魔弾の王と戦姫~獅子と黒竜の輪廻曲~
ミライトーク『アルサスの平穏』
前書き
ちょっとゼノブレイドっぽいキズナトークをしてみたいと思い、執筆しました。
テンポの都合上、台詞に人物名がありますがご了承下さい。
それではどうぞ。
今日もここは静か。そして穏やかだ。
緩やかに吹く風に、自らの銀髪を遊ばせながらそう思う。
―――――そう、草原と風の世界アルサスの朝は早い。
あの旅を終えてエレオノーラ達は一度アルサスへ立ち寄った。ティグルには帰還の意味を含めて、一同はここアルサスにいるのだ。
物質創生能力船『フツヌシ』———
かつて、世界樹そのものと化したそれは、世界を脅かす存在となった。
ウチュウと呼ばれる空の領域にまで幹を伸ばし、鋼の巨人たちをこの大地へ降らせて、このザクスタン、アスヴァール、ムオジネル、それ以外の大陸、いや、世界そのものを滅亡させようとしていた。
戦犯の名は――カロン=アンティクル=グレアスト
そして――マクシミリアン=ベンヌッサ=ガヌロン
この二名である。
アオイ=源吾という人物が、世界樹の頂上で私たちをずっと待ち続けていた。それも
、肉体を失ってなお、魂だけの存在となって待ち続けていたというのだ。
ティグルの持つ黒き弓。私たちが持つ、誇りそのものにして竜具と呼ばれる超常の武具は、元々凱の生まれた時代の名残からうまれたものだという。
全ては、凱を元の時代へ取り戻そうとしたことが、この世界のすべての始まりだった。
――最初聞かされたときは驚いたものだ。
ティル=ナ=ファが『000』……トリプルゼロの扉を制御するトリニティなんたらの三種の制御人格だったり――
ジルニトラが『人間を危険な方向に進化しないよう、知的生命体が持つ最大の欲求――夢』に介入していく三対の統合行動端末だったり――
ジルニトラの体内から生まれた『コア』はやがて『竜』となり、そこから人間や動物——数多くの種が生まれたとか――
寿命を迎えた竜はやがて『銀閃』『凍漣』『光華』『煌炎』『雷禍』『虚影』『羅轟』となり、その七つの要素はやがて世界を形作る大陸と化し、海に還り、空へ舞っていくことで、トリプルゼロによって滅ぼされた世界を再生させていったそうだ。
永遠に比す時間をかけて行われる――世界再生計画と人類補完計画。
そのコアの成りそこないが、蛙の青年とか箒の魔女とか呼ばれる『魔物』だったり――
生機融合体――エヴォリュダーと呼ばれる存在が、ジルニトラの元となったり――
ガイのGストーン情報を蓄積した『コア』から、ガヌロンが誕生したり――
ジルニトラの制御核から竜具が生まれ、ティル=ナ=ファの三つの人格のうちの『人』が、そのジルニトラに助けを求めて戦姫が生まれた。
ガイがなぜ、竜具を使えるのかを初めて知った瞬間だった。
通常、竜具は戦姫を選ぶ性質上、女性しかなれない。
ともかく――――
気の遠くなるような年月をかけて、『地球』と呼ばれる世界は再生をして今に至るということだ。
とにかく、知識も無く知恵も沸かず頭の回転も悪い私には理解できないことが重なり合った。
凱の奪還のために、世界を犠牲にしてしまったこと――故に凱は元凶と呼ばれる。
それら他の事が偶然にも重なり、今の時代に至ったというわけだ。
ブリューヌとジスタートが共通する天上の神々は、命の循環設備そのものだった。
ヴォジャノーイをはじめとした魔物からは『銃』と呼ばれたりしたらしい。
なにより、凱にとってつらかったのは――――『元凶なりし者』と吐き捨てられたことだ。
あの場に凱がいなかったのは、何よりの幸いだった。
同時にティグルもつらかった。それと同じくらい、死ぬほどおのれの呑気さを恨んだ。
ガヌロンがティッタに連れ去られた。
そして、ガヌロンはティッタの中にある『人』と『魔』のティル=ナ=ファを喰らい、『ガオファイガー』と呼ばれる鋼の巨人を操り、私たち『魔弾の王と戦姫』を存分に苦しめた。
そんな絶望の中で奇跡は起きた。いや――違う。ティグルの意地とティッタの想いが奇跡を起こしたのだ。
『力』のティル=ナ=ファとの同調進化を果たした、ティッタの復活。
勇者と王の絆の意味。
それこそ、この時代の『勇者王誕生』だったのだ。
ブレイブトーク『平穏のアルサス』
凱・エレン・リム・フィーネ・ミラのトーク。
凱「やっぱりアルサスにくると落ち着くなぁ」
フィーネ「本当だ。いい意味で何もないからな」
リム「農業は結構さかんですが、テリトアールほどでもありませんし、第一次産業もザクスタンほど発達していませんしね」
凱「ま、療養や余生を過ごしたいんだったら、ここが一番かな」
エレン「のどかな村だからな。寒冷のジスタートとは違い、アルサスの『キオン』は殆ど安定している」
ヴィッサリオンから教えてもらった気象予報技術「気温」。
年間を通してのジスタートでは気温が低く、作物の芽が咲くのも他の地域と違って一足遅い。
もっとも寒い表現ができるならば、そう――風が吹けば、冷たいナイフで肌を切り刻まれる感覚。
風がジスタートに死を運んできた。
その点、アルサスに運ばれる風は心地よい。
風に吹かれて銀の髪が揺れる。
エレンはミラに問いを放った。
エレン「なあ、リュドミラはどう思う?」
ミラ「そうね、ここで暮らしてみたい―――とは思ったわ」
エレン「ほぉ――――」
ミラ「……何よ?」
エレン「いや、意外な返事だったから」
ミラ「ティグルの家に泊まらせてもらったとき、庶民とはこういう暮らしをしていたのかと、心を躍らせたのよ」
フィーネ「今の二人は暮らしがいいからな」
貧村の生まれであるフィーネからすれば、現役の戦姫の印象がそのように映るのは仕方のない事だった。無論、フィーネも傭兵時代の過酷な生活を送ってきたエレンとリムも知らないわけではないが。
凱(ティグルが庶民か――確かに、伯爵の身分がなければ、そういわれても違和感ないんだよな)
ティグルはあれでも爵位もちなのだが、身なりに加え、民とほとんど同じ水準の生活用品しか使っていないのだから、リュドミラが「庶民の暮らし」と思うのも無理はないだろう。
リム「私も同感です――リュドミラ様」
エレン「ちょっとまて、リュドミラの味方をするのか、お前は」
リム「敵か味方じゃなくて、頻繁にライトメリッツの城下町へ、ティグルヴルムド卿と『遠征』に出かけたエレオノーラ様がそれを言いますか」
エレン「民の生活を知る為だ!これだけは譲れん!」
えっへんと胸を張るエレン。豊かな胸がより一層強調されたように見えた。
ミラ「ホント、呆れて何も言えないわ。ジスタートの戦姫が街中で物を食べ歩くなんて……」
エレン「おい貴様!ロドニークの露店前で腹の音を鳴らしながら麦粥を喜んで食ってたお前に言われたくない!」
思い出して顔を赤くするミラ。皆の前で腹の虫をかき鳴らして恥をかいた。
あくまで自分は無関係―――と凱に思わせたかったのだが、立合者であるエレンとリムがいればそうはいかなかった。
そこでミラは開き直った。
ミラ「せっかくの気遣いを無下にしたくなかったからよ!あなたこそ見せつけるように食べるなんて大人げないわよ!」
――俺から見ればそうやって張り合うところを見るとまだまだ子供なんだけどな。
思い出話で咲きかえる戦姫を見ていると、凱の心に微笑ましいものと呆れさが同時に芽を吹くのを感じた。それはフィーネも同様であった。
二人の応酬が落ち着くまで、凱とリムとフィーネは一歩下がって見守っていた。
リム「そういえば、そんなこともありましたね」
凱「その時はリムも一緒だったのか?」
リム「ええ、ティグルヴルムド卿も一緒でした。エレオノーラ様とリュドミラ様――あの時の二人はどちらも『大人げなかった』のですが――」
フィーネ「リム。エレンとミラ、二人の出会いはどんな感じだったんだ?」
エレンの義姉という立場を意識してか、フィーネはそれとなくリムに聞いた。
リム「それは――初対面から最悪でした……」
随分と力のない言葉だなと思った凱は、ひたすらリムの言葉に耳を傾けていた。
かくかくしかじか――――
凱「……さぞ恐ろしかったのだろうな。10人がかりでやっと止められたのか」
リム「それはもう」
隣のリムの表情を見る限り、相当なものなのだろうなと凱は察する。
エレンとミラはまだうがうが言い合っている。
そろそろ二人の仲裁に入るとするか。
凱「エレンとミラ――ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
アルサスから吹く風に乗せて、凱は二人の戦姫に語り掛ける。
エレン「どうした?ガイ」
ミラ「どうしたのかしら?ガイ」
凱「ブリューヌとジスタートでアルサスは奪い合いになったりしないのか?」
国境代わりとなっているヴォージュ山脈の近くにあるアルサスだからこそ、不安なことも多く、そして大きくある。
外交上の戦争であった『ディナントの戦い』とは違い、アルサスは背中に山脈――前面に下り坂の大草原がある為、着陣するには格好の場所だ。わざわざディナント平原まで迂回してガヌロン公爵の領地からブリューヌに入る――という非効率的な方法をとることもあるまい。
逆にブリューヌ側もアルサスを見過ごせない点は、軍略という意味ではそろえられている。
ブリューヌ内乱時、ジスタートの介入を防ぐためにテナルディエ一派がアルサスを焼き払おうとした――という実例が存在する。
仮にテナルディエが手を出さなくとも、ガヌロンが手を出していたかもしれない。そう思うと、アルサスがいかに重要な位置をしめしていたか、はっきりとわかる。
ブリューヌの革命戦争時だってそうだった。
一斉蜂起の時まで身を隠し、機械兵器の燃料を採取できる場所は、ヴォージュ山脈付近に位置するアルサスを除いて、他に臨める場所は存在しない。
もう――あんな戦争は引き起こしてはならない。
そう強く思う故に出た、凱の言葉だった。
エレン「今のところ問題はないはずだ」
ミラ「そうね。今のアルサスはブリューヌとジスタートの共同管理ですもの。どちらかがこの地域に手を出そうものならば、それはすなわち開戦を意味するのよ」
リム「安心してくださいガイさん、少なくとも、我が国ジスタートには戦争の意志はありません」
凱「そうか——それが聞けてちょっと安心したよ」
フィーネ「どうしてガイがそんなことを心配する?」
凱「ティグルの生まれ育った村だからかな」
エレンとミラは目を見開いた。
凱「俺たちがティグルの故郷を心配するのは当然のことだろ?」
ミラ「それもそうね」
凱「ティグルがなんの気掛かりもなく前を向いて走っていける環境を作らないと――アルサスのことで不安になって、頭の中がいっぱいになったらいけないじゃないか」
エレン「——優しいんだな。ガイは」
それは、この場にいないティグルに向けられている言葉とも思えた。
かつて、テナルディエがアルサスを焼き払おうとするのをティグルが知った時、弓一つ、身体一つで立ち向かおうとしたのだ。ライトメリッツの脱走を試みて。
心意気は立派だが、現実は何もできない。私が何を気に入らないのか、そして、どうしてほしいのかを言わせたら、素っ頓狂な返事がティグルの口から出たものだ。
まさか―――――兵を貸してくれだなんて、本当に言うとはな。
確かに、あの時の賭けは私の負けかもしれん。
凱「ありがとう、エレン。それにアルサスは王都から離れていることもあって、唯一で『影響』を受けにくい場所だもんな」
リム「——どういうことでしょうか?」
凱の言葉の真偽が読めず、思わずリムは「らしくない」言葉を発した。ティグルに講義を鞭撻する、教師たる彼女らしくもない言葉を。
凱でなくフィーネが代弁した。
フィーネ「あのような少年が育つには、こういう環境でないといけない――」
ブリューヌでは侮蔑されている弓を最大限生かせる環境――数多くの狩猟環境が隣接するヴォージュ山脈。
何より、アルサスの住民の声が、そこに住む主の耳が隣り合っていること。現状に合わなくなってきた今が、即座に伝わるアルサスのキズナ。
弓ひとつであらゆる敵をい倒し、そしてガヌロンさえも止めて見せたティグルの腕の冴えは、アルサスという環境から培われたものだ。
リム「なるほど――例えば王都で育った少年の多くは、ロランの武勇と始祖シャルルの伝説に憧れて『騎士団』に入りたがりますしね」
凱「それはそれで嬉しいんだけど、それでは多分、ティグルのような『英雄』は生まれてこない。ブリューヌ……いや、世界全体を変えるような大きな存在を育てることもできない。そもそも国や体制がその可能性の萌芽をつぶしているかもしれないんだ」
ミラ「……ガイ」
凱「その点、アルサスはうまい具合に王都から離れている。確かに流通は少ないし、不便のほうが先立ってしまうけど、上から『支配』されてないぶん、根底には『自由』があって大きな『可能性』を感じるんだ」
エレン「——そうだな。ガイの言う通り、私たちはティグルのその『可能性』に導かれて、『原作』はこうも変わっていったのだからな」
ミラ「ええ、ガイの言葉には賛成ね。ブリューヌから……こういった場所を無くしてはいけないんだから」
リム「そうですね。必ずや私たちがアルサスを守り抜かなくては」
~ミライトーク~
『アルサスの平穏』
―完了—
【登場人物紹介:獅子王凱】
前書き
※多少のネタバレありです。物語の進行に合わせて修正します。
■主要人物紹介
※物語の進行に合わせて、加筆、修正を行います。
獅子王凱(時空防衛勇者隊―GGG―ガッツィ・ギャレオリア・ガード機動部隊隊長)
本作の主人公。「元」郊外調査騎士団第三偵察隊隊長。27歳。獅子座。
注)以前の生い立ちは原作を参照の事。
アンリミテッドの一人。
出身:日本
身長:190cm~200(イークイップ時)cm
武装:アサルトIDアーマー(下記内訳)
ウィルナイフ×2(意志により切断可能範囲拡大)
プログラムリング腹部展開パネル(非実体構成装置)
ブロウクンファントム(リング強化による銃撃破壊)
プロテクトウォール(リング強化による空間湾曲)
ジェットアンカー(立体機動兵装)
ファントムイリュージョン(光学迷彩)
プロジェクションビーム(多機能投影)
フォッグガス(虚影幻幕武装)
サイバースコープ(多機能モニター)
着脱により、フライトモードで搭乗可能。
光子により自己修復(ただし、破損状況により長時間必要)
特記事項:ただし、アーマー装着時の稼働時間は3分間。(体内のGストーンが
最大稼働に移行する為)
待機状態はガオーブレスとしての形態である。
※人物像(本設定は原作を閲覧の事)
長身で栗色の長髪の青年。一見穏やかで優しい風貌だが、かつては第二次代理契約戦争で、大陸最強の生物・
獅子王と比喩されたその人である。人類の未来と希望の為に先陣切って戦っていたが、ある不幸な事件から一転して、独立交易都市騎士団を退団する。凱のいた地球と、『魔弾の王と戦姫』の逸話を突き止めるため、ジスタートへ訪れるが、その過程でアルサスに流れ着き、ティッタやバートランと出会いを交わす中で、「人間を超越した」自分の力の意味と答えを模索していく。
争いを好まず、食す行為以外では、虫や動物さえも殺すことを躊躇うほどの平和思考の性格。しかし、ひとたび戦いが起きれば人智を超えた剣技を繰り出し、軍の一師団(約1万程度)のような戦力を発揮する。
感情の高ぶりや、戦いが長期化するにつれて、心の中の獅子としての人格が表に出て、非常に冷酷かつ好戦的になることも少なくなかった。悪人でさえ殺すことを否定するが、自分の感情の高まりも相まって残虐非道な敵に時折、過剰殺傷する場合がある。シーグフリード曰く、「絶対に殺さない分、余計に苦しませるから、ヤツのほうがオレより残酷」との事。
不殺の信条を示した際、一つの誤解から当初はミラやエレンに見損なわれていた。
地球にいたころは、おじさんと呼ばれるのを否定していたが、最近の自年齢を振り返り、あまり否定できないでいる自分を複雑な気分で思っている。とはいえ、GGG機動部隊隊長だったころと容姿は殆ど変わっていない程の若々しさを残している。流れるような長髪も、女性陣(特にティッタ)には憧れの髪質である。実年齢を教えた時は、ミラやエレンが揃って「詐欺」と言った。
凱がその気になれば一国を独力で築け、外交で国家権力を動かすことが出来るのではないかという『眠れる獅子』の一節が、マスハスとボードワンの口から語られている。
強大な力を持ちながらも、野心が全くない点の危険性を誰よりも理解している。それゆえ表舞台に出ることは望ましくないとして、どこの勢力に属することなく、戦乱の苦難に遭う人々を護る為の放浪の旅を続けている。
その裏付けとして、内乱終結後にはジスタートの有力貴族やブリューヌ貴族、そしてナヴァール騎士団からの勧誘があったが、やんわりと断っている。卓越した自身の能力の高さから「世界の均衡を崩す力の王」「時代を二つに割る知恵の王」「真実に最も近い勇気ある王」と一部の者に呼ばれ、実際に凱を警戒するクレイシュやガヌロン、アスヴァールやザクスタンに命を狙われている。
平常時は少々疎いところがあり(例えば恋愛)、ティッタやフィグネリアにはデリカシーがないと時々ツッコミを入れられている。
※本編での軌跡-ブリューヌ内乱編-
アルサスに流れ着いてティッタと出会い、ヴォルン家で居候している傍らで住民を護り、アルサス中で「凄い速い」「凄く強い」「凄い剣士様」と評判になる。そんな中、ヴォジャノーイやガヌロン、ロラン、シーグフリードという強敵と出会い戦い続けていくうちに、心の檻に押し込めていた獅子の闘争本能が目覚めていき、最強の力と最弱の心の狭間で悩み苦しみながらも、ティッタの優しさに支えられる。
ティグルやエレン、リム、マスハスや様々な人たちと邂逅を得て、凱の存在が世間で囁かれる頃、ブリューヌ内乱において銀の流星軍が行方不明という報を知る。
追い打ちをかけるように、エレンの竜具アリファールが凱の前に現れ、主人であるエレンを救う為、テナルディエを討伐してほしいと懇願される。当初はアリファールを避けていた凱だったが、数日後、凱の運命を決めるかのように、かつての宿敵シーグフリードが立ちはだかる。しかも、シーグフリードを差し向けたのは、ヴィクトール王だった。(これは、凱の強さが本物かどうかを見極めるためだった)
ブリューヌでテナルディエ公爵が暗躍していることを知らされ、ブリューヌとジスタート両国の為に、テナルディエ公爵を暗殺してほしいという、奇しくもアリファールと同じ依頼をされる。
テナルディエ公爵を止めるべく、今の時代を生きる人々を護る為にブリューヌの戦火へ飛び込んでいく事となる。
その道中、元傭兵のフィグネリアと出会い、奪われたアルサスを取り戻すべく、銀の流星軍と接触を果たす。ティッタと共にセレスタの町へ向かい、テナルディエ公爵と初対面する。
側近であるノアと戦い、鎧の神剣ヴェロニカと銀閃アリファールの斬り合いで、凱はアリファールの刃を折られてしまう。アリファールを再鍛錬するため、一度独立交易都市へ戻り、ルークの元を訪ねる。そこで神剣の刀鍛冶から、「折れたのは竜具じゃない。あんたの心と信念だ」と言われ、確固たる信念を持てない自分の弱さを痛感した。
エインスワーズ家の教えとして、「刃を返して相手の心に問え。少しでもテナルディエの心に触れてみろ」を諭され、凱はこれまでの行いを振り返り、これからの決意を新たにする。
ルテティア大火、燃導兵装甲鉄艦『黒獅子帝』のレグニーツァ・ルヴーシュへ出港を始めとした、様々な暗躍を阻止した後、シーグフリード、フィグネリアと共に、テナルディエが招待する主要都市ランスの決戦闘技場へ出向く。
最終決戦竜技-大気薙ぎ払う極輝銀閃(レイ・アドモス)を駆使し、ブリューヌ最強の黒騎士ロラン、七戦騎最強のノア=カートライトと立て続けに、生死を分けた戦いの中で勝利をおさめ、最後にテナルディエ公爵と戦う事となる。
熾烈極まる死闘の末、勝利したかに見えたが、ザイアン共々不意を突かれて重傷を負う。しかし、命と護から「生きる勇気」の意味を思い出され、持ち直して勝利。テナルディエ軍は壊滅する。(連続使用した最終決戦竜技の影響で、「血の病のような淀みを感じる」といっていた)
様々な人の生き様と邂逅を得て、勇気をもってティグル達に普段より接するようになり、自分を主張するようになった。
アリファールの意志でエレンの元へ返還され、自身は新たな地へ流れることとなる。
※戦闘力
上記のとおり、作中トップクラスの戦闘力を持っているものの、他者をいたわる優しさと不安定な心の弱さによって、大きなブレ幅が出る。(物語登場時には、最終決戦竜技を技術的には使えるものの、迷いの残る心が枷となっていたため、使用できないでいた)
観察眼や戦いの流れを瞬時に読み取ることに優れており、まるで予知能力に近いような先手行動をとれる。気合で押し切る場面や物理法則に従って余力を残す場面等、状況によって最適な行動を選択する。
この時代にはない物理法則や、戦闘概念をもちあわせ、自身も竜具を使用した経験から竜技の特性を見抜いている。(戦姫に極端な軽装が多いのは、竜技発動時において、血管や筋肉繊維が拡張する作用で、甲冑や装甲を身に着ける事はかえって竜技の威力を大幅に削いでしまう為、兵の損耗率を低下させる為だとリムに説明している。現に凱がアリファールを振るっていた時は、IDアーマーを装着しなかった)
さらに、竜技を封じる鎖の対応策として「竜技自体は通じないが、竜技で発生した自然現象は素通りする」ことを導き出す等、高い応用力を持つ。加え、大気ごと薙ぎ払え(レイ・アドモス)を、刀身と鞘それぞれに風を集めて二段抜刀で連続使用する等、発想力の高さがうかがえる。凱曰く「竜技は全て牙と爪の2段構え」との事。これによって、初太刀でかわされ周囲の風が集まらない弱点を埋めている。
さらに、アリファールを
予備駆動状態にさせて、竜技を無効化する鎖の反応を察知させない等、個人的な戦闘力では作中でほぼ最強に至る。(それでも、先代の聖剣には敵わないが……)
天を駆けるような跳躍力、岩をも砕く拳力を以て銀閃殺法をはじめとした数々の竜殺法を習得しており、長剣以外はルークから指南され、槍、錫杖、鞭、双剣、刀、斧、鎌等、多種多様な武器に精通している。反面、銃以外の飛び道具、特に「弓」は不得意で、ティグルに対して「異世界版ゴ○ゴ」や「赤髪のシ○・ヘ○ヘ」と敬称をつけ、ル―リックと共に弓の指南を受けていたことがあった。
魔物とは交戦歴が長く、勇者としての力を存分に発揮し、ヴォジャノーイやバーバ・ヤガー、トルバラン、ガヌロンをも退けて見せた。中でも、3体の魔物を同時に相手して一歩も引かなかった。
(ブロウクンマグナムやプロテクトシェード、ヘルアンドヘヴンはその時にしか使わない)
並みの武器では凱の力に耐えられない為に、使える武器が少ない弱点を指摘されている。ヴォジャノーイ戦においては、凱の抜刀術によって、マスハスから拝借した剣を消失させてしまう。
誰よりも優しい気性ゆえに、「愛に深すぎる獅子故、弱者を餌にすれば檻に閉じ込めやすい」とヴィクトールから指摘されるものの、それは「罠だと分かっていても飛び込んでいく。それは勇者としての矜持」として言い返している。
※人間関係
初めて独立交易都市で出会ったヴァレンティナを契機に、未知の大陸との人間交流がさかんになる。
元々一般人で在ったため、平民とは非常に親しまれている。ブリューヌ内乱において関わりのあったナヴァール騎士団や、ジスタート、ブリューヌの王族や貴族諸侯とは非常に信頼されている。
ヴィクトール王とは上記のように、最初は反感こそあったものの、趣味を共有する釣り仲間や、独立交易都市共同本即売市場のパイプ役になるなど、公私において親密な仲になっていく。
ブリューヌ内乱においては、公に出来ない裏部分の功績(大混乱になるほど王政府にとって秘密裏)の為、レギンやボードワンには申し訳なく思われている。(ただし、凱になにかあれば必ず力になると言っている)
民や上層貴族、王族達には高い評価がある為に、「公に出来ない難儀な事は凱に相談したらどうだ?」という認識がブリューヌとジスタートにある。現にブリューヌ内乱においてはオリビエから、自責の念に囚われたロランの事を頼まれたり、リムからは、銀の流星軍の指揮官不在になったとき、エレン、ミラ、ティグルの事を頼まれている。
第裏幕『The.day.of.Felix』
独立交易都市ハウスマンからすると南西に位置する帝国の遥か西に、ジスタート王国やブリューヌ王国が存在する。
存在するのだが、人々がその名を知るのは文献や噂話程度でしか仕入れていない。
まるで両者の大陸の国交を遮断するような、複雑な自然環境が隔離施設のように、外界を作っている。
分厚い雲を貫くかのように、成層圏にまでそびえ立つ山々。
極寒と灼熱を表裏一体させたかのような地脈。
低気圧と高気圧の乱気流が、大気と空間ごと薙ぎ払う。
そんな人智を超越した領域を超えて、新大陸へいけたのは――
――独立交易都市の建都市者、初代ハウスマン――
――ジスタート王国、封妖の裂空が主、虚影の幻姫、ヴァレンティナ=グリンカ=エステス――
――独立交易都市、『元』三番街自衛騎士団所属、ヴィッサリオン――
――同じく独立交易都市、『元』郊外調査騎士団所属、獅子王凱――
この4人だけだった。
その内の一人、獅子王凱は第二次代理契約戦争(セカンド・ヴァルバニル)を終結させた後、初代ハウスマンが残した謎『黒竜』の謎を追い求めて遥か西の大陸にやってきた。
ジスタート王国の公国、ルヴーシュかオステローデにまず立ち寄ろうかと思いきや、ヴォージュ山脈を通り越してブリューヌの領地に出てしまった。
ブレア火山を経由して、地面の下を極端な短縮航路で行こうとしたのが仇となったようだ。
その時だ。地面からやっとの想いではい出たら、自分がいる場所が後にブリューヌ王国内に存在するアルサスの領地だと判明したのが。
初代ハウスマンの残した資料が、凱の土地勘の助けになっていた。足を踏み入れたことのない緊張や不安がほんのわずかだが凱の判断を鈍らせるのだった。
今、凱は大いなる戦乱の渦中にいる事に気付かない。
ふと、通りすがりの人に肩をぶつけられた。何かを急いでいるようだった。凱と接触して転倒した人物に手を差し伸べる。
「大丈夫ですか?」
「……つっ……こっちこそ、すまなんだ」
「いえ、怪我がなさそうでよかったです」
やがて凱の手をとり、尻餅ついて倒れた人物はゆっくりと立ち上がる。手を取ってふと目線が彼の左手に注がれる。火の鳥『フェニックス』と同じくする伝説上の生き物、獅子『レグヌス』
を模したような篭手が、やけに印象的だった。
「……ボードワン?」「もし、どうかしましたか?」いや、何でもない」
今年で55になる灰色の髭と髪を生やし、ぐんずりとした体形の人物は、目の前の青年の声を聴くなり、親交のある小柄な宰相を思い出した。
「ただ、そなたとは初めて会った気がしないと思っただけじゃ。何かの縁と思って、せめて名前だけでも教えてくれないか?」
そんなにその人と俺の声が似ているのか?瓜二つの声音を持つ人間って本当にいるんだなと思い、老人は自らの名を、凱は自らの生名を互いに告げた。
「マスハス=ローダンド」
「獅子王凱」
この瞬間、ほんのわずかだが、凱の運命の歯車が回り始めてしまった。
――※――※――※――
フェリックス=アーロン=テナルディエは、父から語られた昔話を思い出していた。
「……弓……」
誰もいない執務室で、一人彼はぼやく。
今でこそ侯爵家の当主だが、その昔話を聞かされたのは数十年前にさかのぼる。
当時の父の容姿や表情、あの口からでた台詞や動きまできめ細かく、そして明確に覚えている。なぜなら、彼の父が話した内容はそれほどまでに衝撃的な内容だったからだ。
自分とは対照的に痩せ細った身体からは想像できない、引き寄せる重圧と押し放つ威圧を息子に感じさせた。それは、父の存在自体がいかに大きいものかを認識させた。
――フェリックス、『弓』をどう思う?――
呼ばれたかと思いきや、いきなりそのようなことを聞く父に、息子は眉間を無意識に寄せた。もともと弓はブリューヌにとって軽視されている、臆病者の固定名詞である。二人きりの空間でなければ、このような質問などできはしない。一瞬不機嫌になりながらも、フェリックスは実直に考えを述べる。
――弓は、白刃の前にその身をさらすことのできない、勇気を持たない臆病者の武器と存じます――
正直、フェリックスは弓を軽視どころか嫌悪していた。惰弱で臆病で無能のカタマリが具現化したかのような武器が忌々しくてたまらなかった。
――勇気を持たない……か。それも一つの可能性なのかもしれんな――
父は、何か物思いにふけるとき、必ずといっていいほど顔を見上げ、指を折って天井のシミを数える仕草をする。
――可能性?――
フェリックスは、父のこういう所が理解しがたいところだと思っている。だが、この常人には理解しえない超常の頭脳が、強大な富と力という実績を収めたのだ。その結果だけは認めざるを得ない。
――わしは、弓に無限の可能性があると思っている。何故だと思う?――
当然、目の前の息子にはこたえられるはずもなく、それを分かっていてか、父はなおも言葉をつづける。
――では質問を変えよう。弓の利点は何だと思う?――
惰弱な武器の利点など考えたくない。そう思う息子だったが、冷静に答えた。
――間合いが遠い……でしょうか?――
そう答えると、父は見上げていた顔をゆっくりおろし、今度は地面をじっと見つめ始めた。
――間合い、それこそが弓の最大の特性なのだ――
――わしは、弓のその可能性を見届けたく、今まで延命してきたのだが、もしかしたら間に合わんかもしれんな――
――父上?――
――戦いにおいて勝敗を決めるのは『間合い』を置いて他ならない。剣から槍へ、武器は勝敗を決める為に進化を続けてきた。弓はその先にある――
――……――
息子は、それ以上父に向って何も言えなかった。理由はいたって単純、まさに正論だったからだ。
間合いが遠い。それは、近接の剣が中距離の槍に対して不利になるのは自明の理と言える。武器の進化は徐々に間合いを突き放すことで、その武器は最強の座を獲得していったからだ。
――カヴァクなる敵が訪れる時まで、この命が持てばと思ったのだが――
『カヴァク』なる敵。初めて聞く単語に、フェリックスは言い知れぬ不安を抱いて、それとなく訪ねてきた。
――カヴァクなる敵?カヴァクなる敵とは何なのですか?父上――
しかし、超常の知識を持つ父は、首を横に振るだけだった。
――今はまだ教えられん。ブリューヌの子ら、いや、ジスタートやザクスタンの小僧共が『カヴァク』なる敵を知り受け入れるには、まだ奴らは幼すぎる――
再び、父は顔を天井に上げる。何度も同じ動作を繰り返す。そして、誰にも聞き取れないような、枯れ細った声でつぶやく。
――ジスタート王国に伝わる、超常現象を引き起こす竜具――
――いつの時代か、竜具でさえ太刀打ちできない時代が必ず訪れる――
――その時代が訪れる為に、世界は多くの血と犠牲を要求する――
――竜の口から吐かれた鉛の玉は、鉄よりも固い竜の皮膚をたやすく貫く――
――燃える水は、炎の迷宮を作り上げ――
――地に堕ちた光は、全てを塵芥へと還す――
――女神の意志の代行者、黒き弓を携えし魔弾の王よ――
――生命の意志の体現者、黒き銃を携えし勇者の王よ――
――願わくは、二つの魔弾が一つとなり、大いなる意志を穿つように――
この日の夜、フェリックス=アーロン=テナルディエにすべてを託し、彼は静かに息を引き取った。
――※――※――※――
現代へ戻り、テナルディエ侯爵のとある一室にて
「やあドレガヴァク、久しぶり。今度は何の用かい?」
「来たか、ヴォジャノーイ」
人ならざる名前で呼び合い、お互いを確認する。彼らが見ているものと、人間が感じるものでは違う。
「なに、お前にとって造作もないことだ」
「ふうん?」
「『銃』がブリューヌに足を踏み入れたそうだ」
「!!それは本当かい!?ドレガヴァク!」
目を輝かせた子供のように、中肉中背の男は身を乗り出してきた。
「お前にはそやつの存在を確認してほしい。わしとしたことが、『弓』にばかり気を取られて、肝心なものを忘れとった」
しばらくヴォジャノーイは損得勘定を思案した後――
「いいよ。でも、ただ働きは嫌だね」「持っていけ」
既に、分かっていたかのように、ドレガヴァクは金貨の入った袋を投げ出す。長い付き合いの彼らだからわかっていることだが、前払いで初めて契約が成立する。
「ああ……うまそうだ……うまそうだ」
金貨をじゃらじゃらと口に頬張り、滝のように流し込む。勇者の故郷において、カジノのキャッシャーでもこれほど大量にむさぼることなどまずない。
――毎度ありぃぃ――
独立交易都市の建都市者ハウスマンの出現により、あらゆる大陸の神話体系における解釈は大きく揺らいだ。
自己都合による解釈。現実を擁護すべき神職者。心の救済とするべく、闇の部分を隠蔽すべき愚職者の両者に分断された。
神とは――人々の心の拠り所――
いつの時代でも、人間が認知しえない、超越した存在が信仰されるようになってから、神という不確かな領域に寄り掛かろうとする。
神の正体は――情報の海にたゆたう意識生命体――
今は信仰されている神々もまた、元を正せば信仰心を持つ同じ人間だった。
夜と闇と死の女神、ティル・ナ・ファも例外ではない。
それが事実と言い放つハウスマンの存在は、遥か東の大陸において危険人物とされるようになった。
特に黒竜を建国伝説の象徴とするジスタートにとって、『実験台』と称するハウスマンの問題発言は、まさに戦乱の嵐を予感させるものだった。
さらにハウスマンは、王の伝説を3つ残していく。
あらゆるものを射倒す『魔弾の王』
その男は終焉の女神から『黒き弓』をさずかり、あらゆる魔を射倒して、ついには王になりおおせたという。
あらゆるものを砕世する『魔断の王』
その男は神々の王から『不敗の剣』をさずかり、あらゆる魔を砕世して、ついには王になりおおせたという。
そして――あらゆるものを覇界する『魔銃の王』
その男は創世の破壊神から『大いなる遺産』をさずかり、あらゆる魔を覇界して、ついには勇者達の王になりおおせたという。
「さて、――あちら――の世界の竜具と魔弾の王はどう出るやら。しばらく見学させてもらおう。ガッツィ・ギャレオリア・ガード」
――氷竜と凍漣――
――炎竜と煌炎――
――風龍と銀閃――
――雷龍と雷渦――
――光竜と光華――
――闇竜と虚影――
――槌竜と羅轟――
――銃と弓――
自らの顔が映る中身が入ったままのグラスを眺めながら本を閉じ、楽しげにつぶやいた。
その人物の名は、ガヌロンといった。
【数年前・ブリューヌ国内・テナルディエ侯爵領・ネメクタム】
どこまでも続く渡り廊下に、一人の壮年の男が歩いている。
テナルディエ侯爵が、弓に対する評価を変えたのは一体どれくらい前になるのだろうか。
弓は臆病者が使う武器。彼は物心つく前からそう父から叩き込まされた。
戦乱絶えぬ今の世の中では、蹴散らしたとした敵国の星の数だけ武勲が与えられる。しかし、ブリューヌ国内では、弓に関してはその武勲が認められることはない。
例え、敵将という金星をどれだけ射落としたとしてもだ。
半ばまで歩いていくと、背後からもう一人の男が近づいてくる。そして、耳元でこう告げる。
「閣下。例の来賓が……」
「わかっている。スティード」
壮年に差し掛かろうとしている偉丈夫の彼に蓄えられているフルセットの髭が、僅かにぶれた。この微妙な変化に気付けるのは彼の腹心であるスティードだけだ。
微動だにしない主君の仕草が示す意味は、おそらく彼しか知り得ないだろう。
彼のフルセットの髭は、伝説上の霊獣「獅子王―レグヌス」を模して蓄えられたものだ。何者にも屈しない、不屈の象徴と勇気の究極なる姿は、彼の幼少時代からのあこがれだった。
気高い生き方、誇り高き眼差し。
いつしか彼の髭は他者を圧倒するシンボルのようなものになっていた。竜という名の来賓と、テナルディエという獅子王が今まさに相対しようとしている。
そんな畏怖の象徴が、僅かにぶれたのだ。
それほどまでに、今回の『取引・ネゴシエーション』は緊迫を内包している。
いざ、扉のノブを開けようと震えながら手を掛ける。豪胆ともとれるテナルディエ侯爵のらしからぬ様子だ。
そして、扉は開かれた。
『弓』における互いの交渉が、今始まろうとしていた。
「冷静に話し合える場が持ててうれしい限りだ」
「そのようですね。閣下」
どのような人物であれ、恐慌で知られる閣下の前では畏怖してしまうのが常なのだが、今、目の前にいる来賓は全くおびえる様子を見せない。それどころか、穏やかな物腰で言葉を反した。
艶のない金色の長髪、切込みのある怪しげな目元、高貴な出を思わせるような、それでいて派手とも取れない整った衣装で身を包んでいる。
そんな来賓の態度に、テナルディエ侯爵は一定の評価を敷いた。
両者は煩わしい自己紹介を終えて、とっとと本題に入った。
「弓の取引だと?」
「そうです。ぜひとも我が国の弓を提供したく……」「お引き取り願おう。そして二度とその姿を見せるな」
速攻で決裂した。むろん、来賓もまたそんな侯爵の態度も予想していた。
ブリューヌにおいては、近接戦闘が高く評価されている。遠離戦闘はなぜか疎遠する傾向にあった。
ならば――百聞は一見にしかず――来賓は一つ提案を出した。
「そこで、我が国の『弓』をかけて白兵戦を行いたいと思いますが、如何でしょうか?」
「戦……だと?」
「はい。我が国の弓をぜひ体感していただければ、貴殿のお考えも変わることかと」
「……何を企んでいる?」
侯爵は凄まじい形相で来賓を訪ねた。だが、その態度は一歩も下がらない。
「何も企んで等おりません。この対談もブリューヌの発展と繁栄を願っての事」
こうして、テナルディエ侯爵の概念を覆す戦いが幕を開けた。
【数日後・ブリューヌ国内・ディナント平原】
そして、互いの純粋な力比べをする日が訪れた。
テナルディエ侯爵率いる軍の総勢は2万。殆どが突貫及び突破を得意とする騎兵部隊だ。
対する例の来賓の軍の総勢は2千にも満たないという。敵軍は自軍のおよそ10分の1というその情報がテナルディエ軍に伝達した時、武勲を立てようとする者は躍起になり始めた。
このような単純な兵力の差において、先鋒以外に戦う機会が訪れる可能性は皆無に等しかったからだ。
正面衝突するなら、圧倒的にこちらが有利だ。誰もがそう認識していた。
我こそが先鋒を!武勲を狙って沸騰する!
――ただ一人、侯爵の腹心であるスティードを除いては――
「スティード殿は此度の戦には出られないのですかな?」
ある一人の部隊長が軽口をたたく。テナルディエ侯爵が有能と認めた人物であるものの、どこか物足りないと評されていた素性を知っている故に出た言葉なのだろう。だが、スティードの思考は別の所にあった。
「此度の戦はどこか気に喰わない」
「勝つ自信がないと?」
「我々は、何者かに操られている気がする」
「ご冗談を」
もう、これ以上誰の言葉も耳に入らないスティードであった。
太陽が南中高度を示す中、テナルディエ軍は信仰を開始したのであった。
対して敵陣の方は――――――
一人の兵士が何やら長い筒のようなもので遠くを見ている。
一定の戦場ラインを超えたあたりで、兵士は何かを空高く打ち上げた。打ち上げた機械の正体は、何やら弩のような引き金と、丸いつつが特徴的な武装だった。
空高く打ち上げられたモノは、何やらチカチカ光っているようだった。しかし、太陽に向かって進軍するテナルディエ軍が気付くことはなかった。
次の瞬間、この世の光景とは思えない修羅が、視界に広がった。
――大地!!震撼せし!!――
「ディナントの平原が噴火した!?」
「なんなんだこれは!?ぐあああああああ!!」
次々と「噴火」する大地!何が起こったかわからないまま分割されていく騎士の肉体!
中途半端に悲鳴を上げて絶命するのは地獄であることこの上ない!まだ何もわからないまま意識を遮断されたほうがいくらか楽になっただろう!
まさに阿鼻叫喚!
騎士の甲冑を!それも盾ごと打ち砕く!
炸裂の呪術を仕込んだ杖が、騎士の突撃を嘲笑う!
彼らの誇り高き突攻が届く前に、すでに勝敗は決していた!
敵は無傷!騎士は全滅!生存者など有り得ない!
時は半刻もたっていない!ただ、騎士はこれで引き下がらなかった。
――夜襲ならあるいは!――
今宵は満月。初戦の敗北を心に引き釣りながら、テナルディエは一人のローブを被った老人と話をしていた。
「上出来なものを連れてきたようだな。ドレガヴァク」
「時間を要した分だけ、質と量を高めた次第です」
「万が一という時を想定して正解だった。かの竜なら、食い殺すことも可能だろうな」
「それほどの敵なのですか?閣下」
「あのようなもの、戦ではない。いかなる呪術を使ったか知らないが、騎士の甲冑を貫くとしても、竜を貫くことなど出来ないはずだ」
地竜が7頭。飛竜が5頭。火竜が3頭。双頭竜が2頭。
竜は本来、人目につかないように住み分けする修正がある。それを鑑みれば、この竜軍団は大奮発といえよう。
そうしなければならない程、今のテナルディエ侯爵には余裕もないし、追い詰められているのだ。
この闇の衣に乗じて奇襲をかける。奴らは騎士を捕えることなどできず、撃破できるはず……と思われた。
竜を盾にするような陣形で前に進む。これは、前回の戦いで得た教訓をもとにしているためだ。
正体不明の鉛の玉に最大限警戒しなければならない。その為には、鉄よりも固いと言われる鱗をもつ竜を先行させなければならない。
――次の瞬間――
――突然、紅い光の砲弾が、流星のように降り注いだ!――
地竜、飛竜、火竜、双頭竜をことごとく貫く!
鉄よりも固い伝説の鱗が、羊皮紙のように引き裂かれていく!
火炎袋を貫通された火竜などは、自らの内部器官に引火して燃焼される!
特にひときわ獰猛で知られている双頭竜が瞬きする間もなく1匹、2匹と落とされていく!
絶命の断末魔も空しく、食物連鎖の頂点に立つ竜でさえ地に伏せる始末!
竜の群れが蹂躙される光景など、人間にしてみれば有り得ない光景だ!
人とは……竜とは……ヤツの言う『我が国の弓』の前ではかくも無力なのだろうか?
数十年の時をかけて培った武術、戦術、技術が等しく無価値に変えていく!
形容しがたい光景。人と馬と竜の躯が戦場に埋まるのは、それほど時間がかからなかった。
「……ふざけるな……」
そう力なくつぶやいたのは、テナルディエ侯爵だ。
「ふざけるな!!こんなものが『弓』であってたまるか!!!」
テナルディエ侯爵のその言葉は、ただ空しく戦場に響くばかりだった。今まで強者の立場でいた彼が、生まれて初めて「弱者」の立場になったのだ。
【明朝・ネメクタム・執務室内】
牙をもがれた獅子のように、テナルディエ侯爵の覇気はどこか弱々しかった。
無理もない。自軍はほぼ壊滅。対して相手は無傷という戦果に終われば、誰もが途方にくれるのだろう。
決着がついた次の日に対談が始まり、両者は再びまみえたのだ。
「……貴様の兵士が持っていた弓とやらは、一体どれくらいの距離を飛ぶのだ?」
「そうですね。最低の部類でも5百メートル……いや、こちらの単位では5百アルシンでしたね」
「遥か彼方だな。もはやどのような弓もとどかん」
率直な感想を侯爵は述べた。
「どうでしょうか?我が国の弓を――」
「……しばらく時間をもらいたい」
「私は『ハウスマン』と申します。以後、お見知りおきを――」
そういって、ハウスマンは彼の執務室を後にした。
一人残されたフェリックス=ア-ロン=テナルディエは、心の整理が出来ないまま、立ち尽くすままであった。
【???】
その日、ドレガヴァクは早々に屋敷を出立し、ある場所へ足を運んでいた。
「予想より早かったな。カヴァクなる使者がブリューヌに来ようとは……」
「急いできたよ。『銃』が近くまで来ているって聞いたから」
「着たかヴォジャノーイ。面白い事態だ。あのハウスマンがブリューヌに来ておったわ」
「ハァ「銃」に続いて珍客が絶えないね」
「さてヴォジャノーイ。お前に仕事を依頼したい」
「どこで何をすればいい?」
「アルサスだ」
中肉中背の若者は頭の中に地図を描く。平面上ではさほど遠くないのだが、実寸距離で考えればかなり遠く感じる。
「……シュッチョーか。かったるいなぁ」
どこか捨て鉢に答えるヴォジャノーイ。
「異界の言葉を使うでない。それで依頼の内容だが……」
――それから両者は、依頼の詳細を確認し終えていくと――
「さて、コシチェイはどう出るかな?」
奴も期待しているはずだ。
――カヴァクなる文明を踏み荒らす『獅子王―レグヌス』の存在を――
NEXT
第0話『るろうに戦姫~独立交易都市浪漫譚』
【数カ月前・独立交易都市ハウスマン・郊外調査騎士団詰所】
「あああ~~やっと西特区郊外偵察の報告書が終わった。えーとそれから、訓練に使った魔剣を清掃して武器庫へ……護送した列衆国の人たちの避難民用の糧食と衣料品を、救護十字騎士団から分けてもらって……
拠点防衛騎士団に
仮設住居申請だして……サマーシーズンなのにやること多すぎだろ」
独立交易都市3番街自衛騎士団改め、郊外調査騎士団第3偵察隊隊長の獅子王凱のそんな一言。
日頃の訓練よりデスクワークのほうが労力を要すると唱える獅子王凱は、市長から渡された仕事を淡々と残業をしていた。如何せん、凱のいた世界とは異なり、中世レベルの文明世界では当然パソコンなどありはしない。あれば筆を走らせる仕事などエク○ル、○ード、○ール、大量印刷の複合プリンタで即時終了なのだが……現代人としてこの差を感じるあたりは、交流電圧100Vのない世界でいささか苦労を感じざるを得なかった。
「まあいいや。今日はこれ位にして明日の早朝にやるとするか。飯食って寝るぞ」
即座に明日の行動予定を組み立てて、凱の脳内は仕事OFFモードに移行する。大事な仕事も山積みなのは事実だが、明日も明後日も続くので、体がつぶれては元も子もない。しっかり休むことも任務の一つだと割り切るのだった。ここで大きくあくびを一つ。
筆などの小道具を引き出しに戻そうとして、取手部の金具に手を掛けた時、唐突な違和感を察した。
木製の引き出しがカタカタと震えている。まるで、小動物が引き出しの内部で暴れているかのようだ。
<エザンディスの調子がおかしい?何か引っかかりを感じますが……>
不気味だ。引き出しの中からぶつぶつ声が聞こえる。きっと残業が齎した疲れのせいだと決めつける。
<どうしてこんなところに出口がひらいたのでしょうか?緑色の不思議な波動に導かれて……>
などと聞こえてくる。
「どうしてだって?そんなの俺が聞きたいぜ」
ハタから見れば単なるひとりごとに見える。ゴクリと固いつばを呑む。冷や汗が1滴だけ頬を伝う。
「おいおい、まさか人が入ってるんじゃないだろうな」
居残り青年は、恐る恐る引き出しの取手に手を掛けようとする。
「なんだ!?引き出しの隙間から、急に光が!!」
濃い紫の光が、薄暗い事務室の天井を照らし出す。
何かが、起きようとしている。引き出しがひとりでに勝手に開く。
一人の可憐な女性が、某タイムマシンの如く凱の机の引き出しからひょっこり頭を突き出してきた。
「あら、ここはどこでしょうか?」
がたんと椅子から転がり落ちた凱。口をパクパクさせながら目の前の女性に指をさす。
「ななななななんだ!?俺の机の引出からいきなり出てきやがって!ド○○○○か!お前は!」

未来の世界のネコ型ロボットと同等の登場シーンに、凱は容赦なくツッコミを叩き込む。しかし、青みがかった長髪の女性はしれっとした態度で、周りを見渡していた。
肩に背負った大鎌に視線が行く。漆黒を基本として、真紅のライン入りの彼女の大鎌は、凱の仲間「竜シリーズ―闇竜」を思わせるものだった。
「おかしいですわね。「竜技-
虚空回廊」の出口がこんなところにでてしまうなんて……もし?ここはどこかご存知でしょうか?」
その辺の野良猫を見るような視線で、女性は凱を訪ねた。よくわからないがとりあえず答えてあげた。
「
独立交易都市だよ。そういうお前は一体どこの誰で何しに来たんだよ?」
「私はオステローデ公国から参りました、ヴァレンティナと申します。あなたは?」
名乗る気はさらさらないもの、凱は目の前の女性に溜息をついて質問に答えた。
「獅子王凱だ。今日は美女の電撃来客だな。望んでもいねぇのに」
などと、飛○○剣○のお師匠様みたいなことを言ってみる。
「シシオウ……ガイ?随分と変わった名前ですわね」
――そう、ここが独立交易都市なのですか――
彼女は懐かしそうな、印象を残す笑みを浮かべていた。そんな彼女を見て、思い出したようにように凱は語りかける。
「オステローデ?もしかしてジスタートにある7つの公国の一つか?」
オステローデ。その単語は、初代ハウスマンが残した資料の中に見つけた事がある。遥か大陸の西に、自称黒竜の化身を基として建国したのだとかうんぬんかんぬん――
地上の概念図たる世界地図を完成させた唯一の人物であり、狂える天才であり、竜具を用いた種別ごとの竜殺法を完成させた偉人であり、定められた世界の真実に近づいた人物である。
まさか、凱の新たな郊外調査先の人間がやってくるなんて思いもしなかった。ましてや凱の調べたかったジスタートの人間?なのだから。
「あら、オステローデをご存知なのですか?これは驚きましたわ」
「この地図を見てくれ」
黒髪の美女の疑問に答えるべく、凱は透明デスクマットの中に敷いている大陸地図をトントン指さした。
第二次代理契約戦争戦時中は、大陸法委員会の法権に従い、勢力均衡を維持する目的から、地図自体の発行を全面禁止していたのである。
ちょうど数カ月経過して戦争が終結した。その時である。
――突然として大陸地図発行の解禁が発布されたのは――
戦争の爪痕を復興する最中、新大陸の地平線からの略奪者……つまり、海賊が強襲したのである。
海賊との交戦結果、敵は今だ我々が得たことのない武装、技術、概念を用いていたという事が判明した。何十隻という船を従えて、その中には軍船の常識を転覆させる『黒船』が1隻紛れていた。
あらゆる科学技術を持ち込んできた敵を倒すには、獅子王凱の存在が必要不可欠だった。
諸外国の強大な文明力によって、帝国、軍国、列州国もろとも、やがては植民地として飲み込んでしまう。向こうの世界の経済の一部に組み込まれてしまう事だけは、何としてでも阻止しなければならない。対策を講じる必要があると告げたヒューゴー=ハウスマンは、精力的に次世代へ改革に取り組んだ。
――それはさながら、日本幕末動乱期から明治維新に切り替わるように――
ヴァレンティナは僅かに目を見張った。
彼女自身は幼少のころ、書物に囲まれて本に親しんでいた時期がある。断片的にしか知り得ていないが、ヴァレンティナはその時独立交易都市の存在を知ったのだ。
民主制の独立交易都市は、彼女にとって魅力的な要素のカタマリに見えたのだ。
市民平等・三権分立・民主主義・高度経済・資本主義――
そして、目の前の青年はオステローデを知っている。このめぐり合わせは数奇なものを、ヴァレンティナは凱に感じ取っていた。
「ここがさっき君が言っていたオステローデ。ジスタートの首都、もとい王都シレジアはもう少し南西のほうかな?そんでもって俺達が今いるのがここ、独立交易都市ハウスマンだ」
「東の方はこのようになっているのですね」
極精密に描かれたヴァレンティナは感嘆の溜息をついた。未開の地の姿を見れたのは、大きな収穫といえよう。
オステローデとルヴーシュは大体正確な位置を示していたものの、他の国や都市はかなり大雑把に記されていた。そこには何やら小さい紙切れで簡単に張られている。カクカクした字で『調査中』と書いてあるが、その文字は日本語である為、ヴァレンティナに読めるはずがなかった。
「この山脈を抜ければ、東の地に行けるようですが……」
ヴァレンティナの興味を示したその指先は、軍国の西側にたたずむ山脈を示していた。独立交易都市から航路をなぞるようにして、オステローデを指し示す。
「そいつは無理だ。まるで成層圏を突き抜けるような標高だぜ。普通の人間が挑戦したら間違いなく途中下車してしまう」
「セイソウケン?」
「大陸と大空の間にある気流帯域の事だよ。並みの山脈よりも酸素は薄いし気温も低い。何より宇宙空間に限りなく接するから有害物質や放射線も降り注いでいる。ここまでの気圧差が生じてしまえば、水分の
塊である人間の身体じゃすぐ沸騰しちまう」
「ウチュウ?」「おっと、いつもの調子で喋りすぎまったな」元宇宙飛行士の青年は途中で説明を中断する。ついヒューゴーやハンニバルに郊外調査を報告するのと同じクセで説明していた。
次々と聞いたことのない単語――この男に少し興味がわいてきましたわ。
わたくしの知らない世界が、ここにあるのですね。
好奇心旺盛な笑みが彼女の口元に浮かぶ。その笑みはどこか悪だくみを企んでいるように見える。
それから凱はイスに大きく背中へ寄りかかり、目の前の女性に告げる。
「まぁ……ジスタートの事は、実は書物に目を通しただけなんだけどな。この場に俺しかいないから良かったものの、他の人に見られたら捕まっちまうぞ。面倒に巻き込まれる前にさっさと帰りな。しっしっ」
自らの引き出しに視線を移し、凱は早く面倒ごとを片付けたいような仕草でヴァレンティナに手を振った。さっき凱を野良猫として見たことに対するささやかな抵抗なのだろう。
「いやです」
「何ですと?」
艶めかしい足を少し崩してヴァレンティナは凱のお願いを拒絶した。
「だって私、疲れてしまいました。一晩この町に泊めて下さるかしら?」
疲れたといいながらも、その表情はどこか輝いている。わざとらしい彼女の仕草に、凱は正直面倒臭くなってきたと思った。
「俺の仕事をふやすんじゃない。わがままを言うとお兄さん許しませんよ。とっとと引き出しに戻れ」
図々しいことこの上ない話である。
凱は困り果ててしまった。仕事が増えてしまったからである。しかし、放っておくこともできない。
こまったな。泊まる場所はおそらく独立交易都市の生活労働組合で確保できるだろう。食事は適当に済ませるか。
(言う事を聞きそうにないから、とりあえずかまってやるか。あんまり騒がれてもこまるし)
妙なことに巻き込まれたなと愚痴をこぼしつつ、凱とヴァレンティナは3番街にある「食」の大通りへ繰り出していった。
――そして「食」の大通り――
「もう夜遅いってのに、ここはまだにぎわっているなぁ」
大小の祈祷契約式玉鋼が織りなすイルミネーション。「音声警報式玉鋼」を応用した「舞台音響式玉鋼」が繰り広げる愉快な音楽。
食欲を刺激する誘惑な「香辛料焼肉」が疲れた体に生気を吹き込み、食の大通りは客足をうまいこと誘導する技術に長けている。
そんな活気あふれたな雰囲気に、ヴァレンティナの目は釘付けになっていた。一つの不満を除いては――
「それにしても解せないですわ。どうしてこんなものをこの子に巻かなければいけないのですか?」
「我慢してくれ。廃刃令といってこっちじゃ騎士団以外の帯刃は禁止されているんだ。むしろ公務役所の保管倉庫に置いて言ってほしいくらいだぜ」
「エザンディス……拗ねてなければいいのですが……」
案の定、長布に包まれた彼女の大鎌がブルブルと空間をゆがませた。それはさながら不満をぶちまけるように――
実際、彼女自身はこの愛鎌を一時的に手放してもかまわないと思っている。なぜなら、持ち主の意志でいつでも手元に呼び寄せることが出来るから。しかし、それをすると、ただでさえ気の難しいエザンディスがさらにへそ?を曲げてしまうかもしれない。エザンディスも一緒に連れていってほしいのだろう。
「そいつはエザンディスというのか。まるで意志があるみたいだな」
「ええ、あなたのおっしゃる通りですわ」
ヴァレンティナの意味深な台詞に、凱は頭の中でふと人物を思い浮かべた。
アリアみたいに神剣から人の姿になったりするのかな?
神剣アリア。第二次代理契約戦争の最中、右曲余折を得て魔剣から「逆刃直刀の神剣」として生まれ変わった。
ブレア火山の御神刀としてまつわられていたバジル=エインズワース最後の一振り「逆刃刀-極打ち」と共に再鍛錬された。未知の物質『隕鉄』を含む唯一の刀である。
彼の一振りに混合されていた隕鉄が、失われた魔剣としての力を取り戻すことに成功する。神剣の勇者「セシリー=キャンベル」とは死線を乗り越えてきた大切な絆で結ばれており、現在も共に風の未来へ走り続けている。
「……あまり驚かれないのですね」
「まぁ、実際に人の姿から剣に変化するのだって見たことあるし、君の大鎌に意志があっても不思議じゃないさ」
「人の姿から剣に?にわか信じがたいですわ」
当初の凱も、彼女と同じ感想を抱いたものだ。なまじ人から剣へ、剣から人へ変化するなど、漫画やアニメの中の出来事だと思っていた。
「それにしても、喉が渇きましたわね。何か適当なお酒はありますでしょうか」
「
酒類飲みたいのか?しゃーねーな。じゃああそこにするか」
適当に捕まえた居酒屋風味の露店で、凱とヴァレンティナはビアガーデンに腰を掛けた。すると、見知った顔の女性が凱にオーダーを求めてくる。
「おかえりなさーい!シシオウの旦那」
「チュース!」
軽く手を振って、凱は付き合いに比例した親しみを振りまいていく。
「シシオウのアニキ!」
それから、凱を知るそれらの傭兵や亜人、若い娘や年老いた民間人等、女給から出迎えのあいさつが飛ぶ。対して凱も、軽くうぃーっすと仕草を返す。
随分と彼―ガイは慕われているのね。ヴァレンティナは凱にそのような印象を抱いた。
「カシスオレンジ2つ頼むよ」「はーい♪」
「なんですのこれ?
果汁水のようですけれども?葡萄酒」
「酒が飲みたいって言っていたじゃないか。そいつはそんなにアルコール強くないから飲みやすいしな」
トロピカルなオレンジにヴァレンティナは興味を抱く。喉が渇いているのは事実なので、とりあえず飲んでみた。
ゴクゴク。ぷはー。失敬。下品な仕草をお見せしました。あまりの美味しさについ気が緩んでしまった。
水のような流動性がないものの、不快な飲料感は全くない。それどころか、独特な喉越しが彼女をクセにさせるのだ。
どうやら彼女の口にあってよかった。
これは元々『黒船』の海賊が持ち込んできた飲み物である。凱の故郷にも似たような飲み物があるから量産することが出来たのだ。
「ひんやりしていておいしいですね。お酒というより果物飲水に近いのかしら?でも……」
今まで味わったことのない飲料感に、思わず感想が口走ってしまった。飲む○―○ルトみたいなものである。
「これが品書(メニュ―)になるけど、そろそろ何か頼むか」
「そうですね」
「これと、これと……これをお願いします」「あいよ!」
お品書きの項目を数行さして、ヴァレンティナは品物をオーダーした。独立交易都市の文字は読めない人でも、食品絵をメニューの横に添えるようにしてある為、誰でも悩まず選べるようになっている。
そして彼女が選んだのは、「アツアゲタマゴヤキ」「ナンコツカラアゲ」「エダマメ」等、片手にビールが合いそうなものばかりだった。興味本位からビールも注文した。このメニューも黒船からの遺産である。
おいおい、なんだか金曜日お疲れ様セットになっちまったけど、それが食べたいならまあいいか。
そもそも、目の前の女性は図々しい程の電撃来客である。凱にとって、あまり気を遣う必要はないと判断したのだろう。まあ、自分からほしいものを頼んでるから、これ位の付き合いが丁度いいのかもしれない。
やがて注文した品が届き、酒をお互いのみかわし、ある程度胃袋が落ち着いてきたところで話題を上げた。
何から聞いたらいいかよくわかなかったが、とりあえず大鎌のことについて聞いてみた。
「そいつはすごい大鎌だな。いつもそれを持ち歩いているのか?」
「ええ、身分証明みたいなものですから」
「身分証明か。そういや国王に次ぐ権限を持つ戦姫様だったな。やっと思い出してきたぜ。竜から与えられた戦姫専用の武具があるってことを」
「そうです。その戦姫だと知っていて、あなたは随分と態度が適当ですわね」
「あえてそこは親しいといってくれ。俺は誰に対しても同じ態度で接するのさ。そもそも独立交易都市じゃ貴族制度は数年前から廃止されちまって、今は四民平等を歌う市民制が敷かれてるんだ。市民の中にも滅亡した王国の末裔が流れ着いたり、元海賊がお役人になったりしている」
「そうなのですか?」
「騎士も貴族も平民も奴隷も関係ない。全てにおいて皆平等と唱えた革命家がいたんだ。でもジスタートには王様がいるから王制が敷かれているんだったな。」
日本で言い換えれば、国王は天皇陛下か内閣府に相当し、公国は都道府県に、戦姫様はさしずめ知事と言ったところ。
「そういえば、どうしてあなたはオステローデ……いえ、ジスタートを知っているのですか?」
「ああ、あの時の事か。さっきも言ったが、書物で見ただけなんだ。名前を知っているだけで詳しいことは何も……」
そこで凱は言葉を切らし、布に包まって不機嫌そうに空間湾曲させているエザンディスに視線を移す。大鎌というのもあるが、どうも漆黒と真紅の絵模様に視線が言ってしまう。
「竜具――エザンディスか……どうしてだろうな。その名を聞いたとき、あいつ……懐かしい感じがしたよ」
「懐かしい?もしかしてお仲間とかいるのですか?」
ヴァレンティナは首をかしげる。凱はその言葉を肯定するように、首を縦に振る。
「そう。闇竜っていってな。俺と一緒に戦ってくれた仲間だ」
「一つ聞きますが、あなたの記憶に呼び覚まされるほど、エザンディスと……その『アンリュウ』というのは似ているのですか?」
「そうさ。共に戦った大事な仲間さ」
何処か感慨深く、凱はつぶやいた。
それから、凱とヴァレンティナは適当に何かをつまみ、飲み、会話にふけっていた。
「飯くっちまおうぜ。そんで今日はとっとと就寝だ」
「この都市は『夜のない繁華街』と耳にはさんだのですが……どこか連れて行ってくださいませんの?」
「却下」
「即答ですわね。つまらないです」
「あいにく俺はデリカシーないんでね」
「ウソつきですね。あなたは」
「何がだよ?」
「別に?」
「でも、そんなあなたの無骨な優しさは気に入りましたわ」
「言っとくけど、俺は……」
「『優しくしているつもりはない』って言いたいのですね。分かっています」
「顔を赤くして嬉しそうな顔するなって。誤解されちまうじゃねぇか」
なんて、どうでもいい応酬が囁かれていた。
彼女の身分にとらわれず、凱は自分自身の事を、出来る限りの範囲内で話した。
遠い、遠い東の国、ヤーファ国というところから来たという事。(もちろん、凱のハッタリである)
美味しい料理に舌鼓を撃ちながら、談話にのめりこんでいく。
誰にでも心を通させる親和性の高い人柄。
丁度いい酔い加減がヴァレンティナを包み込んできた。自然に頬が緩んでしまう。
――うふふ、なんだかいい気分です♪――
ヴァレンティナは片腕を頬杖してニコニコする。傍らには凱がいる。
――シシオウ=ガイ。姓と名が入れ替わった名前の殿方――
国が違う為なのか、姓―名という順番は、大陸ではまずない。シシオウという独特の発音も印象に残る。
――どこか不思議な雰囲気と、何か惹かれるところがある――
この人は、たまに冴えないナリと、どこか決まった仕草を魅せる。
――今まで出会った男とは何もかもが違う――
などと気分を弾ませていると、凱にほとほとにしとけと諭される。
「おいおい、ヴァレンティナ。もう酒はそれぐらいにしてくれ。酔いつぶれても俺は知らねーぞ」
普段より楽しい気分だからこそ、酔いも早く回りやすい。普段の彼女なら、アルコールの強い火酒でもこうは酔いつぶれそうになったりしない。
「い~や~で~す。優しくしてくださいまし」
両足を子供みたいに地団太踏み、凱にとことん甘えて見せる。対して凱は目線を細めて軽く溜息をつく。
(なんだかヴァレンティナの喋り方が崩れてきたぞ。これ以上キャラが崩れる前に撤収するか)
「そろそろ宿舎へ戻るぞ。今日一泊したら朝イチでジスタートに帰れ」
下手をすれば舌が回らなくなる前に、彼女を引き上げる……のだが。
「いやです!明日も付き合ってください!」
猛烈に抗議された。明日に帰れといったら、明日も滞在すると言い出す始末。
「またかよ!しかも逆に俺が怒られた!」
こいつはかなり酔いが来ているな。しっかりしろよ。ヴァレンティナ。
「それと、私の事はティナと呼びなさい。今度から他人行儀みたいな呼び方したら口を聞いてあげません」
結局、ヴァレンティナ=グリンカ=エステスは翌日も凱に付き合うことにした。
【独立交易都市・3番街の「娯」の大通り】
独立交易都市には、いくつかの区分けと大通りがある。
昨日の夜、ティナと凱が訪れたのが「食」の大通り。
今日の朝、例の戦機様と訪れているのが「娯」の大通りである。
その名の通り、娯楽施設が網羅しており、とある観光客などは「1日いても飽きない」と言わせるほどのエンターテイメント性をもつ。
これも例にもれず海賊『黒船』からもたらされた文化を取り入れている。海賊船の船底に巨大な「カジノ」なるものが設営されていたのだ。
手ごろなゲームで時間をつぶして、何とか彼女をオステローデに帰らせようと考えていると――
「これは何ですの?」
興味深そうに、彼女は対象物を指さした。
「射的ゲームか。ちょっと寄ってみようぜ」
的の絵柄が書かれている施設へ二人は入っていく。
「あれ、何ですか?なにやら薄い板のようですけど」
質問したティナに店員が誇らしげに商品説明をする。
「多目的通信用玉鋼か――なかなかお目が高いですね。これは独立交易都市が誇る最新の通話器具です」
もともとは、軍国出身の「ユーイン=ベンジャミン」が考案した音声警報の玉鋼である。霊体を通信網、つまり周波数と考えて、遠距離通話を実現させたものだ。
このベースとなった音声玉鋼を介したセシリーの告白は、今では都市の歴史の一部となっている。
通信速度が飛躍的に上昇した為、ヒューゴーの市民演説や独立交易都市の災害時避難誘導、緊急放送が可能になったのである。
今回、彼女がほしがっているものというのは、凱の故郷でいう「○マートフォ○」に酷似したものだ。
「ちょっと使わせてくれないか?」「かしこまりました」
展示用の多目的玉鋼を使わせてもらった。
ヴァレンティナは、例の商品を使ってみて、感涙の声を吐いた。その軽さ、その画面、音声、指をこすると次々とページが切り替わる機能に夢中になった。
理解できない文字ではあるが、浮かび上がる文字も絵も、綺麗としか言いようがない。
音が鳴った。どうやら基本設定で入力されている音楽のようだった。雑音のない音楽は、彼女の耳を楽しく反応させた。
絵が浮かび上がってきた。どこかの湖なのだろうか。本物の湖と遜色ない絵が浮かび出てきた。
滑らかに躍動する小さな絵本の世界は、ティナに大きな感動を与えたのだった。
「これほしいですわ!」
目をキラキラさせながら、ティナは迷いなく商品目当てでスペシャルハードコースを選択した。
まるで子供の用にはしゃぐヴァレンティナをみて、凱はなんだか自分の事の世に、嬉しさを感じていた。
戦姫の威厳などとうに失せていた。
早速、ゲームが始まった。
――✚――✚――✚――
「弓どころか、弩がないのですが、どうやってするのですか?あんな100アルシン離れている的に当てるなんて無理です」
ちなみにアルシンというのは、おそらく彼女の国の物理単位(距離)なのだろう。
ここから的までは実際100メートルに設定しているから、アルシンとメートルはほぼ一緒。
「これを使ってやるんだ」
「何ですか?これ」
「
銃といってな。そこは弾倉といって、中に緩衝性の弾丸が詰まっている。これなら誤射しても人体に危険はない」
ティナは、的当て用の弾をひとつつまんでみた。石粒よりも小さく、木の弾のよりも軽く、それでいて固い素材に関心を向けていた。一体どのような素材でできているのだろう――と。
おもちゃ程度の射的で、この程度の弾で本当に50アルシンとぶのか?なんだが途中で失速してしまうのではないか。という不安が頭によぎる。
「私、ジュウなんて聞いたこともありませんし、こんなもの初めて見ましたわ。どうやって使えば宜しいのですか?」
「ああ、今教えるから」
「この筒を覗き込むと黒い十字線が見えるだろ?的を十字の中に収めるようにして構えるんだ。視界がぼやけたら、ここでピントとフォーカスを調整する。すると視界がはっきり見えてくるはずだ」
「それなら簡単ですね。ただ的をしるしに収めて放てばよろしいのでしょう?」
もはや買ったも同然の顔をするティナを見て、凱は面白そうに嘆息をつく。
「そううまくいけばいいけどな……ちなみに覗き込むときは利き目でな」
「こうですか?」
片目を閉じて片目で見る。妙な違和感が彼女の両目を疲労させる。
「なんだか違和感がありますね。目が疲れてきました。弓を使ったときはこんなことなかったのに……」
「弓は的のみを見て、弓弦の引き具合と肩で射角を取るからな。この銃の場合は照準器が片目だけだから、多少は慣れが必要だ」
不慣れながらもヴァレンティナは心を躍らせながら、ライフルの引き金をゆっくり引いた。
カチッ。
1発目――発射。
ヴァレンティナは、
狙撃銃の射程距離に鳩が豆鉄砲を喰らったような眼になった。
引き金を引いた瞬間、体全体がはじけるような錯覚に襲われた。彼女にとってそれは、まさしく未知の体験だった。
思わずごくりと、固唾を呑む。それと同時に妙な高揚感が沸き上がってきた。
「おもちゃだと思って侮っていました。次は外しません!」
おっ。気合満々だな。
弾を
再装填し、次弾に備える。
2発目――発射。
「おしい!あとちょっとだったのに!」
引き金を引くとき、銃全体を揺すってしまった。距離がここまではなれていると、針の穴程度のズレでも大きく影響してしまう。
凱は両手を頭に添えて、本気で悔しがる。狙撃手のティナも「あうう~」と悔しがっていた。
これが最後の3発目。緊張が走る。
ドキドキする鼓動を身に感じ、彼女は数珠のようにつぶやき、ルーティーン状態へ陥った。
「目標をセンターに入れてスイッチ……目標をセンターに入れてスイッチ……目標をセンターに入れてスイッチ」
どこかで聞いたことのある台詞だな。ありゃ。
青ざめた顔をしながら目をグルグル文字通り回している。こんな状態ではまともに的に当たるはずがない。
凱の見たところ、ティナの狙撃では特に狙いも悪くない。引き金を引くタイミングもあっている。しかし、最後の1発という思考が彼女の精神状態を阻害している。
凱は少し助け舟を出すことにした。
ティナの体に寄り添う形で銃の姿勢を補正する。引き金のタイミングを伝える。頬を引き付けるように。コトリと堕ちるように。
若干ティナは顔を赤らめたが、寄り添った本人の凱は気にした様子を見せない。
凱から勇者成分という元気の素をもらった以上、外すわけにはいかない!
嘆願に近い気持ちで、心の引き金を引いた。
「ティナ……おい!ティナ!聞こえてっか!?」
遥か彼方先の標的が、ポトリと台から落ちた。音声用の玉鋼と映像投影用の玉鋼を複合させた特殊設備で確認できた。
ヴァレンティナの健闘を称えるように、特殊照明用の玉鋼がキラキラ点滅する。
「え?どうしました?これは一体?」
「やったな!ティナ!大当たりだぜ!」
突然の出来事にヴァレンティナは戸惑いを見せたものの、凱のエールによって喜びを見せた。
「当たったのですの?夢ではありませんか?」
「夢なわけがあるかよ。嬉しさのあまり、とうとう現実との区別がつかなくなっちまったのか?」
景品を受け取った後も、ティナの興奮はなかなか収まることがなかった。
――◆――
店の外に出ても、やはり興奮が収まらない。微かな高揚感が彼女を年頃の娘さんモードにさせる。
丁寧に包装されている箱を封切る。やっとお目当ての景品が手に入った。
「何か記念を残したいですわ」
「じゃあ
景品で写真を撮影してみるか」
「シャシン?なんですの?それ」
「風景や人物を絵に残したり羊用紙に移すことを言うんだ。まぁ、細かいことは実際に撮ってみてからだ。ほら、ティナ。君の声でこいつを起動させてみな」
本人の音声認識で特殊玉鋼は起動する。ティナの透き通った肉声を一度覚えたら、その玉鋼はティナ専用のものとなるのだ。
期待に胸を躍らている中でも、玉鋼は綺麗な画面を演出する。
撮影用機能を立ち上げて――玉鋼を掲げて凱はティナに光を向けた。
カシャッ。唐突にそんな音が聞こえた。
再び極薄板の玉鋼を除くと、そこには凱とヴァレンティナがしっかりと映し出されていた。
「ハラ○○ー!」「ぶっ!!」
思わずフいちまった。
以前知り合ったスクールアイドルのセリフだぜ!なんでロシア語を知ってるんだ!?偶然か!?
だがこの程度で驚くのはまだ早い!凱はさらに隠し玉を疲労する!
「それだけじゃない!ティナの顔をこうしてやる!!」
ティナの玉鋼をを取り上げると凱の指先が妖しく踊る。お絵かき用の
機能を立ち上げていたずらする!
「ああ!やめて!やめてやめてやめてやめてやめてやめて!」
顔がいじられる!ヴァレンティナは凱の背中をポカポカたたいて講義する。
それだけじゃない。着せ替え機能を立ち上げて、ティナにメイド服やらチャイナドレスやらチアガールやらを着せた。
もちろん、『名前を付けて保存』だ。ファッショナブルなティナをフォルダでタグ分けして整理整頓だ。
「あはははは!こいつはおもしれーや!我ながら傑作だぜ!」
「ひどい!」
大手お菓子メーカーのペロちゃんのように、ぺろっと舌を伸ばしているヴァレンティナの顔がそこにあった。
「さてと、おふざけはこれ位にしておいて……俺のと登録しあおうぜ」
「トウロク……ですか?」
「俺の玉鋼とティナの玉鋼を互いに登録すれば、いつでもお話できるんだぜ。それだけじゃない。絵や文章だって送ることが出来る」
当然ながらジスタートの言語パッチもとい、祈祷言語はまだ作られていない為、しばらくは独立交易都市の語源に準ずるしかない。
それでも彼女はかまわないといった。そちらの言葉を私が覚えればいいだけの事と言ってくれた。
それから二人は勢いのまま遊びつくして、いつしか夕日を迎えていた。
――そして、別れの時が訪れようとしていた――
彼女の竜具エザンディスが相手先の空間を斬り裂き、帰国への旅路を作り上げていた。まるでタイ○マシ○の出口のようだ。
「ガイ。いつかオステローデにいらしてくださいね。公国を上げて歓迎いたしますわ。それとも、私からお伺いしたほうがよろしいでしょうか?」
「来てくれるのは歓迎するけど、今回みたいに引き出しから現れるのだけは勘弁してくれ。心臓に悪い」
そんな出会いの事をお互いに思い出し、くすりと笑っていた。
「まぁ、郊外調査騎士団としてそっちに行く予定だから、俺のほうから行かせてもらうさ」
「ええその時は楽しみにしております」
やがてティナはエザンディスの作り出した空間を通り抜け、自国へと帰路していく。
「オステローデ公国の戦姫、ヴァナディース、ヴァレンティナ=グリンカ=エステスか」
この調子ではおそらく、残りの6人の戦姫とも関わることになりそうだ。通わせることになるのは言葉か竜具かは分からないが。
――それでも――
凱は確信を持てた。
「ティナのおかげで現実味がわいてきたぜ。ジスタートの、いや!魔弾の王と戦姫が!」
そんな昔のことを夢の中でぬかしていて、凱の意識は朝日と共に現実へ復帰していく。
獅子王凱は目覚めた。
【登場人物紹介:フェリックス=アーロン=テナルディエ】
前書き
※物語の進行に合わせて、随時修正します。
フェリックス=アーロン=テナルディエ
作中「ブリューヌ内乱編」における最大の敵であり、獅子王凱を最も苦しめた敵の一人。
彼の生い立ちを記した外伝「魔弾の王と戦姫~獅子と黒竜の輪廻曲:第零楽章~獅子王の系譜~」では主人公を務める。
アンリミテッドの一人。
※人物像
ブリューヌ王政府支配と、大陸全土の支配を目論むテナルディエ家の指導者。爵位は侯爵。42歳。200cm。弱者を嫌悪する苛烈な性格をしており、強者のみが生きる優者必勝社会を志向している。極端なまでの実力主義。
凱とは直接の面識はなく、アルサスでの邂逅が二人の初対面となる。剣の腕は幼少時より鍛錬を欠かさずおこなっていた為,一戦こそ引いたものの、エレンと互角の剣の腕を持つ。頭の切れは賢王と称されたファーロン以上。かつて腹違いの兄弟に何度も殺されそうになったが、本人は「いい経験値になった」程度にしか考えておらず、差し向けた張本人の父や、自身の生い立ちは恨んでおらず、ブリューヌ掌握に対するいい肥やしとなったと言っている。(兄と慕い、信じていれば裏切られる。弟と許し、油断すれば殺される。父に殺られる前に殺れと自分に語り掛けた)
ブリューヌにおいて初代ハウスマンと初めて邂逅した人物でもあり、銃や近代兵器といった諸外国の脅威を知ることとなる。それ以来、弓という認識をとティグルへの惰弱の先入観を改めるようになる。
大陸外の列州国が、いつかブリューヌを植民地化してしまうという危機感を抱いており、伝統としきたりで国力を弱めていた王政府を激しく嫌悪している。(例として、女子しか産めない王妃は侮蔑される風潮)祖国であるブリューヌへの想いは誰よりも強いが、それが彼を誤った道へ導いてしまう。
ガヌロンとは険悪の中だが、「弱肉強食」という唯一絶対の正義を共有しており、その証拠として、レギンをディナントの戦場で暗殺を共謀している。(実際は、レギンを千尋の谷に突き落とす為だと分かり、少なからずレギンの潜在性は認めていたようである。これは後述する彼の才能『神眼』の片鱗である)
自分と比肩するほどの力と知恵を有する凱の「力弱くても、今を懸命に生きる者達の糧となる」理を理解できず、頂点に立ち続ける孤独を癒すことはできなかった。(この時、凱にブリューヌを掌握する正義を吐露するも、否定された)
配下達には「ブリューヌに真の自由と平和を創造する」と声明しており、非道な政策を関わらず、熱狂的な支持を受けている。
上記の通り、弱者には容赦しないが、ロランのような強者やボードワンのような能力に秀でている者には率直に評価する一面もあり、たとえ弱者であっても、敵味方を問わず、見どころのある者には敬意を表し、取引に応じる一面も持っている。(実際にアルサスを掌握した時は、侍女に過ぎないティッタがテナルディエに怒鳴りつけたことがきっかけとなり、これがアルサス撤退への口火となる。その際テナルディエは『ヴォルンはいい侍女を持ったな』といい、ティグルに対して若干の羨望を抱いていた)
ザイアンだけが苛烈対象外でありながら、己の立場と息子の苦悩を天秤にかけていたことは、少なからず怨悔の念を抱いていた。息子を一人前に育てる事が出来なかったのは、私の不徳と、一人の父親としての素顔を覗かせていた。
不屈と百獣の王、獅子王に憧れを抱いており、彼のフルセットの髭はこれになぞられて生やされている。
かつてガヌロンと対峙した時、彼の正体を魔物と知って「このような私はやはり魔物なのか」という問いに対し、「正常だ」と即答した。これは、テナルディエの行動理念である「人と人以外を区別するものは心」と謳っており、「今の貴様を見ても、私を嫌悪する心がある以上、まぎれもない『マクシミリアン=ベンヌッサ=ガヌロン』だ。例え人間であろうとも、暴力にさげすまれ、心を弱くした人間は人間ではない」と告げている。ガヌロンとは相容れぬ理念と信念を持ちながらも、妙に気が合い、やがて『弱肉強食』という正義を共有することとなった。(凱も「人と人以外を区別するものは心」というが、テナルディエの場合、同じ言葉でも違う価値観と正義を持っていたことになる)
凱とガヌロンの関係はどこか気付いたそぶりがあるようで、両者を『弱者を喰らうガヌロンの行為は自然純太』であるが、『弱者の糧となる凱の行動は自然破壊』と評価している。
※作中の動向(ブリューヌ内乱編)
バーバ・ヤガーの神殿で凱とシーグフリードの死闘を仲裁したヴィクトールから、「テナルディエはメレヴィルの戦いで生きていた」と語られ、初めて彼の素性を知ることとなる。
燃える水を確保するべく逗留していたセレスタの町で初めて凱やシーグフリードと邂逅するが、命を刈らない、牙の抜け落ちた凱の実力に興醒めし、ノアに現場を任せ、自身はネメタクムへ帰領する。
東の大陸から流れ着いたノアやホレーショーをはじめとした、修羅さながらに生き抜いた猛者を次々と配下にしていき、テナルディエ特殊作戦部隊「七戦騎」を構成する。
中核をなすティグル、エレン、ミラ、を捕縛し、銀の流星軍壊滅後は、王政府に対して叛逆決起を起こし、近隣諸侯の領地を次々と掌握していく。
ブリューヌ掌握に目途をつけて、ルテティア炎上を隠れ蓑にして、アルテシウム領のディエップ港街に向かい、長年の月日をかけて秘密裏に建造した黒獅子帝でレグニーツァ・ルヴーシュへの直接侵攻を画策。(アルサスを抑えていたのは、ジスタートへの二方面作戦の為)しかし、ソフィーからの事前情報でこれを察知した凱達に阻止され、黒獅子帝撃沈とルテティア大火阻止という痛手を受けることとなる。これにより、テナルディエは凱達の完全排除を決意し、自身の主要都市の決闘施設『フェリックス・ボレール』においてブリューヌの頂上決戦に臨む。
自身が血の病に侵されているにも関わらず、相手は満身創痍とはいえ、凱、シーグフリード、フィグネリアを立て続けに戦い戦闘不能に追い込む。遅れて参じたロランのデュランダルでさえも軽くさばいてしまう。
やがて限界を超え、勇気の力を取り戻し、復活した凱との再戦でも優勢に立つも、一瞬のスキを突かれ、銀閃殺法の竜技7連撃を直撃するも一撃を返し、直後に大気ごと薙ぎ払え(レイ・アドモス)の直撃を受けるも、何事もなかったかのように立ち上がる。(損傷は受けていないわけではない)
最終局面においては、最終決戦竜技と最終決戦獅子王技の打ち合いになり、終焉序曲を放とうとするも、大気薙ぎ払う極輝銀閃の付加効果、『爪』である「真空」によって足元を巣食われ、再撃のアリファールを直撃、ついに倒れる。
自身を庇う為に割って入ってきたザイアンごと凱を突き刺し、互角の状況に持ち込む。地層を湾曲しかねない程の咆哮を上げながら、凱にとどめの一撃を入れようとした瞬間、血の病を抑えるための薬の副作用で、人体爆火を引き起こし、ブリューヌを想いながら息絶えた。(この一撃の余波でネメタクムは崩壊をはじめていく。凱とテナルディエの戦いは、エレンやティグルと言った若人たちの大きな指標となった)
死後は、彼のエクスカリバーとロランのデュランダルは、聖窟宮の最深部にて、奉納されることとなる。
時折、凱に嫌味を込めて「勇者様」と呼んでいた。
※戦闘力
一戦を引き、遅延性の血の病というハンデを抱えながらも、常人離れした怪力を誇り、統率の取れなくなった地竜を一撃だけで気絶させた。
相手の技を見切る力は凱と同等で、凱の飛竜閃、シーグフリードの煌竜閃烈式、ロランのデュランダルさえも簡単に防いで見せた。
凱の銀閃殺法を耐え凌ぐほどのすさまじい耐久力を持ち、フィグネリアに「凱の連撃を受けて倒れもしないなんて、あの男は不死身なのか」と驚愕させた。
大陸諸国で唯一、爆轟という現象を操ることができ、エクスカリバーの相性もあって、属性効果の竜技を打ち消している。リュドミラを捕縛した時、ラヴィアスの放つ冷気を導火線に見立て、獅子王技で気絶させている。(凍漣の雪姫の通り、粉雪のように散ったほうが伯が付くと侮蔑を吐いていた)
※『神眼』
いかなる事象や現象を捕えるテナルディエ固有の才能。矢の軌道どころか、銃弾の軌道さえ見切ることが出来る。これによって凱の『神算』『神速』『神技』の三拍子を見切り、見破り、見据えることで、凱を一時戦闘不能にまで追い込んだ。
メレヴィルの戦いにおいて、ティグルの魔弾だけは完全に見切ることができず、刹那の瞬間の差で、テナルディエは左腕を吹き飛ばされる結果となった。
※エクスカリバー
二つ名は常勝。銀閃アリファールとは姉妹剣、不敗のデュランダルとは兄弟剣ともいうべき宝剣。デュランダルが竜技を打ち消したように、エクスカリバーも爆轟という竜具の属性を打ち消す能力を持っている。入手はブリューヌ内乱の後半から。
建国神話において、最後まで黒竜の化身に抗い続けた一族、テナルディエ家が使用していたもの、いわば『黒獅子の遺産』である。『黒竜の遺産』と対を成す為「姉妹・兄弟」の隠語が与えられている。
あまりに強い爆轟は、並みの人間の肉体では使用者が反動で粉々に吹き飛んでしまう為、長年にわたる鍛錬を続けてきたテナルディエのみが使える。それ故に、デュランダル以上の使い手を選ぶこととなる。
刀身自体はアリファールとは対して変わらないが、刃には爆轟を促進、増大させる仕組みが施されており、この力を元に、戦姫の竜技と対を成す、数々の獅子王技を編み出した。
この斬撃から繰り出される『爆轟』に対し、防御という概念が一切通用せず、竜の鱗や竜具の発する防御膜を無視して攻撃している。(名前の由来は爆発のエクスプロージョンのエクスから)
デュランダルの待機状態が盾であるように、エクスカリバーの待機状態は凱のガオーブレスと同じく獅子を模した篭手。
※獅子王技
エクスカリバーから繰り出す爆轟を応用した、テナルディエの獅子剣術。
これも竜技と同じく「獅子王技は牙と爪の二段構え」となっている。
爆光霊剣
力任せに叩き付けた衝撃と反動で、刃の接触面を爆破させながら斬撃する。数々の痛みを乱立的に与える技。付加効果として、爆炎で威嚇や目くらましがある。
火柱のように爆発を地走り状に直進させたり、空間を遠当て出来たりと、非常に使い勝手がいい。
獅子爆熱掌
エクスカリバーを篭手状態にして、相手の首元を締め上げ、零距離爆発させる技。テナルディエの剛力も相まって、だいたいの敵は一撃にて倒される。
ミラには篭手の最先端で首を締め上げて起爆、ラヴィアスの冷気の守りを貫通して気絶させた。凱には片手で首を締め上げ、篭手の方で指を突き刺した状態で起爆、内部爆発で胸部を一部炭化させた。
(イメージは爆熱ゴッドフィンガー)
最終決戦獅子王技 終焉序曲
エクスカリバーの爆轟能力を最大限にまで解放し、巨大な球状のエネルギーを刀身にまとわせ、力任せに叩き付ける大技。テナルディエ最強の技というだけあって、凱の目測では「あのまま放たれていれば、少なくともネメタクムは確実に灰と化していた」との事。
七戦騎やスティード、ザイアンでさえその存在を知らなかった。最終決戦の奥義に相応しい技。
凱の大気薙ぎ払う極輝銀閃(レイ・アドモス)が先に決まったため、不発に終わり、ネメタクム崩壊は免れている。
ちなみに『爪』にあたる付加効果は、はじけた空間の自己修復による「爆縮」である。
「魔弾の王と戦姫~獅子と黒竜の輪廻曲:第零楽章~獅子の系譜~」では、歴史書において、元は一つだったアスヴァールの大陸を分断し、大きな爪痕を残したとされている。
外伝『魔弾と聖剣~竜具を介して心に問う』―前章
前書き
タイトル『魔弾と聖剣』全然竜具じゃねえよ。
というツッコミはなしでお願いします。
ではどうぞ。
これは、一人の傭兵の物語だ。
ヴィッサリオン――大陸が戦争の最中にある時代の末に、一人で傭兵団を立ち上げた男。齢30代に差し当たる前までは、ジスタート運河ヴァルガ大河における防衛戦の英雄となり、また、王都主催の問筆記学会においてもその文才を発揮し、太陽際での武芸大会では多大な称号を授与された経歴を持つ。だが、光華のように輝かしい彼の道筋はそれで終わらない。数ある傭兵団でも指折りの人脈を持つと同時に、誰もが認める稀有の人格者でもあった。
彼こそは英雄。奴隷、民、商人、貴族、騎士、王族問わず受け入れられ、ヴィッサリオンの類まれなる親和性は遺憾なく発揮される。勢力圏紛争止まぬご時世、傭兵の需要が一層高まる時代の中だからこそ、彼のような、能力のみならず秀でた外見でも、大陸中の民衆は幻想の中の「勇者」を求めたのだ。
英雄の中の英雄。そして、立ち上げるであろう『白銀の疾風』の名をあやかって、やがてこのような二つ名で呼ばれるようになった。『銀閃の勇者―シルヴレイヴ』と――
歩む戦歴が正統であると同時に、彼は傭兵の矜持としての異端さえも歩んでいた。
――戦場であっても人は殺さず。『不殺の傭兵』として――
――これから語られる男の物語は、まだヴィッサリオンが『星』を集めて『丘』を目指していた、若かりし一人旅の頃のものである――
『数年前・ジスタート領海警戒区域』
ジスタートに訪れた――未曾有の危機。カヴァクなる機械文明の到来、すなわち『黒船来航』。
ジルニトラ……黒竜の動脈たる『ヴァルタ大河』に接する3国は、真っ先にその黒船の標的とされた。
一つは、黒竜の顎熱たる『レグニーツァ』――
一つは、黒竜の眼光たる『ルヴーシュ』――
最後は、黒竜の逆髪たる『オステローデ』――※1。
黒竜の誇りを象徴する顎熱をくぐり、眼光を誤魔化し、逆髪をなでまわした後の到達すべき最終目標は、黒竜の心臓たる『王都シレジア』。へ――
東の『獅子』がその獲物を狙う『眼光』を研ぎ澄ませ――
西の『黒竜』が略奪者に対して『天鱗』を誇示させる――
のちに『ヴァルタ大河攻防戦』とよばれる戦いが、始まろうとしていた。
◇◇◇◇◇
「違う!そうじゃない!操舵は基本的に――」
「いや!そんなことない!敵と遭遇した時、こいつはこうで――」
さっきから、マドウェイとパーヴェルは船操術について『ああでもない』、『こうでもない』と口論している。まだサーシャを主と仰ぐ前にして、見習いである若かりし二人を面白く見守るのは、熟練の先輩方や後輩の船兵である。
やがて二人の差しでぐちに、「なにをやっているんだい?君たちは」と声をかけた者がいた。その声の正体は、この旗艦にして指揮官、そして、当代の『煌炎バルグレン―討鬼の双刃』が主、レグニーツァ公主様だった。マドウェイ、パーヴェル両名は戦姫を前にして、紀律を正し、姿勢をぴしりとなおす。
煌炎の戦姫の問いに、かすかながら緊張が走る。戦姫の口調は暖炉のたき火のように、穏やかであったにもかかわらず。
「戦姫様。どうもこいつらが『索敵・探知』での船操術についてもめているようで……」
このような両者のもめごとは何も珍しいことではない。二人が船上で居合わせてあーだこうだいうのは、レグニーツァにとって風物詩となっている。むしろ、切磋琢磨して互いを『競生』している光景は微笑ましいものでもある。
二人は、必ず将来のレグニーツァで必要になる。まだ見ぬ未来の『煌炎』へ、その聖なる火を中継して明け渡すその日まで。
本来なら騒ぎを起こしたとして、罰を与えなければならない。だが、この戦姫はしかりつけるだけに留めるのだった。あきれたため息を、前置きにして。
「君たちはまだ若い。多少の口論は良しとしよう。だけど、時と場所をわきまえたほうがいい。もうすぐ……『戦争』になるからね」
時と場所。これから訪れる未来の時と、戦場へ変貌する場所を己が主に再認識させられ、二人の背に再び脅威が走る。
ひたひたと迫っているのだ。この揺れる木造船は、確実に戦場へ近づきつつある。
見習いたる二人をあえて指揮官の、それも戦姫の船に同乗させる理由はいかなるものか――
まだまだ未熟な船員とはいえ、威圧せし剣腕と人を惹きつけることをやまないカリスマ性は、将来、次代のレグニーツァで大物になるだろう。
例え『聖火』といえど、それ単体では何も灯すことはできない。導き手たる戦姫と、聖火の風下として手助けする『松明』が必要だ。
だからこそ、『種火』たる二人には、――戦姫の戦い――その瞬間という貴重な場面に立ち会って経験を積んでほしいのだ。
「ところで戦姫様はどうしたんですか?一人なんて珍しい。船長は一緒じゃないのですか?」
「追い出されたよ。合流するまでの間はゆっくりしてこいって」
部下の問いに対し、長い黒髪の戦姫は苦笑い気味に答えた。
「確かに、今この時は主様に休息が必要ですな」
微笑まじりに、武官の一人がそういった。それは、皆が共通に感じていたことだった。
ルヴーシュ・オステローデと合流した後は、対黒船の軍議が待っている。この戦における標的『黒船』について意見交換するために。これから起きるであろう厳しい戦いを想定すればこそ、主には今のうちに休んでほしいところだ。
黒船――外見だけ言えば、文字通り常闇一色に塗りつぶされた船。
わざわざ『黒』なのは、黒竜を始祖とするジスタートへの、悪意を込めた皮肉なのだろうか?それとも、単なる偶然なのか?
何も、黒船襲来は今回に限ったことではない。過去にその姿を、ジスタートの海域にちらつかせていた。
我々より一段階上を行く戦術理論。我等より一手奥の深い武器兵装。我が国より一歩先を行く『概念』を以って――
(……カヴァクなる敵……ヴィクトール陛下はそうおっしゃられていたな……)
鉄の文明の別呼称に、思わず不愉快な気分になる。
ふいに、両腰に装着しているバルグレンに、視線を見やる。熱が伝わる様を考えると、どうもバルグレンもやる気満々みたいだ。
(お前も、本当に人の気持ちを察しないんだね)
やんちゃな人格の意志をもつ竜具に対し、黒髪の戦姫はやや苦笑い気味になる。熱暴走する心配のあるこの子は全く……そう思ってしまう。ただそれは、裏を返せばバルグレンなりの、戦姫への励ましともとらえられる。
「やはり黒船というのは、それほど脅威なのでしょうな。3公国の戦姫様に出兵を強いる位だとすると……」
「戦姫様が倒れたりでもしたら……我らはどうしたらいいか……」
戦う前から先入してしまう、暗い思考が周りを包む。しかし、暗くなった道を照らすかのように、戦姫は告げる。
「そうならないために、他の戦姫にも協力を要請した。……まあ、この私が君たちを置いて倒れる気はないし、死なせるつもりも毛頭ないけどね」
にこりと片方の口角を釣り上げて笑い、堂々と言い張った。堅固な意志と誇りに満ちた自信。力強い言葉に対して、武官たちはなんとも言えない、熱くたぎる気持ちになった。彼らは先代の戦姫、若しくは、他の公国の戦姫にも仕えていたが、彼女ほど気高く高潔らしい戦姫には会ったことがない。一同は思った。目前の主の為ならば、この身を散らせても悔いなどないと――
だが、それをあえて口にしない。これほどの部下想いの戦姫へ、自己犠牲の言葉を口にしてしまえば、彼女は烈火のごとく怒るだろう。
海のように広く、深く、穏やかな母性を持つ戦姫の考えは、彼らには到底つかめるものではなかった。
「戦姫様。到着しました。ルヴーシュ、オステローデの船団です」
間違いない。黄地に煌炎・紫地に雷禍が見えるということは、あれが戦姫の旗艦だろう。
そう部下が告げると、戦姫は海原の線先を見据える。
長い船旅の末、予定通りレグニーツァ船団はオステローデ、ルヴーシュ両船団との合流を果たした。
◇◇◇◇◇
大陸としての長い履歴を顧みると、国家間の争いはもっぱら陸地で行われることが多い。
人間は平面以外の移動を可能とする両足と、繊細かつ豪胆な作業を併立させる両手と、それらを統合する高い知能を有する。
そうした『陸地』での戦いが、古来より重んじられてきた。極端にわかりやすい例が『弓を蔑視するブリューヌの騎兵達』だ。足たる馬と、腕たる槍を併せ持つ彼らの突貫力は、古きにわたるその模範であり必勝であり伝統であった。
他にも、箱庭のような大陸の中で各国家の領地が隣り合っていること、船迫の利用方法が交易以外に無かったことから、陸地を戦場とした近接戦闘の原様式は現代にいたるまで変わっていない。
過去の戦の歴史をさかのぼっても、海から侵略者に攻められるという事例などほとんどなかった。その証拠として、大陸に拠点を構える海港は、どこもかしこも防人が手薄である。本当に交易のみを念頭に置いた機構しか存在しない。
島国であるアスヴァールは例外であったが、過去のジスタートは例外ではなかった。
3国の戦姫が合同で軍議中、オステローデ軍船で一人の『客将』がゆったりの窓を除いた。
黒髪の『客将』の隣に、戦姫腹心の船長がいた。
「いよいよ『黒船』のお出ましですか……」
「やはり、ヴィッサリオン殿でも『黒船』はいささか脅威ととらえますかな?」
「確かに、『黒船』以上の脅威は類を見ません。私が最後に見たのは『軍国』の南東港ですが……」
かつての古巣である『東』の地に、思いをはせる。『元』独立交易都市・三番街自衛騎士団所属。ヴィッサリオン。
彼は『代理契約戦争』の世代ではないが、その戦争の爪痕というべきか、黒船に対して強い警戒心を抱いていた。
ちなみに彼のいう『軍国』は、この独立交易都市より南東に位置する港町を指している。
(でも……『丘』を目指すまではあきらめないさ。俺を推挙してくれたハンニバル団長殿の為にも……)
脳裏によみがえるは、禿頭の偉丈夫の上司。『大陸最強』の二つ名を持つ『代理契約戦争』の生き残り。ついでに補足すると、『人間投石器』。出鱈目な異名を複数持つ戦士の名は、ハンニバル=クエイサー。
過去の記憶をさかのぼったところで、ヴィッサリオンはかすかに苦い表情をつくる。無理もない。決して短くない出来事とはいえ、黒船ほど『概念』人を揺るがすものはない。
深紅のほうき星を打ち上げる『首長竜筒砲』。まるで蜂の大軍が如く、鉄の飴玉を絶え間なく吹き付ける『蜂巣砲』。そして、鉄の甲冑を着こなした豪華軍船『黒船』だ。
やがてぎこちなくなったのか、船長は黒船の話題をそらすためにも、ヴィッサリオンの腰に据えられた『得物』に視線を配って助け舟を要請した。
「ところでヴィッサリオン殿。その腰につけてある『カタナ』は見事なものですな。ヤーファのカタナを何度か見たことあります」
「確かに、刀ではありますが……少し違いますね」
「違うのですか?」
「聖剣の刀鍛冶殿が打ち込んでくれた……禍払いの刀である『聖剣』です」
「せい……けん?」
これから起こるであろう――機械仕掛の魔弾――には、――一子相伝の聖剣――が必要不可欠。
聖剣。これを打った本人は「なまくらのいいところだ」と言っていたが、ヴィッサリオンにとっては紛れもない『業物』である。
それは、後の『神剣の刀鍛冶』の父であるバジル=エインズワースの、処女作の刀。
『折り返し鍛錬』と呼ばれる、古来より伝わる製造法。一魂入刀で作られるそれは、何日もかけて槌を撃ち込まれる。
よみがえるは鍛錬の立ち合い、カタナの生まれ出でる瞬間。その声を。
水減し。ミズベシ
小割。コワリ
選別。センベツ
積み重ね。ツミカサネ
鍛錬。タンレン
折り返し。オリカエシ――
心鉄成形。シンカネセイケイ
造り込み。ツクリコミ
素延べ。スノベ
鋒造り。キツサキヅクリ
火造り。ヒヅクリ
荒仕上げ。アラシアゲ
土置き。ツチオキ
赤め。アカメ
焼き入れ。ヤキイレ
鍛冶押し。カジオシ
下地研ぎ。シタジトギ――
備水砥。ビンスイド
改正砥。カイセイド
中名倉砥。チュウナグラド
細名倉砥。コマナグラド
内雲地砥。ウチグモリジド
仕上研ぎ。シアゲトギ――
砕き地艶。クダキジヅヤ
拭い。ヌグイ
刃取り。ハトリ
磨き。ミガキ
帽子なるめ。ボウシナルメ
――柄収め。ツカオサメ――
聞きなれぬ言葉の羅列は、ヤーファで祈祷に用いられる神への文言に似ていた。だが、それ以上のことはわからない。でも――
――バジル=エインズワース殿……貴方が打ったこの『カタナ』で、流星たちを導いて見せます――
「もう一つ、お尋ねしたいのですが……腰に据えられているもう一つの『聖剣』もやはりカタナなのですかな?」
「いえ、これは『訳あり』なものでして……ちょっとお見せできないんですよ」
布にくるまっている『得物』は、まるで講義するかのように、ふわりと風を立てた。巻いていた布が『風船』のように膨らみ、「やばい、気づかれた」とヴィッサリオンは思ったが、常に気流立ち込める海上であったため、やり過ごすことができた。
(この悪ガキめ。少しは我慢しろってんだ)
こつんと、その『得物』のつばに、軽いこづきをお見舞いする。お調子者の『得物』は、どこ吹く風といった感じだ。
それは、まだ見ぬ義娘への確かな愛情表現なのかもしれない※6
これより約半刻後、3公国の主たちは軍議を終え、黒船を迎え撃つこととなった。
◇◇◇◇◇
当代のオステローデ公主、『封妖』の戦姫は、一騎当千の武技を誇る『竜姫将』である。
戦姫が治める領土の中で、最も国力が脆弱とされるオステローデ。
北には『雪原の大地』と呼ばれるところから運ばれる流氷の海。
東には『成層圏』と呼ばれる大気の頂上世界までそびえる山々※2
それらは『文明』の交流を妨げるかのように、何千年も生きたる『自然』によって、立ちふさがれていた。
まるで、『機械文明』を忌み嫌う『自然元素』の袂を分かつ『七つの力学』が、それを望んでいるかのような――
だからなのだろう。ヤーファをはじめとする遠い東の国から、こちら側へ来ることは、物好き以外の人間が来ることなど滅多にない。
それは、ヴィッサリオンが現れてから、それらの『定説』は『異説』へ変わる――
生物の生存を許さないといわれていた東の岩山から、なんと堂々とやってきたというのだ。※3
――『黒船』の存在を警告するために、俺はこの地へやってきた――
その言葉は、戦姫を動かすに事足りた。一筋縄とはいかなかったが、右曲余折を得て、周りの配下の妄言など気にも留めず、王に直接進言して。
そして今、ここに『三国同盟』として集い、その盟主としてオステローデ公主が務める次第である。
ヴィッサリオンとの出会いを交わした過去を振り返って、太陽照り付ける紺碧の空を見上げる――
「……『東』からの来訪者……ヴィッサリオン」
意味深く、その名をつぶやいた。
その黒髪の風様から、思わず東方国家、ヤーファかと思っていた。しかし、彼の出自はその島国ではなかったという。
「確か、彼は『独立交易都市』からやってきたと言っていた。オステローデの東にある山を越えた先にある『同じ内大陸』だったとはね」
幻想ともとれるそれは、彼の言葉を虚言かと疑っていた。『虚影の幻姫』の二つ名を持つ戦姫に対する嫌味かと思ったくらいだ。四民平等?市民主権?そのような都市国家など聞いたことなどない。
しかし、現実味を帯びたヴィッサリオンの発言は、戦姫の耳をやがて説き伏せていく。彼の生まれ持った親和性もさることながら、何より、『黒船』に対する危機感を、いち早く抱いてほしいという想いが、戦姫への説得を加速させたからに違いあるまい。
そんな過去を振り返りながら、気晴らしに足を運ばせていると、一つの人影を見つける。
それに気づいたのか、ヴィッサリオンはやんわりとほほ笑んで、戦姫に振り向いた。
「いかがなさいました?戦姫様」
その口調は、そよいで撫でる風を思わせるほど、優しいものだ。先ほどの話し相手だった船長と別れたばかりで、ヴィッサリオンは潮騒の風を浴びて涼んでいる最中だった。
「何を……していた?」
猛者ともとれる戦姫が、何か儚げに聞いてくる。すると、ヴィッサリオンは鼻をくんと鳴らす。
「少し、海の風をかぎたくなりましてな。やはりこっちは潮の香りが濃い」
黒目黒髪。左ほほに浅い傷跡の目立つ顔つき。だが、その瞳は意志の強さが伺えるほど光り輝いている。中肉中背だが、筋骨のたくましい体格をしており、身なりも傭兵のそれに似通っている。
「本当に不思議な男だな。ヴィッサリオンは――」
「よく言われます」
まるで、絶えず流れる『大気』のように、同世代の煌炎の戦姫と同じく、ヴィッサリオンの性格はつかみどころがない。
だが、そんな彼の鼻をかき鳴らす仕草が、先ほどの軍議で堅くなりがちな戦姫の心をくすぐった。
戦姫は思わずクスリと表情を崩した。
「戦姫様。笑ってはダメですよ。船員が怖がります。ただでさえ『竜姫将』とか『戦鬼※7』とか『遠呂智』※8とか呼ばれて皆怖がっているのに!」
「余計なお世話だ」
そういって、『闇竜の聖具』たる刃を、ヴィッサリオンの前に突き立てた。
『竜姫将-ドラグレイヴ』……そう揶揄されるほど竜神のごとき荒ぶる勇者の象徴。
『戦鬼-イクサオニ』……そう比喩される鬼神のごとき武威。
ついでに言うと、その大鎌という形状と紋様も相まって、東洋魔王の敬称『遠呂智-オロチ』とさえ呼ばれる始末。
そんな色気のない異名が、このオステローデの現主には、常にまとわりつく。唯一あるとすれば、『に――
「オステローデは私のものではなく、戦姫のものだ。私が戦姫でなくなれば、オステローデは私のものではなくなる」
どこか……捨て鉢に吐いた台詞は、感情を帯びているように、風に乗ってヴィッサリオンの耳に届けられる。
自分には、統治の才能がない。何もしないほうが、むしろ最善とさえ思えてしまう。
せめて、次代の戦姫が、竜具が、私の『面影』を求めてくれたら――
ヴィッサリオンは思う。意志を持つ竜具が、意味もなく現れることはないと。
『新世界』は、常に民を必要とするように――
『新時代』もまた、新たな指導者を必要とする――
竜具は新時代の先駆けとなって、戦姫の前に現れるとしたら――
自然は意志の働かない『力学』によって動いているが、竜具は意志の働く『王学』によって動いている。それは、竜具にとって、『人の心』を学んでいく上では、避けて通れない道。
だからこそ、この『二人』に竜具があることは、絶対に意味のあるはずだと、ヴィッサリオンは――
「それでも、竜具はあなたを必要としているのです――――アリファールが『黒船』という時代の苦難から、民を救うために、私のところへ助けを求めたように――」
『得物』にくるまっている布をかすか外して、その美しい『翼を模した鍔』を、戦姫に見せる。見覚えのある鍔に、虚影の幻姫は見覚えがあった。
「それは!まさか!?」「おっと、黒船の登場のようですな」
聞きたいことをごまかされたのか、それとも、目の前の脅威に迫られたのかはわからない。ヴィッサリオンに促されて、戦姫は前を見やる。
海の地平線の彼方から、黒い物体が次々と姿を現していく。
ついに始まる機械仕掛の『魔弾』と、一子相伝の『聖剣』が織りなす武勇伝。
『人』が寄りすがる『力』の表裏化『魔』と『聖』
『人』の生み出した『技』の具現化『弾』と『剣』
竜具が選ぶのは『戦姫―ヴァナディース』
竜具が求めるは『勇者―ヴァルブレイヴ』
独立交易都市出身、初代『銀閃の勇者』ヴィッサリオン。ここにつかまつる!
◇◇◇◇◇
オステローデ船団から見える景色は、当然ルヴーシュ、レグニーツァ船団にも同じように見えていた。
左右の瞳が違っていても……『あの船』の『色』は相変わらず……か。
異虹彩色を吉兆と敬うルヴーシュとて、同じような皮肉を感じていた。もっとも、当代の戦姫は異虹彩虹色ではない。ただ、知識としてそう――知っていただけにすぎない。
黒。それはどこまでも飲み込んでいく闇。死を思い示す不安な化粧。
その黒い船は、米粒程度の大きさから徐々に大きく近づいてきている。戦姫は息苦しい思いで、刻一刻と迫る戦いに緊張を掻き立てている。
突如、その『黒船』が荒々しい重低音を立てて、白い煙――ジョウキを吹かす。まるで、クジラの『潮吹』の、それに似ている
「来たわね!?黒船!」
ぴしりと、雷禍がはじける音がした。それに伴い、ルヴーシュの精鋭たちが雷禍の閃姫に駆け寄る。
「戦姫様!奴らが!」
「軍議で打ち合わせた通りです!各自、予定通りの配置に付きなさい!」
兵への戦意高揚の為に、ヴァリツァイフの弦を張り詰め天高く掲げたとき、『黒船』の船頭にあたる首長竜筒砲から、『細長い砲弾』が放たれた。
(竜技が……間に合わない)
次の瞬間、その空間に、炎と閃光と轟音が満ち溢れる――
だが、黒船の牽制に対して、ルヴーシュ軍に被害が被ることなかった。何故なら、黒船から発射された
鉄塊の魔弾を聖剣で斬り裂く一人の『傭兵』の姿があったからだ。
これが……長く続く、機械文明たる魔弾の『科学』と、自然元素たる竜具の『力学』の紡ぐ戦い……その緒戦であった。
NEXT
後書き
解説――
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
川口先生のエイプリルフールネタに120%信じ込んでいたgomachanです。(もっともらしいことをいうから、つい愚直に信じていました……川口先生うまいなぁと感心することもあったりして)
では改めて解説を――
本作のジスタート7公国は、竜の部位をあらわす表現にしています。冒頭の――
黒竜の顎熱たる『レグニーツァ』――
黒竜の眼光たる『ルヴーシュ』――
黒竜の逆髪たる『オステローデ』――
です。他はというと
黒竜の天翼たる『ライトメリッツ』――
黒竜の冑鱗たる『オルミュッツ』――
黒竜の粧髭たる『ポリーシャ』――
といった感じです。ブレストは今考え中です。
銀閃の勇者について――
実はアリファールが求めし勇者は凱が初めてではなく、ヴィッサリオンが初めてという設定を盛り込んでいます。凱は二代目銀閃の勇者ということになります。原作ではヴィッサリオンの出自が明記されていなかったので、本作では『独立交易都市』出身としています。ハンニバルともセシリーの父とも、ルークの父とも面識あるので、かなりのキーパーソンとなっています。(エレンの凱に対する『不殺』も、元々はヴィッサリオンの『不殺』を思い出させる一面もあるわけで、凱へそういった面影を見出してしまった結果ともいえます)
では※について下記に示します。
※1着想元はハーメルン様掲載中、『鬼剣の王と戦姫』の主人公、リョウ=サカガミから。
※2原作8巻にある一文より。※第0話「るろうに戦姫~独立交易都市浪漫譚」から
※3ドラクエ3のネクロゴンドの洞窟より。
※4原作9巻の記述『ひとたび戦となれば、鬼神のごとき強さを発揮して~』から。
※5原作5巻の記述『不敬罪で死刑ですわ』から
※6特典小説『風の運ぶ夢』より
※7原作者、川口士先生のデビュー作『戦鬼―イクサオニ』から
※8無双OROCHIの遠呂智もまた、無間という鎌状の武器を使ったことから
では失礼します。また次回もよろしくお願い致します。
gomachan
外伝『魔弾と聖剣~竜具を介して心に問う』―中章
ヴィッサリオンが思わぬ誤算に気づいたのは、黒船の存在を察してから少し前だった。
まずは、黒船の首長竜筒砲から放たれた鉛玉。
怒砲――
鼓膜を突き破るかと思われるほどの発射音。砲弾より発射音が『遅れて』耳に届かれる。それがジスタート連合『三公同盟』の認識を狂わせた。
要するに、迫りつつある弾は音よりも速い、ということだ。
――ならば!
疾風のごとき決断力。ヴィッサリオンは迫る『音』を上回る演算速度で、弾速、距離、時間、そのような空間概念を頭の中で解析する。
銀閃よりも迅速に。凍漣よりも冷静に。
最良な分析から最善の行動にて、ヴィッサリオンは目測距離を導いた。
敵前方――ここから1ベルスタから3ベルスタ。遥か彼方の世界だ。
対して味方の射程距離は短いうえに、敵から見れば大した脅威となっていない。
さらに、ルヴーシュ水軍はどうやら黒船から何が『発射』されたことすら気づいていないようだ。ただ、うっすらと『煙』が立っているとしか認識できないでいる。
まずい――このままでは。ヴィッサリオンの脳裏に最悪の結末が浮かぶ。
「一発でも、『逆星』を撃ち込ませてたまるか!――風影!」
『降魔たる風竜の聖具』の翼が羽ばたく。それは、天空駆ける竜の翼。
雇い主であるオステローデ戦姫の静止を振り切って、ヴィッサリオンは一陣の『疾風』と化し、船上を次々と飛び移る。
「待て!ヴィッサリオン!『闇雲』に突っ込むな!――虚空回廊!」
『封妖たる闇竜の聖具』の翼が羽ばたく。それは、暗雲駆ける竜の翼。
雇い主のこちらの静止を聞かず、ヴィッサリオンを止めようとする戦姫。当てのない見通しで行動させる……『闇雲』の言葉通りにさせてなるものか。
(座標軸……固定!)
男の行先はわかっている。エザンディスで切り裂いた空間廊下は、非常に安定した性質を持っている。『砲弾』の着弾地点が判明している以上、その軌道を算定して、到着位置へ辿り着くことは容易だ。
「戦姫様!?どちらへ!?」
「あの傭兵をとっちめる!」
とっちめる?連れ戻す!の間違いじゃないのか?だが、一同は思った。
結局のところ、鬼神のごとき戦姫にはそれが最適なのだろう。竜の爪を身近で振るわれるより、他所のほうで暴れてもらったほうが効率いいはずだ。最も、臣下としてこの戦術思想は不謹慎かもしれないが。巻き込まれたくないが為に――
ともかく、黒船の暴挙を防ぐ見通しのないまま、ヴィッサリオンを一人行かせるわけにはいかない。闇の翼を広げて回廊を歩く戦姫は、ただ戦場へ赴く。
――闇の竜具を抱く戦姫として、この戦乱を『暗雲ごと討ち払う』為に――
◇◇◇◇◇
ルヴーシュ船団へたどりついたヴィッサリオンの行動は迅速だった。
まず処分すべきは『音よりも速い砲弾』だ。
『螺旋』の軌道を描く砲弾に取り乱すことなく、ヴィッサリオンは『聖剣』たるカタナを抜き放つ。
――狙いをすまし、『心』を『疾』に――
――紅い鉛玉の『重心』と、かの剣の『芯鉄』が一直線になる様を思い描く――
――納鞘と刀身をそろえて、『星』を奔らせる!――
――手首の返し具合――
――刃の食い込み――
――『鉄球』とも思えぬ、果肉のような感触――
――ぴしゃりだ――
――想定を現実にして、鉄塊たる『逆星』は真っ二つに分かたれた――
その芸術的な超常現象に対し、表情を驚愕に染める者がいた。
雷禍の閃姫だ。
そして、その戦姫を取り巻いていた武官たちも同様だった。
二つに分かたれた鉄の塊は、虚空に消え入り激しい水柱を浮き上げる。船を覆いつくすばかりの瀑布が生まれた。
「斬……鉄?」
雷禍の閃姫・鞭の舞姫と称されるルヴーシュの主は、我が目を疑った。驚いたのは、鉄を斬ったことではない。鉄を斬った『なにか』に対してだ――
ヴァリツァイフもまた、鞭という形状にそぐわず竜の牙に比すべき強度、砕禍に恥じることのない力を秘めている。無論、鉄塊の砲弾を文字通り『粉砕』することができる。だが――
『人の手で造られた』と思われるヤーファのカタナで、竜具と同等のことをやってのけた。
斬鉄……文字通り、鉄を両断する『居合の極み』にして、尋常でない速度の『抜刀』と『斬撃』の複合技。
すちゃり。
カタナの鍔なる音が、その場にいた全員の意識を現実に戻し、一人の男に視線を注いだ。『黒髪の男』にだ。
その姿は青年だった。
「貴女が、ルヴーシュの戦姫様ですね。間に合って、よかったです」
鉄を切り裂いて驚愕していた周囲を他所に、ヴィッサリオンは口元に薄く笑みを浮かべる。『鉄』を切り裂いた『カタナ』を見せつけるかのように――
崇高。その意志を体現せし刃形の『反り』
美事。その一言に尽きる刃面の『霞立』
波打つ刃紋が、天の光を一寸の漏れさえも許さない。
禍を払う。それのみを追求した気高い『得物』。
本来なら人間が『人ならざる者』を封印するために作られた聖剣の模造品。
「……竜具以外で『鉄』を斬れる『剣』があるなんて……」
「驚かれましたか?雷禍の閃姫様」
心を読まれたかのような顔で、戦姫は青年を見やる。そしてヴィッサリオンは戦姫を気遣うように声をかけた。
だが、状況はいまだ二人に沈黙を許さない。二人のやり取りを『隙』とみた黒船は、動力に物言わせる航行速度
で一気に距離を詰めてくる。
黒船の真っ白い潮吹が、天高く舞い上がる。『機械仕掛けの魔弾』を撃墜された怒りなのか、もう勝利を約束したかのような『勝鬨』なのかはわからない。あるいは、その両方――
「礼など言いませんわ。あれくらい自分で何とかなりましたのに」
「そいつは余計なお世話でしたな。失敬」
そっけなく返事をヴィッサリオンに返してくれるあたり、雷禍の戦姫は特に『黒船』への恐怖は抱いていないようだ。むしろ、黒髪の傭兵は閃姫の雷鳴に触れてしまった黒船へ、哀れみさえ送りたい気分だった。雷禍の竜の逆鱗にもふれたのかもしれない――
しばらくすると、青年と戦姫の間に『空間』を割って入るもう一人の戦姫が遅れて現れた。驚くよりも先に、侮蔑を一本差し入れする。
「音よりも速い弾に対応できなかった娘が、よくもその口をきけたものだな」
「虚影の幻姫……貴女という人は!」
「二人とも、落ち着いてください」
何とか戦姫二人をなだめようとするヴィッサリオンの表情は苦い。仕方がない。何しろ、一騎当千の戦姫が睨みあっている為、肌にびりびりと伝わるその威圧感が半端じゃない。雷禍の戦姫もまた『竜姫将』の一人なのだから――そして、煌炎の戦姫も例外なく『竜姫将』ということを。
ともかく、黒船撃退への道筋を得るには、この二人の戦姫の協力が欠かせない。頭が痛くなる思いを抑えて、ヴィッサリオンは二人に告げる。
「もう『鉄』で覆われた黒い船はそこまで来ていますよ。今のうちなら『旋回』で回り込めるはずです。おそらレグニーツァは行動を起こされているかと」
確かに、ヴィッサリオンのいう通りだった。彼の指さす水平を戦姫二人が見やる。
先ほどの軍議で話し合った通りに事は進みそうだ。どうやらあの黒船は『速度』に『旋回』能力を奪われていて融通など利いていないようだ。
この好機、偶然であったにせよ、我々が風向きをつかんでいる好機、そしてこの瞬間を逃す手はない。こちらを上回る速度であるにも関わらず、あの黒船はむしろ振り回されているように見えた。
(どんなに立派な『玩具-ブリキ』でも、正しい運用を行わなければ壊れた時の『保障』はきかないぞ)
軽くため息をついたヴィッサリオンは、心の中で黒船の搭乗員にそうつぶやく。
黒船接触まで――約700アルシン。
先ほどの『音よりも速い砲弾』と、黒船の速度を推し量って、到達時間を予測するのは容易だ。ただ、回り込む判断時間を誤っては、あの海のように、この作戦が全て水泡となる。
「ヴィッサリオン。貴様は確か、『カンセイノホウソク』といったな」
未知な概念を青年傭兵に問う戦姫。軍議で発言されたその概念は、ヴィッサリオンからもたらされたものだ。正確には、知識欲の権化である初代ハウスマンが出所なのだが――
「ええ。おそらく、黒船のとれる行動はたった一つ……ほぼ『直進』しかないでしょう。あそこまで慣性が働いている以上、もうこちらへ突っ込むしかできないはず」
「影の戦姫のように……とは言いませんが、うまく『無人船』に積載した『硝石』と『燃える水』、直進すると思われる黒船の『ドウリョクゲン』と反応を起こせばいいですのね」
「さらに付け加えるなら、黒船同士をルヴーシュの旗艦ごと輪廻のごとく『連環』せしめてから――だな。ヴィッサリオン」
――いちいち俺に聞かないでください。だが口には出さない。出さないぞ。
「あなたが『陰険』に敵戦艦の『首長竜筒砲』をちょん切ればよろしくて?もっとも、特攻が趣味の貴女には、我々との連携について高望みしませんが――」
「こいつの癇癪で『誘爆』して味方への『誤爆』になりかねないから気を付けないと」
「うだつの上がらないそこの傭兵と心中する気なら、手を貸して差し上げてもよろしくて」
「遠慮しておこう。『手』を貸すどころか『刃』の立たない小娘に『足』を引っ張られたのではたまらないからな」
「鬼神の貴女に唯一ヒロインチックな終曲を奏でて見せましょうと気を利かせたつもりですが――」
凱が居合わせていれば『恋人と沈みゆく船』をタ〇〇ニック号と突っ込んでいたかもしれない――
「……頭が痛くなる言い合いはやめてくださいと申し上げたばかりですよ。だんだん私怨がにじみ出ていますって」
軽くため息が出てしまう――ルヴーシュの戦姫にうだつの上がらないといわれて、少しへこんでしまうヴィッサリオン。ともかく――
オステローデやオルミュッツのような寒冷地において、最大の危険性を持つ引火性液体。ヴィッサリオンは低温下においても『可燃』できる液体を用意させた。これが勝利のカギになると信じて――
この時代においては『禁忌』と謳われるほどの火力を有しているもの。『燃える水』の爆発的な燃焼力でなければ、すぐさま黒船によって消火されてしまう。衝突の際の砕かれる鉄の微粒子を『粉塵爆発』の為の起爆剤とし、連鎖反応で黒船軍団を焼失させるしか手はないだろう。
雷禍の戦姫がいう『燃える水』は、前海戦の折にオステローデの戦姫が捕獲した臭水を、参考標本として鹵獲したものを、ヴィッサリオンが虚影の戦姫を介して複製させたものだ。
幸いだったのが、『燃える水』を構成たらしめる高山油田がオステローデにあったことだ。それが燃える水複製の精製時間短縮につながったわけであり――後の『塩田開発事業』はその副産物として、次代への戦姫の面影として残ることとなる。
(戦姫様達が力を合わせてくれれば、カヴァクなる『機械文明』にも十分立ち向かえるんだがな――)
力なくため息をつきながら、ヴィッサリオンの心中にはある確信を得た。上出来だと――
ヴィッサリオンは口に出さず、心の中でそう戦姫二人を称賛した。科学たる物理法則に、力学の具現化とも取れる竜具の主では、知識体系を受け入れることはできないかもしれない。そのような不安要素は、若干ながらヴィッサリオンの意識の片隅に残っていたからだ。
しかし、戦姫は『カヴァク』なる概念を、『ヴェーダ』たる知識にて、強敵に立ち向かおうとしている。多少の皮肉や嫌味こそ浴びせあっているものの、こうして未曾有な危機の前には、しっかりと力を合わせて立ち向かうことができる――ヴィッサリオンはそう信じている。
ならば、自分は『非才なる身の―全力を以て』この力をふるうまでだ。
――目の前にうつる全ての命を救う為に――
――願わくは、この刀身に映り返る人たちが、救われることを――
「――ともかく、向こうのせいでこちらの出鼻がくじかれた。くじき返すにはちょうどいい反撃になる」
「戦姫様。ならば私は奴ら黒船の出鼻をくじくために早速切り込んで参りましょう※2――いで!」
ふいに、ゴツンと殴られた衝撃を後頭部に感じた。振り返れば、オステローデの主様が手のひらをグーでナックルを入れたのだった。
「貴様は我が国の……いや、この戦での『勝利のカギ』なんだぞ!突撃で討ち死では話にならん!」
「やはり似たもの同士ですのね。やはり心中する場を提供して差し上げますわ」
「先に私の逃げ場を提供してくださるとありがたいのですが……いだだだだだ!髪を引っ張らないで!」
もともとこの不遜な傭兵を連れ戻すことが目的だ。そのためにわざわざ竜技さえも使って、ここまで足を運んできてやったのだ。このくらいの罰は与えてやりたいし、これで済めば安いものだと思ってもらいたい。時間も体力も空費するなど毛頭ない。
「――虚空回廊」
鎌の舞姫がそうつぶやくと、手元にある大鎌を一閃させて黒紫の回廊が開かれている。虚空へ続く扉の余波を浴びて、彼女の美しい髪がかすかに逆立っていく。
竜の逆髪―オステローデの姫君。
それは、戦姫の怒りに触れたものが表現する、文字通り『竜の逆髪』そのものだった。文字通り逆さまに髪の毛を引っ張られながら、ヴィッサリオンは虚空回廊の闇へ連行されていった――
◇◇◇◇◇
二人が虚無の向こう側へ飲み込まれていくのを確認した後、雷禍の閃姫は部下に再指令を再度通達。鞭のしなる音とともに発せられた。
「軍議で打ち合わせた通りです!予定通り各自配置に付きなさい!」
黒船の予想外な攻撃――鉄塊の魔弾によってこちらの出鼻をいくらくじいて来ようと、ルヴーシュの二つ名『竜の眼光』を鈍らせるには程遠い。そう思い知らせてやる。
竜の眼光――雷禍の閃姫が魅せる奥底の瞳に、敵をひるませる『眼光』がそこにあった。
「――ヴィッサリオン……この戦いが終わりましたら、ひとまず贈り物をして反応を見てみようかしら?」
カンセイノホウソク、ザンテツ、モエルミズ、クロフネ、そして、雷禍の戦姫に伝えし『機雷』の原理と呼ばれる偽装罠――
様々な概念。数多くの『宝箱』を運んできた『宝船』のような存在。同時に、その卓越した能力ゆえに、彼の存在は黒竜にとっての『脅威』ともとれる。彼の存在は、はたしてジスタートにとっての『希望』なのか。それとも『絶望』なのか。
かつて、聖痕を発掘した太古の偉人は、その両方を詰め込んだ宝箱を、こう命名した。『パンドラの箱』だと※6――
◇◇◇◇◇
オステローデ、ルヴ-シュ両軍が黒船撃退へ向けて併走している中、レグニーツァ船団は黒船集団の最後尾へ回り込んでいた。
少数精鋭。黒船集団を目視した第一印象はそれだった。数としては、手の指を折り続けるだけで間に合いそうなくらい――
軍議での打ち合わせ通りだ。
黒船の『速度規制』をかけるための――無人船衝突による爆厚消波――要するに機雷戦法だ。
このままいけば、敵はうまくこちらの策に乗ってくれそうだ。この策の発案者は煌炎の姫君。大人しい顔立ちして猛火のような提案内容に、その場にいた全員が息をのんだそうだ。
あとは、直進軌道中の黒船に『旋回』で回り込む。タイミングさえぴたりとはまれば、奴らの尻に火を焚きつけて大慌てさせる様を想像すると、つい笑みが浮かんでしまう。
「首長竜筒砲といったかな?どうやらあれは左右には『旋回』して射角をとれないようだね……だけど」
あの射程距離ははっきり言ってバケモノだ。しかし、こちらは自然天然の『風』をつかんでいる以上、運動性は我々が上。同じ『力学』に従うなら、自然原理を従える『黒船』より、自然原理に沿う『木船』のほうが、有利に決まっている。
まずは第一関門、砲門たる『竜の登門』を通過。問題はこれから第二関門、銃筒たる『虎の洞穴』を抜けなければ。
「……蜂巣砲……あれは少し厄介だ」
目を瞬いた時が最期だ。まぶたの生理現象さえも認めないかすかな時間。どのような『神弓』と謳われる使い手であろうとも不可能と言われる、『超連射-瞬間16射※1』を可能にする兵器。
軍議にてオステローデ側からもたらされた情報を、最初はこの耳を疑いもしたものだ。
――フンソク200発以上――60数える間にそこまで放つことを可能にする機械輪廻は、もはやこちらの常識を逸脱している。
どうにかできないものか……逡巡したその時!
「ちっ!『蜂の大群』か!」
目に見えるは『赤白い糸状の針』、若しくは、特攻蜂といえばいいのだろうか?幾つもの砲身が備わっている構造が蜂の巣に似ている。故にあれは『蜂巣砲』と呼ばれているはずだ。蜂の巣たる銃口から放たれた『蜂の大群』は、煌炎を目指して無慈悲に突き進んでいく。次々と戦姫旗艦の木端欠片を削り取っていく。まるで『虫』にかじり取られたかのように――
――蜂巣……フレローリカ――
――蜂牢……フレロール――
そして……蜂巣砲――ガトリングガン。
「戦姫様ああ!赤白い蜂の大群があああ!」
「怯むな!このまま突っ込んでくれ!」
部下の旺浪する恐怖の声に対し、煌炎はぴしゃりと言い放つ。己の死を主の命令に預けて、ひたすら櫂をこぐ!
戦姫の操舵を任されたのはこの二名、マドウェイとパーヴェルだ。先ほど言い争っていた時とは打って違い、戦姫の覇気に押されて、己の使命を全うしようとする。初陣とは思えない思い切りの操舵術の良さだ。
――それでも――
今のレグニーツァの現状は、蜂の巣をつつかれたような状況だ。
今の我々にとって、あまりにもこの名称は皮肉すぎる。それとも、あの黒船の艦首で女王蜂が、羽音のような銃声をかき鳴らしながら、今を惑う我々を嘲笑っているのだろうか?
二次元である『面』に上乗せした『時間』と『物量』の弾丸嵐が、こちらの戦力を無力化する、そうなる前に手を打たなければ――
「――陽炎」
突如として、レグニーツァ精鋭船団は陽炎に包まれる。それと同時に瞬く、圧搾された余剰熱が海水と接触。あたり一面が『海霧』となって戦場に散布されていく。※3
「煙幕?」
戦姫の旗艦の者どもは、摩訶不思議な蜃気楼に対して全員そうつぶやいた。
竜の『牙』たる煌炎討鬼。竜の『息』たる飛炸焔。竜の『角』たる突火槍列、そして、竜の『粧』たる陽炎だ。
こちらの文明力では、どれだけ装甲を底上げしたところで『焼石に水』だ。見えない弾速の破壊力を見るところでは、おそらく鉄盾さえも貫通するだろう。完全に防ぐには何枚も重ねる必要がある為、防御という点では伸びしろなど全くない。
この際、こちら側の『被弾率』を破棄。そのかわり、攻撃側である黒船の『命中率』を低下させる。そう判断した戦姫の行動は素早く、何より正しかった。正しさを証明したのは、彼女の戦い前のあの『想い』であるということに間違いないが――
――この私が君たちを置いて倒れる気はないし、死なせるつもりは毛頭ないけどね――
「戦姫様!これでは我々も黒船を索敵紛失してしまいます!」
「心配ない!その光明への航路は私が導く!」
事実、霧がこちらを隠している以上、こちらも相手を見つけるのは困難なはずだ。もちろん、戦姫もそれは百も承知。いかなる手段であれ、姿が見えなくともこちらが敵の位置を掴んでいれば問題ないはずだ。
(熱の『跳ね返り』で常に黒船の位置を把握できれば、黒船を見失うことは大きなハンデにはならないさ)
そして、このままずっとまっすぐ進めと、総舵手に指示を出す。
これはバルグレンの力、竜の『髭』たる熱源探知だ。
遠くに離れていれば、『首長竜筒砲』うかつに近寄れば、『蜂巣砲』
だが、その心配は杞憂におわり第2関門を突破する。
あとはこの『火炙り』で、黒船の蜂どもが大騒ぎを起こしてくれれば――
やがて黒船との遭遇接近を果たし、マドウェイが現状を報告する。
「戦姫様!黒船への『上陸』まで拾い数10!」
先ほどまでなら、蜂の巣をつつかれたような騒ぎであった。にも関係なく冷静を務めて告げるマドウェイを見て、煌炎の戦姫は薄く笑みを浮かべる。不思議な頼りがいを、この部下に感じ取っている。
ただ激しい炎のような燃え上がる闘争心だけでは、勝利への道を照らすことはできず目を曇らせてしまう。時には彼のように『カンデラ』に比す落ち着いた火だって必要だ。
レグニーツァの指揮官は目前の黒船との距離と時間を推し量って即断した。もはや迷っている時間はない。
「総員!黒船へ向けて全速全身!突撃せよ!」
今ここに、専制接触を果たしたレグニーツァは、黒船のケツに火を焚きつける勢いで『上陸』していった。
『同刻・オステローデ船団・艦首ブリッジ』
レグニーツア旗艦であるこの船『甲胃魚号』は戦姫を戦線へ最大航速で送り込むための専用母艦である。
その性質の為、大きさこそ他の船とほぼ全長が同じであるが、戦闘乗組員の搭載能力は極端に低い。他の戦術運用もできるのだが、あくまで基本は戦姫専用船の為、武装のほうもそれほど高くない。
攻撃は基本的に頼るものがないが、全身に細工された穴部へ配備された『細矢』や『バリスタ』、『連弩』のおかげで迎撃能力は高い。武器軽量を図って総重量をできるだけ浮かせた結果の武装だ。
戦略級の戦闘力を誇る『戦姫』を迅速に敵軍の『急所』に運びこみ、戦局を一打で決定づける『勝利のカギ』として――
他艦と同列を組ませることはない為、レグニーツァ独自の運用が想定されている。
かの船の運用を見届けていたオステローデ主は、ついに自分たちが動く時だと判断する。
「レグニーツァのコバンザメが黒船にとりついたようだな」
コバンザメとは、先述した甲胃魚号を指している。なるほど。あれほど小回りの利く運動性よしの船をそれに例えるとは――鬼神と称えられた戦姫らしいといえばらしいのだが。
しかし、その辺の巡洋魚で例えられると、レグニーツァもなんだか気の毒である。隣にたたずんでいるヴィッサリオンは盛大にため息をついた。
「……黒船を『粉砕』するなら今か――戦利品にあの煌炎の揮船もついでにもらえないものか――」
「恐ろしい事をさらりという姫君ですな。言い争いの『火種』になるから自重してください」
黒船のケツに火を焚きつけて、連環的に被害を与えたのち、3公国の全水軍で総攻撃をかける。そのためにわざわざ『弱く見せられる木造船で戦意の火をあおる』策を用いたのだ。※5
「とはいえ、あの……『首長竜筒砲アームストロング』といったか?そろそろ黙らせておきたい頃あいだ。ヴィッサリオン、貴様も付き合ってもらうぞ」
「先ほどわたくしを連れ戻したと思い一転、戦姫をはべらかして死地に同行せよとは……これいかに?」
「勝利のカギは最後まで扉を開くまで取っておくものだが、使わなければ扉は閉じたままだ」
温存と果敢の両極端の思考を持つ戦姫の判断は、本当の意味で正しいと思えた。そろそろ言ってくれなければ、ヴィッサリオン自ら申し出ようとしたところだ。先ほどヴィッサリオンを無理に連れ戻したのは、味方が黒船にたどり着くまでの自軍航行速度が失速するのを危惧したからだ。これでは策が成り立たず、ヴァルガ大河へ敵の侵入を許してしまい敗北してしまう。そうなれば瞬く間にジスタ―トは蹂躙されるのは目に見える。
しかし、黒船の牽制攻撃によるルヴーシュ撃沈ともなれば、その策さえも成り立たないわけで――ヴィッサリオンの、身を挺して鉄塊なる魔弾を切り裂いた『斬鉄』行動も正しいといえる。
この距離なら、黒船との接触でオステローデ、ルヴーシュ二国とレグニーツァの『挟撃』が可能だ。ある程度敵の速度に見切りをつけたら、あとは『無人機雷船』にぶつけて撃沈――それで終わりだ。
◇◇◇◇◇
「まもなく黒船へ『上陸』する!過去に祖国を蹂躙された恨みを!いまここで晴らすのだ!」
黒船への上陸を果たす――ジスタートにとって、黒船の甲板は未知なる大陸そのものだ。
宝箱は?その中身は?足を踏みしめる鉄の『大地』には何があるのか?これを思わずして、『上陸』以外にどう表せというのだろうか?
そんな思慮と好奇心を打ち砕くかのように、敵兵は待ち構えていた。がしゃりと兵器を構える連中がずらりと並ぶ。『長い筒』を構えて、オステローデに一斉掃射で畳みかけようとする。
「――黒霞!」
『銃』の引き金を引かれる前に、戦姫は竜具にて空間を一閃した。裂かれた空間からまるで墨汁のように『霧』を模した『受動式煙幕』を張る。こちらの霧は、敵からの衝撃等を受け止めることで『増旋消滅』を引き起こす。
銃声鳴り響く中、鉄砲玉が無慈悲に飛んでいく――
受け止められた『鉛玉』は常闇に飲み込まれ、ドス黒い煙を上げて消滅四散した。
「全軍!火を飲み込む勢いで奮起せよ!」
いわれるまでもなく、オステローデ水兵達は火を飲み込むような思いで、敵兵に食って掛かった。『過去』の黒船で蹂躙されたあの恨み――黒竜の化身が建国せしより続く、怨念に近いそれを果たすために――
黒船甲板の開口部から、乗組戦闘員と思われる集団が吐き出される。まるでイナゴの大群のように、オステローデの精鋭へ襲い掛かった黒船の海賊たちは、ジスタートの迎撃を受けつつも、銃を撃ちながら各地所定の位置に立つ。敵の集中砲火を浴びないよう、すかさず戦姫は散開の指示を出し、海賊を求めて走らせる。
「――虚空滅彩!!」※8
深紅と漆黒の滅波に彩られた大鎌を地面に突き鳴らし、鬼神を彷彿させる虚空結界が戦姫を中心として発生する。押し出された空間の圧力に耐えかねて、遠呂智の二つ名を持つ戦姫の『蹄-ハイヒール』は、機械仕掛けの鉄塊たちを瞬く間に『踏み散らかした』――
首をもたげた鉄の塊を睥睨して、戦姫は呼吸を整えた。
(首長竜筒砲―アームストロングはこれで大体片付いたはずだ)
本来、竜技は人に向けて放ってはならない。戦姫と成りしものならだれもが知っている暗黙の了解。
だが、相手が『機械仕掛け』なら、一切の躊躇はいらない。それがせめてもの救いだった。
闇竜の『牙』たる封妖の裂空。闇竜の『翼』たる虚空回廊。闇竜の『粧』たる黒霧。そして、先ほど繰り出したのは、闇竜の『蹄』たる虚空滅彩だ。
それから――戦姫は竜具を鮮やかに振るい、廻し、斬首刑の大判振る舞いを施していく。
戦姫の武に慄くがいい――
戦姫の舞に散るがいい――
――竜姫将はここにあり!全員我に続け!――
◇◇◇◇◇
オステローデ全軍の指揮は異常なまでに高かった。だが、兵力で勝る黒船では元より『占領』はできない。もともと黒船に『速度規制』をかけるための奇襲なのだから、とりわけ占領する必要もないのだが――
黒船の船員は、やはり過去と同じ人間だった。切れば赤い血が流れ、恐怖に慄けば腰を抜かし、その辺の荒くれどもと大差ないごく普通の『人間』だった。
そのような雑魚は配下に任せ、戦姫たる自分は次々と射殺兵器をつぶしていけばいい。
ジュウとやらの予備動作は、すべてヴィッサリオンから教えてもらった――自然と落ち着いて対処できる自分が、自分じゃないような気がして、不思議な高揚感が彼女を包んでいた。
その黒髪の傭兵は一人も切り捨てることなく、敵兵を食い止めていた。
「銀閃殺法――地竜閃!!」
大地を叩き鳴らす地竜の尾の一撃!振り下ろされる一刀は、巨塔と誤認させる大迫力!
瞬く間に鉄の大地を打ち砕き、ヴィッサリオンは浮足立った敵兵に『峰打ち』で戦闘不能を施し、ことごとく『沈黙』させていく。
『竜技』が文字通り、『翼』『牙』『爪』のような竜の『姿』を再現するならば、この銀閃殺法を開教祖とする『竜殺法』が再現するのは、『地竜』『飛竜』『火竜(ブラー二)』の動作を模倣した竜の『舞』だ。竜具の形状と竜の舞の組み合わせ次第では、計り知れない相乗効果を出してくれる。
血だまりはない。返り血さえもない。血脂の付着していない刃。
天から差し込める光を跳ね返す『カタナ』を見ていた戦姫は眉をひそめた――
(……不殺……)
遠巻きに見ていた戦姫は、黒髪の傭兵の事後処理に、言いしれない苛立ちを感じていた――
戦姫と同等の戦力ととらえた敵銃騎兵は、ヴィッサリオンにもその凶口を差し向けた――
(今度は散弾銃……俺が知っている『魔弾』じゃないな)
火打式銃から施条銃。連射機能を極めた蜂巣砲。奴らはここまで『力』を手にしていたのか?カヴァクなる連中の文明発展速度に、ヴィッサリオンは戦慄を覚えた。
――散弾銃―ショットガンから発せられた八条の朱白い閃光は、確実に人体へ直撃進路を奔っていた――
数で勝る重火器の前に、銀閃の使い手ヴィッサリオンが舞い降りる。そして瞬時に『鉛玉8発』を固定すると、『カタナ』から瞬閃八斬の光が迸った。
「銀閃殺法――八頭竜閃!!」※9
銀閃の極みたる、『神速』の天譜。ヴィッサリオンが持つ3つの才能『神算』・『神速』・『神技』のうちの一つ、『神速』を最大限まで高めて繰り出す技。ヤマタノオロチというのは、東方国家ヤーファに伝わる神竜の名だ。頭に文字通り8つの頭を備えているから、そう呼ばれている。
ヴィッサリオンの剣閃に殺傷力を奪われた『鉛玉』は、むなしく眼下へコトリと落ちる。敵味方入り乱れるこの混戦状態の中で、あやまたず敵の攻撃だけを捌いた手腕はさすがというべきか。その凄まじい戦闘力に、敵のみならず、味方のオステローデ兵までしばし茫然として動きを止めた。
そこへ、虚影の戦姫が飛び込み、彼をかばうように再び敵海賊の魂を狩りとっていく。たとえ未知なる兵器を前にしても、場数だけはしっかりと踏みしめている戦姫だった。
――こうして、望む航行速度に至るまで、黒船甲板では敵味方入り乱れる混戦状態となった――
『同時刻・黒船・最深部・発令区画部』
一方、黒船の最深部では、甲板たる『陸』の様子を見つめるものがいた。『人』と『魔』である。
正確には、オルシーナに住み着いている海賊たる人と、昔話に例えられる『老婆』と『白鬼』なのだが――この両者は今『魔』の正体を隠して、文字通り『人』の皮を被っている。
「ど!どうするんでい!?親方!こんな鉄の塊が切り札だったんじゃないのか!」
「このままでは『竜の心臓―シレジア』へ着く前にまいっちまいやすぜ!」
まだ戦力的にはこちらが有利のはずだ。だが、所詮は海賊。戦闘はこなせても、戦術まで見据えるには至っていない。優勢という頂点に浸かっていた気分が、一気に瓦解している今では冷静に務めることさえできない。
『監視設備』と呼ばれる、遠隔映像を映し出す箱の様子を見つめて、『人』は狼狽するばかりだ。
(やはり侮れん国だよ、ジスタートは。『――――』がむきになるのもわかる)
(今頃ハウスマンはテナルディエの旦那と『交渉』しているころだし、向こうでも『実演』が始まってるとおもうて)※10
この兵力差をして、策を用いて持ちこたえられるとは。『レスター』は感心してしまう。
領海ギリギリで黒船を引き付けておいて、おそらくは二次災害の及ばないところで黒船の存在を『始末』するつもりだろう。監視設備越しでもわかるように、戦姫はよく『機械文明』を相手にして、なかなかの戦闘を繰り広げているようだ。
『人ならざる者』たちは、言葉を発することなく、意識通話のみでことを済ませる。こうすることで、言葉による対話より、確実かつ迅速に意思疎通ができるからだ。
「や……やっぱり切札は他にあるんじゃあ……レスターの旦那!」
レスターと呼ばれた禿頭の男は、厳かに告げた。
「……切札ならある」
「な!なんでい!?レスターの旦那!早く教えてくれ!」
――それは、お前の『心臓』が知っている――
NEXT
後書き
今回も読んで下さり、ありがとうございます。あと一話外伝を投稿して本編へ移ります。
(久しぶりに凱兄ちゃん視点がかけるなぁ)
では解説をどうぞ。
※1 高橋名人の16連射が由来。
※2エレンの突撃思考の面影。原作では少なからず単騎突撃の傾向がみられ、リムたちを心配させることもあった。良くも悪くも先陣きって部下たちへの鼓舞たらしめる『勇者』の素質が彼女にあり、ヴィッサリオンの『勇者』としての矜持が、『戦姫』の矜持として受け継がれていくこととなる。
※3高気圧から噴き出す暖かい空気が、冷たい海面の影響を受けて霧を生じさせる、煌炎の『力学』がもたらすもの。バルグレンの刃の表面から発せられる火粉の存在も、霧発生に一役買っている。イメージはドラクエ3の幻惑呪文マヌーサ。
※4熱分布による物体放射の赤外線を感知するサーモグラフィを模したもの。感知器官たる竜の『髭』バルグレンの能力。
※5原作5巻のスティードの台詞『弱々しく見せることで、こちらの戦意をあおる策』から
※6漫画『フリージング』より。(本作はフリージングと同じ世界観を共有する、遠い未来の話)
女性の脊髄に直接『次元連結物質―聖痕』を埋め込み運用する計画の総称。詳しくは「フリージングFINALアンリミテッド」の用語辞典を参照のこと。(余談だが、フリージング2期のOPは、魔弾の王と戦姫OP『銀閃の風』、特別ED『竜星鎮魂歌』を歌い上げる・鈴木このみ氏)
※8イメージは無双シリーズの魔王遠呂智のチャージ1攻撃。鎌を眼下にたたきつけるあれ。
※9イメージは思いっきり飛天御剣流の『九頭竜閃』
剣の銀閃、槍の凍漣、杖の光華等あるが、武器の形状が変わっても、基本動作は統一されている。
ちなみに銀閃殺法は最後に『閃』がはいる。
現在判明している動作は下記の通り。
地竜閃―スロウブレード。地竜の『尾』を叩きつけたり、巨大な『足』を踏みしめる動作を模する唐竹割り。純然たる力の技。相性の高い竜具は『崩呪の弦武―ムマ』
八頭竜閃―ヤマタノオロチ。八岐大蛇の『頭』と同数の斬撃を同時に繰り出す。相性の高い竜具は九つの鞭に分かたれる『砕禍の閃霆-ヴァリツアイフ』。上位技として『九頭竜閃―コガシラノオロチ』がある。
海竜閃―リヴァイアサン。海竜の『胴』を模倣した斬撃術。イメージは龍巻閃。派生技として、横水平に大きく巻き込む『泡飛沫―ムーティラスフ』、螺旋状に切り結ぶ『大海嘯―タイダルウェイブ』、高速の縦回転による『銀流星-シルヴミーティオ』がある。(ちなみに、第2話でヴォジャノーイに凱が向けて放ったのは、大海嘯―タイダルウェイブ)。
※10この話は、外伝『The.day.of.Felix』to と時系列は同じ。この『海戦』と『陸戦』の機械文明の誇示の為に、ハウスマンはテナルディエとジスタートの同時接触を果たしている。
外伝『魔弾と聖剣~竜具を介して心に問う』―終章
前書き
ちょっと駆け足になりますが、先次て更新します。
解説文については、後程掲載します。ご了承下さい。
ではどうぞ。
悪魔契約――
人間の血肉を空気中の『霊体』に喰わせ、『人』を『悪魔』に変貌させる現象のことである。
東の黒竜が吐き出す『霊体』―ヴァルバニルの憎悪と呪いは本来、ヒト同士を争わせ、絶滅へ導き、『代理契約戦争―システム』を起動する為の『指金-プログラム』にすぎなかったが、やがてそれが人類の文明発展に貢献し、国境の役目を果たす『抑止力』と成り果てたことは、いったい誰が予想できたことだろうか。
悪魔契約で誕生した悪魔の数々。人間より強固で汎用をしめす『魔』の存在こそ、今後の戦争を制すると『人』は信じていた。悪魔という『人ならざるもの』に、戦略兵器としての価値を見出したのは、人の心の奥底に潜んでいた、魔としての性なのだろうか?
ある時は『炎』をまとい――
ある時は『氷』に覆われて――
ある時は『女』から『剣』へと形を組み替えて――
脆弱な人間に比べ、悪魔は数多の環境に適する性質上、際立って高い生存能力と戦闘力を有している。憎しみの果てに叶えた契約……悪魔は、一度解放されたら恐れを知らない自動殺戮生体兵器となる。
こうして生み出された悪魔たちは、それまでの主戦力であった『騎兵』を圧倒し、物量において遥かに勝っていた『人間』との戦闘において、目覚ましい戦場労働を見せ、戦局を覆すまでになったのである。
だが、成果に対して誤算もあった。
悪魔たちを構成する『霊体』が、ヴァルバニルの勢力圏に順応して、悪魔の高い能力へ影響を及ぼしてしまうことだ。文字通り、悪魔の『王』たるヴァルバニルの『息が掛かっていない』勢力圏では、その力を大きく失ってしまう。ヴァルバニルが吐き出す霊体は、悪魔の活動を支える栄養素として、なくてはならないものだからだ。
『人』を集めた『大軍』よりも、『魔』としての『精鋭』が有効とされる時代となったのである。
その事実は『代理契約戦争』の終戦後、まもなくして三国一都市にも認識するところとなる。条約で禁止されたはずの悪魔契約を、帝国と群集列国が拿捕した悪魔を研究し、独自にこの生体兵器の開発に着手したのは、その認識があったからこそだ。ほぼ同時期に、最先端の霊体技術を持つ『独立交易都市』においてもまた、悪魔契約の開発が進んでいた。独立交易都市の建立者ハウスマンはやがて、周辺国の要請に乗せられる形で、『祈祷契約』を生み出すことに成功する。この祈祷契約こそが、機械文明を持たない人類に、『ショウドク』・『ジカン』・『シャシン』・『オンキョウ』といった知的財産を寄付したのだ。
だが、彼らは時期にヒトとしての限界へぶち当たることとなる。
悪魔を生み出すために必要な文言……ヒトの幼生体が『死言』を唱えられるよう言語能力を身に着けるまで成長を待たなければならない――それも、早くとも1歳、確実には3歳まで――という事実である。
悪魔に対抗するためにも、人間たちは『生体兵器』を凌駕する性能を次々に求めた。それまで実用化のめどが立っていなかった『戦闘式祈祷契約』、『魔剣運用』などである。
しかし、無敵とも思える祈祷契約と魔剣を造り上げたものの、それを運用する人間側の問題は、まったく解決されていなかった。魔剣の出力に人間の技量が追いついていなかったのだ。結局のところ、彼らがそれを実践の場において用いることが可能になったのは、皮肉なことに、セシリー=キャンベルという『目の前に映る全てを救う』・『悪魔契約という腐った力は信用しない』という正義を掲げた、強い信念を抱く騎士の存在があったからである。
次々と発見される魔剣の存在を、独立交易都市の市長『ヒューゴー=ハウスマン』は深刻な脅威と受け止めた。――魔剣は対勢力から常に狙われている――という別の脅威が存在している上に、その魔剣を狙う為に、禁忌となったはずの悪魔契約を利用する。脅威が脅威でかさばる事実……損耗率対策の為に、少数精鋭においての悪魔対策は最重要課題となる。
だが、そうなると別の問題も生じてくる。
魔剣の実戦配備、戦闘用祈祷契約、少数精鋭、という卓越した防衛能力を他国に危険視され、各国対立の緊張感と軋轢を生み出してしまう――という問題だ。もともと独立交易都市は『独立交易都市―ハウスマンは、あらゆる国家権力から独立する。ゆえに中立を永久に掲げる』という理念上、戦術理論は拠点防衛に偏っている。加えて、『神剣の刀鍛冶』による一子相伝の技術公開を秘匿している面も、各国からの逆風をあおる一因にもなっている。
後に天才学者である『ユーイン=ベンジャミン』が発明されるであろう『通信伝令玉鋼』や、凱の所有物だった『GGGスマートフォン』を組み合わせた『多目的通信玉鋼』という発想は、『一つでも多くの生命を救う』ための、避難誘導という解決手段へ向けてのひとつの回答といえるだろう。※1
それにしても――代理として遣わされた悪魔――ヒトを殺し合わせるために生み出したシステムによって、ヒトは本当の意味で『進化』を勝ち取ったのではないのだろうか。脆弱な体を持つ人間と、その脆弱な人間の戦友たるアリアのような魔剣は、一つの仕様とみれば、対極の可能性を見せてくれる『未来』そのものと言えなくもない。
そういう意味では、人という四肢と意志を持った肉体と、四肢はなくとも意志を持つ竜具を組み合わせた『戦姫-ヴァナディース』という様式も、新たな未来を見せてくれるという点において同じことがいえるかもしれない。
ただ、『魔剣』と『竜具』の双方に通ずること――それは、『人』と『魔』による戦争の土壌にまかれた『種―シード』が芽吹いたものの集大成という……不幸なことと言わざるを得ない。
『同刻・黒船甲板・オステローデ軍』
血なまぐさい風が走る――
嗅覚に違和感を覚えたヴィッサリオンは、振り回していたカタナを納めてあたりを見回す。
(……周辺の『大気』が集まっている?)
微細な感覚。大気が一点に集中する皮膚の報告。腰に帯びた『銀閃』が、ただただヴィッサリオンに警告する。―『悪魔』に気をつけろと―
そして――ようやく見つけた。ミツケタのだ。大気の集まる一点を――
男がいた。
黒船の水兵を吐き出した開口部より、一人の男がふらりと現れた。まるで、ジスタートの建国神話に出てくる『黒竜の化身』を思わせるような――
男は、髄液をみっともなくだらりと流している。
ふらふらと、おぼつかない足取りが、見るものの生理嫌悪を引き立てる。
ヴィッサリオンは、彼のことを知らない。だが、なぜか「知っている」ような感覚にさいなまれている。
〈心臓。心臓。竜の心臓は。シレジアはそこまできている〉
男の服の胸元から見えた、――外科手術――の傷跡。異常なまでに眼が見開かれており、虚空を覗いて凝視している。
こちら……俺を?いや、戦姫を?どこを見ている?
わからない。
わからないが、「彼を止めなければいけない」ということだけはわかっている。
〈――――――――。―――――、――――――。〉
男は何かをつぶやいた。雑音交じりのその声を。瞬間、そこで男の意識はぷつりと途切れる。
宝。宝。宝。竜の至宝はすぐそこに。
ほしい。ほしい。ほしい。
虚空とも、幻想ともとれる欲求。しかし、その男は気づいていない。
その男は、ただ『白鬼』と『老婆』に脅迫され、脳への『強欲』に対し、『服従』を指令されていた。
ただただほしい。『流星』を――
みつけた。あれだ。
ふいに、ヴィッサリオンと視線があった。それもつかの間――
掲げるは髪の毛一本から、血の一滴に至るまで。欲するは竜の至宝。願いをかなえる流星を――
ヴィッサリオンの脊髄が、絶叫を上げろと追い立てる。正確には、絶叫ではなく咆哮だ。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおお!!」
獅子王のごとき咆哮。魂をつかみ取るような轟は、戦姫を含む全員の意識をヴィッサリオンに傾けさせた。
だが!もう遅い!遅いのだ!
血判に類する死の言葉は、もはやだれにも止められない!
◇◇◇◇◇
「どうしたんだ!?ヴィッサリオン」
オステローデ戦姫の動揺めいた問いが、ヴィッサリオンの耳朶を打つ。首狩りの鎌は主の動揺に従って、しばし虚空運動を静止した。
「あれは――悪魔契約――だ!」
「……アクマ……ケイ……ヤク?」
やけを起こしたかのように、ヴィッサリオンは言い放つ。がしりがしりと黒髪をむしりながら――
あのお調子者で世話焼きでお人好しの彼が、このような取り乱しをするなど考えられない。言いしれない恐怖が、戦姫にも容易に伝染する。
「ああ!くそが!野郎!制御を放棄して自暴自棄になりやがった!血の一滴まで霊体にささげやがったな!?」
霊体とは何なのだ?そんな戦姫の疑問を払拭するかのように、ヴィッサリオンの視線は『目の前』を向いている。親の仇を見るような、凄まじい形相で――
それにしても……本当に信じがたい。
悪魔契約は血肉となる『人間』と、黒竜が吐き出す不可視の素粒子にして呪いの『霊体』がなければ成立しない。
もし、目の前の起きていることが本当に悪魔契約だとしたら、この大陸にまで霊体が浸透していることとなる。
『人』から『魔』に変貌したそれは、『力』の化身となって襲い掛かる。
『悪』の行いを以って――『魔』に染まる。
それすなわち……『悪魔』だ。
天を貫かんばかりの『火柱』・『雷柱』・『影柱』が立ち上る。頼りない光だが、されど太い支柱だ。
――黒き三つ首竜の悪魔が誕生した。契約は完了したのだ。――
『同時刻・黒船・レグニーツァ軍』
敵味方問わず、黒船での戦場は蜂の巣をつつかれたような騒ぎとなった。
戦場における熱気、怒号はあっという間に吹き散らされた。ちょうどオステローデと反対側に攻め込んでいるレグニーツァの戦姫は、この奇々怪々な光景を目にして、しばし茫然としていた。
血肉としてささげられた『男』は、戦姫や海兵によって打ち倒された敵兵の死肉を、霊体でもって喰らいながら、『人ならざる者』へ変貌を遂げていく。
――我先に逃げ惑う地獄絵図――
波が打ち広がるように混乱が人の意識を駆けだしていく。これではもはや戦姫の言葉も耳に届かないだろう。オステローデ、ルヴーシュ、レグニーツァ連合の3兵の敵前逃亡は早かった。
「……なんなんだ?あれは?」
黒髪の戦姫は、この世の光景を疑うような目で、遠い景色を見守っていた。その表情は余裕がなく、目を見開いている。
悪魔を包み込んでいた艶やかな柱が晴れて、その姿を確認した戦姫は、絶句してつぶやく。
「……ジル……二……トラ?」
黒竜の始祖たるその姿。黒船といい、黒き三つ首竜を模した『人ならざる者』といい――ジスタートをなめているとしか思えない怒りの炎。
「戦姫様!早くお戻りください!」
甲冑魚号で待機を命じられていたマドウェイとパーヴェルは、先ほどの光景を目の当たりにして、真っ先に戦姫のもとへ駆けつけた。
だが、戦姫は首を縦に振らない。
「私たちはここで『アレ』を食い止める。君たちは速く戻るんだ」
「そんな!?できません!戦姫様を置いて先に――」
「そうじゃない!早く戻ってこのことをルヴーシュの戦姫に伝えてほしい!――レグニーツアは猫の手を借りたい――と!」※2
猫の手を借りたい。その言葉に意味はよく分からなかったが、戦姫が我等に依頼したことは確実にこなして見せる。意気込んで二人は旗艦に戻る。
冷静になって考えれば、長く語らずとも戦姫の意図は読めてくる。ジスタート軍船最速を誇るこの『甲冑魚号―ダスパリーバ』でなければ成しえない任務。
「――戦姫様……御武運を!」
煌炎の戦姫は何を言わず、コクリとうなずいただけだった。だが、彼女の見せた背中からは、確実に年若い部下へ伝わったはずだ。『ありがとう』と――それは、長年培った信頼関係がなせる一つの形だった。
そして、目の前の現実を見据える。
(作戦変更せざるを得ないか……それにしても……)
船の熱気が決して冷めぬ戦場。『初めて』みる『魔』を目にして、戦姫は思わず固唾をのむ。
(初めて見るな……『魔』というのを――)
誤算……ではないか。
足止めを喰らうこと自体は想定外だったが、決して予想外だったわけではない。そして、目の前の敵はおそらく難敵であって、強敵ではないはずだ。
負けられない。煌炎の王たる『太陽』が天上より差し込めて、煌炎の姫君のまなざしに訴える。「おまえが照らす『使命』は何時なのか」と――
――先代の戦姫殿……純然たる『魔』と対峙した時……あなたは何を思った?
戦姫に選ばれたとき……何を思って……この『討鬼の双刃』を受け取った?
『必然』でなく、『偶然』で選ばれて……何をなすために?※3
目前で激変する状況――切り捨ててきた敵たる『人』がいなくなり、その目を疑わせる。
自分が『討つべき』だった『二つの牙』は、黒船のヒトか、それとも目前の魔か?果たしてどちらの『敵』なのか?
「――――くっ!」
悪魔たる敵への衝動に身を任せ、『刃の舞姫-コルティーサ』はバルグレンを駆りたてた。
◇◇◇◇◇
「そこの船壁は予備の木板で塞いどけ!」
「もう補修材はありませんよ!」
「だったら代わりにお札でも張っておけ!当たらないように願いを込めてな!」
軍船最速を誇る甲冑魚号の船では、突貫補修が進められていた。もともと長時間交戦を想定していない船では、激しい損傷に耐えられない。敵の急所を突くべき『戦姫専用旗艦』が、敵に急所を突かれて戻ってきたとなれば、笑い話にもならない。
マドウェイとパーヴェルがルヴーシュ指揮官へ急行する前、黒船の阿鼻叫喚な『柱』は、雷禍の戦姫にも目視できていた。雲霞のごとく群がる黒き光景は、ことの異常さを物語っている。
やがて二人が駆けつけて、速報を受けた戦姫は迅雷のごとく行動を開始した。
「ご苦労様でした」そうねぎらいの言葉をかけると、自らの『専用旗艦―マルガリータ』号を急がせる。こぎ手たちに一番の働きを命じた。
ある時は雷禍で脅し――ある時は報償を約束して、足たるこぎ手たちを『こき』使う。
波はちょうど自分たちへ向けて逆立っている。それがより一層こぎ手たちの体力をごっそりさらっていく。
こうして雷禍の戦姫が合流を果たしたのは、煌炎が応援を要請してから1刻後(2時間)を回っていた。
竜の眼光――雷禍の主を据えるルヴーシュ公国――
鞭の姫君の『眼光』は、既に『戦姫』としての敵の存在を見据えていた――
災禍を砕く九つの眼光――大気ごと斬り祓う鞭、ヴァリツァイフを腰に据えて――
『同刻・黒船甲板・オステローデ軍』
悪魔1匹と戦姫3人……そして黒き髪の傭兵1人が居合わせた戦場は、あたかも『神話』を思わせる景色だった。
巨竜を打倒さんとする勇者一行――まるで開戦の火蓋を切ったかのように、かの三つ首竜は三つの『息』を吐き出した!
「飛炸焔!!」煌炎竜バルグレンの放つ灼熱勾玉の息が――
「闇夜薙ぎ払う雷奏の息!!」雷禍竜ヴァリツァイフの放つ紫電宝雷の息が――
「虚空星雨!!」虚影竜エザンディスの放つ暗黒物質の息が――
それぞれの属性を持つ竜の『息』を、それぞれの属性を宿す竜具の『息』がせめぎあう!
竜の『息』同士の均衡状態。『息』を吸い込んで大気を喰らいあう光景。もしここが木造船の戦場であったら、戦姫たちの竜技に耐えきれず撃沈していたであろう。幸か不幸か、ここが鉄の装甲をまとう黒船の大地でよかったとさえ、思えてしまう。
「くっ……ヴィッサリオン!」煌炎の姫君が――
「わたくし達が捕まえている間に……」雷禍の姫君が――
「こいつに止めをさしてくれ!」虚影の姫君が――
三つ首竜の悪魔の動きを封じるために、三人の戦姫は文字通り『息』を合わせて竜技を振る舞う!
「よっしゃあ!」
ヴィッサリオンは、『息』によって封じられた三つ首竜の悪魔に、猛然と襲い掛かる!
だが、横合いから何かが……『白鬼』が突進してきた!
その白鬼の正体に、ヴィッサリオンは『初代ハウスマンの書にて』知識で知りえた既視感があった。
「……まさか、トルバラン!?」
白亜の鬼人。幼子をさらう御伽噺の登場物は、聖剣の使い手の問いに対して冷笑を浮かべる。
「答える必要はない」
「……『初代ハウスマンの書」言っていたことは本当だったのか?『勇者』より現れ出でし『魔物』が暗躍していたのは――」
愉悦がもたらす心理か、いずれにせよ、ヴィッサリオンにトルバランと呼ばれた異形のものは、ヴィッサリオンという強敵の存在に喜んだ。頭上3本の角を『ねじり』あわせ、螺旋機構に変形させてヴィッサリオンの懐に潜り込む。
――掘削機構か!ならばこれでどうだ!
「銀閃殺法――海竜閃・大海嘯!!」
だが、ヴィッサリオンもまた白鬼の『ねじり』に対して聖剣の『ひねり』で迎え撃つ!
「ぬおおおおおおおおお!!」
「はあああおおおおおお!!」
白鬼の捻角と白銀の獲物が互いの回転力により激突し、火花を散らし、衝撃をはじき返す!
先に迎撃態勢を整え、再閃を放ったのはヴィッサリオンのほうだ。
「銀閃殺法――海竜閃・銀流星!!」
交差ぎみで撃ち込まれた片刃の聖剣が、トルバランの上半身を粉砕する!
斬撃の流星雨を浴びせられたトルバランは、遥か彼方まで吹き散らされる。2アルシンはあろう白鬼の巨体を悠々と弾き飛ばした剣腕は、戦姫達の表情を驚愕に染めた。
(……すごい!本気を出したヴィッサリオンが、ここまで強かったなんて!)
白い肌。黒い角。2アルシン以上の巨体。そのような「人ならざるもの」が突如出てきたにも関わらず、ヴィッサリオンは『激しく冷静』なままで対処している。一体彼は何者なのかーー
何から何に驚いたらいいか、道筋すら見えない。でもーー
(逃がすものか!)
ほぼ半壊状態のトルバランを見て、黒髪の聖剣士は勝機を見た。再生行動が追い付かず、もたついていトルバランに『とどめ』を打つ瞬間ーーこれを逃す手立てはない。
あの白鬼は異常なまでの再生を持つことを、ヴィッサリオンは『知識』として知っている。彼もまた、重厚な鉄の領域に身を躍らせながら、トルバランを追撃する。
だが、上空からさらに『人ならざる者』の指令が飛び交う。
――逃げるのじゃ!早く!――
『老婆』によって発せられた――言葉でない伝令が『悪魔』と『魔物』に飛び交う。
激しい『息』のせめぎあいを放棄して、三人の戦姫から逃れた悪魔もまた、『本陣』へ逃亡を図る。
〈――――。――――、――――――。〉」
言語をなさない発音源は、あの黒竜から囁かれる。言語の意味は理解できなくとも、何を意味するかは、すでに理解していた。次の光景が目に飛び込んできたとき、戦姫一同は驚愕に目を剥いた。
「……まさか!」
カンの鋭い煌炎の姫君の警戒が、一層に強くなる。
悪魔の『首』・『首』・『首』……計3つの首が消失――体から引きちぎられるような現象を通じて分離し、ゆらりゆらりと舞い上がった『それ』は、呻きながら鉄の地面に着地し、激しくゆらめきながら、『フクロ―炎の白鬼』・『ホウキ―雷の老婆』・『ランプー闇の魔人』のような形を得た。まるで御伽噺の絵本から飛び出たような。小さいころに読み聞かせてもらった記憶どおりの者たちだった。
――アスヴァールに語られる悪鬼-フクロの白鬼――
――ジスタートに奉られる災禍-ホウキの老婆――
――ムオジネルに伝わりし妖魔―ランプの魔人――
この目で拝めるとは思っていなかった。
「信じられない……」一同の姫君はそう呟く。
ただ、何に対して信じられないといったのか、それとも、多くの意味でつぶやいたかもしれない――はっきりしているのは、戦姫の疑問に答えるゆとりは、誰一人としていなかった……ということだ。
一瞬、戦姫達の脳裏に言葉がよぎる――見通しが甘かった――と。
予定外。想定外。それさえも見下した、指揮官としての痛恨事。
この速度規制の策、もしかしたら読まれていたのかもしれない。初めから敵は戦姫を戦線に立たせて『釣り上げる』ことが目的だった。敵が少数精鋭という、印象への安堵と不安をうまく逆手に取られた。敵の攻勢に切れ目がない今、撤退もかなわない。ほぼ完全な『足止め』を食らう。
黒船は、強靭な鋼鉄をまとう代償として、その運動性を大きく損ねてしまう。風の影響を受けず自在に進路をとれ、蒸気を炊いた速度こそすさまじいものの、一度止まってしまったら、速度を上げるにも時間をかけてしまう。
もしかしたら、この船の破棄を兼ねて――いや、今は戦いに集中すべきだ!
このような悪魔が味方本船へ一匹でも飛び込んでしまったら、混乱は避けられない。
この浮足立った空気に危機感を抱いたのは、トルバラン達を追撃中、横目で見はったヴィッサリオンだった。
(あれは……いけない!悪魔が悪魔を生み出したあの契約は――ただの悪魔契約じゃないぞ!)
二重契約によって生まれた『次世代型悪魔-セカンドステージ』の霊体濃度の含有率は、初期段階で生み出された悪魔の比ではない。おそらく、通常の竜技では通用しないだろう。奴らは『自然の理』から外れているのだから、自然の力学体系たる竜技では、かすり傷一つ負わせることもかなわない。
「天地撃ち崩す灼砕の爪!」
先手の『爪』を放ったのは、ルヴーシュの主だ。
竜の『牙』たる雷禍の鞭――ヴァリツアイフ――
竜の『粧』たる闇夜斬り払う刹那の牙――ノーテ・ルビート――
竜の『尾』たる雷刃――メルニテーー
そして、放ったのは最強の竜の『爪』たる天地撃ち崩す灼砕の爪――グロン・ラズルガ――だ。
九頭竜の雷牙――それぞれが『一撃必殺』の威力を秘めており、本来なら竜であろうと文字通り『砕』く……はずだった。
悪魔という目標物に到達した『竜技-ヴェーダ』は、見えざる壁に衝突したかのように、甲高い音を立てて消滅した。
「な!?」
一瞬、驚愕の色が浮かび上がる。ヴィッサリオンは思った。
(だめだ!『並列』の雷撃じゃ、本当の『天地打ち崩す爪』を引き出せない!)
苦虫をつぶしたような表情のヴィッサリオン。その間もなく、影の戦姫が援護攻撃を開始した!
「もういい!お前は下がれ!虚空突破!」
繰り出されるは、虚影の姫君の大鎌エザンディス。それと同時に煌炎の姫君が追加攻撃を付加する!
「双炎旋!」
戦姫達は、竜技最強の『爪』を引き立てて悪魔に襲い掛かる!
一つは、虚空の彼方へ消し去る裂刃が――
一つは、『朱』と『金』の日輪をまとった双刃が――
それぞれの悪魔へ向けて放たれる!
「……竜技が!消える」
間髪入り乱れる煌炎と虚影の爪。すさまじい勢いで放った竜の奥義であるにも関わらず、これもまた『見えざる壁』に阻まれたかのように、竜の爪がはじかれる。取り直し、すぐさま実刃で切りかかるも、実体のない悪魔が相手では虚空を薙ぐだけに終わる。竜具も竜技も通用しないとはーー!!
新生した悪魔の戦闘能力は見た目以上に高い。いや、そもそも『人ならざる者』の能力を見た目で判断できるほど、人間は次元の優れた存在ではない。
――私たちは戦姫だ。人間ではない……というわけではない――
だが、どの『爪』も雷禍の戦姫と同じ結果で終わってしまうのは、先ほどの交戦結果でわかりきっている。本当に打つ手立てがないものか――
二人の魔物を追跡中であるヴィッサリオンの懸念も、とうとうここで終わる。
黒髪の傭兵は決意する!
(非科学な『悪魔』に対抗するには、『これ』しかない!)
正真正銘の竜の技。それこそが、戦いの終焉を告げる『最終決戦竜技』となる。
『牙』『翼』『爪』……竜の部位すべてをふんだんに使い、高い人間の知能と技巧を駆使して、竜の姿から竜の技を繰り出す。
純粋な力学。どのようなまやかしでも、それらは決して打ち消されることがない――
そのことを伝えたいヴィッサリオンは、アリファールの風に直接『意志』を乗せて、戦場の姫君達に語り掛ける。正確には、ヴァリツァイフに。エザンディスに。バルグレンに――
――竜具を介して心に触れる――ことで、言葉による伝達手段より、そのまま彼女の心に接触する方法のほうが、遥かに効率がいい。
《雷禍の姫様!『並列』ではいけない!九つの尾を『直列』に束ねるんだ!》「……チョク……レツ?」
《煌炎の姫君!相反する性質の『炎』同士を一つにして『暁』を示現させるんだ!》「……アカ……ツキ?」
《虚影の戦姫!『空間』同士を結び付けて『重力』を引き延ばすんだ!》「ジュウ……リョク?」
未知の言葉。概念。方法。それらはこの戦張極まる中、言葉での伝達は不可能だ。
先ほどヴィッサリオンが『銀閃』で伝えたことが、追記となって戦姫の意識に入り込む。言い表すことができないが十分に理解できた。あとは、この体が言うことを聞いてくれればいいだけだ――
託されたのは戦姫の概念。
権威をもたらす竜の武具--力学がもたらす竜の奥技--そして、摂理を示す竜の神意だ。
かの銀閃から託されたヴィッサリオンのエールを受け取った戦姫は、さっそく竜具を構えなおす。絶望的だった状況と表情から一変。覇気と闘志をその体に宿らせて、目の前の悪魔をにらむ。
そうだ。私たちは戦姫だ。かの勇者が見ているのに、無様な戦いは見せられない!
◇◇◇◇◇
「双暁旋-フランロート!!」
敵への壊滅と、味方への反撃を狼煙上げる攻防一体の《暁の霊鳥―フェニックス》が解き放たれる!――※5
「……君『達』を信じてるよ!バルグレン!」
暖かい笑みを相棒に向ける。そして、戦姫は自ら作り出したの炎で、自らを包み込んだ!
(熱い……熱いね!体も!心も!)
いまや全身に炎をまとった戦姫は、自ら『暁の霊鳥』となって、白鬼の悪魔へ特攻する!
バルグレンが必死に、柄や刃の各部位を戦姫の狙いに追随させる!
この戦姫の特攻は、突撃速度も炎焼速度も、バルグレンが発揮しうる限界を軽く凌駕している!
知覚器官を持たない悪魔は気づいた。--これはまずい--と!
理性がなくとも、本能が働く悪魔の判断は、すでに遅かった。撤退を開始した悪魔に、『│暁の霊鳥《フェニックス》』が襲い掛かった!
◇◇◇◇◇
「天地開闢せし灼砕の爪―グロン・ラズルガ!!」天地を紐づける二つの蒼白、《神の爪槍―蒼きグングニルと、白きロンギヌス》が打ち鳴らされる!
(やはりヴィッサリオンは『ただ者』ではありませんわね。ぜひとも我が領国へ招き入れたいですこと)
彼の風から送られてきた新たな『雷禍の概念』は、彼女に雷鳴が轟くがごとく勝機をもたらした。
――『+』プラス――
--『ー』マイナス--
それがもたらす大気との『中和』
大気ごと撃ち砕く『雷鞭』の爆発。
鞭にて大地を打ち鳴らそうとするその姿は、かのヤーファに伝わりし『雷神』を連想させる。雷鼓を激叩する戦姫の姿はまさにそれだったのだ。
(くううううっ!!………腕が、吹き飛びそうになりますわ!)
ヴァリツァイフ。主を守るはずの握部、戦姫が、その絶縁体さえも悲鳴を上げる!
彼女もまた、『竜姫将』なのだ。戦姫が天を操り地を従えたときが、どれほどの威力になるか。
『並列』だった九つの先端を一つに束ねて『直列』に再接続し、――天と地を同時に撃ち崩す雷柱――を見舞う!
その光景はまさしく――天絡――
その絶景はまさしく――地絡――
天空と大地を文字通り短絡させ、大いなる雷帝の神柱を打ち鳴らした!※8
◇◇◇◇◇
「時空崩壊!!」
竜技展開と同時に、異常事態にさらされる!
体が……重い!!
一瞬でも気を抜けば、自分の体が平焼のように潰されるのではないかと思うくらいだ!※6
(しかし……よくヴィッサリオンは知っていたものだな!)
間もなく、熱も雷も光さえ逃がさない《小型の天体-ブラックホール》が放たれる!
エザンディス。空間湾曲による。終焉から開闢の『虚空』を一気にかけることにより、『時空』がゆがめられ、最終的には『重力崩壊』を引き起こす。あらゆる力学を崩壊へ導く『竜技』なら、数多の『妖魔』を『封印』することができるはずだ。
『封妖の裂空』--時空も虚空も、妖魔の存在を平行世界より封印する『裂空』が、その真価を発揮した!
自然原理を超える宇宙摂理。それこそが『最終決戦竜技』となる。
戦姫を選んだ『偶然』と、勇者を求めた『摂理』の相対--
この瞬間、戦姫は黒竜の『神意』がどこにあるかを知るだろう――
『同刻・黒船母艦・中央階層・機関部』
「……これが……黒船……『黒獅子帝』……」
一方、戦姫たちが悪魔たちと対峙している中、ヴィッサリオンは『壁面』を一点に見つめていた。
黒船の速度規制の本一番、直接動力室へ赴き、黒船の心臓を制そうと鉄板の通路を突き進む。その途中、偶然にも見かけたのだ。
壁面に収められた『箱船』は設計工作なのだろうか?ただそれは『模型』のように見える。黒獅子帝とは、おそらくこの船の名前だろう。
人間の手で作られたものとは思えない精工の作り。
船腹の側面には、いくつもの穴が開いている。そこからは、先ほど虚影の幻姫が『竜の蹄』で踏み散らかした同系型アームストロング砲がある。それは決して祝砲でもなく、合図のための空砲でもない。
純然たる砲撃……『│大気ごと焼き払え《レイ・マグナス》』ただその為に作り出された『首長竜の咆哮弾』だ。ただ、連中にとっては、『花火』感覚でしかないものかもしれないが――
黒船の黒は、防水や腐敗防止のために塗られる『塗料』であり、黙々と『煙』を吐いて海面を進む艦影は、それまでジスタートへ訪れていたアスヴァールの帆船とは違うものであり、その黒船はジスタートを驚愕させた。
船躰を覆う鋼鉄の防御力。搭載された無数の大砲の火力。迎撃能力を追随する蜂巣砲。
船頭には、獅子を模した巨大な頭部がある。しかし、魔物を追跡してこの船に乗り込んだ時、このような頭部はなかったはずだ。
「一体なんなんだよこの船は?……まさか!俺が『降り立った』甲板は、艦橋だというのかよ!?」
「その通りだ。ヴィッサリオン」
「誰だ!?」
鋭い視線と語気を伴って、背後を振り返る。声がしたほうを見てみると、そこには『小人』がいた。
禿頭で醜悪で小人……得体のしれない瘴気が彼をくるんでいる。そもそも、なぜ俺の名前を知っているのか?どこかで会ったことがあるのか?
「初にお目にかかる。私はマクシミリアン=ベンヌッサ=ガヌロンと名乗るものだ。先ほどは『魔物』どもが大変失礼を働いたようだ。その『詫び』として、わが『力』で応えたい。いかがかな?」
「……ガヌロン?」
ガヌロン……その名だけは、虚影の幻姫から聞いたことがあった。
代々ブリューヌ王国の神官を務める法務家系の者。同国のテナルディエ家とは政敵として対立状態にあると――
そもそも、なぜこのようなところにいるのか?
ヴィッサリオンはかすかな疑念を払うように、頭をぶんぶん横に振る。
「せっかくのお誘いだが、今は貴方に付き合っている時間がない――」
ひょうひょうとした態度で、そして緊張を緩めないヴィッサリオンの声色。対する小さな魔人は、まるでおびえる子供をあやすような口調で彼に語り掛けていた。
「……機械仕掛けの最強の『魔弾』を知りたくはないのか?」
その言葉が、彼を突き動かすに事足りた。しかし、『機械仕掛けの最強の魔弾』という言葉が、彼を失念に墜落させた。今、やることが多い――多いはずなのに。
――今、この場を逃したら、すべてが取り返しがつかないような気がして――
「『魔弾』とは、ある『力学』を指す……俺が最も嫌いな言葉だ」
それは、聖剣の刀鍛冶が最も忌むべき言葉が『王』であるように――
黒髪の傭兵もまた、最も忌み嫌う言葉は『魔弾』だった――
「……アリファール!」
静かに、その刀身を抜き放つ。
それは、翼を模した美しい鍔形。
それは、照り映る『鏡』のごとき側刃。
それは、燃え上がるような『珠』の装飾。
なぜ、戦姫ではないのか――
どうして、俺のところへ来たのだ?
その問いを見出すかのように、『銀閃』は姿を披露した。
披露したのは、『聖剣』とて同じだった。
「そこを通してもらうぜ!黒船に隠された『魔弾』を暴くために!」
「やっと『その気』になったか。『流星』よ」
対するガヌロンも、右手に『破壊の瘴気』を練り合わせている。赤い色が放たれる。
「│剣星の勇者……少しの間遊んでやろうではないか」
かつて、ヤーファには『右手に刀』『左手に剣』を携えた伝説の剣豪『武蔵』が存在していた。※7
そして今、ヴィッサリオンの右手には聖剣の刀。左手には竜具のアリファール。
――間違いであればいいが!そう祈りを込めて、二つの刀身を構える。
もし、『小さな粒をぶつけ合って連鎖反応させる』ものだとすれば……何としてもここを押し通らなければならない。
「ちっ!流星はガラじゃねぇっていうのに!」※9
軽く毒づいたあと、目の前の魔人と相対する。
急がなければ!
なんとかして、『黒船』と『黒竜』の連中に、このことを知らせなければ!
――全てが手遅れになる前に!――
『数年前・ジスタート王国・王都シレジア・謁見の間』
黒船の戦闘は割愛する。
結果だけ言えば、ジスタートの勝利だった。ただ、勝利といえるものかはわからない。
ガヌロンと交戦中、ついに奥底へたどり着いたヴィッサリオンは、その『魔弾』と対峙した。
半径10ベルスタは溶解するかもしれない――そうとらえたヴィッサリオンは、弾かれた矢のように黒船を飛び出し、戦姫に呼び掛けた。必死の形相で。それだけじゃない。アリファールの発する風を大気振動変換に見立て、避難勧告を促した。
そして全軍は撤退した。戦姫に命ぜられるまでもなく、特に漕ぎ手は死に物狂いで櫂を漕いでいた。
じりじりと背後から迫る死神の光刃。触れた光景からちり芥に帰る魔の海峡。
敵味方が『海の大壺』に飲み込まれる阿鼻叫喚図の中、かろうじて生還できたのだ。
そして、海に接する3公国における滅亡の渦中から3人の戦姫を救い、当時のジスタート王から救国の英雄として挙げられたとき、彼の名声は頂点を極めたかに思われた。
「そなたこそ真の勇者。我が国の貴重な戦姫を救った功績は大きい。領土を――」
当時の王はヴィクトール=アルトール=ヴォルク=エステス=ツァー=ジスタート。まだしわがれた手を持たず、金髪もまだ色が抜け落ちていない若かりし頃、黒竜の代理たる現代の王はそう告げた。ヴィッサリオンへの賞与として領土を与えようと。金を盛り、それも大きく『盛大』にと――
しかし、ヴィッサリオンは首を横に振った。傭兵らしい細傷の顔立ちにも関わらず、そよ風を思わせる表情で――
「いいえ、私の治める領土……『国』があるのなら、それは、わたし自身で探したいのです。『――』によってではなく、この手で」
……?今は何といったのか?
今世代でのアリファールの主は、不在のはず。
その時、中でのヴィッサリオンの告白は、興奮を衝撃に変え与えたのである。
布に巻かれた、彼の腰に携えし降魔の斬輝を解き放つ。ライトメリッツ公国の国宝。銀の翼を模した柄の中の『紅玉』を、王にだけ見えるよう差し出して――
――そ……それは……まさかアリファール?――
「すまぬが、皆は下がってもらえぬか?しばらくヴィッサリオンと二人きりで話がしたい」
動揺を隠せない王の態度を、訝し気に見る者は少なくなかったが、陛下の命令である以上、誰も逆らえない。皆は黙って謁見の間を退出した。
そして、彼は語った。自らの夢を。――誰もが笑って暮らせる国――を
夢を夢うつつと笑われたこともあった。
幻想と現実の区別ないと侮蔑されることもあった。本気で相手にされていない日々。そんな過去がまぶたの裏で、咲きかえるのを思い出す中、ヴィッサリオンは言葉をつづけていた。
「――人々は常に時代を行きかう流星のようなもの。銀の翼にのぞみを抱えて流れていく――そんな『銀の流星群』が着地する為には、どうしても『丘』が必要なのです」
流星を眺めるには、『丘』が――人々を集めるには『国』という共同圏下がなければならない、ヴィッサリオンは信じている。
さらに言い募る。その丘へたどり着くには、丘に至るまでの道を導いてくれる者、教えたまう者、正道、王道の旅路を選ぶものが必要だと。
詩人のような、彼のメッセージはなおも紡がれる。それはさながら神話の一文のように――
「人と人。流星群たる星々の輝きを、理想郷にもたらす先導者たれ――」
そう、我等の可能性はまだ飛べるはずだ。もっと……もっと遠く。流星のように遠くへ着地して……根を生やして大樹となれる。
「彼の国の名は……『銀煌舞』」※10
「……オーブ?」
ヴィクトールは、その流憐な響きに、わずかだけ息を飲んだ。
オーブ――宝の玉。
願わくは宝玉に映る『星々』に幸あらんことを――
「世界は律動のままに――人々は天譜を抱いて――『凱』歌を奏でる指揮者ゆえに――」
伝わるは彼の意志。そこに介入の余地など全くなかった。
「そうか……そういうことなら、あえて止めはしまい。ヴィッサリオンよ。気を付けて旅立つのだぞ」
◆◆◆◆◆
それが根拠かは王でさえも、むしろ誰にも分らない。それでも、時代の渦中でも竜具は求めたのだ。ジスタートの望む勇者を、ヴィッサリオンを。
竜具が選ぶのは『戦姫―ヴァナディース』
竜具が求めるは『勇者―ヴァルブレイヴ』
銀閃の名をあやかって、ヴィクトールはヴィッサリオンをこう敬称した。
――銀閃の勇者にして、流星の勇者――
その二つ名の高く輝く響きは、盗聴中の幼年期のヴァレンティナの耳に深く浸透していたのだった。
「あん……りみて……ど?」
容量を得ない舌足らずな言葉。それが、後のオステローデの主となる戦姫の幼いころ――
ヴァレンティナ=エステス。5歳。まだグリンカの姓を持たず、地位も権力もまだ『幻想』だった頃の話である。※11
NEXT
あとがき――
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。まえがきにもありましたように、少し急ぎ足でよみづらいかと思いますが、期を見て追記修正したいと思います。
では解説を――
解説――
※1 第0話・第9話にて、ヴァレンティナが『多目的通信玉鋼』に触れている。
※2記憶喪失のティグル、ウルスがリーザの瞳を『猫』と例えたことにある原作の一文『猫みたいです』からが着想元。
※3原作7巻のサーシャの出陣前の台詞「やるべきと、信ずることをやったのか」から。
※4原作3巻のソフィーのセリフから。竜技使用の有無についてエレンにアドバイスしているところから。
※5ガオガイガーのヘルアンヘブンが元ネタ。両手を広げた時に発行される『紅蓮』と『黄金』の光による相違点が発想元。ゴッドガンダムのハイパーモード時に浮かび上がる『6枚羽のフィールド発生装置』が元ネタ。
※6原作16巻におけるリムの一文。「平焼きードラニキを咀嚼して、飲み込む」から。
※7PSソフト「ブレイヴフェンサー武蔵伝」が元ネタ。
※8オームの法則によるもの。通常、『並列』は大電流時運用、『直列』は高電圧時運用に用いられる。燃料電池であるエネルギーアキュメーターの運用方法が着想元。(余談だが、凱の長い髪もエネルギーアキュメーターであり、サイボーグの新陳代謝を担っていた。ジェネシック・ガオガイガー頭部も、細毛状のエネルギーアキュメーター。長期活動運用が『並列』、『髪』を束ねて瞬間的出力『直列』パワーで発動させたのが、ハイパーモード)
原作4巻のエリザヴェータの台詞「抵抗すれば痛くなってしまうわよ?」の『抵抗』が着想元。V(電圧)=I(電流値)×R(抵抗値)により、抵抗値上昇に伴って高電圧を引き出せる。
『並列』状態のヴァリツァイフは、『抵抗』にかかる電圧はすべて均一の為、電流値に上昇よって広範囲攻撃が可能となる。
『直列』状態のヴァリツァイフは、『抵抗』にかかる電圧はすべてバラつきが生じるため、電流値こそ一定ものの、プラスとマイナスのパワーを互角に扱う技術が必要となる。(これが難しく、もし制御に失敗するならば、大気伝導を引き起こして自爆技になりかねない)
※9ガンダムSEEDのムウ=ガ=フラガのセリフ。サイクロプス起動前の、アラスカ侵攻時において――
※10銀煌舞。由来は銀の流星軍の「シルヴミーティオ」とガンダムSEEDの「オーブ首長国連邦」の「オーブ」から。
(決して挿入歌のミーティアではありません。悪しからず。ドラクエのシルバーオーブもです)
オーブとは球体を意味し、ほとんどのRPGで『宝玉』と称えられている。『星屑』である人の集いし『丘』こそが『国』であり、流星の空たる『宝玉』の中で映り返ることができてこそ、本当の意味で自分の国を作れると信じていた。ゆえに、4つの理念条約を掲げる。
『宝玉の輝きで、それほど凍えることない』
『宝珠の核の中で、獣や野盗におびえない』
『光球が魅せる夢で、決して飢えることのない』
『玉響に映り込むすべての人々が笑って暮らせる国』
※11この時、ヴィッサリオンはこの戦いと自分の知識について記した書を残していく。幼少時、ヴァレンティナが本に親しんでいた時期で、偶然この本を読むこととなり、独立交易都市の存在をしることとなる。
(第0話参照)
後書き
次回から本編です。
外伝『雷禍と凍漣~竜具を介して心に問う』
前書き
今回は時間を巻き戻してのお話です。凱の登場はありません。
ではどうぞ。
概ね常識や原則というものを、ソフィーヤ=オベルタスは信じない。
今日の河川が高きから低きに流れているからといっても、明日も同じとは限らない。
一夜で水が枯れて幅が狭くなり、土砂をまき散らす大崩壊を招くこともある。
天からの未知な豪雨が侵入して、河川を逆流させてしまうこともある。
それに比して類することを、数々の交渉時にて、ソフィーヤはいやというほど学ばされてきた。
光華の耀姫―ブレスヴェートの二つ名をもつ彼女にとって、経験とはそういうものだ。
『そちらの治水に問題があった』
『そっちが川の管理をまともにしないから』
故に思案する。ディナントの戦いの発端となった、両者の言い分は考慮に値すべきではないと。
無論、村人の仲介としてしゃしゃり出たブリューヌとジスタートの、その首脳陣とて例外ではない。
だから、ソフィーヤはこれらの事を欠かさないのだ。
見ること。事実を、その両目で。
聞くこと。事象を、その両耳で。
感じること。時代を、その感性で。
確認すること。現実を、その瞳の光で。
重ねて確証をとること。未来を、その光の輪郭で。
それらのことを怠らない者だけが、天なる太陽のように、さらなる高みへと輝けることを、ソフィーヤ=オベルタスは知っている。
『雷禍と凍漣~竜具を介して心に問う』
『ジスタート・王宮庭園・夕刻間際』
――ソフィーがエレオノーラとの密談を終えて約半刻後――
ソフィーヤ=オベルタスはヴァレンティナ=グリンカ=エステスとの会話を終えて、一人廊下を歩いていた。理由は、サーシャの伝言をリュドミラに教えるためだ。時間をずらして、あえてエレンとの同席を避けたのは、二人の険悪な関係を考慮しての事だった。
一つの匠のテーブルに置かれるのは、3杯のティーカップ。相対するのは凍漣と雷禍と光華の竜具の主様だ。一同に合した理由は、今後のお互いの動きを確認する為だった。
最初に、口につけたのはリュドミラ=ルリエ。毒の有無を証明する為に、優雅な口づけにて喉を潤す。それに続いてソフィーもまた一口いただく。
「おいしい……いつもあなたの淹れてくれる紅茶はとてもおいしいわ。ミラ」
そんなソフィーの感想に、リュドミラ――ミラは顔をほころばせた。
残るもう一人の戦姫、エリザヴェータ――リーザはミラの淹れてくれた紅茶に口をつけず、じっとミラの顔を見据えていた。
「どうしたの?別に毒なんて入っていないわよ」
「貴方には……何か入っているのではなくて?」
「いきなり失礼な態度ね。確かに私のものはシュガーが多めに入っているけど、私の甘党がそんなに気に入らないかしら?」
旗から見れば「そっちのほうが多いからこれと交換して」という子供の食卓のような光景を浮かべるだろう。優雅な紅茶を嗜む時間はせめて穏やかであってほしいと、ソフィーはせつに思う。ある意味での嫉妬と勘違いされるかもしれない。
リーザにとっては、挨拶代わりの、ただのからかいに過ぎないのだが――
「エリザヴェータ、失礼よ。誤ってちょうだい」
ちょっと厳しい口調でリーザをしかりつけるソフィーは、何とかこの場の空気をなだめようと懸命につとめる。
些細な事……フォークが転がるようなことでも荒立てる気性の激しい両者だから……いや、違う。
苛立つ原因と心当たりがあることを、ソフィーは既に知っている。
「ごめんなさい……ミラ。でも、貴女ならわかるでしょう?」
「……なるほど。仕方がないわね」
一時の沈黙。それは、「とある銀髪の戦姫」に関わることを、凍漣の少女は察したからだ。
雷禍の主、リーザはソフィーの指摘を受けて顔を背ける。
(ソフィーヤ……オベルタス)
この三人の姫君のうちの一人、リーザは同じ竜具を持つ戦姫となってからの短い付き合いだが、ロジオンの着服問題の件を含めて、若干な苦手意識を抱いていた為か、ソフィーをいつも無意識に避けていた。
それはソフィーの錫杖の光を嫌うような行為であったかもしれないが、エリザヴェータにはその自覚はない。
「ティグルヴルムド=ヴォルン伯爵といったかしら?どこの田舎貴族か知らないけど、彼女に付き合わされるなんて、かわいそうね」
「うだつのあがらない捕虜に入れ込んでいるのは、彼女らしいですけれども」
エレンの気に入る人物を、戦姫二人でそのように評価されては、ソフィーも流石に紅茶を満足に味わい難い。『商人ムオネンツォ』とまでは言わないが、随分と飲み物が旨くなくなる会話であった。仮にも戦姫たる者が、そうそう影口を叩くべきではない。
そういえば、影で思い出した。『封妖』の主は今頃何をしているのだろうか?
そんな二人の会話を無視するかのように、ソフィーは持ち前の舌鋭を以て切り込んだ。
「竜具を介して心に問う」
唐突に告げられた言葉。それは、どことない鋭さを以て、年若い二人の戦姫の心を貫いた。
彼女――ソフィーの竜具には、唯一『刃』がない。だが、あらゆる竜具の刃を上回る輝鋭さが、彼女の意志に秘められている。それはさながら『錫杖』故の仕込み刀のように――
サーシャの伝えたい言葉、そこに秘められた想い。レグニーツアの寝室で募らせている、皆の未来を憂う黒髪の戦姫にできる事。
緑の瞳に光の輪郭が走る。
ソフィーは、静かに語り始めた。
◇◇◇◇◇
「竜具の意志は、決して主を偽らないわ。人の心はなおさらよ」
一通り話し終えたソフィーは、不思議な説得力を以て、ミラとリーザの耳朶にしみ込んでいく。
竜技は心の技と、サーシャは言っていた。威力、精度、それらが顕著にあらわれる。
落ち着いた心境で、リーザはそれとなくソフィーに言葉を紡いだ。
「アレクサンドラはどうするつもりでしょうね」
「今のところ、サーシャには両公爵のつきあいはないわ。例えあったとしても、サーシャは多分……中立を決め込むんじゃないかしら」
ともあれ、ソフィーが語る一通りの事情を聞いているうちに、リュドミラもエリザヴェータも、自分たちがいずれ、エレオノーラと竜具を介することになるのが偶然ではない事を知った。
ブリューヌを代表するテナルディエ公爵と交流を持つ凍漣と雷禍は、ジスタートの国益に直接関わっている。もし、ジスタート王に次ぐ戦姫が、交易摩擦などで問題が発生すれば、公国公主の責務を問われる。エレオノーラの巻き起こす嵐のような行動は、決して他人事ではないことを、両者は改めて認識した。
「つまり、エレオノーラに振り回されているようなものですわね。わたくしたち」
「……ふん」
エリザヴェータの楽しそうな言葉に、ミラの綺麗な眉根が寄る。ソフィーはその表情を見逃さなかった。
「ミラ。戦姫であることに誇りを持つのは大切だけれど、それに縛られすぎるのはあなたの悪い癖よ。あなたの場合は仕方がないかもしれないけど……」
ソフィーの言葉はこれまで会った時とは違い、珍しくミラの癪に障った。そもそも、エレオノーラが戦姫に選ばれた場合は『偶然』であって、リュドミラが戦姫に選ばれた背景に『必然』という不安定な期待を、文官や武官に、特に母上に望まれていたのだ。戦姫に選ばれた『重み』を、あんな礼儀知らずな野蛮人と同列にされてたまるものか。
「いっそ、貴女みたいにエレオノーラと完全な確執を持ってしまえば、はっきりと思いきれるのにね。」
明らかな嘲弄と共に、ミラはリーザに唾を吐く。
凍漣たる自分より険悪な関係を知っている故の発言であり、叱咤激励とは程遠い……挑発でもあった。
「……素直に謝罪すれば、せめて背が伸びる方法を教えてやらないこともありませんわ」
ささやかな反撃。主の感情を察するかのように、雷禍がこめかみのように青白い光の筋を立てる。感情に身を任せるだけでは、このリュドミラと大差ない。
とにかく本心としては、自分とエレンの確執を嘲られたことに対して、リーザは心の奥底で、悔しくてたまらなかった。
(子供のようなきっかけで喧嘩した貴女と一緒にされたくありませんわね)
ともかく、背丈についての挑発も、リュドミラは乗らなかった。しかし、その苛立ちは隠しきれず、むしろ見せつけるかのように、氷の刃の鋭さを以て、リーザに睨みかかった。
「ふたりとも。落ち着いて」
若年組二人の戦姫に割って入りながら、ソフィーはなんとか、たおやかな表情だけは崩さなかった。つい、数刻前の公判で、『とある戦姫』のあるまじき非礼な言動の数々に、エレオノーラは怒りを爆発させるところだった。ようやく銀閃の竜をなだめたばかりなのに、凍漣の竜と雷禍の竜まで暴れられたら、口から何を吹くか分かったものではない。
――火中の栗は、ライトメリッツに拾わせるべきかと――
まったく……余計な事を言ってくれたものである。
(エレンも、ミラも、リーザも、こういう直情的な性格は微笑ましいけれど、わたくしとしては、もう少し大人になってほしいものだわ)
きっと、サーシャもそう心から願っているはずだ。
20歳にして、戦姫の中で年長組にはいるソフィーの人格は、慈性にあふれ、その懐が深い。話題を反らす為にも、援護射撃を頼むにしても、ソフィーは二人を別の話題に引き込んだ。
「ところで、二人は何か大事なお話があるんじゃなかったの?」
別の話題というよりか、むしろこれが本題だった。元々ミラとリーザ二人だけだったのだが、ソフィーの相席はサーシャの言葉を伝えるだけの、オマケに過ぎない。金色の髪の戦姫は目的を既に果たしている。
「そうでしたわ。リュドミラ=ルリエ、貴女に訪ねたいことがありましてよ」
「奇遇ね。エリザヴェータ。私もあなたに聞きたいことがあるのよ」
両者、呼吸をおいて――
「エレオノーラ=ヴィルターリアの弱点を教えてくれるかしら?」「テナルディエ公爵について、知っている情報を教えて頂戴」
いきなりこじれた。ソフィーは嗜んでいた紅茶を吹きこぼしそうになった。極白のドレスが浸みになったら目も光も当てられない。
突然の物言いに、エリザヴェータとリュドミラは眉を潜めながらも、律儀に回答する。
「テナルディエ公爵について知っている情報は、貴女とさほど変わりませんことよ」
「エレオノーラに弱点なんかないわ!それでも聞きたいなら……」
まるで、意思を重ね合わせるかのように、異口同音で言い放つ。
――――竜具を介して直接訪ねるまで!!――
合点招致となった二人は、あっさりと『力』による和解を求めたのだ。
「いいでしょう!リュドミラ!貴女がそうおっしゃるのでしたら!」
凶悪な笑みがぶつかり合う。凍漣と雷禍の化学反応で水蒸気爆発が起きるんじゃないか。そう思わせる一触即発の雰囲気。
「決まりね!」
不敵に笑い返す。その吊り上がった凶悪な笑みは、氷刃の鋭さを印象付ける。
リュドミラとエリザヴェータの取り決めに、光華はやけになる。
「どうしてそうなるのよ!?」
竜具を介して心に問う。穿った解釈にソフィーはげんなりする。
二人の沈静化を見るのは、当分先になりそうである。
◇◇◇◇◇
さてさて場所は映って闘技場へ。
ジスタート国王は余興の一環として、戦姫同士の鬱憤を発散させるための施設を造らせた。初代国王の提案らしい。
元々ジスタート王国は、違う部族で動乱を繰り広げていた過程で建国していったのだ。
観客席の無い簡易的な戦闘領域にも関わらず、戦姫の舞踊を引き立たせるための視覚効果が仕込まれている。
剣戟高鳴る反響を増幅させる特殊湾曲壁。凱が居合わせていれば、ここは『空間湾曲戦闘領域』と錯覚しても仕方がないだろう。
確かに、ささいな癇癪で王宮物品が破壊されたのでは溜まったものではない。まして、ここに在る支柱、庭園は国民の血税や職人から賄われている。竜具のほうこそ、もう少し選定基準を厳選してほしいと思うのはヴィクトール王の談。
「もう!戦姫同士の喧嘩はエレンとあなただけだと思っていたのに!」
今でこそエレンとミラの喧嘩仲裁はソフィーの役目だが、以前はサーシャの役目だった。だが、流石にミラとリーザの仲裁をするのは初めてだ。
ここまで点火してしまっては、うかつになだめようとすれば大爆発だ。
ソフィーヤは思案する。二人はなぜこのような問いをするのかを――。
エリザヴェータの問い――エレオノーラの弱点を請う。間違いない。雷禍の彼女は銀閃の姫君に再戦を挑む気だ。
リュドミラの問い――テナルディエ公爵の仔細を伺う。確認した。凍漣の彼女は他国の有力者相関を知って、今後の自分の立ち位置を確立させたいだろう。
「ソフィー!貴女はこういったわね!「わたくしたちは戦姫である前に一人の人間」だと」
確かに自分はそういった。しかし、そういう意味で言ったのではないと、深緑の緑の瞳で訴える。
「人間は平気でウソをつく生き物!けれど!竜具は決してウソをつかない!」
戦えばわかる。人間だれしも極限状態になれば、ウソなどつけようはずもない。青い髪の戦姫はそう主張する。
「私は決してウソをついておりませんわ!リュドミラ!貴女こそ」
「ふざけないで!」
「何かしら?」
「私を見くびらないことね!うかつに他人の情報を流すなんて戦姫失格よ!」
決裂。まくし立てるエリザヴェータに対し、ミラは鋭く切り返す。そんなミラの厳律した態度に、エリザヴェータは微かにたじろいでしまう。
そして――
「……ヴァリツァイフ!」「ラヴィアス!」
待機状態の竜具を臨戦態勢へ移行するには、瞬きする時間ほど要しなかった。そして、竜具の展開のタイミングが同じなら、戦意を向ける瞬間も同じだった。
本来、竜具の待機状態は、初代戦姫の化粧と見立てるための『偽装機能』として考案されたものであるが、自軍への損耗率を軽減するための『被発見率』に重点をおかれたため、もはや偽装機能を果たすものではなく、主に移動効率を促すための武器携帯時における『所有面積軽減』として定着している。
ソフィーの錫杖ザートはその竜具の特性と、外交という任務上の必要性からも務めて偽装性が高い――
ヴァレンティナの大鎌エザンディスはその竜具の特性と、暗殺という任務上の謀略性からも、例外ではない――
「あまり抵抗すると痛くなってしまうわよ」
しなる雷禍の鞭が、大気に檄を飛ばす。恐れをなした大気が『雷』を巻き散らす。
「あの野蛮人には――」
穿つ凍漣の槍が、大気に喝を入れる。身をすくませた大気が『雪』を舞い散らす。
「強力な竜具こそあれ、あの野蛮人本人には、弱点といえるものはほとんどない!」
届く、凍漣の一撃にして初撃。
その『冷静』な一閃突きを、雷禍の反撃は『紫電』の軌道にて打ち返す!
「強力な竜具ですって!?」
「ええ!貴女も知っての通り、銀閃アリファールは刀身と鞘の二段構造!だけど、本当に恐ろしいのは刀身のほうじゃない!鞘のほうよ!」
「流星が最も強く輝く瞬間は!燃え尽きる瞬間といわれるように!アリファールが最も強く輝く瞬間は!一気に抜刀する瞬間なのよ!」
待機状態から続く展開状態。それは、翼を雄々しく広げて、天駆ける竜を思わせる、一筋の竜の『涙』だ。
両者、しばし間合いをおく。
「神速の抜刀術は直撃したらタダでは済まないわ!」
抜刀術とは、ヤーファ国に伝わる古来剣術である。
以前母が言っていた。先代、銀閃の戦姫が得意としていた竜具機構の『牙』と『爪』の複合竜技。
ラヴィアスは『矛』と『柄』を直線に揃えて竜の『角』を――『破邪の尖角』を再現するように――
アリファールもまた『芯』と『鞘』を奔らせて竜の『星』を――『降魔の斬輝』を体現するのだ――
再び両者は爪を咬み合わせていく。
「あと腕っぷしも強くてね!あの怪力で首を締め上げられたら、もう逃げられないわ!」
「……知っているわ」
そこは、リュドミラには聞き取れないほどの声量だった。事実、リーザは昔から知っているのだ。その腕っぷしの強さで、遠い過去にエレンに助けられたのを今でも覚えている。同時に惨めな敗北を悟らされたことも、1年前から――
(この娘自身は、やたらと攻撃的ですわね)
他人の情報を流さないといいながら、必要以上にベラベラしゃべってくれちゃって……猛吹雪のようなミラの助言に、リーザは涼し気で聞き入れている。そのすましたリーザの態度が、ミラにはかなり気に入らなかった。
まったくもって支離滅裂している。凍漣のくせに烈火のごとく喋ってくれる。聴きもしていないのに。
だが、おかげですごくタメになった。エリザヴェータはそう思った。
そう思案と考察の狭間にあるにも関わらず、両者は互いの刃を!柄を!意地を!闘志を!次第に見えない何かを突き当てていく!
――見えない何かが『心』と悟るまでは、まだ少し時間を有するかもしれない――
「空さえ穿ち凍てつかせよ!!」
「天地撃ち崩す灼砕の爪!!」
気力上昇によって特定の竜技を使用可能になり、雷禍の竜と凍漣の竜は最強の『爪』を突き合わせる!!
興奮に沸き返る戦姫の夢幻闘舞。最高の竜技は最後の切り札。結果は――
「ミラ!?エリザヴェータ!?」
ソフィーの身を案じる甲高い声が響き渡る。その残響が、竜技を放った後の凄惨さを物語っている。
土煙が晴れてきた。それにともない、闘者の輪郭も徐々に晴れていく。
だが、二人の心が晴れるまでには至らなかった。
戦姫達は肩で息をきらし――
「それから……」
「ありがとう。もうよろしくてよ」
銀閃の風姫との再戦に必要なことは十分得られた。もはやこの凍漣の雪姫に用はない。お払い箱だ。
ならば、礼代わりにこちらも新たな『力』を見せてくれる。
ふいにエリザヴェータの右手がリュドミラの首元を掴み上げ、そのまま絞首刑を施した。
「あ……が……」
気管支を締め付けられ、抵抗の意志を許さない。
「私の『怪力』も大したものでしょう?」
筋肉と骨格、何より、その行為に釣り合わないリーザの細腕。
リーザの愉悦におぼれる感想は――こうだ。まるで手の中のフィギュアのようだ。と。
「エレオノーラと比べて、頭一個分背が低いと、ちょうど首を掴み易いですわね」
そういうと、リュドミラをレンガの壁面に放り投げ、戦いの終了を宣言した。玩具に興味をなくして捨て去る小人のような仕草だった。
「情報を提供してくれた礼に、この辺にして差し上げますわ」
「ふ……ざけないで……」
「ミラ!」
せきこむリュドミラを介抱しながら、ソフィーはリーザを見据えていた。その瞳にどこか戦慄を帯びている。
ソフィーの見立てでは、純粋な力量技量はミラが上だと推測していた。以前、リーザはエレンに決闘を挑んだものの、全く歯が立たず敗亡した。そのエレンと互角のミラが負けるとは、誰が予想できたことだろうか?
「でも、今後わたくしの邪魔をするのでしたら……容赦しませんわよ?」
謡うようにそう忠告すると、戦装束のドレスと踵を返して去っていった。
「ミラ……彼女は一体どうしたのかしら?」
流石のソフィーも、赤い髪の戦姫が繰り出した怪力に、戦慄を覚えた。
恐ろしいのは彼女の力というより、その変わりようだというべきか。例え、エレンとの決闘で敗北を喫した悔しさをばねにして、たった1年であそこまで力がつくはずもない。竜の膂力と遜色ない、あの異質な剛力を――
「分からない。でも……ラヴィアスが一瞬だけど、警告していたわ。『あれは良くない力』だと」
「わたくしのザートも同じ反応を示したわ。『あの力は危険』だって」
◆◆◆◆◆
(リュドミラ=ルリエ……流石ね。エレオノーラと互角だけあって、この『力』を以てもまだ彼女を圧倒できない)
事実を裏付ける要素はある。ミラは絞首刑に喘ぎながらも、戦慄を闘志に変えて竜具で反撃に転じようとしていた。こちらから放り投げてやらなければ、手痛いしっぺ返しを受けていたに違いないだろう。
――でも……わたくしはまけない!――
真逆の意志と瞳の色に『光』を宿して、空を見上げる。
――ルヴーシュの為に!何より自分自身の為に!――
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後書き
次回は本編か外伝か考え中……
第1話『流浪の勇者~彼は愛故に戦えり』
『ブリューヌ・アルサス中心都市セレスタ・中央広場』
朝霧の残る静かな時間において、少女はセレスタの街中を走り抜けていく。
「はあ……はあ……はあ」
荒い息を上げながら、それでも齢15となる女の子は、一人の影を必ず捕まえなければならなかった。
影の行方が正しければ、こっちのはず。
そう少女は予感を直感に変えて、特徴のある影の糸をたぐっていく。
「……見つけたわ」
怒気を孕んだ声色で、ティッタは輪郭のある影を見上げた。もやがある為に色彩を捕えることが出来ないが、間違いないと確信させる。
ティッタは知っていた。だから躊躇はしない。右手に携えた果物ナイフが影に狙いを定める。
かすかな声と怒りの視線に、獅子王凱は後ろを振り向いた。
「ん?誰だ?」
頬を撫でるような風の声。
頬を暖めてくれるような優しい声。
心奪われるような愛に満ちた声色で、凱はティッタと向き合った。
「やっと見つけたわ!そのお金を返しなさい!」
凱は目玉を見開いた。
「……なんだ?」
覚えのない出来事は、唐突に訪れた。ツインテールの少女に光り物を向けられているこの状況はいかに?
「やあああああ!!!!」
直線してくる鋭利な刃物を、長髪の青年はひらりと上空へ交わした。その跳躍力は人間を超越している。
ツインテールの頭を過ぎる宙返りの形で、彼女の後ろに立つと優しく肩をポンと叩いた。
「何か勘違いしているみたいだけど、お金なんて……二束三文しかないぜ」
身なりが若干貧相な青年は、ゆったりと答えた。
財布の中身を確認したティッタは、自分が勘違いをしたと取り乱し、慌てて謝る。
「す!すみません!あたしったら野盗の連中だとてっきり思って!」
「野盗?この町に野盗が襲ってきたのか?」
顔をうつむせて、ティッタはこくりとうなずいた。すなわち、肯定。
「あなたの姿を見た時、その左腕のところが……身代金で用意した金貨に見えたものでつい……」
申し訳なさそうな口調のティッタは、凱の左腕を指さした。
獅子を模した勇者の篭手を。
(金……ガオーブレスの事か)
「とにかくすみません!あたし、急いでますのでお詫びは……」
また今度必ず。そう告げようとしたとき、別の方角から騒ぎを駈けつける悲鳴が浮かんだ。
その反応に鋭い切り返しを示したのは、ティッタだった。
「今度こそ見つけたわ!絶対に逃がさないんだから!」
「お……おい!ちょっと待て!」
凱の静止を聞かず、またもやティッタはセレスタの街中を駆けていった。
――――ティッタが追いかけていった先には、血生臭い光景が繰り広げられていた――――
一人の大男が大剣で、街の警備兵を相手にして無双していた。
大柄でかつ鍛え上げられた体躯、卑しさと凶暴さをうまく組み合わせた目つきと、濃厚なフルセットのひげ面は見るもの全てを圧巻させる。
「我こそは最強の戦士!獅子王の生まれ変わりなり!この剣が血で渇きを潤したいと輝いておるわ!」
巨剣を振り回す男は獅子奮迅の働きをしていた!
獅子王を自称する男は、剣を失った警備兵、戦意を失った警備兵も、見境なく獅子の牙を向ける!
「つ……強すぎる!ぐああ!」
「この強さ……まさに獅子王だ!がはぁ!」
大男は、力と重量と暴力で相手をねじ伏せていく。
英雄譚から飛び出てきた存在を前にして、兵士たちは腰が引けていく。
「つまらん。もっと殺しがいのある得物はおらんのか!?」
並みの兵士では抑えようがないのは判明していた。警備兵は応援部隊を呼ぼうとしたとき――
「やっと見つけたわ!みんなから集めたお金を返して!」
真剣な面持ちで少女は、大男に声を張り上げる!
「ほう、貴様はあの時のヴォルン家の侍女か。この金貨の礼もまだ言ってなかったな」
「お願いです!それを返してください!でないと!」
「でないと……なんだ?」
男は語尾に怒気を含めると、少女は恐怖の念に囚われた。
栗色の髪の少女は言葉を詰まらせつつも、懐から短刀を取り出した。
普段果物の皮をむくのに使う程度の刃物だが、今の少女にはそれしか対抗できる獲物はない。
「ははははは!脅しのつもりか!?そんな短刀では猫一匹殺せんぞ!」
一瞬だけ、少女は短刀を鞘に戻しつつも、瞳に決意を灯らせて再抜刀する!
「やああああああ!!」
まっすぐに短刀の切っ先を突き刺すも、大男に簡単にあしらわれてしまう。
少女の持っていた短刀が空しく宙を舞い、空しく地面に突き刺さる。
「ふははは!死ねい!」
大剣が、慈悲なき刃が少女の首筋を捕える!
――ティグル様!!――
大剣の脳天唐竹割が少女のツインテールの頭を捕えた時、一陣の銀閃が少女を連れ去った。
「きゃっ!」
一陣の風の正体は、くすんだ赤い領主ではなく、腰まで伸びる長髪、自分と同じ色の髪を持つ青年―凱―だった。
お姫様だっこの要領で少女を抱きかかえ、凱は大男の視界の隅っこに避難する。
振り降ろされた大剣の一太刀は、空しく造作物を斬り裂いただけだった。
「無茶をするな。果物ナイフで大剣に立ち向かうなんて」
「あなたはさっきの……」
優しく凱が注意するも、ギロリと大男の視線が凱に向けられる。
「……何者だ!貴様!」
「いたぞ!あそこだ!」
増援の警備兵に水を差された大男は、不機嫌な表情を出してこの場を去っていく。
「ふん!我こそは獅子王!最強の戦士だ!」
などと豪言しながら――男の背中を見送った。
凱は、己の腕の中でいつの間にか気を失っている少女の顔を覗き込んだ。
「この娘……よほど必死だったんだろうな。あの男を深追いするよりも、まずはこの子をなんとかしなきゃ。放っておくわけにもいかないし」
そして、この子の事を誰に聞いたらいいんだろう?こういう時は交番とか迷子センターに送り届ければいいのだが、中世時代を思わせるこのセレスタには、多分ないと思う。
しばらくはさまようことになるんじゃないか?
だが、そんな杞憂を晴らす救世主が、意外な形で現れた。
1刻程歩いていたら、親切な人と出くわしたのだ。
「ティッタちゃんじゃないか?」
妙齢の女性だった。その話す感じから、かなり親しいのが凱でも分かる。
「すみません。この子は……」
思いもよらない形でこの時、凱は初めてヴォルン家へと訪れることとなった。
『ブリューヌ・アルサス中心都市セレスタ・ヴォルンの屋敷』
大男に徹底的にやられた警備兵たちは、重傷ながらも、幸い九死に一生を得た。持ち合わせていた玉鋼で治癒の祈祷契約を施したからだ。
(こいつは、パティに感謝しなきゃな。それにしても、祈祷契約がここでも使えたってことは……こんな遠くにも黒竜の吐き出す霊体がしみ込んでいるのか)
みるみるうちに傷口がふさがり、血液の流出がとまるのを確認すると、凱は傷ついた警備兵を安静させるため、近くの宿に泊まらせた。
――ここで見たことは、どうか忘れてくれないか?――
人差し指を口元につけて、凱はそっと奇跡を見た人たちにお願いした。
ティッタを抱きかかえたまま、凱はヴォルン邸へとたどり着いた。
「ここが領主様の屋敷か。素朴だけど、なかなかいいじゃないか。寝坊と昼寝と射撃が似合いそうな雰囲気がする」
昼寝と射撃が得意といえば、眼鏡をかけた小学5年生の野○○び太を連想させる。
以前、竜具をどこでもドア替わりにして、なおかつ引出しから現れたヴァレンティナに向かって○ラ○も○と突っ込んだものだ。(←外伝後記述)
素直な感想が、ぽろりと凱の口から出てきた。人口的な石造物よりも、自然的な木造物のほうが凱の好みだ。
まだあったことがないにもかからわず、凱はヴォルン家当主に対して親しみやすい印象を抱いたのだった。
――へくし!――
気のせいか、異国の地でティグルがくしゃみをした。もちろん凱はティグルの存在を知らない。
「ごめんください」
そうヴォルン邸を訪ねると、凱のしらない一人のご老体が応対に出てきた。
成り行きと事情を話した凱は、老人に屋敷内へ案内され、一服することにした。
侍従の老人の名はバートランといった。
――ヴォルン家に仕える侍女ティッタは、夢を見ていた――
~ティグル様!起きてください!~
お寝坊さんの主様を起こすのが彼女の役目。これはまだ、ディナントの戦いが起きる前の事だ。
~今日は狩りの予定なんてないけど?~
~みなさんが待ってますよ!~
~しまった!~
こんなどうでもいい平和なやり取りも、今となっては昔の事。
もう、日常は帰ってこないのだろうか?
~どうしてティグル様が行かなければならないのですか~
~陛下からの招集だ。ヴォルン家の当主として、要求に応じないわけにはいかないさ。でも……~
~でも?~
~俺達は一番後方へ配置されると思う。武勲なんて到底無理だろうな~
~武勲なんてどうでもいいです!~
~ティグル様!必ず、必ず帰ってきてください~
~ああ、約束するよ~
だが、くすんだ赤い若者は帰ってくることはなかった。
後に知ることとなった被害は、こうだった。
戦死者が7名、負傷者が10数名。詳細は逃げる味方につぶされたとの事。
実質的被害より、本当の被害は「ヴォルン伯爵は敵の捕虜となった」という心的のアルサスの人々の心にあった。
彼女の意識は、今を以て現実へ帰還する。
『ヴォルン家の屋敷・客室の間』
「シシ……オウ……ガイ……殿といったかの?あなたの言葉を疑ってすまなんだ」
「いえ、分かってくれてよかったです。バートランさん」
凱の名前を呼びにくそうにして、目の前の老人は青年に詫びをいれた。どうも、ブリューヌ人にとって、濁音の強い日本人の名前は呼ぶだけで大変そうだった。
目の前の老人は、バートランと名乗った。この屋敷の主様の従者だという。
とりあえずティッタを送る為にここへ来たが、顔の知らない青年と気を失っていたティッタを見て、バートランは少々混乱した。
「あ……れ?……私は……バートランさん?」
そして、ソファーの傍らで横にさせていたティッタがちょうど目を覚ましたというわけだ。
「気が付いたか!ティッタ!」
バートランさんが安堵の声を上げた。そして、ティッタはすぐさまバートランと対面に座っている凱に視線を合わせた。
「あ、さっきの髪の長い人……」
「おっす。怪我がなくて何よりだ」
気さくな青年は、片手をさりげなく上げて挨拶する。
そっか。あたしはこの人に……
最初の出会いが最悪だった。ティッタ自身、それを思いだすと顔から火が出る思いでいっぱいになった。
気にするなと、この青年は言ってくれたが、なかなか頭の中から離れないものだ。
そして、バートランから語られることによって、凱はブリューヌの情勢を知ることとなる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ジスタートの捕虜?」
まるでオウム返しのように凱は思わずつぶやいた。
ティッタから配られた粗茶を飲もうとしたとき、凱はぴたりと飲むのを止めた。
「マスハス卿は金銭を立ててくれる知り合いを、いくつかあたってみると……」
バートランが、どこか歯切れの悪そうな言い方をした。おそらく、悪い結果を予想しているのだろう。
凱はその名に心あたりがあった。
(マスハス卿?先日すれ違った御仁がそうだったのか。そういえば、あの時かなり落ち込んでいたな)
そして凱は一口粗茶を含んで味わう。素朴で優しい彼女の味に凱の味覚は潤った。
「先日、戦争があったって聞きましたけど?この娘がお金を集め回っているのとなにか関係があるのですか?」
凱は、そのようにバートランに尋ねた。
この娘の行動がいかにして結びついているかが確信を持てていなかった。
「ガイ殿……実は」
戦争の発端はこうだった。
重々しくバートランの口が開く。
「ブリューヌ王国とその東のジスタート王国が刃を交えるのは実に二十数年ぶりのことじゃった」
今回の争う原因となったのは、――国境線の川の氾濫にともない起こった川の管理をめぐるいさかい――とのこと。
そちらの治水対策に問題があったといえば、そちらが川の管理をまともにしないからと言い返す始末。
いさかいの結果、ブリューヌ二万五千とジスタート五千がディナント平原で相対する結果となった。
なぜ、自然災害に国家の命運をかけたかのような大軍が召集されるのか、それはここ、ブリューヌ王国レグナス王子の初陣だったからだ。
「まるでこどもの喧嘩に親が出てくるようなものですね……」
「マスハス様と同じ事を言いますな」
なんとも感心しがたい表情で、凱はつぶやいた。
バートランは苦々しく言い返す。そして両者は茶を一口する。
他人から聞いても見ても、結果は火を見るより明らかだと思った……が、真実はそれほど単調ではない。
結果として、ブリューヌは負けたのだ。相手の五倍の兵力をもってしても――
凱は推測した。この兵力差の意味は、おそらくレグナス王子に初の実戦経験をつませようと思ったのだろうと。
しかし、そのレグナス王子は戦死してしまったのだという。
「……もし、お金を用意できなかったら、ここの領主様はどうなってしまうのですか?」
いいにくそうな口調で、凱はそれとなく聞いてみた。
たいていは奴隷商人に売られるのがオチ……とは、バートランからは決して言えなかった。
「捕虜の中には敵に仕え、現地の妻を娶って一生を……」
「妻を娶って!?そんなのだめです!」
バートランの言葉を遮って、ティッタはすさまじい剣幕で言い寄った。
「あたし、もう一度お金を集めてきます!」
その少女の強い決意に、凱とバートランは顔を上げる。
折れかけた希望を少女は再び胸に抱いて決意する。
「ティッタ……」
――ティグル様、きっとお救いして見せます!待っていてください!――
アルサスの人々が、領主に対して行動している。
俺に出来る事って、一体何だろう。
部屋の窓際をぼんやり見て、そう自問を繰り返す凱であった。
『ブリューヌ・ヴォージュ山脈・とある隠れ家』
凱がヴォルン家屋敷に訪れて数刻後のことだった。
外はすっかり夜である。
薄暗い帳の中、男どもが小さな小屋にて集会していた。
その男どもの中に、自称―獅子王―を名乗る人物が含まれていた。
30人ほどの気味悪い集まりは、飢えた獣の集団のそれだった。
「ふっふっふ!やりましたぜ!ドナルベインの兄貴……いや、今は獅子王でしたね!」
背丈の低い陰気そうな男達がひそひそという。
「こんだけの金があれば、一大兵団を結成できやすね!」
大人の頭などゆうに超えるほどの大きさを持つ、金貨の入った袋を自慢げにもてあそぶ。
「まだだ。まだ足りない」
威圧ぎみた声で言ったのは、男どもの首領、ドナルベインと呼ばれた男だ。
「もう少し……もう少しで十分な資金は集まる。テリトアールの連中が終結次第、国獲り開始だ!」
国獲りとはずいぶん身の程知らずな夢を抱く。
人の血を吸い続けた剣が不気味に輝く。このブリューヌの情勢が腑抜け状態である以上、好機を逃す手はない。
―国内に内乱の兆しあり。―
―二大貴族、テナルディエ家とガヌロン家の激突―
―レグナス王子戦死に伴い、王は完全に放心状態―
―王政には、宰相ボードワンを除けば力不足の三流だけが残った―
―黒騎士ロラン率いるナヴァール騎士団はザクスタンとアスヴァールの小競り合いに明け暮れる日々―
これほど隙だらけのブリューヌ内を見逃すなどもったいない。
「アルサス領主がジスタートの捕虜になったっていう噂は本当でしたね。身代金を寄せ集めているっていう読みは大当たりでしたよ。首領」
「なに、少々ブリューヌやジスタートの内情に詳しいだけだ」
ただ、ドナルベインにはひとつ気になることがあった。
気になることとは、朝露の残る髪の長い男の事だ。
(しかし、長髪に黄金獅子篭手の男、吟遊詩人の歌で聞いたことがあるような……)
ジスタートよりはるか東の大陸で、未曾有の災厄を止めて見せた騎士と勇者の唄を。
歌の名は『獅子と黒竜の輪廻曲』といった。
『翌日明朝・アルサス・ヴォルン家屋敷』
「だめだめ!しっかりしなきゃ!」
顔をパンパンとたたき、気合を入れるティッタ。
一度や二度の失敗でくじけていられない。
昨日は凱がいてくれたからよかったものの、もし、凱の助けがなかったら、命を落としていたかもしれない。
その恩人の凱はティッタに協力を申し出たが、やんわりと断られた。
「折角の申し出はありがたいのですが、無関係の人を私たちの都合で巻き込むわけにはいきません」
と言われた。
確かにそれは事実であって、とりわけ凱にはブリューヌの接点もなければ、アルサスに縁があるわけでもない。
バートランは何も言わなかったが、無言で頷くあたり、どうもティッタと同じ意見らしい。
何とか押し通そうと凱は考えたが、すぐ一拭した。
自分の意思をティッタに押し付ける形で、彼は彼女を困らせたくない。
断られた凱はというと、ヴォルン家を離れて近くの宿に泊まっていた。郊外調査の為、当面はセレスタを基点として調査をする予定だ。
「ティグル様……あたしに勇気を」
密かに決意を抱いたのも束の間、ドカドカと外が騒がしくなる。それに、玄関の窓から大勢の人影が見える。
「……どなたですか?」
そんなティッタの言葉もむなしく、次の瞬間、問答無用で男の集団がヴォルン家に土足で上がってきた。
男はせいぜい10人程度、どれもが大きい木の幹のような腕を持つ屈強そうな男どもだった。
剣を肩に担いでトントンとならし、帯刀の鍔をキンキンとならす。ゴロツキや野盗の仕草と大して変わらない。
冷や汗と固唾がティッタを感情的に恐怖へと追い詰める。
「あなたは!?昨日の!?」
あの不快な顔には見覚えがあった。獅子の鬣のような髭、血に乾ききった卑しい目つき。間違いない。昨日の騒ぎを起こした人物だ。
「ふはははは!なんとも質素な作りよの!所詮は貧乏貴族の住処か!」
ドナルベインがドス黒く笑う。それにつられ、配下の連中もゲラゲラ笑う。
ヴォルン家当主との大切な思い出が詰まったこの居場所を馬鹿にされ、ティッタの怒りがついに爆発した。
小さな侍女の震える声が、恐怖と怒りを示していた。
「出てって……」
「あん?今なんて言った?」
「出て行けって言ってるのよ!あなたみたいな人は指一本触れないで!それが分かったら出て行って!出てけ!!」
顔を真っ赤にしてドナルベインに怒鳴りつける。しかし、ドナルベインは鼻で笑って自論を飛ばす。
そして、ティッタの胸倉をつかんで自分の頭上に持ち上げた。
首を若干圧迫され、少女の呻き声がもれる。
「貴様みたいに何も出来ない田舎育ちの小娘が偉そうな口を叩くな!」
「こんな金貨の入ったもんを見せびらかしてたら、『どうぞ、持って行ってください』とお願いするようなもんだろ!ティッタちゃん?」
先日奪われた金貨の袋を、男の一人はわざとらしく見せ付ける。
「どうする?この娘の濃厚で甘い血を吸いたい者はおらぬか?中々上質な娘だぞ」
「オレにやらせてくだせぇ!」
「いや、オレが!」
ドナルベインが部下に獲物を譲ろうと場を盛り上げて、苛虐心をあおる。部下どもが│囀《さえず》る中、かろうじてティッタが言葉をつむぐ。
「どうして……どうしてこんなことをするんですか!?」
「ここアルサスを基点としてわしの……わしの王国を作る!酒池肉林の夢を成就させるためにな!」
太刀打ちできない無力感に苛まれ、ティッタは顔苦しそうにしつつも口を開く。
悔し涙が、ティッタの頬を伝う。
だが、その悔し涙を嬉し涙に変えてくれる使者が、意外な形で現れた。
「う……うう……」
子分らしき男が苦悶を浮かべて戻ってきた。周辺の警戒を命じられた手下だ。
「おう、どうした。随分戻ってくるのが早いじゃねぇか?」
ドナルベインが疑問を浮かべつつも、部下を迎え入れる。しかし、部下は何も語らない。
「……」
「おい!何か言ったらどうなんだ!?」
「……つ、つえぇ!」
パシリの男は、まるでカーテンがずり落ちるように力なくひざを折り、あっけなく倒れる。
その男と入れ替わるように、自身と同じ栗色の髪を持つ青年が立っていた。
「あ……さっきの髪の長い人……ガイさん?」
黙ってみていた凱は怒気の成分を含めた声で言い放つ。
「やはりあの時、叩き潰しておくべきだったか?心と共に」
「誰だ!てめぇ!」
「明日を食いつないでいく……誰かを養う……大きな病から人を救う……そんな理由がお前達の口から出ればよかったんだがな」
野盗の行いとその理由や状況によっては、凱は手を出すべきか決めかねていた。
もがき、あがくことは誰もが平等に与えられた境遇であり、生命の本質であることを、獅子王凱は知っている。
野盗でも、動物でも、人間でも、竜でも、悪魔でも、例外はないのだ。
だが、堕落の終着点である酒池肉林という邪な欲を吼えた地点で、凱はこの争いに介入することを決意した。
首領のドナルベインは、一つ一つ思い出すかのように小さくつぶやく。
「貴様!あの時の男……!」
「今一度聞く。そんな理由の為に、ティッタから……この娘からお金を奪ったのか?」
「うるせぇ!舐めた真似しやがって!この女からぶっ殺してやる!」
すかさず、凱は布巻状態のガオーブレスからウィルナイフを抜刀する!これ以上、取返しのつかなくなる前に事を沈めるしかない。
「待て!これ以上、その少女に切っ先一寸たりとも触れるな!相手なら、俺がするぜ!」
「ガイさん!だめです!こんなに相手が多くては……!」
いくら凱でも、この人数ではとても敵わない。素人のティッタでも分かることだ。
もし、自分の為に駆けつけてくれたとしたら、ティッタは自責の念に囚われてしまう。
たとえ不利な状況でも、凱の意思は変わることはなかった。やがてその意思は行動へと変わる!
「くそ!たたんじまえ!!!大いに苦痛を味あわせてから殺せ!」
一斉に凱へと食らいつく飢狼共は、雄たけびを上げる!
まるで血に飢えた狼のような男たちは、乱立的に襲い掛かる!
19チェート(190cm)の凱より体格のでかい敵もいる!
大人の身長ほどの大剣をもつ敵もいる!
双剣を携えた、戦い慣れしている敵もいる!
そんな連中が、凱を取り囲むように迫りくる!
しかし、連中が瞬きした瞬間には、凱の姿など何処にもなかった!
「野郎……どこだ!?ぐあ!」
「おい!一体……がは!」
「何が起きて……ぐううう!!」
一瞬の剣筋が、輝きが刹那の間だけ見えるだけで、凱の姿がどこにも見当たらない!
「カ・ミ・カ・ゼだ!」
「は、速すぎる!」
「駄目だ!全然見えねぇ!」
神風とは、ヤーファ国に伝わる攻撃的な銀閃現象である。
疾風に乗って傷つける風は、奇術か妖術の類だとしか考えられない。
凱の神速を現実として受け入れる事が出来ないから、このように例えるしかないのだろう。
人の何倍、何十倍の速さをもって、背後に回り、頭上へ飛んで、死角へ入り込む。その一連の動作をしているに過ぎない。
戦士同士の苛烈な駆け引きをしているわけではないのだ。
常に相手の一歩先を取る。敵が二人なら二歩先を取る。三人なら三歩先を取る。敵の人数に比例して先手の読み数を増やすのが凱のやり方だ。
それゆえ、敵には凱の行動が速く感じられるのだ。
次々と倒れこんでいく配下達を見て、ドナルベインは目を大きく見開いて冷や汗をダラダラと垂らしていた。
驚愕を示しているのは、ティッタとて同じであった。
「心配するな。生命まで取っていない」
そう凱が告げると、ティッタとドナルベインは我にかえる。言われてみれば、ヴォルン家の屋敷には血しぶきどころか、血の一滴すら落ちていない。
むしろ、落ちたのは敵の士気と、ティッタの恐怖心だった。
(俺の血で、お前たちの血で、ティッタ達の居場所を汚すわけには行かない!)
室内の物的被害を出さないためにも、気絶という手段がもっとも効果的だ。敵があまり動き回らない内に……仕留める!
中には直接凱が手を下さなくても、倒れるものがいたようだ。
凱の太刀筋の凄さに、腰を抜かして地に伏す者。
凱と視線を合わせてしまい、あっけなく戦意を失う者。
凱と視線を切り結ぶ前に、両手を頭に抱えてうずくまる者、様々だ。
「す……すごすぎます」
ぽーかんと口をあけたまま、ティッタは凱が獅子奮迅の活躍を終えるまで放心していた。
凱のウィルナイフは、使用者の意思によって、切れ味が自在に変化する。
明確な殺意を秘めた状態は、朱色に発光して竜の鱗どころか、空間さえ切り裂く―業刀―となり。
純真な穏意を秘めた状態は、金色に発光して獣の皮どころか、果物さえ切れない―凡刀―となる。
どんな悪党でも殺さない、全てを救うと誓いを立てた凱は、後者の方を使うとしている。
強盗の連中も、決して素人ではない。数多くの戦争を曲がりなりにも生き抜いた戦士たちだ。だが、その屈強の戦士たちも、たった一本の刃渡り30チェート(30センチメートル)の短剣に太刀打ちできないでいた。
「長い髪に……左腕の獅子篭手、獅子と黒竜の輪廻曲、吟遊詩人の歌通りだな」
「どうする?今なら気絶だけにまけといてやるぜ。さぁ、ティッタを離せ」
真剣で鋭い眼差しで、凱はドナルベインを見据えていた。
「おのれぇぇ!大人しくしておればいい気になりおって!!このまま引き下がれるかぁぁぁ!」
盗賊に身を落としたといえど、彼も元は数々の戦場を駆け巡ってきた戦士。その意地が彼を踏みとどまらせた。
猛然と遅い来るドナルベインを前にしても、凱の刃はぶれることはなかった。
「この世に獅子王は二人もいらん!貴様から殺してくれる!!」
「仕方ないか……」
どこか捨て鉢な口調で、凱は首領の説得をあきらめた。
突進する敵を、常人を超えた跳躍で交わし、頭上に金色のウィルナイフを叩き込んだ!
――ゴン!!――
鈍器を殴る音に近い乾いた音が、ヴォルン家全体に響き渡る。刃物では決してありえない効果音が、戦いの終了を告げたのだ。
「つ、強すぎる……そいつは……最強じゃなく……反則って……もんだぜ」
最後の捨て台詞がそれだった。国獲りを宣言した割にはあっけない幕切れだったと凱は思った。
「お前のような奴に獅子王は語らせるわけにはいかないさ。それに……」
盛大に前へ倒れこんだドナルベインを見据えて、凱は小さく呟いた。
「自分より弱い人々に手を上げるやつに、反則呼ばわりされる筋合いはない」
――――――――――しばらくして――――――――――――
「もうじき警備兵達がここへ来る頃だな」
ウィルナイフを左腕の獅子篭手に納刀し、周りに被害が出ていないか確認していた。
「あ、あの……ありがとうございます」
深々とティッタは頭を下げた。まだ、戦いの余韻が冷めないのか、ティッタの口調には僅かな動揺が見られた。
しばらくすると警備兵がやってきた。事情聴取と事後処理の段に追われている。ドナルベインの投獄行きを確認すると、凱はティッタへ返事をした。
「礼ならバートランさんに言ってくれ。あの人が俺に教えてくれたんだ」
「バートランさんが?」
視線だけ後ろに向けると、そこにはバートランがたっていた。彼も事態の収拾に全力を尽くした一人である。
「すまねぇ、ティッタ。でも、こうするしかなかったんじゃ」
昨日、ティッタは凱の協力を断ったばかりだ。だが、今回のようなことが起きたばかりでは、何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
しかし、結果的には凱が真っ先に来てくれたおかげで、被害はほとんど皆無で済んだ。バートランの決断がなければ、ティッタの命も危なかったのだ。
「それにしても……」
いまだ地に伏せる男たちを見回して、バートランが固唾を飲んだ。無理もない。屈強そうな男たちが成すすべもなく倒されたのだから。
「たった一人で、ガイ殿一人でこれほどの人数を?」
凱は何も語らない。すなわち、肯定だった。そして、唐突に凱から別れを告げられた。
「警備兵の事後処理もそろそろ終わりそうだし……俺はこの辺で失礼するよ。バートランさん、ティッタ。元気で……」
「まさか、ガイ殿。すぐにアルサスを発っちまうんじゃぁ……?」
本当にまさかの出立宣言だ。何か不安そうにバートランが凱に言い寄る。その表情はやや青ざめている。
ディナントの敗戦以降、アルサスの治安が緩みつつある。
領主不在の影響もあるとは思うが、治安が乱れているのはアルサスに限ったことではない。そうなった根源は他でもない王政府だ。
今日のような野盗襲撃事件が起きてしまうようでは、凱のような人格と武勇に優れている人間が求められるのは当然だった。
「俺がいたら、セレスタのみんなが怖がっちまう」
そんなことは……ティッタはそれ以上続きが言えなかった。
心のどこかで、完全に否定は出来なかったと思っている。
事態を収めた凱が、民を虐げるような力でもって、ドナルベインにとってかわるかもしれない。
凱の穏やかな人格を知るティッタやバートランはともかく、町の人々はそうは思わないだろう。
あまり素性の知れない人間が、自分たちの町に住み着くほど、警戒しなければならないものはない。
「あ、あの……」
「せめて、お名前だけでも教えてくれませんか?」
「バートランさんから聞いたんじゃないか。それが俺の名前だ」
「私は、まだあなた自身から、あなたの声から聞いていません」
「|獅子王……凱」
ブリューヌ語独特の訛りではなく、日本語特有の濁音にて、凱は自らの名を告げた。
「シシ……オウ……ガ……イ」
頑張って日本語を発音しようとするティッタを見て、凱はなんだか癒された。
「それじゃ、俺、そろそろ行くよ」
そう微かに優しく微笑んで、凱の足は再び歩みだす。
一歩一歩、その足で歩くごとに、凱が遠くへ行ってしまう。
ティッタは、すれ違う凱の視線と合わせることなく、ただ立ち尽くすばかりだった。
「待ってください」
正面から女性の、凱を呼び止める声が聞こえた。それは少なくともティッタの声ではない。
「みんなは……昨日の」
凱もこればかりは正直いって驚かされた。なぜなら、凱の行方を遮るかのように、セレスタの住民たちが立っていたからだ。
「どうして?」
「私たちからもお願いです。どうかこのままセレスタにいてくれませんか?」
年若い女性から、いてほしいといわれた。
「あたしも……お願いしますわ」
心細そうな声で、老婆からいわれた。
それだけじゃない。老若男女、親の裾をつまんでいる小さな子供もだ。
連日度重なる野盗に、大勢の住民が不安を抱いているのだ。
日常が殺伐化している今のご時世に、今日、明日を生きていけるか――
いつ内乱に巻き込まれるのかわからない。
領主不在という状況が、それをより一層煽りを立てる。
「にーちゃ……」
ふと、子供と凱の視線が合わさる。その視線はどこか寂しさと不安が入り混じっている。
(俺は……)
過去に、とある戦いにおいて、小さな生命を殺めてしまった過去のせいで、心に大きな心の傷を負った。
弱者という立場を利用して、身勝手な正義という剣を立てられ、獅子は世間という居場所を追いやられてしまった。
赤い髪の少女騎士が立ち直らせてくれたから、手を差し伸べてくれたから、獅子は孤高にならずに済んだ。
その少女も、ここにはいない。
だから戸惑っている。凱の力を受け入れ容認してくれる場所があるのかと
そっと瞼を閉じる。
ティッタも、バートランも、このセレスタの、いや、アルサスの人々も、凱にいてほしいと言っている。
――あとは……俺の心次第か――
そう思ったとき、凱は決意を固めていた。
「……ティッタ」
再び後ろに振り向いて、凱はふんわりと微笑んだ。
「は、はい?」
「これから寝る場所を探すのも疲れるし、何より路銀も付きそうだしな」
「えーと……じゃ、じゃあ?」
それ以上の言葉は無用だった。なぜなら――
あまりの遠まわしの承諾に、ティッタは戸惑いを覚えた。でも、それ以上に嬉しかった。
「寝坊もしちまうし……寝起きもよくないし……」
「それだったら、ティグル様も負けてませんから」
己の主の特徴を、誇らしげに紹介した。
「みんなの前で、お腹が鳴っちまうし……」
「大丈夫です。あたしが責任もってガイさんのお腹を見張りますから」
「ティッタの着替えを除いちまうかもしれないぜ」
青年のセクハラ発言に対し、ティッタは不適に笑って受け流す。
「大丈夫です。そういう時は……こうしてあげますから……えい!」
かわいらしい声が響いてきて、凱の腹部を硬いものが叩いた。
「ぐはっ!!」
強盗どもをねじ伏せた青年を、ティッタはなんと一撃で倒してしまった。
完全に気を抜かしていた凱は、腹部の中身まで浸透されるのを感じ取り、盛大に後方へ倒れた。
どうせ少女の拳なんて……とタカをくくったのがいけなかった。
ティッタも、家事という戦場を持つ身。ヴォルン家に対しては一家言を持っている。だが、避けるか受け止めるかしてくれるだろうと思っていたけど、結果は見ての通りとなった。
「すげぇ!ティッタお姉ちゃん!」
男の子が大いに驚いて――
「なんじゃ、ティッタちゃんが最強じゃないかぇ」
老人夫婦が青年とティッタの評価を改めて――
「こりゃ、敵兵の千や二千はおいはらってくれそうだわい」バートランがさらにまぜ返す。
あははと、その場に集まっていた者達が一斉に大笑いする。
羞恥心で顔を赤くしたティッタが、青年に罵声を叩き付ける。
「ガイさんのばかぁぁぁぁぁぁ!!!」
今日も今日とて、アルサスは概ね平和になりました。
NEXT
第2話『勇者対魔物!蘇る銀閃殺法!』
『アルサス中央都市・セレスタ・ヴォルン家の屋敷』
ティッタの朝は早い。ゆえに、朝一番の早起きが彼女となる。鳥のさえずりがちょうどいい目覚ましとなり、ティッタは起床する。
太陽が昇りかけて、あたりがようやく青白くなってきた頃、昨日のうちに用意していた水で顔を洗い、長い栗色の髪を結んでツインテールにする。それから屋敷中の鎧戸を開けて、外の空気とを入れ替える。
澄み切った空気が鼻孔に入り、ティッタの脳を覚醒させる。今日も一日頑張ります!
決意を改めた勢いのまま、ティッタは慣れた手つきで厨房と食堂を掃除し、いそいで朝食の用意を済ませる。
――みんなの前でお腹が鳴っちまうし……――
――大丈夫です。あたしが責任もってガイさんのお腹を見張りますから――
昨日の昼下がり、そんなやり取りをしてから、ティッタの中には妙な使命感が生まれつつあった。
「シシオウ……ガイさんか……」
日本語表記にして―獅子王凱―というのが、ヴォルン家の居候の名前だった。
どこか濁音の強い響きのあるこの名は、ブリューヌでは珍しい。後名のほうがガイといい、先姓のほうをシシオウという。
みんなには呼びやすいほうの「ガイ」でいいと、人には言っている。愛称も本名も結局はガイとなるので、そう呼ぶしかないのだか――
「あたしがガイさんのお腹の虫さんを見張らなきゃ」
そんなことをつぶやきながら、凱が寝泊まりしている貸部屋の前に立つ。ちいさくひとつ深呼吸して、反応がないのを確認すると、静かに戸を開ける。
ベットから起きたばかりなのか、とてつもなく寝起きの良くない人相で立っていた。
乱れた服の中に手を入れて、胸元をかじっている。虚ろな眼差しが寝起きの悪さを示している。
「ムクリ……おはよう……ティッタ」
凱はこのように、おもむろに声を出して寝起きする。神剣の
刀鍛冶であるリサの癖が知らないうちにうつっていたようだ。
なんともしまらない挨拶とともに、ヴォルン家当主に負けないくらいの寝ぼけ顔をみせた。昨日、あのすごい戦いを繰り広げた人物とは思えない。
もともと、このような凱は決して気の緩んだ行動やしぐさをする人間ではない。
時空防衛勇者隊GGG(ガッツィ・ギャレオリア・ガード)に配属されていた頃では、こうしてのんびり朝起きて夜寝るということがほとんどなかった。GGG組織の規則に拘束されていたわけではない。
常に24時間の臨戦態勢にある緊張感と責任感が、人間のごく自然の営みさえも許さなかったのだ。
だが、今の凱は身に降りかかる未曽有の脅威から解放され、こうして質素でありながら、温かみのある居場所を与えられた。
普通に寝起きし、食し、生活するのが楽しくて仕方がない。そのような環境になれば、気が緩むのも止む無しといえよう。
「おはようございます!朝ごはんにしましょう!」
改めて振り返る。
――この青年こそ、昨日、野盗の首領ドナルベイン一派を蹴散らした獅子王凱なのである――
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ごちそうさま……と」
両手を合わせ、食事に対する恩恵と、ティッタに対する感謝をこめてお辞儀をした。
テーブルの上に並んでいたハムを入れた卵焼きと麦のパン、ミルク、茸のスープの朝食メニューを平らげ、両手を合わせて言葉をかける。
初めて食べた彼女の料理は、とっても幸せ味だった。すごくおいしそうに食べる凱の表情は、実齢(後日紹介)より幼く見えたし、何だか赤毛の主のようにも見えた。
料理を作ったティッタとて、凱があまりにも美味しそうに食べるから、何だか微笑ましい気持ちでいっぱいになった。
「ガイさん、口元についてますよ。これで拭いてくださいな」
「あ、悪りィ」
「襟も曲がってますよ」
「あれれ?」
「寝癖もついています」
何でもかんでもティッタにされるがままの凱は、あっさりと抵抗をあきらめた。
平らげた食器を片付けながら、ティッタは凱に今日の予定を聞いてみた。
「ああ、今日はバートランさんと一緒にユナヴィールの村へ行こうと思う」
アルサスには、このセレスタの町以外に4つの村がある。首領を捕縛したから大丈夫かと思うが、ここセレスタに近い村が盗賊団に襲われた可能性は捨てきれない。念のため見ておくべきだと凱は考えている。
「ユナヴィールの村へ……ですか?」
再度問いただすような口調でティッタは言った。
「ここから北西にある村だ。昨日の盗賊団の事で少し気になってな。明日の日暮れには帰れると思う。ティッタはどうするんだ?」
屋敷を囲む策の前に、老人とおぼしき人物が、凱の視界に入る。
(……誰だ?)
気持ちを180度切り替えて、凱は視線だけを窓に見やる。かなり遠くに離れているが、凱の視力にはしっかりとらえられた。
「ガイさん、どうしました?」
「馬に乗って誰かこっちに向かってきているようだ。一人はバートランさんのようだけど、もうひとりは……」
「マスハス様!?」
あのぐんずりとした体格には見覚えがあった。それに、年相応の貫禄がある髭を。
最初、ティッタと凱は警戒したが、人物をしっかり認識すると、顔に喜びを浮かべて飛び出した。
「バートランさん!マスハス様!お帰りなさい」
数日前、雨の日の中、凱と邂逅を果たしたマスハス=ローダントと出くわしたのだった。
肩で息をしながら、二人の老人は果敢に乗り込んできた。火急のようなのだろうか。
「ティッタ!それと……」
驚いた表情で、マスハスはティッタの隣にいる青年を見やった。
「もしや、ガイ殿ではないか?」
突然のことでお互い驚いていたが、一呼吸おいて凱は挨拶した。
「お久しぶりです。マスハス卿」
「どうしてガイ殿がここに?」
「それは私から説明します」
ティッタは、これまでの事を簡単に説明した。詳細のところをバートランが補足する形で話は進んでいった。
「わしが知り合いの貴族に回っている間に……そんなことが」
一通り話し終えると、あまりの内容の濃さにマスハスは、思わず大きく息を吐き捨てたものだ。
主不在というだけで、取り巻く環境が変わってくることは予想していた。マスハスもオードを統治する領主だからわかる。
野盗ドナルベイン一派といえば、ヴォージュ山脈に居を構える大盗賊団だ。テリトアールにも襲撃しているとオージェ子爵も言っていた。
「ありがとう。ガイ殿、お主がいなければ、今頃どうなっていたことか……といいたいが、事態は急を要する。単刀直入に言おう」
「マスハス様、何か悪い事でも?」
心配するかのように、ティッタは問いた。
「ああ、最悪だ」
マスハスは深く呼吸を整えると、重々しく語る。
――テナルディエ公爵が、三千の兵を差し向けて、アルサスを焼き払おうとしている――
――ガヌロンも先んじて、兵をアルサスに向けて動かそうとしている――
アルサスに、戦慄が走った。
これは、フェリックス=アーロン=テナルディエの子息、ザイアン率いる三千の軍が、アルサスの地に足を踏み入れる数日前の出来事である。
『テナルディエ軍がアルサスに接触する数日前の初日』
かくして、マスハスの指示のもと、アルサスの避難が促された。
「町の外に出たことのある者、体力のある者をアルサス郊外の山や森へ向かわせる。ティッタには、女子供、老人を神殿へ避難させてくれ」「はい!」
「バートランは何とかして、このことをティグルに伝えるのだ」「任せてくだせぇ!!」
「ガヌロンのほうは、わしが何とか抑える。」
「マスハス様、ガイ殿はどうしましょう?」
バートランが凱への指示をマスハスに聞いてみた。
「そうじゃな、ガイ殿はティッタを助けてやってくれぬか?」
「了解!」
青年の力強い返事に皆もまた力強くうなづいた。もし、知っている人間がいれば、勇気あふれる今の凱の顔は、GGG機動隊長だったあの頃と変わらない。
それぞれの、アルサスを守るための戦いが始まった。
『アルサス・ユナヴィールの村・主要公通路』
いずれにせよ、凱がユナヴィールの村へ行くことに変わりはなかった。
それから、凱とティッタは二手に分かれて行動を開始した。
まず、郊外出経験者組を凱が避難させ、そうでない女子供、老人などはティッタが避難させた。
マスハスから簡単な地図を受けとって、この村を右往左往することになった。
テナルディエ軍三千が差し迫っている事態を、セレスタ以外の町村は知らないはずだ。被害を想定すると尋常じゃなくなる。
避難は予定よりかなり遅れていた。凱が抱いていた不安が見事当たってしまったようだ。
「あまり進捗は良くないな。このままじゃ……」
村自体は思っていたより広くもないし、人口密度も高いわけではない。でも、凱の顔には違った種類の疲労が浮かんでいた。
凱の見立てでは、おそらくアルサスの住民がテナルディエ軍到着まで、避難が間に合いそうにない。
領主不在のアルサスでは、町の有力者や村長は混乱の中で動けず、マスハスの指示を受けてやっと動き出せたところだ。
それだけじゃない。アルサスで暮らしてきた人々は、外界に対する危機感はほぼ皆無である。有力者とて例外ではなかった。
さらに、遠聞にも当然疎い。普段、テナルディエやガヌロンが非道な行いをしていることについても、あまり知らないのだ。
必死の呼びかけにも関わらず、真剣さが伝わらない。
やはり、まだ見たことのないアルサス領主でなければダメなのか……
「とにかく、片っ端から知らせる。多少は強引でもやむを得ない。今は時間が命だ」
かなりの荒行為を自己提案する凱だったが、今はそれを無理でも肯定するしかなかった。なにより、このような歯がゆい経験はこれが初めてではない。
地球に機界生命体が本格的活動をしたあの頃と同じだ。
日本の首都、東京の新宿に突如出現した「EI-02」を前にして、1千万都民は混乱の極みにあった。これによって、戦闘区域における避難活動の問題解決は急須となった。
長く続いた平和の中で、いつしか危機感という認識が錆ついてしまったのだろう。
所詮、凱に出来ることはたかが知れている。それでも力及ばずながらアルサスの為に、そして何よりティッタの為に、今自分に出来ることをするしかなかった。
――彼の左手に輝く、魔物の存在を知らせている、Gの紋章に気づくことなく――
『アルサス郊外・草原平地』
アルサスを見下ろせる位置で、中肉中背の男が一人立っていた。
周りには、話し相手などいないはずなのに、何やら独り言を唱えていた。
いや、話し相手はいた。
その相手というのは、今青年の方に乗っている手乗りサイズのトカゲである。先日、とある名家に仕える占い師から提供されたものだ。
なんと、そのトカゲは、どんなに遠いところにいる相手でも話ができるというのだ。
―聞こえるか。ヴォジャノーイ―
「ふーん……ここに『銃』と『弓』がいるんだね。ドレガヴァク」
―残念だが、『弓』のほうは使い手が見つかっておらん―
トカゲは、受話者と送受者の意志と言語を仲介し、忙しそうに表情をころころ変える。
「本当に残念だよ。まぁ、『銃』だけでも拝みにいくとしますか」
こんな辺鄙な地に派遣されたから、なんか釈然としない。せめて楽しみがなければ割に合わないというものだ。
―ヴォジャノーイ。『弓』を手に入れる大事な時期だ。あまり事を荒立てぬようにな―
「わかってるよ。ドレガヴァク」
遠隔通話を終えると、ヴォジャノーイは気分をより一層弾ませて、セレスタの町へ向かっていった。
「とはいっても、使い手はともかく、『弓』自体はちゃんと確認しておかないとね。ドレガヴァクによれば、テナルディエの坊ちゃんが軍を率いて、ここへ向かってきているみたいだし……」
ヴォジャノーイは、再びアルサスに向けて足を歩み始めた。
――これから始まる勇者と魔物の宴を待ちわびて――
『アルサス・主要都市セレスタの町・中央広場』
「こっちです!神殿にいれば、襲われることはありません!」
セレスタの町の中央で、ティッタによる必死の呼びかけが行われていた。
足腰の思しくない老人や、郊外へ出ることのままならない、体力のない人々が神殿に入るのを確認する。
避難活動にひと段落付いたティッタは、ヴォルン家に戻ってきていた。
警備兵に神殿への避難を進められたが、彼女は「あたしは屋敷にいます」といって断り続けた。
――赤い髪の当主を真っ先にお迎えしたいから――
もしかしたら、自分がここを離れてしまったら、もう帰ってこないかもしれない。
バートランさんが、必ずティグル様を連れて帰ってきてくれる。
重圧とは異なる不安が、彼女を押しつぶそうとしている。そして、実際にティッタを押しつぶそうとする使者が現れた。
ふと、ティッタは窓を見やる。まだ遠くてよくわからないが、もしかしたら、待ちわびた赤毛の主様が帰ってきたのかも……
今まで閉ざされていた重圧と不安という扉を、不用意に開けてしまった。
「ティグル様!?……あ!」
違う。完全な人違いだ。
見た目は中肉中背の若者。頭にバンダナを巻いて、獣をあしらった服装をまとっている。
後にヴォジャノーイと名乗る若者は、挨拶もなしに用件を言ってきた。
「なあ、ここに『黒い弓』が家宝としてあるってきいたけど、知ってるかい?」
明るい笑みを浮かべて、彼なりに優しく呼びかける。しかし、黒い弓という単語を聞いて、ティッタの顔が緊張で張り詰めている。
どうして、家宝の弓を知っている?それも、黒い弓を家宝としてと言っていた。間違いない。この男は知っている。
ティッタは、枯れそうな喉で懸命に声を絞り出す。
「……さぁ?何のことでしょう?あたしには何のことだか……」
「何ぃ!!」
青年の態度が豹変した。楽から怒の表情へ、鋭い目つきを見る限り、先ほどの態度とは180度違う。
「んん?おかしいなぁ?確かここにあるって聞いたけど?」
わざとらしく考えるふりをして、彼は舌をチョロチョロ出す。やがて舌は尋常ならざる寸法にまで伸びていき、舌の先端で額をかじって人間の仕草を現した。
奇怪な彼のしぐさに、ティッタの背筋は凍り付きそうになった。そのとき、彼の視界に一人の兵士が映る。
「ティッタ、様子は……」「来ちゃだめぇぇ!」「邪魔だよ。君」
つまらなそうな視線で、青年は兵士を見やる。邪魔をされた苛立ちを晴らすかのように、唾を吐きつけた。
青年の唾液をかけられた兵士は、奇声を上げる間もなく蒸発した。
蒸発された兵士は多分、屋敷で待っているティッタの様子を見に来てくれたのだろうか。
長い舌に、溶解性の唾液、人間の範疇を超えている。既にティッタは額に汗をにじませて、さらに青ざめて腰を抜かしている。
「そうかそうか……『弓』はここにはないのかぁ……僕の間違いだったのかな?」
そして青年は顔を仰向けて、芝居がかった口調で言う。
「だめだ!残念すぎて思わず反吐が出るな!!!」
仰々しい物言いに、十分な殺気が感じられる。アルサスに住む、抵抗できない女子供さえも容赦なく殺す気だ。そう思ったとき、ティッタは懸命に声を絞り出す。
「待ってください!弓は確かにここにあります!ですから!!……」
大事なヴォルン家の代々伝わる家宝だが、やむを得ない。力なき侍女には民を守るための、これが精一杯の行動だった。
急いで屋敷に駆け上がり、弓を大事そうに抱えて少女は戻ってくる。それを見ると、青年はさわやかに微笑んだ。
「なんだ。やっぱりあるじゃないか。では確かに」
品定めするかのように、ずっと弓を見やる。使い手が見つかっていないのは残念だが、これだけでも収穫ありと思った。
「ありがとう。だけどね」
刹那、青年はとても大きな麻袋を取り出し、巧みにティッタを袋詰めにする。窒息されては困るので、顔以外を包む格好にした。
口を縄でふさがれ、叫びを上げることすら取り上げられた。、
「んんんぐんんんぐぐんん!!!!」
「君は僕に嘘をついたから、『弓』と一緒に連れていくよ。観客も増えてきたことだし、そろそろ退散といきますか」
そういうと、ヴォジャノーイは自らの影に視線を落とす。すると、袋詰めにされたティッタと彼は眼下の闇に吸い込まれていった。
――ティグル様!!……ガイさん!!――
――――――――――――――――――――――――――――――
その頃バートランは身支度の準備を終えて、、アルサスからライトメリッツに発つ前、ヴォルン家の屋敷に立ち寄ろうとしていた。
長年見慣れた屋敷が見えてきた頃だ。ちょうど半刻前に異変に気づいたのは。
「ふえええええ!ティッタお姉ちゃんがぁ!」
泣き叫ぶ子供の声も聞こえてきた。バートランはさらに足を急ぐ。子供だけじゃない。その場に居合わせていた大人たちも蒼白な顔で立ち尽くしていた。中には、腰を抜かして動かない者もいた。
「あ……ああ!」
「一体何があったのじゃ!?ティッタはどうした!?」
よほどショックが大きかったのか、しばらくバートランの問いに何も答えられなかった。だが、取り返しのつかなくなる予感がして、無理やり問い詰める。
「詳しいことを離してくれ!今すぐに!」
仔細が分かったバートランは急いで、小さな紙きれに内容を書き上げた。すぐに内容を見てもらえるよう、荒く丸める。仕方がない。
まず、ユナヴィールの村で避難勧告をしている凱に、セレスタの町で起きた怪事件を知らせる。郊外近くの兵士に伝令を走らせ、自身は何とかマスハスに知らせる。ガヌロン軍と接触する為、アルサス付近の知り合いの貴族に協力を要請するといっていた。
心当たりのある場所に当たれば、マスハスに会えるかもしれない。とにかく行動を開始すべきだ。
『半刻後・アルサス・ユナヴィールの村』
「ガイさん!ガイさぁぁぁん!!」
やっと避難活動が順調に進んできたところ、凱の下に一人の年若い兵士がやってきた。息を切らせて走ってきた兵士に、凱は見覚えがあった。
「一体どうしたんだ?君はたしか、セレスタの門兵」
「とにかく、これを読んでください!バートラン様からです!」
「バートランさんから?」
髪を元に戻し、素早く眼球運動を行い速読する。
つい眉を顰めたくなるほどの文字は、相当急いでいたのだと物語っていると凱は推測した。
「これは……」
次の一文を読んだとき、思わず、手紙に力がこもる。握られた手紙は大きくしわくちゃになる。
――ティッタが何者かに拉致された!――
次に仔細には、尋常ならざる舌、一瞬で人間を蒸発させる唾、ヴォルン家の家宝を狙ってやってきた中肉中背の青年等、居合わせた人たちから聞いたことを記していた。
だが、凱にとって、内容は二の次だった。
ティッタが拉致された。それだけで凱が動くには十分な理由だった。
(がオーブレスを屋敷に置いてきちまったが……今は時間がない!)
避難活動を促す際、不用意な警戒を持たせない意味と、ティッタに信頼を示す二重の意味を込めて、獅子籠手を置いてきた。大事に預かってくれたため、おそらく場所はティッタにしか知らない。
バートランによれば、人間の容姿をしているものの、中身はかなりかけ離れているようだ。例え素手であろうとも、立ち向かうしかない。
(左手のGストーンが……疼く?ティッタのところへ導いてくれるのか?)
蛍の光のように灯るGの紋章を頼りにして、ティッタの居場所へ行くしかない。
兵士にバートランへ伝言を伝えて、必ずティッタをセレスタへ返すことを約束した。
凱にとって、ティッタにとって、バートランにとって、マスハスにとって、長い、長いアルサスの一日が、始まろうとしていた。
――そして舞台は、アルサス郊外の平原に戻る――
「ふんふふふん♪」
上機嫌にヴォジャノーイは鼻歌をかます。肩に担いでいる袋詰めのティッタの事などお構いなしに。
「んんんんんんんん!!」
「うるさいなぁ、静かにしていてくれ。久しぶりに『弓』が見れて機嫌がいいんだ」
後ろに担ぐ袋を忌々し気に見つめながらつぶやいた。
坂道を上って平地に差し掛かったところ、ヴォジャノーイは一人の人影を見つけた。
「その娘を、ティッタを離せ」
底冷えするような怒気を含めた声で、凱は青年を呼び止めた。
呼び止められた青年は、首をコキコキと鳴らして軽い口調で答える。
「なんだ、『銃』、何時の間に来てたの?」
「ふぁいふぁん?」
凱に向かって銃と呼ぶ自体既に怪しい。凱を呼び合う為のコードネームか何かと理解するしかない。
袋詰めにされて、恐怖と不安をまき散らすティッタ。凱の心には、ティッタを早く助けたいという逸る気持ちでいっぱいになる。
「一体何が目的だ?家宝の弓が欲しければ持っていけ。だから……ティッタを離せ」
凱は目の前の青年に対し、冷やかに言った。
ヴォルン家の家宝に対して、凱が「勝手に持っていけ」などと言えるはずはない。だが、ティッタの命が掛かっている以上は仕方がない。懲罰があるなら喜んで受けよう。
「それは不要な戦いは避けたいということかい?」
訝し気に問いただすが、凱の身なりを見て納得する。ティッタの身を最優先して、凱は真っ先に駆け付けたのだ。
「そりゃそうだろうね。見たところ、何も持たずにやってきたんだから。僕もそんな人間を脅して倒したところで自慢にはならない」
挑発するように長い舌を、ペロリと一回転させる。人間とは思えないほどの舌の長さに、凱の背筋は緊張で張り詰めた。
「だけどね。銃と遭遇しておきながら、何もせずに帰ったなんて言ったら、僕はドレガヴァクに怒られるよ」
ドレガヴァク。その名は確か、初代ハウスマンの資料に残されていた『人ならざる者』の内の一人だ。
「それに……」
そう言うと勢いよく、顔だけ出してるティッタを詰め込んだ袋が宙を舞う。器用なことに枝を利用して袋を吊り下げた。
金貨の入った大量の袋を逆さにして、コインチョコのように金貨を頬張る。
(金貨を飲み込みやがった!?)
ごっくん。そう生々しい擬音が聞こえたのは気のせいだと思いたい。
体積が小さく、比重の最も重い個体金属を、「人間ならば」がばがば飲み込めるはずがない。
深緑に光るGストーンの輝きは、警戒を示すように強く輝きだす。
「……この『女神』、一度舐めてみたかったんだ」
ティッタに視線を向け、長い、長い、無害性の舌で彼女の頬を伝わせる。言い知れぬ感触に、ティッタの魂は凍り付きそうになった。彼女は恐怖のあまり、双眸に涙を流している。
「てめぇ!」
凱の握りこぶしが、さらに固く握られる。無意識のうちに凱の怒りの感情が、仕草となって表れる。
「というわけで、『銃』の依頼は却下♪早速だけど、正々堂々勝負しようよ」
「ティッタを人質に取っているから、俺が満足に戦えないのを承知の上で、正々堂々を言い放つか。癇に触る野郎だぜ」
「言っとくけど、僕は常に本気だよ。ただ……」
中背の青年は前かがみになって大地を蹴り、猛然と凱に襲い掛かる!
「君がまじめなだけだから!」
下手な馬車よりも断然速く突貫し、勢いを加えた拳が凱に見舞われる!――だが!!
「遅い!」
凱は体を捻らせて、ひらりと交わした。中肉中背の青年の踏み込みを見ただけで、既に攻撃の筋を読んでいた。
相手の拳打の軌道を瞬時に見切り、反撃に移る!
「俺に肉弾戦を挑むなら!ハンニバル団長の正拳突きを超える拳を繰り出してくるんだな!」
ハンニバル=クエイサー。郊外調査騎士団団長。大陸最強の二つ名を持つ禿頭の偉丈夫。60歳。
筋肉の鎧から繰り出される剛腕は岩をも砕く。その勢いは馬車よりも速い。でたらめな高齢者である。
その声からして素手で○ビル○ーツを粉砕する姿を連想する。
神剣の刀鍛冶からは「筋肉ジジイ」と揶揄される。以上。紹介終わり。
模擬戦時の凱とハンニバルの死闘は今でも伝説となっている。
だから、当然の如く凱には――
(動きが止まって見えるぜ!!)
拳を難なくいなし、返し技の蹴りの一つで軽く若者を吹き飛ばす。蹴られた青年の体はとても堅かった。
「ぐふべしぇ!!」
意味不明な発音と共に、顔から地面に倒れこむヴォジャノーイ。
優しい笑顔で凱は歩み寄り、今だ木に吊り下げられている袋詰めのティッタに声を掛けた。
「待たせたなティッタ。今降ろしてやるから」「僕ってちょっと調子に乗りすぎたかな?」
けろっとした表情で立ち上がるヴォジャノーイ。その表情はどこか緊張している。
やはりこの長髪の青年、正攻法では倒せない。ならば、変則技を使うまでだ。
いきなり舌を出したかと思えば、自らの手刀で切断した。突然の行動に、凱とティッタは目を見開いた。
「心配しなくてもいいよ。だって……元に戻るから」
口をもごもごさせて、調子を整えると、確かに元通りになっていた。やはりこの青年は人間じゃない。
切り払った舌の残骸を、ヴォジャノーイは無造作に放り捨てた。やがてその舌は、誰にも悟らせないように這いずって進む。
――もうすこし、もうすこしだ――
距離をもうすこし縮めれば、凱をからめとって、自由を奪うことができるはずだ。舌の残骸の正体は、ヴォジャノーイが遠隔操作している肉の一部だった。
――いまだ!!――
遠隔操作をしていた舌が急激に伸長して、凱の四角に侵入する!
しかし、凱は落ちていた棒切れを拾い上げて、独立行動するその舌を、麺料理の要領で巻き上げて、こぶ結びにして複雑にからめとる。魔術か呪術の類で操られていようとも、物理的に阻害してしまえば、容易に操れないはずだ。
「な!!」
「お前はこの程度か?」
中肉中背の青年は驚きを隠せずに、長髪の青年は落胆を隠さないで言いやる。そして、驚きを隠せずにいた隙を、凱が見逃すはずはない。
「返してやるぜ!!」
槍投げの形で、ヴォジャノーイに舌の花束を叩き付ける。すさまじい投擲に耐え切れず、後ろからずっこけてしまう。Gの力のおまけつきだ。
「ふぁいふぁん!!」
「改めて待たせたな。ティッタ。今下に降ろしてやるから」
歓喜と安堵の声を上げるティッタ。しかし、既にティッタの視界には、起き上がろうとするヴォジャノーイの姿が映し出されていた。
「やっぱりあっちの世界の弓、『銃』は違うなぁ。「舐めて」かかったらいけないや。あ!今ボクってうまいこと言った」
舐めるための自分の長い舌をわざとらしく出し、相手をみくびる意味を掛けて揶揄する。凱に敵意を向けるが――その凱は視線を少し彼に反らすだけで相手にしていなかった。
「ふぁいふぁん?」
――あの野郎、まだ起き上がるのか?――
普通の人間なら気絶するほどの一撃を加えたはずなのに、背後の青年は立ち上がろうとしている。
さらには、攻撃を加えた箇所の傷がいつの間にか消えている。つまり――再生。
この時だけ、なぜか機界生命体ゾンダーの再生と重ねて見えたのだ。
「ふぁい……ふぁん?」
「ごめんなティッタ。もう少し長引きそうだ」
子供を諭すような穏やかな口調で、凱はティッタに詫びた。心を落ち着かせてくれる凱の口調に、ティッタは僅かながら安心感を覚えていた。
「ふぁいふぁん……」
もはやヴォジャノーイなどガン無視である。
「しゃべくってねぇでこっち向けやゴルァ!!調子乗ったらその『女神-アマ』から喰っちまうぞ!!」
――瞬間、凱の視線がゆっくりと青年へと向けられる――

「うっ……」
まさに、蛇に睨まれた蛙……もとい、
獅子王に睨まれた蛙だった。
竜の牙より鋭い凱の視線を喰らい、凱から叩き付けられた殺気で、ヴォジャノーイは思わずたじろいでしまった。
「なんだ……なんだよ。そんな顔できるなら、僕も最初から本気でいったのに」
少し躊躇った後、両手をポンと叩いて決意する。
「決めた!僕も本気を出そう!」
そう決意すると、体を丸めて、異臭を放つ紫の霧をまき散らす。彼を包み込むように広がる紫の霧は、どうやらガオガイガーのFF時に展開されるEMトルネードと同じ役割を果たしているのだろう。
身体の構造を組み替えるための文言を展開、再構成させ、戦闘態勢へと移行する。
合体破り……もとい、変身破りは勇者の定番なのだが、凱はそんな卑怯なことは絶対にしない。
濃厚な紫の霧が渦を巻いて晴れようとしている。それはまるでファイナルフュージョンに似ているのが滑稽だった。
紫色の皮膚、2アルシンある背丈、蛙を基準とした顔。金の腰布を巻いた蛙男が姿を現した。
ちょうどその頃、馬上の人である二人の老体が、勇者と魔物が対立する現場に居合わせた。
「バートラン!ガイ殿は一体どこじゃ!!」
「ユナヴィールの村郊外あたりを探しているといっていんですが……あ!あそこですわい!」
マスハスもバートランも、最悪の場面に居合わせた形で、やっと凱を発見した。異形の存在も含めて。
この世の不可解と真実を受け入れられないような顔で、マスハスは隣のバートランに話しかけた。
だが、理不尽な状況にも関わらず、マスハスの見たところでは凱のほうが優勢に立っているように見えた。
―あれが……魔物なのか?―
もはや、マスハスとバートランに入る余地はなかった。
「のう、バートラン。小さい頃に乳母の語ってくれた昔話や、吟遊詩人の歌う怪物の歌は覚えておるか。蛙の魔物ヴォジャノーイ。箒の魔女バーバ=ヤガー。白き悪鬼トルバラン。一匹くらいは思い出せんかの」
「ヴォジャノーイ。その名はワシも聞いたことがある。確かこんな歌だったわ――蛙の魔物ヴォジャノーイ。降魔の勇者と斯く戦えり。この先は確か……」
歌の先を思い出そうとバートランが唸るが、どうしても思い出せない。何か大事な一説だったような気がしてならない。
「しかし……あのような魔物と対面しているというのに、ガイ殿は波紋のない水面のように落ち着いておる。気のせいか、逆に魔物のほうが焦っているようにも見えるわ」
マスハス同様、バートランもそう感想を抱いた。
「シシオウ=ガイ……一体何者なのじゃ?」
先日、ドナルベイン一派を蹴散らしたのはあの青年は、圧倒的な戦闘力を秘めている。だが、ここまで強いとはバートランは思わなかった。
まるで、あの手の存在に戦い慣れているような印象さえ抱かずにはいられない。
――ゲロゲロ――
毒々しい体色に、ぬめぬめした肌、蛙の原型を思わせる頭部は、見るもの人間すべてに生理的嫌悪感と心底沸き上がる恐怖を植え付けるに十分だった。
(バイオネットの強化人間みたいな奴だな)
蛙の遺伝子を内包させた強化人間と戦ったことがある。人間の肉体をベースにした生体兵器は生機融合体の凱を存分に苦しめた。
<自己紹介がまだだったね――ボクの名はヴォジャノーイ。口の悪い人間達は『魔物』なんて呼ぶけどね>
こんな蛙の魔物の児戯に付き合う気など毛頭ない凱なのだが――
<ヴォジャノーイ……ここからがボクの本領発揮だよ>
バックホーンとエコーの聞いたドス黒い声。どうやらこれが本来の魔物の声らしい。
「そうか……ヴォジャノーイとはそういう事かよ」
凱の故郷に、ヴォジャノーイという魔物がいるという事を、神話か何かで聞いたことがある。
そのまま二足歩行蛙がいるとすれば、まさにあいつのような者を言うのだろう。
<以外と驚かないんだね。『銃』。普通の人間ならここで気を失うんだけど>
挑発気味に凱を訪ねるが、凱の返事はなかった。
「もし、目の前の人ならざる者が、歌の通りだとしたら」
マスハスが蒼白な顔になり、叫びあげる!
<観客も増えたことだし、そろそろ盛り上げて終わりにさせてもらうよ!!>
やや興奮気味なヴォジャノーイ。久しぶりに本当の姿に戻れてやや張り切っているように見えた。
「いかん!!!!!ガイ殿!」
戦いに集中するあまり、もはや凱の耳にはマスハスの声が届いていなかった。
「そいつの舌を紙一重で避けてはならん!!!!」
突如、ヴォジャノーイの舌の軌道が変わった!
まるで獰猛な蛇のように、別の生き物のようにうねり、凱の体へ吸い込まれるように強襲する!
「ぐああああ!!」
物質を瞬時に溶かしかねない強酸性の粘膜を纏わせた舌が、神速の脚力を誇る凱の太ももを直撃した!
「ぐっ!!」
肉を焼くような不快な音が、煙が立ち述べる!
それだけでなく、凱に傷ついた切り口から、何やら「毒々しい複数色」の紫に変色している!
意識を奪いかねない程の不快な痛覚に耐えかねて、凱は溜まらず膝をついた!
<どうやら毒が回ってきたようだね>
勇者を「毒」という状態異常にさせたことが、魔物を優越感に滴らせる。
「まさに、ブリューヌ昔話に出てくる通りじゃ!そやつの舌は変幻自在!舌の切れ味は、鋼鉄を斬り裂く研ぎ澄まされた刃!」
凱の顔色が青ざめている。血液にしみ込んだ毒の成分が血流を阻害し、確実に凱の体温を奪っていく。
奴の舌から垂れた毒液が眼下の草に垂れる。その毒液は、垂れた草さえも瞬時に溶かす強酸性。もちろん、毒の強さは暗殺者集団「七鎖」が使う毒蛇の比ではない。
「だめだ!あの傷ついた足で、あの魔物の攻撃をかわすことはできん!」
「ワシたちにもどうすることもできないか!」
マスハスは深くかみしめて、バートランは無力ゆえの怒りをぶちまけた。一体どうすればいいのか?自分はここまで無力なのか?
凱のように、素手であのような異形な存在に立ち向かう勇気はない。返り討ちに会うのが実情だ。
<そういや『銃』もさ、なんでこんな女の子を助けるのに一生懸命になるの?>
ヴォジャノーイはドレガヴァクに教わったことがある。人間は利己の為に生きる生物だと。
「……俺より、生きられなかった子供がいた……」
何言ってんだと言わんばかりの表情をするヴォジャノーイ。その異形の顔がしかめ面を作ると、余計不気味さを増す。
それはマスハスもバートランも、一体何を言ってるんだと思っている。
「俺より、生きたかった人達がいた」
東の地にて、阿鼻叫喚の戦争の記憶が蘇る。
蹂躙する人外と悪魔の群れ。泣き叫ぶ平和の時代を生きていた人々。目の前に映る全てを救うと錦を掲げ、人間同士で争った動乱の日々。
あの時、ああしていれば、このとき、こうしていれば、目の前に移るすべてを守れた。守れたはずだった。
だが、それはもはや過ぎたことだ。失われた命は二度と帰ってこない。
「……第二次代理契約戦争(セカンド・ヴァルバニル)で……そんな多くの生命を殺めてしまった俺にとって……ティッタは掛け替えのない……これからの世代を生きる若人」
<わこうど?>
「ティッタは……俺の生命に代えても、無事に取り戻す!」
――ティッタはまだ15の女の子――
――ガイ殿は、新時代の為に、自分の生命を犠牲にしようとしておる――
――小さく、幼い生命が懸命に生き、平和に暮らせる時代を目指そうとしている――
一つ一つ紡がれる凱の言葉は、まるで贖罪の答えを出そうとしているように思えた。
<もういいや。英雄の時代なんてもう終わりだよ。これからはボク達の時代が来るんだ。緑の海と紫の空、人間と竜がおとぎ話になる時代をつくるんだ>
「おまえの目に移る時代が何色かは知らないが――どのみち、お前には到底無理だぜ」
<なんで?>
「戦争が時代を繋ぐんじゃない。時代を繋ぐのは生命そのものだからだ」
<銃の過去なんてどうでもいいの。あきらめて死ねや>
もう付き合いきれないといわんばかりに、蛙の魔物は戦闘を再開した。
両手を突き合わせ、何やらぶつぶつ呪文を唱えている。
<
投影>
ふいに凱の頭上が曇る。恐ろしく巨大な蛙が急降下してくる!
尋常ならざる光景に、マスハスとバートランは顔を引きつらせ、空を見やる。
「うおおおおおおおお!!!」
刹那、凱が吠える。
大気をスクリーンとして代替えし、プロジェクションビームと同じ原理だと悟った凱は、あえて頭上の蛙へ突っ込んで姿を消す!
分厚い雲を遮ったかのように凱は現れ、ヴォジャノーイの頭上を襲撃する!
<しまった!『銃』の間合いに入りすぎた!!>
「ブロウクン……マグナァァァァァム!!」
ヴォジャノーイは、自分の奇術を逆手に取られてしまい、交差法気味の正拳付きを額に喰らう!自分が生み出した投影図を、これほどうっとうしく思ったことはない。
先ほどの、ただの一撃ではない!Gパワーを存分に込めた一撃だ!左手ではない、右手にGの紋章を輝かせて!
生身によるブロウクンマグナムだが、十分に聞いたはずだ!
だが――
<う……うううう!>
蛙の魔物は頭を押さえ、意識を保とうとする。Gパワーの効果は十分現れている。それでも、この魔物には決定打にならなかった。
<いてて……銀閃の主や凍漣の主でさえ、こんな痛み味わったことなんてなかったのに……僕が生身でここまでやられるなんて>
金色の目が開かれている。明確な殺意を以て――
<やっぱり『銃』は舐めてかかったらいけないや。もうボクには油断はない!>
「だめじゃ!ガイ殿に勝ち目はない!せめて……せめてガイ殿に剣を持たせることができれば……」
絶望のあまり、顔を伏せるマスハス。そのとき、ふと脇にさしていた得物に視線が動く。
(……これじゃ!)
ローダント家に代々受け継がれてきた家宝の剣。その教えを守るときが――今だ!
「ガイ殿!この剣を使うのじゃ!」
マスハスは脇から剣を外し、凱に向けて放り投げた!
――二度と生命を刈り取る刃を手に取らないと誓ったはずの勇者は、剣を再び手にした――
だが、鞘から刃を抜こうとはしなかった。
(俺は……俺は……)
なぜだ?そう疑問を抱いたのは、マスハスとバートランだった。
「ガイ殿?」
なぜ、凱は刃を抜こうとしない?
なぜ、抜けるはずの右手は震えている?小刻みに――
<おい、勇者様が魔物を斬ることに、何オドオドしてんのさ?だったら、僕があの女の子を先に殺してあげる。心の檻を開けて、目覚めさせてあげるよ!>
魔物の攻撃対象がティッタに移る!命を駆られる瞬間にマスハスとバートランは悲痛の叫びをあげる!
「いかん!ティッタ!」
「ティッタァァァ!!」
ティッタが……殺される!
すかさず、剣の握り部に手を掛ける!
そう現実を理解した時、凱はタガが外れたように心の束縛を振りほどこうとする!!
「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
殺さずとコロセの感情が、凱を激しく高ぶらせる!
「あああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
凱!やらなければ!ティッタが殺されちまうんだぞ!
「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
躊躇している余裕はない!
殺さなければ、殺されるのではない!
殺さなければ、――守りたいティッタ――が殺される!
勇者に課せられた、絶対の禁忌。
例え魔物といえど、その命を、魂を『喰らう』時、凱は『
獅子王』から、『勇者』に立ち戻れなくなる!
「あああああああああああああああ!!!!!!」
ヤレ!やるんだ!ガイ!
「あああああああああああああああああ!!!!!」
そして今!最強の獅子が、殺さずの誓いを……今……破る!!
「たああああああああああああああ!!!!」
神速を超えた踏み込みで、目の前の敵に迫る凱!
心の檻を食いちぎった獅子は、魔物を食い殺そうと猛然と迫る!
<ひっかかったな!銃!>
ヴォジャノーイの舌が不規則に軌道を変え、凱の背後へ差し迫る!
<後ろから突き殺してやる!>
今までにない強酸性を有した舌が、凱に紙一重で差し迫ろうとしている!捕えた!魔物はそう確信をする!
全ては――ヴォジャノーイの策略だった。
ティッタを餌にすれば、凱は動かざるを得なくなる。その刹那の瞬間を、狙って『舌』で切り返す!
これまでの戦いで、凱の神算、神速、神技は全て見切った!
「うおおおおおおおおおお!!!」
叫ぶ!腹に響くそれは、もはや咆哮であった。
〈捕えたよ!銃!〉
ついに迫る鋼の舌!
しかし、凱はなんと――背後から迫る鋼の舌に対してキリもみ状――にかわし、反撃に転じた!それはさながら身体が蛇のように長い「海竜」の動きのように――
人間の骨格構造を無視した空前絶後の回避体術に、ヴォジャノーイは完全に度胆を抜かれた!!
<なんなんだよ!?なんなんだよ!?なんなんだよ!?なんなんだよ!?こんなの人間のできる動きじゃない!まるで別人じゃないか!!>
何の変哲もない普通の剣が、ヴォジャノーイには凶剣に見えている!
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
ローダント家の剣に、凱のGパワーが伝わっていく!
天尖の煌めき!空中姿勢の抜刀術!
数多の人外、無数の悪魔、竜の群れを惨殺せしめた剣技が、今……アルサスにて蘇る!!
「銀閃殺法!!
海竜閃!
大海嘯!!」
それは、回避と攻撃を一体化した返し技。海竜の華麗な動きを寸分の狂い無く再現した刃のさざ波!
深緑の
煌気を乗せた剣が、降魔の斬輝となって魔物の体を斬り裂いた!
凱の技のすごさに、マスハス達は100数えるほど黙って立ち尽くしていた。
竜の爪より鋭い視線のままで、勇者は魔物を見下していた。
そこには、勝ち誇ることなく、かといって苦した表情さえも見せていない。
本当に、目の前で起きたことが真実なのか?それを受け入れるには時間を要した。
今の凱には、『心の中に巣食う獅子』が眠りから覚めてしまっていたのだ。
――あれが、本当に穏やかだったガイ殿だったのか?――
慈愛性の中に隠された、凶暴性という、凱が持つもう一つの側面。
言い表せない矛盾が、凱を除く一人の少女と二人の老人の心を重くする。
「ガイ殿……」
バートランが気遣うような口調でつぶやく。
「わしもこれまで戦場をかけめぐったことがあるが、あのようなすごい技を見たことがない」
驚きを隠せないでいたのは、マスハスとて例外ではなかった。
瞬間、マスハスから渡された剣が、音もなく崩れ去った。
空気と大気の急激な摩擦熱に加え、凱が伝わせたGパワーが上乗せされていたのだ。地上界の物質における臨界点を、獅子王凱はゆうに超えてしまっていたのだ。
それほどまでに、凱の剣撃は鋭かったという事だ。
「ガイ殿の技に、剣が耐え切れず燃え尽きてしまったのか?」
代々伝わる家宝の剣の末路を見届けて、マスハスはそっと目を閉じた。
「……すみません。マスハス卿」
落ち着きを取り戻した凱は、いつもの静かな口調で謝罪した。
「いや、いいんじゃ。むしろ、ティッタの生命を救えたのじゃ。この剣も本望じゃて」
落ち込むどころか、むしろ誇らしげにマスハスは返事をした。
ローダント家の剣は、その役目を立派に果たしたのだ。父と剣に弔いと礼の言葉を捧げよう。
<ううう……くそ……降魔の斬輝で……さえここ……まで傷つけ……ることが出来ない……のに>
文字通り、地面にへばりついている蛙のように、ヴォジャノーイは驚愕していた。そのつぶやきは、あまりにも小さく、独り言のように。
それとは知らず、凱の中に一つの不安が生まれようとしていた。
「ありがとう。ガイ殿」
バートランの感謝の言葉が、凱を勇気づけた。
「ガイさん……ありがとうございます!」
袋詰めにされていたティッタが解放され、最初の言葉がそれだった。
ティッタの無垢な笑顔に、凱は心が救われたような気がした。
(俺のほうこそ、ありがとうな。ティッタ)
心の中の獅子に負けなかったのは、ティッタがいてくれたからだ。
凱は心の中で、ひそかに感謝したのだった。
ありがとう。俺を恐れないでくれて――
ありがとう。俺を受け入れてくれて――
本当に、本当に、ありがとう。
凱は、心の中で何度も何度も感謝の言葉を繰り返していた。
――セシリー、俺はまだ、君と同じ『目の前に映る全てを救う』信念に、すがっていたい――
後書き
かなりのオリジナル展開になってしまいました。
今回、凱の放った銀閃殺法「海竜閃・大海嘯」なのですが、すいません。思いっきり飛天御剣流の竜巻閃『旋』です。
次回、『約束の為に~ティッタの小さな願い』です
第3話『約束の為に~ティッタの小さな願い』
両腕に緑の宝石を宿している青年は、懐かしい夢を見ていた。
――郊外調査騎士団を抜けるだと?ガイ――
――そうだ。――
――どこへ?何しに?一人で?――
――ルーク、俺はこれから……誰も死なせず、目の前に映る全てを救う道を探すつもりだ――
――そんな道があるなら、是非ともお教え願いたいものだな。俺の嫁にそっくりだ――
――……セシリー――
――今更逃げるとは言わせないぜ。救えない、助けられない生命なんて多い。一人で抱え込もうとするてめぇに、できる事はたかが知れてるんだよ――
――それでも、俺は力及ばずながら、戦乱の苦難に遭う人々を手助けしたい――
――あの時と全く同じことを言うな―
――ルーク……エインズワース?――
――何か俺の力を必要になったら、工房を訪ねてきな。その理想をずっと貫き続ける覚悟があるなら、何度でもあんたの心を打ちなおしてやる。目の前に映る全てを救う。あんたにそれ以外の道はないはずだぜ――
――ああ!分かっている!――
――逃げんなよ……勇者様――
ここで、夢は終わった。
「約束の為に~ティッタの小さな願い」
差し迫る『テナルディエ軍がアルサスに接触する前日』
あの戦い、凱とヴォジャノーイが人智を超える戦いが終わった後、マスハスとバートランは、くすんだ赤髪の若者の為に行動を再開した。
肝心な魔物といえば、あのあと影に潜るかのように地面に消えていき、気配を完全に消していた。Gストーンの反応もないから、おそらく大丈夫だろう。
とりあえず、ティッタと凱はヴォルン家の屋敷に戻ることにした。馬に乗れない凱とティッタは、マスハスとバートランにそれぞれ後ろに乗せてもらっていた。馬に乗れない凱の意外な弱点を、マスハスとバートランは、なぜか親近感をわかせていた。
凱とティッタはアルサスに帰ってきた。何をするためにと言われれば、もちろん主様をお迎えするためだ。
しかし、もうあの主様の顔を見ることを、声を聴くことも叶わないかもしれない。
ティグル様は必ず帰ってくる。最後まで信じている。信じているはずなのに……心のどこかで針の穴のような小さな不安が存在している。
二人はちょうど、2階のバルコニーに立っている。あの山に夕日が沈んでいく様を見ながら、明日のアルサスの事を憂いている。凱はどう言葉をかけたらいいか分からずにいた。
「なぁ、ティッタ」
侍女の返事はなかった。声を掛けた凱もどこか力強さがない。
彼も現実として理解している。どうあがいてもテナルディエ軍に勝てないことを――理解していながら、感情が納得してくれなかった。
(俺がアルサスを……)
そこまで考えると、凱は一拭して振り払う。
一個師団並み(歩兵一万~三万)の戦力を持つと、凱は誰かに例えられたことがある。敵軍の先頭と、アルサスの郊外で相対すれば、撃退すればいいかもしれない。だが、圧倒的な力で勝てばいいかと言えば、そうはいかない。人の心理は、行動は、時として常識と思考を超越する。
昔の人間はこういう言葉を残した「過ぎたる力は及ばざるがごとし」と――
少ない戦力で大きな戦力を破れば、当然、関係勢力は必要以上に警戒する。権力者はこう思うだろう。いつか付け入ってくるのかもしれないと。
そう思ったとき、昨日マスハス卿から聞いた――ディナントの戦い――の詳細を思い出した。
自国は二万五千。敵は半数以下の五千。
アルサスは位置の関係上、ライトメリッツと国境を接している。寸土とはいえ、戦略観点からして見逃せない点だ。
ブリューヌに油断があったとはいえ、たった五千の軍勢で五倍の兵力を一夜に壊走させた戦姫がいる。警戒し、しすぎることは決してない。無人の荒野を出現させて、戦意を挫く戦略。
力のあるものは相応の責務を果たす為に、国の「末端」より「中心」の存続を第一に考えて行動しなければならない。
もし、テナルディエ軍がアルサスを焼き払う遠因がそこにあるならば、まさに「過ぎたる力は何処までも及んでいく」ことを裏付けている。
両国の治水問題の言い争いから始まった火種は、様々な思惑という可燃物を得て、今まさに、アルサスという辺境の土地まで燃え広がろうとしている。
凱が直接手を貸すことで、同じように戦火が拡大していくのではないか?周辺を巻き込み、大陸を燃えカスで埋め尽くすことになるのではないか?
「もし、ご主人様が戻ってこなかったら……その」
凱が気まずそうに、ティッタに問う。
自分でもわかっている。健気な少女の心を揺さぶる質問をするのは、卑怯以外の何物でもない。それでも、聞いておかなくてはならない。ティッタにここで生命を落としてほしくないから。
もし、敵国の捕虜になって、現地の妻をめとったとしても――
もし、奴隷制度の国に売り飛ばされたとしても――
生きてさえいればあの山に夕日が沈んでいく様を見ながら、またいつか会えるという希望はある。生命を落とせば、その小さな願いさえも完全に断たれる。
別れは誰にだって悲しい。
凱には、ティッタがどれほどアルサスに、いや、今だ遠い国に捕まっているティグルヴルムド=ヴォルンに想いを馳せているかは分からない。でも……いや……だからこそ、この小さな侍女の生を望むのだ。
もう、留守を預かる生活が何日も続いている。身代金の要求期日を含む40日の前日。しかもちょうど、テナルディエ軍がアルサスに到着する。残された一日を終えてしまうのは、怖い。
絶望。脳裏に浮かんだ言葉がそれだった。
いつの時代でも権力者は、地図の上を、絶望と希望の色を何度も塗り替える。白を強引に黒へ、その二色をはっきりさせようとしている。時代という大海原はいつまでも、平和というさざ波のままではいられない。時代の風が煽るから戦争や革命といった荒波も訪れる。それ故に、世界という船は的確な判断を下して舵を切り、動乱を乗り越えなければならない。
アルサスという小舟もまた、例外ではない。
少し数える間をおいて、ティッタは言葉を紡ぐ。
「いいんです。後悔はありません。ティグル様の帰りを待ち続けます。何があっても真っ先にお迎えしたいんです」「くだらねぇ」
無垢な笑顔でそういった。その献身的な笑顔が、凱にはとても痛々しく見えた。
だから……
「お迎えしたい?簡単に言うな!」
だから……つい苛立ってしまう。結局は何もできない自分自身に、健気で優しいティッタに、焦土作戦を決行するテナルディエに、それに対する危機感のないアルサスに、そして、これまでの遠因を作ったブリューヌ王国に、ジスタート王政府に、ライトメリッツに、ヴォルン家の当主に、銀閃の風姫に対して、握りこぶしを作っていた。
驚いたティッタは凱と視線をあわせ、凱の突然のセリフに固まってしまう。
「ガイ……さん?」
少し震えた声で、凱は言った。やはりその声は先ほどと同じで力強さのないものだった。だが、それは想いが募るほどに徐々に増していく。
「……死んじまうんだぞ。もう二度と……会えなくなるんだぞ!死んじまったら……もう」
これ以上凱は、涙腺が緩みそうになって、うまく呂律が回らない。それは、ティッタとて同じだった。
「簡単になんか……言ってません」
「ティッタ?」
「あたしにとって、ここがティグル様とあたしを繋げてくれる唯一の場所なんです。もし、ここが消えてしまったら……消えてしまったら」
それ以上言うのがつらいのか、涙声に言うティッタ。
心と心を唯一繋とめてくれる場所。当主と侍女という身分の違いがあっても、全然かまわなかった。僅かな繋がりでも、嬉しかった。
「ガイさんは、あたしがティグル様をお迎えしたい事を「くだらない」といいましたけど……たった一人の大切な人を待ち続けるのが、そんなにくだらないことなんですか?」
それは、ティグルの記憶にあって、凱の知らないティッタの姿――
彼女の口から出た痛烈な言葉。凱は押され、ただ聞くがままになっていた。
――驕り――
……当たり前だ。たかが数日程度の還啓でティッタの事を、知った風な口を聞いていいはずがない。
どうせ叶わない願いなら、いっそ、自分の望む姿『主を待ち続ける侍女』を貫き通したい。もしかしたら……いいや、本当に、そんな風に考えているのか……
ティッタにも本当は分かっていた。凱だって、本当はこんなことを言いたくないのを。でも、自分の想いをぶつけるには、こう聞くしかなかった。
分かってほしい。あたしの想いを。
会いたい。ただその一心を。ティグル様の居場所を護る。守りたい。
本当を言えば、とても怖い。今でも逃げ出したいくらいに。怖いから、あたしは逃げることは出来ない。もう二度と会えない方が、もっと怖いから。
「ティッタ……俺は」
くだらないといった自分は、一体何なのだ?自分の理想をただ押し付けて、この子の芯の強さを分からなかった愚者でしかない。
帰ってきたティグルに相応しい言葉は、「お帰りなさい」だ。決して「さようなら」ではないはずだ。
凱、お前はどうする?獅子の牙を向ける相手は?誰に?何のために?
決められない。いや、そうではない。答えはもう出ているはずだ。
その道のりは……もう見えているはず。
――この少女の勇気に、俺は答えなきゃいけないんだ――
健気で純粋な想いが、無意味に『光』となって消えていく――そんなこと……見過ごせない!
見過ごせない!どうして……見過ごすことが出来ようか!
あろうことか、凱はいつの間にか、行動原理が打算的になっていたことに気付き、悔い、恥じるばかりだ。己の過去の罪が思い返されるばかり、勇者としての自分を見失いかけている。
情勢を塗り替える心配よりも、目の前に映るアルサスを救う。もう、迷ってはいけない。
そして、ティッタは体を震わせながら、力の限り叫んだ。
「ガイさん……あたしだって……あたしだって!本当は諦めたくない!」
理不尽な現実があったとしても、感情は納得しないのは、ティッタとて同じだった。
心は強くても、剣さえも持てない、力の弱いティッタは、今の凱と対照的だ。だからこそ、諦めたくないという言葉の重みが、心にのしかかる重みが違う。
強者では決して乗り越えられない、弱者のみが持てる心の強さを、この少女は得ようとしている。
「じゃあ諦めんな!」「でも!」「守ってやる!」「え?」
べらんめぇ口調の凱は、自分でも感情的になっていることに今更ながら気づいた。
お互い感情的になっているから、会話も返事も間を置かない。だが、凱の「守ってやる」はティッタの瞳を開かせた。
「俺が、君達の居場所、も、君のご主人様の帰るべき場所も、全部全部守らせてくれ!!」
「……」
「……正直、三千の兵を退けるのは難しい。ハッキリ言って……勝算があるわけじゃない。でも、君の居場所を守る為なら、俺は何でもする!」
勝算があるわけじゃない、というのは半分嘘かもしれない。
この先、情勢がどう傾くかは分からない。戦いの常識を覆す、丘の黒船のような存在の凱は、少なからずブリューヌに波紋を産むだろう。
「気持ちだけじゃ何も守れない。力だけじゃ何も残らない……」
『力』がなければ、『守りたい何か』にすがることはできない。
ただ『力』を振るうだけでは、『守りたい何か』に気付くことはできない。
凱は自分の手のひらを胸に当てる。
「守る為に力が欲しいなら、俺が『力』となる!あとは君の気持ち次第だ!聞かせてくれ!もう一度!君の本当の気持ちを!」
権力争いの道具に使われるのか、そうでないか、一途の不安は、結果的に凱の力もティッタの願いも飲み込んでしまう。
でも、守りたいと想う気持ちまでは、決して飲み込めない!少なくとも、凱はそう信じている!
「う……」
ダメ。感情が堪えきれない。
「うあああああああああああああ!!!」
ティッタは、思いのままに涙を流した。
小さな心の堤防が、ヴォルン家の侍女としての責務が、ティッタの涙をせき止めていたのかもしれない。そう思えてならない。
「力が……ティグル様の……みんなの居場所を……守りたいです……ガイさん……」
泣きじゃくる少女の背中をそっと叩いて頭をなでる。凱は小さく「絶対に……守ってみせる」と呟いていた。対してティッタは「はい!……はい!」とくしゃくしゃの涙を押し付けていた。
強い心と弱い力のティッタと――
強い力と弱い心の獅子王凱が――
二つの心を重ね合わせ、二人は新しい時代を切り開こうとしていた。
『力』は所詮、ただ『力』でしかない。
例え、凱が『人を超越した力』の振るう先が分からなくなったとしても――
ティッタの『想い』が、凱の『力』の振るう先を、教えてくれる。何度でも、示してくれる。
だから、凱は『力』を振るうのだ。やがて己の倒れるその日まで――
――そして、運命の朝を迎える――
――テナルディエ軍は、2頭の竜を引き連れて、とうとうアルサスに土足で踏み込んできた――
NEXT
第4話『命運尽きず!絶望の淵に放たれた一矢!』
『???』
闇を丹念に染められた部屋の一角で、人ならざる者達は集まっていた。
――ずいぶんと派手にやられたようだな。ヴォジャノーイ――。
――見ての通りさ。獅子の尾を踏んだ代償がこれ。――
――傷の深さに体の再生が追いついていないか……おぬしだけでは手に負えぬか?――
――まぁね。認めたくないけど、もし、『銃』が竜具を使っていたら、僕は消滅していたかも――
――超越体を相手にするには、我々だけでは手に余るな。コシチェイは早々に動き出すだろう。――
――ふーん?じゃあどうするの?――
――しばらくは様子見じゃ。バーバ・ヤガーにも伝えておいた方がいいしな――
――トルバランは多分、『銃』に興味なさそうかな。あいつ、遊び呆けてばかりだし――
――あやつは無視してかまわん。さぼり癖のある奴は当てにならんのでな――
――どうする?『銃』の対応は?――
――我々の世界の為に、ヤツの心の檻に押し込められている獅子を、どうにか利用したい――
――でも、コシチェイはそうしないだろうね。だってあいつは『銃』の……――
――知っておる。人間どもはあまりにも無知すぎる。本来なら魔物や竜など初めから存在しないというのに……すべては竜具と同じ『造られしもの』なのだから――
――……『銃』は僕たちを救ってくれるのかな?――
勇者を標的とした魔物たちの次なる行動は一体?
Vadnais09『命運尽きず!絶望の淵に放たれた一矢!』
『アルサス・セレスタの町周辺』
アルサスに住む人間にとって、テナルディエ軍の侵攻は、災厄と言うしかなかった。
渦中にあるアルサスの中心都市セレスタは、木の板をつぎはぎに並べた防壁のみ。軍勢の荒波を跳ね返すはずの堤防は、斧や槌を持つ侵略者によって瞬く間に打ち破られる。
なだれこんだ軍勢は、まず神殿を取り囲み、鬨の声を上げて、心身ともに疲れさせてあぶり出そうとしている。
神殿の中は、老人や子供達が身を寄せ合って恐怖に耐えている。神々をまつわる建造物が唯一の不可視境界線となっており、これを犯すことはすべてのブリューヌ全ての信者を敵に回す意味を持つ。
故に、テナルディエ兵達は神殿に侵入することを許されなかった。
神殿に避難した人たちは、身を寄せ合うように1ヶ所により固まっていた。
女ばかりの領民や、年端もいかない子供達、それとは逆の年寄り達は、外の鬨の声に対してただ震えるのみであった。
母は、泣きじゃくる子供を懐に抱き寄せてうずくまり――
老人は、追い詰められた孤独感に苛まれ――
子供達は、純粋な防衛本能「泣く」ばかりであった。
生まれて初めて感じる恐怖だった。
神殿の壁一枚が、なんとも薄く感じられるだろうか。
自分たちを殺しに、奪いに――
窓を除けば、外に敵、敵、敵、敵だ。壊れた家屋が散乱する光景を見て「兵隊さん達……怖い」と子供達は嗚咽と言葉を漏らしていた。
いま、セレスタの町は彼らに焼かれ、壊され、奪われている。
「……ティグル様」
何かしなければ。そうティッタは思うのだが、訪れた現実の衝撃と悲しみで、恐怖で体が動かない。
無力を痛感し、一筋の涙をこぼす。その涙が熱く感じたのは、神殿に閉じこもっている人が助けを求めているのに、自分には何もできない悔しさと恐怖からくる為だ。
少女の腕の中には、ヴォルン家に伝わる家宝である黒き弓が握られていた。
「あたしにも……ガイさんみたいに……戦う力と勇気があれば」
2階の窓から、町の惨状を見つめていたティッタは、つい渇望と嫉妬じみた言葉を出した。
獅子王凱。ヴォージュ山脈に集会所を構えるドナルベイン一派を蹴散らし、物の怪の類と思われる蛙の魔物、ヴォジャノーイを退けた青年その人である。
その人智を超越した力を持つ青年は『黄金の鎧』を纏い、ティッタの視界で獅子奮迅の戦いを繰り広げていた。
逃げ遅れた人に刃が振り下ろされようとした瞬間、ティッタは思わず目をつむりそうになる。しかし、すかさず凱が割り込み、逃げ遅れた人を庇うように現れて凶刃を防ぐ!
ウィルナイフと敵兵の剣と鍔迫り合い!
長さで不利な翆碧の短剣で凱は難なく切り返し、敵兵の溝を忌々しい鎧ごと薙ぎ払う!
「早く逃げろ!」「は……はい!」
凱に意識を奪われて、敵兵は糸が切れた人形のようにだらりと地に倒れ込んだ!
危機的な場面で在りながら、紙一重であの領民の生命は助かったのだ。その光景を見て、ティッタは極度の不安の中で僅かな安堵を得た。
絶望の淵でアルサスに生きる民はもがきながら、一人の青年のまっすぐな姿を見据えている。
幸い生命を落とした領民はいないようだ。血だまりすらも存在していない。
「ガイさん……」
――そんな凱の戦う姿に、ティッタの心は励まされ、そして少しずつ勇気付けられていた――
――美しい女は丁重に扱え!大事な売り物はあまり殺すなよ!では行けぇ!!――
このような欲望を膨らませる指令を出すのは、テナルディエ軍の総指揮官ザイアン=テナルディエ。
テナルディエ軍の歪んだ陽気さが、逃げる人々を嘲笑う。
古くからの名門テナルディエ家は、弱者を糧とする理念を以て――
ガヌロン家は、同族でさえも狂気の輪に巻き込み――
そう、ブリューヌの双璧を成す貴族は人道的見解に180度目を背けている。いや、始めからそのような、日本の自衛隊のように他者を介護的観点に見る概念は存在していない。
彼らは、始めから略奪をするつもりだ。雨後の茸の集落となど、戦争しようとする気は毛頭ない。
家屋を踏み倒し、黒煙をまき散らし、公共建物に、交通機関に、容赦のない攻撃を加えている。
金品を奪い、酒樽を奪い、何もかも奪い去る。全ては順調に行く……はずだった。
数で圧倒的に勝り、兵の練度も桁違いに高いテナルディエ兵の歩兵部隊のもとに、イークイップ状態の獅子王凱が舞い降りる。
そして瞬時に目標を固定すると、片手に携えた深緑剣のウィルナイフから光が迸った。
即ち、抜刀――
捕捉された歩兵部隊の一人は、一瞬にして戦闘力を奪われる。
鉄製であるはずの鍛えられた剣が、鎧が、盾が、まるで紙切れのように切断される。奪われたのは敵の生命ではない。戦意だった。
乱戦状態のこの状況下で、あやまたず的確に敵の部位を打ちのめした凱の戦闘力は、敵兵における戦の常識を遥かに超えていたのだ。
その凄まじい戦闘力に、敵のみならず、この戦いを遠くから見守っているティッタや、神殿の窓から覗き込んでいる人々は茫然して動きを止めた。
今、この一人の男によって、略奪と殺戮は妨害を余儀なくされていた。
だが、そうは言っても、物量と兵力は圧倒的にテナルディエ兵が断然上で、そして丘の向こうには、『2匹の竜』が控えている。凱のサイバースコープは、セレスタの郊外にいる、竜を跨る敵の指揮官を認識していたのだ。このままでは、民の心は恐怖に押し切られてしまう。
街中で赤熱銃弾や空間障壁を展開すれば、余波だけで被害が拡大する。物的被害を最小限に、敵兵の局所破壊を狙うなら、ウィルナイフか近接格闘しかない。
口を開く体力さえも無駄にできない。一刻、一分、一秒でも時間を稼ぐ。バートランが必ず領主様を連れて戻ってくると信じて。
獅子王凱は有能であっても万能ではない。ひたすら戦い、今にも挫けそうなアルサスの民の心を鼓舞し、ティッタの心を勇気づけることしかできない。
「どうした!?どんどんかかって来い!!」
俺は何かに成りたい。何かに成らなかければならない。
心がとても渇いている。何かを助けたくて。救いたくて。代わりになりたくて。
(俺を信じてくれているアルサスの人たちの為にも、俺は勇者でなければいけない。たとえどんなに小さな煌灯でも、それは決して消えちゃいけないんだ!)
アルサスの人々に燻ぶっていた希望の火が、徐々に灯っていく。それはさながら、一本一本、心のロウソクが灯っていくように。
凱の雄々しき戦いに、皆は勇気を与えられている。
「ガウにーちゃ!」
まだ発音の乏しい小さな子供が――
「ガイさん!頑張っておくれ!!」
妙齢の夫人たちが――
「ガイ殿!シシオウ=ガイ殿!」
高齢に差し掛かっている老人たちが、避難先の神殿の窓から声を荒げて叫んでいた!神殿の外には敵兵がいるというのに、わが身の危険を顧みず――
その声援を受けて、いつしか疲労を見せていた凱は、今だ感知していないヴォジャノーイの毒性によって、わずかにグラつきながらも息を吹き返す!
前後に!左右に!視界を埋め尽くさんとするほどの、群がる敵兵を倒す為に獅子は戦場で舞い踊る!
――俺は……みんなを……アルサスの皆を……ティッタを死なせたくない!――
衝動的でしかないただの願望は、敵に笑われるかもしれない。
けれど、今の凱に必要なのは、己の魂の示せる場所だった。
『アルサス郊外・テナルディエ軍本陣』
――たった一人に略奪や破壊行為を妨害されているという報告は、既にザイアンの耳に届いていた――
「何?たった一人の男にだと?」
「はっ!あの黄金の鎧を纏った男にございます」
その獅子奮迅の戦い振りは、あまりに目立つために、丘上の人のザイアンでも簡単に見据える事が出来た。
仔細を聞くと、その男は人智を超えた速度で敵に詰め寄り、瞬く間に敵兵をなぎ倒していったという。
神殿で鬨の声を上げていた兵達は苦戦中。重装甲の鎧を、まるでピースのように解体され、無力化されていったとの事。
速さを図り間違え、馬が驚いたことを逆手にとって、騎兵たちを落馬させる。落馬した騎兵たちの、連鎖的に誘倒される様は美しく、それはさながら宮廷での遊戯である倒牌そのものだった。
飛び道具で黄金の騎士の動きを追求し、次々と矢を放った。それも、空間を埋め尽くすほどに!
手が何本もあるかのように見えるほどの速度で、鎧の隙間、すなわち多少生身の部分にかすり傷は追ったものの、黄金の騎士は捌き抜いて見せた!
それからも、黄金の騎士は荒れ狂うセレスタの街中を、跳躍し、疾走し、所せましと駆け抜けていった!
次第に、慌てる味方が増え始める。動揺から広がる不安はやがて同士討ちを生み出した。
展開の速さと状況の誤認による指揮系統の混乱。
この報告を聞いたザイアンは、軟弱な味方に対する苛立ちと、屈強な敵に対する尊敬と畏怖を抱いたのだった。
相手はたった一人である。強い敵である。速い敵である。賢い敵である。
ザイアンはとある神話の一文を思い出していた。
――銀閃のように、行動が迅速な勇者だ。――
――凍漣のように、分析が冷静な勇者だ。――
――光華のように、剣技が輝かしい勇者だ。――
――煌炎のように、闘志が焦熱せし勇者だ。――
――雷禍のように、眼光が紫電の如き勇者だ。――
――虚影のように、戦術が変幻自在な勇者だ。――
――羅轟のように、精神が豪胆不屈な勇者だ。――
一人の側近は意見した。「黄金の騎士の狙いは、おそらく我々の混乱の拡大でしょう。圧倒的な個人の戦闘力で味方を同士討ちさせる為かと」と
対してザイアンはこう一笑した。「雨後の茸を養生することに何の意味がある?」と。
だが、黄金の騎士の活躍は、目を見張るものがある。
これほどの騎士を生け捕りにしたら、父上は喜ばれるだろう。
テナルディエ家の一人息子、ザイアンは幼少のころから、神話や英雄譚に出てくる聖戦士や勇者の類が大好きだった。
――伝説の鎧を着て、伝説の風貌を備え、伝説の剣をあつらえる、そんな存在を――
我がテナルディエの大軍へ一人で立ち向かっている等、それこそ神話や英雄譚に出てくる登場人物のようではないか。空想から現実へ飛び出したような喜びは、歪んだ欲望をかなえるべく、ザイアンの心を激しく駆り立てる。
有能な人材発掘の没頭者である父上の為にも、この機を逃すべきではない!
美女を連れ去ることより、奴隷として男を売り払うより、勇者の名に恥じぬ戦士の存在は、何より価値が高いように思えた。
ただ一つ、雨後の茸を護ろうとする姿勢は気に入らないが――
帯刀していた腰の剣を引き抜き、ザイアンは意気揚々に叫ぶ。
「テナルディエ家たる者!そして仕えるもの!神々のご照覧する地に生まれ、生きがいのある戦場の勇者を掴まないでどうする!」
何とも大仰な台詞を叩いたザイアンだが、次に下した命令は苛烈である。
「あの男を生け捕れ!決して矢を射るな!殺したものは死罪とする!」
瞬間、兵士たちの間に動揺が走る。
殺すことさえ至難だというのに、生け捕りはさらに難を極める。
現に、あの男はセレスタの包囲網を打ち破ろうとしている。相当体力を消耗していると推測できるが、それを思わせない戦いを見せているのだ。
おそらく、黄金の騎士こそが、アルサスの心柱となっているはずだ。あの男がいなくなれば、アルサスを焼き払えるのではなく、あの男を捕縛することが、アルサスを焼き払う事と等しいのだ。
「しかし、ザイアン様……我々には手に負えない獅子を一体どうすれば?」
側近の弱々しい態度に、ザイアンは一瞥した。
「馬鹿かお前達。弱点がないなら、弱味を作るまでよ!」
そういうと、ザイアンの脳内に何か名案が浮かんだと言わんばかりに手を叩く。周りの家より一際大きいヴォルン家の屋敷を見据えたのだった。
「もしかしたら、弱味となるものがあるはずだ。どれ、焼き払う前に見てやろうか?」
高揚心を抑えつつ、ザイアンは馬を屋敷へ走らせた。一人の少年を凱の捕縛に任せておいて――
その少年の名は、ノア=カートライトと名乗っていた。
ザイアンは、同世代故にその少年を毛嫌いしていたが、実力は本物の為、彼に全て任せた。否、任せるしかなかった。
(どうして父上はよりにもよって、この男を重宝しているんだ?)
ザイアンは、納得のいかない心情を抱きながら、馬の足を進ませるのだった。
『セレスタの町・神殿周囲の戦地』
――神殿を取り囲んでいた兵たちは、凱によって一時の沈静を見た――
「キツイわけじゃないけど……さすがにキリがない」
丘の上を見やり、凱は憎々し気に吐いた。体内のGストーンが臨界状態を迎えたため、凱は一時的にIDアーマーを解いた。分解された黄金の鎧の各部位は、左手の獅子篭手に、まるで吸い込まれるように集約されていく。
破壊された家屋や財産を痛々しく見ていたものの、既にテナルディエ兵の増援が送り込まれてくる。一人の青年を先頭にして背後にはさらなる大軍が現れた。
金髪を短くあしらった優男風な少年は、凱も知っている輪郭をしていた。
凱の攻略に手こずっていた雑兵は、大きな歓声で少年の名を呼んだ。
「ノア様!」
「ここは僕に任せて、あなた達は本隊と合流してください。ザイアンさんも来ていますよ」
「さて、久しぶりですね。ガイさん」
「君は……ノアか?」
久しぶりに見る少年の姿に、凱は思わず固唾を呑んだ。
さらに、あの阿鼻叫喚な戦争を生き抜いた少年が、テナルディエ軍に組み込まれている地点で、凱の思考はかすかにブレた。
「生きていたのか?第二次代理契約戦争で、行方が分からなかったが……」
歯切りの悪い言い方をする凱の仕草に、ノアは察してやった。
「ああ、そのことですね。大丈夫ですよ。ホレーショーさんもヴェロニカも無事ですよ。正確には、みんなテナルディエさんの所で元気にやってます」
「!!!」
驚愕と安堵の複雑な感情が、凱の中で入り乱れる。こいつら、一体何をする気だ?
「早速ですみませんが、僕と戦ってくれませんか?」
唐突なノアの物言いに、凱は僅かながら動揺した。そして視線を横へ見やる。
まずいな。テナルディエ兵の増援がヴォルン家に向かっている。次第に凱の心に焦りが生まれる。
ノアの実力は凱も知っている。あの戦いより強くなっているかもしれないと思うと、なおさら油断できないからだ。
逆に、ノアも凱の実力を知っているはずだ。
「実はザイアンさんからガイさんを生け捕れって命令されてるんですけど……気にしないでください。ただ『殺さずに守る』今のあなたの実力がどれだけ衰えたか、知りたいだけなんです」
殺さずに守る。そこだけ妙な感情がこの青年には含まれていた。それは、凱でさえ気づかなかった小さな変化だ。
「これだけの兵力を相手にしても無事でいられるあたり、流石ですね。ですが、思った通りあなたは第二次代理契約戦争より実力が鈍っていますね」
何か妙に突っかかるノアだが、今はそんな与太話に付き合っている場合じゃない。
「あいにく俺もゆるりと昔話をするつもりはない。ノア。君がこの場から引かないというのなら――」
「それは、聞くまでもないことですよ?ガイさん。まずはおさらい、2段階加速です」
凱とノアの殺陣が始まった。
そして、書生風な優男から想像できないような実力に、見たことのあるような変速技術に、凱は苦戦を強いられた。
(……まずい!このままじゃティッタが!)
その間に、テナルディエ兵が悠々とヴォルン家に向かっていた。
『セレスタの町・ヴォルン家の屋敷』
――ヴォルン家に誰かが入ってきたとき、屋敷にいたティッタは体を強張らせた――
この状況で入ってくるものなど決まっている。
「ガイさん……」
震える声で、今アルサスの中心で戦っている青年の言葉を思い出していた。
――ガイさんは、明日が怖くないんですか?――
――怖いさ。だけど……たくさんの勇者から貰った勇気が、俺を動かしてくれるんだ――
――…………――
――うん。一度怖い気持ちから逃げちまったら、二度と怖さに立ち向かえなくなっちまう――
――怖い気持ち……――
――いつも俺は思うんだ。確かに今のアルサスは絶望的かもしれない。けれど、勇気を出せば、もしかしたら勝てるかもしれないって――
――勇気……――
――だから俺は、いつも勇気だけは捨てないんだ――
「ティグル様、ガイさん、あたしに勇気をください」
自然と、ティッタの足は動いた。それは、自分自身の勇気なのか、凱からもらった勇気なのか、くすんだ赤い若者の勇気からくるのかは、分からなかった。
ティッタは土足で上がり込んだ無礼な輩を迎え出る。
「どなたですか?」
そこには鎧を着た若者、ザイアン=テナルディエが立っていた。乱暴に蹴り倒したのだろうか。あたりには燭台や装飾の数々が散乱としていた。
整った顔立ちからの二つの眼球が、ティッタの体を丹念に嘗め回した。その薄気味悪さから、身震いし、かつてヴォジャノーイという魔物に拉致された恐ろしい記憶が、彼女の脳裏に蘇ってきた。
「ほう、ヴォルンのくせに、なかなかいい娘をかこっているじゃないか。頭の下げ方次第では俺が抱いてやってもいいぞ」
「……出ていって」
「なんだと?」
「出ていけって言ってるのよ!このお屋敷は!この町は!ティグル様のものよ!あなたみたいな人は指一本触れないで!それが分かったら出ていけ!出てけ!」
「テナルディエ家の、この俺様に向かってよく言えたものだ。その勇気だけは誉めてやろう……だが!」
「その暴言がどれほどの重罪なのか、思い知るがいい!」
(どうすれば……どうすればいい?)
うろたえるティッタは、ふいに自分の腰元を見やった。そこには、あの青年と同じ深緑の短剣が帯刀してあった。万が一の為に持たせていた、IDアーマー装備の2刀のウィルナイフの片割れを、護身用としてティッタに持たせていた。
「ガイさん……あたしに勇気を」
ティグルの引き出しにある大ぶりなナイフよりも大きいものの、ザイアンの長剣に比べれば、刀身ははるかに短い。
使用者の意志の強さによって、自在に切れ味が変化する。勇気ある者が振るえば、竜の鱗さえ斬り裂ける伝説の剣となり、勇気なきものが振るえば、肉を着る事叶わない末刀となる。
だが、凱は確信していた。――ティッタの勇気が本物なら、ウィルナイフは必ず応えてくれるはずだ――と
胸元を斬り裂こうとしたザイアンの太刀筋が、振り下ろされる。対してティッタの姿勢は、身を固めたような『正眼の構え』に見えなくもない。
刹那、長剣と短剣が交錯する。しかし、『明らかに鉄製でできているはずのザイアンの剣が、木製を表すかのように』斬り裂かれていく。
僅かな火花を散らしながら、凶刃からティッタを護ったのだ。
「な……何なんだ!?」
ザイアンも、ティッタも、今、この目の前で起こった超常現象にわが目を疑うばかりだった。
(これなら!)
ウィルナイフの斬れ味に助けられたものの、初めての実戦で本能的な恐怖は隠せない。
驚き戸惑っていたザイアンは、そこに付け入った。
「どうした?刃が振るえているぞ?」
どんなに優れた刃物を持とうとも、所詮は一介の侍女と踏んだザイアンは、ウィルナイフの切断力を恐れることなく、二の太刀を振るった。
刃の切れ味が協力なら、柄を狙ってしまえばいい。
勇気を持ちながら、剣術を持たないティッタは、抵抗空しくザイアンにウィルナイフの柄をはじかれ、切り返しで胸元の服のみを斬り裂かれる。羞恥と悔しさから顔を赤くし、獅子に追い詰められた兎のように、とうとうバルコニーへ追い詰められる。
退路を亡くしたティッタは、乱暴に押し倒されて、必死でこらえるように両目をぎゅっと閉じた。
「ティグル様!」
泣きそうになるのをこらえ、必死に大好きな主様の名を呼び続けるティッタ。
「なんだ?侍女の分際で、ご主人様に想いを寄せていたのか?」
人物らしき単語を聞きとがめ、ザイアンの歪んだ苛虐心は妄想で膨れ上がる。あの黄金の騎士の弱点とする前に、一つ楽しませてもらう。
「ティグル様は……ティグル様は必ず帰ってくる!!」
勇気が恐怖へと徐々に変わる瞬間を、ティッタは味合わされていた。
「こいつはいい!オレの下で喘ぎながら、せいぜい奴の名を呼ぶことだな!」
ティッタの切ない思いをあざ笑うかのように、ザイアンは欲望の限りをぶちまけた!
おぞましいテナルディエ指揮官の魔の手が少女に迫ろうとする半瞬前――
――一瞬、風が唸った――
そして、風が唸ったと同時に、生々しい貫通音が発生する。
一本の矢が、ザイアンの手に突き刺さっていた。痛覚が脊髄に到達する前に、ザイアンの背筋には悪寒が走った。
(馬鹿な!?一体どこから!?まさかこの小さな柵の隙間から俺の手を狙って!?)
もし、それが本当だとしたら――まさに、『針の穴に糸を通すような精密射撃』だ。
戸惑いの後に手を貫通された激痛が、ザイアンの認識を現実に引き戻す。
おとなしく狩りの対象にされるつもりはティッタにない。動揺しているザイアンを振り切って、矢羽の後方を見やると、そこには……
――ティッタ!――
それは、幻聴かもしれなかった。むしろ、幻聴と思えれば、いくらか気が楽なように思えた。
神様の気まぐれかもしれない。記憶の片隅でご主人様に合わせてくれたのかもしれない。
「ティッタ!!」
幻聴……じゃない!
確かに聞こえる!自分の名を呼ぶこの人を、あたしは知っている!忘れるわけがない!
「飛ぶんだ!ティッタ!!」
矢の正体は、少女が待ち望んでいた、くすんだ赤い髪の若者のものだった。
ティッタは何の迷いを見せず、自身を捕まえようとするザイアンの手を振り切り、柵の向こう側へ身を躍らせた!
――信じてた……必ず帰ってくるって……ティグル様……帰ってくると……信じてました――
涙声まじりで、ティッタは何度もつぶやいた。胸にこみ上げてくる熱い想いが、それ以上の言葉を失わせていた。
「心配かけたな……けど、もう大丈夫だ」
希望の矢によって繋ぎ止められた。「必ず帰ってくる」という約束も。絆の強さも。何もかも。
まだ、アルサスの命運は尽きてはいない。そしてティッタは確かに学んだ事がある。
戦うことだけが勇気ではない。だが、戦わざることも勇気とは言えない。待ち続ける事と信じ続ける事もまた、一つの勇気の形だという事を。
ここから始まるんだ。若人達の本当の戦いが――
NEXT
第5話『蘇る魔弾!解き放たれた女神の意志!』
前書き
ティグルはテナルディエ、ロランとも既に面識があります。
ちなみにロランは、まだ顔の横一文字の刀傷はありません。
※黒弓を一度だけ使ったことがある。
――ティグルヴルムド……お前はティグルヴルムドだ――
それが……ボクの……な……ま……え?
――そう、あなたはティグル――
ボクは……ティグル?
――わたしのティグル――
あなたの……ティグル?ボクは……
――かわいいティグル――
ティグル……ティグル……それが……ボクの……ナ……マ……エ?
それは、この世に生を受け、産声を上げた時の小さな記憶。
ティグルヴルムド。まだ歳を重ねていない幼子の頃の記憶である。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――ティグルヴルムド――
父さん?
――さあ、耕してみろ――
そう言えば、こんなこともあったっけ?
父さんから渡された鍬で、言われた通り耕したら、手がマメだらけになって僕は根をあげた。
――彼らは毎日のように畑を耕している。どんな時でも生きるために、皆やっている――
僕だって狩りをしているよ。この前なんか、こんな大きな鹿を仕留めたんだ。
――ティグルヴルムド。そなたの技量は今の歳を考えれば見事なものだ。しかし、生きる為に狩りをしているのではないのだろう――
う~ん?よくわからないや?幼い頃の自分はそう答えた。
――なら、どうして、お前が、私がそれをしなくていいのか、分かるか?――
偉いから。僕は父さんの息子だから。そう答えたんだっけ?だってホントのことだもん。
怒られるかと思った。叱られるかと思った。でも、父さんはちゃんと理由を教えてくれた。
――いいか、私たちはいざというときの為にいる――
いざ……というとき?
――そうだ。彼らが解決できないことが起きた時、解決できるように努めるのが我々の仕事だ。――
でも、そんなことは……あんまりないんじゃ?
――ひとが多く集まれば、それだけ揉め事が増える。責任も大きくなる。このアルサスは小さいこともあって平和だが――
暖かい父の手が、ポンと僕の頭に置かれる。
――ノブレス・オブリージュ――
ノブ……レス……オグ……ジュ?
――先ほど、私の問いに対して、『偉いから』と答えただろう。それは間違ってはいない。だが、偉いから、偉くある為には相応の責任が伴うのだ――
???よくわかんないや。
――今のお前にはまだ難しいかもしれんが……忘れるな。ティグルヴルムド。主とは、領主とはそのためにいる――
朧けに映って消えた記憶。母が息を引き取った1年後、ティグルがまだ10歳の頃だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――どうしました?父上、大分お疲れの様子ですが……――
山へ狩りに行ったとき、俺は地竜と遭遇し,倒したという出来事を父に話した。
あまりの鱗の強度と巨大さ故、証拠を持ち帰るに事が出来なかった。だが、父は戯言に過ぎないと思われる俺の言葉を、あっさりと信じてくれた。
幾重にも罠を張り、地形を利用して、牙を、爪を封じて。
地竜の鱗は固い。この地上の物質とは思えない程固く、矢を全く通さない程に。だが、――鱗の隙間――を狙えば心臓を貫けるはずだ。
その読みは矢と共に的中し、60チェート~70チェート(6~7メートル)もある地竜を倒したのだ。
――……ティグル。その年で地竜を倒したとは大したものだ。だが、それだけに……弓を侮蔑するブリューヌがお前を受け入れるには、まだ幼いのかもしれん――
――父上?――
――ブリューヌと時代はお前の力を危険と感じるだろう。先祖から頂いたお前の名前は、ブリューヌ語で『革命』を意味するのだ――
――父上!――
不安の兆しが現実味を帯びてきた時、ティグルは理解するしかなかった。
少年はやがて「僕」から「俺」に変わった。
くすんだ赤い若者が大人へ近づく、13歳の頃の記憶だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――すまない。ティグルヴルムド。お前……と弓を外の世界……へ出してやるのに、時間が足り……なかったようだ――
――父上!?―― ――ウルス様!?――
――ティグルヴルムド。その黒き弓……は時代を勝ち……取る力がある。だが、今それを……解放するわけ……にはいか……ないのだ――
――父上!俺はこの『弓』の力を正しきことに使います!希望の為に!――
――ああ、もちろん私……もそう信じている。ティグルヴルムド。お前の……その正しい心を持ち続ける事。民を守る……優しい心を持ち続ける事。ブリューヌ……の人々が、世界が……そう願う事を――
――父上!?――
――あとは……頼んだぞ。バ……ートランさらばだ。ティグルヴルムド……――
――父上……父上ぇぇぇぇぇ!!――
ティグルに全てを託したかのように、ウルスは息を引き取った。愛する父の顔は何処か満足げに微笑んでいるように見えた。
父と呼ぶ、くすんだ赤い若者の声は、空虚な響きとなって木霊する。
(――いつか、世界に危機が訪れた時、ティグルはその黒き弓で、世界に平和をもたらしてくれるであろう。――)
(――同時に、不安もある。――)
(――そう遠くない時代の中で、ティグルヴルムドは世界の革命を賭した戦乱に、巻き込まれてしまうのではないか?――)
(――今の時代を生きる若人達よ。――)
(――ティグルは、私の、いや、全ての人々の光明の矢であることを、忘れないでほしい。――)
――……父上――
父の墓前で誓った、あの日を思い返して幾星霜。
悲しみで乾ききっていた唇から紡がれた言葉は、決意の表明。
決意が、父の他界によって凍てついた心を溶かし出す。
想いが迸り、朱い瞳から涙があふれる。
頬を伝う涙の熱さが、アルサスとその領民への想いが強いことを自覚させる。
――守りたい。アルサスを。俺達の居場所を。俺の民を――
視界全体を覆った涙滴の向こうで、二人の人影が微笑んだ。
人影は光を浴びて、かけがえのない大切な人をティグルの瞳に映し出す。
――あたしは、どこまでもティグル様についていきます!――
傍らには、ティッタがいた。
――ウルス様。坊ちゃんは懸命に、立派にやっておられます!――
隣には、バートランがいた。
今より俺はアルサスの領主、ティグルヴルムド=ヴォルン。
父から受け継いだアルサス。その領主となった14歳の頃の記憶である。
『蘇る魔弾!解き放たれた女神の意志!』
『一年前・ブリューヌ・アニエス渓谷』
熱を帯びた風を除けば、そこはほぼ湿度のない乾燥地帯。
様々な大小の砂や直射日光が皮膚を傷め、体内の水分は外気への湿度を保とうとして、血液を循環させる。さらに、体表にこびり付いた僅かな砂屑が言いようのない不快感となって、ティグルヴルムド=ヴォルンの全身を苛んだ。
(不快感……?)
思わず、ティグルは空を見上げた。山や森に狩りへ赴くときとは違う感想が、彼の頭に過れた。
明らかに、他の兵士たちがしかめっ面で不快感を示しているのに、この赤い髪の若者は、ほんのわずかな不快しか感じておらず、表面上は涼し気といったところだ。それが妙におかしかった。
ティグルヴルムド=ヴォルン。親しいモノにはティグルと呼ばせている彼が、アルサスの領主になってまだ間もない頃である。
数年前、先代アルサスの領主、ウルス=ヴォルンと母と共に見つめた緑色に広がる畑の丘の上で、幼いティグルはアルサスに住む、掛け替えのない大切な人々を守ることを決意した。
それから母が、そして父が崩御した後、幼い頃の決意はやがて果たすべき使命へと変わった。もともと、統治の才に恵まれていたわけではないが、アルサスの治世がうまく円環を継続して行けたのは、ティッタやバートラン、マスハスといった、ティグルを影から支える存在がいてくれたからだ。何よりアルサスを、そこに住む人々を守りたいという強い想いが、大きな加速となったからに違いあるまい。
今、その彼は、テナルディエ公爵を指揮官とする軍の一部に組み込まれている。側近のバートランも一緒だ。それも一番後方に。
軍と呼ぶにはあまりにも程遠く、小隊や班といったほうがなじみやすい。
なぜ、ブリューヌで侮蔑の対象になっている弓しか使えない自分を、テナルディエ公爵は推薦したのか、分からないままだった。
――――しばらく行軍すると、そこには、『二つの竜の頭』が居座っていた。既に、竜が食い散らかした跡もあった――――
「あれが……双頭竜(ガラ・)」
竜という存在の前に固唾を呑むティグル。むしろ、その奇形さがより唾を固くしていた。
以前、狩りの最中に山奥で地竜と遭遇したことがある。驚いたのは竜の存在というより、思わず固唾を呑んでしまうほどの生命力だった。
何より恐ろしいのは、竜の戦闘力は他の生命体を圧倒する。
幼竜期は獣と比較しても脅威としてはあまり変わらないが、成長期や成熟期となると食物連鎖の頂点を象徴するような戦闘力となる。ティグルも、木々をなぎ倒しながら迫ってくる竜の迫力に、何度も死を覚悟したことか分からない。
今、目の前にいるの双頭竜は成長限界と思われる、150チェート(15メートル)級。人間の最大建築物を誇る王宮と比較して遜色ない。そして疑問が一つ浮かぶ。
――なぜ、人間が集まるような都市や町を襲うんだ?竜は人間が放つこの匂いが嫌いだと聞いたけど……――
竜は人間の放つ匂いを嫌い、町や集落には現れる事はないと伝えられてきた。
生物界において、捕食者から身を護る為に、被食者は擬態なり、防衛なり、狩猟なりと一種の攻勢へと出る。
自然と住み分けが行われ、竜と人間の住み分けが行われたらしい。これはある学者の一節にすぎないが。
疑問はやがて回答へとすり替わるように、戦いは唐突に訪れた。
「双頭竜なんてはじめて見たぞ……」
アニエスの渓谷にて相対し、テナルディエ軍率いる討伐部隊と、狩猟対象の双頭竜のにらみ合いはしばらく続いた。
兵士たちの心と、双頭竜の戦意に呼応するかのように、赤茶けたレンガを思わせる砂塵が、戦いの役者達へ叩き付け始める。
異様なほど、突然に吹き付けた突風に打たれながら、テナルディエは双頭竜を見上げていた。そうしている間にも、兵達の間で困惑が広がっていく。
話で聞くのと、実際に見るのとでは、情報認識の度合いが違う。
――数刻前――
テナルディエは、兵力を極力最小化して出立した。
――弱小な兵を連れていけば、竜の腹が膨れるだけ。ならば兵など必要ない――との理屈の元、被害を受けないことを前提として、兵力の低下を無視して進軍した。
事実、ヒトの血肉の味を覚えた竜は、歯ごたえと濃味のクセになる。餌の量に魅了されて活気づく。
兵法や軍略において、兵の損耗率だけを見れば減少するものの、一歩間違えれば貴重な将を容易に失いかねない非現実的な構成群だ。
ただ、テナルディエは『兵力の低下という不利点より、指示伝達速度との向上という利点の方が大きい』と判断され、ロランと比肩するほどの武勇を持つテナルディエという存在が、絶大な信頼と共に、王とその側近たちを後押しした。
世が世なら、「弱者と強者の戦略―ランチェスターの法則」とも呼ぶべき理論を、テナルディエ公爵は自力で見出したのである。しかし、ブリューヌの時代の幼さ故に、それを理解し称賛する者はだれ一人としていなかった。
今、王の勅命を受けて、テナルディエが率いているのは、ナヴァール騎士団のロランとオリビエ、自軍では側近のスティード、せがれのザイアン、少数の工作兵と一定の白兵部隊のみ。西方の守りを放棄した理由は単純で、量より質を求める今回の戦いは、他の騎士団では太刀打ち出来ないからだ。
攻城兵器を一刀の元に粉砕するロランがたまたまナヴァール騎士団に所属していただけであって、そうでなければ、わざわざ西方の守りを開けるようなことはしない。ロランの代役がいれば、西方の守備をカラにする博打に出ることはなかったはずだ。
そして、時は戻る――
「いいか、目標が有効射程に入り次第、すぐに叩け」
ついに双頭竜と討伐軍は戦闘を開始した。
有効射程圏内……今だ!
それは、一斉に大地が噴火したような光景だった!
竜を拘束する為に開発された、テナルディエ軍の開発成果。
特定目標拘束兵器。それは、螺旋状という特殊な矢じりを敷き詰めており、背面には特殊な火薬が装填されている。少なくとも、今流通しているような黒色火薬ではない。もっと特別な火薬だ。
禁忌に近いとされる、無色透明の特殊な火薬。鉄よりも固いとされる竜の鱗を貫くには、それだけの矢の推進力と構造を必要とする。その精製法は、テナルディエのみ知るとされる。
時間のかかる単発式ではない。特殊な歯車の機構と撃鉄による複合設備での連射式となっているものだ。人間が弓を弾いて放つより断然速い。ただ、機械という概念である限り、定期的な点検が必要となる。
「この地上にはない物質」の竜の鱗。単純な素材強度で竜の鱗が相手では、地上界の物質に勝ち目はない。ならば、構造で勝つしかないのだ。
竜の間合いはすなわち、人間にとっての死の世界。人馬の躯が溢れかえる阿鼻叫喚の領域だ。
ブリューヌにおいての標準的な武装は決まって剣か槍を始めとした近接武器である。時折、投石機や石投げを用いた攻撃も行われている。
そもそも、竜にとって、それらの攻撃は細やかな抵抗であり、児戯に等しい。兵士が有効射程に入ったときはもう遅い。何故なら、人にとっての『有効射程』に対し、竜にとっては『確定射程』なのだから。
「ロラン、西方から双頭竜(ガラ・ドヴァ)の動きを捕えられるか?」
壁となる兵がいない分、テナルディエの低い声帯がよく響く。兵量の低下が返って良好な結果を生み出した。
「駄目です!ヤツの動きが速くて近づけません!」
だが、ブリューヌ最強の黒騎士はそう報告する。見た目以上の運動性を誇る双頭竜は、まるで竜巻のようであった。
砂塵の嵐が……舞い踊る!
細分化されている鱗が、人間のように柔軟な動きを可能としている。ロランはそう推測した。
彼らは騎士団。飛び道具がない以上、間合いに入る前の牽制攻撃さえ掴めない。
そのきっかけを作りだしたものは、騎士団にとって意外な形となって表れた。
「第2陣!一斉総射!!」
テナルディエの怒号に近い指令を受けて、予備の工作兵は一斉に引き金を引く!
人間の膂力では決して得られない、嵐と錯覚しかねるほどの勢いで、矢の雨は双頭竜の頭上に降り注ぐ!
伸縮性に富んだ鋼糸が複雑に双頭竜の巨体を絡めとり、関節の動きを阻害する!
その光景に驚愕を示したのは、ロランを始めとする騎士団の面々だった。
もっとも、驚愕した原因は――剛槍のような強靭の矢の威力による――なのか、――ブリューヌが嫌悪する弓矢を平然と使うテナルディエその人――なのかは分からない。
若しくは、その両方かもしれない。
だが、しばらく双頭竜の沈静化を見守っていたテナルディエ軍は、追い詰められた竜の思わぬ底力に戦慄することとなる。
軍全体の動揺による伝染は、思いのほか低害だった。もし、兵力を気にして大軍で訪れていたら、事態の収拾に追いつけなかっただろう。
「――――――――――――!!!!」
分厚い土埃の瀑布を破って、竜の反撃が開始される!
言葉にならない咆哮をまき散らしながら、双頭竜は地団太を踏む!その足踏みは地揺れとなり、やがては地割れを引き起こした。幸い、巻き込まれた兵はいなかった。
「なんて力だ……あれは人智が及ぶものではない!」
一人の分隊長がそう言った。少なくともテナルディエのものではない。
打開策の見つからない状況下。
そして、ヴォルン家の若き当主が行動を開始する!
「テナルディエ公爵!援護します!双頭竜の力は我々の想定以上です!俺は裏から回ります!」
死にもの狂いでティグルは己の役目を全うしようとする!そのくすんだ赤い若者の行動を確認したテナルディエは、軍全体の動きに意識を傾ける。
その間にも、双頭竜の暴虐は幾重にも繰り広げられていく。
だが、ブリューヌ最強の黒騎士は、いつまでも双頭竜の暴虐理不尽を許すはずなどない!
「そういつまでも好きにやらせるか!」
「無茶だ!ロラン!」
親友の静止を振り切って、黒騎士は崖から飛び降り、乾坤一擲の一文字を叩き込む!
「はあああああああああ!!!」
双頭竜の咆哮に負けじと全身の筋肉を使い、ロランは黄金の宝剣を振り下ろす!
宝剣の名は―不敗の剣デュランダル――
その名に恥じない威力と一撃が双頭竜を斬首刑に処する。だが、禍根を断つ完璧な処刑には至らなかった。
「やはり、もう片方の頭を潰さなければならないか」
そう憎々し気に吐いたのは、デュランダルにこびり付いた竜の血と肉と油を払ったロランだ。
竜、いや、生物界でもあのような奇形種は類を見ない。恐ろしいのは外見の奇形性よりも、むしろその生態性だった。
双頭竜は片方の頭をつぶしても、自立行動を可能としている。人間にも一つの脳内に右脳と左脳があるように、双頭竜の頭もそれぞれ一頭ずつ、右脳と左脳に別れている。その特殊な構造の為、両方の頭をつぶす必要がある。医学の発展途上たるブリューヌ故、それを知るのはテナルディエだけだった。
「うあああああああ!!」
豆粒をわしづかみするかのように、双頭竜は一個小隊を片手で抱え込んだ!
すかさずティグルは小隊を助ける為に、弓弦を引き、竜の目を狙い、矢を射放つ!
「……固い!?」
竜の目は、どうやら特殊な膜で守られているようだった。金属音に近い周波を発しながら、矢は弾かれ空しく落ちていった。
それは二射目も三射目も変わらず、乾いた衝突音を戦場に響かせるだけに終わった。
「ヴォルン伯爵!隙間だ!胸部の鱗の隙間を狙え!」
テナルディエ指揮官の側近、スティードの鋭い声がティグルの耳朶を撃つ!
まるで自身の急所を隠すように、人質を盾にする双頭竜。竜の急所を狙えないことはないが、人質に当たらないという保証もない。
矢じりが……震える。風も大気も荒れていない。いないはずなのに……風と嵐の女神がティグルを蔑んでいるようにも思える。
起こりうる可能性がある限り、倒す為の弓弦を引くことはできても、心の弓弦を引くことを躊躇ってしまう。
狩りをする時とは全く違う感覚が、ティグルの技量を鈍化させる。
奴の急所は……そこだ。鱗を狙うのではない。鱗の隙間を狙えばいい。なのに、やたらと分厚く感じてしまう。
この矢の弾道予測線は見えている。自分の髪と同じ色の直線が、この視界に見えているはずなのに……。
「くそ!!」
普段の温厚な彼らしくない、味方という障害と自身に対する未熟な技量によって、つい愚痴めいたセリフを吐いてしまう。
「何やってんだ!?ヴォルン!?早く撃て!」
かつてない苛立ちを含めて、ティグルの近くにいるザイアンは煽る。それは、事態を窮するからではない。自分の身が危ないからだ。そうでなければ、我知らずという顔で別部隊の被害を無視していたからだ。
しびれを切らして、先陣を切ったのは、テナルディエ総指揮官だった!
「はああああああああああああ!!」
懐に飛び込み、毛糸より細い鱗の隙間にテナルディエの剛剣が食い込み、竜の心臓を斬り裂いた!
果物の果肉のように斬り裂かれた双頭竜は、断末魔を咆哮した後、力なくうなだれて、地に伏した。その際に、巻き添えを喰らった者もいたようだ。
こうして、事態は収拾を始めていった。
『夕刻・アニエス渓谷・現場跡地』
いつしか日は沈み、つんざくような冷たい風が強く吹いてきた。ブリューヌ南部は昼と夜の気温差が大きい。特にアニエスは、度重なる地殻変動と河川の浸食によってできた峡谷である。
地表が隆起したことで突風が巻き起こるようになり、保温性のない土質が、乾燥環境を築くのに一役買っている。
そのアニエスに、各小隊がアニエス市街各所の損害確認と、被災者救援に奔走している。
ずかずかと大股でやってきたのは、テナルディエ公爵の次期当主であるザイアンだ。
「ヴォルン!なぜ撃たなかった!?」
「ザイアン卿……」
ティグルはザイアンが苦手だった。嫌な相手でも、ヴォルン家の当主として、とりあえず敬称はつけなければならない。
なにかと理由をつけて、いちいち突っかかってくるのだ。ティグルは彼の独特な行動論理を『ザイアニズム』と命名した。
身分の格差ももちろんだが、この両者は年齢も近いという世代感もあり、ザイアンの態度を助長するのに一因していた。
「父上がいてくださったからよかったものの!あそこで倒さなかったらどれだけ被害が広がっていた事か!?」「ヴォルン伯爵」
担架で運ばれている負傷兵が、ザイアンの叱責?を受けているティグルを呼び止めた。
よく見ると、五体の一部を斬られたかのように見える。
「テナルディエ公爵はちゃんと急所を外してくれた。それに、双頭竜に捕まったのは我々の失態だ。右腕の犠牲で済んだのなら安いもんだ」
苦痛の意識の中で、負傷兵はティグルを弁護する。
叱弁の熱が急に冷めて、語烈の勢いも削がれたザイアンは、「フン!」と荒い鼻息を鳴らし、その場を去った。去ったのは、自分の父がティグルに近づいてきたからである。単にティグルへの糾弾に自分が巻き込まれたくなかったからである。
「ヴォルン」
獅子王の鬣を思わせるフルセットのひげが揺れ、その凄まじい迫力にティグルも思わず仰け反りそうになる。
だが、テナルディエ公爵の様子は、どこかティグルを責めるような雰囲気は持っていなかった。
「テナルディエ公爵?」
ティグルの身長と比較すると、テナルディエ公爵はさらにその上を行く。見下されるとかなりの迫力を感じる為、どうしても態度が委縮してしまう。
それでも、ヴォルン家の現当主としての意地が背筋を伸ばし、テナルディエの眼光を受け止めさせた。
「貴様の射撃技量なら、私と同じように、鱗の隙間をくぐって竜の心臓を貫くことが出来たはずだ」
「………」
沈黙は肯定を、事実は承諾を意味した。
「盾にされた仲間の急所に当たる可能性が、ほんのわずかあった。違うか?」
「はい……テナルディエ公爵……ですが」「いいか、ヴォルン」
微かな不服は底重な声でかき消され、ティグルの申し分を上書きした。
「我々には、その弓弦を引くのを躊躇ってはならない時がある。強いて、力無き民を守る「盾」となり「剣」となる。それは力を持つ我々の定めだ。忘れるな。死してしまえば誇りも尊厳も無価値となる」
「テナルディエ公爵!?」
まるで呼び止めるようにティグルは声を荒げた。
テナルディエ家当主の声は、厳格性を孕んでいても、糾弾性は含まれていなかった。斬って捨てられるかと思った相手から、そのような態度をとられるとは思っていなかった。
この日のテナルディエ公爵は何かおかしい。剣武のテナルディエと弓射のティグルとでは相容れない相手。例えるなら、炎と氷。光と影。風と雷。獅子と竜以上に。
以前、父上にも言われたことがあったな。
力を持つものには、相応の責任を伴う。貴族としての模範を――
そして、テナルディエ公爵は踵を返し、ティグルに背を向けて現場へ戻っていった。
「どうしてです!?父上」
テナルディエの貴公子、ザイアンには信じられなかった。
何故、あの弓しか使えない腰抜けを気に賭ける?
そもそも、今回の戦にあいつを連れてきた理由は何なのだ?
「あいつはブリューヌの汚点!父上の顔に泥を塗ろうとしたのです!」
ザイアンの激しい問い攻めを無視して、テナルディエ公爵は部下に指令を出した。
「損害状況の確認が終わった部隊から撤収!!」「了解!!」
「父上!?」
父と呼ぶザイアンの声は、アニエスの空へただただ、響くだけだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「力無き民を守る盾となり剣となる……か」
自分の得物を眺めながら、ロランはぼそっとつぶやいた。
不敗の剣デュランダルは、実際に盾と剣の形態をとれる。先ほどのテナルディエの台詞が、どこか皮肉にも聞こえた。
テナルディエの性格は、ロランにとって相容れない相手だった。
ところが、先ほどテナルディエの言った言葉は、完全に黒騎士の意表を突いた。
それでも、ロランがテナルディエに対する評価は変わらない。現実として、彼は民を虐げる外道の輩には変わりないからだ。
「どうした?ロラン」
気にかけるような口調で、彼の補佐を務めるオリビエは言った。
「あの赤い髪の若者……ヴォルン伯爵といったか?あの弓使い、彼を知っているか?」
「ああ、あの男がティグルヴルムド=ヴォルンだろう。何年前か、王宮で一度だけ見たことがある。弓が得意だと言って、取り柄のない惰弱者と嘲笑されていたのを覚えている」
ロランは意味深しげに唸る。
「何を気にしている?ロラン、もしかして……「ブリューヌ代表の貴族が、なぜ辺境の貴族を気にかけるのか?」と思っているのか」
そこでようやくロランはオリビエに振り返る。
この二人はナヴァール騎士団設立時から始まる相棒であり、親友であり、戦友である。彼らの会話には、付き合いの長さに比例している為か、自然と思考と感情を読み合えてしまう。
そして、そのオリビエの推測を、ロランは肯定した。
「……それにしても、竜の頭を一刀両断するとは、つくづく常識はずれな男だな。ロラン」
「俺もザクスタンやアズヴァールには化け物と呼ばれていたな」
竜の咢へ、平然と飛び込んでいく胆力。何の迷いも恐れも見せず、ただ一刀のものへ切り伏せる。
世が世なら、ロランを「騎士の中の騎士」というよりも、「勇者」という称賛がふさわしいのかもしれない。
「お前と話をしていると、俺は凡用な騎士だと思い知らされるよ」
力無く溜息をつくオリビエに、ロランは気にするなと笑いかけた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『現代・ネメタクム主要都市ランス・執務室』
「スティード。昨年のアニエス遠征時で同行したヴォルン伯爵をどう思う?」
「状況分析、判断能力、射撃能力は共に極めて高い潜在性があると思われます。ですが……時に悩み、その卓越した能力を鈍化させる傾向さえあります」
テナルディエの問いに、スティードは簡潔に答えた。
極めて高い潜在性。青白い顔をしたテナルディエの側近は、弓使いの少年をそのように評価した。
まずは状況分析。暴れ狂う双頭竜に怯えることなく、敵味方入り乱れる戦場において自分の立ち位置を把握できる。
次に判断能力。背後に攻撃手段は無いと踏み、自分の有効な立ち位置に回ることが出来る。
最後に射撃能力。針の穴に糸を通すような精密性の技術力を持ち、相手の有効な部位を当てる事が出来る。
いずれも、戦局を左右する要素ばかりだ。
「悩む……それこそ、今のブリューヌに必要なもの……弱者の心に忘れられたものだ」
スティードは、テナルディエの呟いたことが分からず、一瞬眉を潜める。
戯れに言ったことなのか、放心していったのかは分からない。だが、弱者という発音に強弱を付けるあたり、スティードに思い当たる節があった。
すなわち、弱者の内に潜む正義の危うさ。
平等主義?博愛精神?騎士道?そんなものは、儚く脆い。
もがく事、あがく事は、誰しもが平等に与えられた佳境。弱者だけが気取った理屈をつけて、弱肉強食という現実から目を背けている。
強者に泣いてすがるのは、自分が苦しい時だけだ。苦境が過ぎればすぐ不平不満を言いやる。
弱い者ほど、徒党を組んでは強者という身代わりを時代に差し出す。
テナルディエと同じく、スティードもまた、弱肉強食の論理に囚われた者の一人だった。
強者のみが生きる優者必勝社会。これこそが、ブリューヌの姿に相応しい。
「……ついに始まるのですか?閣下」
「スティード。違うぞ。違うぞ。始まるのではない。ここから始めるのだ」
アルサスにテナルディエ軍が侵攻する数日前。
ディナントの敗戦。レグナス王子殿下の戦死。ティグルヴルムド=ヴォルンはジスタートの捕虜。
舞台と役者は揃った。あとは私の筋書き次第で、ブリューヌはさらなる次元へと昇華できる。
――ジスタートの捕虜で終わる?―
ザイアン率いる三千の兵の行軍を、窓から眺めて火酒を煽る。
――さあ!ティグルヴルムド=ヴォルン!絶望の淵から這い上がってこい!――
全ての歯車を廻す戦いの舞台。アルサス。
――この私、フェリックス=アーロン=テナルディエは、ここに在る!ここに在るぞ!!―――
ティグルの潜在性を引き出す為の戦いが今始まる。
――戦争を始めようではないか!我が国の進化を賭した戦いを!――
『アルサス・セレスタの町・神殿前』
いつしか兵達は撤退し、戦嵐は止んでいた。
赤地に黒竜と、黒地に銀閃の軍旗が次々となだれ込んでくると、セレスタ町内のテナルディエ残存兵を打倒していく。
間違いない。彼らはジスタート軍だ。その先頭に、くすんだ赤い若者の姿があった。
獅子王凱とノア=カートライト。神速と神速による立体機動の一騎打ちする両者の視界にも入っていた。
「あ~あ。僕たちの負けですね。ガイさん。この勝負はお預けです」
どこか捨て鉢な口調で、ノアは言った。薄く、短い金髪をくしゃりとむしりながら。しかし、負けという割には清々しく、それでいて、どこか楽しそうにも見えていた。
「何だと?どういう事だ」
眉を潜めて、凱は訪ねた。その表情はうっすらと汗を浮かべている。
「テナルディエさんの言ってた通りでしたよ。ヴォルンさんがジスタート軍を引き連れて戻ってくるなんて」
「ジスタート……やはりそうか!ヴォルン伯爵は外つ国を招き入れたのか!?」
得物を収めた両者は、睨みあうことなく戦意を沈めた。
「それではガイさん、失礼しますね。中々楽しかったです」
そして、すれ違い様に、凱の耳元で囁いた。
――今度会うときは、一段階引き上げますから、もっと強くなってくださいね―
今までの加速技術は助走をつけていたというのか?底知れぬ優男の実力に、凱はそう感じたが、言葉を口にすることはなかった。
「まさか、ここまで実力が落ちていたとはな……」
ノアが引きあがった姿を確認したところで、凱はそう自嘲気味につぶやいていた。
彼に言われたとおりだ。
自分より年下で、戦闘経験も浅いはずのノアに、ここまで弄ばれてしまうとは凱も思わなかった。
天武の才能。果たして、ノアに勝てるのだろうか?
ここは天井のない屋外戦闘だったから、この程度で済んだと思う。もし、密閉された空間だったら、ノアは任意に攻撃座標を生み出せていたはずだ。
「それより、ティッタは……彼女は無事なんだろうか?」
今は後の悩みより、目先の心配を片付けなければならない。
神速の走力で凱はヴォルン邸の屋敷へ駆けつけていった。
『アルサス主要都市セレスタ・ヴォルン邸前』
絶望の淵に放たれた一矢が、ティッタの命運を切り開いた!
「全く、無茶をするものだ。恩に着せるつもりはないが、私がいなかったら二人とも大怪我だけではすまなかったんだぞ。ティグル」
「あてにはしていたさ。でも……ありがとう。エレン」
銀髪の少女の忠告と共に、優しい銀の風に包まれて、くすんだ赤い若者と栗色の髪の侍女は、羽のようにふわりと着地した。
「そうだ!ザイアンは!?」
「ザイアン?」
「テナルディエ家の長男にして、次期当主だ」
「そして恐らく、連中の指揮官と言ったところか?」
忌々し気にヴォルン邸のバルコニーを見据えながら、ティグルは無言で頷く。
「敵の大将が屋敷にいる。突入せよ!」
エレンの命令を受け、禿頭の騎士が先頭となって、続くようにヴォルン邸へなだれ込んでいく。
「ティグル様……信じてました……必ず帰ってきてくださると……ティグル様ぁ」
「心配かけてすまなかったな。けど、もう大丈夫だ。それよりも……」
ティグルの視線がふいに、ティッタの胸元に抱え込まれている黒い弓へ移る。
「どうして、その弓を?」
「あ、これは……その……もしもの時は、これだけは何としても持ち出そう……」
「バカ!こんなもの放っておいて避難すれば」
歯切りの悪いティッタの言い分に、ティグルは糾弾した。それでも、ティッタは震える足を気丈に奮い立たせ、厳立した口調で抗弁する。
「出来ません!そんな事!あたしはティグル様にお屋敷の留守を任されました!逃げるなんて出来ません!でも……」
「でも?」そう心で反復するティグルは、そっとティッタの顔を覗き込む。
「怖かった……怖かったです……う」
「そっか、ありがとう。ティッタ」
泣き崩れるティッタの背中に腕を回し、ティグルはそっと少女を抱き寄せる。
「おいおい、見せつけてくれるな。ここはまだ戦場だというのに」
馬上の人であるエレンの冷やかしに、ティグルは装うように苦笑いを浮かべる。
「ティグル様?この人たちは一体?」
視界の隅々まで、首をまわして見渡したティッタは、不安そうに尋ねる。
「ああ、この人たちは……」ティグルの説明が始まる時、ティグルの眼球に「ある」不遜物を捕える。
半瞬、樹木の物陰から一矢が飛来。ティッタに向けて放射された矢じりはティグルの左手によって捕まれ阻止された。
反転、自身の弓につがえて、隠れていた不遜物に向けて放つ。
長年の狩りで培った『弾道予測線』通りに、矢は敵の急所にささり、ジスタート兵から感嘆の声が上がった。
「痛っ……!!」
時間差で痛覚に襲われたティグルは、先ほど矢を受け止めた左手を見やる。素手で受け止めた影響だろう、矢を掴んだときについたと思われる傷が横一文字に広がっており、出血していた。
すかさず、ティッタはスカートの絹部を破り、それをティグルの手にきつめに巻く。
「怪我をしたのか?」「問題ない。やれる」
ティグルの即答にエレンは笑みを浮かべた。
痛みなど、それを超える意志と覚悟で以て耐えればいい。今、ティグルの心中にあるのは、アルサスを蹂躙した蛮族に対する怒りだった。
心の弓弦は、はち切れる寸前まで引いてある。
怒りと反撃の嚆矢を放つ瞬間を間違えてはならない。
「黒竜旗!」
愛用の剣を腰から引き抜き、切っ先を倒すべき敵兵へ向ける。エレンの宣言と共にジスタート兵が軍旗を掲げる。
テナルディエ兵達にディナント戦の記憶はまだ新しい。黒き竜の旗が翻るたびに、記憶は脳裏へ鮮明に蘇る。テナルディエ兵達は悲鳴を上げて一目散に逃げ出した。
「突撃!」
ジスタート軍の鬨の声が上がり、追撃戦を開始する!
「ティグル!追うぞ!」「おう!」
エレン達に続き、テナルディエの残存兵を追跡しようとしたティグルは、ふと自分の持つ弓に目を運ぶ。弓には、これまでの境遇の苛烈さを物語るように、太い亀裂が走っていた。
(ティッタを助けた時か……。どのみち、これではもう使えない。どうすれば……)
この若者にとって、この弓は四肢の延長の一部であるといってもいい。代わりの弓があったとしても、それが決して手に馴染むとは限らない。
指先の神経と同調出来るほど馴染んだ唯一の弓だ。刹那――
「ティグル様。これを!」
ティッタは抱えていた家宝の弓を、強い眼差しと共にティグルに差し出す。
「こいつは……」
それはヴォルン家の家宝。彼にとって特別な弓だった。
ティグルは2年前、父が他界する時、こう告げ合った。
――その黒き弓は時代を勝ち取る力がある。だからこそ、本当に必要になったときに使うのだ――
――はい!俺はこの『弓』の力を正しきことに使います!希望の為に!――
――ああ、もちろん私もそう信じている。お前が正しい心を持ち続ける事。民を守る優しい心を持ち続ける事。ブリューヌの人々が、世界がそう願う事を――
希望の為に。確かにあの時、自身はそういった。
絶望の淵に立たされた今この時こそ、希望の為に使うべきではないのか?
(馴染む……)
一カ月以上、放置していたにも関わらず、その黒い弓は手応えのある弾力を指に伝え、ティグルの決意を微かに震い立たせる。
『弓を握る感覚が無い』ほど、この黒い弓はティグルの手のひらに馴染んでいる。先ほど破損した弓以上の馴熟性を、ティグルは確かに感じ取っていた。
文字通り、この弓はティグルの腕の延長となって、敵を射倒してくれそうな気もしてくる。
「若ぁぁぁ!」「「バートラン」さん!」
異口同音の名を呼び、馬に乗ってやってくるバートランに向けて手を振って返事する。その後ろに、禿頭の弓兵の姿もあった。
「ティグルヴルムド卿!?」
「若!ティッタ!大丈夫ですかい!?」
「ああバートラン、見ての通りだ。ル―リック。ティッタを頼む」
侍女の身柄を禿頭の彼に託し、自身は騎乗して戦闘態勢へ移行する。
「ティグル様、お気をつけて」
ル―リックの後ろで、ティッタは彼の帰還を祈った。
大切な人の帰りを待つ者は、その間だけ心を苦しませ、苛ませる。それは、ティグルが捕虜となった時、身をもって知った。
だが、ティッタは涙を浮かべていた以前と違い、強い意志を以て、ティグルを戦場へ送り出す覚悟を決めた。
大切な人を待つ勇気。それを持ち続ける強さを、この少女は得つつあるのだ。
「あ、ティグル様!あと……」
何か大切なことを思い出したかのように、ティッタは一時、ティグルを呼び止める。
「ティグル様に……どうしてもお会いして頂きたい人がいるんです。だから……必ず、帰ってきてください!」
――あの人のおかげで、あたしは生きられた。――
――あの人のおかげで、アルサスの人々は守られた。――
――あの人のおかげで、燻ぶっていた心に、勇気の煌灯が灯り始めた。――
――あの人は、「守ってやる!ティッタの居場所も!全部全部俺に守らせてくれ!」という約束を守ってくれた。――
――あの人は……決して嘘をつかなかった。――
――あの人は……あの人は……あの人は……――
思い返すたびに、ティッタの涙腺が緩み、顔をうつ伏せてしまう。
会ってほしい人。ティグルには思い当たる節があった。その人物は、アルサスに向かう道中、バートランから聞いていた。
バートランのあまりの熱弁ぶりに、ティグルもその人に会いたいという興味が溢れてきたのだ。
シシオウ=ガイ。
姓と名が入れ替わっている、独特の発音を有する名前の人。
捕虜となっている間、ティッタを、領民を、居場所を守ってくれた人。
俺も会いたい。その人に。会って、その人の目を見て、声を聴いて、ちゃんとお礼を言いたい。
「ああ、奴らに報いをくれて必ず帰ってくる!」
馬上の人であるティグルは蹄を返し、早速蛮族を蹴散らしに姿を翻す。
――……一兵たりとも逃がしはしない!報いは必ずくれてやる!――
追い払って完結。そのような一筋で終わらせる気など、銀閃の風姫には毛頭ない。
エレオノーラ=ヴィルターリア。紅玉を思わせる瞳が、一気に灼熱化する!
完膚なきまでに叩き潰す。そうしなければ気が済まない。
狩る者を狩られる者に逆転させて、テナルディエ兵の立場がすり替わる。予期せぬジスタートの介入によって――
帰還する部隊を見失い、敵兵は混乱して闇雲に逃げ惑い、残存部隊は転進し、アルサスから撤退を始めていく。
そのようにして、領内の掃討戦が終結を迎える。
戦いの舞台はモルザイム平原へ移り、ザイアン率いるテナルディエ軍と、ティグル、エレン率いるジスタート軍は衝突する!
『アルサス主要都市セレスタ・ヴォルン邸』
それは、僅かな時間差。微かな空間が引き起こした事象なのだろうか。
――確かに、凱とティグルはすれ違った――
――ただ、敵と味方が入り乱れた境界線によって――
――引き合うべき両者は、互いに気付くことなく、正反対の方向へ――
――少年は、反撃の嚆矢を唸らせるべく、モルザイム平原へ――
――青年は、果たすべき約束の為に、ヴォルン邸へ――
女神の差し金ともいうべき『すれ違い』に凱が気付くこともないまま、ヴォルン邸へ、彼の青年は戻っていた。
荒らされた領内を見るたびに、凱の心は焦燥となって表れる。呼吸を整えないまま、凱は駆け付けたのだ。
だが、ティッタへの心配は杞憂に終わった。そして、平常にも終わらなかったことを――
屋敷に戻ると、厩舎に馬が繋がれていた。白い体毛をした一頭の馬だ。
「……馬?」
誰かいるのだろうか?
別の種の驚きのあまり、凱は声を上げて屋敷へ上がった。
「ティッタ?」
食堂には……いない。
次に、応接室の扉を乱暴に開ける。
ヴォルン家の侍女ティッタは、そこにいた。
彼女の名を呼ぼうとした凱は、一瞬息をのむ。ティッタの隣に禿頭の人物が立っていたからだ。
彼は凱を敵と認識したのか、腰に帯びている剣を抜刀した!
「ティッタ殿!お下がり下さい!」
「その男から離れろ!ティッタ」
何の運命の行き違いなのだろうか?ティッタは慌てて両者の仲裁に割り入った。
「あわわわ!待って下さい!ガイさん!」
「ティッタ?」「ティッタ殿?」
とりあえず深呼吸。そしてゆっくり口を開く。
「ガイさん、ルーリックさん、あたしから説明します」
事情を知らない凱にとって、禿頭の男の存在は警戒すべき対象だった。
だが、ティッタの説明が間髪入り、事無き事を得た。
男の名はル―リックと名乗った。
ジスタートが町の守備として百騎程残した部隊の、指揮官だという。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「そうか……ルーリック殿。あなたの言葉を疑ったことをお詫びします」
「仕方のないことです。こちらも礼を失したことをお詫びします。ガイ殿」
冷静さを欠いていた凱は、ル―リックに詫びた。
凱は侵攻するテナルディエ兵を相手に、ルーリックもまたテナルディエ兵に対し臨戦警戒をしていたので、互いに緊張感が張り詰めていたのだろう。
仔細はティッタから、ルーリックも捕捉を付ける形で凱は理解した。
それから、凱の身なりを見たティッタは凱に傷の手当をしていた。矢を捌ききれなかった傷が今になって痛み出した。
「本当に……本当に……あたしは……ガイさんに感謝しきれません」
「分かったからもう泣くなって」
優しく微笑んで、凱はティッタをなだめた。逆に、凱のその優しさが、ティッタの瞳により一層涙を浮かばせた。
事情を理解した凱は、町の残存兵力をジスタートに任せて大丈夫だろう。やっと肩の荷を下ろすことが出来た
「とにかく、約束はこれで果たした。後は主様の勝利を信じて待っていればいい」
信じて待つこともまた一つの勇気。ティッタはそれを受け入れていた。
ティグル様……どうかご無事で。
あの日、ディナントの戦いで見送ったティッタの不安は、なぜか感じなかった。
不思議なことに、必ず帰ってきてくださる、という事を深く確信していた。とりわけ根拠があるわけではないが――
二人のやり取りを眺めていたルーリックは、ティッタの反応を観察して、凱の気性を理解した。
「成るほど、シシオウ=ガイ殿はバートラン殿から聞いた通りの人物でございますな」
何かを納得したかのように、ルーリックは凱の顔を正面から見据えていた。
「俺の事を知っているのですか?ルーリック殿?」
禿頭の若者に声を掛けられて、青年は何処か既視感を受けていた。
彼の頭髪は、ワンパンで状況をひっくり返す最強ヒーローに見えなくもない。命のイチオシアニメでそのような存在を知ったのだった。
それほどまで、見事な禿頭を見るのは初めて見た。
――しばらくして、凱はティッタとバルコニーで二人きりになっていた。――
夕日の風を受けて、ライトメリッツとジスタートの国旗がひるがえる。
凱の推測が正しければ、そろそろジスタート軍が帰還する予定だろう。
それを見越してか、外つ国の人間達、ジスタート軍は何かと忙しくしていた。ルーリックもだ。
「これから、ずっとティグル様はいてくださる。今までは大変だったけど……」
「……いや、大変なのはこれからだ」
健気に希望膨らませるティッタに水を差すようで申し訳ないが、凱は告げた。
「多分、彼はこれから自分の事で精一杯になる。他の事に心を割く余裕はないだろう
さらに、ティッタを連れ去ろうとした魔物の事を持ち出せば、それこそ彼は自分に集中できなくなる。
凱には推測論があった。
十中八九、おそらくティグルはザイアン率いるテナルディエ軍を打ち破るだろう。黒き竜の旗を翻す兵達は難なく状況を覆すはずだ。
一度撃破したブリューヌ人だ。今度も勝てると意気込んでいる分、2倍や3倍の兵力差は大した問題にはならない。進軍速度と展開速度、戦いようのある状況下では、有利不利など千差万別に変わる。
勝てば、テナルディエはティグルヴルムド卿を討つため行動する。名うての暗殺者集団による暗殺か、隣国による外交的な制裁か、王国直属の騎士団による討伐か、自軍を率いて直接己が捕縛するか、処断かは分からない。
「ティグルヴルムド卿がジスタート軍をブリューヌ領内へ招き入れた以上、王政府はすぐにでも討伐軍を送ってくる。国土を売り渡した反逆者として」
「……反逆者」
ティッタは自身が言った言葉に、思わず絶句する。
「そんなことは……陛下にちゃんと事情を説明すれば」
「無理だ」
「どうしてですか?」
ティッタが凱に問い詰める。
「俺が逆に知りたいくらいだ」
ますます意味が分からない。
真剣な面持ちとなり、凱はティッタの両目を見据えて語り掛ける。
「ならば何故、テナルディエ家がアルサスを焼き払おうと進軍してきた?ヴォルン家に割いて与えた『王の領地』なのにだ」
アルサス。
ヴォルン家の土地であって、ヴォルン家のものではない。辺境の土地とはいえ、帰属権は全て王にある。
アルサスに住む民を守る誓いと共に、ティグルに与えたもの。
大貴族とはいえ、たかが戦略上の一存で『王が与えた領土』を焦土化していいはずがない。そんなことをすれば、テナルディエやガヌロンなら、自身がどうなるか分かっているはずだ。
「それじゃあ……ティグル様は」
「王政府は殆ど機能していないはずだ。考えられるのは……」
王の政事の滞りによる業務の二分化。
貴族の絡む案件は、このブリューヌ二大貴族に一任し――
それ以外の外交案件等は、文官たちが受け持つことに――
国の内乱を露見させない、固有戦力を持たない王政府による苦肉の国政。
「次第に彼の心は追い詰められる。そんな時、何より彼の心を支えてやれるのは、ティッタ。君しかいない」
「あたしが……ティグル様を……」
「うん。戦いから帰ってきた時、戦い以外で彼を支える。それが出来るのは、何年も彼と一緒で、近くで彼を見てきた君だけだ」
「……出来るんでしょうか?あたしなんかに……誰一人守る力を持たないあたしなんかに……」
力がないのが悔しかった。だから、ついさっきは凱の戦いを見て嫉妬じみたことを発言してしまったのだ。「あたしにも、ガイさんみたいに戦う力と勇気があれば」と。
「ティッタ。君は今回の事で学んだはずだ。そして、君自身の勇気を試されたはずだ」
「勇気……」
「敵と戦う事だけが勇気じゃない。でも、戦わざることも、勇気とは言えない。怖い気持ちを乗り越えて、誰かの為の力になる。それが勇気だと、君は心で感じて知ったはずだ」
長髪の青年に言われて、ティッタは心の内で決意していたことを思い返した。
ティグルの抱えている、若しくは、今後抱えていく悩みは、一介の侍女のティッタには分からない。例え知ったところで、何の力にもなれないと思っていた。
――自分はどんな時でも、自分はどんな場所でも、ティグル様の味方です――
――あたしは、どこまでもティグル様についていきます!――
一緒に、そばに居続ける。勇気の形は幾らでもある。
「彼の事を宜しく頼むよ。だから……」
凱がさらに言葉を言い募ろうとしたとき――不快感な黒い風が、二人を吹き付けてきた。
「ティッタ!?」
直後、ティッタの身体が硬直し、だらりと垂れたかと思えば、ゆっくり体を上げて、独り言のようにつぶやく。
その異常な光景に、凱は思わず彼女の肩を揺さぶった。
『竜を撃ちなさい』
誰の声だ?
妖艶じみた声?
違う!ティッタの声はこんな淀みのあるものじゃない!
『もう一度言うわ。竜を撃ちなさい』
さらに言葉を紡ぐティッタ?に、凱は声を掛け続ける。
「!ティッタ!?何を言ってるんだ!?」
一体、誰と話をしている?ティッタは本当にどうしたというのだ?
澄んだ瞳は赤く染まり、竜の牙のように鋭い視線で、『モルザイム平原』を見据えていた。
「ティッタ!?ティッタ!?俺の声が聞こえないのか!?」
空を見上げるティッタに不安を抱いた凱は、彼女の両肩を激しく揺さぶった。
すると、彼女は紅に染まった瞳を凱に向け、優雅な手つきで凱の手をほどいた。
『あなたは黙って見ていなさい』
「何!?」
ティッタ……じゃない!
『死ね。ザイアン=テナルディエ』
素朴で純粋な少女の口から出た言葉は……何を言った?
相手の存在を否定する言葉?どうして、健気で優しい少女からそんな言葉が出てくる?
ティッタの人となりを知る凱は、彼女が決して他人を罵るようなことは口にしないと思っている。
だが、今さっき、彼女は確かに相手の存在を否定する……死ねと言った?
なぜ?どうして?どうしてなんだ?
ティッタ?は指鉄砲を構えて「バン」とはじいた。
「やめろぉぉぉ!!!」
本能的直感で、凱は叫ぶ!両手のGストーンが警鐘を鳴らすように、深緑色に激しく輝く!
瞬間、遥か地平線の彼方で、『黒と銀が絡み合った一条の光』が天空を貫いた。気のせいか、凱には誰かも一緒に貫いたかのように見えた。
(確か、あそこはモルザイム平原だったと思うが……まさか!)
確か、言っていたな。モルザイム平原で迎え撃つと。その推測は確信へと変わり、凱の表情を青ざめる。
『邪魔しないでよ?おかげで弓の力が一瞬、緩んじゃったじゃないの。あーあ。ザイアンって子はなんか九死に一生を得たみたいだし』
そんな事知るかといった感じで、凱はティッタ?に問いつめた!
「聞くぞ!お前は一体誰だ?」
『ふふふ♪あなたなら既に察しが付くのではなくて?』
ティッタの身体を、凱の心を弄ぶ存在とのにらみ合いはしばらく続いた。
ある感覚器官のうづきが、凱に一つの確信をもたらす。
「……超越意識体?」
『貴方達の認識でで言えば、そうなるわね。翆碧の魔王と深緑の聖母は元気でやっているかしら?』
間違いない。ティッタの意識同調器官に乗り移っている。
そして、はっきりと分かった。ティッタもまた超越体の一人なのだと。
『アルサス・セレスタの町・中央広場』
ティグルとエレン率いるジスタート軍は、戦勝して帰ってきた。
付き人のバートラン等は、知らせを真っ先に領民に知らせるため、一足早くセレスタの町へ帰ってきた。
快勝と言っていいくらいの、自軍の損耗率。
対して敵軍は統率をとれず、蜘蛛の子のように散りばめていく本陣戦力。
願うは生存。意志は逃亡。
――全ては、黒き弓が勝利を掴み取った――
明確な指示はなく、その指示を出すべき男は戦場から逃亡を図ろうとした。父上からお借りした、御自慢の飛竜を駆って――
しかし、赤い髪の若者の「一矢報いたい」という意志に呼応したのか、黒弓は発音した。いや、したように感じたのだ。『竜を撃ちなさい』と。
さらに、エレンの銀閃とも呼応して、ザイアンの駆る飛竜ごと打ち抜いたのだ。
相変わらず、この弓は不気味な事ばかりだ。
心の弓弦を……引く!
的知らずな黒い光は、確かな矢となって、標的に命中する!
――……一瞬、力が緩んだのは気のせいだろうか?――
上空から沼に堕ちた飛竜とザイアン。這い上がってきたのは、人間の方だった。
――逃げるな!それでもテナルディエ軍の精鋭か!?――
ザイアンの命令は、空虚な響きとなってモルザイム平原へ響き渡る。
完全な戦意喪失。
思いのほか、テナルディエ軍は本能に忠実であった。
――やっぱり最後はてめぇか!ヴォルン!――
馬上のティグルは、高圧的にザイアンへ言い放つ。
――ザイアン!これ以上の抵抗は無駄だ!諦めろ!――
――黙れ!オレに命令するんじゃねぇ!――
総指揮官ザイアン率いるテナルディエ軍に、ティグルは「王手」をかけた。確かに「応手」はなく、「詰み」だった。
様々な遠因と要因が重なり合い、ティグルはザイアンを捕縛することとなった。
結局の所、ティグルの奇策を看破できなかった思慮と、部下の進言を一蹴したザイアン自身の在り方が、戦の幕を引いてしまった。
そして、セレスタの町へ帰還する――
「結局、オレは見捨てられたってわけかい?ははは、こうなると惨めなもんだな」
お縄になったザイアンは、自暴自棄になっていた。
何も心配することなく、略奪しに来ただけなのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。
どうして雨後の茸を踏んだくらいで、こんな目に遭わなければならないのか?
「さあ!殺れよ!殺れっていってんだろ!」
「覚悟はできてるみたいだな」
エレンが淡々と告げた。
当たり前だ。撃退であれ、勝利で在れ、いずれかの形であれ、どちらかが勝ったという証明を示す場合、敵将という首が最も分かりやすい。
撃退だけならば、根本的戦の勝利に結びつかない。数多の戦場を駆け巡ってきた銀閃の風姫はそれを良く知っている。
「お前は……あの時の侍女……」
ザイアンは自嘲気味に笑っていた。その笑いは何処か乾ききっているようにも聞こえた。
「なんだよ……笑いたきゃ笑えよ。さぞいい気分なんだろうな。立場が逆転して、ご主人様が帰ってきて、そのうえテナルディエ軍の総指揮官様はこのザマだ」
「それで?どうするんだ?ティグル」
エレンがティグルにザイアンの処遇を問う。結果は分かり切っているが、問われたティグルは――
「どうする?ティッタ」
自らの侍女を指名した。
まさか自分に託されるとは思っていなかった為、ティッタの両目が驚きで開かれる。
何故、あたしに質問するの?そう不思議に考えた時、不意にザイアンの悪事を最も受けたのが自分だという事を思い出す。
改めて考えるまでもなく、その記憶はザイアンという人間性を知っている。
他者の視点から見ても、最もザイアンを恨んでいいのはティッタのはず。
理由がどうであれ、この戦の根底にあるのは、虐げられた恨みであることは変わりない。
だから、ティグルはティッタに処断を委ねたのだ。彼女が最もザイアンにかかわる人間として。
一人の領民が「殺せ」と呟き――
一人の領民が「いい気味だ」と喚き――
一人の領民が「神々の天罰じゃ」と説教垂れて――
それらはやがて、水が徐々に沸騰するように、ティッタの耳へ、そして心へと流れ込んでいく。
この人は、ティグル様の居場所を奪おうとした……敵。
この人は、アルサスの皆さんを、命を奪おうとした……敵。
どんな理由があれ、あたしは……あたしは……。
「ザイアン様を……」
重い空気の中で、ティッタは決める。決めなければならない。この人の末路を、みんなが見ているこの中で――
獅子王凱も、見届けなければならない。
今回の禍根となったザイアンの処断はいかに?
NEXT
第6話『想いを勇気に~ティグルの選んだ道』
「どうした?殺したきゃ殺せよ!」
縄で自由を奪われているザイアンは、轟いた。
自虐気味な視線のザイアンと、哀れみな視線のティッタがぶつかり合う。
出てきた言葉に込められた感情は、互いに真逆のもの。モルザイム平原の戦い直後とは思えない静かさだ。
心が沈み、淀み、訴えている。ザイアン=テナルディエは父の懐という無菌室で育った、いわば愚の成長の形。
もはや、自分を罵る言葉を止めることを、テナルディエ軍の敗残将にはできなかった。
そのザイアンの処遇を、一介の侍女が決めなければならない。
アルサス侵攻軍の総大将ザイアン。その総大将の卑劣な悪行に最も巻き込まれたティッタ。人の生死を、処断を、そして答えを出さなければならない。
そんな意味を込めて、ティッタはくすんだ赤い若者の顔を見上げた。
静寂な時間。そして、セレスタの住民達がティッタに視線を集めている。見渡す限り、誰もが――
「……ティッタ」
心配そうな声で、凱がつぶやく。この長髪の青年にもわかっていた。何故、彼女に全てを委ねたのかを。
ティッタの加害者がザイアンで――
その加害者が侍女の居場所を壊したから――
ティグルヴルムドは国土を売り渡した反逆者になったから――
故に、ティッタがアルサス領主不在の代理だから――
「ティグル様の大切な居場所があんな風になっちまって!オレ様を恨んでんだろ!?」
最初の冒頭部分だけ、ティッタの声色を真似て言うあたり、ザイアンの人間性が理解できる。
せめて出来る精一杯の抵抗に、ザイアンは微量の満足感を覚えていた。
「……下衆だな」
そう侮蔑を降すエレン。最も、そう思ったのは彼女だけではない。
だが、自暴になっているザイアンには、エレンの侮蔑さえも耳に届いていない。
「それが!張本人がこんな惨めな姿になって!気分がいいだろうな!ええ!?ヴォルン家の侍女サン!」
ティッタにとって、ザイアンの言葉は許容できるはずがない。むしろ、それは間違いだったとザイアンは気付く。
――次の瞬間、ティッタはザイアンに接近して、渾身の平手打ちで彼の頬を叩いていた!――
パン!!!
乾いた鞭にも似たような音が、セレスタの町に反響する。
そもそもティッタの細腕ではたかが知れている。だが、侍女に叩かれたという事実は、確実にザイアンの心を叩きのめした。
完全にザイアンは呆けている。
「……で……か?」
嗚咽交じりのティッタの声は、悲痛、懇願、儚くも強い想いに満たされていた。
涙腺で潤んだ視界が、彼女の感情を刺激する。
「どうして……どうして……あたしたちは、ただ平和に暮らしていたいだけなのに……」
ティッタの口から吐き出される言葉は、少なくとも罰ではない。
声量の小さいティッタの声は、呆けているザイアンにとって聞き逃せないものとなり、少しずつ、彼の心へ染み込んでいく。
言霊のように確かな力となって、ザイアンのみならず、ティグルもエレンも……凱の耳にも届いていく。
「あたしたちが……一体何をしたって……いうんですか?」
これが……アルサスを苦しめたのが、嵐なら、洪水なら、干ばつなら、天災なら、天を恨めばいい。でも、天は何も答えない。天に向かって叫んだところで、虚空となって人間を嘲笑うだけ。
ならば、神々を恨めばいい。でも、神々もまた何も答えない。所詮、人間の祈りなど届きはしない。
しかし、アルサスを苦しめたのは、自分と同じ人間だ。だから聞きたい。答えが聞けるから。何故、どうして、あたしたちが一体何をしたのかを――
自分の気持ちを分かってほしい。願いを聞き入れてほしい。だから彼女は話し続ける。今にも引き裂かれそうな心のままで。
高ぶる感情が、ティッタの口調を強めて、ザイアンの心に畳みかける
「貴族の方々から見れば、あたしたちは弱い。弱い存在かもしれません。でも……」
それでも――それでも――これだけはどうしても言いたい。いや、言わなければならない。
「弱いことって、そんなに悪いことなんですか!?いけないことなんですか!?」
「オ……レ……は……」
――俺は、ジスタートの介入を防ぐ大義名分の為にやった事!現にそこには売国奴がいるではないか!?――そう正当性を訴えることもできたはずなのだが、ザイアンには出来なかった。
存在しなかった罪悪感が、顕著な形となって、ザイアンの心をかき乱す。ゆえに、反論も申し出も出来なかった。
ティッタとて感情に身を任せれば、ザイアンの首を胴と分かつ願いも出来たはずなのに、心優しいティッタにはできなかった。
憎むべき相手と、倒すべき敵は決して同意味ではない。
今更ながら、ザイアンの唇に赤い血が垂れていることに気付く。下衆のカタマリといえど、ティッタと、そして弱者と侮っている同じ色の血が流れていることにも気づく。
自分と同じ、赤い色をした血が――
二つの意味に気付いたティッタの言葉は、明らかにセレスタの雰囲気を支配していた。
そして最後に一言だけ、別れの挨拶を投げかける。
「……帰って……下さい……」
皮肉というべきか、つい先ほど前に、ヴォルンの屋敷でやり取りしていた台詞が飛んできた。
今のザイアンに、あの時のようにわざとらしく聞き返すこともできず、ただ茫然とするばかりであった。
小さな侍女の気持ちを代弁して、凱はザイアンの開放を宣言するのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ザイアン=テナルディエを解放する。もう、みんなも分かっているはずだ。ティッタの答えを……」
そう代弁した凱もまた、ザイアンを放す気持ちを宣言した。
もっとも、凱とて理の側面で利益につながらないのか、情の面でティッタの気持ちを汲んだのかは分からない。
どのみち、任務に失敗したザイアンを待ち受けているのは、苛烈な処罰だ。
肉親ではない。もっと、自分を取り巻く環境からくる侮蔑の笑い――
テナルディエ閣下の息子のくせに――
……バカ息子が――
誰もザイアンをザイアンと見ない、理不尽な環境――
精神の休まる場所のない、あの環境は今回の失敗が後押しして、さらに悪くなる。
ティッタは、ザイアンを許した。だが、アルサスの民全てが許したわけではない。領主だったティグルにとって、そのティグルの義に応じたエレンにとっては「倒すべき敵」であり、「憎むべき相手」なのだ。
最も恨んでもいい人間が、恨まれるべき人間の生を望んでいる。だから、これ以上ザイアンを束縛することはない。
凱の言葉に込められたティッタの心を知るように、ティグルとエレンは不満であったがしぶしぶ頷いて肯定を示す。
ネメタクムへ向かう街道まで案内し、ザイアンの姿が見えなくなっていく。
力のない足取りは、ザイアンの心に重い枷があるように思わせる。凱とティッタのやり取りの一部始終を見ていたティグルは、後ろから近づく三つの気配を感知した。
覚えのある銀閃。そして感触。長く付き合いのある朗らかな雰囲気。そして、自身を心から慕う弓使いだ。
「ティグル……本当にこれでよかったのか?」
「若……」
「あの人はティッタ殿を……」
「俺がティッタに委ね、そのティッタが出した答えだ。これ以上俺が言うことではない」
黒き弓は今だティグルにある。もう矢筒はカラなのに。なぜか、この時だけ、ティグルは愛おしげに弓を見つめていた。
エレンもそうだ。腰に帯びているアリファールを、何度か愛おしげに柄をなでていた。
くすんだ赤い若者は、見える形でザイアンに報いを与えたかった。
銀の髪の少女は、斬れることなら、斬り捨てたかった。
禿頭の若者は、そのどちらかは分からない。
「戻ろう。みんな。俺達にはまだやることがいっぱいある!」
心の内を隠し、ティグルは戦友と共にセレスタの町へ踵を返した。
この後、宴が待っている。
『夕夜・セレスタの町・勝宴場』
テナルディエ軍が撃退された。
セレスタの人間は真っ先に知らせを受ける事が出来たが、ユナヴィールの村や他の村が聞けば、「嘘じゃないのか?」と疑うのが普通である。
流石は領主様!ティグル様のおかげ!そんな称賛が宴会場の中心で響き渡る。
先ほどのザイアンの件で沈んだ空気が吹っ飛んだような雰囲気だ。
ティグルとしても、協力してくれたジスタート軍に労いたかったし、町の人々にも明日から復興業務がある。何としても英気を養ってほしかった。
酒を飲みかわし、賑わうセレスタの一角にて、今を生きているジスタートとセレスタの両者が占領している。戦後間もないので、壊された家屋等は散乱したままだ。
それでも、勝利という歓喜が大きな原動力となり、臨時で応援に来てくれた女給さんが、忙しく酒や料理を運んでいる。
その中に元気を取り戻し、エプロン姿のティッタの姿もあった。
――宴会場はやがて一人の黄金の騎士についての話題で持ちきりになった――
たった一人でセレスタの住民を守り抜いた。
そんな話を耳にはさんだとき、エレンは我が耳を疑った。
――神話に出てくる伝説の勇者でもなかろうに、たった一人で何が出来る?腕前に自身があろうがなかろうが、三千もの敵に立ち向かうなんて、愚者の所業だぞ――
あの日のライトメリッツでの夜。ティグルが兵の賃貸を申し出た時のやり取り。エレンは不思議な気分で思い返していた。
テナルディエ軍が三千の兵を率いて、アルサスを焼き払おうとしている。
理屈でわかっていても、感情が納得しないティグルを押し止める為に、彼に叱責した言葉が彼女の心を膨らませる。
単騎掛けで、大軍に突貫する英雄が登場するのは、ヤーファ国に伝わる戦国伝。3つの国に分かつ群雄たちが、支配と絆と仁義を駆けて戦う物語だとか。
その登場人物は、赤子を脇に抱え、兵の海を掻き分けて、これ一心胆の将と言わしめたそうだ。
「エレオノーラ様はどう思われます?尾ひれがついた噂話を」
「そうだな。リム。皆が口を揃えて言うのだから、信じるしかないだろう」
「口裏を合わせているとは考え難いですし、私も信じていいような気になってきます」
「珍しいな。お前がすんなり噂を信じてしまうとは」
「それは……エレオノーラ様もでしょう」
からかうエレンの口調に、リムは口を尖らせた。
シシオウ……ガイか。
濁音の強い、姓と名が入れ替わっている、独特な名前。
あまりに固舌な名前の為、彼の名をつぶやいたとき、うまく発音できなかった。無表情なリムに珍しく笑いをもら層になったが、何とか耐えた。
まったく、何て名前だ。いっその事ガイで通せばいいのに。
「折角だから。皆が噂する「勇者様」の顔を拝みに行くとするか♪」
好奇心溢れる主をもって、リムは重い溜息をついた。そんな主の後ろを、リムは黙ってついて言った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「それで領主様!黄金の騎士様は、雨あられと降り注ぐ矢を、こうババババババと捌いちまったんですわ!」
初老の男性が、大げさに語り掛け――
「目にも止まらぬ速さで、兵士たちの間をくぐって、これくらいのナイフで殺さずに倒しちまったんです!」
恰幅のいい女性が、興奮気味で仕草を付けて――
「巨大な黄金の角に、黄金の鎧……まさに戦神ワルフラーンのようじゃ」
知識の深い老婆が、青年の容姿をそう例えた。
その青年、獅子王凱はたくさんの子供と遊んでいた。それはさながら「○○○○で、僕と握手」の光景だった。
子供達にとって、勇戦した凱の存在は、まさに絵本から飛び出てきた英雄や勇者のような存在だ。
空想の中で膨らませて、いないはずの存在に憧れるより、実在する人間の方がはるかに嬉しいし、なにより喜べる。
一騎当千、そのような武勇で片付けられるほど、凱の戦いは語れるものではない。
文字通り、本当に一人で戦い抜き、折れそうになった住民の心を鼓舞し、諦めない事への大切さを教えてくれたのだ。
言葉では、いつしか心の枝は折れてしまう。
行動なら、いつか必ず心の枝を伸ばしてくれる。
「その話を、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」
適当な座りものに腰かけたティグルは、領民にそう頼んだ。
本当なら、本人の所へ今すぐにでも行きたいのだが、領民の子供達が凱を完全包囲している。
ティグルとしても、子供達の楽しい時を邪魔したくはない。しばらくすれば、言葉を交わす機会も出てくるだろう。
彼自身も興味がある。自領の民が、部外の人間をこうも称えるなど。
ティグルの問いに、女性が答える。
「ほら、あそこに背の高くて、髪の長い男がいるだろう?間近で見た時、あたいはちょっぴり見惚れたよ。黄金砂のように零れる髪がとっても綺麗でさ。女ながらに嫉妬さえしたもんだ」
女性の表現に、ティグルの瞳はさらなる興味で輝いた。
「ティグル様がいない間、ここもいろいろあってね。盗賊団に襲われたり、ティッタちゃんが何者かに誘拐されたり、何かと災難続きが絶えなくてさ。本当に感謝してもしきれないよ」
盗賊団に襲われた。
ティッタが何者かに誘拐された。
――俺がライトメリッツにいる間、本当にそんなことがあったのか――
おおよそは、アルサスへ戻る途中、バートランから聞いていた。ただ、異国で聞くのと、住民の生の声を聞くのとでは、認識の度合いが違う。
現実味が、徐々に増していく。
「その連中はドナルベインと名乗ってて、ちょうどティッタちゃんがティグル様の身代金を何とか集めていたよ。ところが、奴らは寄ってたかってティッタちゃんからお金を巻きあげたんだ」
思わず、ティグルは手に力を込める。ティッタに乱暴を働いた連中に対する怒りの感情と、自分の為に身代金を集めまわっていたティッタの健気さに対して――
芝居がかったような口調で、女性は物語を再開する。
「ところが、襲われているティッタちゃんの元へ、あの噂の兄さんがやってきた!「待て!これ以上、その少女に切っ先一寸たりとも触れるな!相手なら、俺がするぜ!」って」
ティグルの魂は熱く震えた。あまりの嬉しさに、目尻が緩みそうになる。
いつしか、話を聞きに来た領民が増えていた。
「盗賊の連中はひいふうみぃ……10人くらいかな?獣のように襲い掛かる連中を、兄さんはこんぐらいのナイフでババババババって倒しちまったんだ!」
「そいつはすごいな!……そうだ、ティッタが誘拐されたって……」
「あ~それについてはあたしにも詳しいことは分からないんだよ。マスハス様やバートラン様がティッタちゃんと一緒にいてくれたから、あまり追及はしなかったよ」
「マスハス卿が……」
その時、ティグルは思い出した。
マスハス卿は、ガヌロンの動きを抑える為に尽力してくれたと、手紙に書いてあったことを思い出す。
(……俺ってなんだか助けられてばっかりだな)
嬉しいのか、それとも情けなく思ったのか、くすんだ赤い若者はそんな心情を見受けられる仕草を示した。
「……まぁ、ともかくティッタちゃんは無事に戻ってきたんだ」
次の言葉を聞いたとき、再び、ティグルの手に力がこもる。これは、完全な怒りからくるものだ。
「そして……とうとうテナルディエの奴らがやってきたのさ」
体力や女子供、老人達は神殿に避難していた。マスハス卿の指示によって。
だが、そう神殿という領域も、安全で居続けられる保証もない。
外からくる鬨の声は、心身共に疲労させる。恐怖という緊張感が、喉の渇きを、腹の虫をより加速させる。
神殿の中にも、一応備蓄の食料があるものの、いつかは不足する。そもそも、アルサスは今まで外界の危機に無関心であった為に、いざという時の備えは何一つしていなかったのだ。
誰もが、近いうちに訪れる己の死に、誰もが絶望した。いや、したに思われたのだ。
「もう駄目かも。せめて子供達だけは助けてほしいって、神殿の中でずっと祈ってたさ。でもダメだった。神官様や貴族様は神様はいるって……確かに、神様は見守ってくださるけど、少なくとも助けてはくれないね。だからもう目に見えない神様にはお願い事をしないと誓ったのさ」
ブリューヌとジスタートが信仰する十柱の神々がきいたら、怒りそうなセリフである。
だが、無理もないとティグルは思う。実際、人間は目に見えないものより、目に見えるものの方が信じるに値するからだ。
「本当に一瞬だったんだ。奴らが町の防壁を破って、蛮族みたいに財産をかっさらって……」
今度は、女性の方が悔しさのあまり涙を浮かばせる。
「そんな時、どこから持ってきたか知らないけど、黄金の鎧を着てきて、我が物顔で歩くテナルディエ兵を片っ端から薙ぎ払っていったんだ」
その時の光景は、彼女にとって鮮明に記憶として残っており、思い出すと、感情が高ぶっていく。
「なんだか、高揚したよ。兄さんが一人で、あのテナルディエ軍と戦っている光景を見ているとさ。あたしたちの怒りが体現されたかのようだったよ」
それから、戦いの様子を、女性は淡々と語った。
ものすごい速さで兄さんは敵に詰め寄り、馬が驚いてひっくり返って、後続の騎兵たちに追い打ちをかけたと――
獣のような速さで、セレスタの街中を駆け回った――
手に持ったナイフで、民を虐げる外道の輩を地に伏せたと――
襲われている人々を一人でも多く助けようと、兄さんは攻めを止めなかった――
そのおかげで、幸い死傷者は出ていないと――
お返しと言わんばかりに、テナルディエ兵は矢を放った。それも、火を乗せた矢で焼き払うつもりで――
あたしは、必死で応援したんだよ。「ガイさん!頑張っておくれ」って――
それこそ、無敵のテナルディエ軍が敗退する要素だった。
黄金の騎士はグラつきながらも、一気に息を吹き替えし、神殿の包囲網を打ち破る。
その直後だった。ティグルのアルサス帰還が、勝利をより確定づけたのだ。
自分が不在だったアルサスの状況を聞いたとき、ティグルの心根には、何かが芽生えようとしていた。
――ああ、そうか――ティグルは思った。
これからテナルディエ公爵と戦うことに、ティグルの心は不安と緊張で強張っていた。心のどこかで、自分で気付くことなく、不安を助長させ、緊張で心を固くして。
――テナルディエ家は古くからある名門貴族。その兵力は最低でも見積もって1万、最悪3万――
――対してアルサスは百人程度――
圧倒的に規模が違う。巨大な動物の足に蟻がつぶされるような心境だ。
ジスタート軍の兵を借りた時、テナルディエ軍と対峙した時、既に分かっていた事ではないか。
宴会の中でも、彼は表にこそ出さないものの、どこか億劫な気分であったのは、自覚せざるを得ない。
だが、今は何かが違う。
黄金の騎士の武勇伝を聞いたとき、戦意や闘志とは違う感情が、ティグルの中で芽生え始めていた。
――勇気。一欠けらの勇気――
大事なのは、現状を嘆くことではない。
自分がどのような顔で、どのような心で、自分に付いてくれる人に対するかだ。
現に、青年は領民の心を、勇気の火で灯らせてくれた。
どんなに小さな灯でも、それは決して消えてはいけない火。
ここにいるのは、一人一人独立しつつも、ティグルと共に同じ道を目指して進む盟友たちだ。
共に支えてくれる仲間たちがいる。
ティグルはしっかりと女性を見返し、答えた。
「聞かせてくれてありがとう。もう大丈夫だ」
お礼を言われた女性は、ティグルの隣をはずして、給仕作業に戻っていった。
あとは、俺の心と次第……か
ティグルヴルムド。彼は道を選ばなければならない。
選択肢は、もう出ているではないか。
時間を見据えて、決意を確固たるものにした時だった。
「ティグル♪」
そして不意に、後ろからエレンが顔を覗かせてきた。
「うわ!驚いたな。誰かと思えば君か。エレン」
嬉しそうに、にやっと笑顔を浮かべ、彼女は赤髪の若者の顔を抱え込んだ。女性特有の甘い息を感じられるほどに近い。
「俺の顔に何かついているのか?エレン」
「いや、逆だな」
「なんだか浮かない顔をしていたが、今は随分と落ち着いて見える。何があったかは知らないが、憑き物が落ちたようだな」
エレンには見抜かれていた。
確かに、これから本格的に訪れるテナルディエ公爵との戦いに、恐怖に憑かれていた。
対してティグルは、地から強い笑顔を浮かべて返した。
「ああ、俺ならもう大丈夫だ。それよりもエレン。どうしてこっちへ?」
遠くの光景に、エレンは指さした。紅い瞳の視界には、凱がいた。
「あの男……シシオウ=ガイといったかな?少しばかり手合わせしたかったが」「エレオノーラ様」
本気ともにつかない冗談に、注意が入る。いつしかリムも来ていた。以前「いっそアルサスを攻めとるか」とも言っていた事がある。
こういう好戦的な冗談で周囲を振り回す、我が主の苦労に絶えないリムであった。
ただ、手合わせしたいというのは、半分冗談で半分本気といったところだ。
ティグルは話があるならいけばいいじゃないか?と言おうとしたが、思い当たる節を見つけて口を止める。
「流石に私も子供の海を掻き分けて楽しい時を邪魔するほど野暮ではない。明日にでも聞くとしよう」
どうやって敵を倒していった?たった一人で大軍に飛び込んで?どのような戦術で?
傭兵あがりのエレンにとって、彼の勇戦振りは非常に興味がある。
――反面、警戒もしている――
彼は一体何者なのだ?
容姿、風貌、どれをとっても、どこの国にも当てはまらない。
ムオジネル?違う。ムオジネル人なら、褐色のいい肌をしているはずだ。
ブリューヌ?違う。セレスタの住民の話が本当なら、それほどの腕前を持つ傭兵なら、たとえ大金を払ってでも、召し抱えようとするだろう。我が国の王のように、戦姫を恐れるようなバカでなければ。
ジスタート?違う。英雄譚や神話から飛び出たような人物が、何故、今まで噂にすらならなかったのだ?
ザクスタンは?アスヴァールは?ヤーファは?
ふらっとやってきて、アルサスに近づく危険から民を守る。気前がいいという以前に、人が良すぎる。
一体……何を対価に動いている?
ふいに、エレンの凱に対する印象が、そうだった。
私は、アルサスを対価にティグルへ兵を貸し出した。だが、あのシシオウ=ガイは何を引き換えに力を貸した?
民は単純だ。国政を省みないだけ。目に見える己の利得に納得してしまう。
――興味は親交を温め――
――疑惑は警戒を生む――
そして明日、それぞれが選んだ道の一歩を踏み出す朝を迎える事となる。
NEXT
第7話『闇の暗殺集団~七鎖走る!』
『ブリューヌ・ネメタクム・主要都市ランス・執務室』
七鎖―セラシュ。
それは、要人暗殺を受け持つ名うての暗殺集団。必ず7人で行動するとして知られる。
現在こそ、ブリューヌの王都はニースとされているものの、国が興る以前は、アルテシウムこそブリューヌの王都としてあり続けた。
元々そのアルテシウムが王都の時代から仕えている、セラシュはいわば王政府の密偵だった。
光を浴びる表向きの任務は警護。闇に紛れる裏の任務は諜報活動。特に諜報活動は特筆すべき点であり、日常的に官僚や大貴族、ブリューヌ全土を観察し、異常があれば報告するよう定められたと言われている。
故に彼らは影の見張り役として、ブリューヌの長きに渡る歴史と流れを、見守り続けてきた。
――全ては、ブリューヌの繁栄と平和を目指して――
例え身分が低くても、特別な役職の名目で国主に近づくことが出来たので、国主の意志を反映できる立場だった。
その特殊な任務の為、本来セラシュは功績を上げて、出世する機会に恵まれる……はずだった。
時代の流れと共に、アルテシウムからニースへ王政が移ると、治安維持の騎士団や貴族等が創設された。それに伴い、政治経済がうまく循環するようになると、セラシュもその役目を終える事となった。
活躍できる場を失った彼らはその後、新たな職に就くことが出来ず、
終止符を打てないまま、時代の輪廻の中で彷徨い続けてきた。
その彼らは今、ブリューヌの双璧を成す貴族の一室にいる。
「セラシュか」
早速、テナルディエは依頼内容を説明する。任務内容を理解、承知すると、「直ちに」と言い残して音を立てず、部屋から消えていった。
ただ一人だけ、御頭を呼び止めた。
「何故私に仕える?かつてテナルディエ家はアルテシウム王制の倒世運動を行ってきた一族。アルテシウム出身の貴様らから見れば、私は復讐の対象だ。何故?」
ブリューヌ変革期における抵抗運動から始まるガヌロン家との因縁は、遥か昔から行われている。
存在の意味とアルテシウムの伝統を破壊した大柄の男は、セラシュにとってテナルディエは戦犯の血を引く愚物でしかないはずだ。
「我ら
七鎖は影の末裔。主という実体がなければ存在出来ない者。影の我々にフェリックス=アーロン=テナルディエという実体が現れた。それだけの事」
軽く一礼すると、御頭も他のセラシュと同様に、音を立てずに部屋から出ていった。
10数える間くらいか、再び戸が開く。入ってきたのは、長年テナルディエ家に仕える占い師ドレカヴァクだ。
「虫を潰すのに、斧を用いるようでありますな。辺境の貴族を始末するのに、名うての暗殺集団を差し向けるとは」
「辺境の貴族だから……こそだ。むしろ、これくらい乗り越えてもらわねばならぬ。」
テナルディエにとって、ティグルへ与えた境遇はいわば「課題」に過ぎない。
目測通り、ティグルヴルムド=ヴォルンはジスタート軍を引き入れて戻ってきた。
そして、我がテナルディエ軍を撃退した。それも、竜を屠ったという報告を受けて。
だからこそ思考していた。次の「課題」をぶつけるにはどうしたらいいかと――
思考を巡らせたが、結局、一去した。
理由は『何者かが』ドナルベイン一派を消滅させたとの事。ヴォージュ山脈に集会所を構える連中なら、オルミュッツに偽装して周辺貴族の圧力に使えないか、もしくは連絡係としてうまく使えないかと考えていたが、甲冑を着せる予定の連中がいなくなった為、思慮していても仕方がない。
もう一つは、時折陰湿さや狡猾さを持つテナルディエらしからぬ理由だった。
「私は品性まで売った覚えはない」
これは失礼と、くぐもった笑いを漏らして一礼した。
(いずれにせよ、ライトメリッツの戦姫を引きはがす必要があるな)
テナルディエとしては、アルサスの小僧をブリューヌの渦中に投げ込みたいところだ。一時的にライトメリッツの力を必要としていたらしいが、今後はブリューヌの為に軍を引いてもらいたいと思っている。
戦姫には、やはり戦姫しかないのか。
「戦姫の方はどうなさるので?」
「それは私の方で対処する。それから……新たな竜と、例のものはいつ頃用意できる?」
「竜の方は、いくばくかの金銭と一月程の時間を要します。ただ……」
「ただ?」
「例のものといえば……デュランダルの兄弟剣と、カヴァクなる工芸品は半年程の時間を要します」
「仕方がない。だが……頼む」
それからテナルディエは鈴を鳴らし、従者を呼びつけると金貨を持ってくるよう命ずる。やがて人頭大の袋を持ってきて、ドレカヴァクに渡すよう指示する。
それから分厚い手を振って、ドレカヴァクに退出を命ずる。音もなく退出したドレカヴァクの姿を確認すると、入れ替わるように一人の優男が入ってきた。
「失礼します。テナルディエさん」
明快な口調で親しげに話しかけるこの男、ノア=カートライト。その表情はいつも笑みを浮かばせている。
この屋敷で、不遜な態度を示せば、家族ともども即刻処刑されてしまうだろう。例外として、そのような不遜な態度をとれるのは、ノアとドレカヴァク、以下数名のみだった。
「ザイアンは何をしている?」
「ザイアン様は釈放されたものの、ネメタクム帰領へは至らず……正確には、しばらくは戻らないそうです」
そうか、とそう小さくつぶやき、情を表に出さず頭の中で振り切って本題に入る。
この結果が分かっていたからこそ、衝撃は表に出さなかった。それがザイアンの為ともなり、ヴォルンの可能性を拡大する為の計画だ。
事実、ノアは今回のアルサス遠征において、ただの監視役だった。ガヌロンの動向を探る密偵として――
「ノア。貴様に一つ、やってほしいことがある。頼まれてくれるか?」
苛烈者として知られるテナルディエが、一歩引いた態度で依頼するなど、従者が見たら到底信じられない。
それほどまで、このノア=カートライトはテナルディエの全幅の信頼を置かれている。
「懲罰以外なら、なんなりと」
「ここブリューヌへ、七戦騎を全員終結させるのだ」
七戦騎とは、テナルディエ軍の精鋭であり、ブリューヌ転覆計画を執行する為の特殊部隊だ。
「ヴォルンさんにぶつける気ですか?別にいいですけど、ガイさんの出方を伺ってからの方がいいんじゃないですか?」
獅子王凱。伝説上の霊獣を冠する名は、既にテナルディエの耳に届いていた。
時代を動かす力を持ちながら、愛だの不殺だのそんな甘っちょろい戯言をほざき続ける半端もの。
眠れる獅子の存在は出方が分からないため、とりあえず心に留めておくことにした。
「一つ申し上げておきますけど、多分、ガイさんはこっちへなびきそうにないですよ?」
弱者を糧とする
獅子王にとって、弱者の糧となろうとする
獅子王の信念は、彼にとって相反するものでしかない。
「かまわん。言われるまでもなく、七戦騎は重要な特攻部隊。ブリューヌ内乱に合わせて、私が奴らの使い方を考えておく。『慣らし』も必要だろうからな。貴様とて、シシオウ=ガイとかいう男の決着を付けたいはずだ」
「あちゃーばれましたか?」
芝居がかったノアの言葉に、テナルディエは薄く笑みを浮かべた。こういう度胸の高さは、テナルディエが彼を気に入っている要素の一つである。
「それに、ホレーショーのように所在を掴み難い連中もいる。収集には時間がかかるはずだ。恐らく、七戦騎が終結する頃には、ブリューヌ内乱も目途が立っている」
「分かりました。では失礼します」
ノアを下がらせて、テナルディエは次の展開を構築する。
銀製のグラスに映る己の顔を見ながら、テナルディエはゆっくりつぶやく。
「そういえば、ガヌロンもジスタートの戦姫と付き合いがあったな。東の連中が転がり込んだこの情勢、あの男はどう出るやら」
今まで弱者しか溢れていなかったこのブリューヌだったが、今は強者がうごめく地獄となりつつある。
以前、ノアがテナルディエの傘下に入ったときに聞きだしたことを思い出した。ジスタートより遥か東の大陸で、憎悪と復讐の輪廻が織りなす、阿鼻叫喚の代理契約戦争があったことを――
『ジスタート・オルミュッツ公国・執務室』
春咲を告げる待雪草―バトスネジユ
夏夜を彩る煌蛍―キラホタル
秋夕を伝える紅葉―アカモミジ
冬薄を見舞う粉雪―コナユキ
それだけで
紅茶は十分おいしい。
品性と教養を思わせる哲学があるほど、リュドミラ=ルリエにとって、
紅茶とは日常に密接している必需品。
今、自身の公宮の執務室で、リュドミラは紅茶を静かに飲んでいた。
優雅な時を堪能しているとき、青い髪の少女の元へ一通の書簡が届けられた。
――エレオノーラ=ヴィルターリアが、ジスタート国王の無許可にてブリューヌ領内へ進軍――
――リュドミラ=ルリエ。エレオノーラ=ヴィルターリアの公判を執行するため、ジスタート憲章に基づき、王都へ出廷を要請する――
無意識に、溜息をついた。
要するに王都へ召集がかかったのである。
そんな書簡の内容の様子に僅かな一瞥を加えただけで、オルミュッツ公主は公務の処理を続けていた。
オルミュッツ公宮の最上階。彼女の机の小さな灯りは深夜になっても消える事はない。
自分で淹れた紅茶の香りに鼻孔をくすぐられつつ、リュドミラは月の映える窓際を覗いた。
連日続く激務に愚痴を漏らすことなく、彼女はこの夜も超過公務を続けていた。
「まったく、あの女は何をしでかしたのかしら?」
……修正。愚痴をこぼしていた。
傲岸不遜の野蛮人とは、リュドミラがエレオノーラに下した評価である。そして、初めて会ったときの第一印象である。
そして、ヴォルン伯爵と言ったかしら?どこの辺境の貴族か知らないけど、エレオノーラに付き合わされるなんて。
それでも……獣の皮を被ったような人でも、裏表がない分、嫌悪感がないのもまた事実だ。
別にエレオノーラを信じているわけではないが、きっと何か事情があったはずだ。直接会って話してみれば、真実が分かるはず。
―――なぜか、リュドミラにはそう思わずにはいられなかった。―――
『昼間・アルサス・セレスタ郊外』
さて、場所は変わってアルサスへ――――それは森と山に恵まれた、ブリューヌ領内の辺境土地である。中心都市セレスタが中心にそびえ、様々な穀倉部区画と、森や山によっての天然区画で構成されている。
中心都市と言っても、市民が想像するような豪華性や、賑わいは垣間見えない。土地の特色による税収の為なのか、ここの領主様は、贅沢とは無縁の生活を送っている。むしろ、それがティグルの気性にとって丁度いいのかもしれない。それでも、森や大地の配色を考慮しているのか、美観は十分に考慮されており、領主の敷地の大部分は一般住民に開放されていた。住民の生活を支える水車や風車でさえ、美しく、規則的に整列し、陽風と澄川を全体で受けて、力強く回転している。
久しぶりの平穏。凱はセレスタを出て、ユナヴィールの村へ向かって一人で街道を歩いていた。アルサスの特色なのか、空気は澄みきっており、そよぐ風はどこかひんやりとしていて心地よかった。
かつて、アルサスの民は懸命に働きながらも、平和に暮らしてきた。にもかかわらず、テナルディエ軍は兵をアルサスへ差し向けてきた。
故に、今まで外界に関心のなかった住民は、自由に領内の村同士を行きかうことをほどんどなくした。ティグルによって行動を規制されていたわけではない。常に臨戦態勢をとる必要があると分かった以上、それに伴う緊張感と責任感が、村の住民の心を縛り付け、行動を自粛させていたのだ。
目的地に歩いていく行為が、本来なら凱にとって楽しいはずである。だが、今はアルサスどころか、ブリューヌ国内の情勢自体が危うい。
気ままに歩いていると、待ち合わせの場所についてしまったが、時間を潰す必要はなさそうだ。しばらく穀倉地帯の分け道を歩こうかと思った凱は、彼方を眺めて二つの影を見つけた。
「ティグルヴルムド卿。それにティッタ。もう来てたのか」
「あ、あれ?もうそんな時間ですか?」
あいにく、この世界には日本人の常識で言う時計は無い。独立交易都市のように、24時間式の時刻体制が導入されていない以上、彼らは概ね太陽の動きに沿って行動しているとされる。1刻がだいたい2時間。まだ分や秒の概念は存在しない。だから、「もうそんな時間ですか?」というティッタの台詞が、妙におもしろかった。
ティグルの背中で居眠りしていたのか、ティッタはあわわと取り乱していた。そんな仕草に凱はなんだか癒された。
待ち合わせの相手は、くすんだ赤い若者と、彼に従う侍女の二人だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
凱とティグルは並んで小さな丘に座り込み、ティッタのお弁当を食べていた。
二人とも、ティッタの料理は大の好物であり、自然に恵まれたアルサスだったことも思えば、ティッタの弁当は必然である。
野道だからといって、アルサスで生まれ育ったティグルとティッタには気にする必要もないし、その点は凱にも似たようなものといえる。
「美味しかった……!」
「ああ、ティッタの御飯は最高だよな!」
言いつつも、凱はティグルの食欲を気にしていた。小食だったわけではない。むしろ、ありすぎた。
(そういえば、早く着いた俺よりも、先に来ていたな。一体、いつからここにいたのだろう?)
そんな凱の思考は、いきなりハンカチをティグルに拭き付けてきたティッタによって、中断させられた。
「ティグル様!口元にジャムがついてますよ」
「こら、よせ。ティッタ。ガイさんが見てるだろ?」
そんな光景を見て、凱は思わず漏らし笑いをしそうになった。しばらく、ティッタの攻撃とティグルの応戦を見守ることにした。
凱の視線を気にしているのか、ティグルはなんだか恥ずかしくなった。
「そ、それにしても、狩りをするにはいい日だな。ティッタ」
ティグルは無理矢理誤魔化した。これ以上、ティッタのおもちゃにされたくない。
こういう時、女は男をすぐ子ども扱いしたがる。口元にジャムを残したままという絶好の材料を与えたティグルに非があるわけだが――
「やっといつものティグル様に戻ってくださいましたね」
「あ……いつもの俺と違っていたか?」
「いつものティグル様なら、狩りをするにはいい日だ。ぐらいのことは仰るから……」
ティッタの言葉は、昼寝と狩りを趣味とするティグルがいつも出る口癖だ。
「え……」
自覚していなかったことを指摘され、ティグルは浮かない顔をした。
凱には、やっとティグルの心が抱いているものを理解できた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ティグルヴルムド卿」
しばらく沈黙が続いたために、凱はくすんだ赤い若者に声を掛けた。
「すみませんガイさん、見苦しいところを見せてしまって……あと、長くて呼びにくかったら、俺の事はティグルでいいです」
改めて紹介する。
そう凱に自分の愛称を許す少年、ティグルヴルムド=ヴォルンという。
凱の見たところ、彼は年相応の普通の少年となんら変わりはない。いや、普通を遥かに超えた、勇気ある少年だ。ディナントの戦いから始まった、常ならざる運命に翻弄されながらも、ティグルは弓一つで領民を守る為に戦ってきた。
だから、凱はこの少年の事を尊敬する貴族として、アルサスを守り抜いた戦友として、ティッタが慕う心優しき領主として、知ることが出来たことを誇りに思っている。
少年が自分から口を開くまで、青年は無理に話を聞き出そうとは思わなかった。
「あの、ガイさん」
ティグルが黙り込んでいたのは、そんなに長いことではない。だが、なぜか、この場に居合わせていた全員にとって長く感じられていた。
「嘘って、いけないことですよね」
「ウソ……つきたいのか?」
「い、いえ!つきたくないです!」
「なら別にいいんじゃないか?」
「え……」
ティッタもいつしか凱の言葉を聞き入っていた。
「ウソって、いっぱいあるんだよな。つきたくないウソ。つかなければならないウソ。それも、自分の為じゃなくて、誰かのためのね。だったら、俺もいっぱいウソをついてるさ」
「「ガイ……さんも?」」
「ああ、そうさ」
凱は自分の左手につけている獅子篭手を見せてくれた。
「こんなこと言うのもみっともないけど、アルサス防衛戦の時……俺、怖かったんだ」
「怖いんですか?ガイさんでも?」
「ああ、怖いさ。やっぱり、実戦を重ねても、怖い」
ティグルとティッタは、信じられないという表情を浮かべて、凱を見上げた。一途に信じる強い想いが、その瞳にはめ込まれている。若者たちを安心させようと、凱は微笑みを浮かべた。
「そんな目で見るなよ。ティグル、ティッタ。ところで、勇気って何だと思う?」
勇気という意味は、なんとなく直感で理解していたが、いざ正面から問われると、言葉が出てこなくなる。
「怖い気持ちを恐れずに向かう心」
そうティグルが回答した。
「そうさ。勇気ってのは、怖い気持ちを乗り越える強い心の事さ。怖さを知らない奴に、勇気なんて必要ない。だから、決して勇者にはなれない」
最後の方はよくわからなかったが、「そっか……そうなんだ」と二人はつぶやいていた。
(ディナントの戦いの野営の時、マスハス卿も言っていたな。剣や槍を扱えることが、勇気の証明にならないって)
そんな皮肉を、思い出した。
「テナルディエ軍が明日、アルサスに迫ってくる。どうしても怖かった。」
「分かります。あたしも、ティグル様をずっと待ち続ける間は、ずっと怖かったです」
「そうだろうな」
凱はティッタに向けて深くうなずいた。今だ、凱が乗り越えられない強さを、この少女は既に乗り越えてきたのだ。
「ティッタは……俺の戦いをどう思った?」
出来るだけ優しい口調で凱は、ティッタに話しかけた。
アルサス防衛戦の時、多分ヴォルン邸の2階で彼女は見えていたはずだ。
人間を遥かに超えた、力を以て――
「……嬉しかったです。本当だったら、あたしたちとガイさんって、出会うはずがなかった。そして、なんだか心に灯がともったような感じがしました。みんなみんな、強くて優しいガイさんが大好きなんです」
「ありがとな。ティッタ……でも、俺自身、この力が怖いんだ」
ティッタにはとても信じられなかった。どんなに強い相手でも、凱はいつも恐れずに立ち向かっていった。そして、眩しいくらいの笑顔でみんなを安心させていた。
「二人とも、そんな目で見るなよ。ただ……俺自身というより、俺の心に住み着いている
獅子王が怖いんだ」
「それって……」
獅子王とは、ブリューヌやジスタートに出てくる、英雄譚等に出てくる伝説上の霊獣である。
数多の動物の頂点に立つ百獣の王である獅子をたたえて言う言葉。また、獅子のように勇ましい王。すなわち、勇者。
だが、かつて十の神々の文明を埋葬したとして、大陸の殆どでは凶兆となぞられている。
今でも、国家の要人を闇へ葬ったという歴史が語られているほど、ブリューヌとジスタートの神官達に、レグヌスは忌み嫌われている。
戦意高揚が、心の檻をこじ開けようとして、凱を凱でいられなくする。
故に、獅子王を孤独にする。
その時、孤独の寂しさに苛まれ、人肌の恋しさを求めて、いつか守るべき民すらも喰らうんじゃないか――
そう思わずにはいられない。
だから――
「俺を信じてくれているアルサスの人たちの為にも、そういう弱音は吐けない、その人の前では、俺は勇者でなければならない。普通の人を超える力を持つものとして」
やがて、凱は少し自嘲気味に言葉を続ける。
「でも、俺は……いつか、自分が
獅子王に立ち戻ってしまうんじゃないか……テナルディエ軍のように、いつか民を虐げる存在になるんじゃないか……そう思うと、怖いんだ」「そんなことはありません!」
突然声を荒げて立ち上がったティグルに、凱とティッタは驚いた。
「俺には、ガイさんの抱えている怖さや、昔、何があったかなんて……知りません。でも、現にアルサスを……ティッタを……領民を守ってくれたじゃないですか!ガイさんは……ガイさんは……不殺を貫く勇者じゃないですか!非道なテナルディエ軍とは違う!」
何気なくティグルの口からでた言葉。それを聞いた凱とティッタは目を丸くした。ただ、凱にとって、それはティグルからの叱咤激励のように感じた。
「それ比べて……俺は……俺は……」
「ティグル?」
「結局、みんなに助けられて、それ以上に……自分の無力を痛感しました。アルサスは兵を集めようとすれば、せいぜい百人程度。対してテナルディエ公爵は良くて1万、最悪は3万……昨日の宴で、ガイさんの勇戦を聞いて思いました。結局は、『ああ、俺はガイさんみたいになれない』と分かっちゃって……エレンと隣で戦ってみて、彼女の凄さを知って……ティッタには怖い思いをたくさんさせて……俺には何もできなくて……」
地面がいつしか濡れていた。見上げると、ティグルは双眸に滂沱の涙を流していた。
ティグルとて、外つ国とはいえジスタートの兵を借りてアルサスへ戻ってきた。エレンの力を借りて、リムの力を借りて、みんなの力を借りて、テナルディエ軍を撃退できた。
実の所、ティグル自身は、少しも勝ったとは思えない。
勝利したのは、ジスタートで、実際に民を……ティッタを守ったのは、シシオウ=ガイという青年だ。
俺は……民に何ができたんだ?
自分だって、逃亡寸前の、ザイアンが駆る飛竜を穿ち、貫いた。だが、それは黒き弓の力。エレンのように、竜具を手足のように操れるようでもなく。自分でも弓の全容を知らない故、自分自身の力とは言えない。最初は、この弓の力があればきっと、なんて思っていたが、結局はただの強がりだと理解して。
悔しくて、悔しくて、自分がいかに矮小な存在かが理解できた。
俺には、戦う才能がない。勇気がない。
それをわかってしまうのが、怖かった。
「ずっと昔、父上と王宮に言ったとき、弓が取り柄だと知られたら、多くの人に笑われました。ディナントの戦いの前、ザイアンにも笑われました。『弓しか使えない分際で……弓は白人の前に出れない、臆病者の武器だ』って、だって、実際そうじゃないですか。これからテナルディエ公爵と戦うって時に……こんなに震えてる」
見れば、ティグルの腕が小刻みに震えていた。
情けないくらいに、ティグルは悔し涙を流していた。多分、ティグルは本心をさらけ出している。
朝からどこか、ティグルは浮かない顔をしていた。ティッタにはそう見えていた。
少し、凱は混乱した。ティッタもだ。
ウソから始まった彼らの会話は、いつしか軌条変更していたのではないか?そう思わずにはいられない。
それでも……
一つ一つ込められたティグルの想い。そして、それを包み隠さずに本気で話してくれる気持ち。ティグルには申し訳ないが、凱はなんだか嬉しかった。
「話は戻るけど、俺は、嘘をたくさんついてるさ。みんなが俺を勇者にしてくれたから、俺を信じてくれてる人たちを……誰も不安にさせたくないんだ。みんなの前で、俺は俺でなくちゃならない……みんなが俺を勇者と信じてくれていることを……人を超える力を持つものとして」
少し、ティグルは混乱した。聞けばどこか矛盾が生じているようにも聞こえる気がしたのだ。ただ、それを理解できる明晰な思考を持ち合わせているほど、ティグルはまだ大人ではない。
それでも、凱の込めた勇気という言葉に込めた想い。そして、包み隠さず話してくれる凱の気持ちには、ティグルとしても、ティッタとしても嬉しかった。
(ティグル様……ずっと気を張り詰めていたから……お屋敷でも一度2期に上がって降りてきた時には、ひどくさえなっているように見えた……)
ティグルも、知らず知らずのうちにウソをついていた。本当は弱音を吐きたかったはずだ。
貴族としての責務がティグルを支えるものであり、そして、縛り付けるものであったからだ。
領民を、ティッタを、不安にさせたくないから、その人たちの前でずっと、笑顔を振りまいていて――
「ティグル。勇者は何を対価に動くと思う?」
「それは……」
ティグルは、自分の領地を対価にして、エレンの力を借りた。それは分かる。一公国を治める立場なら、領民と兵に報いる為には目に見える対価が必要だからだ。
では、凱は何を対価に、今回の戦いに力を貸してくれたんだろう?
「簡単さ。ただ心から「助けて」って、一言言ってくれたから。だから、俺はアルサスの人たちを守る為に力を振るった。自分の怖い気持ちにウソまでついて」
「……ガイさん!」
ティグルの心は震えた。
自分とティッタだけは、どんな時でも、何があっても、ティグルの味方だと伝えたいのが分かったからだ。それが、ティグルの胸を熱い想いで満たしていた。
思えば、凱もなんだか恥ずかしくなった。あまりにも、素の自分を出しすぎたのではないか?もう少し、大人として気の利いた言葉が選べなかったものかと――
「ウソも悪くない時があると説明するのに、ウソをつかないわけにはいかないってのも、おかしい話だよな」
凱がそういうと、ティグルは再び空を見上げた。天上に浮かぶ太陽の輝きに背を押されたかのように、ティグルはティッタに語り始めた。
「ティッタ。俺はこれからみんなに、ティッタにもいっぱいウソをつく。自分の為ではなく、みんなの為に、ティッタの為に」
「はい!ティグル様のウソは、誰かの為のウソだってことを、あたしは知ってます!」
眩しい空を見上げながら、ティグルがいかなる決意をしたのか、この時、凱もティッタも知る由はない。
そして、この瞬間こそが、『英雄へ至る伝説……そして勇者から紡がれる神話へ』の始まりであり、この輝きに満ちたアルサスこそが始まりの地であったことも……
『数刻前・中心都市セレスタ・神殿前』
話は少し巻き戻る。
宴を終えた翌日の朝から、ティグル達は町の復興に向けての作業で忙殺していた。
昨日、あれほどの惨劇にも関わらず、セレスタの住民に死者が出なかったのは不幸中の幸いだった。
事情はともあれ、ティグルヴルムド=ヴォルンはアルサスへの帰還を果たした。
だが、テナルディエ公爵のアルサス侵攻については、ティグルにとって到底納得できるものではない。領土をめぐる攻防で、負傷者まで出ているのだから。
ティグルの今後を決めるよう声を掛けたエレンは神殿へ向かい、リムに今後の予定を伝える。彼女らが率いてきた兵は、町の空き家や、神殿の内部で寝泊まりしている。
「選抜した兵はお前に任せる。国王を黙らせたらすぐ戻ってくる。それまで頼むぞ」
「エレオノーラ様は、随分と彼を信頼されているのですね?」
「お前もそうだと思ったが……ただ」
「ただ?」
「やはり、あの男……ガイの姿勢は気に入らない」
それに関しては、リムも概ね同じ意見を持っていた。
不殺。殺さず。奪わない。
個に対して全体を優先しなければならない立場のエレンにとって、凱の心情は理解できるものではない。
テナルディエ兵を延命させたことは、非常に危険な行為だ。一軍を率いる将として、結果的には味方や仲間を危険に晒す可能性は見過ごすことなど出来ない。もし、助けた敵が再び自分の命を狙うか分からない。
ジスタート軍が到着するまで、凱の撃破数は見積もって、テナルディエ軍全体の約3分の1.結果として、モルザイム平原で迎え撃った時は、当初は3倍と推測していた数字が2倍に収まった。
本来なら、自軍が有利になり、敵軍が不利になるという、喜ばしい事態のはずだった。
しかし、凱の削り取った数字の正体は、全て殺されずに倒された敵兵なのだ。全員捕虜にすることなど当然できず、首をはねるにも手間がかかる。結局彼らに対して逃がすという選択しかとれない。
つまり、再び相手に剣を持たせる機会を与えてしまったのだ。
これでは、挑んできた敵に敬意を払い、勇敢に戦って散っていった者が報われないではないか。侮辱以外の何物でもない。
自分も相手も守りたいなんていう我儘は戦場では通用しない。
殺さないという事は、当然といっていいほど
損害を負うのである。一公主であるエレンが、凱を非難するのも当然と言える。
どちらにしても、凱やエレンにしても、「相手に未来を与える」という点は一緒である。
「私は、あの男を見損なうべきなのだろうか」
正直、エレンには凱への評価に悩んでいた。
不殺主義の絶対条件は、まず相手より圧倒的に強いこと。
相手に選択肢を与えることができ、常に自分が優位に立っていないと出来ないからだ。
でなければ自分が殺されて終わりである。
表面的な凱の強さを、歴戦の戦士としても優秀なエレンだからこそ分かる。ただ、強いから殺さないという矛盾だけは分からない。
「ともかく、あいつの事は取りあえず忘れよう。警戒したところで何も始まらない」
そうなのだ。これから戦姫たる自分は、仕える王に対して戦いの正当性を主張しなければならない。
今回において王は、承認を得ていないエレンの独断専行と見なしている。ティグルを助ける為に力を貸してくれた兵や、ライトメリッツに残っている兵、領民達にも危機に見舞われる。
エレンには自国の民を守る義務がある。その為、今一度王都へ向かい、正式に参戦の許可をもらわなければならない。
「リム。ティグルの戦う理由を答えろ」
「第一に領民の安全。テナルディエ公爵の非道な行いにふさわしい処罰を与える事。彼に賠償金を支払わせること。今後の内乱における中立の立場を維持。この4点です」
「そうだ。ティグルは戦う理由をちゃんと主張している」
エレンのその言葉は、リムに不思議な沈黙をもたらした。
無論、危険を顧みず、戦いの渦中に身を置いたライトメリッツの兵達にとって、気持ちは一つである。
だが、本格的にブリューヌの内乱へ自分たちが赴くことは、『ライトメリッツの防衛戦』からの逸脱を意味している。
それは、自分たちの戦いの意義を、あらためて考えるための……沈黙だった。
NEXT
第8話『戦姫集う王都~風姫の新たなる挑戦』
『ジスタート王国・王都シレジア・執務室』
ヴィクトール=アルトゥール=ヴォルク=エステス=ツァー=ジスタートは悩んでいた。
ライトメリッツによる突然のブリューヌの内乱へ介入するという突発的な事態に、先日のディナント戦における講和会議は中断されることとなった。
延期によって得た貴重な時間を敗戦国のブリューヌに対して、つけ入る準備に使える為、本来なら、これは喜ばしい事態であったはずだ。
しかし、先ほどの報告によって、ブリューヌ内乱の中心人物。エレオノーラが介入した相手をテナルディエ公爵と知ってしまった。
ヴィクトールは自分に問いかける。
ブリューヌとジスタートの再戦の危険性は確かにある。だが、ジスタートが滅びるかもしれないという危機はさらに絶大ではないか?
――相手がましてや、『まつろわぬ民の末裔』のテナルディエ家なら――
「正直、余にはどうしたらいいのか分からん。エレオノーラがいう事も本当という確証はあるわけではないし……」
「陛下、今、ジスタートが平和と繁栄を享受できるのは、隣人たるブリューヌのおかげと……私は考えております。」
王が相談を持ち掛けた相手は、ユージェン=シェヴァ―リンという人物だ。
過去にブリューヌとの外交を担当しただけあって、その考え方は他の官僚達とも一線を画している。
隣人という言葉を強調して放つには、ユージェンがこれまで育まれた『国交』そのものが起因している。
ブリューヌ国王たるファーロン以外の王は野心家だ。ジスタートがそれほど戦禍に怯えすに済んでいるのは、ファーロン自身の外交力によるものだ。少なくとも、ユージェンはそう思っている。
「もしも、ジスタートに直接的な危機が近づいているわけではないとしても、我々は彼らに対して、力の限り、内乱を収めて、恩を返すべく努力する義務があると思うのです」
逡巡の極致にある王に向かって、相談をもちかけられたユージェンは王に力説した。しかも、語り合っているうちに、さらにある危険性の存在を気づかされた。
(もしも、ジスタートへの直接的な危機が、既に近づいているとしたら?)
ふいによみがえる、数十年前の――『ヴァルガ大河攻防戦』
かつての機械文明がジスタートを攻め立てたように、『影』に潜み活動しているとすれば?
だが、ユージェンの思惑とは裏腹に、ヴィクトール王の気持ちも既に固まっていた。
ただ、王としての軌条からはずれた事が一度としてなかった自分の生涯に、大きな脱輪の可能性が待っているとは信じられなかった。
不思議なことに、ユージェンの言葉を、自分の良心であるかのように、ヴィクトールは感じた。
(余は、もしかしたら戦姫共の悪影響を受けてしまったのだろうか?)
そう思いつつも、とある神殿で暮らす嫡男や、血を分けた多くの家族たちを思い出す。
ジスタートの行く末が脱輪ではなく、せめて分岐点の延長上であるほうが望ましい……とさえ考えてしまう。
ともあれ、ヴィクトールはブリューヌ内乱における議題執行を決意し、ユージェンは全面的な支援を約束した。
『ジスタート王国・王都シレジア・謁見の間』
綺羅絢爛のような作りの謁見の間には、既に一人の王と3人の戦姫が到着していた。
凍漣の雪姫、オルミュッツ公国公主、リュドミラ=ルリエ。
雷禍の閃姫、ルヴーシュ公国公主、エリザヴェータ=フォミナ。
虚影の幻姫、オステローデ公国公主、ヴァレンティナ=グリンカ=エステス。
以上の関係者は、ヴィクトール王と共に公判を担当することとなった。
王の耳に届けられた、エレオノーラに対する書文は次の通りである。
――1つ。戦姫の独断による他国への進軍。――
――2つ。ブリューヌの領土を交戦にて占領。――
以上の状文が、有罪か無罪かを、当事者のエレオノーラに言い渡す為、エレオノーラは王都シレジアへ出廷している。
リュドミラ、エリザヴェータ、ヴァレンティナには、ブリューヌの貴族と交流がある。ブリューヌの双璧を成す貴族の片方か、あるいは両方。
ヴァレンティナを除けば、二人の戦姫の眼光は、どこか鋭いままである。
やがて、高級感漂う赤い絨毯の上を歩いてくる『降魔の斬輝』の主が、王の前に膝をついて頭を垂れた。
静粛の時間。
間もなく、エレオノーラ=ヴィルターリアの公判が始まる。
「表を上げよ」国王の発声を切り目にして、書記官は、一言一句違えることなく、ユージェンは国王の発言と戦姫の弁明を羊紙に記していく。その過程と流れを的確に。
これが、今回の会議録となり、出席者と当事者の討議による結果を随時残しておく事となる。
そして、ヴィクトールはエレオノーラの申し出を促し、形だけは聞き入れた。ただ、内容は眉を潜めるものなのだが。
「なるほど、それがそなたの申し出というわけか」
ヴィクトール王の淀んだ視線など、受け流しながら、平然とエレンは訴える。
口実は既に出来上がっている。リムと事前に口合わせを行っていたからだ。
何よりも「民を守る為に」というティグルの正当性を認めてほしいという気持ちが、彼女を確固たるものにしたのだろう。
「テナルディエ公爵は他人の領土を無法に侵害しようとし、いたずらに内乱を激化させる気配は濃厚でした。それに、理はヴォルン伯爵にこそ……」
ヴィクトール王には、その先の説明を聞くつもりなど毛頭なかった。聞くつもりがないのは、大部分の官僚達も同様である。
「結局そなたのやろうとしたことは、ブリューヌへの侵略なのだ!ともすれば、ジスタートとブリューヌが刃を交えることになるのだぞ!」
王からの叱責はまだいい。エレンにとって、矮小な王がそのように言いのけることなど想定内だ。
「他国の……それも一介の貴族にすぎない連中の面倒まで見る必要があるか」等――
「ディナントの戦では莫大な戦費がかかってるんだ」等――
背後や側面で囀る官僚達。エレンは思わず舌打ちをしそうになった。ジスタートの国益を第一に考える事は間違っていない。言い分は理解できるが、言い方は気に入らない。
卑しい利益欲が正論である故に、言い返せない歯がゆさが、エレンを罵る。
「恐れながら陛下に申し上げます」
官僚達の相次ぐ横やりに、一人の女性がエレンの隣に進み出た。手に持つ不思議な作りの錫杖を、ついた膝の前に置いて。
「ソフィーヤ=オベルタスか」
「列挙・羅列・枚挙・前例・外つ国を招き入れて国家の覇権を争った過去の事象に、適切な言葉を選ぶ暇はありません」
そして、ソフィーヤは柔舌による援護口撃を開始した。態度はあくまで控えめを心掛けて柔らかい。心にある根底の芯を捕えるように、王へ語り掛けた。
「ヴォルン伯爵の義に応じ、自領の民を護らんとする要請にエレオノーラ姫が応じたのは、戦姫たる人格の美路に立った故でしょう」
「綺麗ごとよな」
冷たく言い放たれる王と官僚の悪態。だが、それで引き下がるようなら戦姫は務まらない。
「ここでエレオノーラ姫を処罰すれば、他国に先んじたという我が国の優位を放棄することとなります。周辺諸国も内乱に乗じてブリューヌに介入するでしょう」
情と理という二段構えのソフィーヤの弁護に、エレンは安堵と感服の息をついた。
反発しづらい雰囲気の言葉選び。耳の奥へ染み込んでいく声帯。彼女は舌戦の反撃を抑えるツボを知っている。
年老いた王は、深い溜息をついて額に手を当てた。ヴィクトールが悪態をついたときだった。ソフィーヤは、深くのめり込んでくれた王の手応えを感じた。
「ここね」とソフィーヤは思った。
「我が国への小競り合いの遠因が、ブリューヌの内乱によるものだとしたら、これから先、ライトメリッツ、オルミュッツ、……いえ、我が国すべてに戦火が訪れるのは必須。だからこそ、エレオノーラの介入を承認するべきではないのでしょうか?」
一国の王として、ジスタートが戦火に巻き込まれることは見過ごせる事態ではない。一押ししたソフィーヤの進言。彼女が王に与えた効果は絶大だった。
ソフィーヤは決して誇張して言っているわけではない。ブリューヌの隣国ザクスタン、ムオジネル、アスヴァールは、虎視眈々と肥沃なブリューヌを狙っている。
この三国の現在の王は、いずれも野心家だ。思惑は違えど、目指すべき獲物は共有している。飢狼の中に放り込まれたようなブリューヌの配置は、必ずジスタートへ影響を与えている。誰しも、そんな好戦国とは国境を接したくないと思っている。
「エレオノーラに一任せよ。そう言いたいのか」
「今、ブリューヌは覇を定める状況で、無意味に外敵を増やす真似はしたくないでしょう。必ずやこちらの真意を確かめに来るはず。もし、それすらもせずに攻めてくるのであれば、私が彼らを歓迎いたしましょう」
戦姫という立場の人物から出た発言なだけに、官僚たちもその重さを吟味せざるを得ない。だが、柔らかな姿勢の彼女を後押しするように発言を求めたのは、オステローデ公国の戦姫ヴァレンティナだった。
「陛下。恐れながら進言申し上げます」
「ヴァレンティナ=グリンカ=エステスか。申してみよ」
「陛下のお許しを得て、申し上げます」
ソフィーヤの顔に、無色の衝撃が広がる。この期に及んで一体何を進言する気だ?
原則として王から命令を下された場合、王都へ出廷しなければならない。ただ、重い病気等による公主の事情、公国に著しい損害を生じる場合、それら一定のやむを得ない理由がある場合は出廷を辞退できる。
以上の理由がある為に、レグニーツァ公国公主のアレクサンドラ=アルシャーヴィンはこの場にいない。
もっとも、ブレスト公国公主のオルガ=タムは行方不明なのだが――
なのに、普段病弱な為に公国からあまり出ないことで知られているヴァレンティナがいる。もし、ここが謁見の間でなければ、驚きを隠せずにしたい。我慢したくない。
ともかく、そんな金色の髪の彼女の心情を承知なのか、ヴァレンティナは司法席越しからソフィーヤを冷笑するように睨めつけた。この美女達の相対する光景こそ、竜具によって選ばれた戦姫の歴史の具現化、いわば光と影であった。
「ブリューヌへの介入に私も異存ありません。むしろ、火中の栗はライトメリッツに拾わせるべきかと――」
流石にこの申し出には、ソフィーヤも形の良い眉を寄せた。
彼女の意見は、要約するとこうだ。――あまりブリューヌに肩入れすると、万が一に他の公国まで巻き込まれる恐れがある――
エレオノーラの申し出とソフィーヤの進言を聞く限り、確かな大義名分があるように思える。邪魔はしないから、そっちはそっちでやってくれという意見を、いけしゃあしゃあと言ってのけた。
それに、ヴァレンティナには思惑があった。
最悪、ブリューヌの内乱で状況がこじれても、ヴァレンティナ自らが進み出て、状況を押さえつけてしまえばよい。
例えば、エレオノーラが内乱で何かしくじったとしても、現状では外界の脅威のないオステローデを派遣して利用させるという手も取れる。
王に直接進言するのではない。幾重にも重鎮を挟ませて、十分に恩を着せることもできる。
他の戦姫介入の可能性もあるが、ルヴーシュとレグニーツァはアスヴァールからの侵領に警戒せざるを得ない。この2国の動きさえ把握できていれば、とりあえず心配はない。オルミュッツ、ポリーシャは出方次第だろう。ブレストは取りあえず無視してもよい。
――獅子身中の虫たる彼女の、本音はそこにあった――
ヴァレンティナがそんなことを考えていること露知らず。
ガヌロン家を交易相手としている彼女だが、「中立」という立場をしっかりと証明して見せた。だが、流石にこの発言には謁見の間がざわめいていく。むしろ、彼女はその状況を楽しんでいるように、ソフィーヤとエレオノーラにはそう見えていた。
他の戦姫達もヴァレンティナの言葉に便乗を開始した。
「我が公国は現状として、対中東勢力で警戒中です」
リュドミラ=ルリエの意見はこうだ。――ムオジネルに手を焼いているから、余所様の喧嘩に手を出すべきではない――
因縁浅からぬ、ムオジネルとの子競り合いを続いていた時期があった。現在こそ、ムオジネル軍は沈静化しているが、いつまた国境を脅かすか分からない。
それに、青い髪の少女の家系「ルリエ家」はテナルディエ公爵と80年に渡る付き合いがある。もし、テナルディエ公爵がオルミュッツ公国に支援を要請してきて、内乱を長期化させるようなら、多額の予算と資材を投入しなければならなくなる。介入には反対の立場を示した。
それに、ムオジネルは物量に任せて攻めてくるほど、遠征に関して手際が良い。最悪、オルミュッツと隣接するライトメリッツ、ポリーシャとも連合する必要性も出てくる。ブリューヌの内乱にかまけて不備の事態は避けたいところだ。
「ブリューヌから得られる利益は、我が国にも開放されます。経済的な結びを強固すべきです」
エリザヴェータの意見はこうだ。――もっと積極的に関与すべきではないかと――
実際、ムオジネル、アスヴァール、ザクスタンは、「切り取ったブリューヌがもらたすであろう利益、資源に狙点を定めている。だからこそ、列強3国は水面下での活動をしている。
事実、彼女の耳には、拠点防衛の要となるナヴァール騎士団の存在が入っている。アスヴァールとザクスタンの両国は、ブリューヌの情勢をさぐる為に小競り合いを続けている。
それに、支援するなら燃料や兵糧程度で良いと思われる。それだけなら、エリザヴェータは声だけを使えば済む。さらに言えば、他の周辺国より情勢を探る為、現地人を向こうに送り込みたいところだ。これは戦況次第なので現段階では判断しかねる。
彼女の思惑としては、テナルディエとガヌロンが別に共倒れしても、そのヴォルンとかいう貴族が勝者となるならば、戦況次第でルヴーシュと友好を繋いでしまえばよい。勝者は必ずともブリューヌの双璧を成す貴族とは限らないのだ。エレオノーラとは過去の確執もある彼女だが、なによりルヴーシュ公国の民を富ませたいという強い想いが、自分の意見を大きく加速させたのかもしれない。
この時、エレンは複雑な心情で紅い髪の少女の「異彩虹瞳」を見据えた。
(どうも意申が乱立しているな)
ヴィクトールは頭を抱えた。今後のジスタートを左右する瞬間だ。十分に側近と議論をして決を採りたい。ただ、戦姫の独断行動に振り回されるのに時間を割きたくないのもまた事実だ。
深い溜息を一つだけついて、年老いた王は声を発した。
「エレオノーラ=ヴィルターリア。もし、ヴォルン伯爵とやらから報酬を得た場合、その中に領土を譲り受ける……ということは、ないのだな?」
エレンが勢力を増すかもしれない。とりあえず、それだけ確認をしなければならない。
当然、エレンには「結局それか」と半ば捨て鉢な表情を浮かべていた。
「もし、領土を譲られたなら、一欠けらの大地も残さず陛下に献上いたしましょう。この場にいる全員が証人でございます」
今、現状はどう動くか分からない。ひとまず、戦姫の勢力拡大なしと判明しただけ、よしとしよう。
「……宜しい。ヴォルン伯爵の件、そなたに任せよう」
やっと裁定が下ると、エレンはほっと息をついた。
ブリューヌで起こるだろう内乱に介入する気はいまのところ、国王にはない。――諸卿はジスタートの国益を第一とし、軽挙妄動は慎むようにせよ――と、エレンに裁定を言い渡して、今回における判廷は幕を下ろした。そもそも、「国益を第一」という部分を主根に置いた理由がある。
どのような形であれ、ジスタートと国交を継続ならあえて勝利者を問わない。都合のよい解釈をさせる為、濁れた言い方をした。
まず、ヴィクトールは国内に向けて具体的な成果を国民に示さなければならない。ブリューヌの情勢に関して、介入する、介入しないにかかわらずだ。
例えば傍観を決め込み、他国に先んじられて、今後のジスタートに損害が被るなら、王としての責務を問われるのだ。
(エレオノーラに言い渡した地点で考えておかなくてはならんな)
どのあたりで幕を引くかを。まずは半年を目途に様子を見る、次第と状況によっては撤退させなければならない。
国益の傷口が広くなる前に、口を挟む必要も出てくるだろう。
ブリューヌ内乱介入の件については、国営直属評議会の監査本部が設立されることとなった。
ジスタートが他国に対し、ブリューヌへ先んじたという優位性と、内乱の前兆期を逃すべきではない。エレオノーラとソフィーヤがその事を主張したのだが、どうもこのあたりが妥協の範囲らしい。ヴィクトール王が国益を第一という方針を選んだ以上、それ以上の決議を覆す事は出来なかった。
NEXT
第9話『戦姫の所作~竜具を介して心に問う』
『ブリューヌ・モルザイム平原荒地』
テナルディエ軍の敗残兵は、暁の落日を背にしてモルザイム平原の荒野を歩いていく。
足取りの悪さが戦果をものがたり、統率の取れない行軍こそ指揮官の不在を語っている。
その敗残兵の集団の正体は、凱によって戦闘力を奪われた、哀れなテナルディエ兵であった。
略奪の限りを尽くそうと、欲望の限りに暴れる予定だった連中は、逃亡する民の姿と遜色なかった。
古くからの名門。栄華を誇ったテナルディエ家の威光。千と揃えた騎士の威圧。それらは完璧に砕かれたのだ。
「あの黄金の騎士に短剣で腕を斬られたかと思ったんだが……なんともなかったんだ」
「オレもだ。なんか不思議な短剣だったな。背中を斬られたかと思ったんだが、打撲以外なんにもなかった」
「ああ……盾や甲冑、剣までも紙切れのように切断されたのに……」
「なぜなんだ?黄金の騎士に……命を奪われた奴が一人もいないなんて……」
「……殺されるかと思った」
「一体……何なのだ?あの黄金の騎士は……」
「て……天罰かもしれない。あれはワルフラーンが人の姿になって、俺達に罰を与えたんだ!」
ワルフラーンとは、ムオジネルの国旗に象徴される緋地に『角突き黄金兜と金剣』を携えた戦神である。
ジスタート介入までの間、アルサスを防衛した黄金の騎士を形容するならば、それが最も適切かもしれない。
確かに、黄金の角突き兜(ホーンクラウンの事)を付けていた。
確かに、黄金の剣(ただし、短剣。ウィルナイフ『不殺』の意志による黄金発光)を携えていた。
確かに、騎兵の能力を封じ、歩兵の大軍という利点を逆手にとり、人智を超えた身体能力で、我が軍を翻弄した。
まさに、戦いの神ワルフラーンだ。
もし、スティードが今回の遠征に従軍していたなら、冷静にこう分析していただろう。「なぜ、あれほどの男が野心をもたず、何を対価にして辺境の領民に力を貸し与えたのだ?」と――
それだけではない。
銀の髪の戦姫が、地竜を大気ごと薙ぎ払った。
赤い髪の若者が、飛竜を穿ち、貫いた。
この二つの人智を超越した事実が、戦神ワルフラーンに対する背信行為を罪深く意識させた。
今はザイアンも捕虜としてアルサスに連行されている。これから彼らが待つものは、テナルディエ公爵による苛烈な懲罰だ。
――その事実が、より一層彼らの帰還の足取りを重くさせた。――
『ジスタート・王宮庭園・中央噴水前』
ライトメリッツ公主のエレオノーラ=ヴィルターリア――エレンが、同じ戦姫であるソフィーヤ=オベルタス――ソフィーをともなって、王宮庭園に訪れたのは、謁見の閉幕から約半刻の事である。
ここを選んだ理由はある。
天を仰ぐような魚が水を定位置に噴き上げて薄い水のカーテンを作り、吹き抜けの天井から差し伸べる太陽の光が虹を彩り、人の姿を隠してくれる。二重構造の防視機能と、水の音が生み出す防諜設備がある為、密会としては手軽に利用されている。ソフィーから後で教えられることとなるが、この噴水設備はいわば、「
遮蔽建造物」と言うらしい。
ソフィーにとって、エレンは戦姫になったときからの友人だ。先ほど別れたミラもそう。心の友として二人に友愛を注ぐ共通の友人として、今後の二人の行く末が心配でならないはずだ。
だから、ソフィーはブリューヌとジスタートに関する情報を、エレンに全て話そうと決意した。
早速エレンは深々と頭を下げた。
「ありがとうソフィー。本来なら私が始末をつけなければならないところを、口添えしてくれて申し訳ない」
公国を敵視しているのか、それとも
戦姫に敵対しているのか分からない。あるいはその両方かもしれない。
ジスタートの王宮に足を踏み入れた時、既にわかっていたことだ。あまねく謀略が渦を巻いていたことに。だからこそ、エレンはソフィーの弁護に感謝の意を示した。
「ミラの言う通り、ぼろ程度ですまなかったと思うわ。もちろん、私もね」
エレンの顔に隠しきれない驚きの色が浮かんだ。だが、ソフィーはエレンを驚かせる為に、このような自嘲ぎみな事を言ったわけではない。
二人とも用意した果汁水を一口飲み、ソフィーは前置き無く切り出した。
「エリザヴェータは……テナルディエ公爵、ガヌロン公爵と深い交流があるわ。ただし、儀礼上の付き合いね」
僅かに眉を潜ませるエレンだが、次を促した。風姫は
異彩虹瞳の戦姫に対しての個人的感情を、この場では押し殺した。
「ヴァレンティナに関しては……ごめんなさい。今は何もわかっていないの。彼女の事は調べてみるわ」
虚影の幻姫は未だに謎が多い。ソフィーが警戒しているためなのか、彼女はソフィーを警戒している。肝心な出所の尻尾を掴ませないあたり、流石は女狐といったところだろう。
「オルガは行方不明。竜具だけ持ち出して、――旅に出る――と書き残して姿を消したわ」
「行方不明?」
思わぬ単語に、エレンはオウム返しのようにつぶやいた。だが、驚いている暇はない。ブレストの公主の現状が分かっただけでも良しとしよう。
そして、エレンは口調を緩めて、最も気にしている戦姫の状況を聞いた。
「……サーシャの具合は相変わらずか」
「良くはなっていないわ。でも悪くなってもいないみたいね。わたくしがジスタートへ来る直前の話だけど」
エレンを安心させる為とはいえ、このような言い方しかできないソフィーは、自分を情けなく思った。
「当面警戒すべきはリュドミラとエリザヴェータだな」
エリザヴェータの公国はリュドミラの公国と違い、ライトメリッツから離れている。厳警戒を取るべき相手は、エレンの公国と隣接しているオルミュッツ公国だ。
警戒すべき戦姫の大将を絞り込めただけでも、エレンには大いに助かった。
「ソフィー。頼みたい事がある」
「戦姫以外に、ブリューヌの情勢に関わる人物を調べてほしいという事?」
「流石だ。実はあと二つ、調べてほしいことがある」
一つは、テナルディエ公爵の間で竜を使役できる者がいないか調べる事。
先日のモルザイム平原での戦いの内容をエレンは「地竜」・「飛竜」と交戦したことをソフィーに話した。実際飛竜の方はティグルの黒弓にて撃墜しているが、戦姫に匹敵するティグルの力を公に出来ないため、2頭ともエレンが打ち倒したことになっている。
「二つ目は……シシオウ=ガイ。この男を調べてほしい」
「シシオウ……ガ……イ?随分と変わった名前ね。できれば、理由を聞いてもいいかしら?」
エレンは事の顛末を出来るだけ詳細に話した。
獅子王凱。ある日、アルサスにふらりと現れて、民を護る為に尽力した青年。
ジスタート軍が介入するまでの間、たった一人で領民を守り抜き、ティグルと邂逅を果たした。
最初に凱と出会ったのがティッタだ。テナルディエ軍撃退後、ひと段落ついてからエレンは凱の事をティッタに聞こうとした。だが、過去や出身等のことについてはティッタも、リムも、ティグルも詳細に聞かされていない。
ただ、「凄く強い」「凄く速い」「凄い剣士」という風潮がアルサスに浸透していると……
あえてこの場では、「不殺」について話さなかった。個人的な感情が表に出てきそうで、押しとどめる自身がなかったからだ。
一騎当千や万不不当とは違う、彼の圧倒的な強さ。私たち戦姫達とは違う強さを、あの青年は持っている。
ひとつの公国を治める立場故か、時代の流れに聡いエレンだからこそ、はっきりと分かることがある。
――あの男が動けば……時代も動く――
強大な力を持つ存在は、時代という大気をうねらせる。そうなれば、当然民衆も大気の流れに巻き込まれ、術もなく時代の渦に飲み込まれる。
眠れる獅子の存在を信じるわけではないが、エレンはなぜかそう思わずにはいられなかった。
「あれほどの戦士なら、ブリューヌやジスタートで既に噂となっているだ。貴族や領主なら、大金を払ってでも抱え込みたいくらいに」
「そんなに凄い人なの?その……シシオウ=ガイってひとは」
「私の見立てでは、単純な戦力なら戦姫と同等かもしれん。私も断片的にしか耳にしていないから、私もここまでしか分からない」
戦姫と同等の力を持つという意味ならティグルも同じだ。正確には、彼の持つ黒き弓の力を指している。
ティグルに関してはエレンにとっての「捕虜」と、「雇い主」という立場が判明している為、自分に対しての「脅威」ではなく「同等、あるいは味方」として見ている。
だからこそ、立場の確定していない凱の行動がもたらす影響を、エレンは警戒しなければならない。
「戦姫と同等……若しくはそれ以上」
ソフィーは形の整った眉を潜めて、つぶやいた。たおやかな彼女もまた、眠れる獅子の存在に興味を持った。
「そういえば、エレン。今回の監査役は誰か知ってる?」
「二人の内の一人は、わたくし」と、ソフィーは自分に指さした。金色の美しい髪が微かに揺れる。
「あと一人はミラ……リュドミラよ」
エレオノーラとリュドミラの不仲を考慮してなのか、あえて青い髪の戦姫を愛称で呼ばなかった。
「ソフィーなら構わないが……リュドミラを監査になんか私は頼んだ覚えはない」
「エリザヴェータでは不適格だから仕方がないわ」
ソフィーの口から異彩虹瞳《ラズイーリス》が出た時、エレンの感情は負の方に傾いた。
監査役とは、今回のブリューヌ内乱における戦後処理の必要常設機関だ。
選任するにあたって、該当する人物としてエリザヴェータとリュドミラが候補に挙がった。結果、選任されたのはリュドミラの方だった。
公国上の位置関係もあって隣接する方が業務監査に支障のないものの、主な理由は極めて政治的過去の背景によるものだった。
過去に、エリザヴェータとエレンの間に貴族の着服問題が発生した。その着服問題の中心人物となったのはエリザヴェータ……彼女の父ロジオンであった。
その事件に対して、ソフィーも決して無関係ではない。横領と着服に際して被害を被った周辺貴族は、そろってヴィクトール王に告訴した。その王が実態調査を命じたのが、情報収集能力に長ける戦姫、ソフィーだった。
ロジオンの有罪が立証されると、ヴィクトール王は彼の領土に最も近いエレンに討伐命令を下した。その時、父の贖罪と処遇を任せてほしいと願い出たのがエリザヴェータだ。
結果、ロジオンは出廷に応じるどころか、ジスタートからの逃亡を図ろうとした。よって、エレンは彼を追跡、討ち果たして事件は終幕した。
ジスタート国の規定通りに従えば、一時的とはいえ、叛逆者の後見人となったエリザヴェータは監査役に不適役とされた。
リュドミラが選定されたのも、ルリエ家が代々ラヴィアスを受け継ぎ、戦姫の模範としてヴィクトール王への信頼を後押ししたのだろう。
こういう国益重視の考えを持つヴィクトールは実に用意周到であり、リュドミラには不仲故に聞き出せない事と、ソフィーには親密故に聞き出せる事での監査役を講じたのだ。
何かを思い出したのか、ソフィーはポンと両手を合わせて話題を変えた。
「そうだわ。エレン。サーシャから伝言を預かっているわ」
「伝言?」
アレクサンドラ=アルシャ―ヴィン。レグニーツァ公国公主の彼女は、エレンにとって多大な恩を受けた相手でもあり、リュドミラとの喧嘩の仲裁、(一度だけ実力行使)を引き受けていた相手でもある。
親友の彼女の言葉となると、二人の戦姫の絡む話題で硬化気味だったエレンは、少しだけ態度を軟化した。
『竜具を介して心に問え』
「竜具……を?」
それからソフィーは一言一句違えることなく続けた。
『例え竜具で心を触れ合えたとしても』
「……心を?」
ソフィーの口調は、まるでサーシャが傍らに立っているかのような錯覚さえ、エレンに覚えさせる。
『竜技に心を呑まれては意味がない』
「心を……呑まれる」
それからエレンは、ソフィーの語る言葉全てを、オウム返しのように繰り返した。一つ一つの言葉を、心に刻みつけるように。
2年近く前、アリファールに選ばれ戦姫になって間もない頃だ。サーシャ竜技の濫用を自戒せよと諭されたのを思い出す。
『戦士なら武具を。戦姫なら竜具を。これはあまねく万物に通ずる
理だ』
次々と繰り出される言葉は、なぜか自然とエレンの耳にしみ込んでいく。
――戦姫なら……竜具を交わす――
竜具を向ける相手。竜具を向ける時。竜具を向ける場所が分からない程、エレンはもう子供ではない。
エレンも、ミラも、ソフィーにも、それぞれの国があり、責務があり、使命がある。その為に衝突することがある。
それぞれが、それぞれの大義を背負って――
剣腕が卓越していても、未成熟だった心のままで感情に任せてぶつかり合う2年前の頃とはもう違うのだ。
意見の相違や、立場の見解から仕方なく敵対する戦姫も、過去に何度かあったらしい。そうした戦姫同士の激突事例は枚挙にいとまがない。
再びソフィーは口を開く。
『矜持とは違う、僕たち戦姫の「心」の所作なんだ』
「心の……所作……か」
エレンの視線はアリファールの美しい紅玉に移される。そのつぶやきに呼応するかのように、銀閃は軽やかな風を奏でた。
「これから、必要な時に竜具を交えていくエレンへの……叱咤激励だって言っていたわ」
金色の髪の親友の口を介して伝えられた言葉を心に刻み、エレンはふと自嘲気味の笑みを漏らした。
――そうか。サーシャには結局、全部分かっていたんだな……――
問うように自分を見るソフィーに気づき、エレンは静かに言った。
既にジスタート全公国にブリューヌ内乱の介入の報は浸透している。当然サーシャの耳にも届いている。
黒髪の戦姫もまた、ソフィーと同じように、親友たる二人の行く末の心配を捨てきれないのだろう。
「ソフィー」
「何かしら?エレン」
「2年前、竜技について私はサーシャに反論したことがある。『兵の一人でも死なせずにすめば、別に竜技を使ってもいいではないのか?』……と」
「なんて言われたの?」
「兵は君ではなく、竜具しか見ないようになるよ……と」
心の成長しきっていなかった当時のエレンは、竜技という超常の力を受け入れるのに戸惑いを覚えていた。それ故に、竜技という強大な力の使い方を具体的に思い描くことができなかった。
だが、今となっては素直にサーシャの言葉も理解できる。『兵の一人でも死なせない為に、たやすく竜技を振るい続ける』ことが、自分の望もうとしている未来をもたらすとは思えないから。
竜技という爪を振るい続けた結果がもたらす場所――同じ人間が死に絶えて――未来永劫禍根の残る世界に辿り着きたいとは思わない。
自分は『戦姫』ではなく、ただの『エレオノーラ』として、間違っている事は反論し、正しいと信じるものは守りたい。
今はぼんやりとしか道が見えなくても、悩みと失敗を繰り返しながら手探りで道を進むしかない。今日や明日に答えが分からなくても、いつかは分かるかもしれないと信じて。
それから黙り込んだエレンに、ソフィーは優しく微笑んだ。
「わたくしも、多分サーシャも、――竜具を介して心に問う――ことに対して、誰もが明確な答えを持ち合わせていないと思うわ」
「……サーシャの言葉は、リュドミラにも伝えるのか?」
「ええ。それこそ、サーシャがわたくしにお願いした事だから」
再び、2年前の懐かしい思い出がよみがえる。
喧嘩だ。それも、常用化とも言っていいほどの――
何が面白くなかったのか、今となっては原因ですら思いだせない程の些細なものなのだろう。
だが、今は幼稚な振る舞いをしてきた頃とは違う。だからこそ、サーシャはこのような賢人じみた助言をしたのだろうか。エレンにはそう思わずにはいられない。
エレンは謁見の時のリュドミラを脳裏に描いた。
リュドミラ本人はブリューヌ介入に反対の意志を示した。だが、テナルディエ公爵には協力しないとは言っていない。
もし、テナルディエ公爵が何かしらの支援を要請して、オルミュッツ公国公主として、ルリエ家としてのあいつなら、案外やる気かもしれない。話し合いで済むことならば、謁見が終わりリュドミラと顔を合わせた時、既に決着を終えていたはずだ。
いずれにせよ、竜具を介して爪を咬み合ってみなければ、凍漣の
雪姫と銀閃の
風姫は先に進めない。
――サーシャ。もし、リュドミラと戦いを避けられなくなった時、私は、あいつの心に触れる事が出来るだろうか?――
そうエレンは自問して、ソフィーとの対談は終わった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
着なれた軍服に身を包み、エレンは出立の準備を整える。さらにその上を、顔を隠せる毛皮のマントと薄い麻布の服で覆う。
周囲の建造物とほぼ同じ色の麻布なら、それなりの
擬態彩色となるのだ。
防諜設備を備えた噴水前でエレンが話を切り出したことは、もちろん意味のないことではない。実はもう一つ理由がある。
用意した果汁水を自然に持ち上げて、噴水設備の死角部をグラスの光沢面で確認したところ、どうも数人の尾行集団が張り付いていたようだ。それに気づいたエレンは、あえてそいつらに聞かせるつもりでソフィーとの対談に臨んだ。
迂闊に周りを見回してしまえば余計に警戒させて、奴らの行方を掴めなくなる。こういう時、所在を掴んでさえいれば対処はそれほど難しくはない。結果、泳がせることにした。
(一体誰の差し金だ?それとも……まあいい。私を追い回す為にこき使われるとは、ご苦労な事だな)
この仕業はだれのものかは差し置いて――
エレンはこれ見よがしに、王宮の長大な廊下を幾重にも交わし、円柱の錯覚を巧みに利用しながら、尾行集団との鬼ごっこを満喫した。
そして、二手に分かれた集団を時間差で巻いてしまうと、彼ら追跡者達の慌てぶりを王宮の城壁から見下ろして楽しんだ。
「先日、ライトメリッツに紛れ込んだ暗殺者より楽しめたな……しかし」
ただ一つ、エレンに疑問符が浮かぶ。
「尾行集団……その割には動く人数が少なすぎる。テナルディエ直属の刺客ではないな。だとすると……諜報部の連中か、それとも……」
エレンは王宮門を抜けると、一般民を装って、走ってくる馬車に手を上げた。広大な王都シレジアでは誰もが有料の馬車で移動する。エレンは馬車に乗り込んだ。
動乱が、待っている。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
エレンと対談を終えて、ソフィーは王宮の長い廊下を一人で歩いていた。
「シシオウ=ガイ。エレンのいう事が本当なら、彼はかつて覇王と呼ばれたゼフィーリア女王のような存在」
戦姫たるエレンを言わしめて、あれほど警戒させなんてね。とも思わざるを得ない。
「眠れる獅子……まさかね」
眠れる獅子の逸話は、何も人物に限った話ではない。そのような国と偉人が歴史上、異国に実在していたからだ。
ソフィーは視線をうつぶせて、アスヴァール王国の歴史を思い出す。
大陸初の女王ゼフィーリア。
建国時代より何世代か後、アスヴァールはカディス王国という侵略被害を受けていた。訪れた国家滅亡の渦中から剣を取り、獅子奮迅と思わせる活躍を見せ、カディス王国軍を撃退したばかりか、攻守を逆転させて敵国の本土に侵撃するに至った。結果、ゼフィーリアは島と陸の領土を得たという偉業を達成した。
カディス王国はゼフィーリアという獅子と、そしてアスヴァールという獅子を眠らせたままにすべきだったと後悔せし。この結果は『獅子の尾を踏んだ故に~』として後生に語り継がれたという。もう、カディス王国は地図に記載されていない。
もしかして、獅子王凱もまた、ゼフィーリア女王と同じ軌跡をたどるのではないか?ブリューヌの内乱に合わせて一斉蜂起するのか?
ヴァレンティナの事を重ねるわけではないが、それだけにエレンが警戒するのもどことなく分かる気がする。
そんな思考を遮るかのように、穏やかな声がソフィーの耳元をくすぐった。
「ソフィーヤ=オベルタスではありませんか?」
「ヴァレンティナ……」
一瞬ソフィーの声がうわずった。脳裏にヴァレンティナの姿が浮かんだ時に本人が現れたからだ。
あの時の謁見と同じように、再びソフィーの表情には驚きの色が浮かんだ。
普段のヴァレンティナは健康に優れないという理由であまり王宮から出ないことで知られる。その為に今回の出廷は辞退するかと思われた。いや、ソフィーが一方的に思っていただけかもしれない。
「珍しいわね。公判には出廷しないと思っていたから……身体のほうは大丈夫なの?」
「あまりいいとは言えませんが……今後のジスタートと隣人のブリューヌの為ですもの。多少は無理をしないと」
口元で手を抑えながら、どことなく咳を払う。その表情にはどこか疲労感が滲んでいた。
「ジスタート中はどこも賑やかすぎて、それだけで疲れてしまいますから」
表にこそ出さないものの、ソフィーはこういったヴァレンティナの病弱体質を
欺瞞情報だと思っている。
大鎌を飾るように担いでいる彼女を疑っているわけではないが、とりわけ信じているわけでもない。
当然かというように、ヴァレンティナもソフィーの出方を伺っている。非合法な方法で自分の情報を得ようとさせれば、必然的にソフィーには虚偽の情報しかいきわたらない。他国の人物の情報を得るには、どうしても人を介さなければならないからだ。
このような情報漏洩の仕組みを知るあたり、やはりヴァレンティナは尻尾を掴ませない女狐と評価するソフィーの弁。
「ではソフィーヤ。一つだけご忠告を」
「何かしら?」
「エレオノーラ姫のおっしゃる通り、眠れる獅子が動けば時代も動きますわ」
「……!!」
かすかな動揺が、ソフィーの瞳に色濃く映る。
ソフィーは気づけなかった。エレンのように尾行集団には気づいていたが、彼女の気配は全く感じられなかった。
(どこから聞かれていたのかしら?)
言われっぱなしも
癪なので、ソフィーヤも嫌味を込めて彼女の耳元で唾を吐く。
「そういう獅子身中の貴女《ヴァレンティナ》は、ブリューヌの内乱に対してどう動くのかしらね」
「まぁ……」
思わぬソフィーの反撃に、ヴァレンティナは口に手を当てて驚いていた。
二人は足並みをそろえて、再び歩き出す。
「でも、大変なのはエレオノーラだけではありませんわ」
それは、光と影の戦姫には分かっていた。
内乱の火種がくすぶっている以上、確実にブリューヌの迷走が始まる。
そして周辺諸国は、その隙を逃さないだろう。
「ヴァレンティナ……あなたは、どうするつもりなの?」
謁見の時に司法席越しに発言したものとは違う、一人の戦姫としての答えをソフィーは求めた。
それを察してか、ヴァレンティナもまた儚げな笑みを浮かべて返事する。
「答えはただ一つ。ジスタートの国益を第一。その中にオステローデがある。そういうことです」
心に重くのしかかるヴァレンティナの言葉を受けて、ソフィーは一人歩みを止めた。
黒髪の戦姫の後姿は、なぜか今にも消えてしまいそうに見えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(シシオウ=ガイ。懐かしい名前。私が殿方に愛称を許したのは、あの方が初めてでしたわ)
ソフィーを一人残して、ヴァレンティナは思い出を噛みしめた。獅子王凱と巡った独立交易都市浪漫譚を。出会いの証として、多目的用通信玉鋼を胸に抱いて――
平たい板をかいつまんで、指で撮影記録を開く。
写真は、凱とヴァレンティナの二人が楽しそうな表情を浮かべていた。
「国民国家《ネイションスティート》……ジスタートが真の理想へと生まれ変わる時、あの人は私の隣にいてくれるかしら……」
誰もいない空間で、ティナは再び儚い表情を浮かべて空を見やる。それは決して、戦姫や公主といった立場に縛られないままの、年相応の女性の儚さがあった。
『アルサス・中央都市セレスタ・ヴォルンの屋敷・裏敷地』
――さて、ジスタ-ト王国において戦姫達の間で、密かに凱の存在が囁かれているとはいざ知らず――
「これ、読める人いるかな?」
「あっ!分かった!ジャガイモだ!」
「ざんねーん。キャベツでした」
「ずるいよガイ兄ちゃん。最初の文字が同じなんて!」
「わりぃ。でも、最初の文字が同じものなんていくらでもあるさ。さあ授業を再開しようぜ」
一人の青年の回答に、一人の小さな子供が頬を膨らませた。ちなみに、他の子供の同じ反応を示していた。
青年は見た目、20代前半(実際は後半)あたり。子供は見た目、10に満たない。
どうしてこのような構図になっているか、理由を述べよう。
現在、アルサスというブリューヌの辺境土地は、ジスタート軍の占領下にある。
占領下にあるという事は、当然駐軍部隊もあるわけで、部隊長組は神殿を貸し切っており、それ以下の兵達は空き家等を利用して夜を明かしている。
他国の、それも見知らぬ軍が駐在することは、セレスタの住民にとって警戒せざるを得ないことだった。
戦争が始まる前までは、この子供達も普通に読み書きや計算を学ぶために神殿へ足を運ばせていた。
しかし、テナルディエ軍の襲撃を知った教導官は山か森へ避難した。正確には、自主的に避難したのだ。神殿には入れる人数が限られるし、自分一人だけでも神殿に入れることが出来れば――そのような想いを託して。
それから数日たってもセレスタの神殿へ戻ることはなかった。おそらく安静の地を求めてアルサスから離れていったのだろうか。それとも、避難空しくどこかで生命を落としたのか――
どのような経緯があるにしても、読み書きと計算を教える教導官がいなければ、子供達は学ぶ機会を失ってしまう。
テリトアールへ向かったティグルを見送った数日後、凱はティッタと相談してみたのだ。
「読み書きを教える?」
「ああ。駄目かな?ティッタ」
ティッタは思わず目を丸くした。そして、思ったことを言葉にした。
「どうして、ガイさんはそこまでしてくれるんですか?」
それから凱は、少し表情を暗くしてつぶやいた。ティッタは不安げに問いただす。
「ティッタ。大人はこれからもずっと大人だ。だけど……」
「ガイさん?」
「子供はずっと、子どもではいられないから」
ティッタは気づかされた。それは、子どもにとって黄金の一粒より貴重な時間だという事を。
神殿も決して無料で講議するわけではない。寄進という形でお金を「奉納」しなければならない。
今でこそティッタは神殿の巫女であったが、決して裕福だったわけではない。ティッタは両親の反対を押し切り、ヴォルン家の侍女になった。
当然、貴族の屋敷に務める以上は、一定以上の識字力と計算力を必要とする。自分を神殿に行かせてくれる両親と、いずれ仕える事となるヴォルン家当主の期待に応えようと、懸命に学んだのだ。
(子供はずっと、子どもではいられない……)
凱にとって、子どもに空虚な時間があるという事実ほど、残酷なものなどないと思っている。
「ガイさんがそうおっしゃるのでしたら、あたしは構いません。ですが……」
「ああ、分かっている。俺が直接子供達の家に迎えに行くよ。ライトメリッツ軍が駐在している以上、万が一という事がある」
直接子供の家に迎えに行く。これには凱にとって大きな理由があった。
義平心のあるライトメリッツ平と、為政者としてのエレンを信用してはいるが、可能性を捨てきれない。
ティグルのように立場のある人間なら、ライトメリッツ兵とて簡単に声を掛けられないからいい。だが、ティッタなどは時折ライトメリッツ兵の目に留まり、声を掛けて呼び止めることが多々あった。これでは子供達も、住民も迂闊に外を歩けない。
今は兵を百程度残しているらしいが、やはり凱が出向くのはありがたかった。
何より凱には、セレスタを襲う野盗ドナルベイン一派を蹴散らし、物の怪の類に誘拐されたティッタを保護し、(ある事情でティグルには伏せるよう、マスハスは住民、凱、ティッタ、バートランに伝えている)さらにテナルディエ軍侵攻からセレスタを防衛しきったという実績がある。
今の凱にはセレスタの住民と深い信頼関係が結ばれている。そして、凱は一つティッタに要望を申し出た。
「あと、教導場所はこの屋敷の裏側を使わせてほしいんだ」
「でもお金が……」そうティッタが言おうとしたとき、凱は手を振って静止させた。
「俺はただの
流浪者でヴォルン家の居候だ。できる事は何でもしなければ。それに、子どもに教えるのは俺も楽しいからさ」
遠回しな言い方による、無条件と無償で教えるという条件付き?で、凱は子供達に読み書きと計算を教える事となったのだ。
――再び、ヴォルン邸の裏側へ――
獅子王凱の脳内には、あらゆる言語を介する力『翻訳器官』が存在する。
かつて、エヴォリュダーとなった際、アジャスターを務めていたパピヨン=ノワールとスワン=ホワイトの2名から、凱の秘められた力の一端を知らされた。
右脳と左脳の間にある
神経細胞、さらにその細部には
超越意識同調器官があり、もう一つ、イレインバーの伝達回路がある。それが翻訳器官だ。
判明しているのは、この翻訳器官は日本語を始めとした地球の世界各国の言葉のみならず、異世界での言語識解能力さえも兼ね備えているという事。
例え見慣れない文字でも、既視感のような確かな輪郭を認識させ、はっきりとした情報で凱の脳内に届けられる。
だから、学んだことのないブリューヌ文字でさえ、塾識したかのように筆を走らせることが出来る。発音も、脳内で一度日本語を原文とし、ブリューヌ語を訳文とすることが出来るのだ。
ジスタート語も、アスヴァール語も、ザクスタン語も、ムオジネル語も、例外ではない。それどころか、人間の枠にとどまらず、夜と闇と死の女神さえも例外ではない。
――凱。君に与えられた力は、君一人のものではない。人類が、これから隣人や遠い星や、異なる世界の来訪者たちと付き合っていく為に、これから獲得しなければならない力なのだ。――そう大河長官が言い与えてくれて。
――ケンカだけじゃ、これからの時代はだめだってこったな――ゴジラモヒカンのヘアスタイル、火麻参謀が激を入れてくれた。
かつての上司達のそんな熱い言葉を思い出して、凱は授業を再開した。
そして数日後、ティグル達はオージェ子爵を味方にしてアルサスへ一時帰還した。
NEXT
後書き
捕捉:終盤あたりの凱の子供達に対する教導は、ダイの大冒険の勇者アバン先生の「勇者の家庭教師」を踏襲しています。
第10話『民を護る為に~ティグルの新たなる出発』
前書き
ティグル+凱=恋姫の華佗……
どうしてそうなったか?片桐雛太先生が描くのティグルを見てなんとなくそう思った。
なんて妄想は無視してください。
ではどうぞ。
ここから断片的に聖剣の刀鍛冶の過去を語っていきます。
獅子王凱は夢を見ている。今、自分は過去の記憶に浸っている。
この夢は、第二次代理契約戦争と呼ばれるようになる、悲しい戦い。
今、自分がいる場所は、一言で形容して虚無。
大陸を離れ、母なる大地を見下ろせる場所。暗く、絶対零度の空間。
翼を広げ、見下ろした先には一つの「星」が見える。小さく美しい青い星が見える。
元宇宙飛行士であった獅子王凱には、何度も命を懸けてきた場所。馴染みのある「そこ」は、もはや古巣といってもいい。
今まさに、大気圏内の生物の生存できない宇宙空間で、悪魔契約によって導かれた「光」と「影」は、互いの存在意味をかけて戦いを繰り広げていた。
その姿は常闇。最恐の黒竜。大陸の心臓。戦争というシステムの具現化。その名はヴァルバニル。
黒炎神剣を差し込まれ、黒竜はヒトの業の集大成によって操られている。元凶の名はシーグフリード=ハウスマン。
もうひとつ、影がある。
その姿は漆黒。最強の獅子。時代を蹂躙する獅子王。最強の破壊神にして最後の勇者王。その名はジェネシック・ガオガイガー。
時代の神剣を携えて、破壊神は人類の希望の集大成によって起動している。希望の名は獅子王に迫る!
――愛している世界がある!この時代を守りたいんだ!――
ヴァルバニルの吐き出す漆黒の波動炎が!ジェネシックのフェイスガードをかじりとり、獅子の胸部を焼き払う!
だが、その巨体の勢いは削がれず、ジェネシックはガジェットフェザーでさらに加速する!
流星のように躍りかかったジェネシックの神剣は、まっすぐヴァルバニルをシーグフリードごと貫いた!
悪によって生み出された悪。
彼、シーグフリードは、必要とさえされなかった悪。
自分の居場所が分からず、矛盾に耐えきれず、世界を作り替えようと、ハウスマンの意志を継いだ。
生命ですら契約で更新できると思いあがった人類。
存分に殺し合う。黒竜の吐き出す黒き憎悪の霊体に、人類は完全に弄ばれた。
それは果たして、彼の黒竜が本当に望んだことなのか、人類が望んだことなのかは分からない。
若しくは、シーグフリードが一番に望んでいた事さえも、分からない。
――夢は、ここで終わった。――
『アルサス・中央都市セレスタ・ヴォルン邸の裏庭』
オージェ子爵を味方に引き入れて、一時的にティグルの帰還が成った頃。
いつもの通りに、凱は文字の読み書きと計算を子供達に指導していた。
正確に言えば、数字の読み書きと計算だ。今日はそれが課題だ。
同じ科目では飽きてしまい、学習意欲を失せてしまう。子供が興味を持ってくれそうな教え方を気に留めて、凱は常に念頭に置いている。
緑の髪の少年、天海護がいれば、今目の前にいる子供くらいになっているだろうか?
そんな凱の感傷を撫でるように、一人の子供が「にぱー」っと笑顔を浮かべ凱に呼びかけた。
「ガイに―ちゃん。できた!」
「おっ!早いな。どれ、見せてごらん?」
凱が子供の計算過程を記した「地面」に顔を覗き込ませる。これは、紙という貴重な物資を消費させないためだ。
青年にとって当たり前のように存在する紙は、この大陸にとって大変な貴重品だ。近世代のように物資感覚を間違えてはならない。
子どもの回答を確認すると、凱は頬をほころばせた。計算ができたり、読み書きができるようになると、無邪気な笑顔を凱に振り撒くのだ。子供たちの緩やかな顔の花壇を見ると、凱も笑顔で応えたくなってくる。
久しぶりに眺めた平和な光景に、仕事をひと段落させたティッタが覗き込んできた。
「ガイさんって学士様だったのですか?」
不思議な表情で、ティッタは聞いた。ひょこりと傾げた仕草が、子どものようにどこか愛らしかった。
羅列のように書かれている筆算を見て、ティッタの好奇心に灯りがともった。
「いや?流浪者やってるうちに、色々と身についたみたいなんだ。学士様なんてそんな偉い肩書はもってないよ」
そう凱が遠慮しがちに言う。
他の子供もどうやら回答が出来たようだ。確認作業をしながら、ティッタに話しかける。
「計算の極意はずばり、『できるだけ楽な方法』と『間違えにくい方法』に絞ることだよ。頭の中で計算する暗算でもこいつは行けるぜ」
1~9までの数字の概念は、世界が違えど同じ認識で正解だった。それは子供達に教える凱にとって幸いだった。
足し算の場合、桁の多い大きな数字を加算するとき、2桁ずつ計算することで計算速度を上げることが出来る。
引き算の場合、近似する数字を見つけることで、比較的簡単に出来る。整理しやすい数字に整えて、2段階に分けることで失敗を防ぐことができる。
計算の速い子どもは、この方法を知った途端、計算過程を飛ばして答えを直接導いたのだ。これには凱も驚かされた。
「成るほど。そのような計算方法など知りませんでしたよ」
さらに、禿頭の騎士さえも興味深そうに覗き込んできた。それにつられて、ぞろぞろとライトメリッツの駐在兵もやってきた。
なんだか大所帯になってきたぞ。男の比率がハンパじゃない。いつの間にか野郎パラダイスが出来ていた。あまり広くない裏庭では、この人数だと狭く感じる。
「ガイ殿はまるで宣教師みたいですな」
ルーリックに宣教師と言われ、凱は第二次代理契約戦争において邂逅した人物を思い出し、若干暗い影を落とす。
(宣教師か……そういや、あいつも元宣教師って言っていたっけ)
羅轟必砕の極意を会得した神仏滅界の僧侶。ホレーショー=ディスレーリ。第二次代理契約戦争の生き残り。
僧侶の教えとして不殺を貫いていたが、ある不幸な事件を切り目にして、帝国に流れ着いた過去がある。
不殺を破ったが故に破戒僧となり、大陸という箱庭で輪廻し、シーグフリードと出会った。
ノア=カートライトによれば、彼は今、テナルディエ公爵の傘下にいるらしい。
(一体、ノアとホレーショーは何をする気だ?テナルディエ公爵の配下になってまでして?)
ホレーショー。彼は不殺の答えを見つけることが出来たのか?凱が過去の感傷に浸っていると――
「ガイ殿?」「ガイさん?」
「ごめん、何でもない。授業再開といこうぜ」
栗色の髪をポリポリかじりながら、凱はなんとなく誤魔化した。そんな凱の呆気にとられた表情を見て、ルーリックとティッタは不思議そうに首を傾げた。
少し脱線したが、今日の課題もとりあえず予定通りに終える事が出来た。
次の日の昼中も相変わらず、3つの軍旗がひるがえっている。セレスタの面積と比較すると、なんだか埋め尽くされているように見えなくもない。
1つはアルサス。青地に弓矢。
2つはライトメリッツ。黒地に銀閃。
3つはジスタート。赤地に黒竜。
各勢力の軍旗が乱立している様を見て凱は思う。もう少し旗の数が整えば学校の運動会に使われる「万国旗」のような配列になるんじゃないかと。そんなセレスタの街中を一人の来訪者がやってきた。
しばらく徒歩を続け、ヴォルン家の屋敷に立ち止まる。呼び鈴とティグルへの用達に声を上げると、髪の長い青年が応対に出てきた。
今はヴォルン家の居候……獅子王凱だった。
「はーい。新聞はお断りですよっと……どなたですか?」
新聞どころか瓦版すらないのに、故郷への懐かしさがつい態度となって漏れる。そんな一人冗談をさておき、凱は来訪者と対面する。
来訪者の正体は「エレンの放った急使」である。
こういう時の対応を、凱は知っている。だからこそ、余計な追及はせずに要件を受け入れた。
何かを渡したいらしい。来訪者とて深く探るつもりはないようだ。ただ自分の任務を全うする為に。
「ティグルに用なら、リムアリーシャ様も読んできた方がいいな。少し待っていてくれ」
リムアリーシャは他国の、それも一公国主の副官である。ルーリックに対して気軽に接しているのは本人からの要望であるが、彼女の場合はそうはいかない。第一印象はかなりの生真面目に尽きた。凱の今の立場として、ティグルの侍女であるティッタよりある意味では下である。もともとライトメリッツとは深く関わるつもりも、長く付き合うつもりもないので、これ位の人間関係の距離が丁度いいと凱は判断した。
ともかく、凱は二人のいる2階の部屋へ足を運んで行った。
凱が扉の取っ手部をかけようとしたとき――声が聞こえてきた。第一声は整った女性の声だ。
「それではティグルヴルムド卿。我が国の国王陛下の御名を性格に述べてください」
「ええと……ヴィクター=エンター……違った。ヴィクトール=アルトゥール……」
会社の名前を述べてどうすんだよと内心突っ込みたかった凱。声の様子からしてこってり講義をされているみたいだ。どうもそれ以上、国王の名前が思い出せないらしい。
正式御名はヴィクトール=アルトゥール=ヴォルク=エステス=ツァー=ジスタート。このすごく長い名前くらいは凱も知っていた。
ロシア人の名前には、父称といって父親の名前が含まれているように、ジスタートの王族や貴族も祖父称といって祖父の名前が含まれている。親子関係を調べるにはとても便利と知れば、ティグルももう少し覚えやすくなるかもしれないが……
教師と教え子の関係はルーリックの言う通り、凱も見ていて微笑ましいものがあった。しかし、今は客を待たせているので、講義が終わるのを待つわけにはいかないし、ティグルに助け船を出す意味で扉をノックした。
「空いています。どうぞ」
そうリムの了承を確認して、凱は入室する。
早速手短に要件を伝える。栗色の長髪の青年を見たら、ティグルは少し胸をなでおろした。
「戦姫様の急使が来ている。ティグルとリムアリーシャ様に用だとさ。何か渡したいものがあるみたいだ」
「エレンが俺とリムに?」
ティグルの疑問符に反応したリムは一時的に講義を切り上げる。目先の要件を片付けることを優先した。
「休憩にしましょう。ガイさん、私とティグルヴルムド卿はエレオノーラ様の急使にお会いしてきます」
要件を手早くすませたティグルとリムアリーシャは身支度を始めていた。何処へ行くんだと凱が訪ねると、ティグルは内容を記された紙切れを凱に手渡した。文字を見た時、凱は思わず眉を潜めた。
「今すぐキキーモラの館へ来い……読めなくはないが、随分とひどい字だな」
くすんだ赤い若者も、長髪の青年に同意した。先ほど文字の読み書きをしていた凱にとって、この偶然の重なりは皮肉すぎる。
「面目ありません」なぜかリムがこの場にいない主に変わって謝罪していた。
「キキーモラの館ってどこにあるんだ?」
ティグルの問いにリムは口頭で説明する。ちょうど凱もそれを聞きたかったところだ。
「ヴォージュ山脈を抜けた先にある、エレオノーラ様の別荘です」
「どうしてそんな所を待ち合わせ場所に選んだんだろう?」
ふと浮かんだティグルの疑問に、凱は捕捉を付けた。
「多分……何かあったとき、どちらの事態にも対応できるようにする為じゃないのか?ジスタート介入の件で彼女の公国もゴタゴタしてると思うし、正直アルサスの様子がどうなるかも、分からなかったんだと思う」
そう推測する凱の思慮に、ティグルは成るほどと息を吐き、リムはこくりとうなずき同意する。
ブリューヌへの許可なき出兵。その顛末を報告する為に、エレンはジスタートの王都シレジアへ向かった。
国王たる下した言葉の詳細をティグルに伝える必要がある。今後の展開を見据えての行動なのだろう。
「そうですね。急使が訪れた時期を見て、エレオノーラ様はおそらくキキーモラの館へ着く頃合いかと」
ティグルが口をへの字に曲げる。長年の狩りで培った勘に何かひっかかるものを見つけた時に出る彼の癖だ。確かティッタがそう言っていた。
「俺、ちょっとその辺を散歩してくるよ」
凱は扉を開いて出ていこうとする。
色々と悩んだ末、ティグルは重々しく口を開く。
「こういう時、ティッタに何て言えばいいんですか。ガイさん」
その口調はどこか弱々しかった。
テナルディエ軍がアルサスを襲撃したとき、ティッタはただ一人避難せず、ティグルの屋敷でずっと待ち続けていたのだ。
心の半分は、危ないことをしたティッタに叱りたくて……もう半分は、ティッタの健気な顔を見たら、なぜかほっとして……
だからこそ、彼女の存在の儚さがティグルを支えるものであり、そして崩すものでもあったのだ。
「ティグルが変なところへ行かなきゃ、ティッタへの説得も必要ないじゃないか」
そっと意地悪そうに微笑んで凱は扉を閉める。そう答える凱の気持ちを、ティグルには少しだけ分かっていた。
獅子王凱。この変わった名前を持つ青年は、ディナント戦以降においてティッタの置かれた境遇を間近で見てきた。はしばみ色の健気な瞳に涙を浮かべ、訪れる現実に悲しみの嗚咽を漏らしたときのティッタの表情は、凱のまぶたの裏に焼き付いている。
この若者がどこかへ赴けば、必ずティッタは領主の後ろ姿を追いかける。セレスタの町が襲われたときのように――危険を顧みず。
退出した青年の後ろ姿を見送った後、リムは先ほど凱の評釈に対する感想を漏らす。
「ガイさんは、よくティッタを見ていますね」
当然、凱もティグルの置かれた環境を知らないわけじゃない。アルサスへの帰還を果たしたとはいえ、ディナント戦から始まった捕虜であり、アルサスを護る為にライトメリッツから兵を借り受けた顧主であり、父から使命と責務を受け継いだ領主である。
本当なら凱とてこんなことを言いたくない。しかし、これ以上ティッタへの不安を募らせたくないという気持ちのほうが優先されていたのだ。
ティグルにとってティッタが妹のような存在なら、凱はガスパール兄さんのように叱咤激励してくれる『兄』のような存在だ。優しく、柔らかい言葉遣いでも、その重みが断然違う。
「あの人は、あまりティッタに心配かけるなと言いたかったのだと思います」
「ガイさんの言いたいことは俺も分かっている。でも、俺には領主としての義務が……」
「それだけ彼女が抱くあなたへの想いが強いのでしょう。彼女の主であるあなたの務めは重大なものなのです」
「……分かっている」
先ほどと同じ言葉を告げるティグル。でも、凱のおかげで気合と勇気が入った。
ティグルとティッタは領主と侍女の関係だ。戦争が起きる前まで、凱に言われる前までは考える必要のなかった事。当たり前のことの重要性を再認識させられるティグルであった。
日が南中高度を示している。今からヴォージュ山脈を越えようとすれば、途中経路で日が沈みきってしまう。夜道を歩いていく危険性を少しでも落とす為に、多少の時間損失をしても、太陽の動きに沿って行動したほうが確実だ。
特に夜は暗殺者や野盗の独壇場といっていい。夜目の効く連中が相手では分が悪い。今ではティグルも立派な標的なのだから――
出立の準備を再開した二人は、翌朝の夜明け前を待ってキキーモラの館へ向かう事を決めた―
『夜刻・セレスタの町・中央広場・キキーモラの館へ向かう前日。』
内乱勢力に対する牽制力として、エレンの指示でアルサスに滞在することとなったライトメリッツ兵。その指揮官のルーリックと共に、凱は酒場へ誘われた。
「みんな楽しそうだな。顔を赤くして、火照らせて、笑っている」
「酒場ですし、どこの町もそんなもんですよ。ガイ殿」
「なんだかすごいな。ついこの間までのアルサスとは思えないくらいにぎやかだ。俺も胸の内側から暖かい想いで溢れそうな気分だよ」
「民の力を侮ってはなりませんな。彼らのたくましさはどんな苦しい境遇でも立ち直る強さを持っています」
「全くだ」
凱を軸にはじまったアルサスとライトメリッツ兵の交流は、意外な形で成り立っていった。
数刻前、ぞろぞろと集まってきたライトメリッツ兵にも、結局凱は読み書きを教える事となった。どうやら興味を持ち始めたらしい。牽制するためとはいえ、次の命令があるまで、若しくは、エレン帰還まで、それとも、外敵の侵略があるまでは暇を持て余している。
ちょうどいいから、凱の講義を暇つぶし程度に考えていたのだろう。
暇を転がす人間、退屈は身からくる敵ともいえるわけで、ルーリックも凱に見物していいかと頼んだのだ。もちろん、凱は快く承諾した。兵がおとなしくしれくれるなら、凱にとっても願ったりかなったりだ。
どうやら、警戒していたのは杞憂だったらしい。ライトメリッツの気さくな心に触れたセレスタの住民たちは、次第に距離を縮めていった。
凱とルーリックは適当なところで腰を下ろす。二人がそんな話をしていると、注文していた料理がぞろぞろと入場してきた。感謝を込めて頂きます。
料理を運んできた婦人に、凱は見覚えがあった。モルザイム平原の戦いでザイアン率いるテナルディエ軍を撃退するのに、勝利を貢献した。リムアリーシャの策を成立させるため、大量にロープを収集してくれた尽力者の女性だ。
「ガイさんとルーリックさん、うちの料理はどうだい?」
「ああ……本当に旨いな。美味しい」
凱はやんわりとお礼を告げる。
「ありがとう」
何の飾り気のない凱の言葉に、婦人は相応もなく照れ隠した。素直に嬉しかったのだ。
そんな彼女の内心を隠すように、婦人は勢いよく声を張り上げて注目を集めた。
「この人は彼の有名な黄金の騎士様その人!あたいの店の常連様だ!」
「黄金の騎士!?」「ホントかよ!?」「この人が!?」
完全武装状態の凱と、解除状態の凱を見比べていないから、素の姿の凱を知らないのも無理はない。
その為、テナルディエ軍を撃退に成功した直後の宴では、ささやく程度の噂にとどまっていた。
ただ、黄金の騎士の活躍は、セレスタの住民が熱く語る為に、ライトメリッツ兵では現実味を帯びた噂となっていた。
不思議な風容を持つ凱に、大勢のライトメリッツ兵が押し寄せてくる。それだけじゃない。既に凱を知っているセレスタの住民も凱を包囲した。
「アンタが本当にあの黄金の騎士なのか!?」
「何でもオレ達が駆けつけるまで、たった一人でテナルディエ軍を迎え撃ったという……」
「領主様のおかげさまで私たちは助かりました!領主様が黄金の騎士様を呼んでくれたんですよね!?」
「ティグル様には本当に感謝してるんです!」
随分と物語が編算されているようだと凱は思った。
凱の隣にいたルーリックの困惑を他所に、凱はこの場を盛り上げる決起をする。
「おし!」
その表情は、どこか子供のように。それでいて、輝きに満ちていた。
「見て聞いて驚け!諸君!」
「イィィィィクィィィィップ!!」
「お……」「おおお!!」
「おおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
黄金の鎧ことIDアーマー装着時において、凱の細胞と融合している極小のGストーンは最大稼働する。そして、酒気を纏って心を緩めている皆のテンションをも最大稼働させた!
間がいいのか悪いのか、丁度ティグル、ティッタ、リムもその騒ぎの場所へ立ち会わせていた。
「俺は正義と自由の牙!そして、アルサスの剣!黄金の騎士だ!」
ジョッキを掲げて高らかに歌う。
「確かにテナルディエ軍は脅威であるが、心配には要らないぜ!」
その声は渇くことなく、凱の口上は続く。
「我らがヴォルン伯爵は!今この時もアルサスの平和と繁栄に心を砕いている!」
注目の視線はもはや、凱が独り占めしていた。
「このセレスタの町を見ろ!ヴォージュ山脈……いや!心の国境を越えて、アルサスとライトメリッツはこうして酒を飲みかわすまで仲良くなっている!奥さん!お姉さん!全員に好きな飲み物を注いでくれ!この一杯は俺のツケだ!」
「ガイ殿!払う伝手はあるんですかい!?」
バートランが闊達に笑う。一介の流浪者のどこに、これだけの多人数を飲ませるだけの金があるのかと、冗談交じりに聞いてみた。
「大丈夫!ティグルが俺の借金を肩代わりしてくれる!」
どっと笑いの嵐が巻き起こる。
とんでもない責任転化にティグルは性悪な笑みを浮かべながら反撃する。
「それなら俺がエレンに対して背負っている借金も肩代わりしてくださいよ!?」
さらにティグルが混ぜ返す。
「それでティグルが無事にアルサスへ帰ってきてくれるなら安いもんだぜ!」
挑発的に凱へ問いてみたが、熱い言葉を添えてあっさりと返された。凱の言葉に会場は水を撃ったように静まり返った。
もちろんティグルが背負っている借金額を凱は知らない。例え金額が天文学的でもそれ以上大切なものはないという事実だったら、凱は知っているつもりだ。
ティグルは開いた口が塞がらなかった。そんな呆気にとられたティグルを見て、凱は口調を和らげて、なだめるようにティグルへ語り掛ける。
「ティグル。自分の命の価値についてよく考えて見てくれ。俺は君の無事を……いや、俺だけじゃない。この場にいるみんながキミの無事を祈っている」
誠実な瞳に心を振るえたティグルは、瞳をも厚く震わせて凱を見据えている。
少し空気が感動に包まれつつあるが、ここでうまく切り替えていく。
「この一杯に感謝を込めて!天へ掲げてくれ!」
一同は飲み物を月の映える空へ高く掲げる。
「ティグルヴルムド=ヴォルンに!エレオノーラ=ヴィルターリアに乾杯だ!二人は立場こそ違うが、民を気にかけることに関しては、同じ想いを抱いているぜ!」
ベタ褒めされたティグルと言えば、照れ隠して顔を若干うつむせている。凱のあおり矜持に酒場の空気は逸脱した盛り上がりを見せる。
皆はジョッキを掲げた。
「両者の力となることを願って、こいつを飲み干してくれ!勇気ある誓いと共に乾杯!」
「「「「「「「乾杯!」」」」」」」」
ブリューヌとジスタート、両者の共通する酒杯の儀礼を交わし、次々と杯がカラカラとなっていく。皆のいい飲みっぷりは、これから立ち向かう境遇に対して、いい区切りとなってくれるはずだ。
酒場は先ほどと打って変わって、一気に水が沸騰したかのような盛り上がりを見せた。
「もう!ガイさんったら!盛り上げすぎです!みなさんあまりハメを外さなきゃいいんですけど……」
ティッタは頬を膨らませていた。凱に対して小さな侍女は些細な愚痴をこぼしていた。頭が痛いのはリムとて同感だった。
ちなみに、ティグル達は酒気飲料を自制している。明日の出立が早い為だ。酒気に酔って馬を操れないでは愚の骨頂だからだ。
「いいじゃないか。ティッタ」
「こうして、皆の楽しい笑い声が戻ってきたんだから」
果汁水を飲み干して、ティグルは口を開く。
「ティッタ。しばらく留守にする。俺が戻ってくるまでの間、待っていてくれるか?」
そのお願いに、ティッタの表情は僅かに不安の色を募らせる。
「ティグル様、あたしもついていきます」
「ティッタがいなくなったら、誰がガイさんの世話をするんだ?」
それを言われると、ティッタは勢いを失速していく。しゅわしゅわと表情をしぼんでいくティッタを見て、ティグルは彼女の頭にポンと優しく手を乗せた。
「何もティッタが心配することはないさ」
「心配します!だって……これからはずっと、ティグル様の生命に関わることなんですよ!」
真剣な表情で、ティッタは自分の主様を問い詰める。
「俺は今すごく幸せだ。こんなに多くの人に支えられて、みんなの想いに支えられて」
「ティグル様……」
「俺の心ひとつ次第でアルサスの運命が決まる」
生きて帰る場所がある。帰りたい場所がある。
自分一人が犠牲になれば、アルサスを守れるほど、今の時世は甘くない。
勇者だろうが、貴族だろうが、戦姫だろうが、名の馳せた戦士であろうが、所詮は一人の人間。
この内乱で一人の若者が命を落とせば、一人の侍女は確実に不幸になる。ティグルは諭した。凱が直接言うのではなく、自分自身で考えさせたかったのだろう。
――翌朝、太陽が出会いがしらに上る少し前の事――
「ティグルヴルムド卿。準備はいいですね」
「ああ。出発しよう」
皆が昨日の酒盛りで寝静まっている。空を見上げると、昨日の盛り上がりの余韻が蘇る。
そう言って、ティグルとリムは馬の腹を蹴ろうとしたとき、ふと後ろに誰かの気配を感じた。
「ティグル様!」
後ろには、ティッタがいた。
若者は顔だけ振り向かせ、優しく微笑んではティッタに笑みを返す。
これから待ち受ける戦いの決意を胸に、ティグルとリムはヴォージュ山脈の向こう側へ走らせた。
目的地はキキーモラの館。
ティグルヴルムド=ヴォルンの新たな戦いの舞台が待っている。
太陽を背に受ける若者の姿を、ティッタは笑顔で見送った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
数日後、オルミュッツ公国でリュドミラ=ルリエがブリューヌ内乱において中立を示した頃、アルサスでは異変が起こっていた。
「た!たたた!大変だよ!ティッタちゃん!」
一人の中年男性が、あわただしくヴォルン家の戸を叩く。
「どうしたんですか?」
「ガイさんに異端の疑いがかけられている!」
アルサスに、緊張が走った。
NEXT
後書き
※ギャレオリアロードについて
既にジェネシックの最後のガジェットツールが公式解禁されたわけですが、本作ではあえて「剣」にしています。
※シーグフリード=ハウスマンについて
本作のシーグフリードはFF7のセフィロスか、ガンダムSEEDのラウ・ル・クルーゼのような生い立ちで設定しています。凱が光に立つ者なら、シーグフリードは影にあたる者としています。
オリジナル設定として、「血の病」の治療法は、悪魔契約の副産物として位置付けています。
これは――現代の医療は多くの失敗の上に成り立っていること――という一文をテーマにしている為です。
物語が進めば、「シーグフリード対サーシャ・黑炎と煌炎」という展開もありましたが、本作はブリューヌ内乱で一応終わりの予定です。
第11話『異端の烙印~ガヌロンからの招待状』
前書き
今回は短めですが、なるべく継続して投稿するようにします。
後日、オリジナル設定誕生秘話『凱とガヌロンのテーマ(仮)』を、この話に投稿します。
まめにチェック願います。
弓を携えた英雄は弦音をかき鳴らし、女神を揺り起こす目覚めの唄を奏でる――
銃を構えた勇者は銃声を響かせて、女神を褒め称えり祝砲となる――
黒き弓を携えし魔弾の英雄よ。
黒き弓の一撃は、直死の魔弾。
黒き銃を携えし魔弾の勇者よ。
黒き銃の一撃は、生命の弾丸。
二つの魔弾は一つとなりて、英雄と勇者はこう唱えるだろう。
――ゲム・ギル・ガン・ゴー・グフォ・ウィータ・ウィル!!――
撃ち抜け!時代を超えて!
『アルサス・とある有力者の一室』
「今……なんと申されました?」
我が耳を疑うように、アルサスの有力者の一人は問い直した。この人物は、かつてザイアンがアルサスに攻め込んだとき、停戦交渉に挑もうとした有力者の一人だ。凱によって救われた者の一人でもあった。
「おや、声が遠いようでしたな?ならばもう一度聞かせて差し上げましょう」
今、アルサスに代官が足を踏み入れていた。先頭に立つ人物が、形式整った洋紙を突き付けて、に再度通告する。
洋紙の正体は、『審問認可状』だった。
「ブリューヌにて学舎を開きし――シシオウ=ガイ――と名乗りし者。彼の者には異端であるという告発と嫌疑がかけられております」
有力者は絶句した。
獅子王凱。彼はアルサスにふらりと現れて、今まで降りかかっていた災厄を払いのけた人物。大人の間では無名の英雄、子どもの間ではドでかい勇者と噂が浸透している。戦いの終わった後も、神官が不在となったアルサスの子供達に、文字の読み書きを教えている。
寄進という形で前任者にお金を払っていたが、こういう形で神官たちのお金に対するがめつさ、つまり、不都合に対する処置が露見するなど、誰が予想しただろう。
ふざけるな!そう叫びたかった。
凱はなんの見返りもなく、読み書きを伝播してくれた。
そんな有力者の感情を無視して代官は言葉をつづける。
「彼の者はこのような疑惑がある」
一つ。彼の者が罪なき民草に広げている文学の数々は、神々の英知を侮蔑するものなり
二つ。彼の者が進める「キョウイク」なるもの。神々の忠実なる僕である神官の教え給うものにあらず。邪なる異教の教えを含むものなり。
三つ。彼の者が教える「カモク」なるもの。これは神殿の権威を侮蔑するものなり。
四つ。ブリューヌ王都には「シシオウ=ガイ」なる学者を派遣した記録はない。
以上の告発と疑惑に基づき、「シシオウ=ガイ」なるものは異端である疑惑は十分である。
ブリューヌ王統政府・宰相ピエール=ボードワン。及びブリューヌ法王丁・司祭長マクシミリアン=ベンヌッサ=ガヌロン。
「宰相閣下と、公爵閣下……」
この二人が、獅子王凱を異端嫌疑?
どのようにして凱の存在を察知したのか、その疑問をかき消すかのように、理不尽なやり方から生まれる激情の波が生まれた。
なぜ?
どうして?
あの人がこのような目に合わなければならない?
感情を抑制しきれなくなった有力者たちは、次々と罵声を吐きまくった!
「……あなた方は!無法にもテナルディエ軍がアルサスに侵略しに来た時、騎士団は誰一人駆けつけてくれなかった!」
「それに比べ!ガイさんはたった一人で!テナルディエ軍に立ち向かったんだぞ!アルサスを護る為に!」
「騎士なんか信じられねえ!陛下に忠誠を誓うティグル様を助けようとしないなんて!」
水が沸騰するかのような抵抗射撃に、代官たちはたじろいたかと思いきや――
「ならば、その言葉を国王陛下にお伝えしよう」
「「「な!!!」」」
水を打ったかのように、静まり返った。
流石に代官のこの切り返しは、反対勢力共を呆気に取らせた。
「何の権利があってあんたたちは!?」
「今の私たちはいわば使者だ。私の言葉は陛下の言葉であり、私の目と耳は陛下のものなのだ」
毅然とした態度は、さらに肥大する。
「いかに貴様等が何を申し立てしようが、この通告を拒絶する事まかりならん!!」
ふざけた理不尽。ねじ伏せる無秩序な理論に、思わず歯噛みしてしまう。
「ぐぬぬぬ!!」
「用件は伝えた。では10日後までに彼の身柄の引き渡しを頂きますよう――」
規律の整った踵返しで来た道を戻っていく。そして彼は戸を開き、外へ出て、アルサスを出て王都へ戻っていく。
その不遜極まりない後姿を見送ったアルサスのみんなは、これからの展開に頭を悩ますこととなった。
異端嫌疑。つまり、嫌疑者を庇い建てすれば、その者の身内も嫌疑にかけられる。叛逆者とは扱いが違うのだ。
「これ……ティッタちゃんになんていえば……」
「俺たちが……ガイさんが……一体何をしたっていうんだ?」
今後の情勢を憂う暗雲が、確実にブリューヌを覆い始めている。
翌日、この知らせを受けた町の有力者たちは、重い足取りでヴォルンの屋敷へ訪れた。
信じてきた国が信じられなくなったとき、始まるのだ。民草が新たな時代へ駆けあがる戦いを――
『翌日・アルサス中心都市・セレスタ』
先日訪れた代官の言葉を受け、凱は歯ぎしりした。それは、何に対する怒りなのかはわからない。
「こいつはうかつだった。この展開は俺の責任……」
ぼやく凱の隣にいるオージェ子爵が、苦々しく語る。
この場に居合わせているのは、凱、ティッタ、オージェ子爵、ルーリック、バートランだ。皆ティグルとエレンの帰還を待ちわびている、信頼熱き人物たちだ。
「ガヌロン公爵にボードワン宰相。この両者の名が異端勧告書にあるという事は、一体どういうことか?」
人当たりのよさそうな老人の質問に、青年は厳しい語調で回答する。
「ええ。ブリューヌは「国王陛下の領地を臣民に貸し与える」封建制度でしたね」
オージェ子爵はコクリとうなずく。マスハス卿も、オージェ子爵も、ティグルヴルムド卿も、王に忠誠を誓う代わりに、領土を貸し貰い受けたのだ。現在、マスハス卿はティグルの申告状を王都へ届けている最中だ。今頃、きっと王都ニースへ入城を果たしているはず。
「その制度の極端な出来事が目に見える形で現れた……という事です」
意味深い凱の推測に、オージェは首を傾げた。
「どういうことか?」
「王都とて勢力が乱立する状況は好ましくありません。ティグルヴルムド卿も今ではテナルディエ公爵、ガヌロン公爵に続く国内の第三勢力です。貸し与えた領土、自治権を認められて勢力を強めていった結果。極端な例を挙げれば、テナルディエ公爵家とガヌロン公爵家がそうです」
要するに、ブリューヌの双璧以外の勢力、自立を強めつつあるアルサスが邪魔になりそうなので、芽が出る前に種を取り除こうという魂胆だ。
「それとティグル……ティグルヴルムド卿も叛逆者としての罪に問われるのも時間の問題です」
アルサスを護る為とはいえ、ティグルは自領をジスタートに売り渡した叛逆者となる。以前、凱がティッタに伝えたことだ。
叛乱を起こすかもしれない。ジスタートが侵略者となるかもしれない。いずれの可能性を鑑みて、王国直属の討伐軍がやってくる。
ティッタが、思い詰めた顔でうつ伏せる。
――ティグル様が……叛逆者?――
――ガイさんが……異端者?――
どうして?
どうして……みんなの為に頑張っている人たちが、このような目に合わなければならないの?
「ティッタ?」
凱が心配そうに、自分と同じ栗色の髪の少女に声をかける。
「……ごめんなさい、ガイさん。こんなことになるなんて……」
「ティッタは何も悪くない。悪いのは、こうなることを分かっていながら、推し進めてしまった俺自身なんだ」
同じ栗色をした髪を持つ青年と少女は、対照的な表情で窓を見上げた。
凱は自身への苛立ちで顔をしかめて――
ティッタは凱に何も力になれない自分自身へのふがいなさで表情を暗くして――
「俺の事なら心配いらないさ。異端審問の護送隊が俺の身柄を確保してアルサスを出たら、適当なところ……何かの騒動と出くわすことが出来れば、いざこざに紛れて脱出できる。そうなれば責任はあいつらにあるしな」
単なる脱出では、異端元のアルサスを見せしめにする可能性がある。そうならないためにも、凱は土佐草に脱出の最高の機会をうかがうつもりなのだ。
「それは……」「そんなことをしたら……」
ティッタが、バートランが、口々につぶやく。
「仕方がない。また流浪者に戻るさ。内乱にめどが付いたら、何とか顔だけは出すようにする」
そのように凱は明るく振舞おうとするが、やはり重苦しい空気は薙ぎ払えそうにない。
「……すみませぬ……ガイ殿。この老体一人で済む問題なら……」
「バートランさんもそんなこと言わないでください。それに今回は異端扱いです。あまり俺に肩入れすると、家族や関係者にも嫌疑がかけられる」
「ガイ殿!私はあなたと共にいきますぞ!」
今の話で同情したのか、感情極まってルーリックが鬼気迫る勢いで言う。
「ちょっと待てよルーリック。君はライトメリッツの中核じゃないか。君がいなくなったら戦姫様とティグルの支援はだれがやるんだよ」
冗談でもそうでないにしても、誰一人ついてこられてはまずい。凱はそう言った。
「それは……」
「それに、戦姫様もティグルもこれから戦う相手は強敵ぞろいだ。今以上に大変になるんだぜ」
ルーリックは思いとどまり、歯ぎしりする。
そして、バートランが何か思い立ったようにつぶやく。しかし、その口どりは何処か重々しい。
「ガイ殿……そなたの力なら、テナルディエ軍を追い払った力を使えば、そ奴らも恐れる必要などないはず……」
ドナルベイン一派を、ヴォジャノーイを、テナルディエ軍を蹴散らした勇者の力なら、何の問題もないではないかとバートランが主張する。
「バートランさん。我を通す為に力でねじ伏せる……それではテナルディエ軍とやり方は変わりません」
バートランは目を見開いた。彼だけじゃない。ティッタを含む全員が目を見開いたのだ。
「確かに俺はテナルディエ軍をねじ伏せた。しかし、命まで奪わなかった。戦って勝つとか、倒して奪うとか、だからといって、テナルディエ軍にアルサスを奪わせる気なんてないけど……」
どこか矛盾した言い方に、皆は凱の言葉に少し混乱した。それからルーリックに視線を合わせ、凱は言葉を紡いだ。
「多分、戦姫様は俺を警戒、侮蔑してるんじゃないかと思ってる……「殺さず」なんておかしいことをしたのだから」
戦場においては、全て生命の礼儀作法に関わってくる。
奪ったのなら、生命を以て償うべきで――
奪われたのなら、生命を以て取り戻すべきで――
自分を守りたいなら、相手を否定する。
でも、凱のやり方は、どっちも守りたいという子供じみた理想論だ。
「ガイ殿?まさか」
ルーリックは、凱の言いたいことがなんとなく理解できた。
(知らず知らずのうちに、俺は彼女の『これまで』を否定してきたのかもしれない)
この時、ルーリックの脳裏には、雷禍の閃姫と銀閃の風姫の確執が蘇ってきた。それは1年前というまだ色あせていない時間帯だ。
もしかしたら、凱の「不殺」がエレンの心に何かをひっかけたのかもしれない。
「みんな。とにかくこのことはティグル達に黙っていてくれ」
「どうして……どうしてなんですか?」
ティッタが重々しく、そして、悲哀調の口どりで凱に問いた。
「叛逆ならまだしも……異端はまずい。もう一度言うが、少しでも俺を庇いたてしようとすれば、その人達にも嫌疑がかけられる」
「そんな!」
こんなこと、誰しもが納得できるものではない。
アルサスを護る為に最も尽力してくれたのは、この人ではないか。
何の対価もなく、「助けて」という声に応える為に、秘めたる力を振るい続けてきたではないか。
「だからこそ、俺はおとなしく捕まる」
そして、約束の期日より前の日に、ティグル達が帰還する前よりも、凱の身柄を引き受けるグレアスト侯爵がアルサスへやってきた。
『明朝・セレスタの町・中央広場』
「すごい……ユナヴィールの村の人たちまで来ています」
複雑な感情を込めて、ティッタはつぶやいた。きっと、凱の異端認定の事を聞きつけてきたのだろう。ガヌロンの傘下であるグレアスト直々のお出迎えだ。凱を捕える為に来たと思っているはずだ。今回グレアスト侯爵は、ガヌロン公爵の名代として足を運んできたのだ。
そして、集まった村の人達がざわめいていく。
「そ、そんなことない!ガイさんが異端だなんて!」
「でも……王宮の人がそう叫んでいたって……」
「王宮?どうして?」
「ガイさんの教導は神の教えに背くっていったべ」
「だって、ガイさんがいなかったら、子供達はどうするんだったんだ?」
子供が「何もしない」という時間。意味もなく時間を空費することは、誰しも耐え難いことである。
「それに、ガイさんがいなかったら、テナルディエの奴らにうちの孫は殺されていたんだべ」
次々と、――凱がいなかった場合の、アルサスの未来――を告げる。
それらは、ありえた事実だったかもしれないし、ありえた場合でもあった。
「すごい人の集まりですな。あれは」
豆鉄砲を喰らったような顔で、ルーリックは言った。
「ガイ殿はあんなに慕われていたんだな」
オージェが言った。そしてティッタがふいにつぶやく。
「……私とガイさんがユナヴィールの村を歩いていると、笑顔で話しかけてくれるんです」
それは、こんなにも野菜が取れたよと――
それは、この畑はこんなにも作物の育ちがいいと――
それで、ジャガイモをくれたり、トマトをくれたり――
その日から、少しだけ、食卓が暖かく感じるようになりました。
そして、時折、盗み食いするガイさんを、ちょっぴり叱ったりしていました。
「みんな、ガイさんに話しかけてくれるんです。「優しい平和をありがとう」とか、「幸せをくれてありがとう」って」
「ティッタ……」
バートランが、涙腺を緩ませながら、凱と同じ栗色の髪をしている少女の名を囁いた。
「小さな子供をガイさんに抱いてほしいって、言ってくるんです。強くて優しい人になるようにって。あのお兄ちゃんのように勇気ある人になるんだよって、願をかけてくれるんです」
いつしか、ティッタの頬には熱い涙が伝っていた。小さな思い出が崩れていくかのような涙だった――
いつの間にか、凱という存在はアルサスの人々の心の奥底に、根付いていったのかもしれない。
心に根付いた人が連れられて行くその様は、まさに自分の心を刈り取られていく錯覚さえ覚えさせる。
本当なら、激情に任せて凱を庇いたてたい。しかし、それは出来ない。
凱に「だめだ」といわれているから。身内にも危害が加わるからといわれて――
(こんな時、ティグルヴルムド卿だったら……戦姫様だったらどうしたのだろうか?)
ふいに、ルーリックがそんなことを考える。
ここには、多くの人々が立場を抱えている。
ルーリックは、ジスタート軍の副官であり――
ティッタは、ティグルに仕える侍女であり――
バートランは、ティグルに仕える従者であり――
オージェ子爵は、テリトアールを治める貴族であるから――
異端の嫌疑を被っている凱を護ることはできない。
ティッタには、一介の侍女には、凱を庇う力がない。それがとてつもなく悔しかった。
どうしてガイさんが、アルサスのみんなを守ってくれたガイさんが、このような目に合わなければならないのか?
また、少女のハシバミ色の瞳から涙がこぼれ堕ちる。
(どうして……なんで……こんなに……あたしはなにもできないんだろう?)
ティッタのそんな小さな思いをかき消すかのように、獅子王凱は護送馬車へ連行されていった。
NEXT
第12話『造られし者~対峙した時代の光と影』
『アルテシウム中心都市ルテティア・ガヌロン公宮・応接室』
凱がアルサスから異端容疑で連行される数日前のことだった。
マクシミリアン=ベンヌンサ=ガヌロンはグレアストを招致して、定例の密会を行っていた。
月が天空に浮かび上がり、密談の役者をほんのりと照らす。夜の最も深いにも関わらず、月は雲を得て朧と化している。忌々しい程の光量が降り注いでいる。
そんな虚影のような風景が、ガヌロンの瞳にとって好印象に映えるのだった。
「今夜は寝かせませぬぞ。閣下」
そうグレアストが遠回しに忠告しては、ガヌロンの承諾を確認した。つまり、とことん付き合うという意図表示だ。
ガヌロンは背後に控える従者に命令する。
「おい。林檎酒を大量に用意しろ」
恭しく一礼して、従者は退出する。しばらくの間をおいて、ガヌロンの好物がテーブルの上へ運ばれていく。
熟成の高い林檎酒を両者は一口含み、前置き無くグレアストは切り出した。
話題はまずこれだ。
――テナルディエ軍と同じく、ガヌロン軍もまたアルサスへ侵攻した。ちょうど凱とテナルディエ軍が交戦していた時――
そのガヌロン軍を率いていた指揮官がこの白髪の男、カロン=アンティクル=グレアストだったのだ。
閣下と仰ぐこの男の命令とはいえ、やはり気が乗らない。この目に留まる美女でも鹵獲?しなければわりに合わないというものだ。
だが、そのくだけた妄想は半分だけ実現することとなった。
アルサスへ進軍中、マスハスを中心とする有力貴族の迎計略に遭い足止めされているにも関わらず、グレアストは続々と斥候を放った。
恐怖で支配する指揮官の斥候からもたらされた『銀』と『金』の報告が、耳部をピクリと踊らせた。
――銀閃の風姫と黄金の騎士――
『銀』のほうは幻想的表現なのだが、『金』については、文字通り物理的表現でしかない。
銀閃の風姫は既知済み。比類ない美貌の持ち主にして、希少な銀の髪の持ち主、磨かれたワインのような紅玉の瞳の持ち主だと。
しかし、黄金の騎士の報告だけは、心にとどめるだけにした。グレアストの直感だが、これはなかなかの土産話になりそうだと感じたからだ。
「アルサスでこのような戦噂を聞きまして……一人の
流浪者がアルサスの防衛に力を譲渡したと」
林檎酒の味を転がしていたガヌロンの舌が、ピタリと止まる。
「面白そうだな。酒の肴の代わりに聞かせろ」
従者に用意させた林檎酒を再び飲み、グレアストの話材にガヌロンは喰いついた。
それからグレアストは詳細を語り出した。
抵抗戦力のないアルサスはただ蹂躙されるだけかと思われた。略奪で戦意が堕墜しきった兵士の隙をついて、漁夫の利を憑こうとしていた。
――そうなることが、ガヌロン軍に期待されていたはずだった――
心躍るような出来事を裏切る形で、黄金の騎士は唐突に出現した。
獅子のたてがみのように長い髪を、その黄金の部位を、深緑の短剣をひるがえし、蹂躙の限りを尽くしていった。
顛末を話し終えたグレアストは、この鳥の骨の人物の反応を伺っている。
(さて、公爵閣下はどのような感想を……)
そんなグレアストのささやかな興奮は、徐々に高鳴っていく。
「ほう。それはすごいな。一人でテナルディエ軍を跳ね返したのか。弱者で溢れるブリューヌにまだ獅子がいるとは」
この得体の知れない主の関心を感じ取ったグレアストは、静かに笑みを浮かべる。
「その男、一体どのような持ち主なのかね?」
グレアストは斥候の報告をさらに思い出していた。顎に手を当てながら、何やら楽しそうに言葉を紡いでいく。
「何しろ、不可思議な力を秘めた青年でしてね。あの強さはバケモノでしたよ。こう左手に紋章のような刻印が浮かび上がると、緑色に輝いて……」
次の瞬間、グレアストは、己の報告に後悔することとなる。
パリン!!
瞬間、ガヌロンは好物の林檎酒入りのグラスを握りつぶした!
「……刻印だと!?」
さらに半瞬、ガヌロンの態度が豹変する!穏やかだったガヌロンの声色がドス黒い音圧となって、グレアストの耳朶を討つ!
(これが……閣下の本当の声色なのか?)
ごくりと、この銀髪の男は恐怖のあまり唾を呑む。
「グレアスト。その紋章はこのような形をしていなかったか?」
骨のような小指でグレアストの視界上に文字をなぞる。それは「G」という独特な文字であった。
ブリューヌ語でもない、ジスタート語でもないこの文字をどうして知りたいか、グレアストには分からない。ただ、それはどうでもよかった。
些細な質問。グレアストにガヌロンの意図が理解できようが、理解できまいようが、目前の主の問いに返答しなければ己命がない。
「そのように見えなくもないですが……」
グレアストは震える声を抑えながら、のどを絞り出して答える。
人の持つ天譜の才の一つ、『神算』の持ち主であるグレアストとて、現段階ではおぼろげな答えしか持ち合わせていない。そもそも、そのような『音素文字―アルファベット文字』を見た事すらない。
だが、ガヌロンにとって、グレアストらしからぬ頼りない回答で満足した。なぜなら、この世界の『真実』を知るものは少なくてよいからだ。
通常、知りすぎてはならないものがある。権力が上に上にと集中する王制、特に謀略渦巻くブリューヌで長生きするには、常に注意深くあらねばならない。それも人並み外れて注意深くある必要がある。知りすぎてはならない。少なくとも、知りすぎたと思われてはならない。
そういったものを、異端という手段で闇に葬る処刑法を考案したグレアストだからこそ、誰よりも『知りすぎることに対する』危険性を理解している。
「ふっふふふふふ!!ついに捕えたぞ!獅子王の忘れ形見!」
人ならざる者のような、年老いた彼の口元が極端に吊り上がる。主従関係こそ長いグレアストとて、ここまで歓喜に打ち震える主の表情を見るのは初めてだった。
10数えるくらいか、再びガヌロンが沈黙を破って口を開く。
「閣下。どうやらあの男は
宣教師からぬことをしているようです」
宣教師。それは、特定の思想や宗教を未開の地へ伝播する為に、故郷を離れて布教活動する人物の事である。
目的は単に『伝える』だけではない。居合わせた地域に対しての教育水準等の向上活動に取り組むことが、行動理念の常といわれている。
遣われし者という意味も込められており、その神聖な行いは報いを求めてはならないとされている。
ガヌロンは、ほくそ笑む。
独立交易都市のような他宗教都市群ならまだしも、王制から脱皮できない虫どもの集まりで、よくもまぁ、尻のかゆくなりそうなお節介が焼けるものだと。
そもそもジスタートやブリューヌでは、
独立交易都市と信仰している対象が違うではないか。
ガイは知らない。ゆえに知るべきだ。幼稚な時代であるブリューヌに今必要なのは、『異端』ではなく『正統』なのだと。
いや、知っていながら、こうなることが分かっていたからこそ、覚悟を決めていたのではないか?
特に、
独立交易都市において『王』、『神』、『獣』は忌語のはずだ。凱はその事実を知っていたはず。
(そうまでして、この時代が愛しいか)
ともかく……
詳細がどうであれ、ガヌロンに一つ、気まぐれに近い名案が浮かんだ。それをグレアストに告げると、両者は暗い笑みを浮かべた。
「異端審問……ですか」
「そうだ。奴を異端の網でからめとってしまう」
網を行使するのは分かったが、半ば強引的であるガヌロンの網……つまり『糸』は読めても本心、『意図』までは読めない。
「ですが、素直に捕まるとは思えませんが……「それはない」何故です?」
この醜悪な老人には確信があった。
まともに捕縛しようとしても、超人的戦闘力を持つ凱が相手ではまず不可能だ。最初にグレアストが「バケモノ」と言ったではないか。
力に力で対抗する術は通用する見込みなど皆無だ。
とはいえ、所詮は
勇者もまた
獅子王。心強き、そして、心優しい故に、心正しき選択しか取れない。
例え自分が傷つくことを厭わずとも、他人が傷つくことは、何事にも耐えがたいはずだ。
それに、異端なら凱を庇い建てできない。凱にまとわりつく親しい人間達は、異端の糸でからめとれる。
――我が子を奪われた獅子が、子を取り戻す為に怒り狂うことと同じように――
――人間から嫌われることを、何よりも、人間から怪物と思われることを怖がっているなら、手の打ちようがある――
卓越した頭脳の持ち主であるガヌロンの思惑を察したグレアストは、その後の展開を予測して口元を釣り上げる。
「いぶり出す。といったところですかな」
見えない『糸』をやっと手繰りあて、読めない『意図』を見抜いたグレアストは、僅かながらに歓喜を得る。
異端審問にかける。確かな正義と君主制の織りなす時代だからこそできる不震の執行権。
そして、ガヌロンは小さくつぶやいた。
――私は……『私』を放っておくことはしないのだ――
その意味深いガヌロンの言葉は、グレアストの耳に届いていなかった。
◇◇◇◇◇
……グレアストは、そんな事を思い返していた。
あまり街道の整備が整っていないアルサスを通る為、馬車では当然不規則に揺れる。
そんな揺れに対する苛立ちをごまかすかのように、獅子王凱は仮眠をとっていた。
獅子王凱。その青年は今、異端の烙印である手枷をかけられている。
気持ちよく寝つけるかと思いきや、車内の片隅にある拡声設備(スピーカ―)から、男の声が発せられる。
《ご機嫌如何かな?シシオウ=ガイ》
「……カロン=アンティクル=グレアスト」
ゆっくりと目を開けて、凱は問い返す。その声色はどこか不機嫌成分が含まれていた。
《獅子は寝起きが宜しくないようですな》
「察しろ。たたき起こされたのだ」
シーグフリードと同じ銀髪の男。人の気も知らないのか、ひょうひょうとした口調でグレアストは凱に語り掛ける。
たたき起こされたという表現は、こういうことだ「馬車のはずみで頭をぶつけた」という事で。
《王都へたどり着けば、気も晴れることだろう。ガヌロン公爵も御待ちかねだ》
ブリューヌの大貴族の名を聞いたとき、凱の背筋に悪寒が走った。
気が晴れる。それはある意味間違いではないかもしれない。
異端審問のオチは、流石の凱も理解できる。結末としてはアルサスにもう帰れない。ティッタとも、もう会えないのだ。
その事実が、凱の心の檻をより一層締め付ける。
「ガヌロン……この異端審問状を差し出した奴か」
《敬称くらいつけたらどうだ?無礼な流浪者だな》
「かまわないじゃないか。命のやり取りをする奴に、礼儀作法なんて必要なんて……」
目の前の現実を理解しているから、凱の返事も容赦がない。至極真っ当なことであるため、グレアストはこの辺で会話を打ち切った。
凱の声色が弱々しくなる。それは、オージェ子爵から彼の……いや、彼らの素性をある程度耳にしたからだ。
――ルテティア現領主にして、ブリューヌ法王庁の宰相。マクシミリアン=ベンヌッサ=ガヌロン。――
臣民や領民、純順な老若男女においては、好々爺と器量の広さで名君主と評されている。歴代ルテティア領主でも、ここまで人望をかき集めることのできる領主はいないとされ、「過去現在において比肩する者なし、未来永劫、彼を超越せし者なし」とまで言われている。
しかし、反逆と異端に対して、慈悲と容赦が微塵もない。
凱はオージェ子爵の言葉を思い出す。
――ガヌロン公爵の二つ名。
煉獄勇者とも呼ばれている。―
――……勇者……ですか?オージェ子爵――
――ガイ殿。彼は牙をむいた者に対する烙印……処刑法には特徴がある。――
――特徴?――
異端の処刑法は大体、凱でも知っているつもりだ。火刑、磔刑、異端拷問椅子、様々だ。別に特徴というわけでもなさそうだが。
――相手の頭を右手でつかみ、まるで烙印を刻むかのように……こう……
柘榴のようにカチわって潰すらしい――
――う……――
人当たりのよさそうな顔、オージェ子爵が冷や汗をかく。それは、凱も同様だった。
結局、脱出の機会をうかがう、凱の望む「いざこざ」は起きることなく、ニースへ到着した。
『ブリューヌ・王都ニース内・中央街道』
誰かが歌っている。惰声のつもりでも、ブリューヌ人は歌唱力が無駄に高い。ガタンという木製の音を弾ませて、車輪と荷馬車がきしむ音が聞こえる。何度も続く揺れの中、凱はあまり眠ることが出来なかった。くまが薄っすら浮かんでいる。
――今日の昼寝は今日しかできない。明日の昼寝は、明日でないとできない――
そんな野○の○太の正義を称えるような陽気な歌は、今の凱にとって耳にささやくものでしかない。
歌詞にあるように、凱の明日は果たして訪れるだろうか?答えは皆無だ。
偽りの平和。内乱がくすぶる中の希望に対して、人々はどうするのだろうと凱は訝った。
馬車は王都へ続く幹線通路を堂々と闊歩する。民である歩行者は慌ててモーゼの海割りのごとく道を開けていく。
異端審問の順列は、概ねこの通りである。
まず、異端の容疑者を異端審問所へ送り届ける。政治システムを揺るがす危険要素を、まずは王都にて暴き出すのだ。
王への説明と報告を必要とするために。
それが終わった後、ブリューヌ建国前よりアルテシウムの司祭の肩書をもつガヌロンが、異端者を裁定するのだ。
テナルディエ公爵家は、『誰よりも強くあれ』という信念をブリューヌの『歴史』として切り開き――
ガヌロン公爵家は、『誰よりも恐れあれ』という理念をブリューヌの『伝統』として守り抜いてきた――
『最強』と『最恐』の両輪が支えるブリューヌ。二つの概念がブリューヌを鋭利な形で発展……その歴史の刃を研いできた。
美しく研がれた刃。それを象徴するかのように、リュベロンの山肌に王宮はたたずむ。
馬車が進むにつれて、それは大きく凱の視界へ移る。でも……
――俺達は……何と戦うべきなのか……まだ何もわかっていないんだ――
悔しそうな声色で、凱はつぶやいた。分かっていないのは、自分自身も含まれている。そう、いまだに『不殺』の答えや『人を超越した力の意味』ですら見いだせていない。迷える子羊は輪廻の中を、箱庭で彷徨うしかないのだろうか?
『ブリューヌ・王都ニース王宮内・とある一室』
マスハス=ローダントは憤慨していた。
テナルディエの独断ともいえるアルサスへの焦土侵攻。王が貸し与えた土地を、臣民が土足で踏みにじる大貴族の行為に対して抗議する為、本来なら、非道を人道で正す為に貴族として取ったこの行動は正しいはずだ。
しかし、王宮へ足を踏み入れた時、いかなる理由で――散々送り付けた書状を握りつぶしたのか――を知ってしまった。
マスハスは自分と、目の前にいる親友の表情に問いかける。
この男、ピエール=ボードワンは考えにすぎるところがある。
国という天山頂に近い人物ほど、常に
麓への気を配る必要がある。
時代の天候、それによる民衆と貴族の動向は千差万別だ。とくに山頂はそのような天候の変化が著しく変化する。
今日、川の水が高きから低きに流れているからと言って、明日も同じだとは限らない。
一夜で水が枯渇することだってある。
逆もしかり、大洪水で川を逆流させてしまうことだってある。
晴天だった青空が半刻も待たずして、急に大気の流れを加速させて、雷雲を呼ぶこともあるのだ。
そういった類経験を、ボードワンは『民政』『国政』『君政』から学ばされてきた。
故に、ボードワンは考えに考える。
ティグルヴルムド=ヴォルンは両公爵にとって代わる第三勢力となり、ブリューヌを台頭する要因となるではないのかと――
原則を信じないにしても、軌跡を信じないにしても、今のボードワンにすがれるものは「ブリューヌの存続を第一に」という至極真っ当な論理しかなかった。
長い沈黙を破って、マスハスは重々しく口を開く。
「おぬしら、『最恐』と『最強』の均衡状態が崩れるのを待つ気か?」
「ティグルヴルムド=ヴォルンはどう判断する?彼は己の領土を護る為にジスタート軍を雇った行動を!」
猫ひげの宰相へ真っ向からマスハスは切り結んだ。
ティグルの正当性を貫くために。何より、エレオノーラと同じように「民を護る為に」という意思を大事にしたいという気持ちが強かった。
「叛逆以外にどう判断せよと?」
打ち合い敵わず、この宰相は情を理で跳ね返す。おおよそ分かっていた返事に、マスハスの中で何かが切れた。
「テナルディエ軍がアルサスを襲撃した時、騎士の一人も現れなかった!おぬしらの判断、『
中心』の為に『
末端』を切り捨てる行為こそ!王国と陛下に対する反逆だろう!?」
高級感漂う机が激しく揺れる。感情のあまり、マスハスは思わず机を叩いてしまったようだ。だが、ボードワンには、マスハスの気迫が声に乗って叩き付けられたように思えた。
自分はティグルの正当性を主張する為に、王都へ足を運んだはずだ。書状を渡す為に来ただけの、子どものお使いではない。
今の自分はティグルの代わりであり、自分の言葉はティグルの言葉であり、自分が聴き、見たことはティグルへ伝えなければならない。
「ボードワン。一人の
流浪者が……王国に生きる民、アルサスを護った話は知っているか?」
「……?」
「その男は……シシオウ=ガイと名乗っている」
「シシオウ……ガイ」
独特の発音。その獅子王凱と同じ声帯を持つボードワンは、眉を潜めてそうつぶやいた。
「この国の者でないにも関わらず、アルサスにもがく民を護る為に力を振るった。真っ先に神殿を見捨てた神官に変わり、子どもたちに教えを説いてきた」
ティグルがキキーモラの館へ出立する前まで、記憶は蘇る。
それは太陽の光のように、戦乱で幸奪われた子供達の心を育み――
それは月の光のように、戦乱で傷ついた子供達の心を癒して――
何もしないまま空虚な時間が過ぎていく。それが我慢できなくて、悲しくて、憂いていて――
何かをしたい。凱はただ、本当に、それだけで、それしか思っていなくて――
「異端以外にどう判断せよと?」
「…………今、何と申した?」
「シシオウ=ガイなる者は異端と認定。本日公開処刑の予定」
躊躇なく告げる新たな現実に、マスハスの態度はさらに憤慨した。
「異端……異端じゃと!?まさか……ガヌロン公爵の手が!?」
そうとしか考えられない。異端認定はブリューヌ法王庁からしか発布できない。それが出来る人物はただ一人。
なんだ、これは――
一体何の茶番だ――
国の内政をくすぶる異端の歴史。
異端という不穏分子が、村を、領地を、そして国を倒壊させた事例には枚挙に暇がない。
だからこそ、ボードワンは叛逆よりも異端を警戒する。原則というものを信じないのは、異端からというボードワンの弁。
「彼の噂は、アルサスを侵攻したテナルディエ軍の敗残兵から聞き及んでおります。なんでも、『人を超越した力』を以てテナルディエ軍を瓦解敗走させたと」
結果として、傭兵として雇われたジスタート軍が戦の勝敗を決している。しかし、そのジスタート軍が介入するまでの間、一人でアルサスの民を護ってきたのが、『
流浪勇者・
獅子王凱』なのだ。
溜め込んだ重い息を、マスハスは一気に吐き出した!
「……もう一度言うが、アルサスをテナルディエ軍が襲ってきた時、騎士のひとりも現れなかった!!最早この国は一介の
流浪者に頼らざるを得ない程、脆弱であることがジスタート軍に露呈されているのだぞ!」
自分自身への皮肉も込めて、マスハスはボードワンの癇に叩き付ける!
おそらく、アルサスへ駆けつけたジスタート軍も、―凱がたった一人でアルサスを防衛していた―という不可解な戦況を目撃しているはずだ。
国と民を護るべくの騎士団。領地への被害を守ること敵わずとも、国民を守るべく、一個の騎士団が救達、もしくはテナルディエの暴挙を止めようとしたはずだ。しかし、結果的に民を護ったのは『騎士』ではなく『勇者』だった。
度重なるマスハスの口酷に、この頑固な宰相は怒りをこらえ切れず、ついに反撃を開始した!
「一介の
流浪者といえど、野心や欲がないとは言い切れまい!単なる正義感や親切心から力を貸したとお思いか!?」
「単なる正義感や親切心だからこそ!見返りもなく不退転の覚悟で!アルサスの民を護ったのだろうが!」
「見返りがないから危険なのです!本当は人に言えないほどの大きな野心を抱えているのではないかと!」
「わし等はガイ殿の人となりをよく知っておる!国に仕えないからこそ、心正しき選択を取れるのだ!自分の未来を恐れずに!」
「いずれの国にも仕えないから、大陸を流れるから
流浪者なのです!もし!彼が民を扇動してブリューヌに牙をむき出しにした時、ヴォルン伯爵やあなたはその『異端』を止めることが出来るのですか!?」
ここまでボードワンが凱を警戒する理由はある。
ブリューヌ建国時における異端排除は、宰相や法定官が最も頭を悩ます事項である。それは、異端というものがどれだけ『国』にとって恐ろしく、何より防ぎ難いものか。ボードワンは実体験で知っている。
農法、工法、政法は国を循環する3柱のシステムであり、神の代理たる『王』がそのシステムを管理する。
しかし、システムである以上、必ず『
虫』が生まれる。自立の芽が息吹いた領地で叛乱が起きた歴史もある。ブリューヌもその一つだ。
さらに、派遣した異端審問官の報告によれば、獅子王凱はアルサスの民に高い信頼を得ている。
――騎士なんか信じられない!オレたちは勇者を信じる!――とまで言われる始末なのだから。
確かに、それは否定できない。なぜなら、騎士を動かすのは『命令』で勇者を動かすのは『理由』なのだから。
よって、『臣民』より『国民』のほうがはるかに単純だ。目に見えないものより、目に見える結果を信じる。黄金の騎士である獅子王凱を信じるのも無理はない。
もし、ブリューヌの現状に不満を抱き、アルサスが力を蓄え、凱を筆頭に決起するときが来たら、この国の抱える勢力は乱立してしまう。
――テナルディエ――
――ガヌロン――
――ジスタート軍率いるヴォルン――
――アルサスの民を、周辺領地の民を扇動する可能性のある凱――
そうなれば、このブリューヌはすぐさま無法地帯と化し治安機構は維持しなくなる。
凱と同じ声のボードワンなだけに……その事務的な言葉がマスハスの脳髄を刺激する。
「ここまでの現状を招いたのは、『末端』より『中心』を選んだおぬしらだろうが!目の前の牙を恐れて未来におびえるのか!」
ジスタートという
黒竜の化身を始祖とする『竜の牙』
そして、『眠れる獅子の一節』を彷彿させる獅子王凱の『獅子の牙』
それ以外にも、「ブリューヌを虎視眈々と狙う飢狼の牙」たくさんだ。
「マスハス」
ボードワンは深い溜息をついた。
「私の言動、行動、挙動は全てブリューヌの存続を第一に考えて決めています。ゆえに、叛逆と異端の処断に変更はありません」
「たとえ、テナルディエ公爵やガヌロン公爵であろうとも?」
震える声を抑えて、マスハスは切り返した。
階級の高低差はあろうとも、王に忠誠を誓う貴族である以上、もしテナルディエやガヌロンも他国の軍勢を引き入れたら、同じ扱いを受けなければ納得できない。
マスハスのやや挑発的な口調にも関わらず、ボードワンは我が意を得たりといった表情で、マスハスに振り向いた。
「大義。正義。どちらでも構いません。異議に対する定義を、そして恩義を抱く。そういった方々が罪を問われないのです」
「……そうか」
過去、ブリューヌの混迷だった時代、テナルディエもガヌロンも一時は救国ともいえる活躍を成したのだ。
革命派のテナルディエは、維新という形で国に貢献したように――
保守派のガヌロンは、王に付き添う敗者という形で国の構築に生涯をかけた――
「大義……それに匹敵する……」
ここまでつぶやいて、密会は中断した。
いずれにせよ、上奏は敵わない。だが、これで今後の行動は明確になった。
まずはテナルディエ公爵を討つ。現状を打破するにせよ、今後の憂いを取り除くにせよ、まず対立関係にある貴族の対処だ。
今だアルサスと接点のないガヌロン軍は、対処として2番手でいいと思われる。1番手はやはり御子息を打たれたテナルディエで確定なのだから。
礼儀を失しない程度の歩み脚で、マスハスは王宮を抜けていった。
◇◇◇◇◇
よそから見れば、凱を連行する一団はどこか危険なにおいが漂っている。
新たな手錠……今の凱は首輪と連結した手錠をかけられ、ガヌロンに連行されている。
まるで凱を覆い隠すかのように、ガヌロンの従者達は異端者を取り囲んでいる。
「ご苦労だった。グレアスト卿」
腹心に労いをかける性醜な小人は、どこか満足そうにうなずいた。
マクシミリアン=ベンヌッサ=ガヌロン。その皮膚の薄さは「鳥の骨」とも称されるほど薄く、皮と骨でどうやって動いているのか?ともいわれている。それに拍車をかけるように、基本的にガヌロンは笑みを絶やすことはしない。例え味方であろうとも、自分に敵対する者には容赦がない。だが、そうでない者には軽々とした態度で応じ、何かしら助言めいたことを告げる、謎の多き人物である。
故に、ガヌロンの残酷加減は、時折味方にさえ及ぶのだ。
そういった意味では、弱者なら味方に獅子の牙を向けるテナルディエと類似している。
両者の『過信』は『禍信』となって、『覇道』と『邪道』を阻むものを容赦しないのだ。
不遜な空気が漂う王宮にて、一人のぐんずりとした老人がこちらへ歩いてきた。
「……ガヌロン公爵」
ふいに、マスハスがつぶやいた。
それに対して、ガヌロンは親しみのある口調で返事した。
「おお、マスハス卿ではないか」
明るい口調のガヌロン公。その体に纏う雰囲気と相反する明るさが、かえってマスハスの警戒心を強める結果となる。
(マスハス卿!?)
そんな凱の心配を無視するかのように、ガヌロンはマスハスに謝辞の声を漏らした。
「あの時はすまなかったな。アルサスへの救援が間に合わず、ヴォルン伯爵に何と詫びればよいか……」
一体何のことだと、マスハスと凱は思ったが、半瞬の間で思い当たる節を見つけた。
少し前、テナルディエ軍がアルサスに侵攻しようとした時期、ガヌロンもアルサスへ向けて軍を動かしていた。ただ、どのような思惑でガヌロンが軍を派遣したのかは、誰にも分らない。
「いきさつはわからんがな。ある有力貴族の集団が、我が軍を関節的に足止めしたと聞いている」
間違いない。ガヌロンは知っている。
確か、バートランさんが言っていた。
テナルディエ軍を凱が食い止めていた時、ガヌロン軍を食い止めていたのはマスハスだ。
それにしても、とんでもない嫌味だ。
2大侯爵家が人道的見解に背を背けているからであり――
どちらかが先に到着した地点で、アルサスは無人の荒野になることに変わりはないのだ。
もし、マスハスがガヌロン軍を食い止めていてくれなかったら、アルサスがどうなっていたか分からない。
「……それは、感謝いたします」
そう感謝の意を述べるものの、マスハスの顔がかなり青ざめている。
「いやいや。非道なるテナルディエ軍から民を護るのは、臣下として当然の務め。同じ臣民同士、体を張ってでも守らなければ」
ガヌロンはにっこりと微笑んだ。本来なら、安心感を覚えるべき言葉なのであるが、どうもガヌロンの口から語られると、マスハスには不安にしか感じ取れない。人間は直感でそれらを判断すると言われているが、もしかしたら、それは本当かもしれない。
しかし、マスハスも黙ってばかりではいられない。あたりさわりのない会話で、ガヌロンの動向の片鱗でも探らなければ。
「ところで、ガヌロン公爵は何故王都へ?」
「一人、アルサスで異端者が見つかったのでな」
「アルサスで異端……」
先ほどボードワンから異端者について聞いたばかりだ。よりにもよって対象者が凱だとは思っていなかった。
今日は絶句が多い日だ。喉の渇きが、今の季節と相まって加速させる。潤したい気持ちが、マスハスを煽らせる。
「では本日、その神の教えを示されるのですかな」
マスハスは緊張を抑えて何とか訪ねた。対してガヌロンは首を横に振る。
「まずは裁く。なぜなら、その判別は天上の神々がなすからだ」
やはり、この異端審問と認定速度、何かがおかしい。嵐の前の静けさの雰囲気さえ感じる。
「ではこれで失礼する。マスハス卿……そうだ。『鎖』には気を付けられよ」
鎖とは一体何の事か、それを理解した時、危機となって訪れる。
◇◇◇◇◇
――異端審問開幕までの間、ガヌロンは一人宮殿の庭園でくつろいでいた。
「庭園……そう。ここは貴様が闊歩する
箱庭ではない……」
そんな風に、ガヌロンは悪態をついていた。思わず
箱庭と揶揄したことには、ガヌロン家の歴史が関係している。
テナルディエ家と双璧を成すガヌロン家は、ブリューヌ建国以前より存在する、いわば『大陸の庭師』である。
伸びすぎた芽は刈り取る必要がある。
かといって、乱刈ばかりでは、『芽』はいつまでも『樹』にならない。
大陸に根を張り始めた『世界樹』の『葉』に、ときおり『害虫』が紛れ込む。
そう。数多の時間を超越して出現した獅子王凱のように。
命を大なり小なり削っては、そうやって時代の調和を保ってきた。保ってきたというのに……
「女神の……痴れ者が……」
そうガヌロンが愚痴をこぼしたとき、後ろに、女性の気配を感じ取る。
自分の影に入り込む独特の気配を、ガヌロンは知っている。長距離移動を可能とする通路にして窓口をつくる戦姫の事を――
封妖の裂空・エザンディス・幻の竜の技『
虚空回廊』。
空間を超越して、至近と目標を繋ぐこの技は、『山脈』や『海峡』といった
途上障壁を、『国境』という政治的障壁すらも、やすやすとかいくぐることが出来る。
「これは、これは。ヴァレンティナ=グリンカ=エステス殿。遠路はるばるご苦労なことですな」
「見事な演技でしたわね。ガヌロン公爵」
まるで遊びに来たかのような感覚で、ヴァレンティナの訪れに対して、ガヌロンはそう思えた。そんな彼女の態度を察したのか、ガヌロンとて否定する気はなかった。むしろ、こういう遊び心はお互い好みと言ったところである。
「演技ではない。あれが私の素の姿なのだ」
口元をやんわりと釣り上げるガヌロンに対し、ヴァレンティナはにっこりとした表情を変えようとしない。
一つ、ガヌロンは嫌味を返す。
「生憎芝居は苦手なのだ。私はそなたのように面の皮が厚くないからな」
ヴァレンティナに向けて、面の皮が厚いと叩いたのは単なる憎まれ口だが、ガヌロンの面の皮が文字通り、彼女より厚くないのはただの事実でしかない。
(皮肉が事実かどうかはさておいて……事を済ませなければなりませんね)
現在、ブリューヌの特使としてソフィーヤがここへ訪れているはずだ。
先月の戦い……エレオノーラ=ヴィルターリアの突発的なブリューヌ介入に対し、ヴィクトールはしびれをきらして、ソフィーヤ=オベルタスを特使へ向かわせた。王に次ぐ立場の戦姫、若しくは王の代理に近しいならば、他国とて無下にできないはずだ。
確かに、そういう表舞台に立つ役目は『光』でいい。おかげで自分は『影』の通りに動きが取れる。
……でも……遊んではいられない……
長居すれば、最も自身を警戒している彼女に気取られてしまう。
虚影の幻姫がここ、そのような危険性を冒してまで、ブリューヌに訪れた理由がある。
すなわち、獅子王凱とガヌロンの因果関係。
エレオノーラの公判終了直後、彼女が放った諜報部から不審な情報を得た。
あまりに迅速な異端指定の流れ。
『味方』であっても『異端』には無慈悲なガヌロンが、このような事をすること自体珍しくはない。むしろ、眉を潜めたのは「あまりにガヌロンが凱に固執」することだった。
たおやかな表情を変えて、彼女は最初の激突ともいえる言葉を発する。
「シシオウ=ガイは……やはりあなたと」
仮説であるような、憶測であるような口ぶりで、ヴァレンティナは老人を説いた。
刹那、ガヌロンの穏やかだった態度が、あの夜と同じように豹変する。
「そんな下らん台詞は今回だけ許してやる。だが、奴とのつながりもこれで終わる」
「……それでも、あなたは、あなたなのですよ。ガヌロン公爵」
両者は両者の正体に気付きながらも――
今の危険な距離感だけで、こと足りた――
慟哭類似なやり取りだけで、ヴァレンティナは―ある種―の確信を得た。
竜具・黒き弓・今の時代では魔物と呼ばれる彼ら。
そう……すべては……
――ヴァレンティナにとって、それらの『真実』は後に知ることとなる――
――それは、思い出ある人物。獅子王凱の存在の秘密だけは……知りたくないものだった――
『王都ニース・異端審問所・王宮中央公開施設』
昔、誰かが告げた。
この世は煉獄そのものだと。
心弱き者ならば、耐えきれぬ痛みで、神々に許しを請うだろう。
どうか、助けてくださいと。
どうか、殺してくださいと。
灼熱の裁きを。その報いを。神々に弓引く思想を持つ愚者よ。
故に、罪人は纏うのである。
心を真実の火炎で焼きつくす。
――すなわち、『炎の甲冑』を――
神の元へ送り届ける炎熱の抱擁。神の元へ参り、真理を学ぶがよい。
この鎧を纏いし者こそ、真の勇者と認めるだろう。
処刑人の注目を集めるかのように、一際高い木造台の上に、甲冑が飾られている。
殆ど磔に近い形で甲冑を纏う凱を見ようとするヤジウマ共、万民が公開処刑場に集まっている。
その中に、かつて濡れ衣という形で名誉を汚された父の忘れ形見、ドニの姿があった。
『
流浪者などに勇者がいるはずがない』そのような認識が、この場にいる全員にあった。
炎の甲冑。己が身を太陽の炎に委ねる鉄肌。それは拷問であり処刑であった。
「異端審問状を差し出した本人が対面を拒む。
流浪者だけでこの扱いとは」
今、甲冑に身を固められた凱がそう文句を言う。
「処刑台の下から炙る炎熱が、徐々に甲冑へ熱を伝えて貴様の身を焦がしていく。その内、喉の渇きから叫びすら出せなくなる」
さらに、グレアストの説明が続く。
「皮膚と内臓を同時に焼く痛みに耐えきれず、多くの者は篭手と具足だけで発狂して死んだがな」
「その程度ではまだ生ぬるい」
「何だと?」
グレアストが眉を潜める。
「俺なら残りの胸冑、兜を全て纏うぜ」
「貴様……何を企んでいる?」
灰色の髪の執行官、グレアストはらしからぬ疑惑した。シシオウ=ガイという男、これから死に向かおうというのに、この落ち着きようと挑発は一体何の真似だ?
挑発?別に構わない。ならば望み通りにすべての甲冑を纏わせるだけだ。
「グレアスト。俺が怖いのか?」
「……強情な奴め。それが貴様の最後の台詞になるぞ?」
そんな凱の抵抗を、グレアストはささやかな悪あがきと判断した。
◇◇◇◇◇
何時しか天候は曇り、ドス黒く染まりそうになっていた。少なくとも、雨は降りそうにない。
その空の色は、凱の行く末を見守るかのような色だった。
数々の文言、祈祷官による呪いの履み、それらによって、処刑台のほうへ、すなわち凱のほうへ炎は投げられる。
――炎の甲冑は、執行された――
炎熱の業火吹き荒れる中。鉄ばさみにて、身を護る部位を凱に装着させていく。
「ぐっ!!!」
確かな熱を帯びた鉄は、赤みを帯びて凱の右腕に装着される。
密着する肌と鉄に熱層が生まれ、凱の肌を焼きこがす。
「あああああああ!!!」
凱の呻き声が、グレアストの自虐心を煽り、次々と甲冑をはめさせる。しかし、凱は苦悶の声を上げても、根は上げていないようだ。それがかえってグレアストの高揚心を高める結果となる。
新しい玩具を与えられた喜びを、グレアストは覚えた。次は何をはめようか。次は何処にはめようか。そのような歪んだ好奇心が目まぐるしく回る。
瞬く間に、篭手と具足は装着され、そして胸甲をはめられた。
「ウオオオオオオオオ!!!!」
獣のような叫び声で、凱は身動き取れない体で暴れた。その体を蝕む炎熱が、凱の神経を、自由を奪っていく。まるで、自分の身体が炎の悪魔に乗っ取られていくような錯覚に苛んでいく。
――ナゼ……オレハスクワレナイ――
(……この声は……ジャック……ストラダー?)
代理契約戦争の残党。ジャック=ストラダー。
彼はシーグフリードに
救世を求む心を利用され、
独立交易都市の競売イベント『市』の魔剣強奪事件における中心人物であった。
残された指を使い果たし、悪魔契約を唱え、自らの血肉を捧げて、彼は炎の悪魔……いな、悪霊と化した。
戦争の主犯と迫害を受けていた彼もまた、このような苦しみを受けていたのだろうか?
いや、比べてはならない。
今こうして、炎の甲冑を纏っている事より、炎の悪霊に取り付かれていた彼のほうが、死にきれない苦しみを受けていたはずだ。
最後、ジャック=ストラダー凱の心の優しさに触れて、救われたのだ。
――ガッツィ・ギャレオリア・ガード……GGG憲章・第5条125項!――
――GGG隊員は、いかに困難な状況に陥ろうとも、決して諦めてはならない――
――だから、俺は、こんなところで終われない――
――今の俺のように、言われなき異端の烙印と――
――ティグルのように、理不尽な叛逆の不名を押されて―-
――それ以外にも、何人も冤罪を着せられて――
――何年も何年も苦しんできたはずだ。――
そう自分に何度も言い聞かせ、凱の離れかけた意識は、何とか肉体と結びつく。
――まずはガヌロンをおびき寄せる――
そっちが異端扱いするなら、異端でないことを証明させればいい。それは言葉ではなく、態度でもなく、人間性でもない。
人を超越した何か。すなわち、『神性』
熱で乾燥した唇を動かし、空気を震わせる。唇をかみきって、自分の血で喉を潤す事忘れずに。
「か……神々よ……天空のゆりかごにて、子供達を見守る神々よ……」
それは、偽りなき神への祈り。呪われし炎熱の鎧へと挑む勇者の文言であった。
◇◇◇◇◇
兜以外の甲冑をはめ終えて、見物人たちの熱は徐々に冷めていった。なぜなら、対象者たる凱の反応は薄れていっているからだ。
グレアスト、ガヌロン、その他の審問官は休憩を取っている。それに合わせ、上層部はいずれ燃やし尽いていく凱の監視を外させ、グレアストのように休憩を取らせている。
一室の窓から覗き込むグレアストは、感心したかのような口ぶりで、凱に評価する。
「以外としぶといな。本当に兜までいくかもしれん」
生命と引き換えに兜を装着する。そうしたら、このブリューヌの墓標に名前くらいは残してやろうかと、グレアストは思う。
日中が南中高度を示すころ、兵士の一人が凱の様子を覗き込む。
「もう流石に死んでるだろ?こんなに時間をかけられるなんて思わなかった」
「そういうなよ。あとはこいつをゴミ溜めに放り投げればオレ達の仕事は終わりだ」
監禁兵のいう『ゴミ溜め』とは、ブリューヌ法王庁の下にある、異端者用の死体遺棄置き場の事である。異端刑の後始末は、彼らにとって面倒な仕事の一つである。
虫の息同然の凱を覗き込んだ瞬間、監禁兵の一人は『凱の不可解な行動』に腰を抜かした。
「な!なんだあの男は!」
一人の男は絶句した。
「祈祷だ!祈祷を唱えている!」
釣られて他の男も覗き込む。そして同じく凱の『神性』に戦慄する!
――太陽と光の神……ペルクナスよ――
――戦いの神……トリグラフよ――
――大地の母なる神……モーシア――
――家畜の神……ヴォ―ロス――
――風と嵐の女神エリス――
――豊穣と愛欲の女神ヤリーロ――
――我は……あなた方に称賛し、感謝し、忠誠し、誓約せし者――
「あ……ああああ!!!」
「
信仰教義を唱えている!?」
「何!?……そんな馬鹿な!?」
ぞろぞろと処刑台へ駆けあがる兵士たち。凱を囲むように現れた兵士たちは、全員そろって凱の唇に耳を傾ける。
――死を間近にした人間は、生に足掻こうとして
狂乱奇となるというが、この男は……――
早速報告を受けて、処刑台へ駆けつけたグレアストは息をのむ。
――あなたのみに……崇め遣える……――
間違いない。この男は知っているのだ。ブリューヌ信者とジスタート信者が共有する精神構造を。
「天上に住まう神々は、真の勇者に痛みを与えないと聞くが……まさか」
ぼんやりと浮かぶ凱の視界に、大勢の
観衆が集まっている。
ここだ!凱はそう思った。
一人は、凱の超人性に畏怖を抱いて――
一人は、凱の超神性に心砕かれて――
一人は、凱の超靱性に心打たれて――
そして……そして……そして!
「うああああああああああああああああああああ!!!」
突如!凱が息を吹き返したかのように叫び出す!その咆哮は獅子と遜色なく、魂砕く竜の咆哮とも例えられる!
大気震える重低音に、観衆は全員凱に刮目した!
「よく聞けえぇぇぇ!マクシミリアン=ベンヌッサ=ガヌロン!」
そして、乾いた声帯で凱は公然とガヌロンを告発する!
「そんなに
流浪者が怖いか!?腑抜けの腰抜け!子供に読み書き教えていた俺がそんなに怖いか!?下らねぇ理由で異端だぁ!?笑わせんなあああぁぁぁ!!!!!!」
凱の猛攻はまだ続く!
「……『魔物』である貴様は!『勇者』である俺を恐れている!出てきやがれ!クソッタレ!!」
こともあろうに、凱はブリューヌの中心人物を魔物呼ばわりした!これがもし、外交関係だとしたら、修復不可能な亀裂が入る!
言葉を出し尽くしたのか、凱は肩で息をし始めている。
超人エヴォリュダーとて、平常時はただの人間と遜色ない。
乾いた喉であれほどの咆哮だ。扁桃腺はとっくに麻痺しているはずなのに。肩で息をするのも無理はない。
――半瞬――
凱の視界の片隅で、『家』が爆発する!!
激昂したガヌロンは壁をぶち抜き、鉄扉をたたき割り、堀を踏み壊して凱に迫る!
石踏板が陥没するほどの歩みで、小さな魔人は勇者に
攻撃対象を移す!
「う……うああああああ!!!!」
一人の『人間』が、恐怖に狂う!
マクシミリアン=ベンヌッサ=ガヌロン激怒!!
「に……逃げろおおお!!」
憤怒が人間の本能に直接語り掛ける!巻き添えを『喰らわぬ』なら散れと!!
黑と紫の瘴気をまき散らしながら、一歩一歩迫る!
「バカが。さっさと兜をかぶって死ねばよかったものを……もう終わりだな」
そう冷や汗と固唾を呑むグレアストがつぶやく。炎の甲冑より、ガヌロンの怒りの炎がたぎって見えている。
処刑台に集まっていた観衆共は、まるで蜘蛛の子を散らすように去っていき、蜂の巣をつつかれたような騒ぎになった。
ただ一人、甲冑を付ける役の兵士が残っていた。異端審問という神の行いに誇りを持っている故にだ。
やがて処刑台へ上がり、ガヌロンは凱の頭を掴み、なんと持ち上げる!
「こ、これが最後の甲冑……『炎熱にて、敵と味方を見分ける兜』です」
しかし、ガヌロンは却下した。
「その必要はない!『兜』の代わり、このまま頭を握りつぶしてくれる!」
竜の頭を砕くガヌロンの人ならざる握力。このまま凱を絞頭刑に処するつもりだ!
「あ……ああ!」
凱の呻きが漏れる。
吊荷のようにあげられた再、余計に肌と甲冑が密着する。押し付けられる不快な感覚に、凱の素肌がさらに焼け焦げる!
「どうだ!!!まだこれでも減らず口を叩けるかあぁ!!」
体内の興奮剤が、確かな怒りとなってガヌロンの握力を底上げする!
周囲に逃げた観衆を、凱は睥睨して一喝した!
「俺は知っているぞ!覚えているぞ!誰が!何を!俺にした事を!」
視界は
旋回する。
「お前は!俺の右手に篭手をはめたな!」
視界は右を移す。
「お前は!左手だな!」
視界は左を移す。
「お前は、『
流浪者に勇者がいてたまるか』といったな!」
次々と吐き出される凱の言葉。凱に神秘性を見出した兵士たちは、離れたところで武器を構える。
「か……閣下……!!」
「そ……その手を放してください!」
「その男を殺したら……神々の天罰が下る!」
ガヌロンではなく、今度は凱への恐怖におののく。
「真に受けるな!戯言だあ!」
さらに、握力が強まる!脳みそをこねられるような不気味な感覚に、凱は戦慄を覚える!それでも凱はくじけず叫ぶ!
「お前達!真実を受け入れろ!俺は『神に守られている』!!見たはずだ!俺こそ炎の武具を纏いし真の勇者だという事を!」
ブリューヌ侵攻教義を唱え続けることで、炎の甲冑の激痛を受け入れて、凱は自らを
超越意識同調状態へ誘導した。
神と意識を同調する。それこそが、ブリューヌとジスタートが信仰する神々からの力の源だったのだ。
「ガヌロン様!」「閣下!」
さらに兵士たちは武器を取り、弓を弾く。その相手は異端の凱ではなく、主であるガヌロンだった。
「まさか貴様等……私に逆らうのか!?」
「当たり前だ!『公爵』と『神』では選ぶまでもないからな!」
ガヌロンの疑いを、凱が指摘する。
「また……減らず口を!!!!!!」「がああああああああああ!!」
魔人の絞頭刑に勇者の断末魔が木霊する。それに呼応するかのように、蒼穹を塗りつぶした雷雲が、役者達を覆い始める。
――それはまるで、第二幕目に登場する為の色直しのように――
――天を裂くばかりの雷鳴はやがて――
――天崩せし黒雲から雨粒と雷禍を処刑台に向けて、まるで両者を狙い撃ちするように降ってきた――
◇◇◇◇◇
「ほ……本当に……あの男は『神に守られている』のか!?」
一人の人間が、背徳心に苛む声色で、目の前の現象に戦慄した。
突然の落雷。猛然と広がろうとする炎の煙幕。愕然と降り注ぐ木材の瓦礫。
それらは、この異端の渦中である凱とガヌロンを囲むように、存在を構成していく。部外者を取り除くかのように。
おかげで、凱は炎の甲冑という拘束刑から解放され、炎の中でたたずむ小さな魔人を見つける。
相対する両者。人でなければ、誰にも邪魔されない完全な隔離世界。
先に口を開いたのはガヌロンだった。
「何故だ……何故貴様はこの『時代』に現れた?」
絶望に打ちひしがれるような声で、ガヌロンは説いた。神々の天運に守られていると思わせる、獅子王凱に。
「……」
対して、凱は何も語らない。ガヌロンの言っている意味が分からないという点もあるが、何より、凱にとっても、この小人の存在は何より脳髄を刺激してならない。
「
代理契約戦争の罪滅ぼしのつもりか?子供たちに英知を授ける……餌を嗅ぎまわる
狂獅子王から民を護る……くだらぬ。そのようなことで干渉は変わらない。貴様の存在は意味を変えられぬ」
「もういい!!」
凱はガヌロンの言葉を遮った!
それは、自分の整理しきれない気持ちをごまかすような仕草でもあった。
「答えろ!お前……お前達の目的を!」
今更何を聞いている?そんな侮蔑を込めて、ガヌロンは凱を見据えた。てっきり『お前達』というものだから、我と我等の目的を諭していると思ったではないか。しかし、凱の理解はそこまで追いついていない。実際、『魔物に関する知識』は初代ハウスマンの書の受け売りでしかないのだから。
「我等の目的は、我等の世界の復活。それだけだ」
代わって答えたのは、突如として上空から現れたローブを纏いし老人だった。まだ自己紹介もしていないから、凱に名前は分からない。何より、フードに覆われているから、その顔ははっきりと見えない。そして、テナルディエ公爵に竜を貸し与えた人物であることも、凱は知らなかった。
しかし、ガヌロンはこのローブの人物を知っているかのようだった。
「ヴォジャノーイが世話になったな。『銃』よ」
「ちっ!
情報検索!」
魔物の存在を、いち早く認識する。
かつて大東京決戦時、地球外知生体EI―01の交戦記録を掘返したように、左手のGストーンを活性化させて情報を引き出す。
「ドレカヴァク!ヴォジャノーイと同じくする、7体いる内の魔物の1体か!?」
「いかにも」そう短く凱に返答する。それは、否定しない意味表示だ。
「何故、お前達は俺を『銃』と呼ぶ!?『弓』との関係は!?」
「黒き弓弦……『弓』は、貴様の時代にあふれる
暗黒物質を、この時代へ導く
集束装置。生命の肉弾……『銃』は、『弓』に対する
緩衝装置だ」
「もういい。ドレカヴァク」
先ほど遮った凱とは違い、今度話を中断させたのはガヌロンだ。まだ凱を『銃』と呼ぶ因果関係が見えないのだが、分かったことはある。
少なくとも、魔物たちは真実を語っている。凱にもその事は感じられた。そして、ヴォジャノーイがヴォルン家の弓を強奪しようとした部分については、まだ判明していない。
ゆっくりと凱の前に歩み寄るガヌロンは、嘲笑して語り出す。
「貴様の時代……『銃』と『戦機』そして『竜器―ヴィークル』に比べ……」
ガヌロンの見えざる歯がきしむ。その言葉に、凱の思考は引っ掛かりを覚える。
「この時代……『弓』と『戦姫』そして『竜具―ヴィラルト』はあまりにも弱すぎる。それが許せんのだ!『銃』!貴様のような超越体が!何故この時代へ闊歩しに来たのだ!」
「……な……に?」
不思議な沈黙がガヌロンに、憤怒の怒号となって、感情を高ぶらせる。
「殺す!」
凱が身構える前に、前かがみになってガヌロンは襲い掛かってきた!
かろうじて反射神経は働いてくれて、凱は紙一重で回避に成功する。素通りしたガヌロンの右手は大地に陥没する。石材粉砕に加え、かすかな地割れを引き起こすガヌロンの拳撃は、彼の攻撃力をそのまま再現している。
「ならば!ブロウクン……」
獅子篭手を剥奪されIDアーマーのない今の状況において、威力低下は否めない。しかし、反撃しなければ、あの破壊された地面と同じ運命をたどるだろう。
「
赤熱銃弾はやめておいた方がいい」
「お前に指図されるいわれはないぜ!」
「粉塵化した廃材が周囲を巻き込むぞ。もっとも、付近の人間を巻き込んでも、我々は構わんがな」
枯れたような声が、凱の聴覚に入り込む。ドレカヴァクの忠告に、仕方なく従った。言われた通り、目の前の危機に対して、ブロウクンマグナムを咄嗟に放とうとしてしまった。これでは
空間障壁もどうなるか分からない。
だが、凱は戦いを諦めたわけではない。
「そういや!一つ聞き忘れたことがある!ティッタを攫おうとしたのはなぜだ!?」
今でも思い返すと、怒りがこみ上げてくる。あの魔物が下した、ティッタに対する仕打ちを――
「……『女神』の事か。私は私の目的の為に、ヴォジャノーイと、そやつは、自らの腹の中に収める為にだ」
「何!?」
さらに激怒する凱の闘志!そして、ガヌロンも同じく目的を共有していた地点で、銀閃殺法で蛙の魔物と同じ運命を負わせたくなる。
『不殺』は守る。だが、『死ぬ』以上の苦痛を与えることに、凱は何の躊躇もなかった!
「異端でも叛逆でも構わん!貴様の存在自体が!この世界に!この時代にとって!『異物』なのだ!」
罵声を叩きつけながら、ガヌロンは目にも止まらぬ連続技を繰り出す!
蹴りを!拳を!その竜を粉砕する鉄爪を!
対して凱は、紙一重で!かつ安全圏内で!相手の有効範囲外で回避!
言葉と言葉の衝突は続く!
「俺は!この力は神様がみんなを護る為にくれたものだと信じている!」
「神だと!?本当に存在すると思っているのか!?滑稽だな!ならば私の『本当の正体』を知ったうえで!私を倒すこともできるのだな!?」
「当たり前だ!」
凱は宣言した!その意思に揺らぎはない!
「
機界生命体も!管制人格(Zマスター)も!
機界新種も!遊星主も!
異次元体も!
超越体も!悪魔も!
黒竜も!俺は……俺たちは!『人ならざるもの』の戦いに勝利してきた!」
ついに凱の拳はガヌロンを捕えていく!
「いまになって『異端』扱いされても構わない!『叛逆』なら一度経験している!今更!お前の正体が何であろうと!……」
正体という言葉に反応し、ガヌロンの瞳に薄暗い感情が色濃く映る!
「そう……ならば!見せてやろうか!?シシオウ=ガイ」
「見せて……もらおうううううかぁぁぁ!!」
皮の溶けたガヌロンの手は、骨となり、やがては妙な光の燐光を纏う。だが、凱はそれに構わず拳を振り上げる!
――次の瞬間、猛虎のようだった凱の拳はピタリととまる――
――そして、勇者らしからぬ怯える子供のような顔で、ガヌロンを見ていた――
な……に?
俺の目の前にいる、こいつは……一体誰だ?
まるで……『鏡の影』を見ているようだ。
「あ……ああああ!」
〈どうしたのだ?今更『私の正体』を知ったところで、どうということはないのではないか?〉
「……あ……あ……あ!?」
――震えが……止まらない――
――これは……恐怖?……それとも……慟哭?……嫌悪?――
――なんで……なんでだよ!?誰だ!?こいつは!?――
ドレカヴァクは語り出す。
「まさか……ここは異世界などと思っていたのではなかろう?」
軽蔑するかのような口調で、ドレカヴァクは紡ぐ。
「貴様の翻訳器官は何も教えなんだか?
幼生体との教義で、貴様は違和感を覚えていたはずだ」
翻訳器官。それは、獅子王凱がエヴォリュダーに転生した際、後天的に獲得した能力である。
Gストーンがもつ異世界リンク機能であり、あらゆる言語を認識、知覚、輪郭を、まるで既視感のあるように再現させる。
日本語、英語のように、同一世界ならさほど負荷は掛からない。ただ、異世界や多次元間では、
相互議定疎通が必要となる。これが発動すると、多少の発熱にやられてしまうことがある。
――そう、凱は気づかなかった――
――久しぶりの平穏と、暖かみのある、『アルサス』という甘園が、心を無防備にさせたのだ――
「……コシチェイは、獅子王凱という遺体の一部を切り取られ作られた……『我らは造られしもの』だ」
――俺……の?――
「そうだ。確かに『貴様の墓』はこの世界にある」
ギャレオンに救われた凱は、その一命をとりとめる為にサイボーグ手術を施された経緯をもつ。
脳以外の肉体9割を機械化し、壊死した部位は切除されて、自身の墓へ埋葬された。
その為、日本では戸籍上死亡扱いとなっており、しっかりと自分の墓もある。
「……『竜』とは……西暦2012年の
異次元体襲撃異次元化した生物の成れの果て、つまり、元は人間」
ヴォジャノーイ……ガヌロン……いや、コシチェイ……ドレカヴァク
スラブ神話の精霊の名を冠する者達。
人ならざる者達。
全ては、造られし者たち。
竜具も。
魔物も。
竜も。
神々も。
あの時代の戦い……その負の遺産が……この世界を苦しめている?
――ここは……俺の知っている……地球だと?――
推測する仮説に、凱は固唾を呑んだ。
「これらの事実から分かるはずだ。始めから竜や魔物など存在しない」
「『銃』は『弓』へ引き継がれ、『戦機』は『戦姫』へ受け継がれ、『竜器』は『竜具』へ転生し、『AI』は竜具の『意思』として輪廻していった」
「この時代の人間どもが神々と敬う連中も、かつては人間だった……そう。『はじめから異世界などという概念は存在しない』」
〈これで分かっただろう!私は『私』を許さぬ理由が!〉
ついに、竜をも貫くガヌロンの手刀が!勇者の懐に風穴を作る!
崩れゆく処刑台の木屑が、勇者を埋葬する。燃え盛る抱擁に抱かれて。
受け入れがたい、事実と共に。
NEXT
超越せよ。――次元空間の革命を!!――
第13話『眠れる獅子の目覚め~舞い降りた銀閃』
前書き
今年の初雪……積もりまくって大変ですWWW仕事にすごく差し支えてしまい、ヤバイです。
ここで一旦、凱の視点は一時的に終わりにします。物語の視点を揃える為に、ティグル視点の物語を始めます。
(ちょっと展開が急ぎ足な感じですが、そこは御愛嬌ということで……)
ではどうぞ。
『眠れる獅子の目覚め~舞い降りた銀閃』
【???】
勇気は、失われた。
獅子王凱は、探し続けた答えの意味を失った。
人を超越した力を持つ青年の心は、深い悲しみと孤独感で埋め尽くされていた。
目の前で真実を告げられて、望まない結末で終わったところまでは、なんとなく覚えている。
だが、その後の記憶は断続的なものとなっている。
途方もない浮遊感が全身を支配して、自分がどこにいるのかもわからないでいる。
――いいえ、あなたの戦いは終わっていないわ。まだ、あなたには、この時代で戦ってほしいの――
この声、聞いたことがある。
ティッタの身体を借りて、直接凱の意識に語り掛けた声だ。確か、モルザイム平原でザイアン率いるテナルディエ軍対ジスタート軍戦の最終局面だろうか。
直接意識……今、凱の脳内のイレインバーに語り掛けたのは、その時の声だ。
――なぜだ。なぜ俺は戦う?……もう戦う意味も、生きる意味も、すべて失われたというのに――
――何も失われていないわ――
すぐそばに、『妻』がいた。
――貴方はまだ『答え』の途上にいるだけ――
そして、『姉』がいた。
――思い出して――
さらに、『妹』がいた。
この感覚は、どこか懐かしいものがある。
それは、凱の母である「獅子王絆」が、自らの姿をした3人の少女の幻影のものだった。
まだサイボーグだった凱の画像処理回路を通して、「ムカムカ」「クスクス」「メソメソ」の表情を転送して凱を見守り、また支えてきた。
三者に言われて、凱は思い出す。幾つもの、大切な思い出が。
長く、苦しかった戦いの日々。その中で、出会いと別れを繰り返し、交わされた誓いがある。
――『あの子たち』とあなた……それでも、あなたが今の時代まで育んだ時間は、決して無意味なものなんかじゃないわ――
信じたい!信じたい!信じたい!信じ……たいのに……
――でも……倒すと誓った魔物たちが……――
知ってしまった。魔物と勇者の表裏の繋がりを。
これは『打倒』ではない。自分がこの時代に振り撒いた『始末』でしかない。
まるで、子どもがおねしょをして、親にばれない様にこそこそ動くのと同じだ。
妻がいう。
――『夜』があるから『朝』が待ち遠しくて――
姉がいう。
――『闇』があるから『光』はより輝く――
妹がいう。
――『死』の先を越えて『命』を授かれる――
そして、凱がいう。
――俺は、小さな生命を奪うものと戦う為に、生きてきた――
そう。女神による――夜と闇と死による終曲は――
いま、勇者による――朝と光と命の追奏へ続く――
それらは全て、力なき民衆、観衆が求めているもの。
『妻』『姉』『妹』はなお、勇者を口説く。
――時代は、まだあなたを必要としているのよ――
――真実は、すぐそこまで来ているわ――
――だって、貴方は『勇者』だから――
3者の意志は、絶望の淵にいる勇者の勇気を奮い立たせた。
――まだ俺は……『勇者』でいていいのか?俺の存在が、あいつらを造り出して……ティッタを……みんなを……苦しめて……『異物』の俺は、本当に……勇者を名乗っていいのか?『箱庭』の時代に、俺の居場所は……どこにも……――
3者は口を揃えていう。
――理想世界を先導する超越者……アンリミテッド。みんなを、わたしを、わたしたちを、貴方は導いていける――
その女性の声が、凍てついた勇者の心を溶かし出す。かすかな想いが、確かな力として迸り、勇者の瞳から涙があふれる。
頬を伝う涙の熱さが、まだ生きることの権利を、責務を、自由を教えてくれる。
――クーラティオ――
それは、歪んだ呪縛を紐解いていく呪文。
――テネリタース――
それは、悲しい今を、否定してくれる呪文。
――セクティオー――
小さな生命を、取り戻す呪文。
――サルース――
幾度も、幾度も、不幸な人々に恵み与えた奇跡。
――コクトゥーラ――
夜と闇と死を司る自分たちには、似つかわしくない、生命の躍動を伝える呪文。
淡い黒と柔らかい緑の光が、かの魔人に作られた、勇者の腹部の空洞をふさいでいく。
――奇跡は起きた。違う。起こされたのだ――
『ジスタート・オステローデ公宮・とある庭園の一室』
まどろみの中で、獅子王凱は澄んだ声を聞いていた。
ゆるりと目を覚まし、まるでそこは……天国のような風景だった。
その時、凱にはそうとしか思えなかった。時が停止したと思わせる、幻想的な空間。緑の芝生と、色とりどりの花が咲き乱れ、ほんのりと甘い香りが、凱の気管支と鼻孔をくすぐる。そして、青い空を背にして、青みがかった黒髪をさらさらと漂わせた女性が、自分の顔を覗き込んで笑った。
……天使?
「あら。おはようございます」
儚い雰囲気が、光の羽衣を纏っている天使のようだった。
――ああ、そういう事か。――
不思議なぼんやりとした意識の中で、凱はふと思った。
――俺は……やっぱり……死んだのか――
凱は視線を転がして、先ほど天使と思った人に、確かな覚えがあった。
「ティ……ナ?」
青年が名を呼ぶと、女性はふわりと微笑んだ。
「独立交易都市以来でしょうか?お久しぶりですね……シシオウ=ガイ」
どうやら、天国ではないらしい。少なくとも、天使と思えた彼女の傍らに、見覚えのある『裂空』の鎌がたたずんでいる。
ヴァレンティナ=グリンカ=エステス。戦姫たる彼女が自分より先に死んでいるとも、思えなかった。
不思議なことに、死を連想する竜具の大鎌とは、すぐに思えなかった。
天使のような彼女と、悪魔のような大鎌の揃う光景は、今の自分にとって、あまりにも矛盾している。
「驚かれました?このような場所で」
ティナ……ヴァレンティナに言われて、自分はようやく広々とした庭のガラス張りの建物にいたのだと気づかされた。
「なんだ……これは?」
ベッドに横たわりながら、凱はあたりを見回して驚いた。
「開放型寝室なんて……驚いたじゃないか」
「だって、ここのほうが、光があふれていて気持ちいいじゃありませんか」
確かに、部屋にこもりっぱなしでは気が滅入る。『影』の戦姫らしからぬ言葉に、凱は不思議な雰囲気を感じていた。
「そっか……そうだよな。ありがとう……ティナ」
そんな細やかな感謝の言葉が、凱の口から自然と出てきた。
「どういたしまして」と、ティナは嬉しそうに返事した。
ティナの装飾衣装の一部である薔薇を見て、なるほど、と凱は思った。
滴るような花の香りに覚えがあったのは、この庭に綺麗な薔薇が咲いているから。そして、彼女がここを気に入っているのは、その薔薇がここでしか咲いていないからと……
どうでもいいような考えをしていた。何かもっと……大切なものがあったはずなのに……まるで、記憶の一部が欠けてしまったような……
「……俺は……」
つぶやくと、ティナが答えた。
「あなたは傷つき倒れ、ここ、オステローデに辿り着いたのです」
その声は穏やかで風のそよぐようであったが、そこに余計な同情は含まれていなかった。
ティナは淡々と、凱に事実を伝える。
「そして、私がここへお連れしました」
「……ガ……ヌ……ロ……ン?」
記憶の欠片が蘇り、凱の心臓が極端に跳ね上がる。
優しい居場所。安らぎの時間。彼女が纏う甘い薔薇の香り。
そうした心地よい羽衣が、一瞬にして色あせる。
「俺は……何で……」
身を突如起こした凱は、突然襲ってきた痛みにあえぐ。
「あ……ああ!!」
俺の存在が……あいつらを……『造った』!!
ぞろりと、背筋から蘇る不気味な感覚に、その思考に、凱の感情は圧迫されて震えだす。
「が……ああ!!」
あの時の台詞が走馬灯となって蘇る。
記憶の中の凱が言う。
――俺は常に『人ならざる者』との戦いに勝利してきた!今更何が出てこようが!――
記憶の中のガヌロンが言う。
――ならば!私の……私たちの『正体』を知ったうえで倒すこともできるのだな!――
欠けた情報を埋める記憶。そこには、同じ存在ゆえに抱く憎悪しかなかった。
震えながら、気遣うように凱へ寄り添ったティナの顔を見やる。
「俺は……あの時」
ティナの目が見開かれる。
そうだ。
あれほどの嫌悪と憎悪を抱き、それをぶつけた相手。それは、自分と同じ存在のガヌロンだった。
そのおぞましさに、体が震える。
「死んだ……そうなるべきだった……なのに」
自分の腹部に、凱は手を当てる。今でこそ塞がれているが、まだガヌロンに風穴を開けられた感触は残っている。
瓦礫の炎に焼かれ、異端の烙印を押され、天鳴の雷に裁かれて、自分は死んだはずだった。
存在する罪という故に見合う償い方を知らない。自分の存在を否定して、贖罪を果たす。それが正しい結末だったはずだ。はずだったのに……
「ガイ……」
ティナの柔らかい手が、そっと凱の手のひらを包み込む。かすかに触れたその暖かさが、凱の涙を誘った。
痛い……体も……心も……
身体は、どこもかしこも痛い。
心は、まだ風穴があいたままだ。優しい言葉が吹けば、それだけで痛みに突き刺さる。
涙が、とめどなく溢れて、凱の瞳から溢れる滴は、ティナの手をぽたぽたと濡らしていく。
――なぜ貴様が勇者となったか、分かるか?――
――我々が、我々の理想世界の為に――
――貴様は罪を……犯した――
――人間の業……次元空間の革命を超越する為に、『永遠』を享受しようと、成り上がりと思い上がりの果てで、貴様の『存在』は使われた――
――これは……贖罪だ!――
――償え――
蛙の魔物ヴォジャノーイ
箒の魔女バーバ・ヤガー
白き悪鬼トルバラン
黒き巨竜ドレカヴァク
不死身のコシチェイ
革命家ハウスマン
そして……
世界の革命を、戦争を巻き起こして、生命という地上の在庫処分を行い、『人類転覆計画』の機を伺っている。
初代ハウスマンの書に記されし内容は、そう記されていた。
そして、その禍根となる中心が……
――もういい。もう……いいんだ――
食いしばった歯の隙間から漏れた声で、凱は小さくつぶやく。
「神様が与えてくれた力が……俺が……」
ふいに、ティナが静かな声で訪ねた。
「あなたは……『あなた』を殺そうとしたのですね……?」
凱は涙に曇る目を上げて、手に添え続ける美女に向ける。もし、ガヌロンとオステローデの交流を知るものがいたら、凱は罵倒されても仕方がないだろう。彼女は一公国の主で、ガヌロンはブリューヌを代表する大貴族なのだ。両者もまた『魔物』と『戦姫』という間柄を知りつつも、水面上では摩擦のない交易を続けていた。
「そして……あなたも……また」
だが、信じがたいことを聞かされたという衝撃……すでに凱とガヌロンの関係を知っている事、それに対する衝撃は凱になく、ただ存在のみを求めて『魔物』が『勇者』に下したことに対する嫌悪も窺えなかった。
ただ、ふだんの儚げな表情は影を潜め、彼女は冷徹なまでの視線で、凱の瞳を逃さないように見つめる。
「でも……それでも……あなたは……『あなた』なのですよ」
かつてガヌロンに向けた言葉を、彼女は静かに言い放った。それは、彼女にとって勇者への叱咤激励なのかもしれない。
「……ティナ」
覚束ない凱の呼びかけに、ティナは何も語らない。聴かない。求めない。
今の凱にとって、それさえも辛い。
自分は、自分の『人を超越した力の意味』は同じ過ちを繰り返しているだけではないか?
人を助けることで、人に求められることのぬくもりにしがみついていただけなのか?その為に、いつか誰かを不幸にするのでは……ティッタのように?
俺は、生まれてきちゃ、いけなかったのだろうか?
深い絶望に沈みながらも、凱は懸命に言葉を紡ごうとする。でも……
――もう、誰にもすがってはいけない。誰も傷つけてはならない……なのに――
意思は反発を促していても、心はどうしてもぬくもりを求めてしまう。
慟哭を抑え、鼓動を沈めて、顔を見上げると、ティナは優しく微笑んだ。
「ガイ。あなたには……悲しい『夢』が多すぎます」
「……夢?……俺に?」
ティナはしっかりと、凱を抱きかかえて、慰めるように囁く。
「でも、だからこそ、悩んだり……泣いたり……すがったりしていいのです。違いますか?」
ありがたかった。彼女には、何も隠す必要はない。彼女は独立交易都市で出会った時となに一つ変わらない。勇者でいる必要はない。『人間』である凱を、そのまま受け入れてくれる。
真っ向から、自分の存在を否定されて、成す術もなく漂うしかなかったとしても、彼女の存在は竜具の『虚影』と違い、揺らぐことはない。確かな好意と言葉で、凱を正面きって、その存在を肯定してくれる。
――獅子王凱は、生まれいでた頃のように、赤子の産声を放り投げて泣いた――
◇◇◇◇◇
少し落ち着いてから凱は自分がジスタート王国の『オステローデ』にいることを知った。どうやら自分は何ヶ月も眠っていたらしい。
ナヴァール騎士団とティグル率いる銀の流星軍の交戦。テリトアールの戦い。
ムオジネルによる、ブリューヌ領土の侵略、アニエスへの奴隷確保、オルメア会戦。
ブリューヌの王都で、人知れず……いや、多くの人に知れて、自分は死んだはずだ。なのに――――
先ほどと同じく、腹部の傷に何度も手をやり、混乱した感情で、現状を理解するにはもう少し時間がかかった。
どうして彼女がブリューヌに着ていたか……
ガヌロンの異端審問会の招致に応え、ティナがブリューヌを訪れた際、異端者がまさか凱だとは知らなかった。事の真相を解明する為に、ティナは竜技『虚空回廊』を使い、ガヌロンへの直行路を渡ったという。
そして、天運味方した時、落雷落ちて擱座した瓦礫から、再び虚空回廊を使ってオステローデまで運んできてくれたらしい。
彼女が来てくれなかったら、崩れゆく処刑台の瓦礫と共に運命を共にしていただろう。もし、ゆっくり除斥作業をしていたなら、瓦礫の炎熱にやられるか、酸欠状態で命を落としてしまう所だった。
その後、ブリューヌ内乱の進捗やら、レグニーツァ・ルヴーシュ連合軍の海賊討伐戦やらの戦後処理で、内政の微調整をする為に、ティナが凱の素性を隠して、このオステローデ公宮庭園まで運び込んだという。
確かに、異端を押された以上、ブリューヌに留まることはないし、それを望んだ所で、戻ることはできない。
そこまで、ティナがわざわざここに凱を同道したのは、なぜだろう?
「……もうすぐ15時ですね」
ぼうっと窓を眺めていた凱は、ティナに声をかけられて振り向いた。
「……時計?」
15時というティナの言葉を聞いて、凱は部屋の端を見やった。そこには、独立交易都市で24時間体制の際に導入された際の『世界時計』が、壁面の中心に設置されている。複数の円に独自の役目を果たす3本の『針』が、正確な時間を閲覧者に通告してくれる。霊体による時刻修正起動つきだ。
「これはすごく便利だと思い、つい衝動買いしちゃいました」
まるで失敗談を放すような軽い口調でティナは語った。そういえば、以前『多目的用玉鋼』……凱のいた時代では『GGGスマートフォン』がベースとなっているものを景品で手に入れた際、さらに買い物を続行(ほぼ強行)したんだっけ。
彼女の青い瞳にとって、独立交易都市は未知の宝庫に映ったのだろう。今だジスタートが辿りついていない概念が、この民主制の都市には豊富にある。時計道具。通話道具。馬を必要としない移動車。遠隔映像道具。海を自在にいきわたる船。疫病や血の病の治療法。
何より、貴族や平民、奴隷の区別がない理念が、ティナの感情に憧れを抱かせていた。
そもそも独立交易都市の通貨をどうやって調達したか、気になるところだが……
――……天国ではないと分かったけど、今の俺にとって、やはりここは楽園に近い場所だ――
ふいに、凱の頭にそんなことがよぎった。
ゆっくりと時間が流れる場所。本来なら、このような安らぎの空間に時計などという無粋なものを必要としないはずだ。
その辺は、ヴァレンティナの独特な感性のものだろうか。
でも……
既に自分は死んだ身……そう思っているかもしれない。
時折、倒してきた敵が自分に追ってきて、その陰で凱を脅かす。自分を産んでくれた母さんと父さんに対するうしろめたさを感じ、それを思い出すと、凱の瞳から自然と涙が再びこぼれた。
ティナはいつもそんな彼のそばにいて、優しく微笑んでくれた。
「ガイ……お茶にしませんか?」
泣いている凱を見て、ティナはぽつりとつぶやいた。その手にはティーセットが用意されていた。
何も言わず、凱は小さくコクリとうなずいた。
なぜだろう。不思議と、凱は彼女の前で強がったりする必要がないように思えた。ティナはふたりきりでいる凱との時間は、何よりの公務の間の定期的休息になっており、そして、何より心休まるひと時でもあった。お互い、どことなく気づまりもしないし、気配りするような世話も焼く必要もなかった。
「……おいしい」
自然と、そんな言葉がこぼれた。紅茶の香りが、まるで心の傷にしみ込むかのようだ。
「お気に召しましたか?この紅茶の葉は、不安や緊張を和らげるそうです」
公私共に紅茶にこだわる凍漣の雪姫のように上手くいかないものの、ティナは自分で淹れてみた紅茶を、凱にそのように評価してもらい、少し満足げな表情をしていた。
今更思うのだが、ティナはやっぱり不思議な人だ……と凱は思う。後から考えてみると、独立交易都市との出会いや、今のような再会を望んでいたような気さえした。
まるで、勇者は自分からふたたび足を踏み出す瞬間を待っているかのような……
◇◇◇◇◇
「どうして俺は……この時代に流れ着いたのだろう?」
消え入るような儚い声で、凱はつぶやいた。
それは、なんとなく思い浮かんだ疑問だった。すると、ティナは訪ねる。「流れ着いた」という不可解な言い方に気にすることなく――
「ガイのいたい場所は何処ですか?」
「え?」
「帰りたい場所……望んだ場所……いるべき場所……あなたはどこにいたいのですか?」
「……俺の……いたい場所?」
地平の彼方へ沈む夕暮れをぼんやり眺めて、凱は聞き返した。
漠然とした彼女の問いに、自分とて捕えられない。彼女はにっこりと微笑む。
「あなたが、「ここにいたい」と言えば、私とオステローデはもちろん歓待致します」
いたい。俺はそれを口にしていいのだろうか?ふと思った矢先、彼女の竜具は何かの反応を示す。
「ほら、この子も喜んでますよ」
彼女の傍らにあるエザンディスが、慰めるようにオーロラのように空間湾曲させ、凱を魅了した。
たしかに、ここは平和で美しく心休まる場所だ。ジスタートで唯一隣国に接していないオステローデだからこそ……かもしれない。
それとは別に、凱は感じた。この風景や幻想的な場所は、本来の彼女の気質なのだろう……と。
怖い気持ちも、普通の人間達の中で暮らす孤独もあじわうこともないのだろう。この場所が、『理想世界』ならどれほどよかっただろうか。
それでも……それでも……何かが違う気がする……
「いずれ……あなたは『答え』に辿り着くでしょう」
黒い髪の戦姫は、という獅子をなだめるように、深い声で言う。
「あなたは……あなた達は『理想世界を先導する超越者―アンリミテッド―』故に――」
「……アンリミテッド」
凱がティナの言葉を繰り返して、彼女は笑顔を見せてくれた。
『理想世界を先導する超越者―アンリミテッド―』……過去の時代にも、幾人かにそう呼ばれたことがあった。だが、それは凱のことだけではないらしい。その時代の子供達にも凱のように、そう呼ばれていた。
ヴァレンティナ=グリンカ=エステスは、この時代の超越者を何人か知っている。まだ全容は知り得ていないが。
一人は、この人『獅子王凱』
一人は、今のブリューヌをときめくヴォルン伯爵の侍女『ティッタ』
一人は、ブリューヌの双璧をなす大貴族の一端『フェリックス=アーロン=テナルディエ』
その3人だった。
違う種の不思議な感情が、凱の中で渦巻く。でも、神秘性を孕んだティナの言葉に、凱は追及しようと思わなかった。
「今は、ガイと一緒に過ごせる時間が増えたことは、嬉しい限りです」
「俺も……嬉しいさ。ティナ」
自分を愛称で呼んでくれるこの瞬間。頬をなでるような優しい声。男性特有の低い声でも、心に透き通る柔らかい声。
こんな和やかな会話が、ずっと続いてほしい。いや、欲しかったというべきか。
――そんな小さな優しい時間を打ち砕くように、機械的な呼出音が鳴り響いた――
通信器具。遠者と遠者の会話を実現し、肉声の受信と送信を可能にするものだ。
息抜きの時間にも当然なるわけで……ティナは『空気を読まない無粋な道具』とも評価しているという。
〈戦姫様に、ブリューヌに関する情報で、諜報部より通信です〉
従者がうやうやしく告げ、ティナは通信器具を拡声音状態へ切り替える。ブリューヌという単語に、何やら険しい表情を見せている。
――いやな予感がする――
本来なら公務の一環である定期報告は、凱に聞かせる必要などないはずだ。しかし、ティナの態度を見る限り、内乱の緊張状態は想定以上に深刻なのだろう。ブリューヌの一国土であるアルサスに身を寄せていた凱に対する同情からか、そうでないかは、凱にはわからない。
〈報告申し上げます戦姫様。『流星は逆星に砕かれた』〉
挨拶も抜きにぶつけられた言葉に、ティナは綺麗な眉を潜めて身を乗り出す。それは、報告の内容故にだ。挨拶などどうでもよかった。
『流星は逆星に砕かれた』このあたりは、何かのコードネームか何かだろうか。
かつて、ヴォジャノーイが凱の事を『銃』と呼んでいたように。
「詳細を」
ティナの短い口調は、竜の牙のように鋭くなる。
〈テナルディエ家は正式にて『叛逆決起』を声明!『銀の逆星軍』と公式発表!〉
〈ビルクレーヌ平原にて交戦の結果、ティグルヴルムド卿率いる『銀の流星軍』は、テナルディエ公爵の『銀の逆星軍』により敗北!『銀の流星軍』の主力部隊は敗走!ティグルヴルムド=ヴォルン、エレオノーラ=ヴィルターリア様、リュドミラ=ルリエ様は敗北後……捕縛!〉
最後の部分は、どこか歯ぎしりしたかのように聞こえた。その気持ちは、ティナにも察しがついている。
……まさか。その一言に尽きた。
以前の「ブリューヌへの突発的介入に関するエレオノーラの公判」において、自分はこう思考した。
もし、状況がこじれて、銀閃が何かしくじったとしても、自分がオステローデの戦姫として表に出て状況を押さえつけてしまえばよい、と。しかし、それはあくまで『貸しが作れる状況において……つまり、戦況がまだ均衡している状態での話』だ。
ジスタートが誇る保有戦力、一騎当千の戦姫を生け捕りにしてしまうテナルディエの軍勢。もうすこし均衡状態の続くのだと見込んでいたが、これはかなりの盤上狂わせだ。
(……現状だと、打てる手だてはありませんわね)
そんなティナの深刻さとは別に、アルサスの領主の名が出た時、凱は頭を殴られたような衝撃を受けていた。
――……ティグル!――
なおも緊迫した調子で、ティナと諜報部の会話は続く。もしかしたら、このために、あえて凱に聞かせたかったのかもしれない。
今の凱は、かつてないほど目が見開かれていることさえ気づかなかった。
(……ガイ?)
諜報部との会話を続けながら、ティナは凱を気遣うように見やう。それに構わず、凱の心は激しく震えだす。
――アルサス!――
何度も、何度も繰り返す地名は、凱にとって思い出ある地。
勇者の存在を肯定し、そして、『中心』によって否定された発端の地。
凱はこれまで、自分が『幻想』の中にいたことを、だしぬけに諭さられる。
その地に本来なら平和に住んでいる者の顔が、次々と凱の視界によみがえる。
これまでの何日か、何週間か、何ヶ月か、思い出すことなかった顔が――
――ティグル!ティッタ!バートランさん!マスハス卿!ルーリック!エレオノーラ!リムアリーシャ!――
知っている者の名前。つぶやくたびに、凱の心に圧倒的な恐怖がのしかかる。彼は胸元をつかみ、苦しく喘ぐ。
――みんな……みんな……みんな!!――
拒絶反応を起こし、心が締め付けられる。
弱肉強食の社会が訪れるのか?弱者は強者の糧となる責務を負い、そうでないものは存在自体に価値が出せない……嫉妬、憎悪、狂気、獣のように殺し合う、悪夢のような時代が――
「い……や……だ!」
そして、凱は震えながら、自分の使命が蘇るのを感じ取っていた。
『理想世界を先導する超越者―アンリミテッド―』に、目覚めの時が、訪れようとしていた。
眠れる獅子の……目覚めは近い。
◇◇◇◇◇
いつしか、あたりは夜になっていた。
凱はずっと空を見上げて、明るくなった満月の空と、月の光を浴びてほんのりと淡い光を放つ庭を眺めた。
定期報告と、今後における指示を何人かの部下に通達し、ティナは背後から凱に声をかける。
「ガイ?」
「ティナ……」
この美しい場所に、永遠に変わらないこの世界にとどまることが出来たら、どんなにいいのだろう。
だが、それではだめだ。
ひな鳥がやがて、親鳥から巣立つように、時代も、留まればそれだけ、『淀み』が生まれる。
そう、だから、凱はこういった。
「俺……いくよ」
ティナはその言葉を予測していたかのように、凱の顔を覗き込んだ。
「どこへいかれますの?」
「ブリューヌへ……俺は戻る……戻らなきゃいけない」
思い出した勇者の使命。そう凱が答えると、ティナは冷酷な視線と口調で凱を釘止める。
「今のあなたが一人、戻ったところで、戦いは終わりません。何もできませんわ」
それもまた事実だった。異端審問の際に取り上げられた獅子篭手、IDアーマー、ウィルナイフは、ブリューヌに置き去りのままだ。ジスタートの最北部であるオステローデからでは、もしかしたら間に合わないかもしれない。
『万軍』と『万軍』が衝突しあう戦争だ。その中に飛び込んで、自分一人は何ができるのか?
諜報部の報告では『鉛玉を吹く鉄の槍』や『連続して鉛玉を放つ乳母車』等、得体の知れない近代兵器が、テナルディエ軍にはあるという。
「思慮の無い行動は、愚者の所業です」
「そう……かもな」
違いない。よしんば辿りついたとしても、どのみちすべてが手遅れに違いないとも思えてしまう。
また、ティナが凱を引き留める為に言っているわけでもないことを、分かっていた。
『虚影の幻姫』は『幻想』ではなく『現実』を常に差し出す。だから凱は、自分を卑下にすることも、堂々とすることもできない。力を持った者は、もう『当たり前』の環境に逃れることなど許されない。
「俺は……『人を超越した力』の意味と答えを探して、『生命』を奪うものを倒す為に、今まで生きてきた」
自分の意味。そして、戦う事こそが、守ることにつながると信じて。
彼は心を抑えつつ、ティナに応える。ティナは凱の瞳をまっすぐ見つめた。
「その『人を超越した力』で、『生命を奪う』ブリューヌの禍根と戦われるのですか?」
凱は首を横に振る。
「本当に戦うべき相手……戦わなきゃならない相手……この時代を……この力で、どう『振るう』べきか、ずっと知りたかった」
凱は澄んだ瞳のままで、ティナの表情を見返す。そこには、凱の言葉で目を見張ったティナがいた。
はじめてだった。彼女自身、失意の底に打ちひしがれていた彼の言葉とは思えなかったから。
力がなければ、何もできない。
力がないから、何もしなくていい。
力があるから、何かができる。
力があるから、何かをしなくてはならない。
それが当然だった。仕方のないことだった。
以上のことが、責務と使命を蔑ろにして、臣下の叛逆を促したブリューヌの真の姿。そう割り切れなければ、平和は享受できないからだ。
そして、今やっとわかった。
戦うべき時代は『飢え』と『渇き』に対してのものだと。
欺瞞と怠惰が招いた戦乱の炎に喘ぐ、力なき民衆と時代の声。
――うわああああぁ――
――お母さあああぁん!――
――痛いようおぉ……――
――うぅ……ううう……――
――助けて――
――助けて――
――助けてよおぉぉ――
聞こえる。いや、聞こえたのだ。
それだけの理由で……そう、それだけの理由だからこそ、動けるのだ。そして、動かなければならない。
勇者と信じる自分がとるべき姿。「助けて」という理由で、本当の意味で動ける理由。
自分自身の存在と向き合い、数々の苦しみの果てに、さげすまれ、疎まれ、追いやられて、凱は初めて『今まで探していた答え』に立ち戻ることができたのだ。
――たとえ、自分を否定する時代でも、悲しい今に泣いている多くの人達を、放っておくことはできない――
二人は黙って、しばし見つめ合う。凱の瞳に偽りはない。その事は、ティナにも強く感じられた。
突如、銀の閃光が、二人の空間を埋め尽くす。その光景に二人は驚愕を禁じえなかった。
輝かない銀が……一段と輝いて、光は吹き荒れる。
まるで、凱の『真正面』に立つかのように、それは出現した!
――降魔の斬輝――
――操風の長剣――
――銀閃の二つ名を持つ――
――その名は……――
「「アリ……ファール」」
二人は、同時に片翼の長剣の名つぶやいた。
◇◇◇◇◇
「これは……ライトメリッツの戦姫様が持っていた剣……」
闇の中なのに、強い輝きを放つ剣に対して、凱は鳥肌のたつ美しさを覚えた。
「建国神話より遣わされし、代々の戦姫が振るう超常の竜の武具、『銀閃アリファール』です。私の持つ『虚影エザンディス』と同じ竜具ですわ」
唖然と口を開いたままの凱に対し、ティナは無邪気に笑みを返す。以前、独立交易都市で酌み交わしたとき、ティナから若干竜具の事を聞きしていた。意思がある武具、という点においては、神剣アリアという予備知識があったので、驚きはしなかった。
「でも俺は戦姫じゃないぜ?なぜ……俺のところへ」
「分かりません……でも、感じているのではなくて?」
「どういうことだ?」
ティナにもそれは察していた。ゆえに、凱の前に銀閃が出現したことも、特に驚く必要はない。
ジスタートの誇る『戦姫』は『竜具によって選ばれる』に対し――
ジスタートの望む『勇者』は『竜具によって求められる』のだ。
しかし、躊躇いもある。ジスタートの国宝ともいえる武具ならば、本来なら極秘とされるはずだ。ただただ凱は圧倒されながら、ティナに尋ねる。
「俺でないと……アリファールは動かないのか?」
「そうですね。少なくとも、『今のあなた』には必要な『竜具』だと思います」
ティナは自分で言って、つい漏らし笑いをしそうになる。
『獅子の力』が『竜の技』と共闘する。
いがみ合う、相容れない伝説上の生物(ただし、竜は実在する)が、凱という肉体を借りて、時代の危機に立ち向かおうとしているのだから――
「心正しきあなただからこそ、アリファールはあなたを求めたのです。本当に戦うべき相手に、護りたいと思う場所へ向かう為に……この『銀閃』は必要なはず」
凱は再び銀閃に瞳を移す。そして、一言こういった。
「……ありがとう。ティナ。そして、アリファール」
自分を求めてくれたアリファールに対し、何より、自分の存在としっかり向き合ってくれたティナに対し、凱は託してくれた『すべて』に対して、感謝の意を示した。
もちろん、凱の身体を癒してくれた『夜と闇と死の女神』に対してもだ。
「これを……俺にくれるのか?ティナ」
黒を基調とした羽織着に、外候性の優れたズボンを、ティナからそれぞれ受け取った。その凱の姿は、「獅子に尊敬を抱く、機銃剣の傭兵」に見えなくもない。この服装も、独立交易都市で仕入れたのだろう。オビの裏にジスタートではない文字で「製造者;独立交易都市」としっかりメーカーまで記載されていた。
侍女たちを呼び出し、凱へ案内して着付けを行い、その姿を提供者に披露した。
「すごくかっこいいですよ。よくお似合いです」
年相応な賞賛の彼女の言葉が出てきて、凱はそっけない態度で「ありがと」と言った。
この黒い衣装も、とりわけ意味のないことではない。むしろ、積極的な『利点』を取り入れている意図さえ見える。
例えば、戦姫の衣装と竜具の装飾性。自ら指揮官の位置を敵に教えるような『目のやり場に困るような軍服』や『目をくぎ付けにする武装』など、戦場に置いては本来なら欠陥品の部類に入る。
しかし、それをあえて『積極的』に行うことで、ジスタートの戦姫は自軍の『損耗率』と『被発見率』を支配している。
損耗率の減少と被発見率の上昇。これは、『戦果は敵将の首が最も分かりやすい』という理屈を逆手にとって、あえて『我が目を疑う軍服』と『敵の目を引き付ける竜具』を身に着けている。これは、敵の攻撃を『一騎当千』の戦姫が積極的に引き受けることで、自軍への被害を抑制しようという思想にもとづいて、戦姫の衣装は設計されている。『異なる瞳色』を持つルヴーシュの戦姫は、その瞳を誤魔化す為に大胆なドレスを身に着けている。そのように心理的な面も考慮されている。
このような戦術思想が促された要因は、ジスタート王が戦姫の力を恐れるあまり、同じ戦姫同士で削ぎ合う事を仕向ける国風によるものだろう。
王の命令なら従う。だが、公国の為に、バレない程度で地味に抵抗するのは構わないはずだ。
そして、凱の衣装の場合も同様だ。白を基調とした『銀閃アリファール』を引き立たせて、『未知なる敵』の攻撃を一心に引き受けさせるためだ。もう、これ以上犠牲者を増やさない為に――
凱にとって、それは都合がよかった。
「ガイ。これも受け取ってください」
ティナの手のひらから、銀十字の首飾りを渡される。銀の素材を存分に使ったアクセサリーは、かすかな重量を感じさせる。
眺めていて、凱はふとアクセサリーの上部に疑問譜を浮かべる。
「……ギャレオン?」
鋭利な牙、そしてたてがみ。機械的ではあるが、生物的な面影を残している天宙の獅子。その額には6角形の緑の宝石が埋め込まれている。
「う~ん?違いますね。これは伝説上の生物。百獣の『王』の名を冠する獅子王『リオレーフ』です。ブリューヌでは『レグヌス』と呼びます」
これもまた、あの時に教わったものだ。エレオノーラの公判が終了した際、ソフィーと二人きりで対談した時にそれとなく聞き出した。
眠れる獅子が動けば、時代も動きますわ。そういう獅子身中の貴女は何をする気かしらね。そんな、目線から火花散る会話をしれっと繰り返しながら――
ああ、そうか。と凱は思い立った。
『GGG―ガッツィ・ギャレオリア・ガード』の存在していた、同じ世界の違う時代が『今』だから、どのようにギャレオンが伝播されたのか、その地域によって呼び名や意識の在り方は様々だろう。
ティナは柔らかい眼差しを、凱に向けて、また無邪気な笑みを浮かべる。
「……でも、『ギャレオン』のほうが強そうでいいですね♪」
一時思案のあと、凱はティナに問う。
「ティナは……君は大丈夫か?」
落ち着いた口調だが、その時になって、ようやく凱は自体の真相が飲み込めてきた。
テナルディエがジスタートの戦姫を捕虜にしている以上、何かしらジスタートへ攻撃的接触をしてくるはずだ。戦姫として、オステローデに残らなければならないティナにも、当然混乱は国内へ飛び火する。
だが、ティナは儚げな笑みを浮かべながら、こう答えた。
「私も、私にできる戦いを致しましょう。勇者と共に……足掻いてみようと思います」
凱は理解した。ティナもまた、『影』から『光』へ転じて歩き出すという事を。
ジスタートの真の理想、国民国家の為に。
「じゃあ……行ってきます。ヴァレンティナ=グリンカ=エステス様」
あまりの感涙の為に、凱は思わず敬語を使ってしまった。
凱を信じて与えられたティナからの贈物と同じように、凱もまたティナを信じて受け取った。想いと共に――
アリファールも、戦姫でない凱を信じてその美しい刀身を預けようとしている。凱も意思のあるアリファールを信じて振るうだけだ。
「ええ。いってらっしゃいませ」
ドレスの裾をつまみ、最後にティナは優雅に一礼をした後、凱の後ろへ下がっていく。その姿を見送った凱は、静かにアリファールの握部を手にする。
(人と、人以外を区別するものは『身体』でもなく、『刀身』じゃなく『心』だ。竜具に意思があり、心があるなら、俺はアリファールをひとりの『人間』として信じる!)
その純粋で一途な暖かい思いに、銀閃は閃光で応える!
鍔に埋め込まれている紅い宝玉が別種の光を放つ。まるで電源の入った機体が駆動するかのように――
アリファールを手に取った凱の脳内に、それこそPCの立上時に実行されるメンテナンスコマンドのように、文章が次々と浮かび上がる。
――アリファール――銀閃。それがこの銀閃竜の『牙』。
――ヴェルニー――風影。それがこの銀閃竜の『翼』。
――メルティーオ――煌華。それがこの銀閃竜の『息』。
――コルティーオ――風華。それがこの銀閃竜の『角』。
――ウィンダム――烈風。それがこの銀閃竜の『蹄』。
――アウラ――風霊。それがこの銀閃竜の『鱗』。
――クサナギ――嵐薙。それがこの銀閃竜の『尾』。
――レイ・アドモス――大気ごと薙ぎ払え。それがこの銀閃竜の『爪』
――レイ・アドモス――大気薙ぎ払う極輝銀閃。すなわち、人の英知と竜の武具が合わさりし……正真正銘なる竜の『技』
凱の瞳と唇に、つい笑みが浮かんだ。
竜技たるレイ・アドモス……ボイスコマンドが二つもある。おそらく、黒竜の化身に依頼され、アリファールを創った竜具の刀鍛冶の誰かが、遊び心から名付けたのだろう。最強たる竜技の名に相応しく、最強の名が行き着く先は、やはり『レイ・アドモス』しかないと――
刀身を伝うように銀の燐光が、凱の全身を包み込む。凱は素早くアリファールの性能を関知しながら、独立交易都市にある『魔剣』と比較する。
魔剣が生み出す『風』の仕事量に比べ、竜具が操る『嵐』はそれの数倍……いや、数十倍に及ぶ。とても個人が操れる仕事量ではない。戦姫はこんなものをずっと振り回していたのか、そう思うと、心底彼女たちの凄さがうかがえる。凱は無意識に息を呑んだ。
これから自分が振るうべき竜の技は、それを越えなければならない。
銀閃アリファールは、ジスタートの国宝。建国神話より受け継がれていく戦姫の象徴。そして今、戦姫の果たせなかった責務を、勇者が果たさなければならない。その意味するところを、凱は理解していた。人が人でいられなくなる『代理契約戦争』のような、悲惨な戦争は輪廻してはならない。繰り返してはならない。
――過去も……現在も……未来も……変わらず勇者を信じる者達が……――
――勇者の助けを……待っている!!――
あらためて凱は、自分が託されたものの重みを実感しつつ、アリファールの刀身を抜き放つ。オステローデからブリューヌへ長距離飛翔するための推力を得るため、銀閃はしばらく予備駆動状態となる。やがて十分な推力を得て、銀閃の気体燃料が吹き始め、凱をまとう銀閃が草原の茂毛を弾き飛ばす。風の唸る音が鳴り響いた。
「……みんな」
凱はまっすぐ空へ……自分が向かうべき場所を見据える。
「無事でいてくれ」
凱より少し離れたところに立っていたティナが、風影の余波を浴びて、その美しい青みかかった黒い髪を抑えながら、微笑んで凱の旅立ちを見送る。上方の分厚い雲を銀閃の力で払い、次々と星が見えてくる。天空が凱を覗いた。
流星が生まれいでる空の海に向けて、凱は飛び出した。
「風影!!」
◇◇◇◇◇
「幸運を――」
伏竜は雲を得て昇竜となるように、凱もまた銀閃を得て流星となった。天高く飛び立った凱を見送って、気持ちを切り替える。
ジスタートで帰還の祈り言葉をつぶやいて、ティナは『自分ができる事』をする為に、行動を開始した。
呼び出した一人の従者に、ティナは慈愛を含ませた声で告げた。
「国王陛下に伝えてください。『眠れる獅子は目覚めた』と」
超常たる竜具が、超人たる勇者によって振るわれる。その光景を、できることなら見届けたい。
だが、それは出来ない。今まさに、『時代は動いた』のだから――
心砕いて富を築いたこのオステローデを護る為、望む場所、約束された理想世界の為に。
それぞれが、それぞれの戦いに挑んでいく。
――『銃』は『弾』を込めてこそ、初めて本当の意味を成す。好む『色』を付けて、勇者と英雄はさらに強く輝く――
その手に新たな力……『銀閃』を託されて――
――そして、指揮官不在の『銀の流星軍』の元へ、獅子王凱は文字通り『流星』のように天空から駆け付けた――
――『銀閃』は舞い降りた。
NEXT
後書き
読んで下さり、ありがとうございました。まだまだ未熟ですが、何卒お付き合いいただけると幸いです。
タトラ山攻防戦⇨対ナヴァール騎士団⇨対ムオジネルのオルメア会戦⇨ビルクレーヌの戦い⇨銀の流星軍の敗北⇨魔弾覚醒へと続き、ブリューヌ・ジスタート転覆計画編へと移ります。
※捕捉ですが……
銀閃を手にした凱が天空から、銀の流星軍へ舞い降りたシーン。これはフリーダムガンダムの登場シーンをイメージしています。(その時、T・Mの挿入歌のミーティアを鑑賞しました。)
ヴァレンティナから渡された衣装について。
すみません。容姿は思いっきりFF8のスコールです。以前、pixiv様にて「FF8×勇者王ガオガイガー(勇者シリーズ8作目)の組合」があったのを思い出して、このように至った次第です。でも、FFきってのイケメン服装を、凱兄ちゃんにあの服装をさせたら、きっと似合うに違いない。アリファールはさしずめガンブレードといったところですかね。
本作のヴァレンティナ……ドラえもんでいうところの「きれいなジャイアン」になっています。原作においての印象とは違い、『影』を潜めていますが、はたしてどうなることやら。
第2話以降で止まっていた『銀閃殺法』ですが、凱がついにアリファールを手にしたことで、次々と登場していきます。
ヴィッサリオンの忘れ形見。銀の流星軍敗北の報を知り、エレンを捜し求める流浪の傭兵フィグネリア。
ブリューヌとジスタートの為にこそ。眠れる獅子たる凱に、テナルディエの暗殺を依頼するヴィクトール王。
剣の時代が終わる時。己の為に命を散らした『手向け』とするべく、騎士の時代に終止符を打つべく、凱との決闘に望む黒騎士ロラン。
エレンとミラに光が差すと信じて。二人の『助け』を、光たる凱に願うソフィーヤ=オベルタス。
約束を果たすときは今。どちらかに危機が訪れた時、全てを投げうってでも、相手の元へ駆けつける。煌炎の朧姫アレクサンドラ=アルシャーヴィン。
初代ハウスマンの影を負う為に。テナルディエと相対する、凱との因縁の凶敵手シーグフリード=ハウスマン。(聖剣の刀鍛冶)
小さな生命に祝福を。時代に殺された心清き子供達の為に。羅轟粉砕の心優しき殺戮者。ホレーショー=ディスレーリ。
不殺の答えは見つかるのか。目の前に映る全てを救う、セシリーと凱の信念を否定する『七戦騎』最強のノア=カートライト。
竜具を介して心に問え。サーシャと同じ家訓を持ち、竜具を鍛冶する『神剣の刀鍛冶―ブレイブスミス』ルーク=エインズワ-ス。
それは人間投石機。巨竜の全力を以ても倒せない男。銀の流星軍に放たれた一矢。大陸最強ハンニバル。
時代の輪廻を越えて。時代の風が味方せし者。勇者と魔王の最終戦。獅子王凱とフェリックス=アーロン=テナルディエ。
では、これにて失礼します。
少し更新が遅れ気味になりますが、何卒、宜しくお願い致します。
gomachan
第14話『還らぬ者への鎮魂歌~新たな戦乱を紡ぐ前奏曲』
前書き
以前、ティグルと凱の視点を揃える為に、凱の視点を一時止めるといいましたが、すみません。軸合わせでもう一話投稿することになりました。ご了承ください。この場を借りて謝ります。<(_ _)>
あとがきにて、報告があります。
ではどうぞ。
「タイキケン……あの時、ガイは気流世界の事をそういっていましたね」
銀閃の力で空高く飛翔した凱を見送って、ヴァレンティナ――ティナは以前、独立交易都市で凱と交わしたやり取りを思い出していた。(第0話参照)
この
虚影の幻姫は何も昔に感傷していただけではない。何故凱が大気圏ギリギリまで飛翔していったのか、既に意図を読み取っていた。
恐らく凱は、森林や山谷のような障害物のある陸地に沿って飛翔するより、障害物のない上空から急行したほうが手っ取り早いと踏んだのだろう。それにはるか上空からの急降下なら、重力に身を任せて余計な風の消費も抑えることが出来る。ブリューヌとジスタートを挟むヴォージュ山脈を越えることもできる。
『最短距離』と『最短時間』は決してイコールではない。壊滅寸前の可能性ある銀の流星軍へ手短に駆けつける為に、『最短時間』を選ぶのは必然だと言えよう。
いそがばまわれ――とは、よく言ったものだ。
大気ごと薙ぎ払え――すでにその大気の世界へ赴いている勇者ならきっと、混迷たる時代の暗雲さえも薙ぎ払ってくれる。
ヴァレンティナ=グリンカ=エステスは、そう信じていた。
さらに虚影の幻姫は、どうして竜具が戦姫たる女性ではなく、勇者たる男性に出現したのか、理由を考えた。
これは、ジスタートの始祖たる『黒竜の化身』が竜具に組み込んだ緊急処置なのだろう。
黒竜の化身に依頼された
刀鍛冶は、深い混迷を続ける時代の対立が『魔弾の王と戦姫』の力を以てしても制裁できない最悪の状況に陥った際に、その状況を打開する為に『単体で圧倒的武力の異質と戦う事を想定』し、アリファールの性能を最大に引き出す人物を求める前提として、アリファールは設計された。そうであれば、凱の元へ出現した理由に納得がいく。
国家滅亡の最中、獅子王凱はアリファールを取り、時代という大気の流れを変えようとしている。
今まさに、獅子王凱はかつての大陸初の女王「ゼフィーリア」と同じ軌跡をたどっていた。
――勇者の助けを、待っている――
『ジスタート・オステローデ上空・大気圏層』
風影の高加速に平然と耐えながら、凱は自分の神経とアリファール本体の『戦闘情報』を接続したまま、はるか上空を突き進んでいた。こうすることで、自らの身体を
推進機関に見立てて、大気圏内環境下を自在に飛び回ることが出来る。生機融合体から
生機融合超越体に進化した凱ならではの能力だ。
アリファールを握っている……という感覚が今の凱にはない。『剣は腕の延長だと思え』という教えが存在するのだが、凱が『銀閃』を取れば文字通り、腕の延長となって振るわれるのだ。メカノイドとの
融合能力を応用した竜具一体の技術だ。
凱は自身の発言を思い出す。
――AIとの親和性?イヤだなぁ。俺はただ、あいつらをただの機械や道具扱いしたくなかっただけだよ。俺達と一緒に、このプロジェクトを成功させたいと思っている仲間さ――
ずっと昔、宇宙飛行士時代において、凱のこんなコメントを報道されたときは、世代論で武装した旧守派からの批判が殺到した。実感のない言葉だけで、宇宙観測プロジェクトの成果など上がるはずがないと。だが、これが後に『機動部隊の竜機達』に慕われる力として、いかんなく発揮されることとなる。
――俺はアリファールを、ただの竜の道具と思っていない。なぜなら、アリファールに意思があり、心があるからだ。だから俺は、アリファールを一人の人間だと思っている。俺はそう信じている!――
そして今、凱のこのような感想がジスタートの戦姫に報じられれば、避難の嵐が凱を蹂躙するに違いない。竜具が人を選ぶ理由は不明確だからいい。だが、その程度の心構えで竜の技術が上がるはずがない。我等の努力を何だと思っていると――
飾り気のない凱の本質。それこそが
竜機の人格、超AIに慕われて――
何より、
竜具の人格、竜の意志に慕われやすい性格は遺憾なく発揮されている――
◇◇◇◇◇
飛竜より高く飛翔した凱は、自分の内蔵の収縮具合でこのあたりが『大気圏』の境界線直下だと判断した。生身で初めて飛翔した体験に、凱は僅かながらアリファールの性能に驚いていた。対してアリファールも、凱の肉体に神秘性と可能性を感じていた。
普通の人間ならば、急激な『
風影』による飛翔で、肺の中の空気が一気に膨張して生命を落とす。歴代の戦姫はみなそうだった。故に大気圏へ挑む『
銀閃の風姫』はいても、それを達成した『
銀翼の勇者』はいなかった。
だが、生機融合超越体の心肺機能は、強靭な内蔵繊維と特殊機構で大気圧の激差を解消し、凱に全くの苦悶をもたらさなかった。
そして、アリファールは凱の意識に訴える。あそこへ行って!と――
「ディナント平原?もしかして、みんなはそこで戦っているのか!?」
子供が手を引っ張るような感覚で、アリファールは凱の手を介して心に願う。
ここで自分が向かうべき場所を読み間違えてしまったら、アリファールの努力が水の泡となる。
それでも、凱は頭の中で素早く『ディナント平原へ突入する為の軌道計算』を終えていた。人が持つ天賦の才『神算』の力ではない。宇宙飛行士時代から培われた、たゆまない努力の訓練によるものだ。
(飛翔姿勢で使っていた風の力を重力落下のベクトルに加えれば、指向性を持った自由落下で目的地へ突っ込むはずだ……)
今の凱の視界は、まるで地図をそのまま眺めているかのようだ。雲が一帯晴れている今、ブリューヌ全土、ジスタート、ムオジネル、ザクスタン、アスヴァールが見える。
凱は飛翔を停止させ、遺された風の力を全て背面に回し、『最高速度』にて、目的地へ急降下しながらアリファールに語り掛けた。
乱れる気流が、凱の長い栗色の髪をかき乱す。
「……アリファール」
問い返すように、銀閃は凱の頬を撫でる。
「遅くなって……すまなかった。みんなの声に……気づいてやれなくて」
そんなことない。そう思わせる優しい風が、今度は凱の頭をくるくる撫でる。
ブリューヌの異端審問にて、凱は魂を引き裂かれるような苦しみを味わった。この世界に、この時代に、この体に、『異端』ではなく、ガヌロンのような『異物』が含まれている。それを理解した時、凱の中で何かが終わった……いや、終わったかに見えた。
自分自身と向き合う。それは言葉で言いあらわすより、とても勇気がいることは間違いない。過酷な運命を乗り越えることが、勇者として避けては通れない道。その道に、凱はつまずいて、膝小僧をすりむいて『正道』を歩けなくなっていた。
だが、今は違う。
凱とアリファール。出会いは唐突にしても、互いにその存在を感じ合っている。竜具の暖かい手触りさえあれば、どんな事態も乗り越えていける。どんな苦難も薙ぎ払っていける。――凱はそう思った。決意を勇気に変える凱に、アリファールは感謝の
風をかける。
「君の大好きなご主人様は……必ず助けて見せる!」
勇者は一つ、アリファールに約束をした。これから増えていく約束の内の、ほんの一つ。
アリファールは自嘲するかのような、そよ風を巻き起こす。
流星は燃え尽きる前に願えば、必ず叶えてくれると言われているが、流星たる
竜具自身が願いごとをするとは思わなかった。
そんなアリファールの意思が手のひらから伝わり、凱は微笑みかける。
「気にしないでくれよ、アリファール。勇者は……みんなの『希望の
流星』だもんな」
急降下による大気との断熱圧縮が、凱の肌に伝わっていく。望むだけの熱を抱きかかえ、時代はさらに加速していく。
――流星が、ヴォージュ山脈の彼方へ舞い降りていく――
『ブリューヌ~ジスタート・ディナント平原』
――その頃、銀の流星軍は絶望の渦中に置かれていた――
「カルヴァドス騎士団、ペルシュ騎士団、リュテス騎士団、壊走!」
「軍損耗率!8割を超えています!」
「右翼部隊、壊滅!」
銀の流星軍の『本陣』では、絶望的な報告ばかりが飛び交っている。リムアリーシャは置かれた状況を見て歯噛みする。
味方の損害は甚だしく、もはや本隊の防衛線などとうに瓦解している。戦況を見て兵を動かす役目の自分は、なぜ撤退命令が出せないのか?
「すでに指揮系統が分断されています!リムアリーシャ様!これでは!!!」
そんな事は分かっている。
禿頭の騎士ルーリックが叫び、苦虫を噛みしめたような表情で指揮官代理のリムアリーシャ――リムを見やる。
「……エレン!!」
上司にして、傭兵時代からの親友を愛称で呼ぶリムの顔が歪む。ルーリックの問いに、彼女は答えることが出来なかった。激しい慟哭が彼女の意思を大きく揺さぶる。
視界の向こうでは、いまだに激しい戦闘が続いている。ディナント平原に流れたおびただしい大量の血は、以前の『ディナント平原の戦い』の比ではない。大地が、草原が、新鮮な赤い血を吸い込んでドス黒く染まっている。
鼻孔をつんざく鋭利な臭い。赤茶けた『火薬』が空気を汚染している。銀の流星軍に迫っているのは『敗北』でも『降伏』でもない。文字通り完璧な『滅亡』だけだった。
騎兵達の盾や甲冑ごと貫く鉛玉は、こちらに防御という概念を砕いていく。それはさながら飴細工のように――
石弩や弓矢とは違い、銃は密集体制を取ることで一個小隊を殲滅する。鼓膜を突き破る銃声が鳴り終わるころには、人馬の躯で埋め尽くされている。突貫力に優れ、敵の刃をも弾く騎士団が、ボロ雑巾のように戦線を崩されていく。
「……これが、ナヴァール騎士団を討ち破った……『ジュウ』というものか!?」
カルヴァドス騎士団長オーギュストの脳裏に、かの黒騎士の姿がよみがえる。
誇りも尊厳も、虫を追い払うかのような感覚で、銀の流星軍を蹴散らしていく銀の逆星軍。
「……わたしだって!まだ!」
悔いて悩んでいる間にも、『銃』によって、その将星を撃落され、多くの生命が成す術もなく奪われている。だが、その死に責任を持つべき自分は部下を率いて、この地獄絵図のような戦場から一刻も早く離れなければならない。その為に、最速距離にてジスタート領へ続くディナント平原を選んだはずだ。
しかし、自分はまだ諦めきれないでいた。エレンは必ず助けて見せる。その一心が、彼女の撤退命令を阻害させていた。
リムだけじゃない。ティグルを拉致されたマスハスとて同じ心境だった。
このまま戦闘が長引けば、いつかは敵の『
飽和殲滅』に押し切られてしまう。
「……撤退を!」
襲い掛かる戦況から、リムの代わりにルーリックが声を絞り上げるように言う。しかし、部下の一人……アラムが即座に報告する。
海狸のように比喩される彼は同様に余裕がなく、その表情を強張らせている。
「駄目です!『火を噴く鉄の槍』の攻撃に切れ目がありません!」
獅子王凱がこの場に居合わせていれば、鉛玉を吹く兵器の正体は『
螺旋銃』といえたのだが、この大陸の人間には未知の概念であるため、『火を噴く鉄の槍』と表現するしかなかった。
「こちらに撤退する隙さえ与えない気か!……」
「だが……我々は……!」
「戦う意思だけでは……どうにもならないのか!?」
ジェラール、オージェ、マスハスは、リムと同じように歯噛みしている。得体の知れない兵器の前に、リム達は背後からじわじわと死神の鎌が差し迫るのを感じ取っていた。瞬間と瞬間が交錯する中、戦況はより一層泥沼化する。
人が持つ天譜の才の一つ『神算』の持ち主であるジェラールには、なぜ撤退する隙が無いかを理解していた。背中を見せた瞬間、針の穴よりも小さな隙を、テナルディエ軍『
銀の逆星軍』は狙い撃つに違いない。
できる事があるとすれば、交戦しつつ徐々に後退するしかない。だが、それも時間の問題だ。
銀の流星軍の前面に、静かに剣と弓と槍の迎撃をかいくぐってきた『鉛玉を絶え間なく撃つ乳母車』の一小隊が肉薄する!
逆星は流星に『王手』をかけた。もう銀の流星軍に応手はない。『詰み』だった。
「「「「「―――――――!!!!!」」」」」
『流星』の空気が……凍り付いた!
リムアリーシャが、エレンの姿を思い出そうとするかのように、悔しながら目を閉じ――
ルーリックが、ティグルの姿を思い出そうとするかのように、頑なに目を閉じ――
ジェラールは信じがたいといった表情で、目を見開く。
そして、マスハスはティグルを守り切れなかった悔しさから、亡き友のウルスを浮かべ、視界越しに敵を睨みつけた。
銀の将星達の視界の中で、『逆星』が銃口を向ける。
――これまでの道のりが――
――これから歩み出す道のりが――
――これより向かう未来の道が――
リムの頭を一瞬にして通り過ぎ、一連の楽譜となって彼女の意識を駆け巡る。
ブリューヌ内乱をあれほど苦労して、多くの勇敢な兵の犠牲を払って、戦楽譜の末にたどり着いた
終止符が『鉛玉を受け止めるマト』としての死か。
ここまで自分やエレンについてきた兵達に申し訳なくなる。エレンは捕虜にされ、自分たち銀の流星軍は、戦姫を奪還するどころか、徐々にブリューヌ領土の
末端隅へ追いやられていく。
銀の逆星軍にとって、これは『掃討戦』だ。もはやそれは『火を噴く鉄の槍』ではなく『火を噴く箒』なのかもしれない。奴らにとって
埃を部屋の隅へ追いやる、日常の掃除間隔でしかないのだろう。
「これで、終わり……」
一人残らず死なせてしまうのか?もう、エレンの事すらも思い出せなくなるのか?
「……!!!」
恐怖。後悔。懺悔。そのような自責の念に駆られながら、リムは『乳母車に向けられた筒』が火を噴くのを待った。
が、リムが予想していた未来は、いくつか数える時を待っても、訪れなかった。
突然、一条の『煌めく銀閃』が天から流星のように降り注ぎ、発射寸前だった『乳母車の銃口』を捕えたからだった。
「流星!?」
降雨した銀閃による、燃料系への引火。目の前に起きた爆発に、リムは一瞬視界を奪われた。
「……援軍か!?」
一拍おいて、マスハスは声を震わせて告げる。
銀の逆星軍も何が起きたか分かっていないようで、その視界を遥か雲の先へ見上げる。
その『乳母車の銃口』を、半瞬より短い間で、天空から舞い降りた何かが斬り飛ばす!
「あ!……あああああ!」
『煌めく銀閃』は『流星達』に迫った脅威を排除した後、ふんわりと後ろを振り向き直った。敵は突然の超常現象に浮足立ってしまい、正常な判断を失っている。
「あ……あ……ああ」
リムが、ルーリックが、マスハスが、ジェラールも、敵と同じ反応を示し、ただただ唖然としている。
――手にするは、輝く天銀の刀身。――
――衣装は黒を基調とした羽織義と、銀の獅子の首飾り。――
――長い栗色の髪。それは、銀閃の風を受けて、零れる砂のようになびく。――
――
銀閃の風姫と非常に似通った印象を与えているものの、その人物には共通する箇所が見受けられない。――
――夜明けとともに、太陽の光を背中に浴びて、『銀閃』はあらわれた――

謎と未知に包まれた人物は、自分たちの前で、その美しい銀閃竜の『見えざる五対の翼』を広げた。
その姿は、神話に出てくる、あたかも禁忌に触れた人間を制裁する為に舞い降りた『
銀翼の勇者』のようにも見えてしまう。
見えざる5対の翼から、可視性の銀粒子が吹きこぼれる。
まさに、飽く迄も美しく。
これが、銀閃の正しき戦士の姿。
神秘にして神々しく、そして雄々しき『勇者』の姿を見つめていたリム達だったが、その時、聴覚に直接入り込むかのような声が飛んできた。銀閃アリファールから発する風を、
大気振動変換に見立てた凱の肉声だ。大声で叫ぶより、銃声鳴り響く重低音周波数が飛び交う戦場において、確実に声を伝えられるのだ。
〈聞こえるか、銀の流星軍!?こちら!獅子王凱!……〉
リム達は一様に息を呑んだ。目を大きく見合わせたルーリックとジェラールが顔を合わせる。
「ガ……イ……殿?」
〈支援します!リムアリーシャ様!今のうちに撤退を!〉
信じられない。その一言に尽きた。あの時、シシオウ=ガイという男は、異端の闇に葬られたはず――
リムはしばし茫然として、目の前の人物から発された言葉に耳を傾けた。
そんな……そんな……そんな……
彼は、あの人は、死んだはずだ。
だが、現に彼は生きていた。今こうして、目の前にその声を、その姿を、その勇姿を、我々に見せているではないか。
どうやって?なぜ、凱は銀閃アリファールを持っている?戦姫でない男性が竜具を振るっているのはなぜ?
様々な疑問が、リムやマスハス、凱を見つめる全員の頭に渦巻いているが、彼女らの詮索を後回しにするかのように、凱はリム達に背を向ける。こうしている間にも、敵兵は既に隊列を立て直していたからだ。
銀の流星軍を壊滅に至らしめた様々な銃口が……凱に向けて一斉に火を噴いた!
〈
風影!!〉
一瞬にして、凱は空高く飛翔していく。無数の『銃』によって火線が肥大化していく戦場の中、凱は凍漣のように、冷静な分析を開始していた。結果、『火を噴く鉄の槍』と『鉛玉を連続して放つ乳母車』の正体を看破する。
(あれは……マスケット銃!?それに
螺旋銃や
回転式機関銃まであるのか!?)
火を噴く鉄の槍――マスケット銃。その発展型の
螺旋銃。
鉛玉を連続して放つ乳母車――
回転式機関銃かつての幕末三大兵器の内の一つが、ここディナント平原にあるではないか。何処でいつ入手したか?入手ルートは?
今はそんな事を考えている場合ではない。まずは目の前の脅威を排除する。
「『銃』はその威力と引き換えに、立ち込める撃鉄煙が自分の位置を教えちまう!悪いが反撃させてもらうぜ!アリファール!!」
激化する銃弾の軌道を、凱は飛翔を維持しつつ回避していった。
まるで――背中に翼が生えているかのような――凱のかろやかな動きに、銃弾は勇者の身体を掠めることすらできないでいた。その光景を見つめていたリム達は、銀閃の翼ひるがえす凱の
高機動空戦にただただ唖然とした。これが人間の成せる動きなのか?
だが、これは銀閃の勇者にとって、力のほんの一端に過ぎない。
――アリファールの『翼を模した鍔』は、『光の風』を受け止める
太陽蛸にして
衛星帆――
――今は夜明け。ならば、太陽の光を浴びて、大気を限りなく断熱圧縮させた
電離現象大気を放つこともできるはずだ――
アリファールの切っ先を重火器の集団たちに向けた凱は、精密な大気の流動加減を操作し、次の瞬間、二つの『砲撃』が『
煌銀閃』を放った!刀身と鞘による二丁の砲撃だ!
銀閃竜の
切っ先から放たれた砲撃、『
煌銀閃』は、次々と連射され、眼下の集団を雨あられとつるべ打ちしていく!
ディナント平原の今の光景。逆星に与した咎人に、裁きの流星が文字通り降り注いでいる――
それは、敵兵の生命ではなく、敵兵の武力のみを奪っている。流星は人々の願いをかなえる希望の星。決して人の生命を奪う凶星であってはならない。
流星の正体は――断熱圧縮された大気が星を加熱してプラズマ化した発光現象――宇宙飛行士時代にて知り得た知識を活かし、凱は音速を超える『光の尾を引く大気の風弾』をアリファールから次々と放つ。『
竜の牙』・『
竜の翼』『
竜の爪』に続く、『
竜の息』だ。
針の穴を通すような正確さで、敵影の兵器のみを正確に奪っていく凱の攻撃に、リム達は驚愕の極みに達した。
凄まじい銀閃の火力。そして、敵との兵力差をものともしない凱とアリファールの戦闘力。何より、この鉛弾の嵐を平然と飛び舞う凱の勇気だ。
大気ごと薙ぎ払えではダメだ。何故なら、『竜の爪』によって放たれた後の乱れた気流に爆薬が乗って、リム達へ誘爆される可能性がある。そうなってしまえば、敵味方構わず木っ端微塵だ。
〈リムアリーシャ様!早く撤退を!!〉
凱の声に促されて、彼女は我に振り返る。
「あ……え……あの」
今は――駄目だ。臣下たる自分が戦姫を置いて逃げるなど。だが、混乱のあまり、順序立てて説明することが出来ない。
「あの……『ジュウ』から我々を庇う為に……エレオノーラ様が……」
手短に状況を伝えようと焦りながら、リムは
忸怩たる思いにからめとられている。普段の冷静な態度は見る影もない。
「自分を囮にして!……テナルディエ軍に!!」
流星を撃ち落とそうと、なおも止まない鉛玉の逆星群を相手に、
反撃の手を休めない凱に向かって、リムは泣き叫びたい気持ちでいっぱいになる。
(……そうか……!)
凱には、リムの気持ちが銀閃の風に乗って、痛い程伝わってきた。
こんなことを告げなければならないのが辛かった。銀の流星軍を率いる副官として、ライトメリッツの象徴である戦姫の片腕として――そして、『自分たちは戦姫を見捨てて逃げてきた』という現実を口にするのが――。ましてや、銀の流星軍とは関係ない人間に――
彼女の気持ちを察した凱はそれに答えず、自身に向かって放たれた銃弾を次々と撃ち落としていた。そして、しばし考えた後、凱はリムに向けて語尾の強い声を発する。
〈リムアリーシャ様!気持ちは分かるが、今は撤退が先決です!〉
「出来ません!エレオノーラ様をおいて逃げるなど!」
それは、戦況を把握する指揮官の発言としては、最悪の部類。
本性が、理性を塗りつぶす。
それは、唯一無二の友を助けたいという本音。
それを諭したうえで、凱は必死に訴える。銀閃の風に、声を乗せて――
「違う!いま銀の流星軍まで全滅してしまったら……本当に戦姫様を助けることが出来なくなっちまう!もう一度……もう一度……反撃の
嚆矢を狙うんだ!」
逡巡した後、リムは苦渋の葛藤の末、ついに撤退の合意を示した。凱の悲痛な声色が、彼女に勇気ある撤退の決断を促した。
流星によって生まれた隙、そして、『光明の数秒』という、この瞬間を逃すわけにはいかない。凱の言葉には強い意志が込められていた。
――銀色の髪の少女の名を叫びたい衝動に駆られる――
――迷ってはいけない。エレオノーラ様の友愛受けし兵たちを……無駄死にさせるわけには――
「……わかりました………………全軍撤退!!」
銀の流星軍はついにブリューヌ勢力圏から離脱する為の行動へ移る。それは、心のどこかに救いを求めるかのように――
しかし、
銀の逆星軍は
銀の流星軍を見逃すはずなどない。
敵は『銃』を手にして、引き金を引いてみて、いざ流星を蹴散らした快感に浸っている。もっと欲求を満たそうと、逃げるネズミを追いかける……のだが、一人の青年が立ちはだかり、『逆星軍』に向けて『
煌流星』を浴びせる。
しんがりを務める凱は、一人でも多く
銀の流星軍を逃がす為に、孤軍奮闘を展開する。
そして凱は垣間見た。流星のような儚い涙を流したリムの表情を――
「リムアリーシャ様が流した涙の為に!これ以上!『流星』を落とさせるかあぁ!!」
――無数の逆星と……一人の流星が飛び交う膠着状態が続く――
――そして、銀の流星はヴォージュ山脈の彼方へ落ちのびていった――
『
銀の流星軍・ジスタート領・ライトメリッツ郊外』
「た……助かったのか?……私たちは?」
ルーリックのつぶやきが上がると、全軍は大きく息をついた。みなぐったりと脱力し、適当な岩場や壁面に背を預けている。とても幕営など設置できる状態ではない。
銀の流星軍はディナント平原の惨状から少し離れたジスタート領へ、殆どなだれこむように突っ込んでいる。皆はやっと顔をあげて、自分たちが後にした戦場を目にやった。
ありえない光景――数か月前、ブリューヌ二万五千とジスタート五千が相対した同じ場所とは思えない。まして、ライトメリッツ兵にとって今度はこっちが敗北の立場に回ったのだから。
黒色煙が蔓延する光景を目の当たりにして、リムは安堵を押し殺して、底冷えするような恐怖と敗北の憤怒が沸き上がる。
それは、凱も同様だった。
――いつの時代でも、黒き歴史は輪廻する――
――この時代の人間も、触れてはならない『
滅びの火種』を手にした――
――悪意に満ちた集中砲火。それは、一度取り付かれたら最期、二度と手放すことはできない力――
――人間はすべからく勇敢で、凶暴で、何より……臆病だ――
――生存本能がいう。より優れた力を持てと。討たれる前に討てと――
許されざる罪を犯した。損耗率の向上。ただそれだけの戦術理論が、あれほどの惨劇を生み出してしまった。
半刻ばかり過ぎて、銀の流星軍たちは頬に吹き付ける冷たい風に、今更ながら気づいた。死闘という極限の熱さで、体感温度を狂わせていたのかもしれない。そう思ってからリムは、これがボロスローの戦い以来の何週間かぶりに踏む、ジスタートの大地だと知った。
そして、少しリム達の視界の彼方には、栗色の青年がライトメリッツの兵を運び出していた。だが、その兵士は既に銃弾の嵐の影響を受けていた為か、吐血して間もなく息を引き取っていた様子だった。青年が悔いるように顔を伏せる。その光景を静かに、リム達は見守っていた。
すこし数える間が過ぎて、青年は立ち上がり、落ち着いた様子でこちらへ向かって歩み寄ってくる。ティッタと同じ栗色の髪をなびかせて、以前と違う衣装をまとい、腰には―かの戦姫―エレオノーラ=ヴィルターリアを主と仰ぐ、『アリファール』を携えているのに気づき――皆は言いようなく戸惑う。
だが、目前に接近する青年の穏やかな顔は、間違いなく『シシオウ=ガイ』だ。
リムアリーシャ、ルーリック、マスハス、他の者達も目の前の人物に衝撃を受け、身動き一つとれずに、凱の姿を見つめていた。特に、リムとルーリック、マスハスの三人は、ほんの僅かとはいえ凱と交流があっただけに、その姿を見ただけで胸がいっぱいになる。
かける言葉が見つからない。
何を話したらいいのか分からない。
いろんな事がありすぎて、これからどうすればいいのかすら道筋すら見えない。
空気が淀むのを感じた凱は、居心地が悪くなったのを感じたのか、場の空気を和らげる為にふんわりと微笑む。
「リムアリーシャ様……間に合って……良かったです」
飾り気のない凱のその言葉に、リムは目頭が熱くなり、目を瞬いた。涙が出そうになったが、今は堪えるべきだ。
「ほ……本当に……ガイ殿なのか?」
ぐんずりとした老伯爵マスハス=ローダントは、口元を振るわせて、その名をつぶやいた。
「はい」
僅かな間……とは言い難いが、死んだとされていた彼に対して、抱いていた思いが流星の如く一気に身体をかけめぐり、皆は何も言えなくなる。
銀の流星軍の主要人と数十アルシン離れた兵たちは、その光景を見守っていて、半ば放心状態だった。だが、自分たちの副官や指揮官の反応を見るあたり、あの青年がただ者ではないことがうかがえる。
そして、ルーリックが泣き笑いのような声を上げ、弓弦を弾かれた矢のように飛び出した。
「ガイ殿!!」
それに促されるように、ディナントの地獄絵図から生還した者が、『
銀閃の勇者』をわっと取り囲む。
「よく……生きておった……」
陰に隠れていたオージェ子爵が、感涙の言葉を贈る。その口調は、涙をこらえているかのようであった。
ただ一人、彼の息子ジェラールは涙腺緩む空気を無視して、ルーリックの横を通り過ぎ、凱の前へ足を踏み出す。
「初めまして。あなたが……シシオウ=ガイなのですね?噂は聞き及んでおります」
若干、皮肉屋でルーリックに知られるジェラールらしくなく、口調に淀みが含まれた。流星のように飛来した存在を前にして、やはり動揺は隠しきれないのだろう。
ただ、その動揺は殆ど全員一致に近いものがあった。リムも彼らと一緒に、あらためて凱の腰に据えられた銀閃を見つめた。
「……俺はみんなに話さなければならないことが、たくさんあります。そして、これからの事も――」
静かな口調で凱は言い、リムは小さくこくりとうなずく。
「……そうですね」
何故、異端審問の公開処刑から助かったのか?
今までどこにいたのか?
そして……その銀閃アリファールはどこから?どうしてあなたの所へ?
「私たちも……ガイさんにお話ししたい事、聞きたい事があります」
「……ええ」
リムの言葉に、今度は凱がうなずいた。沈んだ表情になりながら、何より彼女が聴きたいのは『何より、エレオノーラ様は無事なのか?ティグルヴルムド卿は?リュドミラ様は?』――ということだろうから。
――それは、銀の流星軍全体が知りたい事だった――
沈みかけた大気を一拭するかのように、凱は唇を紡ぐ。
「戦姫様たちは……大丈夫だと思います」
少し歯切れの悪い言い方となった凱は、アリファールに視線を見やる。なぜなら、その根拠はアリファールが凱の意志に語り掛けてきただけだから。
それは、凱と竜具しか知らない内容だ。信じるに値するか否かは、彼女たちが判断する。凱は感じたことをありのままに話した。
――凱がウソを言っているとは思えない――
――リムは、その澄んだ瞳を見て彼の言葉を信じた。いや、信じるしかない――
――エレオノーラ=ヴィルターリアはまだ生きていると――
――それは、再会の望みある朗報であり――
――それは、未だに敵の手中にある凶報であった――
「ひとまず、幕営を設置しましょう。今の状況を打開するため……我々は進まなければなりません」
残された燃料も食料もそう多くはない。だが、疲労の濃い状態では、例えジスタート領内とはいえ、今のままではライトメリッツでさえ辿りつくことはかなわない。疲れ切った身体を押してでも、幕営を設置して袋小路のような現在から、今後の展開を見出さなければならない。
銀閃の風姫の救出。これは変更ない。でも――
『銃という未知の兵器に対し、戦姫を助けるべく、無策のまま兵に『それ』と戦わせるべきか』リムアリーシャは自分で判断しなければならない。いや、決めなければならない。
『夕刻・ジスタート領・本陣幕営』
「ガトリングガン!?」
リムアリーシャ、ルーリック、マスハス、オージェ、ジェラールが目を見開いて愕然とした。
凱の口から語られた単語。その名称は初めて耳にするのだが、形状から察するに『
蜂巣砲』という二つ名から、文字通り目標物をハチの巣にしてしまう……ということは――
「じゃあ……ナヴァール騎士団が全滅したというのは……本当なのか?」
オージェ子爵が、灰色の髪をうつ伏せて自分の言葉におびえたような表情になる。
そう……もし、精強で謳われるナヴァール騎士団……ブリューヌ最強の国王直属軍が、その
回転式機関銃の前に敗れているのであれば、事実上ブリューヌはテナルディエの天下といってもいい。
マスハスは複雑や表情で、目の前に広げてある大陸全土の地図を見下ろす。今まで弓に嫌悪だったブリューヌの認識が、正確にはテナルディエの認識が覆ってしまっている。そして、戦い方がもはや我々とは根本的に違う事を――
たかが鉛玉。されど鉛玉。あんな鉄臭い飴玉の為に未来は大きく湾曲する。
銃という巨大な火を今まで用いることがなかったから、この大陸の人間達は『大量殺戮の恐怖』から守られていた。
しかし、その銃は口から火を噴いたことで。ブリューヌという肥沃な大地に滅びの火種はまかれ、王都ニースも今頃燻ぶられているはずだ。
このような戦いが続くことが起これば……その結果は死屍累々と思い浮かべてしまう。
思い起こせばわかることだ。人は恐怖のあまり、人より強い力を求める。多くの敵を殺せる技を。多くの敵を滅する戦術を。多くの敵を消せる兵器を。
「……そんなものが……どうして造られたのか!?」
カルヴァドス騎士団長、オーギュストが怒りを込めてつぶやく。彼だけじゃない。ここにいる皆が憤怒と悲哀、負の両極の想いを抱き、未知の力を秘めた兵器に対して恐怖を抱く。
特に、騎士にとって、これは時代との決別を意味しているといっても過言ではない。鋼の甲冑を纏う為に、剛剣を振るう為に、鉄の盾を構える為に鍛えあげた身体が、痛覚に気付くより早く、風穴を開けられたのだ。その鍛錬に費やした青春の時間と、積み上げた気高い誇りをあざ笑うかのように――
自然と、オーギュストの感情に悔しさがこみ上げてくる。それは、
銀の流星軍に加勢している他の騎士団も同様だった。
怒りを鎮める為にまぶたを閉じると……その無念に散っていった戦友達の最期の顔が浮かび上がり、また怒りが込みあがってくる。
すると、凱はオーギュストの心情を察するかのように、静かに言った。
「……損耗率」
リムははっとして凱の顔を見直す。彼女の心に兆しと疑問が差し込める。青年は穏やかな瞳に一瞬、瞳に厳しい意志の光を宿す。
「一度の戦闘で参戦者がどれくらい失われるか……という事ですね」
リムが確認するかのように、つぶやいた。対して凱はコクリとうなずいた。
「例えば……100人同士で戦って10人か20人怪我や重傷を負うとする。その中に当然、『戦闘不能』が何人か出現する」
ジェラールが補足を付けるように語る。兵法における基本概念。ここまでは皆が共有できている事項だった。
そして、凱は再び語り始める。
「俺も軍隊を率いた経験があるわけじゃないのですが……これだけは推測できます。『銃』を持たれた側が孕む損耗率は、100人同士なら50人を超え……最悪の場合、『全滅』もあり得てしまうんです」
「「「「「……全滅!?」」」」」
銀の流星軍の主要人に戦慄が走った。
殲滅率と損耗率。加害側と被害側の武装によってその数字は比例するものであり、戦局を左右する重大な要素の一つである。
リムは思案する。自分の主はその『損耗率』の考慮を不要とするほどの強大な戦闘力を保有している。
しかし、テナルディエ軍こと『銀の逆星軍』は、一騎当千の戦姫の戦闘力を奪い、捕縛しているのが現実だ。
考えられる要因は二つ。
一つは、――弱者の一兵卒と言えど、『銃という完全武装』を施して、戦姫と同等の攻撃力を得た――
二つは、――一兵卒ではなく、戦姫と同等の『将』をぶつけて、損耗率で押し切ろうとしたか――
そのどちらかと思われる。
凱は再び口を開く。
「たとえば、同じ武装で一対一による打ち合いをするとします。実力が均衡すれば、勝敗以外の選択、『引き分け』が生じます。やがて疲労もするでしょう。疲労ともなれば、体は当然動いてくれませんし、武器も持てなくなります。そうなれば自然と、対話によるチャンスも生まれるかもしれません」
淡々と語る凱の言葉に、リムやマスハスは思い当たる実体験を思い出した。
――ブリューヌ領内・オーランジェの戦い――
かつて、外つ国のジスタート軍をブリューヌ領内へ招き入れた叛逆者のティグルを討伐するべく、国王直属軍として西方国境を守備する精鋭『ナヴァール騎士団』が差し向けられた。
事の顛末を説明する為に、ティグル達『銀の流星軍』は対話を申し出たが、ナヴァール騎士団は『我々は敵を交わす言葉を持たず、使者は降伏の意志を持つ場合にのみ受け入れる。降伏の意志を示すならば全ての武器を捨てよ』と返答した。聞く耳を持たないような向こう側の意志によって、ティグルは王家直属の騎士と交戦せざるを得なくなった。
結果だけを言えば、ティグルとその騎士団長『黒騎士ロラン』は死闘の末、ティグルに軍配が上がった。こうして、初めて対話の機会を得られたのである。
「ですが……竜具や宝剣デュランダルといった超常の武器以降の戦いでは、そうはいかない可能性が一層高くなるんです。ましてや……『銃』が出ちまったら……逆に対話の可能性はより一層低くなるから……『敵の盾や甲冑ごと斬り裂いてしまうような武器』ならて……おさらです」
「どういう事ですか?ガイさん」
リムが静かな声色で凱に訪ねる。
艶のない金髪の彼女だけじゃない。この場にいる全員が、凱の言葉にこれ以上ないくらい耳を傾けている。
対話とは、外交における基本手段であり、それが行き過ぎてしまうと戦争へたどり着く。対話で解決できないから武力で解決する。故に、治水から始まる論争は両国の衝突するディナントの戦いへ発展したではないか。
どちらかの勝利が定まらないとなれば、禍根が残らない様に、ある程度の損害で見切りをつけるのである。
だが、凱の推測はこうである。「このままいけば、どちらかが滅びるまで戦いを続ける時代が訪れる」と――
凱は言葉を紡いだ。
「仲直りする前に殺してしまう……それは言葉にすること以上に……恐ろしいことなんです」
「我々には、あまりに重すぎる話ですな。ガイ殿」
重すぎる。その言葉に何も飾り気はない。そして、凱の言いたい根本的な事は分かった。
今、時代は分岐点に差し迫っている。その曲がり角に対しての要求する犠牲の量が多ければ、それらがもたらすのもはただ一つ。
『時代の終焉』に他ならない。
人は常に臆病だ。故に防衛手段を追い求める。
ブリューヌ2万5千をたった5千の軍勢で敗走させた銀閃の風姫。それに警戒してアルサスを焦土とせしめる。
そしてテナルディエは求める。誰にも負けない最強の『獅子の力』を。それも、『竜の技』を超える何かを――
ついにテナルディエは手に入れた。竜具のように誰かを特定することなく、時代の荒波を突き進む
櫂となる『銃』を――
みな、これまでの長い戦いの疲労が今になって表れている。何かを考える力をなくし、脱力している。そんな彼らに同情をしながら、凱は今後の予定を尋ねた。
「リムアリーシャさん達は……
銀の流星軍はこれからどうするんですか?」
今、この場にいる誰もが、上司や部下、指揮官と配下など関係ない。もちろん、年齢もだ。
これから必要な条件は、人と人の『対等』としての付き合いだ。だから、リムは凱から敬称で呼ばれないのもさほど不自然ではなかった。
むしろそうであってほしい。
問いかけられて、初めて『これから』の事が意識されてきたようだ。皆は苦い顔になる。
そんな中、ルーリックが感情的になって宣言した。
「戦姫様達と、ティグルヴルムド卿の救出!それ以外にありません!」
「その為に『どうするんですか?』か、と、ガイ殿は聞いているのです。禿頭のブリューヌ人」
「だから!!……」
そこでルーリックは言葉に詰まる。それは誰もが共通の仕草だった。
まず、『銃』に対して何の対策もとれない。リムは一時、その特性から混戦や白兵戦に持ち込もうとしたが、見破られた。敵は『銃』の特性と弱点を知り尽くしている。そのうえで運用をしているから、突撃力に優れる銀の流星軍は敗北したではないか。まして、一騎当千の戦姫が二人も『生け捕り』に――
次に、自軍の『士気』だ。騎士団を虫ケラのように蹴散らした、あのような兵器を目の当たりにして、果たして恐怖は拭えるだろうか?盾と甲冑をまとめて貫く、常軌を逸した筒を相手に。
無策のまま兵を犠牲にする命令は、指揮官として愚の骨頂だ。『散れ』と『戦え』は同等なはずがない。その事は凱が『損耗率』の話で触れていたではないか。
兵達の『士気』がなければ、大将の『指揮』など意味を成さない。少し間をおいて、リムは何かを決意したかのように、言葉を紡いだ。
(……兵全体に、伝えなければなりませんね)
それは、一部の兵に隠している『戦姫の不在』を覚悟を決めて公開するのと、これから兵が戦うにあたる『命令ではなく理由』を問う……だという事を。
言葉に行き詰った空気を払うかのように、ジェラールが凱に問う。
「一つ……教えてもらえますか?ガイ殿」
唐突に切り開いたのは、ジェラールだった。
この禿頭人間や自分の父のように、気を許しているわけではない。だが、一緒にいる以上はディナントの戦いで魅せた『竜の技』を当てにしたいのも事実。絶望的な状況を打破するには、何より、力には力で対抗するのが常套だ。
「単刀直入にお尋ねします。あなたは私たちの『敵』ですか?『味方』ですか?どういうつもりで我々のところへ駆けつけたのですか?」
質疑の嵐に、凱ではなくルーリックが反論する。
「貴様!何を今さら言っているんだ!?味方に決まっているだろうが!現にこうしてディナントの戦いへ駆けつけてくれたではないか!」
「私はあなた方が思うようにこの人を信頼しているわけではありません。いいですか。ガイ殿」
オージェが眉を潜めた。対する凱はジェラールの視線を受け止めている。
「シシオウ=ガイ。あなたは異端認定を受けながら、我が国の大貴族、ガヌロン公爵に対して魔物呼ばわりして大喧嘩を売った」
否定できない。まぎれもない事実なのだから。あの時の自分は『何かにとりつかれていた』のだろうか?
「まして、処刑されていたはずの人間が、実は生きていました。そんな人間を警戒するのは当然でしょう?」
「そうだな」
凱は否定しなかった。これからは互いの信頼が今後を左右に傾くシーソーゲームとなる。ジェラールの質問は至極当たり前だったからだ。
「誤解する前に一つ、言わせてくれ」
凱は自分の意志を示す。皆は少し背筋を正す。
「俺は誰の敵でも味方でもない。勇者――目の前に映る全てを救う者。もし、誰かが助けを求めているならば……その必要があるのなら、俺は相手が誰であろうと、何があろうと、――助けに行く――」
その言葉に、全員の瞳に僅かな光が宿る。
「じゃあ……我々が助けを求めた時は……ガイ殿は救ってくださるのですか?」
マスハスは緊張を帯びた口調で問う。
「全身全霊を以て。微力を尽くすまでです。マスハス卿……目の前に映る全てを救う為に」
「救う……目の前に映る全てを?」
リムは静かにつぶやいた。
(赤い髪の神剣の騎士……セシリー=キャンベル。君なら同じことを言うはずだ)
俺も君も、つまるところ頭が悪い。故に、御国事情の『命令』より、単純明快な『理由』でしか、その力を振るえない。
凱は信じたい。この場にいる全員、銀の流星の集いし丘こそが、この今こそが、本当の救いだと――
その集いの中に……勇者が動ける『理由』がある、ということを――
「話を戻すようで悪いが……その力があれば、銀の逆星軍を蹴散らすことも容易ではないのかな?」
オージェ子爵がそういうと、凱は首を横に振る。
「俺は思うんです。無責任な考えでたやすく竜具を振るうことが、みんなの望もうとする未来をもたらすはずがない――と」
優しい口調に確かな意思、凱の言葉にそれらの両方が含まれていた。オージェ子爵は一応の納得をした。
凱の持論に過ぎないが、リムには理解できていた。それは、凱だけではなく、戦姫全員が共通する認識だと。
確かに、見境なく竜の爪を振るえば、敵は全滅できるかもしれない。ティグル達を救出できるかもしれない。だが、それではだめだ。
凱も先ほど言ったばかりではないか。『損耗率』という形で。
超常の力を振るうことが常用化する事……人や国、大地の『損害率』の許容範囲を超える未来は『勝利』でも『敗北』でもない。両者にもたらす確実な『滅亡』しかないと――
「ガイ殿……最後に一つ、教えてくれぬか?」
マスハス卿の追問に、凱は瞳を向けなおす。
「なぜ、我々を助けたのかな?」
誰の敵でも味方でもない。それは、希望であり、脅威になり得る至極当たり前な発想からくる質問だった。
というより、確認に近い質問だった。以前、ティッタを魔物から守り抜いた青年のままでいると信じている。
すると青年は、初老の人物に澄んだ声を投げかける。
「……俺が……そうしたかったからです」
険しい顔をして、凱はみんなを見渡す。
「みんな、俺に全部教えてくれ。いつ……なにが……誰が……なぜ……どのように……以前のディナントの戦いから今に至る全てを」
凱がここまで明確に聞きたがる理由。この混迷たる時代の中で、この銀閃を、どのようにして振るうべきか、それを間違えてはならない。
この竜具で、皆が望む未来を描くために――
リムが切り出して、マスハスが補足して、ルーリックがつけ足して、ジェラールが核心をついて、再びそれぞれが一部詳細を語る。
そして紡がれる今……今という時間は『
演奏終了』の延長上。それこそが、『
原点回帰詩』へと輪廻する一面の楽譜となって、歴史を正しく導く
追想曲となることも。
英雄へと続く伝説の
序章曲。そして、勇者から紡がれる
最終楽章となることも。
――全ては『治水』を巡るディナントの戦いから始まり――
――そして『銃火』が招くディナントの戦いへと至る――
◇◇◇◇◇
全てを聞き終えた凱は、幕舎を後にした。リムの指示によって銀の流星軍はしばらく休息となる。
戦姫不在のままではライトメリッツに戻れない。余計な混乱が国内へ飛び火し、戦姫が敗北したという報が漏れれば、各国の侵略を許してしまうからだ。そうなれば、アスヴァールを警戒するレグニーツァやルヴーシュが危険の渦中に晒される。特に海賊たちが戦姫陥落を知ってつけあがるに違いない。
レグニーツァは、エレンにとって恩師のいる地だ。その主は現在病に侵されており、自力で歩くことすらままならない状態だ。以前ボロスローの戦いで雷禍の閃姫を退けたばかりではないか。悪報による余計な心労で病を悪化させたくない。
今後の状況を見極めるにせよ、今すぐ行動するにせよ、疲労の濃い状態ではどちらにしても、何もできないのが現状だ。
とりあえず4日間。その間に斥候を何度か放ち、新たな情報次第では、どうするか考える。
その間に獅子王凱は、『用事』を済ませることにした。
(アリファールが訴えている?……ルヴーシュのバーバ・ヤガーの神殿へ行けと?)
ただの……竜具の訴えではない。何か、共鳴に誓いモノを感じる。
(まさか……ティナのエザンディスと反応しているのか?それとも……ルヴーシュの戦姫か?)
竜具とGストーンの共鳴作用が、より明確な意思となって、凱の意志に語り掛ける。
確信はある。竜具に意志はある。そして、竜具は主を偽らない。ましてや、承諾主である獅子王凱を――
幕営の領外へ差し掛かったあたり、凱は小さな人影をひとつ見つけた。
「誰だろう?」
自分と同じ栗色の髪を持つ少女、ティッタだった。
ふと見ると、ティッタは黙り込み、沈んだ表情を浮かべる。
「……ティッタ?」
気遣って凱が声をかけると、彼女は我に返って微笑みを浮かべようとする。だが、それは失敗した。
――凱の帰還を喜ぶべきだった――
――凱の無事を祝うべきだった――
――その為に、嬉しい涙を流すべきだった――
――しかし、互いにそれは出来なかった――
彼女はうつむき、小さな声で言う。
「……バートランさんが……死にました……」
凱は息を呑んだ。あの時のように、頭に何かを殴られたような衝撃を感じた。
老体から闊達に笑う姿が脳裏によみがえり、凱は思わず両手を差し伸べ、ティッタを抱き寄せる。
「バートラン……さんが?」
凱とティッタはその瞳を見合わせる。気丈に笑って見せようとしたティッタだったが、堪え切れずに大きな瞳から涙をあふれさせる。
領主の信じる正義の為に――ヴォルン家に長く仕えていた侍従は、ティグルの未来を信じてその身を散らした――
ティッタは凱の胸にすがって泣きじゃくった。きっとこれまで涙をみせず、皆を不安にさせたくなくて、必死にティグルの代わりを務めようとして、気を張り詰めていたに違いない。
「……私も……ルーリックさんも……知りません……多分……ティグル様しか……どうやって死んだのかさえ」
嗚咽交じりのティッタの声が、凱をより心を締め付ける。
バートランも、名の知れていないアルサスの兵も、道半ばにして倒れた。だから、自分たちがその道を繋がなければならない。
『王道』ではない。『覇道』でもない。ただ一つの信ずる『正道』の為に――
ひそやかに泣き続けるティッタは、凱にとって『託された未来』そのものなのだろう。凱は再び抱き寄せる。
しがみ付いてでも守る。そのような意思が込められているかのように――
後書き
今日も読んで下さり、ありがとうございます。
『ブリューヌ・ジスタート転覆計画編』の脳内OPテーマはるろ剣の『1/2』と勝手に再生しています。EDは同じくるろ剣EDのTM『~夜明け前』か、ガンダムSEEDの『FIND・THE・WAY』です。凱がディナントへ駆けつけたシーンは『ミーティア』です。
では解説を~
『逆星軍と流星軍・ディナントの戦い』
これは原作の原点回帰を意味しています。原作あっての二次創作という意味を込めてます。
『大気の断熱圧縮によるアリファールからのプラズマ発射』
昔から流星は大気との摩擦で加熱され発光されるとありますが、これ自体は間違っていないと思います。
ただ、少し説明すると、『空気の出入りをなくした大気が高温となり、個体⇨液体⇨気体から続く電離気体』となります。その飛翔体が「プラズマ」の輻射熱によって加熱され、赤く発光するらしいです。詳しいことは他サイト等でググってください。
話は変わりますが、一つ、御意見をお聞かせください。
どちらの物語を先行させるか――
1『ブリューヌ・ジスタート転覆計画編』
2『ティグル視点による新ブリューヌ内乱編』
の二つです。
こんな駄作ですが、何卒宜しくお願い致します。(御意見は感想でなく、メッセージにてお願い致します。感想自体はそのままで構いません)
何卒、宜しくお願い致します。
gomachan
第15話『勇気ある誓いと共に~流星達の決意』
前書き
文章が長すぎてスクロールが大変との苦情?が来たので、今回は試しに短めにしてみます。
新刊読んでガヌロンが半人半魔と聞いて、そういや凱兄ちゃんも半人半機なんだなぁと思い返しました。両者とも人と何かの狭間往く痛みを胸に秘めているわけで……
ではどうぞ。
『数年前・ジスタート・レグニーツァ公国・公宮執務室』
「黒船?」
耳慣れぬ響きに、アレクサンドラ=アルシャーヴィンはその単語をつぶやいた。
これは、まだ彼女が『血の病』で床に伏せる前のやりとりである。
「……黒船」
「はい、戦姫様。世界を作り替える……常識を転覆させる存在……という意味が込められています」
「最初にその姿を目撃したのは戦姫様の何世代か前です。幾度となくレグニーツァに、その姿をちらつかせていました」
彼女の公務室に集まった臣下一同は、みな熱を帯びた危機感を以てうなずいた。
「あの時……海賊との戦いは一段落を迎えた直後でした。文字通り『黒という闇を丹念に塗りつぶした船』が我が国へ来航し、『我々は文明の孤児』という事実を、あの船はレグニーツァに、いや、この大陸に突きつけたのです」
戦姫になったばかりの彼女は、海上の治安に政力を注いでいた。理由は定期的にリプナとプシェプスの起点施設に寄り、向こうの世界からもたらされる情報を収集する為だった。『利益』の形式はどうであれ、諸国実情を知ることは非常に重要なのだから。
建前はともかく、本心は何より『探求心』に近い動機があったからだ。サーシャは青い水平線から運ばれる『概念』を見るのが好きだった。長年仕えている文官や武官から、特に航海の多経験を持つマトヴェイからの『この手の話』を聞くのが楽しくて仕方がない。その時に彼女の瞳が一段と輝くあたり、それこそ彼女の本心であることがうかがえる。向こう側の話を聞くときの心境は、まるで宝箱を開ける前の瞬間に似ていた。
――しかし、『この手の話』も、決していい話だけではない。悪い話もあり得るのだった。――
定期外の報告により、マトウェイが突如として公宮へ訪れた。そして悪い話をしているという、今に至る。それが黒船に関わる話題だった。
「帆を必要としない……湯気で動く……鉄板を敷き詰めた船……」
そんなものが本当に実在するのか?アレクサンドラ――サーシャは冷静を装いながらも、眉を潜める。
帆を必要とせず、蒸気と呼ばれる『動力』で動き、風に左右されず自由自在に進船可能なものは、船乗りにとって理想のゆりかごといっても過言ではない。おそらく、ジスタートやザクスタン、いや、大陸中を捜してもないだろう。まさに『新世界』からの贈り物だ。
今の我々では到底達しえない技術力。木造船にどれだけ改造を加えても、後天的に付加した文明力程度では、決して黒船の潜在力に及ばない。生まれた大陸が違うだけで、既に決定づけられた『力の壁』なのだろう。
「もし、風無しで自在に動く船が『本当に』あるとしたら、是非とも手にいれたいものですな」
「マドウェイらしいね」
サーシャはくすりと微笑んだ。彼の気性を知るサーシャがつい、ぽそりと出た言葉だった。
それは、生粋の船乗りとして出たマドウェイの本音であった。もっとも、『黒船』についてぎこちなくなった空気を払拭する意味もあったかもしれないが。
ともかく、サーシャにとっての黒船の認識は――良くも悪くも宝船――程度のものとなっていた。
半分は童話のような架空認識で――
もう半分は言い知れない不安をかきたてる――
――『焔』の記憶は、ここで途絶える――
『現在・ジスタート領内・銀の流星軍駐屯地』
獅子王凱がアリファールの導きに従って、バーバ・ヤガーの神殿を目指している最中、銀の流星軍は一同に集まっていた。
具体的には、駐屯広場にジスタート側の兵士が集められ、整列されられていた。壇上で皆の前に立ったリムアリーシャ――リムが、厳しい表情で口を開く。普段の冷静な彼女を知る皆は、どこか尋常ならざる雰囲気さえ感じ取っている。
「既に知っているかもしれませんが……現在、エレオノーラ=ヴィルターリア様、リュドミラ=ルリエ様、ティグルヴルムド=ヴォルン伯爵が銀の逆星軍の捕虜となっています」
何を聞かされるかと、兵士達は皆けげんな顔つきになる。やはりとおもい、眉を潜める者。バカなとおもい、衝撃を受ける者様々な反応を示している。
リムは兵士達が静まるのを待って続ける。
「――『銃』という兵器を前に、我々を逃がす為のしんがりをつとめ、『本来倒れるべきだった我等』の代わりに…………それがいま、銀の流星軍の現状です……」
本来倒れるべきだった我等。その言葉の意味と重さが、聞く者の耳にリムの心情を訴えた。
リムは怒りをこらえるような険しい表情をしている。彼女の隣に立つルーリックとて、リムと同じ感情を抱いていた。今だ経験したことのない『戦争』の危機がひたひたと迫ってきているのだ。
「ですが……戦姫が敵の手中にいるという現状と、銃という驚異の兵器に対し、我々は何の対抗処置をもち得ていません」
リムはここで深呼吸をして、兵達を見渡すように睥睨する。
(私たちは、今一度戦う理由を問うべきでしょう)
兵達はしんと静まり、これまでライトメリッツの副官とすがってきた若い女性の姿を見つめる。
「敗北した我々『ライトメリッツ』は、今置かれた状況は定かではない状況にあり、その状況に置かれた事態に際し、打開策をもち得ない我々は、あなた方に対して、戦わせる権限をもち得ていません……」
みな、その言葉に先ほど以上の動揺を浮かばせる。命令に従う、ということの意味。兵達の死を預かる上官の責務、そして、上官を信頼して生命を預ける、という意味。彼らはその関係に長く慣れすぎた。
ブリューヌ介入初期の頃、表向きの理由として『ライトメリッツとアルサスに交易路を結び、ライトメリッツの経済発展に貢献する』旨を、エレンが伝えている。しかし、リムが言いたいことはそこではない。そこを踏まえて、リムは言葉を再開する。
「……今一度、戦う理由を自分自身で問いて頂きたいのです。今のあなた方に命令するものはなく、あなた方自身が、何のために……何をすべきか、私も含めて、それらを自分で判断せねばならないのです」
リムはきっぱりとした口調で言った。
随分と手前勝手な言い分だと、自分でも思う。部下の未来を、生を、死を、それらを預かって命令する立場の指揮官からすれば、明らかな『逃げ』だと――
「……よって、これを機に『銀の流星軍』を離脱しようと思う者は、今より速やかにライトメリッツへ帰還してください」
リムにまったく自分たちを引き留める意志がないと知り、兵達は再びざわめく。戦姫不在での帰還による混乱は避けられない。
戦姫を助ける為に、このまま銀の流星軍に残るのもよし。持てる武器と意志を捨てて、ライトメリッツに戻るのもよし。戦うべき兵士にこのような選択を強いる自分は、エレンから見たらどのように映るだろうか?
命令でなく理由。はじめて味わう戦う意思の正念場。本当の意味で問われる、手に取る剣と槍、身にまとう甲冑の意味を。兵達の戸惑いは大きい。
ルーリックは不安げな顔で、彼等を見守っている。時折ルーリックが気まずそうにリムの横顔を見やる。彼女もその不安を隠しきれていないようだ。
彼等は自分で考えなければならない。蜂巣砲という大量殺戮の兵器に対し、考えず、命令に従うだけならば、肉壁にすらならない無意味な死を遂げてしまう。一度はその恐怖を持ってしまった彼等だから、結論までの道のりは近いはずだ。
死にに行くようなものだ……騎士団は動かねぇのか?戦姫様でさえどうにもできなかったのに、俺達じゃどうしようもない……そんな声が細々と聞こえる。ここまでは想定通り。重要なのはここからだ。
最後にリムはしみじみと兵達の顔を見回したその時だ。遠くから一人のブリューヌ兵が寄ってきて、ジスタート兵の後ろから声を上げた。
「――俺は副官様に従う」
その声に、全員が目を見開いた。この集まりに関係のないブリューヌが一体何の用だ?
「あんたたちの戦姫様が、今まで俺達を導いて助けてくれたのは事実だ」
ザイアン率いるテナルディエ軍によるアルサス焦土作戦。
ロラン率いるナヴァール騎士団による叛逆者ティグル討伐戦。
クレイシュ率いるムオジネル軍によるブリューヌ南部攻略戦。
想像を絶する激戦を潜り抜けることが出来たのは、隣人たるジスタートのおかげだと彼は訴える。
エレンが兵を貸してくれなかったら、アルサスは文字通り焦土と化しているに違いなかっただろう。
デュランダルで倒れたティグルの代わりに、エレンが兵を率いてくれなかったら、銀の流星軍は瓦解、混成軍たる一部のブリューヌ兵は、ティグルが討ち倒されてしまったら、戦う大義を見失っていただろう。
ジスタートがいなければ、アニエス攻略戦の緒戦でカシム率いるムオジネル先遣隊に蹂躙されていただろう。後に援軍として駆けつけたミラがいなければ、クレイシュ率いる本体に太刀打ちできなかっただろう。
全てギリギリの戦いだった。だからこそ、受ける恩恵は多大にして、ジスタートに対する感謝は深いのだ。そして言葉を続ける。
「俺達はまだ一度もお前達に恩を返してねぇ!だから返してえんだ!この命に代えても!戦姫様に願いを叶えてもらった『銀の流星』に!今こそ!」
以前、エレンが銀の流星軍についての由来を、リムは己の主に問いただしたことがあった。それは、ヴィッサリオンが国を持つものとしての理念である『人という流星が集いし、この丘の向こうが本当の国』というものだ。
銀の流星軍。その名の意味が、このような場で開花されるとは、誰一人思っていなかった。まだ心にともした流星の輝きは燃え尽きていないと、一人のブリューヌ兵は告げる。
あまりある言葉の熱さと、今まで募らせてきた想いの暖かさが、リムの涙腺を緩ませる。若干、涙ぐみかけているように見えたのは、気のせいではないはずだ。
「……俺達の戦姫様は、俺達が助ける!」
今度は、一人のジスタート兵が主張した。すると、あたりから「そうだ……」とか、「ああ……」、「よし!やるぞ!」さらには「俺達の戦機様が、自分たちで守らねぇでどうする!?」など様々だ。銃の恐怖を拭うかのように、あたりが沸騰する。
ブリューヌが戦うと言っているのだ。自国の平安を取り戻すより先に、あなた方の戦姫様を助ける事を先にして。
――予想以上の反応だ。
少し前に告げた、凱の言葉の意味がようやく分かった。今、流星達の集いしこの丘こそが、本当の希望の始まりだと。
ブリューヌとジスタート。その垣根を超えて、一つの枠組みとしての軍が生まれようとしている。
ルーリックは思い出す。バヤールとジルニトラの通り過ぎた雲を巡る喧嘩。今、新たな『流星』が誕生する瞬間を目にすれば、過去の喧嘩など些細な思い出と……思えてしまうから不思議だ。
銀の逆星軍。正式名称は国民国家革命軍。テナルディエによる『力』での統合ではない。丘に集った星々の『想い』によって形作られる新たな銀の流星軍は『運命共同体』となった。
「……ありがとうございます」
嗚咽をこらえるような声色で、リムは一礼した。有効な策を見いだせるか分からない自分についてきてくれる兵達に感謝の意を示して。
そこから解散となり、兵達は相談を始め、あるいは一人で考え込みながら、集会所を離れた。
『レグニーツァ付近・夜・山奥・樹海』
獅子王凱は山の中へ来ていた。レグニーツァ領内に入って宿に泊まるという選択肢もあったが、いかんせん今回の行動は秘密裏が必須。そして、色々迷惑をかけてしまいそうなので、宿留まりはしない方針を取っていた。
「さてと……久しぶりの野宿だな」
凱はその辺の枝をへし折り、たき火にして腰を下ろす。ほっと大きく溜息をついて、大木に腰を掛ける。
そしてつい覗き込んでしまう。アリファールの紅玉に、たき火とお揃いで映る自分の姿を――
――汝は勇者なり。それを受け入れるならば、我を手に取れと――
今、自分は何をしているのだろう?という想いに、時々駆られる時がある。アルサスでのドナルベイン襲撃から、ザイアン率いるテナルディエ軍撃退に至り、ニースで異端審問を受けては、ジスタートのオステローでに導かれ、アリファールに助けを求められて――
(バーバ・ヤガーの神殿……そこに俺を導いて……アリファールは俺に何をさせようとするんだろう?)
現在、凱はアリファールの風の導きに従って、ルヴーシュ領内のバーバ・ヤガーの神殿を目指している。
本来なら、竜の翼たる風影を使用すれば、上空から瞬間移動呪文の如くたどり着ける。だが、凱はその案を却下した。
先ほども申し上げているが、今回の行動は極秘だ。ディナント平原へ銀の流星軍救援に駆けつけた緊急時はともかく、むやみに竜技を使用すれば、他の戦姫にも、銀の逆星軍の間者にも知られかねない。凱の不在を知って、銀の流星軍を、銀の逆星軍が襲い掛かるようなら元も子もない。
もし、戦姫に知られる要因があるとすれば、竜具使用時の共鳴反応が考えられる。戦姫は全員、必ず銀の流星軍の味方とも限らないのだ。それは、以前リムアリーシャが教えてくれた「ジスタートの国益を第一にせよ」との国王の方針に戦姫が従っている。
(あとでリムアリーシャさんに、改めてお礼を言わないとな)
最悪の想定は、テナルディエ、ガヌロンの両公爵に繋がりを持つ戦姫がいることも。だから、注目を浴びるような支障はなるべく避けたい。それを知らなかったら、迂闊に竜技を使用して墓穴を掘っていたに違いないだろう。
釣りたてた魚の焼き具合を見て、頬張ろうとしたときだった。
――ガサッ
「?」
草むらから物音が聞こえて、青年はアリファールの鍔に親指をかける。不測の事態に備えて抜刀術で返す為に。
警戒を維持しつつ、音のした方向を見やると、人の声が聞こえた。
「女の声と複数の男の声が聞こえる……野盗の連中かそのあたりの類か……人との接触をなるべく避けたかったが、このままやり過ごすわけにもいかないな」
◇◇◇◇◇
そこには、一人の女性がいた。
夜の風がかすかに吹き、今この場に居合わせている者達の頬を撫でる。
女性は元傭兵だった。小さな村に雇われて、近隣諸侯の野盗を追い払う仕事を引き受けていた。害虫駆除と言えば聞こえが悪いが、今の仕事は当てがない。お金がなくなって、ある目的をもった旅が継続できなくなっていたからだ。
「あんた達……他に仲間は?」
男たちと距離を取りながら、女性は簡潔に訪ねる。
「知ってどうする?」
男たち――今回の標的となる野盗はぺっと唾を吐き捨てる。
「ここ最近収穫がなくて気がたってんだ!『乱刃』!てめぇのせいでな!」
そんな夜盗の火を煽るような怒りを、乱刃――フィグネリアは鼻で笑った。今更何を言ってるんだ?と障害物が目の前に現れたのなら、それを燃やし尽くせばいいだけの事じゃないか。
「……ったく。本当ならここでこんなことしている場合じゃないのに」
そうぼやきつつも、フィグネリアにも殺る気がみなぎってきた。言いたい事。成したい事があるならば、言葉でなく力で語れと、瞳に宿した意思で野盗たちに訴える。自分も早く掃討を終わらせて、早々にここを発ちたいのに。
野郎ども!たたんじまえ!そう野盗の頭角が号令を飛ばそうとしたとき――
「女性一人に複数人掛かりとは、随分と卑怯じゃないか!」
一人の長身の青年が、フィグネリアを庇うような形で躍り出た。
『流星の勇者』・『銀閃の勇者』等の異名で呼ばれる、獅子王凱その人だった。
NEXT
後書き
るろうに剣心の北海道編掲載決定を聞いて、テンションあげてる自分がいます←(馬鹿)
おかげで体調をこじらせたりいろいろやらかして、更新が遅れてしまいました←(大馬鹿)
さておいて――
今回も読んで下さり、ありがとうございます。
魔弾の原作もあと残すところ1巻なのですが、もう少しで終わりと思うと、寂しささえも感じています。それに伴い、ゼロの使い魔も最終巻が今月で発売されます。聖剣の刀鍛冶のコミックも今月で最終巻です。今年の2月はそういった寂しさでいっぱいになりそうです。
アマゾンのレビューで聖剣の刀鍛冶みたいに+1巻は後日談にしてくれると、魔弾ももっと読みたくなると思うのは、おそらく自分だけでしょうか?ともかく、川口先生には最後まで駆け抜けてほしいものです
。
では次話で会いましょう。
第16話『乱刃の華姫~届かぬ流星への想い』です
第16話『乱刃の華姫~届かぬ流星への想い』
――いくら夢だといっても、もう少し実現しそうなものにしたら?いい加減『歳』なんだし――
――『おじさん』扱いはやめろ。俺はこれでもまだ30代だ。それに――※4
――それに?――
――俺は実現させる気でいるぞ。
銀煌舞建国を―※5
これは、とある一匹の隼の記憶である。
どこかの戦場。
血なまぐさい風が、奔る。
断片的な記憶。彼の言葉がよみがえる。
男がいた。かつては『
白銀疾風』の団長を務めていた。
今でも生々しく思い返る、ヴィッサリオンの最後の言葉――
――剣は想いを形へと描ける……それが……『流星』と……いうもんだ――
――俺たちは……『いつか星の海』で――※1
消え入るような言葉を紡ぎ終えて、ヴィッサリオンは口を動かし続ける。やがて、風を切るような声になり、言語として意味を成さないとしても、彼の言葉は終わっていない。
唇の告白が終わる。言葉になっていないとしても、ヴィッサリオンの最期の言葉を聞いた。風がそう告げていると信じて――
急速に体温が失っていくヴィッサリオンの遺体を見下ろしながら、フィグネリアはつぶやいた。
――
不殺なんて……馬鹿な事するから……死ぬんだよ――
――小雨降る中、『
白銀の疾風』の傭兵団達は、ヴィッサリオンの死地を後にしていった。だが、二人の少女だけは、いつまでもその場から離れようとしない。
木陰に隠れることなく、フィグネリアはその姿を見つめ続けている。その双刃の表面に、冷たい雨粒を弾きながら――
艶のない金髪の少女が、銀髪の子の手を繋いでいる。齢14と13の子供の姿から、フィグネリアは目をそらすことが出来なかった。
まだ、
義父の死を受け止められずにいる。にも関わらず……その現実を敏感に感じ取っている。
今にも、風に乗って消えてしまいそうな、その不安な表情――
脳裏によみがえる――あの虚無感――
戦争だから……そう割り切っていても、心のどこかで贖い方を求めている自分がいる。
倒すしかないじゃないか。
敵だったから。再会したときにはもう――
ヴィッサリオン。あんたもわかっていたんじゃないか。
殺さなければ、相手に殺される。
殺さなければ、守りたいものも殺される。
そう、自分自身さえも、自分自身によって殺されることを――
しかし、ヴィッサリオンを斬ったこと、その忘れ形見の少女に対し、いまだ傭兵の矜持……己が律動の『
終曲』を打てずにいた。
彼女が通り過ぎたる『刃』の痕には、血の華が咲き乱れる――
数々の戦場。数多の戦績。風の流れに送轟して、いつしかこう呼ばれるようになった――
『乱刃のフィーネ』として――
彼を、『│銀閃の勇者《シルヴレイヴ》』を斬り捨てたあの時に、『首の数を競い合う』稼業から、身を引こうと決めた――決めたはずなのに――
フィーネ。すでに己の終曲……たどり着く丘を見失ったまま、さまよう自分にこの異名はあまりにも皮肉と言える。
終曲に無慈悲な女性たち。『夜』と『闇』と『死』の女神、ティ=ル=ナファが私に付きまとっているのだろうか?
結局、自分はヴィッサリオンの何を見ていたのだろう?
美しく眩しい『流星』のような彼の夢――相手の、『流星』の眩しい部分だけを見て、彼の一面を知って気になっていただけなのか?
それなら……自分は?私は?
止まり木を見つけられず、虚空にて翼ただよう『隼』の記憶は――ここで途絶える。
『乱刃の華姫~届かぬ流星への想い』
【現代・深夜・レグニーツァ領内・山奥】
月夜の満月が見守る中、夜盗と青年が対峙していた。
その青年の名は、獅子王凱。
一人の女性をかばうように躍り出て、鋭く告げる。
「女性一人に大の男が複数だなんて、卑怯じゃないか!」
「誰だ!?てめぇは!?」「構わねえ!この男も殺っちまえ!」
飛び交うは、野盗たちの怒号の声!
幾重にも張り巡る剣閃の数々。それらが夜盗の連中が、凱一人めがけて繰り出される。
大太り傭兵の大斧が――
偉丈夫戦士の大剣が――
さらには、ニヒルな槍闘士の長槍が――
だが、それらの武骨な刃物は凱に決して当たることはなかった。
ひらり。
ひらり。
さっ。
さっ。
「なんだこいつは!?ぐは!」
「まるで……『風』みてぇだ!ごほ!」
次々と繰り出される斬撃の嵐。風のようにつかみどころのない凱の回避術に、夜盗の連中は苛立ちを募らせていった。
結局――
蹴りと拳と腕力……加えて『布にくるまった得物』だけで倒してしまった。
大地でごろんと伸びてる夜盗たちを見て、『女』は「はあぁ」とため息をついた――
一通り始末をつけた凱は、囲まれていた(であろう)女性に声をかける。
「大丈夫だったか?」
「まったく……段取りが滅茶苦茶だ」
「段取り?」
「ここの夜盗討伐を村人たちに依頼されていたんだ」
「あ……」
間の抜けた声を出して、即座に凱の頭が対応してこの状況を把握する。
速い話、凱の早とちりだった。
無理もない。GGGの基準に照らし合わせた状況の認識だ。何より、一対多数は誰であろうと見過ごすことは、凱にはできなかった。
しばらく、女性はノビた男どもを一瞥して――
「――とはいえ、無抵抗な奴の首を取るなんて、寝覚めが悪い」
彼女にとって、それは傭兵としての矜持。無抵抗の人間に手をかけるなどもってのほかだ。
過剰な殺傷は禍根を生む。そこからは、何も生まれない。
「すまない。知らなかったんだ」
「そいつはそうだろうね――その詫びとして」
それにしても――
殺さずに倒してしまったんかい?と思いつつ、さて……どうしたものかな?
と考えていると、彼女の腹の虫が遠慮なく鳴いた。
「まずは何か食わせてくれない?」
焼いたままの魚を思い出して、凱は遠慮がち?に案する。
「……焼き魚でよければ」
「承認」
こうもあっさり決めてしまい、二人は河原へ移動して魚を頬張り始めた。
◇◇◇◇◇
「いい焼き具合だな。これ、改めて……詫びの印として」
焼き具合を見て、凱は焚火の中から、串にさしていた魚を一匹差し出した。。
食欲を刺激する塩加減。大した味付けもしていないにかかわらず、柔らかい魚肉の歯ごたえが、今まで自分が空腹だったと改めて知らしめる。
「まあいいさ。こんなに暖かい晩飯を食べるのは久しぶりだったからね」
アルサス在住のころ、ティッタの手伝いで取得した料理スキル。ティグルのサバイバル知識も若干混ざっているが――
自分が食べるもんだから、大した味付けも考えていなかったので、食べさせるにはどこか躊躇いさえ感じていた。二人に感謝したい気持ちだった。
「自己紹介が遅れたな。俺は獅子王凱。姓がシシオウ。名はガイだ。ただの流れ人だけどね」
「よろしく。私はフィグネリア……なかなかうまいな。これ」
先姓と後名の羅列……ヤーファの人間なのかと、フィグネリアは察した。
食欲を満たすことを優先して、凱に一瞥すらせず挨拶を交わす。
うまそうに魚へかぶりつくあたり、少なくとも食すぶんには問題なさそうだ。凱はほっと胸をなでおろす。
(フィグネリア……どことなくルネと雰囲気が似てるな)
ルネ=カーディフ=獅子王。凱の従妹にあたる彼女は、獅子の女王のコードネームを持つ。
余剰熱排出機関に欠陥を持つサイボーグの彼女は、いつも『焔』の揺らめく通り、苛立ちをまき散らしていた。
そのような気質が、風が両者に似ている。
獅子の女王の気質を知るものならば、そこへ『いつものように』を付け加えるだろう。いや、その気質はすでに過去の『焔』となっていた。
追い付いて先頭を踏み取るところは、エレンと似ているのかも――
『仲間』への回想もそこそこにして、凱はさっそく尋ねた。
「ところで、君はこのあたりの住んでいるのか?たしか夜盗をとっちめる仕事とか言っていたけど――」
「いいや、私は傭兵……とは言っても、飯を食い繋ぐ程度で稼いでいただけ。適当に路銀がたまったらここを離れるつもりだった」
「どこへ向かうんだ?」
「ブリューヌ」
「ブリューヌ?今あそこはどういう情勢なのか、君は知っているのか?」
オウム返しのように聞き返した凱の表情は、わずかながらも目を開かせている。
「噂で聞いた程度ではね。今、一部の貴族様が
反乱活動を起こして王政府が倒れそうだって」
王政府が倒れようとしている。噂で聞いた程度が真実だと知ったら、フィグネリアはどうするのだろうか?
リムやマスハスから聞きしたことを凱は一つずつ思い出す。
ビルクレーヌでの戦い。そこで一閃交えた二つの『星』――
すなわち――
『銀の流星軍―シルヴミーティオ』
――――― 対 ――――――
『銀の逆星軍―シルヴリーティオ』
もともとは『テナルディエ軍』だけという統一呼称に過ぎなかったが、ガヌロン勢力が加わったことで、ブリューヌには文字通り最恐最悪の『凶星』……『銀の逆星軍』誕生となった。
この二大貴族は険悪極まりないと噂されており、いずれはこの二大侯爵のブリューヌ決戦が行われると思われていた。しかし、テナルディエとガヌロン、二人の思惑はそんな『世論』など軽く跳ね返す。
――喜ぶがいい!今こそ『逆星』が真の自由と平和を与えよう!――
――いかに弱者が『流星』に願おうと!決して手に入らぬ『平和』をな!――
決して揺らぐことのない
公約宣言。眠り続けた獅子たちを目覚めさせるには、十分な『重低音の咆哮』だった。
そして始まる一斉蜂起。強者でありながら、弱者に妬まれ続けた者たちの猛り。
彼らは立ち上がる。惰弱と化した『伝統』を、盤石たる『維新』にて焼き払うため――
国民国家革命軍―ネイションスティート。
その国民を導くとして、テナルディエは反逆を決意。ついに侯爵を捨て、『逆星の魔王』となる。
同時に、ガヌロンもまた、魔王の命を受ける『逆星の勇者』となった。
銀の流星軍敗北後、討伐の任を受けたナヴァール騎士団は、その『ジュウ』という兵器の前に壊滅した。
騎士団長ロラン。副団長オリヴィエは生死不明――
彼らの支配下に置かれたブリューヌ国民は、今でも奴隷のような扱いを受けているだろう。
そういった事実が、凱をより一層憤らせる。
あえて聞き手に回る凱は、彼女のことを知ろうと徹底した。そして事実の一部を語る。
「俺も少し前はブリューヌにいた。君が聞いた通り、内乱激化に伴って、ほとんどの辺境民は他国へ流れている」
「やっぱり、本当だったんだ。ブリューヌ王政が倒れようとしているって……ところでさ……」
そこから、フィグネリアは真剣な表情――険しさを超えた鋭さで凱に質問した。
「あんた、『│銀の流星軍≪シルヴミーティオ≫』という義勇軍が、どうなったのか知ってる?ブリューヌにいたんだったら、聞いたことがあると思うけど?」
これに関しては、どうこたえるべきか凱は悩んだ。だが、逡巡したと思われては目を付けられるかもしれない。
言えない。もしかしたら、彼女はどっち側の『星』なのかわからない。
確か、傭兵と言っていたな。
『白星』につくか『黒星』に駆け付けるか――そういった考えが、どうも先走ってしまう。
「すまない。俺もそこまではわからないんだ」
落胆したような表情だった。だが、彼女の質問はこれで終わらない。
「そう……それと、さっそく弁償なんだけど?」
「弁償?」
「今日の稼ぎがあんたのせいで台無しになったんだ。弁償だよ。弁償」
なんだその手は――と思いつつ、凱はしぶしぶ懐から財布を差し出す。
「俺の有り金を渡すから、それで勘弁してくれ」
早速フィグネリアは確認のために金貨を指ではじいていく。
金勘定の手つきはなかなかのものだ。職人の域に達している。
「ひいふうみい……あんた貧乏欠だったのか。そんな服と首飾りしているのに」
何か凱を値踏みするような視線でフィグネリアはじろじろと観察する。対する凱はなんだか気が気じゃなくなってきた。
何か穴埋めになりそうなのが――凱の身なりを見て、フィグネリアはこう閃いた。
「分かった。こうしよう。あんたの身包み全部はぐ。それで手を打とうじゃないか」
「俺に裸でレグニーツァを一周しろっていうのか!?それだけは勘弁してくれ!」
守備力0でこの地を歩けるわけないだろうに。それにしても、どうして俺の服をはぐんだ?その疑問は即座に彼女の口からこたえられる。
「だってあんたの服は高く売れそうだからね。どうやら見たことのない素材でできているみたいだし……」
――確かに、この服装の素材はここじゃ見ないしな。
独立交易都市でティナが買ってくれたものが、そんなに珍しく見えるのか?その気持ちはわからなくもないが――
「まあ、その冗談はさておいて」
冗談だったのか。よかった。
そして、黒髪の彼女は別のほうへ興味を移す。
「じゃあ、その『布に包んでいるもの』でまけてやるよ。わかった?」
「だめだ!これは俺の大事な愛剣であって!……」
「あの夜盗の連中だって、私の大事な『稼ぎ』だったんだ!弁償しろ!弁償!」
すちゃりと、女傭兵は腰に帯びていた二つの刃をガイに差し向ける。身の危険を感じたガイは、目の前の『猛禽類』をなだめようと努力する。
「分かった!分かったから!その『双刃』を抑えてくれ!」
「どうやって弁償する気?」
「あてはあるさ」
凱は自分が倒した夜盗について振り返る。
「おそらく、あの手の夜盗は近場に拠点を構えている。『巣窟』の連中を掃討すれば、先ほどより稼ぎはいいはずだ」
「どこにあいつらの拠点があるのか見当ついているの?」
「ああ。多分――」
◇◇◇◇◇
(やれやれ。本当はこんなところで寄り道している場合じゃないのに)
と凱は愚痴をこぼしつつも、しっかりと義理を果たそうとする。
うっとおしい草むらを踏み倒しながら、とぼとぼ歩いていると、稼ぎあての『目的地』へ着く。
「ここだな。やっぱり巣窟とするには、ここはうってつけだね」
「こんなところに巣窟があったなんて……よくわかったね。ガイ」
「夜盗が人を襲う好条件は二つあるんだ」
感心ついた彼女は凱の説明を聞いていた。。
一つは『夜の闇に紛れて』
二つは『月の影に隠れて』
「月が身を隠すため……『朧』の国レグニーツァ……組織が隠れそうなところか、このあたりしかない」
「結構詳しいだね。ガイ、あんたはもしかしたら、あいつらの仲間?」
「なんてこと言いやがる……おっと!おしゃべりはここまでだぜ!」
すでに感づかれたのか、夜盗はすっかり総動員で二人を取り囲んでいた。
「観念するんだな!恥を承知でこんだけの人数をそろえたんだぞ!」
おそらく、取り逃した一人が先にアジトへ戻っていたのだろう。だからここまで手際がいいのかと、感心してしまう。
凱とフィグネリアの二人は戦闘態勢に移行する。
「……ざっと200人か。思ったより数が多いね。ガイ。半分任せてもいい?」※2
「いいのか?」
「ここであの人数は流石に勘弁。ここは一進一退の撃破に限る」
「賛成!」
200人。一大兵団と呼べる組織人数だ。巣を駆除するには、彼女にとって都合がいいのだろう。
つまり、速度差で巻いては斬り捨て、それを繰り返して『一対一』の状況で始末する気だ。
幕末で数に劣る維新側が、新選組に仕掛けた戦法のそれだった。
「はあああああ!」
獅子の四肢に、喝を入れる勇者。
隼の一撃離脱が、連中の浮足をつくらせる。
まずは、適度に数を減らすため、かたっぱしから打倒していく。
相変わらず、凱は『得物』を布に巻いたままだ。にも拘わらず、振りぬく一閃にキレがある。
確かに相手を無力化するだけなら、それだけでカタがつく。獲物の強度に任せて振り回せば、おのずと結果は現れる。
そろそろ頃合いか――
それぞれ獲物を交錯させながら、フィグネリアと凱の二人は言葉をかわす。
「フィグネリア。足に自信は?」
「あんたより速いつもりだ」
「上等!」
「何をする気?」
「後で説明する。まあ俺のあとについてきな!」
さっさとしっぽを巻いて、尋常ならざる速度で退散する隼と獅子。これまでの交戦は、『挑発』が狙いだった。
そして、凱の目測通り、見事に夜盗の連中が『釣れ』てきた。
さらに、逃走速度を上げる。対して夜盗も追跡速度を上げる。なるべく相手の集団を崩さないよう、適切な速度を保ちつつ―――
「いまだ!反転!」
唐突に声を上げる凱の指示に、フィグネリアは僅かながらも慌てる。しかし、その刃は全く乱れがない。
横一文字に薙ぎ払う獅子の牙と隼の翼。力学が真逆に働く現象に、夜盗の連中があらがえるはずもなかった。
一気に夜盗全員は、団子状態で転ばされた。凱の作戦に連中はまんまと引っかかった。
「驚いたよ。あんな戦法があったなんてね」
「速度差以外に、距離差を図り間違えることができれば、今みたいにレンガを崩すようなこともできるんだ」
これって、どこか聞いたことがあると、フィグネリアは思い出す。
「知っている。そいつは『カンセイ』という力学が働いたからだろう?」※13
フィグネリアの言葉に、凱の顔は軽くこくりとうなずく。正解だ。
これは、かつてアルサスに攻め込んだテナルディエ軍を、凱一人が食い止めていた時、騎兵を落馬させたのと同じ手だ。
距離を測り間違えた騎兵たちが、まるで
九柱戯のように削転倒していったのを思い出す。
集団突撃をとってしまえば、あとは慣性行軍しかできない。数の多さを逆手に取って『横倒し』にすることは容易だった。
――突貫力に優れるブリューヌの騎士たちに、こんなことしたらきっと怒られるだろうな。※6
奇しくも、『
赤髭』と同じ考えを持っていたとは、凱は決して知ることはなかった。
ある堺を切り目にして、半分の100人と見切ればいい。少ない労力で最大の戦果を出したのだ。
もう一つ、その戦果に対して、凱への疑念もあった。
「それにしても、あんた『人を殺す』つもりがないの?」
てっきり、「殺すな」とか言われるかと思ったのに――
見ればわかる。人を殺したことのないやつが、あんなに強いはずがない。
それに、ただのきれいごとなら、「人を殺すのをやめろ」くらいは言ってくるはずだ。なのにこの男ときたら――
凱とて、自分の考えを強要する気はない。
――生きる資格。それは、もがき、足掻くことで、勝ち取るものだあぁ!――。※7
かつて、三重連太陽系の決戦にて、白き創造神に向けた自分の言葉。
もがき、足掻くことこそ、生命体は『本当の勇気』をつかみ取ることができる。
勇気の根源が生命であるように、生命の起源もまた勇気なのだから――
「……さあ、どうしてだろうな。そういう君だって俺と同じじゃないか?」
なんとなくごまかした。
エヴォリュダーの力を容易に人へ向けて放とうと思ったことは、凱にはたった一度もない。※12
自分のことを棚に上げて、無理に話題を彼女に振った。
気を失った夜盗の連中を一瞥加えて、フィーネは説明した。
『戦利品』たる夜盗の連中の処遇を、どうするのかと。
「捕らえたこいつらは、村人へ引き渡す分」
「引き渡してどうするんだ?」
「助命する代わりに村で働いてもらう」
――あいつらを質に見立てる気か?
「村人たちは受け入れてくれるのか?」
「それが条件で、今回の夜盗駆除を請け負っているの。ムオジネルの奴隷制度より、いくつかましだと思うけどね」
「……まあ、確かに」
ムオジネル王国。その存在と国力、国風については、リムからいくつか教えてもらっていた。
かつて、治水を巡る軍事解決、ディナントの戦いで敗戦国となったブリューヌ。最後までしんがりを務めていたティグルは、奮戦空しく、敵国ジスタートの戦姫、エレンの捕虜となってしまう。
もし、身代金未払いのままだったら、「アルサスの領主」の立場を貫くティグルは、ムオジネルへ売られていただろう。
リムが、そう話していた。マスハス卿も「捕虜の結末はたいてい奴隷として売られるのがオチ」と――
一末を聞いて、凱は胸をなでおろした。
折り合いがついているなら、これ以上聞く必要もないし、干渉するつもりはなかった。
何はともあれ、成果を上げたフィグネリアは報酬をもらうべく、村を訪れた。※11
無論、夜盗という荷物運びとして、凱も同行させられた。
◇◇◇◇◇
夜だった。あれだけのことがあったというのに、今頃は朝になっていると思っていた。
しかし、朝は一向に訪れない。そんな当たり前のことに、凱の憂鬱は晴れない。
二人は事を済ませたあと、来た道を引き返していた。村から通道へ出るには、一本道しかない。勇者と傭兵はしばし同行の延長となった。
「夜の『
帳』が、泣いてる」
さらさらと、木葉をこすらせる風が、聞くものの心を不安にさせる。
しばらく歩を進めた後、沈黙を破ったのはフィグネリアだった。
「……私ね……小さいころ、……どういうわけか、『夜』と『闇』が苦手だった」
今となっては、流星を見るのが待ち遠しいと思っている。
夜は星空が自分を覗いてくれるから。
『流星』によって怖さを除いてくれた。
でも――『闇』は……どうだろうか?
そして、二人は無意識に『月』を見上げる。
「……『あの人』は、いつも私の先を行って、『流星』のように『闇』を切り進んで……みんなの『先導者』として……」
彼女の言うこと、具体的なことはよくわからなかったが、凱は「そっか」とつぶやいた。
「もう一度聞くけどさ、あんた、やっぱり人を殺す気がないの?」
脳裏によみがえる、『星』の記憶。
今一度問うてみる。今、この『不殺』も、実はヴィッサリオンの真似事をしているだけなのだろうか?
それとも、ガイにたまたまヴィッサリオンの『
面影』を見てしまったから――
おかしな話だ。ガイとヴィッサリオン。容姿も名前も全く違うのに――
フィグネリアの言葉に、凱は沿う形で自分の考えを述べた。
「命は宝珠。たとえどんな悪党の命でも、宝珠であることに変わりはない」※3
「ヴィッサリオンと同じことを言うんだね。あんた」
「ヴィッサリオン?」
まさか……
独立交易都市の歴史に名を残したもの。ハンニバル団長と伝説のコンビを組んだあの人か?
「教えてあげるよ。ある傭兵団の団長を務めていてね。『敵』だった傭兵たちを、そうやって殺さずして『仲間』にしていった」
「すごいな。その……ヴィッサリオンという人は」
「誰もが笑って暮らせる国。そんな国を作りたいと言っていた」
――
玉響に映り込むすべての人々が笑って暮らせる国――
「誰もが笑って暮らせる国……か」
隣のフィグネリアを見やって、なぜか凱は含み笑いをしていた。
「おかしなことを言ったつもりはないけれど?」
「気に障ったならすまない。誰もが笑って暮らせる国か……そいつは大変だと思ってさ」
「どうして?」
「少なくとも、君は笑いそうにないからな」
フィグネリアは一切の遠慮なく、凱の頭をぶん殴った。
◇◇◇◇◇
凱の頭にタンコブができつつも、話の続きは再会されていた。
「やがて、ヴィッサリオンに『義娘』ができたんだ」
「義娘さん?」
「正確には孤児なんだ。どこかの戦場で拾ったと言っていた」
それから、凱は彼女の話を最後まで聞こうと耳を傾けている。
「今はライトメリッツの戦姫に選ばれて、『銀の流星軍』として『ヴォルン伯爵』という人に雇われている。正確には、竜具アリファールに選ばれて――」
凱の瞳が、かつてないほど見開いた。そして――つぶやいてしまった。
「……エレオノーラ……ヴィルターリア」
「!」
心臓が――飛び跳ねる錯覚。
呼吸が――停止する幻覚。
フィグネリアの慟哭が、空虚となってその場を取り巻く。
「ガイ。あんた――エレンのことを」
「……」
「教えて!エレンのことを知ってるんだろう!?」
矢継ぎ早に凱に彼女らのことを問い詰める。しかし、凱には答えられない。答えていいのかわからない。
「銀の流星軍は!?エレンは!」
知らないとは言わせない。
やっとつかんだ手掛かりなんだ。
「二人は……『生きているのか』?」
生きている。それは間違いない。ただ、無事であるかは別なのだ。
踵を返し、凱は何も言わず、走り去っていった。
対して隼も、見つけた止まり木を、『翼』を休めることなく追いかけていった。
『朝明・レグニーツァ領内・ボロスロー平原付近』
夜が終わり、朝が訪れたころになっても、フィグネリアは凱に付きまとう。
「待ちな!ガイ!」
呼び止めてでも、情報を聞き出したいフィグネリアは、声を荒げて凱にかける。
「すまないが、今君にかまっている暇はないんだ。悪く思わないでくれ」
今は……言えない。この反応を見る限り、彼女との確執か、キズナが、どのような形かがわからない。
「そうじゃなくて!このままだと……雨が降るよ!」
「雨?」
気が付いたら、凱の頬にポツポツと水粒があたる感触がした。
やむを得ず、適当な大樹の葉の下で雨宿りをすることにした。
◇◇◇◇◇
「……大気の読み方を、あの子に……エレンに教えてあげたんだ」※8
「大気?」
「本当は、私もヴィッサリオンから教えてもらっていたんだけどね。たしか、『テンキヨホウ』って言ってた」
天気予報――
大気の状態を察知し、『地質』『水質』『風質』の情報を収集し、大気における力学の予測をする科学技術である。
雨。雪。曇。暑。雷。雹。
どこの、いつから、何を、それらを知ることは、何より黄金を得ることより貴重だった。
確か、ヴィッサリオンは傭兵団をつくったと言っていた。そういう頼りがいのある知識を持っていたため、
教祖的存在の彼は、傭兵団に全幅の信頼を寄せられていた。
おそらく、戦場でも、生活でも、その英知を振りまいていたのだろうな。集めた『星屑』が、その両腕からこぼれないように――
過去の思い出にふけっていて、フィグネリアはバツの悪そうな顔でつぶやいた。
「……まあ、外れることもあったんだけど」
むしろ、外れることのほうが多かった気がする。
その時のヴィッサリオンの何食わぬ顔が、ゆっくりと脳裏によみがえる。
瞬間、仲間にもみくちゃにされるヴィッサリオンのあの姿。思い出すと、つい笑みがこぼれてしまう。
「仕方がないさ。天気予報はあくまで『過去』の蓄積記録に頼る部分が大きいからな」
むしろ機械文明のない中で、よくそこまでの解析力があったものだと、凱はまだ見たことのない団長へ敬意の息を吐く。
「過去……」
瞬間、フィグネリアの表情が、黒髪のように暗くなるのを感じた。少なくとも、凱にはそう見えていた。
「フィグネリア?」
凱が心配そうな口調で問いただす。
「ねえ、もし「割り切れない過去」が……あったらさ……ガイだったら……どうする?」
「……過去か」
俺だって――帰りたい過去がある。
生まれた理由と生きる意味を与えてくれた、あの時代に――
代理契約戦争に置いて行ってしまった――
数多の小さな生命を、取り戻せるなら戻りたい――
守れなかった―
『人を超越した力』の意味に目が曇ってしまい――
俺が殺したようなものだ――
そんな俺に、彼女の質問に答えることができるだろうか?
「ねえ……ガイ?聞いてる?」
フィグネリアの問いに答えることなく、凱の視線は空を向いていた。
土砂降りだった雨が、綺麗な青空に遠慮してやんでいく。
「雨が止んだな。いくか」
「待ちなよ!ガイ!」
またも、凱はフィグネリアを巻こうとして、さっそうと走り始めた。
後ろめたい『獅子』がしっぽを巻いて逃げるさまを、『隼』の瞳が見逃すはずなどなかった。
◇◇◇◇◇
それでも、隼はしつこく追っかけてきた。
(フィグネリア……かなり速いな)
例えるなら、そう――まるで『隼』のように――
草木をかわしつつ走行する凱に比べ、草木を踏み倒しながら走る
(『俺』がエレオノーラの手がかりになっている以上、どこまでお追いかけてくる)
まずい……銀の逆星軍がいつ襲ってくるかわからないこの旅に、これ以上関わると、彼女の身が危ない。
(やはり、『│銀の流星軍≪シルヴミーティオ≫』の結末を話すべきか――)
しばらく逃避行を続けると、目の前に『ガケ』の存在を見つけた。あたかも助け舟を差し出したかのように。
それは、凱にとっての『助け舟』であり――
フィグネリアにとっての『難破船』であった――
崖という名の『海峡』を、二人はどうわたりぬけるだろうか?
◇◇◇◇◇
(なんて速さなんだ!?この私が……見失わないのが精いっぱいだなんて!)
疾風と駆け抜ける脚力には自信がある。この戦装束の刺繍衣装『隼―ハヤブサ』のように。
でも、ガイとかいう男の脚力は、フィグネリアのそれを遥かに上回る。いや、人を超越しているとしか思えない。
生身の肉体にサイボーグの能力が一体化した
生機融合超越体の走力。
フィグネリアの目測――もしかしたらあの男……『馬』よりも早く、『獅子』に匹敵するのではないかと――※9
途中、はやる気持ちが先走った報いなのか、足元につまづいて転んでしまう。
(しまった!?あいつを見失った!)
擦りむいた膝小僧を無視して、フィグネリアはすぐさま立ち上がる。束の間、凱の姿はどこにもなかった。
(いや……見つけた!)
そう、凱の姿はそこにあった。
あの長髪の男の姿を、この目をそらせば、もう二度と――たどり着けない気がして。
彼女は必死に足を運ばせた。まるで、『隼』が『風切』を幾重にも広げて飛翔するように――
「
輪廻遊びはこれで終いだ」
どこにも行けず、埒のあかない――そんな輪廻、回廊の繰り返し。
――追ってこれないところへ逃げ切れば、もう追いかけられることもない。
もう、『誰も』追ってこれない絶壁の崖。彼女にとって、それは絶望だった。
目測……20アルシンも広がる虚無の領域。
成すすべもなく、立ち尽くすばかりのフィグネリア。彼女の苦悶の表情を見つめる凱の心情は複雑だ。
「うそ……あいつ、この崖をどうやって?」
隼に一瞥を加えた獅子は、複雑な心情を抱いたまま、背を向けて去ろうとしてた。
「このまま……いかせない!」
フィグネリアはマントの中から飛びナイフを数本投擲する。しかし――※14
「――アリファール」
呪文のようなつぶやきとともに、凱の『獲物』は風を吹き散らす。
折りたたんでいた翼を模した鍔を広げ、凱は銀閃を抜き放つ!
解き放たれた風圧が、凱のまとう空気を払拭する!
瞬間、投擲されたナイフが、凱のわずか数チェートで失速し、空しく大地へ落ちる。
カランと音がして、フィグネリアは我に返る。
「あれは!?」
その剣は――あの子と同じ
いや、あの子は、銀閃に選ばれて、戦姫になった。
国を手に入れて、ヴィッサリオンの『夢の続き』を、その銀閃で
綴って――
――ヴィッサリオンが大事にしていたあの子は、戦姫になったんだね――
そして、あいつの腰に据えられている剣――
間違いない。否、あのような『宝具』は、この世にて二つとないはず――
あんた、エレンを知ってるんでしょ?
その問いに、あいつは返事をしない。
なぜなら、エレンがどうなったか、すでに知っているから?
知っているから、教えたくなかった。
知りたがっていた自分自身に苛立ち、あきれて、情けなくて、馬鹿みたいと思えてしまう。
何より、『あの男』の何から何もが気に食わなかった。
ヴィッサリオンみたいなことを言ってくれて――
ヴィッサリオンみたいに人を殺さないで――
「もう、これ以上はやめろ!フィグネリア!」
「ガイ?」
「その表情と態度を見る限り、こいつが……アリファールが何かを知ってるみたいだな。なら――」
「ここに『銀閃』がある以上、もうエレンがどうなったか、察しているんじゃないのか?」
「君とエレンの関係に何があったかは知らないが――」
凱は静かにアリファールの刃を鞘に納める。
すちゃり。その納刀音が、フィグネリアの意識を現実に戻す。
「過ぎ去った時間は戻れぬ『過去』だと割り切ったほうがいい。そのほうが君の為だ」
卯都木命――
天海護――凱は二人の顔を思い浮かべる。
大切な人だった。だが、いかに流星へ願おうと、それは決して叶わぬもの――
なぜなら、星の海に浮かぶ、時空の航海峡である『ギャレオリア彗星』はすでに消滅しているのだから――
「……すまない。こうなるんだったら、君には早く話すべきだった。『流星』を追いかけるのは、もうあきらめて――」
彼のいう『流星』とは、銀の流星軍を指す。
その言葉であきらめて立ち去ろうとしたフィグネリアだったが、振り返って彼女なりの強い『想い』を凱に叩きつけた。
「知った『風』な口をたたくな!男女!」※10
風に乗って届けられるのは、諦めの悪さ。
「
過去を割り切れないから!こうして!今でも探しているんじゃないか!」
まるで、ティッタのような強い意志、何より『想い』に、凱は感情を呼び覚まされた。
――父さん!――
――母さん!――
――カイン!――
――ルネ!――
――ジェイ!――
――次々に蘇る、GGGスタッフ――
――それぞれの『丘』に集った、機動部隊――
――カズヤ!――
――サテラ!――
――もう一つの丘、ノヴァクラッシュの果てに結ばれた強い絆――
――大切な仲間――
――それは『まだ過去を捨てきれない』凱の記憶だった――
「暗い迷宮の中で見つけた『
希流星』を諦めるなんて……できっこないんだよ!」
彼女の声が半ば涙ぐんで聞こえたのは、気のせいだろうか?
ついに、『隼』は無茶な行動へ出てしまう!
翼折られし勇者の別名……愚者の所業――遠くから見るものにとって、そう瞳にうつるかもしれない――
その痛く、切ない翼の隼の姿に、獅子は必死に踏みとどまるよう声を飛ばす。
「やめろ!無茶だ!フィグネリア!やめるんだ!」
フィグネリアの抱く想いは……『流星』へかけた『想い』は強い。あまりにも強すぎた――
だが、いかなる『隼』とて心の翼が折れている以上、その『距離』を渡るには、果てしなく遠く……遠く……遠すぎた。
「――――――――――あ!!」
一瞬、凱の姿が見えたと思いきや、すぐさま虚無の視界へと切り替わる。
今から自分は『夜』と『闇』に抱かれて、『死』に向かおうとしている。
彼女のこれまでの記憶が、走馬灯となって回廊する。
(何が『俺たち流星はもっと遠くへ着地できる』だ……ウソツキ……ヴィッサリオンのウソツキ!)
虚無の奈落へ落下していく最中でも、彼の言葉がよみがえる。
やっぱり、自分はどうかしている。
超えられない『崖』にして『壁』だと、わかっていたはずだ。なのに――
立ちはだかる岩壁。落ちていく暗い世界。
これまでの思い出が駆け巡り、彼女の想いに告げてくる。これが私の『
終曲』なのか?
黒い衣装。黒い髪。たどり着いた『丘』がここだなんて……
届かぬ――流星への想い。
ああ、結局私の『願い』は……『流星』に届かなかったか――
彼女の意識が、あの谷底と同じように落ちようとしたその時……
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
聞こえてくるのは、『獅子』のごとき――咆哮。
にも拘わらず、『隼』のごとき――急襲。
獅子王凱が、崖から飛び降りていた。
それは猛禽類のような『狩り』ではなく、一つの『ねがい星』を拾う為の『駆り』だった。
流星――別の名は『散りゆく星』
最期の『夢』に焼かれながら堕ちていく――
届かない叫びが、散る華のように似て――
勇者は切に祈る。いまここでこの『姫』の命を散らせてしまうのはだめだと!
銀閃の勇者・シルヴレイヴの名に懸けて――絶対に!
(……彼女の『
星』は……こんなところで散らせるわけには……いかない!)
自分の意志の強さこそが、自分の願いを叶えるもの。それを教えるための願い星――流星なのだから。
やがて、凱の腕に抱かれ、助けられ、安心感からか、意識を徐々に閉ざしていく。
(……まだ……諦めない……)
壁を蹴り、流星のように駆け上がりながら、凱に運ばれていく中でもフィグネリアは確信した。『流星の輝きはまだ潰えていない』と―
エレンは生きている。リムも一緒に、ともした星の輝きを、照らしあいながら――
きっと――きっと――
◇◇◇◇◇
「う……ん?」
「気が付いたか?」
「わ……たしは……一体?」
夕日の下がり具合から見て、自分は1刻ほど眠りこけていたのだろうか?
優しい声で、凱は沈黙を破る。
「俺は分け合って一人で行動している。『銀の流星軍』の行方を知りたかったら、ついてくるか?」
「教えては……くれないの?」
「今時代は大きく動こうとしている。だからこそ、君自身で『見て』、『聞いて』、それから『考える』がいいと思う。その手に、心にもつ『双刃』の意味も含めてね」
ふいにフィグネリアは、腰に帯びている双剣に目をやる。
誰にも頼ることなく、自分の力にしか、その願をかけられなかった日々。しかし、今となっては、それさえもうまく思い出せなくなっている。
そう――凱の『時代は大きく動こうとしている』という言葉。つまり――
『流星』か。
『逆星』か。
混迷たる時代は、どちらかに塗り替えられようとしている。という意味。
「……ありがとう……ガイ。助けてくれて」
違う。これは礼を言われるべきではない。むしろ――
「フィグネリア。むしろ俺は君に謝んなくちゃいけない……すまなかった」
「謝らないで。私もどうかしていた。それに……」
フィグネリアは凱から視線をそらした。
「私のことは『フィーネ』でいい」
「……フィーネ……それが君の」
「呼びにくいだろうから、そう許すから、さっきのことは、許してくれると嬉しい」
「さっきのこと?ああ、あのことか」
いろいと思い当たる節があるが、最初から自分に非がある為、「お互いにね」と凱は答えた。
「フィーネ。いつかきっと君もエレン達と会える日が来るさ」
『二人』の確執をあずかり知らぬ凱のセリフ。だが、フィーネには意味深く聞こえていた。
できることなら、顔を合わせたくない相手なのだから――
長髪の男と、長髪の女は流星を眺めながら、空を覗いた。
「いつか……一緒に?」「ああ」
フィーネは、改めて凱に礼を述べる。
「ありがとう。ガイ。気を遣ってくれて」
それは、落ち着いた女性特有の『柔和』な――フィーネの微笑みがそこにあった。
――あれ?
――この人は……『こんな暖かい表情』ができるんだ。

彼女の笑顔は、凱の心臓を支配する。
前言撤回。「君は笑いそうにない」は、心のメモ帳から取り消す。消しゴムのごときで。
蚊の鳴くような声で、凱は敗北を宣言する。
「――敵わねえや。ちくしょう」
「どうしたの?ガイ」
「……いや、何でもない」
「変なヤツだな。あんたは」
「……違いない」
「さあ、急ごう!早くあんたの『目的地』とやらに辿り着いて『目的』を果たさないと」
「ちぇっ。勝手だなあ」
二人が歩み始めた旅路。目的地の『丘』はまだまだ遠い。
目指すは――バーバ=ヤガーの神殿―――
アリファールの風に導かれて。勇者と華姫はそこへ向かう。
足取りは、風のように軽かった。
『満月・翌日・ルヴーシュ・バーバ=ヤガーの神殿内部』
そこは、立派な造りの石柱建造物だった。
2日かけてやっと、アリファールの導く先へたどり着くことができた。
――待機中の『銀の流星軍』再始動まであと2日――
先ほどまでの崖とは違う虚無の空間。言いようのない不気味さが、青年と傭兵の心理を黒く駆り立てる。
「ガイ、一つ聞いていい?」
「なんだフィーネ」
さらに最深部――階段を降りて地下へもぐる。
カツン――カツン――カツン――
無常に響く足音だけが、唯一の認識手段。自分が今どこにいて、何をしているかを教えてくれる。
「バーバ=ヤガーの神殿……私も小さいころ、よく
御伽話で聞かせてもらってたから、なんとなく知ってる。だけど、こんなところであんたは何をする気なの?」
「俺もわからない。ただ、『アリファール』がここへ行きたいと言ってきてるんだ」
『隼』の瞳が、アリファールの紅い『瞳』へ移る。
「竜具に意志があるのは本当なんだね」
「俺も驚いたさ―――――――待った!フィーネ!」
突如、凱の態度が豹変する!その表情に余裕などなく、険しい。その一言に尽きた。
勇者のまとう『陽風』が……『血風』へ変わる。その光景に、フィーネは思わず固唾をのむ。
夜よりもなお深き闇。そこに一人の『男』が座っている。
――エレン?
銀よりも銀閃の光。星屑の光を跳ね返す彼女の『銀髪』は、見るものを魅了させる。
対して、この男はどうだろうか?
同じ銀髪。しかし、エレンのものとは対極に位置するよな――
うまく言えないが、剣閃の光を跳ね返す――『見るもの全てを切り刻む』悪鬼のような銀髪だ。
「なぜ、お前がそこにいるんだ!?」
面を食らったようは表情で、凱はいう。その整った顔立ちに、うっすらと冷や汗が浮き出ている。
「あの女狐。適当なことほざきやがって――まあいいさ。「試す」にはちょうどいいか」
「知り合いなの?……ガイ?」
凱は何も答えない。その落ち着きが、すでに凱にはないからだ。
「第二次代理契約戦争(セカンド・ヴァルバニル)の戦犯……シーグフリード=ハウスマン!」
覚えていてもらった事への返事なのか、、シーグフリードと呼ばれた男は鋭く笑みを浮かべる。
「久しいな。シシオウ=ガイ」
そして、代理契約戦争という単語。フィーネはそれにも聞き覚えがあった。
「代理……契約戦争?」
傭兵の最盛期、ヴィッサリオンからその戦争を聞いたことがあった。
その時だけだった――あの太陽のように明るい彼が、まるで『悪魔』に取りつかれたかのような表情になって。
「貴様はかつて『悪魔』……『魔物』……『竜』を屠り続けた最強の獣の……『王』」
「王?ガイが?」
獣の王――それすなわち――百獣の王――『
獅子王』
百獣の王の立つ大地には、『数多の躯』が広がっている――
百獣の王の瞳見る天空は、『夜よりなお深き闇』が包み込む――
「実力のほうも鈍っているようだが、おつむのほうもかなり鈍っていやがる。大陸最強の『
獅子王』が、人を食らわないで、どうして人を守ることができようか?」
――『深淵』へいざなうような口調で、銀髪の男はこう語る。
「
第二次代理契約戦争……『牙』が抜け落ちるには、早い時間とでもいうべきか?それとも――」
銀髪の男を遮るように、凱の瞳はそいつを見据える。
「今の俺は、『目の前に映るすべての人々』を救えれば、『勇者』であればそれでいい。代理契約戦争の……『
獅子王』の強さ……それは当の昔に捨てたんだ!」
紅い髪の勇者。セシリー=キャンベルの想いを受け継いで、俺はここに立っている。
凱は自分の信念を、目の前の男に叩きつけた。
「だとすればガイ……今のお前は、『勇者』ですら失格だ」
「なんだと!?」
「理由は二つある」
シーグフリードは指を伸ばして順番に折る。その仕草に、凱はかの好敵手、『銀閃の不死鳥―ソルダート=ジェイ』の姿を見た。
「一つ。ヴィッサリオンと同じ『不殺』などという、甘っちょろい自己満足の正義、欺瞞、愉悦……故の弱さ」
(……弱い?ガイが?)
やはり、シーグフリードも知っていたか。ヴィッサリオンが独立交易都市出身だというのが――
「二つ。一度目に映ったもの……アルサスの連中は見事に敵の手中に捕まった。お前が『幻想』にうつつを抜かしている間にな」※15
瞬間――凱の胸の内に、激しい炎沸き返るのを感じた。
「シーグフリード……俺を侮辱するのは大いに結構だが……」
次のセリフは、まるでフィーネの心情を代弁するかのようだった。
当たり前だ。彼女にとっても、凱にとっても、記憶に残ろる『星』の人だから――
「ヴィッサリオンを『けなした』ことだけは絶対に許さない!」
「そして三つ目の理由だ。今のお前では、俺には絶対に勝てない」
『黒炎』に殺気が宿る――
「そういえば……そこの女は誰だ?」
ふいに、シーグフリードの視線がフィーネに移る。
整った曲線。女性としては美女の類に入るだろうが――シーグフリードには全く興味がない。
彼は、『そういう身体じゃない』からだ。
「まあいい。愛人を連れてくるなんざ、やはりお前……色ボケしたのか……寝ボケたままなのか」
「愛人じゃない!」
そこはきっぱり否定するフィーネ。だが、緊張の糸は依然として切れないままだ。
「そういうあんたこそ、愛人を連れてるじゃないか」
フィーネは侮蔑の視線を、銀髪の男に向ける。
だが……『それ』は愛人じゃない――
「こいつは俺の『愛剣』でな。これから『一閃』交えるのに必要で連れてきたんだよ」
「……」
「フィーネ。君には信じられないと思うが、本当に彼女……エヴァドニは「剣」なんだ」
剣。それも『神を殺せる剣』――『聖と魔の覇剣――神剣』に。
本当に意味が分からない。でも、凱がそういうなら、本当のことなんだろう。
凱が嘘をつくとは思えない。
「とんだ男だよ。あんたは」
「あいにく俺は『男でも女でもない』――」
フィーネの『嫌味』を、シーグフリードは『事実』で切り返す。
「これ以上の戯言は無用だ。ガイ――来い……貴様の『
幻想』を砕いてやる。弱くなったお前をこれ以上見ていると、胸糞悪くなるだけだ!」
フィグネリアには到底、銀髪の人物の言葉が信じられなかった。
前日に討伐した夜盗戦を、この目で見ているからわかる。だからこそ、シーグフリードの言葉の意味が分からなかった。
なぜか、フィーネの瞼には、「このままでは取り返しがつかない」ような気がして――
獅子王凱が遠くへ、遠くへいってしまうんじゃないか?
言葉にも行動にも表せず、フィーネはただ二人の行く末を見守っていた。
勇者――獅子王凱は『
銀閃』を――
黒衣――シーグフリードは『
黒炎』を――
それぞれ互いに刃を抜き合い、そして、『牙』をかみ合っていく!
「さあ始めよう。二人だけの『
代理契約戦争』を!!」
NEXT
後書き
ここまで読んでくださりありがとうございます。
ちょっと皆さんの反応にドキドキしながら、物語を書いているところです。
もともと勇者王ガオガイガーは『星』にかかわるところから、物語が始まります。
魔弾の王と戦姫も、13歳という年月が物語に大きくかかわっています。
木星に旅立った母を迎えに行くために、ギャレオリア彗星という『星』を見上げて、宇宙飛行士を夢見た13歳の凱。
ファーロン王の言葉に感銘を受けて騎士になる為に、ブリューヌという『星』に誕生した、騎士の中の騎士を夢見た13歳のロラン。
ヴィッサリオンという『星』を落とされ、志半ばにて倒れた彼の夢を引き継いだ13歳のエレン。
ヴィッサリオン→ガイ→エレンへと続くアリファール3代の継承を得る。このあたりはドラクエ5の親子三代の物語を踏襲しています。
解説を―
※1勇者王ガオガイガーのエンディングテーマ。『いつか星の海へ』
※2原作2巻のドナルベイン野盗と同じ頭数の200人くらい。
※3勇者シリーズ一作目。『勇者エクスカイザー』最終回のセリフ。「どんなに小さくとも、命は宝だ!例え貴様のような悪党の命でもだ!」は名台詞。
※4獅子王凱のセリフ『おじさんはやめろ。俺はこれでもまだ二十歳だぜ』が元。
※5川口士先生のライタークロイスシリーズの『銀煌の騎士勲章』が由来。
※6原作4巻、クレイシュのセリフ「あんな機動力と突進力のバケモノと、正面からやりあおうとするから負けるのだ」から。
※7ノベライズ2巻のパルパレーパのセリフ「貴様らには生きる資格などないことを」に対する切り替えし。
※8川口士先生のツイッター、毎日恒例の天気予報リツイートから。
補足:原作3巻のエレンのセリフ「ティグルが以前言っていたのを思い出した。今夜あたりから雨が降る」
これは、ブリューヌという特定の地域に対し、まだ天候の要領を得ていなかったエレンは、雨が降る時期をティグルに聞いたと思われる。
それに加え、まだ10歳の時にフィーネに教えてもらった観測術を加えたもの。
※9ガオガイガーのOPで、凱とライナーガオーが平行して走っている映像から。
※10男のくせに戦姫象徴の竜具を持っているから。髪が長いから。いろいろ。
※11原作14巻の一文。フィーネが戦姫就任時、領内視察を兼ねて野盗討伐したとき、村で働くことを条件に助命したことから。
※12ただし、ガオファイガー強奪事件の時に、生身時代のギムレットに鉄拳をぶち込んでいる。
※13『魔弾と聖剣~竜具を介して心に問う』で、ヴィッサリオンが黒船の弱点、慣性の法則について触れている。
※14ベルセルクのガッツがつかう投げナイフのイメージ。
※15『第13話・眠れる獅子の目覚め~舞い降りた銀閃』
では次回でまた会いましょう。
第17話『黒獅子と黒竜~飽くなき輪廻の果てに』
竜技――竜具を用いた戦姫の奥義。固有概念の名称をもつ人の『知識』と、自然災害の化身たる竜の名もなき純然な『力』を掛け合わせた『竜の技』である。
対して竜具――もともとは、『風』を巻き起こしたり、『焔』を巻き上げたりするだけの、ちっぽけな『曲芸』に過ぎなかったものが、やがて『人』と『魔』の抗争において中枢を占めるようになったことは、果たしていつからになるだろうか?
人はイレインバーを基礎とする知覚器官による他の生命体にない広大な『知性』と、両手を構成する繊細な指を有することで高い『技術』を持っている。『知識』という究極にして汎用な『力』こそが、数多の『戦争』を制すると信じていた。
『投石器』を超える破壊力――
『防護壁』を砕く突破力――
なにより、『竜』を上回る生存能力がなくては、人が魔に対抗する『兵器』になりえない。
竜具誕生の経緯――
何百年か前、『魔』が『人』に勝利の『王』手をかけたことがあった。それまで主戦力であった人の『戦士』を圧倒し、物量で明らかに勝っていたはずの『人のティル=ナ=ファ』と、『魔のティル=ナ=ファ』間の戦闘において、目覚ましい働きを見せ、『魔』が戦局を覆すに至ったのである。
その時、一人の巫女が『人』に助けを求めた。文明の知識を持ちながらも、『人』は『黒竜』から『力』を得るために――『巫女』は『星』に祈りをささげたのである。
――そして、黒竜ジルニトラは与えた。自らの力を欠けて流した『七つの流星』を――
一つは魔を降す銀閃―『アリファール』を。
一つは邪を破る凍漣―『ラヴィアス』を。
一つは魔を退ける光華―『ザート』を。
一つは鬼を討つ煌炎―『バルグレン』を。
一つは禍を砕く雷禍―『ヴァリツカイフ』を。
一つは妖を封ずる虚影―『エザンディス』を。
一つは呪を崩す羅轟―『ムマ』を。
それぞれ『やがてこう呼ばれる』星の丘に落としたと伝えられている。
ライトメリッツ――オルミュッツ――ポリーシャ――レグニーツァ――ルヴーシュ――オステローデ――ブレスト――
後に、七つの『丘』を統合した、ジスタートと呼ばれる『丘陵』を放浪の末、黒竜より遣わされた『人』が竜の至宝――『竜具』を手にしたのである。
だが、戦姫に譲渡した『竜具』に対し、『人』たる黒竜の化身の誤算があった。
それは、長きにわたる『人』と『魔』の抗争において、一時の終止符が打たれた直後――
『人』が『魔』を払うのために誕生したこの超常の武具が、人間同士の戦争において、高い戦況効果を与えたことである。
大軍と大軍の衝突する大規模戦争において、『損耗率』の操作を可能にする戦姫の存在は、少数民族から成り立った、ジスタートである彼らにとってなくてはならぬものとなった。
竜にとって『アリ』のような人並程度の大軍では、戦姫に対して全くの無力となる。『総』としての大軍より、『個』としての戦姫や黒騎士が有効とされる時代となったのである。
その事実はジスタート建国から間もなくして、周辺諸国にも認識されることとなる。
遥か昔、マクシミリアン=ベンヌッサ=ガヌロンが拿捕した銀閃『アリファール』を研究し、独自にこの超常の武具の製造に着手したのは、その認識があったからこそだ。
ブリューヌ建国王シャルルの依頼を受けたガヌロンは、『人』が『魔』に対抗する術を作り出していった。
暁の革命戦争へ挑む友人シャルルへの……せめてもの『餞別』として――
ほぼ同時期に、最先端の戦争技術力を持つ『ザクスタン』においてもまた、『大砲』をはじめとする戦略兵器の開発が進んでいた。
ジスタートを軸として、各国はそれぞれ『機械』『聖剣』『竜具』といった『抑止力』を生み出していった。
生きた伝説達が、国境となり結界となることに、それほど時間は有しなかった。
それぞれが、互いを『危機』という高め合う認識で、独自の文明を進化させていった。
ザクスタンにおいては、ただ岩石を放り投げるだけだった『投石機』が『砲弾投鉄機』へ――
ブリューヌにおいては、聖剣『デュランダル』、その兄弟剣『エクスカリバー』、双子剣『オートクレール』を派生鍛錬し――
ジスタートにおいては、ただ振り回すだけであった『竜具』もまた、『竜技』へ発展したように――
特に直面した問題は、ジスタートが誇る戦姫の竜技だった。主と認める選定基準が、竜具の人格に一任されるため、次代と先代の戦姫の邂逅など皆無といえる。要するに、一子相伝のシステムが確立されていなかったのだ。就任中、戦姫が『人』と『魔』の抗争にて蓄積していった『戦闘記録―知識』・『戦闘技術―竜技』……二つのヴェーダを後世へ継続することは、最重要課題となる。
知識は力なり。
これは、ある偉人が遺した言葉だ。
知識だけでは、いかなる結果も生み出すことはできない。
力だけでは、結果を生み出す方法に気づくことはできない。
知識を力で表現するには、なにより『言葉』……意志をもつ竜具と『疎通』することで、竜具一体の自然現象を再現することに成功する。
その言葉は、自然原理に干渉する音声入力として、竜具に定着していくこととなる。
竜の言霊は全て自然現象に何等かの影響をもたらす言い伝えをもとに、竜の部位を遊び心から名付けたという。
すなわちアリファールには―
竜の『牙』アリファール・竜具実刃兵装
竜の『翼』ヴェルニー・空力弾性加速
竜の『蹄』ヴィンダム・大気踏込圧搾
竜の『息』メルティーオ・大気断熱圧縮
竜の『角』コルティーオ・大気伝導放撃
竜の『鱗』アウラ・威風霊的外套
竜の『髭』ソウラ・大気音圧反響
竜の『尾』クサナギ・大気電離干渉
竜の『爪』レイ・アドモス……大気仮想真空
そして――竜の『技』レイ・アドモス・アンリミテッド……宇宙真空崩壊
人は『力』を『知識』という形で『遺伝』をたどる。
このように知識体系化することで、次代の戦姫へ戦いの記憶を伝承することに成功したのである。
しかし、竜の技である『最終決戦竜技』の『摂理』を理解したものは、皮肉なことに、戦姫たる女性ではなく、男性であるヴィッサリオンだけであった。
そして、問題はこれだけに終わらなかった。
たとえ戦姫の『知識』と竜具の『力』が合わさったところで、自然現象を操る竜技に、戦姫の体力が追い付かない問題が浮上したのである。
独立交易都市出身であるヴィッサリオンの『竜舞』――そのうちの『銀閃殺法』――竜の姿を再現する迎撃技術という発想は、その問題に対する一つの回答といえるだろう。
戦姫……竜具という流星を見た姫君は、これを受け取った時に一体何を思ったのだろうか?
人は戦争を通じなくても、やがて長い『時間』をかけて、独自の文明と防衛力を築き上げていったはずだ。
ただ、戦争という手段が『時計の針』を速めたことだけは、覆ることのない事実である。
『人』と『魔』が織りなす『輪廻』の律動の果て――『作り変えられた』世界の地平線に、暁の曙光は差し込むのだろうか?
『黒獅子と黒竜~終わらない輪廻の果て』
かすかなヒカリゴケが照らすほぼ虚無の空間。そこに一人の男と女が、獅子王凱の前に躍り出た。
正確には、『男でも女でもない、生殖器官を持たない人物』と――
明確には、『黒きドレスを纏った妙齢の貴婦人たる剣の悪魔』なのだが――
そのうちの女性……剣の悪魔たるエヴァドニが、厳かにつぶやいた。
――深夜を解け――
――常闇をまとえ――
――終死を貴殿に――
――黒竜を殺せ――
突如として生まれる、黒き炎の濁流。
地下室にも拘わらず、その勢いは天井を次々と砕き、満月が戦いの役者をのぞき込むように現れる。
黒と紫の炎熱の柱には、『一振りの神剣』 が収まっており、男……シーグフリード=ハウスマンの手に預けられる。
竜の眼光たるルヴーシュの名にふさわしいのか、月光は二人を照らし出す。
同時に、月を覆う『朧』さえも……二人の頭上に姿を見せた。
開戦――――――
そう告げるかのように、黒衣の人物シーグフリードは剣を無造作に横薙ぎする!
「――『大気ごと焼き払え』――エヴァドニ」
深淵から告げるような斬酷のごとき声紋。
冥府の門から溢れるかのような、黒触炎が『地下だった空間』に溢れ返る!
濁流……にもかかわらず、燃焼の力学は一遍たりとも無駄なく凱めがけて飛び込んでいく!
「――『大気ごと薙ぎ払え』――アリファール!!」
対して、凱も覇気溢れる声で、銀閃に呼び掛ける!
一陣の風のごとき銀閃の弾丸が、銀髪鬼に切迫する!
銀閃と黒炎の均衡―――――!!
だが、その競り合いは一瞬だった。
相殺にして大気の膨張が、戦いの両者を叱咤する!お前たちの力はこんなものではないだろう!?と
「くっ……ガイ!?」
「フィーネ!すまないが少し下がっていてくれ!」
「ガイィィ!!」
黒き髪の隼が獅子を止めようとその名を叫ぶ!
「そうだぞ!女!そのほうが身のためだぞ!」
シーグフリードにはわかっていた。どうせこの『代理契約戦争』に割って入ることなどできはしない――
そのことをすでに知っているから、あえてフィーネに忠告したのだ。
「どうした?少しは反撃しないのか?でなければ、オレの『煌竜閃』がその女ごと巻き込んじまうぜ」
冷酷に告げるシーグフリードの言葉は、正鵠を射ていた。
周囲やフィグネリアを巻き込まないよう、竜具を振るい続ける凱よりも、壁や天井、周囲を巻き込むことに躊躇のないシーグフリードの攻撃が鋭いのは、自明の理だ。
脳天を叩き割る一撃――黒き斬撃が凱の銀閃と交錯する!
紙一重の差で凱は受け止めるも、大気を震わせる衝撃に態勢をよろめかせる!
「ぐあああああ!!」
恐るべき、銀髪鬼の怪力。
踏みしめている地下神殿の踏ん張りがきかず、勇者は遥か後方へ吹き飛ばされる。
「つ……強い!俺の知っているシーグフリードじゃない」
「そいつは違うな。オレが強いんじゃない。貴様が弱くなっただけだ」
「弱い?ガイが?」
そんな馬鹿な……一言でいえばそういう表情のフィグネリアが、凱とシーグフリードを交互に見やる。
だってガイは、野盗の連中を一網打尽にしたんだよ?
飛び降りた絶壁の崖から『隼』のように降昇して、助けてくれたじゃないか?
多くを見なくても、私にはわかる。
あの男は――ただ者――じゃないことくらい。
静止した時間から一瞬、凱の姿は刹那の発生音とともに消えていった。
「はああああああ!」
飛翔――夜の闇へ溶け込むような凱の羽ばたきに、誰もが目を奪われた。
――――ただ、シーグフリードを除いては。
「それで避けたつもりか!?獅子王!!」
エヴァドニの切っ先を捻り返し、対空迎撃の『銀閃殺法』の構えをとる!
しゃくりあげる昇刃術。波打つ刃が凱の顎の肉片をまき散らそうと、黒炎をまき散らす!
(こいつは……飛竜迎撃竜舞――『飛竜閃』!?)
眼下に広がる黒炎を前にして、最大の危機が迫る!!
◇◇◇◇◇
「ふん……挽肉になるのだけは避けたようだな」
――――誰かの声が聞こえる。
「おい。いつまで寝っ転がっていやがる?」
突如として凱の耳朶を叩く。
腹部に熱い痛みを抱えながら、凱は顔を見上げる。
「今のは……飛竜閃か……」
「違うな。煌竜閃―ただの『無式』だ」
銀閃殺法―
竜の顎を翔破するための竜舞。
そして、シーグフリードは『相手を確実に仕留める殺刃』を編み出した。
獣を、悪魔を、魔物を、竜を、そして――獅子を殺すために。
それが煌竜閃――煌炎の黒竜王の名を拝借した銀閃の閃き。
『必殺』ではなく『必滅』の信念と正義の下で――
無式というからには特定の型を持っておらず、対空、対地、対潜にも迎撃できる故に、おそらく無式と呼んでいるのだろう。
「大陸最強の生物――獅子王の強さは、俺たち『人ならざる者』なら、誰もが知っている」
人ならざる者――その『意味深き言葉』に、フィーネの瞳は見開いた。
トルバラン。
バーバ=ヤガー。
コシチェイ。
ヴォジャノーイ。
ドレカヴァク。
ヴァルバニル。
ジルニトラ。
数多の神々達は皆、勇者の王たる力を知っている。
だが、目の前のこの男は一体何なんだ?
あの時……代理契約戦争において、強さの次元を超えた力量はどこへ行った?
本当にこいつが伝説の獅子王なら、『同じ手を喰らう』愚は侵さないはずだ。なのに――
同じ手を喰らう理由は『恐怖』ではなく……あるとすればおそらく……『迷い』――
独立交易都市にて『市』の時から続く……決着をつけたところで、これでは興ざめもいいところだ。
「│虚影の幻姫≪ツェルヴィーデ≫の女狐め。でたらめを言いやがって――何が『眠れる獅子は目覚めた』だ」
影の戦姫に一言吐きつけておきたい。この男の強さは『見る影もない』ということを――。
ただ、僅かな交錯とは言え、両者の実力を感じ取り、銀髪鬼の強さに震える人物がいた。フィグネリアだ。
隼の衣装を着こなす彼女の出立は傭兵。自分の命を投資して、実力という資産を築き上げていった。
貧村の出自から始まり、数多の強さを何度も比較され続けてきた傭兵人生。凱とシーグフリードという『超人』を目の当たりにしても、驚きこそしたものの、フィーネは両者を推し量るに全神経を注いでいた。
相手の強さを図れぬ傭兵は三流もいいところ。このまま勝負を続ければ、心に迷いがある凱が明らかに不利だ。しかし――
乱れていた呼吸を整えた凱は、静かにつぶやく。
その声はどこか冷たく……その目はどこか……黒かった。
穏やかだった凱の目は、徐々に竜の牙のごとく鋭さを肥大させていく。
「――――行……ぞ」
――――幻影翼。そうとしか表現できない体裁き。
夜という闇の深さも相まって、一瞬だがシーグフリードの知覚反応を遅らせた。
アリファールの一閃――――
流星の如き抜刀――
一言で表すにはそれで十分なほど、銀閃の芸術品。
銀閃の剣光が、瞬きよりも短い間に、凱の表情を映し出した。
そして、フィグネリアはわが目を疑った。
「……ガイ?」
だが、戦況は彼女の反応を許すはずなどなく、次々と、一刻一刻と変幻していく。
「――――ちぃぃぃぃ!!」
毒づいた捨て台詞とともに、シーグフリードは拳と蹴りの暴力で、乱雑に凱をあしらった!!
「ぐはあぁぁぁ!!……」
苦悶の文言を上げる、凱の悲鳴。
肺中の大気を無理やり吐き出されたような感覚。呼吸器官の異物を押し出す生理現象が、凱の呼吸を乱そうと攻め立てる。
(なんだ……今の動きは?)
対してシーグフリードは、牽制したにも関わらず、己の知覚能力を疑った。戸惑ったのだ。
先ほどのガイの動きが、断然速く、重く、鋭くなった。
全く読めない……いや、違う。
全く感じなかったのだ。凱の動きを――
相手の行動を読むには、まず五つの知覚で感じなければならない。
敵の姿を見据える視覚。
敵の匂いを辿るぐ嗅覚。
敵の手ごたえを掴む触覚。
敵の劣等感を嗜む味覚。
敵の位置を握る聴覚。
例え人外たる悪魔や魔物でも、必ず人間に比する感覚機能が存在する。半分悪魔の血を引いているシーグフリードは、常人の遥か上を行く神経感覚を所有している。
にも拘わらず―――――神経の糸を極限にまで張っても『反応』どころか、反応の予兆である『感応』すらできなかった。
(……もう少しか?)
銀髪鬼の口元が吊り上がる。
今、獅子王凱という、シーグフリードの目前にいる男は、その心の檻を開け放とうとしている。
正確には、勇者という檻が、獅子王という獣にこじ開けられようとしているのか――定かではないが。
対して、凱は自分の奥底から『何かが沸き上がる衝動』を感じていた。
誰かが……俺の中から出てきやがる。
この感覚……『市』における魔剣強奪事件の時と同じだ。
(俺は……この力を使わないと誓ったんだ!……みんなを不幸にしちまう『獅子』としての力なんて……)
『弱者を守る』という意志に反する、『弱肉強食』という摂理への衝動。
身体以上の感覚――衝動が運動能力を超えようとしている。
その為か、身体と体力にズレが生じて息を弾ませる。それは、興奮とは全く異質の『慟哭』だった。
そして―――――
そして―――――
そして―――――
【生命を喰らう最恐の獅子王――――完全覚醒】
その『瞳』は……獲物となるべき存在を逃さぬために――
その『牙』は……獲物を確実に仕留めるために――
その『鬣』は……獲物に恐怖を刻む剣山故に――
その『姿』は……一匹の隼の心を砂欠片のように打ち砕いた。
あれこそが、かつて『第二次代理契約戦争』で、数多の人外、悪魔、魔物、竜を畏怖の念に沈み落とした最強の『獅子王』
凱の焦点に、一切の不用情報は入らない。
一点集中。その言葉にふさわしいほどの、『視野の狭さ』――
一撃必殺。それのみを狙う獅子の『牙爪』――
暗き闇より出でた獅子の瞳は……アリファールの紅玉より赤く、何より、昏く染まっている。
彼の獣の瞳を見たフィグネリアの心臓が――早鐘と警鐘を同時に打つ。
それは……フィグネリアが初めて見たもの……。
『勇者』としてではなく、『王』としての凱――だった。
「今の一撃で、完全に獅子王へ立ち戻ったようだな。なら、本気でやらせてもらうぜ!」
ここから先は……小手先程度の攻撃など無用。
今までが、序盤に過ぎなかったのか?フィグネリアの疑念は純粋な驚愕となって冷や汗を垂らす。時期はまだ『冬』であるにも関わらず。
「はあああああ!!」
黒衣の神剣使いもまた、銀髪の獅子と成りて牙を逆立て襲い掛かる!
先ほど仕掛けた小手先程度と比して、各段に早い。それどころか、研ぎ澄ました殺意の衝動をそのまま体現しているかのようだった。
しかし――完全に獅子王へ覚醒した凱にとって、暗殺めいたその『斬影』は児戯に等しかった。
回避。そして翻す。波打つ海竜の如き『竜舞』の一擲。
(後ろがガラ空きだぜ!!シーグフリード!!)
抜刀という名の竜舞発動――凱の銀閃アリファールの水平横薙ぎの一撃が閃舞する!
「――銀閃殺法!!海竜閃・泡飛沫!!」※3
海にすむ竜が汚れた鱗を洗うために、蜷局を巻いて螺旋するさまからそう命名される。
その飛沫は光華の如き幻惑。熱も光もない、さざ波の『裂刃』。
相手の突進力に、自身の遠心力を相乗させた力学の一撃。それをシーグフリードのうなじに叩きこむ!
黒衣の人物は吹き飛び、壁面に叩きつけられる。
――本来のアリファールなら、それで彼の首を捕らえて、決着がついたはずだった――
「がはあぁぁ!!」
遥か彼方の壁へ衝突――――
激しい土煙をいくつも巻いて、かの狂人の姿は失われる。
今回の苦悶の声を上げたのは、シーグフリードのほうだった。
結果、まだ彼の首と胴体はつながれている。それは、獅子王に覚醒した凱の心に残された、『不殺』という檻の名残なのだろうか?
「立て――シーグフリード」
厳かに告げるは、『王』からの宣告――
食物連鎖の頂にたつ、『王』としての言葉――
「『市』から続く代理契約戦争の決着がこんなことでは興ざめだ!」
がれきを乱暴にどかし、ゆらりと立ち上がるシーグフリード。
「興ざめか……そいつは悪かった。この一太刀は、ほんの挨拶代わりだったのだがな……喰らってやろう!人外!」
「喰らうのは――俺のほうだ!不能!」
それぞれが、それぞれに嫌味を込めて罵倒する。死刑宣告の意味を込めて――
―――仕切り直し―――
静かに、アリファールを納刀する。
すちゃり。甲高い鍔鳴りが、緊張の糸を硬化させる――
ただ、凱のアリファール鞘納音が、フィグネリアにとって『大気が泣いている』ように聞こえた。
(アリファールが……悲しんでいる?)
そんなフィーネの心配をつゆ知らず、凱はまた銀閃の牙を振りぬいていく!
「いくぞ――」
銀閃の剣舞が肉を引き裂き、黒炎の斬舞が血をすする!
アリファールの美しい刀身が血と肉と脂で汚れ、エヴァドニの波打つ凶刃が、血と肉と脂を腐らせ、燃やし、消し去っていく!
時折に刃交錯せし時、火花散る瞬間だけ、両者の姿を照らし出す!
銀閃の竜具アリファールも――
黒炎の神剣エヴァドニも――
『得物』とてその例外ではなかった。
閃斬の——交差後方――!!
瞬閃16回の打ち合い――何合繰り返したか、もうわからない。
互いの得物は刃をつぶされた『鈍器』と成り果てても、この凄惨な『殺試合』を終わらせることなどできようない。
「「はああああああああああああ!!」」
銀牙の獅子が……吠える!!
猛然と喰らいにかかる!!
血に飢えた獣以上にも!!
肉に飢えた竜よりも!!
銀閃と黒炎が互いの構成物を切り裂き、炙り、薙ぎ払い、そして焼き払う。『風』と『炎』の膠着状態が続く。
『獅子』達の死闘に、『隼』は取り残されていった。
―――喰ラウ!!―――
斬り合いは死闘へ、そして泥死合へと形態をなす。
果たして、流血の始まりはどこからだっただろうか?
剣だけかと思いきや、隙あらば両者は得物で殴ることもためらわなかった。
例えば――アリファールの刃がエヴァドニの刀身でふさがれた場合、『牙』たる刀身を捨て、『爪』たる納鞘で殴打するというように――
ただの鞘と侮るなかれ――竜具故の十分な強度あればこそ、次々と黒衣の男の軽甲冑を砕いていく!
シーグフリードもまた、同じ手を使ってきた。もっとも、こういう殺し合いに慣れているのは、シーグフリードのほうだから。
壁面が次々と羊用紙のように破かれ、床地が連綿と抉れていき、大気が煙を巻いていく!
「うおおおおおお!!」
銀閃が、虚空を彩る!!
壁面――天空――奥床へと、鋭角的な立体機動を得て、獅子は銀髪の悪鬼の腸を狙う!
「――銀輝運翼!!」
敵の認識能力を阻害し、誤認させ、遅延させる機動術――フィーネは凱の動きを目で追うので精一杯だった。
シーグフリードの追求能力も、そこが限界だった――
しかし、生存本能が、銀髪の反射神経を極限までに高めさせた!
(このオレの予測を上回る『竜技』を放ちやがった!)
そもそも、この密閉空間で高機動地戦するものならば、壁面と天井に激突するのが関の山だ。
距離を測り間違え、岩壁に衝突して墜落する燕のように。
『竜の翼―ヴェルニー』を細分化させたもの。『竜の羽毛―リュミエール』だ。
銀閃竜の羽ばたく『翼』の軌跡には、流星のような輝く『羽』が舞い散るという――。
大気光学変換。スラスターたる風影で、大気に散らばる微粒子をコロイド状に凝縮させ、周辺へ散布させる。
これにより、視覚をはじめとした五感的な補足をほぼ不可能にしている。
その幻惑効果は見てのとおり、シーグフリードの行動を遅らせには十分だった。あと一瞼の瞬き遅かったら、確実にガイにハラワタを食われたであろう。
「―――――――――!!」
とうとう『王』は、不殺という『心の檻』から解き放たれた!!
憎悪。嫌悪。殺意。の矢じり。心の弓弦は、眼光とともに大気を振るわせる!
『毛利の三本矢』のたとえ――この堕ちた三本の矢がある限り、凱の破壊衝動は絶対に折れない!
鏡写しのように、斬撃がかみ合う!
今二人が演じているのは、『夜』と『闇』の先を誘う『死』の舞踏会!
せめぎ合う僅かな火花――それが何度カンデラ代わりの『照明』を代替えしたかわからない。
「――嵐薙!!」
瞬間――凱の再び流星に比すべき抜刀術!
鉄塔が横なぎすると錯覚させる……竜の尾を思わせる光の加速質量!
鞘走りを利用した、アリファールの断熱圧縮作用が、『光の剣』となりて光臨した!
熱も光も帯びた『紅白い剣閃』たる『銀閃竜の尾』が、シーグフリードを襲う!
これは、『竜の翼―ヴェルニー』・『竜の爪―レイ・アドモス』・『竜の息―メルティーオ』に続く、『竜の尾―クサナギ』だ。
バリィィィィン!!!!
斬鉄――!?
エヴァドニの……刃が粉々に砕け散る。刃の競り合いの結果に銀髪はちっと舌をうつ。
竜具と神剣の相互関係。
神剣とは、ヴァルバニルという黒竜を標的とした『遺伝子破壊能力』である。
同じ竜のゲノムをもつ三つ首黒竜のジルニトラの遺産も、被標的なのは例外ではない。
本来、凱の持つアリファールと、シーグフリードの持つエヴァドニで切り結んだ場合、竜殺しの神剣に軍配があがる――はずだった。
純粋な殺意――
それは、研ぎ澄まされた竜具の殺人具――
流星が大気を切り裂く『裂空』の力学――
大気の断熱圧縮が生み出す『銀煌精』に切り裂けぬものは、この地上に存在しない――
体感温度60度。
刀身温度100000000度。※1
最も固い双頭竜の鱗さえ、果肉のように切り裂く溶解熱――
ヴィッサリオンが忌み嫌う、小さな粒同士をはじき合わせる銀閃の力学。
その光をまとったアリファールを見せつけるように、凱は厳かに告げる。
「次は――その首をもらう」
アリファールの紅玉が、血に飢えた朱黒く染まっている。
綺羅絢爛のアリファールの刀身が、多重の意味で見る者の背筋を凍てつかせる。
ガイ――あんたには……銀閃の悲しい声が届いていないのかい!?
「ガイ!?もうそれ以上戦うのはやめろ!アリファールが泣いているのが分からないのか!?」
「終わりだ――――シーグフリード!」
咬み合わない、凱とフィーネのやり取り。
やはり届いていないのか、凱はアリファールの刃立ちを90度傾ける。それが何を意味するかは明白だった。
怖い―――これ以上、凱の強さを目の当たりにするのは――
あの穏やかな気性を持つ人間が、『簡単に人を殺めてしまう』ようならば、文字通り躯の大地が広がってしまう。
数多の躯の頂に立つ獅子王……ひとりぼっちの『王』――
終焉の女神ティル=ナ=ファに祝福されるたった一人の……『勇者』にして『王』の……
「……ダメだ」
苦しくあえぐように、フィーネは声を絞り出す。これ以上、ガイにあの強さを見せるわけには――
「誰か――!!誰かあの二人をーー!!」
「無理です」
「……お前は?」
突如として背後に現れた人物……紫と朱に彩られた大鎌を担ぎし貴人だった。
フィーネの問いに答えることなく、虚影の幻姫は幻想に秘められた現実を話す。
「あの二人は……ジスタートではなく、『代理契約戦争』の中で戦っています。二人を止められるのは、同じ代理契約戦争を味わったものだけです」
『頂』にいる二人には、『麓』の私たちなど眼中にない。そうつけ加えて――
己が得物を砕かれたシーグフリードは、構えを解こうとしなかった。
――――なぜだ?
「シーグフリード。貴様ら『狂人』は退くことを学ぼうとしないな」
「代理契約戦争に撤退はない。貴様も分かっているだろう?」
――――本当に退く気はないようだな。
不退転の姿勢を続けるシーグフリードを見据えた時、凱の瞳の光が揺らめく。
投合。破壊されたエヴァドニの……それも炎纏いし残骸を凱に叩き付ける。
(見るに堪えない惨めな抵抗『だ』。『ですね』)
フィグネリア、ヴァレンティナの醒めた感想。
だが、凱はあえて避けることなく、みっともないシーグフリードの抵抗を受けて立った。
「……『本能』より『衝動』を選ぶか。それもいいだろう!シーグフリード!」
生存という本能は、生命体が持つべき正常な手段にすぎない。
衝動とは、狂人が持つべき異常な論理行動。
故に、狂人のとるべき選択は唯一『衝動』となる。
アリファールの切っ先が、鋭い光を放ちつつ天を見上げる。
捕えた!!――
華隼と闇竜の姫君たちに繰り広げられる視界は、そう脳へ認識させた。いかにシーグフリードといえど、この間合いなら凱にとって『斬魔の結界』だ。不用意に立ち入れば、『降魔の斬輝』の裁きが下されるのは間違いない。
だが、一足の間合にまで詰め寄ったとき、一瞬シーグフリードの殺気が途絶える――
かすかな違和感を獅子が受け取り、僅かな間隙を銀髪鬼に狙われる。
シーグフリードは『引き金』を引いた。
大気引き裂かれる『弾丸音』――
完全に不意を突かれた。
狂人の流れるような自然な動作。にも関わらず『右腕』の不自然な仕草。瞬間、凱の握られていたアリファールが、虚空の彼方へ弾かれる!
(あれは……銃!?)
ヴァレンティナの表情が驚愕に染まる。だが、彼女の感情動作も構うことなく、シーグフリードは得物を失った凱に追撃を見舞う!
落石を払いのける怪力が、獅子に拳の弾幕を内臓器官に浴びせる!
「かは――――!!!!」
エヴォリュダーの強靭な内蔵機構が、ボロボロに破壊される!
抵抗力を失った獅子は、さらなる追撃を想定する!
左手は『太古より生息するシダ植物』!
右手はそれで獅子の首を締め上げる!
頭上には、『天然の洞柱』を経由——天然の『絞首台』にて決着をつける!
「これで終わりだ!シシオウ=ガイ!!」
「か……ああ……あ……が……あ!!」
言葉にするのは、獅子への憎悪。対する獅子は言葉にならないうめき声。
否、言葉にできないのだ。
――――だが、勝負はまだ終わっちゃいないぞ!
その憎悪に近い闘志を秘めたまま、凱は腰に残されたアリファールの『鞘』を――シーグフリード目掛けて投擲。竜具による『てこの原理』が、凱を天然の絞首台から解放させる。
両者、間合いを取り、呼吸を整え、体を取り繕っている。
――――これが……代理契約戦争。
それは、フィーネなのか、ティナなのか、誰が呟いたのかはわからない。
やがて――
冷たい空気の中、獅子はこうも告げた。
「飽いた」
「そうだな」
既に両者は剣をなぞりあって『血の華』を咲かせている。赤い根を張り、力強く。
これが正しき舞踏会の正装。戦場に非礼なき戦装束だ。
「降伏など許さん」
「降伏など認めん」
「「なぜなら」」
同時に地を蹴った。
「「どのみちお前はここで――――――死ぬからだ!!」」
もはや刃の原型をとどめていない二つの得物が――最後の破壊へ挑戦しようとしたその時!!
「やめんか!!シーグフリード――――――――!!」
横手から飛び込んできた轟声が、二人の獅子を一喝する!!
人知を凌駕したあの二人を止めたのは、いかな人物だろうか?やっぱり、代理契約戦争の経験者なのだろうか?
そもそも、声の正体は代理契約戦争の経験者どころじゃない。その人物はむしろ、『戦主犯』なのだから――
「『夜遊び』も大概にしろ!貴様の任務は獅子王の力量を図ることだろうが!!」
聞き覚えのある声……懐かしくとも思いたくない人物。
フィーネは目を見張った。あれほどの殺陣にも拘わらず、彼らにとって遊びの延長に過ぎなかったのか?
「……オーガスタス=アーサー」
凱は彼に振り替える。
「今はクライマックスでいいところなんだよ!帝国騎士団長さんといえど、邪魔はさせないぜ!!」
「……騎士団長?」
フィグネリアは疑問に浮かんだ。国に仕えるべく騎士団の、それも指揮官が一体何の用だ?
思わぬ邪魔で白けたシーグフリードは、つまらなそうにつぶやいた。
「せっかくの勝負に水を差されたな。次の『契約交渉』は次の機会だ。ガイ」
「命拾いしたな。シーグフリード」
「貴様がな」
最後の最後まで、殺しの合い言葉をやめようとしない。その声紋、発音が、相手の存在を否定したがっているのははっきりとわかる。。
「シーグフリード!報告しろ!結果はどうだった!?」
「やれやれ。『勇者』のほうはまったく使い物にならん……が、『王』のほうは………それなりにやっていける模様。以上――」
報告としては最低の部類なのだが、結果が分かっただけでも良しとしよう。そう解釈する。
「まったく、あいつは何を考えているのかさっぱりわからん」
オーガスタス=アーサーは、シーグフリードの振る舞いにあきれるばかりだ。
「聞かせろ。オーガスタス=アーサー。なぜ貴様らがここにいる?」
凱の質疑はもっともだった。
アリファールの呼びかけに答え、凱はここへ足を運んできた。しかし、このような『顔見知り』に出会うことなど予想しえなかった。。
一人も二人も知った顔に立ち会わせている――それも、フィグネリアの隣にオステローデ主、ヴァレンティナ=グリンカ=エステスまでいるではないか?これが偶然で片づけていいはずがない。
「落ち着けガイ。今からその『依頼主』から話がある」
凱の視界の端には、虚空回廊の出口が開かれようとしている。――
「シーグフリード君――シシオウ君――君達『代理契約戦争』の生き残りには、このような神殿で朽ち果ててほしくない」
「そうか。真の黒幕はあんたか」
凱は底冷えする怒りを押さえながら、黒竜の王の名をつぶやいた。
初めて会うにもかかわらず、頭上の王冠と纏う風格が、その人物だと裏付ける。
枯れたような手に、色抜けした金髪の姿。今この大陸情勢で動ける『王』はあの人しかいない――。
「ヴィクトール=アルトゥール=ヴォルク=エステス=ツァー=ジスタート――」
「手荒な真似をしてすまなかった。だが、余にはどうしても『銀閃の勇者』の力を知る必要があったのだ。許してくれ」
「いますぐに、この場で聞かせてもらおうか。この一見に巻き込まれたのは俺だけじゃない――フィグネリアも……」
凱は我に返る。彼女の名を呼んだ時、今更ながら『王』に立ち戻っていることを自覚したからだ。
―――――ゴン!!
アリファールの『柄』で、己の額部を強打する!
それは、自らを戒める刑罰にして報い。何より、、アリファールの呼び止める声に気づけなかった自分への贖罪だ。
「フィーネも立派な関係者。彼女も同席させるのが条件だ」
――ガイはもどった?戻ってくれたのか?
「……ごめんなフィーネ。俺は……『また』気づけなかった」
今度こそ、戻ってくれた。
優しい声色。自分より相手を気遣う言葉。
間違いない。私の知っているシシオウ=ガイという人間だ。
◇◇◇◇◇
一定期間、殺し合いから小休止を置いて、皆は一同に集まった。
「シシオウ君。突然ですまないが、まずはこれを見てほしい」
懐から差し出して、凱に手渡したのは『一枚の紙きれ』だった。
「……肖像画?」
人間の手で描かれたたとは思えないほど繊細で精工な『描き込まれた肖像画』に、フィーネは目が釘付けになった。
――まるで、人が紙の中へ、まるごと閉じ込められたかのような――
塗料感、硬質感ともにある皮羊紙の手触りに、凱は肖像画の正体を確信した。
「フィーネ。これは肖像画じゃない」
「その通り。これは『写真』といい、特殊な羊紙に『光』と『影』を焼き付けたものだ」
青年の推測に、年老いた王はこくりとうなずいた。
ギャレオンのような凄みのあるフルセットの髭に、凱は思わず眉をひそめた。
「その男こそ、フェリックス=アーロン=テナルディエ――――まつろわぬ民の末裔だ」
「「ライトメリッツの……まつろわぬ民の末裔?」」
「単刀直入に言おう。シシオウ君。彼は今――――ブリューヌで暗躍している」
まるでオウム返しのように、凱とフィーネはヴィクトールの言葉をつぶやいた。
「ジスタート建国時代の真相を――今こそ話そう」
NEXT
あとがき――
るろうに剣心の色が濃すぎる今回の話――
今後の展開のためにと思っていただき、ご愛敬ということで解説を。
※1本来温度というのは、小さな粒子の速度を意味している。気温が高くなると粒子の動きも活発になる。
アリファールの納刀状態で『レイ・アドモス』を発動させると、「気温の出入り口をなくした大気」が瞬間連続で発生し、常温20°から一気に刀身温度100000000度へ上昇する。
それが、大気上の物質を分解(水から水素酸素)させる『煌炎の力学』となったり、大気上の物質を還元(水から氷)させる『凍漣の力学』になる。
ヴィッサリオンも銀閃の勇者だったとき、『竜技―クサナギ』を一度だけ使っていたが、『小さな粒同士をぶつける力学』の為、自然災害を引き起こすとして禁手にしている。
体感温度60度。
刀身温度100000000度。
一体どういう意味の表現なのか?
分かりやすい身近な例えをすると、プラズマ代表の蛍光灯は、内部は一万度の温度になった時と同じ速度で粒子は走っている。けれど、火傷するような熱さは感じない。粒子自体の数が少ないためである。(とはいえ、点灯中、直にさわるのは危険なのでやめましょう)アリファールの刃が食い込んだ時に、対象へ100000000°が瞬間的に熱伝導するため、理論上、地上で切れない物質はないとされる。
※3ソフィーの竜技『我が先を疾走よ輝く飛沫よ・ムーティラスフ』と同名の技。
後書き
次回予告です。
「黒竜の代理……その意に従わぬものは『力』を以って平定する……あの時代ではああするしかなかった!」
――俺は黒竜の化身だ。俺を『王』として従うなら勝たせよう――
「王――」
その言葉をつぶやいたとき、凱の全身に戦慄が走った。
他の『自然力学』に追随を許さない竜の最高位の存在。
『銀閃』――
『凍漣』――
『光華』――
『煌炎』――
『雷禍』――
『虚影』――
『羅轟』――
それらの『力学』を『魔』の『力』で従える『魔王』
黒竜の化身とは――
自然原理を体現するために行動する『黒竜の眷属』として――
戦姫は『竜』の意志によって選ばれる――
勇者は『星』の意志によって選ばれる――
両者は『竜星』の行く末に、未来を得る――
ヴィッサリオンという、『前例』があったからだ。
第18話『亡霊の悪鬼~テナルディエの謀略』【アヴァン】
前書き
試験的に分割投稿してみます。
本編はまた調整次第投稿します。
短いですが、ご了承ください。
夢――それは生命体が出でた瞬間、持ち合わせた最大の欲求だ。
自らの種の存続を求めて、生命は自らを維持するために行動し、繁殖し、抗争を繰り広げる。
国という大樹も一つの生命体である以上、それらの論理行動がすべて当てはまる。
『人』――『貨幣』――『土地』――『資産』――それらは全て『国』が生きていくためには欠かせない必要な栄養素だ。
ムオジネルがアニエスを襲ったのも、奴隷という名の『資産』を得て国が生命としての営みを継続させるために―――
どの国にせよ、より豊かな土地を求めて戦い、自らの後継者を守って戦い、それらは全て生命体がこの世に生まれ出でた時に刷り込まれた行動。
国によってこそ差異はあるものの、『夢』という幻想的衝動に突き動かされている点はブリューヌもジスタートも同じだ。
守るために――勝つために――
火を獲得し、鉄を溶かして槍を生み出し、やがて『銃』を作り出す時代となった今でも、フェリックス=アーロン=テナルディエはなおも求め続けていた。
もっと強く――強く――聖剣デュランダルを、竜具を超える獅子の力を――と。
それらは全て、数多の生命の種に対して勝ち残り、他者を圧倒したいがために。
鍛え上げた国力で小国を攻め滅ぼすこと。己の強さに酔うことは何よりも抗いがたいものだ。
国民国家革命軍『銀の逆星軍―シルヴリーティオ』
この地上にもはや天敵がいなくなったとしても、フェリックス=アーロン=テナルディエはさらなる高みを目指した。
それは、黒騎士を超える武勇を――
それは、戦姫を超える竜の技を――
それは、勇者の全存在を肯定する魔王の強さを求めることに、彼はずっと飢えていた。
国は大樹にして丘。しかしその案内役である『先導者』次第では、大樹に『捻じれ』を見せて思いがけない場所へ人を着地させる。
増えすぎた人口は大地を腐らせ、万物の生滅においやろうと自覚していても、なお『夢』を追いかけることをやめない。
『魔』を降したあと長い文明創造の期間を終え、竜さえも駆逐できる今となっては『人』を脅かす天敵など無いに等しい。天敵を失った人類は、『国』を互いの敵と認識し、連綿へと続く戦火は涙と悲しみを呼び求めた。
それが……『強欲』の果てに『夢』みた『人』の末路なのだろうか?
それとも……たどり着いた『丘』の結末がこうなのか?
弱肉強食もまた、避けられない摂理のひとつであった。人は己こそ優れた種だと信じ、残すことを望む。結局、それは生命体が刷り込まれた本能であるが、花を摘み取るような感覚で生命を刈り取ることが、進化の摂理であるとは言いにくい。人はすぐさま本来の姿、あるべき姿から外れてしまう。
『人を超越した力』――――
人と機械のはざまで揺れ動く、獅子王凱のように――
人と魔物のはざまで揺れ動く、ガヌロンのように――
この両者は『人ならざるもの』との戦いにおいて、非力な者にとってはまさに救世主……『勇者』だった。
『勇者』という時代の黒船のごとき存在は、外交や戦争といったグローバル化で疲弊した『国』にとって、自分たちが救われるための『手段』だったのだ。
太古の時代においては、機界文明から人類を守るために――
当時の時代においては、魔物眷属から人類を守るために――
そして皮肉にも、凱とガヌロンの肉体は、数多の戦いの末、己が肉体に数奇な機転を強いた。
彼自身が倒し続けていたゾンダーと同質の存在……『半人半機』として。
ガヌロンもまた、食らい続けてきた故に成り果てた……『半人半魔』として。
敵を喰らい続けてきた両者は、敵と同じ存在になるという、皮肉とも矛盾ともとれる丘に辿り着いた。
しょせん、人は『喰らう』ことを捨てることはできない。
文明の進化が悪であると決めつけて、古来『人』が伝統的にしてきたように、弱肉強食という自然力学に回帰することを主張する者たちもいた。
だが、一つの紡ぐ未来のために、その道を選ぶしかないとしたら、どれほどの生命が失われてしまうのだろう?
先進の栄華な文明は、古来の伝統方法では賄いきれない。またすべての技術を棄却するというのなら――――
『敵国』に――
『竜』に――
『自然災害』に――
そして……『魔物』にどうやって抗うことができるのだろう?
弱者という礎で成り立ったそれらを、その犠牲をやむなしと切り捨てることが、果たして出来るだろうか?
――目に映るすべてを救う――それ自体が、間違っているのだろうか?
目に映る人が泣き、叫び、苦しみ、愛する伴侶が地に倒れるのを、なんとしても救いたい。それ自体が、間違っているのだろうか?
より良き文明を維持し、遺産を守り続けると願ったとしても、どれが良きもので、どれが悪しきものか、判断をつけることは難しい。
ブリューヌの維新改革――
ただ生きたいと流星に願う今の時代となっては、そのような善悪の概念など、既に失っているかもしれない。
原種大戦――――ノヴァクラッシュ――――代理契約戦争――――幾度となく戦火を広げていこうとも、結局人は刷り込まれた本能から逃れることはできない。
夢――パンドラの箱――
それは無限の希望であり、無数の絶望でさえあった。
第18話『亡霊の悪鬼~テナルディエの謀略』【Aパート】
前書き
OP るろうに剣心の【1/2】です。
【数日前・ジスタート王宮・執務室】
「……謁見か」
それは、オステローデの現主、ヴァレンティナ=グリンカ=エステスからの書簡だった。
ただ、最初に思ったのは、『この時期』に書簡を届けたことだった。ブリューヌ内乱の『裏』の部分を、定期的に届けるよう『依頼』したことがある。だからこそ、定期外の書簡が手元に届けられたときは、内心穏やかではなかった。
――なるべく、人払いを願いたい。眠れる獅子は目覚めた故に――
その一文が添えられたときは、こうも思ったものだ。『来るべき時が来てしまった』ということを。
それより二日後、ヴィクトールは約束通り人払いを済ませた謁見の間で、ヴァレンティナと対面したのである。
ヴァレンティナは21歳。
青みが買った黒髪は腰に届くほど長く、身にまとった極薄の服には調色の薔薇があしらっている。膝をつき、頭をを垂れている彼女の足元には、闇竜の武具である深紅と漆黒に彩られた大鎌が横に添えられていた。
通常、王との謁見に武具の携帯など許されない。だが、例外がある。それがジスタートの戦姫たちだ。
竜具は戦姫の『化粧』の一つ。そして、戦姫を象徴するものだからだ。
そして、彼女の隣には男だろう何者かが、膝をつかず突っ立っている。男だろうと思ったのは、この人物がゆったりとしたローブを纏い、フードを目深にかぶっているため、顔がわからないからだ。そのローブは、常闇のように暗い色をしている。
ただ、その体格から長身痩躯の男だろうと思われた。
――実際には、『男でも女でもない』のだが――
「面をあげよ」
ヴィクトールは率直に問いただした。
「……眠れる獅子は目覚めたというのは、その男か。名は何という」
「名前を申し上げる前に、お顔を見せたく存じます」
ヴァレンティナはそう答え、ヴィクトールの許しを得て立ち上がる。『男』は面倒くさそうに、乱雑にフードを取り去った。現れたのは、男の顔だった。
一瞬、銀髪を覗き込んだ時は、エレオノーラと錯覚さえしたものだ。
窓から差し込める太陽の光を、まるで忌み嫌うかのように跳ね返す斬光。
竜の牙より鋭い目つきは、見るものを切り刻むかと思わせる眼光が宿っており、目測19チェート(190cm)という長身が、それらの印象に拍車をかけている。
「彼の名は、シーグフリード=ハウスマン。眠れる『もう一人』の獅子にございます」
一瞬、彼を暗殺者の類かと思ったほどだ。王を守る戦姫がそばにいるとはいえ、少しでも油断すれば殺されるような気さえしたのだ。
年老いた王は、かすかに息を飲む。
決して迫力だけに呑まれたのではない。確かに彼はハウスマンとヴァレンティナから語られた。
ハウスマン――国民国家の教祖として『王』を排斥させる思想の持ち主だった。彼こそは元凶。王を人柱とする『西』の大陸にとって、何よりも危険な人物であり、何よりも――脅威的であった。
独立交易都市の初代市長にして狂える天才。四民平等と民主主義を唱えた近代国家の第一人者。
馬を必要としない馬車――『機乗車』
遠地の景色をその場で映し出す箱――『幻影受像機』
出来事や変化の流れを可視化した器具――『懐中時計』
極めつけは、数多の奇跡を引き起こす『祈祷契約』を発見したことだろう。それらは全てハウスマンが生み出し、見つけ出したものだ。
そのハウスマンと同じ姓を名乗るからこそ生まれる不安が、王たるヴィクトールにはあったのだ。
「ヴァレンティナよ。紹介してもらえるか?」
動揺を抑えつつも、王は戦姫に問い合わせる。
ヴァレンティナはこれまでのいきさつを説明する。
紹介されたものの、シーグフリードは手持無沙汰に突っ立ったままだ。
青みかかった黒髪の戦姫は語った。代理契約戦争を。かつての英雄ヴィッサリオンを。
そして――――アリファールの行方を。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
シーグフリード=ハウスマン。
彼は第二次代理契約戦争の戦犯にして、大陸最悪の人外にして黒竜を操り、世界を滅ぼそうとした。
得手勝手でシーグフリードを生み出した初代ハウスマン。
悪魔と人間の以上交配。
そして、生殖器官を持たぬ、ごくわずかな命数。
この体にして、10にも満たない。
故に、ハウスマンの興味と好奇心はあっさりシーグフリードから離れていった。
――彼は捨てられた。
希望も興味も好奇心さえも、その身体になかったからだ。
人も魔物も、『イデンシ』と呼ばれる概念にテロメアと呼ばれるキャップが存在する。それは古い組織から新しい身体の組織に生まれ変わるたびに短くなっていき、やがて老化とともに、テロメアを摩耗したイデンシは再生能力を失う。
『成長』も『再生』も『老化』も異常に早いらしく、死期を悟ったシーグフリードはある摂理を悟った。
自身に流れる悪魔の血という、憎悪の律動。
――輪廻曲のままに殺し合う――
どのみちオレにはオレ自身がない。過去も現在も未来も――
だから憎む。目の前に映るすべてを救わんと、『殺し合う』という摂理に抗う獅子王凱とセシリー=キャンベル、ヴィッサリオンを。
特に、凱はシーグフリードにとって、最も憎悪すべき存在だった。
この世には光と影がある。
あの男はまさに光。そしてオレは影。
そのような彼はやがて獅子王凱を『宇宙』という決戦のソラへ導いた。
シーグフリードは……破滅の黒竜を駆り――
凱は……破壊の獅子と成りて――
獅子と黒竜の憎悪の輪廻曲は、奏でられた。
今でも鮮明によみがえる、語り合った存在否定の言葉。
――お前たちが……大嫌いなんだよ!!!――シーグフリードが。
――何が!!!――凱が。
――オレの前で希望を語るから!!!夢を語るから!!全部ぶっ壊してやりたくなる!!!――
――お前は!!!!お前だけは!!シーグフリードォォォォォ!!!――
――死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!死ね!シシオウガイィィィィ!!!―――
――破壊!破壊!破壊!破壊!破壊してやる!この悪魔がぁぁぁぁ!!!――
――殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!殺す!!!――
そこに余計な感情は一切含まれていなかった。
憎悪と嫌悪の輪廻の輪をくぐり――
互いに互いを破壊する。ただ憎しみの衝動に従って、原子一つ残さず消滅させたいがために――
思い返せばそんなこともあったなと、シーグフリードは回想し、今ジスタートにいるという現実へ回帰する。
「シーグフリード君……では君は『東』での大戦『第二次代理契約戦争』の主犯……その当人だというのかね?」
もう一人の眠れる獅子であるシーグフリードに、期待と不安を同時に感じ取るヴィクトール王。その感情を読み取ったヴァレンティナは、王の耳に追弁する。
「魔物や竜を『力』で飼いならす軍団長……という過去の点においては心配ないでしょう」
むしろ、もう一つのほうが心配だと言いたげだった。『心』において、彼はヴァレンティナですら掴みがたいところがあるからだ。
獅子王凱と対極の位置に座る男。その点においても、ガヌロンと同質のものと推測する。
一言に表せば残忍。
故に行いは全て冷酷。
味方にさえも及ぶ憎悪を、何人たりとも飼いならすことなどできはしない。
だが、この『│獅子と黒竜の輪廻曲≪ウロボロス≫』を遂行するには、銀髪の人物の協力が欠かせない。
国家転覆の危機を乗り越えるために、なりふり構っていられないかと、思ってしまう。
(これ以上、この場で話すことではないな――)
黒竜の代理たる王は、目前の戦姫に視線を配る。それで察したのか、ヴァレンティナが優雅な仕草で立ち上がる。同時に、王は『来賓』に語る。
「……シーグフリード君。どうしても話しておきたいことがある。来てもらえぬか?」
「――ええ」
このシーグフリードにしては珍しく、律儀な返事をした。その行為にヴァレンティナは目を丸くした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
玉座の後ろにある秘密の通路。そこは、王の命に危機が訪れた時の緊急脱出用として用意されたものだ。
かんたんなカラクリでできているらしく、複数の『歯車』をかみ合わせることで、非力な者でも剛力を引き出せることができるのだ。
今まで通ることのなかった、王族にしか伝えられていない通路の抜けし先。複雑に入り組んだ先に光の差し込めたる出口がある。3人はそこから抜け出て、外套を頭から羽織り、『待ち合わせ』の屋敷へ駆け込んだ。
ジスタート王都にて屋敷を所有するヴァレンティナの活動拠点。今頃ならば、『もう一人の戦犯』と『黒炎の神剣』が待ちかねているはずだ。
元帝国騎士団団長――オーガスタス=アーサー。
竜を、神を殺せる黒炎の剣――エヴァドニ。
揺れる馬車の中で数々の謀略を、ヴァレンティナは皮肉げに巡らせたものだ。
ジスタートの王族にしかしらない通路。遠戚であるが、この虚影の幻姫も『エステス』の姓をもつ王族である。
(確か、ブリューヌにも王族にしか伝えられていない聖窟宮の『秘密』がありましたね)
さらに皮肉。これから起こるであろう動乱は、その『ブリューヌ』と『ジスタート』の両国を巻き込もうとしているのだから。
ガタゴトと揺れる馬車の旅路も、とうとうヴァレンティナの屋敷へたどり着くことで終わりを告げた。
【ジスタート・王都シレジア・ヴァレンティナ屋敷・円卓会議室】
彼女の屋敷にある待合室へたどり着くや否や、当事者は円台の議机に座った。
ただエヴァドニだけは、シーグフリードの後ろに立っているだけで、何しようとしなかった。
「この度はよくぞお集まりいただきました。お歴々」
大鎌を背負った美女がそう挨拶の一言を申すと皆は席についた。
それは、異様な顔ぶれだといえる。なぜなら――一国の王と、かつての戦争の主犯、そして、一国の戦姫が同時に居座っているからだ。
「やれやれ、司法取引に応じてみたからいいものの、正直ここへ来るのはしんどい」
最も高齢と思われるジスタート王への嫌味をこめて、オーガスタス=アーサーはそっけなく吐いた。
その男こそ、元帝国騎士団団長オーガスタス=アーサーだ。かつて初代ハウスマンの資料を土産に現れたシーグフリードの話に乗せられ、最悪の黒竜ヴァルバニルの復活に一役買っている。
シーグフリードと同じ戦犯なのだが、この場にいる限りでは、やはりヴァレンティナ達に何かの取引を持ち掛けられたとみて、間違いないだろう。
「まったく、この部屋は独立交易都市のガラクタで埋め尽くされておるな」
オーガスタスの嫌味はなおも止まらない。
「ジスタートの戦姫たるお方が、骨董品集めが趣味とは……いやはや、ずいぶんと所帯じみた趣味をおもちのようで?」
「無駄口はそこまでです。では始めますよ」
タンタンと静粛音を鳴らし、注意を促すヴァレンティナ。彼女は議会進行役に徹するつもりらしい。先ほどの嫌味など意に介さず。
「では始めます――『東』と『西』、『ヴァルバニル』と『ジルニトラ』、『アリファール』と『エクスカリバー』……数多の輪廻が織りなす『ウロボロス会議』を」
時刻は午前11時00分。
三つの針が独自の役割を果たす『壁掛時計』が、今の置かれた事象を告げている。
そして――残された時間はあと『わずか』だということも――
数時間後―――
渡された資料をシーグフリードは読みふけっていた。特に記事の内容に興味があるわけではない。ただ、突っ立っているのも、そこの御老体たちの話も、女狐の話も飽きていたからだ。
規律的な大きさにそろえられた真っ白な羊皮紙――『複製用紙』という、独立交易都市の商品から作られたものを、何枚もすり替えながら読んでいた。
「フェリックス=アーロン=テナルディエ」
シーグフリードが厳かにつぶやく。
皆は一斉に注目を向ける。なおも言葉が続く。
「ブリューヌ国ネメタクム出身……その祖先は後名『ライトメリッツ』の豪族……維新派『テナルディエ』一族」
ヴァレンティナもまた、シーグフリードに視線を向けている。彼の推測力を見ておきたいがために――
「『テナルディエ』の一族はかつて、ジスタート統一戦争に最後まで抗い続けた勢力。過去に黒竜の化身が手にかけた政策を唯一知るのは、最もテナルディエを台頭している『フェリックス』のみ」
黒竜の化身が手にかけた政策、その言葉が出た時、ヴィクトール王の顔がかすかに歪む。
「彼が生きたまま新時代を迎えれば、今のブリューヌとジスタートは根底から覆ることは必須」
それは、ある一文を読み解いたシーグフリードの解釈だった。
すなわち――――ブリューヌ・ジスタート転覆計画
「王政府達は弱みに付け込まれ、『西』は一匹の獅子に弄ばれるだろうな。」
そしてシーグフリードは末端の一文を目で追っていく。それは、初代テナルディエに下した黒竜の化身が行った処刑方法だった。
「……『炎の甲冑』……か」
炎の甲冑とは、炎熱を貪欲なまでにため込んだ鉄の鎧たちを、罪人にかぶせる処刑方法だ。たいていの者ならカブトを被る前に、激痛で精神と肉体組織を焼かれるので息絶えるのだが、テナルディエはカブトまでかぶりおおせて絶命したと聞いている。
さらに、戦姫の『竜技』たる最強の『爪』を喰らわせたというのに――
――大気ごと薙ぎ払え=レイ・アドモス――
自分の愛した妻の手によって殺される。体と心を『爪』によって引き裂かれ――
「それでも、ヤツは生きていたというのか?」
オーガスタスは戦慄を込めた声で言う。シーグフリードは続ける。
「……亡霊……でしょうな。自分が人間であることを忘れ、復讐と憎悪の輪廻に凝り固まって―――――」
――彼もまた、ブリューヌで『炎の甲冑』
そこで、シーグフリードは言葉を切った。
「どちらにせよ、対テナルディエのカギを握ることになるのは、『ヤツ』しかいないでしょう」
「……ヤツ?」
そこで同時に、ヴァレンティナとシーグフリードはつぶやいた。
「「眠れる獅子が動けが――時代も動く」」
その言葉を待っていたかのように、秒針が動き出した。
【Bパートへ続く】
第18話『亡霊の悪鬼~テナルディエの謀略』【Bパート】
前書き
魔弾の王の最終巻が17でなく18になった……
やはりあの尺じゃ収まんねーだろうなと思いつつ、楽しみが伸びてなによりです。
ではどうぞ!
【ジスタート・王都シレジア・ヴァレンティナ屋敷・防諜会合室】
眠れる獅子……その男の名は――
「シシオウ……ガイ」
ヴィクトールは、使い慣れぬヤーファ語でその名をつぶやいた。
傍らにいる戦姫――ヴァレンティナ=グリンカ=エステスによれば、獅子王凱と名乗る人物の前に、かつての英雄『ヴィッサリオン』と同じように、竜具アリファールが出現したというのだ。
本来、戦姫たる女性にしか現れぬ竜具が、男性の前に現れるなどありえない。それがジスタート建国神話を知る人間の見解だ。
しかし、それが想定を覆す事実だとしても、目の前に告げる現実は結局のところ変わらない。
黒船来航――奏でる四曲の汽笛に『夜』も眠れず。
先進的な文明からの侵略に対し、古来の伝統工芸では対抗しきれない。だからこそ、『学者』にして『勇者』のヴィッサリオンが選ばれたのだろう。
そう――獅子王凱もまた同じように?
「そなたらは『シシオウ=ガイ』という人物を知っておるようだが、余は全く何も知らない」
先ほどから聞いている限り、周りが太鼓判を押すほどの実力があるのなら、その点なら心配いらないかもしれない。
ただ、彼の人格や生い立ちなどは、話だけで理解できるなどできようはずもない。
ヴィクトールの言葉に、シーグフリードは軽く「なるほど」とつぶやいた。
「へぇ~なるほど……なるほどなぁ~」
銀髪の人物はせせら笑う。
虚影の戦姫は、本性たる影に潜む彼の歪んだ笑みを見つけた。
それは、見つけてはならない笑み……だったかもしれない。その場にいた全員、エヴァドニ以外の背筋に悪寒が走った。
(この感覚……ガヌロン侯爵と対峙したときと同じですね)
ヴァレンティナの竜具がかすかに警告を促す。
そして――
このときヴィクトールは思った。ひょっとしたら、余は口にしてはならぬことをしてしまったのではないのかと――
「……シーグフリード。あなたは何を考えているのですか?」
「つまらんことだ。『勇者様』の実力を知ってもらうのに、どうしたらいいかと考えていただけだ」
軽く流された。
「シーグフリード」「いきり起つなよ女狐。どうせ同じこと考えていたんだろう?」
女狐とはヴァレンティナのことだ。少なくとも、シーグフリードにとって、彼女はそういう認識だろう。
――『影』という性質故に、ただ似ているから、心理を読めてしまうのだ。
とはいえ、かぞえきれない死線を潜り抜けたシーグフリードの『洞察力』をもってしても、彼女の『影』のような思考を読むことはできない。
幾重にも用意された尻尾の数。本物を掴ませないところなど特にそうだ。
故に狐。それで呼び名は十分と。
「数多の……悪魔……魔物……竜……『ヒトを超越した』それらを、躯の大地の苗にして『華』とした伝説がまだ生きているなら、直接その目で確かめたほうがよろしいかと――」
その言葉は、シーグフリードからヴィクトールに向けられたものだった。
疑うなら自身で刮目せよ。
シシオウ=ガイという人の性を。
「……話はそれで終わりか?」
ヴィクトールとしては、早く会議を終わらせたい気分だった。決して面倒などという理由からではない。そうしなければ、会話だけで心臓が持たないと感じたからだ。
「いえ、本題はこれからです」
さらに口元がゆがむ。
そのシーグフリードの言葉の意味を、全員が一瞬理解できなかった。
今度はオーガスタス=アーサーが銀髪の人物をとがめる。
「おい、シーグフリード。お前は何をしようと?」
「今すぐ案内しろ。『俺たちの戦いに耐えられる場所』をな」
アーサーの言葉を流して、シーグフリードは戦姫へ視線を向ける。
そして、薄ら笑いを浮かべながら、シーグフリードは信じがたいことを口にした。
「シシオウ=ガイ……大陸最強の『獅子王』と戦わせてもらおうか」
その宣戦布告と『前祝』に、全員が息を呑んだ。
「心配ない。ただの『夜遊び』だと思えばいい」
危険だからこそ楽しい。脱線したこの理屈を全員が戦慄した。
「オレに任せておけばいい」
言いようのない危うさを秘めた信頼が、この場の空気を凍てつかせた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
二人の戦いに耐えられそうな場所――そう告げられて、ヴァレンティナは手を顎に当ててしばし考えた。
王宮にある戦姫専用闘技場――戦姫の竜技に耐え凌ぐ戦闘領域空間を有する唯一の場所。
だめだ。そもそも今回は『極秘』の密会だ。王宮の中枢である中でそんなことをするなど論外だ。『人』の集まる場所で戦わせるなどできない。
ならば、『人』が立ち入れない場所はどうだろう?
例えば――――――――ルヴーシュの『ザガンの神殿』や『バーバ=ヤガーの神殿』は?
築何百年にもなろう建造物……物質の劣化や地盤沈下が気がかりだ。
だが……もし、彼ら二人の実力が本物なら、『天変地異』など何ら問題など無いはずだ。
多少環境において不利であろうとも、それで倒れるなら『力不足』と判断するまで。大切な勇者といえど、彼女は目的を達成するためならば、犠牲という手段に何のためらいもなかった。
凱を生贄にする。今まで夢を見てきたものが、野望と成り果てたとしても――
(問題は、どうやってガイを誘導するかですね)
さらに考える。他者にも間者にも知られないで、ガイに接触を図れないものかと。
使者を遣わす方法では駄目だ。一体何日かかるか読めたものではない。そもそも凱の行方をこちらは知らないから、この方法は論外だ。
多目的通信用玉鋼――大気中に含まれる『霊体』を介して通話を確立させる道具はどうだろうか?凱の言い方だとそれは『GGGスマートフォン』と呼ばれるものだ。
……いや、これも無理だろうと判断する。彼は異端審問の際に獅子篭手もろとも剥奪されている。おそらく多目的通信玉鋼も例外なく取り上げられているはずだ。
しばし考察の中、抱えていたエザンディスが微かな紫の光を放ち、主たる彼女の意志に訴える。「自らがアリファールに接触してみる」と――
(……エザンディス?)
それは、竜具同士の掛け合いみたいなものだろうか。存在する意志たちの疎通を可能にするそれは――
『超越意識同調現象』なのか――
『超越精神感応能力(リミピット・チャンネル)』なのかは分からないが――
初めて感じ取った竜具からの『意志』を、ヴァレンティナは静かに受け止めてみた。
――――――――ガイ。
ぽわりと――エザンディスの宝玉に『晄』が灯った。
(……彼はいま『ディナント平原』にいるのですか)
エザンディスが凱の現在位置を教えてくれた。正確には、アリファールの位置なのだが。
そして同時に、凱の行動を一通り把握することができた。
『治水』から始まる戦いはやがて『銃火』へ、時代の律動の裏側へ回帰する。
壊滅寸前の『銀の流星軍・シルヴミーティオ』へ介入したこと。それについては想定できている。戦姫がまだ会得できていない『竜技』の数々を、ディナントの戦いで披露したことも。
(流石はガイですね。『自然現象たる竜技』の根源は、自然力学の『知識』ということを察しています)
エレオノーラと同じ戦姫であるヴァレンティナは、ある程度『銀閃』の竜技を知っていた。
風影と│大気ごと薙ぎ払え≪レイ・アドモス≫の二種類のみ。
――既存のアリファールから凱は竜技の目録を引き出した。
それは、いつでも演奏できるよう準備されていた『曲名』かもしれない。
『銃』という未曽有の兵器を前にして、凱は敵と味方の識別攻撃を可能とする竜技を放ったのだ。
それは――敵の軍勢を押し返し、味方の士気を吹き返し、仲間と呼吸を合わせる、『竜の息』たる風華だった。
大気断熱圧縮から生み出される流星。逆星に与した咎人に、裁きの流星を降り注ぐ勇者。
獅子の『心』と竜の『技』が合わさりしこそ、本当の『力』となる。
次の視界へ切り替わる。
―バートランさんが……死にました――
一幕――ティッタと呼ばれる少女が、嗚咽を漏らして凱の胸元へ泣きついたところで、ヴァレンティナの視界は途絶えた。
一体どういうことか?エザンディスは『幻』となった過去をさかのぼり、主に映像を送り込む。
視界の隅に、『そうとなった』と思われる『黒幕』が目に映る。
黒き弓を引き絞り、『力』を一転に集中させている若者と――
『アリファール』に酷似した金色の剣を持ち、一人の老人の首を締めあげて、盾にしている公爵――
二人が相対していた。
――テナルディエ公爵!早くバートランを離せ!――
――そうだ!ヴォルン!よく狙え!私を倒したくば、この『そば仕えの老人』ごと打ち抜くほかないぞ――
――バートラン!――
――どうした!?ヴォルン!撃て!撃って見せろ!――
――(……出来ない!俺がバートランを撃つなんて!)――
――やはりそうか!震える『黒弓』を見る限り、結局貴様はそうなのだ!ヴォルン!――
――俺は……俺は!!――
――逃したな!この老人が『生きている』間が、私を撃てる勝機だったのだ!――
――……どうして!こんな!――
――いいか、ヴォルン。犠牲のない『戦争』など…………無い!――
次の瞬間、ティグルの中で何かが『はじけた』
『幻想』の記憶に包まれた感覚にさいなまれて――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――ティグルヴルムド……お前はティグルヴルムドだ――
それが……ボクの……な……ま……え?
――そう、あなたはティグル――
ボクは……ティグル?
――わたしのティグル――
あなたの……ティグル?ボクは……
――かわいいティグル――
ティグル……ティグル……それが……ボクの……ナ……マ……エ?
それは、この世に生を受け、産声を上げた時の小さな記憶。
ティグルヴルムド。まだ歳を重ねていない幼子の頃の記憶である。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――ティグルヴルムド――
父さん?
――さあ、耕してみろ――
そう言えば、こんなこともあったっけ?
父さんから渡された鍬で、言われた通り耕したら、手がマメだらけになって僕は根をあげた。
――彼らは毎日のように畑を耕している。どんな時でも生きるために、皆やっている――
僕だって狩りをしているよ。この前なんか、こんな大きな鹿を仕留めたんだ。
――ティグルヴルムド。そなたの技量は今の歳を考えれば見事なものだ。しかし、生きる為に狩りをしているのではないのだろう――
う~ん?よくわからないや?幼い頃の自分はそう答えた。
――なら、どうして、お前が、私がそれをしなくていいのか、分かるか?――
偉いから。僕は父さんの息子だから。そう答えたんだっけ?だってホントのことだもん。
怒られるかと思った。叱られるかと思った。でも、父さんはちゃんと理由を教えてくれた。
――いいか、私たちはいざというときの為にいる――
いざ……というとき?
――そうだ。彼らが解決できないことが起きた時、解決できるように努めるのが我々の仕事だ。――
でも、そんなことは……あんまりないんじゃ?
――ひとが多く集まれば、それだけ揉め事が増える。責任も大きくなる。このアルサスは小さいこともあって平和だが――
暖かい父の手が、ポンと僕の頭に置かれる。
――ノブレス・オブリージュ――
ノブ……レス……オグ……ジュ?
――先ほど、私の問いに対して、『偉いから』と答えただろう。それは間違ってはいない。だが、偉いから、偉くある為には相応の責任が伴うのだ――
???よくわかんないや。
――今のお前にはまだ難しいかもしれんが……忘れるな。ティグルヴルムド。主とは、領主とはそのためにいる――
朧けに映って消えた記憶。母ディアーナが息を引き取った1年後、ティグルがまだ10歳の頃だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――どうしました?父上、大分お疲れの様子ですが……――
山へ狩りに行ったとき、俺は地竜と遭遇し,倒したという出来事を父に話した。
あまりの鱗の強度と巨大さ故、証拠を持ち帰るに事が出来なかった。だが、父は戯言に過ぎないと思われる俺の言葉を、あっさりと信じてくれた。
幾重にも罠を張り、地形を利用して、牙を、爪を封じて。
地竜の鱗は固い。この地上の物質とは思えない程固く、矢を全く通さない程に。だが、――鱗の隙間――を狙えば心臓を貫けるはずだ。
その読みは矢と共に的中し、60チェート~70チェート(6~7メートル)もある地竜を倒したのだ。
――……ティグル。その年で地竜を倒したとは大したものだ。だが、それだけに……弓を侮蔑するブリューヌがお前を受け入れるには、まだ幼いのかもしれん――
――父上?――
――ブリューヌと時代はお前の力を危険と感じるだろう。先祖から頂いたお前の名前は、ブリューヌ語で『革命』を意味するのだ――
――父上!――
不安の兆しが現実味を帯びてきた時、ティグルは理解するしかなかった。
少年はやがて「僕」から「俺」に変わった。
くすんだ赤い若者が大人へ近づく、13歳の頃の記憶だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
――すまない。ティグルヴルムド。お前……と弓を外の世界……へ出してやるのに、時間が足り……なかったようだ――
――父上!?―― ――ウルス様!?――
――ティグルヴルムド。その黒き弓……は時代を勝ち……取る力がある。だが、今それを……解放するわけ……にはいか……ないのだ――
――父上!俺はこの『弓』の力を正しきことに使います!希望の為に!――
――ああ、もちろん私……もそう信じている。ティグルヴルムド。お前の……その正しい心を持ち続ける事。民を守る……優しい心を持ち続ける事。ブリューヌ……の人々が、世界が……そう願う事を――
――父上!?――
――あとは……頼んだぞ。バ……ートランさらばだ。ティグルヴルムド……――
――父上……父上ぇぇぇぇぇ!!――
【記憶で弾けた弦の音が――黒き弓の『力』を呼び覚ます!!】
残酷なことに、一人の老人の生命と引き換えに、己が力を覚醒させた未来の英雄。
ただ、あまりにも犠牲が多すぎた。
そして――そして――そして――!!
(ぐっ……この私の『左腕』を吹き飛ばすとは!)
だが、不思議なことに、吹き飛ばされたという屈辱と苦痛は微塵も感じていなかった。
フェリックス=アーロン=テナルディエは歓喜に打ち震えた!
――これだ!この瞬間を待っていた!――
――黒き弓の『魔弾』!ブリューヌの新世紀を告げる『暁』となるだろう!―――
――そうだろう!ヴォルン!これで終わりではない!ここから始まるのだ!――
虚空を貫く魔弾を放った未完成の英雄は、立ったまま気を失っていた。
ここで映像は途絶えた。
(そう……でしたね。勇者が動くには『命令』ではなく『理由』が必要――)
ヴァレンティナは決意した。
民衆が『英雄』を求めたように、時代が勇者を欲するなら、『今まで影に隠してきた真実』を話すべきだと――
それこそ、ジスタートの栄華の裏に、数多の犠牲を払ったものたちの怨念。
目に映る人々が泣き、愛する伴侶を贄にささげた、闇から影へ葬ったものたちの魂。
永遠の輪廻に、目指すべき『丘』に辿り着けなかった『まつろわぬ星』……逆星の迷い子たちよ。
――ああ……神よ。
我らは『星』に何を願えばいいのか、わかっていないのです。
――そして2日後の夜。
早速ヴァレンティナは竜技『虚空回廊』を展開。エザンディスを袈裟斬りに一閃すると、並列空間が出現する。紫と漆黒が淀み交わるそれらを皆は通過していく。
運命の邂逅は近づいている。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――――そして現代へ回帰する。
ヴィクトールとの対面。
当初、フィグネリア――フィーネは年老いた人物の顔を見るや、憎まれ口の一つでも叩いてやろうかと思っていたが、ジスタート王を前にして、その気勢はそがれてしまっていた。
物静かな、知性的な面持ちで、体力や武力は人並以下かもしれない。
少なくとも、凱やシーグフリード、その女ヴァレンティナはおろか、自分にさえ及ばないだろう。
短剣一振りで、ジジイの腰を抜かせる自信はある。瞬きより早く倒せる自信も。
だが、できない。
目に見えぬ、『王』として賄われた威圧感が、見るものを圧倒していたからだ。
(これが……一騎当千の戦姫サマの『唯一』上にたつ王としての貫禄ってやつかい?)
怪訝な瞳で、フィーネは王の姿を見据える。脇から凱がやんわりとあいさつをする。
「初めまして。貴方が……ヴィクトール=アルトゥール=ヴォルク=エステス=ツァー=ジスタートですね」
「ガイ?あんた知っていたの?」
少し拍子抜けしたような声を上げるフィーネ。
「我が国の戦姫……虚影の幻姫から君のことは知らされていた……もっと早く会いたかったのだが、ブリューヌ内乱の進捗や、『もう一つ』の案件で忙殺され、そうもいかなくてな」
虚影の幻姫とは、ヴァレンティナ=グリンカ=エステスのことである。
独立交易都市~オステローデ~そして、バーバ=ヤガーの神殿で、この二人は再会を果たした。おそらく、この『会合』も彼女の差し金なのだろうか?
「アリファールを介して俺を呼んだのは、もう一つの案件についてですか?」
勧められながらも、凱は腰を下ろすことなく、問いかける。
余計な気遣いは結構、用件のみを伝えてほしいという意志の表明なのだとヴィクトールも察したのか、僅かに目を瞑ると、言葉を探すように思案する。
「察しがいいな……ならば、単刀直入に話をさせてもらう」
凱のヴィクトールへの第一印象は、無駄を嫌う、寡黙で実直な気質。その印象は、かつてリムアリーシャがエレンから聞いたものだった。
戦姫の主たるジスタート王の性質は当たらずも遠からず。ブリューヌ内乱の突発的な介入にもかかわらず、返事を寄こさないブリューヌへ戦姫のソフィーヤ=オベルタスを使者として遣わしたくらいだ。
そのような王たる男が口にするのを躊躇するような……案件。
それだけで、事態の重要さが伝わる。
「フェリックス=アーロン=テナルディエが暗躍している」
凱の瞳がかすかにすぼまる。
「テナルディエって……ヴォルン伯爵とかいう貴族と対立しているっていう……『銀の逆星軍・シルヴリーティオ』の総大将?」
尋ねるフィーネに、ヴァレンティナが感情を押し殺したような声で返す。
「ライトメリッツの……まつろわぬ民の末裔です」
「なっ……!!」
「なんだって!?」
凱とフィーネは声を思わず荒げた。
以前フィグネリアは傭兵として渡り歩いていた『根無し草』だったころ、テナルディエ側に雇われていた時期があった。
その雇い主は信頼に値するか、そうでないか、それ次第では戒める必要があるか、彼の経歴も含め丹念に調べ上げた。
だが、テナルディエ家がジスタート公国の一つ、銀閃アリファールが主、エレオノーラ=ヴィルターリアの治める『ライトメリッツ』の末裔だという話は、一度も耳にしたことがない。
「知らずとも無理はない」
王の発した言葉のそれは、『むしろ知っているほうがおかしい』と言わんばかりの口ぶりだった。
「今一度聞くが、シシオウ君。そなたはテナルディエ公をどこまで知っているか?」
「貴方達を前にして『知っている』だなんてとても言えません」
戦慄を込めた声で凱が告げる。「名前くらいは」などという軽い言葉を交わしていいはずがない。
そして懐に手を入れて、ヴィクトールは一枚の紙きれを凱に差し出した。
「……これは写真?」
「その通り。シャシンに写りし男こそ、フェリックス=アーロン=テナルディエだ」
『鬣』――そう一言に尽きる獅子の如き髭。
壮年に入っているにも関わらず、衰えているとは思えない『眼光』。
人間の手で描かれたとは思えない肖像画を、フィーネは感嘆のため息をつきながら、凱の脇からのぞき込む。
「そんな奴だったとはね……ガイ、あんたは会ったこと……いや、ないか」
「俺もティグルやマスハス卿から話くらいしか聞いたことがないけど……君の様子を見る限り、フィーネは一度会ったことがあるみたいだね」
「まだ20になる前のころ、ある戦場でテナルディエ側に雇われていた。『とある傭兵』を討ち取れと――」
凱の察しに及ばないほど、フィーネの感情に陰りが生じる。彼女が口にした『とある傭兵』とは一体誰のことだろうか。それは今口にすべきことではない。
ともかく――
この案件の中心人物たる凱は、まだテナルディエ本人に会ったことがない。そのためにわざわざ『写真』という特殊な皮羊紙まで渡しているじゃないか。
それを裏付ける反応は、凱自身が示している。
そして、王の言葉は再会される。
「でも……一体どういうことですか?ライトメリッツの末裔といっても、それがジスタートとブリューヌに何の関係があると?」
尋ねる『勇者』に、『王』は無言で、僅かに目を伏せる。
「そうですか。おそらくテナルディエ公爵の祖先と黒竜の化身の間に、俺たちには図り難い『因縁』があるようですね」
それも、長きにわたる――とは付け加えなかった。
沈黙を破るように言葉を紡いだのは凱だった。語るのがつらいと察したのか、王の心理を代弁するかのように――
凱とて、それが本当かどうかわからない。ただ、『場に存在する意識』を感受して、王の心理をそれなりで考察したに過ぎない。凱の持つ能力リミピットチャンネルだ。
今より真相が語られる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
今より300年前――
初代テナルディエ一族。ジスタートがまだ領土統一の為されていない『丘』だったころ、台頭した勢力を唯一保有していた。
たった一人……たった一人で、『集落』というちっぽけな『丘』を『国』にまで発展させた男。
それとは別に、各地では紛争やまぬ環境に一つの変化が訪れた。
滅亡――拡散――併合――国が形を変えていく過程を得て部族が30程度になった時、一人の男がフラリと現れた。
『黒竜の代理たる私を王として従うなら』勝たせようと告げてきた。
七つの部族のみが、その言葉を信じて付き従った。
「その人物が、黒竜の化身というわけですか」
「黒竜の代理……その意に従わぬものは『力』を以って平定する……あの荒んだ時代ではああするしかなかった!」
凱が戦慄を込めた声でつぶやき、ヴィクト-ルが苦々しい表情で告げた。
食料問題。人の吸う大気ですら、『力』という名の法律で管理する。そうでなければ、すぐさま人は大地をむさぼり、新鮮な大気さえもほおばり続けるだろう。
まだ混迷とした時代と環境の中で集団が生き残るには、それしか方法がなかった。
国も一つの生命体である以上、やはり必要な栄養素を求めて戦いに赴く。
『人』――『貨幣』――『土地』――『資産』――追い求める『夢』を目指していくには、欠かせないものたち。
オステローデは国そのもの『在庫』として。
ルヴーシュ、レグニーツァは海から得られる『食料』を求めて。
ブレストは草原を有した『放牧』をさせて。
ポリーシャは往来の特化した『大蔵』として。
オルミュッツは雪原のもたらす『防壁』を与えて。
そして、七つの部族が最後の戦略として選んだのは、豊かな『食料』を有する『ライトメリッツ』だった。
ほぼ完全に包囲された『ライトメリッツ』に、勝ち目などありはしなかった。
七つの竜具を与えられた戦姫、海原のような騎兵に歩兵、このような大軍に抗うなど考えられない。
一つの疑問に感づいた凱は質問をしてみた。
「どうして……テナルディエの一族は最後まで抗い続けたのですか?」
「女です」
ヴァレンティナの言葉の意味がわからず、凱は思わず目を見開いた。
初代テナルディエの降伏を黒竜の化身が認めなかったのか――
それとも、徹底抗戦を唱え続けてきたのか――
「そのあたりを……詳しく教えてくれないか?ティナ」
我ながら、ずいぶんと無粋な質問だと思う。祖先に対するある種の『墓あらし』ではないかと。
しかし、過去の怨念たちが今の内乱を招いているとなれば、もはや気遣う余裕などない。
「開戦前、黒竜の化身がライトメリッツのテナルディエに取引を持ち掛けました」
「取引だって?」
「テナルディエの傍らにいた『妻』……その人を黒竜の『妻』として差し出すなら、救ってやると」
初代テナルディエの妻は、万人の心を灯らせるような美しい女性だった。
彼女が抱く豊かな夢は、それほど人々に飢えをもたらさなかった。
彼女の励ましが、彼女の意志が、彼女の願いが、何度も絶望しかけたライトメリッツの民に暖かい『夢』を与え続けていた。
その素質は、『理想世界を先導する超越者』そのもの。
皆にとって、それは象徴であり、希望であり、すべてであった。
そのような国に「その女を妻として俺に差し出せ」と言えば、当然『総意』として怒り狂うだろう。
「だが……結果はライトメリッツの敗北に終わった」
話りの成り行きから既にわかりきっている結果を、凱はつぶやいた。
「ただ攻めて滅ぼしただけなら、禍根は今の時代まで残らなかったかもしれません」
「それは一体……」
「ライトメリッツ…………いや、テナルディエ家と黒竜の因縁はここから始まったといってもいいでしょう」
彼女は語った。たった一人になるまで抗い続けたテナルディエの『末路』を。ライトメリッツはよく戦っていたが、いかんせん戦力が違いすぎる。敗北するのは目に見えていた。
当時に掲げていた正義の熱も、現実を見せつけられ、徐々に冷めていった。
その中で、初代テナルディエは告げた。『降伏するのも自害するのも、お前たちの好きにせよ』と――
無論、降伏を進めたのは民だけではない。その妻にもだ。
いや、これは勧めたのではない。『服従』させたのだ。
『血統』ではなく、『総意』で指導者を選ぶライトメリッツの民は、最後まで王に従うだろう。
だから、命令したのだ。降伏か死か二つに一つだと。
こうして、ひとりぼっちの『王』となったテナルディエは、黒竜の化身は『勇者』として一騎打ちに挑んだのだ。
結果は――――黒竜の化身の圧勝だった。
黒竜の化身は、侵略戦争の過程で失った銀閃の主の代わりにアリファールを振るっていた。
陣頭で銀閃を振るうさまを見て、彼を『勇者』にして『王』――すなわち『勇者王』と呼ぶものさえいた。行いこそ『大魔王』だとしても
その黒竜の化身は、すぐさまテナルディエの生命を奪わずにして公開処刑を決行した。
――それは、竜具アリファールに『選ばれた』テナルディエの妻の手によって、彼を断罪するものだった――
『炎の甲冑』という方法を加えて、特に――念には念を入れてではない。
影も形も無かったように、初めからテナルディエという男がこの世にいた事実そのものを、抹消しようとしたのだ。
全ては『王』に跪き、『王』を守り、王の為に戦うことだと忘れさせぬために。
そして、元テナルディエの妻だった人に向けて厳かに告げる王の言葉は――
「お前はたった今より、『戦姫―ヴァナディース』だ」
この瞬間、最後の栄養素たるライトメリッツを征服したことでジスタート王国は確立されたのだ。
ただ一つ、永遠に消えない『焔』のような禍根を残したままで――
黒竜の化身の影は、人ではなく竜のそれに見えた。
――俺を『王』として、『勇者』として、『魔王』として従うなら、永遠の理想世界を約束しよう――
――俺は黒竜の化身にして……『理想世界を先導する超越者―アンリミテッド』だ――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ヴァレンティナ=グリンカ=エステスは語りきった。ライトメリッツの……ジスタートの真相を。
そして凱の脳裏に繰り返される、黒竜のあの言葉――
――俺は黒竜の化身だ。俺を『王』として従うなら勝たせよう――
「王――」
その言葉をつぶやいたとき、凱の全身に戦慄が走った。
他の『自然力学』に追随を許さない竜の最高位の存在。
すなわち、自然界の『王』として。
『銀閃』――
『凍漣』――
『光華』――
『煌炎』――
『雷禍』――
『虚影』――
『羅轟』――
それらの『力学』を『魔』の『力』で従える『魔王』なのか。それとも――
黒竜の化身とは――
自然原理を体現するために行動する黒竜の『眷族』もしくは『使者』なのか――
あまりの壮絶な話の内容に、フィーネは言葉を失いそうになった。
だが、それでもテナルディエは生きていたのだ。愛する女性を失いながらも、ただ『血』を残すために、女性とつながり続けて今に至る。
『イデンシ』とやらに、復讐の血を残して――
「ヴィクトール陛下……彼の……テナルディエの目的とは?」
凱の問いにヴィクトールは重々しく答える。
「テナルディエ家の代々の目的は、ブリューヌとジスタートの王政府転覆――二つの国を二つに分かつ復讐戦争を起こすことだ」
ブリューヌとジスタートが20年ぶりに事を構えた『ディナントの戦い』は、いわば外交上の延長だった。
だが、それは両国の端で起こった戦争。しかも、お互い『治水』について責任を押し付け合ってきたが、国の転覆まで臨んだわけではない。
もし、ヴィクトールの言葉が現実のものとなれば、数百年の年月を得てようやく癒えた――いや、カサブタが張り始めた国々は、かつてのジスタート建国のように、再び革命戦争の頃の混沌へ戻る。
それどころか、下手をすれば建国神話以前……、血で血を洗う、『人』と『魔』の抗争時代にまで戻りかねない。
お互いを認めぬ者同士が際限なく争う――悪意に満ちた時代が。
――獅子と黒竜の輪廻のごとく――
「ブリューヌとジスタートの民の為に……どうか動いてくれないか?シシオウ君!」
ヴィクトール陛下の要件とはたった一つ――獅子王凱への『フェリックス=アーロン=テナルディエ暗殺依頼』だった。
「………………俺は……………」
話を聞き終えた凱は、じっとうつむき、何かを考えるような、もしくは何かの苦痛に耐えるような顔をしている。
「ふん!……気に入らないね!!話を黙って聞いていれば、全部あんたらの始祖サマがやらかした『悪事』が原因でしょうが!その黒竜の尻尾斬りをガイにさせるなんて!虫が良すぎるんじゃないのか!?」
代わって、フィーネがたまらず声を上げた。
「我が国が誇る一騎当千の戦姫は生死不明!銀の流星軍は事実上壊滅!もはや事はブリューヌ国内だけでなく、ジスタート存亡の危機なのです!」
ヴィクトールに変わり、ヴァレンティナが怒鳴り返す。儚げな印象を持つ彼女からは想像もつかない態度だった。
それだけ、事態は切迫しているのだろう。迫る時の中で残された猶予はないのだと。
間接的とはいえ、エレオノーラ=ヴィルターリアのブリューヌ介入に、ヴァレンティナも一役買っている。
自分たちでテナルディエを止めることが叶わず、異端者にして流浪者となった勇者に頼らねばならないことを屈辱に感じているのだろうか。
いや、むしろ『私にとって大切な勇者様』を差し出さねばならない現実に対して、憤慨しているのだろうか。
「薄汚い『国』なんざ!いっそ『猛火』で滅んじまいな!もっとも!普通に暮らす人々に迷惑がかかるのはいただけないがね!」
しかし、フィーネも譲らない。
「『国』がなくては、『民』の安寧と平和はありえないのです!」
「それがあんた達『先導者』の驕りだっていってるんだよ!」
フィーネの言う先導者とは、戦姫、王をはじめとした『人の上に立つ人間』のことだ。
「あまりふざけたことを仰るのでしたら、『不敬罪』で死刑にします!」
「殺れるもんなら殺ってみろ!戦姫サマ!」
ついには互いの武器を突きつけ合い、二人を罵り合いを始める。
「よさぬか、ヴァレンティナよ」
「フィーネもこの場は納めてくれ」
ヴィクトールと凱、それぞれに刺されて、二人は忌々しそうに手から武器を離した。
「これだけ重要なことだ。すぐに答えを出してくれとは……「分かりました、この件お引き受けします」……何!?」
何日か考える時間が必要だと思っていたヴィクトールは、凱の思わぬ返答にわが目と耳を疑った。
「ただ俺は……黒竜の化身たる『代理』として、ブリューヌ内乱に介入するつもりはありません。『目に映る人々を救う勇者』として、この件を引き受けたいと申します」
「どういうことなのだ?」
「ブリューヌの『覇』をかけた戦いは、どうしてもブリューヌの人の手で決着をつけなければなりません」
竜具を得た凱の力は、たった一人で国を滅ぼすことも出来るだろう。
だが、それでは国は続かない。生命さえも、そのような恐ろしい力を持ったものに、誰がついてきてくれようか?
「目に映る人々を救う……シシオウ君。君が考えている以上に、それは過酷な『道』なのかもしれんぞ」
「分かっています。俺はその理想の為に、何度も悪夢を見てきました。多分、これからも見るでしょう」
「それがわかっていて、君は引き受けるというのか?」
「はい」
勇者の返事に迷いがなかった。
「現実に全てを救えなくても……一人でも救えることができるはず。それが俺が勇者と信じる『道』だと思いますから」
『道』を信じて進むことこそ、『夢』に近づけると信じて、凱は今まで戦い続けていた。
彼の正義を否定するもの。彼の信念を否定するもの。
それは、これからも続くだろう。
「これしか……俺の生き方は見つかりませんから」
凱の儚げな表情をみたヴィクトールとヴァレンティナは、急に胸を締め付けられるような感覚を覚えた。
我らが夢見た勇者の姿。それが幻想となって消えていくような――
そこで王は一度目を瞑り再び開く。
「話してもらえぬか?この袋小路の状況を打破する『策』を」
王の問いに勇者は静かに返答した。
「考えていることは……いくつかあります」
NEXT
後書き
予告
「ティナ――――君にとって任務かもしれないけど、俺にとっては大切な幻想だと思ってる!俺はそう信じている!」
「現実を壊すことよりも、幻想を創り出すほうが、はるかに難しい。そういうことですよ。ガイ」
「王は勇者の為にある……か」
「……アルサスに『燃える水』が?」
次回、『剣の時代が終わる時~ナヴァール騎士団全滅!?』です
第19話『剣の時代が終わる時~ナヴァール騎士団全滅!?』【アヴァン】
『彼』――ロランはただ、時代と共に生きて行きたいだけだった。
騎士達を束ねる『団長』として、部下を見捨てるような、無様な『敗北』……ディナントの戦いで醜態をさらした、ザイアン卿のように自分だけ逃げるなど。
民を守ることを至高とする『彼』には、見捨てることなど、絶対に許せないことだった。
あの時、陛下に忠誠を誓った日――――
いかなる時代であろうとも、使命を課せられた騎士達は、気高き精神を己が『剣』とし――穢れなき不屈の魂を我が『盾』となりて、力無き者たちを守り抜いてきた。
だが――国という得体のしれない組織の中で、『目に映るすべてを救う』ことはできない。
彼らは王の承認にのみ動ける。故に 、王の言葉でしか動くことができない。
守りたくても――
助けたくても――
命令がなければ――
命令さえあれば――
騎士団とはいえ、所詮は駒にすぎない。戦場という盤上に、王を守る為だけに動く――
分かっていた。騎士の洗礼を受けた時からずっと――
それでも、騎士も生きた人間だ。迷い、戸惑う『心』を持っている。
ロランが……騎士達が時代に求めるものは、この胸に宿した『星』という命を燃やせる戦いの場。
戦いに明け暮れ、戦いのみ知る。
『民を守るために』育て上げた部下たち……己が仕込んだ聖剣技の使い手たち。
こいつらと共に……ブリューヌを削り取っていくネズミ共から、郷地を守っていける。
それで十分だと思って いた。
陛下の敵を殲滅する――
一兵たりとも残さず斬り捨てる――
それらの信念が、陛下と民を守ることにつながると信じて、ロランは|不敗の剣≪デュランダル≫を振るい続けてきた。
民を守るという、同じ正義を辿る『ティグルヴルムド=ヴォルン』と相対するまでは――
脳裏によみがえるは、テナルディエ公爵とガヌロン公爵の言葉。
――売国奴ティグルヴルムド=ヴォルンを反逆者として討伐せよ――
――そして、国内を蹂躙するジスタートを一掃してほしい――
いかなる理由であれ、陛下の許し無く他国の人間がいる以上、足を踏み入れることなどさせない。
……しかし、反逆者とはいえ、民を守るために戦う弓使いの少年を討つことが、本当に正しい命令なのか?
ヴォルン伯爵の義に応え、兵と力を貸し与えたジスタートを殲滅することが、果たして行うべき命令なのか?
命令の是非を問うことは、自分の役目ではない。自分は陛下の敵を殲滅する騎士の一人だ。
分かっていても、迷いは振り切れない。『銀閃』と『光華』の二つの『呪術の嵐』を抜けた先の、たった一本の『矢』。
魔弾と不敗~二人は互いに心へ問う。
心をさらけ出した宝剣の輝きと、魔弾の一念。
ヴォルン伯爵の放つ、大気の中を奔らせた『魔弾』が、その目にありありと浮かんだ『正義の矢』がロランの胸を差し、静かに問いかける。――ロラン。お前の信じる正義は、何なのかと。
天上を見守る神々は何を思って、俺とヴォルン伯爵を 戦わせた?
民を守るために、宝剣を授かった。
その授かった剣で、俺の本当に斬り伏せるべきものは何なのだ?
俺は今……何を斬り捨てようとしているのだ?
――守るために!!!!――
ロランは衝動に突き動かされるように、『不敗』を以って『魔弾』をねじ伏せた。
結果――ロランの肉体は降伏を宣言した。腕が上がらんと。
迷いを捨てきれなかった結果がこれか。
だが、心のどこかで、迷いの晴れたかすかに、晴れたものさえも感じていた。
強すぎる信念は、己が心を『盲目』にしてしまう。異なる正義を持つものを、殲滅するまで戦いをやめはしないのだから。
迷いは、己にも同志にも『死』を容易にもたらしてしまう。しかし、迷うからこそ、いくつもの未来の 可能性へ気づくことだってできる。
そう――ヴォルン伯爵を反逆者にしたのは誰なのか……を――
初めての敗北という、このような結末に辿り着いたこと……裁定に無慈悲な女性、断罪の女神の下した審判なのか?
『デュランダル』――既に正義を疑いつつある自分にとって、この宝剣の名はあまりにも矛盾している。
結局、自分は何をしてきたのだろうか?
奸計な敵の言葉に耳を傾けず、ただ一刀のもとに斬り伏せる。宝剣の輝きに目が曇り、幻実ともに盲目となっていたのだろうか?
本来であれば宝剣の輝きは、守るべきものをほのかに照らす『晶光』でなければならないはずだ。はずなのに――
守るべき何かが見えていなかったのだろうか?
敵の甲冑を、盾を 、剛剣を砕くデュランダルを以てしても、『目に映らない』ものを斬り捨てることはできない。
なおのこと、オリビエから聞きした『勇者』の存在に、別種の尊敬さえ抱いてしまう。
――シシオウ……ガイ――
政敵ガヌロンと敵国ジスタートをけん制する目的で、アルサスを焦土とせしがたん為に動くテナルディエ軍三千を、たった一人でを迎え撃った勇気ある青年の名前。
打算がないから、益を求めることもなく――
情に深いから、理由で動くことができる。ただ「助けて」という、難しい理由などいらない声で――
騎士として完璧なのだ。その男は。
その男……ガイと同じように、気高い精神の元で、『民を守る』為に戦いたいと願った。
戦いを望まずとも、騎士の本懐を遂げ るその時は必ず来る。
待った甲斐あり――訪れたのは、ムオジネルの『飢狼』共。
ヴォルン伯爵を取り計う為に、陛下に謁見するのを狙ったかのように飛び込んだ、火急の知らせ。
ガヌロンの思惑はどうだか知らないが、公爵はこう告げた。
――陛下の心を病ませ、民を苦しめるムオジネルの飢狼どもを一掃してほしい――
西の『末端』に防衛拠点を敷く彼らにも聞こえ、全くもって不愉快極まりなかった。
民を奴隷とし、それも『薪』程度の認識しか持ち合わせておらぬ外道の連中に、屈するわけにはいかない。
アスヴァール、ザクスタンの守りを放棄してまで、ロランを向かわせるガヌロンの意図は読めない。
だが、今こうしてムオジネルにブリューヌの大地を蹂躙し ようとしている現実がある限り、戦わねばならない。
誇りと意地と精神のワルツが、己が律動が理性を許さない。
――すまない。オリビエよ――
情勢を見極めるに長けたお前の瞳からすれば、愚かな選択かもしれんな。
だが――
その衝動に従ったのは正しき選択だった。
くすんだ赤髪の弓使いの少年の姿――その背中を守るのは、青髪の槍を振るう少女の姿。
ロランの魂は熱く震えた。
オーランジェ平原でのヴォルン伯爵の言葉。
――ブリューヌの民を守るために、あなたの言う『侵略者』と戦おう――
一騎打ちの直前に告げた言葉に、嘘偽りなど無かったのだから。
とはいえ――
戦況の旗色がかなり悪い。
兵力の物量に適ったムオジネルの戦術が 、援軍として駆け付けた『流星の騎士団』を圧壊しようと攻め立てる。
彼らはよく戦っているが、兵力を向こうに回して、いずれ追い込まれるのは目に見えている。
――――ヴォルン伯爵
貴殿は何を想い、その弓弦を引き続け、戦い続ける?
叛逆者である貴殿が……?
目前ではめまぐるしく入れ替わる敵と味方――自分が討つべき敵はもはや明白だ。
この日、後に『オルメア会戦』と呼ばれる戦いの中で、互いの信念を認め合った。そして確信した。
――そうだ。ともに戦う『勇者』たちがいれば、どのような敵がこようとも、決して負けることはない――
――この『仲間』たちさえいれば……――
辛くも勝利して、再び西方へ帰還する我らは、再び『時代の動乱』の渦 に巻き込まれていく。
渦に巻かれ、風と共に舞い込んできたのは、凶報の要件。
テナルディエ、ガヌロンの両家は反逆決起を宣言。
銀の逆星軍の樹立を宣言し、その証としてヴォルン伯爵率いる銀の流星軍を打ち破ったと。
正式に下されるボードワン宰相からの命令――逆賊テナルディエ、ガヌロンを討て。
そう……我々『ナヴァール騎士団』に勅命を下した。
分かりやすい正義。
分かりやすい敵。
そして何よりも、果たさねばならないヴォルン伯爵との大義。
彼が朽ち果てたとは思っていない。
ただすべきことは、ヴォルン伯爵の正義を認めた証として、この宝剣の正義の在り処を示すだけだ。
これより始まる『不敗』と『逆星』の戦い。
ナヴァール騎士団……剣に生き、剣と共に生きてきた時代の終焉を告げる『銃声』が、今、鳴り響こうとしていた。
Aパートへ続く。
後書き
次回、ロラン率いる『ナヴァール騎士団』の騎士と、グレアスト率いる『銀の逆星軍』の銃士が衝突します。
第19話『剣の時代が終わる時~ナヴァール騎士団全滅!?』【Aパート 】
【数日前・ビルクレーヌ平原・銀の逆星軍陣営】
「紹介する。こちらはカロン=アンティクル=グレアスト氏だ」
突然の主の来訪に、スティードは敬礼しながら「いえ」と規律的に答えた。
極端なまでの実力主義者であるフェリックス=アーロン=テナルディエが、わざわざ家臣一人の為に、激励しに来たとは思えなかったからだ。
「……」
何を聞くべきか、スティードは一瞬の間だが躊躇した。
以前ならテナルディエ家とガヌロン家は政敵の関係にあったのだが、主たるテナルディエ公爵の反逆決起により、同盟を結んだという。
我らが陣営を眺めまわしている若い男に目をやり、スティードは困惑する。
――ガヌロン公の片腕が、一体何の用だ?
この男がガヌロン勢力において大きな発言力を持っているということは、すでに耳にしていた。
自らが軍を率いる指揮官なだけに、同列となるテナルディエ軍に興味を持つのは当然のことかもしれない。
と、スティードが考えていると、テナルディエは思いもかけないことを口にした。
「グレアスト氏は、我が軍に配備される最新鋭の『ジュウ』の観察官として、同行することとなる。頼むぞ」
謙虚で感情毛薄なスティードにしては珍しく、面を喰らって目を見開く。するとグレアストは一礼を取り語り始める。
「こうして顔を合わせるのは初めてですかな?彼のテナルディエ卿が認めた数少ない有能な人物と聞いております。そのような貴方の目にかかれて光栄です」
グレアストにとっての賞賛が、スティードにとっては嫌味に聞こえていた。
ブリューヌより南に位置するムオジネルが、海と陸に分かれて自国へ遠征中、グレアストは政敵テナルディエの副官スティードの軍と対峙したことがあった。
王都ニースで構えていたスティードの軍に積極的に攻めて、何攻の末についには本拠地ネメタクムまで追いやったのである。
あと一戦で――しかし、グレアストにとってはそこまで時間を費やすつもりなど毛頭なかった。たとえ楽しみを先延ばしにしたところで、ガヌロンからの許可を得て兵を運用している今では、いつ『軍』を取り上げられるかわからない。命令は早々に片づけるべきであった。
しかし、スティードはこ れに対して、したたかに抵抗する。
作戦遂行という点においては、『時間稼ぎ』を成しえたスティードの勝利だ。しかし、軍の大半を失うような結果が、果たして勝利と受け入れてよいのだろうか?
そもそも、確実に仕留められる一戦を放棄した理由は何なのだろうか?
「――宜しく。スティード卿」
「――いえ、こちらこそ。グレアスト卿」
スティードは警戒の色を浮かべて一礼する。
「スティードと申します。――しかし、『ジュウ』の観察官とは一体?」
彼の講義を封じ込めるように、得体のしれない鬼謀を持つ『観察官―オブサーバー』は笑みをぶつける。
「我らを正式に国家反逆者に認定したため、ナヴァール騎士団が討伐の任を受けて、こちらへ迫ってき ているのですよ」
「ナヴァール騎士団……最強の『槍』にして『盾』の彼らが動いたわけですな」
まるで世間話を語るかのように、両者は事実を確認し合う。
国民国家革命軍であるこの軍――銀の逆星軍の名称は、とある敵将から送られた称号に対して嫌味を込めて作成されたものだ。
『流星落者―シーヴラーシュ』……流星さえも打ち落とす者。
せいぜい国内勢力と牙を噛み合ってほしいという意志の表れなのだろうが、テナルディエとガヌロンは侮蔑の一言を突きつけたという。
――流星を打ち落とすのは『流星落者』ではない――『逆星』だと
新たな時代の『槍』は弓ではない。銃だという認識を強めるものだった。
「――ではさっそく参りましょうか。 私たちはこれから、その最強の『槍』であるナヴァール騎士団を討ちに行くのですから」
スティードの背筋は凍り付いた。
――あの精強で最強の騎士団を討ちに?本気で言っているのか?
口で言い表すだけで、予想をはるかに超える過酷な任務だ。
ブリューヌは前例に見ない戦火に包まれようとしている。内と外、そのどちらにも敵が存在する。
本来なら、今頃のムオジネル、ザクスタン、アスヴァールは虎視眈々とブリューヌの大地を狙っているはずだ。
しかし、そのような飢狼どもは、今でこそ目立った動きを見せていない。
まるで――嵐の前の静けさの環境が、ブリューヌ全土を覆いつくすようでもあった。
グレアストは独り言のようにつぶやいた。
「ロラン卿――どちらが時代最強の『槍』かを、思い知らせて差し上げる」
あの最強の黒騎士を文字通り『蜂の巣』にできる。そう思い浮かべると、愉悦が止まらないグレアストであった。
それは、かつてヴォルン伯爵討伐失敗の任に遂行できなかった『蜂牢獄―フレロール』への当てつけだったかもしれない。
【ナヴァール騎士団・ビルクレーヌ平原・銀の逆星軍より500アルシン先にて対峙】
この日、ナヴァール騎士団はブリューヌの命運をかけて、ビルクレーヌの戦場に姿を現した。
一人一人が精鋭という屈強な集団に、ナヴァールの名を知るものなら、誰も が対峙せずにいたいと思うだろう。
剣の時代において――ナヴァール騎士団こそが最強。そう誰もが謳いあげていた。
その集団の筆頭に立つ黒き風貌の男――黒騎士ロランは、馬を隣に並べて進む友人オリビエに語り掛ける。
「オリビエ、報告にあった『火を噴く槍』と『鉄の乳母車』というのは、あれのことなのか?」
「――おそらく。銀の流星軍を打ち破り、一騎当千を誇る戦姫さえも屠ったという『ジュウ』と呼ばれるものだ」
「そして目の前にいる陛下の敵が――銀の逆星軍」
目前には、何やら槍を携えている一個中隊が対峙している。遠くからでは確認しがたいが、言われて見れば『槍』に見えなくもない。
ただ、乳母車らしきものは見られなかった。どこかに秘匿している のだろうか?それはわからない。一つだけわかることがあるとすれば――
「この戦いの先に、ヴォルン伯爵の正義が示せるならば、俺は『鬼神』となりて戦場を駆ける」
揺るぎない強い決意表明に、オリビエは憂うような表情を友に向けた。そして、その言葉を振り切るかのように『今回の陣形』を団長たるロランに進言した。
「ところでロラン。今日の陣形は『三日月』にしないか?」
三日月の陣形――三つに分けた、独特の武装手段を有した部隊が多様な攻めで敵を翻弄する陣形。
ナヴァール騎士団が得意とする陣形の一つであり、幻惑する兵法にて指揮系統を『内部』より斬り崩すために練りだされたものだ。
確かに、『ジュウ』と呼ばれる未知の兵器に対し、一番有効な 手なのだろう。相手の出方がわからないのであれば、こちらから仕掛ける仕掛けるしか無い為、『機動力』と『突進力』を最大限に引き出した陣形が最も理に適っている。
しかし、ロランの返答はそれを却下したものだった。
「いや、今回は『槍』の陣形でいく」
「……ロラン?なぜだ?」
槍の陣形――天上の神々より見れば三角形の陣形。
これは、『一騎当千』の武力たるロランが先頭に立つことで、敵の出鼻をくじき、瓦解した雑魚兵を一掃したあとに、『決戦特化』のオリビエが指揮官を討つ、というのが『槍』の陣形の運用方法である。
ザクスタン、アスヴァール二国を常から相手取っている紛争の都合上、このような陣形が生み出された。自軍の損耗率に相手の遠征率をくじく ために。
もっとも、本来なら指揮官たるロランが後方に控えるべきなのだが、兵の先頭に立ち、敵を討つというのがこの男の使命だと、自分自身で思っている。
先ほどのオリビエの問いに、ロランは答える。
「この戦はブリューヌの『大義』を背負って戦わねばならない。銀の逆星軍の恐慌に苦しむ民に勇気を示すために」
たった一つの――正義の『槍』として。
その言葉に、オリビエは一定の理解を示した。だから近隣の騎士団にも援軍を要請しなかったと――
例え討伐に成功できたとしても、国王直属軍であるナヴァール騎士団が『ようやく勝てた』となれば、国王の威信にも、王に忠誠を誓う貴族や民の信頼を砕いてしまう。ただ勝てばいいというわけではない。ロランなりに勝利 したその後のことも考えているのだろう。
かといって、この戦いは『決して負けられない』ものであることも事実だ。我々の敗北はブリューヌそのものの敗北に等しい。それを承知しているオリビエはなお指揮官の友人を口説く。
「ロラン。ヴォルン伯爵の義に、国王陛下の忠誠に応えたいお前の気持ちもわかる……だが」
「分かっている。俺も見栄や誇りだけでこんなことを言っているわけではない」
かすかに、視線を後ろに配るロラン。それは、ロランにとって『民』と同じように、守りたい『部下』が整列していた。
そんな仕草に気づいたオリビエは、友人の男を信じることにした。ロランは変わらずのままで安心したと――
ただの盲信で言うならば、必死に止めたであろう。大事 なことを忘れ盲目になっているのではないかと――
非道な戦いであるからこそ、正道にて導いていかなければならないのだ。
確かに『槍』は、今回の戦において危険な陣形かもしれない。だが、その認識がロランの意志を硬化させてしまったようだ。
『ブリューヌの騎士』として、戦争の過ちは正さねばなるまいと――
「布陣は完了している。いつでもいけるぞ」
「ああ」
そして、騎士団長は高らかに不敗の剣デュランダルを空へ掲げる。
「天空よりブリューヌの大地を見守る数多の神々よ!『逆星』を砕く我ら『勇者』の戦いをとくと御覧あれ!」
逆星……それは、流星の願いを砕く凶の星。星が持つ輝きさえも喰らい、闇に沈む正逆一体の球体。
軍配のごとく、デュ ランダルの切っ先を『叛逆者』に向ける。
「我が剣に続け!!!」
ナヴァール騎士団は一丸となり、『正義の槍』と化して突撃する!
轟く馬蹄――炎のごとく揺らめく騎兵のたてがみ――団長たるロランの覇気がいきわたる兵――
地面のぬかるみはない。前日に豪雨が訪れたが、この具合なら昼頃に安定するだろう。
だが、その昼頃を待たずして、この戦いに決着がつくなど、誰もが想像できなかった。
ロランにしても――小物とみなした逆星達が、これほどのものとは。
グレアストにしても――こんなにもあっけなくナヴァール騎士団が敗れるなど。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ナヴァール騎士団の動きを感知した銀の逆星軍は、『ジュウ』――マスケットと呼ばれる『火の槍』を三千丁と共に戦場へ着陣する。
ブリューヌ最強の騎士団と言われたナヴァール騎士団を迎え撃つ。
観察官の任につくグレアストが採ろうとした戦術は、かつてなく斬新で、なおも強大で、歴史上凄惨なものだった。
そこに、副指揮官のスティードの姿もあった。
「グレアスト卿――『ジュウ』の欠点は、弾込めの間、無防備になること――」
「その欠点なら解決済みですよスティード卿。我らに逆星の『三日月』があるが故に」
ナヴァール騎士団が得意とする、同名の陣形をつぶやいたグレアストに、スティードは思考を巡らせた。そして答 えに行き着いたのか、ハッとうなずく。
グレアストが考案したそれは、「ジュウの部隊を横に細長い組に分け、『発射』・『装填』を輪廻のごとく繰り返す」ことによって、切れ目のない攻撃を生み出すことが可能となるものだ。
確かに、ジュウを配備された部隊は三日月の形をしている。しかし、騎士団のように縦横無尽に戦場を駆けまわるのではない。
駆けまわるのは――赤白い蜂という名の『鉛玉』なのだ。
そして切り札は、その蜂を大量に斉射できる『蜂巣』もある。これでまける要素は何一つない。
「いかにブリュー……」「撃て」
グレアストの言葉を断つように、本作戦の総指揮官たるテナルディエ本人が短く告げる。
ガヌロンとは違う、魔王の覇気に押されたのか、すぐ さまにグレアストは一番部隊へ指示を飛ばす。
「一部隊、構え」
すちゃりと、その『銃口』が敵の騎兵たちへ向けられる。
機械的に動く彼らは、命令に何の疑いもなく従うだけだ。
すさまじい怒号――自分の命に迫る恐怖によって、誤射をする兵が『オルメア会戦』で多数見受けられた。これでは最大威力を発揮するはずのジュウは意味を成さない。射程距離を納められないために――
しかし、グレアストはそれさえも克服して見せた。
『仮面の踊り』をはじめとした冷酷な処刑を配下の兵へ見せつけることで、これ以上ない恐怖を積ませたのだ。
ただの見せしめではない。次の一手を見越したグレアストの神算鬼謀によるもの。
だからこそスティードは思わずにはいられ ない。もしかしたら、『ジュウ』はグレアストの為に生まれ出でた虐殺兵器なのではないかと――
――はあああああああああああ!!――
すぐ視界には、単騎掛けで迫るロランの姿あり。その後続を若き騎士たちが奔る!
合図の為に片腕を上げているグレアストは、訪れる『瞬間』を見極めていた。
そして魔王と同じように灰色の侯爵は短く告げる。「撃て」と――
【瞬間、耳を切り裂くような『銃声』が戦場に木霊する!】
慈悲に介さぬ悪意の一斉射撃。
勇敢なる騎兵たちの雄たけ びを、一瞬にてかき消す重低音。
『流星』を隅に追いやった『逆星』が、瞬く間に戦場を埋め尽くしていた。
「お……収まれ!」「馬が言うことを!?」「くそおお!!」
次々と落馬を始めるナヴァール騎士団たちは、見えざる槍……すなわち、『銃声』によって耳を貫かれた。
心に染みゆく銃火の猛りは、騎士の足となる馬を恐怖へ突き落していく。
土砂を巻き上げ、悲鳴を上げ、その生命を虚空へ散らしていく騎士たち。
「……あれ?血が?」
痛覚の前に気づいたのは、一人の若者の……負傷。
なんという威力なのだ?鍛え上げた身体どころか、鍛えた鉄の甲冑と盾をまとめて貫くとは?
体中に走る、焼けつくような痛み。
瞬く間に前進をせき止められたナ ヴァール騎士団は、陣形の『槍』をくじかれた。
そのようなみじめな光景にも拘わらず、オリビエは冷静に対応策を練りだしていた。
「第一陣は私と共に!側面から先頭部分を切り崩す!」
それは、敵の『槍』の矛先を、付け根を狙うオリビエの算段だった。
側面から噛み千切り、前後の挟撃にて銀の逆星軍を瓦解させようとするもの。
しかし、グレアストにとって左右からの奇襲は織り込み済みだった。
副官たる彼の『算段』を、鉄の『散弾』にて撃ち砕いてくれよう――
「三日月――第二陣構え」
再び告げるは水平射撃の命令。第一陣がもたらした赤白い蜂の成果に、グレアストは少々満足していた。
これから見せてくれるであろう――地獄のような光景を、彼は楽 しみにしていた。
「撃て」
なおも続く斉射の号令。
容赦のない無慈悲な用兵を用いるグレアストの戦略。
剣の時代における『夜』と『闇』と『死』の狂葬曲、その初戦に過ぎなかった――
【Bパ-トへ続く】
予告――
足を撃ち抜く鉛玉に、止まるロランは無念の死を覚悟する――
しかし――
何故……お前たちが?
何故だ?
もはや動けぬロランの前に、次々と仁王立ちする配下の騎士達。
間断なく放たれる鉛玉に、その若き生命を散らしていく――
声をかけたかった。でも、轟く『銃声』の中ではその『声』さえも届かないだろう。
俺が守りたかったもの。陛下と民と同じくらいに大切に守りたかった、共に時代を生きたいと願ったお前達が
――――何故!愚策を施した俺などを守って死んでいく!?――――
俺はブリューヌの騎士だ。
民を護り、陛下の敵を殲滅し、騎士の時代を導く『先導者‐アンリミテッド』だ。
俺は護る側の人間だ。なのに――
どうして、俺は護られているんだ!?
どれだけの無念に伏しようと、お前達の『勇星』は消えた――流星のように。
蜂巣砲‐フレローリカ。
まざまざと突きつけられた『時代の変化の現実』に、ロランの心は蜂巣と化してしまうのか?
後書き
ロランファンの方には申し訳ない内容になってしまいましたが、彼の生存フラグを立てる為にご了承いただければと思います。ロラン活躍の展開までしましお待ちを――
今回の話、元ネタである『ローランの歌』や『織田鉄砲隊 対 武田騎馬隊』をモチーフにしています。
気になった方は、この題名をググってみてはいかがでしょうか?
第19話『剣の時代が終わる時~ナヴァール騎士団全滅!?』【Bパート 】
前書き
合間見て加筆修正します。
魔弾の新刊を一足先に池袋まで買いに行って拝読したのですが、やっぱりガヌロンと凱兄ちゃんは相似しまくってるなあと。人と人以外を区別するものは『心』という凱兄ちゃんのセリフは意味深いと改めて感じます。ではどうぞ。
オリビエの対応策は、全てロランの為だった。
一見無謀に見える、突貫能力に秀でた『槍』の陣形。しかし相手の『銀の逆星軍』は層の薄い『三日月』の陣形。
戦列を整え、『ジュウ』の大隊を横から切断して『壁』を突き破る。そのまま乱戦に突入。『槍』の陣形たる本陣の『矛』へ駆け抜ける。
「我が友よ!今こそ『竜巻』と成りて駆け抜けるとき!」
「承知!!」
一騎当千のロランと、百戦錬磨のオリビエ――
不敗のデュランダルと無敗のオートクレール。二つの『戦刃』から生まれる『風』が合わさりとき、『嵐』となる。
そして、自然災害の『姿』たる竜の嵐――『竜巻』と化して逆星どもにくらいかかる!
彼らが狙うはただ一つ……指揮系統の寸断だ。
――魔王を倒せるのは、生きた伝説の一太刀のみ――
「どけ!雑兵ども!我の望む首はテナルディエ公ただ一つ!!『槍』を正義の陣形として『魔王』を穿たん!!」
故に彼らは戦う。ブリューヌの民を救うために。ティグルの正義を立証するために。陛下のために。
何より、『時代は俺たちを必要としている』という、拠り所を示すために――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――果敢に突撃する姿は当然、銀の逆星軍にも確認されていた。
斥候の報告がグレアストに届く。
「右翼から敵の突撃!分断を目的とした進撃かと!」
スティードは静かに警告する。このままでは層の薄い『三日月』では瓦解するのは目に見えている。
「グレアスト卿――これは分が悪いのでは?」
「まさか?ここまでは想定の範囲内ですよ、スティード卿」
ナヴァール騎士団の陣形が『二又の槍』となって左右挟撃するのも織り込み済みだ。迎撃部隊には既に射撃準備を命じてある。
それからグレアストは爬虫類を思わせるねっとりとした声で告げる。
「『ジュウ』の威力と物量の差を思い知らせて差し上げる」
獅子をも殺す何万何千の『閃光蜂』の地獄が、彼の黒騎士を殺すだろうと予言するグレアスト。
鉄の鉛弾を打ち出す人員の正体は、かつてテナルディエ派に降伏してきたガヌロン派の貴族諸侯だった。それは彼自身が『首をはねるにも手間がかかる』と一瞥した人々だ。
だが、ガヌロンの腹心であるグレアストは、その『手間のかかる連中』を配下に加えた。
『魂はいらん。代わりに弾をもらう』と付け加えて――
そう――彼らは『飽和殲滅』を目的に編成された部隊なのだ。
「迫りくるナヴァールの騎兵共を、ことごとく屠れ――『時代遅れ』の連中を震撼させ、ビルクレーヌの包囲網を解け」
すぐ脇にたたずむテナルディエ本人の言葉。間を置かずして下されるはグレアストの命令。
「―――――――――斉射!!!!」
残虐非道の貴公子は口をつむいだ。
その瞬間――阿鼻叫喚の壮絶な光景が展開された。
猛々しい騎士達の『轟声』。それさえも瞬時にしてかき消してします『銃声』――
騎士達の『轟声』は狂気渦巻く戦場の中で自我を保つべく、いわば心の鎧と盾のような役目をするはず……なのだが、相対する『銀の逆星軍』の『銃声』によってすぐさまに聴覚を焼かれてしまう。
目に見えない被害は人間である騎士にとどまらなかった。
突如、馬が暴れだしたのである。
耳につんざく音――銃声。それこそが、軍馬の乗りてである騎士を振り落とそうとする。
前代未聞の轟音が大草原のビルクレーヌに木霊する。
無論、ナヴァール騎士団というのは騎兵だけでなく歩兵も組配されているのだが、中核をなすのは当然騎兵だ。
騎士の突撃命令。
『槍』陣形の生命線。それがまったく機能しなくなる――
(敵は初めからこちらを『狙い撃つ』ことを想定していなかった――)
血と肉と脂が飛び舞う光景で、オリビエはかつてない戦慄を全身で味わっていた。
(なんてことだ!こんなにも……『戦術』にも『戦力』にも差があるとは)
確かに銃の威力は驚異的だ。しかし、それを使用するのは、彼らテナルディエ等にとって消耗品に過ぎない民草の連中。命中率が高いはずなどない。
オリビエはそれを好機と見た。だからこそロランの提案である槍陣形をそのまま受け入れた。
『ジュウ』といえど、強力な『弩―アーバレスト』に過ぎないものだ。抵抗的な期待をしていなかった。
――ただ、期待していなかったのは、銀の逆星軍も同様だった――
命中率。
ただ一発にこだわらず、敵のほうへ向けて放つ。
当然狙いなどない。
命中率も悪い。
たったそれだけ――それだけなのに。
ムオジネルの如き人海物量で行われると、予測できる未来は一つしかない。
―――――――――『全滅』
だが、忌むべきその未来を否定する者がいた。
――まだだ!まだ我が闘志は尽きていない!
ロラン、怒涛の奮戦!
翻る不敗の宝剣。輝きを戦場へ示さんがために。
撤退の隙をついた銀の逆星軍の追い打ちに、二又のもう一つの『矛』であるロランが、側面から奴らのハラワタを食い破る!
「我らナヴァール騎士団はブリューヌ最強の『槍』にして『盾』なり!逆賊フェリックス=アーロン=テナルディエ!『逆星』を殲滅する者なり!」
腹の底から轟くような怒号。『獅子』の如き咆哮は、平民上がりの銃兵を恐怖させるに十二分だった。
しかし、そのような雄々しき騎士の足掻きを、冷酷な魔王は一蹴する!
「最強だと……?」
テナルディエはほくそ笑む。
火薬が生み出す煉獄を目の当たりにしても、まだそのような戯言を申すか。
黒騎士よ。剣の時代の亡霊よ。眩しき貴様の妄想など飽いた。そろそろ眠ってもらおうか。
「下らん幻想を抱いて死ね――ロランをティル=ナファ=の元へ案内せよ」
「「―――御意」」
スティード、グレアスト両名は、魔王の拝命を謹んで受け取った。
テナルディエの片腕であるスティードは、その堅実で隙の無い銃の運用で、最凶攻撃力を発揮する『密集態勢』を展開し――
ガヌロンの片腕であるグレアストは、その鬼謀にて銃の最適射程と殺傷力を演算し、最恐殲滅力を発揮する『連段運用』を展開する――
『銃』は――『片腕』では持てない。『両腕』があってこそ、初めて運用可能なのだ。
だから連れて参ったのだ。二大公爵――それぞれの誇る『片腕』を『両腕』に揃えて。
―――――続く魔王の号令に、再び『蜂の大軍』が訪れる!
赤白い『蜂の地獄』がロランを見舞う!
『弾』の速度は『矢』の比ではない!ほぼロランの視界と空間に糸状の熱針が、騎士の誇り高き肉体をそぎ落としていく。
「時の歩みを止めし『騎士』どもを駆逐せよ。摂理に対し変われぬ『愚者』どもを、根絶やしにせよ」
鬼謀の主たるグレアストは、さらなる苛烈な命令を下す。「奴らを無駄死にさせよ」と――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
もはや『│正義の槍≪ナヴァール≫』は敵を貫くどころではなかった。
戦が始まってから半日もたっていないのに……大量の血を吸った大地は赤黒く染まっている。
それは、『魔物』が夢見た理想世界とは異なる世界。
一人、心を鉄の意志で固めた騎士が『慣性』に任せて、突き進んでいた。
『逆星』の砲火を浴びた配下の騎士が、潜血を噴き出して後方へ流れていくのが見える。すれ違い様に騎士が落馬し、戦場の凄惨さを物語る束の間の『流星』となる。
それを見たロラン、オリビエは目を伏せた。
――俺たち騎士は……
――私たち騎士は……
――本当なら……剣をとることはなかった存在。
いかなる策を用いようと、幾千、幾万の生命が銃火の蔓延する虚空へ散っていく。
彼らは問いかける。――時代は、天は我らを見放したのかと。
『三日月』――その名が示すように、我らが星が、欠けた月のように砕かれていく。
『槍』――既に次世代の『火槍』が我らの正義の槍をへし折っていく。
一つでも多くの生命を守るために、一つでも多くの生命を散らせ、散らされていく矛盾。終わりのない『輪廻(アンコ-ル)』にまどろみ、目を覚ますことのない闇に自ら取り込まれていく。
――何のために守る?この果てにある未来は?
不敗の剣――デュランダル。
民を守る名を持つ聖剣の刀匠は知らない。
知っているのは――『銃』は人が産出した悪だということ。
そして、人の手で作り出した兵器が、同胞である人に向けて放たれている。
一兵たりとも残さず塵芥に返す。それを実行するのは可能かもしれない。
何を馬鹿な?
そんな非現実的な妄想などあってたまるか。
彼らは逆星は知っているのだろうか?
いまだ罪を知らぬもの。そして罪を既に犯したもの。罪を自覚せぬもの。
―――人こそが、罪そのものなのだろうか?
鉄剣を取る『手』が悪なのか?
弓弦を引く『爪』が悪なのか?
それとも引金を引く『指』が?
『断罪の女神――デュランダル』
無知なる今の時代が犯した愚行に対し……我ら幼子に贖罪の機会を与えたまえ――
許されるなら、『断罪の剛剣』と成りて剣の時代の最後を飾らんことを――
「殲滅する!『逆星』を!」
ロランの正義に悲しみが充たされ、瞳に涙があふれだす。
騎士の誇り高き『流星』――
戦友ともいえる甲冑から、デュランダルから光がこぼたれて――
――『不敗』。その言葉が偽りと化すとき、守ろうとした大切な者を守れなくなる。
故に――彼らは負けることを許されない。絶対に負けられない。誰にも。
不思議なことに、『金色の髪をなびかせる女神』の光景が、ロランの頭をよぎった。
その女神は、古の時代にて『接触禁止の女王』とも『デュランダル=オブ=アンリミテッド』とも呼ばれていたそうな。
ナヴァール騎士団最後の陣形――その名は『流星』
ストライクと呼ばれる突撃戦法。
儚くも雄々しい一条の『星』に、テナルディエ全軍は目を奪われた。
瞬く間に銀の逆星軍の表面を食い破り、心臓部たる魔王へ一直線に突き進む。
しかし、そのような騎士の時代最後の『奇跡』に対し、姑息なグレアストが割って入る。
「この瞬間を待っていた!!」
一条の槍たる陣形――『流星』を砕く咎人が愉悦を浮かべる。
黒い光 を放つ、重厚感のみを追求した機械仕掛けの、開戦前にオリビエが口にしたあの『乳母車』――
その名は――――回転式蜂巣砲――――
『ジュウ』と比較にならぬほどの……『蜂の雲梯』が解き放たれる!
一列に横並びされた『蜂巣砲』が――騎士団の脇腹を食らいつく!
最悪だ。ロランの脳裏によぎった、たった一言――
奴がそこまでとは思わず、兵器に頼る小物と見なした己が手落ちだ。
あの時、『三日月』というオリビエの進言を聞き入れていれば――
だが、どれほど後悔しようと時すでに遅し。
足を撃ち抜く鉛玉に、止まるロランは無念の死を覚悟する――
しかし――黒騎士の将をかばいだてようとする『部下達』が、『盾』となっていた。
何故……お前たちが?
何故だ?
もはや動けぬロランの前に、次々と仁王立ちする配下の騎士達。
間断なく放たれる鉛玉に、その若き生命を散らしていく――
声をか けたかった。でも、轟く『銃声』の中ではその『声』さえも届かないだろう。
俺が守りたかったもの。陛下と民と同じくらいに大切に守りたかった、共に時代を生きたいと願ったお前達が
――――何故!愚策を施した俺などを守って死んでいく!?――――
俺はブリューヌの騎士だ。
民を護り、陛下の敵を殲滅し、騎士の時代を導く『先導者‐アンリミテッド』だ。
俺は護る側の人間だ。なのに――
どうして、俺は護られているんだ!?
どれだけの無念に伏しようと、お前達の『勇星』は消えた――流星のように。
――騎士たちは魔王に挑み……死んだ――
――そして、自分の運命をロランに託した……希望の星を守り抜いた――
この瞬間、ブリューヌは煉獄の経過を、ジスタートは猛火の予兆を感じ取る。
ブリューヌ・ジスタート転覆計画――その前哨戦に過ぎなかった。
後書き
次回は『奪われた流星の丘アルサス~再戦のドナルベイン』です。
(予告通りにできなかった反省点を踏まえつつ、更新作業頑張ります~)
第20話『混迷の時代の願い星~勇者の新たなる旅立ち』【アヴァン 】
前書き
ちょっとフリージングについても触れています。(物語の都合上ご了承ください)
ではどうぞ。
これは、『古の時代』の物語である。
地球歴2060年、アオイ=源吾のもたらした二つの衝撃――パンドラ計画に伴う生痕移植問題と、マリア=ランスロット問題に、既存の信仰界は大きく揺らぎ、肯定否定に賛否両論を繰り返してきた。各国の信仰界は、異次元体襲撃を『神罰』として、なんとかそれらを信仰体系に組み込むために、安易な論理で理屈理論を展開するか、あるいは信仰を保持しようと、『ノヴァ』という目にも明らかな現実的脅威を拒み続け、やがて『正義』として掲げ合って論争を展開した。
些細な典範の一文にさえ停醜し、維新の論理に耳をふさぎ、やがて続く討論は当初の問題提起さえも見失わせていた。
そんな信仰界に民草は失望し、小さな背を国々に向けた。
そして幾万年の月日が流れた。
のちに賢者――そして勇者と呼ばれ、『人』と『人ならざるもの』、双方のうちに多くの信仰者を持つことになったガヌロンも、もともとは信仰団体に属する者の一人だった。彼もまた、自らの信仰するものに疑念を抱き、果て無く続くヒト同士の論争に飽いて法衣を脱ぎ、人里を離れて山奥の森へ隠居したのだった。
だが、いつの時代もそうであるが、人々は常に心の安住を求める。あらゆる価値、信仰、神々への敬意が崩壊する時代であるからこそ、人はより一層、自らの『夢』を繋ぎ止める信仰体系を求めた。
そんな彼らにガヌロンが与えたのは、古の時代より埋もれていた『僅かな思想』のみだった。
あまねく全ての生命は種子を問わず、みな同胞であり、同じ大樹になった果実である。そして彼らの中より勇気の帆を貼り、新たな大樹へ導いてくれる者が現れるであろう。
時代の荒波を超越し――
数多の枠を超越し――
そして、人と人以外を区別するものは何なのかを、常に問い続けるもの――
彼らは『理想世界を先導する超越者』――人と、それ以外の世界を融和し、全ての生命に『夢』をもたらす、起源なりし存在。神々を先導するもの。
学会名は『・Unite・Natural・Lasting・Identical・Manifold・Infinite・Transcendence・Evolutionary・Defiance』――アンリミテッド。
獅子王凱。
天海護。
卯都木命。
アオイ=カズヤ。
サテライザー=エル=ブリジット。
ラナ=リンチェン。
この青き星に住む、数億という生命体が満ち溢れているにも関わらず、約束された存在はごくわずかだった。
かつて古の時代より展開させてきたシスター=マーガレットの理念とアオイ=源吾の理論を、ガヌロンは聖窟宮で見つけ出して自らの思想に『喰らう』形で取り込んで見せた。
先導するもの――それは王や戦姫、英雄に限ったことではない。竜具や王冠……弓を手にしたところで、人が人であることに何ら変わりはない。
例え魔物を喰らい、人でなくなりつつあったとしても――心は何も変わらないはずだ。
例え瞳の色が左右とも違っていても――見える景色は変わらないはずだ。
故にガヌロンは『アンリミテッド』を信仰する――人と人以外を区別するものは『心』という、友人シャルルの『人』をむずびつける言葉がある為に。
人と魔の抗争時代より遠退いた現代だからこそ、肉体の改革ではなく精神の変革が必要なのだと訴える。
ガヌロンは誰を相手にして拒まず、おのが信じる道を語った。ヴァレンティナ=グリンカ=エステスにしても。フェリックス=アーロン=テナルディエにしても。
そんな彼の姿勢は、一部の『底知れぬ陣営』に多くの共感を得ることとなる。
ティル=ナ=ファが人と魔という二つに分かたれて戦う時代から始まったからこそ、そんな彼は各国を訪れ、調停者としてそのたびに平和への思想を説いた。『人』は『魔物』とは違うということを示すために――
だが、ガヌロンの言葉に耳を傾けるものはおらず、例え賛同者がいたとしても、その切なる声は、栄養素を求めるためにより多くの戦いを誘う声にかき消され、戦火は幾度となく燃え広がるばかりだった。まるで幾面にも連なる楽譜――終曲の見えない輪廻のように。
そういう獣のような論理もまた、人の本性なのだろうか?
別の側面でも、やはり『人ならざるもの』と『人』は何ら変わりはないのだろうか?
『不死のコシチェイ』という魔物を喰らい、寿命というリミッターが外れた彼は、そういった人の外れた道を幾度となく見てきた。見らざるを得なかったのだ。
我々は何もわかっていないのだ。見えざる敵とその姿に。
神の身でなければ出来ないことと、神の身では出来ないことは、本質的に同じかもしれない。
だが、神を超える者――アンリミテッド、その名が示すように無限を示唆してくれるなら、いつしか本当の理想世界が訪れるであろう。
それとも、人々の間に往来する律動は、終曲を得ることなく、ただ暁の炎に焼かれる運命にあるのだろうか?
第20話『混迷の時代の願い星~勇者の新たなる旅立ち』【Aパート 】
【真夜中・ルヴーシュ・バーバ=ヤガーの神殿】
「考えていることは、いくつかあります」
獅子王凱の提案に、誰もが耳を傾けた。
『銀閃』と『黒炎』の死闘によって穿たれた穴から月光が差し込めて、その場にいる全員を照らしている。
ジスタートの現支配者たるヴィクトール王。
その王に膝を折る戦姫ヴァレンティナ。
戦姫として同僚であるエレオノーラと執縁のある傭兵フィグネリア。
――対して『東』の連中といえば。
かつて世界を滅亡の危機へ陥れた元帝国戦士団団長シーグフリード。
その愛剣であり、彼の義姉である黒炎の神剣エヴァドニ。
同様にシーグフリードの共犯である元帝国騎士団団長オーガスタス。
いずれも尋常ならざる顔ぶれだ。その6人の注目を集める凱の言葉は、黄金の粒より貴重にも思えたのだ。
「ひとつは――――要人たちの救出です」
考えているというより、凱にとって必須事項だった。
このブリューヌ内乱、どうしても彼らの手で決着をつけねばならない。
当初、ヴィクトールやヴァレンティナは凱の神格的な戦闘力に任せてテナルディエ暗殺を実行に移すつもりだった。
しかし、凱はそれらを抑えた。
もしテナルディエを『国家の敵』という形で対処すれば、内乱をアスヴァールやザクスタンに勃発を認めている――だけでは済まされない。
あの男を「ブリューヌ・ジスタートの敵対者」とすれば、倒せても倒せなくても、ムオジネルをはじめとした反国家、ジスタート内部の反勢力の英雄として神聖視される。
そうなれば、第二第三のテナルディエを生み出しかねない。
万民に示すべき大義を持たぬ――以前に異端認定を受け死亡扱いとなっている凱では、一時的に鎮静化できてもその後の動乱が余波として続くだろう。死んだはずの『亡霊』が黄泉返ったとなれば、再び訪れるのは――――力無き民が生み出す、堪え切れぬ涙と悲しみの叫びだけだ。
大義を持つ者――ブリューヌの国王の許しを得た者のことだ。リムアリーシャ――リムから聞いた話では、既にファーロンの息女レギン殿下を擁護しているとの事だが、大義そのものであるレギンの導き手である銀の流星軍の総指揮官がいないため、大義なす行為――すなわち『正義』の執行が成り立たない。
銀閃の風姫、エレオノーラ=ヴィルターリア。
凍漣の雪姫、リュドミラ=ルリエ。
ジスタートの戦姫二人。レギンが王族の身を証を立てる瞬間は、総指揮官のティグルを支援する彼女の未来に大きく影響する。
そして……凱の瞼に浮かぶはくすんだ赤い髪の少年の姿。
――ティグル――
何より、大切な主様の帰りを待つティッタの為に、これは絶対に果たさねばならないことだった。
「ティグルヴルムド=ヴォルン伯爵と、我が戦姫エレオノーラ=ヴィルターリア、リュドミラ=ルリエを救出するのが先だと?」
ヴィクトールが瞳を開いてつぶやいた。それに構わず凱は言葉を続ける。
「はい。彼らは『銀の流星軍』の総指揮官――今のブリューヌはいわば海上の嵐の前兆です。余裕のあるものは嵐に備え、ないものは嵐に怯えるように……近隣諸国、アスヴァールやザクスタン、そしてムオジネルも今後のブリューヌがどう『転覆』するか注目しているはずです。ですから、『丘』という小舟を操舵する『先導者』の彼らがどうしても必要なのです」
ここで凱は、バートランから教わったディナントの戦いが行われた経緯を一度振り返る。
それぞれが互いに独立した、無関係の事象であったにせよ、空間と時間の軸が例え微細に『ズレ』た場合、それらは『安定』を求めようとして一つの『事象』が誕生する。
『国境線の川の氾濫』という要素が拠り所の安定を求めて、そこに住在するヒトを伝って領主から高官へ、そして陳情として国王の元へ辿り着いた。神より授かりし王の僅かな采配が、ブリューヌとジスタートという海辺に、戦争という巨大な荒波を引き起こし、国の基盤たる民を波間にただよう船のように揺さぶっている。
無論、アルサスという辺境の丘に存在する小舟もまた、例外ではない。
既にムオジネルをはじめとした各国はこれらの動きに覚醒し、ブリューヌ内部に関心を深め、警戒というべきほどに間者を忍ばせたりと行動を示し始めている。
――――ただ、国の風下に生きる民草は、そのことを知らずにいたままだ。
「……先導者――――アンリミテッド」
ヴァレンティナが儚くつぶやいた。かつてオステローデに滞在していた時に聞いた言葉を受けて、凱はコクリとうなずいた。
「だが、そんな悠長なことも言っていられんのも事実だろうが」
今度はシーグフリードが突き詰めた。阿鼻叫喚の代理契約戦争を戦い抜いたものが知りえる助言をもたらす。
フェリックス=アーロン=テナルディエ。
マクシミリアン=ベンヌッサ=ガヌロン。
この両者には、人の世の理など一切通用しない。
まさしく、『人』も『魔』も『力』で『世界』を『つくりかえる』眷族……覇獣に等しい。
二人を滅ぼさねば、ブリューヌ、ジスタートは滅びる。
いや、たった二国だけでは済まされない。
5大国家の基礎と成す大陸全て……それどころか、独立交易都市……いや、全世界にまで及びかねない。
特にこの結末を誰よりも敏感に察知し、確信を抱いていたのは、他ならないヴィクトールだった。
「時代の風が『民』へと流れるようなら、それも仕方がないと思っていた」
ジスタートの支配者たる存在に、全員が視線を注ぎこんだ。
自国が滅びるのは最悪の結末――『王』以外には計り知れない苦渋のはずだ。だが、この年老いた王は既に、革命という試練の日が来るのを見越していたのかもしれない。
各国への干渉を極力回避し、戦姫の地力を削ぎ落す政策を行う国風にも拘わらず、今回の『二国転覆計画』という非常事態への対応は驚くほど速い。
「――――が、例え革命を賭して国をつくりかえようとも、決してつくりかえてはならぬものがある」
ヴィクトールは穏やかな目を浮かべ、ヴァレンティナが継いで『ある単語』を開く。
「……『夢』」
大鎌を担ぐ戦姫の瞳に、微かな陰りが生じる。乗じて凱がヴァレンティナをいたわるような視線を向ける。先ほど戦姫と言い争っていたフィグネリアは複雑な表情だ。
再び王は憤りを口調に映して言う。
「銀の逆星軍の背後には、『国民国家革命軍』の思想家――初代ハウスマンの影がある」
その言葉にシーグフリードとオーガスタスが表情を変える。告げられた事実に凱もあ然とすると同時に、やはりと思った。
先日における『ディナントの戦い』で銀の逆星軍を相手にするうちに感じていた違和感――ブリューヌ現王政への偏見と嫌悪がにじみ出ていた管理統制は、軍全体が既に『国民国家』の思想に染まっていたためのものだった。狂気の域に達していた銃の運用技術は、貴族への反旗と王を排斥する危険思想から生まれ出でたものだから。
ヴィクトールは思い出す。ヴィッサリオンとの出会いとその戦いのすべてを。
陸のブリューヌと海のジスタート。二つの海戦を通じて、初代ハウスマンは『機械文明』の恩恵と猛威を同時にもたらした。テナルディエには猛威という実演を――戦姫には戦利という恩恵を。
「そしてブリューヌは今や『修羅』こそが新たな時代の暁光――とする、フェリックス=アーロン=テナルディエの手中に」
そうか――――と、凱は納得する。
ここで銀の流星軍が時代と共に滅びることになれば、世界はこのまま『愉悦の強者』と『盲信の狂者』に分かれて喰らい合い続けるだけだ。『弱者』という犠牲をひたすら求めて――。
それさえわかれば、『この人達』の為に力を振るう理由には十分だ。
「……『もう一つの未来』を知る勇者よ」
凱にはなぜか勇者という言葉が、しんと胸にひびいた。思わず見つめ返した『勇者』の視線に、『王』の瞳がふわりと優しげなものになる。
目に映るすべてを救うという、勇者の祈りをくみ取りたい――せめてもの、王からの餞別として言葉を送呈する。
「胸に抱いた『流星』を秘めて丘へ向かうなら、我々は君と共に歩むつもりだ。王としてではなく、『盟友』として」
かつて凱がリム達に話したことを、ヴィクトール自身が言い放つ。『盟友』という言葉を聞いた途端、凱は身の内に流れこんでくる力を感じた。
そうだ。勇者は決して一人ではない。ここにいるのは独立した、意志のある『人間』だ。もう一つの未来を知る者たちが、同じほうへ歩む戦友たちもいる。たとえ凱一人が支えきれなくても、共に支えてくれる『勇気ある仲間』がいるではないか。
勇者はしっかりと王の目を見返し、答える。
「…………今は小さくとも、銀の流星は輝きを失わないと……強く信じています」
逆星によって、流星は輝き砕かれた。だが、砕かれてもなお、流星は輝き続けるだろう。
『夢』を、その両腕からこぼさない限り――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「二つ目は――やはり味方が欲しいです」
精強とうたわれるジスタート軍もいるが、現状の武力情勢を振り返ると、彼女たちに申し訳ないが『無力』と思わざるを得ない。
戦場を人の力が支配し、剣と馬の戦いが中心である時代に対し、各国は『個』の力を排除し、『軍』の力で近代防衛を整えた。
しかし、それはテナルディエやガヌロンのように、『時代の影』という闇にひそみ、間隙を突いて事を成す勢力には、あまりにも『無力』だった。
なにせ、エレオノーラやリュドミラといった戦姫や、ロランという生きた伝説の黒騎士――
一騎当千の武勇を誇る者達ですら、戦場のただ中で捕縛、敗北を叩きつけられたほどだ。
『軍』をかいくぐり、『殲滅』を目的とした近代戦術がいかに対処し難いか、原種大戦や超越戦争、代理契約戦争を潜り抜けてきた獅子王凱には痛いほどわかる。
対抗できるのは、同じく『時代の影』に潜り銀閃を振るう者、最凶の暗殺者にして『勇者』と呼ばれた男しかいない。ヴァレンティナを介して凱を導いたのも、『虚影の幻姫』という特殊性もあったのだろうが――凱と同じく『影』と『闇』に潜むことができるためだろう。
目に見えない敵ほど驚異的なものはない。それは強大な力をもつ戦姫や王ならすぐにわかるだろう。
凱の言う『味方』とは、そういった情勢の水面下で立ち回れる能力を持った人たちのことを指している。
真剣な表情をヴィクトールに向け、凱は問いかける。
「ヴィクトール陛下。教えてください。今のジスタートはどういう状況なんですか?」
「うむ……そうだな」
そこでヴィクトールはヴァレンティナに視線を送る。そして彼女は大陸地図の用紙を石机に広げる。
話を再開するように、枯れ木のような王は細い指をトントンと叩く。
「シシオウ君。先ほど君が言ったように、現在の我が国はブリューヌの『転覆』に静観するだけの状況だ。近隣諸国……ムオジネルやザクスタン、アスヴァールも我が国と同じようなものであろう」
「……切り取ろうとする勢力は存在しないのですか?つまり、内乱に付け込んで攻めてくるような?」
それについての情報を、凱は何よりも欲しかった。
しかし、凱の僅かな期待を裏切る形でヴァレンティナは事実を申す。「いません」と――。
「それどころか、各国の王は我が身可愛さに、ブリューヌ侵攻を渋るばかりです」
「どういうことだ?ティナ」
「ブリューヌ最強にして国王直属の軍隊……ナヴァール騎士団壊滅の報を受けたためでしょう。『ブリューヌの領土を切り取ろうものなら、貴様らもこうなる』という伝言の意味も込めて」
つまり、内乱罪という名目で国王騎士団を逆賊討伐に向かわせたのが、テナルディエにとって都合のいい宣伝効果になったという。
特にザクスタン、アスヴァールは何度もナヴァール騎士団に苦汁をなめさせられたことだろう。戦神の障壁と比喩される騎士団が崩壊したとなれば、西のネズミどもは歓喜の声を上げて喜び、すぐさま大地をかじりに行くだろう。
ヴァレンティナに代わりヴィクトールが続ける。
「銀の流星軍敗走に続き、ナヴァール騎士団の敗北の報から、再び世界は大きく動いている」
テナルディエ公爵と長きにわたる交流がある他国の貴族は、彼の野心的なまなざしに感づいていた。事実上、反逆決起が成功した今こそ、他国へ乗り込んでいくのではないか――と警戒するものさえいる。
いや、乗り込むなどと、上品な言い方は似合わない。
踏み荒らすつもりだ。荒廃した時代をただ突き進む一匹の『魔獣』として。
「シシオウ君なら既に分かっておるだろう。『軍』という意味での味方はなし……そして意味さえもないことを」
「はい。わかっています。今の我々は喉笛に牙を突きつけられているに等しいことくらいは」
眉間にしわを寄せながらつぶやいた凱の一言は、各国大陸の現状を正確に把握していた。
そのたった一言にヴァレンティナは厳しい表情を浮かべ、凱に震える声で伺う。
「……選ぶ必要があると……ガイはそうおっしゃるのですか?」
光と影。表と裏。過去と現在。
選択肢は二つのみ。
時代を構成する要素の選び方では、大きく未来を変えていくだろう。
彼女たちは今でも迷っているはずだ。
ならば、自分が未来の一つを拾い出さなくてはならない。
「俺たちは『選ぶ』ためにここへ集ったはずだ。『未来』という言葉はその為にあると、俺は思っている」
「では、ガイは何を望むのですか?」
ここで凱は二つに限られない『もう一つ』の選択を見出す。
「勝利でも敗北でもない――戦争の早期終結ただ一つ。その為に戦姫の協力が必要不可欠です」
その言葉に、全員が視線を凱に投げかけた。
少なくとも、凱個人の意思は戦争へ介入する気はない。あくまで『目に映るものを全て救う勇者』という姿勢を貫くだけだという。
戦姫に協力を持ち掛けた理由は、凱に一つの懸念があったからだ。
おそらく、ブリューヌ掌握に目途をつけた瞬間、獅子の眼光はジスタートへ向けられる。
そうなれば、真っ先に標的となるのはライトメリッツやオルミュッツ、レグニーツァを始めとした7公国だ。
王都の結界の役割を果たす公国が戦略されれば、ジスタート首都は壊滅的な打撃を受ける。
だからテナルディエは銀の流星軍に加わる戦姫を捕縛したのだろう。特に銀閃と凍漣の両国は公主不在だ。ヴォージュ山脈を挟んでアルサスと国境を接している点において、凱としては見逃せなかった。いつか、銀の逆星軍がライトメリッツとオルミュッツを奪いに来るかもしれないと――――
奇しくも、それは内乱初頭、テナルディエがアルサスを焼き払う要因と同じだと分かるものなどいなかった。
「分かった。戦姫については余から伝えよう」
軽快な口調でヴィクトールがいい、ヴァレンティナは表に出さないものの、流石に驚いた。それは凱も同様だった。
リムから聞いた、戦姫に対する王の態度は『たよりない』という印象だった。だが、あくまでそれはエレンの印象。好きか嫌いかと言われれば、好きではない。とりあえず王だから接しているという認識だった。
超常の力を持つ戦姫を恐れるあまり、戦姫同士を争わせる始末だとも聞いている。しかし、その印象はあくまで印象に過ぎなかった。
その戦姫でさえ打開できない状況にあり、時代を動かす可能性を持つ超勇者を前にしたならば、凱の力を恐れるはずだ。『人を超越した力』を――。
「なに、これでも余は連栄なる黒竜の代理だ。例え『陰険』や『度胸がない』と揶揄されても――王であることに変わりはない。それに複数の戦姫と接点を持っていれば、シシオウ君も今後何かと動きやすくなるであろう?」
その発言に凱は虚を突かれた。
例え高齢に差し掛かろう老体でも、王として賄われたその眼力と観察力はいささか衰えていない。
「ご慧眼恐れいります」
「この程度はな。『有能』な戦姫が余の膝にいると思うと、いろいろと考えさせられるものだ」
そう視線をティナに送ったヴィクトールは、どこか迷いさえ晴れたように凱は感じた。
同様に、ヴィクトールもわずかな会話で感じ取ったようだ。この青年ならあるいはと――。
「智勇を兼備し、政戦両略に長け、優しさと厳しさを兼ね備え、状に目を曇らせず、かといって理に傾くでもなく、正義漢にあふれた王……そなたなら成れるだろうな。『勇者王』に――」
かつて、機界文明が猛威を振るった時代に、人々が求めた英雄最大の称号を、ヴィクトールは『勇者王』を『魔弾の王』と比してこう述べた。
(勇者王……そうだ。俺は『勇者』でなければならない)
ヴィクトールの言葉を受けて、ゆっくりと心に染みこませる凱だが、一つだけ怖さを抱くものがあった。
(だけど……俺は決して『王』には成らない)
王とは、勇者が挑むべき存在だ。対立する称号が肩を並べていいはずがない。
それでも、ヴィクトールが込めた想いは本物だということを、凱は信じることにした。
【副題―時代の転覆現象。黒船】
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ところでシシオウ君は『黒船』なるものを知っているか?」
「黒船?」
とっさに出たヴィクトールの言葉に、凱は声が出なかった。
知らなかったから、言葉を返せなかったのではない。単語の意味
黒船――――大気舞う蒸気は『闇』を散らし、神なる汽笛の『死』奏に『夜』も眠れず。
もはやこのような『狂歌』は、レグニーツァやルヴーシュでは子供でも知っているものだ。
ブリューヌとジスタートは同一の神々を信仰している。
これは、夜と闇と死の女神ティル=ナ=ファの『眠り』の摂理を妨げるとして、皮肉や揶揄を込めている。
黒船から持ち込まれた産業遺産によって、『人』は夜遅くまで活動するようになった。
ランプを灯す『潤滑油』や汽笛を鳴らす『燃える水』――それらを確保することは、『夜』の時間を確保することに等しく、人はより『光』を求めて他の土地を貪るきっかけとなったもの。
王の口から語られた『黒船』とは――
勇者の認識ではかつて、幕末三大兵器と歌われた黒き国家兵器。たった一隻で幕末の日本は全土を揺るがす混乱に陥る。
地球暦1853年。『幕末』の動乱を生み、『戊辰戦争』の火種を生み出したきっかけとなった存在――その名は黒船。
「幾度となく大陸に『黒船』が襲撃してきた。彼らは我が国に『文明の孤児』という事実を、まざまざと見せつけてきたのだ」
いつの時代でも、黒船のやることは何一つ変わらない。勇者王の歴史でも。魔弾の王の時代でも。
「我が国の滅亡に際し、戦姫を救った救国の英雄――義息ヴィッサリオンがいなければ、たった一隻の船に我が国は大混乱に陥っただろう」
「ヴィッサリオンさんが?」
レグニーツァ、ルヴーシュ、オステローデから成る『三国同盟』の盟主であり、ジスタート王から絶賛を浴びた時の人。
凱やハンニバルの知らないヴィッサリオンの姿が、ジスタートにある。
独立交易都市から去った時の別れ言葉は、自衛騎士団の中で語り草となっている。「私の国があるとしたら、それは私自身で探してみたい」と。
「数年後、ヴィッサリオンから書簡が王都へ届いた。『海の黒船なりし『魔王』の再来は近い。丘の黒船なりし『勇者』が必要だ』――と」
まだあの暴力の軍船がジスタートに舞い戻るのか?不運な知らせは一文と共につづられる。
しかし、何も大きい不運な知らせだけではない。小さな吉報さえも届けられた。
「ある文章が添えられたときは、僅かとはいえ歓喜したものだ。『追伸~~俺に義娘が出来たんだ』とな―――――――――娘の名はエレオノーラ」
凱とフィーネとティナの目が見開いた。
無理もない。直接的な血のつながりなど無いとはいえ、『祖』と『父』と『娘』の連綿なる魂の絆が、今目の前にあるとは思わなかった。
そして、フィーネの心境に後ろめたさも生まれていた。そのヴィッサリオンを斬った張本人が自分だと知ったら、おそらく目の前の王は私を一生恨むのだろうと。
(……もしかして、ヴィクトール陛下が謁見の際に叱咤したのは、エレオノーラ姫の身を案じた為か?)
以前、ライトメリッツによる突然のブリューヌ介入に際し、エレオノーラは事の顛末を報告するために王都シレジアへ出向いていたことがあった。
王の許しを得ることなくアルサスへ軍を進めることは、ライトメリッツの防衛線を逸脱するだけでなく、ジスタートによるブリューヌ侵略戦争と捉えかねない。
――傭兵のような真似事をして!そなたは我が国を危険な目に合わせるつもりか!?――
それは、王の元へ身を固めてくれなかったヴィッサリオンへの憤りなのだろうか。あの時、過去から今へ至る積み重ねから、つい『傭兵』などと発してしまった。
戦姫は王に膝をついて竜具を授かった。
だが、勇者は王に膝をつくことはなかった。役目を終えた勇者の末路――竜具を王に返して王都を去った。
銀髪の『孫』に対して『祖父』の王の言葉がどう伝わったか、結局のところあずかり知らない。
王という『公』の面で警告し、祖という『私』で情が動いた故に口走った言葉であったとしても、その想いだけは決して嘘ではない。
「……ヴィクトール陛下?」
しばし無言となった王に気遣い、勇者はどうしたのかと問いかける。
「どうもいかんな……『謁見』を思い返すばかりで」
その時のヴィクトールの表情は、とても厳格な『王』とは程遠い……一人の『祖父』の笑みを浮かべていた。
それは、とっさにこぼれた『肉親』へのいたわりのようでもあった。凱の腰に備わっている、銀閃の紅玉に瞳をのせたまま、ヴィクトールは視線を外すことをしなかった。
竜具を介して人の心は紡がれていく。時代の先さえも。あまねく幾つもの未来さえも。
――ここまで人の未来をつなぎ合わせてしまうとは……ヴィッサリオンさん、俺は一人の『勇者』として、万民の『英雄』の貴方に、ぜひともお会いしたかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「最後は……『黒船』についての対応です」
先ほどヴィクトール王から発せられた単語を、凱は再び唱えた。
ヴァレンティナによって広げられた地図を見渡し、勇者はジスタートの『とある』海原の入り口を指す。
「……ヴァルタ大河?」
凱は無言で頷いた。
整った唇の戦姫から、透き通った疑問符が響く。謀略家を自負する彼女にしては珍しい仕草だった。
だが、凱の指さした地点はそれだけではなかった。
「フィーネ。この石とこの小石をレグニーツァ、ルヴーシュに――それぞれの公国へ」
言われた通り、フィーネは次々とポリーシャ――レグニーツァ――ルヴーシュ――オステローデ――今度はそれぞれに拳ほどの大きさの石片を置いていく。
一見、要領を得ない石並べ遊びなのだが、次の石を並べた時に一同は何かに気づいたようにハッとする。
「この『黒鉄』をルテティアのディエップ港へ――」
一回り大きい物体を指示された場所へ置くと、ブリューヌ内部の相関図が浮き彫りになる。各勢力と国境能力を可視化した『地図』が出来上がった。
「なるほど……その鉄屑が『黒船』というわけか」
オーガスタス=アーサーが意味深げにつぶやく。
再び凱は皆に地図へ注目を集めるよう声をかける。
「みんな見てくれ。均衡が非常に繊細性の富んだ配置となっている」
ほぼ『銀の逆星軍』の領地と化したブリューヌが、ちょうどジスタートに隣接している。そのジスタートはライトメリッツ、オルミュッツの主不在の為に、ちょうどいい『穴』ができている。
そして、各国はブリューヌ領土の切り取りを断念している状態だ。当面は『赤い馬』と『黒い竜』のにらみ合いと踏んでいるだろう。
頭の中でチェス盤を想定したヴァレンティナは、口元に手をつむんだ。
――――詰み。
既に王手をかけられた盤上の采配。それどころか、『星』に『王』を奪われたといった方が正しい。
敗北状態のノーゲームにして、絶体絶命のノーライフ。
この四面楚歌にして孤立無援の状況。こんな状態で先ほど語られた『黒船』がヴァルタ大河に来航した瞬間――ジスタートは壊滅的被害を被る。
陸からの侵攻戦略は、戦姫を捕虜にしたときにほぼ完遂状態となった。テナルディエ達の残す問題は海からの侵攻だ。
レグニーツァ、ルヴーシュ、オステローデ。陸戦公国と連携のとれない相手なら、例え一騎当千の戦姫といえど手の打ちようがあると踏んだのだろう。
これでは数十年前に開かれた『ヴァルタ大河攻防戦』の二の舞だ。
なお、凱の語る結末は皆の常軌を逸脱していた。
「海と陸に分散侵攻させた『別働部隊』が、王都目前で合流して完全包囲して一気に占拠。おそらく、これが彼ら『銀の逆星軍』の描くシナリオでしょう」
そう推測した凱には一つの根拠があった。
過去の機界眷族……地球外知生体認定ナンバーEI-16との戦闘記録が凱の頭によぎったからだ。
通称、列車砲ゾンダー。
敵の潜伏先を断定したはいいが、あまりの超長距離射程な為に接近することができない。そこで凱はある作戦を立案した。
ガオガイガーを構成するガオーマシンと、コアとなるギャレオンを分離状態で現地へ移動させるものだった。
故に、敵の目前で最終合体するリスクを伴うこととなる。
しかし、これによって敵の攻撃目標を一つに限定することなく、さらに敵に感知されることなく任務をこなすことができたのだ。
肉を切らせて骨を断つ。そう勇者王からの名誉を残した、恐るべきゾンダーであったのだ。
もし、テナルディエとガヌロンが凱の正体を知っていて、皮肉をきかせているものならば、おのずと心理状態を読めてくる。
二人の『獅子』――『猛獣のテナルディエ』と『魔獣のガヌロン』、何より、皮肉を嗜む奴らのことだ。そういった遊び心が隠されていても不思議ではない。
(いや、俺以外にも、他にも誰かに対する皮肉を込めているはずだ)
ヴィクトールは不安な声色で凱に尋ねる。
「本当に……黒船がジスタートへ侵攻すると?」
「いえ、例え話ですよ。本当に黒船ではないにせよ、『黒船に匹敵する何か』があると思います」
海からの運河は、テナルディエにとって格好の進軍航路だ。もし、自分がテナルディエ公爵なら、皮肉を込めてティグルとエレン、そしてミラを同行させる。
(リムアリーシャさんの話なら、彼女たちはレグニーツァの戦姫と親密な『仲』……いや、『友』だったな)
――――まさか!?
第20話『混迷の時代の願い星~勇者の新たなる旅立ち』【Bパート 】
【深夜2:00・ジスタート・ルヴーシュ・バーバ=ヤガーの神殿入口】
「これで分かっただろう?今の貴様ではテナルディエ・ガヌロンには到底敵わない」
密談を終え、すれ違い様に凱へ忠告するシーグフリード=ハウスマンの姿があった。
言われてみれば……いや、言われなくとも分かっている。それは、凱自身が身を以て痛感した。
かつてテナルディエ軍がアルサス侵攻した時、凱は元『帝国戦士団』ノア=カートライトと一戦交えたことがあった。元々ノアとシーグフリードは同じ団に所属していた。それどころか、シーグフリードとノアは団長と団員の間柄……いや、ノアの『天譜』の才能を書き記したのもシーグフリード本人だ。
アルサス防衛戦でノアには押され気味の引き分けで終わり――
今回のバーバ=ヤガー神殿における遭遇戦で、シーグフリードに『勇者』では歯が立たず、『王』に目覚めてもほぼ互角だった――
すれ違い様に凱の肩をパンと叩くと、シーグフリードは一言吐き捨てていった。
「……代理契約戦争時代のお前に――期待しているぜ」
銀髪鬼の言葉はこれで終わらない。
「だからさっさと『勇者』を辞めて『王』に戻っちまえ」
しばし茫然として凱の視線は彼から離れなかった。
不思議だった。一瞬緩んだかに見えたシーグフリードの目元を見ると、凱にはそうなぜか思えて仕方がない。以前のシーグフリードなら決してここまで言葉を投げかけたりしなかった。それは、少なくとも凱のどこかを認めている故の『声援』かもしれない。それとも、単なる気まぐれなのか――
いずれにせよ、どのような知略を立てたところで、ノアやホレーショーといった『一騎当千』、『百戦錬磨』の力を持つ猛者達の戦いは避けられない。
踵を返す「人ならざる者達」の団長の後姿を見送る凱であった――
―――そして、今度は『国王』が『獅子王』に別れの言葉を送る番となった。
「ではまた―—『月の欠けた夜』にヴァレンティナを向かわせよう」
月の欠けた夜……つまり、三日月が訪れるのは約一か月後。お互いの動向と銀の逆星軍対応を考えれば、それくらいの期間が適切かもしれない。
「――虚空回廊」
袈裟斬りにエザンディスを一閃する虚影の幻姫。裂かれた空間からそれぞれを送り届ける『通用口』が開かれる。
長い会合を得て今後の方針が定まった皆は、それぞれの活動場所へ戻っていった。
ただ二人、『王』と『戦姫』が残ったまま――
「シシオウ君……」
かすれた声で王は勇者の手を両手で抱え込んだ。次第に、冷たい涙の滴がぽたぽたと垂れていく。
落ちる滴の冷たさに、秘められた想いの暖かさが感じられたのは、これが本当のジスタート王の心なのだろうか?
それとも、勇者が『この案件』を引き受けたことに対する安堵からだろうか?
だが、王から発せられた次の言葉で、『打算』なきものと理解する。
「どうか……エレオノーラを――」
声を区切り、詰まる喉から彼女の愛称を告げる。
「エレンを……頼む」
一瞬、凱の感情が虚空の彼方へ映ろうとしていた。
彼自身、彼女に愛称を呼ぶことを許してもらっていない。
当たり前だ。ヴィクトールとエレオノーラは『王』と『戦姫』の主従関係。二人には常に『公』が必ず付きまとう。
それでも……それでも……
許されるなら、今一人の『人間』として告げたかった。
義理息子の忘れ形見の……エレオノーラという真名ではなく、エレンという愛称で――
王さえも自覚のなかった『弱さ』を知った勇者の返答は簡潔を極めた。
「はい」
たった一言……たった一言だけ勇者は答えたのだった。王の止めかけていた涙が、再び溢れかえる。
それだけでも、王にとって全てが救われたような気がした。
そして――
ヴィクトールが虚空回廊へ去り、やがて一人になったヴァレンティナを凱は呼び止めた。
「ティナ……」
だが、ヴァレンティナは凱に振り向くことはなかった。
脳裏によみがえる幻想の記憶。
――『獅子王凱』だ。今日は美女の電撃来客だな。望んでもいねえのに――
どうして、彼女が独立交易都市へやってきたか。
――私はオステローデから参りました「ヴァレンティナ」と申します――
なぜ、凱と接触を図ったのか。
――私の事はティナと呼びなさい。今度から他人行儀みたいな呼び方したら口を聞いてあげません――
それらは全て遂行すべき『任務』故に行ったこと。
――これ欲しいです!――
でも……キミと過ごしたあの時だけは、本当に……かけがえのない大切なものだったんだ。
「君にとっては『任務』だったかもしれないけど……俺にとっては大切な『幻想』だと思っている!俺はそう信じている!」
切に――まっすぐにほとばしる凱の想い。
もし、彼女の本心が望まなくても、凱は自分の気持ちを偽ることが出来なかった。
誰かの為にウソをつく。以前、ティグルにそう話をしていたことがあったのを思い出す。
彼女だって、掛け替えのないものを守る為に、自分を偽り続けてきたはずだ。
幻想は現実へ解けていくけれど、『記憶』だけは残るもの。
「例え……ひとときの『夢』だったとしても」
最後に絞り出した――凱の言葉。
だから――余計に分かってしまうのだ。影の裏側にある『光』のような一面を。
果たして……凱の言葉はヴァレンティナに届いたのだろうか?
「ガイ」
静かな声。勇者の名を呼ぶ戦姫のつぶやきは、どこか枯れているように聞こえた。
振り向こうとせず、これから戦いへ赴く勇者を労る雰囲気さえも見せない。
(……あなたは本当に……善人すぎます……)
彼女にとって、凱からかけられる言葉の一つ一つが、拷問のように心へのしかかる。そのような錯覚が拭えない。
――私はあなたを騙しました。
――全ては、オステローデを豊かにするために。
――ジスタートの国益を第一。その中にオステローデがある。ただそれだけに。
――ガイとの幻想の品……多目的通信玉鋼を手放さない……浅ましい女。
――赤子のような産声を上げて泣いたガイを抱きしめて……心の中で描いた空想ではなく、頭の中で記した計算の上で。
記憶を揺り起こすたびに唇がぎゅっと閉まる。
ヴァレンティナの律儀が、涙をこぼすことを許さなかった。泣いて見せたところで、結局楽になるのは自分自身だけだ。これからブリューヌの動乱へ挑む凱の負担が楽になるわけではない。ならば、自分は異名に相応しい|虚影の幻姫≪ツェルヴィーデ≫の役回りを演じるべきだと思い、気持ちを落ち着かせた。
「現実を壊すことよりも、幻想を叶えることのほうが難しい――そういうことです」
喉を詰まらせた言葉がこれか。
もう少し、まともな言葉もあったのだろうか?
本当にかけたかった言葉は、こんなものではなかったのに――
「私もあなたと同じです」――ただそれだけを、まっすぐ伝えたかった。なのに――
数秒置いて、ティナは歩みを再開する。対して、「ティナ」と凱はもう一度呼び止めた。
「これだけは言わせてほしい……『幻想』を……ありがとう」
突き放したはずの一言に対する返答――ありがとう……が?
――これ以上、私の心を苦しめないでほしい。
――どうせなら、目の敵の言葉を私にかけてほしかった。
――恨めしく侮辱してほしかった。
だから、彼女は心の中で凱に恨み言を一方的にぶつけ、虚空回廊へ帰していった。
――本当に……卑怯……です……シシオウ……ガイ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
その場に残った『獅子』と『隼』――獅子王凱とフィグネリアは今後の行動を取り決めていた。
「王都を通過してライトメリッツ方面へ向かって銀の流星軍駐屯地へ合流……随分と手間をかけるものだな。ガイ」
銀閃アリファール。凱の腰に据えられた剣の秘めたる力を知っていての、フィグネリア――フィーネの発言だ。だが、過去を振り返り、やがてそれは失言だと悟る。
以前、エレンの消息について凱に問い詰めようとしたとき、ルヴーシュの虎街道で彼を追い回していた時があった。無理に凱の背中を追いかけて――崖に転落したのを、対象者である凱に助けられた。本来なら飛翔竜技である『風影』を用いれば、この程度の崖など難なく脱出できたはずだ。
なのに、凱はそれをしなかった。その理由は凱本人から語られる。
「仕方ないさ。銀閃の力を使えば俺達を警戒する戦姫や銀の逆星軍が感化して行動に出てしまう。ヴィクトール陛下は戦姫様に打診してくれるといったが、当面日数を有するはず。そういう事で『竜技』はしばらく控える」
まだ戦姫の正邪が掴めない故の結論だった。フィグネリアとて、知己の戦姫が一人いるのだから、凱の判断はある意味では当然と言えた。
無論、銀の逆星軍の間者とて例外ではない。
「……フィーネ」
唐突に呼ばれたフィーネは、ゆっくりと凱に振り返る。
「もう俺達は――止まることを許されない」
このとき、フィグネリアは『大いなる時の流れ』を直に感じ取っていた。
それは、この場にいるもの……いや、大陸国家全ての運命を決定づける日だということを――
時代は――今この時を以て、再び流れようとしている。
【二日後・ジスタート領内・ライトメリッツ付近郊外・銀の流星軍陣営地】
ジスタート王から『書簡』という通行許可証をもらった凱は、最大走力で銀の流星軍へ帰還した。天然自然の障害物がある公国周辺を経由するより、街道整備の整っている王都経由のほうが移動経路として申し分ない。多少遠回りだったとしても、夜通し馬車という交通機関を利用すれば、時間損失を補うどころかお釣りがくる。
実の所、ジスタート7公国において直接戦姫同士の国は隣接していない。直接的による公国間戦争を防ぐ為に、公国と公国の間に王家直轄領が敷かれている。そこからなら王家発行の『書簡』が大いに働いてくれる。そう判断した凱の行動は実に早かった。それが僅か2日間で帰還できた要因と言えよう。
ただ凱に付き添っていたフィグネリアの心情は、複雑なものだった。
(会わずに済むなら、そうしたいんだが)
一応、凱の話によれば、この幕営の中にリムがいるようだ。
だが、顔を合わせないことは避けられない。凱も彼女と共に戦う以上、立場上彼女を紹介しないわけにもいかなかった。
決して気が重いわけではない。別種の気の迷いが足を重くしているだけなのだろうか?
彼女らにとって『敵』同然である自分が、なぜここに来て、何をしようとしているのか――
ただ、『決着』を付けたいだけなのか?何に対して、何のために、誰を追い求めて?
行きかう疑問が、渦巻く疑念が現れては頭の中で振りほどく。しかし、やはり迷いまでは振り切れない。
(フィーネの様子がおかしい……俺の思い違いか?)
凱は知らなかった。エレンはともかく――今、銀の流星軍の中核を担うリムアリーシャ――リムとフィーネの再会は、少なくとも凱の想像していたのとは、別なものだという事を。
『銀の流星軍』の中枢が集う幕舎の入り口を通る。一声かけて「どうぞ」との返事を確認し、頭を下げて入場する。
ライトメリッツのルーリック、ブリューヌ貴族、マスハス=ローダントに加えてオージェ子爵とせがれであるジェラール、カルヴァドス騎士団オーギュスト。そして、エレオノーラ姫の傍らに立ち続けてきたリムアリーシャの姿があった。
「ただいま戻りました」
「おお、戻られたか!ガイ殿!」
マスハスの声を聞いて、凱は幾らか頬を緩めた。直後、何やら困惑したような表情を見せ、全員に視線を配る。
気まずそうに凱がルーリックへ声をかける。
「一体どうしたんだ、ルーリック?」
「は、はあ……それが……それよりもガイ殿、そちらの女性は一体?」
「ああ、先に紹介するよ。彼女は」「―――――フィーネ」
凱の紹介を遮る形で『隼』の愛称を告げたのはリムだった。
「どうしてあなたが……ここに……」
普段から見せる冷静さの欠片もなく、かすれた声を発するのがやっとだった。その表情は愕然とし、眼を見開いてこちらを見ている。動揺が、艶のない金髪が繊細になびく。まるで波間に揺れるさざ波のように。
「久しいな――リム」
どうしてフィーネがリムを知っているのか、ふとした疑問は僅かな思案で払拭される。
以前リムが話してくれた、彼女自身の過去を思い出す。まだエレンが戦姫に選ばれる以前、二人は『白銀の疾風』というジスタートの傭兵団に所属していた。ヴィッサリオンという団長を務める男は、エレンとリム――二人の義父として育て、ある戦場で討ち取られたと聞いた。その時、まだリムは凱に『乱刃のフィーネ』の事を告げていなかった。そして、フィーネもまた凱にエレンとリム――ヴィッサリオンの確執も。
「初めまして。銀の流星軍副官を務める、ルーリックと申します」
そして順繰りに挨拶をするマスハスやジェラールの対応をみて、流石にリムも幾何かの冷静さを取り戻す。改めてリムも自分がエレオノーラ様の副官を務める立場の自己紹介をする。
終えて、再びリムは感情に身を委ねて『隼』に問う。
「なぜ……あなたが」
場の空気が凍り付く。リムの問いはまるで、精神と時を凍てつかせる吐息のようだ。
「エレン―――ヴィッサリオン―――そう言えばわかってくれるんじゃないか?」
「あなたが……二人の名前を口にするなど!?」
「リムアリーシャさん!」
口で語るより、意思と態度で示された会話の流れ。
凱には、二人の隠された事情など分からない。
だが、リムの今の剣幕と、静かに語る『隼』の囀りが、凱に確信と核心を抱かせた。
間違いない。この人たちもヴィッサリオンさんと深い連糸が絡んでいる。
「フィーネ……どうして俺に話してくれなかった?」
別に聞かれなかったから、と言えなかった。半分、必要以上に話す必要もなかったのだが、本当は自分から話をしたくなかったというのもある。
知っていれば、凱もリムとフィーネを会わせようと思わなかった。
――本音を言えば、誰にも心のうちを覗かれたくなかった。
場の空気を敏感に察知したジェラールが、無理に話題を変えようと『別件』を持ち出した。
「そういえば禿頭のブリューヌ人、あなたはガイ殿に何か話があったのでは?」「ああ、そうだった」
ほんのわずかだが、その場の雰囲気がかすかに緩む。それはあまりにむ不器用な持ち出し方だったが、突然の再会に『熱』を帯びた両者――フィーネやリムにとってありがたかった。
「ガイ殿に会わせてくれといって、先日ここへやってきた人物がいるのです」
「俺に?」
凱は自分の顔に人差し指を差した。
「誰なんだ?一体――」
皆は困惑したかのような……そして――一同に息を呑んだ。
「――――ザイアン=テナルディエです」
そして今度は凱が息を呑んだのだった。
【別幕舎にて――ザイアン=テナルディエとの再会】
リムにとって、フィグネリア以上に因縁浅からぬ再会はなかった。
だが、それは金色の髪の彼女だけにかぎったことではない。
ザイアン=テナルディエ。彼の存在は、ティッタにとって恐怖の対象でしかなかった。
兵に囲まれたままのザイアンが、やがて姿をあらわしていく。
「どうしてここが……いや、何故ここへ来たんだ?俺に会いたいとはどういうことだ?」
顔を合わすなり、凱は前口上を言わず、単刀直入にザイアンへ問いを放った。
それは、かつてテナルディエ軍によるアルサス焦土作戦の被害者であるティッタや、介入者達のリム、ルーリック、事前策を整えたマスハス達を考慮しての事だった。
さしもの凱も、ザイアンがティッタにしたことを思い返せば、到底許すことなどできない。あの時は、ザイアンを無傷で解放するのがティッタの願いだったから、あの場にいた全員はザイアンを見逃したのだ。誰しもが、ザイアンに報いをくれたかったはずだ。
(このザイアン=テナルディエ……自分の置かれている立場を分かっていて、ここへ来たはずだ)
そう凱の推測通り、身なりは甲冑を外され、武器も当然装着していない。「させられない」というのもあるが、少なくとも『敵意』は彼から感じられないのも確かだった。
一歩一歩、頼りない足取りだが、力強い意思さえも感じる。その歩みを保ったまま、凱に近づいていく。
――とはいえ、ザイアンを囲む一同は、腰に据えている剣の柄を緩むつもりはないようだ。
すちゃりと、誰かが刃の弦の音を鳴らす。
何故なら、一つの可能性さえも捨てきれないからだ。このザイアンが『弱者』と偽って『勇者』の凱を殺すのではないかと。
実際のところ、ザイアンの狙いは誰にもわからない。だが、凱自身とその竜具『アリファール』も欠かすことのできない、現在の『銀の流星軍』には必要な力だ。油断して失われる愚だけは、犯すわけにはいかない。
返事のないザイアンに対し、凱はもう一度言葉を投げかけた。
「……まずは、君の『真意』を確認したい」
しかし、抜刀するのも躊躇われている。それに反響して沈黙も訪れる。
「オレは……」
ためらいがちな声が、幕舎に伝わる。凱と対面して初めて発した彼の言葉だ。
「父上、フェリックス=アーロン=テナルディエの命令によって、ここ対『銀の流星軍』斥候の任を受けている」
まるで自殺行為に等しい発言だ。もし、これがウソだとしても、敵側の陣内でこのような事を申していいはずがない。
緊張――とは違う種の大気が張り詰める。やはり、彼はテナルディエ家の者。誰もが敵対の意思を抱こうとした時――
「待ってくれ!『今』の彼は『敵』じゃない!」
凱の言葉を聞き、皆はハッとする。そんな凱の態度に、ザイアンはまぶたが苦しくなるような感覚を抱く。
「――だが、オレ個人の意思は、あなた達『流星』との敵対を望んでいない」
顔を見上げ、凱の瞳を捕えて、ザイアンは自分の意志を述べる。
そしてザイアンは見た。かつて、自分が陥れようとした『侍女』の姿を。
震えるように、凱の後ろへ控えるティッタは、とっさにザイアンと目線が合わさった。
どちらかが、胸がいっぱいになったのだろう?
――自分が侍女に仕出かしたことに対する後悔か?
――若しくは、侍女の自分にされたことへの恐怖なのか?
ザイアン様を……放してください。
あの時、斬首を覚悟したザイアンにとって、侍女の言葉はどれほどの救済を秘めていたのだろう?
弱者、民、雨後の茸と自分がなじった連中、その連中に罵声を浴びせられ、死を覚悟した自分。アルサスの怒り、ヴォルン伯爵の怒りを受けて、死出に旅だとうとした。
しかし、ザイアンの処断を託された侍女は、彼女だけは違った。
特別ザイアンの生を願ったわけではない。ティグルと同じで、アルサスも襲われて、悔しくて悔しくてたまらなかったはずだ。
ティッタは、あの時抱いた『恐怖』という気持ちを、『勇気』の心で別の所へ向けようとしていたのだ。
当然、ザイアンを釈放してしまえば、避難の嵐をティッタが受けるはずだ。それさえも勇気で受け止めて――
(……どうもかつてのザイアン卿とは印象が違うのう)
一人、マスハス=ローダントが心の内でぼやく。
以前、20年ぶりにブリューヌとジスタートが事を構える『ディナントの戦い』の野営地で、ザイアンとティグルの間にはいり手ほどく仲裁したマスハスらしい感想だ。
ぐんずりとした体格の初老貴族が推測する通りだった。
これまでザイアンは他人を思いやる行為をした事がなかったし、気に掛けることもなかった。しかし、あのアルサス襲撃戦の敗北から続く、長い放浪旅が彼を変えた。ザイアンはこれまで考えたためしのないことを、繰り返し考えた。
それこそ、ブリューヌの端から端まで渡り歩くほどの、腐るほどの時間が生まれたからだ。
それなら、私は……エレンはどうでしょうか?
リムアリーシャ――今だ自分は『フィグネリアにヴィッサリオンを討ち取られた』という現実に絡めとられている。
ティッタとザイアンはまるで……先ほどの自分とフィグネリアに重なっているのではないか?もしくはその逆なのか?
再び訪れた沈黙に対し、リムは懸命に言葉を探す。軍議の理屈理論は山ほど熟知しているのだが、こんな時に何を言ったらいいのかまったくわからない。
「……貴方が……『銀閃の勇者・シルヴレイヴ』の……シシオウ……ガイ殿……ですね」
ザイアンの丁寧な物言いに、凱は目を見開いた。かつて「殺せって言ってんだよ!!」という獣のような遠吠えの面影は感じられない。
「あなたに……会いたかった」
震えるような声から絞り出された言葉。
ザイアンにとって、それは『喪失』から生まれた、ささやかな『流星』にして『希望』だったのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「―――――あなた方は本気なのですか!?父上……いや、『魔王』と戦うと」
ザイアンは言いさして絶句した。今回のブリューヌ内乱について、凱はザイアンに説明したのだ。
ほぼフェリックス政権の置かれたブリューヌを開放する為に、ティグル達を救出して王都ニースを取り戻す。そのことが銀の流星軍が解体せずに、ブリューヌ勢力圏侵入を伺っている理由だ。
もちろん、銀の逆星軍からすれば、銀の流星軍のような『解放軍』がいつまでも存在されては困ることになる。だが、ムオジネルやザクスタンのような傍観国からすれば、彼ら銀の流星軍の選択は蒸気を逸したものに見えるだろう。
――民草に非道を働く魔王を穿たん『流星』が、ブリューヌに真の平和を取り戻す。
理由はいいが、それですべての流星が砕かれては意味がないではないか?
だが、そんなことはもちろん凱にも、ここにいる全員にも自明のことだった。凱は静かに頷く。
「ああ。一番過酷な『道』だということは……わかっている」
二人きりになった凱とザイアンは互いにそんな話を交わしていた。このザイアンという青年、ティグルと年が近いからなのか、年相応な面が僅かながら見える。そんな二人の様子を遠巻きながら、リムやルーリック達は静かに見ていた。
「それでも、それでも俺は『仕方がない』と思っている。想いを描き、形作る為には避けて通れないから」
腰に据えられたアリファールの紅玉を見やり、凱はつぶやく。
「戦争もまた……避けて通れない道なのだろうか?」
そのような問いに、誰が答えることが出来るのだろうか?
アルサスを守る為に、ジスタートの力を借りたティグル。ブリューヌを護る為に、アルサスを焼き払おうとしたフェリックス。
あの時、あの人がああしなければ、こうはならなかった。結局、人は刷り込まれた本能のように『自分』を取り巻く環境こそが大事だと信じ、他者の介入を妨げることを止めようとしない。
『ディナントの戦い』――あの戦いがティグルの運命を、テナルディエ公爵の人生を大きく変えてしまった。
戦争という大波に呑まれ、『敵』を倒すことがティグルにとってアルサスを、テナルディエ公爵にとってブリューヌを護る行為だと信じて戦い、ザイアンーーこれまでそんな疑問を抱いたことがなかった。
「だから貴方は……父上とヴォルンが……いや、ティグルヴルムド卿が戦ってしまったことは……『仕方がない』と?」
凱から、そして今度はザイアンが『仕方がない』という。その至極簡単な言葉に、フィグネリアには重くのしかかる。あの時の刃がヴィッサリオンに刺さってしまったことが『仕方がない』であってほしいと――
「自分だけの世界で暮らし、外界やそこで起こることに無関心でいるのは……結果的に自分の世界を滅ぼすことに繋がる……」
ブリューヌの果ての丘台――アルサス。ブリューヌ全土を見渡す眼からすれば、見ようによってはとてつもない軍用価値が垣間見える。
しかし、外界で無関心でいる狭い視野では、そのような危機感など抱くはずもない。
ディナント平原を見るがいい。数多の因果と輪廻を繰り返したところで、結局人は神意を学ぼうとしない。かつて貴様等が『治水』を巡り、『銃火』に回帰したその末路を――。
ペルクナスを筆頭にする、天上を見守る12柱の神々に恥じる事なく、人は同じ存在を喰らいあっていく。ゆえに神々は理解できない。同じ信徒の戦士たちが、なぜ同胞を消し合っていくのかと。
同じではないと考える為に、敵と侵略者を同等と考えてしまうからだ。だからいくら殺しても構わないと。
――逆星が真の自由と平和を与えよう!流星に願おうと決してかなわぬ『理想世界』を!!真の諸悪『弱者』を殲滅せよ!!―
父の公約宣言が耳によみがえり、不意にザイアンは身震いする。
「だから俺は『逆星』と戦う。砕かれてもなお輝きを失わない『流星』の為に」
「……」
ザイアンはつい、自分の喉元に刃を突き付けられた気分になる。すがるようなザイアンの視線を振り切って、凱は遥か彼方を見やる。
「それが……『人を超越した力』を持った俺の使命だと思うから」
凱の言っていることが、ザイアンには分かる。ふいに立ち上がった凱を見やるザイアンの瞳がかすかに揺れた。
「俺達はまた……戦うのだろうか?」
まるで独り言のようにつぶやいた凱に衝撃を受けて、ザイアンは勇者の横顔をまじまじと見つめる。どこか儚げな表情の凱だったが、まるで悲しむかのようにどこかを見つめる。
俺達はまた戦うのだろうか?その言葉が――重い。とてつもなく。
二つに分かれる?『流星』と『逆星』に?
流星なら弓を手に取り、その弓弦を引いて?
逆星なら銃を手に取り、その引き金を引いて?
ああ、この人にはこれ以上聞くまでもないのだろうなと、ザイアンは感じ取った。始めから、凱は勝つことを望んでいるわけではないのだ。かといって、敵を滅ぼすことを望んでいるわけでもない。
オレ達は人間だ。戦争という設備の一部でもなければ、歯車を廻す消耗品でもない。
そして、何か意を決したように、ザイアンはある事実を凱に語るのだった。
凱はザイアンを信じて話してくれた。ならば、自分も凱を信じて話すべきではないか?
「オレは……父上の居場所を知っています」
凱の視線がザイアンに向く。
「――――――――アルサスです」
今度は、銀の流星軍に一筋の光明が訪れたのだった。
「どうか……父上を……いや、フェリックス=アーロン=テナルディエを……止めてほしい!」
後書き
次回は本当に『奪われた流星の丘アルサス~再戦のドナルベイン』です
第21話『奪われた流星の丘アルサス~忍び寄る魔王の時代』【アヴァン 】
『なぜ』――――とヒトは一生の内に感じることは多々ある。
思いがけない行動。起こり難い事態。描ききれぬ現象。
想定外はともかく、予想外のそれらに『理由』を付けることは難しい。
ひとりの『青年』は必ずしも『アルサス』を救う必要などなかったはずだ。
同時に、ひとりの侍女も『アルサス』を訪れる必要もなかったはずだ。
それでも、ひとりの『傭兵』には――はっきりとわかっていた。
力無き侍女はアルサスの領主代理として、その地に住まう民を護る責務があり――
大義無き青年は『助けて』という誘惑に類する甘声に抗えない。
だが、それでも『なぜ』と思わざるを得ないものがいた。
ザイアン=テナルディエ。
彼は以前に一人の青年の戦いを見た。黄金の鎧纏いし勇者の聖戦を。
どういうわけか、彼はその『人を超越した力』を即座に振るおうとせず、まるでガラス細工を扱うかのように、己の力を振るおうとする。
仲間を気遣うのは分かる。だけど、敵の生命さえも大切に扱う青年の真意は分からない。
―――――――――何故だろう?
銀閃の風姫が自軍の地竜を真っ二つに処断した、至宝アリファールを持っているにも関わらず。
一騎当千……などというぬるい言葉では片付けられまい。
戦場を闊歩できる力を持ちながら、約束されし勝利の剣さえもありながら。
銀閃竜の牙を携えしその青年は告げた。
――俺は敗北も勝利も望んでいない。
――俺が『流星』に望むのはただ一つ。戦争の早期終結。
そして、本来なら『敵‐カタキ』同然である自分を信じて、父上の居座るアルサスへ向かおうとしている。
人は生まれる『何故』に理由を付けようとして、相手の意図をたどろうとする。
己と敵。
利益と損害。
思考と行動。
美徳と大罪。
原因と結果。
温情と打算。
結局理由を求める基礎は、生命が『相手より優れていたい』・『自分より劣っているか、いないのか』という、己の保身と安定を求める故の生理現象かもしれない。弱者と強者の輪廻……『弱肉強食』という摂理もまた、生命体が『生きる』という営みをするうえで、避けては通れない呪縛の一つであった。敵と認識し、狂気に堕ちたその先で、やがて『生きる』ことに対して『何故』を問う者も次第に現れた。
カルネアデス――生きる意味を問う一枚の舟板。
地球上たった3割の大地にて、肺呼吸を行う生命体で満たされている現実。火山活動と地殻変動を幾重にも繰り返し、元々は一枚の船だった『大陸』もやがて『王制国家ブリューヌ』・『列州国家アスヴァール』・『東方国家ヤーファ』と名付けられる土地を始めとした7つの舟板に分断された。波間に漂う舟板のような残された土地を巡り、敵と認識し合ったヒトは剣と馬を操り、生存権を巡って争いを始めていった。
飽くなき輪廻のような戦いに、ヒトが疑問を抱くのも時間の問題であった。母のあたたかい肉体から生まれ出で、いずれ自我を抱く赤子の時のように、『何故俺達は戦う?頂いた勲章の為?王の命令だから?』という戦争へ疑問を抱いたヒトの『萌芽』も拓かれた。
やがて訪れた終戦と同時に、『戦争』によってそれまで安定を保たれていた地球上に、未曾有なる天災の事象が訪れる。
平和はそう長く続かなかった。―――――何故?
戦争終結による人工増加。加速する火文明。それらのもたらす、温室効果の含む二酸化炭素での海水上昇により、舟板のように漂う大陸は面積減少への拍車をかけられた。
前時代から続く、燃焼に伴う大気汚染。空を覆いつくす不純物が太陽を遮り、光合成を行えず発生する植物被害。これにより大地の汚染が加速度的に進み、作物ひとつ育たぬ死の国土が生まれた。
砂漠化。
温暖化。
寒冷化。
摂理を知らぬ咎人を裁く自然監獄。
そして――
ヒトの手など行き届いていない新鮮な土地を巡り、国々は再び剣を手に取った。これで戦争が起きないはずがない。
弱者たる小国に、強者たる大国が本能に抗えず訴える。――よこせと。
宇宙を形作る三柱の摂理。150億年前に栄華咲き乱れた機械文明が、宇宙空間から跡形もなく洗い流された、14回目の『新宇宙の孵化』を得たばかりの人類は、『だから』という回答に辿り着けなかった。黒竜の化身を覗いては――
恐らく、黒竜の化身にとって『何故』は愚問なのかもしれない。
直接的ではないにせよ、そうした知的生命体の自然破壊行為が、『古の時代』にて『造られし者』の活動を呼び覚ます結果につながった。
輪廻――摂理――遵守――そうした『宇宙の力学』より外れた者たち。人ならざる者。
戦争発端も、やがて魔物と呼ばれる彼等の発生原因も、黒竜の化身の『何故』には既に『理由』がついていた。
『古の時代』竜具もまた、そうした環境汚染と産業廃棄物たる『魔物』を『浄化』する目的で作られた。全ては生命体に『活力』を注ぎ込む為に。
ただ、生命体を突き動かすのが活力である以上、『力学』が働く。
停滞した大気が循環して、不要な粉塵物を払拭することで、肺呼吸の為の空気を洗浄透過する『銀閃』の力学。
膨大な熱量も拡散され、やがて冷却して結晶構造を保ち、生体の増幅作用を与える『凍漣』の力学。
有機物を燃やし尽くすことで発生する灰が大地に溶ける必須元素となり、生命の継続効果を維持する『煌炎』の力学。
放射した波長が波長分散を得た電磁波となり、光酵素によって状態異常から神経回復をもたらす『光華』の力学。
暁の雷衝に作物成長の突破口を開き、冬の眠りから植生を目覚めさせ、実りある豊かな楽園を築く『雷禍』の力学。
天然自然の建造物における測量技術で、仮想空間と現実物体の立体構造を形成する『虚影』の力学。
無機物層が減別、交換、分改の解体循環を得て、これら六つの基礎を建設する『羅轟』の力学。
これら力学を束ねる英知の『王』こそが、『何故』と混迷に惑うヒトを救える英雄へ至れることを、黒竜の化身は信じて疑わなかった。
『無知』そのものが罪だ。ヒトが、滅びゆく自然の叫び声に耳をふさぎ、既に犯した七つの大罪から目を反らし続ける者達の存在そのものが。
――――『だから』なのだろう。戦姫に竜具を与え、力学の自浄作用をもたらす知識にして竜技……たった一振りの『爪』を与えたのは。
汚染された大気を浄化するには、どうしたらいい?
答えは簡単だ。『大気ごと薙ぎ払ってしまう』のが一番。
太陽の光を遮る、空に舞う粉塵を沈下させるにはどうしたらいい?
答えは簡単だ。『空さえも穿ち凍てつかせる』のが一番。
すなわち――
大気ごと薙ぎ払え――レイ・アドモス。
空さえ穿ち凍てつかせよ――シエロ・ザム・カファ。
我が前に集え煌めく波濤よ――ファルヴァルナ。
双焔旋――フランロート。
天地撃ち崩す灼砕の爪――グロン・ラズルガ。
虚空回廊――ヴォルドール。
爪裂の零――ゴルディオーラ。
そうだ。これらの爪があれば、ヒト同士の紛争で汚染された大陸を浄化できる。例え現在を恨まれようとも。
300年前――『乱』の末、『王』となりて幾星霜。『今』を失おうとも、『末』の世の為。
黒竜の化身が竜具の『柄』に……そのような『詩』を刻んだのは何故だ。
我が意に従わず、自らの手で滅ぼしたテナルディエ家への贖罪なのか?
まだ見ぬ理想世界の為に準じた、彼の祖にして素の願いなのか?
何故――――それは、生きる意味を問う永遠の問答であり、未来果てぬ永久の呪詛でさえあった。
【銀の流星軍領地・指揮官幕舎】
「本気なのですか!?あなたは!」
ジェラール=オージェは糾弾した。
彼だけじゃない。父君であるオージェ子爵も、リムアリーシャも、マスハス=ローダントも、銀の流星軍の中枢はそろいもそろって声を上げた。
「相手を信用しすぎです!アルサスに向かうとしても、『個』ではなく『軍』としていくべきです!」
彼女からは厳格な教師の態度で言われた。何らかの罠の可能性を捨てきれず、油断して凱を失う愚は避けたいリムアリーシャ
「危険じゃ!今のアルサス……いや、ブリューヌ勢力圏はガイ殿が想像している以上に魔の巣窟となっておる!」
ぐんずりとした体格の壮年貴族から、かつてブリューヌ王宮で遭遇した経験から告げた。あの時、『光華』の錫杖の一振りがなければ命を落としていただろう。
己の発言からマスハスは、自領土に残されているオードの民が気がかりで仕方がないはずだ。同じ境遇であるオージェ子爵も例外ではない。今では、奴隷のような扱いを受けているのか?民の生活はどうなのか?そのような安否の情報を求めることに飢えつつある。
そのような彼等が、いかなる苦渋の中で申したか、凱にも十二分に分かっている。凱とてこの『孤立無援』に感じられる状況を、何とか打破したいのだ。
――銀の逆星軍と対立したときからずっと、銀の流星軍は敗走の連続であった。
出来る限り物資を確保しており、水以外なら何もしなくても数日を食いつないでいける糧食が手元にある。
だが、今後はどこからか補給も当てにできず、全てを自力で調達しなければならない。戦姫不在のまま、ライトメリッツ帰還は果たせない。自ら敗北を告げるような行いこそ、奴ら逆星の思うツボだ。
ひしひしと……孤立した現実を思い知らされる。
ジスタート兵からすれば、元々アルサスの伯爵に「領土を守る為に力を貸してくれ」と言われた、雇用兵にすぎない。リムの戦姫不在が通達されるまで、そう思っていた。
――今は違う。
ブリューヌ、ジスタートの国境を、習慣を、そして理念さえも越えて、『全軍内部をひとつのまとまった構成員』として、彼等は結成された。
戦姫様を――!ヴォルン伯爵を――!俺達が――!俺達の拠り所を――!助けたい!!
明日という光が閉ざされし世界ブリューヌ。その明日の光を取り戻す為に。
ティグルの明確な目標があった先ほどの戦いの旅とは違い、今度は至極簡単な理由で戦おうとしている。はっきりと目標地点が見えているわけではないのだか。
「――リム」
隣から、フィグネリアがさり気なくリムの名を告げた。
「アルサスにテナルディエがいる可能性は十分あると思う。ザイアン=テナルディエ……この坊やのいう事を信じるわけじゃないけど……ヴォージュ山脈の山岳部にあるアルサスなら、拠点として申し訳ないはず。私なら、誰にも咎められることなく軍備を整える立地条件として、間違いなくここを選ぶね」
身にまとう衣装のように、彼女らしい意見だとリムは思った。地図の端から端まで――そして遠くを見渡して、それでいて決断を加速させて狙いすます『隼』のように。
それに、アルサスはちょうど山脈を挟んでジスタートと隣接している。
凱は以前フィグネリア同席のもと、ヴィクトール王に銀の逆星軍の予測経路を説明していた。『陸』と『海』から攻め立てる、多方面進軍という作戦。
『情』の面で軍は動かない。『理』の面で説くしかないと踏んだフィグネリアの意見だった。
「俺からひとつ――」
今度は凱が告げた。
「フィーネの意見の延長だけど――もし、全軍でアルサスに入った場合、テナルディエ公に気づかれて身を隠されたら、本当に手の打ちようがなくなる。兵力1000.俺達はこれで全軍だからな。できる事なら犠牲は出したくない。まずは俺が先行すべきだと思う」
やはり単独で赴く意思は変わらないのかと、リムアリーシャは凱の表情を覗き込んだ。
かつて、銀の流星軍はガヌロン公爵の降伏勧告を受けた。その時、単独でガヌロン公爵軍の使者として訪れたのがグレアスト侯爵だった。
(グレアスト公の時と同じように、軍全体の存在を悟らせないためなら『良策』なのですが――ガイさんを失う事になれば『愚策』以外ありません)
僥倖と見るべきでしょうか……と別の側面で考えてみる。
誰かを犠牲にして勝利を掴むつもりなど凱にはないが、悠長に時間をかけられないのも事実だ。手をこまねいて状況をより悪化させることも避けたい事態の一つ。
それは決して『甘え』じゃない。今後の展開上で必要なことだから。
決断―――――あとは覚悟するだけだ。
「リムアリーシャさん、マスハス卿、オージェ子爵、これは考えようによっては好機だと俺は思います」
話し合いをするにしても、決着をつけるにしても、相手の総大将がいるアルサスはまさに最良の時だ。もはや迷っている時間はない。
もし、ザイアンのいう事が偽りだとしたら即座に撤退すればいい。単独で向かう事を想定するならば、なおさらだ。
「……わかりました。ここはガイさんの提案に賭けてみましょう。確かに時間はそう多く残されていません」
リムとマスハスは顔を見合わせ、銀の流星軍中枢の人間に告げる。
「長がたに異論なくば、銀の流星軍による『第二次アルサス奪還作戦』を決行します!」
他国から見れば、再びブリューヌへ攻め込む
第二次アルサス奪還作戦――それは、先行隊の凱一人で現地を訪れて状況確認後、銀の流星軍が時間差でアルサス突入する。
ただ遠方の地にて大軍を率いるわけにはいかない。そこでリムは順序立てて説明する。
まず、連れていく兵力は1000。最適な数字というより、凱の言う通りこれで全軍である。敵陣へなだれ込む速度と貫通力を維持するならば、これ以外の数字はない。かつてティグルがエレンに頼み込んでアルサス奪還時に引き連れた兵力と同等の数字だ。
一機当千の『実力』の凱と、文字通り1000の『物量』のみが、彼等に残された最後の武器。失敗は許されない。
「進入拠点は『最も防衛力の装薄』なヴォージュ山脈からとします」
一本道のヴォージュ山脈を抜け、進入と同時に銀の逆星軍の退路を断つ。国境の役目を果たす山脈は『流星』の降り注ぐ進路を欺いてくれるはず。凱はリムアリーシャの軍略論理に思わず気圧された。艶のない金髪も相まって、どこかGGG長官の大河幸太郎の頼もしさを凱は感じ取っていた。
流星の丘アルサスを取り戻す。
決行は夕方日没。
銀の流星軍の末端たちは、指揮官階級の指示を受けて作戦の為に併走を始めた。
そして、話を聞いていた一人の侍女が、名乗りを上げた。
「あたしも……あたしもアルサスへ連れて行ってください!」
ザイアンのもたらした情報以上に衝撃を与えたのは、他ならないティッタだった。
NEXT
懲りずに次回予告です。
――父上は……この戦争をどうお考えなのですか!?――
――貴様とて容赦はないぞ!ザイアン!――
――あたしは今、アルサスを取り戻さんとする一人の『勇者』!脆く儚い道を歩む『弱者』のひとりです!――
――一兵たりとも逃がしはしない!――
――報いは必ず……くれてやる!――
次回はAパート(副題―勇者と王の螺旋曲~今こそ、私たちは勇者を名乗ります)です。バーバ=ヤガーによって強化された、魔弾の王の原作2巻で討ち取られた彼が登場です。
(後書き欄に収まらなかったので、ここへ記します)
ここまで読んで頂きありがとうございます。次回はもう少し文字数を増やして投稿します。(文字数の調整って結構難しかったりしますが――)
読んで頂きました皆様に、『魔弾の王と戦姫~獅子と黒竜の輪廻曲~』の概要を少しだけ解説します。
タイトルは御存じの通り、『魔弾の王と戦姫』が本筋なわけですが、隣にある『輪廻』こそがキータイトルであります。
本作のこだわりは、『原作と同じでいて異なる展開』に意識を傾けて執筆しています。(わかりやすい例がるろ剣の新京都編とか、ドラえもんの映画長編の新~とか)
今回のお話でも、アルサスへ向かう為の兵力は1000とか、次回予告で凱がドナルベインとの戦闘でエレンの台詞をそのまま言い返したり(凱はその時のエレンの台詞を聞いていない)と、略奪しに来たザイアンが、今度は取り戻す側に加担したりとたくさんあるわけです。
元々『輪廻』とは『転生』であり、凱のいる世界は異世界(本当は地球と同じ時間軸)なのですが、これを含めて『異世界転生』となります。すなわち、『原作が及ぼす影響』と『原作に及ぼす発生』をぐるぐる繰り返していきつく先を問い続けるのが、凱の台詞にある『この力を、この時代で、どう振るうべきか、ずっと知りたかった』に繋がります。
公式がチートと世間で謳われる勇者王もとい獅子王凱は、細胞の一つ一つが端末とか、生身で宇宙空間進出とか、プログラムやウイルスの書き換えなんて、殆ど神様から貰ったような能力(だと思う)です。まあ、凱自身もサイボーグからエヴォリュダーへ二度の『転生』を繰り返していますし、もしかしたら、『生まれ変わることで広がる世界』を差すのが異世界転生なのではと思っています。
その力に対して凱は「この身体は世界中の人達を助ける為に、神様がくれたものじゃないか」と答えます。
凱の父親である麗雄博士(凱をサイボーグ治療を施した本人)も、「本当なら、凱は2年前に死んどるはずだった。だが、こうしてサイボーグとして生きてくれとるだけで嬉しいんだ……だから、凱のやりたい事をやらせてあげたい。親として、それを見守るしかなかろう」――
じ~~ん(涙)と来ますよ。10年以上たった今でもこの言葉は……とても浸みます。人間とサイボーグ。概要の異なる世界に分かたれたとしても、親としては、異世界でも生きていてくれただけで、それが分かっただけで嬉しいと、言ってくれるのでしょうか?
別れは誰だって悲しいはず。その悲しさを繰り返さない為に、人は『異常』を『正常』に戻そうとするのです。
話を少し戻して、『チート』についてです。
チートとは、元々コンピューターに用いる言葉なのですが、本作では『別原作によって、本来とは異なる動作を行う原作』を意味します。
アリファールの竜技、メルティーオとか、クサナギとかなんて、本来は原作にない銀閃の技です。中世に比する時代の人間にとって、『断熱圧縮によるプラズマ』や『1兆度の融解熱を対象物へ瞬間伝導』させるなんて、それこそ英知の神髄が成せる――力の均衡を崩す不正行為に見えるかもしれません。
当然、『チート』の存在は『バグ』を生み出します。その結果、本来原作になかったテナルディエの秘蔵兵器『銃』が登場します。アリファールの姉妹剣エクスカリバーも誕生します。これら原作にない武器や武装は、チートを働くもの、若しくはチート自体を消そうと『介入禁止』や『アカウント抹消』という、ステータス違反をした、若しくはしている『登場人物退場』の力学を働かせています。こうして破損したシステムという名の世界は一度『RE:ゼロから始める』必要があるため――それが今回の話に出てきた『第二次アルサス奪還作戦』に繋がるのです。
長文失礼しました。次回も付き合っていただければ幸いです。
gomachan
第21話『奪われた流星の丘アルサス~忍び寄る魔王の時代』【Aパート 】
アルサスに――『黒地に銃砲』の御旗たる、テナルディエの軍旗が翻る。

西へ沈みゆく夕凪が、まるで草原を焼き払うかのように吹き付け、獅子王凱の後ろ髪を静かに仰ぐ。
無論、彼だけではない。今、変わり果てたアルサスを見下ろすのは凱のほかに、ティッタ――フィグネリア――そして、ザイアンの姿もあった。
茜色に染まっていく光景は、ブリューヌ王国の……いや、世界の終末を思わせる。少なくとも、凱にはそう感じていた。
「……本当に人が住んでいるの?」
ヴォージュ山脈の一本道を駆け抜けて、ようやく到着した目的地に、フィグネリアは思わず息を呑んだ。彼女の言葉に、ティッタの表情は沈痛な面持ちになる。
聖剣王シャルルを始祖とするブリューヌ建国より数百年、まだ王都や公爵家を除く集落は決して裕福とはいえず、近隣諸侯との戦乱や、貴族による着服問題、疫病の流行り等で貧苦に喘ぐものは少なくない。
幼少期のエリザヴェータが住んでいた寒村も――
ウルス=ヴォルンの治めていたアルサスも――例外ではない。
統治者として、『疫病』という問題に悩み、結果……村を焼いた。
疫病の蔓延を防ぐ為に村を焼き払う選択が、果たして正しいかどうかは分からない。いや、そういう選択に是非を問うこと自体が間違いなのだ。
間違った選択かもしれない。しかし、必要な選択であったことだろう。
10年くらい前……うろ覚えだが、ティグルの父ウルスが悩んでいた場面を見たことがあると、ティッタは領主から聞いたことがある。
だが、今のアルサスに漂う大気は、それとはまったく別種のものだった。
どのような寒村でも、人がそこに住んでいる以上、『
活気』が満ちている。
本来ならそこに浮かぶはずの、田畑を耕す光景が、子供達が走り回る光景が、行商人が行きかう光景が。
しかし――今のアルサスには、その活気が恐ろしく少ない。
特に――ユナヴィールの村。
アルサス一帯を見渡せる丘から、その村が真っ先に凱の目に入った。どれが廃家で、そして人が住んでいるのか区別のつかないほど荒れ果てた家屋。中には焼き払われたのか、黒焦げた柱と堀だけになったものもある。
「ザイアン……どうやらテナルディエ公爵がアルサスに居るのは本当のようだな」
「――――はい。父上は今、中央都市セレスタにいます」
今更な質問だったなと……凱は思う。
この惨状、何より、アリファールの乗せる風が、怨嗟と悲劇に叫ぶ声を、凱の耳元に運んでくる。
(ブリューヌ全体が……このような惨劇にまみれた声で喘いでいるのか?)
凱の唇が……ぎゅっとしまる。
アルサスだけじゃない――かつてムオジネルが奴隷の狩り場として選んだアニエスも、マスハス卿の治めるオードも、オージェ子爵の治めるテリトアールも、このような光景になっているのか?そう思うと、沸き上がる怒りのあまり、凱の拳が自然と固くなる。
それに構わず、隣に立つフィーネはガイに問いかける。
「まずはどこへ行く?いきなりセレスタへ?」
しばし沈黙の中、凱は行き先を告げた。
「――――ユナヴィール」
ここアルサスは、4つの村部区画にて構成されている。ユナヴィールの村もその一つだ。
遠くからでは、外観上の『惨状』しかわからない。実際に足を踏み入れて、先に『生存者』がいるか確かめなくては。
「……行こうティッタ」
最悪の場合、ユナヴィールへ足を踏み入れた瞬間、戦闘になる。
どうして力無きティッタが、凱とフィグネリア――ザイアンと同行しているのか。
時は少しさかのぼる。
【銀の流星軍・駐屯地・司令官幕舎】
「ティッタ。君は自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
穏やかで包容力の深い凱でさえ、彼女の申し出に眉を潜めた。その声色は若干だけ、非難じみている。
「俺達は最悪の場合、アルサスで戦闘になる。万が一、君に何かあれば、ティグルやバートランさん達に顔向けができなくなる」
戦いという言葉に一瞬、ティッタの表情が強張る。
一介の侍女に過ぎない自分には、到底解決できないし、凱達の力にさえなれない大きな問題なのだ。
「……過酷な運命はいつもアルサスから奪う。しかし、今回ばかりは止めねばならん」
沈痛な面持ちで告げたのはマスハスだった。
度重なる戦場へ常にティグルの背をついていき、いつ倒れるか分からぬ背中を、ずっと支えてきた。
主の疲れた身体を優しく労る食事。安らぐ環境たる寝床を整え、一日を告げる起床行動の数々を、ティッタは『使命』として尽くしてきた。
その健気な姿勢こそが、銀の流星達に明星を与えていたのだ。
「ティグルを失い、ティッタまで失ったら……わしはウルスに顔向けができぬ。ティッタよ……どうか考えなおしてくれぬか?」
凱がティグルに顔向けができない様に、マスハスもまた亡き友人に顔向けができないのだと。彼の声色に悲痛が滲む。
そして、マスハスの言葉に同意するかのように、ルーリック――リムアリーシャまでティッタの瞳を覗き込む。
「確かに、あたしは今まで剣も握った事はありませんし、戦いになれば、ガイさんとフィグネリアさんの足手まといになります」
直接の命のやり取りに関しては、ティッタの力は皆無となる。己の無力さを噛みしめ、『想い』に訴える。それが本当に自分の強さなのかと――
「戦うことが……怖く……ないのか?」
凱がためらいがちにティッタへ問いかける。
うまく問えない凱の台詞は、痛々しさを伴ってあたりに響く。
「正直に言えば、あたしだって怖いです……」
何か、ぽつりぽつりと語り始めるティッタ。徐々に灯りが宿るロウソクのように。
「ティグル様の代理として……あの地の民を護る義務があります!いざという時に彼らを守る為!あたしは!」
「ティッタ……」
責任感の強い娘だなと――フィグネリアは思う。自分を育ててくれた母以外に、生まれ育った貧村に、かつてこのような気丈の人間がいたかと。
同時にリムもフィーネと同じ感想を抱いた。かつて、テナルディエ軍襲撃のさいに、たった一人でティグルの屋敷で待ち続けていたことがあった。もし、一つでも取り間違えていたら、命を落としていたかもしれない。でも……
主に留守を任された。
それは、まぎれもない自分の果たすべき『使命』だと信じたから。
――ティグル様にこのお屋敷の留守を任されました!それを見捨てるなんて……できません!――
思い出すのは、涙を晴らしながらティグルに抗弁するティッタのほとばしる、あの言葉。
それだけじゃない。
以前、テナルディエ軍がアルサスを攻める前日でも、彼女の強さの片鱗は見えていた。
バルコニーで凱とティッタはこのように想いをぶつけ合ったことがある。
――ガイさんはくだらないと言いましたけど、たった一人の大切な人を待ち続けるのがそんなにくだらないことなんですか?――
昔を思い出して過去を振り返って凱は逡巡する。狂気と信念の構成群にて第二第三のテナルディエを生ませない、この戦いに終止符と機転をもたらす方法はないかと。
テントの隙間から冷たい風が吹いて、みんなの頬をそよぐ。
「でも――実際に私を連れていくかどうかは、ガイさんの判断に委ねます」
ティッタは自らの想いを言い切った。もし、足手まといになるなら、いっそ見捨ててもらっても構わないと。
無論、凱にそんな事できるはずもないし、するつもりなど毛頭ない。
だから凱は決意する。この子の勇気に俺も答えなければならないと。
―――――そうか。
もし、フェリックス=アーロン=テナルディエが皆の聞きし人物評価の人間ならば、ティッタの『想い』は竜具以上の武器になるかもしれない。
強者と弱者。
それを区別する者は何よりも……
(……俺はティッタの想いと、ザイアンの勇気を戦いの道具にしようとしている)
本当に俺は……正しいのだろうか?これから対峙する魔王との駆け引きに、皆の想いを『道具として』利用しようとしている。
そんな勇者が……果たして本当に正しいと言えるのか?勇者と言えるのか?正義と言えるのか?
やはり、そういった罪悪感は拭えない。自分より年若い人間の決意と『想い』をていよく利用して、戦局を変えようとしているのだから。
「分かった。戦闘になったら俺達がティッタを守る。一緒に行こう。アルサスを取り戻す為に」
一瞬、ティッタの顔に安堵が浮かぶも、次の一言で緊張に染まる。
「ただし条件がある。身の安全の優先度だ。俺達に何かあったら、ティッタ。君が真っ先に逃げてほしい」
そんな結末にするつもりはないが、ティッタまで道連れにする結果だけは何としても避けたい。
そして凱はフィーネに視線を配る。
「フィーネ。お願いしていいか?」
「分かっている。あんたなら絶対に連れていく事くらいは思っていたよ」
既にその事を予測していたのか、フィーネは気前よく返事をしてくれた。思わず凱はあっけにとられた。
リムの話では、黒髪の彼女はどうも醒めた思考ルーチンから打算的に動くと教えられていた。同じ醒めた思考パターンを持つものならば、ここで疑うことを忘れない。
だが、凱にはどうしてもフィーネに対して悪い感情を抱く人物には見えなかった。
戦姫の間ですこぶる悪名轟くヴァレンティナに対してもだった。
ともかく、凱は彼女たちに対して疑う事をしなかった。それは、二人とも自分を信じてくれているからだ。
「簡単に引き受けてくれていいのか?」
「気にしないで。単に私も『自称』魔王となったテナルディエの顔を拝んでやりたいだけだ」
なるほど――と凱は思った。過去にとある『追撃戦』の戦場でテナルディエ側に雇われていたと、彼女自身は言っていた。何かしらの因縁が絡む以上、これ以上自分が係ることはないということ。
ともかく、凱は最悪の場合、ティッタを守り切れない場合に備えて、
隼に
栗鼠の護衛を依頼した。
―――――そして時は戻る―――――
「ねえ、そろそろティッタを連れてきた理由を教えてくれてもいいんじゃないか?」
ティッタの護衛――という依頼を引き受けたのだから、せめて目的くらい教えてもらわねば、割に合わないというもの。
少し時間を巻き戻して、思い返してぽつりと思う。凱とて何か思うことがあって、ティッタを連れてきたのだろう。
最初はアルサスへ連れていくことに反対だったのが――
フィグネリアの疑問に凱は答える。
「ティッタは俺達を戦闘以外で守ってくれる。それに……」
凱の、海のように青い瞳が、ティッタのはしばみ色の瞳を覗き込む。背丈の違いもあって、不思議な感覚がティッタを包む。
「ティッタ――君には行かなければならない『丘』があるはずだ。それを分かったからこそ、君は俺達に打ち明けてくれた」
行かなければならない丘。それは決してアルサスを差しているわけではない。
この戦い。この時代。今に至る歴史から、これからの未来達を、どこへ向かって着地すべきか。
「……はい」
ティッタは固唾を呑んで返事をする。だが、その瞳は一片の迷いもない。
「戦い……以外で?」
それ以上、フィグネリアにはいくら考えても分からない。多分、二人にしかわからないことなのだろう。
このまま村へ入れば、銀の逆星軍との戦闘はどのみち避けられない。
傭兵に『戦場で出会った知己がいる場合は一思いに殺せ』という鉄則があるように、領地を奪い取った野盗にも、こういう鉄則がある。『よそ者には死あるのみ!』と。
王の聖権を奪いし獣の王。その頂点に立つ
獅子王の所業は、まさに野盗だと裏付ける。
だが、凱とティッタ――――二人の『
先導者』は別の思惑があった。
それは、かの魔王テナルディエと対峙するまで温存しなければならない、ティッタの『想い』そのものだった。
ついに凱達は麓を降りて、ユナヴィールの地に辿り着いた。
【夕刻・アルサス・ユナヴィールの村・中心跡地】
「勇者殿……ここで別れましょう」
ひとまずユナヴィールの村へたどり着くまでの間、ザイアンはずっと考えていたことを口にした。
凱はザイアンに振り向いた。その瞳はやや見開いたままだった。
「オレはこのまま、セレスタへ向かう」
つくづく情けないと、ザイアン自身思う。先ほど凱に『父を止めてほしい』と決意したにも関わらず。
セレスタとは、アルサスの中心都市であり、現在テナルディエが牛耳る奴隷都市となっている。
それでも、あの時と同じように凱はザイアンの表情を逃さないよう見つめる。同時に、ザイアンも凱の瞳を見据えて言った。
「やっぱり……父上とちゃんと話がしたい」
「坊や?」
凱ではなく、今度はフィーネが目を見開く。同じ『種』から生まれ出でたテナルディエ家とは思えぬ、彼自身の振舞いに。
「ザイアン様!……それは!?」
ザイアンには、ティッタの言わんとしていることが分かっていた。
このまま何の成果もなしに帰還すれば、ザイアンの待つものはおそらく『死』かもしれない。息子を溺愛するかつての父は既に他界したと、ザイアン自身既に決めつけていた。『銃』という、より強い力に固執するテナルディエ当主は、ついに息子さえも見向きしなくなったのだ。
これからザイアンのしようととしている、その行為に伴う危険を、ティッタは指摘しようとしていたのだ。だが、ザイアンは首を強く横へ振った。
「そんなことはとっくに分かっている!でも!……でも!……オレの『父上』なんだ!」
今抱くザイアンの考えは決して変わらない。『雨後の茸』を焼き払い、弱者を全て滅ぼすという、父の目指す理想世界は間違っていると思う。
だが、心のどこかでまだお互いに『語り尽くせていない』のではないか?
まだ父上は気づいていないのではないか?
ならば、まだ道を戻すことは可能ではないか?
自分なら、父上の手から『銃』を手放すことだってできるのではないか?
できる事を尽くさないことは、ザイアンにとって何か卑怯に思えた。
情けない絞りカスから生まれた自分という存在。年齢の割に頼りない、不肖の息子かもしれないが世界でただ一人、自分はあの人と血を分け合った親子なのだ。
「……分かった」
ザイアンの心情を理解したのか、凱は反論をしようとしなかった。
「ガイ。本当に止めなくていいの?」
フィグネリアの忠告はもっともだった。
もし、万が一ザイアンが銀の流星軍の中核たる凱の居場所を通報すれば、即座に全包囲網を敷かれることは間違いない。取返しが付かなくなる前に手を打つのは当然のことだった。
ここで討ち取るという手を考えたフィグネリアだったが却下した。
もし、凱たちの居場所を通報せしめようとするならば、既にテナルディエの間者が後を追ってくるはずだ。少なくとも、ザイアンがウソを言っているようにも思えなかったのだ。
(あの坊やは……本気でテナルディエを止めるつもり?)
一瞬、フィーネの驚いた瞳の色がかすかに揺らぐ。そんな彼女の肩に凱はそっと手を置いた。
そして凱は静かにザイアンへ言った。
「……ザイアン」
「――はい?」
「希望を捨てちゃいけない。何より、君自身がそれを分かっているはずだ」
ザイアンは固く息を呑んだ。
「俺達はまだ心にともした『流星』を……消しちゃいけないんだ。生き延びろ。例えどんな困難が待っていても、『勇気の火』がある限り」
最悪の場合、ザイアンはそのまま帰らぬ人となるかもしれない。だが、自分の一回りの年齢を生きている青年には、ザイアンの心情を看破していた。
――差し違えてでも、父上を止める。
ふいに、ザイアンは隠し持っていた携帯型の『銃』の引金に手をかける。心の引き金と共に。
何も凱はザイアンへ気遣って言っているのではない。例え、『過去にアルサスを襲撃した』罪を背負っていようとも、今の時代に必要とされているから、凱は生き延びろと言ったのだ。俺やティッタ、ザイアン、フィグネリア、リム達の、ブリューヌに残された『流星』こそが、切実に必要とされているのだから。
「……勇気?」
ザイアンはそっとつぶやく。
「そう――勇気だよ」
凱もまた優しくつぶやいた。
勇気――――そういえば、久しく口にしていなかった言葉だなと、凱は思った。
同じくザイアンも、忘れかけていた……いや、正確には手放しかけていた言葉を、ようやく思い出すことができた。
怖い気持ちに立ち向かう――心に小さな火が灯る言葉を。
(オレが襲ったアルサスの連中も……勇気を抱いて、ヴォルンの帰還を諦めなかったんだろうな)
始めから、アルサスを焼き払うこと自体出来なかったのだ。
それを理解すると、あの時下した父上の命令がいかに矛盾しているかはっきりわかる。
兵三千を率いてアルサスを焼き払え。だが、既に灯した勇気の火を焼き払うことなど、何人たりともできはしない。
当たり前だ。火を火で焼き払うなど矛盾に等しい。
(そうだ……初めからこのブリューヌ内乱は『矛盾』していたんだ)
強者が弱者を喰らい続ける。例えそれが摂理だとしても、繰り返す『輪廻』としては『矛盾』しているのだ。
弱肉強食……そのような獣の論理に。
「分かりました。覚えておきます」
それだけ、たった一言口にすると、ザイアンは馬の首をひるがえして、セレスタの町へ繰り出していった。
主要都市セレスタより少し離れたところにある、人口二百たらずの小さな半農の村。名はユナヴィール。
ほんの数か月前までは、何の変哲もない村だったという。
――ある日突然、怖い兵隊さんたちがやってきて、アルサスを占領しました。
そのような証言を得られたのは、様々な意味で貴重と思えた。この証言は、何より発見された『生存者』からもたらされたものだからだ。
証人の正体は、かつてムオジネルによるアニエス侵攻戦のおりに、ティグル率いる銀の流星軍への『見せしめ』の為に、父親を処刑された女の子だった。
かつてオルメア平原の幕舎にて、難民たちへ糧食を配膳していたティッタには、見おぼえのある少女だった。
――帰る家もない……希望もない……――
――だけど、まだ生きている。ならば歩き続けろ――
――流星の丘アルサス……そこに行けば、『英雄』が!最後の砦があるはずだ!――
――そこなら、きっと私たちを助けてくれるはず!――
――あきらめるな!『英雄』は俺達『星屑』を見捨てたりはしない!――
だが、現実は残酷を容赦なく突きつけた。
待ち構えていたのは『英雄』などではない。既に奪われた流星の丘へ居すわるのは――
――――――――『魔王』だった。
それから始まった、地獄のような奴隷の日々。まだムオジネルに『牧』としてくべられたほうが、よほど楽だったのだろうか。
ある時、銀の逆星軍の監視が緩んだとき、この母子は希望を捨てずに脱走を試みた。
だが、母親は娘を逃がす為に身代わりとなり、娘はここユナヴィールまで逃げ墜ちたという。
所詮、10にも満たない女の足など、そう遠くへ逃げられるものではない。やがて力尽きる時が来る。
その時だった、ちょうどザイアンと別れた際に、この女の子を発見できたのは不幸中の幸いだろう。
やがて娘……少女は意識を取り戻し、母親の最後を目の当たりしたことを、凱は承知の上で事情を訪ねる。
「アルサスを占領した兵隊さんたちは、新しくお城から派遣された騎士様を来るたびに殺し、気が付いたら……誰も来なくなりました」
無辜の民を、あの地獄のようなアルサスに残したまま。
「最後の丘と信じていたアルサスは……王様に見捨てられました」
「見捨て……られた?」
有り得ないと――フィグネリアは思った。
内乱罪を引き起こした地点でテナルディエ達に討伐隊が差し向けられる。逆賊を討ち取るべく、王に忠誠を誓う騎士が任務を遂行するはずだ。
ブリューヌ最強と謳われる騎士団――ナヴァール騎士団さえも手出しできないとなると、もう答えは一つしかない。
アルサスも――オードも――テリトアールも――アニエスも――本当に見捨てられた。
それどころか、既に王都ニースも陥落していると考えるのが自然だ。
つまり――ブリューヌ全体は既に現王制の法が一切通用しない世界が広がっている事を意味していた。
「……今は『お母さん』を寝かさないと……」
まだ『弔う』という言葉さえ知らない少女の言葉と行動に、皆は胸を激しく痛めた。
凱は惨状を生み出した存在に怒りを抱き――
フィーネは、覆せぬ現実に凍てついた刃を秘めて――
ティッタは少女にとって最後の『孝行』を見て――
手が小さく、非力で幼いこの少女には、弔う為に土を掘り起こすことさえできない。
見かねて、凱はそっと手を添えた。
「あたしにも……手伝わせて」
「……手伝わせてくれ」
静かに嘆願する凱の言葉に少女は、瞳に溜めていた涙を晴らしたのだった。
その時――――ゴトリという音がした。
誰だ?そう察して後ろを向く。他にも村の生き残りがいるのかと思ったが、そうではない。
むしろ、生き残りどころか、『村をこんなにした連中』と思わしき存在が現れたのだった。
黒ずくめの殺し屋らしき人物が――
鍛えられた巨躯の傭兵らしき人物が――
眼帯をしている山賊のような人物が――
武装した連中が一斉に凱達を取り囲んだ。開口一番に問い詰める。
「貴様ら……このあたりでは見ない顔だな?」
そう言われて、ティッタの外套の袖を掴んでいる少女が恐怖に怯える。
指揮官と思わしき雰囲気を放つ男が、おいしい獲物を見つけた獣の眼で、抜き身状態の剣を凱達に向けた。
「お前たちは一体何者だ?」
静かな声で凱は問う。
「テナルディエ閣下の配下と言ったら……どうする?」
既にその事を予想していたのか、テナルディエの配下と知ってなお驚かない。
既に魔王の領土と化したアルサスに足をあえて踏み入れるような人間は、血縁関係者か王家直属の騎士くらいなもの。
ただ、あいつらにとって凱達の正体など、実の所どうでもよかった。何者であろうとも関係ない。
殺してしまえ。すぐに殺せ。傭兵と野盗の鉄則を極端化させれば、結局のところ同じなのだ。
「答えろ。ユナヴィールの村をこんなにしたのも……この少女の母親を殺したのもお前たちか!?」
兵士たちは「くっくっく」と薄ら笑いを浮かべながら返答した。
「そうだ。ユナヴィールはアルサスを手っ取り早く支配する為に『見せしめ』として、我々が焼き払った!」
「もっとも……その娘の母親を殺したのは『ドナルベイン』様だがな!」
――――勇者に激しい怒りが立ち込める!
瞬間、偉丈夫の指揮官が剣を天高く掲げると、それを合図に包囲網を完成させる。
恐怖は、絶望は、人を根底から支配する最も効率のいい方法だ。
逆らえば殺す。怒り狂ったところで殺す。外部の人間と接触すれば即殺す。関与した人間さえも皆殺す。
閉ざされた世界が今のブリューヌ。それを認知させるために、この娘の母親は殺されたのだろう。
「ここは偉大なる魔王テナルディエ閣下が手中の『逆星の丘』アルサス!貴様等よそ者が足を踏み入れていいところではない!」
将と思わしき騎兵が剣を持ち上げると、それを合図に歩兵たちが抜刀して臨戦態勢に入る。
「少し数が多いみたいね」
対して傭兵の彼女もまた、刃の対翼を広げていた。ティッタは少女を抱きかかえて、幼い存在を勇気つける。
目測にして――その数50人は下らない。それが一輪二輪と続く。
今が『夜』ならば、『闇』に紛れて『死』を避けることもできたかもしれないが、まだ日が沈みきっていない夕刻では、逃亡を諦めざるを得ない。
「ここアルサスに来た事を後悔して……死!!!!「後悔するのは貴様等だ!」」
指揮官が剣を下ろすと、一斉に凱達の首を討ち取ろうとした瞬間―――――
ドン!!!!!
ひとりの歩兵が宙を舞い、崩れかけている民家の壁面へ叩き付けられる。
「……一体何が!?」
鈍器で叩き付けられたような――妙な快音。
臨戦状態の兵士たちが一瞬にして、その表情をこわばらせる。
目前にいた長身の青年が、いつの間にか『銀閃』を抜き放っていた。
本来なら斬撃であるはず――『見えざる鞘』を刃に纏ったまま。
手を柄に取る。刀身を放つ。腕を振るう。そんな一連の動作が知覚できぬほど、すさまじい『神速』の一撃が、迫ってきた一番手の兵を、まるでうっとうしい木の葉を祓うように叩きのめしたのだ。
「本当なら、戦い自体避けたかったが――今回ばかりはそうはいかないぜ!」
純粋な怒り。凱の憤怒に呼応するかのように、アリファールの紅玉が静かに紅く輝く。
「一人残らず叩き潰してやる!!」
不殺は守る。だが、腕やアバラをへし折ることに、凱は何の躊躇もなかった。
ユナヴィールを包み込む暗雲――夜と闇と死の大気を薙ぎ払う、『銀閃の勇者』という旋風が吹き荒れようとしていた。
【同刻・アルサス・中央都市セレスタ】
凱と別行動をとったザイアンはまともに休むことなく、アルサスの中心都市セレスタへ向かった。
正確には、連行だった。
彼がセレスタの門をくぐったときに複数の兵士が出そろっていたからであり、ザイアンは今に至るまでの経緯を語ろうとしなかったからだ。
おそらくフェリックスはそれを聞いて、すぐに連行しろと命令したに違いない。ザイアンは周囲の兵士たちに固められ、総指揮官の天幕に通された。つい先立ってここを訪れたとき、ザイアンは周囲の者たちと同様に、父上への忠誠心熱き兵士だった。
そう――アルサスを焼き払えという苛烈な命令にさえ、怯むことがなかった。
だが、今は父の威を借りていた『仮初』の自分と全く違う。
銀の流星軍という別勢力の、それも大使ともいうべき存在だ。少なくとも、ザイアン自身はそのつもりだった。
(……『相変わらずの光景』だな……あの頃から全く変わっていない)
燃える水を採取する為に発掘作業を『機械』のように続ける『元アルサスの民』たる奴隷たち。
かすかな一瞥をくれただけで、ザイアンはそれほど見向きもしなかった。
ひとりの女性が――貴重な『燃える水』をこぼした。
それを見かねた『監視』が鞭を持ち、痛めつける。誰も助けようとしない。
ザイアンにとって、既に見慣れたはずの光景だ。だけど、眼をそむけようとも、耳をふさぎたくなるのは本当だった。
ヴォルン家の屋敷の前――そこには待ち構えていたかのようにたたずむ父の姿があった。
目線があった途端、獅子の牙のように鋭い父の目がザイアンを射抜いた。
「……ザイアン」
「……父上」
いつもと同じ出会いがしらの一声。ザイアンはその視線を避けようとしたものの、寸の所で思いとどまり、真っ向からそれを受け止める。
フェリックスはそんな彼の変化にさえも気づかない。ザイアンを連行した兵士に、乱雑に命ずる。
「貴様等は下がれ。ザイアンとは二人だけで話をする」
ザイアンを連行してきた兵士たちは、背筋を整えて敬礼した後、二人のテリトリーを離れていった。
やがて彼等の姿が見えなくなるのを確認すると、ザイアンは心を絞るような気持ちで問いただした。
「父上は……この戦争をどうお考えなのでしょうか!?」
NEXT
第21話『奪われた流星の丘アルサス~忍び寄る魔王の時代』【Bパート 】
前書き
次回から分割パートを止めます。その方が整理しやすいと思ったので。
サブタイトルとかみ合わなかったので、その辺も変えました。
原作は大団円で無事に終了しましたが、本作はまだ続きます。
(川口先生お疲れ様です<(_ _)>)
少し書き溜めてから投稿するので、次回は遅くなります。
ではどうぞ。
「こ……こんなことって……」
「ガイさん……」
時間にして50……いや、30数える間もたっていないだろう。
一瞬にして巻き起こった剣舞が、彼ら敵兵たちの戦闘力を常識ごと抉りとっていく光景に、フィグネリア、ティッタ、そして少女はただただ驚愕するしかなかった。
「一兵たりとも逃がしはしない!報いは必ず……くれてやる!」
一同はあまりの獅子の猛々しい戦いに、身震いすることさえできない。
凱のアリファールを盾で防ごうとした騎兵が、その盾ごと叩き伏せられ落馬する。
ジスタートが誇る黒竜の武具にかかれば、鉄製の盾、合金の鎧の強度など皮羊紙に等しい。
本来ならばその一振りで、敵兵の生命は甲冑と同じ『真っ二つ』という運命を共にしただろう。
だが、勇者の持つ竜の牙『銀閃の長剣』は、生命を食い殺すこと能わぬ、不殺の刃。
場に存在する大気が、白銀の長剣に幾重にも取り巻いて『見えざる鞘』となり、銀閃アリファールそのものを『峰』に変えているのだ。
そのような為に勇者の持つ竜具は凡刀もいいところだが、骨を曲げ、アバラをへし折り、少なくとも3日3晩戦闘不能にすることはできる。
「……ガイ?」
漠然としながら、フィーネは彼の勇者の名をつぶやいた。
どのような生物であれ本能を全うするにあたり、生き延びるための論理行動を司る『頭脳』が存在する。
しかし、その頭脳によって与えられる思考から神経を通じて、行動へ移行する過程で誤算率が発生する。
数多の戦士達はそれらの『誤算』を『精算』する為に鍛錬を積むものだが、獅子王凱の論理行動は戦闘における『概念』そのものが違う。
三柱の神学関数――『sinθ』『cosθ』『tanθ』及び『X』『Y』『Z』にて定義される、関節の可動範囲。敵の体格を構成する骨格構造。運動力発生の基礎たる筋肉器官。敵が装備する得物の主力武装付属。そういった要素を瞬間的に検索把握し、誤算率を補正して凱の持つ才能、宇宙飛行士時代にて培われた『神算』にて見切る。
『人間工学』という『識』の力を広げて、『知』を体現して『最短結論』を導く。頭脳にて描いた仮想戦闘(シュミレ―ション)を現実に導いているだけに過ぎない。
その最短最速結果、動きそのものを消すことをたった一言で言い表せるのがあるとすれば――
―――――『神速』に他ならない。
目にしたものには、『神速』は『神技』と等しく思うかもしれない。
一閃。なんてことない銀閃の一振りは、見る者にとって絶技と捉えるだろう。
心臓の鼓動や筋肉の縮小、呼吸といった『原音』が、アリファールの風と共に乗り、凱の聴覚に『譜面』となって導き出される。
そこから生まれる『不殺の一撃』は、相手への――弱点と敗北――を同時に叩き込むことを可能にする。
『神算』――『神速』――『神技』――この三拍子がある限り、敵に間断なく敗北を馳走することが出来るのだ。
加えて、凱自身による超進化人類エヴォリュダーとしての力がある。
本来、凱自身は容易に『人を超越した力』を、ましてや生身の人間に向けるつもりはない。
しかし、ユナヴィールの村を焼き払い、少女の母親を討った奴らに対し、凱はエヴォリュダーの力を自制するつもりなどなかった。
「馬鹿な……こんなことがあってたまるか!?」
御頭らしき男も、ただ愕然としている。
圧倒的有利と思っていたものが、テーブル返しの如く一瞬にして覆された。
そして、相手が今まで自分たちが『焼き払った』者達とは別種の存在だと悟ったときには、もはや凱から逃げられない状態となっていた。
「く……くそ……くそおおおおおおおお!!」
自暴自棄になった、指揮官の男。
精神的にも追い詰められた形で勇者に挑むも、そんな『シミ』にすらならない絶叫では届きもしない。
(この男の特攻……勇気ゆえの行動じゃない)
かすかに一瞥をくれた、哀れみを含んだ凱の仕草。
大気に煌めく一条の『白銀の閃光』――――銀閃によって、指揮官の男はわき腹を薙ぎ払われてその場に倒れる。
各国勢力圏の確立で、剣と馬が戦場を支配する『総』の時代となった。
だが、それでも、信じがたいことに――流星が地に舞い降りる――現象と同等の『確率』で存在するのだ。
たった一人で万軍に匹敵し、兵達で埋め尽くされた海原を、剣という櫂で突き進む、黒船の如き勇者の存在が。
その強さ――賢さ――まごうことなき勇者王。
「あんた……本当に……何者なの?」
皆唖然としている中、唯一口を開けたフィーネでさえ、それをつぶやくことが精いっぱいだった。
「まるで……ヴィッサリオンみたいだ」
こんな感想を述べたのは、果たして何度目なのだろうか?
フィーネも、それにふさわしい力を持った人物を、一人知っていた。
英知を振りまくような風貌なる凱に、どこか彼の傭兵団長と似た雰囲気を感じ取る。
遊撃傭兵団。その名は『白銀の疾風――シルヴヴァイン』
けっして出頭の多い組織ではなく、長のヴィッサリオンは撤退戦のおり、積極的に殿を務めていた。
そして二人は出会った。とある負け戦の最中に。
過去にひたっているフィーネの耳に、凱が周囲を一瞥する。
「片付いたか……」
周りを見渡すと、凱の獅子奮迅なる戦舞劇によって、行動不能となった兵達の山が築かれている。
「先に、この少女の母親を……弔おう」
凱は少女の後ろに横たわる亡骸に目を向ける。
「……そうね」
力のない――フィーネの返事。
そしてもう一つの現状。
沈痛な表情を崩さないまま、ティッタは少女の母親の亡骸に目を向ける。
(どうして……あたしは……こんなにも無力なんですか?)
こうして、地に伏して倒れている、若しくは倒れていく民に対して何もできない自分。
――――なぜ?
これが天の仕業なら、天に怨嗟の声を叫ぶだろう。
これが地の所業なら、地に怒りをぶつけるだろう。
だが、今ブリューヌ全域で起きている惨劇は、明らかに人為的なものだ。
武力のない弱者は殺される。
知恵のない愚者は騙される。
それでも『なぜ』と思わざるを得ないティッタ。
例え過酷の中を生きようと、ただ弱いという理由だけで、本当に生きる資格はないのですか?――。
力弱くとも、その中で足掻きながら、懸命に『生きる資格』を掴もうとすること自体が、間違っているのですか?
(……祈っては……ダメ)
本来なら、巫女の家系出身たるティッタは手を合わせて神々に祈る……はずだった。
だが、それをしなかった。するべきではないからだ。
手を合わせれば、『母親』を弔う為に、土を掘り起こすことさえできなくなる。
悲しみを癒す為に、少女を抱きしめてあげることもできなくなる。
「……」
そして――凱も『母親』の表情に目をくれる。
ティッタとは違う自責の念が、凱自身に降りかかる。
力を持てし者と言えど、救える人間に限りがある。分かってはいたことだが、それを認めたくない自分がまだいる事にも、改めて気づかされた。
時折、シーグフリードの言葉の重さが、意識の中をかけめぐる。
――貴様が幻想国家で居眠りをこけた分だけ、事態はより一層加速したんだよ――
代理契約戦争。
ディナントの戦い。
モルザイムの戦い。
ナヴァール騎士団との合戦。
オルメア会戦。
ビルクレーヌの戦い。
ナヴァール騎士団対銀の逆星軍との戦い。メレヴィル合戦。
銀の流星軍対銀の逆星軍との戦い。ディナント合戦。
本当に、本当にたくさんの事があった。ありすぎた。それは、悲劇に満たされた時間の流れ。
死は誰にも平等に訪れる。故に凱の存在は摂理に反する。
宇宙の法則を乱す者――元凶なりし者。
かつて、機界原種の初襲来にて、原種たちに歯が立たず、護に弱音を吐いたあの言葉。
――ただ自分が生き延びる為の……鋼の身体か!?俺は……何のために!――
人を超越した力を持つ故に、その力の行く道筋が見えぬもどかしさ。何も救えぬ虚しさ。
あの時――巨腕原種、鉄髪原種、顎門原種の強さは、どうしようもなかった。
凱だけが悪いわけじゃない。
それでも、仲間を守れなかった罪の意識は、凱の中でずっと駆け巡っていた。
今、アルサスで起きている惨状。
少女が泣き、侍女が悲しむ。
傭兵が見つめ、勇者が悔やむ。
「き……さ……ま……」
瞬間――凱の一撃を喰らったにもかかわらず、ふらふらと千鳥足で歩み寄る兵士が女たちの視界に入る!
「貴様等……に……『死』をぉぉぉ!!」
最も無力な存在と思われるティッタと一人の少女に、兵士は残された力を振り絞って強襲する!
「ティッタ!?」
一瞬、凱の反応が遅れる。
半瞬、フィーネがティッタ達二人を懐に巻き込みながら回避。片方の翼刃で斬撃を裁く。
「しぶとい!いい加減に……」
片腕だけでは、如何せん敵の剣戟を押し返すだけの膂力が足りない。
とびかかる凱の行動とて、一足分届かない。
それでも、ティッタ達を守る為に身を挺し、フィーネが双剣の片翼を振りかざそうとした、その時だった――
―――――――――ドスッ!!―――――――――
何か、肉を斬り裂いたことがはっきりとわかる音のこだまり。
兵士の顔面から肉片と血飛沫と共に突き出ているのは、漆黒の『フランベルジュ』たる切先。
わずかに漂う、こんがりとした脳ミソの焼ける匂い。
間違いない。あの『銀髪の悪鬼』の仕業だ。
「あ……ああ」
突然の出来事に、ティッタは言葉にならない発声を口にした。
ヒュン――風を切るフランベルジュの刃が、刀身にこびりついた血のりを振り払う。
そして、フン――と鼻を鳴らし、何を呆れたのか、苛立ったのか分からぬ仕草で凱に睨みつける。
「……あの野郎。てっきり虎穴へ向かっていると思ったが……」
視線を凱に移す。
「貴様、こんなところでまだモタモタしていやがる?」
「シーグフリード?」
フィーネは目を見開いてつぶやいた。
「……知り合い……なのですか?」
対してティッタは、フィーネに顔を向ける。疑問に満ちた声で問いかけた。
「顔見知りだ」
フィーネの口調はどこかそっけなかった。最も、その意味を察することが出来るものなどそういない。
何というべきか――フィーネも『バーバ・ヤガーの神殿』で起きた出来事を、あまり深く語りたくないのも事実であり、凱にとっても想定を上回る予想外だったのだから。
悪鬼羅刹の斬り合いを演じた獅子達の再会だった。
「シーグフリードか」
短く、凱は銀髪鬼の名を告げた。
その『隙』に『背後』から凱へ襲い掛かった兵は、アリファールの鞘という反撃を『あご』から受けて悶絶する。
敵兵に見向きもしない――乱れた髪を直すが如く、ただの生理動作。
まるで、後ろに目玉があるかのような、ごく自然な動作で敵兵を返り討ちにした。
「何故、お前がアルサスに居るんだ?」
唐突な凱の台詞。
それはこっちの台詞だ。とは言い返さないシーグフリード。
世間話のような感覚で告げる。
「俺の放った部下から『アルサスで燃える水が採取されている』という連絡が入ってな」
「……燃える水?」
「直接出向いていく予定だったが、何人かアルサスから亡命するヤツもいるとの情報も同時に来た。そいつらを保護して事情聴取するつもりで急いできたが……手遅れのようだった」
ルヴーシュでの出来事から数日間、帝国に属する戦士団と騎士団は独自に行動を開始した。
別の風様と化したブリューヌの内部事情を把握するため、銀の流星軍と同じくヴォージュ山脈付近に拠点を構えて活動を開始した。
ちょうどザイアン=テナルディエが銀の流星軍の斥候の任を受けていたころである。二つの情報が同時に入ってきたのは。
一つは、アルサスにフェリックス=アーロン=テナルディエが駐在していること。
二つは、木炭や石炭に成り代わる次世代の燃材料――『燃える水』がアルサスで採取されていることだ。
「まさか、その子の母親が抱えているのは……『燃える水』なのか!?」
ブリューヌ辺境の地でまず見られない特別な容器。かすかに漏れる、鼻孔を逆なでする不快なにおい。無色透明の液体は、凱のいた時代でも広く使われているあの『引火性液体』しかない。
今は港海でさえ凍り付く冬だ。静電作用が極端に働く季節で『点火』などすれば、草原の海原は文字通り火の海と化す。
おそらく――無辜の民たちは、それを知らないはずだ。燃える水の恐ろしさを。
いつ着火するかわからない爆弾を、その手に宿しながら。
驚愕する凱をよそに、銀髪の人物は母親の亡骸に目をくれる。
「そうか。燃える水を奪取して『亡命』を図ろうとしたのだろうな。その女はアニエス出身。一時とはいえ、『元』奴隷の自分たちなら、アルサスへ怪しまれずに忍び込めると思った。そいつを条件に安全な国へ亡命するために」
全ては――自分の娘を危険な国から遠ざけるために。
国家機密である燃える水を奪われた銀の逆星軍は、凱が打ちのめした兵を、この人たちに差し向けたのだろう。
これが、もしムオジネルやザクスタンのような好戦国に渡ったりでもしたら、海戦力は飛躍的に上昇する。
シーグフリードの推測を聞いた凱は、独立交易都市で起きた『魔剣』をめぐる争奪戦を思い出した。
独立交易都市国家のように、大陸上に存在するすべての国家は、理念さえ守れば誰しも受け入れを許可するわけではない。亡命の際に必要な条件を提示することも求められるのだ。
かつて、帝国王家直接の妾の子が『皇族のなりすまし』という疑惑を着せられ、亡命先である軍国のアーヴィー=アーヴィングに条件を突き出された。
交渉相手は、当時シャーロット=E=フィーロビッシャーという、外見年齢で言えばティッタとさほど変わらぬ少女。
――帝国の情報を知っている限り我々に話すこと――
売国行為を条件に出され、『母への報い』と『母からの願い』で葛藤し、決断した。皇帝の血縁の証である『E』の名を捨てて。
赤髪の少女、セシリー=キャンベルの『服従』という名の説得がなければ、その未来はずっと曇り続けていただろう。
そして、少女とシーグフリードの視線があう。
幾ばくも無い間で、黒い外套を脱ぎ捨てる。ひらりと一舞した外套は母親の全身に覆いかぶさる。そんな彼を見ていた凱は感情に詰まる。
弔い――死者への哀悼のつもりだろうか?
「……『寝かす』なら、毛布くらいかけてやれ」
その場にいた全員が目を見開いた。
冷酷非道とも思える人物からの、かすかな行為。
凱以外知らないことだが、悪魔と人間の交配児であるシーグフリードの母親は、初代ハウスマンが群州列国から『買い上げた』人間の奴隷であった。
産み落としたのは彼だけではない。悪魔契約にて魔剣……現在では黒炎の神剣と化しているエヴァドニもだ。
エヴァドニも、シーグフリードも、その人間の奴隷から生まれ出でた。ゆえに二人は実質的な『姉弟』となっている。
おそらく、シーグフリードは自身の母親と、目の前の『母親』との面影を重ねたのかもしれない。
おかしな話だ。と心の中で嘆息を突く。銀髪鬼は母親の顔を知らないというのに。
(以前のシーグフリードなら、テナルディエと同じことをしていたんだろうな)
今のシーグフリードが何を思っているのか、凱にはわからない。
それとも、少女に昔の自分を重ね合わせたのだろうか?
もしくは、昔の自分を重ねているようで、見ていられなかったからか?
ただフィーネには、凱の心情に対して何かを語ろうとしているように見えた。
がたん。
何か、物音の崩れる音がした。民家と思われる物置のほうからだった。
一人――また一人と、徐々に、おそるおそる姿を見せる。
すると、凱達に目線が合う。何か気まずそうか、呻きにすらならない声で「ああ」と震える。
「あ……あんたたち……なんてことをしてくれたんだ!?」
おびえる様子を見る限り、ユナヴィールの村人たちはずっと凱たちの戦いを見ていたのだろう。
「ドナルベイン様のお怒りに触れてしまう……」
「も……もうお終いだ」
一体何の茶番だ?フィーネの取り巻く感情が、ユナヴィールの置かれた現状を把握させる。
「ちょっと!あんな奴らをのさばらせていいっていうの!?」
隼の傭兵は言い募る。
「オラたちは何も公爵様に逆らわなければ、殺されることもないんだ!」
「その女も『燃える水』を盗み出そうとしたのが悪いんだ!」
母親を悪者扱いされて、心が崩れるのを感じる少女。
彼らの言い分に、フィーネは激しく抗議する。
「何言ってるの!?同じ境遇を共にした仲間じゃないの!?」
ここは王都ニースより離れている。それどこか、国境代わりのヴォージュ山脈に接するほどの山岳部の村では、テナルディエが来る前から決して満ち足りた環境ではなかっただろう。
フィーネの生まれ育った貧村でも、様々な形で、村人同士が力を合わせて乗り越えてきた。
目の前に伏している『母親』も、この村と同じ境遇を味わったからこそ、魂の結びつきが強い『家族』であったはずだ。
そんな『家族』も同然のものを殺されて、侮蔑して、それでもなおテナルディエに従う彼らが、フィーネには理解できなかった。
――どうして!!
怒りに肩を震わせるフィーネの傍らに、シーグフリードが言う。
「そういうな。誰もが誇りと信念の為に戦えるわけじゃない」
それはわかる。だけどこの傭兵が納得するかどうかは別だ。
傭兵育ちのフィーネには、それが腹立たしかった。平和を享受するのが当然の権利といわんばかり。
文字通りの家畜なら、まだ見損なうだけでいいだろう。
正真正銘の家畜なら、言葉の通じない連中と断言できるだろう。
だが、彼らユナヴィールの村人達は、現状に対して不満と憤りを抱いている。それなのに。
――自分たちより強いものに言われたから、自分たちの弱さを理由に、自分よりも弱いものに、すべての罪と悲しみを背負わせようとしている――
悲しいことに、彼らはそれらの自責から逃れる言葉を知っていた。
―――――――――『仕方がない』
自分たちが生き延びるためには。
それだけで、現状を受けて入れてしまっている。
家畜同然に生きる道を選んだ者たちの、見るに堪えない醜悪な光景だった。
「………………」
無言で、凱は母親に近づくと、ゆっくりとその体を両腕で抱きかかえる。
シーグフリードのかけてくれた外套が、これ以上母親の死を晒すことを無くしてくれる。
「おい!貴様!何をするつもりだ!?」
村人たちが非難の声を上げるが、凱は心の弓弦をひきしぼり、『視線』という名の鏃を放ち、肩越しに睨みつけて黙らせる。
「……お母さん……お母あああさん!!」
遺体にしがみ付く少女。とうに息絶えた母は、娘に返事することはない。
気丈に振る舞っていた仮面がはがれ、年相応の素面をさらけ出した。
(どうして……こんな光景が……)
凱は、心の中で激しい憤りを感じる。
人は『剣』よりも、『馬』よりも、『竜』よりも脅威がある。
暴力。
その下では、とにかく媚び、ただ生きることだけが目的となる。
――理想世界を先導する超越者……アンリミテッドたるテナルディエの目指す世界――
オステローデにて聞かされた、太古の言葉。
確かティナはティッタもその一人だと言っていた。
憤りよりも先に、今この両腕に抱いている母親を弔ってやらなければ。
凱達は村人たちの非難めいた視線を受けつつも、ユナヴィールの村を去っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
本来ならば、そこはどこまでも続く、紺碧の空の下だったはずだ。
その場に居合わせていた者、ティッタ以外はここへ訪れるのは初めてである。以前、『ディナントの戦い』で懲兵されたアルサスの農夫たちを、ここへ眠りにつかせたばかりだというのに――
中央都市セレスタの屋敷の裏側にある、ウルスや先代のアルサス領主の墓地とは違い、戦役で散っていったアルサスの人間は、ここで土葬することとなっている。
――しかし、今弔おうとしている人はブリューヌ人であってアルサスの人間ではない。
ただ、そういう理由で土葬を拒む理由にはならないはずだ。
もし、それで拒むというのなら、それはどこか人間性に欠いている行為だと、凱とティッタにはそう思えて仕方がなかった。
このような形で再び『星降りの丘』を訪れたティッタの心情を考えると、凱としてもやりきれない気持ちでいっぱいになる。
何より、凱には自責の念があった。ティグルの身代金を集めていたティッタを狙って、ヴォージュ山脈から降りてきたドナルベインを――生かしてしまったから。それが遠因となって、少女の母親は還らぬ人となった。
凱の心に、恐怖がのしかかってくる。
もし、ドナルベインを生かしたことが、弔いに努めるこの少女に明かされたとしたら、きっと凱を恨むのではないか?
――――終末にしか思えない大空でも、せめて風と草原の見晴らしがいい丘を見つけなければ。
ここなら、混迷の時代の渦中に散っていった、力無き民も安らかに眠れるだろう。それは、どこか罪滅ぼしのつもりで至った、凱の胸内かもしれないが、本当なら少女に何かをしてあげる資格すらないとも、思えてしまう。
埋葬と墓碑の設置を終えて、一同は手を合わせて祈りを捧げた。しかし、葬儀の列から離れている者がいた。シーグフリードとフィーネである。
その脳裏に、自分を育ててくれた母と別れた故郷の過去を、痛ましげに思い出していた。
何もできずに膝を抱えていたあの頃――その時の自分が記憶によみがえる。
「笑っていれば――いつか心の底から笑える日がやってくるわ。誰もが自分の生き方を選べないから、フィーネ――もし、『強くなりたい』とお星さまに願うなら、勇気を忘れてはだめよ」
そんな言葉を聞かされていたことを、いまの今まで忘れていた。
同時に、不快な感情が彼女の胸に渦巻く。
(これが……こんなことが連綿と続く世界が……テナルディエの作ろうとしている新世界か?)
胸の内を誰にも吐かず、フィーネは背持たれにしていた木から離れた。
本当ならそれは、清々しい『隼』の新たな出立になるはずだ。どこかその羽ばたきは弱々しかった。
葬儀――という行為が、何かを解決することは決してない。寄付金をどれだけ叩いたとしても。
だが、何かへ向かって旅立つ心理的な境界を引いてくれることに、なり得たはずだ。
『死者』は『生者』と違い、なにかを語ることはない。それでも、『想い』を『流星』という形で見守り続けるだろう。
だから『生者』には義務がある。生を全うした者たちが果たせなかった想いを、果たす為に。
『生者』は使命にゆかりて『聖者』となる。『勇者』もまた然り。
そんな中、ティッタは静かに語り掛けた。
遥か高台……アルサスを一望できる光景を見据えて。
「ティグル様。例え力無くとも、あたしは行きます……このような悲劇が繰り返さない為にも……アルサスを必ず取り戻します」
「ティグル。決してティッタ一人に無茶はさせない。だから君も……無事でいてくれ」
ティッタの傍らに、凱がいた。
そして、少女もまた同じ想いを込めた瞳を、ティッタに向けていた。
列を離れている銀髪と黒髪の人物は、ただ静かに凱達の後姿を見守っていた。
静かになり、重くなった空気を翼で打つように、フィーネはシーグフリードに聞いた。
「本当に……本当にブリューヌ王家はアルサスを見捨てたの?」
シーグフリードはゆっくりと語り始める。
「アルサスだけじゃない。オード――テリトアール――アニエス――を始めとした多くの地域を見捨てられ、テナルディエの領地になっている。恐らく、王家に忠誠を誓う騎士達も、領土奪回から手を引いているはずだ」
冷酷な事実。されど沸き上がる憤怒。
ただ彼とてのうのうと語っているわけではない。ルヴーシュの一件以来、シーグフリードは帝国戦士団の郊外情報網を用いてブリューヌ全土に密偵を送り続けた。
調査はわずか短日で終わった。放った部下からの報告は遠隔通信を可能とする『ある技術』を利用している。
第二次代理契約戦争の時期、軍国のユーインー=ペンジャミンが考案した『電信』ならぬ、『霊体通信』。
すでに3国1都市(帝国、軍国、群衆列国、独立交易都市)まで通信網が広がり、特に独立交易都市には、代理契約戦争時に大きな役割を果たした。膨大に舞い込む報告の処理さえこなせば、自然と情報が集まるのも労力を有することはない。
判明したのは、先ほどシーグフリードが述べた通りだ。
この銀髪の人物は、戦う敵の構成、特色、目的、兵力すべてを網羅している。
「それじゃあ……『国』は一体どうするつもり!?誰がブリューヌを取りまとめるっていうの!?」
折辣なるフィーネの熱くなる問いに、誰も答えられるはずがない。
「……分からない……ただ分かるのは――『このままでは全てテナルディエの思いのままになる』ということだけだ」
その言葉は何の比喩もない。純然たる意味を以て、その場にいる耳を打った。
女神代行者――魔弾の王。
竜技執行者――戦姫。
黄金軍神――ワルフラーン。
紅き竜――アウグストス
円卓の騎士。天上を見守る12柱の神々。
数多の神話が、たった一人の魔王によって弄ばれることを、意味していた。
「だからこそ今、オレたちのような『代理契約戦争』の生き残りが必要とされている」
フィーネには、なぜか彼の言葉がどこか使命感に満ちているように聞こえた。
当然、その言葉は凱の耳にも届いていた。
(俺は……ドナルベインを許さない!)
凱は決意する。たとえ『不殺』の誓いを破ることになろうとも。
これは、かすかな部分はドナルベインへの怒りだ。
残りは自分自身への怒りだ。
――真剣な表情の凱の耳に、喪に服すような場にそぐわない、明快な声が響く。
「ユナヴィールでの戦い……見せてもらいましたよ」
この声、凱とシーグフリードには聞き覚えのあるもの。
アルサスという惨状の中では不純物としか取れない、声の主はノア=カートライトだった。
背丈はティグルと同じくらい。金色の短髪。一言で表現して『優男』がそのまま似合うような風貌だった。
いつの間にか、凱達の後ろに立っていた。
ティッタと少女は身をすくませるように凱へ近寄り、勇者はそっと少女たちの背中を抱き寄せる。
心配ない。決して俺から離れるな。と、言い聞かせて。
「ガイさんに……シーグフリードさんに……それに……」
シーグフリードの隣に立つ女性――フィグネリアの顔を覗き込むノア。彼女には、その表情こそどこか得体のしれない不気味な雰囲気を感じ取っていた。
「乱刃の華姫――コルべシアのフィグネリアさんですね。僕の名はノア=カートライトといいます。テナルディエさんの側近を務めています。貴女のことはテナルディエさんから少々」
コルべシア。それは、腐臭の匂い漂う品格のない植物『ラフレシア』を語源とした二つ名。
刃の華咲き乱れる血臭を戦場に漂わせ、雇い主という拠り所を変え、明日を生き延びる糧を得る。しかし、品のない戦いしかしない『花』なら『華』と誰も呼んだりしない。
『戦いは弱いものから殺せ』
『戦場に知己の敵がいたら、苦しませず殺せ』
戦の鉄則を守り通す、強さにおける高嶺の『華』の、フィグネリアだからこその二つ名ともいえよう。
ただ、『元』がいいのだから、身なりに余裕を持ってほしいと思うのは同業者の弁。
すちゃり。
アリファールの鍔に手をかける。
「よしてくださいよぉガイさん。ほら、見ての通り――僕は戦うつもりなんてありませんから」
銀髪の人物以外、抜刀寸前でとどまりつつ、警戒を強める。
だが、ノアは笑顔で両手を広げ、自分は非武装で戦う意思のないことを主張する。
ついでに、傍らには鎧の神剣たる『ヴェロニカ』がいないことも同時に示す。
「ガイ。警戒したところではじまらんさ。いくぞ」
「……わかった」
今は従うしかない。そう判断した凱はシーグるリードに同意してノアの言葉に乗る。
アルサス戦役者の共同墓地――別名は星降りの丘。
勇敢に散っていった者達のからだに、再び星が宿り蘇るその日を願って、そう命名されたという。
輪廻転生。生まれ変わって何度でも巡り合って見せる。その意思を示す意味も、込められているのだろうか。
一同は中央都市セレスタを目指す。
【同刻・アルサス・中央都市セレスタ・『燃える水』発掘所】
「ここの屋敷にテナルディエがいるのか?」
問いを放つ凱の言葉。
ノアが案内したのは、アルサスの奥に位置する中央都市セレスタ。その領主が住まう2階建ての屋敷の見える街道。
他の村人たちの住居がみずほらしいことと同じ、質素な造りだった。
鼻を優しくいたわる、農業特有の深甘なにおいが立ち込めてきたころ、フィグネリアはノアに問いてみる。
「こんなところに案内して何を始める気?ここが銀の逆星軍の本拠地だというの?」
ブリューヌ、ジスタート転覆計画を目論む奴らが、まさか楽しく農作業に勤しんでいるわけではあるまい。
「やだなぁ、そんなわけないじゃないですか。ここは『栽培所』ですよ」
「……栽培所?」
「もともと、ブリューヌのお代官の間じゃ知られたちょっとした名酒生産地だったらしいですよ。『林檎酒のルテティア』あらば『葡萄酒のアルサス』ありと謳われるくらい……まあライトメリッツへの中継地点としてちょうどよかったですし、せっかくなんで頂いちゃいました」
頂いた――――少なくとも、凱、フィーネの想像し得るまともな範囲ではないだろう。
おそらく、ノアもわかっている。
分かっているから、このような惨事に対して笑っている。
フィーネは凱の耳に、小さな声でそっと聞く。
「ガイ、あのノアとかいう青年は一体何者?」
自然と、そしてやがて距離を少し離して、凱とフィーネ――シーグフリードとノアの組に分かれていく。
どうしてフィーネがそのようなことを聞くには理由があった。
残虐非道な行いをしても、罪悪感を抱くどころか、むしろ自慢げに語るものは少なくない。わかりやすい人物例が、凱に『炎の甲冑』を施したカロン=アンティクル=グレアスト、そして、マクシミリアン=ベンヌッサ=ガヌロンである。
だが、どのような冷酷な人格者でも、優越感や高揚感という形で精神の浮き沈みは必ずある。
傭兵ならば、気力という形で達成的動機付を促す栄養源となる。
しかし、その精神感情が目の前を歩く金髪の少年には全くない。
「気を付けてくれフィーネ。ティナ――ヴァレンティナから聞いた話では、エレオノーラ姫を捕虜にしたのが彼……ノア=カートライトだ」
「……は?」
――あんな、絵にかいたような優男が?エレンを?
間の抜けたような、その言葉が事実と認識するのに、若干の一拍が必要だった。
青年の底知れなさを感じながら、凱は自分の知っている限りのことを説明する。
「ノア=カートライト。彼はここからずっと『東』にある帝国の出身。その帝国の貴族の生まれらしい」
「|坊や≪マリーティカ≫のようなツラしてると思ったら、ホントにお坊ちゃんなのね」
貧村の生まれであるフィーネからすれば、たとえ下級貴族といえど、十分裕福な部類に入る。
「落ちこぼれでなければ、そうだったんだろうな」
「落ちこぼれ?」
「前にも出られず、後ろにも引けない。力もなく帝都の家柄を背負った者の運命は常に過酷なんだ。ある日、彼は帝国騎士団の戦力外通告を出され、シーグフリードが統括する帝国戦士団へ異動した」
意気揚々と甲冑に腕を通したら、使命の重さより鎧の重さが先に立つ。
無駄死な未来は目に見えている。
臆病で、弱い自分を変えられるかもしれない。得体のしれない部隊でも、『未知』という概念が彼を希望へと結びつけていた。
「なんでそんなヤツが、テナルディエのような側近を務めているの?シーグフリードとはどういう関係?」
以前は上司と部下で――今回は敵同士で別れる。そこへ至るに何があったのか、フィーネが興味を示すのは当然だった。
「順を追って話すからせかさないでくれ。――――戦士団でも更なる『苦』は続いた。奴隷以上の虐待を受け、それだけにとどまらず、ある『魔剣選抜試験』で、魔剣を独占しようとした同僚によって殺されそうになった。その時、ノアの前に現れたのがシーグフリードだった」
「もしかしてと思うけど、シーグフリードが彼を助けたの?」
人外どもを統括する戦士団長とはいえ、シーグフリードもノアと似たような境遇に生まれた人物。銀髪の男は金髪の少年に慈悲を見た。
手向かうもの。逆らうもの。敵国兵をはじめ、数多の殺戮を犯してきたが、それでも無力な者、とくに自分を慕ってくれた者を殺めたことは一度もない。
「あいつ自身が助けていれば、まだ神様の慈悲があると俺も思ったさ」
それゆえに、あまりに残酷なノアの過去に、憐れむように目を細める。
再び凱は語った。選抜試験に現れたのは人間だけじゃないことを。この世ならざる人外、魔物をも交えた『非常識』なる模擬戦だということを。
竜。獅子。馬車をも上回る四足歩行の人外兵器。取り残されたのはノアだけとなり――――
「その時シーグフリードがしたことは、持参してきた『魔剣』を与えただけだ」
時は数年前。ノア=カートライトは齢16。
セシリー=キャンベルも、魔剣強奪事件にてジャック=ストラダーを殺めたのも、齢16.
赤髪の騎士セシリーは他人の為に、『その人の死を背負う』形で救済へに尽力したが、ノアの場合、自分が生き残る為に死力を尽くした。その違いだろう。
「神様は、慈悲も情けも愛も与えなかったけど――――――――たった一つの取り柄を、『天譜』の才だけは与えた」
人は生まれながらに身体へ、星の脈動たる『律動』を宿し、天から与えられた『譜面』をも持ち合わせている。
何をやっても冴えない某小学生のように、『射撃』だけは与えたように――ノアもまた宿しているのだ。
テナルディエが側近として召し抱えたくなる才能――――それは。
「待って……まさか、そのノア=カートライトは……」
「そのまさかだ。『魔剣一本』で竜をはじめとした人外達を、皆殺しにした」
――鉄の刃をも通さぬ竜たちを、皆殺しにした?
少なくとも凱からの話では、その瞬間こそ生まれて初めて魔剣を使ったのだという。
今思えば、破戒僧ホレーショー=ディスレーリが静止に入らなかったら、どうなっていたのか?
魚が生まれながらに運泳の術を得ているように、ノアはまるで小さいころから聞かされた『子守歌』を口ずさむ感覚で、魔剣を操ったという。
彼の才能は、まさに天空より訪れる流星から授かったものだろう。
だが――それは『魔剣』の使い手というよりも、『竜殺しの才能』、さらに踏み込めば『鬼殺しの才能』だったのかもしれない。
すなわち――――『鬼剣』。
「それ以来、ノアはシーグフリード直属の配下として働いていた。そのせいか、いや、多分テナルディエにもこういわれているはずだ。『ノア=カートライトは最高傑作の駒・鬼手の使い手』だと」
鬼手。それは、東洋将棋における、直接的に勝利へ結びつく一手。
鬼子が己へ恐声を上げた瞬間、鬼剣の使い手は生まれ出でる。
「ただ、どうしてノアがテナルディエに従っているのか、俺にもわからない。もしかしたら、シーグフリードが何か知っているかもしれないが、あいつはあんな性格だ。多分知っていても教えはしないと思う」
「…………そうだったのか」
少々残念に思うフィーネだが、いずれ戦いの中ではっきりするだろう。どのみち、もうすぐテナルディエとの対面だ。焦らずともいいと自分に言い聞かせる。
そして凱の視界には――――ティグルの屋敷が見えてきた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――――凱たちがセレスタへ訪れる少し前のこと。
「民とは所詮……葡萄酒の原液。狩るも枯らすも我ら逆星の――――自由!」
その発言の苛烈さとおぞましさに、長年仕えているテナルディエの側近さえも息をのんだ。
絞れるものは極限まで搾り取る。労働の原液たる『血』と『汗』と『涙』さえも、この魔王は冷笑をうかべてそう告げた。
セレスタの街中は暗く、かがり火をいくつか焚いている。しかし、肝心の発掘部ではかがり火の明るさが届いていない。
理由は、舞い散った火の粉が『燃える水』に引火するからだ。
セレスタの屋敷前――テナルディエの為にこしらえた一つの……玉座。
この玉座は、セレスタ一帯を監視するために作られた簡易的な木造椅子にすぎない。が、どういうわけか、テナルディエはこのような素朴な造りが好みだった。それは、栄華誇る公爵家の環境で育ってきた、常に豪華な装飾や建造品を見飽きていた反動衝撃かもしれない。
一人の無知なる民が、こう申し上げた。「オラァ暗くて見えない」と。
対して魔王は、「ならば、夜より深き闇をも見分ける『光の眼』を与えよう」と。
これが、無知なる民に魔王が与えたもう英知にして光の正体。
光届かぬ世界――発掘の奥深くまで照らせる光――独立交易都市からもたらされた文明の一つ。『投光照明』。
独立交易都市では『定時』になると、外柱の頂点に設置されている『玉鋼』が、街中の歩道を均一かつ適度の『照度』で点灯する。
本来なら、それらは『一日を労う夜の陽光』に成りえたはずだ。
だが、ティル=ナ=ファの司る『夜』を奪い、『闇』に逆らう機械仕掛けの『光』は、民の安眠さえも奪っている。
文字通り奴隷として働く彼らアルサスの民に、もはやどちらが『夜』か『朝』か――分からなくなっていた。
先ほどのテナルディエの発言に対し、一人の武官にして秘書官たるスティードが臆することなくこう申した。
「ですが閣下、極端に搾り取ろうものなら、やがて反乱分子が生まれます」
対してテナルディエはこう切り返した。「絞り方が足りぬからだ」と――
先ほどの『亡命者』が生まれたのも、その一端にすぎない。もしこれが連続で動こうものなら、ねじ伏せ続けるのは難しいはずだ。
心まではねじ伏せない。ということを。
なおも説き伏せるようにテナルディエの論理は続く。
「生きるだけで精一杯では、反乱などという考えは浮かべるなどありえぬ」
「閣下。わたくしは何も『光景』を見て申しているわけではありません」
「私もだ」
「では何故?」
「決まっておる」
弱者だからこそ徹底的に。奴らの果実を絞り上げた先の『蜜』したたる世界に辿り着くことは、我らの自由なる権利であり正義たる使命なのだ。
生きるだけで精一杯ならば、喰らうか喰らわれるかの二極選択しか取れないのだ。
勇気を持たぬ論理行動など、所詮そのようなもの。
本来、テナルディエ本人の前でこのような態度をとるスティードは、自殺行為に等しい言動を繰り返す。だが、テナルディエはまるで過ちを犯した子供をあやすような態度で説き伏せる。
むしろ、口答えした勇気をたたえ、こう諭した。
「見誤るな。愚かな民を『導く』ということは、何も戦争だけではないということを」
それ以上、武官は何も追求できなかった。テナルディエの言葉も分からなくはなかったからだ。
騎手は鞭を振り上げ手綱をつなげなければ、たとえ『魔法の馬バヤール』といえど無恥通り走り続けるだろう。
民とて同じこと。辞書、英知を持たぬゆえに、脆く、愚かで、蜜の滴る理想世界どころか、草木一本生えぬ不毛の大地へ辿り着く。
アルサスの過酷な労働環境監査を再開しようとしたその時、一人の兵士がテナルディエの元へ報告を届けに来た。
「閣下――――ザイアン様が御帰還です」
耳元へ告げられたその名前に、テナルディエは眉をひそめた。
ザイアン=テナルディエ。父フェリックスの命令を受けて、アルサス焦土作戦の総指揮官であった息子。
この再開は、数多の意味で『決別』を意味するものであった。
―――――◆◇◆―――――
凱と別行動をとったザイアンはまともに休むことなく、アルサスの中心都市セレスタへ向かった。
正確には、連行だった。
彼がセレスタの門をくぐったときに複数の兵士が出そろっていたからであり、ザイアンは今に至るまでの経緯を語ろうとしなかったからだ。
おそらくフェリックスはそれを聞いて、すぐに連行しろと命令したに違いない。ザイアンは周囲の兵士たちに固められ、総指揮官の天幕に通された。つい先立ってここを訪れたとき、ザイアンは周囲の者たちと同様に、父上への忠誠心熱き兵士だった。
そう――アルサスを焼き払えという苛烈な命令にさえ、怯むことがなかった。
だが、今は父の威を借りていた『仮初』の自分と全く違う。
銀の流星軍という別勢力の、それも大使ともいうべき存在だ。少なくとも、ザイアン自身はそのつもりだった。
(……『相変わらずの光景』だな……あの頃から全く変わっていない)
燃える水を採取する為に発掘作業を『機械』のように続ける『元アルサスの民』たる奴隷たち。
かすかな一瞥をくれただけで、ザイアンはそれほど見向きもしなかった。
ひとりの女性が――貴重な『燃える水』をこぼした。
それを見かねた『監視』が鞭を持ち、痛めつける。誰も助けようとしない。
ザイアンにとって、既に見慣れたはずの光景だ。だけど、眼をそむけようとも、耳をふさぎたくなるのは本当だった。
ヴォルン家の屋敷の前――そこには待ち構えていたかのようにたたずむ父の姿があった。
目線があった途端、獅子の牙のように鋭い父の目がザイアンを射抜いた。
「……ザイアン」
「……父上」
いつもと同じ出会いがしらの一声。ザイアンはその視線を避けようとしたものの、寸の所で思いとどまり、真っ向からそれを受け止める。
フェリックスはそんな彼の変化にさえも気づかない。ザイアンを連行した兵士に、乱雑に命ずる。
「貴様等は下がれ。ザイアンとは二人だけで話をする」
ザイアンを連行してきた兵士たちは、背筋を整えて敬礼した後、二人のテリトリーを離れていった。
やがて彼等の姿が見えなくなるのを確認すると、ザイアンは心を絞るような気持ちで問いただした。
「父上は……この戦争をどうお考えなのでしょうか!?」
「なんだと?」
自分の望みに沿って行動するはずの息子が、最も矛盾した質問を投げかけてきた。
――――何故だ?という、指導者にあるまじき疑問符が浮かぶ。
テナルディエは自身に問う。
だが、ザイアンの表情は真剣だった。
「――銀の逆星軍、捧げた理念行動を、ちゃんと父上の口から聴きたくて戻りました」
公約ではなく信念を。貴方が信じる正義は何なのか?
数秒後、テナルディエ公はゆっくりと口を開く。
「ブリューヌから、真の自由と平和を取り戻す。いかに流星へ願おうと決して手に入らぬ平和を――」
相変わらずの、重みある魔王の発声。まるで、猛獣が檻にこもって唸り声を散らしているかのよう。
建前を聞いているのではない。口には出さず、瞳と視線でかの魔王たる父に訴える。
「平和……平和という言葉を勘違いしているのではないのですか!?」
ザイアンは怯みつつも激しく言い返す。
「我々が言う弱者にも、父があり、母があり、子を授かってはまた戦場に駆り出して――戦火を求めることが父上の望みなのですか!?」
「――――どこでそんな戯言を吹き込まれた?まさか……ティッタとかいう侍女にでもたぶらかされたのか?」
ザイアンの胸中に絶望の一矢がよぎる。目の前の父には自分の言葉の意味どころか、言葉そのものが届いていないように感じた。風と嵐の女神エリスに信仰深いわけではないが、せめて言葉を風に乗せて届けたいという願いがザイアンにあった。
それでも、ザイアンはあきらめず言葉を尽くす。
「流星と逆星が、ただぶつかり合って、それで本当に『真の平和』とやらが訪れると、父上は本気で考えておられるのですか!?」
「そうだ」
言葉を交わし、意志を確かめて、文字をしたためるほどの文明を持つ人間が、竜や獣のように喰らいあうべき事が、あるべき姿なのか。
「そうやってただ斬りあい、撃ちあい、否定しあうだけなら、終わることなんてありません!」
自分の思っていることを吐き出したザイアンに対し、テナルディエは確信を込めて重低音響く声で叫んだ。
「終わらせるまでよ!真の諸悪たる『弱者』を全て滅ぼせばな!」
―――――本気で父上は言っているのか?
ザイアンは全身の血が、凍漣のように凍てつく感覚に襲われる。
いや、魔王の凍漣的な思考感情、氷血晶は『冷徹』の一言に尽きる。勇者のような、氷結晶を宿す『冷静』な分析は一欠けらも感じられない。
「本気で……おっしゃっているのですか!?弱者を全て滅ぼすと!?」
――――弱者とは、存在自体が悪なのか?
怒り任せとはいえ、そのようなことを平然と吐けるのか?
「言え!ザイアン!貴様は掴んでいるはずだ!『銀の流星軍―シルヴミーティオ』の所在を!これ以上戯言を抜かすと、貴様とて許さんぞ!」
「父上……」
ザイアンは震えながら、フルセットの髭を蓄えている、憤怒に震える父の顔を見上げた。瞬間――
――――ガチリ。
ふいに、何か鉛同士を撃ち合う音が聞こえた。
ザイアンは知っている。聞いたことがある効果音に、彼は思わず畏縮する。
(……撃鉄小銃……!?)
鈍い鉄の光がザイアンの瞳を射抜き、無意識に頬を冷や汗が一滴流れる。
それこそ、次世代の『弓』であり『槍』ともいえる『銃』が火を噴く予備動作だということを。
生命の稲穂を刈り取る銃砲、それを実の息子に向けるのか?
正気かと――思えてしまう。
いや、正気だからこそ、本気で引けるのだ。まだ猶予を与えられているのだ。
弓も銃も引くことにためらいさえなければ、本質は同じかもしれない。
問い直せば、これが最後の機会と告げんばかりに、ザイアンを突き付ける。
「全ては『焼き払う』為の戦いだ!それすらも忘れたのか!貴様!」
魔王は息子の当惑に全く意に介さない。そして迷いさえも含まれていない。
彼らの間には、あらゆる理解が存在しない。溺愛する父はその面影すら見えない。あるのは、見えざる壁と遠ざかる距離間だけだった。
自分の命を救ってくれたティッタの為に、父を説得できると思っていた自分はとんだ大バカ者だった。
フェリックスは息子の想いなど気にも留めない。たくましき腕で息子を突き飛ばし、ザイアンはたまらず尻もちをつく。
「答えろ!答えなけれ……討つ!」
打つ。討つ。撃つ。たった一言だが、明確な殺意を向けられたザイアンはあきらめざるを得なかった。
そして涙をこらえつつ、緑色の海から押し寄せる絶望の波にうちひしがれる。
改めて思う。自分は愚者の一人にすぎなかった。父はすでに銃という亡霊にとりつかれたものの一人だったことを、既に理解していた。していたのに。
理を説いても、情で訴えても、この男を止めることはできない。
(これでは……ダメだ!この人をブリューヌ・ジスタート双方の『玉座』に据えてしまったら、世界は『魔』の環境に作り変えられてしまう!)
数多の躯と流れる血。それだけになってしまう。
ひとつの時代の終焉と、知的生命体の滅亡。摂理に従って行動する魔王。
かろうじて機能している『玉座』をひっくり返す――ブリューヌ・ジスタート転覆計画。
「父上!覚悟!」
ついに意を決し、ザイアンはあらかじめ『安全装置』を外しておいた銃を懐から取り出し、父に銃口を向ける。
――銃口が火を噴きだし、銃声が両者の耳にたたきつけられる。
しかし、灼熱のような弾丸はザイアンの右肩を容赦なく貫く。数拍おいて、あの時『テラスの隙間』からヴォルン伯爵に右手を貫かれた痛覚がよみがえる。
生温かい血が、ザイアンを濡らしていく。
突如放たれた銃声を聞いて、テナルディエの側近が駆けつけてくる。
次々と抑え込んでくる手と手、足と足。地べたに這いつくばったザイアンの胸元から、一枚の皮羊紙がひらりと落ちる。
独立交易都市からもたらされた機械文明の一つ。『写真投影』。
かつてヴィクトールが凱にフェリックスの正面写真を見せたものと同質のもの。
『写真』に映る幼き自分と、自分をあやす父の笑顔。
厳岩のごとき表情は『相』も変わらず、しかし、口元に浮かべた笑みに『愛』がある。あったのだ。
視界に入っていないのか、その写真をテナルディエはその辺の雑草と同じように踏みつける。
――――――ガチリ。
再び、撃鉄を鳴らす音があたりに響く。
「答えぬか!?ザイアン!」
そう告げる魔王の手には、さらなる銃が握られていた。拡散式多撃銃――ショットガンを。
ザイアンは黙したまま何も語らない。
止まった空気に耐えかねたのか、父は口を開いた。
「連れていけ!銀の流星軍の居場所を吐かせるのだ!」
縄をかけられながら、ザイアンはこれから訪れる未来を想像する。
既知財産を有しているだけ、自分はまだ父によって生かされるだろう。
だが、そのあとはどうなるのだろう?
突如として、目の前が曇るのを感じるザイアン。引っ立てられ、連れ出される彼に、フェリックスは忌々しく吐き出した。
「愚かなサイ」
「お互いに」
サイ――昔、騎士のおままごとに付き合ってくれた、息子ザイアンへの愛称。
吐き捨てた本人に名残惜しさがあったかは分からない。ただ、ザイアンにはそれらも含まれているように聞こえてきた。
こうして、父と子は決定的な亀裂と決別を残した。
通路を連行される間、ザイアンの耳に勇者の言葉がよみがえる。
――心に灯した流星の輝きを、消しちゃいけない。勇気ある限り――
(……勇気)
暗く閉ざされつつあったザイアンの思考に光が宿る。
そうだ。オレにはまだやるべきことがある。グレアストが考案したお得意の拷問処刑によって、情報を奪われて死す可能性があったとしても、あきらめるわけにはいかない。
たとえ生きることがどんなに苦しくても、感じられても、逃げるわけにはいかない。
絶望の海原に勇気の帆を張り続けて。
「お乗りください」
丁重に――とは言い難いが、ザイアンはそのまま兵士に囲まれ、中央都市セレスタの出口あたりまでたどり着く。
用意された馬車に乗り込めば、もう自分が逃げ出す機会はなくなる。
(あの人も、このような気持ちで馬車に乗り込んだのだろうか?)
獅子王凱の異端審問の噂は、ザイアンの耳にも届いていた。ガヌロンの代理としてグレアストが馬車を引っ提げて、このようにセレスタへ訪れたことがあったのだ。
(でも、勇者は希望を捨てず、文字通り生還したじゃないか)
身を焦がす清めの炎。炎の甲冑さえも、あの人は乗り越えた。
オレはあの人のようになれない。けれど、あの人のような生き方を選びたい。
――それは、ずっと前、ティグルが凱に白露したのと同じ想い。
ザイアンは意を決する。
馬車に足を踏み入れる瞬間、油断した兵士たちがザイアンの形振り構わない特攻に突き飛ばされる。
「お待ちください!ザイアン様!もし逃亡を図るものなら射殺せよとの命令を受けています!」
それは、銀の流星軍に情報が漏れるかもしれない、テナルディエの気掛かりだった。正確には、『あの男』が生きているかもしれない、勇者の完全排除を危惧してのことだ。
「――――御免!!」
兵士の一人が、銃を撃ち放つ。二人目も同じく、そして火戦はやがて数を増していく。
迫りくる赤白い銃弾が、ザイアンの生存空間に置かれ、敷かれていく。
(ダメだったか!?)
死への恐怖が全身を支配しようとしたその時――
「――銀閃殺法!八頭竜閃!!」
突如、ザイアンの脇に、頭前に、幾重にも分かれる『刺突』が放たれる。まるで彼をまもろうとするかのように。
一条一条が明らかな『質量』を持ち、熱を帯びた蜂たちを打ち落としていく。
「――――誰だ!?」
後ろを振り向くと、そこには銀閃アリファールを抜刀している勇者がいた。
獅子王凱だった。
NEXT
第22話『神話の時を超えて~対峙した魔王と勇者』
「大丈夫か!?ザイアン!」
偶然立ち会わせたからよいものの、もし銀閃アリファールの切っ先が出遅れていたら、ザイアンは未練のまま命を落としていただろう。
助けないわけにもいかない――というわけでもない。
例え利用価値があるなしで救いを決めつけるのは、勇者にとって、人間性に欠いたこととしか思えない。
今という一時を助けたかった――ではない。
先という今後を助けるために、凱は銀閃殺法『八頭竜閃』を放った。
だが、銀閃の勇者シルヴレイブの竜舞よりに先んじた青年の『斬撃』があった。
同時にそれが、ザイアンという命にして的を狙う機械仕掛けの魔弾を防いだ――という事実。
先手を取られた凱には、驚愕する余裕などない。目の前の青年に対して。
その青年の名は――
「貴様は……ノア?」
呻きに近いような、ザイアンの一声。
自分より有能で父に重宝されていた同世代の青年。微笑を崩さないまま、ザイアンに一瞥をくれる。
「大丈夫ですか?ザイアンさん」
ザイアンに優しく差し伸べられる、金髪青年たる華奢な手。
まともに責務を果たせなかった『へたれ』な自分を気遣ってくれているのだろうか?しかし、父に言葉を届けられなかった今のザイアンにとっては、そのような労りなど傷に塩でしかない。
うっとうしい――という感想しか沸かなかった。
金髪の青年ノアの行動を咎める一人の兵士が、銃を突き付けながら声を上げた。
「ノア様!我々はザイアン様が逃亡される場合は射殺せよとの命令を受けています!」
「すみません。僕自身はそんな命令を受けていないんで」
落ち着いたノアの言葉の裏腹に、不気味な雰囲気が漂う。
情がないから、慈悲を乞われても耳を傾けない。
打算がないから、益があろうと武勲に先走ることもない。
テナルディエ、ガヌロン双方に重宝される――女王以上の最高の駒。
そんな駒だからこそ、ザイアンを射抜こうとする兵をノアが止めることさえも、テナルディエはあっさり予測していた。
情も打算もなければ確実に予定通りとなる。
まさに『盤上』の駒として最高なのだ。このノア=カートライトという青年は。
そのノアに誰もが手を出せないでいると、止まった空気を打ち破るかのように、静かに彼はつぶやいた。
「……失礼しましたガイさん。さあ、この先にテナルディエさんがお待ちです」
「分かっている」
立ち止まっていた足取りは数秒を置いて、一斉に動き出す。
しかし一人、歩みを止めるものがいた。ザイアンだった。真っ先に気付いたティッタは後ろを振り向いた。
「だ……ダメだ!オレは行けない!」
「ザ……ザイアン様?」
突如として呼びかけるザイアンの声。その震える言葉の心意をうかがい知るものはいない。
「――――先に行くぞ」
「……すまない」
どういう風の吹き回しか、シーグフリードはそう告げてノアに案内を促した。
こういう時、凱と付き合うと面倒くさいことこの上ない。
とことん情に訴える。情を持ち掛けて相手の感情をくみ取る。反吐が出そうなほどのきれいごとを語るなど、現実肯定主義たるシーグフリードにとって雑音以外の何物でもなかった。
残った凱とティッタは、地面に膝をついたままのザイアンの姿を見つめていた。
――何も語らない時間が、無意味に過ぎていく。
つくづく自分勝手で、矮小で、身勝手な人間だと、ザイアン自身は思いこむ。
ユナヴィールの村で凱達と勝手に別れ、助けられた矢先に今度は会いたくない。結局自分は何がしたかったのか?
そしてザイアンはすぐに心の内を白露する。
「オレの言葉は……父上に届かなかった!アルサスに報いるために――何かできることはないかと思って……けれど、結局オレには何もできなかった!」
気が付けば、涙をぽろぽろと流していた。
アルサス――本当なら、君一人の為だけに報いると言いたかった。
でも、それは言えない。
自分には『ティッタ』と呼ぶ資格がない故の戒め。せめてあの子の為にできることはないかと悩み苦しんだ。
言葉で心に訴えても、銃を突き付けて武力に物を言わせても、あの人は――父上は全く怯みもしなかった。
どうやらこれが自分自身の能力の限界らしい。17という年齢の割には浅はかな考えだったと――自分への侮蔑と情けなさがぐるぐる回る。
無力。
それ以外の言葉が見つからない。
「もう父上は――次に会うときには、銃の引き金を引くことをためらったりしないだろうな……オレの命なんて……父上にとって」
自嘲気味につぶやくザイアンに対して叱責する声が飛び込んでくる。
「子供を心配しない親が何処にいるんですか!?」
自分より年下の少女が、年上の自分を気倒する勢いで言い詰める。
失意に沈むザイアンの肩に手を乗せた凱は、過去に想いを馳せながら覚えている限りのことを語り始めた。
「ザイアン……君の言うことが本当なら、今頃君は命を落としていたはず。けれど、こうしてまだ生きているじゃないか?それはまだ君の父さんの心に、息子を想う気持ちが残されている何よりの証拠だと、俺は信じている!」
かつてサイボーグ時代の中、EI-02戦の影響で医療室に立ち会わせていた恋人と実父の言葉を思い出していた。
当時、文字通り鋼の身体だった凱の生命維持は困難を極めていた。異文明からもたらされた――ということもあるが、何より地球外知生体による戦闘の中でのものが大きく、最終可変超人合体から勇者王最強攻撃に続く展開を避けられなかった。
生命維持グラフ。それはずっと規定数値を境にしてレッドゾーンに触れており、あたかも凱に残された、かすかな命の残り火を揺らめかせているかのようだった。
――どうかね、命君。凱の様子は?――
――麗雄博士……生命維持グラフがずっとレッドゾーンで――
――まあ、時期に回復するじゃろうて。ハッハッハ!――
――あんな状態で戦わせるから!博士は凱が心配じゃないんですか!?――
――子供を心配しない親が何処におる!?――
――あ……!――
――……凱は2年前に死んどるはずだった。命君、凱がこうしてサイボーグとして生きてくれとるだけで嬉しいんだ――
――……博士――
――だから、こいつのやりたいことをやらせてやりたい。敵との戦いも凱が自ら望んだことだ――
――ご……ごめんなさい……私……私!――
――いいんだよ。命君がいるおかげで、凱も安心して戦えるんだから――
そんなことを、思い出していた。
意識不明――人工呼吸器という生命維持の仮面を被るメディカル中の凱に、当然両者の言葉は届いていない。でも、記録装置という電子記号の形でしっかりと凱の脳内に保存されていた。
だからザイアンに伝えたい。こうして生きていること自体が、君自身の進む道を――認めている証拠だと。
例え、それが方向を違える対立する道になろうとも。
「だからザイアン――君は選ばなきゃならない」
唐突に凱が訪ねた。ザイアンがふっと顔を堅くして、ティッタが意表を突かれたような顔でガイを見やる。
「一人で銀の流星軍の幕舎へ来た時からの君を見ているし、状況が状況だ。信じる軍旗や着こんでいる甲冑にこだわる気は、少なくとも俺にはない」
凱は時折見せる、悲痛な視線をザイアンに向ける。
「ここから本格的に、状況次第だと俺は君の父さんと本気で剣を交えることだってある。君自身が行く末を見届ける覚悟があるか――テナルディエ家の一人息子として」
テナルディエ家の一人息子――その生い立ちを思い出し、ザイアンの先天的なそばかす顔に痛みが走る。だが凱が何かを言う前にティッタが噛みついた。
「そんなの……関係ないじゃないですか!?」
「正規の軍人が組織を抜けるということは、ティッタが思っているよりずっと大変なことなんだよ。彼もそれがわかっていて、決別したはずだ」
しかし、凱も厳しい口調を崩そうとしない。
「ましてや――ブリューヌへ全面反旗を翻したのが、自分の父親じゃ……」
その選択が、どれほどの重さを帯びていただろうか?既にその答えは銀の流星軍の幕舎を訪れた時、答えは出ていたはずだ。
凱の懸念は当然のものだ。ディナントの戦いにおいて敵はジスタート軍だった。ザイアンにとっては単なる外交上の敵国だった相手だから、大した抵抗も感じずに戦うことができた。
だが、今後はどうなるかわからない。
混成軍たる銀の逆星軍、その中枢たる『テナルディエ軍』を敵にすることになったとき、彼は当然『故郷』と戦わなければならなくなるのだ。当人たちにとっても苦しいことでもあるが、国家独立を掲げる地位にある父親の立場を思いやればなおさらだ。また逆にこれが、ただの父親への反抗心から出た行動なら、そういう人物に安心して耳を傾けることもできまい。
「俺はこれからも君を当てにしたいと思っているし、ここでアルサスに引き返したいなら止めはしない。君の決断を尊重する」
凱があえて反感をもらうような厳しさで、ザイアンに問うた理由はわかるような気がした。
ユナヴィールで別行動をとったザイアンを見て、凱は彼にまだ迷いがあると察したのだろう。また、この時点で、ユナヴィールで引き返したザイアンの意志をはっきりと聞いておかなければ、自分も含め、銀の流星軍全体と共闘していくことは難しい。
ザイアンはしばしうつむいて考えているようだったが、やがて目を上げて凱の眼を真っ向から見返した。
「ディナント……アルサス……いえ、ブリューヌでも多くの戦争を見て聞いて、思ったことはたくさんあります」
ザイアンはぽつりぽつりと語り始める。
「今すべきこと、したいこと、しなければならないこと――何がわかったのかそうでないのか、それすらも今の俺にはわかっていません」
決してザイアンは口が達者なほうではない。と、凱は聞いて思った。逆に、その言葉は何の飾り気も誇張もない、真摯なものだと受け入れられた。
そして、ザイアン自身も心のうちで自嘲する。ディナントの野営地で一戦前にティグルとその弓を嘲弄したあの『おべんちゃら』だった『口』はどこへいったのやら。
「けれど、自分が目指している理想世界は、貴方たちと一緒だと――今でもそう信じています」
実の父に銃の引き金を引かれた今となってもなお、ザイアンの使命はへし折れていなかった。それどころか、小さく、徐々に灯を宿したかのような渇望が生まれるのを感じ取っていた。
「――正直、あたしにもこれと言って何ができるかわかりません」
凱の隣に、ティッタが覗き込んだ。
「俺たち『流星』が、志半ばで倒れた者たちから託されたものは大きい」
ティッタはうなずく。ザイアンは小さく「はい」と答える。
「たった千の兵力で何ができるか――何かをなすにしても不可能に近いかもしれない」
不可能に近い――しかし、決してゼロではない。今の時代を象徴するかのような、星の輝かない夜空を見上げながら凱は語った。
「可能性は見えないかもしれない……でもガイさん、ザイアン様、あたしは信じていますから」
元気づけるかのような口調と言葉が、少女からもたらされた。
「ティッタ?」
「小さくても、流星の輝きは消えない――ということを。あたしだって、『夢』をずっと見続けていきたいから」
不思議と、ティッタの言葉に二人の青年は安堵を覚えた。むしろ、勇気づけられたような気さえした。
テナルディエと邂逅する者と、既に決裂した者の両者にとって、救いに近いような感覚を覚えた。
そうだ。先のことを思い悩んでいても仕方がない。自分たちにできることを、ひとつひとつこなしていくしかない。託されたものの大きさに、これから挑む時代の流れに怖気ついてしまっては、何もできなくなる。
「だから……『勇気』だけはずっと信じています」
そっと目を閉じるティッタの横顔は、なぜか温かさをもたらした。
そうだった。彼女自身、ティグルを奪われ、バートランを失い、誰よりもその現実に打ちのめされていたに違いない。それなのに、銀の流星軍の中である意味、最も落ち着きを払っているのはこの少女なのではないか?
不意に、無自覚に、知らずのうちに勇気を与えてくれるティッタこそ、本当の勇者じゃないか?
ザイアンの瞳に光が宿る。
「もしかしたら――ブリューヌ各地にも、オレ達と同じように考えている人がいるかもしれない」
決意したかのような張りのある声でザイアンは言った。対して凱は静かにコクリとうなずいた。
「きっとティグル達だって――あきらめていないはずだ」
勇者も信じている。自分が戦友と認め、尊敬するアルサスの領主――ティグルヴルムド=ヴォルン。
民を守る為なら『形振り敵わず戦う』赤い髪の男が、囚われたままで終わるはずがない。いつか、どこか、必ず『反撃の嚆矢』をうかがっているはずだ。
少し薄れてきた分厚い雲から覗き込む、星の海の夜空に、皆は想いを馳せていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
足を進めると、そこには『決別』が先ほど行われていたような光景が広がっていた。
獅子王凱、シーグフリード、フィグネリア、ティッタと少女の5人はノアに導かれるまま、魔王の居座るセレスタの中心部――ティグルの屋敷前までたどり着いた。
あのあと、ザイアンは一人離れていずこかへ去っていった。ただ「いつか星の丘で」と言い残して。
自分には、自分だけにできる戦いがある。それは、彼自身一人で挑まなければならない戦い。
――彼もまた、ティッタと同じく『理想世界を先導する超越者―アンリミテッド』の一人かもしれない。
そんなことを考えながら凱とティッタは歩いていると次第にシーグフリード達に追いついていた。
どうやらこちらに合わせて待っていてくれたらしい。最も、もう『ヴォルン家の屋敷』の手前なのだから、まとめて顔合わせしたほうが何かと手間を省けるとのことで。
「随分と遅かったですね、ガイさん」
「手間をかけた、ノア」
「僕は全然構いませんよ。心残りがあるままではとても『謁見』など叶いませんから」
謝罪する凱の言葉に対して全く気にした様子を見せないノア。それにしても――
(……謁見か)
幾多の戦歴を持つ凱とて、これから相対する存在に対して冷や汗を垂らす。
ここから先の戦いは、竜具のような武力に依存してはいけない。口から放たれる言葉一つが、手に持つ刃の太刀筋が、今後の展開を著しく左右する。
そして凱はティッタに視線を配る。恐らく、この『一戦』を制するのはもしかしたら――
「テナルディエさん、連れてきましたよ」
ご苦労と一言労って、奴隷と化しているアルサスの民に生産活動を止めるよう、武官たちに指示を出す。
「手間をかけた。下がっていろ」
「はい」
凱たちの不意打ちを考慮して、テナルディエはノアに手短な支持を出した。
ノアの明快な声が一帯に響く。夜の静けさも相まってか、彼のような優男の声でもよく鮮明に聞こえる。
ゆっくりと暗闇が明るみを帯び、やがて人の形を作っていく。
ヴォルン家の屋敷を背にして、くたびれた『玉座』に居座る、黒き鎧をまといし丈夫。
間違いない。ヴィクトール陛下に見せてもらった『写真』と同一の人相だ。
勇者と魔王――相対する。
「貴様が――『魔王』フェリックス=アーロン=テナルディエか」
百獣の王――獅子王を彷彿とさせるフルセットの髭。
長年の月日をかけて蓄えたような前髪が、魔王の眼光を引き立たせる。
短いながらも、猛々しく映える剛髪。
とはいえ、やはり光と影の芸術品たる写真と、躍動感あふれる実物では迫力が違う。
そんな当たり前の凱の感想を察したのか、テナルディエは重々しく口を開いた。
「――――流石は勇者サマ。よくご存じだ。今は魔王が生業だよ」
「ある人から『絵』を見せてもらった」
『絵』。
フェリックスはそれだけで絵の正体が何かを看破する。
獅子王凱がテナルディエをとらえた視界は、それこそヴィクトール王が見せてくれた『写真撮影』に他ならなかった。
「そうか、人の描き手を必要としない『写真撮影』。機械文明がもたらした恩恵の一つというわけか」
皮肉とも嫌味ともとれる視線を、目の前の豪胆な男――フェリックスはちらりと脇の空を見上げる。そこには支柱の上に円鏡が強い光を放っている。凱にはまるで『屋外運動場』や『大規模工場』を彷彿とさせる、施設照明のようなものが点在していた。
「こいつもその機械文明からもたらされた『投光照明』というものだ。そしてアルサスの財政に止めを刺した『負の遺産』の後の姿でもある」
「負の遺産?」
「……どういうことですか?」
フィグネリアが、ティッタがそろって疑問符の声を上げる。
「かつて、ここは『燃料資源』の原産地だったそうだ。だが、ブリューヌ建国後まもなくアルサスは搾取され、一時期廃村寸前まで立たされたのだ」
この中で唯一アルサス出身であるティッタは目を見開いた。ティグルがヴォルン家の当主として引き継いだ時から彼女は仕えているが、そのような話は一度も聞いたことがない。
(リムアリーシャさんはそのことを知っているのでしょうか?)
以前、ザイアン率いるテナルディエ軍を撃退したライトメリッツ軍は、ジスタートへ飛散する火種を払う為等の理由でアルサスに駐在していた時期があった。
その際にアルサスの地力を把握するために資料を調べさせてほしいと、リムアリーシャはティグルに要求した。(原作2巻参照)
もっとも、その時のティッタはまだ外つ国の人間であるリムアリーシャに僅かな警戒を抱いていたのだから、主の意向を受けてリムに鍵束を渡したときは内心穏やかではなかった。だから――資料や記録以外には一切手を付けないとの約束を付け加えて。
――リムとしては、初めてティッタに表情を緩めた瞬間でもあったのだから。
石炭を上回る燃料資源がアルサスで発掘されたのは、建国王シャルルがブリューヌ版図を定めてから間もないころである。当時、冬の冷厳を乗り切るだけの暖房設備は決してまともといえず、牧や断熱効果のある毛皮をたよりにするだけであった。しかし、空気を温めたり、調理をするための牧や炭はすべて『森』から賄うしかない。
やがて訪れる『資源枯渇』に対して、この『燃料資源』をうまく利用できないか。文官たちはそう考えた。
それは、手元の明かりを灯すカンデラの燃料を補う――
それは、夜の疲れを労わる外灯の燃料を補う――
それは、鍛冶産業の原泉たる炎そのものを補うと期待されていた。
しかし、新発見の存在は、幼稚なる知識程度で容易に扱えるものではない。
理由は、木炭や石炭のように燃焼力を制御しきれなかったからだ。ヒトが、無知のまま恩恵を受けようとした罰を、自然が与えたかのように思えて仕方がなかった。
逃げる人々をあざ笑うかのように燃え広がる、激しい炎。
水をかければすぐに消えると認識され、次世代の燃料と注目されていた『燃料資源』は一瞬のうちに無価値となった。
黄金と注目されていたものが、石ころの価値しかないとわかったら、長い年月を得て次第にアルサスを離れていった。ユナヴィールをはじめとした4個所の村が現存するのは、水路によって設計された炎の迷宮を生み出すために偽装罠として構築されたからだ。
(そうか。アルサスは昔、産業鉱山都市だったのか)
周りを一瞥する凱の視線と、その推測。推測は憶測とすり替わり、『太古の地球』との記憶と擦り合わせていく。
ブリューヌの土台となるフランスを先端とする西欧国を中心とした『燃える水』争奪戦――
火を獲得し、鉄を溶かして機械文明を生み出した人類に欠くことのできない、金塊も『燃える水』に比べれば物の数ではない。世界を焼き尽くした大戦の勝利を決定づけたその言葉は、さらなる軍事産業革命を後押しするに一役買った。
されど『燃える水』争奪戦の苛烈さの一例を挙げるならば、大戦終結後のとある油田を中心に敷かれた『商戦』である。
単なる物流ではない。両国講和戦でもない。『国』も一つの生命体である以上、自らの体温を保持するために『外交』という形で運動をし、『輸入』という方法で『資源』を得ようとする。
燃える水。燃える水。過去から現代に至る『知的生命体と機械文明』が根底から覆されない限り、獅子と竜のようにただ『燃料』と咆哮せざるを得ない。
14回目の宇宙として生まれ変わった地球でも、今だアルサスは戦争の渦中であることを転廻し続けていた。
(手に負えなくなった事業の負債をアルサスに長期分割運営させることで、ブリューヌ王政に都合のいい状態を作り出したということか)
規則的に並べられた風車や区画は、いわゆる『爪痕』のようなもの。(第7話参照)
鉱脈原のヴォージュ山脈に近いアルサスは、過酷な労働条件に目をつぶってしまえば、まさに鉱山産業で営む人にとって申し分ない立地条件だ。
「そして負の遺産――『毒壺』の恩恵は、『フェリックス』という私自身の『蝮……反逆者』を生み出した」
「俺もブリューヌでは既に異端者だ」
「炎の甲冑で身を焦がし、旧時代というしがらみから離脱した亡霊か。奇遇だな、私も先祖の血統をたどると――どうやら『ライトメリッツ』の亡霊らしい」
本来なら機密にしなければならない事項を、この目の前の大柄の男は、まるで世間話を語るような感覚で告げた。一般兵には当然のことながら、それらのことは知られていないらしく、次第にあたりがざわめき始める。
凱自身はすでに『異端者』となっており――フェリックス自身は『叛逆者』である。
最も凱は、かつてEI-01との接触事故の折、サイボーグ技術を用いた蘇生手術にて死の淵からよみがえった過去を持つ。故に死亡扱いとなり地球には凱の墓がある。今更ブリューヌに凱の墓が立てられようが感傷に浸る理由などない。
勇者は神に見放されており、魔王は神に逆らっている。神の見守る『箱庭』から追放されたものと、神の『楽園』を奪い取ったもの――それだけの違いでしかない。
だから、お互いに立場を気にする間柄でもないと告げたのだ。
前口上もこれくらいにして、凱はさっそく本題に切り込んだ。
「何故――アルサスを襲った?貴様の目的はブリューヌ、ジスタートの転覆であって、辺境の村一つや二つではないはずだ」
テナルディエの目的は、ブリューヌとジスタートの完全掌握。黒竜の化身へ――エステス一同の復讐劇。
ブリューヌ版図の片隅を奪い田舎の猿大将を気取るなど、はっきり言って行動が小さすぎる。
ただテナルディエは何も隠すつもりなく、淡々と語った。
「ここをジスタート侵攻への軍事拠点とする為だ。ヴォージュ山脈に接している山岳村なら軍の存在を秘匿できるうえ、『燃料資源』の採取も滞りなく進む」
ここで初めてブリューヌの負の遺産と、テナルディエがアルサスを奪った理由が一致した。
テナルディエがアルサスに目標を定めた理由はそれこそ、以前フィーネの推測通りに他ならないものだった。(第21話アヴァン参照)
ヴォージュ山脈にほど近く、それでいて王都より離れている山岳部にあるこのアルサスは、軍事拠点として申し分ない。
現に、今まで一度も騒がれることなく、統一軍としての巨大組織の『銀の逆星軍―シルヴリーティオ』が悠々と活動を行えることができたくらいだ。
「何より、ヴォージュ山脈を越えれば精強のジスタートがいる。そこには強力な戦姫がいる」
「……エレオノーラ=ヴィルターリア」
「その通りだ。『乱刃の華姫』――フィグネリア。たった五千の軍勢で二万五千の軍勢を壊走させたのだ。警戒し、しすぎることもあるまい――最も、その『エレオノーラ姫』もここにはいないがな」
「人質のつもり?随分と陳腐な手を使うのね」
「勘違いするな。今更奴らを人質にする気など毛頭ない。賓客として迎え入れている。エレオノーラ=ヴィルターリアだけではない。リュドミラ=ルリエも、そして――ティグルヴルムド=ヴォルンも」
「「ふざけたことを……!!」」
異口同音の言葉が、獅子と隼から発せられる。獣は怒りの感情と最も相性がいいというが、そうかもしれない。
場違いな発言を繰り出すものなら、即座に食い殺す。
魔王と相対する勇者たちが、そう告げている。
「それで今度は――」
「ガイ。お前は少し黙っていろ」
「シーグフリード?」
埒が明かないと踏んだのか、しびれを切らしたのか、ついにシーグフリード自らが会話に割って入ってきた。
獅子王凱は、暗殺はおろか最初から有無を言わさずアリファールを振り回そうと思っていたわけではない。
遠い過去――例え反逆の塊として危険視されたからといって、黒竜の化身に祖先の妻を奪われ、アリファールで斬殺され、そして『大気ごと薙ぎ払われ』かけたのは事実である。
分厚い黒き鎧を纏っている為に視認できないが、テナルディエ自身に処刑されたときの『古傷』が遺伝という形で刻まれている。
そのために無辜の民を犠牲にするのは看過できないが、恨みに思い、復讐心を抱くことまではできない。
ただ、バートランの事を除けば――の話だが。
「で、今度は先祖代々の怨念と古傷の疼きを晴らすべく、ジスタート王国に復讐を果たすつもりかい?テナルディエさん」
不敵な表情をテナルディエに叩きつけるシーグフリードは、初手から核心を叩きつけてきた。
「シーグフリード=ハウスマンか。貴様は勇者と違い、私寄りに近い人間だから、理解してくれていると思ったが、どうやらハズレのようだな」
「なんだと?」
「少し私の過去を話してやろう」
テナルディエの存在と思惑は、そんなシーグフリードの想定の中にはなかった。
「私の目的は紅馬と黒竜の転覆や、先祖代々の復讐劇なんて小さいものではない。そもそも数百年前に至る祖先の世話を焼くなど義理はない」
魔王の表情に変化はない。厳岩とした顔を『投光照明』がかすかに照らし続ける。
――確かに、言われてみればその通りだと思う。わざわざ建国時代の世話まで焼く必要があるのかと。
雷禍の如き魔王の眼光が、いまだに凱達の瞳をつらぬき続けている。
「私には、血を分けた『腹違いの兄と弟』がいた。何度も死にかけた。繰り返される死闘に、私はある摂理を悟った。兄と慕い、信じれば裏切られる。弟と許し、油断すれば殺される――ならば、食われる前に喰らってしまえとな」
テナルディエの脳裏によみがえる、血を分け合った者同士で喰らいあい、糧として認識しあったあの頃。その殺戮を仕向けたのは自身の父であったことを。
「…………………」
「――シシオウ=ガイ。本当なら貴様も気づいているはずだ。『強者とは、弱者を喰らうもの』それこそが万物の摂理だと」
万物の摂理。その言葉を聞いた時、凱の全身に戦慄が走った。
終焉を超えた誓い―オウス・オーバー・オメガ。
宇宙創生をもたらす原始の炎がもたらすは、数多の摂理。
等価交換。
質量保存。
因果応報。
そして、生物が生物たらしめんとする、呪縛。
それこそが、弱肉強食。
前大戦時、凱もシーグフリードも宇宙の原液ともいえる≪オウス・オーバー・オメガ≫――通称トリプルゼロに触れたことで、宇宙の摂理に到達した。
1は2に成りえない。担い、0は人の手では成しえない。―1は+1へと必ずゆり戻される。増えすぎた弱者は必ず強者によって数を減らし、強くなりすぎた強者は弱者によって迫害され数を消していく。数学的生物化学の方程式にすぎないそれは、テナルディエにとって万物不変の摂理でしかなかった。
全ての力学は『安定』を求めて『連動』する。弱肉強食はその一環にすぎない。
バーバ=ヤガーの神殿で凱の『不殺』という檻が破られたのも、そのトリプルゼロという残り火が、高揚感によって一気に再び燃え盛ったためだった。
トリプルゼロを凌駕する摂理の輪廻式――アンリミテッドゼロ。
弱肉強食たる宇宙の摂理。奴らは怠惰な時代に退屈して経験値に飢えていたのかもしれない。
――……ハラヘッタ――
だから、テナルディエの言葉が痛烈に響いてくる。
「この腐った国が、ブリューヌの真の姿。階級制だの特権制だの惰眠を貪ってきた、弱者の支配する国の末路がこれだ。いや、ブリューヌだけではない。官僚制のジスタートとて同じこと。国の本質は辿るところ全て同じだ。私の目的は最初からただ一つ―――――――『強い国を作りたい』!!」
瞬間、葡萄酒の入っているワインがパリンと割れる。熱のこもる言葉に、凱は目を見開いた。
強い国を作りたい――それは、弱者であふれかえるばかりのブリューヌに、未来はないと悟った魔王の憂鬱。
ここに至り、凱は悟らざるを得なかった。確固たる信念のもとで行動する人間に説得は通じないと。
かつて、ソール11遊星主を説得しようとした際、凱は言葉を尽くして説得を試みた。しかし、犠牲で塗り固められた道を歩むことに対して決して揺るがぬ彼らは、懸命に言葉を紡ごうとする凱との説得に応じようとしなかった。
一つの世界に、二つの存在は肯定し得ない。
強者は正義となり、弱者は悪となる。
力無き者は滅びる。それが――物質世界の掟。
傲岸不遜なる遊星主の一人、パルパレーパも護に奪われたパスキューマシンを回収する任務上、ギャレオリア彗星を潜りぬけた際に、オレンジサイトから滴るトリプルゼロの『滴』に触れていた可能性は否定できない。テナルディエの語った『弱肉強食』という摂理は、まさにパルパレーパが語る『物質世界の掟』そのものだった。
「すべての欺瞞を!怠惰を!摂理の炎で焼き尽くす!国という大樹の根を引き抜いて種をまく!」
間違いない。
この人物は自身を『正義』と称して行動しているはずだ。
「私がブリューヌを……いや、大陸全土を『強い国』にして見せる!機械文明にも屈しぬ理想世界を築く先導者たる私の『使命』だ!!」
――――今、この魔王は何と言った?
確かに、自分の振舞いを、こう言ってのけた。
――『使命』――300年前、各国の建立過程に至る戦乱時代、誰もが口にした言葉。
『人』の抗争に終止符を打つべく、彼の地に舞い降りた黒竜の化身――ジルニトラ。
天上の神々の啓示を受け、誓い剣を取りて立ち上がった聖剣王――シャルル。
部族統一という安寧を求めて立ち上がった円卓の騎士――黄金伝説。
国家滅亡の危機を前にして、立ち上がった覇王――ゼフィーリア。
だが……。
この男は建国神話から出でた亡霊などではない。むしろ、この男の建国神話は終わっていない。
「その『使命』の為に血を流すのは、少なくとも貴方自身ではありません。その血を流すのは、今を平和に生きている人々です!」
突如、最も力を持たぬ少女ティッタが凱達の前に躍り出た。冷たい夜の大気を突き破る言葉は誰も彼も驚愕させた。
下手に動こうものなら、発言するものなら命を落とす。誰が石弓で狙っているのか、抜刀するのか、刺突するのか、若しくは合図でそれらが成されるのか、テナルディエ本人がそれを命令するのか、そういった引き金たる可能性は否定できない。
「ティッタ!?」
「大丈夫です。あたしに任せてください」
凱は心配を隠せなかったが、ティッタのほうは動じない。しかし、ティッタの横顔はどこか凛々しかった。
「強さこそが正義――弱さは罪。その『論理』は人によっては心地よく聞こえるかもしれません。ですが、それは強さという概念の押し付けです。文字をしたため、言葉を交わすほどの文明を持つ我々が、どうして『力』でしか語れないのですか?力なくとも、今を懸命に生きる人々を、大切な人たちと笑いあう幸せを否定する権利はありません!」
「小娘!閣下に対する無礼の言葉!この場で」
「構わん。このまま続けさせろ」
「しかし!」
だが、ティッタの主張を否定する者たちが現れた。テナルディエに控える兵士たちである。見ると、その手には銃が、剣が、槍が構えられている。
がちゃり。
すちゃり。
びしっ。
しかし、ティッタの主張を促すものもいた。テナルディエ本人である。これから全大陸を制覇する魔王が、小娘一人の言葉を受け止められないと思われては沽券にかかわると踏んだのか、それは本人にしかわからない。
魔王は少女の名を問うた。
「娘。名はなんという?」
「ティッタと申します―――テナルディエ卿。身分を問わぬ応対にありがとうございます」
「フェリックス=アーロン=テナルディエだ。ほう――貴様があのヴォルンの侍女にして巫女の血統ティッタだったのか」
「あたしを知っているのですか?」
「ヴォルンから貴様の事は聞かされていた。それで、ガイたちと共に『力』でアルサスを取り戻すつもりか?」
先ほどの主張の返礼と言わんばかりに、ティッタを挑発する。力でしか語れないのかと告げられたばかりに。
「いいえ、ガイさんにも、フィグネリアさんにも、シーグフリードさんにも邪魔はさせません」
頼らないということは、信じられないとイコールではない。
頼るばかりではいけない。信じることが、信じさせることが、『信頼』の神髄。
だから今のティッタには通じない。それどころか、心から奮い立たせる表情で返す。
それを証明するかのように、さらに数歩、テナルディエへ近づいていく。その行為がどれほど危険なものか。
分かっているから、彼女も戦っているのだ。とはいえ――
この距離では凱の一足飛びに『遅延』が生じてしまう。加速度差で圧倒的に有利なノアが凱の背後に控えている以上、うかつな行動はとれない。
ただそれは、テナルディエへ挑む勇者の挑戦に見えた。
「大丈夫です。いまこそ、ガイさんとの約束を果たすときです」
「約束――だと?」
魔王の疑問符。さならが止まらぬ少女の勇者たる姿勢。
「次は魔王である貴方と、勇者のあたしで争いましょう」
「ティッタ!?」
ティッタの身を案じて、アリファールを抜刀しようとした凱は、シーグフリードに差し止められた。
「ガイ、言ったはずだ。黙ってみていろと」
同じく黙って見守っていた銀髪鬼も、ティッタの行動を肯定した。
(こいつはなかなか面白そうだ)
娘の行為と魔王の反応。ただそれが見ものなだけで、とりわけ感情的何かを抱いていったわけではない。ただの興味本位だ。
テナルディエは言う。
「貴様は勇者を名乗るのか?巫女である貴様が?」
「巫女は――捨てました」
「……なんだと」
気のせいか、一瞬テナルディエの目元がくぼんだような気がした。
「残されたこの手では、祈ることしかできません。今しなければならないのは……つかむことです。勇者になれば、祈るこの手は掴む手に代わる――そう信じて勇者を名乗ることを告げました。生きる資格は祈ることで手に取るのではなく、つかみ取るものだと」
齢15の少女の手のひらがギュッと絞られる。それはさながら無力を嘆くかのように。
「本当なら……あなたの言う弱者でしかないあたしが、勇者を名乗るのはおこがましいかもしれません――ですが」
強い意志を瞳に秘めて、栗色の髪の少女は魔王に抵抗する。
「貴様は『弱者』というものを勘違いをしている」
「え?」
静かなる魔王は訂正を促す。お前は勇気の使い方を得ているようだが意味を得ていないと。
「強者とは、何も腕力に限ったことではない。貧しさよりも豊かさを――醜さよりも美しさを――ヒトは誰しも相手より優れていれば安心する。だが、それは『優者』であって本当の強さはない。――何故だと思う?」
「それは……」
「これは私の持論にすぎないが、強者と弱者を区分けるものは『心』だと思っている。いや、ヒトとそうでないもの自体を区分するものだと――私は信じている」
相手より優れた部分を見つけ、そこに安堵する。ヒトの本質は臆病で恐怖に駆られるから、相手より優れようとする。
圧辣非道の悪噂らしからぬフェリックスの主張に、凱の動揺は色濃く映った。
ユナヴィールの村の惨状――置かれた現状に憤りを隠さない村人達。自分より弱いものに罪を擦り付けた連中。今まで結束して乗り越えた絆がいかに脆いか――。
――俺がルネに言ったことと同じだ。
――俺は、あいつらを人間だと思っている。それは、彼らに意志があり、こころがあるからだ。少なくとも、人と人以外を区別するものは心だと信じている――
「だが、貴様は力無き者であるにも関わらず、こうして私との対決を直に望んでいる。それは真なる勇気を持つ、魂と心を持っているからだ」
「テナルディエ卿……」
「貴様の望みは何だ?」
あたしの望みは――
ティグル様を、返してください?
バートランさんを、返してください。
どれもこれも違うような気がして、ティッタは何度も首を振った。
確かに、その人たちを――あの幸せだった時間を返してくれるなら、返してほしい。
でも……それはあたしだけが望んでいるもの?
今、あたしがしなければいけないことは……何?
犠牲者を減らす?
助けること?
戦争を終わらせること?
星の巡りを彷彿する思考がティッタに駆け巡る。天文学的『一点』から、彼女はここで答えを出さなければならない。
「アルサスを……返してください。今すぐここから出て行って!出てけ!」
――――――――一瞬、その場の大気が凍てついた。少女によって。
――――――――刹那、この場の大気が蒸発した。魔王によって。
運命の邂逅なのか、この台詞を親子に渡って吠えていることは、ティッタ自身気づいていなかった。
「真っ先に『ティグル様を返してください』などとほざくものなら、そこに控えているノアの『鬼剣』によって首と胴は分かたれていたぞ」
テナルディエの意図がわからない。
パチンと指を鳴らすふりをする。
ティグル様を返してください――というくだり、どこか小馬鹿にしているような口調であったような気がするが――
同時に、凱の後ろで控えているノアが、取り回しの良い『脇差一本』の柄に手をかけていた。
光の輪郭、影の実体をもつかませない神速技術で、ティッタの首筋、凱の首根を狙っていたのだろう。いつでも狙えるから、油断もできるし余裕 を見せつけることもできるのだ。
ともかく――
ここで凱の心理に一つの光が差し伸べる。
(もしかしたら、説得することができるのか?)
ザイアンが果たせなかった責務を、ティッタなら遂げること叶うかもしれない。
今ははっきりと道筋が見えなくとも、せめて光明は差し込めてほしいと願う。
「だが――我々もこの革命を取りやめるわけにもいかぬ」
「何故ですか?」
「この進軍は『国民国家革命軍』として、一人一人の『民』の総意の元で動いている。いうなれば『星の意志』だ。それに私には統治する長として『秩序と安寧』を守る義務がある」
「秩序と安寧とは?」
「安らぎだ。人々が外敵に怯えず日々を送ることができるのはなぜだと考える?それは過去、現在、そして未来へと続く。『終わらない明日』が続くからだ。――なぜ、人は夜眠れるのだ?それは朝になれば目覚めるとわかっているからだ。もし寝ている間に死ぬかもしれなければ、恐怖で眠ることもできないだろう。しかし、我らはそれを経験として朝になれば目覚めるとわかっている。その『輪廻』の繰り返しが秩序というものだ。私は銀の逆星軍の指導者として、時代の安寧を得るためにも、この革命はなさねばならん」
「結論は?」
「ジスタートへの足掛かりであるここは確立せねばならぬ。しかし、無益な争いは決して私の望むところではない」
「ではこのままあたし達が引かない場合は?」
「双方にとって悲劇が起こる事態――強制的排除に出るしかあるまい」
一歩も引かぬ主張論戦に、周りの者はいつの間にか圧巻され始めていた。
静寂の時間が――流れる。
かつて、これほどテナルディエに抗弁を唱えた者がいたのだろうか?
いざ異議を発しようものならば、一族そろって打ち首にされる。それがテナルディエに従う者魔王への認識だった。
しばし止まっていた時を動かしたのは、他ならない凱だった。
「俺も聞かせてくれテナルディエ公爵。貴方は純粋に戦争がしたいのか、そうでないかを。流星と逆星に分かれて――」
「ガイさん?」
「すまないティッタ。だけど―――」
少し表情を和らげて、抱く感情を素直に語った。
「しばらく見ないうちにすごく変わった。戦う人の顔になった。正真正銘の勇者だよ」
「そんなに怖い顔をしていたのでしょうか?あたしは」
「そうじゃない。何て言えばいいかな、勇気を見せてくれた……て感じだった」
「あたしにも、よくわかりません」
たくさんのことがありすぎた。今の今に至るまで。
ディナントから始まる戦いを起点とし、ブリューヌ全土の内乱が勃発し、少なからずアルサスも戦乱の渦中に巻き込まれていた。
ティグルとバートランを同時に失い、それからも逃げ惑う日々が延々と続いた。
大切な人を想う故、流す涙。
何度も何度も踏みにじられ、幾度も洗い流した心の滴。
だから、『いつまでも続く流れ』を、このままにするわけにはいかない。
「ガイさんは、いえ……勇者様は、今に至るまで血を流されましたか?」
勇者と呼ばれた長髪の青年は、思っていることを、一辺の淀みなく話した。
「流した。だけど俺はそれを苦痛とか大変とか思ったことは一度もない。確かに、『あの戦い』では、戦えるのが俺しかいなかったというのもある。けれど、俺が今まで戦ってこれたのは、俺を勇者と信じてくれて、皆が勇者でいてくれたからだ。一人じゃなく、一つだったから。ただ戦場を駆るだけが勇者じゃない。ティッタや、この少女のように、『戦わない戦争』をすることで、戦ってくれる勇者たちがいる。何より、そのおかげで戦える人達がいる。大切なものを守る為の勇者にしてくれる。それはティッタ自身が一番わかっているはずだ」
「……ガイさん」
ティッタは胸の内にこみあげてくるものに、言葉を詰まらせた。
ディナントの戦いにて、主の背中を見送った時――
ザイアン率いるテナルディエ軍が、アルサスを襲った時――
大切な人たちが待っていてくれる。その人の為になら、人は何度でも勇者になれる。ティグルも、ティッタをはじめとしたアルサスの人々を守りたいから、勇者になれたのではないのだろうか。戦場の勇者たちを先導する『王』として。
そのような『弱者の糧になろうとする強者の責務』という論理が、テナルディエには理解できなかった。したくなかったのだ。
「ならば勇者ガイ。貴様の本音を聞かせてもらうか。そもそも貴様はこの戦争にあまり積極的ではないようだが」
テナルディエの指摘はもっともだった。
獅子王凱という人間の全容をノアから聞いていたが、どうも最後の部分だけは信じるに値しなかった。
不殺。愛。勇気。
数多の力学を衆知し、自然界にも人間社会を先導する『勇者』と、その頂点に君臨できる『王』にもなれるはずだ。
なのに、己が力を隠すかのように振る舞う始末。もっと巨大な野心を秘めているのではないか?そう思えてならないが故の質問だった。
シーグフリードに制されていた凱は、ついに己の本心を語るのだった。
「俺の本音はただ一つ。戦争の早期終結だ」
「戦争の早期終結なら、貴様はこの『人間同士』の戦争をどう考えている?戦争である以上、どちらかが滅びるしか勝敗は決めれまい」
どちらかが滅びるまで。
その言葉に対して凱は息をのむ。
正義と信じて陣営を率いた者たち、信念――盲心――欺瞞――関心を示さない者を黙認し続けてきた者たちは悪となる。
どうしてこうなる前に止められなかった?
無恥そのものが罪だ。知らなかったでは済まされない。
だから戦争は滅びという結果でしか勝敗を決めれないと――何もしなかった弱者と、こんな結末にしてしまった強者にも罪はある。
――――――――違う!!
凱は激しく首を横へ振った。それだけがヒトのすべてじゃないと。
「勝ち負けだけが戦争を終わらせることはないだろう。平和な世界を――世界に平和をもたらすのに、強者も弱者も関係ないはずだ。ましてや『人間同士』の小競り合いで神様や先祖の名前を借りるだなんて、それで本当に平和とやらがくるのかよ」
「ならば、貴様は今この場で言い争う私とティッタの主張は、どちらも嫌悪し、尊重するといいたいのか?」
「そうだ」
「どのような結末になろうとも?」
「くどい。それよりも、テナルディエ公爵こそ『革命』をやめる気はないのか?」
「ない。私は弱者からの迫害から強者を守る為に戦っている。我らブリューヌの人間には、長年革命を繰り返して発展を遂げてきた過ちを正す義務がある」
これまでの歴史が過ちで、これからの軌跡こそが、正しい道だと信じるゆえに起きた革命。だからこそ頑なに堅持するのだ。
「シシオウ=ガイ。これは『夢』という自由の欲求を持つ者同士が、信じる道を賭けて激突する革命なのだ。願わくはこの『舞台』から身を引いてくれることを願う」
――つまり、『魔弾の王と戦姫』という御伽世界からいなくなれと。
ティッタもテナルディエもザイアンも皆、対等だから勇者である凱は介入すべきではない。
結局……そういうことなのか?元凶なりし者は傍観者でいろと?
「そして、俺が介入しなかった場合、二つの論理の衝突を以て事の是非をつけようと?」
「私たち逆星が絶対的正義とは言わぬ。絶対出ないがゆえに信じる正義であり、貫くためにはやはり『力』が必要なのだ。それがもっとも苛烈に試されるのが『戦場』であり、ここへ姿を見せたティッタもまた戦場の勇者といえよう」
「まったくもってその通りだ」
凱たちもかつて、ただ存続のみを賭けて三重連太陽系という過去の宇宙と闘争を繰り広げた。
共存することもできるはず。
もう後へ引くことはできない。
正義の為ではない。生き延びるという――生命体に刷り込まれた本能によって。
「だから俺も全く同じ論理を以て、勇者はあまねく『原作』に介入し……」
ここで凱は一呼吸置く。
「――――『人を超越した力』したを以て、進撃した軍を殲滅する」
ティッタ、フィグネリアは驚愕した目で凱の真剣な表情を見渡した。
対してテナルディエ、シーグフリードも同様の反応を示した。ムシのいい絵空事を抜かす男にしては、随分と過激な発言をしたものだと。
だが、凱の論争はこれで終わらない。
「無論、そちらが話し合いに就くつもりなら、俺も席に着く。しかし、『力』で押し通すなら、俺も『力』に抗うだけだ」
既に銀の逆星軍は時代の流れを加速、逆走、超過させてしまっている。
本来なら、その『原作―セカイ』にあるはずのない『機械文明』が、力学に逆らう『暴力』を解禁してしまっている。
とっくの昔に、魔王は勇者へ宣戦布告をしている。
そして魔王の言い分が放たれる。
「ならばこちらも言わせてもらうが――こちらには『七人の戦鬼』と『機械文明』がある。貴様に『英知』があるように」
そんなことはわかっている。
例え凱自身が『人を超越した力』をもっていようと、たった一人で時代も大軍も捻じ曲げることができるというのなら、はっきり言って『思い上がり』も甚だしいとしか言いようがない。
「シシオウ=ガイ。もしここで貴様と交戦することになったとしても、私たちが勝つ――絶対にだ。その確信が私にはある」
「百も承知だ。俺だって一人でなんでもできるとは思っていない」
少々苦い表情が浮かぶ凱だったが、気持ちを切り替えて反論する。
テナルディエの主張。魔王の使命。
そして、ティッタの意志。勇者の責務。
――――――――――抜刀。
しずかに抜かれた銀閃の刃は、夜の光景の中ではひときわ目立つ。
天に掲げた切先は、何を見上げているのだろうか。
「ただ――どっちが正しいかなんて俺にはわからない……だが!信じた者たちと、勇気ある誓いの為、そして!アルサスの皆を守る為に!俺は貴様たち『逆星』と戦う!」
腹の底から響いた凱の一声は、アルサス一帯に響いたかもしれない。
夜という静けさで、皆が『勇気ある誓い』に耳を傾けた。
空高くそびえる満月。まさしく時代の分岐点を見定めるかのように、昏く、かつ妖しく美しく輝いたまま。
一つの勢力。銀の逆星軍の魔王テナルディエ。
もう一つの陣営。銀の流星軍の勇者ティッタ。
双方の行く末を見守る――勇者と魔王の間に立つ凱。
難しいかじ取りとなってきた。
幾つか数える時間を有し、フェリックスは思案する。
今、ここで凱やシーグフリードの『代理契約戦争の生き残り』どもと本当に一戦交えるか――
一機当千の神話――『銀閃の勇者』
一鬼当千の伝説――『蝕炎の戦士』
二人の超戦力を相手にして負けないわけではない。ただ、テナルディエには不安要素があった。
例え勝利したとしても、少なくともアルサスは軍事拠点としての価値を無くす。
さらにいえば、戦力の3分の2は確実に失われる。補給の面も含めて。
かといって、ただ逃げるだけでは、負けを認めているようで癪だった。
ならば、せいぜいヤツらを褒めたたえるとするか。
(赤髭のクレイシュも同じように考察していたのだろうな)
ふと口元が吊り上がる。このような仕草も輪廻のたまものなのかと思うと、不思議で仕方がない。
とうとうフェリックスの太い唇がゆらめく。
「ティッタよ。この勝負の一旦の価値は貴様に譲ろう」
その言葉を理解するに、いくばくかの時間を要した。あの冷酷非道なる魔王がそのようなことを口にしたからだ。
兵達の間で動揺が走り、アルサスの民の間にも衝撃が迸る。
「……退いてくれるのですか?」
「ああ。契約の神ラジガストに誓って」
ブリューヌ、ジスタート双方で信仰される神柱の名だ。この名を宣言することは、絶対不変の意味を持つ。悪魔契約も同様に。
「この娘……本当に成し遂げたのね」
フィーネの心中に感涙と動揺が同時に走った。ありえないと読んでいた展開が、予想外へとつながったのだから。
だが、それはティッタ一人の力ではない。
「ティッタといったな。ガイに感謝するがいい」
「いわれるまでもなく、それは初めから感謝しています。シーグフリードさんにも、フィグネリアさんにも、そして――」
ティッタは隣にいる少女へ視線を送る。
「この小さな名も知らない少女にも」
そして、フェリックスの言葉はこれだけで終わらない。
「だがな、これで終わりではないぞ?」
「勝ち逃げは許さないとおっしゃいますか?」
「無論だ。せめてここを去る前に――――『置き土産』をせねばならん」
太く、鋭いテナルディエの指がパチンと鳴る。
深い夜にもかかわらず、凱達は上空から『影』の存在を察知した。それは獲物へ急降下する『隼』を思わせた。
不遜なる存在の名乗りと声色に、凱とティッタは聞き覚えがあった。
忘れもしない、アルサスで金欲しさに領内を暴れまわった不法者。
その名は――
「アルサスを統括するこのドナルベインが相手だ!」
輪廻の摂理は凱とドナルベインの再戦を運命に仕組ませた。
NEXT
第23話『銀閃と鬼剣のクロスコネクト~再戦のドナルベイン!』
『競争本能』
誰よりも強くありたい。『夢・メチタ』に並ぶその欲求は、ヒトが生まれながらに刷り込まれた真理の一つだ。
保存。進化。闘争。それらは微生物が、細菌が、動物が自らを生かすための刷り込まれた入力言語。
相対する存在があればこそ、誰しも『優越感』という形で自身の在り方を求めていく。
火を用い始めた紀元前の時代――。調理によりタンパク質や炭水化物の摂取を可能となったヒトは、プログラム
に従って自らの強さを高めるための栄養素を求め始めた。
もっと強く……もっと強く……誰よりも強く。すべては生き抜くために。
本能に一度点火した欲求こそ、ヒトの性なのだろうか。
こうして生まれていった『傭兵』や『騎士』といった存在は、紛争堪えぬ時代環境において、最適化人種であった。
誰しもが更なる高みを目指した中で――
だが、傭兵の中でも、自分たちが決して達し得ない高みにいるものを妬み、憎む者もいた。
ドナルベイン――数多の戦争を生き抜いた彼もその一人だった。
そもそも彼には預かり知らぬことだが、アルサスで自身を打ち負かした、エヴォリュダーへと転生した獅子王凱の肉体に到底及ぶことはない。
どれだけ努力しても、あるいは肉体に改造を施したとしても、人為的に獲得した特質だけでは、決して超越体には届かない。
持たざる者は持てるものを憎み、恨み、焦燥と渇きさえも抱く。やがて彼の『強くなりたい』という欲求はゆがんだ形で一人の『魔女』を呼び寄せて、一人の元傭兵と焦点を結び付けた。
――復讐するつもりがあるのなら、力を与えてやろう――と。
魔女――バーバ=ヤガーの告白はこれで終わらない。彼女は凱の秘密をドナルベインに与えたのである。
――今こそ明かそう。あやつはヒトであり、キカイでもある――
――……キカイ……だと?――
無精髭のならず者――ドナルベインは思案する。
確かキカイという言葉は『弩――アーバレスト』の指向性動作構造で垣間見える、ヒトの力学では成しえない機構用語。それは確かキカイと呼んでいたことがある。
キカイ……それは、人力では決してなしえない『動力』から得られる、極めて大きな益をもたらすもの。
自分の剛剣を叩き折ったのも、そのキカイってやつがそうなのか?
キカイ……それは、移動に対して優れた本質を持つ『機動』へと成り代わる、極めて多くの利をもたらすもの。
自分を翻弄したあの『カミカゼ』も、そのキカイってやつがそうなのか?
――シシオウガイ……古の時代の言葉を借りるなら、やつも転生者なのだ――
ホウキの魔女たるバーバ=ヤガーはさらに言い募る。規格外の力を宿すその秘密を。
高度な文明が栄えていたあの時代。荷積車と接触して別世界に輪廻転生する物語の雛型を。
同じ軌跡をたどっているというのだ。勇者と王の間でいまだ揺れ動くその青年は。
宇宙飛行士を目指していた普通の青年は、地球外知生体EI-01に接触し瀕死の重傷を負った。
数奇な運命をたどった凱の肉体は数々の機転を強いられた。
ヒト――サイボーグ――エヴォリュダー――アンリミテッド。
馬車よりも速い走力。
巨岩さえも砕く拳。
あらゆる病原体に屈しない免疫能力。
地球上誰よりも多くの叡智、大きな力を持ちうる肉体、『人を超越した存在』だったのだ。
だからドナルベインは求めた。ヒトを超える剛力と神速を。
そして彼は手に入れた。暗闇の空間から、ゆらめくように突如現れた魔女に祈りをささげて――
かの獅子王に引けを取らぬこの力を、彼は何の経過を得ずして手に入れたのだ。
――この力……この力が欲しかったのだ!――
思い返すたびによみがえる屈辱と憤怒。
本当のヤツなら、俺たちを皆殺しにすることもできたはずだ。
何が奴を偽らせている?
能ある鷹は爪を隠すと古い言葉が示す通り、いや、全然違う。
結局ヤツは反則者『チート』だったのだ。
――待っていろ!この力で貴様を血祭に挙げてくれるわ!――
アルサスでの再戦。
獅子に成り損ねた男の挑戦が幕を開ける。
――ひひひ……頼んだぞ。愚かな手動式人形――
こうして、バーバ=ヤガーの悪意に満ちた力の授与に気付かないまま、ドナルベインは再戦を果たしに行ったのだ。
【深夜・アルサス・ヴォルン屋敷前の中央広場】
テナルディエ軍によって、アルサスは王政府の監視の目が届かない『陸の孤島』へと変えられた。
魔王の監視から孤島を開放するための戦い。絶対に負けられない。
奴隷と化した民たちは、アルサスの開放される瞬間を、ずっと待ち望んでいた。
静かに見守る各々。
再戦のドナルベイン。奪われたアルサスを、取り戻す!
「ぐふふ!この時を幾時も待ちかねたぞ!シシオウ=ガイ!」
深き夜の大気を乱暴に打ち破り、凱の元へ空中降下を果たした獰猛類は、既に臨戦態勢を整えていた。
「お前は……ドナルベイン!あの女の子の母親を殺めた張本人か!?」
凱の表情に二つの憤怒の色が濃く浮き出る。
勇者は無意識に歯を食いしばる。その主な理由――。
一つは、ドナルベインという魔盗賊の悪魔的所業の存在。
二つは、ドナルベインを生かしてしまった結果、間接的に母親の命を奪ってしまった――自分自身への――怒りだった。
アリファールを握りしめるグリップにも、無意識に力がこもる。
「あの女は愚かにも『燃える水』を盗もうとした!その責めを負わせるために、オレ様自らが処刑したのだ!」
実際には手傷を負わせただけにすぎず、手負いと化した母親は少女を抱いて深い森へ逃走を図った。そこをドナルベインの部下に追われていた。
アルサス領内のユナヴィール村にまで武装集団が追跡してきたのは、娘を守って命を落とした母親とその少女にとっては最大の不幸であった。
だが、同時に凱やシーグフリード、フィグネリアという超戦力がユナヴィ-ルへ辿り着いたのは最大の幸運でもあったのだ。
「――そんなことの為に……手をかけたというのか!?」
「当然だ!そしてそこにいる『娘』も後を追わせてやるぞ!」
ふいに、ドナルベインと『少女』の視線が合わさる。
獲物と認識された少女は恐怖に顔をゆがめる。
記憶の掘り起こされる感覚。目の前で斬られた光景。
少女に焼き付いた記憶は、無垢な心を構わず炙る。
生々しく甦る、お母さんの最期。
「いや――――」
恐怖。悲しみ。何よりお母さんの命を奪ったこの男が憎い。
だが、幼い少女の手ではナイフを突き出したところで、かすり傷一つ負わせることすら叶うまい。
そんな少女をティッタは力強く抱き寄せる。
心配しないで。ガイさんがきっと助けてくれると、侍女は言葉ではなく行動で告げて。
アルサスを取り戻してくれるって!
「二人とも、私から絶対に離れるな」
そんな少女とティッタにフィーネは庇うような動作で寄り添う。あたかも外敵から雛鳥を守らんとする『隼-オヤドリ』のように。幾多の戦乱を潜りぬけてきた愛刃が二つと並び、それは翼を広げて威嚇する猛禽類を思わせた。
魔王と相対する勇者にこの依頼を託されたのだ。ここでかすり傷一つ負ってしまうようなら、職業傭兵ありえない。
成人女性の腰回りもあるような。二つ振りの大剣。
程よいほどに血と肉と油は程よく刀身に染み込んでいて赤茶けている。
はたしてどれだけの人間の命を奪ってきたのだろうか。
食い殺してきたことで腐食した刃こぼれは、まるで『剣の齲蝕』——人間で言うなれば『虫歯』以外に適切な表現が浮かばない。
刃立ちの粗悪なドナルベインの魔剣のような大剣と、彼自身を野ざらしにしておけば、罪のない人々は次々と殺されてしまう。
それだけは、何としても阻止しなければならない。
たとえ、『不殺』という、誓いの檻を破ろうとも。
―――絶対に許さん!!ドナルベイン!!―――
爆発する感情に、凱の怒りが大気を怯ませる!
猛る獅子の気迫が波濤となって、アルサス観客者に放たれる!
フェリックスの御身を保護する近衛兵が、一瞬にして硬直する!
恐らく、怒りに打ち震える凱の姿が、かの『百獣の王』の逆髪を思わせたのだろう!
それが凱達を取り囲むテナルディエ兵に、二の足を踏ませている!
あと一歩足を運び邪魔だてするならば、銀閃の牙が容赦なく食い殺してくれる!
銀閃の柄に埋め込まれし紅玉の光と風がそう告げている!
対してフェリックス本人は全く動じない。魔王の肝は勇者の攻撃的な気配に対しても安定している。
魔王フェリックスが勇者ガイに差し向けた目的は、ドナルベインを餌にして獅子王凱の本性を引き出すこと。
以前のドナルベインならいざ知らず、現在の実力は『銀の逆星軍―シルヴリーティオ』の中級付近には位置する。
『不殺』として竜具アリファールを振るう凱に、殺戮剣の使い手であるドナルベインをぶつければ、凱の心に吹き込まれた憎悪の火種が殺意に咲き変えるという、望む反応が返ってくると考えていたのだ。
「まさかそんな奴にまで情けをかけるとは思わないが――」
いくらお人よしの究極型たる凱とて、ドナルベインを生かすことはしないはずだ。
ただ静かにシーグフリードはただ戦いの行く末を見つめている。この男が勇者に『立ち止まった』ままなのか、王に『立ち戻るか』を見届けるために。
一方――そんな凱の姿を見つめている少女たちは……
「……ガイさん?」
意識せず口にした、栗色の髪の青年の名前。
同じ栗色の髪の少女の前へ、青年は無言のまま躍り出る。
ティッタの胸に不安の一矢がよぎる。安心感をもたらしてくれた大きな背中ではなく、すべてを置き去りにしてしまう小さな背中に見えたから。
なぜが――
ガイさんが――
このまま遠くへ――
夜と闇をむやみに突き進み――
独りぼっちになってしまうんじゃないか――
そんなティッタの想いを振り切っていることを自覚せずまま、自身と同じく栗色の髪を持つ青年の凱はドナルベインの目前に立つ。
「このオレ様を前にして逃げなかったことだけは褒めてやる!そして!この瞬間を!どれほど待っていたか!アルサスで一番の獲物は――――貴様だ!」
対してドナルベインは凱の価値をそう定めると、殺人道具たる大剣で攻撃の前触れたるドラミングを打ち鳴らす。
待ちかねた獲物。ドナルベインに潜む闘争心と復讐心は『瘴気』として立ち上がり、ここセレスタを凶牙の渦で取り囲んでいく!
響き渡るは、武骨なる効果音。
ガチ!ガチ!ガチ!ガチ!ガチ!ガチ!ガチ!
久しぶりの肉にありつけたかのような獣じみた『癖』。
魔盗賊の両頬の口元が卑しく吊り上がる。
理性を乏した証拠として唾液がこぼれる。
ぽたり。
ぽたり。
汚いよだれだ。
不愉快極まりないドナルベインの口から、魔王テナルディエがアルサスを掌握して以来の宣戦布告が放たれる。
「以前は貴様の規格外能力に後れを取ったが――今度はそうはいかないぜ!喰らえぇぇぇ!!」
問答無用の先制攻撃――
偉丈夫の元傭兵は、凱がアリファールを身構える前に襲い掛かってきた!
至近距離から繰り出されるドナルベインの『唐竹割り』が凱を襲う!
いまだアリファールは鞘に収まったままだ。凄まじい怒涛の攻撃を仕掛けることで、凱に長剣の抜刀さえもさせないつもりなのか。
すかさず飛天。一足飛びで離陸を果たしてこれを回避、空振りに終わったドナルベインの一撃が大地を砕く!
飛散する上硬質な煉瓦の破片が舞い散り、岩盤ごと抉るほどの凶悪な威力を物語る!
数間を要して大地に降り立った凱は、無言でただ静かにドナルベインの眼を見据えている!
「どうした!?オレ様の力に恐れをなしたのか?言い返さないあたり、図星といったところか?」
そんなわけないだろう。馬鹿が。
観葉大木に背もたれして、傍観者に徹しているシーグフリードは、胸中でドナルベインを侮蔑する。
もし相手が凱を倒すほどの実力者ならば、やむを得ず自分で片付けようと考えていた。
しかし、先ほどの凱とドナルベインの競り合いで確信した。
誰に与えられたか知らないが、力を増したことで調子に乗りすぎて体さばきがバラバラだ。
あそこまで単細胞な奴なら、なおさら自分の太刀筋――煌竜閃を披露したくない。
その理由は、得体のしれないテナルディエの視線——『魔王の瞳』を察知した為であった。
魔王の右目が、ずっと凱とドナルベインの戦いを観察している。
魔王の左目が、ずっとシーグフリード達の動向を監視している。
身の振る舞い方。動悸。投光照明が促す瞳孔反応。立ち位置。筋肉の縮退と触覚挙動。
まるで、凱やシーグフリードたちを実験動物とみなし、アルサスそのものを単なる研究室として扱っている。
目前で戦闘中の凱と同長身の銀髪鬼には、この既視感を判定していた。
初代ハウスマンの研究室。シーグフリ-ドが異常交配の産物として生を受けた実験場。
ここで不用意に技を披露するならば、目を通過して必ずや魔王の『経験値』となり研究資料になる。
(確か獅子の毛皮はいかなる武器をも跳ね返すというが……おそらくテナルディエは凱の銀閃アリファールの太刀筋を見定めるためにドナルベインを仕掛けたのだろうな)※『ネメアの獅子の毛皮』を参照
『銀の逆星軍』総大将――魔王が生業のフェリックス=アーロン=テナルディエ。
またの名を『百獣の魔王』レグヌスと呼ばれる。
だが、彼の異名は何も獅子のごとき鬣をあしらったフルセットの髭のような外見だけにとどまらない。
あらゆる武具を力のみで打ち砕く、40年絶えず鍛え上げた肉体を持ち――
あらゆる獲物を眼力のみでとらえる、40年蓄えた知恵の弾薬庫がある——
双方融合させた『理論武装』。こちらの手の内を明かしてこれ以上身を固められたら元の子もない。
(――――――フェリックス!)
既に凱の視線はドナルベインではなく、テナルディエ本人に向けている。
神速対神速の領域の刹那、相対速度的にドナルベインの斬撃を潜り抜けながら、シーグフリードと視線を合わせる。
それは、単なる意思疎通と確認にすぎなかったが、二人にはそれだけで膨大な情報を受理するには十分だった。
(やはり、ガイ自身も知っているか)
急激な圧迫感。獣が獲物を捕らえる時、眼力にて体の自由を奪い牙で仕留めるという。
戦場の片隅で感じ取った違和感は、他ならない魔王テナルディエのものだった。
恐らく、独活の大木たる巨漢のドナルベインを餌にして、凱の力を露呈させるのがテナルディエの狙いだろう。
アルサスを放棄する代わりに、凱の基礎能力の一端だけでも拾い出そうとして。
当然、魔王の思惑は勇者に見抜かれている。
無論、勇者も魔王の目論見に気付いている。
謀略思考と戦闘情勢の目まぐるしい交錯が続く。
疾風怒涛のような連続攻撃を止めたドナルベインは、己が優位性を誇示して半ば満足したのか、次のように豪々と述べた。
「慈悲深いオレ様が!一度だけ機会をくれてやるぞ!命が欲しければ泣いて這いつくばり、許しを乞え!」
醜い誘惑。魔王ならもっと絶妙な瞬間を狙って勇者の心を射抜く。
命乞い――癇に障るような余計な気遣いが、凱の決意を硬貨させてしまった。命乞いするのは貴様のほうだと、青年の獅子の如き瞳がそう訴える。
「――――断る」
凱の返答は勇者らしく、簡潔を極めた。
「ならば!新生したオレ様の力を思い知りながら――くたばりやがれ!!!」
先ほどの荒々しい嵐とは異なる一陣の風が激しく吹きつける。
アルサスの大地を這うように舞う瘴気。巨木のようなドナルベインが動けば、周囲を薙ぎ払う『雨嵐—コーラルレイン』となる。
まさに自然災害の嵐と化したドナルベインは、今度こそ確実に凱を仕留めようと、『竜巻』へ昇格して猛襲する!
(――速い!)
はらり。
紙一重より切迫した――『髪』一重の一撃。
一枝斬られた毛を舞いながらも凱は、ドナルベインの再発する瘴気質量の推測を開始した。
初手の加速度なら、もしかしたら鬼剣のノアと見劣りしないかもしれない。
瞬間最高加速度は物理表に換算してマッハ2。
ヒトは獲物を捕捉するために音の行動をとらえることはできても、身体は音より速く動けるようにできてはいない。
知覚――認識――行動に移すまで、ほんの数フレームのズレが生じるはずだ。
だが、技のキレがなくとも、ドナルベインの猛襲が脅威であることに何ら変わりはない。
「遅い!遅すぎる!銀閃の勇者シルヴレイブ恐れるに足らんわ!」
「――――ちぃ!」
あらゆる悪態が凱の舌を撃たせる。
手こずる故に……ではない。そんなおもちゃのような力でここまで無邪気に喜べるものなのか?ドナルベインの神経を疑った為にだった。
獅子の飛脚が90度反転――。
一足切り返した時、ドナルベインの加速斬撃が凱をとらえる!
「ガイ!?」
「ガイさん!?」
フィグネリアとティッタ、二人が青年の名を叫ぶ。
「グフフ!!シシオウ=ガイを討ち取った!口ほどにもなかったわ!」「あの少女との約束だ」
勝利の余韻は極一瞬で散らされた。
なぜなら、獣の大剣を勇者が既にアリファールで寸前で受け止めていたからだ。
――――銀閃の長剣に食い込む、ドナルベインの大剣。
心金を痛めたのは元傭兵の大剣。無傷のアリファールはその強き輝きを誇示したまま、ドナルベインの大剣を『食い込ませている』。
刃立ち90度旋回。針のような刃の輝きは、敵対者への宣告を秘めていた。刀身に映る者はすべて斬り払う――と。
「テナルディエ公の前に貴様を倒す!……報いは必ずくれてやる!」
「報い……だと?」
「そうだ!」
「笑わせるわ!くれてやるどころか、このオレ様に追いつくことすらできぬ貴様に何が出来るか!?」
「……追いかけっこがまともに出来るようになったただけが、そんなに嬉しいか」
「オレ様を侮辱するか!?」
ドナルベインが青筋立てて激昂する瞬間――凱のアリファールは、食い込んだままの大剣を『ねじり』挙げて、『てこの原理』の応用で根元からへし折った!
驚愕するドナルベインを他所に、凱は問いを一つ投げ放った。
「その大した『神速』は誰から与えられたんだ?」
刹那――ドナルベインの脈拍が極端に跳ね上がる。
僅かな静寂の時間。それだけで図星だと見て取れる。
風の流動を利用した、アリファールの竜の『耳』がそれを聞き逃さない。
竜具は主を偽らない。ゆえに銀閃は凱へ通達する。
「……貴様への復讐心を糧に、修行して得た成果だ!」
くぐもったドナルベインの答弁。復讐心を抱いて力を望んだのは本当の事だとしても、凱の神速に迫る脚力は、一年どころか半年足らずで身に付く能力ではない。
豊富な戦闘経験を持つ凱の目にはまるで、神が悪戯で与えた力を無邪気に喜んでいる咎人を目の当たりにしているような光景だった。
「言いにくいなら俺が言い当ててやる。——復讐心を糧に――というくだりを聞いてピンときたぜ。貴様から漂う不遜な邪気……バーバ=ヤガーから授かった『特典』だ!」
以前シーグフリードと死闘を演じた、童話との歴史ある神殿と同じ気配がした。
バーバ=ヤガー。御伽噺によれば、祈りをささげた者に願いを叶える箒の魔女。
『魔』との交戦歴あるアリファールが凱に訴える。それと同様の邪気が漂っていると。
(凍り付いたドナルベインの表情を見ると、まさに図星のようだな)
凱の放つ洞察の鏃は、確実にドナルベインの心中を射抜いた。対してドナルベインは硬直して口すら開けない。
シーグフリードが推測した内容は、おおよそ凱と同じ内容だった。
斬撃ひとつひとつとっても、いざというときの筋肉の張りと『相手を倒そうとする』気迫がない。
瞬足機動を維持するための体制保持もバラバラだ。凱の放つ銀閃の太刀を捌く技術力も感じない。
加えて、概には単純に能力だけ上げたことを見透かされた。
決定的な劣勢感を振り払うようにドナルベインは吠える!
「……だが!オレ様が貴様を上回っていることは事実だろうが!」
焦りを誤魔化すために、『現状』を叫ぶドナルベイン。しかし、凱の発言は正鵠を射ていることには変わりない。
「おい、ドナルベインとか言ったな」
銀髪鬼シーグフリードは嘲弄する。はたから見ればみっともない口喧嘩だ。
「勝ち誇りたいなら、目の前のそいつに勝ってからにするんだな」
勝利以外にチートなしの『潔白』を証明する手立てはない。その言葉を口火にして、両者は再び『神速』の領域に飛び込んでいった。
やがてドナルベインは気づくことになる。
規格外能力がもたらした恩恵とその代償を―――――
―――――◇―――――◆―――――◇―――――
「シーグフリードさん、ガイさんがなんだか危ないですよ?助けてあげないんですか?」
劣勢と思われる凱の様子を見て、金髪の青年ノアは何の感情もなく隣のシーグフリードに尋ねる。
「馬鹿を言うな。ノアこそよく『観察」してみろ」
顎でくいっと景色を指すシーグフリード。そしてフィグネリアもティッタも揃って視線を向ける。
「うん?紙一重の差でよけ続けていますけど、あれじゃやがてドナルベインさんにつかまっちゃいますよ?」
「どあほう。あの紙一重を既に何回避けているかわかるか?100太刀中すべてかわしている。とてもまぐれで言い切れる数字じゃない。ガイのやつ、やはりテナルディエの視線が気になって竜技も竜舞も繰り出せずにいやがる。控えている――ノアやテナルディエとの戦いに備えてな」
「シーグフリードさん、そうだったんですか?僕はてっきり押されてるばかりだと」
言われてみれば、あれから凱は回避行動に徹しているものの、追い詰められた状況には見えない。
一方、フィグネリアもドナルベインの豹変ぶりには驚かされたが、不可解な点も同時に感じていた。
傭兵稼業という職業柄、ドナルベインとかいう野盗下がりの元傭兵は、いくつもの戦場で見かけたことがあった。
同業者として力比べを試したことがあったが、とりわけ秀でた点があるわけでもなかった。
要するに、ヒトのいない不自然な戦場を埋めてくれる『背景』の一人というのが、フィグネリアのドナルベインに対する見解だった。
しかし、今のドナルベインはまるっきり違う。
『背景』どころか、『原作』背景を崩す『一線級人物』じゃないのかと思えてしまう。
そんなフィーネの考え事を他所に、相変わらず凱とドナルベインの、寄せては返す波打ち際のような攻防は続いている。
いたちごっこの光景に空いたのか、余計一切無言なシーグフリードにしては珍しく饒舌になって語り始めた。
「お前たち、チートという言葉を聞いたことはあるか?」
「……ちーと……ですか?」
「それが今の状況と何の関係が?」
聞きなれぬ言葉にティッタはカタコトでつぶやき、フィーネはそれとの関連性を求めて返事した。
「ある業界用語で『不正』や『騙す』といった意味合いで使われる俺たち東大陸の言葉だ。かつて格式ばった代理契約戦争に飽いていた研究者が、気分転換娯楽性を持たせようとして、意図的に組ませた技術らしい。その中で研究者が好んで使っていたチートは『能力改造』だった。より多くの戦争参加者を募る為にな」
「戦争に娯楽性……まるで『王』や『神』が考えそうなことね」
半分正解だ――とシーグフリードは胸中でフィーネを評価する。
代理契約戦争という管制端末たるヴァルバニルは、まさに『王』・『神』・『獣』・『魔王』・『機械機構』・『実験台』・『竜』と、複数の固定身分名称を持っていた。フィーネの言い示す王や神は、まさしくその通りの存在だった。
黒き邪竜たるヴァルバニルには、人間を異形の悪魔へ変える『死言—プログラム』を網羅していた。故に『神』は口元が狂い『事故』という形で人を死なせる。お詫びと言わんばかりに悪魔契約を唱え『悪魔』へ転生させ、
阿鼻叫喚の戦場という死後の異世界に放り込む。好き勝手に暴れて来いと。
その過程で研究者は一つ手を加えた。
あらかじめ死言が刻まれている心臓に細工を仕掛け、悪魔転生時に操作介入できないかと。
対ヴァルバニル戦の聖剣の予備として、特殊性な死言を刻まれたキャンベル家――セシリー=キャンベルには、『強制的に魔剣となる術式』が遺伝情報という形で刻まれていた。それは、チート操作で遺伝情報を書き換えられた故に生まれた副産物にすぎなかったのだ。
そういう意味では、シーグフリードもセシリーも同じ境遇をたどっているのかもしれない。
だが、チート操作で生まれた『聖剣の納鞘』というセシリーの解呪を可能にするものが存在した。
それこそ、真なる聖剣『聖剣の刀身』だった。
チートの概念はバグという『欠如』を、ホールという『弱点』を生み出す。
ルーク=エインズワースが鍛えし聖剣は、言うなればそれら『穴』を正しく修正する剣、文字通り『正剣』なのだ。
だが、無知にして愚かなる人間は、神の意志をはかり知ることはできない。
元々代理契約戦争に使われた悪魔契約は、『殺しあう』という自滅システムとして人間社会に組み込まれたものだから。
「もう少し見ていようぜ。面白い光景を拝めるかもしれないからな」
口元の端に冷笑を浮かべながら、銀髪鬼は鬼ごっこを眺め続けている。
人差し指をひょいと、凱とドナルベインが繰り広げる戦場へ向ける。
あれからずっとドナルベインの嵐のような連続攻撃が続いているものの、凱だけは息一つ乱していない。
しばらくして――
平静な装いと『観察眼』を見せる凱と、『血眼』になって剣を振り回しているドナルベインとでは、どちらが優勢かは明らかだった。
「……まさか」
フィグネリアが驚きの声を上げる。それは、思考が回答へ辿り着いた故のつぶやきだった。
ドナルベインの結末が、いかに惨めなものなのかを。
その予兆は、両肩で呼吸を整えている形で表面化しはじめていた。
「…ぜぇ!ぜぇ!……おのれぇぇぇ!ちょこまかと!うっとうしいわ!ならば!」
突如、ドナルベインの全身に再び黒き瘴気が吹き荒れる!
敵の爆縮発達する筋肉に、瘴気ではち切れる大気にフィグネリアは戦慄を覚えた。
腰を深く落とすドナルベイン。瞬間、眼下の石張り(タイル)を削らんとする脚力を以て爆進する!
――――10アルシン!
――――5アルシン!
――――0アルシン!
一陣の風から一条の閃光へ。
音よりも速く凱へ接近を果たしたドナルベインの『力任せ』の一撃。
しかし、疲れ始めている偉丈夫の大剣は、大方予想通り凱の体にかすりもしなかった。
ひらり――ひらりと、まるで木の葉1枚を相手にしているような気に浸り、やがてドナルベインは精密無き斬撃を放つばかりだ。
視認で捕捉した袈裟斬り。しかしこれも虚しく空振りに終わる。
再び攻めるドナルベイン。頭上の大気を唸らせる脳天唐竹割。だがこれも失敗に終わる。素振りと虚空のあくなき膠着状態が続く。
――なぜ、当たらない?
苛立ちと不安が次第に募っていく。
やがて失敗を重ねていくうちに、苛立ちの色を濃く映したドナルベインの表情は、まさに憤怒を極めんとしていた。
「くそおおおお!!いい加減に……」
もう一桁———魔女の怨呪が施されている『両足』に対して『能力底上』の指令を下そうとした瞬間だった。
ぱきりと、不気味な怪音が戦場に反響した。
「ぐがあああああああ!!!!!あ!!足がぁぁぁ!!」
ドナルベインの全身が硬直する!
今まで風のように軽やかだった体の感覚が、なぜか鉛のように重たい。
それどころか、まったく足を動かせる気配がない。
足元を見ると、奇妙なねじれ方をしているドナルベインの両足が存在していた。
だが、既に戦闘不能のドナルベインの苦難はこれだけで終わらなかった。
「があああ!!う!腕が!腕がぁぁぁ!!今度は頭がぁぁ!!」
まるで、見えざる空気の縄がドナルベインを締め付け、大地に引きずり降ろそうとしているかのようだ。
「何故だ!俺の身体が動かない!動かないぃぃ!!」
「何度も何度も能力を強化しすぎたせいで、貴様の身体が桁溢れを引き起こしたんだ!」
「まさか……オレ様の能力が身体から『漏れている』?だと!……バ……馬鹿な!?オレは常に貴様の速度についていった!もう少しで圧倒できるはずだった!オレより筋肉のない貴様が先にくたばるはずだ!」
「お前の意志とは関係なく、体のほうが不正操作に対して強制停止をかけたんだ!」
意志と反する身体の指令は、なんてことない。たった一言の『休ませてくれ』だった。
チートによる戦闘能力向上結果の算出過溢。
そのチートの種類でもドナルベインが好んで使ったものは、それこそシーグフリードに指摘されていたアクションリプレイに他ならなかった。
能力操作は、自らの肉体への不正改造。
しかし、父と母から授かった血の通ったヒトの肉体は、決して怠惰な不正を許しはしない。
原種大戦、超越聖戦、代理契約戦争をはじめとした数多の戦いから、凱は確実に経験値と熟練度を得て、今の強さを得ている。ヒトを超えたその先の強さを。
産声を上げた時から共にあった身体は、既に疲弊と疲労をぶちまけていたのだ。
強制終了。運動神経の強制停止。
疲労による脊髄反射――ともいうべき反応。
歴戦の傭兵時代からいきなり、生後間もなく歩くこと叶わない赤子の如き存在へ成り下がった。
「シーグフリード、教えて。ガイのさっき言っていた『おーばーふろー』って何のことだ?」
「何てことない言葉だ。身近で分かりやすい例がディナントの戦いとなった『村のいさかい』を思い出してみろ」
「川の氾濫……ですか?」
フィグネリアではなくティッタが先に答えた。それは、凱とドナルベインの再戦はティッタにとっても因縁深い関係だったからだ。数十年ぶりに事を構えるブリューヌとジスタートの外交戦争に、アルサスの領主であるティグルは、王政府から要請を受けて『ディナントの戦い』に参戦した。「後方に配置される」から大丈夫と告げられたティッタは、主の帰還を信じて1カ月と数日待ち続けた。戦死ではなくまだ捕虜との知らせを聞いた時は、まだ不幸中の幸いともいえた。ティグルを取り戻すために身代金を集めまわっているときに、ドナルベインから金貨を強奪されたのは、この侍女にとって大きな不幸だった。同時に、後に助けてくれる凱も現れたのは、今の現状を鑑みれば、天の采配ともいえよう。
「そう、それと同じ現象がドナルベインの体内で起きている。考えてみろ。高めに高めた血液が増量して、やがて逆流して血管という水路を破り、身体という堤防が崩壊するんだぜ」
今シーグフリードの語っている内容は算術オーバーフロー。
じりじりとドナルベインへ距離を詰める凱。
無意識に蹴飛ばした小石が、地べたに這いつくばる愚者の眼を小突く。
靴と大地のこすれる音が、ドナルベインにはまるで死神が着実に歩み寄っているように聞こえた。
うつぶせのままのドナルベインは顔を見上げると、憤怒に打ち震える凱の表情がそこにあった。
まるで――我が子を奪われた獅子が怒り狂うかのように。
「覚悟はいいか!?ドナルベイン!!」
「ま!ま!ま!待ってくれ!お願いだ!命だけは!」
「そうやって命乞いする人達を何人殺め、この世からさらってきた!?」
ふざけた言い訳だ。
アリファールを握る柄に、殺意あまりある力がこもる。
凱の瞳に闇が募る。
「『王』が殺すと言った以上、この宣言は絶対だ!!」
神の次に絶対なる王の処刑宣言。それは人の世の絶対不変なる摂理。
銀閃の長剣――月の光を跳ね返す『斬輝』の切っ先が天を見上げる。
不正を実行した咎人は、殺さなければならない。
憎しみを込めた静かな声で、『王』は古傭兵の名をつぶやいた。
「――――――死ね。ドナルベイン」
民は一同にして、ドナルベインの裁きの時を待った。
寸間の煌めき。ガイの振り上げているアリファールの美しい刀身の輝きが、ドナルベインの全身へ光が突き刺さる!
その公開処刑の光景に震える者がいた。ティッタだった。傍らにいる少女の目を両手で塞ぎ、視界での心的障害を生ませまいと懸命になる。
「だめ……」
「ダメです!ガイさん!誰か……誰かガイさんを止めて!」
どことない既視感がフィーネを包む。
――それ以上戦うのはやめろ!アリファールが泣いているのがわからないのか!?――
「……フィグ……ネリアさん?」
無言のままで寄り添っていたティッタのそばを離れた者——フィグネリアことフィーネ。
雛鳥のごとき力無き存在、ティッタと少女はそんな親鳥のようなフィーネの背中を見守るだけ。
かつてバーバ=ヤガーの神殿で、必死に凱を呼び止めようとしたが、耳にも心にも届かずして霧散したあの言葉。
このままでは、凱は文字通り『数多の躯で彩られた玉座』に君臨する王。
闇の深い夜に数多の骸の上で、勇者は死を超越して王となろうとしている。
誰しもドナルベインの斬殺を絶対だと確信した瞬間――――
悲痛なまでのティッタの叫びに呼応して、一人、黒い衣装をまとった女性が凱の隣に並び立った。
ドナルベイン断罪の時。獅子王が奇声の如き、死ねという『号令』が放たれる。
「――死ねぇぇぇぇ!!」「おい」
テナルディエ、シーグフリードが興味深そうに『王』へ耳を傾けている。
腹から響く低い声と共に、突如フィグネリアが憎しみに歪む凱の顔を殴打した。
「―――――がっ!!」
呻き声の主は、獅子王凱。
『王』を力づくで止めた『勇者』の正体は、フィグネリア。
その行為に、皆が唖然とした。
テナルディエは、その行為を疑った。
シーグフリードは、その行いを訝しんだ。
ティッタは、その場面に驚愕した。
少女は、その光景に凍り付いた。
「フィ……フィーネ?」
おぼつかない、隼の名を呼ぶ獅子。
憎しみ故に瘴気に染まり、正気へと戻る。
手から力なく地面へ堕ちるアリファール。金属特有の周波をセレスタ全体へ発して横たわる。
血の匂いがあふれていたにも関わらず、たった一振りの拳で四散していく血風。
「ひどく酔っぱらっていたよ。あんた」
「俺は……」
殴打した拳をゆるりと解き、痣と化した凱の頬に手を添える。
勇者の表情を逃すまいと、元傭兵はしっかりと瞳と瞳をむける。
「復讐心を持つな――とは言わない。だけど、それに酔うな。憎しみだけを武器にするな」
復讐に酔いしれれば、恨みの咎を積み重ねて永久に迷宮でさまよい続けるだろう。
憎しみだけを武器にすれば、やがて自身を襲う『孤独』に耐えきれず、守るべき大地に死と恐怖の種を振りまくだけの存在となる。
そんなものを、それこそ『不殺』のヴィッサリオンを見続けてきたフィグネリアが捨て置くことはできない。
「それだけが武器じゃない……あんたの場合は、そうじゃないんだろう?」
先ほどの苛烈な行動を拭い去る、フィーネの母性に満ちた言葉。
多分、凱は人に『殺したい』ほどの復讐心を抱いたのはこれが初めてなのだろう。生まれて間もない子供が、自分の芽生えた感情に戸惑うのと同じように。
勇者の最大の武器は勇気。
勇気の『意志』で磨かれたからこそ、『勇者の剣』は天高く輝くことで、民衆に『自由の風』を知らしめることができる。
憎しみの『意志』で研いだだけでは『魔王の剣』と化して、恐怖を振りまき民衆に『死の風』を運ぶ元凶となる。
ヒトの心の『意志』――刃を研ぐ『石』——守るべき何かを理解するのは原石次第。
簡単なことを――それさえも、見失っていた。
「――――ああ」
力ない凱の返事。だが、そこには確かな感謝の念が含まれていた。
暁にも似た、オレンジ色の復讐の炎を浮上させていた瞳が、ゆるやかに静まっていく。
「ありがとう。フィーネ」
礼を述べた後には、凱の瞳に力強く、そして澄み切った青い輝きが宿っている。
「——アリファール」
短く告げた。青年の口から竜具の名を呼び、凱の手元へ戻られる。今度はフィーネも止めない。凱の決断が間違ったものではないと信じるように、それぞれの翼の双剣を強く握りしめた。
アリファールの美しき刃へ集約する渦巻く大気。それこそ、凱の『不殺』を体現する『見えざる鞘』そのもの。
しびれをきらしたテナルディエが玉座から立ち上がる。
「約束通り、ここアルサスは貴様等に返してやる。それから、ユナヴィールの負け犬どもは、我が軍にはいらぬ。アルサスの民と貴様たちで好きにせよ」
「待て!フェリックス!」
呼び止められたフェリックスは、無言で凱に振り返る。
「ティグルは……ティグルはどこにいる!?」
「知りたければ、『王』にもう一度戻ってランスへ来るがいい」
ランス。それはフェリックスが統治していたネメタクムの中央都市。
「もっとも、そこのノアに勝てればの話だがな」
「ん?僕がガイさんと戦ってもいいんですか?」
「構わん。私のエクスカリバーと奴のアリファールとの『姉妹対決』にはまだ早い。そして骨の髄まで染み込ませてやれ」
フェリックスはそういうと、傍らに立てかけていた、アリファールに酷似している黄金の長剣『エクスカリバー』を腰に据えて立ち去ろうとする。
「それじゃ、遠慮なくやらせて頂きます。おいで、ヴェロニカ」
ノアにヴェロニカと呼ばれた少女は、外見年齢で10。
足元にまで伸びる黒髪。等身大人形と言っても差し支えない容姿。
幼い風様からは想像できない――不釣り合いな妖艶の雌の笑み。
ぷくりと膨れる頬は年相応かもしれない。が、紡がれる呪文は濃塾した文言そのものだった。
――眠りを解け――
――罪に酔え――
――夢毒を貴殿に――
――神を殺せ!――
ヴェロニカの頭髪が爆発的に広がり、ノアの四肢に絡みつく。増え続ける髪はやがてヒト型の鎧を形成していき、やがて確かな細部まで成していく。
小手。脚部。腰部といったように、防御面においては凱の黄金の鎧たるIDアーマーと相似していた。
胸部には獅子を彷彿させる装飾。がきがきと牙を鳴らすそれは、『鎧の神剣』が生きていることを示していた。
神速、超神速のノアの才能を最大限に生かす――『ノア専用の神剣』ヴェロニカ。
第二次代理契約戦争の猛威が、再びアルサスで振るわれる。
「待ちやがれ!」
「つれない人だなぁ、遊んでくださいよ。せっかくテナルディエさんからお許しが出たんだから」
「くっ……!」
朗らかな笑顔で、本当に心から児戯に興じようとしている、ノアの笑顔。
「ノア……カートライト」
固唾を呑む凱の緊張も分からなくはない。
凱のアリファールに激しい銀閃の『竜気』を叩きつけられても、ノアの笑みは陰らない。
(価値観湾曲により、彼の仕草そのものがわからない)
先のドナルベインとの戦闘の間、凱やシーグフリードはテナルディエの隙を伺っていた。
奇襲を警戒し、少しでも自分に有利な間合いを確保しようとしたのだ。
無論、不意打ちを仕掛けようと思ったわけではないが、それでも一足で飛べる位置に付けたなら、配下連れのテナルディエの機先を制し、逃すことを防げたかもしれない。
だが、背後のノアが、それを許さなかった。
絶えず凱達の動向を警戒していたのではなく、まったくノアの行動根拠や気配が読めなかったのだ。
(アリファールの竜の『髭』が察知できない――やはりあの時からこの少年の『価値観』はまともに働いていない)
いかなる人間であろうとも、自己と他者の意識の線引きを行うために独自の価値観――アイゼンティティを持つ。
ただ、彼はテナルディエに命令されているから戦うだけだ。
自分の思考を放棄して、何の疑問も抱かず命令にすがるだけで。まるでそれは機械のように。
竜の髭は天敵なり難敵なり、『命の熱』を持つ者に対して反応する。
だが、機械は生命の通わぬ冷たい鉄塊。幽霊や精霊と違い、意志や怨念すら持たぬ建造物。
長期戦となれば、こちらの戦闘理論が崩されてしまう。
ならば!短期決戦に挑むのみ!
ぱしん。
「これを使うしかない!」
乾いた音とともに空中でアリファールの柄を逆手に持ち替えして、抜刀術と真逆の方向へ腰をひねる。
それは、第二次代理契約戦争時に、凱が最も得意としていた剣術の一つだ。
抜刀術は――神速の剣技。
突撃術は――神技の剣技。
二つに分かたれる極みの型を一つに昇華した技が――これだ。
「ストラッシュ――――抜刀術と突撃術の術ですか。なら僕は、これで行きます」
銀閃の刃を逆手に持ち替えた凱に対し、ノアは抜刀術の構えを取った。
やや右肩下がり。凱のストラッシュが最強の牙ならば、ノアの抜刀術は最強の爪。
二人の『獅子』の戦闘態勢を観察していたシーグフリードはぼやく。
「やはりそれだろうな」
「どういうこと?」
今だ意図をつかみ損ねているフィーネに対して、シーグフリードは簡潔に説明する。
「要するに相手との力量比べが出来ない以上、自分の『最強技』をぶつけるしかないのさ」
「だったら、竜技を使えばいいんじゃ……」
「阿呆。周囲一帯が抉れて馬は愚か徒歩で進めなくなってしまうぞ。アルサス一帯を無人の荒野にするなど、あいつの本意ではあるまい」
そんなことはわかっている。だが、フィーネはそれを口にしない。されど口にしたいことは一つある。
このままではテナルディエに逃げられてしまう――ということ。
(オレも動きたいのは山々なんだがな……)
動けなかったのはシーグフリードも同様だ。
「では――――行きますよ!ガイさん!」
無邪気な声で楽しそうに詰め寄るノア。
鬼剣対銀閃。
静寂な空間。二人を取り巻く環境は、もはや誰の立ち入りも許さなかった。
ノアの紫刃煌めく抜刀術!!
ガイの白銀輝くストラッシュ!!
――――半瞬の、交差接触閃光!!——
戦いが続く闇夜の空間を、刹那の白銀光が埋め尽くす。
その場にいる皆は、剣輝の凄まじき光量に誰しも目をやかれる。この場にいた全員は目を伏せた。
バリンと、鼓膜を切り裂く、研ぎ澄まされた周波が響き渡る。
砕かれ、舞い散る刃は果たしてどちらか。
虚空へ舞う刀身に映る存在。どちらの青年か。
衝撃のあまり、顔色を失っている自分の姿。
砕かれたのは、凱の持つアリファールのほうだった。
NEXT
第24話『暁のティッタ~勇者が示すライトノベル』
前書き
ずいぶんと日があいてしまいましたが、一読して頂ければ幸いです。
「勝負ありですね」
「俺の……負け」
勝ち誇るわけでもなく、なお変わらぬ笑顔のままノアが静かに告げる。
勝負の直前、獅子王凱は大きな事実を見逃していた。
ノアを殺さずして倒す凱の刃と、凱をアリファールごと『断絶』たらしめんとするノアの刃とでは、剣輝のキレに明確な差が出る。
それこそ、凱がノアに勝つことができない決定的な隔たりだった。
漠然と、信じられないものを前にしたように、凱は『欠けた』方のアリファールの刃を見つめている。
己が墓標の如き地面に突き刺さる、アリファールの先端を。
「……あれ?」
だが――この真剣勝負はノアの完全勝利、とは言い難かった。
彼の持つ神剣ヴェロニカは、刀身にとって脊椎ともいうべき『芯鉄』にまで至るヒビが走り、激しい刃こぼれを起こしていた。
それでも、戦えない……ことはない。
シーグフリードの『炎の神剣エヴァドニ』も、ノアの持つ『鎧の神剣ヴェロニカ』も自己修復能力を持つ。
修復期間を除けば、この程度の破損は何の足かせにもならない。
だが、ノア自身も継戦能力の一部を失ったのは否定できない。
「これではしばらくヴェロニカで戦うのは無理ですね」
まるで遊び飽きたといわんばかりに、ノアは鎧の神剣ヴェロニカを鞘に納めると、未だ茫然と立ち尽くす凱を横目に、その場を立ち去ろうとする。
「ガイさん、次に会うときはちゃんとアリファールを修復しておいてくださいね。今日はこれで失礼しますけど、あなたもそろそろ自分を振り返るときじゃないですか?」
「…………余計なお世話だ」
折れたアリファールは、まるで一つの残酷な事実を突きつけているようでさえあった。
銀閃の刃面に映る、凱の愕然としたその表情。
――王の冠角を捨ておいて、勇者の仮面を被ったままでは、この先フェリックスはおろか、その部下であるノアでさえ勝てない――
まるで己のすべてを否定されたような気持になりながら、凱は折れた銀閃の長剣を鞘に納めた。
折れたのは竜具だけではない。むしろ、へし折れたのは竜具の翼と凱自身の心であった。
――――◇―――◆―――◇―――
「……アリファール、折れてしまったね」
「フィーネか」
打ちひしがれる凱にこんな言葉しかかけられないフィーネ。
片目黒髪の彼女もまた、沈んだ己の表情をアリファールに映す。
「でも、銀の逆星軍をアルサスから追い払えたんだから、結果的には良かったんじゃないか?」
うって変わって、現実主義の傭兵たるフィーネには珍しく、明るい口調でいいのけてみた。
しかし、どこか不器用な空気感は否めない。
それでも、アリファールをへし折られたショックで沈んでいる今の凱には、そのような気遣いが嬉しかった。
「ありがとう」
例え、つたない励まし方であろうとも――。
言葉をかけてくれたフィーネに、礼を言いたい凱であった。
【アルサス・深夜・中央都市セレスタの中心部】
「……テナルディエは本当にアルサスから撤退したのか?」
「あの引き際から見て間違いないだろうな。少なくとも罠ではない」
冷たい夜風の吹きぬけるセレスタ。撤退情報に対して半信半疑の凱は、冷徹な戦略眼の持ち主であるシーグフリードに意見を求めた。
銀閃の勇者――すなわち凱にアルサスを踏み込まれた時点で、もはやこの領地に戦略拠点としての価値はなくなった。
だからこそ、思わせぶりな罠を仕掛ける意味もないし、そこまでしてまでの軍費用対効果も薄い。
ともかく――
フェリックス=アーロン=テナルディエの撤退、そしてその部下であるノア=カートライトへの事実上の敗北。
二つの衝撃に叩きのめされた凱達は、幾間をおいてようやくティグルの屋敷前を出て、テナルディエの残党の有無を確認するために村の中央部へ戻る。
戻った先——己が瞳に映る世界は『悪鬼羅刹』そのものだった。
「やめてください!やめて!やめてください!」
ティッタの叫び声に凱は慌てて駆けだす。
その光景を目撃して凱とフィーネは思わず絶句した。
なぜなら、今この瞬間にも、『虐殺』の嵐が巻き起ころうとしていたからだ。
「死ね!殺せ!消えてなくなれ!」
「今までよくも好き勝手にこき使ってくれたな!」
中心部には、凱によって倒されたドナルベインと、凱の手で倒されたテナルディエ配下の『ユナヴィール治安兵』が処刑台に括りつけられていた。
本来なら、目前にいる少女の母親が、ここへつるし上げられるはずだった。
燃える水を盗み、アルサスから逃亡しようとした罪を背負わせるための処刑施設。
――その名は『煉獄』
元々は、銀の逆星軍参謀長のカロン=アンティクル=グレアストが考案した拷問処刑の一つだ。
水より軽いという『燃える水』の比重性質を利用して、鉄製の檻に咎人を閉じ込めてあぶる清めの炎。
なのに、自分自身が入る羽目になろうとは、ドナルベイン自身おもいもしなかった。
自業自得。それを理解する頃には、既に遅かった。
そして、セレスタの人たちが鎌やクワを持って、ドナルベイン達を取り囲んでいた。
ノアと戦っている間、テナルディエは敗残兵となったドナルベインの身柄を拘束し、この公開処刑施設へ放り投げた。
その際、テナルディエは村人たちに告げた。
「もはやアルサスに用はない。勇者ティッタとの約束通り、貴様たちに返してやる」
ついでに、『不殺』などという甘っちょろいことを吠える勇者気取りさんに、イキな置き土産を残したのだ。
「あと、負け犬の部下は私には不要。ドナルベイン達は貴様たちで好きにせよ」
湧き上がる衝動の正体。
冷たい水が一気に沸騰するかのような空気。
今まで支配されていた重圧が解放を求めてドナルベインに襲い掛かる。
ドナルベインという脅威の存在が無力となり、今まで自分たちを苦しめたテナルディエの部下に、村人たちは報復をしようとしていたのだ。
「殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!」
「死ね!死ね!死ね!死ね!」
「やめろ!やめてくれ!勘弁してくれ!オレ様が悪かった!だ……だから!」
口々に命乞いをするドナルベインとその配下たち。しかし、村人たちの憎悪は止まらない。
「……………」
絶句したまま、凱はその光景を見続けている。
これは魔王テナルディエからの報復宣言のだろう。
人間の素面。そして本性。これこそが摂理。
己が憎しみに酔う。
それは、この世の美酒を飲んでも味わえない極上の世界。
シシオウ=ガイ。お前の正義を否定する真理の正体がこいつだ。
『憎悪の炎』に比べて、貴様が信じる甘っちょろい『勇気の炎』はいかがなものか……と。
炎上商法——。憎悪という名の話題で人々の心を燻り続ける怨嗟の火種。※1
目の前の光景は、かつて完遂することのできなかった、アルサス焦土作戦に対する『皮肉』そのものだろう。
「やめてください!こんなことをしても!取り戻せるものなんてなにも!……」
大気を裂かんばかりの声で訴え、何とか村人たちを静止しようとするティッタだが、彼らは静止する様子さえ見せない。
ウルス様から受け継いだアルサスが、ティグル様が守りたいと願ったアルサスが――。
(ティグル様がいないだけで――こんなにも世界が崩れていく)
止めようとしているのはティッタだけで、力及ばず大勢である村人を止めるには至っていない。
復讐鬼となった村人達の戦闘に、母親を殺された『あの少女』が震えながらティッタの前に躍り出る。
「ほれ!お嬢ちゃんも『母ちゃん』の敵を討つのじゃ!ドナルベインが憎かろうて!」
こともあろうに、『有力者』※2の肩書を持つ老人が、少女の震える手に、短刃を持たせようとしている。
口の端から唾を飛ばして怒鳴っている老人の形相は、憎しみに打ち震えて心に住み着いた『鬼』そのものだった。
年端もない少女に憎しみを持たせようとする光景に、ティッタは唖然とした。
憎悪の熱気にあてられて、少女の唇がふるえる。
「あたしは……お母さん……の……」
脳裏によみがえるは、凱が『王』に立ち戻ったあの瞬間。
死ね――と、たった一言命令したあの瞬間。
憎しみの輪廻にとらわれた者を垣間見た、少女の視界。
「―――――!?」
迷ったように震えていた少女の身体だったが、刃物を握りしめる手に誰かの手が添えられて震えを止める。
手の主の正体は獅子王凱。
驚き様に振り返ると、少女は滂沱の涙で目を埋め尽くしたままで、凱の顔を見上げた。
かまわず、凱はテナルディエ残党のカタマリと、アルサス住民との間に割って入る。
言葉でなく、行動で示そうとする。これ以上、憎しみで身を焦がすのはお互い本意ではないはずだ。
その姿、かつての黄金の鎧を無くしても、まごうことなき獅子王凱だという認識を村人にさせた。
数間をおいて、村人の誰かが口を開いた。
「……どうして?」
突然の疑問符。その言葉が、歩み寄ろうとした凱の足を止めた。
「どうして!!もっと早く来てくれなかった!?」
さらなる言葉が、語り掛けようとする凱の理解を止めた。
頬と心に凍てつく夜風が吹き抜ける。
「あんたが!もっと早く来てくれれば!こんなことにはならなかったんだ!」
夜風の冷たさと、村人の言葉の冷たさに対して、凱は目を見張ってその場に立ち尽くす。
空気の翼はためかせたのはフィグネリアだった。
「それが――」
助けた者に投げかける言葉なのか――あまりにも身勝手な言葉に彼女は憤慨する。
それ以上は言えなかった。凱が片手を伸ばしてフィーネを制したからだ。
「——すまない」
かつてないほど沈痛な面持ちで、凱は村人たちに頭を下げた。その瞳の涙腺は崩れかけている。
一度『鎮火』したはずの『炎上』が再び燃え盛り始める。
「あんたなら!いち早くここへ駆けつけて、テナルディエの奴らを蹴散らせたのに!」
ザイアン率いるアルサス襲撃戦のおり、『罠縄』を提供してくれた民婦の一人が、凱の前に躍り出た。
奴隷を象徴する『足枷』の鉄球を、足首につけたままであるにも関わらず。
「あんた――自分が他人より優れているからって、いい気分になってないか!?」
その言葉が、凱の胸に突き刺さる。
奴隷の重労働でできた、痩せ細った指とは思えないほどの力を籠め、凱の袖をつかむ。
血に滲み切って、皮膚がささくれて赤黒く染まる指を握りしめて。
やり場のない怒りが、次々と凱に向けられる。
結局、自分たちがテナルディエ達『銀の逆星軍』に立ち向かうことができないから、心の片隅で凱に頼り切っていたのだろう。異端者となり帰らぬ凱を『必ず帰ってくる』と、最後まで信じて。
きっと、黄金の騎士様が助けてくれると。
だが、結果はご覧の通りだ。
魔王はアルサスに居座り、奴隷としてこき使い、怨嗟と悲しみの声を叫び続けたにも関わらず、あの人――シシオウ=ガイは現れなかった。
本当は、頭の中で分かっているはずだ。
悪いのはテナルディエ達であって凱ではない。
しかし、ヒトは心に燃え移った感情を沈めるために、憎悪の炎を別の場所へ燃え移そうとする。
「——返してくれよ」
涙ぐんでいる力ない民の声。その実現不可能な要求に対し、凱の身体がぐらりと揺らぐ。
「あの日々を……返して!」
民は絶望の底辺にもがきながら叫ぶ。
「お兄ちゃんが勇者なら……僕の父ちゃんを返してよ」
トドメの一言だった。
次に凱の前に現れたのは、アルサスでの採掘作業の過酷労働で命を落とした者の息子だった。
長身の凱のひざ元を、幼い手でぽかぽかと叩く少年の非力な拳。
凱はハッとする。
ドナルベインの児戯な斬撃より、フィグネリアの鉄拳で頬を殴られた痛みより、アリファールをへし折られた衝撃より、いたいけな子供に悲しみを向けられたことのほうがとても痛撃だった。
かつてアルサスを守り抜いた勇者が、守るべき民たちに虐げられる光景。
ディナントの地獄をかいくぐり、銀の流星軍を導いた勇者に対するアルサスの民の態度に、ティッタは愕然とした。
「ガイさん!ガイさん!」
炎上した民たちの感情を沈めるための言葉が見つからず、泣きそうな声でティッタは勇者の名を叫び続ける。
ブリューヌを混迷の時代から救うべく、死地から帰ってきた勇者への、あまりにも酷な出迎えだった。
―――――◇◆◇―――――
「あの……」
何十人目かの炎上を聞いた時、先ほどまで震えていた少女が、おそるおそる凱に声をかけてきた。
素朴な印象を与える少女。ティッタと同じくらいの印象を与える年齢だろう。無残に引きさかれ、泥まみれにさらされた服に恥じることなく、少女は凱に頭を下げる。
「ありがとう……ございます。助けてくれて――それに、お母さんの仇をとってくれて」
炎上する罵声に身を焦がされながらも、凱にはぼんやりだが、清涼のごとき響きで聞こえてきた。
違う。俺は仇をとったんじゃない。
むしろ、君の仇は俺自身じゃないか。
俺がドナルベインを殺していれば、君のお母さんも命を落とすことはなかったんじゃないか。
そうツラツラと思うあまり、少女の言葉が凱の耳にうまく入ってこない。
「ごめんなさい。さっきの人たちが、その……間違っているとは思いません。気持ちがわかるんです。でも……」
一瞬のためらい――されど語るべきはお礼の言葉。
「それでも……お礼が言いたかった」
少女の真摯な言葉に、凱は心を揺さぶられる錯覚に見舞われた。
いっそのこと、憎しみの言葉をぶつけてもらいたかった。
君にはその権利がある。
俺を殺す権利が。
今となって、エレオノーラ=ヴィルターリア……エレンの言葉の意味が深く凱に突き刺さる。
やらなければ、自分が殺されるのではない。
やらなければ、自分を愛する隣人が殺される。
大切な人を、父を、母を、故郷となった村が、炎となって消えていく。
ティッタの居場所を、血で汚したくない――その驕りが、誰かの存在を血で染めてしまった。
――彼女が俺を見損なうのも当然――
吹き荒れる感情の嵐が、深い爪痕を残しながら凱の全身を駆け巡る。
ほんの一筋の涙を見せたあと、感情の痛みに耐えきれず凱は少女を抱きしめた。
「俺のほうこそ――ありがとう」
泣くな。今のお前は泣くことさえも許されないはずだ。
突然と両腕に身体の自由を奪われた少女は、漠然として、その表情に硬直の色を浮かばせる。
絶望の崖に立たされた境地の中、少女の言葉で凱は救われたような気がした。
だけど、自分を肯定する少女の厚意に、本来ならばそのぬくもりに甘えてはいけない。
いけない……はずなのに。
どうして涙は止まらないんだ?
――俺が殺したんだ――
――俺が奪ってしまった――
――神様――
――どうして俺のような鬼人を生み出した?――
――――もう俺は何をすればいいのかわからない。
アルサスに吹く銀閃の風は、何も教えてくれない。
――――――こつん!
頭に『何か』を叩きつけられて、一滴の血が凱の額を伝う。
吹き付けてきた風と共に叩きつけられたのは、ちっぽけな石ころ。
誰が投げたかはわからないまま、『もう一人の有力者』なる老人が凱の前に躍り出た。
「すまぬが、ガイ殿はアルサスから出て行ってくれ」
夜風より冷たい通告に、ティッタは魂を砕かれた感覚に見舞われた。
「……どうして」
震える声でティッタは問う。
「どうして!ガイさんがアルサスを出ていかなければならないんですか!?」
いったい何の茶番だ?
眉間に青筋を立てたフィグネリアがティッタにかわる。
「あんたたち!自分が何を言っているのかわかっているのか!?余所者の私が口を挟むことじゃないけれど、アルサスを守ってくれたのはガイじゃないのか!?だったら――」
「だからこそ……じゃ!」
「なん……だって?」
思わぬ村人の反撃にフィーネは言葉に詰まる。
「本当は我々にだって分かっておる。悪いのはアルサスを襲ったテナルディエの連中だって――だが、『他人より優れた』ガイ殿がそばにおると……どうしても恨みをぶつけずにはおれんのだ」
それは、人より優れた力を持ちながら、そのチカラを出し惜しむ?
それは、生きていたなら、なぜ今まで現れなかった?
来てくれれば、『人を超越したそのチカラ』で誰も傷つかず、死なずにすんだはずだ。
既に過ぎ去りし過去を考えていても、戻りはしない。
そんなことは――わかっている。
それでも、皆は抱かずにはいられない。
ガイの姿を見るたびに、助けることができた――ありえたかもしれない『IF』の展開がどうしても頭をよぎる。
無論、彼らアルサスの民はガイのこれまでの経緯を知らない。
確かに、彼らの語ることはわかる。そこに悪意は存在しないことも。
ガヌロンの異端審問からの帰還――オステローデでのヴァレンティナとの邂逅――ディナントの戦いへ駆けつけた一連の流れを、彼らは『知らない』のだ。※3
しかし、人々が受けいれられない場合は往々にして存在する。
例え凱のいきさつを民に全て語って知らせたとしても、それが真実であったとしても、自分たちには都合が悪かったり、寝耳に水の内容だったり、別勢力の圧力が働いたりする場合だ。
――受け入れられない真実は、あってはならない――
それが、アルサスの民の総意なのだという。
村人の心の平穏を考えるなら、獅子王凱のアルサス追放も正しい選択の一つなのだろう。
実際に凱も、自分がいるだけで憎しみの感情に苛まれても、自身が出て行くことで荒んだアルサスの民の心が和らいでくれるなら――と思っている。
テナルディエに『力』という法理に従わされた彼らは、どうしようもなく弱かった。
その弱さに、彼らは耐えきれなかった。
だが、抗弁するフィーネが納得するかどうかは全くの別問題だ。
「ちょっと待ちな!ガイは今のブリューヌにとって最後の希望なんだよ!?むしろ本当にガイを追い出したら、何の心配もなくアルサスを再び襲ってくるんじゃないのか!?」
確かにテナルディエは約束通りアルサスを返還した。
しかし、不可侵条約を結んだわけでもなく、例え結んだとしても、破約してアルサスに再侵攻する可能性は否定できない。
戦争は――正しいものが勝つのではない。
最後に生き残ったものが正しいのだから。
「ガイさんはここに来るまで、命を懸けて戦ってきたんです!異端審問から生きて帰ってきてくれたガイさんを――――!?」
フィグネリアは理を説いて、ティッタは情で民達に声をあげて訴える。荒み切ったアルサスの民の心に届くように。
「俺はアルサスを出ていく」
「…………え?」
――ガイさんが……アルサスを……出て……いく?
少女、ティッタ、フィグネリアが同時に凱に振り向く。
「あの……ガイさん」
ためらいがちにティッタが聞いた。
「その……あたしたちを恨んでいますか?」
「恨むとか恨んでいないとかそうじゃない。もし……もし、俺がアルサスにとどまるのならば……俺を見るたびに、みんなが憎しみにうなされる。アルサスのみんなに罪はない。ただ弱いだけならば決して悪じゃない。すべてはテナルディエ……『銀の逆星軍』の仕業なのに、アルサスの民は心の傷にずっと苦しみ続ける。涙と悲しみは、もうすぐむこうから昇る『暁』の曙光によって、焼き払われるべきなんだ……………………俺と一緒に」
最後の――俺と共に――という一言。
フィグネリアは言葉を失った。
「ガイ……あんたは……?なぜ……」
沈むような表情で凱に問うフィグネリア。
静かに首を縦に振った凱。苦痛を伴うかのような表情で。
それが余計に……フィグネリアの憤りを吹き飛ばしてしまった。
素っ頓狂な顔で言っていれば凱の横顔を一発ぶん殴ることもできた。
傭兵上がりの彼女なら何のためらいもなく。
「ガイさん……どうして!?」
はしばみ色の瞳に涙をためているティッタが凱の前に詰め寄ってきた。
どうしてあなたはそのようなことが言えるのですか?
アルサスを救ってくれた……あなたが?
「――俺は」
少女の頬に、一滴の涙がこぼたれた。
ティッタの瞳を見るのが……がつらい。
凱は目をそらした。
そらして――――――ゆるゆると後ずさりながら、一気にアルサス郊外へ向けて駆けだした。
「ガイさん!」
「ガイ!どこへいくつもりだ!?」
ティッタ、フィグネリアの声が追ってきたが、振り切るように走る。
凱はアルサスから逃げ出した。
まるで――――自らの使命から逃げ出したかのように。
―――――◇◆◇―――――
1刻(約2時間)ほど経過しただろうか、夜明け前だというのに、アルサス一帯は随分と明るく見える。
そんな景色に目を奪われていると、轟く馬蹄がアルサス郊外に響く。
銀の流星に弓の軌跡。間違いない。『銀の流星軍——シルヴミーティオ』の軍勢だ。
視界の規模ではおよそ1000の集団。
あの時と同じように駆けつけてきてくれたのだろう。ザイアン率いるテナルディエ3000の兵を追い払う為に。
だが――騎馬の先頭を駆け抜ける、武骨な甲冑集団の中で目立つ存在がいた。
フィグネリアは察した。恐らくあれはリムアリーシャだと。
対してリムアリーシャことリムも、フィグネリアの姿を確認すると、馬上の人のままで問いかける。
「無事ですかフィーネ!」
「……リムか。見ての通りだ」
隼の刺繍が縫い込まれている戦装束も含め、リムの見たところ彼女は五体満足の様子だ。
殆ど交戦のなかったものだから、フィーネもほとんど被害をうけていない。
むしろ、被害はアルサスの民の心にあった。
「ここへ着陣する機会をうかがっていたところ、『銀の逆星軍』の旗印がモルザイム平原へ流れていくのを確認しました」
モルザイム平原。
そこはかつてザイアン率いるアルサス焦土作戦軍と、ジスタート軍を主戦力とするアルサス・ライトメリッツ連合軍の両軍が激突した、アルサスを数ベルスタ(キロメートル)南下した地にある合戦場。そこからさらに南下すればテナルディエの領地『ネメタクム』が存在する。
『銀の流星軍』は行軍速度と兵量の詳細を、斥候にだしていたアラムからその報告がもたらされた。
そしてアラムは上官のリムに通達。彼ら銀の流星軍は現在アルサスに至る。
「――――――ところで、ガイさんの姿が見えませんが?」
もっともな疑問だった。
真っ先にアルサスへ切り込んだ勇者の姿が見えない。そんな不自然な光景に気付くのも当然だった。
「実は……」
フィーネは事の顛末をリムに伝えた。
反応は予想内のものとなってかえってきた。
「…………なんてことを!」
――だろうな。私だってそうだ。
アルサスの民に振り向くリム。歯を食いしばり、きっと睨みつける。
「待てリム。その気持ちは私にもわかる。だが、民を責め立てるのはガイの本意ではないぞ」
「それは分かっています!ですが!」
苛立つ表情の色を隠そうとしないリムに対し、フィーネは心察をにじませた忠告をする。
全然分かっていない。心の中でそう評価を下すも、フィーネとてその気持ちは痛いほどわかる。先ほどの自分がまさにそうだったからだ。
超戦力である凱を失う可能性があるとすれば、戦闘しか想定できない。それがリムの認識だった。
だが、事態は想定を覆してしまった。
まさかアルサスの民が原因だとは、誰が想像できようか。
半ば追い出される形で凱を失い、これからどうやって銀の逆星軍に立ち向かえばいい?
そもそも、凱はどこへいってしまったのか?
千尋の谷に突き落とされたような心境が、リムの背筋を容赦なく襲う。
例え、凱の所在が判明したとして連れ戻したとしても、失意に沈んだままでは戦うこともかなうまい。
「ですが――ガイさんは立ちなおってくれるのでしょうか?」
「そればかりは流石にわからん。私だってガイのあんな一面を見るのは始めてだからな」
今更になって、銀の流星軍の皆は勇者の弱さを知る。
事後処理を終えたシーグフリードが割って入る。
「あいつは誰かを守ろうとすることで、自分を保ってきた。今に至るまで」
「シーグフリード?」
人を助けることで、人から求められるぬくもりにしがみ付いたまま。
相変わらずだ。あの男は。
「オレは誰かを憎むことで、自分を保っていられる」
「——誰かを……憎む」
エレオノーラ――――エレン。とある傭兵団長の忘れ形見。
彼の義娘エレンヴィッサリオンを斬った自分を憎んでいるのだろうか?
……当たり前だ。リムと再会を果たした時から、覚悟していたことじゃないか。
銀髪の男の視線が、遥か天空へ向けられる。ヒトの届かぬ楽園に座る神へ向けるかのように。
「あいつは――――自分を保つ術を知らない。やはりあの時のまま、縛られたままでいる」
凱も、シーグフリードも、フィグネリアも皆、戦いの場の中心に身を置いている。
「お前たちの前では平静を装っているが、時折オレより孤独に見える」
「とにかく、ガイ殿を探さないことには―――」
遅れて現れた禿頭の騎士ルーリックに焦りの色が濃く映る。
まさか――ほんとうに凱が逃げ出すなど。
「あの……フィグネリアさん」
フィグネリアの袖をつまみ、ティッタが細くつぶやく。
「あたし……なんとなくですけど、ガイさんの居場所をわかる気がするんです」
「本当か?」
僅かに驚くフィグネリア。
「うまく言えませんが、多分あの場所にいるんじゃなかと思います」
確証はないが確信をもって、先ほどまで失っていたティッタの瞳に輝きが戻る。
「行こう。ティッタ」
「フィグネリアさん……」
「私だって伝えたいんだ――ガイに……どうしても」
「あたしもです。」
そう、二人だけで行く。この役目だけは譲れない。
いずれにせよ、治安維持と拠点防衛のために、リムたちは併走しなければならない。
今、行かなければ手遅れになる。夜明け前の空を見上げながら、そんな胸騒ぎを隠せない二人。
いずこかへ流れた勇者の星を探しだす。※6
まだ、流星の丘アルサスのどこかに、流れてついているはずだ。
未来の王と現代の勇者が誓いを交わした、あの約束した場所なら――
【深夜:アルサス~ユナヴィールの路丘】
青年は、闇夜の中をひたすら走り続けていた。
何かを振り切るかのように、無我夢中で。
「————ここは?」
走り続けて立ち止まった時、動悸の苦しさにうずくまる。ここはどこなんだ?
『夜』の中で何も見えない。
『闇』にまぎれて何もわからない。
このまま……『死』を迎えて消えてなくなりたい。
でも――――
正直、何も見えなくても、わからなくても、どこだってかまわなかった。
自分の信じてきたものが、音もなく瓦解している今ならば――
伏せるようにうずくまると、繰り返される言葉が頭をよぎる。
言葉は呪いだ。
呪い故に、獅子王凱は全てを失った。
(……アリファール)
腰に差しているアリファールを外し、紅玉の鍔を見つめる。
(どうして……どうして俺を求めたんだ?エレンじゃなく、なんで俺なんだ!)
勇者は遠き地で囚われの身の姫君と、手元の竜具に一方的な恨みをぶつけた。
この後に及んで責任転嫁か。笑えない。
オステローデで立ち直ったのは偽りで、本当の意味で自分は何一つ変わっちゃいなかった。
ティッタも『弱者』から『勇者』へ生まれ変わったのに――
ヴァレンティナも『影』から『光』へ転じて歩き出したというのに――
フィグネリアも『過去』から『未来』へはばたこうとしているのに――
銀の流星軍も『絶望』から『希望』の星を見つけたというのに――
それに引き換え、今の自分はどうだ?
いくつも交わされた誓い。積み重ねてきた思い出。長く、苦しかった戦いの日々。
至宝ともいえる『出会い』の中で、自分は勇者で在れたはずだ。
そのはず……だった。
捨てきれない迷い。
竜具も人間も誰も彼もが俺を買いかぶりすぎだ。
かといって、このまま安楽の世界へ逃避することもできない。
このまま反吐を吐きたい。
吐いて吐いて吐いて楽になりたい。
――どうしてもっと早く来てくれなかった!?――
――父ちゃんを返して!――
「あ……ああ……あ……!!」
よみがえる記憶。
繰り返される言葉。
とめどなくあふれる涙。
涙の宝珠が、アリファールの鍔の紅玉に毀たれる。
飛び散る滴涙の熱さが、青年の掌へ跳ね返る。
紅玉から放たれるほのかな輝きが、失意に沈む凱の勇気を拾い上げる。
無意識に、この手を柄に伸ばす。
―――なぜだ?
なぜ、俺はとろうとしている?
アリファールがまだ俺を必要としていると、そう思っているからか?
それとも、心のどこかで、使命を果たそうと爪を立てて足掻いているのか?
「どうしたらいいんだ……俺は」
うなだれる凱の言葉は虚空に響く。その問いに誰も答えるものはいない。
いや――いないはずだった。
「とりあえず、ゆっくり悩んでもいいんじゃないか?」
凱は後ろを振り向く。
二人の女性の姿が見える。
「……フィーネ」
「少しだけ、私、いや、私たちに付き合ってほしい」
「私……たち?」
複数形単語に思わずオウム返しを繰り出す。
フィグネリアとティッタに出くわしたのだった。
―――――◇◆◇―――――
「ティッタ?」
どうしてここが――違う。
俺の辿り着く場所がわかったんだ?
「誰かに聞いたのか?」
「いえ――」
一度顔をうつぶせたあと、表情をにこやかに作り変えて見上げる。
「多分、ここじゃないかなって……思っただけです」
かすかに声の裏返るティッタの姿は、凱にはたまらなくつらい。
「——ガイさん、覚えていますか?ここはあたしとティグル様とガイさんで『ウソ』をつきあった丘なんですよ」
自分の為じゃなく、誰かの為にウソをつく。それは決して悪い事だけじゃない。
ティッタに言われて、凱は整理しきれていない感情のまま、記憶の一部を引っ張り出す。※7
――忘れるわけがない。
現代の『勇者』と未来の『王』の交わした、『勇者王』神話の夜明けを告げた――あの誓いを。
(あまりの失望、虚無にのたうち回る絶望、無意識のうちにここへきてしまったのだろうか?)
心のどこかで『ありし日の思い出』を求めていたのだろうか?
「思い出話に干渉して悪いが、単刀直入に聞くぞ、ガイ。お前――これからどうしたい?」
フィーネの質問の意味が分からず、無言で彼女に振り向いた。
「……明日にしてくれないか?」
「ガイ————すまない。確かに私はゆっくり悩んでもいいといったが、これだけは「今」答えてほしい」
やわらかままの表情、それにふさわしい声色でフィーネは続けた。
「明日になると、沈み切っている今のあんたは、物事を目前にして決めてしまうだろう。時間に迫られて仕方なしに。だから今聞いておきたい」
締め切りに追われて、みっともない物語を書き上げる吟遊詩人でもあるまいし――
殴り描きで筆を走らせた駄作。
――それは、お前が描きたい物語ではあるまい。
「条件次第ではテナルディエ公も交渉に席に着くはずだ。もし決裂しても――銀の流星軍も、ライトメリッツへ撤退すれば、リムや兵を守れる。アルサスの難民も亡命だって可能だ。少なくともアルサスを守れる選択はできる」
それは数年前のとある『掃討戦』のこと。
フィーネの以前の雇い主であったテナルディエの人物像を知っているからの発言だった。
――大量の弱者など斬り捨てるに手間と時間がかかる。どこへでも落ち延びろ――※11
確かに、アルサスや銀の流星軍の、命そのものの安全は守られるだろう。しかし、テナルディエは解放後の衣食住まで補償するつもりなど毛頭ない。野盗に落ち延びるなり好きにしろと。
早い話が『弱すぎる敵など倒すに値せぬ』ということだ。
だからアルサスの民の安全、銀の流星軍を守れると言える。銀の流星軍に身を寄せているフィーネにとっても癪だが、テナルディエの眼鏡にかなう存在は少なくとも、ティッタを除けばアルサスにいない。
理で説いたフィーネの言葉に、凱の反応はかすかに連動した。
「そうした場合、フィーネたちの目的はどうなる?」
「私たちの目的は私たちで何とかする。当然だろう。無論リムたちも」
何てこと無いようにフィーネは言ってのけた。
「ただ――どう動くにせよ、誇れるような戦いをするということだけは、決めている」
「……誇り?」
「そうだ。エレンも――リムも――ヴィッサリオンも――私たち傭兵は寄ってすがるところがない。戦いは雇い主次第。金次第。帰る故郷もなく、ただ戦いの場を求めてさまようだけ。生き延びることだけが全てとなる。夢も現実も境界がない。仲間だっていついなくなるかわからない。本当に何もないんだ。」
何処からどこまでが自分の物語なのだろうか。
生きているのか、それとも死に絶えているのか、そもそもここはどこなのか、ともかく自分は存在しているのか。
虚ろな瞳に戦意はなく、大地に突き刺さる己が刃は、まるで己が旅路の結末を告げる墓標のよう。
空っぽで、空白で、空虚――成果も戦果も残らないんだ。
例えそれが『過去』——『想い出』さえも。
「……フィーネ」「……フィグネリアさん」
「だから、誇れるような戦いが出来なくなる時、戦士としての誇りを手放すつもりなら……私は戦って散る。私が私である為に」
その言葉は、凱の記憶の奥底をついた。
戦友にして好敵手の存在――ソルダートJ。
彼もまた故郷を失い戦場を求めてさまよい続けた者。フィーネの言葉にかつての大空の戦士の姿を見た。
任務を遂行するだけの兵士ではなく、意志を持って使命を果たす戦士として。
戦士ならば、闘志を燃やして。
勇者ならば、勇気を抱いて。
熱く、そして暖かいフィーネの言葉に、凱の中でかすかな光が差し込める。
「もし、ガイがこのまま離脱するとしても、最後まで銀の流星軍と共に私は戦う」
その言葉に、強い意志を感じた。呼応するように、アリファールの紅玉がきらりと輝く。
最悪、テナルディエがこちらの降伏交渉に乗らないならば、戦って散る。
オルメア会戦の時と同じように、住処を叩き潰してくれた奴らにやり返してやりたい。
「あの時、レグニーツァでガイと会えなかったら、私は暗い迷宮でさまよい続けていただろう。少なくとも、羽ばたくことができたと。まだ降り立つヤドリギは見つからないけど、少なくとも星空の下で私はまだ輝ける。そう信じたい」※9
凱との出会いに感謝の言葉を述べる。
やめてくれ。
「待ってくれ!俺は!……」
フィーネの人差し指が凱の口をふさぐ。
女性特有の繊細な指先のタクトが、凱の反論に終止符をうった。
「そういうのはナシだよガイ。確かに、相手は私たちの想像を超えた連中。まして見たことのない兵器や武装。まともに戦って勝ち目がない。だから『今まで』力を貸してきた。ガイはそう言いたいんだろう?」
降伏か――交戦か――二つの道を選ぶことはできる。
しかし、降伏を選んだ地点でティグル達の帰還はかなわなくなる。それは銀の流星軍が望むところではない。
自分が抜けてしまったら戦力差の穴は誰が埋めようか。そのような心配を捨てきれないのは否定できない。
泣き崩し的な消去法で選んだ未来など、遠からず砂のように瓦解するのは目に見えている。
力を持つものがその責務を果たさないのは卑怯だ。分かってはいる。分かってはいるけれど。
(なんで……なんでフィーネは何も咎めない!それでも勇者か!?臆病者だって!)
そう言ってくれれば、自分だけ傷つく分、気が楽になるというものだ。
だがフィーネは、たった一言の侮蔑さえも凱に告げてくれない。
もう――私たちを理由にするな。フィーネはそう凱に突き付ける。
頼むから、私たちの弱さを戦う理由の盾にして言い訳にするな。
私たちの存在がお前を苦しめるだけならば、これ以上関わらないほうがいい。
「それは――――」
「理想は立派だが、現実は逃してくれない。分かっているさ、そんなことは。だけどガイ――お前にだけは私の意志を伝えたかった」
ふわりと浮かばせた笑顔で、凱に言った。
もう、決めてしまったのだ。こうなってしまえば、戦士の意志を変えることはできない。
同時に彼女の決意は、凱の喉元に『二つの刃』を突き付けていた。
叱責さえもしないフィーネは凱に厳しさを叩きつけているかと思ったが、そうではない。
ティナが『あの時』幻想ではなく現実を常に差し出したように――※8
フィーネは『この時』虚偽ではなく誠意を凱に差し出している。
意志と誠意。二つの原石で磨かれた刃を。
かといって、このまま『銀の流星軍』を置き去りにして一人で逃げるのか?
そうなれば、少なくとも凱自身、迫りくる絶望の展開だけは回避できる。
知る必要もない。知りたくない。何も知らない。
今までの『現実』に対して目を閉じて耳をふさげば、偽りの『異世界』で生きていくことはできるだろう。
しかし、『楽』な選択をしたところで、独りぼっちの『異世界』に、何の意味があるのか?
守れず、今こうして『使命』を投げ出している勇者の現状。
『降伏』したところで、大切な人を失った者にとって『幸福』は訪れない。
夜のまま、闇に包まれたまま、永遠の死が連綿へと続く未来は、だれが望もうか。
「俺は……君たちが待ち望んでいた「流星」じゃない!」
「……ガイ……さん?」
「あの少女のことだって……バートランさんだってそうだ」
凱の青い瞳に涙がにじむ。思い出してフィーネとティッタが瞳を開く。
かすれた声、続く声はされど怨嗟のもの。
「俺が二人を殺したようなものだ!そうさ!『王』の俺なら奴らを殲滅できた!シーグフリードの言う通りだ!結局『勇者』の俺じゃたった一人すら守れない!全部俺が悪いんだ!エレオノーラ姫が俺を見損なったって仕方がない!当たり前だ!人を殺さずして人を守れるはずがないんだから!?ああその通りさ!俺は……俺が憎い!こんな力があっても、誰一人救えない!みんなを不幸にしちまう『神様がくれた力』なんて」
気が付けば、涙をぽろぽろと流していた。
あるがままに凱はため込んでいた感情をぶちまけた。
これでいい。
望む相手への突き放した罵詈雑言の自虐なら、よく嫌われるには一番だ。
ティッタにとって、ティグルにとって掛け替えのないヒト……バートランの名を持ち出せば、もっと自分を軽蔑してくれるはずだ。
ヒトを理由にすがってきたツケが、今になって回ってくるなんて。
そして、ツケを払うにもヒトを理由にするその矛盾。
勇気を失った自分に、いったい何が残されているというのだ?
「ティッタはちゃんと知っています」
だが、目の前の少女は、細く力強い声で、凱を現実に結び付ける。
「……」
「ガイさんは、どんなに暗い『夜』の空でも――『流星』に向かって、高く飛べる『勇気』ある人なんだって」
ティッタは凱の勇気に憧れている。
……そうだ。
既に流星となった母さんを『迎え』に行くために、俺は『星の海の船乗り―アストロノーツ』を目指したんだ。
太陽から吹き荒れる磁場嵐を抜け――※12
空間定義の存在せぬ地平のない暗黒の海原を駆けて――
地球は俺たちを生んだ青い宝石——※13
星図を読み解き、勇気の帆を張り航海した――宇宙飛行士だった……あの頃。
「ガイさんは、どんなに深い『闇』の海でも――『曙光』に向かって、走りだせる『勇気』ある人なんだって」
ティッタは凱の勇気を信じている。
……そうだ。
全ては魔王と化したEI-01を倒すために――
チカラを得るために命を削る装置『弾丸X』を使い――
自らが緑色の流星と成りて絶望の闇の中を駆け抜けて――※14
『暁』に向かって誇った、俺たちの勝利を。
「ガイさんは、どんなに苦しい『死』の淵でも――『希望』を決して捨てない『勇気』ある人なんです」
ティッタは凱の勇気を誇らしげに語る。
……そうだ。
パルパレーパに勇気を砕かれそうになるも、命の遠くからの声で息を吹き返したあの瞬間。
――見せてやる!本当の勇気の力を!――
各国へ散った勇者たちとの絆を結ぶ唯一の情報集積物質Gストーン
その時、初めて知った。すべてのGストーンが同調することを。
癌細胞のごとき増殖する遊星主たち。しかし、免疫抗体のように抗い続ければ、Gストーンはいつかきっと――
行き詰った人の業——癌細胞を勇気の炎で焼き払う、全ての細胞がGストーンと化した凱ならば全て理解できる。
――勇気ある誓いと共に……進め!――
既に行き詰った文明を破壊して、新たなステージへ駆けあがる。
青年は、少年に未来を託した。
(俺は……俺は……)
いくつもの、地面にうつむく凱に問いかける声。ティッタの声。いたわりの声。
無言のままの凱。もう顔をあげることもできない。今更どのようなツラで合わせればいいのか。
勇者の生い立ちを知らぬはずのティッタは、まるで「あなたを知っている」かのように語り掛ける。
頬を伝うぬくもりの言葉が、天使の『三本の矢』となって凱の心に突き刺さる。
「……やめろ」
凱の否定がティッタの言葉を拒む。
「そんなものは幻想だ!ティッタは何もわかっちゃいない!」
「わかっていないのはガイさんのほうです!」
「ガイさんの優しさが、ティッタにぬくもりをくれました」
――覚えていますか?
アルサスで初めてお会いした時、他人でしかなかったあたし達を、盗賊たちから助けてくれたことを。
「ガイさんの勇気が、ティッタに光をくれました」
――知っていますか?
ティグル様がいなくて、みんな不安だった時にアルサス焼き払おうと攻めてきて……それでも、あなたは戦った。
たった一人でテナルディエ軍に立ち向かうあなたの戦う姿に、神殿に身を寄せていた人たちは、危険を顧みず貴方を応援していたことを。
「ガイさんの出会いが、ティッタに未来をくれました」
――わかりますか?
フィグネリアさんも……リムアリーシャさんも……あたしも……ティグル様もあなたとの出会いの中で『光』を見たのを。
勇者はすべての希望。みんなの光。
立ち止まれば、貴方は必ず後悔する。
いつか勇気を取り戻したとき、大切な人を、大切な時間を取り戻せなかったことを、あなたは悔やむでしょう。
だから……こんなところで歩みを止めてはいけない。
「俺だってみんなを、ティグル達を助けたい!だけど……俺一人じゃ……ダメなんだ」
ウソをつき切れなかったゆえの台詞。
初めて知る……勇者の弱さ。
人を守る為に神様が力を与えてくれたものが、いつの間にか自分を追い詰めるものになっていたのだろうか。
「ティッタが――――います」
今まで――雲海に包まれていた凱の居場所。その地図に在り処は存在しない。
だけど……
栗色の髪の少女が、悲しみに迷っていた俺の心の『闇』を払ってくれた。
そして……
一条の光すら差さない俺の居場所に……『心の地図』を広げてくれた。
「そして、フィグネリアさんが――――います」
黒髪の女性が、復讐に酔いしれていた俺の目を覚まさせてくれた。
暗い迷宮をさまよい始めた俺の背中に……『心の翼』をくれたんだ。
どんなに闇の深い迷宮をひとっとびしてしまう――力強い翼を。
「ガイさんにお礼を言った女の子も――――います」
オルメア会戦で孤児となった、あどけなさを残す幼子が、恐怖にただ怯えていた俺の魂を慰めてくれた。
怖くて――アルサスという居場所を失った俺の勇気に『心の灯台』を灯したんだ。
「どうして……」
どうして俺は、気付けなかったんだ?
目を閉じたままでは、肯定してくれる人の姿さえ見えなくなる。
耳をふさいだままでは、応援してくれる人の声さえも、聞こえなくなってしまう。
心を閉ざしたままでは、癒してくれる人の『想い』さえも、気付けなくなってしまう。
そのままで『眠り』についてしまうのは、いやだ。
「リムアリーシャさんも……マスハス様も……ルーリックさんも………エレオノーラ様も………ティグル様も!」
未来の『王』の名を叫ばれた瞬間――止まっていた『勇者』の時間が動き出す。
「あたしにとってティグル様は英雄であるように、ガイさんあたしにとって」
あたしにとって――
あたしにとって――
「あたしにとって、ガイさんは――勇者だから!」
「ゆう……しゃ?」
涙であふれかえる瞳のまま、押し寄せる感情でティッタを見つめ返す。
「もし、辿り着く場所さえもわからなくなったら、ティッタがこうやって両手を広げてあげます。何度でも居場所を教えてあげます。ガイさん――世界でただ一人、貴方だけの――『心の地図』を!」
勇者が歩いた軌跡を、勇者が謳った景色を、勇者が振るった『心の剣』で、描いていくんです。
今は真っ白でも、あなたの運ぶ風の未来を待ち望んでいる。
今のガイさんは気づいていません。
それどころか、気づこうとしてくれない。
だから、気づいてください。
あなたを彩る押絵を。
あなたを知る文章を。
あなたを導く結末を。
「だから、歩むときは共に歩みましょう。そして、失うときは、共に失っていきましょう。それがあたし達にとっての……ライトノベルだと信じていますから」
ライトノベル――光あふれる理想世界へ誘う『冒険の書』※
理想世界へ至るには、決して楽しいことばかりじゃない。つらいこともたくさんあるはず。
でも――いつかあたしたちの物語を『共感』してくれる人もいるはずです。
凱とティッタ。二人を見守っているフィーネは、魂の輝き始めている光景に目を閉じた。
(必要なんだろうな。『勇者』が示す冒険の成果を記録……いいや、思い出にしてくれる『王』の存在が)
それは、凱とティッタとティグルにしか知りえない……『アルサスの丘で交わした勇気ある誓い』
ティグルは言ってくれた。自分の無力を語るのがとてもつらかったはずなのに、不殺の凱を正面切って肯定してくれた。
憂いを断つために徹底的に痛めつけるのは、新たな未来を閉ざしてしまう。
人は大人に近づくにつれて、戸惑い、そして涙を流すことを忘れていく。
迷いは弱さだと。涙は脆さだと信じるようになって――。
強すぎる信念は、己が物語しか見ないあまり、盲目になってしまう。これが俺の信じる物語だ。
人を超越した力をもつ故に、傷つき、迷い、そして流星のように涙を流せる凱に、ティグルは『勇者』の姿をみたはずだ。
同じく凱も、無力故に悩み、足掻き、赤き流星のように血を流してきたティグルに、凱は『王』の姿をとらえたはずだ。
互いに必要なのだ。『勇者』と『王』は。
時代は求めてきている。『勇者王』の伝説を。
「ライト……ノベル……」
「はい。ブリューヌに平和が戻ったら……『あたしの知ってるガイさん』を、いっぱい聞かせてあげます。あたしの知ってるガイさんを、ティグル様にも教えてあげます」※16
その時、凱の胸の内に熱がともる。
「……ああ、その時は『俺の知ってるティッタ』を、君に聞かせる。もちろんティグルにも俺の知ってるティッタを聞かせたいんだ」
突如、一陣の銀閃が凱とティッタの二人の頬をすり抜ける。
乱れた髪が後ろの存在を気づかせる。存在の正体とは……
――冷たい夜の風を吹き飛ばす、夜明けの太陽——
地平線をあまねく照らす『暁—アヴロラ』を背にした、栗色の髪の少女の言葉。
儚く、神々しく、優しく、それでいて――暖かい光。
「――――――ありがとう」
もう、その言葉しか見つからない。
救われすぎて――――死ぬ。
知ろうとせず、知ることもできないままに、誰から蔑まれて続けたとしても、たった一言で救われる言葉がある
見失いかけた居場所を、何度でも示してくれる。
それこそ――ライトノベル……冒険の書……そして、心の地図。
ならば、人は何度でも淀みを洗い流すことができる。
たとえ自分の物語が批判されて『盲目』になろうとも、俺を知ってくれているティッタが、子守歌のように何度でも言い聞かせてくれる。「大丈夫。あなたの物語は輝いている。そしてここからが輝く時」なんだと。
「私の翼はもがれたけれど、このためにあったんだと思う」
隣には、フィーネがいた。
凱の背中に翼をくれたことを、まるで誇らしげに語る彼女は、凱にはとても美しく見えた。
そう、あれは『暁の霊鳥―フェニックス』のように。
足だけでは、永久に迷宮を抜けることはできない。
翼があれば、いつか迷宮からはばたけていけるだろう。
勇者のお前には、真っ暗な迷宮で迷うではなく、あの暁の大空へ羽ばたくが一番のお似合いだよ。
「————ガイ」
今度はティッタでなく、フィーネが声をかけた。
「もう一度聞くよ。お前――――これからどうしたい?」
どうしたい?そんなのは決まっている。
いや、決めたんだ。
誰が俺を認めなくても、批判しようとも構わない。
その先に目指すものがあれば、俺の後に続いてきてくれる者がいるならば、走り続けるだけだ。
今は理解されなくとも、最後には分かってくれる。信じてる。
「自由でいいんだもんな……したいことを……すればいいだよな!」
わがままになれ。せめて、自分たちで未来を切り開かなければいけないなら、心の剣で描きたいものを描けばいいんだ。
そうでなくては……この『作品—カタチ』がこの世界に生まれてきた意味がない。
「戦うよ――ヒトに理由を押し付けるんじゃなく、俺が勇者である為に――俺がそうしたいから、戦うんだ!」
闇の中では何もできないから――光の中ならしたいことをすればいい。
「教えてくれて……ありがとう!ティッタ!フィーネ!アリファール!」
そこに一片の濁りはない、涙の晴れた凱の力強い笑顔。暁より眩しい凱の表情に、女性二人は思わず目を見開いた。これが、ガイさんの……本当の?
作者の物語を見守ってくれる読者に、してやれることは、立ち止まることじゃない!
「俺は――――この『原作』が大好きだ!だからもう……立ち止まらない!」
ここから始まるんだ。
「まだ頼りない俺だけど……こんな俺でもよかったら、もう一度力を貸してくれ!アリファール!」
俺に描ける物語は、ひょっとしたら大したものじゃないかもしれない。
けれど、アリファールという心の剣で描ける未来は必ずあるはずだ。
みっともない姿を、これからも見せるかもしれない。
その時、この世界の読者はどんな感想を抱くのだろう?
落胆?嫉妬?絶望?憤怒?どれかはわからない。
でも、ティッタのように剣の切先へ光を示す人だっている。
「ありがとうございます―お疲れ様です―次は大丈夫です」たったそれだけの短い言葉だって、作者の心には光りが差すに十分なのだ。
獅子王凱の描く『光の冒険譚—ライトノベル』は――ここから始まる。
~~……戦うのだな……~~
唐突に響いたその声に、凱は反射的に声をあげた。
「誰だ!?」
高く掲げたままのアリファール。太陽の光を受けていた紅玉が、強い光を一帯に放つ。
~~……お前は……戦い続けるのだな……己以外の『原作』の為に~~
誰だかわからない。その声はどこか、挑戦的にも聞こえた。
まるで――『勇者』に挑戦状を叩き込む『王』のような。
「そうだ……!そんなこと……当たり前だ!」
例え背表紙のような境界があろうとも!人を助けることに何の不自然があろうか!?
もう――自分の『原作―セカイ』だけが生き残る時代など、とうの昔に終わっているんだ!
自分の『作品—カラ』に閉じこもって得た平和と、『作枠―カラ』を突き破って得た幸せは、決してイコールじゃない!
俺がそうしたいから……戦えるんだ!
~~この時を……ずっと待ち焦がれていた!~~
~~この瞬間を……ずっと思い焦がれていた!~~
~~お前のような勇者が現れることを!~~
草原の大地から、光が満ち溢れる。
同時にそれは、皆の精神を天井へ導くホタルの光ともなった。
――『暁』。闇夜の地平を焼き払う始まりの光。
ガイの意識はそこで途切れた。
目覚めたら、そこは別の光景だった。
夢幻にも広がる草原に、赤く光る黄金色に満ちた景色。
周りにいたはずのティッタとフィーネの姿はない。
もしかして、幻想の世界か何かではないか?
けれど、既視感はある。一度、この光景を、どこかで?
遠くを見渡すと、一人の男が立っているのが見えた。そこまで歩いていく。
大樹に寄り添う一人の男。ローブを深く顔にかけていている為、その素顔はよく見えない。
誰だ?……と声をかける前に、凱は声を掛けられた。
「俺は黒竜の化身——既にこの世あらざるものだ」
「その声……さっきのだな」
黒竜の化身——確かそれはジルニトラともよばれているジスタートの始祖の名だ。
機械文明の世界の『勇者』と、自然元素の世界の『王』は出会った。
『勇者王』――――――幾万年の時と、幾千年の世界を超えた出会いが、一つの『神話』を紡ごうとしていた。
「青年よ。名はなんという?」
「俺は獅子王凱——ここへ連れてきたのは貴方なのか?」
「それは少し違うな。お前の記憶が俺をここへ連れてきてくれたのだ」
「俺の……記憶?」
ずっと地平線の草原を見ていた黒竜の化身は、暁の太陽に背を向けて凱に振り返る。
「俺は……このような美しい景色は見たことがない」
ああ、だからか、と凱は納得した。
自分は既に見せてもらった記憶だから、見覚えのある景色だと感じたのだ。
「以前、ティル=ナ=ファに見せてもらったことがあるんだ。そう――あんな風な『暁』の光景を」
それはまるで――読者を夢中に引き込む、新章開幕の旅立前景色のように。※10
「そうか……ならばお前には礼を言わなければならないな」
黒竜の化身のその声は、歓喜と悲哀の色が同質で混ざっていた。
「いつかは辿り着きたいと思っていた理想世界――アンリミテッドの俺でも、辿り着くことはかなわなかった」
「そう……なんだ」
確かに、見せてもらったことはあるが、戦乱と混迷が続く今の時代では、まだ辿り着いたとは言えない。
「俺も……貴方と同じだ。全然届いちゃいない――理想世界に」
目指せば目指すほどに、遠く感じる理想世界。
偶然の『異世界』に迷い込むのではなく、必然の『理想世界』に辿り着きたい。そう願ってジスタートの戦乱を、黒竜の化身は勝ち抜いてきた。戦姫――ヴァナディースと共に。
だが、300年たった今でも、ヒトは何一つ変わっていない
己が世界を守る為だけに、皆の世界を奪うその矛盾。そんな輪廻を断ち切りたいがために、竜具に『夢』という自立行動選定基準を打ち込み、次代へつなげるシステムを確立したというのに。
だからこそ我……『黒竜』は『獅子』の名を持つ、目の前の青年に問う必要がある。
「シシオウ=ガイ。もう一度聞きたい。お前はなぜ戦う?富か?名誉か?それとも……チカラか?」
そういうのは……よくわからない。
「今となってはよく思い出せない。だけど、これだけははっきりとわかる。今は守りたいものの為に戦う。戦いたいんだ。守る為に―――絆がほしい」
「キズ……ナ?」
意外だった。
人を超越した青年から、まさか絆が欲しいと乞われたのは。
「俺ひとりじゃ本当にどうしようもない。全部ひとりで事を成そうだなんて不可能なのは俺が一番よく分かっている」
――そうだ。パルパレーパと初対峙したとき、護がいなかったらファイナルフュージョンさえもできなかった。
凱に応えることなく、虚しく漂うガオーマシン群。凱の通信にメインオーダールームのクルーメンバーは誰も応答しない。人類の弱さをまざまざと見せられた、あの悔しさ。
「ティッタも、フィーネも、みんな俺に力を貸してくれている。それはすごく感謝してる。けれど、もっともっとナカマが欲しいんだ。俺のことを知らない人も、キズナとして」
今以上の絆繋が必要なんだ。
それも、相互に知りえる可能性を持つ人たちを。
既にへし折れているアリファールの刀身。しかし未だ砕かれていない魂の紅玉に瞳を移す、凱と黒竜の化身。
「アリファールだけじゃない。ラヴィアスも、ザートも、バルグレンも、ヴァリツァイフも、エザンディスも、ムマも、とにかくみんなの想いと力が欲しい」
ジスタートのみんなも、ブリューヌのみんなのチカラも借りたい。
けれど、それで巻き込まれる皆は危険にさらされるんじゃないか?その不安もやはりぬぐえない。
「想いとチカラが欲しいのか?そのうえでキズナが欲しいと?」
まるで確かめるように、凱の言葉を続ける黒竜の化身だったが、その声は慈愛に満ち溢れていた。
「——図々しいな。お前は」
「う……それは」
返す言葉もなく、黒竜の化身の予想外の感想に、凱は恥ずかしくなり、思わず口をつむんでしまった。
これ以上に原作を腰掛ける勇者が他にいるのかと。
だけどこれは凱の本心だ。一人一人が勇者に成りえれば、あるいはきっと――――
「お前ひとりが誰かに助けを求めても、何でもできるわけではない。皆を巻き込んだところで、お前自身の物語をつづろうとしても、たかが知れている。お前は勇者であって編者ではあるまい。お前にそんなことをできることは誰も望んでもいない」
記憶に残したい光景があるならば、その手の描写家に。
記録に記したい文章があるならば、その手の脚本家に。
「一人の人間が絆護できることなんて、たかが知れている。ついでに言うと欲張りなんだよ。お前は」
黒竜の化身に言われるままに指摘を受けた凱は、「だけど」と声をあげようとしたとき――
「だが、獅子王凱という勇者にしか、できないことがある」
「俺にしか……できないこと?」
王の役目は、勇者の使命を思い出させること。
だからこそ、伝えたい言葉がある。
届かなくていい言葉なんて存在しない。
「その人の隣に……ココロに寄り添うことだ」
「その人の……ココロの……となりに?」
それは、かつて大河長官にエヴォリュダーという単語を聞かされた言葉だった。※17
Gストーンとの融合を果たした凱は、宇宙空間さえも生身で進出することが可能になり、アンリミテッドへとさらに進化したことで、隣人に並び立つ重要性がより一層現実味を増した。
エヴォリュダー。アンリミテッド。凱の肉体に多くの機転を強いても、隣人に寄り添うという使命はいささか揺らいでいない。
作者が抱く恐れを
「戦姫のチカラを恐れるあまり……俺にはあいつらの隣に立つことはできなかった。チカラで忠誠を誓わせても、心だけは遠くへ離れるばかりだった」
一騎当千を超える何かがある。自分が貸し与えた竜具を今以上に使い、やがて戦姫から、いつか王を打倒する勇者が生まれるのではないかと。
全ての人に純真を示せる凱ならば、戦姫の隣人にもなりえるのでは。
「貴方にとっては畏怖の対象かもしれないけど、俺にとっては、ティナをはじめとしてみんな、みんな大事なんです」
「……ガイ。お前の不殺を否定する『銀閃の風姫—シルヴフラウ』も?」
「はい」
その答えに迷いはなく、簡潔と簡素を極めた。
――お前がうらやましい。そうして迷いなく大切な人と言えることができて。
もっと、そう、あと300年ほど早く出会えていれば、テナルディエ一族に禍根を残すこともなかっただろうな。
あの時は……仕方がなかった。
優しい瞳のままで、黒竜の化身は言葉を再開した。
「そのひとの隣に立つ。ただそれだけでいい。勇者と王――そのどちらにもなり得るお前にしか、できないことなんだ」
「勇者……王」
黒竜の化身は静かに頷いた。
「何故、『作品』同士で争いが起きると思う?」
凱は何も答えない。いえなかった。彼が、一体何を想い、何を願っているのか、凱には到底掴めないものだったからだ。
「その人にとって『理想』のない『異世界』だからだ。俺はテナルディエの『完結した世界』を信じることが出来なかった。だから力を以てあの丘を平定した」
凱はふと暁の空を見上げた。
「……争いは……兵器がはじめるんじゃない。始めるのは人間なのだと、俺は思います。」
同じく、黒竜の化身も暁の空を仰いだ。
「……そう……かもな。かつて『魔』を打ち払う為の竜具も、今では人の争いの中心だ」
現国王がそうしているように――
「ひとは何よりも臆病で――傲慢だ。だから、臆病には勇気が、傲慢には謙遜が必要――」
「勇気を知りたければ勇者に、力が欲しければ謙遜に?」
黒竜の化身は静かに頷いた。
勇者は絆を。王は力を。
「勇者の隣に王が並び立つとき……『血脈』と『魂』を受け継いだジスタートは『暁の黒竜―スペリオル・ジルニトラ』として生まれ変わるだろう――俺が成し得なかった理想世界の創世を」
この瞬間――獅子王凱は『形よりも大切なもの』を掴んだような気がした。
NEXT
後書きと解説。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!
長かった。本当にそれしか見当たりません。
本当の意味で登場人物が原作を離れていくわけですが、凱達の戦いを見守っていただければ幸いです。
では解説を。
※1:非難が殺到し、事態の収拾がつかなくなる状況を指すネット用語。
殆どが脊髄反射でコメントすることが多く、インターネットが普及した今の社会となっては一つの問題となっている。
ツイッターやフェイスブックの拡散能力に加え、人間の情報収集力の低下が大きな原因となっている。
似たタイトルだけで、実際は何の関係のない団体が被害を受ける『延焼』や、炎上を加速拡大させる(いわば新事実や事情のこと)『燃料』も存在する。
今回テナルディエが、アルサスに置き土産として残したのは、アルサスや地方都市が問題として抱えている『無関心』を逆手にとって、返還後のアルサスへ発展しやすそうな『憎悪』そのものだった。
原作1巻にて「アルサスを焼き払え」というテナルディエ公爵の文章を、「憎しみの炎で人々の心の世界を焼き払う」という、間接的に表現した。
※2:原作1巻にて、ザイアン率いるテナルディエ軍に交渉しようとして、討ち死にされた最初の犠牲者。
※3:原作1巻にて、アルサスの避難活動が遅れた理由の一つ「辺境の地ということもあって、戦に対する危機感がうすい」から。不整備な道という環境も相まって、外からの情報があまり入ってこない。(例えばテナルディエとガヌロンの対立)
※4:名運尽きず!絶望の淵に放たれた一矢!を参照。
※5:承認欲求のこと。
※6:ドラクエ11の勇者の星という用語から。
※7セラシュ奔るを参照。
※8眠れる獅子の目覚め~舞い降りた銀閃 を参照。
※9勇者王ガオガイガーFINAL『超勇者黙示録』のJの台詞。
※10ソードアートオンライン アリシゼーション編でカラーイラストが途中にあったことから、「なんだこれすげーのが始まったぞ」という印象を与えたことから。新章開幕には効果的な手法ともいえる。
ただ、カラーイラストはコストや、紙質の違いによる文字見栄え等の問題から、冒頭に持ってくることが多い。(確かに、硬い紙は中途半場な位置だとつかみにくい)
イラストで読むというのはラノベの常とう手段かもしれない。
※11原作5巻のテナルディエの台詞にて。
※12光の圧力を『宇宙の風』として見立てた、宇宙の推進システム。風を受けて進むヨットみたいなもの。
太陽からの磁場嵐で通信機器に異常が出る『太陽嵐』は今でも検証対象となっている。
※13愛殺の宝石狂いの船長ラムズから。
※14勇者王ガオガイガー『勇者暁に死す』から。
※15ドラゴンクエスト3から実装された冒険の書
(作者はあのドキドキを忘れられない。冒険の書を再開するあの瞬間を)
※16原作5巻にてバートランの弔いにティグルが「お前の知っているバートランを聞かせてくれ」といったところから。
※17原作ノベライズ版にて。エヴォリュダーとはある願いをかけられてつけてくれた言葉。
後書き
次回は「独立交易自由都市~新たなる剣を求めて」(仮)です。
第25話『ゼノブレイドを求めて~独立交易自由都市へ』
刀は所詮――人斬り包丁。
地球より生まれ出でし鉄工技術の彫刻品の歴史は、一度紐をといていくと果てしなく長い。
神話より……原始期より……中世期より……近世期より……ヒトはとにかく対象物を斬ることにただただ追求し続けた。
迫りくる敵を倒すために――
大切な仲間を守るために――
自分自身の手で神を斬り、そして運命を切り開くために――
故に刀匠は己が『作品』に誇り、ときに刀士は己が『信念』に迷う。
それは、幕末と明治の渦中にあった、『伝説の最強人斬り』もまた例外ではない。正義と信じ、悪と断じて刀を振り下ろしてきたもの――己が運命に盲目となり、『不殺』の人生を完遂するようになった。
逆刃刀――出来損ないの中途半端な刀を『発端』と見るか、『可能性』と感じるか、答えは人それぞれなのだ。
いかなる綺麗ごとを並べたところで、刀の存在は『斬る』以外に意味を持たない。
近代化の進む銃火期に至る『明治』では、もはや力も技も魂も必要としない機械文明に重点が置かれるようになった。
超長距離砲撃砲の首長竜筒火砲。
拠点防衛迎撃砲の回転式機関銃。
そして——機械文明の具現化ともいえる、蒸気推進機関鋼鉄船の……黒船。
これら諸外国からもたらされた機械兵器の存在を、明治維新志士をはじめとする、当代の日本は深刻な脅威と受け止めた。
なにしろ、それまで日本においては戦国時代より続く、単発限定の火縄銃として、せいぜい大玉射出が限界の大筒砲しか存在していなかった。
次世代の戦略兵器に、『鉄材』が実用化されたとなれば、拠点防衛における機銃兵器の装備は最重要課題となる。
だがそうなると、自国防衛戦力以外の問題が生じてくる。
鉄を溶かし、やがて形を整える『鋳造』作業に対して莫大な費用を国が要求する……という点だ。
人――土地――貨幣――資産――それらは国という生命体が生きていくためには欠かせない栄養素。
鉄を喰らい、作品という形にして世に出すには、各地からの大いなる熱量を要する。
それはあたかも、一つの生命を生み出すのと同等の熱量を。
租税。技術。納品。生産。一つの圧縮を得てようやく生み出せるようになり、こうして大量の刀よりも一つの機銃が有効とされる時代となったのである。
しかし、国力で生産できるようになると、今度は別の問題が浮き彫りになる。
卓越した身体能力、凌駕する知能、それらを有する西洋人だからこそ巧みに運用できる――という事実だ。
西洋列強国に対抗するためにも、発展途上国は既存の兵器を凌駕する性能を、新たな機械兵器に求めた。それまで実用化のめどが立っていなかった制空兵器による戦略拡大、高力率化した牽制兵器なのである。しかし、無敵ともいえる防衛機構を造り上げたものの、それを運用する人間側の問題は、まったく解決されていなかった。結局のところ、彼らが実戦の場において運用可能となったのは、皮肉にもカロン=アンティクル=グレアストの存在だろう。
刀も機械も同じ『鉄』のはずなのに、目指す先は全く違う世界。
損耗率の操作を可能にする機械兵器という強い光は、瞬く間に民衆、軍人、官僚たちの目をくらませていった。
あらゆる価値が見失われていく時代なのだから、2000年代の現代においても、兵装においての刀の存在は、再び重要性を見出されることとなる。
気高く、崇高であれ。
刀の反りは気高く、刀の切先は崇高でなければならない。
機械の性能は効率よく、機械の外観は美的でなければならない。
もしかしたら、本質的には同じかもしれない――という可能性があった機械と刀。
機械が蹴散らし、刀が斬り捨てる未来だけでなく――
共生できる未来も。
争わずに済んだ未来も。
本当に……あったのだろうか?
いつの時代でも、ヒトは本質的に『迷う』ことを捨て去ることはできない。
鬼剣の使い手――ブレイドオーガ
……彼もまた見つけられたのだろうか?
世界を焼き尽くした大戦で、数多の殺陣を振りまいたその先に、『思い描いた未来』を、手にした刀で描けたのだろうか?
100年近くにもなる、その生涯の中で?
本当に切り開きたい未来は?
本当に描きたい明日は?
数多の骸で築き上げた牙城の王は、その世界で何を見つけられたのだろうか?
大切なのは、星の数ほど打ち落とした『得点』ではなく、己が運命を切り開く『変革』が必要なのだ。
評価のみに盲いた現代の物語は安寧を求める者に守られて、正道を信じた物語は暖かい観衆の目に触れることなく葬られていくのだろうか?
『異界神剣を求めて~独立交易自由都市へ』
「……した!?……ど……し……!?……どうした!?ガイ」
声が聞こえる。ぼんやりとした今の意識では、声というよりもさえずりに聞こえる。
鳥のような……でも、自身を呼ぶ声は少なくともとりではない。
「フィー……ネ?」
そう、鳥ではなく、隼の戦装束を纏った戦上手の女傭兵フィグネリアだ。
「一体どうしたんだ?いきなりボーっとして突っ立ったまま、動かなくなってたんだ。あんたは。ずっと黙ったままで」
「ああ、大丈夫。何でもない」
優しくつぶやく凱の掌に、折れたアリファールが視界に映える。
「アリファール、もう直す手段はないのだろうか?」
「いいんだ」
「良くないだろ!銀閃の竜具がない以上、どうやってあいつら『銀の逆星軍』と戦うつもりだ!」
奴らテナルディエ達の強さを肌身で感じたフィーネだからこそ、真剣にまくしたてた。
しかし、凱が次に浮かばせた笑顔で怒気を吹き散らされた。
「戦うのに大切なのは……剣だけじゃないってことだ」
ふわりと、そして自信に満ちた凱の表情に、フィグネリアは正体不明の説得力に押された。
――そう、物語を描くために必要なのは、自身を見失うことのない、ライトノベルだけ。
そして、凱は傍らにいるティッタに振り向く。
「それをティッタが教えてくれた。魂をもってね」
「そ、そんな……ただ、あたしは思ったこと、感じたことを言っただけで……」
ちゃんとあなたの『姿』を見てる。
ちゃんとあなたの『心』を読んでる。
ちゃんと返してくれるあなたの……『返事』が、絆を結んでくれる。
だから、あなたは――ここで剣を止めてはいけない。
それだけのことだが、凱にはしっかりと伝わっていた。
ティッタがどれだけ凱を見ていたことかを。
「俺にはティッタの、その『感想』が嬉しかったんだ。あと――黒竜の化身にも言われた」
「黒竜の化身?」
黒竜の化身という単語が凱の口から出た時、ティッタが首を不思議そうに傾げた。自国の聖剣王シャルルの名なら知っているが、ジスタートについてティッタの見識には薄いのも無理はない。
傭兵稼業の過程で既に知っていたフィーネがつぶやく。
「ジスタートの始祖となった建国王の名か」
「そう――その人にも言われたんだ。『お前の物語を見届ける者……その者たちの心に寄り添え』って」
暖かい感謝の想い……感想が伝わったなら、誠意をもってこたえること。
キズナを結ぶには、想いから。
戦うための力は、その後でいい。
そして、凱はふわりとほほ笑んでいった。
「大丈夫。俺はもう負けない。絶対に。誰にも――俺自身にも」
その力強い言葉を聞いたフィーネは、何か確信を得たような返事をした。
「そうか……私たちには預かり知らぬが、どうやらガイは何かをつかんだようだな」
凱は無言でコクリとうなずいた。
不殺をいくじなしと捕らえるものは多い。その中で、どれだけの批判が生まれるだろう?
ブリューヌ、ジスタートの各要人は凱の想いを甘えと断じるだろうか?
でも――ティッタが言ってくれた。
誰よりも優しいから、誰のためにも涙を流してくれるから、今までの原作とは違う可能性を示してくれる。
ガイさん。勇者のあなたに迷い続けてほしくない。という感想を。
フィーネだって、言ってくれた。
心の翼を広げ、ガイはどこへでも飛んでいけ。
お前の描く銀閃の物語を、お前が聴かせたい律動を――世界中の者たちに届けてやってくれ。
勇者のあんたに暗く冷たい迷宮は似合わない。という感想を。
凱は自らの掌を胸に当てて目を閉じた。
(俺の居場所はずっとここにある。フィーネがくれた『心の翼』がある限り、俺はもう迷わない。例え憎しみに酔いしれても、ティッタが広げてくれた『心の地図』がある限り、俺の戦いは続くんだ!)
――――ありがとう。ティッタ。フィーネ。
まずは、この折れた剣をどうにかすることだ。
物語をつづる意志はある。そのためのチカラもある。今ならチカラをキズナにすることも。
だから……アリファールを何とか『再鍛錬』しなければならない。
チカラでは、それを成すことに気付くことができない。
キズナなら、チカラだけではできないことも、できるはずだ。
(俺をフォローしてくれる人たちのためにも……必ず!)
剣と心と絆を賭して、俺の物語を完遂させてみせる。
強い意志を秘めた光。青い瞳に宿った希望。その凱の瞳にティッタはティグルの面影を垣間見た。
――――?
直後、みんながガサゴソと草陰から現れる。
どうやら……みんなにずっと見られていたようだ。
「ガイ殿、こいつが不遜な動きをしていました」
「いいや!こいつが不審な動きしか、しないから!」
「ルーリック……ジェラール……」
ぽかんと、そっけない言葉がつい凱の唇から出た。
禿頭のライトメリッツの騎士――ルーリック。
長髪のテリトアールの貴公子――ジェラール。
恐らく、凱の行方を皆で探していたのだろう。連れ戻すにせよ、別れを告げるにせよ、どのみち凱と再会しなければ、今後の方針に支障が出る。
情勢を動かすほどの単体戦力は、多少なりとも『軍』全体に影響を与える。凱の行動を把握しておきたいのは当然だった。
どうやって切り出したらいいか分からないところ、皆の前に進み出たリムアリ―シャは凱と向き合った。
「みなさんは……あなたの「再筆」を待っていました。無論、私も」
「リムアリーシャさん?」
「――――今更、というのもおかしいですが、私のことはリムでいいですよ、ガイさん――僭越ながら私もフォローさせていただきます。貴方の描く未来とともに」
「俺なんかで……いいのか?リム」
「はい。なぜなら、今のあなたは『あの時』と同じ瞳をしていますから」
そう――あの時初めてあなたと会った、あの瞳のままで。
不愛想の副将閣下にして姫将軍の彼女らしからぬ、暖かい言葉と笑み。
いや――違う。
もしかしたら、これが彼女の本心なのだろうか?
そんな、艶のない金髪をなびかせる彼女の隣に、ぐんずりとした老人の伯爵マスハスが並び立った。
「――ガイ殿」
「マスハス卿?」
「わしらはいつしか、そなたの勇者としてのチカラに頼り切っておったのかもしれぬ。そういった意味では、アルサスの民となんら変わらぬ。だが――」
沈痛な面持ちで語るマスハスは、リムとは対照的に凱と顔をそらしている。
「ティッタは変わった。わしらの想像をはるかに超える勇者として生まれ変わっておった。ガイ殿……おぬしは……」
それ以上語るのがつらいのか、どうも言葉がうまく出てこない。対して凱は――
「俺は何も変わっていません。「前を向こうとしているあなたたち」と同じく」
怖い気持ちを乗り越える勇気ある人ですよ。あなた方は。
俺なんかよりも……ずっと。
マスハス卿、リムアリーシャさん、ルーリック、ジェラール……フィグネリア……
そして――ティッタ。
「きっと、ティッタだって何も変わってないと思います。それが――本来のティッタなんかじゃないかって……本人はあまり自覚ないようですけどね」
恐怖。乗り越えて勇気。そして前進。
ハツカネズミのようにぐるぐる考えて迷って、未来へ進んでいくしかないとしても――。
まだやれることはたくさんある。
明るい表情のまま、凱はみんなに言葉を届ける。
「……ガイ殿」「ガイさん……」「ガイ……」
「もう一度いうよ。大丈夫。俺はもう負けないよ。絶対に!何があっても!」
なんてことない、誓いの言葉。
だが、それはマスハスの涙腺を破壊するに十分な威力を秘めていた。
伝えたい決意がある。
覇気に押され、勇気に打たれ、健気な凱の想いにリムアリーシャ達は心を打たれた。
そして、先ほどから別に考えていたことを、凱は若干ためらいがちに語る。
「俺はいったん独立交易自由都市へ戻る」
「ハウスマン?」
フィーネの疑問符は当然だった。
独立交易自由都市――世界地図の概念を保有する国家なら、そこはブリューヌを東西経度0度とすると、ハウスマンはおよそ西経73度となる。現代地球の知識で照らし合わせれば、イギリス内ロンドンのグリニッジ天文台と、アメリカのニューヨークの立ち位置を思い浮かべればわかるだろう。
しかし、ブリューヌをはじめとした西洋勢力は牽制時代の最中であり、一部の人間を除けば、大陸内の政情対応で外の世界は無関心であった。
傭兵稼業で世情に詳しいフィーネも、ハウスマンの存在までは知らないのも無理はない。
かつて、ヴィッサリオンの古巣だったことも。
「……俺が世話になった自由交易都市だ。そこへ行って、アリファールを打ち直してもらおうと思っている」
「どこにあるのですか?」
リムは凱に尋ねた。
「ずっと―――ここからずっと東にある大陸だよ。俺はそこからここ、長い洞窟を抜けてアルサスへ来た。洞窟を抜けた先にちょうどアルサスがあって、ティッタと出会ったんだ」
「そう、だったのですか」
ドナルベインが野盗として金銭をあさりにアルサスへ現れたあの時――
あたしと……ガイさんは初めて出会ったんだ。
銀閃の竜具を再鍛錬しようとする凱の考えを受け入れたのか、フィーネは顎に手を当てる。
「世界各国の商船が集う唯一の貿易機構を持つ都市なんだ。そこには商品だけじゃなく、技術や概念までも『交易』されている」
「……確かに、貿易都市と謳うくらいだから、ヤーファの刀鍛冶の技術が伝わっていても不思議じゃない」
玄関たる交港口を備えた独立交易自由都市なら、ヤーファからの商船を受けいれるのも可能だろう。むしろ、ヤーファ専用の検疫窓口が存在しても不思議ではない。
確かに、あの神剣の刀鍛冶も言っていた。元々は一子相伝の技術。
『折り返し鍛錬』は本来、大陸にある刀工技術ではない。
何かを思い出したように、リムは突発的につぶやいた。
「まだ私が傭兵の新米だったころ、ヴィッサリオンから聞いたことがあります。『かつて東の地には、――神を屠れる剣――ゼノブレイドを打つブラックスミスがいる……と」
ブラックスミス――それは、神の存在に干渉できる刃紋を打てる刀匠の事を指す。
しかし、凱の記憶にあるブラックスミスは生涯一人しかいない。
(……ルーク……君の力を借りる時が来たみたいだ)
凱の記憶に残る、一人の青年の姿。
ルーク=エインズワーズ。
後に神剣の刀鍛冶と呼ばれ、世界十大国宝の一人と謳われた人物。
「何か心当たりがおありですか?ガイ殿」
「当てはあるさ、ルーリック」
今まで後悔していた分、それを取り戻すための帰還。
凱のゆるぎない決意が握り拳となって現れる。
「今まで、俺は誰かに理由を押し付けて、この力を振るってきた。自分のしていることが、自分の振るうチカラの正当性を信じられなくて……だけど、今は違う」
きっと俺は……この力を、そして自らの行いを、誰かに定義してもらいたかったのだろう。
凱は目をひらめかせた。そして不敵に笑って見せた。
「本当の心の剣――神剣に挑戦しようと思う」
事象編集と原作改変をも可能にする、『素粒子――神への干渉』を実現した剣。
作者が決めた設定という名の運命の壁さえも切り裂ける……文字通り『神を殺せる剣』を。
訪れた試練をあえて挑戦と宣言した凱の言葉は、新たな物語の幕開けとなるだろう。
――だが、独立交易自由都市へ向かおうとする凱の動きを予測している集団があった。
『ブリューヌ・モルザイム平原・早朝・銀の逆星軍幕営』
一方、アルサスを撤退したテナルディエら『銀の逆星軍』は、モルザイム平原より少し南下したあたりに野営陣地を展開していた。
アルサス中央部にて凱との戦いを終え、テナルディエの目前へ帰還したノア=カートライトは、鎧の神剣ヴェロニカの刃を見せていた。
「――まさかアリファールで究極の硬度を誇る鎧の神剣ヴェロニカが、ここまで破損されるとは思っていなかったな」
砕かれた刀身を見つめるフェリックスの声に、わずかに驚きの色が混ざっている。
「え?」
「ノア――貴様は七戦鬼最強なのに、理屈はよくわかっておらんようだな」
気が付けば、ドレカヴァクがそばにいた。
「戻っていたか。ドレカヴァク」
先代テナルディエ公爵より使える『占い師』もまた、ノアと同じ『七人の戦鬼』のうちの一人である。
『鬼竜のドレカヴァク』――それがこの老人姿なる占い師の二つ名である。
「本来、竜は神の化身――竜具もまた神の武具の化身ともいわれておる。貴様の持つ鎧の神剣ヴェロニカは『神への憎悪』を芯としている為に、竜具に対しての絶対的優位がある。本来ならアリファールは木っ端微塵となり、そなたのヴェロニカは無傷のはず。だが、この損害とはな――」
過去に幾世代との戦姫と戦ってきたドレカヴァクとて、破損されたヴェロニカを見て、自身と凱のチカラの差を推し量る。
やはり、優性進化遺伝子情報を持つ超越体には、我等『ヒトならざるもの』には荷が重いのか。
それは、フェリックスもドレカヴァクと同様の考えを持っていた。
この鎧の神剣ヴェロニカと、ノアの持つ『鬼剣—ブレイドオーガ』の実力があれば、不殺の流浪者ごとき相手にもならない。それがフェリックスの予測だった。
(ハウスマンに聞いた通り――いや、それ以上の結果となったか。奴は腐っても『勇者』だった。腑抜けになってもまだその『芯』は腐っていなかったか。いや、シシオウ=ガイには『勇者』の中に『王』が眠っている)
――やはり、直に勇者を見てみなければ、結局わからないものだなと、フェリックスは感服する。
「もういいよ。戻っておいで。ヴェロニカ」
金髪の青年がそう告げると、心金にまでヒビが入っていた剣に光が宿り、あたりを満たす。
次の瞬間、光の中から少女の姿が現れて、『頭』に悲惨な光景を確認された。
ぼんぼん頭。見事なまでの爆発的……アフロヘア―
剣の姿と形をとれる女性型の悪魔は、大なり小なりその損傷は身体のどこかへ反映される。例えば、頭部なら、髪が短くなったり、今のヴェロニカみたいな『アフロヘア―』みたいな髪型になったりする。
「ノア、ガイはきっと、わたしたちのまえにふたたびあらわれる」
「そうなの?」
竜具を介して凱の根底にある芯を感じ取ったヴェロニカの感想。やはり凱に被害をかぶせられたことは、結局根に持っていた。
対して、フェリックスはそんな二人達のやり取りに何の気にも留めず、ただじっくり、何かを考えこんでいた。
「――ノア、一つ頼みたいことがある」
「はいはい」
笑顔で快諾するノアに、魔王フェリックスは告げる。
「ブリューヌに散らばる七人の戦鬼をランスへ集結させるのだ」
「閣下――それはまさか……」
傍らにいる側近、スティードの緊張じみた声が迸る。
「力ずくでも、『勇者』の中に押しこめられている『王』の姿を引きずり出したくなった」
ニタリと、フェリックスの顔が兇気の笑顔に歪んだ。
――さあ、貴様に隠された設定を見せてもらうぞ。ガイ――
―――――◇◆◇―――――
暁光が朝日へと姿を変え、まばゆいスペクトムが大空を紺碧にシフトする。
さて、場所は打って変わってアルサス郊外の一画地――銀の流星軍の幕営へ。
最も被害が甚大なところへ銀の流星軍を呼び寄せ、村の修復作業へ当たらせていた。
もっとも、ヒトの心にまで被害が及んだアルサスの中央部、セレスタでは町の『復旧』こそできても、心の『再起』まではいくまい。
しばし、癒す時間が必要なのだ。お互いに。
指揮官の幕営へ主要人が集まり、軍議用の机上には各勢力圏を記した地図が置かれている。
その地図を見るや否や、皆は厳しい表情のままで見つめていた。
結局、凱やリムアリーシャ、フィグネリア達は不眠不休で、現状や今後の行動について協議していた。ブリューヌ着陣を果たした銀の流星軍にとって、ジスタートを背にするアルサスはまさに重要拠点だ。あの時、フィーネがいったように、再びテナルディエ達がアルサスを奪い返す可能性もある。防衛陣の構成や戦術の再考慮、物資の補給、他勢力の潜伏、協議項目など検討すればいくらでも出てくる。
「やはり、一番の課題は『機械文明』の戦力に対してどうやって戦うかだな」
「――ええ、私たちは何度も敗北を架せられました……そして、私たちをかばってエレンは……リュドミラ様は……ティグルヴルムド卿は……」
敗北以外の何者でもない――暗く、冷たい逃避行。その惨めな撤退戦がいかなるものか、リムの沈むような口調から聞いて取れる。
治水から始まるディナントの戦い以降、踏み入ること二回目の戦場。
飛び交う銃撃の火線を潜り抜け、地獄のようなブリューヌより、命からがら抜け出して。
あの時、凱がアリファールをもって駆けつけていなければ、ディナントの平原で骸と化していたのは間違いない。
一通り軍議にキリがつくと、申し訳なさそうに凱が口を開く。
「みんな、俺の勝手な都合ですまないが、戻ってくるまでの間――頼む」
そう――彼らリムアリーシャ達が開いた軍議の詳細は、凱の抜けた穴をどう補うかでもあった。
竜具も超常的事象を引き起こす武具だが、銃火器もまた力学をものともしない超常現象を引き起こす兵器なのだ。そしてまた、ディナントの戦いで銃火兵力を圧倒した凱もまた、今の銀の流星軍に欠かすことのできない貴重な戦力である。今は防衛に徹し、凱が再び翼を得て戻ったときこそ、満を期して反撃に転じる時。
「任せてください!我等もガイ殿の帰還を心から待っています!」
まるで作者の執筆再開を待ちわびるかのような、ルーリックのエール。
そんなルーリックの、凱に心配させまいような気遣い。きっと不安もあるだろう。凱の抜けたその穴のことが。
だが――凱の独立交易都市出立に凱との同行を願い出る者もいた。
「あたしも行きます!一緒に行かせてください!」
栗色の髪の少女が真剣な面持ちで躍り出る。
「ダメだ!これは、俺一人で行かなければならない」
対して凱も譲らない。
これから訪れる独立交易自由都市とて、あの時取り戻した平和は、今とて平和である保証はない。
もしかしたらどこかの新大陸と交戦中か、あるいは勢力の小競り合いをしているのか――
「あたしは見届けたいんです!ガイさんの物語の行く末を!」
――――ティッタ。
栗色の髪の少女の、切望の一矢。
言葉が矢じりとなって凱の耳朶に突き刺さる。
「ガイ、私からも頼む!私も……お前のそばにおいてほしい!」
意外なことに、現実主義と打算行動を軸に動く傭兵フィーネからも、ティッタに乗弁してきた。
だけど、俺も折れるわけにはいかない。
「……それでもだめだ。フィーネは銀の流星軍を助けてやってほしい。ティッタもアルサスの人たちを励ましてやってくれないか」
勇者の頼みに傭兵は思わず歯ぎしりする。
自分にあれだけの仕打ちをしたアルサスの心配さえもする。
――そういうお前のお人よしは……死んでも治らないだろうな。
ならば、自分たちのすべきことは明白だった。
「――わかった。なら思う存分やってきな。お前が守りたいものは、私たちが守る」
その言葉は、まるで母親が子供を送り出すかのような――優しいもの。
いつも家を守ってくれる、大きくて優しい存在の……女性のみが抱く強さ。
「ありがとう」
たった一言。凱は言葉を返した。
数秒をおいて、凱は大空を見上げる。
すうっと深呼吸を行い、誓いの瞳を輝かせる。
それはどこか……絶望の今を乗り越えた先を見据えた――希望の光。
未だ誰も見たことのない原作を描く、ライトノベル勇者の使命を果たすために。
かつてないほどに、崩壊した原作を取り戻すためには勇者の剣を。
そのために。
――――――――舞台は独立交易自由都市へ!
心の中でそう決め込んだ凱の次の行動は速かった。そして、軽やかだった。
「風影!!!」
一人の青年を羽ばたかせるための大気予圧が吹き荒れる。
再び勇者はアルサスを去った。
しかし、かつて異端審問の時に抱いていた『後ろめたさ』は全くない。
彼の地へ想いを、過去を巡らせて勇者は再び戻っていった。
そして――――凱の『銀の流星軍』の一時離脱を察知した一団も、同時期に行動を起こしていた。
【ブリューヌ・ネメタクム・中央都市ランス・フェリックス=ボレール闘技場】
主の帰還に盛大に応えるように巨大な門が開き、広間が出現して、万を超える兵士たちが整然と並ぶ。
留守を預かっていたグレアストが、冷然されど深々と礼をしながら出迎えた。
「お帰りなさいませ、テナルディエ閣下」
「ただの『視察』に随分と仰々しい出迎えだな、グレアスト卿」
カロン=アンティクル=グレアスト――元々はガヌロンの腹心であったが、今は主の命令でテナルディエ家へ『借用移籍』している、機甲部隊の総指揮官。
「はて、おかしいですな。ノア=カートライトはてっきり共に合流する予定と思っていましたが……」
フェリックスの懐刀とも呼べる青年の不在に、グレアストは訝しむ。
この両者の共通点に残虐こそあるものの、その質には大きな相違点がある。
拷問処刑を得意とするグレアストには冷徹の、殺傷にはなんの感情を持たないノアには無邪気の、その違いだろう。
油断ならぬ相手がいないことに、さしものグレアストも緊張の糸を緩める。
「ああ、あやつなら、ブリューヌ各地に散らばる『七戦鬼』の収集に向かわせた。」
「なんと――――それは!」
フェリックスの言葉を聞き、グレアストの、そして並み居る兵士たちの間にどよめきが走る。
七戦鬼――フェリックス直属の精鋭部隊。
近日実行される『電撃作戦』において、王家要人の無差別暗殺のために組織された者たち。
ムオジネル、アスヴァール、ザクスタン、ジスタート、そしてブリューヌの王政国家を標的として。
彼らが招集されるということは……すなわち!
「そうだ。奴らがここへ集いし時――『ブリューヌ・ジスタート転覆計画』開始だ!」
「お……おお!」
それは、ついに始まるだ。
「とうとう……その日が!」
我らが夢見た理想郷を描く日が。
「おおおおおおおおおおおおおお!!魔王様あぁぁ!!!」
「テナルディエ万歳!ガヌロン万歳!」
訪れる戦を前にして、称えるかのように巻き起こるフェリックス・ガヌロンへの声。
「聞いたか!同志たちよ!ついに我らが『暁』を取り戻す戦いが訪れる!各自準備を怠るな!」
機を逃さず、グレアストが兵士たちに檄を飛ばす。
興奮はさらに高まり、やがてフェリックスの姿が見えなくなっても、彼らは声をあげ続けていた。
「聞いたか同志たちよ!―――か、グレアスト、貴様は少し演出過剰ではないのか?」
「一大勢力の参謀役はこれくらいがちょうどいいのです」
時代の闇に潜み、王政府の転覆をたくらむ革命軍――その結束を固めるには、単純な実行能力だけでは足りない。
フェリックスという『覇気』と、そして己が主であるガヌロンという『カリスマ』と、それによって高められる士気の高さこそが重要と、グレアストは考えていた。
「――――私が留守の間に頼んでおいた件はどうだ?」
「全て順調です。ああ、そうだそうだ!作戦決行にあたって、高性能の回転式機関銃が手に入ったのです。まだどこの国の軍隊も配備していない最新式でして、毎分の連射性能もさることながら、軽量化と射程距離拡大を可能とした一品です――東の武器商人が自信をもって進める一品だと……ぜひともテナルディエ閣下にもお目に入れていただきたく……」
それまで貴公子の仮面を被っていたグレアストの口調と表情が。熱を帯び始める。
「グレアスト。そのあたりの判断は貴様に一任する」
剣や槍をはじめとした白兵武器ならともかく、銃火器の目利きはグレアストのほうが遥かに適任。
フェリックスの『弱肉強食』や『テナルディエ家の威光』は、ただ単に財力と武力に偏ったものではない。
どんな方面でも、いかなる出自でも、能力のあるものは相応の地位と権限を与える。
徹底した実力主義をとることで、フェリックスはこの国家反逆軍の勢力を短期間で急成長させたのだ。
「いえ……だから……その……ぜひ閣下に見ていただきたく……」
「貴様に任せるといっただろう。それで十分だ」
貴公子の仮面をはがし、熱狂者の素面をさらけ出すグレアスト。それに対してテナルディエはうっとうしそうに引きはがす。少し寂し気な表情のグレアストがそこにあった。
「――ほんと、グレアストの旦那は『銃』となると途端に目の色を変えるんだから」
テナルディエの背後に、いつしか中肉中背の青年がいた。
魔王の影に潜み続けた魔物の姿。金喰い蛙とも呼ばれているヴォジャノーイが呆れた声をあげた。
「ヴォジャノーイか……早いな」
先ほどの通り、蛙の名にふさわしく、長い舌と異質なぬめぬめとした肌を持っている。
「そりゃあ、『勇者』を血祭にあげるって聞いたから、真っ先に飛んできたよ」
アルサスで敗北した屈辱を晴らしたいのだろうとテナルディエは察する。
かつてヴォジャノーイは、黒き弓を略奪する際にティッタを誘拐したことがあった。郊外まで出た矢先に凱と出くわし、銀閃殺法の餌食となった。
「落ち着けヴォジャノーイ。ホレーショーやノアが集まるまで待て……スティード、銀閃の勇者の動向は?」
ネメタクムへ到着するまでの間、フェリックスは早文を出し、スティードに凱の動向を監視するよう伝えていた。
「は!既にアルサスを出立し、遥か東の彼方へ向かったそうです。おそらく、ノアに折られたアリファールの代替えを求めているものかと――」
スティードからの報告を聞き、フェリックスは顎に手を当てて、しばし思考する。
「……となると、ガイは独立交易都市へ、刀鍛冶、エインズワーズの元へ向かう……か」
その一言を聞いて、ヴォジャノーイが敏感に反応した。
「エインズワーズと言えば、神を殺せる刀――神剣の刀鍛冶の二つ名を持つ、伝説の名刀匠じゃないか」
「流石ヴォジャノーイ殿、伝説や神話については右に出るものはいまい」
「いやいや、スティードの旦那、僕たち『魔物』の筋では神剣の刀鍛冶の名を知らないものはいないよ。むしろ、そういうのはドレカヴァクのほうが詳しいんじゃないかな?」
先のアルサスでの戦闘の際、フェリックスは凱のアリファールを一目見た程度だったが、それでもノアの神剣ヴェロニカを砕いたことも含め、破断したアリファールの『折り返し構造—本三枚』を目視したことから、『竜具』の作り手が神剣の刀鍛冶であることを見抜いた。
先ほどから黙っていたドレカヴァクは一人ほくそ笑む。
(竜具だけではない――抑止力の聖剣デュランダルもエクスカリバーも人間の手で造られたことを)
この地上にはない物質――はるか天空にそびえたつ、古代の人々が『宇宙』と呼ぶ城に蓄えられた『命の宝石』を使って竜具は造られた。
ブリューヌの神話や伝承では、かつて精霊の手かからシャルルへ譲渡されたことになっている。
しかし、事実は伝承とは違う。
そのことを知っているのは、この世界ではおそらくほんの一握りしかいないだろう。
今度はテナルディエが語り掛ける。
「とはいえ、勇者にとって剣は身体の一部も同然」
新たな剣を求めるにしても、鍛えなおすにしても、刀身を預けるならば、心を許した刀匠の元に辿り着くのが道理。
「しかし、『銃』もつくづく間抜けだね」
「ああ」
間髪なくヴォジャノーイが悪意を持って告げる。
中肉中背の彼が『銃』と呼ぶ際、凱に対して皮肉を聞かせて呼んでいる。
アリファールの主を『銀閃の主』や『剣』と呼んだり、ラヴィアスを『凍漣の主』と呼んだりしているのと同じように。
「閣下、それは一体どういうことですか?」
問いかけるスティードにテナルディエに代わって、この場で唯一事実を知るヴォジャノーイが答えた。
「神剣の刀鍛冶の真なる伝承者――バジル=エインズワーズは、とうの昔に死んでるんだよ」
【独立交易自由都市・工房リーザ・上空近辺】
アリファールの竜技――『風影』による超高加速を平然と耐えながら、かつてオステローデからディナント平原へ駆けつけたのと同じ要領で飛行中。生命体の耐熱を奪いかねない流動的風量にさらされながらも、身体には全く異常は感じられない。
気流による飛行進路を見極める――宇宙飛行士時代におけるテストパイロットの訓練で養ったならではの能力だ。
(決して踏むまいと思っていた独立交易都市の大地……だけど、この折れたアリファールと俺自身の心を打ち直すには、ここへ来るしかなかったんだ)
自分にそう言い聞かせながらも、やはり『過去』への記憶はぬぐい切れない。
だけど、自分はその過去も含めて決着をつけにきた。
数刻の空中走破をやり遂げると、凱の青い瞳に懐かしき都市の全景が姿を現す。
(見えてきたな――)
分厚い雲海を『泳いできた』ことを思うと、なぜかサルベージャーのことを思い浮かべてならない。最も、宇宙飛行士も星の海を泳ぐ意味では、サルべージャーと大差ないかもしれない。
ふわり――
くるり――
一舞してアリファールの風による空力特性を、安全着地するために気圧を初期化する。前転と側転を織り成して凱の長髪がさらり――と躍る。
すたりと――着地を終えて、凱の尋ね人である鍛冶師の住処の門をたたく。
(独立交易都市を出るにあたって、あんなこと吐いちまったけど……ええい!覚悟を決めろ!)
過去の出来事もあり、何の変哲もない木製戸が、なぜか分厚い鉄扉にも見えてしまう。
コンコンと心地よいノックをする割には、どこか緊張の音を隠しきれていないようにも思える。
「どちら様ですか?―――――――あ」
開かれた扉の中から赤い髪の女性が現れる。しかし、戸を開いた先の人物にその目を奪われた。
くすんだようなティグルの赤い髪とは異なる印象を与える――まるで情熱を燃やすかのような見事な赤色の髪を。
「やあ―――セシリー」
「……ガイ?……本当に……ガイなのか?」
瞳に涙を浮かばせつつある女性――セシリー=キャンベルが出迎えたのだった。
「――――この……馬鹿あぁ!」
「セシリー?」
「今まで……今まで何処へ行ってたんだ!?この……馬鹿!!」
「……あの時は黙って独立交易都市を出て行って……御免」
そうして――セシリーは凱の胸元で幼子のように泣き続けた。
まるで……親とはぐれた子供が、突然の安堵の為に泣き崩れたのと同じように。
紅い髪の少女、神剣の騎士セシリー=キャンベル。エインズワーズという、嫁ぎ先の姓を併せ持つ
独立交易都市の英雄。
戦闘力など皆無に等しかった彼女は、鍛冶師を営むルークと出会い、数多の試練を重ねるうちにヴァルバニルを封印せしめるほどの力を得て英雄視されることとなる。
数え切れる屍の犠牲を払って得た平和。阿鼻叫喚の戦乱を沈めた彼女は、代理契約戦争の後に訪れた新大陸からの侵略撃退にも貢献。一騎当千の活躍を遂げる。
とにかく彼女は、市民を守ること、何より生命を守るという使命に燃えた。
――目に映る人々を全て守る――
自らの赤い髪に誓いを立てるように、赤い瞳にも決意の輝きが滲んでいた。
だが、その決意と誓いは永久に果たせぬものとなった。
――獅子王凱の突然の失踪――
その人は、文字通りの勇者だった。
私なんかと比べるよりも、あの人がもっと称賛されるべきだった。
目に映る人々を全て救う。その誓いをいつしか凱に縛り付けていた。
だけど、今にして思えば、凱へ架した苦しみを想うと、私の誓いなど子供じみた、とるに足らない約束かもしれない。
一人の命を救う為に、一人の人間を犠牲にするその矛盾。
そして、セシリーは傷ついていた。
自分の活躍の裏に、自分の知らないところで、凱が『独立交易都市永久追放』の処分を受けていたなんて――
私は愚かだった。
愚かゆえに、ガイを失ってしまった。
だが、今はこうしてガイは来てくれた。
何のために来たのか分からない。しかし、今はそんなことどうでもよかった。
ガイは生きていた。例え自分たちの気が軽くなるとしても、それがわかっただけで充分だった。
そして、先ほどからセシリーが抱いている『小さな命』の姿が凱の視界にはいる。
「――子供が……生まれたんだね。おめでとう!セシリー!」
アリファールを布に巻いて隠し、荷物用として擬態させて壁にかけている。
常に風を巻くアリファールなら、長剣のような形を布に残すこともないし、風船のように若干膨らませれば、背負い型の袋に見えなくもない。
ともかく、いの一番に凱から祝福の言葉をかけられたセシリーは、うれしさのあまり顔をほんのり赤らめた。
「ありがとう――この子の名前はコーネリアス。女の子だ」
――そうか……ルークとセシリーはもう、『平穏』を得ていたんだな。
布にくるまう赤子を抱く母の姿はまるで、一枚の肖像画のよう。
「そういえば、ルークの本業……いや、工房リーザの本業は実用品だったな」
見れば、見本の出刃包丁や農作業用のクワが並べられている。家に入る前の隣庫にも、原料となる廃材品が並べられていた。元々は刀をも打っていたが、ルークの父君、バジルが亡くなられた際に廃業したのだという。
事実、代理契約戦争を終えた今の時代では、白兵戦の武具注文は無いに等しい。現在は包丁や鎌などの生活用品を打って暮らしている。
凱がここを訪れた際、ルークが打ったという包丁を手に取ってみたが、その見事な出来栄えは、かの『神剣』と同等の潜在性を秘めていた。
その技術は確かなものだった。
彼の腕は本物だった。
父親に引けを取らない……どころか、バジルを古くから知っているハンニバルも恐らく太鼓判をおすだろう。「神剣の刀鍛冶を名乗ったらどうだ」と。
そう―――凱がここへ来た理由はまさにここであった。
彼ならば、折れたアリファールを打ち直すことができるんじゃないかと。そう思ってここ、工房リーザへ訪れたのだが――
「もうじきルークとリサも帰ってくると思う。一度、ルークにも会っていってほしい」
「――すまない、俺……そろそろ行かなきゃ……」
「どうしてだ?二人とも、きっとガイに……ううん、絶対にガイに会いたがっている。私がそうであったように」
切ない声で凱を引き留めようとするも、刀鍛冶の家族たちの実情を見ると、これ以上とどまるわけにはいかない。
獅子王凱は、命の重さを知っている。
だからこその決断なのだろう。
下手をすれば、ルークやセシリーだけでなく、その赤子にさえ危険を晒しかねない。
「俺がここへ来たのも、何というか、その――セシリーの顔が見たくなっただけなんだ」
我ながら、随分と不器用な言い訳だ。
「……でも!」
あまりにもあっさりしすぎた凱の返答に、むしろセシリーのほうが戸惑いを覚えたほどだった。
「家族みんなで幸せに、セシリー」
そう言って、凱は改めて一礼した。
「だぁ、だぁ、だぁ」
つたない幼子の声。くすぐったい……愛しい子の声。
まるで、凱を送り出すかのように、笑顔で手を振るコーネリアスに、凱はにっこりと笑い、その場を立ち去った。
セシリーと別れ、工房リーザを後にする。
独立交易都市の中心部に向かうまでの間、凱は街道をふらつきながら思案する。
(仕方がない。アリファールの再鍛錬はまた一から出直しだ)
フィグネリアが同席していたら、凱のあまりにあっさりとした態度に、火山のごとく感情を爆発させたのかもしれない。
が――凱が改めて再出発を図るには理由があった。
確かに新たなアリファールはどうしても必要だ。
しかし、一つの家族の幸せを、あえて危険にさらしてまで手に入れるほどの……天秤にかけてもいいものだろうか?
刀を打つ人間にも、カタナを振るう人間にも、双方とも魂の宿らぬ駄痴となる。
そんな状態では、どのみちフェリックスや、アリファールをへし折った張本人であるノアとは戦えもしないだろう。
新たなアリファールは、新たな勇者は、既存の力を越えなければならない。
(……とはいえ、どうしたものだろうか?)
そこで凱には一つの提案が生まれた。しかし、それはアリファールを打ち直すことができたとしても、これまでのアリファールを超えることはかなわないだろう。
素粒子の折り返し鍛錬を可能とする人間は、凱の知る限りでは世界に一人しかいないのだから。
――正直言って不安だった。
ルーク以上の存在の刀鍛冶などこの世に存在しない。
「……あ?」
考えながら歩いていた矢先に、風車玩具売りの屋台が視界に入る。頬に吹き付ける風が、妙に優しい。
流石は世界の交易口、独立交易自由都市。売られている風車も、彩り鮮やかなものが多い。
きっと、風を操る竜具アリファールも凱に告げているのだろう。「もう少し肩の力を抜いて」と。
「それじゃあ……」
目の前の難題は置いといて、凱の顔に笑顔が戻る。
「これを一つください」
小さく可愛らしい、色鮮やかな風車。きっとコーネリアスも喜んでくれるかな。
そんなことを思い返しながら、凱は風車を指して言った。
NEXT
後書き
次回は「安息を喰らう非情なる刺客!ヴォジャノーイ再戦!」です
用語集【ソウル】【トリプルゼロ】【竜具】【この物語の創世神話】
前書き
今後の展開を含みますのでご了解ください。
本作オリジナルの設定となっています。
用語集
※ネタばれを含みますのでご承知くださいませ。
ソウル:フリージング
あらゆる生命体(細菌類含む)が持つ活動エネルギー。このエネルギーが抜けた素粒子は活動を停止、生命体でいうところの『完全な死』につながる。一言でいうならば、『素粒子の霊体』。生を全うした生命体の記憶を宿すこともあり、前世の記憶をもったまま生まれる個体もあるという。素粒子学者であったアオイ博士は、後に異世界転生と呼ばれる原理はこの素粒子の存在によって解明している。レジェンドパンドラのエネルギーバイタルとして、超巨大ストレージに収容されていたが、同質次元論による一方世界の滅亡を前にして、このソウルをめぐり、並列世界同士の戦争が起きる。ちなみに、凱のイレインバーセット時であるアスタル=オブ=アンリミテッドのチカラは、このソウルによるもの。素粒子から抜け出たソウルのエネルギー量は、後述する聖痕の何倍、何十倍ものであり、レジェンドパンドラはそのソウルを大容量ストレージ(いわゆる外付けハードディスクみたいに保存)に収納している。必要時にはそのストレージからソウルを抽出、運用している。
トリプルゼロ:勇者王ガオガイガー(WEB小説掲載の覇界王~ガオガイガー対ベターマン)
のちに宇宙そのものとなるエネルギーのカタマリ。一言でいうなら『素粒子の亡骸』。あらゆる概念を持たないため常に暁の輝きを放つ。一気にトリプルゼロが放たれると、宇宙の開闢から終焉の時を一気に駆け抜けるとされる、多元的終末論の素粒子。すなわち宇宙創造の炎そのものでもある。ジェネシックオーラの元はトリプルゼロとされており、ジェネシックは『宇宙の摂理を体現するに』もっとも適した接触端末と化し、生命全てを光にする存在へと成り果てた。
ソウルの抜けだした素粒子がトリプルゼロにあたる為、トリプルゼロからソウルが抜け出す現象は『素粒子の幽体離脱』ともいえる。ティグルが駆る黒弓は、トリニティ=フェイスロール=ナイトメア=ファルメル=プロセッサーの管理するゲートからトリプルゼロを吸引、矢に付着することで『素粒子への干渉及び破壊』を可能にする。直視の魔眼ならぬ直視の魔弾たりえる理由はこれによるもの。あらゆる素粒子形状や記憶媒介を終焉まで加速、到達させる初期化の力を持つため、この理論上あらゆる敵を射抜くことを可能にしている。
(アニメ版12話にて、テナルディエを撃つ際に、ティグルがトリプルゼロに浸食されかけていた。瞳の暁色から見て取れる)
Gストーン:勇者王ガオガイガー
無限情報サーキットとも呼ばれる命の宝石。原石であるGクリスタルと、緑の星の申し子ラティオの能力をもとに、父カインが造り上げた。
竜や獣、そして人をはじめとした、あらゆる生命体の遺伝子情報が内包されており、その性質を利用して様々なインプラント治療が施された。実例はサイボーグガイ、ヴァルナ―、サイボーグルネ。(余談だが、このインプラント療法はゾンダーメタルによるストレスの昇華からきている)心臓の代替えすらも可能で、これにより凱たちサイボーグ医療体にとって生命線となった。アオイ博士はこのGストーンの特性を応用し、暁の終末論で崩壊した地球環境及び、かつて存在していた生命体の再生を図った。魔弾の王と戦姫や聖剣の刀鍛冶に登場する人物は全て、少なからずGストーンの素子を含んでいる。そのため、凱はこの世界にとっては生まれながらの『王』ともいえる。(だが、凱にとって『王』とは戦慄すべき言葉でもある為、もしかしたら、心変わりして皆を支配してしまうのではないかという、自分自身のチカラと存在について恐れていた)しかし、本質的にはゾンダーメタルと同じため、Gストーンに適格せず、成れの果てと化した被験者『異形の存在』も生まれた。それが後に戦姫と対峙することとなる『魔物』である。フリージングの時代に残されたGストーンはやがて、崩壊した世界を管理再生するためのプロセッサーとして再利用される。このGストーンは分割した状態でも、その機能を保ち、なおかつ相互作用をもたらすリンク機能を持っている。キズナ的な性質は後に竜具やティル=ナ=ファの誕生へつながることとなる。フツヌシを起動させ、世界樹を創造し、天使の梯子を上って庭園へ辿り着いたハウスマンは、特殊なGストーンに触れて、数多の知識を手に入れた。機械文明も素粒子理論も、後に死言を遺伝的に伝える特殊な悪魔契約も、その知識から発展させている。かつて地球人類がギャレオンのブラックボックスから、新たな概念図を会得してガオガイガーを造り上げたように、ハウスマンもまたGストーンから得た知識をもとに、難民たちを救い上げ続けていた。
(原典は、世界樹ユグドラシルの頂上についたオーディンが、あふれ出る叡智の泉の水を飲み、知識を得たといわれている~から)
生命体の誕生~それぞれの原作へ。:フリージング原作終了後~聖剣の刀鍛冶、魔弾の王と戦姫開始前。
地球歴2012年から2064年に続く現代まで、人類は異次元体『ノヴァ』という共通の敵を倒したにも関わらず、お互いを敵と認識し殺しあっていた。核燃料や太陽光よりも確実に、より効率的にエネルギー供給を可能とする異世界物質『聖痕』をめぐる醜い争い。各国が血を流し、魂を砕き、涙さえも乾く戦いの中、アオイ博士は絶望しきっていた。幼い人類の変革の無さを。世界を作り変えるという欲求を抱き、ついにアオイ博士は聖痕を用いた『相転移実験』を行ってしまう。結果、門の向こうから終末炎が溢れ、こちらの次元宇宙全てを洗い流しに来たのだ。結果、すべての生命と文明の遺産は並列世界の彼方へ飲み込まれてしまった。それはあたかも、神々の黄昏ラグナロクを彷彿させる炎のように。
早まった己の行いを悔い、アオイ博士は自らの消滅を願った。しかし、ソウルそのものと化し、マテリアルを失ったアオイ博士にはそれが出来なかった。だからアオイ博士は償うことにした。世界と生命の再生を。贖罪を果たせぬ人ではなく、あらゆる罪を背負う『神』として。
まずは世界の再生。最初にアオイ博士は、滅びた世界にガーゼを駆けるように、地球表面の上に新たな世界を創造した。それは、かつてGGGのディビジョン艦の瞬時物質創世艦『フツヌシ』の、わずかに稼働している『創世炉』を利用したものだった。素粒子と組織構造さえ把握していれば、あらゆる物質を創造可能なその艦のチカラによって『幻想の大地』を造り上げた。
次にアオイ博士は、新たな生命の創造を開始した。
トリプルゼロとソウルが結びついて『素粒子—モナド』が再生。そこにGストーンの欠片を混ぜ合わせて生まれたのが、この世界の新たな生命体。地球上に恐竜が生まれたように、新世界に生まれた最初の生命体が『竜』だった。フツヌシに頼らなかったのは、アオイ博士による『ある』推測からだった。ともあれ――
竜はやがて次第に大型のものへと変化し、ある程度個体数が増えると、そこから獣、原初人類、そして知的活動を行う人類が誕生した。
しかし、自然に生まれた新人類の未来と行く末を、アオイ博士は信じていなかった。夢は誰にでも刷り込まれた欲求にして衝動だ。その夢が欲に変わり、かつての自分や旧時代の人類のように、世界を汚しては壊しつくすのでは?そこでアオイ博士はある種の優生進化に似た計画を思いつく。
それは――知的生命体が生まれながらに持つ『夢』と欲求を統括、循環させ、やがて全生命体に良い方向へ進化させていくものだった。
元々この新人類たちは、Gストーンの素子をも受け継いで生まれている。そして前述したGストーンのリンク機能を応用してアオイ博士は人々の夢を統括、循環させようとしたのだ。
人は何かに成ろうとする。夢に善も悪もない。純然たる衝動で動く生き物。竜や獣のような本能で生きる生き物ではない。(奇しくも、凱がシーグフリードに「『本能』よりも『衝動』を選ぶか。それもいいだろう」と告げている)人のあらゆる夢と欲求を司る制御機構Gストーン端末『ジルニトラ』がその要だった。世界再生機構三大制御端末の一つ『(父)ペルクナス』『(魂)ゾーリア』『(子)ジルニトラ』のうちの一つを利用するもの。Gストーンの素子は、あらゆる淘汰圧や外部からの経験情報、感情を信号として受け止め、蓄積する性質を持つ。受信した記録は、その生命体が寿命を終えると送信し、ペルクナスの元へ届けられて適格化した進化の譜面をる。それをゾーリアが『受信したコードをもとに新たな進化コードを脳細胞が出来上がりつつある胎児』に刷り込ませる形で送信する。そして生まれた生命体の感情をジルニトラが管理する。
『父ペルクナス』が命の律動を伝え、『魂ゾーリア』が命に子守歌を聞かせ、『子ジルニトラ』が目覚めの歌を告げる――という形で。
このカタチだと、悪い夢も区別なく蓄積される可能性がある。この辺はアオイ博士の賭けだった。もし、神の介入をもってしても、破滅の未来につながっていくとしたら、それは人の持つ本来の性質が悪そのものであるためである。強引に進化の方向を定めようものなら、生命体の遺伝子歴史がいびつな形となり、かつての機界生命体のような脅威が訪れるからだ。ヒトの夢見る理想郷が良いものなら、それは良いものとして循環し、本当の理想郷が生まれるとアオイ博士は信じていた。
しかし、そこに神と呼ばれるアオイ博士の『誰もが笑って暮らせる、飢えをしのげ、人の行き来が盛んな理想世界』は存在しなかった。
結果的にだが、このアオイ博士のまわりくどい計画も頓挫に終わる。神の編ませた律動計画をもってしても、人間の本質は変えられなかった。
新たな人類となった彼らもまた、旧世代の人類、つまり、アオイ博士のいた時代の人間と同じように、剣と馬を操って殺しあっていた。大地を汚し、空を濁しては、その戦火を徐々に広げていった。そんな世界にアオイ博士は絶望しきっていたのである。
フツヌシからヤコブの梯子をつくった初代ハウスマンもまた、その絶望にあえぎ、苦しみ、世界と神の答えを求めて世界樹を上ったのだ。この世界を作った神に答えを求めて、己のチカラだけで蒼氷星に辿り着いたのだ。
壮絶な想いで世界樹の頂上に辿り着いたが、神に会うことは叶わなかった。
だが、初代ハウスマンは『蒼氷星に辿り着いた証』として、神の叡智を結晶化したと伝えられる『賢者の石』を手に入れた。
『ガオファイガー』という名の聖鎧に納められている、聖痕とGストーンの複合構成物。Gストーンとはいえ、ボルトテクスチャーという質量具現化する聖痕の性質も含んでいる為、当然のごとくハウスマンの心に住み着いていた『絶望』と『心の壁』が表面、実体化してしまう。そうして生まれたのが初代ガヌロンと呼ばれるマクシミリアンだ。ガヌロンはハウスマンの願いを叶えようと、ガオファイガーのすべてを以て破壊しようとした。しかし、ハウスマンは目の前のガヌロンを否定する。そんなことは望んでいない。お前が望んでいるすべてだと。二人の戦いはすさまじく、神の御座―――プロセッサー制御保管室も破損を免れず、人類補完の為のあったプロセッサーコア3つは砕け、どこかへ飛び散ってしまった。『ペルクナス』は行方不明となり、『ジルニトラ』は8つに砕け、『ゾーリア』は3つに砕け散り、地球へ流星のごとく降り注いだ。
『竜具誕生~シャルルとティル=ナ=ファの邂逅』
砕かれたジルニトラは8つの流星となり、とある丘へ降り注いだ。実際に地球で流星が降り注いで恐竜が滅びた歴史をたどるように。竜同士の戦争がまだ続いており、生き残りの一匹の竜が隕石を食った。その竜の鱗はやがて七色に輝いたのち、暁のような黄金色の鱗を纏うようになった。その竜は言葉を操り、大気を従え、凍漣の大地を踏み砕く等、超常の力を従える存在となった。眼を焼き尽くすような鱗を持つ三つ首竜を人は『暁の聖竜—スペリオル・ドラゴン』と敬称した。流れること幾星霜。黒衣を纏った一人の男が、自分の仕える国から『竜殺し』の依頼を受ける。暁の聖竜は、存在するだけで地表のすべてを焼き払う災害をもたらす小型の太陽だったからだ。暁の聖竜から授かった宝石(砕けたジルニトラのプロセッサー)を見て、『この宝石を原料にすれば、神々の黄昏すらも討ち払えるような想像を絶する武具ができるかもしれない』と思い、刀鍛冶が盛んな村(のちに独立交易都市として興る)へ赴くこととなる。蒼氷星から帰還していたハウスマンは、黒衣の男に『竜具』を作るよう依頼する。この戦乱を沈めるための護神刀7つを作ってくれと。黒衣の男もまた、後に現れるであろうヴィッサリオンと同じ夢をもっていたのだった。(獅子王凱とアリファールを介して邂逅した時、黒衣の男はその心中を吐露している)ハウスマンは承諾する代わりに一つの条件を持ち出した。自分に代わってこの『聖剣』で黒竜ヴァルバニルを封印してみろと。約束を果たして七日七晩鍛え上げた竜具を手に入れた黒衣の男は、西の地へ赴いた。それは、後に黒竜の化身を名乗る彼への皮肉とも取れた。(原典は、日本神話におけるヤマタノオロチから)
さらに流れること数年後、西の大陸は人(上の世界の幻想の大地)と魔(下の世界の現実世界)の抗争状態にあり、ただ存在のみを賭けて互いの住む世界を駆けて争っていた。やがて『人』と『魔』の均衡がくずれ、魔の勢力が人に王手をかけていた。そこで一人の巫女が『人』に助けを求めてきた。『人』は『魔』に対して何もできなかったが、ジルニトラという神殺しの三つ首竜を頼った。その三つ首竜の正体は、ゾーリアのプロセッサーコアを喰らった、暁の聖竜が変質したものだった。黒衣の男に力を譲渡したために、一つの属性を残して黒い鱗に変わったためである。
こうして人は魔との全面戦争へ突入していくこととなる。
その頃西の大陸の中央部では、シャルルという一人の男が邪教徒討伐に併走していた。かつてハウスマンと壮絶な戦いを繰り広げていたガヌロンと出会い、各地を流浪し転戦していた。その中でシャルルは黒衣の男と運命的な出会う。黒衣の男の実力を目の当たりにしたシャルルは――
「どうだろう?そのチカラ、俺たちにも貸してくれないだろうか?」
「竜具とやらのチカラは素晴らしい。その竜技というのも、学びたいこともある」
と直球に説いてみたのだ。黒衣の男は次第にシャルルの気質に惹かれ、ガヌロンと共に力を尽くすこととなる。しかし、ガヌロンはこの黒衣の男に異質な興味を持っていた。出自も竜具も含めて。それから3人は転戦していくうちに、アルトリウス、ティッタに容姿の似た『力の巫女』、他の仲間たちが加わっていき、ついに『魔』の巣窟たるフツヌシの中枢に巣食う元凶、魔物たちとの決戦に挑むのである。戦乱の元凶となった七体の魔物――コシチェイ、ドレカヴァク、ヴォジャノーイ、トルバラン、ルサルカ、ズメイがそれを守っていた。彼ら魔物も目指していたのだ。蒼氷星を目指して『我等だけの世界』という願いをかなえてもらうために。
そしてついに、『人』と『魔』はそれぞれ最強の特使を召喚しあう。
力の巫女が竜具と共鳴をおこして、天使ファイナリティ・ガオガイガーを。
魔物が女神の命に従い、儀式を行って悪魔ジェネシック・ガオガイガーを。
限りない破壊と再生の輪廻と共に、巨人同士の織り成す神話は始まった。
「そうだ!それが貴様のチカラだ!創造主が望んだ本当のチカラだ!」
「ちがう……あたし……は」
こうした最終決戦では、大陸の影響を考慮して力を抑えていた巫女だったが、それを『魔』に見抜かれてアスヴァールに攻撃したことで『トリプルゼロ』の力を不完全な形で引き出してしまう。『魔』を倒すことはできたが、鋼鉄巨人の戦いはすさまじく、7つあった世界大陸のうち、3つまでもが海のモズクとなって沈んでしまう。巫女としてのチカラが結果的に多くの命を奪ってしまったことがトラウマとなり、自らの人格と力を封印し、黒衣の男の竜具『エザンディス』によって平和な時代となった未来へ流されていった。(300年後のアルサスの森へ流れ着き、子供のいない巫女の家系たる夫婦に引き取られた)後にこの赤子はティッタと名付けられる。
一方、シャルルとガヌロン、そして黒衣の男はそれぞれの今後と決意を打ち明けていた。
シャルルはガヌロンの具申に従い、弓を捨てる……というよりも、未来へ託す形で聖窟宮に封印する。いつかまた人類が、この弓の力を必要とする時が来るかもしれない。その意味も込めて。
黒衣の男は西の地を平定するために黒竜の化身を名乗り、紛争地域へ赴く。今度は『人』同士の混沌時代が始まったのである。
地球という蒼くも美しいパンドラの箱の中身は、絶望の一色に染まっていた。そのために、アオイ博士はフリージングをかけてオービットベースと自分自身を完全に停止。完全なる『傍観』で、地球の行く末を見守ることにした。
そんなアオイ博士……神の卑屈な精神によるものなのか、事態は一変する。
やがてそれぞれの原作には、セシリー(聖剣の刀鍛冶)やティグル(魔弾の王と戦姫)といった、原作に光をもたらす主人公の存在が生まれた。
世界を統括する宇宙庭園は、いつしかジスタートでは、冬の間にだけ現れる蒼氷星と呼ばれるようになった。(偶然かもしれないが、蒼氷星の『蒼』とアオイ博士の苗字である『アオイ』は『蒼い』ともとれる。氷=フリージングの意味も兼ねる。それだけでなく、ディビジョンフリートのリート部の意味も含まれている)
神の眠るその星に矢を届かせたものはどんな願いでも叶うと伝えられ、それはティグルが『バートラン』をきっかけにして魔弾の射手に覚醒したことで現実となった。アオイ博士……神は語る「ティグルヴルムド――――そなたは何を望む?」と。
テナルディエの左腕を吹き飛ばした際、トリプルゼロを纏わせた一矢が、成層圏を突き抜けてフリージング領域に守られていたオービットベースに突き刺さったのである。
この時、閉ざされていたはずの『オレンジサイト』の門が起動した。同時にアオイ博士も目覚めたのだ。ティグルが黒弓でかき鳴らした弦の音で。神話上の女神(ティル=ナ=ファ)を揺り起こすはずの黒弓は、実在する神(アオイ博士)の目覚めを呼び起こしたのだ。
神はふと一欠片の……いや、一粒の希望を抱いた。「もしかしたら、この原作達は変わるかもしれない」と。
(生命の誕生の原典は、北欧神話における生命の誕生――火と氷の融合から)
竜具:魔弾の王と戦姫
黒竜の化身が己の妻たちに下肢与えたと伝えられる超常の武具。(基本設定は原作を参照のこと)
長剣、槍、錫杖、双剣、鞭、斧、鎌の七種類あり、全てに竜の牙の如き『刃』が備わっている。(わかりにくいが、錫杖にも仕込み刀という形で刃が収納されている)竜具を持つ戦姫は公国を統治する権利を与えられ、その階級は王に次ぐ。貴族は戦姫の下ともいえる。
竜具には自然界に属する力が宿っており、銀閃、凍漣、光華、煌炎、雷禍、羅轟、虚影の力を宿している。竜具の意志の中枢ともいえる『コアクリスタル』が元となっており、本来は新人類の『感情』や『夢』を統括するプロセッサーだった。機動部隊だった竜シリーズのGストーンを一つに凝縮したものであり、風や炎を巻き起こせるのはその名残であるため。(余談だが、その竜具の対抗策として製作された不敗剣も、ゴルディオンモーターの原理を使われていると思われる)
竜具を以て初めて可能となる超技の竜技は、竜の部位を模したものとなっており、本来の竜の技は『最強の極輝』そのもの。そもそも『暁の聖竜』からであるため、それぞれには『降魔の斬輝アリファール』・『破邪の尖角ラヴィアス』・『退魔の祓甲ザート』・『討鬼の双刃バルグレン』・『砕禍の閃霆ヴァリツァイフ』・『崩呪の弦武ムマ』・『封妖の裂空エザンディス』となっている。アリファールの場合は竜の牙アリファール。竜の翼ヴェルニー。その翼の派生である羽毛リュミエール。竜の息メルティーオ。竜の角コルティーオ。竜の尾クサナギ。竜の爪レイ・アドモスがあり、竜の技としてレイ・アドモス・アンリミテッド、異界竜具からなる竜の門レイ・アドモス・ロード・オブ・アンリミテッドがある。本来の原作にはなかった展開により、世界に危機が訪れると、その救済処置として独断で戦姫から勇者を選ぶ時がある。アリファールは獅子王凱へ。ラヴィアスはリムアリーシャへ。バルグレンはサーシャからフィグネリアへ。エザンディスはミリッツァへと。その場合は戦姫から勇者へ呼び名が変わる。それに伴い、竜具の形状が若干変わる。(旧魔弾の竜具デザイン→新魔弾の竜具形状へ)勇者にしか使えない竜技が解禁され、原作崩壊をもたらす敵と十分に戦えるようになる。
(原典は戦乙女が勇者の魂を導く北欧神話ヴァルキュリアのエインフェリアから)
戦いの道具に使われるようになっても、人の夢を蓄積するプロセッサーの役割も生かされており、この点も竜具の判断基準となっている。例外的なラヴィアスもまた例外ではなく、その選定の仕方が特殊なだけである。そのため、病に侵されていても、自身の野望の為に国を割るような戦姫ですら竜具が手元に残ることもある。一度戦姫の手元を離れた竜具は、戦姫から培った淘汰圧や外的経験、感情までもペルクナスへ送信し、ゾーリアを介して新たな進化譜面を受け取り、新たな選定基準を以て次世代の戦姫の前に現れる。このたびに、竜具の記憶や経験はいったんフォーマットされ、バージョンアップしていく仕組みである。
ミライトーク『機械文明』
それは、ブリューヌ国内のネメタクム……正確には、地下世界である魔大陸より浮上した『物質瞬時創世艦フツヌシ』をめぐる事変によって、ティッタがガヌロンに拉致されたことから始まった。
徹底的に自分の無力さを叩きつけられたティグルは、エレン等戦友の叱咤激励を受け立ち直り、ブリューヌ王ファーロンから『魔弾の王』の知られざる伝説を告げられる。
――かつてその弓は『黒』ではなく『暁』の輝きを放っていた。そのチカラを制御しきれなかった始祖シャルルは、ブリューヌ王家に伝わる霊堂『聖洞宮』に、『力のティル=ナ=ファ』を封印したと。
それぞれの過去を明かしながら、様々な試練が訪れるものの、力を合わせてそれらを乗り越えていくティグル達。そしてやっと聖洞宮に辿り着いたが、突如シャルルと思しき幻影に襲われる。絶体絶命の危機に際して、同行していたエリザヴェーダ=フォミナ――リーザがついに戦姫……もとい、勇者としての産声を上げたのだ。――もう……自分を誤魔化して誰かが傷ついていくのを『この目』で見ていくなんて、もういやだ。
赤い髪の少女の声に呼応するがごとく、唸りを挙げるリーザの右腕。
その右腕は、かつてバーバ=ヤガーに祈りをささげて奇術を施された、呪われし右腕。
だが、そんな印象を焼き払うがごとく、リーザの右腕には『雷紋様』が輝く。
まさにそれは、古より伝わる『雷神の右腕』のように。
――自由でいいのよね――
――この『姿』も――
――この『瞳』も――
――何もかもが自由でいていいのよね――
――そうでなければ、私がこの世界に生まれてきた意味がない――
――教えてくれてありがとう……ウルス!!――
それは、雷禍の閃姫からの、せめてもの感謝。
気づかせてくれた若者への言葉。
対してティグルもまた、想いあふれる言葉を返したのだった。
――俺も大好きだ!!リーザ!!――
――エレンのことも!!ティッタのことも!!君のことも!!――
好き。その言葉の匙加減は、言い放った本人にしか分からないだろう。
差別がない。かつて、少女は生まれながらに持つ『瞳』によって、光と影の差別を受けた。
きょとんとしたリーザの表情。まるで、『猫』が豆鉄砲を喰らったかのような顔。
今になって思えば、あれもいい思い出だといいあったものだ。
草原のようにどこかすがすがしい、そんなティグルの言葉にリーザは思いっきり笑ってしまったものだ。
――ええ!戦いましょう!大切なもののために!——
大切なもののために。
自分を受け止めてくれる『ルヴーシュ』のためにリーザは戦う。
そして何よりも、自分を最後まで信じてくれた雷禍ヴァリフアイフの輝きにこたえるために!
共に支え、ともに進み、道を照らすために。
心の竜具で描く暁の軌跡。
心の弓矢で走らせる夜明けの風景。
道は照らされた。そして、導かれたのだ。
シャルルの幻影と死闘を続けること約半刻。
『……戦うのだな』
突然意識に響く冷厳なる声。
――誰だ!?――
目の前の幻影の戦闘に夢中であるはずのティグルでさえ、はっきりと聞こえる声。
『お前は……戦い続けるのだな。大切なものを守る為に』
まるで当然のことを聞く声に、ティグルはそれを挑戦的なものとして受け取った。
――そんなことは……当たり前だ!――
ティグルの声に熱がこもる。呼応するように、謎の声にも熱が帯び始める。
『俺は待ち焦がれていた!』
果たしてそれは一体何を?
――待ち……焦がれていた?――
誰を?この時を?
『お前のような若者が現れることを!』
とまあ、とにかく、始祖シャルルと邂逅したティグルは、ティッタを助けるために必要なことを教えてもらった。
彼女に必要なのは、想いを――運命を受けとめること。
『――力の巫女……彼女が抱く恐怖を、君の勇気がすべて受け止めたとき、君は、真の魔弾の王になれるはずだ』
力は、その後でいい。
そしてティグルの出した答えは『ティッタのすべてをこの俺にくれ!!』だった。
手に入れた『暁の魔弾』。スペリオル・ロード・マークマン。
紡がれた『勇者と王の絆』。グランド・グロウリア・ギャザリング。
結ばれた『運命の同調』。イレインバーセット。
取り戻した『暁の巫女』。ティッタ。
真の魔弾の王に覚醒した『勇者王』の力は凄まじく、世界樹そのものと化したグレアストを容易に跳ねのけた。
本人曰く『射抜くべき敵の姿が、射抜いた先の未来が見える』とのこと。
ともかく――物語はここ妙な地下世界から始まる。
「ミライトーク」【機械文明】
世界樹・地底世界・座標軸ヤーファ相当
(現実世界の元日本列島・東京スカイツリー跡地)
ティグル。エレン。ソフィーのトーク。
どこまでも続く暗雲。されど雷光と雷鳴が生命体の存在位置を示す指標となっている。
渇きと生ぬるしさを含んだ風。その匂いは無機質の亡骸を連想させる何かがあった。
ティグル達は知らない。
その匂いの正体は、かつて『ヒト』と呼ばれし知的生命体が編み上げた『機械文明』の成れの果て。
そんなものが、今まで自分たちの踏みしめる地面がこんなになっているとは、エレンも思っていなかった。
エレン「まさか私たちの大地の下がこんなことになっているとはな」
ティグル「……ああ」
赤い髪の少年が驚くのも無理はない。
なぜなら、今目の前にある『建造物』は、どうあがいても自分たちの技術力では到底たどり着けない『極み』でもあるのだから。
均一な幅の立体建造物。それらが全面に鏡が張られている。もはやこれは芸術品といっても過言ではない。
どうやってこの建物は造られているのだろう?
ライトメリッツの公宮…いや、ジスタート王都シレジアの王宮でさえこれほどの高さは無い。
今まで自分たちが見てきたものと違う世界を目の前にして、ティグルは軽くつぶやいた。
ティグル「ブリューヌの、いや――大陸の真下にこんな広い空間があるとは思わなかったよ」
ソフィー「ここまで広い空間は大陸の……いえ、世界中どこを探しても見つからないでしょうね」
エレン「昔はここにヒトが住んでいたのか?」
見渡せば、ヒトが腰掛けるために作られたような『椅子』がある。
それだけじゃない。
巨大な建物をよく目をこらえてみれば、様々な用途で使っていたと思われる内装をしているのがわかる。
一人用の住まいが『一つの建物』に集まったような施設もある。
大勢の人を一か所に集めて演劇を行うであろう空間もある。
他には、ティグル達には到底創造もつかない用途の設備がたくさんあった。
エレン「今私たちがいる建物みたいなのが、向こうのほうまでずっと続いているとしたら――」
思わず銀閃の髪の少女は固唾を呑む。この文明を築き上げた人とその英知に。
エレン「相当な数の人間が、ここにいたことになるな」
ソフィー「そうね」
あまりの壮大さに、この見目麗しき金髪の女性も同意する。
無理もない。光景をまざまざと見せられただけで、自分たちの常識を覆されてしまったのだから。
ソフィー「ただ人の数もさることながら、この建物をあたり一面に作るなんて尋常ではないわ」
エレン「私たちには想像できない世界だな」
ティグル「独立交易都市や、外大陸からの舶来品で、俺たちには使い方が分からない品々がたくさん流れてきたけど――」
詳細は知らなくとも、該当するものさえあれば、ルーツが何処から来たのかは、流石に容易に察することができる。
ティグル「この世界が由来だっていうなら、納得だってできるな」
ソフィー「ええ。けれど、いつの時代でもそうであるように、文明というものは、ヒトの業によって栄え、ヒトによって滅ぶものなのね」
いかなる繁栄を遂げようと、ヒトがかかわる以上『インフレーション』つまり、膨張が起きる。
それも、風船の中の空気が限界以上に達するほどの。
大気を汚し、海を濁し、森を焼き払う人間の所業は、魔物という存在以上におぞましい。
そう思うとティグルの口から素朴な感想が漏れるのであった。
ティグル「――――悲しいな。そんなのは」
エレン「ここって、どうして滅んだんだろうな?」
ティグル「もしかしてと思うけど、きっと、昔ここで大きな戦争があったんだ」
ソフィー「そうね――悲惨な戦争があったかもしれないわね」
エレン「ちょっと待て、それでこんなに壊れるものなのか?リュドミラの母君の受け売りではないが、私たちの竜技だってここまで地形を歪ませるほどにはならないぞ」
エレン「天変地異というのは?」
ソフィー「その可能性も否定できないけど、このずっと先まで同じ状態になるとは思えないわ」
金色の神を振り乱して、ソフィーは確信する。
ソフィー「よく見て。どこまでも同じ景色よ」
エレン「うむ……でもそれは戦争でも同じことが言えるだろう」
ソフィー「それは……そうでしょうけれど」
エレン「こんなに広い範囲で破壊されるなんてありえるのか?」
ティグル「それは、俺たちが知らないような強力な兵器があるとか?」
ソフィー「あるいは、ものすごく数が多いとか」
独立国家同士の戦争ならともかく、グローバル化した情勢下での戦争なら考えられそうだ。世界同時戦争が起こりうる可能性があるとすればそれしかない。
ソフィーが出した仮説はこれだった。
ソフィー「ジスタート建国以前の統一戦争は、ものすごい数の人間が戦ったそうね。セシリー達がかつて戦ったという『代理契約戦争』もあるし――その可能性は否定できないわ」
エレン「それと同じことが起きたとソフィーは考えるのか」
ソフィー「そうだけど……もっとこの地底を探し回って考えましょう」
どのみち、ここであれこれ言いあっても埒あかない。もっと隅々まで見て考えをまとめるだけの情報を集めなくては。
ソフィー「私たちの理解を超えている範疇でしょうからね」
ティグル。エレン。ソフィーのミライトーク。
『終』
第26話『涙を勇気に変えて~ティッタの選んだ道』
前書き
前回までのあらすじ~
青年は少女の感想を受け止めて、再び歩くことを決意しました。
勇者は傭兵の生き様を見つめて、再び羽ばたくことを決意しました。
使い手は竜具の紅玉を思い出し、再び振るうことを決意しました。
原作改変。素粒子干渉。時空偏移。
それらを可能にしうる、神剣を求めるために。
少女は力を持たぬゆえに大切な人と歩くことできず――
傭兵は過去に縛られ、翼を広げること能わず――
竜具はかつての主の手から離れて、思い描いていた夢叶わず――
そんな二人だからこそ、せめて勇者だけでも暁に向かって歩き、羽ばたいてほしいと願います。
竜具もまた、自らの紅玉を煌めかせて、夢を思い出すよう願います。
勇者はあたしのあこがれ。
勇者はわたしの希望。
獅子王凱。あなたにはまだ守れる人も、救える人もたくさんいるのです。
弱者が弱者を虐げる醜い時代の中だからこそ、勇者の勇気はこの世界で輝くのです。
心折れし勇者に必要なことは、最初から力なんかではありませんでした。
勇気。
小さな感想は勇気の火を心に灯して。
かすかな未来は勇気の光を瞳に映して。
万民が認める勇者の光物語など、どの世界にも存在しません。
それでも——
たった一人でいい。
たった一人でかまわない。
勇者の存在を見つめてくれるなら。
勇者の定義を決めてくれるなら。
誰もが筆に迷いを抱いて生まれてきました。それでも、無駄な物語なんてなにもないはずです。
そしてとうとう勇者はおのれの過去にけじめをつけるべく、独立交易自由都市へ羽ばたいていきます。
【ブリューヌ・ユナヴィールの村付近・銀の流星軍幕営地】
太陽が南中高度に差し掛かろうとするにも関わらず、昨日からまだ寒気が流れ込んでくる。年間を通して、周辺諸国より寒暖なき肥沃の大地で知られるブリューヌには珍しい気候だ。確かに冬に差し掛かろうとする時期ではあるが、ここまで寒気が流れ込んでくるなど、ブリューヌ国内であるアルサス生まれのティッタには珍しく感じたことに対し、初冬より寒気が厳しい貧村出身のフィグネリアには覚えがあった。
戦の匂いである。正確には、大戦の予兆だ。
それも、寒さに紛れて血の匂いを思わせる、そんな予兆を。
フィグネリアは、かの銀閃の姫君であるエレオノーラ=ヴィルターリアと、この混成軍の第一人者であるティグルヴルムド=ヴォルンが結成した『銀の流星軍』の戦力の中核を担う重要人物だ。隣にいるティッタもまた、魔王フェリックスの支配していたアルサスを奪還に一役担った勇者である。
そんな勇者兼侍女のティッタの姿を見かけて、フィグネリアことフィーネは声をかける。
「おはよう、ティッタ」
「はい、フィグネリアさんもう起きていたんですか?」
ここアルサスに銀の流星軍が陣営を築いてそれなりに日はたっているだろう、とはいえ、こういった日常もなくはない。久々の平穏といえば言い過ぎかもしれないが、今のブリューヌ情勢は王政危機の国難にさらされている。それでも、ティッタとのこうした優しいやり取りが、戦続きだったフィーネにはありがたかった。
「傭兵の習慣みたいなものだけど……それよりもティッタは水汲みにいくのか?」
ティッタの両手に抱えられている木桶に気づいてのことだった。対してティッタは明るく「はい」と答えた。
「そうか――では私も一緒に行こうか」
「ありがとうございます、フィグネリアさん」
川に水をくみ上げに向かうティッタを見かけて、フィグネリアは一緒に来てくれる。
現在は千の数字に近い兵がアルサスに駐留している。リムアリーシャにも言われていたことだが、なるべく一人で行動しないようにと釘を刺されたことがある。
一介の侍女にすぎない当時のティッタの立場では仕方のないことだったが、ティッタを見かけると、周りの兵達がちょっかいまじりに声をよくかけていたものだ。最も、それらは浮ついた気持ちから出ていたものだが、今は違う。
今やティッタも『銀の流星軍』の一翼を担う勇者のひとりだ。戦力という意味ではないが、かつてアルサス奪還作戦時にテナルディエへ単独論戦を挑み、その功績を評価されて上官部から勇者に任命されたのである。
簡単に『奪還』といえばそれまでだ。だが、『損害』という意味では過剰と言っても過言ではない。何しろ、『自軍の犠牲を正真正銘のゼロ』で敵陣地を取り返したのだ。
(あたしがティグル様に代わって、みんなを励ましていかなきゃいけないんだ)
凛々しい姿からは『暁の騎士』とも、健気な表情からは『暁の巫女』とも、幾つもの呼び名が生まれており、今ではティッタを軽々しく呼び止めたりするものはいない。それがティッタにとっては寂しくなったりもする。
あたしはあたし。それは変わらない。なので今まで通りに接してくださいとお願いした時に、暖かい笑い声があたりに満ちたのはいい思い出だ。
なので、親睦という意味でも、護衛という意味でも、フィグネリアは程度を超えない範囲でティッタに付添うようにすると決めていた。
やがて二人は川辺に向かって歩いていく。かすかに手がかじかみ、ティッタは両手に息をはあと吹き付ける。
見かねたフィグネリアは、羽織っていた外套をティッタにかぶせる。首回りに断熱効果を持つ毛皮つきだ。あまりの暖かさに、ティッタは率直に礼を述べた。薄着になったフィグネリアの姿はやはり寒そうに見える。
申し訳なく思ったティッタは声をかけた。
「フィグネリアさんは寒くないのですか?」
「これくらい平気だ。ジスタートの冬はもっと厳しいからな。それに――」
「それに?」
冗談気味に笑い、フィグネリアは空を見上げる。
「あいつだって……ガイだって頑張ってるんだ。私たちも寒さなんかに負けてられないな」
もう一人の勇者、今は『銀閃の勇者・シルヴレイブ』の二つ名を与えられた青年は、遥か東の地へ飛び立っていた。
陸地という地熱から離れている以上、遥か上空を航行している凱のほうが遥かに寒いだろう。いや、寒いという言葉ですら生ぬるい。極寒に加え、ナイフのような鋭さを持つ大気圧が、容赦なく凱の全身を縄のように縛り上げているはずだ。
「でも不思議です」
「何がだ?」
「以前、エレオノーラ様にもこうして付添っていただいたことがあったんです。その時、寒がっている私を見て、今みたいに外套をかぶせてくれたんですよ」
「――――そうなのか」
かつて、ティグル在中の『銀の流星軍』はテリトアールに布陣し、ブリューヌ領内の第三勢力として構えていた時の事だった。アルサス圏外の混合軍という環境の中で、ティッタはエレンから「一人で出歩かないように」と通告されたことがある。戦姫という立場のあるエレンや、その副官であるリムならともかく、ティッタのような一侍女にすぎない女性は、男ばかりの兵にとってある意味では『的』であった。実際に何度も声を掛けられて、ティッタは困惑したものだ。
(この娘……ティッタには何の悪気もないのだがな)
もちろん、ティッタにはエレンとフィグネリア……フィーネの確執を知らない。それが余計にフィーネの感情を複雑にかき混ぜるのであった。
ティッタに悟られないよう、普段見せない苦笑いでやり過ごすフィーネ。
こんな予想外の時と場所で銀閃の風姫の名が出てくるとは思っていなかったと、フィーネは一人ごちる。
対してティッタも一人ふける。エレンと同行した時は、こんなに会話が弾んだことがなかったのだ。その時のエレンに対する印象は、ティッタにとって得体のしれない何かでしかなかった。最も、主人を助け、その上兵も貸してくれた恩人でもあった。
何の因果か輪廻か知らないが、無意識に彼女と同じことをした自分に、フィグネリアは戸惑うような表情を見せた。
今、その銀閃の風姫エレオノーラ=ヴィルターリアも、この娘の主、ティグルヴルムド=ヴォルンと同じく、今は捕虜の身の上だ。自分と同じようにティッタも心のどこかで心配してるのではないか?
いや、絶対にしているんだ。ただそれを、勇者という仮面で不安を隠しているに過ぎない。
そんなフィーネの推測を事実つけるかのように、この頃のティッタは明るく振る舞うことが多くなった。リムアリーシャにもティッタについて聞いてみたのだが、「寄せ付けない何か」があるように思え、どこか違和感さえあるとも言っていた。普段のティッタがティッタなのだから、なおの事ティッタを見ていてつらくなる――ということを。
(しっかり使命を果たすんだよ、ガイ。この子の……いや、ブリューヌの子供たちの本当の笑顔を取り戻せるのは、あんたしかいないんだから)
とは思いつつも、やはり自分も凱のところへ、今すぐ飛んでいきたい。自分も今隣を歩く侍女と同じなのだ。
――なんて、冷たいアルサスの風にたそがれていると、フィグネリアの耳に割り込む女性の声の存在が飛び込んできた。
荒風吹き乱れる今のブリューヌ情勢には似つかわしくない儚げな声。
どこともしれない声にティッタとフィーネの二人はあたりを見回す。
「あの『乱刃の華姫』が随分としおらしくなりましたね。これもガイの影響でしょうか」
「誰だ!?――――あ!お前は!?」
突如吹かれる別空間の圧力。
背後に気配を感じ取り、すかさずティッタを庇う恰好で身構え振り返ると、そこには見覚えのある姫君の姿があった。
薔薇の装飾を儚げに身に着け、その風貌に相反する大鎌が同時に出現する。
何にもない空間から大鎌の切っ先が空間を切り裂いて、彼の戦姫は現れた。
「アルサスへ訪れるのはお久しぶりですね。お元気そうで何よりです。フィグネリア」
「……ジスタートの誇る七戦姫の一人、ヴァレンティナか」
目の前にたたずむのは、ヴァレンティナ=グリンカ=エステス。
虚影の幻姫とも、鎌の舞姫とも呼ばれる、オステローデ公国の主だった。
―――――◇◆◇―――――
初めてヴァレンティナの顔を見ることとなるティッタは、驚きを通り越してきょとんとした表情で固まっていた。だが、フィグネリアの言葉でエレオノーラと同じ立場の戦姫と聞いて、慌てて侍女としての礼を施す。
「は、はじめまして……戦姫様!あたしは」
「こちらこそはじめまして、『暁の騎士』ティッタ。私はヴァレンティナ=グリンカ=エステスと申します。以後、お見知りおきを」
ヴァレンティナが右手を差し出す。対してティッタもまた彼女の手をとった。自分と相手の身分差を考慮若しくは畏怖しての様子だった。
同時にティッタは驚きもしていた。
『暁の騎士』というのは、テナルディエからアルサスを取り戻した際にマスハスやジェラールから称賛されて送られた名誉であった。次代の王と成ったとの逸話を有する『月光の騎士—リュミエール』と対を成す『暁の騎士—スペリオール』の称号を得た者は、王の隣に並び立つ勇者になったといわれている。
王政が倒れている今となっては、そのような逸話など無意味に等しい。しかし、末端の兵やまつろわぬ民は常に『拠り所』を欲する。そのような意味でもティッタに称号を与える必要性はあったのだ。そもそもこの称号を授かったのはほんのわずか前の事だ。どう考えてもヴァレンティナが知るような時間的空白はけっして無い。
フィグネリアもまた驚きの色を浮かばせていた。ティッタとヴァレンティナの鉢合わせについて両者――特にティッタの反応を見る限りではこれが初対面のはずだ。なのにまるで『以前からあなたのことを知っている』かのようなそぶりで。
そう――――あの時の、失意に沈み切った凱を暁の光で満たしたように。
「じつは私、ティッタ――――あなたに一度お会いしたことがあるのですよ」
ティッタはおもわず目を見張り、彼女をまじまじと見つめる。以前、どこかで会ったことがあるのだろうか?
しかし、そのことを隠すようにして告げるのも何だかおかしい。
どこかでお会いしましたかと訊こうとしたとき、ヴァレンティナはフィグネリアに振り返る。その表情は先ほどと打って変わって真剣そのものだ。先に本題を済ませなければならない。
「単刀直入に聞きますフィグネリア。ガイはどこにいるのですか?」
「独立交易自由都市だ」
ためらいなくフィグネリアは答えた。
――――一瞬、ヴァレンティナの瞳が広がった。何の経緯が会ってかつての古巣へ戻っていったのか?
逃げたとは思えない。それは、ティッタとフィグネリア、双方の表情と声色を伺えばわかる。
何しろ、アリファールの気配を感じられないのが何よりの証拠。
「何があったのですか?」
「七戦鬼の一人、ノア=カートライトとかいう奴と戦って、アリファールをへし折られた」
さらに一瞬―――――ヴァレンティナは間をおいて固唾を呑んだ。
竜具の装飾である結晶素子は、戦姫の戦闘経験や感情以外にも、竜具の相互情報を共有する作用を有する。事前にエザンディスから点滅という形で『警告』を知らされていなければ、情報戦に富んだ流石のヴァレンティナも、動揺を隠しきれなかったかもしれない。
(しかし、戦鬼の一人がアルサスに訪れていたのは……いいえ、彼ら戦鬼の中でも最強と謳われる『鬼剣』が来ていたのは誤算でした)
これは……自分の采配不注意と言わざるを得ない。
まだテナルディエが祖国に反乱決起を起こす前、ヴァレンティナは戦姫としての務めを果たす傍ら、ジスタート内外の諜報活動に尽力していた際、部下からの報告で聞いたことがある。
報告が確かなら、戦鬼は戦姫と同じで7人。それぞれが要人暗殺に長けたテナルディエの特戦部隊。
そのうちの一人がノア=カートライト。またの名を『鬼剣—ブレイドオーガ』とも呼ばれる青年だ。
前回のアルサス焦土作戦に続き、今回のアルサス奪還作戦でも凱と対決することになるとは。
フィグネリアは、これまでのことをヴァレンティナに事の顛末を説明した。
「……折れたアリファールを修復するために、刀鍛冶の技術が唯一伝来している地、『独立交易自由都市』へ赴いたわけですね」
「そうだ。私たちに『後を頼む』と言って……私は、私たちはあいつに置いて行かれた」
フィグネリアの声に陰りが混じっていたのをヴァレンティナは見逃さなかった。
それはティッタも同じだった。
「それでも……今、あたしたちにできることは、ガイさんを信じて――」
そこまでティッタが言いかけた時、フィグネリアの『普段』な戦士の眼を自身に向けられる。
不意に受け取った、ティッタからの違和感。
まるで崩れた砂のパズルのような、決して当てはまることのないような空虚な言葉はなんなのだ?
とある『姫将軍』にぬいぐるみを作れるほどの器用さとは真逆に、自分の気持ちを縫いつくろえない、ティッタの不器用さは?
なんだか取り返しがつかなくなるような感覚は一体?
募る疑問がフィグネリアの焦燥を掻き立て、思わずティッタを問い詰めた。
「本当に?」
「え?」
突如、フィグネリアはそっとティッタの両肩に手を添える。
「それは本当にティッタの思っていることなのか?」
「フィグネリアさん、何を……」
「確かに私たちはガイから託された。約束もした。俺が戻ってくるまでアルサスを、銀の流星軍を頼むって。だけど――できることなら、どうしても、やっぱり私は――――『見届けたい』よ。あいつの物語をさ」
ティッタに向いていたフィグネリアの切ない瞳がヴァレンティナに向き直る。
瞳の奥底に宿る光が何を意味するかは明白だった。
「ヴァレンティナは……お前なら行けるだろう?ガイの向かった先を」
「虚空回廊のことでしょうか?確かにこの子……エザンディスの力でしたらガイの元へ駆けつけることは可能でしょう。しかし――」
「……しかし?」
「あなた方は、その『覚悟』はおありでしょうか?」
「覚悟?」
「既に知っているかと思いますが、今のガイはブリューヌとジスタート……いいえ、大陸全ての命運を背負っています。そしてガイの向かった先の独立交易自由都市……そこはガイの『過去』が眠る場所でもあります」
「――ガイさんの……過去?」
考えても、思ってもみなかった。
今日にいたるまで、ティッタにとって凱は憧れの人であり、恩人であり、見るものすべてを安心させる、頼りがいのある兄のような存在だとしていた。素性はよくわからないけど、決して悪い人じゃない。皮肉にもそんな凱の印象がティッタとしては『当たり前』になっていた。
「そうです。ゼノブレイドに挑戦すると告げた彼の言葉は、今まさに『過去』を斬り、『現在』を貫き、『未来』を切り開くため意味が込められています」
「……」
「彼の人生は、彼の運命は常に『人ならざる者』・『超越なりし戦い』にあります。もし、彼の真実を知れば知るほど、もはや後戻りはできなくなる。そうなればあなた自身も……アルサスもどうなるか分からない。それでもあなたは共に行きますか?あのひとが獅子の化身になろうとも」
「そんな!」
栗色の髪の少女に衝撃が走る。
獅子の化身。ティッタとフィグネリアには凱の眠るもう一つの顔を垣間見たことがある。
ティッタは対魔物――ヴォジャノーイ戦で。その『片鱗』を。
フィグネリアは対銀髪鬼――シーグフリード戦で。その『死闘』を。
ティッタはかつてヴォジャノーイと呼ばれる者に襲われたことがある。もしかしたら、凱と関わりを持った地点で安息の時が遠のいたのは、その時からじゃないだろうか?
思えば、そのヴォジャノーイも凱のことを『銃』と呼んでいた。凱は魔物たちのことをあずかり知らぬことだが、逆に魔物たちは凱をよく知っているかのような口ぶりを見せていた。今思えば、それらは何かの全て因縁じゃないかと。その延長上に自分たちはまきこまれてしまったのではないのかと。
そしてこの前は、ドナルベインが幼子の母親を手に殺けたことで、凱の心の奥底を束縛していた『鎖』が外れかけた。
――――死ね――――
たった一言……あの優しいガイさんなら……決して言わない言葉。
しかし、それをたやすく言い放った。まるで、野花に咲く一輪の花をそっと摘み取るように。
その瞬間、誰もが垣間見たはずだ。『王』として君臨せしめた獅子王凱の姿を。
だが、それは凱が望んでいたことではない。そうなったことでもない。ましてや、そうなのは望まずして訪れた結果にすぎない。
「勇者と共に歩みたければ、彼を知る為に自分たちの平和を失う『覚悟』をしなければならない」
「覚悟……ですか」
ティッタの臆した声に、ヴァレンティナは無言でうなずいた。
「この選択はあなた達が決めるのです。準備が出来たら私の前に――このエザンディスと私、ヴァレンティナ=グリンカ=エステスが、『暁』へ至る道案内を務めさせていただきます」
これが……虚影の幻姫の精いっぱいの返事だった。
勇者獅子王凱と共に歩みたければ、覚悟を決めなければならない。
(ああ、だからガイさんはあたしたちを『置いて』いったんですね)
ティッタ達の『日常』を犠牲にしてしまうことが、凱には分かっていた。
分かっていたから――ティッタ達をここブリューヌへ置いていったんだ。置いて行かれたんだ。
優しいガイさんには……できるはずがない。するはずがない。
分かっていたはずなのに……。
「ティッタ――」
慈しむ眼差しでフィグネリアが優しくその名をつぶやく。まるで、親鳥が雛鳥を慈しむような囀りで。
『乱刃の華姫』、『隼の舞姫』を持つ彼女とて、自分が思うほどティッタは弱いとは思っていない。
しかし、いかなる猛禽類と言えど、雛鳥の巣立つ瞬間は多少なりとも不安を覚える。
今、フィグネリアがティッタに対して抱いている心境はまさにそれだ。凱を庇うわけではないが、そのことを想うと凱の気持ちがなんとなく分かってくる。同時に置いて行かれたティッタの気持ちもだ。天秤にも似た気持ちの傾く先は、果たしてどこだろうか?
「あたし……」
しばらくして、ティッタはぽつりぽつりと、小さく語り始める。一言一句大切にするかのように。
「あたし……ずっと思ってました。どうしてこんなにも力がないんだろうって」
それは、ひとつひとつ、思い出すように。
「ディナントの戦いが始まって、ティグル様が戦場へ向かわれて、敵国の捕虜にされたことをマスハス様から聞かされて――しばらくはアルサスを駆け巡ってお金を集めていました」
あれから結局ドナルベインにティグルの屋敷を襲われたところを、『通りかかった』凱に助けられた。
だが、ティッタの境遇はこれだけにとどまらなかった。
「ヴォジャノーイという魔物にも誘拐されたとき、本気で『死』を覚悟しました」
だけど――誰にも気づかれなかったはずなのに、アルサス郊外へ抜ける寸前で凱は駆けつけた。
「テナルディエ軍にアルサスが襲われたときも、もう駄目だと思いました」
それでも――凱は決戦前夜で訴えた。ティッタの勇気に応えるために。
俺は『力』で。君は『想い』で。
同じ人間だからこそ、気付かせるんだ。
お前たちが本当に焼き払おうとしているものは何なのか、本当に分かっているのかと。
焼き払う。それ自体がそもそも間違いなのだと。
それからも、凱は異端審問で処刑されたとアルサスに知れ渡る。
それから間もなくブリューヌ全土は戦乱の渦中にさらされる。
国家反逆の集団、銀の逆星軍、誕生。
瞬く間にブリューヌの版図を塗り替えられて、銀の流星軍は壊滅との知らせを受ける。
――――ガイさんが……いない。
――――ティグル様が……いない。
でも、そんな凶報を誤報と言わんばかりに、再び『上空』から駆けつけてくれた。
それからも……それからも……それからも……
勇者の姿を思い出すたび、ティッタの瞳に熱い涙がこみ上げる。どうしてあなたは現われてくれるのですか?――と
――――そう。
――――答えは常に二つに一つ。
――――二者択一。
――――全てを巻き込んででも本当の未来を掴むために独立交易都市へ赴くか。
――――みんなの身を案じて原作展開どおりに未来を進むのか。
「行きます」
ティッタの声に、答えに、その言葉に迷いはなかった。
何もできずに燻るより、何かをして燃え尽きたほうが、ティッタにとってマシに思えるようになった。
そして、これほど強く思ったことはないだろう。「あたしはガイさんの全てを知りたい……ううん、知らなきゃいけないんだ」と。
同時にティッタの意識に、あの『声』が直接よぎった。
『そう―――あなたは知らなければいけないわ』
(誰!?)
『蒼氷星――かの宇宙庭園はあの坊やの弦の音――昏き炎の矢で『創造主』は『氷棺結界』より目覚めたわ』
(何なの!?あなたは一体!?)
『幾星霜の戦乱の中で、数多の『骸』は満たされた。『人』と『魔』……そして『力』が目覚めれば』
(分からない!分からない!)
――――と、硬直しているティッタを見て、怪訝な顔をしつつもフィーネは声をかける。
「ティッタ、大丈夫か!?なんだか突っ立ったままに見えたが」
「いえ……大丈夫です。ともかく……フィグネリアさんも一緒に行きますよね?」
先ほどの焦点定まらぬ表情とは打って変わって、何とかティッタは明るく振る舞って見せた。
「当然だ。というか、案外ガイも私たちの姿を見て安心するんじゃないか?」
「守るべき者がいるからこそ強くなれる……まあ、その辺がガイの強さの源かもしれませんね」
凱というものは幸せ者だ。
少女と美女と淑女にこれほど想われている男などそうそういない。
だが――
きっと凱は怒るだろう。凱のお願いを振って、約束を反故にした自分たちを。
それでも――かまわない。
あたしは。
私は。
わたくしは。
獅子王凱の描く物語を見届けたい。
――君は想いで。俺は力で――
あの日、ティッタに力強く語ってくれたあの言葉は忘れていない。
いつかあなたが世界中から抱愛される時を信じて。
――――◇――――◆――――◇――――
かくしてティッタ達は一端『銀の流星軍』の幕営地に戻り、マスハスやリムアリーシャに事情を説明してヴァレンティナと同行することになった。無論、リム達から猛反対を受けた。ましてや、戦う力を持たないティッタが同行するとなれば、なおさらだった。
そして、さらなる衝撃がリム達を襲った。遥か遠方の地にいるはずのヴァレンティナが、アルサスに出現したからだ。
当初、オステローデ公国の戦姫が現れたことに、主要人たちは動揺の色を隠せなかったが、『第二次ディナントの戦い』で駆けつけてくれた凱に比べれば、まだ衝撃が少ないように思えた。
表向きの理由は、アリファール修復の進捗を随時確認するため。ティッタは侍女なので民と装えるから適任。フィグネリアはティッタに雇われた傭兵。ヴァレンティナは虚空回廊を警護する自宅警備という不遇な設定を与えられた。
確かに、アリファールの修復は今後『銀の逆星軍』と戦うためには必要不可欠だ。いつ頃戻ってくるのか、どのくらい進んでいるのか、やはりリムアリーシャもマスハスも把握しておきたいのだろう。もちろん凱を信じている、いるのだが、兵達を安心させるための情報把握は欲しい。そういう意味では、一瞬で目的地へ移動できる存在がいるのは本当にありがたかった。
――――にしても。
(どうして私が自宅警備なのですか?)
(仕方ないだろう、他に理由なんてないから)
(戦姫様。ブリューヌを抜けたら建前はどうとでもなりますから)
などと小声で話したティッタは、ちょっとだけマスハスたちにウソをついた申し訳なさを感じていた。すみません。マスハス様。
ティッタの言う通り、どちらにせよ、表向きの理由なのでそんな設定はどうでもよかった。『抜けて』さえしまえば、理由はどうとでも変えられる。
「一つ教えてくれヴァレンティナ。どうして『夜』に行こうと言い出したんだ?」
「簡単に言いますと……私のいるところが『夜』なら、ガイのいる向こうが『昼』だからです」
「意味が分からん。どういうことだ?」
それはティッタもフィグネリアと同じ感想だった。
こちら側の地理学が独立交易自由都市と同様に発展していれば、『時差』という概念を持ち出して説明できたかもしれない。
だけど、ヴァレンティナも彼女たちをあまり馬鹿にはできなかった。なぜなら、かつての自分も、その程度の知識しか持ち合わせていなかったのだから。独立交易自由都市へ赴くまでは。
「フィグネリア。ティッタ。あなた達二人はいつか、どこかで『世界は丸い』という言葉を聞いたことがありますか?」
なるべく平静を装いながら、ヴァレンティナは目の前の人間に問う。戦姫の表情にはかすかな真剣さがある。
彼女の雰囲気に二人は言葉を発せず、疑心ぎみながらこくりと首を縦に動かす。
「あたし……お母さんから『童話』でそのような話を聞いたことがあります。「うそつきモントゥール」という題名だった気が……」
うそつきモントゥール。それは、ブリューヌのルテティア南東にある小さな領地の名前であり、かつてそこには、領主である一人の父親と、次期当主である二人の息子が住んでいた。物語は、登場人物の父親は天文学に聡明な学者であったが、ある日突然『世界はまるい。そしてまわっている』と狂言したことがきっかけで、世界中が恐怖に陥るという内容だ。
この世界の人々は『平面説』を信じていた為に、(というよりも、自分たちの世界はもともと絵本のページのようにまっ平らだと思っていた)我々登場人物は、『神』が『紙』に記した物語を追っているにすぎないと)民たちは瞬く間に暴徒と化した。無理もない。『重力』という概念が世間に浸透していない以上、その話が本当で、今自分たちのいる丸いなら、このままではすべてが「空へ落ちてしまう」からだ。
そう思い込み始めた民達は狂い、暴れ、怯え、悲観に明け暮れた。そしてとある村に一人の男がふらりと現れて、村人たちに厳かに告げる。
「この世界に落とされた精霊の鎧――炎の甲冑を集めよ。さすれば善と悪、虚構と真実がわかるであろう」と。
ついに村から一人の人物が立ち上がる。この登場人物こそが勇者と呼ばれ、元凶である異端学者を退治する内容へつながる。やがて勇者は甲冑を集め、精霊より浄化の光――すなわち炎を授かり、鎧に宿す。これを身にまとうつもりでいた勇者は精霊からお告げを受ける。
『元凶を葬るものは必ずしも『王者の剣—デュランダル』ではありません。この『光の鎧』こそが、元凶を浄化するものです。さあ、この鎧を今こそ着せるのです』
精霊は語る。邪悪そのものである者は、斬るでは倒せない。着せるのだ。咎人を『清めの炎』で浄化する聖なる甲冑とその罪を。そして夜――父親の寝ている隙を狙い、鉄制の椅子に座らせてはそのまま拘束し、勇者はひとつずつ甲冑をはめ込ませた。
小手。靴。胸冑。背板。そして――――鉄仮面。
こうして『浄化』された元凶が、この世に残したのは『妙な土くれ』だけだった。さっそく勇者は元凶を倒したことを告げ、甲冑の部位を集めまわっていた時に感じたことを告げた。やはり世界は平らなんだと。それを聞いて安泰だと胸をなでおろしたものもいれば、新たな勇者が誕生したことを胸の底から祝ったものもいた。このようにして物語は一応『めでたし』という形で一幕を閉じることとなる。
無垢な者たちは知らない。これが半分は実録作品であることを。そして、炎の甲冑という拷問処刑を生み出したのが「カロン=アンティクル=グレアスト」だということを。
「――――ヴァレンティナ、まさかとは思うが……本当に世界は丸いのか?」
「その辺の創造はお任せします。私も決して無理に信じてくださいとは申しません。ただ――それは『虚偽』ではなく『真実』だと知っていてほしいだけなのです――――蒼氷星に辿り着く時になればわかるかもしれませんが」
そして再び幕営地を離れ、3人は何にもない平原でたたずんでいる。虚空回廊の安定環境条件はここが理想だからだ。
国際電子網の接続条件が『複数の階層』を経由して通信できるよう『共立』させているのと同じように、エザンディスの竜技、虚空回廊も、そのような過程が必要であった。『接続先』の気圧や天候が『接続元』と同等でなければ、空間を超越した扉を開いた瞬間、どちらかが決壊するからだ。例えば『接続元』の圧力が高かった場合、『接続先』へ全てが、掃除機のように吸い込まれてしまう。逆に『接続先』の環境が苛烈だった場合、『接続元』へ全てが、洪水のように流れ込んでしまう。余談だが、某猫型ロボットの『旅行扉』も原理はこの竜技と同じである。
独立交易自由都市ハウスマンから知りえた『地球儀』のおかげで、凱の行先はだいたい把握できる。ヴァレンティナは頭の中に叩き込んである『世界地図』をエザンディスへ伝わらせる。
他にも経度。緯度。座標。時差。あらゆる『情報』をエザンディスに提供し、ヴァレンティナは呪文めいた台詞とともに大鎌をくるりと回す。
持ち主の気持ちを受け取り、エザンディスの結晶素子が淡い光を帯びる。
「宇宙駆ける闇の翼よ――我を望郷の地へ誘え――虚空回廊」
目の前に開かれたゲートをくぐり、3人は亜空間の穴へ潜っていった。
潜った先は――獅子王凱の古巣であり、現代地球から今の時代へスリップした最初の地。
独立交易自由都市。
そこで待ち受ける【さらなる試練】があることは、今の彼女たち……そして凱も知る由もなかった。
NEXT
後書き
5/8 18:00頃更新予定です
第27話『非情なる刺客!ヴォジャノーイ再戦!』
【独立交易自由都市・中央市役所・2階調査騎士団事務室】
「あだだだだ!!どうして『虚空回廊』の出口がこんなさびれた机に繋がるんだ!?」
黒髪の美女は、肩まで伸びた髪を乱暴にかき乱して声を絞り――
「フィグネリアさん!ちょ、ちょっとあたしも苦しいです~~~ふきゅう」
栗髪の少女は、肩まで揃えたツインテールをふるふる震えさせ――
「贅沢言わないでください、狭いのは私も同じですから――――うぷ」
紫髪の淑女は、腰まで下ろしたストレートを激しく見出し、内臓器官をシェイクしている。
三者三様はそれぞれ異なる喘ぎを漏らして、異郷の地から彼の机を介してやってきた。
異郷の地の名は、独立交易自由都市。
誰も触れていないはずの、机の引き出し部がゴトリと動く。
本来ならば、そこからは筆記用具なり書類なり何かしらの執筆道具が出てくるはずだ。
しかし、出てきたのは執筆道具ではない。むしろ、まだ見ぬ物語を彩る登場人物たち――その最も輝く星々であろう主人公たちだった。
彼女たちの名はティッタ。フィグネリア。ヴァレンティナ=グリンカ=エステス。
侍女、傭兵、戦姫という、出自の方向性を全く違える彼女たちは、一人の勇者の姿を見届けるために、数万ベルスタ(キロメートル)の距離を空間跳躍してここ、独立交易自由都市へとやってきた。
元々は独立交易都市と呼ばれていたこの地はかつて、周辺諸国と交易を結ぶ重要な玄関口として機能していた。
代理契約戦争より44年。
そして第二次代理契約戦争より1年。
初代市長たるハウスマンが掲げる、四民平等の理念をうたう独立交易都市は、現市長のヒューゴーによって多数の国交化を得て独立交易自由都市と名を改めた。
当時、『大陸法委員会』の呼びかけによって、大陸の主だった3国1都市が停戦条約と平和同盟を結び――そして悪魔契約という抑止力を得た。以来、『帝国』『軍国』『群衆列国』の3国と『独立交易都市』の1都市は互いに協力し合い、共に発展してきた。そして、独立交易都市も隣国同士を結び付ける国際貿易都市として、近時代の政治、経済、文化の中心として、かつてない繁栄を見た。
だが、諸外国の脅威が鮮明化してから、状況が急変した。
機械文明の猛威を告げる鉄血の使者――『黒船来航』
『闇』を散らす蒸気船――高鳴る『死』の調べに『夜』もねむれず。
夜と闇と死を司るティル=ナ=ファに嫌味を込めたかのような狂歌。
そしてヴィッサリオンの巣立ち故郷がここならば――
何よりガイの想い出の地がここならば――
機械文明の使者たる初代ハウスマンの地がここなら――
(……エザンディス?)
主の危険を知らせるように、彼女の竜具であるエザンディスの結晶素子が淡い紫色の光を点滅させている。
長年この竜具と共につきあい続けてきた彼女には、この点滅が意味するのは明白だった。
(魔物が近くにいるのでしょうか?)
そうであれば、魔物の討伐はすぐにでも対処せねばならない事項だ。しかし、勇者の捜索も同一優先であることは間違いない。
一時的な思案。されど、やることは変わらないので導き出す答えは常に一つだった。
(ですが……)
ヴァレンティナは魔物の選択肢をすぐさま除外。竜具のある自分の身くらい、自分で守れる。
しかし、竜具を持たぬフィグネリアでは到底魔物に太刀打ちできない。それどころか、戦う力を持たぬティッタならなおさらだ。
(以前の『私』なら……割り切れたはずなのに……ですね)
そう――今傍らにいる彼女たちを見捨てて、己の目的だけで動けるはずなのに。
飛び込んできた視界情報を整理し終えたフィグネリアは周りを一瞥する。
「早速ガイと合流しよう。また虚空回廊を使ってもらえないか?」
指名されたヴァレンティナは首を横に振る。
「残念ですが、しばらく竜技は遠慮したいですね。あれは遠くへ旅立つほど、ひどく体力を消耗してしまうのです。それに……」
「それに?」
フィグネリアの疑問符にヴァレンティナは竜具の顔色をうかがいながら答える。
「――『霊体』という、不可視の素粒子が、どうやら竜技の使用を困難にさせているようです」
しかも、ここの建物だけではない。恐らく、独立交易自由都市全域に、このような処置が施されているのだろう。
以前、独立交易都市には『悪魔契約』を用いた破壊活動行為を頻繁に受けていた時期があった。竜具と同じく、悪魔契約で生み出された悪魔もまた人智を超えた力を持っている。その力を抑制、拡散、若しくは制圧することを目的に、独立交易自由都市内の定位置には、専用の『除霊式玉鋼』が設置されている。もちろん、この玉鋼が設置されている以上、自衛騎士団も人智を超えた奇跡『祈祷契約』が使えなくなる。そこでハウスマンは騎士団の『再編成』と、祈祷契約と魔剣の運用を『許可を得た者しか使うことのできない承認式』に移行したのである。
かつての防衛組織である『GGGガッツィ・ジオイド・ガード』も、『スーパーメカノイド』という、その強大な戦力を有するために、部下からの要請を総合的に判断し、承認する形をとって運用していた。地球の守護者の名を関する以上、市民の救出と市街地の防衛は、何よりの必須急務となる。恐らく、緑の星の指導者も、このことを想定していたのかもしれない。本来遊星主へのアンチプログラムだったはずの『破壊神』を『勇者王』へ改装できる予備拡張、いや、収縮機能を残していたのは。
「おそらく、帰還するときもこの引き出しを介して戻らねばならないでしょうね。何より、竜具の共鳴反応が使えない以上、ガイの探索も難しいものになる――」
「じゃあどうする?どうやって探し出すつもり?」
「ここの市長に……代表者に会いに行きましょう」
「できるの?」
「来ましたよ」
言うや否や、大勢の人間の足音と共に現れた集団があった。その集団こそ、今では各国の騎士団の中でも精鋭中の精鋭とされる『郊外調査騎士団』と呼ばれている者―――――そして、過去では『3番街自衛騎士団』と呼ばれていた、ここに所属していた凱にとって懐かしき面々だった。
「誰だ!?貴様等!?」
そう。3番街自衛騎士団のレジナルド=ドラモンドをはじめとする熟練の騎士たちに出くわしたのだった。
『独立交易自由都市・3番街交易役所・応接室』
独立交易自由都市3番街、公務役所。
中央区である3番街は、都市に点在する役所のひとつであり、敷地面積としては都市の建築物において一、二を争う施設だ。初めのうちは殆どが平屋の木造建築の為外装も内装もつぎはぎだらけで、有体に言ってしまえばボロかった。市民の治安を守るべき都市の機能建築物は、その威厳など見る影もなかった。
しかし、つい最近になって勃発した『黒船来航』によって、中世レベルであった独立交易都市の建築レベルは飛躍的な進歩を遂げることとなる。
鉄筋コンクリート。スラブデッキ。現代日本に勝るとも劣らぬ知識の概念は、建築物の基礎にとどまらず、内装にまで浸透して技術的発展に貢献している。以前の技術力では木造建築がやはり中心だったため、隣家が火事になると、その隣接物件も飛び火するまえに破砕しなければならない悲惨な対処が必要だった。いくら火災拡大を防ぐためとはいえ、ひどいものだった。
ここ公務役所は戦闘員のみならず、非戦闘員の公務員も務めている。もちろん収容人員は多く、特定防火対象物として指定されている。
最近は被害らしい被害もないのであまり役所内は騒がしくもなく、通常通りの勤務をこなしていた。
そんな中、一人場違いのようにせかせかと歩く人物がいた。レジナルド=ドラモンドである。
ムオジネル特有の褐色肌を持ち、規律的に整えた頭髪は彼の真面目な性格を体現している。拠点防衛騎士団団長を務める彼は、視界に入る人間に目もくれず、目的の場所へたどりつく。
「――――市長室だと?」
先ほどの女性たちを拘束し、尋問するにはあまりにも似つかわしくない場所だ。困惑しながらもレジナルドは戸を叩く。聞きなれた市長と、その上司である団長の了承を得て入室する。
「迅速な事後処理対応ご苦労様でした。レジナルド君」
正装の男性。年齢は三十代後半に差し掛っているはずだが、容姿はもっと若く見える。口元に髭を生やし、髪には若干のくせ毛と、苦労故の蓄積物である白髪。前大戦時の功績で圧倒的支持率を得て市民から『再抜擢』されたこの市長は、血統に関係なく『ハウスマン』のファミリーネームを襲名している。その名の通り、彼は4年間この独立交易自由都市の政権を預かる市長なのである。
「いえ、礼には及びません」
「市長がほめてくれたのだ。少しは喜んだらどうだ?」
ポン――と、レジナルドの肩に岩をも握りつぶせそうな巨大な手を乗せたのは、とても齢60代には見えない屈強な肉体の持ち主だった。茶黒の肌をした偉丈夫。鼻がつぶれ、頬には首元にまで至る十字の刀傷があり、腰には馬の鞍に掲げるような大剣を所持している。
独立交易自由都市の七つの騎士団を統括する総団長にして、レジナルドの上司であるハンニバル=クエイサーだ。
「これくらいは治安を維持する騎士団にとって当然の事です」
長年の付き合いなのか、こんな返事もハンニバルの予想の範疇だったらしく、軽く肩をすくめるにとどめる。市長室を見渡すと、本来なら実務品と市長しかいないのだから、もっと予備スペースがあるものだと思っていた。が――今は珍しく人口密度が高い。
長いソファーに座る市長と、その後ろに立つ団長。代表者とその護衛役という構図は簡単に見て取れる。しかし――市長と対面している女性3人は一体何者なのだろうか?
三人とは――
お歴々を前にしても臆することなく、足を前に組んで遠慮なく座っているフィグネリア。
正反対に縮めて遠慮がちに座るティッタ。
その間には礼儀正しそうに座るヴァレンティナ。
どうも身体を拘束されているわけでもないが、流石に武器は没収させられた。というか、レジナルドがそうさせてもらった。
二刀の短剣はもちろんのことだが、何よりレジナルドの警戒を最大限に高めさせたのは、ヴァレンティナの持つ竜具エザンディスだ。
気味の悪いくらいの紫色と、漆黒に調和するような紅玉。まるで意志を感じられる光沢に戦慄を覚えたのだ。
自分を含めて計6人。ちょっと狭い。
「それでどうするのですか?こいつらの処遇は?」
物言いとして治安を乱す者には容赦のないレジナルドらしい。しかるべき処遇を受けるべきと思っていた故に、彼は市長に説明を求めずにはいられなかった。その横にいるハンニバルは苦笑い気味に応える。
「ちと面倒なことになった」
「面倒なこと……ですか?」
「私が直接お話します」
どうやらこの淑女が3人娘の代表者らしい。レジナルドはヴァレンティナをそう認識した。
「申し遅れました。私はヴァレンティナ=グリンカ=エステス。私の隣にいるのは護衛のフィグネリア、従者のティッタです」
市長は顔をしかめた。ヴァレンティナという名前に聞き覚えがない。だが――――『エステス』?
まるでこちらの表情を読み取ったかのように、ヴァレンティナはほほ笑んだ。
「私は縁系ですが、『エステス』の姓を持つ王族の一人……そしてオステローデ公国を統治する戦姫の一人でもあります」
つまりは王女。若しくは王家にゆかりある貴族の令嬢。
加えて、王の次に偉い戦姫様と来たものだ。竜の武具に見初められし一騎当千の戦乙女の語り話は聞いたことがある。
とにかく、現ジスタート王国の継承権を持つ者の一人が目前にいる。その事実が、予想だにしていなかった人物の登場を前にして、レジナルドはぽかんと表情をだした。
「ジスタート王国の要人が、どうしてここ独立交易自由都市へ?」
「あるお願いがあってきました。【神剣之刀鍛冶】と『獅子王凱』の人物に会わせていただきたく―――」
あの刀鍛冶の小僧はともかく、放浪勇者の名を聞くことになろうとは、そもそもこの女はどうしてガイのことを知っているのだ?
「そのことについては先ほども申し上げたはずです。独立交易自由都市はあなたの要求に応じることはできない」
「無理は承知の上でお願い申し上げます」
先ほどからこんな調子だ。と両手をハンニバルは手をひらひらする。
「……独立交易自由都市の理念ゆえでしょうか?」
業を煮やしたヴァレンティナは思わず前がかりになって問い直す。
対して市長も譲る気は毛頭なかった。
「ヴァレンティナ=グリンカ=エステス殿。ご存知かと思いますが、独立交易自由都市はその名の通り、『自由』と『平和』の理想都市として興された都市。独立国家の地盤を揺らぎないものにするために、初代ハウスマンは次の3条を掲げました。一つは「他国に戦争しない」二つは「他国からの戦争を許さない」最後に「他国の戦争に介入しない」この三つです。仮にあなたの話が本当だとしても、それはテナルディエ公率いる『銀の逆星軍』が独立交易自由都市へ許すかもしれないのです。私はこの地とこの地の市民を守る義務があります。無論、私の隣にいるハンニバル=クエイサーも、レジナルド=ドラモンドも例外ではありません。確かに、ガイ君にはこの都市を救っていただいた、返しきれないほどの恩をくれました。しかし手助けする義理はあっても義務ではない」
すちゃり。誰かがこの場で抜刀したような音が聞こえた。
きらり。音より半腹遅れて光る何かが見えた。
(何をさっきからぐだぐだと!)
無言で怒りにたたずみ、双刃の翼はためかせる一匹の隼フィグネリア。
目にも留まらぬ一足飛びに、誰もが気づかなかった。独立交易自由都市側の『大陸最強』を除いては。
巨大猿に隼が特攻。
結果は一蹴。
かの巨腕に頭部を掴まれたフィグネリアは大地に寝かしつけられ、そして思い知らされる。
(これが……大陸最強)
飛翔する間もなく、この力を肌で、直で味わされる。
なおも痛感させられる。わざわざ自分たちを牢屋まで連行しなくてもよかった理由が。
それは、この巨人が独立交易自由都市に根を生やしているからだと。
いつでも自分たちをねじ伏せられるものかと。
「だからこそ『わしら』はガイの挑戦を見届けねばならん!」
怒号の如き説教。だがこれで終わらない。
「いいか!『貴様等』で絶対に『神剣』を完成させろ!」
ともあれ――
このヒューゴー市長の人となりをしる人物ならば、驚愕を禁じえなかったに違いない。
だが、一見冷徹に見えるかもしれないが、その内面は計り知れないほどの苦悩に満ちていたはず。
誰もが立場があり、生活があり、小さきかもしれないが、その明日に向かって生きねばならない。
ある不幸な事件が――ガイをこの地から追いやってしまった。
市民権を放棄して独立交易自由都市から出ていったのは凱に違いないが、実質自分たちが追い出してしまったようなものだと、あの日からずっと思っていた。
しばしの沈黙――――そしてテーブルの中心に置いてあった受話器がじりじりと鳴り始める。
「市長!団長!火急の知らせです!」
昔でいうところの黒電話というものか。
かつてヴァレンティナがそうしたように、市長もまた電話を拡声運用に切り替える。
「都市内で悪魔契約発現!そして……騎士セシリーの子息が何者かによって拉致!」
「――――なんだと!?」
この瞬間、独立交易自由都市は悲鳴と共に戦火に包まれていくこととなる。
【数刻前・独立交易自由都市・3番街居住区】
交易役所に凶報が飛び込む数時間前まで都市全体はもちろん、ここ工房リーザも平和そのものだった。
いつものように太陽が昇れば、鳥たちが喜びに囀り、朝露の冷たさが新しい一日の刺激を伝えてくれる。しゃきりと目を覚ました後は農家を転々と赴き、実用品の廃材回収と、野菜のおすそ分けをもらい、主の為の朝ごはんをつくる。退屈だけど、幸せに満ちた一日を享受できる。ルークとセシリーさんの、そして二人の子供がいて――みんながいて――
少女型の悪魔、リサ=オークウッドにとって、これ以上の幸せはない。凱のことを除けば。
(やっぱりガイさん……セシリーさんの話が本当なら……まだあのときのことを……)
雑貨の買い出しに街へ繰り出していた時、ちょうどセシリーは子供と一緒に留守を頼まれていた。すれ違い様にセシリーと凱は再開を果たしたのだ。
(でも……コーネリアスが生まれたことを、ガイさんは喜んでくれたって話してくれた)
新たな時代に生まれた新たな命を、かつての勇者は祝福してくれた。
――私たちの、俺たちの世界へようこそ。コーネリアス――
そんな祝辞を述べてくれた凱が、生きていてくれた。今の今まで。
まだ凱を引きづる過去は暗雲晴れていない。しかし、あの瞬間だけは、小さな幸せを享受しよう。
その幸せを糧に日々の雑務をこなすリサは、自ら生み出した珍妙な鼻歌と共に洗濯物を干していた時だった。
忌むべき訪問者の声にも気づかずに。
「迸る漂白!白い!完璧な白さは正義!白いゼ!」
「頼もう~」
「白すぎるぜ!」
「頼もう~」
「この白さは正義!」
「頼もう~」
「こいつの心はジャスティス!」
「頼もう!」
「ひゃあ~!」
どしん!
驚いて尻もちをついてしまった。
あまりの鈍感さに、『訪問者』は思わず、洗濯物越しにいる少女へ罵声を浴びせてしまった。無理もない。洗濯物一枚に自分の声を遮られたとあれば、つい荒げてしまうのも当然といえる。いい加減気づけよとどつきたくなる。
「えっと……どなたでしょうか?」
リサには見知らぬ顔だった。
とっさについてしまった尻の汚れをはたきながら、リサは困惑した表情で目の前の青年に問う。
「あのさぁ、バジル=エインズワーズの最後の一振り――護神刀ゼノブレイドは置いてあるかな?お嬢ちゃん」
リサの心臓がどきりと跳ね上がる。
自ら名乗りもせず、ただ用件だけを偉そうにはたく顧客は決して工房リーザに少なくない。それどころか、目の前にいる青年はこともあろうに、都市でも最重要秘密であるゼノブレイドの存在を知っている。
設定を記した紙=設定を定めた神を殺せる剣。ゼノブレイド。
ルークの父であるバジルの最後の一振り。
それは、神剣を目指してバジルが追求した初期型の『神に干渉できる剣』として造られたもの。
神と崇めるヴァルバニルの吐き出す呪いの素粒子『霊体』を断ち切る『聖剣』として生まれ、やがて『神剣』へと昇華されるはずだった。
当初、ヴァルバニルという、独立交易都市にとって崇拝対象にして自然災害の抑止力として打たれたもの。だが終戦し平時となった今ではその真価を発揮することなく、『独立交易自由都市』の護神刀として、ブレア火山の火口の神殿へ奉納されている。
素粒子への接触を可能にするほどの切れ味は、戦争の歴史を一変する。故にその存在は一部の人物を除いて秘匿とされていた。
そして、秘匿とされていたはずの神剣を知っている地点で、この人物は十分危険に値すると判断するに十分だった。
「あの……ここには置いてないです――それに独立交易都市でもゼノブレイドは誰も行方を知りません」
「ふ~ん?そうなんだ――」
そもそも話の出所はどこなのか?ルークの父バジルがどこかで漏らしたのか?しかし今はそんなことを追求している事態ではない。
どこかわざとらしく、青年はつぶやいたと思いきや――
―――――――ふゅん!!
一瞬、風が横切るかのような
風を切った音の正体は、青年『ヴォジャノーイ』の口から飛ばされた『酸液の唾』だった。
そしてその方向は……先ほどまで赤子を寝かせ付かせていた『母子』の部屋。
(あそこは確か、セシリーさんとコーネリアスのいる部屋!?)
とたんにリサの表情が青ざめる。
「な……何をするんですか!?あなたは!?」
「子供の命より大切なモノなんて、どこの世界にもないと思うけどなぁ~」
「――――――!?」
いつの間にか、ヴォジャノーイの手の中に赤子コーネリアスがいた。
同時に酸液の唾で溶かされ出来た『壁穴』から、赤髪の女性が足を引きずりながら姿を見せる。
「セシリーさん!だめです!出てきちゃだめです!!」
赤子を取り戻すために現れた『母』を見て、リサは慌てて声をあげる。
当然だ。状況が状況なうえ、出産を終えてまだ一カ月もたっていない。無茶を押し通されると母体に命の危機が及ぶ。
「返せ――――」
血を吐いてでも、言わなければならない。
「コーネリアスを……私の子供を……返せぇぇ!」
だが、切なる母の悲声は虚しく響くばかり。
リサは決断せざるを得なかった。
「いい加減しつこいね。これ以上ボクにすり寄るつもりなら、この子供から消してあげる」
「ま!まってください!」
突然リサが魔物と母親の間に割りこんできた。赤子の死刑宣告を聞かされては黙っているはずがない。
「だめだリサ!下がれ!下がるんだ!」
「下がりません!これ以上セシリーさんに何かあったらルークに、義理母さんに顔向けできません!何より今はコーネリアスの身が危ないんです!だから……神剣を引き渡します!」
ほとんど泣きべそをかきながら、リサはセシリーをかばうように手を広げ、仁王立ちしている。
護神刀。それを魔物に引き渡す。
目の前の危機的状況ならそれは当然であり、そして、やむを得ない選択だった。さらに、引き渡せる選択しがあるだけ幾分かましにも思えた。
だが、魔物ヴォジャノーイには分からない。
赤子と神剣。そんな天秤にかけることもないことを、どうして迷わず赤子と選べるのか。自分ならためらわず神剣を選べるというのに。
神剣が及ぼす影響が何を意味するのか。
そもそも神剣が世界に干渉できるなら、赤子もろとも生き残っていても意味のないものなのに。
情と理、その違いかもしれない。
「神剣の在り処は――ここにはありません!ブレア火山の火口元の神殿に『護神刀』として祭られています!」
「ふ~~ん?そうなんだ。情報提供ありがとう」
――――そのまま赤子を抱いたままのヴォジャノーイは、踵を返してブレア火山の方角へ向かう。
「約束です!コーネリアスを返してください!」
「いや、実際にあるかどうかは確認してからだよ。どうも君たちは人が悪いから、赤子を返すのはその情報も本当かどうかを見極めさせてから」
「ふざけるな!そんな道理がまかり通るか!」
「通らないから、ボクも力で押し通すでしょうが。セシリーといったっけ?君の無力を勝手に押し付けないでくれ」
赤子の鳴き声がこだましながら、魔物の姿は闇に消えて溶けていく。恐らく目的の場所へ向かったのだろうか?
――無力。
かつて、新米騎士だったころ、何度も聞かされた屈辱の言葉。
事実であるがゆえに否定できず、受け入れることもできず。
『目に映る全てを救う』という誓いを立てておきながら、今こうして何もできずにいる現実。
セシリーが呻くように声を出す。
「誰か……」
助けて。そう言いかけた時、セシリーの頭上を覆う『覚えのある影』が現れた。
「これは一体……どういうことなの!?説明して!」
音沙汰などでは表現できない、壊された家屋とその風景。
見慣れた友人の光景である『在りし日の母子』。
決して見るはずのない惨状と、ありえない親子の光景を目の当たりにして、『アリア』の表情は驚愕の一色に染まる。
「ア……リア……?」
「アリアさん!?」
つかの間の安堵。されど事態は解決せず。それを理解してか、アリアは説明を求める。
「早く説明して!手遅れになる前に!」
茫然自失としたセシリーに変わり、リサが慌てた口調で事の顛末を説明する。
事態が事態なだけに、要領を得ない言葉と口調ではあったが、アリアには十分ことの重大さが認識できた。
ならば、そのために解決の糸口と一筋の光明を見つけなければならない。
(近くの遠隔通話玉鋼で公務役所へ連絡して、郊外調査騎士団を派遣してもらって、あとルークにも連絡を)
メモを取らなければ到底覚えられない手順と内容だが、今は筆を走らせる時間さえもおしいのだ。無理にでも頭に叩き込ませる必要があった。
アリアもまた、セシリーと同質の衝動が体中を駆け巡っている。
自身の生い立ちと経験が、そうさせている。
かつて『魔剣』と呼ばれ、蔑まれ、呪われていたあの時の自分を思い出して。
――――✞―✞―✞—―――
アリア。
年齢は人間換算にしてだいたい18歳。実年齢は50か60くらいという、なんとも外観と中身がかみ合わない要素を持っている女性は、かつての大戦時に『魔剣』と呼ばれていた凶器そのものだった。
自分がうまれたゆりかごは、屍の山が転がる光景。
自分が聞かされた子守歌は、死の間際に残響する断末魔。
自分が抱かれたころの『唯一』のぬくもりは、母の懐などではなく、『自分を掴む何者かの手』だった。
――――それはあたかも、生まれたばかりの赤子が振り回され、人の命を食んでいくような――
誰も彼もが自分を求めて、自分を欲して殺しあっていく。
『剣』として生まれた自分は、『人』にもどるための呪文を……まだ言葉をしらない。
当たり前だ。生まれたての赤子が、人語を発生することなどできはしない。
できるのは正真正銘の『神』か『悪魔』しかいない。
そして、生まれたばかりの赤子を振り回して人を殺していくような記憶を焼きつけられた。
何年も、何十年も続いた戦争の中で、彼女アリアはようやく言葉を覚えた。
せり返るような怒号の中で。
命乞いする言葉を何度も聞いて。
還らぬ家族の訃事を耳に入れて。
それらは全て『使い手』を通して覚えたものだった。
つたない言語能力でも、単語をつなぎ合わせると、自然と人の姿に成れた。もともと、すりこまれた自分の能力であったかのように。
本当の正体は『自身を剣の姿に変えられる悪魔』なのだが、平時となったこのご時世で忌むべき『悪魔』は討伐対象にされており、自分の身を隠すために『魔剣』と名乗っていた。
となれば、自分の残された役目らしい役目と言えば、せいぜい『剣の姿になれるめずらしい能力』を見せることくらいだった。
そんな時だった。当時、独立交易自由都市の市長に当選したばかりのヒューゴーから声をかけられたのだ。「市に出てみないか」と。
独立交易自由都市の収入を獲得するためのヒューゴーの思惑であっただろうが、今おもえば、声をかけてもらえなければ、セシリー達とも出会えなかっただろう。
私はセシリーに出会えて救われた。
そして、私はガイに会えて運命をつかめた。
『神を封ずる』、つまり神剣としての使命を役目を終えた私は、徐々に自分の道を歩み始めた。
自分でいうのもなんだが、もともと人に、特に子供になつかれやすい私は保育士になった。
一度は魔剣という生い立ち上、人間の女性と同じ幸せを持てないと知った時、どこか捨て鉢になっていた気もする。
――魔剣は新たな魔剣を生む――
――魔剣に雌型が多いのはそのため――
――神への憎しみを育て、世に生み出すため――
いいかげんにしてよ……もう。
お母さんみたいになれないことを、この運命を恨んだ。悪魔契約でどうしてあたしを生んだの?
そういった反動もあってか、もう一度いうが、私はセシリーと凱に出会えて、ハンニバルのおっちゃんにも、皆に出会えて、この世界に生まれてみて、本当に良かった。
だからこそ、この保育士の道を選んだ。
他人からみればお母さんの真似事かもしれない。だけど、『つなぎ』・『守り』・『育てる』ことはできるはずだ。
シーグフリード=ハウスマンも、この想いを知れば、この暖かな気持ちに触れていれば、『世界を消す』なんてことに走らなかったかもしれない。
あたしたちは生殖器官に欠陥を抱えて生まれたかもしれない。
人間の姿を借りた別の何かかもしれない。
でも……それでもね。
今の時代から新たな次代へ、命をつなぐことだってできるんだよ。
あたしたちには、その力があるんだよ。
それを選べる自由だってあるんだよ。
あなたもハウスマンの名を持ってるなら、あなただって自由なはずだよ。
神様はずっとこの原作を見てきたよ。
世界を滅ぼそうとしたあなたを。その暴挙の爪痕を。
生まれたからには、何かを遂げる勇気を持ってる。
生まれたからには、必ず意味を持っている。
あのとき、世界が危機に瀕した先には、あなたとセシリーが向かい合っていたじゃない。
振り向いた先には、あなたを支えてくれた仲間もいたじゃない。
あたしたちは、絶対に夢をかなえられる。
例えそれが「世界を消す」夢が実現しようとも。
例えそれが「目に映る全てを守る」使命が果たされようとも。
その結果の先に、あなたたち二人が立っていた。
だってあたしたちは、一人じゃないんだから。
だからあたしは――――『今の惨状』を救いたくて行動を起こしている。
【独立交易自由都市・3番街市場区域・雑貨屋】
さて、視点は切り替わって獅子王凱のところへ――――
危機に瀕した惨状をまだ知らない凱は、幼子コーネリアスに玩具を買おうとして、少し離れた雑貨屋へ足を運んでいた。
流石は交流さかんな独立交易自由都市。たかが子供の玩具といえど、その種類と数は侮れない。
独立交易自由都市、いや、この都市を中心とする大陸の人々の出生率は、戦後を境にして急激に上昇し、そして安定していった。
もともとこの都市は食料自給率も高いことから栄養素を得られ、何より平和が訪れたという空気が申し子誕生に拍車をかけていた。
霊体という不可視素粒子の正体は、『ヴァルバニル――神・魔王の再臨』によって吐き出されるケミカル物質。すなわち、人間の心臓にくさびを打ち込む……それはまさしく呪い。
母体に息づく胎児ですら例外ではなく、阿鼻叫喚の戦時中は、例え生まれたとしても、運亡き者は悪魔に変貌してしまう。なぜなら、つたない赤子の発音は、悪魔契約の引き金となる『死言』にかぎりなく近いとされるからだ。
それを防ぐために独立交易都市は『洗礼』と『祝福』を祈祷契約という形で人々に提供していた。
だが、祈祷契約には触媒となる資源――つまり玉鋼が必要となる。
そういった物的要因もあってか、独立交易自由都市としては、出生率を抑制せざるを得なかった。
しかし、神が再び封印された以上はそういった心配をする必要もなく、独立交易自由都市側も出生率抑制を解除した。
そのためだ。生後の養育と環境場が急激に発展したのは。
今その立役者の一人がこうして雑貨に顔を出し、生まれてくれた一人の幼子の為に買い物しているのは、なんだか不思議な光景ともいえた。
「その風車を二つください」
ひとつの風車は、コーネリアスの為に。
もうひとつは、いつか生まれるであろう『もう一つの命』のために。
「はいよ。これが御釣りね」
店主の熟練された演算能力をもとに手渡されたおつり、それを受け取った凱は優しく微笑んで財布にしまう。
「お兄さん、こどもにでも買ってあげるのかい?」
「はい。友人にこどもが出来たのを知ったので、お土産にと思って……」
――――と、凱が途中で言いかけた時、不報は突然に訪れた。
ばたばたと、窓から聞きなれば鳥の羽ばたく音が聞こえてくると、そのまま老婆の肩にとまる。
まるで、長年共に過ごしてきた相棒のように、鳩が寄り添う光景だった。
「……鳩?」
不報を抱えてきた正体は、まあ見た目通りの鳩ではあるが、問題はその『首荷』だった。
「もしかして伝書バトですか?」
「昔からの趣味じゃよ。いわゆる『文通』というものかな」
通話という概念が誕生したこの独立交易自由都市では、確かに『伝書バト』で情報交換するのは時代錯誤もいいところと言える。
しかし、この雑貨屋は以前、独立交易自由都市およびブレア火山の『中継所』として、大いに伝書バトが飛び交っていた。山頂の気象情報や不法登山者がいないか、そういった情報を監視、伝達するために、この中継所は造られたのだ。
今の時代に至るまでの情報統制は、老婆と雑貨屋という前身がなければ、今の独立交易自由都市の姿はなかっただろう。
今は『鳩』から『携帯』に情報端末を切り替えた時代。確かに趣味というのはしっくりくる。
「……これは?」
伝書バトからの手紙を封切り読み上げる老婆の視線。そして訝しむ表情。なぜかその場の空気が硬直する。
「――――セシリー嬢ちゃんの子が、魔物らしき青年に拉致された」
瞬間、凱の心臓が跳ね上がる。
魔物らしき青年。凱にはたった一人だけ心当たりがある。
ヴォジャノーイ。かつてティッタを拉致し、凱によって倒されたはず。
もしかしたら、銀の逆星軍が凱の行動を予測し、ここ独立交易自由都市へ先回りしてきたのだろうか?
そんなことができるのは、人間の常識を『ひっくり返した』奴らしかいない。
すなわち……魔物。
(俺の……俺のせいだ)
自分がセシリー達に接触を試みなければ、こんなことにならなかったはず。
何らかで後をつけられるなど……愚の骨頂。
(俺が戻ってさえ来なければ……)
真っ先に思い浮かぶ、自責の念。
自分自身と現状に悔い、歯ぎしりする凱。
しかし、今は現状を打開する以外に道はない。顔をうつぶせている暇などない。
「ちょ!……お兄さん!どうしたんだい!?」
老婆の動揺をよそに、凱は先ほど伝書バトが降り立った窓から一足で飛び出していく。
腰に携えるアリファール。翼を模した柄のこの剣は未だにへし折れたまま。
しかし、まだ勇者の勇気は完全に折れてはいない。
独立交易自由都市を覆う暗雲は、晴れる兆しさえ見えない。
それでも、一筋の光明をもたらさなければ。
それができるのは、勇者の剣がもたらす光のみ。
だから凱は向かっていく。戦うために。照らすために。
【日昼・ブレア火山麓・灰かぶりの森・護神刀奉納社】
灰かぶりの森とは、文字通り広大な樹海に灰が覆いかぶさった森林区域である。
物質の転生現象ともいえる『炭化』は、新たな生命をはぐくむための土壌となる。灰は土に。土は森に。森は肉を生む。そして生を全うした肉は再び灰と化して土に還る。こうして生命は誕生~死~新生の循環を行っていくのだが、この灰かぶりの森はただの森ではない。神の吐き出す『霊体』という不可視素粒子が、ブレア火山の自然体系を狂わせている。通常、風によって運ばれるはずの灰が、この霊体によって、まるでくさびを打ち込まれたかのように樹海へ付着していく。幸か不幸か、もしくはそのおかげともいうべきか、霊体の影響で居住化できるようになったのは奇跡ともいえよう。
もし、神――ヴァルバニルの寿命がついえて霊体の供給が途絶えた場合、果たしてどうなるのだろうか?
数年、数十年蓄積していた灰がまるで雪崩のように都市部へ襲い掛かり、居住部は壊滅する。一時は代理契約戦争の元凶を葬る案も出ていたが、独立交易都市側はこれを撤廃。神を必要としない『軍国』と、神にすがる『都市』との対立が見えていた。
独立交易都市はあらゆる勢力、国家から独立する。その主張を貫くために、神を封ずる聖剣がつくられた。
先ほど申した通り、神を殺せば、神の命数尽きれば、それは都市の壊滅を意味する。独立交易都市主導による『神の延命』は必須であった。
そんな黒竜の厄神が眠る社の境内で、ヴォジャノーイはおくるみに包んだコーネリアスを木の枝に結わえる。
途端にさらに激しく鳴き声を上げるコーネリアス。
「ゼノブレイドはここにあるものかな?」
しかし、赤子の鳴き声はやはり魔物と言えど癪にさわる。
「びーびーやかましいよ!はぁ……これだから子供は嫌いなんだ。あの嬢ちゃんの時もそうだったし」
彼の青年に浮かぶのは、栗色の侍女の姿。
「まあいいや。時期に君のお母さんがくるから……そしたらたんまり食わせてもらうよ。君を取り返すための身代金をね」
金喰い蛙ヴォジャノーイ――――今まで喰らった金貨は数知れず。
そして、喰らった金貨の貯蓄総額もまた数知れず。
人の命は金で賄える。ならば、好物の金を喰らうのに最も確実で手っ取り早い手段は『身代金』以外にありえない。
「あの時は嬢ちゃんの身代金食えなかったからな……代わりに銃の竜舞を喰らったし」
過去を思い出し、苦い気分に沈んでいると、何者かが近づいてきた。
「お……」
最初、たっぷり脅しを聞かせた母親が、いいつけ通りに身代金と護神刀を持ってきたのかと思ったが、即座にヴォジャノーイはその判断を否定する。
並々ならぬ気配。されど既視感のある気配。忘れるはずがない。
「……銃じゃないか!会いたかったよ!」
「その赤ちゃんを離せ!ヴォジャノーイ!」
「おうおう!その鬼気迫る声は懐かしいねぇ……『銃』!!」
「独立交易自由都市にまで足を運んで何を企んでいる!?」
現われたのは獅子王凱。あのあとセシリーの元へ即座に戻り、事情を聴いた凱は迷うことなく、コーネリアスの助けに向かった。
「君と同じだよ。神を殺せる物騒な剣を、悪い奴に利用される前に確保しに来ただけだって」
「赤ちゃんを人質に取っておきながら、あくまで自分たちの正当性を主張する……相変わらずふざけた奴だ!」
「ん~~よく考えたら『不殺』の君には必要ないものかもね。出来たらこのまま譲ってくれたらうれしいんだけど」
ティグルの家宝だけでは飽き足らず、今度はルークの家宝さえも欲する図々しさ。
だが、ヴォジャノーイの言葉もあながち当たらずも遠からず。
実際に、凱が求めているのは護神刀ではなく、アリファールの修繕。
それもただの修繕ではなく、既存のアリファールを超える、求めるのはまさしく『新たなる剣』。
神に対する優劣を決める剣がどれだけ希少な代物かなど関係ない。エクスカリバーにしろ、デュランダルにしろ。
――――暁の果ての聖剣―――
その竜具以外を凱は求めていない。
「お前が探している護神刀など、欲しければくれてやる!だがその前に、その子を放してからだ!」
まず確保しなければならないのは、人質とされたコーネリアスの命。
そのためには、不要な戦闘を避ける。それが凱の考えだった。
「ふ~ん……まあ確かに頼みの長剣は折れてしまってるみたいだし、戦いたくても戦えないものな」
(このヴォジャノーイ……まさかテナルディエ公爵配下の魔物か)
鞘から抜いてもいないアリファールの状態を既に知っている。
さらにいえば、代理契約戦争から数十年経ち、凱がエインズワーズ家を訪れたと同日に来るなど、偶然にしてもできすぎている。おそらくは、凱が刀匠の末裔に接触することを知り、エインズワーズ家の後継者の存在が、テナルディエ勢力の間に浮上したのだろう。
「敵と三度遭遇して戦いもしなかったら、ボクはテナルディエの旦那に殺されてしまうよ」
――――しかも金貨を集めた枚数だけね。
言葉とは裏腹に、ヴォジャノーイはどこか冗談めかした色が濃く浮かんでいる。
目の前の獲物。
そしてその奥の得物。
さらにその後の報酬。
欲望の方程式を前にして、見逃す理由などまずない。
それで、ヴォジャノーイにとって『再戦』する理由としては十分だった。
「じゃあ、ひと働きするとしますか!」
もはや、闘いは避けられなかった。
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第28話『命を救う為に!虚影の幻姫の戦略~そして挑戦へ!』
凱とヴォジャノーイ。
二人の戦いは、銀閃の長剣アリファールの折れた凱の圧倒的不利から始まる。
――――ヒュン!!
戦闘開始となるや、ヴォジャノーイは口を開き、その『長舌』を伸ばし、毒々しい紫色の酸液の唾を飛ばす。
同時に、伸ばした舌で『刺突』を繰り出す。
酸液の唾をかわせば、鋼をも切り裂く舌をよけきれず、酸液の唾をうければ、ひるんだすきに胴体を『舌』で串刺しにされる。
蛙の魔物ヴォジャノーイは、外見も口調もちゃらけた『人間かぶれ』に見えるが、魔王フェリックスの特攻部隊に選抜されるほどの実力者である。
相手の剣が折れているからと言って、決して油断はしない。
ましてや、相手はあの『勇者』であり『王』である最強の獅子王なのだから。
凱は納刀されたままの状態で、飛ばされた酸液の唾を薙ぎ払う。
だが、凱に酸液の唾を払われるのは想定内だ。
本当の狙いは――――――これだ。
「もらった!」
無防備になった胴体に、ヴォジャノーイの舌が突き刺さる!!
――直前、凱の姿が視界から消えた。
――――ヒュン!!
風を切る音。魔物の攻撃と勇者の回避が織り成す効果音。
失態!魔物は勇者に損傷を与えられない!
「何だと!?」
衝撃を押し殺しきれず、目を見開く魔物の表情。
例え敵対者が魔物だろうと人間だろうと、凱の戦い方は虚影の如き変幻自在。銀閃の如き迅速そのもの。むしろ、こちらの攻撃力を引き立てるために、蛙の魔物を懐まで引き込んだのだ。
伸びきった『舌』は、ほんの一瞬だが硬直する。魔物といえど、物質のしがらみがある以上、筋肉収縮の力学には逆らえない。そのまま凱は一気にヴォジャノーイを巻き込むように反転し、がら空きとなったヴォジャノーイの背中に獅子の舞と竜の一撃を喰らわせた。
「がっ――――!!」
相手の突進力に、遠心力を最大に生かした一撃をお見舞いする。
独立交易自由都市・前線騎士団の長剣取得必須技術。
その名は『銀閃殺法・海竜閃・泡飛沫』
魔物は派手に吹き飛び、地面に叩きつけられ、激しい土煙をあげる。
凱の持つアリファールの刃は、鋼鉄よりも堅い竜の鱗さえも容易に切り裂ける切れ味を持つ。
たとえ、切れ味を持たぬアリファールの鞘といえ、目にも止まらぬほどのすさまじい剣速でたたきつけられれば、いかに魔物とはいえ、昏倒はまぬがれまい。
「ふ~ん?やっぱり『銃』は強いなぁ~一応『――』を持ってきていて正解だったよ」
――ふらり。
だが、魔物は立ち上がる。
そして勇者は訝しむ。
(気のせいか……アリファールが一瞬力を奪われたような気がしたが)
そのうえ、魔物に銀閃を叩きつけた際の違和感。なにやら『ジャラジャラ』という金属がこすれあうような音も聞こえた気がした。まるで鎖帷子を仕込んでいるような――
(リムから聞いたことは本当だったのか。竜具の力を拘束する鎖があるって)
以前、銀閃の風姫エレオノーラと、 凍漣の雪姫リュドミラが「竜具の通じない金属」「竜技が効かない鎖」があると、リムが言っていたのを思い出した。
凱はかつて、独立交易都市へ所属していたとき、魔剣封じの魔剣と対峙したこともあった。セシリーによれば、当時のアリアは風の力を無くすと、うんともすんとも言わなくなったという。
対ゴルディオンハンマーの緊急停止ツール、ゴルディオンモーターもそうではあるが、やはり竜具も魔剣も、人の身には十分余る力があるのだ。そのチカラが自分自身へ向かないよう、有事に備えて何かしらの保険を備えるのは当然のことだった。
竜具の力を奪う正体が何であるか不明だが、
「この代償は高くつくよ……」
ゆらりと――静かにヴォジャノーイは立ち上がる。
今度は脇に差していた剣—サーベルを抜き、人間らしい大陸剣術の構えで凱に挑みかかる。
同時に、言いしれない脅威を感じとる。
ヴァレンティナによれば、彼ら魔物は竜具の刃を素手で受け止めるほどの強度を持っているという。魔物の四肢を振り回すだけでも十分、人間からすれば凶器になりうるのに、さらに魔物が魔剣などという常識を逸脱した武器を手にしたら――――もはや想像がつかない。
準備だけは怠らなかった。それだけは事実である。
「そいつは何の魔剣だ?」
「流石は銃。鼻が利くね。これは代理契約戦争時で発見された氷の魔剣で、どんなものも凍てつかせる便利なモノさ。ま、ちょっとした凍漣の主の気分になれる『なりきり道具』なんだよ」
余裕のある、魔物の口ぶり。
――所詮、ヴォジャノーイにとって、この戦いは余興にすぎない。
「さあ、いくよ!銃!」
ヴォジャノーイは氷の魔剣で襲い掛かる!
『おとこまさり』な、振りかざす真空の刃を!
『おしとやか』な、凍てつく冷気の刃を!
『おてんば』な、狙いすます殺気の刃を!
繰り出す見えざる刃にて勇者のお相手を務めようと、切り裂き魔な令嬢と化して押しかけてくる!
「ほら!銃!踊れ踊れ!!」
上下、左右、斜め、鋭い連撃が繰り出されるが、凱はそれを紙一重で回避し続ける。
―――カチ―――カチ――――カチ!
僅かな白い冷気が凱の頬を徐々にかすめ、勇者の熱い息を凍てつかせる。
「これならどうかな!?」
なんと、ヴォジャノーイは「フッ」と酸液の毒々しい唾を鍔に吐きつけ、直後、凱に向けて解き放った!
これぞ魔物の凍漣なる冷酷の調べ!魔笛散弾射!
歪な形の紫弾が無数に凱へと襲い掛かる!
しかし、勇者は取り乱すことなく、魔物の奏でる死の音譜を、竜具たる指揮剣で打ち落としていく!
――それはさながら、演奏を構成する音楽三大理論の律動・旋律・歌音を体現する音ゲ―のように。
次々と風の鞘にて砕かれる氷の散弾!刹那、切ない風切り音が『きらり』と鳴る!
破砕した氷を粉雪のカーテンにし、この隙に魔物は勇者への接近を果たしていた!
短期決戦を決行すべく、強引に白兵戦に持ち込む。
凱の推測したところ、この魔物、ただ武器を振るうだけじゃない。振り下ろし、横凪ぎ、切り返し、どれをとっても一流である。
氷の魔剣と己の能力を組み合わせて奇抜な攻撃を繰り出すあたり、もし、魔物が本気で修行に励んだら、人間以上の魔剣使いになれるかもしれない。
だが――――
それは一般兵という尺度で図った場合の話である。
「魔物が魔剣をもってしても、この程度か?」
挑発気味にも聞こえる、勇者の感想。
そこの魔物には悪いが、残念ながら勇者を仕留めるには至らない。
(反撃させてもらうぜ!ヴォジャノーイ!)
せいぜい武器を振り回すだけで、凱の動きをとらえることは能わない。
素早く、冷猛なる魔剣の刃をかいくぐると、またしても凱は竜具の鞘で打ち上げるような一撃を繰り出す。
瞬閃の思考。返すアリファールの鞘。地から天へ飛翔せし銀閃の一撃。
――銀閃殺法・飛竜閃(ヴィーフリンガ―)!!
銀閃殺法。竜具が封じられた際、もしくは竜の戦闘力を有する事態に対処すべく、ヴィッサリオンが考案した竜舞。それすなわち百人の兵士が刃を繰り出してこようが、それらを払い、蹴散らし、圧倒する力を持つということ。
これが鞘ではなく刃であれば、ヴォジャノーイの半身は下から左右二つに分かたれただろう。
「――――がはぁ!!」
またしても吹き飛ばされ、苦悶の声を荒げる魔物。その沈黙を確認するや、囚われの赤子へ振り返る。
「待たせたな、コーネリアス。すぐにセシリーお母さんの所へ返してやるからな」
「だぁ♪」
にぱーっと笑うコーネリアス。防衛本能に忠実な赤子は、凱の凱らぐ安堵の声と表情故に、にこやかに笑う。やはり、子供にはひまわりのような笑顔が一番似合う。
木に結わえられた赤子の元に向かおうとする凱。
しかし――
その足はピタリと止まる。
「う~ん、やっぱりこの姿じゃ手も足もでないや」
ふらふらと。またしてもヴォジャノーイは立ち上がった。
(魔物の耐久力を推し量ったうえでの一撃だったのに……ものともしていない)
背後から伝わる、今だ強い魔物の殺気を感じながら、凱はわずかに驚いた。
確かに倒したと思ったのだが、魔物の耐久力は、勇者の想定を上回るものだった。
「ここからが……ボクの本気だ!!アルサスでの二の舞にはならないよ!」
魔物の持つ気質が……いや、存在が変わったというべきか。
今までの陽気な殺気とは明らかに違う――明確な殺気へと転移する!
魔物ヴォジャノーイは背中を丸めると、全身から「ぶしゅー」と粉末状の霧を放出した。おそらく、ファイナルフュージョン過程のガイガーがEMトルネード(電磁竜巻)を放出し、組替中の無防備状態の機体を外敵から保護するのと同じように、あの魔物も強固な紫色の霧をらせん状にまとって、その身を保護しているのだろう。そうであれば、折れたままのアリファールでは魔物に損傷を与えることは不可能である。
にゅるり――何か舌らしきものが、紫の霧から這い出てきた。
「……………!?」
悲願達成のために魔物が人間社会に溶け込み、人間の姿を取ることは珍しい事ではない。現に機械文明の先兵である機械四天王が、素体となるべきターゲットに近づくべく、仮初の人の姿をとっていたのだ。そうやって人の心につけこみ、ストレスをエネルギーへ変換する『ゾンダーメタル』を人間にとりつかせ、魔物化させていた。
しかし、あの時「ティル=ナ=ファ」が語った魔物の本来の意義「世界をつくりかえる」こと――この世界の『遺物』から『純正物』に成り代わろうとするため。
人の世では異物――魔の時代では純正になるだろう、ヴォジャノーイの真の姿が再び凱の前で披露された。
「七戦鬼――妖蛙ヴォジャノーイ……ここからが本番だ!」
三度、ヴォジャノーイの攻撃が繰り出されようとしていた。
【独立交易自由都市・ブレア火山麓】
その頃――リサ達は――
「こっちだ!急げ!リサ」
「はい!ルーク!」
独立交易自由都市の全域で発令された魔物討伐冷。その捜索に当たっていた拠点防衛騎士団の一人から、有力な情報がもたらされた。
ブレア火山の麓、護神刀奉納神社にて、何者かが魔物と交戦中。
「ティッタさん!頑張ってください!もうすぐです!」
「あたしなら大丈夫!リサちゃん!このままガイさんのいるところへ!」
「一直線ですね!分かってます!」
自分よりも小柄な少女、リサの激励を受けてティッタは切れかかった息をどうにか繋げなおす。
馬の蹄ではとても走れぬ茨道なもので、結局自分たちの足で走り続けるしかなかった。この魔物の情報を掴んだ両者は、偶然にもお互いが出くわした。ハンニバル=クエイサーから事情を聞いたルーク、つまりセシリーの旦那であり、リサの師匠である彼はティッタ達の動向を許した。
独立交易自由都市側のルークからすれば、得体のしれない彼女たちであったが、獅子王凱の知り合い以上であれば、信用するに十分だった。なぜなら、凱という熱血漢でお人よしをフォローする人間に悪い奴は少なくともいない。困っている人なら老若男女問わず助け、誰もが憧れる『浮気者』だ。獅子王凱という男は。
「エザンディスさえ使えればよかったのですが、今は仕方ありませんね」
わざと聞こえるような声量でルークに愚痴をこぼすヴァレンティナの気持ちも、まあ分からなくもない。
空間転移できる竜技なら、一瞬で凱の交戦地区へ移動できるはずだ。しかし、今は非常事態発令中。独立交易自由都市全体で祈祷契約なる神の奇跡がかけられている。『見えざる脅威』という超常の力を封じこめて地区全体の被害を丸め込む都市封鎖のやり方だ。
だが、そのために別の問題が発生した。
魔物討伐。事態の収拾を迅速に納めるためにはヴァレンティナの竜技が必要不可欠。もし、これが使えれば、迅速かつ最小に被害を抑制できたはずなのだ。
でも今は使えない。
自由を謳う貿易都市は、緊急事態宣告の鎖に絡まれて、その活力を封じられていた。
逆に言えば、そのおかげで魔物の力を抑制できているともいえよう――――そう、本来ならば。
『何かしら』の対策で既に魔物は変身を遂げてしまった。でも、彼らルーク達はまだそれを知らない。
「まさかお前たち生娘が、ガイの縁者だったとはな」
「それはこっちの台詞だ。私たちもお前のような男がガイと知り合いなのだむしろ驚く」
憎まれ口に叩きあい。両者の初対面はなんというか、喧嘩腰だった。事態が事態なだけに仕方のないことなのだが、利害一致なので同行しているような感じだ。
ティッタは、神社の石階段を登り、境内へ向かった。
「待つのです!ティッタ!それ以上進んでは――」
さらに一足、ティッタを追うヴァレンティナ。二人がちょうど境内に入った時、ちょうど凱とヴォジャノーイが死合おうとしている真っ最中だった。
「……あれは!?」
魔物としての本来の姿を披露したヴォジャノーイを見て、ヴァレンティナはとある秘密に気づいた。
(まさか――独立交易自由都市の祈祷契約を無効化するために、あの『鎖』を利用するなんて)
忘れようもない。あれは戦姫を――竜を地に這わせるために作られたあの鎖には覚えがある。
「ガイ!気を付けて下さい!あの魔物が身体に巻いている鎖は竜具の力を奪うものです!」
荒い息をあげながら、ヴァレンティナは叫んだ。
(そうか……だからアリファールの一撃が和らいでしまったのか)
同時に、次々と荒い息をあげながら姿を見せる面々に、凱の表情は驚愕に満ちた表情になる。
――ティナ!?ティッタ!?フィーネ!それにリサとルーク!?――
アルサスとハウスマン。出会う場所と時間軸が違えど、凱にとっては懐かしき面々。
なぜ彼女たちがここに?だが、今は目の前の魔物に集中せねば。
(ともかく、リムが言っていた鎖はあれのことだったのか)
リムから聞いた話は、現役の戦姫であるヴァレンティナの言を受けて革新へと変わる。
(なるほど――ヴォジャノーイも考えたな。いや、正確にはテナルディエ公爵かガヌロン公爵のどちらかが、魔物に装備を与えたのか?)
確かに、魔剣の力を損なわず、竜具の力を封じ、自身の魔物変化を可能にするには、直接あの【鎖】を巻きつけるのが一番。あらゆる面で強化を促す、鎖帷子は厄介だ。
さらに魔物ヴォジャノーイは、口の中から剣をもう一本取り出す。まるで道化師が行うマジックショーのように。
「さらに、これがボクの魔剣――雷の魔剣シャムシール!」
勇者を絶望へ追いこむと言わんばかりに、超常の力を有する魔剣を『さらに』披露する。
竜具ほどではないが、魔剣も使用者に対してそれなりの負荷をかける。
故に、高い魔剣保有率を誇る独立交易自由都市でさえ、魔剣装備は一本に限られる。
もし、二本同時に扱えるものがあるとしたら、シーグフリードのような悪魔の血を引く者か、純粋な魔物か、ガヌロンのような半身半魔に限られる。
氷と雷――二振りの魔剣の柄を重ね合わせ、一刀のものにする。そこから延びる二本の刃――まるでトカゲの尾のようにして魔物は勇者に襲い掛かった。
双条尾光刃!!
「――――ぐっ!!」
苦痛に歪む勇者の声で、ヴォジャノーイは手応えを得る。
見切りをそらせる歪な刃。同時に凱を幻惑するオーロライリュージョン。かの幻竜神を彷彿させる魔物の技術。さらに、いまだ赤子を人質にとらわれている現実。加えてヴォジャノーイ固有の剣術が、ついに凱の身体をかすめ始める。
「どうだい?いくら銃でも完全武装のボクには太刀打ちできないだろ?」
三度開始される魔物の猛攻。すべての攻撃が確実に凱の動きを少しずつふうじていくような軌道を描き繰り出される。
(このままでは……ならば!)
氷の魔剣の刺突。雷の魔剣の袈裟斬り。次に来るのは魔物の肉体の一部である舌での刺突。ある程度のパターンを解析できた凱の予測は、確かにあっていた。不用意に伸ばした舌をそのままアリファールに絡ませて交錯殴打を叩き込もうとした。
しかし――
「―――――!」
だが、それもヴォジャノーイの予測の範囲内。勇者側ではなく魔物側から舌をアリファールに絡ませる形で、そのまま捻り上げて凱の体制を崩した。
「おらあ!!」
がら空きになった凱の横腹。そこへ力任せの蹴りを叩き込まれる。
「ごふ―――!」
平均成人を上回る凱の肉体が、全長2メートルを超える魔物の一撃に吹き飛ばされる。
ヴォジャノーイ。その恐ろしさは、単に魔物だから強い、というだけではない。
何世代にわたる戦姫との死闘。それこそ、並みの魔物では太刀打ちできない相手をこのヴォジャノーイは生き延びてきたのだ。
前回では敗戦に終わったが、今回は戦勝を飾れそうだ。まさにそれは、いくら金貨をつぎ込もうとも決して得ることのできない高揚感だった。
「ずいぶんと観客が増えてきたみたいだね。これ以上騒ぎが大きくなる前におわらせるとしようか」
次々と魔剣の太刀を繰り出すヴォジャノーイ。凱はかろうじてアリファールの鞘で応戦する。
「どうして……」
遅れて参じたセシリーが、劣勢に立たされている凱を前に憤慨する。
「どうしてガイは剣を抜かない!?」
「ガイの持つ剣――アリファールは折れているのです。本来であれば……とても戦える状態ではありません」
「――――――なんだって?」
両者の戦いを見て、さらにヴァレンティナの言葉を聞いてセシリーは愕然とした。
きっと、いつものように凱が敵を倒し、全てを解決してくれるとわずかに期待したが、それももはや絶望的だとわかった。
同時に、自分自身への怒りが瞬時に込み上げてきた。
(すぐに気づけたはずだ。どうしてガイがここへ来たのか)
それは、折れた剣、アリファールとかいう剣を直すため、わざわざ自分のところへ来てくれたことを。
勇者の振るう聖剣は、決して並みの鍛冶屋では打ち直すこと能わぬ崇高の刃。
心底ではきっと、藁にもすがるような想いでここ工房の戸を叩いてきたはずだ。
だが、再開した両者の立場は違う。互いが、互いを大切に想うがゆえに引き起こした「すれ違い」が、今回の発端ではないのだろうか?
既に新たな命と生活を手に入れたセシリー達を見て、凱は巻き込みたくないと思ったのだろうか。
それなのに――凱との再会で頭が歓喜でいっぱいになって……
セシリーの苦悶が色濃く映る。
また、『あの時』と同じように、ガイを一人に追い込んでしまうのか?
――目の前に映る者すべてを救う――
騎士になりたてのセシリーは、その誓いを口癖とし、同僚の男どもからは無様に笑われた。
だけど、ガイだけは違った。そして言ってくれた。
――君の誓いは俺が護る!護らせてくれ!――と
このままでいいのか、セシリー。神剣の騎士。
いや――
いいはずがない!
(セシリー……あなたは……)
そんなセシリーの様子を背中越しで感じつつ、ヴァレンティナは冷静に分析する。魔物に悟られぬよう、思考を影に落としながら、確実に。
(ガイはこの不利な状況でよく戦っていますが、いずれ追い込まれるのは目に見えています。あの枝につるされている赤子さえ何とか救えれば……)
そこで、彼女には一つの考えが浮かんだ。しかし、それを実行するにはあることを覚悟しなければならない。
――チャンスはたった一度きり――
そう、失敗は許されない。
もし、標的がそらされて凱の集中を乱すならば、取り返しがつかなくなってしまう。
かすかな希望と見るに余る絶望。
その考えを見透かしたかのように、フィグネリアがヴァレンティナに語り掛ける。
「私たちのことなら気にするな」
「フィグネリアさんの言う通りです。ヴァレンティナ様。あたしたちに何かできることがあれば、遠慮なくいってください」
「ティッタ……フィグネリア……あなた達は」
突然の申し出にヴァレンティナは目を開かせた。
「ええと……私たちもいます!ヴァレンティナさんですよね!?何か考えがあるのなら――それに賭けるべきなんです!」
「ガイならきっとそう言い飛ばすはずだ!さっさと言いやがれ!」
リサがたまらず言ったかと思えば、ルークが煽るようにまくしたてる。
「――――せめて武器を」
つぶやくように提案するヴァレンティナ。続く言葉は強く語られる。
「ガイの力に耐えうる武器さえあれば――」
となれば、自分の竜具エザンディスをそのまま凱に明け渡すべきか?
いや、駄目だとすぐに思考を切り替える。
今の凱が、同系統の竜具アリファールを使えるのは見てわかるが、エザンディスを使えるかどうかわからない。その選定基準があいまいである以上、下手に渡せば足枷になるかもしれない。
ならば、竜具ではなく別の武器を使うべきだ。
ダントツの魔剣所有率を誇るここ独立交易自由都市ならば、何かあるはずだ。
贅沢は言わない。竜具のような性能を求めるわけにはいかない。せめて、凱の一撃だけでも耐えうるものがあれば。
問題はそれだけではない。赤子のコーネリアスを人質に取られている。いかにして魔物の注意をそらして救出するか。
どちらも無視できぬ事項であり、どちらも達成するためには時間を有するのも事実。
それも、戦況を見る限りではそのような時間など多くない。
どうすれば――そう思案するヴァレンティナを脇に、刀匠と弟子の二人が既に行動を起こしていた。
「仕方ない!リサ!玉鋼と柄を出せ!」
「はい!ルーク」
「『久しぶり』だが、やれるな!」
「もちろんです!!」
久しぶり……とは思えぬ仕草。まるで――いつもやっている――ようなやり取りで。
リサが小物入れから出したのは、『剣身のない柄』と、掌大の玉鋼だった。
鍔から先にあるはずの刀身がない。彼らは一体何をする気だ?
分からない。だが、このまま手をこまねいているだけでは打開できぬのも事実、ここは彼らの行動を見届けるとしよう。
――――――鍛錬を開始する!!――――――
それは、この状況を打破する文言にして、これから刀身亡き鍔の刃を生み出すための呪文。
両者の大地に広がる、暁にも似た黄金色の紋様。東洋の国ヤーファ、その地方里ホムラに伝わる『伝説の鍛冶場』を模した工房が目の前に具現化する。
中でもひときわ目を引いたのは、刀匠と弟子が見つめる『黒い火球』だ。
「何なんだ……あれは?」
突如現れた火球に、フィグネリア、ティッタ、ヴァレンティナは目を奪われた
セシリーには何度も目にした光景と、ティッタ達には初めて目にする光景だった。
そう、初めて見る者には何のための物体だか分からないと思うだろう。
少しでも気を緩めば、こちらが吸い込まれそうになるほどの引力を持つ火球。その火球にルークは刀身のない柄を手に――
「――いったい何を!?」
ティッタ、フィーネ、ティナ、果たして誰が発したのだろうか。
腕ごとそれをドス黒い火球へぶち込んだ。波一つたてぬ水面へ挿入するかのように、ルークの腕までの見込み、次いで玉鋼を放り込む。
ルークは一心不乱に何かを呟き始める。
「小割――選別――積み重ね――鍛錬――折り返し――折り返し――折り返し――折り返し――折り返し――心鉄成形――皮鉄成形――造り込み――素延べ――鋒造り――火造り――荒仕上げ――」
ジスタート語とも、ブリューヌ語でもない呪文の羅列。だが、幼子のときに聞いた、かすかな記憶の片隅におぼろげながら覚えている。若き時代のヴィッサリオンから教えてもらった『あの』工程だ。
ヴァレンティナは隣のセシリーにそれとなく聞いてみた。
「セシリーさん、もしかしてあれは……ルークはまさか――」
「すまないが、その話はあとだ」
ルークが割り込んできた。
「説明するぞ、お前たち。この刀は俺の鍛錬経験をなぞることで生成される。俺が過去に打った刀をそのまま再現する仕組みだ。再現できる回数は一本につき一度だけ。材料には高純度の玉鋼を要する。そしてこの方法で鍛錬された刀は多量の霊体を含み、様々な効果が付加される。今回は『風』をこの刀に加えるというようにな」
彼女たちの視線にリサがうなずく。
「この鍛錬の再現術が、私の悪魔としての能力です。あの火球はルークの過去や経験をなぞり、簡易的な炉の働きをする役割を持っています」
矢継ぎ早に放たれる説明に、ティッタ達は混乱しそうになったが、何とか理解に努める。
そして、既に理解し、この状況を打破する展開を組み立てた戦姫がいる。
まだルークの説明は終わらない。
「問題はこれからだ。この方法で造られた刀は非常にもろい。高濃度の霊体を含むため、素材である玉鋼が許容限界をこえやすいんだ」
「もって三太刀……と言いたいところだが、使い手を考慮するとたった一振りが限界だ」
「それで……あの魔物を倒せるのか?」
「まず倒せないだろうな、『俺たち』では」
そうルークは断言し――
「だから、倒すためにガイの力が必要になる。俺たちの子どもを助けるために、お前たちの力が必要になる。そして……」
ここでルークはセシリーに向き直る。
「俺の嫁の力が必要になる。だから……力を貸してくれ!」
ルークはまっすぐにこちらを見つめてくる。
――――この瞬間、ヴァレンティナは勝利と収束の図式を見出した!!――――
「みなさん、聞いてください。私に考えがあります」
魔剣精製中のルークもリサも、一同はヴァレンティナに目を向ける。
「フィグネリアは木につるされている子供を受け止めてください。ティッタは子供をフィグネリアから受け取ったらすぐにこの場から離れてください」
本来なら母親であるセシリーに預けるべきだろう。だが、ここへ駆けつける途中、リサから聞いた話では、セシリーの身体はまだまともに動いていい状態ではない。子供を産んでからは数カ月大事を取らねばならないのだが、ここまで走ってくるだけでも想像を絶する負担だったに違いない。つらいだろうが、母親への懐へ預けるのはしばし我慢してもらわねばならない。
ここでフィーネに疑問が生まれる。自分自身、確かに跳躍には自信がある。だからこの役目には最適なのはわかる。
しかし、フィーネが赤子のコーネリアスに接触した瞬間、ヴォジャノーイに狙われるのは間違いない。魔物の攻撃をうければ、赤子もろとも絶命してしまう。
「だがヴァレンティナ、どうする?私があの子供と接触すれば、あの蛙野郎は私もろとも殺しにかかるぞ。一度奴の攻撃をどこかへ受け流す必要があるんじゃないか?」
「分かっています。その役目はわたくしが引き受けましょう」
にこりと、ヴァレンティナは答えた。緊張感のカケラもない明るい笑顔のせいで、見る者は調子がくるってしまう。それがどれだけ危険な役目か、この女は分かっているのか?
「できるのか?ヴァレンティナ」
「愚問ですね。できようが出来まいが、この状況で突き付けられた要求をはねのけるに足る理由は存在しません。『やる』のです」
もしこの場に凍漣の主リュドミラ=ルリエが居合わせていたならば、オルメア会戦の軍議を彷彿とさせていただろう。ティグルの不安な問いに対してリュドミラは『できる』『できない』ではなく、『やる』の一択で通しきったのだから。
「私は何も勇気と無謀をはき違えたりしません。このエザンディスが残っていますから」
「だが、今はこの都市全体に呪術らしきものがかけられていて、竜技とやらが使えないはずだが?」
「ええ、ですから、竜具そのものに頼ることにします。エザンディスの竜技ではなく、竜具そのものを使用します」
魔剣二本装備の完全武装のヴォジャノーイの猛攻を耐え抜くのは不可能だ。幸い、エザンディスにまだ隠し武装はある。
大鎌の形状を持つエザンディスには変形機構が備わっている。その組み替え方は『立体娯楽用具』に近いらしく、大鎌の通常携帯から第六形態にまで組替可能とのことだ。
虚影――――その名のように、姿形はなく、変幻自在の存在なのだ。
さっそくヴァレンティナは布にくるまっていた竜具エザンディスを開放、鮮やかな手つき、されどほんのわずかな時間で組み替えてしまう。
「これがエザンディスの別の姿……竜の『瞳』である弓です」
竜の瞳は、あらゆる生物の魂を射抜くといわれる、見えざる魔弾。
弓といっても、それはただの弓ではない。弓の上下に滑車らしき小さな部位が見受けられ、弦……とは異なる線導らしき物体も数本確認される。
決して『弩』などではない。弓のカタチを存分に残しているあたり、弓と弩のいいとこどりをしたものがこれになるのだろう。
消音、無音、加えて鏃に細工を加えるなど、影にふさわしい暗殺道具となっている。
「ルークさんの刀と同じく、わたくしの竜具もたった一本のみ打てます。二度目はありません」
魔物の猛攻に対し、2度もつがえている暇はない。どちらにせよ、この弓の装填数はたった一本なのだ。
そして何より、決意が鈍る。
「では各々、ご武運を祈ります」
そういうと、ヴァレンティナはエザンディスの弦……元々は大鎌の柄の一部であった個所を限界まで引き絞る。狙いを定めて勝機をうかがう。
彼女のその姿はまるで、影に潜み息の根を止める暗殺者のそれであるかのようであった。
NEXT
第29話『天翔ける流星!甦る暁の一振り』
前書き
久しぶりの投稿で短めで申し訳ありませんが、一読していただけると幸いです。
魔物を狙うヴァレンティナ=グリンカ=エステスの視線に――
闇と影の竜具、魔物を穿つ弓へと姿を変えたその鏃の視線に――
赤子を人質にとる魔物ヴォジャノーイが気づいた。
同時に、『疑似鍛冶場で鍛錬を慣行する』刀鍛冶とその小さな助手の姿にも気づいた。
だが、魔物は迷うことなく刀鍛冶ルーク=エインスワーズの元へ強襲する!
この魔物には勝算があった。
自身の肉体の強度には自身がある。オルメア会戦終戦後の夜襲にて、かつて凍漣の主と対峙したとき素手のみで振り払ったことがあるのだから、この虚影の主の竜具も問題にならないはずだ。
それに引き換え、刀鍛冶の精製する『刀』だけは絶対に破砕しなければならない。恐らく、あの手に収まるであろう勇者の元へ届く前に!
竜具に比べて、か細い『力』しか感じぬ刀だが、間違いない。竜具よりもはるかに危険な存在だと!確実に自分の身体を切り裂くものだと訴えかける!
「ルーク!」
「一歩遅いよ!銃!」
奪われる勝機。崩れ行く未来。奪われていく赤子の命。
勇者、獅子王凱は人を超越した存在だ。それでも目の前の絶望的な状況に追いつくには至らない。それが何と悔しい事か。
ほんの一瞬でもいい。魔物の強襲からルークを庇うことが出来れば……あるいは!!
そんな凱の願いに呼応したのか、セシリーがルークの前に仁王立ちで立ちはだかる!
「思い出してくれ!ガイ!これが……セシリー=キャンベルだ!」
自分にできることは少ない。むしろ、たった一つしかない。自分にあの蛙の魔物を打ち滅ぼす力などない。
そして、自分が求めた勇者に思い出してほしい。
もう、「あのとき」の勇者に守られるだけの少女ではない。今、この瞬間だけは、勇者を守る騎士だと。
あのとき、果たせなかった約束を、今!ここで!
「鬱陶しいね!消えてもらうよ!」
歪な笑顔を浮かべる蛙の魔物の口から吐き捨てられる酸液の唾!紫と紺が入り混じる毒々しい色!
たかが人間一匹の障壁など魔物にとっては羊用紙に等しい。排除など造作もない。魔物は勝利を確信した。
散弾銃のように飛びついてくる魔物の唾は、確実にセシリーの四肢を穿ち、傷つけ、殺せる……はずだった。
ただセシリーはじっと耐えている!ルークを狙うはずだった魔物の散弾唾は全てセシリーに防がれる!
「――――!!」
彼女は倒れない!終われない!守ること!そう宣言したのだから!
(……なぜだ!?)
直立不動を続けるセシリーを凝視して、魔物は一瞬焦りを覚える。過去に一度、凱に膝を突かせたこともあるのに。
ほんの一瞬の時間稼ぎにすぎない。だが、十分でもあった。刀鍛冶が鍛錬を終えるまでは。
そして、声が聞こえた。
「セシリー……お前のおかげで完成した!」
刀鍛冶はただ前を見ていた。
「ルーク……」
倒れるセシリーの背中を、ルークが支える。
片手には、不純物一切含まぬ直刀が一本。素粒子の跳ね返りで輝く側面は、この場にいる全員の意識を支配する。
光の……いや、違う。これは『暁』の神剣――
(駄目だ!あれだけは絶対に粉砕しなければ!!)
完成したばかりの神剣を目の当たりにしてヴォジャノーイは焦り、上空へ跳びルークへ強襲する。
だがルークは動かない。セシリーも抱きかかえたままだ。でも動じないのは何故だ?まるで、ギリギリまで引き付けるかのように。
「ルーク!?」
たまらず凱が叫ぶ。しかし、この距離では一足飛び間に合わない。そしてこの後、凱はルークの……そしてヴァレンティナの真意を知ることとなる。
――――突如、閃光が空間を奔り、魔物の頬を切り裂いて勇者の手元を目指す!
「ガイ!!そいつを使え!」
たった一人のために、獅子王凱のために、勇者のために作られた一振りの刀身!
それは、凱の生き方を肯定する『殺刃なき直刀』の剣!それがたった今、凱の手に届けられた!
「当代の刀鍛冶!!お前はここで!!」
片付ける。そう言い放とうとした『矢先』、ヴァレンティナの構えし竜具の『矢』がヴォジャノーイを穿つ!
案の定、黒き弓のように倒せるわけではない。それは分かっていた。しかし、ひるませることはできた。
(こうなれば!せめて坊主を!!)
もはや巻き返しが効かないと判断したのか、魔物は標的をルークから赤子コーネリアスへ視界を切り替える。
だが、既に時遅し。
勇者、騎士、刀鍛冶、戦姫が繰り広げた幕劇の裏側で、フィグネリアが赤子をしっかりと抱きかかえて身柄を確保していたのだ。
もう、勇者を縛るものは何もない!ただ目の前の魔物を成敗するのみ!
そしてこの勝機を、凱が見逃すはずがない!!
「ルーク!ありがたくこの『神剣』使わせてもらうぜ!!」
繰り出されるは、独立交易自由都市、騎士団習得必須技能。
天翔ける銀の流星にして竜星よ!力を!
竜の舞闘を模倣した長剣様式の竜舞!その名は――――
―――銀閃殺法!海竜閃!銀之竜星!!―――
頭上数回転から繰り出される斬撃と朱い煌めきが確実に魔物の身体を、まるで夜空を切り裂く無数の流星として切り裂いていく!
「……があ!!」
断末魔、と捉えられそうな呻き声をあげ、蛙の姿をした魔物はそのまま地に伏せる。
勇者達は、勝利を手にしたのだ。