俺様勇者と武闘家日記


 

勇者との出会い

 
前書き
ドラゴンクエスト3の二次創作小説です。
ほのぼのだったり、戦闘多めだったり、たまにラブコメしてたり。
基本的にゲームに準じてはいますが、ストーリー上、全てゲーム通りに話を進めるのは困難なため、多少アレンジしたり、オリジナルキャラを登場させたりしています。
そういった内容でもOKな方は是非ご一読ください。
 

 
 ここは、アリアハンの城下町にある酒場。
 冒険者たちの間ではけっこう有名で、「ルイーダ」という女の人が一人で切り盛りしていることから、仲間内では「ルイーダの酒場」と呼んでいる。
 いつもこの時間は閑散としている店内なのだけれど、今日は昼間なのにもかかわらず、多くの人でごった返している。
 それもそのはず、実は今日、勇者が旅立ちの許可をもらう日なのだった。
「はぁ……。まだ来ないのかな……」
 ひときわ目立たないカウンターの一番隅のほうで、すっかりぬるくなってしまったホットミルクをちびちびと飲みながら、私は一人ポツリとつぶやいた。
 別に好きでホットミルクを飲んでるわけではない。カウンターに座った途端、酒場の女主人さんからサービスってことでご馳走された。
 やっぱり髪を二つわけにして三つ編みにしてるからだろうか。もともと年齢よりも幼く見えるため、余計子供っぽく見られるらしい。
 自己紹介が遅くなってしまったけれど、私の名前はミオ=ファブエル。なぜ私がこんなところにいるのかと言うと、『勇者』に会って彼の仲間にしてもらうのが目的なのだ。
 もちろん何の力もないただの女の子が『勇者』の仲間になれるわけがない。そのために私は、「武闘家」として今まで毎日修行を続けていた。ただ、服装もそれなりに武闘家っぽい格好をしてきたんだけど、やっぱり普段の稽古着とは違って着慣れない。それが返って幼さを引き立たせているのかもしれない。
 ともあれ今の私の心情は、暢気にミルクを飲んでいられるほど穏やかではなかった。
 半月前、アリアハンとは遠く離れたカザーブから、はるばるここルイーダの酒場に来たのだけれど、ここに来るまでも戸惑いばかりで、さっきからあたりを挙動不審気味に見回しているのが自分でもわかる。
 なにしろ今まで修行のほとんどを自身の能力を高めるための武術に費やしてきて、旅に必要な知識や土地勘、魔物との戦い方などをまったくといっていいほど知らなかったのだ。
 しかし酒場にいるほとんどの冒険者……要するに私以外の冒険者は、あちこちを旅して手ごわい魔物と戦ってきた、歴戦のベテラン冒険者ばかり。私は思わずため息をついた。
 そもそもなぜ私を含め大勢の冒険者がこの酒場に集まっているのかというと、つい先日、ここアリアハンより世界を滅ぼそうとたくらむ魔王を倒すため、一人の勇者が旅に出るという噂が広まったからだ。
 噂はやがて真実となり、それを聞いて共に魔王を打ち滅ぼそうと決起する歴戦の冒険者たちがここに集まるようになったのだ。
 だが魔王は仮にも世界を滅ぼそうと計画しているだけあって、その強さは計り知れない。
 現に十数年前、オルテガと言う一人の屈強な男が、無謀にも単身魔王に挑んでいった。だが死闘の末、彼は魔王の城に程近いネクロゴンドの火山で消息を絶ち、今も行方知れずとなっている。
 そしてそのオルテガの一人息子が、何を隠そうアリアハンの勇者なのである。
 噂では剣術はもちろん、魔法の使い手としても相当の実力者だと聞いている。ルイーダさんの話によると、レベルは30をとうに越えてるとか。父であるオルテガが成し得なかった偉業も、彼なら達成できるのではとさえ言われている。
 だがたとえレベル30の勇者でも、単身外に出てしまってはさすがに危険だと配慮し、ここルイーダの酒場で仲間を集めよと、数日前に命じたのだ。
 その影響は予想以上にすさまじく、自分も是非勇者とともにパーティーを組みたいと、たくさんの冒険者が酒場に集まってきた。
 もともとアリアハンは鎖国状態が続いており、他国との交流はほとんどないといっても過言ではないのだが、今回は特別に冒険者のみの立ち入りを一日だけ許可したのだ。
 かく言う私もポルトガに来ていたアリアハン行きの船に、ちゃっかり乗ることができた。もう本当に、奇跡のタイミングとしか言いようがない。
 そもそも勇者の仲間になるためにはまず、カウンターにいるルイーダにいまのレベルと職業を登録してもらうのだが、ここにいるほとんどの人がレベル10以上。
 そして私のレベルは「1」。……誰が見ても、私をパーティーに入れるなんて足手まといの何物でもない。
 もちろん自分でも、勇者のパーティーに入れてもらえるなんて無謀なことだとはわかっている。
 でも、足手まといだろうと何だろうと、私は勇者の仲間になりたいのだ。
 村にいたとき、遠いアリアハンから勇者のうわさを聞いて、私はすぐにその人に憧れを抱いた。
 少しでもその人に近づきたくて、武術を習い始めた。
 けど、いくら努力しても才能には勝てなくて、結局最後まで師匠にほめられることはなかった。
 家族の反対もあったが、私の熱意に根負けしたのか、最後には皆笑顔で見送ってくれた。
 ここまででもかなり無謀なことをしてきたんだから、もしかしたらなんとかなるかもしれない。私はそういう性格なのだ。
 そんなことを考えていると、戦士風の男の人が勢いよく酒場に入ってきて、他の仲間に向かって大声で叫んだ。
「おい! とうとうあの勇者が旅立つことになったらしいぞ!!」
 その一声に、店内の空気は一瞬にして期待と緊張の入り混じった高揚した雰囲気に包まれた。
 これ以上の奇跡はないだろう、いやでももしかしたら本当に仲間になれるかも、と頭の中で何度も考えを巡らせながらコップに入っているミルクを無意識に揺らしていたとき、次第に酒場の外が騒がしくなった。
「勇者だ! 勇者がやってきたぞ!!」
「いよいよ旅立つのね!!」
「絶対魔王を倒してこいよ!! でも無理すんじゃねーぞ?」
「バーカ。ユウリに限ってそんなことあるかよ。なんたってあいつは、この世界を救う英雄なんだぜ!!」
 酒場の外から、次々と歓声が聞こえてくる。
 町の人々も、勇者の旅立ちを今か今かと待ち望んでいたらしく、次々と声援を送っている。
 私は我に返り、その反動で持っていたコップをひっくり返してしまった。それでも心臓の鼓動は早くなるばかりだ。
 そして酒場にいた冒険者たちも、一気に色めき立つ。
「いよいよ、勇者とともに旅立つときが来たようだな!!」
「へっ、なに図々しいことぬかしてんだよ。レベル8のくせに生意気なんじゃねーの? 入るのはレベル12であるこの俺が……」
「そりゃこっちのセリフだ!! 俺なんかザオラル覚えてるんだぜ」
「なんだとっ!!?? オレなんか会心の一撃が……」
 と皆がざわめく中、ふいに、扉を開ける音が聞こえた。
 音のした方へ振り向くと、そこには扉の前で悠然と立っている、一人の少年の姿。
 黒い髪に鳶色の瞳。細身だが体つきはしっかりしているように思える。16歳の誕生日に旅立つと噂で聞いていたけれど、精悍な表情からは、どこか大人びた印象をも与える。
 額には、蒼く輝くブルーサファイアを埋め込んだ、サークレットが飾られていた。
 まちがいない、彼こそが勇者だ、と誰もが思った。
 私の心臓もまた、限界に達していた。
 彼は、一通り辺りを見回したあと、正面を向いて言った。
「これから旅に出るんだが、誰か仲間になってくれないか?」
 あっさりと、だがきっぱりとした言い方だった。表情はまったく動いていない。
 しかしその言葉を聞いた途端、酒場にいた冒険者たちが、まるで海岸に寄せる波のように、一斉に勇者に詰め寄ってきた。
「君があの有名なオルテガの息子さんか~。いやあ噂には聞いているよ。この年でレベル30なんだって?」
「勇者様には及ばないが、実はオレも武闘家の道を極めててさ、グリズリーなんか一発で気絶させるぐらいのことは出来るぜ」
「私これでも炎の上級魔法とか覚えてるから、仲間にするにはうってつけよ!」
「何言ってるんだ。旅に必要なのは特殊技能を持つ盗賊だ。怪しい所は必ずチェックして見せるぜ」
 などと、口々に自分をアピールしながら詰め寄る冒険者達。その迫力に圧倒された私は、いまだにこぼれたミルクのそばでぼーっと突っ立っていた。一方勇者の方はというと、これだけの人々にもみくちゃにされながらも、顔色一つ変えず平然と構えている。
 無表情でいることしばし。そしてついに、初めて勇者の口が開いた。
「とりあえず、俺よりレベルの低いやつは今すぐ消えろ。あと金のないやつも消えろ。見た目が暑苦しいやつは問題外だ。それでも自分に自信があるやつだけ残れ」
 …………………………。
 一瞬にして沈黙。そしてとどめの一言がさらに場を凍りつかせた。
「聞こえなかったのか? どいつもこいつも頭の悪いバカばっかりじゃないか。そんな奴らしかいないのなら、全員俺の仲間になる資格なしだな」
『……………………』
 それはまるで水を打ったかのような静けさだった。
「……ユウリ。そんな厳しい条件、誰も飲めないよ」
「ふん、勇者の仲間になるやつならそれくらいの条件が飲めるやつでないと認めん」
 隅のカウンターで、あきれたようにため息をつくルイーダさん。
 その言葉が口火を切ったのか、途端に店内の空気が爆発した。
「ふ、ふざけるな!! 俺たちを馬鹿にしてるのか!!??」
「勇者だからって、ちょっと生意気じゃない!?」
「ホントにこんな性格悪いのが勇者なのかよ!!」
 さっきとはうって変わって、怒号と罵声に包まれる店内。中にはいままで酒を飲んでいたのか、酔ってテーブルをひっくり返したりする人も出てきた。
「ふん、急に手のひら返したように態度変えやがって。だから口先だけの奴は嫌いなんだ。もうここにいるやつら全員まとめて国へ帰った方がいいだろ」
 その言葉に完全にぶちきれる冒険者一同。
「誰がテメーの仲間になんかなるか!!」
「だったらてめえ一人で魔王の城に行けや!!」
「俺たちを誰だと思ってんだ!! 泣く子も黙る疾風の……」
「くっ……私を仲間にして置けばよかったと後悔すればいいわ!!」
 わけのわからないことを口々に叫びながら、冒険者たちは怒り心頭で酒場のドアをくぐり出て行った。
 店に残ったのは、勇者―――ユウリさんと酒場のルイーダさんと・・・・私のみ。
 というか、あまりにも突然の言動で、あっけに取られていて動けなかっただけなんだけど。
「ふう……。やっぱりああいうレベルの高い冒険者様には、ユウリの態度は耐えられないみたいね。せっかくの王様のご好意を無碍にして、どうするつもり?」
「ふん、知るか。あいつらが俺のペースに合わせられないようならかえって足手まといなだけだ」
 ルイーダさんはあきれたようにため息をついた。すると、私の姿が視界に入ったらしく、少し驚きながらも声をかけてきた。
「あなたは、どうするの?」
「あ、えーと、その」
 私が返答に困っていると、にらみを利かせた勇者がこちらに近づいてきた。
 どうしよう。ものすごくにらんでる。
 私はびくびくしながらも、へんな対抗意識が芽生えて思わず睨み返した。だが、相手はまったく意に介することなく私を物珍しそうに眺め回した。そして、なぜかため息をついてつぶやいた。
「……残念な奴」
 残念!? 残念って何!!?? ほかの人と明らかに呼び名が違うんだけど!? それ見た目のこと言ってんの!? あるいは冒険者として残念ってこと!?
 私が心の中で軽くテンパっていると、相手はくるりと背を向けて、女主人さんとなにやら話し始めた。
 うわ、すっごい感じ悪い。
 私は、今までの勇者像とあまりにかけ離れた現実の勇者に、軽いショックを受けていた。
 同時に、故郷であるカザーブからポルトガを経由して、はるばるアリアハンまで来るまでの自分を、走馬灯のように思い返していた。
 すると、奥のテーブルの物陰から、かたん、と物音が聞こえた。
 ユウリさんもそれに気がついたらしく、再びこちらに向き直る。
「ルイーダ。この鈍くさい女のほかにもまだ人がいるのか?」
 鈍くさい……。私は心に10のダメージを受けた。
 ルイーダさんも、首をかしげる。
「さあ……。何しろ今まで店が埋まるほど人がいたからねぇ……………………あ」
 何か思いついたように、ルイーダさんは声を上げた。
 と同時に、がたーん!!と、例のテーブルがひっくり返された。
 ひっくり返したのは、顔中真っ赤にしたバニーガール姿の金髪の女の子。
 たぶん酔っていなければ、かなりかわいい部類に入ると思う。色白で華奢なその身体は、バニーガールよりは白いドレスのほうが似合う気がする。
「ねー、ルイーダのおばちゃーん!! お酒もうないのー?」
 小柄な身体に似合わずかなり大きな声で、その子はルイーダさんにお酒を要求した。
「だれがお○ちゃんよ、だれが!! てーかなんであんたまだここにいるのよ!! とっくにツケ払ってこの国出たのかと思ったわよ!!」
「……なんだあいつは」
 ユウリさんが横で静かにつぶやいたのが聞こえた。
 バニーガールの女の子は女の子で、マイペースに歌なんか歌っちゃってる。この子よっぽどお酒が好きみたい。私より年下に見えるけど。
「……このウサギ耳も俺の仲間になりたいと思ってここに来たのか?」
「いーえまったく無関係。あの子3日前にここにふらりとやってきては、毎日朝から晩までお酒飲んで店に入りびたり。しまいには店中のお酒飲みまくるもんだから一回強制退去させたんだけど、まさか忍び込んでくるとはね……」
 そこまでして飲みたいんだ、お酒。しかもまだ飲み足りてないみたいだし。
「あ、そうだユウリ、あなたあのバニーガール連れて行きなさいよ。たぶんあの子戦力になると思」
「ふざけるな。なんでよりによってあんな悪酔い女をつれて魔王を倒さなきゃならないんだ。結局厄介払いだろそれ」
 ルイーダさんの提案をコンマ一秒で一蹴するユウリさん。だがルイーダさんも負けていない。
「何言ってるの! 昔からバニーガールはいずれ立派な戦力となる、ってどこかの誰かが言ってたような気がしないでもなくもないわ」
「結局どっちだ! 冗談じゃない、こんな奴連れてくんだったらまだこいつのほうがましだ!!」
 といって、私のほうを指差す勇者。
「なーんだ、それなら安心ね。なんかその子ならあのバニーガールの面倒見てくれそうだし、ちょうどいいじゃない。両方仲間にすれば、両手に花よvv」
「な、ちが……」
「ねえ、そこのおチビちゃーん! ここにいる勇者様があなたの酒代全部おごってくれるってー!!」
「え!? ホント!!??」
「ふざけるな!! そんな約束俺は……」
「わーい、わーい!! ありがとー!! やったぁ超ラッキー!!!!!!」
 そういうと、ユウリさんに近づき、彼の周りをぴょんぴょん跳びはじめた。けれど彼は、それをうっとうしそうに追い払おうとしている。
「あーもう、邪魔だ!! こんな奴ら連れて行くんだったら俺は一人で行く!!」
「だめよ、お城の兵士に言われたんでしょ!? 『あなたのようなひねくれものの性格の人は仲間が必要ですよ』って」
 ルイーダさんがぴしゃりと言い放つ。今の言葉はユウリにも堪えたらしい。
「……お前、その情報どこから……」
「ふ、酒場のルイーダを侮らないでよね。これでも王室御用達なんだから」
「まったく理由になってないだろうが!!」
 ぎろっとルイーダさんをにらむユウリさん。そこで、再び彼と目が合ってしまった。
「なんだお前。まだいたのか。武闘家の格好をしてるがどうせレベル1か2なんだろ? そんな奴に用はない。とっとと自分の国に帰れ」
 うっ……。レベルまであたってる……。
 でも、そこまで言われて、はいそうですかと帰れるほど、私は大人じゃない。性格はどうあれ、この人は本物の勇者なのだ。ここで食い下がらなければ、もう二度とチャンスはない。
「あの!! 私、本当に戦力外だし、たぶんここにいるのも場違いだと思うけど、ユウリさんの仲間になるためにここまでやってきたんです!! お願いです!! ユウリさんの足手まといにならないようにがんばるんで、仲間にしてください!!」
 そういって、私は頭を思い切り下げた。
 ユウリさんはさすがに面食らったような顔をしていた。私なりに精一杯の誠意を表したつもりだったんだけど、かえって逆効果だったかもしれない。
「あなたも隅に置けないわね。こんなかわいい女の子からアプローチされるなんて」
 隣でルイーダさんがひやかすように言った。そういうつもりで言ってるわけじゃないのに……。
 なんとなく気まずい雰囲気が流れるのを感じて私は俯いてしまった。すると急に、
「……お前、変な奴だな」
「え?」
 ユウリさんが、無表情のままぽつりと言った。
 私ははじかれるように顔を上げる。
「自分から『戦力外』だの『足手まといにならないように』だの言って、どんだけレベル低いんだお前は」
「えー、あ、いや、だって事実だし……」
「お前、名前は?」
 いきなり言われたので、しばらく思考が回らなかった。
「なまえ……。あ、えっと、ミオです。ミオ=ファブエル」
「ふん、俺はユウリだ。ユウリ=ゼパス」
 それっきり沈黙。
「あ、あのー……?」
 もしかして、仲間として認めてくれたってこと……かな?
「早速だが、お前の仕事だ」
 そういっておもむろに私のところに何かを差し出した。よくみたらいままでユウリの周りを飛び跳ねていた女の子だった。私は驚いて思わず後ずさる。
 なにしろ、女の子の首根っこをつかんでいるのだ。普通女の子には絶対やらない行為だと思う。
「えーと、仕事って?」
「お前さっきの話聞いてなかったのか。こいつの世話がお前の仕事だ」
 せ、世話って……!! 人を犬か猫みたいに……!!
「む~っ。『こいつ』じゃなくて、シーラだよぅ!」
 ユウリさんの性格は、『ひねくれもの』だけでくくってはいけないような気がする。
 ともあれ私は、バニーガール(?)のシーラちゃんとともに勇者の仲間になるという悲願がかなったのであった。
 叶ったのはいいんだけど、これでよかったのかなぁ……?
 ふとシーラちゃんと目が合う。彼女はきょとんとして私を見たが、すぐに笑顔で返し、
「あなたもお酒代払ってくれるの?」
 と、キラキラした笑顔でいきなり問題発言を浴びせてくれた。
 こ、この二人と一緒に魔王を倒すってこと……?
 ……私は早々と、この先の旅の未来を不安に思った。




 

 

ナジミの塔

 結局その日は宿に泊まり、次の日の朝早くユウリさんたちと落ち合い、アリアハンを出発した。
「遅い。一体何をやってたんだ」
 出発前、世界を救う勇者であるユウリさんは、不機嫌そうに町の入り口の前に立ち、一番遅れてきた私に向かってこう言った。
「勇者である俺を待たせるなんていい度胸してるな。ま、どうせ鈍くさそうなお前のことだ、間抜け面でのんきに眠りこけて寝坊したんだろ」
 ……これが昨日初めて会った人に言う台詞だろうか。
 確かに遅れてきたのは悪かったけど(意外にもシーラのほうが先に来ていた)、そこまで言われる筋合いはないと思う。まだユウリさんと知り合って日が浅いこともあり、無謀だとわかっていながらも、ついムキになって言い返してしまった。
「ね、寝坊なんかしてません!! いろいろ仕度とかしてたら夜中までかかっちゃったんです!!」
「普通俺の仲間になるのなら俺と会う前に準備をしておくもんだろ。これだから田舎娘は機転が利かないんだ」
 ……結局、あっけなく反撃を食らってしまった。
 そのあと町を出てからも「足が遅い」だの「ボケた顔してる」だのさんざん言われまくったあげく、反論も許さないのだからこちらとしてはたまったもんじゃない。ただ歩いてるだけでストレスがたまってしまいそうだった。
 その上なぜかシーラちゃんには何も文句を言わない。この差別は何なんだろう。
「あはははは~!! ちょうちょだちょうちょ~♪」
 ……ひょっとしたらただ単に文句を言っても無駄だからなのかもしれない。
「ねえ、シーラちゃん。あのさ、本当にユウリと一緒に旅しちゃっていいの?」
 ちょうちょに気を取られているシーラちゃんに私は尋ねた。
 シーラちゃんはこちらに気づき、きょとんとした顔でこちらを見ている。そのしぐさがすごくかわいい。
「うん♪ だってこの人、お酒いっぱい飲ませてくれるって言ったものvv」
「俺はそんなこと言った覚えはない!!」
 まー確かにそれ言ったのはルイーダさんだったけど……。
「でもさ、シーラちゃんどう見ても未成年のような気がするんだけど……。大丈夫なの?」
「うん♪ あたしこれでもおっきなタル5こぐらい一気に飲み干したことあるよvv でもぜんぜん平気だったvv」
 た、タル五個分……!!?? ってタルの入ったお酒がどのくらいかがわからないっ……!
「もしかしてシーラちゃんて私より年上?」
「そんなこと今はどうでもいいだろ。それより、見えてきたぞ」
 ふと街道の先を見ると、ユウリのいうとおり村のようなものが見える。
「あれが、レーベの村だ」


 レーベの村は、アリアハンと違って穏やかな空気の似合う、なんとものんびりした村だった。なんとなく私が育った村に似ている。
 ユウリが言うには、この村にいる老人が『魔法の玉』というものを持っているらしい。
『魔法の玉』っていうのはいわゆる魔力蓄積器みたいなもので、詳しいことはわからないけど、とにかく使うと爆発するらしい。
 なぜ破壊力抜群の魔力を秘めた『魔法の玉』が必要なのかというと、ここからずっと南東にある『いざないの洞窟』を通らないとこの大陸から出られないのだそうだ。
 けれどその洞窟は昔から地震やがけ崩れが多いらしく、今では土砂が埋まって入り口が通行禁止になっている。
 それを取り除くために『魔法の玉』というものが必要らしいのだ。
「ふん、そんなことも知らないとは、お前それでも武闘家か?」
「し、知らなくったって武闘家です!」
「あたしも知らないよ~」
「お前には聞いてないウサギ女」
 変なあだ名をつけられたのにもかかわらず、シーラちゃんはなぜかうれしそうにはしゃいでいる。
「ねえねえ、ミオちんにはなんかあだ名ないの?」
「知るかそんなの。こいつなんぞ鈍足女だ」
 ……結局つけてるじゃん。ていうかいつのまにかシーラちゃんにまであだ名をつけられている。
「そういうユウリさんは、その『魔法の玉』っていうのがどこにあるか知ってるんですか?」
「ホントに鈍い女だな。だからこれから探しにいくんだろうが。それからユウリでいい。敬語も使うな」
「あ、はい、すいません」
 なぜか恐縮する私。
「あたしも呼び捨てで呼んでいいからね、ミオちん♪」
「あ、うん、わかった」
 それはいいんだけど、その『ミオちん』ってのはどうかと思うなぁ……とはいえない小心者の私だった。

「ああ、それならあそこの家だぜ」
 意外にも、村人に聞いてものの数分もしないうちに、その『魔法の玉』を所有している人の家の場所を教えてもらった。
 だが、その人に会おうとしているということをその村人に言ったとたん、全力で否定された。
「あー、それは無理無理。なんたってあそこんちの爺さん、しょっちゅう変な魔法の研究してて、客が尋ねてきても無視してんのか絶対顔を出さねえんだ。しかも扉にはわけのわかんない鍵までつけて、勝手に開けることさえ許してくれねえ。ありゃあ中でよっぽど物騒な研究でもしてるんだぜ」
 そんな怪しげな人から『魔法の玉』をもらわなければならないのか。私は横目でユウリをチラッと見た。
「だったら扉ごと壊せばいい」
 とか本気で言いそうな表情をしていたので、私は思わず目線をそらした。
 すっかり途方に暮れていると、シーラがなにやらせわしなく、しきりにきょろきょろしている。
「どうしたの、シーラ?」
「うーんと、この辺に酒場はないのかな~、て思って」
「まだ飲み足りてないの!?」
 確か昨日あの後ルイーダさんに、「これで最後」とかいいながら、ワインのような酒瓶を両手に持ち、浴びるように飲んでいたような気がしたんだけど。
「残念だけど、この村にはそういうのないみたいだね」
「え~~!? ショック~~~!! あたし一日一本はお酒飲まないと死んじゃうんだよ~~!」
「いや、そんだけ飲むほうが身体に悪いと思うけど……」
「ザル女のたわごとなんぞ放っとけ。それよりこれからどうするか考えるぞ」
「ざる? 何それ?」
「あれー? ユウリちゃんがそんな言葉知ってるなんて意外ー! いーけないんだいけないんだ~」
「お前に言われたくない!!」
 そういってユウリは逃げるシーラを追いかけ始めた。それを眺めながら私はいまだに「ざる」の意味について考えていた。
 やがて日が暮れ落ち、ひんやりとした夜の空気に変わりはじめたので、ひとまずここは宿を取って、翌日行動に移すことにした。
 宿についてからもシーラは「お酒がない」と言って、お風呂と夕食を済ませたあとすぐに部屋に戻り、早々と眠ってしまった。
 一方私はと言うと、食事が終わった後ユウリに呼ばれて、ユウリが泊まる部屋で明日の予定を決めることになった。
「さっき村人に聞いて回ったんだが……」
 実はあれから私たちはふたたび聞き込みをしてたんだけど、ユウリが聞いた村人の話では、この村からみて南西の方角に、『ナジミの塔』と呼ばれる塔が立っているらしい。
 そこには昔『バコタ』という盗賊がいたのだけれど、ある時アリアハンの兵士に捕まってしまった。彼が捕まる直前、仲間にとあるアイテムを渡したのだが、そのアイテムを持っている人物がナジミの塔にいるらしい。
 何でもそのアイテムと言うのは、解錠を得意としたバコタの技術をすべて結集させたもので、名を『盗賊の鍵』といい、ちょっと複雑な構造の鍵がかかった扉なら簡単に開けられるという。そのため盗賊たちの間ではのどから手が出るほどほしいレアなアイテムなのだそうだ。
「てことは、その盗賊の鍵があればあそこの家の鍵も開けられるってこと?」
「ああ。呼んでも出ないのならこっちから上がりこむしかないだろ」
 それってつまり不法侵入になるってことなんじゃないのかな?
「まあもし手に入らなくても家ごと呪文で破壊すればいいしな」
 ……不法侵入なんてかわいいもんだよね。うん。
「あのウサギ女にも伝えとけ。明日は『ナジミの塔』に行くとな」
「あ、うん。……でもさ、皆が欲しがりそうなそのアイテムを、そんな簡単に私たちにくれるかな?」
「そんなの、倒すか脅すかして奪えばいいだろ」
もうどっちが盗賊なのかわからない。
 結局明日の予定はユウリの独断で決定し、後は特に何も話すこともないまま、会議はこれでお開きとなった。
 部屋に戻る際にユウリが、
「ナジミの塔周辺は古くから魔物が住み着いているらしいし、戦闘になったらちゃんと戦えよ。足手まといが二人もいたら俺が疲れるだけだからな」
 と、しっかり念を押してくれた。ホントユウリって、いい性格してるよ。


 そして翌日。ぐっすり眠っていたシーラを揺り起こし、急いで仕度を済ませたおかげで、ユウリより先に部屋を出ることができた。
 それなのにユウリは何も言わず、そのくらい当然だ、と言わんばかりの態度で先に宿を出た。
「ふぁあぁ~ぁ。あーよく寝た♪」
 後ろでシーラがのんびりとあくびをかみ殺しながら歩いている。バニースーツにウサギの耳、おまけにものすごくかかとの高いハイヒールを履いている姿は、この村ではものすごく珍しいらしく、村人がすれ違うたびにシーラのほうをじっと見つめている。
 でもきっとバニーガール姿じゃなくったって、あんなにかわいらしい顔立ちをしているのだから、町行く人ならだれでも振り向くかもしれない。
 ふと、何でシーラはあんな格好をしているのかといまさらながら疑問に思ってしまう。
 聞いてみようかと決心しかけたが、ユウリが急に歩を早めたので気がそっちに行ってしまった。
「なにのろのろ歩いてんだ鈍足。早く行くぞ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。シーラがまだ……」
「あたしならここにいるよ~ん」
 声のしたほうを振り返ると、今まで後ろに歩いていたシーラが、いつのまにかユウリの前を走っていたのだ。
 私は彼女の意外な脚力に心底驚いた。あんなハイヒールでよく走れるものだ。
 そんな調子で先を急いだもんだから、結構かかると思われていた道のりも半日足らずで目的地についてしまった。
 村人の話では、途中に洞窟があって、そこから塔の内部へと続いているらしい。聞いたとおりの道を進み、何度か魔物にも出くわしたけどユウリが一掃してくれたおかげで難なく洞窟を抜けることができた。塔の内部は洞窟とは違い、うまく日の光が入る構造になっているのか、かなり明るい。
 ナジミの塔は昔からあると言う割にはあまり古ぼけた感じはしない。
「なんか……意外ときれいなんだね……」
 隣で何気なくつぶやいた私の言葉に、ユウリは奇妙なものを見るかのような目つきで私のほうを向いた。
「お前……。盗賊の棲みかに向かってなんて間抜けな感想を漏らしてんだ」
「だって……。なんかすごく掃除が行き届いてるんだもの。普通こういうところって、もっと薄暗い埃だらけの建物とか、傷だらけの壁がいっぱいあるところかと思ったんだけど、ここはぜんぜんイメージと違うね」
「まあ確かに、最初に入った洞窟と言い、不自然ではあるな」
 珍しく意見があった気がする。ユウリは腑に落ちない顔で塔の内部を見回した。
「ねぇねぇ、あそこにベッドがあるよ~♪」
 そういうとシーラは、誰よりも早く塔の中に足を踏み入れ、テンポのいい足音を立てながら奥へ進んでいってしまった。
「あの馬鹿……!」
「あぁっ、シーラ!!」
 あわてて私もシーラの後を追う。さらにその後ろから、大きなため息をついたユウリがついてきた。
 そしてその奥には、なぜかベッドがたくさん並んだ大きな部屋があった。
「いらっしゃいませ、お泊りですか?」
「は?」
 私は自分でも情けないほど間抜けな声を上げた。だって、盗賊の棲みかなのに、ちゃんとした宿屋があるんだもの。
「おいじじい。ここに『盗賊の鍵』があると聞いたのだが、お前が持ってるのか?」
 宿屋のおじさんを目にしたとたん、ユウリはいきなりおじさんの胸倉をつかんで脅し始めた。顔はいつもの仏頂面だから余計怖い。
「い、いや、わたしはそんなもの知らない!!」
「本当か? 隠すとためにならんぞ!?」
 もう完全に勇者じゃないよ、その言動。
「本当ですって!! わたしはただの宿屋の主人ですから!! ここの家の人に雇われてここに店を作ってるだけなんですからね!」
「なんでこんなところに宿屋があるんですか?」
 私の質問に、宿屋のおじさんは得意げな顔で答えた。
「君たち、洞窟を抜けてきたんだろう? 魔物に襲われなかったかい?」
「襲われましたけど……?」
「あの洞窟は別名『冒険者の修行場』と呼ばれていてね。魔物を倒すのに不慣れな新人の冒険者たちがちょくちょく腕試しにやってくるんだよ。けどやっぱり腕が未熟だからね、こうして休憩所を作っているのさ。いいアイデアだろ」
「は、はあ……」
 私が微妙な反応を返していると、今のやり取りをまったく無視した様子でユウリが尋ねた。
「ここの家の人に雇われた、だと?!」
「ええ。この塔には昔から住んでるご老人がおりまして、なんでも今は孫と二人で暮らしているそうですよ」
「孫!? 孫までいるの!?」
 私はさらに驚愕した。一人だと思っていただけに、孫までいると言う衝撃は半端ないものだった。
「どうやら、ただの塔じゃなさそうだな」
 そういって、ぱっとおじさんの襟元を離すユウリ。おじさんは心底安堵した様子で襟元を正している。
「よし、上に行くぞ」
 私たちの返事も聞かないまま、ユウリは宿屋のおじさんに背を向けて歩き始めた。
 私は宿屋のおじさんに頭を下げながら、勝手にベッドでごろごろ転がっているシーラを引っ張って、ユウリの後を追った。


 その後宿屋を後にした私たちは、おじさんの雇い主でもあるおじいさんとその孫がいるという手がかりをもとに、ナジミの塔を徹底攻略することにした。
 2階に上がり、一通り調べるため二手に分かれることにした。ユウリ一人と私とシーラの二人でだ。
 シーラと一緒に入り組んだ通路を進んでいると、やがていきどまりの壁が見えた。
 道を間違えたかと思い引き返そうとしたが、ふと壁の下に目をやると、金色に輝く宝箱がひっそりと置いてあった。
「こ、これって宝箱だよね!? 開けちゃって、いいんだよね?!」
「いーんじゃない? 宝箱も取って~♪って言ってるよ」
 シーラの同意により、私は宝箱を開けることにしろた。恐る恐るそれに近づく。あともう二、三歩で届く―――そのとき。
 ばかっ。
 足元の感覚が、急になくなった。そして、突然足元にぽっかりと空いた闇の中に、私は吸い込まれていく……はずだった。
「って、あれ?」
 なぜか身体が宙に浮いたままブランコのようにゆらゆらしている。
 どういうことなんだろう。そう思って上を見上げてみた。すると、顔を赤くして歯を食いしばっているシーラの姿が見えた。よく見ると私の服のすそを思い切りつかんで引っ張りあげようとしている。
「シーラ!!」
「う~~~、ミオちん落ちるのやだよ~~~!!」
 私はシーラの決死の行動に、はっと我に返った。意外にも冷静に判断した私は体勢を立て直し、何とか無事に元の場所に這い上がることができた。
「うわ~~ん!! ミオちん助かってよかったよ~~!!」
 そう泣きながら飛びついてきたので、思わず私も涙腺が緩んでしまった。
「ありがとうシーラ!! シーラがいなかったら私大怪我してたよ……!」
 そう言って私たちは、お互い強く抱き合った。そしてふと疑問に思う。
「でもなんでこんなところに落とし穴なんかあるんだろ?」
「む~、わかんない。きっと誰かのイタズラだよ!」
 イタズラにしては手が込んでいる。なにしろ床と落とし穴の境目がわからないように似たような色の石でごまかしているのだから。
「そうだ、宝箱は?」
 私は落とし穴の反対側に回り、今度は慎重に宝箱に近づいた。恐る恐る宝箱を開けるが、今度は何も起きない。
 中には、薬草が入っていた。
「なんだぁ。これだけ苦労したのに薬草一個なんて……」
 私ががっくりと肩を落としていると、別行動をしていたユウリがやってきた。
「なにぼさっと薬草握り締めてるんだ。何もないのなら早く上の階に行くぞ」
 ユウリのいつもと変わらない様子を見て、私は疑問に思った。
「あれ? ユウリは落とし穴に引っかからなかったの?」
 ユウリは心底あきれたような表情を、最小限の動きで私たちに見せた。
「俺があんな子供だましの罠に引っかかるとでも思ったのか? お前らと一緒にするな」
 う~~ん、本当に引っかかってただけに何も反論できないのが情けない。
「こっちは落とし穴に爆竹に煙玉だった。・・・ったく、どこのガキだ、こんな馬鹿げたものばかり仕掛けやがって……。これなら魔物のほうが何倍もましだ」
 常に不機嫌そうな顔をしているユウリが、今はさらに機嫌を悪くしている。また爆発させるとか言わなきゃいいけど。
 結局2階は罠と宝箱しかなかったので、3階に向かうことにした。けれど、3階にも同じような仕掛けがしてあっただけで、ほかに怪しいところなど何も見当たらなかった。
 取り立てて怪しいと言えば、上に上がる階段が二箇所あったということだけだ。
「どうするの? どっちに行く?」
「少し黙れ。今考えてる」
 何を考える必要があるのだろう。たとえ階段の先に罠があるとしてもユウリなら余裕で回避出来そうだし、私たちの身を案じて慎重に行動なんてことも性格的に考えられない。
 ともあれユウリが必死に考えてる中、こっちが勝手に行動するわけにもいかない。後で絶対文句言われるに決まってるもの。
 ただここでぼーっとしてるのも性に合わないので、暇つぶしにシーラとおしゃべりでもすることにした。早速シーラに話しかけようと声を……ってあれ?
「シーラ? どこ行っちゃったの?」
 そばにいたはずのシーラがいない。また一人でどこかに行ってしまったんだろうか!?
「シーラ!! おーい、どこー?!」
「ねーねーミオちん、上すごいよー!!」
「シーラ!?」
 壁の奥から聞こえてくるのはシーラの声だ。方向からしてここから遠い方の階段のようだ。
「ユウリ。シーラ先に行っちゃったよ?」
 と、声をかけるも、考えに没頭してるのか反応はなし。
 仕方がないのでほっとくことにした。薄情と思われても仕方ない。レベル30の勇者様ならきっと大丈夫だ、うん。
 私はシーラの後を追って階段を上った。上った先―――4階は周囲に壁がないため屋上のようになっており、その中央に小さな建物がぽつんと立っていた。
 シーラはその建物の前にしゃがみこんで何かをじーっとみていた。
「どうしたの、シーラ? 何かあったの?」
「あそこの柱の向こうに、誰か倒れてる」
「え!?」
 私は急いでシーラの言う場所まで走り、思わず立ち止まった。倒れていたのは、私とそう変わらない年の男の人だったのだ。



 

 

盗賊と鍵

柱の反対側まで来たとたん、少し長い銀色の髪を後ろに縛った男の人がうつぶせに倒れている姿が目に飛び込んできた。
「あ、あの、大丈夫ですか!?」
 私はあわてて銀髪の人を揺り起こした。どうやらお腹が減っているらしく、私の呼びかけに答えるかのようにお腹の虫が鳴っている。
 やがて私の声かけに気づいたのか、ぼんやりとした目でこちらの方を向いた。
「ここは……天国か?」
 開口一番放った彼の台詞は、割と余裕が見えた。
「あれ……? あんた誰?」
 顔を向くたび、細い銀糸のような前髪がさらさらと揺れる。顔つきからして私より二つ三つ年上だろうか? やや切れ長の目で細面な顔はクールな印象を与えるが、今は空腹のせいか、げっそりとしている。
「私はミオ。あっちにいるのがシーラ。もしかしてあなた、ここの塔に住んでるの?」
 もしそうなら私たちは不法侵入者と言うことになる。まあ、自分の家で空腹で倒れてるってのも変な話だけど。
「うう……。住んでるといえば住んでるが……。それよりメシ……」
「メシったって……今のところ携帯食ぐらいしかないし、それでもいいんならあげるけど……」
 私はリュックの中から残っていた携帯食を出して彼に食べさせようとした。すると、
「なにやってるんだ、お前らは」
 見上げると、不機嫌な顔をしたユウリが仁王立ちで私たちを見下ろしていた。
「リーダーであるこの俺をほったらかしにするなんて、いい根性してるな、お前ら」
「べ、別にほったらかしにしてるわけじゃないよ! 私やシーラもこの塔を調べてただけだもん」
「罠に容易く引っかかるような役立たずがそんな高度な真似できるわけないだろ。いいか? 俺の許可なく勝手な行動をするな。わかったか!」
 散々な言われようである。その言葉に、すっかり反論する気力も失われてしまった。
 すると、いきなり銀髪の人が起き上がった。
「ふぃーっ。ご馳走さん。いやー、腹減ってるからどんなものでも食える食える」
 どうやらユウリとのやり取りの間に、私が持っていた携帯食をこっそりとって食べてたらしい。
「携帯食ってそんなに美味くないんだな。でもおかげで3日間は生きながらえたぜ。サンキューな」
 そういって彼は、素直な感想とともに、さわやかな笑顔を見せた。
 逆にユウリはいっそう不機嫌な顔で銀髪の人をにらみつけている。けれど銀髪の人はそれにまったく気づかないのか、多少ふらつかせながらも立ち上がり、
「くっそー。あのクソジジイ、今度こそギャフンと言わせてやる!!」
 いきなり大声を上げたかと思うと、そのまま中央の建物に向かってダッシュした。
 中央の建物の正面には窓もなく、代わりに大きく赤い扉が構えており、彼はその扉の前でもそもそと何かをやっている。
「あーくそっ!! やっぱり開かねー!!! いやでもここをこうすれば……」
 おそらくあそこの扉には鍵がかかっており、彼はその鍵を開けようとしてるのだろう。わかったところで、それをやっている理由がわからない。
それを見てなにかを察したユウリが、ため息混じりに呟いた。
「無駄な時間を過ごしたな。行くぞ」
「で、でももしかしたらあの建物の中に盗賊の鍵があるかもしれないんじゃない?」
私は何故か彼が扉を開けるのを半ば期待していた。
「お前のことだから気づかなかったか。この下の階にあるもうひとつの階段の位置が、あの建物の真下だと言うことに」
「え!?」
 じゃ、じゃあもしかしてその階段から上に上がれば、この建物の中に行けるってこと?
「あれ? でもそれじゃあの人は何でわざわざ鍵がかかっている扉を開けようとしてるんだろう?」
「そんなこと知るか。これ以上無駄な時間と労力を浪費させるな。行くぞ」
 確かにこれ以上考えても意味がないのかもしれない。私は詮索するのをやめ、塔の端―――一歩でも足を踏み外したら落ちてしまいそうなぐらいのぎりぎりの場所でタップダンスの練習をしているシーラをあわてて呼び戻し、下の階へと降りた。
 いったいあの人はなんだったんだろう。一瞬疑問がわいたが、ユウリの急かす声に気を取られ、すぐに忘れてしまった。


 そして、もうひとつの階段はと言うと。
「なんじゃ!? お前さんがた!!?? どこから入ってきた!?」
 上った先には小さな小屋ほどのスペースの部屋があり、中に白いひげを蓄えた老人が、驚きを隠せないまま立っていた。
 おじいさんのほうも驚いたと思うけど、私たちもそこにおじいさんがいたことにかなり驚いた。
「どこって……そこの階段から来たんですけど……」
「むう。ノリの悪い娘じゃの」
 私の答えに、おじいさんはいまいち納得行かない顔で反応した。
「おいじじい。盗賊の鍵というものを持っているか? もし持っていたら俺によこせ」
「若者の癖にずいぶん横柄な態度じゃの。まったく近頃の若いもんは……」
 とても勇者が吐くとは思えない台詞を堂々とした口調で言うユウリ。おじいさんも思わず本音を漏らした。
「む!? そこの剣士、おぬし、もしかして勇者か?」
「ほう? 老いぼれの割にはまともな目を持っているな。まあ、そうでなくとも、この俺からにじみ出る勇者のオーラがあまりにもすごすぎるせいで、身分を隠したくても隠し切れないのだがな」
 しかしおじいさんは、ユウリの口上などまったく聞いてないようだった。
「まさか、半分信じちゃおらんかったが、本当にやってくるとはの……」
「おじいさん、いったいどうしちゃったんだろ」
「おいじじい、聞いてるのか?」
 発言を無視されたせいか、ユウリが珍しく戸惑った様子でおじいさんにたずねる。すると―――。 
 がちゃっ!!
 おじいさんの後ろで、なにやら鍵の開くような音が聞こえた。
「うおおぉぉぉぉおおお!!! よっしゃあああぁぁぁ!! 開いたぜ!!!!!!」
 こっちまで響くかなりの大声でそう叫んだのは、先ほど上の階で倒れていた銀髪の人だった。
「いやーん、お手玉落としちゃった」
 暇なのか、いままでお手玉をしていたシーラが一人嘆く。
「やっと開けられたぜ!! おいジジイ!! 約束どおり俺を一人前の盗賊として認めやがれ!!」
 おじいさんは深々とため息をついた。
「何じゃお前。この大変なときに。ほんっと昔からエアーリーディングをせんやつじゃな」
「なんだよそれ! いーから、早く『盗賊の鍵』くれよ!! もしこの扉を自力で開ける事が出来たら盗賊の鍵をくれるって、約束したじゃねーか!!」
「えっ!?」
「盗賊の鍵、だと!?」
 私とユウリは同時に彼のほうを見た。銀髪君は事態をまったく把握していないようで、おじいさんと私たちを交互に見ている。
「あれ? なんであんたらうちのジジイの所にいるんだ? つーかさっきも会ったけど、あんたらいったい何者なんだ?」
「馬鹿者!! この人は勇者じゃぞ!! 口を慎まんか!!」
「は? 勇者? この目つきの悪いのが?」
 といって怪訝そうな目でユウリを見る。当のユウリはさっきから人にじろじろ見られたせいか、ものすごく不愉快な顔をしている。
「じゃから口を慎めと言うとろうが!! 前にお前に夢のお告げの話をしたじゃろ!! そして今ここに、わしが夢の中で見た勇者と同じ姿をした少年が目の前に現れたのじゃ!!!!」
「あー……なんか子守唄代わりにそんなこと言ってたような……。てっきり寝言でも言ってるのかと思ったけど」
「馬鹿者!! 誰が寝言なんぞ言うか!! お前もわしの孫なら、そのぐらいの予知夢でも見んか……」
 がたんっっ!!
 一瞬にして場が静まり返る。
 ユウリがその辺にあった椅子を蹴倒したのだ。
「さっきから聞いてれば何をごちゃごちゃ喚いてる。いいから早く盗賊の鍵を渡せ」
「おお!! そうじゃった! おぬしが勇者とわかったからには、これを渡さなければならんな!」
 そういって、おじいさんはそそくさとベッドの脇のタンスの引き出しを開け、そこから小さい箱を取り出した。
「おっ、おいジジイ本気か!?」
 銀髪君の焦りをよそに、おじいさんはユウリに古ぼけた鍵を手渡した。それはまさしく、私たちが求めていた『盗賊の鍵』。
「お告げによれば、わが弟子が作りし鍵が、伝説の勇者の手助けになるだろうと予言している。最初は半信半疑だったが、今こうして目の前に夢で見たのと同じ姿の勇者が現れた以上、信じる他なかろう。さあ、勇者殿、この鍵をどうか受け取ってくだされ」
「ふん、最初から素直に渡せばいいものを」
 最初から最後まで完全に悪役口調のユウリだったが、おじいさんは完全に彼のことを本物の勇者だと信じ、目を輝かせている。
 いや別に、ユウリが本物の勇者だってわかってるんだけどさ。どうもあの口調と無愛想さを見てると疑問に思うんだよね。本人の前では絶対いえないけど。
「ちょっと待てよ!! その盗賊の鍵は、俺が一人前の盗賊になったらくれるっていったじゃねーかよ!!」
 ただ一人異を唱えているのは、銀髪君。おじいさんはちょっと困った様子で、
「ああ、すまんナギ。お前との約束も忘れたわけじゃないぞ。じゃが、わしとの約束と世界の平和を秤にかけたら、どちらを優先すべきかおぬしにわからぬことはなかろう。勇者の手助けになると思って、あきらめるんじゃよ」
 おじいさんはやさしくナギさんをなだめたつもりだったが、ナギさんにとってはその行為は逆効果だったみたいで、より険しい目でおじいさんを怒鳴り散らした。
「ふざけんなよ!! 約束破ったくせに、何勝手なこと抜かしてんだよ!! あの鍵をもらうのに今までどれだけ苦労したと思ってんだよ!! オレは絶対そいつを勇者だって認めねえからな!!」
「ふん。だったら実力で取り返せばいいだろ」
「ち……、ちくしょー! ふざけたまねしやがって!!」
 そういってナギさんは腰につけていたナイフを抜き、ユウリに襲い掛かった。
 だが、ユウリは必要最低限の動作でその攻撃をよける。まるで飛び回ってるハエをうっとうしげに払うように。
「くそっ、くそっ!!」
「ふっ、この程度なら、お前が一人前の盗賊になるまでに俺は魔王を倒しているだろうな」
 ユウリの発言に、ナギさんはさらに攻撃を増やしていく。だが、それもことごとくかわされていく。
 なんか、ちょっとかわいそうになってきたなぁ……。
 そう思い、私はユウリを止めようと彼に近づこうとした。そのとき。
「ちくしょ、ならこれはどうだ!!」
 ぼぅんっ!!
 急にユウリたちの姿が、煙に包まれた。
「煙玉!?」
 ナギさんが放った煙玉は、おじいさんの部屋をあっという間に包み込んでしまった。当然視界はまったく見えない。
「なんじゃあのバカは!! こんなところで煙玉なんぞ使いおって!!」
 おじいさんの言うとおり、四方を壁で囲まれた窓ひとつない部屋に煙玉なんて使ったら、視界ゼロになるのはもちろん、煙で喉と目まで痛くなるに決まってる。案の定、私も涙がぼろぼろ出てきて、思い切り咳き込みまくった。
「ミオちん、大丈夫?」
 煙で何もかも見えない中、なぜかシーラは普通の口調で私に言った。
「だ、だいじょぶ……。し、シーラはだい、じょぶなの?」
「あたしは平気だよ。こーゆーの慣れてるから」
 慣れてるって、どういうことなんだろう。気になるけど今は、それどころじゃなかった。
「そうだ、ユウリは!?」
 私が声を上げたと同時に、ナギさんの声が煙の中から聞こえてきた。
「どうだ? この煙の中じゃ、オレの姿も見えないだろう?」
「ああ。だがお前こそ、俺の姿が見えないだろう」
 沈黙。
「あぁっ、しまったあああぁぁぁっっっ!!!」
 ええええええ!!??
 もしかしてこの人、そこまで考えてなかったの?
「お前…………真性のアホだな」
 ユウリが心底あきれたようにつぶやいた。ため息とつくと同時に、煙も徐々に引いていった。
「ばっ……、い、今のはノリだ!! それもみんな想定内のことだっつーの!! これからが本気だぜ!!」
「いつ本気を見せてくれるのかずっと待ってるんだがな」
「くっ、口だけはよく回るな!! 男の癖によ!!」
「お前はもっと言葉のボキャブラリーを増やしたほうがいいんじゃないか?」
「……………………!!」
 ああ、なんかもう完全に勝敗が決まってる気がする。さすがのナギさんも、二の句が告げないみたいだ。
「それよりも、この下の階にある罠を張ったのは全部お前か?」
「あ、ああ、そうだけど……」
「ベギラマ」
 ごおぉおぉおおぉぉっっっ!!
「ぎゃああああぁぁぁぁっっっ!!??」
 いきなり放ったユウリの呪文を、ナギさんはすんでのところでよけた。
 もともと威力を弱めたらしく、炎は壁にぶつかったとたん、しゅんっ、と音を立てて消えた。
「なっ、ななななななにすんだよっ!!!」
 心底おびえた声で叫ぶナギさん。ユウリはひどく冷めた様子で、
「あんなくだらない罠を張るからだ。おかげで余計な手間が増えた」
「く、くだらなくなんかねえよ!! あれはオレが小さいときに盗賊の修行の一環として作った罠だぞ!! つーかそんな理由でオレを燃やそうとすんのか!!??」
 さっきの態度とは違い、ナギさんの声は泣きそうだ。
 やがて煙が晴れていき、ころあいを見計らったおじいさんが二人の間に割って入った。
「いやいや、今のは我が孫が悪い。申し訳ないことをしてしもうた。ほれ、お前も謝らんか」
「何でオレが!!」
「むう……。どうもこやつは昔っから変に意地っ張りでのう……」
 そしておじいさんは、しばし考え込んだ後、とんでもないことを口にした。
「そうじゃ、ナギ、お前、この者の無礼の償いとして、ともにこの者たちと戦い、協力しなさい」
「はぁ!?」
「なんだと!?」
 二人が一様に、眉間にしわを寄せた。私ですら、耳を疑った。
 だって、ともに戦うってことは要するに、私たちと一緒に旅をするってことじゃ……。
「冗談じゃねーよ!! 何でオレがこいつに協力しなきゃならねーんだよ!!」
「何でも何も、お前昔から自分の盗賊としての腕を試してみたいからって、ゆくゆくは旅に出るっていっとったじゃないか」
「それは確かに言った!! でもだからって、なんでよりによってこんな似非勇者みたいなやつと一緒に旅に出なきゃならねーんだよ!?」
「おいジジイ、俺がこいつと仲良く『協力』なんて出来ると本気で思ってるのか?」
「うむ、まあ昔からよく言うじゃろ。けんかするほど仲が良い、と」
「言わねーよ!!」
 ナギさんは力いっぱい否定した。けれどおじいさんは、ナギさんのほうを見てニヤニヤしながらこう言った。
「そうか。なら仕方ないのう。じゃが、ここで勇者殿と別れてしまえば、もう二度と『盗賊の鍵』は手に入らんのじゃぞ」
 その一言に、ナギさんはしばらく固まった。
「……意外といい性格してるな、ジジイ」
「伊達に年はとっとりゃせんよ。まあ、わしもこう見えて昔は盗賊じゃった。故に旅に必要な知識や技術も一通りあいつに教えこんだつもりじゃ。旅の支障にならないぐらいには役に立つじゃろうて」
「……もしかしてあいつも、あんたの夢の中に出てきたのか?」
「さて? どうじゃったかの。なにしろ夢の中のおぬしは存在感が大きすぎての、ほかの仲間がだれじゃったかさっぱり印象にないのじゃ」
「ふん。当たり前だ。勇者である俺とほかの一般人では住む世界が違うのだからな」
「うーむ……。別にそういう意味での存在感ではないんじゃが……。まあよい。そんなに知りたければ、わし以外の者に聞けばよい」
 わし以外の者? どういうことなんだろう。
「まあとにかく、不遜な孫じゃがこれからよろしくやってくれんか」
「冗談じゃない。とにかくで話を終わらせるな」
 おじいさんの訴えに、ユウリは頑として首を振らない。すると、いきなりナギさんがユウリの前で手を合わせて、頭を下げた。
「さっきは悪かった!! オレも一緒に連れてってくれ!!」
「!?」
 なんという変わり身の早さだろうか。さっきはあんなに意地張ってたのに、今度はなぜか急に態度を変えてきた。
「オレどうしても盗賊の鍵が欲しいんだ!! だからあんたの手助けする代わりに、あとでその鍵オレにくれないか!?」 ナギさんは、どうしてもその盗賊の鍵が欲しいらしい。さすがのユウリもこれにはあきれ返った様子で、
「……俺は『実力で取り返せばいい』といったはずだ。欲しければ勝手に俺のところから奪えばいい」
「よし!! じゃあ早速……」
「ベギラマ」
 ずがごおぉぉおん!!
「ぎゃああああああぁぁぁぁっっっ!!!」
「ふむ。なかなかノリのいい勇者じゃの」
「あれ……ノリがいいって言うんですか?」
 おじいさんの言葉に、いつのまにか私は、呆然としながら口を挟んでいた。
 そしていつのまにかユウリの周りには、私を含め、三人の仲間が揃っていた。 

 

洞窟にいざなわれて

「お、お前さんがた、いったいどこから入ってきたんじゃ!!??」 
 ナジミの塔に住んでいるおじいさんから盗賊の鍵を受け取ったユウリと私たちは、そのおじいさんから(無理やり)託された孫のナギを仲間に加え、再びレーベの村に戻ることになった。
 そして一行は、村で唯一鍵のかかった扉がある家へと向かった。一応確かめてみたけれど、やはり鍵はかかったまま。
 ユウリは何も言わずに盗賊の鍵を使って扉を開け、遠慮なく家の中に入っていった。
「なあ、あいつって、本当に勇者なのか?」
 新メンバーのナギが、真剣なまなざしで私に質問してくる。
「うん、たぶん……。時々私も疑問に思うときはあるけど……」
 私は自信なさげに答えた。
「あたしはユウリちゃんは勇者だって信じてるよ♪」
「え!? シーラ、ホント!?」
「うん♪ だってあたしの酒代おごってくれるって約束したもんvvv」
 一瞬でもシーラを見直した私が馬鹿だったかも……。
 そんな私たちをよそに、ユウリは1階には誰もいないとわかったのか、今度は2階に上がっていった。私たちもなんとなく後に続く。
 2階には大きな鍋が目の前に置かれており、奇妙な色をした液体をかき回している一人の老人がいた。どうみても怪しい老人が怪しい薬を作っているようにしか見えない。
 普通の人なら声をかけるだけでもためらいそうなのだが、勇者のユウリはまったく意に介さない様子で、その怪しげな老人に話しかけた。
「おい、ジジイ。あんたが『魔法の玉』を作ったって言う人物か?」
 すると、なべの中をかき混ぜていたおじいさんはびっくりして、手にしていた棒をなべに落としてしまった。それが冒頭の出来事である。
「俺は勇者のユウリだ。魔王を倒すため旅をしている。それにはあんたの作った魔法の玉が必要だ。異存がなければ俺によこせ」
「異存ありまくりだろ、その言い方」
 ナギが間髪いれず口を挟む。
「ふむ。おぬし、勇者じゃったか」
 おじいさんは、最初こそ驚いていたが、人生経験の差なのか、すでにユウリの対応に順応している。
「まあ、わしの部屋に入ってこられるならば、そこそこの腕の持ち主なんじゃろう。ほれ、ほしけりゃくれてやるわい」
 といって、おじいさんはあっさりと魔法の玉をくれた。
「ずいぶんあっさりとくれるんだな。それ、大事なもんじゃないのか?」
 ナギがおじいさんに尋ねる。
「たしかにその『魔法の玉』はわしの研究の最高傑作じゃ。じゃが、つい数日前にそいつの大量生産に成功してな。同じ威力の玉などいくつでも作れるのじゃよ」
 そういっておじいさんは、ユウリにあげたものと同じ形の魔法の玉を、どこからともなく出した。
「すごーい、おじーちゃん頭いいんだねー♪」
「ふむふむ。次はバニーガールの研究でもしようかの」
「ただのスケベジジイじゃねーかよ!!」
 ナギはあきれながら叫んだ。

 魔法の玉を手に入れたあと、一夜明けて朝早くレーベの村を出発した私たちは、次の大陸につながる旅の扉があるという、いざないの洞窟へと向かった。
 洞窟の入り口は案の定土砂や瓦礫でふさがれており、猫一匹入れる隙間もない。
 洞窟に入ったとたん、ユウリは無言で魔法の玉を手に取り、いきなりそれを思い切りぶん投げた。
「え!? それ投げちゃっていいの!?」
 私は思わず叫ぶ。だが、勢いよく投げられた魔法の玉は、きれいな孤を描きながら、ふさがれた入り口に向かって落ちていった。
 どごおおおぉぉぉぉおおん!!!
 すさまじい爆発音が洞窟内に響き渡る。
「……………………」
 私たちは、あっけにとられた顔でその様を見ていた。
「あんた……。それの使い方知ってたのか?」
「いいや。俺の勘がそう告げていただけだ」
 ナギの問いにあっさりとそう答える。全くもってユウリらしい答えである。
「すごーい!! 入り口が見えてきたよ!!」
 シーラの言うとおり、爆発による煙が晴れてその先に見えたのは、ぽっかりと開いた通路。その奥には、下へと続く階段のようなものがあった。
「こんな洞窟に階段があるんだ……」
 すると、ここは俺の出番だと言わんばかりに、ユウリが私の真横に立って説明をし始めた。
「昔は船がない代わりに、『旅の扉』というものを使って大陸間を行き来していたんだ。造船技術が進歩した今では『旅の扉』を使うこともあまりなくなったがな。だから、『旅の扉』がある場所では、旅人が移動しやすいように人工的に作られたものが多い。ここも、そのひとつだ」
「てことは、この洞窟は人の手によって作られたって事?」
「その可能性は十分考えられるな」
「要するに便利ってことなんだろ? ぐだぐだ言ってないでとっとと先に進もうぜ」
 そういってナギは先に洞窟の奥に進んでしまった。
「……あいつにはかしこさの種が必要だな」
 それで知性をあげるつもりなんですか、ユウリさん。
 とにかく私たちは、この洞窟のどこかにあると言う『旅の扉』を探すことにした。


 階段を下りてすぐに目に入ったのは、穴ぼこだらけの地面。
 あたりには土塊や大小さまざまな岩がごろごろしている。
「この穴って、例の土砂崩れのせいなのかな?」
 穴をのぞいてみると、底はかなり深いらしく、まっくらで何も見えない。
 もともとここの洞窟はナジミの塔と違って、ろうそくに灯された明かりしかないのだから、仕方がないのかもしれない。
「たぶんそーなんじゃねーの? ためしにあんた、降りてみれば?」
 仲間になったばかりだというのに、全く遠慮のない態度。今まで同い年の男の子と話す機会があまりなかった私は、多少面食らいながらも、馬鹿にされてるのだと思い、横目でにらみ返した。
「な、何だよ、その顔。気になってんなら見てくりゃいいじゃん」
「じゃあお前が見て来い」
 そういってユウリは、後ろから思い切りナギの背中を蹴飛ばした。
 するとナギは、断末魔の叫びのような声を上げて、穴の中へ落ちていった。
「ナギちん戻ってくるかな?」
?? ナギちん? ああ、ナギのことかぁ。
 なんてのんきなこと考えてたら、いまさらながら大変なことになったことに気がついた。
「ゆ、ユウリ!! どうするの!? ナギ、落ちちゃったじゃない!!! もし戻ってこなかったらどうするの!!??」
 するとユウリは平然とした顔で、
「穴の様子を見れば、この下が広い空間で、さらに空気の質と音の違いで危険が少ないことぐらいわかるだろ」
 って、何事もないように答えてくれた。
 確かにその下が底なし沼だったり、火の海じゃないってことはわかるけど……。もし変な落ち方して骨折でもしたら、しゃれにならないと思う。
「……って、危険が『少ない』ってことは、『ない』わけじゃないってこと?」
「昔からこの洞窟には、魔物が数多く生息しているという噂があるからな。運が悪ければ今頃魔物に襲われてるかもしれん」
「ええええええ!!??」
 全く表情を崩さずに、勇者は言った。


 私はあわててナギが落とされた穴に飛び込んだ。
 いざないの洞窟に入る前、世間話程度にナギと話していたんだけれど、そのときに自分は、塔から一度も出たことがないと聞いた。
「オレのじいちゃん、ああ見えても心配性でさ。近くの村にすらつれてってもらったことがねーんだよ。何年か前に、オレの遊び相手ってことで、その辺のおっさんとっ捕まえてここに住まわせたらしいんだけどさ」
「遊び相手? ってもしかして・・・・」
「そ。塔の一階にいたべ? 宿屋開いてたおっさん、タリオってんだけど、あの人、じいちゃんがどっかから連れてきてさ、もともと子供好きだったみたいで、昔は結構オレと遊んでくれてたんだ。でもオレがだんだん一人で盗賊の修行をするようになって、タリオは行くあてもないってんで、勝手に宿屋始めちゃったわけよ。つったって、こんなところに来るやつなんか冒険者ぐらいしかいないから、たんなる暇つぶしなんだろうけどな。そんでなんだかんだで月日は流れて、結局一歩も塔の外に出ないまま、あんたらの仲間になったってわけ」
 なるほど。あそこにいた宿屋の主人は、ナギの遊び相手として連れてこられた人だったんだ。
 そう考えると、ますます不思議だ。そもそもナギのおじいさんは、なぜナギを塔の外へ出したがらなかったんだろう。
 と、あの時はそんな考えしか浮かばなかったんだけど。
 つまり外に出なかったってことは、実戦経験もゼロなわけで。
 まあ、私もレベル1だし、経験で言うとナギとどっこいどっこいなんだけど。
 もしこのまま一人にして、もし運悪く魔物に襲われたりしたら……って思ったら、気がついたときにはもう穴の中に飛び込んでしまっていた。
「ミオちん!!」
 シーラの声が聞こえた。でも、振り向く間もなく、私は地下の地面に降り立っていた。
 こう見えても、着地だけは得意なのである。昔、木登りの修行でよく落ちていた成果の賜物なんだけど。
「ナギ!!」
 私は大声で叫んだ。すると意外とすぐ近くに、私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい、ミオ!! こっちだ、助けてくれ~!」
 助けてくれ、と言う割には、ずいぶんのんきな声である。魔物でもいたんだろうか?
「いったいどうし……うわぁっ!!」
 目の前にいたのは、耳の大きい、角の生えたウサギが2匹と、大きな目をぎょろつかせた大きなカエルが1匹。その後ろにはやっと追いついたのか、緑色の半固体状の生物が2匹そろってやってきた。
「ま、魔物じゃん!! しかもこんなにいっぱい!!」
 この大陸でははじめて見る魔物ばかりだったので、私は恐怖と驚きで半泣きになっていた。
「え、これ、魔物なの? オレが思っていたのとちょっと違ってたから、誰かが放したペットなのかと思った」
「こんなところでペットを放し飼いにするわけないでしょ!!??」
 ナギの信じられないボケに、私はいてもたってもいられずツッコミを入れた。
「じゃあ、倒すしかないんだな?」
「そりゃ、そうだよ!!」
 うああ、いつまでもそんなやり取りしてる場合じゃないでしょーが!
 私はそう叫びたかったが、それを言う前にナギが魔物の前に飛び出した。
「ナギ!!」
 だが、私の予想とは裏腹に、ナギは、手にしたブロンズナイフでウサギの角を横一閃してまっぷたつにした。
 え、うそお!
 な、なんで魔物の姿も知らない人が、こんなに強いの!!??
 私が心の中で驚いている間に、ナギはもう一匹のウサギを下から上に切りつけ、さらに切り返し、最初に角を折ったウサギを再び横に薙いだ。
 2匹のウサギは声を上げることなく、闇に溶けていった。
「ミオ!! 後ろ!!」
 ふと我に返って、振り向かずにそのまま右へ跳んだ。すると、べちゃあっ、とトマトを壁にたたきつけたような音とともに、緑色の物体が上から落ちてきた。
「き、気持ち悪……」
 なんてつぶやいてる場合じゃない。私は気持ちを入れ替え、つぶれたトマトのようになっている緑色の物体に向かって拳をたたきいれた。
 いかんせん、感触がトマト状……っていうか半固体状なので、手ごたえがあったのかよくわからない。とりあえずもう一匹の緑色の攻撃をよけながら、再び同じやつに攻撃を入れてみた。
 すると、こんどはぶくぶくと音を立て、やがて泡のように消えていった。
「倒せた、のかな・・・?」
 と同時に、もう一匹の緑色が後ろから、私の左肩めがけて体当たりをかけてきた。
「っ!!」
 当たったとたん、ぴりっとした小さな痛みを感じたが、とりあえず動けるので気にせず身体をひねり、肩に張り付いていた緑色を振り落とした。
 緑色が宙に浮いたのを見計らって、私はひねった身体の反動を使い、左足で思い切りそれを蹴飛ばした。
 これもまた、一匹目と同じように、泡のように消えていった。
「あと、残るは……」
 ふと横を見ると、すでにナギはカエルを倒した後らしく、落ちていたナイフを取ろうとしている最中だった。
「あ、なんだ。そっちはもう倒しちまったのか」
 少し残念そうな顔で言うナギ。余裕だったらしく、ナギ自身全く怪我はしていない様子。それを見て、私はほっとした。
「なーんだ。ナギって意外に強かったんだね。一人で3匹相手に無傷だなんて、私要らない心配してたよ」
「んー、子供のころタリオと、取っ組み合いのけんかとか、チャンバラとかやってたからな。あいつに比べると、ぜんぜん弱いぜ、この魔物ら」
 取っ組み合いのけんかとか、チャンバラって……。そんなレベルの動きじゃなかったんですけど……。タリオさんっていったい何者?
「そーいうミオこそ、怪我しなかったか?」
「あー、ちょっとやられたけど、たいしたことないよ。なんかへばりついただけだったし、それ……に…………」
 急に、めまいがしてきた。
 それに、胸がむかむかして、吐きたいぐらいに気持ち悪い。
「お、おい!! どうしたんだよ!!」
「な……なんか急に、めまいが……」
 どんどん頭がくらくらしてきて、ついには意識を失ってしまった。


「…………ん、…………ミオちん!!」
 シーラの呼ぶ声に、私ははっと目を覚ました。
 あれ? シーラ……? なんでここに……?
「やっと目を覚ましたか。鈍足」
 目を泳がせると、心配そうにこちらを見つめるシーラと、その横で不機嫌な顔して立っているユウリがいた。
「なあ。こいつまだ顔色悪いけど、大丈夫なのか?」
 なぜかナギの声だけ間近に聞こえる。見上げると、ナギののど仏がすぐ目の前にあった。
「うぇえ!!??」
 私はあわてて身を起こした。ナギはあぐらをかいたまま、ぽりぽりと頬を掻いている。
「あれ? めちゃめちゃ元気じゃん」
 あろうことか私は、ナギの膝の上で横になっていたのだ。しかもどうしてそうなったのか、全く覚えてない。
「なな、なんで私こんなところで寝てたの!?」
「何言ってんだよ。あんた、ここで魔物を倒した後すげー顔色悪くなって、倒れたんじゃねーか」
「倒れた……?」
 そーいえば、意識がなくなる前、めまいがして気持ちが悪くて、頭がぐるぐるしてた気がする。
 でも今は、ぜんぜんそんな気分じゃない。むしろ元気になった気がする。
「だからお前はレベル1なんだ。こいつがなければ、今頃お前瀕死状態だったんだぞ」
 いつの間に近くに来たのか、ユウリは自分の荷物から袋を取り出し、そこから雑草みたいなのを取り出した。
「何? その雑草みたいなの」
 ユウリは呆れ返った目で私を見た。
「お前、そんなんでよくアリアハンまで来たな。これは雑草じゃなくて『毒消し草』だ」
「毒ぅ!?」
「ミオちん、毒受けてたんだって!! ユウリちゃんがミオちん見たとき、すぐそうだとわかったんだって!!」
 なんでも、私が戦った緑色の物体はバブルスライムといって、体内に毒をもっており、おそらく体当たりを受けた際に、毒も一緒に受けてしまったらしい。
 そのころ、ユウリとシーラは、地下に降りる別のルートを探し回っていた。そしてやっと下に下りる階段を見つけて降りたんだけど、意外とこのフロアはだだっ広くて、明かりもないから真っ暗で何も見えない。しばらく立ち尽くしてると、二人を呼ぶナギの声が聞こえてきて、そこで合流。そしてナギの膝の上で寝ている私を見て、ユウリがたまたま持っていた毒消し草で私を治してくれたらしい。
「も~~~っ、なかなか目ぇ覚まさなかったからすっごい心配したよ~~!!」
 シーラは泣きながら、私の首にしがみついた。私もシーラの背中に手を回して、お互い抱きしめあった。
「ごめんね、シーラ。私、みんなに迷惑かけちゃったみたい」
「ふん。足手まといのくせに、勝手な行動とるからだ」
 普段はいやみにしか聞こえないユウリの言葉も、今回ばかりは全く気にならない。なんだかんだいって、私の毒を取ってくれたんだもの。
「ごめんね、勝手な行動ばっかりとっちゃって。ありがとう、ユウリ」
 私は笑顔でお礼を言った。ユウリは別に何か言うわけでもなく、ただ眉を吊り上げただけだった。
「ちょい待て。オレには礼を言わないのか? オレだって地味~にあんたの枕代わりになってたんだぜ?」
「あ、ごめんごめん。ナギもありがとね」
「ちぇ、なんかすっげーついでみたいな扱いに聞こえるんだけど」
 そういってナギは、すっと立ち上がり、私の手をとって立たせてくれた。
 ナギって結構、やさしいんだな。それにすごく強いし。
 それに比べて私は、たった2匹の魔物相手に、こんなにみんなに心配されるなんて。
 私は変な疎外感を感じながらも、今は先に進むことだけを考えなきゃと自分に言い聞かせ、歩を進めた。


「これが旅の扉……」
 4人になってからも魔物の襲撃はたびたび続いたが、レベル30のユウリが加わったパーティーにかなう魔物などいるはずもなく、一行は、旅の扉のある祠へと難なくたどり着くことが出来た。
 旅の扉は、人一人は入れるぐらいの大きさの水溜りが渦を巻いているような、なんとも奇妙な姿をしていた。
 ひょいと覗いてみると、いくつもの渦が絡み合いながら闇に溶けて、さらにその闇が渦となって再び生まれる……なんとも不思議な感覚だ。
「ここに飛び込めばいいのか?」
「文献にはそう書いてある」
 だが、4人とも一向に動こうとしない。というか、私たち3人は、リーダーで勇者のユウリが一番先に飛び込むのかと思って様子を見ていたのだけれど。
「なあ、入らないのか?」
 沈黙を破ったナギが、ユウリに問いかける。だが、ユウリは、口を真一文字に引き結んだままそこから動かない。
「どうしたの、ユウリ?」
 私が心配してユウリを横から覗き込むが、その横顔には汗が一滴、滴り落ちている。
「なあ、こんなところで時間つぶしてても仕方ねーぜ。なんなら、オレが一番先に行くけど?」
 そのとき、ほんの一瞬だけ、ユウリの顔が緩んだ気がした。
 そんなことは露も知らないナギは、すたすたと旅の扉へと近づいていく。そして、後一歩で旅の扉に入るというときに、なぜかナギの姿が一瞬にして消えてしまった。
「なーんてな。今度はお前が穴に落ちる番だぜ!!」
 いつのまに回り込んだのか。ナギはユウリの背中に立って、目にも留まらぬ速さでユウリを突き落とした。
「なっ……!!??」
 これにはさすがのユウリも驚いたみたいで、両腕を振り回して、必死に落ちないように抗っていたが、重力に勝てるはずもなく、彼はものの見事にナギの計画に嵌り、旅の扉へと吸い込まれていった。
 その後姿を見送りつつ、ナギは不敵の笑みを浮かべた。
「ふっふっふ。あー、やっとすっきりしたぜ。見たか? あの慌てよう」
「ユウリちゃん、いい飛込み方してたね~」
「大丈夫かな、ユウリ……」
 さっきのあの様子からして、ユウリが無事に旅の扉を通れるか、私は少し不安になってきた。
 そしてその不安は見事に的中してしまうのである。 

 

旅の扉の向こうには

 濡れた草の匂い。ひんやりとした土が頬に心地よい。
 時折吹く涼風が、髪をくすぐってくる。
「っくしゅん!!」
 自分のくしゃみで、ようやく私は目を覚ました。
 ずるずると鼻をすする音が夜空に響き渡る。
「ここは……?」
 見上げると、空には無数の星がちりばめられていた。
 私はゆっくりと体を起こし、寝ぼけ眼で辺りをきょろきょろと見回してみる。旅の扉を通ったからか、なんとなくぼーっとしている。
「ユウリ、シーラ、ナギ、みんな大丈夫?」
「おーい、オレは無事だぞー」
 ナギの間延びした声が聞こえる。姿は見えないが、それほど遠くにいるわけではないようだ。
「ナギ、いつから起きてたの?」
「んあ? ああ、たった今、あんたのくしゃみの音で目が覚めた。つーかここどこだ?」
 言われて私は、改めて辺りを見回した。洞窟ではない。どうやら私たちは、草原のど真ん中にいるらしい。
「さあ……。わかんない」
 私は立ち上がり、ナギのところまで歩いた。ナギはその場に座り込んでいた。
「洞窟じゃないってことは、旅の扉を無事に通ったってことだよな? てことは、ここは別の大陸ってことか?」
「ん~……。たぶん、そうなんじゃない? ただ、どこの大陸にいるのか良くわからないんだけど」
 私も村の外に出たことなんてほとんどなかったし、地理の勉強だって、全くしてこなかった。こんなことなら、旅に出る前にちゃんと勉強しとけばよかったと改めて後悔した。
「あ、そうだ! シーラとユウリは!?」
「さあ? オレが倒れたところには二人ともいなかったけど」
 って、シーラはともかく、ユウリはナギが突き落としてしまったんじゃなかったっけ? 少しは責任感じないのかな。
 それどころかナギは、懐からなにやら紙のようなものを出して、私に目もくれず、その紙をじっと見つめている。
 私はひとまず、後の二人を探すことにした。すると、いくらもたたないうちに、横に寝転がっているバニーガールの姿を見つけた。
「シーラ!!」
 シーラは、すやすやと安らかな寝息を立てて寝ていた。とりあえず起こすのは後回しにして、ユウリを見つけるのを最優先にした。
「ゆぅーりぃー!! どこにいるのぉーっ!!??」
 私は力の限り大声で叫んだ。だが、夜で視界が暗いせいで、なかなか見つけることができない。
 一人だけ変な落ち方しちゃったからかなぁ……?
 そう思うと、どんどん不安が膨らみ始めてきた。昔の人が使ってたんだし、おそらく命にかかわるようなことはないとは思うんだけど、姿が見えないとなるとやっぱり心配になってくる。
 さらに先のほうに進もうと、再び歩き始めたそのとき。
ぐにゅっ、という感触が私の足に伝わってきた。
「イヤ―――ッッ!!! なにこれ!!??」
 澄んだ夜空を切り裂くような叫び声。
 私はわけもわからず、ただただ喚いていた。
「どーした!?」
 ナギが驚いた様子でこちらに向かって走ってくる。
 私は恐る恐る下を見た。それは、大きな黒いわだかまりに見えた。
 けど良く見てみると―――。
「って、ユウリ!!??」
 私が踏んでいたのは、探していた張本人、ユウリであった。とたんに顔がさっと青くなる。
 私は慌ててふんづけていた足を離し、しゃがみこんで彼の胸に耳を当て安否を確認した。
「よかった……。生きてる……」
 何しろ仰向けで寝ている人を思い切り踏みつけてしまったのだ。危うく人を殺めるところだったと、心の底から安堵した。
 だけど、なぜかユーリはぴくりとも動かない。あれだけの衝撃と悲鳴を受けて、声ひとつ上げないのもおかしい。
「ゆ、ユウリ、しっかりして!!」
 急いで揺り起こし、頬を叩いてユウリを起こす。闇夜の中なのではっきりとは見えないが、近づいてみると彼の顔は生気を失っているように見えた。まさかーーー。
「もしかして、ふみどころが悪かったとか!?」
「いやそれは違うと思うぜ」
 ナギが冷静に分析する。
「こいつのこの顔、さっきあんたが毒受けたときと同じような顔してるぜ。それに、何か必死に堪えてるような感じだ」
 ナギの言うとおり、ユウリは青ざめた顔で、うつろな目をしながら、何かを必死に我慢している。まるで、吐き気を抑えているような……。
「もしかしてユウリ、旅の扉に酔っちゃったの!?」
 私の言葉に、ユウリは一瞬ピクリと反応したが、すぐに元の具合悪そうな顔に戻る。
 確かに旅の扉に入った途端、誰かに上下左右ひっきりなしに揺さぶられたような感覚だったし、私も少しくらくらしていた。
 ……ひょっとして、さっきユウリを起こすときに揺さぶったから、ますますひどくなったんだろうか?
 そうなると、こんなところでいつまでも寝かしとくわけにも行かない。責任を感じた私は急いでシーラを起こし、近くに町がないか探し回ることにした。
「とは言ってもなぁ……。ここがどこだかわかんないことにはうかつに動き回るわけにも行かないし、ユウリがこんな状態じゃ、あんまり遠くにはいけないし……」
 私は焦りつつも、何かいい考えはないかと考えあぐねていた。ふと目をやると、隣にいるナギの手に持っている一枚の紙に気づく。
「ねえ、ナギ。さっきから気になってたんだけど、その紙いったい何?」
「さあ? よくわかんねえけど、さっき洞窟の入り口を通るときに、途中で宝箱が置いてあってさ、ついつい開けちゃったんだよな。そしたらその中に、こいつが入ってた」
 そういって、私にそれを見せる。見た瞬間、私は目を丸くした。
「こ、これってまさか……!!」
 私は声を震わせながら叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
「そ、地図。しかも大きさから見て世界地図だぜ」
「えぇっ!?世界地図!?」
 そう、ナギが持っていたのは、なぜか「世界地図」だったのだ。
 なんでいざないの洞窟に世界地図が入っていたのかはこの際置いといて、とにかくこの地図があれば、ここがどこなのかわかるかもしれない。
「あ、もしかしてここって、ロマリアの近くじゃない?」
「 『じゃない?』って言われても、オレは大陸から出たことねーからわかんねーよ。あんた知ってんの?」
「行った事はないけどアリアハンに向かうとき通ったことあるから知ってる。たぶんここからそんなに遠くないよ確か」
 と思って、じっと見ていたら、またまたあることに気づいた。
 なぜか、一点だけ地図上にぽつんとあり、それが常に点滅しているのだ。
 ためしに何歩か歩いてみると、点滅している点もほんのちょっと動いた。
 つまりこの世界地図、所有者(つまり私たち)の現在地が自動で表示されるのだ。しかも、地図を持っている者が移動するたびに、地図の印も連動されるようだ。なんて便利な地図なのだろう。
「すごい!! この地図、ものすごく便利だよ!! 私たちが今どこにいるのかとか、近くに何があるかとか、すごく良くわかるもの!!」
「へぇぇ。よくわかんねーけど、とにかくすげーんだな?」
「うん!! そうとわかれば、早速ユウリが休める場所を探そう!!」
善は急げだ。私たちは地図と現在地を確認し、近くに町がないか必死に探した。そして、意外とすぐ近くにロマリアの城下町があることに気づき、早速全員で町へと向かうことにした。 

 

ロマリアにて

 旅の扉を通り、見知らぬ土地に放り出されて路頭に迷いそうになった私たちは、ナギのおかげもあり、なんとかロマリアの町にたどり着くことが出来た。
ユウリはナギに負ぶわれている間ものすごく具合が悪そうだったし、眠そうだったシーラも、私に手を引っ張られなんとか歩かされている状態だったが、幸いにも大きなアクシデントに見舞われることはなかった。
 それから宵闇の町の中を何十分歩いただろうか。初めて宿屋を見つけたときは、夜明け前にもかかわらず、ナギと二人で歓声を上げずにはいられなかった 。
 宿を取って二人をそれぞれ別の部屋に寝かせたあと、疲労困憊だった私はそのままベッドに突っ伏す。もう朝日が昇る時間帯ではあったが、泥のように眠り込んだ。
 やがて、太陽が真上に差し掛かろうとしたとき、ようやく私は重いまぶたを開けた。
「……………………?」
 熟睡してたせいか、寝る前の出来事をほとんど覚えていない。ぼんやりした頭を二、三度振って、ようやく今の状況を把握した。
 私はのろのろと支度をし、いまだに寝ているシーラを起こした。さんざん身体を揺らしても全く起きてくれなかったが、急に跳ね起きて叫んだ。
「そのテキーラあたしのなんだからねっっ!!」
 がばっと布団をはねのけて、朝一番に放った言葉がこれだった。いったいどんな夢を見てたんだろう。
「お、おはよう、シーラ。私これから下に下りて朝食食べるんだけど、シーラはどうする?」
「ん~……。さきにお風呂入りたい……」
 目を擦りながら、さっきとは打って変わって低いテンションで答えるシーラ。
 そういえば私も昨日そのまま寝ちゃったんだよな……。ま、ご飯食べてからでもいっか。
 私は寝ぼけ眼のシーラとともに部屋を出た。すると、ちょうど隣の部屋の扉が開いて、中から人が出てきた。
「あ、ユウリ!! もう起きて大丈夫なの!?」
「…………」
 寝起きが悪いのか、ものすごく不機嫌な顔で私をにらみつけてくる。昨日の弱々しい姿とは180度違う。でも、こんなことでひるむわけには行かない。
「ゆ、ユウリも朝食食べに行くの? だったら一緒に行かない?」
 断られるだろうとは思いつつ、私はあえて聞いてみた。
「…………」
 やっぱり無言。特に答えを期待していたわけでもないので、気まずい空気は続きつつも、私は彼の返事を待たないまま階段を下りる。
 すると、階段を5、6段下りたところで、ユウリが私の後をついてくるではないか。
 これってどういう意思表示なんだろう。OKってことでいいんだろうか? ひとまずこちらも黙って一緒に歩く。
 1階に下りて、先に風呂場に向かうシーラと別れたあと、カウンターにいるおかみさんに頼んで、かなり遅めの朝食……いや昼食を作ってもらうことにした。
とりあえず全員分の食事を頼んだのだが、まだ起きてない仲間がいることに気付いた。
「そういえば、ナギはまだ寝てるの?」
「…………」
シーラと同じで寝起きが悪いのか、こちらの呼び掛けにまともに答えようとしない。もうこれは彼の平常運転ということにして、とりあえず落ち着いて座れる場所を探すことにした。
カウンターの奥には食堂があり、四人掛けの木製のテーブルがいくつか並んでいる。私は一番陽当たりの良い窓際のテーブルを選ぶと、ユウリと向かい合わせに座る。時間帯のせいか、私たちのほかにお客さんは誰一人いない。窓の外を眺めると、眩しいくらいの真っ白な雲と真っ青な空が見事なコントラストを描いている。
 ………………………………。
 うーん、会話がない。
 ナジミの塔に行くときなんか、さんざん人の文句ばっかり言ってたくせに、なんでこんなときに限って何も喋らないんだろう。
お互い視線を合わすことなく、時間だけが過ぎていく。
 さすがにこの空気に耐え切れなくなった私は、意を決して行動に出ることにした。
「えーと、ユウリ、好きな食べ物って何?」
「それを聞いてどうする」
「いや、あの、えと、い、言いたくないなら別にいいんだけど」
 思わぬ反論で、急にどもる私。いや、これは私の質問のチョイスが間違ってたんだろうか。ハラハラしながら次の言葉を待ってみる。
「…………………………………………甘いもの以外なら大体食える」
 たっぷり間が空いたあと、ぼそっと、近くにいなければ聞き取れないほどの小さな声で、確かにユウリは答えた。
「え!? あ、じゃあ今度、料理作ってあげるよ。こう見えても料理は結構得意なんだよ」
私はぱっと顔を上げ、思わずそんな約束をしてしまった。
「お前が料理だと? ふん、お前ごときでも何かひとつぐらいとりえがあるんだな」
 …………やっぱ約束するんじゃなかった。私は5秒前の自分を呪った。
 私が項垂れていると、急にユウリが声をかけてきた。
「…………おい」
「へ?」
 けれど、何をためらっているのか、なかなか続きを言おうとしない。
 変に口を出したら怒られること必至なので、私は彼の顔をじっと見つつ次の言葉を待った。
「…………なんでもない」
 私は心の中で思わずずっこけた。ユウリの「なんでもない」は良くも悪くも心臓に悪い。
 詳しく聞こうと思ったが、タイミングが悪いのか、急に上からものすごい勢いで階段を下りていく音が聞こえてきたので、話は中断されてしまった。
「あっ、何だよお前ら、こんなとこにいたのかよー!!」
 場違いなくらい大きな声で私たちに近づいてきたのは、言うまでもなくナギだ。
 寝起きなのか、寝癖がものすごくひどいことになっている。子供に悪戯でもされたんだろうかってくらいの有り様だ。
「ナギもごはん食べる? 一応四人分頼んどいたんだけど」
「もちろん!! 丸一日メシ食ってねえから腹減って死にそうだぜ!!」
そういうと、すぐに私の隣にどかっと座り、テーブルに突っ伏した。
「そのまま永遠に寝てろサル」
 ユウリの攻撃に、ナギの眉がひときわつり上がる。
「ぁあ!? 何だと!! 昨日あんだけヘタレだったくせに、よくそんなえらそーなこと言えるよな!! つーか助けてやったんだから礼ぐらい言えっつーの!!」
「俺はお前みたいな野性のサルと違って繊細なんだ。それにお前あのジジイに言われたじゃないか。勇者である俺の手助けをしろと。俺を助けることはすなわち義務。よってお前に礼を言ういわれはない」
「だーっ!! なんなんだよ、めんどくせえよ!! 義務とかマジわかんねーんだけど!!」
そう怒鳴りながら、頭をぐしゃぐしゃに掻き乱すナギ。
「まあまあナギ、怒ったところでお腹減るだけだし、とりあえずご飯がくるまで待ってようよ。ユウリも病み上がりなんだしさ」
「はあ? お前はそれでいいのか? そんな甘いこと言ってると、こいつどんどんつけあがるぞ!」
「今はそんなことで揉めてもしょうがないって。それよりご飯だよ、ご飯」
「そんなことってなんだよ、重要なことだぞそこは」
 それでも腑に落ちないナギをなんとかなだめて、私たちは食事が来るまでとりとめのない会話をして時間をつぶした。といっても、ほとんどナギとしか話してないけど。
「そーいやミオってさ、この近くの村に住んでたんだろ? どの辺なんだ?」
 ナギがぼさぼさの髪の毛を手ぐしで整えながら、たずねた。
「そんなに近いわけじゃないけど……。ここから北にずっといったところにあるカザーブって村だよ」
「カザーブ……? ああ、あの山に囲まれた田舎くささ満開の村か。まさにお前にぴったりな村だな」
 いきなり横からユウリが口を挟んできた。いろいろ突っ込みたかったが、ふとある疑問がわいた。
「ユウリ、私の住んでた村知ってるの?」
「当然だ。世界を回るためには世界のことを知る必要がある。これでも世界各国の村や町、遺跡などの情報は前もって頭の中に入れてある」
「つーか頭でっかちなだけだろ」
 得意げに言うユウリ。横にいるナギはかなり不愉快そうにしている。
「お~い、おまたせ~♪」
 かわいらしい声でやってきたのは、お風呂から上がった金髪の美少女だった。お風呂上がりの彼女は上気して、白い肌がほんのりピンク色に染まり、ますますかわいらしさがアップしていた。けれど、違和感を感じて、すぐそれに気づく。
「ねえ、シーラって本当は髪の毛ストレートだったの? 一瞬誰かわからなかったよ」  
 いつもはボリュームのある巻き髪の彼女だが、レーベの村で泊まったときは、シーラはすぐに寝てしまったので、髪の毛を濡らしたシーラの姿を見たのはこれが初めてだったのだ。
「えへへ。本当はこの後乾かしながら髪の毛巻くんだけど、今はご飯中だから後回しにするんだ♪」
 まっすぐになったシーラの金髪は、愛らしい顔立ちによく似合い、その姿はまるでおとぎ話に出てくる泉の妖精のようだった。
 正直、普段の巻き髪よりも、こっちのほうが似合っていた。でも今はナイトドレスを着ているから、バニーガール姿になったら、またイメージが違って見えるんだろうか。
 そんなこんなでやっと食事が来た。空腹だった私たち4人は、ふんわり湯気の立った食事がテーブルに置かれるや否や、瞬く間に胃袋の中に食べ物を収めていった。
 あのユウリでさえ、掻き込むようにクリームシチューを平らげていたのだから、みんな相当空腹だったに違いない。
 気づけば、4人同時に空になったお皿をきれいに重ねていた。
 こういうところだけは、みんな気が合うのかもしれない。
 食後のデザートを頼んだところで、ユウリが三人を見回しながらこういった。
「食事が済んだらロマリア王に会いに行くぞ」
『へ?』
 三人そろって間の抜けた声を出す。ユウリは眉間にしわを寄せた。
「お前ら、この俺を誰だと思っている? この世界を救う勇者だぞ!? 異国にたどり着いたからにはその国の代表に会うのが、世界を救う勇者としての礼儀というものだろうが」
「そ、そういうものなの?」
「あたしに聞かれてもわかんな~い」
「つーかただ単に目立ちたいだけなんだろ」
 ナギの一言で、ユウリの周りの温度が10度下がったような気がした。
「ベギラ……」
「だめだよユウリ!! こんなところで呪文なんか……」
「そうよぉ!! まだ食後のデザートが来てないのに!!」
「そういう問題かよ!?」
 シーラの言葉に、ナギが突っ込みを入れる。というかシーラのデザートって、さっき頼んだウイスキー8本のこと?
「あのさ、前から気になってたんだけど、シーラっていくつなの……?」
「ふふふ♪ ナイショだよ☆」
私の問いに、意味深な笑みを浮かべるシーラ。私より年下に見えるのに、こんなにお酒飲めるなんて不思議だ。というか体は大丈夫なのだろうか?
「そんなことより、早く支度するぞ。日が傾く前には用事を済ませるからな」
シーラの年齢に全く興味がないのか、すぐに席をたつユウリ。もっとのんびりしたかったのになあ。
けれど『王様に会う』と言う一般人には到底縁のない出来事に、私は内心浮き足立っていた。
そのせいで結局食事の後に済ますつもりだったお風呂に入れなかったことに気付き、ロマリア城の門前で後悔したのだった。 

 

勇者の心と秋の空

 
前書き


 

 
「うわ~、やっぱり大きいね」
なんて呑気な声を上げた私は、アリアハンのお城とは異なる造りの外観を見て、思わず目を見張った。
なんというか、アリアハンのお城が標準的な造りなのに対して、ロマリアのはデザインにこだわりを感じる。
城門の兵士に事情を話すと、すぐに通してもらった。どうやらアリアハンの勇者が旅立ったという情報は、この土地にも広まっているらしい。
「アリアハンの城の中には、ロマリアに繋がる旅の扉があるらしい。だからお互いに情報を共有しているんだと、昔城の人間に聞いた」
 ユウリがいうには、アリアハンの王とロマリアの王は古くからの付き合いがあり、勇者の仲間の募集を世界的に広めたのも、ロマリア王のおかげだとか。
 要するに、こうして私たちがユウリと出会ったのも、ロマリア王のおかげだといえる。
 わざわざロマリア王に挨拶をするなんてさすが勇者だな、と感心していると、一番前を歩いていたユウリが突然真剣な表情で、私たちの方を向いて言った。
「お前ら、普段みたいにへらへら笑ったりキレたり踊ったりしたらどうなるかわかってるよな? 仮にも一国の王の前に立つんだから最低限のマナーぐらいは守れよ」
「そ、そんなに普段から笑ってないよ!」
「いや大体怒らせてんのお前じゃん」
「踊りばっかりじゃないよー? お手玉だってできるもん♪」
 三人それぞれの主張に、彼は諦めたように深いため息をつき、再び歩き始めた。
 ふと周りを見回すと、お城の中はとても豪奢で、柱の一つ一つにも細工が施されている。丁寧に彩られた壁紙と、鮮やかにちりばめられた装飾品を見るたびに心が洗練されていくように感じた。
「すげーよ、これ! じいちゃんちで読んだ本と全く同じやつだぜ!」
 ナギは終始興奮した様子で、辺りをきょろきょろしながら目を輝かせている。生まれてはじめて見たというだけじゃなく、盗賊としての血も騒ぐのだろうか。
 シーラははしゃぎながらも、兵士さんたちの前ではちゃんと挨拶したり、意味もなく騒いだりはしなかった。
 ユウリなんかはもうお城の中なんか慣れた感じで、堂々とした態度で通路のど真ん中を歩いている。
 そして、先ほどとは別の兵士に案内され、いよいよ玉座の間へと通された。
「おお! よくぞ参られた、勇者ユウリよ!! 英雄オルテガの噂はこのわしにも聞き及んでおるぞ。世間では英雄と言われども、オルテガにとってそなたは大事な肉親。さぞつらかったじゃったろう」
「私ごときにはもったいないお言葉、ありがとうございます」
 完璧な動作で丁寧にお辞儀するユウリ。いつもの態度とはまるっきり違う。
「しかし、残念じゃったな……。あれだけ勇猛なオルテガが魔王に……」
「父は魔王に倒されてなどありません」
 王の言葉をさえぎり、ユウリはきっぱりと否定した。
「確かに父はネクロゴンドの河口付近で消息をたち、今も行方不明です。しかし私は、今も何処かで生きていると信じています」
「そう……じゃったな……。すまん、ユウリよ。無礼なことを言ったな」
「いえ、私も出すぎた発言をしてしまいました。申し訳ございません」
 先ほどまで旅の扉酔いで半死状態だった姿を思い出すと、あまりのギャップに笑いがこみ上げてくる。だが場所が場所なので、私たちは必死でそれを堪えた。
 室内にきまずい空気が流れ始めたのを感じたのか、王様はこほん、と咳払いをした。
「まあ、良い。それより、長旅の疲れも癒せぬうちに言うのは酷なのじゃが、そなたたちに頼みがある。実はな、最近この国に盗賊が出没するようになっての。城の者にも警戒するように言ったのじゃが、2,3日前にカンダタという者が、この城の宝でもある『金の冠』を奪ってしまい、はるか西にある『シャンパーニの塔』に逃げ込んだのじゃ。もしそなたが真の勇者なら、その盗賊から『金の冠』を取り返してはくれぬか?」
「『金の冠』、ですか」
「もちろん、取り戻してくれたら礼をするぞ。何しろそなたたちは世界を救う旅の最中であるからな。そなたの腕はアリアハン王から聞いておる。なんでもすでにレベル30を超えているとか。本来ならそなたたちに頼むべきではないのだが、他に適する人物がおらぬのでな。頼む、図々しいとは思うが、どうか世界を救う前に我がロマリアを救って欲しいのじゃ!」
「…………わかりました。ロマリア王の頼みならば断る理由がございません。謹んでそのご依頼お引き受けいたします」
「そうか!! そなたなら頼もしい答えを出してくれると思っておったぞ!! では、頼んだぞ!! 勇者ユウリよ!!」
 ユウリの答えに、ロマリア王は満面の笑みを浮かべた。
 だが、ユウリは王の頼みを受けてから城を出るまで、ずっと無表情のままだった。



「ユウリ、何かあったの?」
 私がふと彼に訪ねたのは、城を出てしばらくして、家々の壁がほんのりオレンジ色に染まり始めたころ。
 宿屋へ戻る途中、突然シーラは「堅っ苦しいとこに行ってたから息抜きしてくる!」とかいって、地下にあるという『モンスター格闘場』という賭博施設へと走り去ってしまい、ナギはナギで新しい武器を見に行くといって商店街の人混みに紛れて行ってしまった。なんて自由な人達なんだ。
 そして残された私とユウリは、このあと特に寄り道することもなく、あと数百mで宿に到着するというところまで来ていた。
 たずねられたユウリは憮然とした表情でこちらの呼び掛けに気づく。
「さっきからおかしいなと思ってたんだけど……」
「俺がおかしいだと?」
 ものすごい形相でユウリが怒鳴った。言葉の解釈にズレを感じた私はあわてて訂正する。
「い、いやおかしいってのは、いつものユウリと様子がちょっと違うって言う意味だよ。何か深刻な問題でもあったの?」
「ああ、大有りだ」
 ユウリはきっぱりと言い放った。
「事は一刻を争うというのに、なぜ勇者である俺が盗賊退治なんぞ引き受けなきゃならないんだ!! そもそもその辺の野良盗賊なんかに大事な宝を取られるだなんて、この国の防衛能力はどうなってるんだ!! 不条理だろ!! 取り返すんだったら自分の国のやつらがやればいいだろうが!!」
 勇者とは思えない発言に私はたじろぎながらも、それはそれで一理あるなと思った。
「えー……。だったらユウリ、断ればよかったじゃない」
「仮にも一国の王の頼みだぞ!! あの場で断れるわけないだろ!!」
 ようするに、世間体ってやつなのだろうか?
「ユウリもいろいろ大変だね」
「ああ。特にお前みたいな世間知らずの田舎者の話し相手をするのはひときわ疲れる」
 そこまで言わなくても……。
 ともあれ、この『金の冠』を取り返す件、公の場で了承はしたけれど、当のユウリは全く乗り気じゃないらしい。
「あのさあ、それなら……」
「いっそのこと、あのサルをシャンパーニの塔に放り込んで、その隙に冠を取り返すか」
 あのサルというのは、ユウリ語でナギのこと……らしい。
 当然ながら私は断固否定した。冗談かどうかはさておき、ナギを囮役にするなんて考え、受け入れられないに決まっている。
 ユウリは渋っていたが、やがて次の案を思いついた。
「じゃああのザルウサギをシャンパーニの塔に(以下略)」
「だから駄目だって!!」
 ザルウサギというのは、ユウリ語でシーラの(以下略)。
 ユウリのむちゃくちゃな提案に、私は首を思い切り横に振った。
「なんていうか、それじゃあ全然勇者らしくないよ。勇者ならその盗賊を退治して奪い返せばいいんじゃないの?」
 すると、急にユウリの目つきが変わった。まるで一番最初にルイーダさんの酒場で出会ったときのような、侮蔑に満ちた目。
「『勇者らしく』って、なんだ?」
「え!?」
 急にそんなことを言われたので、私は次の言葉に詰まった。だって、いつも自分のこと勇者だとか言ってる人が、なんでそんな矛盾したことをいうんだろう?
「…………ふん」
 私が黙ったままだからか、ユウリは私から目をそらし、そのまま先に歩いていってしまった。
 ぽつんと一人取り残されて、私は一人考えを巡らせる。
―私何か、まずいこと言っちゃったのかな……?
 しばし悩んだが、頭の足りない私はそれ以上答えを導き出せるはずもなく、考えをやめてひとまず宿に戻ることにした。 

 

諍い

 宿に戻ったのは私とユウリだけで、あとの二人はしばらく経ってもなかなか帰ってこなかった。
「格闘場に行ったシーラはともかく、ナギは武器屋に行ってるだけなんだよね? ずいぶん遅くない?」
 男女二人ずつ二部屋で取ったあと、私は一人部屋でぼーっとしているのも何なんで、ユウリがいる部屋にお邪魔していた。
 とはいっても、話の弾まないユウリと会話しても自滅するだけなので、荷物の整理なんかをしていたのだが。
ユウリはユウリで、俺に話しかけるなオーラを部屋全体に充満させながら、真剣に愛用の剣を磨いている。……要するに、二人とも無言だった。
 一通り荷物の整理を終え、一息ついたところで、私は窓の外がすっかり暗くなっていることに気づき、今の言葉を放ったのだ。
 私が二人のことでつぶやいていると、今まで下を向いていたユウリがゆっくり顔を上げ、私の方を見た。
 まるで今初めて存在に気づいたかのような表情をしていたので、私はなんとなく視線をカバンに戻した。
「……まだ帰ってきてないのか、あいつら」
 意外にも、私の呟きを聞いていたらしい。でもその割には、落ち着き払っている。
「そもそもあの二人って、そんなにお金あったのかな?」
 シーラはアリアハンにいたときから酒場のお酒を飲みまくってユウリに酒代払わせてたし、ナギも今までおじいさんと一緒にあの塔で暮らしてたみたいだから、武器を買えるほどのお金を持っているとは思えない。ただ商品を見るだけならこんなに時間はかからないはずだけど……。
 などと考えを巡らせていると、ベッドに座っていたユウリが、真剣な顔で光り輝く剣を鞘に収めて急にその場を立った。
「俺としたことが、迂闊だった。馬鹿を二人も野放しにして、ただで帰ってくるとは思えん。急いで連れ戻すぞ」
「ちょっ、ちょっと待ってよ! 急にそんな事言われても……」
 そういってユウリはすぐさまドアの方に向かう。そして、私の抗議も無視して、勢いよく部屋のドアを開けた。
 どんっ。
「きゃああぁぁっっっ!!??」
 今の悲鳴は私ではない。ユウリがドアを開けたとたん、外側から誰かが彼にぶつかってきたのだ。
「も~~~っ!! 痛いよユウリちゃん!! ちゃんと前見てよ~~~!!」
 悲鳴を上げた人物―――シーラが、口を尖らせながら言った。怒っているにもかかわらず、なんともしぐさがかわいらしい。
 などと私がそんなのんきなことを考えていると、ユウリが親の敵をとったような顔でシーラに迫った。
「お前、今まで遊んでたのか?」
 するとシーラは頬を膨らませた。
「遊んでたんじゃないもん!! 『おしごと』してきたんだもん!!」
「仕事……?」
 ユウリは何か思い当たったかのように表情を変えた。
「あー、ユウリちゃん、なんか変なそーぞーしてるでしょー? やーい、むっつりーvv」
「……………………」
 シーラに冷やかされ、ユウリはなぜか鬼の形相のまま沈黙した。これがナギの場合だと問答無用で呪文を放つのだが、シーラの場合だとどう反応すればいいのかわからないらしい。
 そんなことはお構いなしに、シーラは話を続けた。
「『おしごと』ってぇのは、これよんっっ!!」
 そういってどこからか取り出したのは、一抱えほどもある金貨の入った革袋だった。
「どっ、どうしたのシーラ!!?? その金貨!!」
 どうみたって半日かそこらで稼げるような金額ではない。もちろん裕福ではない私の実家でもあんな大金見たことがない。
「もちろん、モンスター格闘場で稼いだんだよんvv」
「ほ、ホントに?」
 格闘場って、あんな短時間でこんなに稼げるものなの!?
 格闘場・・・・っていうより賭け事自体やったことのない私にとっては、全く理解できない話である。
「こんだけあれば、一か月分はお酒に囲まれて暮らせるもんね♪ あ、ミオちんにもお酒ちょびっとわけてあげるからね☆」
「あ、ありがと……。でも私お酒飲めないからいいよ……」
 するとちょうどタイミングよく、宿の玄関から聞きなれた声が聞こえてきた。
「くっそー!! なんでどこもあんなに高けーんだよ!!」
 どすどすと、荒い足音を立ててこちらに上がってきたのは、私たちが探していた仲間その2、ナギだった。
「おいサル。俺の許可なくこんな遅くまで出歩くとはいい根性してるな」
 まるで子供の門限に厳しい父親のようなことを言うユウリ。
「別にあんたの監視下にあるわけじゃないしいーだろ。それに、ただ出歩いてたんじゃなくて、自分用の武器を買いに行ってたんだよ! ……結局どれも高すぎて買えなかったけどな。誰かさんが一人でお財布握ってるせいでよ!!」
 そう言い放つと、ナギはユウリを鋭く睨み返した。
 そのただならぬ不穏な空気を感じた私は、余計なこととは思いつつも、つい口を挟んでしままう。
「ほ、ほらユウリ。そんなに心配しなくても、やっぱりナギ武器買いに行ってただけじゃん!」
「…………」
「それにこの先の旅のことを考えるなら、新しい武器を買える資金ぐらいナギに渡してあげてもいいんじゃない?」
「…………」
案の定、私が言ったところで状況が変わるわけがなかった。
「……この堅物にんなこと言っても無駄じゃね? あーもう気分悪いから先にメシ食って寝るわ」
 そう言ってナギは、部屋の中に入ろうとした。だが、いまだに床に座り込んでいたシーラにぶつかり、転びそうになってしまった。
「ってぇ!! なんなんだよ、ったく……」
 くるりとシーラのほうを振り返る。どうやらシーラではなく、横に置いてある金貨の皮袋につまづいたらしい。
「お、おま……なんだよ、それ……」
「これはあたしが格闘場で稼いだお金だょん♪ すごいでしょ♪」
 シーラの話を聞いて、ナギの様子が豹変した。言葉を失い、金貨のほうを凝視している。ついでに荒くなっていた呼吸を整え、こう言った。
「その金貨、全部オレにくれ!!」
「…………」
「…………」
「…………え?」
 シーラ、ユウリ、そして私までもが、一瞬沈黙した。けれどすぐにその沈黙は、金貨の所有者によって破られた。
「ナギちん? いまどきそんな冗談誰もウケないよ?」
「いやギャグじゃなくて!! それくれ!! 武器買うから!!」
 そのあまりにも潔い申し出に、私はむしろ心地よさを感じた。
「寝言は寝てから言え。何でお前ごときに全ての金をやらなきゃならん」
「あっ、ユウリちゃん!! あたしのお金だよそれ!!」
 ひょいと金貨を拾い上げたユウリを、シーラが珍しく憤慨した様子で奪い返そうとする。だがユウリはシーラに渡そうとせず、きっぱりとした声でこう言った。
「これは旅の資金にする。つまりリーダーである俺が保管しておく」
「ええっ!?」
 私は思わず声に出して驚いた。いや、私だけではなく、遥かに衝撃を受けた二人も茫然としている。
 これにはナギだけでなく、シーラまでも敵に回した。そりゃあそうだろう。ばくち好きのお父さんが珍しく大勝ちして大金を手にしたと思ったら、お母さんに全部没収されるようなものだもの。
「好き勝手に動き回るお前らに金を持たせるわけにはいかないだろ。ここはリーダーである俺が責任を持って管理する」
……なんか嫌な言い方だ。それじゃまるで私達が聞き分けのない子供みたいじゃない。
 普段はユウリになかなか意見することができない私だけれど、今のその発言にはさすがに容認出来なかった。
「ユウリ、いくら旅にお金が必要だからって、一枚もくれないのはあんまりだよ! それに、ナギが武器をほしがるのは旅を少しでも楽にするために大事だからだと思うし、そもそもシーラのおかげで金貨が手に入ったんだよ? もうちょっと私たち仲間のことも考えて欲しいよ」
「……………………」
「ミオの言うとおりだ! なんでいつもオレたちが我慢しなきゃなんねーんだよ!! そもそもなんでシーラが稼いだ金をあんたが取り上げてんだよ!!」
「ユウリちゃん、あたしが飲んだお酒代ならその袋の半分で充分足りると思うよ!?」
 私たちの訴えを聞いて、ユウリの眉間にしわが、かつてないほど深々と刻まれる。相当不機嫌になっている証拠だ。
「要するに、お前らは俺の意見を誰一人として聞き入れないということだな?」
 沈黙。それは三人一致で肯定を表していた。
「……わかった。そんなに金が欲しいのなら使えばいい」
 どさっ、と重い音が部屋に響き渡る。
「そのかわり、お前らだけで盗賊退治をしてこい」
 …………え。
「この金を盗賊のアジトに行くための準備に使おうと思ってたんだが、そこまでいうなら俺は何も手出ししない」
盗賊のアジトって……、ロマリア王に頼まれたこと?!
「あとはお前らだけでやってくれ。じゃあな」
 そう言い放つと、振り向きもせずあっさりと部屋を出て行ってしまった。
 不安と重苦しい空気を残したまま。
「……い、いまユウリなんて言った?」
恐る恐る私は皆に確認する。ナギは何故かさっきより生き生きとした表情をしていた。
「オレたちだけで盗賊退治だとよ。かえってあいつがいなくて気が楽だぜ」
 ナギはあっけらかんと言い放つ。なんでそんなポジティブなの!?
「いやいや、そういう問題じゃないよ!! 私たち、3人そろってもたいしたレベルじゃないじゃない!! そんな状況で盗賊退治なんてできっこないよ!!」 
 私は考えただけで血の気が引いた。いくら王様の頼みとはいえ、レベル30の勇者抜きで盗賊退治なんて無謀すぎる。
「だいじょーぶだいじょーぶ!! ミオちん、人間やるときゃやるんだよ♪」
 一番説得力の無いシーラに言われ、私はさらにめまいがした。
「シーラの言うとおりだぜ。人間、弱くても3人力を合わせればできるんだ!! って、昔じーちゃんのところにあった本に書いてあったし」
 …………ひょっとして、不安がってるのって私だけ?
 どこまでも前向きな二人に、私は羨望と脱力を一気に味わうという、貴重な体験をした。
 願わくば、ユウリが考えを変えて一緒に盗賊退治をしてくれますように…………。たぶん無理だと思うけど。

 

 

危険な盗賊退治(道中にて)

「っかーっ!!! すがすがしい朝だぜ!!」
 翌朝。結局ユウリはあれから一度も私たちの前に姿を見せることはなかった。一方、一人部屋で一晩を過ごしたナギはというと、言葉通りの朝を迎えたようで、これ以上ないほどのさわやかな顔で部屋から出てきた。
「あいつの顔を半日以上見ないことが、こんなにすばらしいものだとは知らなかったぜ」
 ナギは心底感動した様子で言った。よっぽどユウリと一緒の部屋が嫌だったのか。
「でも、ユウリってば、夕べどこで寝たんだろ。宿屋はこの町では一軒しかないし……」
私の言葉に、ナギが興味なさげな顔で答える。
「気にしなくていーんじゃねーの? レベル30の勇者様のことだから、どうせ城のやつらに歓迎されてふかふかのベッドでくつろいでたんだろうよ」
 うーん。全く現実味がないけど、ユウリならありえる気がする。
「さて、朝飯も食ったことだし、さくっと盗賊退治でもするか!」
 ナギの能天気な発言に、思わず私はずっこける。
「いやいや、さくっとって簡単に言うけど、魔物退治とは違うんだよ!? 人間が相手なんだよ?」
「だったら言葉が通じる分魔物より簡単じゃねーか」
 駄目だ……。なんかナギって世間と少しズレてる気がする。
「ねえ、シーラは盗賊退治なんて出来ると思う?」
 私に尋ねられたシーラは、自慢の金髪を特殊な金属の棒のようなもので巻きながらしばし考え込み、
「わかんなーい♪ でも三人でお出掛けするのも楽しそーだよね☆」
 そう屈託のない笑顔で返されたので、なんだか私一人だけ悩んでるのがばかばかしくなってしまった。
 もう乗りかかった船だ、おとなしくこの二人についていこう。ほとんどヤケだけど。
 そんなこんなで私たち3人は、宿を出たあと道具屋に寄り、薬草、毒消し草などのアイテムを補充し、ついでに武器屋にも寄ることにした。武闘家の私には武器はあまり必要ないので買わなかったが、ナギは聖なるナイフ、シーラは(もしかしたら使うかもしれない)くさりがまを購入した。
「シーラが稼いだお金、ほとんどなくなっちゃったね」
 私が名残惜しそうに金貨袋に向かってつぶやいていると、シーラがいきなり私の袖を引っ張った。
「ミオちん、お金増やしたいならもう一回行ってみる?」
 シーラの指差した先は酒場だった。だが、その入り口の脇に、モンスター格闘場入り口の看板がかかってある。それを見て、私は思い切り首を横に振った。
「だっ、だめだよ!! いくら昨日は稼げたからって、今日も稼げるとは限らないじゃない! 今は盗賊退治の方が大事だよ!」
「む~、今日はもっといっぱいお金増えそうな気がするのに~」
 そういうこと言う人に限って、大負けしたりするんだ。私の師匠もたまに賭け事をしていたが、大体シーラと同じ事を言っていた。
「なあ! おい、あれ見ろよ!」
 ナギが驚いた様子で声を上げた。その視線の先には、見覚えのある青いマントと黒髪。あれってまさか……。
「ユウリ!?」
 間違いない、背格好も彼にそっくりだ。残念ながら顔は見えないが、歩いている方向は確かにモンスター格闘場へと向かっている。
「あれー、ユウリちゃんも賭け事やるのかな?」
 シーラの一言に、私は目を疑った。だってまさか、ユウリが賭け事なんて全く想像できないんだもの。あの後姿は他人なんじゃないかと思い込んでしまうぐらい。
「あの野郎、オレに散々文句言ったくせに、自分はのんきに賭け事だと!? ふざけんなよ!!」
 ガツンッ、と近くにあった建物の壁を拳で叩きつけたまま動かなくなったナギ。よっぽど腹を立てているのかと顔を覗き込んだら、どうやら拳を痛めたらしく、涙目になっている。
うーん、なんか落ち着かない。
このギスギスした空気を緩和させようと、私はふと頭に浮かんだ考えを口に出してみる。
「もしかしたらユウリも旅の資金を増やそうとしてるんじゃない?」
 私の言葉に、二人は白けた顔でこちらを見た。……うん、確かに私も言って後悔した。どうしても無理があるよね、この意見は。
「ミオちん。いくらミオちんが人がいいからってそれはちょっとどーかと思うよ?」
「あの性悪勇者がそんな殊勝なことすると思うのか? お前は」
「……うん、ごめん。今のは私が間違ってた」
なんで私が謝らなくちゃいけないんだろう。
 ともあれユウリの行動に俄然盗賊退治へのやる気が沸いた3人(特に2人)は、勇者に一泡ふかせてやるという決意を胸に託し、意気揚々とロマリアの町を出た。
 そこでふと、ナギがあることに気づく。
「そーいや『シャンパーニの塔』ってどこにあるんだ?」
 私はあっと気づいて、急いでいざないの洞窟で拾った世界地図を広げた。点滅しているのが現在地。そこから西って言ってたから、……この辺かな?
 一同が地図を覗き込む中、私は指で塔があると思われる場所を指した。
「うーん、意外に距離あるね。どうする? 海岸沿いに回っていく?」
「そーだな。この距離だと途中で野宿になると思うし、なるべく近道していこうぜ」
 近道といっても、その距離は十分あった。地元である私でさえも、その遠さにうんざりした。
 なにしろ私の生まれ故郷カザーブからロマリアまでの、2倍以上の距離なんだもの。
 森の中の街道をひたすら歩き続ける途中、私がこの近くの村出身だという話を持ち出したら、ナギが興味深げに聞いてきた。
「そういやミオって、ここからどうやってアリアハンまで行ったんだ? 旅の扉を通ってきたわけじゃないだろ?」
「えっと、最初に私の住んでる村に、ロマリアの王様からのお触れが回ってきたの。『勇者とともに魔王と戦う仲間をアリアハンで募集している』って。たぶん私の村だけじゃなくて世界中でそういうお触れがあったと思うんだけど。それでその募集を受けにロマリアの近くにある関所を通ったあとポルトガに行って、ポルトガからアリアハン行きの船に乗ってたどり着いたってわけ」
「へー。あんな最低野郎の仲間になるためにわざわざ海を渡って行ったのか。お前みかけによらずすげーな」
「あー、うん、まあね」
 まさかこんな形でナギに感謝されるとは思わなかったので、私はテキトーな返事しか出来なかった。
「あれ? でもお前レベル1だったよな。ポルトガって所まで魔物に襲われなかったのか?」
「ちょうど募集してたときポルトガ行きの馬車があって、それに乗って行ったの」
「へー、馬車とかあったんだ。オレ乗ったことねーからうらやましいな」
「私も初めてだよ。しかもポルトガ王の御厚意で無料で乗せてもらったし」
ナギと馬車談義をしていると、後ろにいたシーラが間に入ってきた。
「ミオちん、もしかしたらあたしと同じ船に乗ってたかもよ!?」
「え? どういうこと?」
「だって、あたしもポルトガからアリアハンまで船で行ったもん♪」
 なぜか得意満面な笑みを浮かべるシーラ。
「ひょっとしてお前もあいつの仲間になりたかったのか!?」
「んーん。ポルトガでお酒飲んでたら、お金スッカラカンになっちゃって逃げてきちゃった☆」
 てへっ、と舌を出しながら言う彼女の顔は、全く悪びれた様子などない。
 うーん……。それって無銭飲食だよね。かといって、いまさらそのお店の代金を肩代わりする度胸もお金もないんだけど。
 そんな会話を時折しつつ、途中魔物とも戦い、何度か休憩をするうちに、あっという間に日が落ちた。
 だが、道のりは思ったより進まなかった。目的地まではあと半分以上ある。それでも、現在地がわかる地図を持っているのが唯一の救いだった。きっとそれがなければ、いつ着くかもわからず延々と歩き続けるはめになっていただろう。
 その日は結局野宿をした。交代で見張りをしながらだったので、ある程度睡眠をとったとはいえ完全に眠気が取れたとはいえない。
 きっと4人なら見張りの時間ももっと短いんだろうな、と目の前にある魔物避けの焚き火を見ながら、ぼんやりとした頭でそう思った。ふとユウリの顔を思い浮かべて、さらに心が重くなる。
 アリアハンで出会ってから今までを振り返って、やっぱり私みたいなレベルの低い足手まといは嫌だったのだろうかと思い込んでしまう。
私を仲間に入れたのも、ルイーダさんに強引に進められたからだし、あの時は他の冒険者たちは帰っちゃったけど、別の日にもう一度声をかけてたら、もしかしたらもっとレベルの高い人たちを仲間に出来たかもしれない。
 あー、駄目だ駄目だ、今はそんなことを考えている場合じゃなかった。私は気を取り直して支度を整えた。 

 

危険な盗賊退治(シャンパーニの塔にて)

「う~、最悪だぜ……」
 簡易テントの中からひょっこりと現われたナギの顔は、昨日と打って変わってげんなりとしていた。
「どうしたの?」
「どーしたもこーしたも、すっげー不快な夢見ちまったぜ……。せっかく昨日はさわやかな目覚めだったのによぉ……」
「いったいどんな夢見たの?」
「聞くな。口に出したくもない……」
 まあ他人が見た夢にあれこれ言っても仕方ない。私は苦笑しながら、話を切り上げ出発の準備を始めた。
 二日目、三日目と、日を重ねるごとに魔物と遭遇する回数は多くなっていった。けれど戦ってきたおかげで低かった私のレベルもいくつか上がることができた。ナギはもちろん、シーラも同じように経験値が増えたようだ。そんな中―――。
「危ないシーラ!!」
 バシッ!!
 シーラに降りかかる無数の石つぶてをかばったのだが、その時左腕に衝撃が走った。
 私は急いで薬草を取り出したが、なかなか痛みは治まらない。
「大丈夫、シーラ?」
「ごめん、ごめんねミオちん……! あたし、ミオちんを助けるつもりだったのに……」
 実はその石つぶてを放ったのは、シーラだった。だが、コントロールが悪かったらしく、味方のほうへ全部飛んでしまったのだ。
「気にしないで、ありがとう」
「おい! こっちは大体片付いたぞ!!」
 汗だくになりながらも目の前の魔物を全て片付けたナギがこちらに向かってくる。
「よかった! まだこっち3体いるの!! お願い!!」
 私の返事を待たずに、ナギが一体のキャタピラーをナイフで突き刺した。
「うわぁぁん、ミオちん~~~!!」
「あーもーうっせえ!! もう大丈夫だから泣くんじゃねえ!!」
 こういうパターンが何回かあって。
 ……やっぱりユウリがいないと大変だっていうのは、この旅路で少なからず感じてしまった。
 毎日野宿をし、町を出る前にあんなに買いだめした携帯食料も底をつき始めた6日目の朝、ようやく目的地であるシャンパーニの塔に到着することが出来た。
「ふあ~、長かった~」
 私が疲労困憊で思わずため息をつくと、ナギがあきれたように言った。
「何言ってんだ。本題はこれからだろ」
「あ、うん、そうだよね」
 私は照れ笑いをしながら、塔を見上げる。目の前にそそり立つその建物は、外壁がところどころはがれていたりヒビが入ってたりして、とても人が住んでいるという感じではない。ナジミの塔に比べてだいぶ老朽化が進んでいるように見えた。
「この塔のどこに盗賊がいるんだろ?」
「ま、オレの勘が正しければ一番上だろうな」
 自信ありげに推理するナギの姿は、なんとなくユウリに似ていた。ユウリの代わりにリーダーになってくれてるのかな。
 そしてナギは、真剣な面持ちで皆を振り返った。
「よし、じゃあ早速今から中に入るけど、みんな、気を引き締めていけよ! きっと塔の中にも魔物がいると思うし……っておい!!」
「わ~い、いっちば~ん♪」
 ナギの言葉を無視して、さっさと中に入るシーラ。シーラにとっては誰がリーダーだろうと関係ないらしい。
 ナギは出鼻をくじかれたような様子で、しぶしぶシーラの後に続いていった。そのあとを私が追いかける。
 中は薄暗く、カビ臭い匂いも漂っていて、その独特の空気は魔物が棲んでるぞ、とでもいわんばかりだった。だが、下を見ると、埃だらけの床に真新しい足跡がいくつも残っている。おそらく盗賊たちのものだろう。私とナギは周りに注意しながら探索した。
「あそこに階段があるな」
 ナギの言うとおり、曲がり角の向こうに階段が見えている。辺りに人の気配を感じないのを確認した私たちは、慎重に階段を上り始めた。その時、
「きゃうっ!?」
 私の後ろにいたシーラが、いきなり奇妙な声を上げた。私はすぐに振り向き、同時に目を丸くして叫んだ。
「な、ナギ!! 魔物!!」
 それは暗がりでも目立つブルーの皮膚を持ち、大きな金色の目をぎらつかせた巨大なカエルだった。確か名前は……ポイズントードだったっけ。
 あろうことかその魔物は、シーラの足首に長い舌を巻きつけている。そういえばぬらぬらと光るその舌には、毒腺があるって聞いたことがある!
「シーラ、じっとしてて!!」
 私はとっさに渾身の力をこめて蹴り上げた。ポイズントードは不意を衝かれたのか、放った私が驚くぐらい勢いよく吹っ飛んだ。幸い魔物はそれきり動かなくなる。
 だが、その後ろから、続々と見たこともない魔物がやってきた。その数はざっと数えても10体以上。
「こ、これってヤバイよね」
「もちろん!! 逃げるぞ!!」
 そういってナギは盗賊さながらの瞬発力で階段を駆け上った。私は事態をまだ良く飲み込めていないシーラの手を引っ張りながら、夢中で階段を上りきった。
「よし、まだ魔物は来てないな? ……よっと」
 階段の手前でナギがおもむろに懐から何か細い糸のようなものを取り出す。そしてそれをまた懐から出したものにぐるぐると巻きつけ、それをすばやい動作で天井にくくりつける。その一連の早業に、思わず私は見入ってしまった。
「なにぼーっとしてんだよ。お前らは先に行ってその辺りの様子を見てきてくれ」
 私はあわててうなずき、シーラと一緒に奥に進んだ。ややあって、ナギが遅れてやってきた。さらにしばらくして、遥か遠くの方で小さな爆発音が聞こえた。
「ひょっとしてナギ、罠張ってたの?」
「まーな。つっても単なる時間稼ぎぐらいにしかならねーけど。その間に盗賊どものいる場所、探そうぜ」
 さすがナギ。あの状況であんなすばやく罠を作るなんて。伊達に何年もおじいちゃんとの修行をやってるわけじゃない。
 時折襲い掛かってくる塔の魔物を追い払ったり罠で足止めしながら2階、3階と上っていくうちに、だんだん外の景色が変わってきた。どうやらいつの間にかずいぶん高いところまで上っていたらしい。
 けれど、盗賊はおろか人間の姿すら発見できずにいた。
「くっそー!! 一体どこにいるんだよ、カンダタとか言う盗賊はー!!」
 ナギは走りながら、誰にともなく盗賊の名前を呼んだ。そういえば私たち、カンダタって言う盗賊の顔すら知らないんじゃなかったっけ?
 やがて、上り階段も見当たらなくなり、ここが最上階だと思わせるような一枚の大きな扉が、私たちの行く手を阻んでいた。
「もしかしてこの奥……?」
「だろうな。相手はどんな武器を持ってるかわかんねーし、油断すんじゃねえぞ」
 いつになく真剣な面持ちで聖なるナイフを構えるナギは、なんだか急に頼もしく見えた。
 私も負けじと身構える。シーラは相変わらずにこにこしながらお手玉とかやったりしてるけど、私たちと扉の間には張り詰めた空気に包まれていた。
 観音扉の片方の取っ手に手をかけたナギがゆっくりと口を開いた。
「じゃあ、開けるぞ」
 私は小さくうなずく。同時にナギの手が動いた。
 が、扉は動かない。
「あれ?」
 押せども引けども、扉は一向に開く様子はない。さっきまでの緊張感が一気に霧散した。
「何で開かないんだ?」
 言いながら、扉を何とかあけようと鍵穴らしき場所を弄るナギ。私はこの光景を、前にもどこかで見たような気がした。
「ひょっとして、その扉も『盗賊の鍵』を使うんじゃない?」
「へ……、あ、そうか! そういうことか!!」
 ナギもその存在を思い出したらしく、ぱっと手を離す。
 そこにお手玉をやり終えたシーラが横から口を挟んだ。
「えー、でもそれってユウリちゃんが持ってなかったっけ?」
『え』
 しーん。
 ……そ、そうだった! 忘れてた!!
「どっ、どうしよう!! ユウリがいなきゃこの扉開けられないよ!!」
 慌てふためく私に、ナギは人差し指を口元に当てて静かにしろと制した。
「まあ待て。一応オレだって盗賊の端くれだ。そんな道具なんぞに頼らなくてもこんな扉の一枚や二枚、盛大に開けて見せるぜ」
 そういって、座り込んで懐から道具を取り出し鍵穴を覗き込もうとしたときだ。
 ばぁんっ!!
 ナギがしゃがんでいる反対側の扉が勢いよく開け放たれ、中から一人の男が現われた。
「さっきからガチャガチャうるせーんだよ!!」
 私たちに怒鳴り散らすその男は、ボロボロのシャツに動きやすいズボン、腰には短剣と、いかにも盗賊と思わせるような格好をしていた。
 もしかして、この人が王冠を盗んだ盗賊なんだろうか? けれどどちらかというと、盗賊の下っ端っていう感じに見える。
「あんたがカンダタか?」
「なんだこのクソ生意気なガキは」
「いーから質問に答えろよ!!」
 ナギの言葉に、盗賊らしき男はうっとうしげに答えた。
「お前らみたいなクソガキがおかしらに何の用だ? ひょっとしておれたちを倒しにでも来たのか?」
 そういって男は馬鹿にしたように笑う。その態度にナギは眉を吊り上げ、私も相手をにらみ返した。ということは、この人のおかしらがカンダタだということだ。
 部屋の奥にいたのか、他の盗賊たちも続々と男の背後から現われた。盗賊たちは私とナギを小ばかにしたような目で見ているし、ある盗賊はシーラを見てにやにやしている。
「ま、そこのバニーガールは置いていってもいいけどな。それ以外は帰った方が身のためだぜ。嫌だってんなら……」
 すっと、盗賊たちの表情が変わる。そして静かに短剣やナイフを抜き、一瞬にして殺伐とした雰囲気を生み出した。
「おれたちが相手になるぜ!!」
 一斉に、盗賊たちは襲い掛かってきた。私は戦慄を覚えながらも、なぜか冷静に敵の人数を確認できた。ざっと見て5人。数はけして少なくなかった。
 でもここにたどり着くまで私たちは何度も魔物と戦って、レベルもいくつか上がっている。だから、アリアハンを出たときよりも戦闘に関して確実にレベルアップしているのが、自分でもわかっていた。
 私のところに来たのは二人。二人は左右から同時に斬りかかってきた。動きはそんなに早くない。魔物と違って人間の動きは大体決まっているから、攻撃の先がどこに来るのかなんとなくわかる。
 私は二人の初撃を一歩退いて避け、体勢を立て直そうとした盗賊の頭めがけて回し蹴りを放った。
「ぐあっ!」
 どさっと左側の盗賊が後ろに倒れる。右側の盗賊は「てめえ!!」といいながら返す刃で私に斬りつけてきた。それを私はかがんで避け、がら空きになった男のわき腹めがけて正拳突きを放った。
「ぎゃっ!!」
 さらにもう一発叩き込む。それでもう一人の盗賊は完全にのびた。
 一息ついてナギの方を見てみると、一人で三人相手に苦戦しながらも、無駄のない動きで攻撃をかわし続けている。ちなみにシーラはノーマーク。一人でままごとなんかしちゃってる。
 やがて痺れを切らしたのか、盗賊の一人がナギに向かってがむしゃらに突っ込んできた。
「はっ!!」
 それを難なく避けながら、ナギはナイフではなく素手で盗賊の顔面をグーで殴った。
 他の二人も同じような攻撃で沈黙させ、あたりはすっかり静かになった。
「すごいね、ナギ。一度に3人相手にするなんて」
 ナギは得意そうにこちらを向いた。
「まーな。でも、お前だってすげーじゃん」
 そういわれて、私は思わず顔が赤くなった。誰かに戦いのことでほめられるなんて随分久しぶりだったからだ。
「へへ。でもなんか、自信出てきた。ここに来るまで盗賊退治なんて無理だって不安に思ってたけど、なんかいけそうな気がしてきた」
「だろ? 人間なんでもやってみなきゃ、わかんねーもんなんだって。この勢いで、カンダタもやっつけてやろーぜ!」
 ナギの意気込みに、離れていたシーラも「おー!!」と掛け声を上げる。私も思わず右手を上げて同じように声を出した。
「誰がおれをやっつけるって?」
 突如、部屋に低く響く声。戦慄が走ったとはこのことだろうか。無意識に全身が総毛立つ。
 直感でわかる。できるなら戦いを避けたい相手だということが。
 部屋の奥にある階段を、ゆっくりと降りていく音が聞こえた。その足音が近づくたびに、私の足は震えを増していく。
 チラッとナギを見たが、私のように足が震えてたりはしなかった。けれど、表情はさっきまでの余裕はないように見える。
 シーラはいつものおちゃらけた様子ではなく、おびえたように階段の方をじっと見つめている。
 私の頬に一筋の汗が伝い落ちた時、階段に歪んだ人影が見え、それはやがて実体を連れて私たちの前に現われた。
 その男は、他の盗賊とは一線を画していた。部屋を圧倒するほどの威圧感や殺気はもちろんなのだけれど、なんというか風貌がだいぶ変わっていた。
 他の盗賊が着ていた服もシャツ一枚とズボンいうシンプルな格好だったが、この人はそれを上回っていた。というかシャツすらない。つまり、上半身裸。
 その上、頭には個性的な覆面を被っており、顔は全く見えない。二つの穴のむこうにある両の目が、彼の表情をうかがい知ることの出来る唯一のパーツだった。
 その奇妙な出で立ちが逆に、得たいのしれなさを醸し出していた。
「おれがそのカンダタだが、お前らは一体何者だ?」
 カンダタと名乗る男が、唸るような声で聞いた。右手には、大振りの斧が握られている。
 ナギが一歩前に出て、カンダタに言った。
「お前がロマリアの城から王冠を奪ったって言う話を聞いて、オレたちはそれを取り返しに来た。おとなしく返してくれれば、見逃してやる」
 すると、カンダタは肩を大きく震わせ、豪快に笑い始めた。覆面をしているので表情は良くわからない。
「はっ。おれの手下を倒したからって、いい気になるんじゃねえぞ!! 王冠は渡さねえ。返してほしかったら力づくで奪いな!!」
 そういうと、手にしていた斧を壁に向かって思い切りぶん回した。壁は風圧で獣の爪あとのように抉られていた。
 ど、どうしよう……!!
 カンダタが私たち相手では太刀打ちできないことがいまさらながらわかった。たぶん、他の二人も同じように思っていただろう。それほどに、カンダタの今の一撃は私たちの精神にダメージを与えてくれた。
「そ、そんなもんでビビるかよっ!!」
 ナギはしまっていたナイフを出し、カンダタに向かって攻撃した。だが、あっさりとかわされてしまう。
「くだらねぇな」
 言い放ちざまに、蹴りを一発。鳩尾にもろに当たり、ナギはその場に崩れ落ちた。
「おいおい、もうお終いかよ」
 あのナギが、一発で倒れるなんて……! 私の歯はガチガチと鳴り、体の震えも一層増した。
 でも、私が倒れれば、今度はシーラが標的にされる。いや、それどころかひょっとしたらシーラだけさらってどこかに逃げるかもしれない。私はさっきの盗賊の顔が脳裏をよぎり、恐ろしい想像をしてしまった。
 ああ、もう、こうなったら行くしかない!!
 私は玉砕覚悟で、カンダタの懐めがけて突っ込んだ!! 

 

カンダタとの戦い

 私は意を決して、カンダタの懐に潜り込もうと突進した。
 けれどカンダタは予想していたらしく、あっさりと私の腕を取り、後ろでひねるように手首を返す。
「痛っ!!!」
 まさに『赤子の手をひねる』とはこのことだ。私は身動きが取れなくなり、体をもぞもぞと動かそうとした。でも体どころか指先まで全く動かすことができない。カンダタは下卑た笑いをしながら言った。
「おれも女相手に手を出すのは趣味じゃないんでな。……しかし、よく見るとこっちの女もまあまあだな」
 ねちっとした嫌な笑みを浮か べながら、私を見下ろす。その口調のあまりの気持ち悪さに身をこわばらせたが、覆面をしている分まだよかったかもしれない。
「ミオちんを、放せえぇぇぇっっっ!!!」
 シーラが慄きながらもこっちに向かって走ってきた。手にはなぜか巻き髪で使う金属の棒を持っており、それをぶんぶん振り回しながらカンダタにアタックしようとした。
 けれどやっぱりというか、振り回していたコテをがしっと掴むと、シーラごとそのコテを扉に向かってぶん投げた。
「ひゃああぁぁぁ……」
 シーラは頼りない声を上げながら、扉の向こうへと飛ばされた。そして聞こえる衝撃音。
「あんまり傷がつくと売り物にならねえからな。おっと、お前も動くなよ。大事な商品なんだからな」
 売り物? 商品? いったい何の話をしているの? まさか……。
 私は一瞬わけがわからなかったが、すぐに悟った。
 察した瞬間、私は言いようのない不安と恐怖に襲われた。こんなところで盗賊にさらわれるなんて、冗談じゃない。私は出そうになる涙をぐっとこらえた。
 けれど、ナギは攻撃を食らって倒れたままだし、もう他にカンダタに敵いそうな人なんて誰もいない。思わず目をつぶり、手下の盗賊を倒したくらいで舞い上がっていた自分を死ぬほど後悔した。
 ―――せっかく旅に出たのに、ユウリにも認めてもらってないのに、こんなところで 私の人生終わっちゃうの!?
 ふとユウリの姿が浮かんできた。ほんの数日会ってないだけなのに、随分昔のように思える。あの毒舌も、絶対零度の視線も、もう見ることは出来ないんだ。そう思うと、なんだか無性にもう一度会いたくなってくる。
 ひょっとしたら会えるかもしれない、ふと思いついて目を開けてみる。でもやっぱり彼はそこにいなかった。
 そうだよね。いるわけないもん。現実を目の当たりにして、私はなんだか吹っ切れた。
「とりあえず―――しばらく寝ててもらうぜ―――」
 拳を構えたカンダタの左手が動く。その瞬間、今まで出会ってきた大切なものがものすごいスピードで頭の中をよぎっていった。
 ―――嫌だ!! ここで終わりたくない!! 誰か助けて!! 誰か… …!!
「ユウリ――――――!!」
「アストロン」
 急に声が響いて、私はその場に硬直した。ううん、硬直というより、本当に体が動かない、というか……何も……。


――――――――――。


 気がついたら、地面にカンダタが倒れていた。
 代わりに、私の目の前には、懐かしい黒髪の勇者が立っていたのだ。


「まったく、本当にお前らは使えん奴らだ。こんな雑魚相手に手も足も出ないとは」
 わざとらしくため息を吐きながら、ユウリは言った。
 ……え、何、どういうこと? なんでユウリがいるの? ていうか、なんでいきなりカンダタが倒れてるの?
 私がぽかんとしたままユウリと、うつ伏せで倒れているカンダタを交互に見回していると、私の考えていることがわかるのか、ユウリが状況を説明をしてくれた。
「アストロン……自分と仲間を鋼鉄化し、攻撃を無効化する呪文だ。その代わり、俺たちから攻撃をすることもできないがな。それを唱えて変態の攻撃を防いだあと、呪文が切れるのを待ってから倒した」
 変態というのはカンダタのことだろう。確かにあってる気がする。
「とはいえアストロンが切れるのは全員同じタイミングだからな。俺だけ先に効果が切れるようにした。まあ、この程度の応用、勇者の俺には造作もないことだがな」
そういうと、ユウリはふんと鼻をならす。
「あ、ありがとう、ユウリ」
 私はとりあえずお礼を言った。顔を上げると、そこにはせせら笑いを浮かべる彼の姿があった。
「やっぱりお前らは俺がいないと変態1人さえ倒せないのか。それでよく盗賊退治なんて大見得切って言えるな」
何も言い返せない。実際、今ここにユウリがいなければ私たちは全滅していた。3人でどうにかできるだなんて、なんて浅はかな考えをしていたんだろう。ただ悔しさが込み上げてくる。
次第に滲む視界に、私は必死で抵抗した。けれど私の意思とは裏腹に、涙が頬を伝い床を濡らしていく。ユウリに顔を見られたくなくて、俯くことしかできない。
長い沈黙が続く。すると、床に伸びるユウリの影が僅かに動いた。
「ホイミ」
彼の低い声とともに、穏やかな光が私を包む。暖かくて心地よいそれは、今までの戦闘で傷ついた体をみるみるうちに回復させていく。
私は思わず顔を上げる。そこにあるのはいつもの無表情なユウリの顔。私の前に手をかざしているのは、回復呪文のホイミをかけてくれたからだった。
「ユウリ……?」
「とはいえ、お前らが囮にならなければ、ここまでスムーズに事は進まなかったかもな」
そう言い終わると、彼は手を下ろした。あちこちに出来た傷の痛みがいつのまにか引いていた。
「……ありがとう」
「あとの二人は……ああ、あそこか」
ユウリは辺りを見回すと、倒れているナギとシーラを見つけ、二人にもホイミをかけた。気絶しているのか、体は回復していても目覚めなかった。
「来てくれてありがとう。……でも、どうして?」
「……この変態に関して変な噂を聞いたからだ」
「変な噂?」
「こいつはただの盗賊じゃない。金の冠だけでなく、人身売買にも手を出してるらしい」
やっぱり……!
私やシーラを売ろうとしていたから、そんな気はしていた。
私が腑に落ちた顔をしていたからか、ユウリもなにかを察してくれたようだ。小さく安堵の息を漏らす。
……そうだ。なんだかんだで、ユウリは私たちのことを心配してここまで来てくれたんだ。
「ユウリ、あのときは……」
「ユウリちゃーん!! ごめんねぇぇ!!!」
 抱きつくというより、タックルに近いだろうか。いきなり後ろから衝撃を受けて油断してたのか、ユウリは前のめりになって危うく転びそうになった。
「なんだかんだいって、やっぱりあたしたちのこと心配してきてくれたんだね!」
 いつの間に目覚めたのか、タックルをした張本人のシーラが、私が今思ったことと同じ台詞をユウリに言いはなった。と、意外や意外、照れたように顔を少し顔を赤らめたではないか。まあでも、ホントに見逃しそうなぐらい一瞬だったけど。
「シーラ! 大丈夫?」
「うん!! 痛かったけどへーき!! それよりナギちん!! こんなところで寝てる場合じゃないよ、ユウリちゃんが助けに来てくれたんだよ!!」
 私も未だ倒れているナギに気づき、あわてて彼のもとへ行き、ゆり起こす。呪文のおかげでダメージが回復したからか、すぐに気がついた。
「あれ……? ミオ……? カンダタは……?」
「カンダタはね、ユウリが来てやっつけてくれたの!」
 私の言葉に、ナギががばっと起き出した。そして不機嫌な顔でユウリを睨み付ける。
「なんであんたここにいんの?」
「一番先にやられたバカに言われたくない」
 火花、復活。私は雰囲気に耐えられず二人をなだめると、ナギも状況を把握したのかこれ以上なにも言わなかった。
「そうだ、王冠はどこにあるの?」
 大事なことに気づき、私は辺りを見回した。けれど、この部屋はもともとがらんとしており、王冠どころか他に盗んだものさえない。……って、あれ?
「ねえ、カンダタが見当たらないんだけど」
 さっきまでこの辺に倒れていたのに、いつの間にかいなくなっている。私を含めみんな騒然となり、あわててカンダタを探し始めた。
 そのとき、ユウリが何かに気づいたように上を見上げた。
「どうやら、上の階に逃げたらしいな」
「あの野郎、往生際悪いじゃねーか!!」
 そういうとナギは、電光石火のごとく部屋の奥にある階段を上った。私も追いかけようとし たが、ふとユウリが扉の前をじっと見ているのに気がついた。
「どうしたの? ユウリ」
 けれどユウリは答えず、何を思ったか、私たちが入ってきた扉から部屋を出て行ってしまった。
 上の階に逃げたって自分で言ってたのに、なんで階段のない扉の向こうに行っちゃったんだろう?
 私はどちらに行けばいいのかわからず、ただそこでじっと立ち往生するしかなかった。
 やがて、上の階でなにやらドタバタと物音が聞こえてきた。
「……おい、待て!!」
 ナギがカンダタを呼び止める声が聞こえる。そして沈黙。捕まえたのかな、と思ったが、焦った様子でナギが降りてきた。
「駄目だ!! あいつ、塔の上から飛び降りやがった!!」
「えぇ!?」
 飛び降りたって、この部屋自体かなり高いところにあったはず。 さらにその上の階から飛び降りたなんて、想像もつかない。
「ま、まさか飛び降り自殺とか!?」
 すると、私の言葉に答えるように、部屋の外から小さな爆発音が聞こえてきた。
 みんな急いで部屋の外に出ると、そこにはユウリの後姿と、黒焦げになっている覆面男、カンダタの哀れな姿があった。
「なんだ、ここに落ちてきたんだ」
 私は自殺したんじゃないことがわかって、安心した。いや、敵の心配してる場合じゃないんだけども。
「おい変態。王冠を持ってるだろう。さっさと渡せ」
「ち……ちくしょう……」
 声も絶え絶えな様子で、カンダタは観念したとばかりにズボンのポケットから光り輝く王冠を取り出した。そしてそれを無造作にユウリに放り投げる。光る弧を描きながら、それはユウリの手にしっかりと握られた。
「頼む!!  それは返す!! 返すから、どうかおれを見逃してくれ!! もう二度としないから、お願いだ!!」
 さっき私たちが対峙した時とは全く違う態度で勇者に懇願するカンダタ。さっきまでの威圧感は微塵も残っていない。
 だが、そんな言葉を鵜呑みにする勇者ではなかった。ユウリはカンダタを薄目で見下ろすと、呪文を放つ態勢に入った。
「誰がそんなたわごとを信じろと? どうせ盗みをやめたとしても、人身売買はやめないんだろ? だったら今ここで人生を終わらせてやる」
 どす黒いオーラを放ちながら、全然勇者らしくない台詞を吐くユウリ。カンダタの体が激しく震えている。
「な、なんでそんなこと……い、いやそれは出まかせだ!! おれはそんなことやってねえぜ!!」
 言葉が言い終わらないうちに、 カンダタはユウリに向かって何かを投げた。それをユウリは眉一つ動かさず剣の柄で打ち払うが、その衝撃で煙だか灰だかよくわからないものが撒き散らされた。それは煙幕だった。
 それは当然私たちの視界も遮り、塔内部はたちまち真っ白な空気に包まれる。
「くそ、油断した……ゲホゲホッ!!」
 皆して、咳き込んだりむせたりした。いったいどんな成分なのかわからなかったが、幸い目とのどを痛めただけで、煙が薄らいだときにはもう治まっていた。
 けれど、煙とともにカンダタもいつの間にか消えてしまっていた。
「完全に逃げられたな……」
 ナギが、苦虫を噛み潰したような顔でつぶやく。剣を納めたユウリも憤然としていた。
「元はといえばお前らがぼんやりしてたからだ」
「ま、まあまあ、王冠は取り返したんだからいいじゃん」
 私は場を和ませるために言ったのだが、直後に浴びたユウリの視線が、それが場違いなのだということを意味していることに気がついた。
「……まあいい。こんなところでいつまでも突っ立っても仕方ないからな。……リレミト」
 ユウリが短く呪文を唱えると、一瞬にして塔の入り口に戻った。そして息をつく間もなく、また別の呪文を唱える。
「ルーラ」
 体が一瞬ふわっと浮かんだかと思うと、次に視界に映ったのはロマリアの町並みだった。
「も、もうロマリアについたの?」
 行きは一週間以上かかったというのに、この差は何なんだろう。やっぱり呪文って便利なんだな。
「あれ? ってことは、ユウリがシャンパーニの塔に行ったときもその呪文使ったの?」
 瞬時に気の乗らない表情に変わるユウリ。こういうときは大体くだらない質問をしてしまったときだと気づき、私は後悔した。
「ルーラの呪文はああいう塔やダンジョンを行き来することは出来ない。どちらにしろ一度も行っていない土地に移動することも出来ないがな」
「へえ、そうなんだ」
 自分から質問しといてなんだけど、曖昧な返事しかできなかった。
ということは、ユウリもあの塔まで歩いて行ったってことだ。しかもあの魔物の蔓延る荒野の中を1人で。
一体どんなことをすれば、ユウリみたいに強くなれるんだろうか。私が目指す道は、どれほど遠く険しいのかを考えて、自然とため息を落とす。
 空を見ると、青とオレンジが綺麗なグラデーションを映し出していた。風は少し肌寒く、町を歩く人は早く家路に着きたいのか足早に通り過ぎていく。
今こうやって悩んでても、仕方ないか。
 とにかく私たちは一刻も早く王様に王冠を渡すため、日が沈む前に急いでお城に向かうことにした。

 

 

王様の頼み事その二

「おお!! さすがは勇者じゃの!! あの 悪名高いカンダタから王冠を取り返してくるとは!!」
 ロマリアに戻り、城の前まで向かうと、幸い城門が閉ざされていることはなかった。お城の兵に事情を伝えると、早急に玉座の間まで向かうようにとあわただしくも通してくれた。その話は私たちが玉座の間に着くと同時に王様の耳に知らされたようで、王様はとても歓迎してくれた。
「やはりあの英雄オルテガの息子の噂は本当だったんじゃな。それだけの強さがあれば、必ずや魔王バラモスも討ち取ってくれるであろう。礼を言うぞ、勇者よ!!」
 王様がそういうと、ユウリは深々と礼をした。後ろにいた私たちもそれに倣う。
 すると、突然王様が神妙な顔をしてユウリの方を見た。
「……ところでユウリよ、そなた、王様になってみる気はないかのう?」
「……はい?」
 あまりにも突拍子のない言葉に、 ユウリの目が瞬く。
「いや、急な申し出で困惑させてしまっただろうが、わしは本気じゃ。そなたがよければ明日にでも、わしのかわりに王位を譲っても良いぞ」
 王様の目は冗談を言っているようには見えなかった。ユウリはしばらく考え込んだ後、やがて答えを出した。
「……あの、もしその話が本当なら」
 一呼吸の間を置いて、ユウリが慎重な声で尋ねる。
「ぜひその大役を承りたいのですが」
 その一言に、王様の顔がみるみる緩んでいく。
「ほほお!! そうかそうか!! そなたならそういうと思っておったぞ!! ならば早速使いの者に頼んでそなたに似合う服を用意してやろう!! おい、侍女長はおるか!!」
 王様の呼びかけに、奥の 廊下からしずしずと初老の女性が現われた。女性は後ろに若い侍女を数人引き連れて、何も言わずにユウリの傍までやってきた。
「はじめまして、わたくし、侍女長のミライザと申します。これから採寸をさせていただきますので、奥の部屋へどうぞ」
 これにはユウリも若干たじろいだ。だが彼が戸惑う暇も与えず、ミライザさんの後ろにいた侍女たちが半ば強引にユウリを連れ出した。そのあまりにも急な展開に、ユウリもそれに従うしかない。
 すると急にぴたりとミライザの足が止まり、私たちのほうを振り返ってこう言った。
「貴方たちの服もご用意いたしますが?」
「い、いえ結構です!!」
 私たちは即座に断った。私たちまで王様になったらユウリに何を言われるかわからない。
 その後、結局ユウリは王様になる準備やら何やらでお城に泊まることになった。もちろん私たちはその後すぐ宿に戻ることにした。
 シーラなんかはお城にあるお酒が飲みたかったとか後でつぶやいていたけど、私は早くこの疲れた体をベッドに預けたかった。実際部屋に着くと同時に、安堵したからか体の全機能が停止し、そのままベッドに倒れ込んだのは言うまでもない。
このまま明日まで一日中ずっと眠っていたい。私は本気でそう思っていたのだが、世の中そんなに甘くはなかった。
 なぜなら翌日、そんな疲れた体に鞭を打つような出来事に見舞われることになるのだから。


 まぶたに降り注ぐ日差しが、私の眠気をゆっくりと覚ましていく。
 やがて目を開けると、カーテンの隙間から零れる太陽の光が、暗かった部屋を暖かく照らしていた。
 もう朝かぁ……。
 私は目を開けると、ぼんやりと心の中でつぶやいた。
 ここ数日、盗賊退治で強行軍だったせいか、一気に疲れが出てしまったらしい。自分でも気づかないほどに、体は休息を求めていたようだ。
 私はベッドから体を起こし、大きく伸びをした。窓からは、小鳥たちが朝の目覚めを喜んでるかのようにさえずんでいる。
 隣のベッドでは、シーラがとても気持ちよさそうな表情で眠っていた。普段は綺麗な金髪の巻き毛だけれど、本当は根っからのストレートヘアらしく、今も金色のまっすぐな髪の毛が寝返りを打つたびにさらさらと揺れている。
 もともとくせっ毛気味の私にとっては、うらやましいことこの上ない。そもそも私が普段三つ編みをしているのは、くせ毛を隠すためなのだ。だから、まっすぐでも十分似合ってるのにわざわざ髪型を変えるシーラの意図が私には理解できない。シーラにはシーラの価値観があるんだと思うけど。
 なんて考えを巡らしてたら、タイミングを見計らったかのようにお腹が鳴った。
 とりあえず空腹を満たすために、私はベッドから降りて、朝食に行く準備をすることにした。もちろん三つ編みを結うのも支度のうちなので欠かさない。
 シーラは無理に起こすとかなり機嫌が悪くなるので、自分で起きてくるまで放っておくことにしている。これも、アリアハンから一緒に旅をしてきて知った、シーラの秘密の一つである。

 食堂に入ると、すでにナギが自分の分の朝食を食べ始めていた。
「おはよう。珍しいね、ナギ。こんなに朝早く起きてご飯食べてるなんて」
 するとナギは朝食のパンを手に持ったまま、眉間にしわを寄せた。
「オレだって好きで早く起きたわけじゃねーよ。できることならもっと寝てたかったぜ。けどまた変な夢見ちまってさ」
「へぇ~、また変な夢?」
 私は期待に満ちた目でナギを見た。彼はとてもうんざりした様子で、
「ちくしょー!! 夢なんて二度と見たくねーんだよ!!」
 といってパンをちぎって乱暴に口の中に放り込んだ。でも私はナギの見る夢が、今度はどうしても気になったので食い下がる。
「でもさ、もしかしたら将来ナギに関係があるものかもしれないよ。ねえ、どんな内容だったの?」
 ナギはしばらく渋々とした顔をしていたが、なんとなく自分の中だけで抱えているのは嫌だったのか、いつもより低い声で話し始めた。
「確か……墓場だったかな。真っ暗だったから夜だな。全然見たことないんだけど、なぜか懐かしさみたいなもんを感じて……そのあとおっさんの幽霊が出てきた」
「幽霊!?」
 その一言に、一瞬背筋が凍りついた。私は昔から幽霊とかおばけとかがものすごく苦手なのだ。
「そのおっさんも全然知らない人なんだけど、やっぱり見たことあるような感じがしたんだよな……。あー、なんかうまく言えねーんだけど」
「つ、つまり夜の墓場でおじさんの幽霊に会ったってことだよね。それでその後は?」
「は? それで終わりだけど。ていうか、途中で外にいる奴らに起こされた」
「外にいる奴ら?」
 ぴっとナギが人差し指を窓の方へ指す。つられて窓の方を見たけど、窓の外に人影はない。
「あそこの窓に人がいたって事?」
「ああ。オレが起きたときにはもうそこにいなかったけど。つーかお前ら、あんなうるさい声がしたのに気づかなかったのか!?」
「うん。疲れてたからぐっすり寝てた」
 私がきっぱり言うと、ナギは「お前ら幸せだなー、オレみたいな繊細な人間にはうらやましいわ」とかぶつぶつ言い始めた。何かそれ、私たちが図太い神経してるみたいな言い方に聞こえるんだけど。
 若干腹が立ったが、女将さんが私の心を覗いたかのようなタイミングで朝食を運んできてくれたので、私は反論する言葉を飲み込み、目の前に現れた空腹を満たす数々の食べ物に全神経を集めた。
「うわー、おいしそう!! いただきまーす!!」
 バジル入りの特製ドレッシングで和えたグリーンサラダ、焼きたてのライ麦パン、ジューシーなソーセージを添えた半熟卵の目玉焼き、絞りたてのフルーツジュース。
 どれも食欲をそそる料理ばかりで、私は目を輝かせた。
 頬張るようにしてそれらを胃袋に収めていると、厨房へ戻ろうとする女将さんが小さくため息をついている音が聞こえた。
「どうかしたんですか?」
 反射的にそういうと、おかみさんは無意識にため息をついていたのか、驚いた目で私を見た。
「ああ、ごめんよ。聞こえちまったかい? 気に障ったのなら謝るよ」
 私は首を振ったが、女将さんは申し訳なさそうな顔をしている。私はどうしても気になるので、再びため息の理由を聞いてみた。
「実はつい最近、カザーブにいる身内に聞いたんだけどね、北のノアニールからの連絡がここ数年ぱったりと途絶えてるみたいなんだよ」
「ノアニール……」
 確か名前だけは聞いたことがある。けれどカザーブ出身の私でさえ、その村の名前が話題に出てくることはほとんどない。なにしろここロマリア地方は、南は比較的温暖で平野が続いているが、北に行けば行くほど山岳地帯が広がっていき、行く道も険しくなっていく。加えて、気温の差も激しい。そのため、自然と人の行き交いも少なくなる。
 ただでさえカザーブですら旅人が村に入ることはめったにないのに、ノアニールに訪れる人間など、もってのほかだ。
 なので、ノアニールがどんな村で、今どういう状況になっているのか、ほとんど情報が入って来ないのである。
「でも何年も連絡が取れないなんて……」
「だったら直接そこに行けばいいんじゃねーの?」
 オニオンスープを一気飲みしているナギがあっけらかんと言う。私は首を横に振った。
「この辺りは北に行けば行くほど魔物も強いんだよ。カザーブみたいな田舎で戦える人って言ったらせいぜい村の自警団ぐらいしかいないし。かといってロマリアの兵士たちがノアニールに派遣させるには距離が遠すぎるし、そもそも長旅に慣れてる兵士がいないからなかなか実行できないみたいだよ」
「そうそう。その上最近じゃ魔王がさらに強い魔物を放ってるとかって不気味な噂聞いちまうし、ノアニールにも何かあるんじゃないかと思ってね。実家のカザーブはノアニールにそう遠くないし、ちょっと心配になっちまってさ。ところであんた、カザーブのこと良く知ってるね。カザーブに行ったことがあるのかい?」
「実は私、カザーブ出身なんです」
 まあ、と女将さんは嬉しそうに驚いた。女将さんもカザーブからこの町に引っ越してきたらしく、カザーブの実家には今も彼女の親が住んでいるそうだ。
「これも何かの縁なんだろうね。もし里帰りすることがあったら、挨拶でもしていきな。今も村の酒場で働いてるから」
「え! 女将さんのご両親、あそこの酒場で働いてるんですか!?」
 思わぬところで同郷の人間に出会った私は、久しぶりの故郷の話題に懐かしさを感じ、いつしか朝食を食べる手を止め、すっかり女将さんと話し込んでしまっていた。
 話が落ち着いてきたところで、いつのまにかシーラが食堂にやってきた。そして席に着くなり手付かずの私の朝食を寝ぼけ眼で食べ始める。
「ちょっ、シーラ!! それ私の!!」
 だがシーラは寝起きでボーっとしているのか、私の声に耳を傾くことなく黙々とソーセージを食べている。
「せっかくのご飯どきなのに、私のせいで迷惑かけたね。心配しなくても、もう一人分、用意するよ。そこのお兄ちゃん、スープのお代わりはいるかい?」
「いる!!」
 食後のデザートを食べようとしたナギはフォークを置き、元気良く返事した。女将さんは笑顔で頷き、厨房に戻っていく。私は自分の分のサラダを口に入れながら、ふとぼんやりと考えていた。
――魔王がさらに強力な魔物を放っている――。
 このことをユウリは、知っているのだろうか。
 確かに魔王を倒すことが私たちの旅の最優先事項。けれど、その魔王の手によって一つの町に災いが降りかかっている可能性がある。もしそれが間違っていなかったとしたら、助けられるのは勇者であるユウリにしか出来ないのではないだろうか。
 だけどその間にも、魔王は世界を征服するために魔物を呼び寄せ、力をさらに強めているだろう。ぐずぐずしていると、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
 一刻も早く魔王を倒すか、魔王に脅かされた町を救いながら向かうか。
 ユウリは、どちらを選択するんだろう。
 どちらにしても、おそらく私たちの意見は聞き入れることなく自分で決断するんだろうけど。



 朝食を済ませ、私たちは外に出た。なぜ外に出たかと言うと、ユウリの王様姿を一目見るためだ。うん、文字通り、本当に一目だけだけどね。変に関わったら余計なこと言われそうだし。
 ナギ曰く、偶然にも今朝宿屋のすぐ近くにユウリが来たらしく、その際起こった黄色い歓声がナギの寝ている部屋まで届き、そのせいで彼は起こされたという。
「ったく、王様になっても迷惑な奴だな」
 朝の件を思い出したのか、不愉快そうに人々の行き交う街角を眺めるナギ。その目の下には若干クマが見えている。
「でもユウリの王様姿ってどんなんだろうね?」
 私は半ばわくわくしながら皆に尋ねた。
「あー……。そういえば思い出したくないの思い出しちまった」
「何?」
「ほら、シャンパーニの塔でオレ、変な夢見たって言ったじゃん? あれ、あいつの王様姿が出てきたんだよ」
「ええっっ!?」
「ひょっとして、ヒゲとかつけてた?」
 シーラの言葉に、私とナギは思わず吹き出した。
「いやいや、王冠と王様っぽい服着ただけだけど。なんかすげーえらそうでむかついた」
「でもすごいね!! それって予知夢じゃん!!」
 予知夢ときいて私とシーラははしゃいだが、どうもナギはユウリの夢を見てしまったことが気に入らないようだ。これ以上思い出したくないのか、それきり会話が止まる。
「おいストップ! 噂をすれば何とやらだぜ」
 街の大通りの向こうからやってくる人影を見て、ナギは私たちに言った。
 私も大通りに目をやる。人影はやはり見知った人物のようだ。私たちは、予想通りの人物が近くまでやってくるのを静かに見守ることにした。
 するとナギがはっと思いつき、私たちに小声で耳打ちした。
「とりあえず、奴に気づかれないようにこっそりと覗いてみようぜ。王様姿のあいつが一般人にどういう態度を取るのか、興味あるだろ?」
 なるほど、それは一理あるかも。私とシーラは快く頷いた。
 私たちは急いで近くの店の壁へと向かい、ユウリの死角となる場所に寄り集まってしゃがみこんだ。
「そろそろか。……ん、ちょっと待て、あいつの後ろに何かいる」
 ナギの視線の先を追うと、ユウリらしき人物の後ろに、十数人程の人の固まりが見える。それは近づくうちに明らかになり、やがてそれが全員女性だと言うことに気づく。
「何あれ、何の集団?」
「オレに聞くなよ。それより、あいつの姿、オレたちの予想とは違ってるぜ」
 私は慌ててユウリの方に視線を変える。てっきりロマリア王のような、いかにもって感じの王様姿を想像していたのだけれど、全く違っていた。
 それは王様というより、王子様といった方が正しいかもしれない。
 落ち着いたブルーのベストには、繊細で美しい模様の刺繍が適度に縫い付けられており、マントにもけして派手すぎない程度に装飾が施されている。その色合いが黒髪のユウリに非常に良く合っており、精悍な顔立ちもあいまって、まるで本物の貴族のような気品さを漂わせている。
 もちろん頭には先日盗賊から取り返した金の冠が載っている。盗賊から取り返したばかりなのに外に出して良いんだろうか?
 後ろの女性たちは、ユウリの王様……もとい王子様姿に心を奪われたのだろうか、よく見ると皆うっとりとした目で彼を見つめているのがわかる。
 その見つめられている当人は、彼女たちに別段愛想を振りまくこともなく、いつもの無表情で街中を悠然と歩いている。おそらくそのクールな姿が余計女性たちの心をひきつけているのだろう。
「うーん、なんか変な感じ」
 私は複雑な表情でそれを見ていた。あの冷視線と威圧的な態度が、服装を変えるだけであんなに女性に好かれてしまうのだろうか? 彼の性格を知っている私には全く理解できなかった。
「いつものユウリちゃんじゃないみたーい。なんかつまんなーい」
 どうやらシーラも不評のようだ。
「オレにとっちゃ、どんな姿でもむかつく奴に変わりはないけどな」
 予想通りの答えを出すのはもちろんナギだ。
「なあ、あいつの化けの皮はがしてやろうぜ」
 ナギの思いがけない提案に、私とシーラは目を見開いた。
「ちょ、ちょっとナギ、仮にもユウリは今王様なんだよ? へんな事したらロマリア王様にも迷惑がかかっちゃうよ!」
「大丈夫。迷惑かからない程度にするからさ」
 そういうと、ナギは行き先も告げずにその場から走り去った。
「一体どこに言ったんだろ、ナギ……」
 私が心配そうに言うと、シーラは目をキラキラと輝かせて、
「面白そ~♪ ミオちん、とりあえずユウリちんの後を追っかけて見ようよvvv」
 と、心底楽しそうに笑みを浮かべた。
 ――なんかこの二人って、似ているのかもしれない。
そう思いつつ好奇心が勝った私は、結局二人の後を追うことにした。

 

 

王様の秘密

 王子様姿のユウリは、私たちが視線を向けていることも知らず、すぐ傍の店の前で十数人の女性たちに囲まれながら立っていた。
「あの、本当に勇者様なんですか?」
「まるで本当に貴族の方のようですわね」
「なんて凛々しい方なんでしょう」
「私、あなたのお姿が目に焼きついて離れません!」
「魔王を倒すなんて、とても勇敢なのですね」
「彼女はいらっしゃるんですか?」
「できればずっとこのロマリアにいてくださっても構わないんですよ」
 女性の黄色い声が次々とユウリに降り注ぐ。だが当の本人は煩わしそうに沈黙を続けている。
 ちょっとは優しい言葉でもかけてあげたら良いのに。あの女性たちも、そろそろユウリの本性に気がついてもいいと思うんだけどな。
「……この辺りに、道具屋か武器屋はあるか?」
 なんてことを思っていたら、ユウリの方から女性たちに声をかけていた。偶然目が合った一人の女性が顔を赤らめながら、
「こ、この先を左に曲がったところに商店街があります!」
 と、どもりながら答える。ユウリは礼も言わず、黙って歩き始めた。
 やばい、私たちが今隠れているのはすぐ近くの曲がり角の家の壁。ここを左に曲がられたら、私たちがここに隠れていることがばれてしまう。
「シーラ、場所変えよう」
 私はシーラの手を引っ張り、急いでユウリの目の届かない場所に移動した。
 と同時に、ユウリとその取り巻きの人たちが私たちがいた場所を通っていくのが見えた。ぞろぞろと歩くその様子を間近で見て私は、王様になるってこういうことなんだなと、しみじみと感じた。
 だが、ユウリが私たちのすぐ横を通り過ぎた途端、急にユウリがその場から一歩後ずさるのが見えた。勇者のただならぬ行動に、後ろにいた女性たちも戸惑う。
「な、なにかいましたか!?」
 女性の一人が叫ぶが、ユウリは動じない。なにやらぶつぶつと呟いている。そして、彼の手中が赤く輝いた。
「ベギラマ!」
「ぎゃああああああっっっ!!」
 ……ロマリアの城下町に、一人の盗賊の絶叫がこだました。
 ユウリが放ったベギラマは石壁に隠れていたナギに命中し、彼を黒焦げにさせた。ナギはその場に倒れたまま動かない。
 と言うかナギ、一体何がしたかったんだろう……。
 ある程度予想はしていたけれど、まさか何も出来ないまま終わってしまうとは。
 やがてユウリと大勢の女の子たちは商店街の方へ消えていった。それを見計らい、私たちは急いでナギの元へと駆け寄る。
「大丈夫? ていうかナギ、一体何したの?」
「……あいつの足下に……罠を張ろうとしたら……すぐに見つかってやられた……」
 う~ん、そりゃバレるよなぁ。
「ところであいつはどこ行ったんだ?」
「なんか商店街の方へ向かっていったけど」
「よし、行くぞ皆!」
 がばっと勢い良く起き上がったかと思うと、すぐさまユウリが向かった方へ走り出すナギ。私も慌ててシーラを引き連れてナギを追いかける。
「ねえ、なんでそんなにユウリを追いかけるのに必死なの?」
 するとナギは走りながら、ユウリ並みの不機嫌な顔でこちらを向いた。
「その言い方、すげー気にいらねーんだけど」
「あ、ごめん。でもなんで? そんなにユウリの王様姿が気になるの?」
「お前なあ……。いくらボケてても言っていいことと悪いことがあるだろ。あいつがどんな姿してようがオレには関係ないね。オレの目的はただ一つ、あいつの裏の顔を突き止めることだ!」
「裏の顔?」
 なぜかガッツポーズを決めるナギ。
「あいつがオレたちにあんなでかい態度とってるなら、こっちもあいつの弱点見つけて対抗してやろうってことだよ。お前だっていつもあいつにいろいろ言われてんだろ?」
「そりゃまあないとは言わないけど……」
 でもなんかそれって、違う気がするなぁ。それとも私が今のこの環境に慣れてしまったからそういうことが言えるだけかな。
 そんなことを言っている間に、私たちは商店街の町並みへと入っていた。大通りよりはやや狭い道だが、それでも路上には露店も連なっており、人も多く賑わっている。だが、その中でもひときわ賑わっているのが、商店街を入ってすぐにある道具屋だ。
 こっそり近づいてみると、人ごみの中心にいたのはやはりユウリだった。ユウリは王子様の姿で冷静に道具屋の主人と値切り交渉を行っている。いや、良く聞いてみると、値切りどころの騒ぎではなかった。
「おい、おやじ。俺はこの国の王だ。これからお前たちの生活や身の安全を守ってやる代わりに、お前らの売っているものを全部俺に差し出せ」
 訂正。これは立派な恐喝です。
「いやいや、いくらあなたがこの国の新しい王様でも、さすがに全部タダで渡すわけには行きませんよ。こっちにも生活がかかってるんですからね」
 道具屋の主人はいたって冷静な対応をした。そりゃ最もな意見だ、と思ったが、ユウリは変わらぬ表情で食い下がる。
「ほう? お前は今、王の命令に逆らったと言うわけだな? 王の命令に逆らうものはどうなるか、わかってるんだろうな」
 目を鋭く光らせる王様を目の当たりにして腰が引ける道具屋の主人。そのただならぬ威圧感なのか、それとも王の命令に逆らったからなのか、彼はおびえてこれ以上声も出ない。
「よし。じゃあこの薬草は全てもらう」
 まるで当然のように、商品棚から薬草を根こそぎ掴み取る。主人はいきなりのユウリの行動に度肝を抜かれたのか微動だにできなかった。そしてユウリはそれを懐に入れた後、やや引き気味の女性たちの間をすりぬけ、毅然とした態度でその場を後にした。
「うわぁ……」
 私は思わず声を漏らした。
「あいつには良心ってもんがないのか……?」
 ナギですら、驚嘆の声を上げている。
 裏の顔どころか、あんなことをみんなの前で堂々とするなんて、ある意味大物なんだなと思った。今までユウリを取り巻いていた女性たちは、皆冷めたのか各々散っていった。
 そして私は、ふとあることに気がついた。
「ねえ、このままユウリがロマリアの王様になっちゃったら、この国滅びちゃうんじゃない!?」
 私の意見に、二人ははっと気づいたように目を見合わせた。
「ミオの言うとおりだ! あいつがこの国の王になったら、確実にロマリアは滅びるぞ!!」
「ユウリちゃんが王様になっちゃったら、この国のお酒全部持ってかれちゃうかも!!」
 私たちの顔がみるみる青ざめていく。
「こうなったら、前の王様に戻ってもらうしかないよ!!」
「そうだな! こうしちゃいられねーぜ!!」
「あたしもがんばるー!!」
 一致団結した三人は、前ロマリア王を探すため、各自別れて捜索を始めることにした。

 だが、それから2時間ほどたっても、前ロマリア王を見つけることは出来なかった。
「駄目だ、噴水からずっと向こうまで探してきたけどいなかったぜ」
「ぜえ、ぜえ……。わ、私の探してた場所も、全滅だった……」
「お前そんなに息切らすほど探してたのか!?」
 だって、ユウリだったらやりかねないと思って……。ああ、息が切れて声が出ない。
「し、シーラは?」
 息を整えた後、私はシーラがいまだやってこないことに気がついた。確かこの噴水のある広場で一度落ち合う予定になっていたのけれど。
「さあ? まだ見てねえけど」
 きっとまだいろいろな場所を探しているんだろう。私はシーラが戻ってくるまで少しここで一休みすることにした。
「くそー、前の王様はいねーし、またあいつの傍若無人な振る舞い見ちまったし、ホント今日は最悪だぜ」
「ナギもユウリ見かけたの?」
「ああ。今度はあいつ、武器屋で値切ってたぜ。さすがに店の親父も命がけで断ってたけど」
「うわー。何かもう聞いただけで想像つくよ」
 私は午前中の光景を思い出して、目の当たりにしなくてよかったと心底思った。
「ていうかお前もあいつ見たのか?」
「うん。探している途中に酒場を通ったら、中でユウリの声がしたの。もめていたみたいだから、たぶんナギが見たのとおんなじ光景だったと思うよ」
 けどユウリってば、酒場ですらタダでご馳走してもらうつもりだったのかな。だとしたら相当ケチだと思う。ちなみに酒場と言ってもお酒だけ提供しているわけではない。昼間はランチなどの食事もあるので未成年の私でも酒場には入れるのだ。
「けど、そもそもなんで前の王様はユウリに王位を譲ったんだろうね?」
「知らねーよ。まず間違いないのは王様の判断がロマリアの存亡の危機を招いたってことだけだ」
 確かに。ナギの言っていることは大げさには聞こえなかった。
 それにしても、一向にシーラが来ない。シーラは教会の周りだけを探すように言ったので、どんなにじっくり探しても2時間以上はかからないはずだ。
「もしかしてあいつ、どっかで道草食ってんじゃねーのか?」
 それを聞いた途端、私はついこの間の出来事を思い出した。
 そういえば、ロマリアにはモンスター格闘場という、一種の賭博場がある。シャンパーニの塔へ盗賊退治に行く前にもシーラは大勝ちして帰ってきたんだった。
「ナギ、シーラを呼び戻しに行こう」
「は?」
 いる。彼女は絶対にいる。私はなぜかそう確信した。

 そうと決まれば話は早い。私たちは酒場の地下にあるという格闘場へと足を運んだ。
 生まれて初めて目にしたモンスター格闘場。それは田舎育ちの私には理解できないものだった。
 酒場よりもやや広いその空間の中央は頑強な柵で覆われており、その柵の向こうにはさまざまな種類のモンスターたちが争っていた。そしてその戦いあっているモンスターたちを見て、歓声を上げている人々。普通に考えれば、モンスターは人々が恐れる存在なのに、この場所だけは違っていた。
 私はその異様な空間に慣れることが出来なかった。けれど、この中に間違いなく、自分たちの仲間の一人がいるのだ。
「ナギも初めてここに来たんだよね。どう?」
「どう、って?」
 私の問いに、ナギは訝しげな顔をする。
「シーラみたいに、賭けとかやりたいと思う?」
「んー、そうだな、金があればやってみたいと思うけどね。あ、そうだ、あいつまた勝ってねえかな。少しぐらいなら軍資金くれるかも」
 一人で勝手にそういうと、ナギはシーラにお金をもらうため(?)、私を残して行ってしまった。
 どうやら格闘場に対して否定的なのは私だけのようだ。
 シーラはナギが見つけてくれるだろう。私は特にモンスターの戦う姿に興味を持つことなく、心なしか重い足取りで辺りをぶらついた。
 勝敗が決まるたび、辺りから歓声が轟く。勝って喜ぶ者。負けて悔しがる者。さまざまな人の声が熱気のこもった室内に響き渡る。その熱気から避けようと、私は隅の壁に寄りかかることにした。
「あれ?」
 私は違和感を感じた。壁際に一人、男の人が立っている。別に男の人が立ってるぐらいなんでもないことなのだけれど、何かが違う。―――そう、こんなところに一人で立っているのが変なのだ。
 私のように格闘場に興味がない人間でもない限りは。

 私がその人を見つめていると、男の人のほうもこちらに気づいたらしく、目が合った途端すぐに視線を逸らす。一瞬見えたその顔は、見覚えのある顔だった。
「ひょっとして……ロマリア王ですか?」
 王様の名前がわからないのでついそう言ってしまったが、どうやら当たりだったらしく、あからさまに動揺している。
 けれど昨日拝見したときとは打って変わって、どこにでもいる町人のような質素な格好をしている。しかも元々帽子を目深に被っており、顔が下に向いているときなどは、背格好だけでは判別できず、誰なのかまったくわからない。
 それでも私の問いを動揺で答えてくれたということは、間違いない。彼こそが前ロマリア王なのだ。
 思いがけず探し人を見つけることが出来た私は、驚きと喜びが心の内で混ざり合うのを感じつつ、ロマリア王をさらに問い詰める。
「あの、失礼ですが、なぜこんなところに? 実は私、あなたを探していたんですよ」
 すると王は顔を上げ、ばつの悪そうな表情で口を継いだ。
「いや、お恥ずかしい。まさか勇者殿のお仲間にこんなところを見られてしまうとは。……実はな、これはわしの唯一の趣味なのじゃ」
「趣味、ですか?」
 私がきょとんとしていると、王は照れたように頬を掻いた。
「いや、国を治める者として、このような趣味はあまり芳しくはないのはわかっておる。だが人の嗜好はそう簡単には変えられぬ。それに、趣味に興じることは数多くの公務をこなすわしにとって、いわば心のオアシスなのじゃ。じゃが王の姿では国民にどれだけ顰蹙を買うか計り知れぬ。そんな折、偶然にもおぬしたちが現われた。そこでひらめいたのじゃ。勇者殿に王位を預けることで、わしは今ただの一市民として趣味に没頭することができるということを」
 えーと。ということは、賭け事をやりたいがために、ユウリに一時的に王位を譲ったってこと?
「あ、あのー王様。ひょっとしたらその判断、間違っちゃったかもしれないです……」
「んむ? どういうことじゃ?」
 今度は王のほうがきょとんとする。すると、ひときわ大きい歓声がこちらまで届いた。
「おお、大穴のアルミラージが買ったのか。くっ、あそこで負け続けなければあいつに賭けられたのに……」
 もしかして王様、賭けるお金がないからここにずっといるのだろうか? そんなことを思う私など気にも留めず、王は歯噛みしたまま、次の対戦カードが気になるのか、歓声が沸き起こっている場所へと誘われるように向かっていった。
 その後を目で追った私は、はるか向こうに場違いな服を着た人間がそこに堂々とたたずんでいるのを発見した。
 この国で一番場違いな服を着ている人間と言えば―――。
「ユウリ!?」
 普通の人間なら、その姿ではけして入ろうとはしないという常識を覆した、ある意味勇者な男は、(本当の意味でも勇者だが)、私の視線などまったく感じていない様子で、次の対戦表を真剣に眺めていたのだった。
 

 

なんだかんだで王様終了

 ユウリは私と王様の姿を見た途端、目を丸くした。それはまるで、先ほど私が王様を発見したときと同じパターンだった。
 ユウリが驚きのあまり何もしゃべれないでいると、王様のほうから声をかけてきた。
「これはこれは勇者殿。まさかそなたも賭け事を?」
「いえ、これは公務として、一通りの施設を見て回ろうかと思いまして……」
 ユウリにしては珍しく、戸惑いを隠せないでいる。まさかこんなところに王様がいるなんて、露ほども思わなかっただろう。
「なるほど。ユウリ殿はこの地に来て浅いしのう。知見を得るために訪れるとは、さすが勇者の称号を持つだけある」
「あの、王様はどうしてここに……?」
「実は格闘場には興味があってな。さすがに公務の合間には来れぬゆえ、こうして平民となり楽しんでいるのじゃが……どうじゃ? 次の対戦は共にどちらが勝つか賭けてみぬか? わしは手持ちが少ないゆえ、あまり多く賭けることができぬが、どちらの予想が当たっておるか、それを競うのもまた一興であろう」
 王様は単純にユウリと一緒に賭けを楽しみたいからこう言っているのだろう。けれど、ユウリの方はさすがに後ろめたさを感じているのではないか。
現にさっきまで王様という特権を振りかざして町の人から金品を巻き上げ、傍若無人な降るまいをしているのに対し、ロマリア王は職務を犠牲にしなくては趣味に興じることができないと言っている。どちらが国の主としてふさわしい考えを持っているかと問われたら、言わずもがなだろう。まあ、趣味が賭け事っていうのもどうなのかとは思うけれど。
「……いえ、あの、お誘いしていただけるのは大変嬉しいのですが、賭け事は少々苦手でして」
「ふむ、そうか……。して、今日これまで我が国を見て回って、どう思われたかな?」
「そうですね。ここは治安も悪くなく、自然豊かで国民の人柄も良いので居住するには最適だと思います。ですが、国を治める身となると、正直なところ私のような器では、荷が勝ちすぎるようです。大変申し訳ないですが、この辺りで王位を退いてもよろしいでしょうか」
 予想外の言葉に、王様はもちろん、隣にいた私も驚いた。だってあんなに自分勝手にやってたのに、いきなり王様をやめるだなんて、どういう風の吹き回しなんだろう。
「う、うむ……。おぬしがそういうのなら構わぬが……。本当に良いのじゃな?」
「ええ。かまいません」
 そういうと、ユウリは頭上に冠している金の冠を慎重にとり、ロマリア王に手渡した。
 冠を受け取ったロマリア王は、心なしか残念そうな顔をしていた。



 あのあとすぐに、金貨の詰まった皮袋を取り合っているシーラとナギを発見し、二人もまた、私たちを見て驚いた。やっぱりシーラは探している途中でここに寄り、連続で大穴が当たってからというもの帰るに帰れずずっとここにいたらしい。帰るに帰れずというのは少し疑ってしまうけど。
 結局ナギはシーラからビタ1Gももらえずじまい。交渉……いや奪い合いをしているうちに私たちと合流し、結局1回も賭けに参加することは出来なかったようだ。
 一方のユウリはというと、本当は賭けをやってみたかったようで、本人にきいた訳ではないが、王様が去ったあと、格闘場をじっと見ていたし、何やらぶつぶつと呟いていた。こっそり近づいて耳をそばだてて聞いてみると、「あの魔物は炎の攻撃に弱いから、勝つ確率としてはなんとかかんとか……」って言ってたから、もともと計算して予想を立てるのが好きなんだろう。ていうか、なんで私の周りには賭け事好きな人しかいないんだろうか?
おそらくさっき王様に会ったときも、公務だとか誤魔化してはいたけど、本当は単に行ってみたかっただけかもしれない。あくまで推測だけど。
 格闘場を出た後も、ユウリはずっと考え事をしていたのか、独り言を言い続けていた。逆にそんなユウリの様子が、心配になる。
 だが、それは杞憂だった。城に到着してからの彼はいつもとなんら変わらず、先に城に戻っていた王様(すっかり元の格好に戻っている)にはいつもどおり丁寧な礼節で返し、私たちにはいつもどおり無愛想な態度で見せてくれた。玉座にいる王様に気づかれることなくそんな無表情を私に返すところは、やはりというか、さすがと言うか。
「実はな、他人に王位を譲ったのはこれが初めてではないんじゃよ」
 王様によると、ユウリだけでなく、この城に仕えている人に時々王位を一時的に譲っているらしい。侍女長であるミライザさんも、一度やらされたとか。
「ホントに、王様の趣味にはつきあってられません。私もなりたくてなったわけではないんですよ。ただあのときチェスで他の侍女に負けてしまったから仕方なく……」
「ミライザもうよい! お前は下がっておれ! ……すまぬ、わしが幼い頃から傍におるせいか、どうも苦手での……」
 と言って、苦笑する王様。道理で、ユウリを召しかえる時のミライザさんの行動が機敏なはずだ。もうこの城では日常茶飯事なことなんだろう。
 ひょっとして町の人たちもこの状況に慣れていたのだろうか? だから王様姿のユウリをすんなり受け入れたのだろうか。……まあ、そのあとのユウリの対応で、町の人たちのユウリに対する印象は大分変わったと思うけど。
 実際格闘場から城へ向かう途中、何人かの町人がユウリを見て怪訝な顔をしていた。ひそひそと話をしている人もいたし、一部の町の人はあまり良く思っていない人もいるようだ。
「ところでユウリ殿。もし旅の途中でノアニールの近くに行くことがあったら、町の様子を一度見に行ってはくれぬか?」
 落ち着きを取り戻した王様の言葉に、ユウリは一瞬眉を顰めた。
「どういうことですか?」
「魔王に直接関係ないと思うのじゃが、十年以上前からここから遥か北にあるノアニールの町の情報が入って来ないのじゃよ。あの辺りは手ごわい魔物も多く、調査に行くにしてもわが国の兵士だけでは力不足でな。じゃがカンダタを退治したそなたらなら、きっとノアニールまでたどり着くことができると思ってな。じゃが、無理にとはいわぬ。まず何よりも魔王討伐のほうがわが国にとっても、世界にとっても緊要な問題じゃからな」
「ノアニール……」
 宿屋の女将さんが口にした名前だ。確か女将さんの話だと、数年前から連絡が来ないって言ってたけど、そんなに前からだったなんて。
 それよりもユウリの答えのほうが気になった。おそらく私の知るユウリなら、わざわざ旅に関係のないところなど、行かないと言うだろう。けれど、頼んでいるのは王様だ。どういう反応をするのか、私は思わずユウリを覗き見た。
「わかりました。王様の頼みとあらば是が非でも足を運ぶ所存でございます。近いうちに報告できるよう尽力します」
 ユウリは、憂う王様を見据えて、そうきっぱりと言った。
 それから彼は城を出るまで私たちに顔を向けなかったけれど、私はその後姿を見るたびに、王様になる前の勇者とは少し雰囲気が違うのを感じていた。

「ねえユウリ。一体どうしちゃったの? 王様の頼みとはいえノアニールに行くなんて」
 ロマリアの城壁がかなり小さくなったころ、ずっと黙っていたユウリに、私は我慢できず質問した。
「お前の耳は節穴か。王が言ってただろ。ノアニールは十年以上音沙汰がないって」
 それをいうなら目でしょ。とつっこみたかったけど、あまりにユウリが前向きなので、調子が狂ってこれ以上何もいえなくなってしまった。
 ナギも私と同じことを考えていたのだろうか。疑うような目つきでユウリを眺める。
「ひょっとして王様になってる間に、だれか別の人に入れ替わったんじゃねーか?」
「ベギラマ。これでいいか?」
 ごぉおおおぉぉぉっっっ!
「ぎゃあああああ!! わかった!! わかりました!! 疑ってすいませんでした!!」
 炎に巻かれながら、ナギは懸命に謝る。偽者だと疑われたユウリは嘲るようにナギにホイミをかけたのだが、その様子はかなり奇妙だった。
「ユウリちゃん、ユウリちゃん♪ あとでお酒飲みに行ってもいい?」
 シーラが今日稼いだお金の入った皮袋をこれ見よがしに突きつけ、ユウリに許しを請う。駄目だよシーラ、またあのときみたいにお金全部とられちゃうよ!
 だが、ユウリはまたもや私の予想を裏切る発言をした。
「……あまり遅くなるなよ」
『ええええええええええええ!!!??』
 私とナギは一斉に声を上げた。
 何この優しいユウリ!? やっぱりどっかで頭でもぶつけておかしくなっちゃったんじゃない?! と声に出しそうになるのを必死でこらえる。
「やったーい!! やっぱりユウリちゃんならわかってくれると思ってたよ♪」
 そういうと、その場にいるのも惜しいのか、すぐさま酒場に走り去るシーラ。意気揚々と酒場に向かうバニーガールを見送りつつ、私はユウリの異常行動に疑問を持たずにはいられなかった。
あるいは、今日一日のあいだに、何か心境の変化でもあったのだろうか?
「ど、どうしたの……ユウリ……? ホントになんかあったんじゃ……」
「な? 絶対だれか別の奴がなりすましてんだって!! 明らかにあの時と別人だろ?」
 私たちが騒ぎ立てる中、ユウリはつきあってられるか、と言う表情で宿屋へ向かう道へと向き直る。その後姿を見て、私はあることを思い出した。
「そういえばユウリ、私たちがシャンパーニの塔に行っている間、格闘場へ行かなかった?」
 確かそれは塔へ向かう前、私たちが酒場の前を通っていたときだった。後姿しか見かけなかったが、あの青いマントと黒髪はユウリ以外の何者でもない。
 するとユウリはわずかに体をびくつかせた。どうやらビンゴのようだ。
「もしかしてユウリ、あのときから格闘場に興味があったの?」
 私のその言葉に、ユウリは微動だにしない。ただ、耳の後ろに汗が伝い落ちていくのが見えた。
「おい、ひょっとして図星かよ? まさかそこに行きたいが為に王様になったんじゃねーだろうな?」
 ナギが追い討ちをかける。ユウリの汗の筋がさらに増えていく。
「そんなわけないだろ! ロマリア王がどうしてもって言うから仕方なく頷いただけだ!!」
 明らかに図星を突かれた様子で反論するユウリ。どう見ても言い訳にしか聞こえない。
「お前ら、そもそもシャンパーニの塔に行ったとき、俺の助けがなかったらどうなってたかわかってるのか!? 俺の活躍があったからこそお前らはこうして生きていられるんだからな!!」
 私たちをそういう状況にしたのはユウリじゃん……とは口に出しては言わなかった。やっぱりユウリは相変わらずだったようだ。
 
 

 
後書き
これでロマリア編おしまいです!
次から第3章に入ります! 

 

故郷にて

 
前書き
2020.3.14 改稿しました。  

 
「まだカザーブにつかないのか?」
 疲労と空腹で不機嫌度MAXの勇者が、さっきから不機嫌な顔で私を睨み続けている。
 ロマリアを出発してから今日で丸3日。そろそろカザーブにたどり着いてもおかしくない頃なのだが、普段余り慣れない山道のため、距離の割に時間がかかる。おまけに魔物も好戦的であり、この3日間魔物と遭遇したのは数知れず。おかげで私のレベルも2~3上がってくれた。だが、レベル30のユウリがいなければ、おそらく倍以上の時間がかかっていただろう。
 ちなみに私がアリアハンに向かうためにカザーブからロマリアまで行った時は、ロマリアから来た馬車、それに兵士たちと一緒だったので随分楽な旅路だった。
 思えばこのとき少しでも兵士たちと一緒に魔物と戦っていれば、少しはユウリに文句を言われずに済んだんではないだろうか。
「えーと、もうちょっとで着くはずだよ」
「その『もうちょっと』を何回言ったと思ってるんだ!!」
 私の言葉に、ユウリはさらに声を荒げる。
「俺はお前らみたいな単細胞と違って、デリケートなんだ。今度その言葉言ったら次の野宿のとき一晩中見張りをやらせるからな!」
 私は夜通し一人で見張りをする想像をして、ため息をついた。
「はぁ……。なんでカザーブってこんなに遠いんだろ……」
 私の故郷カザーブは、山間に囲まれた小さな村である。つい十数年ほど前までは滅多に魔物も寄り付かない平和な土地だった。
 けれど、魔王が復活してから次第に凶暴な魔物が多く生息するようになり、今ではこの辺りを通る旅人や冒険者は度々魔物に襲われるという。
 もちろん村も例外ではない……はずであった。この村に救世主が現われるまでは。
 かの有名な英雄オルテガかと思われるかもしれないが、実は違う。むしろこの世界で彼の名前を知っている人は、おそらくカザーブ出身の者だけだろう。
 そして、彼の名を知る数少ない人間の一人が、何を隠そうこの私である。
 ……って言っても、そんなことを聞いてくる人なんていないんだけど。
 とにかく何が何でもカザーブに着かなければ。などと決意を固めていると、
「ねーねー、ミオちん! あそこに屋根が見えるよ!!」
 シーラの一声に、私の瞳に光が宿った。
 うっそうと生い茂る木々の間から小さく見える、数十軒の家。私は思わず歓声を上げた。
「間違いない、カザーブはもうすぐだよ!」
 私の声に、他の三人は安堵の表情を浮かべる。私も一晩中見張りをやる羽目にならなくて良かったと心底安心した。
村の入り口に近づくと、一人の男性が手を振ってきた。
「ミオちん、知ってる人?」
「うん。村の自警団の人だよ」
「なんだ、ミオじゃないか!! 久しぶりだな!!」
「デルバおじさん、久しぶり! 村に変わりはない?」
「当たり前だろ! 魔物の子一匹入れさせてないぜ」
私が尋ねると、デルバおじさんはどん、と胸を叩きながら誇らしげに答えた。
「ひょっとして、その人が噂の勇者様か? そうか、ちゃんと仲間に入れてもらえたんだな!」
そう言うと、私の頭をくしゃくしゃに撫でながら、豪快に笑った。
「あの人一倍泣き虫だったミオがなあ……。立派になったもんだ」
「そういうこと皆の前で言わないでよ」
私は赤面しつつも昔のことを覚えててくれたことに、くすぐったい気持ちになる。
おじさんと挨拶をかわしたあと、私たちは村の中へと入った。
「そういえば、宿とかってあるのか?」
「えーと、一応あるよ。小さい村だから宿屋も小さいけど。でももし宿代浮かせたいなら、私の家に泊まりに来ても良いけど……」
「わーい!! ミオちんの家行きたーい!!」
「いや、俺たちは宿に泊まる。お前は自分の家に行け」
「え……、でもせっかくだしみんなでうちに泊まっていっても……」
 私が残念そうにそういうと、背の高いナギがぽんと私の頭に手を置いた。
「せっかくだから今日くらい家族水入らずで過ごせばいいじゃねーか。あのカタブツ勇者も珍しくそう言ってんだしさ」
 私はナギを見上げる。まさかナギがそんなことを言ってくれるなんて思わなかった。
 シーラもそれに納得した様子で、「宿屋やどや~♪」と口ずさんでいる。
「ユウリ……」
「どうせお前の家など2~3人座るだけで身動きが取れないような狭い部屋しかないだろうからな。そんなところで寝かされるぐらいなら金を払った方がマシだ」
「え、私に気を使ったわけじゃないの!?」
「何でお前にいちいち気を使わなければならん」
 ユウリはにべもなく言い放った。
「う……。まあ、でも、ありがとう」
 私は申し訳ないと思いつつも彼らの厚意に甘えることにした。3人は疲れた足取りで宿屋の方へ足を向けた。するとユウリが振り返って、
「その代わり明日の朝、宿屋まで来いよ。遅れたら俺の分の荷物を持ってもらうからな」
 そういって向き直り、すたすたと歩き出した。
「あ、はーい……」
 でもやっぱりユウリはユウリだ。私は絶対に明日早起きすることを誓った。



「ただいまー!」
 村の一角にあるけして大きくない一軒家、そこが私の生まれ育った家である。
 いきなりの帰宅に、ちょうどその時玄関の近くにいた2番目の妹が、玄関先に立っている私を見てしばし呆然としていた。
「み、み、ミオねーちゃん!?」
 我に返った妹は、ありったけの声量で私の名を呼んだ。
「ちょっとリア! そんな大声出したらご近所に迷惑じゃない」
「だって、ミオねーちゃん、『ユウシャ』って人と一緒に『マオウ』を倒しに行ったんじゃないの?!」
「うん、そうだよ。でも今は魔王を倒す旅の途中で、今日はたまたまここに立ち寄っただけ」
「へー! ミオねーちゃん、ちゃんと『ユウシャ』って人の仲間になれたんだ!!」
 目をキラキラさせながら尊敬のまなざしで私を見るリア。彼女は私より6つ下で、昔から良く私になついていた。
「へへ、まーね」
 私が自慢げに体を反らすと、リアの声を聞きつけたのか、部屋の奥から3番目の妹と2番目の弟がこちらにやってきた。
「あー、ミオねーちゃんだ!!」
「おかえいなさーい!」
 3人の弟妹たちが次々と私に群がってくる。この暖かい雰囲気がなんだか懐かしく思えてきて、自然と笑みがこぼれた。
 確かにユウリの言うとおり、皆を家に連れて来ても寝る場所なんてないかもしれない。他にもう二人弟妹がいて、さらに母親までいるのだから。
 ちなみに父親は行商をしており、珍しいアイテムを見つけてきては世界各地に飛び回っている。私が家にいる間もほとんど家に帰って来ていなかった。
 私は普段は家にいる母親の姿が見えないことに気づき、妹たちに問いかけた。
「そういえば、お母さんは?」
 きょろきょろと辺りを見回した、その時。
「お母さんは仕事中だよ」
 急に後ろから声をかけてきたのは、私より二つ下の妹、エマだ。山盛りになった洗濯籠を抱えて、にっこりとかわいらしい笑顔を私に見せた。
「エマ!!」
「久しぶり。急にどうしたの? 旅は? ひょっとして、勇者のパーティーに入れてもらえなくて、戻ってきたとか?」
「ち、ちがうよ! ちゃーんと勇者の仲間として認めてもらったし、今だって魔王を倒す旅の途中なんだからね!」
 いいながら、ふと私ってユウリに仲間としてちゃんと認めてもらってたっけ?と疑問がわいた。
 エマが洗濯籠を地面に下ろすと、妹たちが一斉にそちらに行き、手伝いをし始めた。私たちきょうだいは家の手伝いを小さい頃からするのが習慣付けられているので、いつの間にか無意識に体が動いてしまう。妹たちも例外ではないようで、姉としては少し嬉しく思った。
「それじゃあ、すぐ旅立っちゃうんだ」
「うん、ちょうどこの先のノアニールに用があるから中間場所として今日はここで一泊することにしたの」
 私が残念そうに言うと、エマは小さく微笑んだ。
「そっか。じゃあ、適当にくつろいでてよ。ここまで来るの大変だったでしょ。これ終わったらお茶入れるから」
「じゃあ私も手伝うよ」
「大丈夫だよ。これはあたしの仕事だし、お姉ちゃんは大事な役目があるんだから今日はゆっくり休んでなよ」
 そう言って、妹たちと共に洗濯物を干し始めた。
 エマ、私がいなくてもしっかり家の事やってるんだなあ……。
 私が旅に出る前は、お母さんの後ろで私のやることを真似ながら家の手伝いをしていたエマが、今では妹たちの手本となって率先して家事をしている。
 そう思った途端なんだか急に寂しくなってしまった私は、ここでボーっと立っているのもなんなので、おとなしく家の中でゆっくりさせてもらうことにした。
 そして、部屋を一通り見て私はあることに気づいた。
「ねえリア、ルカはどこか行ってるの?」
 3人の弟妹が遊んでいるのを見守りながら、私はその中で最も年長のリアに尋ねた。
 ルカというのは、兄弟の中でも一番元気な弟で、リアよりひとつ上だ。よくリアと一緒に遊んでいたのだが、なぜか今は姿が見えない。
「ルカにーちゃんはね、ロマリアでお仕事してるんだよ」
「お仕事!?」
 私はリアの言葉に驚愕した。ここからロマリアまでなんて、そう簡単に行き来できる距離じゃない。つまり、たった一人でロマリアに出稼ぎに行っているということだ。それに、まだルカは11歳だ。ひとりで生活していけるほど自立しているとは思えない。
「ねえリア。ルカ、今どこにいるの? お姉ちゃんこの間までロマリアにいたけど、一度も見かけなかったよ?」
「うそー。だってエマねーちゃんがそう言ってたもん」
 すると絶妙のタイミングで、洗濯物を干し終えたエマが戻ってきた。私は彼女に詰め寄り、なるべく妹たちに聞かれないように小声でルカのことを尋ねてみた。
「ルカの居場所? ……そっか。お姉ちゃんロマリアに行ってきたんだもんね」
 エマは複雑な表情で話を続けた。それは、予想外の内容だった。
「本当はね、ここから遥か東にある、アッサラームにいるの。ロマリアじゃああんまりお給料もらえないからって、一月前にお父さんの知り合いと一緒に出稼ぎに行っちゃったの」
「ちょ、ちょっと待って。あんまりって……、うちの家計って今そんなに火の車なの!?」
「それはちょっと言いすぎだけど……。確かにお姉ちゃんが旅に出てから一度もお父さん戻ってきてないし、正直お母さんだけの収入じゃ食べていけないのが事実なの。でもあたしも内職してるし、リアたちも家の手伝いよくしてくれてるから、わざわざアッサラームまで出稼ぎに行かなくてもいいってルカに行ったのよ。でもあの子ったら、なんていったと思う?」
「想像つくようなつかないような……」
「ミオ姉ちゃんみたいになるために、アッサラームで修行して来るんだって」
「はあ??」
 私は間抜けな声を上げながら眉根を寄せた。
「アッサラームで、何の修行するつもりなの?」
「知らないわよ。もうあたしあきれて声も出なかったわ。お母さんはお母さんで、お父さんの知り合いがいるから大丈夫でしょ、なんて言っちゃってるしさ。もう誰もあの子を止められないわよ」
 確かに私が家にいる頃のルカは、とにかく好奇心が旺盛だった。初めて見るものには必ず首を突っ込むし、興味のあることには後先考えず突っ走っていってしまう。そのせいでご近所の人から怒られることもしばしばあった。
う~ん、あのルカがねえ……。
 私がため息をつきながら思い出に浸っていると、玄関の戸が開く音が聞こえた。それに反応したリアが、「おかあさん!!」と言って玄関の方に駆け出した。
「あら、ミオ!! お帰り!!」
 私が返事をする前に、お母さんは私のところへ来るなり抱きしめた。
「もーっ! 帰って来るなら来るで一言連絡ぐらい入れてくれればいいのに! ご馳走作りたくても作れないじゃない!!」
 そういってさらにぎゅっと強く抱きしめる。それは私の知るいつもの元気なお母さんだ。
「ごめん、旅の途中だったし、時間もなくて……」
「そうだよお母さん。お姉ちゃん、魔王を倒しに行ってるんだからそんな暇ないんだって!」
「そっか。じゃあ今夜はミオの大好きなものたっくさん作ってあげるからね! あ、そうだ! せっかくだから勇者さんたちも呼んできなさいよ。たいした物は出せないけど、あんたが日頃お世話になっているせめてものお礼にね」
 そういうとお母さんは腕をまくり、やる気十分といった様子で台所に向かっていく。
その横でエマがなぜか期待に満ちた目でこちらを見ていた。
「? どうしたの、エマ」
「ねえお姉ちゃん、勇者さんてかっこいい?」
「えーと、多分かっこいいと思うよ?」
 私は単純に見た目だけの特徴を伝えてみた。案の定、エマは自分好みの勇者像をイメージすることに成功したらしく、かなり満足そうな顔を浮かべている。
「そっかあ、じゃああたしも勇者さんに食べてもらえるように料理がんばろうかな♪ 勇者さんて好きな食べ物とかないの?」
「さ、さあ。良く知らないけど。でも確か、甘いもの以外なら食べるって言ってたよ」
 私が戸惑いがちに言うと、エマは信じられないといった顔で、
「えー情報それだけ!? お姉ちゃん一緒に旅してるのになんでそんな基本的なこと知らないのよ!!」
 と、半ば憤慨した様子で私を見た。
 別にそんなに親しい間柄でもないのに、そんなこと言われてもこっちが困る。だってまだユウリと出会って一ヶ月ぐらいしか経ってないんだもの。



 夕飯はお母さんとエマに任せて、私はユウリたちを誘うため、村の宿屋へと向かうことにした。
 外はもうすでに真っ赤な太陽が家の屋根に隠れ始めていた。先に三人が食事を始める前に見つけないといけないので、私は歩みを速める。
「あ、ミオちんだー。やっほー」
 聞きなれた声が私の耳に届いてきた。見回すと、こちらにやってくる3つの人影。なんという偶然だろうか。先頭を歩いていたウサギ耳の少女――言うまでもなくシーラなんだけど――が元気よく私に走り寄ってきた。
「あれ? みんなどこかに行くの?」
「聞いてよミオちん!! そこの宿屋お酒置いてないんだよ!? 信じらんないでしょ!!」
「あーごめん、あそこのおかみさん、酔っ払いとか嫌いみたいだから……」
「あたしをその辺の酔っ払いと一緒にしないでよぅ!!」
「いや私に怒っても……。まあいいや。それでお酒飲みに酒場に向かってるの?」
「ああ。オレは別に酒飲まねーし、宿屋でくつろいでもいいかと思ったんだけど、こいつがうるさくてさ。ミオもいないし、こいつ一人で行かせるのもいろんな意味で危険かと思ってついてきたってわけ」
 ナギがシーラを見下ろしながら言った。意外にナギって面倒見がいいんだよね。
 二人だけかと思ったら、少し離れたところにユウリがいた。
「ユウリも?」
 いつも単独行動をとるユウリが二人と一緒だなんて珍しい光景だ。
「まさかこんなに何もない村だとはな。娯楽の一つでもないのか?」
 ユウリが皮肉たっぷりに言う。いやだから、私に言われても困る。
「ねえ、だったら夕飯うちで食べてかない? たいした物はないけど、ご飯代ぐらいは浮くでしょ?」
「ミオちんの家!? 行く行くー!!!!」
 シーラが目を輝かせながらぴょんぴょん飛び跳ねている。かなり乗り気なようで、こちらとしてもなんだか嬉しい。
 ナギも「食えるんだったら何でもいい」の一言で了承してくれたようだ。
 ユウリはどうなんだろうか?
 エマのことを考えると、ユウリにはぜひとも来てほしいのだけれど、彼がこういった食事会に快く参加するかといわれれば、正直自信がない。
 現に今も興味なさげな顔で私のほうをじっと眺めている。何を考えているのかその表情からは全く読み取れないところが余計怖い。私はおっかなびっくり尋ねてみた。
「あの……無理にとは言わないんで……」
「……」
 予想通りの沈黙。
 こんな調子で結局最後は私の方から頭を下げてしまう。一ヶ月経ってもこんな関係なんだから、好きな食べ物なんてわかるわけがない。
 しばしの沈黙の後、ユウリは顔色一つ変えずやっと声を発してくれた。
「家に案内しろ」
「はっ!?」
 それは予想外の答えだった。予想外すぎて一瞬何のことだかわからないほどだった。
「えっと……それって、来てくれるってこと?」
 ユウリは無言で頷いた。それならそうとはじめから言えばいいのに。
 あいかわらず何を考えているかわからなかったが、ともかく皆を我が家のパーティーに招待することに成功した私は、宿屋には寄らずそのまま自分の家に向かうことにした。

 我が家に着いた途端、家の中は歓迎ムード一色だった。
「まあまあ! あなたが勇者のユウリさんね!! ミオからあなたたちのことは伺ってるわ。さ、狭いけど入って入って」
 お母さんがユウリたちを部屋へ促した。後ろにいたエマがユウリをじっと見つめていたが、当の本人は気づいているのかいないのか、相変わらずの無反応。
 他の妹たちはシーラのバニーガール姿が珍しいのか、彼女の周りにくっついて離れない。シーラも子供は嫌いではないらしく、普段どおりの様子で妹たちと戯れていた。
「すごいなミオ、これみんなお前のきょうだいなのか?」
 2番目の弟カイに高い高いをしているナギが楽しそうに言った。確かナギは一人っ子だって言ってたっけ。
「そうだよ。ナギは子供好きなの?」
「ああ。オレ兄弟いないから、こうやって年下の奴と遊んだりするの憧れてたんだ」
そう言うと、今度はカイを抱っこしながら、ぐるぐる回り始めた。すると、他のきょうだいもナギの周りに集まって、口々にやってほしいとせがんできた。
 皆の雰囲気が和んできたところで、お母さんが台所から料理を持った大皿を持ってきた。それは私が家にいた頃を含めても、はじめて見るご馳走だった。
 ナギは料理が出された途端、勢い良く手を伸ばした。それを真似しているカイがなんだか微笑ましい。年の離れた兄が出来たようでナギのことをとても気に入っているようだ。
「ん~、ミオちんの家の料理、すっごくおいしいよ!!」
「ほんと? そういってもらえると嬉しいよ」
 けれどシーラはなんとなく物足りない顔をしている。そういえばシーラ、お酒が飲みたかったんだっけ。なんか悪いことしちゃったかも。
 すると、玄関の戸をノックする音が聞こえた。
「ごめんください、こちらに勇者様とそのお仲間さんが来てるって聞いたんですけど」
 その声は私の知らない人だった。おそらく私が帰ってきたのをご近所の人が聞きつけて、カザーブの村全体に噂が広まったのだろう。
 私は返事をして、玄関先に向かった。扉を開くと、やっぱり私の知らない顔だった。
「やっぱり! あなた、うちの母が言ってた人だわ!」
「???」
 知らない人にそう言われ、私は思わず面食らった。うちの母? それって私の知ってる人?
 私の言葉を待たず、その女性は言った。
「あ、いきなり挨拶もせずすいません。私、ロマリアで宿屋を営んでいる女将の娘で、ラフェルといいます。今は夫と娘の3人で暮らしてますが、以前は母とロマリアで暮らしていたんです」
 その一言に、私ははっとして思い出した。確かロマリアの宿屋のおかみさんの娘さんがカザーブに移り住んだと言っていた。
「こちらこそ挨拶が遅れてすいません、私、ミオっていいます。ロマリアの宿屋では、すっかりお世話になりました」
「いえ、お礼を言うのはこちらの方ですわ。母から手紙で勇者様のお仲間さんの話を聞きました。うちの娘もその話を聞いて大変喜んでるんですよ」
 おかみさん、私たちのこと、ラフェルさんたちに話してくれたんだ。なんだか私の話を信じてくれた気がして、とても嬉しい気分になった。
「そうだ、今ちょうど夕食パーティーやってるんですけど、よかったらご一緒しません?」
「まあ、それは素敵ですね。ぜひ参加させてください。娘も連れてきても構いませんか?」
 ラフェルさんの申し出に、私は快く了承した。結果、ラフェルさんは娘さんだけでなくだんなさんや隣のおばさんまで連れてきた。
「おやまあ、コーディさんちの奥さんまでいらっしゃって!! さ、狭いけど入って入って!!」
 ユウリたちだけでもかなり窮屈だったのだが、ラフェルさんたちが加わったことでさらに部屋が狭くなった。しまいには我が家の騒ぎを聞きつけてきたのか、全然知らないおじさんまでいつの間にか参加してしまい、さらにおじさんが持ち込んできた高そうなウイスキーをシーラがほとんど飲みつくし、場は夜更けまで大騒ぎとなった。
 私は家にいるという安心感や満腹感、さらにこの騒がしくも暖かな雰囲気にいつしか酔いしれて、そのままゆっくりとまぶたを閉じてしまった。
 

 

ミオの過去

 どんちゃん騒ぎだった夕食がいつお開きになったのかもわからないうちに、私はいつのまにか眠っていたらしい。
 目が覚めるとラフェルさんたちの姿はなく(どうやら帰ったようだ)、我が弟妹たちとその横で酔いつぶれた様に眠っているシーラ、窓に顔を出しながら熟睡しているナギのほかには誰もいなかった。
 テーブルの上はすっかり片付いており、寝ている人たちにはそれぞれ毛布がかけられていた。
 私は肩にかけられていた毛布から抜け出し、しんと静まり返った部屋を見回した。
――あれ、ユウリがいない……?
 隣の部屋を覗いてみるも、幼い妹たちが並んで寝ているだけで、ユウリの姿はなかった。
 廊下に出てみると、明かりが一つついている。台所の方だ。
「お母さん、起きてたんだ」
 私の声に気づいたお母さんは、こちらを振り返り、ゆっくりと笑った。
「なんだい、起きちまったのかい。ま、確かにあそこじゃゆっくり寝られないか」
 そういうと、お母さんは戸棚からカップを取り出し、それに小鍋で温めておいたミルクを注いだ。
「久々に忙しかったから、一息入れようと思ってね。あんたも飲むだろ?」
 私の返事を待たず、お母さんは2つ目のカップを用意してくれた。私はミルクが注がれたカップを手に包ませ、冷ましながらゆっくりと飲んだ。
「あぁ、あったまるなぁ。なんか久しぶり、お母さんのホットミルク」
「あんたが旅立ってから、一ヶ月以上経つんだもんね」
 その言葉に、私はこの村を旅立つ前のことを思い出した。村に勇者の噂が舞い込んだあと、勇者の仲間になることを決意したあの日。最初家族は冗談かと思って誰もが笑い飛ばしてたっけ。
「お母さん、あの時私が言ったこと覚えてる?」
「ああ、確か『勇者の仲間に入って一緒に魔王を倒しに行くから!』だっけ? あの時は本当に冗談だと思ったよ」
 お母さんはどこか遠くを見つめながら言った。
「フェリオさんのところで武術の稽古をしていたときは、単に自分の身を守れるようになりたいぐらいにしか思ってなかったよ。でもまさか、魔王を倒すためだったなんてね。どうだい、ちょっとは強くなったのかい?」
 私は苦笑した。
「えーと……。まだ発展途上かな」
「そうかい、それなら安心したよ」
「? どういうこと?」
 私が首をかしげながら言うと、お母さんは私の目をまっすぐに見ていった。
「あんたの気持ちが旅立つ前と変わってないってことがわかったからさ。これからも、ユウリさんと一緒に旅を続けていくんだろ?」
 私は力強く頷いた。魔王を倒す、その気持ちだけは誰にも負けないつもりだし、変えるつもりもない。私がユウリのことを苦手だと思っていても、ユウリと旅を続けて行きたい気持ちは変わらない。
「もし家に帰りたくなったら、いつでも帰ってきな。今日みたいにご馳走作って待ってるからさ」
 私は笑顔で返した。
「うん、もちろん。またユウリたちを招待するよ」
 そう言うと、お母さんは私を優しく抱きしめてくれた。また明日からこのぬくもりとは当分離れなきゃならないんだ。そう思うとどうにも離れ難いなってしまい、しばらく甘えた子供のように、お母さんの胸に抱かれたままその場から動けなかった。



「ほら。いつまでも子供みたいなことしてないで、早く休みな」
ぽんぽんと肩を叩かれ、私ははっとしてお母さんから離れた。
 お母さんにユウリの事を聞いたら、しばらく前に外に出ていったのを見かけたそうだ。宿に戻るとは聞いてなかったので、そのうち戻っては来るだろうとは言うが、すっかり目が冴えてしまった私は彼を探すことにした。
 玄関を出ると、青白く輝く月と澄み切った満天の星空が私を出迎えてくれた。その代わり、秋に別れを告げるかのような肌寒さが私の体温を少しずつ奪っていく。
 とりあえず、彼が夜風に当たりそうな場所を考えて、近くの高台に向かうことにした。高台にはお墓がいくつかあるが、そこから見下ろすと、コスモスの花が咲いているので景色を見るには絶好の場所である。実際私が小さい頃も、よくその高台に登ってコスモス畑を眺めていた。
 高台に着いた途端、私は意外にもユウリと好みが一致していることを実感した。まさか本当にいるとは。しかもそこの木に寄り掛かって腰を下ろしている。
 私はユウリが寝ているのかと思い、後ろに回り込みつつゆっくりと近づいて、ユウリの顔を覗き込んでみた。すると彼は起きていたらしく、私の気配に気づいていたのか、特にこちらを見ることなく静かに息を吐いた。
「……なんだ。お前か」
 その後、驚く素振りもなく、いつもの仏頂面でぼんやりと景色を眺めている。驚かせるつもりはなかったが、こうも無反応だとなんとなく悔しい。
「ユウリこそ、どうしてこんなところに?」
私はユウリの隣に座りこみ、尋ねた。
「別に何だっていいだろ。俺はああいう大人数が集まる場所にいるのが苦手なだけだ」
「え、じゃあ途中で抜け出したってことだよね。こんな寒空の下、ひょっとして何時間もずっと一人でいたってわけ? 風邪引いちゃうよ!」
「ふん、余計なお世話だ」
そういうと、彼は顔を背けた。
「でも、もともと夕食に誘ったのは私だし、ユウリもそういう場所が苦手だったんなら言ってくれればよかったのに」
「別にお前には関係ないだろ。俺は今考え事をしてるんだ。邪魔するなら帰れ」
えー、でもなあ。さっき家から出ただけでこんなに寒さを感じてるのに、ユウリはそれよりずっと前からここにいるんだから、相当体が冷えてると思う。
「宿はどうしたの? 私と別れたときにとったんじゃないの?」
私が聞くとユウリは、はあ、と大きく溜め息をついた。
「俺が戻ったときには宿の鍵がかかっていた。おそらくお前の家に泊まると思ったんだろ」
ああ、そっか。きっと私の家に来た人が気を効かせて、宿屋にユウリたちのことを伝えてくれたんだ。実際ナギとシーラはうちに泊まったも同然だし、まさか勇者一人だけ宿に戻るとは思わなかったのだろう。
「それじゃあもう皆寝てるし、うちにおいでよ。多分ユウリ一人が寝れるスペースならあるよ」
だが彼は動こうとしない。いや、そもそも私の方すら見ていない。
別にこんなところで考え事なんかしなくてもいいのに、などと思いながらも口には出さず、ユウリの顔の前で手を振ってみる。すると、ようやくこっちを見てくれたではないか。そして私はふと気づく。
「あれ……? ユウリ、顔色悪い?」
 頼れるのは月の光だけなのではっきりとはわからないが、なんとなく具合が悪そうに見える。私は小さな怒りを忘れ、ユウリの顔をまじまじと見た。
「何じろじろ見てるんだ」
不満の声が聞こえるが、気にせず私は再び手を伸ばし、ユウリの頬にそっと触れてみた。
「!?」
「冷たっ!」
 私は思わず伸ばした手を引っ込めた。想像以上に冷たかったからだ。
「い、いきなりなんだ!!」
「ユウリ、やっぱり今すぐ帰ろうよ。体すっごく冷えてるし、具合悪くなったら大変だよ」
「っ……!」
それきり彼は何も言わず、私が話しかけても視線をそらしたままだ。
「疲れたでしょ。うちに帰って休もうよ」
「……」
「ねえ、ユウリってば」
「……」
 私の問いに無言で返すユウリ。あんまりにもしつこいから、怒ってるんだろうか。
でも今はそんなことをいっていられない。こうなったら引っ張ってでも連れていこうかと立ち上がろうとしたとき、急にユウリが口を開いた。
「お前に聞きたいことがある」
「え?」
ピタッ、と動きを止める私。
「何でお前……俺と旅をしようと思ったんだ?」
 唐突に話を振られ、私は動揺した。ユウリは私の心中など知る由もなく、淡々と話を続ける。
「あんな平和ボケしてるような奴らが周りにいて……。こんな、魔王を退治するとか馬鹿げたことしないで、ずっとここで暮らせば良かったんじゃないのか?」
 ユウリがこんなことを聞いてくるのは初めてだ。私に興味を持ってくれているってことなのだろうか?
とはいえ、魔王退治を『馬鹿げたこと』と言ったのが引っ掛かる。勇者が魔王を倒すのは当然の使命だと思っていた私は、正直面食らってしまった。
「えっと……。それは最初家族の皆に言われたよ。そんな危険なことするなら、家でずっと暮らしていけばいいじゃない、って。でも、世界のどこかで魔物に遭遇して苦しんでる人がこの村以外にもいるってわかったから、助けなきゃって思ってさ。それでなんとか皆を説得して旅に出たんだ」
そう言い終わると私は、辺り一面に咲くコスモスを眺めつつ、目を細めた。
「……お前もそういう目にあってたのか」
「ううん、私じゃなくて、村の人がね。十年以上前だったかな。私が小さいとき、一度この村に魔物が襲ってきたことがあるの」
まだ三~四歳くらいだろうか。近所には同い年くらいの友達が沢山いて、男女関係なく毎日近くの山や森で遊んでいた頃だった。
そのころはまだ村の自警団も作られていなくて、村人たちは魔物を脅威とすら感じていなかった。けれどあるとき、村の誰も見たこともない凶悪な魔物が現れて、近くにいた村人を次々に襲った。
当時幼かった私はその場にいなかったので、それがどれくらいの被害だったのか実感できなかったが、親や周りの大人の話によると、その数は十数人に及んだらしい。そしてその被害者の八割は私の友達で、いつものように森に遊びに行った帰りに、たまたまその魔物に遭遇してしまったらしい。
私はというと、その日はちょうど風邪をひいてしまい、一日中家にいたので難を逃れたが、私を除くほとんどの子供は、皆犠牲となってしまったのだ。
あまりにも突然の出来事で、幼い私の心には友達を失った悲しみよりも、胸にぽっかりと空いた喪失感の方が強く残った。
それによく私を見ては、『運がよかったわね』とか、『○○ちゃんの分まで生きるんだよ』とか泣きながら言われたが、物心つく前なのでどうしても実感がわかなかった。
「それで、同い年くらいの友達が皆いなくなっちゃって。ほら、このへんってたくさんコスモスが咲いてるでしょ? ここに眠ってる子達が好きだった花なんだ」
皆で山に咲くコスモスを引っこ抜いて、よくここに植えてたっけ。そのうちに、いつの間にか種が出来て、芽を出し、毎年花を咲かすようになるまでの年月が経ってしまった。
「もしかしたら私も皆と一緒にここで眠ってたかもしれないんだ。でも、一人だけ生き残っちゃって、やるせなさって言うのかな? そういうのがずっと残ってて、そういうモヤモヤした思いを埋めるにはどうしたらいいかなってずっと考えてたら、あるとき師匠が村にやって来たの」
「師匠?」
「あ、私が勝手に呼んでただけなんだけどね。その人は武闘家で、世界中を旅しててすごく強かったらしいんだけど、病気になっちゃって、たまたまたどり着いたこの村で療養することにしたの」
師匠は病に付しながらも、一人で日常生活を送れるくらいは動けていたので、村にやって来て間もないうちに、私の家の隣にあった空き家を改築した。
そしてあろうことか、武術道場を作ってしまったのだ。
「そのあと師匠は自分で道場を開いて、村の人に武術を教えようとしたんだ。ちょっとでも魔物と戦える強さを身に付けられるように」
「そんなにうまくは行かないだろ」
ユウリの言うとおり、この村には当時、武闘家に憧れる若者も、魔物を退治しようという気概のある大人もいなかった。
それに、この村の昔からの因習で、『魔物に襲われることは災害と同じである。下手に人間が手を出したらさらに災いは起こるだろう』という考えが村人の頭の中に根付いていたので、それを覆すことは容易ではなかったのだという。
さらに最初はよそ者ということもあり、師匠の話に耳を傾ける人すらいなかったそうだ。
「うん。でも、師匠はね、再び悲劇を繰り返さないためにも、あの事件と向き合う事が大切だって村人たちに必死に訴えたんだ。そしたら、ちょっとずつだけど、武術を習いたいって人が増えていったの」
そんな師匠の姿を隣でこっそり見ていた私は、いつしか武術に興味を持つようになり、道場の門を叩いた。
私が入って二、三年後には、門下生は十人を越え、自警団も創設されるようになった。そのころの師匠はまさに、村にとっての救世主そのものであった。
「それで私も師匠のもとで武術をやり始めて、何年か教えてもらってたんだけど、私が旅立つ前に亡くなってしまって……」
丁度あれは、一年くらい前だっただろうか。
死の間際、私を呼び出した師匠は悔しそうに言った。
ーおれの心残りは、お前を一人前の武闘家にできなかったことだ。
そう言い残すと、師匠は息を引き取り、故郷に帰ることもなくこのコスモスの花が咲く場所へ、子供たちと一緒に眠りについた。
師匠がいなくなり、道場も閉鎖となった。けれど師匠の教えは今でも私たちの中で引き継がれている。それでもやっぱり師匠がいなくなるのは寂しかった。
「そのあとは自己流で鍛えてたんだけど、やっぱり限界を感じちゃって。もうやめようかなってときに、勇者……ユウリが魔王を倒すって噂が耳に入ってきたんだ」
武術を始めて最初は、単なる自己満足でしかなかった。けど、師匠と一緒に修行をしていくうちに、師匠に教わった武術を自分だけじゃなく、誰かのために使いたいと思うようになった。
そして勇者の噂を聞いて気づいた。誰か、というのは魔物に脅かされる人々や、勇者であるユウリのことでもあるのだと。
その人たちの力になれば、自分は生き甲斐を感じることが出来るんじゃないか。
これも自己満足かもしれない。でも、なにもしないでいるよりは、誰かのために行動したい。その思いの方が強かった。
「ユウリと一緒なら、きっと魔王を倒せると思って、すぐに旅立とうと思い立ったんだ。でも、アリアハンに向かう途中もいろいろあったし、これで仲間になれなかったらどうしようかってずっと悩んでた」
ユウリの仲間になったのも運と偶然が重なっただけで、私も断られた他の冒険者と同じ目に遭ってたかもしれないのだ。最初にユウリを見たとき、言動に若干の不安を感じたが、それでも彼の仲間になれたのは本当に嬉しかった。今でも酒場のルイーダさんには感謝してもしきれない。
「あのときユウリは私を選んでくれた。私みたいにレベルの低い人なんかすぐに断ってもよかったのに、そんなことしなかった。それがすごく嬉しかったんだ。仲間にしてくれて、本当にありがとう」
私は真摯な表情で耳を傾けてくれているユウリに、自分の気持ちを込めて言った。
「今はユウリの足元にも及ばないくらい弱いけど、いつか背中を任せてもらえるくらい強くなって、一緒に魔王を倒すつもりだよ」
そこまで言って、ハッと気がついた。何バカなこといってんだ、お前には一生無理だろとか言われるんじゃないか。そう思い、おそるおそるユウリの様子を伺った。
「……はぁ」
私の予想通り、溜め息をつくユウリ。すると、端厳とした表情で私を見据えた。
「バカか。お前は俺の仲間なんだからそのくらいになるのが当たり前だろ」
「はっ、はい」
何となく怒られた気分になってしまい、つい反射的に返事をする。
けれどユウリが言った『俺の仲間』という言葉に、私は胸をギュッと掴まれるような感覚に陥った。
「それに、別に今さら決意表明されても、こっちは最初からそのつもりだったからな」
「ご、ごめん」
なんで謝ってんのか自分でもよくわからないけど、何か胸にストンと落ちた気分がした。
「ところでお前、その話他の奴らに話したのか?」
「え? いや、ユウリが初めてだよ」
「そうか」
いきなりなんでそんなことを聞くんだろう? それきり彼は黙ったままだ。
「何で?」
「別に。そういう話はまずリーダーに話すべきだからな。お前にしては利口な判断だ」
えー、そういうものかなあ? そんなルール初めて聞いたんですけど?
まあでも、本人は満足げだし、下手に余計なことを言わない方がいいか。
「そうだ。すっかり話し込んじゃった。早く家に帰らないと……」
そういって、腰を上げようとしたとき、コスモスの花がぼんやりと光り始めた。
「!? 何?」
「この気配は……?」
ユウリも判断できないらしい。私たちは、突如起きた不思議な現象に狼狽えるしかなかった。
やがて、花全体に放っていた光が一ヶ所に集まり、徐々にある形を成していく。それは人の形となり、私の記憶を鮮明に呼び起こした。
「し、師匠!?」
そう、目の前に光を帯びて現れたのは、紛れもなく師匠の姿だったのだ。
 

 

師の願い

「どっ、どうして師匠がこんなところにいるの!?」
 私は夜中にも関わらず叫んでしまった。隣にいたユウリが手で制す。
「にわかには信じがたいが……。あれは幽霊だな」
「幽霊!?」
 その言葉に私は思わず身震いした。私は幽霊とかの類いが死ぬほど嫌いなのだ。
「ここが墓場で、謎の発光とともに死んだは
ずの人間が現れたってことは、まず幽霊で間違いないだろ」
 まあ、幽霊ってのはわかるんだけど、なんで今現れたんだろう? それに私は生まれてから一度も幽霊なんかみたことないし、急に不思議な力が備わったにしても唐突すぎる。
「もしかして、ユウリが何かしたの?」
「バカ、そんなわけあるか。ついさっきお前の話を聞いたばかりなのに、あの幽霊のことなんかわかるわけないだろ」
 じゃあ一体、と幽霊姿の師匠をじっと見る。姿が師匠でなければ逃げ出していたが、それでも腰が引ける。私はおそるおそる師匠に近づいてみた。すると、
《ミオ……。お前の強い意志、確かに感じた……》
 師匠の声が聞こえてきたではないか。幽霊って話せるの?!
《おれはお前を中途半端なままここに残してきたことが心残りだった……。だが、今のお前ならきっと大丈夫だろう……。おれが眠る場所を探してみるといい……》
 そう言い終えると、光とともに師匠の姿は消え、辺りはもとの暗闇へと戻った。あっという間の出来事だった。
 そして沈黙を破るかのように、ユウリが口を開く。
「眠る場所を探せって言ってたな」
「うん。多分そこのことだと思う」
 私は幽霊が現れた場所にある、小さい石碑を指差した。手入れされた石碑には、師匠の名前が彫られている。
「とりあえず掘ってみるか」
「え?! 勝手にお墓荒らしちゃって、神父さんに怒られないかな」
「お前の師匠が言ってたんだから構わないだろ」
 私の答えを待たず、ユウリは剣を鞘から抜くと、その鞘を使って石碑の下の土を掘り始めた。さすが勇者、行動力が早いなあ。
 いや、感心してる場合じゃなかった。とりあえず怒られる前に後で謝ろう。私もユウリの向かいにしゃがみこみ、手で掘ることにした。
 すると、鞘に何か硬いものが当たる音がした。掘り進めると、木箱のようなものが現れた。急いでその木箱を掘り起こしてみるが、なかなか出てこない。
 それもそのはず、取り出してみると、私の指先から肘くらいの大きさがあったからだ。
 木箱を開けると、さらに金属製の箱が入っていた。随分厳重だなと思いながら、蓋を開ける。
「……! これって……」
 箱に入っていたのは、師匠が生前、かつて世界中を冒険していたときに使っていたと私に見せてくれた、『鉄の爪』だった。
「なんで、こんなものがここに……?」
「知ってるのか?」
「うん。師匠が昔、使ってたものだよ。私が修行してたとき、たまに見せてもらったことあるもの。たしかここに傷が……あっ、あった」
 爪を手に取り、傷があった場所を確かめると、それは紛れもなく師匠のものだとわかった。でもなんでこんなところに埋めてあったんだろう?
 私が鉄の爪を不思議そうに眺めていると、ユウリが私の手からそれを取り上げる。
「要するに、お前に使ってほしいからここに埋めたんだろ」
「え?」
「本当は生きてるうちに渡したかったが、そのときはまだお前は半人前以下だった。だから、お前が一人前になってまたここを訪れたときに渡せるよう、ずっとここで留まってたんじゃないのか」
「……じゃあ、師匠は幽霊になってもずっと、ここで私が来るのを待ってたってこと?」
「そういうことなんじゃないのか」
 ユウリは鉄の爪をひとしきり確認したあと、私に再び渡した。
 だけど、師匠が亡くなったあともしょっちゅうここに来てたのに、一度もこんな風に現れなかった。そのときはまだ師匠が私を一人前だと認めてなかったってことなんだろうか。
「けど、今ので成仏はしたみたいだな」
「本当?」
「ああ。ここに来るとき何人かの気配はしてたが、今は一人減ってる気がする」
「へー、そうなん……」
 え、ちょっと待って。幽霊って気配とかでわかるの? しかも今何人かいるって言ってなかった?
「あ、あのさユウリ。まさかここに師匠以外の幽霊がいるってこと?」
「見えるわけじゃないが、何人かいるのは間違いないな」
 そういって、明後日の方向に視線を移すユウリ。その様子を見たとたん、私の顔は青ざめた。
「ユウリ! もう夜も遅いし、早くうちに帰ろう!!」
 私はユウリの返事も待たず、あわてて彼の手を引っ張ると、一目散にこの場から逃げ出した。



「で、お前の師匠が残したものってのが、それ?」
寝ぼけ眼で私が手にしている鉄の爪を指差したのは、結局朝まで爆睡していたナギ。同じくシーラも今しがた起きてきたばかりで、ぼんやりとこの鉄の爪を眺めている。
 あれからすぐに家に帰った私とユウリは、お母さんに事情を話したあと、ユウリの分の布団を用意してもらった。お父さんが商人だからなのか、急な来客に対応できるよう何組か布団は用意してあるらしい。このけして広くない家に、どれだけの布団がしまいこんであるのだろうか。
 ともあれ、無事にユウリを休ませることができ、私もつかの間の実家での一夜を過ごすことができた。
 ただ寝付いたのが明け方近くだったので、ほとんど睡眠が取れていない。けれど私が起きて居間に行くと、すでにユウリは起きていて、いつもと変わらない様子で居間のテーブルに座り、お母さん特製のベーコンエッグを口にいれていた。
 ほどなくナギとシーラがやってきて、キッチンにいたお母さんとエマは、先に私たち四人分の朝食を用意してくれた。
 私は二人に鉄の爪を見せようと持ってきたのだが、寝起きだからか微妙な反応。夕べのことを説明し、ナギの問いに私がうなずくと、ナギは訝しげな顔をした。
「でもお前、今まで素手で戦ってきたんだろ? 使いこなせるのか?」
「多分大丈夫だと思う。修行中、爪を使った武器の訓練もやって来たから」
 ただ問題は、爪だと武器を装備している分、動きが若干鈍くなることだ。師匠程にもなると、その重さを逆に利用したりするけど、爪での実践経験ゼロの私にはそこまでの技量もない。とりあえず慣れるまで経験を積むしかないんだろうな。
「はい、おまたせ。ポトフと焼きたてのパンだよ」
 エマが再び皆の分の食事を運んできてくれた。テーブルに所狭しと並べられた朝食を眺め、私は自分がいない間に培われたエマの家事能力に感動していた。
「こんなにたくさん、頑張ったね。エマ」
 私が絶賛すると、エマはふふっ、とはにかんだ笑みを浮かべ、ちらっとユウリの方を見た。よく見るとユウリの周りのテーブルだけ、異常な量の食事が置いてある。
「ユウリさん、これ全部私が作ったんですよ。是非召し上がって下さいね」
 そういうと彼女は、家でも滅多に見せたことのないとびきりの笑顔をユウリに向けた。だがユウリは彼女の方を見ることなく、一言ああ、と返すと、黙々と食事を続けた。
 ユウリってば、あんなにあからさまに好意を寄せられているのに、なんて反応が薄いんだろう。我が妹ながら、少し可哀想になってくる。
「ところでミオちん、ゆーべ幽霊見たってホント?」
「えっ!? いきなり何?」
 突然シーラが尋ねてきたので、私はパンを取り落とした。
「だって、あたし幽霊なんて見たことないからさ、どんな感じなのか気になって☆」
「そ、そんなに興奮すること?」
「だって、滅多に体験できないことだよ? いーなー、うらやましいなぁ、ミオちん」
 いやいや、全然うらやましくなる要素なんてないんですけど。出来ればもう二度と体験したくない。シーラはお化けが怖くないんだろうか?
「ねー、ナギちんも見たいよね?」
 話を振られたナギは、どことなく苦い顔をしている。
「別に幽霊には興味ないけどよ……。なんか今お前が言った話、それ夢で見たわ」
「は? あ、ひょっとして……予知夢?」
「そ、多分な。前ロマリアで、墓場でおっさんの幽霊見たって言ったろ?  それミオのことだったんだな」
「あー、そう言えば言ってたね。でもナギ、懐かしい感じするとか言ってなかったっけ?」
「それはオレじゃなくて、ミオの目線で感じたからだと思う。実際目が覚めたときは何も感じなかったし」
 確かに夢だと楽しかったり、怖かったりとか感じるときあるけど、朝起きて思い起こしたりすると全く関係ない感情だったことってある。
「じゃあ自分だけじゃなく、他の人の未来も見えるってことなんだね! すごいじゃんナギ!」
 私は目を輝かせて言った。ナギはまんざらでもない様子でふんと鼻を鳴らした。
「まーでも、見たいときに見れないのが難点だよね~」
「それに内容が抽象的過ぎて忘れちゃうよね」
「なんだよお前ら! 散々上げといてから一気に落とすんじゃねえよ!」
 シーラと私の鋭い指摘に、長くなりかけたナギの鼻がぽきっと折れた。
 ユウリと違って、ナギだとこういう冗談も言えるからつい言い過ぎちゃうんだよね。気をつけよう。
 私たちはひとつ残らず朝食を平らげると、お母さんとエマにお礼を言った。
 ユウリもあんな態度をとってはいたが、エマが作った分のお皿も残さず食べていたので、エマはとても喜んでいた。
「もう出発するのかい?」
「うん。これからノアニールに向かうから、早めに出るつもり」
「ノアニール……。そういえば昨日言ってたよね。何でまたそんなところに?」
 私は二人に事情を話した。すると、ノアニールがそんな事態になってることを知らなかったようで、二人は顔を見合わせた。
「なんだか心配だね」
 エマが言うと、お母さんは意を決したように私たちの方を見た。
「そんな遠いところに行くんなら、途中でお腹空くだろ。ちょっと待ってな。今から急いでお弁当作ってあげるよ」
「え、いいよそんな無理しなくて」
「ダメだよ! 食事はちゃんととらなくちゃ! 生きてく上で健康が第一なんだよ!」
 お母さんにぴしゃりと窘められ、小さくなる私。隣でユウリが小さく呟いた。
「親が親なら子も子だな」
「? 何か言った?」
 ユウリはなにか言いたげな顔をしたが、それきり無言だった。


 日が高くなりはじめた頃、私たちは皆に笑顔で見送られながら、実家を後にした。
 途中で村の教会に寄り、神父さんに夕べお墓を掘り起こしたことを謝ると、神父さんは怒るどころか、私が来ることを察していたようだった。
「フェリオさんからお話は伺っています。自分の弟子にどうしても渡したいものがあるからと。もしお墓を掘り起こしても、咎めないでくれとおっしゃっていましたよ」
 師匠の優しさに、私は胸を打たれた。そこまで気にしてくれてたなんて。
「そうだったんですね。ありがとうございます」
 私は神父さんにお礼を言うと、教会を出た。道具屋で旅支度を済ませ、村の反対側の出入り口へと向かう。
「もう出発しちゃって平気なのか?」
「うん。アリアハンに旅立つときにもうお別れの挨拶しちゃったし、それにあんまり長くいても別れるのが惜しくなるだけだもん」
 平気と言えば嘘になるが、私だけ家族や村の皆にいつまでも甘えるわけにはいかない。
「ミオちん、その荷物って全部お弁当?」
 シーラが気になっているのは、私が持っている大きめの荷物。
「そうだよ。随分張り切って作ってくれたみたい」
「おっきいねぇ~」
 一人用と大人数用のお弁当箱が一つずつ、布製の袋に入れられている。おそらくユウリだけ特別なのだと思われる。
「お昼になったら、みんなで食べようよ」
「やった~!」
 もう完全にピクニック気分だ。たまにはこういうのもいいな。
 村を出たあと、途中何度か魔物に遭遇したが、カンダタ一味を撃退した私たちの敵ではなかった。
 その上師匠からもらった鉄の爪の威力が想像以上に高くて、武器の重さなどほとんど気にならない。何しろ今まで出したことのない会心の一撃まで出せるようになったのだから、扱えた感動よりも驚きのほうが大きかった。
「いいな~ミオ、オレも強い武器ほしいな~」
「ナギだってロマリアで武器買ったじゃない」
「お前の方が入手方法がかっこいいじゃん」
「どういう理由なのそれ?」
「ねーねー、ユウリちゃん、お腹空いたー!! お昼にしようよー!」
「お前ら、少しは静かにできないのか? ……まあいい。ちょうど魔物の気配もないし、ここで一度食事にするぞ」
「やったー!!」
 ユウリの同意を得たシーラは、満面の笑みでエマの用意したお弁当の包みを開ける。
「この小さいのがユウリで、あとの大きいのが私たちのだよね、きっと」
 言いながら私はユウリに小さい方のお弁当を渡す。手にしたユウリは訝しげに私を見た。
「なんでこれが俺のなんだ?」
「え、いや、だって、朝食のときもユウリの分だけやたら多かったし……」
 エマってば、会う前から勇者であるユウリを気にしていたからなあ。昨日実物を見てますます好きになっちゃったんだと思う。
「そういえばお前の妹、夕べ俺の隣で何か喋ってたな。全く覚えてないが」
「えっ、覚えてないの?」
 確かに夕飯のとき、さりげなくユウリの隣に座って、飲み物を注ぎながら一方的に話しかけてた気がする。
「ひょっとしてユウリ、見た目の割にお年寄り並みの記憶力とか……?」
「そこの崖から落としていいか」
「ごめん、冗談だよ」
 あまりにも興味が無さすぎるのでつい意地悪で言ったつもりだったが、ユウリの目は本気だった。
「いーから早く食べようよぅ!」
 待ちきれないとばかりにシーラが、目の前の大きなお弁当箱の蓋を開ける。中には何種類ものおかずやサンドイッチがぎっしり入っていた。
「うわぁ、美味しそう~!!」
 言うやいなやシーラはサンドイッチに手を伸ばし、ナギも目を輝かせながら鶏肉の唐揚げを頬張る。
 すぐになくなりそうだったので私も急いで食べようとしたとき、お弁当箱の隙間に手紙のようなものが挟まっているのに気がついた。
 開くと、エマの字でこう書いてあった。
ーユウリさんの分、たくさん作りすぎてしまったのでみんなで分けてください。
 これって、もしかして……。
「まさか、この大きいのがユウリの分だったの!?」
 どう見ても三~四人前は入っているんだけど。これ全部ユウリに食べてもらうつもりだったんだろうか?
 振り向くと、皆してユウリのお弁当に手を伸ばしている。
 まあ結局みんなで食べてるからいっか。夢中になると周りが見えなくなるところは変わってないな。
「なに思い出し笑いしてんだ。気持ち悪い奴だな」
「ほら、これ見て。やっぱりユウリのことが好きなんだよ。この大きいのがユウリのなんだってさ」
「ふん。いいから早く食べろ。今日中にはこの山を越える予定だからな」
 からかい混じりに私はいい放つ。こういうことに慣れてないのか、照れ隠ししているのが私にもはっきりわかる。こういう彼を見るのは新鮮でちょっと楽しい。
「ところでさ、ノアニールまであとどのくらいなんだ?」
 地図を眺めているナギに尋ねられ、私は大体の場所を指差した。
「そうだね、この地図で見ると確かノアニールがここだから……」
「山道が多いことを考えると大体5日ってところだな」
 ユウリが瞬時に答えを出してくれた。とりあえず食糧は多めに買い足してあるので困ることはないはず、だった。

 今思えば、10年間ノアニールに異変が起きていることがどれだけ深刻なのかをもっと真剣に考えるべきだったのだ。
 ただの調査で終わるつもりが、こんな大事になるだなんて、このときは誰も想像すらしていなかったのだから……。

 

 

エルフの里

「なんなんだ、この村は……?」
 カザーブを出たあと、私たちは予定通りの日数で旅路を経て、無事ノアニールにたどり着いた。
 だが、村を見回してまず目に入ったのは、村人が全員眠ったままの状態であちこちに立っていたり、横たわっていたりしている姿だった。しかもただ寝ているだけではない。立ったままイビキをかいている人もいれば、食事の最中に鼻ちょうちんを出してる人だっている。
 とにかく起きている人は誰一人おらず、それはあまりにも不自然な光景だった。
「とりあえず、手分けして村の中を回ってみようぜ」
 真相を探るため、ナギの提案に賛成した私たちは、休む間もなく皆で村中を歩き回ることにした。
それから約数十分後、村から少し離れた家の近くで、ただ一人眠っていない老人と出会った。
 その老人は私たちに気づくと、仰天したような表情をしたあと、ものすごい早さでこちらにやってきたではないか。
「おお、まさか、起きている人間に会えるとは思っても見なかった。なんという奇跡なんじゃ……」
 そう言うと老人は、ユウリの目の前で泣き崩れた。栄養失調なのかガリガリに痩せ細っており、顔も痩せこけ今にも倒れそうだ。
 ユウリはその場にしゃがむと、なおも震える老人の体を支えながら尋ねた。
「一体この村に何があった?   詳しい話を聞かせてもらえるか」
 老人は顔をあげると、ユウリの顔をまじまじと見た。
「あなたは……。初めてお会いするが、なぜか懐かしい感じがする……」
「? なんの話だ?」
ユウリが訝しげな顔をすると、老人ははっと我に返った様子で頭を振った。
「いや……気のせいじゃな。すまない、旅の人。わしはマディン。この村に住んでおる」
 マディンさんの話によると、村がこうなっているのはエルフの女王を怒らせてしまったからだと言う。
「今から約十二年前、わしの息子はエルフの女王の娘さんと恋に落ちてしまったんじゃ」
 世界には様々な種族がいる。とりわけ仲が悪いのが、私たち人間と、エルフの二種族なんだそうだ。
 無知で傲慢な人間と、寿命が長くプライドの高いエルフが恋に落ちるなど、前代未聞。
 エルフの女王は人間が自分の娘を誑かしたと思いこんだ。そして自分の娘にも、それは本当の恋ではない、あなたは騙されていると説得し続けていたらしい。
 けれど、女王の娘……アンさんは、母や周りのエルフたちの反対を押し切って、マディンさんの息子と駆け落ちをしてしまったのだ。
 しかもそれだけならまだしも、アンさんはエルフ族の宝である、『夢見るルビー』という宝石も持ち出してしまったらしい。
 それを知ったエルフの女王は、悪いのはすべて人間だといい、ここノアニールに呪いをかけてしまった。
 それから何年たっても息子とエルフの娘は戻らず、村人も未だ目覚めることはないと言う。
「息子たちを待っているが、あれから十年以上の年月が経った今でも一度も戻ってきていない。会えずとも、せめて今どこで何をしているかが知りたいのじゃ……」
「近くにエルフの里があるんだろう。なぜ直接女王に会って話をしない」
 ユウリがもっともな意見を言うが、老人は眉間に皺を寄せながら首を横に振り、
「会いに行こうとした。だが、呪いはわしにもかけられていてな。何度この村から出ようとしても出られないのじゃ。これでは息子たちを探すことすらできない……」
 そういうと、手を両手で覆い、嗚咽を漏らした。
 村から出ることも出来ないなんて……。なんでここまでひどいことをするんだろう。
「そんなに自己中心的な奴らなのか、エルフ族は。なら、勇者である俺が直談判してやろう」
「なんと、あなた様は勇者なのか?!  ということは、オルテガ様のご子息では?!」
  マディンさんのその言葉に、ユウリは目を丸くした。
「親父のことを知っているのか?!」
「うむ。確かあれは村が呪いにかけられる前日のことじゃ。わしは直接お会いしたわけではなかったが、宿屋から出ていくのを見たんじゃ」
「ということは、その日にこの村を出たってことか……。なんの用事があってこの村に来たんだ?」
「さあ……。宿屋にいた人なら知ってるかもしれんが、生憎わしは偶然見かけただけなんでな。オルテガ様の真意はわしにはわからぬ」
「……まあいい。そんなことより今はエルフの女王のところに行くのが先決だ。おいジジイ、その女王がいる場所を教えろ」
「女王がいるエルフの里は、ここから西に半日ほど歩いた先にある。……じゃが、本当に助けてくれるのか?」
「ふん。最初はあまり気乗りしなかったけどな。お前の話を聞いたら気が変わった」
  そういうとユウリは、すっくと立ち上がり、マディンさんに手をさしのべた。
「俺がこの馬鹿げた呪いを終わらせてやる」
  勇者のその言葉を聞いて、マディンさんの瞳に光が宿る。
「おお……!   ありがとう……!  あなたこそ、真の勇者じゃ!!」
 マディンさんはユウリの手を両手でしっかりと握りしめると、ゆっくりと立ち上がり、何度も何度もお礼を言った。
その光景をしばらく眺めていると、いつの間にかユウリがこちらを見ているではないか。
「何をボーッとしてる。早くエルフの里に向かうぞ」
「あ、ごめん。今行くよ」
 私はあわてて皆のあとを追う。
 ユウリの言うとおり、ボーッと見てしまっていたのは自覚していた。なぜなら、さっきの二人のやりとりが、まさに私が憧れていた勇者の姿に見えてしまったからだ。
 普段の彼からは想像もつかないが、彼は人々を救う勇者なのだと言うことを、改めて認識させられた。



「あなた方人間にお話しすることは何もありません。どうかお引き取り下さい」
  にべもなくそう言い放たれ、私たちは目の前にいる人……ではなくエルフの女王様の言葉通り、その場から離れるしかなかった。
 そもそもなぜ私たちがエルフの女王様とこんなやり取りをしているのか、順を追って説明しなければならない。
 里の行き方を老人に教えてもらい、あっさりとたどり着いた私たちは、美しいエルフの女性に煙たがられても全く動じないユウリを先頭に、どんどん奥へと入っていった。里の奥にはエルフの女王様が一段高いところに座っており、左右には人間のお城で言う見張りの兵士のような立ち位置のエルフたちがこちらを見て睨んでいる。こちらが近づくにつれ、女王様の端麗かつ無機質な顔立ちが、次第に険しい表情に変わっていく。
「あなた方は人間ですね。勝手に我ら神聖なるエルフの地を踏み歩く粗野で乱暴な種族が、私に何の用ですか?」
  右側にいるエルフの一人がいきなり棘のある質問を突きつける。だがそんな質問にも臆することなく、我らがユウリはロマリア王に謁見したときの立ち居振舞いで優雅に返した。
「突然このような形で拝謁することをお許しください。私は勇者オルテガの息子のユウリと申します。私たちはノアニールからやって参りました」
「そのような名の村など知りません。どうかお帰り下さいませ」
  言葉を途中で遮られ、ユウリの眉根がぴくりと上がる。
「しかし、現にノアニールにいる老人から話を聞きました。あの村に呪いをかけたのはエルフの里の女王様であると」
「まあ!   その言い方では女王様が一方的に悪いように聞こえますわ」
 左側のエルフが嫌みったらしい様子で口を挟む。
「けして女王様のことを責めているわけではありません。ただ、なぜあの老人と話し合うこともせず村に呪いをかけてしまったのか、女王様のお心が知りたくてこうしてお目にかかったのです」
  なおもユウリは女王様との話し合いを求める。だが、当の女王様はこちらを見ようともしない。
「人間というものはなんと愚かで浅ましいのでしょう。そもそもアン王女様は人間の男などに恋をするような方ではありません。この里の宝である『夢見るルビー』を持ち出してしまったのも、人間の男に唆されたからに決まっておりますわ」
  右側のエルフが汚らわしいものでも見るかのようにこちらを睨む。
「そうよ! 実の娘にエルフの宝を持ち出された女王様の心労があなた方にわかって!?」
  左側のエルフは今にもこちらに掴みかかりそうな勢いである。それを右側のエルフが静かに制した。
「女王様は今気分が優れないそうです。これ以上あなた方が側にいればお体を悪くする危険性もございます。どうかお引き取りを」
  そう言うと、彼女は手にしている護衛用の槍をゆっくりとこちらに傾けた。
  見目麗しい三人のエルフに門前払いされ、なす術もない私たち。
  一見すると冷静な表情をしているが、ずっと一緒に旅をしてきた私たちにはわかる。ユウリが今までにないくらい腹を立てているのだと言うことを。けれどプライドの高い彼は、ここで暴言を吐いたり暴れるようなことはしないだろう。ただ静かな口調からは、明らかに怒気を含んでいるように感じる。
「ならば最後に一つだけ。娘さんが行方不明になったあと、ご自分で探されたりはしなかったのですか?」
 そういうと、攻撃的な目を女王様に向ける。
 すると、今までこちらを全く見ようとしなかった女王様の目がかすかに光った。
「あなた方に……。何がわかると言うのでしょうか」
 その声は絶望に満ちていた。そして、冒頭へと戻る。
「あなた方人間にお話しすることは何もありません。どうかお引き取り下さい」
 ユウリもこれ以上は何も言えなかった。仕方なく私たちはエルフの里を後にし、老人の待つノアニールの村へと戻った。



「しっかしどういうつもりなんだろうな、エルフの女王様は」
 ノアニールに戻ったあと、マディンさんの家にお邪魔させてもらうことにした私たちは、彼のご厚意により、ここで一泊することになった。
  夕食は、村の途中の森にいた獣や魔物の肉を倒して剥ぎ取り、マディンさんと皆で食べた。
  何しろマディンさんの家には必要最低限の食糧しかないのだ。急に四人も泊めさせてもらう上、食事までごちそうになるわけにはいかない。なので自分達で食べる分は自分達で調達するしかなかった。
 その後リビングで明日の予定を話し合い、一息ついたところでナギは眉をひそめて言った。
 ちなみにマディンさんは日が沈むと同時に休んでしまった。十年以上も一人で自給自足の生活しているため、このサイクルは崩したくないらしい。
「う~ん、女王様の気持ちもわからなくはないけど、だからって十二年も呪いをかけ続けてるなんて、ひどいと思う」
「エルフって、寿命が長い分、時間の感じ方も違うって本に書いてあったよ☆」
「へえ、そうなんだ……って、なんでシーラお酒持ってんの?!」
「えへへ、おじーちゃん、お酒飲まないからってあたしにくれたのー!」
  いやいや、あげると言われたからってそんな簡単にもらっちゃっていいの?   ユウリはユウリで村に戻るなり一人でどっかに行っちゃうし。
 なんて考えてたら、噂をすればなんとやら。息切れしながらユウリが戻ってきたではないか。
「ユウリ、どこ行ってたの?」
「村の周辺を探っていた。何か手がかりがないかと思ってな」
「手がかりって?」
「本っ当にバカだなお前は。駆け落ちした二人の足取りに決まってるだろうが」
「えーっ!  ユウリ一人で探してたの!?   言ってくれれば私も手伝ったのに」
「普通の人間なら言わずとも察するだろ。俺に従い黙って手伝うのが当然だろうが」
 そういうものかなあ?   うーん、こういうところはやっぱりいつものユウリだ。
「で、結局手がかりはあったのか?」
 ナギの問いに、ユウリは首を横に振る。
「手がかりはないが、この近くに人が入れそうな洞窟があった。何もないよりはましだからな。明日その洞窟に行くぞ」
 洞窟かあ。そんなところに二人がいるとは思えないけど、でも何もしないよりはいいよね。
「うん、わかった。明日そこに行ってみよう」
「まー、勇者様がそう言うんなら仕方ねーな。オレもエルフたちにあんな言い方されて黙ってらんねーし、協力するぜ」
「あたしもおじいちゃんにお酒のお礼しなきゃなんないし、頑張るー!」
 やっぱり皆思うことは同じようだ。私も女王様や他のエルフの考えには腹に据えかねていた。

 みんなそれぞれ決意をしたところで、今日のところはこれでお開きになり、マディンさんの家の二階で休ませてもらうことにした。
 さすがに一部屋に四人は狭かったが、長旅でずっと野宿だった私たちにとっては、屋根のある場所で寝られるだけでも贅沢だ。
 ただひとつ不満があるとしたら、ナギの寝相の悪さだ。野宿のときも一人だけとんでもないところに寝転がってることがしょっちゅうあったが、それは室内でも例外ではない。今回も寝てる間壁に激突したり、足で私の顔を蹴られたりされて、何度も起こされた。
 特に被害を被ったのはユウリで、朝起きたら髪はボサボサで、額には青アザまでついている。まあ、すぐに回復呪文で治ったみたいだけど、あのあと何度もナギにベギラマを放っていたのは私も少し同感だ。
 ともあれ、一晩休んで体力も回復した私たちは(一人だけダメージを食らってはいるが)、食事もそこそこに洞窟へと向かうことにした。
 

 

夢みるルビー

 マディンさんの息子とエルフの女王の娘を探す手がかりを見つけるため、ノアニールの近くの洞窟に向かった私たち。
 洞窟の中はひんやりとしていて、不思議と力がみなぎるのを感じた。魔物も現れたが、どういうわけかこの洞窟にいるときの方が戦いやすい。
 自分の体の変化を皆に伝えたら、やっぱり同じように思っていたようだ。
「もともとここが聖なる場所だからなのか、エルフの里に近いからなのかわからないが、確かに不思議な力を感じるな」
「見て!   ここの湧き水すっごいキレイだよ!」
  シーラが指差す通り、岩壁の隙間から流れる湧き水は透き通っているどころか、ぼんやり青く光っているようにさえ見える。ためしに両手で掬って飲んでみると、今までの疲労感が一気に消え去って行くのを感じた。
「すごい!   このお水飲んだら疲れが取れたよ!」
 私の言葉に、皆が興味津々で湧き水を飲もうと集まってきた。水を口に含むと、皆私と同じような感想を漏らした。
「もしかしたら源泉を辿って行けば何か手がかりが見つかるかも知れないな」
 ユウリがポツリとそういうと、まるで地図でも見て歩いてるのかと思うほど迷いなく、一本の細い通路へ進んでいってしまった。
「まっ、待ってよユウリ!」
 慌てて追いかける私たち。もうすっかりこのシチュエーションが定番になってしまっている。
 そんなこんなで奥へと進んでは見たが、手がかりらしきものは今のところ何も見つかってはいない。ついには行き止まりの場所まで来てしまった。行き止まりと言っても岩壁に囲まれてる訳ではなく、湖の上に立っているような感覚であり、おそらくここが源泉かと思われる。
 鍾乳石から流れ落ちる水滴の音しか聞こえないこの場所に私たち以外の人間がいるはずもなく、一同に重い沈黙が続く中、突然ナギが大声で叫んだ。
「おい!   こっちに何かあるぞ!」
 ナギが指差した方を見ると、地面に何やら光る物体が、半分ほど顔を出しながら埋め込まれていた。
 それに近づいてよく見ると、それは血のように真っ赤な宝石だった。宝石の横には手で持てるくらいの大きさの瓶も埋まっており、中には手紙が入っている。
 私はなんでこんなところにあるのだろう、そう思いながらも、あまりにも美しいその宝石に目が離せないでいた。
 ずっとその赤い世界を、見つめていても、飽きないほど、魅力的で……。
赤い景色が……、光って……、まるで……。
「…………!!   …………ぃ!!   …………だ!!」
 何も……、聞こ……えな……い……。せか……が……、と……、って…………。
「ミオ!!」
 がしっ!!っと後ろから肩を掴まれ、私はハッと我に返った。
 今……私どうなって……?
「ミオちん!   大丈夫!?   返事がないから心配したよ~!!」
「どうしたのシーラ?   私今どうなってたの?」
「あの宝石見たとたん、いきなりミオちんが石像みたいに動かなくなっちゃったんだよ!!」
「どっ、どういうこと!?」
「本っ当にお前はトラブルメーカーだな!   あのままずっとあの宝石を見てたら今頃マヒして一生動けなくなるところだったんだぞ!!」
「ゆっ、ユウリ?!   どうして!?」
 後ろを振り向くと、怒りと焦りに満ちた顔のユウリが私の体を支えていた。
「あれは『夢見るルビー』と言って、見た者をマヒさせる危険な宝石だ。そして……エルフの里の宝でもある」
 そう言って手を離すと、その場にしゃがみこみ、地面にめり込んだルビーを力を入れて外した。
「どうしてこんなところにあるのかわからないが、これだけでもエルフの女王のところに返していかないとな」
 ユウリはなるべくルビーを見ないように埃を払い、自分の懐に入れた。
「なあ、きっとこれ、二人が書いた手紙だよな」
 ナギがルビーと一緒に置いてあった瓶を掘り起こすと、中にある手紙を取り出した。私たちもそこに集まり、ナギが手紙を広げるのを待つ。
 手紙には、小さな文字でこう書かれてあった。
『お母様へ。先立つ不幸をお許しください。私たちエルフと人間、この世で決して許されぬ愛ならば、せめて天国で幸せになります。ーアンより』
 そんな……。まさか二人は……。
 私は無意識に湖の底を覗き込む。けれど、底は闇が広がっているだけで何も見えない。その暗くはっきりしない闇は、まるで今回の出来事を反映しているかのように思えた。
 手紙を読み終えたナギも、沈痛な面持ちで湖を見つめる。
「……二人はここへ身を投げたってことなんだよな。もっと早く周りが気づいてやってれば、こんなことにはならなかったんだろうに」
 そういうとナギは、湖に向かって拝礼をした。シーラもナギの隣に座り、必死に涙を拭っている。
 私たちがもっと早くここに来ていたら。
 理解してくれる誰かが周りにいてくれてたら。
 エルフの女王が娘のことを受け入れてくれてたら。
 いろんな後悔がどんどん生まれて、それをどれだけ思い付いても、現実を思い返すたび泡のように儚く消えていく。過去はどうやっても戻ることはできない。わかっているのに悔しい気持ちが溢れだす。
 ふと肩にぽん、と手を置かれ振り向くと、ユウリが湖の方を見ながら何かを決意したように言った。
「とりあえず、俺たちが今できることをやるぞ」
 そうだ。ユウリの言うとおり、私たちにしか出来ないことがあったんだ。
 このルビーを女王様に返せば、何か変わるかもしれない。私たちはユウリの呪文で洞窟の外へと戻り、再びエルフの里へと向かった。



「そうですか……。ではアンはあの男を本当に愛していたのですね……」
 ユウリからルビーと手紙を受け取った女王様は声を震わせ、自身を納得させるようにそう呟いた。陶器のような肌の彼女の顔は、以前会った時よりも蒼白の色が滲み出ている。
「私が二人を許さなかったばかりに、アンには辛い思いをさせてしまった……。私は、私はなんて愚かだったのでしょう……」
 真紅の瞳から零れる無数の涙が、彼女の娘に対する愛情の深さを表している。女王様も、娘のアンさんに幸せになって欲しかったんだ。でも、どこで間違ったんだろう。掛け違えたボタンのように、お互い本当の気持ちを理解出来ないまま、悲しい結末を迎えてしまった。
「……わかりました。こうなってしまったのは私にも原因があります。この『目覚めの粉』を持って行きなさい。それでノアニールの呪いは解けるはずです。きっとアンもそれを望んでいることでしょう」
 女王様は側にいるエルフに『目覚めの粉』を持ってこさせ、ユウリに渡した。ユウリは深々とお辞儀をし、申し訳なさそうに言った。
「ありがとうございます。私も女王様の心中を察することもせず、不躾な態度をとってしまい申し訳ありませんでした。では、私たちはこれで失礼させて頂きます」
 くるりと踵を返し、この場から離れようと歩を進めようとしたとき、女王様に呼び止められた。
「先日、あなたは勇者オルテガの息子とおっしゃいましたね。あなたも、魔王を倒すのですか?」
「はい。父は私が幼い頃魔王を倒しに行ったまま、消息を絶ちました。未だ魔物が蔓延る世を平和へと導くため、私は父の意志を継ぐことにしたのです」
「……そうだったのですね。私は人間全てを許した訳ではありません。ですが、この世界を救ってくださるあなた方には、出来る限りの協力をします」
 そういうと、今度は右手の中指に嵌めてあった小さな指輪を外した。
「アンの居場所を教えて下さったお礼も兼ねて、この『祈りの指輪』を差し上げましょう」
 小さな宝石がついたその指輪は、なんとなくだがさっきの洞窟と似た神秘的な雰囲気を出しているように見える。
「ありがとうございます。必ず魔王を倒し、世界に平和をもたらすことを約束します」
 指輪を受け取ったユウリは、まっすぐに女王様を見据え、力強く言った。



 ノアニールに戻り、ユウリは早速『目覚めの粉』を使用した。粉を手のひらに乗せてみると、粉がひとりでに宙を舞い、やがて村全体に散らばっていった。
手のひらから粉が全てなくなると同時に、静寂に包まれた村に人の話し声が次々と聞こえてくる。人の足音、動物の鳴き声、どれも当たり前に耳にする音だ。だが、この村にとっては十数年ぶりのことなのだ。
「よかった……!   これで皆普通の生活に戻れるね」
私がほっとしながら言うと、隣にいたユウリが難しい顔でため息をつく。
「そんな簡単に普通の生活に戻れるとは限らないけどな」
「え?」
「眠ってたとは言え十数年も経ってたんだ。色々困ることも出てくるだろ。例えば、あそこの家を見ろ」
 ユウリに言われるがまま、西側に建っている家を見た。よく見れば、あちこち壁に穴が空いており、ちょろちょろとシロアリやネズミが行き来している。さらに屋根と壁の間には蔦や蜘蛛の巣が張っており、見る限りとても今後人が住めるような状態ではなかった。
「おそらく村人は呪いの副作用で老化までは進んでいないようだが、建物までは作用してなかったようだな」
「でもよ、案外何とかなると思うぜ?   オレが住んでた塔だって、ジジイがオレくらいの頃からアジトとして使ってたらしいし」
「お前ら家族と同じに考えるな」
 冷静にユウリが言い放つ。
「そういえばナギのおじいさんって、昔何やってたの?」
 確かおじいさんの弟子が、ユウリが今持ってる盗賊の鍵を作った人だったんだっけ。てことはやっぱり……。
「ジジイの話だと、当時アリアハンじゃ知らない人はいないくらい有名な義賊だったらしい」
「義賊?」
「昔のアリアハンって今より魔物がいなかったからなのか知んないけど、貧富の差とか結構ひどかったみたいだぜ。そんでジジイをリーダーに盗賊団結成して、悪どい商売してるお偉いさんから金品盗み出して貧しい人たちに分けてたらしい」
「へぇ~、ナギのおじいさんってすごい人だったんだね!」
「てぇことはぁ、ナギちんもおじーちゃんみたいになりたくて盗賊になったの?」
「ちっ、ちげーよ!!   ただなんとなく生活するのに便利だと思ったからだよ!!」
 シーラの鋭い指摘に、ナギは顔を赤くしながら必死に反論した。なんて分かりやすい反応なんだろう。
「お前ら、無駄話してないでさっさと行くぞ」
 ユウリに促され、はっと顔を見合わせる私たち。そうだった。もう一人、報告しなければならない人がいるんだった。



「そうか……。あいつはエルフの娘さんと一緒に行ってしまったのか……」
 落胆するマディンさんの表情は、何か吹っ切れたようだった。
 きっと、こうなることを予想していたのかもしれない。女王様の時とは違い、妙に落ち着き払っている。
「ありがとう。息子の居場所を探してくれたばかりか、村の呪いまで解いてくれるとは、夢にも思わなかった。おそらく今まで呪いがかけられていたことを知っているのは、わしの他にはいないだろう。村を代表して、重ねて礼を言うぞ」
 村の呪いが解けても、マディンさんの息子さんは帰ってこない。それでも、一人残されたマディンさんは生き続けなくてはならない。
 マディンさんにとって、それはとても辛いことだ。それでも彼は、笑顔で私たちを見送ってくれた。
 そもそも、皆がこんな辛い思いをするくらいなら、駆け落ちなんてしない方がいいんじゃないのかな?
 私にはまだ恋とかしたことないし、偉そうに言える立場じゃないけど、やっぱり自分が幸せになるなら周りにも祝福してほしい、って思う。
 などとぼんやり考えながら夕日を眺めていると、視界の端で呆れ顔をこちらに向けているユウリと目があった。
「相変わらずの間抜け面だな、間抜け女」
 もう何度目のやり取りだろう。もうすっかりユウリの毒舌が一種の挨拶として定着してしまっている。私は半ば諦めたようにため息をついた。
「そんなに私の顔って間抜けかなぁ?」
「そんなことを聞いてる時点ですでに間抜けだろ、間抜け女」
 そうすげなく言い返され、小さく肩を落とす。もうちょっと言い方をなんとかしようとは思わないんだろうか。
 と、ふとあることを思い出す。
「間抜け女じゃなくて、ミオだってば。……洞窟にいたときはちゃんと名前で呼んでくれたじゃない」
 私は唇を尖らせながらユウリを見た。実は私が洞窟でルビーを眺めてたとき、ユウリが私の名前を呼びながら止めてくれたのを知っている。
 すると、いつもの強気な姿勢はどこへいったのか、急に沈黙してしまった。
「もしかして、今気づいたの?」
「……」
 無言。てことは、無意識だったのかな?
 それはさておき、彼の様子を見るに、今まさにユウリに一矢報いるチャンスかもしれない。これを機に私やシーラたちにもちゃんと名前で呼んでもらおう。
「じゃあさ、試しにもう一回名前呼んでよ!  私、またユウリに名前呼ばれてみたいな」
「なっ、ばっ……、バカか!  用事もないのに呼べるか!」
 いつになく動揺の色を隠せないユウリ。気分を悪くしたのか、そのままそっぽを向いてしまった。
なんだか見てはいけないものを見たような気分になり、これ以上からかうのはよそうと口を噤んだ。
 そこへ、ナギとシーラが走りながらこちらへ戻ってきた。シーラの手にはこの前おじいさんと約束したお酒がぶら下がっている。
「ったく、ホントにお前は酒のことになると人一倍しっかりしてるよな」
「えへっ、だって約束してたもん♪  ちゃんと守らないとね♪」
「二人ともあのおじいさんのところにずっといたの?」
「いや、そのあとちょっと村の様子をぐるっと見て回ってた。その間シーラは酒もらいにずっとじいさんの家にいたみたいだけどな。そんで、村の人と話してるとき、ちょっと気になる情報を掴んだんだ」
「気になる情報?」
 そう言うとナギは、ユウリの顔をちらっと見て、意味ありげに含み笑いをした。
「ああ。多分勇者サマも知らない情報だと思うぜ。何しろ十数年前の話だからな」
「……いいからさっさと教えろ」
 ユウリの言葉に、ナギは小さく首を振る。
「タダじゃあ教えられねーなー。そうだな、1000ゴールドくれたら話してやるよ」
「ベギラマ」
「おーっと!  そんな何回も食らってたまるか!」
 ひらりとその場から飛び退くナギ。だが、着地点に向かってユウリが再び手をかざした。
「メラ」
「うわわわわ!?」
 ナギの足が着く前に小さな火柱が現れ、炎が彼を包み込んだ。割とショッキングな出来事なのだが、いつも通り魔力を制御しているためか、大事には至らない。
「で、情報ってのは一体何だ?」
事も無げに再びナギに質問をするユウリ。だがナギはしばらく喋ることが出来ない。代わりにシーラが一緒に聞いてたらしく教えてくれた。
「んーとね、ユウリちゃんのお父さんが『魔法の鍵』ってのを手にいれるために、アッサラームに行っちゃったんだって」
「親父が!?」
 と言うことは、十数年前にユウリのお父さん……オルテガさんがここに来て、ここからアッサラームに向かったってこと?  そもそも『魔法の鍵』って何?
「古い文献によると『魔法の鍵』は、『盗賊の鍵』よりも複雑で魔法のかかった扉なんかも開けられるようになる鍵だ」
  私の心を読んだのか、それとも顔に書いてあったのだろうか。ユウリが的確に私の疑問を解決してくれた。
「でも、なんでオルテガさんはその鍵を手にいれようとしたんだろう?  結局鍵は手にいれたのかな?」
「さあな。とりあえず、アッサラームまで行ってみないとわからない。ここから徒歩で行くには遠すぎるし、ひとまずルーラでロマリアまで戻るぞ」
「あ!   ロマリア行くなら宿入ろうよ!   あたしシャワー浴びたい!」
  シーラの提案に満場一致で賛成した私たちは、再びロマリアに戻ることにした。
 宿のおかみさんにノアニールのことを報告すると、おかみさんはほっと胸を撫で下ろし、私たちを快く泊めてくれた。
 その夜、シャワーを浴び終えたシーラがまた格闘場に行こうとしたのを私が必死に止めたのは余談である。
 

 

商人の町

 
前書き
2023/12/24 色々改稿しました。 

 
 ロマリアから南東へ移動すること半月。途中小さな町々に立ち寄りながら長い道程を経て、ここアッサラームへとやってきた。目的は、ノアニールで聞いた、『魔法の鍵』の情報である。

 十数年前、ユウリのお父さん、つまりオルテガさんは、魔王を倒す旅の途中、『魔法の鍵』を求めてアッサラームへと向かった。実際に『魔法の鍵』を手に入れたかはわからないが、ユウリによると、私たちが今持っている盗賊の鍵よりも複雑な鍵の作りの扉も開けられるらしい。その鍵が有れば、魔王を倒すための手がかりが得られるかもしれないとのことだ。

 すでにオルテガさんが魔法の鍵を手に入れてしまっている可能性もあるが、それならそれで彼の足跡をたどれるので、魔王の城に近づくチャンスでもある。

 だが、アッサラームの町に着いてすぐに、真夏かと思うようなけだるい暑さが私たちを襲う。南に進むにつれ、だんだん暖かくは感じていたのだが、アッサラーム地方に入った途端、まるでそこから境界線でも張っているのかと思うほど、気候ががらりと変わっていたのだ。

 まず、道行く人々の格好が全く違う。どちらかと言えば寒いロマリア地方とは違い、ここアッサラーム周辺は砂漠が近いせいか夕方になってもかなり暖かい。男性はシャツ一枚か上半身裸、女性でも露出の高めな薄着一枚で町中を歩いており、普段スカートすら履かない自分にとっては理解しがたい文化である。

 他の町では浮きまくってたシーラのバニーガール姿が、ここでは全く違和感がない。むしろ私たちの格好の方が間違ってるんじゃないかと言う気さえおこる。

「うわぁ、すごいにぎやかだね」

 ほとんどカザーブから出たことがなかった私にとって、アッサラームの町はあまりにも刺激的だった。

「アッサラームは世界でも有数の歓楽街だからな」

 汗だくになっている私とは対象的に、ユウリは涼しい顔で答えた。

「でもこの町は暑いね。早く宿屋に行ってお風呂に入りたいよ」

 もうお昼もとっくに過ぎたと言うのに、この炎天下は異常だ。魔王の影響なのか、あるいはもともとこの地域が特殊だからなのかわからないが、とにかく一刻も早く宿に行って疲れと共に汗を流したい。

 そう思っていると、私の独り言が聞こえたのか、通りすがりのおじさんが声を掛けた。

「あいにくこの町にはお風呂がないんだ。シャワーくらいなら大衆浴場にあるけどね」
「そうなんですか? わざわざ教えてくれてありがとうございます」

 私が軽くお礼を言うと、おじさんはこちらを見ながらにやっと笑って去っていった。

「大衆浴場かあ。それなら今夜はそこに行くしかないね」

 私がポツリと呟くと、ユウリが眉間にシワを寄せて答える。

「いや、今夜は我慢した方がいい」
「え、なんで?」
「いいからやめとけ。別に二、三日入らなくても死にはしないだろ」

 ユウリの気迫に負け、私は不承不承にうなずく。なぜそんな頑なに拒むんだろう。けどそれ以上しつこく聞いても余計なこと言われそうなのでおとなしく従うことにした。

「はあ……。じゃあ今日はこのまま寝るかあ……」

 私ががっくりと肩を落としながら言うと、突然シーラが私の手を取り、こういい放った。

「じゃあ今からみんなで買い物に行こうよ!!」
「へ?!」
「おいザルウサギ!! なんでお前が仕切るんだ」
「だってあたし、前ここに住んでたんだもん。オススメのお店くらい紹介してあげないとねっ♪」
『なんだって?!』

 私とナギの声が同時にこだました。ユウリも口には出さないが驚いた顔をしている。

「シーラ、アッサラームに住んでたの?」
「うん♪ ユウリちゃんたちに会うまではここにいたんだ~。それより早く行こっ!」
「買い物ってシーラ、何か欲しいものあるの?」
「ううん。でも、アッサラームのお店は他の町よりもいーっぱいいろんなのが売ってるよ♪」

 その言葉に、私はうーんと唸った。外は暑いが、この町にはいったいどういうものが売られているのか、その好奇心の方が勝った。

「見るだけでもいいんじゃね? 掘り出し物とかあるかもしれねーし行ってみようぜ」

 ナギの一声に、私はさらに興味を抱き始めた。掘り出し物という言葉に反応してしまうのは、商人である父親の影響だろうか。

 その横で、不機嫌そうにしているユウリが口をはさんだ。

「今はそんなことより魔法の鍵を探すほうが先だろうが」
「値切れば結構安くしてくれるよ~?」

 店に行く様子のなかったユウリだったが、シーラの一言で表情がぴたりと止まる。

「……見るだけならいいだろう」

 ユウリの分かりやすい程の変わり身の早さに心の中で苦笑しつつも、私達は宿に足を運ぶ前に、シーラの言うお店に向かうことにした。



 町のメインストリートから少し離れたところにある路地裏。雰囲気は怪しいが、どうやらこのあたりに店があるらしい。久々に訪れたからか、それともこの辺りの家々が密集しているせいか、シーラは時々立ち止まっては辺りをキョロキョロと見回している。

やがて行き止まりにさしかかると、人一人入れるくらいのちいさな扉が見えてきた。シーラによると、ここが目的地のようだ。

 ギイ、と木製の扉を開けると同時に、錆び付いた蝶番の擦れ会う音が鳴り響く。

 まず目に飛び込んだのは、薄暗い店内だった。閉めきったカーテンはお客を呼ぶ気があるのか疑問だが、見渡すとたくさんのアイテムが棚やら壁やらにところ狭しと並んでいる。正面にあるカウンターには誰もいなかった。

「やっほー、ドリス。お買い物しに来たよ♪」

 シーラの声に反応したのか、店の奥から何やら物音が聞こえてきた。しばらくして、火を灯した大きなランタンを持った店の主が姿を現した。

「いらっしゃい。おや、珍しい。シーラじゃないか。久しぶりだね」

 シーラと顔見知りであるその人は、白髪混じりでモノクルをかけた老婆だった。ランタンを天井に吊るす際、背筋をぴんと伸ばす姿が歳の割に若々しく見えた。
 明るくなった店内で彼女は私たちを見た途端、見定めるように一瞥した。特に私の顔をじっと見ていたので、なにか言われるんじゃないかと思わず身をすくめた。

「見たことない顔だね。あんたの仲間かい?」
「うん♪ こっちから勇者のユウリちゃん、ミオちん、ナギちんだよ」
「随分雑な紹介だな」

 ナギのツッコミを無視し、ドリスさんは勇者であるユウリを眺め見た。じろじろと顔を見られ不快に思ったのか、ユウリは苛立ちを顔に出しながら言った。

「おいばあさん、勇者がどんな存在か知らないようだから教えてやろう。俺は何を隠そうアリアハンの……」
「ふん、まあいいさ。それで今日は何の用だい?」
「人の話を聞け!」

 喚くユウリを尻目に、シーラがずいと前に割り込み話を進める。

「今日はみんなでお買い物に来たんだけど、なんかオススメのものってある?」
「うちは薦められないようなもんは売らないよ。そういや、アルヴィスは一緒じゃないのかい?」
「あー、今あたし、ユウリちゃんたちと一緒に旅してるんだ」
「そうかい。いつも一緒だったからてっきり喧嘩でもしたのかと思ったよ」
「そんなことないよ。それより早く見せて!」

 いつも一緒にいたと思われるアルヴィスさんの存在も気になったが、それよりも急かすような口ぶりのシーラもどこか違和感を覚えた。しかしそれに動じることなく、ドリスさんは私達に背中を見せると、店の奥からいろんな品物を引っ張り出してきた。

「あんたが本当に勇者だってんなら、こんなのはどうだい?」

そう言って広げてくれたのは、今までどのお店でも見たことがない武器や防具だった。私に商人ほどの審美眼は備わってないが、ぱっと見ただけでそれなりの価値があるということはわかる。

「どうだい? 今ならお得意さんのこの子に免じて、二割引きで売ってあげるよ」

ぴくりとユウリの眉根が上がる。彼はすぐ近くにあった鎖状の武器を手にすると、険しい目つきでまじまじと見た。そしてため息をつくと、その武器をドリスさんの目の前に突きつけた。

「二割引きだと? おい、この柄のところを見てみろ。細かな傷がついてるぞ」

 言われてドリスさんはモノクルをかけ直し、じっと見る。

「何言ってんだい! こりゃ傷じゃなくて職人がわざとそういう装飾にしてるんだよ! ちょうどここのクロス部分にあしらうことでデザインに幅を持たせてんだ。そんなこともわからないのかい?」
「そんなことはわかっている。俺が言いたいのはここの装飾に不規則な傷があると言ってるんだ」
「よく見な。そこは光の加減でそう見えるだけさ。この角度で見てごらん」
「お前の目は節穴か。どうみてもこの部分は違うだろうが」
「あんたこそどこに目がついてんだい。これはこういう技法で……」

 などと舌戦を繰り広げること数十分。結局最初に提示された値より少し負けてはくれたが、ユウリが望む金額には程遠かった。

 あのユウリを値切らせないなんて、すごい人だ。現にあれほど交渉を続けていても平然としているドリスさんに比べて、ユウリの方は疲労の顔が出ている。

「はい、じゃあチェーンクロスと、鉄のオノだね。……誰が持つんだい?」

 ユウリは無言で、ナギにチェーンクロスを、シーラに鉄のオノを渡した。
「え……買ってくれんのか?」
「そんなわけないだろ。自分で払え」
「はあああ??!!」

 まあ、そうだよね。でも二人のために選んだり、値切ろうとしただけでも進歩したと思う。

「そこの武道家っぽい子には選んであげないのかい?」

 急に話を振られ、戸惑う私。私には師匠からもらった鉄のツメがあるし、今さら買うものなんてないのだけれど。

「武器はいらん。それよりこいつに合う防具はあるか?」

 意外にも、ユウリは私の防具まで選んでくれようとしていた。

「防具ねえ……。武道家が装備できるってなると、なかなか在庫がなくてねえ……。あ、これなんかどうだい?」

 そう言ってドリスさんは、別の場所から木の箱を取り出した。この品物だけ扱いが特別ってことは、そこそこ立派なものなのだろうか? 期待に胸を膨らませながら箱の蓋が開かれるのを待つ。すると――。

「他ではまずお目にかからない一品さ。その名も、『魔法のビキニ』!」

 魔法のビ……え!?

 防具とは思えない名前とその姿かたちに、私の目は点になる。

「見た目に反して防御力は他の防具より段違いに高くてね。なにより重量を気にすることがないから、あんたみたいな武道家にとっちゃ、うってつけの防具だよ」
「え、あ……はあ……」

いやでも、さすがにこれを着て魔物を退治するなんて、無理すぎる。勇者より勇気がいる。一瞬、水着姿で町中を練り歩く自分を想像して、やっぱないなと思った。

「おい、マヌケ女、まさか本当に着る気じゃないだろうな!?」

 ユウリの殺伐とした表情に、私はあわてて否定する。
「まさか、着るわけないじゃん!! ごめんなさい、ドリスさん。せっかく出しといてもらったんですけど、やっぱり無理です!」
「ふん。まあ、これを好んで着れる子なんて、この子みたいな遊び人くらいだろうけどね」

 そう言ってちらりとシーラを見る。いや、わかってるなら薦めないで欲しいです。

「えー? ミオちんなら絶対似合うと思ったのにー」

 残念そうに口を尖らせるシーラ。バニーガールが町中にいるだけでも結構目立つのに、さらに水着姿の女までいたらもはや魔王退治のパーティーではない。

 結局他のものも見せてもらったけれど、どれもピンと来るものがなくて、なにも買わないことにした。

 新しい武器を買い、カウンターの目につく場所にある薬草や毒消し草などを必要分買い揃えたあと、ユウリはドリスさんに尋ねた。

「ところでばあさん。『魔法の鍵』を知ってるか?」
「『魔法の鍵』?」

 その単語を聞いたとたん、ドリスさんの表情が変わった。

「確か何年も前に、同じようなことを聞いてきた男がいたね。確か名前は……」
「『オルテガ』だろ?」
「ああ、そうだった。確かアリアハンの出身で……。てことはあんた、その男の……」
「息子だ。俺はあいつの後を追うつもりはないが、魔王を倒すためにその鍵が必要なんだ」
「……そうかい。じゃあその英雄の息子が旅に出たってのは本当だったんだね。あの子の言うとおりだ」
「あの子?」

 私は思わず口をつく。一体誰のことだろう。この場にいるシーラのことなら、わざわざ『あの子』なんて言わないだろうし。

「残念ながら、あたしは鍵の場所までは知らない。けれど、その鍵の場所を知っている人物がいる場所を教えることはできる」
『えっ!!??』
「オルテガにも同じ事を教えた。けれど、そのあと本当に手に入れたかどうかはわからない。もしかしたら、無駄足になるかもしれないけれど、いいかい?」
「そんなことをいちいち気にしてたら先に進めないだろ。いいからとっとと教えろ」
「はあ。ずいぶんせっかちな子だね。親譲りの性格なのは認めるよ」

 ユウリの物言いにドリスさんは嘆息する。

 すると突然、バタンと勢いよく店の入り口のドアが開かれた。

「師匠! ただいま買付から戻ってきました!! ……!?」

 一斉に入り口の方を見ると、思いもよらない人物がそこにいた。

「る……ルカ!?」
「姉ちゃん!?」

 なんとそこにいたのは、私の5つ下の弟、ルカだった。あまりにも突然の邂逅に、私は腰が抜けそうになった。

「こら、ルカ!! お客様がいるかもしれないんだからドア開けるときは常に気をつけなって言ってるだろ!?」
「あっ、はい!! すみませんでした!!」

 ドリスさんに叱られ、委縮しただひたすら謝るわが弟。再会の感動より、なぜここにいるかという疑念の方が大きかった。

「なあ、ミオ。知り合いなのか?」
「知り合いもなにも、私の弟なんだよ」

 ナギの問いに少し冷静になった私は、先ほどドリスさんが言っていた『あの子』というのが、ルカだということに気づく。何しろその英雄の息子に会いに行くとルカや家族の前で宣言したのは、他ならぬ私なのだから、その情報をドリスさんが知っていても不思議ではない。

 確かお父さんの知り合いのところで修行してるって聞いてたけど、まさかドリスさんがその人だったとは。しかも彼女、かなり商売上手だ。そんな人に弟子入りしてるなんて、同じきょうだいとして鼻が高い。

 そこまで考えて、私がルカの姉であることにドリスさんは薄々気づいていたのではないだろうかと気づく。最初にじっと見ていたのもルカに似ていると思ったからだろう。確かに背丈は私の胸くらいだが同じ黒髪だし、目元や鼻筋はよく似ていると言われている。しかしそれでも家にいるときのやんちゃな少年だった頃に比べて、今のルカはまるで別人のようにたくましく見えた。

 そんなルカは事情もわからず、かと言って身内の前で早々に奥に引っ込むわけにも行かず、手持ち無沙汰な状態でドリスさんの横に立っていた。

「……これだけ買い物をしてくれたんだ。サービスで、その『魔法の鍵』の場所を知ってる奴のところへ案内してあげるよ」
「本当か?」

 ユウリの瞳が光り輝く。ドリスさんは、にやりと笑いながら、

「ああ。ただあたしはもう年だし、店の方で忙しいから、案内はこの子にやってもらうよ」

 そう言って、ルカの方を指差した。

「え……? おれですか!?」

 突然指名され、明らかに動揺するルカ。店に戻るなり、いきなり勇者御一行を案内することになるとは思いもしなかっただろう。しかもその中に、実の姉が混じっているのだ。

「これも修行の一つさ。砂漠のど真ん中に住む変わり者のじいさん、お前も知ってるだろ?」
「ああ、ヴェスパーさんですね。……わかりました! 今すぐ準備してきます!」
「ついでに、あいつにこの間仕入れたもの見せてやりな。あいつは珍しいものが大好きだからね」
「はい!!」

 ドリスさんに指示を受け、文句一つ言わず忙しなく動くルカを見て、私は内心感動していた。家にいたときとはまるで違う。好奇心の塊で、いつもお母さんを困らせていたあのルカが、こんなにしっかり者になるなんて。

「おいガキ。町の外に行くってことは、魔物を倒せるくらいの力はあるんだろうな?」
「あっ、えっと……、いつもは他の冒険者さんたちと同行するんですが、一応姉や行商人の父に、ある程度の体術は教えられてきました!!」
 
 ユウリに尋ねられ、私の方をちらりと横目で見ながら元気よく答えるルカ。

 確かにルカにも体術を教えようとはしたけれど、自分には向いてないのかすぐ途中で逃げ出してた気がしたんだけれど……。

 ためしに目で『本当に大丈夫?』と訊いてみる。案の定彼は、目を泳がせていた。いや、全然大丈夫じゃないじゃん。

「どちらにせよ、 今日はもう遅いから明日出発するんだね」

 ドリスさんの言うとおり、今町の外に出るには遅すぎる時間だった。宿もとってないし、明日の準備も必要だ。ユウリも同意し、ひとまず店を出て休息をとることにした。





 ドリスさんの店を出て数分後、同じく店から出てきたルカが後ろから追いかけてきた。

「どうしたの? ルカ」
「いや、師匠が、せっかく姉ちゃんに会えたんだから、ちょっとは話してきていいって」
「ドリスさんが?」

 仕事中のルカをわざわざ私のところに行かせるなんて、ドリスさんてなんて優しいんだろう。

 ここは彼女の好意に甘えさせてもらおう。先頭を歩くユウリを呼び止めると、後ろにいるルカに気がついたのか、皆立ち止まってくれた。

「あの、遅くなっちゃったけど、紹介するね。私の弟のルカ。私より5つ下の11歳で、さっき見た通り、商人になるためにドリスさんのところで修行してるの」
「はっ、はじめまして! ルカといいます! 姉がいつもお世話になっています!」

 緊張しながらも、はっきりとした声で自己紹介をするルカ。

「姉より大分しっかりしてるじゃないか。俺はユウリ。見ての通りアリアハンの勇者だ」
「やっほ~! シーラだよ☆ よろしくねっ♪」
「オレはナギ。盗賊だ。よろしくな」
「よ、よろしくお願いします!」

 ナギが白い歯を見せてルカの前に手を差し出すと、ルカはぎこちなくその手を握った。その後傍らにいる私の服の裾をくいくいとつまんだ。

「どうかしたの?」

 皆に聞こえない程度の小声で尋ねる。

「なあ、アネキ。本当にあの人が勇者なのか?」

 そう言って、鞄の中身を確認し始めたユウリを指さした。

「うん、そうだよ。それがどうしたの?」
「そっか……。なんかイメージと違うね。もっとガタイのいい人かと思った」
「あはは。でも確かに、あの英雄オルテガさんの息子だよ。剣だけじゃなく呪文も得意なんだから」
「へえ、そうなんだ。でも、姉ちゃんがあの人たちと一緒にいるってことは、きっと間違いなく勇者なんだよね」
「そうだよ。ちょっと難しい性格してるけどね」

 一言多い、と本人に怒られそうだが、事実なのだから仕方がない。ふと実家での出来事を思い出した私は会って一番伝えたかったことをルカに話した。

「そうだ、ルカ。エマが心配してたよ? 最初ロマリアに行ってたって聞いたけど、なんでアッサラームに?」

 ルカは、苦笑しながら答えた。

「聞いてると思うけど、うち貧乏だろ? 単純にお金を稼ぎたかったからさ。父さんも昔、師匠のところでお世話になってたみたいでさ。商売としての腕はこの街でも指折りっていうから二人に頼み込んで無理やり弟子にしてもらったんだ」
「へえぇ……。なんか、ルカがそんなに根性ある子だとは思わなかった。なんかかっこいいね」
「へへっ、まーな」

 そう言いながら得意げに胸を反らす。すぐ調子に乗るところは私に似たのかもしれない。

「あっ、そんなことより、明日大丈夫なの?! 体術なんて、ろくに覚えてないでしょ?」
「いや~、勇者さんたちがいるから、大丈夫かなって思って。アネキだって、魔物の二、三匹くらい余裕で倒せるんだろ?」
「そういう問題じゃないでしょ! あと一言言っとくけどね、ユウリを怒らすと怖いんだから!」
「え、ちょっと待って、どういうこと?」
「言ってることそのままの意味だよ。嘘とかそういうの、すぐバレるから」
「ええ……、どうしよう」

 私がぴしゃりと言い放つと、途端にルカの態度が小さくなる。昔から見切り発車というか、考えなしに行動したり、他人任せな所があったけど、今も変わってないみたいで私はさらに不安が募った。

「そ、それじゃアネキ、取り敢えずおれはこれからお得意先に寄ってくから、また明日師匠のところで待ってるよ。勇者さんたちによろしく!!」

 慌てた様子で急に仕事モードに切り替わったルカは、要点だけ簡潔に言うと、別れの挨拶もそこそこに別の路地へと入っていった。都合が悪くなるとすぐ逃げるのも悪い癖だ。

 この先、ホントに大丈夫かな?

「あれ? ミオちん、るーくんは?」

 初めて聞くあだ名だが、きっとルカのことだろう。

「なんか仕事あるみたいで行っちゃった。また明日だって」
「そっかあ、残念。でもま、明日またお話すればいっか♪」

 ルカの不在に気づいたシーラはそう言うと、なぜかその場でくるっと一回転する。それを横目で見ていたナギが、私に向かってぽつりと呟く。

「なんかお前と正反対の性格してるよな」

 その言葉の意味が良くわからず、頭にハテナマークを浮かべる私。小さい頃はよく似た者姉弟とか言われてたんだけど、一体どう言う意味なんだろう。

「そういう鈍くさいところが弟と似てないって言ってるんだ」

 冷ややかな目で言うユウリのセリフを聞いて、私は納得した。いや、納得してる場合じゃないけど。

「あっ、ねえねえ、あれ見て!」

 シーラが立ち止まって、ある場所を指差す。軒を連ねる商店街を過ぎて少し開けた広場に、大きな建物が建っていた。お城よりは小規模なその建物からは、眩しいくらいの照明と音楽が漏れ出ており、周辺の人々や場の空気を盛り上げていた。

「シーラ、あれなに?」
「あれはね、『劇場』っていうんだよ☆ 歌とか踊りとかを大勢の人が見る場所。ちょうど今始まってるみたいだねぇ」

 懐かしむような目でそれを見つめながら、シーラが教えてくれた。

「シーラはあそこに行ったことがあるの?」
「行ったも何も、あたしあそこで働いてたんだよ?」
「えええっっ!?」
「そうはいってもあたしがやってたのは、踊り子さんとかじゃなくてお客さん相手の給仕係だったけどね~♪」
「逆にその格好でする給仕以外の仕事の方が思い付かんだろ」

 いつのまにか隣にいたユウリが冷静にツッコミを入れた。

「そんなことより、今は明日の準備と休息が先だ。早く今夜泊まる宿を探すぞ」

 劇場を見向きもせず、一人先を行く勇者。その後ろ姿を見ていたシーラが誰に言うでもなく、小さな声で呟いた。

「ふーん。ユウリちゃんなら興味あるかなーと思ったんだけどなー」

 いつも太陽のような笑顔を振りまいている彼女が、何か含みを持ったような笑みを浮かべていたのを、私は見逃さなかった。



 

 

シーラとアッサラーム

『砂漠に入れない!?』
 翌朝早く、ルカを迎えに再びドリスさんの店を訪れた私たちは、店の前で出迎えてくれた彼女の開口一番の一言に、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「ああ、仲間の情報があってね、夕べから砂嵐が頻発してるそうだ。こういうときはやめた方がいい」
 ルカがいないのは、ドリスさんが行かないと判断したからだろう。ユウリは暫く思案し、口を開いた。
「……そうか。わかった。明日は大丈夫そうか?」
「今日の状況次第さね。まあ、この時期はそうしょっちゅう起こるわけでもないし、夕方には落ち着くだろう。とりあえずすぐ出発出来るくらいの準備はしておくんだね」
 そう言うと、用件が済んだからか、さっさと店に戻ってしまった。
「……どうするか……」
 急に何もやることがなくなってしまった。砂漠に行く準備は昨日大急ぎで済ませてしまったし、特に行くあてもない。
「う~ん。だったら、あたしが働いてたところに行かない?」
 脇からぴょこん、と顔を出すシーラ。
「って、昨日見た劇場?」
「そーそー。もちろん今の時間はやってないけど、ここ離れてからゆっくり挨拶もできなかったし、皆にも紹介したいんだ」
 そういうことなら、と私はちらりとユウリを見る。特に不満があるわけでもないようだ。まあ、なにもしないよりはましだと判断したのだろう。
「でもよ、こんな朝早くから人なんているのか?  それとも従業員はあそこでみんな寝泊まりしてるのか?」
「みんなじゃないよ。家から通ってる人もいるけど、あたしみたいに家のない子なんかは寮があって、そこで生活してるんだ」
  ナギの疑問に答えるシーラ。なんかさらっととんでもない事実を聞かされた気がするんだけど、気のせいだろうか?
 ともかく、手持ち無沙汰となった私たちは、シーラの言うとおり、劇場へと足を運ぶことにした。



  ドリスさんの店を離れ、昨日と同じ道を行く。夜とはうって変わって、劇場周辺は静寂に満ちている。
 シーラは慣れた様子で裏へと回り込み、正面入り口と比べて随分小さく作られている木製の扉へと手をかけた。
 ガタガタッ。
「シーラ……。やっぱり鍵かかってない?」
「えへへ。やっぱダメみたい」
 コツン、と自分で頭を小突くシーラ。うん、もう、かわいいから許しちゃおう。
 なんて言っていたら、遠くから人の気配とともに、地面を踏みしめる音が聞こえてきた。
「あら? あなたひょっとしてシーラ?」
 凛とした声が響く。振り向くと、そこには桃色の髪が印象的な、若い美女が立っていた。
 年は二十歳頃だろうか。目鼻立ちの整った容姿はけして近寄りがたい雰囲気ではなく、寝起きの無防備な姿も相まって親しみやすい印象を与える。けれどその深い瑠璃色の瞳は、女の私でも見つめられるとドキドキしてしまうほど魅力的であった。
「あー!   久しぶり、ビビっ!」
「やっぱりシーラ!   やだー、全然変わってなーい!   って、半年前に行ったんだから当たり前か」
 きゃーきゃー言い合いながら、お互い抱きしめあう二人。ひとしきり再会の喜びを分かち合ったあと、戸惑う私たちにようやく気がついたのか、ビビと呼ばれた美女は、はたとこちらを見る。
「あらやだ、友達も一緒だったの?!   やだー、恥ずかしい!」
「はじめまして、ミオといいます」
「どっ、どうも!   オレ、ナギって言います」
「……ユウリだ」
 いつもの無愛想なユウリはともかく、いつになくナギが動揺している。顔を真っ赤にしながら、一度も聞いたことのない敬語を使うナギは違和感ありまくりだった。ひょっとしてナギって、美人に弱いのかな?
「あのねー、ユウリちゃんはね、勇者なんだよ!  そんでね、あたしたちね、魔王を倒しにあっちこっち旅してるんだよ♪」
「えーっ!?   何それすごくない?!   シーラってば、魔王倒しちゃうの?」
「えへへ~、そうなっちゃったらスゴいよね☆」
「カッコいい~!   ……あっ、私ったらまた!  ごめんなさい、自己紹介がまだだったね。私はビビアン。この劇場の踊り子で、仕事仲間のシーラとはよく飲みに行ったりしてたの」
 そういって、ふんわりとした笑みを私たちに見せた。みるみるナギの頬が赤くなる。
「それで、一体何しにここへ?  魔王を倒す旅の途中なんでしょ?」
「それが、今日これから砂漠に向かおうとしたんですが、砂嵐の影響で行けなくなってしまったんです」
 私が答えると、ビビアンさんは憂わしげな表情をした。
「そっか、それは災難ね。じゃあ今日はここで足止めってこと?」
「そーなの。だから今日は一日暇してるの♪」
 こらこらシーラ、ウキウキしながらそういうこと言わない。現に今の言葉を聞いたユウリが青筋立ててるのが見えるんだから。
「うーん、だったら、あなたたちさえよければ劇場の準備、手伝ってくれない?  今ちょうど人手不足で力仕事できる人探してたの」
「はいっ、やります!」
 すっかりキャラが変わってしまったのか、ビビアンさんの提案に、手をまっすぐに上げ即答するナギ。ユウリだけでなくシーラまでもが軽蔑するような目で彼を見ている。
「ありがとう。もちろんお礼は私たちの座長に言ってはずませてもらうから。んーと、これくらいでどう?」
 指で表した金額は、日雇いでもらうには十分過ぎる金額だった。
「勇者さんにお手伝いしてもらうんですもの、最低でもこのくらいは出さないとね?」
「ふっ。さすが、よくわかってるじゃないか。だがあとひとつ足らん。俺たちの昼飯代はどうする?」
 これでも十分もらいすぎなのに、ユウリはまだ要求するつもりだ。
「もちろん後で渡すつもりよ、この劇場内お食事券4名様分を」
 ビビアンさんはきらりと目を光らせ、どこからともなくお食事券4名様分を出してきた。それを見たユウリは満足そうな顔をして、当然のように受け取った。
「お前みたいな女は話が早くて助かる。お前らも少しは見習え」
 そんな見下すような顔でこちらを見られても困る。ビビアンさんもあまり出会わない性格の人に出会ったからか、顔には出していないが若干戸惑ってるようだ。
「とりあえず私はこれから座長のところに行くから、あなたたちはしばらくここで待っててくれる?」
「いや、俺たちも行く。一時とはいえ、こいつを雇ったと言う人間を一度見てみたい」
 そういって、ぐいっとシーラの首根っこを掴むユウリ。どういう理由なんだ。
「あたしも久しぶりに座長さんに会いた~い♪」
 嬉しそうにバタバタするシーラ。ユウリが手を離すと、ウサギのようにビビアンさんのもとへと近づいた。
「わかったわ。それじゃ行きましょうか。私はこのあと朝の踊りの稽古があるから、あとは座長に従ってね」
 にっこりと微笑むと、ビビアンさんは私たちを座長さんがいるという、別の建物へと案内してくれた。劇場よりは小ぶりな大きさだが、長屋のようなその場所は、ビビアンさんたちが寝泊まりする寮、稽古場、座長さんたちの部屋が並んでいる。
 建物の奥にある一回り大きな扉の前に立つと、ビビアンさんはノックして自らの名を名乗った。扉の向こうから低い男の人の声が聞こえてきたので、彼女は素早く扉を開ける。
「失礼します。座長!   シーラが帰って来ましたよ!」
「んあ?   シーラ?」
 座長さんは机に突っ伏したまま寝ていたのか、寝ぼけ眼をこすりながらも私たちに目を留めた。
「はりゃ、夢かと思ったら、ホントにシーラじゃないか!  戻って来たのか?!」
 全体的に小さくて丸っこい体型の座長さんは、シーラを見るなり目を輝かせた。
「んーん、違うよ☆   今は魔王を倒す旅してて、途中でここに寄っただけ♪   ほら、この子が勇者のユウリちゃん」
 ユウリをこの子って……。言われた本人はものすごく嫌な顔をしてシーラを睨んでいる。
「勇者!? ホントにいるの?  都市伝説とかじゃなくて!?」
 座長が目を丸くしながら勇者を凝視する。その驚き方が気に入らないのか、ユウリは目を細め、利き手である左手を座長に向けた。
「だったら目の前で証拠を見せてやろうか?」
「待って待って!!   呪文唱えようとするのはやめて!!」
  本気で呪文を唱えようとしたので、私は慌ててユウリの腕に思い切りしがみついた。
 冷静になってくれたのか、ユウリは即座に腕を引っ込める。
「それでですね、座長。今うち人手不足じゃないですか。今日ちょうどユウリさんたちが予定空いてるそうなんで、仕事を手伝ってもらおうかと思いまして」
「ふむ……。勇者がうちの劇団で手伝い……。めったにないチャンス……」
 ビビアンさんが事の顛末を話すと、座長の様子が一変し、なにやらぶつぶつ一人言を言い始めた。そして何かを思い付いたのか、急に跳び跳ねるようにユウリに迫った。
「手伝いなんてとんでもない!  勇者さんにはぜひともうちの公演を観て頂きたい!」
「は?」
「勇者が観に来る劇団なんて大々的に触れ込めば、倍以上の客が入ってくるぞ!   そうなりゃ一躍有名劇団の仲間入りだ!   うははは!」
「おいふざけるな、俺は……」
「座長?   またいつもの悪い癖が出てますけど?」
 にっこり笑うビビアンさんのその表情は、先程とはまるで別人かのごとく見える。座長さんは彼女の放つ黒いオーラに心当たりがあるのか、身をすくめた。
「おほん。言葉をまちがえてしまったようだね。勇者様には、我が劇団の数々のパフォーマンスを見て、過酷な旅の疲れを癒していただきたい」
 あ、当たり障りのないように言い直してる。いやもう、座長さんの本性は知ってしまったし、今さらなんだけど。
 それにユウリがこういうものに興味があるとは思えなーー。
「ひょっとして、ビビアンさんの踊りも観られるんですか?」
 今まで沈黙していたナギが、低くだがしっかりとした声で座長さんに尋ねてきた。
「あ、ああ、もちろん!   ビビアンは劇団一の人気ダンサーだからな。ファンクラブまである彼女を出演させない訳がない」
「それならば、是非拝見させていただきます!!」
 あらら、ナギの目が完全にハートマークになっている。よっぽどビビアンさんの踊りが観たいようだ。
「おいこら、何勝手に決めてるんだバカザル!」
「いや~、勇者様たちに観ていただくなんて、光栄の極みですなあ」
 ユウリが不満を爆発させるが、満面の笑みをたたえる座長さんと、いつもと様子の違うナギに毒気を抜かれたらしく、結局しぶしぶ了承することにした。
「でしたら公演が始まるまで劇場内の食堂で食事でもどうです?   もしくは勇者様ご一行プチサイン会でも開催されるとか……」
「いや、せっかくだから最初に言った通り、公演の準備の手伝いくらいはやってやる。公演を観るのなんかはこのバカザル一人いれば十分だろ」
「あぁ……、そうですか。それは残念。ですが、勇者様のお仲間さんだけでも観ていってくださるなら大歓迎です。もちろんお代はけっこうですので」
 座長さん、隙あらばなにか利益になりそうなイベントを提案しようとしていてなかなか抜け目がない。さすがにそれに乗っかる我らが勇者様ではなく、あっさりスルーした。
 結局座長さんは残念そうな顔をしながらも、最初の予定通り公演の準備のバイトを了承してくれた。バイト代は、ビビアンさんが言った金額よりも少し多い上、さらにいつでも劇場に入れるフリーパスまで用意してくれた。って言ってもたぶん使うのってナギだけだと思う。
 ビビアンさんはこのあと稽古があるといって稽古場に向かった。ナギが名残惜しそうな目で彼女を見送るが、ユウリの冷ややかな視線に気付き我に返った。シーラは劇団の人を見かける度に、声をかけたりかけられたりして久々の仕事仲間との会話を楽しんでいる。
 いいなあ、シーラは同い年くらいの友達や仲間がたくさんいて。
 生まれも育ちもカザーブ一筋だった私には、同年代の友達はおろか知り合いもほとんどいない。例の魔物襲撃事件によってもともと少なかった同年代の子達は私以外全員亡くなってしまったし、辺鄙な村だったから他所からやってくる人も滅多にいない。
 でもそういえば、一人だけいた。ルークと言う名の男の子で、確か何ヵ月もたたないうちにまたいなくなっちゃったんだ。病弱で、修行だか療養だかでその子が師匠の家にやってきて、私と一緒に武術の稽古をしてたっけ。
 親が忙しくて、たまに寂しいと言っていたその子は、普通とは違う雰囲気をまとっていた。今頃どうしてるかな。
 なんてぼんやり思い出に浸ってる場合じゃなかった。これから大道具さんのところへいって手伝わなきゃいけないんだった。
 私はユウリ、ナギと一緒に舞台の設置や飾りつけ、照明の準備など。シーラはここで仕事してたときもやっていた、チラシ配りとお客さんの呼び込み、案内や誘導などを任された。
 こういう裏方の仕事は、初めての経験もあって楽しかった。誰かのためにする仕事って、こんなにやりがいがあるんだな、と感じさせてくれる。
そんなこんなであっという間に時間は過ぎ、気づけばお昼を回っていた。仕事が落ち着いたところで、皆食堂にあつまり、ビビアンさんからもらった食事券を使ってお昼を食べることにした。
 食堂は劇場内に併設されており、食事をしながら歌や踊りを観ることができるスペースになっている。今はお客さんがいないので、食事代さえ払えば私たちや従業員もここで食事をすることができるそうだ。
 席に座るとほどなくシーラがやってきた。皆の分の料理を注文し、他愛のない話をしていると、やがて料理が運ばれてきた。鶏肉の香草焼きをパンで挟んだその料理を頬張った瞬間、食べたことのない刺激と風味が口の中に広がった。肉の旨味と未知の香辛料が程よくマッチして、あとを引く味だ。
「なんだろ、この味……。すごく辛いけど食べ始めると止まらなくなるね」
「多分それねー、唐辛子だよ。この辺だといっぱい採れるみたいだよ♪  辛いもの好きにはたまらないよね~」
「う……。オレには辛すぎて食べれねぇ……。なんでお前ら平気なんだよ?」
 ナギが涙目になりながら、唐辛子入りサンドイッチを少しずつ食べている。ユウリも平然としながら食べているところを見ると、ナギだけ辛い料理が苦手なようだ。
「ユウリは唐辛子は大丈夫なの?」
「……別に普通に食えるだろ、このくらい」
 食べ終わったユウリが食後のお茶を飲みながら言った。
「なんだよ、なんかオレだけ子供みたいじゃんか」
「知能は子供と一緒だろ」
「今の言い方、完全にオレをバカにしてるだろ!」
 いちいち横槍をいれてくるユウリに反論するナギ。そうやって反応するからユウリもそう言ってしまうのに、なぜナギは気づかないのだろう。
 なんて話していると、シーラと同じバニーガールの格好をした二人組の女の子が、私たちのところにやって来た。二人とも、私とそう変わらない年なのにスタイルいいし、化粧をしているので大人っぽい。視線と雰囲気から察するに、ユウリとナギに興味があるようだ。
「すいません、勇者様とお仲間さんですか?」
 面倒くさそうにちらっと一瞥し、小さく頷くユウリ。その途端、女の子達は黄色い声を上げる。
「ユウリさんて、クールでカッコいいですね!」
「そちらの銀髪の方は、お名前なんて言うんですか?」
「オレはナギ。一応盗賊やってる」
「盗賊ですか!? カッコいい~!!」
「あのっ、あとでサインください!」
 嬉しそうな悲鳴を上げながら、一人また一人と、どんどん女の子が群がっていく。そのうちまた別の女の子たちがやってきて、いつのまにか男性陣は十数人の女の子たちに囲まれて動けないでいた。
 確かに二人とも、見た目はいい方だ。もともと端正な顔立ちのユウリは、クールな印象も合いまって、孤高の王子様のような雰囲気を醸し出しており、対するナギも、ユウリとは種類は異なるが、長身で切れ長の瞳に大人びた容姿、さらにはこの地域では珍しい銀の髪が、好奇心旺盛な女性の興味を抱かせている。どっちも黙っていればの話だけれど。
 普段の二人を知っている人間にはわかるが、ユウリは相変わらず無愛想だし、ナギは鼻の下伸びちゃってるしで、温度差がすごい。逆にこっちがいたたまれない気分になってくる。
 そんな中、一人の女の子が私の方に近づいてきた。その子は何も言わずこちらをちらっと見ると、ちっと舌打ちをし、そのまま人だかりに入っていった。
 な、なんなの一体?! 私は信じられないものを見た気がした。
 と同時に、見知らぬ女の子に舌打ちされるのが、こんなにも憤りを感じるとは思いもしなかった。
 それと、時折こっちを見る女の子が、なんであなたみたいな人がここにいるの? とでも言わんばかりの顔で睨みつけてくる。何もしていないのに、なぜ私にばかり敵意を向けてくるのだろう。私には、彼女たちの考えていることがさっぱりわからなかった。
 同情を得たくてシーラの方を見たが、彼女はいつの間にか近くにいる大道具の男性と楽しくおしゃべりをしている。なんだか私だけ疎外感を感じた。
 デレデレのナギが(少なくとも私にはそう見える)、照明係の女の子に握手を求められる姿が目に入ると、私は一人ため息をついた。
 すると、食堂の入り口に群がっていた人垣の一部がざわついた。その向こうから、頭二つ、三つ分ほど高い位置に、ぴょこんとウサギの耳が現れたではないか。
 シーラにも同じものがついているが、とどのつまり目の前に近づいてくる人もバニーガールということだ。その割には、やたら身長が高い気がする。疑念を抱きながらも、その人物が現れるのを凝視する。
「あら、ずいぶん賑やかね」
 突然、低い男性の声が聞こえた。と同時に、人垣をかき分け、大きな人影が現れる。
 その瞬間、私の目は点になった。
 なぜなら、そこにいたのはバニーガールの格好をした屈強な大男だったからだ。しかもカツラと化粧までばっちりしており、バニースーツに隆々とした筋肉がはみ出そうになっている。
 確かにバニーガールだけれど……いや、バニーガールなの?
 バニーガールの意味を延々と考えていると、おしゃべりをしていたシーラがはっとした表情で声を上げた。
「アルヴィス!!  久しぶり!!」
 アルヴィスと呼ばれたバニーガール(?)は、シーラの言葉に笑顔で返した。
 急展開で頭が追い付かない中、あることを思い出した。
 昨日ドリスさんも言っていたシーラの知り合い、その人こそがアルヴィスさんだと言うことを。

 

 

シーラの同居人

「はじめまして♪ アタシはアルヴィス。昔シーラと一緒に暮らしてたの」
 バニーガールの大男もといアルヴィスさんは、食堂でシーラと再会のハグを交わしたあと、私たちが座るテーブルの隣の椅子に座った。
 アルヴィスさんが来た途端、ユウリたちを取り巻いてた女の子たちはもちろん、周辺にいた人たちの姿もいなくなった。元から彼のことを知っているのか、彼の雰囲気に圧倒されたのかはわからないが、皆彼に譲るようにその場を離れたようだ。
 アルヴィスさんは椅子ごとこちらに顔を向け、足を組んでにっこりと笑みを浮かべた。
「町でシーラが戻ってきたって言うからこっちに来てみたら、まさか噂の勇者様の仲間になってただなんて、やるじゃない」
「えへへ♪ そういうアルも相変わらずお仕事頑張ってるみたいだね」
「ふふ。ようやくお店も軌道に乗ってきたワ。今もこうしてお店のチラシ配りしてたところヨ。そしたら、町でシーラが帰って来たって聞いたから探しちゃったじゃない☆」
 私たちが一通り自己紹介をすませたあと、シーラとの再会を喜んだアルヴィスさんは、自分たちが発する困惑の視線に気づいたのか、向こうから話しかけてくれた。
「ああ、この姿が気になる? ちょっと最近太っちゃってサイズが合わなくなっちゃったのヨ」
 いやいや、サイズとかの問題じゃないです。そう思っても、沈黙するしかなかった。
「アルヴィスはね~、あたしにここの仕事を紹介してくれたの。アルヴィスも昔ここであたしと同じ仕事してたから」
 なるほど、だからアルヴィスさんもバニーガールの姿をしてて……って、いやだからそうじゃないって。
「今は独立して、お店を開いてるの。一応これ、営業用の衣装なんだけど、ほかにもいくつかあって……」
「おいお前。その格好は好きでやってるのか?」
 ユウリはアルヴィスさんの言葉を遮り、歯に衣着せぬ物言いをした。
「ふふっ。バニーガールは男のロマンなのよ。アナタも一度着てみる?」
 そう言ってウインクをするアルヴィスさんに対し、戸惑うユウリ。あのユウリを動揺させるなんて、只者ではない。
「ところで、ユウリくん、だったわよネ? アナタのお父さんってあのオルテガなんでしょ?」
 怪訝な顔をしながらも小さく頷くユウリ。その反応を見たアルヴィスさんはぽんと手を叩き、腑に落ちた顔をした。
「そう! やっぱり!! だってアナタ、彼の若い頃にそっくりなんだもの!」
「お前、親父のことを知ってるのか?」
 ユウリがテーブルに身を乗り出して聞いてきた。それは私も気になるところだ。
「知ってるも何も、アナタのお父さんが魔王を倒す旅をしてたとき、一時期アタシも一緒についていったのよ」
『えええっっ!!??』
 これには四人全員が一斉に叫んだ。アルヴィスさんが、一時とはいえオルテガさんと一緒に旅をしてたなんて、全く予想外のことだったからだ。
「てことはあんた、ただのバニーガールじゃないってことだよな?」
「ふふ、そうよ。よく気づいたわネ。アタシの前職は実は戦士だったのヨ」
 ナギの言葉に、さも予想外だと言わんばかりに経歴を話すアルヴィスさん。けれどバニーガールより、鉄の鎧を着たほうが絶対に似合っている気がするのは私だけではないはずだ。
 なぜ戦士がバニーガールにミラクルチェンジしてしまったのかは今はさておいて、私は別の疑問をアルヴィスさんに投げかけた。
「でも確か、オルテガさんって、単身魔王の城に乗り込んだって世間一般では言われてましたよね。アルヴィスさんは一緒に行かなかったんですか?」
 特にユウリともオルテガさんのことは話をしたことはないけれど、私が実家で聞いた噂ではそうだった。それに、今ここにアルヴィスさんがいるということは、途中で何か理由があって別々になってしまったのだろう。いくら英雄といわれても人間である以上、何がきっかけで人生の岐路に立つかわからない。同じ轍を踏む身としては、なぜそんな状態になってしまったのか知りたいところである。
 するとアルヴィスさんは昔を思い出したのか、せつなそうに眼を細めた。
「アタシはずっと一緒に旅してたかったんだけどね……。とある場所で彼に誘われてから、ずっとあの人と一緒にいるうちに、だんだん彼の魅力に惹かれていったの。それで、このあふれ出る気持ちが止まらなくなって、魔王城に乗り込む前に、思い切って彼に告白したのよ。そしたら、俺には妻も子供もいるって言われちゃってサ。さすがにそのあと一緒にはいられないし、迷惑になると思ってネ。それで潔く身を引いたのヨ」
「……そ、そうなんですか」
 予想の斜め上を行く答えに、思考が混乱する私。
 二人はどういう関係だったんだ。聞いちゃいけない話に触れた気がして、私は曖昧にうなずくしかなかった。
 話を切り替えようと、小さく咳払いをするユウリ。アルヴィスさんの視線が彼に向いた。
「なら聞きたいことがある。俺たちは今、『魔法の鍵』を探してるんだが、俺の親父もそれを探している様子だった。結局親父はそれを手にいれたのか? なぜ手にする必要があった?」
『魔法の鍵』、という単語に、心当たりがあるかのような素振りを見せるアルヴィスさん。
「ああ、その話ネ。そもそも『魔法の鍵』ってわかる? 要は魔法使いが特殊な術で施錠した扉……一般的には魔法の扉って言われてるけど、それすらも開けることができる鍵なの」
「魔法使いが施錠した扉?」
「ここアッサラームやイシスは、太古の建造物が多いのよネ。特にイシス地方にあるピラミッドには、古代のお宝が眠ってるみたいなんだけど、当時の偉大な魔法使いがそのお宝を守るために、扉に特殊な術をかけたの。その扉はちょっとやそっとじゃ開かないし、盗賊が持つ解錠の技術を使っても無理だと言われてるワ」
ふと気づいたユウリが、懐から盗賊の鍵を出した。
「この『盗賊の鍵』じゃダメなのか?」
「悪いけどそんな鍵じゃまず無理ね」
 そう言われて、顔には出さないが小さく嘆息するユウリ。
「アタシたちは魔王を倒すための手がかりを得る手段として『魔法の鍵』を手にいれようとしたけど、結局あきらめたワ」
「どうして諦めたんだ?」
 ユウリの問いに、アルヴィスさんは、ふう、と深くため息をつく。
「『魔法の鍵』を管理していた人とね、どうにも話が合わなくて結局譲ってもらえなかったの」
 管理していた人……。昨日言っていたヴェスパーさんって人か。ドリスさんも変わり者って言ってたし、どんな人か怖くなってきた。
「『魔法の鍵』が魔王を倒す為に必要かどうかはわからないワ。なくてもあの人は魔王の城までたどり着いたって言われてるし。けど、そこで消息を絶ったってことは、魔王を倒すための手段が足りなかったのかもしれないわネ」
「……」
「……ごめんなさい。アナタにとっては英雄である前に一人の父親ですものネ。けどアタシは、アナタのお父さんはどこかで生きてるって信じてるの」
「いや、気を使わなくていい。俺は親父を父親として見たことは一度もないからな。それより、やっぱり『魔法の鍵』は手に入れるべきだな」
「……ホント、アナタってお父さんにそっくりネ」
 アルヴィスさんは苦笑した。そして、胸板とバニースーツの間から、一枚の紙切れをユウリに手渡す。ためらいながらも、ユウリはそれを受け取った。
「これ、アタシのお店の名刺ヨ。もしお父さんについて知りたいことがあったら来て。昼間は別の仕事でアタシはいないから……そうね、日が沈むころに来て頂戴」
「……わかった」
 静かにうなずくユウリ。それを聞いたアルヴィスさんは椅子から立ちあがり、清々しい顔で私たちを見下ろした。
「それじゃあ、元気なシーラにも会えたし、アタシはここで失礼するわ。じゃあね☆」
 そういうと、再び私たちにウインクをしながら、アルヴィスさんは席を立ち去っていった。
「なんか、凄い人だったね」
 ふう、と息をつき、私はつい本音を漏らす。
 思わず口に出してしまった。けど、あれほどインパクトのある人物を見たのは生まれて初めてだったのだ。ナギも無言で頷いてシーラを見る。
「お前の同居人、とんでもない人だったんだな」
「うん♪ でもあたしもアルヴィスがユウリちゃんのお父さんの仲間だったなんて知らなかったよ☆ 昔超つよーい友達と旅してたってことしか言ってなかったもん」
 随分ざっくりとした説明だったようだ。そもそもシーラとアルヴィスさんってどういう関係なんだろう?
「おいザルウサギ。あいつとお前の関係って一体何なんだ? 親子ってわけではないんだろ?」
 私と同じ疑問を、ユウリが代弁してくれた。確かに親子というには距離感がある気がするし、だからといって友達っていう雰囲気でもない。
 するとシーラの顔が、僅かに強張った。
 そして、苦笑を滲ませる表情を私たちに見せた。
「親子だったらいいけどね。アルヴィスとは元同居人で、元仕事仲間。それだけだよ♪」
 その笑顔はまるで取り繕ったようだった。
 普段明るい彼女が無理して笑っているのは、きっと私たちにも言えない事情があるからなのか。そう思うと下手に聞かないほうがいいのかもしれない。
「……そうか」
 ユウリも察したのか、これ以上はなにも聞かなかった。
「それより、仕事終わってからどうする? 宿に戻るまで時間あるし、なにもすることないよね」
 私は話題を変えようと、これからの予定について皆の意見を聞くことにした。すると、目を輝かせたナギが真っ先に手を挙げる。
「オレ、このままここに残ってビビアンちゃんの公演観るから!」
 いつの間にかビビアン『ちゃん』と呼んでいるのは、ここに見に来るビビアンさんの熱狂的なファンが彼女の名を呼ぶときの共通語になっているらしい。誰が決めたわけでもないが、暗黙の了解というものだそうで、それをナギがスタッフから聞かされた。他にも色々と教えてもらったようで、彼はすっかりビビアンさんのファンになったといっても過言ではない。
私もナギと一緒に劇場に行ってビビアンさんの踊りでも見ようかと一瞬思ったが、なんとなく女性が行くには少し勇気がいるような気がして、口に出す前にやめた。 
「あー、うん。そういえばそういう約束だったもんね。えっと、じゃあ、シーラは?」
「あたしはこのあと昔なじみのところに行って、挨拶してくる♪」
「わかった、気をつけて行ってきてね。……ユウリは?」
 様子をうかがいつつ、私は彼に尋ねる。
「……そうだな。この町は道具屋や武具屋が多くあるらしいから、店を回ってみるつもりだ」
「そっか。じゃあ、私も一緒についていってもいい?」
「は?」
 訝しげな表情で私を見返すユウリ。
 いや、そこで聞き返されるとちょっと困る。だって私もやることないから何していいかわかんないんだもん。
 不審そうに見るので、私は慌てて言い繕う。
「べ、別に新しい装備が欲しいからとかじゃないよ? ただ一緒にお店回りたいだけなんだけど……。ダメかな?」
「……勝手にしろ」
 しばらく考え込んでいたが、ユウリにしては珍しく素直に了承してくれた。
「あっ、そうだ! ミオちん! 夜になったらあたしと一緒にお風呂入りにいこうよ♪ 結局昨日入りそびれたし」
「え?! でも昨日は行っちゃだめって……」
「大丈夫大丈夫♪ さすがに昨日からずっといるってことはないって☆」
「どういうこと?」
 何の話をしているのかさっぱりわからない。それを察したのか、シーラが言葉を続ける。
「つまりね、昨日お風呂のこと教えてくれたおじさんいたでしょ。それね、あたしたちをそこに行かせるためにわざと言ったんだよ」
「? 何のために?」
「あとで自分もそこに行ってあたしたちを覗き見するためだよ」
「ええっ!?」
「この街、そういう人多いからね♪ ミオちんは特に気をつけたほうがいいよ☆」
 あっけらかんとシーラがそんなことを言うので、この街に対する不安が急上昇し、私の顔は青ざめた。
 昨日ユウリが止めたのも、気づいていたからだろうか。私は心の中でユウリに感謝した。……けれど。
「そんなこと聞いちゃったら、余計お風呂行けないじゃん……」
「でもさ、知ってる顔の人にみられるよりはまだマシじゃない?」
「そういう問題じゃないって!」
 なぜか自然に視線が男性陣へと注がれる。
「ユウリちゃんとナギちんも、覗いちゃダメだからね?」
「見るわけねーだろ!」
「そのウサギ耳燃やしていいか?」
 シーラの発言に男性陣が露骨に反論するが、いたずらっぽい笑みを浮かべているシーラはなんだか楽しそうに見える。
 さっき見せた複雑な表情は何だったのだろうか。けれど、それをいちいち問い質すほどのことでもないと感じた私は、その小さなほつれを気に留めることのないまま、胸の奥にしまいこむことにした。
 

 

眠らない町

 お昼を済ませたあと、残りの仕事を全て片付けた私たちは、ビビアンさんと座長さんから報酬をもらい、関わった劇場の人たちに挨拶を済ませ、劇場の入り口で一時解散することとなった。
 久々に慣れない仕事に携わったからか、魔物を相手にするときより疲労感が強い。外に出て辺りを仰ぎ見ると、夕日が町全体を赤く染め上げていた。けれど、日が傾き始めても相変わらずこの辺り一帯は暖かい。
 私はユウリと一緒に、町でも特にお店が立ち並ぶという商店街へと向かった。
  道すがら、いくつもの露店商が並ぶ通りに出た。魔物の蔓延るご時世とはいえ、人の購買意欲というのはそう変わらないらしく、どのお店も人が並んでおり賑わいを見せている。
 お店の人に気づかれない程度にちらりと品物を見てみると、食べ歩き出来そうな美味しそうな食べ物、女の子なら一度はつけてみたいアクセサリー、一見なんだかわからないアイテムなど、その品揃えは多種多様だった。
「うわあ、こんなにたくさんお店見たの初めてだよ!」
 私はあまりのお店と商品の多さに、はしゃいでいた。
 そしてユウリがいるのを忘れて、ついふらふらと近くにあった露店に足を踏み入れる。
 そこには女性向けのキラキラした宝石やシンプルな銀細工など、様々なデザインのアクセサリーが置いてあり、私は思わず感嘆の声を上げた。
「すごいなあ、こんな細かい細工、どうやったらできるんだろう」
 じーっと眺めていると、ユウリが後ろから声をかけてきた。
「なんだ、お前でもこういうのが欲しいのか?」
 皮肉交じりに言い放つが、今の私は別のことを考えていた。
「いや、欲しいっていうか、どういう風に作るのかなって思って」
 そういうとユウリは、不思議なものを見るかのような顔をした。
「職人にでもなる気か?」
 職人か。そういうのもいいかもしれない。もともと実家では、きょうだいの洋服や小物などを古着や余った布で作っていたので、自分が身に付けるより作る方に興味が湧いてしまうのだ。
「う~ん、魔王を退治したら、自分で工房でも開こうかな」
 などと言っていたら、後ろで吹き出す音が聞こえたので、私は思わず振り向く。
「今のって、もしかしてユウリ?」
「……お前が笑わせるようなことを言うからだ」
 一見平然としているが、口を抑えて必死に笑いをこらえているユウリ。いや、笑わせるつもりなんて微塵もなかったんだけど。でも、あの仏頂面を極めたユウリが笑うなんて初めて見たし、深く考えないでおこう。
  あんまりじっと見てると機嫌が悪くなりそうなので、視線を外し、他にもお店がないか辺りを見回してみる。
 すると、ちょうど小腹がすいていたからか、いつの間にか無意識に売り物を凝視していたのだろう。その店の店主が、細い串に焼きたての鶏肉を差した、見るからに食欲をそそられる食べ物を私に差し出してきた。
「お嬢ちゃん、そんなにお腹が空いてるならこの串焼き食べなよ」
「あっ、いや、そんなつもりじゃないんです。すいません」
 けれど店主は一歩も引かず、今しがた金網に乗っていたもう一本の串焼きを取り上げ、
「あんたかわいいからサービスでもう一本つけてあげるよ。ほら、そこの彼氏と仲良く食べな」
 そう言って、二本とも私に差し出してきた。
「いやあの、私たち別にそういうのではないんで……」
「いいからいいから。熱いうちに食べないと」
「……じゃあせっかくなんで買わせて頂きます」
 結局食欲には勝てず、押しに負けてここは素直に一人分だけ支払うことにした。
「お前……少しは恥じらいってもんがないのか」
 店主から串焼きを受け取ると、後ろにいたユウリが心底呆れたように言う。
 いや、ロマリアでタダ同然まで値切ってたあなたに言われたくはないんですけど。
 少しムッとした私は、串焼きを彼の目の前に見せながら、
「じゃあこれユウリにあげようとしたけど、どうしようかな」
 と、意地悪く言ってみた。けれど興味がないとでも言うように、ユウリは私から視線をそらし、別の露店の品物を眺めている。
 うーん、そう来るか。それなら、嫌でも興味を持ってもらおうか?
 ふと閃いた私は、串焼きを隠すように持つと、彼に聞こえるように声を張り上げて言った。
「あっ、このお肉、食べたことのない味がする!!」
「は?」
 思わずこちらを振り向くユウリ。そこへすかさず彼の口元に串焼きを持っていく。
「はい、ユウリ。あーん」
 さすがのユウリも即座に対処出来なかったのだろう。私の言葉に素直に口を開けてしまったのが運の尽き。私は笑顔でその串焼きを彼の口に入れた。
「!?」
「あー、ごめん。やっぱりただの唐辛子だったよ」
 あっはっはー、と嘘くさい笑いを見せた私は、動揺を隠せないユウリの顔を確認したあと、心の中でガッツポーズをとった。
「どう?   おいしい?」
 一方、何が起きたのかわからないユウリは、鶏肉を口の中に入れながら、目を瞬かせている。すると、彼の顔が次第に紅潮していくではないか。
 ん?   もしかして唐辛子の量が多かったのかな?
 予想外の反応に、戸惑う私。
「えと、あの、そんなに辛かった?」
 顔を真っ赤にしながら口元を押さえる彼の姿を見て、私はしまったと思った。
 辛いのが平気だと言っていたが、どのくらい平気かは人によって様々だ。おそらくユウリが耐えられる辛さの量を越えていたらしい。
「ごっ、ごめん!  大丈夫?」
「お前……あとで覚えとけよ……」
 若干涙目になっているユウリが、恨めしそうにいい放つ。まずい、これあとで絶対怒られる奴だ。
「あの、ユウリ……」
「アルヴィスのところに行ってくる」
 結局ユウリは食べかけの串焼きを全部私から奪い取り、ここからは別行動だと言って、私を置いてその場から立ち去ってしまった。
 どうしよう。完全に彼を怒らせてしまったようだ。



 モヤモヤした気持ちでドリスさんのお店に到着すると、店の外でてきぱきと働くルカの姿があった。
「あ、アネキ。どうしたの?」
「ちょっとね。時間が空いたから、ルカに会いたくなっちゃって」
 私の言葉に気づいたルカは、作業でしかめっ面をしていた顔を綻ばせた。
「アネキは、相変わらずだなぁ」
 その彼らしいマイペースな口調に、私は心底安堵した。環境が変わって自身の生活が大変な中、ルカ自身が変わってなかったのは彼の強みと言えるだろう。
「仕事はどう?   家にいるより大変でしょ?」
「まーな。でも、おれがやりたくてやってるだけだから後悔はしてないぜ。アネキだって似たようなもんだろ?」
「うん、そうだね。私も後悔はしてない」
 そう言って、自然と視線を落とす私。ルカが訝しげな顔をしてこちらをじっと見る。
「アネキ、なんかあったのか?」
 顔に出ていたのだろうか。私は笑顔で誤魔化した。
「ううん。大丈夫だよ。それよりルカ、ドリスさんに迷惑とかかけてない?」
「だっ、大丈夫だよ!   そりゃちょっと店の窓ガラス割ったり、注文の数間違えたりはするけど、後始末は全部おれがやってるし!」
「そりゃあそうでしょ。なんかちょっと心配になってきたんだけど?」
 あたふたしながら言う彼の姿を見て、殊更不安を募らせる私。けど、次の言葉を言う前に、彼は凛とした顔つきに変わった。
「おれが頼りないってのはアネキも知ってると思うけど、一人で家を出た以上、覚悟持ってここにいるつもりだから。だから、安心して」
 その真摯な目が、私の心を揺さぶった。ルカが冗談で言っている訳じゃないってのは、長年一緒に暮らして来たからこそわかる。
「うん、わかった。ルカは昔から、こうと決めたら最後までやり遂げる子だったもんね」
 私は頭一つ分低いルカの頭を撫でた。
「私、応援してるから。困ったことがあったら、お姉ちゃんになんでも言って」
 そう言うとルカは、照れながらも私の手を振り払う。
「いやアネキには言わねーよ。だって魔王倒すじゃん。おれのこと構ってる場合じゃないだろ」
「そういうの気にしないでいいから。家族として、お姉ちゃんとしてルカにしてあげたいだけなの。立派な商人になるつもりなんでしょ?   だったら周りの人をもっと頼んなきゃ。多分お父さんだってそう言うよ」
「……うー、まあ、そうかも。わかった、ありがと」
 少し考え込んでから、ルカは素直にお礼を言った。そして再び顔を上げる。
「でもさ、アネキ。アネキはアネキで色々やることあると思うから、アネキも困ったことがあったらおれに言えよな。おれには師匠もいるし、この街で知り合った商人仲間も何人かいるからさ」
「うん、ありがとう」
 私はにっこりと微笑んだ。いつのまにかこんなに逞しくなっていたなんて想像もしてなかったけど、実際に会ったらやっぱりルカはルカのままで、ほっとした。
「あ、そうだ。ちゃんとお母さんやエマたちにも時々顔見せるんだよ?  心配してたんだから」
「わかってるよ。もう少ししたら仕事も落ち着くから、そしたら一度家に戻るよ」
 キメラの翼使ってな、と付け加えた。さすが商人の卵、一度行った村や町に一瞬で行ける便利アイテムのことは知っているようだ。
「明日は砂漠に行けそう?」
「ああ。今日はいまのところずっと天気も安定してるみたいだから、大丈夫だって」
「そっか。じゃあ明日は予定通り出発でOKだね。もう今日一日何したらいいか皆悩んでてさ。結局今まで劇場でバイトしてたよ」
「へえ~。いいなあ。てか、よく入れたね?   あそこ関係者以外立ち入り禁止なはずなのに」
「シーラが昔そこで働いてたんだって」
 言われて、ぽんと手を叩くルカ。
「あー、昨日のバニーガールの姉ちゃんか。確かに見たことある格好してると思った」
「そう、それで中に入ったんだけど、そこにビビアンさんっていう踊り子が来て……」
「ええ?!   ビビアンって、姉ちゃん、あの人と知り合いなの?!」
「知り合いなのはシーラだけどね。それで彼女を見たナギがもう目の色変えちゃって……」
 そう言うと、ルカは納得したように頷いた。
「ああ、そりゃ、あんな人を見たら、男の人なら誰でもそうなるって。だって、劇場に行ったことない俺ですら知ってるくらい人気者だよ」
「そうなの?   確かにすっごい美人だったけど、ユウリは全然反応なかったなあ」
 私の言葉に、ルカは考え込んだ。
「……うーん。きっと勇者さんて有名人じゃん?   たくさんの女の人に囲まれたりしてるから、美人に見飽きてるんだよ」
「あー、なるほどね」
「でもさすがに、砂漠の城の女王様の美しさには驚くんじゃないかなあ。絶世の美女だって噂だし」
「砂漠?!   砂漠にお城があるの?」
 私は興味津々でルカの話に耳を傾ける。
「うん。イシスって町があってさ、そこに……」
 こうして他愛のない話を続けていると、家にいた頃を思い出す。ルカも同じなのか、話している間、自分でもきづかないうちに私の呼び方が家にいた頃に戻っていた。
そして、ふと辺りを見回すと、気づけばすっかり薄暗くなっていた。
「うわ、もうこんな時間?!   ごめん。仕事中なのにずっと話し込んじゃったよ」
「おれの方は大丈夫だから、用事があるなら行きなよ」
「それじゃ、また明日ね!」
「ああ、また明日な、姉ちゃん」
 そう言ってお互い挨拶を交わし、私はルカと別れた。気づけば、ルカに会う前よりも幾分心が軽くなったような気がした。



「え、まだ帰ってきてないんですか?」
 ドリスさんの店でルカと別れ、そのあと一度宿に戻ってみると、意外にもシーラが先に待っていた。約束通り二人で大衆浴場に足を運び、周囲に怪しい人物の気配がないか念のため確認したあと、幾日かぶりのお風呂にゆっくりと浸かることができた。
 もともとこの街は水場が少ないのだが、地理的には一年を通して暑い気候が続くため、わざわざ北東の山の向こうから水を引いているらしい。なんでもこの街の近くに、その水を引く仕事を請け負ったホビット族がいるんだとか。
 とにかくその人のおかげでこうしてお風呂に入ることができたのだ。ありがたい話である。
 そんな上機嫌な中、再び戻って宿屋の主人に聞いてみると、男性陣が未だに戻ってきていないことが判明した。
 ナギはともかくユウリまで帰ってこないなんて、珍しい。なぜなら今は、他の町ならとっくにベッドの中にいる時間なのだから。
 当然お店はとっくに閉まってると思いきや、シーラ曰く、この街は夜からが稼ぎ時なんだそうだ。なので夜遅くまでやっている道具屋さんも結構いるらしい。
 アルヴィスさんのところに行くと言っていたが、ずいぶんと時間がかかっている。何かあったんだろうか。
 仕方なく私とシーラは部屋に戻り、明日の支度と就寝の準備を始めることにした。
「この街にいるとさ、時間の感覚がマヒしちゃうよね」
 苦笑しながら話すシーラ。確かにここは暗くなってもそこかしこが明るくて、家路につく人々はそれほど多くない。常に明かりがついてたり音楽が流れていたりするので、いつ陽が沈んだのかも気づかないのだ。
「それでもあたしは、夜でも賑やかなこの街が好きなんだけどね」
 そう言ったときのシーラの雰囲気が、まるで自分に言い聞かせているような気がした。
 すると、隣の部屋の扉が開く音が聞こえた。いつものように二部屋取ってあり、音のする場所はユウリとナギの部屋である。私たちはすぐさま隣の部屋に向かった。
「あっ、ユウリちゃんだ!  おかえり!」
 シーラが声をかけた瞬間、ぎょっとした顔になるユウリ。やけに疲れた様子だけど、どうしたんだろう?   それになんだか仄かにいい匂いがする。
「おかえり!   随分遅かったね。アルヴィスさんと何かあったの?」
私が何気なく聞くと、ユウリは襲いかかる魔物の形相でこちらを睨み返すと、
「うるさい!!   お前には関係ないだろ!」
 そう怒鳴り散らされた。彼に何があったのか気にはなるが、屋台での一件で生まれたモヤモヤした心に、さらに重い石を落とされた気分になり、これ以上は何も聞けなかった。
 すると、シーラがにやりと笑みを浮かべながらユウリに尋ねた。
「ねえねえ、ユウリちゃん♪   アルヴィスんちで『ぱふぱふ』やったでしょ?」
「!?   お前、なんで……!?」
 明らかに動揺するユウリ。シーラはさらに言い立てる。
「だってあたし、アルヴィスのところで居候させてもらってたし~☆   それにユウリちゃんから、懐かしい匂いがするもん♪」
「くっ……!」
 そういうと、急に真顔になりユウリをじっと見据える。
「だからってそんなに機嫌悪くなることないじゃん、ミオちんがかわいそうだよ」
「……」
「んで、どう?   結構楽しかったでしょ?」
 彼女が再び笑顔を見せると、ユウリはついに押し黙ってしまった。朗らかに笑うシーラを一瞥し、
「……黙れ!   俺はもう寝る!!」
 そう吐き捨てると、部屋の扉を乱暴に閉めてしまった。私だけがよくわからないまま、取り残された感じになっている。
「ねえ、シーラ。『ぱふぱふ』って一体何なの?   なんであんなにユウリは怒ってるの?」
「ん~、あたしの口からは言えないかな~。でも、普通の人はユウリちゃんみたいに機嫌悪くはなんないはずなんだけどね」
「??」
  ますますわからない。そんなやたらと口に出すものじゃないなんて、どう考えても怪しすぎる。
「ミオちんも、むやみに色んな人に聞かない方がいいからね☆」
 シーラに念を押され、結局ユウリがアルヴィスさんのところで何をしたかわからないままになった。
 あとはナギだけだ。ナギの場合、きっとまだビビアンさんの踊りに夢中になっているのだろう。ひとまず部屋に戻ろうと、踵を返したとき、ここにあるはずのない壁にぶつかった。
「!?」
 どういうことかと見上げると、それは壁ではなくナギだった。全く気配が感じられず、当の本人は間の抜けた顔でただぼーっとそこに突っ立っている。
「どっ、どうしたのナギ?!   全然気づかなかったよ!」
 けれどナギは、明後日の方を向いたまま返事もせず、まるで脱け殻のようになっている。
「うあぁ、ナギちんやばいかも」
 シーラは苦い顔をしながら額に手を当てた。
「どういうこと?   シーラ心当たりあるの?」
「うん。大体ビビのファンの人ってこうなっちゃうんだよねぇ。我が友ながら罪作りな奴よ」
 確かに今日ビビアンさんに出会ってから、ナギの様子が変なのは、一目瞭然だった。ただ、彼女が好きなんだなってのはわかるけど、だからってこんな魂が抜けた状態にまでなるのだろうか?
「誰かを好きになるって、こういう感じだったっけ?」
「『好き』の形には、いろいろあるんだよミオちん」
 いいながら、うんうんうなずくシーラ。うーん、私には理解できない。
「ほらナギ、こんなところで立ってないで、部屋に入りなよ」
 私がぽんと背中を叩くと、ビクッと体を大きく震わせ、まるでいきなりルーラでここまで飛ばされたかのように辺りをキョロキョロと見回した。
「あれ?   なんでオレこんなところにいるんだ?」
 どうやらここまでどうやって来たのか記憶にないらしい。
「おかえり。ビビアンさんの踊りはどうだった?」
 すると、ナギは興奮冷めやらぬ様子で私に顔を近づけると、大声でまくし立てた。
「どうだったもなにも、あれはまさに天使……いや女神様のようだったぜ!!   あの流れるような動きといい、それでいて気品のある表情といい、全てにおいて普通の人間が出来る技じゃないのがわかるんだ!!   まるで一枚の絵画を見ているようで……」
「ちょっ、待って……ストップ!   わかったから!」
 ……余計なことを聞くんじゃなかった。まさかこんな流暢に感想を伝えてくるとは思わなかったので、私は両手を前に出してナギの暴走を必死で食い止める。
「明日は砂漠に行くんだから、早く休まないと! ユウリは先に部屋に入ってるよ」
「お前……! 急に現実に引き戻すようなことを言うなよな」
 一瞬にして、ナギの表情が曇る。まるでこの世の終わりに直面したかのような様相だ。どれだけ現実から目をそらしていたんだろうか。
 私は強引にナギの背中を押し、ユウリのいる部屋の扉を開けて無理やり押し込んだ。奥でなにやらユウリが喚いていたような気がするが、気にしないことにする。
 ともあれ、明日はいよいよ砂漠に出発することになる。砂漠は初めて見るので何もかもが未知の領域だ。
 町を歩いたときにユウリに聞いたのだが、砂漠は魔物も強く、気候も厳しいという。
 私は気を引き締めて、明日に備えることにした。

 

 

砂漠での冒険

「これが砂漠……!?」
 見渡す限り一面砂の大地が広がっている。雲一つない青空に、どこまでも続くオレンジ色の地平線。
 しばし自然の美しさに唖然とするが、すぐに不快感を感じ我に返る。
「うあ~、暑っち~よマジで!!   砂漠ってこんな暑いのか?」
  ナギも砂漠は初体験らしく、あまりの暑さに汗だくになりながら文句を言っている。
  夕べの言動は一体なんだったのか?ってくらい今日のナギはいつもと変わらない。今朝は日の出とともに出発の予定だったが、意外にも一番早く仕度を終えたのはナギだった。……ちなみにビリは私。我ながら情けない。
 ともあれ予定通りに宿を出て、ドリスさんの家でルカと合流したあと、私たちは砂漠があるアッサラームの南西へと向かった。
 町を出てしばらくは草木も生えていたのだが、進むにつれ徐々に砂と岩ばかりになり、ついに緑が一切なくなった。それと同時に太陽も昇り続けているので、自然と気温も上がる。今日は雲一つない晴天で、太陽を遮るものはなにもない。それが逆に尋常ではない暑さをもたらした。
 そしてナギの言うとおり、彼の服は黒い長袖のインナーを着ているため、よけい熱が籠りやすい。かくいう私も分厚い生地の武闘着を着ているので、籠った熱と照りつける太陽で、さらに暑さが増しているように感じる。
 たまらずナギが上着を脱ごうとすると、同行していた私の弟、ルカに止められた。
「むやみに服を脱ぐのはやめた方がいいですよ!」
「え、なんでだ?   この暑さで長袖着てたんじゃゆでダコになっちまうぞ」
「あまり肌を出すと太陽の熱で火傷してしまうんで、なるべく長袖を着ていてください」
「そんなに熱くなるの?!   太陽の熱で?!」
 私は驚いて、腕捲りをしようとしていたのを止めた。
 それを聞いてふと、シーラがバニースーツのままなことに気がついた。
「シーラ、その格好で砂漠なんか歩いたら危険じゃない?」
 本人も今気づいたのか、舌をぺろっと出して苦笑した。
「あ~、あたし砂漠なんか行ったことないからわかんなかったよ☆   でも、なんとかなるよ♪」
「いやいや、なんともならないって!   ええと、私の着替えで良ければ貸すよ!  武闘着だけど!」
「気づかなくてすいません! シーラさん、オレのターバンで良ければ使ってください。こうやって、体に巻き付ければ……」
「るーくん、それやったら動けないと思うよ☆ でも、ありがとう二人とも」
 がっくりと膝をつく私たち姉弟。さすがにこのままじゃ連れていけない、と思ったそのとき、今まで静観していたユウリが、自身が身に付けているマントを外し、無言でシーラに渡した。
「え……あ、ありがとう、ユウリちゃん」
 シーラが、戸惑いながらもマントを受けとり、お礼を言った。それには特に反応せず、すたすたと前を歩き始めるユウリ。
 それを見たナギが、奇妙なものを見るような顔つきで私にこっそりと耳打ちしてきた。
「なあ、あいつ最近おかしくないか?   妙に親切っていうかさ」
「そう? ユウリは前から優しいよ?」
 確かに出会ったばかりの頃や、ロマリアにいたときは何を考えてるのかわからなかったし、苦手でもあった。でも一緒に旅をしているうちにわかってきた。カンダタ退治を手伝ってくれたり、ノアニールでおじいさんの思いを聞いてあげたり、口には出さないが私たちを助けている。ただそれを表現するのが不器用なだけで、根は優しいのだ。まあ、時々何考えてるのかわからないし、怒るときはものすごく怖いけど。
 ナギが最近と感じるのは、ユウリがその気遣いを、私たちに隠さなくなったからではないだろうか。
 シーラは早速マントを身に付けると、涼しい~♪と言ってその辺を走り回った。
「あんまり動き回らない方がいいですよ。砂漠は歩くだけでも体力使いますから」
 ルカが冷静に注意する。そして、持っていた鞄から、なにやら小さくて丸いものを取り出した。
「ルカ、それなあに?」
 私が興味深く聞くと、ルカはしたり顔で振り向いた。
「アネキも気になる? やっぱり商人の血が騒ぐだろ?」
「いや私武闘家だし」
 私がにべもなく言うと、ルカは少し寂しそうな顔をした。けれどすぐに気を取り直し、私にそれを見せつけながら説明を始めた。
「これは師匠から借りた『方位磁石』ってやつさ。手に乗せるだけで、なにもない場所でも正確な方角を調べることが出来るんだ」
「へええ。すごいものを持ってるんだね」
 ルカの手のひらを覗いてみると、小さくて平たい円形の箱の中に、横にした小さな針がゆらゆら揺れている。針の両端にはそれぞれ何かを示しているのか赤と黒で着色してあった。
 すると、ユウリも珍しいアイテムに興味があるのか、無言で私の横に立ち、一緒に覗き込む。
「ええと、ここが北で、こっちが南。……ってことは……こっちか!」
 何やらぶつぶつと呟くルカ。すると何を思ったか、いきなり明後日の方向へ走り出したではないか。
「ちょっと待ってルカ! 急に走らないで!」
 周りが見えていないのか、私の言葉に耳も貸さず、どんどん先へ走っていく。仕方なく、急いで追いかける私たち。すると、急に私の前を走っていたユウリが一歩後ずさる。
「気をつけろ!   魔物だ!!」
 瞬時に緊張感が走った。私もすぐさま足を止める。そのとき、前にいるルカと私たちの間の地面から、ピンク色の大きなムカデのようなものが現れたではないか。
「ちっ、火炎ムカデか」
 苦々しげにユウリが呟く。火炎ムカデと呼ばれた魔物は、幸いにもルカの方ではなくこちらを向いた。そして、その小さな口を大きく開けたかと思うと、人の顔ほどの大きさの炎を吐き出してきた!
『うわぁぁぁっ!!??』
 ユウリを除く全員が、悲鳴を上げてその場から飛び退く。この炎、相当広範囲にわたって攻撃してくるので、回避だけするだけで精一杯だ。
 頭を狙って蹴りあげようか? でも、その隙に炎を吐かれたらおしまいだ。そもそも見るからに防御力のありそうな皮膚をしているけれど、打撃が効くのだろうか。
 そう考えあぐねていると、脇から勢いよく鎖が飛んできた。鎖に着いた分銅は見事火炎ムカデの口に命中し、ダメージを負わせた。
「よっしゃ、当たった!」
 放ったのはナギだった。アッサラームで新調したチェーンクロスを手に、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
 だが、それだけで当然倒れるわけもなく、火炎ムカデは体を大きく捻ったかと思うと、体を回転させ、そのままこっちに突進してきた。
 再びあわてて飛び退く私とナギ。少し離れてシーラが小石を投げつけてはいるが、全て外れている。
「ラリホー!」
 魔物から距離を取ったユウリが呪文を唱える。確か敵を眠らせる効果があるはずだ。火炎ムカデは呪文を受けたあと一瞬動きを止め、次第に眠りに……つかない。魔物は平気な顔?をして、攻撃対象に選んだナギに向かって突進した。
「くそっ!」
 ナギは反射的に飛び退く。ムカデは急停止し軌道を変え、ダンゴムシのように丸くなりながら、再び彼の方に向かって転がっていった。
「あーもう、しつけぇ!!」
 回避しながら再びチェーンクロスを振り下ろす。だが、魔物は全く怯むことなく再び軌道を変え、次は私の方へ向かってきた。
 ユウリがこっちに近づこうとするが、新たに現れたネコとコウモリを合体させたような魔物(あとでユウリに聞いたらキャットフライというらしい)が数匹現れ、応戦せざるを得ない状況になってしまった。
 私は向かってくるムカデの足元を狙い、タイミングを見計らって脇に避けつつ足払いをお見舞いした。バランスを崩したムカデは一回バウンドしたあと、明後日の方向に突進しようとして柔らかい砂地に引っ掛かり、勢いよく倒れ込んだ。
 魔物は横たわりながらも、もぞもぞと動いている。体勢を整えている間に私はダッシュして、横たわる魔物の体に拳を叩き込んだ。続けざまにナギが再びチェーンクロスで攻撃する。だが、どの攻撃も致命傷には至らなかった。
「どうしたら倒せるの?」
 焦る私。それは、表情から見てナギも同じ思いだった。
 などと考えているうちに、体勢を整えたムカデが再び私たちに襲いかかる。まずい、これじゃ二人とも避けきれない!
「ラリホー!!」
 他の魔物を全て倒したユウリが、もう一度ラリホーをかけてくれた。
 すると、急にムカデの動作が遅くなり、ゆっくりとその場に倒れ込んだ。もしかして……!
「ムカデは眠らせた!   今だ!」
 どうやら二回目のラリホーは成功したようだ。ユウリが声を張り上げたのを皮切りに、私たち三人は一斉に攻撃を叩き込んだ。やはりレベル30を越えたユウリの一撃は効いているのか、数発でムカデの息の根を止めることができた。
「あ、危なかった……!」
「くっそ~~!! なんであいつ全然攻撃効かねえんだよ!」
 たった一匹の大きなムカデなのに、ユウリがいないと倒せないなんて。私とナギはその場にへたりこんだ。
「……やっぱり魔法使いか僧侶が必要だな」
 ぽつりとユウリが剣を鞘に納めながら呟く。そういえば今回、ユウリはラリホーの呪文しか使ってなかった。どうしてだろう?
「ねえユウリ。なんで今回あんまり呪文を使わなかったの?」
 私の問いに、ユウリは面倒くさそうな表情を見せながらも説明をはじめた。
「あいつは火を使うから、俺が扱う火炎系の呪文は効かない。氷系や真空系の呪文なら効くんだろうが、俺は使えないからな。ラリホーなら多少は効くかと思ったが、耐性があるからか効きが悪かった」
 そっか。呪文にもいろいろ種類があって、魔物によってはその呪文が効かないこともあるんだ。四人の中で呪文を使えるのはユウリしかいないから、使える呪文がなかったら結局物理攻撃するしかない。でも火炎ムカデみたいな防御力もそこそこある相手だと、物理攻撃のみで戦うのも難しくなる。
「せめてもう一人呪文の使い手がいればいいけどな」
 ふう、と小さくため息をつくユウリ。確かに回復するのも薬草を使うか、ユウリの呪文しかない。けれどそれにも限りがあるし、この先もっと強い敵が出るほど、ユウリへの負担は大きくなる。
 他にそういう呪文が使える人が現れたらいいのに。でも、魔王を倒す旅に一緒についていけそうな人なんて、そう簡単に現れるだろうか。
 アルヴィスさんならもしかしたらって思ったけど、前職は戦士って言ってたっけ。でも呪文がなくても強そうな気がする。
 そういえばどこかの山奥に、今の職業を変えられる神殿があるって師匠から聞いた気がする。そこにいけば、私も呪文が使えるようになるのかな?
 でもとりあえず今は砂漠を越えることが第一だ。私は服についた砂をはたき落としてその場から立ち上がると、先に行っていたルカの姿を確認した。彼は今にも泣き出しそうな顔でこちらに歩いてきた。
「ごめんなさい。音を立てたら魔物に気づかれるって知ってたのに、走ってしまいました」
 おそらく砂漠の歩き方は教わったんだろうが、ルカは考えなしに突っ走ってしまうことがある。私も人のことは言えないので、怒るに怒れない。
 するとユウリが、怒気を孕んだ声でルカを呼び立てた。
「知っててどうして音を立てた?   一歩間違えばパーティーが全滅する可能性もあるんだぞ」
「はい、ごめんなさい」
「謝罪は一度でいい。それよりなぜこうなったのか、二度と起きないためにはどうしたらいいかを考えろ」
「……はい」
 ユウリの強い口調に、ルカは溢れそうになる涙を必死にこらえている。助け船を出したいが、それではルカのためにもよくない。他のみんなもそれを慮ってか、黙っていた。
「……早く目的地に着くために、焦って周りが見えなくなっていました。今度は落ち着いて行動するようにします」
「『するようにします』じゃない。行動しろ」
「っ、はい!」
 背筋を伸ばし、大きな声で返事をするルカ。すると、さっきまで殺気立っていた空気が少し和らいだ。
「ふん。ならいい。先に進むぞ」
 そう言うとユウリは、ルカに方角を確認するよう促した。
 重い雰囲気の中、ナギがいつもと変わらない様子で、ルカの頭をぽんと優しく叩く。
「ま、過ぎたことだし気にすんなよ。けど、次からは注意してくれよな」
「は、はい!」
 すると、ユウリが私の方を見ながらこう言った。
「お前の姉よりは役に立ってるから安心しろ」
「え?!   なんか聞き捨てならない言葉が聞こえた気がするんだけど?!」
 私だって結構頑張ってるんだけどなー。でも、二人の言葉を聞いて、泣きそうだったルカの顔から笑みがこぼれる。
「ありがとうございます!   今度こそ気をつけます!」
 深々とお辞儀をし、気を取り直したルカは再び方位磁石を取りだし、今度は冷静に位置を確認する。
「……ああそうか。ここから南西に進めばヴェスパーさんの家に着くはずです」
 ルカが指差した方を見るが、家らしきものは何もない。
「ルカ、大分距離がありそうなんだけどどのくらい歩けば着くの?」
「えーと、三時間ほど歩けば」
「さっ、三時間!?」
 この炎天下の中、三時間も歩かなければならないなんて、気が遠くなる。
「おい、暑いからって気を抜くなよ。魔物だって居るんだからな」
 ユウリが釘をさすけれど、私の心はすでに折れそうになっていた。気分を変えるため、私は持っていた水袋を取り出して水を飲む。さっきの戦闘で喉がカラカラに乾いていたので一気に飲み干したかったが、ここは我慢して一口でやめておいた。
 ふとシーラの方を見ると、マントを来た彼女は心なしか元気がなかった。私は彼女の方に駆け寄り、手にした水袋を差し出した。
「シーラ、大丈夫?   もし足らなければ私の水飲んでいいよ」
「あ、ありがとうミオちん。でも大丈夫だから」
 顔を上げた彼女は、笑顔を見せながらも、どこか無理をしている感じがした。
「……どうしたの、シーラ。疲れちゃった?  それとも何か悩み事?」
「ううん、何でもないよ♪   さっ、行こっ☆」
 そう明るく振る舞ってはいるが、一度違和感を覚えると、気になって仕方がない。私は他の人には聞こえないほどの小さな声でシーラに話しかけた。
「あのさ、私じゃ頼りないかもしれないけど、困ってたり辛いことがあったらさ、誰かに愚痴を言うだけでも少しは楽になると思うよ?」
 私の言葉に、シーラは目を丸くした。そしてすぐにはにかんだ顔を見せた。
「ありがとう、ミオちん。ホントに今は大丈夫だからさ。何かいいたくなったら真っ先にミオちんに話すね☆」
「う、うん!   約束だからね!」
 ずるいなあ。そんなかわいらしい笑顔を見せられたら、何も言えなくなっちゃうよ。
 そんなことを思いながら、ひたすら歩くこと三時間。途中魔物に何度か遭遇したものの、順調に目的地へ着くことができたのである。
 

 

偏屈な客

 
前書き
途中文章のおかしい場所があったので、修正しました。
気づかなくてすいません。
(2020.9.27) 

 
「や、やっと着いた……!」
 火炎ムカデと対峙してから三時間。ようやく私たちは、魔法の鍵の情報を知っていると言われるヴェスパーさんの住んでいる家に辿り着いた。
 幸いにもあれ以降ムカデは現れなかったが、他の魔物とは何匹か遭遇した。
 おばけきのこや人喰い蛾はどうにかなったが、地獄のハサミというカニの姿をした魔物と同時にこられると厄介だった。なにしろそのカニは自身の防御力も高いが、複数に効果のある防御系呪文のスクルトを唱えてくるのだ。最初にそれを唱えさせてしまい苦戦したが、次に現れたときはユウリがすぐさまベギラマを唱え、魔物を一網打尽にしてくれたおかげで、なんとか無事に進むことができたのだった。
 一方、戦闘面で意外な力を発揮したのはルカだった。武器の扱い方は年齢や経験の差もありほぼ素人同然なのだが、身のこなしが軽く、体も小さいため敵の攻撃が当たることはほとんどなかった。
 あとで聞いたら、毎日ドリスさんの知り合いの武闘家と戦闘の修行をさせてもらってるという。もっぱら攻撃を避けることしか出来ていないが、それだけでも十分成長している。実家にいたころの彼は遊ぶことしかしていなかったはずだったから、よくここまでがんばってきたと思う。
 ふと気づくと、早朝に町を出立したにも関わらず、すでにお昼を回っていた。携帯食料は持ち歩いているが、食事は後回しにし、先にヴェスパーさんのところに行くことにした。
 ここから少し離れたところに小高い丘陵があり、あちこちに岩や石くれが転がっている。その丘陵の頂上に、ポツンと小さな家が建っていた。
 家といっても、普通の木造家屋ではなく、大きくて固そうな石を煉瓦のように積み重ねたような家だ。ルカが言うには、ここイシス地方ではこういう家は珍しくないという。暑さだけではなく、他の地域に比べて竜巻などの発生も多いため、簡単には壊れない造りにしてあるのだそうだ。
 早速訪ねようと丘を登り、家のそばまで近づいてみるが、なぜか家の周りには動物の死骸やら鳥のフンやらが散乱している。
「ねえルカ。本当にここに人が住んでるの?」
「うん。あの人大の人嫌いでさ、わざわざ人が立ち入らないような場所を選んでんだ。ずっと一人で住んでるみたい」
 ルカは平然とした顔で答えると、入り口から少し離れたところまで歩いて立ち止まる。
「ここなら人一人くらい通れます。オレがいつも使ってる道だから安心して下さい」
 そう言いながら、腐敗した地面の合間から見える砂地に足を踏み入れる。刺激臭はするが、我慢できないほどではない。私たちはルカのあとに続いていった。
 そして、てっきり入り口に向かうのかと思いきや、ルカは家を通りすぎ、奥の方へと進んでいくではないか。
「この家に入らないの?」
「ここは臭いがすごいから誰も住んでないよ。普段ヴェスパーさんは、この奥の祠で生活してるんだ」
 祠?  祠でどうやって生活してるんだろう?   ますますヴェスパーさんが何者なのかわからなくなってきた。
 とにかくこの家には誰もいないらしい。遠い昔は誰かが住んでいたのかもしれないが、よく見れば壁のあちこちに亀裂が入っており、長い時間かけて劣化していったのがわかる。
 祠と一軒だけぽつんとある家。きっとそこは昔、何かを奉っていたのだろう。そしてそれを守る神官だかが住んでいた。もはや推測でしか図れないが、魔王が復活する前はこんな辺鄙な場所でも生活できるくらい平和だったのかもしれない。私はやりきれない思いでそれを見ながら、少し歩いたところにある小さな祠へと向かった。
 祠に近づくと、私たちの気配に気づいたのか、人影が動くのが見えた。その男性は姿かたちだけ見れば初老に見えるが、髪の毛はボサボサで、全身埃まみれの状態でじっと立っており、実年齢は定かではない。
 彼はルカと私たちを交互に見たあと、再び祠の中に引っ込んでしまった。
「噂通り、かなりかわったおっさんみたいだな」
 ナギが小声で誰にともなく呟いた。まあでも、ヴェスパーさんの立場からすれば、いきなり見知らぬ人間が何人も目の前にやってきたのだ。そりゃあ多少警戒はするだろう。
「あのー、突然大勢で伺ってすいません!   私たち、魔王を倒すために旅をしている者なんですけど、ちょっとお話させてもらってもいいですか?」
 なるべく刺激しないように、下手に出ながら彼との接触を図ってみる。私が声をかけると、今度は目だけ出してこちらをじーっと伺っている。なんだか野生の獣のようだ。
「ヴェスパーさん。今日はあなたが欲しがってたものすごく珍しいものをたくさん用意してきたんですよ。ほら、これなんかどうです?」
 もともと彼と商売の交渉をしに来たルカが、素早く鞄の中から何かの本を取り出した。この間ドリスさんが言っていたものだろうか。
「見てください、その名も『ユーモアの本』!   これを読めば大爆笑間違いなし!   さらに性格が『お調子者』になり、ギャグのセンスもピカイチになり、皆の視線を一人占めできますよ!」
「……わし人のいるところ行かないし、別に必要ない」
 ルカの熱弁もむなしく、ヴェスパーさんはきっぱりと断った。
「もちろん、一人でいるときもこの本を読めばいい気分転換になりますよ!   あ、あとこの『金のネックレス』なんかどうです?」
 それに負けじと、ルカは次々に鞄の中からアイテムを出して紹介するが、ヴェスパーさんの購買意欲が変わることはないかった。それどころか、徐々に不機嫌をあらわにしていく。
「今日もまたつまらんもん見せに来ただけか。食糧だけ買うからとっとと帰ってくれ」
 そう言うとヴェスパーさんは、お金代わりなのか、何やら鳥の羽根のようなものを無造作に置いて、また奥に引っ込んだ。これって家の前に散乱していた鳥の死骸から拾ったものなんじゃ……?
「待ってください!   せめてこの人たちの話を聞いてください! この人たちは魔王を倒すため、あなたが知ってる『魔法の鍵』を探しているんです! どこにあるか教えて頂きたいんです!!」
 ヴェスパーさんは、顔を出して私たちを一瞥すると、面倒くさそうに鼻を鳴らした。
「ふん。そんなうさんくさい連中とは話なんぞする気にもならん。帰った帰った」
 再び奥に引っ込もうとするのを、ユウリが無機質な表情を顕わにしながら呼び止めた。
「おいジジイ。俺たちは魔王を倒す旅の途中で急いでるんだ。お前のわがままで救える命も救えなくなるんだぞ」
  ユウリの高圧的な態度に、みたび顔をだしたヴェスパーさんはムッとした表情で返した。
「そんなんわしには関係ないわ。魔王だかなんだか知らんが、これ以上わしの生活を脅かさないでくれ」
 この人、本気で自分には関係ないと思っているらしい。さすが、オルテガさんでさえ諦めざるを得なかった人物だけある。
「仕方ない。魔王が世界を滅ぼす前に俺がこの地を焦土と化してやる」
「待って待って!!   早まらないでユウリ!!」
 ああもう、誰かこの暴走勇者を代わりに止めて欲しい。
 するとそこへ、マントに身を包んだシーラが、ふらふらしながらユウリの横へやって来た。
「うああ~、暑い~!   脱ぐ~!!   ユウリちゃん、いったん返す~!」
 普段着なれてないからなのか、マント一枚で暑がるシーラは、急いでマントを外すとユウリに無理やり渡した。
 急にバニーガール姿となった彼女を見たヴェスパーさんは、目を真ん丸にして微動だにしない。まるで生まれてはじめて見る生き物を見ているかのようだ。
 そして、震える手で彼女を指差しながら、こう言った。
「そ……その尻についてるものをくれ!!」
 は?!
 皆の目が点になる。ナニヲイッテルンダロウ、コノヒトハ。
「え~と、さすがにおしりはあげられないかな~?」
「違う!!   その尻についてるふわふわしたものじゃ!!」
 言われてシーラは後ろを振り向く。確かに、バニースーツのお尻のところに、丸い毛玉みたいなものがついている。
「それ、『うさぎのしっぽ』ですよね。ヴェスパーさん、あれが欲しいんですか?」
 ルカが目のやり場に困りながらおずおずと尋ねると、ぶんぶんと首を縦に振った。
「それだったら今度またここに来たときに仕入れておきますよ。今日は食糧だけで良いですか?」
「嫌じゃ!   わしはその尻についてるのが欲しいんじゃ!!」
 駄々をこねる子供のように、わめき続けるヴェスパーさん。
「なんだ、ただの変態ジジイじゃないか。やっぱりここで葬り去った方が世の中の為になるんじゃないのか」
 手をヴェスパーさんに向け、再び死の宣告をするユウリ。うん、今回は私も止めない。
「別にあげてもいいよ?   また新しいのに変えればいいし」
 けれどシーラはあっさりと、その『うさぎのしっぽ』を取り外した。
「その代わり、さっきも言ったけど、『魔法の鍵』の場所教えてね?」
「ほ、ほんとか!? 教えるとも! わしの持ってる情報でよければ、いくらでも教えてやる!」
 にっこりと、ヴェスパーさんにそれを渡すシーラ。ヴェスパーさんもよっぽど『うさぎのしっぽ』が欲しいのか、先程とはうってかわった態度で快諾した。




 その後ヴェスパーさんは態度を改め、私たちを祠に招き入れてくれた。
 祠の中は朽ち果てた女神像が転がっており、あとは必要最低限の生活道具が並べてあるだけだった。
 草を編んだ敷物の上で車座になりながら、私たちはヴェスパーさんの話を聞くことに。
「それで、お前らはわしに何を聞きたいんじゃ?」
 ヴェスパーさんの問いに対し、口火を切ったのはユウリだった。
「今から十年以上前、お前の元にオルテガと名乗る男が来なかったか?」
「……ああ、確か魔王を倒そうとしてるといっとったな。確かにここに来おった」
「その男は俺の親父なんだが、そのとき『魔法の鍵』がどこにあるか尋ねなかったか?」
「ああ。そういえば聞いとったな。魔王の城に行くにはそいつが必要だと言っておった」
「その時、なんでその鍵を渡さなかったんだ? もしあの時親父が鍵を手に入れられたら、今頃世界が平和になってたかも知れないんだぞ?」
 ユウリの問いに、ヴェスパーさんは遠い目をしながら答えた。
「『渡さなかった』んじゃない、『渡せなかった』んじゃ」
「どういうことだ?」
 ヴェスパーさんは一つ咳ばらいをし、居住まいを正す。
「実を言うと鍵はここにはない。本当はここから北にある、古代の王族が眠る墓と一緒に隠されている」
「古代の王族が眠る墓?」
 そう言われても全くピンとこない。お墓と一緒に埋められてるってこと? 師匠がくれた鉄のツメみたいな?
「うむ、世間では『ピラミッド』と呼ばれとるがな。墓といっても規模が違う。なにしろ墓自体がちょっとしたダンジョンよりも広いからな。その建物の中には代々の王族や、その王族が使ってた装飾品や宝が一緒に納められていてな。その宝を手に入れようと、今まで数多の盗賊や魔法使いどもがその墓に侵入したために、わしのご先祖が色んな仕掛けを施して入れんようにしたんじゃよ」
「へえ。じゃあ、その仕掛けを解かないと中には入れないってことか」
 仕掛けと聞いて、興味深げに頷くナギ。
「お前の先祖は、ピラミッドの管理者だったのか?」
「うむ。もともとわしの先祖は魔法使いが多くてな。その中でも優秀な者たちが墓の所有者であるイシスの王に選ばれ、墓の守り手としてピラミッドに様々な仕掛けを施したのじゃ」
 ユウリの問いに、ヴェスパーさんはやや得意げに答える。
「じゃが、わしの一族にもいろいろあってな。何十年もたつうちに、墓の守り手自体、放置されるようになったんじゃ。今ではイシス城内でも、墓の守り手という存在自体知らないものがほとんどじゃ。もちろんわしら子孫にも、ピラミッド内部について語り継がれることはなかった」
 そう言って、深くため息をつくヴェスパーさん。
「だから、魔法の鍵がピラミッドのどこに眠っているのかもわからん。罠や仕掛けもどこに隠されているのか、それすらも今のわしには何一つ知らないんじゃよ」
それを聞いた私たちは、がっくりと肩をおとした。それでも、魔法の鍵がピラミッドにあるっていう情報だけでも大収穫だ。
「それじゃあ、オルテガさんが訪ねた時って……」
「ああ、そのときはわしも若かったからの。つい見栄を張って、さも知ってるけど教えないような素振りをしてしまったんじゃ。若気の至りってやつじゃな」
うん、やっぱりこの人、変わってる。さっきの感じから察するに、お互い意地を張って一歩も引かなかったんだろう。オルテガさんたちとヴェスパーさんがどういうやり取りをしたのか、想像して妙に納得してしまった。
「だからな、これ以上わしに聞いても無駄じゃぞ。あとは自分等でなんとかしてくれ」
「ずいぶん他人任せだな」
「何を言う。ちゃんとこいつのお代分は話したからな。もう用はないんだから、気が済んだのならとっとと帰ってくれ」
 なんて自分勝手なんだ。でも、魔法の鍵のありかを教えてくれた手前、彼がどんな気性であれ、そこは感謝しなくてはならない。
「教えてくれてありがとうございます、ヴェスパーさん。助かりました」
「ふん。まあ、お前の話のおかげで道が開けた。一応礼は言う」
「む、むう。そうやって正直に言えばいいんじゃよ」
 私たちがお礼を重ねると、ヴェスパーさんは少し照れた表情をした。
「けどよ、じーさん。そのウサギのしっぽをどうするつもりなんだ?」
 ナギの何気ない問いに、声を震わせるヴェスパーさん。
「な、なんじゃお前!! もしかしてやっぱり買い戻したいとか……」
「いや、絶対ないから」
「あたしも気になるなぁ~。もと持ち主として」
 ナギとシーラがずい、と歩み寄る。ヴェスパーさんは必死の形相でウサギのしっぽを両手でしっかりと握りしめると、
「こ、これはわしの唯一の拠り所なんじゃ!! 誰にも渡さんぞ!!」
 そう言って、自分がウサギにでもなったんじゃないかというくらい小さく怯えながら、拒絶の反応を示した。
 その様子があまりにも必死だったので、不憫に思ったのだろう。半ばからかい交じりだった二人は、これ以上言うのをやめた。
「そ、それじゃあヴェスパーさん。また何かあったら来ますんで」
 ルカが最後に挨拶をして、私たちは祠を後にした。振り向くと、ヴェスパーさんはずっと怯えたような目でこちらを見つめている。う~ん、やっぱり変わった人だ。



「最後まで変なやつだったな」
ナギが何とも言えない表情で呟くと、ユウリが鼻を鳴らした。
「ふん。取り合えず、もうここには用はない。一旦町に戻って情報収集するぞ」
 太陽も大分傾き始め、昼間の暑さとはうって変わって空気がひんやりとしてきたのだが、未だに砂漠の気候は慣れない。
 鍵の場所はわかった。あとは、どうやってピラミッドの中に入るかだ。
「えと、あのー、皆さん。本気でピラミッドの中に入るつもりですか?」
 行く気満々の私たちに、おずおずと口を挟むのはルカ。
「ああ。別にお前を連れていくつもりはない。アッサラームに着いたらそこで別れるつもりだ」
「いや、そうじゃなくて……。師匠たちから聞いた話だと、ピラミッドって仕掛けだけじゃなくて、魔物も沢山いるらしいですよ」
「まあ、砂漠にこれだけ魔物がいるんなら、ピラミッドにいてもおかしくないだろ」
 しれっと答えるユウリ。けれど憂いの表情を浮かべたルカは、控えめだが力強い調子でさらに言い募る。
「でも、さっきのムカデよりももっと強い魔物がいるそうです。それにウワサでは、ピラミッド内部のどこかに呪文の一切効かない場所もあるらしくて、最近はほとんど誰もがそこに近寄ることすらしないそうです。……それでも行くんですか?」
「当たり前だ。俺たちの目的は魔王を倒すこと。そのために必要なアイテムならば、手にいれるのが当然だろ」
「そうですが……」
 それでもなお言おうとするルカに、私は違和感を感じた。すると、シーラがルカの隣に寄ってきた。
「るーくんはさ、おねーちゃんが心配なんだよね?」
え?
シーラが俯くルカの頭を撫でながら優しく話しかける。ルカは恥ずかしそうにしながらも、小さく頷いた。
「あー、さっきの戦闘で逆に不安にさせちまったってことか? まあ、オレも大口叩けるほどレベル高くはねーけどよ、こいつら守れるくらいはできるから。そんな心配すんなって」
ナギも察したのか、にっと白い歯を見せながら、私とシーラを指差した。
ああ、そっか。さっきの火炎ムカデとの戦闘で、かなりてこずってたからな。そのせいでルカに余計な不安を与えてしまったんだ。
「こいつらに不安を覚えるのも無理はない。だが安心しろ。レベル32のこの俺がいるからには絶対に全滅になるようなことはならない」
そう言いながら、自信満々に前に出るユウリ。いつの間にかレベル32になっていたらしい。でもユウリのおかげで私たちが生き残っていられるのは紛れもない事実だ。 逆にいうと、ユウリがいなければこの砂漠を越えることは出来ない。……それが事実なのだ。
ルカは勇者の一言が聞いたのか、安堵の表情に変わっていった。ごめんね、私がもっと強ければ、そんな顔させないですんだのに。
「そうですよね。勇者であるユウリさんが、負けるわけないですよね。おれも出来ることがあれば協力しますので、魔王を倒して、世界を平和にしてください。……あと、姉のこと、よろしくお願いします」
深く頭を下げるルカ。その小さな背中を見て、私は胸に熱いものが込み上げてくるのを感じた。ルカも成長してるんだ。私も今以上に頑張らないといけない。
「それはそうと、皆さんこれからアッサラームに戻ろうとしてますよね? 提案があるんですが、今からだと夜になってしまいます。それはさすがに危険なので、ここから北に少し行ったところにあるイシスに向かいませんか?」
「ああ。あの変態ジジイが言っていた、イシスか。確かに、ピラミッドに行くには、所有者であるイシスの王……いや、あそこは女王か。彼女にも話を聞いといたほうがいいからな。ここから近いのか?」
「ここから一時間ほど歩けば着けます。それに、イシスではアイテムの素材の買い取りも行ってるので、実はここを出てから行こうと思っていました」
「素材の買い取りって何? ルカ持ってるの?」
 ルカは何を言っているんだ、と言わんばかりに私のほうを向いた。
「持ってるもなにも、さっきヴェスパーさんがくれたじゃんか。あれキメラの羽根なんだよ。その羽根を集めて加工したのがキメラの翼になるんだ」
「ええっ!? そうだったの!?」
てっきり鳥の羽根かなにかと思ってたけど、まさか魔物のだったなんて。
「他にも『うさぎのしっぽ』なんかは一角ウサギの毛から作られてるし、結構魔物の一部を使って作ったアイテムって多いんだよ」
 頑張って覚えたのか、さすが商人見習い、と言わんばかりに饒舌に話すルカ。
「でもさ、この辺キメラなんて魔物、見かけないよ? なんでヴェスパーさん持ってるの?」
「うん、確かにこの辺にはいないんだけどさ。師匠が言うには、死期が近づくと、ある魔物なんかはみんなそろって同じ場所に集まって、そこで死ぬのを待ってるんだって。キメラもそういう習性があるかもって言われてる。ヴェスパーさんちの周り、動物とか魔物の死骸とか凄かっただろ? 世間じゃ『魔物の墓場』って呼ばれてるんだ」
「おいおい、そんなヤバそうなところに住んでんのかよ、あのじいさん」
 ナギがあきれた口調で言うと、ルカはナギに向き直り、
「でも商人の間じゃ、アイテムに使う貴重な素材もよく見つかるので、『魔物の宝物庫』とか呼ばれてたりしますよ」
 そう言って目を輝かせた。ひょっとしてルカをヴェスパーさんのところに向かわせているのも、そういう素材を手に入れるためなのかと推測してしまう。
 そして宝物庫と聞いて、一瞬ユウリの目が光ったが、敢えてそこには触れないことにした。
「それじゃそこで死んだキメラの羽根を、ヴェスパーさんは拾って生計を立ててるってことなんだね」
「そういうこと」
思わぬところでキメラの翼の作成方法を知ってしまった。ルカも色々勉強してるんだな。
「とりあえず、イシスに向かうぞ。まずはそこでピラミッドについての情報を集める。……よし、明日俺は女王のところへ向かうから、お前らは町で情報収集をしろ」
「二手に分かれるってこと?」
「ああ。全員で行ったら時間がかかるだろ」
 私は納得しながらうなずいた。そう言うと、ユウリは自身の影を見ながら、方角を確認していた。
 その様子を、ルカは羨望の眼差しを向けながら眺めている。
「オレ、最初にユウリさんのこと、勇者っぽくないっていったの取り消すよ。やっぱり人の上に立つ人って、カッコいいよな」
「あ、ああ、うん。そうだね」
ルカに同意する私だったが、内心ユウリがまたお城に向かうという事態に若干の不安を抱いていた。なぜなら、ロマリアの王様交代事件があったからだ。まあ、そんな酔狂なことをする王様なんてそういないし、そんな何人もいてもたまったもんじゃない。
とりあえず明日何事もないことを祈るしかないのだった。
 

 

砂漠の町

 砂漠の真ん中にあるオアシスの国、イシス。ここははるか昔からすでに大国として栄えており、砂漠を越える旅人の休憩の場であると同時に、この地域では伝統的な石造りの家々が建ち並ぶ、歴史的価値の高い町でもある。
 そんな歴史ある町イシスに到着したころには、日はすっかり沈んでいた。この時間にお城に行っても門前払いされるだけだと判断したユウリは、翌日にお城に行くことを宿屋の中で話した。
 その後皆でピラミッドに関する情報を得るため手分けして町を回ると言う話になったのだが、どうにも頭が回らない。砂漠の暑さと魔物との戦闘で疲労がピークに達したのか、彼の話を聞き終えて部屋に入った途端、張り詰めた糸が切れたかのように、私は力なくベッドに身を預けた。
 砂漠の町の宿屋は手狭ながらも珍しく個室で、ベッドもいたってシンプルだ。木製の枠組みに敷物をかけただけの簡素な作りである。それでも長旅で疲れた私たちの体を休ませるのには充分だった。
 そして一夜明け、私は宿泊した宿の玄関外で、まだ日の出ない薄闇の中、震える声で呟いた。
「うう~、寒い。まさかこんな町の中でも寒いなんて」
 砂漠の朝は寒い。昼間のあの暑さはなんだったのだろうと疑ってしまうほど、この地域の寒暖の差は激しいのだ。
 そのあまりの寒さに想定外の早起きをしてしまった私は、眠気覚ましに外でトレーニングをしようと思い、思いきって外に出た。けれど外は部屋よりも格段に寒く、しかも今日は風が強いのか、冷気を含んだ鋭利な刃物のように、寒さが体を刺していく。私は一刻も早く体を温めるため、震えた体を抱きしめながら、小走りに町を駆けた。
走りながら見える町並みはどこも静まり返り、時おり吹く砂混じりの風が、この町の気候の厳しさを物語っていた。
 宿から少し離れると、何やら風を切る音が聞こえてきた。音のする方へ向かっていくと、少し開けた空き地に見慣れた人物が一心に剣を振っている姿があった。
 あれは、ユウリ!?
 幸い向こうを向いているのでこちらに気づくことはないが、あの後ろ姿は紛れもなくユウリだ。どうやら彼も早朝のトレーニングを行っているらしい。私も相当早く起きたつもりだったのだが、一体ユウリはいつからやっているのだろうか。
 声をかけるべきか迷ったが、トレーニングを邪魔する訳にもいかないし、話しかけたらかけたで何だか怒られそうな気がするので、黙ってこの場を去ることにした。
 ユウリの姿を見てなぜか不思議とやる気が漲った私は、別の場所で鍛練を行うことにした。人に見られるのは恥ずかしいので、なるべく人通りの少ない場所を選ぶ。ちょうど木々が周りに囲われてある場所があったので、そこでトレーニングを始めることにした。
 師匠に教えてもらった体術、魔物相手を想定した組手など、今自分ができる技を昇華させるため、頭の中でシミュレーションしながら続けていく。
  やがて自分が納得できるくらいに形になった頃、こちらに近づく気配がしたので何かと振り向いた。
「朝から熱心だな」
「ナギ! どうしたの? こんな朝早く」
 そこに現れたのは、意外にもナギだった。だけど、なんとなくいつもより顔色が悪い気がする。
「ああ、なんか目が冴えちまって、散歩でもしようかと思ってさ。お前こそ早いじゃん」
「私も寒くって目が覚めちゃったから、体を暖めるついでにトレーニングでもしようかと思って」
「へえ、お前も堅物勇者も真面目だな」
「ナギもユウリがトレーニングしてるところ見たんだ?」
「ああ、うっかり目に入っちまった。まああいつ、あれ毎朝の日課みたいだけどな」
「毎朝やってるの?!」
「そうみたいだぜ」
 全然気づかなかった。普段でさえ町やダンジョンを行き来したり、魔物と戦ってたりするのに、あんな朝早くからトレーニングしてるなんて、一体いつ寝てるんだろう。
「オレも時々するけどさ、絶対あいつの方が先に起きてんだよな」
 悔しそうに言うナギ。ちょっとしたことでも負けたくないという気持ちが彼にはあるらしい。
「私も、絶対自分が一番早いと思ったんだけど、それより先にユウリがいたからビックリしたよ。そうだ、ナギも一緒にトレーニングする?」
「あー、いや、今日はなんかそういう気分じゃなくてさ。ちょっと散歩したら戻る」
「大丈夫?   顔色悪いみたいだけど」
「ああ。心配してくれてありがとな。なんか、お前の顔見たら安心した」
「え?」
 急にそんなことを言われたので、ドキッとしてしまった。けど、どことなく無理をしてる雰囲気に見えるのは、気のせいだろうか?
「あの、無理しないでね。今日は私とシーラで町を廻るから、体調悪いなら一日宿で休んでなよ」
「大丈夫大丈夫。それにあいつ……シーラの方が無理してる気がするし」
 そう言えば、昨日の砂漠での様子も、いつもと違っていた気がする。ナギも気づいてたんだ。
「シーラ、何か悩んでるのかなあ。ナギ、何か知らない?」
「さあ。お前が知らないってんなら、オレらはもっとわかんねーよ。あいつと一番仲いいのはお前だろ」
「うん……。でも私が相談に乗るって言った時も、シーラは笑ってただけで何も言わなかったし、何か隠してる気がするんだ」
 私が眉を下げてそう言うと、ポンと私の頭に何かが置かれた。見上げると、ナギが半ば呆れたような笑顔で私の頭に手を乗せていた。
「ホントお前って、そういうの気にするよな。だからあの堅物にいいように扱われるんだ。周りを見るのもいいけど、もっと自分を大事にしろよ」
「う、うん……」
 そういうナギも、気づけば私を含めほかの人にも優しく気遣っているように見える。
 すると、いつになく真剣な面持ちで、私を見据えた。
「あと、もっと自分に自信持てよ。あいつに散々言われてるけど、お前がこのパーティにいなかったら、こんな風に呑気に旅なんて出来てなかったぞ」
 ナギの予想外の発言に、私はしばし言葉を失う。
「お前はいわばこのパーティーの屋台骨だ。周りの骨を支える支柱がなけりゃバラバラになっちまう。そういう存在なんだよ、お前は」
 その力強い口調に、思わず私の目頭が熱くなる。そう言ってくれる人が身近にいてくれて、失いかけていた自信が再び戻っていくのを感じる。
「どうした?」
「ううん、なんでもない。ありがとう。そう言ってくれて嬉しい」
  涙を誤魔化すため、目に砂が入ったのを装いながら、私は笑った。けれど、もしかしたらナギには気づかれたかもしれない。なぜなら彼はあからさまに私から視線を外し、目新しいものもない街並みを眺めていたからだ。
 いつもと様子が違うナギを見て、私の心の中にモヤモヤした気持ちが生まれる。顔色の悪い彼は心配する私に気づいたのか、すぐに話題を変えた。わざわざ人に話すことでもないことなのかもしれないが、教えてくれない以上、変に詮索しても余計相手に負担を与えるだけだ。私はすぐさま話題を変えてみる。
「ねえ、今日はやっぱり皆でお城に行ってみない?」
「?   どうした急に」
 城に行くのはあいつ一人だろ?   とさらにナギは付け加える。彼の疑問は最もだ。けれど私は、何かに悩んでそうな二人を別行動させるのは不安と感じた私は、急遽提案をすることにした。
「そうなんだけどさ。ロマリアでユウリが王様になったの覚えてるよね? あのときみたいに、もしまた暴走して国の存亡に関わるようなことになったら大変だし、誰か止める人がいた方がいいと思うんだ」
とっさの言い訳だが、全くの嘘を言ってるつもりもない。実際ユウリが王様になったことでロマリアの経済は危うく破綻寸前になるところだったし、彼の物言い次第では、事態がどう転ぶか全く予想が出来ないのだ。
「おいおい、そりゃさすがに気にしすぎじゃねーか?   あいつ、身分が上の人間に対しては割と常識的な行動するだろ」
「え、そうかな?」
 言われてみれば確かに、初めてロマリアの王様に会ったときは、別人ですか?ってくらいまともに話していた気がする。
「そっか……。でもルカに聞いたんだけど、イシスの女王様って、絶世の美女って噂だよ。一般人でも気軽にお城に入れるらしいし、一度でいいからみてみたいと思わない? 」
「なんだって?」
 絶世の美女と聞いて、急にナギの目の色が変わる。ビビアンさんはどうした、ビビアンさんは。
「それとも、ナギだけ別行動する?」
「バッカ野郎!   そこまで聞かされて、何でオレだけ別行動させられなきゃならないんだよ!!   行くに決まってるだろ!!」
 まるで一人だけ牢屋に入れられなきゃならない状況に陥ったんじゃないかというくらい、切羽詰まった表情で叫ぶナギ。いや、何もそこまで言ってないんだけど。
「それじゃ、帰ったらユウリに相談してみよう。もうユウリも宿屋に戻ってるよね」
 話を強引に変えた私は、半ば興奮しているナギを落ち着かせたあと、トレーニングを切り上げた。と同時に、いつものナギに戻ったみたいなので内心ホッとする。そして結局そのまま一緒にナギと帰路に就くことにした。



 気づくと、刺すような寒さはすっかり和らいでいた。 黄金色の朝日はすっかり町の屋根よりも高く上がり、私たちの歩く道を照らしてくれる。
 宿に到着し、ドアノブに手をかけようとした途端、触れてもないのに勝手にそれが回りだし、同時にドアが私の目の前に吸い寄せられるように向かってきた。
 どんっ!!
 急に目の前が真っ暗になり、次いでお星さまが視界を遮った。後ろにいたナギが何やら騒いでいるが、額に現れた鈍痛に耐えるので精一杯で、何が起きたのか考える余裕などなかった。
 目を瞬かせて見上げると、身なりを整えたユウリが立ちはだかっていた。
「何ぼーっと突っ立ってんだ。通れないから早くどけ」
「おい! その前にミオに謝るのが先だろ」
 ナギが私の前に立ち、ユウリの進路を塞ぐ。不機嫌な顔のユウリは私たちを交互に見ると、眉間のシワをさらに増やした。
「そんなところに立ってるのが悪いんだろ。いいからそこをどけ」
「え、ちょっと待って!   どこに行くの?」
「昨日言っただろ、イシスの女王に会いに行くって」
 私が咄嗟に尋ねると、ユウリは鬱陶しげにいい放った。まずい、今言わないとユウリが行ってしまう。
「あのさ! さっきナギと話したんだけど、やっぱり皆でお城に行かない?」
 額をさすりながら言う私に、心底うんざりした顔をする勇者。
「なんでお前らと一緒に?   別に女王に話を聞くくらい一人で行ける」
「だ、だってさ、昨日ずっと砂漠にいたし、ユウリも疲れたでしょ?   町での情報集めはあとで私たちがするからさ、お城から帰ったらユウリは休んでなよ。それに、万が一リーダーのユウリに何かあったらみんな心配するよ?」
「お前らがそんな繊細な心を持ってるとは思わないけどな」
 にべもなく言い放つユウリ。
 うう、なかなか手強い。しかもなにげに失礼なことを言っている。
 やっぱりアッサラームでの一件から、私に対して怒ったままなんだろうか。でも、自分の何が悪いのかがわからないので、これ以上謝りようがない。
 こうなったら、なけなしの演技力をフル稼働して、ユウリを説得してみよう。
 心を決めた私は、半ば勢いでユウリの手を両手で包み込むように握りしめると、憂いを帯びた目で戸惑うユウリを見た。
「な、なんだいきなり」
 私の突然の行動に、動揺の色を隠せないユウリ。そんなのお構いなしに、私はひたすらじっと見つめる。
「そんなことないよ。本当は皆、ユウリのことが心配なんだよ。だってユウリ、いつも無理してるもの」
「何?」
 仕草は演技だが、言ってることは本心である。実際アッサラームを出てから、彼はほぼ一人で魔物を倒していた。砂漠の魔物は強く、今の私たちでは魔物に致命傷を与えることすらできない。
 それだけじゃない。普段の戦闘でも、ユウリはリーダーとしての責任感故か、いつでも最前線で戦っている。それは本来、武闘家である私の役目なのだが、今の自分のレベルでは足手まといにしかならない。なので私が戦えない分、ユウリが負担になっていることに、私は多少の負い目を感じていた。
 私は俯くと、小さく肩を震わせた。もはや演技ではない。弱い自分を改めて思い返し、腹立ちすら覚えていた。
「私が弱いせいでユウリにばっかり負担をかけさせちゃってるし、せめて町の中にいる間は、少しでも私たちを頼ってほしいの」
 ユウリを包む手に力が入る。そして真剣な眼差しで彼を再び見据え、必死に訴えかけた。心なしか自分の目が潤んでいるのは、自分で自分のことを弱いと認めたうえで、苛立ちと悔しさが入り混じっているからだろう。
 けれど、その様子が彼にどう見えたのか定かではないが、真実味を持たせたのは確かだ。棘のように私に突き刺さっていた彼の視線は、次第に憐れみと同情の色に姿を変えていく。そして、静かに口を開いた。
「……心配するのは勝手だが……。そういう顔は他の奴に見せるな」
「え?」
 小さい声でそういうと、顔を背け、手を払われた。いったいどういう意味なのか尋ねようとしたら、
「そんな情けない顔でいられたら、勇者の仲間として恥ずかしいだろ」
 と、きっぱりと言われた。
 ああ、そういう理由か。けれど、改めて他人にそう言われると、結構ショックだ。
 するとユウリは再びこちらに向き直り、
「……そんなに俺と行きたいのなら、仕方ない。特別に俺の隣で謁見する許可をやろう」
 そう上から目線で言った。言い方はともかく、とりあえず説得に成功したようだ。
「いいのか?  あいつ、何だかんだでお前の頭ぶつけたこと、なかったことにしそうだぞ」
「あ、うん、とりあえず、私の意見を了承してくれたのなら別にいいよ」
 耳元で話すナギの言葉に、そういえばそうだったと今さらながら思い出したが、あえてそういう素振りを見せず、明るく振る舞った。
 そんなこんなで、急遽予定を変更した私たちは、ユウリと一緒にお城に行くことにした。
 身だしなみを整えてから行きたいので、一度部屋に戻ることに。そういえばシーラは起きてるのだろうか。
「あっ、おかえり、ミオちん!」
 部屋に入ると、朝から元気いっぱいな声のシーラが出迎えてくれた。いつもは寝起きの悪い彼女だが、今日は珍しくとても機嫌が良い。
「おはよう、シーラ。今日はなんだかご機嫌だね」
「へへ、まあね☆ それよりミオちん、今日は町を廻るんでしょ? 一緒に行こうよ♪」
 彼女はいつもの調子で私の腕にしがみつき、にこにこしながら話しかけてきた。
「あのねシーラ。先にこれから皆でお城に行くことにしたんだ」
「え?! そうなの?!」
 やったー、と言いながら、嬉しそうにぴょんぴょん跳び跳ねている。
「シーラもお城に行きたかったの?」
「うん! だって面白そうじゃん♪」
 お城に面白さを求めるのもどうかなあ、と思ったが、細かいことは気にしないことにした。
「そうだ、ルカにも言っとかないとね」
「あ、るーくんなら、昨日もらった羽根を持ってどっかに出掛けたよ?」
 昨日もらった羽根とは、キメラの羽根のことだろう。そういえば昨日、その羽根がキメラの翼の材料になるって教えてもらったんだ。ならその羽根を買い取ってくれるところに行ってるのだろう。
「そっか。じゃあルカが戻ってくるまで待ってた方がいいよね」
「ここからすぐ近くだって行ってたから、もーそろそろ帰ってくるんじゃない?」
 シーラの言うとおり、ちょうど身支度を済ませた頃、買取りを終えたルカが戻ってきた。ルカは宿のカウンターで待つ私たちに気づくと、懐からなにかを取り出した。
「お待たせしてすみません!  値段の交渉してたら遅くなっちゃって……。これ、気持ちですけどどうぞ!   ここまで来てくださったお礼です!」
  私たちに渡したのは、羽根ではなく、完成品であるキメラの翼だった。それを人数分、つまり一人一つずつ私たちにくれるってことだ。
「どうしたの、これ?   もしかして、買ったの?」
 私が聞くと、ルカは笑ってはぐらかす。おそらく近くの道具屋で買ったのだろう。素材の買取価格はわからないが、キメラの翼は一つ買うだけでもけして安くはない値段だ。
「ありがとー、るーくん!」
 歓喜の声を上げると同時に、がばっとルカに抱きつくシーラ。ルカもまさかいきなり抱きつかれるとは思ってなかったらしく、顔を真っ赤にしてどぎまぎしている。
「ありがとな。でも、いいのか?  お前の師匠に怒られねーか?」
「大丈夫です。もともと今回は、いつもより多めに旅の資金を師匠から頂いてたんで、どうか気にしないでください」
「……そっか。じゃ、ありがたくもらっとくぜ」
 そう言うと、ナギはわしわしとルカの頭を荒っぽく撫でた。こうしてみると、二人とも実の兄弟のように見える。
「こいつの弟にはもったいないくらい、気が利いてるな」
 ユウリはユウリで、これが最高の褒め言葉なのだろう。私を見るなりそう言うと、感心しながらルカに視線を移した。
「ところで皆さん、今から出掛けるんですか?」
「ああ。これから城に行って女王に話を聞いてくる。本当は俺一人で行くつもりだったんだがな」
「そうなんですか!   ならその間おれが町へ行って、ピラミッドの情報を聞いてみますよ。もうこの町でのおれの仕事は済みましたんで!」
「そうか。それは助かる……」
 そう言うなり、ルカはユウリの返事も聞かぬまま、電光石火のごとく再び外に飛び出した。彼のこういうところは相変わらず直らないのが玉に瑕だ。
「……と、とりあえず、お城に行こうか。多分ルカなら大丈夫だよ」
 この町に詳しいルカならむしろ任せてしまった方がいいだろう。気を取り直し、私たちはこの町を統べる女王様に会うため、宿を出ることにした。
 

 

イシスの女王

「ようこそ、あなたがあの噂に名高いオルテガ殿の意思を継いだ勇者殿なのですね。我々砂漠の民はあなた方冒険者を心より歓迎しますわ」
 妖艶な微笑みを湛える黒髪の美女は、突然の来訪者たちにも全く不快感を示すことなく、歓迎の意を見せた。
 その突然の来訪者である私たち勇者一行は、女王様とのお目通りの許可を頂いたあと、玉座の間へと通された。自己紹介を終えると、目の前に佇むこの世のものとは思えない美貌を持つ君主に、ただただ息を飲みひれ伏すしかなかった。
 艶やかな黒髪はまっすぐに切り揃えられていて、豪奢な髪飾りが品のよさを存分に引き立たせており、長い睫毛と切れ長の瞳、すっと通った鼻筋にふっくらとした唇、薄い褐色の肌に合わせたきらびやかな装飾品が、彼女の美しさを一層際立たせている。
 ナギなんか、この部屋に入ったとたん女王様以外のものなど目もくれないし、シーラも目をキラキラさせながらずっと見続けている。かくいう私もまるで絵画を見ているかのように飽きずにぽーっと眺めていたりしている。
 ユウリはと言うと、女王様のことを見てはいるが、特に変わった様子は見られない。
「急な来訪にも関わらずお時間を設けてくださり、お心遣い感謝致します」
 ロマリア王との謁見のときと全く変わらない言動に、私は内心焦っていた。
 女性の私ですらドキドキするくらいの美人なのに、なぜかユウリは全くの無反応。興味はなくてもせめて、女王様の美しさを誉めるくらいはしてもいいと思うのだけれど。さすがのユウリも女性を褒めるという行為は抵抗があるのだろうか。
「あの、女王様は大変お美しい方ですね!」
 業を煮やした私は、つい横から口を挟んでしまった。
 けれど私の思惑とは違い、なぜか女王様は僅かに顔を曇らせる。
「皆私の美しさを褒め称えます。けれどそれは所詮一時のものでしかありません。姿かたちだけの美しさなど、何になりましょう」
 そう言うと、淑やかにため息をついた。
 けれど憂いを帯びた女王様の表情は、彼女の言葉とは裏腹に、儚くも繊細な美しさを醸し出している。
 そしてその瞬間、私は失敗してしまったと悟った。さっきの言葉は女王様にとっては賛辞でもなんでもなかったのだ。私は自分の失言に、目の前が真っ暗になってしまった。
 私が目を泳がせて反応に困っていると、隣にいたユウリが一言、失礼致しました、と口を挟んだ。
「彼女の言葉が足りないせいで、女王様にあらぬ誤解を招いたこと、お詫び申し上げます。先ほど彼女が伝えたかったのは、女王様の『心』が美しいと言いたかったのだと思います」
「『心』ですか?」
「はい。身分の差など関係なく、我々のような冒険者にも平等に接してくださり、また労って頂ける慈愛に満ちた心を持った人を、私はこの十数年生きてきて一度も拝見したことがありません。女王様はなんと心の美しい方なのでしょう」
  すると女王様は、にっこりと微笑みを返した。
「わたくしも真の美しさとは心の美しさだと思っています。ですが殆どの人々はそれに気づかないのです。貴方たちとは気が合うかもしれませんね」
「女王様からそのようなお言葉を頂き、恐悦至極の思いです」
 表情を崩すことなく、深々と頭を下げるユウリ。その様子を横で見ていた私は、心の中で彼に感謝した。
 と同時に、女王様に失礼なことを言ったばかりか、そのあとのフォローも上手く言えない自分が悔しくて仕方がなかった。
「それで、要件はなんでしょう? わざわざこんな過酷な地へ訪れたということは、相応の理由があるのでしょう?」
 気を取り直し、女王様はユウリに向かって改めて尋ねられた。
「はい、恐れながら申し上げます。我々は今、『魔法の鍵』というものを探しています。そしてその鍵は、この地方にあるピラミッドにあると聞きました。しかし、ピラミッドは古代のイシス王家の墓。王家の宝を頂くというのはあまりにも礼を失する愚行とは存じているのですが、私たちもその鍵がなくてはこの先の旅路に支障をきたすおそれがあります。そこで、女王様にお願いがあります」
「なんでしょう。申してみなさい」
 女王様が促すと、ユウリは一呼吸おいて説明をし始めた。
「『魔法の鍵』を手にいれるために、ピラミッド内部に入る許可を頂きたいのです。ですが、それでは女王様に何の利益もありません。それに周辺の噂では、長年人が寄り付かないせいか、最近ピラミッド内部及び周辺に魔物が多く棲みついていると聞きました。そこで、『魔法の鍵』の対価として、我々がピラミッドの内部に入り、そこに生息している魔物を残らず退治するというのはいかがでしょう?」
 ユウリの提案に、女王様は破顔した。
「まあ、それは我が国にとっても大変有難い申し出ですわ。そもそもこの地には、人が生活するには厳しい場所なだけあって、腕の立つ者が不足しているのです。勇者殿がそう言ってくださるのなら、喜んで協力しますわ」
「女王様の寛大な御心に感謝致します。早速ですが、内部に入る際の注意点、及び詳細な地図があると大変助かるのですが、そういったものは……?」
「ごめんなさい。私も詳しくは知らないのです。今は王家の墓も別の場所に作ってあるので、わたくしたちがあそこに立ち入ることは殆どありません。むしろあの遺跡を調査している考古学者の方の方が詳しいかもしれませんね」
 そっか。語り継ぐ人はいないけれど、そこに興味があって調べる人はいるんだ。
「成る程。それではその考古学者はどちらに?」
「この城の離れに宮仕えとして働いている者がおります。少々変わり者ですが、その方に聞いてみると良いでしょう」
「では早速訪ねてみます。お気遣いありがとうございます」
「とんでもない。我が王家の所有地に魔物が蔓延っているだけでも厭わしいのです。それを一掃してくれるのなら、魔法の鍵だけでなく、そこにある宝もあなた方に差し上げますわ」
「いいのですか?」
「ええ。その代わり、またここへ来て、わたくしの話し相手になってくれませんか? あなたのように価値観の合う殿方がなかなか周りにいないのです。もしよろしければ用事を済ませたあと、またこちらにいらしてもらっても宜しいですか?」
「はい、構いませんが……」
「ありがとう。ではお待ちしていますわ」
 女王様はユウリとの約束をかわすと、誰もが見惚れるような笑みを浮かべた。
 それにしても、王家の宝までくれるなんて、女王様ってなんて寛大なんだろう。きっとそういう内面的なところも含めて、人々に好かれるんだろう。
 私たちは再び平伏すると、女王様の側近の人に考古学者がいる場所を教えてもらい、玉座の間を退室した。



「ユウリ、さっきはありがとう」
 考古学者がいるという、お城の離れに向かう途中、私は歩きながら、さっきユウリにフォローしてもらったお礼を言った。
 お礼を言われた張本人は私の方を向くと、蔑むような顔でため息を一つつく。
「お前が王族に意見するなんて百年早い」
 う……、そこまで言わなくてもいいのに。でも実際、ユウリのお陰であの場はなんとかごまかせたから、二の句は告げない。
 そうこうしてる間に、離れにたどり着いた。離れと言っても建物の作りはしっかりしていて、四方の壁に窓は一つ。部屋の中は余計な飾りや柱などは一切存在せず、本棚と机、砂漠の町では必需品の水瓶のみ。だが、何かを作業するには最適な空間となっていた。
 その部屋の机に向かって、なにやら分厚い本を見ながら、手元にある羊皮紙にペンを走らせている男性がいた。いや、よく見るとペンではなく、何やら小さい炭のようなもので何かを書いている。
 普段手入れしてないのか、無精髭が目立つ。あちこち白髪が入り交じっているが、意外にもまだ三十歳前後に見える。
 男性は私たちが声をかけても気づかないのか、ずっと机にかじりついたままだ。何度か呼んでいるのだが、こちらを見向きもしない。しびれをきらしたのか、急にユウリがずかずかと部屋に入り、男性のすぐそばまで行くと、息を大きく吸い込んだ。
『ピラミッドを調査してるのはお前か!?』
「わあぁぁぁっっっっ!!??」
 今まで一度も耳にしたことのないくらいの大音量で、ユウリが叫んだ。さすがの男性も、いきなり耳元で叫ばれて驚いたのか、体を大きく弾ませると、椅子に座ったまま後ろに倒れた。
 ガッターン!!
 いやいや、それはやりすぎだろう……。周りにいた私たちも思わず耳を塞いだが、間に合わず耳が若干キーンとしている。シーラなんか目回ってるし。
「はっ!   君たちは一体?!」
 男性はユウリと私たちを交互に見ると、警戒心を露にしながら尋ねた。
「俺はアリアハンの勇者、ユウリだ。お前に聞きたいことがある」
 いや、その言い方だと完全にこっちの分が悪いと思うんだけど。さっきの女王様との会話は幻だったのだろうか。
「ゆ、勇者!?   あの、英雄オルテガの子供の?!  な、なんでこんなところに?!」
「俺たちは今からピラミッドに行かなければならないのだが、情報が足りない。そこで、お前なら知ってると聞いて、わざわざ勇者である俺の方から出向いてやった」
「そ、それはどうも……」
 流されないで!   教えてもらう立場として勇者のその対応はおかしいんだから!
「突然すいません。私たち、『魔法の鍵』がほしくて、ピラミッドに入りたいんです。女王様の許可も頂きました。ですが、そこには侵入者から守るための罠や仕掛けがあるみたいなんです。それで、なにか詳しい話を聞けたらいいなと思って、お邪魔させて頂きました」
 不遜な態度のユウリを押しのけ、横から私が説明する。もはやこの流れが恒例行事となりつつあった。
事の経緯を説明すると、ようやく男性は納得したのか、落ち着いて話を聞いてくれた。
「これは失礼しました。僕はロズといいます。あなたたちのおっしゃるとおり、仕事でピラミッドの調査をしています。と言っても、最近は魔物の数も増えてきて、滅多にそこに足を運ぶことはないのですが……」
「ピラミッドの内部に入ったことはないのか?」
「いやあ、無理ですよ。まずここからピラミッドに向かうまでが大変ですからね。まあそれでも、どうしても実物を調査したくて、あるとき紹介所で戦士を二人雇ってようやくあそこの入り口まで行きましたけど、砂漠にいる魔物とはまた別の魔物が蔓延ってまして。その魔物を見た瞬間、雇った戦士二人が急に逃げ出しちゃったんです。聞いてみたら、金は払わなくていいから帰らせてくれと言ったんです。その時は仕方なくそのまま帰って来ちゃいましたよ」
 そう言って、苦笑するロズさん。戦士が二人いて戦う前に逃げ出すなんて、一体どんな魔物と対峙したんだろう。
「その魔物がどんな姿だったか、わかるか?」
「確か、包帯巻いたゾンビと、大きなカエルがいましたよ。あとで調べましたが、そいつらはそれぞれミイラおとこと、大王ガマだったはずです」
 ユウリが聞くと、ロズさんは今でも鮮明に覚えているのか、すらすらと話した。
「ミイラおとこに、大王ガマ……。なんとかなるか」
 魔物の情報を聞いて、一人ぶつぶつと呟くユウリ。おそらく彼の頭の中にはその魔物の知識が入っているのか、戦い方をシミュレーションしているようだ。正直火炎ムカデ一匹に手こずってる身としては、戦士二人が逃げ出すほどの魔物を相手する自信なんて全くないのだけれど、さすがに声に出しては言えなかった。
「内部の地図なんかは……ないだろうな」
「はい。先ほど言いましたが、入り口までしか行けませんでした。ただ、入り口から奥までずっと狭い一本道の通路になってましたね。隘路とも言いますか。ともかく侵入者を足止めするには適した地形にはなってます」
「なるほどな。ちなみにどんな罠や仕掛けがあるかは知ってるか?」
「そうですね……。実際に見てないから憶測でしかないのですが、一般的に宝箱の罠は警戒しといた方がいいですよ。昔から墓荒らしなどの類いは多かったみたいですし、そいつらからお墓に眠る宝を守るためにも、罠は必須ですからね。あとは、確かこっちの棚に……」
 ロズさんは腰を上げると、横にある本棚の中から一際ぼろぼろの本を取り出した。本を開き、パラパラとページをめくると、あるところで手を止める。そこには見たことのない文字がびっしりと書かれており、挿し絵なのか、古代の人間を模した絵や星をあしらった装飾品、金色で塗られた爪形の武器などが描かれていた。
「変わった絵だね♪   あとこれなんて読むの?」
 シーラが興味深そうにロズさんに尋ねる。
「古代文字ですね。僕も全部は読めませんが、どうやら古代のイシス王家の墓であるピラミッドに、棺と一緒にいろんな宝飾品も納めてたみたいですよ」
 そう言うと、ロズさんは次のページをめくる。今度は文字よりも絵の方が多く、太陽が昇る様子と、沈む様子があちこちに描かれている。
「?   どういう意味だろう?」
「さあ。このページの文面には『わが一族は常に太陽と共にあり』としか書かれてなくて」
「他にヒントになりそうな文献はないのか?」
「この本も、ピラミッドに関する情報はこのページで最後ですし、他に参考になる資料はないですね」
 ロズさんから絶望的な答えを聞かされ、一気にテンションが下がる一同。ふと気がついて窓の外を見ると、怪しい雲行きになってきた。雨でも降るのだろうか。
「おや、この時期にしては珍しいですね。スコールが来ますよ」
 するとほどなく、激しい音とともに大粒の雨が大量に降りだした。ロズさんによると、ここ砂漠地方ではたまにある現象らしい。
「雨がやむまで小一時間はかかると思いますが、どうされます?」
 離れから王宮までは幸い屋根があるので雨に打たれることはないが、城の外に出れば間違いなくびしょ濡れになるだろう。とはいえここにいてもこれ以上得られる情報はない。そうなるとーー。
「なら俺は女王のところに行ってみる。お前らは一般開放している場所で待っててくれないか」
「そういえばそうだったね。じゃあ、ユウリが来るまでそこで待ってるよ」
  四人それぞれ頷き合うと、そのまま私たちは大広間、ユウリは女王様のいる部屋へとそれぞれ向かったのだった。
 

 

不思議な歌

 ロズさんと別れの挨拶をしたあと、私たち三人はユウリと別れ、城内の入り口から通じる大広間へと足を運んだ。そこは一般人も自由に出入り出来る場所で、壁のいたるところに金を掘った彫刻や、ガラスでできた置物などが飾られている。この大広間が一般開放となったのはつい最近であり、今の女王様のご意向でそうなったのだそうだ。
 大広間は雨宿りのためか、数人の一般客と侍女らしき女性が歩いていた。広間の中央は庭園になっており、噴水と、その周りに花壇が敷き詰められ、その真上には、色とりどりのガラスの窓が模様のように張り巡らされていた。
「うわあ、きれーい……」
 ぽかんと口をあけたまま、私はつい口にしていた。
「あれね、ステンドグラスって言うんだよ」
「へえ。シーラよく知ってるね」
  今まで家の窓しか見てこなかった私にとって、ステンドグラスというものは衝撃的だった。振り向けばナギも目を丸くしながらそれを見上げている。
「そういえばナギ、今回は随分大人しいね。女王様を見ててっきり興奮してると思ったのに」
「おいこら、お前オレを動物か何かと思ってないか?」
 私が疑問を呈したら、ナギが口を尖らせながら答えた。
「いや、そんなことはないけど……ビビアンさんのときと反応が違うなと思って」
「あの女王様は完璧すぎるんだよ!   確かに誰もが惚れそうになるくらいの美女だけどさ、なんていうか、逆に近寄りがたい雰囲気なんだよな。やっぱりオレの推しはビビアンちゃんだよ!! あの美しさと親しみやすさとのギャップが……」
 まずい。どうやらスイッチが入ってしまったらしい。シーラが「関わらない方がいいよ」と目で訴えてきたので、そっとしておくことにした。すると、
 にゃあ、にゃあ。
「?」
 どこかで、猫の鳴き声が聞こえる。声のする方に視線を移すと、子猫が私の足にすり寄ってくるではないか。
「かっ、可愛い~~!!」
 思わず目をハートマークにして、私はフワフワの白い毛並みの子猫を抱き上げた。よく見ると、噴水の周りに何匹もの猫が群がっている。人に慣れているのか、私たちが近寄ってきても全く逃げる気配はない。
「あっ、あっちにねこちゃんいるよ~」
「待て待てー」
 すると、猫じゃらし代わりの草きれを持った小さな女の子たちが、猫を追いかけてこちらへやってきた。草にじゃれようとする猫と、それを追いかける女の子たちが、噴水の周りをグルグル回って無邪気に遊んでいる。
「なんかこういう光景見ると、旅のこととか忘れちゃいそうだねえ」
「そーだね~。このままずっとこうして眺めてたいねえ」
「お前ら、こんなところでのんきに油売ってんなよ。ったく、なにもしないで待ってるのが一番苦手なんだよ」
 すっかり和んでしまった私とシーラに対し、待ちきれないのかずっとその場をうろうろしているナギ。すると、ずっと動いているナギの足に、数匹の子猫がじゃれついてきた。
「わっ、何すんだよ、お前ら!   踏んじまうだろ!」
 ナギの警告などお構いなしに、どんどん増える猫たち。猫好きにしてみれば羨ましいことこの上ないのだが、本人は嫌なのかうっとうしそうだ。
「ナギって、ひょっとして猫嫌いなの?」
「別に嫌いとかじゃねーよ。ただ、足元にこんだけ猫がいたら踏んじまうじゃねーか」
「いや、気を付ければよくない?」
 なんてやり取りをしているうちに、猫と遊ぶのは飽きたのか、女の子たちは別の場所で歌を歌い始めた。なんとなく聞き流していたが、歌詞の内容が印象的で、いつの間にか頭の中で何度も反芻していた。
―まんまるボタンはお日さまボタン。小さなボタンで扉が開く。東の西から西の東へ。西の西から東の東。
 なんだろう。なぜかわからないが、違和感を感じるのだ。
 それが何かを考えようとするのだが、あまりにも脈略が無さすぎて、ぴんとこない。
「ねえ、その歌って、何の歌?   この町で流行ってるの?」
 どうしても気になった私は、女の子たちに歌のことを尋ねた。女の子たちはお互い顔を見合わせると、揃って首を傾げる。
「うーん、わかんない」
「わたしがねるとき、おかあさんがよくうたってくれたよ」
 子守唄みたいなものかな?   意味はないけど語呂がいいので、子供を寝かしつけるにはぴったりなのかもしれない。
 なんて考えているうちに、玉座の間とは別の通路から、ユウリが戻ってきた。なんとなく疲れた顔をしているのは気のせいだろうか?
「ったく、何寄り道してんだよ。待ちくたびれたぜ」
 ナギが声をかけるが、ユウリは私たちを一瞥しただけ。
 何かあったのかと尋ねたかったが、またアッサラームのときみたいに怒鳴り返されるかもしれないので、あえて聞かないことにした。
「おい、何も聞かないのか?」
「へ?」
 無言でいると、ユウリが思いがけない発言をしてきたので、私は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「えーと、別に……。だってユウリ、こういうの聞かれるの嫌なんでしょ?」
「だとしても、パーティーの一員として、一応聞くものだろ」
なんて理不尽なんだ。私は思わず顔をしかめつつも、仕方なくユウリの要望を受け入れた。
「えー? じゃあ、女王様と何話してたの? なんで別の場所からやってきたの?」
「ふん。お前ごときに教えられるわけないだろ」
 うああああああ!! 結局言わないんじゃない!!   腹立つ!!
 私が頭をかきむしりながら地団駄を踏んでいると、呆れ顔のナギが私の肩にぽんと手を置いた。
「反応するだけ時間の無駄だ。いいから、早く帰ろうぜ。ルカもそろそろ戻ってるかも知れねえし」
 いや、好きでやってるわけじゃないし!! そう思いつつも、私は必死で怒りをとどめた。
 確かにナギの言うとおり、ルカが待ってるかもしれない。急いで戻らなければ。
「あっ、ねえ!  今入ってきたの、るーくんじゃない?」
『え?!』
  シーラの言葉に反応した私とナギの声が重なる。彼女の指差す方向を見ると、ちょうどずぶ濡れになったルカが慌てて大広間に入ってくるのが見えた。
「ルカ!! こっちこっち!!」
 私が呼ぶと、ルカはすぐにこちらに気づき、走ってやってきた。なんて良いタイミングなんだろう。
「るーくん、大丈夫? びしょ濡れだよ!」
 シーラはどこからか取り出したハンカチでルカの頭や顔を拭いた。それでも拭ききれず、髪から雨粒が滴り落ちている。
「だっ、大丈夫ですから!   それより皆さん、もう女王様にはお会いになったんですか?」
「ああ。ちょうど帰るところだ。そっちはどうなんだ?」
 ユウリが聞くと、ルカは表情を曇らせた。
「すみません、一通り町を聞いて回ったんですが、皆さんが求めてる情報は得られませんでした」
 けれど、ルカは一呼吸置くと、ですが、と一言付け加えた。
「たまたまいた別の旅商人から、今の世界の情勢について話を聞くことができました。お聞きになりますか?」
「なるほど、それは興味深いな」
 その言葉を聞いて、ユウリの目が即座に光った。確かに今世界がどうなっているのか知るのは重要なことだ。
「参考になれば良いのですが……。まず、ロマリアの西にあるポルトガという町を知っていますか? あそこは今輸入品がなぜか出回らず、景気が停滞しています。あと、もともと船舶業が盛んだったんですが、最近海でも魔物が急増してるため、船で行き来する人たちが少なくなってて、当分定期船の出港を停止してるようです。もし船を利用されるならポルトガの王様に直接訪ねた方がいいかもしれません」
「ああ。これから先船での移動は必須だからな。その情報があるだけでも助かる」
「あと、遥か東にあるサマンオサという国では、ここ数年他国との交流を一切断ってるそうで……」
「なるほど、不自然だな。王が変わったという話は?」
「王様が変わったという話は聞かないですね。何しろサマンオサ自体もともと鎖国的でしたから。たまたまサマンオサに立ち寄った旅人から話を聞くことができただけで、詳しいことはわかりません」
「サマンオサか……。確か俺の親父と同じくらい有名な英雄がいたような気がするが……」
「あ、ひょっとしてもう一人の英雄サイモンさんのことですか?   オルテガさんと同じく魔王を倒そうとした人!」
「英雄って、オルテガさん以外にもいたんだ!?」
 私は思わず声を上げる。てっきり英雄と呼ばれていたのは、オルテガさんだけかと思っていた。
 でも今の話を聞く限り、ユウリはサイモンさんのことをよく知らないようだ。オルテガさんはサイモンさんと一緒に魔王を倒しに行こうとした訳じゃなかったのかな。
「おれが知ってる情報はこれだけです。すみません、あまりお役に立てなくて」
「いや、十分すぎるくらい貴重な情報だった。助かる」
 どうやらルカが持ってきた情報は、ユウリにとって有益なものだったらしい。勇者に感謝されたルカは、安堵の息を吐いた。
「こちらこそありがとうございます。ユウリさんたちのおかげで、おれの仕事も達成したし、何より貴重な経験を積ませてもらいました。これから師匠のところに報告しなくてはならないので、皆さんとはここでお別れですが、またなにかありましたら、ぜひ協力させてください」
 そう言って、深々とお辞儀する姿は、もうすでにいっぱしの商人に見える。
「オレらの方こそ、短い間だったけど一緒に旅できて楽しかったぜ。なんか弟ができたみたいで」
「実際弟なんだけどね。こっちとしてはちょっと寂しかったけど」
 だって旅の間、私よりもナギといる方が多かったもん。ルカも初めてお兄ちゃんのような存在のナギと接して、なにか変わったのかもしれない。
「あたしも寂しいよ~!   だってるーくんすっごい可愛いもん☆   離れたくないよ~!」
「うわっ!   ちょっ、待ってください」
 いきなりルカに抱きつくシーラ。彼女も名残惜しそうだった。ルカも恥ずかしさで抵抗はしているようだが、意外にまんざらでもないみたいだ。
「もう、ルカったら、鼻の下延びてるし。この前も言ったけど、たまにはちゃんと家に帰るんだよ?」
「わっ、わかってるよ」
「ならいいんだけど……。はい、これ」
 私はルカにあるものを渡した。
「これって……」
 それは、女王様に会う前に彼が私にくれたキメラの翼だった。
「気持ちだけ受け取っておくから、それ使って、一度くらいはお母さんたちに顔を見せてあげてね」
「アネキ……ごめん。ありがとう」
 照れ臭いのか、下を俯いたままのルカ。けど、ちゃんとお礼が言える辺り、昔より大分素直になった気がする。すると、横から顔を出したユウリも、キメラの翼をルカに渡したではないか。
「おい、間抜け女。それ渡すなら、もうひとつ必要だろ」
「あっ、そっか」
 実家からアッサラームに戻るときも翼は確かに必要だ。けれど、えげつない値切り交渉をするあのユウリがアイテムを他人にあげるなんて、信じられない光景だった。
一方ルカは、勇者からもキメラの翼をもらって、戸惑いの表情を隠せない様子だ。
「え、あの、本当に頂いていいんですか?」
「俺はそんなものがなくても呪文を使えるから必要ない。もらえるものはもらっとけ」
「あ……ありがとうございます」
 素っ気ない言い方だけど、ユウリもルカのこと気にしてくれてたみたいで、なんだか私まで嬉しくなってしまう。
「なにか言いたそうだな」
「うん。弟のためにわざわざありがとう」
「……ふん」
 ぐいっ。
「痛い痛い!」
 姉としてお礼を言っただけなのに、なぜか私の髪の毛を引っ張るユウリ。誰か通訳お願いします。
「そうだ、ルカ。これからアッサラームまで戻るんでしょ? どうやって帰るの?」
「師匠からアッサラームに帰る用のキメラの翼をもらってきてるんで、大丈夫」
 なるほど、前もって用意してきたんだ。一人で砂漠を越えなきゃならないのかと心配だったが、取り越し苦労だったようだ。
「では、短い間でしたが、お世話になりました。ピラミッドに行く際は、どうか気を付けて下さい」
 私たちを見回し、再び深く礼をするルカ。
「ああ。お前の師匠にもよろしくな」
「はい!」
「ルカ。商人の修行、頑張ってね。ドリスさんに迷惑かけちゃダメだよ?」
「お袋みたいなこと言うなよ! アネキ!」
「ミオ、お前実はブラコンなんじゃないのか?」
「もう、なんでそう言うこというかな!?」
「るーくん、また会おうね! 今度は一緒にお酒のもう♪」
「いや、まだ早すぎるから!!」
 ルカはキメラの翼を使うまで、ずっと笑顔だった。私たちもまた、笑顔でルカを見送ることができた。この先長く険しい旅が続くと思うけれど、ちょっとでも楽しい旅が出来たのは貴重な経験になったんじゃないかと思う。だってあのユウリですら、口角を緩めてたんだもの。
「ちょうど雨も止んだな。これからピラミッド探索に備えるぞ」
 ルカが去ったあと、まるでタイミングをあわせたかのように雨が止んだ。私は気を引き締めるため、自分の頬を軽く叩く。
 城の外に出ると、洗い立ての太陽が私たちを出迎えてくれた。そう、まるでこれから向かう未知の場所へと足を運ぶ私たちに、エールを送っているようだった。
 

 

ピラミッドでの攻防

「痛っ!!」
 火炎ムカデの火の息を避け損ねた私の左腕に、焼けるような痛みが襲う。
「ホイミ」
 するとすぐにユウリが回復呪文をかけてくれた。私は彼にお礼を言う間もなく、再びムカデに向かって走り出す。
「はああぁぁっっ!!!」
 気合いを入れ、会心の一撃を決める。ムカデは虫の息だったのか、この一発で倒れた。
 その瞬間、自分の体がレベルアップするのを感じた。
「あ、レベルが上がったかも」
 なんとなく強くなった気がする。まあ、今日だけでこれまで二十体も魔物を倒してきたのだ。そろそろレベルアップしてもおかしくないはずである。
「やっと上がったのか。お前は性格だけじゃなく、レベルアップするのもどんくさいな」
 どんくさいレベルアップなんて言葉、初めて聞いたんだけど。それを言ったらユウリだって、殆ど上がってないじゃない。……まあ、旅立つ時点ですでにレベル30なんだけど。
 ちなみに私は今レベルが上がって15になったばかり。カザーブからアリアハンに来た頃はレベル1だったから、大分成長はしてきてるつもりだけど、それでもユウリに比べたらまだまだ足手まといでしかない。
 ナギも今の戦いでレベルが上がり、今は17になっている。最初出会ったときは同じくらいだったはずなのだが、いつの間にか追い越されてしまった。
 シーラも、殆ど魔物は倒してないはずなのに、どういうわけかレベルは私よりも高い。詳しくは知らないが、遊び人は、魔物を倒した数より、遊んだ回数で経験値が増えるのだという。
 そもそもなぜ今砂漠の真ん中でこんなことをしているかと言うと、言うまでもなくピラミッドを探索するためだ。でも、今のままでは私たち(ユウリを除く)のレベルが低すぎて、鍵を見つける前に全滅してしまう恐れがある。そこで、探索する前にある程度全体のレベルアップを図ろうと計画したのである。
 とりあえず、火炎ムカデを一人で倒せるくらいには強くならないと、話にならない。そこで、私とナギだけで魔物を倒しまくり、怪我をしたらユウリが即座に回復をする。シーラは……いつも通り遊んでもらって、ユウリのMPが切れてきたらルーラを使い、イシスに戻る。それを一週間続けることにしたのだ。
 結果、数回ほどレベルアップをした私たちは、最初に火炎ムカデと対峙したときとはうってかわって、余裕で倒せるようになった。そしてそれは、火炎ムカデ以外の魔物でも同様だった。
 さすがに地獄のハサミとかいうカニ型の魔物が現れたときは、そのあまりの体の硬さになす術がなかったが、ユウリが呪文で倒してくれたので、何とか事なきを得た。
「そろそろピラミッドに行っても大丈夫そうだな」
 砂漠が夕日に染まる頃。ユウリがポツリと言った。
「えっ? 本当?!」
 正直、一週間も炎天下の砂漠で魔物とひたすら戦っていたのだ。体力よりも精神的に辛かったので、その一言は喉の乾きを潤す水のごとく希望をもたらしてくれた。
「明日はこのままピラミッドに向かう。準備しとけよ」
 そう言うと、ユウリはルーラを唱えた。瞬時にイシスの宿屋へ到着する。こういうとき、ホント呪文って便利だなって思う。けど、ルーラの呪文というのは割と精神的な負担が大きいらしく、本当はあまり使いたくないらしい。私もあまりユウリに負担をかけたくないので、なるべく早く強くなりたいのだが、こればっかりは焦っても仕方がない。今できることをやるしかないのだ。



 イシスの宿で一晩明かし、翌朝。私たちは日が昇ると同時に、町を出た。砂漠に足を踏み入れたとたん、ひんやりとした空気が足元を薙いでくる。早朝の砂漠は昼間とは真逆で、冬のように寒い。私のいたカザーブでは、もう冬を間近に控えている時期なのだが、この地方にいると季節の移り変わりがないのでわからなくなってくる。
 ピラミッドまでのルートは、ルカやロズさんに事前に聞いたので全員把握していた。勿論先頭はユウリなのだが、方位磁石を持ってないので、時々立ち止まっては、影を見て方角を確認しなくてはならない。
 やがて、前方に人工的な砂漠の山が見えて来た。近づくにつれて、それは山ではなく、人工の巨大な四角錐の建造物だというのがわかる。
「うわあ、大きい建物だね」
 私がポカンと口を開けていると、ユウリが私の後ろ頭を小突いてきた。
「間抜け面はいいから、早く中に入るぞ」
 感動もそこそこに、さっさとピラミッドの入り口に入るユウリ。もうちょっと感慨深くさせてくれてもいいのに、と思いながらもしぶしぶ後に続いていく。
 盗賊のナギはこういういかにも罠や仕掛けがありそうな所に興味津々であり、シーラは入り口を覗いた途端、辛気くさいと苦い顔をした。
 私もシーラに倣って入り口を覗いてみると、通路は一本道になっており、奥に進むにつれて暗闇が広がっている。長年人が足を踏み入れてないせいか、明かりもない。それは同時に、どこに魔物がいるかわからない状態でもある。
 私たちは、イシスで前もって買っておいた携帯用の松明を取りだし、壁を擦って火をつけた。小さく燃える松明を入り口に向けて照らしてみるも、やはり何も怪しいものは見えなかった。
「入るぞ」
 松明を持ったユウリがまず最初に進む。次いで私、シーラ、ナギの順だ。
「効果があるかわからねえけど、一応『しのびあし』使うぜ」
 『しのびあし』とは、レベルが上がってナギが覚えた技だ。少しの間だが、魔物に気づかれないように歩くことが出来るらしい。しかもそれは、パーティー全体に効果があるという。今この場所で使うにはうってつけだ。ただ、使用者よりも魔物のレベルが高いと、効果はあまりないようで、その辺りは賭けに出るしかない。
 『しのびあし』を使い、周囲を警戒する私たち。どうやら、効果はあったようで、魔物の気配はない。もともといなかった可能性もあるが、なるべくなら無駄な戦闘は避けたい。
 だが、最初の十字路に差し掛かろうとしたとき、突如数体の魔物が現れた。
 目の前にいるのは、大きなカエルと火炎ムカデ。カエルの方は、ロズさんが以前見たという、『大王ガマ』というやつだろう。火炎ムカデは三体いるが、こっちはこの一週間、夢に出てくるくらい倒してきたのだ。今さら何体も出てきたところで倒すことなど造作もない。
 先にムカデを一掃し、初めて見る大王ガマ一体に的を絞る。大王ガマは大きくジャンプしたあと、シーラに向かって体当たりをしようとした。
「きゃあああっ!!」
 たまらずシーラは、その辺にあった石ころを拾い、大王ガマに投げた。だが、石は明後日の方へ大きく弧を描く。全く怯むことのない大王ガマは構わずシーラに体当たりを繰り出そうとした。
「シーラ!!」
「ベキラマ!!」
 ユウリの呪文が、大王ガマの体を灼いていく。そこへナギが、チェーンクロスでトドメをさした。
「二人とも、ありがとう~!!」
 半泣き状態のシーラだが、男二人は余裕の表情。
「へっへ。これくらい楽勝だぜ」
「調子にのるな、サル」
 ともあれ、魔物との戦闘も終え、再び最初の十字路に一歩踏み出した瞬間だった。
「っ!?」
『えっ!?』
 一番前を歩いていたユウリの姿が、一瞬にして音もなく消えたではないか。
 何事かと私たちは慌てふためきながら辺りを見回すが、彼の姿はどこにもない。そもそも先頭を歩いていたユウリが松明を持っていたので、明かりを失った私たちの目には暗闇しか映っていない。
「待ってろ、もうひとつ松明出すから」
 ナギは用意していた予備の松明を取り出し、火をつけた。再び視界が明るくなる。
「! 下見て!!」
 シーラの叫びに、反射的に足元を見る。と、ユウリがさっきまでいた場所には、人一人通れるだけの大きさの穴が開いており、覗いてみても真っ暗で何も見えなかった。
「ユウリー!!! 大丈夫ー!?」
 何やら下の方で物音がするが、ユウリの声はしない。聞こえないくらいそこまで落ちていったのか、それとも……。
 下手な考えはやめよう。私は思い切り頭を振った。
 いきなりパーティーのリーダーを失い、途方にくれる私たち。ここで待った方がいいのか、それとも先に進んだ方がいいのか。判断しなければならないのに、恐怖と絶望で思考が止まる。
 ふと見渡すと、穴の開いている場所は、十字路のど真ん中だった。前方と左右、三方に同じような狭い通路が延々と延びており、特徴のない石壁が妙に恐ろしく感じてしまう。
「どうしよう……。大丈夫かなユウリ」
 口に出すことで、少しでも心を落ち着かせる。だが、不安の現れなのか、寒いわけでもないのに小刻みに歯が震える。
「落ち着けって。とりあえず、この先何があるかわかんねえから一旦引き返すぞ」
 低く落ち着いた声で、冷静に話すナギ。彼がここに残っているだけで、何よりも頼もしくて、ありがたかった。
 だが、先に進もうにも、前方には落とし穴があるのでうかつに近寄れない。ここはナギの言うとおり、一度引き返して体勢を整えることにした。
 ユウリのことだから、きっと無事に生きてるはずだ。そう信じて、まずは彼と合流しなくては。
 とりあえず、私たちは入り口まで戻ることにした。途中何か抜け道がないか辺りを念入りにチェックする。隠し扉や床に仕掛けがないか、些細な変化も見逃さないよう見比べ、さらに魔物の気配にも気を配る。
 なんてやってる間に、特に怪しいところも見つからないまま入り口にたどり着いてしまった。
「うーん、てことは、やっぱり落とし穴の向こう側に行かないと先へ進めないってことか」
 落とし穴は道を丸々塞いでいるわけではなく、人一人通れるくらいの隙間はあった。だが、もう他に落とし穴はないとは言いきれない。それを確かめるにはやっぱり通らないと駄目なようだ。
「ユウリもこの先にいるかもしれないし、一か八か行ってみる?」
 そう私が提案し、ナギが返事をしようとしたとき、ひとり離れたところにいたシーラが私たちを呼んだ。
「ねえねえ。あそこ、変じゃない?」
 ピラミッドの外に出たシーラが指差す方へ目を向けると、外壁のすぐ傍に一つだけ、不自然に置かれている大きな四角い石があった。石で積まれたピラミッドなら、一つや二つ石が転がってもおかしくはないのだが、あれはどっちかといったら、人が作為的に置いてあるような感じだ。
 直感的に怪しいと感じた私は、足早にその石に近づいてみた。ナギも同じことを思ったらしく、石の周りを入念に調べ始める。すると、
「見ろよ。引きずったあとがあるぜ」
 ナギの言うとおり、地面に石を引きずったような跡がうっすらと残っていた。
「てことは、この石を動かすことができるってこと?」
「たぶんな。皆、手伝ってくれ」
 言われるまでもなく、私たちはナギと一緒に石を押した。どれくらいかかるかと思われたが、三人よればなんとやら。徐々にだが重たい石はゆっくりと動いてくれた。
 そして足元には、地下へと続く階段があったのだ。
「もしかしてこの先にユウリがいるんじゃない?」
「ああ、たぶんな。この先も罠とかあるかもしれないから、気をつけて進もうぜ」
 そういうとナギは先陣を切って階段を下り始めた。私たちもあとに続いてゆっくりと下りていく。
 ぐしゃっ。
「ふぇっ?」
 固い木の枝のようなものを踏んだ感触に、私は言い知れぬ不安がよぎった。こんなところに木の枝なんかあるはずがない。恐る恐る下を見る。するとそこには────。
「うぎゃああああああっっっっ!!!!」
 無造作に転がっていたのは、なんと人の骨だった。
 断末魔のような叫び声を上げた私はバランスを崩し、先に二、三段下を下りているナギにぶつかった。そのまま私たち二人は揉んどりうって転がり、下の階まで一気に落ちてしまった。
「いってえ……」
「ごっ、ごめんナギ! 大丈夫!?」
 幸い私はナギがクッションになってくれたお陰で怪我はしてなかったが、ナギは私を受け止めてくれたからか、あちこち打撲をしてしまったようだ。
「ったく、骨くらいで大袈裟だろ」
「うぅ、ごめん……。でもまさか、あんなところに骨があるなんて……」
「ひょっとしたら、落とし穴から落ちてきた人が出口近くまで来て、そこで力尽きたのかもな」
「ああ、そっか……。あの外にある石、内側からは動かせなさそうだもんね」
 出口に続く階段まで来て出られないなんて、なんて残酷なんだろう。そんなにまでして侵入者を排除したいのだろうか。
 けど取り敢えず今は、先に進むことが先決だ。
 階段から下りたあと、一応周囲を見回してみるが、見事にまっ暗闇。松明がなければ何も見えないので、早速ナギは松明に火をつける。
 砂漠にいたときとはうって変わって、地下の体感温度は物凄く低く感じる。まるで冬の洞窟にいるような寒さだった。
 こんな状況の中、ユウリは一人で穴に落ちてしまったんだ……。
 もし自分がこうなったらを考え、私は思わず恐怖で身震いした。
 本当は彼の名を呼んで探したいが、どこに魔物が潜んでいるかわからない。ここは我慢して、視覚のみに頼って探すことにした。
 確かユウリも松明を持っているはず。だったら、炎の灯りで見つけられるかもしれない。
 などと考えていると、ナギが小声で私たちに話しかけてきた。
「念のため、『しのびあし』使ってみるぞ」
 もちろん、否定する理由などない。私たちは小さく頷いた。
 ほどなくナギが、魔物避けの呪文を使った……はずだったのだが。
「ナギ! 前!!」
 魔物の気配を感じた瞬間、私は先頭にいるナギに向かって叫んだ。ナギも気づいていたらしく、私が声を発すると同時にその場に跳び退いた。すると、いきなり白い大きな何かがこちらへ倒れ込んできたではないか。
 うつ伏せの状態のそれは、包帯でぐるぐる巻きになった人間のようだった。ロズさんの話では、『ミイラ男』という魔物を見たようだが、恐らくこいつのことだろう。
 ミイラ男はゆっくりと起き上がると、首を180度あり得ない方向へ動かし、包帯の隙間から見えるギョロっとした目玉をこちらに向けながら勢いよく突進してきたではないか。
「ぎゃああああああっっ!!!!」
「いやああああああっっ!!!!」
 そのあまりの気持ち悪さに、私は女の子らしからぬ叫び声をあげながら、その魔物に向かって回し蹴りを放った。シーラも魔物に驚いたのか、それとも私の形相を見たからなのか、半泣き状態で手近な石を投げまくる。
「ちょっ、お前ら、落ち着けって! あんまり騒ぐと他の魔物が……いてっ!!」
 ナギが私たちを落ち着かせようと宥めるが、シーラの放った石が顔に当たったらしく、沈黙してしまった。
 それでもまだ魔物は起き上がると、今度はシーラに向かって倒れ込んできた。シーラは間一髪避けることができたが、その際尻餅をついてしまい、すぐに起き上がることが出来ない。
「危ない、シーラ!!」
 私が叫ぶが、魔物の次の攻撃が繰り出される。もう間に合わない!! そう思った瞬間、見覚えのある白刃の太刀筋が見えた。
 これって、もしかして────!
「お前らはなんでいつもそんなに騒がしいんだ?」
 ミイラ男の胴が真っ二つに裂け、そこから現れたのはユウリだった。
 松明で多少明るくはなっているが、ほんの数メートル離れるだけでも真っ暗なこの場所で、ユウリは的確に魔物を仕留めたのだ。
「ユウリ!! 無事だったんだね!!」
 私は喜びのあまりつい大声をあげてしまい、慌てて口元を手で抑える。
「おい間抜け女。あれだけ騒いどいて何今さら音なんぞ気にしてるんだ。もうここ一帯の魔物はあらかた片付けたぞ」
「ええ?! そうなの?!」
 そう言われてみれば、あの魔物を倒したあと、すっかり魔物の気配はなくなっている。まさか、本当に一人でこの辺りにいた魔物を倒してしまったんだろうか?
「ユウリちゃーん!! ありがとう~!!」
 がばっとユウリに抱きつくシーラ。もしユウリがいなかったら、今頃シーラはどうなっていたかわからない。私はほっと胸を撫で下ろした。
 三人のうち呪文が一人でも使えてたらまだ多少は余裕もあったのだろうが、薬草でしか回復手段のない私たちには一つのミスが命取りになってしまう。その事を今身をもって体験して、私は心の中で猛省した。
「……ったく、これじゃどっちが助けにきたかわかんねえな」
「た、確かに……」
嘆息したナギの呟きに、私は思わず頷いてしまった。

 

 

宝箱と罠

 ユウリと合流し、早速私たちは来た道を戻り外に出た。やっと日の光を浴び、思わず大きく伸びをする。外にいるときはうんざりするような暑さだったが、地下から戻ったときに感じたのは、長い冬から解放され、暖かな春がやってきたような心地よさだった。
「そういえばユウリ、穴に落ちたとき怪我とかしなかっ……ぎゃああああっっ!!??」
 最後尾のユウリの方を振り向いたとたん、私は彼の体のあちこちに血がついているのに気づき、絶叫した。
「どうしたんだよミオ……って、どわああああっっ!!??」
「……お前ら、人をバカにしてるのか?」
 血塗れ勇者……もといユウリが憤然とした態度で私たちを睨みつける。
「いやいやお前、気づいてねーの? なにしたらそんなに血だらけになるんだよ」
「ていうか大丈夫なの?! 怪我してるんじゃないの?!」
 生々しい血を見て慌てふためいた私は、ユウリの体をまじまじと眺めた。よくみると体のあちこちが擦りきれていて、服の上からじんわり血が滲んでいる。だがそのままにしておいたのか血が乾き、こびりついたようになっている。
「箇所は多いが、大した怪我じゃない。穴に落ちたとき、罠があって回避しきれなかっただけだ」
「穴に落ちたときって……落とし穴以外にも罠があったの?」
「落ちてから下の階に行くまでの間の壁に、スパイクのようなものや、不規則に刺さってある鉄の棒が打ち付けてあった」
「ひぇっ……」
「落ちる瞬間俺はそれを難なく回避したが、もし俺じゃなかったら、確実に死んでたな」
 そう言い終わると、ユウリは今ごろになって回復呪文を唱え始めた。あとで聞いたら、地下にいたときは呪文がなぜか使えなかったらしい。それですぐに怪我が治せなかったんだそうだ。
 それにしても一体どうやって回避したんだろう。確かに物音はしてたけど、まさかそんな超人的なことをやっていたとは。大袈裟でなくユウリの言うとおり、彼でなければそこで串刺しにされていただろう。
「穴の下には、無数の白骨死体が積まれていた。落ちたやつは皆あそこで死んだみたいだな」
「ひえぇ……。よくユウリちゃん無事だったね」
 シーラの言うとおり、そんな死と隣り合わせの場所で、よくユウリは生き残ったものだ。
 でも私たちが通ってきた場所にも骸骨があった。てことはユウリ以外にも生き延びた人はいたということだ。
 けれど出口までたどり着けなかった、あるいは出口とおぼしき場所までたどり着けたが、石で塞がれていたので自力では開けることができず、息絶えてしまった、そんなところだろうか。
「しかし俺としたことが……。あんな初歩的な罠に引っかかるとはな」
「オレも『盗賊』だなんて名乗っておきながらあんな罠を見抜けなかった……。次は絶対回避してやる」
 ユウリとナギ、男二人は苦虫を噛み潰すような表情でぶつぶつと呟く。
「わ、私も次は絶対気を付けるよ」
 まさかピラミッドに入ってすぐにこんな恐ろしい罠を目の当たりにするとは思わなかった。半端な覚悟で来たら、すぐに命を落としてしまうかもしれない。私は上ずった声を出しながらも体を奮い立たせ、先に進む決意を固めた。



 再びピラミッドの中へと入った私たち。先程の落とし穴を警戒し、進めそうな道を地道に探し続けた。そして念のため、これまたナギがレベルアップして得た特技『盗賊の鼻』で、この階の宝の数を調べることに。するとこのフロアには、1つだけお宝があることがわかった。
「ホント?! じゃあそれが魔法の鍵なのかも!」
「ああ。だから今から宝箱がどこにあるか探すぞ。ただ、宝箱があるからってむやみに開けたら危険だから、まずオレに教えてくれ」
 ナギによると、この『盗賊の鼻』の能力、あくまで『宝』の数がわかるだけで、『宝箱』の数がわかるわけではないのだ。宝箱の数と実際に入っている宝の数が違えば、どこに何があるのか実際に開けてみないとわからない。
 まずは、ユウリが落ちた穴のある十字路まで戻る。前と左右の三方にある通路のうち、左側の通路を調べることにした。
「この先に、開けた場所がありそうだな。もしかしたら何かあるかもしれないから行ってみようぜ」
 夜目の利くナギにしたがい、あとに続く私たち。落とし穴の場所は壁づたいに歩き、一歩一歩ゆっくりと足を下ろしながら進む。かなり時間のかかる歩き方だ。
 やがて、小部屋のような場所に出ると、目の前に堂々と小さな宝箱が数個並んであった。いかにも取ってくださいと言わんばかりの存在感を放っている。
「ねえ、これって、この中のどれか一つに宝が入ってるってことだよね?」
「ああ。けど、明らかに怪しいよな」
 私とナギが交互に顔を見合わせる。ユウリも眉間に皺を寄せ、どうするべきか決めかねていた。
「『インパス』が使えれば、罠かどうかわかるんだがな」
『インパス』って?」
「魔法使いが使う呪文の一つで、宝箱に何が入ってるか知ることができる。青なら宝、赤なら魔物という風にな」
「へえ~! 便利な呪文だね」
「レベル20前後でないと習得出来ないけどな」
 うわあ、それじゃあ結構高レベルの呪文ってことか。今の職業でも一つレベル上げるだけで大変なのに、魔法使いでレベル20まであげなきゃならないなんて、よっぽど才能がなきゃできない。
 と、話が脱線してしまったが、とにかく私たちは、この怪しい宝箱をどうするべきか悩んでいた。悩んだ挙げ句、ユウリは意を決したのか宝箱を開けることにした。
「おい、バカザル。罠かどうか確かめろ」
「はいはい。わかってますよ」
 ぶつくさ文句を言うナギだったが、その手際はさすがだった。鍵穴や箱のわずかな隙間を念入りにチェックし、反応を確かめる。
「……一通り見たけど、魔物がいる可能性は低いと思うぜ」
 何となく自信なさげに言うナギ。ユウリは鼻を鳴らし、 
「……まあ、最初からすべてお前に期待はしてない。もし魔物だったら俺がすぐに攻撃する。その間、お前らで追撃しろ」
「……ああ」
「うん、わかった!」
「了解っ☆」
 そう言うと彼は、ゆっくりと宝箱に手をかけた。すると、開けてビックリ、中は空っぽだった。当然、魔物もいない。
「なあんだ、空っぽかあ」
「くっそ~、思わせ振りな置き方しやがって!」
「ねえねえ、この箱、お化粧道具入れに使えない?」
 私たちは、思い思いの言葉を口にする。だがユウリは、「油断するな」と言いながら、残りの宝箱も開けてしまった。
「ちょ、ちょっと待って! そんないっぺんに……」
 だが、どの宝箱も空だった。これにはさすがに、がっかりというか、小馬鹿にされている感じがして内心苛立った。皆も似たように感じたのだろう。
「……王家の宝を狙う連中を欺くための罠か、あるいはすでに何者かに中身を取られたか。どっちしろここに用はない。他にも宝箱はあるはずだ。別のところにいくぞ」
 気を取り直し、今度は今来た通路と反対側通路に行ってみる。そこもまた同じような小部屋で、おなじように宝箱が並んでいた。
「どうせここも同じなんだろ? さっさと開けるぜ!」
 今度はナギが、続けざまに勢いよく宝箱を開ける。確かに空箱ばかりだったのだが、最後の一つに手を伸ばした瞬間、宝箱自身が動き出したではないか!
「わっ、なんだこれ?!」
「離れろ! 『人喰い箱』だ!!」
 ユウリが鋭い声で叫ぶ。反射的にナギが後ろに飛び退くと、宝箱の開閉口からは白い目玉のようなものが見え隠れしていた。その目玉はギョロギョロと辺りを見回すと、私たちに気づいたのか、いきなり跳び跳ねてこちらに襲いかかってきた。
「アストロン!!」
 瞬時に、私たち全員の体が鋼鉄と化していく。人喰い箱の攻撃は受け付けないが、代わりに私たちもまた動くことができない。とりあえず不意打ちを防ぐことは成功したが、アストロンが解けたあと、どう戦えばいいのかわからない。
 ここはユウリの判断を仰ぐしかない!
 一定時間経ち、アストロンの効力が消える。ばっとユウリの方を見ると、彼は魔物の方を向いたまま後ろにいけと、手で合図している。「後方に回れ」ってこと?
 皆後ろに退き、同時にユウリが一歩踏み出した。鞘から抜いた剣を構え、人喰い箱の攻撃が来る前に彼は駆けだして先制攻撃をした。それほどダメージは与えられなかったのか、魔物は一瞬怯んだあと、そのまま勢いよく突進してくる。
 それを予想してたのか、ユウリは右に避け難なくかわす。すると、勢い余った人喰い箱は、目の前の石壁にぶつかった。大きな衝撃と破壊音が響き渡る。見ると、石壁の部分は大きくえぐれており、人喰い箱の攻撃力の強さが窺える。
 ユウリは再度、息つく間もなく、いまだ動けない人食い箱の背後ががら空きになったところを袈裟斬りにした。
「くっ、まだダメか」
 たたらを踏んで、誰にともなく呟くユウリ。どうやら魔物の体力は予想以上に高いらしい。私たちも加勢に行きたいが、ユウリですら苦戦している相手に勝てる自信などなく、その場で踏みとどまらざるを得ない。
 そうこうしてるうちに、再び人喰い箱はユウリに向かって襲いかかろうとしている。これも避けるのか、と思いきや、足元がふらついてるではないか。見ると、顔には脂汗が浮いており、左腕には新たに血が滲んだ跡がある。
 ちょっと待って、まさか、攻撃を食らった?! でも、一体いつ?!
 さっき避けて、そのまま魔物が壁にぶち当たったときだろうか? ということは、完全に回避できなかったんだ。
 私はたまらず、前に出ようとした。しかし、
「来るな!!」
 ユウリにぴしゃりと止められた。でも、負傷してるのに助けにいけないなんて、辛すぎる。
 歯がゆさだけが残る中、ユウリは苦痛で歪んだ表情を自ら消し、一瞬目をつぶった。集中しているのか、これまでにないプレッシャーを感じる。
 人喰い箱が次の攻撃に備え、こちらを振り向いた瞬間だった。
「ライデイン!!」
 声高にそう呪文を唱えると、真上に掲げたユウリの右手から光が集まりだした。その光から放たれているのは稲妻のようであり、周囲の大気を震わせるほどの威力がうかがえる。
 ユウリが右手を下ろし魔物のいる方へと向けると、稲妻は複数の光の竜となって対象を貫いた。
 焦げ臭い匂いが充満すると、人喰い箱は灰となって消えた。
「すっ、すごい……」
 私たちが呆気にとられていると、人喰い箱を倒したユウリは、怪我がひどいのかその場に膝をついた。私が駆け寄ると、彼はすぐさま回復呪文ををかけた。
「ベホイミ」
 確かベホイミは、ホイミよりレベルの高い、上位回復呪文だ。それを使わなければならないほど、酷い怪我だったのだろうか。
「大丈夫!? ユウリ」
 血の染み付いた左腕をちらっと見る。肉が裂け……いや、詳しい説明は省くが、パッと見てこれは重傷と思えるくらいの傷の深さだった。全然大丈夫ではないのがわかる。
「悪い。オレが考えなしに宝箱開けちまったから……」
 傷が塞がり始めると、ユウリは深く息を吐いた。
「全くだ。このバカザル」
 それだけ言うと、ユウリは多少ふらつきながらもその場に立つ。心配そうにシーラがユウリの体を支えようとするが、彼は手で制した。
「一度、町に戻るぞ。体勢を整える」
 一瞬戸惑ったが、すぐに理解した。このまま先には進めない、というリーダーの判断だ。
 この状況で先に進むのは、無謀すぎる。私たちは是非もなくうなずきあい、ユウリの呪文で町へと戻ることにした。



 結局宝箱を一つも見つけることが出来ず、イシスに帰って来た。その夜、酒場で食事をすることにし、明日の予定をたてることにした。
「結局さっき見つけたので宝箱全部かな」
「いや、まだ入り口から見て正面側の通路は調べてねえ」
「でもでも、あの建物っておっきいよね? 階段とかあるんじゃない?」
「階段か……。とりあえず、その探索してない通路を調べてみるぞ」
 大皿に乗ったスモークチキンをかじりながら、ユウリが言った。先ほど酒場のマスターから借りた羊皮紙とペンを広げ、紙に地図を描く。
「……これが一階だとして、俺たちが落ちたのが地下。ここから上に上がる階段がここで……」
 と、みるみるピラミッド内部の地図が出来上がる。なるほど、こうやって地図にして描けば、自分達がどこに行ったかが一目でわかる。
 わからないのはさっき言った通路のみだが、建物全体の規模から察するに、そこから先も何があるかわからない。
 パンとシチューを掻き込みながら、ナギが十字路のところに指を置く。
「ひゅーひおのほほーおはいほいはほーはひーへ」
「ごめんナギ、飲み込んでから話して」
 まあ、なんとなくだけど、『十字路のところの罠も描いといた方がいいんじゃないか?』とか言ったんだと思う。たぶん。
 私はサラダを口に運び、ふと思い出した。
「そういえば、一階では呪文が使えたけど、なんで地下では使えなかったんだろ?」
「さーな。曲がりなりにも墓だし、なんか呪いでもあるんじゃねーの?」
「やだ、怖いこと言わないでよ!」
 お化けとか幽霊が苦手な私は、ナギが変なことを言うので急に怖くなってしまった。
「今はそんなことより魔法の鍵を探すことが先決だよ! 地下のことはとりあえず今は放っておいて、明日は残りの宝箱を探しにいこうよ!」
「お前が言い出したんだろ」
 ユウリが冷静に言い放つ。その横で食事を終えたナギが一息つくと、
「でもよ、今日だけであれだけ罠があったんだぜ? 明日になったら忘れてるぞ、きっと」
 確かに、こうして紙に描いていけば確認することは出来るのだが、探索しながら地図を作るなんて、とてもじゃないが、出来るわけがない。
 ん、待てよ…?
 私はあることを思い付き、ユウリに尋ねてみる。
「あのさ、明日ピラミッドに行く前に寄りたいところがあるんだけど、戻るまで待っててもらっていい?」
「オレは別にいいけど、どこに行くんだ?」
 ナギを含め三人が一様に私に注目する。私は今思いついたことを説明した。
「……なるほどな」
 納得してくれたのか、リーダーのユウリは意外にもあっさり了承してくれた。ただ、少しでも時間に遅れたらおいてくぞ、と言い残してくれたが。
「それなら今日は早めに宿に戻ったほうがいいよな。おいシーラ、そろそろ切り上げるぞ」
 ナギが食後のデザートを食べ終えると、ジョッキを片手に飲み干すシーラを小突く。
「そーだね! あ、おじさん、ワインあともう一本ちょーだい!」
「わかってねーじゃねーか!」
 その後ワインを惜しむシーラを無理やり引きずり、酒場を後にする私たち。
 ごめんね、シーラ。明日こそは、魔法の鍵を見つけるから。
 私は夜空に向かってそう誓ったのだった。 

 

再びピラミッド探索

 次の日、私たちは再びピラミッドにやってきた。
 今度はそのまま十字路を過ぎて、真っ直ぐ歩くことにした。果てしなく長い通路が続く。やはり昨日と似たような造りになっており、外の光は殆ど入ってこないのか、明かりがないと暗がりで全く見えない。松明だけでは不安なので、昨日道具屋で購入したカンテラもつけているが、それでも視界はいいとは言えない。
「待て、また十字路が見える」
 うわ、ホントだ。昨日と全く同じ状況である。
「今度はひっかからねーぞ!」
 ナギは、手近にあった小石を放り投げる。地面に落ちたとたん、ぼろぼろと剥がれるように石の地面が抜け落ちていき、昨日と同じ大きな穴ができた。
「ちっ、ワンパターンなんだよ!」
 別のところで地面を蹴り、悪態をつくナギ。念のため周囲の地面も軽く叩いてみる。やはり先ほどと同じく穴ができ、それは何ヵ所にも渡った。
「皆、気をつけてね」
 私が言うまでもなく、皆はそろりそろりと注意深く落とし穴を避ける。それらをなんとかかわし、さっきと同じように三方に分かれている道を順に調べることにした。
 まずは正面。だが、しばらく進んだところで行き止まりになってしまった。石壁を触ってみるも、特に怪しいところはない。
「別に仕掛けがあるわけでもないな。ただの壁だ」
 一行は引き返し、先程の十字路までまた戻る。今度は右側の通路に行ってみることにした。
 そこは昨日人喰い箱がいた部屋と同じような造りで、やっぱり同じように箱が何個も置いてあった。三度目ともなるといい加減うんざりしてくるのか、つい気が緩んでしまう。だがまた魔物と戦うことになっては大変なので、当初の通り一つずつ慎重に開けていく。ちなみに宝箱を開けるのは昨日と同じく、ナギに一任してある。
「おい、これ見ろよ」
 そう言われ、私たちは箱の中身を覗き込む。箱に入っていたのはゴールド、つまりお金だった。
しかもたった50ゴールド。その辺の魔物と戦った方が多く手に入るくらい、ショボい金額だった。
「えーと、つまりこれが……」
「ここにある唯一のお宝ってわけ」
 投げやりな口調で言い捨てるナギ。てことは、他の箱は魔物か空っぽしかないってことか。
「そんなあ……」
 へなへなと、私はその場にへたりこんだ。二日がかりで、こんなに苦労してまで得たものが50ゴールドだなんて……。
 いやいや、目的はそこじゃない、魔法の鍵なんだ。気を取り直して残りの通路を調べなきゃ。
「ここが最後の通路だ。行くぞ」
 ああ、どうかこの先に階段がありますように。もし昨日落ちた地下にあるんだとしたら、また行かなきゃならない。それだけは絶対に嫌だ。
 なんて祈っていたら、祈りが神様に通じたのだろうか。開けた場所に、上に続く階段があるではないか。
「やった! 階段だ!」
 私が歓喜の声を上げると、三人は訝しげな顔を向けた。喜んでるのは私だけみたいで、なんだか気恥ずかしくなった。


 二階に上がると、またも細長い通路になっていた。しかも一階よりさらに複雑に入り組んでいる。幸い落とし穴はないのだが、進む度に十字路に分かれ、その先にさらに十字路が……という具合に、延々と分岐が続いていたのだ。
「あー、くそっ、めんどくせー!!」
 ナギがイライラしながら不満を吐き捨てる。先頭を歩くユウリも心なしか不機嫌そうだ。
 けど確かにこう同じ道が続くとうんざりしてくる。何か地図でもあれば――。
「あっ、そうだ!」
「? どうしたの、ミオちん」
 私は今朝の出来事を思いだし、立ち止まった。三人は私が急に声を上げたので、何事かと一斉にこちらを見る。
 私は鞄から、今朝準備しておいた羊皮紙と木炭を取り出した。そして羊皮紙を地面に置き、木炭で今まで通った道を順に描いてみる。
「すごーい、ミオちん! そーやって描いたらわかりやすいね!」
 そう、昨夜思いついたある事とは、考古学者のロズさんが使っていたこの木炭と紙を使えば、探索しながらでも地図をかけるんじゃないかということだ。
 今朝、迷惑とは思いつつも、私は一人お城に行き、門兵に事情を説明した後、離れで寝泊まりしていたロズさんの元へと向かった。寝ていたところを起こされて寝ぼけ眼のロズさんだったが、事情を説明すると快く話を聞いてくれた。
 自分もピラミッドに関する情報は欲しいそうなので、情報を提供してもらう代わりに、仕事で使ってる木炭をいくつかあげると言ってくれた。この木炭、なんとロズさんの手作りだという。ペンだとコストがかかったり、間違えて書いたときに消すことができないので、代わりに何か使えるものはないかと考えたらしい。
 ともあれ、その木炭のおかげで、こうしたダンジョンなどの複雑な地形もその場で地図に起こせるようになったのだ。ロズさんには感謝の言葉しかない。
「それにしてもよく思い付いたな、そのアイデア」
 私が描いてる紙にカンテラを照らし、見えるようにしてくれているナギが感心しながら言う。褒められ慣れてない私は、ただ照れ笑いを浮かべるしかなかった。
「本当に間抜け女か? 熱でもあるんじゃないのか?」
 ユウリの憎まれ口に反応してしまい、むっとした私は彼の方を振り向く。
「もう! 失礼じゃんそれ!」
 さすがに気分を害され、反論する私。たまには私だって役に立つ時だってあるんだから!



なんだかんだで、今までたどってきたルートを描き終え、照らし合わせてみる。その上で、まだ通っていないルートを探索することにした。
「ここは行き止まり、ここはT字路……。あっ、ナギ、このフロアには宝箱っていくつあるの?」
「えーと、ここにはないな」
「ええっ?!」
 そんなあ。じゃあまた上の階を探すしかないのか。それに、まだ地下にあるという可能性もあるので、油断はできない。
 とりあえず上へ登る階段があるかいろいろ探索したのだが、行き止まりや迂回路だったり、小部屋があったと思ったら、箱すらなかったり。
 どのくらい時間が経ったのだろうか。外が見えないので時間の経過がわからないが、途中何度も魔物に遭遇し、戦うごとに体力が消耗してきているのはわかる。それと同時に、空腹感も感じていた。
「ふぁあ、お腹空いた~☆ ねえねえ、何か食べない?」
「ほらよ、携帯食」
 振り向いたナギが、空腹を嘆くシーラに向かって携帯食を放り投げた。シーラはしぶしぶそれを口に運ぶ。
「わかってはいるんだけどさ、これだけじゃやっぱ足んないよね」
「お前の場合は酒がありゃいいんだろ」
「そんなことないよ! スモークチーズと炙ったソーセージも欲しいもん!」
「酒の肴じゃねーか!」
 などとナギとやりとりをしながらも、しっかり携帯食を食べる彼女は、こんなダンジョンの中でも常にハイヒールを履いている。よく転ばないなと思うのだが、本人は慣れているのか全く気にしてないようだ。
 私も持っていた携帯食をかじりつつ、地図とにらめっこしている。描いた地図が正しければ、この先はT字路になっていて、片方が行き止まりのはずだ。
「おーい、ユウリ! その先はどうなってる?」
 先に様子を見てもらっているユウリに声をかけるナギ。するとほどなくユウリが戻ってきた。
「予想通り行き止まりだ。この先には何もない。次行くぞ」
 そう言って、そのまま私たちの横を通りすぎ、もう一方の道へと歩く。私たちも揃って後を追いかけた。
 幸いなことに、この先はほとんど一本道だった。魔物こそ現れたが、分岐が多く何度も行ったり来たりするよりかはマシだった。
 そして、私たち一行が進んで来た先にあったのは、またしても上へ続く階段であった。
「また上に行くのかあ……。いいんだか悪いんだか」
 はあ、と一人ため息をつく私。他の三人も疲れた顔をしている。しんどいのは私だけではないようだ。
 ともあれ、ここで立ってるわけにもいかないので、三階へ登ってみる。もちろん罠の警戒も怠らない。
 三階は他の階に比べて真っ暗という訳ではなく、天井近くの壁には、所々一定の間隔で四角い穴があり、それが明かり取りの窓となって室内に光をもたらしていた。
「なんか今までと雰囲気が違うね」
「そーだね♪ なんか明るくていい感じ☆」
 穴から差し込む微かな陽光を眺めながら私が言うと、シーラも明るい場所に来たからかテンションが上がっている。
 階段のある部屋からは、正面と左右に分かれる道があり、正面奥にはなにやら大きい石造りの両開きの扉がある。
「見るからに怪しい扉だな」
 そう言うとユウリはずんずんと奥に進み、その怪しい扉に触れた。当然だがそれで開くわけはなく、かといって開けるための取っ手のようなものもない。なのでどうやって開けたらいいのかもわからない。
 ユウリが触れたところを見てみると、何やら古代文字らしきもので書いてある。けれど古代文字など読める人はここにはおらず、何てかいてあるかはわからない。どうしたものかと考えあぐねていると、
「ねえ、これ『太陽』って書いてあるんじゃない?」
 と、文字を指差しながらシーラが尋ねてきた。
「シーラ、その文字読めるの?!」
「ううん。わかんないけど、確かお城でロズぽんに本を見せてもらったときに、おんなじ字が書いてあった気がする」
 ロズぽん……? ああ、ロズさんか。そう言えばピラミッドについての本を見せてもらったとき、太陽がどうのこうのって言ってたっけ。
「そうか。『太陽』がキーワードになってるってことか」
 ユウリもシーラの言葉に納得したのか、頷いている。
「すごいね、シーラ。よくそんなの覚えてたね」
「えへへ。こーゆーの覚えるのは得意かも☆」
 シーラの意外な特技が明らかになったところで、私たちは新たな問題に直面した。おそらく、この古代文字にかかれてあることをしないと、扉は開かれないようだ。
 だからといって周囲を見回しても、他に扉を開けるヒントのようなものもない。なのでとりあえず分かれ道のところまで戻ることにした。
「時間が惜しい。ここから二手に別れてなにか手がかりになるものがないか探すぞ」
 戦闘のバランスを考え、ユウリとシーラ、私とナギで左右の道を探索することに。
「んじゃ、オレらは右に行くぞ」
 ナギが先導し、私もあとに続く。歩きながらふと気づいて通路の壁を見ると、下の階よりも凝った模様の壁面になっていて、なんとなく他の階とは違う印象が窺える。
 などとぼんやり考えていると、ひび割れた壁の隙間から見たことのない魔物が現れた。
「まっ、魔物?!」
 それは魔物と言うより、顔が描かれた大きな袋だった。あとでユウリに聞くと、その魔物は『笑いぶくろ』というらしい。その『笑いぶくろ』のあとに、さっき戦った『大王ガマ』が続けて姿を現す。
 笑いぶくろはニヤニヤと不気味な笑みを湛えながら、ぴょんぴょんと跳び跳ねてこちらに近づいてきた。けれど私が身構えると同時に、そいつはその場に立ち止まる。そしてなにやら鳴き声を上げたかと思うと、急に自分の体が動かなくなるのを感じた。
「おい、なんか体が動きづらくなってねえか?」
 隣にいるナギも、私と同じ状況になっているようだ。確かにいつもより体が動かない……というか、鈍くなっている気がする。
「きっとあの袋が何かの呪文を唱えたのかもしれねえ! あいつを先に倒すぞ!!」
「うん!!」
 ナギの言うとおり、大王ガマを後回しにし、先に笑いぶくろの方に向かって走り出す。だが、敵の呪文?のせいなのか、いつもより足が遅くなっていて、なかなか攻撃を仕掛けることができない。
やっと近づいて笑いぶくろに一撃を与えようとするのだが、相手が素早いのか私が遅いのかわからないが、紙一重でかわされてしまう。
 なんてやってる間に、先に大王ガマが横手から体当たりを繰り出してきた。頭では反応しているつもりなのに体がついていかないのか、避けきれず右肩に大王ガマの攻撃が当たってしまった。
「痛っ!!」
 バランスを崩し、そのまま横に倒れてしまう。幸い受け身はとっていたので大事には至らなかったが、思うように動けないのは精神的にも辛い。
 その隙に笑いぶくろが再び何かを仕掛けるようなしぐさをし始めた。また呪文を唱えられたら厄介だ。そう思い、急いで起き上がろうとするが、どうしても動きが緩慢になってしまう。一体どうなってるんだろう?
「くそっ!!」
同じく素早く動けないナギが、持っていたチェーンクロスを笑いぶくろに向かって投げつけた。それは見事笑いぶくろに当たり、魔物はチェーンクロスごと壁に叩きつけられた。
「ミオ、あとは頼む!」
 私は無言で頷いて、再び笑いぶくろに向かってダッシュする。魔物が気を失ってる間に、私は渾身の力を込めて正拳突きを放った。
 なんともいえない悲鳴をあげながら、致命傷を負った笑いぶくろはやがて事切れた。倒れると袋の口がだらしなく開け放たれ、中に入っていたであろう大量のゴールドが溢れ落ちていた。
 とりあえず戦いが終わったらあとで拾ってみるとして、残りの一匹を倒すことにする。体の方はまだ本調子ではないが、ちょっとずつ元に戻っている気がした。
「ナギ!!」
 呼ぶと同時に、私は落ちていたチェーンクロスを彼に向かって放り投げた。彼は器用にそれを受けとると、短くお礼を言って大王ガマの方に駆けていった。私もあとに続く。
ナギが向かうより早く、大王ガマの方から攻撃を繰り出してきた。ナギはそれを難なくかわすと、武器を思い切り振りかぶり、魔物目掛けて攻撃を叩き込んだ。
大王ガマは悲鳴をあげながら、その場に吹っ飛ばされた。まだ息はあるのか、仰向けに倒れたままなにやらモゾモゾと動いている。そしてその体勢のまま、再び悲鳴をあげた。いや、先程の悲鳴とは種類が違う。これは悲鳴と言うよりーー。
「あれ……? なんか急に眠く……」
 前方にいたナギが、いきなりゆっくりとその場に倒れ伏す。と、間もなく彼の寝息が聞こえてきたではないか。
 まさか、寝ちゃったの?!
 ということは、今魔物が叫んだのは、悲鳴ではなく呪文――。先程笑いぶくろがやったのと同じ状況だ。
 まずい。ここで私がやられたら全滅になりかねない。焦りと恐怖が一気に押し寄せてきて、汗が頬を伝う。
 ここでまた他の呪文を唱えられたらそれこそ終わりだ。一気に決着をつける!
 意を決して、私は起き上がる大王ガマの懐に潜り込もうと、走り出した。体は次第にいつもの軽さを取り戻しつつあり、余裕で間に合うと予測した。
 だが、あろうことか魔物は再び呪文を唱えようと、口を大きく開け始めたではないか。
「やめてーー!! 呪文唱えないでーー!!」
 私は思わず大声で叫んだ。その声にビックリしたのか、大王ガマは唱えかけてた呪文を中断した。
 この千載一遇のチャンスを見逃すはずもなく、私はこれで最後と言わんばかりの一撃を与えた。
 魔物はそれきり動かなくなり、静寂と寝息だけが聞こえる。
「ナギ、起きて! もう魔物はいないよ」
 彼のもとに駆け寄り揺り起こすと、ゆっくりと彼の目が開いた。すると、
「ビビアンちゃん、オレと付き合ってくれ!!」
 いきなりそう叫んだかと思うと、そのまま私に思い切り抱きついてきたではないか。
「ひゃあああっ??!!」
 ビックリした私は、思わずナギの顔面に正拳突きを放ってしまった。彼は反対側の壁まで勢い良く吹っ飛んだ。
「わああああっ、ごめんナギ!!」
「……? あれ、なんでオレこんなに顔腫れてんだ?」
「あ、うん、えーと、ナギが大王ガマに眠らされてる間に、攻撃が当たったみたいだね」
 私は冷や汗を拭いつつ、適当に誤魔化した。うん、嘘は言ってないよね、たぶん。誰の攻撃かはいってないけど。



 戦闘を終え、笑いぶくろが持っていたお金を拾い、再度奥へと進む私たち。念のためナギに『しのびあし』をやってもらい、魔物との遭遇を減らす。
 しばらく歩くと、やがて行き止まりに着いた。正面の壁には太陽を象った、小さなレリーフのようなものが横に二つ並んでいる。太陽の丸い部分だけがなぜか突出しており、よく見るとレリーフと壁の間にはわずかな隙間がある。単なる壁の装飾と言うわけではなさそうだ。
「なんだろうこれ?」
 ナギも訝しげにそのレリーフのようなものを眺める。慎重に調べてから、少しずつ触ってみると、微かに動く気配がした。
「もしかしてボタンじゃねえの?」
 『ボタン』という言葉を聞いて、ある光景が頭の中で浮かんだ。それは、イシスのお城の中で女の子が歌っていた光景だ。
 確か女の子達が歌っていた歌詞に、『まんまるボタン』がどうとか言ってたっけ。そのあとは、えーと……。
――まんまるボタンはお日さまボタン。小さなボタンで扉が開く。東の西から西の東へ。西の西から東の東。
「あーーーーっ!!」
 思い出してから、まるでパズルのピースが嵌まったかのような感覚に陥り、思わず大声を上げる私。
「なんだよお前、さっきからうるさいぞ」
「ねえ、確かロズさんのところで見た本に、同じような太陽の絵描いてなかった!?」
 そう。ロズさんの見せてくれた本に、やたらと太陽の絵が描いてあったけど、その絵とこのボタンの絵がそっくりなのだ。それにさっき思い出した女の子が歌っていた歌詞。それらを組み合わせると、一つの答えが導き出される。
「きっと、このボタンを押せば、扉が開かれるんだよ!」
「は?! どういうことだよ?!」
 私はイシスで聞いた歌のことをナギに話した。すると彼も同じような考えにたどり着いたのか、納得してくれた。
「なるほどな。確かに、お前の推理が正しいと思う。けど、ここには二つボタンがあるぜ? どっちを押すんだ? それとも、両方?」
「そこまではさすがにわかんないよ。とりあえず、戻ってユウリたちにもこのことを話してみようよ」
「そうだな。下手に先にボタン押されて取り返しのつかないことになったらヤバイからな」



「……という訳で、ボタンを押せばさっきの扉が開くと思うんだけど、どういう風に押せばいいと思う?」
 ユウリたちと合流した私たちは、二人にさっきのことを話した。
 ユウリたちも同じ事を考えていたらしく、私たちが見たのと同じようにボタンが二つあるのを確認したあと、私たちのところに戻ろうとしていたらしい。
「お前が覚えた歌って、どんな歌だ?」
 私はさっき思い出した歌の歌詞をユウリに伝えた。
 ユウリはそれきり黙って考え込む。やがて、私の方をみて尋ねてきた。
「お前らのところにあったボタンも、二つだったんだよな?」
「うん」
「こっちにも二つボタンがあるということは、ボタン自体が東と西を表してるのかもな」
 そう言うとユウリは壁の方を見回す。
「ここじゃわからないな。一回扉のある方まで戻るぞ」
「え? どうして?」
 私の問いに、彼は面倒くさそうに答えた。
「あそこが一番日の光が入ってただろ。光があれば影が見える。影の方向がわかれば、どっちが東でどっちが西かわかるだろ」
「あ、なるほど!」
 まず二ヶ所あるボタンの場所が、どの方角にあるかを調べる。扉のある十字路は開けており、四方に明かりとりの窓があるので真ん中に誰かが立ってでもすれば、影がどの方向に伸びているかがわかる。
 その方向と今の時間を考慮した結果、私たちがさっきいった場所が東側、ユウリ達が西側だということがわかった。
「てことは、東の西から西の東、西の西から東の東だから……」
「最初にお前らが行った場所の西側のボタン、そのあと俺たちが東、西の順で押す。最後にお前らがもう一方のボタンを押す。それで扉が開くはずだ」
「う、うん。わかった」
 私たちはボタンを効率よく押すため、配置を考えた。まず、さっきみたいに私とナギが東側のボタンのところまで行く。同時にユウリとシーラも西側のボタンの所へ。私が先に西側のボタンを押したら、ナギが一人で『しのびあし』を使いながらユウリたちのところに行って、私がボタンを押したことを伝える。そしたらユウリたちは東側、西側の順でボタンを押し、今度は三人で再び私のところに向かい、最後に残ったボタンを押す。
「なあ、これオレだけ行ったり来たり忙しくねーか?」
「細かいことは気にするな」
「細かくねーよ!!」
 ナギの訴えを無下にあしらい、ユウリは計画通り指示を出した。
 私は緊張しながらも、なんとか言われた通りにこなす。といっても、ただボタンを押すだけなんだけど。
最後のボタンを押したと同時に、遠くでゴゴゴ……という、重いものを引きずったような音が聞こえてきた。
 扉のところまで戻ってみると、さっきまであった石の扉はなく、代わりに奥に部屋が見えていた。
『やった~~!!』
 私とシーラは、抱き合いながら二人して喜び、ナギやユウリも安堵の息を吐いた。
「おい、あれみてみろよ」
 ナギが指差す方を見てみると、部屋の奥に宝箱が一つあった。さすがにこんな場所にひとくいばこはいないだろう、と思いつつ、警戒しながらナギが宝箱を開けた。
「……鍵だ」
 その言葉に、皆が宝箱の中を覗き込む。その鍵は、持っている盗賊の鍵とはまた違う、重厚な雰囲気漂う神秘的な鍵だった。
 そう、私たちはとうとう、念願の魔法の鍵を手にいれたのだった。 

 

次の目的地

「うう~ん、もうお腹いっぱい……。入んない……」
「おいボケ女、起きろ。これから今後の予定について話し合うぞ」
 久々に美味しい料理を満腹になるまで堪能した私は、そのまま酒場のテーブルに突っ伏して眠りこけそうになったところを、ユウリの一声で起こされた。
 同じようにお腹が満たされてうとうとしているナギとシーラを揺り起こし、自分も頬を叩いて意識をはっきりさせる。
「なんだよ、今日くらい旅のことなんか忘れて、ゆっくりしようぜ」
 ナギが恨みがましそうにユウリを見る。
「そう言うわけにもいかない。これから俺たちが向かう場所がもうじき封鎖してしまうおそれがある」
「封鎖?」
 突如出てきた物騒な単語に、私は首を傾げた。
「そもそもこれから私たちはどこに行くの?」
 私が聞くと、ユウリはどこからともなく世界地図をテーブルの上に広げて、ある場所を指差した。
「この先魔王の城に向かうためには、どうしても船が必要だ。ここを見てみろ」
 そこは、今いるイシスより南、山岳地帯に囲まれた場所だった。
「ここが俺たちの旅の最終目的地、つまり魔王の城だ」
 その瞬間、ユウリを除く全員が息を呑んだ。改めて魔王の城に行くということを認識し、現実に引き戻された気がしたからだ。
 一方地図から目を離さないユウリは、眉間に皺を寄せながら指をトントンと叩く。
「だが山々に囲まれて、陸地からでは到底たどり着けそうにない。そうなると、残る手段はただ一つ。大陸を迂回して船で向かうしかない」
「えー?! 船なんて持ってないよ?」
 私は思わず大声をあげた。
「アホか。むしろお前みたいな田舎女が持ってたら世の中の全てを疑うぞ。船ならお前の弟が言ってただろ」
「そこまで言わなくても……。じゃなくて、ルカが言ってたこと? ……あ、そっか、ポルトガか!」
 私はぽんと手を叩く。
「造船業が盛んなポルトガなら、個人に貸すくらいの船ならあるだろ。だが、そこに行くには急がなきゃならない」
「そういやあのとき、船が出航できないとか言ってたよな。なんか関係あるのか?」
 ナギが皿に盛られたフルーツを口にいれながら尋ねる。
「ああ。さっきここの酒場で耳にしたんだが、ポルトガは最近他国に対して輸入規制をかけたらしい」
「輸入規制?」
「詳しくは知らないが、当面の間全面的に他国からの輸入を禁止して、自国のみで経済を回そうと考えてるようだ。早ければ数日のうちに関所を封鎖するらしい」
 関所というのはおそらく、私がアリアハンに行くときに通ったロマリアの関所のことだ。確かそこがポルトガに行ける唯一の通り道だった気がする。
「……まあ、ポルトガにとっても他国からの信頼を失いかねない政策ではあるし、違和感は少し感じるけどな」
 う~ん、よくわからないけど、他にも理由があるかもしれないってことかな?
「でも、そっか。そこが通れなくなったら、ポルトガで船を借りることが出来なくなっちゃうね」
 納得した私は、深く頷く。
「しっかし、そんなに急に関所を封鎖して大丈夫なのか?」
「俺に聞かれても知らん。とにかく、関所が封鎖されれば俺たちもポルトガに入れない。明日にはここを出るぞ」
 ナギの問いに半ばなげやりに返すユウリ。
 輸入規制と言っても、どのくらいの期間がかかるのか。もしかしたら何年も先かもしれない。船を手に入れなきゃならないのに、こんなところで何年も足止めをくっていたら世界が滅んでしまうだろう。
 ユウリは一息つくと、世界地図を懐にしまいこむ。ていうか、話し合いというより、ユウリが一方的に決めただけの気もするが。
「あ、その前に私、ロズさんのところに行ってもいい?」
「ああ。俺もピラミッドの件を女王に報告しに行くつもりだ」
 そんなわけで、お城までは全員で、ユウリは女王様のところ、私たち三人はロズさんのところに向かうことになった。



「ほ、本当に、これがピラミッドの内部の地図なんですか!?」
 心底驚いた様子で私が描いた地図を手にしているロズさんは、俄に信じがたいのか、私たちと地図を何度も交互に見比べながら言った。
「ホントだよー? 今なら魔物もいないと思うし、嘘だと思うなら自分で確かめてきてよ」
 シーラが不満げに答えるが、ロズさんは首を横に振る。
「いえ、けして疑ってるわけではなくてですね、まさかこんな詳細な地図を作ってきてくれるなんて思ってなかったもんですから、驚いているだけなんです。これはミオさんが描いたんですか?」
「はい。こういうのはじめてだったから、バランスよく描けなかったですけど」
「いえいえ、素晴らしい出来ですよ! ミオさんは地図を作る才能があるのでは?」
「いや、そんなことないですよ」
 ロズさんがあまりにも褒めるので、私は顔が熱くなってしまった。この前もそうだったが、普段ユウリの毒舌を浴びてきているので、たまに褒められたりすると自分でもどうしていいかわからなくなるときがある。
「魔物はどんな姿でした? 倒してくれましたから確かめるすべはありませんが、資料として記録したいのです」
「だったらオレが描いてやるよ。なんとなくだけど」
 そういうとナギは、羊皮紙にさらさらと魔物の絵を描き始めた。描いたのは袋の姿の魔物に大王ガマ、ミイラ男と、それに人食い箱だ。
 ナギってば、意外と絵の才能があるようだ。シンプルな絵柄のわりには特徴をよくとらえてるし、観察力が鋭いのもあるのかもしれない。
「ああ、この袋型の魔物は……『笑い袋』ですかね。そうか、この地域にもいたのか……。うん、面白い。当時の魔物の生息に関する資料が作れそうです。それにこんなに上手な絵まで描いてくださって、ありがとうございます!」
「へへっ、まーな」
 ナギも私と同じで、ロズさんに素直に褒められて照れてるようだ。
「罠とか仕掛けとかの話も聞くか?」
「!! もちろん!!」
 罠や宝箱の仕掛けについてはナギが、魔法の鍵がある場所の仕掛けや書いてある古代文字に関しては私とシーラが詳しく話した。
 とくにシーラは、あのとき見た古代文字をいくつか覚えていたらしく、ロズさんの持っていた本と照らし合わせて書いてある意味をなんとなく解読することができた。
「きっと『太陽を知るものに光あれ』みたいなことが書いてあったんだと思います。それにしてもシーラさんは頭の良い方ですね。魔法使いか僧侶にでもなられてみては?」
「へ?」
 唐突に褒められ、変な声を上げるシーラ。
「やだなぁ、ロズりんってば、誉め上手なんだから~」
 シーラははにかみながらも嬉しそうだ。それにしても、ロズさんのほうこそ人を褒めるのが上手だと思う。
 ともあれ、ロズさんに気に入ってもらえたようでホッとした。その後ロズさんから今後の旅に役立てるよう、羊皮紙とロズさんお手製の木炭を追加でもらった。
「ミオさんたちのおかげで今まで凍結していたピラミッドの研究が大分捗りそうです。本来ならもっとたくさんのお礼を差し上げたかったのですが、しがない考古学者の身としては、出せる額も限られまして……」
「いえ、いいんですよ。私たちも魔法の鍵を手に入れるついでにやっただけですし」
「いや! ここまでしてもらって、さすがにお礼の品が紙と木炭だけだなんて、僕が許せません。ちょっと待ってください、確かあれが……」
 そういうとロズさんは、部屋の棚に押し込められているたくさんの箱の中から、ひとつだけ場違いなほど金の装飾が施されている小さな箱を取り出した。
「昔僕がイシスの歴史の研究を進めていたとき、女王様から賜ったものです。せっかく頂いたのですが、僕には必要がないのでずっと棚の奥にしまいっぱなしで……。これはミオさんたちが持っていた方がふさわしいと思いますよ」
 箱の蓋を開けると、中には腕輪が入っていた。緑色をベースに金の装飾で縁取られた、シンプルだが重厚感のある装飾品だ。そういえば、ピラミッドに行く前にロズさんが見せてくれた本で似たような絵を見た気がする。
「これは『星降る腕輪』と言って、イシス王家に代々伝わる宝の一つです。装備すると装備者自身の素早さが格段に上がるそうです」
「え……でも、女王様から頂いたものですよね? 私たちに渡しちゃっていいんですか?」
 私が戸惑っていると、ロズさんは黙って私の手に腕輪を渡した。
「いいんです。こんなところで埃かぶってるよりも、あなたたちに使っていただく方が、腕輪も喜ぶと思うんです。まあ、そういう考え方をしてる人なんて、僕ぐらいかもしれませんが」
うーん、嬉しいけど、せっかく女王様がくれた宝物を、私たちが受け取ってしまって本当にいいんだろうか。
「せっかくロズさんがくれるって言ってるんだ、お前が受け取れよ。俺はもともと素早いし、お前が素早く動ければ、あの勇者の鼻っ柱を折ることができるかもしれねえぞ」

 横から顔を出したナギが、ひょいと私の手から腕輪を取り上げた。
「こいつを断ったら、ロズさんの気持ちも拒否するってことだぞ?」
 いつになく真摯な表情で、私を見据えるナギ。その言葉に私はハッとした。
「……ごめん、ロズさん。私、ロズさんの好意を踏みにじるところだった」
「いいんですよ、ミオさんが優しいのはわかってますから」
 そう言ってくれるロズさんの方が優しい。ちょっと変わってるかもしれないけど、人に対する思いやりがあるロズさんは、この短い間に私にたくさんの影響を与えてくれた。
「ありがとう、ロズさん。大事に使います」
「こちらこそ、ありがとうございます。あなたたちのおかげで、僕の大好きな考古学の研究がこれからも続けられます。感謝してもしきれないくらいだ」
「オレたちも、ロズさんがいなかったら魔法の鍵なんか手に入れなかったかもしれないし、すげー感謝してるよ」
「あたしも、ロズりんと会えて楽しかった! 色んなこと教えてもらったし、また来るからね!」
 四人それぞれ思い思いに挨拶を交わし、別れを惜しんだ。またイシスに立ち寄ることがあったら、ロズさんに会いに行こうと思う。
「ユウリさんにもよろしく伝えてください。また何かあればご助力しますよ」
「はい! ロズさんもお元気で!」
 私たちは笑顔でロズさんの研究所を後にし、王宮へと戻ることにした。



 以前待ち合わせした大広間に戻ってみると、すでにユウリが腕組みをして立っていた。
「遅い」
 鋭い口調で一言言い放つと、私の方をじっと見ているではないか。なんとなく近寄り難くなり、一歩引いてユウリの視線の先を探ると、それは私の右手首に向いていた。
「なんだそれは?」
 苛立ちよりも好奇心が勝ったのか、彼の方から近づいてきた。慌てて隠そうとしたが、ユウリに腕を掴まれる。
 その瞬間、腕輪を取り上げられるんじゃないかと私は内心ヒヤヒヤしていた。どれだけ価値のあるアイテムなのかはわからないが、王家の宝と言うくらいだから、相当値打ちのあるものなのだろう。アイテムに詳しいユウリなら、見ただけで物の良し悪しはわかるはずだ。
 そんな装備を私が身に着けているのを見たら、きっとお前には不相応だとか言うだろう。でも、せっかくロズさんが私にくれたんだ。はいそうですか、と安易に渡したくはない。もしそう言われたら、はっきり断ろう。
「あ、あの、えーとね、私たちが地図とかいろいろピラミッドについての情報を教えたら、ロズさんがお礼にこの『星降る腕輪』をくれたの」
「『星降る腕輪』だと?! 何であんなしがない考古学者がそんなレアアイテムを持ってるんだ?」
いやいや、しがない考古学者って、それをユウリが言っちゃダメでしょ。
「詳しくは知らないけど、ロズさんが女王様から頂いたんだって」
「あの女王がか?」
 ユウリは虚を突かれたような顔で聞き返した。戸惑いながらうなずくと、何やら考え込んでいる。
「……?」
 私が訝しげにユウリを見ると、急に彼は腕輪から視線をはずした。
「あの、これ……私が装備しててもいいかな?」
 タイミングを見計らったつもりで、おずおずとユウリに聞いてみる。すると彼は表情を崩さず、
「別に、お前がもらったんなら好きにすればいいだろ」
 そうあっさりと言ってくれた。どうやら取り越し苦労だったようで、私は心底ほっとした。
「それより早く出発するぞ。一度ルーラでロマリアに行ってから、関所に向かう」
 ああ、そっか。ロマリアから行った方が関所に近いもんね。
「そういえば、女王様にはお会いできたの?」
「ああ。一応ピラミッドの報告も伝えてある。宝箱の中身も全部俺たちがもらっていいそうだ」
 実質ピラミッドの宝が報酬のようなものだ。ユウリはそう付け加えた。
「あのピラミッドは長い間放置されていたようだが、今後はイシスの王族が再び管理するそうだ。観光地にでもすると言っていたが、あんな罠だらけの遺跡に客なんか集まらないと思うけどな」
 確かに、命がけの落とし穴なんてある観光地なんて、誰も踏み入ったりはしないだろう。
 イシスの今後が気になるところだが、私たちはまず船を手に入れるため、ポルトガに向かわなければならない。
 お城を出てすぐに、ユウリがルーラの呪文を唱える。するとすぐに、私たちの体がふわりと宙に浮いた。そしてその瞬間、ものすごい早さでロマリアへと文字通り飛び立ったのだった。
 
 

 
後書き
ここでイシス編終了です。 

 

ポルトガの関所にて

ロマリアの関所にて

「ポルトガに行けない?!」
  開口一番ユウリが言い放った言葉に、私たちは一瞬耳を疑った。
  イシスからロマリアへと一度戻り、そこから歩いてポルトガに続く関所へとたどり着いた矢先の出来事である。関所の前にはロマリアの兵士が立っており、扉は固く閉ざされていた。
  確かに数日前、ポルトガは輸入規制を始めるという噂を聞いた。関所を封鎖し、諸外国との交易を当分の間禁止するのだという。けれど、まさかこんなに早く実行されるとは思ってもみなかった。
「申し訳ありません。すでにポルトガは他国との交易を全面的に禁止してまして、ここを通ることはできないんです」
「よく見てみろ、俺たちが物を売る商人に見えるか?」
「はあ……。でも規則は規則ですんで」
  形式ばったことを言うだけで、全く取り合ってくれないロマリアの兵士に、私たちは辟易していた。
  こうして扉の前で押し問答をすること数十分。傍目にもすでにユウリがイライラしているのがわかる。そしてそろそろこう言うはずだ。
「仕方ない。話がわからないのなら強行突破するしかないな」
  ああ、やっぱり。頼むから公の場で呪文を唱えるのはやめてほしい。
「なっ、何をする気ですか?! まさかこの扉を壊すつもりでは?!」
 あわてふためく兵士を気にも留めず、呪文を唱えようと手を前に向けるユウリ。眉根を上げる彼の表情に、迷いの色はなかった。
「だったらなんだ」
「それならいくら壊そうとしても無駄ですよ! この扉は特殊な金属で出来ていて、叩いたりするのはもちろん、生半可な攻撃呪文でも耐えられるように設計されていますからね!」
  そう言って少し得意気に話す兵士。確かに攻撃呪文でも壊せないとなると、ユウリのお家芸であるベギラマは使えない。
「……そうか。わかった」
 ユウリは扉を見つめながらそう言うと、意外にも素直に踵を返した。
 まさかレーベの村のおじいさんからもらった魔法の玉でも貰いに行くのでは、とでも思ったが、わざわざそんな危険なことはさすがにしないはずだ。
「おい、ユウリ。本当に諦めちまうのか?」
 ナギが兵士に聞こえない程度の声でユウリに問いただす。ユウリは兵士の方をちらっと見ると、
「あの兵士がいる間は通れない。また後で出直す」
  といって関所に背を向けたではないか。
「は?」
  それがどういう意味をもたらしているのか、ナギ含め皆わからなかった。ただ、ここで問題を起こしては国に関わる一大事となってもおかしくはない。その辺りはさすがのユウリもわかっているはずで、となるとこれは何か考えがあってのことなんだと思う。
「とりあえず、ユウリの指示に従おうよ。ここで揉めても面倒なことになるだけだし」
  私はナギにそっと耳打ちをした。それが耳に届いていたのか、
「間抜けなお前にしては賢明な判断だな」
  と皮肉ったような表情でユウリが振り向いた。
  ともあれ、一先ず私たちはこの場を離れた。一度ロマリアに戻っても良かったのだが、またここまで歩くのも面倒だし、なにより一度ロマリアで王様になったユウリにとっては、居づらい場所でもある。……まあ、自業自得だけど。
 なので、町には戻らず近くの木陰で様子を見つつ、夜になるのを待つことにしたのだった。



  その後、私たちは兵士の目の届かないところまで離れ、身を隠すことにした。日が沈むまであと二、三時間はある。それまでこの何もない草原で何をしたらいいだろう。
  とりあえず、近くにちょうどいい木陰があったので、皆そこで車座になって座り込んだ。
 ちなみに周辺の魔物は、ユウリが『トヘロス』という呪文で近づけないようにしているので襲ってくる心配はない。
  私は側にある木に寄りかかり、空を仰ぎ見た。時折吹く穏やかな風が、私の髪をくすぐっていく。
  まるでピクニックに来ているようで、私はそんな状況でないにも関わらず、安らぎを感じていた。
  対してユウリは自分の剣を磨き続け、ナギは罠の解除に必要な道具のメンテナンスをしている。
 シーラは一人でお手玉をしていたが、ぼーっとしている私と目が合うと、にっこり笑いかけた。
「ミオちん、いっしょにやる?」
「あ、ごめん、そういうつもりで見てた訳じゃなくて、たまにはこうやって皆でのんびり過ごすのもいいなって思ってさ」
「お気楽な奴だな。こういう時こそ鍛錬でもしたらどうだ?」
  すげなくそういわれ、閉口する私。
それを見かねたのか、お手玉をやめたシーラがすっくと立ち上がった。
「よっし! こんなときこそ遊び人のあたしの出番だよねっ♪」
「いや、全然意味がわからねえ」
  顔をあげたナギが真面目な顔でツッコミを入れるが、シーラは気にせず話を続ける。
「こういうときは、遊ぶのが一番! だよ☆ というわけで、これから皆で王様ゲームを始めまーす!!」
「王様ゲーム? 何だそれは」
  作業を中断したユウリが急に口を挟んできた。『王様』という言葉に反応したのだろうか。
「ふっふっふ。さすがユウリちゃん、ノリがいいのはわかるけど、まず準備させてね。ミオちん、紙と書くものちょうだい?」
「あ、うん。ちょっと待ってね」
  私は鞄からロズさんから貰った紙と木炭を出し、シーラに渡す。彼女はそれを小さく千切り、何かを書いたあと、さらに小さく折り畳んで皆の前に並べた。
「ここにある四枚の紙の中から一枚選んで、誰にも見られないように開けてみてね」
 二人とも、未知のゲームに興味があるのか、素直にそれを取り開けてみる。私が取った紙に書いてあったのは、『王様』という文字だった。
「それじゃ、『王様』って書いてあった人!」
「えっ、あっ、はい!」
  シーラの勢いに押されて、つられて私は手を上げる。
「『王様』の命令は絶対でーす☆ だから、王様になった人は、一番から三番の人に何でも命令していいの。で、命令された人は絶対に従わなきゃなんないの☆」
『はぁ?!』
 シーラの説明に、ユウリとナギが口を揃えて反発する。
「なんだそのルールは! 大体王というのはこんなくじびきごときで変わるような存在ではなく……」
「ユウリちゃん、これゲームだから!」
「つーかこいつが素直に命令に従うわけねーだろーが!」
  そう言ってユウリを指差すナギ。シーラはしばし考えたあと、ぱっと笑顔を見せた。
「じゃあユウリちゃんでもできそうな命令にしよう♪ 基本ゲームは皆で楽しむものだからねっ☆ というわけでミオちん、命令をどーぞ!」
「えっ?! えっと、あの、その……」
 急に命令とか言われても、何て言ったらいいのかまったく思い付かない。私が困った顔をシーラに向けると、
「じゃあ、ミオちんがあたしたちにしてほしいこととかってある?」
「してほしいこと?」
 言い方を変えてくれたので、命令よりはイメージしやすくなってきた。それじゃあ……。
「じゃあ、全員の好きなものを教えて欲しいな」
 意を決して言った私の言葉に、皆は三者三様の表情をした。
「いいね、ミオちん!  そんな感じだよ♪」
「そ、そう?」
「あたしはね、やっぱお酒かな。あとはみんなと遊ぶこと!」
「あはは、シーラらしいね。ナギは?」
「オレか?   オレは……ケーキかな」
「えっ!?  意外!!」
 辛いものは苦手とは聞いたが、ナギって思った以上に甘党なんだ。
「つってもめったに食べられねえけどな。たまにジジイが作ってくれるんだよ」
「あのおじいさんが?!  なんかそっちの方が意外なんだけど」
 孫のためにケーキをつくるおじいさん……。ギャップがありすぎて私の中でおじいさんに対する好感度が跳ね上がった。
「あとは……」
「ビビアンさんでしょ。言わなくてもわかるよ」
「なっ、なんだよ。なんか他人に言われると恥ずかしいじゃねーか」
  いや、それ以上の醜態をすでに晒してるんで今さら照れても困るんだけど。
「あとは、ユウリちゃんだね♪   物でも人でも、何でもいいよ☆」
「……じゃあ、肉」
  シーラの言葉にユウリはたじろいだが、抵抗するほどのことでもないのか、吐き捨てるように言った。
「肉って、肉料理? それともヤギの肉とか鶏肉?」
  私はつい好奇心が勝り、ユウリに質問攻めをした。
「……なんでそんなに追求してくる」
「いや、だって情報が少ないから……。せっかくの機会だもん、もっとユウリのこと知りたいし」
「……これ以上お前に教えることなんてない」
  そう言うと、彼は顔を背けてしまった。これ以上言うと機嫌を損ねそうなので、私は聞くのをやめた。
「はい、じゃあ命令終わりだね☆ もっかいやろっか♪」
「うん!  なんかこういうの、楽しいね」
「でしょ?  あたしもはじめてアッサラーム来たときにやって、すっごく楽しかったんだ☆   こーやって皆とやれてあたしも嬉しいよ☆」
 そういうシーラの表情は、本当に楽しそうだ。私も普段とは違う皆の一面が見れて、すごく新鮮だし、なにより嬉しい。
 このあとも何度かやってみた。シーラが王様の時は、『一番が三番の人を褒める』と命令し、ユウリがナギを誉めるという奇跡の瞬間が誕生した。
  といっても内容としては、『バカザルのいいところは自分がバカなことに気づかないこと』とか、『ベギラマからの回復力が異様に早い』等という、褒めてんのかどうなのかわからないのがほとんどだったけれど。
  ナギが王様の時は、『二番が王様の肩を揉む』と言って結局私がやったんだけど、ナギ的にはユウリにやってもらいたかったらしい。
  で、何回かやって結局一度も王様になれなかったのはユウリだけだった。最後の方は何か細工でもしてるんじゃないかと、彼は何度も紙を確認していたが、そんなはずもなく、終始不機嫌だった。
 そうして、皆のやり取りを眺めて笑っているうちに日が暮れ始め、辺りはすっかり暗くなった。
「そろそろ行くか」
「え?  どこに?」
 尋ねてから、私はハッと手を口に当てる。気づいたときにはもう遅い。ユウリは手を伸ばし、私の両頬を無言で引っ張った。
「ひはいひはい!」
「このボケ女は、一回刺激を与えないと思い出さないらしいな」
「いいなあ、ミオちんばっかりユウリちゃんにおしおきされて」
 ユウリは私の頬を離すと、今度はシーラの両耳を引っ張った。
「誤解を招くようなことを言うな!」
「わーい、ユウリちゃんからのおしおきだぁ♪」
  まったく効いていないどころか、とんでもない発言をしたシーラにこれ以上やっても無駄だと悟ったのか、すぐに手を離すユウリ。それをナギが呆れた顔で眺めていた。
「遊んでねーで、早く関所にいこうぜ。いい加減寒いんだよ」 
 そうだった。 イシスではわからなかったが、もう季節は冬を迎えていた。日が沈むや否や、冷たい夜風が肌にしみる。こんなところにいつまでもいる場合じゃなかったのだ。
「そうだな、バカザルの言うとおりだ」
「……同意してくれんのはいいんだけど、いい加減その『バカザル』呼ばわりするのやめてくんねえ?」
  疲れた表情を見せるユウリに対し、不満げなナギが声をあげる。
 ゲームがきっかけで少しは二人が仲良くなるかと思ったが、世の中そう簡単にはいかないようだ。
 まあそれは、私の胸の中だけにしまっておくとして、様子を窺いつつ再び関所に戻ってきた私たち。
 昼間はそこに立っていたはずの兵士は、夜になり見張る必要がなくなったのか、もうそこにはいなかった。
 扉に近づくと、ユウリは懐から何かを取り出した。暗くてよく見えないが、それを持ったまま扉の前まできて立ち止まった。
  よくみてみると、扉の取っ手の下の方に、鍵穴が見える。そしてその鍵穴に、何かを差し込んだ。
 そっか、魔法の鍵か!
 鍵を回すと、カチャリと小気味良い音が鳴り響いた。
「やっぱりこの扉は、ピラミッドにあったものと同じタイプみたいだな」
 そう言いながら、微かにほくそ笑むユウリ。ということは、最初から魔法の鍵で開けるつもりだったようだ。
「ねえユウリ、どうしてこれが魔法の鍵で開けられるってわかったの?」
「確証はないが、この扉が攻撃呪文に耐えられると聞いて、あの変態ジジイがいってたことを思い出してな」
「えーと、ヴェスパーさんのこと?」
「ああ。魔法の扉は、ピラミッドの宝を狙う盗賊や魔法使いの侵入を防ぐために作ったと言ってたからな。おそらくピラミッドの扉も呪文に耐えられるほどの代物だ。ならこの関所の扉も似たようなものだと思ったんだ」
「そっか、じゃあ呪文にも耐えられる扉なら、魔法の鍵があればどの扉でも開けられるってことだね」
 まさかこんなところで魔法の鍵が役に立つとは。
 とにかく、これでポルトガに行くことができるんだ。
「夜なら見張りもいないと思って来たが、まさか本当に誰もいないとはな。あきれてものが言えん」
「よっぽどこの扉を信用してるんだね」
 そうしみじみ言うのもつかの間、辺りは暗いとはいえ、ここにいつまでも立っていたら怪しまれるかもしれない。私たちは早々に関所を通ることにした。
 だが、ポルトガ領に入って間もない場所に、小さな建物が見えてきた。幸い明かりはついていないが、誰かいるのだろうか?
「何か怪しい建物があるな。調べてみるか?」
同じく建物に気づいたナギがユウリに尋ねる。
「ポルトガの兵がいるかもしれない。見つからないように出来るのかバカザル?」
「だからそのバカザルっての……、まあいいや。『鷹の目』ならここから様子を見ることが出来るはずだ」
 『鷹の目』とは、ナギの盗賊のスキルの一つで、遠くにある建物や町、ダンジョンがどこにあるかわかる便利な技だ。このくらいの距離なら、暗くても建物の内部まで把握できるという。
  ナギはじっと目を凝らして建物の様子を見た。
「……中は真っ暗で誰もいない。というか、中にも扉があるだけで、人が暮らしてそうな雰囲気じゃないな」
「そうか。なら今日はここで野宿するぞ」
  問題ないと判断したユウリは、ここで一晩過ごすことにした。建物に近づくと、周囲を警戒しながら外側の扉を開けた。
 中に入ると、ナギの言う通り目の前に扉がひとつあるだけで、他には何もない。扉の周りの壁にも窓ひとつないので、この奥に何があるのかもわからなかった。
「何だろうね、この扉」
「……一応、試してみるか」
 ユウリは先ほど使った魔法の鍵を再び取り出し、目の前にある年季の入った扉を開けようとした。だが、なぜか鍵穴は回らず、開けることができなかった。
「魔法の鍵でも開かないなんて……」
「ふん。俺たちの目的は今夜寝る場所だ。開かないのなら、ほっとけばいい」
 そう言うと、さっさと鍵をしまってしまった。切り替えが早いのか、それとも扉が開かなくて不機嫌になっているのか。
「寝るには狭いが仕方がない。すぐに寝る準備をして、明日の朝早く出発するぞ」
 ユウリの声に、各自野宿に必要な布や道具を荷物から引っ張り出し、屋外の時に使う簡易テント用の布を石造りの床に敷き詰める。残りの布は掛け布団がわりにし、皆固まるようにして横になった。
「おい、バカザル。もうちょっとそっちの方に詰めろ」
「何無茶なこと言ってんだよ! これ以上寄ったら身動きとれねえじゃねえか」
 端にいるユウリがナギを足蹴にしながら言う。
「手足が長いだけのサルなんだからどうにかしろ」
「あーそーだな。お前はそういう悩みがないみたいで羨ましいぜ」
「お前が無駄にでかいだけだろ。俺は平均的だ」
「もぉ~っ! 二人ともうるさいよぉ! これじゃ寝られない!」
 二人が口喧嘩を始める中、シーラがガバッと起き上がり、不満の声を上げる。
「そうかぁ? 少なくともミオは平気みたいだぜ」
「へ?」
 シーラの気の抜けた声が私に向かって聞こえてくる。けれどすでに私は瞼を閉じ、この騒がしくも心地よい空間に安堵していた。久しぶりに実家で寝ているような、そんな暖かさを感じながら。
 

 

港町ポルトガ

「うわあぁぁ!! キレイ!!」
 早朝。夜明け前に出発した私たちは、港町ポルトガに向かうため、海岸沿いの街道を歩いていた。
 やがて東の空がオレンジ色に染まり始めると、果てしなく広がる水平線が眼下に見えた。水面はキラキラと光り輝き、朝を待つ鳥たちが勢いよく飛び立っていく。
 海から昇る日の出を生まれてはじめて見た私は、思わず歓喜の声をあげた。
 ナギも海をみるのは初めてらしく、目を輝かせながら日が昇っていく様子を眺めていた。
「海ぐらいで何バカみたいにはしゃいでるんだ」
 なぜかうんざりした様子でこちらを見るユウリ。
「ユウリは海は初めてじゃないの?」
  てっきりアリアハンから出たことないのかと思ったのに。
「小さい頃からクソジジイに無理やりアリアハンの近くの海に引っ張り出されて、魔物退治の修行をさせられてたからな。むしろトラウマだ」
「そ、そうなんだ」
  思いがけずユウリの過去を知ることが出来たと同時に、小さい頃からそんな大変な境遇にあっていたということに同情してしまった。ユウリのおじいさんって、いったいどういう人なんだろう。
  それに、なんで旅に出る前にレベル30まで上がっていたのか、謎が解けた。そりゃ小さい頃から魔物を実際に退治してれば、強くもなるのだろう。
「いつまでも突っ立ってないで、早くポルトガに行くぞ」
「あっ、そうだった」
  そうユウリに急かされ、我に返る私。ボーッとしてるナギに呼び掛けながら、私たちは旅路を急いだ。



  お昼過ぎになってようやく私たちがたどり着いたポルトガの町は、昔から港町として栄えて
おり、他国との交易も盛んに行われていた。
 また造船技術も進んでおり、船に関する職業に就いている人口は、ユウリ曰く、町の四分の一にもなるのだとか。
  海岸沿いに作られた港には、通常なら多くの商人や船乗りで賑わっているのだが、鎖国状態の今では閑散としていた。
  主に魚介類を売っている市場もアッサラームのような活気は感じられず、寂しい印象を受ける。
「本当ならもっと賑やかだったんだろうね」
 名残惜しそうに私が言うと、
「そうだねえ。でも、酒場にいったらここより人はいっぱいいると思うよ♪」
 と、横にいたシーラが瞳を輝かせながら答えた。
「いや別にそういうところに行きたいわけじゃないから!」
  危ない危ない。もう少しでシーラの酒場に行きたい(=お酒飲みたい)アピールに引っ掛かるところだった。
 どことなく残念そうなシーラを尻目にしながら私は気を取り直し、お城へと向き直る。
 綺麗に整備された並木道を通り抜けると、その先にはレンガ造りの大きな橋がかかっていた。橋の下には海へと続く大きな川が流れており、橋から川までは結構な高さがある。
  本来ならこの橋を通る人もたくさんいたんだろうけど、今は私たちを含め数人程度しか往来していない。
  橋を渡った先には、左手に定期船の発着場、道を挟んだ右手には私たちの目的地である、ポルトガ城がある。ちらっと発着場の入り口を見たが、やっぱり『当面の間運休中』との看板が掲げてあった。
  落胆しつつも先に進むユウリの後をついていく。ユウリが近くにいたお城の衛兵に声をかけると、その衛兵は慌てた様子でお城の中に入っていった。
「どうしたの?  なんかあった?」
  私が尋ねるが、ユウリも思い当たる節がないのか、首をかしげた。
「知らん。俺が勇者だと言ったら、王様の話を聞いてもらえるかを聞かれた」
「え、またそのパターン?!」
  この似たような展開は、つい最近ロマリアで起きたことを思い出した。思わず私は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「まさかまたどっかの盗賊から何かを取り返してくれないか、とか言うんじゃねーだろうな?」
 ナギも私と同じことを思ったのか、心底嫌そうな顔で言う。
「俺が勇者だと知って皆頼るのはわかるが、こう毎回振り回されると魔王討伐に支障を来すのは時間の問題だな」
  ユウリも度重なる頼み事に、いい顔を示してはいないようだ。
「でも、逆に船を借りられる絶好のチャンスかもしれないな。条件にもよるが」
  確かに、頼み事を引き受ける代わりに船を借りられるように交渉出来るかもしれない。
 まあそれは、頼み事の内容にもよるけれど、一国の王が困ってるってことは、簡単には解決できない問題なのだろう。交渉次第ではなんとかなるのかもしれない。
 ほどなくして、さっきの衛兵が戻ってきた。そして、是非王様にお会いになってくださいといいながら、私たちを城内へ案内した。



「よくぞ参られた! 勇者殿!」
  そう言って歓迎してくれたのは、王様ではなく隣にいた壮年の男性だった。おそらくこの国の大臣だろう。王様は玉座には座っておらず、この場にいるのは大臣だろう男性と私たち、そして数人の衛兵のみである。
「王は今話をできる状況ではないのでな。わしが代わりに話を致そう。わしはこの国の大臣であるが、今は王の代わりに政を行っている。この国に関して聞きたいことがあれば、何なりと聞くがよい」
  その話を聞いて、私たちはお互い顔を見合わせた。そしてユウリが一歩前に出て口を開く。
「では、早速ですがお聞きしたいことがあります。諸外国との交易を禁止したとの話は聞いております。ですがなぜ今、関所を封鎖したのでしょう? それほどまでに急がれた理由とは?」
  ユウリの問いに、大臣は周囲を見渡しつつ、困ったように答えた。
「うむ。それはだな。我が国に輸入されてくる『黒胡椒』がここ何日か届かなくなってな。調べたところ、輸入元であるバハラタにその黒胡椒が入荷されていないらしい。そうなると我が国の経済が立ち行かなくなる恐れがあるのでな。一時的だが他国との交易を禁止することにしたのだ。それと、……あまり大きな声では言えぬのだが、最近魔物の動きが活発化してるとの噂でな。どうやらどこかの国に、魔物が人の姿に化けて送り込まれたらしいのだ」
「魔物が送り込まれた……?  それは本当なのですか?!」
「いや、定かではないが、そういう噂を流している者が複数いるのでな。全くの嘘だとは言い切れぬ。だが急に鎖国状態にしてしまえば諸外国に要らぬ混乱を与えることになるだろう。そこで判断したのが輸出入制限であった」
「なるほど。輸出入制限は表向きで、本来の目的は魔物を国に入れないようにするための防衛策というわけですか」
「ああ。これが我が国を守る最大限の施策なのだ。おそらく勇者殿にも思うところはあるだろうが、自国のために多少の犠牲はやむを得ん」
「その考えはもっともであり、私が口出しするようなことではありません。ただ私どもも関所が封鎖する前にここへ来れたからまだ良かったのですが、あまりにも急すぎて商人たちが暴動などを考えないかが心配です」
  さりげなく関所を勝手に通ったことを誤魔化すユウリ。私は一瞬ヒヤヒヤしたが、大臣の様子を見る限りバレてはいないようだ。
「それに関しては、ルーラかキメラの翼で我が国を訪れる際には問題ないとしている。一度我が国に訪れたことがあるなら、魔物である可能性はないだろうからな」
  つまり、初めてポルトガを訪れる人は入れなくて、もとからポルトガを行き来してる人はルーラかキメラの翼で入れるってことだろうか。
「なるほど。それなら大丈夫ですね」
  ユウリも納得したような顔で頷いていた。
「ところで、ここに訪れる際に聞いたのですが、王様の頼みと言うのは一体何のことでしょうか?」
  ユウリが尋ねると、大臣の顔がぱっと輝いた。
「おお、そうだった!! 実はな、先ほど話に出た『黒胡椒』に関係があるのだ」
 急に大臣が身を乗り出してきたので、ユウリは思わず後ずさる。小さく咳払いをしたあと気を取り直し、話を進めた。
「すいません。その『黒胡椒』と言うのは、どういうものなのですか?」
 そうそう、それは私も知りたかった。ユウリも知らないってことは、一般的に出回ってるものじゃないのだろうか?
「そうか。お主たちは知らないのか。『黒胡椒』はいわゆる、塩とか砂糖などと同じ、調味料の一種でな、王はこれを使った料理が大層好きなのだ。我が国にこれを輸入することになったのも、もともと王が気に入ったからでな、毎日のように召し上がっていたのだが、先ほど述べた通りそれが入手できなくなり、政務をするどころではなくなったのだよ」
  えっと……それってつまり、大好きな食べ物が食べられなくなって、仕事が手につかなくなったってこと?
  一国の王様がそんな理由で仕事を投げ出すなんて、そんなんでいいのだろうか?
  ユウリですら、何とも言えない表情になっているではないか。
「あの、恐れ入りますが、『黒胡椒』というのは、それほどまでに夢中になれる食べ物なのですか?」
「うむ。それはわしも胸を張って言える。一度食べたら病みつきになる、ある意味恐ろしい存在だな」
  大臣も食べたことがあるのか、頷きながら答えた。
「だが一般庶民にはまず縁のない話だ。何しろ胡椒一粒で黄金一粒が買えるくらい価値のあるものだからな」
「胡椒一粒が、黄金一粒……!?」
  ユウリはそれがどのくらいの価値なのか知っているのか、愕然とした表情になった。
「ねえ、黄金一粒ってどれくらいの値段なの?」
「んなもんオレが知るわけないだろ」
  私はナギに耳打ちするが、彼も知らないようだ。
「んとね、今だと、金が一粒あれば一年は食べるのに困らないんじゃないかな」
『ええっ!!??』
  シーラの言葉に、思わず驚きの声をあげる私とナギ。ユウリがこちらを睨み付けるが、あまりの衝撃にこれ以上言葉が出ない。
  そんなものを毎日食べてるの!? 一般庶民の私には信じられない話だ。
「おっと、話が逸れてしまったな。それで、黒胡椒が手に入らなくなった原因を調べるために、数組の冒険者に頼んだのだが、音沙汰がなくてな。勇者殿にも、バハラタへ行って黒胡椒を手にいれてきてほしいのだ」
  ユウリはしばらく思案したあと、こう言った。
「……わかりました。私も黒胡椒とやらに興味があります。ですが、条件があります」
「む、何だ?」
「もし黒胡椒を王に届けることが出来たなら、そちらで所有している船を一隻貸していただきたいのです」
「おお、船の一隻や二隻くらいいつでも貸すぞ!  何なら航海士も数人用意するわい」
  随分気前のいいことを言う。それほどまでに黒胡椒が欲しいのだろうか。
「ありがとうございます。必ずや黒胡椒を手に入れて見せます」
「良く言ってくれた!!   もし手にいれることができれば、代金はあとで別の使いの者に届けさせるつもりだから安心してくれ。あと、店の者にこれも渡してくれ。宜しく頼むぞ、勇者殿!!」
  大臣から何やら書状のようなものを受けとると、深々と頭を下げる私たち。挨拶を済ませ帰ろうとするのを、大臣が何かを思い出したかのようにあわてて止めた。
「おっと、すまん!   大事なことを忘れておった。バハラタに行くには、アッサラームの北にあるバーンの抜け道を通らなくてはならんのだ。バーンの抜け道はホビット族のノルドが管理しておってな、彼の承諾がないと通れんのだよ」
「どうすれば承諾を得られるのですか?」
「ノルドは人間嫌いではあるが、我が王にだけは信頼を置いていてな。王の頼みとあれば、喜んで通らせてくれるだろう。暫し待っておれ。今から王に直筆の手紙を書いていただく」
 そう言うと大臣は、自ら王の部屋に向かっていった。そしてしばらく経ったころ、大臣は封筒を手にしながら小走りに戻って来た。
「こっ、これを、ノルドに渡して、もらえんか? きっと、許しを、得られるだろう」
 大臣はぜえはあ言いながら、呼吸を整える。そんなになってまで急がなくても……。大臣の体調が心配になってくる。
「わかりました。吉報を届けられるよう、全力を尽くします」
「うむ、待っておるぞ!」
  期待に満ちた目で私たちを見送る大臣。ひょっとして大臣も、黒胡椒の虜になっているのだろうか? 部屋を出るまで思い切り手を振っていた彼の姿を見て、私はそう思わずにはいられなかった。



「でもさ、意外と簡単に船が借りられそうでよかったね」
 お城を出たあと、再び大通りへと続く大きな橋を渡りながら、私は前を歩くユウリの背中に向かってそう言った。
 すると、彼は重い空気を放ちながら陰鬱な表情でこちらを振り向く。
「どこが簡単なんだ?!   これならあのクズ盗賊を倒しに行く方が何倍も楽だろ!」
 クズ盗賊というのは、おそらくシャンパーニの塔にいたカンダタのことだろう。
 確かにレベルの高いユウリなら盗賊を倒すくらい造作もないだろうけど、凡人の私にとっては多少遠くてもおつかいに行く方が遥かにマシだ。
「……もしかしてユウリ、機嫌悪い?」
「当たり前だろ。いつ入荷するかわからん物を買いに行かせるなんて、無茶を言うにも程があるぞ」
 うん、まあ、そうなんだけどね。ロマリアといい、ここの国といい、王様っていうのは多少個性的でないと務まらないのだろうか。
「まあまあ、もうお昼になるし、ユウリもお腹すいてるからイライラしちゃうんだよ。どこかで食事でもして、一休みでもしようよ」
「お前に言われなくてもそのつもりだ!  昼食が済んだらアッサラームに行くぞ!」
  ああ、どうやら火に油を注いでしまったらしい。激昂したユウリは私に散々文句をいうと、勝手についてこいと言わんばかりの態度で近くにあった食堂に入っていった。
「相変わらず感情と理性のバランスがおかしいよな、あいつ」
  ユウリに聞こえない程の声で、ぼそりと呟くナギ。思わずそれに私も同調する。
「ミオちん、どうしよう。ここでお酒飲んだら、アッサラームで飲む分のお酒が入らないかも」
「そんな心配しなくていいから。ていうかノルドさんのとこに行くためにアッサラームに行くだけだから、町には寄らないと思うよ?」
  シーラも相変わらずだったが、このやりとりでも思わずホッとしてしまった私であった。


 

 

ノルドの洞窟

 お昼を済ませ、早速ユウリの呪文でアッサラームに向かうと、なにやら物々しい雰囲気に包まれていた。
 商人の町とは言うが、これほどまでに商人たちでごった返している風景を見たことがない。
  しかも人々が忙しなく動き回っている様は、活気があるというより、皆焦燥感に苛まれているという感じに見える。
  つい先ほどまで訪れていた時とは全く違う町の様子に、私たちは町の入口に突っ立ったまま、面食らった顔をした。
「なんか……前来たときより雰囲気違くねーか?」
  ナギが戸惑いながら呟く。
「だよね?   やっぱりそう思ったの私だけじゃなかった!」
「あたしの知ってる町じゃない!   こんなの初めてだよ!」
  シーラも辺りを見回しながら疑問の声をあげる。
「もしかしたら、ロマリアの関所の急な封鎖で、ポルトガに行く商人達がここで足止めを食ってるのかもな」
  ユウリの一言に私は得心した。そっか。私たちは魔法の鍵で通れたけど、普通の人は通れないんだった。急にポルトガで商売が出来なくなったから、困ってるんだ。
「きっとここもじきに混乱するぞ。今はあまりここに立ち入らない方がいいかもな」
  ユウリの意見に、私たちはそろってうなずく。と、その時だった。
「あらやだ、誰かと思ったら、ユウリくんたちじゃない!」
  はっ! この声は?!
 なぜかつい身構えて、私たちは声のする方を振り返る。
 すると、予想通りの人物が驚いた様子でこちらに向かって手を振りながら近づいてきた。ただひとつ予想と違うのは、彼が身に付けているのがバニースーツではなく、立派な鎧姿だということだ。
「アルヴィスさん?!  どうしたんですか、その格好!?」
 いや、逞しい体つきの大柄な男性の鎧姿なんて、普通に見ればなんら違和感などないのだが、相手がアルヴィスさんだと、何かただならぬことが起きているのではないかと心配になってしまう。
「実はね、この町に非常事態が起こってしまったの。聞いてるかしら、ポルトガが輸入規制が行われたこと」
「ああ。今関所が通れないらしいな」
  さすがに今ポルトガから来ました、とは言えず、適当に受け流すユウリ。
「そのせいで、こっちにたくさんの商人が集まっちゃってね。治安も悪くなってきてるから、急遽アタシたち元冒険者が警備や護衛をすることになったの」
  人が多くなればそれだけ揉め事も多くなる。それに元戦士で、ユウリのお父さんであるオルテガさんと共に魔王討伐の旅に出たこともあるアルヴィスさんなら、町としても頼もしい限りだろう。
  けれど当の本人は、不服そうだ。
「でも、アタシとしては、ビビアンみたいに歌や踊りで町の人を癒す方に回りたかったんだけどね」
 聞けば、ビビアンさんや劇場の人たちも、普段の仕事のほかに、ボランティアで興行を行っているらしい。アルヴィスさんだけじゃなくビビアンたちも彼女なりの方法で、町の人のために色々なことをしているということだ。つまり、この町が今いかに大変だというのが窺える。
「ま、今はそんなこと言ってる場合じゃないんだけどネ。……あらやだ。あんなところにスリの集団がいるワ★ 捕まえちゃおうっと」
 話し込んでる間に犯罪者を見つけたアルヴィスさんは、まるでその辺にいる蝶々を捕まえに行くようなノリで群衆に突っ込んでいく。
 ほどなくして、生気を失ったスリの集団を引き連れたアルヴィスさんが、いつもと変わらない笑顔でこちらに戻ってくるのが見えた。
  それはさながら掘った芋づるを引きずっているようだった。
「ちょっとこのコたち連れてくから、ここでお別れするわネ。アナタたちも、巻き込まれないうちにこの町を出た方がいいワ。それじゃあね☆」
 一体どこへ連れていく気なんだろう。言い知れぬ不安をよそに、アルヴィスさんは爽やかに去っていった。
「……とりあえず、あいつの言うとおり急いでここを出た方が良さそうだな」
  色々考えることを放棄したのか、投げやりな様子で言い放つユウリ。
  何はともあれまず向かうのは、バーンの抜け道があるという、ノルドの洞窟。
 私たちは王様の依頼を達成させるため、アッサラームには寄らず、第一の関門であるノルドの洞窟へと向かうことにしたのだった。



  アッサラームを離れた私たちは、すぐにその北にある洞窟へと足を運んだ。思ったほど遠くはなく、半日ほどでたどり着けたのは幸いだった。
 洞窟はそこかしこに明かりが点っているのか奥に進んでもなお明るく、開けた場所に出るとそこは居住空間となっており、ベッドやテーブル、本棚などが揃えられていて、生活するには十分な広さを保っていた。
 どうやらここに、ポルトガ王の知人であるノルドさんがいるらしい。
 どこからが玄関なのかがわからないので、取り敢えずノルドさんを探すため辺りをうろうろする私たち。けれど、ホビットらしき姿は見当たらない。と言っても、そもそも今までホビット族を見たことがないので判断する術がないのだが。
「本当にここにノルドってやつがいるのか?」
 目の前にあるテーブルの下を覗き込みながら、ナギが不満を漏らす。
「こんなところに居住スペースを作るのは、ホビットくらいなもんだろ」
「ユウリはホビットのこと知ってるの?」
「文献でしか知らないがこういう種族だろ、確か」
「えー?  それって実際に会ってみないとわかんないじゃない」
 ホビットを完全に色眼鏡で見ているユウリの発言に、私はつい反論する。
 ユウリも半分冗談で言ったのか、これ以上はなにも言わなかった。
 すると、入り口とは反対の方から、何やら足音が近づいてきたではないか。振り向くと、私たちより頭二つ分ほど背の低い、髭を蓄えた小柄な男性がこちらを見て立っていた。
「勝手にわしの家に入り込んで、旦那方は一体なんだね?」
「俺は勇者のユウリだ」
 きっぱりとそう言われ、一瞬ぽかんとする男性。そもそも、向こうから見れば私たちは完全に不法侵入者だ。私は補足するように、あわてて自己紹介をした。
「勝手に入ってしまってすいません! 実は私たち、本当は魔王を倒す旅をしてるんですが、わけあって黒胡椒を買いにバハラタまで行きたくて、ノルドさんなら抜け道を知っているという情報を聞いてここへ来たんです。ひょっとして、あなたがノルドさんですか?」
「確かにわしはノルドだが……、ここはあんたらみたいな怪しい連中が簡単にバハラタを行き来できないよう、管理も兼ねて住んでいる。おいそれと通すわけにはいかん。さあ、帰った帰った」
 そう言って、睨み付けるように私たちを追い出そうとするノルドさん。
「おいホビット。俺たちはポルトガの王から直々に書状をいただいた。お前に渡すようにとな」
 ユウリが一歩前に出て、懐から書状を取り出す。追い払われて機嫌が悪いのか、無造作にその書状をノルドさんに渡した。
「むっ?!  これは……確かにあいつのサインだな。何々、『親愛なるノルドへ』……」
 手紙を受け取ったノルドさんは、不承不承ながらもそれを開いた。そして、読み進めるうちに、険しかった表情が徐々に変わっていく。やがて読み終えると、書状を折り畳み、こちらに向かって一礼した。
「さっきはあらぬ態度をとってすまんかった。まさかわしの親友からの依頼でここに来たとは思わんかった。なにせついこの間、故郷に帰るという怪しげな旅の一座をうっかり通らせてしまったからの。疑心暗鬼になっておった。手紙の内容通り、あんたらに抜け道を教えてあげよう」
「怪しげな旅の一座?」
 ユウリが眉をひそめて尋ねる。
「ああ。十人くらいの、全身黒ずくめの連中だった。各地を巡業しているとは言っていたが、今思えば疑問に残る点は色々あった」
 確かに、いきなり見知らぬ黒ずくめの集団が現れれば、間違いなく不審に思うだろう。けど、どうしてノルドさんは彼らを通してしまったのだろう。
 なんて思っていたら、ユウリが口を開いた。
「大方、一座の一人に病気の親がいて、その親が危篤だとかの知らせを受けたからすぐにでも通らせてくれ、とか言ってたんだろ」
「な、なぜわかった?」
 驚いたノルドさんを尻目に、小さくため息をつくユウリ。
「怪しさのテンプレートみたいな連中だな。そいつらの正体や目的はわからないが、バハラタに行ったら注意しなければならないな」
 ユウリがそう言うと、ノルドさんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「ううむ。わしのせいで厄介ごとを増やしてしまったようだな。すまん」
 謝るノルドさんに、別段気にする風もなく肩に手を置くナギ。
「あんたが気にすることじゃねえだろ。ま、本当かも知れねえし、俺たちの目的に関わることでもないだろ」
「そーだよ!  もし何かあってもユウリちゃんが何とかしてくれるし、大丈夫大丈夫☆」
 シーラも明るく言い放ち、ノルドさんを励ました。
「そう言ってくれると気が楽になる。本当にすまんかった」
 二人の励ましにいくらか立ち直ったノルドさんはもう一度お礼をいうと、洞窟の奥にある細い通路に私たちを誘った。あとに続いて歩きだすと、彼は話を続けた。
「わしとポルトガの王とは古くからの付き合いでな。あいつに頼まれてこの辺り一帯の水路を作ってやったりもしたんだ」
 そういえば、雨の少ないアッサラームでも大衆浴場があったり、いろんな場所で水が使えたりしたけれど、それってノルドさんのおかげだったんだ。
「最近めっきり音沙汰なかったが、あいつに会ったんだろ?   元気にしとったか?」
「いや。会ったのは大臣だけだ。この書状も大臣から手渡されただけだから直接は会っていない」
 ユウリが正直にいうと、ノルドさんの表情が曇る。
「なんと!  まさか病気か?  しかし、手紙を書けるだけの元気はあるようにみえるが……」
「ふん。お前がバハラタまでの道を案内してくれれば元気になると大臣は言っていたぞ」
 ユウリのその言葉を聞いて、一瞬ぱっと顔が明るくなるが、それは一体どういうことなのかと首を傾げる。
「よくわからんが、とにかく旦那方をバハラタまで案内すればあいつが元気になるんだな? ならここで待ってくれ」
 たどり着いたのは、行き止まりの壁だった。見たところ人が通れるほどの穴はなく、完全に塞がっている。
 けれどノルドさんはその場から一歩引いたかと思うと、その壁に向かって勢いよく走り出した。
「のっ、ノルドさん?!」
 まさか壁に激突するのでは、と思ったらそのまさかだった。
 激しい衝撃音とともに、ガラガラと土塊が崩れていく。肝心のノルドさんはというと、壁の向こう側の地面に突っ伏していた。
「大丈夫ですか?!   ノルドさん!!」
「大丈夫ー!?」
 私とシーラが壁際に駆け寄ると、ノルドさんは何事もなかったかのようにむくりと起き上がった。
「うむ。ちょっと鼻を擦りむいたが、大丈夫だ」
 逆にそれだけで済んだの!? ノルドさんがタフなのか、それともホビットがタフな種族なのかわからないが、体当たりして抜け道を作るなんて、人間にはなかなか真似できない。
「この崩れた土壁はどうするんですか?」
「勝手に誰かが通るわけにはいかんからな。またあとで修復するんだ」
 ええ!? じゃあいちいち壊しては直してるんだ。でも、水路とか作るくらいだからこういう作業は得意なんだろう。
「ここを通ってまっすぐ進めば、洞窟から出られる。洞窟を出てずっと南に行ったところにバハラタが見えるはずだ」
「本当?  ありがとう、ノルドさん」
 私がお礼をいうと、ノルドさんは白い歯を見せた。
「わしにはこれくらいしか出来んが、また何かあったらいくらでも力を貸すぞ」
「そう言ってくれると助かる」
「ありがとうね、ノルちゃん♪」
「ノルドのおっさんも、体に気をつけろよな」
 それぞれ思い思いに言葉をかけると、ノルドさんは笑顔で私たちを見送った。
「なんか、いい人だったね」
 最初こそ不審者と思い排他的な態度をとっていたノルドさんだったが、事情を話せばわかってくれる人……いやホビットだった。
「変な奴だったけどな」
 相変わらずの物言いのユウリだったが、最初にノルドさんと話しているときと比べると、わずかに表情が和らいでいた。
 ポルトガの王様のことも凄く心配してるようだったし、ここはノルドさんのためにも、なんとしてでも黒胡椒を手に入れなくてはならない。
 私は改めてそう決意し、新たな地へと歩き出した。 

 

グプタとタニア

  洞窟を抜けてからおよそ二週間。
  バハラタまでの道のりは思いの外長く、途中小さな村や町に立ち寄りながらも、なんとか目的地についた。
  町に辿り着くまでのこの二、三日は立ち寄れる村や集落もなかったため、森で食べられる木の実や果物を採取したり、ユウリが呪文で魚や獣をとったりと現地調達をしていたのだが、それでも日中お腹を満たすにはほど遠い量だった。
  なのでバハラタに到着してすぐに向かったのは、町の入り口のそばにある小さなレストラン。
   お昼をとうに過ぎており、店内には私たちの外には誰もいなかった。
  そんなのお構いなしに私たちは、西日が射す窓際のテーブル席になだれ込むように座る。
  そしてナギがすぐさま店員さんを呼び、メニュー表をひらひらと見せながら「ここに書いてあるの全部下さい」と一言言い残すと、そのまま彼はテーブルに突っ伏した。
「あ、あのー、メニューに書いてあるもの、全部ですか?」
 どことなく気弱そうな男性店員さんが信じられないような様子でメニューを聞き返すが、しゃべる気力もない私は、無言で何回も首を縦に振る。
 あわてて厨房に戻る店員さんを眺めながら、私もナギと同じようにうつ伏せになり目を瞑った。
「お前ら……この程度の飢えで力尽きるなんて、根性がないにも程があるだろ」
  顔を上げると、向かいに平然と座るユウリが呆れた様子でこちらを眺めている。その隣にいるシーラも意外と平気な顔で、注文したお酒を早速飲み始めている。その様子に、私は思わず疑問の声を漏らした。
「えぇ……。なんで二人ともそんなに普通にしてるの?」
「うーん。もともとあたし、そんなに食べなくても平気だからかな?  その分お酒は欲しくなるけど」
「単純にお前らの胃袋が大きいだけなんじゃないのか?」
「でも、私よりユウリの方がよく食べるよね」
  なにしろエマが作ったあの量を一人で食べるくらいなのだ。
  この中で一番の大食漢は実はユウリなのに、なんでこんな空腹状態に耐えられるんだろう?
「俺は昔からこういう状況に慣れてるからな」
「どういうこと?   テント暮らしでもしてたの?」
「……昔ジジイに山に放り出されたとき、一ヶ月山から出られないときがあった。たしかあれは七歳の頃だったな」
「ななさい?!」
 そんな小さい頃から過酷なことをさせられていたなんて、ユウリのおじいさんってどういう人なんだろう?
「それって、勇者だからそういう修行をしてきたってこと?」
「……ああ、そうだな。少なくともあのジジイはそのつもりだったんだろうな。俺が二、三歳のときに親父が家を出るまでは、ただの耄碌ジジイだったんだが」
 そう言うと、ユウリの表情がわずかに陰る。お父さん、つまりオルテガさんが家を出たということは、魔王を倒すための旅に出たということなんだろう。
  私は無意識に、これ以上この話をしたらいけないと感じ、口を噤んだ。
「お、お待たせしました。こちら熱いのでお気をつけてください」
 そこへ、絶妙なタイミングで店員さんが食事を運んできてくれた。だが、両手に収まりきらないほどのたくさんの料理を持ってフラフラとテーブルの前に近づいたとたん、店員さんは足を床につまづき転んでしまった。
 ガッシャーーーン!!
 当然のことながら、手にしていた料理は全て床やテーブルへとダイブした。最初に出そうとしていたパンとスープ、サラダは弧を描き、窓の向こうの西日に照らされながら無惨な姿となる。
 さらに、激しい物音に起こされて思わず顔をあげたナギに、出来たてのスープが降りかかったではないか。ナギは悲鳴をあげたあと、急いで手近にある水の入ったグラスを掴むと、頭から水を浴びた。
「おいコラ!!  何するんだよ!!」
 頭に火傷をし、さらにスープと水をかぶってびしょ濡れになったナギは、怒り心頭で店員さんの胸ぐらを掴み詰め寄った。店員さんは青い顔をしながら、「ごめんなさい!」と何度となく謝った。
「ナギ、わざとじゃないし、もう許してあげて。ねえユウリ、ナギに回復呪文かけてあげてよ」
「こんな下らないことにMPを消費したくはない」
  ああ、そういう人だった、この人は。
  私は店員さんからタオルを貰い、ナギの頭や体を拭いてあげた。
「本当に申し訳ございません。また新しいのをお持ちします」
 そう言うと、そそくさと厨房の方に戻っていく店員さん。するとそこでも、料理人の人に強く怒鳴られていた。
 耳を立てて聞いてみると、どうやらあの男性店員は数日前に雇われたばかりの人らしい。道理で不馴れなわけだ。
 しかも、その理由が、前に働いていた若い女の人が急に行方不明になってしまったからだとか。
「女性が行方不明か……」
 ユウリはそう低く呟くと、何か心当たりでもあるのか、難しい顔をした。
「あの店員に詳しい話を聞いてみるか」
 そう言って席を立ったとたん、店の外から悲鳴のような声が聞こえた。
「なっ、何だ今の声?!」
  驚いたナギが、声のした方に顔を向ける。酔いが回っているシーラも、何事かとキョロキョロと辺りを見回した。
「行くぞ」
  そう短く言い残すと、イスから立ち上がったユウリはすぐに店の入り口へと向かう。私たちも、急いでユウリのあとを追うことにした。
「誰かぁ!!  助けて下さい!!」
 外に出て、誰かの叫び声が聞こえる方へ走り出すと、町の真ん中を流れる川の畔で声を上げる青年と、老人の姿が見えた。
「あのー!!   どうしたんですか!?」
  私が大声で呼び掛けると、二人は一斉に振り向き、私たちが走り寄ってくる姿に気がついた。
「旅の人!!  タニアを……青い髪の女性を見かけませんでしたか!?」
「タニア?   その女性がどうかしたんですか?」
「人買いに拐われたんです!!」
『人買い?!』
物騒な言葉に、私たちは驚きを隠せずにいた。
「ここに来る途中は見ていない。おそらく逆方向だろう」
「そんな……。それじゃあタニアは……」
 ユウリの話を聞いて、弱々しい声を放ちながら地面にへたりこむ青年。見たところ二十歳過ぎのやや細面の男性だが、今はショックで顔面蒼白になっている。
「おい、お前はその女が拐われたところを見たのか?」
「……一瞬ですが、見ました。僕が、もっと早く彼女のもとに向かっていれば……!! 」
  ユウリの問いに青年が答えると、その時の状況を思い出したのか、彼の目から涙が溢れだす。怒りと悔しさからか、彼は地面を拳で叩いた。
「グプタよ。今は嘆くより、旅人さんに事情を話す方が先じゃ」
傍にいた老人に諌められ、グプタさんはゆっくりとその場から立ち上がる。
「……お見苦しいところをお見せしてすいません。僕の名はグプタ。こちらにいるのが、彼女の祖父のマーリーです」
 そう言うと、マーリーさんは一礼した。
「俺はユウリ。魔王を倒す旅をしている」
「魔王……!?   では、あなたがあの……!!」
「ということは、あなたが伝説の勇者様なのですね!?」
  ユウリの素性に、二人は歓喜の声を上げた。
「それより、詳しい状況を教えろ。誰に連れ去られたんだ?」
  しびれを切らしたユウリが話を促す。グプタははっと気づいたあと、あわてて話し始めた。
「すいません。ええとですね、僕たちはここで待ち合わせをしていたんです。けれど、ちょうど僕が待ち合わせ場所に到着する手前で、突然覆面姿の男が現れて、すでに待っていたタニアを連れ去ってしまったんです」
「覆面……。まさかね」
その言葉に、嫌な思い出がよみがえる。シャンパーニの塔にいた、変態じみた格好をしたカンダタと言う盗賊と戦ったことを。
「この辺りは大きな川が流れているが、近くに橋はない。泳いで渡るには流れが早すぎるし、向こう岸の方に逃げ込んだのは考えにくい。そうなると、南の方には行ってないか……。だがそれだけで場所を特定するのは難しいな」
 一人ぶつぶつと呟くユウリ。闇雲に探しだすのは無謀だが、かといって場所を特定できるほどの情報は少ない。
「その辺に目撃者がいないか探してみるか。おいバカザル。お前は反対側に行ってさっと聞いてこい。俺はこっちを探す」
「はあ!?  なんでんなことお前にいちいち……」
「残りの二人はここで待ってろ。可能性は低いが、もしかしたら犯人がまた戻ってくるかもしれないからな」
「わ、わかった!」
「はーい♪」
  そう手短に言うと、ユウリは近隣の家が建ち並ぶ住宅地へと走り出した。ナギもぶつくさ文句を言いながらも、ユウリとは反対の方向へ駆け出した。
「さすが勇者様じゃ。早速わしらの願いを聞いてくださる」
  感動にうち震えた様子で、マーリーさんはユウリに感謝している。けれど隣にいるグプタさんは、未だ苦悩の顔を滲ませている。
「確かに勇者さんに頼むのが確実とは思うけど、元はといえば僕が彼女を守れなかったのが原因だ。……ごめん、皆さん!   僕は僕の手で彼女を救い出します!!」
「え?!  ちょ、ちょっと待って!  グプタさん!!」
 慌てて私が制止しようとするも、タニアさんのことで頭が一杯のグプタさんは、私の足では追い付けないほどのものすごい早さで走り去ってしまった。
「おーい!!  バカなことを考えるな!!  グプター!!」
 マーリーさんも呼び戻そうと声を荒げるが、グプタさんの耳には届かなかった。
「まったく……。勇者様に任せておけばいいものを……。将来あいつに店を任せようと思っていたが、このままでは……」
「マーリーさんの店を、グプタさんに継がせる予定だったんですか?」
「ああ。わしの店は世界でも珍しい『黒胡椒』の専門店じゃからな」
『黒胡椒?!』
 思いがけない発言に、私とシーラはたまらず声を上げる。
「じゃが、最近店の黒胡椒が盗まれる被害にあってな。今は店を閉めておる」
 そっか。だからポルトガに黒胡椒が入ってこないんだ。
「きっとタニアを拐った奴と同じ奴に違いないんじゃ! なんでわしばっかりがこんな目に……」
そう言うと、マーリーさんは顔を手で覆い、泣き崩れてしまった。
「マーリーさん。タニアさんは私たちが必ず救い出してみせます。だから、安心してください」
「そーだよおじーちゃん! ウチのユウリちゃんはスゴいんだから!」
 私とシーラは、意気消沈しているマーリーさんを必死で励ます。
 やがて、ちょうど同じタイミングで二人が戻ってきた。
「あれ?  グプタってやつはどこ行ったんだ?」
 ナギの問いに、私とシーラは今あったことを説明した。すると、無表情のユウリの顔に血管が浮き出て来るのがわかる。
「なんでお前らがいて止めなかったんだ!!」
「だって、ものすごい早さだったんだもん!  それに犯人がまたここに来るかもしれないって思ったから、迂闊に動けなかったんだよ」
  私が泣きそうな顔で訴えると、ユウリも自分がここにいろと言ったからだろうか、これ以上何も言わなかった。
「もういい。聞き込みもしたが、誰も当時の状況を見てるやつはいなかった。近くに怪しい場所があるかも聞いてみたが、誰も知らないようだ」
「オレも。というか、もともと人通り少ないし、悲鳴が聞こえたときにはもうタニアさんはいなかったみたいだぜ」
 ナギの報告により結果が得られなかったことに、ユウリは嘆息した。
「仕方ない。しらみ潰しに探すしかないな」
 彼の言葉に、辺りに重い沈黙が流れる。多少なりとも罪悪感を感じた私は、なんとかこの状況を打破しようと、必死に頭の中で考えた。そして、ふと一瞬脳裏に光が宿る。
「ねえ、私に考えがあるんだけど……」
 私の提案に皆が耳を傾ける。そしてその考えを聞いたとたん、いきなりナギが凄まじい形相で声を荒げた。
「バカか!!  そんなことやったらお前の身が危ないだろ!!」
 まさかナギにバカと呼ばれるとは思わなかったので、私は面食らってしまった。
「ご、ごめん。でも、しらみ潰しに探すより、こうした方が確実じゃない?」
「だからってそれは……だめだ、同意できない」
「でも、今こうしてる間にも、タニアさんがいつ危険な目にあうかわからないじゃない!   私は武術があるから大丈夫だけど、タニアさんは普通の女性なんだよ?」
「それは……」
  私の説得に、ナギは拳を握りしめながらも言い澱む。
「……時間がない。お前がいいなら、その作戦で行こう」
「!  うん、わかった!」
 ユウリの鶴の一声に、私はすぐさま了承した。
「……あーもう、わかったよ!!  その代わり、お前に何かあったら必ず助けるからな!!」
「ありがとう!」
  身の頭を乱暴にかきむしり、不承不承ながらもそう言い放つナギ。
「おい、ジジイ。あんたにも協力してもらうぞ」
「……??」
  ユウリが戸惑うマーリーさんに声をかける。
「大丈夫です、きっとうまくいきますから!! 安心してください!!」
「そ……そうか! なら、君たちにすべてを委ねるとしよう」
 私が必死に励ますと、マーリーさんは納得したようだ。
「そうと決まれば、急いで準備するぞ」
 時間を惜しむかのように、ユウリが主導する。
  こうして、タニアさん救出作戦が始まった。 

 

タニア救出作戦

 赤く染まった夕焼けが、建ち並ぶ家々の壁にゆっくりと沈んでいく中、私たちは再びタニアさんを見失った例の場所で犯人を待っていた。
  うう……。下がスースーする……。
  スカートなんて慣れないものを穿いてるせいか、足元の風通しの良さが気になってしかたがない。
  髪を下ろし、白いカーディガンとピンクのロングスカートを穿いた今の自分の姿は、いかにもどこかの町娘のような格好だ。
 靴もいつもの武闘着に合わせた武骨なブーツではなく、スカートの色に合わせたかわいらしい靴を履いている。正直歩きにくいが、サイズが合っているだけましだろう。
  なぜそんな格好をしているのかというと、端的に言えば『囮』である。
 犯人のいる場所がわからないなら、犯人に連れてってもらえばいい。つまりタニアさんのときと同じ状況になればいいのだ。
  いつもの装備ではないので心許ないが、そもそも武闘家に装備はあまり必要ない。身が軽いほど攻撃も避けやすいので、必要最低限の防御力で十分なのだ。
  それに、ロズさんからもらった星降る腕輪をこっそり腕に身につけている。カーディガンで隠しているのでそれほど目立たないはずだ。
「ねえ、ミオちん。本当に犯人くるかな?」
 私の横で心配そうな顔を向けるのは、長い髪をおさげにして、メイクもいつもより控えめにしているシーラ。
  水色のワンピースを着こなす彼女は、まるで深窓のお嬢様のようだ。
 ちなみに私たちが来ている服は全てタニアさんのものである。マーリーさんの許可を得て貸してもらった。
「うーん、こればっかりは待ってみないとわかんないよ」
 実は最初、私一人が囮になる予定だったのだが、シーラが「ミオちんがやるなら私も!」と言って参加することになったのだ。
  ユウリとナギも、私一人よりは、シーラと一緒の方が安心だと判断したようで、渋々承知してくれた。
「確かにお前一人でいるより、拐われる確率は高いかもな」
 それってどういう意味?!   ってそのときは思ったけど、シーラのお嬢様姿を見てなぜか妙に納得してしまった。
 バニーガール姿のときとは違い、幼い顔立ちの残るその風貌は、思わず守ってあげたくなるほどの儚さと愛らしさを醸し出しており、犯人じゃなくても拐ってしまいたくなるほどだからだ。
 別の危機感も生まれてしまったが、とにかく私たち二人は、拐われたタニアさんの居場所を突き止めるべく、この聖なる川と呼ばれる川の畔で犯人を待つことになった。
 ちなみに、私たちがいる場所から少し離れた物陰には、ユウリとナギがそれぞれ別の場所に隠れている。
「でもさ、ただこうしてじっと立ってるより、なんかしてた方が怪しまれないんじゃない?」
 シーラの言葉に私は考え込んだ。確かにこれじゃ、いかにも拐ってくださいといわんばかりで、逆に罠があるんじゃないかと不審に思われるかもしれない。
「うーん。言われてみればそうかも」
「というわけで、今から恋バナしよう!」
「は?」
  初めて聞く単語に、私は思わず間の抜けた顔で聞き返してしまった。
「つまり、恋愛の話だよ♪  せっかくこういう格好してるんだもの!  やっぱり女子たるもの、恋の話で盛り上がらないと!」
「えー、でも私、恋なんかしたことないし……」
「それじゃあさ、ミオちんはどんな人が好みなの?」
 興味津々で聞いてくるシーラに対し、私はどう対応していいかわからず、しどろもどろになる。
「え~と、あの、その、なんだろう……?」
「一緒にいて、ドキドキしたり、ホッとしたりする人とかは?」
「ドキドキはないけど、ホッとする人ならいたかな」
「誰々?!」
「亡くなった師匠だよ。ずっと師匠のもとで修行をしてたから、家族みたいに安心できる人だったよ」
「そっか……。ごめんね、辛いこと思い出させちゃって」
「私こそごめん。それに、全然辛くなんかないよ。この前幽霊の姿だったけど会えたし」
 申し訳なさそうにシーラが謝るので、私は慌ててフォローする。
「そういうシーラこそ、好きな人いないの?」
「う~ん、アッサラームにいたときは何人か付き合ってたりしたけど、今はいないかな~」
「すごーい!!  シーラ付き合ってた人いたの?!」
「すぐ別れたけどね。やっぱり男は顔じゃなくて中身だよ」
 そう自分に言い聞かせるように、うんうんと頷くシーラ。経験者ゆえの価値観というものがあるのだろうか。
「ミオちん、アッサラームでこの人いいなって思った人はいなかったの?」
「そうだなぁ、大道具の人ですごく鍛えてるなって思った人はいたけど、別に好きだからって訳じゃなかったし……」
  考えれば考えるほど、自分の恋愛スキルの低さが露呈していく。こんなんでいいのだろうか?  私は。
「しょーがない!   この愛の伝道師シーラが、ミオちんに恋愛のイロハを教えてあげよう!」
「お、お願いします!   師匠!」
  なんだかよくわからないが、いきなりシーラの恋愛講座が始まってしまった。



  それから、数十分くらい経っただろうか?
  シーラが「自分が興味のある男の人には変に色目を使ってはいけない」という説明を、私が真剣に聞いていたときだった。
「やぁ、かわいらしいお嬢さん方。ずいぶん楽しそうに話をしてるね」
 私たちの目の前に現れたのは、二十歳半ばくらいの細身の青年だった。
 パッと見た感じ、細い体つきと切れ長の目のせいか女性受けしそうな容姿をしているが、髪の毛が若干ボサボサだったり、服の裾が薄汚れてたりと、所々残念な印象を受ける。
そもそも常日頃から容姿の整ったモテ男たちが隣にいるので審美眼は鍛えられている方なのだ。それにユウリはともかく、ナギでさえも(こう言うと本人には失礼だが)身だしなみには気を付けている方なのだから、二人とも外見に関しては完璧と言わざるを得ない。
  なので彼らを見ていると、どうしても他の男性の方が見劣りしてしまう。
  目の前にいる男性も例に漏れず、私たちから見るとお世辞にも美青年とは言い難い。
  けれどおそらく彼は、私たちをナンパするために話しかけたのだろう。今しがた学んだ、シーラの『ナンパかそうでないかの見分け方』を今の状況に当てはめながら、私はそう推測した。
 普通ならここで適当に話を合わせつつ、誘われそうになったら断るらしいのだが、今回はあえて誘いに乗らなければならない。もしかしたらタニアさんを拐った犯人かもしれないのだ。
「そーだよ♪  お兄さんも一緒にお話しする?」
  シーラがにっこりと笑顔を見せながら青年に尋ねる。彼は一瞬顔を赤らめたが、頭を振って元の表情に戻した。
「本当かい?  なら二人とも、向こうにあるお店で食事でもどうだい?」
 彼が指差したのは、私たちが昼間訪れたレストランだった。
「あそこは肉料理とワインがおすすめなんだ」
「ホント?!  それじゃあ連れてってよ☆」
「ああ、もちろん」
  ワインと聞いて目を輝かせ、青年の腕を絡めるシーラ。その慣れた様子に、私は小さく感嘆の声を上げた。
  二人がレストランに向かって歩きだしたので、私もあとに続く。
 その瞬間――。
「っっ!!??」
  急に後ろから布のようなもので口を押さえられ、羽交い締めにされた。
 ――嫌だ、怖い!!
  なんとなく背後に気配を感じたからもしかしたらと思ったけど、実際にこう言う状況に陥ると、恐怖で頭が真っ白になる。
「今日はツイてるな。上玉がたくさん釣れたぜ」
  耳元で、今まで聞いたことがないほど怖じ気立つような低い男の人の声が響いた。
  囮とはいえ何かしらの抵抗を試みようとするが、布に染み込んだ変な臭いのせいか、思うように体が動かない。その上眩暈はするし、頭もボーッとする。
「やだっ!!  やめて!!   離して!!」
  シーラの切り裂くような細い声が、何度も頭の中でぼんやり聞こえる。
  だめだ、意識が……。これ以上は、何も……。



 このあとの記憶は、ほとんど覚えていない。
 男たちがなにやらいろいろ喋っていたようだが、私は呑気にも完全に意識を失っていたらしい。
 こんな状況になっていても、心のどこかでユウリとナギが助けに来てくれると信じていただろうか。

 でもそれは、自分が敵地へ乗り込むと言う時点で、一番考えてはいけない考え方だったのだ。 

 

バハラタ東の洞窟


「……きて、……ちん、起きて!」
 誰かが体を揺らしている。その揺れが心地よくて、再び意識がなくなりかけたそのとき。
「ミオちん、起きて!」
「!!」
 シーラの切迫した声に、びくりと反応する私。
 瞼を開けると、目の前には心配そうに覗き込むシーラの姿があった。
「シーラ……?」
「うあああん!! よかったよぉ!! 目が覚めて!!」
 言うなりシーラは、がばっと私に思い切り抱きついてきた。
「ど、どうしたのシーラ?! 何かあったの?!」
 彼女の取り乱した様子とは裏腹に、現状が把握できずただおろおろする私。
「だって、あいつらに捕まってから、ミオちん全然起きないんだもん! もしかしたら、このまま一生目が覚めないかもって思って、すっごい心配したんだよ!!」
 そう泣きじゃくるシーラの目は、赤く晴れ上がっていた。それほどまでに私はシーラに心配をかけさせてしまったのか。私はいたたまれない気持ちになり、今度は自分から彼女を優しく抱き締めた。
「心配かけてごめんね、シーラ。一人でがんばったね」
「ううん。あたしは平気。ミオちんが薬で眠らされたあと、ずっとおとなしくしてたから」
 シーラの話によると、私が眠ったあと、男たちはシーラを脅し、そのまま町の外へと私たちを連れ出した。町の外には幌馬車が停まっていて、私たちはその中へ押し込まれた。
 そこにタニアさんはおらず、見張りとおぼしき男が一人いただけで、あとは私とシーラだけだったという。
 ほどなく馬車は動きだし、けして安全とはいえない走り方で、ひたすら東へと向かっていたそうだ。
 やがて馬車は蔦が蔓延る苔むした洞窟へとたどり着いた。木々の生い茂った場所に巧妙に馬車を隠し、私たちは男に連れられ(私は担がれたのだが)、洞窟の奥にあるこの牢屋に入れられた。
 牢屋と言っても、ここは人が二、三人入れるスペースしかなく、頭上に明かりとり用の小さい壁穴が空いているだけである。
「でも、怖かったよね。ごめんね、私がこんな作戦立てちゃったから……」
「ミオちん、自分を責めないで。あたしが囮になりたいって言ったんだもん、そのくらいの覚悟は出来てたよ。それに、ミオちんの作戦がなければタニアさんたちは見つけられなかったよ」
「タニアさん、たち?」
「そう。あのね、タニアさんが拐われてここに連れられたあと、グプタさんもここに拐われてきたんだよ。ここに入る途中、あたし見たの」
 グプタさんの方はひどい怪我をしてたみたいだったけど、と悲しそうに思い返しながら、シーラは言った。
「それじゃあ、ここに二人がいるのは間違いないんだ」
 私は小さく安堵した。グプタさんの状態が心配だが、二人が一緒にいるならひとまず一安心だ。
「でも、ユウリちゃんたちがここに来るまでは結構時間がかかるかも」
 どうやら、ものすごいスピードで馬車は走っていたらしい。いくら足がつかないためとはいえ、乗っている人には地獄のような状況だったという。
 それでも私が起きなかったのは、よっぽど強い薬だったのか、私が鈍いだけだったのか定かではないが、そのせいでシーラに余計な心配をかけてしまったらしい。
「ミオちん、体とか痛くない?」
「うん。全然平気だよ」
 私がガッツポーズをとると、シーラは安心したのか、ようやく笑みをこぼした。
 とりあえず、私は現状を把握することにした。
 明かりとりの窓からは月の光が差し込んでいるので、夜にしては明るい。だが、狭い洞窟の中は、肩を寄せ合わなければ震えてしまうほどの寒さだった。
 牢屋の中には布団用なのか薄い布が数枚、隅の方には用を足すための穴があるだけで、お世辞にも環境が良いとはいえない。
 食事は私が寝てる間に来たと言うが、シーラは警戒していたのか口をつけなかったようだ。
 ああ、そういえば、お昼も食べ損ねたんだった。そもそもポルトガから今まで、まともな食事も取れていない。
 こうなったらその辺に生えている草でもミミズでも食べるしかない、そう心の中で決意表明をしたときだった。
「やっとお目覚めか、お嬢ちゃんたち」
 低く、ねちりとした声。その聞き覚えのある声に、反射的に顔を上げる。大きな影が鉄格子の前で止まり、その姿が月の光に照らされて露になったその瞬間、私たちは硬直した。
「おれはカンダタ。ま、短い間のつきあいだが、よろしくな」
 現れたのは、以前シャンパーニの塔で対峙した、盗賊のカンダタだった。
 彼のその言葉にどんな意味が込められているのか、本人を前にしてもそれはきっと誰にもわからない。なぜなら、そいつは目だけが見える覆面を被っており、表情は一切わからないからだ。
 おまけに寒い夜にも関わらず、上半身裸のままなのは、その格好がこの男のポリシーなのかと突っ込みたくなる。
 そんな半分冗談みたいな出で立ちだが、以前彼に戦いを挑んだとき、私は手も足も出なかった。攻撃を受け、とどめを刺されそうになったとき、運良くユウリに助けられ、彼の一撃によりカンダタから金の冠を取り返すことに成功したのだ。
 そのあと彼は逃亡し、行方知れずとなっていたのだが、ここにいるということは、どうやらここでも人身売買を始めていたらしい。
 ノルドさんがいっていた黒ずくめの旅の一座というのは、きっとカンダタとその子分のことだったのだろう。
 わざわざ変装までして他の国で人身売買を続けるなんて、人として許せない。
「短い間の付き合いって、どういうこと? 私たちをさらって、一体どうする気なの!?」
 私は頭に血がのぼってつい、カンダタに尋ねてしまった。
「ほう、威勢がいいな、嬢ちゃん。そういう女は嫌いじゃないぜ」
 そんな話はどうでもいい、という態度で私はカンダタを睨み付ける。
「ああ、怖い怖い。でもな、嬢ちゃんがここに連れてこられたってことはな、もう自由はない。おれの所有物になったってことだ。……つまりお前らは、奴隷商人に売るための大事な商品なんだよ!」
 そう言って、下卑た笑いを響かせながら、少しでも反抗すれば今にも手を振り下ろさんばかりの殺気を放ち、こちらを見下ろすカンダタ。
「明日の夕方、奴隷商人がお前たちを買いにやって来る。それまでは変な気を起こさず、おとなしくしてるんだな!」
 だめだ、ここで下手に抵抗したら、すぐに目をつけられる。だが幸い、変装しているからか私たちのことは気づかれていない。
 私は今にも噴き出そうなくらいの怒りを必死に押さえつけ、カンダタの威圧に怯える普通の女の子を演じることにした。
「ご、ごめんなさい……。おとなしくしますから許してください」
 先程とは一転、か細い声で伏し目がちに許しを乞う(ふりをする)私。隣にいたシーラも、赤く腫らした目を潤ませ、さらに怯えるポーズをとる。
「へっ。そんだけ可愛げがありゃあ、すぐ買い手がつくぜ。安心しな」
 そう言うと、カンダタは踵を返し、牢屋の入り口で待っていた子分と共にその場から出ていった。
 足音が聞こえなくなり、完全に気配がなくなったと確認したと同時に、私はげんなりとため息をついた。
「はぁ。まさかとは思ってたけど、やっぱりカンダタだったんだね」
「そーだね。全然懲りないね、アイツ」
 シーラも呆れたように答える。そして私たちはお互い顔を見合わせ、堪えきれず吹き出した。
「ミオちんの演技、上手だったね」
「シーラこそ、ホントにカンダタに怯えてたのかと思ったよ」
 誰が近くにいるかわからないので、見つからないよう口を押さえて二人してクスクス笑う。
 最初は私一人が囮になる予定ではあったが、こんな暗くて狭いところに一人でいたら心細くて辛かったと思う。シーラがいてくれて本当によかったと心から感謝した。
「とりあえず、ユウリたちが来てくれるまで待つしかないよね。寒いから二人でこの布にくるまってようか」
 私は近くに無造作に置いてあるボロボロの布を全て拾うと、一端を自分の肩に、もう一端をシーラの肩にかけた。
「ありがとう、ミオちん」
「……?」
 俯きながら、小さな声でお礼をいうシーラ。格好もそうだけど、今日はいつになくしおらしく見えるのは、拐われただけが理由だとは思えない。私は意を決して聞いてみた。
「ねえ、シーラ。言いたくなかったら別にいいんだけどさ、何か思い悩んでることある?」
「え?」
「砂漠に行ったときから気になってたんだけど、シーラは何でもないって言ってたじゃない? でもさ、最近のシーラ、ちょっと無理してるように見えるんだ」
「……」
「私じゃあ解決できないかもしれないけど、誰かにちょっと悩みを話すだけでも気持ちが楽になることって、結構あると思うよ?」
 私なんか実家にいたときしょっちゅうエマやお母さんに愚痴を溢してたし、とおどけながら言う。
「……本当にいいの?」
 すると、今まで沈黙していたシーラの口が開いた。
「あたし、今まで人に悩みを打ち明けたことってほとんどなくてさ。どうやって話したらいいのか、本当にこんな話を人にしていいのか、迷惑にならないかとか考えてたんだ」
 シーラの言葉は衝撃的だった。天真爛漫で誰とでもすぐ打ち解けられるような子が、こんな風に悩むなんて思っても見なかった。
「迷惑とか、考えないで。私はシーラのこと、もっと知りたい」
 きっぱりと、そう私は言い放つと、シーラは吹っ切れたような表情になった。
「……じゃあ、聞いてもらってもいい?」
「もちろん!」
 私が肯定すると、シーラは安堵したように話を切り出した。
「あたしね、昔から弟と比べて出来も悪かったし、愛想もない可愛げない子供だったからか、いつも一人だったの」
「ええっ!? 嘘!?」
 私は思わず驚愕した。今のシーラからは全く想像もつかない。
 そんな私の反応を尻目に、暗い表情で俯きながらも、ぽつぽつと語り始めるシーラ。
「お父さんが偉い人でね。自分に厳しかったから、私たち子供にも甘やかすことはしなかったんだ。それがイヤでさ、あたしが十二のときに家出したの」
「家出……」
 十二歳なんて、まだ武術の腕も未熟で、一日中師匠に怒られてばっかりのときだ。
「相談する相手とかは、いなかったの?」
 そう尋ねると、彼女は静かに頷く。
「周りは皆大人ばっかりで、あたしのちっぽけな悩みなんか聞くどころか、相手にもしなかったよ。お母さんもお父さんの言いなりだったし。でも今振り返ると、本当に些細な悩みだったのかもね」
「それなら私なんか、いつもルカにイタズラばっかりされて、その度にお母さんに愚痴を聞いてもらっていたよ。それこそなんて下らないことで悩んでいたんだろうって今なら思うよ」
 家事や子育てで忙しい中、お母さんは私の話に耳を傾けてくれた。呆れたり、厳しい言葉も返ってきたけど、無視したり怒ったりすることはけしてなかった。
「でも、シーラは一人で家出をしたの? 心細くはなかった?」
「ううん。そのときは色んな『しがらみ』から抜け出せて、やったー!って思ってたよ」
 すごいなあ。私だったら一人で家を出るなんて、寂しすぎて耐えられない。
「いろいろ転々として、やっと落ち着いたのがアッサラームだったの。そこでアルヴィスと出会ったんだ」
「そうなんだ。じゃあ、同居人って……」
「住むあてのないあたしを理由も聞かず家にいれてくれたの。アルヴィスってば、昔っからそう。あんなおっきい体しててさ、人一倍お人好しなんだよね。おまけに、あたしのために仕事を探してくれたんだけど、今まで仕事なんてしたことないって言ったら、アルヴィスったら、自分の仕事わざわざやめて、あたしが出来そうな仕事を一緒にやってくれたんだ」
「アルヴィスさん、すごい……。ってことは、もしかしてその仕事ってバニーガール?」
「ううん。最初は劇場のお掃除とか、劇団員の料理作ったりとか、裏方が多かったよ。世間知らずなあたしに気を使ってくれたんだと思う。でも、結局みんなうまくいかなくて、最後にたどり着いたのが、バニーガール姿で給仕をする仕事だったの」
「……」
「でも、そのころからかな。もともと暗い性格だったあたしが変われたのは。今思えばバニーガールは天職だと思ってるし、アルヴィスもすっごくサポートしてくれたから、本当に助かったよ。まさかアルヴィスも一緒にバニーガールをやるとは思わなかったけれど」
「あはは、アルヴィスさんも元々バニーガールやりたかったんじゃない?」
「うん、そうかも」
 そう言って、二人で笑いあう。だって、シーラがいなくなってもバニーガールをやってるんだもん、絶対自分の趣味も入ってるはず。
 まあ、それはさておき、それを抜きにしてもアルヴィスさんはシーラを救ってくれたんだ。そしてシーラも、アルヴィスさんを恩人として慕っている。
 だからこそ、余計にアルヴィスさんに迷惑をかけたくないという思いもあったのではないだろうか。
 二人は心を許しあっているように見えるけど、おそらくシーラのほうから壁を作っているのかもしれない。
「でも、本当はアルヴィス、あたしのこと迷惑だったのかなとか、思ってさ。だって何もできない私をずっと面倒見てくれたんだよ? 普通だったら追い出すじゃない? でもアルヴィスは優しいから、そういうこと言わないでいてくれてたんだと思うと、申し訳なくて……」
「シーラ……」
「ミオちんだって、こんな足手まといのあたしをいつも気遣ってくれるし、ユウリちゃんもナギちんも、あたしのこと見捨てたりしないし、皆優しすぎるから、余計あたし、肩身が狭くて……」
 話しているうちにどんどん涙が溢れだし、泣きじゃくるシーラ。ここまで聞いて、やっとシーラの本音がわかった気がした。
 私はシーラの背中をポンと優しくたたく。
「私も皆も、シーラが足手まといだなんて思ってないよ。ユウリも口ではああ言ってるけど、本当はそんなこと思ってないんじゃないかな。もしそうなら、シーラだけじゃなく、私もルイーダさんのところで仲間にしてなかったと思うよ」
「……!」
「シーラはシーラの魅力がある。一緒にいて楽しいし、いつもこっちまで元気になれる。だから、迷惑だとか思わないでほしいな。だって、シーラがいなくなるなんて、考えるだけでも嫌だもん。……きっと、アルヴィスさんもそう思ってるよ」
「ミオちん……」
 泣き止むシーラの涙を、私はそっと拭ってあげた。
「ねえ、もしかして、アルヴィスさんにもホントのこととか言えなかった?」
 私の言葉に、シーラの体がぴくりと反応する。そして無言で頷いた。
「でも、それはそれでいいんじゃない? そのときは言えなかったんでしょ? きっとそういうところも全部、アルヴィスさんはわかってくれてると思うよ」
「そう……かな?」
「そうだよ! でなかったら、あんなにシーラのこと心配してないもん! アルヴィスさんの人のよさは、シーラが一番よくわかってるんじゃないの?」
 そこまで言って、つい強い調子で声を発していることに気がついた。
「ご、ごめん。つい調子に乗っちゃって。責めてる訳じゃないんだ」
「ううん、あたしのほうこそ、言いたいことベラベラ言っちゃってごめんね」
「それこそ謝らないで。シーラが色々話してくれたから、嬉しかったよ」
「嬉しい? どうして?」
「だって、アルヴィスさんにも言えなかったことを私に言ってくれたじゃない。なんか私だけ特別って気がして」
 ふと、カザーブでユウリに自分のことを話したときのことを思い出した。今ならあのときユウリが言った言葉が少しわかる。
「なんでかな、ミオちんになら話してもいいかなって思ったんだ」
「話してみてどう? ちょっとはスッキリした?」
「うん、なんか心のモヤモヤがちょっとなくなったかも」
「また何かモヤモヤしたら私、いつでも話聞くからさ。いっぱい愚痴を聞かせてよ。それにさ、困ったことがあったら、いつでも力になるから、遠慮なんかしなくていいからね」
「ありがとう♪ あたしもミオちんの悩みとか聞くよ。例えば……ユウリちゃんのこととか」
「ユウリのこと? 何の話?」
「んー、ミオちんいっつもユウリちゃんに意地悪されてるよね? 嫌じゃないの?」
「いや別に……。最初は確かに嫌だったけど、今はあんまり気にならなくなったというか……」
「ダメだよミオちん! それってただ慣れただけだから! 嫌なら嫌って言わないと!」
 なんだか異様にシーラが興奮している。うーん、言われてみれば、髪の毛引っ張られたり頬をつねられたりと、割と今のほうがひどい目にあってる気がする。
「シーラの言うとおりかも。一度リセットして考えてみるよ」
 私の答えに、うんうんと力強く頷くシーラ。なんだか私も客観的な答えを得られたことで、環境に慣れた自分を見直すきっかけができた気がする。
「話してたら随分遅くなっちゃった。いつ二人が来るかわからないし、ちょっと一眠りしようか」
「そうだね、おやすみミオちん☆」
「おやすみ、シーラ」
 空腹と眠気が激しくせめぎあう中、先に勝ったのは眠気の方だった。私たちはお互い寄り添いながら、いくらもたたないうちに意識を夢の世界へと預けていった。
 

 

人買いのアジト

「遅いね……」
「うん、どうしたんだろ」
 一夜明け、おそらく今は例えるなら、ブランチの時間。思いの外眠りこけていた私は、先に起きていたシーラの物音で目が覚めた。
 彼女は未だ連絡も来ないユウリとナギを心配してか、大分早くから起きていたようだ。
 私がぼんやりと意識を取り戻すと、シーラは懐に隠してあった非常食を私にくれた。
「シーラ偉いね。私そこまで頭が回らなかったよ」
「ううん。バハラタに着くまでに食べきれなかった分だったから。あたしも気づいてたらもっとたくさん用意してたよ」
 ほんの少しの非常食をさらに半分こしながら、私たちは黙々とそれを食べ始めた。
 私自身、まさかユウリたちが私たちを助けに来るのにこんなに時間がかかるとは想定外だった。
 けれど物事は常に最悪のことを考えて行動しなければならない。私は昔師匠に言われた言葉を今更ながら反芻していた。
 さらに日が上り始め、私の心中も騒ぎ出す。このままでは、本当に人買いに売られてしまう。
「よし、このまま待っても仕方ないから、脱出しよう」
「!」
 私の決断に、シーラは目を丸くしながらも、その言葉を待ってたと言わんばかりに頷いた。
「あたしもその方がいいと思う。でも、どうやってここから抜け出す?」
 狭い洞窟の中、目の前にあるのは鉄格子のみ。人一人が入れる扉には、きっちりと鍵がかけられている。
「まずはあの鍵を開けなきゃね」
 だが、基本的にここに見張り番はおらず、鍵も見当たらない。誰が鍵を持っているかもわからないのだ。
 かといって、今から土壁を掘り進めて外側へ穴を開けるなんて、気の遠くなるような作業なんか出来るわけもない。
 誰かが鍵をもってここに来れば……。
「そうだ! もうすぐお昼だよね? もしかしたら食事とか持ってくるかな?」
 私はぽんと手を叩きながら、シーラが夕べ、盗賊が持ってきた食事に手をつけなかったことを思い出した。
「朝は来なかったけど、きっと売りに出す前だし持ってくると思うよ!」
 シーラも確信めいた言葉で同意する。今までの話は全部小声なので、周りには気づかれてないはずだ。
 そうと決まれば作戦会議。私とシーラは、それぞれ意見を出しあい、食事が来るギリギリまで打ち合わせを続けた。



「おい、飯の時間だ」
 無愛想な声とともに、一人の男が食事を持ってやってきた。
 男は鉄格子の前に食事を置くと、ポケットから小さな鍵を取り出した。
 その鍵を牢の扉の鍵穴に差し、軽く捻ってガチャ、という金属音を響かせた。
 そして、再び男が食事を手に持とうとしたその瞬間、私は牢の扉から外に出ると、全神経を集中させ男の後頭部を蹴り上げた。
「ぐはっ!?」
 男の悲鳴と共に、私はよろめいた男の背中めがけて、回し蹴りを放つ。
 男は次の悲鳴も上げないまま、地面に倒れ伏した。
「ミオちん、すごーい!」
 シーラが、小さく手を叩きながら感嘆の声を上げた。
「ロズさんにもらった『星降る腕輪』のお陰だよ」
 そう、こんなにうまくいったのは、素早さが格段に上がるというこの『星降る腕輪』のお陰だった。
 この腕輪を使えば、日常生活においてはいつもと変わらないが、自分が意識すれば戦闘で普段よりも素早く動ける。
 バハラタに着く間、私はずっとこの腕輪を身に付けていた。すると、自分でも驚くくらい周りの動きが遅く感じるのだ。
 攻撃力などは変わらないが、敵の攻撃を避けたり、自分の攻撃をいつもより多く叩き込めたり出来るのは、この装備品の最大の強みであった。
 そんなこんなで牢から出ることに成功した私たちは、男に気づかれないよう静かに横を通りすぎ、急いで部屋を出ようとした。
「あっ、待ってミオちん!」
 後ろを振り向くと、シーラは倒れている男のポケットからもう一つ鍵を取り出した。
「あ、そっか! タニアさんたちの牢屋の鍵か!」
 さすがシーラ! 気づかず忘れるところだった。
鍵を手に入れ、再び部屋の出口へと向かう私たち。牢屋のあった部屋を出ると、そこは狭い通路で入り組んでおり、少し進むと二手に分かれた道に出た。
「待って。確かここに来る途中、どっちかの道からタニアさんたちの声を聞いた気がする」
「ホント?!」
 シーラの記憶力を頼りに、タニアさんたちがいると思われる場所へと向かう。
 敵がいるかもしれない中、細心の注意を払いながら奥へと進む。ほどなくして、少し開けた場所が見えてきた。
「あれは……」
 私が呟くと、シーラもそれに反応した。
「あたしたちが入れられたのとおんなじ場所だね」
 ということは、きっとこの中に……。
「あっ、あなたたちは!?」
『しーっ!!』
 出会い頭に大声を上げられたので、慌てた私とシーラは、咄嗟に人差し指を口にあてた。
 その注意された張本人のグプタさんは、はっと気付き、手で口元を押さえた。
「すっ、すいません。まさかあなた方がいるとは思わず、つい……」
「グプタさん、怪我の方は大丈夫ですか?」
「あっ、はい!幸い大したことなかったんで、平気です」
 ぺこぺこと頭を下げるグプタさんの横で、私たちを凝視しているのは、おそらくタニアさんだろう。
 艶やかな青い髪を揺らしながら気丈に振る舞うその姿は、私たちとそう変わらない年齢にも関わらず、とても落ち着いて見えた。
「あの、初めまして、タニアさん。私はミオ。こっちはシーラです。あなたのおじいさんに頼まれて、あなたたちを助けに来ました」
「まあ、おじいちゃんが?!」
 マーリーさんの名前を出したとたん、タニアさんの警戒心が薄らいでいく。
 私たちは、他の仲間が自分たちを助けに来てくれることと、今日の夕方に人買いが来ることを伝えた。
「それじゃあ、勇者さんたちが助けに来てくれるんですね!」
 グプタさんは歓喜の声を上げた。だが、予定よりもかなり時間がたっていることに不安を感じている私たちは、素直に頷くことが出来なかった。
「なら、その勇者さんたちがやって来るまで、私たちはここから動かない方がいいと思うわ」
 タニアさんの冷静な判断に、私は一瞬言葉に詰まる。確かにそうなのだが、もし人買いが予定よりも早く来たら一貫の終わりなのだ。
「万が一を考えて、ここの牢屋の鍵を手にいれました。もし夕方近くになっても彼らが来なければ、これを使って逃げてください」
 私は動揺を隠しつつ、淡々と二人に伝えた。グプタさんも今がけして喜んでいる場合ではないと察したのか、緊張した面持ちで私から鍵を受けとる。
「わかりました。ありがとうございます」
「今私たちが様子を見ます。脱出経路を確認したらまたここに戻りますので、待っててください」
「はい。あなたたちもどうか気を付けて」
グプタさんの言葉に頷くと、私たちは足早に彼らのもとを去った。



 それから何事もなく、先程の二股のところまで戻ることができた。
「それじゃあ、行ってない道に行こうか」
 私が促すと、シーラは突然歩みを止めた。
「待って、ミオちん。何か聞こえない?」
「えっ?」
 そう聞き返した瞬間、複数の足音がこちらに向かって近づいてきた。
「まずい!」
 こんなところで鉢合わせになったら、間違いなく捕まってしまう。どこか隠れるところがないか探してみるが、狭い洞窟の通路にそんな都合のいい場所があるはずもない。
 かといってグプタさんたちがいる方に逃げ込むわけにもいかない。私たちがいた部屋に戻っても、倒れている男を目撃されれば、不審に思われてしまう。
「シーラは後ろに下がってて。ここは私がなんとかするから」
「!!」
 私が攻撃の構えをすると、シーラは悲痛な表情で私を見据える。
「ミオちんだけに任せるわけにはいかないよ! あたしも戦う!」
「ありがとう。でも大丈夫だよ。私にはこの腕輪もあるし」
 余計な心配をかけさせないよう優しく言ったつもりだったが、彼女の顔から不安の色は消えなかった。
 やがて、足音と共に数人の盗賊姿の男たちの声が聞こえてきた。話の内容から察するに、食事係の人が戻ってこないから気になって来たようだ。
 やって来たのは三人。男たちは目の前にたたずむ私たちを目にすると、カンダタと同じように下卑た笑いを浮かべた。
「今度の商品は、随分じゃじゃ馬なんだな。こりゃ買い手も見つからねえわ」
「別に売れ残ってもいいさ。俺たちが買い取ってやればいい」
「おとなしく牢に入ってろ。さもなければ少し痛い目を見ることになる」
 三人は口々に言いたいことを言うと、携えた武器をこちらに向けた。どうやら向こうもその気のようだ。
「あんたたちの思い通りには行かないんだかりゃ!」
 あ、やばい、舌噛んじゃった。
 慣れない口上を言うもんじゃない。私は羞恥で顔が沸騰するくらい赤くなる。
「ぶはははは!! 威勢のいいこった!!」
「可愛いじゃないか。俺はこういう子は嫌いじゃないぜ」
「どうでもいい。抵抗するならこちらも容赦はしない」
 言うや否や、一番好戦的な盗賊が曲刀を振りかざしながら、私に向かって突っ込んできた。狭い通路なので、三人が一斉に襲いかかってくることはないが、それでも驚異であることは変わりない。
 私は全神経を集中させると、盗賊Aの放つ大振りの一撃を難なくかわす。その隙を突き、体を捻りながら盗賊Aのこめかみを拳で叩きつけた。
「ぎゃああああっ!!」
「こ、この女……!?」
「ただの町娘ってわけではなさそうだな」
 盗賊Aはたまらず地面に転がるように倒れる。おそらく脅しのつもりで攻撃を仕掛けたつもりだったのだろうが、思いもよらぬ反撃に、へらへらしていた表情が瞬時に硬くなった。
 向こうも私の殺気を感じ取ったのだろう。頭を切り替えたのか、倒れている盗賊Aを飛び越えた盗賊Bが、私に向かって駆けだし、短剣を左右に薙ぐ。だが、腕輪の効果なのか、相手の動きがまるでスローモーションのように見える。
 剣擊をかわしながら数歩下がり、利き足に重心をかける。相手の攻撃が止んだ瞬間、足を思い切り上に蹴り上げると、盗賊Bの顎にクリーンヒットした。
「ぐああああっ!」
「くそっ!」
 盗賊Bがのけぞったその背後から、盗賊Cがこちらを目掛けて石を投げてきた。私は間一髪それを避け、石はすぐそばの岩壁に跳ね返る。
「痛っ!!」
 突如、左腕に鋭い痛みが走る。見ると小さいながらも刀傷がついている。一体いつ?
 前に向き直ると、盗賊Cがにやりとした笑みを浮かべる。さっきの石はフェイクだったようだ。
 しまった、油断した……!
「ミオちん!!」
 金切り声とともに、シーラが盗賊Cの投げた石を拾って投げつける。盗賊Cは最小限の動きでこれを避け、その流れで腰に隠してあった何本もの小さい針のようなものを両手で持てるだけ持ち、再びこちらに放ってきた。
 まずい、避けたらシーラにも当たる……!
 本能的に避けるのはまずいと判断した私は、できる限り手で打ち払うが、目では追えてもすべてを処理できるほどの技術もなく、二、三本打ち損じてしまった。
「う……ぐっ……!!」
 さらに右頬と左足に切り傷が増え、たたらを踏む。幸い殺傷能力は大したことないので、痛みを我慢すればなんとかなるだろう。あとは気合いだ。私はなんとか踏みとどまり、盗賊Cを見据えた。
 そのときの私の表情に鬼気迫るものがあったのか、有利であるはずの盗賊Cの表情に余裕はなかった。
「さっさと倒れろ!」
 ナイフをかざし、私に向かって突っ込んでくる盗賊C。あまり接近戦は得意ではないのか、他の二人よりは隙がある。男のやや粗っぽい攻撃を易々とかわした私は体勢を極限まで低くし、油断してがら空きになった鳩尾目掛けて、渾身の正拳突きを放った。
「ぐはっ!!」
 男の体は放物線を描くと、岩壁に勢いよく叩きつけられた。こんなに自分には力があったのかと、つい疑ってしまう。
 取り敢えず、三人は倒せた。けど、もし気づいてタニアさんたちのところに行ってしまったら、今度はタニアさんたちが危ない。
「シーラ、タニアさんたちを連れていこう。ここにいたら危険だと思う」
「で、でもミオちん、大丈夫?」
「うん。この程度の怪我なら、薬草使えば大丈夫だよ。ほら、こんなこともあろうかといくつか持ってきてるから」
 私はカーディガンの裏に縫い付けてある薬草を彼女に見せた。そしてそれを剥がし、そのまま口にいれた。
 なんとなく体力が回復したのを感じながら、タニアさんのところへ向かおうとしたのだが――。
「待って、ミオちん。あたしが急いで行ってくるからミオちんはそこで休んでて」
 私の返答も待たず、シーラは早足でタニアさんのもとへと駆けていった。
 薬草を使ったとはいえ、一人で三人相手に戦ったのは想像以上に体力を消費するので、正直ありがたかった。
 そのまま壁に背を預け、体力を回復しつつシーラたちがくるのを待つ。
―いくら星降る腕輪の力を借りたとしても、二人でここを脱出しようとしたのは無謀だったのだろうか。
 人買いがやって来るのは夕方だし、おとなしくユウリたちが来るのを待っていればよかったのではないか?
 でも、脱出のチャンスはきっとあのときが最後だったはず。もし万が一ユウリたちが間に合わなければ、結局手も足も出ず人買いに売られ、最悪ユウリたちと離ればなれになってしまう。
 どう決断すればよかったのだろう。私にもっと力があれば、カンダタを余裕で倒せるくらい強ければ、こんな悩むこともなかったのに。
 そんなことを一人で考え込むうちに、どんどん心細くなってきた。早く戻ってきて、シーラ。
 すると、願いが届いたのか、こちらに向かう足音が聞こえてきた。良かった、早く戻って……。
―違う、シーラじゃない!!
音が聞こえてくるのは、タニアさんたちのいる方じゃない。盗賊たちがやって来た方向だ。
 音が近づくにつれ、私の心臓の鼓動も早くなる。新手の盗賊か? もしくはユウリたちが来てくれたのか?
 だが――。
「ほう。随分暴れてくれたじゃねえか」
 結果は、そのどちらでもなかった。その投げ掛けられた言葉に、はっと息を飲む。
「おれの仲間をこんな目に遭わせるなんて、大した嬢ちゃんだぜ」
 じゃらり、と鎖が揺れる音が鳴る。鎖の先には人の顔の大きさくらいの鉄球が繋がれており、もう一方には柄がついている。
 その柄を持って鉄球を引きずっている『そいつ』は、私を視認すると、ゆっくりと歩みを止めた。
 覆面の下から垣間見えるその表情は、昨日のように軽侮した目ではなく、明らかに殺意を持っている。
 ここでカンダタを倒さなければ、私たちが殺されるーー。
 そう察した私は、ごくりと唾を飲み込む。
 彼の放つプレッシャーに圧され、未だ身動きが取れないでいると、
「前にも似たようなことがあったな。確かその時も、お前と同じ黒髪で……」
 そう言って途中で言葉を止め、カンダタは私をじっと見た。
「……そうか。お前、あのとき勇者と一緒にいた仲間か!! はっ、わざわざおれを追いかけて来たってことか!」
 皮肉めいた口調で、私の正体を見破るカンダタ。
「残念だったな! 勇者だったら来ないぜ! 今ごろおれたちが張った罠にかかってるだろうよ!」
「えっ……!?」
 私は言葉を失う。そんなまさか。ユウリが、盗賊なんかのしかけた罠にあっさりと引っ掛かるわけがない。
「うっ、嘘!! ユウリたちがあんたたちなんかの仕掛けた罠に引っ掛かるはずないもん!!」
 カンダタに問い質すが、私は動揺を抑えきれなかった。
「そうか? じゃあなんで、あいつらはここに来ない? それとも、もうお前たちを見捨てたんじゃないのか?」
 そういうとカンダタは、下品な笑いを響かせる。
 違う。ユウリは、ナギは、私たちを見捨てたりなんかしない。こんな奴の虚言に惑わされてはいけない。
「そっちこそ、一人でここに来たってことは、もう他に仲間がいないんじゃないの!?」
「生憎だが、外のやつらは所用で出掛けてるだけだ。それに、もうすぐ人買いの奴らがやって来る。お前らを逃がさないようにするための人員なんて、おれ一人で充分だ」
 そう言い終わると、手にしていた鉄球を振り回し始めた。
 まずい、戦闘体勢に入らなきゃ……!
 そう体を動かした瞬間、全身に稲妻が走るような痛みが襲った。
「っっ!!」
 何……!? この痛みは……?
 一瞬意識を失いかけたが、それどころではない。カンダタの攻撃が来る前に、避けなきゃ……。
「お前、おれの仲間の毒針に当たったな? その毒針には、おれの仲間が独自に配合した特殊な毒が塗られていてな、その辺で売ってる毒消し草じゃ消えねえ毒なのさ。最初は気づかねえが、段々痛みと痺れが全身に行き渡り、しまいにゃ激痛でのたうち回るが声も出なくなる。もともと拷問用に開発したみたいだが、お前みたいな小娘には少しばかり酷だったな」
 言葉とは裏腹に、少しも憐れむ様子を見せないまま、カンダタは私を見下した目で眺める。
 まずい、このままじゃ、本当に、死……。
 意識までもが途切れ途切れになる。痛みがあるからか完全に意識を失うことはなく、それがかえって苦痛となっていた。
「今度こそお別れだ。残念だったな。お前が勇者の仲間でなければ、お前はおれの――」
 もう、カンダタの声も聞き取れない。目も口も手も足も、少しでも動かせば激痛が走る。
 もういっそ、楽になりたい。そう天に願いながら、私は膝をついた。
 鉄球がビュンビュンと空を切る。その音が消えた瞬間、私はここで生涯を終えるんだ。
 次に思い浮かぶのは、共に旅をしてきた仲間の顔。旅の途中で出会った人たち。そして、家族。
 もう会えないのかと思うと、涙が込み上げてきた。
―嫌だ、死にたくない。
 こんなところで、こんな奴に負けたくない。
 鉄球がこちらに向かって降ってくる。スローモーションのように見えたその攻撃は、頭ではわかっていても避けきれない。
 抵抗する間もなく自分の身体が粉々になる、はずだった。
「??」
 なぜか鉄球は私の目前で宙を舞い、主の手を離れ明後日の方向へ飛んでいく。
―これは、風?
 私の目の前で、突然強風が吹き荒れる。洞窟という密閉空間で、なぜ強風など吹くのだろう。
 風も収まり、主の方へ目をやると、そこには全身血まみれで立っているカンダタの姿があった。
 先ほどと違うのはカンダタだけではない。彼の周囲の地面や壁も、所々引き剥がしたかのように大きく抉られていた。
「てめえ……。何をしやがった!!」
 それは、私に向けられた怒声ではなかった。彼の視線の先には、私の背後にいる者の存在があった。
 私は可能な限り後ろを振り向く。
 そこには、怒りを露にしたシーラが、両手を前にかざしながら立っていたのだった。 

 

シーラの正体

「ごめん、ミオちん。あたしがずっと嘘をついていたせいで、ミオちんばっかり辛い目に遭わせてたね」
 嘘? 一体何を言ってるの? それに、別にシーラのせいで辛い思いをしたなんて思ってないよ。
「でももう、逃げないよ。今まで見て見ぬふりをしてきた分、あたしがミオちんを助けるから」
 シーラはそう言うと、覚悟を決めた顔でカンダタを見据えた。
「今のは、お前の仕業か? 前にみたときはただのバニーガールだと思っていたが、本当は呪文使いか?」
 呪文? 一体誰のことを言っているんだろう。遊び人のシーラが、呪文を唱えられるはずないのに。
 毒のせいか、考えることもままならない。けれど、シーラが一体何をするのかを見届けたいと思うのはどうやら本能らしく、無意識にシーラを視界に映し続けた。
「まあ、それも唱えられる前に始末すればいい話だけどな。じゃあな、二人とも!」
 カンダタは今度は腰に提げてあった鉄の斧を手にし、それをそのままシーラに向かって放り投げた。
 正確なコントロールで、弧を描いた斧はまっすぐシーラの頭へと目掛けて飛んでいく。だが、シーラは微動だにしない。
 このままだと当たる、そう思った瞬間、シーラが高々に叫んだ。
「バギ!!」
 突如、シーラの手のひらから、見えない刃が放たれた。スカートははためき、金髪の三つ編みが踊るように風にあおられる。
「くっ!!」
 カンダタに迫った刃は、まるでカマイタチのように全身を浅く切り刻んだ。
 真空呪文バギ。確かユウリの話によれば、風を刃と化して敵を攻撃する呪文だ。ユウリにも使えないその呪文は、『僧侶』のみが扱えると聞く。
 なんでそんな呪文を、シーラが!?
 さっきの攻撃も、シーラが放ったバギなのだろう。カンダタだけでなく、彼が放った斧も彼女の呪文によって、先程の鉄球と同じ末路を辿った。
「ぐ……。所詮風の呪文だろ……? なんでこんな、強力な……」
 二度も攻撃をくらい、足元がおぼつかなくなっているカンダタは、地面に滴り落ちる自身の血液を足で無造作に消すと、舌打ちをした。
「くそっ!! てめえらごときにおれがやられてたまるかよっ!!」
 最後のあがきか、カンダタは一心不乱に迫ってきた。
 狙いは、私――?!
 おそらく人質をとって抵抗させない気だ。なんて奴だ! 早く、逃げなきゃ――。
 だがすでに、私の身体に巡った毒は、そう簡単に動くことを許してはくれなかった。少しでも指先を動かせば、脳をつんざくような痛みが全身に行き渡る。
 シーラも、不意をつかれたのか、もしくはもう魔力が残っていないのか、その場に踏みとどまる。
 このままでは、二人とも――。
「ライデイン!!」
 一筋の稲妻が、暗い洞窟を瞬間的に照らしていく。
 その光は希望となって、一人の盗賊の身体を貫いた。



「大丈夫か? ミオ!」
 懐かしい銀髪に安堵しながら、私は目で頷いた。
 その様子を彼は訝しむが、今はそんな場合ではない。
 その横では、今しがた電撃呪文を放った勇者が、無表情のままカンダタに向かって剣を抜いていた。
「やはりあのときにとどめを刺しておくべきだったな」
 冷徹とも言えるその表情に、瀕死状態のカンダタは、顔面蒼白になりながら声を震わせた。
「まっ、待ってくれ! 実はあるお偉いさんに頼まれてたんだ!! 人身売買も、好きでやってたわけじゃ……」
「そんなことはどうでもいい。潔く捕まれ。もしくは死ね」
「ひっ……!」
 容赦ないユウリの一言に、更にカンダタは恐れおののく。そして、なにかに気付き再びユウリに話しかける。
「仲間は……、おれの仲間は……?」
「雑魚どもは一掃して木に縛り付けてある。お前を捕まえたら一緒にロマリアまで送り届けてやるから安心しろ」
「ははっ、てことは、最初からおれに勝ち目なんてなかったって訳か……」
 カンダタは諸手を上げ、降参の意思を示した。ユウリは疑うような眼差しを向けるが、どうやら本当に抵抗する気はないようだ。
 ユウリは目でナギに合図をすると、荒縄を手にしたナギが無言でカンダタを縛り上げる。
 そして今度は、シーラに近づき、低い声で言った。
「お前、何で呪文が使えるんだ?」
 その言葉に、シーラの身体がびくついた。ナギも懐疑の目で彼女を見ている。
 待って、シーラは私を助けてくれたんだよ? どうして二人ともそんな目でシーラを見るの?
「ごめんなさい。訳は後で話すから、先にミオちんを助けさせて」
 俯きながらそう言うと、シーラは私の前まで来ると、しゃがみこんで手をかざし、眼を瞑った。
「キアリー」
 彼女の声とともに、身体を蝕んでいた毒が泡のように消えていくのがわかる。
 毒消し草でも治らないと言われる毒が、あっという間に消え去ったのを感じた。
 続いてシーラは、ホイミの呪文をかけた。毒針を受けた傷がみるみる回復していく。
 私はお礼を言う前に、シーラをまっすぐに見つめ、尋ねようとした。
「シー、ラ……。ど……して……」
 けれど、毒が消えたばかりの私の身体には、痺れという後遺症が残っていた。口だけではなく、試しに手足も動かそうとしたが、思うように動けない。
「取り敢えずシーラの言うとおり、詳しい話はあとだ。タニアさんはどこだ?」
「ここから少し行ったところで、待ってもらってる」
 ナギの問いに、静かに答えるシーラ。彼女の言うとおり、少し離れたところでじっと待っていたのか、グプタさんとタニアさんが固まって座り込んでいた。
 グプタさんたちは緊張の糸が解けたのか、涙を流しながらユウリたちにお礼を言った。
「リレミトを使うには、大所帯過ぎるな」
 どうやらリレミトには、人数制限があるらしい。仕方なく、出口まで歩くことに。
 ユウリはカンダタを縛った縄を持ち、動けない私は、グプタさんたちに介助してもらいながら、ナギにおんぶしてもらうことになった。
 出口に向かう間、ナギは私にしか聞こえない声で言った。
「悪いな……遅くなっちまって。ここにたどり着くまでに手間取ったんだ」
 声を出せないので、後ろで大きく首を振る私。その反応を知ってか知らずか、ナギは言葉を続ける。
「お前らを乗せた馬車が思いの外早くてさ、一回見失っちまったんだよ。そのあとなんとか見つけ出したのはいいんだけど……、途中でその、お前らを買い付ける業者みたいな奴らに出くわしてさ。そいつらから先に足止めせざるを得なかったんだ」
つまり、私たちを買うつもりだった人たちの妨害を先にした、ってことかな?
 でもやっぱり、あの時カンダタが言ってたことは、嘘だったんだ。二人が私たちを見捨てないでくれたことが、何よりも嬉しかった。
「オレたちがもっと早く助けに来れてれば、お前もシーラもあんな目に遭わなかったんだ。……本当にごめんな」
 いつになくしおらしいナギを背中越しに見て、彼の肩を掴む手に力が入る。
 ううん。本当は、ナギたちが来るまで待ってれば良かったんだ。二人を完全に信用せず、後先を考えず無鉄砲に飛び出してしまった私が一番悪い。自業自得と言われても仕方ない。
 けれど、それを言葉に出すことができない自分に若干苛立ちを覚えているのも事実だった。
「オレさ、この間イシスにいたとき、また変な夢を見たんだ」
 夢!? てことは、また予知夢? 一体どんな夢を見たんだろう。
「今回のは、お前が目を閉じて倒れている夢だった」
 え?
「そのままずっと目を覚まさないまま朝を迎えて、オレたちに囲まれて棺桶に入れられるところで目が覚めた」
 待って待って待って!! それって私、死んじゃうってこと?!
「私、死ぬ、ってこと?」
 私は若干痺れのとれた口の筋肉を必死に動かして叫んだ。
「夢の中ではな。でも、その見た夢の場所が、洞窟だったんだ。だから、もう予知夢は起こったんだと思う」
「じゃ、シーラ、が、助けて、くれたから」
「ああ。予知が外れて、お前はカンダタに殺されなくて済んだってことだ」
 ナギのその言葉に、私は安堵と同時に背筋が凍った。
「だからこそ、あいつには……シーラには正直な話を聞きたい。もし最初から呪文が使えたんなら、今までこんな苦労せずに済んだしな。それに、このままわだかまりが残ってちゃ、お前を助けてくれたことに感謝したくてもできねえしさ」
「……」
 確かにシーラが何で今まで呪文を使えることを隠してたのか知りたいとは思うけど、彼女は彼女なりに悩んできたんだと思う。だったら無理に問い質すのは彼女にとっていいとは言えないんじゃないか。そんな思いが頭の中を渦巻いている。
 とは言えナギたちの言い分もわかる。だったらシャンパーニの塔に行ったときも、ピラミッドに罠にかかったときも、戦力になったはずなのだから。
「ナギ」
「何だ?」
「シーラはきっと、隠したくて、隠したわけじゃ、ないよ」
「……」
「だから、あんまり、責めないで」
 私は切実にナギに訴えた。ナギはしばらく黙っていたが、一言、
「あとは、リーダーの考え次第だな」
 そう落ち着いた声で答えただけだった。



 洞窟の入り口まで戻ると、確かにカンダタの仲間が、揃って大木の幹に縛り付けてあった。しかもご丁寧に、ラリホーの呪文までかけており、皆ぐうぐうといびきをかきながら寝ている。
 ひとまず盗賊全員をバハラタの役人に引き渡すため、馬車に乗せることになったのだが。
「それなら、僕がカンダタたちを町まで送り届けますよ」
 そう買って出たのは、グプタさんだった。彼はマーリーさんのお店の手伝いによく馬車を引いていたので、扱いには長けているらしい。
 グプタさんにお礼を言い、盗賊たちとタニアさんを任せた後、残ったのは私たち四人のみ。
 口の痺れもすっかり治ったので、この微妙な空気を打破しようと、自ら話を切り出そうとしたときだった。
「ミオちん、身体は大丈夫?」
 洞窟から戻った後もずっと黙りこんでたシーラの方が、私に声をかけてきてくれた。
「あっ、うん! もう普通に喋れるし、怪我もシーラのお陰ですっかり治ったよ」
 そう言って私は笑顔を見せると、それを見たシーラはほっとした表情を浮かべる。
「そっか、それならよかった」
 すると、まるでタイミングを見計らったかのように、ユウリがシーラの方へと近づいてきた。
「おい」
 緊張で強張るシーラを尻目に、いつもの無表情で話し掛けるユウリ。
 私はその様子をヒヤヒヤしながら傍観している。
「取り敢えず、礼は言っておく」
「え?」
 意表を突かれた言葉に、シーラは思わず聞き返した。
「お前がいなければ、こいつは今頃殺されていたかもしれなかった。ありがとうな」
 私を指差し、淡々とだがお礼を言うユウリ。
 ええっ!!??
 私は驚きのあまり耳を疑った。
 あのユウリが、お礼を言った!?
 責めるどころかお礼まで言うなんて、天変地異の前触れなんじゃないのだろうか!?
 そう思っていたのはどうやら私だけではないらしく、言われた張本人のシーラさえ目を見張らせている。
「えと、その……怒ってないの?」
「何がだ?」
「その……なんで私が今まで呪文を使わなかったのか、とか」
 消え入りそうな声でシーラは尋ねるが、当のユウリは何を言っているんだという顔で、
「別にもう過ぎたことだ。それにお前は、こいつが殺されそうになった時に助けただろ。怒る理由が思い浮かばん」
 きっぱりと言い放つユウリの様子を見て、私は思い違いをしていることに気がついた。確かにカンダタと対峙したときも、呪文が使えることを隠した理由を尋ねただけで、特に責め立てるようなことは言っていなかった気がする。
 とはいえ、普段が怒っているのかそうでないのかわからない言動なので、本当はどういう感情を持っているのかは本人しかわからない。実際本人以外は怒っていると思っていただろう。
「俺が聞きたいのは、なぜ遊び人であるお前が僧侶の呪文を使えたのかってことだ。お前が住んでたアッサラームには、神父はいるが僧侶や寺院はいないはずだろ」
 ユウリの指摘に、シーラは小さく息を吐いた。そして、ユウリの態度にいくらか緊張が解けたのか、とつとつと語り始めた。
「本当はあたし、ダーマの出身なの」
 その言葉に、一驚したのはユウリだけだった。
 ダーマといえば、聖職者が集まる聖地であり、また自身の職業を変えられる場所、ということくらいしか知らない。特に私が住んでた田舎では転職など必要がなく、ほとんど無縁の場所だからだ。
 同じくナギも、ダーマという地名にピンと来ないのか、キョトンとした顔をしている。
 私とナギが顔を見合わせていると、察したユウリが教えてくれた。
「ダーマは僧侶や巫女が集まる場所だ。精霊神ルビスを信奉する神父やシスターと違い、彼らは世の理や自然の摂理を人々に説くことを業としている修行者でもある。普通はある程度年月を経てから僧侶に転職すると聞いたけどな」
「そうだね。でも、例外もあるんだ。ダーマの最高位……つまり大僧正の後継者は、生まれたときから僧侶見習いとして修行させられるの」
「大僧正の後継者……って、まさか!?」
 ユウリの言葉に、シーラは苦笑いを浮かべた。
「そう。今の大僧正はあたしのお父さん。あたしはその後継者として育てられたの」
 そんな……。昨日の話がまさかそんなスケールの大きなことだったなんて、思っても見なかった。
 夕べのシーラの話では、厳しいお父さんに嫌気がさして家出したって言ってたけど、今の話を聞いてると、家出なんて言う生易しいものではないことは私でもわかる。
 確か弟がいるって言ってたけど……。
「でも、五年後に弟が生まれて、一緒に修行してたんだけど、弟の方が才能があったみたいで、あたしは途中で修行を諦めたんだ。きっと弟がお父さんのあとを継ぐと思って」
「それで遊び人になったって訳か」
 納得したようにユウリが呟くと、シーラは頷いた。次に言われる言葉を恐る恐る待ちながら、目を伏せていると、
「わかった。それじゃあ町に戻るぞ」
 そういってユウリは、くるりとシーラに背を向けたではないか。あまりにもあっさりした反応に、私は思わず肩透かしを食らう。
「ユウリちゃん、もういいの?」
「何がだ?」
「どうして遊び人になったのかとか、なんで今まで呪文を使わなかったのかとか、聞かないの?」
「聞いてほしいのか?」
 面倒くさそうに言い放つユウリ。その様子を見て、シーラも目が覚めたのか、
「……そんな顔されながら聞いてもらうのも、なんかやだなぁ」
 そう苦笑した。
「俺が聞きたいのは、なぜお前が呪文を使えたかということだけだ。その理由がわかったんだから、もういいだろ」
 そうきっぱりと告げると、ルーラを使うから近くに来いと私たちに呼びかける。
『……』
 三人で顔を見合わせた途端、緊張の糸が緩んだのか、揃って笑みが漏れた。
 相変わらずうちのリーダーは何を考えているかわからない。でも、時折見えるその不器用な優しさに、私はいつしか彼を信じてついて行こうと思えるようになったのだった。 

 

はじめての黒胡椒

 カンダタ一味を倒した後、私たちがバハラタの町に戻ったときには、辺りはすっかり日が暮れていた。
 町の入り口を見てみると、どうやらまだグプタさんたちは戻ってきてないようだ。こっちはルーラで飛んできたので、当たり前と言えば当たり前だが。
「取り敢えず、先に着替えてきたらどうだ?」
 ナギに言われ、改めて自分の身体を見てみると、せっかくマーリーさんに借りたタニアさんの服がボロボロになっている。
 土ぼこりや擦りきれどころか、破れや血までついているので、洗ったとしても返せる状態にはならないだろう。
「うーん、私はここで待ってるよ。シーラはどうする?」
「あたしも皆と一緒に待ってる☆」
 正直この格好で、服を貸してくれたマーリーさんのところに行くのは憚られる。シーラも同じことを考えていたらしく、二人ともここでグプタさんたちを待つことにした。
 とはいえ、ボロボロの服を着て町の入り口に立っているのも気恥ずかしい。現に何人かの町人がこっちを二度見してくるのを見るたびに気まずくなる。
 隣にいるシーラを横目で見ると、ご機嫌なのか鼻唄を歌っていた。わだかまりが解けたからか、どことなく清々しい顔になっている。
 なんだかこっちまでご機嫌になってきてしまい、無意識に頬が緩む。
 だけどこういうことにはめざといユウリに、「何間抜け面晒してるんだこのボケ女」とか言われてしまい、頬を膨らませる私。
 やがて東の空を見てみると、薄紫にたなびく雲の狭間から、黒い影がこちらに向かってやって来ていた。近づくにつれ、それはグプタさんたちが乗っている幌馬車だということがわかる。けれど急いできたらしく、ひどく慌てた様子で手綱を引いている。
 車輪と地面の擦れ合う音とともに目の前で止まった馬車の御者台には、息を荒げたグプタさんと、その横で必死にしがみつくタニアさんの姿があった。
「何かあったのか?」
 ナギが御者台に座ったままの二人に尋ねると、グプタさんは青ざめた顔で歯をガタガタと震わせながら、こちらを向いた。
「皆さん、すいません!! カンダタを逃がしてしまいました!!」
『何だと?!』
 ナギとユウリが口を揃えて叫んだ。その形相に、グプタさんはますます怯える様子を見せる。
「グプタさん、一体何があったんですか?」
 私が問い質すと、グプタさんの代わりにタニアさんが説明してくれた。
「町に戻る途中、いきなり中から物音がして……。何かと思って後ろを向いたら、縄を解いたカンダタが馬車から転がり落ちたの!」
「そんな……! じゃあ自力で縄を解いたってこと?」
「くそっ、縄に何か仕込んでおけばよかったぜ」
 ナギが歯噛みしながら呟く。
「ごめんなさい、僕がもう少し注意していれば……」
「いや、お前は悪くない。それに、カンダタたちをお前らに任せた俺たちにも責任がある。だが逃げたとしても、あの怪我で当面カンダタ一人でどうにか出来るとは考えにくい。とにかく今は、あの変態の仲間だけでも役所に突き出すぞ」
 そういうとユウリはナギを呼び寄せ、馬車から未だ寝ているカンダタの仲間を叩き起こすと、知らぬ間に拘束されている事態に混乱している彼らを問答無用で歩かせる。
「俺とそこの男で役人のところに向かうから、お前らはジジイの店で待ってろ」
 そう言うとユウリは、グプタさんを連れて先に町の中へと入っていった。
 二人を見送ると、私は未だ動揺しているタニアさんに改めて事情を説明した。
「それじゃあ、ユウリが戻るまでタニアさんの家で待っててもいいですか?」
「は、はい、もちろん!」
「あと、その、すいません。今私たちが来てる服なんですけど、タニアさんの服なんです。カンダタのアジトに行くためにどうしても必要だったんですが、見ての通りボロボロにしてしまいまして……ごめんなさい」
「ううん、気にしないで。あなたたちがいなければ、私は今頃盗賊たちに売られていたんだから! むしろお礼をしてもしきれないくらいだわ!!」
「タニアの言うとおりです! 僕のことも助けていただいて……! 本当にありがとうございました!!」 
 二人して、ぺこぺこと頭を下げる私とタニアさん。見かねたナギが、間に割って入る。
「いーから、早く用事を済まそうぜ! 昨日から何も食ってないから限界なんだよ!」
 そういえば、私も結局何も食べてなかったんだ。お腹をさわると急に空腹感が沸いてきた。
「だったら、私の家で食べていって! せめてものお礼がしたいの!」
「でもタニアさん、疲れてるんじゃ……」
「大丈夫! それより皆さんの方こそお疲れでしょ? せっかくだから今晩泊まっていって欲しいわ」
 なんて有難い申し出だ。せっかくのご厚意だし、何より断る理由がない。私たちは揃って頷いた。



 気づけば夜の帳が降りている。そんな中私たちは、タニアさんとマーリーさんとともに、彼女らの家へとお邪魔することになった。
 どうやら彼女は祖父であるマーリーさんと二人暮らしで、ご両親はタニアさんが物心つく前に亡くなってしまったらしい。
 以来、マーリーさんと二人で店を切り盛りしながら生活しているそうで、グプタさんと出会ってからは、すっかり彼に頼っているようだ。
 そんなことを道すがら話していたので、私たち女三人はすっかり仲良くなってしまった。
 家についてからタニアさんは、早速食事の支度を始めたので、私も自分の服に着替えたあと、彼女の手伝いをすることにした。ナギはマーリーさんと一緒にお風呂の用意、シーラは客間を借りて寝る準備を進めていた。
「ありがとう、ミオ。正直皆が手伝ってくれるから本当に助かるわ」
 キッチンでスープの野菜を切るタニアさんに声をかけると、苦笑しながらそう彼女は答えた。
「タニアさんも、疲れてるのに大勢で押しかけちゃったりして、迷惑じゃない?」
「そんなことないわ。いつもおじいちゃんと二人きりだし、私はこういうにぎやかな方が好きなの。あと、さん付けはやめてね、タニアでいいわ」
 そういうと、タニアは手際よく野菜の皮を剥いていく。
 私も隣に立ち、一緒に野菜の皮を剥きながら、タニアと他愛のない話で盛り上がっていると、
「ミオは、恋人とかはいないの?」
 と、突然突拍子もないことを聞いてきた。
「はい!? あ、いや、いないよ。そもそもそれどころじゃないもん」
「ええ!? もったいないわ、ミオなら二、三人ぐらいいてもおかしくないのに!」
 いったいどういう意味なんだろう、と考えていると、
「ねえ、実はユウリさんかナギさんのどちらかと付き合ってるんでしょ? 正直に言いなさい!」
「ち、違うよ!! そんなわけないじゃん!!」
 なんて人をからかってくるから、つい手元が狂って包丁で指を切ってしまった。
「痛っ!」
「やだ、大丈夫? ごめんなさい、私ったら調子に乗って……」
「いや、今のは私の不注意だから。気にしないで」
 おとなしくなってしまったタニアに目を向けながらも、黙って切った指を舐めて痛みを和らげる。
 すると、後ろから突然髪の毛を引っ張られた。
「ずいぶん騒がしいな」
 振り向くと、呆れ顔で私の髪の毛を引っ張るユウリの姿があった。どうやらカンダタの子分を役所に送り届けて、今戻ってきたらしい。
「ユウリさん、ありがとうございました。ところで、グプタは……?」
「あいつならジジイと一緒に盗まれた黒胡椒を馬車から下ろしにいったぞ」
 そうだった。盗賊たちを捕まえたとき、アジトにあった盗まれた黒胡椒も一緒に持ち帰ってたんだった。
「ジジイがこれを使えと言っていた」
唐突にそう言うと、ユウリはタニアに小さな袋を手渡した。
「何? その袋」
 袋の中を覗いてみると、見たことのないほど小さい黒い粒がぎっしりと入っていた。
「ミオは初めて見るんだっけ。これが黒胡椒なのよ」
「えっ、これが?!」
 この黒い粒々が黒胡椒……。調味料って言ってたけど、一体どういう風に使うのか見当もつかない。
「ユウリさん、今回は助けていただいてありがとうございます」
 タニアは包丁を置き、ユウリに向き直って深々と一礼した。
「それと……すみません。あの人が身勝手な行動をしてしまったせいで、皆さんに迷惑をかけてしまって……」
「全くだ。運良くカンダタに捕まったからよかったものの、途中の森で魔物にでも喰われてたらどうすることもできなかったぞ」
ぴしゃりと言い放つユウリに、タニアが何も言えないでいたので、思わず私は口をはさむ。
「もう、助かったんだからいいじゃない。グプタさんだって、タニアを助けたい一心で向かったんだから」
 その言葉にユウリは私をぎろりと睨みつけると、今度はこっちに矛先が向けられる。
「お前が言うな! 大体お前がバカな作戦を考えるからあんな面倒なことになったんだろうが!!」
「なっ……、ユウリだって納得してくれたじゃない!!」
 私が火花を散らしていると、ユウリはなぜか下の方に目をやっている。何かと思って視線を下に向けると、先ほど切った指の先から、血がにじんでいた。
「なんだ、怪我したのか」
 そう言うなり、ユウリは無言で私の腕を引っ張り上げると、ホイミの呪文を唱えた。
「!?」
「こんな大したことない怪我のために、貴重な魔力を使ったんだ。せいぜい俺に感謝しろ」
 と、言うだけ言うと、さっさとリビングの方へ向かってしまった。
 別に回復してなんて頼んでないんだけど。なんで一方的にそんなことを言われなければならないんだろう。
 治してくれた感謝より、小さな怒りがふつふつと沸いてくる。すると、ふと視界の端でタニアがじっと私を見据えていた。
「な、何!?」
 驚いてタニアの方を向くと、タニアは私と目を合わせた途端、にやっと顔を綻ばせた。
「やっぱり、あなたたち付き合ってるんじゃないの?」
「違うってば!!」
 どこをどう見たらそう見えるんだ。私は全力で否定した。 



 夕餉の準備ができ、他の人もそれぞれ仕事を終えたのか、皆同じタイミングでダイニングにやってきた。
 グプタさんは自分の家に戻り、ユウリはマーリーさんとともに一抱えほどの袋を運んできた。
「ユウリ、それなあに?」
「ポルトガ王に渡す分の黒胡椒だ」
 ああ、そういえば、ポルトガの王様に頼まれてたんだっけ。ていうか、あれだけで一体どれくらいの値段になるのだろうか。
「あー、すげー腹減ったー!!」
 ユウリたちのあとに大声を上げながら戻ってきたのは、ナギとシーラだった。今まで一緒にいたんだろうか?
「ミオちん、今日のご飯は何~?」
「うんとね、野菜のスープとパン、あとガーリックソースのパスタと、鶏肉のバジル焼き!」
「ふぁ~、おいしそう♪ 待ってた甲斐があったよ~!」
 パン以外はなんと、黒胡椒を使っている。他では絶対に食べることができないくらいの超高級料理だ。けれどタニア曰く、他国では高値で取引されているが、ここバハラタ地方では割とよく採れるため、一般家庭でもなんとか手が出せる値段なのだとか。どちらにしろ、旅がらすの私たちには二度と味わえない料理の数々だ。
 皆揃ったところでお祈りをし、一斉に食べ始めた。
「やべえ、何これ?! ホントに鶏肉か?!」
 開口一番、感嘆の声をあげたのは、真っ先に鶏肉にかぶりついたナギ。次いでユウリも自分の分の鶏肉を口にいれる。すると、普段全く表情に出ない彼の目が見開いた。
「なるほど……。ポルトガの王たちが魅了されるだけあるな……」
 私も一口食べてみる。口にいれた瞬間、鶏肉の香ばしさと黒胡椒の風味が口の中に広がっていく。塩との相性も抜群だ。
 普段お店に出回ってるような鶏肉の香草焼きに、黒胡椒を数粒振りかけただけなのだが、こうも違うものなのか。
 続いてパスタにも手を伸ばす。ニンニクをオリーブオイルで炒めたところに、野菜と茹でたパスタを絡めたシンプルな料理だが、これもまた黒胡椒によって素材の旨さを何倍にも引き立たせている。
「ミオが考えたこのパスタ、とっても美味しいわ!」
「タニアが作ったスープも、胡椒が利いててとても美味しい!」
 タニアも蕩けそうな表情を浮かべながら次々に料理を口に運んでいく。
 皆が料理に舌鼓を打つ中、マーリーさんはお腹がいっぱいになったのか、それとも今までの心労で疲労が溜まっていたのか、うつらうつらとし始めた。
「やだ、おじいちゃん! こんなところで寝ないで!」
 タニアが慌てて傾きかけたマーリーさんの身体を支える。だがすでにマーリーさんの意識は夢の中に行ってしまったようで、ぐうぐうと寝息を立てている。
「もう、おじいちゃんったら……。ごめんなさい、祖父を寝室まで運んでいくわね」
「一人じゃ大変だろ? 手伝うよ」
 ナギが席をたち、タニアと共にマーリーさんの肩を持って上げた。
「ありがとう、ナギさん。皆、おかわりもあるからゆっくり食べていってね」
 そう言うと、タニアたちはマーリーさんを寝室へと運んでいった。
 三人となったテーブルに、しばし静寂が落ちる。
 食器の音が慎ましく響く。何か話題がないかと考えあぐねていると、
「あのさ、二人とも、ちょっといいかな?」
 シーラの方から話しかけてきた。ユウリは視線をシーラに向けただけだが、おそらく肯定だろう。もちろん私も頷く。
「ありがとう。あのね、これからのことなんだけど……」
 そのまま、彼女は言い淀む。少し待って、シーラはようやく口を開いた。
「……あたし、一度ダーマに戻ろうと思うの」
「!!」
 思わず口に入れていたスープを吹き出しそうになった。
 けれど顔を見ると、その決断が一朝一夕で決めたものではないことを物語っている。
「ど、どうして? 別に今じゃなくても……」
「ダメだ」
 私の言葉を遮り、即座に否定するユウリ。
「今は一刻も早く船を手に入れて、魔王の城に行くまでの手がかりを探すのが第一だ。お前のわがままには付き合えない」
低い声で言い放つ勇者の言葉に、シーラは苦笑いを浮かべる。
「待ってよユウリ! そんな頭ごなしに否定しなくてもいいじゃない! シーラだって、それくらいわかってるよ!」
私が憤慨するが、シーラは落ち着き払っている。そして静かに、きっぱりと言った。
「うん、それはわかってる。だから、あたしとナギちんだけでダーマに行こうと思うんだ」
「え……?」
その予想外の発言に、私は手にしていたスプーンを取り落としていたことに気づかなかった。



 

 

 

シーラの決意

「えっと……、ちょっと待って。てことは、二人だけでダーマに行くってこと?」
 私はシーラの言葉に衝撃を受けながらも、俄には信じられず、すぐに聞き返した。
「うん。さっきナギちんとも話したけど、早くポルトガの王様に黒胡椒を持っていってあげないと、船が手に入らないでしょ? だったら、ここで一度二手に分かれた方がいいと思うの」
「いや、確かにそうだけど……でも!」
「確かにバハラタからダーマまではここからそう遠くない場所にある。だが、なぜ今行く必要がある?」
 ユウリのもっともな意見に、シーラは決意を秘めた表情で答える。
「もうあたし、誰かに助けられるだけの存在になりたくない。僧侶の修行を中途半端に投げ出した自分にケリをつけたいの」
「……」
 ユウリはそれ以上何も言わなかった。
「守られてる自分が嫌なのはわかるよ? でも、だったら、みんなでダーマに行けばいいじゃない?」
 私は何とかシーラが思いとどまることを願い、別の提案をした。
 けれど、シーラはゆっくりと首を振った。
「あたしもできるならみんなと行きたい。でも、あたし一人のわがままで皆に迷惑かけられないよ。それにこの先、街を封鎖するのはポルトガだけじゃなくなると思うの」
「どういうこと?」
「……なるほどな。ポルトガの大臣が言っていたな。どこかの国に、魔物が潜入していると」
「今はそんなに騒がれてないけど、いずれその噂はほかの国にも広がるんじゃないかな。そうしたら、その噂を聞いたほかの国は危機感を持って都市を封鎖して、ポルトガと同じように簡単に出入りできなくするかもしれない」
 いつものシーラらしからぬ発言に、私は舌を巻いた。
 ユウリも顔には出さないが、横目で見る限り、少なからず驚いているように見える。
「だから、船は一刻も早く手に入れたほうがいい。あたしなんかに時間を取られてる場合じゃないよ」
「でも……」
 私の言葉を遮り、隣でため息をつく音が聞こえた。
「……わかった」
「!!」
「え!?」
 私とシーラ、二人の視線が勇者に注目する。
「魔王討伐のために役に立とうとしているのなら、止めはしない。こっちとしても、呪文が使えるやつがいたほうが助かるからな」
「ホント!?」
「ユウリ!?」
「その代わり、戻ってきたらちゃんと戦えよ。足手まといは俺のパーティーには必要ないからな」
「うん!! もちろん!! 頑張ってユウリちゃんの役に立てるように強くなって帰ってくるから!!」
 そういうと二人は、何事もなかったかのように再び料理を食べ始めた。
 え? 本当に二人だけでダーマに行っちゃうの? 
 なんだか私だけ一人取り残されたような気分がして、居心地が悪くなった。
「……ごちそうさま」
 これ以上食べる気分になれず、私は早々に食事を切り上げた。そして、二人がこちらを気にする前に、そそくさとこの場から去ろうとダイニングを出た。
 どんっ!
 前をよく見ていなかったせいで、出合頭に誰かとぶつかってしまった。顔を上げると、一足先に降りてきたナギと目が合った。このやりとり、これで何度目だろう。
「ごっ、ごめん!」
「ああ、オレもよく見てなかった。……どうした?」
 ナギが心配そうに顔を覗き込んでくる。すると、なぜだか涙が溢れだした。
「ミオ!? まさか打ちどころが悪かったのか!?」
「ううん、違うの。ごめん、ちょっと一人にさせて」
 そういうと、私は心配するナギの手を振り払い、外へと飛び出していった。



 満月に近いのか、今夜の月は眩しいくらいに明るい。
 ときおり雲に隠れて黒い影となるが、しばらくするとまた顔を出す。
 ずっと上を向いていると首が疲れてくるので、今度は眼下に広がる聖なる川を眺めてみると、水の音と川のせせらぎが、私のぐちゃぐちゃになった心をいくらか洗い流してくれるように感じる。
 私はタニアの家から少し離れた河原で、ぼんやりと眺めながら座っていた。
 こうやってじっとしていると、いろんな考えが浮かんでは消え、それを繰り返していくうちに、次第に私の心を落ち着かせてくれる。
 冷静になったところで、私はこれからどうすればいいか考えていた。
 あんな態度で席を外した後で、どうやって戻ればいいだろう。
 でも、あんなにあっさりシーラを行かせるなんて、ユウリもユウリだ。ちょっと薄情なんじゃないか。
 せっかくみんなが仲良くなってきたと思ったのに、どうして別々に行動しなければならないんだろう。
 思わずはあ、と深いため息をつく。
 ……わかってる。これこそ子供のわがままなんだって。私たちは、お遊び気分でピクニックに行くんじゃない。
 魔王を倒すためには、今の自分を変えなくてはならない。それが、ずっとシーラが悩んで導き出した彼女なりの答えなのだ。
 それなのに私は、彼女の出した答えに背を向けている。それは彼女の気持ちを理解していないということだ。
 何が「いつでも力になる」だ、結局口だけじゃないか。
 私は自分自身に怒り、そして決断した。
 「あ、いたいた! おーい、ミオ!!」
 私を呼ぶ声に反応すると、家のほうから手を振ってやってくるナギの姿があった。
「どうしたんだ? 何があった? またユウリにいじめられたか?」
「ううん、なんでもないよ。大丈夫だから、家に戻ろ?」
 そういって戻ろうとする私の腕を、力強く掴んで制止するナギ。
「はぐらかすなよ。あんな顔して、何でもないわけないだろ」
 う、と私は言葉に詰まる。普段大雑把な性格なのに、こういう時はなんて鋭いんだろう。
「……あのさ、ナギ。シーラから聞いたんだけど、本当にシーラと二人でダーマに行くの?」
「ああ。シーラのやつ、もう言ったのか。……そうだよ。最初はオレも止めたけどな」
「じゃあどうして行くことにしたの?」
「オレもあいつの気持ちがわかるからさ。強いやつが隣にいて、自分はいつまでたっても弱いし足手まとい。しかもその強いやつは気に食わないやつで、そのくせピンチになると助けてくれる。正直死んでもいいから助けてほしくないって思ったぜ」
 ああ、私も似たようなことを思っていた。気に食わないことはないけれど、助けられるたびに、自分がどれだけ惨めか痛感してしまっていた。
「けどさ、それって結局甘えだよな。自分が変わらない限り、その関係はずっと続くんだ。もしこの状況を変えたいのなら、死ぬほど強くなるために努力しなければならない」
 ナギは私の腕を離し、自身の手のひらを見つめた。
「あいつも同じなんだよ。ただ、オレたちと違ってあいつは、自分自身をリセットしなきゃならないんだそうだ」
「リセット……?」
「オレもよくはわからねえけど、とにかくダーマに行けばいいらしい。ただ、さすがに一人で行かせるのは無謀だからな。あいつのレベル上げも兼ねて、オレも同行することにしたんだ」
「そっか……。……うん、やっぱり、決めたよ」
「何が?」
「実をいうと、シーラがダーマに行くの、反対だったんだ。でも、それって私がただ寂しいからっていう、子供みたいなわがままだって気づいてさ。シーラのことを考えたら、快く賛成するのが正解なんだよね」
「そういうもんか?」
 私の出した結論に、ナギは首をかしげる。
「何が正解とか、そういうのないんじゃねーの? お前はシーラと離れ離れになるのが寂しくて、反対したんだろ? それがわがままだろうと何だろうと、自分で否定するのはちょっと違うと思うな」
 その言葉に、私は目を瞬いた。
「シーラに、お前の気持ちを正直に言ってみろよ。それでもダメなら、しょうがねえよ。あいつのことを思って、譲ってあげればいいさ」
「うん……そうだね」
 私はナギの言葉に背中を押されるように、再びタニアの家へと戻ることにした。



 家に戻ると、シーラは今にも泣きそうな顔で私を出迎えてくれた。
 そしてそのまま、私は今の気持ちをシーラに打ち明けた。
 シーラと離れるのが寂しいと。
 でも、やっぱりシーラの決意が揺らぐことはなかった。話している私も、こういう結末になることを予想していた。
「ありがとう、ミオちん。あたしもミオちんと離れるのは嫌だよ。でも、変わるなら今しかないと思ってるんだ」
「うん。わかってる。シーラが決めたんだもんね。それならもう私は止めないよ」
 もう私にはシーラを止めるすべはない。なら私は、シーラを信じて待つしかない。
「おいザル女。半年時間をやる。半年たってここに戻ってこなかったら、そこのバカザル共々置いてくからな」
 部屋の奥からユウリがやって来たかと思うと、いきなりとんでもない条件を言い渡した。
「うん、わかった! ユウリちゃんがビックリするくらい、強くなって戻ってくるから!」
 そう言って、ピースサインを見せるシーラ。
「おいおい、本当に大丈夫か? オレたちここに置き去りにされるかもしれねえぞ?」
「大丈夫だよ♪ そのくらい条件つけてくれた方がすごーくやる気でるから!」
 どうやら彼女は逆境に強いらしい。ナギもその自信に満ちた言葉に安堵したようだ。
「じゃあ、早速俺たちは明日の朝ポルトガに発つ。もしかしたらカンダタがまた企んでくるかもしれないから、しばらく用心しとけ」
「オッケー☆」
「言われなくても、わかってるよ」
 ユウリの言葉に頷いた二人は、明日の準備をしに各々部屋へと向かった。
 と、今度は取り残された私にユウリは向き直る。そして、
「お前も、今までみたいにボケっとするなよ。足手まといが三人から一人になったとはいえ、戦力差の大半は人数によるものだからな」
 そう睨み付けながら念を押してくれた。
 ナギじゃないけど、そんなことわかってる。これからは二人で旅を続けなきゃならないんだ。今以上に強くならないと……。
 って、あれ? 二人ってことは、ユウリの嫌味や愚痴の矛先が、全部私に来るってこと?
 ……早く半年後になってほしい、そう思わずにはいられなかった。



 翌朝。久々にベッドの上で寝られたからか、これ以上ないくらいスッキリした目覚めだった。
 タニアが作ってくれた朝食をお腹いっぱい食べたあと、ユウリに急かされ大急ぎで旅支度を整える。
「早くしろ鈍足。モタモタしてたら昼になるぞ」
 玄関の外に立って私を待つユウリ。そうは言うけど、またお城に行くなら少しは身綺麗にしないと、結局注意するじゃない。声には出さず、心の中で文句を言いまくる私。
「ミオちん、腕輪忘れてるよ」
「あっ、そうだった!」
 玄関先でシーラが持っている星降る腕輪を受けとると、急いで手首にはめた。
「忘れ物はもうないか?」
「うん、大丈夫」
 鞄の中身を確認し終えると、タニアとマーリーさんが奥からやってきた。
「皆さん、本当にありがとう。あなたたちのおかげで家族やグプタと離ればなれにならずに済んだわ」
「いえ、こちらこそ、黒胡椒を分けてくれてありがとうございます」
 ちなみにポルトガに持っていく分の黒胡椒の代金は、あとでポルトガに雇われた冒険者が私に来るらしい。大臣から渡された例の書状は、商品を受けとるときに必要な書類だったようで、それをマーリーさんに渡すと、今度はタニアがユウリに別の書類を渡した。
「それをポルトガの方に渡してほしいの。いつもは買いに来てくれる冒険者の方に渡してるんだけど、今回は手順が違うから、支払いのときにこれをまた持ってきてくれるよう伝えてもらってもいいかしら?」
「わかった」
 手短に返事をすると、ユウリはその書類を懐に仕舞い込んだ。
「あと、ミオ。これ、よかったら使って」
 タニアが、私の手のひらにあるものを渡した。見ると、小瓶に黒胡椒が入っている。
「えっ……、これって!? こんなにたくさん、本当にもらってもいいの?」
 小さい瓶とはいえ、ぎっしり詰め込まれた黒胡椒の値段は計り知れないだろう。おそるおそる尋ねる私にタニアは小さく笑う。
「遠慮なく使って。その代わり 、これを使ってまた新しい料理を考えたら、教えてね」
「もちろん!!」
 そう言って、私も笑顔で返した。すると、外からなにやらユウリを呼ぶ声が聞こえてきた。
「おーい、ユウリさーん!! よかった、間に合った!」
 息を切らしてやってきたのは、グプタさんだった。
「ユウリさんたちのお陰で、タニアはもちろん、町も平和になりました! ありがとうございます!」
「わざわざそれを言いに来たのか」
「そりゃそうですよ! なんたって命の恩人なんですから!」
 ユウリが呆れたように言い放つが、グプタさんは気にする様子もなく、改めてお礼を言う。
「それじゃ皆さん、お元気で!!」
 私が手を振ると、ナギとシーラも同じタイミングで手を振る。グプタさんたちもそれに反応するかのように、皆笑顔で返してくれた。
「またいつでも遊びに来てね。もし黒胡椒が足りなかったらいくらでもあげるから」
 そう言うとタニアは私を呼び寄せ、耳元で囁く。
「ユウリさんと、仲良くね」
 そう一言言うと、パッと手を離す。そしてそれきり何も言わず、笑顔で手を振った。
「孫娘を救って頂いて、本当にありがとう。これからこの地で、勇者どのの功績を後世に伝えますじゃ」
「カンダタは逃がしてしまいましたが、これから少しでも強くなって、タニアたちを守っていこうと思います。ユウリさんたちも、お気をつけて!」
 三人と挨拶すると、ナギとシーラはそのまま町の外に出ると言うので、途中まで一緒に向かうことにした。
 入り口に到着すると、シーラは私とユウリを交互に見やると、ユウリに向かって言った。
「ユウリちゃん、ミオちんのこと、お願いね☆」
「ふん。俺はこいつの保護者じゃないぞ」
「ミオ。あいつに振り回されて辛くなったらいつでもバハラタに来いよ」
 隣でこっそり耳打ちするナギに気づいたユウリが、もはやお家芸であるベギラマをナギの足元に放った。 この風景も当分見られないと思うと、ちょっと寂しい。
「ナギ、シーラのことよろしくね。シーラ、頑張って強くなって戻ってきてね」
「うん☆ ミオちんも、二人で大変かもだけど、頑張って!」
 そう言うと、私とシーラは固く握手を交わす。ナギは……うん、今黒焦げ状態だからそっとしといた方がいいね。
 こうして二人と別れ、私とユウリはルーラの呪文で再びポルトガへと戻るのであった。

 
 

 
後書き
これで第一部終了となります!
お読みいただき、ありがとうございます! 

 

閑話1・値切り交渉

 
前書き
第1部終了までの間の話です。 

 
 私がとある町の道具屋で買い物をしていると、別行動をとっていたナギがやってきて怪訝な顔をした。
「お前、それ全部買う気なのか?」
「だって、備えあれば憂いなしっていうでしょ? 回復魔法が使える人ってユウリしかいないし、もしユウリがいない場合薬草がないと困るじゃない」
「うー、まあ、オレも魔法使えないし、確かにたくさんあれば便利だもんな」
「でしょ? だからとりあえず、人数分持てる分と、予備も用意しようかと思って」
「なるほど予備か。お前意外としっかりしてんだな」
「少なくともナギよりはしっかりしてる自信あるよ」
「なんだよそれ。お前何気にオレの事馬鹿にしてない?」
 ナギがふてくされたように言うので、私は慌てて訂正した。
「いやいや、ナギは大人物だよ。たとえそんなにしっかりしてなくても」
「どっちにしろオレしっかりしてないのかよ」
 ぶつぶつ文句を言いながら、そのままナギは別の店に行ってしまった。気を悪くさせちゃったかな。
「別にそんなつもりで言ったんじゃないのになあ……」
「お前がそう思ってなくても相手には別の意味で伝わるときもある」
 全く気配を感じさせずに急に現われたのは、我らがリーダー、勇者のユウリだった。
「びっ、びっくりしたぁ……」
「お前、俺にまで失礼なことを言うつもりか」
「そんなことないよ。ただ急に現われたから驚いただけじゃん」
 私は勝手に気を悪くした男性たちに不条理を感じながらも反論した。
「そんなことよりお前、その薬草全部でいくらすると思ってるんだ」
「え、確かひとつ8Gだったから、35こで……えーと」
「280Gだ。そのくらい一瞬で計算しろ」
 にべもなく言われ、私は小さく肩を落とした。そんな私の様子などお構いなしに、ユウリはさらに言い募る。
「薬草もそれだけ買えばバカにならないんだというのがわからないのか。こういうときは少しでも安くするように頭を使うんだ鈍足」
 最後の一言が余計だ、といいたかったが、意気消沈した今の私には言えるはずもなかった。
「おい親父。こっちは大所帯で使う金が限られてるんだ。少しぐらいまけろ」
 道具屋のおじさんは、いきなり現われた勇者のいきなりの値引き交渉に、戸惑いを隠せない様子で私とユウリを交互に見ている。私がなんともいえない顔を見せると、おじさんはあきらめてユウリの方に向き直った。
「まあ、あんたたち旅してるみたいだし、お金に余裕なさそうなのはわかるよ。だけど、こっちも魔物の影響で仕入れがかなり滞ってるんだよね。こっちも生活かかってるんだ。そんなには負けられないよ」
「こっちは命賭けて魔物と戦ってるんだ。お前らが家のベッドでのうのうと寝ている間も俺たちは野宿をしながら旅を続けているんだぞ? それでもまだ俺たちに高い金を払わせる気なのか?」
 ユウリの熱弁に、おじさんは声を詰まらせた。それを見逃さず、さらに畳み掛ける勇者。
「本当はこんな場所で言うべきではないのだが、お前には知ってほしい。実は俺はアリアハン王からの命を受けた勇者だ。もし俺たちが魔物に殺されたら、永遠にこの世界は魔王に支配されたままになってしまうんだぞ? それでもいいのか?」
「い、いいえ!! まさかあなた様があの有名な英雄オルテガの意志を受け継ぎし勇者様だとは、露ほども存じ上げず、申し訳ございませんでした! あなた様方にはぜひとも特別価格の2割引でご提供します!!」
 勇者だと知ったおじさんは、先ほどとは打って変わった態度で大量の薬草を私たちの前に差し出した。
 だが、ユウリはなぜか納得いかない顔でおじさんにさらに言い募る。
「お前人の話を聞いてなかったのか? 俺が今までかかわった道具屋の主人は皆定価の8割引で売ってくれたぞ?」
「そ、そんな……。これでも破格の値段なんですよ? ただでさえこの辺りは薬草の仕入れがままならなくて……」
「それはさっき聞いた。お前こそ、俺たちが戦いにおいていかに薬草を重視しているのかわからないのか? 重視している、すなわちそれだけ量が必要だということだ。お前は世界を滅ぼされたいのか?」
「しかし、それとこれとは別の話でして、こっちは今の生活を最重要視してるんですよ。勇者様こそ魔物を倒し続けてきて相当お強いんでしょう? だとすればそれだけお金も稼いでいるはずですよ」
 鋭いところを突かれ、ユウリはわずかに眉根を寄せる。だがすぐにもとの表情に戻り、
「確かに俺たちは相当の数の魔物を倒してきた。だが魔物を倒すには技術や経験だけではない。より強力な武器や防具も必要になってくる。それが強ければ強いほど、高価になってくるんだ。商人のお前ならわかるだろ」
 体勢を立て直し、おじさんに反撃することに成功した。おじさんはにこにこしながらも、目はあまり笑っていない。
 私はこの二人のやり取りを、ただ呆然と眺めるしかなかった。
 すると、今まで別行動をしていたシーラが陽気なステップを踏みながら道具屋にやってきた。
「あー、ミオちんたち、やっと見つけた! もおー、ずっと探してたんだからね!!」
 見るとシーラの腕に抱えているのは、大きな皮袋。ちらりと見える黄金色の輝きは紛れもなく金貨だ。
「すごいねシーラ! またこんなに稼いできたの!?」
「そーだよー♪ ミオちんにも後で分け前あげるね☆」
 私が感動すると、シーラはふふんと鼻を鳴らし、得意げに金貨の入った袋を私に見せびらかした。
 その袋は当然ユウリの目にも入っているはずなのだが、なぜか彼は不機嫌な顔をしている。
「昨日はユウリちんに3000Gあげたから、今日は2000Gね♪」
 シーラがご機嫌な様子でユウリに皮袋を渡そうとするが、ユウリはそれを受け取ろうとしない。それどころか、気まずそうな表情で道具屋のおじさんの方を見ている。
「どうやら勇者様たちは、お金に不自由のない生活を送っているようですね」
 満面の笑みでその一言を言い放つ道具屋のおじさん。ユウリは若干顔を引きつらせながらも、なんとか声を絞り出す。
「こ、これはたまたま強運の持ち主である遊び人が、たまたまカジノでたまたま大金を手に入れたからであって、決して日常茶飯事では……」
「いえいえ、先ほどの話を聞いてると、とても今日初めてカジノをやったとは思えないですね。しかも短期間で相当な額のゴールドを稼いでいるようで……。いやはやなんとも、私もその強運の持ち主である彼女にあやかってみたいものですな」
 シーラの登場をきっかけに、すっかり立場が逆転してしまったようだ。せっかくの値引き交渉も、この雰囲気では元に戻せそうにないというのが私にもわかる。
「? どーしたの? いらないの?」
 シーラが不思議そうにユウリに尋ねる。そして受け取らないと判断した彼女が自身の手を引っ込めようとしたその時、突然ユウリが無言でその皮袋をひったくった。
 そして道具屋のおじさんのほうへ振り返り、
「もう二度とお前のところで薬草は買わん!!」
 と一声発し、皮袋を握り締めたままその場から走り去ってしまった。
「……えーっと、どういうこと?」
 私は勇者の不可解な行動に、これまた不可解な言葉を発することしか出来なかった。
「とりあえず、何か買っていって行きませんか? お嬢さん」
 最初に会ったときと全く同じ表情で声をかける道具屋のおじさん。
 結局私は最初に買おうとした薬草35個を、定価で買うことにした。
 あとでユウリに何か言われても、知らん顔しておこう。
 

 

超短編・1

 道中、草原にて。

*まもののむれがあらわれた!!

*きめんどうしはメダパニをとなえた!! ユウリはあたまがこんらんした!!

*ユウリのこうげき!! ナギに26ポイントのダメージ!!

*ユウリのこうげき!! ナギに19ポイントのダメージ!!

*ユウリのこうげき!! ナギに22ポイントのダメージ!!

*ユウリのこうげき!! かいしんのいちげき!! ナギに67ポイントのダメージ!!
 ナギはしんでしまった……

「って、ちょっと待てぇぇぇぇっっっ!! なんでオレばっかり連続で攻撃されるんだよ!! 死んでも死にきれるか!!!」
「仕方ないだろ。混乱したときは仲間に攻撃しなければならないのだから」
「義務みたいに言ってんじゃねえ!! つーかなんでお前冷静なの!? ホントにメダパニかかってんのか!?」
「ああ。今も混乱して判断力がない」
*ユウリはベギラマをとなえた!! ナギに34のダメージ!!
「ぎゃあああぁぁぁぁっっっ!! ……って、ぜってー嘘だろ!!! つーか混乱してるやつは呪文なんか唱えらんねえ……」

*ナギは光の中にかきけされた!!

「え!? 何でナギ消えちゃったの!!??」
「とうとうあいつも天に召されたんだな」
「ユウリちゃんさっきニフラム唱えてたよねぇ」
「ユウリ! これじゃあナギがあんまりだよ!!」
「あいつにニフラムを唱えた覚えはないが?」
「え!? じゃあナギはどこに行ったの!?」
「あっ!! ミオちん、下の方見て!!」
「ナギがいたところの地面に穴が……!! それじゃあ落とし穴に落ちたってこと?」
「この辺りは地盤沈下が激しい場所だからな。さっきの戦闘で足場が崩れたんだろ」
「なんだ……。一瞬本気で心配したよ」
「ミオちんてば、心配性だなぁ」
「さすがに人間相手にそんなことするわけないだろ」
「そうだよね。ごめんね、さっきは疑っちゃって」
「おいこら!! 何か解決したみたいになってるけど、こっちは落とし穴に落ちてんだぞ!! 誰か助けろよ!!」
「ナギちん、すごーい!!自力で這い上がってきたよ♪」
「あ……ごめん……」
「むしろこの程度の落とし穴くらい自力でどうにかしろ」
「お前らなぁ!!」
 

 

超短編・2


道中、草原にて。

*まもののむれがあらわれた!!

*マネマネはモシャスをとなえた!! マネマネはナギそっくりにへんしんした!!

「どうしよう! どっちがナギかわからなくなっちゃったよ!」
「……ちっ。やっかいだな」

*ユウリはベギラマをとなえた!! ナギとナギにへんしんしたマネマネは28のダメージをうけた!!

「……うん。……なんとなく展開は読めてたけど、とりあえず聞く。なんで本物のオレまでダメージを受けるんだ!? オレはマネマネの仲間か!!??」
「ああ。なぜかわからんが、俺のベギラマが、お前はマネマネの仲間だと判断したようだ。まあ、天災だと思ってあきらめろ」
「なんでお前の呪文のせいであきらめなきゃならないんだよ!! つーかぜってーわざとだろ!!!」
「ふ、二人とも言い争ってる場合じゃ……。あ、危ない!!」

*ミオはふたりをかばってまえにでた!!

*マネマネはモシャスをとなえた!! マネマネはミオそっくりにへんしんした!!

「わ、私が二人!!??」
「くそっ、ミオまで二人になったんじゃ攻撃しづれぇっ……!!」

*ユウリはふたりのミオのまえにでた!
 なんとユウリはふたりのミオのかみのけをひっぱった!!

「いたぁっ!!!!」
「!!!!」
 ぼんっ。

*ミオにばけていたマネマネのへんしんがとけた!!!
 ほんもののミオはかみのけに2のダメージ!!

「よし。これで戦えるな」
「……なんでオレのときは穏便に処理してくれなかったんだよ……」
「え……これって穏便なの!?」 
 

 

閑話2 ~好きな食べ物~

 
前書き
バハラタより先の話です。
 

 
「ユウリって、甘いものは苦手なんだよね? じゃあ辛いものは平気なの?」
「いきなりなんだ。突拍子もないこと言いやがって」
次の町へ向かう道中、私たちは丁度いい木陰を見つけて、その下で休憩をすることにした。
爽やかな晴天の下、なんとなく心も晴れやかな私は、滅多にプライベートな会話はしないユウリに、たまには質問をしてみようと軽い気持ちで試みた。確かアッサラームで唐辛子のかかった食べ物を食べていた気がしたので、確認のため聞いてみたのだった。
案の定しょっぱい対応をされたが、今日の私はこの陽気のせいか、とても気分がいい。ユウリの毒舌なんかほとんど気にならないだろう。
「なんかふと気になっちゃって。もし野宿とかするときに、たまにはスパイスの効いた料理でも作ろうかなって」
「いいんじゃないか? 別に俺は辛いものは嫌いじゃない」
返ってきたのは、意外にも肯定的な反応だった。その様子を見て、私はあることを思い付く。
「そっか。じゃあ今度試してみるね」
 曖昧にそう約束すると、ユウリはさして気に留める様子もなく、ああ、と一言だけ呟いた。あまり関心がないくらいがちょうどいい。
バハラタで黒胡椒の効いた料理を積極的に食べていたことも思い出した私は、頭の中で色々シミュレーションしてみた。うん、この組み合わせなら出来そうだ。
するとユウリが「急に喋らなくなったがボケたのか?」とか言われたが、適当にごまかした。どうせならサプライズにしたい。私はある決意を秘めながら、来るべきその日まで胸を躍らせていたのであった。



後日。寄った町で準備を整えた私は、さっそくユウリを外に呼び出した。
「一体何の用だ。こんなところに呼びだして」
町の外れにある小さな広場に、二、三人がけのベンチがある。そこに座るように彼を促した。訝しげな彼の目線を無視し、私は止まらないニヤニヤを抑えつつ言った。
「あのね、今日はユウリにプレゼントがあるの」
「……本当にプレゼントか? 何か企んでるだろ」
ああ、やっぱり疑われてる。けど、そういう疑い方ならむしろラッキーだ。
わたしはいそいそと鞄から『それ』を取り出すと、ユウリの目の前に突きつけた。
「はいこれ! 私が作ったの。開けてみて!」
それは、鞄に入れるには少し大きすぎるくらいの蓋付きの木の箱だ。ユウリは不思議そうな顔をしながらも箱を受けとり、おもむろに蓋を開けた。
「!!」
中に入ってたのは、こんがり焼いた鶏肉に、サンドイッチ。それと今が旬のフルーツ。鶏肉には塩、唐辛子、それとバハラタでタニアさんからもらった黒胡椒を使って味付けをしている。
「お前……。これって……」
「へへ、前にエマが作ったのよりは少ないけどお弁当だよ。ユウリが喜ぶ顔が見たくて頑張って作っちゃった」
「……」
完全に予想外だったのか、驚いて声もでないようだ。そりゃあ今までお弁当作ってあげるだなんて言わなかったし、宿屋の厨房を借りて作ったのもユウリが朝の鍛練に行っている間だったから、まず気づかれることはなかったはずだ。
そんな中、まじまじとそのお弁当を見るユウリ。
「……見るだけじゃなくて、せっかくだから食べてほしいな」
「あ……ああ」
 早く食べたあとの感想が聞いてみたい。私はつい急かすようにユウリに言ってしまった。
早速ユウリは、黒胡椒のかかった鶏肉をフォークで刺し、口に運んだ。そして飲み込むまで見届けたあと、彼の次の言葉を待つ。
「……美味い」
「本当?!」
私は嬉しくなって、思わず身を乗り出した。ユウリは若干後ずさったが、すぐに視線をお弁当に戻す。
「お前でも何か取り柄はあるんだな」
「取り柄ってほどでもないけど、料理は実家にいたとき手伝ってたからね。ちょっと自信はあるかな」
そう言って私は得意気になる。言い方はどうあれユウリに誉められて悪くない気分だ。
するとユウリは、再び鶏肉をフォークに突き刺すと、私の方へ差し出した。
「お前も食べるか?」
「え、いいの?」
朝早起きして作った私のお腹は空腹で限界寸前だった。なので鶏肉を目の前に突きつけられたとたん、たまらず私はそのままかぶりついてしまった。まずい、こんな食べ方、絶対食い意地のはった奴って思われる。
案の定、ユウリは仰天したような顔になったあと、やがて口を押さえて俯き、声を圧し殺すように笑った。
「本当にお前は色気より食い気だよな」
私が食べてる様をじっと見ながら、彼が言った。全くその通りです。反省してます。
私は顔を赤らめながらも鶏肉をなんとか飲み込んだ。そして俯き加減でユウリの失笑している様子をちらっと覗き見る。
ユウリの笑ってる姿なんて、滅多に見られないから結果オーライかな?
結局残りの料理も二人で半分ずつ分けあって食べたのだが、それでも結構お腹がいっぱいになった。調子に乗って作りすぎたらしい。
「本当に美味かった。ありがとうな」
「いえいえ、どういたしまして」
笑顔ではないものの、食べる前よりも大分柔和な表情でお礼をいうユウリ。正直なところ、こんなに率直に感想を言ってくれるなんて思ってもみなかった。
お礼を言われるのはくすぐったいけど、ユウリに喜んでもらえて本当によかった。
「今度はナギやシーラの分も作って皆で食べようね」
私がそう言うと、なぜかユウリは露骨に表情を歪めた。
「別にいいだろ、とくにあのバカザルの分は」
「そんなこと言わないでよ。皆で食べるとまた違うと思うよ?」
「ふん。別に人数が変わったって同じだろ」
 大家族で育ってきた私にとって、その言葉には愕然とした。そもそもユウリは大人数で食事をしたことがないのだろうか?
「そんなことないよ。それともユウリは今みたいに二人で食べる方が好き?」
「!?」
なぜか急に顔が真っ赤になるユウリ。突然ベンチから立ち上がり、
「そんなわけないだろ!! 誰がお前となんか!!」
「え?」
そう切羽詰まったような顔で言うもんだから、私は慌てて説明する。
「いや、別に私とだなんて言ってないよ。少人数で食べる方が好きなのか聞いただけで……」
ぐいっ。
「いったぁ!!」
言葉の途中でいきなり三つ編みを思い切り引っ張り上げられ、私はたまらず声をあげた。
「いきなりなにするの?!」
「うるさい黙れ。間抜け女の癖に偉そうに」
訴えもむなしく、彼はさっきとはうって変わった機嫌の悪さで私の三つ編みを引っ張り続けた。
せっかく喜んでもらえたのに、なんでいつもこうなるんだろう。私は心の中でがっくりと肩を落とした。
でも、目に焼き付いて離れないのは、お弁当を口にいれたときの嬉しそうな表情。といってもよーく目を凝らしてみないとわからないくらい少しなんだけど。
それを一瞬見られただけでも、良しとしよう。そして私は再びにやけた顔をユウリにみられ、あとで恥ずかしい思いをすることになったのだった。
 

 

新たなる旅路

「よくぞ戻った!! 勇者よ!! まさか本当に黒胡椒を持ち帰ってくるとは、さすがはあの偉大なる英雄オルテガの血を引く息子であるな!!」
 黒胡椒を持ち帰り、早速ポルトガのお城にやってきた私たちは、すっかり体調が良くなったであろう王様からの手厚い歓迎を受けていた。
 タニアさんから預かった書類を渡し、黒胡椒を王様に渡すユウリ。そのときの王様の顔が、これ以上ないほど顔が綻んでいたのを、私は見逃さなかった。
「では、約束通り、そなたたちに無期限の船の使用許可を授けよう! 我が国が誇る世界で最も早く美しい船だ。思う存分使ってくれ」
「はっ。陛下のお心遣いに感謝致します」
 玉座の前で、深々と一礼するユウリ。その横で私も彼に倣ってお辞儀をする。
「今は定期船も停止しているため、その中の一隻を勇者殿に使っていただくつもりだ。詳しいことは、波止場にいる船長に聞いてくれ」
 玉座の横に立っている大臣が、船についての簡単な説明をしてくれた。船はお城の向かいにある定期船乗り場の方に停泊しているそうだ。
「では、改めて礼を言う。そなたたちの旅に幸あらんことを願っておる。では、行くがよい!」
 王様がそう高らかに声を上げると、部屋の隅にいた兵士が素早い動きでやってきて、私たちを扉の方へと促した。どうやら退出を勧めているらしい。
 特にとどまる理由もないので、私たちは素直に従うことにした。
「目的のものが手に入ったから、俺たちはお払い箱ってことか」
 城門の前で不服そうに独り言ちるユウリ。
 きっと私たちが帰ったら、早速黒胡椒料理を作らせるんだろうな、と思いながら、私たちはお城をあとにした。
 お城の向かいにある定期船乗り場を眺めると、未だ出航の目処がたたない数隻の船が停泊している。その中の一隻が私たちの船らしい。
 定期船というだけあって、ここから見るだけでもなかなかの大きさである。期待に胸を膨らませながら乗船口に向かうと、すでに話をつけてあるのか、係員の人が私たちを見た途端、「お待ちしておりました」と中へ案内してくれた。
 逸る気持ちを抑えながら、係員のあとをついていく。波止場まで進むと、船員らしき人たちと、彼らの中央に立っている年嵩の男性が私たちを出迎えてくれた。
「はじめまして、私が船長のヒックスです。勇者様のお役に立つため、全力で皆さんの旅路を支援します。短い間ですが、よろしくお願いします」
 一歩前に出て丁寧な挨拶をしてくれた船長のヒックスさんは、五十代くらいだろうか。浅黒い肌に、白髪の入り混じった短い黒髪。口髭をたくわえ、黒ぶちの立派なメガネをかけている。それに、腕や足には無数の古傷が残っており、幾重もの船旅を経験してきたであろう貫禄が滲み出ている。
「船には私を含めて十人います。もし望む行き先があるのなら、船長の私に伝えてください」
 風貌のわりに丁寧な物腰で話すヒックスさんは、船員の紹介の後、長い船旅でのルール、座礁したときの対処法、もしものときの舵の取り方などを乗船前に教えてくれた。ユウリも腰の低いヒックスさんが気に入ったのか、珍しく素直に話に耳を傾けている。
 そして、一通り話が済んだ後、先に船員たちを乗船させ、出航の準備をした。
「お二人とも、準備ができ次第、お声がけください。十分後であれば出航できますので」
「わかった。さすが船舶業の盛んな国だけあって、仕事が早いな」
「いえいえ、勇者様のお役に立ちたい一心でやらせていただいてるだけですので。何しろ我々船乗りは、一度は海の魔物に痛い目に遭ってきましたから、憎い魔物を倒してくださる勇者様は我々にとっての唯一の希望なのです」
「そうか。俺たちも、海のことは無知に近いが、魔物に関しては安心して任せてもらいたい。お前たちが無事に航海出来るよう最大限のサポートはしていくつもりだ。それと、俺のことはユウリでいい。こいつを含めほかの仲間も、変に謙ったりしなくていいからな。むしろほかの船員と同等に扱っても構わん」
「お心遣いありがとうございます。では僭越ながらユウリさんと呼ばせていただきます」
 まあいい、と一言漏らすと、ユウリは警戒しながら周囲を見回した。
「ところで一つ聞きたい。魔王の城に行くには船しか通れない場所があると聞く。何か知っているか?」
「はあ……。さすがの私も魔王の城の行き先までは全く……。あ、それなら、ここからすぐのところに灯台があるのですが、そこの灯台守に話を伺ってはいかがでしょう? あいつは口は悪いですが、昔は名を馳せた船乗りでした。世界中の海を股に掛けた彼なら、知っているかもしれません」
「そうか。ならさっそくそこへ案内してくれ。俺たちは準備のため一旦離れる」
「かしこまりました。では、私の方は準備がありますので、これで失礼します」
 そういって深々とお辞儀をすると、ヒックスさんは船員に向き直り、先ほどとは打って変わった口調で船員たちに指示を出す。船員たちは、船長の覇気に気圧されながらも、威勢のいい返事とともにすぐさま各自配置についた。
「船長が有能だと、船員もよく動くな」
 ぽつりと、ユウリが賛辞を口にする。そして、私の方をちらっと見ると、なぜかため息をつかれた。
「不思議だな。万能な勇者の仲間なら、多少は俺の役に立つのだと思うんだが、なぜこうもうまくいかないんだ?」
「そんなの知らないよ! 真面目な顔でそんなこと言われても困るんだけど」
 彼の一言に憤慨するが、言った張本人は本当に理解できないのか、私の言葉に耳を傾けることすらせず、ずっと考え込んでいる。
 はぁ。やっぱりナギとシーラがいないと、なんだか息苦しい。今まではユウリに何か言われても、ナギかシーラがいることである程度ストレスを抑えることができたけど、今は話し相手もいない。一人で抱え込むのが苦手な私には、これからの旅が精神面においてとてつもなく辛くなることは、間違いないだろう。
「おい。船旅の準備だ。食料は船に積み込んであると言っていたから、俺たちの分の携帯食料と薬草類、道具類を買いに行くぞ」
「はーい」
 半ば投げやりな態度で返事をする私。その態度が気に入らないのか、唐突に私の髪の毛を引っ張るユウリ。
「痛い痛い痛い!!」
「わかったならさっさと動け!! このバカ女!!」
 そう怒鳴ると、手を放してさっさと先に行ってしまった。
 ああもう、これじゃあまだ旅に出て最初のころのほうがよかったよ。早く二人に会いたい。そう思わずにいられなかった。



 一通り道具を買いそろえ、再び波止場に戻ってくると、すでに桟橋の前でヒックスさんが待っていた。
 出航の旨を伝えると、ヒックスさんは船員に合図を送り私たちを船内へと案内した。
 甲板には数人の船員があわただしく作業を行っている。やがて、錨が引き揚げられ、出航の合図とともに船が動き出した。
「うわあっ!! すごい!! 動いてる!!」
「そりゃ船なんだから動くにきまってるだろ」
 身も蓋もないことを言うユウリを横目に、私は船から見える景色に心を躍らせた。
 まず目に飛び込んだのは、果てしなく広がる水平線。見上げると、いくつもの大きな雲が潮風とともに沖の方へと流されていく。鼻腔をくすぐる潮の香りに、私は今大海原の上にいるのだと実感させられた。
 さらに波の音とともに船がゆっくりと動き出したかと思うと、私は人目もはばからず一人で騒ぎ出していた。
「ミオさんは、船に乗るのは初めてですか?」
 ヒックスさんに声をかけられ、はっと我にかえる私。船員たちがこちらを見て笑っているのを見て、途端に羞恥心が襲ってくる。
「船どころか、こんな広い海を見るのも初めてだったんです。ごめんなさい、はしゃいじゃって」
「いえいえ、ミオさんみたいに素直に喜んでくれる人を見るのは久しぶりなもので。こちらとしてもそんな風に船に乗っていただけて、嬉しいですよ」
 私の幼稚な行動を、ヒックスさんは穏やかに笑ってフォローしてくれる。なんて優しいんだろう。
「船長はああ言っているが、あんまり騒ぎすぎるな。物見遊山で乗ってるわけじゃないんだぞ」
「う……。ごめんなさい」
 それに引き換え、うちの勇者は相変わらず身内に厳しい。いや、今のは私も悪いんだろうけどさ。
「まあまあ。それより、あちらを見てください。あそこにあるのが、例の灯台です。ほんの一時間ほどで着くと思いますので、それまで客室でお待ちになっていただけますか」
「ああ」
「ありがとうございます」
「では、私は船長室へ戻ります」
 ヒックスさんは、近くにいる船員に私たちの案内を任せると、甲板の右手にある船長室へと入っていった。
「客室はこちらになります」
 船員に案内され、甲板の下にある階段を降りると、船の向こう側まで続く廊下があり、その両側には、客室と思われるいくつもの扉が並んでいた。
「この階はすべて客室となっておりますので、皆さんご自由にお使いください」
「あの、ほかの船員さんたちはどこで寝るんですか?」
「この下の階に船員専用の部屋があります。我々は、そこで寝泊まりしてますので、ご安心ください」
 私の問いに、気兼ねなく答えてくれる年若い船員さんは、案内を終えお礼を言うと、すぐに持ち場についた。
 どの部屋にしようかなと考えていると、ユウリがいないことに気が付いた。どこの部屋がいいか聞きたかったのですぐに彼を探したが、客室には誰もいなかった。
 仕方ないので甲板に出てみると、船首の方で空を眺めているユウリの姿があった。
「ユウリ! いつのまに外に出てたの?」
「お前がくだらない質問をしている間だ」
 くだらないって……。これから一緒に生活するようなものなんだし、船員さんのことだって気になるじゃない。
 いちいち反応していても身が持たないので、スルーする。
「何してたの?」
「このあたりの海にいる魔物はどんな種類なのか気になってな。いくら機動力の早い船とはいえ、急に魔物に襲撃される可能性もないとは言えないからな」
 そういいながら、海面をじっと見つめるユウリ。私もそれに倣って目を凝らしてみてみるが、見えてくるのは波か魚の影ばかり。
「本当に魔物なんているの?」
「バカか。ここにいて見えるくらいの距離なら、すでに襲ってきてるだろ」
「じゃあなんで見てるの?」
 はあ、と大げさにため息をつくユウリ。
「見るのは魔物の影だけじゃない。潮目や風向き、魔物が餌としている魚の種類とか、いろいろあるだろ」
「ふうん。そんなにあるんだ」
「何他人事みたいに言ってるんだ。この際いい機会だ。俺が海の魔物について一から教えてやる」
「ええっ!? せっかく船に乗ったばかりなんだし、ゆっくりしようよ~」
「そんな甘ったれた根性だからいつまでたっても足手まといのままなんだ。いいから来い」
 私の態度にあきれ返ったのか、ユウリは強引に私の手を引くと、わざわざ場所を変えて海の魔物とは何たるかをレクチャーしてくれた。
 海の魔物の生態、習性、何を好み何が苦手か、魔物が近づいてくるときの海の様子など、その情報量の多さにどっと疲れが出るほどだった。そもそもユウリは実際に行ったことのない場所でも、本か何かで知識を得ているのか、地元の人でも知らないような情報を持っている。私たちの話に聞き耳を立てていた船員の一人が、ユウリのあまりの博識ぶりに声を上げて驚いたほどだ。
「ユウリさん! そろそろ灯台が見えてきましたよ!!」
 そうこうしている間に、やがてヒックスさんの言っていた灯台に到着したようだ。
「え? もう灯台に着いたの!?」
「ふん。まだまだ全然教え足りないが仕方ない。続きは灯台守の話を聞いてからだ」
 そういうと、ユウリは灯台の近くに接岸しようとしているヒックスさんのもとへと向かった。
「すまないが、一緒に来てくれないか? 知り合いがいた方が相手も気が楽だろ」
「ええ、もちろんかまいませんよ。一緒に行きましょう」
 快く承諾したヒックスさんは、船を他の船員に任せ、私たちとともに灯台守のもとへと向かったのであった。

 

 

ポルトガの灯台守

 ほかの船員たちを船に残し、私たち三人は船を降り、そのすぐそばの灯台へとやってきた。
 通りがかる船に方角や位置を知らせるそれは、建物の上部に巨大なレンズを備え付けていた。そのレンズを光に充てることで、船に居場所を知らせるらしい。
 真っ白な石造りの建物は、海の青によく映えていた。時折灯台の上から降りてくるカモメが、水面を弾き魚をくわえてまた空へ飛び立っていく。
 灯台の入り口まで来ると、扉は閉ざされていた。ヒックスさんは扉の横にある鐘を鳴らすと、ほどなく上の方から足音が聞こえてきた。
「なんだ、こんなところに何の用だ?」
扉越しに尋ねてきたのは、海の男特有の少し声枯れした男性の声だった。
「聞こえるか、おれだ、ヒックスだ。実はお前に聞きたいことがあってここに来た。開けてくれるか?」
 ヒックスさんの声に、すぐにがちゃがちゃと鍵の開く音が聞こえる。勢いよく扉が開かれ、中からヒックスさんと同年代ぐらいの体格のいい男の人が現れた。
「おお!! ヒックスじゃねーか!! 久しぶりだな!! なんだ、仕事は再開したのか?」
「いや、まだ定期船は運休中だ。それより、お前はアリアハンの勇者を知っているか?」
「ん? ああ、確か十年ぐらい前に魔王と戦って行方知れずになった、オルテガの息子だろ? そりゃあお前、オルテガとは一時とはいえ一緒に旅をしてきたんだ。その息子が魔王を倒すために最近旅に出たことぐらいは知ってるさ」
「その勇者様が、お前に聞きたいことがあるっていうんでお連れしたんだ。ユウリさん、こいつがここの灯台守で、バングと言います」
 ヒックスさんの紹介に、いつもの無愛想な態度でバングさんの前に出るユウリ。
 一瞬何のことかとキョトンとしたバングさんは、急な客人に驚いて声が出ないのか、無言でヒックスさんとユウリの顔を交互に見る。
「おい、お前。今俺の親父と旅をしたといっていたが本当か?」
「へ?」
「あと、魔王の城がどこにあるか知っていたら教えてくれ」
「あ、えー、はい、そうっすね。はい」
 突然勇者が目の前に現れ、混乱するバングさん。気持ちはわからなくもない。
「えっと、この人はおっしゃるとおり、オルテガさんの息子さんです。それで私たちは今、魔王の城がどこにあるか探してる最中でして、もしそこについて知っていることがあればお聞きしたいと思ってこちらに伺いました」
 とりあえずまずは私たちの事情を明らかにしなければならない。私は慌てて二人の間に立ち、ここに来た理由を説明した。
「そうか……。本当に、オルテガの息子が旅に出たのか……」
 一呼吸ついたおかげでバングさんは冷静さを取り戻したのか、ユウリの顔をまじまじと見る。
「あれからもう十年か……。そりゃあおれも年を取るわけだ、オルテガの息子がこんな大きくなっちまうんだもんなぁ」
 そう呟くと、感慨深げに息を吐く。
「なあ、おれは初耳だったんだが、本当にお前はあの英雄オルテガと一緒に旅をしていたのか?」
 ヒックスさんがユウリと同じ問いを投げ掛けると、バングさんは遠い目をした。
「ああ。出会ったのは十一年前だが、オルテガが消息を立ったのはそれから一年もたたないくらいの頃だった。当時おれは、ちょっとは名の知れた海賊でな、自分で言うのもなんだが、この辺じゃ知らないやつはいないほどだったんだよ。そんなときある町で、あの男はいきなり一人でおれの船に乗り込んできたんだ。それで、何て言ったと思う? あいつ、魔王の城に連れてってくれと頼み込んできたんだ」
 一人で海賊の船に乗り込んで、さらに魔王の城に連れてってくれだなんて、オルテガさんてずいぶん破天荒な人だったんだというのが窺える。
「少し聞くだけでも、面白い男だな、オルテガは」
 半ば感心するようにヒックスさんが言うと、父親の話だと言うのに全く興味がなさそうな顔でユウリがバングさんに尋ねた。
「で、結局魔王の城まで連れてったのか?」
「ああ。そのときはあちこちに火山が噴火していて、大分地形も変わってると思うから、今はおそらく通れないと思うぜ」
「なら場所だけでもいい。教えてくれ」
「いやしかし……」
「頼む」
「……仕方ねえな」
 最初は口ごもっていたバングさんだったが、ユウリの真摯な態度に折れたようだ。
「ちょっと待ってな。今世界地図を持ってくる」
「世界地図ならここにある」
 ユウリが鞄の中から世界地図を取り出し、皆の前で広げて見せた。
「こりゃ珍しい。三賢者が作った世界地図だな」
 所有者の位置がリアルタイムでわかるこの地図は、やっぱり珍しいものだったらしい。あとで聞いたが、この地図は昔、三賢者と言われた一人の賢者が道に迷わないようにわざわざ作ったという逸話があるそうだ。
 それはさておき、気を取り直して、バングさんは現在地を指で指し示した。
「魔王の城は、ここからちょうど南東だな。未到達の場所は表示されないから現在の地形がどうなってるかはわからないが、この辺りはネクロゴンド山脈と呼ばれていて、活火山が多い。現にオルテガが消息不明なのも、火山に巻き込まれたからだという噂が立つくらいだ」
 オルテガさんが消息不明、というバングさんの言葉に、なんとなくユウリの方をちらっと見るが、当人はさして気にする素振りは見せていない。
 バングさんは、今いる位置から魔王の城までを指でなぞった。
「おれたちが通ったのは、南にずっと行ったところにあるテドンの岬をぐるっと回り込んで行ったルートだ。おれが知る限り、船で行くにはこのルートしか行くすべはないだろう。だが、実はもうひとつ魔王の城に行く方法がある」
「? 今の話、矛盾してるじゃないか」
 確かに、船で行けるルートは一つしかないといってるのに、それ以外にも道があるなんて、どういうことなんだろう。
「船で、と言っただろう。おれが得た情報だと、世界のどこかに、オーブと呼ばれるものが全部で六つ存在しているらしい。確か、赤、青、黄色に緑と……、まあとにかく、それぞれ何かを象徴してるみたいだが、詳しいことはわからねえ。そのオーブをすべて集めることが出来れば、船を必要としないで魔王の城に行けるんだそうだ」
「その話は本当か!?」
 バングさんに掴みかからん勢いで迫るユウリ。
「ああ。それで、全く同じ話をあんたの親父にも伝えたんだ。けれど結局、六つ全てを集めることは出来なかったみたいだぜ」
 そう鼻で笑うと、バングさんは突然真剣な表情でユウリを見据える。
「あのオルテガでさえ見つけられなかったものを、あんたは見つけられるって言うのか?」
 そう言い放つバングさんの目は、どこか品定めをしているようにも見えた。
 きっとユウリもそう感じているのではと思いつつ、逆上しないかと私は内心ビクビクしていた。だが、
「ああ。俺はあの男とは違う。もし必要になったとしても、俺の力で全て見つけてみせる」
 そう言いきったユウリの目に、迷いはなかった。
「ははっ、言うじゃねえか。面白い、気に入ったぜ。でもな、せっかく船があるんだ。まずは船でネクロゴンドに行ってみな。テドンの岬を陸づたいに行けば魔王の城が見えるはずだ」
「……わかった。礼を言う」
 バングさんに魔王の城への行き方を教えてもらい、素直に頭を下げるユウリ。
「じゃあな、道中気を付けろよ。……それとヒックス、ちゃんと勇者を魔王の城まで乗せてってやれよ」
「ああ、お前に言われなくてもわかってる」
「へへ、昔と違って、ずいぶん丸くなっちまったじゃねえか」
「うるせえ。勇者さんの前で変なこというんじゃねえよ」
 そう笑いながら別れの挨拶を済ませると、バングさんは仕事に戻ると言い、扉を閉めた。
 帰りの道中、ヒックスさんは早速ユウリに尋ねた。
「どうでしたか?」
「なかなか有益な情報だった。おかげでこれからの方向性がある程度定まった」
「それはよかったです」
 そう頷くと、二人は今後の針路について話し始めた。そのまた後ろで私は、ユウリに借りた世界地図を黙って眺めながら歩いている。
 確か、ここがテドン。そこをぐるっと迂回して、突き当たった先がネクロゴンド山脈。そこから魔王の城までの道程は行ってみないとわからないけれど、ようやく目的に一歩近づいたような気がして、無意識に胸が高鳴る。
「とりあえず、ネクロゴンドに向かおう。城には行けなくても、その近辺がどういう状況なのかをある程度は把握しておきたい」
「わかりました。すぐに船員に指示を出し出航します」
 そういうと、一足先にヒックスさんは船へと戻っていった。灯台から船までは目と鼻の先なので物の数分も歩けば船に到着するのだが、ヒックスさんにとっては数分の時間も惜しいらしい。
「おいボケ女。お前が見てもわからないだろ。早くその地図を返せ」
 私の返事を待たず、せっかく見ていた世界地図を取り上げるユウリ。私がぶうたれた顔を向けると、いつものごとく私の右の三つ編みを引っ張ってきた。今回はそれほど痛くない。
「なに不細工な顔してるんだ。置いてくぞ」
 地図を鞄にしまいながら、あきれた様子でユウリが歩みを早める。
「あっ、待ってよ」
 私は緊張と不安を振り払うかのように、先を行く二人を追いかけたのだった。
 

 

船室にて

 
前書き

※ 今更ですが、ご注意していただきたいことがあります。基本的にはゲーム内容に沿った流れで話を進めていきますが、どうしてもゲームのシナリオ通りにいかない展開も出てきます。そのため、今後ストーリーの関係上、オリジナルの設定やキャラクターなど、多数出てくる予定です。そういった部分に抵抗を感じてしまう方は、内容をご理解の上、自己判断でお願いします。 

 




 船での生活を送ること五日。
 灯台を離れ、左舷に見える山脈や森林を眺めながら、どんどん南下して行く私たち。
 やがて大陸に沿うように航路をとると、途中から北上するようになった。 東にはバハラタの町がある大陸まで見えるようになり、どうやらここは二つの大陸の間に挟まれた湾のような地形になっている。
 途中まで順風満帆だった船旅だったが、北上するにつれて次第に波は荒れ始め、風も強くなってきた。
 海の天気は変わりやすいというけれど、このあたりの海域は特に海が荒れやすい、とヒックスさんは言う。
 ずっと客室にいても退屈なので、時折甲板や船長室に行っては手伝いを申し出たが、勇者の仲間ということで気を使われているらしく、丁重に断られていた。
 なのでこの五日間、波が穏やかな日は一人で黙々とトレーニングをしたり、ユウリに再び海の魔物講座を受けさせられたりしていたのだが、空に暗雲が垂れ込める今の時間は、高波もあり船体が大きく揺れることがままあるため、仕方なく客室でおとなしく待つことにしている。
 食堂で船内のコックさんに作ってもらった朝食をぺろりと平らげ、満足になった私は、そのまま自分の部屋に戻り、ベッドに体を預ける。
 一人でぼんやり考え事をしているうちに、そういえば今日は朝からユウリの姿を見ていないということに気づき、隣のユウリの部屋を訪ねてみることにした。
「ねえ、ユウリ。 起きてる?」
 ノックをして声をかけるが、返事はない。 どこかに出かけているのかと思い、一応扉を開けて部屋の中ものぞいてみる。 すると、ベッドにくるまり、頭だけ出して寝ているユウリの姿があった。
「ど、どうしたの!? 」
 私が慌てて駆け寄るが、いつものユウリらしい毒舌は降ってこなかった。 それどころか、私が部屋の中に入っても、何も反応がない。
 ベッドに近づいてみると、顔面蒼白のユウリが布団に半分顔を出したまま、私を恨めしそうに見ていた。
「朝からうるさい……。 さっさと出てけ……」
 いやいや、そう言われて、はいそうですかって出ていけるわけないじゃん!!
 そのただならぬ様子に、私は既視感を感じていた。 そういえば、前にもこんなことがあった。
 確かあれは、いざないの洞くつで旅の扉を通った時だ。 ナギに落とされてロマリアに着いたとき、こんなふうに青白い顔をしていた。 そして、ひとつの結論に辿り着く。
「…… もしかして、船に酔ったの? 」
 私の言葉に、びくりと反応するユウリ。 無言だが、どうやら図星らしい。
 そう、確かあのあと、旅の扉に酔ったとか言っていた。 きっと今も同じような状況なのだろう。
「ちょっと待ってて、今お水持ってくる! 」
 私は返事も待たず部屋を飛び出し、大急ぎで厨房からお水をもらってくることにした。だが船の上にとって水は何より貴重なので、料理長には詳しく事情を説明しないと分けてもらえない。そう思っていかに納得してもらえるか言葉を考えながら厨房へと向かったのだが、勇者の体調不良と聞いて心配してくれた料理長は、拒否するどころか普通の水にレモン汁を加えたものをわざわざ出してくれた。
 料理長に感謝の言葉を言い残したあと、コップに入った水を手に持ちながら急いで部屋に戻るが、なぜかそこにユウリはいなかった。 辺りを見回すが、人の気配すらない。
 外に出たのかと思い、甲板に出てみる。すると、船首の方に服だけ着替えたユウリと、ヒックスさんがなにやら難しい顔をして話しているではないか。
「何かあったの? 」
「ああ、ミオさん。 ちょうどよかった。 今ユウリさんとも話したんですが、どうもこの先には行けないようです」
 二人が視線を進行方向へ向ける。 私もそれに倣うと、ここから数キロほど離れた先に、雪をかぶった山々が連なっているのが見える。 道理で寒いはずだ。 しかも上を見上げてみると、ここでも雪がちらついている。
「もしかして、あれがネクロゴンド山脈? 」
「はい。 私もここまで来るのは初めてなのですが、まさかこんなことになってるとは……」
 どういうことなんだろう? と首をかしげながら目の前の景色をじっと見る。 そして、あっと気が付いた。
「何あれ……? 火山? 」
 海はそこで行き止まりになっており、海岸を経てすぐに山脈が広がっている。 だが、その山脈の一番高い山のてっぺんからは噴煙が上がっており、つい先ほど噴火が起こったのか、噴火口の周りには、鮮やかに赤く光るマグマが伝い流れている。
 ここからでもわかる。 これ以上近づくのは危険だ。
 よく見ると、降っているのは雪ではなく、火山灰だ。 風が強いわけでもないのに、ここまで飛んできているということは、相当大規模な噴火なのだろう。
「ここ数年で、地形がだいぶ変わったみたいですね。バングの言った通りだ」
「……あの火山がある限り、俺たちはここから先には進めないようだな」
 三人の間に、暗雲が立ち込める。まるで、鬱々とした今の天気のように。
「仕方ない。 それならほかのルートを探し、同時進行で六つのオーブの行方も探すことにする。 とりあえず、情報を集めるために近くの町にでも泊めてくれ」
「それなんですが、ユウリさん、このあたりには、人が住める家や町は見当たりません」
「……なんだって? 」
「一応『鷹の目』を持つ船員の一人にこのあたりの町の場所を調べさせたんですが、どこも昔、魔王軍に滅ぼされたり、一斉に逃げ出して無人となった町しかなくて……」
「……」
 ショックを受けたのか、船酔いが悪化したのか、沈黙するユウリ。 だがすぐに我に返り、
「なら、とりあえず一度停泊できるところを探してくれ。 俺は部屋で休むから、あとはお前に任せる」
 そういうと、顔を上げずに甲板を出て行った。 その様子をヒックスさんが心配そうに眺める。
「ユウリさん、どうしたんでしょう? 具合が悪いように見えましたが……」
「えっと、実は、船酔いしてるみたいで……」
 私が説明すると、ヒックスさんは物凄く驚いた顔をした。
「なんと、それは大変! ならなるべく長時間停泊できる場所を探して参ります! 」
 ヒックスさんは慌てて船長室に駆け込んだ。おそらく中にいる航海士さんに相談しに行ったようだ。 ヒックスさんのことだ、きっと急いで探してくれるはずだろう。
 その間に私も船内に入り、ユウリの部屋に戻ってみる。すると、部屋の前で心配そうにこちらを待つ料理長の姿があった。
「あの、勇者さんは大丈夫なんでしょうか? 」
 船員の中でも最も年長らしいその人は、コックとしても何十年勤めてきた大ベテランではあるが、優しく穏やかな性格だからなのか、わざわざ様子を見に来てくれたようだ。
「ええ、なんとか。 それであの……、もし可能でしたら、消化のいい食べ物を用意してくれませんか? 」
「はい、もちろん! すぐ用意致します! 」
 張りのある返事と共に、弾くように厨房へ向かう料理長。 年のわりにすごくシャキッとした人だ。
 ノックをし、再び部屋に入ると、今度は布団を頭から被っていた。 ベッドの横のテーブルに置いてあったレモン水には、どうやら手をつけていないようだ。
「お水、飲まないの? 」
「…… いちいち余計なことをするな。 ボケ女」
「余計なことじゃないよ。 こんなに具合が悪いんだもん。 心配になるよ。 ねえ、本当に船酔いなの? 」
「…… だったらなんだ」
「お水飲めば、少しはすっきりすると思うよ。 起きられる?」
「……」
 私の少し強引な看護に、抵抗する気も失せたのか、無言で起き上がるユウリ。
 鬱陶しげに見るが、私がお水の入ったコップを手にしたとたん、ぎょっと目を見開いた。
「なんでお前がそれを持つんだ?! 」
「え、いや、今から飲んでもらおうと……」
「そのくらい一人で出来る!!  老人扱いするな!! 」
 そう言うと、私の手から強引にコップを奪い、一気に中身を飲み干したではないか。
「えーっ!!  貴重なお水なのに!! 」
「うるさい!  俺に構うな!! 」
 顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らすユウリ。それを見て、もしや熱でもあるんじゃないかと思った私は、彼の顔を覗き込んだ。
「なっ……!? 」
「なんか顔が赤いよ?  熱あるんじゃない?」
 こんなところで具合が悪くなったら大変だ。そう思い、どれだけ熱があるか確かめようと、自分の額をユウリの額にくっつけようとしたのだが、寸前で思い切り突き飛ばされた。
「おっ、お前は……!! もう少し異性との距離感を考えろ!! 」
「??」
 急に意味不明なことを言いだしたので、これ以上どうすることができなかった。 結局無理強いしても、ユウリの熱が上がるだけだと判断した私は、諦めて部屋に戻ることにした。
「……ごめん。けど、なんかあったら言ってね。 部屋にいるから」
 扉の前でそう伝えるが、ユウリからの返事はない。 仕方なく私は彼の部屋をあとにすることにしたのだった。



 それから、どれくらい経っただろうか。 ベッドに横になってるうちに、いつの間にか寝てしまったらしい。
 陸での移動とは違い、目的地まで自分の足で歩くことがないのはいいのだが、その分やることがないと退屈で仕方ない。 今までの道のりを考えたら随分贅沢な悩みなのだが、そういう立場にならないとわからない悩みもあることを痛感していた。
 船窓を覗くと、日が傾いているのか、すでに空は薄暗くなっていた。 未だ雲間から日差しは見えず、遠くに広がっている黒雲が、今にもこの船を覆い尽くそうと、虎視眈々と狙っているように見える。
 依然として波は荒れているが、ネクロゴンドに近づいたときよりは幾分マシになってきた。
 もうすぐ夕飯だろうか。 半日寝ていたので、空腹感は最高潮に達していた。
 ちなみに食事は時間によって決まっており、料理長が呼びにくるわけではなく、食堂で食べることになっている。 私たちと船員では食事の時間が違うため、はち会うことはない。
 そういえば、ユウリはちゃんとご飯を食べたのだろうか?
 なんとなく彼の部屋に入るのがためらわれるので、部屋を出てから一旦食堂に向かうことにした。 今から食事を作り始めるのか、厨房では料理長が調理の準備をしていた。
「あっ、ミオさん!  ユウリさんの具合は大丈夫ですか? 」
「いや、まだ様子は見てなくて……」
「そうですか。 実は、先ほどミオさんがおっしゃっていた、消化のよい食べ物を作ったんです。実はお昼過ぎにもユウリさんの部屋の前に食事を持って行きまして、あとで様子を見たらどうやら食べてくれたらしく、食器が空になって置いてありました。 私は今から夕食の支度があって手が離せないので、もしよければミオさんに持っていっていただこうと思いまして……。 厚かましいとは思いますが、頼んでもよろしいですか? 」
 願ってもない申し出に、私は快諾した。
「わかりました!  わざわざありがとうございます」
 私は料理長にお礼をいうと、ユウリのもとへ運ぶ食事を受け取り、すぐさま彼の部屋へと向かった。
 これで彼の部屋に入る口実が出来た。 さすがに食事を持ってくる人間に無下に追い返すなんてことはしないだろう。
 今朝と同じように声をかけてノックをし、反応をうかがう。 何も返事はないが、ひょっとしたら寝ているのかもしれない。
 私は静かにドアノブを回す。 ところが、鍵がかかっているのか、扉は開かなかった。
 仕方なく、昼に料理長が行ったように食事を扉の前に置き、再び食堂に戻ることにした。
「お帰りなさい。 ユウリさんの様子はどうでした? 」
 料理長が心配した様子で声をかけてきたが、私は曖昧な表情を作る。
「それが鍵がかかっていて……。 まだ元気になってないのかも」
「それは心配ですね。 一旦船酔いすると、なかなか治りませんし」
 そういうものなのか。 何かに酔うということが今までなかったので、どの程度辛いのか良くわかってなかったのだが、何時間も辛いままなのは相当体に負担がかかるだろう。
「早く上陸できるところが見つかればいいんですけどね」
 最悪町がなくてもいい。 船が停泊できるような場所であれば、一度船から降りてそこで休めばいい。 魔物も蔓延っているかもしれないが、もしものときに買っておいた魔物避けの聖水もあるし、なんとかなるだろう。
 まあこればっかりはこっちではどうにもできないので、ただ神様に祈るしかない。
「そうだ、何なら先に夕食でも召し上がりますか?  もうしばらく待っていただければ用意できますので」
「ホントですか!?  是非お願いします! 」
 料理長の心遣いに素直に感謝しつつ、カウンター席に座り待つことにした。
 ほどなくして、あたりにいい香りが立ち込めて来たと同時に、料理が運ばれてきた。
「今日は海が荒れてまして、あまりいい魚は釣れなかったんですよね」
 そういうが、料理長の作る料理はどれもとても美味しい。今回は塩味の効いた保存用の魚をオリーブ油で焼いたものと、乾パンにべーコンを挟んで焼いたサンドイッチ。その横には、レーズンと調味料であえたマッシュポテトが添えられている。
 これまで五日間船での食事を頂いてきたが、メニューはそれぞれ違っていた。 食材は同じでも調理法や味付けを変えたりしてくれてるので、食事に飽きると言うことは今のところ感じられなかった。 皆が飽きないように、色々工夫をしてくれているのが感じ取れる。
「ミオさんの食べる姿をみると、作りがいがありますね」
 カウンターの向かいに立っている料理長が、柔らかな笑みを浮かべるので、つられて私もつい、にへらっ、と笑顔で返す。
 確かに食べることは好きだが、これは誉められているのだろうか?
 あっという間に食べ終えると、一気に満腹感と幸福感が増した。 しばらくそこで寛いでいると、食堂の入り口から足音が聞こえてきた。 反射的に振り向くと、そこにはいつもの旅装束を身に纏ったユウリが、食べ終わった食器を持ってこちらに向かって歩いてくるではないか。
「おい、ボケ女。 行くぞ」
「え? どこに? 」
 私の至って普通の反応に、ユウリは明らかな侮蔑の表情を向けた。 いや、今のは私悪くないよね?
 食器をカウンターに置くと、彼は私の腕を掴み、強引に引っ張った。
「いたたた!!  何々!?  どこに行くの? 」
「船長が町を見つけた。 そこに向かう」
「町?! 」
 私のすっとんきょうな声にも反応せず、私を引きずるように食堂を出るユウリ。
「もう体は大丈夫なの? 」
「ああ。 お陰様でな」
 何だか刺のある言い方だ。
「外は暗いが町はまだ明るい。 情報を集めるだけ集めるぞ」
 そう言うと、私の返事も待たず、すぐに下船の準備を始めた。
 私も急いで支度を整え、ほどなくして錨が下ろされた船から離れ、彼の言う夜でも明るい町を目指し、上陸することにしたのだった。 

 

不思議な夜の町

 船長のヒックスさんが見つけたと言うその町は、辺りがすっかり暗くなったと言うのに、家々のあちこちに煌々と光が漏れていたのが遠くからでも見てとれた。
 あのあとなんとか山あいの入り江に停泊し船を降りたのだが、今まで室内にいたせいか、それとも暖かい地方にずっといたせいだろうか、肌を刺すような寒さが身に染みる。
 船員さんの薦めで外套を羽織ってはいるが、それでも底冷えするほど寒い。 気づけばもう本格的な冬を迎えていた。
「イシスはあんなに暑かったのに。 場所が違うと、気候も全然違うんだね」
 私がぼやくが、ユウリは無反応。 それでも寒さは感じているらしく、鼻の頭が赤くなっている。
「こんなに外は寒くて暗いのに、なんであの町はあんなに明るいのかな?」
 普通は寒くなれば、暖炉に火をくべたり、部屋を暖めるための道具や燃料が必要になるので、なるべく消費しないために、日が落ちる頃にはもう皆寝てしまう。 少なくとも私の村ではそうだった。
 けれどこの町は、夜になってもほとんどの家に明かりがついている。 遠くからでも目立つこの眠らない町は、アッサラームとはまた別の異様な雰囲気を放っていた。
 町の入り口にたどり着くと、その光景はますます異質だった。 まず、こんな夜にもかかわらず、外を出歩いている人がちらほらいる。 アッサラームのように、夜でも開いている店があるから、というわけでもない。
 おまけに、その人たちはみんな外套を着ていない。 それどころか半袖の人までいる。 この寒さに慣れているのだろうか?
 この様子を見て推察されるのは一つ。
「ひょっとしてこの町って、夜の散歩ブームなのかな? 」
「何アホなこと言ってるんだ」
 私の名推理に、冷たくあしらうユウリ。
「でも、なんか変じゃない? この町。 なんか不自然っていうか……」
「お前でも、多少は物の分別がつくようになったんだな」
 明らかに馬鹿にした様子で言うと、ユウリは視線を巡らせる。
「まあ、何にしろ家に籠られるよりは全然いい。 その辺をフラフラしてるやつらに話を聞いてみるぞ」
 そういって、最初に目に留まった一人の若い男性の元まで行き、声をかけた。
「おい。 ちょっといいか? 」
「おや、お二人さん、こんにちは。 旅人かい? 」
「ああ。 実は、この近くにあるネクロゴンドまで行きたいんだが、今火山が噴火して通れない。ほかにどこか通れる道があれば教えてくれないか? 」
「そうかい。 新婚旅行かい。 そりゃあ素敵な旅になりそうだ」
「は? 」
「いやあ、こんなにかわいい奥さんと一緒だなんて、うらやましいよ。 それじゃ、お幸せに! 」
 若い男性は一方的にそういうと、さわやかな笑顔で私たちの前から歩き去った。
『……』
 あまりに支離滅裂な会話に、しばし言葉を失う私たち。
「…… 何か、間違っていたか? 」
 ぽつりと、ユウリが低い声でつぶやく。
「俺はちゃんと相手にわかりやすいように尋ねたつもりだったんだが。 どうして新婚旅行なんて言葉が出てくるんだ? 」
「いや、私に言われても……」
 不可解すぎて、私もどう捉えていいのかわからない。とりあえず今の男性は、忙しくてやんわり断るために、わざとジョークを交えて話を早く終わらそうとした、というかなり無理やりな解釈で納得することにした。
「相手が悪かった。 今度はあの女に聞いてみるか」
 頭を切り替えたユウリが視線を向けた先にいたのは、買い物かごを手にした子供連れの女性だった。 四~五歳ぐらいの女の子を連れて、楽しそうにおしゃべりをしている。
「それじゃあ今度は私が話しかけてみるよ。 あのー、すいません! 」
 私の声に気づいたのか、こちらに視線を向ける女性と子供。 私が笑顔を見せると、二人も笑顔で返した。
「あの、私たち、この近くのネクロゴンドまで行きたいんですが、途中に火山があって通れないんです。 ほかに通れる道ってありますか? 」
 多少言い方は違うが、ほぼユウリと同じ訪ね方だ。 女性は少し考えこんだ後、子供と顔を見合わせてほほ笑んだ。
「ふふっ。 メアリー、かわいいですって。 よかったわね。 でも、いずれはあなたたちにも子供ができるでしょう。 きっとあなたたちに似て、とてもやさしくて素敵な子供になると思うわ」
『???』
 いや、だれもメアリーちゃんの話はしてないんだけど。 それに、私たちに子供ができる話なんて、どこから出てきたんだ?
「ゆっくりしていってね。 この町は何もないけれど、あなたたちのような素敵な旅人はみんな大歓迎よ」
 そして、この親子も言いたいことだけ言って、さっさと先へ行ってしまった。
「えーと、どういうこと? 」
「そんなもん、俺が聞きたい」
 二人して眉をひそめ、顔を見合わせる。
 この町の人たちは、みんな人の話を聞かないのだろうか。
 そのあとも、出歩いている人たちに片っ端から同じことを訪ねてみたが、どれも同じような反応だった。
 どうやらみんな、私たちのことを新婚旅行中の男女の旅人だと思い込んでいるらしい。
「俺たちのことを正しく認識していないように見えるな」
「うん、そうだね」
 会話だけでなく、私たちと話している間の人々の目線が、ちぐはぐなのだ。 普通目の前に人がいたら、その人の目線に合わせて話すだろう。 そうでない人もいるとは思うが、会う人皆が目を合わさないというのはおかしな話だ。
 ただそんな中、何人かの町人は気になることをいっていた。
「ここはネクロゴンドに近いだろう? だからあまり旅人が訪れることはないんだ。けど、神のご加護のおかげか、今まで一度も魔物に襲われたことはない。だから、安心してこの町にいるといい」
「テドンの北にある山脈は、ネクロゴンド火山帯とも言ってな、噴火が絶えないんだ。まあ、さすがにここまでは噴火の影響はないが、もし道中近くに寄ることがあれば気を付けた方がいい」
 どうやらここテドンはネクロゴンドに近いが、魔王による被害は今のところないらしい。
 けれど肝心の魔王の城の場所まではわからなかった。 尋ねてもその言葉には耳を貸さず、ただ関係ない話を一方的に答えるだけ。そんな状況にジレンマを抱えつつ、刻一刻と時間は過ぎていった。
 そんな中、通りすがりの青年二人が、こんな気になる会話をしていた。
「くそっ、イグノーの奴、カリーナさんとあんなに仲良くして……! カリーナさんもなんであんな奴の世話ばかり焼いているんだ!!」
「そりゃあ、イグノーって奴が毎日町外れの彼女の家までわざわざ足を運んでるからだろ」
「魔法使いだか僧侶だか知らないが、ちょっとおれたちより強いからって、調子に乗りすぎなんだよ、あいつは」
「だからって、あの人に無実の罪を着せるのはお門違いじゃないか? イグノーって奴も、あんなところに一人で住んでるカリーナさんのことを心配してるんだぜ?」
「いいんだよ!! どうせあいつはよそ者なんだから!」
「お前……。あとでバチが当たっても知らないぞ?」
「ふんっ! 当たるもんなら当たってみやがれってんだ!」
 ……なんだか聞いちゃいけないことを聞いてしまった気がする。
「ひどい人もいるんだね。自分の好きな人が取られそうだからって、相手に無実の罪を着せるなんて」
「ふん。下らない感情だな」
 素っ気ない態度ではあったが、あの二人の会話を聞いて、ユウリもあまりいい気分ではないようだった。
 それにしても、随分と歩き回ったせいか、足が痛い。 どこかで休める場所はないだろうか。 一応ヒックスさんには、二、三日中には戻る予定と伝えてきてあるので、ここに一晩泊まって、明日にでも船に戻った方がいいかもしれない。
 そうユウリに提案しようとしたとき、ふと気になるものがあり目に飛び込んできた。
「ねえ、あれなんだろう? 」
 私が指差すそのはるか先に、異様な建物が見えた。 町から離れたところにあるその建物は小部屋ほどの大きさで、四方が随分と堅牢な作りの石壁でできている。 町の一角にこんな建物があるのも不思議だ。
 ユウリも気になったのか、その建物に近づいてみる。 間近で見ると、何となく物々しい雰囲気を醸し出していた。
「こら!  そこで何をしている! 」
 突然の呼びかけにびくっ、と反応すると、軽装鎧を身にまとい、手に警護用の槍を持った男の人が現れた。
「ごっ、ごめんなさい! 」
「一体ここは何の建物なんだ? 」
 すぐに謝る私とは対照的に、冷静に衛兵に尋ねるユウリ。
「ここは大罪を犯した者が入る牢屋だ。 即刻立ち去るがよい」
「大罪? いったいどういう罪を犯したんだ? こんな辺境の町で」
 だが、やはり私たちの声は聞こえないのか、衛兵はこれ以上何も言わず、じっとこちらをにらみつけている。 その圧迫感に、ただならぬ恐怖が襲った。それは彼の存在というよりもむしろ、この町全体の異質な雰囲気によるものに感じられた。
「何? 罪人と話がしたい? そんなの無理に決まってるだろ」
 いきなり衛兵が突拍子もないことを話してきた。そして、その会話が新婚夫婦とのやり取りだということに気づく。
「……まあ、伝言くらいなら、いいだろう」
 一体何を話したのだろう。そもそも、新婚夫婦がそこまでして罪人に伝えたいことって一体何なのだろうか?
 ユウリも衛兵の会話に興味津々の様子だ。なにか少しでも情報を得られまいかと、じっとやりとりを見据えている。
「……?? よくわからんが、そう言えばいいんだな?」
 そう言ってしばらくすると、衛兵はそのまま牢屋のある建物へと入っていったではないか。
「行くぞ」
 急いで衛兵のあとを追う私たち。だが、一瞬の判断が遅れたのか、寸前で建物の扉が閉まってしまった。
「くそっ、もう少しで部屋に入れたのに」
 ガチャガチャと、ドアノブを強引に回し続けるが、全く開く様子はない。
 ためしにユウリが魔法の鍵を取り出して鍵穴にいれてみたが、なぜか回ることはなかった。
「魔法の鍵でもダメなんて……」
 私が一人言ちると、ユウリは苦虫を噛み潰したように牢屋を睨んだ。そして、ふうと大きく溜め息をつくと、踵を返した。
「ねえ、もう疲れたし、今日はここで休んで、また明日にしない? 」
 タイミングを見計らい、先ほど思い付いた提案をしてみる。
「そうだな。 宿屋に行くか」
 意外にもユウリは、あっさりと了承してくれた。 よほど疲れがたまっているのだろうか。
 早速私たちは、町に一軒しかないと思われる宿屋へと足を運んだ。 外観はいたって普通の宿屋である。 扉を開けると、それほど広くはないがシンプルなつくりのロビーが目に入った。
「いらっしゃい。 おや、旅人さんかい? 」
 カウンターには、宿屋の主人と思しき中年の女性が立っている。 彼女はニコニコと笑みを浮かべながら、私たちを歓迎してくれた。
「はい。 あの、二人なんですけど、今夜一晩泊めていただけ……」
「しかも随分若いねえ。 恋人同士かい? 」
「違います! 私たちはただの旅の仲間で、今夜一晩……」
「へえ。 もう結婚しているのかい。 それじゃあ上の階が一部屋空いてるから、手狭だけどそこを使っておくれ。 はいこれ、鍵」
「いや、だから……」
 宿屋の女主人は話を一方的に進めたあと、部屋の鍵を一つ渡して、笑顔で私たちを二階まで案内してくれた。 いや、こうなることはわかっていたのだが。
「……もうこのやりとりも飽きてきたな」
「うん、そうだね」
 揃って遠い目をする私たち。 女主人は、部屋の簡単な設備の説明をしてくれたが、私たちの耳には入らなかった。
 とりあえず、言われたとおり二階へ向かう。だが、番号を確認し鍵を開けて扉を開くと、信じがたい光景が目に入った。
「なんでベッドが一つ……? 」
「…… そりゃ、あの女主人から見たら、俺たちは新婚夫婦らしいからな」
 半ば投げやりに言い放つユウリ。 もういちいち反応するのも疲れたようだ。
 ただ、一部屋なのはまだわかるが、ベッドが一つしかないのは困る。 二人で寝るには丁度良さそうな大きさではあるが、それは新婚夫婦に限った話だ。
「俺が床で寝るからお前はベッドで寝ろ」
 部屋を眺めるユウリが提案するが、さすがに体調の悪い彼を床で寝かせるわけにはいかない。
「もう一度下に行って、二部屋にしてもらうよう話してくるよ」
「…… 無駄だと思うけどな」
 正直私もそう思うが、行ってみないとわからない。
 私は溜め息を一つつき、再び女主人のところへ向かう。
「あのー、部屋を変えてもらいたいんですが」
「……」
「それか、もう一つ部屋を増やしてもらいたいんですけど……」
「……」
「あのー!! 」
「……」
 いくら声をかけても、話はおろか、口を開いてすらくれない。 完全に無視されて、私は心の中で泣きそうになった。
 一方的に話しかけて十数分、結局あきらめて、二階に戻ることにした。
「ごめん、やっぱり無理だっ……」
 言いかけて、私は思わず動きが止まる。
 二階の扉の前で待っていたユウリは、自力で立つこともできないのか、壁に寄りかかりながら荒い息をしていた。
「ユウリ!! 」
 私はあわてて駆け寄り、彼の顔を覗き込む。 顔は青白く、まるで血の気がない。 幸い熱はなさそうだが、呼吸をするのも辛そうだ。
「…… おれに……まう…… な……」
 小さい声で聴きとりづらいが、どうやら「俺にかまうな」と言っているようだ。 けれど、そんな言葉を聞いてあげるほど無神経な人間ではない。 体を支えようとするが手を払われ、それでもなお彼は無理して立とうとする。
 肩を貸そうと手を伸ばした時、ぐらりと彼の体が傾いた。
「!! 」
 彼の体は、限界に達していた。

 

 

テドンの真実

「ユウリっ!! 」
 眼前で倒れそうになるユウリをあわてて受け止めようとするが、そのまま意識を失ってしまったユウリの体は私の力では支えきることができず、折り重なるように二人とも床に倒れ込んでしまった。
「う…… 重い……。 ごめん、ユウリ。 今ベッドに運ぶからもうちょっとだけ頑張って! 」
 倒れたユウリに覆い被さられ身動きが取れない私は、彼を無理矢理起こしながらなんとか這い出る。 そして彼の肩に手を回し、半ば引きずるように部屋へと入った。 そして、一つしかないベッドにユウリを静かに寝かせたあと、その横で地べたに座り込み一息ついた。
 傍らのユウリに目をやれば、呼吸が荒く、額には脂汗も浮き出ている。 意識を失っているというのにとても苦しそうだ。
 思えばカザーブにいたときから不調の兆しはあった気がする。 それに加え、アッサラームやイシスでの異常なまでの暑さと、バハラタでのカンダタとの戦闘、さらには船酔いだ。
 おまけにここテドンはイシスとは真逆の気候であり、今は池に氷が張ってもおかしくない程の寒さである。 ここ数週間の寒暖の差が疲弊した体に追い討ちをかけ、それらの積み重ねの結果、ユウリの体はついに限界に達したのではないだろうか。 そう考えると、私たちは随分ユウリに無理をさせてきた気がする。
 立ち上がり、ベッド以外になにもない部屋を見回しながら、私は板張りの床に再び腰を下ろした。 布団もユウリにかけてあげた一枚しかなく、床にそのまま寝るには冷たすぎる。野宿用の布も、船を出てすぐテドンに着く予定だったので用意していなかった。
 下に行ってもう一枚布団をもらっていこうか。 けれど、さっきみたいに話が通じない可能性が高い。 それに何より、寒さと疲労であまり体を動かしたくない。
「……」
 諦めて結わえていた髪をほどき、外套を布団代わりにして、少しは寝れるかもとおもむろに横になってみる。
 うぅ、全然寝られない。 そもそも木の床で寝るなんて冷たいし痛すぎる。
 いや、これも修行の一環だ。 心頭滅却すれば床もまた熱し。
 そう心に暗示をかけ続けること数十分。 結局眠気がくることはなく、むしろ体の冷えで目が冴えてしまった。
 もう、こうなったら仕方がない。 私は意を決してユウリが眠っているベッドに潜り込むことにした。 野宿のときなんかみんな一緒に雑魚寝だし、ここで凍死するくらいなら我慢してでも布団の中で寝た方がいい。 怒られたらユウリに平謝りしよう。
 潜り込んでみると、布団の中はまるで天国のようだった。 この一枚があるかないかで、世界がこんなにも違うというのか。
 間近にいるユウリを見ると、彼はよっぽど疲れていたのか、先ほどまで疲労で辛そうにしていた表情からは一変、穏やかな顔で寝息を立てている。 普段野宿していても常に気を張っているのか、しかめっ面した寝顔しか見たことがなかった私にとっては、彼のこんな無防備な姿をみるのは初めてだった。
 私は視線を反対側の窓の外に移し、ナギやシーラ、ルカなど、今まで出会ってきたいろんな人のことを考えながら目を瞑る。 けれどいつもと違う空間に一人取り残された気がして、なかなか寝付けない。
 再びユウリに向き直り、改めて眺める。 月明かりに照らされた彼の顔はいつもより穏やかに見えた。
 よかった。さっきよりは随分顔色がいいみたいだ。
 エマではないけれど、こうして見るとユウリが女性に騒がれるのはわかる気がする。 普段の性格さえ知らなければ、その整った容貌は見ているだけでドキドキしてしまうだろう。
 それに、勇者という肩書きがなければ、彼はもっと素直に接してくれたのかもしれないし、私も今よりもっと仲良くなれたかもしれない。
 手を少し伸ばせばすぐ触れられる距離にいるのに、彼との距離感はいまだに縮まらない。
 けれど、ずっと彼と一緒に旅をして来たからか、彼が隣にいるだけで孤独感が薄らいでいく。 だから、ユウリには早く元気になって欲しい。いつもの毒舌が聞けないと、こんなにも不安になってしまうのだから。
 やがて、体が暖かくなってきたからか、徐々に眠気が襲ってきた。
 明日になったら、よくなってるといいな……。
 うつらうつらとなりながらユウリの回復を願うも、だんだんと意識がなくなり、いつしか私は夢の世界へと旅立って行ったのだった。



 ここは、どこだろう。
 辺りを見回して、ここが自分が住んでいたカザーブの家だとわかる。
 私は泣いていた。
 小さな手で必死に涙を拭い続けるが、止めどなく流れ落ちていく。
 どうして泣いているの?
 それは、唯一の友達が急にいなくなってしまったから。
 せめて、いなくなる前に一言お別れを言って欲しかった。 さよならもしないまま、こんな形でいなくなるなんて思いもしなかった。
 ほんの短い間だけど、師匠の元で一緒に修行をしていた、私より少し年上の男の子。
 病弱で気弱な彼は、なぜか不思議な雰囲気をまとっていた。
 そう、どうとは言えないが、身近な人でいえば、ユウリのようだった。
 だからだろうか。 ユウリといてから、時々彼のことを思い出す。
 一度だけ、師匠やほかの人には内緒で、何かを見せてもらったことがあったっけ。
 あれはなんだったかな……。 絶対に秘密にしてと言われてたんだった。
 でももう、会うこともない。 彼は行き先も告げぬまま、行方が分からなくなってしまった。 師匠や道場の仲間に聞いても、誰も教えてくれなかった。
 今はどこにいるんだろう、ルーク……。



「……く……」
 あまりの寒さに、目を開けるより先に意識が戻る。
 何やら寝言を言っていたのだろうか。 何を言っていたのか全く記憶がない。
 それよりも、ベッドの中にいるにもかかわらず、まるで真冬の雪原に居るような肌寒さは一体何なのだろう。
 目をこすり、不承不承に目を開ける。
「っくしゅん!! 」
 目覚めて早々、私は大きなくしゃみをした。 そして、自分の体が恐ろしいくらい冷たくなっていることに気づいた。
 夢の中ではあんなに暖かくて気持ちよかったのに、どうしてこんなに寒いのだろう? 私は不思議に思い、体を起こした。
 すると、宿屋の一室だったはずなのに、まるで砲弾でも打ち込まれたかのようなボロボロの壁。 天井には穴が空いており、寝ていたベッドは朽ち果てていて、今までこんなところで寝ていたのか不思議なぐらいの様相を呈していた。
「あれ……?  ユウリは……? 」
 ぐるりと見回すが、ユウリの姿はない。それどころか、辺りに人の気配すらしない。
 不穏な空気を感じ、ベッドから降りて旅支度を整える。 かじかむ手で外套を羽織り、ほとんど形を成していない部屋の扉を開けた。
 軋む床をそっと歩き、ドアすらない入り口を通り抜け、下へ降りる階段へと足を運ぶ。 階段には所々穴が空いており、 一歩踏み外すと落ちてしまうほどの危険を伴っていた。
 こんな廃墟に人の姿などあるわけもなく、夕べあれだけ部屋のやり取りをしていた店の主人の姿など、影も形もなかった。
 外に出ると、その変わりぶりは顕著だった。 何処を見渡しても廃墟が連なるばかり。 夕べのあの賑やかさは何処へいってしまったのだろうか。
 とにかくまずはユウリを探そう。 きっとユウリもこの町の異変に気づいて辺りを探っているにちがいない。
「ユウリー!!  何処にいるのー!? 」
 名前を叫びつつ、辺りを見回してみると、あちこちに瓦礫や朽ちた木々が散乱している。 民家はどれも原型を留めておらず、中には白骨化した遺体もあった。
 地面には草一本生えるどころか、乾ききった土塊に埋まることのないヒビが無数に入っていた。 酷いところは障気にあてられたのか、腐敗が進みとても人が踏み入られそうにない。
 見れば見るほど心が病みそうになるほどの惨状。 昨日話しかけた親子がいた場所には、その二人のものと思われる大小の白骨が無造作に転がっており、それを見た瞬間、涙が溢れだした。
 こちらの問いかけには答えなかったけれど、この町の人は皆旅人だろうと温かい言葉を投げかけてくれた。 そんな人達がこんな凄惨な目に遭うなんて――。
 探すこと数十分。 ユウリは町の外れにある牢屋の前にいた。 夕べ衛兵に呼び止められた(実際は違ったが)場所だ。
 彼の姿が目に入った瞬間、不安定だった私の心に安堵が広がる。
 彼は周辺を丹念に見回している。なぜかここの周りだけ特に被害がひどく、立派に見えた石壁は無残にも壁ごと剥がれ落ち、中の牢屋がむき出しの状態になっている。 足元の地面にはあちこちに毒の沼地が広がっていて、一歩歩けば自身も毒に侵されてしまいそうだった。
 私の足音に気づいたのか、ユウリはこちらを振り向いた。
「…… 起きたのか」
 その声を聞くだけで、ほっとした。
 夕べとは違い、すっかり顔色もよくなっているようだ。 ただ、起きたばかりなのか、いつにもましてテンションが低い。
「よかった。 元気になったみたいだね。 体調は大丈夫?」
 私が矢継ぎ早に質問すると、一呼吸おいてからユウリは口を開いた。
「ああ。 おかげで随分楽になった」
「そっか。 なら良かったよ」
「……」
「……」
 そう言うと、それきりお互い無言になった。 なんだろうこの気まずい沈黙。
「あの、ユウリ……」
「昨日は、ありがとな」
 俯いたまま、ポツリと低い声で言い放つユウリ。 あまりにも小さい声だったので、危うく聞き逃すところだった。
「えっと、なんかお礼を言われるようなことしたっけ? 」
「俺が倒れたあと、部屋まで運んでくれただろ」
「ああ、別にお礼を言われるほどのことじゃないよ。 それより、夕べはあれからゆっくり休めた? 」
 すると、ユウリはすぐさま顔を背けた。
「ああ。お前が隣で寝てくれたからな」
「っ!?」
 そうだった。いくら寒かったとはいえ、彼と同じ布団で寝てしまったのだ。今すぐ謝らなければ!
「ごめんなさい!! あの、誤解しないでほしいんだけどね? 夕べはあんまりにも寒くて死にそうだったから仕方なく一緒のベッドに入ってしまったわけで、別に他意があったわけじゃないから! 」
 すると、私の様子が変だったのか、興味深げに顔を上げた。
「他意って何だ? 」
「へ?  えーと、あの、そのだから……」
「説明出来ないようなことなのか?」
 ユウリの鋭い切り返しに、タジタジになる私。
 しかし、そんな私の無様な姿を鼻で笑いながら、目の前の彼はこちらをじっと見ているではないか。
「お前みたいな鈍感女でも、人並みに恥ずかしがることがあるんだな」
「なっ……!? 」
 まるで私の反応を楽しんでるかのような彼の様子に、かっと体が熱くなる。
「冗談だ。俺の方こそ、ベッドを独り占めしてしまってすまなかった」
「ううん、具合が悪かったんだからお互い様だよ。私の方こそ、勝手にベッドに入っちゃって、ごめんなさい」
「そうならざるを得ない状況だったんだろ。気にするな」
 そう言ってくれたユウリだったが、心なしか顔が赤くなっていた気がした。
 なんだか私まで照れてしまう。
「そんなことよりこれを見ろ。どう思う? 」
 いきなり現実へと戻す言葉を放つユウリが指差したほうを見ると、むき出しの牢屋の中に、一人の白骨化した遺体が朽ちた状態で転がっていた。 それを見た瞬間、私は全身が総毛立つ。
「ひどい……」
 やはり何度見ても見慣れることはなく、泣きそうになる。
 隣にいたユウリが、ポツリと呟く。
「ここだけ被害が特にひどいのを見ると、この町を襲った奴らは、ここの牢屋にいた人物に心当たりがあったみたいだな」
「確かここには罪を犯した人が入っているって言ってたよね」
「ああ。イグノー、とか言ってたか。だが、ここまでされるほどの罪を犯した訳でもないはずだが」
 そう、むしろこの中にいた人は、無実の罪を着せられて牢屋に入れられた、被害者だ。新婚夫婦の伝言といい、イグノーさんとは、一体何者なのだろう。
「いったい誰がこんなことをやったんだろう?」
 改めてみると、目を背けたくなるようなひどい光景だ。もしこの場にいたらと思うと、ぞっとする。
「おそらく魔王軍だろう。 昨日誰かが言ってたが、この町はネクロゴンドに近いから、いつ魔王軍に攻め入られてもおかしくない。 おまけにこんな片田舎で、魔王軍に対抗するだけの力もない。 結果抵抗するすべもなくここまでの被害になってしまったんだろう」
 ユウリは苦々しげに眺めた後、こんな状況でも傷一つない鉄格子に手を当てた。
「だが、建物の痛み具合から見て、少なくとも数年は経過しているな。 下手すればもっとか。 だから、夕べのうちにこんな状態になったのは明らかにおかしい」
「そんな……。 それじゃあ攻撃されたのはもっとずっと前ってこと?  でも、昨日は建物とかだってこんなボロボロじゃなかったし、町の人だっていたよ? 」
 私の疑問に、ユウリはこちらを見たあと言葉を続けるのを少しためらったが、やがて口を開いた。
「……あれはきっと幽霊だろう」
「え?! 」
 その単語を聞いた瞬間、私は凍りついた。
「昨夜は体調のせいか、はっきりとはわからなかったが、今ならわかる。 あれは間違いなく霊の類だ」
 けれど、なぜか腑に落ちないような顔をするユウリ。
「いや、正確には普通の霊とは少し違うな……。 魂がここに留まっていれば、生きている俺たちの声や姿に反応すると思うんだが……。 前にお前の師匠だかが出てきたときも、お前があそこにいたときに現れただろ」
 カザーブでの出来事を思い出して、私はおそるおそる頷く。
「あの時は、今のお前を視認したから俺たちの前に現れたんだ。 だがこの町の奴らは、まるで当時の出来事をそのまま再現しているかのようだった。 何者かが意図して魂をこの地に縛り付けているような感じにも見える」
 魂を縛り付ける? そう言われても、私にはピンと来ない。
「霊の意思など関係なく、誰かがこの町を無理やり現世にとどめようとしているのかもしれない。 もしくは、この町の人間全てが」
 そう言って、ユウリは遠くを仰ぎ見た。
 魔王軍の攻撃によって、町の人たちは何も知らずに命を落としてしまった。 もしかしたら、その無念や哀しみによって現世に縛られ、天へ召されぬままずっとこの町に留まり続けている、ということだろうか。 だが、生きている人間がこの場にいない今、それも単なる憶測にすぎない。
「これからどうする?」
 本来ならすぐにでも船へと戻りたい所だが、こんな謎だらけの状況を残したまま戻るのは本意ではない。
「……そうだな。この町が本当に魔王によって滅ぼされたのかを調べてみるか」
 ユウリと私の考えが一致し、私は大きくうなずいた。
「でも、色々見てきたけど、どこもこんな状態だったよ」
 ここに来るまでにあちこちを見て回ったが、町はここからでも見渡せるほど荒れ果てており、手がかりになりそうなものや場所は何一つ見当たらなかった。それはユウリも同じはず。
「ああ。生きている人間がいない限り、この町で情報を得られることは何もない。それ以外なら話は別だが」
「?」
 どういう意味かと、首をかしげる。
「夕べ男共が話してただろ。町外れに、イグノーと仲のいい女がいると」
「あ……!!」
 確か名前は……カリーナさん、だったっけ。
「町外れに住んでいるなら、もしかしたらまだ生きているかもしれない。探して聞いてみる価値はあるはずだ」
「うん!」
 一縷の望みを懸け、私たちは町外れのカリーナさんのところまで向かうことにしたのだった。

 

 

小さな教会

 テドンの町を出た後、私たちは町はずれにあるカリーナさんという女性が住む家を探すことにした。
 外は相変わらずの曇り空だが、雲間から時折光のカーテンが差し込み、これから雨が降るということはなさそうだ。
 だが、町はずれの家、という以外何も手掛かりがないため、捜索は難航した。ナギの鷹の目の技があればすぐに見つかるのだが、私もユウリも盗賊ではないので自力で探すしかない。
 そんな中、幾度かの戦闘を重ねるうちに、徐々にユウリとの連携での戦い方がわかるようになってきた。最初は二人だけで戦うことに不慣れで、少しの判断が遅れただけでユウリにどやされていたものだが、今では何も言われなくなった。ただ単にユウリの体調が万全ではなく、私などに構う程の気力がないだけなのかもしれないが。
 ともあれ、戦闘の訓練も兼ねてテドンの町の周りを捜索し続けたのだが、日が傾き始めてもそれらしき家は見つからなかった。
 このままでは夜になってしまう、そう思い焦り始めたころだった。
「ねえ、あそこに何か見えない?」
 よく目を凝らして見てみると、うっそうと茂った森の木々の隙間から、建物らしきものが見える。ユウリも私もナギほどではないが目はいい方なので、ユウリが見えていれば間違いない。
「……確かに、建物に見えるな」
「やった!!」
「まだ例の女の家と決まったわけじゃないからな。あまり浮かれるなよ」
 喜ぶ私を横目に、ユウリが釘を刺す。
 確かに、ここはネクロゴンドに近い場所ということもあり、もしかしたら魔物の拠点である可能性もある。私たちは警戒しながらもその建物へと向かった。
 建物らしき場所がある森に踏み込んでみると、そこは木々が開けた場所になっており、上手く建物を囲うように伐採されていた。そして中央には、一軒家がぽつんと建っている。
 見たところ普通の民家とそう変わらない。けれど家の周りには花壇や畑、少し離れたところには柵で囲われた中にヤギやニワトリなどが放牧されており、皆きれいに手入れされている様子だった。
「これって……間違いなく魔物じゃないよね」
「ああ。しかも今もここに住んでいる感じだな」
 そういって、ユウリはためらいもせず家の前まで近づいた。窓をのぞいてみるが、カーテンがかかっており中は見えない。
 扉の前まで来てみると、上の方に教会のマークが描かれている。
「ここって、教会なのかな?」
「……そうだろうな」
 この状況にいくばくかの期待を抱くも、不安を拭えない私。一方のユウリは、多少警戒しながらも、ためらうことなく扉のノッカーを叩いた。
「おい、誰かいるか?」
 しばらく静かだったが、やがてがちゃり、と扉が開いた。
「はい、どちらさまですか?」
「!!」
 中から顔を出したのは、修道服を着た妙齢の女の人だった。その優しそうな容貌は、とても人を襲うような魔物には見えなかった。
「俺は勇者のユウリだ。魔王を倒すために旅をしている。あんたがカリーナか?」
 ユウリも私と同じように、危険ではないと判断したらしい。警戒心を解いたユウリは、いきなり自分が勇者であることを自ら明かした。
「え!? は、はい。私がカリーナですけど……」
 それに対し、突然の訪問者に戸惑いつつも、すぐに答えるカリーナさん。町で聞いた噂どおり、町外れに住んでいる女性と言うのは彼女のことなのであろう。
「……すみません。あの、『勇者』と言うのは本当ですか?」
「一応世間一般にはそう呼ばれているな」
 疑いの眼差しを向けていたカリーナさんは、ユウリの返答になぜか安堵したような表情をした。けれどそれきり口を開くことはなかったので、私は本題を切り出した。
「いきなりすいません。この近くにあるテドンという町について聞きたいことがあるんですけど、何か知っていますか?」
 テドン、という名前にわずかに反応するカリーナさん。そして彼女は、伏し目がちに口を開いた。
「あなた方は、テドンから来たのですね。立ち話も何ですし、中に入ってお話ししましょう」
「い、いえ! お気遣いなく……」
「おそらく長話になると思います。それに、そちらの方が本当に『勇者』だというのなら、ぜひ私の話を聞いてもらいたいのです」
「……どういうことだ?」
「どうぞこちらへ」
 ユウリの問いに、彼女は返事の代わりに中へと招き入れる仕草を見せる。私たちは顔を見合わせるが、ここで立っていても仕方ないので彼女に従うことにした。
 中に入ると、玄関を隔てた奥の部屋には、小さな礼拝堂があった。さらにその礼拝堂の右側にも部屋があり、そこはキッチンとダイニングになっている。
 当然私たち以外には誰もおらず、案内の途中でカリーナさんも、私たちのような旅人が訪れたのはここ何年かぶりだと話してくれた。
 彼女は私たちをダイニングへと案内すると、ダイニングチェアに座るよう促した。そしてすぐにキッチンへと赴き、温かいお茶を用意すると言ってくれた。
 部屋の中は暖炉があり、ずっと外にいた私たちの凍えた体をゆっくりと暖めてくれる。
 ほどなくカリーナさんがお茶を運んできてくれた。テーブルに置かれた瞬間、さわやかな香りが鼻腔をくすぐる。カップを手にし、それを口の中に含んだ途端、まろやかな甘さと心地よい苦味が広がり、あっという間に疲れた心と体を癒してくれた。
    一息ついたところで、お互い改めて自己紹介をした。私たちが話し終わると、今度はカリーナさんの番だ。
「私はカリーナと申します。見ての通り、もともとここは教会で、私もシスターとしてこの地の平和を祈り続けています。この家も、昔は巡礼者が訪れる場所でした。ですが魔王が復活し、周辺の町や村はほとんど魔物によって滅ぼされ、訪れる方はほとんどいなくなってしまいました」
 そう語るカリーナさんの表情には、悲しみが滲み出ている。
「先ほどテドンについて聞きたいことがあるとおっしゃいましたが、あの惨状をご覧になりましたか?」
「ああ。あれは人の手で滅ぼされた様子ではない。明らかに魔物による攻撃だ」
 ユウリの言葉に、カリーナさんは大きく頷いた。
「ええ。ユウリさんの言うとおり、テドンは魔王が復活して間もない頃に、魔王軍に滅ぼされました」
 はっきりとした口調でそう言われ、場の空気が一瞬静まり返る。
「じゃあ、俺たちが昨夜あの町で見た人間は、やはり幽霊なのか? 町の様子も全く違っていたし、そもそも俺たちのことを完全に無視していたのは、どういうことだ?」
 ユウリの問いに、カリーナさんは逡巡しつつも、選ぶように言葉をつづけた。
「……幽霊には、違いありません。詳しくはわかりませんがおそらく、イグノー様と何か関係があるのかもしれません」
「イグノー? テドンでも聞いたが、そいつはいったい何者なんだ?」
「イグノー様は、かつて勇者サイモン様とともに魔王討伐を目指した仲間の一人です」
『!?』
 勇者サイモンと言えば、ユウリのお父さんであるオルテガさんより前に魔王に挑んだもう一人の英雄であり、知名度で言えばオルテガさんと双璧を成すほどだ。と言っても私が生まれる前の出来事なので噂でしか聞いたことはないのだが。
「確かサイモンとその仲間は、ネクロゴンドで魔王の手下に返り討ちにされ、ほとんどがその後行方不明と聞いたはずだが」
 ユウリの疑問に、私も心の中で頷いた。そう、世間ではそういう噂が流れている。
「ええ。サイモン様も含め、ほとんどの方は皆散り散りになって身を潜めました。彼らは魔王軍から逃れるために、仲間内でも居場所を決して悟られないよう必死で身を隠したのです」
「そんなに執拗に追ってくるのか、その魔王軍とやらは」
 だが、カリーナさんは首を横に振った。
「いえ、おそらく奴らが狙っていたのは、サイモン様たちではなく、サイモン様たちが持っていたオーブだと思います」
「オーブ!?」
 思わず大きな声を上げる私。まさかこんなところでオーブの話が聞けるとは思わなかった。
「ということは、イグノーもオーブを持っていたのか!?」
 ユウリも心なしか強い口調で、カリーナさんに詰め寄る。
「はい。イグノー様は『グリーンオーブ』を持っていました。本当は誰にも教えてはならないと言っていましたが、私には特別に教えてくださったんです。けれど今思えば、自分がいつかこの世からいなくなることを見越して……私にオーブのことを伝えたのだと思います」
 そういうと、カリーナさんはこらえきれずに言葉に詰まる。イグノーさんとの思い出を思い出したのか、目にうっすらと涙を浮かべている姿を見て、私は居た堪れない気持ちになった。
 重い空気の中、カリーナさんは指で眦を拭う。
「すみません。それで、おそらくテドンが滅ぼされる前に、どこかからイグノー様がテドンにいるという情報が漏れたのでしょう。その日の夜、テドンは魔王軍によって火の海に包まれました。そのときにイグノー様が牢屋に閉じ込められていなければ、被害は最小限に食い止められていたはずですが、不運が重なり、あんなことに……」
「なぜイグノーは、牢に閉じ込められていたんだ?」
「分かりません。ですが襲撃のあった数日前、突然身に覚えのない罪状を突きつけられ、そのまま牢に入れられてしまったと、ここを訪れた旅の人から聞きました」
 その言葉に、私は思わずぎょっとした。夕べ聞いた話を突き合わせると、カリーナさんとイグノーさんの仲を裂こうと、町の男性がイグノーさんに犯してもいない罪を擦り付け、カリーナさんの知らない間に彼を牢に入れてしまった。その結果、テドンの町は何の抵抗もできず魔王軍に滅ぼされ、牢の中にいたイグノーさんも、牢屋ごと攻撃されたか、または牢から出られずに餓死してしまったと考えられる。
 カリーナさんは、まさか自分を慕う別の男性によって、イグノーさんが牢に入れられたなんて知るよしもないだろう。
 ユウリも同じことを考えたのか、無言のまま私に目配せをする。そして、ユウリの意図を察した私は、強引に話を切り替えた。
「あの、イグノーさんは魔法使いか何かだったんですか? サイモンさんの仲間だったのなら、さぞ強い方だったんだとお見受けしますが……」
「ええ。あの人はもともと、三賢者の一人でした」
「賢者だと!?」
 ユウリは驚いてるが、賢者という耳慣れない言葉に首をかしげる私。
「えーっと、賢者って何だっけ?」
 そんな私を、ユウリは呆れた表情で見た。
「賢者というのは、魔法使いと僧侶の両方の職業を極めた呪文のエキスパートだ。だが歴史上でも賢者になった者は三人しか確認されず、その三人のことを総称して『三賢者』と言われている」
「そ、そんなすごい人だったんだね」
「ええ。イグノー様は三賢者の一人として、多くの人々を魔物や災いから救って来たと言われています。それだけでなく、サイモン様と旅をする前は、ダーマ神殿の大僧正として活躍されていたそうです」
「え!? じゃあ、イグノーさんって、シーラのお父さん!?」
 シーラのお父さんがダーマの大僧正だったことを思い出し、思わず声を上げる。
「どうだろうな。その頃はもう二十年近く前の話だし、さらに前の代のことかもしれないが」
 ああ、そっか。もしかしたらシーラのお祖父さんとかかもしれないんだ。
「サイモン様も、旅をしながらイグノー様の活躍を耳にしたのでしょう。あるとき突然ダーマにやってきて、イグノー様と一緒に旅をしたいと言ってきたそうですよ。最初はダーマの人々に門前払いされてましたけど、サイモン様のお人柄と心からの説得により、最後にはイグノー様自ら仲間にしてほしいと申し出たんだそうです」
 そう言いながらふふっと笑うカリーナさんは、とても楽しそうだった。
 それから彼女は、仲間は多い方がいいと言って、サイモンさんが世界中から選りすぐりの冒険者を集めて最終的に四人を仲間にしたこと、魔王の城に行くためにまずオーブを探し始めたこと、六つのうちの五つは集めたが、最後の一つはネクロゴンドにあるという噂を聞き、そこに行った最中に魔王軍に襲われてしまったことを話してくれた。
「つまり、五つのうちの一つはイグノーが持っていたということか。それじゃあ、残りのオーブはそれぞれ他の仲間が持っているのか?」
「ええ。ただ、イグノー様も他の方々の行方は知らないようで、今オーブがどこにあるかは私も知りません」
「……そうか」
 その言葉に、重い空気がのしかかる。
「ただ、他の方々がどのオーブを持っていたかだけは教えてくださいました。確か、手に入れたのは、赤、青、紫、黄、緑の五つです。残り一つは詳細すらわかりませんが」
「なんでもいい。些細なことでも教えてくれ」
「まず、サイモン様が持っていたのは『勇気』を司るブルーオーブ。そして、『愛情』を司るレッドオーブを持っていたのは、ノルドというホビット族の戦士だそうです」
「ホビット族のノルド? もしかしてその人って、アッサラームの洞くつに住んでいる、あのノルドさん?」
「ホビット族という時点で、ほぼそいつに間違いないだろうな」
 私たちはバハラタに向かう際に出会ったノルドさんのことを思い出した。ホビット族自体数が少ない上に、ノルドという名前だというのなら、なおさら同一人物である可能性は高い。
「ひと段落着いたら、もう一度ノルドのところに戻ってみるか」
 一呼吸置き、再びカリーナさんの話を続きに耳を傾ける。
「あとは……、魔法使いのアンジュが持っていたのは、『知識』を司るパープルオーブ。そして、『希望』を司るイエローオーブを持っていたのは、武闘家のフェリオという方で……」
「フェリオ!?」
 予想もしていなかった名前に、私は思わずすっとんきょうな声を上げて立ち上がる。
 それは、つい最近意外な形で再会した人と同じ名前であり、私がカザーブにいたときに教わった武術の師匠だったからだ。

 

 

旅の真意

「フェリオって……。『疾風のフェリオ』とかって呼ばれてませんでしたか!?」
「ええ、たしかそういう通り名があったと言っていたような……」
「その人っ、私の師匠だった人です!!」
「落ち着け。引いてるぞ」
 一気にまくしたてる私に対し、冷静に諌めるユウリ。途端、私の顔は熱湯を浴びたかのように赤くなる。
「ご、ごめんなさい。驚かせてしまって」
 そういって、慌てて椅子に座り直す。だけど、今の話を聞いて驚かずにはいられなかった。なぜなら、今までそんな話を師匠から一度も聞いたことがなかったからだ。
「あなたの師匠なら、オーブのことはご存じだったのかしら?」
「いいえ。オーブどころか師匠がサイモンさんの仲間だったという話すら、一度も聞かされていませんでした。何も言わないまま、師匠は二年前に亡くなったんです」
「そうですか……」
 カリーナさんは悲しそうに頷く。一方の私は、カリーナさんから明かされた師匠の秘密について、冷静に考えていた。
 どうして師匠は自分がサイモンさんの仲間だと言わなかったのか。それはきっと、誰かに話してしまえば、自分が持っているオーブの存在に気づかれてしまうのではないかと危惧していたからに他ならない。ということは、今もまだカザーブのどこかにオーブがあるのだろうか? けれど師匠のお墓には、彼が生前愛用していたとされる『鉄の爪』の武器一つしかなかった。その存在を知っていたお母さんも、他に何か入っていたということは聞いていなかったし、もしや別の場所にあるのかもしれない。
 でも、今ここでいくら考えてもわからない。それならあとでユウリに相談してみた方が良さそうだ。
「そういえば、ちょうどテドンが襲われる前だったかしら。あなたたちよりは年上だったけど、若い新婚夫婦がここを訪れたの」
 話題を変えたカリーナさんの言葉に、ユウリの眉がぴくりと上がる。
「なるほど。テドンの奴らが反応していたのは、そいつらだったのか」
「二人ともとても優しそうで……とくに女性の方は、とてもきれいな長い銀髪をしていたわ。それでその人たちに、いきなりこれを渡されたの」
 そう言うとカリーナさんは、近くにある戸棚から、古びたランプのようなものを取り出した。
「何ですか? これ……」
「私もよく知らなくて……。でもその女性は、もし次に勇者と名乗る人物がここを訪れたら、このランプを渡してほしい、って言っていたの」
「随分具体的な要望だな。どうも怪しい」
 確かに怪しい。けれど、テドンでの様子を見る限り、その夫婦が悪い人たちにはどうしても思えなかった。
「そもそもこれ、何に使うんだ? 使い方がわからなければどうすることもできないが」
「さあ……。私もあの時、あまりにも突然だったので、ただ黙って受け取るぐらいしかできなくて……」
 そう言うと、カリーナさんは顔をしかめるユウリにそのランプを手渡した。
「? 中に何か入ってるぞ」
 ランプのふたを開け、さかさまにすると、中から小さく折りたたんだ紙切れが一枚、ユウリの手のひらに落ちてきた。開いた紙を、私も覗き込んで見てみる。

―勇者へ。オーブを手に入れたければ、最後の鍵を手に入れ、テドンの罪人を開放せよ。

「??」
 その奇妙な一文に、眉を顰める私たち。だが、見逃してはならない単語の羅列に、疑心よりも興味の方が湧き起こる。
「どういうこと?」
「さあな。だが、オーブという存在を知っている以上、これを渡した奴らはただの新婚夫婦ではないってことだな」
「ねえ、ユウリ。これって魔王軍か何かの罠かな?」
 そうユウリに尋ねると、なぜか彼は感心したように目を見開いた。
「お前でも疑うことができるんだな」
「……なんかすごく馬鹿にされてるような気がする……」
 と、ぼそりと文句を呟いてみる。
「だが、テドンをあんな風に滅ぼした奴らが、こんな手の込んだことをすると思うか?」
「……じゃあ、私たちの味方ってこと?」
「さあな。そもそもこのランプを渡したのが二十年近く前なんだ。俺たちのことを知らないはずなのに、こんな的確な指示を出せるなんて、普通の人間には無理だろ。あるいは、預言者でもない限りな」
「預言者!?」
「ああ。だが手がかりがない以上、とりあえずは、その『最後の鍵』について調べる必要がありそうだな」
「そっか……。そうだね」
 すると、カリーナさんの方に顔を向けるユウリ。
「それと、ひとつ気になっているんだが、なぜあんたは何年もここに住んでいて無事なんだ? テドンから離れているとはいえ、この辺りは魔物も多い。いつ襲われてもおかしくはないと思うが」
「このあたりは昔から神のご加護により魔物が近づきにくくなっているのです。それに、イグノー様がここにいらしたときに魔物避けの結界を張ってくれたおかげで、年々強大化する魔物の脅威に脅えることなく暮らせるのです」 
「賢者はそういうことも出来るのか」
「僧侶と魔法使いの呪文を上手く組み合わせてやったと言ってました」
 興味深げにカリーナさんの話に耳を傾けるユウリ。
 イグノーさんの賢者としてのすごさに感心していた最中、部屋にある柱時計が低い音で鳴った。気づけばもう夜を回っている。
「あらまあ、もうこんな時間! 疲れたでしょう、今日は泊まっていって下さい。今から食事をご用意しますね」
 そういうと、カリーナさんは慌てて席を立ち、再びキッチンへと向かった。
「いいのかな、お言葉に甘えちゃって」
「お祈りでもすれば大丈夫だろ」
 椅子に背中を預けながら、ユウリは明後日の方を見ながら言い放った。
 とはいえ、ただ待ってるだけというのも落ち着かない。私は何か手伝うことはないかと、キッチンに立つカリーナさんに尋ねてみた。
「あの、何かお手伝いすることあります?」
 するとカリーナさんは穏やかな笑みを返すと、
「ありがとう。でも、大丈夫よ。ミオさんは休んでて」
 そう言ってスープにいれる材料を次々と切っていく。けれど時折腰を屈めたり、伸ばしたりしているのを見て、無理しているんだと思い、さりげなくお皿を出したり食事を運んだりした。
「ありがとう、ミオさん。お陰ですぐに用意をすることが出来たわ。さあ、食べましょう」
 にっこりと微笑むと、カリーナさんは私の背中を押しながら、椅子に座るよう勧めた。隣に座って頬杖をついているユウリはといえば、どことなく心ここにあらずといった面持ちで、ぼんやりと視線を巡らせている。
「こうして人と話すなんて本当に久しぶりね。それに、こんな若い方たちがここにいらっしゃることなんて巡礼でも滅多にないから、何を話していいかわからないわ」
「なら、私たちの旅の話でも聞きますか?」
 三人揃ったところで食事の前のお祈りを済ませると、私は今までの旅の出来事を話した。カリーナさんはとても楽しそうに耳を傾けてくれた。そして次第に彼女の方からも色々な話をしてくれるようになった。
 テドンのこと、印象に残った巡礼者の話、イグノーさんのこと……。特にイグノーさんのことを話す時のカリーナさんは、こっちまで笑顔になるくらい嬉しそうだった。



 そしていつしか、外のフクロウが静かに鳴き始める時間になっていたことに気づく。
「やだ、ごめんなさい。すっかり話し込んじゃったわね。もう夜も更けてきたし、ベッドの準備をしておくわ。お豆のスープ、まだあるからおかわりしたかったら遠慮なく言ってちょうだいね」
「ありがとうございます!」
 私がお礼を言ったあと、いそいそとカリーナさんが席を離れた瞬間、二人の間に沈黙が広がる。気まずさを感じつつもこちらから話しかけるような雰囲気でもないので、仕方なく口を閉ざす。
 静寂の中、私は黙々と干しブドウを練りこんだパンをかじりながら、いつしかテドンにいた町の人たちのことを考えていた。
 テドンの人は皆私たち……というより新婚夫婦に対してとても優しかった。あどけない笑顔の子供と母親、お客さんへのサービスを欠かさない道具屋の店主、相手を気遣い部屋をあてがってくれた宿のおかみさん……。そんな新婚夫婦を快く迎えてくれた町の人たちは、無惨にも魔王の手によって命を奪われた。
 それほどまでに、魔王というのは脅威的なのか。かつての勇者サイモンやその仲間たちさえも太刀打ちできないなんて、魔王の配下というのはいったいどれほどの強さなのか、想像するだけで身震いしてしまう。
 そう考えているうちに、先程まで美味しく食べていた料理なのに、なんだかこれ以上食べ進めることが出来ず、私はぼんやりと冷めてしまったスープを眺めていた。すると、
「おい。いつもの食い意地はどうした」
 隣に座っているユウリが横から口を挟んできた。いつもそんなに食い意地張ってるわけじゃない、と思いつつも彼のお皿に視線を移すと、珍しい光景が目に入った。
「ユウリこそ、スープほとんど飲んでないじゃない」
「別に、これから飲もうとしてるだけだ」
 横目でテーブルを見ると、ユウリの前に出されたスープは、ほとんど手を付けていなかった。見かけによらず大食漢のユウリが食事を残すなんて、珍しい。
 だが、今までの彼の様子を思い返してみると、確かにいつもと様子が違う気がした。
 ……聞くだけ、聞いてみようかな。
 変に尋ねて気を悪くするかもしれない。けど、もし何かに悩んでいるのだとしたら、見過ごすことは出来ない。私は意を決して聞いてみることにした。
「ユウリ、何か悩んでる?」
 すると、彼はわずかに目を見開いた。そしてすぐに視線を落とす。
「……どうして、そんなことを聞く」
 彼のことだ、うるさい、お前に関係ない、とでも言い返されるかと覚悟していたのだが、意外な返答だった。
「いや、なんとなく……。それともまだ体調悪い?」
 だが彼は、言いにくそうに俯いたままだ。何か言えない理由でもあるのだろうか?
「別に無理に言わなくてもいいけど……。でも、話ぐらいなら聞くよ?」
 ユウリの悩みを聞いて解決できるかはわからないが、話を聞くだけでも力になりたい。
 すると、しばらくしてようやくユウリが口を開いた。
「……アッサラームのアルヴィスを覚えているか?」
「え?」
 突然、予想外の人物の名前を言い出した。
「もちろん、覚えてるよ。シーラがお世話になった人でしょ?」
 バニースーツ姿の男性なんて、早々忘れられるわけがない。
「この前話をしたときに、あいつのレベルを聞いたんだ。……親父と旅をしていた時点で、俺の今のレベルを超えていた」
「えぇっ!!??」
 私が驚いた声をあげると、ユウリは大きくため息をつく。
「そんな奴でも、魔王の城にたどり着く前に、戦線離脱したんだ。親父との関係もあったらしいが、自分の弱さが原因とも言っていた」
「嘘!? そんなにレベルが高いのに!?」
「そのときに、親父が魔王に挑む前のレベルも教えてもらった。……レベル三十五だったそうだ」
「……!」
 私は乾いた声をあげた。
「アリアハンに旅立つ前、俺は自力で限界までレベルを上げてきた。だから、他のやつらより劣っているとは思わなかったし、旅立ってからも俺は誰よりも強いと思っていた。だが、旅をして分かった。世界は俺が考えているより甘くないんだと」
 そう語り始める彼は、いつもの強気な態度とは違い、自嘲めいていた。
「もともと俺は世界を救う気などなかった。ジジイの妄言に付き合わされて自身を鍛えてきただけで、あいつの……親父の意志を継ぐために魔王を倒したいと思って旅に出たわけじゃない。ただ、自分の力がどの程度の実力なのか、試してみたかっただけだったんだ」
「……そうだったんだ」
 頷く言葉とは裏腹に、私は少なからず衝撃を受けていた。
 勇者であるユウリがオルテガさんの意志を継いで魔王を倒す旅に出た、というのが世間一般の常識であったし、私もそう思っていた。けど実際は、そんな理由でユウリが旅に出たなんて、誰が想像していただろうか。
 けれど確かに一緒にいて、違和感を感じることは時々あった。自分が勇者だとこだわるわりには、英雄であるお父さんの話を一切しない。英雄の息子という肩書きを、自ら避けているようにも見えた。
「だが世界には、俺より強い奴なんていくらでもいるし、そんな奴らでも魔王を倒すどころか、城にたどり着くことさえできない。このまま俺は、旅を続けていいのだろうか」
 彼がこんな弱気な姿を見せるのは、初めてだった。全てが完璧で、魔王を倒すことにも絶対の自信を持っていたあの勇者が、カリーナさんの話を聞いて自分の信念に疑いを持ち始めている。そんな私が思い描いていた勇者とは程遠い発言をする彼に、私は何も言えずにいた。
 でも、今隣にいるのは私の理想の勇者ではない。アリアハンから一緒に旅をしてきた、ユウリだ。
「他の人のレベルなんて関係ない。ユウリはユウリだよ」
「……!?」
「きっかけはどうであれ、私はユウリとならきっと魔王を倒せるって信じてる」
 でも、と私は一呼吸置く。
「それでも、もしみんなの期待に応えるのが辛かったり迷ったりしたら、今みたいに弱音を吐いて欲しい。私だけじゃない、きっとナギやシーラも聞いてくれるよ」
 ユウリだって一人の人間だ。私たちと同じように迷うことだってある。そういうときだからこそ、仲間という存在は必要なんだと思う。
「それに私も、今のままじゃユウリの足手まといにしかならないし、心配かけさせないくらい頑張って強くなるよ。だから、皆で一緒に魔王を倒そう」
「……」
 しまった。ついでしゃばったことを言いすぎてしまった。
 現に、「何言ってんだこいつ」といわんばかりにじっと睨み付けてきてるではないか。
 するとユウリは、不機嫌な顔のまま私の右頬をつねってきた。うう、やっぱり怒ってる。
「いははは!!」
「そういう台詞はもっとレベルを上げてから言え」
 ぱっと手を離すと、痛くて涙目になっている私を見て、薄く笑った。
「確かに、いくら動機が不純でも、魔王を倒すと言った以上、成し遂げなければならないな。俺はまだ、覚悟が足りなかったのかもしれない」
 そう言って、ユウリはこちらを見つめ返した。
「お前のお陰で目が覚めた。ありがとうな」
 あれ? もしかしてそんなに怒ってない?
 穏やかな眼差しを見せるユウリに、一瞬鼓動が早くなるのを感じたが、ふと冷静になって考える。
「いやちょっと待って? 何で今私ほっぺつねられたの?」
 感謝されながら頬をつねられるという訳のわからない事態に、私は思わず声を上げる。
「お前のくせに生意気なことをいうからだ。いいから早く食べろ。明日も朝早く出発しないと行けないからな」
 とんでもない言われようである。だが、彼がスプーンを持ってスープを飲み始めたのを見て、まあいいかと安心した私は、自分も再びパンを口に放り込むことにしたのだった。

 

 

新たな目的地

 夕食後、カリーナさんに案内された来客用の部屋を借り、私とユウリはそれぞれ別の部屋で寝た。
 そして翌日。長かった一日が終わり、私は夜明けごろに目が覚めた。だが空は分厚い雲に覆われており、太陽が出てきてもまるで夜のように薄暗い。そんな鬱々とした空を見ているうちに、なぜだか無性に体を動かしたくなった。
 部屋を出ると、家の中は薄暗く、カリーナさんも起きていないようだ。
 静かに玄関のドアを開けると、外は霧がうっすらと広がっていた。いつも朝早いユウリもいない。やはりまだ本調子ではないのだろう。
 じっとりとした湿気に多少体の重さを感じながらも、私は一人トレーニングを始めることにした。
「あら、おはよう、ミオさん。随分と早いのね」
 しばらくたって体がようやくあったまってきた頃だろうか。振り向くと、背中に大きなかごを背負ったカリーナさんがこちらに向かって挨拶をしてきた。
「おはようございます、カリーナさん」
「朝から熱心ね。疲れはとれたかしら?」
「ええ、おかげさまで!」
 ふと空に目を向けると、太陽が完全に顔を出し、いつのまにか霧は晴れていた。薄くたなびく雲の切れ目から、黄金色の光が私とカリーナさんの姿を目映く照らす。
「カリーナさんこそ、こんな朝早くどちらへ?」
「私はこれから、畑に行って朝食の食材を取りに行くところよ」
 そう言うと、カリーナさんはとある茂みの向こうを指差した。
「へえ! 今は何が採れるんですか?」
 畑に興味を示した私は、つい興奮ぎみに尋ねる。カザーブの実家でもいろんな作物を作っていたので、畑仕事自体は嫌いではない。それに、他の人がどういう作物を育てているのかも気になる。
「そうね、今はホウレンソウとか、カブかしら。あと飼ってる鶏の卵も採りに行かなきゃ。そうそう、朝食にカブのスープを作ろうと思ってるけど、どうかしら?」
「うわぁ、おいしそう!」
 夕べの食事もとてもおいしかった。手伝いをしながら気づいたが、カリーナさんは丁寧で、とても料理上手だというのがわかる。
「もしよければ、収穫のお手伝いをしてもいいですか?」
「それは助かるけれど……。ミオさんもやることがあるんだし、無理しないでいいのよ?」
「いえ、トレーニングならいつでもできますから。それに畑仕事は慣れてますし」
「なら、お言葉に甘えてお願いしようかしら」
 カリーナさんは笑顔を向けると、茂みの奥にある畑へと案内してくれた。
 この辺りだけ木を切り拓いたのか、日当たりもよく開けた場所になっている。畑には野菜や果物だけでなく、自作の囲いがいくつも設けてあり、中に鶏やヤギが放ってあった。
 野菜と卵の収穫後、さらにヤギの乳を搾り、カリーナさんと二人、上機嫌で家へと戻る。
「ありがとう、ミオさん。あとはゆっくりしてて。あっ、それと、もしよければ、礼拝堂に行ってお祈りしていってね」
 キッチンへと向かうやいなや、カリーナさんは手際よく野菜を切り始めた。
 こんなに気持ちのいい朝を迎えられたんだ、カリーナさんの言うとおり、お祈りでもしようかな。
 すぐに決断した私は、そのまま礼拝堂へと向かうことにした。
「あっ、おはよう。ユウリもお祈りしに来たの?」
 礼拝堂には、いつの間に起きたのか、身支度を整えたユウリが先に来ていた。まだ起きて間もないのか、少し眠そうな顔をしている。
「俺としたことが……。寝坊女より遅く起きるとはな」
 なんかまた新たなあだ名がつけられた。そんなあからさまにため息をつかれても困るのだが。
「きっとまだ疲れが取れてないんだよ。もう少し休めば?」
「いや、まだ朝の鍛錬を行っていない」
 そう言うと、ユウリはさっさと外に出て行ってしまった。本調子ではないのだから少しは休めばいいのに。
 お祈りを終え、再びキッチンに戻ると、すでにテーブルにはおいしそうな食事が所狭しと並んでいた。
「うわあ、おいしそう!!」
「久しぶりのお客さんだから、ついはりきっちゃったわ。たくさん食べてね」
 カブのミルクスープに、ホウレンソウと卵のココット。自家製パンの上に乗っているのは、暖炉で炙ってとろとろになったヤギの乳のチーズ。これらを眺めるだけでも、十分お腹いっぱいになりそうだ。
「ありがとうございます!今、ユウリを呼んできます!」
 私は待ちきれず、飛び出すように外に出た。これから鍛錬を始めようとしているユウリを半ば強引に呼び出し、みんな揃って食卓に着く。
 トレーニング後で空腹感が最高潮だった私は、食事前のお祈りでさえ、待ち遠しく感じた。
「いただきまーす!!」
 満面の笑みでパンを頬張る私を、カリーナさんはニコニコしながら眺め、ユウリは慣れたのか、このいつもの光景に別段気にも留めず、黙々と食べている。
 あっという間に食べ終わり、満腹感と幸福感に満たされたころ。
「ユウリさんもミオさんも、朝からトレーニングなんて、ずいぶん熱心なのね」
 そうカリーナさんに話しかけられ、今朝のトレーニングのことを思い出す。
「イグノー様も、魔王軍から逃れて大けがを負っていたけれど、傷も治らないうちに必死でトレーニングをしていたわ」
「魔王を相手にするからな。それくらいは当然だ」
 毎日行っているユウリが、こともなげに言う。私も最近は毎日やってるようにはしてるけど、それでも彼は私の三、四倍の量の鍛錬を行っている。見習わなくちゃとは思うけど、どうしても朝が起きられない。
「そういえば、あなたたち、ランシールにある修行場は知ってるのかしら?」
「ランシール? 地名だけは聞いたことがあるが……」
「サイモン様たちが魔王討伐に乗り出した時は、他の冒険者たちも魔王討伐に積極的だったのよ。そのときに噂になってたのが、ランシールにある『地球のへそ』という修行場だったわ」
 カリーナさんが当時の巡礼者や旅人に聞いた話によると、ここから南東にある大陸に、ランシールという町がある。そこには古くから建てられた大きな神殿があり、その神殿に仕える神官に認められた冒険者は、地球のへそと呼ばれる修行場に挑戦できると言われているらしい。
 その修行場をクリアした者は、ここ数十年一人もおらず(カリーナさんが話を聞いた当時)、あのサイモンさんでさえも、到達できなかったそうだ。
「サイモンでもクリアできなかったと言われる修行場か……。興味深いな」
 ユウリが即座に目を輝かせる。
「ねえ、私もその修行場に行ってみたい!」
「そうだな。お前もいつまでも足手まといのままじゃ、ザルウサギたちに置いてかれるもんな」
「う……否定できない……」
「俺もその修行場とやらが気になる。最後の鍵を手に入れたらランシールに向かうぞ」
「うん!」
 どこか吹っ切れた様子で次の目的地を宣言したユウリの言葉に対し、私は弾むように返事をした。
 その後食事と出立の準備を済ませ、私たちはカリーナさんに別れの挨拶をすることにした。カリーナさんはもっとゆっくりしていけばいいのに、と名残惜しそうにしていたが、どことなく出立を急ぐユウリの様子を見て、これ以上は何も言わなかった。
「どうもお世話になりました」
「こちらこそ、久しぶりに人と会えて楽しかったわ。また寄る機会があったらいらしてね」
「はい、ありがとうございます。ぜひまた、伺わせてください」
 私が挨拶すると、カリーナさんは笑顔で返した。
「あ、そうそう。ユウリさん。もしかしたら必要なときが来るかもしれないから、これを持っていって」
 そう言って渡されたのは、預言の書かれてある紙が入っていたランプだ。
「わざわざこの中に預言を書いた紙を入れたのなら、きっとこのランプにも意味があると思うわ」
「……確かに、一理あるな」
 ユウリは素直に頷くと、ランプを鞄の中にしまった。
「世話になった。落ち着いたら、またあんたの作ったスープを食べにくる」
「ふふ。今度ユウリさんたちが来た時までに、もっとおいしいスープを作れるように頑張るわ」
 少し照れくさそうに言うユウリを、笑顔で返すカリーナさん。
 テドンの町では陰鬱な気持ちになったが、カリーナさんと出会えて、心が救われたのは間違いない。私たちはもう一度カリーナさんにお礼を言い、いつまでも手を振るカリーナさんに見送られながら、出発した。



 昨日のような天気の崩れもなく、雲一つない快晴の空の下、私たちはテドンを出た時よりも軽い足取りで船着き場を目指した。
 途中出くわした魔物の群れを難なく一掃し、帰路を急ぐ。
 やがて街道の先に、見慣れた船の外観が見えてくると、
「ユウリさーん!! ミオさーん!! ご無事でしたかー!!」
 停泊していた船の船首の方で、船長のヒックスさんが諸手を振って私たちに呼びかけていた。ほんの数日顔を合わせてないのに、なんだかとても懐かしく思えた。
「ヒックスさーん!! ただいま戻りましたー!!」
 急いで船へと近づくと、船員の一人が船に乗り込むための舷梯を下ろしてくれた。
「大丈夫でしたか? なかなか戻ってこないので、心配しましたよ」
 ヒックスさんが破顔して私たちを出迎えてくれる。ほかの船員さんも、心底安堵したような様子だった。
「ごめんなさい。いろいろありまして……」
 ここですべてを話すには多くの時間が必要だ。とりあえず後で話すとして、私はユウリに目を向ける。
「船長。『最後の鍵』というものを知ってるか?」
「『最後の鍵』、ですか……?」
 ユウリの言葉に、ヒックスさんは首を傾げる。どうやら彼も耳にしたことはないらしい。
「すいません、そういうことには疎くて……。ただ、そういう珍しいアイテムの類なら、ひょっとしたらエジンベアという国に行けば何かわかるかもしれませんよ」
「エジンベア? 聞いたことはあるが……、いったいどういう国だ?」
「今は魔王が現れてそれどころではないですが、昔エジンベアは、世界中の宝や珍しいアイテムを手に入れるため、多くの冒険者が船を出したと聞きます。中には他国を侵略してでも手に入れたアイテムもあったとか……。もしかしたら今でも集めたお宝やアイテムが国内に保管されているかもしれませんよ」
「随分物騒な国だが、行ってみる価値はありそうだな」
「ならすぐにでも進路を変えますか?」
「ああ、次の目的地はエジンベアで頼む」
 今はとにかく最後の鍵の情報を手に入れたい。ユウリはすぐに決断した。
「わかりました。それはそうとユウリさん、お体の方は大丈夫なのですか?」
 ヒックスさんの言葉に、ユウリは意外そうな顔をした。どうやらヒックスさんが自分の体調に気づいていたことを、知らなかったようだ。
「ああ。もうすっかりよくなった」
 実際、カリーナさんのところで一晩休んだユウリは、その前の日よりも格段に顔色がよくなっていた。カリーナさんが作った素朴で温かい食事や、寝心地の良いベッドで休んだことがよかったのだろう。かくいう私も、カリーナさんの温かいもてなしに、心も体も癒された。カリーナさんと出会わなければ、こんなに清々しい気持ちで船に戻ることはなかっただろう。
 ほかの船員さんたちも私たちの顔を見るたびに労ってくれて、それがとても嬉しかった。
 私たちの旅は、出会った人々によって支えられている。そのことをいまさらながら痛感し、私は再び始まる船の旅に気持ちを切り替えることにしたのだった。 

 

いざ、エジンベアへ

「なるほど、グリーンオーブですか……」
 テドンを離れ、行き先をエジンベアにした私たちは、再びポルトガ近海に向かって北上していた。
「オーブを手に入れるのに、『最後の鍵』が必要だという。その鍵がエジンベアにあればいいんだがな」
 船長室でヒックスさんと会話するユウリは、再び船酔いに見舞われていた。テドンの時程ではないけれど、ずっと立っているのは辛いらしく、ここ数日は船室にいることが多い。それでも次の進路を決めるのに、パーティーのリーダーとしてヒックスさんと話し合わなければならないこともあるため、無理してでも外に出なくてはならないのだそうだ。
「方角的にはただ北へ進めばいいのですが、距離がありますので二週間はかかります。それでもよろしいですか?」
顔色の優れないユウリを慮ってか、ヒックスさんが心配そうに尋ねる。だが、当のユウリは即座に頷いた。
「ああ、構わない。一度町に着いてしまえば、ルーラでいつでもその町に行くことができるしな」
 そう、ユウリにはルーラの呪文がある。術者、つまりユウリが一度訪れた町なら、船を使わずとも一瞬でその町に行けるのだ。とはいえ、どんな場所でも行くことができるわけではないらしい。ユウリ曰く、ルーラの呪文というのは、対象の場所にいる人間が持つ魔力に反応して術者ごとその魔力に引き寄せられる術らしい。なので対象となる場所に、ある程度魔力を持つ者がいなければ反応することはない。例えばダンジョンや、人の少ない集落では、魔力を保有している人間が少ないから、ルーラの対象にはならないそうだ。
 あと、バハラタでカンダタの子分ごとルーラで移動することができなかったように、移動する人数が多いほど魔力の消費量は激しい。数人程度なら問題ないが、大勢の人間や物、大きな乗り物などは相当の魔力を消費する。出来ないことはないと言うが、なるべくなら使いたくないらしい。
 ちなみに行ったことのない街に行けないのは、魔力に引き寄せられる際、術者の記憶を媒介としているからだ。だからユウリが一度も訪れたことのないエジンベアは、今の段階ではルーラで行くことは出来ないのだ。
 地図を見ると、どうやらエジンベアは、ポルトガよりも北東に位置する小さな島国らしい。ヒックスさんによれば、昔は頻繁に船で他国間を行き来していたが、魔物がはびこるこのご時世にわざわざ危険を冒して海に出ようとは思わないようで、今では逆に鎖国的な雰囲気になっているそうだ。
「私も滅多にエジンベアには寄らないのですが、どうもあそこの国は苦手ですね」
 国によって苦手かそうでないかがあるのだろうか。今までそう感じた国を訪れたことがないのでピンと来ない。
 すると、ヒックスさんが思いついたようにポンと手を叩いた。
「そうそう、入国する際には、身だしなみに気を付けた方がいいですよ」
「身だしなみ、ですか?」
 私が聞くと、ヒックスさんは大きくうなずいた。
「ええ。私も一度あったのですが、身だしなみをちゃんとしていないと、入国させてもらえないんですよ。まあ、お二人なら大丈夫だと思いますが」
 それっていったいどういうことなんだろう。身綺麗にしないと入れない国なんて、かなり変わっている。
「俺はともかく、こいつみたいな田舎丸出しの女は入国拒否させられるってことか?」
「田舎丸出しって……、私のこと!?」
 他に誰がいるんだ、という目で睨むユウリ。二の句が継げず、私は憤慨しながらも黙り込む。
「うーん……。ちゃんとしてれば大丈夫だと思いますよ? 多分……」
 だんだんと自信なさげに言うヒックスさんの話を聞いて、私はこれから訪れなければならないエジンベアに一抹の不安を覚えたのだった。



 二週間という長い時間は、思ったよりも早かった。毎日主に一人でトレーニング、もしくはユウリの体調が良い時は二人で戦闘の訓練、さらには甲板に飛び込んでくる海の魔物の排除などを行い、日々を費やしていた。
 それでも時間が余ったときは、船員の皆にこの船の操舵方法、帆の上げ方、錨の下ろし方、海図や潮目の見方など、いろんな航海術を教えてもらった。教わったところで、この船の船員たちは皆優秀だから私が手を出さなくてもすぐやってくれるのだが、せっかくだから覚えておいて損はない。
「見てください、もうすぐ着きますよ」
 甲板に出てみると、水平線のはるか向こうに陸地が見える。島にしては大きいが、大陸と呼ぶにはずいぶん小さい。
「あの大きな町がエジンベアです。中心部に立派なお城が見えるでしょう、あれがエジンベア城です。建国の歴史は古く、今から五百年以上も前だとか」
 私が身を乗り出して町を見ていたからか、ヒックスさんが隣に来て説明をしてくれた。
 するとそこへ、旅の仕度を整えたユウリがやってきた。
「随分早いね。まだ陸地まであんな遠くにあるよ?」
「お前はなんでそう暢気なんだ。そうやってボケッと外を眺めてる間にすぐ到着するぞ」
 相変わらず頭が固いなあ、なんて声に出したら、また髪の毛を引っ張られるに違いない。私は渋々自分の船室へと向かい、おとなしく仕度を始めることにした。
 そうそう、ちゃんと身だしなみを整えなきゃ。もし本当に入国拒否されたら、どれだけユウリに馬鹿にされることだろう。
 ちょうど船がエジンベア近郊の港に到着する間際に身支度を終えた私は、ユウリに厳しい目を向けられながらもなんとか下船した。
「ここがエジンベア……」
 私たちが停泊した港は、ポルトガとはまた違う活気に満ちている。人通りは多いのだが、なんというか、行き交う人々がどことなく上品な振る舞いをしている。
 港付近の街並みは整然としていた。デザイン性の高い住居は規則正しく建ち並び、きちんと植えられた花壇や街路樹は美しく手入れされている。それはまるで、一枚の絵画のように見えた。
「なんだか落ち着かない町だね」
 ポルトガやアッサラームの港町に見慣れている自分には、こういったきちんと整備された町は合わない。何でかはわからないけれど。
「それはお前が田舎者だからだ」
 と思ったら、ユウリが答えを出してくれた。いや、つい受け流しちゃったけど、これは完全にバカにされている。
 気を取り直して遠くに目をやると、町並みのはるか向こうに風格のある美しいお城が見える。あれがエジンベア城なのだろう。
「とりあえず、入国したら町の人たちに最後の鍵のことを聞いてみるぞ」
 私たちは港と城下町を隔てている通行門の前まで来た。門の前にはこの国の衛兵であろう男性が立っており、私たちの姿を目に留めた途端、いきなり険しい顔でこちらに近づいてきた。
「今我が国は自国の安全確保のため、入国規制をかけている。お前たちのような田舎者は立ち入ることすら許されぬ。即刻立ち去るがよい!」
 私たちを見下すかのように、衛兵は鼻息荒く一方的にそう言い放った。しばし言葉を失う私たち。そして、先にユウリが口を開いた。
「俺を……田舎者だと!?」
 まるで逆鱗にでも触れたかのように、こめかみを引きつらせる勇者。だが、すぐに怒りを爆発させるということはさすがにせず、彼は自分の周りに漂うどす黒いオーラを必死に抑えた。
「俺はアリアハンから来た英雄オルテガの息子、ユウリだ。魔王を倒すために最後の鍵というアイテムを探しているのだが、この世界を救うためにそのアイテムがどうしても必要なんだ。そのアイテムの情報を得るためにも、特例という形で俺たちを通すことを許可してはくれないか?」
 極力冷静に、彼なりに丁寧な言葉で衛兵に懇願する。だが、そんな彼の心中など知らないといわんばかりに、衛兵はせせら笑う。
「いかなる特例も認めん。第一、本当にそのような貧乏臭い身なりをした者が、英雄の息子だというのか? 何か身分を証明するものがあれば考えてやらんこともないが、そうでなければ不審者としてお前たちを扱うぞ。それでも良いか?」
「……!!」
 はっきりとそう言われ、私は顔をしかめる。四角い顔をした衛兵は、頭の中も四角四面なのだろうか。隣を見ると、案の定今にも呪文を唱えそうな雰囲気のユウリが何やらぶつぶつと呟いていた。
「ねえ、ユウリが勇者だっていう証拠みたいなものってないの?」
 私が慌てて耳打ちすると、ユウリは私の方を見ずに言った。
「もともと俺は親父の肩書なんていらないと思って旅に出たからな。そんなもんあったとしてもとっくに投げ捨ててる」
 そういえばそうだった。今衛兵にお父さんの名前を出したのも、このままだと通れないと思ったから、仕方なくだったんだろう。だがどちらにしろ、このままでは王都に入ることはできない。最悪、犯罪者にされてしまう。
「? どうした? やっぱりないのか?」
 衛兵は、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら私たちを眺めている。まずい、このままではエジンベアが火の海になってしまう。
「……わかった。この国のやつらは世界が滅びてもいいということか」
 そう言うと、ユウリは左の手のひらに力を込めた。
「それなら自分の国がなくなるくらい、大した問題ではないな」
「ダメーーっ!!」
 私は反射的にユウリにしがみついた。今までは冗談半分だとわかっていたが、今回は本気でやりかねない雰囲気だ。
「離せ鈍足!! お前はともかく俺を田舎者呼ばわりするなんて許せん!!」
「だからって国を滅ぼそうとしないで!! これじゃもっと誤解されちゃうよ!!」
「何だ!? 新手のテロリストか!? 誰か、こいつらを取り押さえろ!!」
 衛兵が叫ぶと、ただことではないと感じ取ったのか、辺りにいた通行人が一斉に逃げ始めた。そしてほどなく、他の衛兵と思しき数人の男性が集まってくる。
「まずいよ、ユウリ!! このままじゃお尋ね者になっちゃうよ!!」
 だが、私の訴えなどまるで聞こえていないかのように、必死に私の手を振り払おうとしている。
「一度痛い目を見ないとわからないんだ、こいつらは!! ベギラ……」
「勇者様!! あなた、勇者様ですね!?」
「え!?」
 突如ユウリと衛兵の前に現れたのは、私たちとそう変わらない年頃の、眼鏡をかけた少女だった。シーラよりも明るいプラチナブロンドがふわりと風になびく。
 そして彼女はそう言うなり、ユウリと向かい合わせになり彼の手を握り締めたではないか。
 その唐突な登場に、私とユウリ、さらに衛兵でさえ状況を把握できず、目を白黒するしかない。
「な、なんだお前は!? 突然しゃしゃり出てきて!! お前もこいつらの仲間か!?」
 もちろん仲間ではない。それどころか初対面である。現に私たちも、彼女の言動に困惑していた。だが、まだこの町に来て間もないのに、なぜ彼女はユウリを一目見るなり『勇者』だと思ったのだろうか?
「何を言っているんですか? この方は私たち一般人とは違って世界を救う特別な方なんです! 一緒にしてしまっては勇者様に失礼ですよ!!」
 もはや完全にユウリを勇者だと思っている。いや、間違ってはいないんだけど、今この状況を見て勇者だと言い切れる人間は、彼女以外にいないだろう。
「だがこいつは勇者である証拠を出そうとしなかったぞ。お前はどうしてこいつを勇者だと言い切れる? 何か証拠でもあるのか?」
 まるで子供の戯言だ、とでもいうように、衛兵は少女を見下ろす。対して少女は、銀色に縁どられた眼鏡をくいと上げながら、そのアメジストの瞳で衛兵を見据えた。
「証拠ならありますよ」
 少女は肩から下げていた大きめの鞄から、一冊の本を取り出した。外に持ち歩くには些か厚めだが、私はその表紙に目を奪われた。その本のタイトルに聞き覚えがあったからだ。
「この『勇者物語』の二十三ページ!! ここの挿絵に描かれている勇者様と、ここにいる方の出で立ちがまるで絵本から抜け出したかのようにそっくりなんです!!」
「……は?」
 ぽかんとする衛兵に対し、少女は熱のこもった説明で必死に挿絵の部分を指さしている。確かに彼女の言うとおり、今ユウリが身に着けている服や装備、さらには髪の色まで、まさに彼をモデルにしたのではないかというくらい似ていた。
 そもそも『勇者物語』と言うのは、百人に聞けば九十九人は知っているほど知名度が高い、世界でもっとも有名なおとぎ話だ。はるか昔、世界を壊そうとしている魔王が現れ、勇気ある若者が伝説の生き物ラーミアの力を借り、魔王を倒すという、まるで今のユウリと同じような状況の内容である。
 かくいう私も幼いころ、時折村にやってきていた吟遊詩人や、寝る前に母親から聞いた話で知ったのだが、本という形で見るのは初めてだった。
「つまり、この姿こそが勇者様であるれっきとした証!!何かを見せるまでもないということです!!」
「だ、だが、こいつがこの挿絵を見て真似したかもしれないだろ」
 挿絵を確認した衛兵が、ユウリと見比べつつも負けじと反論する。けれど少女は首を横に振り、
「よく見て下さい! この絵のここの部分、何か気づきませんか?」
 少女が指でトントンととある場所を指さすので、衛兵も一緒になって本をのぞき込む。
 衛兵が本に気を取られている間、少女は視線を本に向けたまま、本を持っていない方の手を鞄に突っ込み、何かを取り出した。そしてそれをそのまま私とユウリに投げつけたではないか。
『!?』
 驚く間もなく、私たちは少女が投げた包みから放たれた細かい粉のようなものを浴びせられた。よく見れば、それは細かくした葉っぱのようだった。そしてそれを浴びた瞬間、私とユウリの姿が見る見るうちに消え始めたではないか。
「おい、何があるんだ? 別におかしなところは見当たらないが……」
「よく見て下さい。この剣の柄の部分……」
 少女と顔を突き合わせているので衛兵はこちらに全く気付かない。もしかしたらこれはチャンスなのでは?
 すると、その様子を背中越しにちらりとみた少女が、声に出さず唇だけを動かして、短く『逃げて』と言い放ったではないか。
 少女の行動に疑問を抱くが、今は余計なことは考えない。それはユウリも同じだった。彼は即座に私の手を取ると、極力足音を立てずその場から逃げ出した。
「あれ!? あいつらがいないぞ!?」
 そのすぐ後で、衛兵が私たちがいないことに気づき声を上げたが、もう遅い。私たちは衛兵の横を通り過ぎ、無事にエジンベアへと入ることができたのだった。
 
 

 
後書き
ご都合主義ですいません(-_-;)
エジンベア編は9割9分オリジナルだと思ってください。
(もともとゲームでのイベントがほとんどないのですが)

ストーリーの都合上、多少ゲームの内容を変更することがあります。ご了承ください。 

 

謎の少女

「ちょ……、ちょっと休憩……、させて……」
 私は息を切らしながら、全速力で前を走っているユウリにたまらず訴える。
 少女が放った謎の葉の粉を浴びてなぜか体が消えてしまった私たちは、その好機を逃さず無事に衛兵の目をかいくぐることができた。
 だがお互いの姿が見えないため、こうして手を繋いでいるのだが、ユウリの無茶苦茶なスピードに次第に追いつくことができず、私は半ば引きずられるように走っていたのだった。
 もちろん星降る腕輪を使えばユウリを追い越すことは可能だが、一時的に素早さを上げるだけなので長時間は持たない。瞬発力はあれど持久力はユウリには遠く及ばないのだ。
「ちっ、仕方ないな」
 私の願いを聞いてくれたのか、近くの路地裏に入り込むユウリ。すると間もなく、二人の体が見る見るうちに姿を現した。
「間一髪だったな」
 建物の陰に隠れながら辺りの様子を冷静にうかがうユウリ。それとは対照的に、私はぜえはあと肩を大きく上下し、呼吸を整えるので精一杯だった。
「あの子の、お陰で、助かった、ね」
 息切れしながら私が言うと、ユウリは繋いでいた手をぱっと放した。
「よくわからんが、とりあえずエジンベアには入ることが出来た。早速情報を集めるぞ」
 ユウリの提案に、私は無言で頷いた。とはいえ、あまり目立った行動をするとまたあの衛兵に見つかってしまう。結局二人で話し合った結果、近くの店で服を買い、変装をすることにした。
 路地裏を抜け、出来るだけ人目につかないようにこっそりと近くにある服屋へと入る。入った途端目に飛び込んだのは、まるで宝石でも撒き散らしたのではないかというくらいキラキラとした装飾だった。天井のシャンデリアはもちろん、壁紙や床まで全てが光り輝いている。売り場には、貴族の人たちが身に付けるようなきらびやかなドレスやスーツが並んでおり、旅装束の私たちには場違いであった。
 すると、この店の店主と思われる人がやって来た。店主はニコニコとした笑顔を見せると、
「すみませんねえ、あいにくあなた方のような田舎者にお売りできる品物は、私どもの店には置いてないんですよ。他のお店を当たってくれませんかねえ」
 そうにべもなく言われた。一瞬ポカンとした私だったが、すぐに冷静になる。要するに、田舎者はここから出ていけと言っているのだ。
「なんだと!? おいお前、この俺をいったい誰だと……」
「ごめんなさい!!失礼します!!」
 せっかく街の中に入れたのに、こんなところで騒ぎを起こすわけには行かない。私は再び呪文を唱えようとしているユウリを強引に店の外へと連れ出した。
 その後も何軒か同じような店を回ったが、どれも同じような反応で門前払いをされてしまう
。例えば、
「申し訳ありませんが、あなた方田舎者が身に付けられるような服はここにはないんです」
「残念ですが、ここは田舎者が入店できるお店ではないんですよ。どうかお引き取りくださいませ」
 と、こんな感じでとりつく島もなく入店すら拒否される。まあ、入る店のほとんどが高級なドレスやスーツばかり売っているからと言うのもあるのだが。
 隣にいるユウリを見やれば、再びエジンベアを滅ぼそうとする気満々のオーラを放ち続けている。もはや爆発するのも時間の問題だ。
「ねえ、変装するのはやめて、地道に情報を集めた方がいいんじゃない?」
 私がそう提案すると、ユウリは渋面に満ちた顔で、
「お前、あれだけ田舎者呼ばわりされて悔しくないのか!?」
「いや……。別に普段からユウリにもさんざん言われてるし……」
「お前は正真正銘田舎者だからまだいいけどな、俺はアリアハンの王宮に頻繁に出入りするくらい王家とはかかわりが深いんだぞ! それなのに俺を田舎者呼ばわりするなんて、この国の奴らはどうかしている!」
 いや、それとこれとは関係ないような……。
「それに情報を集めるにも、服屋だけじゃなく他の奴らからも同じような反応をされるかもしれないだろ! だったら少しでも田舎者と呼ばれない格好をした方がマシだろうが」
「そりゃあそうだけど……」
「まだ全ての店を回っていない。もしかしたら変わり者もいるかもしれないだろ」
 そう言い放つと、ユウリはまた別のお店に入ってしまった。よくわからないが、彼のプライドが大分傷つけられたと言うのは理解できる。
 仕方なく私はユウリの後を追い、彼が入ったお店に入ることにした。するとそこは、今まで入ったお店とは一風変わった、素朴な雰囲気の明るい店内だった。可愛らしい小物や装飾品などが随所に飾られ、眺めるだけで購買意欲を掻き立てられる。
「いらっしゃいま……、あっ、あなた方は!?」
『!?』
 聞き覚えのある高い声に、思わず二人とも店の奥にあるカウンターを振り向く。なんと、そこに立っていたのは、 先ほどユウリを助けてくれた銀縁眼鏡の少女だった。
 なぜ彼女がここに? という疑問と、再び出会えたことによる喜びがいっぺんに押し寄せてくるが、まずは一言言わねばならない。
「あのっ、さっきは助けてくれてありがとうございます!」
 カウンターまで足早に向かうと、私は早速お礼を言った。
「いえいえ、勇者様たちが困っていたのですもの。助けて当然です。あ、自己紹介が遅くなりました。私はここの仕立て屋の娘でマギーと申します」
「私はミオ。それでこの人が……」
「ユウリだ」
 私の言葉を遮るようにマギーさんに名乗るユウリ。
「勇者のユウリ様ですね! よろしくお願いします!」
 嬉々とした表情で挨拶をするマギーさん。ユウリを勇者物語の主人公と言うだけあって、彼を見た途端瞳を輝かせている。
「あの、さっきはなんで助けてくれたんですか? いくら見た目が勇者物語に出てくる主人公に似てたとしても、初対面ですよね?」
 私は疑問に思っていたことをマギーさんに尋ねた。彼女はユウリから目を離すと、何を今さら、とでも言うように私に向き直った。
「え!? ユウリさんは勇者様ではないのですか!?」
「あ、いや、勇者は勇者なんですけど、その……、格好が似てるからと言って本物の勇者とは限らないじゃないですか」
「でも今、勇者だと言いましたよね? それに、ここまで本とそっくりな人が、勇者様じゃないわけがないじゃないですか」
「えーと……」
「勇者様をお助けするのは当然の義務です。だから私は行動に移しただけです」
「……そ、そうだったんですね。おかげで助かりました」
 マギーさんの言い分に、私はこれ以上追求することをやめた。
「現実と虚構の区別がつかない女なんだな」
 私しか聞こえない声で、身も蓋もないことをぼそりと呟くユウリ。
 私は話題を変えようと、カウンターの隅にこっそりとおいてある、先ほど衛兵に見せていた勇者物語の本に視線を向けた。
「と、ところで、その本はいつも持ち歩いてるんですか?」
 私が聞くと、マギーさんは少し顔を赤らめながら、
「ええ、勇者様本人の前で言うのも恥ずかしいのですが、小さいころから『勇者物語』の大ファンでして、片時も離さず毎日五回は読んでるんです」
 そう言ってユウリの方を見た。ユウリ本人は特に愛想を振り撒くこともせず、無表情を貫いていたが、
「経緯はどうあれ、お前とその本のおかげで助かった。礼を言う」
 そう素直にお礼を言った。
「ゆゆゆ勇者様にそんなことを言っていただけるなんて光栄です! あっ、あの! もしよければこの本の表紙にサインを頂いてもよろしいですか?」
 大袈裟なくらい喜んだマギーさんは、先程よりさらに顔を真っ赤にしながらも、おずおずと先ほど大活躍した件の『勇者物語』の本をユウリの目の前に差し出し、ご丁寧に羽根ペンとインクまで用意した。
「助けてくれた礼だ。サインならいくらでも書いてやる」
「本当ですか!? ありがとうございます!!」
 まんざらでもないのか、すぐに本とペンをとりさらさらと流暢にサインをする勇者。その好意的な態度に、マギーさんはさらに嬉しさを隠し切れず、瞳を輝かせてずっとユウリがサインする様を見続けていた。
「マギーさんは勇者物語の勇者がとてもお好きなんですね」
 私があえて『勇者物語の』勇者だと強調しながら言うと、マギーさんは必死の形相で私に詰め寄った。
「み、ミオさん!! 本人を目の前にしてそんなこと言わないでください!!」
「ご、ごめんなさい!?」
 恥ずかしそうに私を窘めるマギーさんは、やはり物語の勇者とユウリを同一人物だと思っているようだ。
 私も初めてユウリに会った時、物語に出てくるような完璧な勇者だと思ったけど、今のマギーさんもそういう心境なのだろう。私の場合、彼の第一声でその理想像は瞬く間に崩れ去ったから、彼女も彼の振る舞いを見て、私の二の舞にならないことを願いたい。
 ひとしきり落ち着いたところで、マギーさんは私たちに向き直った。
「ところでお二人とも、どのようなご入り用ですか?」
 するとユウリが待ってましたとばかりに、懐から財布を取り出した。
「金はいくらでも出す。田舎者と呼ばれないような服があったら売ってくれないか?」
「え?」
 こういうお客の対応に慣れていないのか、しばしポカンと口を開けるマギーさん。確かにそんな言い回しで店員に尋ねるお客さんはいないだろう。
 私は状況が把握できないマギーさんに、簡単な説明をした。
「……というわけで、どのお店も私たちを田舎者扱いして、まともに取り合ってくれないんです。これじゃ欲しい物も情報も手に入らなくて……。なので最低限田舎者に見られない服装をしようかと思って」
「なるほど……、それは困りますね……。ただ私の店は主に服を手直ししたりするのが仕事なので、すぐに服を用意することは出来ないんです。三日ほどお時間をいただければすぐにお作りすることはできますが……」
「それじゃ遅い。すぐに必要なんだ」
「そうですよね……。すみません、お役に立てなくて」
「気にしないでください。マギーさん」
 けれどマギーさんは、なんとか私たちを助けようと、何やら考え込んでいる。すると、私の方をちらちらと見てくるではないか。
「何か私の顔についてます?」
「あ! ……ごめんなさい。あの……勇者様のお仲間にこんなことを言うのも失礼ですが、服装を変えるだけではあまり意味がないかと……」
「え!? どういうこと!?」
 私はついカウンターから身を乗り出して尋ねる。マギーさんは言いにくそうにしながらも、意を決したように口を開いた。
「その……、ミオさんからはどうしても田舎者らしさが滲み出てるんです。おそらく外見を多少変えるぐらいでは、この国の人たちには通用しないかと思います」
「はぁ!?」
 田舎者らしさが滲み出てる!? 何その言葉初めて聞いたんだけど!?
 マギーさんに悪気はないとは思いつつも、不満の声を上げる私。すると隣で何やら肩を震わせているではないか。
「ユウリ!! こんな時に笑わないでよ!!」
 そう、こういう時は決まってユウリは声を押し殺して笑うのだ。完全に馬鹿にしているとしか思えない。
「いや、確かに一理ある。お前と一緒にいたから俺まで田舎者扱いされたんだ。そうでなければ俺まで田舎者にされるはずがない」
「ミオさんのお人柄が良いのはわかっています。ですが、それを上回るほど圧倒的に田舎者なんですよね」
 田舎者田舎者って……、そんなに馬鹿にされるほど田舎の人間は周りに迷惑かけてないはずだけど?
 この国で田舎者と呼んだ人たちの顔を思い浮かべ、私は徐々に怒りが込み上げてくる。
 だがそんな私の心中などつゆ知らず、二人で納得した顔をしている。こんな形で意気投合しないでほしい。
「今度は俺一人で別の店に入って確かめてみる。お前はここで待ってろ」
「えっ、ちょっと……」
 いきなりそう言い放ち外に出るユウリを見送ると、私の中の怒りが消化不良のまましぼんでいく。
「……行っちゃいましたね」
「もう! 勝手すぎるよ!!」
 文句を言う間も与えずさっさといなくなったユウリに、私は吐き捨てるように悪態をつく。
 そしてふと、今ごろになって衛兵とのやり取りを思い出した。
「そういえば、マギーさんが私たちに何かを投げた後、私たちの体が消えたけど、いったい何を投げたんです?」
「ああ、あれは『消え去り草』って言って、体に振りかけると姿を消すことが出来るんです。あまり店では出回らない道具なんですが、護身用に使えるかと思っていつも持ち歩いてたんです」
「消え去り草?」
 聞いたことのない名前だ。ひょっとしたら旅商人である私のお父さんが扱っていたかもしれないが、どちらにしろこんな便利な道具があるなんて知らなかった。
「はい。といっても悪いことには使いませんよ? むしろ勇者様たちを助けるために使えて良かったです」
「ありがとうございます。お陰で助かりました」
 私は改めてお礼を言う。
「それは良かったです。消え去り草は、もともと一部の地域でしか出回らないうえに、今はどこの国も入国禁止令が発令されたりして、なかなか手に入らないんですよ。私が持っていたのは何年も前に行商人から買ったものなのですが、それ以降は店でもお目にかかったことはないですね」
「そんな貴重なものを使わせてしまって……すいません」
 申し訳ない気持ちになりながら私が謝ると、マギーさんは私の手を取り、首を振った。
「先ほども言いましたが、お二人を助けることができてよかったと思ってます。きっと消え去り草を今まで使わなかったのも、この日のためだったんですよ。だから、あまりお気になさらないでください」
 そういうと、マギーさんはにっこりと微笑んだ。私と同年代とは思えないその大人びた雰囲気に、思わず私はどぎまぎしてしまう。
 よく見ると、眼鏡越しに映るマギーさんの紫の瞳はとてもきれいで、まるで宝石のようだった。加えて長いまつげに白い肌。小顔の割に眼鏡が大きいから気づかなかったが、彼女は相当の美人だ。
「それに、勇者様を助けたことでお役に立てたのなら、この上なく本望です。自分も勇者様の冒険に関わった感じがして、今思い返しても嬉しさが抑えきれなくて……」
「そ、そうなんだ」
 外見と中身のギャップに戸惑いながらも、私は恍惚としているマギーさんの姿に苦笑いを浮かべる。そしてその後、ユウリが再び店に戻るまで、マギーさんの勇者に対する熱い思いをひたすら聞かされたのだった。



「明日は城に行って、国王に会ってくる」
 結局ユウリがマギーの店に戻ってきたのは、夕暮れ時だった。
 どうせユウリ一人で行っても田舎者扱いされるだろう……いやされればいいと高をくくっていたのだが、どういうわけか誰も彼を田舎者扱いしなかったと言う。
 ということはやはり、私が一緒にいたからユウリまで田舎者扱いされていたということだ。
 しかも、大胆にもユウリは最後の鍵の情報収集のためお城まで行き、王様との謁見も約束したらしい。衛兵の話によると、明日の午前中に入城すれば会えるそうだ。
「……」
 だがそんなトントン拍子で進んだ話も、私には皮肉にしか聞こえない。
 私がいなかったことでここまで事が進んだのだ。喜んでいいのか怒っていいのか、こっちとしては複雑な心境だ。
「ミオさん、あまりお気になさらない方がいいですよ」
 ユウリを待っている間、マギーとは多少打ち解けるようにはなったが、今の私はうかつに近づくなオーラを放っているからか、心なしか彼女も距離を置いて接している。
「そんなに気に病むな。たまたまお前とこの国の相性が悪かっただけだろ」
 いつにもましてユウリも声をかけてくるが、それが逆に神経を逆なでしているのに本人は気づかない。いやもしかして、気づいて言っているのだろうか?
「いいよね、ユウリは田舎者扱いされてないんだから。私なんか、下手したらこの店から一歩も出られないんだからね」
 一度試しに店の外に出ようとした。するとたまたま店の前を通りかかった通行人が私の方を見て、くすくす笑ったではないか。その瞬間、私は頭に血が上り、急いで店の扉を閉めた。そう、私はこの国では通行人ですら嘲笑される存在なのだ。
そのため店内にいてもマギーの店に迷惑がかかると思い、私はお客さんから見えないよう店の奥に隠れて座っている。幸い人の少ない時間帯だからか、マギーもちょくちょく私の様子を見にきてくれた。
 そんな憮然としている私に、さすがのユウリもこれ以上は何も言わなかった。
 田舎者の私が行けば、せっかく王様との約束を取り次いだユウリの苦労が水の泡になる。一人取り残されるのは正直寂しいし、悔しいけれど、最後の鍵を手に入れるためならば、ここはおとなしくしていた方が良さそうだ。
「それじゃあユウリ、明日はよろしくね」
 別に嫌味で言ったわけではないのだが、なんとなくそういう雰囲気で受け取ったのだろう。今度はユウリの方が不機嫌そうな顔を見せる。
「いつまで拗ねてるんだ。そろそろ船に戻るぞ」
「あ……、うん」
「ミオさん、勇者様がお城に行っている間、またここで待っていただいても構わないですよ。私、二人のお話たくさん聞きたいです」
「ほ、ホント? じゃあお言葉に甘えてまた来ちゃおうかな」
「ぜひ来てください! お二人の活躍されたお話、楽しみにしてますから!!」
 そう言うマギーの弾む声を聞いて、私も明日またマギーとおしゃべりするのが待ち遠しくなってしまった。
 別れ際にマギーに手を振ると、その様子を見たユウリが不思議そうな顔をする。
「さっきから怒ったり喜んだり、忙しい奴だな」
 拗ねたら拗ねたで文句言うくせに、とユウリをじろりと横目でにらむが、本人は無反応。
 ともあれようやく最後の鍵の情報を手に入れることができるかもしれない。私たちは逸る気持ちを抑えながらも、足早にヒックスさんたちの待つ船へと向かったのであった。
 

 

渇きの壺

「それでね、ユウリってば一人でさっさと行っちゃうんだよ」
「それは……何か考えがあってそうしているのでは?」
 翌日。予定どおりお城に向かったユウリと別れ、私は再びマギーのお店で留守番をすることになった。
 マギーは、田舎者扱いされている私を唯一受け入れてくれたお店の店主であり、入国できなかった私とユウリを助けてくれた恩人でもある。しかもその理由が、ユウリを『勇者物語』の主人公と重ね合わせているからと言うことであり、彼のことをよく知らないマギーは、今でも彼のことを物語に出てくる勇者だと思い込んでいる。
 確かにユウリ自身、レベル三十を越えている時点でまさしく物語の主人公然とした存在なのだが、たまに前触れもなく髪の毛を引っ張ったり、しょっちゅう私を田舎者扱いしたりするので、少なくとも私の中では完璧な主人公とは言い難い。それでも彼のお陰で私はマギーのお店にお世話になることが出来たので、彼には感謝しなくてはならないのだが。
 マギーのお店には開店と同時に訪れたからか、お客さんは殆ど来ていない。なので私はお客さんには見えないよう、カウンターの陰に隠れ、隣に立っているマギーと世間話を楽しんでいた。
「そうだ、ミオさん。よかったらミオさんもこの『勇者物語』読んでみません? 著者が今若者たちの間でも人気の高い新進気鋭の方なんですよ」
 そう言ってマギーが見せたのは、片手で持つには少し辛いほどの厚さの本だった。マギーから本を受け取りパラパラとページをめくると、びっしりと並んだ小さな虫のような文字が目に飛び込み、唐突にめまいを起こしてしまう。
「だ、大丈夫ですか?」
「ごめん……。活字は苦手で……。全部読むには時間がかかるから、マギーがかいつまんで教えてくれると嬉しいな」
 私は頭を抱えつつ、本を彼女に返した。後で気づいたが、こういうところが田舎者たる所以なのかもしれない。
「わかりました! ではまず魔王が復活する三十年前の話からお話しましょう!」
「そこからなの!?」
 思わぬ長丁場に、つい突っ込みをいれる私。それでもやる気に満ちたマギーは早速本を開くと、上機嫌で話し始めた。
 流暢に話すマギーは、とても楽しそうだ。それだけでなく、彼女の丁寧でわかりやすい話し方は難しい内容でもすらすらと頭の中に入る。次第に私もニコニコしながら彼女の語る姿を眺めていた。それに気づいたのか、照れながらもはにかむマギーに対し、同年代ながらも可愛いと感じてしまう。すると、ふとメガネ越しに覗く彼女の素顔が視界に入る。
 素顔のマギーは目も大きくパッチリとしていて、とても愛らしい顔立ちをしている。色白の肌は滑らかで美しく、整った鼻筋と小さな唇は、メガネを外せば多くの人が虜になってしまうほどの魅力を持っていた。ただ、かけているメガネがやたらと大きく、顔とのバランスを悪くしているのだ。
 すると、先ほどから私の視線が気になるのか、彼女は急に話を中断してしまった。
「ごめん、集中出来なかった?」
「いえ、あの、こんな風に私の話を聞いてくれる人なんて、身内以外で初めてだったんで嬉しくて……」
「そうなの? でも聞いててとっても面白いよ」
 そう言うとマギーは淋しそうに首を横に振った。
「そんな風に言ってくださるの、ミオさんだけですよ。勇者物語ばかり読む年頃の女なんて私くらいですし。つい最近も、いつもお店に来る人に『変わった子だね』って言われてるんですよ」
「え!?」
 こんな可愛くて優しい子を変わり者呼ばわりするとは、なんて失礼な人なんだろう。
「だから、ミオさんみたいに私のことを受け入れてくれる人がいるって知って、嬉しいんです」
 そう言って顔を綻ばせるマギーは、本当に嬉しそうだ。
「ねえマギー。あなたとっても美人なんだから、眼鏡を外してみたら? そしたらきっと、誰も変わってるなんて言わないと思うけど」
 私が正直な感想を述べると、マギーは思いきり首を横に振った。
「何言ってるんですか、ミオさん。私なんか全然美人じゃないですよ。それに、メガネがなかったら何も見えなくなっちゃいますし」
「え、そんなに目悪いの?」
「はい。裸眼だと自分の顔が殆ど見えなくて。きっと夜遅くまで本を読んでるからだと思うんですけど、どうしても読みたくって……。だから外に出るときはいつもこれをつけてるんです」
 そっか、じゃあ自分の素顔がどれだけ美人なのかわからないんだ。
「うーん……。ホントに美人なのに、なんか勿体ないなあ」
「ありがとうございます。でも私は、容姿よりも本の話をする方が好きなので、今のままで充分なんですよ」
 本人がそう言ってしまっては、これ以上周りがとやかく言う必要はない。
「そっか。ならさっきの続き、聞かせてよ。私も勇者物語は昔からよく聞かされてたし、何より今は主人公と一緒に旅してるようなものだしね。何か参考になるといいかな」
「はい、もちろん!」
 私の要望に、マギーは笑顔で返事をした。
 その後、私たちはユウリが戻ってくるまで、勇者物語についてお互い夢中になって話し込んだ。趣味が他の人と違うだけで、マギーは普通の女の子と変わらない。そんなマギーと話している時間はとても楽しかった。
「随分暇そうだな」
 その声にハッとして、私は後ろを振り返る。店の扉が開く音にも気づかず話し込んでいたのか、いつの間にかユウリがカウンター越しに私たちの向かいに立っていた。
「ユウリ! いつ戻ったの!?」
「つい今しがただ。店の外にまでお前らの話し声が聞こえてたぞ」
 何と言うことだ。妙にお客さんの入りが少ないなと思ったら、私たちの話し声のせいで入りづらかったのかもしれない。
「ごめんマギー、私のせいでお客さんが入らなかったのかも……」
「気にしないでください。うちの店はいつもこんなものなんです。この国の人たちには少しカジュアル過ぎるみたいで」
「えっ!? こんなに素敵なお店なのに!?」
 でも確かに、他のお店は格調高いと言うか、貴族の人が御用達にするようなお店ばかり並んでいた。私みたいな庶民にはマギーのお店はおしゃれで洗練されたイメージしかないが、この国の人たちにとっては考え方が違うのかもしれない。
「おい。無駄話はいいから、早く行くぞ」
「行くってどこへ?」
 だが、私の問いにユウリは無言を貫いたまま、再び店を出ようとする。私は慌ててマギーに向き直ると、
「あ、あの、今日はありがとう! また今度聞かせてね」
「はい、私も楽しみにしてます!」
 そう忙しなく別れを告げ、マギーのお店をあとにしたのだった。



 店の外に出てからユウリに連れてこられたのは、少し離れたところにある小さな公園だった。公園と言ってもそこかしこに美しい花々が植えられており、まるで手入れの行き届いたお城の庭園のようだった。
 その一角にあるベンチに座った私は、すぐに隣に座ったユウリの表情を盗み見る。確か王様に最後の鍵のことを聞きに行ったはずだったんだけど……。
「何かあったの?」
 わざわざ場所を変えておきながらなかなか話を切り出そうとしないのでこちらから尋ねてみたが、何故かユウリは浮かない顔をしている。すると何かを決意したのか、ユウリはこちらを一瞥すると、ようやく話し出した。
「王様に最後の鍵があるかどうかを尋ねたが、持っていないと言われた」
「あぁ……、それなら仕方ないね」
 さすがにそんな簡単には見つからないだろう。そう頷いていると、
「だが、最後の鍵を手に入れるのに必要なアイテムがこの国の城の地下にあるらしい」
「えっ!?」
「『渇きの壺』といって、本来は西の大陸のある民族が持っていた宝らしい。だが、その情報を入手した何代か前のエジンベア王が、その宝を手に入れようと、侵略という形で強引に手に入れたそうだ」
「侵略……」
 相手の合意も得ず、一方的に制圧し、彼らが大切にしてきたものを奪った。当時のエジンベアは、そんな横行も許されたのだろうか。
 その後のユウリの話によると、結局壺の方は手に入れたものの最後の鍵を入手するまでには至らず、他国から奪った渇きの壺だけが城の地下に今でも眠っているという。
「え、じゃあ結局その『渇きの壺』っていうのは王様からもらえたの?」
 ユウリは苦々しげに首を振った。
「いや、この国の歴史を風化させないためにこれからも保管したいと言われた。そんな下らないことのために手元に残すくらいなら、とっとと手放せばいいのに」
 そう言い切ると、大きく息を吐くユウリ。
「それじゃあ、どうするの? せっかくそんな重要なアイテムがここにあるのに、手に入らないんじゃ……」
「俺も最初はそう思っていた。だが、これを見て考えが変わった」
 ユウリは懐から、一枚の紙を取り出した。
「これを見ろ」
 そう言って私の眼前にその紙を広げて見せたので、私はまじまじとその紙に書かれている文章を読み上げる。
「美少女コンテスト?」
「王国主催の由緒あるイベントだそうだ。一週間後に行われるらしい。その下の方の文章をよく読んでみろ」
「ええと、『優勝者には、好きなものを何でも一つ、国王から褒美としてもらえる』だって」
「つまりお前には、一週間後に開かれるこのコンテストに優勝して、国王から渇きの壺を手に入れてもらう」
「へ?」
 それはつまり、私に美少女コンテストに出場しろってこと?
 あまりに突拍子もない発言に、一瞬思考回路が停止する。
「いやいやいやいや!! 私なんかが優勝なんて無理だって!! そもそもそれ以前に田舎者扱いされててまともに表すら出歩けないのに、何言ってるの!?」
 私が必死で否定すると、ユウリは百も承知といった顔で私を見返した。
「そんなことはわかっている。だから、今から助っ人に頼むことにした」
「?」
 助っ人って、一体何のことだろう、と思い首をかしげると、彼は何も言わずに私の手を取った。
「ユウリ?」
「ルーラ!」
 そして私が疑問の声を上げると同時に、ユウリは移動呪文を唱えた。その瞬間、二人の体が一瞬にして空に舞い上がる。
「ええええっっ!!??」
 何かに引き寄せられるかのように物凄い早さで空を飛んだかと思うと、何事かと考える暇もなく、瞬く間に目的地にたどり着いた。
「ここは…… 」
 キョロキョロと辺りを見回してみると、見たことのある町並みが私の記憶を呼び起こす。そうだ、ここは一度来たことがある。
 寒い季節なのに常夏のような暖かさ。人々は比較的露出の覆い服を着ており、何よりここは仲間であるシーラがかつていた場所。まさかここは……。
「アッサラーム?!」
 そう、私たちが到着したのは、常に温暖な気候で開放的な町、そして以前訪れた場所でもある、アッサラームだったのだ。

 

 

元戦士の店

「なっ、なんでアッサラームに!?」
 訳も分からずいきなりルーラでアッサラームに飛ばされ、私の頭の中は混乱を極めていた。
「……うっ」
 真冬のエジンベアから突如常夏のアッサラームに移動したからか、もしくはあまりの急展開に気が動転しているからか、大声を上げた途端、立ち眩みが襲う。
 若干くらくらした頭を必死で振り払いつつも、私はユウリにどういうことなのかと視線を投げ掛ける。
 だがユウリは灼熱の太陽の下でも涼しい顔をしながら、「早く行くぞ」と一言言い放つと、さっさと先へと進んでいってしまった。
 いったいどこへ行こうというのか。そう疑問を持つ私だったが、歩くにつれ、彼がどこに向かっているのか何となくわかってきた。
 もしかして、これから向かうところって……。
 気づいたところで、大きな建物の前でぴたりと立ち止まる。
「あら、お兄さん。まだ開演時間には早いわよ? それとも、誰かお気に入りの子にでも会いに来たのかしら?」
 建物の側でチラシを配っていたバニーガール姿の綺麗なお姉さんが、やってきたユウリに優しく声をかけてきた。そう、ここは以前シーラに連れられてやってきた、アッサラームの劇場だった。
 バニーガールは大人びた笑みを浮かべるが、ユウリは首を振り、
「俺は勇者のユウリだ。今日は知り合いに会いに来たんだが、ビビアンという踊り子はいるか?」
 そう名乗った途端、女性はハッとしたように目を丸くした。
「あらあなた、あの時の勇者様じゃない!! お久しぶりね」
 そう言って彼女は、笑顔でユウリの肩を軽く叩く。
「? 俺はお前とは初対面のはずだが」
「ふふ。こうして話すのは初めてだけど、この前劇場のお手伝いしてくれた時、何回か見かけたの。あの時はありがとうね」
 にっこりと笑う彼女は、女の私でもドキッとするくらい魅惑的だった。けれどユウリは全く動じることなく、無反応のままである。
「それより、ビビアンはどこにいる?」
「ああ、あの子なら、稽古場で踊りの練習してるわよ。案内するわ」
 勇者のそっけない態度にも嫌な顔一つせず、バニーガールのお姉さんは私たちをビビアンさんのところまで案内してくれた。ユウリってば、もうちょっと愛想よく受け答えしてもいいのに。
「ビビー! あなたにお客さんよー!」
「え? 私にお客さん?」
 劇場に隣接する扉のない稽古場の中で、艶やかなピンクの髪を揺らしているのは、間違いなくビビアンさんだ。彼女は一人で踊りの練習をしていたらしく、こちらの視線に気づいたのか後ろを振り向くと、私たちの姿を見るなり目を丸くした。
「えっ!? も、もしかしてあなた、ユウリくん!? それにミオちゃんまで!! 一体どうしたの!? あれ? シーラは!?」
 驚きのあまり、すぐに思いついたであろう言葉を次々と並べ立てるビビアンさん。
 ビビアンさんはシーラのかつての仕事仲間で、ここの劇場の踊り子として第一線で活躍している。美人で明るいだけでなく何かとお世話になったりして、私から見たら頼れる年の近いお姉さんと言った雰囲気である。ちなみにナギもビビアンさんの踊りを見てすっかり虜になっていたが、ビビアンさんにとってはあまり目立った印象は持たれていないようだ。
「お久しぶりです、ビビアンさん。訳あって、今シーラたちとは別行動をしてるんです」
「あら、そうなの? ていうか、そんなに年も離れてないんだし、さん付けなんかしなくていいわよ。敬語もいいから」
 そういってぱたぱたと手を振る。
「そ、そう? じゃあ私のこともミオって呼んで欲しいな」
「もちろん!」
 彼女との距離が親密になったところで、ビビアンは話をもとに戻す。
「で、私に一体何か用?」
 すると、ずいと一歩前に出るユウリ。何を言うのかと思ったら、
「こいつが美少女コンテストに優勝できるよう、協力してくれ」
「ええっ!?」
 と、いきなりとんでもないことを提案してきたではないか。
「びしょうじょ……コンテスト?」
 驚愕する私に対し、ポカンとした顔をするビビアン。そして言った張本人は不愛想な表情を一切崩さず、
「礼は出すから、このド田舎女をコンテストで優勝出来るように変身させてくれ」
 と、再びビビアンに頼んだ。しかしビビアンは眉をひそめる。
「ちょっと聞き捨てならないわね。ミオはこの素朴さが可愛いんじゃない。なんでわざわざ変える必要があるわけ?」
「……っ」
 まさか反論されるとは思ってなかったのか、一瞬言葉につまるユウリ。ていうか、ビビアンの可愛さに比べたら私なんて月とスライム以下なのだが。
「……エジンベアでは素朴さは全て田舎者扱いだ。田舎者である限り、あの国では出場どころか入国することすら出来ない」
「ええ……、なにその国……。意味わかんないんだけど」
「とにかく、こいつが優勝しないと最後の鍵が手に入らない。お前みたいに垢抜けた奴の助けが必要なんだ」
「う~ん、なんか全然お願いされてる気がしないけど、まあいいわ。シーラの仲間のためだもの。協力するわ」
 え? なんだか急な展開についていけないけれど、私をコンテストに優勝させるために、ビビアンが協力してくれるってこと?
「ビビアン。大丈夫なの? 別に嫌なら断っても……」
 ユウリの無茶な申し出にもかかわらず、ビビアンは私の言葉をかき消すように首を横に振った。
「いやいや、むしろミオみたいな原石を私の手で磨き上げられるなんて楽しみでしかないわよ?」 
 そう言うと、野心に溢れた表情で私の肩を掴んだではないか。
「ただし……やるからには妥協は許さないからね」
「へっ!?」
 こちらを見返すビビアンの目は、とても嘘をついているようには見えない。
「そうだわ! どうせならアルヴィスにも手伝ってもらいましょうよ! ちょうど今自分の店にいるはずだから、一緒に来て!」
 そう言うと、ビビアンは私の手を取り、すぐさま稽古場を後にした。ユウリも何か言いたげではあったが、おとなしく後をついていく。
 そしてこの時の私は、これから起こる二人の特訓の内容など知る由もなく、今日は良く手を引かれる日だなあ、と他人事のように考えていたのであった。



「アルヴィスー!! いるー!?」
 勢いよくアルヴィスさんのお店の扉を開け放つが、生憎そこにいるはずの主の姿はなかった。
「この時間は開店の準備してるはずなのに……変ねえ」
 がっかりした様子でビビアンは辺りを見回す。薄暗いアルヴィスさんの店は、一方には壁にかけられた数枚の大きな鏡と、それと向かい合わせになるように置かれた椅子、さらに反対側の壁の方にはカーテンが張り巡らされていて、一体何の店なのか見ただけでは全くわからなかった。
 そういえば、最初にアッサラームに来たとき、ユウリはアルヴィスさんのお店に行ったはず。ならどんなお店なのか多少は知っているのではないか。
 そう尋ねたかったのだが、気づけば何故か近くにユウリはいなかった。
「あれ? ユウリもいない……」
「やだ、本当だわ。どこ行ったのかしら」
 ビビアンと同じく私も辺りを見回すが、ここにいるのは私たちのみ。途中ではぐれてしまったのだろうか?
「ま、いっか。多分アルヴィスはそんなに遠くまで出掛けてないはずなのよね。ちょっとここで待ってましょうよ」
 確かに店の扉に鍵はかかっていないので、遠出をしているのは考えにくい。
 ビビアンがちょうど近くにあった椅子に座ったので、私もすぐ側の椅子に腰かけることにした。
 辺りがしんと静まり返ると何だか話をせずにはいられない性分の私は、店内を見回すと、前から思っていた疑問をビビアンに尋ねることにした。
「ねえビビアン。アルヴィスさんのお店って、一体何をやっているの?」
「あら、知らなかったの? アルヴィスはああ見えて……」
「あらヤダ、ユウリくんじゃないの!!」
 すると窓の向こうから、聞き覚えのある野太い声が聞こえてきた。
「噂をすれば、なんとやらね」
 ビビアンはすぐにその声の人物に気づき、椅子から下りて店を出ていく。私も彼女のあとに続いて外に出ると、ユウリとアルヴィスさんが何やら話をしてるではないか。いや、話というより、ユウリの方が一方的にアルヴィスさんに絡まれているように見える。
 相変わらず逞しい体のアルヴィスさんは、以前会ったときは戦士の格好をしていたが、今は元通り(?)、バニースーツを身に付けている。
「やっほ~、アルヴィス。ちょうどよかったわ。あなたに頼みたいことがあるんだけど」
「あら、ビビアン。それにミオまで! 随分珍しい組み合わせネ★ アタシに頼みたいことって?」
 アルヴィスさんはビビアンに気づくと、若干ほっとした様子のユウリから離れ、颯爽とこちらに近づいてきた。
「単刀直入に言うわ。あなたのメイク術で、ミオをとびっきりの美少女に仕立て上げて欲しいの」
「!!」
 そう言って隣にいる私の背中をぽんと叩くビビアン。元英雄の仲間であったアルヴィスさんは、その一言に何かを察したのか、ぴくりと眉を動かした。
「何それ超素敵!! なあに、ミオったら、誰か気になる相手でも出来た?」
 いや、これは戦士としての勘ではなく、バニーガールとしての勘というやつだろうか?
「いやそうじゃなくて……。エジンベアっていう国で美少女コンテストがあって、そこで優勝しなくちゃならないの。それで、アルヴィスさんにも協力してもらおうかと思って」
 そこまで言うと、アルヴィスさんは目をぱちくりさせて、
「え、ミオは今でも十分カワイイじゃない。アタシたちがどうこうしなくてもなんとかなるんじゃないの?」
 と、既視感を感じるような台詞を言った。
「なんとかならないからこうしてお前たちに助けを求めてるんだ。どんな見た目だろうと、こいつの田舎者オーラはあの国では厄介者扱いされる」
 いつの間にかやって来たユウリがアルヴィスに説明する。確かに間違ってはないのだが、ユウリにそう言われると余計に胸に突き刺さる。
「ふぅん。お国柄って奴なのかしらね。アタシはエジンベアに行ったことないからわからないけど」
「とにかく、こいつを優勝させてくれれば礼を出す。頼む、協力してくれ」
 そういうとユウリはアルヴィスさんに向けて頭を下げた。最後の鍵のためとはいえ、プライドの高いユウリが私のことで人に頭を下げるのを見るのは、内容が内容なだけに複雑な心境だった。
「あ、あの、私からもお願いします! 私が優勝しないと、最後の鍵が手に入らないんです!」
 私の言葉に、アルヴィスさんは眉をひそめた。
「最後の鍵? なんか聞いたことあるわネ。ひょっとして、魔王と何か関係があるの?」
「ああ。俺たちは今、魔王の城に行くためにオーブを探している。だが、オーブを手に入れるには最後の鍵が必要なんだ」
 ユウリはテドンであった出来事を簡潔に二人に話した。ビビアンはともかく、ユウリのお父さんであり英雄でもあるオルテガさんと一緒に旅をしたことのあるアルヴィスさんなら、もしかしたら最後の鍵やオーブのことを知っているかもしれない。
「へえ、イグノーねえ……。確かに若い頃、そんな名前のスッゴい偉い人がいたって聞いた気がするワ。でもゴメンなさい、オーブのことは知らないの。それにあの人、そういうアイテムなくても魔王の城に行けるって豪語してたしね」
「……話に聞いてはいたが、俺の親父は想像以上に脳筋なんだな」
 どこか遠い目をしながらユウリは言った。
「そうね。だから最後の鍵っていうのも、浅瀬の祠ってとこにあるのは噂で聞いたけど、実際必要ないからって探そうとすらしなかったのよネ。考えたら、よくそれで魔王の城まで行ったものだワ」
 うーん、やっぱりユウリのお父さんって変わって……、って、ちょっと待って、今、何て言った?
「浅瀬の祠? そこに最後の鍵があるのか?」
 いち早く気づいたユウリが、アルヴィスさんに詰め寄る。
「昔聞いた話だし、行ったことないからホントかどうかは知らないわよ? けど、そういう話は何回か聞いたワ。そもそも浅瀬なんて世界中の海にあるじゃない。そんなに重要なこと?」
「それでも、情報がゼロよりましだ。船長に聞けばある程度場所は特定できるかもしれないからな」
 わずかに口角を上げながらユウリが頷く。思わぬところで重要な情報が手に入り、私もつい喜んでしまう。
「横槍入れるようで悪いけど、本題に戻りましょ。つまりその最後の鍵ってやつを手に入れるには、ミオがコンテストで優勝しないとダメなんでしょ? だったら尚更アルヴィスの力が必要だわ。アルヴィスは二人に協力してくれる?」
 ビビアンが話を元に戻してくれたお陰で、アルヴィスさんははっとして私たちに向き直る。
「そうだったわね。話が逸れたけど、そういうことならアタシも喜んで協力させてもらうワ!!」
「本当ですか!? ありがとうございます! アルヴィスさん!」
 私がお礼を言うと、アルヴィスさんはちっちっ、と人差し指を左右に振り、
「堅苦しい挨拶はナシよ、ミオ。アタシのことはアルヴィスでいいから」
 そう言って、ウインクを放った。
「あ、ありがとう! よろしくね、アルヴィス」
「ふふ、こんな将来が楽しみな子をアタシの手でどうにか出来るなんて、久々に腕が鳴るワ♪」
「そ、それどういう意味!?」
 だがアルヴィスは自分の世界に入ってしまったのか、それ以上何も言わなかった。
 なので、先ほどビビアンに尋ねた疑問を今度はアルヴィスにぶつけてみた。
「あのさ、アルヴィス。前から気になってたんだけど、このお店って一体何のお店なの?」
 私の質問に、アルヴィスは意外そうな顔をした。
「あら、確かユウリくんもこの前このお店に来たわよネ? ミオには教えなかったの?」
 急に話の矛先を向けられたユウリの体がびくりと激しく跳ねた。
 確かあのときは機嫌が悪くて、結局何も話してくれなかったんだったっけ。
「ふん、あのときは疲れていたから何も覚えてない」
 明らかに嘯くユウリの態度に、私は当時と同じ違和感を感じた。すると、アルヴィスが頭に石を落とされたくらい驚いた顔をした。
「やだぁ、覚えてないの!? あんなに本気出してメイクしてあげたのに、つれないワネ☆」
「え、ユウリがお化粧!?」
 その言葉に、私は耳を疑う。一体どういうことなんだろう。
「アルヴィス。純真無垢なミオにはあなたの仕事は理解できかねるみたいよ」
「そうねえ。アタシの仕事を理解するにはあと十年早いかもねえ」
 そんな二人の発言に、なんとなく田舎者呼ばわりされているような気がして、私は若干ムッとする。
「要するにアルヴィスの仕事って、お客さんにお化粧をしてあげるってことでしょ?」
 我ながら大人げないなと思いつつ理解した風に答えると、ビビアンが「せいかーい♪」と言いながらちらりとユウリの方を見た。
「世の中には、そういう趣味の人もいるってこと。その人たちのためのお店なの、ここは★」
 そう言ってにっこりと笑うアルヴィスに、いつになく必死な顔でユウリが詰め寄った。
「おい、その言い方だと俺までそういう考えの奴だと思われるだろ! そもそもお前が酔っぱらって無理やりあんなことをしたのが原因じゃないか!!」
 けれどアルヴィスは全く動じることなく、
「だってアナタ、随分辛気臭い顔をしてたんだもの。雰囲気だけでも明るくさせてあげようとしたんじゃない。でもまさかあんな予想以上の仕上がりになっちゃうんだもの。興奮してついご近所の皆さんにお披露目しちゃったワ」
 そう言ってユウリにウインクを放った。
「へえ、化粧したユウリって、そんなに可愛かったの?」
「そうねえ、『可愛い』っていうより、『高嶺の花』って感じかしら☆ 近寄りがたい雰囲気なんだけど、皆遠巻きにこっちをずっと見てるんだもの。でもその中の一人のコがねえ……」
「おい!! これ以上言うな!!」
「何々? もしかして本当に男の人に言い寄られたりでもした?」
ビビアンまでもがウキウキしながら興味津々でアルヴィスの話を促そうとするが、ユウリの殺気はすさまじく、それ以上何か言ったら本気で呪文を放ちかねない雰囲気を纏っていた。
 私としては、お化粧をしたらアルヴィスが興奮するくらい綺麗になれるユウリが羨ましい。現にユウリは私でもそうなるかも知れないと思って、わざわざここまで連れてきてくれたんだろう。
「いいなあ。私もユウリみたいになりたいなあ」
 つい本音を溢してしまったが、それがユウリの逆鱗に触れたらしく、突然無言で私の髪の毛を引っ張ってきた。
「ちょっと、何女の子の髪の毛引っ張ってんのよ、痛がってるじゃない!」
「こいつが馬鹿気たことを言うからだ」
 ビビアンが間に入ってくれたおかげで、私の髪はユウリの手から解放された。けれど今度はビビアンの方が怒りを露わにする。
「なんか、勇者っていう割にはずいぶん心が狭いのね」
「何だと!?」
 ユウリもその言葉が癇に障ったのか、ビビアンを睨み返した。二人の間に火花が見える。
「お前も踊り子のトップスターとかいう割にはまるで大人げないな」
「あら、あなたが喧嘩を売るからそれに私は合わせているだけよ。そんなにムキになるなんて、あなたの方がよっぽど子供じゃない」
「なるほど、女は本性を隠すというが、お前はその典型的なタイプだな」
 まずい。かえって事態を悪化させてしまったようだ。私はおろおろしながら二人の間に入ろうとするが、
「まあまあ、アナタが割って入ったら余計ヒートアップするわヨ、あの子たち」
 いつのまにか私の隣にいたアルヴィスが手を叩き、二人の視線を自分に向けた。
「はいはい、ストップ。それじゃあミオはアタシたちが預かるわ。それでユウリくん、コンテストはいつなの?」
「……一週間後だ」
「なら一週間後にまたここに来て頂戴。それまでにミオをとびきりの美少女に仕立て上げるから、楽しみに待っててね♪」
「別に俺はこいつなんか……」
「はいはい、期限が一週間なんて無茶振りもいいところなんだから、とっとと行った行った。さっ、ビビアン。アタシに依頼したからには、あなたにも本気出してもらうからネ」
「とーぜん!! 私の持てるすべての力を出して、この偏屈勇者にギャフンと言わせてやるからね!!」
 いつの間にかビビアンの目的が変わっているのは気のせいだろうか。
「……わかった、よろしく頼む」
 ユウリはビビアンには目もくれず、アルヴィスに向けて返事をすると、すぐに店を出て行った。
「あの……、急に二人を巻き込むことになっちゃって、ごめんね。二人とも劇場とかお店もあるし、手の空いた時でいいから」
「やーだ、何言ってんの、ミオ。あの子に礼まで出すって言われた以上、アタシは付きっきりであなたを変身させるわよ?」
「右に同じ。私も今日から一週間、舞台を休むことにするわ。中途半端な覚悟は私のプライドが許さないからね」
 私が驚いて二人を見返すと、彼女たちの瞳には、すでに強い意志が宿っていた。
 彼女たちが本気で私に協力してくれる以上、私も生半可な覚悟で受けるわけには行かない。私は二人を見据えると、
「二人とも、ありがとう。これから一週間、よろしくお願いします」
そう言って頭を下げた。

コンテストまであと一週間。私の長く厳しい試練が始まろうとしていた。
 

 

脱・田舎者作戦

「つ、疲れた……」
 疲労困憊のなか、やっと絞りだした第一声がこれだった。
 エジンベアで開かれる美少女コンテストに出場するために、アッサラームでユウリと別れ、アルヴィスとビビアンに協力してもらうことになったのだが、その内容は想像を絶する厳しさだったからだ。
 開始早々、私は二人に都会の女性らしい振る舞いや所作などを教わることになったのだが、それはもう今までの和気あいあいとした雰囲気ではなく、ほんの少しでもミスをしたらビビアンの檄が飛ぶ、もしくはアルヴィスの鋭い殺気が突き刺さるといった、殺伐とした空気だった。
 初日は二人にさんざんダメだしされて食事もとらず、一日が終わってしまった。その日の夜から私はアルヴィスの店舗兼自宅で寝泊まりすることになり、翌日も早朝から二人に叩き起こされ、同じことを繰り返し行った。
 その時の状況を思い起こそうとしても、頭が無意識に拒絶しているのか、まったく思い出せない。ようやく二人がOKサインを出してくれた三日目には、彼女たちの視線に気づくだけで体が勝手に反応するぐらいまでになっていた。
 四日目からはビビアン直伝の踊りの練習。もしコンテストで特技などを披露しなければならないとき、武術なんていう全く女性らしくないことを見せるわけには行かないと考えたからだ。
 とりあえず付け焼き刃でもいいから、基本的な動きを身に付けようと、二日かけて習得した。劇場にも足を運び、他の踊り子の踊りを見て研究したりもした。その結果、なんとかビビアンにOKがもらえるくらいまでは上達した。だけど、あくまでもその場しのぎの策なので、誤魔化しきれるかは不安ではある。
 その間、アルヴィスに教えられた美容に関する知識やケアを毎日続け、さらにはアルヴィス御用達のお店で買った薬などを服用した結果、五日目には効果が現れ始めた。毎日魔物と戦い、野宿続きで肌も髪もボロボロだった私の体は、見違えるように綺麗になっていった。
 そして迎えた六日目。コンテスト前日だからと、当日の衣装や小物などの調達も兼ねて、三人で息抜きがてら買い物をしようということになったのだが。
 最初は皆で買い物ということで、新鮮さもありとても楽しかったのだが、次々と商品をチェックする二人のペースにだんだんついていけず、しまいには私だけ店の外で待機、という形になってしまった。
 冒頭の台詞も、アッサラーム中の店を歩き回って疲れ果て、つい独り言を漏らしたのである。
 ビビアンとアルヴィスが入っていったお店の外壁に背中を預け、傾きかけた空を見上げる。ふうと息を吐くと、怒涛の一週間が思い起こされた。大変ではあったが、ビビアンもアルヴィスも、自分の仕事や私生活を削ってまで私のために尽くしてくれたのだ。二人には感謝してもしきれない。
 いよいよコンテストは明日だ。あれからユウリには会っていないが、今頃どうしてるのだろうか。
「……」
 彼の顔を思い浮かべた途端、なぜだか急に鼻の奥がツンとしてきた。
 ユウリに言われるがままここまでやってきたけど、本当に優勝なんて出来るのかな。もし出来なかったら、なんて言われるんだろう。
 そんな不安が頭の中でどんどん渦巻いていくうちに、今まで頑張ってきた自信の積み重ねが崩れ落ちるような気がしてしまう。
 ああ、ダメだ。コンテスト前日にこんな調子じゃ、優勝なんて出来っこないよ。
「お待たせー!……って、ミオ!? どうしたの!?」
 手に一杯の荷物を持って店から出てきたビビアンと目が合うなり、私の目から涙がぽろぽろと零れ落ちる。
「あんたたち、何騒いで……やだ、ビビったら、何ミオ泣かしてんの!?」
「ちっ、違うわよ!! ねえ、大丈夫!? 何かあったの!?」
「ごめん……。ちょっと明日のこと考えてたら、不安になっちゃって……」
 二人に要らぬ心配をかけるわけには行かない。私はあわてて袖口で涙をぬぐった。
「でも大丈夫! 二人のお陰で大分自信もついたから、明日は頑張るよ」
 そう言って必死に笑顔を作ってみせるが、私には二人を誤魔化し通すほどの器用さは持ち合わせていなかった。
「何言ってんの。全然大丈夫そうには見えないわよ」
 心配そうに顔を覗き込むなり、ビビアンは持っていたハンカチで私の涙を拭いた。
「まあ無理もないわよねえ。ただ出場するだけじゃなくて、優勝しなくちゃいけないんだもの。相当プレッシャーよね」
 アルヴィスもため息をつきながら私の肩に手を置く。
「第一、急にコンテストに優勝しろって言うのも無茶苦茶よね。あの勇者、人の気持ちが分からないのかしら」
「まあまあ、ビビ。あの子もあの子なりに考えてるんだと思うわよ。だからアタシたちにミオを預けたんじゃない?」
「けど、他にも方法があるんじゃない? 例えば、勇者本人が女装して出場するとかさあ」
 ビビアンの発言に、思わず女装姿のユウリが思い浮かぶ。もともと整った顔立ちの彼なら、ひょっとしたら優勝することも出来るかもしれない。
「……ふふっ」
 つい思い出し笑いをしてしまい、二人の視線が私に集まる。
「ホントだね。ユウリなら、意外といい線行くかも」
 私が笑いながら言うと、アルヴィスも力強く頷く。
「確かにいいアイデアね。この間メイクしたとき、そこらの女の子なんか霞んじゃうくらい綺麗だったもの。アタシの仕事仲間も、あの子は才能があるって言ってたワ」
「待って、それ女装の才能ってこと?」
 ユウリに女装の才能って……。やばい、想像しただけで笑いが止まらなくなってきた。
「やだもうミオったら、笑いすぎでしょ」
「だって普段のユウリとギャップがすごくて……。どうしよう、ビビアン。女装姿のユウリが頭から離れないんだけど」
「いいんじゃない?どうせ本人ここにいないんだし、それに少しでも笑っていた方が気が楽でしょ?」
 そう彼女に言われて、はたと気づく。そうだ、さっきまで不安で泣いていたはずなのに、いつのまにか笑ってる自分がいる。
「……そうだね、この際ユウリを利用させてもらおうかな」
「そうそう、女はそのくらい図太く行かないと、やっていけないわよ」
 あっけらかんと言い放つビビアンに、思わず苦笑する私。
「アナタたち、笑うのはいいけど、いい加減この場所から離れない? お店の人に迷惑よ」
 アルヴィスの言うとおり、店の前で笑いあってる私たちは端から見たら何事だと思うことだろう。私とビビアンは道行く人々の視線を逸らしながらアルヴィスの店へと戻ったのだった。



「おはよう、ミオ!! アルヴィス!!」
 まだ日も明けきらぬ早朝、アルヴィスの店に元気よくやってきたビビアンは、未だ夢の世界にいた私を現実へと引き戻した。
「う……おはよう、ビビアン。今日はいつにもまして早いね」
「何言ってるの! 今日が本番でしょ! 早く支度しないと迎えが来ちゃうじゃない!!」
 迎えというのは言うまでもなく、ユウリのことだ。
 お店の合鍵を持っていたビビアンは、お店側から入り、そのまま仕事部屋の隣の部屋で寝ていた私を起こしに来てくれたようだ。
 ちなみに私が寝泊まりしている部屋は、以前同居していたシーラが使っていたという。いつ戻ってきてもいいように、シーラが出ていったときのままにしてあるそうだ。
「ほら、早く顔洗って!! 朝のルーティンが大事なのよ!」
 寝ぼけ眼で、ぼんやりした頭を振り起こし、なんとか起床する私。ビビアンに急かされ、急いで顔を洗う。
 すると、すでに起きていたアルヴィスが、ピンクのフリル付きのエプロンを身に付けながら、顔を覗かせてきた。
「あら、ビビったら、今日はいつにもまして早いわネ。ちょうど朝ごはんが出来たから、皆で食べましょ」
「やったー!!」
「ありがとう、アルヴィス」
 私たちはアルヴィスの後について行き、ダイニングへと向かう。テーブルに並べられた料理からは温かい湯気が立ち上り、芳しい香りが部屋中に広がる。
「今朝はトマトリゾットを作ってみたの。熱いから、冷ましながらゆっくり食べてね」
「うわぁ、美味しそう!!」
 この一週間、私はアルヴィスが毎日作ってくれる料理の虜になっていた。アルヴィスの料理はただおいしいだけでなく、美容や疲れた体にもいいのだそうだ。なので私も自分で作りたいと思い、ついでにここにいる間にアルヴィスに頼み込んで、レシピを教わっていたのだ。
 そして朝食を食べ終えたあと、アルヴィスの店に戻った私たちは、いよいよコンテストに向けて準備をすることになった。
「あ、そうそう! ミオに渡したいものがあったのよ」
「え、何?」
 そう言うとビビアンは、持っていた袋に手を突っ込んだ。そういえば彼女が今朝ここに来たときに、大きな袋を持っていた。服は私が持ってるし、メイク道具はアルヴィスの店のものを使うから、持ってくるものはあまりないはずなので疑問に思ってはいたのだが。
「あら、綺麗ねえ!!」
 ビビアンが袋から出したのは、アルヴィスの言うとおり、美しいデザインが施された色んな種類のアクセサリーだった。指輪やイヤリング、ネックレスに髪飾りなど、身に付けきれないほどの数ではあったが、どれも目移りしてしまいそうなほど目を引くデザインだった。
 そういえば、ユウリとアクセサリーを見に行ったときも、こういうデザインのお店に入ったっけ。
「すごい可愛い!! どうしたの、これ?」
 私が尋ねると、ビビアンは私の方を見てニヤニヤしながら、
「それね、ミオの弟のルカくんから借りてきたのよ」
「ルカが!? どうして私がいること知ってるの