勇者にならない冒険者の物語 - ドラゴンクエスト10より -


 

旅の扉

 倉門信は、一流の俳優・声優になると言う夢を持っていたが、酒好き女好きな上にゲーム好きだ。
そんな彼がキャバ嬢にキモいと振られるのは当然だったのかもしれない。
 傷心の気持ちを紛らわせようと、マンションの屋上でウィスキーを瓶のまま煽っていた。
 月明かりが明るく、東京近郊にしては星がよく見える。
 そういえば大きな台風が過ぎて間もないから、空の埃が少ないのかもしれない。
 ぐいっとウィスキーを傾けて勢い良く三度飲み込み、ぷはぁっと一息つくと、強いアルコールにびっくりした喉がしゃっくりを上げる。

「キャバ嬢はダメだー!うはーちくしょう!キモオタで悪かったなこのやろー!ちょっと美人だからっていい気になってんじゃねー!」

 一息に悔しい気持ちを吐き出すと、あースッキリした、と言わんばかりの薄笑みを浮かべて再びウィスキーを煽る。
 ストレートですでに半分以上空けているが、まだまだ足元はしっかりしている。
 ふざけ半分で千鳥足風に歩いてはいるが、誰かに見られるわけでもなく気がすむまで屋上を徘徊するつもりでいた。
 一人ふざけて3メートルはある墜落防止柵に「ガシャン」と音を立てて正面からぶつかってみる。
 おおう、いてぇっと呻いて外をふと見ると、セーラー服姿の女性の姿が目に入ってきた。
 150センチ位だろうか。癖のある長い黒髪が強めの風にたなびいている。

(あれ?人?中学生?高校生?・・・え、フェンスの外にいる?)

 墜落防止柵の外、屋上の縁にまっすぐ立つその姿に異常を感じ取り、一気に酔いが覚める。
 思わず力一杯墜落防止柵の金網を両手で掴むと、「ガシャシャン」と墜落防止柵が大きな音を立てた。
 セーラー服姿の彼女が振り向く。
 素朴だが魅力的な顔立ちをしている。良い所のお嬢様といった雰囲気から、何故今にも飛び降りそうな場所に立っているのか理解が出来ない。
 彼女は、倉門を一瞥すると、何事もなかったかのように月を見上げてぶつぶつと何かを唱え始めた。

(え、厨二病?イヤイヤちょっと待てそれにしたってフェンスの外にいる意味がわからん!何してんだあの娘!)

「おいっ、おいっ、そんな所にいたら危ないぞ、こっち戻ってこい!」

 セーラー服姿の彼女が面倒臭そうに振り向く。

「何の用ですか。今忙しいんですが」

「忙しいって、おっこっちまうぞ?危ないから、な?こっちこい」

「屋上で千鳥足でお酒をかっくらう変質者に用はありません」

「変質者でもなんでも良いが厨二病もいい加減にしろ落っこちたら死んじまうぞ!」

 セーラー服姿の彼女がは、最早倉門の姿を意識の外に締め出したのか、再びぶつぶつと何かを唱え始めた。
 倉門の顔からサーっと血の気が引いていく。

(なんとかしないと・・・)

 携帯電話を出そうとズボンのポケットをまさぐる、が、小銭入れしか入っていなかった。

(ケータイ忘れてきたー!)

 意を決して酒瓶を地面に置いて墜落防止柵をよじ登っていく。
 強くはないが、横殴りの風が墜落防止柵を揺さぶり、思わず地上に視線を落とすと、数十メートル下の駐車場が目に入りヒヤッとする。

(うわぁうわぁ落ちたら絶対死ぬ!どうやってあっちに降りたんだよあの娘!)

 ようやく墜落防止柵を乗り越えて彼女の隣に行くと、セーラー服姿の彼女はやっと来たのと言いたげな視線を向けて来た。

「私に興味があるの?それともアレフガルドかしら」

「厨二病もいい加減にしろよ、目の前で落っこちられたらたまらねえよ!」

「見て、月が欠けて行く」

「話聞けよ!」

「こんなつまらない世界に、貴方は満足しているの?」

「絶望してんのか!?お前は絶望してんのか!?だったら何だがな、俺はつい数時間前にキャバ嬢に壮絶に振られた所だ!お前みたいなキモオタと本気で付き合うわけないじゃんバカなの死ねば?ってな!絶望的だろ、超絶望的だろ。だが、明日も生きてかなきゃいけねーんだよだから気晴らしに酒飲んでんだよ!」

「そう、やっぱり貴方も絶望しているのね」

「そこまで人生やめてねーよ!そうだ、酒のもう、酒!ほら、あそこに俺の酒がある。一緒に飲もう。飲んで笑って明日を迎えよう!」

「そうね。貴方には資格があるわ。一緒に行きましょう」

 彼女はそう言うと眼下の駐車場を指差した。

「ほら見える?」

「・・・え、何が?」

「旅の扉よ」

「ねーよいい加減にしろよ!」

「貴方・・・」

 と、彼女が倉門の頰に両手を添えてくる。

「よく見るとそれなりにいい男ね」

「それ褒めてねーからな!?」

「見て、月が欠けて行く。今日はいい皆既月食だわ」

「あ、ああ、そうなの?」

 周囲が急激に暗くさを増す。
 星の明かりはあるはずなのに、どんどん暗くなって行き、そして彼女が呟いた。

「時は満ちたわ」

「そ、そうか。じゃあフェンスの向こうに帰ろう?」

「いいえ。旅の扉を潜るのよ。私と一緒にね」

「いや、ねーからな?」

 彼女は倉門の声を無視して彼の首筋に両手を絡ませて体重をかけて来た。
 彼に対してではなく、「外に向かって」

「は?」

 落下。
 あとはひたすらに落下。
 墜落するって、なんて実感がないんだろう。
 恐怖はない。あるのはただ驚き。
 何で自分は落ちているんだろう。
 そんな彼の耳元に、彼女の声が響いた。

「向こうで、私達は愛し合うんだわ」

「・・・いや何いってんだよ。そんなわけねーだろ」

 倉門が突っ込みを入れると、唐突に胸に衝撃が走った。
 彼女が両手で突き放したのだ。

 あ、どっちにしても終わったな。

 彼女の落ちる地面を見ると、光り輝く渦がたゆたっているのが見えた。
 自分の落ちる先に視線を移すと、別の光り輝く渦がたゆたっていた。
 数秒後、彼らの体は地面に叩きつけられて光り輝く渦はかつて彼らだった物を抱くようにたゆたい、やがて薄れて消えていった。 

 

死の嵐

 商船アプラック号は、蒸気機関を搭載した対魔物装甲を施された大型貨物船だった。
 就航して8年。
 これまでにも水棲の魔物による襲撃はあったが、重厚な装甲のお陰でどれも戦うこともなくやり過ごしてきた自負があった。
 ウェディ族の船長、カリハール・ウラハは、エルフの貴族の娘をレンダーシアまで乗せて行く仕事など交易品を運ぶついで位にしか考えていなかったのだが・・・。
 何事もなく終わるはずだった航海は、ウェナ諸島に差し掛かった深夜、絶望の淵に立たされる事となったのだ。
 気がつけば、今まで出会った事の無いような巨大な魔物、大悪魔族が率いるような強敵、大王イカの襲撃を受け、装甲船は巨大な触手にからめとられて無残にも沈没の憂き目にあっていた。
 船員達の荒てる声がデッキ上を飛び交う。

「触手を引き剥がせ!槍で触手を突けぇ!」

「斧持ってこい!切り落とすんだよ!!」

「マストがぁ!監視マストがへし折られる!!」

「ダメだぁ!船の装甲がひしゃげちまってる!沈むぞお!」

 初めての戦闘に右往左往する戦闘要員達。
 度重なる大王イカの攻撃に、デッキの床は3分の1が抜け落ち、外装を守る装甲板は無残に歪み、損傷した木製の内壁から海水が勢いよく流れ込んできていた。
 巨大な触手が振り上げられ、デッキに勢いよく叩きつけられる。
 太いロープで固定されていた木箱や樽が砕けちり、飛散する破片に数人の船員が吹き飛ばされてデッキの上を転がった。



 船長室。
 カリハール・ウラハの座る執務机の正面の豪奢なソファに、禍々しいコウモリの翼を持つ1人の悪魔がトカゲじみた顔を愉快げに歪ませて笑みを浮かべていた。

「どうだろう。カリハール船長。そろそろ例のエルフを引き渡してはくれまいか。私としては、あの様な小娘など位置を掴むのは容易いし、これ以上の虐殺も望んでいないと言うのだが」

「こ、断る!貴様ら悪魔が何を考えて入るかは知らんが、積荷を早々に引き渡すほど落ちぶれてはいない!」

「君が彼女を引き渡せば、契約は成立する。君と君の船員達は助かるのだぞ?」

 悪魔族は床を転がってきたワインの瓶が足にぶつかったのに視線を落とすと、無造作に掴み上げてコルク栓を軽々と引き抜いてググッとラッパ飲みした。

「んー。何だこの味は、安物じゃぁないか」

 応接テーブルの上にそっと置く。

「簡単な契約だと思わないかね。1人の小娘を差し出せば君達は助かる。ただそれだけだ」

「こ、この、大破した貨物船の上に放置されるだけだろう!そんなものは助かるとは言わない!」

 怒気激しく、カリハールが机を拳で激しく叩いた。

「私は女神様を信仰する身。悪魔などと契約もしない!」

「小娘の位置など既に掴んで入る上で契約を持ちかけてやったと言うのに。やれやれ、強情な事だ」

 悪魔族は翼を広げると立ち上がって、ソファの脇に立てかけてあった大きな斧を掴み上げて肩に担いで見せた。

「さて、それでは時間切れだ。小娘の魂だけでよかったのだが、君達まとめて海に沈めてやるとしよう」

 悪魔族は、ゆがんだ笑みを浮かべると「リレミト」を唱える。輝く光の玉が現れ、それに触れるや悪魔族は船外、上空十メートルの位置に瞬間移動していた。
 眼下の凄惨な光景を見下ろして満足げにほほ笑む。

「正直、エルフがどこにいるかなど知るすべはないのだが。まとめて始末してしまえば同じこと。とはいえ、エルフの乙女の魂の味は絶品。単体で殺せないのは少々惜しい気持ちはしますが。喰らうという意味では同じことですしねぇ」

 巨大な斧を左手に腰にためるように構えると、右手を天高く突き上げる。まがまがしい魔力がその右手のうちに収束していった。



 アプラック号、デッキ後方の救命艇付近。
 エルフのパラディン二人が、大きな刀を背負ったエルフの少女を連れて救命艇を降ろさんと悪戦苦闘していた。
 大王イカの断続的な攻撃に、船は激しく揺れており、救命艇を海面まで降ろすことができずにいたのだ。

「このままでは、このままではまずいぞ。大王イカと渡り合える冒険者はいないのか!」

「商用の装甲船などに、そのような英雄級の冒険者など乗っているはずもなし!強引にでも救命艇を降ろすのだ!」

「ここまで揺れておっては、海面に落とした衝撃で救命艇など壊れてしまう!」

「ではどうするのだ!あああ、姫様、申し訳ありません。何としても、何としてでも姫様だけはお助けいたします!」

 うろたえる二人のパラディンに、大きな刀を背覆ったエルフの少女は言った。

「エンギ、リョウギ、二人ともすまない・・・。私が冒険者になって証を建てようとしさえしなければ、そなた等をこのように巻き込むこともなかった。ほんとうに、すまない・・・」

 エンギとリョウギの二人のパラディンは、救命艇にしがみつきながら少女に詫びるように頭を垂れた。

「姫様・・・そのような・・・! 我等がついていながら、お守りすることもかなわず・・・!」

「ああ、姫様・・・姫様だけでも、どうにか・・・」

 船が激しく揺れる。
 右に大きく傾いたのだ。
 その衝撃で、彼等がどうにか降ろそうと悪戦苦闘していた救命艇の留め金が外れる。
 外側に大きく煽られる救命艇の支柱。
 救命艇を支えていたロープが勢いよく救命艇をひっぱり、まるで釣り竿から放たれるルアーのように夜の海に舞った。
 それにしがみついていた二人のパラディンを、巻き添えにして。

「うおお!」

「ああ、姫様ああああ!」

「エンギ! リョウギ!!」

 あっという間だった。
 エルフのパラディンたちは、なすすべもなく夜の黒い海に飲み込まれ、波のうちに姿を消してしまった。

「そんな・・・、エンギ・・・、リョウギ・・・。私は、・・・どうすれば・・・」

 その場に頽れるエルフの少女。
 涙を流しながら天を仰ぐと、その視界に一人の悪魔族の姿が映った。
 天高く掲げた右手に、雷の塊を発生させている悪魔族に向かって、届きもしないであろう刀を背から引き抜くと堂々と構える。

「あれか・・・あれがこれを引き起こしたのか・・・あれが!」

「おい、海に飛び込め!イオナズンがくるぞ!!」

 声の方に振り向くと、一人のウェディ族の船員が体当たりをするようにエルフの少女を抱えると黒い海に身を投げた。

「な・・・!」

「目を閉じろ! 口を閉じろ! 溺れるぞ!」

「き、きさまああああ!」

「あんたは助ける、あんただけは助ける! こんなくそったれな状況から、あんただけは!」



 アプラック号上空。
 悪魔族の魔戦士ギーベは不敵な笑みを浮かべて自らの手の内に溜まった雷の魔力の塊に満足げにうなずいた。

「これだけ魔力を高めれば十分でしょう。大王イカも死んでしまうかもしれませんが、まぁ、あれの魂も不味いが腹だけはふくれますか。共々、私の糧にでもなってください」

 カッと目を見開いて両の手を胸の前でクロスさせる。
 右手に収束していた雷が、一瞬ギーベの心の臓に吸い込まれたかと思いきや、全身を大の字にギーベが力強く広げると、ギーベを中心に激しい雷の嵐が吹き荒れる。

「ふふふ・・・ふふはははははは! すべて私の糧となれ! イオナズン!!」

 魔法名を唱えるや、雷の嵐は激しい閃光を伴って爆発した。
 雷の爆風にさらされて、アプラック号が無残に四散する。
 アプラック号を締め上げていた大王イカもまた、全身に激しい裂傷を伴って苦しげに暴れると、ゆったりと海の底に姿を消した。

「んー、流石は大王イカ。この程度の魔法ではくたばりませんか。・・・しかし、妙ですねぇ」

 悪魔族ギーベは、小首をかしげてアプラック号の残骸を眺めた。

「磯臭いウェディどもの魂の味はしましたが、熟れ始めの果実のようなエルフの乙女の魂の味が入ってこない・・・。逃げられる状況でもなかったはずですし、ルーラを使っていれば飛び去る先が見えるようなものですが・・・」

 つまらなそうに巨大な斧を振り下ろす。

「さては、私が喰らう前に海に落ちて死んでしまいましたか・・・。いやはやなんと、最後まで取っておいたケーキの頭のイチゴを奪われたかのようです!」

 満足げに腕を組み、右手で顎をさする。

「まぁ、先に死んでしまったものは仕方がありませんか。次に腹が減るであろう1年後には、おいしいエルフ娘の魂をデザートとしていただきたいものです・・・」

 そう独り言ちると、悪魔族ギーベは大きく数度はばたくと、力強く羽を広げて虚空の先に飛翔していき、天高い黒雲の中に消えていった。 

 

転生

 倉門信は、浮遊していた。
 どこに、と問われると皆目見当もつかないが、淡い青い輝きの空間にいるのだと言うことだけはわかる。
 両の手を見て見るが、色が褪せているようでどうにも頼りない。
 視線を降ろして身体を確認して見ると、心臓のあるあたり、胸の内側に明るく燃える光球が見えて自身の身体が半透明になっている事を理解した。
 なぜこんな状態にあるのか思い起こして見る。
 確か、マンションの屋上から飛び降りそうな少女を思いとどまらせようとして、自殺に巻き込まれたはずだ。
 アスファルトに墜落した衝撃と鈍い音。一瞬の激しい痛みが思い起こされる。

(ああ、つまり、やっぱり死んだって事だよな・・・。なんちゅーあっけない終わり方だろう。つまらない死に方したなぁ〜)

 倉門信は、ため息を吐いて大きく肩を落とした。
 何もないただ青い空間で、途方にくれる。

 果たして、どの位そうしてぼーっとしていただろう。
 ふと気付くと、彼の遥か下方に円形の神殿のような構造物があるのに気付いて目を見張る。
 どうやら緩やかに落下しているようだった。
 それが何かを確かめたい。その一心で神殿を凝視していると、心なしか落下速度が上がった感じがする。
 より鮮明に意識して見ると、念じる強さによって落下速度も変わるし、縦横無尽に動けるらしいことが解って来た。
 飛行するイメージで神殿を目標にして見ると、スーパーマンよろしく飛翔して、あっという間に神殿にたどり着いた。
 円形の神殿は、5本の5メートルほどの通路が伸びており、それぞれの先に神々しい石像が飾られていた。
 それぞれに近付いて石像の台座のプレートを見て見る。
 刻まれていたのは知らない言語だが、何となくだが不思議と読み取れる。

 額に2本の角を生やした筋骨隆々たる戦士は、オーガ族。
 猿のような猫のような人のような、コロンとした小人はプクリポ族。
 魚のヒレのような耳を持つ美しい魚人は、ウェディ族。
 小柄で尖った長い耳を持ち、背中に昆虫を思わせる小さな羽を持つ可憐な種族は、エルフ族。
 120センチほどでありながら、筋肉質な小人は、ドワーフ族。

 エルフとドワーフのイメージにギャップを感じながら何となくウェディ族の像の前で呆けていると、像の台座にうっすらと海の上の光景が見える気がして、吸い込まれるようにその光景に見入る。
 そこは深夜。いずこかの諸島の沖合。
 眼下に見える装甲を施されたセイリングシップは、船体後方に蒸気機関を搭載している比較的に大型の輸送船のようだった。
 しかしその船は、巨大な数本の触手に絡め取られ、攻撃を受け、ひどく傷ついていた。
 まさに満身創痍だ。

 率直に言って、ホラー・パニック映画のワンシーンのように現実味がなかった。

 と、船が強烈な黄色い光に包まれるや、轟音と共に発した電撃を伴う広範囲に渡る炸裂の直撃を土手っ腹に受け、あっというまに爆散する。

 倉門にしてみれば、何を見せられようとも何かを出来るわけでもなく、ただ眺めているだけだ。
 何かを感じるわけでもなく、爆散した船の残骸が波の上を広がり、流されていくのを自然と追っていく。
 気がつけば、倉門の「魂」は映像の世界の中にいた。
 漂流する残骸の上を舐めるように飛行していると、生存者らしい影を波の内に見つけて追跡を始める。
 セイラー服を纏ったウェディ族の青年が、鎖帷子を着込んだエルフ族の少女を右脇に抱えて必死に泳いでいた。
 何度も、何度も、溺れそうになりながら。
 見兼ねてか、声が聞こえるかどうかも解らない青年に向かって、倉門は自然と声をかけていた。

『救いたいって必死みたいだな。けど鎧着た人間抱えて泳ぐのって無茶だろう。助かりたいならそんなエルフ捨ててしまえよ』

 ウェディ族の青年の表情が、心なしか険しさを増して見えた。
 聞こえたのだろうか?
 半信半疑で、更に声をかけて見る。

『そんなに助けたいなら、体力のある内に鎧を脱がせよ。重り持ったままよく泳げてるよな。奇跡だよな』

 悔しげに歯噛みして、必死に泳ぎ続ける青年。

『胸触ったりあそこ触ったりしてもラッキースケベなだけだ。気にすんな。死の間際にそんな事気にして助けられるのかよ。助けたいのか助かりたいのかどっちだよ』

 呆れるように吐き捨てると、ウェディ族の青年が明確な反応を返してきた。

「精霊か悪魔か知らないが、適当な事をいうな!助けたいよ!惚れた女を助けたくない奴がいるか!ふざけるな!」

 おお、溺れながらよく喋る・・・。

「力を貸せよ・・・。見てるだけじゃなくて手を貸せよ声だけ悪魔!」

『声だけ悪魔は傑作だな。残念ながらどうやら俺は浮遊霊という奴らしい。声はかけてやるからとりあえず頑張りなよ』

「くそっ、くそっ!」

 悪態をつきながらも必死に泳ぐ青年。
 やれやれ、と哀れむような声色で、倉門は青年に声をかける。

『おっぱい触っちゃったらラッキーくらいに思っとけ。そしてその娘の鎧を剥ぎ取れ。モラル守って溺れるのかきっちりその娘を助けるのか、はっきりした方がいいと思うぞ』

 その声に反応してか、ウェディ族の青年は、波に揉まれながらエルフの少女の身体を弄り始める。
 茶々を入れたい気持ちになったが、さすがに我慢して見守っていた。
 やがて和装に似た軽装な衣装になったエルフの少女を抱え直し、再び泳ぎ始めるウェディの青年。
 それから実に、3時間以上深夜の荒波に揉まれながら、青年は泳ぎ切った。
 空が白み始める頃、ウェディ族の青年は何処かの海岸に泳ぎ着き、砂浜を身体を引きずるように上がっていき、砂浜の中程まで行った所で、エルフ族の少女を右脇に抱えたまま倒れ込んでしまう。

 あ、これはちょっとイカン。かも。

 嫌な予感がして倉門が声をかけようとした時、彼の左脇に倒れたウェディ族の青年によく似た幽霊が浮かび上がるのを見て、あっと声を上げる。
 ウェディ族の青年は、とうとう息を引き取ってしまったのだ。

 死ぬな死ぬな、死んじゃいかん。元の身体に今すぐ戻れ。

 そう声をかけようとした一瞬。
 ウェディ族の青年の魂は倉門の魂の存在に気付き、振り向き、寂しそうに、しかし感謝の気持ちが一杯な表情を向け、そして天高く飛び去ってしまった。

『おい! おい! ばか! 何を勝手にやり切ってんだよ! 成仏してんだよ! あの娘どうするんだ1人にしていくのか!』

 天に向かって叫ぶが、答えはついに帰ってこなかった。

 途方に暮れて砂浜に横たわる男女を見下ろしていると、遠くで犬の遠吠えに似た叫び声が響いてきた。
 浜辺からそれほど離れていない林を見ると、ホルスタイン柄のコウモリに似た奇妙な動物が3体姿を現し、大きな口を開いて近付いてくるのに気付き、それらが恐らく浜辺で倒れている二人を食事にしようとしていると感じて倉門はダメ元で奇声を上げながら幽霊状態にも関わらず拳を振り上げて突進していく。
 幽霊状態の倉門が見えるのか、コウモリに似た奇妙な動物はびっくりして林の向こうに逃げ去って行った。
 そうこうしている内に日は登り、炎天下の日差しにウェディ族の青年の遺体と、寄り添うように眠り続けるエルフ族の少女の肌を焼いていく。

『とりあえず、動物系は追い払えるってわかったからいいが、どうすんだこれ・・・。勝手に成仏しやがって、諦めよすぎだろバカ魚・・・』

 横たわる2人の傍に胡座をかくと、倉門は溜息を吐いて右手で頬杖をついた。
 未だ目覚めぬままのエルフ族の少女の顔を覗き込んで見る。
 可憐と言うものを体現しているかのような美少女だ。
 だからと言って、肉体を持っていたら寝込みを襲うかといえばそんな度胸は微塵もないわけだが。
 再び浜辺を見渡してみる。
 砂浜自体も相当な広さだが、遠くに岩場があり、背面には防風林とまではいかなくともそれなりに樹木が育っている。
 人の手が入っているようには見えなかった。
 強い日差しの下、湿気もある海沿いではウェディ族の身体はそう遅くない時間で腐食が始まるはずだ。
 脳や内臓がまず駄目になって異臭が出始めるのではないだろうか。
 その匂いで起こされたら、この美少女エルフは気の毒だな。などと不謹慎なことを思ってみる。
 しかし、それから程なくして、エルフの美少女はけだるげに目を覚ますとウェディ族の青年の腕をほどいて片膝をついて辺りを見渡し始めた。
 倉門と視線が合う。
 思わずぎょっとするが、エルフの美少女は気に留めることもなく海の方に視線を移した。どうやら偶然見つめあう形になっただけで、彼女には倉門は見えていないようだ。
 彼女は気が済むまで周りを観察すると、ようやくといった形でウェディ族の青年の身体をゆすって声をかけ始めた。

「おい、おい無礼者。どうやら私たちは助かったようだぞ。不本意ではあるが貴様には礼もしなくてはならんようだしな。おい、ほら、さっさと起きないか」

『いやいや・・・無駄だよお嬢さん。そいつとっくに死んでるから・・・』

 エルフの美少女は倉門の声に気づくはずもなく、頑なに起こそうとしていた。
 声色がだんだん震えてくる。

「貴様は勝手に私に恋文を出したり、声をかけてきたり、慇懃無礼な奴だとは思っていたが。こうして見るとまぁ顔は悪くはないな」

『それ、ほめてねーから・・・』

「ほら、さっさと起きないと砂浜のフライパンでウェディのから揚げになってしまうぞ。いや、ころもは無いからな。ウェディの蒸し焼きか?」

『怖いことおっしゃりますね。かわいい顔して』

「ほら・・・、だんだん潮が満ちてきている。ウェディといえども流石に溺れてしまうぞ・・・?」

『魚型の種族ってことは、海の中で呼吸できるんじゃないのかな・・・。地上で生活してる種族なら、というか哺乳類に分類されるなら水で呼吸できるわけではないのか?』

「・・・ほら、・・・お腹もすいただろう?・・・向こうにヤシの木がある。・・・貴様、取って食べられるようにしてくれたら・・・いろいろ・・・許してもいいぞ・・・」

『色々?! どこまでの色々?』

 馬鹿な突っ込みに、エルフの美少女の言葉が重なる。

「いろいろは・・・色々だぞ・・・文字通り・・・・・・・・・・・・」

 声の震えが限界に達しようとしていた。
 泣いてしまうんじゃないだろうか?
 聞こえないのをいいことに馬鹿な突っ込みを入れて遊んでいた自分が急に恥ずかしくなってくる。
 だって仕方ないじゃないか。助けようにも体はないし、声も届かない。見ているしか出来ないのにどしろっていうのさ。

「目を・・・・・・・・・・・・」

 あ、
 これは、、、
 やばい、、、、、、

「お前まで・・・・・・勝手に・・・助けて・・・・・・勝手に・・・・・・・・・・・・・」

 どうしよう、もう見てられないんですけど。
 でも、何もできないんですけど。
 くそウェディめ、勝手にあきらめて成仏しやがって!
 どうすんだこの状況!

「こんな事なら・・・アズランを出るのではなかった・・・・・・・・・・・・!!」

 ついに涙腺が決壊して大量の涙を流し始めるエルフの美少女。
 やばいー、やばいよー、何もしてないけどなんだか俺が悪いみたいな感じじゃないかー。
 誰かどうにかしてー。
 やりきれなくなっておろおろしていると、林の方から犬の頭を持つ軽装な人型の種族が蟹股でのっしのっしと歩いてきた。腰には90センチはあろうかという幅広の曲刀を下げている。
 倉門が気付いた時には、すでにあと数歩のところまで近付いてきていた。
 当然、彼のことは見えていないようだ。

「ワンオワンオ、昨日の嵐が明けたと思いやあ魚とエルフが流れ着いてるぜ」

「ワンオワンワンオ、よっくみると相当な美少女じゃワンか。これは高く売れるぜー」

「おうよ兄弟、猫島に売りに行く前にしっぽりと楽しむってのはどうだワン」

「おっ、いいねそれだねワン。おいそこのエルフ! ワンたちが恐かったら大人しくそこにまたをおっぴろげるワン!」

 下品な発想の2匹(と数えることにした)が、長い舌をだらしなく振り回して唾をまき散らしながらエルフの美少女に迫る。
 はじめは驚いたような表情をしたが、エルフの美少女はすぐに首を小さく左右に振り、小声でつぶやいた。

「そうか・・・。そうだな・・・。これはきっと私に対する罰だ」

 ぎょっとして倉門が彼女を見る。
 完全にあきらめた表情で、彼女は犬どもの前に腰を浮かし、股を広げようとしていた。

『まてまてまて! 何してんだ! どんな発想だそれは!!』

 倉門が流石に焦ってやめさせようとするが、当然声は届かない。

「お、お、兄弟! こんな聞き分けの言い美エルフ初めてだワン!」

「うほ、うほ、これは今日はいい日だワンオ! 一発いくでワンオ!」

 ワンオワンオワンワンオ!
 ストリップを見る観客のように、艶めかしくも恥ずかし気に腰を浮かして涙を浮かべるエルフの美少女に犬どもは発情していた。
 肉体があれば、倉門も同じだったかもしれない。
 だとしても、彼の理性は怒りに傾いてきていた。

『やめろ、やめろって! 何してんだよ! 諦めるよりまず逃げるとか戦うとかしろよ! なんでいきなり諦めてんだよ!』

 ワンオワンオワンワンオ!
 さらにはやし立てて利き手で股座をまさぐり始める犬どもに、怒りが頂点に達しそうだ。
 彼女は耐えるように唇をキュッと引き結び、涙を流しながら腰を弱々しく振って見せる。

「もお、もう、我慢の限界だワン! 俺から先に行っちゃうワンオ!」

「ワンオじゃねー! ふざけんじゃねーぞこのクソイヌが!!」

 場の空気が一瞬で凍り付いた。
 一同の視線が倉門に集まっている。
 はっと我に返った瞬間、全身に即死してもおかしくないほどの激痛が走った。

「うーーーーぎゃーーーーーー、いっっって~~~~~~~~!? なんじゃこりゃあ!! 全身打撲というか筋肉痛というか骨折してるというか内臓破裂してるというか!?」

「う、こ、この魚野郎、死んでなかったワン!」

「どっちにしたって瀕死の魚に何ができるワン! ナマス斬りにしてやるワンオ!」

 犬どもが腰の曲刀を引き抜いたのを見た瞬間、倉門の頭にざざっと音が鳴るほどに急激に血が上る。
 痛みは何故か消えた。
 そして、大きく振りかぶって襲い掛かってくる一匹の剣を握る拳に向かって前蹴りを一閃。
 ぐぎりっと嫌な音がして、犬の右拳は人差し指から小指まで綺麗に折れていた。

「あ?だワン?」

 その手から転がり落ちる曲刀。
 さくっと砂地に刺さる。

「あーーーー!だワン! いってーワン! 折れたワンオ!?」

 何も考えずに倉門の身体は動いていた。
 喚き散らす犬の顔面に向かって左ストレート。腰を回して返す刃の右フック。
 倉門のパンチは、見事に犬男の顎を打ち砕いていた。

「アーオ! アンアンオ!!」

 痛みに砂浜の上を転げまわる犬男。
 きっと、もう一匹をにらみつけると、そいつは及び腰になりながらも切っ先だけは向けてきた。

「さ、魚ぬくせに・・・。いい度胸! だワンオ・・・。今日のところは見逃してやらなくもないワンオ」

「へーそー、じゃあさっさと回れ右して逃げ出してくれよマジで。割とマジで。頼むよ」

 じりじりと後退りをする犬男は、くるりと背を向けるや、

「アーーーーオーーーーーーーン! アンアンアオーーーーーーン!」

 ぴくりっと、倉門のこめかみに青筋が浮かび上がる。
 そうと知らず得意げに遠吠えを続けた犬男は、どや顔で振り向いて言った。

「ばーかめぇ! 仲間を呼んだワン。貴様など刺身にしてモンスターの餌にしてやるんだワンオ!」

 ばたばたばたっと、林の向こうから数体の犬男が曲刀を片手に姿を現す。

「Cドッグ見参!」

「Dドッグ見参!」

「Eドッグ見参!」

「Fドッグ見参!」

「「「「「合わせて合計、4(シー)ドッグ!」」」」

「なめてんのか!!!!!」

 怒涛の勢いで倉門が流れるようにワンツースリーコンボで次々とノックアウトしていく。
 え? あれ? という顔で仲間を呼んだ等の本人は呆けていた。
 ゆらりっと視線だけを向ける倉門。

「あんれー・・・おあとがよろしいようで~・・・」

「意味不明なこと言ってんじゃねーぞ。そう何回も、2回も、3回も、死んでたまるかよ。というか、俺は非常に頭にきてんだよわかるか」

「あのう・・・、そこのご婦人に手を出そうとしたからでしょうか・・・?」

「俺が今まさにまた死にそうになってるからだよ! 怪我のせいで!!」

 怪我のせいと言いながらよく動く身体で、ハイキックをお見舞いする。
 倉門のハイキックは見事に犬男、シードッグの延髄にクリーンヒットしていた。

「ゴブラッ、意味わかんねーんですけどワンオ・・・・・・」

 つぶやきながら頽れるシードッグを見下ろしていると、だんだん痛みが復活してくるのを実感した。
 激しく動いたせいか、痛みがさらに倍。

「ふ、・・・ふふふ・・・。マジで。・・・いやマジで・・・。こんな身体で人を抱えて泳ぎ切ったあいつ尊敬するわ・・・。これは・・・死んで当然だよな・・・。頑張った。うん。お前頑張ったよ。よくやった。そしてまた死ぬ俺・・・・・・・みたいな・・・・・・?」

「お、おい! 倒れてはだめだ! しっかりしろ!」

 あわてて支えてくれるエルフの美少女。
 この激痛がなければ、さぞおいしいシチュエーションなのにな。と、心なしか残念に思う。

「お、終わったようですにゃあ。いやー、助けに入ろうかどうか迷ってたんですが、おにいさんおつよいですにゃあ~」

(なんだろう、この死にそうな状況で癇に障る話し方が聞こえる。声色はかわいいっぽいがなんかむかつく)

「そ、その恰好は僧侶か!? 頼む! 治癒の魔法をかけてくれ! 今すぐにだ!」

「なんぼもらえますかにゃ? 無償で~というわけにはいかないんだにゃあ~。こうみえてこの破戒僧ジアーラちゃんは慈善事業で僧侶をしているわけじゃなく冒険者として僧侶をしているわけであって」

(どうでもいいわそんなもん。にゃーにゃーと。お前は猫か)

「緊急だと言っている! 金なら後で払う、だから今は治癒の魔法を・・・」

「えーどうしよっっっっっかなぁーーーーー。後で払うってミニ浴衣に下半身下着のエルフにすごまれたってなあーーーーー!」

(やばい、こいつすごいむかつく。というか、もう感覚がなくなってきた。・・・というか・・・)

「どう見たってお金持ってるように見えないしにゃああああ!?」

「くっ、貴様には人情というものがないのか!?」

「人情で人は食っていけないにゃ」

「この、くされオーガが!!」

「にゃっは~、ほめられちった~~~」

「ほめとらん!!」

(あー・・・なんかもう・・・視界真っ暗だし・・・もうどうでもいいや・・・あ、別の人の身体で死んだ時って、俺の魂どうなるんだろう・・・流石に消えるかな・・・?)

 ぐらりっと円を描くように大きく揺れるウェディの身体。
 あっという二人の女の声が聞こえた気がした。
 倉門は、再び意識を闇の淵に落とそうとしていた。

「にゃ!? マジで死にそうだったにゃ!?」

 ばたりっと、砂浜に仰向けに倒れ込む。

「ああ、まて! 死ぬな! 目を開けろー!」

「あああ、あんなに動いてたのに死にそうって矛盾してるにゃ! これ、どうすればいいのかにゃ?」

「治癒の魔法だ!」

「もうまにあわにゃい気がする・・・けどまあいっか! ベホイミ!」

(遅いよ・・・・・・・・・・・・)

 闇に落ちる直前に治癒らしい魔法をかけられた気がしたが、感覚を失っている状態でははたして身体が回復したのかどうかなどかけらもわからなかった。
 むしろ、解らないかもしれない。
 だって、どうやら自分の身体ではないようなのだから・・・。 

 

ラーディス王島にて

 ウェディの青年の身体は、ジアーデの回復魔法で完全に回復されていた。
 呼吸も元に戻り、一時は安心したのだが・・・。
 エルフの少女、チョウキは手づくをしながら焚火の脇に横たわる青年の横顔を眺めていた。
 海に落ちた経緯で装備を失い、下着姿になっていたが、ジアーデの装備カバンに入っていた革の鎧一式を譲ってもらい、今はそれを着ている。
 焚火には鉄鍋がかけられており、ジアーデが薬草と獣肉にキノコや野草を入れてスープを作っていた。
 彼女に聴いて分かったことだが、ここはどうやらヴェリナード王国の管理する遺跡のあるラーディス王島という島らしい。
 管理されているとはいえ、軍隊や管理組織が常駐しているわけではなく、モンスターや犬型の種族、シードッグが生息しており、安全な場所とは言い難いようだ。

「でもよかったにゃあ、貞操が守られたんだからにゃあ」

 シードッグの慰み者にならずに済んだことを言っているらしい。
 ジアーデは、オーガ族の女性で、オーガにしては小柄な体格をしている。それでも、チョウキよりも頭二つ分大きいのだが。
 赤い肌に黒いストレートヘア、神官の法衣をまとい、鋼の槍を装備しているところを見ると、彼女はパーティーに属して後衛を担当するタイプではなく単身で冒険するタイプの戦闘力を備えた冒険者のようだった。
 鍋をかき混ぜながら海水からとったらしい湿った塩をもみほぐしながら鍋に投入する。

「でも、犬族は猫族と仲が悪いはずだけどにゃあ。猫相手に商売してるやつもおるにゃね」

「そなたのそのしゃべり方はどうにかならんのか? オーガが猫族のような話し方をするのは正直気になるのだが」

「人それぞれじゃにゃいかにゃー? 子供のころからこんな話し方だったから今更直せって言われてもにゃあ」

「まあ・・・いいのだが・・・」

「いいならいわなきゃいいにょに」

 単にろれつが回っていないだけなんだろうか、とチョウキが首をかしげる。
 それにしても、とウェディの青年に向き直って言った。

「傷がいえているのに、目覚めないのは何か理由があるのか?」

「ジアーデはお医者さんじゃにゃいからわからにゃいけど。死の淵まで落ちた魂はそう簡単には戻って来ないものにゃよ。気長に待つしかないかにゃぁ~」

「他人事だな・・・」

「他人事だし。でもまぁ、安静にしておいたほうがいいのは確かだから船着き場まで行って、ミューズ海岸に渡ることを提案するにゃ。その先にあるジュレットの町なら冒険者の宿もあるし、しばらくは安静に過ごせるはずだにゃ」

「ミューズ海岸?」

 え、しらないの? と言いたげに目を丸くしてジアーデがチョウキを見た。

「もしかしてチョウキって、どこかのお嬢様?」

「こう見えてもカミハルムイ王国の武官の家の出だ」

「ワーオ、お金持ちだったんだ・・・」

「そんなに高い位の家ではないがな」

 ウェディの青年の髪をすきながら苦笑する。
 ジアーデが目を輝かせてチョウキを見た。

「なんでまた旅に出たにゃ? 武官のお家なら、ほかの家に嫁げば安泰だったにょに」

「5人姉妹の末っ子ではな。いい家に嫁げるわけでもない」

「少なくとも死ぬ目にはあわにゃいよ~」

「証を建てたかったのだ」

 意味が解らない、といった表情でジアーデは固まり、鍋をかき混ぜる手も止まる。
 チョウキは伏目がちにウェディの青年の髪をすくのをやめて語った。

「家にいても何かを期待されることもなく、末っ子というだけで何不自由なく暮らすことは出来ていた。だが、私は父上に期待してほしかったのだ。そのために、戦士として武術も学んだ。魔法使いにもなれるように書物も勉強した」

 正座の姿勢になり、ジアーデに正面に向き直る。

「だが、ツスクルの学び舎に入学することもさせてもらえず、私はただお人形のように扱われていただけだった。父上も、ついぞ私と面と向かって話をしてくれたことはない」

「見返したかった?」

「そうだ。だから私は、私を慕ってくれる家臣が冒険者の道を示してくれた時に、これこそが我が道だと信じて疑わなかったのだ。・・・結果、洋上で悪魔の襲撃を受けて家臣を失い、私を助けてくれようとした青年にも、このような仕打ちを・・・」

「それは彼に失礼だにゃ」

「なに?」

「ウェディは恋に歌に生きる種族だにゃあ。エルフに、というか異種族に恋をするウェディは珍しいけど、その彼が信じて戦ったのなら、それは意義のある事だにゃ。感謝はしてあげてほしい。だけど、憐れむのはとても失礼だと、ジアーデは思うにゃあ」

「そう・・・か。・・・私は、彼に期待してもよいのだろうか・・・」

(ウェディに恋するエルフも珍しいけどにゃ)

 ジアーデは口には出さず、ウェディの青年の横顔に見入るエルフの少女に苦笑した。

「さ、スープができたにゃ。とりあえず腹ごしらえだにゃ」

 ジアーデは木のお椀にスープをよそると、チョウキに差し出してきた。
 右手で受けて匙をうけとる。
 一口すすり、こくんと飲み干した。

「・・・美味い・・・」

「当たり前だにゃあ。あたしは調理ギルドで料理も学んだことがあるくらいだからにゃ!」

 もっとも、調理職人を目指したわけじゃないから本格的なのはたいして作れないけど、と付け加える。
 自分のお椀にスープをそそいでウェディの青年の方を見る。

「少しは栄養付けさせないといけないんにゃけど。お医者さんじゃにゃいから意識のない人に栄養を付けさせるやり方がわからないにゃ」

 と、肩をすくませると、チョウキの取った行動にぎょっとして腰を半分浮かせる。

「て、ちょっとまつにゃあ! スープを口に含んでおまえは何をしているにゃあ!?」

 チョウキはスープの水分だけを口に含むと、ウェディの青年に口づけをしていた。
 ゆっくりとスープを送り込む。
 ウェディの青年ののどが、ゆっくりと動いてこくり、こくりとそれを飲み込んでいた。
 うっとりとした表情でジアーデに向き直る。

「なに、とは。栄養を少しはつけさせたほうがいいのだろう?」

「お前は天然か!! 天然にゃの!? 間違って肺に入って呼吸が止まったらどうするつもりさ!?」

「普通に飲み込んでいるぞ?」

 再び接吻する。

「お前に羞恥心はにゃいにょかーーーーー!!」 

 

転生2

 次に倉門が意識を取り戻した時、彼は元の世界の故郷のメモリアルホールにいた。
 自分の葬儀が行われている。
 参列者は、全くいないと思っていたのだが、意外と多く百人は来ているようだった。
 友人は来ておらず、一人手で育ててくれた父と仲の良かった親戚のおばちゃんが葬儀を取り仕切っている。
 他にも、遠縁になっていた親戚の顔が多くみられ、懐かしさを感じる。
 アルバイト先の土建会社の社員や仲間たちも参列してくれていた。
 小綺麗なホールを散策していると、参列者の中にいくらか業界関係者らしき顔ぶれを見つけて驚く。
 エキストラで出演したことのあるドラマ、「諏訪人生食堂」のプロデューサー、朝霧陽介や、ヤクザ者のVシネマ「東北の熊蔵」の監督、伊藤銀次郎、同作品の主演男優、日下部郷力が顔を出していることにまず驚く。
 両方ともネームをロールに乗せてもらえた記念すべき作品だが、取り分けて活躍した覚えはない。
 さらに驚いたのは、「諏訪人生食堂」の三人のヒロインの一人を演じた、アイドルの加賀美響子が来ていることだ。
 加賀美さんとは何度かニアミスしたことはあったが、印象は悪かったはずだ。
 怪訝な顔で業界関係者の顔ぶれを横目に見ながら、自分の遺体が置かれているであろう葬儀会場に足を踏み入れた。

「うわーーーーーーーー!」

 唐突に泣き叫ぶ女性の声に驚いて、そちらをうかがうと、先日振られたはずのキャバ嬢である美南アスカが同僚に肩を抱かれて号泣していた。

「おーよしよし、我慢しないでいいから全部吐き出せー」

「うわあああ、なんで? なんでしんちゃん死んじゃったの!? 私が振ったから!?」

「そうじゃないでしょ、彼が自殺しようとした女の子助けるために誤って落っこちたからでしょ。ちょっと間抜けだけど、あんたのせいじゃないじゃん」

「でも、私が振らなかったらあんなところ行かないもん!!」

「ほらー、鼻水拭いてぇ」

 ポケットティッシュを取り出してアスカの鼻元をぬぐってやっている。

「大体そんなに泣くんだったら告白受ければよかったじゃん!」

「だってさ・・・、だってさ・・・ヒック。私が受けたら養わなきゃってなるじゃん? しんちゃんやさしいからさ? そしたら俳優諦めちゃうじゃん? そう思ったらさ? ううううう・・・」

「はいはい、ほら涙で化粧もボロボロだよ」

「立派な俳優になってほしかったんだもーーーーん! うわーーーーーーー!」

「あーもー、・・・ほら他の人の迷惑になるからあっちいこ? ほら、歩ける?」

「うんん~・・・うわーーーーーーー!」

 入り口で経緯を眺めていた倉門は拍子抜けした顔でアスカの泣きっぷりを見ていた。
 そんな理由で自分は振られたのか、と。
 それに自分ではどちらかというと冷めた人間だと思っていたので、多分告白を受けてもらえたとしても俳優を目指すのはやめていなかったと思う。
 幽霊状態の倉門の脇を、アスカたちがすり抜けていったとき、背後からハスキーな女性の、小さなつぶやきが聞こえて振り向く。
 アイドルの加賀美響子が殺せそうなほど鋭い視線でアスカの背中を追っていた。

「キャバ嬢風情がリクドウの恋人になれるとか思ってたのかよ、厚かましいんだよ!」

 リクドウとは、倉門の芸名だ。リクドウシン。売れていればその名でテレビにも出演していたはずの仮の芸名。
 もちろん、無名のエキストラだった倉門にしてみれば、ただの妄想だったわけだが。

「・・・あいつのせいか。・・・あんな女の為にリクドウが死んだ?」

 いや、俺あなたとそこまで接点ありましたっけ・・・?
 倉門は、可愛らしさと美しさの両方を備えた稀代のアイドルの殺意のこもった視線にうすら寒さを感じた。
 真夏の撮影中に彼女のヒールが汚れたときに、たまたま持っていたクリーニングセットで磨いてあげたことはあったが、あの時だって倉門に向けていた視線は汚いものを見るような蔑む視線だったはず。
 嫌われこそすれ、好意を持たれるようなシチュエーションがあった覚えはない。
 小首をかしげていると、倉門が立っている通路から少し離れた休憩用ベンチの並ぶ喫茶スペースに不釣り合いな、銀の甲冑をまとった女性がこちらをうかがっているのに気づいてそちらに近付いていく。
 案の定、例の異世界の住人らしく、彼に向かって一つ頷いてから問いかけてきた。

「まさか、新しい体を得たその日に再び死んでしまうとは思っていませんでしたが。どうです? 自分の世界の状況を見て」

 女性の声だ。
 頭部を完全に覆う兜をかぶっているので表情は見えない。

「どう、と言われましても・・・」

「正直なところ、こうして精神体だけをこちらの世界に飛ばしているのは魔力の消費が激しいので、決断は早くしてほしいのですが」

「決断って、何の・・・?」

「アストルティアに来るのか、この自分のいた世界で新しい命として生まれ変わるのか、ですよ」

 うーん、よくわからないことを言われているぞ。と、倉門は腕組をして首を左に傾げて渋い顔をする。
 銀の甲冑の彼女は、右手を腰に当てて顎をしゃくるような動作をして言った。

「あなたが使ったウェディの身体ですが、居合わせた僧侶がベホイミで回復したので万全の状態になってはいます。しかし、魂のないまま放っておけばいずれ心臓も止まるしその肉体は必ず滅びを迎えます」

 ホールを見渡して参列者の顔ぶれを一つ一つ見ていく。

「あなたは未練があるかもしれませんが、ご承知の通りこの世界の肉体はすでに滅びを迎えていますので、そのまま戻ることは叶いません。魂のままいつまでもこの世界に固執していても、あなたの魂自体もやがて劣化して精神の残照として数百年間地縛霊としてこの世界に残るでしょうが、あなたという存在は解体されて新たな命の部品として他の魂のかけらと混ぜられて、別の生命体として誕生することになるでしょう。もちろん、人間であるという確証もありません」

「そりゃまぁ、そうでしょうねぇ。というか、なぜそんなに熱心に俺をあっちの世界に誘うんです?」

「あなたが使ったウェディの身体が、闘戦士たる素質を持っているからです。いま、アストルティアでは一人でも多くの闘戦士を欲しているのです」

「一人いなくても変わらないような言い方ですが・・・」

「多いに越したことはない、と言っているのですよ」

「・・・それ、俺いります?」

 倉門と鎧の君が幽霊状態で会話しているとき、加賀美響子はなぜかその方向が気になって彼らがたたずんでいるベンチの方を凝視していた。
 元々、霊感が強いことも売りにしているアイドルであり、自慢ではないが「見える」力もあると思っている。
 加賀美はアイドルらしからぬ眉間にしわを寄せた状態で穴が開くほどに虚空を凝視していた。

「いらない、とは言えない。素質のある者を一人でも多く探すのが、我ら闘戦聖母に使える巫女の役目」

「でも、俺をスカウトする理由にはならないような」

「何を言う。あなたは重傷を負って死んだウェディの身体に憑依しながらそれを酷使して戦いまで出来たほどの素質の持ち主だ」

 困ったように首の後ろを左手でかきながら頭を右に傾けて口の両端をへの字に引き下げる倉門。

「あれなー。あれはあのウェディのポテンシャルが高かっただけで俺が強かったわけじゃないしなぁ」

「あのような格闘スタイルはアストルティアにはありません。何より、どんなに肉体のポテンシャルが高かろうとも、それを生かせるだけの強い魂がなければ無意味なのです」

「あの青年ではダメだったと?」

「彼の魂にはポテンシャルを生かせるだけの力はありませんでした。でも、あなたにはある」

「うーん・・・」

「ねぇ、リクドウ。あんたよね。あんた誰としゃべってんの?」

 二人だけの世界だと思っていた倉門と鎧の君がぴたりと固まる。
 恐る恐るそちらに視線を動かしてみると、明らかに加賀美が二人の顔を覗き込んできていた。

「うわー・・・みえていらっしゃるー?」

「霊感、強いほうなんで」

「うむ。この世界には闘戦士たるに相応しい強い魂の持ち主が多いようだ」

「いやいや、そんな関心の仕方するなよ」

「それよりさ、あんたなんで女子高生にくっついて落っこちてるのよ。女子高生も重軽傷とはいえ助かったのに、あんただけ死んじゃってさ」

「はなしややこしっ! てか、本当に見えてるんかーい!」

「ところで、彼女もアストルティアに来てくれるということでいいのか?」

「さそうなし!」

「なに? あんたが次に行く世界? あの世ってこと?」

「来てくれるというのであれば手頃な死にたての身体がないか探してみますが」

「わけわからなくなるから話にまぜんな!」

「行きたい行きたい。行く条件は?」

「こちらの世界で死を迎えることです」

「だから、さそうなし!」

「死ぬのはやだなぁ。ほかに方法ないの?」

「時空を超えるには、肉体は容量が大きすぎるのです。肉体から魂を解放しない限りは無理です」

「なーんだ。残念。せっかくだからあんたは行きなさいよ。どうせこっちにいたって、何もできないっしょ?」

「うん、まぁ」

「そっちにいって価値のあることが出来るんなら、行ってきな。あたしはそんなあんたを応援する」

「う、うん。・・・所で、俺って加賀美さんと接点あったっけ・・・?」

「ハイヒールふいてくれたよね?」

「うー・・・うん」

「あと、夏祭りの中継」

「・・・うん?」

 そんな仕事は行った覚えがないが・・・。

「長野の有名な花火でさ。あんたあたしに焼きイカおごってくれたじゃん?」

 そういえば、上田の花火で迷子になっていたらしい少女に財布代わりに連れまわされた覚えが・・・。

「え・・・、あの時の女の子? が、加賀美さん?」

「そ。もう3年も前よね」

「えええ・・・かわいい子だとは思ったけど全然気が付かなかった」

「あんたアイドルに疎すぎんのよ」

「ええー・・・」

「ところで、こほんっ」

 鎧の君が意を決したように割り込んでくる。

「通常は見えないはずの私たちと会話していては、周囲から異常者だと思われませんか?」

「別に気にしない」

「というより、そろそろ答えが欲しいのです。クラカド氏」

「おうう、話し戻してきたねぇ・・・」

「もっとも、今のままのあなたでも闘戦士としては不足しているのですが」

「不足してるんかい!」

「はい。何故なら、あなたは自分自身に限界を設定してしまっている。何をするにも、諦める線引きをしてはいませんか?」

「ああ、言われてみると確かに」

「ですので、こちらでの記憶の全てを、消去してもらうことにはなります。そうすることで、あちらでの出会いもまた絆を失うことにはなりますが。闘戦士としての魂のポテンシャルは飛躍的にアップします」

「なるほどねぇ・・・」

 しばし考えるように腕を組んで首をかしげる倉門。
 そんな彼に、加賀美が後ろ手に手を組んで身体を左右にゆすりながら語りかけてきた。

「どうせ死んでるんだし。あっちの世界に行ったらこっちの世界の記憶なんて残ってても意味ないっしょ?」

「あー・・・うんん・・・」

「だったらさ、思い切って忘れちゃいなよ。そんで、あっちの世界で新しい生活謳歌しな。きっとそれがあんたの為だよ」

「そう・・・かな」

「向こうに行って、出来ることもあるんっしょ? だったら、向こうで活躍してきな!」

「おう・・・。ありがとうね。加賀美さん」

「いいっていいって! ね、鎧の人!」

「後押し感謝いたします。では、クラカド氏。次に目覚めるとき、あなたはすべての記憶を失っていることでしょう。そこから始めてください。闘戦士への道を」

「全部忘れて闘戦士とやらになれるのかどうかはなはだわからんが・・・」

「大丈夫です。私にはわかります」

「加賀美もね、応援してるよ」

「うん、ありがとう・・・。それじゃあ、行きますかね・・・」

「ご決断感謝します。では、私の手を握ってください」

「お、おう・・・」

 倉門の魂は、鎧の君の精神体の手を握り締めた。
 それから、鎧の君が厳かに呪文を唱え始める。
 加賀美は頼りなげなシルエットだった倉門の姿が、徐々に明るみを増していくのを、美しいと思いながら眺めていた。
 やがて、光の中に消えたシルエットの残照を求めて、しばらくその場でたたずむ。

「行っちゃったな・・・。今度こそ本当に・・・・・・。はぁ~、あたしもアストルティアいきたーい!」

 一言、そんなことを口走った後、加賀美響子は葬儀場から一人去っていった。 

 

転生3・忘却、そして・・・

 ベッドの上で目を覚ます。
 上体を起こして周囲を確認してみる。
 見覚えのない部屋。シングルベッドが二つ並んでおいてあり、窓際のベッドに眠っていたようだ。大きくないタンス、窓際のベッドに続くように配置された小さめの机、反対側の壁にはシンプルな鏡の備え付けられた化粧台。
 家具の配置から、旅館かホテルのようだがどこか違和感を覚えた。
 頭が痛い。身体もだるい。
 車の音も人々の喧騒も聞こえてこないここは、いったい何処なのか?

 ・・・車、とは、何であっただろうか・・・

 頭痛のする額を右手で抑え、初めて自分の肌の色に気付く。

「・・・肌が・・・青い・・・?」

 何かがおかしい。だが、何がおかしいのかが解らない。
 自分は一体、何故ここにいるのか、何故肌が青いのか。
 半分開いた窓から一陣の風が潮の香りを運んでくる。
 海が近いのか?
 海沿いで生活していた覚えはないから、旅行か何かで来ているのだろうか。
 気怠い体を引きずって化粧台まで行くと、自分の姿の異様さに一層気付かされた。
 醜くはない。醜くはないが、短く切りそろえられた緑色の髪の毛と青い肌、耳に当たる部分には魚のヒレのような物がついている。
 触ってみると、作り物では無い事が判る。感触があるし音もそこから聞こえるからだ。
 特殊メイクだろうか?

 ・・・特殊メイク、とは、何であっただろうか・・・

「俺の・・・身体?」

 そういえば、
 ここは何処だろう?
 自分は、

 ・・・・・・・・・・・・誰だ?

 がちゃり、と音が聞こえて振り返ると、扉を開けて小柄な尖った長い耳の女性が驚いたような顔をしてこちら見つめていた。
 青みがかった黒髪を後ろで低い位置でツインテールにして和服に似た学生服のような白い衣装を身に着けている。
 可愛らしい、が、覚えのない顔・・・。

「お、おぬし・・・」

 だっと駆け出して彼の胸に飛び込んで来る。

「よかった・・・。目が覚めたのだな! 本当に良かった・・・」

 顔を上げて涙ぐんだ顔を向けてくる。

「3日も眠り続けていたのだぞ? もう、駄目だと思っていた・・・。いや! 違うぞ! 必ず目覚めると信じていた!」

「それは・・・どうも・・・」

 見ず知らずの女性にここまで心配される自分は、いったい何者なのか?
 彼は戸惑いながらも女性の両手をそっと外して身体から離れさせる。

「それで、どうだ? どこか具合の悪いところはあるか? いや、それよりもまだ横になっていなくてはだめだ。今何か食べるものを持ってきてやるからな。ほら、ベッドに横になるんだ」

「いや、ちょっとまってくれ・・・!」

「うむ、何だ?」

「君は・・・・・・、いや、すまないが、君は誰だ?」

「!?」

 驚いた小柄な女性が右手にこぶしを握り締めてフルフルとわななきながら声を震わせる。

「き、き、きさまは・・・どうして目が覚めて早々そういう冗談を言うか!」

「いや、まてっ! 知っているんだったら教えてほしいだけだ! 俺は・・・誰だ?」

「は!?」

「ここは・・・どこだ?」

 小柄な女性は青い顔をして固まっていた。
 そんなにショックだったのだろうか。

「おっすー、チョウキー! さかなくんは目覚めたかにゃ~?」

 赤い肌、長い黒髪にあか抜けた笑顔の美人。身の丈は170センチくらいだろうか。背には穂先が十字になったヤリを背負っており、額には二本の角が・・・。

「鬼?」

「ふぎゃー! モンスターじゃないにゃ! 出会い頭になんて言うかなこの恩知らずは!」

 怒って甘殴りしてくるとわかる。身の丈は自分も一緒くらいか。
 ぽかぽかとたたかれながらも、彼は必死に訴えた。

「ちょちょ、ちょっとまってくれ! 君たち本当に何者なんだ!? というか、俺は何でこんなところで寝てたんだ!?」

「大怪我してぶっ倒れたからに決まってるからじゃにゃいか! にゃーにをいまさら・・・」

「ちょ、ちょっと待ってくれ二人とも!」

 小柄の女性が間に割って入ってくる。

「お、おぬし、船の上でのことは覚えておらぬか? 航海に出るときに私にいきなり恋文を押し付けてきたではないか?」

「いや、何の話だ・・・?」

 その場に力なく頽れる小柄な女性。
 何かを感じ取ったのか、赤い肌の女性もまた叩く手を止めて顔を覗き込んできた。

「んーこれってひょっとして・・・記憶消失?」

 小柄な女性が飛び跳ねるように顔を上げる。

「それを言うなら記憶喪失だ!」

 あーそれそれーっと、あか抜けた笑顔で応じる赤い肌の女性。

「でも、どっちにしてもあたしらのことも全く覚えてにゃいって事だね! 大変だね!」

「どうして貴様はそんなに楽しそうなんだ、ジアーデ!!」

「でも覚えてにゃい物は仕方がないにゃ。今を大事にするべきにゃ」

「意味が、状況が解っているのかお前は!」

「そんにゃこといわれてもにゃあ~。あたしはチョウキほどこいつに固執してにゃいしにゃ。そもそも赤の他人だしにゃあ」

「赤の他人とは・・・!」

 と、抗議しようとして、小柄な女性ははっとした表情でその場に固まった。
 大丈夫だろうか?
 次の瞬間には飛び起きるように動き出して、彼が横になっていたベッドの脇の小さな棚に手を伸ばし、小さな木片のついたネックレスを取り出す。

「バルジェン、というらしいぞ、おぬしの名前は」

 と、彼に向き直って言った。

「バルジェン・・・なんだかしっくり来ないが、それが俺の名前なのか」

「・・・そうだと思う」

「そう・・・か。で、ここは何処だ? 異世界? 地球じゃないのか?」

「ちきゅうってなんだ?」

 小柄な女性に聞き返される。

「地球っていえば地球だろう」

「だから、ちきゅうってなんだ?」

「だから、・・・地球は・・・なんだっけ・・・」

 覚えていたはずの単語が口にする端からどこかに飛んで行ってしまう。

 忘却。それは、呪いの類であろうか。

「俺は・・・地球の、島国にいた・・・? 島国ってなんだ・・・? 東京・・・? とうきょうってなんだ・・・?」

「いや、私に聞かれても困るのだが・・・」

 小柄な女性は困惑する彼を見てより一層困惑しているようだった。
 赤い肌の女性が化粧台に備え付けられたスツールに腰かけて口を開く。

「ここはジュレットの町。お前たちウェディ族がたくさん暮らす町だにゃ。で、ちきゅうってのが世界の名前だったら、ここはちがうにゃ。ここはアストルティアっていう世界にゃ?」

「アストルティア・・・?」

 聞き覚えのあるような無いような・・・。

「とにかく、今は悩んでてもしょうがにゃいにゃ! 食堂に行ってまずは飯にするにゃ!」

 促されるままに、赤い肌の女性、ジアーデに手を取られて部屋を後にすることにした。
 何かのショックで忘れているだけなら、食事をとって落ち着けば思い出すかもしれない。
 そんなはずはないだろうが、今は悩んでいても仕方がないのも事実だ。
 この二人は自分よりは状況を知っているはずだ。ならば、今は彼女たちの話を聞いて理解することから始めなくてはならなかった。





 部屋を出ると、そこはロビー兼食堂になっていた。
 どうやら建物自体は円形に近い作りで、部屋とロビーは直接繋がった造りになっているらしい。
 ジアーデはカウンターでグラスを拭いている青い肌の女性に軽く挨拶をすると、大きめの皿にサラダと30センチほどの大きさのトカゲの丸焼き、ポテトの山が乗った料理と少し白く濁った透明な液体の入ったグラスを受け取る。
 バルジェンの方を見た女性は少し驚いたような顔をしたが、すぐに別の料理の乗った皿を差し出してきた。
 彼に差し出された料理は、何かをすりつぶして固めた「山」だ。それ以外には何も乗っていない。
 これは何だろう。
 不思議そうに眺めていると、ジアーデが笑いながら教えてくれた

「それはポテトとコーンをすりつぶして練り上げたポッチャデコーンっていう料理にゃ。病み上がりにいいにゃ」

 よさそうに聞こえなかったんだが・・・。ここではこれがおかゆ替わりなんだろうか。
 一緒に渡された液体を見る。
 こちらは彼女が受け取ったものと一緒のようだ。
 ジアーデに促されるままにテーブルに行こうと踵を返したところで、背後からシャツの裾をひっぱられる。

「持ってほしい」

 チョウキ(と言ったか)、小柄な女性がカウンターを指さす。
 そこにあった皿は、どう見ても彼らが受け取ったものの倍はある。
 何かの木の実と野菜の山だった。

「重いのだ」

「そりゃそれだけ乗ってればな・・・」

 仕方なく液体の入ったグラスをカウンターに置いて大きな皿を片手に持つと、彼女は代わりにグラスを運んでくれた。
 二人仲良くテーブルに着くと、ジアーデが口元を猫のようにして微笑んでテーブルの真ん中に置かれていた匙立てから金属製の匙を手渡してくれた。

「仲がよろしいにゃあ、自分で持てないわけじゃにゃいのに」

「う、うるさい! それより、これからの事だが」

 バルジェンとチョウキが椅子に座るのを待ってジアーデは切り出した。

「記憶云々は正直、どうしようもにゃいし、解らにゃいまま周りから刺激しても戻らにゃいと思うから。まずは冒険者登録から始めるにゃ」

「いやまて、何故冒険者登録からなのだ」

 ジアーデの提案に、チョウキが疑問を挟む。
 ジアーデはトカゲの肉をナイフとフォークで器用に解体しながら軽快な口調で言う。

「きょうび所在不明な奴が出来る仕事なんて冒険者くらいにゃ。記憶が戻るまでは一人でいるのも生活に困るだろうし、冒険者なら管理人にさざ波のしずくを上げれば誰でもなれるしにゃ」

「誰でもではないだろう。冒険者になるには少なくとも一人で旅ができるだけの、モンスターから身を守る程度の戦う技術は必要だ」

「シードッグどもはあれでいてそこそこ強いにゃ。それを瞬殺したんだからそれなりに強いんだと思うけどにゃ」

「彼は船乗りだ! 戦士でも武闘家でもない。戦闘要員ではなかったんだぞ!?」

「おかしいにゃあ・・・。あれは武闘家の動きだったと思うんだけどにゃ・・・。戦闘要員でしょ?」

 ジアーデがバルジェンを見ると、彼はわからないという風に肩をすくめてポッチャデコーンを口に運んで白く濁った透明な液体で流し込んだ。

「おかしいにゃあ。ジアーデの目は節穴じゃないんだけどにゃあ」

 ジアーデがバルジェンを見る。
 彼は小首を振りながら答えた。

「そう言われてもな。そもそも自分が解らないのに」

「じゃあダーマの神官に聞くにゃ! 職業の適正が解るにゃ!」

 チョウキがため息をついてグラスをあおる。

「それは冒険者登録を済ませて一人前のレベルに達した冒険者に対しての話だ。登録もない冒険者でもない者に教えてくれるわけないだろう」

「じゃあとにかく登録するにゃ!」

「だから・・・! まったっく・・・、では朝食を食べ終わたら冒険者の酒場に行ってみよう。よいか? バルジェン」

「いろいろ解らないことだらけだ。ついていくよ」

「うむ」

 チョウキは不機嫌そうにしながらも口元をほころばせて小さな木の実を口に運んだ。
  

 

冒険者

 冒険者の酒場までは、二十分以上歩くことになった。
 ジュレットという町は段差が多く、何度も階段を上り下りする必要があったからだ。
 町の建物は丸みを帯びた構造が目立ち、貝殻を連想させる。
 道はよく整備されており、石畳で敷き詰められていて歩きやすい。
 道も建物も、白と青を基調に色付けされており、陽の光を反射して凄く明るい印象を受ける。
 時折すれ違うウェディ族の子供たちは皆笑顔を絶やさず、明るく幸せな町だというのが印象だった。
 上がったり下がったりしながら、最終的には最下層のビーチに面した半円形のとても大きな広場にたどり着く。
 冒険者の酒場は、その大きな広場を背にしたまるで断崖絶壁のような町を支える土台の中央に、ポツンと存在していた。
 道行く通行人に混じって、様々な装備に身を包んだ冒険者たちが行き交う広場を横切って、バルジェンはチョウキとジアーデの少し後ろを歩いて行った。
 途中、美しいウェディの娘が三人通りすがりに笑顔で手を振ってくると、反射的にぎこちないが手を振り返すと、チョウキに物凄い目で睨みつけられた。
 何はともあれ一途なんだにゃ、とはジアーデが含み笑いしながら言った言葉である。
 冒険者の酒場に入ると、昼にはまだ早い時間だからか客の姿は数人しかなかった。
 ジアーデは、酒場に入るやカウンターで帳簿と睨めっこしているウェディの女性にまっすぐと向かって行くと、腰につけたポーチから何やら小箱を取り出してカウンターに置いた。

「冒険者登録をお願いするにゃ!」

「ジアーデさんはすでに登録済みですが?」

「ごめんにゃ言葉が足りなかったにゃ、登録するのはこいつにゃ!」

 背後に右手を振って示して見せる。

「チョウキさんも登録済みですが?」

「間違えたにゃ、こいつにゃ!」

 ガッとジアーデがバルジェンの肩に腕を回してくる。
 予想以上の剛腕さにバルジェンはたたらを踏んだ。

「あらカワイイ男性ですね。ジアーデさんはウェディがお好みなのですか?」

「食べると美味しそうだからにゃ!あ、夜のお話だよ!?」

「誤解を招くこと口走らないでくれるかな!?」

 バルジェンが慌ててジアーデの腕を振りほどくと、カウンターの女性は微笑みながら帳簿の新しいページを開いてバルジェンに向ける。

「ジアーデさんは思いつきで生きてるような方ですから、食べられないように気をつけて下さいね」

(こんがり焼かれたりしないよな・・・)

 カウンターの女性に促されるまま、帳簿に記入をしていく。
 女性は、内容を確認すると満足げに頷いて分厚い日記帳のような本を後ろの棚から取り出して来た。

「こちらが、バルジェンさんの冒険の書になります。公認クエストや討伐の記録に使用するものなので、大切に持っていて下さいね。記録された内容を精査して、冒険者レベルを組合で付けますから、紛失した場合はまたレベル1からやり直しになってしまうので気をつけて下さい。毎週、レベルに応じて国から補助金が支払われますが、こちらも冒険の書が基準になりますので絶対に無くさないで下さいね」

 淡々と説明する女性に相槌を打ちながら、いまいち理解していないようなバルジェンに、チョウキが背後から抱きついて言った。

「要するに業務日報だな。冒険者は武官や文官の下に着く公務官という位置づけだ。なるのは簡単だが、レベルを上げるのは大変だぞ」

「業務日報・・・。納得。・・・所で暑いよ、なぜ抱きついてるのさ?」

「お前って本当に失礼なやつだな!」

「チョウキって本当に天然さんだにゃ。彼はあたしらの事覚えてにゃいんだからそんなにベタベタしたら逆に引かれるよ?」

「な、あ! どういう意味だ!?」

 バルジェンから離れて右拳を握りしめるチョウキに、ジアーデが肩をすくめて両掌を天に向けて首を左右に振った。

「とんだ無自覚天然淫乱女だにゃあ、チョウキは」

「い、淫乱ってどういう意味だ!?」

「彼氏でもにゃい男にベタベタするのはいい加減控えにゃよ。バルジェン困ってるにゃ」

 ジアーデの言葉にチョウキが振り向くと、バルジェンは困った顔で明後日の方向を見て首筋を左手で撫でていた。

「め、迷惑、か?」

「いやさチョウキみたいな美女に抱きつかれて喜ばない男はいないが、大概照れるでしょうよ・・・」

「迷惑ではないということだな!」

「いや、ごめん、訂正、迷惑です・・・」

 ショックを受けた様子で固まるチョウキ。
 それを他所に、カウンターの女性が背後のカウンターをバルジェンに指し示した。

「職業登録が次に必要になりますので、あちらのダーマ神官様に適性検査を受けて下さい」

「あー、はい」

 バルジェンが受け答えしていると、入口の方から女性二人が酒場に入るなりチョウキたちに声をかけて来た。

「おおい、ジアーデ! チョウキ! 討伐手伝ってよ!」

 はにゃ? という表情でジアーデが二人組の女性を振り返ると、紫のローブに身を包んで両手杖を持つエルフ族の女性と、身の丈をはるかに超えた大斧を背負うドワーフ族の女性が手招きしていた。
 ちょっとごめんにゃ、と言い残してジアーデとチョウキが二人に近ずいて何やら話し始める。
 手持ち無沙汰でしばらく眺めていたが、話が長そうだと判断したバルジェンは、一人でダーマ神官の座るカウンターに向かった。
 ダーマ神官は、彼を見るとゆっくりと立ち上がって両の手を広げて見せる。

「よくぞ来られました。新たなる冒険者よ。まずは冒険の書をこちらに。そして、この水晶球に両の手を添えて下さい。適性に応じていくつかの職業が示されるでしょう」

「あー、はい。コレですね?」

 バルジェンは素直に神官に冒険の書を手渡すと、早速両手でカウンターに備え付けられた水晶球に触れて見た。
 七色に輝き出す水晶球。

「もういいですよ」

 神官に促されて手を離すと、水晶球に見慣れない文字が浮かび上がっていた。

「ほほう、貴方には3つの適性があるようです。戦士か、武闘家か、旅芸人か。どれを選んでも差し支えはありませんが、強いていうなら得意な武器を基準に考えればよろしかろう。不得意な武器を主兵装にしても戦えなくては本末転倒ですからな。まずは、奥の部屋で武具を試して見るのがよろしかろう」

 ダーマの神官は、カウンターの奥に来るよう促す。
 バルジェンはそれに従い、カウンターの奥の通路を進み、二十畳はあろうかという広さの道場に通された。
 道場の中央には、四本脚・四つ手の身の丈2メートル超える鋼の人形が鎮座している。
 壁には、様々な武器を模した木製の訓練用具が飾られていた。
 神官はその中から、片手剣、両手剣、斧、爪、両手棍を取り上げてバルジェンの前に並べて見せる。

「では、バルジェン君。まずはこの中から武器を選んで、あの中央にいるモンスターを攻撃して見て下さい」

 え、あれモンスターなの!?
 仰天した表情で固まるバルジェンに、ダーマの神官は慌てて訂正を入れた。

「ああ、勘違いしないで下さい。あれは腕利きの冒険者が討伐したキラーマシーンをドワーフの技術者が改修して造った練習用モンスター、タメシマシーンです。武器に対して攻撃反応はしますが、人畜無害ですよ」

 にわかには信じられなかったが、とりあえず取り回しの簡単そうな片手剣を持つと腰だめに構えて恐る恐る近付く。
 振りかぶった途端、タメシマシーンが恐ろしく速い反応速度で鋼の腕を振り回し、バルジェンの片手剣を殴りつけた。
 あまりの衝撃に取り落としてしまう。

「ふむ、片手剣に適性は無いようですな。次はこちらはいかがでしょう」

 両手剣を渡されて再びタメシマシーンの前へ。
 下段から後ろに大きく振り回してぶった斬りをしようとしたが、再び鋼の腕に殴り飛ばされて取り落としてしまう。

「いやいや、適性云々って無理ですよ」

「適性があれば、無駄な力は入らないものです。タメシマシーンくんはそれ程力は無いので武器を取り落とすような事にはなりません」

 本当だろうか?
 半信半疑で両手棍を拾い上げて、さらに対峙する。
 無意識ではあるが、バルジェンは両手棍をリズム良く回転させながら近付き、遠心力を利用して大振りに、しかし素早く振りかぶる。
 やはりタメシマシーンはそれを叩き落とさんと反応して来たが、今度は鋼の衝撃に耐えることができた。
 手はビリビリと痛むが、落とさずに済んだ両手棍をしげしげと眺める。
 ダーマの神官が満足げに微笑んだ。

「どうやら棍に適性があるようですな。ならば、武闘家か旅芸人か、どちらかを名乗るとよろしかろう」

 バルジェンは神官に礼を言って訓練武器を返すと、ダーマの神官はひとつ頷いてカウンターの外に彼を案内した。 

 

始まりのジュレット1

 酒場のカウンターを出て、バルジェンはダーマの神官にならって冒険の書に職業を記入しようとしていた。
 記入と言っても、直接ペンで書くわけではなく魔力の込められた羊皮紙の裏に掌を当てて表を冒険の書に押し付けるだけだ。
 そうして職業を宣言すれば、その時点の肉体のポテンシャルに応じて職業名と職業レベルが冒険の書に記録されるのだという。
 そして、御都合主義な事だが、ダーマの神官から職業の洗礼を受けると魔法や職業毎のスキルが身につくようになるらしい。ので、ある程度の回復と支援の魔法が使える旅芸人を選ぶことにした。

「あの()達に頼り切るわけにもいかないだろうしな」

 バルジェンの独り言に、ダーマの神官は水晶球を片付けながら受け答えた。

「貴方を助けるのが彼女達の選択であったのだとするならば、それに頼るのが必ずしも間違いでは無いでしょう。貴方もまた、彼女達を助けてあげればよろしいのではありませんかな?」

 神官の言葉に、バルジェンは悩ましげに苦笑してみせる。
 神官はそれ以上は何も言わずにカウンターの下から一本の両手棍を取り出すとカウンターの上に置いた。

「わたしも神官になる前は僧侶として冒険者を務めていたものです。今となっては、この棍も無用の長物。貴方の技量ならば扱えましょう。彼女達に頼りなさい。代わりに貴方は、彼女達の刃になって守ってあげれば良い。冒険者に限らず、人はお互いを支え合っていくもの。恥じることはありません」

 バルジェンは差し出された棍を手に取ってみる。美しくも落ち着いた緑の染色がされた高級そうな両手棍だ。端部には龍をあしらった鋼の装飾が施された、素人目にも業物とわかる武器だった。

「これは、流石に受け取れません。どう見ても初心者が持つには不釣り合いな武器ですよ」

「貴方が受け取らねば、次に実力のあるものが現れるまで、ここで眠り続けるだけの代物です。地味ですから、あまり人気の無い武器ですしね。それに神官として二十年。初めて渡しても良いと感じたのです。是非受け取って頂きたい。それに、丸腰で彼女達を守れるおつもりか?」

「それは、何というか。・・・自分に資格があるのかどうかもわかりませんし」

「それを決めるのは、貴方ではない。彼女達自身では、ないですかな?」

 神官の言葉にしばし逡巡するが、神官が力強く頷いてみせると、バルジェンは意を決して龍の装飾が施された両手棍を大げさなほど厳かに受け取った。

「では、その・・・。お預かりいたします」

「差し上げるのです。不要になったのであれば、次の方に譲るがよろしかろう」

 あまりにも清々しいダーマの神官の笑顔に、バルジェンは恐縮しながら深くお辞儀をしてカウンターを離れた。
 少し客の増えだした酒場内を、居心地悪そうに見渡してみる。
 チョウキもジアーデも姿が無いのを確認すると、一つため息をついて酒場を後にしようと中程まで歩いた所で、ウェディのウェイトレスにシャツの袖を引張って止められた。
 少し驚いて振り向く彼に、ウェディのウェイトレスは楽しげな声色で恐ろしい事を口走る。

「言伝です。人が話をしている間に勝手に手続きをしに行くとは何事だ!帰ったら説教してやるから先に冒険者の宿に帰っているがよい!だそうです」

「あー・・・。チョウキさんね・・・」

 それと、とウェイトレスは更に楽しげに、

「素直に武闘家になってたら前衛任せられるから許すにゃ!他の職業!特に旅芸人なんて中衛職選んでたら狼牙突きお見舞いしてやるから首を洗って待ってるにゃ!ともおっしゃっておりました」

 ニコッと満面の微笑み。
 引き攣るバルジェンに、更に追い討ちをかける。

「ジアーデを怒らせたくなかったらお詫びにかいしんバーガーとビールを用意しておくにゃ。なかったらバルジェンの大切な所をガブッと噛み付いて使い物にならなくしてやるから心しておくにゃ!ともおっしゃっておりました」

「大切な所ってどこさ!?」

 恐ろしい所を想像して内股になるバルジェンの様子に、ウェディのウェイトレスは満足したのか、手にしたお盆に乗っかっている料理と酒を配膳するためにそそくさと行ってしまった。
 残されたバルジェンは、不安で一杯の顔で酒場を後にする。
 そして、酒場を出て数歩あるいた所で重大なことに気付く。

 ・・・・・・宿までの道って、どっちだったっけ・・・?

「とりあえず、上の階層だったよな、歩いてれば・・・わかる・・・よな」

 ああ、脚が重い。どうせ記憶もないんだしこのまま迷子を理由に逃げ出してしまおうか。
 しかし当てなどあるはずもなく、道もわからない町でうろうろしても何の仕事にも繋がらないだろう事を思いえがき、諦めて宿を探すために広場の脇の大階段を登り始めた。 

 

始まりのジュレット2

 大階段を上ると、直径数十メートルの円形の広場に出る。
 食材を売り出す露店が所狭しと立ち並び、道行く客達が思い思いの露店で魚介類やら野菜やらを求めて吟味し、値段交渉をしていた。
 下層の広場とは違った活気に、バルジェンはしばらく圧倒されて眺めていたが、次第にその活気が楽しくなってきて主に女性の客達に雑ざって露店を眺めて歩き出す。
 赤や黄色と色とりどりなピーマン。
 本当に食べられるのか怪しそうなカラフルな生魚。
 びっくりするほど大きな二枚貝。
 椰子の実に手ノミをあてがって片手ハンマーでたたいて穴をあけ、太めの草の茎を乾燥させて作ったストローを刺しただけの果樹ジュース。
 見て回るだけで楽しいが、食品ばかり見ていたらどうやら小腹が空いてきてしまい、所持金が無いことを思い出して残念そうに露店広場を後にする。
 そして、更に上り階段を上って行くと、今度は階段の幅が狭くなり始めて住宅街に差し掛かる。
 住宅街は入り組んでおり、上り階段と下り階段が入れ代わり立ち代わり現れて流石に足元に疲れが出始める。
 そういえば自分の身体は、どうやら瀕死の重傷を負っていたらしく、三日間も生死を彷徨っていたのだとか。
 今更ながらに思い出して体力が落ちているのだろうと思い至る。
 かと言って、宿屋の場所は覚えていない、というかジュレットの地図が頭に入っていないのでどこをどう行けば帰れるのかわからない。
 どうしたものかな、と思い悩んでいると、上り階段の先の民家の陰から激しく口論しているらしい女性の声が聞こえてきた。

「だから! 記憶が何!? わけわかんないんですけど!?」

 めんどくさそうな内容で会話してますね。
 ちらりと通りすがりにそちらを見てみる。
 ウェディの美しい、というよりは可愛らしいシルバーブロンドのツインテールの、露出度の高めな簡易ドレスに身を包んだ女性が何かの宝石の(ガラスの?)長方形の結晶体を左手に持ち、左耳に押し当てて一人で息巻いていた。

 ケイ・・・タイ・・・デン・・・ワ?

 何かのイメージとだぶるが何のイメージなのか判然としない。
 ただ、一つ感じたのは、

 なんだか世界観ぶち壊しだよ・・・

 という感想だった。

 触らぬ神に祟りなし。
 喧嘩腰で会話しているのを見るに、関わらないのが正解だと思い、階段と通路の交差点で民家の壁に寄り掛かって一人会話している女性の脇を抜けて階段を上って行こうとした時、唐突に女性が前に出てきてぶつかりそうになってあわてて後退る。
 ぶつかりそうになったのにイラっとしたのか、ウェディの女性が殺人的に睨みつけてきた。

 怖い。なに、俺なんかしたか? そっちがぶつかって来たんですよ?

 目だけで異論を唱えて右に大きく迂回して通り過ぎようとすると、何の冗談か女性も同じ方向に迂回しようとしてまたぶつかりそうになった。

「おい! 邪魔だよ!」

 おおう、こええ・・・。素直に謝ってやり過ごそう。

「おぉ、すまん・・・ね。ごめんごめん・・・」

 口元がちょっとひきつっているかもしれない。
 兎に角やり過ごそうと試みるや、やはり彼と同じコースで歩いてきて・・・

「だからしらねーっつーの! これからステージあるんだよわかる!? 記憶喪失の男なんて探してる暇ねーっての!」

 いや、だから俺の進むほうに来ないで・・・

「邪魔だよ! さっきからあんた何なの!?」

「う、うむ、なんだろうね・・・それじゃ、さよなら・・・」

 仕方なく回れ右して別のルートを探す事にする。
 背後からすさまじい喧騒がまだ続いていた。

『三日戻れないとか知らねーし! なんであたしが見ず知らずのおっさんを面倒見ないといけないわけ!? あ!? おっさんじゃない!? しらねーし!! いそがしーんだよ! ミエルみたいにひまじゃないの!! それよかミエルいいかげんまともにしゃべれ! あんた何言ってるのか支離滅裂でわかんねーんだよ! きるよ!? もう切るよ!? だから忙しーんだっつの!!』

 うむ、今の勢いでどうやら会話は終わったみたいだ。
 くわばらくわばら。
 もう別のルートで宿屋探すから、さすがにエンカウントしないだろう。
 下り階段が丁字路で終わった突き当りで、ほぅ、っとため息をついて一瞬立ち止まると、背後から結構な勢いで「どーんっ!」とぶつかられて丁字路の手摺りに思わず腹をぶつけ、勢い余って落下しそうになる。

「ううお、こわ!! なにすん!」

 振り向くと、さきほどの可愛らしいヒステリー娘がいた。

「・・・いってー・・・急に立ち止まるんじゃねーよ! このクソガキ!!」

 く、そ・・・がき・・・?

「まぁまぁ、いい加減にしような。いい年した男を捕まえてクソガキはねーだろう」

「は!? 十代そこそこのクソガキがナマなこと言ってんじゃねーよ、おかすぞ!」

「いやいや、まぁまぁ、こう見えて俺も今年で26だからな? おっさんとか言われると傷つくけどな? ガキもねーな?」

「うるせーよクソガキ! 突き落とすぞ!!」

 うわあ。
 めんどくせぇ。
 もういいや。

「うん、わかった。うん。まぁ、・・・バイバイ・・・」

 丁字路を右に進もうと関わるのをやめようとした時、彼女が急にバルジェンの左腕にしなだれかかってきた?

「おいーちょっとー・・・、あのねぇー・・・」

「うるせぇうるせぇ・・・しばらくこうしてろよ・・・」

 急にしおらしくなる。
 めんどくさー! と思いながら彼女の後ろに視線を向けてみると、三人組のオーガの屈強そうな男性が丁字路の反対から向かって来る所だった。

「おぅい、ジーナじゃねーか。もうすぐステージだろ? 送ってってやるからよ、こっちこいよ」

「いや、今忙しーし。彼氏と一緒だし。いかねーし」

「カレシ?」

 思わず呟いてしまうバルジェン。
 ウェディの彼女が顔を耳元まで近づけてきて囁いた。

(いいから合わせろよ! 空気読めよ!)

(いや、なんのトラブルか知らないけど俺がアナタを助けて何かいいことでも?)

(うるせーよ! いいから合わせろよ!)

 二人の様子に、リーダー各らしい鎖帷子に身を包んだオーガの男が前に進み出てきた。背には黒い片刃の大剣を背負っており、見た目はすごく強そうだ。
 関わりたくない、と思ったバルジェンが女性を引き離そうとした時、オーガの男は前に進み出てきて彼女の耳元まで顔を近付けてきて言った。

「そんなクソガキなんかほっといてよぅ。俺といいことしようぜ!」

 彼女の腕を掴むと、力任せに引きはがしにかかる。
 左の上腕を捻りあげられて女性は悲鳴を上げた。

「ひぁ、いたい! ・・・ちょっと、やめて・・・!」

「あ? お?」

 オーガの男がこちらを見る。

「おーい! 痛がってんじゃねーかよウェディのクソガキぃ! ジーナを放せっての!?」

「いや、放すのあんた・・・。だよ。・・・おねがいやめて・・・」

「はぁ!? なに!? ジーナ聞こえないよジーナ!?」

「だから・・・やめて・・・」

 ああ、なんだろう・・・。
 別にこの女がどうなろうと知ったこっちゃないはずだが・・・。
 なんだろう・・・。

「きーこーえーなーいー!! おらこっち来いよ!」

「いや・・・!」

 なんだろう・・・。

「おい、お前らも突っ立ってねーで行くぞオラ!」

「へい、ダグルスの旦那!」

「早くしねーとショーに遅れちまいますしね!」

「いや! ちょっと、あんた! 助けてよ!?」

 なんだろう・・・。

「オラ、いいから来るんだよ!」

 オーガの男たちがジーナというウェディの女性を取り囲んで連れ去ろうとする。
 どうでもいいはずなのだが、
 なんだろう・・・



 ア タ マ ニ ク ル



 バルジェンの身体は自然と動いていた。
 音もたてずにジーナの背後についていた取り巻きの男に近寄り、首筋に上段蹴りを振りぬく。
 ドっと、音にもならないような鈍い音がすると、上段蹴りを受けたオーガの男はその場に頽れて意識を失った。
 一瞬事態を飲み込めなかったオーガ達は、すぐに戦闘態勢に入る。
 ダグルスという男は黒い片刃の大剣を軽々と背から引き抜いて右手一本で構えて見せる。
 取り巻きの片割れも、腰に差していた刃先の湾曲した短剣をするりと抜き放つ。

「おめー、今自分が何したのかわかってるよな?」

 そのセリフがあまりにも滑稽で、思わず含み笑いをするバルジェン。

「おい、何がおかしいんだテメー!」

「オメー、今自分が何したのかわかってるよな? ・・・ぷーっ、くっくっく・・・」

「テメー! ふざけてんのか! この状況が解ってんのかええ!?」

「あー、おかしい。なに? 何のつもりだ? お前、武器を抜いていいのは死ぬ覚悟をしたヤツだけなんだぜ?」

 くすくすと薄笑いをしながら両手を大きく左右に開いて挑発して見せるバルジェンに、取り巻きの男が短剣を振り回してきた。

「なんだかうるせーんだよクソガキ、死ねや」

 くるくるとよく回転しながら近付いてくる短剣の一撃。
 バルジェンは何のことはないと男の武器を持つ拳めがけて無造作に前蹴りを放った。
 ゴリっと嫌な音がして男が短剣を取り落とす。

「あ・・・あ・・・・・・」

 あらぬ方向に曲がってしまった右手の人差し指と中指を呆然と眺める男。
 バルジェンが再び音もなく動いた。
 すり抜けざまに顎に上段正拳突きを放つ。
 ビキリっと後頭部から嫌な音を響かせて男が首を激しく後ろに後退させると、そのまま気を失って仰向けに倒れてしまった。

「フゥー・・・・・・おめぇよ・・・どうやら俺を本気で怒らせたいらしいな。オメーはただじゃおかねぇ」

「ハハッ、こっちのセリフだ三下。クズは死ね」

 バルジェンの右上段蹴りが風を切る。
 足先で大剣の腹を蹴り飛ばすと、ダグルスの手の中から面白いほど簡単に大剣が転がり落ちる。
 あ、と男が声を上げた時には、左上段蹴りがダグルスの首筋にクリーンヒットしていた。
 蹴り上げた左足が地に着く頃、右足刀蹴りがダグルスの喉仏に突き刺さり、体勢を崩した所に左前蹴りが鳩尾に入る。

「う・・・ぐご・・・」

 声にもならないうめき声を上げて後退するオーガの男に、バルジェンはするりと近付いて顔面目掛けて拳を叩き込んだ。
 左正拳突き、右正拳突き、左フック、右正拳突き、左アッパー、右フック、右裏拳、左正拳突き、右正拳突き。
 目の淵、口、鼻から血を流して、オーガの男、ダグルスはその場に頽れた。

「う・・・げご・・・て、てめぇ・・・なに・・・もん・・・」

「はーい。通りすがりの旅芸人でぃす」

 右足を膝が首に達するほどに振り上げ、ダグルスの顔面を踏み抜く。
 後頭部を勢いよく石畳の上に叩き付けられるオーガ。石畳の割れる乾いた音と、生木が潰れるような嫌な音を響かせて、オーガの男は気を失った。
 左掌をダグルスの顔面に向け、右拳を左掌を射貫くように軽快に打ち込むバルジェン。

「エーィ、ソゥリャァ」

 止めの構えで戦闘の終了を宣言したのだった。
 ジーナ、ウェディの女性を振り返ると、目を丸くして事の成り行きを呆然と眺めている。
 心うつろに倒れたオーガの男たちを見まわし、そしてバルジェンの顔に目が行き、抑揚のない声でつぶやいた。

「あんた・・・目が、赤い・・・?」

「ん?」

 目の色がどうしたというのだろう。
 わけがわからん、と首を小さく左右に振ると、バルジェンは何も言わずにその場を離れようとした。
 他意はない、頭の中は真っ白だ。
 ただ、何かが終わったのはわかる。
 終わったからもう関係ない。

 ココニイルヒツヨウハモウナクナッタ

 その場を離れようとしたバルジェンに、彼女が勢いよく飛びついてくる。

「ちょっと! ちょっと、まって! お礼位させて!」

「お礼? なんの?」

 ナニヲイッテイルノダロウ、コノ女ハ

 価値もない小動物の獲物を見下すかのような冷たい視線を送ってくる男に、ジーナは思いっきり左手を振りかぶった。

「あんた、正気に戻んなさいよ!」

 ばしっと頬を叩く。

「おうう、いてぇ。何してくれるのかなこのおねーさんは」

 悲しそうな顔で抗議の声を上げるバルジェンの頬を、両手で包み込むようにしてウェディの女性、ジーナは顔を覗き込んできた。
 じっくりと真剣な眼差しを受け、ちょっと照れて目をそらすバルジェンに、ほっと安堵の吐息をついてその場に頽れる。

「目の色戻ってるし・・・。・・・・・・・・・・・・よかったーーーーーっ!」

「よかったって何が!? こっちは叩かれた頬が痛いわ!」

「男がちっさいこと気にすんな! それよりあんたメシは!?」

 ぐーっと不本意ながら腹の虫が鳴る。
 ジーナは楽し気に笑うと彼の右腕に絡みついてきて言った。

「エスコートしな! 特別に優待チケット使ったげるから、今日は好きなだけ飲んでも食ってもタダだよ!」

「うゎぁなにそれ後が恐ろしい営業的な・・・」

「うっさい、いいからこい!」

 ジーナは半ば強引にバルジェンをひっぱっていく。
 バルジェンは、彼女を振りほどく元気もなんだか湧かず、されるがままに連れられて道を進んだ。 

 

始まりのジュレット3

 ジーナは、ウェディの青年の手を引いて複雑に上下する住宅街を進んで行く。
 ウェディの青年は体力が無いようで、引っ張られる事でいっぱいいっぱいの様子だ。
 最近冒険者になったエルフの友人ミエルから、パーティ仲間の知人の記憶喪失っぽい男の捜索を依頼されたが、別に報酬があるわけでも無いしジーナ自身冒険者では無いので知ったことでは無い。
 何より、所属している酒場兼宿屋の劇団で踊り子をしているジーナにはそれなりにファンも付いているし、今日は特に遠征討伐に出ていた大規模冒険者チームの「ウーガル兵団」から宿泊先に選ばれていることもあり、稼ぎ期だ。青年1人分の遊戯代や宿泊費くらいどうにでもできる自信がある。
 一見純粋そうな青年だ。一晩を共にすれば恐らくジーナに引け目を感じて勝手に出て行く真似もすまい。
 体力の無さは問題かもしれないが、何より強い。ルックスも悪くは無いし用心棒兼彼氏として囲っておいても店も劇団も何も言わないだろうという目論見があった。
 だとしても、今日という稼ぎ期にステージに遅刻でもしようものなら目論見どころかペナルティを科されかねない。
 是が非でも出勤を間に合わせねばならなかった。

「ちょ、ちょっと! そんな急がないと、いけないことが、あるのか!?」

 青年が弱音を吐く。
 口を大きく開いて大きく息を切らせながらついてくる姿は、若干滑稽で・・・。

(か、かわいい!!)

 そんな事を思いながら、ジーナが上り階段を元気に上がって行く。

「ほらほら、良い男の子が弱音吐かない! いいからついて来なさい!」

 階段を登りきった先の階層はまた別の広場になっており、その階層には数件の比較的に大きな建物が並んでいた。
 パッと見たバルジェンが声を上げる。

「おお! ここ! 宿屋の所!」

 目的地に着いたという意味だったのだが、ジーナには別の意味で聴取られる。

「そうよ! 何を隠そうあたしはね、あの一番大きな宿屋、ホテルマルガレットで踊り子をしているの!」

「・・・?ああ、そう?すごい事なのか?」

「当然よ、ファンだっていっぱいいるんだから!」

 ドヤ顔で形の良い胸を張ってみせる。
 なんだか話が噛み合わない気がしながらもバルジェンは頷いてみせた。

「それは、す、すごい?ね。それじゃあ、俺も宿屋に着いたようだから・・・」

「そうよ、着いたのよ。じゃあ早速行きましょう!」

 グイグイとホテルマルガレットに向けて引っ張り出すジーナに抵抗しようとするが、意外に握力が強くて手を引き離せない上に女性に手を上げるのに臆病なバルジェンはされるがままだ。

「いや、うん、ちょっと、俺の宿あっち・・・」

「あたしの特別招待券はシルバーだから、VIPルームは使わせてあげれないけど、飲食とショーは無料だから安心して。あと、ラストまでいてくれていいからね! あんたひとり分くらい面倒見れるんだから。お姉さんに任せなさい!」

(いやいやいや、それ絶対ボッタクられるパターンじゃん!)

「いや、パーティの仲間が帰ってくるかもしれないし、戻らないと・・・」

「何!? やっぱあんた冒険者なの!? やばいうけるー」

 何が受けるのか解らないが、ついて行ってはマズイと立ち止まって抵抗を試みるバルジェン。

「いやいや、報酬とか要らないから、大丈夫だから。まあ、ほら、あそこの宿に泊まってるからさ」

「いいからとりあえずこっち来なさいって」

「お前それさっきのチンピラどもと一緒だからな!? やってる事は!?」

「何よ美味しい料理食べたくないの?」

 美味しい料理と言われても、バルジェンにはちょっとしたスナックやケーキが通常の10倍の価格で置いてある気しかしない。
 そんな店に行った記憶など勿論ないが、そう思うという事は記憶喪失になる前には通ったことがあるのだろう。
 ほらほら早く早くと楽しげに引っ張ってくるジーナにタジタジになりながらホテルの酒場にさしかかろうという時、シャツの背中の裾を思いっきり後ろから引っ張られてバルジェンの首がえりに締め上げられる。

「ぐええ!?」

 カエルのように声を上げて振り向くと、物凄い形相のエルフの少女が睨みつけて来た。

「心配になってルーラ石で飛んで帰って来てみれば、これは一体どういう事だ?」

 冷ややかな声色。そして視線。
 ものすごく怒ってるみたいだ。

「いやぁ・・・、突発クエストの、報酬? みたいな?」

 ガッと左脇腹を力一杯つねられる。ギリギリギリっと鈍いような激しいような微妙な痛みに襲われた。

「いいい、いたいいたいいたい、チョウキさんちょっと、話聞いて」

「な、ん、の、は、な、し、を、だ!?」

「いやいやいや、そもそも、イタタ、俺らって、これ、ああ痛い、付き合ってるんだっけ!? いやいや待ってマジで痛い肉が千切れる」

「私はお前のことを今でも恋人だと認識しているが!?」

 ギリギリと締め上げられる中、ジーナが唐突にチョウキの事を横から両手で突き飛ばした。
 小柄なエルフ娘はたまらずよろけてバルジェンから数本離れる。

「とと・・・、何をする一体どういうつもりだ!?」

「は!? どういうつもりはこっちのセリフなんですけど!?」

「そうか、貴様私が見ていぬ間に色仕掛けでも使ったか」

「まだ使ってねーし!」

「使うつもりだという事だな!? 何という泥棒猫! もとえ泥棒魚だ!!」

「は!? あんたこそ何よコイツの何なわけ!?」

「恋人だ!!」

「は!? ねえちょっとそうなの!?」

 バルジェンを睨みながら問いかけてくる。
 うわあ、何このめんどくさい展開。と、嘆きながら首を横に振るバルジェン。

「いや、まだ、うん、ちがう?」

「ちーがーうーっつてんですけど〜!」

「貴様こそバルジェンの何だというのだ? まさかただの一目惚れでしたとか言うオチでもあるまいに」

 2人の口論が熱を帯びて来たところで、ジアーデが唐突にバルジェンの背後から両腕を彼の肩に回しておぶさって来た。
 ふくよかな双丘がバルジェンの背中にマシュマロのような感覚を・・・与えたのは一瞬だった。
 ジアーデは直ちに全力で体重を真下にかけてバルジェンを引き倒しにかかってくる。

「うお重い重い重い、っていたのかよジアーデさん!」

「他人行儀だにゃあ、呼び捨てでいいにゃ」

 言いながらどんどん加える力を上げて行く。まるでレスラーのごとく容赦のない力に冷や汗を浮かべながら耐えるバルジェン。

「ちょー、ちょー、ちょっとー、重い重い重いマジで何してん」

「女の子に体重の話をするなんてバルジェンは失礼な人なのにゃあ」

「体重関係ないじゃん、思いっきり力入れて来てるじゃんよ!」

「みゃっはー❤️」

 楽しそうに力を入れ続けるジアーデにバルジェンが根を上げる。

「ちょっと・・・! マジで、辛いんですけど何してくれてん!」

「んー、バルジェンの体がひんやり気持ちいいから火照った身体を冷やすついでにいじめてるのにゃ」

 ようやく力を緩めると、バルジェンの頰にすりすりと頬ずりを始める。
 本来なら、豊満な肉体で抱きつかれて頬ずりなど興奮冷めやらぬシチュエーションであろうが、圧倒的な怪力を見せつけられた後では早く食べたいと舌舐めずりされているようで若干の恐怖すら感じてしまう。
 そんな彼の様子に、ジアーデはペロっと小さく舌を出して微笑んで見せた。

「ゴメンにゃちょっといじめすぎたにゃ。お詫びに何か美味しいもの作ってあげるにゃ。ゴハンまだでしょ?」

「あー、うん。しかし・・・」

 言い合いを続けるエルフ娘とウェディ娘をチラ見するバルジェンを背後から抱きしめて、ジアーデは笑った。

「むしろ、お前がここにいた方が喧嘩は長引くにゃ。ジアーデもお腹すいたにゃ」

「うーんそれもそうか? じゃあ、帰る?」

「帰るにゃ❤️ おーんぶ❤️」

 無邪気にバルジェンに負ぶさって彼の腰に脚を絡みつかせてくるジアーデに、彼は仕方ないと言った様子で肉付きの良い太腿に手を回して諦めた様子で歩き始めた。

「おんぶって、鎧を脱いでからにしてくれませんかね。重いんだよ」

「失礼だにゃあ、胸当ては外してるにゃ」

「もうほんとうにっ、この娘は、この娘はっ・・・!」

「レッツゴー、だにゃん」

 ジアーデをおんぶして、彼が宿屋に向かって数分後。

「おいバルジェン! お前は一体、どっちの味方だ!?」

「そうよ男ならハッキリ答えなさいよ!?」

 と彼のいたはずの方を見ると、すでに姿は遠く、

「って、ジアーデをおんぶして貴様はどこへ行くのだーーーーー!!」

「ああっ、くそっ! 追いかけたいけど流石に時間が・・・ステージがっ!」

「ま、まてーっジアーデ! 貴様それはちょっとヒドイぞーーーーーっ!!」

 駆け出すエルフ娘の後ろ姿に、ジーナは拳を振り上げて叫んだ。

「お、覚えてなさいよ! ステージ終わったら覚えてなさいよ!」

「やかましい! 貴様はとっとと忘れてしまえ!!」

「うきーーーっ、覚えてなさいよーーーーーっ!!」 

 

始まりのジュレット4

「ンー、バルジェンってやっぱり、ちょっといい匂いがするのにゃ」

 おんぶさせておきながら恐ろしい事を口走るジアーデに、彼は不安そうな声を上げた。

「俺は食い物じゃねーよ!?」

「みゃはは、冗談だにゃ」

 笑いながら、ジアーデはバルジェンが肩から下げて腹の辺りに吊るしている布製のポーチに手を伸ばして口紐を緩めると、中から縦20センチ、横15センチ程の大きさの本を取り出して右手で器用に開いて読み始める。
 バルジェンの冒険の書だ。

「ああ! おぶさって来たのはそれが目的か!?」

「ジアーデが気持ちよくして上げてるんだから吠えにゃい吠えにゃい」

「色仕掛けすれば全て許されるとか思われてる!?」

「んーにゃににゃに? 格闘スキルLV70、闘技場で戦えるレベルじゃにゃいけどやっぱりレベル高いにゃあ!」

 ぱらりとページをめくる。

「んでぇ? 職業! あーやっぱり旅芸人選んでるー。どうして素直に武闘家選ばないのにゃ」

「だって、旅芸人はホイミ系の回復魔法も覚えられるし。単独でも仕事出来るかなと」

「回復はジアーデができるからいいにょに、もう! にゃににゃに? LVは35。また中途半端だにゃあ〜」

「中途半端で悪かったよっ」

「んん???」

 ジアーデが何かに気付いた様子で冒険の書を食い入るように見ようとして、思わず左手に力が入りすぎてバルジェンの首を絞めてしまう。

「にゃにゃ? 棍LV100? なんだかLVの表記おかしくにゃいかにゃ?」

「くるじいくるじい、ホールド入ってるスリーパーホールド入ってる!」

「ああ、ごめーんにゃっ。てへ」

「てへじゃねーよ!」

 抗議の声を上げるバルジェンが、今更ながら持っている両手棍に視線を落として見る。
 ジアーデをおんぶしやすいようにか、いつの間にか彼女のお尻の下あたりに横にして持っていたものだ。
 緑色の棍は、金属製の龍の装飾が施されている。

「高価そうな棍だにゃあ、いつ買ったのにゃ?」

「貰い物だよ。ダーマの神官がどうしても持ってってくれって譲ってもらったんだ」

「あの気難しいおっさんがにゃあ〜。珍しいこともあるものにゃ」

「こ、こらーっジアーデ!!」

 2人がそんな会話をしながら歩いていると、放置されたことに気付いたチョウキが慌てて追いかけて来た様子でようやく追いついて来た。

「あんん、見つかっちゃったにゃ」

 名残惜しそうにバルジェンの背から降りるジアーデ。
 ぐいっと冒険の書をバルジェンに押し付けて言った。

「クエストこなして転職できるようになったら、武闘家に転職にゃ?」

「マジですか」

「マジです」

「2人で一体何の話をしているのだ!?」

 チョウキが不機嫌そうに間に入ってくるなり、バルジェンの左腰に抱きついてくる。

「おおう、・・・。ちょっと、歩きにくい」

「ジアーデの事はおんぶしておいて私が抱きつくのはダメだとか言うのは無しだからな!」

 めんどくさいなぁ〜っと溜息をつきながらチョウキの肩に左手を回す。
 歩きにくいと思ってつい回してしまってから、あっしまったと言う顔をするが時遅く、チョウキが熱っぽい視線で見上げて来た。

「いつになく、その・・・積極的だな・・・」

「・・・・・・えっと、ゴメン。疲れ、・・・そう、ちょっと脚が疲れちゃってだな」

「あ、」っと何かに気付いた様子で「す、すまぬ。そうであったな。お主は病み上がりなのだ。勝手に盛り上がってしまって、すまぬ」

「ああ、いやっ、その・・・。女の子の肩を借りるってのは少々情けない限りだが」

「気にするでない。私は嬉しいぞ、頼ってくれて」

 居たたまれなくなって視線と話題をずらすバルジェン。

「所で、討伐に行ってたんだろう? もう終わったのか?」

「いや、対象の生息域が広がっていてな。あと2日はかかりそうだから、お前の事も心配だし回復アイテムも揃えようとな。急遽戻って来たのだ」

「そんなにも大変な内容なのか?」

「なに、モンスター自体は大した事もないが、探すのが大変でな。街道をキュララナ海岸めがけてひたすら歩いても依頼の討伐数に足りないのだ」

「討伐する必要あるのか?それ」

「獣の類であれば、民草に被害が出ていなければ放置しても問題なかろうがな。今回の討伐対象はスマイルロックと言う岩石に魔力が宿ったモンスターなのだ。近付かなければ害はないが、気付かずに近づいてしまうと唐突にジャンプして人の頭上に突っ込んでくる。ちなみに重さは1トンは軽いだろう」

「死ねるな・・・。でも、そんなに遭遇しないんだろ?探すのに手間取るって事は」

「遭遇する恐れがある、というレベルでの魔法戦士団からの依頼でな。被害が出る前に駆除すべき数が出現していると言う事だな」

「まぁ、妥当な依頼か」

「所でだな」

「うん」

「幾らか小遣いは置いていくから他所の女にホイホイ着いていくなよ」

 言いながらキュッと抱きついてくるチョウキに、バルジェンはドギマギしながら即答した。

「わかった、わかったからそんなにギュってするな。元気になっちゃ困るところが元気になってしまう」

「具体的に?」

「言わせるんかい!?」

「ふふ、遊びが過ぎたか?」

 チョウキは悪戯っぽく笑うとバルジェンから身体を離して微笑んだ。

「別に夜這いをかけにきてくれてもいいんだぞ?」

「するか! 俺はどんな卑怯者だよ!?」

 ふふふっ、と満足げに笑うチョウキを見て、ジアーデは両手で頬を抑えながら2人の少し後ろを歩いている。
 普段から赤い肌が信号機のように真っ赤になっていた。

(にゃんでかにゃ!? にゃんでかにゃ!? 冷静ににゃってみるとにゃんでジアーデはバルジェンにおんぶされてたにょかにゃ!?)

 少し先を並んで歩くウェディとエルフをしばらく眺めると、うっとりとして大変な事を考える。

(ウェディが美味しそうな匂いしてるからきっといけないのにゃ。スパイスをかけてパクってすればきっと治るにゃ。・・・パクって食べたらきもちいいかにゃあ・・・?)

 ふと、振り向いたバルジェンと目が合う。

(キモチ・・・・・・)

「おおい、ぼーっとしてるけど大丈夫かー?」

「って一体何を考えてるのにゃあジアーデは!! キモチイイってなんにゃ!?」

「いやいや・・・。何考えてたか知らんが本当に大丈夫か?」

 怪訝そうに伺うバルジェンの瞳をじっと見つめてフリーズするジアーデ。
 なんだか心配になって彼はジアーデに向き直って小首を傾げる。

「おおい、ジアーデ? 大丈夫か?」

「・・・っは!!!」

 びっくりしたように目を見開いて両手をワナワナさせるジアーデ。
 え? という不思議そうな顔をするバルジェンに、ジアーデが叫ぶ。

「呑むにゃ! 快気祝いにゃ! 今宵は祝杯にゃあ!?」

「いやいや、本当に大丈夫かあんた」

「にゃーーーーすっ!!」

 奇声を上げてジアーデがバルジェンに突進した。
 うおおっ! っと慌てて飛びのく彼の脇をすり抜けて、ジアーデはそのまま走り去ってしまった。

「宴会にゃー! 今日は呑むにゃー! バルジェンたべていい!?」

「ダメだよ! 俺は食い物じゃねーよ!!」

「うにゃああああっっっはーーーーーーー!?」

 ジアーデはみるみる遠くなり、あっという間に宿屋に入っていってしまった。
 後に残されたウェディの青年とエルフの少女は、唖然としてその場に立ち尽くした。

「ええと、あの娘って結構ああなのか?」

 目が点になってオーガ娘の走り去った軌跡を眺めるバルジェンに、チョウキも戸惑ったような表情で同じように彼女が走り去った軌跡を眺めて言った。

「付き合いはまだ浅いからわからないが、あんな暴走もするのだな・・・」

「・・・大丈夫なのか?」

「きっと大丈夫。だと、思う」

 2人は多少の不安を覚えながらも、宿屋に向かって歩き出した。 

 

始まりのジュレット5

 冒険者の宿に入るなり、チョウキは着替えるからテーブルを取って待っているようにとバルジェンに言付けて部屋に戻っていった。
 バルジェンは言われた通りに窓際の丸テーブルに座ると、テーブル中央に備えられたメニューを暇つぶしに開いてみる。
 パスタ系にステーキ、サラダの品目がずらりと並んでいるが、ライスがついていそうな料理が見当たらずにたった4ページのメニューを何度もめくっては項目に目を通す。
 しばらくして、ご飯は諦めようと思い至り、今度は最後の項目に並ぶドリンク欄に目を通してみる。
 ジュースの種類はとにかく多かったが、目当ての酒類はと言うと、赤ワイン・白ワイン・ラム酒・ビールしか表記が無く思わずため息をついてしまう。他に、エルフ酒とオーガ酒と言うものが載っていたがどんな酒か皆目見当もつかない。

「ご飯もウィスキーもない〜」

 ぺたーんとテーブルに突っ伏していると、左隣の椅子に何者かが座る音がしてそちらに首を巡らせてみる。
 見ず知らずのエルフ娘が姿勢正しく座っていた。

(・・・誰だ?)

 しばらくお互いに見つめ合う。
 無表情でバルジェンの目を見つめてくる茶髪のショートカットのエルフ娘に対して、彼は堪え切れなくなって声をかけてみる。

「えっと、どちら様?」

「ミエル」

 表情も変えずに即答するエルフ娘。
 再び見つめ合う2人。
 訳がわからなくてバルジェンはもう一度問うて見た。

「え、何が見える?」

「ミエル」

「・・・あ、はい・・・。え、・・・何?」

「ミエル」

 と三度呟いた後に彼を指差して、

「バルジェン」

 気味が悪そうな顔をしてバルジェンは頷いて見せた。

「あーうん。俺は、バルジェン。だよ?」

「ミエル」

 四度呟いて今度は自分を指差して見せる。

「ああー」何かに気付いたように目を閉じて難しい顔をして「名前ねー」

 関わるのはよそうと思い直して寝に入る。
 彼女が椅子を近づけて来る気配を感じて薄っすらと目を開けてみると、口付け出来るほどの距離に彼女の顔があり、びっくりして仰け反った。

「・・・びっくりした。何、何の用!?」

「若い」

「年寄りじゃねーよ! 何なの!?」

「ウェディの男」

「・・・そうだけど、何?」

「楽しい?」

「何が!?」

  バルジェンが思わず声を荒らげると、ミエルは小首を傾げて不思議そうな顔をして言った。

「お米、好き?」

「まぁ・・・うん。・・・はい」

「そう」

 ポツリと呟くと、彼女はスッと立ち上がって何処かへ行ってしまった。
 怪訝そうにその後ろ姿を追っていると、右耳を引っ張られる。
 チョウキが不機嫌そうに見下ろして来ていた。
 革鎧から私服らしい白いミニ浴衣を羽織り、厚手の生地の茶色いハーフパンツを履き、靴から藁草履に変えて来ていた。

「・・・やあ、チョウキ・・・」

「お前はまた、別の女に手を出そうとしていたのか?」

「いや、全然知らない娘がいきなり隣に座って来たんだよ?」

「ほーう?」

 一層不機嫌そうになるチョウキに、バルジェンは困ったように後頭部を掻きながら記憶を手繰り寄せつつ言う。

「どっかで見たような娘だったけど。不気味な感じの」

「どこかとは何処だ?」

「ナンパしたとかじゃないんだからそんなに怒らなくてもいいじゃん・・・」

「むう・・・。で、何処で見たのだ?」

「冒険者の酒場だったんじゃないか〜なぁ〜・・・。討伐に誘って来た娘たちの片割れかも」

「まさか、ミエルか?」

「あー、そんな名前名乗ってた」

「むぅ!」

 チョウキは頰を膨らませると、彼の左の椅子を正面の椅子の右真隣に移動させてから彼の右隣の椅子を彼に密着するように移動してから飛び乗るように座って彼の右腕に両腕を絡ませてしなだれかかって来る。

「あれはダメな奴だ」

「駄目ってお前」

「アレは色んな男を取っ替え引っ替え喰うような無自覚淫乱女だ!」

「・・・無自覚淫乱女ってお前が言うか・・・」

「とにかくアレはダメだ」

「あ、はい・・・」

 不満気に呟くチョウキを見て、バルジェンは小さくため息をつくと再びメニューを開いて見た。

「エルフ酒って何?」

 話題を変えてみると、チョウキは不機嫌にしながらも左頬を彼の腕に預けて答えてくれる。

「米で作った蒸留酒だ。単純に酒と言えば、エルフ酒を差すのが一般的だな」

「ようは日本酒みたいな物か」

「日本酒って何だ?」

「・・・いや、よくわからないけど。ほらあれ、透明な酒でしょ?」

「ドブロクでもなければ酒は透明なのは当たり前だぞ」

「ああ、うん。まぁ、そうね」

 チョウキはそんな調子のバルジェンを見て、とても安心しきった様子で体重を彼に預けて目を閉じた。

「酒が飲みたいのなら、良い銘柄を知っているぞ。少々割高になるがな」

「いや、どちらかと言うとウィスキー派だけどね」

「ウィスキーとは何だ?」

「透明度の高い琥珀色の酒?」

「ああ、オーガ酒の事か。一般にはウィシュテーと呼ばれているな。ウィシュテーをウィスキーと発音するのは少々訛りすぎではないか?」

「そう?」

「そうとも・・・。私は苦手だがな・・・」

「酒は次の日まで残り易いが、ウィスキー・・・ウィシュテー?は残りにくいし、味が濃いから好きだけどな」

「酒は嫌いなのか?」

「嫌いじゃないけど飲みやすすぎていつの間にか足腰立たなくなるから控えてるかな」

「全く、その歳で飲兵衛とは感心せんぞ?」

「いや、ちょっと待て。俺って何歳に見えるんだ?」

「15、6歳であろう?」

「26なんだが・・・」

 スッとチョウキが状態を起こしてバルジェンから離れる。

「・・・15、6歳であろう?」

「いやにじゅう、」

「記憶喪失に加えて妄想癖というのは感心せんぞ。だいたい、記憶喪失というのはそんなに都合の良いことだけ覚えているものなのか?」

「記憶喪失を疑われてもな・・・。だいたい、そんなに全部忘れるなら言葉も文字もわからなくなるだろう?」

「それは、そうなのだが」

 2人が言い合いをしていると、正面の椅子がガタガタと動き出し、赤い髪をポニーテールにまとめた大きな耳の緑色の肌をした女性の顔がテーブルにヒョコッと生えて来た。

「よいしょっ」

 頑張って座った様子で、どうにか上半身を覗かせると両掌をテーブルにペタンと乗せた。ドワーフの少女だ。
 チョウキが目を丸くして向かいに座ったドワーフの少女を見る。

「ミシャンラではないか。どうしたのだ?」

「いやー、ミエルの奴がウチの泊まってる宿屋から居なくなってたからね。こっちにいる気がして来て見たのさ」

「それなら先程までいたぞ。人の男にちょっかい出そうとしているみたいだがな」

「やれやれ、目を離すとすぐこれだ。気を付けてね彼氏君。ミエルにとっての遊びと言えばセックスだから」

「男的には魅力的なお話だねぃててててててててて」

 バルジェンがくだらない事を言って腕を思いっきりつねられる。

「ごめんごめん冗談です冗談!」

「本当にもう! 他の女に手を出すくらいなら私に夜這いでも賭けに来れば良いのだ!」

「その発言はどうかと思いますが!?」

 2人の痴話喧嘩を見ながら、ミシャンラはウェイトレスからコーヒーカップを受け取り砂糖をドバドバと大匙5杯入れて勢い良くかき混ぜながら言った。

「所で討伐だけど、明日は早朝から向かうから身の回りの準備はお願いね。回復アイテムとキャンプ用大型ドルボードのレンタルは手続きして来たから、スマイルロック残り21体の討伐頑張りましょう」

「うむ、了解した。時に、大型ドルボードは何人乗りなのだ? 可能ならこいつも連れて行きたいのだが」

「キャンピングドルボードって言っても4人でいっぱいいっぱいだし、年頃の男の子なんて載せられるわけないでしょ。そんなにセックスしたいなら今晩やっときなさいね」

「うむ・・・、そうか」

 再びバルジェンに体重を預けてくるチョウキに対して、彼は不安げに声を上げる。

「していいっていうなら全然するけど、そうじゃなくてだよ、お前さんは記憶のない俺をからかってるのかね」

「もう本当に・・・人が気持ちを固めればそういう事を言う。もう、今日は一緒には寝ないからな」

「ん? うん」

「なぜ即答なのだ!」

 チョウキはバルジェンから離れるとおもむろに彼の頭を小突いた。
 ええー!? と抗議の声を上げるバルジェンを無視してウェイトレスを呼ぶと、チョウキは果樹ジュースと白身魚のソテーにトウモロコシのバラ揚げ(芯から身をそぎ落として揚げたポップコーンになっていない物)を注文する。
 バルジェンが便乗して注文しようとすると、チョウキは彼にも同じものをと注文してしまう。

「異論は認めん!」

 押し切られてしまった。 

 

始まりのジュレット6

 結局、夕食の席にジアーデは現れず、チョウキとミシャンラと一緒に食事を済ませて部屋に戻ったが、とてもではないが量が足りなくて寝付けそうに無かった。
 26歳だと言い張っても見かけは十代だと押し切られて酒も飲めずじまいだ。

「まあ、奢ってもらって駄々もこねられはせんが・・・」

 独言て窓際のベッドに腰掛ける。
 半分開いた窓から外を見ると、月明かりに照らされた白く平らな石畳が青白く反射して星々の瞬きに映えていた。

「綺麗なもんだ。都会のビル群じゃあこんな光景無いよな」

 呟いておいてビルってどんなものだっけ、と考えるが、すぐに無駄な行為だと思い直してベッドに横になる。
 ウィスキー飲みてー、と呻いていると、ドアを小さくノックする音が2回聞こえてそちらに首を巡らせた。
 ややあって、再びノックが2回。
 化粧台に乗せられた大きめな置き時計を見ると、針は23時を半分ほど回った所だ。

「良い子は寝る時間だぞ・・・」

 のっそりとした動作で入口に向かい、ゆっくりと木製の扉を開くと、少し気まずげな表情を浮かべたジアーデが、600グラムはあろうかと言うステーキと二つのグラス、ちょっとしたサラダの乗ったお盆を右手に、ウィスキーと思しき黒ガラスの酒瓶を左手に立っていた。
 着ているのはピンク色の薄手のパジャマだ。

「こんばんにゃ〜。もう寝てたかにゃ?」

 彼女越しにロビー兼食堂を見ると、まだまだこれからといった感じで酒盛りをしている客が多い。
 バルジェンは頭の後ろに手をやって、彼女の持つ肉に視線を落とす。

「いや、腹半分って感じ?」

「つまり眠れにゃいと言う事だにゃ。ではでは、一緒に飲むにゃ」

 にこにこと嬉しそうな顔をして左手の黒い酒瓶を掲げるジアーデを部屋に招き入れると、窓辺の小さなテーブルの背もたれ付きの椅子を引いて進める。
 彼女がお盆と酒瓶をテーブルに置いて座ると、バルジェンは化粧台からスツールを引っ張ってきてそれに腰掛けた。

「むむ、バルジェンさんスツールは女子が座る物にゃよ?」

 慌てて腰を浮かせようとするのを、バルジェンは不思議そうな顔をして静止した。

「男は背もたれ付きに座らにゃならんの? 別にそんな決まりないでしょうに」

「うーん。でもだにゃあ」

「なんだかこっちの方が楽だし」

「バルジェンがいいならいいんだけどにゃ・・・」

 ジアーデは困ったように微笑むと黒い酒瓶のキャップを開けてグラスに琥珀色の酒を半分ほど注いで彼に差し出した。

「ありがとう」

 彼女も自分のグラスに酒を注ぐのを待って、互いのグラスを軽く打ち鳴らして乾杯する。

「ところでなんの乾杯?」

「えーと、バルジェンの冒険者デビュー?」

 まじまじと見つめあった後、バルジェンがぷっと吹き出す。

「めでたくねー乾杯」

「そんにゃ事にゃいでしょー」

「棒読みだし」

「あはは」「ははっ」

 二人は笑いながらグラスを傾ける。
 2杯グラスを開けた所で、ジアーデはステーキをナイフで薄めに切り出して左手で掴むとバルジェンに差し出した。

「ほい、ひと切れ目」

「手で食べるんかい!」

「ジアーデはチョウキみたいにお上品じゃにゃいんだにゃー」

 にこにこして差し出してくるジアーデに苦笑すると、右手でスライス肉を受け取り無造作に口に運んで噛みちぎる。

「ん、ステーキじゃなくて干し肉か」

「噛めば噛むほど味わい深いにゃ〜。オーガ特製干し肉だにゃ!」

「ん、美味い。ウィスキーによく合う!」

「レンダーシア訛りだにゃ?」

「ああ、こっちではウィシュテーって言うんだっけ」

「そーだにゃん」

 ジアーデも薄めに切り分けた干し肉をかじりながら琥珀色の酒の入ったグラスを傾ける。

「んー絶品にゃ!」

「しかし、なんだってこんな時間に?」

「干し肉を食べれるように埃を落としてたのとー」

「製法は聞くまい・・・」

「あとはチョウキの事だから絶対バルジェンに酒飲ませにゃいと思ってたからにゃ。時間差アタックにゃ」

「何を攻撃すんだよ・・・」苦笑する「しかし、チョウキが酒飲ませないってよくわかったな」

「お上品だからにゃ。あたし達みたいに普段から酒を飲む習慣は無いにゃ」

「・・・なるほど、そもそも夕食で酒飲まないのか・・・。あれ、でも食べる前に酒の話題出したら結構乗り気だったような」

「夜這いして欲しかったんじゃにゃいかにゃ?」

「そっちかよ! チョウキってよくわからない娘だよな」

「一応積極的ニャンだと思うよ〜」

「まぁ、確かにな」

 空になったグラスに自分でウィシュテーを注いで窓の外、星の瞬く空に目を向ける。
 釣られて空に視線を移したジアーデが、ポツリと呟く。

「バルジェンは、どんな世界から来たのかにゃ・・・」

「何、唐突に。そもそもウェディである以上、異世界とかそう言うんじゃないんじゃないか? 記憶は無いが」

「そうだにゃ。バルジェンはウェディなのにゃ」

「記憶もさることながら色々混乱もしちゃいるが。ウェディなんだよね」

 寂しそうに笑って外を眺めるバルジェンの横顔を、ジアーデは真剣な眼差しで見つめていた。

(でも、大賢者様はこの世には女神の加護を受けて蘇りをする戦士がいるって言ってたにゃ。もしかしたら、この人が・・・)

 彼女が思案にふけっていると、トントントトトンっとリズムよくノックする音が聞こえて二人の視線が入り口の扉に向けられる。

「え、チョウキ?」

「あの娘は早寝早起きにゃ・・・」

 首を傾げながらバルジェンが扉に向かい、そっと開けて見ると、はたして水色の浴衣に身を包んだミエルが飯盒を両手で持って直立していた。

「え・・・?」

 疑問符で一杯の表情のバルジェンにドヤ顔を向けて、ミエルは飯盒の蓋を開けてみせる。

「お粥」

「飯盒なのに白飯じゃ無いんかい!」

「お茶ずけ?」

「どっちだよ!?」

「入っていい?」

 言うなりするりと彼の脇をすり抜けて勝手に入って来るミエルを慌てて追いかける。

「ちょちょちょ、いいっていってないぞ!」

 はたとジアーデと見つめ合うミエル。
 ややあって、

「こんばんは?」

「あはは、こんばんにゃ〜」

「夜這い?」

「残念ながら違うにゃ」

「していい?」

「だーめだニャン」

「残念」

「ウィシュテー飲むかにゃ?」

「のむ」

「何気に会話が成立してるお前らが凄いわ!」

 バルジェンは半ば諦めたように自分のベッドに腰掛けてグラスをあおった。 

 

始まりのジュレット7

 グラスを傾けて難しい顔をするバルジェンの横顔を見て、ミエルは小首を傾げる。

「おこってる?」

 彼は一つため息をつくとジアーデの様子を見た。
 ジアーデは何食わぬ顔で干し肉を頬張っており、機嫌を伺うことはできない。
 もう一つため息をついて、バルジェンはなるべく抑揚のない声で答えた。

「怒っちゃいないよ」

「不機嫌」

 悲しそうな表情で潤んだ瞳を向けてくるミエル。

「嫌い?」

(なんだろう。全然接点の無い女の子がこう言う態度って、よくわからんが俺に惚れてるのか?)

 バルジェンは困ったように眉間にしわを寄せながらグラスをさらに傾ける。
 一口でウィシュテーを飲み干すと、ポツリと呟いた。

「男ってのは単純だからわからんのだが、そう言う態度ってさ、何というか、ほら、アレだよ。その、君は俺に、」

「バルジェン、グラスが空だにゃ」

 彼の言葉を遮って、ジアーデはグラスを奪うと黒い酒瓶を傾けて琥珀色の液体をゆっくりと注ぐ。

「ちなみに明日は早く出立するから、起きられたら見送りに来るといんだにゃ」

「あ、はい」

 バルジェンにグラスを手渡すジアーデを見て、ミエルは小さめのグラスを懐から取り出して酒瓶をおもむろに持つと、擦り切れいっぱいまでウィシュテーを注ぎ、両手でちんまりと小さめのグラスを口元に近づけてちょびっと舐めるように飲んで呟く。

「予想外。強敵」

 そんなミエルに、バルジェンがお前は一体何と戦っているんだ、という視線を向ける一方、ジアーデは得意げに澄ました顔で干し肉を削り取ってミエルに差し出す。

「ウィシュテーのお供は干し肉で決まりにゃ」

「チーズ」

「うん、まあチーズもいいけどにゃ。あとは粗挽きウィンナーかにゃ」

「ポテチ」

「お菓子は邪道にゃ」

「ピーナッツ」

「おぉ、豆いいよね」

 バルジェンがピーナッツに反応すると、機嫌良さげにウィシュテーを一口で飲み干すミエル。
 2杯目を注いでまたポツリと呟いた。

「チョコレート」

「うん、まあ、チョコもありっちゃありかな」

「お菓子は邪道にゃ!」

「えー、美味しいじゃん」

「ウィシュテーのお供は肉料理で決まりにゃ!」

「以外に厳しいねジアーデ・・・」

「というか、美味しければにゃんでもいいんだけどにゃ」

「何でもいいんかい!?」

「アーモンド」

「豆から離れるにゃ」

「ピクルス」

「片っ端から言えばバルジェンが反応してくれると思ってるにゃ!?」

「唐辛子」

「それはねーよ」

「ふふ・・・」

 ミエルはバルジェンの反応を見て楽しんでいるようで、思いついた食べ物を次から次へと呟き、ジアーデかバルジェンのどちらかがツッコミを入れるかなりシュールな飲み会と化していた。



 翌日。
 あれからミエルに抱きつかれそうになったりジアーデに無駄にじゃれられてベッドに押し倒されそうになったりと騒がしく飲んでいたが、時計が2時を回る頃には料理も食べ尽くしてお開きになり、ベッドに横になるや眠ってしまった。
 早朝に喉の渇きを覚えてのろのろと起き出して部屋を出ると、ウェディの女将さんがカウンターで何やら鍋をかき回している。

「おはようございます」

 欠伸を噛み殺しながらカウンターに向かって挨拶をすると、水を一杯もらってゆっくりと飲み干し、大きくため息をついた。
 そんなバルジェンに向かって、女将さんが笑いかける。

「皆さまもう準備を整えて出発なさるみたいですよ」

「おっと、そう言えば」

 チョウキ達が討伐依頼をこなす為に朝早くから出立する予定を思い出して宿を出ると、パンパンに膨らんだ革製のリュックを背負ったチョウキ、ジアーデ、ミエル、そしてミシャンラが談話していた。

「おや、彼氏君。早起きだねおはよう」

 最初に気付いたのはミシャンラだ。

「おはよう。みんな朝早いね」

「冒険者が朝に弱くてどうする。24時間営業が当たり前だぞ」

「どんなブラック企業だよ・・・。いや、冒険者って一人親方か? 自営業になるのか? それなら当たり前なのか」

「ぶら? きぎょ? ううむ、お前はなんだか聞きなれない単語をよく口にするな」

 眉をひそめて腕組みをして見せるチョウキ。
 ジアーデがケタケタと笑いながら、背後からバルジェンの両肩に手を置いて言った。

「まぁまぁチョウキ、早起きして見送りに来てくれたんだからいいじゃにゃい? よく眠れたかにゃバルジェン?」

「おかげさまで」

 ミエルがつつつっと寄り添って来て彼の右胸にぴとっと張り付いて見上げて来る。

「激しかった昨夜」

「おいちょっと待て、何もなかったよね?」

「至福」

「こ、こらバルジェンから離れないか!」

 ミエルを押しのけつつ彼の左側にぴとっと張り付くチョウキ。

「あはは、じゃああたしもー!」

 背後からギュッと抱きついて来るジアーデ。

「お、お前ら! ちょっとは羞恥心持てよ!」

 慌てるバルジェンをよそにわいのわいのと賑やかに騒ぐ3人娘に向かって、ミシャンラが嘆息をついた。

「チョウキもミエルも頑張って胸押し当てようとするのやめなさい。見てるこっちも悲しくなるから。あとジアーデ、勝ち誇ったように押し付けるのもやめなさい。彼氏君困ってるでしょ」

「頑張ってとはどういう意味だ! 私だってある方だぞ!」

「嘘、心外」

「心外とはどういう意味だ!!」

「夜寂しくなったらジアーデ想像するといいにゃ」

「だから人の男を誘惑するな!」

「どうでもいいけどお前ら出発しねーのかよ!?」

「小さいは正義」

「意味わからん!」

「惚れて?」

「た? じゃ無いんだ!?」

「どういうツッコミだ!」

 どかっとバルジェンの鳩尾に肘鉄を食らわすチョウキ。
 うっと唸って鳩尾を抑えるバルジェンを見て、ミシャンラは再び嘆息をついた。

「あなたたち、そんな事してたら彼氏君壊れちゃうわよ?」

「バルジェンはそんなやわじゃにゃいからヘーキにゃ」

「平気ではねーよ!?」

「気持ちいいにゃ?」

「そういう!」

「気持ちいいのかにゃ?」

 グイグイと胸を押し付けるジアーデ、負けじとぴったり張り付いてくるチョウキとミエル。

「おま、おま、おまえら! いい加減に出発しろー!」

「あなたたちは一体どんなラブコメを再現したいのよ。お姉さんは早く討伐に行きたいのですけれど」

「待ってくれる。大丈夫」

「何がだよ!?」

「きっと?」

「そこで疑問符かい!?」

「いーかげんにしないとお姉さん、手を滑らせて斧をぶん回しちゃうけど・・・」

 すっと、バルジェンを解放する3人。
 このドワーフ娘はひょっとしてこの中で一番強いのだろうか。

「彼氏君彼氏君、あんまり失礼な事想像してると長生きできないよ?」

 図星のようであった。 

 

始まりのジュレット8

 バルジェンは真顔で身の丈を超える両刃斧を担ぐミシャンラに向かって両手を広げて見せる。

「いやいや、何も言ってないですよ」

「顔に書いてあったのよね」

「パーティリーダーがミシャンラって事でしょ? そう思っただけで・・・」

「ふーん、まあ許してあげましょう」

 バルジェンの半分程の身長のドワーフ娘は両刃斧から手を離すと、一同を見回した。
 ウェスタンブラウスに身を包み、大刀をリュックの上に括り付けて背負うチョウキ。
 神官の法衣に身を包み、穂先が十字の槍を右手に携えたジアーデ。
 みかわしの服に身を包み、ギョロっとした目のような装飾の施された宝球が先端に付いた杖を抱えるように持つミエル。
 ワイルドジャケットに身を包み、両刃斧を右肩に担ぐ自身を確認して、ミシャンラは満足げに頷いた。

「準備完了ね。それじゃ、上層に出るわよ。キャンピングドルボードは門の外に停車させてあるから外に出たらリュックを荷台に移して出発ね。操縦はジアーデ、お願いできるかしら?」

「お安い御用にゃ!」

 ビッと敬礼して見せるジアーデ。
 チョウキは2歩進み出るとバルジェンに向かって言った。

「では、行ってくる」

「おう、気をつけてね」

「うむ!」

 上機嫌に頷いて見せるチョウキをよそに、ミシャンラはバルジェンの真正面に移動してまじまじと彼を観察する。

「まさかその布の服しか装備が無いとは思わないけど、あなたも装備を整えて冒険者の酒場に顔を出して来なさいね。簡単な依頼でもいいからこなして行かないと。この子達に養ってもらおうなんて甘えないように」

「イエス・マム!」

 ビッと敬礼して見せるバルジェン。
 ミシャンラは満足げに頷くと一同を再び見回した。

「それじゃ、出発!」

「じゃーにゃー、行ってくるにゃー」

「行ってきます」

「他の女にうつつを抜かすでないぞ。では行ってくる!」

「ん、気をつけて行ってらっしゃい〜」

 ジュレー島上層に向けて出発する4人娘を見送りしばらく手を振っていたバルジェンは、彼女達が登り階段を登りきって見えなくなると宿に向かって踵を返して一つ伸びをして独りごちた。

「依頼見に行かんとな。金が無いと話にならんし。仕事しないとだよなー」 

 

始まりのジュレット9

 チョウキ達を見送った後、バルジェンはツナサンドにコーヒーで朝食をとりながら冒険者の酒場にいつ行こうかすぐ行こうかと思い悩んでいた。
 何しろ勝手がわからないので、どう行動を起こすべきか明確でないのだ。
 窓から外を見てみると、高くなりつつある日差しの中を、蝶が舞っているのが見えた。
 空になった皿に目を落とし、コーヒーカップを手に取り香りを楽しむ。
 一口だけ口に含んでゆっくりと飲み込んで鼻で深呼吸すると、芳しい香りの刺激が広がり一瞬頭の中がクリアになる。

「よし」

 ひとつ気合を入れると、彼は着替える為に自室に戻った。
 タンスを開けて麻を編んで仕立てられた服を取り出すと、タンクトップとズボンを脱いで着替えていく。
 タンスの下の引き出しを開けて革製のポーチを取り出し、左肩からたすき掛けにしてポーチを背負うと、タンスに立てかけて置いた棍を右手に取り、再び部屋を後にした。
 ロビー兼食堂に出ると、カウンターでのんびり仕事をしていたウェディの女将さんが声をかけてくる。

「お客さん、お出かけですか?」

「あ、はい。依頼こなさないと、今日食う物にも困っちまいそうなんで」

 苦笑して頭をかいて見せるバルジェン。
 女将さんはちょいちょいっと手招きして言った。

「もしかして、ジュレットの道わからないでしょう」

「え、あー、はい」

「昨日の帰り、ずいぶん遅かったですものね」

 そう言いながら、女将さんは背後の棚の下の引戸を開け、小さな新品の巻物を取り出してカウンターに広げた。

「ジュレットの町の地図よ。持ってお行きなさいな」

「う、んー。多分買う金がないです・・・」

「ここに滞在中はうちの宿をひいきにして下さいな。これはただで差し上げます」

「タダより高い物は無いなー・・・」

 呟くバルジェンに女将さんはニッコリ。

「そうですね。これは高い買い物です」

「わかりました。ここに滞在中は、女将さんの宿を使わせてもらいますよ」

 バルジェンはそう言うと地図を受け取り、ポーチにしまって宿を後にした。
 下層のビーチに面した巨壁にぽつんと存在する冒険者の酒場を目指して、いくつもの階段を上り下りする。
 道すがら見える水平線に陽光が煌めき、海岸に建てられた停車場に時折到着する機関車の煙がノスタルジックな印象をバルジェンに感じさせた。
 カモメの群れが海面上に旋回して時折海面すれすれを飛行する。飛び跳ねる魚を取っているのかと思いきや、浜辺からおじいさんのようなウェディが餌付けをしているようにも見えた。

「どこも一緒だなぁ。御老体の楽しみは」

 どこと比較するわけでもなく自然と独言る。
 やがて、下層に到着すると、すでに他の冒険者達が活気よく活動していた。
 ある者は友人同士集まって語らい、ある者はパーティの募集を行い、ある者はクエストの依頼を斡旋する。
 他の冒険者が斡旋する依頼などは、正直勝手もわからないので遠巻きに眺めるにとどめ、彼は酒場へと迷うことなく進んで行った。
 酒場の扉を開ける。
 外とは打って変わり、まだ早い時間だからか客の数は少ない。
 相変わらず帳簿とにらめっこしている受付嬢の所に歩を進めると、バルジェンに気付いて顔を上げて言った。

「あら、ジアーデ達は一緒じゃ無いんですね」

「他の娘達とパーティ組んで討伐行ってますよ」

「なるほど置いていかれたわけですね?」

「まぁ、そうとも言えるか・・・」

「それで、何をお求めですか? パーティメンバーの募集ですか?」

「ああ、いや」右手をヒラヒラと振って左手で頭をかく「手頃な依頼がないかと思って」

「御依頼の紹介ですね。あちらに」酒場の角を指差して「ボードがあるのはわかりますか?」

「貼り紙してあるボードですか?」

「そうです。あちらに貼り出されているのがここ数日の依頼です。手頃な物ですと、素材の収拾から魔物の討伐など、色々貼りだされてますから、ご覧になってみて下さい」

「なるほど、あそこから選ぶのか・・・。どうもどうもありがとうございます」

「いえいえ」

 受付嬢が示したボードに歩み寄り、掲載されている依頼に目を通す。
 一番手軽そうで、それなりに報酬額のいい物を探すがほとんどがモンスター退治で、自分の能力も計れていないうちは手を出せそうもない。
 いくつか目を通して下の方に移っていくと、次のような依頼が目に入ってきた。

『丈夫な枝が欲しいです。素材に必要です。20本以上集めて来てください。報酬は50g(ゴールド)です』

(50gか。宿が朝夕食事付きで10gだろ・・・。うーんよくわからんが、割りに合わない気がする・・・)

 とは言え、仕事をしないわけにも行かない。
 バルジェンは依頼の張り紙を取ると、受付嬢の所へと持っていく。

「あら、決まりました?」張り紙を受け取る「あらあら、こちらのような依頼は普通別の依頼と抱合せに受ける類のものですけど」

「よく分からないし、取り敢えず稼がないとならないんで・・・」

「それもそうですねぇ。では、こちらで受理しておくので、お願いします。規定の大きさにあった物を集めて来てくださいね」カウンターの下からカタログ的なチラシを取り出してバルジェンに手渡す「これより小さい物は引き取れませんので」

「わーかー、りました」

「ミューズ海岸ではほとんど取れないので、ジュレー島上層に出るといいですよ」

 上層と言えば、チョウキ達が向かった地域だ。
 だからどうだ、という事もないのだが。
 彼はチラシに描かれた図と大きさを記す数字に目を通しつつ、酒場を後にした。 

 

始まりのジュレット10

 ジュレー島上層は、ミューズ海岸からジュレットの町を抜けて登った先にある高地である。
 上層を北に向かって街道を進むとキュララナ海岸があり、更にキュララナ海岸の船着場の輸送カヌーに乗ってウェディ族の国ヴェリナード王国の首都ヴェリナード領に行き着く。
 ジュレー島上層は、起伏が激しく、所々岩肌の露出した丘がいくつも連なっているが、緑は比較的に多く木ノ実のなる広葉樹や椰子の木などが生えている為、動物や性格の大人しい魔物などの姿が時折確認出来た。
 懐からバルジェンがチラシを取り出して依頼の丈夫な枝が落ちていないか確認して歩く。
 街道からさほど離れていない木々を選んで、その下に自然に落ちたであろう枝を手に取っては大きさを確かめて、大きさの合う枝を背負い袋に入れていく。

「しかし、中々指定のサイズって無いもんだなぁ。あんまり大きい物を袋に詰めると、個数がそろわねぇし。難しいもんだなぁ」

 上層の天気は良く晴れており、額に汗が滲む。
 丈夫な枝を探して既に3時間は経っているだろうか。
 空腹を感じ始めた為、一本の椰子の木に近付くと両手棍を思いっきり振りかぶって木の幹にフルスイングした。

 バシーン

 子気味のいい音を響かせて椰子の木が揺れ、ぼとりと1つの椰子の実が地面に落ちた。

「よーぅし。金がないなら食料は現地調達に限るね」

 彼が意気揚々と椰子の実を拾おうと屈むと、背後に「ズドーン」とやたらと重たい物が落ちる音がして驚いて振り向く。
 直径2メートルはある丸に近い岩石が鎮座していた。
 さっきまでそんな岩は無かったし、崖の下でもあるまい岩石が落ちて来る要因は考えられなかった。
 考えられるとすれば、この岩石が魔物であると言う可能性だ。
 ひょっとすると、チョウキ達が討伐対象にしているスマイルロックだろうか、と観察していると、ゴロンと半分ほど後ろに転がり目つきの悪い顔が一面に現れた。

「フフ、フフフ、フフフフフフ」

 不気味に微笑んでいる。

「気持ち悪っ! だからスマイルロックか・・・」

 そのまま観察しているが、襲って来る様子は無く、近付かなければ問題は無さそうだった。

「まぁ、近付かなきゃあいいだけなら放置でもいいよな。椰子の実でも割って食べるか・・・」

 放っておいて手近な石に椰子の実を叩き付けようとした時、不意に石がビョンと跳ね上がるやみるみるうちに巨大化してスマイルロックになって落下して来る。
 これには言葉も無く目が点の状態でバルジェンはしばらく呆然としていた。

「よし見なかったことにしよう」

 呟いて手頃な大きさの石を拾って地道に椰子の実を割ろうとすると、その石までもが飛び上がり、スマイルロックと化して「ずどーん」と落下してきた。
 言葉も無くしばらく唖然として眺める。
 そして、溜息を吐くと両手棍を改めて握りしめて構えた。

「よし、そうやって増えて俺の邪魔をしようと言うんだな。そう言うことだと言うんなら腕試しを兼ねて討伐してやろうじゃないか、おい」

 いざ、尋常に、と姿勢を低く突撃しようとした所で、さらに背後から「ずどーん」と音がして振り向いた。

「うふ、ふふふ、うふふふふ」

「やれやれ、気色の悪い笑い方しやがって。・・・いいーだろうっ、まとめてみんな討伐してやる!」

 ずどーん「ふひ、ふひひひひ」

 ずどーん「けけけ、けけけけ」

 ずどーん「いひっいひっ、いひっいひっ」

「・・・ええーっと・・・・・・・」

 ずどーん「くけ、くきききき」

 ずどーん「ひゃひゃひゃ、ひゃひゃひゃ」

『きゃはは、うふふ、いひひ、えへへ、おほほくくくけけけかかか』

 ずどーん「ひぃぃいーーーーっひっひっひっ!!」

「ええっとー・・・」

 刺激するのはヤバイと思い、ゆっくりと歩いてスマイルロック達の間をすり抜けていく。
 相変わらず不気味に微笑んでいたが、動作の緩慢な相手にはどうやら反応しないようだ。
 そう考えて遂にスマイルロックの群を通り過ぎた時、背後でごろりと何かが転がる音がした。
 恐る恐る振り向いてみると、


 一斉にスマイルロック達がバルジェン目掛けて転がり出した。

「うおお、まじかーーーーーっ!」

 だが、相手は重たい上に転がりにくい形状をしている。全力疾走すれば振り払える。
 筈だったのだが。

 ごろごろごろ、ゴロロロロロロロロロロロロッ。

 ものすごい速さで回転を始め、追いすがって来る。

「って、まてー! おかしいだろう! ゲームだとそんな動きしねーーーーーー!!!」

 叫びながらなんのゲームの話だっけ、と疑問が浮かんだがそれどころではない。
 時折飛び跳ねては小さなクレーターを作りながらバルジェンを押しつぶさんと迫って来る、都合30体ものスマイルロック達。
 追いつかれたら間違いなくミンチにされてしまう。

「待て待て待て待て! おかしいおかしいおかしいおかしい! こんなのありえねーーーーー!!」

『うふふあははえへへおほほくぽぽ』

 おかしな笑いが混じりながらも驚異的速度で迫り来るスマイルロックに、本気の全力疾走でバルジェンは逃走を図った。





 チョウキはキャンピングドルボードの屋根の上に登って晴天の空を見上げた。
 出発してから何時間経つだろうか。一向に討伐対象を見つけられずに疲労を感じてきていた。

「そもそもが、討伐対象になるほど増えてはいないのではないのか?」

 不満げにチョウキが呟くと、下からジアーデが両手を腰に肩を怒らせながら叫んだ。

「愚痴を言うのはまだ早いにゃ! 当番なんだからちゃんと監視するにゃ!」

「はいはい、わかったわかった。全く、もっと討伐しやすい魔物ならよかったのに」

「文句言わにゃい!」

「わかったよっ! 全く・・・。はぁ、バルジェンの奴は元気にしているだろうか・・・」

 チョウキがそうしてキャンピングドルボードの上で偵察しているのには理由があった。
 燃料タンクに亀裂が入っており、燃料のドルセリンが漏れていた為停車して修理出来ないかミシャンラが調べていたのだ。
 そもそも、ドルボードと言うのは何かと言うと、古のドワーフの国、古代ドルワーム王国で開発された古代技術で作られた乗り物である。
 ドワチャッカ大陸で、ある日しがない冒険者が偶然発掘した所、ガタラの町で古代ドルワーム王国の失われた技術の解析をしていたドワーフ族の女性研究者が熱意溢れる解析を行って結果、ドルボードの技術をどうにか再現したのが始まりだった。
 最初期型は発掘された個人用のドルボード、直径80センチの逆三角形の円盤に2本の操作レバーが突き出た浮遊して走る物の試験生産から始まったのだが、その個人用のドルボードの下部にある魔力でドルセリンを分解して推力を得る回転装置の大型化が試みられ、それが意外にも容易に生産出来てしまってからは一気に様々な形のドルボードが登場した。
 逆三角形に限らず、魔物の顔を模した個人用ドルボードを始め、女性に人気の月のブランコ型、子供に人気のモーモン8体に吊られるブランコ型、馬ロボット型、魔女の箒型、更には単輪タイヤ走行のバイク型が登場し、4輪走行の車型が開発されるまで実に数年という進化の速さだ。
 古代ドルワーム王国でも似たような大型ドルボードの記述があった為、開発スピードが異様に速かったと言われているが、それにしてもこれ程の技術を持っていたドルワーム王国が何故突然滅んでしまったのかは謎のままだった。
 ミシャンラもドワーフ族であり、工芸の心得がある事から樹液と大きな貝殻を砕いてすり潰した粉末を混ぜた即席モルタルを亀裂に塗り込んで燃料の漏れを修理しようと試みていたのだが・・・。
 ミエルが火球弾魔法のメラを超微小火力で出現させて、それを飛ばすのでは無く掌の上に維持させてモルタルの乾燥に使っている。
 乾き具合を隣で確認していたミシャンラが、ミエルの右肩に手を置いて言った。

「よし、白くなったわ。乾燥した証拠ね。もういいわよ」

「うん。お腹減った」

「はいはい頑張った頑張った。上手く行ったらご褒美にマナパスタあげるわね」

「わーい」

 あまり感情の篭っていない返事で嬉しさを表現するミエルを尻目に、ミシャンラはキャンピングドルボードの運転席に入って起動用のレバーを倒してみる。
 ガチャンっとギアの繋がる音がしてエンジンがかかると、燃料タンクが振動を始めてドルセリンの燃焼が始まった。
 どうやら応急処置は上手く行ったようだ。

「マナパスター」

 呟きながらミエルが丘の向こうに目をやると、何やら数多くの丸っこい岩が飛び跳ねながら行進しているのが目に入ってきた。

「・・・百鬼夜行?」

 小首を傾げてチョウキが望遠鏡を持っているのを思い出し、ドルボードの後ろのステップから屋根に登ってみる。
 チョウキも気付いており、望遠鏡を覗いていた。

「あれは何?」

「うむ、スマイルロックの集団のようだな。まとめて倒せば、依頼は達成できそうだが」

「見ていい?」

「ほら、構わんぞ」

 チョウキから望遠鏡を受け取り、ミエルもスマイルロックの行進を見てみる。

「不思議」

「そうだな。岩石の魔物は通常、一カ所に留まっているものだ。あんなに元気に動き回るなど、聞いたことがない」

「誰かいる」

「何処にだ?」

「大変」

「うむ、大変に珍しい現象だな」

「追われてる?」

「何!? 人が追われているのか!?」

「いけない」

「うむ助けに行かなくてはならんかもしれんな。ドルボードが走れるかミシャンラに聞いてみよう」

「バルジェン」

「なに!?」

 ミエルは呟くなりキャンピングドルボードの屋根から飛び降りると、焚火に駆け寄り脇に置いた独特なフォルムの杖を駆け抜け様に取り上げるとスマイルロックの行進に向かって駆け出す。
 スープを作っていたジアーデがびっくりして声をかける。

「ちょ、どうしたにゃ! にゃにをあわててるにゃ!?」

「バルジェン! 追いかけられてる! スマイルロック!」

「にゃにいー!!」

 ジアーデもまた、咄嗟に背後に置いていた槍を手に取ると駆け出した。
 それを見ていたチョウキもまた、背にした両手剣に手をかけてドルボードから飛び降りる。

「バルジェンが追われているのか!? どう言うことだ!!」

 3人が騒いでいるのに気づいたミシャンラが、キャンピングドルボードの窓を開けて見てみると、3人とも一目散に何かに向かっていくのが見えてキョトンとしていた。

「え、どうしたのあの娘達・・・」

 しばらく呆然としていたが、みんなの荷物が無造作に焚火の周りに置かれているのを見て溜息を吐いた。

「あの娘達ほんとうに・・・。面倒な娘達ね!」

 ミシャンラもまた、ドルボードから飛び降りると側面のスライドドアを開いてみんなの荷物を放り込み、運転席に飛び乗る。
 ドルボードの加速レバーを一気に上げてドルボードを旋回させると、たまたま地面から飛び出ていた大きな石に乗り上げる。
 拍子に、ぱすうっという気の抜けた音がして出力が一気に落ちて停車した。
 窓を開けて燃料タンクの方を見下ろす。
 衝撃でモルタルに亀裂が入ってしまい、また燃料が漏れ出していた。
 あちゃー、と言う顔で、ミシャンラは天を仰いだ。