母上は……」
あれ(・・)を母と認める必要はない。私の言う事が聞けないのか?」
「いえ! 聞けます!」

 ――父上こえぇぇ!

 モードレッドは耳元で囁いてくるアルトリアの冷気に震え上がった。
 もとよりアルトリア曰く「あれ」の事は嫌っていた。アルトリアが言うのならモードレッドは従うのも吝かではない。
 というより、アルトリアの言う事にはとりあえず反抗してみるモードレッドだが、今のアルトリアに反抗すれば速攻で物理的に斬られる恐怖を確信していたのである。或いは精神的にか。

 こんなアーサー王、知りたくなかった。モードレッド、心の嘆き。

 ネロは苦笑した。マシュが可愛らしくむくれているのもそうで、シェロは大変だなと。

「よろしい。ならばもし貴公がカルデアに召喚される事があっても歓迎しよう」
「ほんとか!?」
「ええ。……ただし、分かっているな。妙な事をすれば……」
「わわわわわ分かってるよ! 変な事なんかしねえって! だからその変な感じやめてくれよ!」

 反抗期息子(むすめ)モードレッドも、愛の戦士アルトリアには形無しだった。全く反逆できない。騎士と王ではなく、家庭的な面でのヒエラルキーが明確に固定されてしまった瞬間だった。
 ネロがある程度の休息を得ると、再び一同は走り始める。それから暫くすると、アルトリアが呟いた。こっちは行かなくてもいいでしょう、と。おや? とネロは首をかしげつつそれに従う。そして暫くすると、今度は士郎の作戦をマシュから聞いたモードレッドが言う。こっちは行かなくてもいいだろ、と。

 ふわふわとして、曖昧な。しかし確信が籠った断言である。冴え渡るのは未来予知に近い直感とそれに追随する野生の勘だ。
 とりあえず言うことを聞いた方がいい気がするネロに固定観念はない。型に縛られず思うままに動いていた。

 それから休憩を何度か挟みつつ、ネロは本来の予定の四分の一程度を走るだけで済んだ。
 その際に幾つかの不自然な蒸気や、薬品臭い箇所、または魔力の集積した箇所を発見したりしたが――其処に敢えて踏み込まない。場所さえ分かればそれでいいのだ。
 モードレッドの案内で、彼女が拠点としている家に飛び込んだネロ達は、そこで理性的で誠実そうな優男、ヘンリーと。童話作家のアンデルセン、フランケンシュタインの花嫁と出会う。
 彼らに作戦を伝えると、一言。

「うぅ……?」
「は、ははは……それ、卑怯じゃない……?」
「卑怯ではなく卑劣だな。だがそれでいい。楽がしたいからなこちらは。好きにしろ」

 ネロはそこで休ませてもらい、英霊エミヤのくれていた携帯食料を頂く。
 その後、四時間の仮眠を取ってなんとか疲れを落としたネロはサーヴァント達と出動した。地図に幾つかの×印をつけ、その中心地を割り出すとそこに向かう。そこで、ネロは令呪を使った。
 アルトリアの聖剣が唸り、轟く。瞬間、地下にあった空洞を貫き、大規模な魔力炉を発見する。驚愕しこちらを見た男は、冬木で見た少年に似ているような気がしたが。
 彼が何かを言う前に。何かをする前に。これまでずっと気配を遮断していた切嗣が仕掛ける。

「『時のある間に薔薇を摘め(クロノス・ローズ)
 『神秘轢断(ファンタズム・パニッシュメント)』」

 男の背後に音もなく着地した切嗣の襲撃。それは男の心臓を貫き。襟首を素早く掴んだ切嗣が虚空に放り投げる。
 そこへ、

「『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)』」

 驚異的な修復力で再生せんとする男の心臓を完膚なきまでに破壊する光の御子の魔槍。
 魔力を発揮しようにも、『神秘轢断』でまともに使用できないまま即死し。万が一に備えて、追撃が入る。

「『我が麗しき父への反逆(クラレント・ブラッドアーサー)』!」
「『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』!」

 邪剣と聖剣の真名解放が骸を完全に消し飛ばす。聖杯を使いなんらかの儀式を行っていたのが中断され、地に落ちた聖杯をマシュが回収してネロに向けて言った。

「ミッション完了です、ネロさん!」

 余りにも慣れた様子のマシュの、純真無垢な声にネロは顔を引き攣らせた。これはひどい、と。フォウが慰めるように鳴くと、モードレッドが可笑しそうに笑った。この作戦考えた奴、ぜってぇ性格悪いだろ! と。



 所要時間、実に十八時間。過去最短の特異点攻略であった。






 

 

全力疾走だね士郎くん!






「は……?」

 俺は目を白黒させる。此処はどこだ? 咄嗟に辺りを見渡した。
 見渡す限りの荒野。空には光の帯のようなものが幾つにも重なった、これまでの特異点で見慣れたものがある。兎にも角にもカルデアへ通信を試みるも、それは途絶えていた。
 どういう事だと愕然とする。だがしかし、彼方に一個小隊規模の軍勢があるのを目視で捉えた。

 それは、鎧兜で身を固めていた。

 槍と楯。逞しく筋骨に秀でた体躯と豊かな髭。
 その姿は知っていた。他ならぬ俺のサーヴァント、クー・フーリンの過去を夢で見た事がある。
 ケルトの戦士だ。勇猛無比な戦士団である。

「は、ぁ……? いや、なんでさ……」

 事態を把握する。なるほど此処は別の特異点かと。カルデアと通信が取れないのは、此処が第四特異点ではないから、第四かそこらが障害となってまともに連絡が取れなくなっているのかもしれない。だが意味消失だけは免れているという事は繋がりだけは残されている。
 なら通信が繋がらない状況も、前の特異点を攻略すれば無事に繋がる可能性はある。それどころか俺がレイシフトしたままなのだから、即座に座標の特定も出来るだろう。何者の仕業か……レフだろう。舌打ちをして空を仰ぐ。

 嘆きを殺し、不満を殺し、状況に適応する精神状態に切り替える。
 カルデアとの繋がりはない。アラヤ識による貯蔵魔力もない。令呪はなく、サーヴァントもおらず。改造カルデア戦闘服も破損したまま。魔術回路は限界。
 一刻も早く休息を取らねばならない状態だ。

 そしてサーヴァント召喚は出来る気配がない。カルデアとの繋がりが復活しない限り、カルデア式のサーヴァント召喚は不可能だろう。令呪が復活するかも分からない。
 だが……俺の手元には魔神霊から回収した聖杯がある。これがあれば――いや駄目だな。奴の核になっていた聖杯に気を遣う余裕はなかった。その弊害だろう。聖剣か魔槍によって聖杯は破損し、それ自体の魔力含有量が5%程度に低下していた。

 これではただの魔力電池にしかならない。英霊召喚は不可能だ。つまり俺個人のゲリラ展開である。慈悲はなかった。
 なんであれ電池は大事だ。機会があれば魔力の貯蔵も出来るかもしれない。出来ずとも使い道はある。聖杯は破損しているから、5%以上魔力を貯める事は出来ないが、逆に言えばその5%は使っても減る事はない。「最大MPが九割五分削られた状態での無尽蔵」とでもいえば分かりやすいだろう。

 状況は絶望的だ。

 だが――絶望(そんなもの)は慣れっこだ。こんな程度で心が折れていたら、俺はとっくの昔に死んでいる。援軍のあてがあるだけカルデアに来る前、バゼットやシエル、エンハウンスと組む前よりも遥かにマシだと言えた。
 腕に巻き付けてあるカルデアの通信機、それに内蔵されている時計を見る。日付と時間を確認、時計を合わせ、タイムを計る。
 壊れた聖杯にパスを通す。昔はこんな真似も出来なかったなと懐かしさすら感じた。魔術の腕が飛躍的に向上し、遠坂凛の爪の垢ぐらいの腕にはなれたかもしれない。

 ケルトの戦士団は十二名。一個小隊。魔力は破損聖杯でなんとかなるが、それを通す魔術回路はオーバーヒートしている。宝具の投影は不可能。したら自爆する。体のキレも疲労のため鈍い。単独ですらケルトの戦士は死徒の半分程度の戦力はあるかもしれない。それが十二名……。

 撤退だな。どう考えても圧殺される。今の俺だと二人道連れに出来れば上等でしかない。幸い奴等は俺にはまだ気づいて――

「――」

 ケルトの戦士団、その進行方向に、難民のように逃げ惑う人々を見つけた。
 おい……と呟く。まさか、と。
 俺に気づいていないのは、それ以外に獲物がいたから……?
 待て。待て。彼らを殺す気か? 欧米人らしき人間が多数。数は二十七名。中には軍服を着た軍人もいる。しかし脚が折れているのか、松葉杖をついていた。手には施錠式銃……1775年頃に普及したライフルだ。貧弱極まる武器しかない。
 軍人はたったの三名。内一人は脚を、別の軍人は腕を、無傷なのは一人。装備は劣悪、守るべき人間が二十四名。とても戦えない。
 ケルトの戦士達が楯を鳴らして閧の声を上げながら突撃していく。既に逃げる気力もないのか、へたりこむ男女がいる。全てを捨てて逃げ出そうとする者も。軍人達は……せめてもの抵抗か、必死になって叫び、とにかく難民達を逃がそうとしていた。

「……!」

 どうする、どうする、どうする――? 今行けば俺は死ぬぞ。
 死、ぬ……? 死ぬのか、俺は。
 死ぬのは嫌だ、殺されたくない。まともに戦える体力もない。そもそも今の俺は左目が見えていないんだ。それに対応する訓練も積んでいない。どうする? 撤退するべきだ、彼らを見捨てて。だが……それでいいのか……?
 は。決まってるな……そんな真似をしてみろ――命は永らえても、男として死んだも同然だ(・・・・・・・・・・・)

「保ってくれよ、俺の体……! 投影開始(トレース・オン)!」

 灼熱が全身を駆け巡る。呻き声を噛み殺して、なんとか最低限度の武装を投影した。
 狙撃銃、デザートイーグル、弾丸。そしてナイフ。宝具ですらないただの武器。それですら固有結界が暴発してしまいそうだった。剣が皮膚の下でギチギチと鳴る。吼えた。痛みから目を逸らして、精神力だけで魔術行使の失敗による死の狭間に飛び込んで、死に物狂いで回路を制御する。
 雄叫びでケルトの戦士達がこちらに気づく。ああもうだめだ、死んだ、なんて莫迦を仕出かしたんだこの莫迦が、俺の命は俺だけの物じゃないのに、愚か者が、戯けが、だが本当にどうしようもないのは――この選択に後悔がまるでない事だ。

 狙撃銃でスコープも覗かず立射する。強化の魔術を全身の毛穴から血を噴き出しながら使用し、無理矢理に衝撃に耐える。ケルトの戦士が楯を掲げて頭部を守った。弾丸が楯に止められ火花が散る。着弾の衝撃を腕一本で支えきったようだ。
 化け物らしい。ケルトの戦士とやらは。苦笑いするしかない。遠距離からの銃撃が意味を成さないなら、近距離から直接弾丸をお見舞いするしかなかった。

「――何をしている!? 走れェッ!」

 目を見開いてこちらを見る人間達に怒鳴る。彼らはハッとして、俺の意図に気づいてくれた。
 長身の軍人が敬礼し、仲間達を連れて走り出した。そちらを狙い、槍を投げようとするケルト兵を狙撃する。ケルト戦士は逃げる連中ではなく、噛みついてくる虫けらを殺す事にしたらしい。猛然と駆け出していた。

「……ハッ」

 狙撃銃を捨て、消す。走り出した。全力で駆けた。十二名とも俺を追っている。そうだ、それでいい、格好いいだろ? 何せお前らが唯一恐怖した戦士、クー・フーリンのマスターだ。そりゃあ追い掛け回したくもなるだろうさ。サインでもやろうか。

 とんだチキンレースだ。追い付かれたら死ぬ。槍が投げられてきたのを、振り向き様にデザートイーグルで撃ち落とす。そしてまた逃げる。ははは、実はアーチャーの奴と違って、俺は弓より銃の方が得意なんだ。追い付いてみろ、その時はせめて六人は道連れにしてやる。
 ジリジリと距離を詰められていく。早くも息が切れ始めた。勘弁してくれ、こちとらヘラクレス野郎と魔神霊と戦った直後だぞ。ギリシャの次はケルトか。ならこの次はインドか? ウルクか? エジプトか? このさい全部乗せでもいい、纏めて面倒見てやるさ。

 林を見つける。枯れた木々、その先には何も見えない。畜生が、ここを俺の墓場にしろって? いいだろう、墓標には「最高にクールな男、ここに眠る」とでも書いとけよ。頼むぞケルト野郎どもがッ!

「……!」

 林とも言えないまばらな木々の乱立する場所。そこに飛び込み、俺は即座に戦闘服を脱いだ。ケルト戦士達の死角に入るなり、全身に砂塵のような泥を被る。塗りつける。
 気休め程度のペイントだ。なんの効果もない。だが辛うじて地面には段差がある。窪みがある。地に伏せて匍匐で移動する。その前にカラのマガジンを投影して、吐血し、それを明後日の方へ放り投げる。
 急げ、急げ! 辛うじてケルト戦士達が林に入る前に、元の場所から五メートルは離れられた。
 あちらこちらに目を走らせ、むさ苦しい髭面どもが俺を探している。さあどうする俺、此処からどうやって切り抜ける。考えてる暇はない、俺の血の跡に気づいた戦士が一人、それを辿って近づいてくる。二メートルまで来た瞬間、俺は明後日の方に投げていたマガジンを炸裂させた。情けない『壊れた幻想』だ。ハッとしてそちらに戦士達が目を向けた瞬間に跳ね起き、強化した身体能力で直近のケルト戦士の背後を取る。口に手をあて声を封じると首をナイフで引き裂き、ソッと地面に横たわらせて素早く駆け、気配を察して振り向いたケルト戦士の眼球にナイフを突き刺す。無骨なナイフが深々と突き刺さり脳を破壊した。

 残り十名。全員が武器を構える。躍り掛かってきた。ナイフを逆手に持って、左手で銃を撃つ。楯で防がれた。三人の戦士が同時に槍を突き出してくるが、連携は取れていない。それぞれが己の武力に恃んだ原始的な戦い方――
 なら活路は、ある。
 飛び退いて槍の間合いから逃れ様、消えていこうとするケルト戦士の骸が握っていた楯を蹴りあげる。――消える? やはりサーヴァントの宝具か何かで召喚されているのか。なら近くに敵サーヴァントが? いや今はそれどころではない。
 蹴り上げた楯が砂塵を散らしながら一人のケルト戦士の視界を塞いだ。咄嗟に頭と胸を楯で隠して庇った所を狙い、左膝を撃ち抜く。くずれ落ちて膝をついた戦士目掛け、隙を晒したのを見抜いた俺はターゲットにナイフを投げた。
 喉仏に命中。これで三人。後九人……。

「ヅッ、」

 腹部に槍の穂先が突き刺さっていた。体が硬直する。その隙に左肩にも槍が刺さった。体を捻らなければ心臓を抉られていただろう。
 敵が槍を引き抜こうとするのに、俺は暴走しかけている固有結界の制御を緩める。剣の切っ先が皮膚の下から顔を出した。そして俺の体に埋まっていた穂先を無数の剣が塞き止める。槍が、抜けない。
 驚愕した戦士達に、至近距離から銃弾をプレゼントした。楯で守られなかった膝、次に胴、そしてがら空きとなった頭。撃った端から弾丸を直接銃の内に投影しているからリロードもなく連射が出来る。更に二人、後七人――

 囲まれていた。背後から槍が四本突き立つ。皮膚の下を暴れる剣に遮られても浅く突き刺さっていた。ぐ、と呻く。正面から一人の戦士に袈裟斬りにされた。槍では穿てないと即座に判断したらしい。ご丁寧に死角の左側から来られた。
 だが、浅い。剣閃も槍ほどの威力はないのに、剣の鎧を突破出来る道理もない。自分から踏み込んで指を戦士の目に突き込んだ。眼球を潰す。眼窩に指を引っ掛け引きずり倒し、そのまま首に膝を落として圧し折った。

「ゴ、ガッ、」

 今度も左側から。感触からして楯か。もんどり打って倒れると馬乗りになられる。六人は倒したが、ここらが限界なのか……? 楯が顔面に振り下ろされてくる。
 斬撃、刺突が駄目なら打撃か。一度。二度。三度。なんとか躱すも、四度目、五度目、六度目と直撃していく。

「ゥ、……グッ」

 意識が朦朧としていく。視界が血で染まっていく。その間にも何度も楯が顔面に振り下ろされていく。何度、殴られた……? 動けない……。
 まずい、意識が、落ち……



『  』



 遠い理想郷に、微笑む少女の姿を幻視した。

 ……まだ……だ。

「――まだ――俺は――死ねないッ! 死んで堪るかァァアアッッッ!!」

 俺の意識が落ちたと油断した戦士が、大振りにトドメの一撃を振るうのを掻い潜る。腰が微かに浮いていたのだ。カッと右目を見開き、地面を蹴ってケルト戦士を跳ね退ける。そして腹を蹴りつけてマウントポジションから脱すると、楯を取り落としていた戦士の眉間に銃撃を浴びせる。
 これで、七人……。

「は、……はっ、は……」

 枯れ木に背を預ける。油断を消し最後の五人が包囲してにじり寄ってくる。
 ……腕が上がらん。指から銃が滑り落ちた。まだ戦える、噛みついてでも殺してやると睨み付けた。一瞬、ケルト戦士達がたじろぐ。おいおいどうした幽霊でも見た面しやがって。

「何ビビってやがる……来い、掛かって来いッ! お前ら如きに俺が殺せるかァッ!」

「――いいえ。後は僕に任せてください」

 眼前に、赤毛の少年が突如現れた。俺は目を見開く。忍装束を纏った少年は、背中越しに俺を振り向いた。

「……鬼気迫る奮闘、お見事でした。この風魔小太郎、義によって助太刀致します」

 俺は笑った。なんて悪運だ、なんて運命だ、ああいや、最高のタイミングだよ。

「ああ、頼む」
「ええ。では――風魔忍群が長の力、篤とご覧あれ!」

 一陣の風となってアサシンのサーヴァント、風魔小太郎が馳せる。
 ――それが、極短い間の付き合いとなる忍との出会いで。
 数多の死に彩られた血戦の序章、その一部だった。






 
 

 
後書き
諸君らの、そして私の愛した挿絵は消えた! なぜだ!?
前のスマホに入ってたそれらを、今のに移すのを忘れてしまっていたからさ…。なお前スマホ行方不明。 

 

お休みなさい士郎くん




「刃にてその心を断つ。残念ですが、慈悲はありません」

 ものの一分で、俺があれほど苦戦したケルト戦士を一掃した少年が血振りをする。苦無型の短刀にこびりついていた血が払われ、少年はこちらを振り返った。
 十代半ばほどの外見だ。赤い髪、赤い瞳の忍。彼は俺が満身創痍なのを見て、気遣わしげに声を掛けてきた。

「大丈夫……ですか?」

 彼の問いに苦笑して、地べたに座り込む。全然大丈夫ではない。しかし俺は弱音よりも、感謝を伝えるのを優先した。

「いや……どうかな。それより助かった。ありがとう」
「いえ、サーヴァントとして当然の事をしたまでの事です。あれらケルトの者らは僕にとっても敵ですから」
「そうか……俺は衛宮士郎だ。出来ればよろしくしてくれ」

 そう言って座り込んだまま手を差し出すと、彼は一瞬きょとんとして、微かにはにかみ手を握り返してくれる。
 本当に気のいい少年らしい。忍とは思えない、というのは侮辱か。苦無捌き、使用した忍術、体捌き、気配遮断。どれも見事で彼が姿を表すまでまるで気づけなかった。このアサシンは間違いなく一級か、それ以上のアサシンだ。いや忍者だ。

「こちらこそ、よろしくお願いします。では改めて名乗ります。僕はアサシン。風魔忍群五代目頭目、風魔小太郎です。見たところマスターのようですが……ご随伴なさっているサーヴァントの方はいらっしゃらないのですか?」
「いや……それがな」

 俺は彼に説明した。カルデアの者である事。第三特異点を攻略したら、敵方の仕掛けでこの特異点に転移させられた事。疲労困憊の状態だった事。サーヴァントもいない単独である事。
 彼は無言で聞き、そして頷いた。俺を疑う素振りはみせていない。信じるに足ると判断してくれたようだ。

「……なるほど。大変でしたね。ならばこれより先は、この風魔が貴方をお守りしましょう」
「すまない。ありがとう。本当に助かる。頼りにさせてもらうぞ、アサシン」
「はい。よろしくお願いします、カルデアのマスター殿。それと僕の事は名前でいいですよ」
「分かった。仲良くゲリラしよう、小太郎」

 ははは、と小太郎は快活に笑った。冗談だとでも思ったのか。
 片目を前髪で隠し、インドア派のような穏やかで気弱そうな風情だが、こんなふうに笑えるのなら上等だ。彼の肩を借りて立ち上がると、そのまま歩き出す。
 何処か行く宛があるのかと訊ねると、無いと答えられた。なんでも小太郎も召喚されて数日しか経っておらず、まだ他のサーヴァントにはお目に掛かっていないらしい。いたのは問答無用で襲いかかってくるケルト戦士ばかり。そして、無辜の民草を虐殺する姿ばかりを目撃していたと。
 それを塞き止める為に単独で奮闘していたが、そろそろ単騎での活動には限界を感じていたらしい。仲間を求めて彷徨っていた所、銃声を聞き駆けつけてくれたようだ。

「しかし最低限の情報は入手してあります」
「土地名、時代、敵と現地の勢力か?」
「ご賢察です。ここは北米、年代は西暦1782年で、敵はケルト戦士です。残念ながら敵首魁は不明ですが……現地のアメリカ軍は頑強に抵抗しています。指揮官はジョージ・ワシントンだそうです」
「……アメリカ独立戦争終結の一年前か。なるほどな、アメリカが独立出来なければ人理は崩壊する。特異点化には持ってこいという訳だ」

 だが些か腑に落ちない。アメリカの独立を阻むのが魔神柱の目的ならば、どうして無辜の民を虐殺している? もっと別に合理的な手段はあるだろう。敵サーヴァントの暴走か?
 情報が無さ過ぎる、今は考えても無駄か。
 それよりも今は猛烈に疲れた。怪我の応急手当は小太郎がしてくれたが、とにかく休みたい。手当てだって足りてない。魔力を使わずに済ませたかった。

 小太郎がいつの間にか俺を担いでいた。疲労から意識が朦朧としていたら、彼は急いでとりあえずの拠点に連れて行ってくれたらしい。西部劇であるような、閑散とした町だ。人気はない。
 聞くと、どうやらここの住人はケルトどもに皆殺しにされたようだ。生き残りはいなかったと。小太郎はケルトどもを倒し、ここを拠点としていたようだ。食料や水、小さな町医者の医院もあったが、どこか侘しい。
 包帯やら何やらを巻いてくれる。介護されてるようで恥ずかしいが、本当に何もする気になれないので甘んじて受け入れた。食料も簡素ながら料理してくれて、提供してくれる。ほんといい子だな小太郎……。
 それから、寝た。只管に寝た。魔術回路も通常の状態に戻っていく。その間何度かケルトどもが襲撃して来たが、全て小太郎が撃退してくれた。俺には休んでいてくださいと言って。労う為に料理を振る舞うと、泣いて喜んでくれた。おいおいと苦笑する。英霊は腹ペコばかりなのか?

 ……二日が経った。

 何度も故障を疑ったが、通信機の表示する時間はまだ一時間も過ぎていない。どういう事だ? まさか時間感覚が狂っているのだろうか。念のためリハビリがてらに宝具を多種投影し、自身の状態異常を解析したり、解除してみようと試みたが何も変調はない。体の新陳代謝も正常なペースで進んでいる。
 体、魔術回路、共に解析して正常。かといってカルデアの通信機が示す時間は異様なまでに遅すぎる。嫌な予感がした。俺に異常がなく、多機能型の通信機も故障していないなら、おかしいのはそれ以外という事になる。
 日に十二回、通信を試みたが応答はなかった。……精神を統一し、世界の異常を感じ取ろうとするも、なんとなく薄い膜に包まれている気がした程度。広大極まる範囲を結界が覆っている……? そんな曖昧な感覚だ。気のせいかもしれない。漠然とした不安を覚える。

 ――まさか。いや、そんな訳はない。

 自分に言い聞かせる。

 それよりも気にしなければならないのは、現実に直面している危機だ。
 体力は戻った。魔術回路も平常に回復した。しかし隻眼のハンデはまだ克服出来ていない。そこで俺は小太郎に頼んで、彼と軽く立ち合った。勝負ではなく、単なる感覚のすり合わせだ。
 包帯で左目を覆っている。病気になるのは御免だから、水や食料にも細心の注意を払っていた。後清潔にするのも基本である。

 小太郎は執拗に死角から仕掛けてくる。丁寧に上段の袈裟から、下段の足払い、胴払いをします等と声に出しながら。それを干将莫耶で凌ぎながら、徐々に声掛けを無くしつつ、それに対応出来るように感覚を合わせていく。
 そして、更に三日が経った。……カルデアの時計は未だに一時間も経たない。自分の状態の解析と解呪、通信の試みが日課になっていた。応答はない。異常もない。それが異常だった。

「――それにしても、主殿は僕と同郷の方だったんですね」
「なんだ今更?」

 五日も同じ釜の飯を食い、何度も立ち合って、語り合ったりしていると、小太郎ともすっかり親しくなれていた。
 彼とは正式に主従関係となった。パスを繋いで魔力を供給している。破損聖杯から俺に、俺から彼に魔力が流れる形ゆえに負担はない。宝具を使われるとほんの少しだけ負荷がある程度だ。
 この感じだと、燃費のいいサーヴァントなら五騎、俺自身の魔力も回して無理をすれば七騎契約出来る。燃費の悪いトップサーヴァントなら二騎で、無理をして三騎だ。破損しているとはいえ流石は聖杯である。これがなければ小太郎だけで契約は限界だった。
 小太郎は優秀だ。スキル、ステータス、宝具、技量、コストパフォーマンス、思想、性格。まさに理想のアサシン、もとい忍者だ。その破壊工作の技能で、一度はここに押し寄せたケルト軍の軍勢を壊滅状態にしてしまったのである。戦闘もなく、破壊工作だけで。

 出会ってから五日、その日の夕方の事だった。俺の感覚の擦り合わせの手伝いを終えると、小太郎は何気なく言った。
 大方の感覚の擦り合わせも終わった。恙無く左側からの攻撃にも対処できるようになれた。寧ろ以前より感覚が鋭くなっているかもしれない。

「主殿はその、日本人離れして長身ですし、肌の色や髪の色も特異ですから。衛宮士郎と名乗られた時は素直に驚きました」
「それを言ったら小太郎もな。赤毛に赤い瞳、そして白い肌。日本人離れはお互い様だろう」
「はは。この赤毛は、異国の出身の証なのでしょう。父もそうでしたから。それだけでなく……僕は他にも、試行錯誤の末に生まれた子供のようです。人のような、そうでないような、人でなしのような――そういう存在です」
「へぇ。でも小太郎は小太郎だろ。自分が自分を定義してる通りに在れてるなら、生まれなんかどうだっていい。お前は風魔の小太郎だろう? 外見とか血とか生まれとか、些細な問題だ」
「……」
「どうした?」
「いえ……。……主殿は、その……あまり、えばらないのですね。あ、いえ、威厳がないとか、怖くないとか……そういう意味ではなくて、大変……お仕えしやすいです」

 なんだコイツ。純真か。思わず頭を撫でてやると、擽ったそうにしながら慌てていた。
 なんだコイツ。純心か。思わず心が洗われる。こんな忍者に仕える主認定された奴は幸せだな。という事は俺は幸せ者か。
 ……カルデアとの通信は繋がらない。一応、第四特異点の攻略指南書はデータに纏めて、カルデアに送信してみるが、やはりなんの手応えもないまま。

 ……。

「そろそろこの町を出よう」
「はい、そうですね」

 長居しすぎた。俺がそう言うと、小太郎はあっさり同意してくれる。

「訳は聞かないのか?」
「はい。雇われたからには、お仕えします。それにこれ以上はケルトの侵攻を防ぎきれません。更なる大軍が差し向けられるか、敵サーヴァントに襲撃される恐れがある。こちらから仕掛けるのはいいにしても、敵から仕掛けられるのは面白くありませんから」
「……」

 思考停止して諾々と従うだけでなく、自分の頭でも考えてくれている。……やはり忍者はプロ意識の高いサーヴァントだった……?
 最優の称号がセイバー、最速がランサー、最強がバーサーカー(ヘラクレス)なら、最高はアサシンかもしれない。最高のアサシン、と本当は呼ばれるべきだ。切嗣もアサシンだからな。

「よし。なら荷物を纏めてさっさと出よう。その前に、」
「破壊工作していきますね。僕達が立ち去った後に来たケルトを壊滅させるために」
「……」

 忍者、最高だ。俺は無言で頷き、これまでちまちま投影していた宝具爆弾を小太郎に渡す。
 小太郎には俺の能力も伝えている。わあ、便利ですね、が彼の感想だ。凄くシンパシーの湧く感想だった。小太郎は各所に投影宝具を設置し、忍者としても罠を幾つも仕掛け、更には忍術で幻や落とし穴など多数の置きお土産も残した。
 日が暮れる前に無人の町を出る。嚢に纏めてある荷物を背負い、俺は切り立った丘まで来ると、町にケルト戦士が来るのを待つ。そして日没を迎えて暫くすると、総勢百のケルト戦士が夜襲に来た。町に入ったのを視認し、小太郎の罠にケルトどもが掛かるのに合わせ、投影宝具を爆破する。掃除は完了だ。小太郎と拳を合わせる。
 小太郎少年は、気恥ずかしそうに微笑んだ。

「僕は人でなしかもしれませんが……それでもいいと今は思えます。ありがとう。今は貴方という主の為に……自分の全てを使いたいと思います」
「バカか。そういうのは、もっと後に言え。まだまだこれからだぞ、俺と一緒に苦労するのは」
「……はは。ええ、共に艱難辛苦を乗り越えましょう、主殿」

 戦果を確認して歩き出す。目指すは更なる情報収集、更なる仲間の獲得、更なる……。

 ……。

 ……ふと、空を見上げる。光帯の真ん中にある月と、無作為に散る星々を。
 俺はカルデアに通信を送った。

 応答はなかった。時間は、まだ三十分も過ぎていない。















-

 

 

地獄の門へ (上)




「ゲリラ戦をする」

 なんでもないように俺は言う。小太郎にも異論はないようだ。
 だが俺としては甚だ不服な愚策でしかない。
 そもゲリラ戦術に於いて必要なものは何か。それはざっくり纏めると三つである。

 一つ、現地の人々の厚い支持と協力。この協力というのは、物資や情報の支援、戦力の安定的供給を意味する。
 生憎と生存者は、今のところ特異点に転移させられてすぐの二十七名しか見ていない。生き残っている人々がいれば支持は得られるだろうが、ケルトどもは基本的に生存している人間は鏖殺しているようだ。
 よって支持を得ようにも、現地の人間が鏖にされているか、される時点で支持は意味がない。民間からの協力もあてにならない。

 二つ、敵に発見されていない、もしくは発見されても攻撃される恐れのない安心と安全の拠点。後は最低限度の兵数が必要である。
 俺の言う攻撃対象にされない拠点というのは、何も堅牢な城塞ではない。武器庫、食糧庫、兵舎と病院などを備えた後方基地である。帰る家があるというのは精神衛生上なくてはならない物だ。またゲリラ戦とは基本的に多数に対する少数での非正規戦である為、敵側から捕捉される=死が決まる。なので常に移動し続けるのが鉄則だ。
 後方基地もキャンプ地として、移動能力を備えていなければならない。またキャンプ地は敵側から送り込まれてくる戦力が最小限に留まる立地であるのも条件の一つだ。現代のゲリラ兵は遠方から目的地に侵入し、爆発物を敵拠点に仕掛けてさよならバイバイが基本的な戦術だが、とても誉められた行為ではなかった。

 そしてゲリラ戦術と聞いて勘違いしてはいけないのは、森林地帯などに潜伏して多数の正規軍を攻撃する事だけではない事だ。それだけに専念した場合だと敵軍勢に対して出血を強いるだけで、戦略目的を達成するのは到底不可能である。
 それに繰り返すが、ゲリラ戦術をする以上は常に移動し続けないといけない。「この山、もしくは森林地帯にゲリラがいる」と正規軍に露見した場合、総戦力をわざわざ小出しにしてはくれないもの。一旦部隊を下げ、軍隊なら空爆なり砲撃なりで周囲一帯を綺麗に耕した後に大部隊で総攻撃をしてくる。敵がサーヴァントで対軍なり対城なりの宝具を持ってるなら山に入らず薙ぎ払ってくるだろう。山に篭る、一ヶ所に留まるのは、あくまで敵に奇襲で殴り付け、一撃離脱よろしくサヨナラするまでの間でなければならない。
 そもそもゲリラ戦術の極意とは「守らない」事である。徹底して攻め、逃げ、攻め、逃げる。守るべきものは全て捨てる。そうでなければゲリラは破滅するのだ。よく映画などでゲリラが無双しているが、あんなものはフィクションでしか有り得ない。

 そして三つ目。これが一番大切だ。ずばり敵対勢力が手出ししない・出来ない支援者である。
 武器弾薬、医療器具、食糧、人員……それらは畑で採れるものではない。敵から略奪するにも限度があるし、故にこそそれを供給してくれる存在がいなければならない。ずばり必要なのは金だ。これがなければお話にもならないのである。

 そもそもの話、ゲリラの究極的な目的とは、決して覆す事の出来ない劣勢の中で、敵対勢力から如何にして譲歩を引き出すかだ。
「もうお前らの相手は疲れた。要求を言え」と言わせられたら漸く勝利である。しかしゲリラは、敵対勢力からすればテロリストでしかない。敵からすれば「もう我々が勝っているのに、なんでこんな真似をするんだ?」と困惑してしまう訳だ。
 だからわざわざ要求を訊かないし、訊いて調子に乗られても面倒だし、「テロには屈しない」などと言われて擂り潰される。それらの強固な姿勢を打ち崩すほどの活躍をゲリラがすれば、一躍国際テロリストの出来上がりで、色んな国から袋叩きにされ駆除されるのが関の山だ。
 よしんば要求を訊いて貰えたとしても、裏の世界で密かに始末されて「何もなかった。テロリストどもは我々の欺瞞情報に掛かり全滅した」と喧伝されるわけである。

 つまりゲリラは最初から負けているのである。負けているからゲリラをするのだが。

 とまあ、察しの通り、俺はゲリラ戦術に必要な三点の要素を全部満たしていない。
 拠点はなし、支援者なし、現地の協力なし。頭数は俺と小太郎だけ。水を含めた食糧は最小限。敵勢力の頭目も不明。現地勢力とのコンタクトも取れていない。おまけに今後の展望も何もない。唯一の救いは、武器に関しては投影で割となんとかなる事ぐらいだ。
 これでゲリラをするとなったら、目的は一つしかなくなる。それは如何にして敵勢力へ嫌がらせをするか、だ。

「先程フライガイザーの間欠泉を見た。という事は此処はネバダ州という事だ」

 ネバダ州とは砂漠気候と亜乾燥気候帯に大半を占められたアメリカ西部にある州だ。
 夏場の最高気温は五十度を超え、冬の夜はマイナス四十度を下回る。州の大半が砂漠地帯である故に農業は振るわず、利点は豊富な鉱産資源だが今の時代はまだ鉱脈は発見されていないはず。なら乾燥地帯故に疫病が少ない事ぐらいか。
 現代ならいざ知らず、今はアメリカ独立戦争も終わっていない時代だ。ネバダ州の人口は少ないだろう。

「人が少ない、砂漠地帯、おまけに夜が厳しい冬が近い。これだけで移動の理由としては充分だ。現代っ子の俺は冷暖房の効いた温室じゃないと落ち着けないんだよ」
「はは、僕も出来れば部屋でゆっくりしてたいです」
「つくづく気が合うな小太郎」

 微妙な表情で笑い合う。ところでお前の使う忍術がまるで理解できない俺は頭が悪いのか。
 魔術、呪術、陰陽道……どれも違う異能臭い。俺もニンニン言いながら術を使いたいが無理だろう。

 気を取り直して話を続ける。

「目標は道中に逃げている人間がいれば保護し、ケルトがいればゲリラして嫌がらせし、人の多い町に行って情報を得る。全てはそこからだ。ゲリラに関しては『嫌がらせ』に終始して絶対に欲張らん。どんなに好機でも一撃を加えたら即離脱。これを徹底するぞ」
「拝承しました。僕は生憎とこの国の地理には疎いので、お詳しい様子の主殿に行き先はお任せします」
「そうだな。じゃあ北進しオレゴン州を通って、ワシントン州に行こう。ジョージ・ワシントンがケルトを相手に徹底抗戦しているんだよな?」
「はい。主殿と会う前に助けた軍人から聞きました」
「……ワシントンは1781年、つまり去年の事だな。彼はその頃はバージニア州ヨークタウンを包囲し、イギリス軍を降伏させアメリカの独立を抑える試みを終わらせている。ケルトが何時何処に出現したかは不明だが、彼はバージニア州かその近隣の州にいると見ていい。アメリカ軍……今は大陸軍か。この頃のワシントン州は、まだその名ではないが……人口は多く人種も部族も多様だ。多角的な情報を入手出来るだろう。ケルトがやらかしてくれてなければな。道中で得られるかもしれないなんらかの情報で、危険と判断できれば目的地は変更する」

「高度な柔軟性を保持しつつ臨機応変に動くという事ですね」
「高度な柔軟性、臨機応変。いい言葉だ」
「ははは」
「はははははは」

 笑うしかない。

 一人で出来る事は多寡が知れている。一刻も早くサーヴァントを集め、現地勢力と協力体制を作り、ケルトを撲滅しなければならない。
 変化球でケルトが実は魔神柱へのカウンターである可能性も微粒子レベルで存在するがそれは無視して叩き潰す。

 大陸軍と合流するのが最もいい手だが、生憎と物理的に遠すぎる。燦々と照る砂漠を歩きながら今後の事を考えつつ、砂漠の歩き方を思い出していた。
 傍らには、何故か霊体化しない小太郎。冬は近いはずなのに、日差しは強い。夜になれば零度近い気温になるのはこの五日間で分かっていた。ちらりと時計を見る。

「……」
「……あの、主殿」
「……ん? どうかしたか?」
「何か、愁いがあるのですか? 顔色がよくありませんが……」
「……いや。別になんでもないさ」

 背負った戦闘背嚢(バックパック)の位置を直しながら、俺は苦笑した。そう、なんでもないのだ。しかし小太郎はそう感じなかったらしい。やや遠慮がちに、懐から妙なものを取り出す。
 手拭いだ。丁寧に折り畳まれている。

「……気休め、ではなくて。えっと……慰め、でもなくて」
「……なんだ。落ち着け」

 微妙に照れ臭そうな小太郎が可笑しくて、頬が緩んだ。小太郎は誤魔化すように咳払いをして、四角く畳んでいた手拭いを広げる。
 その中にあったものを見て、俺は右目を見開いた。――それは『眼帯(アイ・パッチ)』だった。
 黒く鞣した革の帯である。いつの間に作っていたのだろうか。左目を覆える形に仕上がっていたそれを、俺の方に差し出しながら、小太郎は蚊の鳴くような声で言う。

「特になんの呪的な意味も、魔術効果もありませんが、それでもその、カッコイイと思います!」
「……は?」

 呆気に取られた。カルデアからアイリさん辺りが来れば、左目も修復出来る。というかアルトリアが傍に来ればそれだけで『全て遠き理想郷』が左目を治してしまえるのだ。だから眼帯なんて包帯でも構わないと思っていたのだが。

「主殿はその、なんというか風格がありますから……似合うと思うんです、これ」
「……」
「着けてみてください!」
「あ、ああ……」

 とりあえず言われるがまま、包帯を外して受け取った眼帯を左目に当てる。おお! と小太郎がロマンを目撃した、年相応の少年のように目を輝かせた。なんとなく悪くない。そう思う。
 眼帯が、ではなく。――小太郎が俺の愁いを察して、気を紛らわせようと俺の左目を口実に、プレゼントをくれた事が。素直に嬉しいと感じる。
 凄いです、まるで大名に仕える忍の頭領! 闇世界の実力者の風格があります! ……そんな事を言われても嬉しくないのだが。
 それからも、小太郎は俺を元気付けようと頻りに話しかけてきた。そんな心配されるほど、軟弱じゃないんだけどな……。まあ、彼の優しさだろう。有り難く受け取っておく。

 やがて砂漠を抜け、森に入ると、休憩のために目に留まった岩に座って一息吐く。拝借してきたシャツを脱いで上半身裸になり、汗を拭っていると俺の正面に小太郎が来た。

「……」
「……なんだ?」
「……主殿。少し、凄んでみてください」
「はあ?」

 間抜けな顔をしてしまった俺は悪くない筈だった。しかし少年みたいな表情で、小太郎は目を輝かせて俺を見ていた。
 凄んでみてくれって……なんだ? どうしろというんだ……? ……いやほんと、どうしろと?
 とりあえず気まずいので、咳払いをして表情を変える。そして片膝をついて俺の前にいる小太郎を見下すように顔をやや上に向け、目に力を込めた。

「おお! 素晴らしき御貫禄!」

 小太郎が拍手してくる。

「……」

 コイツ……俺の事を、心配……してくれてるんだよ、な……?







 

 

地獄の門へ (中)




 焚き火をし、火に当たりながら夜を過ごした。
 やはりネバダ州の夜は寒い。火を吹く魔剣を投影して篝火の火元にしていなければ、最悪凍え死んでいたかもしれない。防寒着や毛布を投影し、それにくるまって寝ていたが、これではとても快適とはいえなかった。
 小太郎が周囲に敵影が近づいてこないか夜通し警戒してくれていたが、結局一度も熟睡出来ず。浅い眠りは夜明けと共にすっかり醒めてしまう。陽が上がるなり、戦闘背嚢を背負い小太郎と連れ立ち北進を再開した。
 腕の通信機の時間の確認と、通信の試み、データの送信を行うも相変わらず反応はない。――いい加減認めるべきか。どうやらこの特異点と外部は時間の流れが大幅にずれているらしい。この調子だと、外部で二日が経つ頃には十年近くが経過している事になる。敵の狙いは……俺を人間の寿命で殺す事か? それ以外に考えられない。
 という事は、この特異点を俺が単独で攻略するのは絶対に不可能だという自信があるのだろう。例え何年かけても、何十年経とうと、絶対に俺では勝てないと……そう見切っている? そして外部で十日もすれば、俺は寿命で死んでいてもおかしくない。十五日もすれば確実に死んでいる。第四特異点で時間を稼ぐ算段だろう。

 俺は第四特異点を二日以内に攻略出来る自信があった。アルトリアの調子次第で半日以内での攻略も可能だろう。だがそれは、俺が作戦案をカルデアに伝えられたらだ。敵の思惑通りに行けば、恐らくカルデアは第四特異点で足止めされる。
 俺がいるのが第五であるなら、まだ辛うじてお爺ちゃんになるだけで済む。が、ここが第六特異点だったり、第七特異点であったりすれば、それだけで俺が老衰で死ぬのは確実となるだろう。
 アルトリアから貰った聖剣の鞘がある為、俺の老化が停滞しているのが魔神柱側にとっての計算違いだ。普通ならどんなに俺が人間として長生きしても、二十日もすれば確実に俺は死んでいるはずなのが、二十日経ってもまだまだ現役の肉体年齢を保持できる。それでも肉体的には初老か。精神年齢については考えないようにしよう。

 ……逆に言えば、何十年もこの特異点に、俺を閉じ込めておける自信が魔神柱にあるという事になる。

 嫌な予感しかしない。こういう時間を使った策は人間にはどうしようもないのだ。奇策が通じない領域の、極シンプルな力で原始的に押し潰して来るのかもしれない。それだったら確かにお手上げだ。そうでなくとも圧倒的な戦力があるなら、俺の老衰を待たずとも人理を完全に修復不能にまで持っていける。少なくとも今は、俺には抵抗し得ない。
 俺は最低でも、十年単位で魔神柱の侵攻を食い止め、カルデアが来援するまで持ちこたえるか、攻略してしまわないといけない事になる。やはり単独での活動は下策も下策だ。

 ……気が遠くなる思いだ。長期戦を想定する。

 案外味方に引き入れるサーヴァント次第で、魔神柱の思惑を超えられるかもしれないと希望的観測を抱きつつ。……それがほぼ不可能だと俺の経験が告げるのを無視した。その無意識の声に耳を傾けたら、流石に心が磨耗してしまいそうだ。
 思考が悪い方、悪い方に向かう。それに歯止めを掛ける為に頭を振って無心で歩いた。そうして何時間か淡々と歩いていると、ふと俺は右目を細める。霊体化して傍に付いてくる小太郎に、俺は冷淡に告げた。

「――敵影を視認した。距離10000」
「そんなに遠くまで見えるのですか?」

 ああ、と頷く。鷹の目と揶揄される俺の視力だと、四㎞先の橋のタイル数まではっきり見える。が、大雑把で良いのならその倍以上離れていても物体を視認するのは充分可能だ。と言ってもその場合、具体的な人数や背格好を識別するのは不可能だが。ぼんやり見える程度である。
 平野だ。小太郎に戦闘背嚢を預けて一旦下がってもらう。食糧と水の詰めた瓶が戦闘に巻き込まれては堪らない。安全圏に置きに行ってもらう。フィールドは平野だ、舌打ちする。身を隠す場所はない。

投影開始(トレース・オン)。――憑依経験共感終了。工程完了(ロールアウト)全投影、待機(バレットクリア)

 脳裡に広げた投影し慣れた宝具の設計図を魔術回路に装填し、大量の干将と莫耶を前方二十メートル四方に散らばるよう、剣先を上方から真下に向くように照準する。

停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)

 打ち出す干将莫耶は地面に突き刺さり、そのまま地面に柄頭まで食い込んだ。戻ってきた小太郎と手分けして地面から顔を見せている柄頭に砂を掛けて隠す。
 数秒待ち、前方からやって来る敵影が上げる砂塵の規模を小太郎も視認した。

「……主殿、敵軍勢およそ五百です」
「む、砂塵で分かるのか?」
「はい。主殿も直ぐに判別出来るようになると思います」

 五百の軍勢なんて現代では見たことがなかったが、なるほどあれぐらいの規模が五百か。
 まあアルトリアの過去やクー・フーリンの過去でも、夢で軍勢の進軍光景は見たことがあるが、どうしても曖昧で現実のそれと比較するのは難しかった。
 が、これでおおよその感覚は掴んだ。
 それにしても五百の軍勢……。大部隊ではないが、本格的な部隊だ。数が多い。何処に行っている? 俺を殺しに来たというふうではない。遭遇戦か? では何処に向かう気なのか……何処であるにしろ、ろくな目的ではないだろう。奴らをやり過ごして追尾すれば案外と生き残りの人々の所に案内してくれるのかもしれないが――幾ら切羽詰まっていても、他者を巻き込む危険な真似はするべきではない。よって、

「殲滅するぞ。小太郎、宝具の使い時は俺が指示する。後退しながら殺し間(キリング・フィールド)に誘い込み、そこからの一撃で趨勢を決するんだ」
「承知。破壊工作は出来てませんが、やるのですね?」
「奴らの方が俺よりも足が速い。後退しながら工作するのは無理だろう。まず先制射撃を加える」

 黒弓を投影する。片膝をつき、磐石な射撃体勢を整えた。銃の方が得意なのだが、やはり威力と射程は弓が上という悩ましい問題があった。
 ――破損聖杯接続。魔力供給開始。
 懐に呑んでいる破損聖杯に魔術回路を繋げる。破損して五%しか魔力総量がないとはいえ、幾ら使っても無くなる事のない魔力タンクだ。五%でも俺の魔力量よりも遥かに多い。利用しない手はなかった。
 偽・螺旋剣を投影し、弓に番える。真名解放と共に射撃し、敵軍団に着弾させた。爆発はさせない。ケルト戦士らは咄嗟に回避したのか、五十名ほどしか削れなかった。よくよく化け物だ。
 こちらの存在を察知したらしく、雪崩を打ったように駆けてくる。それに俺は矢継ぎ早に剣弾を射込む。

「……八十か。俺にしては頑張ったな」
「いえ、大戦果です。サーヴァントでもないのに凄まじい働きでしょう」
「働くのはこれからだ。定時は五分間」

 大火力の射撃を続けたのだ。早く白兵戦に持ち込みたいのだろう。殺気を漲らせ突撃してくる。
 平野だ。しかもこちらは二人。罠を疑いもしていない。俺はゆっくり後退しながら矢を射込むも楯で防がれる。防がせる。大火力の射撃は連続して行えないと思わせた。
 そしてケルト戦士四百二十ほどが殺し間に入った。

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 奴らの足元から神秘爆弾の炸裂を見舞う。怒号のような阿鼻叫喚と、爆風に煽られながら俺は懐のケースから煙草を抜き取り、ライターで火を点け口に咥えた。
 吸い、精神疲労を抑える薬効の効果を感じつつ紫煙を吐き出す。微かな魔力が籠ったものだが、備蓄は後四本か。ゆらゆらと立ち上る煙を見上げて、爆発が収まるのを待つ。

「小太郎」
「は! 阿鼻叫喚地獄をご覧に入れましょう。大炎熱地獄の責め苦を与えます――『不滅の混沌旅団(イモータル・カオス・ブリゲイド)』!」

 更に半数は削った所に、風魔小太郎を突入させる。小太郎の配下の忍が二百の霊体として召喚される。算を乱したケルト戦士団の周辺に暗黒の帳が落ちた。視界を封じ、混乱する敵隊列に風魔忍群が襲い掛かる。
 断末魔が轟くも、ケルト戦士らが討たれる光景は暗闇に呑まれ見る事は出来ない。冷淡な瞳でそれを見守り、煙を吹かす。四分ほど経っただろうか。暗闇が晴れ、そこには小太郎だけが立っていた。

「斃したら消える。衛生的で実に結構な敵だ」

 煙草を捨て、火種を踏み躙る。

「そして、流石は風魔。名の通り風の魔物のような仕事だったぞ」
「は。しかし大した事ではありません。既に壊乱しておりましたので」

 小太郎が戦域から離れ、即座に戦闘背嚢を持ってくる。それを受け取ってさっさと歩き出した。
 俺はふと、小太郎に宝具の詳細を聞いた時から思っていた事を口にした。

「それにしても、お前の宝具の真名……全然和風じゃないな」
「それは言わないお約束ですよ、主殿」

 祖先が何故か残してくれた故郷の言葉を、これまた何故か単語だけ残していたらしい。
 よく分からない感性だ。そこさえ和風だったら完璧な忍者なんだがな、と。忍者に惹かれる所のある俺としては残念に感じた。
 というより、その宝具の真名は。

「中二病、か……」
「主殿? 今何か、聞き捨てならない事を仰りませんでしたか?」
「いや別に」

 思春期の年齢で現界している彼だ、相応に過敏な所がある。俺にはそんな時期はなかったから、妙に微笑ましいだけだ。

















 五日間歩くと、山脈に差し掛かった。ここを越えるとオレゴン州に入るだろう。
 ろくな装備もなしに山岳部を歩くのは中々に難儀だ。ここに来るまでに壊滅している村落を見掛け、食料なり水なりを調達したが。やはり心許ない。生存者は見なかった。その痕跡も見当たらない。

 そして、北進を続ける。斥候として先行していた小太郎が引き返してくるのを見ると、俺は嘆息する。

「……またか?」
「はい。ケルトの戦士、数は二千。敵サーヴァント一騎に率いられています。南下しているようです」

 五日前に遭遇した五百の、四倍の兵力。そしてサーヴァント……。
 俺は顔を顰めた。北進していくと、敵の数が増えた。よくない兆候だ。もしやワシントンかオレゴン辺りに敵の拠点があるのか? だとすれば、やり過ごした方が手間がないが……いっその事進路を変えるべきかもしれない。
 いや、まだそう判断するのは早計だ。

「素通りさせましょうか」
「感知能力の高いサーヴァントだったら困る。こちらから接近しやり過ごせるならそれでいいが、無理なようなら痛撃を与えて即時逃走だ」
「承知。時間はあるので、工作を仕掛けます」
「ああ。打ち合わせ通りに頼むぞ」
「は!」

 瞬、と姿を消す小太郎に俺は頷き、ポツポツと小粒の雨を降らせ始めた曇天を見上げる。
 夜は近く、山岳地帯で、強い雨が降る前兆がある。やり様はあるさ、と誰にでもなく呟いた。




 

 

地獄の門へ (下)





 ――あれは、ヤバイな……。

 しとしとと、雨が降り始めていた。陽は落ち、夜となっている。

 樹木の影に身を隠し、草木に紛れて敵陣に接近したのだが、ケルト戦士を率いる将を目にした俺は顔を顰めた。
 どうやらこの森で、奴らも夜営をしているらしい。ケルト戦士が歩哨に立ち、周囲を警戒している。休憩をしているのではなく、防備を固め夜間に敵から襲撃されるのを警戒しているようだ。
 陣幕は女の戦士が守りを固めて、将であるらしいサーヴァントは戦士に周りを固めさせたまま切り株に腰掛け、目を閉じて静かに佇んでいる。油断や慢心は見て取れない。夜間の行軍は控え、居るかも分からない敵に備える様からして、相当に優れた指揮官らしい。
 周囲の女戦士はアマゾネスか。サーヴァントは見事な白髪をした、幼げな少女の容姿をしているが、見た目で侮っては痛い目を見るだろう。棘のついた二つの鉄球と、凶悪な鉄爪、大振りの剣を装備している。剣を解析すると真名が分かった。

 ペンテシレイアだ。

 アマゾネスの女王。アカイアとトロイアの戦争で、ヘクトールの死後にトロイア側へ援軍として駆けつけ、アキレウスと交戦した。彼に殺されるも末期に呪いのような予言をしたという。
 軍神アレスの血を宿し、勇猛なアマゾネス族の女王として君臨していたのだから、かなりの力を持っているだろう。神代の英雄という奴は大体が化け物揃い故に。

 伝承によるとペンテシレイアは、相当にアキレウスを憎んでいたらしい。クラスはライダーか、セイバーあたりか? 理知的な様子だが……いや決めつけはよくないな。大穴で実はバーサーカーでしたというのも有り得るのがサーヴァントだ。
 なんであれ仕掛けるのは得策ではなさそうだ。守りが固い。幸い感知力は高いわけではなさそうだ。俺に気づいた様子はない。ペンテシレイアの陣の向こう側にいる小太郎にハンド・サインを送る。あらかじめ取り決めていた「仕掛けた罠」「そのまま」「素通り」のサインである。

 幾らなんでも無謀だ。危険を犯すべきじゃないだろう。彼女の軍勢が何処を目指し、何者と戦う気なのかは知らないが、ペンテシレイアに奇襲を仕掛けても動揺してくれまい。攻撃しても跳ね返され、殺される様がありありと目に浮かぶ。
 気配を消して足音を一切立てず、ゆっくりと離れていきペンテシレイアをやり過ごす。ペンテシレイアとの交戦を避け、夜通し歩いて山脈を抜けた。小太郎が言う。

「……人がいませんね」
「……」

 アマゾネスの女王が、何故ケルトに味方しているのかは不明だ。力で敗れ、傘下に収められたのか。それとも召喚された義理を通しているだけなのか。なんであれ厄介である。将として優れ個としても強いサーヴァントは敵に回したくはない。
 だが、敵だ。いずれ戦わねばならないだろう。ケルトに荷担しているという事は無辜の人々を殺めている可能性は高い。これからも殺すだろう。本当なら見逃すべきではなかったが、俺は殺される訳にはいかないのだ。
 ……情けない。小太郎というサーヴァントがいるから、捨て身で人を助けなくても、長期的に見て多くを助けられる方策を探るという言い訳で、短期的に人が殺められる可能性を見過ごした。俺は汚い奴だ。……嫌悪感を抱く。

 幾日か更に歩き、オレゴン州に入った。しかし相変わらず人を見掛けない。時折り山岳部でケルトに遭遇するが、一撃離脱を繰り返してそのまま逃げ去った。
 ケルトとの遭遇率が高い。俺はこめかみを揉んだ。マズイ、下手を打った予感がする。そう思ったなら即座に行動を移すのが吉だ。

「……小太郎、進路を変えるぞ」
「え?」
「ワシントン州は敵地だ。奴らとの遭遇率が高すぎる。北は敵だらけだろう。南東に進路を移す」

 断じるように俺がそう言うと、小太郎は困ったように眉を落とした。

「しかし……主殿。主殿の食糧と水の備蓄は……」
「……」

 戦闘背嚢の中身はほぼカラだ。後一食分しかない。舌打ちした。今更進路を変えても飢えに苦しんで野垂れ死ぬかもしれない。
 武器や悪路の歩行に必要な装備は投影でなんとか出来るが、食い物関係だけはそういう訳にもいかない。こればかりは仕方がなかった。最寄りの都市があるから、そこに寄って調達してから進路を変えるしかないだろう。

 最寄りの都市とは、オレゴン州最大の都市があるポートランドだ。と言っても、今の時代にポートランドはない。オレゴンシティとバンクーバー砦の中間に位置する其処は、ウィラメット川流域に広がる空き地である。
 1843年にウィリアム・オバートンがこの地を発見し、商業都市として開発する事業に乗り出すまでは小さな集落があっただけだろう。別名が「麦酒の町」であり、俺は現代のポートランドで麦酒の醸造の仕方を勉強したものだ。
 故に都市と言うのは正確ではない。未来に都市となる場所、と言った方が正解だろう。ともあれ其処に向かった俺と小太郎は、後のポートランドである集落の惨状を目の当たりにした。

 人は既にいない。しかし夥しいまでの破壊の爪痕が残されている。家屋は倒壊し、燃えて崩れ落ちた痕跡があり、幾つものクレーターに地面が抉られている。ここでなんらかの戦闘があったのは明白だ。――それも、比較的最近に。
 風魔の頭目が顔を引き締める。

「……危険だ。深入りし過ぎた」
「はい。退きましょう。川で魚を釣るか、海岸に出て漁をするしかなさそうです」

 余りにも危険だった。まだ敵が近くに――



「おお、これはまた数奇な客人だ。折角来たというのにもうお帰りかな?」



「ッ――!」
「主殿、下がってください!」

 咄嗟に飛び退いた俺の前に、苦無型の短刀を構えた小太郎が出る。
 崩れ落ちた家屋の影からゆっくりと姿を表したのは、筋骨隆々の男だった。上半身は裸、胸に獣に引き裂かれたような傷が三本ある。身に纏う覇気、充謐した魔力、間違いなくサーヴァントだ。
 それも螺旋に捻れた大剣を肩に担いでいる。漲る戦意が陽炎のように揺らめいていた。

 俺はその男を知っていた。その伝説の魔剣をよく知っていた。驚愕に目を見開く。

「フェルグス・マック・ロイ……!」

 細い目を微かに開き、豪傑は意外そうに言う。

「む、一目見ただけで俺の真名を見抜くとは……さては俺を知っているのか?」
「……は。よくよく知ってるさ」

 吐き捨て、思考を回す。意識に火花が散るほど現状を打破せんと、思考の歯車を高速で回した。

 偽・螺旋剣――そのオリジナルを持つ英雄。アルスターサイクルに於いてクー・フーリンの養父にして友であり、剣の師であった事もある男だ。精力絶倫にして剛力無双、超自然的な人間として語られ、後世の有力者は彼の子孫を自称し権威を高めたとされる。
 謂わばクー・フーリンが超自然的な魔人であったなら、彼は超自然的な超人である。彼の螺旋剣を幾度も投影している俺はこの英雄の力をよくよく知っていた。故に――

「逃げるぞ、小太郎。俺達だけでは絶対に奴には勝てん……!」

 ――フェルグス・マック・ロイに対して勝ち目はないと、即座に判断した。
 小太郎は反応しない。真っ直ぐにフェルグスだけを睨み付けている。冷や汗がその顔には浮かんでいた。風魔小太郎がフェルグスから目が離せないのは、目の前の超人が突き刺すような戦意を叩きつけているからである。
 目を離した瞬間に首が飛ぶ。胴に風穴が空く。確実に死ぬ。その確信が小太郎を縛っていた。それが分かるからこそ歯噛みする。
 風魔小太郎は暗殺者だ。忍の者だ。白兵戦は、専門ではない。しかもこんなに見晴らしのいい所で戦うなど自殺行為。小太郎の宝具も、この英雄相手には相性が悪かった。

 フェルグスは面白くなさそうに鼻を鳴らした。剛毅にして快活、豪快な性格の英雄には似つかわしくない、「戦い」にしか注力していない獣の眼光だ。

「いきなり逃げ腰か……つまらん、それはつまらんぞ。戦う力のない女子供を手にかける反吐の出るような仕事ばかりで辟易しておったところに見掛け、骨のありそうな男と漸く相見えられたと喜んでいたというのに」
「……英雄フェルグスともあろう者が、罪もない人々の鏖殺に荷担しているとはな。失望したぞ」
「俺自身はそんなつまらん真似などしておらんが……そうだな。看過している時点で俺も同じ穴の狢という奴だろう。否定はせん。で、どうする。俺もつい先刻サーヴァントを一騎屠った(・・・・・・・・・・・・)はいいが……昂りを抑えるには物足りなかった。見れば中々の男ぶり、逃すには惜しい。  どのみち此処で殺すのだ。  せめて剣を執り俺と戦え」

 歯軋りしながら干将莫耶を投影する。マズイ、マズイ、マズイ――ケルト戦士が多数現れた。囲まれる、囲まれて、戦わされ、殺される。最悪の展開だ。
 フェルグスはしかし、言った。

「お前達は手を出すな。この益荒男達は、俺の獲物だ」

 虹霓剣を構えたフェルグスが、天上が落ちてきたような威圧を放ちながらケルトの戦士らを退かせる。戦士としての矜持か? 自信か?
 分かっている、誰よりも分かっている、この英雄は――ほんの僅かな時間で、俺と小太郎を殺せると見切っている。

 故に、情けだ。

 雑兵に殺されるのではなく、自分という英雄が殺してやるのが、戦士としてせめてもの情けだとこの英雄は――原始の豪傑は信じているのだ。
 理解はしない。だが知っている。雑魚に首を獲られるよりも、名のある将に首を刎ねられるのを望むのが古代の将らの思想だ。彼は悪ではない、ただ決定的に俺との価値観が違うだけの事。
 小太郎が吐き出すように言った。

「――血路を拓きます。主殿、どうか撤退を」
「撤退はする、だがお前も一緒だ」
「馬鹿ですか貴方は!?」

 小太郎は嘆き、しかし笑った。
 こんな使い捨てられても文句の言えない乱波と死地を共にし、あまつさえ見捨てる事なく危機を脱しようと言う主。得難い主だ、嬉しかった。だが、だからこそだ。小太郎は何に換えても絶対にこの主を逃がす事を誓う。何があっても彼に仕えると――この心命の全てを捧げて、彼に尽くそうと。

 フェルグスが笑った。久し振りに笑い方を思い出せた、というように。

「――いい主従だ。益々、殺したくはないものだ……だが。今の俺は、喩え悪鬼と謗られようとも、お前達を殺す。せめて名だけでも聞かせてはくれんか?」
「……衛宮士郎だ。覚えておけ。俺は逃げる。だがいつか必ず、お前を打ち倒してやる」
「は――はははは、はははははは!! そうか、そうか! 俺を倒すか! 面白い、だがそれには問題がある。衛宮士郎、お前は此処で死ぬ。次の機会などないぞ。残念ながら、な……」
「いいや、主殿は死なない。そしてお前を必ず倒すだろう。何故ならこの僕が、風魔忍群五代目頭領、風魔の小太郎が主殿を逃がすのだから」

 は……と。フェルグスは、最後に快活な笑いを一つ溢す。
 それで終わりだった。交わす言葉はそれで最後だった。神話最強に限りなく近い豪傑が、笑みを消して敬意を示し、虹霓剣に魔力を送る。
 讃えるべき敵手に最大の敬服を。その高潔な魂に祝福を。以て英雄は認めたのだ。全力で彼らを倒すに値すると。ならば、どうして出し惜しむものがある。フェルグスは、本気だった。

 ――雨が、降っている――

 そして。魔剣から漏出していく虹が、螺旋の断層を生み出していく。フェルグスは吼えるようにして螺旋の魔剣を地面に突き刺さず、その切っ先を鉄心の男へと向けて。

「――『虹霓剣(カラドボルグ)』」

 螺旋の渦が、奔った。

















 ――ハ、ハ、ハ。

 まるで狗のようだと自嘲する。溢れ落ちていく臓物に苦笑する。
 分身、空蝉の術、火薬玉……持ち得る全ての誤魔化しの術を用い、死に物狂いで遁走したというのにこの始末。担いでいる主は意識がない。事もあろうに道具であるサーヴァントを、道具でしかない乱波を庇い、あろう事か超雄の拳打を受けて昏倒していた。

 宝具を使い、風魔忍群総力で虹霓の暴風を齎す英雄を足止めした。しかし、次の瞬間には螺旋の虹によって暗闇は払われ、風魔の忍らは一掃されてしまっていた。
 意識を失った主を担ぎ、全速力で逃げ出したが――何処をどう走ったのか、不覚にも記憶から抜け落としてしまった。

 英雄は言った。

「潔いまでの逃げの一手、見事。この俺から逃げ切ったのだ、いつか再び挑むがいい。その日の為に俺は追わん。逃げ切ってみせるがいい」

 逃げ切れたのか、と己に問う。
 確信はない。ケルト戦士の追跡は執拗だった。だが、何者かが追ってくる気配はない。
 森の中、樹木に背を預けさせる形で主を下ろす。それで、力尽きた。倒れる。
 まだだ、まだ死ねない。サーヴァントとして、死を遠ざけるスキルなんて持ち合わせてはいないが、そんなものは関係ない。今、主の意識もない状態で死ねばどうなる? サーヴァントも、味方もいない孤立無援。そんな中に主を一人にする不忠は認められない。

 息が、切れる。それでも呼吸する。

 どれほど経ったろう。雨は止まない。手足が熔けて消えている。マズイ、もう、保たない……諦念が意識を遠退かせる瞬間、主は目を覚ました。

「ッ……? ……! 小太郎!?」
「主、殿……目が、覚められました、か……」
「お前……」

 主殿は聡明であられる。こちらを見るなり、その状態を察してくれた。
 悲痛に歪む顔に、今後の己の危機を憂う様子はない。ただただ風魔小太郎を惜しみ、悔やむだけの心情があった。
 それが嬉しい。人でなしの風魔小太郎を、こんなにも惜しんでくれている。

「――よかっ、た。なんとか、不忠を、働かずに済みました……」
「……っ」
「主殿……一つ、お訊きしたい」
「……なんだ?」

 答えは、聞かなくても分かる。きっとこう言ってくれる、そう信じてくれると、僕は知っていた。それでも、訊くのだ。

「僕は……風魔は、如何でしたか……?」
「決まっている。最高の忍だ。どんな忍でも、風魔(おまえ)以上は有り得ない」

 ――やっぱり、そう言ってくれた。

 分かりきっていたのに、やはり嬉しい。胸が震えるほどに、歓喜する。
 そしてそう言ってくれる主だから、僕は言えるんだ。主殿は今、破損してはいるものの聖杯を所有してる。なら、きっと出来る。

「主殿……僕は、死にます……」
「……」
「しかし……敵地に、主殿だけを残す、事だけは避けたい……だから、主殿……お願いです。僕が、死ぬ前に……消える、前に……

 僕の霊基を使って、サーヴァントを召喚してください」

「なっ――」

 主殿が否定する。そんな真似できるか、と。
 不可能なのではない。ただ、それは、触媒と生け贄になるサーヴァントに、地獄の苦痛を与える事になるから――僕を苦しませたくないから、否定なさっている。

「お願い、です……僕の、任務は……主殿を、お守りする事……風魔の矜持にかけて……務めを、果たさせてください……最後の奉公を……短い間でしたが、僕の主に、果たさせて、ください……」

 吐血する。
 主殿は、苦悩し、一筋の涙を右目から流してくれた。

 嗚呼――



「――告げる。
 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。

 誓いを此処に。
 我は常世総ての善と成る者、
 我は常世総ての悪を敷く者。

 汝三大の言霊を纏う七天、
 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ――!」



 僕は、善き主人に巡り会えた。それだけで、全てが報われている。









 

 

地獄門からの門出だね士郎くん!






 斯くて風魔忍群の長は散った。煉獄の炎に灼かれるに等しい激痛の海の中、穏やかな笑みを最後まで絶やさずに。
 風魔小太郎。時間にして、僅か十日余りの旅を共にしただけだった。だがそれでも俺にとっては大切な仲間だった。……心の支えだった。
 心身は疲弊し、味方も物資もなく、特異点内外の絶望的な時間差に途方に暮れ。それでも自棄にならずに冷静さを保ち、カルデアの使命に殉じていられたのは……風魔小太郎という相棒がいてくれたからだ。
 俺は弱い。一人じゃ何も成し遂げられたものがない。いつも、誰かに縋って。いつも、誰かに助けてもらって。――だからせめて強がって。皆に頼られる事で、心に鎧を着ていた。
 仲間がいない。その状況で俺の地金はあっさり露呈した。特攻紛いの人助け……小太郎が助けに来てくれなければ、俺は転移初日で呆気なく死んでいただろう。なんて弱さだ、唾棄すべき軟弱さだ。俺を生かして、俺を助けて、死んだ後ですらカルデアではなく、こんな俺の助けになるように全てを差し出してくれた。

 俺にそんな価値はあるのか。アラヤ識などに操られ、踊らされ、惑って迷って挫けて嘆いて。こんな弱虫に、そこまでしてやる価値はあったのか――そう疑う事は、もう赦されない。俺自身が絶対に赦さない。
 それは、俺を生かそうと、助けるべく微笑んだ風魔小太郎への侮辱だ。衛宮士郎にはそこまでしてやる価値があったと、俺自身が俺に証明しなければならない。喩え独りでも。喩え力尽きても。俺はもう、絶対に膝を折らない。
 そうだ。何を弱気になっていた。カルデアとの連絡が取れない? 仲間達と違う時間の流れに取り込まれた? だからどうした、だからなんだ。俺は生きてるぞ、生きてるならなんでもやれる。心は折れない、絶対に朽ちない。それに、俺は独りなどではない。

 小太郎がその身を犠牲にして、新たな剣を招いてくれた。なら――それに報いないなんて嘘だろう。手は綺麗に、心は熱く、頭は冷静に。心胆を鉄として二本の脚で屹立する。そして、迎えた。消え去った小太郎のいた場所に現れたサーヴァントを。

「――新選組一番隊隊長。沖田総司、推参。
 あなたが私のマスターですか?」

 現れたのは、袖口にダンダラ模様を白く染め抜いた、浅葱色の羽織を纏った女剣士だった。
 薄い桜色の髪は白に近く。黒いマフラーを首に巻き、膝上まで届くロングブーツを履いている。
 俺はその剣士の真名と容姿に目を剥くも、ソッと左目の眼帯を撫でて平静になる。

「そうだ。俺は衛宮士郎。これから宜しく頼む。沖田総司、お前のクラスとスキル、宝具を教えてくれ」

 惚れた女と同じ顔だった。だがその魂はまるで違う。幕末に猛威を振るった剣豪集団、その中の一人である天才剣士が実は女で、惚れた女と顔が同じ。それだけで態度を変えるような事はない。俺の問いに彼女は首肯した。
 しとしとと降り注いでいた雨は、小太郎の苦悶を洗い流したように止んでいた。その中で、儚げな容貌の少女は首を捻る。

「はい、私はセイバーのサーヴァ、ント……? あ、あれ? セイバー……なんですが。あれー? おかしいです……なんか私、アサシンのよーな……セイバーのよーな……?」
「なんだ、召喚に何か不具合でもあったのか?」

 何せ殆どインチキじみた召喚過程だった。サーヴァント召喚を、サーヴァントの霊基を元にしておこなったのだ。なんらかの不具合があっても不思議ではない。寧ろ何もない方が有り得ないだろう。
 案の定沖田総司は戸惑っていた。霊基へなんらかの欠落があるのか? それとも……。その推測を裏切るように、沖田は言った。

「えっと、有り体に言いますね?」
「ああ」
「なんか私、セイバーだけどアサシンみたいなんです」
「……? それは……ダブルクラスという事か?」
「ええまあ、はい。多分そうです」

 ダブルクラス。つまりは二重召喚(ダブルサモン)。二つのクラス別スキルを保有する事が出来るという、極めて希少なスキルだ。
 召喚者が召喚の際に、特殊な条件付けを行わなければ発動しない――らしい。制限として、三騎士及びエクストラクラスは組み合わせに入らず、残りの四クラスの組み合わせでなければならない――らしい。
 らしい、というのは。冬木の聖杯について調べていた際に、ロード=エルメロイⅡ世から聞いた覚えがあるからだ。全部受け売りである。

 だが三騎士クラスとの併用は不可能であるはず。何故剣士と暗殺者のクラスが合わさった?

「マスター? 何か可笑しな事でも?」

 沖田がそう訊いてくる。……知らず、笑っていたらしい。
 考えられる理由は一つだけだ。本来はセイバーとして喚び出されるはずだった沖田は――小太郎という暗殺者の霊基を元に召喚された事で、本来の剣士のクラスに暗殺者としての霊基が混ざってしまったのだろう。
 破損した聖杯を使い、俺という三流の魔術使いに喚ばれ、小太郎の霊基を介し、沖田という剣士のクラスが変質した。そうとしか考えられない。となるとこれはつまり――

「いや……なんでもない。お前の異常の原因は分かった。クラスはいいから、スキルと宝具の説明を頼む」

 ――まあ、ロマンチックに言えば。小太郎は、死んでない。そういう事だろう。そういう事にしてもいいだろう。俺はそう思っておく。
 沖田は首を傾げながらも、「マスターがそう言うなら」と受け入れてくれた。

「まず、セイバーとしてのスキルですが。クラス別スキルの対魔力、騎乗スキルはEです」
「……」
「いーです」
「……」
「……」

 遠くを見る。沖田も遠くを見た。
 雨が上がったからか、雨雲から一筋の陽射しが差し込んできていて、実に綺麗だ。
 いー。イー。E。セイバーとしての基本的なそれが……。

 咳払いをする。気を取り直して先を促した。

「次にアサシンとして、気配遮断はBランク。私の持ち得ているものが、偽の心眼がAで、病弱もAで、縮地がBですね」
「……病弱?」
「……はい、病弱です」
「……。……なんだそれ?」
「……。……それ、聞きます?」
「……」

 つまり、天性の打たれ弱さ、虚弱体質という事か。沖田の場合は生前の病に加え、後世の民衆が抱いた心象を塗り込まれた事で「無辜の怪物」に近い呪いを受けている、と。
 あらゆる行動時に急激なステータス低下のリスクを伴うようになるデメリットスキル。発生確率はそれほど高くないが、戦闘時に発動した場合のリスクは計り知れない、と。

「縮地の詳細は?」

 ネロの偏頭痛が移っていたらしい。頭痛がしはじめていたが、堪えて良さげな響きについて話題を逸らす。すると沖田は自慢げに胸を張った。

「瞬時に相手との間合いを詰める技術ですね。歩法の極みです。単純な素早さではなくて歩法、体捌き、呼吸、死角など幾多の現象が絡み合って完成します。私ほどになりますともうほとんどテレポートみたいなもんですよ」
「……なるほど」

 沖田のステータスは、まあ彼女らしいものだ。
 筋力はCで、耐久はE、敏捷はA+、魔力がEで幸運がDである。まさに比較的近代の剣豪、極端である。

「そして宝具! スゴいですよー。何せ私、セイバーとしてのものと、アサシンとしてのものも持ち合わせてますから!」

 彼女の代名詞的な技、無明三段突き。これは宝具というよりスキルみたいなものだという。
 種別は対人魔剣。平晴眼の構えからほぼ同時ではなく全く同時に放たれる平突きで、放たれた壱の突きと弐の突き参の突きを内包する。放たれた三つの突きが同じ位置に同時に存在しており、この『壱の突きを防いでも同じ位置を弐の突き、参の突きが貫いている』という矛盾によって、剣先は局所的に事象飽和を引き起こす。
 事実上防御不能の剣撃であり結果から来る事象飽和を利用しての対物破壊にも優れる。また効果範囲こそ狭いものの命中個所は「破壊」を通り越して、刳り貫いたように「消滅」するほどだとか。

 誓いの羽織。Cランク宝具らしい。
 今の彼女が着ている物だ。装備する事でステータスのパラメーターを上げる事が出来るらしい。そして愛刀「乞食清光」が沖田総司の愛刀だと人々に信仰されていた「菊一文字則宗」へと位階を上げるという。
 そしてセイバーとしての最終宝具「誠の旗」。ランクはBで種別は対軍宝具らしい。
 発動すると単独行動スキルを持った新撰組の剣豪を召喚でき、数に数で対抗する戦闘が可能になる。それぞれの隊士が魔剣の域に達した剣技を振るうため、攻撃力はかなり高いそうだ。

 ……昔の剣豪というか、日本は魔境だった……?

「気配遮断、縮地、三段突きのコンボが最強だな……正面から当たるとなれば誠の旗を使えば……」
「どうですどうです? 沖田さん大勝利しちゃいそうじゃないですか? マスター、マスター! 沖田さんはスゴいでしょう?」

 ぶつぶつ呟いていると、にこにこと得意気に笑う沖田に俺は苦笑してしまう。
 清楚かと思えば陽気、儚げな佇まいに反してお調子者。付き合いやすそうだ。
 俺は彼女に現状を伝えようと思う。しかしその前に、どうしても言っておきたい事があった。

「小太郎カムバック」

 超高性能だが病弱スキルが怖すぎる。その一言に尽きた。






 

 

沖田さんと士郎くん!




 兎にも角にも食い物だ。細かく考え過ぎるのも精神衛生上よろしくない。それに何より食糧の蓄えがないというのが怖い。とりあえず凝り固まりつつあった思考を白紙に戻した俺は、気分転換も兼ねて海辺を目指した。
 目的は魚釣り。或いは漁。そんな真似が出来るのかと言われればまあ出来なくはない。
 三歩下がって影踏まず、大和撫子然としていながら暢気な表情で付いて来る沖田某は、まだ歩くんですかー、と愚痴を言って。終いには息切れを起こす始末である。

「体力無さ過ぎだと思うのですが……」
「し、仕方ないじゃないですか! こんな遠距離を延々歩くとか、しかも悪路! 新手の拷問ですか?!」
「まだ百㎞ほどしか歩いてないのですが……」
「マスターの感覚おかしくないです!? ぶっちゃけ脚がパンパンなんですけど! マスタぁ~……私もう歩けませんー、背負って下さーい!」

 えぇ……?
 立ち止まって両手を広げ、うふふと笑う沖田に俺は嘆息した。なんだこの駄目な女。霊体化しろよと思うも、その場合突如奇襲されたりした際に対処が遅れかねないのでそれは出来ない。背負っても似たようなものだが……。
 俺は後ろの沖田を一瞥すると、露骨に溜め息を吐いてやや屈んだ。沖田はきょとんとして、信じられないものを見たという顔をする。

「えっ」
「……どうした? 歩けないんだろう。背負ってやるから乗れ」
「えっ。――すみませんてっきり霊体化しろって言われると思ってました」

 目を見開き、口に両手をあて、心底意外だと全身で表現する沖田に俺は無言だった。
 三度目の溜め息。さっさと歩き始めると、沖田は慌てて追いかけてきた。そして何やら弁解して来る。

「や、ややや、ちょっとちょっと待ってくださいよー。というかマスター、意外といい人です?」
「意外とってなんだ。スーパー善人にして全米が泣くレベルのハイパー正義マン、秩序善な俺を捕まえて」
「だってマスター、眼帯しててなんかその筋の人に見えるといいますか……。体も筋肉とか凄いですし? 身長高すぎますし? 顔にも傷あって、もう色んな意味で凄みありますし」

 何より目付きが鷹超えて鬼っぽいです、なんて事を平然と宣うセイバー顔。お前ね、俺が温厚な人じゃなかったら怒るよ。アルトリアと同じ顔だからって甘くしてばかりではないよ俺は。
 だがまあ目くじらは立てない。沖田は沖田でマスターである俺の人柄を知ろうとして、彼女なりに探っているのだろう。
 何を言えばどんな反応があるか、とか。こんな事を言っても許してくれるのか、とか。自分のノリに乗ってくれる人なのか、とか。付き合いやすいマスターならそれでよし、そうでなくても相応しい態度に切り替えるつもりだったのかもしれない。なんであれ、俺としては甚だ不本意である。眼帯をしているだけでその筋の人に見えるほど、人相が悪いのだろうか? 俺は。

「えいえいっ。怒りました?」
「怒ってないよ」

 突然背中にぽすぽす拳を当ててくる沖田。

「えいえいっ。怒りました?」
「怒った。ぶちコロがすぞ小娘……」
「ひぃ!? って、あははは! いやぁなんか話しやすそうなマスターで安心しました」

 なんてコントをしてると、沖田はおちゃらけて笑った。なんというか、子供っぽい。子供と仲が良かったという話は本当なのかもしれない。
 寧ろアルトリアもそうだが、こんな明らかに女の子女の子してる沖田を、どうして彼女の身の回りの野郎連中は男扱いしたのだろうか。
 アルトリアは分かる。マーリンがいたから誤魔化していられたのだろう。しかし沖田は……いやまあ、沖田の身長は、彼女の生きた時代では男の中でも長身の部類だったから、大女とか言われたりして女扱いされなかったのかもしれない。当人に女の自覚もなさそうだ。いや、己と周りの性差についての意識が薄い、と言った方が近いか。
 なんであれ、俺からしたらちんまい小娘といった印象である。こんな無防備だと、現代日本にいたら高校辺りまでは無事でも、大学でパクッと悪い男に食べられてしまいそうである。
 総評すると、戦闘はまだ見ていないが、それ以外はまるで駄目な奴、といった印象になる。一周回って可愛らしくすら感じなくもない。というか切実な問題として、軍事行動の基本中の基本である行軍に耐えられない体力だけは本当になんとかならないのか。はぁ、はぁ、と息切れが深刻になりつつある沖田に、本日四度目の溜め息を溢す。

「おい」
「は、はい……?」
「これ、背負え」

 俺は自分で背負っていた戦闘背嚢を沖田の方に押し付ける。沖田は疲労の汗に冷や汗を混ぜた。

「えぇ……? 鬼畜ですか……こんな疲れきってる私に、荷物を背負わせようだなんて……」
「四の五の言うんじゃない。いいか、動くなよ。抵抗もするな」

 ぶつくさと文句を垂れる沖田に戦闘背嚢を背負わせ、無理矢理背負う。すると沖田はわたわたと手足をばたつかせて慌て始めた。

「ま、マスター!? ちょちょ、ちょっとー! どこ触ってんですか!?」
「うるさい。何時何処で敵と遭遇するかも分からないってのに、肝心要の戦力が疲れきっているとか笑い話にもならないんだぞ」
「うっ」
「それと勘違いするな。俺はお前の為に背負うんじゃない。俺が死にたくないから背負うんだ」

 ツンデレ……? と呟く沖田に俺は笑った。なんでこう、コイツは俺のネタじみた台詞に理解があるんだ。エドワードの奴もそうだったが、英霊の座でそういう知識が手に入るのか? 英霊の座というのはどうなってるのか興味は尽きない。
 おずおずと首に腕を回してくる沖田である。素直に甘える事にしたらしい。戦闘開始時に疲れ切り、万全のパフォーマンスを発揮できないというのが洒落にならないというのは理解しているようだ。

 霊体化しろと言うタイミングと空気を逃した俺だが、勿論ただでは転ばないのが俺である。

 ――意外とデカい……。ば、バカな……3アルトリア分の戦闘力だと……!

「マスター? どうしたんです?」
「いや別に」

 アルトリアを単位にして観測。本人がいたら刺されかねない戯れ言を胸中に溢す。
 背中に押し当てられる感覚。当の本人は気づいてないか気にしてないか。仄かに甘い香りがするが俺は気にしない。しかし耳元で喋るな。
 俺みたいな野郎が浅葱色の羽織を纏った女剣士を背負って歩く……絵面は間抜けだが、それで気を抜ける状況ではない。常に周囲に気を配っている。遭遇戦だけは絶対に回避しないと……ポートランドでの二の舞になる。今度も無事に逃げ切れる保障はない。いや、サーヴァントが敵にいたら逃げ切れないだろう。あれは撤退戦もこなせる小太郎がいたから、なんとか命を繋げたのだ。
 故に女といるからと、気を抜けるほどお気楽で頭お花畑みたいな意識は持てない。戯れ言は所詮戯れ言……それ以上でも以下でもない。背負っている沖田よりも、敵の痕跡がないかを探る方に意識は向いていた。

 何時間か更に歩くと、漸く海岸が見えた。見覚えのある景色だ。ノースコースト、ロッキー山脈以西で最古の入植地。オレゴン州の最北西端の、漁師町アストリアが近い地点だ。
 絶景、というよりは美景。青々とした海と山がある。岩礁が波濤の隙間から顔を出している。俺は顔を顰める。ポートランドで気絶し、小太郎がどこを通って逃げていたのか把握出来ていなかった為、どこに自分がいるのか把握できていなかったが……まさかこんな所にいたのか……。
 ふわぁと感嘆する沖田を下ろすと波打ち際まで歩き、銛を投影すると服を脱ぎ始める。

「ちょっとマスター!? なんでいきなり脱ぎ始めるんですか!?」
「うるさい。釣りでもしてろ」

 釣り竿を投影し沖田に投げつける。パンツ一丁で海に入って行く俺を、顔を真っ赤にして見ている沖田を無視する。
 海に潜る。何かと水には縁が深い俺は泳ぎも達者だ。おのれ赤いあくま。色々あってこういう銛を使った漁も一度だけ経験があった。その時は今のように切羽詰まっていた訳ではないが……遊び感覚でやれていた。しかし、今は切実である。

 素潜りで海の底を探る。意外と魚は多かったが――とりあえずいきなりは狙わず、大体の波の流れなどを把握するに留めた。二分潜った後に一度海面に出る。
 沖田は困惑しながらも、ひょいっと軽く跳躍を繰り返して岩礁から岩礁に移動し、波しぶきを躱しながら沖の方の一際盛り上がった岩礁の上で、餌も何もなく釣り竿の糸をおっかなびっくり海につけていた。釣りの経験はないようだが、元々手持ち無沙汰にさせておくのも悪いからやらせているだけである。期待はしてない。

 そうして俺は、投影した壺に仕留めた魚を入れていく。ん、中々悪くないな。かなり大漁だ。魚も多い。というか、人を見ても全然警戒していない。まだ人に採られる事へ学習してないんだろうなと思う。遠慮なく乱獲する。
 海面に顔を出す。すると、意外な事に沖田は一匹の魚を釣り上げていた。驚愕する。それはマスノスケ……別名キングサーモンだったのだ。それも俺が仕留めていたどのマスノスケよりもかなりの大物で、沖田は跳び跳ねて喜んでいた。

「おお!? 全然釣れなくてもうダメなんじゃって思ってましたけど、もしかして沖田さん魚釣りの才能がある!? やったぁ! やりましたよマスター! 初の魚釣りで沖田さんまさかまさかの大勝利ぃ! ――こふっ」

 跳び跳ねて喜び、両足が地面から離れた瞬間に沖田は唐突に吐血した。着地出来ずに足を滑らせて、そのまま顔を岩礁に叩きつけた。
 ちーん、と聞こえて来そうである。釣竿が海に落ちた。とりあえず嘆息して、沖田の許に泳いでいく。

「おい」
「ぅ、うぅ……いたひ……」

 ペチペチと頬を叩くと、沖田は目を覚ました。鼻頭と額を真っ赤にして、涙目で沖田は呻く。

「ますたぁ……わたしの、えものは……?」
「竿ごと海に還ったよ」
「そんなぁ……」

 それより病弱の破壊力が想像を超えていて、俺が「そんなぁ……」と言いたかった。
 霊体化して砂浜に戻れと言い、俺は海から上がる。とりあえず採った魚は処理した後に焼いて食う分と、保存の利く干物にする分を分ける。その準備の為に投影した魔剣で火を熾し篝火とした。
 落ち込んだ様子の沖田は、俺の側で「私の魚ぁ……」と嘆いていた。

「……はぁ。おい、これ食え」
「……え?」

 マスノスケを木の枝で串刺しにし、丸焼きにしたのを差し出す。すると沖田はきょとんとした。
 夕方である。海が夕日に照らされ橙色となっていた。沖田はまじまじと俺と焼き魚を見る。自分が釣った魚と同種のそれが、自分に差し出された事に困惑しているようだった。

「あの、私サーヴァントなんで、食事は必要ないんですが……」
「隣で悄気られてたらこっちまで気が滅入るって話だ。いいから食え」
「はぁ……では、頂きます……」

 沖田は俺から串を受け取り、戸惑いながらも口をつけた。
 暫く無言で食べる。沖田を横目に見ると、ほくほく顔だった。唇を脂でてらてらさせ、指にも付着させている。もっと綺麗に食べろよと呆れた。まるで子供みたいだと呆れつつ、口許を手拭いで拭いてやった。

「わぷっ、んんん!? ま、マスター! そんな、それぐらい自分でやります!」
「ならやれ」

 抵抗してきたのでそのまま手拭いを押し付ける。唇を尖らせて不満そうにしながら、沖田は指と口を拭いた。
 干物を作るのに時間は掛けたくないので、同じ魔剣を投影し火力を増す。魚の干物を作る傍らでテントの部品を投影して組み立てはじめる。今日はここで夜営するつもりだった。
 便利ですね、マスターの能力……と、沖田が感心しているのか呆れているのか分からない声音で言ってくる。確かに便利だ。剣以外の投影だと魔力は倍以上掛かるのも珍しくはないが、宝具でないなら余り負担はない。精密機械でも、俺自身がパーツを全て把握していたら、そのパーツを投影して組み立てるのも可能だった。破損聖杯というタンクもあるし、魔力の心配も殆どない。
 まあ、五%の容量の内、一%は沖田への供給に常に回さねばならないのだが。何せカルデアとの繋がりがない状態でサーヴァントを召喚して、契約しているのだ。破損聖杯が無ければ喚ぶ事は出来ず、そもそもサーヴァントを維持する事すら不可能だったろう。俺の魔力量なんてそんなもので、独力で可能なのは最低でも遠坂凛クラスの魔力がなければ厳しい。

 後少しで日が沈む。――その時、不意に沖田の目が鋭くなった。

「――マスター」
「どうした」

 自然体で応じる。沖田は言った。

「殺気です」
「……夜営は出来ないな。放っておけ、どうせ偵察だ。引き返すだろう」
「いいんですか?」

 なんなら斬ってきますが、と。先ほどまでのおちゃらけた様子は微塵もなく、冷徹な眼差しで訊ねてくる沖田に答える。

「構わない。偵察が帰ってこなければ、どうせ有事ありと判断される。斬っても斬らなくても同じだ。無駄な手間は省略するに限る」
「ではどうします?」
「逃げてもいいが、先に捕捉されてしまったからな。――沖田、偵察しに来た奴を追え。ただし戦闘は禁止する。敵本隊の位置を掴んだら戻って来い。然る後、こちらから先制攻撃し撹乱してからトンズラだ」
「承知」

 沖田の気配が消える。
 それを感じながら、保存食としたそれを戦闘背嚢に詰め込む。
 一抹の不安があったが、沖田は戦闘の事となると一切の遊びがなくなる性質らしい。それには素直に安心した。

 令呪を見る。三画のそれ。カルデアのシステムとは関係がないから、使い捨てで補充はされないだろう。使い時は、慎重に見極めねばならない。






 

 

世紀末救世主はゲリラくん!




 十日ほど、予て考案していた宝具改造案があった。左目が潰れ、隻眼となった事で感覚が狂い、弓の近・中距離射撃が難しくなった故に考えざるを得なかったのだ。
 近接戦闘こそ以前よりも感覚は鋭くなったが、視覚に拠る処の多い射撃となるとそうも言っていられない。中距離戦闘ともなると、近接戦とは感覚が全く異なり、死角からの投擲なり射撃なりに対応できない場合が出てくる。それを何とかする為に、草案を纏めていたのだ。

 そして、頭の中で形になったのは。

 干将莫耶による近接戦をこなせて、別の宝具を投影し直すまでもなく近・中距離に対処する為のカタチ。それは銃剣である。これが最も今の俺に適した武装であると言えた。
 ――躰の何処かで、歯車が廻る。ぐるりと楔が裏返った。

「……?」

 ふとした眩暈が錯覚のように通り抜ける。
 脳裡に鮮明なイメージが浮かび上がった。陰陽一対の夫婦剣が異形と化した黒と白の二挺拳銃。まるで最初からあったような、今の今まで求められていなかったから隠されていたような……。
 意識して投影すると、すんなりと異形の機構を備えた干将莫耶が現れる。中華風の双剣が、その特性を残したままに銃身を組み込まれている。
 不思議なほど手に馴染んだ。ともすると通常の干将莫耶よりもしっくりと来る。手の中でくるくると廻して、正面に銃口を照準し引き金を引く。連射される銃弾。魔力の籠ったそれ。銃口から迸る発火炎(マズルフラッシュ)と手に返る反動が心地好く感じられる。
 干将と莫耶の柄頭を連結させ、双刀刃のように振るう。連結を解除して莫耶を投げ、宝具の特性で引き寄せたものを掴みながらの射撃。魔力の結合を解いて双剣銃を消した。

「マスター」

 たった今感じた違和感の正体を探る。俺に埋め込まれているアラヤ識が、別のカタチに楔を切り替えたように感じたが……。
 しかしより細かく詳細を辿る前に沖田が戻ってきた。怜悧な面構えには刀の切っ先じみた鋭さがある。俺は沖田に言った。

「戻ったか」
「はい。敵陣、捉えてきました。ここより南東に距離千、森の中にいます」
「数は」
「千ほどです。しかし確認できたのがそれだけで後二百かそこらはいるかもしれません」
「サーヴァントはいたか?」
「いえ。見たところ雑兵ばかり。サーヴァントの姿は見えませんでした。ただアサシンやそれに類するスキル持ちの場合は私でも見つけられないでしょうから、最低限の警戒は必要かと」
「そうか」

 沖田の言うように、アサシンが指揮官の可能性もなくはない。しかしそれはほぼ考えなくてもいいだろう。指揮官が姿を消し軍勢に紛れているなら恐れるまでもなかった。
 そして今から俺が執る戦法なら姿を隠しているアサシンに見つかる恐れもほぼないだろう。
 俺は思案しながら、黙って傍に控える沖田に向けて言った。

「沖田」
「はい」
「お前の呼び方を考えてみた」
「はい。……はい?」

 きょとり、と。素の表情を出す沖田に俺はあくまで真面目に言った。

「仮にも俺の生命線且つ相方であるお前を、『沖田』と呼ぶのは他人行儀過ぎる。かといって『総司』は何か違う気がする」
「違う気がするって、それ私の名前なんですけど……」
「セイバーとアサシンのダブルクラスだからクラスで呼ぶのは外してる感がある。ではどうする。お前はサーヴァントだから諱で呼ぶのは有りなんじゃないか? 『春政』とか。でもそれはそれでおかしい。どう見てもお前、マサって感じしないしな。政治のせの字も知らんと見た」
「サラッと失礼ですね……」
「よってお前の事は『春』と呼ぼう。ハル、いい響きだ。頭の中が常に春一色のお前にはお似合いだ」
「ほんとに失礼ですね!?」

 驚愕する沖田だったが、呼び方自体にはあまり拘りはないのか、はたまた女の子っぽい呼び名に拒否感がなかったのか、沖田は「ちぇー」と唇を尖らせるだけだった。
 別に春でもいいです。桜が綺麗に咲く季節ですもん。沖田がそう独語したものだから、俺はつい連想してしまった。
 ――さくら……桜か。
 脳裡を過るのは冬木で待つだろう女の事。もう少女とは言えない。懐かしいなと思う反面、何故か背筋を伝う嫌な汗。考えるのはやめておこう。俺は一つ頷き、彼女を促す。敵に嫌がらせをして即座に離脱する気構えを作るのだ。

「行くぞ、沖田」
「――って、結局ハルって呼ばないんじゃないですかー!」


















 士郎は眼帯を一度外し、髪を掻き上げる。
 英霊エミヤを召喚し、髪が白くなり肌が黒ずんで以来、一度も掻き上げる事はなかったが、少し髪が伸びて鬱陶しくなっていたのだ。
 髪を撫で付け改めて眼帯を着ける。破損聖杯に魔術回路を接続し、野戦服を投影した。それに泥を塗布し、着込む。同じように外套を投影するとそれも土砂で汚し、簡素な迷彩仕様にしておく。刀を抜いている沖田を一瞥すると、一つ頷き霊体化するや否や俺の後ろについた。
 日は完全に沈んでいる。森の中だ。生い茂る草木、空に蓋をする枝葉によって、月明かりすら地上には届かない。完全な暗闇である。

 眼球に強化の魔術を叩き込む。

 眼に入る光量は殆ど無いが、それで多少ましにはなる。ほぼ何も見えなかったのが、モノのシルエットだけは辛うじて識別出来るようになった。それでも普通は戦闘など不可能だが、士郎には夜間戦闘の心得がある。死徒は夜に力を増し、光のない闇の中でも差し障りのない視界を持っているのだ。それらとの戦闘を行うには、そうした技術の会得は不可欠だった。
 ある程度見えるならそれでよし。眼で視るだけが能ではないのだ。士郎はひっそりと物音もなく動き出す。ターゲットはこちらに背を向け、先程まで士郎らのいた砂浜に向かうケルト戦士らだ。
 数は千を超える。しかし明確な指揮官がいないらしく、統率はまともに取られていない。陣形は何もなく、ばらつきながら無秩序に歩いているだけだ。
 そして眼前には、軍とも呼べぬ戦士の群れからやや孤立した位置にいる五人がいる。背後から忍び寄るなり、最後尾の一人の口を押さえると同時に投影したナイフで喉を切り裂く。そのままソッと躰を地面に横たわらせ、更に一人、一人と音もなく始末した。

 五人とも片付ける。魔力となって虚空に熔けていく戦士の骸――

 体力の疲労を解消し、魔術回路も問題なく稼働している。万全の士郎はいつぞやのように、簡単には遅れを取らない。
 霊体化したままの沖田がついて来る。今度は正面に十人。士郎がハンドサインを送る。サーヴァントである沖田だ、宝具でも魔術によるものでもない暗闇で視界を塞がれはしない。目視でそのサインを見ると気配を遮断したまま実体化した。
 そして刀を構える。士郎が一人、二人と先に始末していく。喉を軽く刃で撫で、五人目で位置が悪くケルト戦士の一人が士郎に気づく。瞬間、沖田が間合いを縮める歩法で跳んだ。
 一瞬にして距離を詰め、一刀の下にその戦士を斬り伏せる。その物音で残りの四人が一斉に振り向くも、三人の首を沖田の刀が刎ね飛ばした。そして最後の一人が叫ぼうとしたのを、強化された膂力により弾丸の如く投げ放たれたナイフが阻止した。
 最後の一人が死に、地面に倒れる。その額に根本まで突き刺さったナイフを引き抜き、血糊を服で拭う。刃毀れがしていた。士郎は冷淡にナイフを消し、別のナイフを投影する。

 七人までなら士郎が無音で殺害していく。しかし敵の位置が悪かったり、七人を超えていた場合は沖田が討ち漏らしを斬殺する。そのルーティンである。
 淡々と冷淡に、単純作業の如く只管繰り返す。千人全てにこれをするとなると、キリがないと感じるのが普通だ。だが、キリはある。繰り返せば必ず終わりは来る。心の磨り減るような緊迫感の中、なんでもないように次々と処理し二百余りも暗殺していく。
 このままやれば、無秩序な群れなど問題にもせず殲滅してしまえるだろう。しかし士郎はあくまで冷静だった。冷徹だった。沖田を手招くと、その耳元に顔を寄せて囁く。

「――敵の先頭が何処か分かるか」
「もう間もなく森を出るかと」
「潮時だな。退くぞ」
「分かりました」

 そうして士郎は暗殺を切り上げる。躊躇いはない、戦果への惜しみもない。
 士郎は霊体化させた沖田を連れ、密かにケルト戦士の軍勢から離れる。戦士らが砂浜に出た頃を見計らって、士郎は宝具爆弾を炸裂させた。大規模な爆発が遥か後方から轟く。壊れた幻想だ。今ので何人を餌食としたのか、関心もない。
 無数の低位の宝具の剣を砂浜に突き刺しておいたのだが、どれほどが手に取っただろう。戦士には宝の山に見えたはずだ。そしてそれを手にした全ての戦士と、爆破範囲にいた者は余さず爆殺したと判じられるだけである。

「春。躰の調子はどうだ?」
「あ、今度は春って呼ぶんですね。躰は問題ありません。楽な仕事でした」
「ならいい。夜が明けるまで口数は減らすぞ」
「はい」

 進路は南東だ。より細かく言うなら五時の方角である。三時間歩くと、不意に士郎は沖田の前に手を伸ばして静止させた。異変だと察した沖田が実体化する。
 鼻を鳴らす。東からの風だ。風上から臭いが漂ってくる。これは……汗だ。サーヴァントも実体化していれば汗を掻く。サーヴァントではないケルト戦士も発汗はするだろう。風に乗って漂ってくる臭いの濃さは……相応の数を予想させる。
 警戒しつつ進むと、森を抜けた先に拓けた場所があった。こんな所があったのかと士郎は怪訝に思うも、実際にあるのだから仕方がない。
 そこには千もの軍勢がいた。そして将がいる。サーヴァント・ペンテシレイアだ。

 なぜ奴がここに?

 士郎は舌打ちしたくなるが、グッと堪える。
 嫌らしいまでに堅実だ。夜には必ず拓けた箇所で、下手に森に入らず、動かずに防備を固めている。森やその周辺での戦いを心得た将だ。流石はアマゾネスの女王である。しかし兵数が半分まで減っているようだが……。
 月明かりが遠くまで照らしている。向こう側まで見通せる眼を持つ士郎は顔を盛大に顰めた。
 立地が悪い。士郎にとって。小声で沖田に囁きかけた。

「……今夜はここまでだ。ここで、ある程度明るくなるのを待つ」
「敵がこんなに近いのにですか?」
「場所が最悪だ。此処から先は渓谷になっているらしい。こんな地形だった筈はないんだが……その入口を封鎖する形で奴は陣取っている。明るくなれば奴も動くだろう。それをやり過ごして、渓谷を通る。他に道もない」
「分かりました」

 風向きが変わる前に、血塗れの戦闘服を消し、装備を改める。戦闘服を一新して、紅い聖骸布をその上に羽織った。そして二挺の双剣銃を投影して地面に突き刺す。士郎はその場にゆっくりと座り込んだ。沖田も倣い、座る。
 森から出る事なく、時間が経つ。士郎は時計を無意識に見た。が、カルデアの時間経過を示すだけで、こちら側の時間は表示されない。月明かりが雲に呑まれた為に、後何時間で明るくなるのか判断がつかず、士郎は身動き一つせずに忍耐強く待ち続ける。
 そして不意に気づく。沖田の顔色が悪い。眉根を寄せて士郎は訊ねた。霊体化していたら多少はましになるか? と。しかし沖田は無言で首を左右に振った。霊体でいても変わりはない、と。何せ霊体だろうが実体だろうが、サーヴァントに付随するそれは、常時呪いのように機能しているのだから。
 やむをえず士郎は沖田を手招く。首を傾げてすぐ傍に寄ってきた沖田の手を取り、紅い外套を地面に敷くとそこへ横たわらせた。膝に頭を乗させて、微かに眼を見開く沖田に小さく言う。

「楽にしておけ。ゆっくり息を吸って吐くんだ。気休めだが、何もしないよりはましだろう」
「す、すみません……」
「謝るな。お前が死ねば、俺も死ぬ。俺が死ねばお前も死ぬ。一蓮托生だ、お前の命は俺の物で、俺の命もお前の物なんだから。迷惑を掛けたと思う事はない。変に遠慮される方が迷惑だ」
「……はい。あの、マスター」

 なんだ、と返す。

「ありがとうございます」
「……」

 士郎は無言で頷く。更に時が経つのに耳を澄ませ、微かにケルト戦士らが活気つくのを感じた。
 視線を上げると、どうやら明るくなりつつあるのを察知したらしい。何時間が経ったのか。彼らが通りすぎるまで、後どれほどだろう。いや、後少しかもしれない。そう思いいつでも動き出せるように身構える。

 しかし――

 ペンテシレイアは、渓谷の入口から動かなかった。

「――」

 ぞわりと悪寒がする。
 何故動かない? 夜は明けたのに。不動のまま動きのない陣容に言い知れぬ不吉を感じる。
 渓谷を封鎖したまま奴らは動かなかった。何かを待っているのか? ……待て、『封鎖したまま』だと?

 自身の思考に、士郎は怖気が駆け抜ける心地を味わった。まさか捕捉されているのか? いやそれはない。もしそうなら、待たずに攻撃して来るはずだ。だったら何故――そして、答えを知る。
 ケルト戦士らと、少数のアマゾネスの女戦士、そしてペンテシレイアが武器を手に立ち上がったのだ。奴らは士郎の方ではなく、その反対側である渓谷の先に向いている。その先から砂塵が上がっているではないか。
 敵の増援か? いや違う、そうなら戦闘態勢は執らないだろう。ならあれは、ケルト側にとっての敵で――それはつまり。

 現地の、生き残っている人々だった。

「……!」

 視力を強化し視認したのは、五百人にも満たない大陸軍の兵士達だ。そして彼らは二百名余りの難民を連れている。
 思わず立ち上がりかけた士郎の手を、いつの間にか離れて片膝立ちになっていた沖田が掴んだ。

「ダメです」
「……」
「行けば、死ぬ恐れがあります。マスターが危険を犯すのを、サーヴァントとして見過ごす事は出来ません」

 道理だった。見れば難民の向こう側からは、更に別の集団がやって来ている。どう考えても、それはケルトの軍だ。それも元々二千だったペンテシレイア軍の半数。つまり彼らはペンテシレイアにしてやられ、追い立てられ、誘い込まれ、渓谷という逃げ場のない場所で殲滅されるのだろう。
 下唇を噛み締める。苦悩した。助けるべきか、助けないべきか。
 助けず見捨てるべきだ。それが最も合理的である。しかし十日以上経って漸く見つけられた生存者達なのだ。このまま見殺しにするのは、人道的にも大局的にも良くない。短絡的に目先の合理で見捨てるよりも、長期的に見て動かねばならない時が来ただけの事だ。

 決断は早かった。

「春。俺の命令に従ってくれ」
「……」

 困ったように眉を落とす沖田に、士郎は断固とした眼差しで告げた。

「彼らを助けるぞ」
「マスター……」
「俺を莫迦な男だと笑うか?」
「……いいえ。マスターが決めたのなら、私に否はありません。戦場に事の善悪なし……ただ只管に斬るのみ。振るわれる刃は貴方のものです。マスターの行くところ、例え地の果て水の果て、儚きこの身が尽きるとも、冥府の果てまでお供しますとも!」

 快い返答に士郎は薄く笑みを浮かべる。刃は俺のもの、か――そう呟く士郎は、次の瞬間には獰猛なそれへと笑みを転じていた。

「死ぬにはいい日だと誰かが言ったが、そんな日は死ぬまで来ない。俺の売りは生き汚さでね。それに生憎と、この身はただ一度の敗北もない。今度も切り抜けてやるさ」

 勝算はある。勝機はある。無くても作るが、今回は充分に勝ちを狙えた。
 勝率は僅かに八%。極めて上等。士郎は双剣銃を握り締め、機の到来を目前にして沖田の戦意を奮い立たせる、灼熱の炉のような瞳を向けた。

「往くぞ。俺の命、お前に預ける」
「はい。では沖田さんの命も、マスターにお預けします!」







 

 

地獄の始まりだよ士郎くん!





『目に映る全ての人に幸福でいて欲しい』

 酒の席でうっかりと溢してしまった、我ながら幼稚で度し難い戯れ言だ。今時夢見がちな小学生だってもう少しまともな夢を見る。
 世界中の人々が幸福だという結果なんて、そんなものは絶対に有り得ないと知っているのに。そんな願いがふとした拍子に溢れていたのだ。
 今ではそれが、アラヤ識に埋め込まれた楔の影響なのだと知っている。だがそれは、偽りなく男が抱く潔癖な願望でもあった。
 或いは、だからこそなのかもしれない。力足りず知恵及ばずただの人間の限界として、せめて己の手の届く範囲にいる人にだけは、不幸に嘆く涙を流させたくなかったのだ。
 綺麗好きで潔癖性。些細な不幸(よごれ)を赦せない独善者。好きに言え。偽善独善大いに結構、それでも本気で夢見ていた。

『なに? アンタ、もしかして気でも狂った?』

 素っ頓狂な声音で、直截的に正気を疑う女に、男は酔いの回った顔で文句を投げた。
 俺は至って正気だぞ。そう言うと、女は呆れるやら笑えるやら。一頻り可笑しそうに肩を揺らすも、やがて笑いを収めると真摯に忠告する。

『ばかね。アンタはまず、アンタ自身を幸せにしなさい。それがアンタの身の回りを幸せにする、一番の近道で唯一の方法よ。……って、わたし何言ってんだろ……わたしまで酔っちゃったか』

 道半ばに立つ男に向け、女は酒の勢いで饒舌に語った。これも酒の魔力と嘯きながら。

『ま、酔っ払いついでに言ってあげるわ。いい、士郎。自分の幸せも分からないまま突っ走っても破滅するだけで、なんにもならない。他人の不幸に首突っ込んで、怪我ばっかして。桜とか藤村先生とか、あとついでにイリヤスフィールをヤキモキさせるなって話。どうせ聞かないんでしょうけど。
 でも――もし。もしよ? 士郎。アンタがもしも自分の幸せのカタチを見つけられたんなら、絶対に後悔しない選択肢を選びなさい。命が掛かっていようが、迷ったらダメ。いつも通りお得意の屁理屈捏ねて周りを巻き込んで、盛大にばか騒ぎして進みなさい。アンタのその姿に桜は惹かれたんだと思う。イリヤスフィールだってね。
 ……わたし? 知らないわよそんなの。あのね衛宮くん。勘違いされたくないからはっきり言っとくわ。心の贅肉塗れなアンタの事、わたし大っ嫌いだから。だってアンタに付き合ってたら、こっちまで太っちゃいそうじゃない』

 男は笑った。そうか、それは大問題だと。だってただでさえ贅肉の塊だもんな。胸には贅肉がないのに。

『もぉ、仕方ないわね衛宮くんは……』

 にっこりと微笑む遠坂凛は、実に悪魔めいていた。そこで記憶は途切れている。

 ――昔からそうだった。

 なんとなく、見捨てられない。なんとなく、諦められない。なんとなく……負けたくない。
 子供の頃は、弱い者苛めを見過ごせなかった。少し大きくなってからは意地を張った。多くの現実に直面してからは、理不尽なものに負けたくなくて道理を蹴っ飛ばした。
 見捨てられない。諦められない。負けたくない――つまるところその男は、底無しに馬鹿で負けず嫌いだったのだ。

 大の為に小を切り捨てる。

 そんな賢しらげな計算など糞食らえ。助けたいと思って始めたのだ。なのに小を切り捨てるなんて、そんなのは負けを認めたようなものだろう。現実という理不尽に膝を屈したようなものだ。
 ふざけるなと吼えた。啖呵を切った。見捨てたくないからやるのだ、諦めたくないから救う、負けたくないから認めない。それだけだ。それだけでいいのだ。自分以外のモノが原因で突き進んだのだとしても、己の足跡は己だけのもので、あらゆる苦悩も喜びも、己自身の生きた証だ。死にたくない、だが死なせたくもない。偽善だなんだと好きに言え、所詮は徹頭徹尾自分の為の自己満足。その道への文句だけは絶対に赦さない。

 ――俺は俺の目に映る者を救う。誰がなんと言おうと救う救わないは俺が決める。自己満足の自己責任だ、誰にも文句なんか言わせない。言われたとしても認めない。俺は絶対に成し遂げる。だって……そんなバカ、貫き通せたとしたら最高にカッコイイだろう?

 己の言い分は無責任かもしれない。大の為に小を切り捨てるのが大人の選択だろう。だがそれでもと言い続ける。だって小を切り捨てるような事をする奴が、どうして大を救い続けられる。きっと何処かで破綻するのが目に見えていた。
 無理でもなんでもいい、最初から全てを救う気概もなしに、どうして誰かを救うなんて宣える。人理を守る、なら人理に含まれる善性も悪性も、丸ごと全て救えばいい。
 まずは自分、その後は手近な者、その後にもっと輪を広げていけば、いつかきっと自分の世界は平和になる。嘘でも虚飾でも構わない、だからただ己を貫くのみ。誰に後ろ指を指されようと、己自身に誇れるのなら構うものか。

 だから――士郎は惑わない。風魔の忍にも誓った。これは自棄っぱちの万歳特攻などではない。

「む……」

 背後より轟く銃撃音。ペンテシレイアは自身の隊の後背より、襲撃してくる者がいるのを察して振り向いた。
 黒と白の双剣銃、銃口より吐き出される弾丸の霰が次々とケルト戦士を穿つ。指揮官足るアマゾネスの女王ペンテシレイアは眉を顰めた。人間? それも『単騎』だと?
 襲撃者は衛宮士郎。その名を知らないペンテシレイアは、侮蔑も露に吐き捨てた。

「鏖殺を前に無謀な義侠心にでも駆られたか? 怯え潜み、やり過ごしていれば死なずに済んだものを……度し難い弱者め。踏み潰されて死ね」

 ペンテシレイアは大音声を張って後陣の者らに命じた。楯構え! 槍衾を立てよ! 陣に入れず跳ね返し、そのまま突き殺せ! 軍神の血を引く女王の覇気が、ケルト戦士を過不足なく統率せしめる。個々が好き勝手に蛮勇を振るってなお武勇に長けた戦士が、卓越した指揮官の手綱によって一糸乱れぬ隊列を組む。
 真っ向から突っ込むのは単騎。浅黒い肌に、撫で付けられた白髪、左目を覆う眼帯――鋼じみて固く、青い炎のように熱い冷酷な眼光……。破れかぶれの特攻ではないとペンテシレイアはすぐに気づいた。歴戦を踏破した勇者だけが持つ『なにか』がある。幾度もの死地を征服し、死の危機を勝機に転じる威風がある。そうと察した瞬間に女王の威が膨れ上がった。渓谷に追い詰められてくる雑魚どもよりも、己はこの男一人を敵とせねばならない――

「――……ァアアァアァアアアッッッ!! 勇を奮えッ! 力を翳せッ! そして殺せェッ!」

 軍神咆哮。その身に宿す軍神の血を呼び起こす閧の声。女王より発される莫大な戦意が戦士として自陣に立つ者を奮い立たせ、軍神に率いられたが如くその叫びを伝播させていく。
 軍勢が叫ぶ。嘗て敵対したあらゆる軍集団が震え上がった閧の咆哮。しかし、肌を打つ音の打撃にも全く怯まぬ鋼の心――異形の双剣銃をだらりと下ろした男がカッと眼を見開いた。来る、とペンテシレイアの全神経が研ぎ澄まされた。

 虚空に投影されるは神造兵装。その投影工程を全てキャンセルする事で、ハリボテとして打ち出される超質量。斬山剣とも称されるそれは全長数十メートルにも及び、『虚・千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)』と銘打たれたそれは堅牢な戦士の防壁を正面から打ち砕いた。

「……!」

 ペンテシレイアは瞠目する。ハリボテの玩具、己に掛かれば一撃で破壊できるガラクタ。しかしそれは歴とした宝具としての存在の名残を感じさせたのだ。今のはなんだ、宝具を持っているのかとペンテシレイアは驚愕するも、あんなガラクタを幾ら出されても己には脅威足り得ぬと見切る。それさえ分かれば充分なのだ。未知の力を持つ敵など珍しくもない。神々の加護を受けた英雄には特にそれが顕著だ。
 その瞬間である。気配もなく、音もなく、白髪の男が現れた森から飛び出す者がいた。誰にもその姿を捉えられない。



 ―― 一歩音越え ――



 男が『虚・千山斬り拓く翠の地平』によって切り開かれた陣に突入する。ペンテシレイアは軍神の威を発しながら叫んだ。

「抜剣せよ! 包み込み、揉み潰せ!」

 戦士らが襲い掛かる。ペンテシレイアの中で眼帯の男は殺されるだけの弱者ではなく、蛮勇を振るうに相応しい勇者となっていた。屠るのに躊躇など元よりないが、ペンテシレイアはあの男を殺し尽くすべく睨み据えた。
 男はただ突貫するのみ。頭部を双剣銃で隠し、後は背中も胴も、腕も庇う素振りすらない。戦士らの無数の剣が四方八方から走る男を切り刻む。
 だが堅い。その総身に纏う衣服、紅い外套が男を鎧う甲冑となっている。強化魔術の練度が楔として打ち込まれている霊基に後押しされていた。『防弾加工』とでも呼ぶべきそれは、刃すらも通さない。しかし全身を金属の棍棒で殴打されるに等しい衝撃は徹る。それにはただ、頑強な筋骨と意思の力で堪えるのみ。
 己へと一直線に突き進む男の姿にペンテシレイアは獰猛な笑みを浮かべる。肉食獣の笑みだ。()き男だと嗤う、蹂躙し甲斐のある男だと。刃の洗礼を浴び、嬲られる男は走る。幾ら堅くとも無限の護りなどあるはずもなく、やがて刃が男の守りを砕き、総身を徐々に切り裂いていった。
 斬撃の雨に晒され続ける鋼の男。全身に斬られていない箇所などない。しかし己だけを見る男の直向きさに戦闘女王は昂った。よかろう、相手をしてやる――それは油断か。いいや、ペンテシレイアはそれを『余裕』と言うだろう。



   ―― 二歩無間 ――



「下がれ、お前達」

 ペンテシレイアは少数のアマゾネスの女戦士達を退かせる。親衛隊のような戦士らだ。
 陣内に空白が生まれる。ペンテシレイアと白髪の男を結ぶ道に、空洞が。それは女王が蛮勇の勇者を迎え撃つ為の場である。手ずから討つに値する戦士を殺すのだ。
 男は怯まない。女王は余裕を示す。
 その男が何をして来ようと対処できる自信がペンテシレイアにはあった。防禦を固めようとその上から潰してしまえる、何を出されても粉砕してしまえる。

「私が直々に殺してやる。褒美だ。芥のように潰してやろう」
「――」

 返答は陰剣、白の銃剣の投擲だった。己の首を狙う軌道。ペンテシレイアはそれを叩き落とそうとするも、陽剣、黒の銃剣より撃ち放たれた銃弾に阻止される。手甲に備えた鉄爪で軽々と切り落とすも、ペンテシレイアは白の銃剣を叩き落とす間を逸する。しかし躱すのは容易い。
 首を横に傾けるだけで躱し、白の銃剣は背後へ飛んでいった。発火炎(マズルフラッシュ)を瞬かせ銃撃しながら接近してくる男を、ペンテシレイアは一撃で殺さんと鉄球のついた鎖を手繰り――背後から襲い掛かってくる白の銃剣に、感覚だけで気づき剣を抜いた。
 振り向きもせず剣を背後に振るい、白の銃剣を叩き落とす。ペンテシレイアは嗤った。小賢しいと。



      ―― 三歩絶刀 ――



 ――女王の不覚は、男を侮った事ではない。
 蛮勇の徒と見誤った事。眼帯の男、衛宮士郎は勝算無き戦いにも怖じず、躊躇なく飛び込む精神性を持つが、その本領は冷酷なまでの戦運びにあるのだ。
 故にそれは必然。ペンテシレイアは突如として真横に跳んだ男に眉を顰め。

「――無明三段突き」

 眼前に突如として現れた剣者の姿に、驚愕も露に眼を見開く。
 並みの暗殺者なら。否、例え英霊として祀られる暗殺者であろうとも、襲撃者が眼前に現れたのなら女王は応手を誤らなかっただろう。
 だが相手は壬生の狼。数多の剣豪集う新撰組に於いてさえ恐れられた『猛者の剣』である。気配を絶ち、間合いを縮め、姿を現すなり見舞うは防御不能の対人魔剣。魔法の域の剣戟の極致。
 軍神の血が反応させた。咄嗟にペンテシレイアは手甲の手爪、剣を交差させて防御を選択する。

 ――放たれる沖田総司必殺の魔剣。

 『壱の突き』に弐の突き、参の突きを内包する三連の刺突。平正眼の構えから『ほぼ同時』ではなく『全く同時』に放たれる平突きが唸る。
 壱の突きを防いでも同じ位置を弐の突き、参の突きが貫いているという矛盾の為、引き起こされる剣先の事象飽和。その秘剣・三段突きは事実上防御不能の剣戟である。ペンテシレイアの鉄爪、鋼の銘剣を――事象飽和を利用しての対物破壊によって刳り貫いて。ペンテシレイアは本能的に身を捻っていた。

「かはっ――」

 左脇腹を『貫かれた』のではなく、刳り貫かれ『消滅』したような傷。風穴を躰に空けられた女王が膝をついた。

「チッ」

 沖田が舌打ちする。仕留め損ねた。だが拘らない、仕損じるのも想定の範囲。沖田はペンテシレイアを一顧だにせず、主人に縮地で一瞬にして追い付き、その血路を開くべく刃を振るう。血風吹き荒ぶ天才剣士の剣の結界が主の通る道を作る。
 走り去る男へ向けてペンテシレイアは吼えた。屈辱に打ち震えながらも。彼女は悟っていた。あの男は『マスター』だ。サーヴァントを使役する男だ。なら問うべきはサーヴァントではない、サーヴァントはマスターに使われる武器でしかないのだ。故に、

「貴様ぁ……! 名を名乗れ、覚えてやる……!」

 天地を震わせたのではないかと感じさせるほどの怒号。男は小揺るぎもせず、一瞬だけ視線を背後に向けるとペンテシレイアに言った。

「いずれ知る。それまで精々、生き恥を晒せ」
「は――」

 重傷である。追える躰ではない。故にペンテシレイアは敗北を噛み締める。
 ペンテシレイアは想う。そうだ、これこそが戦いだ、本当の戦いだ。そして、それに己は――敗れた。なんたる屈辱、ペンテシレイアは雪辱を誓い怒号を発した。

「――いいだろう、貴様はこの私を出し抜き勝利した。ならばこれより私は、貴様に焦がれる。なんとしても殺してやるぞ、是が非でもこの手で潰してやるッ! 私に殺されるその時まで、この大地で見事生き抜いてみせろ、英雄ッ!」

 狂ったように哄笑する女王を背に鉄心の男は疾走する。ただの一度も振り向きもせず。
 そうだ、それでいい。そのまま走れ、遠くへ行け、何処までも追い縋り、その首を圧し折ってくれる――









 士郎は渓谷を駆ける。谷の壁に剣弾を無数に撃ち込み炸裂させ、瓦礫の山を築き後方からの追撃を断った。既にペンテシレイアの存在は意識の外に締め出している。沖田の顔色が悪い。その背を労うように軽く叩き、士郎は騒然とする軍の部隊と難民達を見据えた。
 道を塞がれ愕然とする彼ら。しかし安堵も何処かにある。挟み撃ちにされそうだったのを、絶望と共に悟っていたのだ。
 だがそのすぐ背後から、千余りのケルト戦士の軍勢が迫っている。どのみち死は近い。
 己にも向けられる警戒と怯えの眼。理解不能な剣弾を見たからだ。だが士郎はまるで物怖じせずに胸を張り、堂々と――自信と自負を隠さずに、前面に押し出して大声で彼らに語りかけた。

「俺は敵じゃない。お前達を助けに来た」

 鏖殺への恐怖に染まった彼らの耳に、その鉄の芯の籠った声は染み渡った。
 絶大な自負は、救い主を名乗る男に後光すら差して見せているかもしれない。沖田はその主人の背中を見ている。眼を見開き、己のマスターの力強い断言に惹かれている。



「時間はない。だから選べ。
 此処で死ぬかッ!
 それとも俺と生きるかをッ!
 二つに一つだ、まだ死にたくない者だけが俺の背に続けッ!!」



 極限の状況の中に多弁は不要。提示される究極の選択肢。直前に見せた超常的な力。
 男は待たなかった。彼らの真ん中を切り裂くように走る。そしてすぐそこまで迫っていた戦士の軍団に突貫していく。
 虚空に幾つもの剣弾を現して、次々と放つその姿。沖田は感じた。令呪を。何があろうと戦い抜けと。躰が軽くなる。病の発作が一時的に治まった。
 その感覚に。その命令に。嘗て戦い抜く事が出来なかった天才剣士は歓喜した。遅れてはいられないとその背を追う。

 残された人々の前には、剣が突き立っている。

 銃は効かない。かといって剣を取っても戦える者など軍人しかいない。故にそれを執るとしたら戦う意思表示に他ならず。
 心の折れていなかった軍人の一人が剣を執ると、次々とその剣を握る者達が続いた。

「お、」

 恐怖に塞き止められていた本能が吼える。
 死にたくない、死にたくない――なら戦うしかない!

「おおおおお――ッッッ!!」

 眼帯の男に続けと、男達は奮い起つ。女達は祈りを捧げる。

 ――此処に、最新の英雄に付き従う者達が生まれた。





 
 

 
後書き
せっかくの挿絵……マイイラストってところから登録しようとしても全然できない……説明通りに何回やっても同じ。どうなってるのん? 

 

今日からBOSSだよ士郎くん!




「指揮官は誰だ」

 ――誰もが死に物狂いで戦った。必死になって生へしがみつき、遮二無二戦って勝利した。
 だが全員が無事に生き残った訳ではない。戦った以上、どうしても死傷者は出る。500名近くいた兵士は点呼した所、321名となり。200名近い難民にも犠牲者は出て172名となった。士郎と沖田を含めると総員495名となる。
 戦えるのは兵士と士郎達のみ……。いつまでも渓谷に留まる訳にもいかず、疲労困憊の難民達を連れて行軍を開始していた。

 そして森に入り河を見つけるとそこで一度休憩を取る事になる。夜通し逃げ回っていた難民達は河で水を飲むと、体力の限界だったのか木の蔭に入るやそのまま地面に横たわったり、樹木に縋り寝入ってしまった。
 厳しい訓練を積んだ兵士達も顔色は悪い。体力の限界なのは彼らも同じだ。今すぐにでも休息を取らねばならないだろう。士郎としても彼らを休ませてやりたいが、今はそれより確認しなければならない事がある。

 河のせせらぎを背に、士郎は兵士達を集めると問い掛けた。すると彼らは暗い表情で互いを見遣る。数秒待つと、一人の士官が歩み出てきた。金髪碧眼の青年だ。
 彼は士郎の前に出ると敬礼してくる。自然と上位者に対する敬礼だったので、士郎は一瞬戸惑うも、すぐに気を取り直して答礼する。士郎が答礼を終えて手を下ろすと青年もまた敬礼を解いた。

「アメリカ植民地軍所属アルトリウス・カーター大尉であります」
「シロウ・エミヤだ。こっちの奴がセイバーリンク・キラー。お前が部隊長か?」

 セイバーリンク・キラーって誰ですかと呆れつつも、沖田はぺこりと頭を下げ、そのまま士郎の後ろに下がった。自分が士郎に従うものであると態度で示したのである。
 完全に呆れているが、サーヴァントの真名を公言するのもバカらしい。衣装でバレバレだが日本のマイナーな英霊だ。サーヴァントといえど一目で『あれはシンセングミ!』とはなり辛いはず。そうだったらいいなと士郎は現実逃避した。

 異国の名にカーターは微かに表情を動かした。それは単なる困惑のようだ。カーターは気にする事ではないと頭を振り、士郎の問いに答える。

「いえ。部隊長は以前の戦いで戦死致しました。先刻まで指揮を執って下さっていたジョナサン・ジェイムズ少佐も、先の化け物との戦いの最中に戦死しております。ジェイムズ少佐亡き今、私が生き残った者達の中で、唯一の士官でして……」
「カーター……家は馬車職人か、御者か」
「は。実家は御者でした」

 カーターという姓の由来を思い出して呟くと、アルトリウス・カーターは生真面目に応じる。士郎は一つ頷き、兵士達を見渡した。
 アメリカ独立戦争時代の大陸軍……アメリカ植民地軍は、1781年から大きな危機を迎えていた。大陸会議が破産し、三年の徴兵期間が終わった兵士を再雇用できなくなったのだ。一般大衆の戦争に対する支持が最低の時期であり、ペンシルベニアとニュージャージーの派遣部隊で反乱が起こった程である。これを受けて大陸会議は大陸軍の予算を削る事を議決した。ジョージ・ワシントンはその後なんとか戦略的勝利を掴む事が出来たが、非常に頭を悩ませていた事だろう。

 理念と理想に燃えていた初期のアメリカ植民地軍と異なり、彼らには厭戦感が漂っている。徴兵されてから無理に戦い通して来たのだろう。そこへケルトの襲撃だ。よく軍が瓦解していないものである。
 ……それにつけても若者が多い。歴戦の兵士がまるで見当たらない。カーターが大尉なのは戦時任官で階級が繰り上げられたからかもしれない。それならその若さにも納得だ。どう見ても士郎がこの場で最年長である。まだ二十八歳の士郎が、だ。頼れる先任や上官を亡くしているからか、どことなく士郎を見る彼らの眼には縋りつくような色がある。嘆息したいのをグッと堪えた。

 装備は貧弱。銃器はほぼない。
 手にしているのは士郎が投影した名もない剣ばかり……。

「カーター大尉。状況は深刻だな」
「は……」
「これからどうするか、考えのある者は?」
「……」
「奴らとまともに戦える装備はない。その上部隊長を勤められる力量はお前にあるか?」
「……いえ、私では力不足です」
「……よし。では二、三ほど質問がある。答えてくれ。カーターだけじゃない、お前達も分かるなら答えてほしい。生憎と俺はお前達の置かれた状況を正確に把握できている訳ではないからな」

 二十歳そこそこの若者達の顔には、色濃い疲労が滲んでいる。ジェイムズ少佐とやらが生きていてくれたら良かった。だが贅沢は言っていられない。士郎は沖田を一瞥した。
 小声で周囲を警戒しに行ってくれと言うと、沖田は頷き霊体化してその場を離れる。兵士達からどよめきが上がった。消えた!? と。機先を制して士郎は先に言う。

「こちらの事については後で説明する。それより先にこちらの質問に答えてもらおう。ケルトの連中――ああ、先程までお前達を追い回していた連中の事だ。お前達は何時ぐらいから奴らと戦っている?」

 その質問に兵士達は隣合った者達と小声で確かめ合った。一分ほど待つと、漸く答えが返ってくるも……士郎はその醜態に眩暈がしそうだった。
 答えが返ってくるのに時間が掛かり過ぎだ。先が思いやられる。そうこうしてカーターが代表し言ってきた。

「一ヶ月前ほどです。突然現れた奴らは、無差別に人々を虐殺し始めました。これにワシントン将軍は抗戦していらっしゃるようですが、地方では殆ど抵抗が出来ておらず……火器が通じず、原始的であるのに化け物のように強い敵を前に、敗戦を繰り返して、戦線は押し込まれ瓦解しており……」
「一ヶ月……意外と最近だな……。……では次の質問だ。現状で頑強にケルトへ抵抗している戦線が何処か分かるか?」
「いえ……把握できておりません」
「……。……生き残りが他にいないか訊いても答えられそうにないな。ではケルト側の将、サーヴァントについて知っている者は?」
「……」
「……よく分かった。何も知らないんだな。……これが最後の質問だ。携帯している食糧はどれほどか答えろ」

 重苦しい沈黙が流れる。士郎は眼を閉じた。
 難民の者達はどれほど食わせられる? そう訊ねるとやはり、静寂に包まれる。

「このままだと、餓死するぞ」
「……!」
「誰か、最寄りの軍事基地がどこか知っている者はいないか。……カーター大尉」
「は。私に心当たりがあります。もしも無事なら物資などを調達出来るかもしれません」

 カーターの答えに、露骨にホッとする者が幾人もいる。それに士郎は厳しい眼をした。

「ここから徒歩で何日ほど掛かる?」
「……強行軍で、二日かと」
「それだと難民がついて来れそうにないな。三日は掛かる訳だ。その三日間、どうやって食わせてやる? それとも彼らを置いて行くか? なけなしの食糧を奪って」

 士郎の言葉に、電撃が走ったようだった。
 緊迫する空気を叩き壊すように、士郎は断固として告げた。

「見捨てようなどと考えるな。もしそんな素振りがあれば、その瞬間に俺はお前達を見捨てる」

 勿論本気ではない。だがそう言って楔を打っておく必要がある。下手な考えを持たれても困るのだ。
 彼らが何かを考える前に、士郎は畳み掛けるように話を次に移した。

「今度はこちらの番だ。お前達の敵の正体について説明する」

 士郎は魔術、サーヴァント、宝具、聖杯について語る。カルデアについては省いた。人理についても。言っても理解不能だろうし、言う必要もなかった。
 途端、胡散臭そうな空気が流れるのにも構わず話し終えると、彼らの上空に指差した。
 上を見た彼らが悲鳴をあげる。そこには士郎が投影した剣が浮遊していたのだ。

「お前達は自分の目で何を見た? オカルトは現実に存在した……だから理不尽な虐殺に晒されている。この期に及んで現実を疑うなら、俺の言う事を疑うなら、そのまま蹲っていろ。死ぬまで」

 苛烈な物言いである。冷酷な響きに兵士達は自分達の手元にある剣を見る。
 士郎の投影した剣だ。嘘だろ……そう呟く声は現実を直視している。嘘だと思いたいがその重量が何よりも雄弁に語りかけてくるのだ。敵を、そして自分を殺せてしまえる鋼の重さを。

「理屈や原理を理解しろとは言わん。だが其処にある現実(もの)から眼を逸らすな。生き残りたいのなら。少なくともお前達は既に一度、生きる為にその剣を執って戦った。――立て。戦うぞ、このクソッタレな不条理を叩き潰す為に」

 痛いほどの沈黙が横たわる。
 士郎は彼らが立ち上がるのを待った。待ち続けた。そしてどれほどそうしていたのか。やがて、カーターが言った。

「戦います」
「そうか。なら――分かっているな」
「は! 我らはこれより、貴方の指揮下に入ります! どうか我らを導いて頂きたい!」
「――は?」

 思っていたのと違う台詞に、士郎は面食らってしまった。
 カーター大尉、指揮を。そう言おうとした矢先である。愕然とする士郎は自覚していなかった。
 堂々とした振る舞い。先刻の危機を脱するに当たっての生き残る為の力。全滅必至の状況から数百人もの命を救ってのけ、彼らに戦う為の武器を授けた異能。
 非常識には非常識を。独立の為に戦ってきた彼らの知性は、士郎が思っていたよりもずっと柔軟だったのだ。必要とされる者が誰なのかを、彼らは悟っていたのである。

 士郎はそれに、遅れて気づく。兵士達の自分を見る目の輝きは、己こそを希望としているのだ。
 拒めばどうなるか、分かったものではない。もとより士官のカーターは己を力量不足と認めているし、それは他の兵士達も感じている事なのかもしれない。だが、士郎は頭痛を堪えて言う。

「……俺はお前達の軍に所属していない。余所者だぞ。そんな奴に従うって言うのか?」
「お言葉ですが、もはや我が軍はその大半が軍の形態を維持できておりません。軍ではなく、レジスタンスに近いかと。故に軍の階級よりも求められるのは、貴方のように大勢を導ける者です。貴方のように今の状況に適応し、打破出来る可能性のある方です。私達は死にたくない、死ぬにしても犬のように殺されるのは絶対に御免だ。せめて意味のある戦いで――意味を持たせてくれる方の下で戦って、死にたい」
「……」
「お引き受けください、異国の方。我らの命の恩人である貴方に、私達は希望を見たのです」

 士郎は知るべきだった。絶死の危機から脱した人々にとって、士郎のような人間がどう見えるのかを。
 時代のギャップを実感しているべきだった。この時代の軍の意識は、現代のそれよりも成熟していないのだと。
 士郎は自覚しているべきだったのだ。彼らにとって、鋼のように重い存在感を発揮する自分が――英雄に見えているのだという事を。

 それらを把握しきれずとも、士郎は断れない事を感じ取る。なんて民意だ、こんな民主主義滅んでしまえと悪態を口の中にだけ溢し、なんとなしに眼帯を撫でる。

「……分かった」

 元々人の命を背負うのには慣れていた。今回は数が多いが、なに、人理を救うという事は、過去から現在、そして未来に至る全人類を救うという事である。なら――たったの数百人如きなにするものぞ。そんなふうに強がるしかない。
 士郎は彼らの指揮を執る事を了承した。こんな大人数を指揮した事なんてないが、人間何もかも全てに初体験を経験する。場を仕切るのは得意だし、部隊を率いる知識も机上のものだがあるにはあるのだ。やってやるさと胸を張る。

「部隊を再編する。カーター大尉、お前は俺の副官だ。補佐しろ」
「は!」
「それから再編が済めば武器をお前達に渡す。その後に三日分とはいかずとも食い扶持を稼ぐぞ。幸いこの森は獣が住み着く条件が整っている。日に二食、少食に切り詰めればなんとかやれるはずだ。異論はあるか? 無いなら――整列!」

 士郎の号令に、気力の戻った兵士達が応じた。
 素早く隊列を組み直す彼らを尻目に、戻ってきた沖田が空気の変化に気づいて気の抜けた声を発する。

「……あれ? もしかしてマスター、やらかしました?」 

 なんとなくカチンと来た士郎は、無言で沖田の頬を引っ張った。
 いひゃいでふますたー!
 士郎は苦笑する。沖田だけが癒しだった。







 

 

摩耗を抑えて沖田さん!




 部隊を再編した。五十名の小隊を四個編成し、それを一個中隊とする。A小隊を率い、中隊長も兼任するのはカーターで、その下にBからD小隊の小隊長三人をつけてあった。
 そして更に別途に二個小隊を編成し、残る二十一名は戦闘部隊ではなく、付け焼き刃になるかも不明だが衛生兵、あるいは工兵として運用する。だがそれは未来(さき)があればの話だ。訓練や相応の設備、資源を必要とする以上、今は単なる労働力でしかない。

 総勢三百二十一名による一個中隊と二個小隊の変則編成。その編成を決めると一個小隊をそれぞれの小隊長に指揮させて辺りを哨戒させ、残りを休ませる。一時間毎に別小隊と交代させ、その間に俺は人数分の武器を投影するのだ。
 それで彼らは七時間休める事になる。些か効率が悪く、最後に交代する小隊以外は仮眠程度しかとれないだろうが、今は緊急時である。堪えてもらうしかない。休めるだけマシだ。

「マスター……根を詰め過ぎです。マスターも休まないと……昨夜は一睡もしてないんですよ?」

 沖田が心配そうに窺って来るが、俺は軽く肩を竦めた。

「なに、この程度の無理なら生憎と慣れている。あと二日はぶっ通しでやれるさ」
「……」

 困ったように眉を落とし、無言で俺を見る沖田に苦笑する。休める時が来たらちゃんと休むさ、そう言って武器の投影を続行した。
 彼らに剣や槍、楯を渡しても十全に扱えはしないだろう。かといって当地の武装では敵に通じない。ただの豆鉄砲だ。故に俺は現代の銃火器を投影する。本来の俺の魔力量では到底賄い切れない量と性質だが、魔力タンクである破損聖杯からの供給で辛うじて間に合わせた。
 魔術回路が過剰な魔術行使で熱を発し、激しい頭痛に見舞われるも気力で堪える。二時間掛けて黙々と武器を整えていく俺の傍で、沖田は辛そうに目を伏せて佇んでいた。

「カーター」
「お呼びでしょうか」

 アルトリウス・カーターを呼びつける。するとすぐに返事があった。
 彼はいの一番に哨戒部隊の小隊長として見回りに出た。その後は六時間の休息が取れるというのに、カーターは俺の声が届く所で待機していたらしい。律儀な奴だと呆れる。

 山と積まれた現代の銃火器に、カーターは目を見開いた。この時代の者は見た事もないような突撃銃だ、困惑するのも分かる。
 M4カービンである。口径5.56mm、銃身長368.3mm、ライフリング6条右転。使用弾薬は5.56x45mm NATO弾、装弾数20発/30発。マガジンはSTANAGで作動方式がリュングマン式。発射速度は一分で700から900発。銃口初速は秒間905mで、有効射程は点目標500mで、面目標は600mだ。

「人数分ある。今から五時間後、休憩が終わり次第全員に配れ」
「――BOSS、これはいったい……?」
「BOSSは止せ。コイツはM4カービンだ。扱い方と性能の説明は一度にしておきたい。悪いが後にしてくれ」
「……は、了解しました!」

 敬礼してくるカーターに嘆息する。
 何を血迷ったのか、カーターのみならず他の連中まで俺を『BOSS』などと呼んでくる。曰く俺が軍属ではないため階級がなく、呼び方に悩んだ結果だそうだ。そういう下らない事をどうして考えるのか……しかもよりにもよってボスだと? あれか、俺がマフィアの頭目にでも見えているのか?
 げんなりする。露骨に嘆息して立ち上がると、体が意に反してよろめいた。す、と無言で支えてくれる沖田に目をやり、うっすらと苦笑する。

「大丈夫だ」
「短い付き合いですけど、なんとなくマスターの事……分かって来た気がします。ぜっっったい! 大丈夫じゃないでしょ!?」
「座りっぱなしだったから、急に立ち上がって目が眩んだだけだって」
「いいえ、大丈夫じゃありません! ご自分の顔色、どんなものか分かってます? まるで私が吐血する五秒前みたいですよ!」
「なんだと? それはマズイな」

 予想に反してしつこく食い下がってくる沖田に観念して、俺はその場に座り込んだ。沖田は微妙に納得いかないらしい。
 なんで吐血五秒前って言ったら大人しくなるんですか……なんて。どことなく不服そうである。だが是非もなし、沖田のあれは本気で死ぬ寸前に傍目には見えるのだ。休まざるを得ない。疑似神経である魔術回路も酷使し過ぎているのだから。幾ら魔力があるからと剣でもない物を大量に、しかも短期間で連続して投影し続けるのに無理があったのは百も承知だった。
 だが休むと言っても時間的な余裕がないのも事実である。俺は沖田の目を見て告げた。

「一時間休む。一時間だけだ」
「マスター……」
「起こさなくていいぞ。勝手に起きる」

 樹木に背を預け、河のせせらぎを聞きながら目を閉じる。
 俺は最初から、カーター達や難民から離れた位置にいた。投影のし過ぎで疲れきってしまう姿を見せたくなかったのだ。
 彼らの生きる希望は、困った事に俺らしい。その希望は、強く、頼れて、より掛かれる存在でなければならない。弱っている所は可能な限り見せるべきではなかった。

「……」

 目を閉じると、すぅ、と意識が遠退いていく。訓練したのだ。眠ると決めると、即座に意識が落ちていくように。しかし、それでいて常に些細な事でも目を覚ませる。余程の手練れでもない限り寝込みを襲うのは難しいほどに。訓練に付き合ってくれたバゼットの鉄拳の感触が甦りそうなので深くは考えない。

 微睡む意識が、時を数える。虚無の中を揺蕩う意識は、極限状態故か夢を見る気配すらない。
 ただ闇に抱かれる安息。永遠にそれへ身を任せたくなるが――不意に気配を感じた。足音。そう判じた瞬間に意識が覚醒する。咄嗟の事態で武器を投影するのでは遅い。反射的に懐に手を伸ばして投げナイフを抜こうとして……気づいた。
 森の向こう側から、難民の子らしき少年がやって来ている。一丁前に気配を殺しているつもりなのか、樹木の陰からこちらを覗いていた。

「……」

 きゅ、と唇を引き結び。沖田はそっと、気づかれないように刀の鯉口を切ろうとしていたのを隠す。……過敏になり過ぎているな、俺も沖田も。

 ――よりにもよって今、来なくても……。

 俺が眠っていたのは僅かに44分だけだった。沖田が何か物言いたげに……複雑そうに表情を動かしたのを横目に、俺は少年へ笑みを見せる。
 彼を手招きした。生き延びてくれた幼い命だ。邪険にはしない。『例え食糧を盗みに来たのだとしても』。少年は警戒しつつも、ゆっくりと木の陰から出て来る。
 俺が怖いんだろうな、何せ見知らぬ他人。しかも隠れていたはずなのに気づかれたと来た。後ろめたいものがあるから、尚更怖い。しかも逃げ場はないと来てる。

 白い肌と碧い眼。癖の強い金髪の少年である。

「どうした、少年。腹でも減ったか」
「……」
「黙っていたら分からないぞ」

 こくりと頷いた少年は――我慢強そうな、気の強さを感じさせる目をしていた。なるほどと納得する。そういう事かと。
 戦闘背嚢をたぐり寄せ、そこから魚の干物を出す。沖田は咎めるべきか悩んだようだが、言っても無駄かと困り気味だった。元々子供好きでも、今はマスターを優先しないといけないと思ってくれているようだが……。
 俺は干物を一匹分貪り食う。そうしながら戦闘背嚢を少年に投げた。慌てて受け止めた少年は、その背嚢の重さによろめき驚いて目を見開く。

「其処に隠れているのは兄弟か? 友達か? なんでもいいが、皆で分けろよ」
「……おじさん……」
「お兄さんだクソガキ」
「おじさん、ありがとう……」

 お兄さんだって言ってんだろ……。
 少年が背嚢を担いで行くと、木の向こう側で小さな歓声が上がった。少年とは別の、更に二人の少女が顔を出して、兄らしい少年と一緒に頭を下げて駆け去っていく。
 お兄さん……。

「何落ち込んでんですかっ」
「だってあのチビジャリども……三十路いってない俺のことおじさん呼ばわりしやがった……」
「だってじゃありませんよ! それより大事な食べ物全部あげちゃってよかったんですか? それにあの子……盗りに来てましたよ」

 暗に罰を与えなくてもいいのかと訊ねてくる沖田に肩を竦める。子供は好きでも、叱るべき所は叱る筋が沖田にもあるらしい。

「育ち盛りなんだろ。それに、妹二人の為に食いモンをとって来ようなんざ見上げた心意気だ」
「罰がなかったら、また同じ事しますよ」
「ならまた食わせてやる。親父もお袋も……あの調子じゃ亡くしたか、はぐれたか。チビの妹二人、守る為に兄貴として必死なんだろう」

 同じ妹分を持つ兄貴として、気持ちはわかる。

「ただし……」

 甘やかしのツケは、必ず支払ってもらう。落ち着ける場所に行けたら、雑用としてこき使ってやるよ。そう言うと、沖田は苦笑した。どんだけ甘やかしなんですか、マスターは……なんて。
 そりゃあ、お前に甘いぐらいだよ。そうとしか言えない。というか、これは『甘さ』じゃなくて『余裕』って言うんだ。新参のリーダーが張り詰めた面してたら、周りに悪い空気が蔓延してしまう。多少の無茶なんざ、無理にはならない。
 俺は立ち上がって、あくまで軽く沖田に言う。

「さ、狩りに行くぞ。野草、木の根、獣……とにかく手当たり次第だ」

















 沖田はクロスボウを持つマスターを見詰める。
 どうしてこの人は、わざわざ険しい道を行き、要らない荷物ばかり背負うのか。
 自分の生死が人理修復の旅に、どれほどの影響を与えるか認識していないとは思えない。その上で彼は迷う事なく人を助けている。
 何故なんですか、と質問した。

「それは、あれだ。俺は俺の信条に肩入れしている。その為だ」

 その信条って、なんですか?

「後悔しない事。心で感じ、頭で考え、肚で決める。俺は俺のする事全てが正しいとは思っていないが、正しく在ろうと心掛けている。そうすれば道は拓ける。拓けなくても、拓く。そうして生きてきた。そうして生きていく」

 ……。

 また一つ、マスターの事が分かった。
 この人は底無しに自分を信じてる。真っ直ぐに生きている。自信満々に地獄を進むから、希望があるのだと地獄の底でも彼に続く人は惑わずにいられる。モラルとか、そういうのが壊れてもおかしくない絶望の中でも――この人がいればと、誰しもが信じられる。
 助けた現地の人たちも、マスターに光を見た。自分も彼の掲げる旗に『誠』の一文字を見た。だから迷わずに付き従えているのだと漸く解った。
 この人は仏様みたいに優しく、鬼のように凄絶で、人らしく在る。鉄のように固い信念、それがこの人の強さなんだ。でも――

「春、そろそろカーターに伝えてくれ。工兵、衛生兵予定の連中をこっちに回せってな」

 ――鉄は何時か摩り切れる。割れる。砕ける。
 そうならないように支えられるのは、自分だけなのだと沖田は思った。本当の意味で彼だけの味方でいられる自分だけが、どうしようもなく眩しいこの人を支えられる。
 彼は沖田をハルと呼ぶ。なんて気安い人なんだろうと呆れる反面……そんなにも気安くしてくれる人なんて、新撰組の中でも極一部で。近所の子供達ぐらいなものだった。彼は身長が高い。鬼の副長と恐れられた土方歳三と同じぐらい。私にもう少し身長があれば、横に並んでも様になったのに、なんて事を沖田は思う。

 マスターは分かってないんでしょうね……。

 カーター達を助けた時。渓谷を突破する際に、沖田に掛けた令呪――『何があろうと戦い抜け』という命令。それが沖田にとって、どれほど嬉しいものだったのか。
 きっと何時までも戦い抜いて来た彼には分からないだろう。でもそれでいい。沖田はそんなマスターと共に最期まで駆け抜ける。今の沖田の誠の旗は彼と共に在るのだから。

「こんなもんだろ」

 カーターと工兵・衛生兵予定の兵士達を連れて戻って来ると、彼は二頭の熊を仕留めて笑っていた。

「ここの生態系、どうなってるんだ? 特異点化の影響で狂ったのか……元々生息していたのを人間が絶滅させるのか。まあそれはいいがな。なんでお前まで来たんだカーター。お前は呼んでいないぞ」
「申し訳ありません。しかし副官として、出来る限り近くにいようかと思いまして」
「気負うのはいいが、来たからには運ぶのを手伝え。血抜きして解体して、コイツを食えるように処理する」

 野草、木の根……食えるものと食えないものの見分け方を、カーターや他の兵士達に口頭で伝えながら歩く鋼のような男の傍に侍る。
 沖田は二つの巨体を十人掛かりでなんとか持ち運ぶ兵士達を尻目に、これから迫り来るだろう苦難から助けようと誓った。

「――さて。改めて名乗ろう」

 狩りの成果は上場だった。士郎だけで冬眠前の熊二頭、部下達が大小様々な獣を十頭、河で五十匹近い魚を乱獲した。それらの処理と調理を終える頃には日暮れが近づいていて。
 難民172名を呼び集め、その周囲をカーター指揮下の中隊で囲い。士郎の背後には沖田や二個小隊、二十一名の予備兵を並べている。高台から難民達を見渡す士郎は、その中に先程の少年と二人の妹達を見つけたのか一瞬目を止めたが、流して周囲を見渡した。

「俺はシロウ・エミヤ。名前の響きで分かるだろうが異国の者だ。この緊急事態に在って、お前達を守ってきた兵士は俺の指揮下に入った。謂わばお前達の命を守り、安全な場所まで送り届ける責任は俺に帰する事になる」

 ざわめきは、起こらなかった。
 驚き、戸惑うだけの気力も湧かないのかもしれない。だが沖田を背にするマスターは、そんな暗い雰囲気にも気後れせず、あくまで堂々と声を張り上げている。よく響く、遠くまで行き渡る声音で。

「ここから三日歩いた先に、軍事基地がある。其処に行けば最低限の物資は得られるだろう。もし其処にお前達の指導者の手が行き渡っていれば、無事に保護してもらえる。だがそうならなければ更に歩き、歩き、歩き続けて安住の地を求めなければならない。だが安心しろ。お前達の身の安全はこの俺が保障する」

 よくもこうまで言い切れるものだと沖田は感心した。本当に大丈夫だという気がしてくる。
 しかし、帰る故郷をなくした人々の顔は未だに暗い。餓えているのだ。気力が萎み、脚が萎えているのである。突如として士郎が一喝した。

「見ろッッッ!!」

 俯く者が多々いる中、雷鳴のように轟いた叫びに弾かれ、思わず士郎の方を見る群衆。彼らを見据える鋼の隻眼が、燃え盛る気炎を宿している。それに見入られたように人々は呆然とした。

「俺がお前達を守る。お前達は俺を信じろ。信じて、助かる事を希望しろ。生き続けてやると、こんな逆境など認めんと吼えろ。――吼えろッ!」

 見本を示すように、士郎が両の手で握り拳を作り、己の胸に当てて天に向かって吼え立てた。おおぉぉぉぉ! 遠吠えのようだった。激甚な気力の籠った、莫大な熱量の放射だった。カーターが呼応して叫ぶ。兵士達も吼える。
 やがてやけくそのように人々も一人、また一人と吼え始めた。早くに、気の強そうな少年が咆哮している。妹達を抱く腕に力が籠り、熱い視線で高台の男を見詰めた。

 男が叫び声を止めると、次第に叫びは収まる。しかし一度燃えた火は、下火になっても残り続けた。何もなかった彼らの胸に、生への渇望が植え付けられるようだった。

「良い面だ」

 満足げに士郎は頷いた。――扇動者(アジテーター)も楽じゃないなと小声で呟くのを、煽りを受けて高揚してしまった沖田は、紅潮した頬を隠すようにそっぽを向いて返す。性質悪い人ですねほんと、なんて。

「今夜、早速発つ。長居してもいい事はない。充分に休んだだろう。だがその前に、腹ごしらえをする。カーター!」

 包みで隠していた、焼いた熊肉などを部下に出させる。するとどよめきが起こった。自らを見る群衆の目に、士郎は鷹楊に頷いた。

「味気ない。物足りない。そんな事はこれから先幾らでもあるだろう。だから喰え。今だけだ、今だけは山ほど喰らえ。喰えば、すぐに出るぞ」

 言っても、縛られたように彼らは動き出せずにいた。それに士郎は笑い、明朗に言い放った。

「喰えッッッ!」

 出された肉に、作られた惣菜のスープに、彼らは一斉に飛び付いた。お行儀よく並べ、順番だ順番! そんな声が兵士達から出てくる。
 四苦八苦しながら全員に飯を行き渡らせた。
 笑顔がようやく溢れ始める彼らを見渡し、士郎は密かに微笑み。ちらりと沖田に視線を向けると低い声で言った。

「――敵は?」

 その目は冷徹だった。沖田はしかし、穏やかに応じる。

「周囲に敵軍勢はいません。さっき確認しておきました」

 そうか、と士郎は呟く。彼の頭の中では、既に如何にして彼らの行軍を守るかの案が組まれ始めているのだろう。
 士郎は仄かに活気ついた人々に目をやって、静かな決意を口にした。

「――誰も、死なせない」

 それが不可能だと知っていても、士郎の意思に諦めはなかった。
 彼は、何も諦めていない。なら――

「なら、沖田さんはマスターをお守りしますね。だから存分に、守ってあげればいいです。そんなマスターを私が守りますんで」

 沖田は、そう決意する。生憎とただの刃だ、人の守り方なんて知らない。だから多くの人を守る士郎を自分が守ると沖田は言っているのだ。
 不特定多数を守る事なんて出来なくても、一人だけならなんとかなる。楽観的とも取れる言葉にしかし、士郎は虚を突かれたように目を瞬いた。
 そして、ふ、と笑う。

「ああ、なら守ってくれ。頼りにしてる」
「はい。頼りにしてください。沖田さんがマスターに、これでもかって大勝利させてあげますから、きっと!」

 くしゃりと頭を撫でてくる士郎に、沖田は胸が暖かくなる。照れて、えへへ――なんて。恥ずかしくなる笑みを溢してしまった。
 主人の命も、誇りも、心も。全て守る。それらへ害なす全てを例外なく斬り伏せる。その為の刃になろうと沖田は改めて意思を固めた。









 

 

拾いすぎだ士郎くん!






 夜空に煌めく星図を頼りに、平野を行く名も無き軍衆。先頭を歩む士郎は星を見上げながら、第四特異点の攻略指南のデータを纏め、推敲し、理論に穴がないかを真剣に精査していた。
 そして、通信を試みる。人理継続保障機関へ。しかし案の定、なんの応答もなく嘆息した。気落ちはしていない。既に何百と繰り返したのだ、また繋がらなかったかと淡々と感じるのみである。
 考えてみれば当然の話で、この特異点内外の時間の流れに大きな乖離がある以上、どうしたって通信が繋がりにくいのだろう。仮に通信が通じたとしても、こちらの方が時間の流れが何十倍も早い為、超高速でこちらが捲し立てる形になり、逆にあちらからは超低速で表示され意思疏通は酷く困難なものとなる。というより不可能だ。
 カルデア側は録音、録画した映像データを解析し、超低速で再生すればこちらの言っている事は把握できるだろうが、こちらはそういう訳にはいかない。士郎の身に付けている腕時計型の通信機は出来てデータの収集、送受信、通信、時間、周囲の気候の把握、所有者のバイタル表示が精々である。それだけでも流石はカルデア驚異の技術力だと持て囃せるレベルだ。
 士郎はもう、すっぱりとカルデアとの通信回復を諦めた。それこそ極めて高位の魔術師が味方になってくれねば、こちら側から連絡を取ることは不可能であると認識する。女々しく、未練がましく、しつこく連絡を試みるのはこれが最後だ。

 行軍は緩やかだった。足の遅い難民に合わせているのである。一塊になって歩く難民の両脇を二個小隊で固め、最後列に二個小隊をつけてある。カーターも最後列だ。残りの二個小隊と二十一名の工兵・衛生兵の変則小隊は士郎の指揮下で最前列にいる。
 あてどもなく歩く彼らに会話はない。体力の温存のために私語は控えろと言い含めてあるのだ。会話は気力や精神状態の維持に有効だが、今は単純に体力をどんな些細であれ浪費させる訳にはいかないのである。故に時折り発されるのは、士郎の指示の声、それに応じるカーターや、兵士達の気の籠った応答だけだった。
 淡々と、何時間も歩き続ける。二時間歩く毎に10分の休憩を挟み、その度に彼ら自身に自らの脚をマッサージさせた。彼らの足を覆う靴下を二重にさせてあるのも、足の裏に豆が出来ないようにする為だ。歩けなくなれば、それだけで荷物になる。それは避けねばならない。それは兵士達にも言えた事だ。

 トイレは穴を掘って、そこにする形である。兵士達で遠巻きに囲み、その真ん中でやるのだ。
 羞恥心はあるだろう。皆が気を遣って目を逸らしたり背を向けたりしてもなかなか慣れるものでもない。しかし慣れねばならなかった。
 徹底して集団行動である。行軍の最中にも訓練は欠かさない。足並みを揃えるというのは、簡単なようで大人数だと大変なもので、気力を削るようなものである。
 スコップで穴を掘るのは徹底して工兵部隊だ。なんで穴なんか掘らせるんだ……という疑問は彼らにもあるだろうが。どうせすぐに理由は解る。士郎は目を細めた。

「止まれ」

 片手を上げ、後ろの兵士に言う。兵士が大声で難民達に足を止めさせた。やっと休憩かと息を整える彼らを他所に、士郎は最後列から駆けて来たカーターに告げた。

「最後列の二個小隊はそのまま後方を警戒しろ。左右を固めていたCとD小隊は前へ。復唱しろ」
「は! 後方の隊はそのまま警戒、CとD小隊を前列へ配置させます!」
「行け」
「は!」
「工兵隊、横に長く穴を掘れ。深さは腰の辺りまでだ。やれ」

 指示通りに動く兵士達を尻目に、士郎は背後を振り返って難民達に気力の漲った声音で伝えた。

「前方10000の距離に敵影を発見した。真っ直ぐにこちらに進んでいる。数は砂煙からして、ざっと二千ほどだ」

 ぴり、と緊張が走る。固い静電気に皮膚を打たれたような沈黙が、彼らを硬直させた。
 しかし士郎は不敵に、硬骨な笑みを浮かべた事で微かに空気が弛緩する。

「お前達を守る者が、どれほどのものか。見せるいい機会だ。安心していろ、なんの問題もない。退避する必要も、恐れる必要もない。少し早いが休憩していろ、俺達が奴らを殲滅した後、すぐに行軍を再開する」

 それだけ言ってあっさりと背を向ける士郎を、固唾を呑んで人々は見守る。本当に大丈夫なのかという不安、大丈夫かもしれないという希望、それらを一身に受ける士郎は左右の手に双剣銃を投影する。手の中でくるくると黒と白の銃剣を回す士郎は、目を凝らして前方を睨んだ。サーヴァントがいないか気を張っている。
 サーヴァントの姿はない。ケルトの戦士のみ。気は抜かないが、最悪の事態ではなかった。と、不意に士郎は『ある事』に気づいて一人、総毛立って慄然とした。

「――」

 刻一刻と近づいてくる戦士の顔が、識別出来る距離になった時だ。士郎はその中に、以前の交戦で討ち取った戦士と全く同じ顔、同じ体格の者がいるのに気づいてしまったのだ。
 よくよく見ればそれが何人もいる。双子のバーゲンセールではあるまい。ドッペルゲンガーか? それとも……。

「宝具による召喚……軍勢を召喚する能力……? 規模が桁外れだ。聖杯のバックアップがあるな。……無限に戦力を補充し続けられる訳か」

 道理で杜撰な戦力運用をしている訳だ。
 例えばペンテシレイアのような将に率いさせれば、それだけで何倍にも脅威度の跳ね上がる戦士達を無作為に、投げ捨てるように運用している理由が解った。そうするだけで充分以上に有効だとわかっているからこその、この戦力の投げ売りなのである。
 舌打ちする。これでは幾ら敵を斃しても意味がない。無駄に消耗するだけだ。こちらが、一方的に。それにこの特異点の黒幕が軍勢召喚系の能力を持っているのは極めて厄介極まる。下手をすれば第一特異点のように、サーヴァントを斃しても再召喚なり新規召喚なり出来てしまう恐れがあった。第一特異点では戦下手な竜の魔女だった故に容易く阻止できたが、軍勢召喚系の宝具持ちが軍略なり戦略なりを解さないとも思えない。
 士郎は自身の見込みがまだ甘かった事を悟る。悟るも――かといってやる事が変わったわけでもない。工兵らが穴を急いで横長に掘り終えたのを見ると、肩で息をする彼らを短く労い、兵士達へその穴の中に入るように告げた。

 『虚・千山斬り拓く翠の地平』を多数投影し、それを難民達を囲うように地面へ突き刺す。流れ矢が飛ばないようにする防壁だ。虚空から現れ、地面に突き立つだけで軽い地響きがするほどの超重量は、そこにあるだけで壁となる。多数の巨大な壁が屹立した。群衆からどよめきが起こる。口頭で士郎の異能を聞かされていても半信半疑だったのが、その質量によって無理矢理に信じさせられた。そしてそれ故に、鉄の如き男への畏敬が高まるのだ。

「銃、構え」

 塹壕から上半身のみを出した四個小隊がM4を構える。投影したそれらの突撃銃には、微弱な魔力の籠った弾丸が装填されていた。それで、霊体である戦士やサーヴァントにも通じるようになっていた。

「引き寄せろ」

 やがて彼らも敵の姿がはっきりと見えるようになってくる。固い唾を呑み込む音が聞こえた。
 兵士達が固くなっている。その中でも特に固くなっている若い兵士に士郎は言った。

「ヘルマン、力を抜け。敵を狙い、引き金を引くだけでいい」
「は……? は――ハッ!」

 一度、兵士達全員は士郎に名乗らされていた。
 たった一度だ。それだけで、まさか名と顔を覚えられていたとは思わず、ヘルマンと呼ばれた兵士は声を上擦らせて返事をする。
 士郎はそれに表情一つ動かさず、紅い聖骸布を額に巻いた。外界からの護りのそれ――単純に髪が邪魔だったので、目にかからないようにするための措置だった。眼帯を指先で撫で、小さく傍らの沖田に言う。

「春、お前は待機だ。合図があれば動け」
「はい」

 どんどん敵が近づいてくる。速い。しかし士郎は繰り返した。まだ、まだ引き寄せろ……と。
 やがて敵が一㎞先まで近づいてくると、士郎は双剣銃をベルトに差し黒弓と螺旋剣を投影した。

「俺が一撃を加える。その後、着弾と同時に射撃開始だ」

 了解! と昂った声が唱和する。士郎は黒弓に螺旋剣を番え、キリキリと弦を引き絞った。
 狙いを定める。破損聖杯から流れ込んでくる魔力を魔術回路に更に慣らしながら、隻眼を鋭く光らせて。群衆の耳にこびりつく威の籠った呪文を口ずさんだ。偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)、と。

 唸りを上げ、空間を捻切りながら飛翔する投影宝具。着弾と同時に炸裂する壊れた幻想。敵軍勢に大打撃を与えた瞬間、既に距離は五百メートルにまで近づいていた。一斉に撃ち放たれる弾丸の洗礼。螺旋剣の射撃から生き残った多数の戦士が楯を正面に構えて突撃してくる。
 死を恐れる素振りは欠片もない。弾丸の連打を楯で凌ぎながらも接近してくる。――その頭上に無数の無銘の剣弾が降り注いだ。

「前を防ぐか、上を防ぐか。好きな方を選べ」

 皮肉げに笑い、士郎は次々と倒れていくケルト戦士を見下す。

「それとな――」

 士郎は肩を竦めた。

「後方注意だ。悪く思え」

 自らの傍らにいた剣者の姿は消えていた。一斉射の開始から数秒後、合図を出したのだ。一瞬にして敵軍勢の背後に回り込んだ沖田が、ケルト戦士の背中から次々と斬り伏せていく。
 正面の弾幕、上空からの剣弾、背後からの強襲――混乱し隊形もなく殲滅されていくケルト戦士の軍勢。その殆どが倒れ伏すと士郎は射撃を止めさせた。肉壁が減った以上は、沖田に誤射しかねない。そう判断したのだ。後はもう、僅か三十ほどしか敵に生き残りはいない。
 ケルト戦士は破れかぶれに士郎の方へ突撃してくる。その背中を沖田が情け容赦なく斬り捨てていった。士郎の前に到達する頃には、沖田が全て撫で斬りにしてしまうだろう。そう思っていると不意に、沖田が膝から崩れ落ちて吐血した。

 士郎は嘆息する。

 あからさまな隙を晒した沖田に攻撃しようとしている一人のケルト戦士の頭部を、腰のベルトから抜き放った白い銃剣で発砲し撃ち抜いた。
 そして士郎の許に辿り着いた満身創痍、隻腕となった戦士が斬りかかってくるのを黒い銃剣で受け止め、腹部を蹴り抜いて吹き飛ばすと、そのまま眉間に弾丸を撃ち込む。
 殲滅は終了した。沖田の吐血に動揺する兵士達を宥め、『虚・千山斬り拓く翠の地平』の防壁を消す。行軍を再開するとなんでもないように告げた士郎は、小隊らに元の配置につけと命じた。

 こんな、簡単に……。誰かが呟く。本当に、俺達は生き残れるんだ……! 淡い希望が、確かな形となった瞬間である。
 それはさておくとして士郎は沖田を回収する。若干の呆れが顔に出ていた。

「うぅ……面目ないです……」
「あのな……もう少しなんとかならないのか? 敵にサーヴァントがいたら色々とマズかったぞ」
「沖田さんも我慢しようとしてたんです……でもそれで我慢できたら苦労しませんよ!」
「これで本当に大丈夫なのか……?」

 行軍を始める前、割といい空気で守り合うと言い合ったのが遠い日の出来事のようだ。士郎は安定感のある戦力が欲しい、切実に……と、思う。思うが瞬間的な戦力の瞬発力で、沖田はかなり優秀である。短期戦の一撃を決する場面が一番適しているなと、沖田の運用法を徐々に頭の中で固めていく。
 逆ギレする沖田に呆れながら、彼女を背負う。ほらほら休め、休めと言いながら歩く。衆目に晒されながら背負われる沖田は羞恥に呻いた。なんとなく後ろから生暖かい目を向けられているのが分かるのだ。こんなおき太に誰がしたぁ、と沖田が怨嗟の声を漏らす。「そりゃあ、沖田総司が病弱な天才剣士と信じている現代日本人全員だな」と士郎は軽く答える。英霊は基本、人々の信仰の形に大小様々な影響を受ける故に。

「つまり、沖田さんの病弱っぷりは、マスターの責任という事ですね……」
「そうなるな。せめてもの誠意だ、日本人として一億分の一の責任は取ろう」
「責任感薄いですよ!? 誠意の欠片も感じられません! 断固抗議します!」
「分かった。分かったから落ち着け。暴れるなバカ」
「誰がバカですかーっ!」

 お前だお前、と士郎は投げ槍に答える。
 背中で暴れられると色々と感触がマズイ。なんとか宥め透かそうとするも、沖田は軽く興奮状態だった。最後の最後で吐血したのが相当に悔しいらしい。

「ん?」

 士郎は再び遥か前方に砂塵が上がっているのに気づいた。またかとうんざりするが、どうにも様子がおかしい。沖田は大人しくなる。マスター、またですか? そう訊ねる沖田は下ろして欲しそうだった。士郎は彼女を下ろすと、鷹の隻眼を凝らす。
 追っているのは、例の如くケルト戦士。逃げているのは――明らかに重傷を負っている民間人の御者。馬車の手綱を握り、馬に必死に鞭をやりながら逃走していた。

「……一旦止まれ」

 自身の率いる群衆を止め、士郎は嘆息した。百人そこそこの戦士が人を追っている。様子からして馬車には他にも怪我人がいるのかもしれない。

「助けに行く。ここで待っていろ。カーター、隊を纏めておけ」
「了解」

 士郎は返事が返ってくるのも待たず、身体能力を強化して駆け出している。
 また要らない苦労を増やそうとしてる……そう沖田は呆れるも、苦笑して自身のマスターを追った。この調子だと大名にでもなっちゃいそうですよと思いながら。









 

 

士郎くんは一人のために、士郎くんは皆のために




 助け出したのが実は著名な偉人であったとか、実は高名な軍人だったとか、実は幅広い知識を有する識者であったとか、そんな事はまるでなく。救出したのはとりたてて秀でたもののない、極々普通の民間人であった。

「なんでもっと早く助けてくれなかったんだ!」

 ――そして。極限状態から解放された故の、軽い興奮から。心が強かったわけでもない青年は、八つ当たりと理解していても士郎にきつく当たる。

「なんで、なんで!? なんでだよッ! エマもシャーリーも皆死んだ! 殺されて、おれだけが――おれとチャーリーだけが……!」

 咽び泣きながら士郎に殴りかかる、二十歳そこそこの青年、イーサン。彼は溜め込んだ鬱憤を晴らすように泣きじゃくっている。

「愚図! 糞野郎! ノロマ! そんな強いんならなんで!? なんでだよぉ! ふざけんなぁ! もっと早く助けに来いよ!」

 無茶苦茶だ。全部お前のせいだと遮二無二に拳を振るイーサンに、士郎は沈痛に目を伏せ、一度だけその拳を受ける。
 痛くはない。素人が闇雲に叩きつけてくるものに苦痛を感じるほど柔ではない。しかし、その一度だけ顔に受けてやっただけで、後は全てはたき落とし。最後にはその拳を手で受け止めた。泣きわめくイーサンに、士郎は言う。

「すまないとは言わない。俺が助けられるのは、俺の目の届く範囲にいる奴だけだ」
「分かってんだよそんなこと! だけどなぁ、おれは――」
「そしてどんな理由があっても、一発は一発だ、イーサン」

 手の甲を平手のように振るってイーサンの頬を強かに打つ。撥ね飛ばされたように地面を転がった。呆然とするイーサンが、士郎を見上げる。
 その視線に下ろされるのは、憐憫を隠した冷淡な鋼。押し潰されそうな鉄の如き瞳。ひっ、と青年が怯える。その胸ぐらを掴み、腕一本で引き摺り上げた士郎は、イーサンの目を覗き込んだ。

「お前の癇癪に付き合ってやる気はない。嘆くのはいい、悔やむのもいい。だが他者に当たってどうする。俺はお前の親父でもお袋でもないんだ、甘えるな。愁嘆場を演じて『俺は可哀想だから何をしても許される』とでも? 悲劇を免罪符にするな戯け」

 手を離し、イーサンを軽く突き飛ばす。よろめいて尻餅をついた彼を捨て置き、士郎は天幕のついた馬車の中に入る。
 そこには重体の青年が横たわっていた。イーサンも血塗れだが、それは彼自身の血ではない。恐らく身近にいた人が斬り殺され、その血を浴びてしまったのだろう。翻るにこのチャーリーというらしい青年は深刻な状態だった。
 士郎は軽く隻眼を見開き、即座に駆け寄って彼の体に触れる。同調開始(トレース・オン)と呪文を唱え、彼の体の設計図を読み取る。
 必要な処置を把握し士郎は冷静に包帯や糸、針、ガーゼやビニール手袋などを投影する。
 チャーリーは手足が冷たく、湿っており。顔は青く、目がうつろ。表情もぼんやりとしている。腰に括りつけていた水筒を開けて自身の手を清潔に洗い、手袋を嵌めながらイーサンを呼んだ。

「イーサン! お前のツレが死にかけている、処置してやるから早く来い!」

 慌てて馬車の中に飛び込んできたイーサンに、ビニールの手袋を嵌めさせ、ガーゼでチャーリーの左上腕部の深い傷を押さえさせた。

「心臓より高い位置に上げておけ」

 それだけ言って、士郎は彼の右の大腿部にある裂傷に水をかけ、出来るだけ綺麗にしてから縫合を始めた。
 麻酔なんてない。苦痛に歪むチャーリーの顔。しかし意識がないのは幸いだった。ものの一分で傷口を塞ぐとガーゼを貼り付け、包帯を巻く。次に骨折しているらしい左脚にタオルを巻き付けて添え木をし、止血などを終える。

「……血を流し過ぎだな」

 ぽつりと溢し、折角泣き止んだのにまた泣き出しそうなイーサンを横目に、チャーリーの脈を再度図る。脈が弱い。不意に、彼の呼吸が止まったのに気づく。
 気道を確保し、人工呼吸で酸素を吹き込み、心臓マッサージをする。その繰り返しでチャーリーは辛うじて息を吹き返した。士郎はアゾット剣を投影する。その剣は遠坂凛のものではなく、ギルガメッシュの王の財宝に秘められていたものだ。つまり錬金術師パラケルススの魔剣である。
 厳密にはそれそのものではない。しかし似たような効果はある。パラケルススの魔剣の柄頭の玉には癒しの力がある……気休めにはなるだろう。それをチャーリーに包帯で括りつける。

「イーサン」
「あ、ああ……」
「コイツをずっと見ていてやれ。もう俺にやれる事はない。容態が変化したらすぐに声をかけろ」

 三頭の馬が牽く、それなりに大きな馬車の御台に座り馬に鞭をやって走らせる。自身の率いていた群衆の許に向かうと、そこで士郎は一兵卒のヘルマンに声をかけた。

「ヘルマン、誰か馬車を操れる奴を知らないか」
「は……自分は知りません」
「そうか……春、カーターを呼べ」
「はい」

 ワープしたように瞬間移動する沖田を見て、縮地は便利だな、俺も出来るようになりたいと士郎は思うも、無理なのは分かっていた。自分にその才能はないと弁えている。
 カーターが駆け寄ってくる。彼にも訊くが、やはりそう都合よく馬術や馬車の操術を修めている者はいなかった。カーターを除き。士郎は馬術をエーデルフェルト家で学ばされたから、辛うじて乗れる程度であるし、馬車の手綱捌きも拙い。

「カーター、女と子供達の中で、特に体力のない者を選んで馬車に乗せろ」
「了解しました」
「それとな、三頭の馬で馬車を牽いていたが、二頭だと何人まで乗せて走れる?」
「およそ七名かと。それでも、最大速度は落ちます」
「分かった。中に二人いる。小柄な連中を五人乗せてやれ」

 言って、馬車から真ん中の黒馬を放した。
 轡と鐙を投影して掛ける。馬の首筋を軽く撫でて跨がった。……何年も馬に乗っていなかったが意外となんとかなる。ルヴィアには今度、感謝しないとな……と士郎は一人ごちた。
 人に慣れた馬だ。よく鍛えられている。かなりの距離を走っているだろうに、まだ余力があるようだった。労りながら手綱を操り、集団の先頭に戻ると士郎は声を張り上げる。

「出発だ!」

 上体を倒して黒馬の首にしがみつき、水筒の上半分を割って、それを馬の口に近づける。頭がいいのだろう。理解したのか小さく口を開けた黒馬に水を飲ませてやった。
 水筒を捨てる。どうせ投影品だ、消えるだけだが――返す返すも思う。己に投影魔術が……正確には固有結界だが、その力があってよかったと。極めて便利で、汎用性が高い。この力がなければとっくの昔に死んでいた。

 自分の後ろに沖田を乗せる。沖田はサーヴァントだ、騎乗スキルは最低ランクだが、相乗り程度は問題ない。「なんか、すっごく恥ずかしいんですけど……?」沖田の文句は無視した。士郎としては体を密着させるおんぶよりも、こちらの方がずっと精神的には平和なのだ。
 時折り馬車の方に近づき、イーサンに声をかける。ツレの様子はどうだと。大丈夫なようです、と初対面時とは打って変わってしおらしく、大人しい声で応答があった。どうやら彼も落ち着いたらしい。ひどく申し訳なさそうだ。

 それから八時間、休憩を挟みながら只管歩く。陽が昇り、中天に差し掛かる。疲労が早くも滲み始めた彼らを見渡し激励した。

「もう少し頑張れ。あと1㎞歩けば河がある。そこで一時間の休憩を取る。飯にしよう」

 最後の力、というわけでもないが。飯という言葉に釣られて奮起する群衆を護衛する。
 やがて河まで来る。進行方向に横たわる河だ。橋を渡らねば対岸には進めない。しかし橋は落とされていたが、特に問題ないと士郎は言う。例の巨大な剣を橋の代わりに足場に出来るのだ。
 兵士達が食糧を回す。貧相なものだが、不満は出なかった。私語も許され、思っていたよりも和やかに食事が始まる。士郎は意外に思うが、この時代の民衆は士郎の想像よりも強かだったというだけの事だろう。

 士郎は黒馬から降り、河の水を飲む彼――いや彼女か。牝馬の首を撫でてやる。鬣を整え、脚の手入れも不馴れながらもなんとか不快に思わせずにおこなった。体を水で濡らした手拭いで拭いてやる。見ればカーターは手慣れた所作で二頭の馬の世話をしてやっていた。

 ふと思い付いたかのように、士郎は赤い布を投影する。丁度手拭いのようなものを、321枚。
 それを手近の兵士数名に渡した。

「全員に配れ。一人一枚だ。体の何処かに括りつけておけ。同志の証だ」

 薄く笑みを浮かべながらそう言うと、兵士達は照れ笑いを浮かべて仲間達に赤布を配り始める。
 バンダナとして額に巻いた聖骸布を外し、自分も汗を流す。そろそろ臭くなってきた頃だと自覚はしていた。裸になって体を洗い、髪の汚れを落とす。それから再び服を着ると手早く飯を食い、外していた眼帯と聖骸布を装着する。
 皆が思い思いに河で体を洗ったりしている。上流の方に行き、水筒に水を入れたりするのも忘れていない。

「出発するぞ」

 一時間の休憩を終えると、再び進発する。

「次に落ち着ける場所があれば、そこで今日の行軍は終わりとする。隣り合った者と助け合いながら歩け」

 兵士達は赤い布を腕に、頭に、或いは首に掛けていたりした。同じものを身に付ける事で、仲間意識が深まっているのだろう。特に、若者ばかりの軍だ。そうした心理に影響され易い。
 黒馬に跨がる士郎の視線は高い。士郎は慎重に彼女の体を調べ、魔術的な同調に努めていた。何せ全力で走れば自動車並みの速度を出せる士郎の方が速いのだ。馬に乗ってもメリットが視線の高さだけというのは些か物足りない。
 彼女に強化の魔術を掛けられたら、それこそ疾風のように走ってくれると期待できる。といっても自分にならいざ知らず、自分以外の生物に強化の魔術を掛けるのは至難の業だ。士郎の魔術の技量だとかなり厳しい。
 故に裏技として霊的パスを繋げようと試みている。それが繋がれば、強化魔術の難度は格段に下がるのだ。何時間もずっと一人、四苦八苦しながら模索していると、漸く黒馬とパスを繋げられた。

「……遠坂に見られたら、『三時間も手こずるとか相変わらずのへっぽこね』とか言われそうだ」

 相変わらずの技量に士郎は落ち込んだ。気を取り直して黒馬が嫌がらないように、そっと魔力を流す。びくんと体を跳ねさせた彼女を宥めるように首を撫でてやり、針の穴に糸を通すように慎重に魔術を掛けた。
 成功、は――した。軽く腹を蹴って走らせてみる。と、瞬間的に士郎は振り落とされた。
 稲妻のように走った黒馬の速度に面食らってしまったのだ。思わず笑ってしまう。一人黒馬の背に取り残された沖田が「ひゃぁあああ!? マスターのばかぁぁぁ――」と残響を残して彼方に走り去ってしまう。士郎は声をあげて笑った。落馬の際にもきっちり受け身は取っていたから怪我はない。

「まぁすぅたぁ?」
「ははははは! いや、すまんすまん。予想してたよりずっと速くてな」
「すまんじゃありませんよ!? 私まで振り落とされて、この仔が止まるまでずっと追い掛けて、それから乗ってここまで帰ってきたんですからねコフッ?!」
「怒鳴るか吐血するかどっちかにしろよ」

 口から血を吐いて黒馬に寄り掛かった沖田に苦笑する。黒馬が士郎に顔を寄せ、ぺろりと湿った舌で顔を嘗めてきた。自分の身体能力が著しく上がった原因が、本能的に士郎だと分かっているらしい。今の快走がお気に召したらしく、またやれとせっついているようである。
 擽ったい。士郎はこそばゆさを堪えながら再び馬に乗る。沖田を自分の前に座らせ、腕を回して手綱を握った。

 やがてまたも森が見えてくる。日は斜陽に差し掛かり、今夜はあそこで夜営だなと思っていると――不意に兵士の一人が大声で報告してきた。

「BOSS! 後方を!」
「だからBOSSは止せと――」

 士郎は言いながら後ろを見る。すると、其処には大きな砂煙を上げながら進軍してくるケルトの戦士団がいた。
 舌打ちして眼球を強化して陣容を検める。見たところ数は五百余り。雑兵ばかりなら始末は楽なものだと多寡を括っていると……士郎は顔色を激変させた。

「カーター、全員を指揮して兎に角走れ!」
「BOSS!? 迎撃は――」
サーヴァントがいる(・・・・・・・・・)! 四の五の言わずにいいから走れェッ! お前達は邪魔だ!」

 敵軍の先頭にいるのは。

 白馬に跨がった金髪の青年である。
 手には槍。優美な美貌の持ち主で。剣としての属性もあるのか、解析は容易に出来た。
 敵サーヴァント。真名はフィン・マックール。アーサー王伝説の円卓、その原典とされるフィオナ騎士団の長。
 彼だけではない。その背後に付き従うようにして走る、美貌の双槍騎士もいる。フィンに従う二本の槍の騎士となれば、『輝く貌』のディルムッド・オディナだろう。サーヴァントが二騎も……最悪だ。

 カーターは血相を変えて指揮を取り、一団を走らせ始める。

 士郎は歯噛みした。距離が近い。このままでは追い付かれる。いや、絶対に追い付かれる。そうなったら終わりだ。鏖にされる。足止めするしかない。是が非でも。
 やれるのか。自分と、沖田だけで。いいや、やれるのかじゃない。やるしかないのだ。
 しかし士郎は、そこではたと気づく。逃がしたはずの群衆の内、二個小隊が残っていたのだ。

「何をしている!? 早く逃げろ!」
「逃げません! BOSSだけ置いて逃げるなんて、絶対出来ません!」
「馬鹿野郎ッッッ! ……クッ、今更逃げられんか……!」

 怒鳴り付けるも、今更逃げても無駄だった。あらゆる煩悶が士郎を苛む。死ぬ、ほぼ間違いなく死ぬ。こんな所で、彼らを巻き込んで死んでしまう。士郎は有らん限りの敵への罵倒を呑み込んで号令した。するしかなかった。

「――銃、構え! 吐いた唾は呑めないぞ、莫迦どもが……ッ!」
「BOSSの為に、ひいてはこれから先、BOSSが助ける人々の為に、おれ達は死ねます! だから……!」
「軽々しく何かの為に死ねるなんてほざくんじゃないッ! だが――! グッ……すまん……! お前達の命を、俺にくれッ!」
「了解!」

 兵士達の上げる気炎が一致していた。
 苦渋の滲む士郎は、その魂の炎が余りにも悲しくやるせない。誰一人死なせない――その誓いは余りに儚く、果たせないと知っていても割り切れなかった。だが、だからこそ……。

「ただでやれると思うな、フィオナ騎士団……! 俺達の命は、易くないぞ……!」

 迫り来る敵影の迎撃に、士郎は自らの全智全能を振り絞る。

「春、最悪令呪を使う。第二宝具の使用も許可する。白馬に乗ってる奴がフィン・マックール、双槍の騎士の真名はディルムッド・オディナだ。奴らを任せる。少しでいい、一人で奴らを抑えてくれ」
「承知。我が剣にて敵を穿ちます」

 英霊として、二騎の騎士は沖田総司よりも遥かに格上だ。だがそれでも、沖田は欠片も怯まずに応じた。
 虚弱な身にそれは至難だろう。だがそれでもやらねばならない。天才剣士に悲愴さはなかった。まずは雑魚から片付ける、士郎はそう決断し。

 ――敵も全く同じ事を考えている(・・・・・・・・・・・)事が、衛宮士郎という存在へ最悪の事態を招く。

 戦いが、始まる。










 

 

欠ける無限、禁忌の術





 ――その遭遇は偶然などではない。

 親指を噛んでいた(・・・・・・・・)
 総軍で見れば誤差の範囲だが、自国の戦士達が次々と消息を絶ったのだ。彼の仕える王の片割れが、その地点を地図で指し示し。親指を噛めと命じられたフィン・マックールはその情報のみで下手人の移動進路を掌握したのである。
 そして其処へいるかもしれない(・・・・・・)抵抗者に、接近をギリギリまで感知されない為の道を通りその背後を取ったのである。
 しかし予想外の事態があった。単独、ないしは徒党を組んだサーヴァントによる仕業だと思っていたら、発見したのは普通の人間の群れだったのだ。前方には鏖殺の難を逃れ、今尚生きようと足掻く無辜の民草がいる。そしてそれを守る一団が整然と、規律を保って行軍していた。フィンは嘆く。この時ばかりは知恵に長ける我が身を呪いたくもなった。
 道理で追い付くのが想定よりも早かったはずである。あんな遅々とした進行では、容易に追い付けてしまって当然だった。

「……見つけてしまったか」

 苦渋と共に白馬を駆る騎士団の長は呟く。
 本来なら騎士として守るべき人々を、この手に掛ける事へ忸怩たる思いがある。だがそれも今更だ。
 唾棄すべき暴虐に荷担してしまっている以上、彼に慚愧の念を抱く資格すらない。この手は罪深い血に汚れ、我が身は取り返しがつかない程に、どうしようもなく邪悪なのだ。

 ケルト神話最大にして最強、光の御子クー・フーリン。変質した暴虐の武王こそが、フィオナ騎士団が長フィン・マックールの今生での主である。そして彼の大英雄を変質させた元凶、コノートの女王メイヴこそが、実質的な方針を打ち立てる頭脳だ。
 本来ならば、不忠の謗りを受けようとも、人理に仇成す両名に槍を向けるべきである。しかしそれは出来なかった。聖杯による強制召喚、命令の強制執行、英霊として召喚者に立てるべき忠節と義務。己の意思に関わりなく、従わされているのがフィン・マックールや他のサーヴァントだ。

 だがそれ以上に――フィンには畏怖があった。拭い難い怯えがあった。それは生前の青年期、フィンの全盛期である時代で起こった出来事が原因である。彼はあの時、光の御子クー・フーリンに襲われてしまったのだ。
 遥か昔に死んでいるはずのクー・フーリンは、あっさりと気軽に死後の世界より抜け出してフィンの許へ現れた。彼は当代一の英雄と名高い、後追いの騎士の力量を興味本意に図りに来ただけなのだろう。しかしフィンにとってそれは恐怖以外の何物でもなかった。
 勝てる勝てないの話ではない。単純に強いだけならフィンは恐怖する事があっても無様を晒しはしなかっただろう。だがアレ(・・)は違う。祖に戦神ヌアザを持つフィンですら――邪悪な妖精に零落した、堕ちた神霊アレーンを屠ったフィンですら、余りに理解を絶する出会いに恐慌を来した。
 なまじ比類なき叡知を持っていたからこそ。「死を越えてくる」という、神霊ですら余程の神格がなければ有り得ざる現象を、なんでもないように容易くおこなって来た存在を前に思考が止まった。知に秀でるばかりに、生き物としての規格を悠々と超える神話的怪物の所業に懼れを懐いた。
 不死の英雄、不死の化け物、そんなものは幾らでも相手にしよう。しかし――「実際に死んだ後に甦って来るモノ」など、いったいどうしろというのだ?

 斯くしてフィンは、クー・フーリンという存在に対して絶対的な心的外傷を負った。生前は只管に逃げ回り、屈辱的な真似をして難を逃れたが、生憎と今はその恐怖の対象こそが主である。逃げようがない。
 故にフィンはあらゆる強制力とは別に、クー・フーリンには逆らえない。アレの視界にも入りたくない。もし彼の近くから離れられるなら幾らでも遠征しようとも。如何なる難敵であっても戦い、これを討とう。返り討ちにされ戦死する事になっても構うものかとすら思っている。クー・フーリンの呪縛から逃れられるなら、死ぬぐらい安い代償だ。

 彼に付き従うディルムッド・オディナもまた、彼と似たような含みがある故に、召喚者ではなく生前の主であるフィンに従う事を選んだ。

 しかしディルムッドは、フィンのようにクー・フーリンを懼れているのではない。ましてや女王メイヴに敬服しているわけでもなかった。
 生前から今現在に至るまで、憧れ続けた伝説の英雄――その変わり果てた姿が見るに堪えなかったのだ。あんな悍ましいものを主人と仰げる騎士ではない。強力な縛りがなければ、彼は主殺しの汚名を受けてでもメイヴや堕ちた大英雄に刃を向けていただろう。人理の為という理由もある。しかし何より、己の憧れた英雄なら、こんな罪もない人々を鏖殺する事など認めはしなかったに違いないのだから。

「む……気づかれたようだな」

 不意にフィンは遥か前方の一団に動きがあるのを見咎めた。五百近い群衆が突如走り出したのだ。
 そして後に残ったのは黒馬に跨がった褐色の肌と、白髪……紅いバンダナと眼帯が特徴的な偉丈夫である。馬上からフィンらを睨み付ける眼光には力があり、それは彼らをして感じるものがある。肌を打つ気迫だ。
 そしてその傍には浅葱色の羽織を纏った、小柄な女剣士がいる。その得物の形状からして、極東のサムライという奴だろうか。サーヴァントである。「可憐な乙女だ。シンセングミ、という奴かな……?」自信なさげにフィンが呟く。英霊の座に在れば知識としては識る事が出来るが、識っていても今一ピンと来ない。悪い意味でマイナーなのだ。
 いずれにしろ、サーヴァントがいるという事は、あの男はマスターなのだろう。フィンの予想通り、自国の戦士らが消息を絶った原因にサーヴァントが絡んでいた。予想外なのは、マスターがいた事。そしてそのマスターが無辜の民草を見捨てず、現地の部隊を掌握して避難していた事だ。
 人理という大義に惑わされずに弱者を救う精神、僅か一騎のサーヴァントだけで、敵地のど真ん中から此処まで来れた実力。そしてあの漲る気炎。眩しそうにフィンは目を細める。出来れば敵として出会いたくはなかった。しかしこの邂逅は必然で――人々を害する大悪に荷担している以上、それに対さんとする遍く者と敵対する定めにあるのだ。

「ふむ……」

 フィンは目を細める。百名の兵士が彼に従って殿に残った。見たところ練度は然程でもない。しかし侮れはしないだろう。歴戦の英雄であるフィンは知っているのだ。一頭の羊に率いられた百の狼よりも、一頭の狼に率いられた百の羊の方が余程手強い事を。弱兵を精鋭に変えてしまう名将が存在する事を彼は理解していた。
 故に彼は叡知を齎す親指を噛む。自前の知略に於いても勇者に相応しいもののあるフィンだが、あの敵に出し惜しむものは何もないのだと感じていた。だからフィン・マックールは洞察する。そして感嘆した。

「サーヴァント一騎で我らを抑え、その間にこちらの兵を磨り潰すつもりか。手強いな」

 力が、ではなく。その覚悟が。フィンやディルムッドを同時に相手取って、抑え切れるほどあの女剣士が傑物であるとは感じない。しかしあのマスターは信じたのだ。己のサーヴァントならば、サーヴァントを二騎同時に迎えても抑えてのけるだろうと。そして自分と弱兵だけで、自勢に五倍する勇猛なケルト戦士を殲滅出来るのだと。
 返す返すも惜しい。ああいった采配を執れ、そしてそれに弱兵が躊躇わず従えている。それは――とても手強い。同じ旗の下で戦えれば、さぞかし胸が踊ったろうに。
 フィンは全力を尽くす。それが礼儀だと思っているからではない。手を抜くという発想が湧かないのだ。得難い強敵を迎えていると確信して、雄敵との戦いに悦ぶ騎士としての本能が疼いた。

「いいだろう、付き合ってやろうじゃないか」
「よろしいのですか、主」
「ああ。如何なる強敵が相手であっても、我ら二人が遅れを取る事などそうはない。それともなんだ、ディルムッド。一対一ではない事が不満なのかな?」
「いえ」

 ディルムッドは馬上のフィンの横にピタリと張り付くようにして走りながら応じる。フィンは軽く言うがその顔と声が暗いのと同じく、彼もまた戦意に翳りがあるのは否めない。

「今更我らに騎士道を口にする資格はありますまい。俺が気掛かりなのは、敵の思惑通りに動いてもよいのか、腑に落ちない所にあります」
「動いていいのさ。あの男は手強い、私には分かる。逆に思惑に乗ってやれば、却ってあの男を縛る鎖となるだろう。……野放しにするには危険過ぎる。ある程度はその計算に付き合ってやった方が、こちらとしてもやり易くなるものさ」
「なるほど」
「故にだ。披露してやるとしよう。戦の定石にはない、しかし『我らの戦の定石である』戦術を」

 フィンは不敵に笑って、疾走する馬上から槍を掲げ追い縋ってくる後方の戦士らに号令を発した。

「散開せよ! 各自思い思いにその武勇を振るうがいい!」

 ――その光景を目にした士郎は驚愕した。

 ケルト戦士らが自ら隊形を崩し、バラバラに散ったのだ。ケルトの戦士達にも戦に関する常識はあった、軍勢となれば陣形を組む程度の知能はあったのだ。それを自ら捨て、五百の群ではなく五百の個となったのである。『これでは的を絞れない』。だがいいのかそれは。そんな策を実行すれば戦士側の被害も甚大なものになるではないか。
 いや、被害が出てもいいのだろう。ケルトは無尽蔵の兵力を有しているらしい。全滅しても敵を殺せるなら何も問題ない……フィン・マックールは大胆不敵にして激烈な采配を振るう勇将だが、それ以上に『ケルトの将』である事を忘れてはならなかったのだ。
 フィン・マックールはペンテシレイアとは全く違う将帥だ。個の武勇でもアマゾネスの女王に劣らず、しかしその知略は明らかに上回り。ペンテシレイアが強敵と戦ったのはアキレウスのみであるのに対し、フィン・マックールは数多の難敵を下し、戦を征し、神をも殺した騎士である。戦歴という面でもあの女王を超えている。そしてこの遭遇……偶然にしては出来過ぎだとも感じられた。何せあのフィンは、最初から戦闘があると分かっていたかのようではないか。それはつまり、こちらの動向が筒抜けだったのではなく、『読まれている』という事の証明である。

 士郎は確信した。

 あの騎士団長だけは、何がなんでも絶対に殺さねばならない。『さもなければ未来はない』。

破損聖杯接続(サーキット・クリア)――投影開始(トレース・オン)ッ!」

 土壇場という物がある。転機と呼べる物がある。此処がその一つだと、士郎の幾度もの実戦を経て培ってきた心眼が告げていた。ケルトとの戦い、その序盤の戦いの転機であると。即ち――フィオナ騎士団の団長フィン・マックールを討たねば、それだけでこの大陸に生きる人々の被害が激増するという事である。
 その言語化の難しい洞察を、士郎は信じた。己を信じずして真に仲間を信じられるものではない。多数のM4の弾倉を投影して辺りに手当たり次第に撒いた。それを兵士らに拾わせる。そして彼らが辛うじて扱えるだろうサーベルも人数分投影して装備させた。
 魔術回路が高熱を発している。剣の要素のない物を短いスパンで大量に投影したツケだ。破損聖杯により魔力は問題なくとも、疑似神経である魔術回路の性質が変わったわけではない。しかしその苦痛も慣れたものでしかなかった。まだ無茶は出来る。無理な時も相応の遣り方はある。

 作戦を変えると決めた。このままではいけない。

 必勝の策があった。まず固有結界を展開し、自身らと敵サーヴァントだけを取り込み、ケルト戦士は排除するのだ。そうする事で数の利を奪い、叩き潰すのである。しかし――

 ――魔術回路、内在霊基に異変を検知。固有結界、展開不能。

「ッッッ!?」

 最初に双剣銃を投影した時に感じた違和感の正体を知る。自身に打ち込まれている楔、その霊基が常のそれから反転しているのだ。
 魔力さえあれば、霊基の補助がなくとも士郎は固有結界を扱える。しかしただでさえリスクの大きい大魔術故に、些細な異物ですら許容できないのだ。これまでは寧ろ、霊基は補助してくれていたのが、今はその真逆。霊基が裡に閉じている感覚があった。いや、そうではない。閉じているのではなく、裡に向いている……?
 これでは固有結界が使えない。歯噛みしたくなるが士郎は瞬時に意識を切り替えて戦術を元に戻した。

「――リロードの仕方は忘れていないな? 的が被ってもいい、全ての弾を使い切れ。手近の奴から蜂の巣にしてやれ!」
「了解!」
「春」

 馬上の士郎は或る宝具を投影して、その使用方法を伝えると沖田に渡した。沖田はそれを懐に忍ばせる。
 士郎は口の中に滲む血を唾に混ぜて吐き捨てた。剣製とは言えない宝具を、魔力にものを言わせ投影した代償が彼を苛んでいた。

「お前の役割に変わりはない。敵サーヴァントを抑えていられるなら無理をして倒そうとはするな。だがもしも斃せると感じたなら、最優先はフィンだ。奴を斬れ」
「はい。――マスター」
「なんだ」
「下手に死なせまい、死なせまいとすると、却って被害は増えるものだと昔、土方さんが言ってました。だから――」
「そんな事は分かっている」

 分かっているから苦しいのだ。分かっているから悔しいのだ。だから……いや、泣き言は言うまい。これ以上は覚悟してこの場に残った仲間達全員に対する侮辱となる。頭を振る。どれだけ熱くなってもいい、だが頭だけは冷静に、冷徹でなければならない。
 深呼吸をする。そして士郎は灼熱の檄を発した。

「悔しさが男を作る、惨めさが男を作る、悲しさが男を作る。そして強大な敵こそが、真にお前達を偉大な男にしてくれる。今、お前達は偉大だ! この俺がお前達を英雄と呼ぶ! 時代も弁えず迷い出た亡霊どもを、このまま地獄に叩き返してやるぞッ!」

 ――おぉぉぉッッッ!!
 兵士の士気は最高潮に達した。それは死を覚悟した者達の、されど悲愴さのない激熱の咆哮だ。
 それに唇を噛む。死ぬ覚悟ではなく、生き残る覚悟が欲しかった。それを持たせてやれない己の到らなさが猛烈に口惜しい。しかしそれを飲み干し指示を出した。

「まずは俺を中心に円陣を組め」

 迅速に応じて兵士達が行動する。大柄な男達ばかりである。小柄な沖田はそれに隠れてしまった。
 もはや一刻の猶予もない。直ちに戦闘体勢を整えねばならなかった。 

「沖田、気配を消せ。お前の体力の無さは分かっている。縮地は最小限で、三段突きはなるべく使うな。いいな?」
「……斬れると判断出来たら良いですか?」
「ああ。そこは自己判断だ。頼むぞ」
「はい。マスター、御武運を」
「お前もな」

 視線を合わせ、頷きを交わすと暗殺者のクラススキルを発動して沖田が気配を消す。そして怜悧な愛刀の構えを一時解いた。「速く――鋭く――」己に深く暗示を掛けて肉体と精神が戦闘用のものへと切り替わる。それは日ノ本の剣豪ならば、誰しもが基本とする自己変生だ。
 それを見届けた士郎は前を見る。間もなく銃の射程圏内に踏み込んでくるケルト戦士らを睨んだ。敵サーヴァント達はこちらの目論見を見抜いたのだろう、敢えて歩を緩めて待ち構える算段だ。
 だが構わないとも。分かっていても沖田は奇襲を成功させる。真っ正面から正々堂々不意打ちする。士郎は裂帛の気を吐いた。

「――横二列に展開! 左翼一列に二十、二列目に二十。右翼も同様だ、残りは中央に布陣!」
「了解!」

 小隊長二名が即座に応じる。往時の彼らでは遅滞の出たであろう行動が、今は全員が一人の人間のように動けていた。横二列に並び、一列目が片膝をつく。二列目が立ったまま。

「撃ち方構え! 銃の精度に頼るな、弾幕を張り面で叩きのめす! ……撃てェッ!」

 百の銃撃が一斉に轟く。陣形もなく蝗のように襲い掛かってくるケルト戦士らは、楯で弾丸の雨を凌ぎ、時には弾丸を剣や槍で弾きながら接近してくる。その頭上に剣弾を浴びせ――人間達の死闘は幕を上げた。

 沖田が馳せる。

 仙術の域に限りなく近い魔の歩法。
 第一撃は神速でなければならない。故に刻むは間合いを縮める足捌き。新撰組鬼の副長、土方歳三をして沖田の剣術は剣術ではなく、別の何かと謂わしめた異形のそれである。
 刀を構え、一歩目を踏み出した時点で既に気配遮断は解かれ、フィンらはその気配を捉えた。だが驚愕に眼を瞠く。気配を感じた瞬間に、沖田が彼らを自らの間合いに捉えていたのである。
 沖田が真っ先に狙ったのはフィンである。主の命令だからというのもある、しかし何よりも馬上の敵というのは彼女としては遣り辛い。故に駆け抜け様にフィンの騎乗する白馬の前肢を切断したのだ。フィンはこれに対処できない、自らを狙ったのなら反応も出来ただろうが、沖田の殺気は白馬に向いていたのである。
 白馬が走行の勢いそのままに転倒し、地面を滑っていく。悲鳴の嘶きを上げる白馬の背からフィンは飛び降りていた。空中で巧みに槍を操り沖田に槍を見舞うが、幻惑の歩法を以てフィンの目測を狂わせて槍閃は空を切る。沖田は着地したフィンに斬りかかった。

「むっ……!」

 目にも止まらぬ、どころではない。完全な技量のみで神代の大英傑をも超える接近速度。人智の極みと言える斬り込みの迅さに、しかしフィンは初見でありながら辛うじて反応してのけた。サーヴァントとしての機能(スキル)ではない、純粋に積み上げた戦歴から来る経験則である。
 槍を縦に構えて首を刈る斬撃を防禦した。鋭利な刃が神殺しの槍の柄に阻まれ――転瞬――沖田の斬撃が軌道を変える。槍の柄を滑った沖田の愛刀が狙うはフィンの指。得物を握るそれを切断せんと翻ったのだ。
 フィンはなんとか手首を捻り手甲で刃を受け流す。そのまま槍を旋回させて沖田の細頚を薙ぎ払った。捉えたと確信するに足るカウンター、されどそれは踏み込んだ沖田の残像を捉えただけだった。フィンの膝下の位置まで頭部を落とし、倒れ込むように接近した沖田がフィンの脚を切り裂かんと愛刀を振るう。だが、フィン・マックールも然る者。薙ぎ払いが空振るや、片足の力だけで軽く跳躍して剣者の刀身を躱した。
 そこで終わらないのが、天才剣士の魔剣である。剣理への拘りなどない、剣が折れれば鞘で、鞘が折れれば拳で。実戦本意の殺人術が牙を剥く。沖田は跳躍した優美な美貌の英雄に食らいついた。

「破ッ!」

 両手で振るっていた刀から、いつの間にか左手が離れている。そして魔法のようにその手に愛刀の鞘が逆手に握られていた。地面を蹴り抜いて停止するや、その勢いと威力を乗せて鞘を跳ね上げる。それは過たずフィンの顎を打ち上げた。

「グッ!?」

 視界に火花が散る。着地する脚がよたつき、よろめいたフィンの腹部を雷迅のような蹴撃が穿った。
 華奢な女と侮るなかれ、天賦の才を遺憾なく発揮させる脚力である。沖田の剣は足腰の強さに由来し、その敏捷さが無ければ対人魔剣は成らないのだ。規格外の大弓に引き絞られた大槍の如く奔った穿脚は、果たしてフィンを藻屑の如く吹き飛ばす。()れる、その確信からトドメを刺すべく追撃に出ようとする寸前――沖田にとって厄介な騎士が割り込んで来た。

 背後を突き刺す穂先じみた細い殺気。咄嗟に沖田は反転した。稲妻のような刺突が沖田の髪を掠める。
 
「俺を忘れてもらっては困るな、セイバー……いや、アサシン!」

 剣の腕も然るものだが、それ以上に第一撃の奇襲の印象が勝ったのだろう。双槍の騎士は沖田の呼び名に迷うも、答えはその両方である。
 剣士であり暗殺者、それこそが幕末に血風を吹き荒ばせた新撰組、その一番隊隊長なのだ。奇縁により生前に最も近い形で現界した沖田は、その剣腕の限りを尽くすに不足のない霊基を持つ。

 だが――相手は沖田総司をして幻惑される稀代の騎士。栄光のフィオナ騎士団の一番槍にして、随一の勇者と誉れも高きディルムッド・オディナだ。
 赤い長槍、黄の短槍。未だ嘗て一度も見た事のない奇術めいた技の奇跡。加えて――

「チッ」

 沖田は露骨に舌打ちする。フィンを仕留める絶好の好機なのだ。彼を振り払い体勢を立て直そうとしている騎士団長を葬らんと地を蹴るも、それに張り付くようにしてディルムッドが追い縋る。それも常に長槍の間合いを維持してだ。速射砲の如く槍突が放たれ、沖田はこれを悉く躱し、刀で捌くもフィン・マックールにトドメを刺す好機を潰されたのを悟る。
 ディルムッドを振り払えない。最速の座に据えられるに相応しい敏捷性を彼も持っているのだ。その機敏さは沖田に匹敵する。そして沖田を苛立たせるのは、ディルムッドの方が『速い』事だ。
 時代の差、性別の差、性能の差が大きかった。例え数値の上で素早さが同格であっても発揮できる最大速度はディルムッドが優に沖田を超えている。――神代の男の英雄と、近代の女剣士の性能の差が残酷に横たわっているのだ。幻惑の槍術と単純な性能の差によって沖田は苦戦を強いられる。

 沖田はフィンへの追撃を断念し、ディルムッドの槍の技を覚えるのに専念せざるを得ない。離れれば長槍の閃きが沖田を襲い、巧く刀の間合いに近づいても短槍の技が沖田の接近を阻む。厄介な敵手だった。
 縮地は多用できない。三段突きなど以ての外。例え上首尾に事を終え、フィンかディルムッドを仕留められたとしても、これまでの経験上高確率で、呪いの如く沖田を蝕む病魔が鎌首をもたげるだろう。そうなれば無防備な所を襲われ、沖田は死ぬ。主の命令は二騎のサーヴァントの足止めだ。無理をせずとも頼りになるマスターが必ずや援軍に駆けつけてくれる。それを信じて、自らの体力の無さを痛感している沖田は奮闘するのだ。

 浅葱色の閃光がジグザグに大地を駆ける。それに完全に張り付いて赤と黄の双光が馳せる。虚空に刃鳴散る火花の宴は技と技、力と力の鬩ぎ合い。ディルムッドは舌を巻く、華奢な女の身でよくもやる、と。力では明確に上回っているのに、技の冴えだけで劣勢を互角にしている。
 称賛に値する。だがしかし――直情的な沖田と異なりディルムッドは搦め手も使える戦上手である。戦闘の引き出しもまた、若くして病没した沖田よりも、多様な戦場を駆けたディルムッドの方が多かった。
 チリ、と沖田の生まれ持った天性の心眼が違和感を訴える。今、何かがおかしかった――その正体に目を凝らす隙を彼女は与えてもらえない。

 矛を交わしているのは何も、ディルムッドだけではないのだ。復帰したフィンが槍をしごいて突貫してくる。初撃の奇襲から流れを掴まれ、あわやといった所まで追い詰められたフィンだが、仕切り直せてしまえたら先のように簡単に蹴散らされる英雄ではない。
 ディルムッドの槍が技に長けるように、フィンの槍は力に長けている。純粋な身体能力ではディルムッドをも超えるフィンと、『輝く貌』の双槍騎士に前後を挟まれた沖田は汗を噴き出す。こうなる事は分かっていた、なんとかして脱さねばならない。これは死地だと本能が叫んでいる。

 やむをえず沖田は再度、縮地の歩法を刻む。

「消えた……!?」

 ディルムッドが驚愕する。不意打ちの一撃の時ならいざ知らず、こうして矛を交えている最中にその姿を見失うなど経験した事のない現象である。
 だがそれで致命的な隙を晒す騎士ディルムッドではない。彼は弛まぬ鍛練によって心眼を開いた武芸者なのだ。すぐさま敵の狙いを看破し警告を発する。

「主よ、後ろですッ」
「何!?」

 フィンはディルムッドの警告に驚愕しながらも、振り向き様に槍を振るう。沖田は狙いを読まれた事に瞠目した。「ぜりゃッ!」フィンの迷いなき槍の一閃は沖田の胴を確実に砕く一撃だ。下手に受ければ刀が曲がる。沖田は刹那の判断で鞘を楯にするも、フィンの豪槍に鞘が弾き飛ばされ、余りの衝撃に手が痺れた。所詮は脆弱な身、フィンの槍をまともに受けたらそんなものでしかない。
 だがそれでも、沖田はあくまで己の弱点を知悉している。力で負ける、武器の格で負ける、体力では話にもならない――しかし剣技は負けない。それは誇りではなく、実際に両雄と剣を交えたが故の確信である。逆に言えば勝るものなど他に迅さしかないのだ。

「せいッ!」
「く、荒々しくも可憐な華だ!」

 鞘を弾き飛ばされながらも沖田は踏み込み、フィンの懐に肩口から体当たりする。全体重を乗せたそれがフィンに痛痒を与える事はなかった。
 新撰組の極意とは、多数で一人を叩く事。多数を一人で相手取るならまずは逃げる、逃げられないなら一対一にしてしまえばよい。沖田はその儚げな風貌からは想像も出来ないほどに苛烈な性を秘めている。そしてその天稟の才覚は剣のみに非ず――体当たりをフィンに食らわせた瞬間、沖田は刀を手放していた。
 剣にばかり拘る壬生の狼ではない。沖田は自覚こそしていないが、古代の英雄らに勝る一つの特性があった。それは古代の英雄が人間だけでなく、怪物狩りを主としていたのに対し、近代の剣者である沖田は対人に特化しているのだ。対人戦の心得という面で、彼女は優位に立っている。
 故にフィンには慮外の技だった。体当たりされるや手首を掴まれ――そうと感じた瞬間に投げ飛ばされていたのだ。

「なっ――」

 いつの間に投げられた……? フィンは見事に投技を極められ、強かに背中を地面に叩きつけられる。受け身も取れずにフィンは呻いた。
 だが追撃はない。即座に刀を拾った沖田はまだ冷静だった。全身が熱い、汗が滲んでいる、決着を早めたい。しかしフィンは殺せない、何故ならディルムッドが健在だからだ。

 沖田は一瞬で調息し呼気を整え、仕掛けてくるディルムッドを討ち取らんと踏み込んだ。赤い長槍が迅雷のように閃く。沖田はそれを、微かに身を半身にしながら飛び込む事で呆気なく躱した。

「見切った――」
「――だろうな。待っていたぞ、アサシン」

 ディルムッドは敢えて双槍の技の幅を狭め、単調にして、繰り出す技の軌道を沖田に見せていたのだ。
 故に沖田に槍を躱され動揺などするはずもない。誘い込んだのはディルムッドなのだ。そして沖田の踏み込みの速さも格闘術の確かさも見ている。ディルムッドは赤槍を突き込むや自ら更に沖田へ接近する。短槍の間合いですらない、零距離。
 沖田は急激に接近してきたディルムッドに面食らいながらも反応した。釣られてしまった――その不覚に鈍る剣者ではない。飛び込んできたディルムッドの膝蹴りを辛うじて腕を交差させて禦ぐ。しかし、防禦の上からすら痩身を貫通する衝撃は大きい。腕が痺れ、フィンの槍によるものと合わさり、刀を取り落としてしまった。華奢な体が膝蹴りの威力に負け宙に浮く。ディルムッドはくるりと体を廻し、激甚なる蹴撃を見舞った。

「か、はッ……!」

 まともに横腹を捉えられ、沖田は芥の如くに吹き飛び地面を転がった。吐瀉に混じる鮮血。沖田は上方より飛来するフィンに気づき、咄嗟に跳ね起きて縮地で難を逃れる。獲物を見失ったフィンの槍が地面を穿って、そこを大きく陥没させて砂塵を舞わせた。
 フィンは槍を横に振るって、その風圧で砂塵を晴らす。徒手空拳となった沖田は刀の落ちている地点を一瞥する。フィンは彼女を讃えた。

「お見事。並みの英雄なら既に突き殺しているところだが、貴女は逆に何度か私を殺せるかもしれなかったな。ディルムッドがいなければ危うかったよ」
「主よ、ご油断召さるな。この女、技量の一点のみなら我ら二人を束ねたよりも上を往きます。徒手空拳となってもどんな隠し球があるか……」
「分かっているとも。だが戦とは技量のみで決するものでもない。先程は醜態を晒したが、もう覚えた。悪いが儚くも鮮烈なる乙女よ、これから先は殺りに行かせてもらう」

「――斬り合いの場でお喋りなんて……」

 不快げに沖田は吐き捨てるも、その悪態は小さい。沖田には彼らとのお喋りに興じるつもりなど寸分たりとも有り得なかった。
 もはや是非もなしと、彼女は札を切る。主の許しもあった。彼女は『誠の旗』を現し、それを地面に突き立てる。

「此処に、旗を立てる――」
「主! アサシンが宝具を使おうとしています!」
「! ……ならば惜しむものもない。往くぞディルムッド!」

 即座に妨害に動こうとする寸前、沖田は両名の間に懐から取り出した投影宝具を投げつけた。それは主に与えられたもの。銘は金剛杵(ヴァジュラ)。真名解放する必要のない、投げつけるだけで効力を発揮する神秘爆弾。
 炸裂するや爆風が撒き散らされる。フィンらは瞬時に回避するも、沖田の宝具使用の間は稼げた。
 爆風の中、淡い燐光が舞い散り、現れるは日ノ本に広く知られる新撰組の面々。彼女の呼び掛けに応じた剣豪集団。中には沖田と同じく対人魔剣の域に至った達人もいる。
 近藤勇がいた。永倉新八がいた。斎藤一がいた。その他、名だたる剣豪がいた。
 凄まじい剣気を放つ多数のサーヴァントの連続召喚。それを目にした騎士とその長は瞠目するも――

「皆さん、来てくださり感謝します。さあ、彼奴らを斬り伏せましょう!」

 ――対多数の戦闘は、フィンの得意とするもの。
 そしてフィンは、圧倒的不利に陥る戦局を、ただの一撃で塗り潰す『対軍宝具』を保有している。

「どうやらあちらは、神殺しの魔撃をご所望らしい。ならば受けるがいい――」

 呼び覚ますは己の祖である戦神ヌアザの権能『水』の理。槍の穂先より迸る水圧の濁流。
 新撰組に近づかれ、その本領を発揮される前にフィンは宝具を開帳した。

「――『無敗の紫靫草(マク・ア・ルイン)』!」















「――停止解凍(フリーズアウト)全投影連続層写(ソードバレルフルオープン)

 無銘の剣弾を多数投影し、虚空から掃射するのを幾度も繰り返していた。戦局を把握しながら剣弾を投影し、銃撃だけでは斃し切れない戦士に剣の掃射を集中して、兵士らの指揮を執る。士郎の負担は大きすぎるほど大きい。しかし絶え間なく発される、自らへの拷問に等しい苦痛を、顔色一つ変える事なく堪える。
 兵士の射撃を楯で防いだケルト戦士は殆どが、頭上から降り注ぐ剣弾に串刺しにされる。しかし剣弾や、銃弾の軌道に慣れたのか、剣の雨は楯を翳して凌ぎ、正面の弾丸は剣や槍で切り払う。しかしそうしても犠牲は出るが、ケルト戦士は仲間の屍を越え、消えかけの骸を楯にして、狂奔する汗血馬のように猛然と斬りかかってきた。兵士らに肉薄する頃にはその数を二百五十にまで減らしていたが、白兵戦は敵の領分だ。こちらの出血は抑えられない。士郎は怒号を発した。

「銃を捨てサーベルを抜け! 背後は俺に任せろ、目の前の一人にだけ注力し斬り殺せ!」

 了解と決死の覚悟を改めて固めた兵士らが応じた。
 ケルト戦士らが躍り掛かってくる。その閧の声を塗り潰すようにして士郎は叫んだ。兵士も叫んだ。雄叫びとなる。馬上から発砲し、双剣銃より弾丸を吐き出す。

 血煙が吹き荒んだ。血風が舞う。断末魔が響いた。兵士が一人を倒す間に、三人の犠牲が出る。士郎の援護があっても。士郎はただでさえ過剰に回転していた魔術回路を自滅する勢いで廻した。
 常時剣の炉から剣の投影が成され、掃射を精密に。同時に馬上から双剣銃を操り、仲間の兵士を斬り殺した戦士を射殺する。隙だらけの兵士を殺そうとする戦士を未然に撃つ。横合いから士郎へ斬りかかってくる戦士を逆に叩き斬った。
 しかし士郎とて人間だ。限界はある。頭は一つ、体も一つ、腕は二本。戦士が同時に三人躍り掛かってきた。士郎はなんとか二人を射殺するも、背後から士郎を突き殺さんとする槍兵に対処が間に合わない。
 『防弾加工』を――駄目だ、間に合わない――致命傷だけは回避――そこまで考えた瞬間、

「BOSS……ッ!」

 戦士の前に兵の一人が割り込み、その槍の穂先に穿たれた。鮮血が士郎の貌に飛び散る。胸を貫かれた兵士は槍を掴んで離さない。血反吐を吐いている。

「馬鹿野郎ッ!」

 悲鳴にも似た叱責を飛ばしながら士郎はその戦士を撃ち殺す。戦士が斃れたのを見届け、兵士は事切れてその場に崩れ落ちた。
 士郎を庇った兵士に息はない。既に死んでいた。

「オオオォォォァァアアアア――ッッッ!!」

 瞼の裏で火花が散ったようだった。憤怒に燃える鉄心は赤熱し、その気迫が臨界を超える。
 鬼神が乗り移ったかの如き咆哮が迸り、感化された黒馬が猛々しく嘶く。その眼が充血し、凶相となった黒馬が後肢で後方を蹴り抜く。士郎の意図しない動きだが、それは背後のケルト戦士を蹴り穿ち怯ませた。士郎は即座に戦士を撃った。黒馬が興奮状態となっている。士郎は彼女の体を強化した。鬣が揺らめく程の狂奔。手綱を受けるや疾風の如く駆け、前方のケルト戦士の胸骨を頭突きで砕いた。
 血戦は泥沼だった。如何に士郎が奮迅の活躍をしようとも関係がない。やがてケルト戦士の数は両手の指で数える程度となる。兵士が三人掛かりで一人を斬り殺すも、即死しなかった戦士は三人の首を纏めて刎ね飛ばしていた。更に走り、悪鬼の如き形相で手近の兵士の首を脇に挟み、へし折りながら剣を投げる。その刃が捨てた銃を拾った所の兵士の首に突き刺さった。そうして背後から兵士に心臓をサーベルで貫かれ、今度こそ息絶える。

 兵士達はよく戦った。弱兵とは思えない働きだと断言出来る。だが――それでも。生き残ったのは、僅か七名だけだった。

「■■■■■■――ッッッ!!」

 九十三名の骸が、自らの作った血溜まりに倒れ伏している大地で、士郎は言語にならぬ絶叫を迸らせる。憤怒を超えた激怒、赫怒……その裏に潜む非憤。
 生き残った兵士らも無傷の者はいない。戦友の返り血のみならず、自身らも大小の傷から出血していた。あらゆる苦悩を圧し殺し、士郎はガーゼと包帯を投影する。幸い近くは水辺だ。

「傷口を洗い、こびりついた汚れと血を洗い落とせ。応急手当をした後……先に逝きやがった奴らを一ヶ所に集めろ」

 兵士らは肩で息をしながらも、厳粛な面持ちで了解した。彼らが動き出したのを尻目に、士郎は沖田はどうなっているかを確かめようとして。爆発的に高まる魔力を感じ眼を剥いた。

 見れば沖田が宝具を使っている。――それはいい。新撰組を召喚する彼女の切り札は、対人戦で極めて効果の高い宝具だ。それを使ってもいいと伝えている。しかしそれだけではない。フィン・マックールもまた宝具を一拍の間の後に開帳していたのだ。
 それは対軍宝具。穂先より迸る瀑布の如き水圧の奔流が、召喚された直後の新撰組を襲っていた。一撃でその半数を消し飛ばし、更に放射をしている。両手で腰だめに構えた槍を左右に素早く動かし、レーザーのように放たれ続ける神殺しの槍の力。咄嗟に回避できたのは僅かに数人。残るは近藤勇、永倉新八、斎藤一のみ。
 沖田は愕然としていた。彼女もまたフィンの宝具を回避するも、自身のかけがえのない仲間達が消し飛ばされていく光景に堪らず駆け出していた。縮地で跳び一直線に落としていた刀の許に向かい、それを拾い上げて対軍宝具を停止させようと、フィンに斬りかかろうとする。しかし彼女が刀の許に向かおうとするのを見抜いていたディルムッドが立ちはだかった。
 先回りしていたディルムッドが沖田を阻む。怒号を発した。其処を退けッ! 激していようとその剣の冴えに翳りはない。怒濤の如く剣閃を閃かし――その剣が不意に鈍った。

 ゴ、ふ――呻き、口から微かに血を溢しながら、沖田の体が崩れ落ちる。突然片膝をついた沖田に、ディルムッドは困惑するも。直ぐに気を取り直して隙だらけの沖田を突き殺すだろう。

 沖田が吐血する前兆を見て取った士郎は。

      ――どうする?

 引き伸ばされた主観時間の中、思考を走らせる。

      ――どうする?

 宝具を投影する。例えば螺旋剣なり、赤原猟犬なりを。駄目だ、それでは溜めが間に合わない。断行しても魔力の高まりに気づいたフィンが槍の穂先を士郎に向けてくるだろう。生き残りの新撰組の距離はフィンからは遠いのだ。沖田のような縮地が使えるならとっくの昔に使っているはず。フィンの槍の穂先が向けられたら士郎が死ぬ。

      ――どうする?

 無銘の剣なら投影が間に合う。だがそんなものではディルムッドを止められない。双剣銃での弾丸でも結果は同じだ。制圧力が圧倒的に足りない。

      ――どうする?

 必要とされるのは必殺の火力。同時に敵に魔力の発動を感知させぬ隠密性。そんなものがあるのか?

 ある。



「I am the bone of my sword.」



 無意識に、しかし意識的に呪文を呟く。

 霊基が嘲るように言っている、よく狙え――使い方はこうだ――

 それは刹那の間にも満たない。沖田が膝を地についている。迷う暇はない。やらねばならない。
 裡に向かう霊基の固有結界、反転したそれ。世界を広げるのではなく、心象世界を千切り取り。その断片を弾丸に装填する。筆舌に尽くしがたい激痛に意識が白熱した。まるで千切り取った心象世界が、傷となって肉体に走ったかのような灼熱が背中に走る。
 一条の傷んだ黄金の線。背に刻まれるそれに眼が眩む。視界が欠ける。復元された視力はこれまでよりも遠くを見据えられるようで、基礎的な動体視力が増している気がした。裡にある楔から根が広がったような錯覚。



「──So as I pray, 」



 馬腹を蹴る、強化されている黒馬が疾走した。一直線にディルムッドを轢き潰さんと駆ける。
 ディルムッドは士郎の……敵マスターの接近に気づき驚愕した。まさかマスターがサーヴァント同士の戦いに割り込んで来るとは思わなかったのだ。ディルムッドは飛び退いて黒馬の突進を躱すも、士郎の黒い銃剣に異様な魔力を見て取り慄然とした。

「主ッ!」

 銃口が何を狙っているのかを悟ったディルムッドが警告を発する。即座にフィンは振り向き、槍の穂先を背後の士郎に向けようとした。
 だが、その直前に引き金は引かれた。



「――無『』の剣製(アンリミテッド・ロストワークス)



 放たれるは禁断の大魔術。禁忌の弾丸。
 それは固定砲台となっていたフィンには躱せなかった。振り向く途中のフィンの脇腹から弾丸は彼の体内に侵入し――無限の剣が、フィンの体内に炸裂する。
 固有結界『無限の剣製』を、標的の内部で展開する禁咒。叡知を持つフィンは体内に送り込まれた禁術の脅威を察し、ディルムッドに叫んだ。

「ディルムッド、一旦引け――」

 言葉になったのはそこまでだった。フィンは内側から無限の剣製に内包される剣に貫かれ、霊核を一瞬で破壊され即死する。斃れた彼は、消滅していく。
 ディルムッドは唇を噛む。主の仇を討とうとして、しかしフィンの脅威が消えた事で近藤や永倉、斎藤が刀を手に駆け出しているのを見て取るや断念せざるを得ないと状況を読む。主の遺命もある、ディルムッドは臍を噛む思いで大きく跳躍して後方に跳び、そのまま身を翻して撤退していった。

 彼の胸中に、主が討たれた怨みはない。戦場の倣いだ、それに自身らは討たれて然るべき悪である。寧ろ口惜しさと同等の称賛の念もあった。よくぞ討ってくれた、貴公らは我が主の心を苛む悪行から救ってくれたのだと。またいつか再戦を。その時も本気で行く。故あって加減は出来ないが、見事この身を討ち取ってくれ。――ディルムッドはそう思う。

 ヒュドラの神毒を除き、あらゆる痛みにも呻く程度に圧し殺していた士郎は、しかし肉体ではなく精神の痛みに苦悶を漏らして落馬した。沖田は重い体を動かし、なんとか士郎を抱き止める。

「マスター!?」

 気絶出来たらどれほど楽なのか。意識を保ち続ける士郎の額に脂汗が滲んでいる。
 近藤らが、消えていきながら士郎と沖田を囲んだ。激痛に喘ぐ彼に、新撰組の名だたる剣豪らは敬服を示す。

 ――見事な奮闘だった、総司のマスター。よければお前の名を聞かせてくれ。

 それは純粋な称賛。座に還る彼らは、もしかすると轡を並べる時が来るかもしれない男の事が知りたかったのだろう。
 しかし、

「ッ、あ、ああ……俺の名は……俺、は……?」

 鉄心の男は。

 返す名を、亡くしていた。













 

 

幕間の物語「過去の出会い」




 夢を視ているのか。漠然とした心地で、霊的な繋がりを持つ主人の過去を垣間見る。
 それは■■が他者に知られたくないと、否、知るべきではないと封をして、戒めている記憶の断片。余程の事がない限り、心を許した間柄の者でも覗けない深層地点。なんの因果か、沖田の意識はそこに滑り込んでしまっていた。
 魂の欠損、心象世界の切れ目。それが彼の意識する封に隙間を開けたのだろう。赤い髪に琥珀色の瞳、日本人らしい肌――沖田は数瞬、それが自身のマスターである事を認識できなかった。
 顔立ちを注視して、漸く主人なのだと理解する。白髪に褐色の肌、精悍な顔に眼帯をした今の彼しか知らない沖田にとって、少し青さの残る彼は甚だ息苦しそうな印象があった。

 未だ見ぬ人理守護の最前線――そこへ至る為の過酷な旅路。記憶の中の沖田の主人は、旅をしているようだった。荷物は最低限で供となる者は一人もいない。
 ■■■■がまだ単独で、己だけで目につく不幸(よごれ)を払拭しようと足掻いていた時代である。彼は世にも奇妙な、しかし自身と年の頃の変わらぬ青年と出会っていた。
 何処かの山中であろう。焚き火をしている■■は、求道する聖職者と語り合っている。――より正確に言えば、一方的に語る青年へうんざりしながら、しかし一応はまともに相対している風であるのだが。

 その青年は臥藤門司と名乗った。門司は快活に笑いながら、深く悩み、自らの信ずる神を求めているようで。その宗教観に■■は呆れ、何事かのツッコミを入れたようだった。
 おそらくはそのごった煮の宗教観に対するものだろう。曖昧に沖田はそう認識する。しかし門司はそれを受けてカッと目を見開き、勢いよく立ち上がるなり悲嘆を吼えた。

『笑止! お前らしくもない、なんッたる愚問か! 確かに小生は全ての宗教を学び全ての教えを体現してきた。だがしかし! ある時に小生は気づいてしまったのだ。それぞれの教えに矛盾が在り、各々の教えに身勝手な答えがある事を! 矛盾を抱えた教えでは世界を変える事は叶いはしない。神々は人間を救わないのだ。人々の理想によって性格を得た神は、人間の望み通り、人間を悪として扱う。神とはこれ、人間への究極の罰なのだ。これが地上を駆け回り、全ての宗教を学んだ小生の結論である。……恐ろしい結論だった。愚僧(オレ)は怒りに任せ、完全な神を求めた。人の悪性に塗れていない、原始の神性を探し続けたのだ。その行為そのものが、悪であると理解しながらな』

 愚僧(オレ)を笑うか、■■よ。――門司の思想は沖田の主人の理解を超えているようだった。
 しかし真摯に悩むが故に苦しむ者を、理解できないからと笑う■■でもなかった。他ならぬ、由縁の定かならぬ強迫観念に突き動かされている■■である。どこか共感するものもあった。故に彼は告げたのだ。
 「笑うものか。苦悩(それ)を笑えるのは――笑っていいのは、世界が光で満ちていると無邪気に信じられるガキだけだろう」■■の言葉に門司は破顔した。理解者が得られた、とでも思ったのかもしれない。誰にも理解された事のない苦しみだったに違いないのだから。

 ――意識が浮上する。朧気に目を覚ました沖田は、自身の体が上下に揺れているのを悟った。

「……マスター?」
「ああ、春。まだ休んでいろ。何かあれば起こす」
「はい……」

 馬上で、沖田は■■の前に座っていた。背中に感じる熱は主人の体温なのだろう。
 限界まで体力を使い、その上で病魔に襲われた沖田は精神的にも疲労困憊だったのだ。気絶するようにして眠りに落ちた沖田は主人に抱き上げられて、黒馬に相乗りし移動しているらしい。
 どうやら無事戦には勝てたようだ。ホッと細い息を吐き、沖田は安心した。
 先刻の戦で生き残った七人の兵士もいる。戦いの最後、■■が落馬したのを受け止めた辺りで沖田は力尽きていた。故に主人が名を亡くしているのにもまだ気づいていない。
 サーヴァントに睡眠は必要ないが、休息を取る為に意識を落とす事はある。魔力の節約にもなる。心地好い揺れと背中に感じる暖かさに微笑み、微睡むようにして沖田は再び眠りに落ちた。

 ――夢の続きを見た。

 門司と■■は同じ旅の道中にいた。その最中に暴漢に襲われたらしい女を救ったのだ。西洋の街中の事である。門司は助け出した後に、その女の正体に気づき顔を引き攣らせる。既知の間柄だったようだ。
 病弱そうで、儚げでありながら品のある女は殺生院祈荒と名乗った。十代後半、或いは二十歳の年頃らしいキアラも門司を見るや、やや逃げ腰になっている。■■はそんな門司を笑った。腰が引けてるぞ、まるで獅子に出くわした小鹿のようだと。
 キアラはキアラで、助けてくれた相手をそのまま帰すのは礼に反するとでも思ったのか、門司から視線を外して■■を見る。菩薩のようにたおやかな笑みを湛え、■■を自身の宿に誘った。門司が忠告する、この女には関わらん方がいい、と。

 しかし■■は気安く応じた。女性の誘いを断るなど男の風上にも置けないなんて嘯いて。何故だか沖田にとって、無性に腹が立ついい笑顔だった。
 のこのこ付いて行く■■に、門司は慌てながらも見捨てなかった。彼なりに友情を感じているらしい。仕方なさそうに■■の後を追うも、キアラは丁重に彼に帰ってもいいですよと告げる。これに門司は「お主に■■を誑かされて堪るか」と返した。

 彼女の宿は、平凡なホテルだった。門司はやや意外そうにするも、沖田の主人だけは気づく。「ラブホだこれ!」声に出さない■■の動揺が沖田に伝わる。
 戦慄する■■はキアラは海外歴が浅く、門司も海外のこの手の施設に無知なのだろうと自身に言い聞かせる。彼とて利用する事はないのだが、この土地の言語の読み書きも問題なく行える為、ホテルに入る前から気づけたのだ。

 部屋に通された■■は、まず口頭で礼を言われる。何故か手を握られながら。
 男ならどぎまぎしてもおかしくない。少女の域を脱したばかりの女には、他者から愛されやすいフェロモンがこれでもかと発されていた。それ故に暴漢に襲われたのだろうと察しがつくほどに。しかし、後に鉄心となる男は動じなかった。
 さらりと手を離しながら気にするなと応じ、出された茶を普通に飲んで、そのままさよならをする構えを見せる。これに女はほんのりと驚いたようだった。
 さりげなく女はその男を引き留めつつ、雑談にもつれ込む。その話術は切りどころが見つからず、ついつい長話をしてしまう。やがて男は女に旅の目的を聞いた。彼女は言う、悩める人々を解脱に導く助けをしたいと。その人の苦しみを取り除いてやりたいのだと。
 高尚な志である。門司は苦々しい表情で。ふと男は気づく。この女が武術の類いを修めている――それも■■よりも優れた腕を持っているのではないか、と。それになんとなく血腥い……魔性の引力があるようではないか。新興宗教でも興しそうですらある。

 しかし、本人にその気はなさそうで。セラピストになる為の勉学に励んでいるそうな。

 男は問う。何故、人の苦しみを除きたいんだ、と。彼自身由縁の定かならぬものに突き動かされている身だ。なんらかの共感のようなものがあったのかもしれない。しかし、それは直ぐに消える事となる。

『さあ? 強いて言うなら愛の為、でしょうか。私は私の愛の為に、人という人をみんな、気持ちよく幸せに溶かしてしまいたいようなのです』

 ――自己中心的な愛を、自分の為だけに広め、それが結果的に人の為になる。
 その告白は■■の行動原理に似通ったものだった。彼自身も自分自身の為に、生きた証の為に人を救おうとしている。故に感じるべきは感動か、共感か。いずれかでなければならないだろう。しかし男が感じたのは悪寒だった。拭いがたい不吉さが滲んでいる。
 文字通り、縋った者を溶かしてしまいそうな。
 彼女なら確かに優秀なセラピストになるだろう、多くの人の心を救うだろう。――だのに、感じる血の臭いはなんだというのか。魔性の気配は。華開く大魔の蛹が孵化する寸前のような悍ましさがある。人によってはその浮世離れした人格を、解脱していると感じてしまうかもしれない。男は半ば確信を懐き、ほとんど断じるように告げる。

『殺生院と云ったか』
『キアラと。そうお呼びください、素敵なお方』
『……キアラ。お前……人を殺した事があるな?』

 人を殺した者のみが纏う……否、殺した人間の事を虫けらのように感じている破綻者のみが纏う、人の世から浮き出た異常な性。■■■■と同類ではない、しかし同じ異常者であるからこそ、ほとんど天啓のように男は思ってしまったのだ。
 この女は、生きていてはならない。信条を曲げてでも、今すぐに殺してしまうべきではないのか。■■の瞳に殺意が滲むのは、彼自身の衝動だったのか。それとも当時の彼は自覚していない、内在する霊基が発する危険信号だったのか。いずれにせよ、殺すべきだとあらゆる世界線で■■■■が確信する存在だ。
 殺生院キアラは笑う。頬に手を当てて、困ったように微笑んだ。

『何か酷い誤解をなされたようですね。私、人をこの手で殺めた事はございませんのに』
『破滅させて悦に浸った事はある、と云ったも同然だぞ』
『……あら。そう取られてしまいましたか』

 ■■は殺生院の出生を知らない。十四歳までどのように言えたのか。閉塞した世界で病弱に生き、外界の進んだ医療で病が癒え、そして現在に至るまで、何を思いどのような道を歩んで、どのような思想を抱いたのかを知らない。
 しかし男は識っていた。内在する霊基の記録を持つ男は、実際には面識のない男を識っていたのだ。言峰綺礼という破綻者を。故にこそ、彼はそれを知る。
 そして知られた事を思慮深き女は悟っていた。同時にあらゆる欺瞞も、おためごかしも通じないとも。それは――彼女の体を芯を貫く感覚だった。《今はまだ》、善良な聖職者である彼女の。
 故に彼女は誤魔化さなかった。なんとなく、彼には真実を語ってみようと魔が差したのだ。もしかするとこの人は自分を殺すかもしれない――それがこの正義感に溢れ、強靭な意思を宿した剣の如き人を失墜させるかもしれないと、なんとなく感じて。なんとなく、その様が酷く法悦の予兆を感じさせたのだ。

 殺生院キアラは訥々と語る。まるで自らの恥部を晒すかの如き行為に恥じらうように、頬を染めて。

 自身が生まれ育った環境。十四歳まで寝たきりだった事。戒律に囚われ自分を可哀想と言うだけで、救おうともしなかった周囲の人々の姿から、彼女が読み解いてきた書物にある清い人間像が消え失せた事……。
 そして。
 もしや人間と呼べるものは、もうこの世にはいないのではないか。いたとしても自分唯一人なのではないかという思いに取り憑かれ。十四歳の時に家の信者から外界を知った事で最新の医療を受けられ、病気は快癒した事。その後閉鎖的だった詠天流を改革し、父親から女であるにも関わらず女と一体になろうとする、悟りそのものを否定するという、宗派の禁忌を二つ犯したという名目で破門された事。その翌日、父親の髑髏本尊を持ち去って、師の術具を奪うという最後の禁忌を破り、信者同士を殺し合わせ、自分以外全て死者となった教団を立ち去った事。
 包み隠さず話した。門司も、■■も険しい顔でそれを聞いていた。その突き刺すような眼光に痺れ、女はついうっかり、ぽろりと溢した。

『私はその時、確かに絶頂しました。しかしまだ足りない、物足りないとも感じたのです。――けれど。覚えたての自慰に耽るばかりでは蒙は拓けませんでしょう? ですのでいっその事、別の生き方をしてみるのはどうかと思い至ったのです。人を救いましょう、破滅させずにいましょう。禁欲生活、というのでしょうか? 溜めに溜めたものが破裂する時、或いは私も満足出来るかもしれない……その時をこそ私は待ち望んでいるのでしょうね』

『――なんだ。俺の勘も宛にならないな』

 ふ、と。緊迫していた空気が弛緩する。キアラはおや? と眉を顰めた。てっきり――正義の味方そのものであるような印象の……書物で見たような清い人間像と結び付きつつあった男が。キアラにとって理想的に感じつつあった男は。
 すんなりと、殺気を納めてしまった。
 怪訝そうにするのは、何もキアラだけではない。門司もだ。この女が「魔性菩薩」とでも言うべき存在だと、■■も感じていたはずである。殺生は抜きにしても金輪際関わらないようにするのが最低限。しかし、男は笑った。それが彼、彼女には余りに不可解だったのだ。

 多くの平行世界の■■■■なら、殺すべきだと断じるだろう。信念を曲げてでも。更なる犠牲者を出す前に。――人類悪に成りうると懸念を抱いて。
 しかしこの男は違った。それこそが、彼の裡に在る■■■■の霊基とは決定的に異なる差異である。彼は困惑する門司とキアラに言った。

『過去の罪は消せない。だが動機はともかく、その罪を償う生き方になっている。なら俺から言う事は何もない。セラピストになるんだったか? 人の心を支えられるいい仕事だ。誇りになるだろう』
『……後の禍根となるかもしれないというのに、それを看過して捨て置く、と?』

 キアラの中に、じんわりと失望が広がっていく。この男もやはり、彼女にとっての「人間」ではなかったのか。
 しかしそんな失望なんて知らないとばかりに、男は言葉を続けた。

『かもしれない、だ』
『……?』

 後の禍根になる「かもしれない」が、それがなんだというのか。

『ほぼ確実だと小生は思うぞ』
『それでもだ。現時点ではあくまで「かもしれない」でしかない。ならこうも言える。キアラは生涯我慢し続ける「かもしれない」ってな』
『――そんな、ひどい』

 キアラは身震いした。これからずっと我慢し続ける生き方? 想像するだに最低の結末だ。そんな想像を目の前でされるだけでキアラは眩暈がしそうになる。

『ひどい? そんな事はない。お前は今、禁欲生活を自発的にしている。ならキアラには善悪の区別がつくという事だ。それに一度始めた事なら、最後までやり通せるのが人間の可能性だ』
『――』
『人が破滅する様でしか絶頂できない? 大いに結構じゃないか。なら存分に《自分が破滅する様に絶頂してしまえ》。――そら手間を掛けるまでもなくお手軽にやれるだろう? しかも相手にも困らない、更に末長く永遠に、自分が生き続ける限り味わえる』

 キアラは。その言葉に、電撃を打たれたように立ち尽くした。

 ――なんて。なんて、ひどい殿方なのでしょう……。なんてサディスト、なんて鬼畜、なんて、なんて、なんて――素敵な発想を下さる殿方なのでしょう。私、恍惚としてしまいました……。

 我慢できなくなるかもしれない。しかしその痺れるような拷問の日々は、確かにキアラの性に爽快な快感を齎す。考えただけで足が砕けてしまいそうだ。
 これから先、何十年生きるのか。何十年も自分を、休みなく責められるのか。我慢できずに発散させてしまえばそこで終わり、でも我慢できれば永遠だ。逆転の発想、快楽を外ではなく内に求める。覇道ではなく求道への道。その階がすぐ目の前にあったなんて、欠片たりとも思い至らなかった。

『刹那的に享楽に耽る。確かに楽だが、お前には今の想像が忘れられない。いつか堪えられなくなった時がお前を破綻させるだろう。後悔に苛まれ、自滅してしまう。過ぎた快楽は思い出になる、だが識ってしまった快楽が《浅いものかもしれない》という想像がお前を殺す。誰かが手を下すまでもない。未来で他者を食い物にすれば、そのツケをお前はお前自身の手で払う事になる。……実に結構な事だろう。絶頂するのは自分が死ぬ瞬間まで取っておけ。それが何よりお前自身のためになる』

 そうして、男は余りにも簡単に――救世主となれる資質を持つ魔性菩薩を鎖で縛りつけた。
 その鎖は簡単に砕ける。だが、決して自分では砕いてはならないもの。何せ自分で自分を縛る事になるのだから。砕いてしまえば、自分も砕ける。

 門司は腹を抱えて笑った。可笑しくて可笑しくて堪らなかったのだ。

『がはははは! なるほどそう来たか、確かにそれなら■■の言う通りにするしかない! これはしたり、小生とした事がそんな発想は出てこなかったわ!』
『ガトー、お前の笑いのツボが俺には分からん』

 一件落着とばかりに笑い合う男達を尻目に、キアラは震えていた。涙を浮かべて、ふるふると。嫌々をする幼子のように髪を振り乱し。
 やがて、キアラは認めた。
 この男は自分を縛りつけた正義の(わるい)人。到らぬ己を導いて(しばって)くれた人。際限なく己を裁く善良(いじわる)な人。書物で読み思い描いた清い理想像ではなく、今そこにいる「人間」なのだと――「自分以外の人間」がここにいたのだと感じられた。

 激しい電流が殺生院キアラの総身を駆け巡る。これぞ天啓だ。運命だ。キアラはもう、生涯に亘って己を縛り続けるしかない。けれど――その鎖をそのままに快楽を得られる「人間」を見つけた。この世に自分以外に「人間」なんていなくて、自慰の道具になる物しかない、そう思っていた浅慮が恥ずかしい。この男なのだ。この男だけが、自分のはしたない自慰を「性交」にしてくれる。まさに――

『運命の、ひと……』
『む?』
『えっ』

 恍惚に震えるキアラが自分を見ていると気づいた男は呆気に取られた。門司は間を空け、一つ頷き男の肩を叩く。強く生きろと。

『私……貴方に恋してしまいました。私を縛りつけた責任……取ってくださいませ?』
『……』
『えっ。……えっ?』

 朗らかに恋に落ちた女の言葉に、■■は困惑を隠せない。そして――門司と■■の旅に、キアラが同道する事になったのである。
 斯くして■■の心は練磨される。あの手この手の誘惑に堪え、寧ろ怯え。若くして鉄心を完成させる工程を踏み、そしてある日――■■は門司にキアラを押し付けて逃げた。

『■■――ッッッ! お主、なんて事をッ?!』
『なんて酷い方なのですか……! ええ決して逃がしません、いつか貴方を捕まえる(破滅させる)まで、捕まえた後も永遠に、死ぬまで溶かし続けてあげますからね……! 私、やれば出来る女なんです。絶対に絶対に貴方のお役に立って、今度は私が縛ってやるんですから――!』

 ■■は公式戦無敗。されどこの非公式な戦いで、彼は敗北した。無様に遁走した。
 このままでは喰われる――その確信が■■をして逃走を決意させる一幕。

 それを全て見届けた沖田は物凄く同情した。

 マスター、強く生きてください……。今の沖田には、応援するしかなかった。











 

 

人理を守れ、ジャックさん!






 先に逝った仲間達の亡骸を一ヶ所に集め火葬した。

 彼らの文化として棺に入れて埋葬し、墓を立ててやる事は出来なかった。それをする余力が俺や兵士達に無かったのだ。
 かといって彼らの亡骸を野晒しにし、供養してやらないなど誰も納得しないだろう。それに下手をすればこの地に蔓延する疫病の元にもなる。
 生き残った七名の兵士は、せめて何かを遺してやりたいと言った。それが叶わずとも何かを持って帰ってやりたいと。俺が投影した赤布は襤褸となって消えている。他に持ち帰れる持ち物もない。かといって体の一部を持っていくのも違う。埋葬してやれる場所もないのだ。ではどうするか考え、遺骨しかないと思うもやはりこれも違う気がした。
 暫く考え、俺は彼らに言った。戦友を燃やし、その骨を砕いて粉にした後、それをダイヤにして持ち帰ってやろうと。彼ら戦友は勇敢に戦い、死んだ。だが彼らの戦う遺志は残り続ける。それと共に俺達も戦い抜こうと。

 兵士達は無言で頷き合った。

 九十三人分の骨。粉々にし、掻き混ぜ、投影宝具で型に入れ骨を固めた。九十三個のダイヤモンド。残った骨は投影した骨壺に保管し、それを持ち帰る。七つのダイヤを生き残りの兵士に、一つを俺に。後は残った者と親しい兵士に渡すつもりだ。
 先に逃がした連中の後を追う。沖田は力尽きて気を失っていたから馬に乗せた。
 追い続ける。
 一度沖田は意識を取り戻したが、そのまままた寝かせた。特に新たな敵影も見当たらなかったが、万が一にも逃がした奴らが別の敵と遭遇していたら最悪である。
 先を急ぐ、いや急ぎたいが……七名の兵士達も疲労している。余り速くは進めない。益体もない事を考えても仕方がないから、俺は今後の事について考える。

 これから先、何処を目指すのか。何を目的とするのか。それは決まっている。現地の大陸軍と合流し、難民達の安全を確保。その後は彼らを預け、俺自身は沖田と二人でカウンターのサーヴァントを探し協力関係を結ぶ。これしかない。
 しかし最悪の想定というのはいつだって必要だ。何もかも上手くいかない事は有り得る。いやその可能性の方が極めて高い。このまま逃走しても行き先で更に敵が増えるかもしれないし、敵が防衛線らしきものを敷いていたとしたらそれを突破するのは不可能だ。俺や沖田だけなら突破出来るだろうが、難民や他の兵士達は確実に死ぬ事になる。そうなるとここまで守ってきた意味がなくなってしまう。
 それに沖田も……言いにくいが、はっきり言えば扱いづらい。有り体に言えば戦力として計上したくない。いつ爆発するか分からない爆弾を抱えているのだ。それさえなければ理想的な戦力なのだが……。

 ――無能どもが雁首揃えて……。

「ッ……」

 ――現地の人間は全て捨てるべきだ。天才剣士殿は連れて行こう、だが代わりが見つかれば捨て駒が妥当だ。ただでさえ少ない令呪、回復の見込みはない。血を吐く度に使わされればキリがないだろう。何、床に伏せて死ぬよりも、本人も満足な死に様だろうさ。

 誰だ、と思う。誰がそんな事を言っている。怒号を発そうとして、それが己の冷徹な部分から出た合理的な計算だと気づいた。
 絶句する。そんな発想は有り得てはならない。瞬時に封じ込めた。押し潰した。揉み消した。
 実に合理的でそれが最も正しいと俺自身が認めている。だが頭にこびりつくような方針を踏み潰した。それは俺の道ではない。堕ちてはならない魔道だ。俺は俺の決めた王道を往く。

 ちら、と後ろをついてくる兵士達を一瞥する。
 あの血戦の後であっても、その目は爛々とした光を発している。一皮剥けた。懸命に戦い、まだ生きようとしていた。彼らに九十三の命が乗っている。俺にもだ。見捨てる訳にはいかない。
 冷徹さは必要だ、しかし冷血であってはならない。それでは必ず何処かで破綻する。俺は俺だ、と思う。名前を亡くしたとしても。何かの記憶が欠けていたとしても。五感はしっかりしている、魔術回路も思考も自我も。大事なのは名前ではない、どう生きて、どう在るかだ。

「ぅ……」

 沖田が目を覚ます。俺は出来る限り柔和に声をかけた。

「おはよう」
「ぁ……ますたー……?」

 寝惚けているのか、滑舌が悪く声が幼く聞こえた。それに苦笑する。
 彼女にとても似た顔立ちで、彼女が見せないだろう表情をする沖田が可笑しくて――《彼女?》

 ぞわり、と背筋に悪寒が走る。

 《彼女の名はなんだ?》 発作的に記憶を辿る――はじめて出会った月下の時――その後の戦い、鮮烈な記憶――

「ア、」

 冷や汗が滲んだ。焦る。思い出せ、順番に。冬木の人達は? 藤姉、桜、イリヤ、遠坂……他の人は……名前は分かる、しかし顔の輪郭がぼやけていた。
 以降の出会いはどうだ? ガトー、キアラ、白野、バゼット、エンハウンス、シエル、遠野、ブリュンスタッド、蒼崎、両儀、黒桐……。その他にも様々な人がいた。全て覚えている。顔も姿も声も思い出も。

「ア、ア――ル、」

 カルデア。そこでの戦いの記録。ロマニ、マシュ、クー・フーリン、レオナルド、切嗣、エミヤ、ネロ、アタランテ、アイリスフィール、チビの桜、別世界のイリヤ、美遊、糞忌々しいステッキ。アグラヴェインに百貌のハサン、カルデアのスタッフ。

 ……? 誰だ、他にキャスターがいたような……。そう、玉藻の前だ。命の恩人だ。他には、他には……。
 アーサー王伝説……の、ああ、騎士王だ! 聖剣の鞘の持ち主。黒い方はオ――ルタ? オルタだ。そう、オルタ。
 あ、ああ! 思い出したッ!

「アルトリア」

 繋ぎ合わせた記憶。彼女との思い出。全て覚えている……。……本当に全てか? 本当に? ……覚えてる、はずだ。記憶を辿っていっても欠けはない。途切れているものもない。覚えてる、ちゃんと覚えている。
 心底、ホッとして。安堵した。よかった……。本当によかった。名前は亡くしても、アルトリアの事は覚えていた。

「む……誰ですか、それ」
「……?」

 ふと、下から睨み付けてくる視線に気づく。沖田が頬を膨らませて、不満そうに睨んできていた。

「沖田さんはその、アルトリアって人じゃありませんよ……」
「あ」

 彼女の不服顔に声を漏らす。確かに失礼だった。
 思わず安堵した顔のまま苦笑する。更に沖田はぶー垂れようとしていて、なんとか宥められないかと少し焦ったが、沖田は不意に目を丸くした。

「マスター? その、眼が……」
「眼?」
「右目の色が……変わってます」

 言われて剣を投影する。その刀身を覗き込み、隻眼を見詰めると、確かに琥珀色の瞳が変色していた。
 かといってエミヤのそれでもない。オルタのようなくすんだ金色。傷んだ黄金。微かに目を見開き、俺は肩を竦めた。

「――……イメチェンだよ」
「はい? イメチェン?」
「ああ。色つきのコンタクトレンズを入れたんだ。眼がよくなって、動体視力も上がってる。しかも金色は格好いい。金色は英雄王印だから完璧だな、一分の隙もない」

 ふ、と笑う。沖田はへぇ~、なんて気の抜けた風に納得――

「――って、そんなわけないじゃないですか!?」
「チッ」
「舌打ち! 舌打ちしましたよね今!?」
「してない」
「しました!」
「してにゃい」
「してなかった!? ってそれ別ネタでしょ!」
「春のくせに粘るな。戦闘でももっと粘ってくれたらなぁ」
「ぐはっ」

 ぐさりと来たのか、沖田は胸を押さえた。
 死ーん、と沈黙する沖田にも思うところはあったらしい。気絶したふりをして馬上に倒れ伏す。手綱を握るのに邪魔なので襟首を掴んで上体を起こさせた。
 首が絞まったのか、ぐへ、と間抜けな声がする。

「ひ、ひどいですマスター……」
「酷いのはお前の病弱っぷりだろう」
「追い打ち?! この鬼! 悪魔! マスター!」
「ははは」
「笑って誤魔化さないでください! 沖田さんはそんなんじゃ誤魔化されませんからね!」

 誤魔化されてるじゃないか。
 ぎゃあすか喚く沖田を宥めながら思う。絶対に逃がすわけにはいかなかったフィンを斃すためとはいえ、使用した禁忌。あれはもう封印した方がいい。記憶の欠損が思ったよりも深刻だった。
 しかし……いざという時は、やはり使わざるを得ないだろう。固有結界が展開できないのだ、他に切り札に成り得るものがない。それにあの火力を使わないというのは勿体ない。
 肉体の変質はこの際だ、許容しよう。だが……記憶が欠けるのだけは、なんとかしたい。なんらかの対策をしておいた方がいいが、その対策は俺には無理だ。
 出来る限りあの固有結界の射出は使わない、という案しかなかった。

 ――結局、先に逃がした連中に追い付いたのは、最初の目的地である砦に辿り着いた頃だった。

 追い付くのに二日も掛かった。それほど必死に走ったのだろう。そしてそれに追い付ける体力がこちらの兵士達になかった。どちらも無事なようで、それだけは朗報だ。
 砦内に入るとカーターや他の兵士達が整列し出迎えて来る。明らかに数が少ない俺達に、彼らの目に悲痛さが過ったが……カーターに骨壺を渡す。戦死者と親しかった者を募り、彼らに骨のダイヤを渡した。
 落涙は、静かだった。彼らの肩を叩き、俺は彼らの涙が止まるのを待って告げた。

「砦内の物資は?」
「我々が一月間食っていける食糧があります。幸運にも腐ってはいませんでした」

 カーターが答えた。

「その他、陣を築く為の木材、天幕、荷車なども。予備の武器もありました。砦の状態はほぼ無傷です。恐らく戦闘が起こった際に出撃し、そのまま壊滅したのかと……」
「そうか」

 頷き、俺は思案する。
 難民達も不安げにこちらを見ている。疲弊はさらに色濃くなっていた。
 考えるまでもない、か。

「……二日、ここで休む。体を休め、その後に南東へ更に進むぞ」
「は!」

 カーターが敬礼すると、兵士達もそれに倣って敬礼してくる。苦笑いを浮かべそうになりながら答礼し、腕を下ろすと彼らも敬礼を解いた。

「カーター、見張りの選抜を任せる。それと難民達の休む場所も取り決めろ」
「は!」
「お前達も今日は休め。明日は最低限、見れる程度に鍛えてやる」

 散れ、と手振りで示すと彼らは散っていった。黒馬をどこにやるか考えるも、俺から離れようとしなかった。顔を擦り付けてくる黒馬に笑うしかない。
 名前、考えてやらないとな……死線を共に越えたからか、それともパスを通じているからか、妙に愛着が湧きつつある。

 と。難民達の中から一人の少女が出てきた。いつぞやの少年の妹の片割れだ。まだ五歳程度だろうか。慌てて兄妹達が追いかけてくるも、捕まえるより先に俺の前にまで来た。
 その手には、薄汚れたトランプが握られている。遊び道具だろう。俺に渡したいのではなく、持っていたのをそのまま手にしているだけのようだ。

「おじさん」
「……お兄さん、だ」
「おにーさん」
「ああ」

 たどたどしく話しかけてくる少女に、俺は目線を合わせるように地面へ片膝をついた。
 愛くるしい少女の様子に、相好が緩む。彼女は質問してきた。

「おにーさんの、おなまえ、なんていうの?」
「――さて。前に名乗ったと思うが」
「まわりがうるさくてきこえなかったの」

 そうか? 俺が名乗っていた時は静かだったはずだが。聞いてなかっただけで、これは拙い言い訳なのだろう。俺は微妙に笑む。

「そうか。なら仕方ないな。俺の事は好きに呼べばいい。野郎連中みたいに『BOSS』でもいいぞ」
「や。おなまえ、きかせて」
「……」

 手強い。沖田より何倍も。

「……お嬢ちゃんが、名前を考えてくれ」
「わたしが?」
「ああ。どうせ名乗ってもすぐ忘れちゃうだろう?」
「そんなことないもん! みれい、おにーさんの名前ぐらい、おぼえれるもん!」
「そうかそうか。でもなるべく覚えやすい方がいいよな? だからお嬢ちゃんが考えてくれ」
「むぅ……」

 少女は難しそうに悩んだ。むーむー呻く少女に苦笑する。意地悪が過ぎたかな。でも、名前思い出せないしなぁ。誰かに『俺の名前ってなんだ?』と訊くのも間抜けみたいで嫌だしな……。
 悩んでいると、少女はパッと目を輝かせた。何やら思い付いたらしい。トランプを襤褸の箱から出して、それから無作為に一枚を選び出した。それは、ダイヤのジャックだ。

「おにーさん、ヘクトール!」
「えぇ……?」

 トランプの絵柄の由来を知ってるなんて偉いなと誉めてやろうかと思ったが、その名前負け感に俺は貌を顰めてしまった。
 その反応に少女は不満そうに頬を膨らませる。

「ヘクトールなのー!」
「いや、それは……せめて別のにしてくれ。その名前は俺には重すぎる」
「……もんくばっかり。しかたないなぁ」
「はは」
「じゃあ、ジャックね」

 一気に安直になったなと頬が更に緩む。
 しかしトロイアの英雄と同じ名前でないだけ、それでいい気がした。

「わかった、じゃあ俺はジャックだ。身元不明(ジョン・ドゥ)ってのも味気ない」
「おにーさんはジャックね!」
「ああ、格好いい名前をありがとうな」
「えへへ……」

 頭を撫でてやると、嬉しそうに笑顔を咲かせた。
 大人連中が疲れてる中、やたらと元気である。馬車の中にいたのだろう。まあ、子供だからな。
 少年がなんとも言い難い表情でこちらを見ている。そんな彼が言った。

「……名前は分かったけどさ、アンタって大陸軍じゃないんだろ。BOSSなんて呼ばれてさ」
「そうだな」
「じゃあさ、アンタの部下も、大陸軍じゃねぇだろ」
「……そう、なのか?」

 腕組みをして首を捻る。
 その理屈はおかしい。近くの兵士を手招きで呼んで訊ねた。お前らは今も大陸軍だよな? と。
 すると彼は苦笑して答えた。「いえ、今はBOSSの部下です」

 えぇ……。

「ほらな!」

 少年が得意気に言う。

「アンタら、どんな軍なんだよ。そこんところはっきりしてないと、なんか気持ち悪いんだけど」

 生意気だなこいつ……慎二を思い出しちまったぞ。この時々イラッと来る感じが似てる気がする。
 まずいな、このままだとひねくれワカメになってしまうかもしれん、それだけは阻止しなければ。
 しかし……組織名か。難しいな。だがまあ、いいだろう。どうせ大陸軍に合流するまでだ。適当に名付けて流してしまおう。
 俺は適当に、今はまだ存在してないはずの言葉を捻り出した。

「そうだな……なら『人類愛(フィランソロピー)』なんてどうだ?」















 

 

なんで休まないジャックさん!




 この世に悪の栄えた試しなし、などという言葉がある。ギリシャの詩人ホーメロス著『オデュッセイア』の中に、悪い行いは長く続かないといった旨の記述があるが、それが由来らしい。正確な知識ではないが、似たような趣旨の言葉はこれが最古となる。
 しかしジャックという仮の名を得た俺は、これが全くの誤りであると認めていた。この世で最も栄えるのは悪である。悪知恵の働く者が栄えるからこそ、今の世界があると言っても過言ではない。善悪問わず正直者は馬鹿を見るのだ。神代や架空の物語上の出来事は別として、史実の時代の勝者とは如何にして相手を上手く騙したかなのである。勝者こそが正義とは言い得て妙で、まずは勝たねば善悪を語る術がなく、どうせ勝ったなら善を称したいのが人の性だ。
 逆に言えば、本当の意味での悪とは、まず頭が良くなければならない。さもなければ勝てないからだ。ただの武力のみで勧善懲悪を成せるのは、それこそ神代の規格外な英雄のみである。それとて末路は誰かの奸計に嵌まって非業の死を遂げているのだから、彼らとて必ずしも勝利してばかりではないのが世知辛い。

 俺は自分が正義であると信じられている。

 それは己が正しい道を歩んでいると信じているからでもあるが、自分が負けないように立ち回り、最後には勝ってこれたからでもある。勝ってきたから、俺は俺を正義であると標榜していられるのだ。逆に言えば負けてしまえば単なる負け犬でしかない。
 まずは勝つ事。これは大前提だ。俺は勝ち続けるから、負けた事がないから正義を掲げていられるのではない。勝ち続け、敗北を避けてきたからこそ己の道を貫けて来たに過ぎなかった。

 俺は知っている。俺が悪であると断じた外道の魔術師が、自身の家では妻に柔らかく微笑み、子の成長に喜ぶ、良き夫で良き父である場合もあると。
 その父を亡くした妻や子にとって。或いはその父の魔道の探求という夢を絶ち、絶望させてしまった俺は紛れもなく彼らにとっての悪だ。この事実から目を逸らしてはならない。人の数ほど正義はある……使い古された文言だが、実にその通りで。俺は俺のエゴを貫いているに過ぎないのだ。

 故に過信は禁物だ。清き理想、尊い夢……懐くのは結構な事だ。しかしそれに目を焼かれ、狂ってしまえばただの狂人でしかない。俺は人間だ。真っ当な人間として、当たり前と感じた事には忠実でいたい。
 勝つ事を躊躇わず。悪と謗られる事を恐れず。勝ち続ける為に、敗北を避ける為にあらゆる努力を惜しんではならない。頑張り時、踏ん張り時を見逃してはならないし、見落としてもならないし、見過ごしてもならない。今は研鑽の時だ。少しでも生存率を高める為の段階である。立ち止まる訳にはいかないのだ。

「だからってマスターは立ち止まらなさ過ぎです! いい加減休まないと本気でぶっ倒れますよ!?」

 俺は沖田を連れ、二人だけで遠出していた。目的は何処かにいるかもしれないカウンター・サーヴァントだ。それを探し出し、戦力に組み込みたいのである。これは欠かせない行動だ。何せまたフィン・マックール並みの敵と行軍中に戦闘に入ってしまえば、次こそ百パーセント確実に全滅する。
 何せ砦という一先ずの目的地に入った事で、『人類愛(フィランソロピー)』の軍民は、張り詰めていたものが切れてしまったのだ。故に行軍を一旦中断し、一日ではなく二日間休むと告げたのである。
 それに彼らは元々体力の限界でもあった。休息は不可欠、ならば今は戦力の発掘に努めねばならないのは自明の理。
 彼らを二日間、あの砦で休ませる。さもなければ生き残れない。故にあの砦を攻められたなら、死守する他になく。ケルト戦士だけが相手ならまだなんとかなるが、サーヴァントに攻め込まれたら非常にマズイ。

 だからこそ今は博打を打たねば。あの砦には見張りを立たせ、敵の接近を発見したなら狼煙を上げる手筈になっている。その時は令呪で沖田を砦に戻し、俺も砦に急行すると伝えていた。
 俺の能力は雑魚狩りに特化している。殲滅力という一点では英霊にも引けを取らない。何せそれを買われてしまってアラヤ識に守護者として目をつけられているのだから。
 雑魚散らし(あかいすいせい)の■■とは俺の事である。だからと繋げるのはおかしな話だが――たった二人での行動に不安はない。
 何せ沖田がいる。俺が雑兵を潰し、沖田が強敵を狩る。守るべき人達から離れたら、生き抜くだけなら割と簡単だ。

 沖田の叱りつけてくるような諫言に、俺は肩を竦める。生憎とそう簡単に倒れるほど柔な鍛え方はしていない、気が充実しているならいつまでだって歩き続けられる。そう言うと、沖田は言葉に詰まった。

「なんで……」

 何が「なんで」なのか。言葉の継ぎ穂を見つけられなかったのか、沖田は俯いた。
 彼女が黙ったので、俺は気にせず歩く。サーヴァントの痕跡を探し求めて。黙々と。淡々と。今は右目がよく見える。夜の闇だって阻めない。下手をすると、暗視ゴーグルをつけた時並みに見えているかもしれなかった。もしかすると、これがサーヴァントの視界なのかもしれない。だとしたら凄まじいものだと思う。
 惜しむらくは視力の向上は、霊基からの侵食が進んでいる証だという事だ。やはりあの禁呪は多用するべきではない。

「なんで、ですか……」

 何時間か宛もなく歩いていると、不意に沖田が口を開いた。

「なんでマスターは、縁も所縁もない人の為に、命を懸けてるんですか……? マスターの使命は、人理の修復なんでしょう? こんな所でリスクを侵すなんて間違ってます。なのになんでですか。そんな、自分の身を削ってまで……」
「はぁ……。……この間も言った気がするが、奴らの為ばかりに命を懸けてる訳じゃない。俺は俺の信条に従っているだけだ。俺が生きるついでに、彼らにも生きてもらう。それが俺の為なんだよ」

 沖田のそれは愚問という奴だ。何せ一度、答えを渡してあるんだから。
 何やら彼女は、俺が限界を超えて働き続けていると勘違いしているようで、悲痛な表情をしているが。生憎と俺の限界はまだまだ先だ。何せ俺が無理だと感じていない。無理じゃないなら出来るという事だ。
 曲がりなりにも『人類愛(フィランソロピー)』なんて大それた名をつけたのだ。相応の姿勢は見せてやらないとな。でないと生き足掻いて来た甲斐がない。

「俺は『BOSS』だ。『人類愛』の領袖なんだ。彼らを率いた責任がある、一度助けた責任もある。大人なんだ。責任から逃げるわけにはいかないだろう。それに――こんな時に格好つけられないんなら、大人になった甲斐がないってもんだ」

 嘯く。精々強がれ、強がれないなら男じゃない。

「春、俺は男で、大人だ。見栄を張らしてくれ、格好つけさせてくれ。俺の相棒として、俺の信念を共有してくれ。お前は俺のものなんだろう?」

 その刃を俺に預けると言ってくれたのは沖田だ。意地悪に笑い掛けてやると、沖田はそっぽを向いた。
 軽く咳き込む素振りをしている。耳が赤い……また発作か? 頻度が高いな……。

「マスターは、悪い人です……」
「割とよく言われる。でも俺は言われるほど悪い人間じゃないはずだ。寧ろいい人だぞ」
「自称はやめてくださいっ。もぉ……ほんとう、ばかなんですから」
「おいおい」
「でも、マスター風に言うと、『でないと仕え甲斐がない』ですね。ええ、沖田さんの主君なんです。この……なんと言いますか。よく分からない熱もきっとマスターへの忠誠心なのかもしれません。そんなマスターだから、私は安心して傍にいられんですよ、きっと」

 はにかみながらそう言った沖田に、俺は苦笑する。
 ――また忠誠か。ランサーといい、どうして俺なんかにそんな御大層なもんを向けるんだろうな。
 口にしないのは、黙って受け取った方が格好いいからだ。ええかっこしぃはやめなさいと遠坂の奴に真顔になられたが……イリヤもだったか? ともあれ、男ってのは大なり小なり強がるものだ。情けないところは見られたくない。逆に格好いいところは見て欲しい。
 沖田がいてくれるから、俺は強がれている。見栄を張れる。つまり、俺がこんな風にやってるのも、沖田に責任の一端があるのは確定的に明らかなのだ。我ながら完璧な理論武装である。

 しかし――あれだな。

「はい?」

 呟く。

「行動しない奴に女神は微笑まないらしいが……だとしたら今、女神は俺に微笑んだぞ」

 嘆息する。何を言ってるんですかと呆れ気味の沖田は見ず、遥か彼方に撒き上がっている砂塵を見た。
 周囲は丁度、河と森に挟まれた地点。砦から半日離れた距離だ。砂塵の規模は大きい。小太郎仕込みの数の判別法だと……ザッと《一万》は下るまい。敵襲だった。沖田が顔を引き攣らせる。

「それ、絶対に災厄の女神ですよ。お祓い行ってください」
「はははは」

 乾いた笑いだった。我ながら。

 サーヴァントを探していた。そうしたら、確かに見つけられた。ただし、敵性体(エネミー)だったが。
 向上した視力は捉えていた。それは――

「ペンテシレイア……呆れた執念だぞ……」

 軍を率いる戦闘女王。それが、明らかに俺を探している。索敵しながら、『人類愛』の痕跡を辿りながら……。このままでは、彼女は砦にまで辿りついてしまうだろう。そうなれば虐殺の憂き目に遭う。
 まったく……。運がいいのか、悪いのか。俺は沖田に言った。

「春。一旦砦に戻り、カーターに防備を固めさせてから戻って来い」
「! ……マスターは、どうなさるんですか?」
「俺か? 決まってるさ」

 吐いた唾は飲めない。精々、強がるまでだ。

「地形は俺の味方をしている。俺を囮にして時間を稼ぎ、バカな部下どもが休めるよう、せめて一日は付き合ってもらう」

 アマゾネスの女王との楽しいデートだ。エスコートは任せてもらわないとな。俺はそう言って、不敵に笑う。

 ――ああ、本当に。つくづく、楽はさせてもらえないらしい。











 

 

挨拶代わりだねジャックさん!




『貴様ぁ……! 名を名乗れ、覚えてやる……!』

 ――いずれ知る。それまで精々、生き恥を晒せ。

『いいだろう、貴様はこの私を出し抜き勝利した。ならばこれより私は、貴様に焦がれる。なんとしても殺してやるぞ、是が非でもこの手で潰してやるッ! 私に殺されるその時まで、この大地で見事生き抜いてみせろ、英雄ッ!』

 この身を縛るのは聖杯である。サーヴァントである我が身には、抗う術はない。だが戦わずして軍門に下らされた屈辱は忘れられるものではなかった。いつか必ずその喉笛を噛み千切ってやると猛き女王は報復を誓っていたのだ。
 己を召喚した者への忠節、義務、義理。そんなものは無い。確かに機械的なまでに殺戮に興じる狂王は強き者だ。ペンテシレイアよりも強い。しかし、だからと言って王を名乗る者に強制的に従わされるのは、アマゾネスの女王として認められたものではなかった。これで召喚者が人間ならまだ良かった、だが相手もまた王である。ならば雌雄を決し、優劣を定め、上下を明確にしなければならないのが王というものである。
 であるのに、あの狂王は。女王は。対等な王として同盟を結ぼうとすらせず宣ったのだ。

『それ。本気で言ってるのかしら?』
『――阿呆。テメェは狗だ。オレの言う通りに動いてりゃいいんだよ。王の格? 器を競えだと? くだらねぇ……そんな戯れ言に付き合ってられるか』
『あはははは! 傑作ねクーちゃん! この女、ある意味私達ケルトより野蛮だわ! 素直に服従なさいなアマゾネスの芋女。さもないと……消すわよ?』

 笑い者とされ、聖杯の律する鎖に縛られる屈辱は、憤死するに値する。なんとしても、なんとしても、殺してやると殺意を抱いた。
 だが時はまだ来ていない。今は雌伏の時だ。今だけは大人しく従っていてやるとも。
 故に今は、己を打ち負かした強者に拘ろう。名を告げようともしなかった、自負と確信に満ちた誇り高い英雄を打ち倒そう。白髪に眼帯。その精悍な面構えは目に焼き付いた。焼き付けた。
 所詮は非力な人間などと侮りはすまい。そも、この進撃は本来、フィン・マックールやディルムッド・オディナと敵を挟撃するためのものだった。ペンテシレイアは一切の情報を忌々しい狂王らに伝えてもいないのに、奴らはサーヴァントの存在を察知して殲滅に向かう作戦だったのだ。
 フィン・マックールは素晴らしい智謀の持ち主だったらしい。顔を合わせた事はないが。伝承からするに武勇も相当のものだろう。――それなのに、本来挟撃するはずだった地点には何もおらず。フィンのその軍勢は姿を見せなかった。

 それはつまり、フィオナ騎士団もまた敗れたのだ。あの眼帯の戦士に。

 昂った。それでこそと犬歯を剥き出しにし、蹂躙する敵として定めるのに不足はないと思えた。
 戦ったのだ。そして敗れた。あの男はペンテシレイアをただの敵として見た。そして勝利したがこの命を獲るよりも取るに足りない雑魚を救うのを優先した。それを傲慢などと蔑みはすまい。奴はこの身に勝ったからこそ、選択の自由があったのだ。その権利に噛みつくのは負け犬よりも惨めである。野良犬の所業だ。
 ならば次こそは、何を於いても殺しておいた方が良かったと後悔させる。再戦とはそういうものだ。雪辱を晴らす戦とはそういうものなのである。沸々と煮え立つ戦意がある。雑魚どもの痕跡を辿れば、必ず奴にかち合うと確信していた。

 河と森に挟まれた地形を見た時、ペンテシレイアは笑みを浮かべたものである。

 ――来る、な。

 偉大な軍神の血が教えてくれる。戦士としての本能が報せてくれる。
 あの男は掛け値なしに英雄だ。そして英雄とはこうした“”機“”を逃しはしない。このペンテシレイアの目に狂いがなければ、必ず此処で仕掛けてくる。

「全軍、止まれ」

 ペンテシレイアが指示を出すと、一万もの戦士団は静止した。
 穢らわしい女王が無尽蔵に召喚した戦士であり、本来なら縊り殺してやりたいが、ケルト戦士の勇猛さはアマゾネスの女戦士にも劣らない故に指揮官として我慢はしよう。率いる戦士に罪はない、というにはこの戦士らはあの女王に近すぎるが、どうせあれを殺せば消える傀儡でしかないのだ。好きに使い潰してやればいい。

 ペンテシレイアは思案する。罠があるか、と。しかしフィオナ騎士団を相手取った後ならば、奴にそれを用いる余裕と時間はあるまい。突き進めばいい、とは思うが。その思考停止はあの憎たらしいほど素晴らしい雄敵への侮辱となる。真に打ち倒すべき敵に、手を抜くなどアマゾネスの名折れだろう。
 故に慎重に、しかし大胆に、そして不敵に進撃するまで。ペンテシレイアは軍を二つに割った。五千を先に森に向かわせ、索敵させる。斥候としては数が多すぎるが、少数ならそのまま音沙汰なく消息を絶つだろうと考えたのだ。ペンテシレイアに深傷を与えた女剣士の事を忘れてはいない。五千とはそのまま、あの男と女剣士への評価でもある。
 その間にペンテシレイアは、残り五千を率い河と森の間に進む。此処で攻撃してくるならそれはそれでいい。奇襲があるならそれを蹴散らしてくれる。逃げるなら森の中にしか道はないが、その森には五千の戦士団を送り込んだのだ。挟み撃ちにされるだけである。

 さあどうする。この地形を利用しないのか? そう嗤うペンテシレイアは――

「っ?」

 ――予想を、良い意味で裏切られた。

 前方に人影がある。森に潜まず、河に潜らず、地に伏せず。屹立する剣の如き男が立っていた。

「は――」

 不意打ちをしない。堂々と迎え撃つように、その白髪の男は黒弓を構えていた。
 くすんだ金色の、鷹の眼光。浅い夜の闇に在ってなお爛々と光っているようにも魅せる気迫。単騎で万の軍に相対し、なお劣るものかと放たれる覇気。

「はは、ハハハハハハ! なるほど、そうか。そう来るか――楯構え! 進めッッッ!」

 男が番えるのは大剣のような漆黒の矢。爆発的に高まる赤い魔力は魔剣のそれ。ペンテシレイアはそれが己を照準していると確信した。
 心底愉快だった。人間の身で宝具を使う、それはいい。しかし如何なる算段があるかは知らないが、単騎で万軍に対峙する胆力は見上げたものだ。それでこそ英雄、一度はこの身を下した男。生前ならば種を絞ってやるのも考えたかもしれない。生憎と生前は自身に釣り合う種と巡り合った事はないが……ああ、それは今はどうでもいい。
 胸が踊る。戦いとはそうでなければ。だが女剣士の奇襲は二度と通じんぞ、と口の中で呟く。軍略もまたペンテシレイアの力だ。吼える、軍神咆哮。傀儡どもを鼓舞する為ではない、ひとえに沸騰せんばかりに熱される、この血の猛りを抑える為に。

 男は進撃してくる五千の戦士団、その迫力に気圧されもせず狙いを絞り、定め、そして魔剣を放つ。

「――赤原猟犬(フルンディング)

 超速で飛来する魔剣。ペンテシレイアはにやりと嗤う。ハッ! 気合いを込めて鉄球を振り切り、魔剣の軌道を逸らした。後方に弾かれたそれにアマゾネスの猛き女王は怪訝さを抱く。いつぞやのように、炸裂させなかった? 身構えてはいたのだが……。
 しかし次の瞬間、後方で反転した魔剣が再度ペンテシレイアに襲い掛かる。僅差で気づいたペンテシレイアは反転し、腰の剣を抜き放つや弾き飛ばした。剛力を誇る女王の腕が痺れ、剣に皹が入り、取り落としてしまう。
 それは魔剣フルンディング。射手が狙い続ける限りいつまでも襲い掛かり続ける呪いのそれ。片腕では弾くには至らない、生半可な迎撃では止められない。ペンテシレイアは舌打ちした。唸りを上げて襲い掛かって来る魔剣を両手の鉄爪で受け流した。体の芯まで痺れるかのような威力。男が呟く。投影開始と。――河の流れが変わったのに、魔剣に狙われているペンテシレイアは気づけない。

 男は第二射に移る。あらかじめ地面に突き刺していた螺旋状の剣を抜き取り、それを弓に番えた。その間もずっとペンテシレイアだけを見ている。女王だけを狙っている。故に狙いは雑で良い。ペンテシレイアは三擊目を弾き返した。そしてそのまま指令を発する。

「進め! 距離を詰め、斬り潰せ!」

 元より戦士らは突き進んでいた。丸楯を構え、弓兵を殺さんと。戦士らは天を衝かんばかりの気勢を発し雄叫びを上げている。
 男は意にも介さず螺旋剣を弓に番え、放つ。「偽・螺旋剣」と真名を解放して。

 空間を捻切りながら飛翔する剣弾。楯を構えた戦士らを、その楯ごと抉り貫き周囲を纏めて殺傷しながら進む。しかし百を殺した辺りでケルト戦士らは驚異の武威を発揮した。ある程度威力が死んだのを見て取るや、数人掛かりで楯を寄せ集め、螺旋の剣弾を上空に逸らしたのだ。瞬間、螺旋剣が自壊し、莫大な魔力を秘めた爆発を起こす。それは多数の戦士を巻き込んで、軍勢に風穴を空けた。
 ペンテシレイアは『赤原猟犬』の五回目の迎撃で業を煮やし、神性を呼び起こした。赤く光る瞳、黒く染まる眼球。増幅した怪力にものを言わせ、鉄爪を振りかざし渾身の一撃で魔剣を粉砕する――寸前。ペンテシレイアは本能的に飛び退いた。爆光。

「がぁぁァァアアア――ッッッ!!」

 螺旋剣の雑な射撃とは違い、赤原猟犬に狙いを絞っていた男はペンテシレイアが本気で迎撃しようとしたのを見て取るなり、即座に投影宝具を自壊させたのだ。
 しかしペンテシレイアの回避は間に合った。げに恐ろしきは闘争の化身足る神の血を引く女王。間に合わないはずの回避を間に合わせ、全身に壮絶な火傷を与えた。幼げな美貌は激痛に歪む。しかしペンテシレイアは血の混じった唾を地に吐き捨て、寧ろ戦意を更に高める。よくもやってくれた、次はこちらの番だ。そんな貌。
 宝具の投射にはそれなり以上の溜めが必要なのは分かった。ならば射たれる前に接近するまでの事。軍は進撃している。その後を追うようにペンテシレイアも駆け始め――その優れた眼力が異常事態を察知した。

 河の水が途絶えている(・・・・・・・・・・)

 河が何かに塞き止められているかのような……。ぬかるんだ土の見える河の跡に男は移動し、悠然と構えて戦士団の接近を待ち構えている。ペンテシレイアは激怒した。ケルト戦士の余りの能無しさに。報告ぐらいしろ馬鹿者どもが! 罵倒して即座に離れる。所詮は傀儡、元々低い知能がコノートの女王に乱造されて猿になったか!

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 爆発は、男の後方から。河の流れを無理矢理塞き止めていた三本の『虚・千山斬り拓く翠の地平』が破裂したのだ。
 それによって濁流が押し寄せる。ペンテシレイアは目を見開いた。余りにも水流が激しい。ほんの数十秒程度、塞き止められていただけの濁流とは思えない。水の流れを変える某かの仕掛けがあったのか。
 無数の宝具を惜しみ無く炸裂させているのだ。それにあの螺旋剣は以前も見た。という事は、宝具を生み出す異能をあの男は持っていると見て良い。ならば、水の流れを変える程度の宝具、生み出しても不思議ではなかった。

 男は素早く離脱していく。しかし下手に数の多い戦士達は思うように逃れられず、結果として濁流に呑まれてしまった。荒れ狂う河の流れに、男は次々と剣の宝具を撃ち込んでいく。そしてそれがケルト戦士らの方へ流れていくのを見計らって、全てを起爆した。

「――やってくれる。今ので二千は死んだか」

 男は即座に森に逃げ込んでいく。一度も白兵戦を行わず、射撃と奇策による小細工のみに徹して。
 だが……。

「そちらは袋小路だぞ。逃げ道はない……さあ、どうする? 雑魚に討たれるか、私に殺されるか……末路を選んだようなものだぞ」

 手負いの女王は、しかし全くそれを問題としているふうでもなく。ケルト戦士らを先に行かせ、自身もまた嬉々としてそれを追った。

 ――傀儡など幾らでも殺せ。だが私は見たぞ。酷い顔色だった。……どれほど持ちこたえられる?

 ペンテシレイアに兵の被害を気にする了見はない。幾らでも使い潰してやろうと残忍に嗤った。








 

 

綱渡りが好きだねジャックさん!






 森に敵が先回りしていたのは視認していた。いや、あれは先回りではなく斥候か? 五千も割いたのには驚かされた。
 妙に敵からの警戒度が高い、という事だろう。ペンテシレイアはこちらを相当高く評価してくれているらしい。お陰様でハードルが高くなってしまった。まあ高いハードルほど潜り易いもの。正直厳しいどころの話ではないが、男足る者苦境にこそ勇を振り絞る。

 ペンテシレイアが最も警戒するとしたら沖田だ。あの奇襲は鮮烈な記憶として焼き付いているだろう。それが為に周囲を戦士で囲み、慎重に進んでいる。俺が単身なのを見ても直接先頭を切って来なかった辺り、読み間違いではないはずだ。
 森に斥候を放ったのも、俺ではなく沖田を警戒してのもの。三段突きを受けたのだ、真名は分かっているはず。しかしその余りに悲惨な病弱っぷりは想像していまい。俺もしていなかった。まさか戦いが長引いたり、大技を放つと高確率で吐血して、即座に戦闘不能になる程だとは想定できないだろう。俺もできなかった。

 故に沖田の奇襲は常に念頭にあると見て良い。しかし沖田は今はいない。その事実を如何に伏せ、ペンテシレイアを慎重にさせ続けるかが鍵だ。
 もしも沖田の不在を知られた場合。或いは合流後であっても。彼女の病弱っぷりの酷さを知られたり、大技使用後に高確率でダウンすると知られたら、多少のリスクは承知の上で突撃してくる。そうなったらどう足掻いても詰む。勝算は完全に零となる。
 そして森林戦である故に、大きな音を発する銃撃も多用すべきではなかった。居場所は常にアマゾネス女から隠し、奇襲を警戒させ続けなければならない。

 夜はこれからますます深まる。普通の人間の眼なら夜の森林を戦場に選択するのは自殺行為だが、生憎と今の俺の隻眼は普通ではない。光量は少ないのによく闇を見通せる。指揮官の統率から離れた故か、バラけて周囲を探る戦士を――頭上から襲った。
 木を登り、頭上を取ったのだ。落下しながら周囲を素早く見渡し、敵の配置と体の向きを把握しながら戦士の首をナイフで掻き切る。着地は迫り上がった木の根に。枝や落ち葉を踏んで足音を出さないためだ。倒れようとする戦士の骸を引っ掴み、静かに地面に倒すやナイフを明後日の方へ投擲。木の幹に突き立ったそれだけの音で、一斉に戦士達がそちらを見た。
 丁度俺に背後を見せている。数は十。銃も投影もなしにまともにやれば、簡単に俺を殺せてしまう武力がある。しかし、ならまともにやらなかったらいいだけの話だ。音もなく隣り合う戦士二人の首に両手に投影したナイフを逆手に持ち、同時に突き刺す。引き抜き様に背中から心臓にも突き刺し、抵抗する間もなく即死させた。
 その二体が倒れる前に、二本のナイフを強化して投擲。更に別の二人の背中から心臓に突き刺さる。後六人。投げた瞬間に俺は地面にうつ伏せに伏せた。着ているのは真っ黒な野戦服。紅いバンダナは懐に。
 四体が倒れる音に、戦士達は瞬時に反応して振り返る。そして仲間が倒されたのを認識するや雄叫びを上げた。敵襲! といった意味の叫びだろう。四方八方から敵が集まってくるのを感じる。ペンテシレイアは丁度今頃に森に入った辺りだろうから、この気配は先に森にいた連中のものだ。

「――」

 気配を感じ取るのに集中する。目ではなく、耳を強化していた。足音の数、規模、地面の振動、方角。
 気配を探る上で第六感に頼り切れるほど俺は鋭くない。故に五感は限界まで活用する。それで最も敵の警戒網の手薄な方角を掴んだ俺は、匍匐前進で樹木の陰や地面の窪みを辿り、戦士達の死角から死角に移動していく。俺がその場を離れる頃には、戦士達の数は百を超えていた。

 ――流石に集合速度が速いな。一度見つかれば命はなさそうだ。

 周囲にケルト戦士がいない空間を見つける。そこで立ち上がり、保険の為に剣を投影する。宝具ではない無銘のそれだ。それを地面に置いて、土を被せておいた。魔力はいいが、魔術回路の酷使は避けたい。余り負担を負っても良い場ではないのだから。まだまだ先は長い……。
 目的は離脱ではなく足止めである。俺がこの場を離れたと判断されても駄目だ。俺は森の中にいると思わせ続けなければ、ペンテシレイアが砦の方へ行ってしまう。それはまだ早い。故に適度にこちらから攻撃をしなければならないのだ。
 見つかっては駄目。沖田の不在を知られても駄目。おまけに沖田の弱点を知られても、俺が隠れ過ぎても駄目という四重苦。
 ……燃えて来たな。どこもかしこも格上ばかり。俺のまともな白兵戦能力はケルト戦士五人分、無茶をすれば十人分だと強がってみよう。そして敵は残り約八千と英霊一騎。いいじゃないか。相手にとって不足なし――皆殺しだ。

 一人、また一人。淡々と闇夜に紛れて始末する。構築されつつある陣形に穴を空けながら、無銘の剣を投影し、それを地面に埋めていく。警戒網の手薄な所から一度囲みを突破し、戦士どもの背中を襲い続ける。五十人余りの喉を裂いた辺りで、動きを感じた。
 バラけていた戦士達が纏まって動き出したのだ。舌打ちする。ペンテシレイアが再び別動隊の手綱を握ったのだろう。更に難易度を上げてくれた。

 だが舐めるなよ。小細工にかけちゃあ天下一品だと自負している。追跡してくる魔性菩薩を振り払う為に磨いた隠密術、こればかりはハサンにも敗けない。それは言い過ぎか。ともあれ、保険を掛ける事を忘れてはならない。罠を仕掛ける時間はなかったが、ならば今から罠を作ればいいだけの事。
 五人一組で死角をカバーし合い、密集隊形で戦士らが辺りを探り始めている。今、仕掛けるのは得策ではなかった。一度気配を殺して包囲網から抜け、敵から離れた地点で急ぎ穴を掘る。俺の脚が膝まで落ちる程度の深さのものをスコップを投影して無数に堀り続けた。そこに毒を与える短剣を、切っ先を上に向けて土に突き刺し、穴に掘り返した土を埋め直す。
 それを無数に行い、樹木と樹木の間に投影したロープを掛け、それに掛かれば鈴がなる仕組みのものを多数仕掛け。それとは別に樹木へ足首に掛かる程度の低さでロープを巻き付け、それに掛かれば頭上から剣の束が落ちてくる仕組みも作る。

 そして丁度手近に寄ってきた戦士に銃撃した。脳天を撃ち抜く。しかしその銃声で俺の位置は知られただろう。わざと足音を立てながら逃走する。猛烈に追い掛けてくる気配がした。自身の仕掛けた罠に掛からないように駆け抜け、気配を絶って姿を隠す。
 あちらこちらで鈴が鳴り始めるのが聞こえると移動を始め、今まで俺がいた地点と反対側に向かった。その際に足を毒剣に貫かれ絶叫する声、頭上から落ちてくる剣の雨に見舞われ断末魔を響かせているのが聞こえる。

 鈴の音色、絶叫に釣られ密な隊形が崩れたのが分かる。まんまと移動に成功した。しかし……まずいな。ペンテシレイアの現在地が掴めない。流石にケルト戦士の数が多すぎる。なるべく早く把握しておきたいが、それは欲張り過ぎだろう。
 手を換え品を換え、三時間ほど粘った。完全な真っ暗闇となっている。更に二時間、暗殺に専念した。

「……、……」

 息が乱れてきていた。流石に、厳しい。体力の底が見えてきた。何より腹が減っている。その上眠い。
 ……無理は禁物だな。少し寝た方がいい。空腹はまだ我慢が利くが、眠気で集中力を途切れさせるのは死に直結する事態を招くだろう。太い樹木を見つけると、その木の根が迫り上がり、微かな隙間があるのを見つけて潜り込んだ。そのまま地面に伏せた状態で一時間眠る。一時間きっかりで目を覚ますと、まだケルト戦士らの気配があるのを感じて安堵した。寝ている間に森から出られていたらどうしようもなかった。
 大きな木の根の隙間から出ると、ケルト戦士の気配を察知する。

「――」

 冷や汗が吹き出た。偶然だろう、ケルト戦士の一団がこちらを包囲する形で辺りを探索している。
 マズイ。一時間ではなく三十分の仮眠にしておくべきだったか。後悔するも、やむをえない。強行突破する他になかった。出来る限り音を出さずに走り、ケルト戦士の二組を目視する。五人一組だ、故に十人。
 速攻でカタをつけなければ死ぬ。魔術回路の負担を考える暇もない。幸いにも一時間の休息である程度は冷却されていた。

投影、装填(トリガー、オフ)――」

 ケルト戦士は俺の接近に気づいている。だが声を出させる訳にはいかない。決着は一瞬でなければならない。そして大規模な宝具も厳禁。確実性を込みで考えても、これしかなかった。
 投影するのは冬木で見た大英雄の斧剣。元は神殿の柱から削られただけの塊。しかしそれには剣としての属性があった。持ち主が狂化していたとしても、その武威に影響されたが故かもしれない。強大な霊格は、時として多大なインフルエンスを与えるものだ。

 引き出すはその奥義。完全な再現は到底不可能でもその一片は引き出せる。渾身の魔力を振り絞り巨大な斧剣を振るった。

全工程投影完了(セット)――是、射殺す百頭(ナインライブズブレイドワークス)

 一瞬にして繰り出される超高速の九連撃は、十名のケルト戦士を一瞬にして屠ってのける。
 第三特異点で本人と戦ったから分かる、なんて出来損ないな投影だ、と。しかしそれですらサーヴァントにも通じる絶技となるのだから恐ろしい。二度とヘラクレスとは戦いたくない――そう思った瞬間だった。

 遠くから、一直線に、こちらに駆けてくる巨大な殺気を感じて慄然とした。
 まるで死の津波。本能が体を硬直させる。それを瞬間的に振りほどいて、身を隠すのには邪魔な斧剣を消して身を隠した。

 現れたのは、ペンテシレイアだった。



「――ァァアキレウスゥゥゥッッッ!!」



「ッッッ!?」

 殺意を。憎悪を。極限まで煮詰めたそれが、辺り構わず放射されている。直接向けられたわけでもないのに、肌が粟立つかのようだ。
 神性を完全解放し、目を赤く、眼球を黒く変色させたペンテシレイアは、先刻の数倍にも膨れ上がった暴威を纏っている。――ペンテシレイアは、狂戦士だったのか。俺は漸く彼女のクラスを察した。

 物陰に隠れる俺の視線の先で、狂える女王は頻りに何かを探している。やがて気配を見失ったのか、荒い呼気で忌々しげに吐き捨てた。

「……確かに、今……アキレウスの……ギリシャの英雄の気配を感じたはずだが……」
「……」
「気のせい、なのか……? ……奴なら、まさか雑魚のように隠れ潜んだりはしないだろう。ならやはり……気のせいか……」

 心底残念そうに苛立ちを鎮め、女王は俺を探し出す為に辺りに気を配りながらその場を離れる。
 普段は理性があるが、切っ掛け一つで狂化し、しかも数倍も戦闘力が跳ね上がる稀有な狂戦士らしい。俺は誓った。ペンテシレイアが近くにいる時は、絶対にギリシャに関係する宝具は使わない、と。

 下手をしなくても即死する自信があった。









 

 

禁句に気をつけろジャックさん!






 地に伏せたまま、足の腱を切り裂く。戦士が不意の痛みに驚き片膝をついた瞬間、素早く起き上がって喉を掴むと、そのまま強化した握力で喉仏を潰し、同時に背中から肺腑を貫く。ごぽ、と口と肺の中を血に溢れさせ、喉の潰れた戦士は絶命した。振り向いてくるもう一人の戦士、距離は近い。瞬時に駆け寄り、その手首を捻り壊しながら脚を払い、背中から受け身を取らせず地面に叩きつけ、後頭部を打って意識を朦朧とさせている戦士の首を掻き切る。心臓にも一刺し。
 ナイフを捨て、何十本目かの新しいナイフを投影する。疲労のせいか体のキレが悪くなっていると自覚していた。これまで外していた紅いバンダナを額にきつく巻き、気合いを入れ直す。時間経過は十八時間。序盤の射撃と河の洪水を利用しての二千、闇夜と森を利用しての八百九十の暗殺、罠を使っての三百ほどの殺傷と、成果も単独のものとしては上等だ。

「……」

 ふと、マスターとしての感覚がする。背後から近づいてくる戦士を知覚するも、特に対処する必要を感じずに放置した。

「来たか、春」
「はい。お待たせしました」

 戦士を斬り伏せ、沖田が姿を現す。自身のサーヴァント故に、なんとなく近くにいるのは感知出来た。
 壬生の狼、新撰組。夜は薄れ、陽は昇り、日輪は中天に差し掛かっている。六時間後に日没か。沖田の顔色は悪くない。血振りをして愛刀を鞘に納めた沖田に訊ねる。

「砦の様子は?」
「問題ありません。敵襲は無し、兵達にも充分に休息を取らせ、迎撃準備に取り掛かるよう下知も通達してあります。それと、マスターの馬も連れて来てます。森の入り口に今は繋いでるので、撤収の際は騎馬で行きましょう」
「気が利くじゃないか」

 流石に砦まで走っていける体力は無い。
 沖田も来た、もう少し粘るかと思案するも、そんな気力も殆ど残っていない。効率を考えれば、これ以上単独で成果を上げる意味もない。砦で迎撃した方がいいかもしれない。ペンテシレイアは対城宝具は持っていないはずだ。
 しかし怪訝な事がある。ヘラクレスの斧剣を投影して以降、ペンテシレイアの姿を見ていないのだ。依然として戦士達の統率は取れている、つまりペンテシレイアはまだ森の中にいるはずで。沖田が何事もなく合流してきた事から、単騎で砦に向かった訳ではなさそうだが。

「……まあいい。離脱する。これ以上は不毛だ」
「警護します」
「ああ」

 元々ケルト戦士らの陣形の外縁部に潜んでいた。この場を退くのに難儀はしない。今から退けば、砦につく頃には総計二十三時間は経つだろう。充分だ。
 沖田を連れ、森から抜ける。樹木に繋がれていた手綱をほどき、黒馬の首を撫でてやった。鼻面で顔を軽くついてくる彼女に苦笑する。彼女の名前を夜通し考えていたが、特にこれといったものも浮かばなかったので、ミレイ――俺にジャックという仮の名をつけてくれた少女から連想した。
 俺はトランプのダイヤのジャックから名を持って来られた。それはヘクトールが由来である。折角だから彼の英雄の奥方から名をもらう事にする。

「お前の名を考えてみた。アンドロマケだ。『男の戦い』という意味がある。どうだ?」

 言葉が通じるとは思っていない。しかしなんとなく受け入れてくれた気がする。その背に飛び乗ると、沖田に手を伸ばす。相乗りで帰った方がいい、そう思っての事だが――沖田はその手を取らず、腰を落とすと刀の鯉口を切る。戦闘体勢……うんざりした。

「――彼の『兜輝くヘクトール』の妻の名か。ふん、殺り辛い名をつけたものだな」

 ずっと。あれから、ずっとなのだろう。
 森の出口で、待ち構えていた女王が姿を現す。
 俺達の背後からだ。

 日の光を弾く銀の髪。幼いものでありながら、目を瞠くに値する端整な美貌。獣のように引き締まった肢体には軍神の系譜に相応しい力強さが宿っている。
 沖田が即座に斬りかかろうとするのを止めた。俺は馬上で手綱を握りながら肩を竦める。

「此処で待ち構えていれば必ず来ると思っていたぞ、英雄」
「……過分な評価だ。俺はアマゾネスの女王に、英雄などと称されるに足る男ではないよ」

 皮肉げに返すと、ペンテシレイアはぴくりと眉を動かした。

「謙遜も過ぎれば無礼だぞ、隻眼の。それに、私は貴様に名乗った覚えはないが……」
「見れば分かる。軍神の暴威を宿す女戦士など、アマゾネスぐらいなものだ。それに加えてそうも荒々しい力を振るうとなれば、ヒッポリュテ女王ではなくお前の名しか浮かばない」
「なるほど……確かにそうだ。姉上は堅実な武を好む。流石の分析力だと讃えてやろう。真のアマゾネスの女王の座は、姉上にこそ相応しかった……思えば私は、姉にとっては不出来な妹だったろう……」

 何が可笑しいのか、クツクツと笑うペンテシレイアに、俺はどうするかと考えてみる。
 この場で戦いたくはない。俺は疲れているのだ。早く飯を食って寝たいのである。沖田と掛かれば倒せるかもしれないが、沖田は既知の通りリスクを常に抱えている。奇襲は姿を見られている時点で成らず、正面から掛かって速攻で倒せる手合いではあるまい。
 戦いが長引けば、ケルト戦士達が来る。戦うのは不利なのだ。いや、こうして話しているだけで、ケルト戦士達は集結してくるだろう。ペンテシレイアの声はよく徹る。

「で、どうする。()るのか?」
「無論だ。逃がす道理があると思うか? こうして悠長に言葉を交わしてやっているのは、私が貴様に訊かねばならんものがあるからだ」
「なんだ」
「名を教えろ。貴様は一度この私に勝ったのだ。ならば雪辱を晴らす前に、その名を記憶してやる気にもなる。そうでなければ、その馬に乗った瞬間に叩き潰すつもりだったが……それでは余りに無粋だろう」

 何気に死ぬところだったわけか。全く気づいていなかった。王という人種は、やはり独特な感性を持っているらしい。
 観念した風を装いながら名乗る。本当の名ではないが、他に返せるものもない。

「ジャックだ。トランプのダイヤが由来らしい」
「ほう。ますます奇縁だ。因果なものだな、その名が私に土をつけたのか」
「やり辛いのは俺も同じだ」

 どうしようかとまだ考えている。口の廻るままに囀ずる裏で、矛を交わさずに逃げる算段を立てながら、逃げる好機を窺い続けた。
 ペンテシレイアは僅かに機嫌を害したようだ。何やら不穏な殺気が漂い始めている。さて、何が気に入らなかったのやら。

「……やり辛いだと?」
「ああ……何せ彼のペンテシレイア女王が相手だ。その正面にこうして存在している、それだけで恐ろしくて堪らない。距離が遠ければまだ強がれたが……出来れば戦いたくはないな。俺もまだ死にたくない」
「は、そうか」
「それに――」

 一瞬、機嫌を直したようだったが。俺が軽口を叩きそうな気配に、女王は凄まじい凝視を向けてくる。
 俺はそれには気づかないふりをしつつ、臨戦態勢を取る沖田に意識をやって、女王の美貌を見詰めながら言った。

「――お前のように可憐な少女に殺されると、俺が知己に殺される。事を構えるのは御免だな」
「は……?」

 鳩が豆鉄砲を食らったような表情で、ペンテシレイアは呆気に取られた。
 意味が分からない、といった表情に、糸口を見つける。ここか? ……ここだな。間違いない。幾度もの戦場を越えて不敗な、俺の心眼が冴え渡る。活路はここだ!

「私が……可憐、だと……? う、と始まる忌々しいあれではなく……? こんな筋張った体と、矮躯を見て尚そんな戯れ言をほざくか」
「ああ、どこからどう見ても、可憐な乙女だ。まあその可憐さも死神のものと考えるとゾッとするがな。正直怖気が走る。味方ならこの上なく頼もしいが、敵としたら恐くて堪らない。アマゾネスの女王の武威、軍神が如き将器、将帥に不可欠な慎重さと大胆さ……数え上げたら尚更嫌なものだ」
「ハ――ハハッ――ハハハハハハ――ッッッ!! ば、バカだ、こんな所にバカがいるではないかっ!? 私を……可憐!? はははははは!! 貴様、戦士でも英雄でもなく、ただの戯けだったか――!?」

 ペンテシレイアは腹を抱えて笑いを爆発させた。

「――春、今だァッ!」
「はい! 我が剣にて敵を穿――ってあれぇっ!?」

 馬腹を蹴って一目散に逃げ出した。沖田の襟首を掴み、馬上に引っ張りあげる。ぐぇっ、と呻いた沖田が怒り心頭に発して叫んだ。

「ちょ、隙だらけだったじゃないですか! なんで逃げるんですか?!」
「馬鹿野郎! 仕掛けたら笑いなんかすぐ引っ込むに決まってるだろ! いいか、こういう時は逃げるが一番だ!」
「女心を擽って逃げるとかいっぺん死んだ方がいいですよマスター!」
「言ってろ! 恐いってのは本当なんだよ!」

「ま、待て――! は、はは、だ、ダメだ……クッ、卑劣なァ……!」

 ペンテシレイアは慌てて追い掛けようとしてくるも間を外され、駆け出すのが遅れた。
 単騎での追撃は不利。そう判断できるだけに、ペンテシレイアは笑えるやら腹立たしいやら、軍勢を集めてから進軍する事にしたらしい。絶対に逃がさんと、ペンテシレイアは笑いながらも怒気を発している。

 アンドロマケが疾走する。強化した脚力で風と一体となったかのように。ペンテシレイアの姿が完全に遠ざかって見えなくなるまで全速力で、以降は脚を緩めさせるもずっと走り続ける。
 しかしアンドロマケはいい馬だが、名馬ではない。それに生身だ。延々と走り続けられるものではない。猛追してくるケルト戦士団と、その先頭を走るペンテシレイアが遠くに見え始めていた。大量の剣を地面にばらまく。それが爆発すると知っているはず、ならば避けるなりして間を潰せる。
 しかしケルト戦士団は走る脚を緩めない。それに目を剥きつつ剣を炸裂させるも、ペンテシレイアは難なく跳躍して躱し、ケルト戦士団は恐れる素振りもなく爆撃の中を駆け抜けた。犠牲は想定していたよりも遥かに少ない。宝具の炸裂でもなければ、不意打ちしない限り殺せないという事だ。
 舌打ちしてアンドロマケを急がせる。駿馬ではない彼女だがよく走った。しかし追い付かれる。何時間も走り通す頃には、距離を五百まで縮められていた。

 しかし砦が見えている。そこまで来ると、俺は砦の城壁の上にいたカーターに叫んだ。

「カーター! 迎撃の用意は出来ているか!?」
「は! 万端に整えてあります!」
「門を開けろ!」
「了解ッ」

 城門が開かれる。火砲が発達して以来、城門や城壁はなんら意味を成さなくなっている故に、その壁や門は粗末なものだ。しかし最低限の壁さえあれば砦には上等である。
 砦に駆け込み、門を閉めさせる。そのままアンドロマケに乗ったまま階段を駆け登り城壁の上に着いた。配置につき、銃を構えて指示を待つ兵士達に告げる。

「撃ち方構え! 手当たり次第に撃ちまくれッ!」

 既に敵兵は射程圏内。銃声が轟く。俺は多数の剣弾を投影して次々と射出した。
 銃弾と剣弾の雨だ。それが敵兵士に着弾していく。双剣銃を投影して両手でも射撃を加える。近日最後と思いたい無茶な投影をする。金剛杵を四つ虚空に投影してそのまま投射した。最も敵の密集している地点を目掛けて。暴力的なまでの爆撃がケルト戦士を多数吹き飛ばした。

「カーター、命じていたように油の準備はしているな!?」
「は! しかし……それを使ってしまえば、壁が――」
「どうせ長居する気もない、躊躇うな!」

 兵士らに指示させ無駄に備蓄のあった油を全て持ってこさせる。熱してやる必要もない。それを城壁の上から下に撒かせ、そこに火を噴く魔剣を投げ込んだ。
 城壁に取りつこうとしたケルト戦士が怯む。眼前に炎の壁が立ちはだかったのだ。兵士達に城壁の真下を撃たせつつ沖田に命じる。

「春、ペンテシレイアを抑えろ。斬れるのなら斬れ。出し惜しむものは何もない。抑えるのは10分でいいぞ」
「承知」

 城壁を破壊せんと鉄球を振りかざそうとしていたペンテシレイアは、しかし背後に突如として現れた沖田に超反応を見せた。来ると分かっていれば回避に難儀するものでもない、そう言いたげに鉄爪を背後に振るうも、それは空を切る。背後を取るや再びの縮地、今度は正面に現れ、その喉を貫く軌道の刺突を見舞ったのだ。
 ペンテシレイアの体勢は崩れている。正面からは対処できない。しかしペンテシレイアは沖田の刀の切っ先を、大きく開けた口で受け止めた。

「ッ!」

 強靭な顎と歯。それで鋼を噛み砕き、沖田は慄然とする。咄嗟に鞘を帯から抜き放って女王の鉄球を逸らし、沖田は大きく後退した。
 戦局の把握に抜かりはない。俺は沖田の足元に、彼女の愛刀を投影して放った。地面に突き立ったそれを沖田は即座に引き抜く。マスター、感謝します! ペンテシレイアが舌打ちした。
 俺は剣群の大量投影、絨毯爆撃を続行する。今はケルト戦士の処理が先決。沖田を狙う戦士を優先的に排除。高所と『人類愛(フィランソロピー)』による手数が鉄壁の弾壁となっていた。城壁に辿り着く前に爆撃に晒されケルト戦士は本領を発揮できない。目に見えて、加速度的に消滅していくケルト戦士を前に、俺は大声を上げた。

「――どうするペンテシレイア! お前の軍は壊滅している! 奴らが消えれば次はお前だ、引き際という奴だぞ!」

 殲滅されていく戦士団。兵士らの弾雨、俺の剣群。地の利や敵とするサーヴァントの技量。それらを統計して、ペンテシレイアは吐き捨てた。

「……チィッ! 忌々しい男だ、ジャック!」

 ペンテシレイアが神性を解放する。膨れ上がる暴威に沖田は冷徹な眼差しを揺らがせず、怜悧な刃を閃かせてペンテシレイアの手首を切り落とした。――いや切り落とせない。刃が高密度の筋肉に阻まれたかのように切断には至らない。面食らう沖田。その隙にペンテシレイアは傀儡の戦士の元に一足跳びに移り、その首を掴むと沖田の方へ投げつけた。
 咄嗟にそれを両断した沖田の目に、ペンテシレイアが身を翻して撤退していく姿が飛び込んでくる。

「逃がすものか……!」
「いや、追うな春」
「マスター!?」

 制止され、信じられない思いで俺を見上げてくる。そんな沖田に俺は苦笑した。手振りで示すまでもないのだ。腕を伸ばすと、その皮膚の下から一本の剣が突き出ている。目を見開く彼女に、俺は言った。

「悪いが、俺が限界だ。これ以上はやれん。お前一人に追わせる賭けはしたくない」
「し、しかし……」

 言い募ろうとして、自身の戦闘での爆弾の大きさを理解しているのか、沖田は俯いた。反論する資格がないとでも思ってしまったのかもしれない。
 遠ざかっていくペンテシレイアが吼えていた。二度目の敗北が、悔しくて悔しくて堪らないのだろう。しかも敗因は自分である。まんまと好機を潰された己の不覚が敗北を招いたのだ。怒りは今、自分に向いているらしい。

「覚えていろ、覚えていろ、ジャック! 次だ、次こそ確実に殺すッ!」

「ここまでだ。俺は飯食って糞して寝る。皆もそうしろ、悪いがお前らに訓練をつけてやる件は後回しにする」

 ペンテシレイアの遠吠えを聞かなかった事にする。本人にその気はなくとも、負け犬のそれだ。俺は弓と矢を投影し、それに文字を刻んで彼方へ走るペンテシレイアに射掛ける。
 殺意のないそれを難なく掴み取った女王は、英文で記されたそれを見て――怒気を、殺意を裏返し、腹を抱えて再び笑い転げそうになってしまった。

 ――勝者は寛大だ。またいつなりとも挑んでこい――

「ハハハハハハ!! ハァッハハハハハハハ!!」

 笑った。未だ嘗てなく、愉快だったのだ。
 ペンテシレイアは笑う。気持ちのいい敗北だった。なるほど、挑めときたか。この身は挑戦者となったのか。サーヴァントとして感じるものがある。
 マスターとするなら、あの男がいい。いや、あの男以外に己のマスターなど務まるものかとすら感じる。

 ――実際のところ、今の矢文で俺が狙ったのは、次の戦いを有利に進めるための心象操作を図っただけなのだが。

 屈辱的だろう。これで次は怒り狂って来るに違いない。そうなれば単調になってやり易くなるはずだ。

 そう、思ったのだ。













 

 

衣替えだねジャックさん!




 たっぷり十時間眠り、起床した俺に差し出されたのは軍服だった。
 午前四時の事だ。まだ夜の闇は去っておらず、焚き火台の灯りだけが唯一の光量となっている。見張りとして立っていた歩哨の兵士が「BOSSの軍服を用意してみました。よろしければお着替えください」などと言ってきたのだ。
 俺は意味が分からず困惑した。いや、俺は軍属じゃないんだが……そう溢すと彼は苦笑した。なんでも一団の領袖足る俺だけが、見た事もないような戦闘服だと浮いてるように見えるのだとか。同じ軍服を着れば、さらに仲間意識が深まるはずだと彼は力説した。これは他の仲間達も同意見なのだと。

 ……まあ分からなくもない話ではあった。しかし俺は乗り気にはなれない。
 というのもこの時代の大陸軍の軍服は、中世チックな衣装の色が濃く、端的に言って俺のセンスからすれば『ダサい』の一言に尽きるのである。
 兵隊諸君の気持ちは分かる、しかれど着たくない。それが俺の感情。そう伝えると、兵士は言った。「ならいっその事ですね、『フィランソロピー』の軍服でも作っちゃいますか」と。なんでも彼は、そうした衣服を造る家の出身らしい。大陸軍に徴兵されたばかり故に、軍への帰属意識の薄い彼ならではの発想だった。

「……」

 いや、『フィランソロピー』は大陸軍に合流したら解散予定なんですが。謎の敬語を使いたくなる俺は、空気を読んでグッと堪えた。
 そうしてデザインを考え始めた彼、エドワルド准尉だが、図面を引いて描かれるそれのなんというセンスの無さ……いやこの時代なら通用するが、やはり未来人である所の俺からすれば目を覆わんばかりである。ついつい口出ししてしまった。
 未来の軍服を投影する。これをモデルにしてくれと。詰襟のそれだ。エドワルドは目を輝かせた。「格好いいですね! BOSSがその力で作ったのを配ればいいのでは!?」
 そう言われてもダメだ。俺の投影品は破損したり傷ついたりするとすぐに消える。戦闘中に傷を負った瞬間兵士が素っ裸になるぞと告げると「それは嫌ですね」と納得される。

 とりあえず砦中から余っていた衣服と、旗、その他の布類を掻き集める。そうこうしていると、陽が昇り始める朝が来た。俺はせっせとデザインした軍服を作り始めている彼の傍らで、軍服の上に着ける外套を作り始めた。投影品ではない赤い布で。
 こう見えて編み物は苦手ではない。というか割と得意な部類だ。主夫としてもやっていける自信がある。来世は主夫になりたい、家で家事だけしてぐぅたらしたいと脳裡に戯れ言を溢しつつ。ふと冷静になる。

「なにやってんだ、俺は……」

 頭が痛くなる思いだった。明日にはこの砦を出るというのに……。元々の予定である『フィランソロピー』の兵の訓練は俺の疲労を理由にキャンセルしたから、この日の俺は暇と言えば暇だが。だからって何してるんだろうなと冷静になると、無性に恥ずかしくなってくるのが人情というもの。いい歳した大人の男が『ぼくのかんがえたサイコーにかっこいい軍服』を作っているなんて……。なんというか、バカみたいだ。
 だがまあ、構わないだろう。コイツらのバカに付き合うのも、交流の一種だとでも思えば。そう割りきってしまうと、こうしているのも悪くはない。なんだなんだと集まってくる兵士達を尻目に、俺とエドワルドはここはこうだろ、BOSSここはこうしては? と意見を交わしつつ軍服を作る。鞣した革に金具を取り付けベルトにし、出来上がったものに腕を通してみた。
 おお! 兵士達が感嘆の声を上げる。黒地の布を基調として、四角い胸ポケットを左右に二つずつ。スーツを厚地にしたような機能的なもの。上着の上からベルトを締める。黒い革の手袋を両手に嵌め、脹ら脛の半ばまで届く軍靴を履いた。
 その上に背中全体を隠し、左半身を覆い隠す面積の広い真紅のマントを羽織る。その裾は膝の辺りまで来ていた。「BOSS、これを!」カーターが興奮しながら鏡を持ってきて俺に見せてくる。

 機能性のいい詰襟の黒い軍服。真紅のマント。新たに二、三ほど小さな傷の増えた貌に、無骨な眼帯をつけ。右目は傷んだ金色をしている。……完全に悪の帝国のそれに見えた。帝国の総統と言われても納得されてしまうだろう。思わず顔を顰め、うわぁ、と呻きそうになってしまった。

「な、なんて事だ……」

 エドワルドが呻く。我々はもしかしたら、歴史的瞬間に立ち会ったのでは……なんて馬鹿げたことを真剣に口にしていた。鼻を鳴らす。

「バカ言ってないで見張りはちゃんと立ってろ」
「しかしBOSS!」
「しかしもかかしもあるか、さっさとやれ。……えぇいガキかお前ら! 散れ、散れ!」
「マスター!」

 興奮冷めやまぬ兵士達にヤケクソ気味に一喝していると、不意に沖田が俺の傍に来ていた。
 目を輝かせて俺を見上げてくる沖田に、思わずゲッと口に出してしまう。

「かっこいいです! 大総統! って感じです!」
「おお、大総統ですか。いいですね、それは」
「黙ってろカーター!」
「オキタさん、なんなら貴女のものも造りますか? BOSSとお揃いですよ」
「五月蝿いぞエドワルド。……春。お春! 嬉しそうにするんじゃない! 新撰組なら浅葱色の羽織一択だろうが!」
「でもマスター! この服の上から羽織れば問題ないって沖田さんの中の土方さんが言ってます!」
「その土方を黙らせろ! 本人がそんな事を言うとでも思ってんのか!?」

 言いますって絶対! あのひとカッコつけマンですもん! 俺が! 新! 撰! 組だァ! とか言いそうですもん! ラストサムライならぬラストMIBURO的な感じに!
 生前親しかっただろう沖田に、そうも力説されると弱い。俺の中の土方歳三のイメージが、音を立てて崩れ去る思いだった。鬼の副長は色んな意味で鬼なのかどうなのか。

 ……変なテンションでやり切ってしまった感が酷い。カーター達を追い散らすと、今度は群衆に囲まれる。特に子供連中は目を輝かせていた。男達の目も熱い。
 なんだか一周回ってこれでもいいかという気になってしまっていた。適当にあしらいながら城壁の上に向かう。一番目のいい俺がいれば、見張りも楽でいいだろう。風に当たりながら嘆息する。エドワルドが自由時間なのをいいことに、子供みたいにキラキラとした表情でせっつく沖田を横に女性用の軍服をデザインしていた。勘弁しろ……そう思うも、いずれ『フィランソロピー』の隊服はこれで統一されてしまいそうだなと諦念が過る。

 まあいいか。まさか人理修復後にまで『フィランソロピー』の名前と軍服が残り続ける訳でもあるまい。
 首に紐と金具で固定したダイヤを下げ、俺は遠くを見る。見渡す限りの快晴だ。冬は近い。……本格的に気候が厳しくなる前に、なんとか大陸軍と合流したいところだったが……甘い見通しは立てない。最悪の事態を考え、寒さを凌げる拠点を確保する必要があるなと思った。

 ――翌日、砦を発つ。







   ‡‡   ‡‡   ‡‡   ‡‡   ‡‡







「じゃーん! どうですマスター、この新コスチュームを纏った沖田さんの艶姿は!」

 心なし艶の増した鬣を撫でてやり、嬉しそうに嘶くアンドロマケに跨がる。いざ出立の時間だ。
 しかし肝心要の剣がいない。どこで道草を食ってやがると嘆息し掛けた俺の許に、黒衣の軍装を纏った女剣士が寄ってきた。
 あたかも大正時代、陸軍の軍人が着ていたような、ハイカラの軍服を想起させられる黒衣。穿いているのはズボンではなく、元々沖田の穿いていた丈の短いスカートに近い。革のブーツとも合わさり、機能性と可憐さを両立させた華がある。黒衣だからか、露になっている白い太股がより強調されているようで、より目に眩しくなっていた。
 その上に宣言通り浅葱色の羽織を纏い、見事なミスマッチ感を生み出しているが、沖田が着ると実によく似合う。ミスマッチもまた味わいの一つとでも言うように。俺のものも大正時代の陸軍の軍服をモデルにしてあるから、ペアルックと言えるのかもしれない。

「――進発!」

 沖田が来たのを確認し、一つ頷くと俺は号令を発する。一斉に歩き出す『フィランソロピー』の群衆。兵士の半数は砦で回収した荷車を押していた。その荷車にはこの遠征で欠かせない食糧などが積まれている。
 馬上の人となっている俺は『フィランソロピー』の隊列の先頭を行く。カッポカッポと蹄を鳴らすアンドロマケの調子は良さそうだ。丹念に世話をしてやった甲斐がある。

「ちょ! ちょ、ちょっと待ってくださいマスター! なんで無視するんですか!? まーすーたー!」

 完全に無視された沖田が慌てて駆け寄ってきて、アンドロマケの隣に来る。焦ったように俺を見上げてくる沖田に、しかし俺は反応しなかった。それどころではなかったのだ。

 ――バカな。

 脳裡を席巻する驚愕の念。以前の想定を遥かに上回る現実的脅威に、俺は内心の動揺を悟らせないようにするだけで精一杯だったのだ。

 ――推定戦力は、3アルトリアだったはず……なのになんだ、戦力が跳ね上がっている……!?

 それはつまり……そういう事だった。

 ――普段はサラシでも巻いていたというのか? 限界まで押さえつけてなお、3アルトリアだったと? バカな、この俺が戦力の測定を誤るなど……! こ、これでは……6アルトリア……いや! 7アルトリアだ! なんという事だ……新撰組色が少し抜けた程度でこんなにも印象が変わるとは……見抜けなかった、この海のジャックの目を以てしても……!

「え、えーと……もしかして、似合わないです? あ、あはは……な、なんか一人だけテンション上げちゃって恥ずかしい、です……マスターとお揃いだぞー! なんて、ちょっと……調子乗っちゃいましたね……」
「!」

 病弱娘はメンタルも弱かった。無視されると、途端に泣き出しそうに顔をくしゃくしゃに歪め、今にも涙を溢れさせてしまいそうになる。
 今度は俺が慌てる番だった。泣かせたくなんてないのだ、可愛い子は誰でも好きだよ俺はとかほざく弓兵を見習え!

「すまん。春が……想像していたより可愛くてな。つい目を逸らしてしまった。似合ってるぞ、お春」
「ぇ……え、ええ!? お、沖田さんが可愛い!? あは、あはは……またまたぁ! マスターってばお世辞が上手いんですからぁ! そこは『かっこいい』とかですよフツー! 私なんかがカワイイわけないじゃないですか! もぉ、まったくもぉ!」

 一瞬で回復するメンタルだった。チョロ過ぎないかこの娘……少し心配になった俺である。
 だがまあ、にぱぁと顔を輝かせ、鼻唄を歌いながら俺の周りをくるくる廻る、明らかに上機嫌極まる沖田を見ると笑みが溢れてしまう。アルトリアが見たら、自分にかなり似た風貌の沖田がそんな童心なのに、極めて複雑な心境になるんだうなと思うと笑えてくる。しかしまあ、一部全然似てないんですけどね。
 なんて。本人に知られたら確実にカリバられる事をつらつらと思考していると、沖田は不意に跳躍して俺の後ろに飛び乗ってきた。アンドロマケはムッとするも、温厚な気性のお蔭か振り落とそうとはしない。しかし――

「ま、待て! 乗るな!」
「? なんでです? いつもこうしてるじゃないですか」

 当たってる、背中に剣の丘が二つ当たってるんだ! ふざけてるの? 挑発してる? 誘ってる? 無防備過ぎるぞコイツ。新撰組の情操教育はどうなってんだおいコラ近藤お前だお前! 保護者出て来い一回絞めるから。
 動転する俺に沖田は不思議そうにしながら腰に腕を回して来る。まったく意識していない。おいやめろ、性欲を持て余すだろうがコラ。こちとら溜まってるんだぞ一人で発散する時間も余裕もないんだぞ。
 だが堪えよう。伊達に剣の如き男と呼ばれていないのだ。鉄の心を持ってるんじゃないかと揶揄される俺の自制力は鋼だ。この程度で揺らぐ俺ではない。こんな簡単に揺らぐようでは、あの菩薩じみた女に食われていた。そう自身に言い聞かせていると、不意に天啓が下った。

 ――キアラだからこそ堪えられたんじゃないんですかね……。

 流石俺だった。此処に来て真理を得た。なるほど確かに。あの女は怖かった。命の危険を感じた。自制心が紙でも命が大事なら誰だって我慢するはず。いや我慢してる男でも、男であるだけでアレには惹かれてしまうのだろうが。
 やむをえまい。心を無にする。無心とは弓道の基本にして極意。投影の鍛練にて、それなくば成せるものもなかった。無心になる。無心になった。なったら、ぽろりと余計な一言。口から先に生まれてきた男とは誰の弁だったか。イリヤさんでしたね……。

「春、普段はサラシ巻いてたんだな」
「はぇ?」

 数瞬、レスポンスがなかった。沖田はその言葉の意味を呑み込むのに数秒を要した。刹那、バッと沖田はアンドロマケの背から飛び降りて、俺から距離を取った。顔を林檎のように真っ赤にして、あわあわと自身の胸を触っている。
 おい、そういうとこだぞ。男の前でそういう仕草を見せるんじゃない。

「あ、あれ!? 沖田さんサラシ忘れてます!?」
「気づいてなかったのか……」
「仕方ないじゃないですかー! 新コスチュームにテンション上がってたんですもん! すぐ出発する感じでしたし焦ってたんですよやだー!」

 やっぱり頭の中は春一色なんじゃないか……。
 普通忘れないだろう。忘れていたにしろすぐ気づくものだろう。なんで気づかなかったんだ。
 なんというか、ダメな女だ……女だっていう自覚が足りない。見ろ、周りの奴ら皆、生暖かい目でお前を見てるぞ。誰かが見てないとコイツ、ころっと騙されてしまいそうだな。マスターとして見ておいてやらないと……。今の保護者は俺だから仕方ない。

「春、乗れ」
「えっ」
「俺は歩く。お前は有事に備えて体力を温存しとかないとな」
「マスター……」

 アンドロマケから降りる。そして沖田を促すと、何やら(ちょろいーん)という擬音が聞こえた気がした。
 沖田は顔を赤くしたままそっとアンドロマケに乗って手綱を握る。霊格の低い普通の馬なんだから、騎乗スキルが最低でも乗れるのは立証済みだ。それに新撰組には馬術師範もいた。生前に全く心得がなかった訳でもあるまい。
 沖田は借りてきた猫のような静かになった。騒がしいのもいいが、そうして黙っているとそれはそれで可憐ではある。俺としてはいつも凛としているアルトリアのレアな表情を見ている気分になれるから、これはこれで大いにアリだ。

 向かうは変わらず南東。ある程度南下したら東に進路を変える。昨日俺の記憶にある地図を書き写し、どこに軍事拠点が置かれているのかカーターやエドワルドに訊き、知っている限りの地点を記させた。
 置かれている拠点の場所の傾向から割り出せば、後は教科書通りの絞り込みで、どこに拠点があるのかはおおよそ割り出せる。地形や都市の場所などを勘案すれば、此処から250㎞も歩けば中継できる砦があるはずだ。無くても、或いは潰されていたとしても、更に二つ先までは保つ物資はある。
 問題はそれまでにどれほど戦闘を避けられるか。避けられない戦闘があったとして、どれほど人的被害を抑え、物資を捨てなくて済むかだ。理想は戦闘がないこと。あったとしてもサーヴァントがいないこと。
 道中にカウンター・サーヴァントを拾えたら最高なんだが。特にレオナルド並みに万能でヘラクレス並みに強ければ文句はない。後はそうだな。属性が悪ではなく、アルトリア並みに真名を知られても特に問題なく、ヘクトール並みに守りが上手くて、燃費がクー・フーリン並みならなおいい。実に謙虚だ。

 馬車には子供やお年寄り、怪我人を優先して乗せてある。荷車を押すのは兵士。それを交代しながらやるが、半数は周囲を警戒しながら護衛をする。
 気候は穏やかだ。陽射しも暖かい。一昨日から快晴が続いている。しかし……雨が降れば、どうなるか。雨の中を行軍するのは極めて厳しい。兵士や俺はともかく、群衆には体力の消耗が激しくなるだろう。天幕を無数に作り、そこで雨が止むのを待っても、ぬかるんだ地面を歩くのは難儀するだろう。
 雨が降っていると視界が悪くなる。足音も聞こえ辛くなる。天幕を組んで雨宿りをしている時に敵に襲われたら最悪だ。

 都合よくカウンター・サーヴァントと出会って。都合よくそのサーヴァントの宝具が天候を操れたり、食べ物を量産できたり、理想的な戦力になってくれないかなぁ、と思う。

「……はは」

 そんなご都合主義は訪れない。現実をよく知るからこそ、俺は笑う。
 信じられないほど何もなく、数日歩いていた。次の中継拠点まで、後一日といったところか。

 ああ……まったく。こうも何もないと、却って不吉な予感を抱く。

 何せ――そういう時ほど、とんでもない何かが起こるのだと。俺の平坦とは言えない人生経験上、よくよく思い知っていたから。







 

 

要観察対象ジャックさん!




 ――地響きがする。

 お前は不幸だ。
 不運な人だ。
 可哀想だ。
 哀れだ。

 ――以前。俺は傲慢な人だと詰られた。

 弾劾ではない。酒の席の、率直な感想だ。
 場末の酒場だった。
 生憎とその時は酔っていたし、相手も酔っていたから、会話の内容も互いに殆ど覚えていないと思う。
 しかしそのやり取りだけは、なんとなく記憶にこびりついていた。
 まだ冬木から飛び出したばかりの、青二才だった頃だ。俺はぽろりと、世界中から不幸(ケガレ)を拭い去りたいという衝動を口にしていたらしい。
 飲酒は二十歳未満で覚えた。世間の善良な方々は、そんな俺を窘めるのだろうが。残念ながらその酒場の主人は無頓着な性質だったようで。飲みたいならガキでも飲みゃあいい、ただし見つからないでくれよ、おれが捕まるからと笑っていた。

 ――坊やよぉ。お前さんは、傲慢だねぇ……。

 覚えている声は、それだけだ。言われた内容だけが頭にある。



『不幸の限界量。幸福の限界量。そんなものは、人間誰しも同じもんだ』

『戦争に巻き込まれて腕ぇ無くして親亡くして、目一杯不幸を叫ぶガキと。平和な国のスクールで苛められて、親に虐待されて不幸に沈むガキも』

『大富豪のガキに生まれて、何不自由なく甘やかされて育ったガキも。貧しい親ぁ持って自由になるもんが少なくって、そんでも朝昼晩の飯食えて親に愛されてりゃ幸せって感じるのも』

『どっちも同じ不幸で、幸福だ』

『お前さんが何をヨゴレと感じてんのかなんざ知らねえよ。なんでそんなに焦ってんのかもな。けどよ、これからどんだけデケェことするってなっても忘れちゃなんねぇぞ』

『人間が感じる不幸せも、幸せも、感じる感情の最大値はおんなじだ。人間の脳ってのは、度の過ぎた感情持ちゃあぶっ壊れる。残るのは狂人、そいつはなにをしても不幸にも幸福にもなりゃあしねぇ。嗤ってるだけさ』

『人助けしたいんだって? おお、けっこうじゃねえか頑張りな。おれにゃあ真似できねぇし真似しようとも思わねぇ。けどな、アイツの方が可哀想、アイツの方が恵まれてるって風にだけは区別すんなよ。どんだけすげぇ事したって、そんな見方してりゃあお前さん……』

『――人間じゃあ、なくなっちまうぜ』



 地響きがする。

 所詮は酔っぱらいの戯れ言だと、忘れてしまう事は出来なかった。それが人の世界で、人を助けようとする時の心得だと感じたから。自身を戒める真理となると、アルコールの回った頭でも漠然と感じたから。
 俺の主観で、彼の方が可哀想、彼の方が幸せそうと決めつけてはいけない。可哀想だと哀れんだ人は、実は幸せなのかもしれない、満足しているのかもしれない。逆に恵まれている人も、満たされていないかもしれない。餓えているかもしれない。
 そんなものだ、人間なんて。――だったら誰を、どうすれば救う事になるのか。その穢れを拭い去った事になるのか。考えて、考えて。

 決めつけるのではなく、己の心に従う道を見つけられた。分からないなら問い掛ける事にした。

 俺だって人間なんだ。全知全能の神様なんかじゃない。救いの手を差し伸べても、余計な事をするなと払いのけられるかもしれない。しかしそれでいいのだ。
 何をしても感謝される奴なんていない。例えどれだけ徳を積み、善行を重ねようが、知らないところで怨まれたりもする。救ったはずの人が巡り巡って悪行に手を染める事だって有り得るのだ。
 なら、力んだってしょうがない。出来る事だけをしようと、自身の裡から生じる衝動に折り合いをつけられた。

 ――地響きが、する。

 悔いのない道を行き、人道のど真ん中、王道を敷いて心の命じるままに歩む。自己と他者を比較するのが人の性で、拭えない悪性なのだろうが、それを克服出来る人もいる。憐れまず、過去を見ず、欲に溺れず、比較せず。中庸の在り方で善を成す。
 『人類愛(フィランソロピー)』とは、我ながらよく名付けたものだと思った。食べ物、衣服、住居。人が心にゆとりを持ち、礼節を知るための三大要素全てが不足していながら、彼らは最低限のモラルを忘れなかった。生きる希望はある、絶対に生き残れる。その信頼が己に向けられるからこそ、人間の善性を保ち続けられているのは分かっていた。俺が死ねば、或いは抑えようのない被害が拡大すれば、その薄い善性は破れ、その裏の悪性が顔を出すと分かっていても。その儚い善性が眩しい。

 広野を行く。見渡す限り、誰もいない。敵影は見えない。このまま何事もなくいけばいいと、願う事自体が愚劣極まる。
 地響きがした。大地が揺れた。嗚呼――どうしたって、こうも上手くいかない。





 魔神柱、顕現





「――」

 地面を突き破り、舞い上がった砂塵の中に屹立する醜悪な柱。無数の瞳が、俺を見ている。
 慮外の襲撃。完全な不意打ち。思考が止まる。驚く事すら出来ない。見た事もない化け物に、群衆の意識にも空白が打ち込まれていた。
 膨大極まる魔力の塊。サーヴァント数騎分もの魔力の波動。それが――二体。
 あ、と誰かが喘いだ。魔力を感じる事も出来ない群衆すら、途方もない天災を目撃してしまったのだと理解していた。
 多数の眼球に、力が籠る。刹那、我に返った俺は直ぐ様号令を、

「ぎぃぃいいいい!?」

 熱線が奔る。それが、群衆を穿った。肉片一つ残さず蒸発する多数の人々。
 カッ、と視界が赤く染まる。俺を狙った視線の熱線は、咄嗟に飛び退いて躱せても――戦う術すら知らない人々に躱せるものではなかった。瞬間的に激発する意識を燃やし、俺は叫んでいた。

「――敵襲だ下がれェッ! カーター、撃てッ!!」

 自身の背後の空間に剣群を投影しながらカーターに指示を飛ばす。カーターが指揮を執り咄嗟に兵士達に銃撃を行わせた。
 着弾する。しかし、まるで効果がない。放った剣群も悉く魔神の凝視に溶かされていく。訳も分からないまま最善の一手を打つ。

「春、一体は俺がやる、もう一体はお前がやれ!」
「――承知ッ!」

 沖田は躊躇う素振りすらなく旗を立てた。大規模な火力を持たない彼女では、どう足掻いても魔神柱に有効打を与えられない。三段突きも有効となる範囲が、魔神柱の巨体では小さ過ぎる。
 剣群を次々と放つ。召喚された新撰組が果敢に魔神柱に攻め掛かり、膾切りにしていく。だが、

「ひぃぃいい!?」「ぎゃっ!」「逃げっ――」

「I am the bone of my sword.」

 斃し切る前に、『フィランソロピー』は全滅する。
 沖田だけが、魔神柱に対抗できる。しかし一撃でその総体を消し飛ばせるわけではない。魔神の名を冠するに足るしぶとさで、沖田を屠らんと魔神柱は暴れ。もう一体は、俺を。ついでと言わんばかりに群衆へと視線を照準している。
 呪文を口ずさんでいた。素早く投影できる代わりに格の足りない剣群では足止めも出来ない。かといって螺旋剣などは魔力を充填している間に俺も、『フィランソロピー』も大損害を被る。

「──So as I pray, 」

 必然、それしかなかった。

「――無『』の剣製(アンリミテッド・ロストワークス)

 出し惜しむ暇はない。双剣銃より撃ち放たれる無限の剣弾。それは無数の視線を掻い潜って魔神柱に着弾し、宇宙より墜落してくる小惑星をも粉砕する火力が炸裂した。
 魔神柱はぎょろりと全ての眼球で俺を凝視して、爆散する。その肉片、霊格の欠片が死を確信させる。
 沖田や新撰組が、間もなく魔神柱を撃破しそうだ。それを見届けもしない内に俺は背後を向く。算を乱して四散していこうとする群衆に、俺は黒い銃剣の銃口を空に向け発砲する。

「鎮まれッ!!」

 そして一喝した。銃声にびくりとした彼らは、俺の怒号に静まり返る。恐怖の色が顔に貼り付いていた。
 険しい顔で命令する。

「整列しろ。……するんだ」

 怒鳴らなかった。しかし、恫喝されたように彼らはバラバラに、体を震えさせながら隊列を組む。
 点呼しろ。右から順に、と。そしてそれらが済むと俺は黙りこくった。
 ――三十一人、死んだか。
 拳を握り締める。唇を噛む。怒りのあまり卒倒しそうだった。兵士達に欠員はない、それはあの魔神柱は人の密集している地点を狙ったから。
 前方を向く。目を凝らす。遥か彼方に、聳え立つ柱があった。数は……二十六。何者かと戦闘中なのか、激しい魔力光が閃いている。巻き込まれたらいけない。既に気づかれている。

「――進路を変える! 南西に走れェッ!」

 銃声を轟かせ、『フィランソロピー』の面々を走らせる。脚をもつれさせながら、我先に走り出す彼らを護衛する。
 本当は魔神柱と戦闘を行っているらしいサーヴァントを援護しに行きたかった。だがそれは出来ない。今俺が『フィランソロピー』から離れれば、彼らは心を乱して錯乱してしまいかねない。カーターが抑える事も出来ず、バラバラになって逃げていきそうなのだ。
 それに、二十六体の魔神柱と戦闘を行うなど正気ではない。確実に死ぬ。旗の宝具を使った沖田とともに向かっても、逃げる間もなく全滅するだろう。
 遠すぎて姿を確認出来なかったが、悪いがあのサーヴァントには魔神柱を引き付けていて貰うしかない。囮として見捨てる。二十六体の魔神柱との戦いを、まがりなりにも戦闘として成立させるだけの力があるらしいのがひどく惜しいが……そんな事を言っている場合ではなかった。

 ――無数の真紅の槍が見えたようにも思えたのが、ひどく気掛かりだった。

 大勢の人が死んだ。
 俺の反応が鈍かったせいで。
 初手から、惜しまず、二回弾丸の「無限の剣製」を撃てばよかった。なのに、それが出来なかった。
 悔やんでも悔やみきれない。なんたる無能か。だが悔やむのも嘆くのも後だ。今は不自然さを確定させるのが先である。

「……弱い。ああ、弱かった」

 あの魔神柱は、弱かった。
 俺が知るものとは違う。性能は変わりなかったが、どこかがおかしかった。

 まるで、意思のない傀儡だったような。
 まるで、知性のない機械だったような。
 まるで――魔神柱の姿と力だけを再現した、最も厄介な知能を欠いたモノのような。

 本来の魔神柱なら、二体もいれば初撃の奇襲で俺は死んでいたか、或いは重傷を負っていたはずだ。
 それどころか、群衆は全滅し、兵士達もよくて半減していただろう。

 逃げる。とにかく、逃げる。

 ――後に(ジャック)・フィランソロピーと呼ばれる男は、過日の冬木……その出来事を。思い出を。身近な人々に関するもの以外、全て忘れている事へ……ついぞ思い至る事はなかった。







 

 

希望の欠片だジャックさん!





 逃げる。逃走する。『フィランソロピー』の士気は一気にドン底まで落ちた。
 誰一人死ぬ事なく生き延びられる、その幻想を破壊された者達は現実を直視してしまった。
 安住の地のない地獄にいる。あんな化け物がいる。本当はもう生き残る芽はないのではないか……そんな愚にもつかぬ思考に嵌まろうとしている。それは、それだけは阻止しなければならない。
 人は死ぬ。多少なりともその事実を知っている兵士達だけは、士気を保ち規律を堅持していられるが、そうでない人々にとってなんの慰めになるだろうか。兵士はフィオナ騎士団との戦いで228名に。戦う力のない老人、女、子供、男の群衆は141名に。総計で369名にまでその数を減らしている。
 495名いた彼らがその数を一気に減らし、彼らは脆い硝子細工のような希望を砕かれた。助からないのではないか、あの男がいても、人間ではないらしい少女がいても、自分達は助からないのではないか……。見ないようにしていた過酷過ぎる現実の重さに、彼らは堪えかねている。

 だから走らせた。余計な事を考えさせないために。只管に走らせ、疲労困憊し思考する余裕がなくなるほどに走らせた。

 夜営を行うには、まだ早い。夕方だ。しかし彼らはもう走れない、歩けない。何があっても。
 ……何があっても、だ。疲れきった彼らの表情は虚ろになっている。魔神柱という化け物を見て、それで何人も死んで心が折れようとしている。今、敵サーヴァントに襲われれば、全員死ぬしかない。逃げられるだけの体力も気力もない。故に休ませる。見張りを立たせ、警戒する。

「春、ついてこい」
「マスター?」

 軍服の下にサラシをつけ直してある。沖田は黒衣の上に浅葱色の羽織を纏った姿で寄って来る。
 俺はアンドロマケをカーターに預け、一旦彼らから離れて行動する旨を伝えていた。難民達は疲れ果てて眠っている。もし俺の姿がなくなっている事に気づかれれば騒ぎになるだろうが、今なら離れても構わないだろう。夜明けには戻ると言い含め、不安そうにするカーターの肩を叩いた。大丈夫だ、俺に任せておけ、と。担保もなく、信じられるように強がるだけだ。
 俺は沖田に言った。

「カウンター・サーヴァントを探す」
「……」
「この前はペンテシレイアを見つけたな。だがそのお蔭で犠牲を出さずに撃退できた。今度は味方に出来るサーヴァントを見つけられると信じよう」
「……見つけられなかったら、どうなるんです? またあのアマゾネスの女王を見つけたり、軍勢を率いてる敵サーヴァントを見つけたら?」
「その時は全滅だ。敵のサーヴァントが軍を率いて近くにいれば、どのみち助からない。祈ってくれ、味方が見つかりますようにってな」

 英雄は逆境を乗り越えてこそなのだろうが、生憎と俺はその器ではない。逆風続きの状況で、更に苦境に追い込まれても踏ん張れない。
 俺だけならいい。その時は逃げるだけだ。逃げて、勝算を立て、改めて勝つだけでいい。そのなんと簡単な事か。今に比べたら――守るべき者のいない時の、なんて気楽な事か。

 沖田は神妙に頷く。そして、意を決したように問い掛けてきた。強い意思を感じる。

「マスター。いざとなったら、私はマスターを何よりも優先します。カーターさんやエドワルドさん達には悪いですが、私にとって一番大切なのはマスターなんです。……まさか彼らが死ぬ時も殉じて死ぬ気でなんていませんよね?」
「……当たり前だ。仲良く心中する気はない」
「本当ですね?」
「ああ」
「……嘘でもいいです。その時は、マスターを気絶させてでも連れて逃げますから」
「……」

 本当のところ、俺は彼らが全滅を避けられなくなった時にどうするのか、自分でも分からなかった。頭では分かっている。逃げるのが一番だ。しかし……。
 頭を振る。合理的に、その時は動くしかない。動くしか、ない。大事の前の小事と割り切るしかなく、もし俺が死ぬ事でこの時代の滅びを食い止められなかったら、それこそ彼らは犬死にになってしまうから。
 沖田の決意表明に偽りはなかった。それが正しいと認めている。だから、頼んだ。俺の中の青い部分が、変に逆らわないように。

「……その時は頼む。正直に言うが、冷静に判断できる自信はない」
「分かってます。マスターは、そういう人です。だから皆がマスターを信じられてる。どうかそのままの貴方でいてください」

 歩き出す。いや、走る。のんびりと歩いていられる余裕はない。長く走れるペースで探索に向かった。
 そうしていると、またも森を見つけて。流石に俺は訝しげに眉根を寄せた。
 妙だなと呟く。俺はアメリカ全土の地図を記憶している訳ではないが、それでも地形の移ろいに関しては多少知識がある。
 砂漠があり、河があり、森がある。山脈、林など。どれも唐突に変化する事はなく、ほぼ地形と気候は連動して形成されるものだ。そうポンポンと荒野や森が繋がっているわけもない。
 思い返せば、ペンテシレイアをはじめて見つけた時もそうだ。不自然な形で渓谷があった。

 この特異点は時間の流れがおかしい……推測するに、各地の地形は今と昔の地形が入り交じっているのか?
 そうだとすると、いよいよ人理定礎値が深刻だ。時間が狂っている……俺をカルデアから引き離して、寿命で殺すのではなく、別の狙いもあったりするのだろうか?

「……お春」
「はい。っていうか今まで何度か流してましたけど、そのお春っていうの、なんかかわいい響きで照れちゃいますね」

 ふにゃりとした笑みで沖田が応じる。顔色はいいが俺は呆れてしまった。

「そんな事を言ってる場合か? それよりお春は俺より耳がいいはずだな。何か聞こえないか?」
「? んー……特に何も……あ、待ってください、何か聞こえます」

 サーヴァントである沖田の五感は、視力以外は俺よりも優れている。何か聞こえたような気がするが、気のせいであるかもしれない。
 なので念のため確認してみると、沖田は怪訝そうに耳を澄ませ、耳に手を当てた。案の定、何か聞こえたようである。むむむ、と唸りながら沖田は目を閉じ、不確定ながら報告してくる。

「なんか……女の子? と、男の人の声がします」
「……春。ここはどこだ?」
「? 広野の先に何故かある不思議な森です」
「着眼点はおかしいが、大方合っている。だが……人の住める場所か?」
「……あ、そういう事ですか……」
「そういう事だ。人の声がする、それは普通ありえない。ありえないのにあるという事は、つまり某かの異常事態と見るべきだろう」

 沖田の顔に理解の色が浮かんでいる。
 頷いてみせ、先を急ぐ。やがて俺の耳にも声がはっきり聞こえてきた。それを頼りに気配を殺して走っていく。森の中を数百メートル走っていると、すぐに開けた空間になる。森というよりは林だったようだ。
 少女が、大声で喚いて暴れている。筋肉質で褐色の肌をした、金髪の大男が少女を縛りあげて肩に担いでいた。

「あの男は……」
「知ってるんですか?」

 ああ、と頷く。フェルグスと同じで、よく知っていた。

「ベオウルフだ」

 赤原猟犬のオリジナルを持つ英雄。
 体に無数の傷を持つその男は竜殺しでもある。武勇に秀で、武器を使うより格闘戦を好み、実際素手の方が強い。
 俺は二人を観察した。ベオウルフの肩に担がれているのは、小柄な少女である。燃え上がる火焔のような髪を頭の両サイドで纏め、少女然とした華奢な姿には似つかわしくない凛とした雰囲気がある。
 そして……衣服は殆ど身に付けていない。相手はベオウルフだ、戦闘を行ったのだとしたら、かなり激しくなり衣服が破れてしまったのかもしれない。ベオウルフは婦女子に乱暴する下衆ではないから、衣服が破けるとしたら戦闘以外には考えられず、あの二人は敵同士という事になる。現に険悪な様子だ。少女からは殺気すら感じられる。

 俺は目を凝らし、二人の口の動きを読んでやり取りを盗む。

「……ベオウルフは、ケルト側か」

 ベオウルフは少女を倒し、アルカトラズ刑務所に収容するつもりのようだ。……この時代にアルカトラズ刑務所はなかったはずだが……やはり先程の推測は正しいのかもしれない。さもなければおかしい。
 ベオウルフが敵なのは痛い。味方ならよかった。だが敵だというなら是非もなし。あの少女もサーヴァントだ。救い出せば力になってくれるかもしれない。ならば――仕掛けない理由などなかった。

「春。俺が仕掛ける。お前は三段突きで奇襲しろ。いいか――その一撃で、確実に仕留めるぞ」
「は。我が秘剣の煌めき、ご覧に入れましょう!」

 に、と骨太な笑みを湛え、すぐ表情を引き締める。
 投影するのは黒弓と、赤原猟犬。沖田が気配を遮断して離れていったのを確認すると、投影宝具を弓に番える。魔力を充填させはじめると――ベオウルフはこちらに気づいた。
 手足を鎖で縛ってある少女を地面に捨て、獰猛な笑みを浮かべる。しかし怪訝そうな顔になった。自分の剣の魔力を感じたからだろう。俺は構わず、最低限度の魔力を迅速に込めて。

 弓の弦から、呪われた魔剣を撃ち放った。







 

 

卑怯卑劣は褒め言葉だねジャックさん!




「赤原を征け、緋の猟犬――!」

 魔力のチャージはマックスで四十秒掛かる。しかしそれだけの時間を掛ければ瞬く間に接近され、殴り殺されるだろう。いや拳を振るうまでもなく、足枷のようなものである二振りの魔剣で叩き切られる。
 林の境界、その境目からの狙撃。距離は七百。緋色の少女を意外にも優しく地面に横たわらせて捨てるとベオウルフは一直線にこちらに駆けてくる。筋骨粒々の、全身に傷跡を持つ凶相の竜殺しが迫る迫力は凄まじいものがあるが、それで肝を潰してしまうほど繊細ではない。冷徹に距離と間を見計らい、ベオウルフに狙いを絞り魔剣を投射する。
 チャージに要したのは二十秒。本来の威力の半分。ベオウルフが動き出すのに十秒、距離二百五十まで来るのに十秒。速いが、想定以上ではない。彼の竜殺しの賢王だからこそ、俺のいる場所まで来るのに掛かる時間も計算に織り込めた。

 威力は然程重要視するほどでもない。重要なのはその能力、速度。マッハ四以上で飛翔した赤光が、本来の担い手に食らいつく。

「オラァッ!」

 ベオウルフはオリジナルのフルンディングを振るいこれを弾いた。余波で地面が抉れ、ベオウルフの後方に衝撃が広がり、扇状に陥没した地面から砂塵を舞わせる。弾かれた魔剣は虚空で乱回転し、射手の狙いを読み取るや即座に切っ先をベオウルフに向けて噛みついた。だがこれもまた弾き返される。
 ベオウルフは獰猛に嗤い、苛立ち紛れに足を止め、全力の迎撃でこれを破壊せんと力を溜める。しかし牽制で放った矢に、完全な死角からの射撃であるにも関わらず反応して叩き落とした。

「しゃらくせぇ……俺の剣を矢に改造してんのも、チマチマ刺して来やがる矢もうざってぇな……ああ、ああ! 気に食わねぇが気に入った! 今からぶん殴りに行ってやらぁ!」

 ――流石に鋭い。アルトリアほどではなさそうだが、春の奇襲にも対応してしまいそうだな。

 淡々と矢を放ちながら分析する。あろうことかベオウルフは、俺の矢とフルンディングを平行して捌いてしまいながら俺へ接近してくる。分析の必要すらない原始の闘争本能、本当にお前は史実に属する王なのかと呆れてしまうそうになる。神代の英雄と言っても通じる闘志だ。
 俺は嘆息して弓を消し、双剣銃を投影する。狂猛な笑い声には戦闘への愉悦と苛立ちがある。それらを引っくるめて愉快なのだろう。俺は自ら接近しながら銃撃を浴びせる。矢による速射よりも射撃の回転率が高く、弾速の速い銃弾でベオウルフの接近を止める。無論の事これだけなら足止めも叶わない。フルンディングがベオウルフに噛みつき続けるからこそ足止めが出来ている。

 ベオウルフは露骨に舌打ちした。笑みは消えていない。射手が人間で、宝具を使う。毛色の違う面白い奴だと嗤っている。
 己を前にしていながら遠距離に徹さず、自ら近づき最適の距離を取るところも気に入った。臆病者ではない、殴り甲斐のある面をしてやがる――言葉にせずともその顔が雄弁に語っていた。

 赤い弓兵ほど俺は巧くない。センスもない。足りないものは頭と度胸で補うしかない。それだけの事だった。――ベオウルフやフェルグス相手なら、あの弓兵は単騎でも互角に戦い、或いは勝利してしまえるのかもしれない。それほどに両雄について知悉している。癖を、呼吸を、戦法を。知り抜いている。故に格上だろうが勝機を手繰り寄せられるかもしれない。
 だが少なくとも俺には不可能だ。最大パフォーマンスは足止めが限度。ベオウルフが投影魔剣を破壊できないように牽制の弾丸を放ち続け、間を外し続ける事だけしか出来なかった。しかしそれとてベオウルフが多少の負傷を厭わず、割り切って俺を殺しに来れば十合交えず殺されるだろう。そしてベオウルフは手傷を負うのを恥とはしない。後数秒としない内にその戦法を選択するのが見えていた。

 故に、その前に白い剣銃を過剰強化する。オーバーエッジ形態へ移行させ、それを黒銃剣で射撃を加えながらベオウルフへと腕の振りだけで投げつけた。ベオウルフが投影魔剣を弾いた瞬間にだ。
 足元に投擲されてきたそれを、鈍器じみた魔剣で弾かんとして……ベオウルフは俺の狙いへ直感的に気づき後方に飛び退いた。白剣銃を銃撃する。ただでさえ銃の機構を埋め込まれた短剣を過剰強化しているのだ。そこに銃弾を撃ち込まれれば爆発は避けられない。ベオウルフは回避せしめるも、爆風の煽りを受けてやや体が浮く。更にそこに食らいつかんとした魔剣を、ベオウルフが瞬時に迎撃の刃を振りかざした瞬間、

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 贋作の魔剣を自壊させる。俺は顔を顰めた。

「――これだから勘の鋭い英雄って奴は……」

 完全に詰ませたはずの爆撃だ。布石も充分、俺の宝具が投影による贋作だと初見で見抜ける眼力がなければ、まず俺が宝具を使い捨ての爆弾とする戦術に面くらい、成す術なく倒せてしまえる。勿論俺が遠距離に陣取り、先制攻撃を仕掛けられたなら、だが。
 しかし常識を塗り替えてしまえる英霊は、そんな結末を容易く乗り越えてしまう。ベオウルフは投影魔剣を迎撃しようとする寸前、瞬時に理屈ではなく勘に従い防禦を固めたのだ。フルンディングを楯に、棍棒じみた魔剣を迎撃の矛に。鈍らの魔剣は『壊れた幻想』に直撃した瞬間破損し、代わりに莫大な衝撃波を放って威力の殆どを相殺。フルンディングでの防禦のみで俺の爆撃を殆どダメージなく凌ぎきったのである。
 出鱈目だ。だが彼なら防ぐだろうと確信していた。そして目的は達した。完全に足を止めさせ、防禦で動きを鈍らせ、次の瞬間に叩き込まれる必殺を凌げなくなったのだ。

 勝利の為の布石はこの為に。今、その隙を狙い澄ましていた秘剣が煌めく。

「無明――」

 ベオウルフを愛刀の間合いに捉え、忽然と姿を現す天才剣士。魔剣使い沖田総司。それでも――ベオウルフは驚愕しながらも反応していた。フルンディングを楯にした体勢のままその刺突を防がんとしたのだ。
 しかしそれは悪手である。事象飽和現象を纏うその剣先は防御不能、剣先に触れたモノを『破壊』するのではなく『消滅』させる人智の極限。

「――三段突きッ!」
「ぐォッ、」

 魔法の域にすら踏み込む対人魔剣は、宝具である彼の魔剣フルンディングの刀身をも刳り貫いたように貫通した。そしてそのまま強固な天性の肉体を捉え、霊核である心臓を破壊してのける。
 確実に仕留めた。如何なベオウルフとはいえ、死は確定したものとして消滅の末路を決定付けられる。
 しかし、ただでは終わらない。霊核を破壊されて尚一矢報いんと損傷した魔剣を捨て、ベオウルフは拳を一閃する。沖田に残心の抜かりはない、技巧も何もないその拳擊を見てから躱す。一足跳びに真横に跳んだ沖田は死に体の英雄を斬らんと刃を翻し、

「コ、フ……ッ!」

 口を抑え、吐血する。俺は分かっていたよと吐き捨てて、隙を晒した沖田に拳を振りかぶるベオウルフに銃弾を叩き込む。背中、振り上げた腕。ベオウルフは苦笑して、力の抜けた拳を下ろした。

「チッ、容赦のねぇ奴だなテメェ……」
「生憎だったな、ベオウルフ。生き汚い手合いには慣れっこでね」
「そうらしいな。心臓ブチ抜きゃちったぁ油断すると思ったんだがよ……ったく、してやられたぜ」

 金髪を掻き毟り、ああ、やってらんねぇと悪態を吐いてベオウルフは消滅した。その間際に、今度会ったら取り敢えず殴ってやると笑いながら。唐突な奇襲で斃されたにも関わらず、全く後腐れなく。
 俺は暫しその様を見届け、沖田を助け起こす。また吐いたなお前、全く気の抜けない奴だ。そう愚痴ると沖田はバツが悪そうに目を逸らした。休んでろとだけ告げ、俺は目的のサーヴァントの元に寄る。

「今自由にしてやる」

 手足を縛る鎖を黒銃剣で発砲して砕く。
 華奢な少女だ。十代半ばの年齢で現界している沖田より、更に幼く見える。緋色の少女は手足の具合を確かめながら立ち上がった。

「――ありがとうございます。まさかあの恐るべき竜殺しを、奇襲したとはいえ一方的に斃してしまわれるなんて……」
「まともにやれば、(アイツ)と俺だけだと百回やって十勝ちを拾えたら充分な手合いだからな。初見殺しのパターンで嵌め殺させてもらった」

 驚くやら感心するやら、目を真ん丸とさせる様は、およそ英雄の称号()とは無縁のものに見えた。
 しかし外見や第一印象で決めつけるほど、サーヴァントに対して迂闊なものもない。俺は名乗り、手を差し伸べた。

「俺はジャック、『人類愛(フィランソロピー)』という弱小団の領袖をやっている。お前の名を聞かせてくれないか?」

 少女は凛とした眼差しで、その小さな手を俺の手に重ねる。握手を交わし、彼女は俺の瞳を真っ直ぐに見据えて応じてくれた。

「私は、シータ。コサラの王ラーマ様の妻……だった者です」
「シータ? コサラ……ああ『ラーマーヤナ』の……」

 名前だけはなんとか分かったが、実を言うと『ラーマーヤナ』については余り詳しくはなかった。
 というのも、二大叙事詩であるもう片方にばかり興味が引かれ、そちらばかり読み耽っていたからだ。勉強不足だなと苦笑する。しかしまあ、概要だけはなんとか覚えていたが。

 それにしても、シータは肌の露出が多い。ベオウルフとの戦いで服が破れているのだろう。さりげにコートを投影してシータに渡した。
 首を捻られ、小脇に抱えられる。ああ……俺の気遣いが……。

「はい。しかし英霊としての私は『ラーマ』でもあります。通常の聖杯戦争では私かラーマ様が『ラーマ』として現界する……そういう存在です」

 彼女の言葉に、気を持ち直した俺は納得する。
 シータの纏う霊格は極めて強大だ。しかしそれに反して余りにか弱い印象があるのは、ラーマとしての霊基を持つが、同時に戦う力の弱い存在だからなのか。
 ラーマと同じ性能はある、しかし戦いとなったら、それこそ格下の霊基にも遅れを取る。そんなアンバランスさがシータを構成している。
 二つの存在が同じ座を有する。稀な例だ。という事は、シータがいる以上ラーマ本人はいないという事になる。

「いえ――ラーマ様はいます」
「?」
「私には分かるんです。この地に、ラーマ様がいるのが」
「そうか」

 感じると言われても俺には全く分からない。しかし同じ座を共有するシータだから感じられるのか。
 しかし朗報だ。あの頭がおかしいほど規模のデカイ叙事詩の英雄がいる。シータがいるなら仲間になってくれるだろう。これほど心強いサーヴァントはあまりいない。そう溢すと、シータは顔色を曇らせた。

「……私達は、会えません」
「なんでだ?」
「呪いがあるんです。『離別の呪い』が」

 曰く、ラーマはその生前の行動によって、魔猿バーリの妻に掛けられた呪いがあるらしい。死して英霊となってもなお、彼らの身を縛り続ける呪いは、効果が薄れる事はない。在り方としては沖田の持つ病弱のスキルと同じで、聖杯ですらこの呪いを破棄させる事は出来ないだろう。聖杯で呪いを消すには、そもそもそんな呪いに掛からなかったという過去改竄を行うしかないが、その場合今のラーマの人格にも改変を来す事になる。
 ――サーヴァントとして召喚される場合に彼と彼女は『ラーマとシータは「ラーマ」という英霊枠を共有する』「ラーマとシータは同時に召喚できない』という制約を課せられるようだ。通常の聖杯戦争では巡り会える可能性は完全に零。人理焼却の異常事態下でのみ例外は有り得るが、それでも決して出逢えないのだという。

「……なるほど。だがいいものだな」
「……?」
「その呪いは互いが互いを愛する限り続くんだろう? 離別の呪いってのは、つまるところ不変の愛の証明であるとも言える。ロマンチックでいいじゃないか」
「……」
「マスター、ちょっとそれは流石に無神経じゃあ……」

 シータはなんとも言えない表情となった。愛の証明と言われて悪い気はしないが、それでも呑み込めないのだろう。休んでいた沖田だが、傍に来れはする。俺の言葉に渋い顔をする沖田に俺は肩を竦めた。

「シータ、取引をしよう」
「取引……ですか?」
「ああ。俺は多分、その呪いをなんとか出来るぞ」
「!!」

 王女は目を見開く。咄嗟に反応を返せないほどの驚愕が彼女を襲っていた。

「等価交換、ギブ&テイク、呼び方はなんでもいい。俺の仲間となり『フィランソロピー』を守ってくれるなら、俺はその『離別の呪い』をなんとかしよう。流石に座にいる本体はどうしようもないが、この特異点内でなら会えるようにする事は出来る」
「それは! ……本当ですか?」
「ああ」

 『破戒すべき全ての符』は無駄だ。あれは対魔術宝具であり、結ばれた契約や魔力によって構築された生命の初期化、魔術で強化された物体を初期値に戻す類いのもの。俺にはどうしようもない。担い手本人なら呪いを契約の一種だと拡大解釈して解除出来るかもしれないが、俺は魔術師としては雑魚である。メディアのような大魔女でもなければ成し得ない。
 そして『破魔の紅薔薇』も無駄だ。あれは宝具殺しの宝具。魔力で構成されたもの、構築中の術式の破壊は出来るが、結実した魔術そのものを破壊する事は出来ない。更に言えば俺の投影した剣にも効果はない。投影宝具は『完成して其処に在る』モノ故に、破壊対象とはならないのだ。よって完結している呪いには、これもまた無力である。

 ではどうするか。

「どうする? シータ、俺と契約してくれるなら、なんとかしよう」
「……その前に聞かせてください。どうやってこの呪いを打ち消すんですか?」
「打ち消しはしないさ」
「?」

 恐らく、というよりも確実にだが。俺が思い当たるぐらいなのだから、正統な魔術師なら誰でも同じ発想に至るだろう。別に勿体ぶる必要はない。
 簡単に講義することにした。

「いいか? 呪いというのは、縛りだ。ある意味で法律みたいなものだよ」
「……そう、なんでしょうか」
「そうなんだ。あれをしてはいけない、これに抵触する事は赦されない……そういった形に強制力を加えたのが呪いというもの。だがな、完璧な法というものは存在しない。必ず抜け道はある」

 例えばだ、と俺は思い付くままに例を挙げた。

「シータかラーマ、どちらかが意識不明の状態に陥っていたら、顔を見たり触れたりするぐらいは出来るんじゃないか?」
「……それは、多分可能です。だってそれは、再会できたという事にはなりませんから」
「そうだな。それは『再会』ではなく『発見』だ。そんな感じで、本人同士が遭遇したという自意識がなければ呪いは発揮されない。お前に掛かっている呪いのトリガーは『両者が互いを認識すれば』発動する類いなんだろう。片方が眠っていれば顔を見れるし触れる事もできる。強固な呪いほど、逆に抜け穴を見つける為の粗は出てくるものだ」
「……つまり、なんですか?」
「『片方に意識がなければ発動しない』のなら、発想を逆転させてしまえ。結論を言うと『片方が死んでいれば呪いは発動しない』わけだ」

 意味が分からないと首を捻るシータと沖田。俺は魔術に造詣が浅い二人なら仕方がないかと苦笑する。

「つまり、シータ。お前の状態を偽る。宝具なんざ必要ないんだよ。礼装で事足りる。俺が世界を巡ってる時に目にした魔術師の礼装……追っ手の追跡を誤魔化す為に、生命反応を消す短剣があった」

 言いつつ、飾り気のない短剣を投影する。

「これを持っていれば、所有者は『死んでいる』と判定される。所謂仮死状態だと見なされる訳だ」
「――」
「一流の魔術師ならこんなものがなくても似た真似は出来るだろうが、俺は三流だからな。道具に頼らなければ何も出来ない。ちなみにその礼装の欠点は、おおよその呪いや魔術探知を素通り出来る代わりに、生の視覚は全く誤魔化せない事だ。俺が魔術の探知で追ってきていると油断していた奴を、普通に目視して普通に殴り倒したよ。
 ちなみにお前の対魔力なら、ちょっと意識されれば簡単に弾かれてしまう程度のものだから、いい感じに無視しておいてくれないといけない」

 例えばアルトリアなどは、極めて高い対魔力を持つが、自身の意思などによって魔術効果を受け入れることが出来る。そうでなければマスターからの令呪や回復魔術なども弾かれてしまうだろう。
 それと同じで、シータ本人がこの……英霊からすればがらくたじみた短剣を受け入れてくれれば、彼女は魔術や呪いには『死んでいるモノ』として判定される。『離別の呪い』はそうした抜け道があるだろう。

「……ほんとうに、私のこの呪いにも、効果はあるんですか?」
「ある。神秘の世界の鉄則で、神秘はより大きな神秘に塗り潰されるが、呪詛の類いはある意味魔術よりも厳格な現象だ。『こういうモノ』と定めたものには絶対に譲らないが、その線引きに抵触しない抜け道には意外と無力なんだよ。法律と同じでな。現に『片方に意識がなければ顔を見れる、触れられる』というガバガバっぷりらしいじゃないか。まあお前とラーマの場合、同時に召喚されてはじめて使える方法だがな」
「……」

 シータは絶句していた。彼女に魔術の知識がない故の、まさに想像の埒外にある『呪いの騙し方』で、青天の霹靂なのだろう。
 年相応の少女にしか見えないから、なんだか悪い大人の世界のやり方を見せてしまったような罪悪感が湧いてきそうである。俺からすれば、どうして気づかなかったのかと不思議になるレベルだが。現代の魔術師なら割と簡単に思い付きそうなやり方なのに。

「で、どうする? 俺の味方になってくれるなら、この短剣をお前に譲ろう」
「なります。だからそれ、ください」

 即答だった。

 恋に殉じ、愛を抱く王女は、最愛の人に再会できるなら、迷う必要はないとばかりに果断だった。
 改めて握手を交わし、サーヴァントの契約を結ぶ。アーチャーのサーヴァント、シータが仲間になった。
 『ラーマ』としての彼女の性能を、マスターとしての権限で閲覧し。また彼女から出来る事を聞く。
 ラーマの性能を持つが、戦う術に疎い彼女は固定砲台として運用するのがいい。インドにありがちな大火力で薙ぎ払い、沖田で奇襲し、俺が合わせる。一気に戦術の幅と、対応できる状況が増した事を確信して。

 俺は感じた。

 流れだ。今まで逆風に次ぐ逆風、逆境の中でもがき苦しんでいたのが――今、確実に流れが変わったのを感じた。
 シータと出会えた。そして、打算的で悪いが、シータがいるなら、そのシータと再会できたとなれば、あのラーマーヤナの主人公、大英雄ラーマも味方になってくれるだろう。

 流れが、確かに。風が――追い風に変わりつつあるのを、感じる。俺は、静かに笑みを浮かべた。







 

 

覚悟を決める時だジャックさん!





「BOSS……その、どう見ても野生の女の子にしか見えない方が、サーヴァントという奴なんですか」

 カーターはなんとも言えない表情で、俺の連れてきたシータを見ながら言った。俺は頷く。
 如何にもその通り、彼女こそが我らのメイン火力。戦場の女神とも言われる「砲兵」である。例え見目が華奢なる乙女であろうと、嘘偽りなく我らにとっての救世主だ。

「サーヴァントとは、あれですよね。過去の神話とか伝説上の偉人だったり英雄だったりする……」

 信じざるを得ない現実があるとはいえ、口に出すと少し恥ずかしげな様子のエドワルドが、念を押す形で問い掛けてくる。
 全く以てその通り、彼女こそラーマーヤナのメインヒロイン、シータである。ラーマに恋し愛し続けた報われるべき存在。嘘偽りなくサーヴァントだ。
 コサラの王ラーマと座を共有する、大英雄の力を発現可能な存在。本人もまたシヴァ神より神弓を与えられたジャナカ王の一族の末裔であり『追想せし無双弓(ハラダヌ・ジャナカ)』の弓を曲げて弦を張れる無双の怪力の持ち主である。
 サーヴァントについては一度しか説明していないはずだが、よく覚えていてくれた。俺は感動した。

「BOSS……おいたわしや……年端もいかない少女を連れて来てサーヴァントだなんて……そんなに疲れていたんですね。くっ、我々がもっと力になれていたら……!」
「ぶちコロがすぞヘルマン」

 こめかみに青筋が浮かぶ。ヘルマンは愛想笑いで誤魔化してくるが、俺は今の発言を絶対に忘れないからな……いずれただの一兵卒ではいられなくしてやる。
 くす、とシータは微笑んだ。それに目を奪われ、見惚れるヘルマンの頭を叩く。

「聞いていたよりも士気は崩れていないようですね」
「兵士はな。問題は現実に戦う力のない者達だ」

 そう、意外な事にカーターをはじめ、兵士達の士気は悪くない。というよりも妙に覚悟が決まって、肚を据えて踏ん張れる気力がある。
 しかし難民の連中はそういう訳にもいかない。妹二人を持つクリスト。その妹のミレイ、ニコル。この子供達は大人顔負けの落ち着きがあるが、馬車に乗っていたイーサンや負傷していたチャーリーなどは露骨に不安がっている。それに短い期間とはいえ苦楽を共にした親しい者を、先の魔神柱もどきの奇襲で亡くした者達の意気消沈ぶりも酷かった。
 ふと思い付く。シータは生前王家だった。教育水準は悪いが曲がりなりにも王家の出。その視点から必要な物の見落としがないか訊ねてみるのもいいだろう、

「――俺達の状況は先程伝えた通りだ。そしてお前の目で彼らを直接見て、これからどうしたらいいか、或いは何が必要になるのか思い付いた事はあるか?」
「……浅見となりますが」
「構わない」

 告げると、シータは考える素振りをしながら、地面に座り込む『フィランソロピー』の難民達を見渡す。
 考えを纏めながらジャナカ王の末裔は唇を開く。

「マスターも気づいてる事でしょうが、彼らは長旅に堪えられそうにありません」
「……」
「彼らに必要なのは、まず何よりも安住の地でしょうね。敵地であるこの大地を、大人数の戦う術のない人々を連れて横断するのは不可能です」

 俺もそれは分かっている。分かっているが、どうしろというのか。まさか見捨てる訳にもいかない。

「マスターは、彼らを見捨てたくない。だから本気で救おうと抗っている。それが伝わっているから兵士の皆さんもマスターを慕っているのでしょう。細々とした問題は私には分かりませんが、でも一番必要なものは分かります。今も言いましたが、安住の地です。そしてそれを築くのに必要なのは三つ。安心して暮らせる環境、生活基盤を整えられる豊かな土地、そして」

 シータは、俺を見た。その緋色の瞳には、たしかな知性と確信が込められていた。

「優れた指導者です」
「……」
「私には無理です。だって私はサーヴァント……人々の上に立つ資格も、そして器もありません。生まれこそ王家でも実際に人々を導ける力がない。でも…マスターなら出来る。そんな気がします」
「気がするだけだ。俺には無理だろう。荷が勝ちすぎている」
「気がする……それはとても大切な事なんですよ、マスター」

 『気がする』というだけで、人は安心の切っ掛けを自分の中に見つけられる。信じてみよう、ついて行ってみよう……そう思える。シータはそう言って微笑む。
 だから彼らは貴方をBOSSと呼んでいるんです。ですよね? そう穏やかに問われ、カーターらは照れ臭そうに目を逸らした。おいおい……出会ってまだ一ヶ月も経ってないぞ。チョロい奴らしかいないのか? もう少し独立独歩の精神をだな。アメリカン・スピリッツ的な心意気はどうした。
 俺は嘆息する。なんであれ、こうした視点の相談が出来るのは大きい。お陰様で無駄に足掻くのを諦められた。
 無論、生き足掻くのはやめない。でも力を振り絞るポイントを誤ってはいけない。闇雲に逃げ続けるだけでは、俺や兵士達はいいにしても、体力のない面々は必ず何処かで心が折れる。それが分かっていながら逃げ続けていたのは、俺と沖田だけでは護りきれないからだ。護れないなら、無理でも断行するしかなかったのである。

 しかし今は違う。シータがいるのだ。そして――今はまだ取らぬ狸の皮算用だが――ラーマもこの大地のどこかにいる。彼らを護りきれる戦力の見込みが出来た。希望の芽がある……ならそれに賭けるしかない。何も先の展望がなかったが、これならやれるという希望が見えてきていた。
 それに、一度助けたからには、最後まで救い切る。その覚悟は何年も前に終えていた。何も躊躇うものなどない。可能だと判断出来たのなら――無理をして大陸軍に合流しようとする事はなかった。
 『フィランソロピー』に安住の地を。そこを防衛して、人々を集め、兵士を鍛え、仲間を募る。兵士を特殊部隊並に鍛え、彼らを使って各地に点在しているだろうカウンター・サーヴァントを探す事も出来る。
 その間にか、或いはその後にか、現地の勢力と接触する機会は必ず出てくるだろう。

「……グレートプレーンズ」
「?」
「ロッキー山脈の東側と中央平原の間を南北に広がる台地状の大平原――北米の穀倉地帯だ。そこに進路を向ける。その地を俺達の拠点とするぞ。カーター!」

 意思を固める。指導者なんて柄じゃないが、やってやろうじゃないか。
 呼ばれたカーターが逞しい笑みを浮かべた。目的がより克明に見えたという顔。沖田とシータも淡く微笑んだ。

「は!」
「その地に城塞はあるか?」
「あります。案内も可能です」
「よし。もうすぐ夜が明ける、すぐに発つぞ」
「了解っ。休憩中の部下や難民の者達を起こしてきます」
「ああ。……エドワルド」
「は」
「シータの服を繕ってやれ」

 了解ですとエドワルドは半笑いで敬礼した。
 シータは首を傾げる。どうしてですか? そう問われ俺は苦笑する。ベオウルフにやられたんだろうが、服が破れてるじゃないかと。するとシータは言った。
 別に破れてません、と。……え?
 元々こんな格好です、と。……そうなんです?
 それは……なんというか。前衛的な服装ですねと濁すしかない。てっきり戦闘で破れたんだとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。流石はインド、俺の理解を超えたセンスだ。これからは「インド!」を挨拶にしようかと混乱しかける。

 なんであれより現実的な目的が定まったのはいい事だ。俺は牽かれてきたアンドロマケに飛び乗り『フィランソロピー』を率い、行軍を再開する。
 すると少し進むと、すぐに前方へ敵影を発見した。ケルト戦士団、数は一万。その報を告げると悲愴な緊張が走る。しかし、俺は朗らかに指示を出した。

「止まれ。じっとしていろ。我らが戦場の女神、砲台のシータの力を見せてもらおうじゃないか」

 シータを見る。子供が黒衣の軍服を着ているようなアンバランスさがあるが、それに可笑しさは感じられない。凛とした眼差しでシータは頷き、その手に神弓を顕す。

「カーター、エドワルド。中隊前へ。討ち漏らしを撃滅する。射撃態勢を取れ」
「は!」

 先頭に進み出たシータの後ろに、迅速に移動して隊列を組む兵士達の背後で距離を測る。
 馬上から接近してくる敵戦士団を見据えた。横にいる沖田を一瞥する。今回は出番はないぞと告げると、沖田は反応に困って曖昧に笑った。しかしいざという時の決戦力を持つのは沖田だ。それまで体力を温存させておくだけで、彼女の存在もまた欠かせない。

「撃ち方構え。指示あるまで待機。――シータ、いつでも撃てるな?」
「はい」

 猛然とケルト戦士団が迫り来る。難民達が恐慌を来しそうになる中、俺はシータに告げる。撃て、と。

「ラーマ様……力を貸して――」

 距離一千。シータは囁き、紅蓮の神弓『追想せし無双弓』を構える。そしてその小さな手に現したのは同じく紅蓮の大矢。それこそは大英雄ラーマの矢。
 彼が魔王ラーヴァナを倒す為に、生まれた時から所持していたとされる不滅の刃だ。魔性の存在を相手に絶大な威力を発揮する対魔宝具だが、神弓によって放たれるそれは対軍の火力を発揮する。
 鈴が鳴ったかのような可憐な声が、その宝具の真名を紡ぐ。

「『羅刹を穿つ不滅(ブラフマーストラ・ラーマーヤナ)』」

 本来の担い手、ラーマの名を冠した宝具が凄まじい熱量と共に投射される。
 神弓より放たれたそれは、さながら大地を削る光輪の稲妻。聖焔を形取る、凄絶な浄化の裁き。ケルト戦士団に回避する余裕すら与えず、一瞬にして着弾したそれがいとも容易くケルト戦士団の過半を葬り去る。
 誰もが唖然とする。騒然とした。華奢な乙女が齎したとは思えない大破壊。放たれたにも関わらず飛翔して手元に戻る不滅の刃。シータに俺は言う。

「魔力を回す。第二射、射て」
「『羅刹を穿つ不滅(ブラフマーストラ・ラーマーヤナ)』」

 ケルト戦士団が決死の形相で迫ってくる。そこに更に不滅の刃が射ち込まれた。
 一万はいた戦士が、僅か数百の残党となる。俺は苦笑しながらも、兵士達に。

「残飯を平らげるとしよう。撃て」

 片手を上げ、振り下ろす。放たれた銃弾の壁が、辛うじて『フィランソロピー』に肉薄しようとしていた戦士達に浴びせられ――それで、呆気なく戦闘は終了してしまうのだった。










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「んー……なぁんか、やな感じね」

 何処(いずこ)の城か、華を飾るには無骨な御座。しかしながらその華には、味気ない玉座を華やかにせしめる格があった。
 下着にしか見えない白い衣装を纏った女は、その端整な眉を落とし、その根を中心に寄せている。愁いに翳ったかんばせは、清楚であり無垢なもの。男として生まれた者ならば、誰しもがその心の棘を抜き取ってやりたいと渇望するだろう。
 しかしその性根は蛇蝎の如しである。淫蕩に耽り、悪辣を成す、女を構成する美々しき外面的要素となんら矛盾しない人の倫理を逸脱した破綻者だ。
 彼女は指先をナイフの切っ先で浅く斬り、ぷくりと浮き出た血の滴を、無造作に腕を払って指先から散らす。するとその血は多数の戦士を象っていった。生前の女――コノートの女王メイヴが取り込んだ、遺伝情報から精製された戦士である。
 数にして数十、しかし払い落とされた血の滴は沼のように床に広がり、さらに多くの戦士達を産み出していく。メイヴは精製された戦士に鞭を撃ち、早く出て行くように命令を下した。いつまでもこの場に留まられたのでは、彼女が一滴の血で産み出す数万もの戦士で溢れ返ってしまうからだ。

 その光景を、玉座に座す王は頬杖をついて眺めていた。玉座に寄り掛かる女に無機的な一瞥を向ける。

「どうした」

 端的な、飾り気のない音の羅列。戦闘以外へのあらゆる感情を削ぎ落とした故の、心底関心のない問い。
 本来なら無視する所だが、狂王は死の棘が如き魔槍を握りしめていた。――戦の匂いを感じたのだ。
 その身を魔獣の如くに変質させた、凶獣の躰。強靭な肢に絡み付くのは海獣クリードの死の棘。尾骨より生えた丸太の如き黒い尾。黒ずんだ魔槍を杖のように床につき、邪気すらない無情な殺気を滲ませている。
 メイヴはそんな愛しの狂王に陶然として寄り掛かるも、鬱陶しげに押し退けられる。いけず、と不満げに唇を尖らせる様は――メイヴが虐殺を繰り広げる、吐き気を催す邪悪である事を感じさせない無垢なもの。

 メイヴは気のない狂王の対応に頬を膨れさせるも、愛しの男の問いに答えるべく身を寄せる。

「ほら私の兵隊って、私から生まれてるじゃない?」
「……そうだな。で? 長々と話すな、結論だけ言え」
「急かさないでよー。ま、そういう無愛想なとこもいいんだけどっ」
「……おい、メイヴ」
「わかってるってば! 結論ね、結論。えっとぉ、兵隊が死ぬと、私はその子達の死んだ場所が大体分かるのよ、数は正確にね。で、聖杯預かってるのも私だしこれで喚び出したサーヴァントの生死も分かるの。それでさ、聞いてよクーちゃん。マックールとベオウルフ、死んじゃったみたいよ」
「――ほう? マックールの小僧がか」

 ぴくりと狂王は反応を示す。
 生前の死後の生後……複雑な因果を経て、時代の異なる英雄クー・フーリンとフィン・マックールは互いに面識がある。直接矛を交わした事はないが、大した逃げ足だった。武勇のほども伝承が証明している。そのフィンが、逃げる事も出来ずに死んだというのだ。
 興味はなくとも、それなりの敵が存在するのは確かであり、自身が出向いて殺さねばならない存在かと狂王は思う。

「そうよ。マックールは生理的に無理だから死んでもよかったんだけど。ベオウルフはねー……折角イイ男だったのに。勿体ない……ちょっと惜しいわ」
「諦めろ。死んだ奴はどうしようもねぇ。それに仮に奴が生きていたとしても、奴はテメェに興味なんざ欠片も持っちゃいなかった」
「むっ。……ま、いいわ。死んじゃったんならクーちゃんの言う通りだし。今の私にはクーちゃんがいるし」
「フィンの所の一番槍はどうした?」
「生きてはいるみたいだから、そのうち戻って来るんじゃないの? 話を戻すけど、兵も結構な数が死んでるわ。総軍で見れば誤差の範囲だけど、補充ばっかりしてたら指が痛んじゃいそうで嫌になるわよ」
「――要は目障りな奴を消しゃあいいって訳だ」

 言って、狂王は玉座から立ち上がった。
 腰の重い王ではない。出陣するのに惜しむ労はなく――元よりケルトが誇る『最強』はこの凶獣なのだ。
 何よりも冷酷に、確実に敵を殺す事にかけて、狂王クー・フーリンの上を行く者などいない。
 しかしふと、彼は振り返ってメイヴに訊ねた。

「メイヴ。師匠はどうした」
「あの女? ごめん、逃がしちゃったわ」
「……そうか」

 生前のメイヴが、クー・フーリンを倒すためだけに用意した切り札、二十八人の怪物(クラン・カラティン)。その枠に魔神柱なる魔術王の走狗を無理矢理に押し込んだモノを投入してなお、クー・フーリンの師であるスカサハを討つには至らなかった。
 負けたのではない、逃げられたのだ。メイヴはあの女が目障りで……裏切ったのなら殺してやろうとしたのだが。やはり一体に統合せず二十八体の魔神柱にしたのは失策だったかと人知れず唇を噛む。次は一体に統合してから投入しようと反省した。

「師匠の事はいい。見掛けたら殺しておく。それよりだ、小僧と竜殺しを殺った奴が何処にいやがる」
「ちょっと待ってね、クーちゃん。視て(・・)みるから」

 促され、メイヴは宝具を使う。
 それは未来視である。その真名を『愛しき人の未来視(コンホヴォル・マイ・ラブ)』という。
 生前の恋人の一人、アルスター王コンホヴォルの持つ未来視の千里眼を一時的に、限定的に借り受けるもの。それで朧気な未来を視たメイヴは清楚に、しかし邪悪に嗤った。本来の持ち主ではない故に、明確な未来は視えず、また遠い未来は視えないが、今回は視る事が出来たのである。即ち、

「だいじょーぶよ、クーちゃん。クーちゃんの行き先に『敵がいるわ』」
「そうか。ならいい。行ってくる」
「行ってらっしゃい私の王様。でも――」

 踵を返して鏖殺の獣が歩んでいく背に、淫蕩の女王は甘く語りかけた。

「『あの宝具は使わないでよ?』今のクーちゃんが使うはじめては、私のこの目で絶対見たいから」
「は」

 失笑したのは、クー・フーリンだった。

「オレの知り得る限り、世界最高にろくでもない力だ。そうおいそれと使えるかよ」

 あらゆる無駄を削ぎ落とした彼には、本来発動させる事が叶わぬ血の昂り。英雄光の解放は、二十八の怪物の枠に押し込められた魔神をも超えるもの。生前の彼が変貌する真の姿。
 しかし、それは『宝具』である。そして、今の彼は『狂戦士』の座に在る。故に聖杯の力で無理矢理に引き出す事は可能であり。

 狂王は、更に一段階上の力を隠し持っている。



 ――殺した。



 只管に殺した。

 凶獣が駆ける。後には轍が残るのみ。

 魔槍が翻る度に鮮血が舞う。

 最悪の化身が――人理の守護者を屠らんと。この大地の人々の希望となろうという存在を殺さんと。

 骸の山を築き、鮮血の河を作り、疾走する。

 会敵の時はすぐそこに。ルーン魔術によって気配を眩まし、姿を一時的に透明にした狂王が馳せる。

 その目が、『人類愛』を捉えた。











 

 

人類愛の黎明



 戦場の女神と称されるに足る砲兵の加入。それはもろ手を挙げて歓迎すべき戦力ではある。
 しかし甘えてはならない。その大火力による敵軍の殲滅は楽で確実だが、それ故の欠点も存在するのだ。
 シータの最大の長所は言うまでもなくその圧倒的な大火力であるが、同時に最大の短所もまたその火力にあるのである。というのも、彼女の射撃とも言えない砲撃は『派手過ぎる上に加減が出来ない』のだ。
 つまり目立つ。一撃を放てばその強大な魔力の発露と、その爆発的な爆撃音は遠くにまで響く。必然、遠くの敵まで引き寄せてしまい、却って戦闘が長引く恐れがあった。
 ジャックはそれを懸念している。破損聖杯がある故に魔力は幾らでもあるから、シータによる宝具の多用を厭いはしない。が、だからといって無駄に戦禍を招いてもよい理由にはならない。無為に敵サーヴァントに位置を知られる危険性を侵すのは愚かであり、言葉は悪いが多くの荷物を抱えているのだから戦いは可能な限り避けるべきだ。現時点で要らぬリスクを抱え込む訳にはいかない。

 故に崩れかけていた難民達の士気を持ち直す為に、シータ加入後の初戦闘で派手に二回放ったデモンストレーション以降は、可能な範囲でシータに宝具を使わせず、自分達だけで敵を倒す必要があった。
 だがそれにも限度はある。シータほどではないがジャックの宝具爆撃も規模は大きい。どうしたって敵の数が多くなればなるほど、敵に対して爆撃を行わざるを得なくなる。

 三週間かけてアリゾナ州の北部に辿り着く頃には、既に三度一万を超える軍勢と遭遇し、五千を下回る軍勢と五回遭遇していた。その悉くを犠牲なく打破する事は出来たが、シータの宝具を五回使用しなければならなかった。ジャックは焦りを感じつつある。これは下手をしなくてもやり過ぎだ。
 宝具による軍勢の一掃を幾度も繰り返し、その痕跡を残しながら進む『フィランソロピー』の面々。そのくせ行軍速度は蛞蝓みたいなもので――目的地に到達する頃には、何度か敵サーヴァントに襲撃される事を想定せねばならないだろう。最悪、あの魔神柱の群に襲われる事すら考えねばならないかもしれない。

 既に幾つかの軍事拠点を経由している。そして今、三つ目の砦近くにまで到達していた。
 しかし……様子がおかしい。一番の視力を誇るジャックは眼帯を撫でる。思案する際の癖になりつつある仕草をして、ジャックは行軍を止めた。

「どうしました、BOSS」
「いや……」

 馬上の領袖に、カーターが駆け寄ってきて訊ねてくるのに、ジャックは右目を細めて前方距離八千にまで迫った砦を眺める。
 カーターの問いに答える前に、彼は自身の前に置いていた沖田に言った。それから後列にいて背後を警戒させていたシータを手招きする。

「春、とりあえず降りろ」
「? はい」

 首を傾げながらも沖田は降りる。
 それで、周囲に緊張が走った。ジャックが沖田を降ろす、その行為が意味するのは……戦闘の可能性があるという事だ。
 しかしその緊張感もやや薄い。犠牲を払うことなく連戦して連勝を続けているのだ。多少走らされる事はあるかもしれない、そんな程度の緊迫感である。それが悪いとは言わない。並の敵が攻めてきた程度なら、幾らでも対処は出来るからだ。

「来ました、マスター」
「ああ。シータ、何かおかしくないか?」

 傍に寄ってきた、ジャックに次ぐ視力を持つシータに訊ねる。前方の砦を指し示すと、彼女も目を凝らして砦を視る。
 すると彼女も首を傾げた。

「……確かに、何か変です」
「だろう。だが遠すぎるな。もう少し近づいてみるしかないが……」
「不穏なものを感じたのに、大所帯で向かうのは迂闊ですね」

 そうだなと肯定する。何がおかしいのか、その詳細も分からない。ジャックはシータの言に頷き、彼らに告げた。

「様子を見てくる。二個分隊、ついてこい。春もだ。シータは残り、周囲を警戒していろ。自己判断で宝具の使用も許可する」
「はい」
「了解。ではBOSS、私が二個分隊を……」
「カーターは残れ。エドワルドを補佐につける。有事の際はお前が指揮を執れ。ヘルマン、お前は来い」

 小隊の半数、二十五名の兵士を連れて行く。沖田に促して戦闘態勢を取らせておく。
 沖田は表情を険しくさせる。ジャックの警戒の度合いが予想していたよりも高いのだと認識したのだ。
 砦に近づいていく。距離四千まで来るとジャックは目を見開いた。

 砦の内部から打ち上げられた人間が虚空を舞い、そのまま地面に落ちていく様を目撃したのである。
 生存者がいる、しかし戦闘に陥っている。それもあんな――人間を遥か上空に打ち上げられる膂力ともなると、それはサーヴァント級の敵に襲われている。
 直後である、砦の内側から門が崩された。算を乱して、多数の兵士や一般人が飛び出してくる。ザッと見ただけで百名を超える。

「マスター!」
「――総員戦闘用意! 奴らを近づけるな、巻き添えになる!」

 双剣銃を投影する。
 仲間だと思ったのだろう、必死にこちらに駆け寄ってくる連中に目掛けて怒号を発して上空に銃撃する。

「こっちに来るなッ! 俺の後方にいる連中の所へ行けッ!」

 アンドロマケの上から大喝する。それでも彼らは、恐怖に引き攣った顔で、縋りつくように近づいてきている。ジャックは舌打ちして下馬すると、先頭を走ってくる兵士の顔面を殴り抜いた。
 悲鳴をあげる人々に向けて再度怒号を発しながら真上に銃撃する。

「迂回しろッ! あそこに行け、死にたいのか!?」

 今度こそ言葉が理解できたのか、彼らは転げるようにしてジャック達を迂回して走っていく。ジャックは自身が殴り飛ばした兵士の胸ぐらを片腕で掴み、引き摺り起こすとその額に頭突きして至近距離から睨み付ける。その隻眼の迫力に気圧された男に、彼は端的に問い掛けた。

「何があった?」
「ひ、ひぃ、」

「……何があったッッッ!!」

「ヒィィッッッ!? ば、化け物です! 化け物がいきなり砦の中に!? 槍を持った化け物が!?」
「――中の物資は?」
「あ、あ、あります! ありますぅっ!?」
「……行け」

 兵士を突き飛ばして、ジャックは険しい顔で思案する。鼻血を吹き出している兵士はカーターの方へ逃げ去っていった。
 此処までの行軍で、あらかたの食料はなくなっている。此処を避けて進もうにも、餓死は必至だろう。此処は避けては通れない。
 しかし、あの砦には案の定、敵サーヴァントがいるようだ。そして目撃証言によると、槍を持っている。槍……ランサーか。いやライダーかもしれないし、バーサーカーかもしれない。ヘクトールのように槍が剣になったり、剣が槍になる武器を持っている可能性もあるから、あくまで槍兵の可能性が高いというだけの事だが。

 なんにしろ砦の中に入るのは迂闊だ。ジャックは二個分隊に銃撃態勢を取らせる。そのまま待ち構えた。しかし……一向に動きがない。沖田を一瞥した。

「春、中の様子を探ってこい。あくまで斥候だ。アサシンとして行け」
「承知」

 沖田の姿が消える。霊体化したのではなく、気配を遮断したのだ。そのまま彼女が戻ってくるまで待機していると、沖田は何事もなく戻ってきた。
 怪訝そうに彼女は報告してくる。

「マスター、中には誰もいません」
「生存者は?」
「……五百名ほどの死体があっただけです。物資などは手付かずでした。先にいた彼らもここに来たばかりなのかもしれません」
「……」

 幾らか殺して、満足して帰っていったのか……?
 いや、そんなはずはない。敵は必ずいる。ケルトは敵とした者を鏖にしているのだ。ここに生存者が多数いるのに、逃げる理由は見つからない。サーヴァントが二騎いるからと、尻尾を巻いて逃げ出す惰弱さとは無縁だと考えるべきだ。
 ならば沖田が発見出来ないとなると、敵は暗殺者? それとも宝具か、魔術による隠密を行っていると考えるべきか。

「ヘルマン、カーターとシータに伝令だ」
「は!」

 砦の様子と、厳戒態勢を敷けとの報を持たせ、アンドロマケにヘルマンを乗せる。乗馬の心得はあるらしいとは聞いていた。
 アンドロマケはやや不満そうにするも、ジャックはその首筋を軽く撫でてやって走らせる。

 どうする、と思考を回す。このまま二個分隊を率いて砦に入るか? しかし十中八九罠だろう。避けては通れないとはいえ……釣り出すか? だがどうやって?

 策を練っていると、不意に目の前を一枚の花弁が過る。

「?」

 白い花びらだ。花なんて咲いていたか? そう思い視線を取られる。花びらは風に乗ってひらひらと舞って、俺の死角である左後方に流れていって――



 微かに隠密の解れた、黒フードを被った槍兵が迫りつつあるのを見咎めた。



「ッッッ!?」

 その槍を知っている。その顔を知っている。その腰に生えている黒い尾を知っている。
 あらゆる動揺を押さえつけ瞬時に叫んだ。

「左後方、八時の方角だッ! 撃てェッ!!」

 兵士達は素早く応じて銃口ごと振り返り、即座に姿の見えないモノに弾幕を浴びせる。轟く銃声、しかしそんなものがなんの意味もないとジャックは知っている。
 案の定、あらゆる弾丸はその槍兵に着弾する寸前、自分から外れていく。あたかも弾丸そのものが、その槍兵を恐れるように。――《矢避けの加護》だ。
 沖田が刀を抜く。行けッ! 吼えていた。応じて沖田が馳せる。黒い槍兵は舌打ちして姿を現した。ルーン魔術による隠密、そしてそこからの奇襲。それが成らなかった故に姿を隠す意義がなくなったから。

「……気づかれたか。今のは夢魔か? チッ、邪魔な輩が混じってやがる」

 ――彼の者こそ槍兵、剣士、騎乗兵、魔術師、暗殺者、狂戦士に適性のある神話の頂点に君臨する半神半人。半神でありながら神々の軍勢を相手に単騎で挑んで破った無双の超人である。

 彼の真名はクー・フーリン。

 アイルランドの光の御子。

 ――敵はケルトだった。だから、もしかしたらいるかもしれないとは思っていた。だがその可能性は意図して考えないようにしていた。
 本当にいるとは思いたくなかったのだ。
 その力を知っている。敵に回せば何より恐ろしい、あらゆる戦局に対応する戦場の万能者、戦場王とも讃えられる武勲の大戦士。授けられたものではない、善悪をも超えた武練を誇る存在。そして、共に戦場を駆けた頼もしい相棒。
 理屈を越えて、戦いたくない相手だった。
 だがその英雄は、明確な殺意を持って襲い掛かってきている。故に、あらゆる感傷は無用。友だろうが、恋人だろうが、無力な子供だろうが。敵となれば、命令があれば、私情を殺して任務を果たす男で――敵として立ちはだかったなら、敵としてしか相対できない男だった。

 故にジャックの決断は早い。

「総員後退! カーターに合流しろッ!」
「BOSS!? しかし……!」
「邪魔だと言ってるんだ! 奴を相手に数で挑んでも無意味だ、対多数戦闘のスペシャリストだぞッ! 命令だ、早く行けェッ!!」

 部下を去らせる。シータが駆けてこようとするのを止めた。彼女の戦闘能力では一刺しで殺される。天地がひっくり返っても絶対に勝てない。
 宝具も使えない。砦が近いのだ、あそこにある物資を台無しにする訳にはいかないのである。そしてシータを殺される訳にもいかない。今後どんなに強大な力を持つサーヴァントを仲間にしても、彼女の火力は不可欠なのだ。殺されるビジョンしか浮かばない戦いに投入するのは愚行だ。

 やるしかない。ジャックと、沖田だけで。

 ――勝てるのか?

 あのクー・フーリンに。

 ――春に長期戦は不可能だ。逆に奴は短期決戦から長期戦にも対応できる。奴の魔槍を俺と沖田は躱せない。春が勝るのは剣の技量と縮地による機動力だが、それ以外は全て劣っている。俺の剣弾は矢避けの加護を突破できない、銃撃も同様。接近戦を挑めば防げて一合。奴に宝具を使わせず、俺が弓で宝具を撃ち、春が抑える、それしかないか……ッ!

 勝てるかどうか分からない、しかし勝つしかない。さもなければ全員殺されるのだ。それだけの殺気がある。力がある。
 ジャックは双剣銃を消し、黒弓を投影した。螺旋剣を弓に番え、狙いを定める。すると、不意に聞き慣れない声が聞こえた気がした。



  カルデアのマスター。堪えてくれ、少しでいい



 咄嗟に振り向く。しかし其処には誰もいない。幻聴か――? 沖田が苦しげに呻いているのが聞こえ、正面に向き直る。
 躊躇う素振りすらなく縮地を行い、沖田は瞬間的にクラスが不明なクー・フーリンの背後を取っていた。振るわれる魔剣使いの斬撃。怜悧な太刀筋は斬鉄すら成すだろう。沖田は確信した。反応が遅い、斬れる、と。しかしクー・フーリンは無造作に尾を振るい刃を逸らした。神獣クリードの尾に刃を逸らされ沖田は愕然とする。対魔獣の経験などないが故に、人が相手なら確実に斬れていた間を外され一瞬の驚愕に囚われてしまったのだ。
 振り向き様にクー・フーリンは小蠅を払うように槍を振るった。苛烈な殺気に澱んで見える槍の一閃。振り向き様のそれは、沖田の硬直を確実に捉えていた。下がれば死ぬとその心眼が告げている、沖田は刹那の判断で後退ではなく前進を選び――

「ガッ、」

 槍の柄を横腹に受ける。楯とした鞘が砕け、槍の柄が沖田の胴にめり込んだ。ばき、と骨の砕ける音がする。沖田が吹き飛んだ。地面を転がって、なんとか跳ね起きるもクー・フーリンの姿がない。何処に、と視線を彷徨わせ、ジャックが吼える。

「上だッ!」
「――ッ!?」

 槍の穂先を真下に向けた光の御子が落下してくる。沖田は再び縮地で間を外し、そこにジャックが投影宝具を撃ち込んだ。偽・螺旋剣。周囲の空間を捻り切りながら迫るそれに、クー・フーリンは微かに眼を瞠るも――それだけだった。
 地面に片手の掌を叩きつけ、ルーンが光る。すると着弾寸前の螺旋剣が分解され、消えた。ジャックは瞠目する。

 ――アルスター縁の宝具は無力化出来るのか!? 

 いや、カラドボルグだからこそかもしれない。
 クー・フーリンはゲッシュによって、アルスター縁の者がカラドボルグを使っていれば、一度敗北しなければならない。しかしジャックはアルスターの人間ではなかった。
 故にクー・フーリンが敗北してやらねばならない理由はない。それに、所詮は投影宝具。威力からしてオリジナルとは比べるべくもないのだ。
 カラドボルグはジャックが使う限りクー・フーリンには無力。その事実を即座に織り込んで、選定の剣を投影して弓に番える。
 その様をクー・フーリンは横目に見ていた。彼の魔術師としての才覚は、戦士としてのそれを超えている――たった一度見ただけで、ジャックのそれが投影魔術に似た何かであり、宝具を投影して射撃を行えるのを見抜いた。

 瞬間、凶獣の中で、ジャックは取るに足らない『雑魚』ではなく、明確な『敵』に昇格を果たす。

 クー・フーリンの標的が変わる。所詮は人間、後回しにしても楽に殺せると判断していたのが、自身に通じる武器を持つのなら話は別だ。細く鋭い針のような殺気がジャックを貫く。来るか……! 選定の剣を口に咥え、黒弓を消して双剣銃を投影し、転瞬――凶獣の姿が掻き消える。
 限界まで強化していた手が砕け、腕が折れる衝撃。双剣銃もまた一撃で破損した。槍の一撃極まれば、神さえも殺すそれ――左後方からの大気に風穴を空ける刺突だった。
 防げたのは奇跡ではない。敵としてクー・フーリンと戦い、仲間としてクー・フーリンと共に戦ったが故に彼の槍について知悉していたからこそ防禦に成功したのだ。意外そうに目を細めるクー・フーリンの反応から確信する。この凶獣はジャックを知らない、と。

 しかし、見えなかった。クー・フーリンの動きが肉眼でまるで捉えられなかった。彼が意外そうにしたのはコンマ数秒のみ……。翻る二撃目の槍がジャックを殺すだろう。両腕は砕けた。どうして防げる、どうしたら躱せる。故に沖田が仙術の域の歩法で割り込んだ。クー・フーリンの脇腹を穿つ剣の切っ先。
 それを寸での所で浅い傷を作るだけで躱し、クー・フーリンは鬱陶しそうにルーンを撒こうとして――それをジャックが妨害する。改めて黒弓を投影する鉄心の男の腕は再生されていた。聖剣の鞘による復元ではない、それでは間に合わない。砕けた腕の中には添え木代わりの鉄剣があった。力を込めるだけで激痛が奔るが、そんなもので鈍る男ではない。鉄心の男は口に咥えていた選定の剣を素早く弦に番え、クー・フーリンに目掛けて射ち放ったのだ。
 ルーンで結界を作り、沖田やジャックを閉じ込めるつもりだったのだろう。しかしそうはさせない。
 黄金の剣閃が奔る。クー・フーリンは舌打ちして後方へ高々と跳んだ。選定の剣を躱しながら、凄まじい勢いで魔力が充填される魔槍に、ジャックもまた即座に応じて呪文を唱える。

「I am the bone of my sword.」

「『抉り穿つ鏖殺の槍(ゲイ・ボルク)』」

「――『熾天覆う七つの円環(ロォォオ・アイアァス)』ッッッ!」

 弓なりに逸らした体から、擲たれる必殺の槍。
 展開される薄紅の七枚楯。花弁は七枚の円環を顕し担い手を護る最強の楯として顕現した。
 なんだと? 凶獣が訝しむ。自身の槍が激突するや膨大な魔力の余波によって周囲の地面が抉れ、竜巻の中心に置かれたような暴風が撒き散らされているのを見て我が目を疑ったのだ。人間が展開した楯が、自らの槍を止めている――
 薄紅の花弁に注ぎ込まれるは破損聖杯から供給される無尽蔵の魔力。投擲物に絶大な防御力を発揮するそれが、魔槍の侵攻を阻んでいるのだ。花弁を次々と破壊し、最後の一枚となるが、それを突破できない。
 本来なら確実に破壊されていただろうアイアスの楯は、破損聖杯による膨大な魔力の後押しがあって、遂には恐るべき魔槍を防ぎ切る。充填された魔力を枯渇させた魔槍が担い手の元に帰還していった。――その直前。上空に跳んでいたクー・フーリンが着地する前に、得物を手放していたクー・フーリン目掛けて沖田が斬り掛かっていた。

 しかし、来るのは分かっていたと言わんばかりに、クー・フーリンは虚空にルーンを刻んで足場とした。それを踏んで更に高く跳んだクー・フーリンに、羽を持たない沖田は歯噛みする。

「くっ……!」

 跳んで追えば、縮地は使えない。自身の剣の技量は地上でなければ十全に発揮できない。故に空中は死の空間。まんまと仕切り直したクー・フーリンは、魔槍を手に着地点を定め――瞬きの間もなく十八のルーンを辺りに散りばめて結界を作った。

「『羅刹を穿つ不滅(ブラフマーストラ・ラーマーヤナ)』!」

 座して待つのをよしとしなかったシータが、クー・フーリンが虚空に跳んだ事で、自身でも狙えると見た瞬間に宝具を放ったのである。 
 それは確実にクー・フーリンへ直撃するはずだったが、それすら上級宝具の一撃をも凌ぐルーンの結界に阻まれる。

 シータを一瞥したクー・フーリンは、肩で息をしているジャックを見た。

「――テメェ、オレを知ってやがるな?」

 確信の籠った問いだった。

「でなけりゃあこうもオレの出鼻を潰せる訳がねぇ。チッ、メンドクセェな」

 問いでありながら、しかし彼は答えを必要としていない。既に確信しているのである。あの眼帯の男は、このクー・フーリンを知っているのだと。
 さもなければ、全力で放ったクー・フーリンの槍を一撃だけとはいえ防げるはずもなく、魔槍の全力投擲を凌げるだけの楯を咄嗟に取り出せる訳もない。

 煩い蠅に、しぶとい雑魚に、取るに足らない小娘。クー・フーリンは心底下らない抵抗を眺める。

「――なら、こうするだけの事だ」

 癖を知られている、宝具を、ルーンを、真名を。だがそれがどうしたとばかりに、クー・フーリンは魔槍を構える。
 槍の穂先が地面を睨む、独特な構え。それにジャックは目の色を変えた。それは、それだけは、絶対に撃たせる訳にはいかない宝具。投げるのではなく、刺し貫く権能の手前の力。更に、まだ持っていたのか。彼はルーンの力を解放して自身の体を硬化させていた。
 多少の手傷は許容しよう、代わりに確実に殺すとその冷酷な眼光が告げている。

 沖田の対人魔剣ならその硬化を突破して致命傷を与えられるだろう。しかし放たれたその魔槍は因果を逆転させ、確実にジャックを殺す。微かな驕りも油断もなく、クー・フーリンは確実にジャックを殺そうとしている。
 死ぬ。あれが放たれれば絶対に死ぬ。ジャックは思考の歯車を視界が白熱するほど激しく廻し――対策をまるで思い付けなかった。苦し紛れに沖田に行かせるしかない、せめて相討ちに持っていくしかないと覚悟を固め。

 ――因果逆転の魔槍が放たれる寸前。

 青い、蒼い、矢が飛来した。

「ッッッ!」

 構えを解いたクー・フーリンが即座に後退する。矢避けの加護を持つ凶獣が、僅かの迷いもなしにその矢を回避する事を選んだのだ。
 狙われたのはクー・フーリンである。ジャックはその矢の軌跡をなぞって、その射手を見る。両名の戦闘に割って入ってきたのは。

 黒い肌と、白い衣を纏った美丈夫だった。

「横槍を入れてしまい失礼します」

 玲瓏な声音で、涼やかに告げる。
 炎神の弓を持ったその青年は、淡く微笑んで来援を告げた。

「我が名はアルジュナ。貴方はマスターですね? もしお邪魔でなければ助太刀しましょう」

 カウンター・サーヴァント。授かりの英雄アルジュナが、そこにいた。












 ――誰ぞ知ろう。影の功労者は花の魔術師である。

 彼はずっと剣の如き男の旅路を見守っていた。
 アルトリアの心を救った第五次聖杯戦争、世界を巡り多くの「不幸」を拭って回っていた旅。どれもが見応えがあり、ついには彼はカルデアに辿りついて、歴史から歴史を渡る者となった。
 アルトリアに関する感謝がある、彼の人生の足跡が齎す綺麗な紋様がある……。第五特異点の「全て」を同時に見ていた花の魔術師は、なんとか間に合うように、まだケルトについていなかったアルジュナを誘導して此処に導いたのだ。

「僕は君のファンなんだ。憧れのスターを、ちょっとぐらい贔屓しても罰は当たらないはずだよ」

 そう言って、妖精郷の魔術師は薄く笑む。








 

 

黎明、死闘、そして邂逅







 余裕と自信に満ち溢れた青年だった。白磁の弓には見ただけで伝わる熱気が籠り、黒い肌と髪には高貴な品がある。纏う純白の衣は典雅な趣があって、発される霊格も相俟り超抜級の英霊であるのが察せられた。
 ギリシャ神話最大無比の英雄ヘラクレス。ケルト神話最強無比の超人クー・フーリン。人類史最古にして最も偉大な英雄王ギルガメッシュ。彼らになんら見劣りせず、堂々と比肩する超越者の一角こそが、彼。
 全英霊の内、間違いなく十指に食い込む誇り高き戦士(クシャトリヤ)、その真名はアルジュナ。施しの英雄カルナに並び立つ、授かりの英雄。

 無尽の矢玉として形成される青い炎。しなやかな指で摘まんだ矢を、炎神に授けられた弓に番えながら、授かりの英雄アルジュナは凶獣に対し警告を発した。

「暴威の者よ。数に恃みたくはないが四対一だ。退くというなら追いはしない。しかし退かないというのなら、その蛮勇に殉じ獣のように斃れてもらおう」

 敵対者を侮っての物言いではない。彼は狂王と戦えば、多くの者を巻き添えにしてしまうだろうと感じていた。それは彼としても望むものではなかったのだ。

「は、」

 尊大でありながら寛大さもある勧告に、しかし凶獣は失笑する。随分と大きく出たものだ。四対一? 小賢しいだけの剣士と、宝具を投影する魔術使い、火力だけは立派だが射撃の腕は今一な小娘。これらを数に入れているのか。
 しかしながら、面倒なのは確かだ。アルジュナという名乗りが偽りのものでないのは、先の射撃と弓を見れば分かる。サーヴァントとしてなら同格――それで怖じるほど弱腰ではないし、戦って負けるとは微塵も思っていなかった。寧ろ勝てると確信している。
 だがそれは、一対一ならばだ。一旦退き、幾らかの駒を持ってくれば確実に始末をつけられるという確信がある。冷徹に力を推し量っての正確な計算だ。

 しかし――かといって。

 アルジュナの云う四対一でも敗れるとは、凶ツ獣は全く以て感じてはいなかった。
 油断、驕り、そんなものはない。クー・フーリンは冷淡な眼差しでアルジュナを見据える。魔力の昂りに呼応して、その手にある魔槍が蠢動していた。
 様子見はしない。しかし間の良い事に、彼らは互いの意思を確認する為に攻め掛かっては来ないようだった。やるなら今だなと、狂王は密かに血を熱する。

「アルジュナと云ったか」

 ジャックは黒弓に、改めて選定の剣を番えながら、油断なくクー・フーリンを睨んでいる。『マハーバーラタ』の中心的な英雄ともなれば、戦力として不足はないが……なにぶん、その力を直接見たわけではない。その威名を過信して寄り掛かる気はなかった。
 しかしながら、頼りとなるのは確かだ。自身と沖田だけでは抗し得ないと認めている。ジャックとクー・フーリンの相性は最悪なのだ。生半可な射撃は全く通じず、接近戦に縺れ込んだら瞬殺される。最大威力の螺旋剣の投影も通じない。『無限の剣製』を弾丸に込めて放ったとしても、直撃させるのは至難の業。ほぼ確実に回避されるだろう。沖田もまた、この暴虐の獣からマスターを護り切れる自信はなかった。

「助太刀感謝する。俺はジャック、あそこの連中の領袖をしている。コイツがアサシン。あっちの娘がアーチャーだ。アルジュナ、助かったぞ」
「ご丁寧にありがとうございます。して、この者は? さぞ名のあるサーヴァントでしょう」
「クー・フーリンだ」
「――ほう。なるほど……」

 その真名に、アルジュナは微かに眉を動かす。しかしそれだけだった。

「道理で手強そうな訳です。手加減は無用のものと心得ましょう。それに――あのものから感じるこの力、今の私では些か心許ない。マスター、不躾ながら私と契約して頂けますか?」

 今の、とは。マスターのいないはぐれ状態だからこその言葉である。アルジュナの方から契約を持ち掛けられ、ジャックは一応訊ねる。

「……いいのか?」
「ええ、是非。助太刀に参じていながら無様に敗北する醜態は、私としても晒したいものでもない。恥というものは弁えています」

 一瞬足りとも、アルジュナはクー・フーリンから眼を離していない。微かな動き一つで戦闘を開始できる体勢を崩していなかった。
 真名を知らずとも、その姿を見ただけでアルジュナは一寸も気を緩められないと悟っていた。しかしそれでも彼の余裕に翳りはない。如何なる強敵が相手でも――それこそ自身より強いモノが敵であっても、アルジュナの余裕を剥ぎ取る事は出来ないだろう。それが叶うのは、彼の宿敵のみである。
 ジャックはクー・フーリンを見るも、狂王は動く素振りを見せなかった。あたかもジャックがアルジュナと契約するのを待っているような……。戦いに際しては慢心も、遊びもない敵が『見』に徹している様は、ひどく不気味に映る。何を考えている、とジャックは考えながらも、アルジュナにパスを通じさせた。
 破損聖杯の魔力供給率の、およそ半分が一気に持っていかれる。アルジュナを加えてもまだ三騎は余裕を持って契約出来ると踏んでいたが、これでは後一騎を加えるのが精々だ。ジャック自身に魔力を供給しなかったなら、もう一騎追加出来る。

 沖田、シータ、アルジュナ。ジャックの戦闘力を維持するなら後一騎が限度で、戦闘の力を放棄するなら更に一騎。アルジュナ級であろうラーマを計算に入れてのものだが……皮算用だ。

「――随分と大食いなんだな」
「失礼しました。よもや貴方がこの私の全力を支えられるマスターとは思いもしませんでした。ご安心を。出費に見合う力は示してみせましょう」

 涼しげな表情で大半の魔力を持っていったアルジュナへ、鉄心の男が嫌みを投げるも、とうの本人は悪びれもせず。寧ろ若干の高揚に声音を弾ませて、その身へ膨大な魔力を纏った。
 炎の性質を持つ魔力放出。その片鱗のみで、ジャックは思う。お前を仲間に出来たんなら、どれほどの出費であろうと安いものだと。

 勝機が見えた。アルジュナがいるなら、クー・フーリンにだって勝てる。問題は逃げられてしまわないかだ。不利な戦闘からの離脱もまた、この大英雄は他の追随を許さない巧みさがある。
 純粋な戦闘能力、ルーン魔術による応用力、本人のクレバーな戦闘論理、そして一回の戦闘に拘泥せずに撤退も行える精神性……敵に回して改めて思い知る。戦場王と渾名される戦巧者の厄介さを。

 だが一先ずこの場での敗北はない。ジャックは慢心ではなく、冷徹な戦術眼で洞察してそう判断した。

 ――だが。

「悪いな」

 聖杯により変質した、狂王クー・フーリンは、彼らにほんの僅かに謝罪した。
 いや違う。ジャック達に向けたものではない。それは彼が共に並び立つ女王へ向けたものだった。
 ジャックは漸く気づく。アルジュナもまた。分からないのはその手の感覚がない沖田のみ。ジャックは戦慄して総毛立っていて。異常事態を察知してアルジュナは瞬時に蒼矢を放った。

「こいつは勘だが、今ここでコイツらを逃したら後々邪魔になりそうだ。後腐れなく此処で殺しておく」

 だが、アルジュナの矢が――ルーンの防壁に阻まれた。
 いつの間にルーンを。いや、それよりも、まだ手持ちのルーンがあるのか……!?

 クー・フーリンのルーン魔術が発動していたのを、瀬戸際までジャックやアルジュナにも悟らせない神業めいた魔術行使。それもそのはず、彼は自身の体にこそルーンを張り付け、彼の体が発する高密度の魔力を隠蔽していたのだ。
 ジャックとアルジュナが契約を交わすのを黙って見ていたのは、彼が自身の切り札を使用する間を稼いでいただけなのである。アルジュナは神弓に更なる魔力を注ぎ込んで防壁を破壊しようとするも、小さく舌打ちして後退した。もはや間に合わないと悟ったのだ。
 春、下がれ! ジャックの鋭い指示に、沖田は応じて一気に飛び退いた。ジャック自身も下がっている。

 凶獣は呟いた。

「今のオレが使う最初のそれは、自分の目で見たいと言ってやがったが……それは叶わねぇ。出し惜しんで、後で悔やむ事ほど間抜けなものもねぇからな――さっくり殺して戻ってやる、それで勘弁しろ」

 ボ、っご――と。クー・フーリンの全身の関節が伸びる。被っていたフードが消え、黒ずんだ蒼髪がゆらりと逆立っていく。
 ズッ、ぎュ――と。全身の筋肉が膨張していく。急激な肉体の増設に、体そのものが堪えきれないように裂け、そこから鮮血が溢れ……発火した。凄まじく高温の血が、外気に触れて燃えたのだ。
 パかッ――と。額が割れる。割れた額からも血が溢れ、しかしそれは光の環を象り王冠となった。眩く照り輝く、実体のない光の冠……。その下で不気味に光輝く真紅の双眸が、左右で十四の瞳を宿す。

 全身から止めどなく溢れる鮮血は、眩い炎となって狂王の体に纏われた。太陽の属性を有した神聖なる破滅の火――見上げるほどの異形の巨漢へと変身した光の御子は、ありえないほど凪いだ瞳をしている。

「ァ……」

 鉄心の男が、喘ぐ。

 それこそは――アイルランドの光の御子クー・フーリンの最終宝具。『捻れ狂う光神の血(コル・ジーア・ファラ)』。別名、捻れ痙攣。
 視た敵対者は誰一人の例外なく葬り去った、光の御子の最強形態。担い手の形態移行に呼応して魔槍は更に長大に、更に凶悪に棘を伸ばし、穂先も二又に変じていた。

 マスターという存在である故に、ジャックはその宝具のランクを観測できてしまう。

 評価規格外。対自己宝具。

 その身に流れる光の神ルーの血を覚醒させ、魔性に近い神性を解放させるもの。筋力と敏捷、耐久と魔力の値が評価規格外となっていた。
 神性もまた、半神の枠を超え神霊の域へと踏み込んでしまっている。
 別物だった。
 ただでさえ強大だった狂王が――以前視た、二十八の魔神柱を超える化け物へと姿を変えている。
 今までに視たあらゆるものが、芥のようだった。
 第三特異点の、魔神霊となったアルケイデスすら見劣りする。圧倒的な――死の化身。
 視たものは死ぬ、避け得ぬ結末が形となって其処にいた。

「ぁガッ、ゴホッ! カ、ハッ……」

 沖田が唐突に膝をついて、血反吐を嘗てなく吐き出し倒れ伏す。

「春!?」

 クー・フーリンに一瞥されただけで、沖田は戦闘不能となった。痩身を痙攣させ、沖田が血泡を吹きながら意識を失う。
 邪視。
 光の御子の裡に流れる邪神バロールの血によって、その視線に晒された者は高い対魔力か魔眼への耐性、外界への護りがなければ体を凝固させられてしまう。沖田の対魔力では、狂王の一瞥にすら堪えられず、その視線のショックのみで体の自由を失い、呪いじみた病の発作を起こしてしまったのだ。

 ジャックは外界への守りである赤原礼装を、バンダナとして身に付けていた。故にその凶悪な視線の難を逃れられたのだ。

「死――」

 凶獣の姿が掻き消える。瞬間、アルジュナが数条のミサイルめいた蒼矢を放った。無防備に倒れ伏した沖田の近くと、ジャックの鼻先を掠める眼前へ。

「――ね」

 凄絶な火花が散る。沖田を突き刺す槍、ジャックを貫く槍。その二撃を、二撃とも阻んだのはアルジュナの蒼矢だった。神速で奔った魔槍へ正確に矢を射込む技量はまさに神域の武。
 それで、クー・フーリンの意は決した。視ただけで倒れた剣士など何時でも殺せる。反応すら出来なかったマスターなど何時でも殺せる。障害となるのは授かりの英雄のみ。ならばそれを屠るのを優先する、と。
 膨大な魔力を燃焼させてアルジュナが疾走した。炎の魔力を収束し、それをジェット噴射させて高速で駆けながら蒼矢を次々と四方八方に射撃する。彼の射手としての千里眼は、彼の眼を以てすら霞んで見える狂王に直撃する軌道をなぞるも、その悉くが回避されるか魔槍に掻き消された。

 ――見えない。

 霊基の影響で向上した動体視力ですら、全くその攻防が見えない。ジャックは愕然とした。
 アルジュナの動きは辛うじて追える、しかし狂王の姿は何処にも見えない。虚空に放たれる蒼矢、虚空で打ち消される矢。

「ッ――! シータぁ! 春を連れて下がれッ!」

 遠くで神弓を構え、しかし呆然としている小柄な少女に命令する。彼女が慌てて春に駆け寄り、抱えて逃げていく様を見ようともせず、ジャックは必死に眼を凝らした。
 それでも見えない。まるで見えない。ジャックは諦めてアルジュナの動きを追った。そちらはまだなんとか見える。放たれる矢の軌道とタイミング、それと己の知るクー・フーリンの動きを照らし合わせ、擦り合わせていく。その間にもアルジュナは冷静さを保てる余裕を持ちながら、しかし刻一刻と増えていく傷に秀麗な美貌を顰めている。

「中々……ッ!」

 生前ですら久しく経験しなかった苦戦に、アルジュナは呻きながらも応戦する。
 奮戦する彼に、しかし向けられたのは無機質な侮蔑だった。

「意外と粘りやがるな、小僧」
「この私を小僧と呼ぶかッ!」
「小僧だろう。何もかもを他者に与えられ、他者の敷いた道を、他者に望まれたまま進んだガキ。それがテメェの銘だ」
「――」
「授かりの英雄だったか。授けられてばかりで、何も己で決められなかった小僧の分際だろう? そんな程度のガキがオレの前に立つな。大人しく死ね、テメェの手で勝ち取ったものなど何もねぇだろうが」

 挑発だった。
 安い挑発だった。

 だが、それは。

 アルジュナの矜持を深く抉る言霊であった。

「狗風情が、よくぞほざいたッ!!」

 激昂する。激怒する。しかしその弓術に翳りは生まれない。その程度で我を見失う『授かりの英雄』ではなかった。
 逆に挑発を返しながらもアルジュナの弓捌きは苛烈さを増す。神弓『炎神の咆哮』が担い手に更なる炎の力を齎した。唸りを上げて速射される蒼矢の煌めきが大地を砕いていく。次第に彼の意識は狂王のみに集束されていき――それを留める声が奔る。

「アルジュナ、欲張るな! そのまま捉えておけ!」
「!」

 契約を結んだばかりのマスターである。神代でも頂上に位置する戦いについてこれない身で何をと思う。
 しかしアルジュナは気高く、誇り高い戦士(クシャトリヤ)だった。指示に従い大規模の射撃を控え、只管に天地を自在に駆け回り、アルジュナを抉らんとするクー・フーリンに速射を続けた。
 ジャックは眼を凝らし続けている。黒弓に選定の剣を番え、明後日の方角に狙いを定めた。クー・フーリンはそれを視界に捉えている。阿呆が、テメエなんざに捉えられるとでも思ってんのか、と。

 ――捉えられた。

 精神統一。射法八節。
 一節、足踏み。
 二節、胴造り。
 三節、弓構え。
 四節、打起し。
 五節、引分け。
 六節、会。
 七節、離れ。
 八節、残心。

 カルデアのクー・フーリンの動きと、アルジュナの矢と動き、視線と射戦を擦り合わせ、あらゆる経験を総動員して造り上げるのはイメージだ。矢は放つ時には既に(あた)っているもの。彼の弓術の根源にある心得をなぞり、選定の剣を射ち放ち。
 剣弾が弦より離れた瞬間、残心を取ったジャックの眼は捉えていた。クー・フーリンを、ではなく。その身が駆け抜ける空間を。そして彼が放っていた選定の剣が、眩い火花と共に打ち払われたのを。

「――チィッ!」
「お見事!」

 クー・フーリンは瞠目した。まさか中る軌道に剣矢が『置かれている』とは。咄嗟に魔槍を振るって剣弾を弾くも、弓手の残心の瞬間にそれは自壊して炸裂していた。
 その爆裂をまともに食らう。しかし凶獣は健在。
 授かりの英雄はその絶技に感嘆しながらも、その機を逃さなかった。付かず離れずの接近戦による弓術を使っていたアルジュナは、大規模な爆撃を受けてよろめいたクー・フーリンの胴を蹴り上げた。

 遥か上空まで蹴り上げられたクー・フーリンを狙うはインド最強の英雄の奥義。

 片膝をつき、一瞬にして魔力を充填した彼は、地上の太陽の如き光を発した。クー・フーリンはルーンを展開する間がなかったのか、それとも手持ちのルーンが尽きていたのか、防禦体勢を取るのみだった。

 猛り昂る灼熱の魔力の奔流。それこそは対国宝具。
 授かりの英雄アルジュナが――あらゆる神々の寵愛を受けた、英雄となる道を定められた青年が――唯一何者からも授けられたのではない、無二の奥義。己が研鑽によって掴み取った矜持の究極。
 神弓『炎神の咆哮(アグニ・ガーンディーヴァ)』より解き放たれる炎熱の蒼矢が、『マハーバーラタ』最強の一角の弓術を後押しする。自らの力で成し遂げたものなど何もないと、クシャトリヤ足るアルジュナを侮辱した凶獣を滅さんと全身全霊を賭した。

 いざ見るがいい、これが貴様の侮った授かりの英雄の力だ。そして観るがいい、これが貴方が手に入れた戦士の力だ。凶獣よ、滅しろ。マスターよ、畏れよ。アルジュナの骨子となる力の根幹、その力の真名は。

「『梵天よ、汝を讃えん(ブラフマーストラ・バーンダヌシュ)』――!」

 神弓が軋むほどの大破壊の咆哮。奔った熱線は核兵器にも比する窮極の灼熱。
 上空目掛けて放たれたそれは、過たずクー・フーリンを捉えた。直撃を受けたクー・フーリンの背後、曇天を貫き日輪が姿を現す。

 射殺した、これを受けて滅びぬモノなど有り得ないと誰しもが確信するだろう。
 事実手応えあった。アルジュナは莞爾とした笑みを浮かべるも――しかし、その美貌が強張った。

 アルジュナの奥義を受けて、遥か彼方に墜落した魔性の神性は、

 生きていた。

 手傷は負っている。全身に大火傷を負っている。
 しかし彼は太陽と、光を司る神の子である。その炎熱への耐性は元々高く、神性を解放した今の姿では、殆どの熱の損傷を遮断してしまえるのだ。
 それでもなお大火傷を負ってはいるが。純粋な物理面での重傷もあるが。

 しかし、生きていた。

 二本の脚で着地した凶獣は、黒い尾で軽く地面を叩く。それだけで地面が陥没した。
 ゆっくりと魔槍を旋回させている。その眼は授かりの英雄アルジュナを真っ直ぐに捉えていた。
 屈辱に、アルジュナは顔を歪める。己の奥義を受けてなお、戦闘の続行に支障を来していない強大な化け物に矜持が傷つけられたようだったのだ。

 クー・フーリンが猛然と駆け出す。一瞬にして彼方より接近してくる英雄の成れの果てが、異形となった姿で駆けてくる。
 ジャックは絶望しそうになった、しかし絶望はしない。諦めそうになった、しかし諦めない。担い手の魔力を吸って凶悪さの増した魔槍を、光の御子は今に擲たんとしている。反撃のそれ。重傷を負っているとは思えない、全く鈍っていない体のキレがある。

「――来るなら、来いッ!!」

 ジャックは吼える。しかし――狂王の姿が忽然と、

 消えた。

「は?」

 見失った? 慌てて周囲を見渡すも、どこにもその気配がない。絶望的な死の予感がない。アルジュナすらクー・フーリンを見失っていた。
 『フィランソロピー』が狙われたのか? マズイ、とそちらに視線を向けるも、血風はまるで吹いていなかった。
 唐突に、クー・フーリンは消えたのだ。
 思わず呆然とする。何があったのか皆目見当もつかない。そんな彼らの耳に、爽やかで穏やかな声が届いた。

「――なんとか間に合ったね」

 いつの間にやら、側にいたのは白いフードを被り、足元に花を咲かせている青年だった。

「ちょっとうたた寝しながら歩いていたら、そこは見知らぬ荒野の国。これは夢の続きか、それとも単なる幻か。まあ、どちらでもいいのだけどね」

 呑気に言いながらも、しかし冷や汗を顔に浮かべている。

「おはよう。もしくはこんにちは、諸君。みんなの頼れる相談役、マーリンさんだ」

 彼の青年は、マーリン。冠位魔術師の資格保有者。
 幻術にてクー・フーリンを欺き、明後日の方角にて幻のアルジュナとジャックを戦わせている者。
 半透明の体で、彼は微笑み、そしてあっさりと消えていく。

「そしてさようなら。流石に疲れたからね。あんまり長居出来ないんだ。だからまた会おう、カルデアのマスター、エミヤシロウ」

「エミヤ、シロウ……」

 唐突に投げ渡された、自分の本当の名に。
 ジャックは。否、士郎は呆然自失する。

 そんな彼に笑みを深め、花の魔術師は消えていった。

 ――それでその戦いは、狐に化かされたようにしてあっさりと終わったのだった。







 

 

グレートプレーンズだよ士郎くん!

グレートプレーンズだよ士郎くん!





 エミヤシロウ。その名が己のものなのだと察しはついた。
 しかしそこに生の感覚は伴わない。欠け落ちた記憶が、己の名に対する実感を削ぎ落としていたのだ。
 ああ、それが自分の名前か、と。遠い日の出来事に関する記憶を掘り返す感覚に似ていた。

 『捻れ狂う光神の血(コル・ジーア・ファラ)』を発動したクー・フーリンが、唐突に姿を消した。それがブリテンの宮廷魔術師マーリンによる仕業である事は分かった。俺にはそちらの方が重大事である。どこに、どうやったのかなんてどうでもいい、認識すべきは「再び遭遇したら命はない」という事で。「迅速に移動しなければならない」という事である。

 しかしそうも言ってはいられない。俺は合図を出して『フィランソロピー』の面々を砦に誘導した。
 早々に砦内の物資を回収させる。新たに取り込んだ難民は総数を二百十一名。今まで連れてきていた群衆と合わせると三百五十二名に。二百二十八名の兵士数よりも多くなってしまった。
 彼らもまたこちらの指揮系統に属させ、目的地へ同行させる事になる。彼らには悪いが、揉め事を起こす事があれば武力で制圧すると告げてあった。最低限の秩序の背景には何時だって武力がある……悪しき歴史ではあるが、その武力が平和を敷くのなら是非もない。
 そして旧来の面々に馴染ませる為に、難民達の行軍の列をバラけさせ、派閥じみたものが出来上がらないようにする措置を施しておいた。今はそれしか出来る事はなかった。また、彼らも疲れている。一日はこの砦で休まねばならないだろう。

「マスター」

 忙しなく指示を飛ばし、漸く一段落がついた頃。アルジュナが物問いたげに声を掛けてきた。
 俺は努めて平静に応じる。

「ああ……すまない、こちらも立て込んでいてな。労いの言葉一つで放っておいてすまなかった」
「それは構いません。何事にも優先順位というものはあるでしょう。マスターは彼らの指導者、であるなら相応の重責はある。そこに文句をつける気はありません。しかし……お訊ねしますが、マスターの名はジャックではなかったのですか?」

 訝げに指摘してくるのは、契約の前に告げた名と、俺にマーリンが告げた名が乖離している点。
 名前の交換は最低限の礼節だ。そこを疎かにし、偽名を告げていたとしたら、その最低限の誠実さがない人間という事になる。
 人からどう見られても基本的に気にしない俺だが、流石にそんなふうに見られたくはない。特にアルジュナは最強戦力だ。彼からの不信を買うわけにはいかなかった。
 故に正直に告げる事にする。俺は辺りの目が向いていない事を確かめる。シータはクリスト、ミレイ、ニコルの三兄妹に囲まれていた。クリストは年が近いように見えるシータにデレデレとしている……微笑ましい光景だ。沖田は沖田で、アンドロマケの世話をしてくれていた。
 砦内の兵士達は物資の運搬、集積、見張り、休憩を代わる代わる行っている。群衆も思い思いに休んでいた。忙しなく、喧騒に包まれていて。こちらを気にしている者はいない。俺というリーダー、アルジュナという存在感のある英雄にも目がいかないほど忙しいのだ。休むのまた、必須である。他のものに目をやる暇はない。

「……これから伝える事は他言無用だぞ」
「それはどういう……」
「俺のジャックという名は、あそこのミレイという少女がつけてくれたものだ。俺には自分の名に関する記憶がないんだよ」
「記憶がない?」
「ああ。俺は固有結界が使えるんだが、ある事情でそれが使用できなくなっている。代わりにその固有結界を弾丸に込めて、敵にぶつける事で炸裂させているんだ。今のところ二発撃ち、敵サーヴァント一騎と魔神柱一体を撃破しているが……その代わりに記憶が少々欠けてな。そこに自分の名前も入っていたんだよ」
「それは……」

 ――アルジュナは瞠目した。微かに目を見開き、言葉を探す。
 人間には有り得ないその戦果を讃えるべきか否か。それともご自愛くださいと告げるべきか。サーヴァントとしての物言いを模索するも、彼は自重した。
 アルジュナは思う、彼は戦士だ。戦士の行いにケチをつける訳にはいかない。それは侮辱である。覚悟して断行した行いは、その者個人の責任である。口出しすべきではないというのが、誇り高きクシャトリヤであるアルジュナの感覚だった。故に頭を下げる。

「……なるほど。よもや偽名を名乗られたのかと邪推した事、謝罪いたします」
「いいさ。俺自身、エミヤシロウという字をどう書くのかも分からんぐらい他人事に感じてるし、名前がなくとも不便はない。ジャックという通り名もある」
「……。……私は貴方の決断と行動に何も言いません。その武勲を讃える事も。しかしマスター、これだけは伝えておきます。この私が加わった以上、マスターがその身を削ってまで力を振るう必要はありません。どうかその負担は私に負わせてください」

 揺らぎのない自負と余裕。ずば抜けた安定感。サーヴァントとして完璧な在り方。俺はそれに、若干の違和感を見咎めるも、今それには感謝しかない。
 自負があり、余裕があり、完璧である。故にやや張り詰めているように見えるのは気のせいだろうか。己を強く律する求道者のような印象がある。思えば変わり者、ひねくれ者ばかりに縁がある人生だ。コイツも絶対癖が強いんだろうなと、完璧すぎる在り方ゆえに漠然と思う。

「……すまない。それと、感謝する。頼りにさせてもらうぞ、アルジュナ」
「構いません。それがサーヴァントというものです。一応訊ねておきますが、他言無用とはどういうおつもりですか?」
「春……ああ、真名も伝えていいか。……沖田総司には俺の状態は誤魔化してある。体は弱いのに情が強いからな、変に心配させたくない。シータはそもそもエミヤシロウという名を知らない。『フィランソロピー』には指導者がこんな様なのを知られる訳にはいかない……理由としてはこんなものだ」
「……分かりました。私の所で伏せておきましょう」

 適切な理由かどうかは、俺にも判別はつかない。私情が入っていないか問われたら、確信を持って頷ける自信もなかった。
 単なる格好つけかもしれないが、確かに合理的ではあるはずだ。自分自身の名前に意味を見いだせないのだから、必ずしも重大な欠陥ではないはずである。
 しかしアルジュナは言った。

「ただ、」
「?」
「……そうですね。貴方の麾下にある者の中で、特に戦う力の弱い民、そして兵に伝える必要はないかもしれませんが、しかしサーヴァントにだけは伝えておくべきでしょう」
「……何故だ?」
「名というのは、誇りだからです」

 戦士らしい思想だった。

「名は体を表すといいます。穿ったものの見方をするなら、己の体を構成する名は、レゾンデートルになるという事でもある。自らの名に誇りを持たない戦士はいない。それは自己顕示欲によるものでもありますが、何よりも自らの骨子を確立するためでもあるのです。マスターの持つ欠陥は伏せても構いません。しかし、記憶の欠落によって実感が持てないというなら、尚更日常的に名を呼ばせるべきでしょう。自らの名は、己の行いと存在に誇りを持つ為の基点となる」
「……そうか。確かにそうかもな」

 言われてみればその通りだとも感じる。
 身近なサーヴァントの為とは言わず、自分自身の為であると説くアルジュナに頷かされた。
 納得は出来る。俺は俺の足跡に誇り……というのはニュアンスが異なるかもしれないが、自信と自負は懐いている。それを見失わない為の名前……。
 カルデアと合流するまで『ジャック』という名を改める気はないが、『エミヤシロウ』という本来の名を捨てていい理由もなかった。俺はそこに気づかせてくれたアルジュナに感謝する。

「ありがとう。助けに来てくれたのがお前でよかったと思う。これからも宜しく頼むぞ」
「はい。私も力量の高い戦士であるマスターを得られてよかった。先程の射は実に見事でした」

 一線を引いた先で微笑み、アルジュナは一礼すると踵を返す。見張りをしておきます。敵が来ましたら撃退しておきますので、どうぞごゆるりと、と。そんなふうに颯爽としていた。

「……ああ、やっぱりお前も癖がある」

 苦笑する。珍しくもない、屈折した人間。そうした人間にばかり数多く縁があった。だから――まあ、アルジュナは至極分かりやすい。
 何せ完璧過ぎるのだ。第一印象から一貫する、サーヴァントとして無欠の姿勢。英雄然とした戦士で、好青年で、どこか尊大さのある気品。こうした輩ほど、物騒な地雷がある。アルジュナほどの英雄なら、その地雷は命に関わるだろう。

「どうしてこう……くせ者ばかりが身近に集まるんだか……」

 嘆息するも、そうした『面倒臭い』輩は嫌いではなかった。変に都合がよくて、無欲で、正義感が強い。そのくせ自分の信念を固く持つ頑固者の方が嫌いだ。やはりワガママでひねくれ過ぎて真っ直ぐに見える奴の方が、味があって付き合いが楽しい。
 それに。そうした奴ほど、一度心を開いてくれたらこれ以上なく頼もしく、信頼に値するようになる。アルジュナもその手のタイプだろう。俄然、仲良くなりたいとも思う。

 いや仲良くならねばならない。円滑なコミュニケーションは、マスターとサーヴァントには不可欠なのである。鉄則だ。

 ――『マハーバーラタ』で、呪いに雁字絡めにされた宿敵カルナを射ったアルジュナは、戦後に有り余る財と権力を手に入れるも、その全てを投げ捨てて兄弟達と隠棲した。彼が何を思ったのか……。あれほど誇り高いなら、相当の自責の念がありそうだ。
 戦士としての自信がある。――故に。不死身とされるカルナが、その力の源泉である鎧を剥ぎ取られ、呪いに縛られ、戦車を操る御者を計略で操り、無防備な所に矢を射ち込んだ結末は悔しいだろう。
 何せそこまでしてもらわねば、アルジュナはカルナに勝てないと周囲に思われていたという事である。屈辱的だったはずだ。尋常な決着をと願っている筈だ。
 授かりの英雄と呼ばれている。生まれ、環境、友、伴侶。あらゆるものに恵まれ、レールを敷かれ、そう在る事を期待されて生きて――まあ、現代の富裕層の子供にありがちな、鬱屈としたものを懐いていても不思議ではなかった。

 「ま……なんでもいいさ」そう呟く。

 俺を、俺達を助けてくれたのは、施しの英雄カルナではなくアルジュナだ。人間は現金な生き物で、実際に命を救ってくれた相手の方が大事に思える。
 アルジュナが俺達の危機に間に合ったのは、恐らくマーリンのお蔭なんだろうから、彼にも感謝しなくてはならない。マーリンがいなければ、変身したクー・フーリンを撃退出来たか怪しい。
 またいつか会おうと彼は言った。その時は歓迎させてもらおう。そしてこき使ってやりたい。クー・フーリンをも惑わして、どこかにやってしまった力量は大いに頼りにしたかった。

「マスター……」
「ん? ああ、お春か。どうした?」

 密かにアルジュナお友達化計画の草案を練っていると、何やら申し訳なさそうにしながら、おずおずと沖田が話しかけてくる。
 アンドロマケはどこかに繋いでくれたのだろう。ちらりと視界の隅で、クリストが両手を地面について泣いていた。シータがすまなさそうにしながらも、そろそろと静かに離れていっている。……おいおい、もうコクってフラれたのか。惚れっぽくて無駄に行動力があるとは……シータはやめておけ、そんなナリでも人妻だぞ。粉かけたらいずれ旦那が合流してくれた時にぶん殴られる。

 沖田は頭を下げた。

「……すみません。また、不覚を取りました。大事なところだったのに、肝心なところでお役に立てなくて、本当にすみませんでした」
「……」
「私……頼りないですよね。あ、あはは……足手まといで、ほんとすみません、マスター……」
「……そう思うか?」
「……え」

 コイツはまた、思考が悪い方に転がってるらしい。
 まったく……なんだってこうも世話が焼けるんだ。面倒臭くて、だからこそ可愛く感じる。

「さっきの事なら気にするな。まだ生きてるだろう? 俺も、お前も。なら対策できる、戦える。挽回する機会は幾らでもあるんだ。気に病むんじゃない。それに俺はお前を足手纏いだと思った事はないし、これから先も思わない。俺の最初の令呪を忘れたか? 『何があろうと戦い抜け』だ。令呪の効力は切れていてもその命令は今も生きている。……って、なんで泣くんだよ」
「ぐすっ、だって……だってぇ……!」

 沖田は感極まったように涙ぐんでいた。涙腺緩いなオイ。大丈夫かお前……。
 頬を赤くして、子供みたいに眼を擦っている。仕方ないから慰めるように頭に手を置いて、俺は忘れない内に沖田に言った。

「春、これからは俺の事は名前で呼べ」
「……え? そ、それって……」
「マスターって響きもいいがな。和風のサーヴァントが横文字使う違和感はひどい。ここは日本人らしくいこう」
「な、なら……主殿?」
「名前で呼べって言っただろうが」
「ジャックさん……?」
「横文字だろそれ」
「……エミヤさん」

 往生際の悪い沖田に苦笑する。頭に置いたままの手を動かして、ぐりぐりと動かしてやった。
 あわあわと、慌てて手を振り払ってくる沖田に、俺は噛んで含めるように言う。

「シロウだ」
「ぁぅ……」
「シロウって呼べ。ほら」
「……。……ウさん」
「聞こえないぞ」
「し……シロウ、さん……」

 顔を林檎のように赤くして、恥ずかしそうに名前を呼んでくる沖田に微笑む。やっぱりその名前に実感はない。ないが、まあ――悪くないんじゃないかと、そう思えた。














 翌日『フィランソロピー』は行軍する。

 果てなどないかのような長旅だった。移動を始めて二ヶ月は経っただろう。
 様々な障害があった。といっても、平野を行く時は敵戦士団の接近なんてどうとでもなったが。
 シータとアルジュナのインドパワーをぶちかまして殲滅、殲滅、殲滅だ。小さな山があり、その中に敵が待ち構えている気配があったらインドパワーで自然破壊し、絨毯爆撃で耕してから進んだ。
 また敵に気づかれ、サーヴァントが攻めてくるかもしれない。クー・フーリンが来るかもしれない。だが今はその心配よりも、余計な交戦で足を止めたり進路を変える方がリスクはあった。

 そして、辿り着いた。冬の始まりに、なんとか滑り込む形で――グレートプレーンズへと入れたのだ。
 道すがら逃亡していた兵士三百五十三名と、難民百四十四名を更に加えて……コロラド州の東部に至った。
 その地の軍事拠点である城塞に入り……千名に増えた一団は、漸くの安住の地を得たのである。

 本格的な冬に入る前に、穀物が枯れる前に収穫を急ぐ必要がある。運搬してきた物資、城塞にあった様々な備蓄も、雨も、何もかも無駄には出来ない。なんとか冬は越せる、その後は農作業にも手をつけねばならず、人手も欠かせない――生存戦略が始まるのだ。

 そして。そうして『人類愛』は一つの勢力として、小さな、しかし大きな第一歩を踏み出す事になる。







 

 

幕間「女王の狂乱」






 極東の剣豪集団『新撰組一番隊隊長』沖田総司。対魔力の低さ、無辜の怪物に等しい呪いじみた病弱さを抜きにすれば、その剣腕と戦術思想、サーヴァントのクラス別技能である『気配遮断』と、固有技能の『縮地』の組み合わせは申し分ない。特に魔法の域にある対人魔剣の威力は特筆すべきものがある。こと白兵戦であればアルトリア以上。クー・フーリンやアルジュナなどの、一神話の頂点にも食らいつける異様な技量がある。短期決戦で決着を狙う時に真価を発揮し、そうでない時も凄まじい勝負強さを見せてくれる筈だ。可愛らしい容姿……っていうより、東洋版アルトリアって感じの容姿だから、なんとなく僕も親近感が湧く。

 インド二大叙事詩『ラーマーヤナ』の理想王ラーマの伴侶、シータ。彼女の霊基はラーマと同等。肝心要の戦闘能力という意味なら、それこそマスターである彼にも劣るだろう。しかしその宝具が織り成す大火力はインド出身に相応しい規模を誇る。雑魚散らしには持ってこい、彼なら極めて効果的に運用してくれる。彼の戦術指揮の腕前は、軍略に長けた英霊にも引けを取らないからね。それに何より、彼は運がいい……いや悪運かな? なんやかんやで良い方向に事態を持っていく事に関しては世界に愛されているんじゃないかってレベルだ。まあそんな事を口にしたら、本気のグーで殴られそうだから言えないけど。……うーん。彼、僕の技能で英雄化しようかな。世界有数のキング・メーカーの名は伊達じゃない。王の器なんか皆無だけど、彼は王とは違う方面に伸びそうだ。いずれ彼の夢の中にお邪魔しよう。

 同じくインド二大叙事詩『マハーバーラタ』の授かりの英雄アルジュナ。遠距離は勿論、中距離や近接にもそつなく対応する神域の弓使い。彼に並ぶ弓兵は、彼の宿敵か彼のギリシャ最強ぐらいなものだろう。円卓随一の弓騎士も、彼と比べたら一枚格が落ちる。卓越した戦闘技能は雑魚から格上まで幅広く対処可能、戦力は論じるまでもないだろう。多分だけど、彼との組み合わせでは施しの英雄よりも相性がいい。僕は最初、カルナの方を彼の所に誘導しようも思ってたんだけどね。施しの英雄と彼の組み合わせでは切り開けない未来が此処には在る。一か八か、伸るか反るか、最高の結果か、最悪の結末を掴むアルジュナに賭けた。まあそれに――こっちの方が面白そうっていう理由が一番なんだけど。

 ……この三騎が、彼――僕にとっての大スター、衛宮士郎の指揮下にある。人類愛なんて特大の厄ネタじみた名前の集団を組織しちゃった彼は、サーヴァントを有機的に運用してあっという間に第五の特異点をクリアしてしまうだろう。……敵がアレでさえなかったら。
 これは確信だ。彼はこのままだと《絶対に敗北する》。何せ光の御子は最強だ。単純な強さだけならアルジュナが匹敵するぐらいで、勝とうと思えば今の『人類愛』なら勝てなくもない。でもそれは相手が単騎だったら。もしも光の御子に、あの女王の願いで聖杯による強化が入れば――そしてあのとんでもない変身宝具も併用されれば、この特異点に集う全てのサーヴァントを結集しないと勝てない。でもそれは不可能だ。色々と因果なサーヴァントばかりだからね。
 僕に出来るのは、時が満ちるまで彼が持ちこたえられるように協力する事。カルデアが来るまで不眠不休で働き続ける事。そんなバッドエンドは嫌いなんだ、最大限の助力を惜しまないよ。

 でもだ、光の御子を今、自由にさせちゃったら、それこそ勝機は限りなくゼロになってしまう。なので、仕方ないけど……僕は第七の方で滅茶苦茶忙しいけど、過労死しかねない重労働をしないといけない。
 本当は嫌なんだけどね。だってあの女王が荒ぶってしまいそうだし……コノートの女王、僕の苦手な魔女に似てるし……。でも仕方ない、それもこれもオモシロ、じゃなくてハッピーな結末のためだ。うんうん、彼ならなんとかしてくれるさ。信じてるよ。うん、信じてる。これはちょっとした信頼。信頼っていい言葉だ。

 僕は惑わしたクー・フーリンを眠らせる。夢の中なら僕は無敵だ。気づかれたら死ねるけど。
 そして、眠らせ続けて。夢の中で、彼が削ぎ落とされた英雄としての尊厳を、ゼロから構築する。なぁにやってやれない事はないはずさ。英雄作成は僕の専売特許だ。王様なんて名乗ってるし、元々は英雄だし、楽な仕事だよ。この部分だけは。
 狂える王を、(マガ)ツ獣を、可能な限り英雄に戻す。殺戮兵器には無用の誇りを取り戻させる。そうすれば彼は純粋ではいられない。マスターの彼も幾らかやり易くなるはずだ。そして眠らせ続ければ……まああんまり長くは無理だけど。彼にとって価千金の時間は稼げる。

 いやぁ、マーリンさんは大変だ。あっちでふらふらこっちでふらふら、ウルクの王様に怒られてしまいそうだよ。というかこの特異点、外部との時間の流れの差が激しすぎてキツい。やらなきゃなんない事が多すぎる。

 さて……そろそろ本腰を入れるかな。一瞬でも気を抜いたら狂王様に気づかれて、捻り潰されてしまいそうだ。細心の注意を払って……あ、やっぱそうなるか。
 ゴメンね、そっちは僕の管轄外なんだ。頑張ってくれマスターくん、流石のマーリンさんもこっちで手一杯だからね! 大丈夫、君ならやれるって信じてるから!

















 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………おかしい。

 クーちゃんが、帰ってこない。いつまで待っても、いつまで経っても、帰ってこない。
 今までそんな事は一度もなかった。何かがおかしいと気づくも、万が一の事は絶対有り得ない。
 だってクーちゃんは、私のクーちゃんは最強なんだから。世界で一番強い、世界最高にカッコイイ私の王様なんだから。
 でも、なんで帰ってきてくれないの?
 親指の爪を噛む。イライラする。クーちゃんが私の隣にいてくれないと、意味がないのに。クーちゃんはどこに行っちゃったんだろう……まさか、私を捨てた? それは有り得ない、だってクーちゃんは私のなんだから。なら……敗けたの?
 それはもっとあり得ない、世界で一番強いんだから。それに万が一にも負けそうになったとしても、クーちゃんには『あれ』がある。それを使わされたとしても、退き時を見誤るクーちゃんじゃない。それに死んだとしても《私にはわかるんだから》。

 ……。

 …………。

「……女王メイヴ。ディルムッド、只今戻りました」

 生理的に無理なフィン・マックールの部下、ディルムッド・オディナが戻ってきた。
 遅いわよ、どこほっつき歩いてたの? そう詰って嬲る気も今はない。急いでクーちゃんを探しに行かせる。
 それだけじゃ全然足りない。全ての私の兵隊に私の王様を探させる。どこ? どこに行っちゃったの? 早く戻ってきて。愛しの王様、私だけのクーちゃん。早く、早く、疼くの。早く戻ってきて――

 そうして、何日も経った。

 そして、私の兵隊が王様を見つけて帰ってくる。

 《眠っているクーちゃんを抱えて》。

「――」

 こんこんと眠り続ける。どれだけ愛を囁いても。どれだけ揺すっても。どれだけ声をかけても。
 眠り続けてる。
 ……なに、これ?
 どうして起きないの? どうして眠っているの? どうしてよ……。

 ……。

 …………。

 ………………。

 ――ああ、そうなんだ。



「……い」



 ――誰かが、何かが、



「……ない」



 ――私の王様に、



「……さない」



 ――要らないちょっかいを、かけたのね。

 私の夢を。私の願いを。私の、私の、私の、



「赦さない」



 クーちゃんは。

 私だけのクーちゃんは。

 その冷酷なはずの寝顔に。――《穏やかさを僅かに取り戻しつつある》。



「赦さない――よくも――よくもォォオオオッ!! 私のクーちゃんに、手をあげたなァァアアアッッッ!!」



 憤怒に、激怒に、未だ嘗て経験した事のない赫怒に魂が焼き切れる、沸点を超えて臨界を超える。

 ――血を吐くように狂い叫ぶコノートの女王。清楚な美貌から血の涙を流して激情に狂った。
 誰がやった、なんでこうした、そんな疑問すら焼却される。何もかもを焼き払わねば気が済まなかった。何もかもを破壊しないと収まらなかった。
 瞬間、北米大陸に存在する全てのケルトの戦士が消滅し、再生する。



「ァアァアアァアアアアアアアアアアア――ッッッ!!」



 麗しの女王が、その四肢より、口腔より、双眸より鮮血を噴き出す。
 産み出されていくのは無尽蔵の兵力。加速度的に総軍を増す。聖杯の魔力が女王の力を増大させる。
 そして。
 ふつりと、唐突に女王は黙りこくった。

「……」

 俯く。陰が顔に掛かる。
 やがて肩を揺らし――女王は、

 嗤った。

「ふ、」

 嗤った。

「ふふ、」

 嗤った。

「ふふふふふふふふ」

 あははははははは!

 狂ったように笑い転げ。笑って、笑って、狂気に染まる憤怒の凶相で、女王は聖杯を掴む。

「――……だれが、やったの……?」

 ぽつりと、呟く。

「だれが……だれが……」

 答えは誰も持たない。

「……」

 故に。

「しょうがないわね」

 彼女は、呟いた。満面の笑みで。

「しょうがないから、わたし、おうさまがおきるまで……おうさまのかわりに、やるわよ」

 霊基が歪むほどの怒りの感情。
 誰かが言った。ほんの、ささやかな。取るにたりない人間が。
 人間が持てる感情の総量には限度がある。感情を抱ける許容値の限界は、脳にある。それを越えてしまうと――人は、狂うのだと。
 女王はそんなものは知らない。知っているのは、鉄心の男だけ。

「さーヴぁんと……もっと。もっとよびだしちゃうわ」

 聖杯の理を、聖杯で歪める。狂気に任せ。
 数多の戦士の恋人にして母である女は。

「うふふふ……たくさん、うむから」

 サーヴァントを、《産む》。

「あははははは!」



 ――殺してやる。



 今まで。
 ただの一度だけ懐いた、掛け値なしの本気の殺意。
 クー・フーリンにだけ懐いた、天井知らずの殺意。
 クー・フーリンをも破滅させた女王が、今。これまで、お遊びめいていた女王が。

 本気に、なった。










 

 

ガチャを回せ、決めに行くぞ士郎くん!





 コロラド州東部の冬は過酷なものだ。尤もグレートプレーンズに入る前の土地の方が厳しいのだが、こちらも大概である。
 夜の気温は-18度から-23度。寒さには慣れている現地の人々だが、防寒着と暖炉は不可欠の物となる。が、生憎と防寒着や暖炉の持ち合わせはない。服装は厚着をしてなんとかするにしても、暖炉の代わりとなるものを用意する必要があった。
 故に例によって例の如く、俺は投影による火を吹く魔剣を多数鍛造した。量産化に当たり剣としての機能は限りなく削減し、含有する神秘は存在を維持する最低限度にまで劣化させた。代わりに長時間投影魔剣の魔力燃焼効率を上げ、最大で二日間火を吹き続けられるようにする。その改造劣化魔剣の投影を、完全な冬に入る前から始める事で『人類愛』の居城に五百ぴったしの魔剣を貯蔵出来た。無論、日課としてこの魔剣を五十ずつ投影して、寒さに堪えられない夜には五十ずつ使用するのだ。
 石壁で囲われた城塞の四方を囲むように三十本。それが松明代わりにもなるし、外からの冷気を防いでくれる。残りの二十本は城塞内部の人々が寒さにやられないようにする為のものだ。当たり前だが、流石にそれだけでは千人を超える群衆を完全に暖める事は出来ない。故に後はアルジュナの炎属性の魔力放出で焚き火台に火を熾している。

「まさか私の力をこのように使うとは……」

 と、アルジュナは呆れ顔だったが。生憎と俺は使えるものは親でも使う主義だ。それに戦闘にしか役に立たない訳ではないのなら、アルジュナは寒さという自然から人を守れるのだと誇るべきである。

「確かにその通りですね。幸いマスターの魔力は聖杯からくるもの……使い惜しむものでもない」

 そういう事だ。しかし俺が留守にした場合も考えなくてはならない。流石に改造劣化魔剣に関しては、毎晩使うという訳にはいかなかった。その場合は発火装置アルジュナが奮闘しなくてはならない。

 アルジュナに護衛させた群衆による人海戦術でトウモロコシ、大豆、小麦、綿花、テンサイなどの穀物を収穫させた。この綿花は下着や布団、枕などの材料とする。種子などは厳重に保存した。対象を氷結させる類いの魔剣があれば冷蔵庫を作れて楽でいいのだが、流石にそんな剣はない。氷結の魔術も使えない。冬はいいが、夏は厳しくなるだろう。なんとか対策を取りたいが……。
 それと当然の事だが、群衆を護衛するアルジュナには、敵影が見えたら即座に撤退するように指示していた。アルジュナのみで速やかに全滅させられる規模なら問題はないが、敵サーヴァントなどがいたら群衆を巻き込むかもしれない。農地にもダメージが入ったら最悪だ。故に大規模な戦闘になりかねないのなら、迅速に収穫班を撤退させる必要がある。
 俺達の敵はこの世界そのものと言える。何もかもに備え、態勢を磐石にし、きたる反撃の時まで牙と爪を磨いでおかねばならない。そして領袖である俺は、麾下の軍民を養う事だけを考えればいいわけではないのだ。エドワルド・シュピッツに民の仕事内容と、その方針を伝え、彼にその方面の仕事は丸投げする。補佐というか、雑用としてクリスト少年をつけた。いつぞやの借りを返してもらう時が来たのである。
 アルトリウス・カーターには平時の軍の維持を任せた。作成した訓練マニュアルをこなして貰わねばならない。そして俺には最も重要な任務がある。

 カウンター・サーヴァントの捜索だ。

 守るべき人々を確実に護り、斃すべき敵を必殺するにはまだまだ戦力が足りない。必ず殺す技と書いて必殺技は冗談抜きで必要だ。確殺パターンは最低十は欲しい。今は沖田の奇襲からの必殺しかない。それも、上手く嵌まれば殺せるというだけで、嵌まる可能性は努力と地形次第で八割しかないのだ。十割殺す技の開発は不可欠である。

 どのみち俺達の拠点は近い内に判明するのだ。
 『人類愛』はここに定住する。逃亡生活はもう無理だから。流石に数が多くなりすぎているし、まだまだ増えるだろう。全員を連れての逃避行では、三国志の劉備が長坂橋の戦いで曹操軍の追撃部隊にやられたように蹴散らされてしまう。
 最早この地を中心に生活圏を広げ、絶対に死守しなければならない。絶対防衛線のラインはここだ。死守する為にはサーヴァントは多ければ多いほどいい。
 が、生憎と俺と破損聖杯の魔力許容量的に、そう何人もサーヴァントと契約は出来ない。俺の戦闘力を半減させてまでパスを繋げられるのは最大二騎……。内一騎はラーマを狙いたいのだが……。
 まあカウンター・サーヴァントはマスターがおらずとも最低限のスペックは発揮できる。多くを味方につけても悪い事ではない。今まで現地のサーヴァントと出会う機会は余りなかったから、そこまで期待していいかは曖昧だが、いないよりはマシだろう。有害になりえると判断すれば、味方に組み込まなければいいだけの話だ。

 俺はカウンター・サーヴァントを探す。一ヶ月ごとに城に戻る。何よりも優先すべきは戦力の拡充だ。
 食料問題とか人手不足とかをなんとか出来るカウンター・サーヴァントを引けたら御の字で、それはさながらガチャである。ガチャを回すのは俺の脚、歩いて回す。そして課金する金はないので担保は俺の命だ。糞である。やはりガチャは悪い文明、誰か破壊して。
 カルデアー! 早く来てくれー! どうなっても知らんぞ! まあどう足掻いても、カルデアが来るのは最速で五年から十年先なんだが。俺がこの特異点に飛ばされてもう三ヶ月ほど……か?
 正確な日時は忘れた。濃すぎて記憶が飛んでいる。別に固有結界を切り売りした代償とかではなく、素で忘れてしまった。希望的観測として後四年九ヶ月でカルデアは来る。……はずだ。来たらいいなって。
 まあ余り頼りにはせず、なんならカルデア勢は俺だけで攻略してやる気概でいよう。……いやその場合はどうなるんだ? 人理定礎を復元したら、歴史はもとに戻るが……俺はその場合、カルデアに帰る事になるのだろうか。……いや、そんな片手落ちのような事をレフなんちゃらがやるとも思えない。
 復元したら帰還できず、修正されて歴史に巻き込まれて消滅してしまうかもしれなかった。特異点で死ぬもよし、攻略して帰還できずに死ぬのもよし……その程度の二段構えは有り得そうだ。というか俺が敵側なら絶対にそうする。やはりカルデアが来るまで現状維持が堅実か……。

 いや無理だろ。現状維持とか至難の技だぞ。攻略はするな、だが負けるなとか鬼畜か? 相手はケルトなんだぞ……。
 最悪、伸るか反るかで攻略に賭ける気構えでいるべきだ。負けるのは論外、この特異点を攻略して諸共に消えるのが、嫌だがギリギリ及第点だろう。いずれにせよ戦力の拡充は不可欠か。

「――留守は任せたぞ、カーター」
「は……」

 そんな訳でアンドロマケに騎乗し、俺は金髪の青年にそう告げた。
 カーターは不安げに俺を見上げてくるが、淡々と言い聞かせるしかない。

「防衛の要としてシータとアルジュナを置いて行く。大抵の輩はアルジュナが始末してくれるだろう。雑魚散らしはシータだ。城壁まで近づかれそうならお前達が銃で撃て。弾薬は山ほど用意してある。それ以外への対処法はマニュアルに書き記したが、あくまで目安でしかない。いざという時の判断は臨機応変にお前が下すんだ」
「は、しかし……果たしてBOSSの留守を預かる任が、私などに務まるか――」
「カーター」

 俺は上体を屈め、馬上からカーターの肩に手を置いた。

「お前が副司令だ。男なら腹を決めろ」
「……」
「他の誰でもない、お前にだから留守を預ける。アルトリウス・カーター大尉、『フィランソロピー』を頼んだぞ。なに、一ヶ月後には必ず戻る。有事の際にも駆けつけると約束しよう」
「……は。了解しました」
「帰ったら『人類愛』内での階級でも考えるか? そうしたらお前は大佐だぞ」

 手綱を握って馬首を転じる。アンドロマケのご機嫌は上々。というよりいつもいい。駆け出すとカーターの悲鳴が聞こえた。
 「大佐なんて私には無理ですBOSSぅ!」と。俺は笑いながらアンドロマケを走らせた。階級、大佐などは冗談としても、カーターを『人類愛』のNo.2にするのは規定路線だ。その為にも奴にも佐官教育が必要だろう。いずれ奴が主導して作戦の立案、計画の進行を取れるようにしたい。俺が楽をしたいから。同時に、俺が他の仕事に専念出来るようにする為に。

「シロウさんっていっつも忙しないですよね……」

 俺の前に座っている沖田がそう溢す。

「戦って、守って、此処まで来て。かと思えばまた二人旅なんですもん。流石の沖田さんも、呆れてものも言えませんよ」
「いいじゃないか、二人旅。俺とお前だけなら、どんな地獄だろうがどうとでもなる」

 風を切って走るアンドロマケ。その風は冷たい。
 沖田は何故かこっちを見ない。耳を赤くしている。そんな彼女のぼやきに普通に返すと、沖田は口を噤んで無口になった。
 ……? どうしたんだ?
 名前で呼ばせるようになって以来、どうしてかこんな態度に変わった。悪意とか隔意が生まれたわけではなさそうで、どう接したらいいか悩んでいるようにも見えるが……。それに何かを持て余しているのか、もどかしそうにしている姿を目撃した事もある。
 そういえば『フィランソロピー』の連中、妙に沖田の事を微笑ましそうに見るようになっていたな。それに何か関係があるのだろうか。

「なあ、春」
「……なんですか?」
「あんまり悩むなよ。相談ならいつでも乗ってやるから。俺はお前のマスターで、お前は俺のサーヴァント……一心同体、一緒に戦い抜く仲間なんだ」
「……いいですよ、もう。シータさんに、相談には乗ってもらいましたから」
「そうなのか?」

 女の子同士、いつの間にか話す関係になっていたらしい。その光景はさぞ麗しいものだろう。
 生憎と俺は忙しくて、誰ともコミュニケーションが取れてなかったが……一度帰ったら、シータやアルジュナともしっかり話そう。思えば俺は少し焦りすぎていたかもしれない。新しい仲間を、戦力を求めるあまりに、今いてくれる仲間を疎かにしてはいけなかった。
 反省だな、と胸中に溢す。そして何気なく沖田に訊ねた。

「で、シータとどんな話をしたんだ?」
「……分かんないんですか」
「女同士の話なんかが俺に分かるわけないだろ」
「……ばかなんですね」
「酷いな」

 沖田の背中から体温が伝わる。段々熱くなってきていた。まさかまた発作か? そう思うも、特に顔色は悪くない。なんなのだろうか。
 俺の知ってる女同士をイメージの中で並べる。
 アルトリア、オルタ、マシュ、ネロ、アタランテ、アイリスフィール、玉藻の前、桜、チビ桜、イリヤ、イリヤ二号、美遊、遠坂、ルヴィア、バゼット、シエル、キアラ……その他。彼女達がどんな会話をするのか想像してみるも、大乱闘スマッシュなんとかが始まる様しかイメージ出来なかった。なんでさ。
 遠坂とルヴィアから火種が熾り、それが感染爆発するように乱闘が始まり拳で競う女の宴。うーんこの、ここにキアラをぶち込むとか想像の中でも地獄絵図になりそうだ。特にキアラと桜を会わせてはならない気がする。

「ばか」

 沖田は呟き、下を向いていた。

「……」

 なんとも言えない空気のまま、暫く進んだ。
 とにもかくにも新しい戦力の発掘は急務。誰かサーヴァントを紹介してほしいと思い、出会い系ガチャというパワーワードを不意に思い付く。
 そうして一人笑いを溢すと、なぜか沖田から肘鉄を腹に食らった。

 な、なぜ……?










 

 

安定の女難EXだね士郎くん!






 ふと思う。沖田は数えないとして身の回りの女性で素直な娘ランキングを作ると、五位がアルトリア。四位がバゼット。三位が桜。二位が白野、同率マシュ。そして一位はアンドロマケではなかろうかと。
 嫌な顔一つせず俺と沖田を相乗りさせ、斥候役の兵士も乗せる。しかし顔を知らない奴は絶対乗せようとしない。そのくせ乗ってるのが俺一人の時は物凄く喜んでる。なんだコイツは天使だったのか? もしや北米随一のヒロインはアンドロマケだったのではなかろうか。気立てがよく、毛並みもよく、馬の中では愛嬌のある瞳。黒馬という点も実にいい。最高だ。
 戦の時だってそうだ。怖がりで臆病な馬の例に漏れず、アンドロマケは荒事の空気を感じると恐怖に駆られるようだが、俺が乗っている時だけは信じられないほど勇敢で、果敢に敵に向かうのだ。そのくせ興奮し過ぎず、俺の意図を確りと汲んで動いてくれるし、俺が気づいておらずとも、背後から接近してくる敵には必殺の馬蹴りを浴びせてくれた例もあった。

 よくあるサブカルチャーにあるように、彼女が擬人化すれば求婚してしまうかもしれない。疑似サーヴァントが現実にアリなら、馬の擬人化もアリではなかろうか。広い世の中、何でもアリな英霊の座なら、或いは何かの物が擬人化したサーヴァントもいるかもしれないではないか。日本の付喪神的な感じでもあるかもしれない。
 なんとなしに首筋を撫でると、アンドロマケは小さく嘶いた。もっとやってとでも言うように。
 愛い奴め。こうか、こうして欲しいのか。撫で擦り続ける。アンドロマケは一向に嫌がらない。というか寧ろ嬉しがっている気がする。ここまで懐いてくれる動物ははじめてで俺も嬉しい。フォウの奴は可愛いのは見てくれだけだしな。カルデアのマスコットはアンドロマケに交代でいい気がしてきた。

「……」

 沖田との相乗りでは、沖田が俺の前に座る。小柄なせいか彼女は腕の中にすっぽり収まっていた。
 その沖田は無言で、アンドロマケを撫でる俺の手を眺めている。……なんかすっごく恐い。お願いだから何か喋ってほしい。陽気じゃない沖田さんとか嵐の前のなんとやらではないか。というかこの空気、覚えがあるぞ。どこでだったか……クッ、固有結界の切り売りをやり過ぎたせいで思い出せない……!
 おのれアラヤ! これもそれも全部お前のせいだ! 人理が焼却されたのも、キアラに遭遇してしまったのも、なんか腹が痛いのも、俺が苦労してるのも、ついでに沖田の機嫌がなんか悪いのも全部お前のせいだからな! これは裁判沙汰ですよ……第一回英霊裁判で有罪にしてやる。裁判長はクー・フーリン、陪審員はフィンとディルムッド、女神からの無茶振りに定評のあるパリスくん、円卓出向組のランスロットとトリスタン辺りで裁判を行うのだ。ゲストとしてマーリンを呼ぶのも吝かではない。見事に女難ばかりの面子だ。ブリテン組は割と自業自得だったりするが。

「シロウさん、今すっごくバカみたいなこと考えてません?」
「……何を言う。私は常に今後を見据えて動くべく、真剣に頭を働かせているさ」

 突然口を開いた沖田。その後頭部に真面目腐って答える。いざという時は赤い外套の弓兵モードでやり過ごせるのだ。外行き用の口調でもある。なんかしっくり来るのだ。尤も俺の地がこんな感じなので長続きはしないが。

「嘘です。どうせ女の人のこと考えてたんでしょ……なんかシロウさんって、土方さんみたいに沢山遊んでそうですし……」
「失敬な。遊んだ事などあるものか。私は常に真摯にあらゆる女性と向き合ってきた。命の危険を感じさせられた女性からは逃げてしまったが……」
「……」
「基本。可愛い娘は誰でも好きだよ、オレは」
「……」
「ああ、言葉の綾だ。あくまで基本であって、誰彼構わず手を出すような真似は誓ってしてない。告白すると私は自分から手出しするスタンスではないからな。過ちを犯してしまったのは一度きり――ぐはっ!?」

 無言で沖田が肘鉄を脇腹に叩き込んできた。結構な威力に苦悶する。な、何故……?

「女の子が目の前にいるのに、そんな事言う罰です。猛省してください。後その喋り方、無性に腹立つのでやめてくださいね」
「す、すまん……」
「許しません。……ゆ、許して欲しかったら……」

 かぁ、とまた耳まで赤くなる。どうした、発作か? 背中を撫でてほしいのか?
 沖田は蚊の鳴くような声で、ぼそぼそと言った。

「ぎゅ、ぎゅって……してくださぃ……」
「……」
「な、なんですかっ。正当な謝罪要求です! それだけです!」
「……そ、そうか」

 言われるがまま沖田の体に腕を回し、抱き締める。背中が完全に密着し、沖田の体温が更に上がったのが分かった。心臓が早鐘を打っているのも。
 はゎ、と声を漏らして沈黙する沖田。抱き締めてほしいとか、父性にでも飢えてるのかね……。……いや、鈍感ぶるのはやめよう。らしくないにもほどがある。どうやら……沖田は……。

「……」

 気づかれないように瞑目する。こちらにそんな気はなかったのに、どうしてそうなるのか。
 東西の顔立ちの差はあるにしろ、アルトリアに似ているから多少は意識はしてしまっていた。それは認めよう。が、それを言ったらネロも同じだ。少しばかり甘くなってしまった自覚はあるが、こうまで慕われるのには首を捻ってしまう。
 しかも沖田は話してみた感じ、享年の二十代半ばではなく、外見通り十代半ばほどのメンタルをしているように見える。慕い方がうぶな少女のそれで、俺にはどうもやり辛い。好意を向けられるのは嬉しいが、応える気はないんだが。かといって突き放せば今までの関係が拗れるだろう。
 知ってるぞ、俺は詳しいんだ。こういう時に限って面倒な事になると。沖田の場合、想いが実らなかったら激しく気落ちし、カラ元気になる。そしてそのまま戦闘になって普段通りに戦えずに倒されるんだろう。都合よく強敵とかが出てくるに違いない。

 どうしたものか。心なしかアンドロマケの機嫌が急降下してる気もする。それでも大人しいものだ。誰とは言わないが見習ってほしい。やはりアンドロマケこそ最高の相棒である可能性が浮上するな。
 適当な策として、沖田にそれとなく失望される振る舞いをして、恋心を捨てさせるという考えが浮かぶも却下する。こんなギリギリな状況下では、ささやかな失態すらもが死に直結しかねない。余計な真似は厳禁だろう。
 直接振るのはメンタル弱めな沖田には悪い。戦闘に支障を来しては最悪だ。それに――最も弱るのは、俺が沖田の想いに応えたとしても、困る事はなにもない事だ。精々俺が個人的に、似た顔だからと意識してしまっていたアルトリアに申し訳なくなるぐらいで……。「そんなものは無視して沖田と仲良くなれ」というのが、人理焼却された人々からの大方の意見となるだろう。合理的な部分の自分はさっきから「いいじゃないか。誰も損をしない」と囁いてくる始末。
 俺はなんとなしに理解したが、この合理化の化身みたいな部分の俺は、霊基からの囁きであるような気もしてくる。夢に見たしな。黙れ、さもないとキアラに会うぞこの野郎、そう脅しつければ一瞬で沈黙する仕様だ。なおその場合、最大のダメージを受けるのは俺である。ウルトラ求道僧がなんとか漂白してくれてたらいいなぁ、と希望的観測を懐く。
 
 ……現実逃避ばかりもしてはいられない。かっぽかっぽとアンドロマケが蹄を鳴らし、荒野を行く。城から離れて二日経っていた。西に東に無作為に散策しているが、生存者の姿やサーヴァントは見掛けなかった。道中ケルト戦士団を見掛けたが――戦うか戦闘を回避するか悩んでいる間に、何故か一瞬にして蒸発してしまった。
 文字通り跡形もなく消え去ってしまったのだ。もしやケルトの首魁に何かあったのか。カウンター・サーヴァントが仕事をして、斃してしまった可能性はあるが、それはないだろうと思う。この特異点の元凶らしき者が斃されたなら、人理定礎が復元されるはずだからだ。……思えばこの時点で猛烈に嫌な予感がして、胸騒ぎを覚えたものだが……それ以来、蝗のように存在していた戦士団を見なくなっていた。

「ぁ、あの、シロウさん? 私……この病弱っぷり、どうにかしたいんですけど……どうにかなりません?」

 俺が壮絶に嫌な予感に襲われているのも知らず、沖田は呑気にもそんな事を照れ臭そうに訊ねてくる。
 城から出て四日目の事だ。本当に何もなかったからあっという間に時間が過ぎている気がする。持ってきている食糧と水は、後二日分はあるが。節約できるならするしかないので、食えそうなものを発見したらそちらを食している。
 辺りに目を配りながらも適当に応じた。どうにか出来るならとっくにしてると思いながら。

「……令呪で抑えるぐらいだな。まあ英霊としての存在から来るものだから、一度発作を抑えるのが精々だろう。端的に言うと恒常的に抑えるのは無理だ」
「ですよねー。ぅぅぅ、シロウさんのお役に立ちたいのに……また足引っ張っちゃったらどうしよう……」
「根本的にどうにかしたいなら、カルデアの誰かさんみたいに英霊としての自分を放棄して、新たに別の人間として受肉してしまうしかないな。春がそれで『新撰組』だった事実が消えるでもなし、沖田春とかにでもなれば、春の死因だった肺結核も普通に治療できるしな」
「え!? シロウさんの時代では治るんですか!? この呪い!」
「治る。飲み薬で治療するもよし、アイリさん……カルデアの回復役のサーヴァントだな。彼女の宝具で治癒するもよしだろう」
「へぇ~……なるほど……そんな手が……」
「……」

 なんで乗り気なんですかね。英霊としての自分を放棄するとか普通は断じて否と言うところだぞ……。

「え? なんでですか? 英霊としての誇りなんか私にはありませんけど……。私の掲げた誠の旗は、宝具としては使えなくても、誠の字を失うわけでもありませんし。ぶっちゃけ心の持ち様です。それに英霊としての霊基を投げ捨てても、私の剣が劣化する事なんてありませんよ?」

 だってこれ、スキルでも宝具でもありませんし。生前から使えてましたから、身体能力が落ちたところで使えなくなるわけではありません――と沖田。
 言われてみれば確かに。身体能力が普通の女の子のそれになったとしても、それは生前のそれに戻るというだけで、礼装なりなんなりを持てば普通に今の沖田の技量のままでサーヴァントとだって張り合える。真剣に考えてみれば受肉は沖田的にはアリだ。病弱っぷりがないパーフェクト沖田とか最高ではなかろうか。
 英霊のクラス別スキルとしての『気配遮断』が消えるのは痛いが、気配を断つぐらい俺でも出来るんだから生身の沖田にも可能だろう。縮地は技能だし、対魔力は元々ないようなもので、礼装で代用可能。考えれば考えるほどデメリットがなくなっていく。
 生身になれば慣熟訓練などはしなくてはならないにしても、それが済めば無限縮地と連発解禁された三段突きが可能という事に……安定感も体力もグッと増えるとなれば……あれ? これはひょっとしたら名案なのでは……?

 テキトーに口を動かしただけなのに、真剣にアリな気がして――



「シロウさんッ!」



 ――唐突に殺気を漲らせた沖田が、俺の腕を振りほどいて一瞬で馬上から飛び降り、飛来した短刀を弾き飛ばした。

 沖田の愛刀が閃き、火花が散る。
 瞬間的に俺の意識が切り替わった。魔術回路起動。双剣銃を投影する。沖田を無視して俺を狙った短刀を撃ち落とす。そして襲撃者は沖田を無視した代償をその身を以て支払った。気配遮断がほつれ、姿を現した女暗殺者を一刀の下、抵抗も許さず斬り伏せたのだ。その刃は女暗殺者の首を刎ねている。
 短刀から真名を読み取れる。その独特な仮面からも察しはついていた。『静謐』のハサン……。
 敵サーヴァントだ。だが奇襲は防いだ。ハサンも斃した。何も問題は……問題、は……。

 愕然とする。

 荒野。見晴らしのいい地形。
 そこになんらかの魔術で姿を隠蔽し、身を隠していたらしいサーヴァントが姿を現したのだ。

 《総勢100近いサーヴァントが》。

「――」

 沖田もまた驚愕に眼を見開いている。
 中には『百貌』のハサンがいた。しかしまだ分裂していない。
 コルキスの魔女メディアもいる。石化の魔眼を持つ女怪物もいる。その他幼い子供や絵本を持った少女など――女のサーヴァント部隊とでも呼ぶべき軍勢が、そこにいたのだ。

 一瞬、絶望が過る。

 しかしはたと気づいた。気づいて、沖田に問う。

「今の暗殺者……《弱くなかったか》?」
「――はい。霊基が不完全な感じです。戦闘力は然程でもありませんでした。意思も希薄なようです。まるで……」
「不完全な召喚をされたみたい、か?」

 首肯する沖田。絶望は過ぎる。活路は見えた。
 同数のケルト戦士団より強いだろう、彼らより個性的だろう、彼らよりバリエーションに富んでいるだろう――しかし。それだけだ。
 ならやりようはある。脳裡を席巻する敵軍勢の正体に関する考察を今は封じ、俺は沖田に指示を飛ばす。

「――俺が詰める。春は敵を適当にいなし、俺を守ればいい。往けッ!」

 承知。そう応じた沖田が、馬腹を蹴って黒馬を駆けさせる俺に合わせて疾走する。
 ――ケルトとの戦い。それは、早すぎるほど早く、転換期を迎えた。









 

 

ケルト的運命の出会いだね士郎くん!



 サーヴァントとは、度重なる戦により武勲を挙げた歴戦の英雄がなるモノ――ではない。

 その正体は英霊である。神話や伝説の中で為した功績が信仰を生み、その信仰を以て人間霊である彼らを精霊の領域にまで押し上げたモノ。その英霊を英霊足らしめるものは信仰だ。人々の想念を昇華したものであるが故にその真偽は関係なく、確かな知名度と信仰心さえ集まっていれば、物語の中の人物や概念、現象であろうが英霊となる。
 故に誰しもが戦巧みなる名将、武勇に長け足る勇士である訳ではない。中には戦いとは無縁の女スパイ、童話の絵本、悪名高き魔女、時代の変遷に巻き込まれた美しいだけの王妃、無辜の怪物と化した拷問狂の伯爵夫人も英霊として存在する。
 そうした戦技に疎いモノもまた、サーヴァントとなる事で戦い方というものは覚えられるが、余程宝具が強力であるか、英霊としての相性が良くなければ生粋の戦巧者に勝るものではない。

 故に。

「これで――五十ッ!」

 縮地の歩法を扱わず、対人魔剣も振るわず、対軍宝具である誠の旗も立てず。
 平凡な剣技を尽くすだけで、サーヴァントの軍勢は沖田一人に壊滅させられていた。

 如何に最高位の使い魔であるサーヴァントと言えども不完全な霊基である。その性能は低く、元々が戦に長けていないが故に連携も拙く、その連携をこなそうとする自我や知性すら足りない。それで魔法の域の魔剣を極めた沖田を止められるはずもなかった。
 相手がか弱い少女、妖艶な女の姿をしているからと容赦する剣者ではなかった。敵となれば掛ける情けなど欠片も持たないのが壬生の狼。呵責なき剣穿は心臓を穿ち、眉間を貫き、首を刎ね、脳天を割る。
 宝具を使おうとする者は皆無だった。扱えるだけの霊基が、魔力すらもが足りない。ケルト戦士団の個体よりも性能としては高いが――これでは戦士団の方がまだ手強いと言えるだろう。

 俺は余りの惨状に目も当てられない気分だった。

 ――おかあさん

 双剣銃より弾丸をバラ撒きながら、同時に虚空に投影した剣群を絶え間なく掃射している。沖田は俺に近づくモノを優先的に始末しているだけだ。それでも、あっと言う間に次々とサーヴァントと呼ぶのも憚られる敵を斬り伏せていく。
 百体に分裂し、ケルト戦士より何倍も弱くなってしまった『百貌』は俺が粗方始末した。残りは五十騎ほど。生き残りの中にはあのメドゥーサやメディアもいるが、メドゥーサは半端に自我があるせいか味方を巻き込まないように石化の魔眼を使っていない。

 ――ママ

 本来の彼女なら、自我と知性が希薄で宝具を使う魔力もない味方など宛にならないと判断し、味方ごと俺と沖田を石化させようとする冷徹さを見せたはずだ。神代の魔女メディアは、流石に知性が激減していようとも元々が極めて聡明な女性である。落ち着いてこちらを観察しているが、放つ魔術は悉くが情けないものに型落ちしている。剣弾であっさり相殺してやると、やるだけ無駄と諦めたように魔力弾を飛ばして来るだけになった。

「……醜態だぞ、メドゥーサ。コルキスの王女」

 ――母上……

 メディアは俺の中の霊基が知っているだけで、俺と直接面識がある訳ではない。しかしメドゥーサは共に戦った事のある仲間だった。些かの憐憫を覚えてしまうほどに、弱かった。嘗て慎二をマスターとしていた頃よりも遥かに。
 見ていられない。出来ればこんな二人は見たくはなかった。奇襲を仕掛けてきたのだから、なんらかの勝算はあるはずだと思っていたが。肝心の指揮官がいる様子もない。まさに烏合の衆である。

 ――……お母様

 コイツらは何しに来たんだと疑問を抱くほど脆かった。断末魔が揃って母への無念である事だけが、疑問と言えば疑問だが。それとておおよその予想は立てられる。
 多数のケルト戦士を生み出す能力の持ち主、ケルト側の黒幕が、聖杯でなんらかのインチキでもしたのだろう。霊基は脆く、自我は薄く、知性は足らず、魔力も薄い。しかしながら宝具だけは確りと持っているらしい。残留霊基(シャドウ・サーヴァント)ではなくサーヴァントの成り損ない、未熟児のようである。
 報われない。こんな真似をやらかした外道には、相応の報復を本来の彼女達に代わって行わねばならないだろう。――だが俺は悪魔的な閃きを得ていた。
 サーヴァントとしては見る影もない彼女達だが……。宝具だけは本物である。で、あるならば……《奪ってやればこちらの戦力向上に繋がる》。或いはいずれカルデアが来た時その宝具を触媒に本人を喚ぶ事も出来るだろう。

 ――不思議と。そんな畜生じみた発想に忌避感はなく。また実行に移すのに躊躇いもなかった。

 彼女達の代わりに報復してやろうという義憤。
 役に立つものを略奪してやろうという、非道。
 矛盾する思想がある。

「お前にしよう」

 吟味の時は短い。元より相応しい格の持ち主が少なく、俺に向いている武装を持っている女の英霊は更に少なかったからだ。
 先端に槍の穂先をつけた旗を振るう聖女に狙いをつける。貧弱な膂力より繰り出された旗を黒剣銃で難なく弾き、その背中を沖田が切り裂いた。よろめく彼女に馬上から蹴りを叩き込み、仰向けに転倒した彼女に馬上から飛び降り様に膝を叩き込む。
 呻いた聖女の眉間に銃口を突きつけ、発砲。聖女が消滅する前にその腰から剣を奪い取って、魔力殺しの聖骸布を投影して素早く包んだ。アンドロマケに飛び乗り、敵軍を見渡す。そして自身の周りに『熾天覆う七つの円環』を現して防禦を固めると、淡々と沖田に指示を飛ばした。

「春。眼帯の女を斬れ。石化の魔眼を使う気になったらしい」
「――はっ!」

 沖田が俺の傍から消える。一度目の縮地。反応の鈍いメドゥーサの背後に移動しその首を刎ね飛ばした。
 悪いな、メドゥーサ。カルデアにはチビの桜もいるから、その気があったら来てくれ――そう呟く。
 『熾天覆う七つの円環』で身を守りながら、魔力殺しの聖骸布で包んだ宝具『紅蓮の聖女』をアンドロマケの鞍に括りつけ――はたと我に返る。

「  」

 ゾッとした。戦慄した。無意識の行動に。英霊の誇り、サーヴァントの持つ信仰そのものと言える宝具を奪い取り、それに何も感じていない自分に気づいた。その事実に肌が泡立つような悪寒を感じる。今までの己なら絶対にしなかった行為……。戦力の向上に使えるかもしれない、それだけの理由で躊躇いもしなかった己に恐怖を懐く。
 薄紅の七枚楯に、沖田が離れた隙に集中砲火が浴びせられている。しかし一枚足りとも守りの花弁は破られていない。己の所業に絶句していた俺は、それで意識を切り替える。今は悍ましい行いを省みている場合ではない。俺はアイアスの楯を展開したまま無数の投影宝具を虚空に現し、冷徹さに徹して剣群を射出し続けた。

 やがて女サーヴァント達は、メディアを残して全滅してしまった。俺は敢えてアイアスの楯を消す。
 沖田は瞬時に距離を詰め彼女を斬殺せんと刃を閃かせるも、その前に彼女はマントを翼のように広げて飛翔する。逃がすものかと剣群を射出する素振りを見せた。――と、

「お春。俺の後ろだ」

 あたりを付けて指示を発する。沖田は声もなく反転し俺の背後に跳んだ。剣戟の音色、鋼と鋼がかち合う硬質な響き。火花が散っていた。
 俺の背後に姿を現したのは華奢な少女である。肩や腰のみを守る日本武者の甲冑を纏い、狸の尾のような鞘を提げ、日本刀を両手で振るっている。
 見え透いていた。あれだけの数のサーヴァントの成り損ないを隠していたのはメディアだろう。彼女にしか出来ないほどの姿隠しの魔術である。見る影もなく劣化している彼女だが、その知性の片鱗は残っているようだった。故に最後まで生き延び――当て馬にしかならないと見切りをつけていた味方には期待せず、奇襲に適した本命を最後まで忍ばせ、守りを解けばぶつけてくると思っていた。
 案の定……一瞥して刀を解析するに、牛若丸という真名のサーヴァントを隠していた。源義経が女だったという驚きはあるが、固まるほどではない。彼女もまた大幅に劣化しているだろうに、沖田と数合刃を交えるほどの剣腕を魅せるも、あえなく斬り捨てられる。決着を見届けずそちらから視線を切り、空中に逃れたメディアへと多数の剣群を投射して串刺しにした。
 メディアと牛若丸も消滅する。なんの達成感もないやるせなさだけが残った。

「戦闘終了です。大勝利ですねっ、シロウさんっ!」
「……ああ、そうだな」

 果たして勝利なのか。まるで失敗作を処理しただけのような気もする。
 非情な剣士としての貌から一転、晴れやかな笑顔を浮かべる沖田を横に沈思する。幾らなんでも弱すぎるのに……宝具だけは確り持っていたというのは、なんともちぐはぐ感を拭えない。
 それに――殆ど違和感もなく敵サーヴァント、ジャンヌ・ダルクから宝具を簒奪した自分自身。普段はなんともないが、鉄の心を固める戦闘時には合理性のみを追求する面が強くなっていた。危険な兆候である。魔神柱もどきを始末した時以来、固有結界の弾丸など撃ってはいないが……たったの二発だけで、随分と内面が変化している気がする。

 それはさておくとして、奪ってしまった宝具はどうするのか。敵サーヴァント軍団を殲滅こそ出来たが、彼女達はなんの目的があって奇襲を仕掛けてきたのか……。何故こんなにも弱く、指揮官が誰もおらず、捨て石の如く玉砕したのか。結局誰も最後まで逃げようともしなかった。メディアの飛翔も、こちらを牛若丸で不意打ちしようとする為の布石でしかなかった。
 考えねばならない事は山ほどある。
 ケルト軍の頭目は……戦士を乱造可能で、且つ戦士を統べていて、聖杯で滅茶苦茶な事を仕出かしそうな王と言えば……コノートのメイヴぐらいなものだろう。この推測があたりだとすれば、メイヴは何故女の英霊をこんなにも産み出した? この際どうやったのか、その詳細はどうでもいいとして……。クー・フーリンの夢の中で見て、実際に感じた印象にある限りだと……メイヴは強く、嫉妬しない男の戦士を好んでいる。「過去から現在、未来に至るまでの全ての男達の恋人」を自称する破綻者が、捨て石としてであっても女を産み出そうという発想を持つだろうか。
 それらを踏まえて考察するに……この未熟な霊基の女英霊達は――

「《試作品》、か?」

 或いは多数のサーヴァントを無理矢理に召喚しようとしているが、不馴れなのか力が足りないのか、効率が悪いのか、召喚形式をまだ確立出来ていないのか。
 ……勘だが、養分(ちから)が足りず、召喚形式がまだ不安定、といったところだろう。
 いずれは男の、歴戦の戦士であるサーヴァントばかりを産み出せるようになるかもしれない。そうなれば――極めてマズイ事態となる。

 頭が痛い問題だ。敵の本拠地はワシントン州辺りだろうが、そこまで攻められる勢力はない。本拠地を他所に移している可能性もある。現地勢力との接触も出来ておらず、そちらと協力出来るかも不明だ。さらに言えば――いや、そちらはいい。
 舌打ちする。沖田は不思議そうに馬上の俺を見上げてきていた。魔力殺しの聖骸布を取り、包んである炎の聖剣を消滅させようと思う。

 奪っておいて何を今更と思われるかもしれない。しかし我に返った今は、俺が持っておいてもいいものではないと思ったのだ。しかし――



「――なんだ。捨ててしまうのか? 勿体ないのう」



「――」

 俺と沖田の眼前に、唐突にその姿を現した女のサーヴァントに、瞬時に戦闘体勢を取る。
 しかしその槍兵は待てと言うように槍を小さく振った。――俺にとって頼もしさの象徴である朱槍を。

「一先ずは見事な戦振りであったと讃えよう。窮地に陥るようであったら助太刀しようと思っておったが、どうやら要らぬ心配だったようじゃな」
「――」
「儂にお主達と事を構える気はない。ケルトからお主らに鞍替えしようと思ってな。どうじゃ、儂を雇ってみる気はないか?」
「あんたは……」

 肌に張り付くような黒い装束。二振りの朱槍。
 誇り高く、何者にも傅かない、生まれながらの王者としての風格がある。紅い瞳、赤みを帯びた黒髪、鋭利な美貌――俺は隻眼を見開く。そして、思わず問い掛けていた。

「スカサハ、か……?」
「如何にも。というより知っておるだろう?」

 鷹楊に応じた影の国の魔女――スカサハは。
 魂の腐敗など欠片も感じさせない、サーヴァントらしい全盛期の魂を持って、自信に満ち溢れた若々しくも不敵なる表情で微笑んだ。

「我が最高の弟子より死を馳走された愚かな師。人理を守護するカルデアの前に愚昧にも立ちはだかった醜悪な魔女。カルデアのクー・フーリンに心臓を穿たれたモノ――スカサハ。いつぞやの迷惑の借りを返すまたとない機会じゃろう? どうじゃ、影の国の門番の力……お主の下で使ってみる気はないか?」

 唐突に現れ、突然の申し出に、俺は目を白黒させ。

「――あんた。意外と婆臭い喋り方なんだな」

 思わず地雷を踏んでいた。まず、と焦る俺に。しかし意外にもスカサハは明朗に微笑み、言い直す。

「《私の名はスカサハ》。我が弟子の主上よ、此度の戦陣に私を加えるがいい。弟子に劣らぬ槍をお主の為に振るう事を約束しよう。――どうだ、こちらの喋りの方が好みに合うか?」

 そうして。

 魂の腐敗は無く。しかしてその武練に衰え無く。
 美と武、知と魔。ありとあらゆる分野を極めた稀代の大魔女が、『人類愛』の許に参じたのである。







 

 

女難転じて福と成すのが士郎くん!

 
前書き
かつていただいた挿絵となります。
<i10692|44973>
<i10687|44973>
キアラ、ウルトラ求道僧、士郎くんの三人。「聖者の行進」という題がありました。
第五特異点での士郎くんと沖田さんの二人。恐ろしくクオリティの高いものです。
復活した挿絵はこれだけ……。



 

 




「なるほど。それでカウンター・サーヴァントを探しておる訳か」

 俺から聞かされた『人類愛』の現状に、スカサハは難しそうに頷いた。ふむ、と形のいい顎に手を当てて考え込むスカサハだが、その眼は好戦的に沖田と俺を品定めしている。まるで肉食の獣が舌なめずりをしているような印象があるが、ケルトは大体こんな感じがデフォルトなので気にしない。

 影の国の門番、神殺しのスカサハと言えば、ケルト神話でも屈指の頭イッてる系魔女である。一位はメイヴで二位はコンホヴォル辺りではなかろうか。
 クー・フーリンを弟子にして、彼が影の国にいる間のメンヘラ的な行動や、クー・フーリンが修行を終えて去ってからのスカサハの反応は本物のアレである。
 加えてクー・フーリンと宿敵オイフェの間に生まれたコンラを、コンラがクー・フーリンの手で殺されると分かっていて鍛え、アルスターに送り出す真性のアレでもある。しかしそれは、その時点で魂が腐り果てていたが故の所業だったらしい。
 全盛期の体、全盛期の腐っていない魂、全盛期の智慧と技量を兼ね備えた、切望していた死を得て英霊となったスカサハなら、そんなメンヘラ一直線な真似はしないだろう。……しないといいなって思う。

 沖田はスカサハの好戦的な視線にも自然体を保っている。しかし何時仕掛けられても即応できる間合いと姿勢だ。
 斯く言う俺は仕掛けられた瞬間死ねる間合いなので無防備である。沖田がなんとかしてくれるだろと丸投げ状態だ。是非もなし、槍の間合いの俺は無力なのである。

「そうだな。俺としてはあんたが仲間になってくれるなら万々歳だが――生憎とまだまだ戦力は足りないと踏んでいる」
「そうだろう。私もそう思う」

 おや、と眉を動かす。俺の率直な考えに、てっきり何らかの不愉快さを示すと思ったのだが。
 スカサハの戦士としての力量からして、自分が加わるだけでなんとかなる、そう自負していてもおかしくないと思っていた。だがしかし、どうやらスカサハにもクレバーな思考はあるらしい。いや女王ともなれば当然なんだろうが。

「私だけではメイヴの軍や、あの馬鹿弟子には勝てぬよ」
「やけに素直に認めるな……」
「ふ。私を殺せる者は馬鹿弟子ぐらいなもの。それがあのようなザマなのは癪だが、力だけは本物故な。認めるべき点は認めるとも」

 苦笑して肩を竦めるスカサハ。
 かっぽかっぽと歩くアンドロマケは、その艶やかな尾でビシビシと傍らを歩くスカサハを叩いている。
 随分と嫌っている様子だが、スカサハに気を悪くした様子はない。寧ろ面白がっている。随分と賢しい馬ではないかと。彼女は動物の勘か、スカサハに滲んでいる死霊の気配を感じ取っているらしい。
 それはスカサハ自身のものではない。余りにも多くの悪しき妖精、堕ちた神を殺し過ぎた故に、魂魄にまで染み込んでしまった魔力の類いである。スカサハはアンドロマケの行為が、自分や主に害がないか確かめているだけだと察しているから好きにさせているのである。

「――私は醜い魔女だ」

 彼女は夢見るように語る。

「人理焼却の折、私のいた影の国もまた燃やし尽くされ、私自身も人理を修復するまでは仮初めの死を得るはずだった。しかし魔神柱の思惑か――私の許に聖杯が現れた。その時に未来を視てしまったのさ、お主に召喚された、私の槍を持った弟子が乗り込んで来る未来をな」
「未来視の千里眼か」
「うむ。余り多用するものでもないが……視てしまったばっかりに自らの欲望を抑えきれなんだ。……私は魔神柱の思惑に乗り、影の国を特異点とした。それがどれほどカルデアにとって迷惑なものか承知していて尚、私欲を優先したのよ」
「……」
「果たしてセタンタめは影の国に舞い戻ってきた。はじめて私の許に修行に来た時とは比べ物にもならぬ力を携えて、な。嬉しかったよ、同時に楽しかった。私が聖杯を用いて復活させた海獣クリード、七騎のサーヴァント……カルデアにマスターとして加わった皇帝ネロ、お主の有り得たかもしれぬ未来の者、彼の騎士王にアルカディアの狩人……ああ、お主の養父もおった。死闘を繰り広げ、最後には私の視た通りセタンタも戦線に加わり、奴は私の許に突っ込んできおった。ふふふ……その時、私はなんと言われたと思う?」
「さあな。大方『この死に損ないのイカレ婆、いつかの約束通り、殺しに来てやったぜ』とでも言われたか?」
「はっ!」

 愉快そうに、痛快そうにスカサハは笑った。心底可笑しな事を聞いたとでも言うように。

「一言一句違わずその通りの事を言われたわ! なるほど、お主の気質はあの弓兵よりもセタンタ寄りなのだな? 道理で不愉快ではない。奴が気に入るのも頷けるというもの」
「ランサーを通じて俺が知ってるアンタと、今のアンタを一緒にするべきじゃないのかもしれないが……俺の知ってる限りだと怒り狂いそうな物言いだったろう」
「全く以てその通り、儂はあの時はつい、手元が狂ってしまいそうだった。所詮はサーヴァント、生きておる儂、いやさ私にとってそのクー・フーリンは余りに弱かった。当然だ、サーヴァントとは神代の者にとって劣化させられた枠組みに納められたモノ、生きておる私とは比べるべくもない弱さだったとも。簡単に殺せてしまうと思っておった」
「……」
「しかしな……いざ槍を交わしてみれば、どうだ。私は奴を殺せなかった。はじめは遊び半分、次第に本気になっていったが――どうした事だ? 技、力、巧さ、あらゆる点で凌駕していたにも関わらず、奴は一向に斃れぬ。気づけば全身全霊を賭して槍を振るっておったよ。ルーンも全開にし、魔境の叡知も惜しみ無く注ぎ込んでおった。だが……やはり斃せぬ。私には分からなかった。何故斃せぬ、何故己よりも弱いはずの者を相手にこうも手こずる。遂には問いかけておったよ。儂の方が強い、なのに何故儂はお主を殺せぬ、とな。まるで白痴のように」
「『英雄ってのは、力だけで捩じ伏せられるほど容易いモンか? それともアンタの弟子は、ただ強いだけの化け物に遅れを取る未熟者なのかよ?』……そう言われたんだろう」
「如何にも。それとこうも言われたよ。『昔のアンタの方がよっぽどおっかなかったぜ。どれだけ力の差があっても、今のアンタには負ける気がしない』とな。……ふふ、今のは似ておらんかったか?」
「全然似てないな。アンタ、物真似の才能だけはなさそうだ」

 言いおるわ、とスカサハは愉快そうだった。
 魔女は二本の朱槍を手の中で旋回させ、その場で槍を振るう。さながら目の前にクー・フーリンがいるかのように。
 激しく虚像と戦う素振りを見せる。まるで舞踏だ。凄烈にして凄絶、極みの槍の連撃。都合十一閃、俺なら十回死んでるなと思い呆れてしまう。
 戯れめいたそれに、つくづく接近戦のマズさを痛感してしまった。キレ、迅さ、巧さ、自分とは比較にもならない。殺気の乗っていない槍でこれだ、ランサーの奴はこれより何倍も強い生前のスカサハを斃したのか。やはり大した奴だ。

「至福の瞬間だった。幾ら槍を振るっても斃れぬ愛弟子……それどころか次第に反撃されるようになり、私の体にも傷を負わせて来るようになった。私は信じられなかったが――同時に嬉しくて堪らなかったとも。この領域まで……私が二千年かけて至った境地にまで食らいついてくるかと。結末は知っての通り、『捻れ狂う光神の血』を発動したセタンタめに、儂もまた化生としての本性を顕して血戦に移った。そして――負けたよ。信じがたい事に、私よりも何倍も弱いはずのセタンタに。そこではじめて思い出した。『英雄は負けられない戦いには絶対に負けぬものだ』とな。だから英雄と呼ばれるのだと……そんな初歩的な在り方すら、あの時の私は忘却していた。翻るに私は『死にたがり』で、戦士としての心意気すら劣っていた。まさしく負けて当然だったという訳だ」

 敗れ、死んだ。本当の意味で英霊の座へと招かれたスカサハは、そうして本当の意味で魂を救われた。
 そこで漸く自らの所業を省みたのだ。そしてスカサハは思ったらしい。《割に合わぬ》と。
 私利私欲で人理を滅ぼす側に荷担するなど笑止千万である。誇り高く、気高い魂を取り戻したスカサハは誓った。人理を修復する戦いに於いて、必ずカルデアへ味方すると。贖罪ではない。自らにとって、それは過去の己との訣別である。

「故に私はお主に味方をするのだ。全面的に協力させてくれと、頭を下げて願おう。私の度しがたい愚行、それを灌ぎ、腐臭のする魔女と訣別するには必要な儀式なのだ。でなければどの面下げてセタンタに会えようか……頼む。私がお主の……カルデアの戦列に加わる事を許してほしい」

 脚を止めて頭を下げたスカサハに瞠目する。隻眼を見開き、信じられないものを見た心地となった。あのスカサハが、頭を下げて頼むだと? 逆にこちらから頼みたいというのに。
 このまま馬上から応じるのでは礼を逸している。アンドロマケから降り頭を上げてくれと告げるも、スカサハは構わず続けた。

「私は魔道を窮めた。出来ぬものはそうはない。望むならお主の左目も治そう。そして――その身に宿している霊基の補強をしてもいい」
「――何?」

 スカサハの言に俺は驚愕する。魔道を窮めた者からすれば、そんなにも今の俺は……視ただけで解るほどに歪んでいるのか。
 考えるまでもなかった。首肯する。是非頼むと。するとスカサハは頭を上げて頷きを返すと、虚空に無数のルーン文字を刻む。ルーンについては知識も浅い俺には、それがどのようなものなのか読み取る事も出来なかったが、込められた魔力の質と、内包する概念の多様さは漠然と伝わった。

 それが俺の左目に吸い込まれる。瞬間、熱を帯びたような感覚がした。スカサハはやや意外そうにひとりごちる。

「――傷の治りが早い……お主、もしや《眼を抉り続けておったな》?」

 指摘され、眼帯で隠してあるのによくも分かるものだと呆れてしまう。よくよく大魔術師というのはこちらの理解を越えてくるものだ。

「治癒の目処はあった、しかし完全に傷が塞がっていれば治すのに難儀する可能性を考え、常に傷を刻み続けて塞がるのを抑えていたのか……無茶をする。相当な激痛があったろうに……それに、気づいておらんかったようだが、その傷口から結構な病に感染しておるぞ」
「ん? そうか……」
「そうかとはなんだ。儂が治せてやれるから良かったものを、そうでなければ命に関わっておったぞ。保って十年といったところじゃ」
「十年保っていたなら上等だ。その頃にはカルデアも来ているだろうからな。アイリさん……カルデアの治癒役の人が治してくれたはずだ。それに十年経ってもカルデアが来なかったら……どのみち俺は負けているだろう」

 沖田が凄まじい剣幕で睨み付けてくるのから目を逸らしつつ、治癒が終わったらしいルーンが光を消すのを見届ける。
 探知のルーンが俺の全身を検知して、病魔を殺してくれたのだろう。『私に殺せぬものなどない』とは生前のスカサハが、クー・フーリンの前でよく嘯いていた台詞だったが、どうやら病魔すら例外ではないらしかった。凄まじい万能性である。

 眼帯を外す。左目は塞がり、光を取り戻し、嘗てのような視界を取り戻した。しかし――今の俺にはこの視界は広すぎる。慣れるのに時間は掛からないだろうが眼帯を付け直した。

「何故眼帯を外さぬ? それでは治した甲斐がないではないか」
「いやなに……コイツは春――沖田総司の生みの親の遺品でな。ソイツは俺の命を救い、その上で俺に大事なものを思い出させてくれた。だから……まあ。出来れば外す事はないようにしたい」
「……え、私のお父さんです? いやいやいや、ザ・平凡って感じの私のお父さんが英霊になんてなれる訳がないじゃないですか」

 黙っていた沖田が流石に割り込んでくる。機嫌は最悪らしく、顔つきは険悪である。自分に傷とか霊基の事とかを黙ってるなんて、何考えてんですかばかマスター。そう言いたげな表情だ。
 しかし言われていても何も出来なかったと弁えているから追及してこない。睨んでくるだけだ。しかしその貌は可愛らしさの方が強い。微笑んで頭を撫でる。

「――お前の霊基は剣士と暗殺者のダブルクラスだろう? アサシンの方はお前と俺を出会わせてくれた恩人だよ。名は風魔小太郎、風魔忍群の五代目棟梁だ」
「風魔って、あの風魔ですか!? 道理で気配遮断の練度が本来の私より高かった訳です……不思議だなー、とは思ってましたけど……っていうか、なんでそれも今まで黙ってたんですか!?」
「小太郎の事は俺だけが知っていればいい……なんてふうに思っていた訳ではないけどな。なんとなく黙っていた方が、小太郎と俺が共有する秘密的な感じでカッコ良かったからだ」
「意味分からないんですけど!?」

 男のロマンが分からないか。良いけどな、俺の勝手な考えだ。
 スカサハは可笑しそうに相好を崩す。どうやらその手の方面にも理解がありそうだった。流石はケルト。

「ではいっそのこと、その左目を魔眼にするか? 眼帯をするならば、そうした仕込みがあった方が《らしい》と思うぞ」
「ほぅ、いいじゃないか。出来るのか?」

 自分の目を別のものに組み換える事になるとしても俺に忌避感はない。何せあの伝説の邪気眼になれるかもしれないのだ。何を躊躇う事がある。
 正直に言うと魔眼など要らないのだが、その場のノリでスカサハに訊ねる。すると彼女は不敵に笑った。

「生前散々魔獣や神獣を狩っていた故な、その手の魔眼の備蓄は有り余っておる。なんならサーヴァントもルーンで霊基を登録すれば、任意で召喚も可能だ」
「――何? いや……なんでも出来るといっても限度があるだろう。なんだその……反則じゃないか?」

 というか生前の財産を取り出せるとかどこの英雄王だ。
 俺の問いにスカサハは呆れたようである。

「何を言う。反則とはする為にあるのだろう」

 確かにと頷かされる。流石ケルト。さすける。
 俺がケルト的戦闘論理を持つのは、最初に契約したサーヴァントがアーサー王伝説のケルト的騎士道を持つアルトリアだったからで、その影響だった可能性が浮上してきたな。カルデアに入ってクー・フーリンと契約して更に加速してきた感がある。全部ケルトって奴の責任だな。間違いない。だから第一特異点でジャンヌを完封したのは俺の責任ではないぞ。
 お前がオルタ化してるのが悪い。だから俺を恨むなよ聖女殿……。炎の聖剣に内心、そう語りかけた。

「――といっても生前はともかく、今のところ登録してある霊基はない訳だが。さて魔眼の話に戻るぞ? お主の霊格や適性を考慮すれば、ノウブルカラーにも至れぬ低位のそれが精々となるであろうな」
「知ってた。知っていたさ。才能ないもんな、俺……」
「悲観する事でもないと思うがな。下手に魔眼の適性が高く、考えなしに魔眼があれば逆に『視られる力』の餌食となろう」

 ああ、確かに。
 視られる力とは、魔眼に対する防御手段の一つだ。万物に存在する『視られる力』を利用して、こちらを視る魔眼に意図していない視覚情報を叩きつけるものである。
 魔眼の天敵と呼べるもので、叩きつける情報の応用によっては相手を催眠術にかける事も可能で、相手の魔眼の力が強いほど効果を発揮し、更に相手が自身の視る力に無自覚なら、驚くほど簡単に術中に堕とす事が可能となる。初見であれば、某団扇の一族が持つ写○眼などは簡単にやられかねない。
 俺の知己に例えるなら、両儀の姉御にやっても余り意味はない。あの人は完璧に魔眼を操れている上に、吐きそうなほどの死の線とやらを見せても機嫌が最悪になるだけだ。逆に殺されそうになったのもいい思い出で。遠野の野郎は逆に簡単にノックダウンさせられる。強すぎるその魔眼を使いこなしているとはとても言えないからだ。やってみてお姫様に殺されかけた。こっちは割と真剣に死ぬかと思ったのでいい思い出ではない。

「お主に相応しい低位の魔眼となると……」
「いや、別に考えなくてもいいぞ」
「そうか? しかしだな、例えば動体視力を極端に向上させる類いならばすんなり馴染むと思うが」
「詳しく」

 掌を返して即聞く姿勢になる俺にスカサハは苦笑した。
 こんなふうに笑える人なのかと、またもや意外に思う。ランサーもえらいのに目を付けられているな……なんとなく同情してやらなくもない。

「名前もない程度の魔眼だが、コントロールを極めれば、音速を超えて飛来する矢の弾幕も、視た後でも正面から掻い潜れるようになる。相応の技量がなければ宝の持ち腐れで、それだけの技量があるならそもそも無駄でしかないが。目で追われているなら追われているで、トップ・サーヴァントならどうとでも対処は出来るであろうしな」
「俺からすれば喉から手が出るほど欲しいぞ」

 何せいつぞやの変身クー・フーリンとの戦闘で、俺は全くその姿を視認できなかったのだ。また中てろと言われても確実とは言えないのだから、実際に視認出来るかもしれないなら大きな力となる。
 俺がそう訴えると、スカサハは苦笑したまま「それはまた今度、お主の城でやろう」と告げる。お預けらしい。

「それよりもお主にとって深刻なのは霊基であろう? そちらを優先しようではないか」
「む。……それもそうか。だがどうするんだ? さっきも言ったが、俺の奥の手は固有結界を弾丸に込めて撃つ銃撃だ。中ればアンタであっても殺せるだろう。これ以上の切り札はないぞ」
「使わないでくださいよそれ……」
「無論使わぬのが一番だが、使わねば切り抜けられぬ場面もあるかもしれん。しかしだ、ならばそれ以上の切り札を作ればいいのではないか?」

 沖田の苦言にスカサハが乗じて言う。
 簡単に言ってくれるが、俺の魔術特性などを鑑みれば、これより上の破壊力はない。俺の固有結界は対応力はあっても決定打に欠けている。使わねばならない局面は今後、必ず出てくるだろう。
 これを上回る切り札を俺がどうやって持つ? そんなものが簡単に出来るなら、赤い弓兵の方がとっくの昔にやっていたはずだ。戦闘センスではあちらのエミヤシロウの方が数段上なのだから。
 スカサハがにやりと笑う。

「先程儂が言ったではないか。捨ててしまうのか、勿体ないと」
「――まさか」
「そのまさかよ。一目見ただけで解る。お主が旗を使う女――恐らくジャンヌ・ダルクであろう者から勝ち取った剣は、固有結界の亜種だ。それを毀れてあるお主の固有結界の補填に当てる」

 通常は不可能な芸当だが、今の心象風景を欠損しているお主になら出来なくはない、私がいればな、と。スカサハは嘯く。

「待て、それは……」
「? 心配するな、これは逸話や魂の在り方が具現化した類いの宝具。誂え向きにも『剣』の形をしておるのだから、『剣』の起源を持つお主には相性が良かろう。それに人格の侵食もまず無い。そちらはお主の中にある霊基が影響を受けるのみだ。何せそちらの方が霊格が高いのだからな。固有結界の欠損を補填でき、その強度も補強され、鍛練は必要であろうが固有結界の概念結晶化も会得できるかもしれぬ。お主だけが持つ究極の一を生み出せるかもしれんのだ、メリットしかないと思うが?」
「そういう問題じゃない。ただの剣ならそこまで躊躇わないだろうが、これは……これは、英霊ジャンヌ・ダルクの魂そのものなんだぞ。俺如きに取り込むなんて分不相応というものだ」

 堪らず反論すると、スカサハは一瞬きょとんとした表情を見せる。そして可笑しそうに笑った。

「何を言うかと思えば……よいか? お主は如何に見る影もないほど劣化し、本来の十分の一以下の力しかない聖女であっても、それを打ち倒して武器を奪ったのだ。それは戦果として誇ってもよい。それにだ、彼の聖女であれば、人理修復の為に使われるなら喜んでお主に協力するとは思わんか?」
「それは――そう、かもしれないが……」

 しかし所詮は想像でしかない。実物の聖女なら嫌がる可能性もあるのだ。その高潔さが本物であっても、まともに話した事もない相手に甘える形になるというのは……。

「迷うな。どうあれその剣は、既に戦って勝ち取ったお主のモノでしかない。それをお主の為に使って誰が責められる。お主を批難する資格があるのは聖女のみで、その聖女はお主に敗れたのだぞ。ならば誰にも責める資格はあるまい」
「……」
「……はあ。難儀な性格をしているな? それでこそなのかもしれぬが……今回ばかりは儂の、いやさ私の助言に耳を傾けてくれ。これからマスターとして仰がんとする男の生存率を高める為だ」
「……分かった」

 渋々と頷く。
 これではまるで、俺が利かん坊みたいじゃないか。
 炎の聖剣をスカサハに渡しながら英霊ジャンヌ・ダルクに語り掛ける。俺は貴女を利用する。嫌なら拒んでくれ、と。
 しかし――炎の聖剣は、原初のルーンを介してなんの抵抗もなく俺の中に埋め込まれていく。信じられないほど何事もなく、かちり、と歯車が噛み合ったようだった。

 まるで……城塞のように重く、固い意思の強さを感じた。幻聴が聴こえる。『貴方ならきっと問題なんかありませんね。微力ながら、力添えさせてもらいます。貴方に神の御加護を』と。

「バカな……」

 驚愕する。あの救国の聖女が、俺如きと同化させられるのに、なんの抵抗もしなかった……?
 それどころか、積極的に欠損を埋めてくれているようではないか。

 スカサハがしたり顔で頷いている。

「――その力を使いこなしてやるのが、《我がマスター》に出来る唯一の報い方だろう。執行した私が責任を持ってマスターを鍛え上げる。否と言うか?」
「……いや。それこそまさかだ。これで尻尾を丸めるようだとジャンヌ・ダルクだけじゃなく、これまで俺を支えてくれた全ての人達に顔向けできなくなる」

 ドイツもコイツも、俺に期待してくる。重荷を負わせる。だが望むところだった。
 どうせ無茶な旅をするなら、荷物と期待は重ければ重いほどいい。その分、俺の足跡はくっきりと残るはずだ。俺の答えに、数多の英雄を育て上げた女王は不敵な笑みを湛える。

「――彼の世界有数のキング・メーカーとの合作となるのか。腕が鳴るな」








 

 

ブラック上司な士郎くん!





 影の国の女王スカサハを味方に出来た。これは充分な成果である。故に『人類愛(フィランソロピー)』の待つ城へ早急に帰還する事にしたのだ。
 随分お早いお帰りですね、マスター。アルジュナのそれは皮肉な台詞だが、表情は苦笑の形である。一ヶ月どころか十日も経たずに帰還したかと思えば、アルジュナに匹敵するサーヴァントを――それも元はケルト側であったスカサハを連れ帰ったのだ。マスターは天運を味方につけているのではないか、そう思ってしまいます。アルジュナの言葉に俺は呆れた。
 天運なんてものがあるなら、どんなに楽か。俺の場合はどう考えても悪運だろう。辞書にある『悪い事をしても報いがなく、意外にも恵まれた強い運』というのではなく、文字通りの『悪』運だ。
 人混みを掻き分けカーターが駆け寄ってくる。その表情には重責から解放されたような安堵の色が滲んでいた。

「BOSS! お帰りなさい!」
「ああ。……ったく、安心を表情に出すな。馬鹿垂れ」

 苦笑してカーターの額を小突いた。照れた風に笑うカーターに、まだまだだなと思う。この調子では当分安心して留守を任せられそうもない。
 ……ん? 何か……難民の数が増えている……? いや報告がないという事は気のせいか……そちらの管轄はエドワルドだ、此処に来ていないという事は気のせいだろう。

「報告はあるか?」
「は。六日前になりますが、サーヴァント・タイプの敵軍が攻めて来ました。数は二百と少数でしたので、アルジュナさんやシータさんの攻撃で短期の内に殲滅されました。そして三日前にケルト戦士五千もまた、お二人に殲滅されました」
「……二百か。アルジュナ、シータ、こっちに。ブリーフィングをする」

 ケルト戦士の方はもういい。なんだ、たったの五千かと――我ながら感覚のぶっ壊れた感想がある程度。
 それよりも気掛かりなのは、サーヴァントだ。
 カーターにエドワルドを呼びに行かせ、兵士にアンドロマケを預ける。俺はアルジュナ、シータ、スカサハ、沖田を連れて城の内部に組み立てた攻城兵器、攻城塔(ベルフリー)を登った。
 アメリカに城はない。キャッスルと名のつくものはあるが、城塞と呼ぶにはお粗末な防備だ。俺達のこの城も例外ではない。ここを攻略するのに対城宝具など不要だ。魔力放出の乗った攻撃か、それなりの怪力技能持ちなら簡単に破壊できてしまう。四方を囲む城壁は気休め程度である。尤もその気休めこそが必要だったわけだが。

 故に見張り台となる攻城塔は欠かせない。周囲を監視しながら、会議が出来るのだから。

 俺はカーターとエドワルドが来るのを曇天を見上げながら待った。風が少し強く、冷たい。気を利かせたスカサハがルーンの結界を張って風を絶ち、微弱な熱を発するアンサズのルーンで温暖化してくれた。
 有りがたいが、本当になんでもありの万能さだ。なんなら城の内部を、外の寒さと切り離してやってもいいぞ等と嘯いている。是非頼みたい。
 カーター達が登ってくると、最上部という最も高い場が暖かい事に目を丸くしていた。

「揃ったな。さて、『人類愛』初となるブリーフィングだ。各自忌憚のない意見を出してくれ」

 そう切り出し、設置した円卓を囲う。ブリテンのそれとは違い、こちらは本当にただの木製の卓だ。椅子に腰掛け、席についた全員を見渡す。
 俺、沖田、カーター、エドワルド、シータ、スカサハ、アルジュナ。僅か七名。内三人はただの人間だ。彼らが頷いたのを見て、一先ず口火を切る。

「まずは俺が留守の間の報告を聞こう。敵襲に関してはカーターから聞いた。アルジュナ、敵サーヴァントの特徴は?」
「全員が女性でした。そしてケルトの雑兵の方がまだ手強いレベルでしたね」
「なるほど。俺も百のサーヴァント・タイプの雑魚を蹴散らしてあるが、そこも一致するな。スカサハ、今まで敢えて聞いていなかったが、ケルトの首魁はメイヴで合っているな?」
「うむ」
「能力は」
「簡潔に纏めて言おう。自身が取り込んだ者の遺伝子から、それを複製して大量の兵隊を生み出せる。この力を聖杯で異常に強化させ、この大陸で暴威を振るっておる。しかし奴自身は強化されていまい。この力と聖杯の組み合わせで、奴の切り札である『二十八の怪物』の枠に魔神柱を押し込んで使役できる。聖杯か奴が健在なら、幾度斃されようとも投入可能ではあるだろう。そしてもう一人の首魁がクー・フーリンだ。こちらは説明無用だろう? 尤も、私は《アレ》よりもまだ上があると睨んでおるがな」
「――という訳だ。アルジュナ、敵サーヴァント・タイプの乱造はメイヴの仕業だ。今は雑魚でも、いずれ途方もない脅威となる可能性がある。侮るなよ」
「無論です」

 スカサハの艶やかな声音。アルジュナの涼しげな応答。霊格の高い英雄の存在感で、粗雑な会議の場に緊迫感が過る。しかし怯懦はない。ただの事実確認、そして打開策を追究する意思だけがある。
 しかしエドワルドは浮かない顔だ。悩みの種があるのだろうか。

「エドワルド、何かあったのか?」
「……は。実は市民……いえ、難民の者達が先日騒ぎを起こしまして」
「……」

 こめかみに静電気が走ったような頭痛がする。やはりあるか、その手の問題は。
 隻眼の視線を向け、続きを促す。

「騒ぎを起こしたのは、アンドロマケの牽いていた馬車の持ち主イーサンと、四日前に受け入れた難民達のリーダーのジョナサンです」
「待て。難民を受け入れたのか?」
「は。BOSSの指示通り……」
「そういう事じゃない。それは真っ先に報告すべき事案だろう。なぜ報告に来なかった」

 目を細める。別段声を荒げた訳でもないのに、エドワルドは顔を真っ青にして口ごもった。

「も……申し訳ございません。穀物の蓄えのチェックをしていて……」
「言い訳をするな。それは部下や、雑用につけたクリストでも出来る仕事だろう。そちらの業務のトップにお前をつけた、トップなら自分のすべき仕事ぐらいは選別しろ。優先順位を間違えるな。エドワルド・シュピッツ、今回は許すが次からは同じミスをするなよ」
「は、ハッ!」

 俺は怒っている訳ではなく、ただ注意しているだけなのだが。そこまで恐縮されると俺が高圧的みたいで気まずくなる。はて、と内心首を傾げていると、隣席の沖田が苦笑して耳打ちしてきた。
 「シロウさん、ご自分にかなり迫力あるの忘れてません?」……おい。別に威圧していた訳じゃないぞ。誤解を招くような言い掛かりはよせ。
 嘆息してバンダナを外すと、なぜかその動きだけでエドワルドは硬直した。……なんか傷つくんだが。

「……続きを」
「さ――最初はただの口論だったようです。なんでもそのジョナサン・ホークウィッツという男、大陸軍の軍人だったらしく……階級は中佐で、最上位の自分がこの集団のトップに立つべきだと。シータさんや、アルジュナさんにも自分の指示に従えと……高圧的な振る舞いをしていました」
「ほう?」

 シータ達を見ると紅蓮の少女は苦笑いをしていた。事実ですと証言がある。
 なるほど、中佐か。俺としてはトップの席は投げ渡してやりたいところだが、流石にそれは無責任極まるだろう。一度助けたなら最後まで責任は持たねばならない。

「真っ先にイーサンが反発し、ジョナサンはそれに武力で応じました。イーサンの顔を張り倒したのです」

 あのイーサンが、か。アイツから俺への印象はそう良いものでもないと思っていたんだが……。

「……。……その場に兵士は?」
「いましたが、即座に対処出来る位置にはおらず、また数も少数でした。敵襲があったからです」

 四日前に受け入れたというと、ケルト戦士五千が攻めてきた前日か。そこからの流れは察した。敵襲の報せに泡を食ったジョナサンとやらが、なんとか切り抜けようとした結果騒ぎが起こったのだろう。下らない虚栄心からトップの座を狙った訳ではなさそうで、ひとまずは安心する。といっても、直接会ったわけではない。案外虚栄心の塊である線も捨てきれなかった。
 五千程度、インドの陣容でどうとでも処理出来てしまうが、有事の際には念には念を入れて防備につけとカーターに指示を出していたのは俺だ。対処が遅れても責められるものではない。責めを負うべきは責任者の俺だろう。

「それで? ジョナサンってのはどうした……いやどうなった?」
「それが……居合わせた難民達に囲まれ、リンチされました」
「……」
「現在は仮設医療施設で寝ています。左脚を骨折してあるようで……」
「分かった。処罰はどうした?」
「は?」
「処罰はどうしたかと聞いている。まさか何もしていない訳ではないだろう?」
「そ、それは……ジョナサン・ホークウィッツ中佐は、リンチされて脚を折られてありますので、罰を与えるのは流石に……」
「誰がそっちの話をした。ジョナサンをリンチした側への罰はどうしたと訊いている」
「えっ? あ……な、何も……」

「――戯けッッッ!!」

 卓に拳を叩きつけ大喝した。怒声を張り上げるやビリビリと攻城塔が震える。エドワルドが椅子に座ったまま腰を抜かした。
 隻眼を見開き、眼力を込め叱責する。あってはならない事だ。見過ごす事は許されない、

「先に仲間に手を出されたからと、一人を相手に多勢で私刑を加えた者達を咎めもしなかったのか?」
「し、しし、しかし、BOSSの指揮権を侵そうとした中佐は、罰されるべきでは……」
「――真性の間抜けか貴様? 確かに軍権を侵そうとする者は罰せられるべきだ。しかし何事にも踏むべき手順というものがある。それを飛ばして一方的に断罪する事はあってはならない。お前や難民達が俺を慕ってくれているのは嬉しいが、忘れるな。俺達は独立した組織ではない。あくまで他に行き場のない者を保護し安全圏に移るまでの団体に過ぎん。大体、俺は正式な軍人でもなんでもないんだぞ。ジョナサンからすればお前達兵士は自分に従って当然だ。それに如何なる事情があれ、一方的な私刑を加えてなんのお咎めもないなどという悪しき前例を作ってどうする? 非常時だからこそ綱紀粛正は徹底しろ。エドワルド、今すぐに私刑に加わった者を集め然るべき罰則を与えろ。合法化される私刑など存在しない。存在させてもいけない。……分かったなら行けッ!」
「は――はッ!」

 エドワルドは転げるようにして立ち上がり、急いで攻城塔から降りていった。それを見送る。
 暫し沈黙の空気が流れる。ふ、とスカサハが笑みを浮かべた。

「……立派に将帥らしく振る舞えておるようだな、マスター」
「茶化すな、スカサハ。こちとら頭が痛いんだ。なんだってここまで俺は神聖視されているんだ……? ジョナサンって奴は正当な立場から、留守の俺からトップの座を代わろうとしただけだろうに」
「それだけマスターは、彼らにとって大きな希望なのでしょう。命を救われた、保護して此処まで連れてきてくれた……彼らはマスターの指導力に心酔して、だからマスターの立場を脅かす存在を受け入れられなかったのだと思います」

 ですよね、カーターさん。シータがそう水を向けると、カーターはなんとも言葉にし難さそうな表情で小さく頷いた。あくまで平静なシータの物言いと、カーターの肯定はそれが事実であると表しているようで、俺は鉛色の吐息を溢した。

「……そこまでか? 俺は当たり前の事をしているだけだぞ……? 出来るからやった、やらなければならないからやった。それだけなんだ」
「マスターはご自身の評価が甘いようですね。その当たり前を実行し、成功させられる者が他にいますか? 彼らの集団心理は当然の帰結として、貴方に依存してしまった。しかしそれは悪い事ではありません。この非常事態に在って、貴方さえ無事なら彼らは希望を見失わないという事なのですから。誇ってください、貴方は偉業を成し遂げている。此処が特異点でさえなければ、マスターは英霊に列されても不思議ではない功績を積んでいます」
「アルジュナ……」

 マハーバーラタの大英雄は秀麗な美貌に柔和な笑みを湛え、素直に賛辞しているようだった。こそばゆい率直なそれに、俺は顔を顰めるしかない。
 英雄なんてガラじゃないってのに……。そんなものに成りたくて、こんな馬鹿げた戦いに飛び込んだ訳ではない。俺が英雄かそうではないかという話ではない。全くナンセンスだ。
 俺は咳払いをして、仕切り直す。論点がズレてしまわないように舵を切り直した。

「……カーター、他に報告は?」
「いえ、何もありません! BOSS!」

 同胞であるエドワルドが叱責された直後ゆえか、妙に緊張している様子のカーターに苦笑を禁じ得ない。

「畏まるな。……では本題に入ろう。俺から提示する議題は三つだ。『防衛線の構築、退路の確保』が一つ。敵に攻められる度にこの城を危険に晒していれば、一度の失敗で全てを失いかねない。これは急務だ」

 異論はないようである。彼らにも挙げたい議題はあるのだろうか。
 余り俺だけが案を出すという場にはしたくないんだが……出来ればカーターも考えていてほしかった。

「『兵站の確保』が二つ目。これも可及的速やかに解決せねばならない。食えねば死ぬ。直接的な脅威である外敵の排除と並列して、こちらも確立しなければならない。なんとしてもだ。これはスカサハに任せようと思っている。なんとかしてくれ」
「なんとか、とは?」
「なんとかだ」

 反駁するスカサハに、鸚鵡返しに繰り返す。
 ほんとなんとかしてくださいスカサハさん――その切なる願いが伝わったのか、スカサハはなんとも言えない微妙な顔で頷いた。

「分かった。やれるだけの事はやってやろう。土壌や種子に手を入れ、これを植える。どれほど過酷な環境だろうが関係なく育ち、二ヶ月周期で収穫出来るものを作れるか試みよう。成功すればひとまず餓える事はあるまい。城内の一部区画を異界化させるぞ? そこで色々と試すのに一週間、経過次第で導入する。それから一つ目の議題で上がった防衛線の構築も請け負ってやろう。流石にこの城は脆すぎるからな。時は掛かるが、いずれ神代の城並みに頑強に組み換えるのも面白い。それと平行してこの城を中心に砦を幾つか建てればいいが、そちらはマスターと兵士、それか民の仕事とすればよい」
「……」
「…………」
「………………驚きましたね」

 沈黙する俺達。アルジュナがポツリと溢した。
 む、どうしたと言いたげなスカサハに、俺はお手上げのポーズを取った。

「……本当になんとかなってしまいそうだな。これからは『流石ですスカサハ様』を『人類愛』の標語としよう」
「やめんかっ」

 スカサハは気恥ずかしげに頬を染める。持ち上げられるのは恥ずかしいらしい。
 ……云千歳のお年寄りがこんなリアクションをしているのを見たら、クー・フーリンはどんな顔をするだろうか。そう思うも、そういえば中身も外見相応になっているんだったなと思い出す。

「三つ目の議題は『兵士の練度の向上』だ。カーターも自覚はあるだろうが、お前達の練度は高いものではない。今のままの練度では、いずれ俺達全員の手が回らなくなり、お前達だけで行動しないといけなくなった時に困った事になる」
「BOSSはそのような時が来る、と?」
「必ず来るだろう。サーヴァントや俺だけが死力を尽くす……それだけでは越えられない事態が――いつか必ず起こる」

 断言した。根拠は怪しいが、トップの人間は責任の所在と発言を曖昧にしてはならない。
 必ずそうなる、必ずそうする、明言し続けねばならないのだ。そして有言実行せねば何も貫けない。今回は災害に備えるのと同じだ。災害は起こらない方がいいが、起こって欲しくないから問題点を考慮するのを放棄し、思考停止して備えないのは愚の骨頂である。
 故に兵士の練度を上げておくのは必須の備えだ。必要不可欠の力となると、俺は確信している。

「お前達からは何かあるか?」

 現状俺が提起する問題は以上だ。本当は他にもあるが、皆から挙げてもらいたい。
 沖田が手を挙げた。カーターも挙げようとしたが、遠慮したらしい。

「あ、じゃあ私からいいです?」
「いいぞ。それと挙手する必要はないからな」

 そうなんです? と小首を傾げる沖田に微笑ましくなる。なんというかその一挙手一投足が活発な少女らしく映って可愛らしく思ってしまう。

「はい。えっと……人住まうところに罪ありきってわけじゃないですけど、騒動が起こる火種っていうのはどこにでも転がってるわけです。ですので、この城……名前なんでしたっけ?」
「話を脱線させるなよ? 名前は知らん。カーター達も知らないようだからな。なんなら天国の外側(アウターヘブン)とでも名付けるか?」

 冗談めいて言うと皆が苦笑いを浮かべた。確かに天国の外側にありそうな現実だと。

「ま、沖田さんとしては名前なんてなんでもいいんですけど。ともかく、警邏隊を発足させるべきなんじゃないかなって思いました」
「あ」

 沖田の発言にカーターが間の抜けた声をあげた。
 どうやら同じ事を言おうとしていたらしい。俺としてはきちんと考えてくれていた事の方が嬉しいので、そこは問わない。

「そうだな。軍で言えば憲兵に当たる部隊は必要になりそうだ。お春風に言えば『新撰組』か?」
「あはは、ここがぁ! 新! 撰! 組だぁ! って土方さん風に荒ぶっちゃいそうですね! うーん、アリかもしれません! いっそ『誠の旗』を立てて、本物の新撰組で警邏隊を引き受けちゃいましょうか?」
「却下だ。常に宝具を発動し続ける気か? 平時は一個中隊を警邏に回すとしよう。訓練はお春がつけてやれ。それと……そうだな、シータを隊長とする。二人で協力して綱紀粛正に務めろ」
「はい! 分かりました!」「はい」

 よろしくお願いしますねー! と沖田の天真爛漫な笑みを向けられ、シータも微笑みながら応じた。
 案外いい組み合わせかもしれない。性格と能力を鑑みても。

「カーターも同じ事を提案しようとしてくれていたんだな?」
「は。しかし他に思い付くものはありませんでした。申し訳ございません」
「気にするな。考える事を止めなければそれでいい」

 情けない顔で謝ってくるカーターに手を振る。
 長々と会議する必要のある議題の内容は、これからじっくり煮詰めていくとして、それより先に詰めておく話がある。
 一応確認した。

「他にはあるか? ……ないみたいだな。なら役割を割り振るぞ。シータ、お春、スカサハは今言った通りでいい。カーターは今まで通りだ。後でエドワルドにも伝えてくれ」
「は!」
「アルジュナは窓際族だ。基本的に二十四時間体制で周囲の見張りを」
「お引き受けしましょう」
「頼むぞ。俺は全体を見て回るから、口出しする事は多々あるかもしれないし、逆に何もないかもしれないが……仕事をしてない訳じゃないから目くじらを立ててくれるなよ?」

 くす、とシータが笑みを見せた。出会った当初から身に付けている短剣が、なんともいじらしい。早く彼女の伴侶、ラーマを見つけてやりたいなと思う。
 まあ放っておいても颯爽と駆けつけてきそうではあるのだが、何もしない訳にもいかない。
 とりあえず俺はスカサハに言った。

「そちらの仕事が終わってからでいい。スカサハも全体を見て回ってくれ。兵士の訓練全般は委任する。死なない範囲でしごいてやれ。それから自然環境も厳しいからな、寒さ対策のルーンを頼む。あとこの大陸は魔獣もいそうだからな、それらを引き寄せ狩り場を作れるならやってくれ。貴重なタンパク質になる。それと兵士達の使える武器の生産も任せた。後は……」
「……待て。待てマスター」

 こめかみを揉みながら、スカサハが待ったと言う。
 心なし、冷や汗を掻いていた。気持ち顔色が悪い。

「私の仕事が……少しばかり多すぎはせぬか?」
「ん? 全面的に協力させてくれ(なんでもする)って……言ったよな?」
「……」
「言ったよな?」
「…………」

 にこりと渾身の笑みを向ける。
 数瞬見詰め合う。暫し沈黙が流れ、スカサハは心底仕方無さそうに肩を落とした。

「……分かった。やってやろうではないか。……覚えておれよマスター……」
「生憎と記憶力には自信がないんでな……」

 我ながら笑えないブラックジョークを飛ばすと、スカサハはなんとも言えない顔で嘆息したのだった。
 怨むならその万能さを怨むがいい……。












 

 

王の話をされる士郎くん!





 今日もひっそりと、墜ちていくように眠りに就く。
 その心は不朽。その躰は無尽。
 剣の如き男にも、休息の時は訪れるのだ。
 朽ちずに在る為に。力尽きずに立つ為に。就寝したその時だけは、鋼を磨ぎ直す安らぎである。
 ――しかし男は理解していた。この魂には片時も休らげる時など訪れないのだと。
 我が身の研鑽を()ませる安息は一切が不要。果つる練磨は収斂へ――見上げるソラに理想を視る。剣を鍛えろ、己を燃やせ。鉄を打つ鋼の旋律は苛烈な業火の調べである。

「王の話をするとしよう」

 焼け焦げた野原。黒ずんだ蒼穹。永久に廻り続ける歯車の下に佇む。
 裏返った楔を包む紅蓮の炎が、欠けていく心の芯を護っている。ぼんやりと聖なる炎を眺めていると、不意に聞き慣れた青年の詩が聴こえてきた。

「星の内海。物見の(うてな)。楽園の端から君に聞かせよう。君達の物語は祝福に満ちていると――」

 果たしてそうかなと苦笑する。
 お客さんだ、夢の世界に押し掛ける困った奴。醒めれば記憶に残らない幻のような(ユメ)
 純白の衣、純白の髪。無垢な笑みを湛えた青年は、その実非人間の人でなし。それがなかなかどうして、男は嫌いになれずにいる。
 例え人間を愛しておらずとも、人間の生み出す文様を好んでいるだけなのだとしても、純粋に生きる者は好ましい。

「――罪無き者のみ通るが良い。『永久に閉ざされた理想郷(ガーデン・オブ・アヴァロン)』」

 瞬間、剣の丘を埋め尽くす花の園。咲き誇る綺麗な花弁。
 フィルムを切り取ったように忽然と姿を現した花の魔術師に、男は気安く声を掛けた。

「よう、マーリン。また来たな」

 まるで気心の知れた男友達に対するかのような態度に、しかし花の魔術師は気を悪くする事はなく、逆に嬉しそうに微笑んだ。なかなか歓迎してくれる手合いがいないが故の喜びである。
 嘗てブリテンに仕えた宮廷魔術師マーリンは、杖を片手に気さくに応じた。

「来たとも、エミヤ君。おはよう、それともこんばんは、かな?」
「さあな。それよりまた記憶消してやがったな? 起きる度に忘却して、寝る度に思い出すって流れはうんざりなんだが」

 苦情をつけるべく物申す男の名はエミヤシロウ。
 こうしてユメのセカイで邂逅するのは初ではない。毎夜人知れず開かれる理想郷の鍛造期間は、他ならぬマーリンがシロウの為だけに設けた作成時間だ。
 英雄作成、王者育成。シロウの紡ぐ文様はマーリンの嗜好をそのまま(カタチ)としている。歴史を渡る彼へと懐いた憧憬に、多少の贔屓も罰は当たらないだろうと嘯いて。夢魔のマーリンは個人的に肩入れしていた。

 そんな彼は、男の文句に肩を竦める。

「君は人間だ。この一夜のユメを引き伸ばして、二週間とする時間の差は君の精神を疲弊させるだろう。だから起きた頃には何もかも忘れていた方がいい。ここで学んだ事だけを持っていって、結実するその時に、全てを思い出すのがベストなのさ」

 眠ったはずなのに疲れが取れないなんて、そんなのまるで拷問だろう? 優しいマーリンお兄さんはそんな酷い事はしないからね。起きる頃にはすっきり精神疲労も取り除く。アフターケアも万全さ――などと。このユメの中で、散々に男を打ちのめしている者の台詞とは思えない。
 だが男は苦笑するだけ。悪態も吐く、弱音も吐く、激怒して本気で殺そうともする。無理難題の試練を課す畜生、悪魔、外道、屑。罵倒のレパートリーはとっくの昔に品切だ。しかし男はこの人でなしには感謝している。このユメでの出来事は、きっと自分を助けてくれるだろうと確信しているから。

 そしてその心に触れられる半夢魔(マーリン)は、だからこそ喜んでいる。
 ずっと視ていた、ずっと追っていた。彼の織り成す文様を。不細工なそれを綺麗なものへと変えていく足跡を。最初は単なる興味から、次第に異なる時代の文様にも渡っていって、遂に興味は憧れとなったのだ。
 感謝しているのはこちらの方だとマーリンは思っている。

 ――嘗て己の裡に焼き付けた罪の残照。騎士の中の王、アーサー王のローマ遠征。その出立の日にマーリンは、彼女に告げられたから―― 

『ありがとう、マーリン。貴方に感謝を。私にとって貴方は偉大な師だった』

 ――それはなんて、皮肉なのか。
 彼女が膝を折った時、導いてやればいいなどと思い上がっていた自分に。遂に膝を折らず、祖国の滅びを食い止める事を諦めなかった少女は、マーリンに……その破滅へ導いた罪深き魔術師に感謝を伝えたのだ。
 それははじめて、人でなしであるはずの青年に罪を自覚させた。あの赤い丘。死と断絶、絶望に満ちたカムランで彼女は死ぬ。国は滅び、何もかもが終わる。しかしそこに至って尚、少女は諦めなかったのだ。辿り着いた末路を容認せず、セカイに否を叩きつけた。
 代価を支払うならば、奇蹟を掴む機会を与えようという悍ましいセカイの契約の誘いに、王は手を伸ばしてしまったのである。

 マーリンは絶望した。自分の仕出かした罪によって――よりにもよって漸く気づけた、愛するに足る尊さを持った心が擂り潰されようとしている。
 だが自分にはどうする事もできない。塔に幽閉されている自分には。最後を迎えてなおも諦めないあの王は、いつか必ずその手に聖杯を掴むだろう。そうして契約の通りにあの心は。アルトリアという尊い者は。セカイの歯車に組み込まれてしまう。
 だがそれは仕方のない事だ。セカイとの契約とはそういうものなのだから。
 しかし彼女は選定の日のやり直しを望むという。自分が王だったから国は滅びたのだと思い込んで。己の存在を否定してしまう。それだけは――認められるものではなかった。

 だが塔に幽閉され、視る事しか出来ない彼は、救いのない終わりを座して見守るしかなかった。そうして何もかもを見届け、その全てを記憶し続ける事が己に与えられた罰なのだと受け止めて。

 だがしかし――それは覆された。



 ――いよぅし! 美しい、なんて奇跡だ! 一体どうなっているんだこのセカイは!? まさか、まさかこんな結末があるなんて!



 ある島国で行われた聖杯戦争。その戦いに招かれた王の軌跡を見守っていたマーリンは、全く予想だにしなかった光景に喝采を上げた。
 ある少年と出会った王は、自身の足跡を受け入れ、聖剣を手放したのだ。
 信じられない奇跡、救済だ。少年は王を救った。その時から彼はずっと少年を視続けた。そして事が起こる度に拍手喝采を送り、そして。

『マーリン。私をカルデアの彼の許へ向かわせてほしい。私は再びシロウの剣として、その力になりたい』

 英霊の座にはいない、妖精郷にいるアルトリアその人から願われたマーリンは、喜んで彼の許へ王をサーヴァントとして送り出した。
 アルトリアが男の許へ喚び出されたのは偶然でもなんでもなかったのだ。依怙贔屓上等、ハッピーエンドの為ならなんでもござれ。全力で支援しよう。

 ――マーリンはその聖剣の如き男に憧れている。大ファンだった。

 感謝しているのはこちらの方だと伝えたい。しかしそれは言わぬが花なのだろう。
 だって『その方がカッコイイ』から。男同士の言葉にしない気持ちっていうのは、まるで自分までそのように在れるかもしれないと、夢魔なのにユメに見てしまえるようではないか。
 これこそが浪漫という奴なのだとマーリンは学ぶ事が出来た。それもまた喜びである。他者の感情エネルギーを食べて、そのエネルギーを消費して感情を出力しているだけであるはずの夢魔は、まるで自分自身の裡から溢れて来たような情動に浮き足立っていた。



「さて、今更君に座学の必要はないよね」



 何故か胡散臭いと嫌われる事の多い自分に対して、あくまで気さくに接してくれるのは喜ばしい。何せ彼には嫌われたくないのだ、好感度が高いようであるのは、マーリンとしても喜ばしい事である。
 しかしこの時間は無駄には出来ない。最大限有効に使い、彼がこのユメの中で過ごす十二日間もの体感時間をフル活用して鍛える必要がある。そして残り二日分の時間のリソースを眠りに費やしてもらい、その精神を安らげねばならないのだ。
 マーリンは気を取り直して、教鞭を振るう。何を隠そうこの花の魔術師は、アルトリアを王として完成させた剣の師でもあるのだ。

「僕はキングメーカーだけど、何も君を王とするつもりはないよ。というか、その素質は皆無だしね?」
「ほっとけ。知ってるさそれぐらい」

 ふふ、と軽薄に微笑むマーリンに男は呆れぎみだ。何を今更言い出すのかと。

「かといって僕の扱う魔術は、教えた所で君には使いこなせないだろう。形だけの会得だって出来ない」
「三流魔術使いで悪かったな……」
「エミヤ君は魔術使いでもなく、どちらかというと異能者側なんだけれどね。固有結界にだけ特化した魔術回路で、難度の高い魔術を習得するのなんか無駄でしかないよ。付け焼き刃にするのにすら君の世代では不可能と言っていい。そこは君の子供に期待だ。なにせ固有結界は継承可能だからね」
「……一つ聞いていいか? 俺が知らないだけで、もしくは忘れているだけで、俺に子供はいるのか?」

 なんとなく不安げにする辺り、男にその手の心当たりはあったりするのかもしれない。しかしマーリンは苦笑した。

「いないよ? 勿論どの女の子のお腹にもいない。避妊はばっちりみたいだね」
「……」

 安心していいのか、どうなのか、男はどう思うか悩ましげだったが。
 今はその話は横に置いていい。

「話を戻すとして――王者としての帝王学も無用だ。実利的な知識はもう持ってあるだろうし、何より王の資質すらない君に、王に相応しい格を持たせるのなんかは無駄なんだよね」

 だから王を創る必要はない。彼の気質は兵士でも、戦士でも、騎士でもなければ王でもない。
 将だ。指揮官だ。マスターとしての力量は現代の誰よりも高い。人々のエネルギーを繋ぎ合わせ、一ヶ所に集中させる手腕は類い稀なものだ。知名度補正がゼロ、剣士としての才能もない彼の弓兵は、本来なら中堅の英霊と同等かそれ以下程度の霊格であるにも関わらず、個人で持ち得る戦力の運用と戦闘センスで、近接戦でも騎士王相手に防戦を成立させるまでになっている。その『戦う者』としての才覚が指揮官としてのそれに振られているのだ。平凡であるはずがない。
 戦士として鍛えるのは影の国の女王の役目だろう。だからといってそちらを疎かにする気はないが、マーリンがこの男に施し、研ぎ澄ますのは異能に近い固有結界の収斂である。魔術回路を補強し、魔力リソースを底上げさせ、彼の中にある霊基に頼らずともいいようにする手回しも徐々にしている。
 そして他にもある。人理焼却からも免れている妖精郷にいるマーリンは死ぬ事がなく、英霊ともなれないが、あるクラスだけが持つ単独顕現のスキルを独自に習得しているマーリンは擬似的にサーヴァントとなる事が出来る。そのサーヴァントとしての技能で、マーリンは彼の魔術行使の練度を底上げさせていた。それは『英雄作成』の技能である。

 影の国の女王は、その技能である『魔境の智慧』によって、英雄が独自に保有する技能を除いたほぼ全てのスキルを高い習熟度で発揮出来るという。
 スカサハと密談し、最新の英雄の育成プランを練っていた時に聞いた。彼女は自身が真に英雄と認めた相手にのみ、スキルを授ける事も出来るらしい。既に英雄であると認めていると、彼女は言っていた。「いずれはなんらかの技能を授けるのも面白いであろうな」とはスカサハの言だった。

 錬鉄の弓兵を超える英雄を育てるとは言わない。あの弓兵は「エミヤシロウ」の極致に到っている。無限の剣を操る戦士だ。「エミヤシロウ」は、あれ以上にはなれない。途方もない修練の果てに限界を超えて、神秘の薄い未来世界の英雄であるのにあそこまで到ったのだから。
 故に目指すべきはあの弓兵とは異なる極致。無限の剣による究極の一ではなく、収斂した一による窮極こそが、最新の英雄であるこの男の目指すべき場所。

 ――彼は兵士ではなく、戦士でもなく、騎士でもない。故に成るべきはあらゆる憑依経験、無限を束ねた剣士である。
 その一点に於いて、才能の如何で問うべきではないのだ。剣士としての才覚はこの男にはないが。それを鍛え上げて、その異能の極限に適合させ、臨界点の超克(リミテッド・ゼロオーバー)を果たすのがマーリンとスカサハの出した最果てだった。

 投影魔術による殲滅力を残し、且つ彼だけの窮極を結実させる。それを成すには、彼は余りに弱すぎる。
 経験が足りない。力が足りない。速さが足りない。巧さが足りない。硬さが足りない。彼は一生涯戦う者として完成する事がない。――このままなら。
 その未熟を超えて、完成させる事がマーリンとスカサハの仕事だ。

 故に。

「さあて。修練の時間だ。エミヤ君、君にはこれから十二日間、ずっとある人物と戦ってもらう」

 習うより慣れろ。アルトリアにしたように教え導くには、彼は余りにも才能がない。
 故にその鉄心の男を鍛え上げるものは、まさしく鉄火場こそが相応しい。
 ユメのセカイに於いて、全能であるマーリンがその花園に象ったのは幻である。しかしその幻を限りなく実物に近づけ、実体を与えるのはユメであるから余りにも容易い。

 男は精悍な貌を引き攣らせた。

 顕れたのは、典雅な剣士だった。
 花鳥風月を愛でる、魔法の域に至った魔剣を操る邪剣使い。物干し竿の如き長大な刀を持つその侍は、与えられる仮初めの真名を佐々木小次郎という。

「最初はアルトリア、次にクー・フーリン、さらにヘラクレスと来て英雄王、今度はコイツか……?」

 声を震えさせて男は剣を構えた。双剣と双剣銃の使用は禁止され、得意の絨毯爆撃も厳禁された。
 マーリンは満面に笑みを浮かべて言った。

「そうさ。今度も殺されながら覚えるといい。いやぁマーリンお兄さんは親切だなぁ! 幾ら負けても殺されても構わない、修行の相手を取っ替え引っ替え! こんなにも贅沢な師匠を揃えてあげるなんて、まさに出血大サービスとはこの事だよ?」
「うるせぇ! 出血してんのはこっちだろうが!? この鬼! 悪魔! マーリン! てめえ畜生ほんと覚えてろよ?! もう何万回斬り殺されビームで蒸発させられて心臓穿たれて射殺されて捻切られて撲殺されて絞め殺されて串刺しにされて粉微塵にされてると思ってんだよ!? 今度は斬首ですかそうですか地獄に落ちろこの野郎! ところで斬首ノルマは何回なんですか――!?」

「ざっと千個、自分の首が並んだのを眺めるのも、なかなかに乙なものかもね」

 藤姉ー! イリヤー! 助けてくれえぇぇぇ……。

 侍が馳せ、男の首が舞った。男の幻の首が一つ、並べられた瞬間である。





 

 

幕間「百人母胎」




 ――これは――

 ――まだ、まだ、先の噺となるけれど――

 ――神の手より巣立ち、訣別を告げた原初の時代――

 ――「百獣母胎」なる権能を持つ大地母神がいた――

 ――ティアマト――

 ――原罪のⅡ・ビーストⅡと呼称される――

 ――「回帰」の理を持つ人類悪である――



「あは」



 ――遠く、遠く――比較する事すら烏滸がましいものでしかないけれど――

 ――狂える女は、《聖杯と一体化して》――

 ――百の英霊の恋人(はは)となる為の最適解を見つけ出した――



「あはっ、あはははは――!」



 度しがたいほど無垢に、穢らわしいほど清楚に、悍ましく淫蕩に耽る女の瞳はどこまでも澄んでいる。
 歓喜しながら激怒し、振り切れた感情のメーターが戻る事はない。女は淫靡な仕草で自身の指を嘗めた。鮮血に濡れた女は、たった今捕食した人間の男の臓物の滓を飲み干した。
 ああ、ああ、足りなかった養分は(これ)だったのか。道理で何をしても出来損ないの女しか産まれなかった訳だ。女王に権能はない。聖杯を孕み、英霊の座に接続して、サーヴァントを強制召喚する事であらゆる男の戦士達の恋人(はは)となろうとしたが、そんな程度であらゆる生命の母である大地母神の真似事など、とてもではないが叶えられるわけもなかった。
 何せ命など産み出せない霊基だ。七つの聖杯を束ねたものよりも、なお上回る魔力炉心を持っている大地母神の足元にも及ぶまい。影すら踏めないだろう。

 どうしたって、限界がある。どれほど狂い叫ぼうと成せぬものがある。所詮その身はサーヴァント、生前(かつて)を越えられぬ影法師。
 だがそれがどうしたという。足りぬなら、よそから持ってくればいい。必要なのは何か? 霊基? それとも魔力? いいや、いいや違う。必要なのは「命」だ。純粋に養分が足りない。
 女王は号令を発した。この大陸を蹂躙する全ての兵隊の脳髄に直撃(でんたつ)される声ならぬ声を。

「可能な限り、生きてる人間は殺さないで! 生かしたまま私の許まで持って帰ってきなさい! 今すぐによ!」

 老若男女は問わない。試行錯誤の結果、捕食という工程を踏む事にしたのだが、何も直接食べる必要はない。必要なのは命なのであって、その肉と血、骨は要らないのだ。ただ強力な兵隊を求めているだけ。
 何せ女王が殺したいほど憎んでいる相手は、あの宝具を使った狂王をも深い眠りに落とすような存在。その正体なんて皆目見当もつかないが、なに、この大陸に存在する全てを殺し尽くせば自ずと相対することになるだろう。狂王を長い眠りに就かせた罪を償わせるには、まずその正体不明の敵ですらどうしようもない圧倒的な兵力がいる。
 かといって弱すぎたら話にもならないだろう。普通の兵隊では十万揃えたとしてもあっさり殲滅されてしまいそうだ。

 そうして、女王は嗤った。

 淫靡に、滾る情欲の炎を燃やしながら――はじめて成功した一人目の戦士に命じる。

「ねぇ、スパルタクス? 私のお願い、聞いてくれるかしら?」

 その戦士は青白い躰に数え切れないほどの傷跡を持つ、筋骨隆々とした巨漢であった。
 真名をスパルタクス。トラキアの剣闘士にして、第三次奴隷戦争の実質的な指導者である。
 彼を知る者なら驚愕するであろう。その眼には理知的な光が点り、彼の物腰は紳士的なそれであったのだから。そればかりか本来有り得ぬ態度で女王であるメイヴに「跪いている」。《絶対の忠誠と愛を抱いている》。《メイヴのためなら隷属をも喜びとする》という、叛逆者スパルタクスという英霊には有り得てはならない性質を持っていた。

「お願いとは言わず、どうか命じていただきたい。母よ。この私が、このスパルタクスが貴女に叛逆するもの悉くを抱擁しよう」

 ――ローマを相手に、僅か十数名で叛乱を起こし。戦力を瓦解させる事なく奮戦した指揮官。闘技場と戦場で闘い抜いた熟練の剣士。その力と手腕は本物だ。
 しかしその、弱者の為に強者に挑み、最後まで叛逆を貫いた気高い魂は――全て、母にして恋人であるメイヴへの愛へと置換されてしまっていた。

 彼は剣士(セイバー)・スパルタクス。

 その姿に、メイヴはどこまでも純粋に、穢れる事を知らぬ白百合の如く、邪悪に笑む。

「そう? なら命じるわ。スパルタクス――貴方はこの大陸にいる全てのサーヴァントを殺しなさい。もちろん、無駄死にはダメよ? 不利なら撤退してもいいわ。なんなら兵隊もあげる。幾らほしい?」

 にんまりと、下された圧制者の命令に、スパルタクスとは掛け離れた紛い物は。しかし本物のスパルタクスである剣士は笑った。

「では、百人の兵を賜りたい。我が恋人(はは)に叛逆せし愚か者を、この私が女王に代わって誅戮してくれよう」








 

 

アウトロー・オブ・アウトロー





 自由気儘に、風に吹かれる儘に、奔放に生きる。

 法に属するのではなく心に従う無法者。自らに課した自分なりの正義に寄り添って、誰に理解されずとも信念を押し通す。
 悪逆に牙を剥き、善の営みに背を向け、孤高に流れる一匹狼。それが刺激的(アウトロー)な男達。
 格好つけて一匹狼と銘打っても、そんな呼び名に縛られず、必要に応じて徒党を組むのもよしとする。
 そんなこんなで似た者同士、二人の一匹狼は徒党を組んだ。というよりウマが合ったから一緒にいてもいいかと、殆どノリで決めたようなものである。流れが変われば別れるし、意見を違えればあっさり訣別もするだろう。それでいいじゃないかと嘯いて、進路に悩めばコインが決めるさ(コイントス)。西に東に放浪三昧。とりあえずムカついたのならぶっ殺す、敵は決まって野蛮人。原始時代の勇者達。
 つまるところ、根がお人好しなアウトロー。小難しい理屈なんて要らなくて、腹が立ったら引き金も軽くなる。善意の押し付け、要らないったって押し付けよう。そんな感じで人助け、らしくないなと苦笑い。あれよあれよと祀りあげられ、気づけば辺鄙な村の用心棒になっていた。

「――で、オレとしちゃあ限界感じてんですけどね。コイツら護り切ろうたって無理がある」

 雪が降っている。大地は一面銀世界。真冬の気候は昼であっても過酷なもの。しかしこの地に住み慣れた者にはいつもの事。

 緑衣の弓兵、圧制に立ち向かった無銘の義賊。集落の近辺から、大軍が通れる道全てに罠を仕掛け終えたロビンフッドはうんざりしている。
 そんな彼に少年悪漢王ビリー・ザ・キッド――本名ウィリアム・ヘンリー・マッカーティ・ジュニアは気楽に応じた。尤も、金髪に青い瞳の小柄な少年は、その声音に相応しくない深刻な台詞を吐く。

「うん、それには僕も同意見かな。最初は千、次に五千、更に一万、この間は五万だ。戦略に関しては素人もいいところな僕だけど、戦力の逐次投入が愚策なのは分かる。お陰様でなんとかやってこれていたわけだけど……次は無理だろうね」
「次があったら敵さんは十万になるのかねぇ……あーやだやだ、罠作るにしても元になる材料も底を尽きてんのになぁ。うんざりだぜ、トラップもネタ切れだっつの」
「正直ロビンの破壊工作がなければ、僕達だけで百人近い村人達を守りきれなかったろうね。銃ぶっ放すしか能のない僕じゃあ、とてもじゃないけど真似できないよ」

 言いながら、村の外れで二人は地べたに座り込んでいた。日光を遮る木の蔭は、きゃっきゃと兄弟達と遊ぶ、雪塗れの子供達を眺める特等席。
 平凡な光景だ。特筆するもののない、映画にするとしたらまずカットされるだろう、なんの変哲もない凡庸な景色である。
 しかしそれを守った。あの、命あるものを皆殺しにする悪魔どもから。ロビンとビリーは、そんなこんなでこの名もなき村に居ついている。

 村人達には言っていた、訴えていた。
 ここに居座っていたらいつかは皆殺しにされてしまうと。座して死を待つぐらいなら、新天地を目指して旅立つ方が希望があると。しかし村人達は頑として村を捨てなかった。
 彼らは知っていた。どこに行ってもあるのは地獄。悪鬼羅刹の如き戦士達が、生けとし生ける者を鏖殺しているのだ。どのみち死ぬと分かってる、なら最期はせめて、住み慣れた村で死にたい。それが彼らの意思だった。

「――気持ちは分かるんですけどねぇ……」

 ロビンはやるせなさを溜め息に乗せて捨てる。

「どうしてこう、最後の瞬間まで生き残ってやろうって思えないんだか」
「強い人間ばかりじゃないって事だね」
「んなこたぁ知ってんですよ。嫌になるほどね」

 それでも思うのだ。死ぬ事を前提に生きてほしくないと。
 ロビンとビリーがいるからこの村はなんとか無事でいられたが、近隣はとっくの昔に全滅している。にも拘らず村人達に悲壮感はない。それは、彼らはもう諦めてしまっているから。ロビンやビリーという明らかに人間を越えた存在が居ても。
 だってその二人が言っている、護りきれないと。護りきれないという事は、外に出ても同じという事ではないか。

「――ああ、ほんっと嫌になるぜ」

 不意にロビンは顔を顰めた。遠くで落石音が聞こえたのだ。
 ビリーは拳銃を取り出し、弾丸を込める。深々と嘆息して、苦笑いの表情でロビンに言った。

「やぁ、トラップ仕掛け終わってすぐ来るなんて、なかなか律儀な連中だと思わない?」
「勘弁してくれよ……二日もかけたオレのトラップ、一夜と経たずにおじゃんになんの? オレの勤労意欲は穴ぼこですよ?」
「それでも働かなきゃ、だね。君の罠を越えてきた連中を僕は撃ちまくる、君は影からちまちま弓を射つ、いつも通りさ」
「――それも今回限りだけどな。何せもうトラップに使えるもんがない。次からは大軍相手に真っ向勝負になっちまうぜ」

 その時はその時さと、飄々とビリーは笑う。いつも通りの少年悪漢王、されども瞳の奥にある暗鬱な光は隠せていない。
 どうする? と相棒の義賊に小さく訊ねる。今回はいい、しかし次は絶対護れない。その時に自分達はどうするのかと彼は訊いているのだ。
 表面上は軽薄に。軽妙に。あくまで合理的に緑衣の弓兵は言う。

「そん時は見捨てるしかないだろ。人理を守るためにオレ達は召喚されてるんだ。小さな村一つのために、その使命を捨てるわけにはいかねぇよ」
「……」
「なに、出来る限りの事はしてやったさ。これ以上骨を折って草臥れる必要はねぇ」

 完璧にその内面を隠しきったロビンに、ビリーは掛ける言葉を持たない。
 少年悪漢王は知っていた。その小さな村のために彼は生前、一国に歯向かった英雄なのだと。
 故に、ビリーは知っている。悔やみきれないほど悔やんで、それでも決断しなければならなかった事に苦しんでいるのだ。
 ロビンはそんな内心を押し隠している。それをほじくり返すほど、ビリーは悪趣味ではない。そっか、と小さく相槌を打つだけだ。ここの村人達は救えない、救われるつもりがないのだから、救えるはずがない。
 だからここまで。この一回の防衛を終えたら、彼らはこの村から離れる。ロビンは積もった雪を踏み締めて、あくまで軽口を叩く。

「にしても、かなりの団体さんみたいだぜ。さっきからオレのトラップ、全部引っ掛かってやがる」
「ふぅん。なら今回の成果はどれぐらいかな? 五割は固いね、七割削れるかも?」
「ソイツはいい、少しは楽が出来るってもんさ」

 ビリーも立ち上がる。なんでもない散歩に出掛けるような気楽さで、二人は戦場に赴く。
 この村の近辺を戦場にするつもりはなかった。残り僅かな彼らの平穏を守るために、罠を越えてくる敵軍を殲滅に向かう。
 村人達は死ぬだろう。老いも若いも関係なく、等しく皆殺しにされるだろう。だがそれまではせめて、心安らかに居てほしい。ささやかな祈りを胸に、英霊達は戦うのだ。

 そうして戦場にたどり着く。

 僅か百と一の敵の悪鬼を滅ぼすために。

「な――」

 驚愕は義賊のもの。罠の掛かり具合から、一万は下るまいと思っていた敵軍は、たったの百人だった。
 罠で削られた兵力ではない。最初から百騎だけなのだ。何故なら敵兵士は少しも傷ついていない。先頭を単騎駆けしている一騎のサーヴァントが、ロビンのトラップに《自分から》飛び込んで、兵士達が罠に斃れずにいいようにしていたのだ。
 落石、落とし穴、その他各種の精妙な罠の数々。自然界の毒であるイチイのそれもふんだんに使用している。例えサーヴァントが相手であってもただでは済まない芸術的な破壊工作だ。それに――全て嵌まりながらなお笑顔を浮かべて進撃してくる傷だらけの巨漢。
 小剣を手に、毒を喰らい躰に風穴を空け落石に押し潰され、なおもそれらをはね除けて進んで来る敵サーヴァント。

「はあ!? 幾らなんでもそんなんアリか!?」

 罠が躱される、捌かれる。或いは宝具や技能で無効化されたのならまだ分かる。
 しかしトラップの全てが通用しているのだ。確実なダメージを負っている。にも関わらず、あの筋肉の塊めいた巨漢は笑みを絶やさずに進んで来る。
 傷つく度に傷は塞がり。二度と同じ罠が効いていない。小規模なものはその肉体に弾かれ、或いは反射されているのだ。そして自らが率先して罠に掛かることで、味方の兵士を護っている。

 完全に想定外の罠の破り方。罠に掛かる事を前提とした強行突破。面食らうロビンだが、悟る。あの気色悪い筋肉笑顔野郎を止めるには、拘束系の罠でなければならなかった――

「チッ」
「まあまあ、敵はたったの百だ。片方があの筋肉を足止めして、もう片方が雑魚を撃てばいいだけだろ? 焦る事はないさ」
「そりゃあそうなんでしょうけどね、オレからしてみたら自慢のトラップをあんな笑顔(かお)で越えられちゃあ、流石に商売上がったりだっての」

 せめて鬱陶しそうにしろよと義賊は吐き捨てる。

 なんにせよやることは変わらない。元々万軍を想定していたのだ。敵がたったの百騎で、一騎のサーヴァントがいるとなっても、想定より遥かに掛かる労力は低いと言っていい。
 一際高い丘の上から、迫り来る敵軍団。突出して突撃してくる笑顔の素敵な剣闘士は、明らかに孤立している。ロビンは相方に提案した。

「……なあ、先にサーヴァントから斃した方がいいと思うんだけどよ、おたくはどう思う?」
「んー? 僕は構わないよ。それじゃあ僕が正面から迎え撃つ、君が横から撃ち殺す、これでどう?」
「いいぜ、スマートに決めちまおう」

 薄く笑みを交換し合い、ロビンは後退して丘の上から離れた。隆起した地面故に敵からはビリーの姿しか見えなくなる。
 ロビンは宝具『顔のない王(ノーフェイス・メイキング)』を使用してそのまま透明になった。気配も遮断され、彼の発する音も消える。ロビンを完全なステルス状態とする緑衣の外套は、生前に顔や素性を隠して圧制者と戦った事に由来する逸話型宝具だ。
 効果はシンプル、故に扱いやすい。単純に姿や痕跡を隠す事にだけ特化した物故に、まず直前に察知するには相応の幸運、技能を要するだろう。
 くるくると手の中で拳銃を回しながらビリー・ザ・キッドは思案する。間もなく筋肉達磨は射程圏、敵が剣を振りかぶったらカウンターで鉛玉を叩き込むのがスマートだが。

 ――どうもね。それじゃあ詰む感じだなぁ。

 罠にかかっていたところを見る感じ、傷は修復される。つまり負傷するのは織り込み済みだろう。さらに物によっては反射もされているように見えた。
 一度食らったものは無効化するか、反射するかのどちらかなのだろう。明らかに宝具による能力だ。であれば二度目以降は、その宝具を越えない限りまともに傷を負わせる事は叶うまい。頑強特化の面倒な手合いで正直ビリーとの相性は良くなかった。

「だけど、ま……それならそれでやりようはあるって」

 嘯いて、ビリーは腰のベルトに銃を納める。極東の侍が使う居合いに、どことなく似ている構え。
 後十歩……目的は足止め。真横から伏撃を食らわせるロビンが本命だ。例え傷を塞ぎ、二度目以降は無効化か反射をしようとも、毒に対する耐性は分かるまい。少なくとも一度は必ずイチイの毒に侵され、その体内に毒を蓄積してある。ロビンの宝具が効果的だ。
 ビリーは今それに思い至ったが、ロビンは一目でこれがベストだと判断できたのだろう。流石に古い時代のゲリラは考える事がえげつないなとビリーは苦笑いする。

 ――尤も?

 だからって、こっちが撃ち殺したらいけないなんて決まりはないよね。そう嘯くアウトロー。手筈通りスマートにやるのもいいが、一発で殺せたらそれが一番スマートだ。
 後一歩。踏み込んできたらさよならだ。おいで、相手になってあげると余裕綽々。剣とか槍とか、前時代的なのもいいけどね、火薬の味を覚えて帰ったら少しは文明人に近づけるんじゃない? ビリーは笑いながら神経を研ぎ澄ます。そして今、剣闘士がビリーの射程圏に侵入した――

「ファイヤ」

 抜き手も見せぬ神速のクイックドロウ。発砲音はただ一つ、マズルフラッシュが鮮烈に、心地よい反動が手に返る。
 果たして剣闘士は無防備に銃弾を受け――ない。銃撃手が仕掛けてくるのを肌で感じていたのだろう。正面切っての戦いで、剣闘士を出し抜くのは困難だ。彼は両腕を組み合わせ、小剣で頭部を守っている。丸太のような腕が胴を固める鎧となっていた。
 ……剣闘士を出し抜くのは困難? そんな困難、簡単に乗り越えてしまうのがアウトローってもんさ。
 放たれた銃弾は三発。一つの発砲音が鳴り響く間に三連射の早撃ちをしたのだ。一発は眉間に、これは小剣に阻まれた。だが二発目は腕と腕の隙間、ほんの僅かな空洞をすり抜け分厚い胸板に直撃した。三発目は右膝である。
 膝と胸を撃ち抜かれて剣闘士は転倒した。心臓を確実に捉えた確信がある。これでおしまい、ロビンに出番はないよとビリーは笑う。しかし――剣闘士は立ち上がった。

「――」

 目を見開く。心臓を貫かれてなんで? そのビリーの驚愕など剣闘士スパルタクスには関係がない。
 鉛玉はスパルタクスの筋肉の鎧に阻まれ威力を落としたのだ。心臓に当たりこそすれど即死させる事は出来なかった。剣闘士スパルタクスの頑強さは規格外のそれである。それでもどのみち死ぬのに変わりはないはずであったが――《即死しなかったのなら何度でも立ち上がる》。《傷は癒えている》。

「チィッ……! 大人しく死んでなよ、食らったんならさぁ!」

 ビリーは舌打ちして悪態を吐きつつ、飛び退いて後退した。剣闘士は哄笑する。

「ははははは! おお叛逆者よ! 我が恋人(はは)に歯向かう傲慢なる者らよ! 汝らを抱擁せん!」
「冗談……!」

 猪突猛進に突撃してくる剣闘士。更に銃弾を浴びせるも、今度は防御すらしなかった。悉くが反射されてしまう。ジグザグに後退するビリーが直前までいた場所を、ビリーの弾丸が貫いていた。
 反射されている。
 ビリーの弾はもう効かない。そう思うのが普通で、しかし彼は生粋のアウトローだ。そんな不条理になど屈しない。出し惜しみはなしだ、反射や無効化の鎧になんか負けたりするものかと彼は魔力を銃に込める。宝具『壊音の霹靂(サンダラー)』のお披露目だ。
 二度目の三連射はカウンターだった。剣闘士が小剣を振るわんと、目前まで迫ってきた瞬間に、ビリーは再び神速の三連射を放ったのだ。
 無駄だと言わんばかりに満面の笑みでスパルタクスは弾丸を受ける。そう、無駄だ。普通であれば。だがアウトローは普通じゃないからアウトロー。
 一発目は眉間。反射されてきた弾丸を二発目が迎え撃ち、三発目が間髪空けずにまた眉間。

「ぬァ……!?」

 スパルタクスが仰け反った。頭蓋を撃ち抜くには至らずとも、スパルタクスの宝具の守りを確かに貫いたのだ。それでも僅かに血が出た程度、抜き手も見せぬ神速の射撃術ですらそれが限界。その程度の傷では、瞬く間に治癒してしまう。
 だが必殺の好機は得られた。その隙こそが何よりも必要だったのだ。

「ロビンッ!」
「任せろ。――我が墓地はこの矢の先に、森の恵みよ……圧政者への毒となれッ。『祈りの弓(イー・バウ)』!」

 『顔のない王』によって潜伏していたロビンが宝具を使用する、真名解放と共に、右腕に装着した弓からイチイの木の枝葉が伸びた。スパルタクスは目を見開く。完全な不意打ち。イチイの木の枝葉はスパルタクスに絡まり巨木へと成長していった。

「ぬぅぅううう!!」
「へっ。見た目筋肉の割に頭もいいみてぇだが……生憎と相手に本領発揮される前に潰すのは生前から何度もやってた事なんでね。悪ぃが――そのまま死ねよ」

 巨木は成長し切ると同時に、スパルタクスから吸い上げた毒を吐き出しながら枯れ果てる。
 スパルタクスが散々に罠から受けていたイチイの毒が散華していく。それは剣闘士の霊核をも侵食し、彼を確実に消滅させた。
 敵サーヴァント撃破。達成感に浸りたいところだが後百ほどケルトの戦士が残っている。

「やれやれだ。何やってんだろうな……オレ達。なんの利益もないってのに」
「ただの自己満足さ。僕らはサーヴァント、報酬はそれだけで充分だろ? いいじゃないか、いずれ出会えるかもしれないマスターに、語って聞かせられる武勇伝が増えたとでも思えば」
「そう思うしかねぇか。あーあー……ったくこれからの旅を考えたら憂鬱になって――」

「――いいや。貴卿らの旅は此処で潰える」

 忽然と。たった今、漸く追い付いてきた漆黒の騎士が姿を現す。驚愕しながらも、腰の銃に手を伸ばすのはビリー・ザ・キッド。だが、

「悪いが貴卿の早撃ちはもう見ている。『縛鎖全断・過重湖光(アロンダイト・オーバーロード)』」
「ガッ――!?」

 迅く、切り裂かれる胴。切断面が青々と煌めき、そして莫大な聖剣の魔力が少年悪漢王の体内で迸った。

「ロビン、逃げ――」

 最期の言葉は途切れ、早撃ちの名手は消滅した。
 義賊の判断は早かった。敵の聖剣、その真名から決して敵う相手ではないと悟っていたのだ。
 仲間を見捨て、村を見捨て、退くしかない。忸怩たる思いも何もかもを省みずに、兎に角逃げるしか。

「『顔のない王(ノーフェイス・メイキング)』――!」
「フッ――!」

 させじと聖剣が閃く。姿の消えた緑衣の弓兵を、それは確かに捉えた。
 左腕が舞う。鮮血が散る。しかし命は絶てず。白い雪に足跡を残し、それを追って駆ける湖の騎士の剣閃はしかし空振った。

「……逃がしたか」

 森に消えた。足跡はない。木上に跳び移って木から木へ、音もなく、枝の揺れもなく、軽やかに逃げているのだ。それを追いはしなかった。
 何故なら彼には任務がある。長男であるスパルタクスの後詰めとして派遣されたが、スパルタクスは彼が追い付く寸前に討たれてしまったのだ。ならばせめて彼のもう一つの任務、資源の回収を果たさねばならない。

 スパルタクスの兵の指揮を引き継ぎ、彼は村に向かう。

 その男の名は、

 湖の騎士ランスロット・デュ・ラック。

 女王メイヴの《十三番目の子供》である。













 

 

ゲリラ・オブ・ゲリラ




 清浄なる湖の聖剣に魔力が込められる。敢えてその魔力を放出せず、聖剣に負荷を掛けながら斬撃を見舞い、斬り付けた対象の内部で莫大な魔力を迸らせるのが湖の騎士の奥義であるが――何もそれは、彼の王や太陽の騎士の如くに聖剣から魔力を放出し、対軍規模の斬撃を成せぬ訳ではない。
 そちらは《敢えて》使用していないだけだ。使おうと思えば使えるのである。そして事技量という一点に於いて、その才幹で円卓随一を誇るのはこのランスロットだ。
 叛逆者モードレッドが格上の騎士であるガウェインを討てたのは、ランスロットによってガウェインが深傷を負っていたからに他ならず。日輪を空に戴いたガウェインの猛攻を凌げるのもまた、円卓に於いてランスロットのみである。
 円卓最強の銘は伊達ではない。もしも全ての円卓の騎士と一騎討ちを行えば、理屈を越えて彼を下せる者がいるとすれば――それは騎士王と、彼の王が世界で最も偉大な騎士と讃えたランスロットの息子だけであろう。

 湖の騎士の技量に拠って聖剣を扱わせれば、アロンダイトを用いた魔力放出は威力の微調整をも可能とする。聖剣の刀身が青々と煌めいた。取り逃しこそしたものの、刎ね飛ばした緑衣の弓兵の腕を湖の騎士は微弱な魔力の放出を聖剣から行い、衝撃波によって跡形もなく消し飛ばした。万が一にも義賊が左腕を取り戻さぬように。
 この腕を放置し、あの義賊がサーヴァントを治療可能なサーヴァントか、もしくは魔術師と合流された場合、取り返されでもしたら面倒だと考えての事だ。
 ランスロットは苦い表情を隠し切れない。自らに立ちはだかった義に拠るサーヴァントを斬ってしまった事に内心、忸怩たる思いがあるから――ではない。
 彼の中にあるのは、自らの兄弟達の中で最も早くに産み落とされた長兄スパルタクスの後詰めに間に合わなかった事への悔しさ――それのみである。相性と地の利があったとはいえ、あの不屈のスパルタクスを短時間で見事討ってのけた弓兵と少年悪漢王への賛辞の念は欠片もなかった。

 頭を振る。死んでしまったものは仕方がない。長兄スパルタクスの成した仕事が『たった二千の資源回収と、一騎のサーヴァント討伐』のみで終わってしまったのには悔しさを感じるが、後はこのランスロットが彼の分も働けばいいだけだ。
 長兄から指揮権を引き継いだ兵に村を襲撃させ、一人残らず捕縛し彼らの命を輸送中繋げる為の食料を最低限奪うと、兵達の肩に担がせ移動を開始する。
 村人達の腕は塞がれ、猿轡の代わりに布を噛ませていた。その様はまるで家畜か何かを扱っているかのようだったが――それを見るランスロットの目には、女王への不満や村人への憐憫の情など寸毫足りとも見て取れなかった。

 高名な騎士には有り得ない冷淡な、冷酷な表情。まるであの村人達を人間だと見なしていないかのような徹底された無関心。
 それもそのはず。今の彼は――メイヴの下へ強制召喚されたランスロットは、人間を人間とは思えない価値観の改竄がなされている。
 彼が人間と認め、本来の在り方を見せるのは、彼の兄弟となるサーヴァントかケルトの兵隊、そしてメイヴと狂王のみである。それ以外は彼にとって回収すべき資源か、駆除すべき害虫でしかないのだ。虫けら如きに見せる騎士道などあるはずもない。

 騎士としての在り方はそのままに。
 保有する生前の記憶など殆どなく。
 あるのはメイヴへの愛情と揺るぎない忠誠のみ。
 メイヴ以外を女と認識せず、メイヴを至高と信じる――まさにメイヴにとっての完璧な騎士である。
 その剣腕、合理的な戦術思想、内面の騎士道。メイヴが最も気に入った七騎のサーヴァントの内、彼だけが「セイバー」と呼ばれている。それが誇りだった。

 人間達を運搬する。目指すは女王メイヴの待つ本拠地。今から帰還するのが待ち遠しい。騎士として王にかしずく喜びには……何故か。胸が張り裂けそうになるほど黒く、暗い絶望を覚えるが。それすらも今は、気が狂いそうなほど甘美な本懐である気がするのだ。

「――待て! 貴様ら……その民を何処に連れていく気だ!?」

 ランスロットは片手を上げ、兵達の歩みを止める。彼方より飛来するようにして現れ、眼前に着地して砂塵を舞わせたサーヴァントがいた。
 崖の近くの河の畔である。ランスロットは聖剣の柄を掴み、淡々と魔力を充填し始める。問答無用の戦闘体勢にその赤毛の少年は身構える。しかしランスロットは応じた。
 駆除すべき害虫。しかし手強いと鋭く見抜いた彼は敢えて口を開いた。本当なら害虫と口舌を交わす義理はないが、この手の虫けらには覚えがあった。敵を前にして問いを投げ、悠長に会話をしようとする姿勢。涙が出そうになるほど懐かしい気もする。しかし彼は合理的に、その会話の間の時間を利用する。

「突然現れたかと思えば、無用な問いを投げ掛けてくるとは。貴公の手にあるその刃は飾りなのか?」
「答えよ! その答え如何によっては、余は貴様を討たねばならん!」
「……ふむ。まあ答えてやってもいいか……」

 魔力の充填は完全に終えている。しかし聖剣に魔力を込めているだけで、使用している訳ではない。故に宝具『己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)』によるステータスの隠蔽、擬態を行えていた。彼が化けているのは己自身、しかして得物は槍であるように見せ、そして隠蔽しているのは限界まで既に充填してある聖剣である。
 ランスロットは勿体ぶりつつ、何気ない仕草で堂々と正面から不意を突く。

「我が敬愛せし女王陛下の許に、この資源は運搬している。貴公は手強そうだ。生憎と手加減が出来るほどの器用さはない。戦うとなれば覚悟してもらおう」
「痴れ言を……よからぬ儀に利用せんとする魂胆が透けて見えるぞ。さぞ名のある騎士と見受けたが、騎士としての誇りがあるのなら民を解放し去れ!」
「騎士としての誇りがあるなら? ――戯れ言を。私の振る舞いこそ女王の思し召しである。私への侮辱はそのまま女王を愚弄する事になる。その罪、死して償うがいい……叛逆者よ」
「叛逆者だと? 余が――?」
「――『無毀なる湖光(アロンダイト)』」

 その真名を解放する寸前に、宝具『己が栄光の為でなく』が解れる。赤毛の少年は目を見開いた。
 彼の主観で突如として槍が長大な剣となり、しかもあまりにも莫大な魔力を放っていたのだ。澄んだ湖の如き魔力が彼の逆袈裟からの斬撃により迸る。
 軍勢を薙ぎ払う静謐な蒼き斬撃の濁流。視界を埋め尽くす光の壁を、少年は咄嗟に斬撃の軌道上より回避して、瞬時に反撃に出んとするも。

 消えていた。

 兵隊を残して、漆黒の鎧に純白のマントを羽織っていた騎士だけが消えていた。
 何処へ――四方に視線を走らせるも姿が見えない。しかし怜悧な殺気が首を過った気がした。本能的に屈んだ少年が、直前まで首のあった所へ聖剣が通りすぎた。

「むんッ!」
「……!?」

 対軍宝具を目眩ましに使用した直後、姿を隠蔽する宝具を刹那の間に使用する切り替えの早さ。それは少年をして戦慄させるに足るもので。武の祝福を宿す少年は屈み様に片手を地面につき、体を支えながら蹴撃を騎士へと見舞う。
 これに騎士は腕の籠手で応じる。易々と防ぎ、少年の矮躯を反撃の刃で両断せんとした。切り返しの早さが尋常ではない。なんとか真紅の剣で防いだ少年は飛び退いて、怒りに燃えて騎士を糾弾した。

「卑怯者め! 姿を隠して不意を突かんとするとは、貴様はそれでも騎士か!?」
「……まだ口を開くのか。羽音が不快だが……その武を讃え今一度答えよう。騎士が誇りとすべきは主君の命を果たす事のみ。それ以外は無用である」
「ばかな……貴様ほどの……湖の騎士ともあろう者が、主の行いを正そうともせずに諾々と従うだけだと!? その知、その善の道を極めた武が泣いているぞ!」
「……なに?」

 アロンダイト。騎士はその聖剣の真名をそう言った――であればその真名は決まっている。
 円卓最強の誉れも高き、伝説の聖騎士である。少年は彼ではない何者かへと怒りの矛先を定める。何故なら、

「余には伝わったぞ……貴様は苦しんでいるな。主とするものに洗脳でもされているとしか思えん。ならば、このラーマが貴様を苦しみから解放してやる……!」
「……彼の理想王ラーマか。みすみす真名を晒すとは、愚かな」

 鼻を鳴らし、ランスロットは聖剣を構えかけ……しかし剣を下ろした。ラーマは訝む。またしても不意打ちを行う気かと。
 どうする気かは知らないが、小細工はさせない。理想王ラーマは今度は自分から仕掛けるべく四肢に力を込め、ランスロットは嘯いた。

「流石の私であっても理想王ラーマは手強い敵だ。故に――」
「往くぞ、湖の騎士よ……!」
「――来援感謝する、弟よ」
「ッッッ!?」

 瞬間、ラーマの肩に灼熱が奔る。悪寒が過り、身を捻っていた故に心臓を穿たれなかったが。
 それは《背後からの奇襲》だった。

「ぐァッ!」

 槍の穂先が後ろから左肩を貫き、直後、横腹を凄まじい威力の蹴撃が抉っていた。
 吐瀉を吐き散らし吹き飛んだラーマは、地面を削りながらなんとか体勢を整える。そして不滅の刃を構えて追撃に備えた。だが追撃はない。現れた二騎目の敵サーヴァントは、ランスロットの横に移動していただけだった。

「よ、来たぜ兄貴」

 その槍兵は俊敏な体の動作を阻害しない、黄金の鎧を纏っていた。孔雀のような羽飾りのあるコリュス式の兜を被り、重厚な丸楯を左手に持っている。
 鋭利な長槍は英雄殺しの槍。視界に映る全てを間合いとする彼は、遠くに戦闘に移った兄を見掛けて駆けつけたのだ。
 彼の真名はアキレウス。トロイア戦争最強の大戦士にして、メイヴが召喚したサーヴァントの中でも最強を誇る存在。此度の強制召喚ではエクストラクラスの盾兵として召喚されていた。

「貴卿の任務は?」

 ランスロットは淡々と訊ねるもその声音には抑える気のない親愛が滲んでいた。手の掛かる弟に対する兄のような態度で。それにアキレウスも満更ではない。アキレウスは弱者を兄と敬う気はないが、自分より先に産み出されたサーヴァントの中で、彼だけを兄と呼ぶほどに認めていたのだ。
 何せ彼の聖剣は神造兵装。アキレウスを傷つけられる武器。そしてその剣腕もまた、最強を自負するアキレウスが称賛出来る領域にあった。その知略、武力、精神性、兄と呼ぶのも吝かではない。

「俺は遊撃だ。見掛けた虫を潰すのが仕事で、兄貴みてぇに回収と統率は任されてねぇ」
「それは勿体ないな。貴卿の指揮の手腕も高いものだというのに。尤も、私はその遊撃に貴卿が就いていた故に助かったのだが」
「その貴卿ってのやめてくれ。ムズムズしちまう。んな事より、兄貴が助かるっつう相手は何者だ? まさか俺の槍を躱しやがるとはな」
「ラーマだ。愚かにも自分から名乗ったぞ」
「……へえ? あの理想王……なるほど、この虫は多少骨のある虫だったか」

 面白そうにアキレウスは嗤う。獰猛に槍と楯を構えて発される武威に、ラーマは歯噛みした。
 ランスロットだけでもかなりの難敵であったのに、そこに凄まじい速力を持つ槍兵が加わったのだ。圧倒的な不利である。しかし幸いなのは、その黄金の鎧を着た戦士は、どうにも一人で戦おうとしている事だったが――その希望の芽を、湖の騎士は丁寧に摘み取った。

「二人懸かりで行くぞ、弟よ」
「……俺にだけ任せる気はねぇのかよ? まさかこの俺が負けるとでも?」
「違う。我らが誉れとすべきは成果のみ。であれば個人の愉悦は優先すべきではない。理想王は強敵だ、万が一を考えれば確実に仕留めるべきだろう」
「……ちっ。兄貴がそう言うんなら、そうするさ」
「クッ……!」

 ラーマは、己が敗北する事を悟った。

















 崖から落ちる。聖剣に切り裂かれた小柄な体。深傷を負ったラーマを仕留めるべく、崖から身を乗り出したランスロットとアキレウスは――しかし、その姿を見失ってしまっていた。

「む……」
「……探してくる。少し待っててくれ」
「気を付けよ。伏撃があるやもしれん」
「誰に言ってんだよ」

 アキレウスは自信に満ち溢れたら笑みを残して、単身崖から飛び降りた。
 それを見届け、ランスロットは暫し待つ。
 しかしアキレウスはすぐに戻ってきた。英霊最速を誇る彼は、短時間で周囲を走り回ったのだ。

「駄目だ、どこにもいやがらねぇ」
「……既にマスターと契約していたか? 令呪で強制転移させたか……」
「なんでもいいだろ。次会えば確実に殺す。それで納得するしかねぇ」
「……ふむ、そうだな。であれば帰還しよう。貴卿も……お前も私と来るか?」
「おう、我らが女王に拝謁させてもらうわ」

 そうして、二騎のサーヴァントは去っていく。
 気配が遠ざかるのを確認し――彼は姿を現した。

 義賊ロビンフッドである。彼は『顔のない王』で姿を隠し、執念深くランスロットを追っていたのだ。
 彼は後少しで殺されるところだったラーマに覆い被さり、二人を『顔のない王』で包んで、彼らが立ち去るまで隠れ潜んでいたのである。

「おい、しっかりしろ!」
「ぐ、ぅ……」

 ラーマは頬を叩かれるも、呻くだけだった。ロビンは舌打ちする。命に別状はない、とは言えない。彼に応急手当を施しながら、ラーマを担いで彼は歩き出した。
 考えるのは敵の狙い。どうして村人を殺さなかったのか。生かしたまま本拠地に向かう目的は?
 ラーマは今すぐに死にはしないだろうが、その左肩と脇腹に受けた槍の傷が、治癒されない類いの呪詛に犯されているのを悟っていた。あの槍の能力だろう。
 このままではいけない、追跡して敵の狙いを掴まねば。しかしラーマを抱えていては……煩悶する彼だったが、しかしラーマは気絶状態からすぐに立ち直り意識を取り戻した。

「ぅ……? 余は……どうなって……?」
「お? 起きたか。どうだい調子は?」
「っ! 貴様は……!」
「待て待て待て! オレは味方だっつの!」

 ロビンの背中から飛び退いて剣を構えたラーマに、ロビンは慌てて隻腕を振って敵意のなさを示した。
 ラーマはすぐに剣を下ろす。敵だったら意識のない間に殺されていたと聡い彼は判断がついたのだ。寧ろ助けられたのだとも。

「すまぬ、余ともあろう者が醜態を晒した。貴様が余を救ってくれたのだな?」
「ああ。オレはロビンフッド……みてぇなもんだ。あんたはラーマってんだろ? 知ってるから自己紹介はいらねぇ。……連中はもう行ったぜ。で、オレはそれを追跡中ってな訳だが……あんたをどうするかで悩んでたんだ。その傷だ、足手まといを連れていく気はねぇ。けどほっといたらどっかで犬死にされそうなんで、頭を悩ませていたってワケ」
「……確かにな。手傷を負った余では、あの者らに太刀打ちなるまい。しかしあの無辜の民草を放っておく事も出来ん」
「さいですか。……真面目な話、オレは追跡を続ける気だけどよ、あんたはどうする?」
「無論、余も行く」

 ラーマの強い意思の籠った瞳に、しかしロビンは顔を顰めた。

「追跡中、気配を悟られたら終わりなんですけど?」
「……」
「あんたアサシンじゃねぇだろ。しかも傷を負ってるときた。気配を上手く消せるとは思えないね」
「……しかし」
「しかしもかかしもあるか。……って、何言っても無駄臭いな。ならこうしようぜ」

 引きそうにない少年王に、ロビンは早々に折れた。時間の無駄だし、何よりこの手の頑固さを持つ手合いはテコでも動かないと知っている。
 なら早めに妥協した方が合理的だ。それに……ロビンとしても、あの理想王が近くにいてくれるというのは心強い。

「オレが先行して追う。そん時に道標になるもんを落としながら行くから、おたくはそれを辿りながら後から来ればいい」
「……いいのか? 貴様は無用な労を負うだけだぞ」
「構わねぇよ。味方は多い方がいい。変に撒こうとはしねぇから安心しな。……話してる時間が惜しい、オレは行くぜ」

 ロビンはそう言って『顔のない王』で姿を消す。この手の宝具が流行りなのかとラーマは思った。







 そうして、ランスロット達はメイヴの待つ城に帰還する。

 道中に出くわした十人の男達を捕縛して。

 ……その中には《白髪に健康的に日焼けした肌》、《金の右目と琥珀色の左目》を持つ、精悍な人間も混じっていた。

 ――時は1783年。カルデアより単身で迷い込んだ男が、丁度一年の歳月を経た時の事である。




 

 

実働開始だよ士郎くん(上)





 朗報がある。

 一つ、スカサハの手が入った土壌が異様に豊穣である事。なんでも影の国の土地は色んな意味で終わっているレベルらしい。その荒廃した地にも穀物を実らせられるまでになるという土地の開発術は、グレートプレーンズのように豊かな大地だとそれはもう夢のような仕上がりとなった。例え冬であっても全く問題なく通常の作物を育てられるようになったのである。

 二つ。それに伴いこれまたスカサハ式栽培術によって、豊富な穀物が二ヶ月周期で大量に収穫可能となったのだ。しかもそれによる連作障害も、異常に育まれた土壌によって発生しない仕様である。

 三つ、防衛ラインの構築完了。『人類愛』の本拠地としてある城塞は『マザーベース』と命名。この地点を中心に、四方に四つの砦を建築した。城と砦はその戦略的な意義が異なる。城は防衛拠点、統治拠点、支配者の居住地としての機能を持ち、一帯を支配する為の重要な拠点となる。その結果物資の保管庫、文化の集積地、商業的な心臓部となるのだ。ここに大勢の市民や兵士も詰められる為、戦略的要衝として欠かせないものとなる。
 翻るに砦はそれ単体では防衛能力は低い。城塞ほど堅牢な護りとする意義が見当たらず、幾つかの砦と有機的な連携を取る事ではじめて高い戦略価値を有するのだ。城が防衛、能動的防御を可能とする拠点なら、砦は攻撃能力に特化した拠点であると言えば少しは分かりやすいか。駐在する兵士の数によって防衛範囲が広がる為、一つの城を起点に四つの砦があれば完璧な防衛ラインを構築可能となる。
 これによりこの地域の防衛戦は完成する。
 兵站はほぼ無尽、一㎞四方に配置した四つの前線基地による有機的な連携を取れる。俺が投影した無数の投影爆弾を、スカサハが開発した宝具投射機――投石機に類似した兵器――で打ち出せて、それで打ち出した投影宝具は着弾の瞬間、自動的に爆破してくれる仕組みのものも各砦、城に設置した。なんでも出来るという前評判に偽り無しなスカサハの面目躍如である。

 四つ目。これは個人的な事だが、スカサハが俺の中の霊基を弄ってくれた。
 抜き取ったり、殺したりは出来ないらしい。なんでもその霊基は俺の魂と同化してしまっているから。
 だがその状態を変化させる事は出来た。俺の中の霊基はかなり特殊らしく、通常形態と反転形態があるらしい。通常の方が英霊エミヤそのもの、反転の方はエミヤ・オルタとでもいうもの。それらの二面性が最初から同居していて、宿主である俺の陥った状況に最適の方に勝手に切り替わる仕様だったらしい。
 通常形態なら俺の魔術行使の補助一択。しかし既に俺は投影と固有結界に関しては、補助がなくとも同等の位階に達しているので、事実上存在意義がなくなっている。しかし反転形態は俺にはない技能である防弾加工、固有結界の切り売りによるとんでもない破壊力の弾丸を放てる機構を齎せる。状況にも合致する為、霊基がこちらに反転していたらしい。
 スカサハはそこにスイッチを埋め込んだ。俺が意識的に霊基の状態を切り替えられるようにしたのだ。これによって俺は霊基を通常形態に切り替え、反転形態からの侵食を断つ事が出来た。またそれにより固有結界の展開もこれまで通り可能となった。

 五つ目。これもまた個人的だが、スカサハがまたもやってくれた。俺の所有する破損聖杯をある程度補強して、性能をこれまでの十%増ししてくれたのだ。
 「私でも今はこれが限界だな。聖杯の修理に当てられる礼装がないと、これ以上は不可能だ」と言っていたが、充分過ぎるほど充分である。これによって当初考えていたよりも四騎多くサーヴァントと契約出来るようになった上に、それでも俺の戦闘能力を維持できるようになったのだから。何故か俺の魔術回路の強度も向上している、今まで以上に投影宝具を作り、それを拠点防衛の兵器として貯蔵できるようになった。

 六つ目。

 ――サーヴァントが新たに一騎『人類愛』に加入したのだ。その名はネロ・クラウディウス。何故か真っ白な衣装を纏ったセイバーのサーヴァントである。
 彼女とはよくよく縁があるらしい……。ネロはなんと三千人の難民を連れていた。
 「流石の余も、こんな大所帯を率いて難民生活とかもう無理である! マスターよ、ここで会ったが百年目! 余と民らを仲間に入れるがよい!」なんて。拒否されるなどと考えもせずに告げてきた。勿論全員受け入れた。

 そして七つ目。スカサハの手が空いた。それはつまり、兵士達の訓練に入れるようになったという事。
 志願者を募って兵力を増員し、彼女が新兵達を……いやカーター達も含めて鍛え直してくれる。この頃には流石のスカサハも疲労困憊だったがお構いなしだ。急ピッチでやらねばならない。スカサハはまさに八面六臂の大活躍、これは以前の特異点で被った迷惑の分は既に働いた事になるのではあるまいか……。
 個人的な所感を述べるなら、お釣りが出るレベルの酷使具合だが、彼女が便利過ぎて頼りになり過ぎるからね、仕方ないね。なお練兵にはネロにも参加してもらう。



「シェロ、余は暇だ。構うがよい!」
「仕事を回すからゆっくり忙殺されていってね」
「うがぁぁあああ!?」



 市民は端数を切り捨てて約五千五百。
 兵士は端数を切り捨てて約二千。
 はっきり言って人手が足りなさすぎる。可及的速やかにこの問題を解決すべく、俺達に休んでいる暇はない。
 人手不足を補うには、兵士の練度を最低限、現代の世界最強特殊部隊レベルに引き上げねばならない。それも迅速に。そうして兵士を各地に派遣し、難民の手引きをしてマザーベースに連れて来るのだ。兵士の練度を上げる事で作戦活動を実行可能とし、同時に人手不足と難民の保護を両立させる一石二鳥な狙いだ。

 スカサハの見立てだと、俺の求める水準に兵士達が至るには、最短で半年掛かるらしい。……半年? 早くない……? ケルト式スパルタ訓練によって、脱落を許さず速やかに鍛え上げる、極悪人すら更生する過酷なカリキュラムが組まれているのを知った俺は、兵士達の冥福を祈っておいた。

 そこまで来るのに二ヶ月掛かった。その間に兵士の訓練を除く全てを成したのだから、スカサハの過労死寸前の様子も納得である。特別に一日休んでいいよと言ったら、何故か救い主を見たような顔をされた。
 いや、その労基も糞もない環境に叩き落としたの、俺なんですが。なんか凄い罪悪感の湧く表情はやめていただきたい。

 しかしスカサハは骨の髄まで社畜となってしまったのか、休めと言われて「休む……? 休むとは、なんだったか……。寝ていればよいのか?」と返してきて思わず涙を誘われた。

「すまん。本当に心からすまん!」
「? 必要だったのだろう。お主が謝ることはない。最初の一ヶ月ほどは恨んでいたが、その後は清々しい気持ちで働けた。うむ、寧ろ感謝したいほどだ」
「……!」
「な、なぜ咽び泣く? なに? 『折角魂から腐敗が消えたのに、変な根性注入してすまない』? 何をワケの分からぬ事を……私に妙な根性を埋め込める輩などおるものか。はっはっは……だから泣くなというに」

 心からの本音でそう言われたら、流石の俺も己の罪深さに心が折れそうになった。
 しかしそこは鉄の心。気を取り直すのに五秒。俺はどうしても働きたい、働いておらねば落ち着かないらしいスカサハに仕事を任せることにした。しかし仮にも休暇中、体力の使わない仕事にする程度の気遣いはする。流石にその辺は理想の上司だ。

「忘れていたが、カルデアと通信が取りたいんだが、なんとか出来るか?」
「なんとか……?」

 そのワードに、何か妙なスイッチが入ったらしい。目の色が一気に澱んだ。す、スカサハだいーん!

「……ふむ。……うーん」

 所は俺の居室。神代の城並みの防備を誇る『マザーベース』の宮殿内。寝台に腰掛ける俺の前で、腕を組んでスカサハは唸りはじめた。
 なおそのスカサハ、痴女一直線な格好から、『人類愛』の軍服に変更されている。市民の皆さんと兵士の皆さんに刺激が強すぎた為だ。なのでまさに美貌の女教官に見える。麗しの女軍人……薄い本が厚くなりそうである。

 スカサハは暫くうーんと呻きながら考えを纏め、俺に視線を戻した。

「出来なくはない事もないかもしれん」
「曖昧だな」
「うむ。何せ特異点外部と内部の時間の差がアレな感じだからな。仮に上手くいったとしても、こちらでは成功したかどうか判断が出来ぬ」
「そうか……ちなみにどうやったら出来るんだ?」
「私とマスター、マスターとカルデア、私とセタンタの間にある『縁』を利用する。お主がカルデアで言うところの『意味消失』をしておらんという事は、最低限の繋がりは残っておるのは自明であろう? 繋げるだけなら今すぐにでも出来る。出来るが……」
「通信が成功するかどうか、したとしてもこちらがそれを把握出来るかどうかは分からない?」
「その通り。とりあえずやってみるか?」
「ああ。やるだけやってみよう」
「と言っても長時間通信を繋げておくのは無理だぞ。私のルーンにも強度があるからな。あんまり長くは保たん」

 そう言うと、スカサハはまたもやルーンを刻んだ。俺と自分、それから周囲の空間、俺の腕に巻き付けてある通信機に。
 相変わらずのルーン無双だ。真剣にルーンを身に付けたい。が、無理だと太鼓判を押されている。
 まあそれはいいが。とりあえず通信機の電源を入れる。バッテリーは運動エネルギー、太陽光などで充電されるので問題なく使用できた。
 ……もういいのか? 視線で訊ねると、スカサハは頷いた。本当に繋がっているのだろうか……。半信半疑になる程度には、なんの変化も感じない。
 とりあえずバンダナは外した。向こうにこちらの姿が見えた場合、余り心配になるような外見的特徴はない方がいいだろう。それで、喋ってみた――が、眼帯はしたままなのに気づかない辺り、俺も眼帯をしているのが当たり前なぐらい、すっかり慣れてしまっていたのだろう。

「……こちら、衛宮士郎だ。聞こえているか?」

 当たり前のように反応はない。

「……ダメだな、聞こえない。一方通行なのか? まあ……いいか」

 独り言みたいで、なんだか情けない気分になってくるが、なんとか続ける。

「一応カルデアにこちらの音声が届いているものと仮定して、報告はしておく。俺は今のところは無事だ。が、どうにもこの特異点はオカシイ。カルデアの通信機にある時計の進み方と、こちらで体感している時間の流れに大分差がある。俺の体感では既に半年は経った」

 はて、と首を捻った。半年だろうか? そんなにはまだ経っていない気もする。 

「いや、五ヶ月か? まあ……そこらはいいか。通信限界時間はすぐそこだ。……俺は世界の異常には敏感な質でな。念のため自身の感覚を正常にするために様々な手段を講じた。結果、俺の体感時間と特異点内の時間に差はないと判断した。

 カルデアとの時間差についてだが、この特異点内は外との時間の流れにズレがあるらしい。そちらの時間で言えば二日でこっちは十年が経つか? あて推量だから正確には知らん」

 二日で五年だ、馬鹿者とスカサハが呟く。
 ん? どんな計算だろうか……。一定周期で時間の進み方が乱数にでもなっていて、それをスカサハは知っている……と? まあそこはいい。あて推量だとは言ってあるのだ。

「ただ聖剣の鞘のお蔭で、老化はかなり停滞させられている。五十年生きて五十代手前ぐらいの容姿になる程度に。だが俺は――っと、それより先にデータを送る。第四特異点の攻略指南だ。

 こちらの年代は1782年のアメリカだ。座標特定に役立ててくれ。あー……と。データは行ったか? 虚数空間に向けて独り言を呟いてるみたいで俺も辛いんだ。そろそろ通信限界だ、次も通信が繋がったらデータをまた送る。状況の報告も。
 ああ――それと。別に、この特異点を一人でクリアしても構わんのだろう?」

 乾いた笑顔で強がってみる。俺一流のジョークだ。実際はクリアした場合、定礎復元に巻き込まれて俺が意味消失しかねないので、出来ればカルデアが来るまで持久戦にしたいわけだが。

「冗談だ、早く増援を寄越してくれ」

 そこまで言い切る寸前に、ルーンが砕けた。
 あらら、と気落ちする。こんな短時間で砕けるという事は、かなりの負荷が掛かっているらしい。
 しかし本当になんの手応えもない。これでいいのだろうか……。無駄な事をしているだけの気もする。

「マスター、二点ほど聞いてもよいか?」
「ん? なんだ」

 何となくしんみりした気分に浸っていると、スカサハが質問してくる。

「何故第四特異点とやらの攻略が容易なのだ?」
「あー……なんでだったか……。……ちょっと待て、今思い出す。……んー……と、確か……」

 記憶を掘り返す。余りにも密度のある日々を送っていたから、どうもこの特異点に来るまでの日々が矢鱈遠く感じる。
 そうして思い出す。第二特異点で遭遇した魔神柱、そこから襲ってきた戦闘王アッティラ、第三特異点に行く前にあった変異特異点冬木と、スカサハの作った特異点。そして第三特異点での戦況推移、アルケイデスの動き方、残留霊基の使い方、魔神霊との戦闘、固有結界の強制展開維持の策。
 これらの動きから導き出せるのは、こちらの戦力を把握し、策を打っているのが典型的な魔術師である事と、可能な限り自分のいる特異点に来ないようにさせる事。神経質で潔癖性、完璧主義。その行動と策を打つリズムとでも言うべき癖から、第三の次、第四特異点に一連の流れの首謀者がいるという予想が立てられる。
 この説明にスカサハは頷いた。それなら確かに納得できる。間違いあるまいと。そこまで分かれば具体的な対策を、戦場を幾つかのパターンに別ければ想定出来よう――そう頷いたスカサハは質問を重ねた。

「お主の言っておった『可愛すぎて辛い相棒』とやらは誰だ? 沖田が有力だが、シータも相棒と呼べる働きをしておる。皇帝ネロは新参ゆえ怪しいが……もしやアルジュナか? 最も敵撃破率が高いが」
「なぁに言ってるんだか。お前に決まってるだろ、スカサハ」
「……は?」

 呆気に取られるスカサハに、ふぅやれやれと嘆息しながら首を左右に振る。

「一番の働き者で、尚且つ忠実に頼み事を聞いてくれている。可愛いとも感じるさ。ちなみに――」
「た、戯けか貴様っ!? も、もういい! 私はもう行くからな!」
「――『辛い』って……のは……」

 最後まで聞かずに、スカサハは顔を真っ赤にして俺の寝室から飛び出していった。
 ……どうしたんだ? いや真面目な話。別に照れられるような事を言った覚えはないんだが。
 何せ「ちなみに」の後に続けようとしたのは、スカサハを過労死寸前まで酷使しているので俺も心が痛い的な意味で辛いという事である。
 やはり云千歳のお婆様はよく分からん。そう思っているとスカサハが突然戻ってきた。
 心を読まれた!? 死を覚悟した瞬間である。しかしスカサハは微妙に赤いままの顔で、俺にルーンを刻みつけて来た。すわ生きながらに火葬する気かと慌てるも、彼女は言った。

「ま、マスターよ。お主のその肌の色は気に入らん! 私のマスターなら、健康的な肌でなければな!」
「……ん?」
「壊死しておるその肌を若返らせ、元の肌の色に戻してやるっ。感謝せよ! それではな! 私には仕事がある! あ、それとだ、明日からはお主も鍛えてやるから覚悟せよ!」
「……んん?」

 そうして、俺の肌の色が一気に白くなっていく。ほんの一時間ほどで、もとに戻るのだが……少し気持ちよかったので眠ってしまった。

 いや……ほんと何がしたいんだスカサハお婆ちゃん……。






 

 

実働開始だよ士郎くん(下)





 西暦1782年12月31日、夕暮れ。カルデアへ通信を送った翌日の事である。城外に出ると、飽きもせず大粒の雪が降っていた。
 本城のマザーベースや四つの前線基地の内部はルーン魔術によって簡易な異界化がなされ、春に近しい気候に包まれているから、内と外の温度差には少し体が驚いてしまう。
 しゃり、と踏みつけた足音の大きさに思い立って、足首まで埋まるほど積もっている雪を両手で掬った。力を込めて雪玉を作る。それを後ろ手に隠したまま、何気ない風を装って皇帝陛下に背後から近づいた。

「む? シェロではないか、どうかしたのか?」

 純白の衣装、何故か真っ白に染まっている隕鉄の剣&quot;原初の火&quot;を武装とするサーヴァント、ネロである。
 俺の気配を察知してこちらを振り向いたネロに、俺は愛想笑いを浮かべながら歩み寄り、至近距離にまで近づくとその顔に雪玉をぶつけた。

「わぷっ! い、いきなり何をする!?」
「はっはー! ぼーっとしているからだ」
「何をぉ!? せっかく絶世の美女が舞い散る雪花の中、雅に佇んでおったというのに! 普通は見惚れて賛辞の一つでも寄越す所ではないのか!?」

 悔しそうに地団駄を踏むネロに、俺はいい歳した大人のくせしてガキみたいに破顔した。
 この皇帝様、まるで最初からいましたよと言わんばかりに『人類愛』に馴染んでいる。忙しさにかまけて構える時間がなかったが、偶々余白の出来たこの時間に見掛けたのでちょっかいを掛けてみたのだ。
 すると期待通りの反応をしてくれた。いや……生前の方のネロをカルデア側のマスターにしてしまったので、英霊としての彼女がどうなるか気にはなっていたが、問題なく『ローマ皇帝ネロ』はネロ・クラウディウスそのままのようで安心した。これで似ても似つかぬ輩だったら俺はカルデアのネロに合わせる顔がなかったところだ。

「お前は覚えてない――というよりは知らないんだろうが、生憎とお前とは別のネロ・クラウディウスと付き合いがあってな。今更見惚れる事はないよ」
「むぅ……マスターの属するカルデアなる組織であったな。契約した時に最低限の知識の共有は出来ておる、故に説明は無用だぞ。それにしてもそこに余が生身の人間、それも生前からの地続きとして存在しておるとは……前にも聞いたが今一信じられん。が、信じた! だってマスターの言葉なのだからな!」

 ――はっきりしている事が一つある。

 カルデアのネロと、英霊のネロ。人柄も能力もおおよそ変わりはないどころか、趣味嗜好に至るまで完全に一致している。しかし……英霊のネロはカルデアの方とは違い、マスターという存在に対してなんらかの理想を持っているようなのだ。
 同じ人間とはいえ、生前からの地続きであるネロと英霊のネロとでは、その在り方というか考え方に差が出るのもおかしな話ではない。ないが……どうにも、英霊のネロは妙な理想を持っているらしい。

 何せ――

「前から聞こうと思ってたんだ。俺の知っているネロは赤いドレス姿なんだが、どうしてお前は白い衣装なんだ? まるで花嫁みたいだぞ」
「むっ! あれはドレスではない、男装であるぞ!」
「はいはい男装男装」
「んむぅ……雑であるな……こほん。それより何故、余が花嫁のドレスに着替えているのかだと?  ふっふっふ、決まっていよう! それはっ!  余がそういう気分になったからである! ところでマスターの肌の色がだいぶ健康的になったのも、そういう気分になったからか?」
「んなわけあるか」

 ――これだ。

 気分で英霊としての装束がコロコロ変わるのはネロぐらいなもんだと言いたいが、その言動の端々に願望が滲んでいる。
 それはネロらしく微笑ましい願望のように感じるが――どうもやり辛い。何せ俺はネロを友人として見ているのだ。しかしこのネロときたら、まるで……。

「ところでマスターよ。マスター直々に『シェロ』と呼べと言われた故呼んでおったが、それは余ではない余の呼び方であろう? 故にマスター呼びに戻したいと要求する! それと一つ聞きたいが、いいか?」
「まあ……呼び方は強制しないが。それで、なんだ」
「マスター……何やら沖田やスカサハめと良からぬ空気ではないか? というかアプローチとか掛けられてない? 余を差し置いてヒロインレースとか始まっておらぬか?」
「なんの話だ……」

 まるで……。

「惚けるでない! まさかとは思うが、二人ともものにしよう! とか考えておらぬだろうな! 浮気はダメだぞっ。なんか良くない!」
「……アイツらとはそういう関係じゃないって」
「そうかっ! なら余にもまだチャンスはあるのだな? 諦めずともよいのだな! うむうむ、マスターとは中々イケイケな仲になれると踏んでおるからな、余は嬉しい!」
「……」

 まるで……考えたくないが、このネロは俺を恋愛対象として狙っているようではないか。いや狙われてる感はある。キアラを数百倍希釈した感じの感覚だから、割と分かりやすい。
 はっきり言えば、悪い気はしなかった。何せネロはその内面からして美しい女性だ。俺の知るネロとは別人だと割り切って接する事も出来る。出来るが……カルデアのネロとは別人だが、同一人物でもある英霊のネロとそういう関係になるのは流石に気が引けた。仮になったとしたらカルデアの方のネロにどんな顔して会えばいいんだ。

 雪原の上を、上機嫌に両手を広げ、まるで舞台の上にいるようにくるくると回るネロ。それを苦笑して眺めつつ思考する。

 恋愛事に現を抜かしている暇もない。俺もいい歳なんだし、身を固めるのもありなんだが、その相手は決まってる――と思いたい。いや真面目な話、一筋縄ではいかない話の気がするので考えたくないというのが本音だが。

「ところでネロ。お前の言う浮気とはなんだ?」

 ネロに玉藻の前に似た空気を感じていたので若干声が震えたが、なんとか平静を取り繕って問いかけた。
 するとネロは不愉快な事を聞いたとばかりに回転するのをやめ、俺の正面に向き直る。

「無粋な事を聞くな……そんなもの、心が決める。具体的に言えば伴侶のおる身で、本気で他の者に惚れたら浮気に決まっておろう! というより肉体的接触もイロイロとアウトである!」
「……浮気者にはどうする?」
「愚問である! 浮気者にはこの世の地獄を味あわせるのみだ!」
「この世の地獄とはなんぞや」
「えっ。え、えー……っとぉ。……地獄とはなんぞや。そういえば余、キリスト教とか弾圧した側だから地獄なんて知らなかったりして。てへっ」

 反駁するとネロは途端に口ごもった。誤魔化すように濁すも、やはりネロはその手の知識に疎い。地獄という名称自体、ネロには合わないだろう。
 尤も言わんとするニュアンスは伝わった。ネロの中で浮気者=物理的断罪の方程式が固まる前に、それとなく保険を刷り込んでおこう。

「浮気者は断罪する方針なのは分かった。だがいいのか?」
「む?」
「浮気されたから断罪する……それでは伴侶の浮気相手にお前は敗けを認めたと宣言するようなものだぞ」
「なんと!? 何故そうなるのだ!?」
「だってそうだろう。他の女に心を盗られたら、取り戻す自信がないから断罪する。そう言っているようにも受け取れる。真に愛するなら心を取り戻すぐらいの気概がなくてはな」
「む、むむむ……い、一理ある……? か? ……むぅ、何故か丸め込まれている気がするぞ……」
「それこそ気のせいだって」

 ははは、と笑う。俺はネロとそういう関係じゃないからセーフ。彼女はサーヴァント、いずれ彼女は彼女の運命と出会うだろう。出会えたらいいなと祈っておこう。その時正式なマスターとなった者のために、こうして保険を刷り込んでおく……まさに俺は今そのマスターの身を救ったのだ。
 ふ、またしても顔も知らぬ誰かを救ってしまった。俺も中々やるものだろう。口先の魔術師とは誰が言ったのだったか。詭弁を弄させれば彼のカエサルにだって敗けはしない。いや負けるかな。負けるという事にしておこう。俺はあんな歴史的詐術使いではない。脳裡に浮かんだあかいあくまの物言いたげな顔を掻き消す。

 ネロは暫く腕を組んで首を傾げていたが、ふと思い出したように俺に言った。

「ところでマスターよ。そなた、仕事があるのではないか?」
「……それを言ったらお前もだろう。練兵とか兵舎・住居・病院建造計画とか、陳情の決裁はどうした」
「余は余に代わって仕事の出来る部下を育て、そちらに投げた。付け焼き刃だがな。その者らを総括して修正を加えるなどの判断を下すのが余の役割である。故に纏まった時間を作り出せたのだぞ。練兵は専らスカサハめが担当すると申し出てきた故な」
「流石皇帝……如才ない」
「ふっふっふ、もっと誉めるがよい! それはそれとして、そのスカサハがマスターを探しておったぞ。こう、鬼のような顔で『あの馬鹿マスターはどこだ!? 訓練から逃げるとは腑抜けたか!』とな」

 頭に両手を当て、人差し指をたてて鬼の角を模したポーズを取ったネロに苦笑する。いちいち身振りがあざとくて可愛いな、おい。口調も真似てるが全然迫力がない。

 スカサハが俺を探してる。ふ、知ってるさ。だって逃げたんだからな。腰抜けとか誰にも言わせないぞ。
 なぜかは知らないが、今まで特に抵抗感はなかったのに、最近は鍛練と聞くと無性に体が震えるのだ。首が涼しくなったり、全身が焼け爛れたり、消し飛んだり、心臓の風通しがよくなったり、息苦しくなったりする気がして、率直に言って吐きそうだ。
 鍛練とか嫌だよ、もういいよ。俺個人が強くなる意味なんてないんだから。指揮官として、マスターとして、兵士とサーヴァントを指揮すればいい。そしてたまに爆撃すればいい。今更サブカルチャーの主人公ばりの修行パートとか誰が得をするんだ。見てうんざり聞いてうんざり察してうんざりである。

「見つけたぞ、マスター」
「あっ」

 噂をすれば影という。影の国の女王は噂をすると出くわす仕様なのか。三国志の曹操もびっくりの出現速度である。
 背後に感じる凄まじい怒気。荒御魂も斯くやといった本来は神霊であるスカサハの王気(オーラ)。俺はフッと涼やかに笑む。

「ネロ」
「うむ」
「……Help me」
「I’m sorry, I’m busy right now (すまぬ。今は少し忙しいのだ)」

 お前今暇って言ってませんでしたかね!? 纏まった時間があるって言ってましたよね!?
 ぐわしと首根っこを掴まれる。抗えぬ膂力の差に泣きたくなる。うわぁ、嫌だぁ! そんなふうに喚いた気がしたが慈悲はなかった。
 ずるずると引き摺られていく俺に、ネロは指先で涙を拭う素振りをしながら手を振って、「どなどなどーなーどーなー売られてゆーくーよー」と歌い始めた。

 やめろー! というか音痴のくせしてそんな歌だけ上手いとかふざけてんじゃ――えっ。影の国の門番の竜種を召喚した? 倒せ? それどう見ても成体の竜ですよね千歳越えてますよね勝てる訳が――負けたら男じゃないから去勢する? ……馬鹿野郎お前俺は勝つぞお前ぇ!!
 あっ。開幕竜の吐息(ドラゴン・ブレス)とかやめろゴラァ! 竜殺し宝具連打してぶっ殺してや――投影宝具の投射禁止? 何それ聞いてない……なんで格上相手に戦術縛りがあるんですかね……。剣一本でやれ? セタンタなら楽勝?
 そんなのと比較するとか遂に呆けたかこの鬼ババ――



















 以上の惨劇を以て彼の末路は決定された。
 ヒューマンなど偽りの種族。其は鬼教官が生み出した、彼の資質を最も悪辣に引き出した合理主義。
 その名をケルト。エジプト、インド、ウルク、ブリテン、日本、ギリシャに並ぶ、七つの戦闘民族の一つ『死狂(ケルト)』の理を持つ(ケルト)
 人が人のまま人を超え、神をも殺すという戦闘論理こそが、その男の獣性なのだ。

 ――等という戯れ言は兎も角として。

 その男は誓った。最早あの鬼畜にも勝る、遠坂さん家の凛さんが裸足で逃げ出すレベルのスパルタ女には一切の遠慮はしない、と。過労死するレベルの仕事を振って酷使する事に良心を痛める必要はない。そこまでして漸く対等なのだ。
 俺が物理的に殺されるか、スカサハが過労死するかのデッド・オア・チキン・レースこそが俺達の関係なのだと魂で理解した。後、無性にマーリンをぶん殴りたくなってきた。
 理不尽だろうが、何故か正当な怒りとか悔しさとか情けなさとかがある気がする。

 衛宮士郎がこの特異点に転移させられてより、凡そ一年の月日が流れるまで――死と隣り合わせの練磨は続いた。
 そうして『人類愛』の兵士の練度は飛躍的に向上する。生存をかけた士気高らかなる戦意しかなかった彼らに、それに釣り合うだけの力が宿ったのである。

 そうして、彼らの実働が開始された。








 

 

■【第三特異点】死にたい【顔面発火】 英霊ちゃんねるネタ 掲示板回




【第三特異点】死にたい【顔面発火】



1:宇宙一の腕力家
 突然だが私は嘗てなく死にたくなった。
 誰か腕のいい処刑人を知らないだろうか? よければ紹介してほしい。


2:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»1 どうしたwww


3:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 本当にどうしたw 後スレタイとコテハンがwww


4:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 なんかもう色々察した俺がいる……。


5:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 宇宙一の腕力家
 第三特異点
 あっ(察し


6:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 おう紹介してやるよwww »»処刑人
 フランス辺りの座にいるぞwww
 あいつの宝具なら罪人は割と確殺してくれるはず。


7:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 その前に懺悔して、どうぞ。いきなり死にたいとか言われてもな。


8:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»7本音は?


9:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»8どう考えてもヘ○ク○スさんなのに自殺したくなるネタってどう転んでも愉悦www
 他人の不幸は蜜の味www うぇっwwww


10:腕力家
 »»9
 絞めにいく。逃がさん。
 身元特定は千里眼持ちの我が師なら容易い。


11:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 ヒッ


12 :名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»10ひぇっ……


13:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»9
 無茶しやがって……。


14:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»9
 馬鹿なんですかね……。相手考えろよ。
 一応ご冥福をお祈りしときますねー。


15:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»14おれらもう死んでるけどな。


16:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 話についてけねぇんすけど第三特異点ってどこよ? 誰か情弱な俺にも分かるように教えてくれ。


17:瀟洒で優雅な海賊王
 デュブフォwwww
 え?www なに?wwww 第三特異点のこと知らないとか時代遅れ過ぎにぃ?www


18:名無しに代わりましてケルト民がお送りします
 俺も知らんぞ。というより第二での我らが光の御子殿無双をリピート視聴するのに忙しい。


19:名無しに代わりましてローマ民がお送りします
 同上。こっちは神祖マジ神祖、ネロちゃまマジネロちゃま、カエサルさんマジカエサルさんって感じだ。


20:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»18»»19お前らいつもそればっかな……。


21:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 いつまで齧りついてんだよ……。
 カルデアはもう第四攻略に掛かってて、問題のマスターは第五に逝ってんぞ。


22 :名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»21早くね!?


23 :腕力家
 とりあえず知りたい事は知れた。»»9を絞めた後に処刑されに逝く。後はこのスレを適度に埋めてくれると有り難い。
 私は生き恥は晒さぬ。


24:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»23やwめwろw
 どうせその試練も超えて処刑への耐性つくだけだからwww


25:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»23だからもうお前もオレらも死んでるからw 生き恥も何もないからw
 後あなた、神霊としても存在してるんだから英霊のあなたが死んでもなんの解決にもならないと気づいてwww


26:腕力家
 »»25気分の問題だ。


27:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 気分なら仕方ない。


28:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 気分なら仕方ないな。


29:腕力家
 しかし、光の御子か。
 その名に違わず、手強い敵であった。
 拠って立つ陣営や、私自身の状態にこそ不満はあったが、もう一度機会があればその時こそ、本来の私として尋常に立ち合いたいものだ。


30:名無しに代わりましてケルトがお送りします
 ガタッ


31:名無しに代わりましてローマがお送りします
 ガタッ


32:名無しに代わりましてギリシャ民がお送りします

  ( ゚д゚ ) ガタッ
  .r   ヾ
__|_| / ̄ ̄ ̄/_
  \/    /


33:名無しに代わりましてギリシャ民がお送りします

   ( ゚д゚ ) 
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ 
  \/    / 

 (  ゚д゚)
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
  \/    /

  ( ゚д゚ ) ガタッ
  .r   ヾ
__|_| / ̄ ̄ ̄/_
  \/    /

  ( ゚д゚ ) スッ
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ 
  \/    / 

 (  ゚д゚)
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
  \/    /


34:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»33座んなwww


35:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 コントしてる場合かwww

 それより»»1よ! それkwsk!
 貴公は今、爆弾を落としたのだぞ!


36:腕力家
 »»35語る舌は持っておらん。私とて恥は知っているつもりだ。どうしても見たければリアルタイムで第三特異点の戦いを追ったスレに逝くといい。
 動画も貼られてあったはずだ。


37:名無しに代わりましてケルト民がお送りします
 »»36それどこ!? ここ!?


38:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 ここじゃねぇから落ち着けwww


39:湖
 つ【光の御子VSギリシャ最強】


40:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»39
 くっそwww なんだその痒いところに手が届く奴みたいなのwww


41:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»39ほんとおまえどこにでもいるなwww
 だがナイスだ。性癖を抜かせばほんとおまえはパーフェクト・ナイトだよ。


42:英霊最速にして駿足の大戦士
 »»39待ちやがれ。この俺を差し置いて奴をギリシャ最強と題するとは何事だ。


43:名無しに代わりましてギリシャ民がお送りします
 神の加護メガ盛りの人キタコレ。全英霊最強議論スレで腕力家相手に完封されるの確定と目されてるのに最強に食ってかかるなwww


44:駿足
 »»43テメェ……。よほど殺されたいらしいな。
 俺と奴は未だにどの聖杯戦争でも立ち合った事はない。推測のみで語るな。


45 :名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»44でもなぁ……。考えてみろよ。おまえ、神からの寵愛メガ盛り。腕力家、神から絶対殺す認定からの無茶振り死ね死ね試練十二。

 おまえ「神様から沢山の武器とか不死とかもらったおw すげぇ師匠もつけてもらったおw 強くなったけど一戦争で活躍しただけだおw 
 なお蛮行で自分の首絞めてしまい、アポロンから不興を買ってパリスくんから死ね矢攻撃されたお……」

 腕力家「最初は武器とか何も貰えなかった……。
 だけど腕力と試練で手に入れた自前の武器を使う。あらゆる武器で使える流派射殺す百頭開眼。宝具の域に昇華。
 他の英雄なら一つの試練に生涯を掛けるレベルのものを十二回クリア。軍神半殺しにした。死ね死ね試練の中でも女神の妨害MAX
 戦争? 何度もやりましたが。強敵の英雄? 自分に匹敵する双子の戦士を策で嵌めて殺しました。神々が勝てない巨人族との戦争に呼ばれて活躍しました。
 あ、自分世界を腕力だけで支えた事あります。ジブラルタルなんちゃらはむしゃくしゃしてやった、今は反省している」

 だぜ? おい、比べたら優劣はっきりしてんじゃんかよ。しかもおまえ、星座にもなってないし……。 


46:駿足
 ……。あんた、もしかしなくてもオッサンだろ! 口調変えても分かるぞ!


47:兜が輝いちゃったオジサン
 »»46あ、やっぱり分かっちゃったかぁ……。


48:駿足
 »»47
 ぶち殺す。


49:オジサン
 »»48いいのかよ?アマゾネスのペンちゃん呼ぶぜ。オジサンとあの娘、仲は悪くないんだけどなぁ。


50:駿足
 »»49やめろ。

 ……やめて。


51:名無しに代わりましてギリシャ民がお送りします
 以上、»»42から»»50はいつもの流れでした。お目汚しして申し訳ない。同じ神話群出身として謝罪致します。


52:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 なんて出来たギリシャ民なんだ……»»51
 まあいいよ。トムとジェリーみたいで面白かったしな。というよりレスが遅いな……。他のおれらは何してるんだ……?


53:湖
 光の御子と我が王、例のマスターを含めた面々と»»1の戦いの動画を食い入るように見ているのでは?


54:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 なるほどなー。おれも何時間もずっとリピートしながら見てたわ。見応えあった。
 というより開幕ヒュドラ毒矢の奇襲であのマスターがすげぇ絶叫してたよな。例のギリシャ半馬先生トラウマ甦って狂乱してたぜ。馬だけに。


55:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»54誰ウマ


56 :名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»54»»55……。


57:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»54»»55審議拒否。


58:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 すげぇえげつなかったよな……。というより»»1が死にたくなるのも分かるわ。
 あんな事させられて、しかも都合よく歪められて、最後はあれだぜ。英霊の座に生死の概念あったら普通に誰でも死ぬわ。
 むしろ狂うまである。


59:腕力家
 »»58生憎と狂い慣れている。狂ってもすぐに復帰してしまうのだ……。


60:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»59狂い慣れてるとかいう嫌なフレーズ……。普通慣れないんですけどね……。


61:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 例のマスター、聖杯の嬰児とタマモちゃんが来てなかったら死んでたよねこれ……。


62:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 というよりここ、湖以外の円卓いないな……。


63:湖
 »»62黒い方の我が王が斃れたショックで塞ぎ込んでいる。私もだが、私は何かしていないと落ち着かないのでこk


64:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»63どうした? レスの最中に席はずすなよ。


65:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»63あっ(察し
 まぁたどこかに呼ばれたんですね……。


66:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»65待て、何か様子がおかしいぞ。


67 :名無しに代わりまして英霊がお送りします
 召喚されるにしても、拒否権はあるはずだ。せめてレスを打ち終えるまでは待ったをかけられる。
 それがないという事は……強制召喚か?


68:駿足
 おいおい、強制で呼ばれるだと? そんなもの聞いた事がな


69:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»68?


70:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»68マジか。どんな確率だよ。駿足まで強制召喚されるとか。


71:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 おまいら大変だ! 第五のスレに行け! えらいことになってきてるぞ!!!


72:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»71嫌な予感……。


73:腕力家
 ふむ。では私もそちらに移ろう。このスレを保守する必要はない。


74:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 どうせ逆風でしょ知ってr


75:名無しに代わりまして英霊がお送りします
 »»74ぅ!!



 【このスレは終了しました】






 

 

業火の中に





 冬を越え、春を迎え、夏を過ごし、秋を通り、そして二度目の冬となった。
 多くを語る舌は不要。重ねた勲を語る驕りも無用。
 迫り来る敵の骸を数える事に意味はない。女の劣化英霊はある時を境にぴたりと現れなくなった。
 状況が刻一刻と深刻化していくのを感じながらも、『人類愛』は雌伏の時の中で力を蓄え、そしてついに行動の(とき)へ移ろうとしていた。

()(ツラ)をするようになった」

 整列する二百名の精兵を見渡し、男は仄かに感慨深く呟いた。
 もし人間の年齢の如何に拘わらず、全盛期、最盛期と呼べるものがあるとするのなら、此の場にある全ての男達の全盛こそが今此の時であるのだと誰しもが感じていた。それは彼ら『人類愛』の領袖、ジャック・フィランソロピーと呼ばれる男もまた同様である。
 眼帯を撫でた。その下には琥珀色の肉眼がある。それは彼本来の瞳と同色だが、その本質は起源を異とする魔眼だった。愛用の眼帯には魔眼殺しの術式が編まれてある。今は懐に入れてある赤いバンダナを意識して、首に提げているダイヤモンドを一度握った。

「……よく堪えた」

 ポツリと呟く男の声は、彼らの耳朶を打つ。
 城内、城門の手前に在る兵士達に、以前の未熟さの残る青さは何処にもない。精悍な男の顔をしていた。
 男は背後に控える軍服姿のスカサハを一瞥もせず。静かに言った。

「俺はお前達を誇りに思う。お前達も誇るといい。辛く過酷な訓練を、よくぞ一人の脱落者も出さずに堪えきった。もはやお前達を未熟な兵士だと言うものはいない。この大陸に在って、お前達以上の兵士は何処にも存在しないと断言しよう」

 兵士達は喜ばない。単純な事実として受け止め、静寂の中に誇りを懐くのみ。
 矜持を懐く。それは賛辞に喜ぶのではなく、シンプルに認めるだけだ。その誇りを負い、自らを律するのが優れた兵士なのだ。

「『人類愛』は北米大陸最優の兵士を擁した。しかし思い出せ、俺達の目的はなんだ。単に生き残る事か? 相容れない天災が如き敵を打ち倒す事か? 是だ。それらは何も間違っていない。しかしもう一つだけ、俺達には使命がある。堅牢な砦を築き、何者にも抜けない防衛戦を張り巡らせ、《《極僅かな》》人々を保護した。生活するに困らない物資を蓄え、生きる糧を安定して手に入れ、外の厳しい寒暖から守られる家を得た。だがそれで終わりか? もう満足か? これには断じて否と、お前達なら答えると俺は信じている」

 その信頼は何も間違いではないと、兵士達から立ち昇る気炎が告げている。
 黙して語らぬ、しかしその瞳に宿る生命の炎は、今も爛々と輝いて使命感に燃えていた。
 男は頷く、心は同じだと灼熱の火を口腔に秘める。

「そうだ。今この時も悪逆無比の人類の敵は……無辜の人々を……この大陸に生きる遍く者達を虐殺している。指を咥えて、座してそれを眺めるだけ……そんな醜悪で怠惰な姿勢を、俺達は執ってはならない。
 何故か、などという問い掛けは無用だろう。今も何処かで外敵に怯え、息を潜めて逃れているだろう人々は、一年前のお前達と同じだ。戦う力を持てず、満足に食えるものもなく、明日への展望を何も持てず、ただ座していれば死があるのみ。
 その地獄を赦してはならない。『人類愛』の名を負う俺達が、そこに救いの手を差し伸べねばならない。――俺達がやらねば誰がやるッ! いつか誰かが救ってやるだろう、などと楽観する阿呆はいまい。ならば行動する時だ。俺達はまだ弱い、人間は一人では何も出来ない。故に敵を討ち滅ぼす為に力を集めよう。力なき人間を保護し、平和を求める声に応えよう。怖じ気づき、自身の平穏のみを求める腰抜けが此処に居るかッ!?」

 否の大喝が一斉に轟く。大気が振動し、間近の城門が、城壁が揺れるかのような士気が竜となっていた。
 軍靴を鳴らし、否を叫ぶ兵士達――それに笑みを浮かべ、男は彼らに負けぬ大音声を張り上げた。

「そうだ、否だッ! 勇敢なお前達の中に、そのような腑抜けはいないッ! ならばやるしかない、やれるのは俺達だけだ。誰よりも強く、誰よりも勇敢で、そして何者にも屈さぬ真の兵士であるお前達が、そして俺がやらねばならない」

 睥睨する単眼が兵士を一閃する。
 それを受けて、彼らは静謐な気を込めて男の視線に応じた。男は頷く。

「相手を敬い、礼を示す行為をこそ『敬礼』という。俺はお前達に敬意を表する。これが本物の敬礼だ」

 胸を張り、満身に気迫を込め、右目に真の尊敬の念を宿して右手を翳す。上官である者が先に敬礼をする事は通常は有り得ない。しかし男が示した敬礼に、兵士達は電撃に打たれたように痺れた。
 一糸乱れぬ答礼がある。男と兵士達が敬礼を解くのは同時だった。

「スカサハ」
「うむ」

 男が一歩下がり、軍服の女が深紅のマントを翻して代わりに前に出た。畏れと恐れの同居する戦慄が、精鋭の兵士達の顔に過った。緊張に体が強張る。

 女王の風格を持つ女は苦笑と共に感慨に浸った。懐かしい。数多くの弟子を戦士として鍛え、育てた……。その弟子達も似たような顔をする。しかしまあ、この男達は弟子ではない。教え子ではあるが、弟子を『戦士』にするのと、教え子を『兵士』にするのは勝手が違ったのだ。
 死なせてはならない、心を折ってはならない、後遺症となる傷を負わせてはならないと、マスターから厳命されていた。それは過剰なまでに厳しく、相応しくないものを篩に掛けて来たスカサハには難しかった。『戦う者』に相応しくなくとも鍛えねばならない、導かねばならない、このなんと難しき事か。
 やり過ぎてしまった事がある。つい心を折って兵士をやめさせようとした事もある。どれも長年の癖だ。その度にフォローして回ったのも、勝手が違って苦慮したものである。端的に言って、才能のない者を教え導くのにスカサハは向いていなかった。
 能力が、ではない。スカサハの性格が。しかしそれでもなんとかしたのは死の実感を手に入れ――宿願を果たした先で、まさかの『未知の体験』の訪れに楽しさを見いだしたからだ。
 達成感はある。これまでのノウハウを捨て、零から教え導く中でスカサハもまた不変の英霊である身で師として成長していく事が出来たのだ。これはひどく得難いものである。故にスカサハは万感の思いと共に言うことが出来た。

「お前達には我がマスターの望む全てを叩き込んだ。一人で生き抜けるサバイバル技術と知識、拠点への単独潜入技術、白兵戦の格闘技術、射撃術。ああ、軍行動に於ける戦術も身に付けさせたな。私もマスターに倣い断言してやろう。――お前達は強い。力がではない。技が、でもない。その生きてやろうという心が、時に応じて必要とあらば任務に命を捧げる覚悟がだ。故に祝福してやろう。お前達は――英雄であると」

 魔境の智慧と定義される、サーヴァントとしてのスカサハが持つ技能だ。それは彼女が英雄と認めた者にのみ、サーヴァントの技能を与える事が出来る力。
 スカサハは『人類愛』の兵士達を。紅い布を身に付け、ダイヤモンドを持つ兵士達全てが英雄であると認めた。故に与える、Bランクの『諜報』の技能を。気配を遮断するのではなく、気配そのものを敵対者だと感じさせない技巧の類いだ。元々の訓練内容に含まれていたものを、サーヴァントの技能の領域に昇華したのである。

「扱い方は直感的に分かるだろう。お前達が他の兵士達の先駆けとなる。この場にいる二百の兵士達こそが仲間内で最も優秀である事の証だ。上手く使えよ?」

 スカサハの一時の気の迷いだ。そう簡単に英雄と認めるほど、スカサハの認定する感覚は甘くない。
 才有る戦士の師ではなく、才の無い兵士の師としてはじめて鍛えた彼らにだからこそ降って湧いた、所謂初回限定の出血大サービスだ。
 兵士達は悟る。自身に掛けられた期待の重さに。下がったスカサハを見て、彼女のマスターは意外そうに苦笑しながら再び前に出る。

「……さて。予期していなかったサプライズだが、それはいい。いい訓辞だった。そうだろう?」

 男の問い掛けに、兵士達は頷いた。スカサハの気位の高さは元より、他者に厳しいのと同じぐらい己にも厳しいのだと、彼らも骨身に沁みるほど思い知っていた。
 そのスカサハの祝福に、兵士達は感極まっている。涙ぐみそうなほどに。そんな彼らに優しく微笑み、しかし次の瞬間には苛烈な首領の顔となる。

「お前達に任務を与える」

 兵士達はその下知に、目を拭って。更に一層男らしさのついた表情で背筋を伸ばした。

「期限は一年。長期に亘る任務だ。二人一組でこなす事になる。任務内容は大きく分けて三つ。
 一つ、難民の保護。見つけ次第、このマザーベースへ導け。道中に何事もないと判断できた場合のみ、お前達が誘導する必要はない。その団体にマザーベースの場所を伝えて移動させるといい。ああ、ここで定義する『難民』とは、寄る辺のない軍集団も同様だ。
 二つ、サーヴァント・タイプの味方の捜索。しかし見た目には分かりにくいものだ、敵サーヴァントである可能性もある。接触するかしないか、敵か味方かの判別はお前達に任せよう。注意点を言うとすればサーヴァントは必ずしも味方になるとは限らない事だ。私欲を優先する類いも中にはいる。故に捜索を任務に含めはするが、絶対に接触しろとは言わない。ただし、お前達の背嚢に人相書きを入れてあるが、赤毛の王を名乗る――シータの持つ刃と同じものを持つサーヴァントだけは積極的に探し、接触しろ。その際にシータの無事も報せてやれ。名はラーマだ。
 三つ、現地勢力及び敵勢力の拠点の捜索。後者については大雑把でいい。推測のみでもいい。なんらかの判断材料を掴めたのならそれだけでよしとしろ。不要な危険を侵すな。前者に関しては言うまでもないな? 拠点を把握したのなら速やかに帰還しろ。
 最後に付け加えよう。任務期間は一年と定めたが、もし必要に迫られたのなら期間を独断で延長してもいい。ただしその場合、相棒(バディ)は必ず帰還させ任務延長の旨をマザーベースに報告しろ。これがないまま一年間帰還しなかった場合、俺は該当者が死亡したものと判断する。何か質問は?」

 兵士の一人が手を上げた。顎先で促すと、声を張り上げてハキハキとした語調で質問してきた。

「BOSS! 我々は寂しがり屋であります。二人一組と言わず、分隊規模で行動しても宜しいでしょうか」
「許可する。しかし最小単位は先にも言った通りだ。大人数で移動するのはいいが、仲良しこよしが過ぎて作戦効率が落ちるようだとお前達のママから雷が落ちるぞ」
「はっ! 了解しました! 私も教官殿から物理的な雷を受けるのは勘弁願いたいので、可能な限り支障のないように弁えます!」

 ドッと笑いが起こった。男も笑っている。スカサハはムッとしていたが、それもすぐに苦笑に変わった。
 やれやれと肩を竦めるスカサハをよそに、別の兵士が発言の許可を求める。そちらを男が促すと、この隊の中で最も優秀な兵士……マクドネルがユーモアを滲ませて質問した。

「BOSS、僭越ながら作戦名などは? あるのとないのとでは、任務に従事する我々のモチベーションに影響があるんじゃないかと愚考する次第」
「作戦名?」
「もしや、ないんですか?」
「有るに決まっているだろう」

 平然と男はハッタリを言った。勿論考えていない。
 救いを求めるようにスカサハに視線を向けるが、含み笑いをされるだけで答えがなかった。やむをえず、男はスカサハの存在をヒントにする。
 スカサハは北欧の女神に名を列する。北欧といえば有名な存在があった。

「『ワルキューレの角笛作戦』だ。ワルキューレとはお前達の事だぞ。行き場のない者達をこの楽園に導く大役だ。実に相応しい。惜しむらくは、お前達は実際の戦乙女のように見目麗しい乙女ではない事だな」
「むさ苦しいワルキューレもいたもんですな……。こいつはいい、オレらみたいなモンに導かれたんじゃあ死んでも死にきれませんわ。楽園に辿り着いてシータ嬢やオキタ嬢、ネロちゃんを一目見てやろうという気にもなるでしょうな」
「――ふむ。マクドネル、私の名が挙がっていないのは何故だ?」
「ッッッ!! そ、そいつぁモチロン! 教官殿は楽園の美女ではなく死の国の女王ですから……所謂ジャンル違い、いっしょくたにするのは双方に失礼ってもんでしょぉ!」
「なるほど。帰ったらお主は兵士から戦士に転向させてやろう。軽口だけは見込みがある」

 顔面を蒼白にするマクドネルに、周囲の笑い声が大きくなった。男もまた一緒になって笑っているが、心底同情している。難儀な奴に自分から目を付けられにいくとは、まったく他人とは思えない奴だ。
 男は作戦の開始を告げた。マザーベースの南門が開門される。山と積んだ背嚢の元に向かい、男は一列に並んで通りすぎていく兵士達に一人ずつ背嚢とライフルを渡し、一言ずつ声をかけた。
 風邪を引くなよ、妙な女に引っ掛かるなよ、そんなつまらない言葉に兵士達は薄く笑みを浮かべながら城門から発っていく。自身らに課せられた任務の重さは先刻承知、しかし有り余る使命感が彼らにはあった。自分達がこの大陸の人々を、一人でも多くBOSSの下へ連れていく。そうする事が救済に繋がるのだと固く信じていた。

 ――人間は、一人では何もできない。

 故に人海戦術で、この広すぎるほど広い大陸に網を投げる。必ず引っ掛かるだろう。彼らが城門から発って行くのを見送って、男はぼんやりと呟いた。
 それは、数分前までの覇気漲る烈士とは思えない、穏やかな素顔だった。

「……忙しくなるな」
「もう充分に忙しいが?」

 スカサハの反駁に、男は肩を竦める。

「もっと忙しくなるという事だ。まだまだ仕事は尽きない、覚悟しておけよ」
「……」

 槍の極みに至った神域の達人は、その宣告に眩暈を起こしたようだった。
 そろそろ儂、死ぬぞ……そう呟くのに、あのスカサハを殺した男として俺も英霊になれるかもなと男は嘯いた。冗談ではなく本気で仕事が増えると確信している様子に、スカサハも乾いた笑い声を溢すしかない。

「お主、『どえす』じゃろう……」
「アンタには負ける。知ってるか? アンタ、教え子連中にビッグ・ママって呼ばれてるんだぞ」
「なに? ……誰がお母さんか」
「連中が訓練中に心折れそうになって、寂しくて辛くてやりきれない時には、必ず寄り添って慰めてやっていたそうじゃないか。不器用な優しさに触れられて、真剣に尊敬されているようで実に羨ましい」

 スカサハはそれに、満更でもないような……そうでもないような……形容しがたい表情になる。しかし若干の気恥ずかしさはあるのか、ほんのり血色の良くなった顔で咳払いをして、マスターの背中を平手で叩く。
 咳き込む男にスカサハも言い返した。

「お主はお主で、連中にVICBOSS(勝利のボス)などと呼ばれておるではないか。大総統なのかVICBOSSなのかはっきりせい」
「……あのな。それは言うなよ。耳にする度に背中が痒くなって仕方がない」

 この一年で討ち滅ぼした戦士、劣化英霊はどれほどの数に上ったのか、もはや数える事すら億劫である。
 戦闘指揮を何度もこなし、実戦さながらの訓練を潜り抜けて。いつの間にやら渾名が増えていた。
 『人類愛』には今のところ、階級はない。しかしそのBOSSに肩書きがないのは今一座りが悪いという事で大総統などと呼ばれるようになったのだ。が、まあそれは時々口にされるだけで、余り浸透していないのだが。

「いっその事、王にでもなればよいものを」
「寝言は寝て言えよ、スカサハ。俺は王なんて器じゃない。それに――ここはアメリカだぞ。王を自称するど戯けがいたら、一発ブン殴ってやらなきゃならん」

 阿呆らしい冗談に真顔で応じつつ、男とスカサハは大通りについた。すると、

「ジャックー!」

 二人してマザーベースの本営に向かうその途上で、『ジャック』の命名者である少女、ミレイが元気に駆けてきていた。
 見ればその後ろからシータが追いかけてきている。何をしてるんだと首を捻っていると、傍まで来たミレイがひしりと男の腰に抱きついた。

「守って!」
「ん?」
「守ってー!」
「ああ……何してるんだ?」
「鬼ごっこ! っていう遊び! オキタが教えてくれたの!」

 そうか、と微笑んでミレイの頭を撫でる。道理で、シータが中々追い付こうとしなかった訳だ。
 鬼役をサーヴァントがしたら、まだ十歳ほどのミレイでは一瞬で捕まってしまう。相手に合わせて遊んであげていたシータの優しさだ。
 男はミレイの首根っこを掴み、そのままシータに投げ渡した。うにゃぁ!? と猫みたいに悲鳴を上げたミレイがシータの腕に収まる。といっても、ほとんど同世代に見えるので、仲良しな女の子同士にしか見えない。ミレイが「薄情者ー!」と抗議してくるのを聞き流しつつ、男はシータに言った。

「まだラーマの存在は感じるか?」
「あ……マスター、もしかして……」

 察したように眼を見開くシータに、男は伝える。

「たった今、部下を出した。きっと見つかる、もうすぐ会えるはずだ」

 それは根拠のない言葉だったが、シータは目を大きく見開いて。無意識にミレイを抱き締めると静かに目を伏せた。

「……ありがとう、ございます」
「礼は愛しの旦那と再会出来たらにしてくれ。何なら皆の前で挙式するか? 数千年越しの愛の結実とでも銘打って」
「っ! も、もぉ! マスター! からかわないでください!」

 その場面を想像したのか、顔を真っ赤にして怒鳴るシータに男は陽気に手を叩いて笑い声を発する。
 愉快だな、などと。希望はあるのだと――絶望に暮れる激動の二年目の到来を前にして、尚も強く笑っていた。










 ――いつも、旅立つのは自分だった。

 それがこうして、送り出す側になる。すると、男は漸く理解する事が出来た。

「送り出すってのは……辛いものなんだな……」

 自分は大丈夫などと、慰めにもならない言葉だけを残して。
 今、やっと男は実感したのだ。待たせている人達の心境を。

「帰ったら……いや、」

 帰っても、もう離れないとは言えない。やる事は沢山ある。やりたい事も山ほどある。だから今度は――

「次の旅は、皆を連れ出してやろうか」

 きっと着いてきてくれると、根拠もなく男は思い。どうしてか――無性に望郷の念に駆られていた。















 

 

絶対■■戦線フィランソロピー





 お前がいつの日か出会う禍は、
 お前が疎かにした或る時間の報いだ。

   -ナポレオン・ボナパルト-1769年~1821年






 北東より敵襲の報が入った。
 推定敵兵力《《百万》》。しかし敵兵力は絶え間なく増大し続け、事実上底無しであるかと思われた。
 敵首魁は『人類愛』の存在を認知したものと思われる。間断なく、休みなく、雲霞の如く無尽蔵に押し寄せるケルト軍の波状攻撃が止む気配はない。
 単純に授かりの英雄、理想王の伴侶による砲撃で消し飛ばせる範囲を越えていた。破損聖杯があるとはいえ、何度も大規模宝具を連発すれば、暫し魔力が回復するまでのインターバルを要する。要所で上手く使わねば、不慮の事態に対応し切れない可能性がある。

 これを受けて『人類愛』の領袖、大総統と呼ばれるジャック・フィランソロピーは、戦役の勃発を全軍に発令。血戦の幕が切って落とされた。



「――情報が古い。ジョナサン、これはいつの物だ。……二日前だと? ――戯け、戦況報告は随時上げろと命じただろうが! 一分の弛みも赦さん、情報の更新を怠るなと各前線基地に通告しろ。伝達班の報告頻度を刷新、密な情報共有が迅速な指示系統の背骨になると弁えろ!」
「は! 伝達班の書類作成ペースを上げさせます! 最低でも日に二度、報告を上げさせましょう」



 マザーベースの本営に詰める兵士に囲まれているのは、言わずと知れた総大将J・フィランソロピー。その彼の補佐として付くジョナサン・ホークウィッツ。
 ジョナサンとは、ジャック――エミヤシロウがスカサハと出会った頃に、彼が留守にしていたマザーベースの避難してきた難民達の指導者である。中佐の階級についていた大陸軍の軍人であり、綱紀粛正の徹底されていなかった『人類愛』にリンチされた過去があった。
 しかし彼は優秀な軍人であると同時に、非常に人間の出来た人格者でもあった。さもなくば多くの難民を纏め、マザーベースに辿り着く事すら叶わなかっただろう。骨折などの重傷を負い、医療施設に詰めていたジョナサンは、そこを訪れ頭を下げて陳謝したシロウの謝罪を受け入れ、彼の要請を受けて『人類愛』の幹部に加わったのだ。
 元が中佐であった事もある。軍人としての能力は、アルトリウス・カーターよりも遥かに優れていた。流石にスカサハから課される訓練には彼も閉口していたが、それがあったから確執のある兵士の面々とも、今は和解できている。

 ジョナサンを通じてシロウへ情報が渡り、下された裁決を部下に浸透させるのがジョナサンの任務だ。
 激務である。しかし不満はない。誰よりも働き、過酷な状況に置かれているのはJ・フィランソロピーなのだから。

「次だ! 剣弾の運搬状況の一覧はこれだな? ……マザーベースから南部前線基地への運搬に遅延が見られるか。彼処には魔獣の狩り場があったはずだ。大方、獅子やら熊やらの魔獣が溜まってきたのだろう。南門の兵舎から一個小隊を出せ。貴重なタンパク質だ、死体はその小隊に南部基地に運ばせろ。指揮はアーノルドだ」
「了解。伝令! 聞いていたな? ただちに向かえ! その際にアーノルドにこの書類を渡せ。返信は要らんと伝えよ!」

 シロウの命令を待たずジョナサンは書面を認め、それを丸めて紐で括り、伝令に持たせて早馬を出す。
 飛び出していく兵と入れ替わりに馬蹄が響いた。

「伝令! 伝令! 大総統閣下に伝令!」
「騒々しい! 何処からだ!?」

 壮年の大男、ジョナサンは元貴族である。その威厳は軍人として務めて来た事で磨かれ、本営に転がり込んできた若い兵士を落ち着かせた。
 彼の一喝に兵士は背筋を伸ばして早口に応答する。しかしその最中にも馬蹄の音が聞こえてきていた。

「北部基地部隊長アルトリウス・カーター大尉より報告! 『我、敵軍にサーヴァント・タイプの個体を確認した。その数二十。全てが男性型。直ちに援軍を請う』との事!」
「二十ッ?!」

「伝令です! 東部基地より伝令! 敵軍にサーヴァント・タイプを確認! 数は十! 対城宝具は持っていない模様! されど設備への被害は甚大、死傷者三名! 現在アルジュナ殿が応戦しておりますが、基地を守る結界に破損が見られます! アルジュナ殿の宝具が防がれました、この儘では半日と保ちません!」

「――北部にはシータがいたな? 対軍規模の宝具使用を五回まで赦すと伝えろ。それで敵サーヴァントの足を止める。投石機『剣砲(シェル・キャノン)』も使え。可能なら斃しても構わん。ジョナサン――」

 眼を見開くジョナサンがシロウに振り向くのに、シロウは冷静に応じた。東部基地からの伝令から渡されたリストに目を通す。
 それにはアルジュナの対国宝具を凌いだ敵サーヴァントの宝具の真名が記載されていた。

 敵は『アルスターの赤枝騎士団』である。アルスター十八楯の内の幾らかが確認されている。
 アルスター王コンホヴォル・マク・ネサの『海洋に唸る戦楯(オーハン・マグ・ドルーク)』による防禦力。
 勝利の狼の異名を持つコナル・ケルナッハの『手に迅き群狼の牙楯(ラーヴ・タバト)』による迅速な護り。
 ケルトハル・マク・ウセハルの所有する、波打った形状の楯『戦門開く力(コヴラ・カサ)』による担い手の強化。
 赤枝の騎士であると同時に、宮廷詩人にして裁判官であるシェンハ・マク・アレラの『共鳴し、清めの詩を歌い上げよう(スギー・アスアル・グラン)』による、同胞の宝具を一つの力に纏め上げる力。

 虹霓剣を三度に亘り凌ぐ楯、防禦の巧みさと迅さを上げる五枚一対の楯、担い手と宝具を強化する楯、それらを担い手ごと共鳴させる楯。それらが揃えば、さしものアルジュナの奥義も防ぎ切られてしまうか。そう考えるシロウの判断は一瞬の逡巡も経ない。ジョナサンを一瞥した。

「――東部基地部隊長のエドワルドに早馬を出せ。東部基地のアルジュナを北部への援軍に回す。アルジュナの抜けた穴を埋めるのに、マザーベースからスカサハを回して対応しよう。結界の修復もスカサハにやらせるが、あくまで東部は防戦に徹するように。南部基地部隊長のヘルマンにも伝令だ。東部基地へ二百ほど剣弾の蓄えを吐き出せ。補填はするが、明日まではない」
「サー・イエス・サーッ!」
「春」
「はい」

 ジョナサンがシロウの指示に応えて指令を出す。本営内の兵士達が忙しなく動き出していた。
 それを尻目に、今まで自身の三歩後ろに控えていた少女へ、シロウは鋭く単眼を向ける。
 爛々と輝く強靭な意思の煌めきに、沖田は臆する事なく冷静に、平静そのままに応じた。

「ネロと共に東部戦線に迂回しながら向かえ。ネロは皇帝特権で気配を消せる。お前も気配を遮断して敵軍の背後にネロと回り込み、旗を使って襲撃しろ。それに合わせてスカサハも打って出るように因果は含めておく。出来うる限り迅速にやれ、東部が保つかはお前達の働き次第だ」
「承知しました。吉報をお待ちくださいねっ」

 沖田はうきうきしながら本営から飛び出していく。活躍してマスターを喜ばせてあげますから、なんて。場にそぐわぬ足取りだ。
 それに一瞬だけ微笑を溢したシロウだが、すぐに領袖としての顔に戻る。沖田と入れ替わりで本営に入ってきたスカサハに彼は命じる。

「――以上だ。赤枝騎士団を撃破し次第お前も春を連れて北部へ向かえ。東部にはネロを残せばいい。アルジュナ、シータと協力してサーヴァントへ対処しろ」
「うむ、拝承した。中々の戦だ、存分に槍働きを魅せてやるとしよう。――しかしよいのか、マスター? 南部と西部の敵は薄いが、この城の予備戦力を回せばマザーベースの守りが薄くなろう。サーヴァントを一騎も残さずにおれば、アサシンの暗躍を潰せぬぞ」
「アサシンがいたとして、出来る事は少ない。気づかれもせずに、城を護る結界の要石を破壊出来ない仕掛けがあるんだ、なら狙うとすれば《《これ》》しかない」

 スカサハの懸念に、シロウは鼻を鳴らして手刀で己の首を叩いた。

「簡単に殺られるタマに見えるか、俺が?」
「……ふ、令呪を使うだけの間を保たせられるなら、確かに要らぬ心配であったか。では私も往く、出来る限り早く戻ろう」
「そうしてくれ」

 不敵に嘯くマスターにスカサハも笑い、二本の朱槍を手に出撃していった。それを見送る視線を切り、シロウは考える。
 メイヴは本気で『人類愛』を潰そうとはしているだろう。しかし全力ではない。これぐらいでやれると、まだこちらを侮ってくれている。この間に対策を練らねばならない。――しかし敵のサーヴァントが多すぎる。どうなっている? 動員可能なサーヴァントは何騎なのか。どんな条件、制約があるのか。なんの制限もないまま、こんな馬鹿げた数の英霊召喚など出来る訳がない。何か弱点があるはず……。
 情報が足りない。このまま耐えているだけでは、いつか必ず戦線が破綻する。何か切っ掛けを作らねばならない。しかしその切っ掛けは……どう作る?

 チッ、と舌打ちして。シロウは眼帯を撫でる。判断の材料、行動に移るためのファクターが足りない。
 つまるところ、情報不足。この一言に尽きた。送り出した二百名の兵士連中が、なんらかの情報を持ち帰ってくれるのを期待するしかない。
 彼らなら、これだけの大軍がマザーベースに迫っているのを発見出来ているだろう。秘匿されている地下通路を通ってマザーベースに帰還し、この状況を打破出来る重要な手掛かりを寄越してくれるのを祈る。
 シロウは手詰まりな戦況に頭を痛めながらも、戦線の維持に知恵を振り絞るしかなかった。





 ――この時、戦端を開いてより早くも一週間が過ぎようとしていた。
 『人類愛』を擂り潰さんと送り込まれ続ける、無限に等しい軍団の侵攻を――しかし『人類愛』は頑強に跳ね返し続けている。

 防ぎ切れている要因は無数にある。マザーベースの北部の前線基地を預かるアルトリウス・カーター、東部を預かるエドワルド・シュピッツ、南部を預かるヘルマン・アーディスド、西部を預かるカール・ウィリアムズ。彼らの緻密な連携。
 大軍を相手取れるアルジュナ、シータ、スカサハの力。対サーヴァントに決戦戦力として運用出来るネロと沖田。
 一年をかけて構築した防衛ライン。着弾するのと同時に、自動的に起爆するように改造した投影宝具を打ち出す『剣砲(シェル・キャノン)』の開発。食料や医薬品、剣弾の開発と備蓄。

 人智の限りを尽くした防衛システムによって、彼らは辛うじて戦えていたが――状況が悪化する前に、手を打たねばならない。しかし、それはシロウらには不可能に近かった。

 だが、運はまだ、彼らを見捨てていない。――遠く南東の地にて、義賊が。理想王が。湖の騎士と駿足の英雄を追跡している。

 マザーベースの苦境を察している二百の兵士達が、走る。彼らの邂逅が、終尾に立とうとしている同胞を救う機会を運ぶのだ。













 

 

死力を尽くし、犬死せず





 アメリカ独立戦争にて、軍に徴用された時に感じたのは。「自分達の国を作る事業に携われる」という喜びなどでは断じてなかった。
 どうしてお上の高尚な理想などというものの為に、命を賭けねばならない? ――そんな不平不満だ。家族から引き離され、厳しい訓練を積まされ、勝てるかも分からない戦争に駆り出される……。怖かった。
 植民地の民衆として搾取される側に立たされる事へ不満があったのは事実だ。過酷な大地で生き、開拓していく中、先住民との間に生まれる軋轢で頭を悩まされるのにもうんざりだったが。それでも、生きていく分にはなんとかなっていたのだ。命懸けになる戦争に赴きたくはない。
 どうせ御大層な理想を掲げる独立戦争の指導陣も、宗主国同様に民衆を搾取するようになる。国の名前が変わるだけで、大して変わるものなどないのではないかという疑念があって。故にこそ、マクドネル・マッカーサーは戦争を受け入れられなかった。

 そして、訳も分からないケルト軍の虐殺の憂き目に遇ってしまう。

 なんだこれは。なんだそれは?! ……現実を呪いながら逃げていた。
 故郷を追われ、逃げ惑う日々。そんなものが長く続く訳はなかった。アルトリウス・カーター少尉が戦時任官で中尉に、そして大尉に階級を繰り上げられた頃に、遂に破滅の時が訪れたのだ。
 原始時代の勇者達のような、化け物ども。銃が効かない理不尽な怪物ども。その軍勢に渓谷まで追い詰められ、その先に待ち伏せている軍勢を目にした時に、死を覚悟させられた。
 だが、ただでは死なない、難民の中には自分の家族がいる。……体の弱い母は死んだ。父は戦死している。残されていた幼い弟たち、クリスト、ミレイ、シャーレイ。彼らの父代わりとして、なんとしても護る。心が折れかけている仲間達のケツを蹴って最後の抵抗をしようとした。

 その時に現れたのが、BOSSだった。マクドネル達のVICBOSSだったのだ。

『理屈や原理を理解しろとは言わん。だが其処にある現実(もの)から眼を逸らすな。生き残りたいのなら。少なくともお前達は既に一度、生きる為にその剣を執って戦った。――立て。戦うぞ、このクソッタレな不条理を叩き潰す為に』

 自分達を助け出してくれた彼は、魔術の存在を教えてくれて。そしてエミヤシロウと名乗った男は自分達のBOSSとなった。
 そこからは、まさに激動だった。誰もが必死で、それはマクドネルも同じで。どうせ危なくなったら自分だけで逃げるんだろう、と疑心暗鬼に駆られていたマクドネルの予想を裏切り、いつも先頭に立って死力を尽くしていた。……考えるまでもなく分かる事だった。どうせ見捨てるぐらいなら、最初から助け出そうとすらしなかったはず。なのに下らない疑念を抱いていた自分が恥ずかしかった。

 BOSSはジャックと名乗るようになった。なんでもこちらの方が呼びやすいだろうと。確かにシロウ・エミヤというのは、発音し辛いのは確かで。ジャックの方が良かったが……誰もが彼をBOSSと呼んで。畏れ多く、とてもじゃないが名前でなど呼べるはずもなかった。
 苦境から救い出してくれる度、供に戦う度、マクドネル達は国ではなく、理想ではなく――彼にこそ、忠誠を捧げて生きる事を決めた。偉大なBOSS。勝利のボス。どこかで死んでいた方が、余程現実的なのに、彼は最初の宣言の通りに理不尽を叩き潰し続けた。
 兵士として、男として――その手腕とカリスマ性に痺れた。彼に尽くす事こそが兵士の本懐であると。彼の功績を語り継ぐために、絶対に生き抜いて見せると誓った。

 サーヴァントという過去の偉人、伝説や神話の存在を仲間に加え。遂にはグレートプレーンズにまで辿り着いて。そこからが、本当の戦いの始まりだった。
 悪魔のように厳しい女サーヴァント。化け物よりもなお恐ろしい化け物。敬愛する兵士達の母(ビッグ・ママ)。彼女の半年と少しをかけた訓練を、死に物狂いで耐え抜いたマクドネル達は――信じ難い事に『人類愛』の最精鋭となっていた。
 この北米大陸に比類ない、世界最強の部隊であると讃えられた。悪い気はしなかったが、それよりも。

『相手を敬い、礼を示す行為をこそ「敬礼」という。俺はお前達に敬意を表する。これが本物の敬礼だ』

 ――その、誰よりも尊敬するBOSSに敬礼された事に魂が痺れた。
 ぶるりと震えたのは、マクドネルだけではない。他の兵士達も、きっとそうだ。
 この人の為に死のう。生き延びる事を叩き込まれた兵士達だが、誰もがその心命を捧げようと改めて誓って、彼の為に……偉大なBOSSの為に……『人類愛』の為に何もかもを捧げる事に躊躇う事など有り得ないものとなった。

 自分達に懸かっている。数える事も出来ない大軍がマザーベースに侵攻しているのを目にした時、マクドネル達は悟った。これを覆す役目が自分達である。そしてそれをBOSSが期待してくれていると理解した。
 ならばやらねばならない。俺達がやらねば誰がやるというのだ。マクドネル達は奮起して各地に散った。強力な味方を探し求めて。

 密かに隠れ住む難民の集落に訪れる兵士がいた。
 幾人かのサーヴァントを発見して観察し、仲間になれるか探る兵士がいた。
 重傷者を抱え、彼らを護る天使を見つけた兵士がいた。
 先住民達を護り、レジスタンスを名乗る私兵集団を率いる赤い悪魔を見つけた兵士がいた。
 遠くにまで向かい、現地の大陸軍を纏めあげ、組織的に抵抗する機械の軍団を見つける事になる兵士がいた。

 そんな中でマクドネルだけは違う事を考えていた。

 強力な仲間を探すのは必須だ。行き場のない人々をマザーベースに誘導するのは、『人類愛』として当然の義務だ。しかし――あの大軍をどうにかするには、それでは足りない。もっと根本的な解決方法を探る必要がある。故にマクドネルが下した決断は……《敵地への単独潜入》である。
 不可能ではないと彼は考える。何故なら敵軍団は、どういうわけか人間を生きたまま搬送しているのだ。何か狙いがある、目的がある。起死回生を図るには、BOSSに情報が必要で……その情報を得る事が、兵士の役割である。

「――死力を尽くせ。兵士として最悪に臨み、最善を尽くせ」

 BOSSが口を酸っぱくして、繰り返し繰り返し説いてきた心構え。そして、絶対に死ぬなと最後には結んでいた。
 マクドネルは思う。そうだ、それが兵士だ。だが、兵士なら――それだけではいけない。
 BOSSは根本的なところで甘い。死ねと命じる事が出来ない。いや、出来るが、命じたくないと思っている。
 ならば自分がやる。命じられずとも。絶対に死ぬなという訓辞を、犬死にするなと自分の中で改めて戒める。最悪に臨み、そして最善を成そう。マクドネルは全ての武装を捨てた。そして紅い布とダイヤモンドだけを持って、敵兵にわざと捕まりに行った。相棒(バディ)は逃がそうと思ったが、バディは笑ってマクドネルと道を同じくしてくれた。

「BOSSは二人で一人だと言っただろ? マクドネルが行くならおれも行く。一人より二人、その方が任務の達成率は上がるはずだ」
「……すまない、とは言わないぞ」

 捕虜となったマクドネル達は、まるで家畜のように運ばれた。
 忌々しいケルト軍の戦士達。不気味なほど同じ顔の並ぶ軍団。過酷極まる訓練を越えた自分達すら、個体同士の戦いでは手も足も出ないだろう。
 それだけの力量差がある。そんな化け物をBOSSは平然と手に持った武器だけで仕留めるのだから、彼はやはり戦士としてもかなりのものなのだろう。
 まあ、尤も。瞬間移動さながらの速さを持つ『人類愛』のアイドル、オキタや。戦場の砲兵(めがみ)のシータ。ビッグ・ママ。アルジュナには遠く及ばないらしいが。それは比較する方が間違っている。

 運搬速度は嫌になるほど早かった。

 急いでいるのか、捕虜とした人間をケルト軍は抱えて走り、それこそ一度も止まらず、一週間走り通していた。無論、人間達は衰弱している。死の一歩手前にまで。当たり前だ、最低限の食事、水分補給を、ケルト軍が走りながら無理矢理口に捩じ込み、排泄などもそのまま垂れ流しにさせていたのだから。これで体調を崩さない方がどうかしている。
 それはマクドネル達も例外ではない。なんとか動けはするが、それでもまともに行軍する事すら叶わないほど苦しい心身を抱えてしまう。
 だが彼らは不屈だった。その眼から任務への使命感は消えていない。消えるわけがない。
 彼らを運んでいたケルト軍は、それはもう酷い臭いだ。捕虜達の糞尿をその背中に浴び続けていたのだ。臭わない訳がない。

 マクドネル達や、四十二名の人間が運び込まれたのは――

「……マザーベースから北西に、」
「おおよそ1,200マイル(1931.213㎞)ほどだな」

 檻に入れられたマクドネルとバディは、運ばれながらも距離と方角を常に図り続けていた。
 互いの認識に齟齬がない事を確かめ合う。二人の兵士は頷き合った。敵拠点は掴めた。後は他に収集出来る情報を集めればいい。

「……どうする? マクドネル」
「主に探るべきなのは、捕虜にした人間をどうするつもりなのかだな。他の目的は達している。一番はやはり敵拠点の所在地の把握だ。敵首魁はメイヴとやらで例の化け物がクー・フーリンだというのは判明しているからな。出来ればあれ以来襲ってきていないクー・フーリンとかいう化け物がどうなっているかも探りたいが……」

 無数の粗雑な木製の檻に入れられているのは、多くの人間である。
 老若男女を問わず、疲労困憊の――それこそ放っておけばすぐに死んでしまいそうなほど弱っている人々が、ざっと見ただけで数百といる。
 広く、大きな城の一角だ。ここだけでこれほどいるという事は、総数はこの十倍から百倍いてもおかしくはない。誰もが不安げにしている。幼い子供が、青い顔で寝ている母や父に縋りつき。その逆に鼓動を止めた幼子を抱いて泣く親の姿もあった。
 先住民の姿も多数見受けられる。マクドネル達は顔を険しくさせるが、彼らに出来る事はない。

 四方を囲む大きく高い壁。辺りを巡回する戦士。

「……見張りは雑だな」
「逃げられる訳がない、と見切ってるんだろう」
「それより気づいたか、マクドネル」
「ああ……」

 散見されるのは、幾人かの男性型のサーヴァント・タイプ。三名ほどが雑談しながら歩いている。
 欠片も捕虜の人間を気にかけていない。啜り泣く捕虜の声を、虫の鳴き声としか感じていない証だ。

「……この檻はどうする?」

 バディの問いに、マクドネルは無言で右腕の裾を捲り、上着の裏地に仕込んでいた細い鋸を取り出した。

「お前も持っているだろう。これで削る」
「……そういう事じゃなくてだな。骨が折れるだろ。今はある程度休むべきだと思うぜ」
「……まあ、そうだな」

 流石に精兵といえど、体力の消耗は如何ともし難いものがある。夜になるまで休む事にした。
 その時だ。不意に檻に戦士が数名近づいてくる。緊張する人々を無視し、戦士は檻を開くと中を見渡して死体を引きずり出した。やめて! お父さんを離してよ! 泣き叫ぶ娘ごと、連れ出される。その他にも幾人かを適当に選出して、十人の人間が連れ出された。

「待て!」

 マクドネルが声を張り上げる。バディは慌てて止めようとするのに、構わず問いかけた。

「彼らをどうするつもりだ!?」

 答えてくれるとは思わない。案の定、戦士はマクドネルを一瞥するだけで何も言わなかった。
 しかし、サーヴァント・タイプが近づいてきて、無関心に。けれど何処か、苦しむように呟いた。

「――活きのいいのがいる。母上の供物に相応しい」

 それは。

 白髪の騎士だった。

 片目を隠す程度に伸ばされた、癖のある白髪の、漆黒の鎧の騎士。

 ゾッとするほど圧倒的な、存在の次元の違いを感じて震え上がりそうになる。睨み付けるマクドネルに、騎士は淡々と告げる。体が震えているのを、兵士達は見た。

「だ……が、供物の順番、は……守る。なるべく最後になるように……取り図る。見ものだ、いつまでその活きの良さが保つか。母上……の、もとに運ぶ供物は……母上が、サーヴァントを喚び、再構成する為……の、大切な養分だから……」
「……!」
「お前は、誰だ……?」

 マクドネルが問う、騎士は唇を噛んだ。

「《ギャラハッド》」

 白亜の城の騎士。
 その真名を持つ彼は、絞り出すように告げた。しかし体が震え、よろめいている。

「いいかい……? 逃げる……なら、夜は、ダメ……だ。夕方に、僕の父が……帰って、来る。朝に、しろ。便宜は、図、る……」
「――《抗っている》のか」
「《抗えない》。僕の、霊基も……限界だ……。君達に、賭ける……希望を……《次に会えば》、その時は《本気で殺す》、事になる……」
「……」
「気を付けて。父は……ランスロット卿は、つ、つつ、強……く、用心深い……っ、母上――メイヴ、は……軍権を、彼に、預けた……。――王への忠誠を尽くして、召喚されたのに、抗った父は……念入りに、《いじられた》。容赦は、されない……でも……僕がいじられるのは、阻んでくれ、て……こうして、希望を残せ……る……。父さん、やっぱり……騎士の中の騎士は……僕なんかじゃ、なく……あなた、だっ……た……」

 くるりと。ギャラハッドは踵を返して去っていく。おい! 呼び掛けるマクドネルを一瞥したのは、完全に虫を見る目だったが。
 その瞳の中に、苦痛があるのを見て取ったマクドネルは生唾を飲み込む。

 そして、バディと目を合わせ、頷き合った。

 有益なものになるかは分からない。それはBOSSが判断する。だからこの情報をなんとしても持ち帰る。絶対に。












 

 

星々は御旗の下に






「――でかしたァッ!!」

 マザーベースの本営にて。休む間もない激務に忙殺されていたシロウは、秘匿された地下通路を通って帰還した三名の兵士を絶賛していた。彼らは『人類愛』に、三人のサーヴァントを連れて帰還してきたのである。手放しに褒め称え、兵士達を下がらせた。休養に入らせ、再び外に出てもらう為である。
 この時ばかりはシロウも手を止めた。勲章も何も報酬がない事にこの時はじめて気づいたシロウは、本格的に『人類愛』の階級導入と、勲章の授与やその他の報酬について考慮する必要を感じる。報いてやりたいと思ってはいたが、その思いが一層強まった。
 一時仕事をジョナサンに丸投げして苦み走った顔をさせながら、兵士達で詰め切られた本営から出てサーヴァント達を出迎える。

 兵士達が連れてきたサーヴァントは、

 一人が義侠然とした中華服の武人。痩せた狼の如く飢えた瞳をした死狂い。中華の拳法史史上最強を謳われる『神槍』の男。
 一人がアパッチ戦争にてアメリカ軍を震撼させた、鮮血の復讐者・血塗れの悪魔・赤い悪魔と恐れられたシャーマン。インディアンの伝説的指導者。
 一人がクリミア戦争にて鋼鉄の白衣と畏れられた、赤い軍服を着た小陸軍省。決して枯れず、朽ちず、揺るがない鋼鉄の信念を持つ献身と奉仕の女。別名『クリミアの天使』。

 シロウは彼らに握手を求めた。真っ先に応じたのは拳法家の武人である。ゴツゴツとした武骨な掌が重なりあう。シロウが契約の為のパスを繋げると、武人は拒まずに契約を結んだ。
 潤沢な魔力を感じ、赤毛の武人は獰猛に笑む。

「『人類愛』の領袖、エミヤシロウだ。ジャックという名もある。が、どうしてか名前ではなく大総統やらBOSSやらと呼ばれている。宜しく頼む」
「サーヴァント、ランサー。真名を李書文と申す。お主の部下に熱烈に口説かれてな。なんでもこの地でなら戦に事欠かぬそうではないか。存分に槍として使って頂こう」

 苦笑して、シロウはその男の求めているものを了承する。なるほど、何かとぶちかまされていたマジカル八極拳、その達人の中の達人は、どうやら若年の外見そのままの気性をしているらしい。一身上の都合でそれなりに造詣を深めた拳法史で、燦然と輝いていた武勇伝に偽りはなさそうだ。
 そうした嗜好への理解の良さは、スカサハと邂逅して以来加速している。故にその扱いも心得たものだった。

「ああ。文字通り休む間もなく只管に戦に明け暮れてもらう。暇を持て余したらスカサハと遊んでもらえ。俺が助かる」
「ほぉ! あの神殺しと謳われる影の国の女王! なるほど、ではどうする? 儂をどう使う!」
「東部基地に向かってくれ。何、どこもかしこも敵だらけ、味方を気遣う必要はない。存分に暴れまわってくれ」
「呵呵ッ! 承知したぞッ!」

 李書文の猛々しい面構えに、シロウは心得たもので余分な装飾を剥いだ物言いで彼を歓迎した。さらりと厄介な修行の鬼を押し付ける算段を立てる男である。
 拱手して颯爽と踵を返し、滾る血潮の欲するままに東部へ向かった。その指揮系統も糞もない、乱雑な命令だけでいい。どうせ一匹狼、雨風を凌ぐ宿と敵さえいれば、相応に働いてくれる手合いだ。変に縛ろうとするより勝手に動いてもらった方がいい。
 圧倒的な武練を持つ無双の拳法家は、本営に背を向けて歩む中で含み笑う。握手一つで相手の力量を図れるのが達人の洞察力。手の厚さ、形、体幹、力の根、情報となるものは幾らであった。

 ――随分と鍛え込まれたマスターよ。才に乏しくとも、無繆の鍛練を積み一廉の戦士となっておるな。聳え立つ城の基礎が如き骨子がある……。ふむ、存外儂に相応しいマスターなのかもしれぬな。

 次にシロウが握手を求めたのは静謐な面持ちをした理知の人。インディアンの賢人である。

「エミヤシロウだ。宜しく頼む」
「サーヴァント、キャスターだ。……ジェロニモといった方が分かりやすいかね?」
「ほう、あのインディアンの指導者か。いいな、実にいい。キャスターという事はシャーマンだな。伝説から勝手な偏見で言わせてもらうが、格闘戦もこなせると見ていいか?」

 握手と自己紹介を交わし、双方ともに躊躇う素振りもなくパスを繋ぐや、早速戦力として組み込もうとするシロウにジェロニモは苦笑した。
 ほう、などと。さも知っていますよといった態度だが、実を言うと全く知らない。が、彼の持つナイフを解析して粗方の性格、能力、戦法、経歴を読み取っている。
 出来なくはないとジェロニモが答えると、それを謙遜と受け取ったシロウは告げる。

「素晴らしい。ではジェロニモ、お前を東部戦線を支える要としよう。ジョナサン、東部基地の戦況推移の一覧を」
「――ああ、マスター。それはいいが、頼みがある」

 ジョナサンが目を血走らせながら手早く書類の束を掻き集めてシロウに投げ渡し、それがそのままジェロニモにも渡される。ジェロニモはそれに目を落として読み込みながら告げた。

「私はレジスタンスを率いていた。彼らをこの組織に合流させたい。構わないだろうか?」
「いいだろう。歓迎する。しかし今は大人数を受け入れられない。この戦役に近い内、一段落を必ずつかせる、その時にレジスタンスや他の難民も受け入れる手筈を整えよう。ここが万が一陥ちた時、巻き添えにする訳にはいかないからな」
「絶対に陥とさせはしないと覚悟しておいてそう言うのか。万全を期すその姿勢、よしとしよう。ではマスター、これより君の指揮下に加わろう。全霊を賭して働く事を約束する」
「ああ。身を粉にして働いてくれ。使い潰さずに使い回し、そして来るんじゃなかったと嘆かせてやる。ただし必ず勝つ。俺の所に来た事を後悔だけはさせん」

 ふ、とジェロニモは笑う。その前に君の方が過労死しそうだがと、やんわりと身を労るように言われた。
 シロウは肩を竦め、ジェロニモが東部に向かうのを見送る。そして最後にシロウが握手を求めたのは赤い軍服の女だった。

 堅く、硬く、固い。鋼鉄の信念の秘められた瞳をしている。手袋を外して応じた彼女が名乗った。

「俺はエミヤシロウ――」
「もう聞きました。私はフローレンス・ナイチンゲールといいます。ここに患者が多数いると聞きました。案内を」
「……俺の自己紹介をぶった切って、いきなりぶっ込んできたな……」

 これには流石のシロウも苦笑い。しかも握手したままである。ナゼか。……ナイチンゲールが手を離してくれないのだ……。

「貴方は病気です」

 そしてこれである。ああ、話を聞かない人ね……察してしまえる辺り、対サーヴァント・コミュニケーション検定一級のマスターの面目躍如だ。
 クラスはバーサーカーかなと、真名と態度、物言いから推測する。そのままずばりである。分かり易すぎた。この手の人物は何を言っても絶対聞かない。反論や抗弁は無意味、実力行使されて終わりだ。万力に固定されたかのような手を掴み返し、シロウは苔の一念神をも殺す系の対話術を展開した。
 極意は『反論せず、反対せず、帆船のように風向きに合わせて誘導する』事。何を隠そうエミヤシロウ、この手の人物の操縦はお手のものだった。相手が女性の場合何故か成功率が上がると専らの評判である。全部アラヤが悪い。

「そうだな。俺は病気だ」
「自覚があるのは大変結構。治療が必要ですね」

 きらりと光るクリミアの天使の眼。その硬質な美貌を見据え、シロウは返した。

「治療なら既に施している最中だ」
「? ……貴方は医者なのですか。許可もなく医療に携わるのは看過できる事では――」
「医療資格なら持っている。経験もある。免許は諸事情で携帯できてないが」

 半分嘘で半分事実である。何を隠そうこの男、医療者としての資格を保有して――ない。しかし現場の戦場を渡り歩くとどうしても負傷者は目につく、故にその負傷者に応急手当をする内に必要性を感じて勉学に励み、知識だけは豊富に揃えていた。
 無機物ほど正確には出来ないが、人体の構造を把握する解析も可能だ。的確に患部を把握し、処置が可能という意味で医者としても食っていける腕はある。経験も多数踏んでいるのだ。

 目を丸くするナイチンゲールに、シロウは毅然と告げた。

「俺はお前の時代より先の未来の医療に触れた。偉大な先人であるフローレンス・ナイチンゲールに敬意は払おう。しかしこの病院(せんじょう)主治医兼院長(しきかん)は俺だ、指示には従ってもらう」
「む……分かりました。従いましょう。参考までに貴方が自身に施している治療法を聞かせて貰っても?」
「この戦争の終結と多くの人々を保護する事。これを完遂すれば俺の病気は(ひとまずは)治った事に(ならなくもない事に)なる。(まだ特異点修復の戦いは続く、しかしこの特異点に限れば)何も問題はない。治療は鋭意邁進中で、お前が手を貸してくれれば更に捗るだろう」

 副音声ばっちしの「嘘は言ってません、ただ幾つか伏せただけです」話術。詐術の間違いだろうとは誰の弁か。知らぬ存ぜぬなんだそれは聞いた事がない。
 ナイチンゲールは彼女の理念通りに勝手に解釈するだけだ。故に、

「なるほど、全く問題ありませんね。この病気(せんそう)病原菌(ケルト)を撲滅すればいい。同時に患者を保護する、実に単純明快です。貴方は名医のようで安心しました」
「あっははー……戦争が病気でケルトが病原菌か。うんうん、実に狂戦士(クレイジー)……」

 別に間違ってはいない。遠い目をして乾いた笑みを溢した。手を離してもらえて安堵するシロウである。
 シロウは彼女に、『二大触るな危険』に並ぶ危機を本能的に感じていた。キアラのアレと、スカサハのアレ、ナイチンゲールのソレ。新たにナイチンゲール女史が『三大触るな危険』候補としてリストアップされた瞬間である。ほぼリスト入りを確実視される有力な存在だ。実にバッド。実にラッキー。この手の人物はかなり有能なのだと二人の前例が証明していた。
 肝なのは三人ともがジャンル違いの危険さで、加えて三人とも女性である事。天敵である。が、与し易くはあった。魔性菩薩以外。喋りの出先を潰してくる某宝石乞食女と菩薩様だけが真正の天敵だ。

「フローレンス、お前はマザーベースに詰めて貰う。いざという時の予備戦力だ。その時以外は傷病者の治療に当たってもらうが……その際に絶対にやってもらわないといけない事がある」
「承知しています、ドクター。病室は常に換気し、清潔に保ち、消毒、滅菌、殺菌を欠かさず、緊急治療を迅速に行えるよう――」
「違うな。間違っているぞフローレンス!」
「? ……どこが違うのです、ドクター」

 首を傾げるナイチンゲールの後ろで兵士達が面白そうに見ている。シロウの後ろではジョナサンが「早く戻ってきてくれ!」と切実に求めている。
 構わずに続けた。鋼鉄製なのはナイチンゲールだけではない、シロウもまた鋼鉄だった。硬度勝負なら負けはしない、なら後は押しの強さと勢いだけがものを言う。

「そんなものは基本中の基本、既にその体制と環境は整えてある。故にまずフローレンスがすべきは――美味しい御飯の炊き出しに決ってんだろうが!!」
「? ……? ……。……え?」
「美味しく栄養満点の『病院食』! 『病は気から』だというだろう!? 『食事健康法』を用いて『未然に病を防ぎ』! 速やかに患者を癒す! フローレンスのような美女が料理を振る舞ってくれる、これはむさ苦しい野郎連中にとって何よりも『薬効』! 美味しい御飯と手厚い看護があれば『生きる意思が』湧いて出る! 人間は意外と現金なもの、何事も患者が生きようと思わないと話にならん! スカサハの置いていったルーン石も治療に使えるぞッッッ!!」
「……。……? 魔術による治療行為を行えと? 何を言ってるのですドクター、医療行為にオカルトなど必要ありません。全くもう、変な人――」
「馬鹿野郎ッッッ!!」

 ナイチンゲールが言い切る前に食い気味に気炎を吐く。もう自分でも何を言ってるか分からない。完全に調子に乗って勢いに乗っていた。

「お前の時代からすれば未来の医療もオカルトみたいなもんだろうが!! 技術の進歩嘗めるなよ!? 俺より先の時代になったらルーンみたいなものに触ったり食べたり空気清浄機にしたりする技術が生まれるかもしれない! それもオカルトだと言って原始的な医療に拘る気か!?」
「いえ、そうは言って――」
「医療者の心得は何がなんでも患者を快癒させて復帰させる事だろうが!! 後遺症も何も、何事もなく治療できるなら手段は選ばない!! いいかフローレンス、至上命題は『治療』だ! それだけを信念にするべきなんじゃないのか!? 下らない固定観念で患者の命を無駄に散らす気か!? 有効ならなんでも使うのが俺達の医道だろう!!」

 医道ってなんだよと自分に問うシロウである。
 しかしフローレンスは感銘を受けたように目を見開き、ぐわしと両手でシロウの両手を掴んだ。

「――……素晴らしい見解です。ああ、嘆かわしい。私の時代にも、貴方のような名医がいてくれたらよかった」

 分かってくれたかと微笑むシロウ。この時既に、自分が何を言っていたかは忘れていた。
 何せ極めて疲れている。そして勢いだけでがなり立てただけだ。うんうんとしたり顔で頷いて、ナイチンゲールの感動を受け止めるだけだった。

「ところでドクター、なぜ私をファースト・ネームで呼ぶのですか?」
「異な事を言う。お前も俺をドクターと呼んでるじゃないか。それにこの病院(マザーベース)の副院長はお前にする。当然だろう」
「??? ……当、然……? なのですか……」

 頻りに首を傾げるナイチンゲールに、シロウは当然ですよと生真面目に返す。これは素だった。
 腑に落ちないままのナイチンゲールを送り出して、シロウは額の汗を拭う仕草をする。なんとか乗りきった、手強い敵だった……。
 まあなんやかんや、いい戦力が加わってくれた。そしてなんやかんや、いい感じに気の休まる時間だった。仕事に戻ると、ジョナサンはげんなりした顔でシロウを睨んだ。

「閣下……」
「あーはいはい悪かった悪かった俺が悪かった。お前は休んでいいぞ、二時間な。そこからまた二十二時間頑張ってくれ。その後に一日休みをやろう」
「悪魔……」
「あ? なんだって……?」

 目の下に隈のついたシロウに睨まれ、ジョナサンは閉口した。そういえば既に二日間ぶっ通しで働いていた、この男は。食事は片手で、排泄は二日間で十分以内。BOSSに文句が言えない。
 やれやれとシロウは嘆息して、椅子に腰かける。そんな彼を取り囲む兵士たち。次々と報告やら指示を請う声に取り憑かれ、シロウの眼が死ぬ。

「――BOSS! BOSS!」

 そんな時に、一人の兵士が駆け込んできた。嘆息して椅子から立ち、自分を呼ぶ兵士の方へ向く。
 そして右目を見開いた。その兵士は、マクドネルのバディだったのだ。

「何があった?」

 彼は捲し立てた。敵拠点の正確な位置を掴んだ事、そこで出会ったサーヴァントの事、そして――捕虜となった人間の《《用途》》。マクドネルが脱出出来ていない事。
 捲し立て、電池の切れた機械のように、その兵士は昏倒した。伝えねばならない事を全て伝え、使命感でなんとか疲労を誤魔化し戻ってきたはいいが、ついに気力が尽きてしまったのだろう。

 シロウは五秒ほど沈黙して考えを纏め――決断を下す。

「伝令、東部基地に向かった李書文とジェロニモを追いかけ、奴らを北部に向かわせろ。東部のエドワルドには悪いが暫くネロだけで凌がせる。代わりに北部からスカサハと春を呼び戻せ。スカサハを俺の代理として本営に置く。春は俺の供だ」

 マクドネルの戯けを救出に向かう、と――

 シロウはそう、断言した。








 

 

暗剣忍ばす弑逆の儀 (上)






 決死隊を募る。

 国語のおさらいだ。
 『決死』とは命を投げ出す覚悟をする事である。
 『隊』とは二人以上が集まっている組織である。

 ――とりとめもない常識的な国語力だ。魔術世界に関わる者は、そうした『言葉』に秘められた意味についての造詣が深い。というのも、そうした言葉の意味を拡大したり歪曲したり、某かの言葉に繋げて意味を増幅させたりするからだ。
 一般にこれを『言霊』という。他にも言い方はあるが今はどうでもいい。魔術とは学問である故に、魔術師なら語学に堪能でなければ話にならない。そうした言霊を用いて呪文とし、それを構築して自らの魔術を支配して、操作する暗示とする。人間が築き上げてきた文明の根底、全ての鍵に言葉と文字がある故に、魔術学的な見地から見て最も力を持つ『言葉』に対し、どうしても理解が深くならなければならないのだ。

 シロウもまた魔術師だ。固有結界という魔術世界の奥義を先天的に宿していた異能者に近く、魔術師としては二流以下の三流、正確には魔術使いではあるが、彼が魔術を齧っている事に変わりはない。
 故にそうした言葉の力を軽視したりはせず、単語の一つ一つ、繋ぎ合わされた文面から様々な意味を見いだして何通りの解釈が成り立つかを考察する癖があった。これは長く魔術世界に棲み、生き残ってきた者全てに共通する習性である。これがなければ何事に於いてもカモにされるだけだという事でもある。

 決死隊。嫌な名称だ。『命を投げ出す覚悟をした、二人以上の人間が集まった組織』? 馬鹿げている。なんだってそんな覚悟を、複数人が共有して集まらねばならないのか。
 最も馬鹿げているのは、その隊を募ったのが他ならぬシロウ自身であり、決死の覚悟を抱けと命じている事。苦虫を噛み潰した表情になりそうなのを鉄の意思で押し隠し、シロウはマザーベースの秘匿されている地下通路の入り口で、我先にと集い横一列に整列した九人の兵士達を見渡した。

「――作戦の概要を説明する」

 それぞれがバラバラの、民間人の服装をしている。シロウ自身も平凡な服装に切り替えていた。右の単眼を細め、自身を見詰める兵士達に淡々と告げる。

「マクドネルが敵地に囚われている。これを救出するのが作戦目標の一つだが――率直に言ってこれはあくまで《ついで》に過ぎない」

 非情な物言いだ。しかし「ついで」と言いつつ、額面通りに受け止める者はいない。シロウがどういった男なのか、彼らはよくよく理解していた。
 彼の言う「ついで」は、本命と同じ比重を持つ。事が人命に関わるともなれば、手を抜くなど断じて有り得ない。それが『人類愛』がBOSSと呼んで慕う男の在り方なのだ。

「奴のバディ、アレクセイの持ち帰った情報は非常に重く、深刻だが、俺達の置かれた状況を打破し得る貴重なものでもある。即ち要点は三つ。敵地を把握出来た事。その敵地への侵入が極めて容易である事。何よりも、敵首魁の『暗殺』を達成させられる公算が高い事。間違えるな、マクドネルの救出は二の次三の次、本命は『ケルトの女王メイヴを暗殺する事』だ」

 それは起死回生の、一発逆転を狙う策である。
 シロウからすれば特異点化の原因を排除し、人理定礎が復元されてしまった場合、自分がどうなるのか今一把握出来かねているので、出来れば倒したくはないというのが本音だが。
 しかし今、そんな事を言っている場合ではない。自分一人の命に拘泥して、この大陸に生きる人々を命の危機に晒し続ける訳にはいかなかった。やれるなら、やる。迷いはない。

「ケルト軍は人間を必ず捕虜とし、生きたまま敵拠点まで持ち帰るそうだ。マクドネル達はそれを利用して潜入した。俺達もそうしよう。同様にかなりの大人数の人間が『資源』として捕まっているらしいが、そちらは見捨てる」

 苦渋を滲ませる事なく、合理的に、冷徹に告げる。しかしそこでシロウは鼻を鳴らした。

「――と、言えたら楽なんだが。生憎と俺達の理念はそんな現実的なものじゃない。救える限り救い出す。だがどうしても救いきれない人間は出てくるだろう。こうして決死隊を募ったのは、お前達に任せる任務がマクドネルや他の捕虜を助け出す事だからだ」

 合理。冷徹、無情。鉄の理念に情の血など流れるはずもなし。しかしシロウは相好を崩して苦笑した。
 馬鹿げている。底無しの阿呆だ。時として犠牲を容認するのが軍略家として、組織のリーダーとして持つべき最低限の覚悟なのに、それを受け入れられぬと子供のように駄々を捏ねている。
 命懸けの戦いに赴こうというのに。死地に飛び込もうというのに。既に幾人もの仲間を自身の指示で死なせているのに。尚も綺麗事を説く己の面の皮の厚さには、我ながらほとほと呆れ返る他ない。

「率直に言って『暗殺』するだけなら俺と春だけでいい。身軽な上に、気が楽だ。だが敢えてお前達を連れて行くのは、あくまで『人類愛』の理念に沿う為でしかない」

 そう自覚していても、貫く。
 だから信念というのだろう。自らの欲に邁進する、まさに魔術師だ。

「綺麗事だ。理想的すぎて絵空事に聞こえるだろう。だが俺達はその理想を忘れてはならない、追い求める事を忘れてもならない。その結果として理想に溺れ、溺死する事になっても。貫き通せばそれが真実(ほんとう)だ。俺はお前達にこの理想の為に死ねとも、命をくれとも言わん。理想の為に命があるんじゃない、命を遂げる道標として理想がある。
 その上で訊こう。今回の任務には拒否権がある。ここに残り家を守る事の方が重要かもしれない。それでも……お前達は『人類愛』が掲げる――いや、俺が掲げる(理想)に付いて来てくれるか?」

「――ご命令を、BOSS」
「自分達はとうにその旗に付き従っております」

 なのに、兵士達は。男達はその修羅の道に同道するのに一寸の躊躇いもない。シロウはその男達の面構えを目に焼き付けた。顎を引く。目礼した。

「すまない。……いや、ありがとう。生きて帰るぞ、全員で。必ず」

 了解、と兵士達は敬礼する。それが現実的には不可能なのは百も承知。それでも『全員で帰還する』事を命じられたのなら最善を尽くす。

 ――集められたのは、中軽傷を負って一時戦線より離れ、復帰した直後の兵士達だ。
 彼らはほどよく疲労している。傷は治っていても疲労は抜けきっていない。シロウに至ってはこの場で最も疲弊していると言えた。
 故に最高のコンディションである。強がりでもなんでもなく、事実として。態と薄汚れた格好をすれば、難民が逃亡生活の末に疲弊しているように見えるだろう。

 そうして彼らは地下通路を通りマザーベースの戦線から離れた。反撃の嚆矢として、敵首魁の喉笛を噛み千切るべく。



















 不幸中の幸いとはならなかった。なるべくしてなった不幸中の不幸というべきだろう。星の巡り合わせが最悪に近かった。
 ケルト軍の捕虜となる為に散策していたシロウらが遭遇したのは、よりにもよってアレクセイの報告に名が挙がっていた湖の騎士ランスロット・デュ・ラックだったのだ。しかも常に英雄殺しの槍を携え、警戒している駿足のアキレウスまでいる始末である。
 ランスロットの顔、能力、性格をアルトリアの記憶を通して知っていた。そして槍を解析してアキレウスという真名を把握したシロウは、それはもう盛大に顔を顰めてしまったものだ。なんて鬼みたいな面子だよこれは、と。

 シロウは眼帯を外していた。自分はケルト軍のサーヴァントと交戦している。フェルグス、ペンテシレイア、ディルムッドだ。彼らからシロウの外見的特徴を伝え聞いていた場合、潜入作戦は破綻してしまう。
 故に白髪に右の金瞳、左の琥珀瞳というオッド・アイとなっている。左目はシロウ本来の瞳の色だが、それは単にスカサハに移植された魔眼の虹彩が偶然その色だっただけだ。分かりやすい眼帯を外しており、肌の色が違うから別人と言い張れない事もない。
 しかしその左目は、見る者が見れば一目で魔眼と知れるだろう。故に抜かりなくスカサハ製のコンタクト型の魔眼殺しをつけていた。遠坂凛製のそれが使い捨てなのと同じで、こちらも使い捨てである。一度外せば機能しなくなる仕様だ。

「ふむ。またぞろ『資源』が増えたか……」

 ランスロットが悩ましげに……運搬の手間に頭を悩ませる素振りで嘆息した。

 通過儀礼として抵抗する素振りはした。全力で逃げもした。バラバラに、算を乱して逃亡してはみた。
 しかしシロウを含めた十名の兵士は、至極あっさりと捕縛されてしまう。最速の英霊アキレウスから、ただの人間が逃げ切れる訳もない。まあそうなるだろうなと思った通りの、当然の帰結であった。
 湖の騎士ランスロット――アルトリアの記憶から、ランスロットの面貌をよくよく見知っていたが。こうも捕虜をモノのように扱い、その上で全くの無関心な目をする男ではなかったはずだが。やはりメイヴに召喚されたサーヴァントは、某かの歪みを抱いているものなのだろう。しかし――シロウは違和感を抱いた。

 ――弱い。遅い。本当に奴らはランスロットとアキレウスか?

 無論シロウからすれば格上、自分にとって弱いとは言えない。しかしサーヴァントとしての能力を比較するに、彼らはどう考えてもアルトリアより一枚も二枚も格が落ちている。確かにアキレウスは速いが、それはステータスによるものではなく、逸話や伝承を元にした技能か宝具によるものに見えた。
 思えばマザーベースに攻め寄せてきているサーヴァントも弱かった……気がする。いつぞやの女の劣化英霊とは比較にもならないほど強かったし、理性や知能は確りとしているようだったが。
 敵サーヴァントはザッと数えただけで三十もいたのだ。幾らアルジュナやシータ、スカサハという、トップクラスの火力と対人性能を持つ宝具持ちがいたとはいえ、防ぎ切れていたのは奇跡に近い。というより、幾らスカサハ達が最強に近いサーヴァント達とはいえ同じサーヴァントを多数――それも戦いに特化した戦士のサーヴァントばかりを相手に凌げるものなのか。

 確かにこちらの防備は固いだろう。神代の城に程近い強度と、剣弾を打ち出す殲滅兵器『剣砲』がある。
 兵士達もそれを効率的に運用し、敵雑兵を寄せ付けず、サーヴァントすら迂闊に前に出てこれないようにしていた。
 だが――どう考えてもオカシイ。今更ながらにその事に気づく。弱いのだ彼らは。まるでマスターのいないはぐれサーヴァント並みに。
 サーヴァントがマスターがいないと力を発揮しきれないのは、その存在の規格や仕様がそうだからとしか言えないが、もし新たにケルト軍に召喚された多数のサーヴァントが、それと同じぐらいの霊基強度なのだとしたら……。

 ――睨んだ通り、なんらかの制約があるらしい。

 サーヴァントの大軍を召喚するなどという、聖杯とメイヴの力を掛け合わせた反則があるとはいえ、何もないわけがないとは思っていたが。恐らくメイヴ自身気づいていない失陥があるのかもしれない。
 それを探り当てられれば、まだ状況は改善する、かもしれない。今のアキレウスは、例えるならシロウと契約する前の――マスターがいなかった時のアルジュナと同程度だ。

 ……なんでもいいが、本当に虫けらを見る目だなと思う。いや、虫というより、自分とは違う生き物を眺めているかのような目。魔術師が被験体に向ける視線に似ている。……本営に詰めていたから分からなかった。こうして自分の目で見て感じたから分かったのだ。たまには前線に出なければ、感覚と知識の齟齬が生じるようである。
 ――縛り上げられ、ケルト戦士の肩に担ぎ上げられて運搬が始まる。
 しかしアレクセイの報告にあったよりもその歩みは遅かった。遅々として進まないわけではない、しかし想定よりも遥かに遅い。アレクセイとマクドネルが捕虜として敵地に連れていかれた当日、ギャラハッドと名乗った英霊は、その日の内にランスロットが帰還するといった口ぶりだったらしいが、予定が大幅に狂うほど想定外な事態に襲われているのかもしれない。

 シロウは気づかれないようにそれとなくランスロット達を観察する。

「しっかし、ちんたら歩くのもうんざりしてきたな、兄貴」

 アキレウスが言う。彼やランスロットは、捕虜に話を盗み聞かれているのもお構いなしだ。アキレウスは兎も角ランスロットには考えられない迂闊さである。
 『同じ生き物と見ていない』から、究極的にこちらの動向、生死がどうでもいいのかもしれない。好都合だ。そのやり取りからでも情報は得られる。
 アキレウスがランスロットを兄と呼んだ。実年齢は英霊には些末事だ。しかし生まれた年代的にはランスロットの方が後世の英雄である。血縁関係などあるはずもない。なぜ兄と呼んでいる? まさか本当に、本物の兄弟になったわけではないはずだが。

「仕方あるまい。小うるさい蝿が辺りを飛び交っているのだ。恐らく緑衣の弓兵だろう。取り逃がした私の不覚だな」
「兄貴が駆除にしくじるってのも珍しいよな。野郎、ちまちま進軍を妨げる罠を置いてくれやがって……鬱陶しいったらないぜ。まるでオッサン……、……?」
「どうした?」
「……いや、なんでもねぇよ」
「……理想王が消えたのはマスターの令呪ではなく、例の弓兵による姿隠しの隠蔽によるものなのだろう。時折り飛ばされてくる殺気は彼の王によるものである可能性が高い。忌々しいが、資源を守るために足を遅める他ないな」

 緑衣の弓兵、理想王? サーヴァントか。前者は分からないが、後者はラーマの呼び名である。まさか、こんな所でその名を耳にするとは思わなかった。

 サーヴァントに関する話題でも、彼らの態度は変わらない。無関心、というより宇宙人の話題でも扱っているかのようだ。しかし脅威としては認識しているらしく、それが故の警戒なのだろう。よほどその弓兵がいい仕事をしてくれているらしい。
 姿隠しの宝具、或いは技能を持つ弓兵……ざっくりし過ぎて真名は分からない。しかし……ランスロットとアキレウスにここまで警戒させるほど悪辣な罠を敷いていたという事は……今も近くでこちらの様子を伺っている可能性はあるか。出来ればもう妨害はしないでもらいたいものだが……こちらの意思を汲んでもらうにはどうしたらいいだろう。

 ああ、普通に沖田に頼めばいいか。余程に距離が離れていたら、俺の魔術の腕だとパスを通じての念話は出来ないが、今は近くにいるから普通に声もなく、仕草もなく、詳細に頼める。

 ――という訳だ。頼むぞ、春。
 ――いいですけど。沖田さんにもそのアーチャーさんのいる所が分からないんですけど……?
 ――なんとかしろ。
 ――いや無理ですって。気配遮断しながら動き回るのはいいにしても、声とか出したら流石に気づかれますよ!

 なんとかしろと言えばスカサハは目の色を変えていたなと思い出す。ついつい困った時に出してしまうようになったフレーズだが、常識的に考えて普通に無理なものは無理だったか。

 ――……紅い布は持ってるか?
 ――持ってますけど……。

 ちらりとランスロットとアキレウスを見る。フェイクでもなんでもなく、普通に無視されている。彼らほどの英霊を無理矢理に従えるほどの霊基の改竄がなされている弊害だろう。こちらの視線などに気づいて、余計な事はさせないように監視の目は光らせておくのが普通だが、それがない。
 ケルト戦士はあからさまに知能が足りていないので警戒に値せず。戦士の肩に手足を縛られたまま担がれているシロウは、無理に身じろぎしてズボンのポケットに指を引っ掻け、そこから紅いバンダナを取り出し地面に落とした。後続の戦士達はそれを平然と踏み、そのまま歩いていく。

 ――紅ってのは目立つ色だ。今もこっちを見てるなら俺が落としたものにも気づくだろう。それと同色の布を持って春が彷徨けば、よほど察しの悪いサーヴァントでない限り俺がマスターである事は伝わるはず。お前に向こうから接触してくるだろう。

 沖田は気配は断っているが、痕跡を残して『誰かがそこにいる』と示す事は出来る。目敏くその痕跡、例えばこれ見よがしに沖田が足跡などを残し、それを発見してもらえばいい。

 ――分かりました。にしても、よく咄嗟にこんな悪知恵働きますね……。
 ――小細工をさせたら俺の右に出る奴はそうはいないぞ。

 ランスロットとアキレウスを警戒させる罠を、恐らく地形などを利用して即興で作っているであろう弓兵には負けるだろうが。その手のプロフェッショナルを『人類愛』は熱望しております。熱い職場があなたを待っていますよとオリジナル笑顔で告げたかった。
 
 沖田が離れていく。といっても、マスターであるシロウにもその気配は掴めないのだが。
 ややあって念話が送られてくる。

 ――向こうさんから本当に接触してきましたよ!
 ――ナイスだ。空気が読める手合いで実に助かる。それで、相手は誰だった? ラーマはいるだろう。
 ――はい。ラーマさんと、ロビンフッドさんらしいです。
 ――ロビンフッド! なるほど。なるほどな。……いいじゃないか。……ああ、ラーマにシータの事は伝えてあるか?

 勿論ですとシータと仲の良い沖田は嬉しそうに言った。

 ――離別の呪いを感じなくなって、シータさんが死んだと思って仇討ちの為に遮二無二戦っていらしたそうです。けどシータさんが生きてて、無事ならちゃんと会えるって教えてあげたら感激しちゃいまして! 泣いちゃって可愛かったです! シロウさんにとても感謝してくれてます!

 かわいい……? シロウは首を捻った。
 シータに曰く、眉目秀麗にして並ぶ者なき美丈夫だというが……。かわいい? ……なるほど、分からんとシロウは思考を放棄した。
 何はともあれ状況は依然、最高に最悪だ。しかし絶望するほどではないとシロウは己に言い聞かせる。
 そうだ。この程度で絶望するほど柔ではない。どんな逆境だろうが乗り越えてみせる。ロビンフッドと共にいるらしいラーマを仲間に出来そうで、彼と共にいるロビンフッドも芋蔓式に仲間に引き込めそうだ。
 状況はクソッタレでも希望の芽が見えてきている。大丈夫だ、なんとかなる。なんとかしてみせると意気込める。

 ――そうして、四日後。ランスロットらに運搬されて、『資源』はワシントン州に運び込まれた。











 

 

暗剣忍ばす弑逆の儀 (中)






 物として扱われ、物として運ばれる。それは人間の尊厳と体力を著しく奪い去るものだった。

 排泄物は垂れ流し。食事という名の単なる栄養補給は作業的。城に運び込まれ、収容所の檻に入れられたシロウは呆れてしまった。何より己の惨状に。臭いなこれは、と。不快な感覚がある。自分だけではなく、周りの人間全てが異様に臭った。
 臭いと感じていたのはケルトの戦士達も同じだったのだろう。城に着くなり何を言われずとも『資源』の衣服を剥ぎ取られて、樽に満たされていた水を全身にぶちまけられる。
 寒い季節だ、暴力的な水の冷たさに、老人でなくとも体の弱い者はショック死しても不思議ではない。体の汚れと臭いを水で洗い流された後は、なんとか服だけは確保するも収容所に押し込まれてしまう。

 木製の檻は急造のそれだ。破壊するのに困難と見る事も出来ない檻の中に、所狭しと詰め込まれ虜囚の辱しめを受ける人々がいる。
 誰しもが飢えている、渇いている。病んでいる。絶望してへたり込んでいた。死を明確に意識しているのだろう。この檻から連れ出された者は一人も戻っていない、といった辺りか。体調も芳しくなく、体力も心許ない。汚物に塗れたズボンや下着を、寒いから身に付けざるを得ず。まあなんとも分かりやすく、ナイチンゲールなどが見たら一も二もなく消毒に移る環境である。
 ――この時点でシロウは悟った。彼らを連れて逃亡するのは絶対に不可能だと。何より、逃げられるだけの体力がない。敵地のど真ん中から逃げ出せるわけがない。余りにも甘く、希望的観測が過ぎた。

「……ズボンと下着は換えろ。臭くて敵わん」

 鉛色の吐息を溢し、シロウは背嚢から替えの衣服を取り出して着替えた。部下の九人の兵士達もそれに倣う。おざなりな事に、携帯していた荷物が奪われる事はなかった。武器の類いは持っていなかったからというより、単に必要性を感じなかったのかもしれない。この時の為に穿いていたオムツは一度脱がされ、水をぶちまけられた時に脱ぎ捨てたまま。下着とズボンに穿き直すという間抜けな真似はしないでよかった。
 部下達を見渡す。体調はどうだと問うと、窶れた顔で苦笑いをしていた。暫く休みたいです、と。全く同感だ。奇異の目を向けて来る周囲の目をものともせずに、九人の男達は平然と横たわって仮眠を取った。一応念のため、一人にだけは見張りをさせる。

「……よし。体力は戻ったか?」

 ――運び込まれたのが深夜である。日の出の気配を感じながらも、空腹感と疲労は拭えない。シロウが問うと部下は応じた。

「およそ五割ほどは。BOSSはどうでしょう」
「肉体的な疲労はともかく、不思議と精神面は万全だな」

 まるで一日中惰眠を貪った後、更に一日だらだらと寛いだかのようなさっぱり具合である。
 たっぷり五時間は休んだか。しかし堪らないほどの臭さだ。こんな場所に長居はしたくない。五時間でも充分すぎるほど長居をしてしまった気分だ。

「ご苦労だった、お前も休め」
「……了解」

 見張りをしていた兵士を労い、彼を休ませる。
 マクドネルを探すも捕虜の数が多すぎる上に、五十人ごとに牢を別けられている為かその姿を確認する事は出来なかった。五十人ごとに別けられた木製の檻はこの収容施設一杯にあり、その数は少なく見積もっても千人は下るまい。矢鱈と広いが、別の区域があればそこにも捕虜がいそうである。

「予め覚悟はしておけ。アレクセイが潜入し、帰還するまでに十日掛かっている。そして俺達が此処に来るまでに更に六日掛かった。既にマクドネルは死んでいる可能性が高い」

 言うまでもない事だった。兵士達は――苦楽を共にした家族が既に死んでいる可能性については考えている。認められるかは別として、だが。
 しかし、彼らは兵士だ。骨の髄まで兵だった。故に私情を圧し殺して無言で頷いてみせる。

 シロウは牢の外を見渡す。ケルト戦士はざっと見ただけで百。《鏖殺しは容易い》。
 ……? 容易い、か? いかんな、どうにも感覚が馬鹿になっている。日夜頭がおかしくなるほどの撃破報告を受けていたせいだろう、百の戦士を前にしてなんら脅威を感じないのはそのせいだ。
 しかし……頭を振る。それよりも、サーヴァントが此処に詰めているのが意外と言えば意外だ。メイヴは己の召喚したサーヴァントに全幅の信頼を置いているかもしれないが、油断や慢心とは無縁の女王である。力には驕る事がある。されどそれで足元を掬われる迂闊さはない。隙となるのは彼女が気づけていない失陥のみ。

 見張りとして此処にいるサーヴァントは四騎。些か過剰な配置数だが、捕虜に扮して侵入してくるかもしれないサーヴァントやマスターを、メイヴが警戒しているのだとしたら過剰でもなんでもない。寧ろ用心深さの現れであると言える。

 一騎は中華風の鎧を身に纏った武将だ。堂々たる巨躯、漲る武威。ランスロットやアキレウスに見劣りしない重圧がある。冠につけられた特徴的な二本の羽飾りや、手にしている《方天画戟》から、武器を解析するまでもなく真名を察する。
 姓を呂、名を布。字を奉先。――呂布だ。
 後漢末期、三国志の前の時代に於いて最強の称号をほしいままにした無双の武人。三国志やら後漢末期と聞くと大した事がないような印象を受けるが、彼は西暦一世紀の人物だ。アルトリアが五世紀の人物であると言えば、彼が神代の戦国期に於いて武の頂点に立っていた事の破格さが伝わるだろう。その武勇は三国志の知名度の高さ故か、中華史に於いて覇王項羽に次ぐ猛将であると目されている。
 彼は退屈そうにしていた。方天画戟を抱くようにして腕を組んで、壁に背をついて立っている。その面相や瞳にある理知の輝きからして狂戦士の線は消えた。ランサーかライダー、アーチャーだろう。
 彼は裏切りの代名詞だが、メイヴに召喚されているのだ。ランスロットの変貌ぶりを考慮するに、彼がメイヴを裏切る事はないと考えていた方がいい。

 日本の僧兵もいる。筋骨隆々にして、呂布にも劣らぬ巨躯である。多数の刀や槍を紐で括り、それを背に負っていた。
 これもまた分かり易い特徴だ。浅黒い肌で僧兵、巨躯、そして大薙刀。念のため解析すると、真名は案の定『武蔵坊弁慶』その人であった。
 六歳ほどの頃に疱瘡にかかり肌が黒くなった……または母がつわりで鉄を食べた為に、その肌が黒くなったという逸話が弁慶にはある。肌が浅黒いのはその為だと思われる。

 そして槍を持つ中華服の老武人。槍を解析すると、真名が判明する。
 李書文だ。おいおい年代の違う同一人物がいるのかと呆れてしまう。自分との戦いなどろくなものではないが……この事を知ればマザーベースの李書文は何を思うだろうか。
 勝手な印象だが、嬉々として戦いに出向くかもしれない。特異点Fで英霊エミヤと対峙した時の事を思い出すので、出来ればその現場には居合わせたくないものだ。

 最後の一騎……これは分からなかった。剣や槍などで武装していないからだ。神性を感じる辺り、さぞかし名のある英霊なのだろうが、彼には武人然とした雰囲気がない。
 軽薄な青年といった印象である。裕福な家に生まれた……そう、例えるなら成長した慎二のような印象を受けた。いや成長というより神代補正と血筋補正が入り幸運化して進化した慎二か。ろくでもない奴だ、念入りに髪を刈らねばならない気がする。

「……この場で事を起こすのは得策ではないか」

 沈思黙考するも、結論はそれだった。
 実力が高位に位置する英霊ばかりがいる区画に、いきなり連れて来られたのは不運という他ない。
 アレクセイが言うにはギャラハッドも見張りにいたというから、彼が見張りとして常駐しているのだとしたら最低でも二区画はある事になる。だとすれば少なく見積もっても捕虜は約二千人ほど……。
 さてどうする。このままのんびりしておけるほど呑気な性格はしていない。状況も切迫している。メイヴは捕虜の人間を、英霊召喚のための『供物』『資源』『養分』としている。呼び方はなんでもいいが、生け贄として引っ立てられた先にはメイヴがいると判断していい。何せ召喚主はメイヴなのだから。

 選択肢は二つ。

 一つはこのまま捕虜が連れて行かれるのを黙って見ておき、その間に隙が出来るのを虎視眈々と待ち続ける事。
 これのメリットは比較的安全に作戦を実行に移せる点だ。しかしそれは、助けられる見込みが正直全くないからと、此処にいる全ての人々を見捨て、自身らの為に捨て石にする事でもある。デメリットは隙なんか生まれず時間を無駄にするだけの確率も高く、行動しない事によって状況が悪化する可能性がある事だ。
 可能性、確率。そんな曖昧なものに頼ってばかりの選択肢。運に頼ったもので、お世辞にも幸多き人生を歩んできていないシロウが執るべきではない。この期に及んで運頼みなど愚の骨頂。深刻化する可能性まであるのだから尚更である。
 運とは巡ってくるのを待つものに非ず。自ら行動し掴み取るべきものだ。神は自らを助くる者を助く、勝利の女神は自ら動くものを愛するともいう。流れを引き寄せるにはただ只管に行動あるのみ。

 つまりこの牢に捕虜を引っ立てに来るケルト戦士かサーヴァントに、自分から生け贄に立候補して捕まりに行くべきである。メイヴの許へ案内させると考えれば楽なものだ。わざわざ探し回る手間が省ける。
 当然こちらにもデメリットはある。直接的な脅威度としては高い。何せメイヴの近くにはサーヴァントがいるだろうからだ。身辺の警護を大量にいるサーヴァントにさせないはずがない。暗殺者の手合いを警戒するのは王にとって当然の措置だ。それにメイヴ自身がサーヴァントである。対峙したからと素直に首を差し出してくれる訳でもない。確実に一波乱ある。それに万が一しくじれば、こちらが助かる見込みは限りなく零となるだろう。

 今更だ。そんな鉄火場など、数え切れないほど乗り越えてきた。

「……来たな。お前達も付いて来い。なるべく纏まって行動するぞ。もし引き離された場合、何処かから大規模な爆発が起こったら作戦開始の合図だと思え」
「了解。地獄の底までお供しますよ、BOSS」

 部下達の肝も座っている。何も問題はない。

 ケルト戦士が十人ほど牢に寄っていく。こちらではなく、反対側の檻にだ。シロウは大声で喚いた。糞野郎、玉無しの狗、品性の欠片もない野蛮人、脳味噌まで筋肉で出来ているくせに群れなきゃ何も出来ない雑魚野郎ども……とにかく口汚く罵る。
 部下達もアメリカンな罵倒話術の片鱗を覗かせる悪罵を放ち始めていた。教えていたブーイングまで使いこなす辺り、国家としては成立していないが、やはりアメリカ人なんだなとそんな場合ではないのに感慨深くなる。

 ケルト戦士はこめかみに青筋を浮かべ、怒りの形相で足音を立てて近づいてくる。敵サーヴァント達は可笑しそうに見ている。どうやら言語自体は普通に認識してくれるらしい。虫けらと見下しているからこそ、罵倒の類いが我慢ならないのが三下なんだと、ケルト戦士に嘲笑を浴びせる。
 荒々しく檻が開かれた。腕を掴まれ、ヘッドパットを食らう。額が割れ血が流れた。石頭な奴……。鼻を鳴らすと拳で顔面を殴り抜かれ吹き飛んだ。部下達が支えてくれる。顔を真っ赤にして怒り狂う戦士が、更に殴りかかって来ようとするのを、サーヴァントが止めた。

「やめろ」

 呂布だった。戦士の腕を掴み、止めている。

「母の大事な資源だ。無用に傷をつけるな。……やめろと言って分からんか、愚図が」

 止められてなお離せと暴れ、シロウに殴りかかろうとするのをやめない戦士に、優しい制止は一度だけだと言わんばかりに呂布は戦士の首を大きな掌で握り、そのまま握り潰した。
 顔をトマトのように真っ赤にして、血管を浮かび上がらせて、骨の砕け折れる音が生々しく響く。死体は消えた。捕虜の人間達が悲鳴を上げて檻の際まで一気に下がった。軽い錯乱状態だ。呂布は「ふん」と下らなさそうに鼻を鳴らす。

「母の命だ。八体ほど連れて行け」

 無双の武人が他の戦士に命じる。八人か……シロウは血の混じった唾を戦士に吐きつける。するとシロウは腕を掴まれ檻の中から引きずり出された。
 他の七人も部下だ。進んで出た。連行されて行きながら、シロウは考える。八人、この数の意味はあるのか? と。特になんの意味もないように思えるが。

「ああ、そうだ」

 今度は別のサーヴァントだ。真名が不明の青年である。彼はシロウらを見渡し、笑みを湛えながら言う。

「呂布。ソイツらは特別活きがいいみたいだ。面倒な事をされてはかなわない、キミがついていってくれないかな?」
「……こんな雑魚どもを、この俺に見張れだと? 指図するとは何様のつもりだ、《ペルセウス》」
「兄の頼みだよ。聞いてくれないかい?」
「……ふん。貸しにしてやる」
「はいはい」

 ――ペルセウスだと?

 思わず舌打ちしてしまいそうになる。何から何まで厄介なサーヴァントばかりではないか。
 呂布は戦士達に囲まれたシロウらを連行していく。向かうはメイヴの膝元である。







 

 

暗剣忍ばす弑逆の儀 (下)

暗剣忍ばす弑逆の儀 (下)





 その男は視ていた。

 一部始終を延々と。

 悶々と。

 慚愧の念に震えながら、歯を喰い縛ってその悪逆を直視し続けていた。

 罪もない人々。罪のある人々。健康な男性、女性。病弱な男性、女性。老いも若いも問わず、玉座の間に作られた血の沼に沈められていく人々の断末魔。
 既に生け贄の数は万の桁を優に超えただろう。血の沼に沈み、溶けていく人間の阿鼻叫喚は魂を引き裂くように男に刻まれ続けた。聖杯になみなみと注がれた女王の血が子宮と同義の沼を作り、聖杯そのものである沼から精神を改竄された英霊達が産まれる。その純粋な思慕と敬愛、忠誠心を植え付けられたモノが産み出されるのを目撃する度に、強烈な嫌悪感と罪悪感に己の心臓を抉り出してしまいたくなった。

 女王に強制的に座から引き出され、産み出されたサーヴァントは、女王には決して思想的に逆らえないように魂を改竄される。しかしそれでもなお幾人かのサーヴァントは抗ってのけた。
 召喚されてしまった時点で抗えないものに。召喚が完了していない故に対魔力が機能しないのに。意思の力だけで抗った者がいた。
 湖の騎士とその子、穢れなき純潔の聖者もその内の一人である。騎士王に捧げた忠誠心で抗い、湖の騎士は我が子が抗えている事を悟り咄嗟の事態であるにも拘わらず庇っていた。
 それを見ていた。ただ、見ていただけだった。だからこそ――疑問が生じた。

 ――俺は、これでいいのか?

 悪逆の側に荷担した。やむをえない義務がある。召喚された者(サーヴァント)として尽くす義理があり、いつか大義のある者に打ち倒される悪であろうと覚悟を固めていた。
 女王には逆らえない、騎士だからではなく、そうした令呪にも似た強制力が永続的にこの身を縛っていたから。そうしてはじめて、悪逆に手を染める事を受容していた。してしまっていた。今更ながら疑問を抱く己の愚昧さに吐き気がする。己の願望や矜持にかまけて思考停止していた蒙昧さに殺意が湧く。だがどうしようもない。どうあっても逆らえないのに変わりはないのだから。

 無力感に支配された。何も出来ないのか、俺はと。こんなザマで何が騎士だと自嘲する。いっそ狂えたらどれだけ楽だっただろう。しかしそんな逃避は赦されない。幾人もの犠牲を容認させられていながら、狂気に逃げるのはそれこそ罪深い咎だ。
 そうして煩悶としていると、ある男が百人の人間と共に玉座の間へ連れてこられた。女王は清楚に、無垢に唄う。あなた達の命、私にちょうだい? なんて。
 茶髪の青年は紅い布を左の二の腕に巻いた。或いは覚悟を固める儀式だったのかもしれない。しかしその布を見たからこそ男はハッとした。

 ――もしやこの者は……《あの男》の兵か?

 見た事があった。この特異点で、主と共に戦いを挑んだ軍勢が、その布を身に付けていたのだ。
 男が女王を糺す。何をするつもりだ、なぜ俺達を殺す! と。女王は笑った。活きがいいわね……強い仔を産めそうよ、と。糾弾の声などまるで聞こえた素振りもない。事実聞こえていないのだ。女王は怒りの余り理性が焼ききれ、狂奔してしまっている。途方もないその赫怒を癒せるとしたら、彼女が最も執着した最愛の戦士しかいないだろう。
 その戦士の行方は杳として知れない。何処で眠っているのか、知っているのは女王だけだ。

 咄嗟だった。これまで口を噤み、木偶に徹していたのを、この時になって漸く口を開いた。

「――女王メイヴ。進言があります」
「あら? ああ、ディルムッド。案山子になっていたのに漸く口を開いてくれたわね。私、嬉しいわよ?」

 フィオナ騎士団の一番槍、輝く貌ディルムッド・オディナ。彼が口を開き、声を発すると、くるりと振り向いたメイヴは心底嬉しそうに表情を綻ばせた。
 メイヴはディルムッドを高く評価していた。妬みを知らず、高潔な騎士として高い実力を持つ彼は、メイヴにとって非常に好ましい好漢なのだ。フィンの下にいたのが勿体ないと常々思っており、彼が一度帰還して以来ずっと側に置いていた。
 しかしこれまでの間、声を失ったかのように淡々と命令をこなし、決して自分からは何も言わなかった。メイヴはそれが非常に悲しかったのだ。ディルムッドは声が良く、体が良く、貌が良く、内面も良い。一晩相手してあげてもいいと本気で思っていたから。

 清楚でありながら淫卑、男であるなら身体の芯から蕩けそうな微笑みを向けられ、しかし彼はあくまで平静を保ち進言する。

「人間を生け贄にサーヴァントの霊基を呼び込み『構成』する素材とする。それを実行するにしても、素材は玉石混淆。玉と石くれをいっしょくたに扱うのは些か勿体ない。ここは活きのよいものは後に回し、そうでないものを優先して使うべきかと」
「ん? んぅ……そうね。変わんないと思うけど……確かに私の戦士達の質が上がるのだとしたら、試してみる価値はあるかしら? それに折角ディルムッドが考えてくれたんだし、やってみるのも悪くはないわね」
「……では、この者を預かります」

 ディルムッドは紅い布を身に付けた青年に当て身を食らわせ、失神させると肩に担いで玉座の間を後にした。

 ――俺は何をしている?

 罪悪感に貌を顰める。やっている事は命の選別だ。あの男の兵だから助けた。他の民は見殺しにして。何故あの男の兵だから助けたのか……。
 恩を売るためか? バカな、そんな事をする意味はない。ではなんだ? ディルムッドは――あの男に期待しているのか?
 何をするべきなのか、何がしたいのか見えているはずなのに見えて来ない。ディルムッドは唇を噛む。青年を担いで行き、宮殿内の一室に青年を運び込んだ。
 ソッと彼を下ろし横たわらせると、青年はそれですぐに意識を取り戻した。よく訓練されている証だ。意識を失ってからの復帰が早く、即座に跳ね起きるでもなく周囲の状況を探っている。目を閉じたまま意識を失っているふりをする彼に、ディルムッドは重苦しく問いを投げた。

「起きているのは分かっている。お前はあの男の……。サーヴァントを従えるマスターの部下か?」
「……」

 青年は暫く沈黙していたが、気絶している演技が見破られているのを悟ってはいた。故に往生際悪く演技を続けはせず、起き上がりディルムッドと相対する。

「……人を気絶させて、こんな所に連れてきて。いきなりなんなんだ。訳がわからん。サーヴァント? マスター? なんだそれは。俺にはさっぱりだ」
「俺はディルムッド・オディナだ。誤魔化す必要はないぞ。俺はお前が身に付けたその紅い布に見覚えがある」
「……」

 忌々しげに貌を顰め、青年は紅い布を外し懐に隠した。
 ディルムッドは自問する。何故こんな問いを投げたのか。意味がない。何かを聞き出したい訳でもないというのに。嘆息してディルムッドは彼に言った。

「……此処にいるといい。暫くは匿ってやれる」
「匿ってどうする? どうせ生け贄にするんなら、生かしていたって意味がないだろ。下らない自己満足の為に、俺を生かしたいだけじゃないか」
「……その通りだ。……一つ聞く。あの男は……我々に勝てるか?」
「勝てる。いや、《絶対に勝つ》。俺のBOSSはお前らみたいな奴に負けるものか」

 青年は即答した。ディルムッドはそれに――ひどく安堵する。そうか、勝てるか。勝ってくれるのか。
 どだい無理な話だ。勝てるはずがないとディルムッドは思っている。しかしそれを覆せる何かがあると、青年は確信しているようで。それがディルムッドには救いだった。
 立ち去ろうとするディルムッドに、青年が言う。

「待て」
「……なんだ?」
「なんだじゃないだろう。あんたは何がしたいんだ」
「……」
「俺を助けたな。理屈にもならん理屈で。明らかに、あの化け物になんの利益もないってのに。――あんたは、何が、したいんだ」
「……」

 繰り返し青年は問う。それにディルムッドは答える術を持たず、逃げるようにしてその場を去った。
 見張りはつけていない。どのみちこの城には多数のケルト戦士とサーヴァントがいる、逃げられるわけもない。しかしそんなことを計算できる精神的な余裕が彼にはなかった。

 何がしたいのか。何をすべきなのか。ぐるぐると考え続ける。青年の眼がディルムッドの脳裡に焼き付き何度も彼に問い掛け続けた。
 ――あんたは何がしたいんだ。――あんたは何がしたいんだ。――あんたは何がしたいんだ。――あんたは、何がしたいんだ。
 苦しくて堪らず、胸を掻き毟る。吼えていた。在りし日の記憶、生前。原野に向かって吐き出した熱を、取り戻すように吼えた。

 ……そうすると、心の中の靄が晴れた。

 ディルムッドは静かに火を点す。そうだ。今、勝つべきなのは誰だ。人間か? そうではない、戦いではない。この地に続々と産み出され続ける者達の苦しみを灌ぐことが勝利である。犠牲にした者へ関与する資格はないのだから。
 ならば勝つべきはディルムッドか? メイヴか? 違う。騎士道か? サーヴァントの義務か? それも違う。ならば勝つべきモノとはなんだ、真に勝利するとは。……否、勝ち負けではない。尊厳だ。何を以て尊厳を、矜持を示すかだ。そう、示すべきは――《全ての英霊が持つ尊厳》である。

 悪である事はいい。サーヴァントとして喚ばれたからには、義務として果たそう。騎士として殉じよう。しかし――《これは駄目だ》。
 やっと思い切る事が出来た。全英霊の誇りを貶める事だけは、英霊として断じて赦してはならない事だったのだ。
 ディルムッドはそれ以来メイヴの傍に侍り続けた。覚悟は決めた、しかしそれで行動できるほどメイヴの縛りはぬるくない。その心境とは裏腹に、忠実な騎士のように手出しが出来ない。武器が出せない、構えられない、糾弾できない。悔しさに気が触れそうだ。だが霊基がひび割れるほど気を込めて聖杯の縛りに抗おうとする。この心臓を抉り出せば、一撃を繰り出す事は出来るかという所まで来た。

 あくる日の事、そんなディルムッドの前に、ある男が現れた。

 金色の右目と、琥珀色の左目を持つ白髪の男だ。彼は捕虜として、メイヴの眼前に引き立てられてきた。肌の色が違う、隻眼ではない――その二つの差異はあるが、ディルムッドはその程度で誤魔化される阿呆ではなかった。
 呂布がいる。彼は粗野な武人だ。しかしその強さはディルムッドを上回る。――《本来なら》。今の彼になら勝てる、勝てるがそもそも戦えない。何故来たのだと思った。あの男は、カルデアのマスターは、何故こんな所に来てしまったのか。
 凝視するディルムッドに男が気づく。貌を顰めた。ディルムッドは女王の傍から離れ、男に近づく。呂布が訝げに目を眇めるも、無視して小さな声で男に問い掛けた。

「何故捕まった、カルデアのマスター。何故こんな所に単身乗り込んできた……!」

 敗れて囚われたとは思えなかった。何故なら彼は、自身の主であるフィンを討った男だからだ。仮に敗れたのだとしても、こうも無傷でいる訳がない。なんらかの手傷を負っていて然るべきである。
 ディルムッドのただならぬ剣幕に、男は怪訝そうにする。メイヴは鼻唄混じりに召喚の儀式をはじめようとしていた。白髪の男の他にも百人近い捕虜がいたが二つある収容所が空となり、白髪の男がいた収容所から八人補填して百人としたのだ。

「……お前に教える義理はないな」

 当然だ。当たり前だ。素っ気なく告げる彼に、ディルムッドは歯噛みする。呂布が近づいてくる。こそこそと何をしていると。それをディルムッドは睨んだ。
 この男には見覚えがある。確認しているだけだと。事実確認が出来れば女王に報告する、と。呂布はそれに納得はしなかったが、関心は元々なかったのかあっさりと離れた。

「お前の部下を、一人保護してある」
「……何?」

 ディルムッドが言うと、男は目を見開いた。そしてそれが意味する事にすぐに彼は気づいたようだった。

「なるほど。……は、随分と思い切ったな、ディルムッド・オディナ」
「……答えろ。何故此処に来た。何をしに来た」
「道理で以前よりもいい(ツラ)をしている訳だ。お前に何があったのか興味はないが……いいだろう、今のお前になら教えてやる」

 男は不敵に笑った。薄皮一枚の下に隠していたものを、ちらりと覗かせるように。
 それは決死の戦いに挑む戦士の貌だ。真の戦士は真の戦士を知る。ディルムッドは悟った。そうか、この男は――

「メイヴを殺しに来た。……どうする? 大事な主に報告してもいいぞ」

 ――メイヴを討ちに潜入してきたのだ。
 なんと大胆なのか。しかも、ディルムッドにそれを教えた。どんな神経をしていれば、こうも臆さずに己を信じられる。

「……何故だ? 何故俺にそれを教えた」
「さあ、なんでだと思う? 言っておくが気紛れじゃあないぞ。これでも騎士という人種にはそれなりに慣れていてな。考えている事は顔を見れば分かる。ケルトの騎士は大概が馬鹿正直だからな。それに俺は人を見る目には自信を持っている。それだけだ」
「それだけ、だと……?」
「ああそうさ。今度はお前の番だぞ。ディルムッド・オディナ、お前は……いや、《お前も》そのつもりだな?」

 ディルムッドは、それに。

 頷いた。男は名乗る。

「エミヤシロウだ」
「……?」
「フン。名も知らん奴と同じ腹は括れまい。くれてやる、お前に先手は譲ろう」
「これは……」

 シロウはディルムッドの胸に歪な形の短剣を押し付けた。それを掴んだディルムッドは、視線を落とす。
 この宝具はなんだ? 目で問うと、一言。契約を破戒するものだと素っ気なく伝えられ、ディルムッドはシロウに押されて踏鞴を踏む。
 その短剣を後ろ手に隠し、ディルムッドは笑みを浮かべた。なんという事だ、と。こんな出来すぎた事があるものなのか、と。余りにも奇遇だった。渡りに船だった。ディルムッドはメイヴの許に歩み寄り、自身の口がシロウの狙いを女王に伝えようとしているのを感じるのすら愉快に感じる。

「女王、報告が」
「? なにかしら」

 小首を傾げ、メイヴが振り向いてくる。ディルムッドは言った。

「確認しましたがやはりあの者はカルデアのマスターでした。女王の暗殺を狙って潜入してきたようです」
「――なんですって……!」

 メイヴの表情に電撃が走る。すぐさまシロウの許に振り向き、呂布に指示を出した。
 殺しなさい、と。資源として使うには油断ならないと見切っていた。方天画戟を握り締めてシロウを殺さんと殺気を漲らせる呂布に先んじ。ディルムッドは、覚悟を決めた貌で告げた。

「貴女はやり過ぎた。貴女に喚び出された全ての英霊に代わり、刃を以て諫言とさせていただく」
「……え?」

 間の抜けた声がした。その瞬間に、ディルムッドは己に短剣を突き刺していて。彼を支配していたメイヴは異変を察して再びディルムッドの方を向くも。

 呪いの黄槍が、メイヴを穿っていた。

「――」

 驚愕に目を見開く女王だった。しかし彼女はフッ、と笑う。

 やるじゃない、流石クーちゃんの認めたエリンの騎士ね、と。






 
 

 
後書き
再掲載完了。
完! 燃え尽きたぜ……。