俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか
1.俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか
前書き
なんか出来上がったので投稿してみる。
ダンまちオリ主物で転生的な何かとチート的な何かアリです。
なお、没ストーリー倉庫に投稿した分を全部消化するまで1日1話ペースの自動投稿です。ほぼあの時のまんまですが、作者コメントや一部の誤字等が修正、調整されている部分もあります。ご了承ください。
じゃらり、と鎖が鳴る音を聞きながら、そこに足を踏み入れる。
足場一面が鎖で埋め尽くされたその真っ暗闇の中心に、スポットライトを当てられたように降り注ぐ明かりが、一人の人間を照らしあげた。眩しさに目を覆いながら、それを見る。
大きな十字架と、それに纏わりつく鎖。その鎖に全身を雁字搦めに縛り付けられたそれは、よく見れば人間だった。
動きを拘束されるように2本の槍のようなもので両足を貫かれており、足元には血溜まりが広がっている。抉れた肉は既に全ての血を出しきったとでも言わんばかりに赤黒く変色し、見る者の神経をざわつかせる痛々しい断面を晒している。
と、鎖に絡め取られた人間が顔を上げた。
生きているのかも怪しいほどに痩せ細り、生気を無くした虚ろな顔は、幽霊と見紛う。
抉り取られているのか、右目があるはずの空間がぽっかりと空き、守るべき眼球を失った瞼がくぼみを作っていた。それだけではない。同じ右頬の皮膚は酷いやけどで爛れ、身体も傷だらけ。その身体はまさに死に体だった。
助けようと声をかけようとし、ある事実に気付く。
この顔は――自分と似ていないだろうか。
「よお、やっと気づいたか?相も変わらず呑気なようで何よりだ……」
じゃらり、と鎖を鳴らして声を絞り出したズタボロの人間は、口角を吊りあげてくぐもった笑い声をあげる。酷く擦れていて、電波状況の悪いラジオのように聞き取りづらかった。だが、何故か何を言っているのかは理解できた。その物言いは、自分とこちらが同一人物であることが正解であると語っている気さえする。
「見ろよこの身体……ひでぇ有様じゃねえか。痛くて痛くてたまらないんだ。もう痛みを感じる事さえも疲れてしまった……」
鎖に縛られた皮膚は紫色に変色して、その腕はまるで木の枝のようで、骨の周囲に皮が張り付いていると形容するほかにない。加えて火傷に裂傷。既に致命に至っているとさえ思えるその体でよく喋る元気があるものだ、と関心すら覚える。
彼に巻き付く鈍色の鎖が冷たい閉塞感を放ち、死ぬことさえ許すまじとの意思を以て拘束しているかのようだった。
「なあ、生きてて楽しいかい?」
不意に、そう質問された。
「いつだって怪我して痛い思いして、嫌われて痛い思いして……生きていたって苦しいだけじゃないか。どうせ人はいつか死ぬのに、なんでわざわざたっぷり苦しんで生きなきゃいけない?」
人は、この世に生まれたその日に世界と生の契約を結び、死と共に満了を迎える。
何を求められているでもなく、ただ生きろとこの世界の中に放り込む。
終わる理由は何だろう。
病気か、事故か、事件か、テロメアの限界か、脳細胞の限界か、精神の限界か。
分からない。
分からないが、終わりの瞬間は必ずやってくる。
その瞬間、人は認識の外へと弾きだされる。
「もう、生きるのをやめないか」
諭すような囁きだった。
「生きてたって苦しいだけだし、生きてるから死ぬことが怖くなるんだ。生きるのをやめないか。生きてるから悩まなきゃいけないし、痛みを感じなきゃいけないんだ」
生きとし生けるものは皆、死を恐れる。
人もまた、死を恐れる。
だが死の恐怖を実感できない世界で生きていると、生きる事が辛くなってくる。生きている自分がどうしようもなく惨めで、自力では前にも後ろにも進めないままずるずると老いだけを重ねていく。みっともなく生にしがみつくことに嫌気がさす。
死を恐れるあまりに勝ち取った人間の世界が、逆に死を囁くように感じる。
「なあ、死のうぜ?俺もお前も、一緒に生きるのを止めよう。生から解脱し、 静寂に沈もう。刹那と那由多が永遠に交錯する世界へと旅立とう」
気付けば、俺の両手には一丁ずつ拳銃が握られていた。同時に、脚に鎖が絡みつく。
鎌首をもたげる蛇のようにうねり、絡まり、万力で締め上げられるように足をぎりぎりと締め付けた。
激痛に体を震わせるが、どういう訳か手に握った拳銃だけは離すことが出来なかった。
これを使って、殺してくれと言う事か。
「さあ、死のう。いっしょに死のう。俺はお前で、お前は俺だ。俺が死ぬ時はお前も死ぬ時だ。一緒なら寂しくねえだろ?一緒に解放されようぜ」
拳銃を見つめる。装填された弾丸はそれぞれ一発ずつ。
一つはあいつに、もう一つは自分に。そういうことだろう。
安全装置も撃鉄も、全て準備は整っていた。
死ぬのは怖い気もするが、生きているのも辛いだけだ。
ならいっそ――そんな彼の願いは、きっと自分の願いでもあるのかもしれない。
トリガーに指をかけ、グリップを両手で握る締める。狙いを定め、息を吸い込み――
引金を、引いた。
一発は俺の脚の、もう一発はあいつの鎖めがけて。
縛っていた鎖が、襲いくる鎖が、銃弾によってひん曲がり、砕ける。
「俺は思うんだ……『それでも人は夢を見る』。いつか今より幸せだと思える。そんな自己満足を得られる日が来るかもしれない。……なに、どうせ帰り道は一緒なんだ。死ぬまでの旅路――旅は道ずれ世は情け、だろ」
「俺を拒絶しないのか」
「しないさ」
「なのに、俺の提案を受け入れないのか」
「俺もお前に提案したのさ」
死は避けられないから、それを認めない訳にはいかない。
でも、死神に待ってもらう事くらいは出来るから。
崩れ落ちる鎖を振りほどき、十字架から降ろされた俺の肩を掴んだ。両足に刺さった2本の槍はからりと音を立てて床に転がり、動かなくなったその足が出来るだけ痛まないようにおぶる。
冷え切った体の中で、鼓動だけが確かに感じられる。
生きてるな、って感じる。
「ちょっとしんどくはあるけどさ……ま、一緒に行ってみようぜ」
「気楽だな、お前は……いいさ。俺はお前だものな。いつまでも付き合ってやるさ。お前の影、お前の仮面――もう一人のお前として」
暗闇の世界が、砕け散った。
= =
トンネルを抜けると、そこはオラリオだった。
という冒頭で小説を書こうとしたら、親友のオーネストに「『雪国』のパクリかよ」と突っ込まれた。この冒頭を知っているだけでなく小説のタイトルまで知っているとはつくづく教養がある奴だ。俺と違って。
俺はアズライール・チェンバレット。このオラリオではそんな名前を名乗っている。
ちなみにアズライールというのは元は他の神に勝手につけられた仇名で、オーネスト曰く「イスラム教の死神(正確には天使)」らしい。お前なんでも知ってるなオーネスト。よく考えたらオラリオの知識の9割はお前に教えてもらった気がするぞ。
かつて、俺はコンクリートジャングルに住まう普通の人間だった。
といっても、普通というのはちょっと違うかもしれない。
俺は当時心が空っぽだった。やりたいこともないし、やりたくないこともない。自分と言うものが何なのやらあやふやのまま他の人と適当に歩調を合わせて生きていた。歩く屍、とでも言うべきだったんだろう。
そんな風に生きて、老いて、意義を見いだせずに死んでいくことが何より怖かった。夢が欲しかった。なのに自力ではどうしようも出来ず――結局、最後まで何をすればいいのやらわからないまま何かしらの災害に巻き込まれ、よく分からないまま意識が闇に落ちた。
で、その先で十字架に鎖で括りつけられた俺を発見したのだ。
俺はそこで結局生きることを選んだ。
後になって思えば、俺は死にたかったのかもしれない。
でも今は生と死が同梱してるのでどっちでもないのだが。
もう一人の俺を鎖から解放すると、更に場面は変わり、何故か俺はこのオラリオにいた。
2,3年ほど前の話だが、今もあの瞬間は鮮明に覚えている。
街を行き交うコスプレイヤーに天高くそびえるバベル。
唐突過ぎる剣と魔法の世界へのデビューだった。
モロにファンタジーな世界に困惑しまくり、行き場所も頼れる人もゼロ。
偶然にもオーネストが俺を助けてくれなきゃ今頃野垂れ死んでたかもしれない。
ちなみにオーネストが俺を助けた理由は、彼も俺と同じく現代日本からここに来たクチだったから。……っていうか、多分だがそれがなければ普通に見捨てられてた気がする。きっかけって凄いね。
とはいっても彼の場合は赤子の頃からこっちにいたらしく、日本時代の記憶をはっきり思い出したのは7、8年ほど前だそうだ。何か個体差のようなものがあるんだろうか?それともルートが違うのか?真相は謎のままだが、兎に角それ以来の付き合いだ。
まだ夢は見れないが、昔よりは生きがいのある人生だ。御年たぶん18歳。苦しみ少なし悩み無し。
現在ダンジョン37階層。今日も今日とて輩と、生活の為に金稼ぐ。
「そお……れぇいッ!!」
手に持った戦闘用の鎖を全力で振り回す。
この鎖は一種のマジックアイテム。力を入れずともその軌道はある程度俺の意思に従って、蛇のようにうねりながら魔物の身体に命中していく。横薙ぎの暴風が数十にも及ぶ魔物たちの体を抉り、削り、吹き飛ばす。
ジャララララララッ!!と音を立てて俺の手元に戻ってきた鎖は、その破滅的な威力を存分に発揮して魔物を殲滅させた。一通り振った後に残ってるのは、魔物の残骸とドロップアイテム、それに魔石だけ。
こんな戦い方をするものだから、俺の周囲には基本的に人が寄り付かない。寄ってきたらうっかり薙いじゃうから都合はいいのだが。
や、俺は主にオーネストの倒した魔物のドロップ拾う係なのだ。数が多いと面倒だからこうして手伝いをするときもあるってだけだ。現にオーネストの奴は既に巨大な「迷宮の孤王」とかいうドエライ化物相手に吶喊して血祭りに上げている。
ダンジョンそのものに伝播する苛烈なまでの殺意。
ドエライ魔物さえも圧倒する暴君による一方的な蹂躙が繰り広げられる。
「死ねぇッ!四肢を削ぎ落とされッ!五臓六腑を撒き散らしッ!!ただ無駄に!無為に!!お前を殺した俺への恐怖を抱いて消滅しろぉぉぉーーーッ!!!」
周辺の魔物が助けるどころか逃走を開始し、「迷宮の孤王」に至っては本当に四肢を削ぎ落とされながらも必死にオーネストから逃げようとしている。が、その願い虚しくオーネストはそのデカブツの背中に飛び乗って滅多刺し。両手で何度も何度も背中に剣を深く突き立てる度に、魔物の悲痛な叫び声が木霊する。
『アギャアアアアアア!?ガ、ガグゴゴゴオオオオオオオオッ!!!』
「うわぁ……ご愁傷様。往生しろよ?」
ちなみにあの剣は別に痛めつけてるのではなく、背中から魔石を破壊するために肉を削ぎ落としているだけである。何をどう育てばあんなにエゲツナいことする人間になるのやら俺にはさっぱりわからない。その気になればあそこから魔石を両断することも出来る筈だが、もしかしたら真正ドSなのかもしれない。
数分後、返り血で真っ赤に染まったオーネストは魔物が死んだことを確認して魔石を蹴り飛ばした。
欲しけりゃ拾え、という意味である。この男、装備品を揃える以外に金を使わないために儲けを気にしないのだ。
そういやアイツ昔『イシュタル・ファミリア』から戦闘娼婦を買ったことあったな。
なんか騙されて働かされてたらしいので助けたんだと思うが、あの時も3億ヴァリスをポンと出すものだからぶったまげた。実はファミリア以上に金持ちなのかもしれない。
まぁそれはそれとして。俺は無言で血塗れオーネストの頭にポーションをぶっかける。
オーネストとて一応人間。苛烈な戦いの中で結構ダメージを喰らっている筈だ。が、コイツは怪我をしててもよほどひどくない限りは平気な顔して放置するタイプ。なので回復させるのは俺の役目である。
当の本人は頭からポーションを垂れ流しつつ俺を横目でジロリと見ている。水も滴るいい男を地で行くイケメン加減だが、その分異様な威圧感を感じる。感謝されてないのかもしれない。お礼を言われたことないし。
「あ、今ので最後か……オーネスト。ポーション尽きたから帰ろうぜ?」
「そうか。俺は先に行くから勝手に帰れ」
「まぁそう言わずに。荷物もそろそろ一杯だろ?」
「知るか。俺は行く」
……こんなでも俺達は友達である。
友達、の筈だよな?なんか不安になってきた。
金髪金目の美丈夫であるオーネストは目つき鋭い系のイケメンなのだが、その実エルフより気難しくて獣より狂暴な男だ。基本的に他人に体を触らせないし、無理に触ると最悪斬撃が飛んでくる。俺は一応友達なので肩に手をかけるくらいは許してくれるが、それでも顔を顰めるくらいはする。
それくらい気難しい男だから、俺のいう事も基本的には素直に聞いてくれないのだ。
しかし、オーネストはここで放っておくとポーションが切れようが武器が壊れようが制圧前進を続け、最終的には階層主相手に素手で殴り合いを仕掛けている所を最前線ファミリアに止められてぼろ雑巾みたいになって強制送還されながら「邪魔しやがって」と悪態を吐く男である。
要するに放っておくと死ぬから、どうにか地上へ連れ帰らねばならない。
「はぁ~……ったく!『死望忌願』!オーネストを縛り上げろ!」
瞬間、俺の影から濃密なまでの『死』の予感と共に、ずるりと死神が這い出る。
常に俺に寄り添う、俺自身の内包する側面の一つ。俺の心の分身。
『לקשור את האויב――!』
幽世へと魂を招くような腹の底が冷える気配の主――それが『死望忌願』。
鎖で十字架を背に縛り付けられた3M近いコートの魔人は、奇妙な文字が描かれた包帯の隙間から漏れる赤い眼光をオーネストに向け、その身体に纏った鎖を投擲した。
「テメ……ぐおおッ!?」
こちらが本気であることに気付いたオーネストから小心者ならそれだけで死にそうな苛烈な殺意が浴びせられるが、鎖は既に彼を絡みとっていた。『死望忌願』の鎖は自慢じゃないが不壊属性に限りなく近い強度を持っている。
いくらオーネストが強くても一度縛られれば抜け出せないものだ。
「はいオーネストの簀巻き完成~!ホラ帰るぞ?ヘファイストスさんの所で武器の整備する約束あったろうが!」
「くっ……分かったよ。自分の足で戻るからこの鎖をどかしやがれ」
「はいはい……『死望忌願』!もう離していいよ」
『זה לא היההאויב――』
鎖から解放されたオーネストは不機嫌そうだが、一度発した言葉に嘘はつかないのがこの男のいいところ。もし帰る気ゼロなら鎖に縛られたままにらめっこが開始されるからね。
『死望忌願』は下らない事で俺を呼び出すな、と言わんばかりに不満そうにこっちを見てそのまま俺の影に戻っていった。
「っつーか、『死望忌願』を出すときは詠唱しろって念を押した筈だが?」
「良いだろ別に、誰も見てないんだし」
「………まぁいい。どうせ損するのはお前だしな」
「ひでぇ」
元々詠唱をしろと言い始めたのはオーネストなのだが、こんな時くらいはいいだろう。
俺に寄り添う分身であり力そのもの、デストルドウ。
俺が冒険者として死なずにやっていけるのも全面的にコイツのおかげである。
俺の鎖も元々はコイツの鎖。他にも十字架やら鎌やら銃やら色んなビックリドッキリ技を持った俺の最終必殺技だ。出し徳ノーリスクだけど。
デストルドウはこの世界では魔法という扱いになっているが、オーネスト曰く『それは魔法でも神の力でもない。お前の破壊的な側面が実体化して付き従っているだけだ』とのこと。つまり、某奇妙な冒険漫画や某仮面ゲームに出てくるアレに近い存在だそうだ。
なんでこれに目覚めたのかと言われれば、やっぱりオラリオに来る前のアレだと思う。
それにどんな意味があるのかは分からないが、案外意味なんてないのかもしれない。
「その力の本質は『人間』だ。『人間を生み出した神』から解脱しようとする力と言ってもいい。お前にその気はないだろうが、そいつは超越存在に死を齎せるだけの性質を備えている。本質を理解された日には、神は己の存在をかけてお前を殺しに来るぞ」
「だから詠唱をつけて特殊なだけの固有魔法に見せかけようってんだろ?でもさ、もう2年経ったけど誰にも気づかれてないじゃん。アレ唱えるの面倒くさいし、誰も見てない時くらいイイだろ?」
「ふん………なら精々バレないようにしろよ。壁に耳あり障子に目あり……用心に越したことはない」
なんやかんやで心配してくれているらしい。
こいつのそういうぶっきらぼうな優しさは、不思議と分かる人には伝わってくる。
だからこそこの偏屈冒険者は未だにオラリオで孤独になっていないのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は地上まで上がっていった。
= =
「おい、あれ……」
ざわり、と街の空気が変容する。
それは、街でも屈指のファミリアや冒険者が現れた際によく目にする空気の変化。
だがその瞳に映るのは畏敬ではなく畏怖。この街の異物から離れようとするそれである。
「『狂闘士』と『告死天使』……戻ってきたのか」
『狂闘士』……彼は自らをオーネストと呼ぶ。
弱冠10歳の頃よりたった独りで、『上も下も』魔窟であるオラリオに住まう冒険者。彼は冒険者でありながら、『ファミリアに所属しない』。どの神にも決して膝をつかず、どんな脅しにも決して屈せず、暴力を掲げた者には徹底的な暴力で応対する。
彼がレベルいくつなのか、恩恵を受けているのか、親が誰で過去に何があったのか、誰も知らない。ほんの一部の人と神とのみ関わり、心優しき者も下心ある者も平等に拒絶し、死をも恐れぬ苛烈な戦いぶりは正に『狂闘士』と呼ぶに相応しい。
彼の渾名の由来は、『凶狼』の二つ名を持つ冒険者との苛烈すぎる喧嘩を見た神が名付けたものである。
『告死天使』……親しき者は彼をアズと呼ぶ。
2年前、突如この町に訪れてオーネストの隣に居座った「死神」。彼もまた、冒険者でありながらファミリアには所属していない。どの神にも笑顔で接し、困っている人には手を差し伸べるのに、彼にはいつも濃密な「死」の気配が付き纏う。
レベル、恩恵の有無、人間関係一切不明。交友関係は人並みにあるが、人も神も彼の「死」の気配を怖れて自ら近付こうとはしない。そして戦いにおいてはその「死」の力を遺憾なく振るい、その姿は神を以てして「死神のようだ」と言わしめる。
善良な人間性に反する生物的忌避感と底知れぬ力が故に、神は彼に「死神に近しい者」……『告死天使』の二つ名を送った。
「噂じゃ『告死天使』は『狂闘士』の魂の収穫を待ってるって話だ」
「どっちも人の皮を被ったバケモンだろうが」
「折角ダンジョンに潜ったって聞いてたのに……そのまま二人纏めて野垂れ死ねばよかったのよ」
「バカ、聞かれたら殺されるぞ……!」
ある者は嫌悪感を露わにし、ある者は見る事さえ憚る。
ファミリアに所属しないが故にレベルの報告義務もなければ、活動指針もありはしない。
野放しになった狂犬――秩序を失った天使――そして、彼の周囲で活動する顔も知らない冒険者や神々。それらの集合体を、人々は実体のないファミリア――【ゴースト・ファミリア】と呼ぶ。
「相変わらず俺ら珍獣扱いだな」
「料金ふんだくるか?」
「やめろ。お前が料金徴収なんてヤクザより怖えぇよ。とっとと『お家』に帰って休もうぜ?どうせ今日も暇な奴が何人か屯してんだろ」
「フン、自分のファミリアも放り出したヒマ人共め。よくもまぁ人の家に来るものだ」
(その暇人の首魁が何を言うか………)
そして、この二人がその【ゴースト・ファミリア】の中心にいる事は……もはや言うまでもないことだ。
「あ、アイテムと魔石の換金どうしよっか」
「金が欲しいならいってきたらどうだ?俺は要らん」
「宵越しの金は持たないってか?」
「馬鹿言え、使い途がないだけだ。それに……宵を越す必要が俺達にあるのか?」
オーネストにしては珍しく、にやりと含みのある笑みを浮かべた。
こいつなりのジョークなんだろう。オーネストがジョークを言う相手は、それなりに気に入ってる奴だけだ。素直じゃねえの、と内心で苦笑いしながら同意する。
「それは確かに。金にも困ってなけりゃ未来を渇望してもいない。俺達はそういう人種だよな」
「そうだ……俺たちに未来は要らねぇ」
「だな。俺達に未来は要らねぇ」
未来など要らない。何故なら、今日に後悔はないのだから。
後書き
アズライール・チェンバレット
愛称あずにゃん。放課後は紅茶を飲みつつギターの練習をして蒼の魔導書を探すブルー・コスモス盟主(※嘘です)。死望忌願のモチーフはペルソナシリーズに出てくる「刈り取る者」です。
オーネスト・ライアー
直訳すると「正直者の嘘つき」。言うまでもなく偽名である。
色々と過去にあって荒みまくっているが、アズとの出会いで相当柔らかくなっている。
オーネスト全盛期の武勇伝
・1日5人は冒険者をボコる。最高記録は1日57人(ファミリア一つまるごと)。
・フレイヤの魅了に抵抗するどころかガチギレして最終的にオッタルと殴り合い。
・↑で負けて全治1週間の大怪我をしたが、その代わり人類で初めてオッタルの耳を引き千切った。
・ファミリア一個をまるごと脅迫して舎弟に。
・ギルドの出頭要請を5年間無視してとうとう指名手配になるも、皆オーネストを怖がって近づかず。
・敵対ファミリアに奇襲を仕掛けられたので、仕掛けてきた奴全員に拷問。
・その後仕掛けてきたファミリアに散発的な単独奇襲を続け、一か月かけてじわじわなぶり殺し。
・『豊饒の女主人』のミアと見解の相違から殴り合いの大喧嘩をして大変なことに。
・後に肉体疲労による味覚障害が判明して周囲による強制療養が決定するも、ガン無視。
・その後一週間に渡って鬼ごっこを繰り広げ、バベル頂上でアズとの一騎打ちにまでもつれ込む。
・↑なお、この場所になった理由はオーネストのフレイヤに対する全力の嫌がらせの模様。
etc……etc……
2.異世界ホームステイ
俺の趣味の一つに、アイテムや薬の作成がある。
人は俺を奇才と呼ぶが、べつに奇才じゃなくて思いつきに技術が附随してるだけなのだ。
ただ、確かに俺の発想はこのオラリオの中では浮いてるのかもしれないけど。
「いくぜヘスヘス!試作品のじゃが丸くんポーションだ!!」
「うおお……なんか食欲を根こそぎ削らんとする人工色感満載の青いじゃが丸くんでちょっと引くわぁ……」
「濃縮ポーションを混ぜて他数種類の薬剤で効果を補強したこのじゃが丸くんポーションは!なんと消化しきるまでの間じわじわと体に治癒力を与え続ける優れもの!腹持ちが良くて回復も出来るなんてステキ!」
「それって普通にポーション使った方が早いんじゃ……」
我が盟友ヘスヘス(本名はヘスティアだ)はイマイチこのじゃが丸くんポーションの凄さが分かってないらしい。いや、まぁ彼女の言う事も間違ってないんだが。
「ヘスヘス。例えば筋肉痛っていうのは筋繊維が千切れることで起きる。つまり筋肉痛は広義では筋肉の怪我だ。他にもちょっとした打撲や力の込め過ぎによって皮膚が赤くなるのは毛細血管が破裂しているから。これも広義での傷だ」
「お、おう。この時代で筋肉痛や毛細血管の破裂というワードを正しく理解してる人って殆どいないと思うけど、確かにそうだね」
「このじゃが丸くんポーションはそういうのやかすり傷を癒して戦闘コンディションを整えるものなんだよ。簡単に言えば、これ食べると暫くの間体力の損耗が少なくなるのさ」
普通にポーションを飲んじゃうと瞬間的に傷を回復できるけど、大抵は傷を負って疲れてるときに途切れ途切れで飲むので体の細かい部分は回復しきれてない場合が多い。効果はあるが、存分に体に行きわたらせるのが難しいのだ。
ということを懇切丁寧に説明してもオラリオの住民は何故か理解してくれない。俺の思い描く基礎教養知識とこの世界の人間のそれがズレまくってるせいだ。神様やポーション作成の造詣の深い人ならだいたいわかってくれるけど、他は物好き以外サッパリだ。よって俺には商売っ気というものがない。
そんな中ヘスヘスだけは俺のことを邪険に扱わずにいてくれる。
俺の「告死天使」の渾名も悪い噂も相手にせずに、ありのままの俺を評価してくれる天使のような……あ、天使は俺か。しかも彼女は神だし。……俺、天使に見えるか?そのへん甚だ疑問だ。
元はオーネストの知り合いってことで話が弾んだのがきっかけだったか?
ついでに言うと、食費を切り詰めている俺はヘスヘスのバイト先の店の常連客だ。
じゃが丸くんマジお得。一日じゃが丸くん6つで乗り切れる自分の燃費の良さを褒めてやりたい。
……尤もそれをやると「栄養とれ!」と怒る人が結構いるのであまり実行できないが。
で、そんなよしみで偶に思いついたアイテムをヘスヘスに見せているのだが……。
「話は分かったけど、コレぶっちゃけ効果が分かりにくすぎて商品化しても売れないと思うなぁ」
「んーやっぱりそこが最大の問題だよなぁ。しゃーない、しばらくは毒ポーションだけ売るか……新商品って難しいなぁ」
「酷く名前がキケンな香りだけど、売れるのソレ?」
「うん。意外と好評なのよね」
ちなみに毒ポーションは魔物を毒状態にする恐ろしいポーションである。ポーションは生物への吸収率が非常に高いので、毒を混ぜてもよく吸収してくれる。魔石に反応するよう独自の改良を加えたので人間に害はなく、特に虫系魔物には即効性が高い。麻痺タイプと継続毒タイプがあり、7層辺りから出てくる群れ魔物どもに囲まれたときのエスケープ手段としてそこそこ売れ行きは好調である。
なお、予算削減の為に原料は全部現地調達。入れ物もポーションの入れ物工場で出来た形の悪いけど機能するのを引き取って使用してるので限りなく低予算低価格である。ポーションの調合方法が独自理論過ぎて原材料も安物ばかりなのは秘密だ。
ちょっと前には通常ポーションと精神回復ポーションを合わせたミックスポーションを開発したのだが、何も考えずに売ろうとしたらポーション開発競争の禁忌に振れたらしく大変な目に遭ったのでお蔵入りになった。あれは泥沼の抗争だったな……。
ちなみに俺は金に困ってる訳じゃない。
ただ、オーネストと付き合ってると敵を作りやすいのであんまり贅沢な生活が出来ないし、俺自身贅沢な生活は庶民感覚の所為で怖くてしたくない。よって最低限の生活費と冒険の準備費を削った残りの金のうち、半分を貯金に。残り半分を趣味のアイテム作成に。そして余った金とアイテムの売り上げははいらないからスラムの人達や金に困ってる人たちにポンと手渡ししている。
「というわけで今回余ったお金ヘスヘスにあげる」
「お、おおおお……!?前々から思っていたけどキミはお金の価値を軽視しすぎじゃないか!?これ100万ヴァリス以上あるだろ!?」
「300万ヴァリス♪」
「やっぱりキミおかしいよっ!!」
ヘスヘスの手にぽんと金貨袋を手渡すと、余りの重さにフラフラしていた。彼女はファミリアがいないので貧乏な神なのだ。本人に言ったら傷つくから言わないけど。いずれファミリアが出来た時の為に持ってて困る物じゃないだろう。
「まったく……そんなにポンポンお金を動かすから『金を受け取ると死後の魂を持って行かれる』なんて根も葉もない噂をたてられるんだよ。………念の為聞くけどマジじゃないよね?」
「俺人間なんだってば。神じゃあるまいし、そんなこと出来ないよ」
「食べて良い?」
「え?」
「え?」
気が付いたら、金髪美少女が物珍しそうにじゃが丸くんポーションを見つめていた。
……あ、ロキたんの所の子だ。アイズちゃんだったと思う。あのボーイッシュな神が随分猫かわいがりしていたのを覚えている。彼女にも若干ながら向死欲動を感じたが、最近は全然感じない気がする。
しかし、そんなこっちの無遠慮な視線をスルーしてる彼女の瞳はじゃが丸くんポーションに釘付けだ。
「食べて良い?」
「ああ、別にいいけど……味は普通のじゃが丸くんよりちょっと苦いと思うよ?」
「分かってても気になるのが、人のサガ」
彼女はためらいなくじゃが丸くんを頬張り、一言「革命的」と呟いた。
じゃが丸くんの風味を損なわずにあのマズイポーションの苦味を残すという絶妙な味に関する評価だったらしい。ポーションの効果もあることを伝えると「……革命的!」と驚いていた。良いリアクションをする子だ。
= =
ヘスティアには、自分のファミリア以外にも気がかりなことがある。
それは、【ゴースト・ファミリア】と呼ばれる実体のないファミリアのことだ。
正確には、そのファミリアの中心にいる青年――オーネストのことを見守っている。
彼女は、この街でオーネストが『オーネストを名乗る前』を知っている数少ない人物の一人だ。
そして、彼が『オーネストになることを止められなかった』人物でもある。
彼の親でさえ知らなかった『知らない筈の記憶』さえ知っている。
ヘスティアは彼の親に、彼を見守ってくれと頼まれていた。
彼女の盟友ヘファイストスもまた、同じことを頼まれている。
ヘスティアは今にも崩れそうな彼の心を、そしてヘファイストスが戦いへ明け暮れる彼の身体を――
それぞれの出来る方法で何とか支えていた。不幸中の幸いか、彼もオーネストになる前から面倒を見てもらったことがある二人の神のいう事なら多少は聞いてくれた。
それでも、ダンジョン内に踏み込んでいく彼を止める事だけは叶わなかった。
破滅願望――彼には間違いなくそれがある。
自らの身を自らの手で壊すような身を焦がす衝動を、彼女は一時的に和らげることしか出来なかった。
そんな日々が続いて、彼がどんどん手の届かないダンジョン奥地へ向かい始めた頃――アズライールが突然街に現れた。
死へ向かうオーネストと、死そのものを司るようなアズ。似た性質に相反する性格をしているような二人だったが、不思議と距離は縮まっていった。それは同時にオーネストという男の圧倒的な拒絶意志の緩和にも成功していた。
何よりも大きかったのが、アズは力づくでオーネストを説得するだけの強さがあったことだ。
オーネストを拘束するまでなら腕利き数名がいれば何とかなる。だが、彼はそこからの抵抗や苛烈なまでの意志の強さが凄まじい。彼の気迫は魂を燃やすような烈火だ。場の空気と言うものを、彼は暴食者のように喰らい尽くし、気迫だけで他者を圧倒する。その迫力たるや、神気に迫らんばかりの勢いなのだ。
そんな彼の敵意や拒絶意志を真正面から受けたうえで、それでも「ハイハイ意地張るのはそのへんにしようね」と鎖で縛って引き摺って連れて帰ることが、アズには出来た。
彼を心配する者たちは、彼の登場に随分胃の負担を減らされたものだ。
ただ、ヘスティアは未だに彼という人物を図りかねていた。
彼は死を想起させるような濃密な気配に反して、その性格は欲がなく善良。いや、完全な善という訳ではないが、ともかくオーネストと比べると月とすっぽんの違いがあるほど人格差があるのだ。
例えばオーネストは目の前に邪魔な人間がいると警告も無しに蹴り飛ばして「俺の道を遮るんじゃねえよゴミが」とか言っちゃう男だが、アズはその結果突き飛ばされた相手を助け起こしてオーネストの代わりに謝罪してくれる男だ。
基本的に真摯な紳士。しかしそれは人間的な特徴が表に出にくい模範的な態度とも言える。それなりに好奇心が旺盛で町を歩き回る姿をよく目撃されるが、肝心の『芯』の部分が見えてこない。渇望とか憧れとか、そういう「欲動」のようなものが薄い。
一度本人に聞いたことがある。君は何を求めて生きてるのか、と。
そのとき彼は、あっけらかんとこう答えた。
『夢だね。自分でやりたいことが見つからないんで、それを見つけたくて生きるのさ』
『それと、オーネストと一緒にいるのは関係があるのかい?』
『うーんどうだろ……その辺は俺にも分かんないなぁ』
つまるところ、彼の求めるものは彼自身にもよく分からない。
そして、これからどうなるのかも全然分からない。
結論は、どういう人物なのか分からないということだった。
「悪い子じゃないってのは分かるんだけどなぁ~………」
バイト帰りにヘスティアはちらっとその場所を見た。
かつて、とある神がファミリアの本部としていた古ぼけた屋敷――今はオーネストの根城で、その知り合いがたむろするアウトローの本拠地となった場所を。
= =
『狂闘士』と『告死天使』の帰りを待っていたのは、健康的な黒い肌の女性だった。
彼女は二人の帰り着いた姿を確認すると、弾ける笑みで駆け寄る。
「お帰りなさいませクソ野郎ども!あったかいごはんをご用意してますよ?どうせ栄養偏った外食で済ませようと思ってたんだろーからとっととタダメシお楽しみくださいませ~!!」
念のために言っておくと、彼女は別に怒っている訳じゃない。むしろ喜んでる方だ。
それでもこんなことを言ってしまうのは、単に彼女が壊滅的な敬語下手だからに過ぎない。
「もぉ滅茶苦茶だなその敬語。罵倒言語と奇跡的にハイブリッドしてんだけど。無理して使わなくていいんじゃない?」
「イエイエ!お二人は糞溜まりの底でもがいてたアタシを圧倒的暴力と権力で曲がりなりにも助けてくれたいい意味でのデンジャラスパッパラパーですから!なんとか敬語をマスターして恩返ししてぇ所存です!!」
敬語が混ざってるせいで失礼度合いが3割増しだが彼女はこれでも一生懸命である。
なお、オーネストは無言で彼女の横を通り過ぎて料理に勝手に手を伸ばそうとしてた別の人物を蹴っ飛ばしていた。
「俺の飯に手ぇ出してんじゃねえ」
「グヘェェェーーー!!スイヤセンッしたァァァーーー!!」
「懲りないなぁヴェルトールも………」
まず、最初の褐色ガールはアマゾネスのメリージアだ。年齢は俺より少し幼いくらいか。
出会ったきっかけは……1年半くらい前にとあるファミリアに襲撃を受けた際、その報復としてオーネストがギルド破壊に乗り出した際に出会った。なんでもアマゾネスであるにも拘らず生まれつき体が弱くて捨てられた上に、人身売買業者に捕まったらしい。
その辺の事情は知らないが、戦闘能力の高さが自慢のアマゾネスは「調教」とやらをするのが難しくて、下衆な好事家に需要があったらしい。細かい事情など知りたくもないが、そのような事情があって彼女は随分碌でもない目に遭ってきたらしい。底での彼女は地下室に閉じ込められて「何か」されてたようだ。
ただ、出会った時の彼女の眼は「悲劇のヒロイン」なんてものでなく、どっちかというとこの世への憎悪と自由への渇望に飢えている様子だった。そんな彼女を見て何を思ったのか、オーネストはメリージアを解放した。ファミリアは止めるも何も壊滅状態だったので何も言わなかった。
『テメェ、もう自由だよ。何所でも好きな所へ消えやがれ』
『憐みのつもりかよ、気障野郎!?こんな所で惨めにいたぶられるアタシを、つまらない憐みで!!』
『うるせぇ。俺は、クソみてぇな野郎どもがいるばかりに我を通すことも許されねぇ奴がいるって現実が気に喰わねぇだけだ』
オーネストが言ったのはそれだけだった。その後メリージアが何を言っても無視して神を脅し、「次に俺の機嫌を損ねたらお前から――を削ぎ落とす」とだけ告げて帰っていった。竜巻とヤクザが融合したような男である。メリージアは当然の如く放置。しょうがないので俺は彼女の世話がてら知り合いの店にかくまってもらうことにした。
ところが、一か月後に彼女は店を辞めて自身を冒険者登録したうえでウチの屋敷に乗り込んできた。
『今日からこの薄汚ねぇ屋敷でメイドとして働くことにした!!』
『帰れ。ここは俺の家だ』
『じゃあ勝手に働くことにした!結局お前らに助けてもらったし!?借りを返さねぇのはあたし自身が気にくわねぇ!!』
『……………勝手にしろ、物好きが』
世にも珍しいアマゾネスメイドの爆誕である。
以来、彼女は屋敷に住みついて家政婦の如く働いているのである。但し、単純作業に飽きると他のメンツと遊びだしたりしているが……まぁ金払って雇ってる訳でもないし、留守が長いこの屋敷を管理してくれてるんだから文句を言うのはお門違いだろう。
「ねえねえメリージアちゃん。この親友に蹴っ飛ばされた哀れな男に……食い物恵んじゃくれないかね?」
「テメェみてぇなキモッチワリィ屑に食わせる飯なんぞ残飯しかねェよ。大体テメェは飯に困るほど貧乏じゃねぇだろうが?」
「うおーい俺には雑敬語さえ使ってくれねぇのかーい!?」
「尊敬してねぇから使い必要マイナス100%だし。あと床に這いつくばって頼むフリしてパンツ覗こうとするんじゃねぇよッ!!」
「オゥフ!?何故ばれた!!」
メリージアの美脚がヴェルトールの頭に垂直に蹴り落とされ、ゴリッと嫌な音がした。
ちなみにヴェルトールはキャットピープルである。
『戦闘傀儡』という極めて特殊な魔法を持つこいつは、これでもアルル・ファミリアとかいうファミリアの副団長らしい。だがファミリアが退屈すぎて詰らないからとしょっちゅう遊びに来ては食い物を摘まもうとする困った奴だ。若干のMっ気と構ってちゃん気質があるせいか、蹴っ飛ばされるまでがコミュニケーションになってる節がある。
「やれやれ、いいからご飯始めようや。ヴェルトールには期限切れかけの食材でも上げておけばいいじゃん?」
「ふん!アズ様の優しさにつけこんで精々おこぼれを喰らうんだな!」
「………頂きます」
「おう、頂ます」
「じゃ、アタシもイタダキマース!」
結局4人で食卓を囲む。ちなみにこの食卓、俺達がダンジョンに夜通し籠る関係で固定メンバーはメリージアしかいない。後は入れ代わり立ち代わり、この屋敷を防衛できる誰かが勝手に入り込んでくつろいでいたりする。
「なぁなぁオーネスト様。アタシのお食事どんな味しやがりますか?」
「美味い」
「味覚障害の再発はないみたいだな」
「あー、凄かったなアレ。ミアのカカァが出した料理に『雑巾の味がする』ってポロッと漏らすまで味覚が消えてるとか誰も気付かなかったぜ」
それと、この屋敷に集う奴等の会話は大抵がオーネストに関わる話だったりするので、アズは内心『オーネストファンクラブ』と呼んでいたりする。この男、変なカリスマがあるのだ。
ゴースト・ファミリアは不吉を隠れ蓑にした秘密基地。
ここには、未来を求めない愚者たちが集う。
後書き
この物語、どっちかというとオーネストが主人公のような気がします。
というのも、アズに比べてオーネストはいろいろ抱え過ぎなので。
3.騒霊劇場へようそこ
前書き
5/16 思いっきり修正し忘れていたミスを修正
無意識的な自己破壊欲動……というのが、人間にはあるらしい。
人は生きたいと願う癖に、どこかで破壊的なものを抱いている。
『骸は虚無のゆりかごへ、御魂は無明に抱かれり』
要するに、人はいつか死ぬってだけの話である。
それが自殺だのヤケ酒だの大小様々な形で噴出し、死を肯定している訳だ。
『死は甘美にて優麗なれば、とこしえの静寂こそ救いなれ』
俺もまた、死を肯定した。
ただ自殺志願者と違うのは、俺は生への旅路に死を引きずってるというだけのこと。
『肯定せよ、望まれし滅亡――顕現せよ、内なる破滅』
生の今際に残影を探す。
例えいつかは潰えるとしても、生ある内は希望ありだ。
『――死望忌願、汝は我と共に在り』
こうして俺はいつものように詠唱を終え、迷宮の魔物を鏖殺するために俺の中の死神を呼び出した。
本当は詠唱無しで普通に呼び出せるんだけどね。
オーネストも初めて見るらしいこの辺の芋虫モンスターは、どうも重装備を溶かすレベルの強酸を体内に含蓄してるようだ。そんなもん浴びたら服が溶けて、ついでに当たり屋戦法のオーネストは全身が溶けてしまうので『死望忌願』の力を借りるのだ。
こいつは言うならば魔力的な何かで形成された魔人のようなもの。
ものすごく漠然としているので酸など効きはしない。……たぶん。
「刈り尽くせ断罪の鎌――ネフェシュガズラ!」
『לצוד אותך בגרון שלנו――!』
相変わらず何語なのやらよく分からない言葉を放ちながらその手に鎌を握った『死望忌願』は、手に持った巨大な大鎌を横薙ぎに振り翳した。
瞬間、『死望忌願』の鎌から斬撃という名の『死』が降り注ぎ、前に存在した魔物の群れが障子を裂くように両断された。ついでに壁から出現しようとしていた魔物が十数体、壁ごと横一線にされる。
一部の上級者曰く、「魔物が壁から出てくるなら壁を壊せばいいじゃない」、らしい。前に調べてみたら、壁を壊したら一時的に魔物は出現しなくなるが、どれだけ派手に壊しても2,3時間で元の形に自己修復しているみたいだ。こうしてみると魔物も人間で言う免疫のように思えてきて生物的だ。迷宮というのはものすごく巨大な生命体なのかもしれない。
斬撃から遅れて、べちゃべちゃと汚らしい音を立てて迷宮に転がる魔物の死骸と魔石。なんかもう、見た目がエグイことになっていらっしゃる。生理的に見ていたくない光景に、俺は正直魔石の回収を諦めたくなった。流石のオーネストもこれには顔を顰めている。
「汚ぇ音だな。しかも次から次へと湧いて出てうざったいったらありゃしねぇ。これまでの魔物と出現方法が違うのか、固有のコロニーでも形成してんのか……」
「オーネスト、こりゃ一人で対応しちゃ二進も三進もいかんぞ。どうにか体液浴びずに戦えねぇのか?」
「チッ……無理じゃねえが確実に剣が1,2本駄目になる。そうするとヘファイストスに頭を下げる羽目になって何日拘束されるか……」
「あー、察した。ついこの前行ったときなんかひどかったな。アダマンタイトの備蓄がないとか時間がかかるとか散々言い訳して結局一週間も拘束されたから……」
ヘファイストス――俺はファイさんって呼んでるけど――は『ヘファイストス・ファミリア』という一流鍛冶集団の主神だ。ついでにオーネストの幼い頃からの知り合いらしい。立て込んだ事情は敢えて聞いていないが、ファイさん曰く『可愛い甥っ子』だそうだ。……オラリオ広しと言えど、この街で『狂闘士』に可愛いなんて言えるのはこの人くらいである。
そしてこのファイさんは子煩悩ならぬ甥煩悩で、一度でもオーネストが武器のメンテに訊ねてくると嬉々として迎え入れ、滅茶苦茶喋りまくり、手作り料理を用意しながらお泊りさせ、挙句一緒に風呂にまで入ろうとするのだ。目的は言うまでもなく無茶をしまくるオーネストにちょっとでも休んでほしいから。そして甘えてほしいからである。
神でさえ足蹴にしたり脅したりするオーネストが、この街で唯一本気で苦手にしている神……ゆえにオーネストは極力武器のメンテは欠かさない。それもまたファイさんがオーネストの生存確率を底上げする秘密なんだろう。
(まぁ、行かない訳にはいかんよな。聞いたところによると余りの壊し屋っぷりと悪名のせいで殆どの鍛冶ファミリアから出禁喰らってるらしいし……)
ともかく、いくらオーネストでも苦手な神の下には行きたくない。いつもなら止める間もなく相手を屠殺しにゆく彼が今回は珍しく俺に任せたことからもその警戒ぶりが窺える。
「ところでオーネスト。『死望忌願』って何喋ってるんだろうな?」
「多分ヘブライ語じゃないのか?専門外だから確信はないがな」
「……お前、ちゃんと意味ある言葉喋ってたの!?」
『אדם חסר לב――』
『死望忌願』は心なしかジトっとした瞳でこっちを見下ろした。
衝撃の事実が判明したのはともかく、俺達は一度安全圏に戻ることにした。
『死望忌願』のパワーによるゴリ押しはどうしても手間と時間がかかるし、俺が盛大に暴れまわっていると他のファミリアが「告死天使」を怖れて同じ層に来たがらない。魔物をスルーして前進したらそれはそれで追跡されてしまい、その先でうっかりファミリアに出会おうものなら「怪物進呈」という魔物の大群を嗾ける行為に早変わりだ。
ここは芋虫相手にちゃんと立ち回れるファミリアに無理を言って頼み込み、一緒に連れて行ってもらうのが賢い選択だ。他人に頼るのが嫌いで嫌いでしょうがないオーネストが嫌そうな顔をしたが、一応は納得してくれた。
「……で?どこのファミリアを利用し尽くして使い潰すんだ?」
「どこから捻りだしてんだよそのヒネクレ発想。潰さねーよ極悪人じゃあるまいし……」
「指名手配犯は善人とは呼ばん。ついでにその指名手配犯の同行を許すファミリアもあるとは思えんが?」
「ところがどっこい、心当たりは一応あるんだよなー♪確かそろそろ遠征再開するために地上で準備してる筈だから、とっとと行こうぜ?」
そう言いながら――俺は鎖で無理矢理天井の岩盤を砕いて仮設直通エレベーターの設置(?)に取り掛かった。これを使えばフロア一つ3分以下で移動できるというちょっとした裏技だ。工具は俺の鎖があれば全部補える。砕いた穴は時間をかけると塞がってしまうのでその都度造らなければならないのが難点だが、それでも歩いて帰ると数日かかってしまう事を考えればお手軽なショートカットだ。
ガリガリけたたましい音を立てて掘削機のように鎖が岩盤を抉り取っていく。抉れた岩盤は鎖で形成したベルトコンベアでどかし、ものの数十秒で一枚目の岩盤を突破することに成功した。
「………時々思うが、俺なんかお前に比べれば『常識的な問題児』なんじゃねえか?」
岩盤掘削の音でよく聞こえなかったが、何故かオーネストは俺を呆れた顔で見つめていた。
= =
「というわけでロキたん、俺達のロキ・ファミリア同行の許可ちょーだい?」
「ロキたん言うな!!ちゅーか人の頭勝手にナデナデすんなぁっ!!」
笑いながら頭を勝手にナデナデしてくる俺にロキは全力抗議と言わんばかりに手を振り回すが、身長165セルチの彼女に対して俺は身長189セルチと結構大柄。手もちょい長いせいか池乃め○か師匠がやってたぐるぐるパンチネタがリアルに出来てしまう。
なお、これをやって一ウケ取るまでが俺とロキたんの挨拶ワンセットである。流石エセとはいえ関西弁を喋っているだけあってこの辺の空気は本能で感じ取っているらしい。
ちなみにこのネタを生み出したきっかけは「ロリ巨乳VSロキ無乳戦争」という長きにわたる聖戦を見かけた俺が、ロリ巨乳側であるヘスヘスに助け船を寄越すために「ちなみに俺から見たらロキもチビだぜ」と余計な事言ったのが始まりだったりする。
ここにヘスヘスもいれば「ヘスヘスのぐるぐるパンチ」→「やっぱチビはチビやな!とロキたん乱入」→「ロキたんも届かない」という三段ネタが披露できたのだが。誰か代役は……と考えた俺とロキたんはほぼ同時にバッとファミリア団長のフィンを向く。あいつは小人族だから適任だ。
「なにボーっとしとるんやフィン!お前も早よネタに加わらんかい!」
「ヘスヘスがいない今、ネタを完成させるには君の助力が必要だ!」
「あはは、嫌です」
「「なん……だと……」」
遠回しに言うかと思ったらどストレートに断られた。俺とロキたんは肩を抱き合って崩れ落ちる。
「昔は……昔はあんな子やなかったんや!いつから……なんでや!何でこんなコトに!」
「俺達、どこで教育を間違ってしまったんだろうな……」
「敢えてツッコむなら二人ともノリノリで茶番を開始することが一番の間違いだと思うが」
リヴェリアさんの至極まっとうなツッコミがその場に木霊した。
ともかく、俺たちは地上に戻って知り合いファミリアのロキ・ファミリアにこの話を持ちかけたのである。ロキたんは俺の心の友なので割と快く同意をしてくれた。よって、一緒に進むことになった。あの芋虫地帯を二人で抜けるよりはるかにマシなのでオーネストも不満を口にはしない。
が、主神と仲がいいからと言ってメンバーと仲がいいとは限らない訳で。
「アンタまだ冒険者してたんだ。素質無いんだからとっとと辞めたら?」
「それを決めるのは俺だ。そういうお前は余程お節介が好きらしい」
さっそくティオナとオーネストが喧嘩腰な雰囲気だ。実際にはオーネストにティオナが一方的に絡んでいる構図なのだが。このファミリアで一番フレンドリーな彼女にどうやったらあそこまで嫌われるのやら。
「変な話だよな。一番仲悪そうなベートとは軽口叩きあう仲なのに、あいつ何であんなにティオナちゃんに嫌われてるんだ?」
俺が出会う前の話だが、ベートとあいつはちょっとした口論から喧嘩になって顔面グチャグチャ、肋骨ボキボキ、血ダラダラの息絶え絶えになりながら友情を深め合った仲らしい。互いにブラックジョークを言い合っては悪い顔でにやりと笑っている様子からその距離の近さがうかがえる。
そして、そんなベートとは対照的にティオナはオーネストに異様に辛辣だ。
「……好きになれない理由は分かるんだけどねぇ、私も何でティオナがあんなに突っかかるのかよく分からないのよ」
ティオナの姉のティオネでさえその理由は分からないらしい。
しかし、本格的に嫌っているのとも何だか違うあの突っかかる感じ。まさか嫌よ嫌よも好きのうちって奴か?……あの戦闘大好き感情ドストレートのアマゾネスが?
待てよ、そういえば前にオーネストが目を離した隙に一人でダンジョンに突っ込んで階層主を素手で殺しながら自分も死にかけていたことがあったな。あの時は戦闘不能なはずなのにまだ前へ進もうとするゾンビオーネストを回収したのがロキ・ファミリアで、治療したのがティオナだった。二人の仲は前から険悪だったらしいから、複雑な感情はあるのかもしれない。
「ちなみに好きになれない理由って?」
「オーネストは貴方がオラリオに来る前は生傷が絶えなかったのよ。今だって時々死にかけてるし。一流の本当に強い戦士なら傷一つ負わずに敵を倒して凱旋でもするものなのに、彼は強敵をたった一人で殺してもまるで敗残兵みたいに傷を引きずってオラリオまで戻ってくる……強い筈なのにその姿がどこか弱弱しいっていうのは戦士としてちょっとね……」
「確かに、あいつそういう所があるよ。勝負に勝っても負けてもボロボロで、もうやめとけよって止めたくなるくらい背中が小さく見える。率先して殺しに行く癖に、殺しきった後は時々悲しそうな顔してる……」
「つまることころ、彼ってアマゾネスの求めるタイプじゃないのよ。でもそうなると、何であんなにも冒険者を辞めさせようとするのかが分からなくて……アイズは何か知ってる?」
「分からない」
端的に答えたアイズは、でも、と続ける。
「オーネストの戦い方、怖い。オラリオで沢山の冒険者を見て来たけど………あんなに怖い戦い方をする人は見たことない」
そう告げると、オーネストの方を不安げにチラッと見た。
若くしてレベル5の高みに辿り着く怖いもの知らずのアイズにしては、こんなことを言うのは珍しい。彼女はむしろオーネストと同じように突っ込んで無茶することの方が多いタイプだと聞いている。しかし彼女から見ると、また違った視点が浮かび上がる。
「普通、戦いは究極的には防衛手段。自分の身を守るために相手を倒す……自分を鍛えるために相手を倒す……傷つくのは副次的な効果でしかない。でも、オーネストは………自分を守ってない感じがする。自分が死んでも相手を殺せればいいって。殺すために自分の命を危険に晒し、自分で傷付けて、自分の弱さと相手の強さ、一切合財を殺そうとしている感じがする」
自分で自分を殺すような殺意、衝動。つまり向死欲動。
それの根源的な原因は俺には分からない。だが、俺達には口癖があった。
その口癖を唱えると、死への恐怖はどこかに吹っ飛ぶ。俺達はそういう存在なのだから。
「ティオナちゃんもアイズちゃんも先を求めてるんだな……俺とオーネストは先なんて求めてない。ただ自分らしく生きていて、そして自分らしく死ねればいい。だから――俺達に未来は要らない」
「それ、狂ってるよ」
ティオネちゃんが責めるような瞳で俺を睨んだ。
別にそんなことはない。人間、どれほど求めてもいつかは全てを失う日が来るのだ。
俺達が明日を必要としないのは、それを知っているから。そして、その時まで自分が自分らしくありたいと思っているからだ。
「自分が自分らしくあるってのは、オーネストにとってはそれくらい重要な事なんだ。尤もオーネストの求める「自分らしく」が何なのかまでは分からない。それでも、あいつはいま死んでも後悔が無いように自分らしくある。……死の瞬間に後悔がないなんて、幸せな事だと思わないか?」
「………今、分かった。どんなに善人面しても貴方はやっぱり『告死天使』なのね」
「あっ、ヒドイ。俺はなぁ、自分がまだ生きてるのに先にあいつがくたばるのが嫌だから助けてやってんだよ?別に殺させたいわけじゃないから、そこは勘違いしないでくれよ」
「でも死を肯定してるじゃない」
「死は人生の一部だぞ。生まれたから死ぬんだ。受け入れても受け入れなくてもこの一方通行は変わらないよ」
俺のいた現代社会では、一生を寿命で終えられることが前提の世界だった。だからそう考える。でもオラリオの冒険者は死がとても近しい所にあるから「まだ来るな」と拒否する思いが強いのだろう。俺の物言いに素直に頷いてくれるのはロキたんだけだった。
「せやな。生と死っちゅうのはそういうもんや。にしても、アズにゃんが言うと迫真に迫っとるわぁ……」
「アズにゃんは止めい!!」
「アズ、ますます死神っぽい。あとレフィーヤが怖がってる」
「こここここ怖がってなんかいません!!」
といいつつも滅茶苦茶怖いのかリヴェリアさんの背中に隠れたレフィーヤが涙目になっていた。
場がちょっと和んだ……のは別によかったのだが、ダンジョン突入前に気が抜けていると叱咤されてもおかしくない光景だった。
行軍開始の前に、『ロキ・ファミリア』の体力温存の為の露払いとして前で戦ってほしい、とフィンは俺達に言った。
直後にオーネストが「ついでに俺達の戦力視察がしたいんだろう?」と図星を突かれて苦笑いしていたが、俺達は別に見られて困る物はないと思う。
その考え方自体が既に強者の物言いなのだとガレスのおっちゃんに呆れられたが――まぁ、芋虫共の撃退はあっちがある程度請け負ってくれるのだからこれぐらいは妥当な労働だろう。オーネストも暴れ足りなかったのか不満は漏らさなかった
やると決めたらやる、それもまた俺達の流儀だ。
= =
「騒霊のイカレたパーティをご覧あれ、身の程知らずの皆さま!」
「臓物をぶちまけな、クソ虫ども」
二人は互いの得物を手に、弾かれるように突撃した。
ジャラジャラと音を立てて虚空を駆ける鎖が魔物の腹をバゴォンッ!!と貫通し、蛇のようにうねって空中に居た虫の羽に絡みついてもぎ取る。同時に別の鎖が地面をガリガリ削りながら地中にいた虫を引っ張り出し、アズはそれを振り回して別の虫に叩きつけた。互いの身体が衝撃で弾けてぼたぼたと体液が地面に落ちる様に見向きもせず、アズが再び鎖を操る。
『ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
瞬間、好機だと思った虫たちが一斉に八方から飛びかかり、更に芋虫とは別の虫が毒液を噴出してし来た。が――アズは不敵に笑う。
「頭上にお気を付け下さいませー♪」
アズが上空に飛びあがると同時に、虫たちの真上に形成されていた鎖のネットが入れ替わりで落下。十体近くの虫がネットに絡まれ、そのまま鎖に締め上げられて圧潰した。更に空中で鎖を波打たせたアズは、超高速で移動する鎖のノコギリで虫を纏めて薙ぎ払った。
「どうした、怨敵諸君?俺に鎖の次の武器を抜かせろよ。でないと――全部終わっちまうぞ」
風圧で鎖に付着した体液を全て吹き飛ばしたアズは、ジャラララララッ!!と音を立てて戻った鎖を鷲掴みにして次の得物へと走る。
一方、オーネストの戦いも凄まじい。
正面の虫を素早く刺突で仕留めると、その死体を猛烈な力で蹴り飛ばして後続の虫を吹き飛ばす。
その吹き飛ばした虫の陰に潜んだオーネストは瞬時に周囲の魔物を斬り裂き、空中に爆竹を投げ飛ばして空を飛ぶ虫を足止め。
その瞬間に反対方向に集う虫たちを真正面から剣で粉砕していく。
避ける前に殺す、反撃が来る前に殺す、全ての敵のモーションを頭に入れたうえでその一切合財を無視して正面突破し、一際巨大な甲虫の虫の足を蹴り飛ばして転倒させる。防御を完全に無視し、怪我より守りより殺しを優先する徹底的殺傷主義者が荒れ狂う。
しかし、転倒させた巨大な甲虫は甲羅のような外殻のせいでまともに刃が通らない。それに気付いたオーネストはすぐさま腰の短剣――知り合いの製造した『短魔剣』を引き抜いて甲羅の隙間に強引にねじ込み、ありったけの魔力を注いで叫んだ。
「『ブラストファング』……抉れろォォォォォォッ!!!」
『ギャギギギギギィィィィィッ!?!?』
オーネストの声に呼応して魔剣に込められた直線型爆発魔法が畳み掛けるように叩き込まれ、僅か数秒の内に魔剣の魔力が甲羅をこじ開けていく。
おおよそ信じられない使用方法だ。高級品である魔剣は込められた魔法を使えば使うほどに消費され、最後には折れてしまう。そんな貴重品を、この男はただ目の前の敵を可能な限り早く殺すためだけに使う。
体内をかき回す衝撃に虫は全身を震わせながら足をばたつかせるが、もう遅い。
「喚けッ!叫べッ!死んで汚泥を撒き散らせッ!!」
抵抗も虚しく、爆発が完全に外殻を貫通して体内を滅茶苦茶にかき回し、逃げ場を無くした衝撃が外殻の隙間や眼球、関節から体液とともに盛大にぶちまけられて甲虫は絶命した。壮絶な殺し方に思わず後方の女性陣が顔を背けるが、オーネストは纏う殺意を微塵も欠かさず背後から迫る影へと駆け出し、交差した。
「おーおー派手にやったねぇ!」
「てめぇが言えたことかッ!」
背後の影はアズだった。目を向けずともアズが目眩ましを食らわした虫を殺し尽くしてこちらに来たことにはとうに気付いていたため、二人は互いの得物を抱えたまますれ違い、反対方向の敵を殺し尽くしに駆けた。
決して雄々しいとは言えず、むしろ残虐性を剥き出しにしたような戦法で敵を屠るオーネスト。
感情の籠らぬ鎖で、断罪のようにしめやかに命を削り取るアズ。
二人とも互いに互いの邪魔にならぬように敵を吹き飛ばす様はまるで舞踏のようだ。
どちらも残酷なのにどちらも印象が異なる。二人のコンビは嗤いながら瞬く間に虫魔物を殲滅した。
瞬く間に築かれる死骸の山を前に、フィンは乾いた笑みを浮かべる。
「相も変わらず底知れないね、あの子たちは。流石は『二人でフレイヤと戦争が出来る冒険者』なんて言われているだけはある……」
確かに彼等は強い。それは疑いようもない事実だ。
だが、同時にフィンは思う。
(あの二人は、僕が今までに出会ってきたどんな冒険者にも似ていない。あれだけの実力を秘めた戦士であるにも拘らず――どうして君たちからは、『英雄』の気質を微塵も感じられないのだろう)
英雄とは、人々の憧れであり、夢そのもの。
誰よりも気高く、強く、時には泥臭く、そして鮮烈に時代を紡ぐ存在。
彼等には、決して望んで得る事は出来な力という資質を確かに持っている筈だ。
(アズ、オーネスト……君たちは何を望んで迷宮へ潜る。何のためにその力を手に入れた。君達には――何か大切なものが欠けている気がするのは、僕の気のせいなのか?)
【存在しないファミリア】の一員。
ギルドも把握していないレベル不明の冒険者。
神さえ気圧す謎と暴虐の戦士たちは、神住まう街で野放しとなっている。
彼等は何も求めない。求めるのは、己が己らしくある事、ただそれのみだ。
後書き
ネフェシュガズラ……多分ヘブライ語で「喉を引き裂く」的な意味だと思う。斬撃を飛ばしたり、普通に接近戦も出来る。霊魂や闇属性に対しては効果抜群。
アズにゃんとロキたんは友達なのです。というか、アズにゃんは神様の知り合いがオーネスト以上に多いです。体質の所為かな?
4.くそガキvsくそメイド
ギリシャ神話というのは、西暦2000年代を生きた俺から換算すると紀元前15世紀ごろに成立したとされている。つまりものすごくざっくり計算すると大体3500年くらい前ということになる。
ところが、神は億単位の年月を生きてきたらしい。
あくまで地球換算だが、もしも神話の神がいたのだとしたら、当然その時代の前後辺りで人々に知られていったと思われるから、もしも俺の認識である西暦2000年の時代とこの星の時代が一致するのなら、俺は最低でも6500年以上先の未来に来たという事になる。
世界地図を見てみると、地理は多少の地殻変動があれど俺の記憶にある世界地図と大体一致するし、どうやら日本と思しき島国の出身者の姿を見ると退行してはいるものの日本の文化形態が残っている。ともすればまさか無関係という事もないだろう。というか、世界地図って誰が作ったんだ。神だろうか?
つまるところ何が言いたいのかというと……
「未来なんじゃねえかなぁ、この世界って」
「『神の在りえた世界』、って奴かもしれん。SFでよくある多元宇宙論の一種だな。だが確かに可能性としては未来のほうが確率が高そうだ。何せ、この世界の魂は神の手によって循環しているらしい。それが本当なら、過去の記憶を持った俺達がここに出現する可能性もゼロではない」
「ああ、死者の魂の選定作業はとんでもない重労働らしいし、もしかしたら俺達かこの魂が何らかの形で浄化されずに残っていて、こっちにぽとっと落っこちちゃったかもしれんよなぁ……でも、そうなら神って存在は俺達の時代にも実際は存在したって言うのか?」
「元々科学信仰ってのは人間の尺度でしかなく不完全なものだ。科学で解明できない高次元とやらが連中なら、発見できなくとも説明は付く。つまり、説明する方法がないから調べようもない段階ってわけだ」
「神の創世ってどうなんだ?タケちゃん(タケミカヅチ)なんて実在の人物が神格化した可能性が高いじゃん。ということは『神話の存在は元々いた』と考えるよりは『誰かが神話になり、後世の人が伝えた』と考える方が自然だろう。ということは誕生のタイミングは俺が推測したような年代になる」
「さあな。よく言われるのは信仰が勝手に偶像を構築していくパターンだが、どうせ本人たちは自分の出自など覚えていまい。ともすれば……お前の仮説で一番問題になるのは、『それから今に至るまで地球で何が起きたか』って訳だ。億単位の時代が過ぎ去っているんなら文明の形がまるで変っている事にも説明がつくが、生活レベルを見るに魔法などの一部技術を除けばこの世界はむしろ退化している」
「名残らしいものは残ってるけどな。ほら、ヘスヘスなんかプラスチック製のタッパー持ってたし。案外天界の方では失われてない技術があるのかもしれない」
「この世界の在り方から考えれば、何かがあったのではなく何もなかったとも考えられる。産業革命を始め人類が爆発的に生活圏を広める発展は多くあったが、もしそれがなかったとしたら……ある意味でこの世界は俺達の世界とは別物かもしれないぞ」
「でもなぁ、異世界にしては神の名前とか性格とか符合しすぎるんだよ。ロキたんも昔は天界でヤンチャしまくってたみたいだし、他の神もおおよそだけど神話をなぞった性質があるんだ」
「何かしらの関係があるのは間違いない、か……文化は最終的には似てくるという説はあるが、流石に固有名詞は似ないだろう。まさかあの神々がどの人類文化圏でも不変の存在なんてことはあり得ない。別の神に後の人間が話を付け加えたり、神格を貶めようと勝手に悪魔の名前にしたり、そんな事情で神の在り方なんてコロコロ変わる。例えばかのウガリット神話の主神バアル・ゼブル。それをあのキリスト教の絶滅主義者たちが「自分たちの神を否定するから」とかで勝手に貶めて誕生したのが暴食悪魔ベルゼブブだ。日本でも天津神に貶められた国津神たちは後に妖怪の扱いを受けたりとひどい目に遭っている」
「果たして超越存在の正体は何なのやら………ダンジョンの攻略が終わったら世界を行脚して遺跡や書物でも漁ってみるか?」
「いや、それよりも適当な神を捕まえて絞った方が早い。差し当たってはソーマなんかどうだ。あいつにはそれなりに借りがあるし、何よりヘタレだ。拷問にかければ何でもやってくれる」
「おいおいもっとスマートな方法にしろよ?お前の拷問はヤクザ染みてるからな」
「スマート、ねぇ……………天界に殴り込みするか?」
「あ、それちょっとやってみたい。我等天上ニ弑逆セリ、ってか?」
天界って結局どんな所なのか分からないし、タッパーの件もある。
案外この世界の秘密が眠っているかもしれない。
宇宙誕生以前から存在する黄金のモノリスとか、超巨大な地上管理コンピュータとか、神さえ操る絶対的なラスボスとか。
「お客様、絶対におやめください。あなた方が言うと冗談で済まないのですよ」
ドン!と神に抗う者達が集うのを妨害するように俺達の目の前に料理と酒が置かれた。
「あ、どうもリューさん。さぁて、天界は後にして腹ごしらえだ!」
「この料理で二人の世界に対する弑逆を防げるのならば安いものです……」
リューさんの心底呆れたような目線が突き刺さる。
ここは俺達としては珍しく行きつけの店の一つ、「豊穣の女主人」という酒場だ。
革命などの大きな革新は得てして酒場から始まるとどこかで聞いたが、多分気のせいだろう。テニスコートだって誓いの場になるのだし。
「まったく、天下のおひざ元オラリオで天界中枢殴り込み計画とは呆れて物も言えない……よほど未来が欲しくないと見えます」
「神が俺達の未来を閉ざせればの話だがな……くくっ」
「わー、悪い顔してる。これはギルドに見られたら指名手配待った無しだな」
「もうなってます。しかも億超えに」
親友の笑みに狂気が混ざってるが俺はそれ以上気にしないことにした。
天界殴り込みに関しては『まだ』ジョークの段階だし、神が本気になったらどの程度か分からないので実現性があるかは不明だ。ただ、オーネスト曰く俺の『死望忌願』なら殺せるらしいので、後はオーネストの戦闘力の話になる。
ヘスヘスによるとオーネストには『自ら封印した切り札が7つある』らしい。……多分、その7つを解放したらオラリオで最強の座を奪うんじゃなかろうかとは思う。それを使えば或いは神に対抗できるのかもしれないが、逆を言えばオーネストが自ら封印したのだから生半可な理由で解放することはないだろう。
まず、死んでも使わないだろう。オーネストなら使わない。封印したってことは、それが自己を否定するような要素を含んでいるからだ。あいつは自分にそんな『甘え』を許すほど器用じゃない。
と考え事をしていると、ふとリューさんの顔を見たオーネストがぽつりと呟く。
「そういえば天界に攻め込むなら神殺しの武器が必要だな。リューの手料理も恐らくその一つになりうるだろう。お前の力にも期待している」
「………それは暗に私の料理が神を殺すほど不味いと言いたいのですかこのくそガキは?」
「客を相手に喧嘩している余裕があるのか?くそメイドめ」
「女将さんの命令で、貴方が他の客に喧嘩を吹っ掛けないうに監視するよう言伝を預かっているのですよ、くそガキ」
「息ぴったりですね」
「「冗談」」
(ぴったりじゃん、実際……)
冷酷なまでのリューさんの目線とニコリとも笑わないオーネストの目線が火花を散らす。
リューさんは基本的に礼儀をわきまえた人には礼を持って応えるが、礼の欠片もないオーネストには当然冷たい反応をする。だが、実のことを言うとリューさんはこの町でも結構オーネストの安否を気にしている方である。
何でも彼女は昔は闇討ちや暗殺なんかでブイブイ言わせていた時期があるらしく、無茶をする若者というのは見ていて昔を思い出すそうだ。特に無茶どころか自殺レベルでダンジョンにのめり込む世紀の愚か者(言うまでもなく我が相棒)にはかなり思う所があるようだ。
この街であいつを気遣おうとした人間の9割が「あいつは自殺志願者だ」と気遣いを諦めた、と聞いている。つまり彼女はその中でも貴重な1割ということになる。……というか、基本的にオーネストと付き合おうとすると喧嘩腰くらいが一番信頼を得やすいらしい。どういうことなの。ぼくには理解できないよ。
「そういえばお前ミアさんと殴り合いしたことがあるらしいじゃねえか。よくそんだけ喧嘩してこの店を出禁にならねぇな……」
「ふん、俺は元々こんな店には来たくはねぇ。ただ………」
「ただ?」
「ここに来ねぇとあの女将の手回しで飯を買えなったりギルドが玄関先で土下座して来たり色々面倒くさんだよ」
「俺もその発言に色々とツッコみたいんだけど……」
詳しく聞くと、ミアさんとオーネストが喧嘩したのは一度や二度の話ではないらしい。
俺がオラリオに来て半年ほどの頃に起きた『オーネスト味覚障害事件』より更に前、オーネストはまた些細な見解の相違からミアさんと猛烈に喧嘩し、出禁どころかミアさんの手回しでオラリオのパン一つ買えない指名手配レベルに陥ったらしい。
流石のオーネストも犯罪者じゃないから店の襲撃なんてしないだろうし、兵糧攻めにしたらちょっとは反省するだろうと周囲は「いい気味だ!」と笑っていたのだが、その中ミアさんとリューさんだけは懸念を拭えなかった。
そして、予想通り直ぐに状況が一変する。
オーネストはその日からダンジョン内の魔物の中で食べられそうなのを捕まえてホームに持ち帰り、捌いて食べ始めたのだ。毎日毎日植物モンスターと獣型モンスターを引きずって帰るものだから当然街は騒然とするが、やっているのが『あの』オーネストなので誰も口を出せない。
――余談だが、『魔物を食べる』という冒涜的行為にオーネストが至った経緯は、昔このダンジョンで食べられる魔物とそうでない魔物を調べた異端者の出版した本を手に入れたのが原因だという。ご飯が駄目ならご飯を手に入れる方法を買えばいい、というある意味オーネストらしい発想だった。
やがてゴミ回収所に魔石やドロップアイテムごと魔物の骨や残骸が捨てられるようになり、噂を聞いた浮浪者や貧乏人が「タダで金目のものを手に入れるチャンス!」とゴミの日に合わせて大移動を開始。この大混乱の主がオーネストで、しかもその事態を招いたのがミアさんとの喧嘩であることを突き止めたギルドが「お願いだから彼にまともな食べ物を食べさせてくれ!!」と土下座する事態にまで発展した。
結局、オーネストは周囲からの猛烈な説得により魔物食生活を断念。晴れてこの店に定期的に通うようになったのだという。
「もう何もかもがレジェンドだなお前は……お前みたいな滅茶苦茶な奴は向こう一億年は現れそうにねぇよ」
「そしてきっと一億年後に現れたその大馬鹿はこの男の転生体です。地獄行きの服役を終えて野放しになったのでしょう」
「否定はできねぇな。だが、それが俺という人間だ」
「えばって言うな」
……ごもっともです、リューさん。
= =
リュー・リオンは今でもかつてのオーネストの眼が忘れられない。
まだ、リューの所属していた【アストレア・ファミリア】が壊滅していなかった頃。
あの頃、彼はまだほんの12,3歳の少年だった。ボロボロの衣を身につけ、古びた鎧と体躯に似合わぬ剣を抱きかかえるように携え、くぼんだ目には爛々と輝く鬼気迫った力を宿していた。周囲の全てを拒絶するような異様な殺気を放ち、亡霊に憑りつかれたようにダンジョンへ向かい続けた。
年頃の子供の在り方としては、あまりにも痛ましい姿だった。
彼の身を案じた主神アストレアは、ファミリアに命じて彼がどこのファミリアに所属しているのかを調べさせた。ダンジョンへ潜っているのだから、当然現在進行形で『恩恵』を与えている神がいる筈だと思った。だが――ギルドから帰ってきた返答は、「冒険者としては登録されているが、どこのファミリアにも所属していない」だった。
彼の剣は、ダンジョンで拾った剣。彼の鎧は、死体からはぎ取った鎧。
彼はダンジョンからの支給や説明の一切合財を拒否し、登録日以来ギルドに来てすらいなかった。
独り孤独にダンジョンへ繰り出し、手に入れた魔石やドロップアイテムは全て非ギルド管理の換金所や質屋に叩きこむ少年。その噂は、数年前から町で噂になっていたという。時折彼から身ぐるみを奪おうと暴行を加える冒険者もいたが、襲った者には例外なく反撃して必ず手傷を負わせて追い返したという。追い返すたびに未成熟な少年の身体はボロボロになっていたが、それでも少年の眼だけは異様な殺意にギラついていた。
どうして死んでいないのかが不思議なぐらいだった。
アストレア・ファミリアは彼に接触を図りに住処としている空の屋敷に訪れた。
少年は、無断で屋敷に入ればお前を斬ると言った。
主神アストレアは彼の身柄を預かり、せめて真っ当な生活をさせてあげたいと言った。
少年は、余計なお世話だと吐き捨てた。
当時の私は、そのままではいずれ死んでしまうと訴えた。
少年はそれを鼻で笑い、だからどうしたと答えた。
何故、自ら死地に向かう。どうして誰の助けも求めない。
自分が非力な存在だと分かっている筈だ。子供なら寂しくて心細くて、辛い筈だ。
そんな人間に救いの手を差し伸べる神を、何故拒絶する。
彼は――死にたいのか。
もう話すことはないと言わんばかりに遠ざかる少年の手を、主神アストレアは止めようとして握った。
その時だった。彼の感情が突然爆発したのは。
『俺に触るなぁッ!!!』
その小柄で肉のない体からは信じられないほどの力で、少年は神の手を振り払った。
その瞬間の――憎しみのような、悲しみのような、怒りのような、諦めのような、恐れのような……決定的なまでの『拒絶』の瞳が、忘れられなかった。
彼は悲しいのだ。悲しいのに、悲しさを他人に見せようとはしない。
なぜなら、誰も信用できないから。
信用こそが自分の心を最も傷付け、弱らせると学んだから。
『俺は誰も信じない。俺は誰にも頼らない。俺は誰にも背中を預けない。俺は誰が裏切ろうと気にしないし、誰が寄ってこようと心を許さない。俺は独りで、俺だけを信じて、俺の為に、俺のしたいことをする。お前らはそれに必要ない』
結局、誰も城壁の門のように固く閉ざされた彼の心をこじ開ける事は出来なかった。
間もなくして、ファミリアは敵対勢力の悪辣な姦計を前に壊滅し、リューは復讐に堕ちた。
復讐に奔ったリューを待っていたのは、心を穿つような充たされぬ虚無感だった。
殺しても殺しても、魂の熱はただ冷めるばかり。渇きが決して癒えることはなく、代わりに生まれた欲動は後悔だった。
復讐に奔らなければこんなことにはならなかったのに。
仲間の仇を幾らとっても、ただ虚しいだけだ。
帰りたい、あの暖かかったファミリアへ。
ギルドに指名手配され、味方もおらず、いったい誰の為に復讐しているのかが曖昧になるほどに殺しを続けたリューは力尽きて、『豊穣の女主人』のミアに拾われた。そこでリューは復讐に溺れた自分を強く恥じると同時に、疲れ果てた心にいくばくかの癒しを得た。
上司、そして同僚。とても暖かく、どこか懐かしく、この時になってリューは自分がずっと寂しかったのだという事実に気付かされた。今度こそこの居場所を、仲間を護ろうと誓った。
リューは変わった。
だが少年――オーネストは変わらなかった。
二人の再会は、汚らしい路地裏の隅だった。
彼はそこで血反吐を吐きながら、自分を強制的に勧誘しようとするファミリアを処理していた。
ある者は髪ごと頭の皮膚をはぎ取られ、ある者は腕をナイフで串刺しにされて泣き叫び、またある者は何度も何度も煉瓦に顔面を叩きつけられて血塗れだった。オーネストはそこで満身創痍になりながら、最後の一人に受けた魔法で半ば炭化した腕を使って相手を何度も何度も殴りつけていた。
常人なら泣き叫んで逃げ出すほどの傷と激痛に、彼は微塵も動揺していなかった。
殴るたびに彼の腕から噴出する血と、炭化して剥き出しになった骨に殴られた女の顔面の血が撒き散らされた。それは、見るのも聞くのもおぞましい凄惨な光景だった。女性の顔は既に原型を留めていなかった。全員、死んでこそいなかったが抵抗する気力を恐怖に塗り潰されていた。
やがて相手の歯を全てへし折ったオーネストは懐から出したハイポーションを炭化した腕にかけ、残りを飲み干したあとに一度激しく吐血して、そこで初めてこちらに気付いた。
『………どけ、邪魔だ』
開口一番、彼は高圧的にリューを押しのけた。
『な……そんな体で何を強がっているのですか、貴方は!?急いで治療しないと――!!』
『――前にも言わなかったか、アストレアの小間使い。俺は独りで、俺だけを信じて、俺の為に、俺のしたいことをする。お前らはそれに必要ない』
彼は、リューの事を覚えていたらしい。だが、リューは全く嬉しくはなかった。
むしろ子供の頃の方がまだ感情的で人間らしかった――そう嘆きたくなるほどに、彼の頑ななまでの拒絶意志は揺るぎないものになっていた。結局彼は、そのままリューを押しのけて、鮮血を垂れ流しながら帰っていった。
翌日、またオーネストが暴れたと街中で噂が流布された。
数年の年月は彼の周囲に味方と呼べる人間を作っていたが、オーネストは決してその味方に頼ろうとはしなかった。子供のように自分のやりたいことだけを要求し、代価を払えばそれで終わり。思いやりも温情も情けも反省も疲れも何もかもを投げ捨て、結局彼はダンジョンへ向かった。
何者をも省みず、誰を愛し信頼しようともしない。
例えそれで孤立することになろうとも、それは彼にとっては都合がいいだけだ。
彼にとっては、自分を邪魔する人間が減るだけの話なのだから。
だからこそ――彼を見捨てることはリューにとって敗北なのだ。
愛の、信頼の、善意の――彼が死ねば、それが負けなのだ。
彼の眼を思い出すたび、心の内の罪人の嘲笑う声が聞こえる。
牢屋に叩きこまれ、血塗れの剣を抱えた人殺しエルフの女が嘲笑う。
――お前は気に入らない人間は死んでもいいと思うのだろう。
――偽りの平穏に満足して、都合の良い事実から目を逸らす。
――命は大事だとか死ぬなとか、耳触りのいい偽善を振りかざし。
――そうして一人の哀れな男を見捨てて作った平穏の上でへらへら笑うのだ。
――それ見たことか、お前らは結局そんな存在なのだ。
――だってお前は、所詮人殺しなのだから。
――あの日も結局、少年など忘れて殺しに興じていたではないか。
――それがお前の本性だ。善意など、おまえにとっては「ついで」だ。
(違う。私はもう未来に生きると決めたんだ。だから、これは意地だ)
リューは、心の中に住む罪人に打ち勝ちたかった。
打ち勝てない過去とは人殺しの記憶であり、そして秩序を重んじる主神でさえ止められなかった少年の目だ。罪人は囁くようにお前に奴は救えないと呟く。ならリューはそれの言いなりには絶対になりたくない。
(あんな人間の在り方を認めない。私はオーネストが大嫌いだ。だから、私はもしもの時は――『触ってでも』彼を止める)
エルフが他人に肌を触れさせることを許すとは、大きな意味を持つ。
認めないから触るなど、本来なら矛盾している、破たんした理論だ。
だからこそ、リューはエルフとしての在り方を破綻させてでも――。
(……尤も、それは既に必要のない覚悟かもしれませんがね)
リューの目線の先には、アズという青年がオーネストと談笑している姿があった。
アズが来てからオーネストは変わった。いや、本当は変わったのではなく元々抱いていた人間性が戻って来ただけなのかもしれない。ともかく――それは間違いなく善い傾向に違いはなかった。
オーネストを助けていたバラバラの冒険者たちが【ゴースト・ファミリア】と呼ばれるようになったのも、彼の登場で纏まりのようなものが出来たから。彼を中心に、オーネストは人に戻ろうとしてる。
しかし、逆を言えばアズがいなくなれば、また彼は元に戻るだろう。
それが裏切りであれ、死別であれ。
「アズ様」
「ん?なんですかリューさん?追加注文はまだ結構ですけど……」
「いえ……オーネストの世話を、これからもよろしくお願いします」
だから、リューは今日も『告死天使』に言葉をかける。
もしもその信頼と期待を裏切ってオーネストの傷だらけの心に塩を塗ったら、『疾風』の名に賭けて必ず首を狩るという殺意をその裏に潜ませて。
が。
ここにそんな感情の機微を何故か見抜いてしまう空気読まずが一人いた。
「さすがくそメイドは言う事が違うな。人に様付けするくせに敬意どころか殺気を込めてやがる」
あからさまに挑発的な笑みを浮かべるオーネスト当人である。
「このくそガキ……本当に口が減りませんね。手料理食べさせますよ」
「冗談。あれはな、食いものとは言わない。『黄泉竈食』って言うんだ」
「だから貴方に食べさせるのに丁度いいのではないですか。一回あの世の住民になってみればどうですか?きっと病み付きになって出られなくなります」
「お前とリューさんは本当に喧嘩っ早いね……おいオーネスト。食事の場ではもう少し大人しくしてくれんかね?リューさんも不要な挑発は……」
「くそメイド次第だ」
「と、くそガキが言っています」
同僚のシルによく言われるのだが、アズと張り合っている時の私は子供っぽく見えるらしい。つまり傍から見れば私はこのくそ生意味なガキと同レベルに見えると言うのだ。
もしかして、自分はこの男にただ翻弄されているだけなんじゃないか。
眉間に盛大な皺が寄るのを自覚しながら、リューはそう思うことがある。
そして、そんな二人を見たアズはというと。
「リューさんってなんかオーネストに似てることろがありますね。煽り方とか殺気の出し方とか、何より負けず嫌いなところが良く似てます。さしずめリューさんが姉でオーネストはそれに張り合う弟ですね!ははは、は………あれ、どしたん二人とも?」
「「……冗談でもやめろ(てください)」」
二人の苦虫濃縮エキスを舐めてしまったようなしかめっ面は、周辺の従業員たちから見ても似ていたという。
後書き
・これがオーネストの切り札だ!
切り札その一……すごい剣。すごい。
切り札その二……すごい防具。かたい。
切り札その三……すごい盾。予想外。
切り札その四……すごい魔法。つよい。
切り札その五……レアスキル。キレる。
切り札その六……すごい??。ヤバい。
切り札その七……真名解放。強制レベルアップ。
……名前名乗るだけで偉業認定ってどういうことなの。わけがわからないよ。
5.プリーズギブミーお小遣い
『告死天使』。
神がその仇名をつけたらまさかの本人が悪乗りしてアズライールと名乗った男。
『狂闘士』オーネストの相棒として名を馳せる彼にはとある悪癖があることが知られている。それは――誰彼かまわずポンとお金を渡してしまうことである。
「アズぅ、お願い!お小遣いチョーダイ!!」
「いいよー。はい、適当にポイっと」
「うわあぁぁぁぁぁ!?ちょっとアズ金貨をそんなに雑にっ!!」
適当に財布に手をつっこんで小銭をぺっと渡す。多分4万ヴァリスくらいだ。
渡してる相手は貧民街の方に住んでる知り合いの女の子。名前はたしかマリネッタだ。義理の弟や妹が山ほどいるので食べるのが大変らしい。だから募金感覚でホイホイあげている。ただ、昔これを利用して俺から金を受け取った奴が襲われる事件が起きたので、『契約の鎖』という『死望忌願』から作ったお守りの鎖を渡すようにしたらピッタリやんだ。
「おかしいなぁ……ただ『死望忌願』の鎖をブレスレットサイズまで縮めて、小遣い契約を阻む奴の首を絞めて失神させるだけの装備なんだけど」
「いやいやいや、皆そんなこと気付いてないよ。むしろこれ付けられたら魂の契約が完了して死後に連れて行かれるってもっぱらの噂だよ」
「マジか!!」
「マジマジ」
嘘ついてないだろうなぁ、とマリネッタまじまじ見つめてみたが、マジらしい。
しかも一部では「無利子無担保の金貸しだが、契約に際して変な条件を突きつけてくる男」とか、全然違う方向に話が飛んでしまっているようだ。俺はそんなに金が有り余った道楽者じゃあ………あるな、そういえば。
いや、オーネストがあんなんで潜る階層も深いもんだからけっこうな収入になるし、俺の武器は全部『死望忌願』のそれを何となーくダウンサイズした概念的マジックアイテムなので実体がない。よって俺は戦士の出費の半分以上を占める武器の金額消費がゼロなのだ。その上鎖があんなだから基本的にダメージ受けないし。たまの飯も半分以上はじゃが丸くんだし。趣味で商売してるし。
貯金が多分11億ヴァリスくらいあることを考えると、俺ってば二年でよく溜めたなぁ。
何が俺達に未来はいらねぇ、だ。これが貯金民族日本人の性なのか。
「でさぁ、この前偶然助けたった泥棒の子にその話したら『ウゾダドンドコドーン!!』って叫んで絶対信じてくれなかったんよ」
「絶対そんな叫び方しなかったと俺は思うんだが、そうか……まぁ冷静に考えればそんなの美味い話はないよなぁ……甘い言葉で惑わせてケツ毛までむしり取られるよなぁ……」
「で、悔しかったから『会わせてやるよ!』って言っちゃった。てへっ♪」
首をコテンとさせててへぺろ。こいつ、手慣れている。今までこの顔に何人の冒険者たちが落とされてきたのか……!!まぁ俺はそんなことをされても「もっと小遣い寄越せ」という催促が背後に見え隠れするのであげないけど。
「というわけで……こちらが冒険者大嫌い!リリルカ・アーデちゃんでぇぇ~~す!!」
「どうも!今日もニコニコ貴方の懐からお金をかすめ取るキューティサポーター!リリルカ・アーデで……………あ、『告死天使』………!!」
営業スマイルで毒を吐いた少女は見る見るうちに顔色が悪くなり、そのまま隣にいたマリネッタにしなだれかかって「きゅう」と意識を失った。
「いやぁ、驚かせようと思ってずっと黙ってたんだけど、ちょっとキツかったかぁ……」
「俺、そんなに怖いの?」
「年齢不詳、レベル不明、町で一番の危険人物を片手間で黙らせ、莫大な資金を持ち、死神みたいな気配を纏って、何の目的があるのか分からないのにいつもニコニコ笑ってる長身の男」
「何それ超怖い。俺は会いたくないなぁその人に」
「いやいや、アズのことだから。現実見ようね?アズ、知らない人からはそういう風に思われてるから」
……ごめん、知ってて現実逃避しました。
= =
リリは、それまで人生のどん底を生きてきた。
父親は借金だけを残して勝手に死に、母はおらず、同じファミリアからは良いようにこき使われ、挙句産まれ持った身体は戦いに向かぬ小人族。ファミリア内では邪魔者扱いの癖に利用される時だけは散々使われ、いざ抜けようと思うと手切れ金を払えと抜かす。
少しでも稼ぐためにと冒険者ヒエラルキーの最下位に属するサポーターをやっていると、戦闘力の低さと立場に弱さに付け込まれて取り分をゼロにされることも珍しくなかった。
冒険者たちに嘲りと蔑みを浴びせられ、彼女は冒険者という生き物を心底軽蔑した。
同時に、こんな境遇の人間を生み出すファミリアを作った神に理不尽を感じた。
いつか、絶対にこんな場所は出て行ってやる――!!
そのために必要な時は他人にこびへつらって「か弱い子供」を演じながら、虎視眈々と金目のものを盗んで逃走する瞬間を伺った。自身の魔法「シンダー・エラ」で性別や種族を偽って目を欺き、コツコツと資金を溜めてきた。何度殴られ、何度蹴られ、何度刃を向けられたか分からない。
そんな折だ。偶然知り合った貧民街の子供に、「無償で金を渡す男」の話を聞いた。
何を馬鹿な、そんな殊勝な人間がこのオラリオにいる筈がない。ここは金と欲望の街だ。求めるものを好き好んで搾取される側の弱者に渡す馬鹿がどこにいる。そう言って鼻で笑ってやった。
よしんば金を貰ったとしても、あとで与えた以上の見返りを要求するに決まっている。そうして力ある者は奪い、求め、その為に人を裏切る存在なのだ。
しかし、子供は決してそれを認めなかった。
「そんなことない!!アズは絶対そんな人じゃないもん!!困った人は助けてくれるし、悪い人から身を守るためにってすごいアイテムやポーションだってくれるもん!!」
「だーかーらー……それが騙されてるんですよ!!どうせ裏で誰かが手を引いてるに違いないし、そうでなけりゃそのうち懐いた貴方を人身売買でもして金を手に入れる気なんですよ!!」
「~~~ッ、この分からず屋!!アズは誰かの言いなりになるような弱い人じゃないし、お金に興味なんかないもん!!困ってる人は放っておけない正義の天使だもん!!」
「ハッ、何が天使ですか!!もしそうなら何でこんなに不幸な私は救われてないんですかねぇ?」
「ふんだっ!リリの不幸なんかアズに頼めばイチコロよっ!なんなら明日紹介してやってもいいわよ!?」
「へぇ~……ふぅ~ん……上等じゃないですか。なら、このリリがその男の化けの皮を目の前で剥いでやりましょう!!」
「へんだ!アズの面の皮を剥いだって奥から同じ皮が出てくるだけだし!!」
出て来ねーよどっかの大怪盗じゃあるまいし、と思いながらリリは今日に挑んだのだ。
そもそも、それで人間が救われるのなら、それはものすごく理不尽な話ではないか。自分はこんなにも苦しみながら必死にお金をためてきたのに、「助けてあげる」の一言で助かるのでは自分の努力は一体何なのだという話だ。自分以外の不幸な人間は何なのだ。
世界はそんなに都合よく出来てはいないのだ。
――そう、きっと騙されたのだ。
助けてくれる人がいるなどとうそぶいて、本当は生贄を探していたのだ。
リリは知っている、この男を。
遠目に見ただけで感じる、腹の底が冷えるような冷気。
『告死天使』――オラリオに存在する明確な『危険』。
こんな些細な言い争いで相手の話に乗ったばかりに、こんな状況に陥るなんて。
あんまりじゃないか。
ひどいじゃないか。
待っていろなんて言っておいて、この場に留めていおいて、アズなんてわかりにくい愛称まで使って人に隠して、無防備になった所を差し出すなんて。
ああ、もう私は二度と目を覚ますことはないのだろうか。
結局このオラリオという名の牢獄に囚われたまま、唯の一瞬も輝けずに。
嫌だな。折角脱却金の為にあんなにも駆けずり回ってお金を稼いだのに。
全部無駄か。全部無意味か。何と残酷であっけなく、そして虚しい。
今まで何のために食事をとり、何のために眠り、何のために喋り、何のために痛みを耐えて。
何のために――何のために――幾度となく自問しても、納得など出来ず。
ただ、自分の命には価値が無かったのだと、静かにそう告げられた気がした。
自分の顔をした、めそめそと泣きわめく女に、そう告げられた気がした。
――ゆっくりと、意識が浮上する。
ここは、地獄だろうか。それにしては暖かい。気が付くと大人用のコートが体にかけられていた。匂いを嗅ぐと、なんだかほっとするような不思議な匂いがする。なんとなくそれを羽織ったまま、ゆっくりと立ち上がる。
そこは古びた家だった。奥の方からは何やら騒がしい声が聞こえる。
「やっと目覚めたのか。よろしくリリちゃん!俺、アズ――」
「ひっ!?」
一瞬反応が遅れたせいでその場を飛び退る。そこには――紛れもない、『告死天使』がいた。
心臓が飛び上がる。と同時に、まだ心臓が動いていることも自分の持ち物が盗られていないことも認識し、まだ生きている!と心の中で叫ぶ。
しかし、相手は目の前だ。
人の魂を選定し、刈り取る者。『死』を纏う秩序なき天使。
オラリオで触れてはいけない、目に見えた『危険』。
あの手がこちらに翳された瞬間、非力な自分は喉を掴まれ手首をへし折られるかもしれない。
まずいまずいまずい殺される殺される殺される――逃げなくては――強くそう思った。咄嗟に窓から逃げようと飛び出したが、身体ががくんと沈む。
慌てて後ろを見ると、自分の細い足に鎖が巻き付いて身体を捕えていた。鎖の繋がる先が長身の男の手の上に到ったところで、やっとその正体を知る。
「『選定の鎖』……!!」
「や、別に固有名ないんだけど」
「嘘だ!!一度掴まれたら足が千切れても魂を拘束する『告死天使』の必殺技だって誰もかれもが噂してる!!」
「噂してるだけだから!別にそんな怖い鎖では………あ、そういえばこの鎖に巻かれて自力で逃げられた奴一人もいないっけ?」
何でもないように告げられたそれは、噂の真実にして事実上の死刑宣告だった。
「いやぁあぁぁぁぁぁぁぁッ!!離して……離せぇっ!!」
鎖の冷たさが、まるで足を凍らせているかのように生気を奪っていく。段々と足が凍りつくような、今までに一度も体験したこともない死への恐怖がこみ上げる。怖い、怖い怖い怖い怖い怖い逃げなくては逃げなくては逃げなくては逃げなくては逃げなくては。
(例え、この足を犠牲にしてでも――!!)
普段ならばそんなこと、思いつきもしなかったろう。
だが、噂の『告死天使』に生殺与奪権を握られているという思い込みと恐怖が、狂気の行動を選択する。私は咄嗟に、蜥蜴の尻尾という言葉を思い浮かべて腰にある護身用のナイフを抜き取った。
この足を斬り落としてでも。
私は、生きたい。
「あああああああああああああッ!!!」
「あ、やばっ――」
衝撃――遅れて、鮮血。
刃は深く柔らかい肉に食い込み、暖かく粘性のある血が噴出して足を濡らした。
「――っとと。そんなに焦らなくても要件聞いたら外すってば」
「え……あ………」
その血はナイフと私の足の間に滑りこむように翳された、アズライールの手に深く突き刺さっていた。掌から滴る鮮血はとても暖かくて、真っ赤で、それは紛れもなく「人間の血」だった。神にさえ恐れられる男の手から溢れる、ごくありふれた血だった。
「血、暖かい………」
「そりゃ暖かいでしょ。俺だって死神とか冷血とか言われちゃいるけどれっきとした人間なんだからさ。――さてと、取り敢えずナイフは没収するとして………いてて。手の甲って神経が集まってるから結構痛むなぁ」
自分が足を切断しようとしていると瞬時に察して、鎖ではなく咄嗟に手で受けとめたのだと、遅れて理解した。レベル1の小人族の腕で振るわれた安物のナイフ。それが簡単に突き刺さる光景を見て、リリはアズライールを化物のように扱っていた己を深く悔いた。
身を挺して他人の身体を護ろうと咄嗟に動ける存在が自分に死を告げるなんて、最初からありえなかったんだ。
= =
アズライールは、ちょっとだけ涙目で傷口にポーションをたらしながら「自分の事はアズと呼んでくれ」と告げた。もう、纏う『死』の気配に必要以上の恐れは抱かない。彼は『死』を抱えてはいるが、ごくありふれた人間――冒険者というより一般人に近い気質の人だと理解できたから。
「ったく、親から貰った体なんだから簡単に切り落とそうとしない!せめて状況をしっかり把握してからじゃないと傷が増えるだけだよ?」
「ごめんなさい……」
「それと、君の細腕とあのなまくらで足一本を斬り裂くのは限りなく難しいと思う。ま、だから切れ味のいい剣を持っておけって話じゃないけど………出来る事と出来ない事の区別もつかないんじゃ、本当の危機は乗り切れない。身体は熱く、心はクールに。これ、大事だよ」
「はい………」
「もっと命の使い方をちゃんと考える事!いい?」
「気を付けます……」
リリは困惑を隠せなかった。
何なのだろうか、この昨今オラリオ中を探しても早々お目にかかれない真っ当な人間は。
こちらのせいで自分の手に無駄な怪我を負ったというのに、その件に関してはまるでどうでもいい事のように説教してくる。床に飛び散る生々しい血痕と余りにも不釣り合いな光景だった。それとも、アズの神経が常軌を逸しているのだろうか。
「で?えっと……マリ――ああ、マリネッタの事だけど。彼女から聞いた話によると、俺が他人にポンポン金渡してるのが信じられないから真偽を確かめるために来たんだっけ?」
「え、ええ……マリネッタがあんまりにも貴方が良い人だと主張するので、そんな正義超人みたいな人間が本当にいるのかと」
「………んん?ちょっと待ってくれ、マリは一体俺の事をなんて説明したんだ?」
どうもアズの脳内のマリ好感度と現実のそれにズレを感じたらしい。
リリは過去のマリの興奮した様子を思い出しながら、その時のマリの会話を再現する。
「それは……飢え死にしそうなところに颯爽と現れてお金を恵んでくれて、悪を挫いて弱きを救う『聖者』だと大層陶酔してましたよ。挙句『アズは私の王子様』とか『おヨメにいくならあの人の――」
「だっしゃらあああああああああああ!!」
「うおおおおおッ!?窓から突然マリが!?」
「おヨメ」辺りを口にしたその瞬間、家の外の窓から顔を真っ赤にしたマリネッタが吶喊してアズに猛烈なタックルをかました。衝撃にのけぞるアズだが、マリネッタはそのままアズに馬乗りになって必死に釈明を開始した。
「アズ!!ちちち、違うから!いや違わないけど違うから!!リリなんてほら泥棒だから平気な顔して嘘つく子だから今の嘘ね!!」
「え?あ、うん。ぶっちゃけ『ハギオス』って何だろうって考え事してたからちょっと聞いてなかったんだけどね」
「ならよしっ!!」
ほっと一息ついたマリネッタはアズを離し、今度はリリを勢いよく捕まえて血眼で睨みつける。正直、キレた冒険者の眼の10倍は怖い気がする。というか鬼が憑依していらっしゃる。
(な、に、を!!さらっと乙女の純情バラそうとしてんのよ!!)
(え?え?だってあんなにべらべらしゃべっているものだから、てっきり本人の前でもあんな感じなのかと……)
(ンなわけあるかい!!私はアズの前ではちょっと小生意気な少女くらいで通ってるのよ!!)
どうも彼女は初恋をギリギリまで引っ張っていく気らしい。自分が貧民であることや家族の事を考えるとどうしても遠慮がちになってしまうが、それでも好きなので本人には恥じらいから悟られないようにしているようだ。
(意外としおらしいんですね………)
(うっさい。とにかく、あのことは私がイイっていうまで絶対秘密よ!)
閑話休題。結局マリネッタの話の肝心なところを聞き逃したアズは何事もなかったかのように話を続ける。
「あー……それで、リリちゃん。取り敢えず俺と君は出会った訳だけど、会って結局何する気だったの?」
「それは、その……そんな絵にかいたような善人居る訳ないと思って、化けの皮剥がしに来たんです、けど、その………」
「想像以上に大したこと無くて肩すかし喰らったかい?」
「い、いえいえいえいえ!!私の想像した以上にお優しい方で、疑った自分が恥ずかしくなったと言いますか!!」
「………俺、そんなに優しいかね?正直なんで自分が天使呼ばわりされてんのか分かんないし、むしろただ自分勝手なだけだと思うけど」
後ろ頭をぼりぼり掻いたアズは、居心地悪そうに貧乏ゆすりする。本当に自覚はまったくないのだろう、ふさがったナイフの刺し傷のことも頭からすっぽ抜けているようだ。
普通手を刺されたら悲鳴を上げて逃げるか激昂して反撃するかだ。痛みは死を連想させ、それは自身を守るための行動を誘発させる。逃げも反撃も、本質的には自己防衛本能だ。なのにアズはそのどちらも選ばなかった。
その時点で既に、彼はリリの想像を超えた人物だった。
「このたびは申し訳ありませんでした………」
「やい、いいよいいよ。どうせ今日は相棒がファイさんに捕まってて暇だったしね。ただ……正直俺の顔見て気絶されたのはショックだったな……」
ずーんと落ち込んで地面に「の」をたくさん書きはじめるアズの子供っぽい仕草に、いよいよリリは全ての警戒心を失った。本当に冒険者らしくない、普通の人だ。そう思うと、『告死天使』と怖がっていた自分が馬鹿みたいに思えてくる。
珍しく――カモや獲物を発見した笑みとも作り笑いとも違う自然な笑みが、漏れた。
「あ、そうだ。ついでだからリリちゃんにも小遣いあげとくか。はいこれ」
「え?あ、いいですよ別……………………に?」
イヤイヤ言いつつその瓶を受け取ったリリは、再びカチンと固まった。
その瓶がなんなのか、なかでチャポチャポ音を立てる液体が何なのか。
『ソーマ・ファミリア』のリリルカ・アーデにはハッキリと分かってしまったから。
「あの、つかぬことをお聞きしますが………これ、『神酒』ですよね………?」
「ああ、まぁね」
「あの市場にはロクに出回らなくて、バッカみたいに高くて、信じられないくらい貴重なものですよね?」
「ま、そうらしいね」
「あの……どこで手に入れたので?」
「ん?ああ、ソーマ・ファミリアの主神とは相棒がちょっとした知り合い(?)で、結構貰ってるんだよ。でも俺もそこまでガブガブ酒飲まないから余っちゃうんだよね。売ったらいい小遣いになると思うよ?」
「――――」
要するに、自分が必死こいて抜け出そうとしているファミリアの主神にこの人は伝手があって。
自分の除退金をゆうに超える値がつく酒を、主神はこの人にポンと渡していて。
それでいて、ひょっとして。
「あの、アズ様。その……主神ソーマに頼んでリリを脱退させるよう促すとか、出来ますか?」
「え、君ソーマ・ファミリアの子だったの?んー、まぁあの人は結構そういうの無関心だしイケると思うよ?」
「おお、なんだか分からないけど早速アズがリリの問題を解決したみたいね!どんなもんだい!!」
「いやいやマリは何もしてな………ん?どしたのリリちゃん固まっちゃって」
「………世間、狭すぎーーーーーーーッ!!!」
リリはこの日二度目の失神をする羽目に陥った。
どうしてだろう。自由になった筈なのに………お金も手元に残りそうなのに………達成感ゼロ。
後書き
リリの攻撃で血を流す程度の耐久力なので、当てれば勝てる(当たるとは言ってない)。
オリ主によるキャラ救済って、救われる側からしたらどうなんでしょうね。時々ですが、誰かが誰かを救うシーンを見ていると「お前は俺に守られてればいいんだよ」って態度に見えるのは、私が反逆者気質だからなんでしょうか。
6.無頼漢調査その一
ギルドとは、元々は人間が運用する組織だった。
それをダンジョン出現に際した神の降臨の際、天空神ウラノスが「人だけではなく神も律するため」とそのトップに立って組織を再編成し、現在のギルドに到る。以降、ギルドは都市運営、冒険者および迷宮の管理、魔石の売買を司る機関として中立を貫いている。
つまり、ギルド主たるの目的はダンジョンより得られる富の管理にあると言っても過言ではない。
無論、ギルドの人間の中には打算的な考えをする者もいれば心優しく冒険者の行く末を案じる者もいる。決して利益計上主義ではなく、むしろボランティア的な側面も持っている。
で、だ。
もしもこの町にギルドの出頭要請を平気で無視し、レベルを秘匿し、ファミリアにも所属せず、しかもダンジョンの財源を非合法の店で売買して金を得ているような奴がいたとしたら……果たしてそいつを組織としてどう考えるだろう。
大前提として、冒険者はファミリアに所属しなければならない。これは規則ではなく、そもそもダンジョン内の魔物に対抗するには神に認められ、恩恵を背中に刻まれる必要があるからだ。恩恵なしに魔物と戦うなど無謀の極み。太古の昔には神の力を借りずに魔物を打倒する「英雄」がいたらしいが、そんなもの現代では夢物語だ。
恩恵があればゲームのシステムのように経験値を溜めてステイタスを上げてレベルアップ、と成長が極めてスムーズになるし、他にも利点が沢山存在する。だから、『普通は』、『常識的に考えれば』、『まともな思考を持っていれば』、冒険者はファミリアに所属することになる。
そして制裁が必要な冒険者はその冒険者が所属するファミリアの主神へと通達され、最悪の場合はきつい罰則を受けるだけでは済まないこともある。責任を問われての恩恵剥奪、ファミリア追放、特殊なケースでは指名手配を受けることにさえなる。
じゃあもしも。
ファミリアに所属していないから間接的な罰則を受けさせることが出来ず。
ギルド利用による冒険者特権を完全に無視している代わりに金を一切落とさず。
その癖にダンジョンに平気な顔をして潜っては戻ってきて。
そして何より、どこまでも『異常で』、『非常識で』、『イカれた思考を持っている』冒険者がいたら――果たしてギルドはどう対応すればいいのか?
「……で、どうしたんスか?」
「作戦その一、指名手配ですね。ま、これは見事に失敗しました。オーネスト君を捕まえるのに何人殺されるか分からないとか、そもそも捕まえる必要性を感じないとかで有力ファミリアが軒並み手出しを止めてしまったのです。手配書は三日と経たずにちり紙同然になりました」
「はぁ……」
ギルドの実質的トップ、ロイマンはぺらぺらと当時の指名手配書を懐かしそうに眺めた後、デスクの中に仕舞い込んだ。
「作戦その二、そもそも違法換金所が問題な訳だからそこを取り締まってしまえ、と。これは治安維持としては上手く行きましたが、残念なことにオーネスト君はお金に困っていませんでした。よってオラリオ内がスッキリした以外は何の意味も無し、という訳です」
「はぁ……まぁ、無駄でないだけさっきよりマシっスね」
ロイマンは欠伸混じりに書類に目を通しながら話を続ける。
「作戦その三、猛烈な説得。彼に近しい者、彼と関わりのある者を徹底的に洗い出して説得するよう試みようとしました。が、大半は人物特定に到らず、更に残り少ない特定人物も『オーネストを説得?出来るならやってるに決まってるじゃん馬鹿なの?死ぬの?』と逆に怒られる始末。いわゆる企画倒れという奴ですね」
「うわぁ……マジっスか。変人偏屈列伝の登場人物になりそうっスね」
ロイマンは書類仕事が終わったのか背もたれに持たれて回顧にふけっている。
「その後様々な対オーネスト戦略が組まれましたが、結局解決せず。冒険者登録を解除してオラリオ追放にしたこともあるんですが、驚くべきことに無視されました。法的強制力があっても実質的な戦闘を行わないギルドでは彼の行動は止められませんし、代行になるファミリアが彼相手には及び腰。おまけに彼が恩恵を受けているかどうかさえ謎なので、神の方から恩恵を奪うのも無理………結局、2年前に彼のお友達のアズ君が莫大な迷惑料を抱えてギルドに訪れることで和解が成立。今や彼とアズ君は中立を貴ぶギルドの唯一の例外的存在となっています。私としては、不利益も出ていませんし結構な結末だと思いますがね」
「ちなみにそのアズライールさんは………」
「彼もオーネスト君同様不明な点が多いですね。結局レベルも不明のまま登録されています。ただ、アズ君の只ならぬ気配のせいで神が怖がって手出ししようとしませんので、ある意味ではオーネスト君以上のアンタッチャブルです」
こんなとんでもないことを真顔で言うあたり、案外ロイマンさんも大物だな……と新人ギルド職員は思った。お金大好きで脂肪をでっぷり抱え込んだエルフのロイマンだが、流石ギルド代表なだけあってその知識量は豊富だ。
「それで、結局君は何で私にオーネスト君のことなど聞きに来たのかね?」
「え、ええ………なんかエイナさんが『どうしても納得できない』とアズライール・オーネストの近辺を探りに行ってしまったんスよ」
「そうですか。………ま、彼女はあれで頑固なところがあります。その目で直接二人の近辺を知れば、ある程度満足できるでしょう」
(………ん?その物言いからすると、ロイマンさんは二人の近辺を把握してるって事っスか?)
デスクで爪を砥ぎ始めたロイマンの得体がどんどん知れなくなっていく新人職員だった。
= =
オーネストの根城となっている一つの屋敷。
その名もそのまま「オーネストの館」等と呼ばれている古びた屋敷の門の前に、一人の女性が立っていた。
「ここがあの二人のハウスね……」
尖った耳と眼鏡が特徴的な栗色の髪の女性……その名をエイナ・チュールという。若くしてギルドの職員を務め、その人当たりの良さと美貌から非常に高い男性人気を誇るが彼氏はいないという真面目な職員だ。
彼女の目的は単純明快。オラリオ二大異端者『狂闘士』オーネストと『告死天使』の身辺調査だ。理由は単純で、彼女は実はアズの担当職員その人なのである。
アズは定期的にギルドにやってきてはオーネストの代理を兼ねて賄賂のようにお金を出しては「忙しそうだから失礼するねー」と鼻歌交じりに帰っていくのだ。アズとオーネストに纏わる契約は上司のロイマンだけが把握しており、彼女としては一方的に渡された金をロイマンに回すだけの非常に胡散臭い仕事を任されていることになる。
となると当然彼女は一つの疑いを持つ。
すなわち――アズとオーネストは本当に信用に値する冒険者なのかということだ。
エイナ的にはアズの事はギルド窓口の前でしか知らない。
死神のようなぞっとする気配を放ちながらも人当たりのいい笑みを浮かべ、ほんの世間話をちらっとすると帰ってしまう。悪い人には見えないが、いい人かと問われるとすごく迷うほど得体が知れないというのが本音だ。他の職員は怖がって近づこうとしない。
で、オーネストに至っては街で偶然出くわした以外に何の接点もない。
ナンパされていて困っていたら、どこからともなくやってきてその冒険者を蹴り飛ばし、「俺の道に突っ立ってんじゃねえ」と一言漏らしてそのまま帰っていった。未だに助けられたのか偶然なのか分からない出来事である。
「曲がりなりにも関わってる人だもの……人となりくらい知ってても損はないわよね?」
二つのアンタッチャブルを同時に相手しようという無謀すぎるチャレンジにも思えるが、本人に会わなければ大丈夫だと考えるしかない。エイナは緊張しながらも屋敷の門を叩いた。
「ういーっす。どちら様ー?」
屋敷から出てきたのは……どこか見覚えのある気だるそうな猫人間。
「あれ?……えっと、アルル・ファミリア副団長のヴェルトールさん?」
「ありゃま、エイナちゃんじゃないの。どったのこんなトコに?」
そう、相手は受付嬢口説きで有名な冒険者のヴェルトールだった。
その後ろにも数名の人間が見えている。
「ヴエエエエエ………やば、吐きそう」
「おい馬鹿やめろココ!!せっかくピッカピカに磨いた床にゲェボ吐く気か!?」
「耐えろ、耐えるんだ!!今酔い止め探してるから!!女の子の尊厳を忘れちゃ駄目だぁぁぁぁ!!」
「な、ナルハヤでオナシャス。もう長くは……うえっぷ!?」
「あーーー!!あーーーー!!あーーーーーー!!」
……何やら凄い騒ぎだ。ヴェルトールもそっちを眺めて呆れていた。
「いっそゴミ箱とかに出させてあげたらいんじゃない?無理に我慢すると逆に苦しいよ?」
「だ、大丈夫……これでもアタシ、スキタイの戦士だし。めっさ勇猛だし。………ぉぶっ!?」
「説得力皆無ですねー……あ、どうぞ。友達の胃袋からかぐわしい物が出ちゃうかもしれないけど上がっていきなよ」
「思いっきり入りたくなくなること言わないで下さいよ!!」
「う……お………お、オボロロロロロロロッ!?」
「ぎぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
「イヤァァァーーー大惨事ぃぃぃーーーー!!」
【調査ファイル一:屋敷にいた人たちの証言】
「アタシ?アタシはメリージアだけど……アンタ誰よ?」
「うえっ……口の中酸っぱい……頭痛い……二日酔い的なアレだコレ……」
「だから安酒ガブガブ飲むのは止めとけって言ったのに……ハイこれ薬」
メイド姿のアマゾネスという非常に珍しい女性の後ろには、ダウンした黒髪で長身の女性(ほのかにゲェボの香りがする)を介抱する好青年の姿があった。
「ん?ああ、こいつら?おい二人とも、お客さんに自己紹介!」
「あ、私は【シユウ・ファミリア】のフーと言います。こっちでダウンしてるのは……」
「うい……【オリオン・ファミリア】所属、ココ……花も恥じらう17歳……あー、ちょっと楽になってきた」
「ど、どうも。ギルド所属のエイナです」
早速反応に困る方々である。
もう既に3ファミリアの冒険者が一堂に会して仲良ししてる時点で異常事態と言ってもいい。というのも、神と神は対立構造にあることも多く、他ファミリア同士の交友や恋は最終的にトラブルのもとになる可能性が非常に高い。だから、この光景はそれだけで異常なのである。
「あ、主神の事とか気にしなくていいですよ。ここに集まる人なんて主神のこと気にしてないから」
「ウチの主神はそういうの無関心なんだよなー」
「ああ……ウチは気にするけど、アタシが気にしてないからダイジョブ」
(ココさんの発言が大丈夫じゃないんですが……)
とはいえ、この様子では二人は交友が意外と広いらしい。アルル・ファミリアは割とマイナーだが、ぬいぐるみや人形、彫像などを多く出荷する商業ファミリアだ。あの有名な『ガネーシャ像』を建造したのもこのファミリアが関わっている。
シユウ・ファミリアも鍛冶ギルドの中では小規模ながら、その技術力はヘファイストス・ファミリアやゴブニュ・ファミリアにも匹敵するし、オリオン・ファミリアに至ってはレベル5の冒険者を複数有する強豪として知られている。
エイナは取り敢えず事情を話した。すると、三人そろって微妙な顔をする。
何事かと思っていると、フーが教えてくれた。
「館の主がいなくてよかったね。あの人親の仇みたいにギルド嫌いだから………本人がいたら間違いなく門前払いだよ?」
うんうんと他二人が頷く。【情報その一:オーネストは大のギルド嫌い】と情報が追加されたところで、ヴェルトールが神妙な顔をした。
「というか駄目じゃんエイナちゃん。護衛もなしにオーネストの近辺探ったら……オーネストの事が嫌いな連中に襲われるよ?」
「え!?な、何ですかそれ!嫌いな連中が、何で私を!?」
「だから、人質だって。オーネストもアズも無関係な人を巻き込むの大嫌いだからさ……だからこそ『連中』はやるんだよ。今までも何度かやられてるんだよー?」
「そうそう、ほんと嫌なことする連中だよね。おかげでこの館、誰か一人常にレベル3以上の冒険者がいるルールになっちゃったからね……」
「ちなみにアタシみてーな非力な奴はオーネスト様が護衛アイテムこしらえてくれんだよ?」
フーとメリージアは自慢げにブレスレットのような鎖を「いいだろー!」と言わんばかりに見せつけてくるが、その鎖は巷では「魂を告死天使に売った証」と言われているのを知ってるんだろうか。
ちなみにココはレベル5、ヴェルトールはレベル4、フーとメリージアはまだレベル1らしい。………参考までに言っておくと、オラリオではレベル3に到った時点である種の「人外扱い」とされることを考えればどれだけ贅沢なことをやっているかが伺えるだろう。
【情報その二:二人には敵が多いらしい】が情報に追加。ついでにエイナもこっそり護身鎖を受け取りつつ情報収集を続行することになった。
「じゃ、私から。一番槍は武人の誉れ!スキタイの戦士としてこういう所は譲れないよ!」
「出た!ココのスキタイ自慢!これが始まるとスキタイ民族の勇猛さについて小一時間は喋りまくるぞ!!」
「そしてそのクセして人の話はそんなに聞かないのが彼女の悪い癖なんだ」
「はぁ………それじゃ、アズさんオーネストさんの出会いからお願いできます?」
「………はぁい。じゃ、オーネストから行くよー」
【ココ・バシレイオスの証言】
オーネストに会ったのは……大体5年前だったかなー。
何度も言ったけど、私は誇り高きスキタイっていう遊牧民の出身なのよ。スキタイの中にはゼウス・ファミリアに所属してた凄い戦士だっているのよ?超スゴイでしょ?……っとと、脱線してないよ。ちゃんと質問内容覚えてるから。
私、一応オーネストと同い年なんだけどさ……これでも出身地では100年に一人の武才だって持て囃される程度には強かったのよ。めっさスゴイっしょ?で、スゴイ剣士っていうのは大体行く場所が決まってんのよ。
そう、腕試し、兼犠牲になった戦士たちの後を継ぐこと。そう!ダンジョン59階層に住まう最強の魔物、「黒竜」の討伐ってな訳よ!そしてゆくゆくはダンジョンを制覇してスキタイの名を世界に轟かせるの!私の名前とか歴史に残っちゃうかもね!
ともかく、私は自信満々でダンジョンに来て、知り合いの伝手でオリオン・ファミリアに入ったのよ。13歳の時に。ぶっちゃけこんな幼い年齢でダンジョンに挑むとか私くらいのものだろ!って有頂天だったね。ところがどっこい……ダンジョンで、私と同じくらいの歳なのに私より強い人を発見したのよ。話の流れ的に分かるっしょ?――そう、オーネストよ。
ちょっと嫉妬したね。私より3年も前からダンジョンにいるって聞いた時は更に嫉妬に狂った。
一人前の戦士になるっていうのはスキタイにとってはスッゴイ重要な事なのよ。しかも私の場合はそれまで同年代で並ぶ戦士なんていなかったし。人生初のライバル登場よ。
もーそうなると私直情径行っていうか、とにかくオーネストに追いつきたくて彼の後ろを追いかけまくったわ。物理的に追跡して「私の方が強い!!」って言いながら魔物を狩りまくる感じだったけど。
……今になって思えば無茶したなー。たった1年で私は1つの偉業を突破してレベル2に到ってたのよ。それぐらい苛烈な戦いだった。でもね、時々ミスって死にかけたりしたときはオーネストが助けてくれることもあったから、不思議と嫌ではなかったんだ。
知ってる?昔、デカい魔物にやられて意識を失っちゃった時だったんだけどね?私、オーネストに看病してもらってたの。オーネストってば人を看病するときはびっくりするくらい穏やかな顔をしてるんだ。ああいうところを見ると、きっとオーネストのお母さんもすごく優しい人だったんだろうなって想像しちゃうよ。でも人が目を覚ましたと気付くと「目の前で死なれても面倒だから、後は勝手に帰れ」……ありゃ筋金入りのツンデレだね。
そんな生活がしばらく続いて……ある日、こんな話をしたの。
『お前……何のためにそんな無茶ばかりしてる』
『そりゃまあ………スキタイとしての誇りが一番かなぁ。ホラ、使命や目標があると俄然燃えてくるし?それにご先祖様の出来なかったことをやり遂げるなんてすごい惹かれるじゃん!』
『それは「お前の」じゃなくて、「スキタイの」無茶する理由だろうが。文化的な刷り込みと戦士という職業がそうさせているだけだ。それはお前の意志じゃない――もう一度質問する。お前は何のために戦っている?』
そんなに頭が良くないから何言ってるんだろって思ったけど、落ち着いて意味を咀嚼してみたら、こうだった。
『私が戦う意味だと思っていたものは、実は私の意志じゃなかった』
衝撃が走ったね。雷に打たれたかと思った。
ココ・バシレイオスという一人の少女は、果たして何がしたいのか。
もしお前が戦士でなかったとしたら、一体何のために戦うつもりだったのか。
何に抗い、何を倒し、何を得るために戦うか。
戦いは戦士としての闘争心を満たすため。
武功と栄誉はスキタイとしての誇りと同じ。
なら、私のやりたいことは?オーネストへの対抗心はどこから来るの?
『勇猛』とか『殉死』なんて言葉は全て後付の価値観に過ぎない。「そうなのか」と納得したものでなく、「そういうものか」と真似て得たものだ。えっと……オーネストはそれを『あーきてくちゃ』って呼んでたけど。ともかく、戦士でない私は何がしたいのか考えてみた。
『………怠けたい。家でダラダラしてご飯食べて、たまに剣の修行したりとか?あれ、そう考えると特に戦いたいわけじゃないのかな?』
『お前、本能で生きてやがるな………』
その時、オーネストは呆れてたけど、どこかホッとしてるようにも見えた。
そして、こんなことを言ったんだ。
『一つ、おせっかいを言っておく。もしもお前が一つの使命を帯びた時、内心で「やりたくない」とか、「本当に必要なのか」と考えた時は……考えろ。使命だから仕方ないとか、戦士としての誉れだからとか、そんな言葉で自分の声を消すな。お前が生きる理由と死ぬ理由は、お前が決めるんだ』
『あのー……つまり、私にスキタイを捨てろと?』
『勘違いするな。スキタイを背負うも捨てるも……戦うも戦わないも……全ては、自分で正しいと思った方を選べばいいだけだ。捨ててもいい物、捨てられない物、捨てたくない物………それの存否を他人や運命に委ねなければいい。それが、人間が自分で選択するという事だ』
そのことをファミリアの先輩に話してみると、「それはとても難しい事だ」と言った。
人は民族、言葉、主義、主張、文化、価値観など様々なしがらみが広がる世界で、時代という流れに向き合いながら進まなければならない。その中で得るものもあれば失うものもある。いわばスキタイにとっての「スキタイである」とは、内側に潜む本当の自分を守るための鎧でもあるのだ。
オーネストの生き方は、しがらみを強引に引き千切り、流れと真っ向からぶつかり合って、本当の自分がどんなに傷つこうとも――それでも自分が自分であるという主張を強引に押し通す生き方だという。普通の人間が真似すればあっという間に雁字搦めにされ、濁流にのまれて自分を失ってしまう。
私は未だに「私」が何をしたいのかがちょっとずつしか解らない。
でも、取り合えず。
「オーネストと一緒に戦うのは好きだな。あいつの背中を護って、あいつに背中を護られて……私達は生きてるんだぞー、っていう感じの充足感があるの」
そう言って、ココは照れ臭そうに微笑んだ。
なお、アズに関しては「付き合い薄いしオーネストのこと独り占めしてるのがムカつくので偶に脅して隣を変わってもらう」、だそうだ。【情報その三:アズは意外と押しに弱い】とメモに書きこんでおいた。
後書き
・オリキャラであるココちゃんの説明!
この物語内ではアズに次いでオーネストに付いて行けるキャラで、戦闘技能だけならゴースト・ファミリア内でも1,2を争う凄腕です。性格は単純で物事を深く悩まず、妙に他人を巻き込むマイペースさがあり、人に好かれやすい動物的雰囲気があります。
一時期「あいつと関わるな!」と先輩にオーネストたちと会うのを強制的に止められた時期がありましたが、数年かけて先輩をレベルで追い越してつい最近ゴースト・ファミリアに戻ってきました。名前の由来は極東の言葉で「居場所」……かどうかは定かではありません。
キャラベースになったのはどマイナーゲーム『スキタイのムスメ』の主人公。
ちなみにスキタイを調べてみるとギリシャ神話を起源としているようで、実際信仰していた神もギリシャ神話の神みたいです。最も重んじているのがあのヘスティアというのがまた興味深い。彼女も一歩間違えばそっちにいってたかもしれませんね。(彼女がオリオン・ファミリアなのはスキムスに登場したトライゴン→△→冬の大三角の一角、みたいな感じです)更にスキタイの一部にはアマゾネスと繋がりを持った一派もいたとか。ううむ、主役でないことが勿体無くなります。
7.無頼漢調査その二
エイナのアズ・オーネスト探りはココの思い出話と、その後に続いたメリージアの話まで聞き終えた。ココは主にオーネストに、そしてメリージアは両方に好意を持っていること、そして傍若無人に思える危険人物オーネストは、時折慈悲のようなものを覗かせる事が分かった。
「………どう?アズとオーネストについて、何か見えてきた?」
「正直、余計によく分からなくなったかな……」
基本的に他人を拒絶するスタイルなのに、なぜ彼らは拒絶されないのか。
一体全体彼女たち、その他大勢の彼に近づいた人間は何が違うと言うのだろう。言ってはあれだが、話だけを聞けば「きっかけ」さえあれば彼は人を助けているというだけだ。なら、他の大勢の人間をどうして彼は遠ざけ、あまつさえ暴力をも振るうのか。
その答えの一端を、エイナは残り2人の言葉から見出そうとした。
【フー・リィライの証言】
悪いんだけど、私は他の二人ほど衝撃的な出会いじゃないんだ。
そうだね……二人ともオーネストとの出会いが先だったから、敢えてアズの方から話そうかな?
私は元々は館に通ってはいなかったんだ。なにせ鍛冶ファミリアだし、うろつくぐらいなら工房にいるのが普通でしょ?当時の私は……ちょっと暇してたよ。オーネストはシユウ・ファミリアでは『壊し屋』として有名だったんだけど、アズが来てから装備の損耗率が眼に見えて落ち始めたからね。彼の防具を作っていた私も少々暇を持て余し、絶対に彼が使わないであろう「盾」なんかに挑戦したりもしたよ。……あ、ちなみにその盾はドワーフの方々に結構人気だったけど、まぁそれは置いておいて。
久しぶりにオーネストがファミリアに顔を出した時、その後ろに長身の男が付いてきていたんだ。何というか、腹の底が消えるような忌避感があるのに顔はニコニコしてるような人。そう、アズライールだよ。
知ってるとは思うけど、地上に降りた神というのはその気配以外は人間と変わりない。だから最初は「死神に好かれたのか、オーネスト!?」なんて思っちゃったね。でも、喋ってみると普通に……いや、普通とは言い難いかもしれないけど人間だと判明したんだ。
驚いたよ。何せ、『あの』オーネストが、後ろから口を出してくるような男を自然と受け入れているんだから。険のあった雰囲気も幾分か和らいでた。まぁそれでも未だに無茶してるんだけど……アズが横にいるなら大丈夫だろう、って安心できる。
不思議な男だ。今でもそう思う。
あれだけの力、あれだけの『死』の気配を纏っておきながら、アズは普通の男なんだ。ちょっと達観した所はあるけど、愚痴も言うし笑ったり泣いたりする。燃盛るような激しい感情はなくとも、思いやりは深い。素材集めの手伝いとかもしてくれるし、何でも聞いてくれるって程ではないけど人がいいことには違いないね。
これはオーネストも知らない事だと思うけど、彼はあれで時々変な事を悩んだりしてるんだ。その時は私も彼の相談役としてお酒を酌み交わす。そうこうしているといつの間にかオーネストより彼と接する時間の方が増えてしまって、今では休憩がてらこの屋敷に足を運んでると言う訳だ。
あ、そうだ。彼の人となりを知りたいんなら貧民街に行くと良いよ。スリは多いけど、アズはあそこの子供たちに妙に好かれてるんだ。やっぱり子供は人物的本質が良く見えてるのかもしれないね。
オーネストは、親方経由で紹介されて、「こいつの防具を作れ!」って。行き倒れみたいに町で倒れてたオーネストを親方が拾ってきたときに見たのが初対面だったね。
まぁ、びっくりしたよ。体中がボロボロで防具を付けていないのに、背中に傷が全くない。しかも握っている剣には夥しい魔物の血糊がへばりついている。ね?………あ、ごめん。鍛冶屋ならこれで大体伝わるんだけど、普通の人には分かりにくいか。
普通、防具が壊れた冒険者や防具を失った冒険者は、それ以上のリスクを避けて撤退する。その際に傷だらけになったとしたら、逃げる途中を襲われるんだから大なり小なり背中に傷が入る。でもそれがなかったということは、オーネストは防具もないのに全ての魔物を真正面から斬り伏せてきたってことだ。行きも帰りもあくまで狩る側。それが証拠に剣にも激しい戦闘の痕跡が残っていた。
つまりね、自分の身体を護る気がないような戦いをしてる男だって言う事がその時点で分かるんだ。
このままだとこいつは直ぐに死ぬ。そう思いながら、全力を注いで彼の防具を作った。彼はそれを着てダンジョンに向かい、直ぐにぶっ壊して帰ってきた。後はその繰り返しさ。「壊すなよ!」って思いをありったけ込めた防具はどんどん性能を増していったけど、オーネストもオーネストで「そんなことは知らん!」ってばかりにぶち壊す。
後になって気付いたけど、多分親方は私とオーネストを競わせるようにしてその実力を底上げする気だったんだろうね。私も何度も自分の作品を……絶対壊れないってくらいに願いを込めた鎧をぶち壊されるものだから、何度も心が折れそうになった。それでも私は諦めずに作り続けたし、オーネストはそれでも自分を壊し続けた。ある種、永遠のライバルみたいだね。
【ヴェルトール・ヴァン・ヴァルムンクの証言】
俺かい?俺は……そういえば俺も3,4年くらいしか付き合いないなぁ。そう考えるとココって結構あいつと付き合い長いよな。シユウのおやっさんと並んで最古参じゃないか?
ああ、そうそう。理由だったな。
俺がアルル・ファミリアで人形師として人形作ってたのは知ってるか?……は?似合わない?違う違う、似合う男から似合わない男に変わっちまったんだよ。
芸術家にとって、一芸を極めて最高を追求するのは当たり前の事だ、と俺は思っていた。ずっとずっと人形を作り続けた。他人の技術から学び、素材選びや塗装に拘り抜き、千の挫折と万の失敗を乗り越えて俺だけの芸術を磨き尽くした。
だがある時……若き日の俺は、『完成』させてしまったんだ。
何を完成させたか?そういう話じゃないよ。『俺はこれ以上を作ることは出来ない』……そんな自分の上限、『究極』を作ってしまったんだよ。技術、素材、モチベーション……俺の持つ全てのスキルを動員すれば、これからだって作ることが出来る。
最高の人形だったよ。いや、人形と呼ぶのも憚られるものだった。アルル様に「究極である」とお墨付きを貰うほどの……それはそれは、最高のものだったんだ。
これが何を意味するか分かるかな?――永遠の停滞と、灰色の世界だよ。
俺の技術に、思考に、これ以上の発展は無くなった。何故なら、もう『至っている』からな。勿論俺が創った『完成人形』は今でも愛しているさ。未来永劫、フィニートを越える人形はこの世に現れない……ってのは思い上がりかもしれないが、そんな考えさえ頭をよぎるほどにフィニートは素晴らしい。
その素晴らしさが、俺の人形師としての熱を奪い去った。
前へと邁進し、求道する意味と意義を奪い去った。
俺はマエストロとして、人形師として最も必要なものを、フィニートに注いでしまったって訳だ。
アルル様はそんな俺を憐れんでくれたよ。神にとっての退屈とはそのようなものだ、ってね。
完成されているが故に、追求する物もない。アルル様が地上に降りたのも、ひとえに自分が何でも作れるからだ。作れない人間に人形を作らせ、不完全な形が短期間で成長していく様だけが、アルル様にとって色のある物だった。
だが俺の成長は止まった。アルル様にとっての俺は、色のある存在でも灰色の存在でもない――共感者になった。特別であるようで、特別ではない存在さ。俺はそのあと副団長の地位に就いたが、それもアルル様の憐憫とでも言うべき温情によるものだ。俺がやることなんて何一つなかった。
世界は止まったよ。食べ物は味を失い、あれほどのめり込んだ工房も時折手慰みでモノを作るだけの作業台になった。空漠たる無味乾燥の世界……死なない身体で何もない荒野を彷徨っているような、空虚だけが際限なく広がる世界。フィニートは俺に生の実感は与えてくれても、潤いを与えてくれることはなかった。
そんな中で、あいつを見つけたんだよ。
うん、オーネストの奴だな。
あいつは色が違ったよ。街中で見かけたとき、目が魅かれた。
あいつはすっげえ奴なんだ。あいつは人にも神にも思想にも信条にも時代にも文化にも、既存のあらゆる価値観を超克したうえで、それでも『我思う故に我あり』を完全に貫き通していた。つまり、あらゆることを理解したうえで、それでも自分が自分である事を決定したんだ。
どういう意味かって?簡単に言えば、究極の自己中さ。
普通自己中っていうのは自分のやった都合の悪いことからは目を逸らすし、自分が考えてもないことは知ろうともしない。気分屋で自分が楽しければいい訳で、先を見通さない刹那的な楽観主義だから責任の所在が自分にあるなどと疑いもしない。何故なら、考えないからだ。
オーネストは違う。あいつは常に考えているし、心の中に社会規範である『善』と自意識の裁定する『我』を良く知っている。要領のいい生き方も選択肢も、あいつは全部知っているんだ。知った上で、あいつは自分の『我』のみに全てを注ぎ込む。
それは極まった愚者、どうしようもない愚か者の選択だ。
愚かだと分かっていて尚、愚かしい行為を決してやめようとしない。
人の築いた社会にとって完全な自分主義というのは害悪であり、排斥されるべき異物だ。他人を省みないし、実は自分自身も省みる事はない。本来なら忌避すべき行為を躊躇いもなく実行する。自殺衝動……違うな。毒だ。あいつの色は他人に感染する。
ああ、いや。悪い風に言いたいんじゃないんだが……言葉がうまく纏まらないな。
ともかく、あいつは純潔なんだよ。虚偽と欺瞞に溢れたこの世界で、あいつは気高い。
その気高さが人を惹きつけるんだと思う。俺は少なくともそうだった。
そして、アズも………あいつは気高いのとは違うが、オーネスト以上に純粋かもな。あいつは今じゃなくて、これからが楽しみな奴だからよ。
こうして、幸運にも4人もの【ゴースト・ファミリア】の証言を得られたエイナだったが……。
《これまでの情報纏め(オーネスト編)》
・大のギルド嫌い
・敵が多く、顔は広い
・シユウ・ファミリア及びヘファイストス・ファミリアと交流がある
・子供の頃から冒険者として高い実力があった
・死や傷を怖れない
・お金や装備への執着は薄い
・暴力的だが非情とは言い切れないツンデレ?
・「自己決定」を重んじ、支配を嫌う
《これまでの情報纏め(アズ編)》
・オーネストの大親友
・オラリオに来たのは割と最近
・人が良く、友達付き合いもいい
・死や傷を怖れない
・お金や装備への執着は薄い
・性格は基本的に優しく、肝は座っている
・謎の魔法『死望忌願』を用いて戦い、アイテムや薬も作れる
・子供に人気がある?
「………悪い人ではないのは分かりました」
「うんうん。オラリオってなんだか分かりやすいクズとかあからさまに悪に偏った奴多いもんな」
「テメェのいう事に同意するのは癪だが、それは確かに」
「メリージアちゃんってば思いっきり分かりやすいクズの被害者だしねー」
「この街では重要だよね!親方も客の目利きが出来るようになれって口うるさかったし」
悪い人でないのはよく分かった。だが、結局彼らのレベル、過去、主たる思想など大きな謎は軒並み解決されなかった。ただ、4人の話を聞いてエイナは一つだけ確信したことがある。
(ゴースト・ファミリア同士の絶対的な信頼。それは、オーネスト君への信頼を中心に広がっている……誰に頼まれたわけでもない。ちょっとしたつながりや一方的な恩義が、オーネスト君の下、ゴーストファミリアと呼ばれる集団を形成したんだわ)
それは一種のカリスマとでも言うべき彼の天賦の才覚なのだろう。
例え他人を拒絶する暴力的な人間でも、そこに光を見た人間は灯燭に誘われた羽虫のように集まってくる。例えそれが身を焦がす炎だったとしても、だ。
まっとうな存在ではないが、悪と断ぜられる存在でもない。
中立と自由を貴び、子供っぽい反抗心と拘りを持ち、自分のやりたいことをやる。
ある意味で危険でもあり、危険でないとも言える。オーネストはそんな存在なのだろう。
そうなると、気になるのはアズだ。アズは街中ではオーネストの相棒として知られているが、ゴースト・ファミリア内ではあくまで一メンバーに過ぎないという扱いらしい。彼のどこを以ってオーネストと繋がり、行動を共にするようになったのか。今の話だけでは、彼という存在の人物像が全く見えてこなかった。
「………確か、アズは貧民街の方で人気があるんですよね?」
どうやらエイナの調査はまだ終われないらしい。
= =
あの日、気絶したリリを連れてアズがやってきたことでソーマ・ファミリアは大騒ぎになった。
リリは泥棒に必死な上にファミリア内で孤立していたから知らなかったが、かつてオーネストに手を出した所為で盛大に報復襲撃を受けて以来、このギルドはオーネスト及びアズの舎弟と化していたらしい。
なお、その構造は鞭が叩きのめしてさぁトドメを刺そうという所で飴が「まぁまぁ、その辺にしとけよ。ここの酒けっこうイケるぜ?」と割って入ったという。以来、ファミリアはアズに神酒を献上することで機嫌を取っているという。
なお、神酒は余りの美味さに一度飲めば中毒症状間違いなしというほどの依存性があるのだが、アズは平気な顔してガブガブ飲む上にザルなので全然酔っぱらわない。本人はリリに「あんまり沢山飲まない」などとほざいていたが、度数の高い酒は健康に悪そうだから気持ち控えているだけらしい。
――これはオーネストしか知らない事だが、日本に居た頃のアズは空虚な人生を誤魔化すために酒を飲みまくったのに全然酔えないから、あのアルコール度数96%を誇る『スピリタス』をストレートで一本開けたことがあるらしい。お酒を飲んだことがない良い子にも分かりやすく言うと、お酒に慣れた人でも悶絶するレベルの刺激の酒をガブガブ飲んでいると考えてほしい。
……それでも酔えなかったのは今更言うまでもないだろう。
(……アズさんがリリのパパだったらよかったのに)
父親がソーマに溺れて無謀な冒険をした挙句死んだリリは、その時割と本気でそう思った。
アズは強くて優しいし体が大きいから、リリの低い身長からすると大人な男という印象がかなり強い。恐らく彼が貧民街の子供たちに人気があるのは、彼に『父性』というものを感じているのだろう。
あの日から、リリは本格的にソーマ・ファミリアで孤立していた。というのも、もし迂闊な事をしてリリが自分の受けた仕打ちをアズに漏らそうものならどんな仕返しを受けるか分かったものではないから刺激できなくなったのだ。よって、利用することも利用されることもリリはなくなってしまった。
貰った神酒はいつでも売れる。リリがその気にさえなれば、いつだってソーマ・ファミリアを脱退できる。自分が求めてやまなかった結末の筈だ。
なのに、何故自分はそれをせずにぼうっとしているのか。
アズと出会った貧民街の家の窓際で、リリは憂鬱な溜息をついた。
彼女の視線の先には、この憂鬱の遠因であるアズが黒板に何やら書き込みながら子供たちに説明している。
「――とどのつまり、掛け算というのは足し算の延長線上にあるんだよ。9×9なんて9を9個足せば答えは出るんだ。それをやらずに呪文みたいに九九を覚えさせるのは、実務的な計算ではこの単純な掛け算を把握した方が楽ちんだからだ」
「ジツムテキってなにー?」
「お金の勘定をするときみたいに、実際に数を数える時のこと」
「お金の勘定ならマリ姉がやってくれんじゃん」
「おまえそうやって一生マリネッタに甘えて生きていく気か?マリネッタが病気にかかったときに誰が金の勘定するんだ?薬買うのにいくらして、今あるお金で何日食べ繋げるか考えたうえで行動できるか?」
「……アズ兄助けて!!」
「どーしよっかなー。気分次第では助けないかもなー」
「ええっ!!」
「アズ兄、わたしたちのこと見捨てえるの!?」
「ヤダー!捨てないでよぉ~!!」
「ぬわー!纏わりつくな鬱陶しい!いいか?俺がダンジョンの奥とかに籠ってたらいくら叫ばれても助けにいけないの!いつまでも・あると思うな・アズの金!!嫌ならちゃんと勉強しなさい!!」
「「「はーい!」」」
そこにいたのは、紛れもない『告死天使』。
体温を奪うような死の気配を纏う、危険な男。
その男が、なぜか子供たちに勉強を教えていた。
やっぱり子供たちには好かれているんだなぁ、と実感する。
どうやら算数を教えているらしい。私は生きてきた環境が環境なので数の勘定は足し引きかけ割り一通り出来るが、貧民はそうはいかないのか悪戦苦闘しているようだ。そんな様子をぼんやりと後ろから眺めて、リリはもう一度深いため息をついた。
この金持ちで優しくて頼りがいのある男に甘えてしまえば、救われるんだろうなぁと思う。
というか、現状既にどん底は突破しているので、半ば救われていると言えなくもない。
それでも、何となく最後の一線が越えられない。
「リリは何故、悩んでいるんでしょうか……」
そう、それが自分で分からないのだ。今まで散々汚い真似をしていたリリは、手段を選ばず金目の物をひたすら収集していた。今更、たった一つ。彼に甘えるだけで自由になれるなど、簡単も簡単のベリーイージーの筈だ。なのに、リリはどこかその結果を望んでいない自分がいる気がした。
リリは段々と思考の海へ沈んでいく。
結果、沈み過ぎて居眠りを開始。それに気付いたアズはリリをそっとベッドに運び、上着をかけてあげるのであった。
なお、その光景をこっそり窓から確認したエイナは、「あれで悪い人だったらこの世の全てを疑うわね……」と、アズへの疑念を忘れることにしたとか。
後書き
次回、リリ暴走!!
・オリジナルファミリアを並べてみる。
【アルル・ファミリア】
あのギルガメシュ叙事詩に登場した「エンキドゥ」を創造した神、アルルの率いるファミリア。魔法使い中心で、ゴーレムの製造など人型の傀儡を作って冒険及び商売を行う。主神アルルはファミリアの依怙贔屓が激しく、ベルトールは好かれても嫌われてもいないかなり特殊なポジション。
なお、学者、芸術家肌が多い中ヴェルトールはバリバリの武闘派扱いで、戦闘能力はファミリア内最強である。
【シユウ・ファミリア】
中国神話に登場する「蚩尤」の率いる鍛冶ファミリア。武器から防具まで幅広い装備を作っているが、恩恵で得られるスキルが「作り手の感情を装備の能力に反映させる」という扱いの難しい物であるために少数精鋭である。
フーはその中でも最若手であり、防具作りは天下一品。またシユウはオーネストの装備品を作っていた時期があったため、ゴースト・ファミリアの接触に関しては寛容な態度を見せる。
【オリオン・ファミリア】
ギリシャ神話に登場するポセイドンの息子、狩人オリオン率いるファミリア。狩人なだけあって遊牧民族や戦闘民族を好んでファミリアに取り入れる前線ファミリアの一つ。レベル5代の戦士も複数所有しており、一度戦闘になると凄まじい闘志で相手を圧倒する熱血系が多い。
ココも普段は気が抜けているように見えて戦いでは命知らずの勇猛な戦いっぷりを見せる。名が知られていないだけで実力はアイズに匹敵する隠れ剣姫。
8.リリリーリ・リーリリ
《リリの世界》
ここはリリの精神世界。ここではリリの迷いや悩みが議論される。
『とうとう始まってしまうのですね………僭越ながら、議長は主人格たるリリルカが務めさせていただきます』
リリ円卓会議、開廷。
『えー……っと。今回は『リリが救われる方法』を実行するかどうか、というのが議題になります。リリ以外の顔ぶれは……?』
『どーしてそこで躊躇うんですかそこで!出来る出来る気合の問題ですって!さあ、レッツGO!!』
『あ、貴方は!?リリの中に住むリリのペルソナの一つ、ガッツとやる気を司るリリゾー!!』
『えーんえーん!どーせリリはこのまま誰にも構われず一人寂しく死ぬのぉぉ~~!!』
『貴方はリリの中に住むペルソナ二号!悲観主義でかまってちゃんのリリーチェ!?』
『ケッ……納得いかねーですぅ!!何であんな得体のしれねぇポッと出に頼って助けられなきゃならねーですか!?』
『プライドと意地を司る第三のペルソナ、リリセーセキ!!貴方まで!?』
『ああ、不幸な私!所詮身分違いの叶わぬ恋……でも、例えたった一夜の輝きでも!リリは王子様に救われたいのですッ!!』
『ああっ!乙女心とロマンを司る4番目、リリデレラ!?恥ずかしいので貴方は黙っていてください!!』
『ククク……目的達成のために確実な手段を選ぶのは自然だと思いますがねぇ?』
『狡猾さと合理性を司る第五人格リリカワ……!』
『でも、それってこの心のもやもやの根本的な解決にはなりませんよね?』
『悩みと身勝手さを司る幻の6人目、リリスト!特に意味はないけどムカつく!!』
『リリね、もう疲れちゃたのよ!だからアズパパに負ぶってもらいたいのよ~!!』
『はっ!?ワガママと甘えを司る永遠の7番リリエンタール!ちょっとは自制心を持ちなさい!!』
こうしてリリの脳内会議は始まりを告げた。
まず第一号。テニスラケット片手に燃える瞳をめらめら湛えたリリゾーが訴える。
『いいかリリ!!貴方は何が何でも死に物狂いで頑張ってきたんだ!その頑張りをここでフイにする気か!?お前、自由になるって言ったじゃないか!躊躇うのは迷いがあるからだ!迷いを断ち切れ!!』
『つまり、アズに助けられるべきだと?』
『辛い時は人に頼ってもいいんだよ!受け取った力を10倍にして、いつか返してあげればいいんだよ!』
二号リリーチェ。無駄に悩ましげに目尻を抑える鬱陶しい仕草のまま訴える。
『死神に助けてもらって今を乗り切ったって、リリが弱いのは変わらないじゃない!結局リリは不幸になる運命!ヘコヘコする相手がソーマ・ファミリアから死神に変わるだけよ!嗚呼!こんな苦しみだらけの世界なんて!!』
『はぁ……要するに反対ですか?』
『神は死んだ!神の降臨によって、小人族の神は死んだのです!ならば、我々の救いとは……!』
面倒くさいので三号へ。ジョウロを持ったリリセーセキはそっぽを向いて口を尖らせている。
『大体なんなんですかあのアズとかいうのは!赤の他人がリリの今までの努力を無視して気まぐれで助けてもらう!?ジョーダンじゃねえですよ~!なーんでリリが他人に助けてもらわなきゃならねーんです!?そんなのリリのプライドがゆるせねーですぅ!!』
『成程、反対だということで……』
『大体、あいつはヘラヘラしてて死神でポッと出で!信用ならねーですぅ!!』
愚痴が止まらなくなりそうなのでどんどん次へ。芝居がかってる四号リリデレラの出番だ。
『産まれながらひどい仕打ちを受けてきた可哀想なリリ……しかし!それに耐えてきたリリは、とうとう王子様によって救われるのです!これだけ灰を被ったのですから、そろそろ救われてもいいのではないでしょうか!!』
『それはどっちかというと願望ですが……賛成と取ってよろしいですね?』
『綺麗なドレス着て、お城で社交ダンスなんていいかも!キャー!!』
あの脳味噌ピンクが自分の一部だと思いたくないので次。悪い顔で微笑むリリカワが弁舌をふるう。
『考えても見てください。今までだってリリは愛想を振りまき、己の本心を隠して目的を遂行してきたではありませんか。利用できるものは利用し、いらなくなったら切り捨てればいいだけの事です。今更リリに守るプライドなどありますか?』
『賛成、ということですね』
『ククク………素直に安易で可能性の高い方法を使えばいいのです。効率とはそういうモノですよ』
なんとなくだが馬鹿にされている気分になるので次、なんか態度が気に入らないリリスト。
『皆の意見なんて知らないですよ。リリはこの心の底に渦巻く「自分が救われていいのか?」とか、「そんなに都合のいい世界を認めて良いのか?」などのリリ的世界観とアズさんの存在が一致しないんです。そう、アズさんが悪いんですよきっと』
『思いっきり責任転嫁に聞こえなくもないですが反対ってことですね?』
『そーですよ!さっさとアイツと縁を切って悩みから解放されましょう!』
なんか釈然としない理論のまま、最後。リリ以上に幼く見えるリリエンタールに。
『アズがパパだったらリリは甘え放題でしょ?ならアズがパパでいいじゃん!優しくて強くてお金持ち!理想のパパだよ!本物よりもパパらしいじゃん!……そんなパパの背中におぶさって、揺られながら家に帰る……今まであんなに苦しんだんだから、それくらいいいでしょ?』
『うう、パパパパ連呼しないで欲しいんですが、賛成ってことですね』
『甘える人がいたっていいじゃない。血縁なくたっていいじゃない。甘えさせてよぉ……』
会議結果、賛成4、反対3という接戦となってしまった。7人のリリの総合体である主人格リリはあくまで議長なので投票権を持たない……ということは、多数決に則ればこれで決着となる。
『ではー……もう議論するのも面倒くさいので採決していいですか~?』
『鉄は熱いうちに打て!!』
『なんですってぇー!?そんな騙し討ちみたいな採決がありますかー!!』
『こんな身勝手、アトリームじゃ考えられない!!』
『パパといっしょ~♪』
『パパじゃありません王子様です!……っていうか、歳の差3歳ですよ?』
『クク……王子でもパパでもないだろうとツッコむのは無粋ですかね……』
『民主主義など!多数決など、大衆迎合主義が生み出した幻想でしかない!ならば民意とは一体……!』
7人のリリが円卓会議内で踊り狂う。守る賛成派と攻める反対派に挟まれた主人格リリは猛烈な勢いでもみくちゃにされて悲鳴を上げた。
『ぎゃー!?あ、あ、暴れないで!こら!ジーミン党の強行採決を邪魔するミンシュー党みたいになってますから~~~っ!?』
『議長!採決を!!』
『強行採決絶対ハンターイ!!』
『ああもう!!一旦この会議は延長でぇ~~~~すッ!!』
= =
「ハッ!!ゆ、夢………」
もうかけられるのも三度目になるアズのコートに包まれてリリは目を覚ました。
酷い夢だったが、思い返すとあの人格たちは弱いながら確かにリリの中にあった思いと一致している気がする。
「でも、リリデレラとリリエンタールはないでしょ……うん、ないと信じたい」
もしもあったとしたら、リリは自分と向き合えずに心の闇を暴走させてしまいそうだ。是非ともあの二人が人格の表に出ないよう、リリセーセキとリリカワ辺りに頑張ってもらいたいものである。
「お、目ぇ覚めた?」
「ま、マリネッタ……それにアズさんも。ひょっとして居眠りしちゃった……?」
「や、悪いね授業が長引いちゃって。退屈させた?」
冷静に考えれば木漏れ日に包まれて爆睡してしまったリリの方が悪そうなものだが、それを指摘しないのは人がいいからだろうか。恐らく眠ったリリをベッドまで運んだのもアズだと思われるので、会うたびに面倒をかけてしまっている。
「で、なんの夢見てたのよ?なんかパパとか王子様とか強行採決とか呟いてたけど」
「あーいやいやいやいやはははは全然面白くないし話すほどの事でもないのでお気になさらずははははは本当しょうもないことですから」
あんなカオスすぎる上に一部恥ずかし過ぎる夢を間違っても他人に聞かせる訳にはいかない。
「あらそう?微妙に魘されてたから何事かと思ったよ。はい、モーニングコーヒー。ちなみにアズの奢りね?」
「ど、どうも……にがっ」
「あーごめん。ミルクはないけど砂糖あるから」
倹約生活のリリにとってコーヒーはあまり親しみのない飲み物だ。
角砂糖とマドラーが差し出されたので、3つほど放り込んでかき混ぜる。何とか飲めるようになったが、今度は熱くてあまり飲めない。コーヒー自体はとても香りが良いのだが。仕方なくふうふう息を吹きかけながらちびちび飲むことにした。呑み込むたびに喉の奥が熱くなり、顔が一気に熱を持った気がする。
傍から見るとものすごく子供っぽく映ってるかも……ちらりとアズの方を見ると、微笑ましげにこちらを眺めていてさらに気恥ずかしくなった。
「あの……あんまり見られると恥ずかしいです……」
「おっと、ごめんごめん。デリカシーに欠けたかな」
「まったくアズときたらこんな小さいのにヨクジョーするなんて……」
「してないしてない。お前はすぐそうやって人をからかうんだからなぁ」
リリの方から目を逸らして持参の文学書を読み始めたアズの脇腹をマリネッタがつつく。傍から見るとまるで兄妹のように仲睦まじく見えた。マリネッタも別に本気で言っている訳ではないらしいが、その理屈で言えばリリよりマリネッタの方が危ない。年齢的にはリリの方が上だが、外見年齢は五十歩百歩だからだ。
「貴方だって身長そんなに変わらないでしょ。まぁ強いて違いを挙げるなら……」
リリは自分の年相応に発達した双丘を見て、マリネッタの小さな丘を盗み見る。
その視線に一瞬怪訝な顔をしたマリネッタは、一瞬遅れてその意味を理解したのか胸元を隠して顔を真っ赤にした。
「あっ!?り、リリの癖に生意気なっ!!いいのよ私はつつましい生活をモットーにしてるから!贅肉を溜めこむ余裕はないの!!」
「ふふん、自慢じゃありませんがリリだって贅肉を溜めこむほど生活に余裕はないのですよ。つまりこれは純然たる戦力差です!!」
「くぅぅぅぅ……あ、アズ!!アズはおっきいのとちっこいの、どっちが好みなの!?」
「や、何の話か分かんないから………何?太ってるかどうかって話?二人とも年の割には細っこいと思うぞー」
「そうじゃなくて!!」
こいつ本気で話を聞いてない。辛うじて贅肉がどうとか言う部分が聞こえたらしいが、視線が小説に向いているので気持ちも籠っていない。……なんだかんだでマリも乙女なんだなぁと思ったが、アズはそんな様子には気付いていない。意外と鈍感なんじゃないだろうか、この人は。
しょうがないなぁ、とリリは素直じゃない友人をちょっとだけ手助けしてみることにした。
「アズさん好きな女性のタイプはどんな人ですか?」
「ああ、そいう話か。別に見た目には拘んないなぁ……そりゃできれば綺麗な人とか可愛い人がいいけど、身体の大小までは考えないと思う」
イキナリ何聞いてんの!?と言わんばかりに睨んでくるマリネッタをスルーしてアズの様子を分析するが、どうにも物言いから察するに特別好意を抱いている人はいないようだ。なんとなく好奇心と探究心を司る8人目のペルソナ、リリーナが目覚めてしまいそうだ。あの会議欠員いたのかよ、と自分で自分に突っ込みング。
「ほうほう。ちなみにリリとマリは可愛いの範囲に入ってますかぁ?」
「ちょ、ちょっとリリ!?」
「ん~……そうだな。二人とも可愛いと思うよ?……そういえば、オラリオの人って可愛さより金と実力に目が向きがちだよなぁ……例え美人でも金と実力が伴わなければ意味なし、みたいな?」
「……ありますあります!リリもサポーターをやってると分かった瞬間態度変えられることがよくあります!」
「サポーター?なにそれ、そんなポジションあるの?」
小説から目を話したアズが意外そうに言う。
何を言ってるのだろうかこの人は。あの冒険者のカースト最下位がなる最も屈辱的なポジションの事を知らないというのか。2年冒険者してるんじゃなかったのか、あんた今まで何を見てたんだ。……と言おうかと思ったが、よく考えたらこの人達ってサポーターが活動する上層をすっ飛ばして結構下に潜ってるんだっけ。今度はリリセーセキの勢力が強まっている。
「荷物持ちですよぉ。魔物と戦えるほど強くない冒険者は、サポーターという荷物持ちの仕事に就かざるを得ないんですぅ。戦いもせずにドロップアイテムや魔石を集めて、その中から雀の涙ほどの報酬を得る……利用したことねーんですか?」
「いや、オーネストと一緒にいると俺が必然的に荷物持ちになってるし。それにダンジョンで出くわす大型ファミリアは物運び専属班があるからそういうものかなぁと……」
「チッ、これだから大物冒険者は……」
主人格の逆位置に存在するペルソナ、ダークリリがちらっと顔を覗かせる。今のリリは気分的にちょっぴりダークサイド。冷えてなお芳しい漆黒を胃袋の燃料タンクに注いでパワーも満点だ。このコーヒー、なんだか飲むたびにエネルギーが漲る感じがする。
勇気ハツラツぅ?アズにゃんコーヒー!!新しい!!新しい朝に向かってリリは突進することにした。
「リリは冒険者は嫌いれすけどぉ、そーいう苦労人の存在も知らにゃいようなボンボンはもっと嫌いなんれすよぉ!」
「ウィスキーボンボンとかは好きだぞ?ほら、今日なんか自作のソーマボンボンを作ってだなぁ、これがノウハウ不足で角砂糖そっくりになっちゃったんだよ」
「そうれす!!そのそーまぼんぼんがも~ぼんぼんの発想れしてれすねぇ………はひぇ?」
頭の中のリリカワが「……角砂糖?まさか、コーヒーにいれたあれに……あれに神酒?」と顔色を真っ青にして呟いた。つまり、どういうことだってばよ?
えっと……アズの言うボンボンとは、チョコなどのお菓子のなかにウィスキーなどのお酒を入れたものの事だ。で、アズのボンボンは角砂糖みたいで、しかも神酒入り?よく分からないが、それでも地球は回ってる。地球ってどこだ?
「なんらかわかんにゃいけろ、世界がぐるぐるまわってまふぅ~♪」
そう、星は回るのだ。リリ賢いから知ってるもん。
「ねぇアズ、リリの様子がおかしいんだけど。さっきから興奮してるし呂律回ってないし、若干顔が赤くて目元がとろんとしてない?」
「そうだなぁ……まるで酔っぱらってるみたいだなぁ」
む、マリネッタがパパと何か喋ってるのれす。ずるいとおもいまふまふクッション。
「ねぇアズ。コーヒー豆は元々ここに置いてあったけど、角砂糖なんてあったっけ?」
「んー、角砂糖はないけど、同じ砂糖の塊みたいなソーマボンボンで代用したよ。」
人の目の前でイチャイチャすんなれすぅ。アズはリリのパパで王子様なんれす。つまりはパパ上でパパ君、キングパパスなのれす。こっち見てくれなきゃ嫌ーれす。なんで視線はこっちなのに、言葉はマリなんれふかふかマットレス?リリにも言葉くれなきゃや~や~や~の飛鳥文化アタックなのれふ。
「ねぇアズ。神酒って……普通どれくらいで酔っぱらうの?」
「えっとなぁ……あれは量が問題じゃないから、少量でも飲む人が飲めば酔っぱらうってさ」
「………リリ、酔っぱらってるんじゃない?」
「………………おお!!」
『って、今更納得してんじゃねぇですぅ!!』
『いかん!主人格が倒れたことで人格席ががら空きだ!リリが死守せねばうおおおおお!!』
『やめなさいリリスト!!ここは貴方のような男性寄りの存在ではなく女寄りかつ貞操観念をしっかり持ったこのリリデレラが!!』
『あー……皆さん』
『力への意志を!かくなるうえはこの閉息した世界で煩悩と愚に塗れながらでも光を!!』
『リリーチェはインテリだから気合が足りない!ここは活を入れるためにこのリリゾーが!!』
『……皆さん!!』
珍しく声を荒げたリリカワに、椅子取り合戦でもみくちゃになったペルソナたちが一斉に振り向く。
ごほん、と咳払いしたリリカワが、主人格席を指さした。
『はしゃいでいる所申し訳ないのですが……貴方がたが醜い争いをしている間に、一番座らせてはいけなそうなリリエンタールに主人格席が取られています』
そこには、子供のように足をパタパタ動かして歌うリリエンタールの姿があった。
『あ~まえほうだいっ♪あ~まえほうだいっ♪』
『『『『『………なにぃぃぃぃ~~~~~!?!?』』』』』
こうして、リリのリミッターが外されてしまった。
「ぱ~~~~ぱ~~~~~!!」
「ひょっとしてそれ俺の事言って……うごばぁぁぁーーーーッ!?馬鹿な、これは法隆寺を倒壊に導いた伝説の飛鳥文化アタック!!何故オラリオにこの技の使い手がッ!?」
おお、リリよ。7番リリエンタールに主人格を奪われてしまうとは情けない。でもいいのれす。つまりリリエンタールが表ということはアズに甘えまくりでも合法化され、決議は賛成が明瞭の紅蓮をぽにょぽにょがわふわふ焦土で秩序に基づくランデビューポロロクロイスはいだらぁなのれす、まる。
「にゃははははは~~!ぱーぱ、ぱーぱぁ♪」
ほっぺすりすり。パパはおひげがないので気持ちいい。首筋に顔を埋めて匂いをかぐと、なんだかとってもいい匂い。せっかくだからリリの匂いもあげるのだ。ぎゅぎゅっと抱きしめてパパの首からぶらさがりれす!
「わーい!おさるさんごっこ~♪パパぁ、だっこして?」
「いやパパって、俺と君は歳の差3歳ですけどぉ!?」
「うぐがががが……り、リリめぇぇぇ~~!!誰に許可を得てアズに色目を使ってんのよ!!こうなったら……私もコーヒーを飲む!浴びるようにっ!!」
「おい馬鹿やめろ!!事態を収拾できなくなるから!!できなくなるからぁぁぁぁ~~~~!!!」
その後、リリは同じく盛大に酔っぱらったマリネッタと共にアズの鎖を使って電車ごっこのように貧民街を飛び出し、アズは哀れ都市轢き回しの刑(肉体よりも生暖かい視線による精神的なダメージ多し)を受けることになってしまった。
その後も怒涛の勢いは止まらず、アズは二人をおんぶにだっこでダンジョンに突入させられたり、よそのファミリアの見学にいかされたり、最終的には「あの告死天使に隠し子が!?」というあらぬ噂まで立てられてしまった。
なお、最終的に酔い倒れた二人を抱えて屋敷に戻るアズからはパパの貫録を感じる、とゴースト・ファミリアは盛大にからかい、帰ってきたオーネストに至っては「その子たちの面倒見るんなら、ダンジョンから身を引くことも考えとけ」と妙に優しい声で奨められたという。
= =
「いいじゃねぇか……大切なもの。陳腐で下らねぇが、人間なんて下らねぇ位が丁度いいと思わねぇか?」
「るせー!てめーだって彼女の一人でも持ったらどうだ!!俺知ってるんだぞ!てめー結構モテてんだろ!!俺の知る限りでもお前に惚れてる奴6人くらいいるぞッ!!」
「俺みたいなろくでなしに惚れる女がいたら、こう言ってやる……『お前、男の趣味が最悪だ』ってな」
「言ってろ!確かに間違ってもないがな!!」
オーネストは殆ど酒を飲まないが、アズは結構飲んでいる。ジョッキに注がれたビールを一気に飲み干したアズは、ぶはー!と大きく息を吐く。
珍しく不機嫌だな、とオーネストは少し意外に思う。
アズという男は、基本的に冷めている。例えば10人中10人が激昂するほどの外道が相手でも、この男は眉をひそめて「おたく、趣味悪いね」と一言漏らすだけだ。無論、気に入らない外道は縛り上げてギルドに突き出したりする訳だが、それでもアズは激情というものを表出させない。
そんな彼が感情を露わにする理由とは何か。
オーネストの見立てが正しければ、彼をそうさせているのは――責任だ。
俺達に未来は要らない。
だが、それは本当は脆くて、いつ崩れるやも知れない砂上の楼閣のような言葉であることをオーネストは知っている。
もし、不安に思わせたくない人を慮ったら。
もし、自分がいなければ路頭に迷う人間がいたら。
もし、その相手を愛してしまったら。
その瞬間から、人は未来を求めてやまなくなる。守る人、守りたい人に対する責任という名の欲動が、否応なくその瞳を先へと向けさせる。それは自らを束縛することでもあり、そして何よりも「人間らしい」ということになる。
アズが不機嫌なのは、その責任とやらを思い出してしまったのだろう。二人の子供に懐かれて、考えてしまったのだ。「自分がくたばったら、この子たちはどうなるのだろう」と。
オーネストはそれを否定しない。ただ、自分はそれをやらないだけだ。
誰にも縛られない。誰にも従わない。誰も求めない。
そんなどうしようもない屑でも、不思議と友達というのは出来てしまう。
言うならば、ゴースト・ファミリアとはそんな屑が積み重なり、折り重なって出来上がっているとも言える。誰もが何かを省みず、そこから目を逸らして生きている。どこまでも自分本位でしかないのに、その繋がりは深く、重く――そして、決定的に愚かしい。
「アズ。守るべきものは人を強くも弱くもする。それを弱さと切り捨てるのも、強さにするもの自由だ。それは愚かしいことかもしれないが、決して間違いにもならない……そんなことはお前には言うまでもないか」
「………お前ってさぁ、人の話聞いてないみたいな態度の癖に、直ぐ人の心の核心を突くな」
知ってたけど、と小さく続けたアズは、ジョッキをテーブルに置いて、ちらりと部屋の奥のベッドで寝転がる二人の幼子(一人は外見だけだが)を見やった。すうすうと寝息を立てる二人の無垢な少女に、アズは頭の裏をかりかりと引っ掻いた。
「……あの二人を守りたいんなら、俺についてくるのは止めた方が賢明だ。そもそも――お前にはダンジョンに潜る理由ってやつが元々欠如している」
「よりにもよってお前が言うかね、それ……本当は誰より無欲だろうが。お前こそ潜る動機や意味がねえっての」
「意味ならあるさ。生の実感という、俺にとっては何にも代えがたい大きな意味がな。お前も確かにそうではあるが、別の道にも行けるだろう。趣味の薬作りがいい証拠だ」
アズはオーネストと同じ、物欲も名声もない。冒険心はそれなりにあるが、オラリオの求める『理想の冒険者』とも『標準的な冒険者』ともかけ離れている。こいつが求めている『夢』とやらは、ダンジョンの外にある可能性の方が高いくらいだ。
対してオーネストの望むものは、ダンジョンにしかないのだ。
戦わなければ、オーネスト・ライアーは死を迎える。
本当の意味での、自分にとっての死を。
「俺は自分の生き方を決して後悔しない。だが、後悔する生き方の方がお前には似合ってるような気もする。痛い目を見る前に、退いてみたらどうだ?」
それとも――俺も怖いのか。
いつか、この長身の酒飲みが世界から捨てられる瞬間が。
知っている。
分かってるよ。
俺は元々――臆病だから。
だが、アズライールを前にすると、時々その事実さえも覆るような気がするのだ――
「おーいおい、俺の行動は俺が決めるもんだぜ?お前の口癖でもあんだろ?死にたがりのオーネスト君や」
アズがオーネストにツマミの干し肉の欠片を突きつけた。
神妙な顔でオーネストを睨みつけたアズは、シニカルに笑った。
「俺は強欲じゃないが、結構馬鹿でな?二人の事を背負うってのはそれなりに不安もあるが、両立させようとも思っている。そして、晩酌の話し相手が眼を離した隙に勝手にくたばるのはこの俺が許さん。――俺に生かされてろ、馬鹿一号」
「………お前の友人趣味も最悪だ、馬鹿二号」
突きつけられた干し肉を取ったオーネストは、呆れたように鼻で笑いながら肉を齧った。
アズもまた、シニカルな顔を悪戯っぽい笑いに変えて肉を齧る。
まったくどうして――俺達はとことん碌でもない。
だからこの碌でもなさに、俺は時折どうしようもなく充足を感じるのだ。
置き去りにされた俺の刻と、いずれ訪れる告別を考えないで済むのだから。
後書き
一番最初に考えてたプロットでは、アズはリリの事が何となく気に入らなくてちょっとイジワルとかしちゃう予定でした。で、リリを気に入らない理由が自分でも分かんないアズが色々と思い悩む感じにしたかったんですが……ギャグ路線に変更されました。
そして暴走のテンションアップの後に、初のオーネスト視点で一気にクールダウン。なお、リリは一応ヘスティア・ファミリアに落ち着く方向性で考えてます。
9.紅の君よ、呪われてあれ
前書き
そしてこの落差である。
お前は何のために戦う、と問われれば、俺はきっと首を傾げる。
同じ問いをオーネストにすれば、そこに戦いがあるから、と言うだろう。
ココちゃんなら、高みへ行くため、と事もなげに答える。
ヴェルトールならば、こっそり連れている可愛らしとい自律人形を指さして、偶には戦わせないとな、と肩をすくめる筈だ。
では、ダンジョンに潜らない人は戦っていないのかというと、別にそんなことはない。
メリージアなんか、いつも献立と屋敷の汚れ相手に壮絶な戦いを繰り広げている。
フーの場合は工房に籠って鉄を打っているとき、戦う戦士にも劣らない真剣な眼差しを見せる。
マリネッタやヘスティアは貧困と闘っているし、エイナちゃんなんかは忙しさと戦っている。
みんな戦っているのだ。そしてそれは、生きる限り延々と継続される。
言うならばそれは、絶対的な人生防衛戦線。
すなわち、生きることこそが人にとっての戦いとも言える。
戦いが終わる時は――生きて、生きて、生き抜いた時。
戦いが終わる時は――何かに、決定的に、負けた時。
戦いが終わる時は――死に向かう衝動を、行動によって肯定した時。
俺はどうだろう。俺は皆ほど死に物狂いに生きているか?
趣味と暇つぶしに現を抜かし、求めるべき夢が落ちてくるのを雛鳥のように口を開けて待っている。そんな存在は、ある種では死んでいるし、生きていない。ならば俺は何をしている?オーネストの後ろをついていく俺は、何と戦っているのか?
その問いに、俺は明確な答えを見いだせない。
だが――本当に何となくだが、時々こう思う時がある。
俺は、死を抱え込んだどうしようもない自分自身と戦って、何かの拍子に勝ってしまったんじゃないか?
終わりのない戦いのなかで、俺は一度終わってしまったのだ。
死を受け入れたのも、心を渦巻く恐ろしさが消えてしまったのも、あの時からだ。
何かに支配されたわけでもなく、何かを怖れる訳でもない。
それはある種の勝利であり――そして、生きている人間が迎えてはいけない彼岸だ。
ああ、そうか。何となくだけど分かってきた。
つまり、俺はダンジョンで鎖をぶん回しながら心の中でずっとこう叫んでいるんだ。
「俺は確かにここで生きているよ」、と。
そうやって叫んでいないと、俺自身が生きていることを忘れてしまいそうだから。
――では、オーネストは?
あいつも一度、勝った筈だ。或いは負けたのか、ともかく一度終わった筈だ。
だが、あいつは俺と近いけれど、違う気がする。
ふと、案外まだ戦っているのかもしれないな、と思った。
だってあいつ、根本的には『死ぬほど』負けず嫌いだから。
どうしようもなく不器用で、例え負けていると頭の中で分かっていても絶対に認めないくらいに頑固者。死んで生まれ変わってもそのまんまもう一度同じ道を歩んでしまうほどに、逃げないから。
――だから、あいつと戦い続けられるのは、きっとあいつ自身を置いて他にはないだろう。
「お前も大変だな。過去の自分とにらめっこかよ」
「………唐突に人の心を覗くんじゃねえ、死神モドキ」
「流石はアズ様!オーネスト様のこと粗方見透かしてやがりますね!同じ穴のムジナって奴ですか?」
オーネストの若干悔しそうな顔をしている所を見るに、大正解だったようである。
うむ、今日も絶好調でメリージアの飯が美味い。
= =
『狂闘士』オーネストは敵と見なした者に決して手心を加えずに全力で鏖殺する。相手が泣こうが喚こうが世界の半分を割譲しようが、オーネストは絶対的に敵を打倒し、圧倒し、見る者にも戦った者にも恐怖を植え付ける。そこには勝敗を越える妄執染みた世界があった。
本気とか全力とかレベルといった数字以前に、彼という存在そのものが暴力の擬人化であり恐怖の権化なのだ。故に、誰もがオーネストの実力を認めながらも決して戦おうとしない。彼を敵に回した結果を良く知っているから。
オラリオ最強と謳われるレベル7、『猛者』オッタルは、彼と戦って右の耳を失った。
幸いにも耳は様々な回復方法を駆使することでまた生えてきたが、そのニュースはこの街を揺るがすに値する驚愕を以ってしてオラリオに響き渡った。オッタル自身もその戦いを「己の人生で最も恥ずべき戦い」と断言している。
オッタルは、フレイヤ・ファミリア最強の戦士だ。そして、オラリオ唯一のレベル7でもある。
他のレベル6をも大きく凌駕し、どんな魔物と戦っても負傷するような失態は冒さない。
つまりそれが意味するのは最強、無敵、強靱、そして頂点なのだ。
彼の存在そのものが無敵神話そのものと言ってもいい。
その無敵神話に、初めて雑菌塗れの汚泥を塗りたくった男がオーネストなのだ。
当時、オーネストは危険人物として一部では知られていたが、どちらかと言えばアングラな存在だった。そんな彼にちょっかいをだしたのがフレイヤ。彼女はいたく彼の魂を気に入って勧誘しようとしたらしい。だが――それはオーネストの「何か」に触れ、彼を極限まで激昂させる。オーネストはフレイヤに「報い」を受けさせようと、そしてオッタルはそれを防ごうとして決闘が始まった。
最終的に、オーネストはオッタルには勝てずに公衆の面前で敗北した。
オーネストがオッタルに負わせた傷はその耳と、いくつかの切り傷程度でしかない。その後オーネストは1週間もの間昏睡状態に陥るほどの深手を負い、ゴースト・ファミリアに回収される。結果だけ見ればオッタルの大勝。予定調和の展開だ。
だが――オッタルもフレイヤも、その決闘を目撃した人も、またその報告を知った敏い冒険者や神たちも、起こった事象を全くそのようには感じなかった。
すなわち、こうである。
『オーネストという男は、一度怒り狂えば神にさえ牙を剥き、最強の戦士の肉すら抉るほどに暴れ狂う一種の化物である』、と。
届きえぬから最強なのだ。触れる事さえ許さぬから『猛者』なのだ。
その最強の種族的象徴とも言える耳を、彼はその荒れ狂う魂だけで千切ってみせた。
もしもこれがオッタルでなく、もっと格下の存在だったのならば――オーネストは自分の臓物をぶちまけられてでも敵の脳髄を叩き潰し、絶命させただろう。逆を言えば、それ程の覚悟を『自分を怒らせた』というだけの理由で振るえる男なのだ。
さらに付け加えるならば、オッタルは絶対の忠誠を誓うフレイヤに「殺してはならない」という命を受けていたにも関わらず、彼を死の直前まで追い込まなければならなくなる状況にまで押し込まれている。鋼よりも固い忠誠心を持つ彼からすれば、あり得ないほどの失態だった。
骨が砕けても肉が千切れても、絶対的な殺意と覇気を纏って立ち上がる彼は、地獄の悪鬼の如く。
オーネストは戦いには負けた。だが、あの日の戦いを支配していたのは間違いなくオーネストだ。
その証拠に、その日の戦いを目撃した人々は、オーネストの殺意に煽られて数日間眠ることが出来なくなってしまったのだから。
ちなみにこの決闘から1週間ほどダンジョンの魔物発生率がオーネストを恐れるかのように急激に落ち込んだのは、彼の伝説の一つとなっている
このように猛烈な『濃さ』があるオーネストに対し、その相方の『告死天使』は彼と全く違う方向で畏れられている。
戦いに於いても愚か者を冷笑するように嗤い、絶対的断罪者としての鎖を振りかざす。
彼は息を切らさない。彼は血を流さない。彼は隙を見せない。彼は恐れを持たない。
彼の背中には、封印されたように鎖に縛られた『死神の如き者』がいつも控えている。
周囲の気温を一気に下げる程の濃密な『死』の気配が、彼と戦おうと言う発想そのものを削いでいく。
その姿は、ある種の絶対的で圧倒的な一つの現実の顕現。
すなわち、死を齎す者――転じて、彼そのものが『死』。
なのに、彼は人の姿として『そこにある』のだ。
『神気』に迫るオーネストの殺意とは違い、彼はまるで『死神の如くある』。
人の筈だ。生きている筈だ。神ではない筈だ。筈なのに――彼の者は、いみじくも畏ろしい。
故に天使。神に非ざるが、神に近しき告死の者。『告死天使』。
分かりやすい暴力が恐れられるオーネストと違い、アズラーイルという男の本質は、底を知ろうとすることさえ烏滸がましいと思えるほどの底知れなさなのだ。
あいつはどこまで出来るのだ?
それを覗いた時、自分はどうなる?
触ってはいけないパンドラの箱。
へらへら笑うあの男の腹の底は、決して覗いてはならない。
故に、アズライールにあるのは恐れではなく畏れなのだ。
= =
『白づくめの男』は、かつて闇派閥というこの街の暗部――秩序を嫌い、世界を乱そうとした悪神の尖兵だった。
6年前、『27階層の悪夢』と呼ばれる最悪の事件を引き起こした彼は一度死に絶え――そして、新たな命を『彼女』に賜った。以来、彼は『彼女』を崇拝し、敬愛し、彼女の願いを――迷宮都市オラリオという汚らわしい神々が創り上げた虚構を滅ぼすために様々な下準備を進めてきた。
そして、準備が本格的な軌道に乗った丁度その頃に、その男は現れたのだ。
「うおーい、オーネストやーい!……ったく、ちょっと寄り道しただけなのに見捨て先に進みやがって。朝の事を根に持ってんじゃないだろうな――って、あら、おたく誰?」
物見客のように呑気で緊張感のない声と共に、それは突如として現れた。
最初、『白づくめの男』はそれの危険性に気付くことが出来なかった。
余りにその男が自然体であったから、警戒心が和らいでしまったのだろう。
それに、冒険者らしいのに丸腰で、忌々しい神の恩恵の気配もどこか薄い。
それらの事実を総合的に判断して、焦るほどの脅威ではないと――愚かにも――思ってしまったのだ。
「ふむ。貴様、どうやって食糧庫に来た?ここに来るまでそれなりの魔物と同志がいた筈だが」
「どうって言われても、正面突破というか……相棒がぶっ殺したというか……」
「つまり、その男のサポーターか?」
「似たようなものかもな」
男はあっけらかんと答え、部屋の中を物珍しげに見回している。その余裕は相棒とやらへの絶対的信頼故か、自分だけは生き残れるという根拠もない自信故か。
なるほど、どうやらこの男の相棒とやらは随分腕が立つらしい。しかし相棒と途中ではぐれて紛れ込んだ、といった所か。相棒とやらは後で速やかに排除するとして、この男はとっとと魔物の養分にでもなってもらおう。
短い会話のなかで得られた端的な情報を総合した結果、男はごく自然に目の前の推定弱者の命運を一方的に決定させた。自らの目的の為にそれを躊躇う理由もなければ、この哀れなサポーターに負ける可能性もないと考えたからだ。
「では、ヴィオラスの餌にでもなれ」
『白づくめの男』の一言を待っていたかのように、大量の食人花が醜悪な口を開いて得物を見下ろす。
男は気にしていなかったようだが、この部屋――いや、魔物の餌場である『食糧庫』全体が食人花の苗床になっている。つまり、男が一つ合図を送れば、腹を空かせたヴィオラス達は壁や天井から這い出してすぐさま目の前の男を貪ることが出来る。
並の冒険者では撃破することも難しい大量のヴィオラス達が出現し、一斉に男へ殺到する。
その様子を見た男は、焦るでもなくゆっくりと身をかがめ――両手を交差させながら壁に向けて一言呟いた。
「おおっと、『刺』ッ!!」
「何ッ!?貴様……!!」
男の手元が妖しい黒霧を纏い、数十本の鏃付鎖が虚空を乱れ飛んだ。
複雑に絡み合いながら天井や壁に次々命中した鎖は建物を貫通して再び部屋に戻り、男へと殺到したヴィオラス達を四方八方から貫き、絡め、削り、吹き飛ばしていく。
男が魔物を殺すために取ったアクションは、ただその一瞬の動きだけだった。
『ギシャアアアアアアアアアアアッ!!?』
「うえっぷ、汁と破片だらけで余計に悪趣味な部屋になっちまったな……ま、いいか」
男が顔を上げた時には、ヴィオラスは唯の一匹も残さずズタズタに引き千切られて床に息絶えていた。先ほどの一瞬でサポーターだと決めつけた男が繰り広げた、圧倒的で一瞬の虐殺。
物理法則を超越した質量の出現は、何らかのスキルか、或いは魔法か、将又マジックアイテムか。壁を貫通して自動追尾的に魔物を殺したことから鑑みても、魔法関係の可能性が高い。
(だとしたら全く新しい魔法……しかも、この威力と汎用性で詠唱破棄可能だと………!?無害そうな面をして、出鱈目な!!)
「にしても……ヴィオラスって言うのか、この人食い花。見たことない魔物だな」
興味深そうにしゃがみ込んで引き裂かれたヴィオラスの死骸を摘まむその男に、『白づくめの男』は未だ嘗てない戦慄を覚えた。今、この瞬間の隙をついてでもこの男を殺さなければ、後後で自分に――『彼女』に致命的な何かを齎す予感が、反射的に体を動かした。
「ウオオオオオオオオオッ!!」
その身に与えられし、人間の限界を突破した膂力が空気を割いて振るわれる。
男はしゃがみこんだまま動かず、ぼそりと呟いた。
「――阻めよ、『護』」
「ぐうッ!?」
ノーモーションで展開された鎖が男を覆い、壁となって立ちはだかる。人間の骨肉など容易に粉砕する拳が叩きつけられるが、まるで巨大な壁を殴っているようにびくともしない。
深く息を吐いて更に力を込めた数十発の拳を叩きこむ。
ガガガガガガガガガガッ!!と轟音が部屋に響くが、撃ちこんだ本人は渋面に顔を歪ませる。
「莫迦な………たかが鎖がたわみもしないだとっ!?」
「あー、悪い。この鎖、普通じゃねえんだわ。触りすぎると生命力削られるから気を付けろよー」
「生命力……鎖……そしてこの余裕。貴様、まさか………」
――虚空から現れて魔物を貫く鎖。
――いついかなる時も余裕を崩さない超越的な姿。
そして、部屋を乱れ飛んだ鎖から感じられる、冥界のように冷たく深い『死』の気配。
鎖を通して感じる。魔物たちが、この神を由来としない暴力に戸惑いを覚えている。
これほどの『死』、これほどの力が指し示すような冒険者は、ただ一人しかいない。
「そういうことか……貴様、『告死天使』だな!!サポーターにしては荷物が少ないし、護身用の武器すら持っていなかったことをもう少し疑うべきだった……!!」
「何もかも一方的な御仁だねぇ………というか、その仮面なに?ヤギの頭蓋骨?」
サバトでもすんの?と意味不明なことを質問する男の正体を、やっと『白づくめの男』は理解する。
住みながらにしてオラリオに忌避される二大異端者が一人、アズライール・チェンバレット。
この街の要注意人物の一人――別名を『死神に近しき者』。
一時期は『こちら』に引き入れられないかと検討したこともある男だ。
表も裏も、等しくアンタッチャブルとされる存在――だからこそ、可能性はあった。
だが、同時に『白づくめの男』は決定的なまでに「この男は無理だ」とも思っていた。
アズライールの名は、神に送られた二つ名そのもの。
そして、チェンバレットの姓は――忌まわしきあの男より受け取った物。
この男の名前は、自分が世界で1番嫌いな要素と、2番目に嫌いな要素を含んでいる。
「ということは……貴様と共に来たという男はオーネストか!!あの忌まわしく穢らわしい血がここに……!!」
「――誰か俺の事を呼んだか?」
直後、壁が猛烈なパワーで吹き飛ばされ、一人の冒険者が現れた。
全身を返り血の真紅に染め上げ、手に握った剣には腹を貫かれて絶命した男が刺さったまま引き摺られている。歩くたびに死体の腹の傷が抉れていくが、オーネストは全く意に介していない。
「おい……おいオーネスト。………参考までに聞くけど、その最高に悪趣味なオブジェはなんだ?」
「殺した得物だが。それより見てみろこいつ、胸に面白いものが埋まっているぞ」
まるで塵を捨てるように剣を振り、死体は飛ばされてアズの足元に転がる。
それを覗きこんだアズは、おお、と驚愕の声を上げた。
そこにあるのは、真っ二つに裂けた輝石。
「胸に魔石が埋まってやがる………こりゃ種族的には人間というより魔物だな。俺は詳しくないんだけど、これって人間に似た魔物ではなく元人間で間違いないの?」
「多分な。意志は脆弱で、縋るだけで考える事はない。典型的な洗脳状態だった」
「と、いう事は……ひょっとしてあっちのお兄さんもそういう系?」
アズが指を差した先にいる男を一瞥したオーネストは、ああ、と呟く。
『白づくめの男』にとってその目線を向けられるのは6年ぶりで――あの日から消えない腹の疼きを否応なしに思い出させる反吐のような再会。はらわたが沸騰するような怒りと屈辱が、全身を渦巻いた。
「よう。テロリストから犬っころに転職したようだな。良く似合ってるぜ、オリヴァス」
「貴様はあの時から何一つ変わっていないな、オーネスト……!忌まわしき血の男!」
白づくめと真紅。
無表情と敵意。
表の危険と裏の危険。
その男達は、外部から内面に到るまでどこまでも対照的だった。
オリヴァス・アクト――元・闇派閥所属の過激派テロリストにして、6年前に死亡が確認された筈の男。その男が生きてここにいることを、オーネストは知らなかった。しかし、仮面をかぶっている上に6年間死んだと思っていたその男を、オーネストは瞬時に言い当てた。
「ふん……やはり驚きもせんか。つまらんが、貴様ならそうだろうな。『神の血を飲んだ貴様なら』精々その程度だろう」
「そういうお前は何年経っても下らないことばかりで変化のない奴だ。一度腹を掻っ捌いてやったというのに、同じことを繰り返す気なんだろう?」
「だとしたら、お前はどうする?邪魔するのか、あの時のように――!!」
オリヴァスと呼ばれた男の放つ狂気を纏った殺意は、半端なものではない。いっそその気配だけでも力のない相手ならば殺せそうな程、地獄の業火のように空気を焼いている。その空気に煽られても眉一つ動かさなかったオーネストだったが、続く一言でその表情が崩れた。
「貴様は自由意志とか自己決定などとうそぶいて満足しているようだが、俺は知っているぞ。貴様は未だに『あれ』に縛られ続けているだけだ!救いようもなく愚かだなぁ、貴様は!!神に捨てられた者よ――」
「―――死ね」
言い終えより早く、オリヴァスは斬り飛ばされていた。
オリヴァスが斬り飛ばされた時には、既にオーネストは剣を握っていた。
まるで最初にオリヴァスが勝手に斬れ、その理由付けのためにオーネストが剣を握ったかのような――因果が逆転したかのような錯覚を覚えるほどに神速い斬撃。
だが、斬ったオーネストは忌々しそうに眉を顰めた。
「斬られるのは、予想済みだ……!!」
「ちっ……最初から俺とやりあう気はなしという訳か」
感情任せに斬ったせいで荒かった上に、ガードで致命傷を避けられている。
それでもガードした腕は今にも千切れそうなほどに深く断たれ、虚空に鮮血の尾を引いていたが――オリヴァスにとってその傷は致命傷足りえない。斬撃によって吹き飛んだオリヴァスの身体が、突如として地面の下へと消えた。
「斬り飛ばされた反動を利用して、予め空けてあった逃げ道からバックれやがったな?死にぞこないの癖に俺を利用するとはいい度胸だ」
「ええっと……わっ、地面にでっかい穴が!」
おそらく、オーネストの言うとおり最初からここに逃げ込んで難を逃れるつもりだったのだろう。傍観していたアズがゆっくり足を運んで確かめてみると、そこには血痕の残る穴があった。直径は2M近くあり、人どころかそこそこの大きさの魔物でも通れそうである。
「あいつ、人か山羊かモグラかハッキリしない奴だなぁ」
「分からんなら教えてやる。あれは喋る芥だ」
「あーあーお前からしたらそうだろーね……」
オーネストにとって興味のない存在は全部ゴミ扱い。いつものオーネストである。
斬り飛ばされる為に態と挑発染みたことをのたまい、そしてオーネストはそれにまんまと乗せられたという訳だ。顔を顰めたのは言われた内容にではなく、相手の思惑に乗ってしまったという不快感からだったようだ。
何とも言葉が短く殺伐とした再会劇は、こうして呆気なく終了したのだった。
オリヴァスはここで死ぬわけにはいかない。彼の執念は全身全霊でここから逃走し、次の事を起こすつもりだったらしい。
追手が来ない事を確認して速やかに逃走したオリヴァス――かつて『白髪鬼』と呼ばれた狂気の男は、忌々しそうに自分の指の爪を齧りながらヒステリックに叫んだ。
「今までオーネストにばかり目がいっていたが……『告死天使』!奴が力を振るった瞬間、『彼女』が怯えた………奴だけは、何にも優先して殺す必要がある!!」
狂信とは恐ろしいものだ。
死を恐れないが故に、『死そのもの』の恐ろしさを永遠に理解することが出来ないのだから。
= =
――二人はその日、22階層に見覚えのない巨大な植物を発見した。
そして、アズがそれに興味を持って、迷路のような内部に侵入してみたのだ。
思わぬ面倒事にオーネストはすっかりやる気が失せたたしく、二人はあっさりと18層の休憩場所へと引き返すことになった。
オリヴァスが何故ここにいて、どうしてあっさり逃げ出したのか。そして何をしているのか。二人はそれを追求する気もなければ、興味もさほどなかった。ただ、一応ながらアズは後でギルドに報告しておこうと思った。一級冒険者ならそうそう遅れは取らないと思うが、事情も知らない冒険者が手を出して魔物人間が増えたら目覚めが悪いからだ。
全ての事実が判明するのは、それよりもずっと後の話になる。そしてもとよりオリヴァスの事など知りもしないアズにとっては、全く事の重大さを感じていなかった。
「おーい、帰ったら俺にもちゃんと事情説明してくれよー?」
「今日は機嫌が悪い。ギルドか、暇な古参にでも聞け」
「冷てぇなー………ま、いいや」
帰り道、アズは『神の血』についても『神に捨てられた』という言葉についても、一切聞こうとしなかった。何故なら、アズはその話がオーネストにとって面白くない話であることを感じ取っていたから。
(そうだと気付いてしまうと、なーんか白けて興味なくなるんだよなぁ)
アズは、然程他人の詮索をしない。誰に対しても自然体で、表面的な心情というものを気にしない。
ただ、表面上の無神経とは違い、深層的な心情には敏い方だった。オーネストもまた似たタイプではあるが、アズは――とにかく、気になりそうなことに気付いた上で、それでも気にしない。
きっとそこに、オーネストがアズにだけ心を許す理由があるのかもしれない。
後書き
若干オラトリアった内容でした。ちなみにオラトリアには沿いません。
全然意図していたわけじゃないんですが、オリヴァスとオーネストはその実力も含めて何もかも対照的な事に気付いた今日この頃。
10.『死』の喚起
前書き
唐突なQ&Aコーナー「学べるオッタルの知恵袋!」
主:何でも答えてくれそうなオッタルさんに質問!アズってどれくらい強いん?
オ:気付いている者もいるかもしれんが、奴はレベル1の小人族のナイフが突き刺さる程度の防御力………つまり、地のステイタスにおける防御力は高くない。だが、『死望忌願』の補助が出てくると……。
主:出てくると?
オ:……比較対象がいないので断言出来んが、最低でもレベル7クラスの戦闘能力だろうな。
『告死天使』という名は、他人に勝手につけられたものを再利用しただけだ。
チェンバレットの姓は、オーネストがいい加減につけたもの。
つまり俺の名前というのは他人によって勝手に構成されており、別にハデスでもタナトスでも閻魔でもない俺自身は他人に死を告げない。俺が死神とか告死の者とか呼ばれているのは大体『死望忌願』の所為である。
あの厄病守護霊的アンノウンめ。いくら俺の一部にして戦闘能力の塊とはいえ容赦せん。サウナとか入って体を虐めてやる。……や、効果はなさそうだけどね。
しかし、死を呼ぶと噂されるのは何も俺だけとは限らない訳で。
「ふーん、『死妖精』ねぇ………物騒な仇名だ」
「え、ええ………というか、貴方が言いますかそれ?」
「そいつはご尤も。まぁそれは置いといて……その仇名の由来の一部になったのも、そのオリヴァス氏の起こした事件って訳だ。なるほど、貴重な話が聞けて良かったよ」
大通りの喫茶店で黒髪エルフのフィルヴィスちゃんから話を聞き終えた俺は、静かに紅茶を呷った。
さて、俺がこんな場所でエルフの子と茶をしばいているのは、別にナンパに目覚めてお姉さんを口説いたからではない。貴重な話を聞かせてもらいたかったが為に少々無理を言って誘ったのだ。
……あれ、これってある種ナンパと変わらないんじゃ?
まぁいっか。オーネスト曰く、「事実は一つしかないが、真実は人の数だけある」だ。俺にとっての真実は「別にナンパしてないもん」で確定だ。うーん、あいつはいい言葉を知っている。流石はヤクザの癖にインテリ……つまりインテリヤクザなだけの事はある。
(……マジで前世が極道とかないだろうな?ヤクザでも友達やめる訳じゃないけど、信じてるぞ?)
オラリオで一人仁義なき戦いを繰り広げた男なだけに否定できなかった。
ともかく現時点に到るまでの経緯について触れておこう。
その日、昨日にあった22層の事件を申し訳程度にギルドに報告した俺は、驚愕するエイナちゃんをよそにギルド代表のロイマンさんに会いに行き、金で頼んで資料を探らせてもらった。6年前、27階層で何が発生したのか……そして、オーネストとあのオリヴァスとかいうサバト野郎の関係を探ろうと思ったからだ。
「んー……つまり27階層の悪夢ってのは、この街の暗部が起こした史上最大規模の『怪物進呈』を、しかも上手いこと有力ファミリアを誘導したうえで階層主の部屋で実行したわけね。よくもまぁ……」
「ええ、大それたことをしたものです。公式に事実確認はとれませんでしたが、それを実行するに当たって人質から偽情報の流布までかなり悪辣な手段を使っていたと思われます。この街で起きた人為的な事件としては最大規模ですよ」
資料室案内についてきたロイマンさんが資料の要点をかいつまんで説明してくれたことには、そういうことらしい。
ロイマンさんはお金を渡せば何でもやってくれるいい人だ。今回のこれも不正な情報漏えいではなく「情報の対価とほんのお気持ち」という方向に流してくれるらしい。いやぁ、身も心も太っ腹ですねぇと思わず言ってしまったが、別段不快には思わなかったのか当人は笑っていた。
「で、この際にオーネストが乱入してサバトマンをぶち殺したと?」
「証拠はありません。何せ死体は結局モンスターの餌になってしまいましたから、当時の目撃者の証言のみです。一応嘘はついていないようですし、彼ならやるだろうということで話が纏まりました」
「曲がりなりにも人間をバッサリかぁ……罰則はあったんですか?」
「ありませんよ。緊急の対応として不適切なところはありませんでしたから、汝罪無しと太鼓判を押しておきました……何より、数少ない生き残りの方々が、敵討ちをしてくれたのならそれでいいと……」
「代理で仇を討つ形になったから庇われたわけね」
確かに、そういう考えもあるのか。
状況からして彼のそれは自爆テロに近く、本人が魔物に喰われず生き延びる確率はゼロに近かったと思われる。だが、それで相手が死ぬというのは「思い通りに死んだ」ことだ。つまり、全部は彼の掌の内。これで終わられると生き残った側は屈辱だろう。
だが、喰われる前にオーネストにブチ殺されたとなると、形式上は一矢報いた形になる。
当時の人々はそれで自分を納得させたのだろう。人間というのは皆、何かの形で区切りがつかないと感情を引きずるものだ。
「粗方の話は理解できました。時間を割かせてしまってすいませんね」
「いえいえお気になさらず。ああ、それと……これを」
手渡されたのは封筒だ。ギルドのものであることを示す封蝋が施してある。
「これは……?【ディオニュソス・ファミリア】のフィルヴィス・シャリア宛、って書いてありますね?」
「オーネストくんが『白髪鬼』オリヴァス――きみの言うサバトマンを殺した光景を見たと証言した唯一の目撃者です。この手紙に、きみたちがオリヴァスらしき人物を見たため、一応話を聞いて事実確認をしたい旨を書いておきました。……ああ、新事実が判明しても報告は結構です。オーネストくんがオリヴァスというのなら、それはオリヴァスでしょうから」
何でもない事のように、ロイマンさんは俺とオーネストの目撃証言を全面的に受け入れた。
元冒険者の魔物化なんて滅茶苦茶な話に、ちゃんと対策を取るつもりらしい。でなければ口にしないか前向きに検討するものだからだ。
そして手紙については、ただ単純に俺が出来る最後の事実確認の段取りを綺麗に整えてくれた、ということらしい。この手紙は紹介状替わりで、後の事はこっちに任せろと暗に言っているのか。
有能すぎるぞロイマンさん、いい人すぎるぞロイマンさん。
太りすぎてエルフの恥とか揶揄されているが、俺は少なくとも尊敬します。
でも前からちょっと思ってたけど、ロイマンさんってオーネストが絡むとちょっと甘いような………過去の話を聞いても、オーネストのトラブルはロイマンさんが積極的に処理してたらしい。
……とまぁそれはさておき、こんな経緯を経て俺はフィルヴィスちゃんの口から相棒が弱冠12歳で殺人者になった瞬間の話を聞いた。
オーネストは確かにサバトマンの上半身と下半身をオサラバさせたらしい。乱入してきた理由までは分からなかったが、ともかく明確な殺意を以ってオリ/ヴァスして、内臓をぶちまけたそうだ。
何もかもが濃くてエグイ。あいつはベルセルクのガッツの親戚か何かなのだろうか。そういえばベルセルクと『狂闘士』は同じ意味だったな。
(………殺した理由までは知らんけど、多分『ゴミ掃除』だな)
説明しよう!『ゴミ掃除』とは、オーネストからヤクザ的な意味で特定人物や組織を『掃除』する事である!………もうやだこの親友。これで説明出来ちゃうんだもん。
つまりオーネストは、その男が生きているというそれだけで周囲に面倒を撒き散らす存在であると考え、そのまんま殺したのである。今更ながら、俺もその光景に出くわしたことがないわけではない。あの男は周囲に殺意を振りまく癖に、そのような人を殺す時は驚くほどに無感動だ。
言うならば、そこに薄汚いゴキブリがいたからとりあえず潰した……という、それだけの感慨しかないのだろう。
本人は決して口は出さないが、特に心に干渉する相手と人の意志を支配下に置こうとする者、そして理不尽を死という形でばら撒く者をあいつは絶対に許容しない。オーネストがオリヴァスに対してさしたる興味を示さなかったのは、彼がわざわざ怒りと不快感を露にするほどの存在ではないと本能的に察知しているからだろう。
哀れだな、サバトマン。オーネストが関心を示さないってことは、お前に意志の輝きがないってことだ。生も死も中途半端で、与えられた主義主張と独り善がりな妄念だけで動き続けるあんたは――多分、死んでることに自分で気付いてないだけだよ。
それはきっと生より死より残酷な、虚ろな魂の牢獄。
地獄というのが終わらぬ苦痛を与えるものならば、なるほどお前は既に地獄にいるらしい。
苦痛を苦痛と感じぬために、そこを天国と勘違いしているだけの道化師――そう思うと、もう俺も哀れな彼の行く末に興味を抱けない。
しかし、フィルヴィスちゃんはそうでもなく、忘れたと思っていた墓穴を掘り返されて落ち着けないようだ。
「最終的には下半身しか見つからなかったと聞いたので、てっきり上半身は魔物に喰われたものと思っていましたが………そうではなかった?」
「推測だけど、オリヴァスという男はそこで死に――『何か』にその魂、或いは脳の残った上半身を回収されて魔物とのハイブリッドになり、そして今も活動しているって事だろう」
自我を持ったまま存在したのなら単純に魂を回収したとも考えられるが、記憶ってのは脳髄の方に詰まっている。言うならば魂は、記憶という名の情報を『脳』というタイトルの本に書きこんでいるのだ。書いた本人の魂は当然覚えているだろうが、本自体も肉体として残っている。
魂のない肉体が記憶を頼りに動きだしたら、それは人間か。
考えて動いているのならば、生きているのか。
魂がないから、人を真似ているだけの人形なのか。
(……オーネストがいつか言ってたな。『人工知能が人間の思考を模す過程と赤ん坊の学習過程は、本質的に違いがない』って。ならば、肉体を管理する魂とは、実は記憶と何も変わらないのかもしれない。……魂という概念も、神が世界を理解するために勝手に作り出した虚構なのかもしれん)
まぁ、その辺は考えても詮無きこと。
正体が何であれ俺は驚かないし、オーネストも同じだろう。
その答えは、俺達が生きていくうえでさしたる意味を持たないのだから。
そういえば今日は調べもので同行できなかったからヴェルトールにあいつの面倒見てもらってるが、今頃何をしてるんだろうか――
「あの……少しいいですか、アズライールさん」
「ん?別にいいけど、何か悩み事?」
ふと気づくと、フィルヴィスちゃんが俺に意を決して質問をしてきていた。
………っていうか、同い年位に見えるけどよく考えたら俺より年上だよね、この子。さんを付けろよデコ助野郎!とか罵倒されたらどうしようかと内心不安だった俺は、彼女の質問に呆気にとられることになる。
「あの………私は呪われているのでしょうか?」
きみは急に何を言っているんだ?というか、何故それを俺に聞く。
取り敢えず、話を聞いてみることにした俺であった。
= =
フィルヴィスは、余りにも多くの仲間を失ってきた。
一番多く失ったのは27階層の悪夢だったが、それ以外にも散発的に私の仲間は何かに巻き込まれて死んでいった。自分の所為ではない何かに。
ただ、事件を機に「あいつが死を呼び寄せている」と噂されて『死妖精』という不名誉な二つ名を押し付けられたに過ぎない。
自分の所為ではない筈だ。
しかし、では何故皆は死んでいくというのだ。
状況証拠とは恐ろしいものだ。自分ではないと理性では思っていても、本能が自らを虚構の危険因子として組み立ててしまう。気が付けば、フィルヴィスは周囲に殆ど心を許さなくなってしまった。
――自分が近付けば、きっと相手は不幸になると思ったから。
しかし、ここ2年ほど『死妖精』の名は全盛期ほどのネームバリューを失いつつある。
そう、『告死天使』が彼女のお株を根こそぎ奪っていったのだ。
曰く、死神の子としてオラリオに君臨した冥府の使者。
曰く、その身は神と対を為す悪魔に属する魔界の尖兵。
曰く、彼は世界がこの世に産み落とした生者の対存在。
推定レベル7以上と噂される彼にとって、ダンジョンなど気まぐれの遊び場に過ぎない。
それが証拠に、彼は防具など碌につけずいつも黒いコートを羽織ってダンジョンへ赴き、お気に入りの冒険者『狂闘士』を引き連れて怪我一つなく戻ってくる。しかも、丸腰でだ。彼は既に防御とか、装備とか、そのような次元を超越した先にある存在なのだ。
神がその神気を解き放てばその程度の芸当は可能だろう。だが、ダンジョンは神気に呼応してその狂暴性を爆発させる。神とは対立構造だ。
対して、アズライールはダンジョンに敵視されていない。
それは何故か――理由など分からないが、ある神はこのように語った。
『アズラーイルとは死を告げる者。つまり、彼は生きとし生ける者の隣に普遍的に存在している。ダンジョンが彼を怖れないのは、ダンジョンもまた彼が避け得ぬ存在だと理解しているからだ』
つまり――彼は、神とも精霊とも違う形の超越存在なのだ。
神ではないから天界の制約は受け付けない。法を破っても罰することが出来ない。かといって彼の内包する濃密な『死』の気配は、彼を普通の人間として扱う事を決して許さない。
………と、少なくとも噂ではアズライールという男はそのように語られている。
余りにも謎が多すぎるために謎が謎を呼び、更には街中でロキとコントを繰り広げたり神に変なあだ名をつけて気安く喋ったりと大物のような行動をしているため、アズライールの噂は最早とんでもない広がりを見せている。
もしも噂が全て現実になったら、アズライールという男は悪魔と人間と神と魔物の血が4分の1ずつ流れ、7つの人格を持ち、あと3回変身を残しており、全ての死神の祖であり、64億年前から既にこの星に存在し、人類の心に普遍的に存在する限り無限に復活する不死身のブードゥーキングで、契約の鎖を渡した相手を輪廻の環から切り離し、最終的にはロキを花嫁に新たな世界を創造する究極のクッキングパパになるらしい。
……意味わかんない。
そんなこんなで、みんなフィルヴィスの『死妖精』とかどーでもいいかと思えるほどのトンデモ存在に意識を持って行かれてしまったのだ。この前なんか「え?バンシー?あれでしょ、アズライールのパクリでしょ?」とか言われてしまった。この嬉しくも悲しくもない感情は一体どこにぶつければよいのだろうか。
しかし、皮肉にもフィルヴィスはここで一大決心をした。
ここまで来たのなら、もう自分を偽りたくもない。つまり、『死妖精』の評判をここいらで完全に払しょくしたい、と。
アズライールとの予期せぬ接触やとんでもない事実の判明で意識を持って行かれていたが、フィルヴィスはここいらで『死』そのものとまで称される気配を纏った彼に、専門家として自分の周囲がバタバタ死んでいく理由を判別してもらおうと決めたのだ。
「話は大体分かったよ………うーん、専門家でもないんだけど、そういう事なら確かめてみようか」
腕を組んでこちらの話を聞いていた――想像以上に見た目と態度は普通の人な――アズライールが、背もたれから体を起こして掌から鎖を出す。
「この鎖はさ、俺の魂を源泉として固着した物体になってるんだ。だからこの鎖を相手に接触させれば、多少は心の中を探れるとは思うよ。君の死の原因とやら、これで探ってしんぜよう。はいコレ握って?」
「あっはい……」
想像以上に軽い感じでぽいっと差し出された頑丈そうな鎖を受け取る。
掌の上でじゃらりと鳴ったその鎖は、その温度以上に冷たく暗い――というか、危険物そのものであることを本能が告げるほどのオーラを放っている。
もしかしたら、自分はとんでもないことを頼んでしまったのかもしれない。
不意に、鎖の正体も確かめずにそれを握ったフィルヴィスはそんな考えに囚われた。正体不明で呪いを操るという噂のある相手に言われるがままやっているが、もしかしてこの時点でこちらの魂は彼に囚われていたりしないだろうか。
「あ、もう鎖は離していいよー。大体理解できたし」
――警戒してたら特に何もなかった。
「………え?ちょ、もう終わりなんですか!?呆気なさすぎでしょ!私のウン年間の苦労の結末こんだけで判明しちゃうの!?」
「うん。割とアッサリアサリのパスタ並に普通に分かったわ」
「頼んでおいて何だけど納得いかない!?」
どうやらアズライールという男は、想像以上に自由人だったようだ。
こっちの想像に反して彼はあっさりと事実を口にした。
「結論から言うと、呪いとかそういうのはない。ちょっぴり『しこり』みたいなのはあったけど……それは君の周囲とは関係なかったなぁ。君に関わった人たちは、偶然、あるいは必然によってこの世を去った。何か特別な意志が介入したとかじゃなく、本当に運が悪かっただけだよ」
「――そう、ですか………」
それは、望んでいた答えだった。
よかった――私の所為ではない。自分が彼等を殺してきたのではないのだと得心した。
所詮、噂は噂で偶然は偶然ということなのだろう。
だけど――それでは、彼等は特に理由もなく他人より早く死んでいったのか。
ただ運が悪く、星の巡りが悪く、最初からそんな器ではなかったということか。
そう考えた時、心の中でアズライールの発言を受け入れられない自分が一瞬だけ顔を覗かせた。
「きみ、今ホッとすると同時にちょっとだけ納得いかなかったね?」
「あ、え………?」
「つまるところ、さっき言った『しこり』っていうのはその部分の事なんだけどねー……」
そう言いながらアズライールは紅茶用のミルク差しから空のカップにミルクを全部注いで「牛乳うめぇ」と言いながらあおった。それ、そういう使い方じゃないのだけれども。こういう奇行を見ていると、余計にこの人が理解できなくなっていく。
「人間は理解できない状況に陥ると混乱し、何かしらの真実を求めたがる。未知への恐怖……その所在を象徴化することで受け入れがたいものを受け入れやすい形に変容させる。元来、神というのはそういうものだった……実体があるという確信があった訳じゃない。それでも、神がいるのなら、と自分を納得させるために人は奇跡の拠り所を神に求めた」
現に、この世界では神が現れてしまったことで落ちぶれた種族が存在する。
見えないからいたと言い張れたのに、可視可能領域に降りて喋ったばかりに、神は幻想ではなくなった。同時に、実在しない神は入れ替わるように幻想となったのだ。
「………フィルヴィスちゃん。君はね、受け入れ難い仲間の死に理由をつけるために、『自分は本当に死を呼んでいるのかもしれない』って……願ったんだ。そうであれば仲間の死に理由が付く」
「………やめてください」
「自分さえいなければ、皆はもっと永く生きられた筈だから。放っておいても勝手に死んだなんてことはない筈。ああ……いや、或いは自分の周囲にいる人間を殺す悪夢のような存在も考えたかもしれないけど、調査すれば存否くらい調べればすぐ分かる。そんな存在はいなかったと人間の理性で理解したから願わなかったんだろう」
「やめて、ください……!!」
それは、耳に心地よくない言葉だった。
誰かが貶されている訳ではないが、その言葉は心の傷を逆撫でするような痛みをもたらしている。
それは何故か――理由は、『心当たりがあるから』だ。
仲間の死を軽いものにしたくない。死んでしまったからこそ、その一生や散り際が無意味な物であってほしくない。そんな願望が彼等の死に対する想いを変えてしまったんじゃないのかと、アズライールは言っているのだ。
「君の心にある『しこり』……その正体は、君自身が作り出した『死妖精』だ」
そう告げたアズライールは、私の顔を見てふと頬を緩ませた。
「これは友達から聞いた話なんだけどさ……『死妖精』っていうのは別に不吉な存在じゃないんだとさ。誰かの死を予見して泣いているだけで、誰に何を齎す訳でもない。ただの無害な泣き虫妖精だ」
「え……そうなのですか?」
初耳だった。そもそも精霊の性質など、余程詳しい人間でしか知りえない。それこそクロッゾの家系のように妖精の意志を感じ取れる特別な血筋でなければ精霊の事を与り知ることは出来ない。
だから、アズライールは『死妖精』の不吉をこんな穏やかな顔で否定できるのだろう。
「『死妖精』は死すべき存在の死に対して泣く……それは、予見できるからこそ未来に訪れる別れを惜しんでいるに過ぎない。付き合いもない誰かの為に泣ける優しい妖精だよ………人が勝手な思い込みで『死を呼び寄せる』なんてガセを流しているけど、それを君自身が半ば受け入れてしまっていたという事こそ、君の心のしこりだ。間違った『死妖精』の幻想だ」
つまり、彼はこう言いたいのだろうか。
自らの中にある『死妖精』をあるべき姿に戻せ――心の中で死を肯定していた自分自身を受け入れて、幻想を振り払うべきだ、と。
「『死妖精』を振り払うおうとするのが間違いで、『死妖精』をあるべき形に正す……それが、私が自分自身に科した呪いを解く唯一の方法……?」
「ま、そういうことだね。ある意味『死妖精』って言葉は図らずとも君の逃げ道になってたわけだ。自分の所為で仲間が死んだと思い込んで他者との接触を避ける……それは、辛い現実から逃げるために理由を求めたとも言える。これからは、望んだ『死妖精』の形を探したら?」
的確に自分の心を突いて案内された先にいるのは、『死妖精』。
闇が相応しいと引きこもっていたその『死妖精』に明かりを当てて、手を差し伸べる。
涙に腫れた目をキョトンとさせる『死妖精』に、私は「気付いてあげられなくてごめん」と謝る。
そして、これからは共に笑い、共に泣き、ありのままを受け入れようと誓った。
『死妖精』は躊躇いがちに――私の手を取った。
= =
「私的な相談に乗っていただき、誠にありがとうございます。貴方に会えてよかった……」
「気にしない気にしない!それよりむしろこっちが長々と喋っちゃって悪かったね?そんじゃ、聞きたいことも聞けたからそろそろ俺はお暇するよ」
そう告げると、アズライールは二人分のお茶の代金をテーブルの端にちゃら、と置いて席を立つと、一度大きな伸びをして欠伸を漏らした。
不思議な人だ。
死を司るとまで噂される男はふと知的なことを言ったかと思えば、ちょっぴり幼稚な所も垣間見える。掴みどころがないのに、気が付いたら彼には『死妖精』についての講釈まで受けてしまった。そのまま去ろうとする彼に自分の事を覚えていて欲しいと思ったフィルヴィスは、ついその背中に声をかけた。
「あ、あの……!オリヴァスの事で何か手伝えることがあったらいつでも声をかけてください!」
「ん、合点承知の助!とはいえそっちはギルド主導で対策を練るらしいんだけどね。……あ、そうそう一つ言い忘れてた!」
ぽん、と自分の手を鳴らしたアズライールは振り返り、もう一つの事実を告げた。
「『死妖精』にも精霊の加護があってね?何でも『死妖精』と交わった人は願いが叶うって触れ込みらしいよ?やー、恋愛には縁起がいい二つ名だったねー!」
「………じゃあ最初から『死妖精』は不吉じゃないじゃないですかぁぁぁーーーーーッ!?」
カン違いで『死妖精』の名を広げた有象無象が今日ほど恨めしかったことはない、と彼女は後に語った。
後書き
次回、オーネストがほんのちょっぴりデレるの巻。
外伝 メイドのお仕事
前書き
リューさんの出番をちょっとだけ増やしたくなって書きました。
オーネスト・ライアーに懸賞金がかけられているのは、オラリオでは割と忘れられがちな事実である。
ファミリアへの襲撃事件や暴力事件、破壊行為は星の数。はっきり確認はされていないが複数の殺人事件に関わったことも示唆されている。オラリオで規則違反をする冒険者や神は多くいるが、それはあくまで裏でこそこそ表沙汰にならないようにやること。それに対してオーネストはやりたい時にやりたい事をやりたいようにやるため、最早ギルドも看過できないということで懸賞金がかけられた。
その額なんと、溜まりに溜まって現在5億ヴァリス。
最初は3000万ヴァリスからのスタートだったのだが、彼に手酷い目に遭わされた連中の訴えで段々と金額が膨れ上がっていきそんな額になったらしい。……なお、この手配書が広場に設置されるのを、手配された本人が暇そうに見物していたというのは有名な話だ。
乗り気でなかったロイマンを除く多くのギルド上層部はこれでオーネストも終わりだと思った。
だが、この頃のオーネストは『猛者』の耳を引き千切ってから更に1年が経過し、暴力の体現者として凄まじく脂の乗った時期だった。単身でのファミリア壊滅の噂を知るファミリアはとてもではないが恐ろしくて手が出せないし、主要なファミリアはオーネストを一方的に気に入っていたり「割に合わない」とそっぽを向いたりで結果は散々。歴史上初めて、彼は賞金首でありながら街の表を平然と歩く存在になってしまった。
だが、いつの時代にも身の程知らずの馬鹿というのはいるものだ。
それはランクアップしたてで人生が薔薇色に見えている調子づいた存在であったり、貧乏や借金に追われて冷静さを欠く愚か者であったり、そしてこの街でも特殊な冒険者――『賞金稼ぎ』であったりもする。
その日の夜も、彼らは路地裏で『金儲けの話』をしていた
「へへへ……いくら腕の立つ冒険者だろうがダンジョンを出た時に不意を突けば一発よ!」
「ほら、例の薬持って来たぞ。こいつを呑み込んじまえばさしもの『狂闘士』も耐えられねぇさ」
「で?どこで決行するんだ、その計画。目星くらいは付けてんだろ?」
「おうよ。実はアイツがこの街で唯一外食をする店があってな!繁盛時には混雑するから、その隙にメイドの運ぶ料理にこいつをタラリよ!」
小さなガラス瓶に入った薬を掲げた男は上機嫌だ。薬は無色無臭、たとえ口に含んでも水となんら変わりない代物だ。男はレベル1の底辺冒険者だが、この手を使って今までにレベル2,3ランクの賞金首を捕まえたことがある。情報屋から買う情報と薬代は決して安くはないが、賞金首の懸賞金は決まって高額だ。また、非合法の依頼による拉致などの小金稼ぎもあるため決して稼ぎは悪くない。
一般冒険者からすればサポーターとは違った意味で軽蔑すべき存在だが、リスクに見合った確かな儲けのある『賞金稼ぎ』は常に一定数存在している。
「レベル6だか7だか知らねぇが、所詮は人間のヒューマン!この薬には耐えられねぇよ!」
「『狂闘士』は今朝がたダンジョンから上がってきたって話だ。話だとあいつはダンジョン上がりにまず自分の根城に戻った後、必ずと言っていいほど『豊穣の女主人』で飯を食う。その際には『告死天使』もついてるってのがちと厄介だったが……そこはそれ、『あいつ』の仕事だしなぁ?」
彼等もプロだ。必要な仲間には予め声をかけている。そして他人が作戦に乗ったということは、リスクに釣り合った成功率がると踏んだからに他ならない。彼等はこの作戦の成功を確信していた。
勝ち誇ったように下卑た笑みを浮かべる数人の『賞金稼ぎ』たちは、揚々と己が職場である酒場へと足を進めようとし――不意に、その身体が止まる。
「………?」
「おい、どうした急に止まってよぉ?」
「いや、それが………」
止まった男は振り向かないまま、戸惑いを隠せない声色で告げる。
「体が……体が動かねぇんだよ!まるでロープか何かで縛られてるみてぇに、全然!!」
男は激しく身じろぎするが、その身体は動かないどころか転倒してもおかしくない体勢にまで傾いていく。やがて、男の足は地面から離れ、完全に体が宙を浮き始めた。
「はぁぁっ!?な、何だこりゃ!!一体何がどうなってんだよ!お前、『飛翔靴』でも買ったのか!?」
「あんなメルヘンでバカ高ぇもん買うような男に見えるかよッ!」
「潜在的に空を飛びたいって夢があったかもしれない。男は何年経っても心だけは子供のままだ……」
「下らねぇこと言ってないで……うぐっ、た、助けろ!!な、何かに締め付けられてる……ッ!!」
男の胴体や腕回りがミシミシと音を立てて陥没していく。最初は戸惑いであらぬことを言っていた仲間も非常事態であることを漸く理解して、とりあえず男を地面に降ろそうと動く。
ぎしり、と体が停止した。
「おい、なにぼうっとして……ぐうっ!?は、早く助け……!!」
「ち、違う!俺も……俺も体が動かねぇ!!」
「剣を……剣を抜こうと腕を動かしてんのによぉ!!何で手が柄に届かねぇんだよ!何がどうなってやが……ぎゃあッ!?」
男達の身体が次第に宙へと浮き上がっていく。同時に、全員の身体に締め付けられるような痛みが迸った。これではまるで、見えない巨大な魔物に締め付けられているかのようだ。全員がなんとかその正体を確かめようとするが、手足が自由に動かせないことへの焦りと戸惑いが勝る。
――自分たちは、このまま死ぬのか?
彼らが漠然とした『死』の気配に心臓を掴まれつつあったその時、凜とした声が路地裏に響く。
「そこまでです」
最早体を締め付けられる圧迫感と痛みで悲鳴も上がらない男達の後ろに、何者かも分からない女性の気配。姿も確認できない女性は、男達の混乱をよそに言葉を続ける。
「それ以上は秩序の維持を通り越した唯の拷問です。己が為すべきことをしめやかになさい」
くすくす、と。
その女とは別の女性の妖艶なさえずりが上方から落ちる。
瞬間、今まで無事だった喉に鋭い衝撃が走り、顔が急速に鬱血していく。頭部への血流が急速に減少し、呼吸もままならなくなる中で、『賞金稼ぎ』の一人は視界に光るものがあることに気付く。
それはとても細く、長く、そして上方から伸びる複数の『糸』。
そこに到って、男はやっと自分の身に何が起きているのか気付いた。
(俺達も全く気付けない間に、糸を張って、俺達を縛って………獲物が羽ばたくのを待っていた蜘蛛のように――)
それ以上の思考を巡らすより早く、男達の意識は深い闇に沈んでいった。
男達は気絶しただけのようだった。暫く間を置いて、男達を拘束していた糸が解かれる。
路地裏の影からその様子を見つめていたリュー・リオンは、どこか棘のある口調で虚空へ語りかける。
「まるで暗殺者の所業ですね?『上臈蜘蛛』。成程、我等【アストレア・ファミリア】の轍を踏まないために一切の問答は無用という訳ですか?」
かつて、街中での軽犯罪や腐敗を打倒するために『アストレア・ファミリア』は義に乗っ取った活動を行っていた。だが、表立って正義を謳う彼女たちは、清濁併呑併せ呑むオラリオという街の中では悪い意味で浮いていた。秩序より欲望に忠実な傾向にある神々にとって、彼女たちは邪魔だったのだ。
だから、滅ぼされた。
故に不要な存在は速やかに排除することで自分の存在を悟らせず、『悪を滅する何かがいる』と潜在的に思わせることで活動を抑制する。アストレアの唱えた正義とは違うが、根底的な部分では同じ目的で行われる行為だ。
「悪だからと言ってこのように不要な恐怖と苦痛を与えるのは正直好みませんが……あなた達の方が有用な方法を取っていることは認めましょう。アストレア様の好きな正義を、アストレア様の嫌いな暴力で教える。それが今の街の秩序なのですね」
『くすくす……そないツンケンせんでも、貴方の主神様への当てつけのような事は考えてまへん。これが私のやり方いうだけや。まぁ、主神様が表に顔を出さへんからそう思われてもしゃあない思うけどなぁ?』
通路の上――魔石灯の明かりも届かない影の中に、張られた糸に腰掛ける誰かの足だけが微かに見える。姿は見えないが、足につけた雪踏と足袋が、彼女の出身地を物語っている。
『主神様は「あすとれあ」様の事、高く評価してはりました。頭ごなしに全部肯定しとる訳やあらしまへんが……人の心はあっちゅう間に『邪』へと心を揺すられますからなぁ。………たまぁに、性根の底からドス黒いのもいるけんどね』
彼女には彼女なりの考え方がある。その声色からは正義は感じられないが、悪への強烈な殺意が感じ取れる。下手をすれば裏返って悪に染まるかの如き、苛烈な殺意が。オーネストの放つ破滅的な殺意も常軌を逸しているが、彼女のそれは底なし沼のような際限のない憎しみを覚えさせた。
『………まぁ、『疾風』先輩の粛清対象にはならへんと思いますんで、よろしゅう。地べたに転がっとるしょーもない連中は放っておきますんで、お好きに』
『賞金稼ぎ』達は地面に放置されている。元々殺す気だった訳でもなく、恐らくは偶然見かけたが故の単なる警告だったのだろう。犯罪はしたことがあるだろうが、どうせ証拠も残っていない。一部には失禁したのか股座を濡らす者もいたので、近寄りたくない。放っておくことにした。
『あ、それとこれ。ああしには必要あらしまへんので』
するすると上から糸で結ばれた小瓶が降りてくる。どうやらこの連中が持っていた薬のようだ。受け取ると糸が勝手に外れて空に消えた。糸を使った戦術というのは噂で聞いていたが、予想以上に自在に操れるらしい。
「それにしても間抜けな連中ですね。何の薬か知りませんが、あのくそガキに毒など効くわけないでしょう。一体何歳から『耐異常』のアビリティを持っていると思っているのです?」
『ほんまですわぁ。あのお方はバジリスクの猛毒を喰ろうても眉一つ動かさんお方……人間の用意したチンケな薬じゃどないしようもありまへん』
昔に一部の給仕がオーネストのミアに対する態度に我慢ならないと一服盛ったことがあったのだが、オーネストは「次から薬を盛ったときは他人に運ばせろ。手汗でバレバレだ」と言いながら一皿平らげ、何故バレたのか分からず停止している給仕におかわりまで要求したことがある。
一口食べたらトイレ直行で魔物にも効く強烈な下剤入りだったそうだが、知るかとばかりに微動だにしなかった。と、そこまで思い出したところでリューはふと気付く。
「………ん?ちょっと待ってください。貴方、もしやあのくそガキと知り合いですか?」
『ええ。深く深ぁく、旦那様の次にお慕いしてますえ?』
からりと快活で殺意のない声を上げた彼女は糸を弾いて姿を消す。
弾かれた糸がピーン、と美しい音色を奏で、静かに闇の中に融けていった。
「………なんでああいう危なそうな者とばかり知り合っているのですかね、あの子は」
しかも人妻だし……よりにもよって好かれてるし、と頭を抱えてしまうリューだった。
= =
「どうしてあの子には厄介な存在しか近寄らないのでしょうか……普通の知り合いを増やしてほしいものです」
「元辻斬りの言う台詞じゃないよね、それ」
はっ!と今しがた気が付いたように目を見張るリューに、シル・フローヴァは微笑ましそうに見つめた。普段はクールでにこりとも笑わないリューだが、時々変なところで抜けているのがどうしようもなく可笑しく思える。料理の腕前が壊滅的なこと然り、こっそりオーネストの将来を憂いていること然り、だ。
仕事終わりの後の自由時間に、シルとリューはよく喋る。大抵は他愛もない会話を続けるだけだが、時々リューはこんな風にオーネストの話を延々とする。その姿は歳の離れた弟を心配しているようなのだが、それを指摘すると苦虫フェイスになるのでシルは敢えて触れない事にしている。
「そんなに心配なんだったら『心配してる』って伝えてあげればいいのに」
「嫌です絶対ありえませんあの子に対して下手に出るなど私の誇りが許しません」
「そこまで言うほど嫌なくせに、オーネストさんは相も変わらず心配なんでしょ?」
「心配してはいけませんかっ!!」
とうとう逆切れしてしまっているが、全然怖くない。というか大目に見ても唯のツンデレだ。
シルは、リューとオーネストの間に何があったのか過去の事は知る由もない。しかし、リューがオーネストの事を心の底から心配しているであろうことは分かる。そうでもなければ、そもそもオーネストに近づくことを拒否する筈だからだ。
「大体あの子はですねぇ、人の想いを知った上で拒否してるんですよ!?よくミアさんと喧嘩してますけど、ミアさんが喧嘩したくなる気持ちがよ~く分かります!!あの子はこう、相手の言葉の根底にある思いなどを逆算したうえで絶妙に腹の立つような琴線を、こう、つつーっとピンポイントで逆撫でするのが好きなんですよ!!」
最近は口を利くと喧嘩になるからと極力互いに不干渉になってしまったが、昔は特にひどかった。
というか、そもそもこの酒場に来ることになった切っ掛けからして酷いものだ。
オーネストがこの酒場に来たのは、なんと「オッタル耳千切り事件」の直後。虫の息を通り越して何故死んでいないのかが不思議なダメージを負った彼を、ヴェルトールともう一人の女が運び込んできた。確か女の方の名前はキャロラインだっただろうか、あれ以来酒場に来ていないので記憶に自信がない。
とにかく、偶然近かったこの酒場に運び込まれたオーネストはとんでもないことを言いだした。
『ヴェル、トール………』
『おい、喋んなオーネスト!お前、このままくたばったら許さねぇぞ!?』
『うるせぇ、ボケが………ゲフッ!!………内臓に砕けた骨が刺さって、ポーションの治療が上手く行かねぇ。お前が……さっさと摘出しろ』
『ファッ!?』
何とこの後、店内でオーネストの指示の元にヴェルトールによる骨の摘出作業が始まってしまった。体内のズタズタになった血管や筋肉、内臓器官。垂れ流される失血量を目の前に顔面蒼白ながら奇跡のナイフとフォーク捌きで骨を摘出していくヴェルトールに、その横で冷や汗を垂らしながらオーネストへポーションを飲ませ続けるキャロライン。食事道具で人間の肉を抉る余りにも衝撃的な光景に、あのミアさんも救急箱片手に呆然としていたくらいである。
やがて、お前もういっそ素直に死ねよと思うくらいの血液が店の床に広がった頃――骨の摘出が終了したことを確認したオーネストは、『少し冬眠する』と言ってそのまま眠り始めた。全身ズタボロな上に体内の骨がかなり欠落した状態だったが、オーネストは山を越えたのだ。麻酔抜きでこれとか、もう人として死んでろよという話である。
この日、店は休み。翌日もオーネストの垂れ流した血を片づけるために丸一日休業。更に翌日にあまりにも沁み込み過ぎていてこのままではいけないとプチリフォームが始まったことで三日連続の休業になった。また、これより暫くメイドたちはナイフとフォークと生肉が直視できない状態になり、トラウマを克服して店が再開するのに2週間もかかる大事件になった。
なお、オーネストは手術から7日後に骨も含めて完全回復という形で意識を取り戻した。
いくらポーションでもなくなった骨は生えない筈なのだが、本当に人間なんだろうかこいつ。
「………起きた時の第一声、知っていますか?」
「知ってる。『くそったれ。また死に損なった』……でしょ?それで死ぬほど心配してたリューは我慢ならなくて、オーネストさんのほっぺを引っ叩いたのよねー?」
「当たり前です。叩いた瞬間に叩き返してきやがりましたが」
ぶすっと不機嫌そうな表情になるリューは、あれにはミアさんも激怒していました、と続けた。
「あの子は、あの戦いで死ぬつもりだったんですよ。あの時だけじゃない……ダンジョンに無謀な突撃を続けたのも、誰も味方を作ろうとしないのも、自殺者が死ぬ前に身辺整理をするのと一緒です」
「そうかな?その割にはちゃんと戻ってきてるし、自殺者ならそれこそ自殺するんじゃないの?」
「そう、ですよね……死ぬ気なのに、自殺する気ではないんだと思います。私にも分かりませんし、理解したくもありません」
ミアは冒険者にいつも「生き残ること」を説く。
死すれば何も残らず、それで終わってしまうからだ。極めて単純な原理――生き残れない者は決して勝者になりえないという現実。それを、オーネストはいつだって否定する。だからミアは堪らなくオーネストが許せないのだろう。
人として当たり前の幸せを、オーネストは一切求めない。
誰よりも彼には欲がない。自分が自分であるという究極の我儘を除いて、何もない。
ミアの主張は、我儘や拘りを捨てて当たり前の幸せを求めること。
オーネストの主張は、我儘だけで生き、他の何も求めないまま死ぬこと。
決して交わる日の来ない価値観は、今も一貫している。
「あんなくそガキは大嫌いです。価値観以外の性格も最悪ですし、関わらない方がいい。それでも、そこで関わらないという選択をするのは……それはオーネストの生き方を心のどこかで認めることになる。だからミアさんは絶対に引きたくなくて、いつも喧嘩になるんでしょうね……」
「リューはそうじゃないの?」
「そういう思いもあります。でも、それ以上に思っているのは――」
リューはいつでも、誰かに生きてほしいと思っている。しかし、この時彼女が発したのは、それとは少しだけ違った思いだった。それを聞いたシルは、「やっぱりオーネストさんの事が大好きなんだ」とにやにやし、リューはいつもの苦虫フェイスで「違いますからね」とぼやいた。
メイドたちの夜は、更けていく。
= =
「でさぁ……天界って結局どこにあんの?神はみんな上から来たっていうし、成層圏に浮遊大陸でもあんのかな?」
「ない。宇宙にスペースコロニーがある訳でもないぞ。天界はそう言う物理的な場所にあるんじゃなくて、人間の三次元的な感覚では認識できない上位領域に存在する。そことこの星の境界として空が丁度いいから『上から来た』ってことになるだけだ」
「上位領域ねぇ……俺達が行ったらどうなんの?」
「さぁな。ただ、上位領域ってのは本来肉眼で確認できない『魂』が物質的、情報的に捉えられる世界だ。仮説としては魂だけの存在として上位領域に突入するか――あるいは天界の領域形態に相応しい次元の存在に変容するのかもな。何なら試しに行くか?」
「行ってみよっかなぁ……」
「行かんでよろしい」
ドンッ!!と音を立ててジョッキとワインボトルをテーブルに置いたリューは呆れ果てた顔でため息をつく。
「あ、リューさんどうも。さぁ、天界の話は後にして飲むぞ~!」
「天界に貴方がたを行かせたら世界が終わりそうなので存分に飲んで記憶を飛ばしてください」
アズはいつも通りへらっと笑いながらドワーフ用の大型ジョッキを一気飲みし、オーネストはグラスにワインをついでテイスティングしている。とてつもなく対照的だが、前者が『告死天使』で後者が『狂闘士』であることを考えると何かが間違っている光景だ。
「時々思うのですが、酒の味が分かるのですか、貴方がたは」
「何となくしかわかんないです!」
「飲めればいい。不味いのは御免だがな。前に出してきた西部産4年物の赤は酷い味だった」
オーネストの言う赤とは本来出すはずだったワインが割れてしまったので急遽買い足した安ワインだ。西部産であることは全く説明していないが、西部産だと断言できる何かをオーネストは感じたのだろう。この男、決して知ったかぶりや小さなミスはしない。それがまた嫌なのだが。
ふと、そう言えば先日に受け取った謎の薬を処分し忘れている事に気付く。ポケットの中に入れたままだったのだが、元々はオーネストに振る舞われるはずだったのだからこの男に渡しても問題なかろう。
「そういえばくそガキ、昨日貴方宛てにこんなものを受け取りました」
「……誰からだ?」
「さあ?名前を聞きませんでしたので」
「料理の腕だけでなく記憶も苦手とは気の毒な奴だ、くそメイド」
「夢も希望も持っていないくそガキに同情される謂れはありませんね、くそガキ」
「言い合いはやめれっちゅーに……で?何なんですかこの液体?オーネスト分かる?」
アズに急かされたオーネストは小瓶を眺める。薬の類だと判断して『鑑定』のアビリティを使って内容を改めているのだろう。しかし、眺めていたオーネストは次第に呆気にとられた表情に変化していく。
「こいつは………媚薬効果付きの惚れ薬か?裏の裏で出回ってるドギツイ代物だぞ。これ一本飲み干したら向こう一か月は理性が吹っ飛ぶ。末端価格で500万ヴァリスは硬いだろうな……作る阿呆に買う阿呆だ」
「うわぁ………なんか、それをオーネストにプレゼントって時点で言葉に出来ないわ。惚れ薬って話だけど、どういう原理なんだよ?」
「説明するのも馬鹿馬鹿しいが……飲んだ後に最初に知覚した異性に惚れる仕組みだな」
興味が失せたように小瓶をテーブルの脇に放り出したオーネストは食事を開始した。アズは小瓶を摘まんでイロモノを見るような目線でため息をついている。心底薬の存在理由が理解できないという表情だ。
なるほど、あの『賞金稼ぎ』達はこれをオーネストに盛って、食べたのを確認して女の仲間を接近させる計画だったのだろう。しかし、『魅了』などオーネストに最も効かない状態異常だろうから計画は完全に企画倒れだ。というか、ミアが作ってリューの運ぶ料理に薬を混入させる隙がない。
態々計画を停止させるまでもなかったか、と内心でため息をつくなか、アズがポツリと呟く。
「しっかしこれをくれた人は変な人だなー……もしこの場でオーネストが蓋を開けて飲んだりしたら、真っ先に好かれるのはリューさんだよね?いや、或いはリューさんが飲んでたら逆かな?そういうことまで考えて渡そうとしたのかねぇ?」
「…………………」
「…………………」
リューとオーネストの脳内で、変なイメージが展開される。
『くそメイド……お前は本当に役に嫌な女だ。そんなお前を……俺は好きになってしまった!』
『オーネスト……!貴方が愛しくて、いつもあなたの事を考えていて……もう、貴方がいないと駄目なのです!』
『リュー………俺の女になれ!』
『オーネスト………私を求めて下さい!』
…………………。
余りにも酷過ぎるイメージに二人の背筋にかつてない悪寒が奔った。
それはない。絶対、断固としてない。300%くらいありえん。
「悍ましいことを言うな、アズ」
「悍ましいことを言わないでください、アズライール」
「おおう!?唐突に息ぴったり!?」
奇しくも、この媚薬に関しては想像力が同レベルな二人であった。
後書き
二人のリアクションをシミュレーションしてみた。
①知らない人に触られたとき。
オーネスト「触るな汚らしい……」
リュー「触るな汚らわしい……」
②結婚してくれと言われたとき。
オーネスト「お前が死んだら応えてやる」
リュー「貴方が二度と私の前に現れないならいいですよ」
③リュー/オーネストのこと好き?と聞かれたとき。
オーネスト「俺は好きだぞ。ああいう表裏のない女は信用できる」
リュー「嫌いに決まっ……え?お、大人をからかうのはやめなさいオーネストっ!もう、本当にこの子は……!えっ?くそガキって呼ばないのかって?う、うるさいですねっ!いいじゃないですか別にっ!」
オーネスト「…………(この世の真実に裏切られたような驚愕の眼)」
※「愛しているか」という質問では二人揃って「寝言は寝て言え」だったようです。
11.凍てついた歯車
前書き
今回は時系列的に前話と同じ日です。
なお、現在ベルくん就職先を求めてオラリオ内を放浪中。
ストーリー倉庫にあった頃と比べて一部の設定が変わってます。
アズライールがギルドに向かったその頃、オーネストはいつものようにダンジョンに魔物を殺しに向かっていた。ただ、その隣を歩く人物がいつもと違うことは、少なからず周囲の喧騒に拍車をかけていた。
軽薄そうで、両肩にそれぞれ片翼の天使の人形を乗せたキャットピープル。
表に顔を出すことが少ない男だが、それでも知っている者は知っているレベル4の冒険者。
『人形師』のヴェルトール――『アルル・ファミリア』唯一にして最強の戦闘要員である。
しかし、彼の手の内を知る者は数少ない。
判明しているのは、固有の魔法によって人形を操って戦う事……そして、戦いに於いては両肩に乗せた片翼の天使人形こそが、彼の戦闘における武器である事。そして――彼もまた、『ゴースト・ファミリア』であるという事。
「むっふっふっ……謎多き男はモテるんだぜ……!」
「後は喋らなきゃ完璧だな。喋ると馬鹿がバレる」
「うおーい!?喋らないとナンパ出来ないじゃ~~ん!?」
「知るか。喧しいから黙れ」
ただし、性格がおちゃらけているのは彼にナンパされた者なら誰でも知っている事実である。
(アズの奴……よりにもよって何でコイツを寄越す?)
理由は数多考えられるが、恐らくは実力の話だろう。
オーネストですら知らないが、ヴェルトールにはまだ他人に見せていない「切り札」がある。素のヴェルトールも戦闘能力はかなりのものだが、それ以上の何かを彼は隠し持っている。どうやらアズはその内容まで具体的に知っているらしく、自分が傍に居られない時の最後の切り札として考えているらしい。
それはまぁ、分かる。
だがオーネストが一番嫌なのは……。
「なーなーオーネスト~!お前結構モテるよな?なんかコツとかあんの?」
「……………」
「寡黙ッ!!超寡黙ッ!!『無口な男はつまらない』とかよく言われるけどお前がやるとなんか様になってんだよな~。それともアレか?命の危機を颯爽と救われて惚れちゃうっていうパターンなのか?お前結構人助けするもんな!」
「…………………」
「あ、そうそう!俺さぁ前から聞きたかったんだけどお前って『エピメテウス・ファミリア』の『酷氷姫』と知り合いなの?偶に一緒に喋ってるって噂聞くんだけど!あんな性格キッツイのとお近づきなんてどんな魔法使ったんだよ~なーなー!!」
「……………………」
オーネストは彼と一緒にいると自分の知能が下がりそうな錯覚を覚える。
その感覚が自分に妙な虚脱感とテンションの低下を誘うのが嫌なのだ。
これが知りもしない有象無象の悪意ある言葉や無知ゆえの言葉ならオーネストはまるまる1年以上でも余裕で存在無視できる。しかし、ヴェルトールは曲がりなりにも同行者なので最低限意識をそちらに流しておかなければならない。
正直、面倒くさくて帰りたい。しかし昨日もやる気がなくなって帰ったので体が鈍るのは嫌だ。
(ならば、障害は破壊せねばならん。殴って黙らせるか斬って黙らせるか……それが問題だ)
(なんかオーネストが末恐ろしい事を考えてる気がする!?止むを得ん、安全確保のためにちょっと黙っておくか……)
尚、結局この後ヴェルトールは1分と黙っていられずぺらぺらとどうでもいい話を喋りだし、最終的に頭蓋が割れんばかりに頭を殴られたのであった。
= =
このオラリオのファミリアに数多くの二つ名あれど、『エピメテウス・ファミリア』の『酷氷姫』に比類する『氷』の使い手はない――と冒険者は評する。
その『酷氷姫』――リージュ・ディアマンテは、雪のように白い身に戦装束を纏って前線に立っていた。艶のある純白の頭髪に、雪のように白い肌を覆う防具は最低限しかなく、代わりにその手には氷のように碧い刀身を晒す刀が握られている。纏う空気は張りつめ、視線だけで相手を凍りつかせそうなほどに冷たい。
彼女こそが『エピメテウス・ファミリア』の最強の鬼札にして団長。
主神の旗を掲げし味方に栄えある勝利を。立ちはだかりし普く敵に絶対の敗北を。
ファミリア外にまで轟く戦上手で、『戦争遊戯』に於いてただの一度の敗北も無し。指揮官である当人さえもレベル6を誇り、誰に対しても情け温情をかけることはない。
その指揮と部下の統率ぶりは、ダンジョン内でも健在であった。
「遊撃隊、5秒後に一斉撤退!!攻城隊、突撃用意!!」
刃のように鋭い女傑の指示に従い、攻城隊と呼ばれた重装備部隊が密集陣形にて突撃槍を構える。
魔物たちを浮足立たせる軽装の剣士たち――遊撃隊は全員が自分の役割に区切りをつけ、魔物達の合間を縫って素早く戦線から脱出。直後、5秒が経過した攻城隊は雄叫びを上げて魔物の群れに突進した。
「突撃ぃぃぃぃぃぃぃッ!!」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
装備の重量とリーチを生かした攻城隊の足がダンジョンの床を勇ましく踏みしめ、回避の隙がない突撃槍の壁が魔物を容赦なく吹き飛ばしていく。重量、防御力、リーチの三段を活かした戦法は、人間と魔物の両方に対して有用だ。驚くほどにあっさりと突撃槍に蹂躙される魔物たちの死体を前に勝利を確信する冒険者たちだったが――それで終わりではなかった。
不意に、冒険者たちの足元に影が差す。ハッとして上を見上げた遊撃隊士の目に映ったのは、新手の襲撃だった。空中を飛行する鳥型魔物が、鎧を貫く嘴と眼球を抉る鋭い鉤爪を携えて上空から飛来したのだ。
「くそっ、上だ!上に魔物が残ってるぞ!!」
「高度が高い……これじゃ槍も剣も届かないぞ!」
「――喚くな」
凜、とした一声が隊を一瞬で平静に引き戻す。
彼等にとっては予想外の事態であっても、予めこの階層の魔物と戦法を把握しているリージュは眉一つ動かさずに剣を正面に差した。
その行動の意味が「構え、撃て」を指し示すことが分からない愚昧はこのファミリアにいない。
既に彼女の後ろで魔法及び弓を構えた部隊が、団長の意を汲んで迎撃態勢を整えていた。
照準を定め終えた投射隊長が叫ぶ。
「投射隊、構え!射てーーーッ!」
瞬間、空中を性格無比な弓矢と雷、炎、魔力光の弾丸が乱れ飛んだ。
得物を狙った魔物たちは次々に射撃に巻き込まれ空中で錐揉みになり、その命を散らす。仮に生き延びて地表に落下しようとも、下で待ち構える遊撃隊の剣士たちが素早く刈って無力化した。
――と、魔物の中でもひときわ体の大きな個体が対空射撃を掻い潜ってリージュに迫る。
「キョエエエエエエエエエエエエエッ!!!」
「一匹抜けてきた!?」
「だ、団長!避けて下さい!!」
唯でさえ軽装である彼女がもしもモロにダメージを喰らえば、その華奢な身体を容易に引き裂いてしまうだろう。今から誰かが庇おうにも、援護が間に合わない――と団員たちが肝を冷やした瞬間、もっと肝を冷ます冷たい一言がひゅるり、と流れた。
「凍てつけ」
遅れて、ガガッ!!と地面に何かが突き立った。
よく見れば、それは嘴ごと正面から真っ二つに斬り裂かれた鳥型魔物だった。鮮やかに裂かれた身体は血液一つ漏らすことはない。何故なら、魔物の身体は端から端まで完全に凍結しているから。
「喚くなといった。同じことを言わせるな、愚か者が」
彼女は、その場の誰にも認識できない速度で既に魔物を両断していた。
彼女が握る刀、『村雨・御神渡』から漏れる凍りつくような冷気が、斬られた魔物を凍らせた正体だった。
彼女の持つ固有魔法――『絶対零度』は全てを凍てつかせる氷獄の刃。自らの身体と装備に雪妖精の加護を纏わせ、触れるだけで氷像になるほどの冷気で魔物をも圧倒する。
全力を出せば、その温度はセルシウス度−273.15 ℃――物質のエネルギーが最低になるとされるその温度に達すれば、例え推定レベルがいくつであろうと一撃だけで全身を氷結させて戦闘不能に至らしめうる。
これはステイタスとかそういう問題ではなく、物質存在としての問題。
彼女の天性のバトルセンスと組み合わされることで、彼女の実力はオラリオでも10指に届いている。
――そもそも、本来ならばこの程度の魔物の群れなど彼女ならば1分とかからず皆殺しに出来る。それをやらないのは、団員の練度を向上させるための措置に他ならない。団員たちが肝を冷やしたのも、彼らが比較的新人の部類であり彼女の実力を正しく理解していなかったことに起因する。
そして彼女は、敵だけではなく味方にも恐ろしく厳しいことで有名だった。
「攻城隊。この程度の事態で隊列を崩すとは、一体何の冗談だ?貴様等のミス一つで守るべき後衛が危険に晒されることをよもや理解していないとは言うまいな………陣形を崩してよい瞬間など戦いの場には存在しない。あるのは陣形の前進、後退、固定、そして陣形の変更のみだ」
「も……申し訳ありません!以後、同じ失態を犯さぬよう誠心誠意努力いたします!!」
「謝らなくともいいし、口だけの決意表明など聞きたくもない。次に同じことをすれば、他のファミリアに被害が及ぶ前に――わたしが貴様等の首を斬る」
「り……了解ッ!!」
感情の抑揚がない淡々とした言葉が、美しい筈の彼女の無機質な冷たさを余計に際立たせる。
この人は本気かもしれない、と思わせるだけの迫力に、攻城隊の体格に恵まれた男達が震えあがった。
リージュの目線は次に遊撃隊へと向かい、遊撃隊の隊員の背筋が一斉に伸びる。
「遊撃隊。貴様らは攻城隊と投射隊の隙を埋める存在だという自覚が欠片でも存在するのか?空中から魔物が飛来した際、奥の魔物の生き残りに気を取られて投射隊への援護を怠ったな。そちらは攻城隊の仕事であり、攻城隊の出張った投射隊を守るのが貴様等だ。それを分かっていて反応が遅れたのならば、それは最早投射隊に対する『味方殺し』と同意義だ。――貴様らは味方と魔物のどちらを殺したい?それとも愚図な自分たちが死にたいのか?」
「いいえ、死にたくありません!!殺したいのは魔物であります、団長!!」
「ならばその回転が悪い脳みそをもう少し効率的に扱うのだな。どうしても回らないのならわたしに相談しろ。頭蓋を割って中に潤滑オイルを指してやる」
「命を賭してでも回転数を間に合わせますッ!!」
遊撃隊もまた、攻城隊と同じく恐ろしいまでに冷酷な言葉に震えあがる。
現在このファミリアでは、主神のエピメテウスでさえ彼女の顔色を窺っている節さえあるほどの恐怖政治が続いている。流石の彼女もダンジョンを出ればそこまで厳しくはしないが、戦闘訓練や試合では全く容赦がない。酷い時は新人十数名を纏めて訓練し、見込みがないからとほぼ全員をファミリアから追い出したほどだ。
なお、この訓練を生き残った数名は現在立派な幹部候補として成長しているので見る目はある。
見る目がある分、本気で冷たく容赦がないのだ。
最後に彼女は投射隊へと目線が向く。
投射隊は偶然ながら全員が女性で構成されており彼女たちもまたリージュの言葉を直立で待つ。が、先ほどの二隊に反してその言葉は非常に短くて素っ気なかった。
「照準が甘い。以上だ」
「ええっ!!もっと罵って下さらないのですか!?」
「我々一同、あの冷酷でゴミを見るような目線と情け容赦ない罵倒を待っていましたのに!!」
「貴様らは既に脳みそが腐っている。ダメになったのからゴミ箱に捨てるだけだ」
「ああっ、それです!そのど~~しようもないクソムシを蔑む極寒の目線っ!はぁ、ゾクゾクするぅ……!」
恍惚の表情や「キャー!お姉さまー!」等という黄色い声を上げて喜ぶ投射隊。
………ま、まぁ時折こんな特殊な連中が入ってくることもある。何せここまで冷たいと筋金入りのマゾヒストなら垂涎物だろう。事実、ファミリア内には彼女の罵倒を浴びるためにファミリアを追い出されないギリギリのミスを繰り返す猛者もいるほだ。
この世にマゾのいる限り『エピメテウス・ファミリア』は安泰だ。
と、そんな集団の元に――風を斬り裂いて『何か』が飛来した。
今度の隊の反応は早い。重装備の攻城隊は他の部隊を庇う形で陣形を組んで『何か』に警戒。遊撃隊はその合間から注意深く『何か』を観察して臨戦態勢。投射隊は攻撃可能ポジションに速やかに移動し、魔法の詠唱準備や弓矢の構えを取る。
リージュにとっても100点満点の対応。だが、彼らの警戒に反して、『何か』は既に死んでいた。
覗き込んだ隊員が息を呑む。魔物は獣に近い姿だが、目元は横一線に斬り裂かれ、両碗は切断され、腹のあちこちが深く貫かれている。足は既に筋が切れて骨格を無視した方向へねじ曲がっており、再生する気配が皆無であることから魔石が砕かれていることが分かる。
「これは……バグベアー?やけに図体がでかいが、全身を切り刻まれてる……」
「『怪物祭』で見たのの2倍って所か。新種……いや、他の魔物の魔石を喰った強化種かもしれん」
「問題は誰がこれをやったのか………ですね」
ざりっ、と、地面を踏みしめる音がした。
険しい表情をしたリージュがその音がした方へ一歩踏み出した。
「全隊、警戒体制へ――わたしが前に出る」
「っ!?り、了解!」
敵か味方かも分からない未知の存在に対して最も犠牲者を減らす術。それは、最強戦力による速やかな殲滅である。つまり、彼女もそれだけ相手に警戒しているという事になる。
先ほどの魔物は『魔物を襲って強化された疑惑』がある。相手が冒険者ならばそれでもいいが、これよりも強い魔物が返り討ちにしたのだとしたら――命の保証はない。
緊張が空間を奔る中、地面を踏みしめる音は焦りもせずに規則的な音を垂れて近づく。
そのシルエットが見えた瞬間、誰かが「あっ……」と気の抜けた声を上げた。この状況下で集中を切らすような真似をしたのは誰だ、と怪訝そうに眉を顰めた隊員たちは、やがてその声の主を確認して愕然とした。
言葉は後ろでも横でもなく前から聞こえてきた。
そして現在、隊の中でただ一人だけ前へ出ている人物といえば――リージュ・ディアマンテその人。
誰よりも厳しく、誰よりも強く、誰よりも冷たい彼女が――まるで年相応の少女のような声を上げていた。
「――俺がそんなに珍しいか、『酷氷姫』」
返り血に染まる剣を握った男が『エピメテウス・ファミリア』の視界に入った。
リージュは既に気付いていたのか何も言わないが、ファミリアたちはその予想外の人物に驚愕の声を上げた。
「なっ……『狂闘士』だと……!?」
「オラリオの異端者……こんなところで出くわすとはな」
オーネスト――『狂闘士』の二つ名を持つ、謎の冒険者。
傲慢不遜、傍若無人、正体不明の暴力剣士としてオラリオ中にその名を轟かせるその男は、オラリオの二大異端者とまで呼ばれるに至っている。神を貶し、己の我を貫く為ならば暴力脅迫なんでもあり。明らかに街の異物である筈の彼は、この街で唯一ギルドにもファミリアにも束縛されない人間である。
と、その背後からヒョコっと猫人間が顔を出した。
「お~い、俺もいるんですけど?『人形師』のヴェルトールくんもいるんですけど~?Say,ヴェルトール!はい、みんな一緒にぃ?せーのっ!………(ファミリア側に耳を向けている)」
「喧しい。たんこぶで三段アイスでも作ってほしいか?」
「調子に乗ってスイヤセンっしたぁぁーーー!!」
「声がでかくて喧しい」
ゴキンッ!と頭頂部をぶん殴られたヴェルトールは、こぶで三段鏡餅のような形状になった頭を抑えて「ゥォ……ぁっ……」と静かな悶絶を漏らした。オーネストはそれを一瞥すると別に立ち上がるのを待ちもせずにその場を横切る。
魔物から魔石を回収などしない。社交辞令もなければ気遣いもない。自分の同行者でさえも「付いて来れない奴など知ったことか」と言わんばかりに見捨てるその行動に、ファミリアたちは内心で顔を顰めた。
ダンジョン内に味方を置き去りというのは、この界隈では死ねと言っているようなものである。何せ普通に潜っていても命の危機があるのがダンジョンという場所なのだ。味方を捨ておくとは、そのまま命も捨ておくということなのだ。
それを、オーネストは気にしない。
気にしないからこそ、オーネストは異端者なのだ。
だが、そんな暴君の行く先を雪のように白い手が遮った。
「待て」
「……………」
「こんな場所で『再会』したのも何かの縁だ。一緒に行かないか?」
「……………」
普段はアイアンメイデンなどと揶揄される彼女の発した言葉は、普段の彼女のそれと比べてどこか柔らかい。だが、オーネストは横一線に口をつぐんだまま答えない。
その様子を見たリージュは静かに、そして悲しそうに目を伏せた。
「だんまりか。やはり、まだ――赦してくれないんだな」
「………『俺』には何のことかわからんな」
俺、という言葉に含みを持たせたオーネストはそのまま遮った手を退けて前へ進む。
何かを伝えるわけでもなく、リージュも無言でその後ろに続いた。
二人の間にそれ以上の会話はなく、なのに二人の間には他人が口を挟めない場の重さ。
割り込むことが無粋なほどに静かで、寄りも離れもしないもどかしい空間。
まるで二人の時間だけが周囲とは別に流れているように、終わりの見えない無言の歩みはほかの人間を置き去りにした。
「団長の指示ないけど……どうしよう」
「とりゃーず二人に着いていけばいいんじゃない?着いてくんなとは言われてない訳だし」
「そ、そうっすね………」
結局、二人の歩みは3階層下にある安全階層まで延々と続いた。
その間にも多くの魔物が出たが――先を歩いていた二人が歩みを止めることなく全てを一撃で切り裂いたため、誰一人として怪我人は出なかった。
(しかし、さっきの呼び止め……わからんな。普通オーネストを留めようと腕なんか出したら、あいつナチュラルに跳ねのけるかへし折るぞ?うーん、『酷氷姫』と予想以上に複雑な関係なのか……)
ヴェルトールの知る限り、最も近しい存在であるアズでさえあんなふうに呼び止めたら乱暴に手を振り払われる。すなわち彼にとっては彼女がそれだけ非凡な存在なのか、あるいは――
「デレ期か?」
ほんの小さな、足音に紛れて消えるくらいの音量でぼそっと呟く。
発言の直後にヴェルトールの額当てのド真ん中にズガンッ!!とオーネストの投げナイフが直撃して首が盛大にのけぞった。
「グボォォォッ!?衝撃で首がァァァーーーッ!!ここっこここ殺す気かぁッ!?額当てがなければ即死だったぞ!!」
命中する瞬間に辛うじて首を反らしたためにムチ打ちだけは免れたヴェルトールが涙を流して抗議するが、オーネストは全く意に返さない。
「今、ひどく不快な気配を気配を感じたのでな」
「この超能力者がッ!!昔もその『不快な気配』で暗殺者を6,7人撃ち落とした事あるだろッ!!」
「正確にはお前の知らないのを含めて12人だ。お前、13番目の裏切り者になってみるか?」
「意味は分かんないけどものすごく不吉ッ!!」
友人の地獄耳レベルが究極に達していることを悟ったヴェルトールは保身のためにそれ以上考えるのをやめた。そんな二人の様子を、『酷氷姫』は、ほんの少しだけ羨ましそうに見つめていた。
後書き
オーネストの攻撃技(基本)
・震脚……地面を蹴り砕く技にしか見えない威力。人間~小型魔物程度ならこれだけで転ぶ。
・破砕脚……猛烈な威力の蹴り。転倒狙いで足に当てるが、中級魔物が食らうと普通に足がもげる。
・素手……特に流派はないが、基本的に格闘技での禁じ手とそれ以外の喧嘩殺法を全部使うスタイル。
・殴殺拳……ほぼワンパン一撃。時々反動で自分の腕の骨が折れてるが、敵は肉塊になる。
・滅多刺……メチャクチャに刺しているようで実は全部急所、部位破壊狙い。
・居合斬……音速を超えた斬撃。一度『不壊属性』の剣を真っ二つにしたという意味不明の噂あり。
・真向唐竹割……食らうとたとえ防御しても人間が50Mは吹っ飛ぶ戦車級の威力。
・投擲……スキルの一つ。ナイフなんかを本気で投げると大砲並みの貫通力。
etc……etc……
12.ツインドール
あれから――オーネストは18階層に到達するまで一言も喋らなかった。
質問すれば返事くらいは返すこともあるこの男が、一言も喋らなかった。
途中、階層主である巨人の『ゴライアス』と遭遇したが、リージュが冷気を操って巨大な氷柱を発射することで巨人はあっさりと氷像のように凍てついた。ファミリアの新人たちはその常識はずれの光景に圧倒され、「これがオラリオ最上位の一角か」と実力の差を思い知った。
しかしオーネストはというと、こよなく愛する闘争相手を横取りされても何も言わず、どこか暗い顔で黙々と歩き続けていた。
おかしい、とヴェルトールは思わずにはいられない。
そもそもだ。はっきり言って、いつものオーネストならば昼には18階層に到達しているペースで突撃する。なのに今日のオーネストは随分のんびり悠々と歩いて夜くらいの時間帯に18階層に到達し、適当な木にもたれかかって眠り始めたのだ。
(何っていうか、テンションが滅茶苦茶低いんだよなぁ~………確かに上層のザコ魔物じゃ燃えないってのはあるかもしれんけど、明らかにそれ以上の何かがあんだろ、これ?)
異変は明らかにあのリージュと顔を合わせてからだ。
決して言葉には出さないし顔にも出さないが、あの時以来のオーネストは普段の彼に比べてちぐはぐ感が否めない。そんな微妙な感情の機微を悟れる人間でなければ彼の変化には気付きづらかっただろう。
これはヴェルトールの個人的な感想だが――オーネストという男の粗暴とも取れる態度は、彼が自分の身を守る術だ。
感情を見せると付け入られるから感情は殺す。妥協も然り。馴れ馴れしい態度も然り。そうやって人間的な部分を塗りつぶして、埋めて、押し込んで、溢れ出んばかりの人間性を人の形にギュウギュウに押し込んだのがオーネスト・ライアーという仮面なのだ。
きっとその中はとても脆く、弱い。
どんなに強固に心の城壁を築いても、心の弱さだけは守れない。
だから、心の弱さをも強引に殺して『オーネスト』を押し通す。
彼は、そういう男だ。
だというのに、彼の様子はおかしくなった。
すなわち――彼は完全に城壁に引きこもってしまったのだ。弱い自分を覆い隠すために。
では、あいつが『オーネスト』に籠らないといけない事態とは何か。普段の彼では覆い隠せないのはどこか。現在を求め、未来をいらぬとうそぶく男が防げないもの。
それは、過去だ。
「………オーネストがオーネストになる前……捨て去った過去。あーあ、こういうのアズなら何一つとして詮索しないから逆にオーネストが喋っちゃったりするんだろうなぁ」
絶対とは言い切れないが、アズならきっとそれを悟った上でも上手く収めると思う。
あの男はそういう男だ。だからこそ、たった2年でオーネストの心の城壁の上を鼻歌交じりに歩くほどには近しくなった。その不思議な人徳は不思議と他人の心を開き、『自分』という存在を剥き出しにする。
いつか屋敷に連れ込んだ小人族の少女がこっそりアズのコートをちょろまかして匂いを嗅いでいた光景をそっと見なかったことにした優しいヴェルトールとしては、あれはそのような不思議な存在に見える。死神のくせに幼女に好かれるのは、同じく心が透き通っているからだ。……多分だが。
一人で野宿の準備を進めているヴェルトールは、勝手に食事を済ませて眠りについた問題児を見つめる。オーネストは普段は無表情、何かがあると仏頂面、そして戦いでは殺意むき出しの獣のような表情をしている。でも、寝るときだけは子供のように安らかだった。
「今頃、夢の中のお前はどんな光景を見てるのかね………願わくば、幸せな夢であってほしいところだ」
そう呟いて、ヴェルトールは自らの戦闘方法である自立人形を背負っていたカバンから出してメンテしようとし――その中身がカラになっていることに気付いた。よく見ると奥には置手紙があり、『朝には帰ります ドナとウォノより』と書いてあった。
「……さては『酷氷姫』に会いに行ったな?あのイタズラ人形たちめ……好奇心旺盛なのはいいけど、もうちょっと落ち着きを………落ち着きのない俺に似たんだとしたら無理かなぁ?」
明日になっても戻らなかったら迎えに行くか――とつぶやいたヴェルトールは薪に火をつけて新鮮魔物肉を炙り始めた。………18階層では「食える魔物の肉」は冒険者御用達の食事である。理由は言わずもがな、地上への直通ルートがない18階層で販売されるものが何から何まで高すぎるからだ。
この裏技みたいな食事方法が広まったのは……まぁ、数年前に某問題児がその方法を確立して18階層に1か月近く滞在したのが風の噂で広まったせいだったりする。
= =
『エピメテウス・ファミリア』の新人遠征は厳しく、精神的な脱落者を出すこともよくある。
死人は出ないが、冒険者として未熟な心が根を上げて前線に不適格とされると、地上に戻るまでサポーターをやらされるというルールも存在する。
夢に手が届かずに涙を呑む者が集団の中に現れたときの空気の悪さは凄まじく、しかも挫折した者もダンジョンを出るまでは集団行動しなければならないために余計に空気が悪くなる。食堂での私語は許可されているが、常に決して明るいものとは言い難い。
しかし、今日の空気の悪さは濁りこそあれその方向性は一方のみに向けて流れていた。
「なぁ……団長、どうしちまったんだろうな。あれから宿の部屋に籠りっきりだよ」
「やっぱり『狂闘士』のせいか……?まさかアイツ、団長に手ぇ出したんじゃないだろうな!薄汚い犯罪者の分際で……!!」
「聞いたことがるぜ。あいつ、気に入った女はどこの所属であろうと奪い取って自分の屋敷に侍らせるって」
「そんな!!あんな粗野で粗暴な野蛮人にお姉さまが汚されるなんて考えたくもないわ!ああ汚らわしい!お姉さまの純潔は誰の物でもないのに!」
「あの時、先に話しかけたのは団長だった………過去に接点があったのは確かだろうな」
「あいつ、団長に声をかけられたのに無視しやがって。俺達は怒られる時と命令の時しかお声を聴けないんだぜ?何様のつもりだよッ!!」
「決まってんだろ?『オーネスト様』だよ………ありゃ、そういう男だ。世界で自分が一番エラいんだよ」
憶測は憶測を呼び、義憤は実体を持たない悪を膨らませる。
この場にいる全員が、団長の実力も指導力も認めている。だからあれほど厳しい指導であっても彼女に異論を唱える者はいない。そんな彼女の様子がおかしくなったのは、何か良くないことが起こったのだと思いたいのだ。
隣の国は悪い国、隣の種族は悪い種族。根拠のないレッテルであっても、自らが正義であることを前提にすれば知りもしない相手のことを如何様にも悪く判断できる。自分は正しく、誰にも責められることはないからだ。事実が異なったとしても、彼らの間でそうならばそれでいい。
そうやって自分が上位の存在だと思い込むことで、心理的な安定感を得る。
子供の虐めから民族浄化まで人類があらゆる場所で覗かせるコミュニティ共通の一面。
何らおかしなことはない。何ら恥ずべきこともない。何故なら、それが人間が知恵を得て文化を築いたことに対して負った、正当な代償なのだから。
但し、その代償は誰もが等しく背負うわけではない。
食堂の声を聞いてその場を離れた話題の当事者の存在に、誰も気づかなかった。
「こんなとき、そんな皆の姿が醜いと――時折思ってしまう。わたしも人間なのに、こんなのおかしいよね?」
静かな足音でその場を通りすぎる彼女の背に、毅然とした団長の姿としての面影はない。
当たり前に不安を感じ、当たり前に落ち込むような、どこにでもいる少女の影を差した表情。普段は彼女が城壁の奥に仕舞い込んでいる幼さと脆さは、このオラリオでは弱みになる。だから、彼女は自らに戦の才があると気づいてから、それをひた隠しにしていた。
それでも覆いきれずに漏れた一言は、そのまま無人の廊下に消えていく――筈だった。
『そーかなー?知り合いの知り合いが、ウツクシイものをウツクシイと思える心がブンカだ!……って言ってたよ?ミニクイものをミニクイって思うのも、ニンゲンのブンカなんじゃない?』
『拙者はそのような禅問答には疎いので分からぬ。だが、分からぬからこそ人とは問答を繰り返すのではなかろうか?』
「ッ!?誰だ!?」
咄嗟に腰に差した『村雨・御神渡』を抜こうと居合の構えを取り――利き腕の右手がすかりと空を掴む。
……そういえば、手入れのために武器は自室に置いてきたのだったことを思い出す。普段ならせめて予備の刀くらは持っておくのに、どうやら彼との予期せぬ再開に想像以上に心を揺さぶられていたらしい。
だが、剣がなければ戦えない訳ではない。『絶対零度』は徒手空拳でも発動する最大の武器だ。姿の見えない敵を探りながら、腰を落として掌の力をだらりと抜いて『居合拳』の構えを取る。
が、次の瞬間彼女が視界にとらえた相手は、あまりにも戦いと不釣り合いな二つの小さな姿だった。
『あ、ちょっとランボウしないでよ!?ウチ、イアイケンなんか食らったら割れちゃうからぁ!!』
『むむむ、暗所で突然話しかけた不躾は謝罪しよう。だが拙者たちは別段悪意あってそなたに近づいたわけではない事は理解してもらいたい』
それは人間の子供にしても小さいにもかかわらず、子供にしては人として完成したシルエットをした70セルチほどの姿。片方は不思議な模様のハチマキで長い髪をまとめた紅色の髪の女の子……もう一人は同じ模様のリボンで髪をポニーテールにまとめた、淡蒼色の髪の男の子だった。
二人ともまるで人形のように可愛らしく――そして、その背中にはそれぞれ片翼の天使の羽が伸びていた。寄り添うように手を取り合う姿はどこか幻想的で、リージュは異常事態にもかかわらず二人に釘付けにされた。
「え……っと、君たちは、何?」
『申し遅れました。拙者、創造主であるう゛ぇるとーる様に命を吹き込まれた自立人形のウォノと申すものです。以後、お見知りおきを』
『ウチはねー?ドナっていうの!!ねね、オトモダチになって?なってよ~いいじゃんよ~!』
(……………………………………………かわいい)
――二人を自室に招き入れたのは、果たして気まぐれなのか毒気を抜かれた所為か。
『素のリージュってアンガイフツーの喋り方なのねー。カタクルシー喋り方よりそっちの方がオンナノコっぽいよ~?』
「………女の子っぽくしてるとね。余所のファミリアとか部下に軽く見られちゃうのよ。だから女らしいのは見た目だけ。私みたいな若いヒューマンがこの街で強く生きるには、そうするしかなかったの」
『ううむ、哀しくも難しい話ですな……人は得てして外見や種族の物差しを過信しすぎると主もよく申されておりました。主も一人前になる前は「猫人間に芸術が創れるのか」とからかわれたと聞き及んでおりまする』
可愛らしい人形二人に愚痴のような話を聞かせる今の姿は間違っても部下には見せられないなぁ、とリージュは内心で呟いた。
落ち着いて話を聞いてみると、二人はあの『人形師』の魔法によって命を吹き込まれた自立人形だという。確かにそのような話を聞いたことはあるが、人形を使う姿を見た人間がほとんどいなかったせいでその姿は知られていないようだ。ヴェルトール自身、見せびらかすものではないとあまり他人に見せていないという。
(嘘をついている気配はない……多分、勝手に抜け出してきたというのも本当よね。彼の魔法の性質を盛大にバラしてるし、精神的には幼いんだ)
『タケミカヅチ・ファミリア』の人のような極東特有のしゃべり方をするウォノは、思慮深く慎重な性格のようだ。右肩にだけ生えた翼に関しては、主であるヴェルトールが芸術性を持たせるために作ったもので飛べる訳ではないらしい。
対照的に、まさに子供のような無邪気さを見せるドナは思いついたら即実行と行動的だ。頭が悪いわけではないようだが、どこかゆるくて感情に身を任せる雰囲気がある。ウォノと対になるように左肩から美しい羽根を伸ばしている。
二人とも子供っぽい外見をしているため、それほど戦闘能力を持っているようには見えない。しかし、二人の体には若干ながら魔物の血がこびりついていた。ダメージを負ってはいないが、本当に戦っていると考えるべきだろう。
なし崩し的に近づいてしまったが、もう二人には自分の弱さを見られているので今更隠しても意味はないだろう。それに、既にこちらも『人形師』に対しての貴重な情報を得ているのでおあいこだ。
何より、無機物でありながら人間と同等の意思を持った人形に純粋な知的好奇心をそそられた。
(決して可愛いから口をきいた訳ではない決して可愛いから口をきいた訳ではない………よしっ)
軽度の自己暗示と理論を用いて自己弁論という名の言い訳をしたリージュは改めて二人に向かい合う。できるだけ、優しい口調で。
「それで、二人はどうしてそのご主人様から離れてわたしの所に来たの?」
『あのね……お姉さんに会ってイライ、オーネストにゲンキがないの。あんなに落ち込んでるオーネスト、初めてなの』
『故に我らは原因を知りたくなった。おーねすと殿の様子がおかしくなったのは……りーじゅ殿と出会ってだから』
早速、言葉に詰まった。
それは、問題の最も触れ難い核心を突かれたから――ではない。
ああ、他人から見てもわかるくらいに、彼は……オーネストと名乗る彼は、わたしのことを未だに恨んでいるんだと思ったから。だから彼の様子がおかしいのは、ある意味では当たり前のことでしかない。
『二人の間には何があったのだ?』
「ごめん………他人に話すようなことじゃないから教えられない、かな」
『………話したくない、の間違いじゃない?』
「ごめん………ごめんね。わたし、皆が思ってるほど立派な人じゃないの。でもその立派じゃないところを口に出すと、もっと駄目になっちゃうから」
言葉は魔法だ。根拠もない内容で人を強くもするし、弱くもする。彼女の過去を吐露することは、自らの弱さを曝け出すことでもあることは、彼女自身が一番よく分かっていた。弱っている今、これ以上他人に隙を見せることはそれ自体が彼女にとって耐えがたい。
もう一度、消え入るこうな声で「ごめんね」と囁いたリージュは部屋のベッドで膝を抱えてうずくまった。
「わたしは、アキくんとは違う。アキくんみたいに8年も意地張りっぱなしで平気な顔していられるほど強くなれない……どんなに名声と評価を得ても、何年経っても、心はずっとあの時のあの場所に置き去りにされて、雨水に凍えてる」
肉体はここにある。でも、打ち込まれた楔は永遠に後ろ髪を引かれて地縛霊のようにあの場所に留まり続ける。あの時、リージュの時間は止まったのだ。子供のまま、時は無情にも彼女を大人へと導いていった。
だから、弱い自分を守るために人の前では表情を削いだ。
だから、弱い自分の力を鍛え上げて冒険者になった。
だから、裏切りを恨んで秩序を尊んだ。
だから――
だから――
死への恐怖は薄れた。でも、戦えば戦うほどに過ちの記憶は重く、深く、鮮明に瞼の下に蘇る。
その光景を言葉にして語ることは、二度とないだろう。
あの時の二人だけが知っている、別れの記憶。
『アキ……Aki……秋……う~ん、ねぇウォノ!アキクンって何?』
『人の名前だと思うが?りーじゅ殿、一つだけ教えてくれ。アキとは一体何者なのだ?』
「………それは、もうこの世にはいない人。わたしの大事な人。わたしに居合拳を教えてくれた人。わたしを――きっと永遠に赦してはくれない人」
二人の人形はアキくんという名前の意味が分からずに首を傾げていた。
その様子は可愛らしくもあったが、今のリージュにとってはそれ以上の価値を持ちえなかった。
= =
『――せやっ!!』
パァンッ!!と鋭い音を立てて、鞭のようにしなやかな拳は目にも留まらぬ速度で虫を叩き落した。
『すごーい!ねえねえアキくん、今の何?魔法!?』
『そんなんじゃないよ~……今のは居合拳っていうんだ!パパが教えてくれたんだ!』
『流石アキくんだよ!アキくんのパパって団長なんでしょ!?その団長の技がもう使えるんだもん!!』
『えへへへ……まぁ、『母さん』はあんまりいい顔しなかったけどね。習得するためにパパから居合拳いっぱい食らってあちこちアザが出来たからさ。やっぱ『母さん』は戦いはあんまり好きじゃないんだよなー』
自慢げだった少年の表情は一瞬陰りを見せ、しかしすぐにいつもの笑顔を見せた。
家族が戦いを生業にしていない少女はそれでも少年が羨ましく、ついついねだってしまう。
『ねぇ、アキくん……その技、わたしにも教えてよ!!』
『え……?リージュがこれやるの?』
『うん!その……できれば顔は止めて欲しいけど、パパとママを「お前らなんか全然戦えないから使えない」って虐める人がいてね……わたしまでよわっちいって馬鹿にしてくるの!だからちょっとでも強く見せたいの!』
『う~ん……分かった、教える!でもリージュを殴るのは嫌だから動きだけね?上手く教えられないかもしれないけど………』
『いいよそんなの!アキくんが教えてくれるんならそれだけでも嬉しいもん!』
少年は、そんな少女の笑みにたじろいで頬を朱に染め、それを誤魔化すように声を張り上げた。
『……へ、変なの!俺には何言ってるか全然わかんなねぇや!えっと……ああ!そういえばさ!うちのファミリアでも同じように居合拳を覚えようとした人がいたんだけどさ――』
仲睦まじい二人の子供は、太陽が傾いて街に影が差すまで夢中でおしゃべりをしたり、時々技の練習をして遊んでいた。彼らのほかには、その頃のオラリオで同世代の子供がいなかった。だから喧嘩をしても用事があっても、遊ぶ相手はいつも同じだった。時々大人も遊びに付き合ってくれるが、定期的に来るのはぶくぶくに太ったギルドのエルフくらいだった。
ファミリア同士が子供を授かるというのは、この街ではとても難しいことだった。
子供を授かった女は当然ながら一時的に冒険者を続けられなくなるし、子育てを考えるならば更に続かなくなる。それどころか、男と共にファミリアを脱退して田舎に帰ることだってないわけではない。おまけにファミリアの子はそのファミリアの主神の子であるため親と揉めるし、他のファミリアとの間に子を授かれば更なる泥沼が待っている。
儲けを気にするにしても子の将来を憂うにしても、誰かにとって都合が悪い。子の誕生を素直に祝福するようなファミリアとは、それほど裕福なファミリアとも言える。
オラリオという街は、子供にとってそれほど寛容ではないのだ。
そんな中でも、わたしたちはとても仲の良い友達だった。
来る日も来る日も遊びほうけて、自慢話や嬉しかったことは全て共有した。
『へへっ!昨日パパがこんなに大きい竜の角を持って帰ったんだ!すごいだろ!』
『ほんと~?すごいなぁ……うちのパパとママはいっつもホームでゴハン作ったりお掃除したりで冒険なんかしないんだよ?何で?って聞いたら、「あなたが産まれたから」だって!変なのっ!』
『………そっか。それはそれで、いい事だと思うよ。だって、いつだって甘えられるじゃないか。うちのパパは、忙しくてあんまり会えなから……』
『そういうものかな?』
『そうだよ』
『そうなのかなぁ~?』
『きっとそうだよ!』
わたしたちは、とても仲の良い友達だった。
これからも、永遠に仲良しだと信じていた。
友達――だったのに。
絆とは、かくも脆く崩れ易いものなりけるか。
『裏切ったな………俺を裏切ったな!!俺を通してファミリアの内情を探って……タイミングを図ってたんだろ!!俺と「あいつ」の関係が崩壊するタイミングをせせら笑いながら待ってたんだろッ!!』
違うの。わたしはそんなつもりでいつもお喋りしてたんじゃないの。
ちょっとでも一緒にいたかったから、だから話題が欲しくて――神様にいわれるままに聞いただけなの。それがあんなにも悍ましい結末を導き出すと知っていれば、止めたにきまってるのに。
でも、全ては言い訳。
どのような過程を経ようが結果は一つしか残らなかった。
残酷で、どうしようもなくて、血に塗れた最悪の結末だけがこの世に残った。
『お前が!お前のせいで全部奪われたんだよ!!俺が苦しんでた時にお前が何をしてたって!?人が魔物の餌になって芋虫みたいにダンジョンを這っていたときに、お前が何をしてくれた!?言ってみろよ………裏切り者じゃないって言うんなら!!』
ご飯も喉を通らずに夜の街を駆けて助けを求めに行き、ギルド以外には門前払いを喰らい、必死で伝える事だけ伝えて、体力が尽きて寝かせられて――そして目を覚ましたら、わたしは取り返しのつかないことをしていた。
善意と悪意、相反するはずの歯車が全て噛み合ったせいで発生した皺寄せは、守ろうとしたはずの友達にすべて降り注いだ。
どうしようも、なかった。
『俺に二度と近づくな!!俺に一生口をきくな!!そうさ………間違いだったんだ!!最初から、人を信じることが間違ってたんだよッ!!馬鹿馬鹿しいお友達ごっこはもう満足しただろう!?なら、今日で終わりだッ!!』
待って、と手を伸ばした。
その手が届かないと、一生後悔するという確信があった。
自らが愚かしい過ちを犯したことは子供心に分かっていても、それでも、隣に座って笑っているあなたが好きだったのは本当だったから。
『――俺に触るな!!』
バチッ、と伸ばした手が振り払われる。
貴方の、初めての明確な拒絶。
初めての――決定的な――貴方とわたしの、心の乖離。
『裏切り者が気安く触るな!!信じない……俺はもう何も信じない。神も悪魔も法律も、絶対に信じるものか。俺は何一つ失ってないんだ。最初から全ては幻想……人も、立場も、心も、幻想なんだ……』
何を言っていいのかも分からないまま、それでも物別れになるのが嫌で。
違うの、違うの、と壊れた蓄音機のように何度も繰り返しながら。
呼び止めて、無視されて。
掴もうとして、振りほどかれて。
それでも縋って、蹴り飛ばされて。
大雨の降りしきる中、魔石灯に照らされるびしょぬれの彼の横顔が裏路地に消えていくのを、私は路上で倒れたまま、見送るしかなかった。彼の顔を伝う液体が雨水だったのか、それとも別の物だったのかは分からないまま、私は慟哭した。
自分が守ろうとしたものを自分の手で全て崩した、悔やんでも悔やみきれない後悔が胸を押し潰す。
大好きだった人を、自分の行動によって引き離してしまった愚かさが喉を絞める。
邪悪なる毒蛇に呪われるように、後悔は心に消えない傷を負った。
でも、本当に呪われたのは――わたしではなく。
わたし以上に傷を負って苦しんでいるのは――わたしではない。
あなたはもう聞いてくれないのかもしれないけど。
今でもわたしは、未練たらしくあなたと仲直りする幻想のような未来を求めている。
後書き
このストーリー1話で回収する予定だったんですが、もしかしたら3話じゃなくて4話かかるかもしれません。こんなんじゃカルピス文字書きとか呼ばれちゃうよ……。
13.死者の望んだ戦争
どれだけ嫌な眠り方をしても、目覚める時間はいつも同じだ。
団長としての役目を果たすために、その生活は目覚めも規範となるものでなければならない。故に、例え昨日は碌に食事をとらずに眠ったとしても、朝は規定された計画に基づくように起き上がる。
昨日は自らの感情的な行動でファミリアを動揺させてしまった。彼らは同様の捌け口としてオーネストを利用したが、そもそもあれ程に動揺してしまったことがファミリアに余計な憶測を呼んだとも言える。
すべては自らの不徳が故。
昨日のような隙を見せるわけにはいかない。昨日もあの片翼の天使人形たちに見せられない面を出してしまった。いくら人形の主の魔法の効果をある程度知れたとはいえ、情報料の代償としては大きすぎたかもしれない。
とりあえず、すぐに朝食。それから鍛錬、水浴び、武器の整備、そしてそれらが終わったら疲労で眠りこけた団員たちを叩き起こす。何も変化のない訓練期間の行動だ。
昨日のことは一度忘れよう。どうせこれ以上何度も出会うことはない。
彼だってもう、こちらの顔は見たくないだろうし。
ずきり、と掌に痛みが走った。
彼に払い除けられた掌は、8年絶えず彼のことを考える度に疼き続ける。嫌なことを考えた日の朝は、特に。
『お手手、どうしたの?すごく悲しそうな顔してるよ?』
「………!?」
隣から少女の不安気な声が聞こえる。聞き覚えのある声――寝る前まで部屋にいた、あの片翼の天使人形の声だ。そちらを見やると、ベッドの隣に少し眠たそうな表情の紅髪――ドナがいた。ウォノの姿は見当たらない。
「貴方……まだ居たんだ。もう飽きて帰っちゃったかと思ってた。ウォノくんはどうしたの?」
『御主人のところに戻ったよ。もともと朝までには帰るヤクソクだったから。ウチは悪い子だから破っちゃったけど』
「そ、そう……あんまりパパに心配かけちゃだめよ?」
『え~?いいじゃん別に!ウチはリージュが寂しそうだったからここにいるのよ?シンパイする側なわけ!ならモンダイなしよっ!!』
エッへン!と胸を張って自分の正当性を主張するドナだが、その理論は完全に子供の屁理屈だ。しかし、同時に子供っぽい可愛らしさと元来の人形としての美しさが合わさって、リージュは指摘するより先に微笑ましくなった。
こんなにも可愛らしい子供が自分のために残ったと言ってくれているのだ。
なら、それでいいではないか――と。
この人形は何かの作為があるわけでも誰かに頼まれてここにいる訳ではない。様々な心の歪みや嘘、張り付けられた偽の顔を見極め続けたリージュだからこそ、彼女の心がどれほど透き通っているのかが理解できる。
体が人形だというだけで、彼女の心は間違いなく人間のそれだった。
人間――そういえば、と彼女の親となった存在のことを考える。
(無機物に意志を吹き込む………それは、神の理に触れる創造のチカラ。『人形師』の所属する【アルル・ファミリア】は工芸専門のファミリアだって聞いたことがあるけど、戦闘可能で自我を持つ上に主に背いて単独行動する自立人形なんてあり得るの……?)
もしかしたら――自分はとんでもない真実を見つけてしまったのかもしれない。
そんな思考を、彼女は無理やり頭の隅に追いやった。
数時間後、戦いの準備を終えた『エピメテウス・ファミリア』が宿の前に集合した。
「今日は22階層まで遠征する。何か、言うことはあるか?」
「攻城隊、装備品及び隊員のコンディションに異常なし。いつでも行けます」
「こちら遊撃隊、右に同じ」
「投射隊はもう待ちきれません!」
「では出発する。行先では突然変異の魔物の目撃証言もあるが、指示があるまで隊列を崩すことは許さん。――では、出発!」
誰に号令されるでもなく自然と軍靴のリズムが揃っていく。
ファミリアは終えには出さずとも、自分たちの日常――いつものリージュ・ディアマンテ団長が戻ってきたことに安堵の表情を浮かべる。今日は異物もいない。変化のない、安定した日常が戻ってきた。
ファミリアは順調に勝ち進む。
リージュの飛ばす鋭い指示に従って能動的に動く各部隊。魔物撃破による収入の回収を待ちながら、先ほどの戦いの問題点を指摘しては罵倒するように指摘し、ファミリアは震え上がりながらもそれに従う。
流石にこの階層まで来ると苦戦することも増えたが、命がけの環境が神経を研ぎ澄ませてミスを減らしていく。何もかもが順調な戦いだった。
と、思っていたが――実はそうでもなかった。
《ねぇねぇ、なんかリージュってウチらに話して来た時もだけど、オーネストと話した時もちょっと喋り方が違ったよね。何で~?》
(ちょ、ちょっと!話しかけられたらドナがいるってバレちゃうから!)
《ヘンなの………ニンゲンっていろんな顔があるよね。フシギぃ》
その声は、リージュの私的な荷物が収められたカバンから漏れ出ている。
団長特権で持つことを許されたそれは、前線で緊急を要する事態のためにポーションや対魔物アイテムが詰められているのだが、今日はそこに一人お客さんがいた。
そう、片翼の天使人形――ドナだ。
なんと、未だに帰らず付いてきているのである。主のもとに戻らないのか、と質問しても「あっちにはウォノがいるからダイジョーブ!」という。何が大丈夫で、そして本当に大丈夫なのかが全く理解できない。
《まぁまぁ!どーせそのうちマスターが迎えに来るし、それまでイッショにいよう?》
(………どうして、見ず知らずのわたしをそこまで気に掛けるの?)
《そだねぇ~……リージュって、オーネストに似てるからかな?》
進軍の足が、一瞬だけ止まりそうになった。
どうやら足音に混ざって周囲に会話は聞こえていないようだが、一瞬肝がひやりとした冷めた。
似ている――わたしと?それは違う筈だ。彼はわたしとは違う。わたしよりずっと凄くて、本当に強くて。
そして――わたしは加害者で、彼は被害者だ。
似ているはずがない。この世に悪があるならば、それはわたしのことなのだから。
(似て、ないよ)
《似てるよぉ。だって部屋で話したリージュ、アズと二人っきりの時のオーネストにちょっと似てたモン。たまにクーキを抜いてる割れかけのフーセンみたいだね》
(それでも、似てないよ)
《イアイケンの構え、オーネストとイッショだった》
(………似てるだけだよ)
《そーやって嫌なトコ隠そうとするのも、オーネストそっくり》
(……………そろそろ魔物が出ると思うから、また今度ね)
会話を無理やり断ち切らないと、叫んでしまいそうだった。
また、振り払われた手がじくじくと痛む。その痛みを誤魔化すように『鬼走村雨』を力いっぱい握りしめ、周囲の気配を探り続ける。
「隊長……おかしくありませんか?」
不意に、遊撃隊の隊長が声をあげた。
自らの不審を悟られたかとも思ったが、この状況下でそれは考え難い。
そして、リージュは先ほどから考えている懸念と彼の持つそれが同じではないかと推測する。
「………言ってみろ」
「はっ。その、既にお気づきとは思いますが、22階層に入ってから魔物との遭遇回数が極端に落ちています。壁などから一定数湧き続ける魔物がこうも少ないとなると――」
「何かがある、と言いたいのだろう?そんな事は先刻承知だ……」
ダンジョンで予想外の事態が発生するのはよくあることだが、異常事態というのはまず起きない。ダンジョン内に存在する危機をシステム的に当然に存在するものだと考えるならば、今の事態はシステムからかけ離れた状態だとも言える。
いや、それとも――システムに反しない方法で『何か』をしている『誰か』がいる?
《ねぇリージュ、今いい?実はさ………ちょっとお知らせあるんだけど》
(………言って)
《キノウにチラっとだけど、アズっていうトモダチがさ――『22階層で魔物人間に会った』って言ってた。イミはよく分かんなかったけど》
(魔物人間?それって―――)
何のこと、と聞こうとしたリージュは、静かに足を止めて耳を澄ます。
振動だ。どこかから振動が近づいてくる。それも一つ二つではない、まるで大挙を成して押し寄せるような巨大な振動だ。
まさか――と嫌な汗が頬を伝った。
「全隊、止まれ!!攻城隊、前へ出て突の陣形で警戒!!」
「り、了解ッ!!」
「投射隊、詠唱準備!!」
「いつでもッ!!」
「遊撃隊、退路確保を!!」
「お任せあれ!!」
振動は次第に大きく、力強く、まるで不吉を呼ぶ化け物が洞穴から這い出るかのように不気味に――『エピメテウス・ファミリア』の前にその醜悪な姿を現した。
「うっ………!?なんだ、あの数は!!」
「おい、群れの真正面!!人がいるぞ!!」
「襲われて逃げてきた……ってツラじゃないわね。テイムモンスター?」
「馬鹿言うな、数が多すぎる……!!」
白い装束の何者かが引き連れるように現れた、この階層の生息魔物と微妙に一致しない存在が混ざった百鬼夜行。獰猛に唸り声をあげる異形の連隊は膨大な殺意と威圧感を撒き散らしながら真正面に迫る。
白い装束の何者かは、まるで死人のように熱のない言葉で告げ――その手を前に翳した。
「神に組する愚か者どもよ――ここで同胞に貪られるがよい」
「――『怪物進呈』だッ!!」
誰が叫んだとも知れない悲鳴染みた叫び声が、その戦いの戦端となった。
爪、牙、獲物を前にした歓喜の咆哮に立ち向かうため、戦士たちはそれぞれの武器に手をかける。
未だかつて経験したことのない『悪』との、『本気の殺し合い』を始めるために。
= =
オーネストの握る剣は、一部の例外を除いて殆どがが鍛冶神ヘファイストスお手製の最上級品だ。
耐久力も切れ味も通常の剣と比べて段違いに高く、その外装に至るまですべてが超一流の洗練された仕上がりになっている。事実、晒された刀身は一日手入れを怠ったにもかかわらず眩い煌めきを放っている。
「―――………」
その剣を静かに砥ぎ、磨いていく。
昔は安物を使っていたが、あっという間に折れて肝心な時に使い物にならないから使用をやめた。実用に耐えうるだけの剣をきっちり用意してくれる鍛冶屋は、今やこの界隈ではヘファイストス・ファミリアしかない。
シユウ・ファミリアも多少は面倒を見てくれるが、あそこは「守り」の剣は得意でも「攻め」の剣では少々よその一流に劣る。どう使っても手に馴染まなかった。
この剣に銘はない。
何故なら、これは激しすぎる戦闘スタイルに耐えられずに次々折れていく使い捨てだからだ。普通、上位の冒険者にもなると世界に唯一つの専用剣を作ってもらうことも多い。そんな中でも上位冒険者のそれと遜色のない性能を誇る剣は――それでも、オーネストにとっては使い捨てに過ぎない。
剣は心を映す鏡、脆い心で振るう剣は脆く崩れ去る。
だが、自分の剣が折れる理由はそうではない、とヘファイストスは語った。
『あなたの余りに強固すぎる意志に、剣がついていけないのよ……文字通り、身が持たないってこと』
『だから身を護る盾と鎧を持て――か?馬鹿馬鹿しい』
『真面目な話よ』
ハイポーションを使用しても尚完全には塞がらない傷を抱えてベッドに寝かされるオーネストに、眼帯の神は真剣な表情で告げた。
『いくら機動力確保のための軽量化って言っても限度があるでしょう。ガントレットに四肢を守る最低限のプロテクター、それに改造脚鎧だけなんて装備してないのと同じよ?』
『プロテクターも脚鎧も防御用じゃねえ、素手でやる時の為の武器だ。それに、その程度の軽装ならその辺にごろごろ転がってる』
『その辺に転がってる戦士ならそれでいいでしょうね。でもあなたは違う。砲弾のように敵陣に真正面から突っ込んで攻撃を真正面から浴びながら、それでも打倒せしめんと雄叫びをあげるあなたは違う。受け止めることが前提の無謀な戦いには、その無謀から身を護る鎧や盾が必要なことぐらいわかっているでしょ!?』
俺の戦い方も知らないくせに、とも思ったが、体と装備を見れば鍛冶屋には戦い方の想像がつくのだろう。俺の戦いを又聞きして情報を擦り合わせれば、後の光景は勝手に目に浮かぶ――そういうことだ。
この神にはいつも心配ばかりをかけている、のだろう。いつもいつも、こんな自殺者紛いのくそがきのために時間を割いて剣を精錬しているのだ。代金も馬鹿にならないだろうに、一度も料金を請求してきたこともなければ金も受け取らなかった。
それに負い目があるのかと言われれば違う。自らの戦い方にも生き方にも一片の曇りもない。
ただ、オーネストはヘファイストスを知っていて、ヘファイストスはオーネスト『と名乗る前』を知っている。だから、特別な感情は拭えなかった。何も信じないとあの日の夜にのたまったくせに、愚かしいことだ。
内心で自嘲しながら、オーネストは首を横に振った。
『堅牢な鎧も盾もデッドウェイトだ。下層の魔物の速度に対応できなくなる』
『それは、貴方が下層の魔物と戦えるほど強くないからよ――気付いているんでしょう?自分が想像以上に脆い存在だって』
『そっちこそ、気付いてるんだろ。鎧だの盾だの、そんな装備が俺に馴染まないであろうことを』
『………そう、ね』
鍛冶の神は、燃えるように赤い髪を弱弱しく揺らして悲しそうに瞼を閉じた。
一度、彼女から『不壊属性』の剣を手渡された。
驚くほど手に馴染まなかったので、生まれて初めて装備を彼女に突き返した。
彼女はどこかそれを予想していたように『やっぱりか』と一言漏らし、そのまま剣を抱えて工房へ戻ってしまった。今になって思えば、守りの究極系である『不壊属性』との根本的な相性の悪さに気付きつつも、あれで身を守ってほしかったのかもしれない。
彼女のそれは、あの時と同じ目だ。分かっていても、問わずにはいられない者の目だ。
『………戦いは向いていない、って言っても貴方はダンジョンに行くのでしょうね』
『ああ、そうだ』
『………ごめんなさい』
『なんでアンタが謝る』
『………そう、ね』
そして彼女はいつもこう続けるのだ――それでも私は心配なの、と。
――あれだから、俺はあの人が苦手なんだ。
そう内心でぼやきながら、オーネストは剣の手入れを終えた。
ヘファイストスはこちらが戦いを止めないだろうと分かっていて尚、それでもこちらを止めようとする。それは『あの人』の遺した言葉のためであり、かつてあの人の家に足を運んで遊んだ『誰か』の面影であり、そして彼女自身が生来持ち合わせる直観の導き出した『彼は戦うべきではない』という確信があるからだ。
ヘスティアはまだいい。炉の神とは帰るべき場所の神だ。だから彼女は招き入れることはあっても、去る者の後ろ髪を引くことはしない。彼女もまたヘファイストスと同じではあるが、結論が微妙に異なっている。
ヘファイストスの答えが『諦めない』ならば、ヘスティアの答えは『次を待つ』だった。次とは、今までにない変化のきっかけ。北風と太陽で例えるならば太陽に近いが、訪れるかどうかもわからない未来を待っている。
ふと、自分がとりとめもなく昔ばかりを掘り返していることに気付き、うんざりした様にため息を漏らす。
(………あいつと会った所為か、余計なことばかり考える)
あいつと出会うといつもそうだ。嫌なことばかり思い出して、機嫌が悪くなる。あいつの言葉一つに、行動一つに、ひどいもどかしさを感じる。なのに現実はどうだ、それを吐露しなければ止めようともしない半端な自分がいる。
(俺は………俺は、オーネスト・ライアーだ。偽りの中でも曲げられない意志を貫き通す存在だ。なのに――俺は過去と未来のどちらに生きているんだ?過去が現在を作ったのに、何故過去から現在を切り離す事に躊躇う)
そういえば――ともう一度過去を振り返ると、そこには2年前に現れたもう一人の異端者がへらへら笑っていた。あいつと出会った頃も、多かれ少なかれ似たようなことで思い悩んでいたような気がする。なのに、あれが隣にいる時の俺はそんなことを考えていなかった。
今、俺の近くにいるのはヴェルトールとウォノだ。あいつではない。
その事実に、オーネストは内心で小さな落胆を感じずにはいられなかった。
あいつなら――俺に「答え」を教えてくれたのかもしれないのに。
「―――………?」
思考を一気に現実に引き戻したのは――微かに鼻腔を突く嗅ぎ慣れた臭いだった。
これは植物系の魔物特有の青臭く埃っぽい異臭。この階層では決して嗅ぐ機会のない筈のものだ。臭いの元を確認してみると――ちょうど奥の階層へ続く階段の方向から凄まじいスピードで気配が近づいている。
一瞬敵かとも思ったが、その気配には覚えがある。
「おい、ヴェルトール。やんちゃ姫が戻ってきたらしいぞ」
「んがぁ~……ぐごぉ~……ふごっ、…………………………」
『むおっ!?主様の呼吸が止まった……これが噂の呼吸法、『武故級将郷軍』か!?」
「それは呼吸法でも何でもねぇよ……起きろオラァッ!!」
「げばふぅッ!?ねねね寝込みを襲うとは卑怯ナリよっ!?」
「何キャラだてめぇは……」
思いっきり横っ腹を蹴り飛ばしてみると、ヴェルトールは見事に呼吸を再開しつつ意識を覚醒させた。この男に思いやりは不要である。何故なら思いやることが面倒だし、する義理も理由もないからだ。
小さなうめき声をあげながら体を起こすヴェルトールだったが、その体に次なる試練が迫っていることに不幸にも彼は気づかなかった。――彼の体に、件のお姫様ことドナの空を切り裂く頭突きが迫っていたのである。
「んマスタぁぁぁぁ~~~~~~ッ!!!」
「おぶぼばぁッ!?馬鹿な、オーネストに蹴られた場所にピンポイントロケット頭突きダトォッ!?モウヤメルンダッ、俺のレバーが持たないから!!」
「そんなこと言ってるバアイじゃないの!!ヘンタイなの!!」
「変態………人形フェチの変質者か?」
「あ、ゴメン!タイヘンのマチガイだった!!……とっ、ともかくリージュ達がタイヘンなのよ!!」
焦るあまり大変な間違いをしてしまったドナの慌てぶりに何事かと驚くヴェルトールだったが、次の瞬間に顔色が変わる。
「リージュ達が『ぱすぱれーど』とかいうのに巻き込まれてタイヘンなの!!なんかスッゴい沢山のマモノとかブンレツするマモノがいーっぱい押し寄せて逃げられなくなってるの!!なんか白いヘンな人も暴れてるし………お願い、助けに行くのを手伝ってよマスター!!オーネストもお願い、リージュを助けてッ!!」
「―――………」
また、リージュの名を聞いた。
緊急事態に対する戦意が薄れるのを感じる。
同時に、心の中にある形のないわだかまりが膨張するのも、また同じように感じた。
今、わだかまりが増えたのは何故だろう。あいつを助けたくないから増えたのか、助けたいから増えたのか――助けたい?この、俺が?違う、そんなのはオーネストのやることではないし、考えることでもない。
自分で自分が観測できなくなっていくように、頭の中が揺らぐ。
俺は気に入らないものをたたきつぶす存在で、救う存在ではない。
俺の流儀に反する。
俺のやらないことだ。
そう、分かっているのに。
なのに俺の心が揺れるのは、何故だ。
こんなとき、アズライールならどう考えるだろうか――
(いや、よそう。………くそっ、あいつのことを考えたら逆に頭が醒めちまった。『告死天使』は頭にぶっかける冷水替わりにもなるらしい)
一緒に行動しなくたってあれは人を助けるつもりらしい。
そんな冗談を自分で皮肉りつつも、小さく感謝した。
俺の行動は俺が自分で決める。分からないことを他人に聞くのは無知で自我の希薄な存在がやることだ。今、ここでオーネスト・ライアーという男の取る行動を他人に委ねるなどという発想そのものが、俺自身が下らないことに拘泥して真実を見失っていることに他ならない。
真実の見えない時に行動するのならば、どう判断する。
答えは決まっている。分かり切っている。もともと、究極の判断基準は『それ』だろう。
「………ヴェルトール、行くぞ」
「おうよ!ここで助けたらあっちのファミリアの女の子にモテモテの救世主になれるかもしれんからな!気合入るぜぇ~!!」
「…………………」
「ああちょっと!?いくら付き合うのが馬鹿らしいからって罵倒すらなしで勝手に行っちゃうのはヒドイんじゃない!?」
ドナとウォノを荷物袋に格納したヴェルトールの情けない声を背中に受けながら、オーネストは静かに、自分に言い聞かせるように囁いた。
「俺は、俺のやりたいときに俺のやりたいことをやる。何物にも邪魔はさせないし、邪魔する奴は踏み潰す。俺は――俺がこんなにもおかしくなる理由を知るために、原因を調べる。そして――俺の調べものに手を出す奴は例え神であっても決して許さない」
今、この瞬間。
孤立無援の『エピメテウス・ファミリア』の元に、この街で最も凶暴な援軍が進撃を開始した。
後書き
つまりそう、オーネストはツンデレなのです。
そういえばこの小説、連日ランキングに載ってる割には別に点が入ってる訳でもないんですよね。ランキングの選考基準変わったんでしょうか?それとも上位と下位の差が両極端になりつつあるのか……。
14.氷獄領域
この世に生きとし生けるものの究極の目的とは、種の繁栄だ。
単細胞生物の分裂に端を発するそれは、三大欲求をも支配している生物的に重要なファクターだ。食事も睡眠も、その先が生物種としての子孫繁栄に繋がるからこそ、生物は今まで自らの遺伝子を受け継いだ個体を数多く後世に残してきた。
だが、世界のすべてがこの理の元に動いている訳ではない。
例えば、神は違う。
神は律する側であり、理を創造する側であり、存在そのものが理だ。
個にして完成形。究極にして無比。故に、生きる死ぬではなく『存在している』もの。故に自らの情報を基に子孫を残すという概念はあっても、必要性がない。何故ならその存在は天界にいる限り損なわれることがないからだ。
そしてもう一つ、魔物もまた違う。
生物が他の生物を襲う原理の奥には生存競争がある。ナワバリとは餌と安全をより多く確保するために存在するし、命に牙を剥く理由は打倒した相手の血肉を我が物にせんと欲するから。つまり生物が対象を襲うのは食べていくためという側面が大きい。
だが、魔物はそれに当てはまるようで当てはまらない。食物はいつでもダンジョンそのものが与えてくれるし、子孫繁栄とて個体同士で番を作らずとも勝手に生み出される。ダンジョン外では自らの魔石を分割することで細々と個体数を増やしたようだが、増やすたびに魔石の力が減少して個体ごとの戦闘能力が落ちている。生物の繁栄方法としては大きな欠陥だ。
理から外れながらも生物的な面影を残す魔物は、通常の動物が絶対にしない行為を行う。
――殺戮。
食べるわけでもなく、ナワバリを確保するわけでもなく、ただただ敵意と殺意を持って近づいた生物を殺傷する。つまり、それは何ら生産性のない単なる破壊衝動にのっとった行為だ。
ダンジョンは神を憎んでいる。
故に、ダンジョンの申し子たる魔物たちも神の先兵を憎む。
そんなことを語ったのは、果たしていつの時代の誰だったろう。
本当にそうとは言い切れない。魔物の中にも調教できる存在はいるし、中には限りなく人間に近い知能と理性を持った存在も――これは本当に稀だが――存在する。しかしそれでも、魔物たちが意味のない戦いに興じる存在であるのは確かだ。
いや、それとも魔物は人間たち敵視する明確な理由があるのかもしれない。
魔物を除けばこの世界で唯一、彼らと同じく『殺戮』という文化を持った存在――人間と、人間にその文化を与えてせせら笑う、天上の神々を敵視する、理由が。
悲鳴と怒号が飛び交うダンジョン22階層において、『エピメテウス・ファミリア』の魔物の軍勢の戦いは膠着状態に陥っていた。それも、魔物側の優勢という形で。
植物魔物の特徴は、その特殊な形状から繰り出される変則的な攻撃だ。本来ならばそれに加えて待ち伏せ型の擬態性を加えなければいけないが、この乱戦の中では待ち伏せも何もあったものではない。歩行可能な植物型魔物の波状攻撃に、ファミリアたちは段々と動きに精細さを欠き始める。
樹木型魔物のミドル・フルオンの馬鹿力と耐久力。
蜂型魔物のデッドリー・ホーネットによる一撃離脱の速度。
茸型魔物のファンガス変異種による胞子分裂。
開戦当初こそ植物以外のリザードやゴブリンなどが見られたが、第一波を全滅させたタイミングで別の白装束がフルオンを引き連れ乱入。更にはファンガス変異種が後方に陣取って空間を埋め尽くしてくる精神的圧迫を加え、さらには乱戦のせいでデッドリー・ホーネットへの迎撃が間に合わずに毒針を防ぐので精いっぱいだった。
攻城隊の強固な盾と鎧にミドル・フルオンの拳が叩き込まれ、凄まじい衝撃に揺さぶられた隊士が悲鳴を上げる。
「ぐおおおおおおおッ!?と、投射隊!!援護はまだかぁッ!!」
「無茶言わないで!こんな物量を押し付けられたら魔力が持たないってば!!」
「慌てるなッ!!投射隊は速やかに前方2時の方角にいるフルオンに集中攻撃せよッ!!私は引き続き退路確保に動く!焦らずに行けッ!!」
投射隊の攻撃はこのような乱戦の中では非常に強力だが、同時にどこに打っても当たるために消耗の加速が顕著になる。相手にするターゲットがあまりにも多すぎて攻撃が追い付かないのだ。更に攻城隊の上を潜り抜けて奇襲を仕掛けるデッドリー・ホーネットの迎撃に遊撃隊が駆り出されるために射線の確保がシビアになっている。
結果、本来なら遊撃隊がするはずだった「隊後方の守り」と「退路確保」の仕事をリージュが一手に請け負うことになってしまった。最大戦力である彼女が正面に攻め込みたいところだが、そうはいかない事情があった。
隊の後方を、魔物を引き連れた白装束に陣取られた。
今、リージュは思うように身動きが取れない。その理由は言うまでもない、唯でさえ前方を塞がれて疲弊したファミリアたちが後方から攻撃を受けたら戦線を立て直せないからだ。
「『エピメテウス・ファミリア』の『酷氷姫』――お前を殺せばオラリオに少なからぬ影響が出る」
「貴様がファミリアの新人達を引き連れて実地訓練をしていることは調査済みだ。そして連れている新人たちがレベル1~2程度の『足手まとい』であることもな」
「故に、入念な準備をすれば貴様を逃げられない状況に追い込むことなど容易い。――そう、ファミリアを人質にしてな」
「………よく回る舌だな。そんなにも削ぎ落して欲しいのなら削いでやろうかッ!!」
深く構えた刀を刹那の間に抜き放ち、白装束の喉元を容赦なく狙って引き裂く。
宣言通り舌が――上顎ごと一撃で両断されて宙を舞う。
その瞬間、左右を数十にも及ぶウルフ系の魔物が凄まじい速度で駆け抜ける。普通に冒険するだけでも十分な脅威たりうる暴食の獣達をこのまま放置すれば、連中は後方で援護する投射隊に牙を剥くだろう。
――が、その行動自体は読めている。
「凍てつけ………『氷造』――アッパーニードルッ!!」
魔力で生成された氷槍が無数に地面から突き上げ、魔物の無防備などてっ腹を正確無比に刺し貫く。
「ギャウッ!?グギャァァ……―――」
飛び散る鮮血すら瞬時に凍り付く冷気に、獣の断末魔さえも凍てついた。
ダンジョンに胴体を貫かれた獣の氷像がずらりと立ち並ぶ。
地獄――ふとそんな言葉が頭をよぎるような、残虐な光景だった。
その、隙間を。
通り抜けようと疾走した白装束の男の喉を――虚空を切り裂いた氷柱が貫いた。
一撃で喉を潰され、瞬時に血液は凍結し、衝撃で首がぼきりと折れた。
確かめるまでもなく、即死だ。
人間を殺した――とは考えない。何故なら、これらは『既に人間ではない』から。
ドナからのヒントを覚えていれば簡単なことだった。最初の一人を即死させずに服を割くように斬り裂いてみれば、その胸には魔物を象徴する魔石が埋め込まれていたのだ。すなわち、この白装束達こそが『魔物人間』と呼ばれる存在なのだとすぐに気付くことができた。
まだ魔物人間とは何かが分からない。だが、少なくとも相手がすでに人間と呼べない存在であるのならば、手加減も容赦も必要ない。どちらにしろファミリアに害を為すのならば殺害もやむなしとは思っているが――それでも、多少は罪悪感を和らげてくれる。
白装束は、魔物と仲間が氷像になり果てる光景にさしたる感傷も抱いていないかのように平然としていた。それもそうだろう――既に彼女の周囲には、一撃で殺された魔物と白装束で屍山『氷』河が築かれているのだから。
「……ふむ、その反応速度は流石だと言っておこう。だが、果たしてお前の魔力はあとどれほど持つのかな?これ以上の魔物の発生を防ぐために『周囲一帯のダンジョンの壁を凍結させる』とはさすがに予想外だったが、結果として計算よりを力を消耗させる過程を短縮できた」
「これで計画を大幅に短縮し、奴をおびき寄せる。『彼女』の憂いは我らが絶つ」
「その為に――最初の生贄を捧げる必要があった」
淡々とした喋り方が余計に癪に障るが、向こうの思うとおりに事が運んでいるのは事実だった。
このオラリオでリージュだけが実現可能な方法――発生源であるダンジョンそのものを凍結させて魔物の発生を一時的に封じること。現在、『エピメテウス・ファミリア』の周囲に存在する魔物の発生源たりうる部分は、その全てがリージュただ一人の放った凍気で封じられている。
ただ、それを行う代償として彼女は相当な量の魔力を糧にする。合間を縫ってマジックポーションを呷ってはいるが、その消耗は既に看過できない段階へと迫りつつあった。恐らくは持ってあと十数分――いや、それだけならばまだいい。魔力は別として体力ならばまだ余裕はある。
だが、あちらはリージュと戦うことを前提に戦略を組んでいるためか、戦力を小出しにしてかなりギリギリの間合いで距離を取りつつ突破を図ってくる。魔力が切れれば一斉に迫り、リージュが切り伏せられる許容量を突破して魔物相手に悪戦苦闘するファミリア達を一斉に食い潰すだろう。
事ここに至って、仲間は足手まといだった。
何よりあの白装束――恐らく推定レベルは3~4程度であることに加え、体に仕込んだ爆薬による特攻を仕掛けてくる。確実に詠唱を行う喉を潰さなければリージュとてただでは済まないのだ。命を捨てた人間爆弾に殺到されれば、全てを切り伏せるのは難しい。
(死兵――自分の死を織り込み済みで組み立てられた戦術。わたしだけが逃げに回れば命は助かるが、このまま事が運べばファミリアに確実な犠牲者が出る……!!)
ここまでの戦略。魔物化した肉体。
更に魔物を従え、変異種まで連れてくるという数と種類の優位。
このダンジョン内に魔物がほとんど発生していなかったのは、大量に集めた魔物を襲撃のためにどこかに伏せていたからだ。しかも、この『エピメテウス・ファミリア』の『酷氷姫』を確実に始末するために。
(まだなの――ドナ。それとも途中で連中に見つかって……駄目だ、今は弱気になるな。彼女を信じた私の判断を、今は信じるしかない)
もう状況は限りなく詰みに近い。
だが、乱戦が本格化する前にリージュは賭けをした。
旗色が悪くなった時点で、リージュはあることを思いついたのだ。それが、ドナに援軍を呼びに行かせることだった。彼女の存在を悟られないため、ダンジョンの壁を凍らせる際にわざと派手に氷雪をばらまき、その視界の悪さを利用して彼女に行かせた。
最初は共に戦うと言っていた彼女だったが、彼女一人の協力でこの場を乗り切れる可能性は限りなく低い。だから、時間がかかっても援軍を呼ぶように言い聞かせて何とか納得してもらった。
代償は高くついたが――この状況を乗り切れるなら安いもの。
この乱戦でも問題なく戦える戦闘能力を持ち、22階層まで短期間で来られるフットワークがあり、なおかつドナの言葉に最も耳を貸してくれそうな存在――『ゴースト・ファミリア』。
本当ならば彼らのような実態も得体も知れない存在に助けを求めるのは、秩序側に属するものとしては失格だ。それでも――自分の顔に泥を塗って部下が助かるのならばそれでいい、とリージュは思う。
それは責任感とか立場とか善意とかそういうものではなく、彼女自身がそうすると決めた不文律だ。
かくあるべきという方向だけを見据えて愚直に進む。たとえ無理があっても、進む。
それは、あの日の夜に届かなかった親友の背中を追いかけているだけなのかもしれない。
それでも――裏切った友達に首を垂れる恥知らずな真似をする結果になっても。
(アキくん………ううん、オーネスト。あなたは私を赦してはくれないかもしれないけど――わたしにはこのファミリア全員を生かして帰す義務があるの。だから――!!)
後方から悲鳴が上がる。もうポーションも毒消しも数が持たないのだろう。
精神的にも体力的にも、極限の状態。崩れかけたレンガの家。
あと一押しで崩壊する――その刹那になって、リージュは祈るように刀を強く握りしめる。
だが――現実はいつも冷たくわたしたちを突き放す。
「――隙ありだ。お前も『祝福』を受けろ、『酷氷姫』」
虚空から、その声は唐突に響いた。
瞬間、衝撃。
「かっ、はッ!?」
鼓膜を突き破る大音量と衝撃が、リージュの体を軽々と吹き飛ばした。
自分でも気づかぬうちに疲労を我慢していたのか、受け身を取る暇もなく体が地面に叩きつけられて跳ねる。落下の反動に全身をシェイクされ、壁に背中が当たって体が止まった。
必死に呼吸しようとするが、横隔膜がうまく動かない。
視界が歪み、全身の痛みが熱いのか寒いのか、感覚が曖昧になる。
ただ、隙を見せてはいけないという本能的な防衛本能が、刀だけは離さず握らせていた。
「がはっ、ゴホッ!!ぁ……ゴホッ、ゴホッ………!?」
何が起きたのか――動かなくなった体を無理に動かそうともがいたリージュの鼻先に、からん、と音を立てて小さな兜が転がった。地の底に沈めたような漆黒の上に血潮と脳梁のこびり付いたそれが、リージュに真実を告げる。
(ハデス・ヘッド――確か、体を透明化させるマジックアイテム………そういう、ことか)
最初から使わなかったのは恐らく数がなかったから。こちらを消耗させて、単なる物量作戦と思い込ませた上での奇襲。魔物をけしかける度に少しずつ注意を反らしながら近づき、極限まで気配を消してあそこまで近づいていたのだ。
近づきさえすれば自爆の爆風を浴びせるのは容易。
命一つを犠牲にして、連中はまんまと大金星を挙げた。
一体どこでこんな代物を――と考える余裕さえなかった。
いや、もう思考能力がほとんど残っていなかった。
耳が馬鹿になったせいで音で気配を察知できない。
目も爆発の衝撃で使い物にならなくなった。
呼吸は乱れ、自分の呼吸で喉を詰まらせそうなほど、ひゅうひゅうと喉から空気が漏れる
このままでは敵を、通してしまう。
蹂躙される――皆が、理不尽に。
それを防ぐために自分がいるのに。
(戦線………維持しなきゃ。わたしがしなきゃ……)
肉体を無理やり動かすのは、熱に魘されるような衝動。
前へ――前へ――あの日から、決して鳴り止む事のない叫び声が背中を押す。
(立たなきゃ。立って戦わなきゃ、負ける)
ずたぼろの肉体で必死にもがいて、立ち上がることに失敗してまた地面に転がる。何本骨が折れていて、どこから血が出ているのか正しく認識できず、平衡感覚さえ曖昧なままにもう一度立ち上がろうとして――また落ちる。
遠のいていく意識の中で、それでも前へ、と呟いた。
視界が赤く濁り、片耳からごぼごぼと異音がする。
でも立たなきゃ。
皆に情けない姿を見せては、弱さを隠しきれない。
頭が痛い。足は感覚がない。腕が震える。
でも立たなきゃ。
戦いとはそういうものだ。立っていないと勝つことも出来ない。
もう、諦めるべきかもしれない。援軍は間に合わないか、そもそも来ない。
でも立たなきゃ。
何のために立つんだっけ。
えっと、そうだ。
アキくんを――アキくんを追いかけるために、前へ進むって決めたんだ。
遠ざかる背中、遠のく思い出、離れていく距離。
それ以上離れれば、永遠に途絶えてしまうと思ったから。
刀を地面に突き立てて、何とかまっすぐになろうとして、バランスが取れずに前のめりになって。
誰かに、ぶつかった。
ぶつかった誰かからは、とても懐かしくて安心する匂いがした。
誰かは、優しくわたしの体を受け止め、硝子細工を扱うようにそっと地面に寝かせた。
「――馬鹿が。足が折れてんのに立てる訳ないだろ。お前は昔から出来ないことまでやろうとする………悪い癖だ」
「あ……き、くん……。わたし、進まなきゃ――」
「寝てろ、邪魔だ。――特別に、あとは俺が片付けてやる」
それを期に、途切れかけていたリージュの意識の糸はぷつりと途切れた。
= =
その時『エピメテウス・ファミリア』はそれを確かに目撃した。
自分たちがずっと苦杯を舐めさせられていた魔物の大軍が――嵐のような剣に次々粉砕されていく様を。まるで意志を持たぬ天災のように暴威をふるって進路のすべてを薙ぎ倒す『それ』は、瞬く間に群れを成していた魔物の実に7割近くを惨殺し、反応する暇もなく彼らの横を通りすぎた。
『それ』は余りにも速すぎたが、ファミリアたちの一部は辛うじてその正体を垣間見た。
地獄から解き放たれた獣のように荒々しく剣を握った、その男を。
「今の……『狂闘士』………!?」
「は……?おい、冗談だろ?こんな――稲穂を薙ぎ倒すような速度で魔物を殺せる人間なんている訳が……!!」
「で、でもよう!あれは『狂闘士』だったぜ!?」
「――いや、それが出来るから『狂闘士』ってことか………俺たちとじゃ、格が違うんだな」
どうして、その力が自分たちにないのか。
圧倒的な力の差を前に、全員が内心でひそかに同じことを悔いた。
だが、彼を目で追いかける暇はない。先ほどの嵐でフルオンの壁が崩れた。ホーネットもパニックを起こして動きが鈍っている。回復が望めない今、増殖するファンガスを叩くために今は攻めるしかない。同時に、全員が内心では一つのことを願っていた。
もしも、後方で団長が手古摺っているのならば――どうか彼にはそちらに手を貸してほしい、と。
先ほど、後方で巨大な爆発音があった。ファミリア達はその音が何なのかを確かめなかった。
理由は二つある。一つは魔物の隊列を前に後方確認をする余裕はなかったから。
そしてもう一つの理由は――リージュが「後ろはわたしがやる」と言い、その後指示がないからだ。
つまり、今、ファミリア達は決して隊列を崩してはいけないのだ。
やれと断言し、追う指示がないということは、つまりそれが最善の行動なのだ。
『戦争遊戯』に於いてただの一度の敗北も無い彼女の雄姿は、団員の誰もが目に焼き付けている。雪のように純白で、女王のように威厳に溢れ、ほかの誰よりも勇ましい団長の姿を信じている。そんな彼女が何も言わないのならば、最善なのだ。
――事実、彼らの考えは結果的に正しかった。
もしも爆発のタイミングで彼らが後ろを振り返れば、全身から血を垂れ流す団長の姿が目に映っただろう。そうなってしまえば辛うじて保たれていた指揮は崩壊し、オーネストが訪れる前に死人を出していた。最初から彼らは振り返ってはいけなかったのだ。
だが、それでも――彼らは心配だった。
最強だと信じているからこそ、最強でない自分たちのせいで彼女の華奢で美しい体に傷をつけてしまうのではないかと不安を覚えていた。
だから、彼らは例えその判断が間違っていたとしても――オーネストに後方を託して前に進んだ。
「攻城隊、構え!!次の突撃で突き崩せよおぉぉぉッ!!!」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
限界を迎えつつある彼らの死力――火事場の馬鹿力を乗せた突撃鎗が一斉に突貫した。
――その、後方。未だ増殖を続ける変異ファンガスの後ろで。
『……リージュ、ダイジョウブよね?死んだりしてないよ、ね?』
「オーネストが助けるっつったんだから助かるだろ。あいつ無理とか道理じゃなくて『こうすると俺が決定したんだから世界はそれに従え』って奴だし」
さっきから八の字眉で固定されてしまったドナのおでこを、ヴェルトールは優しくなでた。
その感触を受け入れるように目を細めた彼女は、冷静さを取り戻したように一つ頷く。
『……そうだよね。マスターの認めたイジッパリだもん。きっとオーネストに任せればダイジョウブ!!』
『では主様、拙者達も続きましょうぞ』
「おうよ、そうさな――オーネストだけに格好いいところ見せるのも癪だし、暴れますかッ!!」
ヴェルトールは両手にジャマダハル・ダガーを。
ドナは両手にカミソリのような形状の剣を。
そしてウォノは琥珀色の宝玉が埋め込まれたロッドを。
「『アルル・ファミリア』副団長!!『人形師』ヴェルトールッ!!わが勇猛なる作品達、ドナとウォノを引き連れて……いざ参るッ!!」
『サツリクのウタゲだぁぁーーーっ!!』
『主様の御前であるッ!!控えおろうーーーッ!!』
増殖を続けた変異種ファンガスの群れに突進した3人は――瞬く間に化け物どもを食い尽くした。
後書き
リージュの固有魔法『絶対零度』は没倉庫時代の設定がアレだったのでアイズの魔法に近い感じに修正しました。ただし、氷の造型による汎用性と引き換えに凄く消耗が激しいです。というか前の設定にきっと無理があったんですよね。
ちなみにリージュの二つ名は『雪妖精』とどっちにするかちょっと迷いました。
フルオンとファンガス変異種はこの小説オリジナル。
ふと気が付くと『穢れた精霊』の一派がメチャクチャ荒ぶってました。荒ぶってる理由はアズを怖がった『穢れた精霊』がビビる余りに手下が焦って暴走してるんですが。つまりすべてはアズのせいです。
次回、オーネストが「お、おう」ってなるの巻。
15.誰ガ為ノ虐殺
前書き
・どうでもいい話
『酷氷姫』とか書いてますが、キオネー(ギリシャ神話に登場するダイダリオンの娘)は別に冷酷とか氷とか関係ないです。ただ単に美しく傲慢なる者→態度がでかい→ドギツイ性格という発想です。
ちなみにこの人、神話の上ではヘルメスとアポロンとの間に子を宿してますが、本作では二柱と特に接点ありません。というか神話通りにしたらヘルメスが睡眠姦好きのレイパーになっ(ここから先は神聖文字になっていて解読できない)
ドナとウォノ――世界を知らぬ片翼の天使人形。
その精緻極まる造形は、正に天使と呼んでも差し支えない完成された美。
もしも僅かでもマジックアイテムの造詣が深い者がその姿を見れば、いくらの富と代償を払ってでも手に入れようとするであろう。もしも美術に並々ならぬ関心がある者なら、プライドや地位をかなぐり捨ててでもそれを求めるだろう。それほどまでに彼らは奇跡的な存在だ。
しかし――それを力づくで奪うことは決して叶わない。
何故ならば、完成されたふたりはその戦闘能力も完成しているのだから。
『やっはー!!キノコ狩りだぁぁ~~~!!』
その小さな体躯に不釣り合いなカミソリのような剣を両手で抱えたドナが、残像の見える速度で魔物の群れに突進し、遠心力を乗せた刃がファンガス達を襲う。僅か一瞬の間に彼女の剃刀剣が星の瞬きのように煌めき――直後、十数にも及ぶ魔物のスライスが周囲にぶちまけられた。
『ヒッサツのぉ――アストロジカル・スラッシュなのだ♪』
一瞬の煌めきの間に12回に亘って振るわれた音速を超える刃を避ける術など、ファンガスが持っているはずがない。しかもその刃は全てファンガス変異種のコアである魔石を正確に切り裂いている。
並みの冒険者では決して実行不可能な反応速度を持つドナの前では、『高々22階層前後の魔物など動く的でしかない』。
そしてそれはウォノにとっても同じことだった。
『破邪顕正の極光にて仏の元に召されるがよい!!一霊四魂の理――『荒御魂』ッ!!』
ウォノの掲げたロッドから真っ赤な魔力が噴出し、魔物を追尾する閃光の矢となってダンジョンに降り注いだ。魔物の体を地面ごと次々に穿つ赤い雨に、魔物は為す術もなく蹂躙され次々に薙ぎ払われてゆく。
大規模な空間攻撃で潰すのではなく、一体一体を正確に刺し貫く貫通力と驚異的な操作性。例え魔術に秀でたエルフであっても、この光景には唖然とするだろう。それだけ複雑で高度な魔法を、碌に詠唱もなしに行使しているのだ。
しかも、この二人は触れた魔石から自らの体にエネルギーを取り込む性質があり、ドナは切れば切るほど――ウォノは攻撃魔法を通して必要なエネルギーを補充している。つまり、二人には『人間と違って体力切れがない』。
はっきりと断言するならば――彼らは既に人間を超えていた。
「……あの子たち、かわいいな」
「……ああ」
「……俺たち、頑張ったよな」
「……ああ」
「……俺たちの貢献度、あの子たちの何分の一だろ――」
「それ以上、いけない」
身長が自分たちの三分の一以下というチビ人形たちが、自分たちが散々苦しめられた魔物たちを次々に駆逐していく。その常軌を逸した光景は、身も心もボロボロになった彼らの大切なものを崩していく。プライドとか自信とか、そのようなアレを。
どうやらファンガス変異種は凄まじい速度で魔石を分裂させる特性があったものの、魔石分裂によって個体の力そのものは弱まるらしい。それでも倒された魔物の魔石を回収して個体能力を取り戻す厄介な性質があったようだが、ドナとウォノの敵ではない。
一方、一通り厄介な魔物を始末し終えたヴェルトールは数だけ多いファンガス変異種の処理を二人に頼み、自分はボロボロの『エピメテウス・ファミリア』に無料でポーションを配っていた。
「いやぁ、創造主より強いから喧嘩すると負けるんだよね~……あ、ポーション飲む?」
「えっと、いただきます………ってアレ、なんか瓶が小さいんですけど」
「濃縮ハイポーションだから少量でも効くんだぜ」
「ちょっ、メチャクチャ高級品じゃないのぉッ!?」
「ほかのみんなもご一献どうぞー!これ全部オーネスト用のだから今日のコレはオーネストの奢りだぜ~~!!」
「自分の懐にダメージがないのをいいことに大盤振る舞いし始めたコイツぅぅぅーーーッ!?」
ちなみに濃縮ハイポはアズが手作りしたアイテムである。本人曰く「小型化を目指した結果コストダウンに失敗したので原材料費が高い」とのことだが、「市場のハイポーションより高い」のではなく「現地調達できない材料に金をかけたから高い」のであって、原価はハイポ以下である。
加えるなら、ハイポーションをさらに濃縮したらそれはもう簡易エリクサーのレベルだ。そんなものを調合できるくせに薬の作成は趣味でしかないのだから、全国のポーション調合師は泣いてもいいと思う。
しかし、ポーションを受け取ったり遠い目をしながらも隊列を崩さない彼らの生真面目な『エピメテウス・ファミリア』の団長はどうなっているのか。ヴェルトールは後ろを振り返れない彼らの代わりに背後に広がっているであろう惨状を確認しようとして――耳障りな羽音に顔を顰めた。
「オーネストの方は………――っと、お邪魔虫がいるな。お前さんはお呼びじゃないよ?」
ヴェルトールの左手に握られたジャマダハル・ダガーがぶれる。
その直後、上方から飛来したデッドリー・ホーネットがバラバラに『解体』されてボトリと地面に落ちた。眼球、触覚、羽、胴体の節、足、そして毒針に至るまでが丁寧にバラされ、そのまま持ち帰って組み立てれば標本になるほどに無駄な破壊がない。
片手間で手遊びをするように惨殺死体を作り上げたヴェルトールの手には――いつ、どのタイミングで抉り出したのか魔石が握られていた。
その異常性に、ファミリア達は戦慄する。
(これが『ゴースト・ファミリア』………今の一瞬で殺したのか)
(違う、殺したんじゃない。『遊んだ』んだ……戦いにすらなっていない)
(か、格が違いすぎる――この高みに至るまで、私たちはあと何年修行すればいいの……?)
想像を絶する実力。「無法者の集まり」などと甘く見ていた連中の本当の力。
その場の誰もが、おのれの傲慢と実力不足を叩きつけるように思い知らされた。
――本当の高みはヴェルトール達の方じゃなく、自分たちの後方にあったということには気付かずに。
= =
「それで」
血肉と臓物で敷かれたレッドカーペットを踏みしめ、鮮血を全身に浴びた男が、ゆっくりと歩きながら白装束と魔物の群れに近づいていく。
骸の氷像を越えた先へ静かに、しかし確実に、目には見えない暴虐と殺戮の壁が迫りくる。
「次に死にたいのは『どれ』だ?」
『酷氷姫』に止めを刺そうと近づいた複数人の白装束の顔面を剣で粉砕したその男の殺意を浴びた瞬間、白装束達の従えていた魔物たちが一斉に発狂した。
生物的な本能が、『自分は今から死ぬのだ』と告げた。理性が飛び、野生は敗北し、魔物たちにとっての世界が、その場で終了した。だからこそ、特別な強さを持たない低俗な魔物が選ぶ道はただ一つしかなかった。
一刻も早く『死の恐怖』から解放されるために、自ら『死』へと向かう。
その場にいた全ても魔物が、暴虐の中心である『死』へ、生からの開放を求めて殺到した。殺戮という名の救済を求めて、一刻も早くこの世からの消尽と永遠の安らぎを願って。
向死欲動――自らを滅ぼすために駆け出した魔物たちを待っていたのは、望み通りの結末。
大地に巨大な亀裂が入る力で踏み込んだオーネストは、その剣に圧倒的な破壊の意思を込めて魔物の群れへと振るった。
「死に魅入られたか――下らん存在だ。失せろ」
グオオオオンッ!!というおおよそ剣を振るったとは思えない音を立てたオーネストの一撃は、正面にその破壊力を巻き散らして眼前の全てを粉微塵に粉砕した。有象無象、例外なし。すべてが等しくオーネストの剣の余波で爆砕し、100匹近い迷える魂は肉から解放された。
遅れて、ビシャァァァッ!!と水の塊が叩きつけられたような水音がダンジョンに響く。
砕かれた魔物の骨肉や血が、オーネストの剣の放射線状にぶちまけられて壁や床を真っ赤に彩った。
「莫迦な……」
血肉を全身に被った『赤』装束の声に、初めて動揺の陰りが見える。
自らが手なずけ、命令を遵守するはずの同士たちが死んだ。それも、自ら望んで飛び込み、屠殺された。殺意だけで正気を狂わされ、コントロール下を勝手に離れていったのだ。
レベル5,6クラスなら魔物を微塵に切り裂くも吹き飛ばすも思いのままだろう。
だがオーネストが見せたそれは、あまりにも常軌を逸した力だった。
絶対的な殺戮者としての意識――孤高の威厳を塊になるまで濃縮したような心が、魔物を動かした。
その膂力は巨人をも殴り殺し、気迫は天界を揺るがす――彼の暴れっぷりを知る者が語った血生臭い英雄譚。それが決して誇張でも何でもなく、端的な事実を告げているだけなのだと気づいた時には――すべては終わっていた。
目の前に迫る20歳にも満たない男の体が巨大な怪物に見えるほどの、絶対的な絶望感。
だからこそ――血で赤装束に染まってしまった者たちは全ての計画を最初に戻した。
「こうなれば、後ろで倒れた『酷氷姫』だけでも道連れにするッ!!」
「奴が魔法を使えるという情報はない。一人でいい、奴を潜り抜けてあの女に止めを刺せ!!」
「『彼女』の為!計画の為!!我等は今こそ肉の体を捨て去りぬ!!」
戦いで数を減らしながらも、その人数は未だ十数名残っている。対して相手は『酷氷姫』ほど自由度の高い攻撃方法を持っている訳ではない。ならば、勝機は先ほど以上に存在する。
死をも恐れぬ狂人の脳髄は、瞬時に最後の狂奔へ移った。
その姿を認めたオーネストはつまらないものを見る目で溜息を吐く。
「残り人数は………11人か。まったくさっきの魔物といい、肉体も意志も脆弱過ぎる。紙を破っているようで実につまらん。とっとと片付けて今度こそ50階層くらいは行きたいものだ」
「明日の日程か。勝手に立てていろ。我らは貴様に用がないのだからなッ!!」
有機的に絡み合って複雑な軌道を描きながら次々に地を駆ける男たちは、気絶して虫の息であるリージュへと殺到する――が。
「まずは3人」
飛来する三つの光が虚空を駆ける。直後、男達の腹部に衝撃が奔った。
「――ガばァッ!?け、剣を……!?」
オーネストの手に持った剣と荷物の中にあった予備の2本の剣が投擲され、正確無比に男たちの胴体を貫く。魔石を砕かれた3人はほぼ同時に絶命した。
「続いて5人」
腰のベルトに仕込んであった5本の投げナイフが、ボウッ!!と音を立てて空を裂き、走っていた5名の腹に命中。その威力で『腹に風穴が空いた』。
「――ゴバァッ!!あ、あえ……あ……!?」
「何、が、起きて――」
血と内臓を背後にぶちまけて絶命した彼らには、それが投げナイフによって生み出された傷だと最後まで気づけなかったろう。
「くそっ!!化け物めぇッ!!」
「人間を辞めておいて言うセリフがそれか。つくづく人間のメンタリティってのは成長がお嫌いのようだ」
「なぁッ!?いつの間に正面に――ごヴぇッ!?」
悪態をついた男の首に、大蛇の顎の如く広げられたガントレットの指がめり込んだ。
「あ、がげげげげッ!!ぉあ、ああ、おごッ……け、―――」
万力のように何の抵抗もなく、ばぎゃり、と首のパーツがまるごと握り潰された。
体を痙攣させながら絶命した男を握ったまま、オーネストは体を回転させて後続にいた男に鈍器のように叩きつける。
ぶおん、と音を立てて上から振り下ろされた男の死骸は、そのまま叩きつけられた男もろとも粉砕した。
男の死骸は別に握る必要はなく、ただ放り捨ててからもう一人を潰すのが面倒だからまとめて殴り潰しただけだった。頭蓋と頭蓋が割れて脳梁がオーネストの顔面まで跳ねるが――オーネストはやはり、顔色一つ変えない。
――恐らく、力自慢の冒険者の中には同じことを出来る者もいるだろう。だが、こんな殺害方法を実行できる異常な感性と、実行して尚も微塵の動揺すら見せない精神を併せ持っているのは、オラリオで彼一人しかいない。
かつて、アイズ・ヴァレンシュタインは彼の戦い方を「怖い」と言った。
それは核心をついているようで――実は真実の表層に刺さる言葉でしかない。
人間が人間を、極めて残虐かつ原始的な方法で、殺す。
それを息をするように実行できる存在を「怖い」の一言で済ます事を、誰が出来ようか。
その恐ろしさを極めて近くに、しかしどこか遠く感じていた男は、中身の惨殺死体の陰に隠れるような形で通り抜けた。
(抜けた!!さしもの貴様も『守る』ことは得意としていなかったらしいな、『狂闘士』!!)
今という好機を逃す理由は存在しない。
今、自分が迫っているあの地面に転がった小娘を、自らの体ごと火薬で吹き飛ばす。
それだけで仲間たちも自分も、為すべきことを成した証となる。
歓喜に打ち震えながら懐に手を入れて、体に巻き付けてあった爆弾の安全栓を引き抜き――気が付けば、視界を覆い尽くす壁が眼前に迫っていた。
「え?―――」
男は、訳も分からぬまま自ら体に巻き付けた爆薬で無駄に爆散して果てた。
男がなぜ死んだのかを知っている人間は、この世界でただ一人。
リージュの元に向かった男を『居合拳』で打ち抜いて壁――ではなく、天井近くに吹き飛ばしたオーネストは、うっとうしそうに髪をかき上げる。
「………ようやく片付いたか。退屈なことをやると無駄に時間が長く感じて鬱陶しい……鬱陶しい仕事は次からアズにやらせて俺は見物するか」
体に付着した肉片や血を簡単に払ったオーネストの意識は倒れ伏したリージュの方へと向かい、その背で絶命した男たちの記憶は覚える必要もないと忘れ去られた。
かくして男の死の真相を知る人間はこの世から完全に消滅し、男という存在も世界から完全に消えた。痕跡たる死体は粉々になり、魔石も砕け、もう魔物のそれとどう違うのか見分けがつかなかった。
最後に男が世界に残した爆発音も、数秒間木霊したのちに静寂にかき消された。
= =
『いつもウチの子と遊んでくれてありがとうね?リージュちゃん』
『い、いえいえいえ!!むしろありがとうはこっちな訳で!!あ、あの!アキくんとはいつも優しいし頭もいいし、とにかくそうなんです!!』
『ウフフ……女の子に想われるなんてあの子も幸せ者よね!それもこーんなにかわいい子に!』
『はわわわわっ!?だ、だっこは止めてくださっ、ああー!』
その人はとても母性的で、美しく、深い慈しみの心を持っていると一目でわかる人だった。
美しい金髪も美しい金目も見惚れるほど輝いていて、こうして突然抱きかかえられても全然いやな感じがしない――そんな人だった。
『………ねぇ、リージュちゃん。一つだけ、約束してくれないかな?』
『……?ど、どうしたんですか?まさかアキくんに何か!?』
『何か……かぁ。あながち間違ってないかな』
一瞬だけ悲しそうな顔をして、あの人はまた微笑んだ。
『もしもその『何か』が起きても、ずっとあの子を見ていてあげてくれない?あの子のいいところも、悪いところも、時々涙を堪えきれずに悲しんでいるところも――友達として、ずっと見ていてくれない?』
『え………それ、私じゃなくてもご自身で出来るのでは……?』
『今は、ね。でもあの子だっていつまでも子供のままじゃいられない時が来るかもしれない。私の目から離れたいと自分で願うときもあるかもしれない。だからその時は……ね?』
意味は分からなかった。でも、とても大事な話をしているのだという意識はあった。
それに、当時のわたしは――今も完全に否定はできないが――アキくん大好きっ子だったから、考えなしにこくこくと頷いた。
それを見たあの人は心の底から安堵した様にほっと一息をついて、わたしのことを抱きしめた。
今になって思えば、あの人は知って言うたのかもしれない。
アキくんがいつも自慢していた父親が、―――、――――――。
―――。
―――。
「――……………」
不意に、ぼやけた視界が薄暗い空間を見上げた
地面が硬く、土臭い。まるであの日、彼に振り払われたときの雨に濡れた石畳のようだと思った。
体の節々に鈍い痛みと倦怠感が襲い、瞼を開けることさえも億劫だった。剣を握る両手にはガントレットの感触がなく、首の下には丸めた布のようなものが挟まれている。
ここは、どこだろう。
いまだ意識が微睡を抜け出せないまま、わたしは小さな疑問を抱いた。
ホーム、ではないのは確かだろう。ホームに土のベッドなんてない。
では、どこだ。体が怠くて、土の臭いがして、冒険者のいる場所。
どこか他人事のように事実確認をしようとする私の額を、優しく何かが撫でた。
暖かくて、すこし無骨で、父親の掌を思い出させるそれの正体を確かめようと、目を凝らす。
そこに居たのは――
「……アキ、くん?」
「俺をその名前で呼ぶな。……まだ骨の接合が終わっていないから、大人しく寝ていろ」
「むぎゅっ」
起き上がろうとした顔を掌で抑えられ、奇妙な声が漏れる。
ぶっきらぼうでぞんざいな命令口調を浴びせたその男は、今は『狂闘士』と呼ばれるわたしの想い人だった。その姿を見て、ようやく意識を失う前の記憶を思い出す。
消えない後悔の源であり、消えない悲しみの源泉。
もう二度と、口を聞いてはくれないと思っていたひと。
「お前の部下は生きてる。今はお前の回復を待って周辺警戒中だ」
「やっと――口を聞いてくれたね」
自然と、そんな言葉が漏れた。
8年越しに通じた会話の最初がそんなありふれた言葉か、とも思ったが、さっきの「むぎゅっ」に比べれば何倍もマシだ。彼もまた、もう無言を貫くことはしなかった。
「…………お、おう」
彼は、どこか所在なさげにフイッとよそを見て、屁理屈をこねるようにぼそぼそと呟く。
「俺は、オーネストだ。だから……お前とは過去に『何もなかった』。今までのは……何となくお前が気に入らなかったから口をきかなかっただけだ」
「そういう、ものかな」
「そうだよ」
「本当に……?」
「ああ、きっと……な」
懐かしい過去の憧憬の再現に、瞳の奥から暖かな滴が零れ落ちる。
嬉しいのだろうか、彼が変わっていないことに。
それとも悲しいのだろうか、豹変してしまった今でも、彼が彼のままであることが。
答えが出ないまま――私はただ惰性のように、彼の優しさの下に留まり続けた。
後書き
という訳で、オーネストの真ヒロイン的なリージュちゃんを守り通しました。最近バイオレンス成分が足りないと思って盛大に暴れてもらいましたが、如何だったでしょうか。
二人の過去は断片的に語りましたが、あまりしつこく語る気もないのでこの辺で。次の話で一区切りなはずです。
16.Remember Days
オーネスト・ライアーは決して他人の為には動かない。
いくら金を積み、どれほど譲歩し、何を誓おうとも彼は他人の為には動かない。
それは別におかしなことではない。人は大なり小なりそのような側面を持っている。無償で他人を助けるのは、それを本人がしたいと思うからこそだ。自己犠牲の精神も究極的には自分の為の行動であると言える。彼が他人の為に動かないのは、そのような部分を自覚しているが故のことである。
つまり、自分の思うように埒を開けた結果、他人から見ると人助けをしているように見える側面が存在している。
彼の言動の全てに重みを持たせているのはそこかもしれない。
颯爽と危機に陥った人を助けて「君を助けることができて良かった」などと歯の浮く台詞は決して言わない。いや、助けられたと感じた相手をまるっきり無視することさえある。何故ならすべての行動は自分の為であり、行動の結果誰が何を考えようと知ったことではないのだ。
だから彼がリージュ・ディアマンテという少女を助けたのも彼女の身を案じてのことではない。
そこに『極めて人間的な感情』の介在があるかどうかはさて置いて……彼はやりたいようにやるだけだ。
しかし、案外その絶対的なまでの『自分への拘り』に落とし穴がある。
この落とし穴が何なのかを知る存在はこの世に極めて少ない。欠点を知っているのはたった2人――彼の盟友であるアズライールと、オーネスト本人のみ。その本人に欠点を自覚させたのがアズなのだから、これ以外はないと断言できるほど致命的な落とし穴だ。
(過去の自分とにらめっこ……か。アズの奴、痛いところを突いてくる)
背におぶったリージュを起こさないように静かに歩きながら18階層への帰路についたオーネストは、ふと一昨日に自分の相棒が形容した例え話を思い出して苦い顔をした。
昔は間違いなく彼女を憎んでいたのだ。口では何も失ってないなどとほざきながらも、それでも目に映る全てを恨むほどの憎悪を彼女に向けていた。赦す気は毛頭なかったし、許せる日も来ないだろうと考えていた。
なのに年月が経つにつれて少しずつ、考え方や視点、それを裏打ちする経験と知識が蓄積するにつれて変化していった。理屈でしか納得できない部分が感情でも納得できるようになってしまった。それを成長と呼ぶか慣れと呼ぶか、或いは妥協と呼ぶのか……ともかく、オーネストは自分で自分の本当の意志に気付いてしまった。
ただ、その意志に自分でも戸惑い、受け入れるのを躊躇しただけだった。
オーネストは、もうリージュへ抱いた恨みを欠片もその心に残していない。
例え彼女のせいで『何人死んだとしても』、彼女もまた世界の見えない奔流に踊らされただけだ。――あの頃の自分と何ら変わらない。罪人ではあるが、罰するのは他の誰でもない彼女自身だ。
久しぶりに再会したとき、リージュは自分の立場さえ忘れるほどに動揺していたのではない。オーネストを通して、決して消える事のない傷跡に苦しみを覚えたのだ。自らが犯した一世一代の過ちに苦しみ、「わたしは赦されない」とでも思ったのだろう。
「アキくん」
「……もう目を覚ましたのか」
「うん……」
「もう少しで18階層に着く。そこで寝て体力を戻せ」
「うん……」
弱弱しい声だ。昔はもっとやんちゃな子供だった。
尤もそれを指摘するならばオーネストなど見る影もないほど歪んでいるが。
「背中、大きくなったね。昔はわたしとそんなに変わらなかったのに」
「あれから8年経った。それくらいは変わるものだ」
「匂いも変わった。昔より鉄臭い」
「………それは俺じゃなくて返り血の匂いだ、馬鹿」
声は小さくて、当たり触りのない世間話のようだった。何となく、彼女は自分の一番聞きたいことを遠回しにしようとしている気がした。
「聞きにくいことや言いにくいことがあると急に世間話が増える癖、直ってないらしいな」
「………だって、聞けないよ。答えを聞くの、怖いから」
「ならお前の聞きたいことに答えてやろうか?お前が自分で言葉にするまで待つのも億劫だしな」
小さく息をのむ音と、体が強張る感触が背中越しに伝わる。
ファミリアの団長をしていると聞いたから少しは成長しているかと思ったら、そうでもなかったらしい。きっと彼女の刻は、自らの罪を自覚したあの日に止まってしまったのだろう。――自分と同じように。
「俺はお前を赦した訳じゃない。水に流そうなんて言うつもりもない」
「――そう、だよね………当たり前だよ、うん」
震える喉から、リージュは辛うじてそう答えた。
上ずっていて、今にも泣きそうで、なのにその結末をどこか理解していたような自嘲的な声。
彼女が自ら背負った罪の十字架は、いつまでも錆び付かずに鈍い光沢を放ち続ける。
「でも、な」
重い荷物を抱え込んだ相手に、オーネストは時たま何の参考にもならない助言を与える。
「俺が赦そうが赦すまいが、お前がビクビクと子兎みたいに震える理由にはならねぇ。罪は自覚して初めて罪になる………そして、自分が罪人だと分かっていても自分が自分でいたいから、人は罪を抱えたまま生きていく」
罰金を払う。牢獄に叩きこまれる。指名手配を受ける。周囲に蔑まれ、罵倒される……それら罪人に与えられる報復は、あくまで周囲から勝手にぶつけられた一方的な罰でしかない。真実の罪の重さは自らの知覚に依存する。
罪と向かうあう覚悟があれば、自らが罪人であってもすべてに真正面からぶつかれる筈だ。
それが証拠に、オーネストは自分が『悪』に近いと知りつつも、正義から逃げたことはない。
何故なら、善悪の有無に関わらず立ち塞がった全ての障害を粉砕してきたから。
「受け入れた罪はもうお前の一部だ。だから、腫物みたいに扱うな。お前も罪を背負った者なら、苦しんでなお気丈であれ」
「罪人に威張れなんて言う人初めて見たよ……!?」
「ふん………団長様として威張ってる時の延長線上だ。やれないとは言わせんぞ?」
くつくつと、どこか意地の悪い笑い声が喉から漏れた。
こんな風に接するのはオーネストらしくない。
だが、同時に『―――――』らしくはある。
そして、オーネストは『―――――』らしさを否定しきれなかった。
(おかしなか話だが……結局、この幼馴染のことを俺は嫌いになれなかったらしい)
否定したはずの過去も、もとをただせば自分の一部。だからこそ、過去の甘さを一度認めてしまえば、オーネストも嘘はつけない。彼女に一度昔の顔を見せた以上、それはもうオーネストが認めたものだ。
(『オーネスト』って仮面が『―――――』を抑えられなくなったのか………それとも、どっかの死神もどきに面を割られたかもな?)
背後で「アキくんおかしいよ」とか「いや、そういえば昔はヤンチャだったっけ?」とか呟きながら悩んでいる幼馴染を抱えて、珍しく機嫌が悪くないオーネストは歩みを進めた。
で、だ。
(え?あれ?リージュ様のキャラがなんか変わってらっしゃらないかしら!?)
(ちょっ、え?え?何今の?幻聴だよね、あのガッチガチアイアンメイデンのリージュ様があんな普通の女の子みたいな台詞吐くわけないよね?ね?)
(おおおおおおおお落ち着け落ち着くんだ素数を数えるんだ1、2、3、4……)
(バッカお前それは普通に数を数えてるだけだろうがっ!!)
(き、聞き間違いじゃないかな?きっと聞き間違いだよい!)
(そうだよい!あの鉄の規則実行者の団長がそんな……そんなわけないよい!)
(よよいのよい!あそーれ、よよいのよい!)
(駄目だコイツ……現実を直視してない……!!)
隊士たちは一度深呼吸し、改めてリージュの方を見る。
「ところでアキくん……その、わたしって重くない?」
「軽すぎるな。もう少し太ったらどうだ?」
「そ、そう?う~ん、結構食べてるんだけど………って、女の子に太れって失礼じゃない!?」
「知るか。あと俺はオーネストだと……」
「そんなこと言ったってアキくんはアキく………………投射隊、許可なく陣形を乱すな!遊撃隊は警戒が疎かになっているぞ!貴様らの気の緩みが自身の首を絞める結果になると念を押しても尚緩むとは、よほど死にたらしいな!」
(別人みたいだがやっぱ本人だあぁぁぁぁ~~~ッ!!!)
オーネストの背中に背負われたままなので果てしなく威厳が薄いが、声に込められた冷たさと気迫だけいつも通りなので慌てて陣形を基に戻すと、リージュは再びオーネストとの会話にナチュラルに戻っていった。
「ちっ……シャキッと出来るんならそうしてりゃいいものを。いいか、『今の』俺はオーネストだ。次にそれ以外の名前を呼んだら永劫に無視する」
「分かったよアキくん!………あっ!?」
「…………………」
「あ、アキくぅん………」
雨に濡れる子犬がクゥンと鳴くような切ない視線がオーネストの背中に浴びせられる。普段はこのようなうっかりミスをする彼女ではないのだが、どうも彼の前ではちょっぴり残念な子になってしまうようである。
「も、もう一回だけチャンス頂戴?お願いだよぉ……!」
「………もうアキでもいい。お前のドン臭さに訂正する気も失せた」
「アキくぅんっ!!」
――以降、18階層にたどり着くまでこの二人のコント染みた会話は延々と続いた。
なお、試しにヴェルトールがオーネストを『アキくぅ~ん♡』とふざけて呼んでみたら投げナイフに追加してリージュの冷気まで飛んできたとか。以降『エピメテウス・ファミリア』及びヴェルトール・ドナ・ウォノは、反撃が恐ろしくてこの二人の微笑ましい光景をただ空気と化して聞いているしかなかった。
『結局二人はどのような関係だったのだ?拙者、てっきり深く暗い因縁があるものと思い込んでいたのだが………』
『………エングン呼んで来たらお礼に教えてもらえるヤクソクだったんだけど……ま、いっか♪オーネストもリージュも楽しそうだもん!やっぱり2人は似たものドーシね?』
長い長い空白を埋めるにしては他愛のない会話をする二人の自然体な姿に、ドナたちは彼らの昔の関係を垣間見たという。
しかし、人が一瞬に垣間見ることが出来る情報は余りにも不確実で断片的だ。
二人の姿から見えるのは、本当に、過去のほんの一瞬でしかない。
白く照らされた真実のカードの表――その裏で漆黒を深めるそれもまた、見えない真実。
18層に着いた頃には、オーネストは『狂闘士』に、リージュは『酷氷姫』に、それぞれの仮面を被って真実を覆い隠していた。
= =
アズライールという天使には、いくつかの解釈の仕方がある。
人間の肉体と魂を切り離す魂の選定者、あるいは断罪者、あるいは管理者。
冥王星を司る者。天蠍宮の主。そして――人類の創造者。
ある伝承曰く、神は天使たちに泥をこねて人を創造するように命じたという。
天使たちは泥人形を多く作り、どうにか人という存在を創造しようとした。
だが、泥人形に魂を宿して人と成せたのはアズライールだけだった。
理由は単純明快で、アズライールが魂と肉体を分ける術を誰よりも知っていたからだ。
以降、彼は人間の死の運命を管理する役割を神に命ぜられたという。
だから、人類を真に創造したのは神ではなくアズライール。
人類とは、須らくアズライールの子供たちなのだ。
……とまぁここまでは聖書のアズライール。
そしてここからは、勝手にその名を名乗ってるけどそんな大それたことは出来ない俺の話だ。
俺は天使じゃないが、『死』を内包するだけあって『死』に関わることは人並み以上に理解できる。
現在、俺は名前も知らない若者の母親の具合を確かめるという医者みたいなことをしていた。
『告死天使』とか言われてるものだから時々子供や血気盛んな若者に「○○が苦しんでるのはお前の所為だ!」とか「○○が死んだのはお前の所為だ!」とか言われのない誹謗中傷を受ける。心にゆとりのある人は俺の気配に気付いてUターンするか遠くでヒソヒソするので、真正面から罵声を浴びせてくるのはだいたい悲しみに暮れている人である。
命の出会いが喜びならば、死の離別は悲しみだ。そして全ての人がその悲しみを涙で全て流し切れる訳ではない。だから人は何度でも怒るし、泣く。それは自分ではどうにもできない爆発的な衝動であり、やめろと諭してやめられるものでは断じてない。
なので俺はそれら一人一人に懇切丁寧に対応した。
無碍にするのもなんだか気が引けるし、恨み節の対象が生きていれば助けられる時もある。マリネッタだって初めて会った時は「お前が全部いけないんだ!!」と泣きながら石を投擲してきた。後で事情を聞いて、面倒を見ている子供が風俗系ファミリアに拉致された事を聞いて、間一髪で救出したから今は仲良くできているのだ。
という訳で――さあ、治療をしようか。
十字架を背負った鎖塗れの魔人が、下手をしたら建物ごと斬り裂くのではないかというくらい巨大な大鎌を振り上げる。刃の先にいるのは、あらかじめ薬で眠らせた患者の安らかな姿。
「『死望忌願』よ、死神の大鎌で生命の理に反する者に死を齎せ!!」
『ישועה אליך――!!』
「………って待て待て待て待て待て待て待てぇぇぇぇぇいッ!!」
『死望忌願』を操る俺に患者である女性の息子さんが羽交い絞めにするように掴みかかってくる。その形相は必死そのもので、神に懇願するが如き遠慮に反して込められた意志は誰よりも熱い。しかし、何故治療の邪魔をするのだ。わけがわからないよ。
「いや治療ってかあんたそれ『今楽にしてやる』のパターンだからッ!!こ、殺さずに病状だけ改善してくれるって約束でしたよねぇ!?」
「いやぁ殺すよ?生かしておく意味もないし」
「あっれぇぇぇーーー!?最初に出くわしたときは大丈夫って言ってたじゃないですか!!まさか手遅れ!?手遅れなのを誤魔化すためにSATSUGAIする気!?」
「いやいやだから……君のお母さんの中にいる悪性腫瘍を殺すんだって。病状改善したいんなら悪性腫瘍は殺しておかないとねぇ。コイツらって若干ながら命の摂理に反してるし」
栄養さえ提供されればテロメアの限界を超えて無限に増殖する人類の天敵、癌細胞くんを殺さない限りこの人に明日はない。いや、明日の要らない俺が言うのもおかしな話だが、気配的にこの人の癌は全身に転移している。かなり切り刻まないと完治は無理だろう。
「本当にソレで斬るの!?息の根止めちゃわない!?ちゃんと五体満足かつ魂インストール済みで戻ってくるんだよね!?後になって魂だけ寄越されても何一つとして解決にはならないからね!?」
「ゴチャゴチャ言わない!大丈夫だよちょっと真っ二つになってもエリクサーで元通りにしてあげるから!!」
「だいじょばない!全然だいじょばない!!」
『死望忌願』と重なった俺の影が、床に深く濃く伸びてゆく。
光源のせいか上になればなるほど大きく光を遮る影は、巨大な鎌を更に巨大に変貌し――泣き叫びながら掴みかかる男を意にも介さずに得物を見下ろす。
「やめろ!!やめ……やめてくれぇッ!!俺の、俺のたった一人の――!!」
「だから、巣食われし者を救ってやろうと言っているだろう?」
選定の鎌は、若者の母親の身体をベッドごと、斬り裂いた。
「ありがとう!おかげで母さんは病巣だけを綺麗に殺されて助かったよ!だから二度と来るなよクソッタレ野郎!!」
「満面の笑みで絶縁宣言叩きつけられたのは初めての経験だよ……」
「ごめんなさいね、この子ったら人見知りが激しくて……許してあげてね?」
「あぁ、別に構いませんよ。お身体の具合も悪くはないようで何よりです」
若者は余程怖かったのかまだ若干足が震えている。反面、寝ていた母親の方はベッドの上から朗らかな笑みでこちらを見ている。病魔との戦いで大分やせ細ってはいるが、ちゃんと安静にしてれば体力は戻るだろう。
冷静になって振り返ってみれば怖いわな。絵本に出てくる死神を100倍おっかなくしたような奴が鎌を掲げて母親に振り下ろそうとしている訳だし。だがあの鎌はあれで刈り取る対象を自由に選べるスゴイヤツなのだから、怖くても我慢して欲しいもんだ。
「しかし、不思議ですね」
「と、いうと?」
「ベッドの上から人伝にしか聞いていませんが、貴方は『告死天使』と呼ばれているのでしょう?なのに、貴方は現に私を生かしている。確かに貴方からは冷たい気配のようなものを感じるけれど、そんなにも恐ろしい人には見えないわ」
「か、母さん……」
そういう風に言われることは珍しくもない。自分で言うのも変だが割とノリは軽い方だと自負しているし、ロキ辺りになるとアズにゃん呼ばわりまでしてくる。本当に俺が死神みたいな存在なら子供だってもっと警戒して近付かない筈だ。
だがしかし――ティオネちゃんが言っていたあの台詞がきっと本質を物語っているのだろう。曰く、「どんなに善人面しても貴方はやっぱり『告死天使』」……つまりはそういうことだ。
「生かした……ってのは少し違いますね。俺は死の在り方をより彼にとって好ましいものに変えただけです。なぜなら、人は死ぬべくして死ぬものですから」
人はいつか、どこかで、何らかの要因で死ぬ。終わりは最初から内包されており、結果が覆ることはない。だから主観的には助かったように見えても、実際には死ぬタイミングと理由が数十年ズレただけの話なのだ。もちろん期間が延びたことで変わる運命や生命もあるだろうが、それは『死』という一つの事実から見れば余りにも些細な出来事でしかない。
「だから、そこにワンクッション。死を受け入れる期間を先延ばしにして、まだ死が訪れない者がより良き死を迎え入れられるようにするんです。死が忌避すべきものではなく、迎えるべき決別だと納得させるための時間を設けただけですよ」
「アズライール……あんたが何言ってんのか、俺にはよく分からんよ……」
若者は話について行けないとばかりに頭を振った。
彼は冒険者ではない。オラリオには冒険者を諦めて商いを始める者や、ファミリアを引退して外の人と結婚したりする者も存在しており、彼は曽祖父の代から商売人だ。だから、命というものをそれほど実感したことがないのかもしれない。
だが、彼の母親は可笑しそうに俺へ微笑みかけた。
「昔、ある神様に似たような話を聞いたことがあるわ。神とは本来、死への恐怖を和らげるために人が求めた存在だって。……今の貴方、その時の神様にちょっと似てたわ。貴方が天使だからかしら?」
「よしてください。俺は天使なんかじゃない。ただ自分のやりたいことをやってるだけの自称冒険者ですよ……そんじゃ、俺はここいらで御暇します。養生してくださいね~?」
にへら、と笑って俺は二人の家を後にした。リリにパクられて二代目になった漆黒の外套をはためかせて、今日はヘスヘスの所に来たっていう初の眷属くんに会いに行こうと考えながら。
アズライールは二人の名前も、家族構成も、見返りだとかそう言った話も一切しなかった。彼は罵声を浴びせられた男の親を散歩ついでに片手間で救い、去っていった。なんの見返りも求めずにやることだけをやって帰っていく姿は、まるで彼が定められた役目を果たしているかのようにも見える。
貴方の死は今ではなくもっと先に訪れるのだと忠告し、生と死の距離を伝える者。
人に『死』を連想させ、そしてそれが恐れるものではないと諭す、命の宣教師。
すなわち、死を告げる者――告死の役を背負った天の遣い。
彼に家を訪問されると、その後その家の人間は決してアズライールの悪口を言わなくなるが、何をされたかも語らなくなる。代わりに語るのは、ただ一言のみ。
『ああ、彼は確かに告死天使だ』――と。
後書き
そして多くを語らないせいで周囲が勝手にあらぬ妄想を膨らませているのです。ある意味自業自得。
17.兎、幽霊の集いと出会う
ヘスティアは、悩んでいた。
「お金とは、使うために存在する……それが常識……!常道……王道……究極的……!が、しかし……!!無謀……余りにも無謀……収入が見込めないこの状況で、それは無計画……愚の骨頂……!」
「か、神様!鼻とアゴが定規で書いたような形状になってますよ!?あとなんか背景が『ざわ・・ざわ・・』してます!!」
「金は命よりは軽い……軽い筈なんだっ……!!」
何を悩んでいるのか福本作品キャラみたいに顔面が変形しているが、彼女のファミリアになりたてホヤホヤのベル・クラネルにはサッパリ事情が掴めない。取り敢えず、客観的にはヘスティアは先ほどから金貨がパンパンにつまった袋を眺めている事だけは分かっている。
しかし、そう考えると少しおかしい。ヘスティアはその暮らしぶりからして決して裕福には見えないのに、あの袋の中には結構な量のお金が入っていそうだ。彼女の貯金としてはやけに量が多いような……気がする。
そんなベルの視線に気付いたヘスティアは、顔の形を元に戻してその疑惑に応える。
「このお金はねぇ、ベル君……ボクの甥っ子の友達がくれたお金なんだ。『いつかファミリアが出来たらこのお金を使うといい』って、ポンと渡されたものなんだよ……」
「ええっ!!ちょ、ちょっと待ってください神様!その袋、いったいいくら入ってるんですか!?」
「この袋には、300万ヴァリス入っている……!!ボクの今の月給の実に30倍近くにも上る……!!そして、なんとそれだけではない!!」
ヘスティアがおもむろに戸棚をバカッと開け放つと、その戸棚から何と先ほどの金貨袋と同じくらいのサイズの袋がドサドサと落ちてきた。賄賂が発覚した瞬間みたいな衝撃映像である。緩んだ袋の口から転がった金貨が足にぶつかるまでベルもフリーズするほどの大金だった。
「その子はあんまりにもお金に執着がなくて!!来るたび来るたび子供にお小遣いをあげるかのようにバカバカと大金を運び込み!!なんと先月にとうとう総額2億余ヴァリスまで膨れ上がった!!」
「に、2億ぅぅぅぅぅぅぅッ!!」
「2億あればぶっちゃけマイホームを立て直すついでに冒険者の上等な装備を一通り揃えるくらいの事は出来る!!」
「ま、マイホームゥゥゥゥゥゥゥッ!!」
勢いに流される男、ベル・クラネル。状況が把握できていないのに何となく衝撃的な事実を知ってしまった感じだが、大金を見たことのない彼にはその金貨が浴びるような量に膨れ上がって見える。というか浴びれなくもない。
落ちた金貨を拾い上げるヘスティアの手がバイブレーションして更に金貨が落ちるくらい震える。
「ぼぼ、僕はね……僕はこのお金に手を付けるのが怖いッ!!人生で見たこともない量に膨れ上がっていく金貨が恐ろしくて、僕はファミリアが出来るまでこのお金の事は考えないようにしていたんだッ!!」
ヘスティアは身銭が長く身につかない。自分で手に入れたお金は割と考え無しに浪費していることが多い。労働をすればするほどパーっと使いたくなり、怠ければ怠けるほど金遣いは加速する。その在り方、某ギャンブル漫画に登場する主人公の如く。
現に下界に降りて暫くヘスティアは親友の好意に溺れてだらけ切った生活を送っていた。そう、某化物パチンコ攻略後、家を追い出されるまでダラけ続けた主人公の如く。
しかし、あっちのクズと違ってこっちのクズは親友に追い出されたことに懲りてそれなりに真面目に生き、クズ脱却を果たそうとしている。だからこそ、過ちの後に改めて差し出されたお金に手を付ければまたクズに戻ってしまうのではないかという恐怖がヘスティアを真綿で締めてゆく。
「ああ、これを使えば今晩は初眷属の門出を華々しく迎えられるのに……ご飯も装備も揃えられるのに!でも、手を伸ばすと過るあの日の悪夢!!ヘファイストスが僕に向けた養豚場のブーブ君を見るような眼が脳裏にありありと蘇る……お金を使うのがこんなに怖い事とは!こんなことならお金なんて求めなければよかったのに!」
「神様、もういいです!もういいんです!僕は多くを望みませんから……慎ましくても暖かければそれでいいですから――!!」
「あああああベル君っ!」
「おおおおお神様っ!!」
絆を確かめあうようにひしっ!と互いを抱きしめる神と人。オラリオ広しと言えどここまで極貧な絆の深め合いもそうそう見受けられないだろう。と――教会の玄関ががちゃっと開く。
「おいーっす、こんばんはヘスヘス!眷属出来たって聞いたからメシ誘いに来たよー?」
――『死』――。
何故か、教会に流れ込んだ冥界よりも冷たい霊廟の風と共にそんな言葉がベルの脳裏を過った。
「ぎゃあああああああああああああああ!!ししししし死神ぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「ぎゃあああああああああああああああ!!おおおおお金持ちぃぃぃぃぃぃ!!」
「折角祝いに来たのにどんなリアクションだよそれ!?」
オラリオに舞い降りた告死天使は、恐ろしさの余り更に激しく抱き合う二人にそうツッコんだ。
= =
「長年の禁欲生活で追い詰められた身体に……キンッキンに冷えたソーマ……ぅぅ、うますぎる……!犯罪的だっ……!!」
「神様!!また顔が鋭角的にっ!!」
「あ、ベルくんはこっちのフルーツティーね。一応牛乳とかジュースもあるよ?」
「遠慮なくタダメシ喰らいやがっていってくださ~い♪他のクソ野郎どもならともかくヘスティアとその眷属なら歓迎してやりますよ~!」
ポロポロと涙をこぼしながら酒を煽る今日の彼女は賭博黙示録系女子らしい。オーネストの館に招かれたヘスティアとベルは、アズとメリージアの手料理に舌鼓を打っていた。その品揃えと味はちょっとしたパーティくらいに思える程度には量がある。
ついでにこの屋敷に来ていたらしい二人の冒険者も一緒に食事を取り、ちょっとした賑わいだ。
「しかしオーネストはいないのに君はいるなんて珍しいね?いつもなら地元で負け知らずのコンビだろ?」
「ちょっと野暮用があってね。ま、そうでなくとも時々ココとかが代われ!って煩いしねぇ」
「フーン。潜ったってことは暫く帰ってこないんだ。残念だなぁ……ベル君の顔だけでも見せたかったんだけど」
「ま、次の機会ってことでいいんじゃない?そのうち帰って来るって!」
「大怪我負ってだろ?……まぁ、帰って来るだけいいけどさ。無茶するあの子の姿を見るのは未だに胸が痛むんだよ……」
「大丈夫大丈夫。今回一緒に行ったのは『レベル詐欺』のヴェルトールだからね。あいつならなんやかんやでどうにかするって」
(またオーネストって人の話だ。どんな人なんだろ、オーネストさんって……)
話について行けないベルはフルーツティーから香る柑橘系のさわやかな香りを嗅ぎつつ、不思議に思う。ここに来るまでに色々な話を聞いた。その中で常に共通して出てくる名前が『オーネスト』だった。
最初、ベルは「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」という質問をした。それに対し、皆は「間違いではないかもしれないが、今のベルでは助けられるのがオチだ。オラリオ内での出会いの方が堅実だ」と現実的な意見を突きつけられた。
「夢には力が伴わなければ意味がないぞ、ベル。力が無ければ戦いは蛮勇となり、自分の身体を傷付ける。腕や足を失いたくはないだろう?」
「過ぎたる夢は身を滅ぼすのが世の常やで、坊や?夢もええけど、身の丈図れるようになってからや」
「っていうかさ……その夢を実現するには必然的に女の子がオラリオ内で死にかけなきゃいけないんだよね。正義の味方って悪と不幸がないと成立しないんだぜ?悪を望んじゃいけないよ」
「ぐぅ……」
「ぐうの根が出るならまだ余裕はあるみたいだな……」
「やめて!これ以上ボクの眷属を虐めないで!その得物見つけたみたいな爛々とした目でベル君を見るのをやめてぇぇぇぇぇっ!!」
後になって気付いたけど、どうやらゴースト・ファミリアはSっ気の強い人が多いらしい。
しかし、ともかくその話の時に一番目の『オーネスト』の名が出てきた。
「オーネストなら絶対こう言うぜ。『お前がそうしたいと思うならそうすればいい。ただ、俺はそれに興味がない』ってな?」
そう語ったのはアズライールことアズさん。
ヘスティアと対等な喋りだったから死神系の超越存在かと思っていたが、実際には『告死天使』の二つ名を持つ凄腕冒険者らしい。お金の扱いが軽くて人が良く、初対面のベルに「困ったことがあれば大抵の事は相談に乗る」とまで言ってくれた。
死神のように冷たい気配と、天使のように優しい心。そして敵対する魔物には死を告げる――まさに告死天使の名を冠するに相応しい人だ。身長も高くて優しく、おまけに強いらしい。英雄という感じではないが、大人な存在として少し憧れてしまう。
そんな彼が冒険者となりここの屋敷に住むきっかけになったのが、彼をオラリオ案内してくれた『オーネスト』。今や二人は親友で、普段はコンビを組んで『オラリオ二大異端者』として名を轟かせているという。
……なお、異端者と呼ばれる理由は『色々とある』そうだ。追求するのが怖くて話はそこで終わった。
「ちなみに異端児だった場合、オラリオ内では『異端児』っていう人に限りなく近い魔物を指す言葉でもある。『実は俺とオーネストは魔物説』……いや、単なる嫌がらせかな?」
「アタシはお二人が人だろーが魔物だろーがクッソどうでもいーでございます。なんにも考えねぇ傍若無人自己中野郎のお二人をアタシはお慕いしやがりますので」
「神様、あれ貶してるんでしょうか、褒めてるんでしょうか……」
「メリージアは壊滅的に敬語が下手なだけだよ?ほら、あの顔見てごらん。曇りひとつない笑顔だ………ってベルくん、見惚れてない?」
「へあっ!?い、いえいえそんなことは!……ちょっとあります」
メイド服と褐色の肌のコントラスト独特の色気を放つメリージアさん。
アマゾネスだけど戦いが苦手なのでメイドをしているらしい。どうしてメイドをしているのかと聞いてみたら、「オーネストとアズが気に入ったから」という一言だけで片づけられた。屋敷に住んでいる期間は結構短いそうだが、言葉使い以外はエキゾチックな雰囲気で料理家事を完璧にこなす超メイドだそうだ。
発言の節々から二人を尊敬しているのが分かるが、よくよく考えたらこんなに綺麗なメイドが頼まれもせずに家に来て一緒に暮らしてくれるなんて夢みたいな話だな、とベルは密かに二人に羨望した。
そして、そのメリージアと親しげに話す続く二人の男女。
男の方はガウル・ナイトウォーカー。
主神の名前はメジェドと言うらしく、しきりにメジェドの話を出しては尊敬したり不思議に思ったりしている。メジェド・ファミリアは所属しているガウルさえ収入源がよく分からない謎のファミリアらしく、ヘスティア・ファミリア同様眷属はガウル一人。初心者講習がてらパーティでも組もうと誘われたので、快く引き受けた。
血を吸ったような赤黒い髪も目につくが、それ以上に目立つのが右腕。なんと、ミアハ・ファミリアのナァーザさんと同じく彼の腕には『銀の腕』が装着されているのだ。義手とは思えないほど滑らかにスプーンを持つその手に注がれる視線に気付いたガウルは、「格好いいだろ?」と言いながら手を見せびらかすように軽く掲げた。
「昔にバカやった代償でな……戦闘用に改造してるから何とか今も戦えてる。おかげで二つ名の一つは『鉄腕』だ。お前はちゃんと五体満足で生き残れよ?」
「が、がんばります!……ってアレ?『二つ名の一つ』……?二つ名って確か一人に一つじゃ……?」
冒険者の二つ名は、レベル2以上の冒険者全員に与えられる特権だ。それが複数あるなどという話は、ベルは聞いたことがない。アズとオーネストはその例外に当たる特別な存在らしいが、ガウルもそれだけ特別なのだろうか。
「二つ名ってのは途中で別のものに変わることもある。ちなみに俺の二つ名は三つ。前のファミリアに居た頃に付けられたのが『紅砂嵐』、その後に周囲に勝手につけられた仇名が『鉄腕』。その後発現したしたスキルの特性と元の二つ名が一致しないって話になって、今の正式なのは『夜魔』になってる」
二つ名を3つ持つ男……ということは、それだけ注目されるほどの冒険者だとも取れる。しかも3つともベル的には滅茶苦茶恰好良くて憧れるものばかり。僕もたくさん二つ名が欲しいな、などと妄想するベルだった。
そんな格好いい彼が新たな右腕を手に入れた際と、その後にこの館に来る切っ掛けに、オーネストは深く関わっているらしい。ガウルはそれ以上は深く語らず、用意された料理の一つに手を伸ばした。
「んむ……美味い。メジェド様も料理が美味いし、俺も練習すべきかなぁ……?あの方は自分の食事風景は見せないけど失敗料理もきっちり平らげてくれるから、偶に申し訳なくなるんだよなぁ……」
「がうるはホンマに主神さまがお好きなようで……私の郷では男が台所に立つんははしたないていうんが普通やけ、異郷の男はよう分かりませんわ?」
「極東の文化は訳わかんねぇな。アズ様なんかアタシより台所似合ってるし、オーネスト様でさえアタシがナーバスな時は料理作ってくれるのによぉ?」
「ちなみにオーネストの料理の腕前は?」
「バッカお前ガウル!オーネスト様がアタシの為に料理手作りだぞ!?嬉し過ぎて幸せの味しかしねぇよバカっ♪も~このバカっ♪」
「おーねすと殿の手作りやもんねぇ……分かるで、貴方のお気持ち!」
何やらメリージアと一緒に盛り上がっているこれまた不思議な喋り方の女性。
女性の名は、クニツ・浄蓮というらしい。
オシラガミ・ファミリアのしがない冒険者と言っていたが、その肩を露出させた大胆な着物の着こなしと美しい黒髪はとてもだが冒険者には見えない。というか、醸し出されるエロスと触れることを躊躇う毒蜘蛛のような妖艶さにベルは結構顔を赤くした。横にヘスティアがいなければ色々と危なかった気がする。
『上臈蜘蛛』の二つ名を持つそうで、オーネストの話題だけ露骨に嬉しそうに乗ってくる。本人は多くを語らず静かに微笑んでいるが、初対面のベルでさえ彼女がオーネストを好いているのがよく分かる。
そして、自分の主神ヘスティア。
彼女にとってオーネストは『甥っ子』らしい。結構無茶をすることが多いらしく、よく心配させられるようだ。そしてこの『オーネストの館』に集う人々は、ファミリアの垣根を越えてオーネストと行動を共にする存在――巷で『ゴースト・ファミリア』と呼ばれる集団なんだそうだ。
もう何というか、現時点でベルの理解の範疇を越えた存在だ。
一つを問うと一つの答えと、二つの疑問が湧いて出る。そんな感じのやり取りの中で、ベルはオーネストという男が特異な存在でいる事だけは察することが出来た。
(それに沢山の女の人に慕われてるみたいだ……ということはっ!!まさか、僕の夢に近い場所に到達した存在なのか……!?)
だとしたら、ベルは一つだけ確認しなければならないことがある。
ベル・クラネルには夢がある。極めて俗物的で、単純すぎる憧れ――ダンジョンで英雄になってヒロインを救い、恋に落ちるというお伽話のような夢が。その夢を、ひょっとしたらオーネストは叶えているかもしれないのだから。
「ベル君や、オーネストに憧れるのは止めておきなよ?」
「えっ……?」
不意に――まるで心を読まれたように、アズの声がベルの思考を停止させた。
既に神酒ジョッキ9杯目に突入して尚顔に赤みが差しもしないアズは、何を考えているのか分からない笑みを浮かべた。
「オーネストと同じ生き方をすれば君は明日には死んでいる。それだけ過激で陰鬱で破滅的な方向に愚直に進んでしまう男なんだ。そんな捻くれ野郎にそれでも沢山の人が付いてくるのは、あいつの望む望まざるに関わらず――その姿が余りにも鮮烈だからだ」
「その直向きさ、愚かしさ、残酷さ………その全てが余りにも純粋で、心の欠けた部分を満たしていく。それは羨望とも違う、猛毒のような侵食なのよ……坊や」
「確かにな……真っ当に生きている人間には決して理解できない世界が、ここにある。あいつと一緒にいる理由は人によって違うと思うけど、それだけは確かだ」
「え、え、え?というか僕まだ何も言ってな……」
「……まぁ彼らの言い分は別にして、君はオーネストと同じになっちゃいけないよ」
かつて、ヘスティアが数年ぶりにオーネストと”初”対面した時を思い出したヘスティアは、酒の所為もあってか今日は少しばかり口が軽かった。
「君らに、少しだけオーネストの昔話を聞かせてあげよう。と言っても、本当にほんの一部だけどね」
――昔、まだオーネストがオーネストと名乗ってなかった頃。
――彼には父親も母親も友達もいた。
――信じる夢や信念があった。
――他者を信じ、愛する心も今より遙かに大きかった。
――ほんとうに善良で、近所でも可愛い子供だって結構な評判だったんだよ?
――ボクもヘファイストスも暇な時間はよく彼と一緒に遊んでいたねぇ。
――でも、ある事件が……思い出すのも嫌になる、本当に嫌な事件が起きて。
――それを最後に、彼は生死不明になってた。
――もちろん当時のボク達も方々手を尽くして彼を探し回ったけど、見つからなかった。
――再会したのはそれから数年後……皮肉にも、彼はずっとオラリオにいたんだ。
――でもその頃には………彼は、『オーネスト』になっていた。
後書き
どーでもいい説明。
アイゼンリヒツは直訳するとドイツ語で鉄の右……つまり鉄の右腕を表してます。
デシュエル・ジェアーはエジプト語。前の主神もエジプト神話系列だったようです。
そしてナイトゴーントはクトゥルフ神話から名前だけ持ってきました。由来はいずれ。
オシラガミ・ファミリアについて
オシラガミは蚕神で、病気、馬、農耕など一般人の生活に関わる様々なご利益がある神様です。カミという文字を残したのは祟り神としての側面もあるから護身のために……。なお、女性に関わるご利益が多いから今作では女神ということにしてます。構成メンバーは全員女性で、生活に関わるタブーさえ守れば他の事に関しては寛容です。『豊穣の女主人』と少し似ていて、構成メンバーの多くが心に傷や闇を抱えている頃にオシラガミに拾われた子です。
18.なきむしオーネスト
それは、ある女神の懐かしき過去の記憶。
恐怖とは、人が生きる限り逃れる事の出来ない魂の呪縛。
逆を言えば――恐怖から解放された存在とは、既に人ではない。
それほどに恐怖とは明瞭で、単純で、余りにも耐え難い。
「おぅい、ガキィ!てめぇ聞いてんのかよぉ!!」
オラリオの然程人通りも多くない路地で、その恐怖を振りかざす一人の男がいた。
常人より大きな図体は2M近くあり、背中に背負った大きな戦斧が彼の怪力を象徴するように揺れる。誰もがその男を見て「関わりたくない」、「声をかけられたくない」と思わせるだけの暴力と傲慢の気配を感じる、そんな男だった。
男は、薄汚れた服と貧相な皮の鎧を着た小さな子供に容赦なく詰問する。
「お前の背に持ってるその剣よぉ、俺の無くした品と全く同じモンなんだよなァ。知ってるか?『黒曜の剣』っていう、それはそれは貴重なレアドロップなんだぜぇ?」
「…………………」
「ああ、酒屋で一杯ひっかけながら自慢しようと思ってた品なんだよォ。ちょっとばかり目を離した隙にどっかに行っちまったがなぁ?そして探してたら、お前みてぇなクソガキがご丁寧に黒曜の剣を引っ提げて歩いてるじゃねえか。こりゃ『ありえない』くらいの偶然だよなぁ?テメェみたいなガキの腕前と小遣いで手に入る品じゃねぇもんなぁ?」
婉曲な物言いは、既に男が偶然や疑問でなく確信に到っているであろう事が分かる。
子供は、12,3歳ほどの男の子だった。体躯に不釣り合いなほど立派な剣を背負った彼は、大男の見下ろすような視線を避けるようにただ俯いている。その表情は伺えないが、数少ない通行人たちは内心でこう思っていた。
恐らく、少年は大男の威圧と恐怖に必死で耐えているんだろう、と。
子供にとって大人は上位の存在であり、抗っても抗いきれない力と知恵を有している。そして、子供の生きる社会を構成するのは大人のほうだ。何より、少年でなくともあれほどの大男を前にすれば普通の非冒険者や体格に劣る人は縮こまるしかない。
黒曜の剣は、ダンジョンでも特定のの強力な魔物しかドロップしない貴重な剣だ。武器としては勿論、素材も貴重なためにマテリアルとしても使い道が色々と存在する。その剣を、貧相極まりない防具しか付けていない少年が自力で手に入れられるとは考えにくいし、購入するお金を持っているとも思えない。
すなわち、最も確率が高い入手経路は――窃盗だ。
オラリオでは装備や魔石の持ち逃げや横流しはそれほど珍しい話ではない。冒険者が揉める理由の中ではそれなりに多数を占め、被害に遭った冒険者は怒り狂って相手を探して私刑にかける。例え相手が女子供だろうと、血気盛んで気性の荒い冒険者の多くはそれを気にしない。
どんな存在であれ、泥棒は悪。貧しいのは貧しい本人の所為。子供が犯罪に手を染めるのは、非力で金も稼げない子供が悪いからだ。だから大男を止めて少年を助けようなどという奇特な人間はいなかった。
ただ一人、その光景を路地の木陰でヒヤヒヤしながら眺めている小さな背丈の神様を除いて。
(ああもう、何で子供相手にあんなにムキになれるかなぁ!今にも手を上げそうじゃないか……やっぱり早めに割って入って仲裁した方がいいよね?)
ヘスティア――天界の三大処女とも呼ばれるロリい女神の姿が、そこにあった。
その頃、ヘスティアは丁度家主のヘファイストスとイザコザを起こして彼女のホームを飛び出し、漸く自力でファミリアを作ろうと動き出したばかりの頃だった。勿論他人を助けるような金銭的余裕もないし、貧乏の神なんて貧乏の冒険者と同程度の価値しかないのがこのオラリオだ。奇異や好奇の目線はあれど、本気で助けてやろうなどとは考えない。
ヘスティアは弱きに同情する善人だが、救済する聖人ではない。
子供であっても罪には罰が与えられることを良く知っている。
そして、話の流れからして少年は恐らく、本当に剣を盗んでいるのだろう。だからヘスティアにはあの少年を助ける理由など無い。彼も年季が入った装備をしているということはどこかのファミリアに所属しているだろうからスカウト名目で、というのも難しい。つまり、助けても得る物は自己満足だけだ。
それでも、ヘスティアは最悪でも彼が暴力を振るわれるより前に仲裁して、盗品を返すことだけで許してもらえるよう説得しようと思っていた。でなければ最悪あの少年は謂れのない罪まで押し付けられて有り金を全て奪われたり、サンドバックにように暴力を受けてもおかしくはない。
できればあの大男に理性ある対応を求めたいが、その大男はとうとう子供の肩を乱暴に揺さぶり始めた。少年は俯いたまま揺さぶられ、悲鳴さえ上げられない。
「おぅい、黙ってんじゃ会話ができねぇだろぉ?なぁクソガキ、お前……その剣をいつ、どこで、どいやって手に入れたなんだぁ?ガキが手に入れられる剣じゃねえよなぁ。拾い物か?拾い物はいけねぇ、落とし主に届けるのがマナーって奴だろぉ?」
子供相手にそこまで凄む男がマナーを語るか……と、ヘスティア頭に血の昇った男に侮蔑の視線を向ける。
さぁ、次の少年の発言と男の応対次第では本格的に危ない。男はそれなりに下手に放っているが、これ以上自ら下手に出る事はしないだろう。この流れを逃せば、男の苛立ちや怒りは上がる一方。たとえあれが本当に少年の物だったとしても、渡さなければ暴力で無理矢理奪われる。
ヘスティアには、どうしてもそんな未来がそこにあると知りつつ見て見ぬふりは出来ない理由がある。
(『あの子』が生きてれば、ちょうどあれくらいの年齢……か……最近どうも、ボクは子供に甘すぎるな)
自らの行いを自嘲しながらも、ヘスティアにはどうしても忘れられない少年の顔があった。
嘗て自分によく懐いていた一人の子供を助けることが出来なかった、忌まわしき悔恨。
全てを知った直後にヘファイストス・ファミリア総出で捜索を行ったにも拘らず見つかることのなかった、あの子の事を。
もし、ヘファイストスに甘えてばかりでなく『あちらのファミリア』にも顔を出していれば、歪みの前兆くらいは感じられたのかもしれない。それが叶わなくとも、親と引き剥がされたあの子を保護するくらいは間に合ったのかもしれない。そんな後悔が、子供を見る度に脳裏を過る。
(ここでボクがしゃしゃり出ても、たかが貧乏少年の身体に傷が減るだけ。自己満足でしかない……でも、自己満足も出来ないからボク達はあの時、後悔したんだ……)
きゅっと口元を引き締め、ヘスティアはとうとう物陰から身を乗り出す。だが、それとほぼ時間を同じくして――大男に肩を掴まれていた少年が沈黙を破って顔を上げた。
結果から言うと、ヘスティアは少年の事を見誤っていたのだろう。勝手な先入観で、彼が怯えて口を出さないのだと思い込んでいた。だからこそ少年が動いたことに少し驚き、そして次の瞬間に更なる驚愕が襲った。
「お前のことなど知ったことか。そこをどけ、木偶の坊」
一瞬、空気が凍りついた。
「こっ………のガキィッ!!」
やや遅れて、その言葉が自分に向けられていることに憤怒した男の剛腕が少年を殴り飛ばした。埃が吹き飛ぶように簡単に宙を舞った少年の身体が路地に積み立ててあった木箱に激突し、少年の身体は崩れた木箱に埋められる。
がらがらと音を立てた木箱は少年の上に降り注ぎ、彼の上半身が埋まって見えなくなる。
「フゥ、フゥ……どの口が木偶だとぉ!?俺様はレベル3の冒険者だ!!テメェみたいな薄汚ねぇゴミクズと俺様を一緒にしてんじゃねぇッ!!」
「――ッ!!し、少年!!」
ヘスティアは、その場を瞬時に飛び出して吹き飛ばされた少年へと駆け寄った。
相当な馬鹿力だった。下手をすれば骨が折れているかもしれない。少年の無謀で傍若無人な物言いに肝を冷やしながら、ヘスティアは非力な腕で少年の上に乗った箱を退けようとする。
「大人しく剣を返してりゃ良かったものを……へへ、もう許さなねェ!!おい、どけよ白い嬢ちゃん。大人を舐めた子供がどんな目に遭うか、もっと体でわからせねぇとならねぇ!!」
「ま、待つんだ!たかが子供の言ったことだし、もう充分彼は痛い目を見ただろ!?落ち着いて、剣だけ持ってこの場は下がってくれ!!」
「うるせぇッ!テメェも俺を馬鹿にすんのかぁッ!!」
「キャアっ!?」
剛腕がまた振るわれ、今度はヘスティアの華奢な体が宙を舞った。
地面に叩きつけられた衝撃で体が大きくのけぞり、痛みが背中を襲う。
「――ガハッ!?げほ、げほっ……!」
「子供には教育が要るんだよ。こういう大人を舐め腐ったクソガキはよぉぉぉく躾けておかねぇとまた同じことをやらかす!そうしてこの町の屑になって俺達に迷惑をかけ続けるんだよッ!!へへっ、そうさこれは町内清掃って奴だ!!クズをクズ籠にぶちこんで何が悪い!?」
「な……き、君も彼も人間だろう!ゴミなんかじゃあるもんか!」
大男が木箱の前まで歩いていく光景を、ヘスティアは必死で呼吸を整えながら止めようと足掻いた。しかし、地上に降り、力を封じたた神とは非力なものだ。殴られたわけではなく突き飛ばされただけなのに、ダメージで足が震えてしっかり立ち上がれない。
そんなヘスティアの姿を改めて見た大男は、にちゃあ、と、本当に醜悪で蛆虫の群れを顔にぶちまけられるような悪寒の奔る下卑た笑みを浮かべた。
「あァ……女はモノによっちゃあゴミでもねぇかもなぁ?脅して利用するなり隷属させるなり抱くなり使い道はあるよなぁ?嬢ちゃんは小せぇが、そのデケぇ乳房がありゃ男を悦ばすくらいの価値はある」
「ひ、人を愛玩道具みたいに……くっ、けほっ!女の子を……いや、人を何だと思って生きてるんだい君は……っ!」
「そりゃ、『利用できる限りは』可愛がる対象だろォ?イイもんだぜ、従順な女ってのはよぉ!まぁ俺も流石に嬢ちゃんみてぇなガキまで抱く趣味はねぇけどなぁ。惜しいなぁ、もうちょっと大きけりゃ面白い事も出来たのによォ。例えばこのガキを助ける代わりに俺様を慰めてもらうとかなァ?――これでも、神ともヤったことがあるんだぜ?『そっちのファミリアになってやろうか』ってちょっと唆しただけで本気になってよぉ?おかげでタダでヤれて傑作だったぜ!!」
「………君は、最低の人間だ。地上に降りてそれほど経ってないが、それだけはボクが保障しよう」
神の子である人に対して、ヘスティアは純粋に吐き気を催した。
神と不埒な行為を行うことも、神の側が望めば不可能ではない。そして女神の中には眷属を得るために身を売るような真似をするほど切羽詰まった者もいる。神の中にも最低と思える存在は皆無ではないが、興奮気味にまくしたてる大男の姿が改心するイメージが浮かばなかった。
しかして、この救いようのない屑はレベル3――このオラリオに於いても上位と言える一握りの強者に分類される存在。こんな存在が偉ぶって大手を振っているオラリオという街の歪さを、ヘスティアは初めて実感した。
「とまぁ、女ならブサイクでない限り価値はある。だが野郎のガキは最悪だ。捨て子ってのは生きるためなら泥棒も殺人も平気でやるし、言葉は嘘と虚勢で塗り固められてやがる。おまけに狂暴で臭くて汚ねぇ。どこの誰がこんな迷惑なクソガキを冒険者として『飼って』んのか知らねぇがよお……クソガキってのは生きてるだけで迷惑なんだよ」
「だから、人間扱いもせずに暴力を振るっていいとでも言うのか!?それがどれほどの傲慢か理解して言ってるのか……ッ!!」
「はん、俺にはこんな薄汚ねぇクソガキを庇う嬢ちゃんが気味悪くて仕方ねぇ――さぁ、おべんちゃらはここまでだ。まずは俺の剣を返してもらって、躾けはそれからだ!」
男の野太い腕がゆっくりと木箱に埋まる少年に伸びる。
粗暴で、粗野で、優しさなど欠片もない蛮人のような荒々しいその掌に――黒い刃が生えた。
「あ…………?」
突如自分の利き腕に奔った衝撃に、大男は顔を顰める。
その刃の正体を確かめる前に、大男の掌から夥しい量の血液が噴出した。
「ゴチャゴチャと……迷惑な屑は、手前なんだよクソがッ!!」
年端もいかない貧相な少年の内より溢れる、魂を焦がすほどの憤怒の双眸。
刃の正体は、少年の突き出した黒曜の剣の切先だった。
それを理解した頃には、既に男の掌は縦一閃に切り裂かれた後だった。
「――うぎゃあああああああああああああああああ!?いい、痛い!?痛いぃぃッ!!ぐああああ、ああああー!!あああああああああああああああああああああ!?」
想像を絶する激痛に大男はその場でのたうちまわって醜い悲鳴を上げた。少年は大男の返り血を浴びながら身の丈に合わない剣を携え、烈火のような怒りを湛えてその男に更に斬りかかった。男は自分の手があり得ない形状に裂ける光景に恐慌状態に陥り、まだ酒も飲めない年頃の少年の太刀を躱すことも受け流すことも出来ない。
「てめぇがッ!!どこの誰でッ!!何を無くそうがッ!!俺の知ったことじゃねぇんだよおおおおおおッ!!」
「げふぅッ!!ああ、ああ、やめ――ヒギャァァァァァッ!?」
体躯に合わない大きな剣を両手で力任せに振り回し、少年は微塵の躊躇もなく人間を斬る。それは、この街でも完全な非合法で、一種の禁忌とも言える行為だった。
暴力沙汰とて大半は見逃されるものの、時にはファミリア同士の抗争の火種になることもある。そんな中、魔物を斬るべき剣を人間に向けるのは度を越した行為だ。その行動をすれば周囲を一斉に敵に回し、度が過ぎれば指名手配。こんな真似を本気でするのは闇派閥か、確実にばれない場所でする闇討ちだけだ。
普段のレベル3としての戦士ならば避けられたはずの攻撃。だが、悪魔に憑りつかれたように怒り狂う少年の尋常ならざる殺意と、躊躇いもなく人間の掌を『縦に割る』常軌を逸した行動が、男の心の弱さを強引にこじ開けた。
力任せに棍棒を振りかざすような荒々しい斬撃は、大男の腕や足を真っ赤に染め上げる。深い傷ではなかったが、鎧を潜り抜けて皮膚を抉る生々しい切り傷が否応なしに男の命の温度を下げていく。
恐ろしい。この暴虐の権化のように常識を斬り裂く悪鬼が恐ろしい。
一体どのような経緯を経ればこんないかれた人間に出来上がるのか全く理解が出来ない。
「おグオッ……っ前ぇ!!こ、こんな真似して唯で済むと――!?」
「薄汚い大人の分際で俺の許可なく口を開いてんじゃ……ねぇよおッ!!」
「あぎゃあああああああッ!!あ、足がぁぁぁッ!!」
「ハァッ……ハァッ……俺の剣は!!俺が得た、俺の物だッ!!俺から奪う奴は絶対に許さねぇ……俺には力があるんだ!お前みたいな生きる価値もなく搾取するだけの屑を血染めにして奪い返す力がァッ!!」
太股を裂かれて情けない悲鳴を上げて地面に転がった男の鎖骨付近に、追撃の刃が突き刺さる。
「俺が塵なら、塵に負けたお前は何だ?……言ってみろよオイッ!!」
「ぁぎいいいいいいいいいいいッ!?やめてっ……ぐれぇッ!?ぎぎがああああああああッ!?」
修羅の形相で叫ぶ少年が万力のような力で剣をねじり、男の肩の肉がブチブチと音を立てて抉れる。まるで出来損ないのオルゴールを螺子で巻いたように、男から魂を削るような悲鳴が漏れた。夥しい血液を噴出しながら醜く泣き叫ぶ男は本能的に抵抗しようとに自分の斧を握ろうとするが、引き裂かれた掌が上手く斧を掴める筈もなく、ただ血で取っ手が滑るばかりだった。
オラリオの公衆の面前で繰り広げられる、耳を塞ぎたくなる悲鳴と猟奇的な光景。
誰も彼を止められない、誰も大男を助けようとしない。
何故なら、少年が振るう常軌を逸した暴力が恐ろしいから。
そう、それほどに――恐怖とは明瞭で、単純で、余りにも耐え難い。
「おい、何の悲鳴だ――ヒッ!?」
「だ、団長!?て、てめぇガキ!!団長になんてことを――!?」
「あああ、あああ!!た、助けてくれ!!このガキ正気じゃねぇ!!こ、ころ……殺されベブッッ!?」
「『大人』風情が『子供』の許可なく喋ってんじゃねぇ……!!」
少年のブーツの踵が大男の口を踏み潰し、バキバキと生々しい音が響いた。男の顔面に食い込んだ踵が、彼の永久歯を踏み折ったのだ。体のあちこちから血を噴出しながら顔面を血塗れに濡らす男は、踵と自分の歯、そして血によって窒息寸前になっていた。
少年は、その男がまるで踏みしめる石畳と同じであるかのように自然に、返り血を浴びた顔を後から来た男経都の方に向ける。
「――それで?お前らは俺に何の用だッ!?てめえらも俺に喧嘩を売りに来たってかァッ!?」
その咆哮にも似た鬼気迫る叫び声は――確かに、暴力の『恐怖』としてその場の大人たちの全身を雁字搦めに縛りつけた。
大男の拳は、少年に効いていなかったわけではない。現に少年の頭からは木箱にぶつかった時の裂傷がどろりとした血を流し続けていた。しかしその血さえも恐ろしいと思えるほどに、少年の気迫は路地の空間全てを埋め尽くしていた。
結局、その場で唯一冷静だった相手側の団員が「黒曜の剣は別の場所で見つかった。うちの団長が勘違いして悪かった」と地面に頭を擦りつけて謝罪。少年はその頭を無言で一度蹴りつけて謝った男の鼻を粉砕した。
くぐもった悲鳴をあげるその男をしばし見下した後、少年は「二度と俺に近寄るな」と一言呟いて大男を集団の方へ蹴り飛ばした。衝撃で大男の口から歯と鮮血がぶちまけられた。集団は少年に怯えながらも最低限の応急処置のを大男に済ませ、逃げるようにその場を立ち去った。
「くそ、くそ……イ、イカレてやがる。正気じゃねぇ……!」
「これ以上喋るのはよそう。俺達も殺されかねん……」
「う゛ぁ……あ゛………」
ポーションと包帯塗れになりながらふらふらと歩く男が最後に少年に注いだ目は、屈辱でも怒りでもなく、純粋な恐怖だった。
しかし、ヘスティアは少年を恐ろしいとは感じなかった。
(今、戦う瞬間に放った気配――あれは、『――――』の眷属のもの……!例え何億年の刻が流れようが、ボクが『――――』の気配を読み間違えるなんてありえない。でも――ああ、そういうことなのか……!)
少年が誰なのか、気付いてしまったから。
その少年と自分が、かつてよく遊んでいたという事実に気付いてしまったから。
生きていて嬉しい筈なのに。再会できて嬉しい筈なのに――ヘスティアが最初に感じたのは、悲哀だった。
(今の今まで気付かないほどに……君はどうして、何でだ………まるで、あの頃とは別人じゃあないか……ッ!!)
きっと彼女が神でなければ永遠に気付くことが出来なかったのではないかと思うほどに、かつての快活な少年は変貌してしまっていた。
暴力も血も好きではなく、人を脅したり怪我させたりはしない、誰から見ても可愛らしいと思えるような子供だった彼は――あの時に間に合わなかったばかりに、どこまでも歪な存在になってしまっていた。
何が彼をあそこまでの暴力と殺意に駆り立てているのか、ヘスティアには分からない。黒曜の剣を手に入れるまでにどれだけの死線を潜り抜けたのか見当もつかない。どれほど周囲を拒絶し、恨んでいたのか理解したくもない。
(違うだろ……君は、そんなにも濁った憤怒を宿すような少年じゃなかったじゃないか。母親の愛を受けて育った、これ以上善良な子はいないと思えるほどに可愛くて、戦いの才はあっても向いてはいないような、優しい………)
過ぎ去りし過去にどれほど手を伸ばしても、秒針は嘗てに戻ることはない。
あの頃、ヘスティアと共に笑っていた少年は、もう二度と戻ってくることはない。
全てが終わった少年は、先ほどまでの烈火の如き怒りなど無かったように、静かに身を翻す。
自らの行動の虚しさを悟ったように、その存在感は年相応の小柄な背中に収まっていた。
その少年の背に、ヘスティアは泣きそうな程に上ずった声をかける。
「どこに行くんだい、アキくん……ボクの顔も忘れてしまったのか?」
「……………あんた、は」
振り返った少年の眼がヘスティアを捉え――その濁った意志に、ほんの僅かな動揺が走った。
今の今まで、こっちには気付いていなかったとでもいうような表情に、ヘスティアは自分の爪が掌に食い込むほど握りしめて、涙を流した。
――ああ、天よ。どうしてこの子がこんな姿になるまで放っておいたのだ。どうして、自分は彼がこんな姿になるまで見つけ出すことが出来なかったんだ。ヘスティアは、他の誰でもない――たった一人の子供を助けられなかった自分が憎くなった。
「うちにおいで……その血を体に塗したまま大通りを歩かせたくない。お風呂、貸してあげるよ」
「俺は!……俺は、もうあんたの知ってる子供じゃない。俺は――」
「いいから、来るんだ」
ヘスティアの細い手が少年の手を掴んだ。手まめだらけでごつごつとした年齢不相応な掌の感触が、ヘスティアを更に悲しくさせた。かつて差し伸べれば笑顔で握り返してくれた無邪気な手も、今や血を啜り赤く滲んでいる。血生臭いその掌は、幾ら洗っても拭えぬ罪の重さを宿しているかのようだった。
その罪を背負うような生き方を、ヘスティア達はさせないことが出来た筈なのに。
「一度だけでいい、来てくれ……二度目を逃したら、ボクは今度こそ自分が嫌いになってしまう……」
一度目は見つける事さえできなかった。
だから、二度目は――例え手遅れだとしても、手を握り返して欲しかった。
少年は一瞬その手を振り払おうとして――止まった。
まるで腕が自分の意思を無視して動いたっかのように目を見開いてヘスティアと繋がれた手を見つめた少年は、小さな小さな嗚咽を漏らし、やがて力なく項垂れた。
「―――………わかっ、た」
静かに、とても静かに、自分でも理由の分からない涙を流しながら、手を引かれて少年は歩く。
その姿は先ほどまでの悪魔のような姿からは想像も出来ないほどに小さく、まるで迷子の子供が母親を求めて彷徨っているかのように痛々しかった。
その涙は誰かに縋る涙ではない。
オーネストは決して他人の為に涙を流しはしない。
彼が哭いているのならば……それは、オーネストがオーネストに対して流す涙だ。
だとしたら、最もオーネストを憐れんでいるのは、本当は――
後書き
5000文字で済むはずが、細かい所を詰めたら普通に過去話だけで終わってしまいました。
………カルピス文字書き(ボソッ)
ちなみにオーネストの人生的にはここがヘスティアルートに行くかどうかの瀬戸際でしたが、彼は自力で折りました。折ってなければ多分小説のタイトルが「ボクの眷属が狂犬すぎてファミリアに誰も近寄らない」になっていたと思われます。
19.向カウハ修羅ノ道
こうはならなかった筈。
そんな言葉が脳裏を過るのは、思い描く理想があるからだ。そして、理想はあくまで理想でしかなく、そこに到る道は綱渡りのように細くて長い。簡単に渡りきってしまえる者もいれば、何かの拍子に道を外れる者もいる。
オーネストは後者だった。言葉にすれば、ただそれだけの事でしかない。
「うちに来てもね……あれからどんな風に生きて来たのかは話してくれなかった。その日だけ、オーネストはうちの家に泊まっていったよ。そして次の日の朝――あの子の姿はなかった。ちょっとした置き手紙だけ残して、結局またダンジョンに………一応、それ以来時々は顔を見せるようになってくれたけど、それだけだった」
「それだけ、って………?」
「自分の事は言わない。弱音は吐かない。甘えない。慣れあわない。本当に顔を見せるだけでにこりとも笑わない。………あの子は誰の庇護にも入らずに独りぼっちでダンジョンに向かっていた。なのに、何一つ……全く頼られなかったんだ」
ベルは、想像する。
仮定の話――ファミリア入りを諦めたベル・クラネル少年は拙い装備でダンジョン攻略に挑む。お金も食べ物も充てはないし、友達も仲間もいない。泥棒に疑われたり浮浪者扱いを受けることもあり、浴びせられるのは賞賛ではなく嘲りと罵り。心配してくれるエイナも無視して苦労して倒した魔物のドロップアイテムを持っていると、盗品と訝しがられる。その果てにボロボロになった先にヘスティアを発見したベルは……その神様を無視してまたダンジョンへ向かう。
この広い街の中で数少ない『味方』を――縋りついて泣き、己の内をさらけ出したい『味方』を拒絶する。そんな判断を、ベルは出来るだろうか。
答えは決まっている。そんなことは考えもしないだろう。だって、自分から態々苦しい道など選ぼうとする人はいないからだ。
「オーネストさんは寂しくなかったのかな……辛くなかったのかな……」
「寂しかったのかもしれなし、辛かったのかもしれない。ただ、噯にも出さなかっただけでね」
ベルの呟きに、アズは苦笑いしながら答える。
「どうして……苦しさを溜めこんだまま過ごしても辛いだけじゃないですか。どうして隠す必要があったんです?」
「『弱音を口に出す軟弱な自分が許せない。そんな自分は心の中で押し殺してしまえ』……ってな感じだろう。辛さ耐えきれずにぬくもりを求めるのは当然のことだけど、同時にその欲動は甘えでもある。あいつは、甘えて他者に付け入られる隙を作るくらいなら自分の甘さを噛み殺そうとする奴さ」
「でもそれじゃあ、ただ辛いだけじゃないですか!」
「後で失うくらいなら苦しみを募らせたままの方がいいって思ってたのかもな。あいつ、絶望的なまでに人生不器用だから」
少なくとも、今のベルにはアズの言葉の意味は分かっても理解は出来なかった。
辛いのならば逃げてしまえばいいのに。自分を家族同然に思ってくれる人がいるのなら、その人と共に歩んでいけばいいのに。
「あんまり深く考えなさんな、ベル君」
「ガウルさん……?」
「つまり、『オーネストは英雄ではない』ってだけの話だよ。女の子を助けるために戦うベルとは向かう方向も到達点も全然違う。だから目指す必要はない……それだけだ」
「あのお方のお考えなさることなど、理解する必要はありまへん。あのお方はあのお方で、坊やは坊や。それが真実やから……」
「それはなんとなく理解できました。オーネストさんは僕の憧れるような英雄じゃないってことは………でも」
悲劇のまま終わる物語など、ベルは信じたくない。
「今のオーネストさんにはアズさんや神様みたいな味方がいるんでしょう?」
オラリオにはいる筈だ。悲劇に見舞われた人を助ける英雄が。いや、それは英雄ではなく友達かもしれないし、恩人やパートナーかもしれない。或いは神なのかもしれない。それでも、何か一つくらいは救いがある筈だ。
そして、木漏れ日のように差し込んだその光は――きっとすぐ近くにいる。
「決まってんだろ!何せこのアタシは逆にオーネスト様とアズ様以外にゃ殆ど味方いねぇし!……なぁ、浄蓮♪」
「ねー、めりーじあ♪」
「……二人の唐突な友達少ないです宣言はさて置いて、俺もオーネストには借りがある。返すまでくたばって貰っちゃ困るのは確かだな」
ならば――やっぱりオーネストの全てが間違っていたわけじゃない。喪って、喪って、喪った末にでも得た物があるのなら、英雄とはいかずとも救いはあった筈だ。
ベルは、ただその一点だけはきちんと理解できた。
ベルとガウル達がノリを戻していく中、ヘスティアは小さな溜息をつく。
当事者でない人間には分からない後悔というものは、未だに消えていない。
「もう少し、運命がボク達の方に向いてればなぁ……振り返っても事実は変えられないけど、多かれ少なかれオーネストの存在はボクの心に楔を打ったよ。思えばベル君を眷属に迎え入れたのも、無意識にあの時の贖罪をしたかったからかもしれないね……」
「それは違うと思うけどな」
しみじみと神酒の入ったグラスに視線を落としていたヘスティアの眼が、声の主――アズを向く。
「例えオーネストがオーネストになっていなかったとしても……いや、オーネストそのものがいなかったとしても、ヘスヘスは多分ベル君に手を差し伸べたさ。動機が何であれ、確かにヘスヘスはベル君という存在を助けようとしたんだ。そこに疑いを持つのはいけない……だろ?」
ジョッキ10杯目の神酒を片手にニッと笑ったアズに、ヘスティアも笑った。
「それもそうだね……例え過去に何が起きようと事実を曲げる事は出来ない。ボクは確かに自分の意志でベル君を眷属に迎え入れたし、過去や仮定なんてものに意味はない。ボクはいつだって可能性を信じてる」
彼女と軽く乾杯をしつつ、アズライールは最後まで自分の中にある一つの答えを胸の内に押しとどめた。
得ることと喪うこと、救われることと突き落とされることは同じ場所に存在している。
オーネストに味方が出来たとしても、その味方がいつまでもオーネストの近くにいるとは限らない。絆が深ければ深いほどに、それを断たれる苦しみも、また。
(多分、その時に初めてオーネストは問われる。己の存在と、進む未来を……そう、あいつの時間はその時初めて動き出す)
何の根拠もない予感――オーネストが決断をするとき、少なくとも自分はその場にいない気がした。
= =
同刻――『酷氷姫』率いるエピメテウス・ファミリアが体勢を立て直すために地上へ昇た頃。阿漕な商人たちで賑わう商店街を通り過ぎた所で、狂と凶は出くわした。
「よう、死にたがり。まだくたばってねぇみたいだな?」
「よう、生きたがり。まだ天寿を全うしてねぇようで何よりだ」
これが、ベート・ローガとオーネスト・ライアーが出会うたびに繰り返される交友風景である。何も知らない人が見ればマジでボコる4秒前みたいな光景だが、残念なことに二人は4秒後に互いに悪い笑みを浮かべて一緒に歩き出すだけだ。
説明などは必要ない。今、この18階層に遠征の為に訪れたロキ・ファミリアがいて、そしてそこにオーネストもいた。事実関係はそれだけであり、確認するまでもないので二人の会話も素っ気ない。
「やけに上層で会ったなぁ?一昨日にダンジョン入りしたって聞いたからもっと下にいると思ってたんだが、どういう風の吹き回しだよ?」
「野暮用だ。もう済んだ」
「あの死神野郎も一緒か?それともココの奴か?」
「いや、今回は馬鹿だ」
「ああ、あのいけすかねぇ人形遊び野郎か……」
これでつつがなく会話が成立するのはどうなんだろうと思うが、彼らの中では馬鹿=ヴェルトールという認識である。ベートには嫌いなものが山ほどあるが、ゴースト・ファミリアとは基本的に仲が良くない。というのもゴースト・ファミリアには変則的な戦法や対人戦に長ける者が多いせいで、正面切っての戦いをやりにくいからだ。特にレベルも得体も知れないアズと自分よりレベル下なのに『あんな物』を使うヴェルトールは好かない。
ベートが好むのは純粋な強さと闘争。そして強さを求める意志だ。オーネストは別として、ゴースト・ファミリアには強さに対してストイックな存在は少数派だった。そして、実を言うとベートは特にオーネストと話すことがある訳でもない。
「また芋虫エリアに行くんなら組まないか、と言おうかと思ったが……人形野郎がいるんならその必要もねぇか」
「ああ。おかげで面倒な敵は全部押し付けられ、好きな魔物と戦える。到れり尽くせりの優雅な旅路になりそうだ」
「ハッ!優雅なんて世界で一番テメェに似つかわしくねぇ言葉だとばかり思ってたぜ。……テメェの行く先に出来るのは泥塗れで血腥ぇ屍山血河の道だろ?」
「そう、屍山血河の道だ。くたばった時は俺の血がカーペット代わりになってくれる。洒落てるだろ?」
「テメェの洒落は洒落になんねぇっての。で、物は相談だが……くたばるんならその前にテメェの隠し札とレベル全部吐けや。まだ聞いてねぇぞ?」
「嫌なこった。俺の事は俺だけが知っていればそれでいい」
「秘密主義か?似合わねぇな、キザ野郎」
ケッと小さく悪態を漏らすベートだったが、その表情には「それでこそのお前だよな」と言わんばかりの……そしてそれを確認できたことに満足するような笑みを浮かべていた。オーネストもシニカルな笑みを一瞬浮かべ、二人は前触れもなく別れて自分の行くべき道へ向かった。
「勝手にくたばんじゃねぇぞ」
「俺の命の使い途は俺が決める。それに俺は明日の予定など気にしない主義だから約束しかねるな」
「よく言うぜ、結局は生きて帰る癖に……」
二人は似ているようで似ていない。
ベートは常に高みを目指すが、オーネストは高みに興味はない。ただ、その日に自分の眼前に立ち塞がった障害を全力で破壊しようとするだけだ。しかし、一度戦うと決めたオーネストは、断固戦う。本当に、だれかに強制的に止められるまで戦う。相手が格上だとか攻略方法がないとか、それはオーネストには関係がない。
全てを賭してでも相手を打倒しようとする、純粋な闘志。
その極めてストイックな姿勢を、ベートは一人の戦士として尊敬し、意識している。
そして、ベートにとってはそこまで分かっていればそれ以上は必要ない。後はそれを踏み台に乗り超え、更なる高みを目指すだけだ。背負う過去や人間関係などに興味はない。
嘘も詮索も、する必要がないから口にしない。
意識はしつつも、交わることはない道。
だからこそ、この二人は上手くいく。
逆説的に交わると上手く行かないかと言うと、そういう訳でもない。
ゴースト・ファミリア然り、時折道が交わる存在はいる。
しかして世の中には物好きというのが存在するもので、仲が悪く気に喰わないのに態々向こうから関わってくる人物もいるのが現実だ。
「……二人してな~に恰好つけてんだか。全然格好良くないしダサいんだけど?」
「まさか仲間のベートでなくて俺の道に先回りしてまで絡みに来るとは恐れ入る。お前は全自動嫌がらせ装置か、或いは陰湿なストーカーか?」
「あっはっはっはっ。馬鹿にされてんのは分かったしぶん殴ったろうかこの『狂闘士』は……!」
笑顔で青筋を浮かべる器用な女――ティオナ・リュヒテがどうしてオーネストに突っかかりに行くのかはロキ・ファミリアの面々にもよく分かっていない。何故か、と問われれば「キライだから」と膨れっ面で返ってくるからである。
例えばだが、人を救うのに理由が必要か、という言葉がある。
人が人を救うには力関係や特別な感情、利潤の有無などが挙げられるが、人道倫理に則って「そうすべきだ」と確信すれば他の理由などは必要ないだろう。自分がやりたいからやる……ただ、それだけの事だ。
そして、それはティオナも同じ。他人を嫌うことに事細かな理由など必要ない。何故なら、理由が分かったところで嫌いなものは嫌いなままだからだ。何故ピーマンが嫌いなのかという問いの答えが「苦いから」だと判明しても、それでピーマン嫌いが直る訳がない。
「ったく、相変わらずダンジョン大好きね?アンタみたいな危険人物がウロついてたら他のファミリアのいい迷惑だし思い切って冒険者辞めたら?」
「俺のやることは俺が決める。お前も大概しつこい奴だ……好きでもない男の尻など追いかけるのは止めておけ。唯でさえ少ない嫁の貰い手がいなくなるぞ」
「アンタのお尻なんか追いかけてない!アタシの視界に映るアンタが悪いのよッ!!」
アマゾネスが求める物は「戦」と「旦那探し」だと古往今来相場が決まっている。
特に男に関してはかなりの執念で、一度ターゲットにされると猛烈なまでに情熱的だ。ティオナの姉のティオネなんかがいい例で、想いを寄せているフィンに女が群がろうものなら剥き出しの殺意をぶつけて追い払う程だ。
オーネストの館も、よく夫や想い人の敵討ちとかで何度もアマゾネスにカチコミを受けた物だ。ただし、オーネストが報復するとアマゾネス達が女性として壊滅的なダメージを受けかねないのでいつも別のゴースト・ファミリアが迎撃に当たったりメリージアが説得を試みたりしていたが。
ともかく、アマゾネスとは基本的には惚れたら一途だ。男を追い回す理由など基本的にはそれしかない。ところがティオネは別に好きでもないオーネストに何故かやたらと突っかかる。単に仲が悪いだけならそれほどでもないが、彼女の場合はそれほど普通とは言い難い。
まず、その存在を目視で確認したら必ず突っかかって来る。また、匂いを感じても探して突っかかってくる。よくない噂が立つとそれを理由に突っかかってきて、メリージアを訪ねて遊びに来るという名目で館まで来て突っかかってくることもある。冒険者同士というのは深く潜れば潜るほどにスケジュールがずれて接するタイミングが減る物なのだが、ティオナは物理的に会える日ならば100%会いに来る。しかも、「冒険者辞めたら?」と言うためだけの理由で。
これはツンデレ的なアレなのではと周囲は本気で疑ったが、ロキによる聞き込み結果は「ティオナは本当にオーネストが嫌い」だった。
『せやったら何がティオナをそこまで駆り立てんねん?』
『知らなーい。ぷいっ』
そして、オーネストの話が出ると本気で機嫌が悪いので碌に喋ってくれなくなる。
結局、今の今まで何故ティオナがオーネストをそこまで目の敵にしているのかは不明だ。オーネスト自身、嫌われる心当たりは星の数あってもここまで追い回される心当たりはない。
「ダンジョンの中くらい好き勝手にさせてもらいたいもんだな」
「ふんだ。ダンジョンは攻略する場所であってアンタの暴れる場所じゃないのよ?あんたが3年前に59階層までたどり着いたのだって、本来なら暴れ馬のアンタじゃなくてあたし達みたいな誉あるファミリアのやることなの!しかもアンタと来たら黒竜相手に3度も無策で喧嘩売っては死にかけて!勝つ気が無いんなら剣なんて捨てなさいよ!」
「剣がなければ拳でやればいいだろう」
「しまった、そういえばコイツ3回目の時は素手で黒竜の牙へし折ってた……」
額を抑えて溜息を洩らしたティオナは――不意に、鼻をすんすんと鳴らしてオーネストに近寄る。
「オーネスト、いつもと違う臭いがする」
「そんなもの嗅ぎ分けてどうする?イヌでもあるまいし」
「……オーネストの背中から女の臭いがする!それも結構濃い!」
「浮気調査する新妻かお前は……?」
「ねえねえ誰?ねー誰?誰の臭いかな~~?」
さっきまでの不機嫌から一転、今のティオナは興味津々に真実を追求しようとしている。敵意や殺意は軽く受け流せるが、こういう好奇の視線は馬鹿みたいで鬱陶しいので早歩きになる。しかし、ティオナも早歩きで付いてくる。仲良し子良しでもあるまいし、そんなにもからかいの種が欲しいのだろうか。
「背中から臭うってことは担いでたんでしょ?アンタ人を担ぐなんて善人みたいなこと普段はしないじゃない!大抵アズに押し付けてるし!そのオーネスト君が自分から女の子を背負うっていうのはどういう事情なのかな~?」
「……偶には気まぐれな日もある」
「オーネストの気まぐれを誘発する時点でこれはもう天の導きだね。結婚しちゃいなよ!こういう時の出会いって大事だと思うよ!」
「はぁ?どのようなアレだそれは?」
オーネストはいよいよ状況が掴めなくなってきた。何故この女は人の背中から女の臭いがすることを理由に背負った女と結婚しろなどという飛躍した理論に達したのだろう。最初は単にからかっているのだろうと思っていたが、この女は何故か本気で応援しているつもりらしい。
人の事が嫌いなくせに人の恋路を勝手に応援している挙動不審なティオナ。
取り敢えずオーネストの頭に浮かんだ仮説としては、オーネストが冒険者を引退することで狙いの男が手薄になるとか、別の友達の恋路を応援するうえでオーネストの存在が邪魔になっている、という動機が考えられる。
(しかし、俺の周囲にそんな奴いたか………?)
神ならぬオーネストには周囲の人間関係や恋愛の機微を把握しきることは出来ない。しかし、それを差し置いてもオーネストの周囲の人間関係にそのような甘酸っぱい連中はいなかった気がする。となるとオーネストが知りもしないが影響を与えている誰かだろうか。
「そうと決まったらホラ!その女の子にさっさと告白しに行きなさいよ!」
釈然としないオーネストの背中をティオナがパァン!と叩いた。普通の人間なら下手するとぎっくり腰になる威力だが、流石はオーネスト痛みをおくびにも出さない。
「だから、何故、俺が、そんなことをする必要がある?」
「ダンジョンの魔物のお尻を追いかけ回すよりずっと健全でしょ!」
「それはさっきの意趣返しか?」
「モチのロン!そして、そのまま健全な一生送りなさい!」
「……まさか、遠回しに結婚を機に冒険者を辞めろと言いたいのか?」
「分かってるじゃんオーネスト!で、で?相手は誰?式はいつ開くの?アマゾネスの里の近くに良い村があるからそこで愛を育んじゃいなさいよ!あの辺は一夫多妻も珍しくないからついでに何人か娶っちゃえば?よっ、色男!」
(理解しようと思っている訳じゃないが……今日のこいつは一等訳が分からん)
打算的な狙いがあるのなら、カンで全て察することがオーネストには出来る。しかし、どんなに見てもティオナはただ純粋に、そして極めて一方的に恋を応援するだけだった。結局、まるで人の話を聞かないティオナは勝手に盛り上がるだけ盛り上がり、長い付き合いの中でも初めて上機嫌のままオーネストと別れた。
この革命的な事件が「え、まさか本気恋愛に発展!?」という風にロキ・ファミリアを震撼させるまであと数刻。なお、勘違いの模様である。
後書き
ところで、ティオナはオーネストが嫌いなようですが……そもそも好きの対極にあるのは嫌いではなく無関心なのだとマザー・テレサは言ったそうです。私もそれは真理だと思います。という事は……嫌いと好きは≠の関係ではない……?
20.Soul Bet
ある者が、お前を許さないと言った。
言葉をかけられた者は、許される必要があるのか、と返した。
その言葉は傲慢だが、同時に正しくもある。
罪悪を覚えない者にとって、罪など何の価値もない言葉だ。
ならば――苦しみから逃れるために贖罪が必要だと言うのなら――受ける苦しみが罰ではないと言うのならば――罪を背負わぬまま苦しみを受ける者に、救済はあるのか。罪を背負わない者は、永劫に許される事もないのか。
オーネスト・ライアー。
嘘と真実を同時に内包した男の背中は、果たして何を語るのか。
これは、その答えの一端を垣間見た男の物語。
= =
西通りにある看板もない古びたバー。
夜にしか営業しておらず、客足も少なく、そしてサービスも悪い。どうして続いているのかが分からないほどに酷いバーテンダーに、その男は声をかけた。
「……ご注文は?」
無愛想極まりないバーテンダーは、こちらと目を合わせもせずに誰も使わないショットグラスを磨き上げている。男は、その素っ気ない催促に対し、「冷たいミルクを」と伝えた。バーテンダーは一瞬動きを止めて男を見ると、その首に古臭い木製のペンダントが下がっているのを確認するなり鼻を鳴らす。
「……うちにミルクはねぇ。ションベンして帰んな」
男はしばし考え、バーに備え付けられたトイレを借りる旨を伝える。
言葉通り用を足して帰る。そういう意味に受け取れる。
「便所はお前から見て左手にあるドアの向こうだ。ちゃんと便器の中にぶちまけろよ」
おおよそ飲食をする店のオーナーが発する言葉とは思えない台詞に、しかし男は気にした様子もなく会釈をしてそのドアへと向かう。ドアを開けた先のトイレは、ひどい有様だった。悪臭は勿論、壁や床に落書きや黄ばみが広がり、暗がりには虫らしき生物の蠢く音が微かに聞こえる。幸いにも水洗式ではあるが、1分も留まったら窒息してしまいそうな汚さだった。
個室に到ってはドアが外れたり「故障中」と書かれた張り紙が今にもはがれそうな程風化していたりと、とてもではないがまともに管理する気があるとは思えない。
男は躊躇いもせずに「故障中」の張り紙がある3番目の個室へと行くと、そのドアを軽くノックする。コン、ココン、コンコン、独特なリズムで遊ぶように叩かれる。それから数秒後に、ドアの内側からガチャリと錠前を開く音がして、ゆっくりと開く。
開いた先には、当然のように汚らしい便器が鎮座する。男はその便器に出来るだけ触れないように壁際を伝い、奥の壁にあるタイルをそっと押した。
ゴゴッ、と石の擦れる音がしてタイルが壁に沈む。
同時に部屋の便器が床の下へと沈み、奥の壁に切れ目が入る。ギギィ、と重苦しい音を立て、タイル張りの壁は石扉へと変貌した。奥には足元を最低限照らす魔石灯と、長く続く階段。男は驚きもせずにその階段を下りていく。幸いなことに、階段の奥からは悪臭を忘れさせてくれるお香の匂いが吹き上げてくる。
暗闇の中、延々と行き先の見えない階段を下りていく。この階段に辿り着く先があるのか疑いを持つほどに、その時間は永遠を感じさせる。実際には僅か1分程度でしかない筈なのに、男は果てしない時間を旅した気分になってきた。
しかし、この世に永遠は存在しない。男の旅路にも終わり――目的の場所の扉が見えてきた。
あの酷いバーと比べるとあまりにも奢侈な金細工の装飾が為された扉。男は扉に歩み寄り、ハープを象ったドアノッカーを鳴らした。
少し間を置いて、扉が開く。
薄暗い扉の向こうにいたのは、ギルド職員の服装に似た白シャツと黒ベストの男性が待ち構えていた。エルフ特有の鋭角的な耳と、天女の羽衣を想起させる薄布の肩掛けと金色のバッジをつけた男性は優美に一礼した。
「ようこそ、この街で随一のギャンブラーが集う神聖なる決闘場――非合法賭博場『アプサラスの水場』へ。わたくしはこの賭場のオーナーを務める者……ガンダールと申します。以後、お見知りおきを……」
= =
「街の南にも賭場場はありますがね……ふふっ、一時期はこの店の方が規模が大きかったこともあるそうです。尤もそれは先々代の頃の話なので100年以上前になりますが、ね」
ガンダールは外見年齢こそ20歳前後に見えるが、エルフ故に外見相応の年齢ではないように思える。狐を連想させる細目と頭の後ろで結ばれた青白い髪が印象的なその男は、突然の来客にも動じずに丁寧な案内を続ける。
「それにしてもわざわざ旧道からのお越しとは通ですな。新道では会員証のネックレスも合言葉も変わっていますし、入り口は清潔な物に変えているのですが………おや、どうしたのですか?随分悔しそうな……ああ、会員証を手に入れた際に教えられたのが旧道だったのですね?ご愁傷様です……ふふっ」
男の通ってきたのは大昔に作られたカジノ入会ルートで、現在の客の殆どは新道という利便性の高い道を使っているそうだ。ではなぜ旧道が残っているのかというと、それは付き合いの長い通な客や神が愛着のある旧道を潰さないで欲しいと頼んできたからだという。
あの汚い空間を越えた先に待つ賭場――その独特の感覚は、長く入り浸った者にしか理解できないだろう。
やがて、古の冒険者や神々が心を躍らせた賭場がその姿を現す。
『上』にある公式な賭場に勝るとも劣らない煌びやかな装飾――テーブル、トランプ、チップ。
ルーレットの上を転がる球の行先に一喜一憂し、スロットの回転を見極める事に胸の高鳴りを覚え、トランプの模様を予想する瞬間に真剣な眼差しが交錯する。得るか失うか、その二つしか存在しない勝負場を、男はガンダールと共に通り過ぎる。
「ここ――『アプサラスの水場』は先ほども申した通り非合法の賭博場でございます。大昔は非常に高レートな賭けや、文字通り「命」を賭けた過激な物も多かったのですが、ギルドの長にロイマンが就いてからは締め付けが厳しくなりまして……わたくしがオーナーになった頃には激減しておりました。今はもうやってない、という訳でもございませんが……ね」
非合法、という言葉は反社会的な性格を持つ者の心をくすぐるし、悪性に近い神は敢えてこちらの賭博場を贔屓にすることも多い。訳ありで表に顔を出せない者や出禁になった者が辿り着くのもここだ。だから『アプサラスの水場』の歴史は以外に深い。
「……ん?ロイマンですか?ええ、実は同じ学び舎の先輩でしてね……わたくしの方が少々年下ですが、付き合いが長いので呼び捨てし合う間柄です」
男は一瞬首を傾げ、自分が疑問に思っているのはそこではないと告げた。
すると、ガンダールは一瞬キョトンとし、遅れて苦笑した。
「あの人がそんなに有能なのかって?……ふふっ、東の方には『鼓腹撃壌』という言葉がありましてね。想像できないかもしれませんが、彼をエルフの恥などと呼んでいる者は自分がロイマンの腹の上で踊っている事に気付いていない場合が多いのですよ?」
そこはかとなく彼のコネクションが裏社会にまで通じている事に男は意外そうな顔をしたが、あり得ないことではないと考え直してか直ぐに平常な顔に戻った。それを確認したガンダールは笑顔で話を続ける。
「さて、お客様は何を求め、何を賭けにいらしたのか………よろしければお聞かせ願えますか?」
ガンダールの問いに、男は躊躇いもなく一言だけ言った。
「………ほぉ、オーネスト様の『背中』の情報でございますか?――ふむ、その言葉の意味も正しく理解しているようだ。結構、結構……では、チップもそれに相応しい物を用意しておりますね?」
男は、自分の心臓を親指でとんとんと叩き、代償が何たるかを指し示した。
この店には特殊な賭けが存在する。
それは、オーナーとの賭けに勝てば『コレクション』を一つだけ得ることが出来る権利を得る、という物である。その『コレクション』は質代わりに非合法で持ち込まれたさる高名な剣士の愛剣であったり、国宝級の価値を持った盗難美術品であったり、そして情報であったりする。
その全てがオラリオのあちこちから本気の勝負師が持ち込んできた超一級の品であり、余人には一生知りえない真実であり、それを渇望する者にとっては命を賭してでも得たい代物だ。
オーナーに勝てば自分の宝と共に『コレクション』の一つを受け取ることが出来、逆に負ければ最大の宝を喪うことになる。そうした賭けを続けた結果が、男の目の前に広がる光景だった。
その円形の部屋は、一見して中心にゲームテーブルとイスが二つの簡素な部屋だった。だが、その部屋には決定的に普通ではない所がある。
それは、壁だ。
何層にも別れた小さな廊下と梯子によって何段も分かれているが、壁にあるのは全てが壁紙などではなく引出しそのもの。笑顔を崩さないガンダールと目を見開く男の目線の先には、全てが引出しで埋め尽くされた壁が悠然と見下ろしていた。
「驚かれましたか?ふふっ、実を言うとわたくしもこの部屋に来ると言葉に出来ない重圧を感じます。ここで大切な物を賭けてきた真剣勝負の残滓とでも言うのか……」
世界にこれほど巨大な棚があるだろうかと問いたくなる圧巻の規模が四方を埋め尽くす、異様な光景。錠で硬く閉ざされていた。引き出しの数はゆうに数千はあり、その7割近くに名札がぶら下げられている。
「お察しの事と思いますが、名札のない棚は空でございます。最初はこれほど大規模では無かったそうですが、先々代のオーナーが豪運の持ち主だったようで、その頃はこの棚の全てが埋まっていたそうです。ところが先代はギルドと一悶着あったせいでかなりの資金を必要としまして、ここにある品の半分ほどをオークションで流してしまったのです。勝負師としては余り褒められませんが、経営者としては英断だったと思いますよ。現にここは余所の違法賭博場と違って生き残ったのですからね……ふふっ」
つまり、『アプサラスの水場』はそれだけ強かに時代を生き抜いてきた。
そしてガンダールは、その現オーナーを務める男だ。
そして、もう一つ――先代が半減させたこの引き出しを、ガンダールは7割程度まで埋めている。
「――さあ、契約書にサインを。わたくしが提示するのはオーネスト様の背中の情報……そして貴方が賭けるのは、命でございます」
ガンダールはにこりと笑う。
その笑みは、どこか悪魔的だった。
= =
ガンダールと男は、静かな戦場でトランプとチップ手に戦っていた。
ルールは男の提案でデュース・トゥ・セブンになった。これはロー・ポーカーと呼ばれる変則的なドローポーカーであり、作る役の強弱関係が通常ルールと逆転していることが最大の特徴だ。最強にして奇跡の手札であるロイヤルストレートフラッシュはこのゲームにおいては最悪の手札に変貌し、最弱である筈のローカード――ブタこそが燦然と輝く栄光の道になる。
ポーカーではA,K,Q、J,10……という順番に強く、2が最弱になる。そのためこのルールでは模様の合わない2,3,4,5,7のローカードこそが最強のカード。故に、ゲーム名も『 2 - 7 』である。
「時に、貴方に一つ聞きたいことがあるのですが……構いませんかな?」
カードを見つめていたガンダールの視線が、男へと移る。
「とても基本的で根本的な疑問なのですが……貴方は何故オーネスト様の情報をお求めなので?」
この『アプサラスの水場』は会員制になっているが、会員が非会員に権利を委譲することは禁止していない。何故なら、その非会員が粗相やルール違反をした場合は移譲した元会員諸共に冷酷なる制裁が下るからだ。そして、この男は今日初めて神聖なる賭博場に訪れた。
会員ならばオーナーの持つ『コレクション』の名前ぐらいは知っているだろうし、移譲された権利と共にオーネストの情報の事を彼が知った可能性は十分にある。だが、ガンダールが質問しているのはその理由だ。
「初めて訪れた賭博場で、突然に自らの命をベットする……あり得ないことではありません。現にそれをやった男達は何人か存在しました。しかし……分からない。オーネスト・ライアーの背中はこの街でもトップシークレットに入る情報ではありますが、手に入れるメリットはそこまで大きいとは言えないのですよ」
冒険者の背中には神聖文字でステイタスが刻まれている。何が強く、何が弱く、何のスキルを持っているのか……神聖文字を読める者にとっては相手の長所と短所を把握することが出来る。背中の情報とはそれだけ貴重であり、そして誰もが晒したがらない。人体の新たなプライベート・ゾーンとさえ言えるだろう。
しかし、命を賭けても知りたい物とは言い難い。
そも、他人の冒険者の背中など相手と敵対する事や弱みを握る事を前提とした情報だ。確かに利益にはなりうるが、余程重要な物を賭けた『戦争遊戯』や暗殺でもない限り命を賭ける理由にはなりえない。
そして、オーネストはファミリアに所属しないので決して『戦争遊戯』は成立しないし、暗殺をする前に自分が死んでは世話ない。客観的に見て、男が情報を欲する理由が欠如していた。
「背中は多くを語ります。その者の辿ってきた道筋、努力の後、人物像……ここだけの話、賭けの対象として背中の情報を求めたこともありました。オーネスト様も数少ない一人でございます」
ガンダールの眼がさらに細まり、妖弧の眼光へと変わる。
「あの方は、とても面白いお方だ。永く勝負師をやっておりましたが、あれほど印象的なお客様は他におりませんでした……お連れの方も中々に興味深い御仁でしたが、彼はもっと純粋な………勝敗の先にある彼岸を見た者の、覚悟の瞳でございました。では、貴方は?貴方は何の覚悟があってここに?」
男はカードを1枚チェンジしてから、「勝つ覚悟だけあればいい」と呟いた。
「……ふふっ」
ガンダールは小さく笑い、口を閉じた。
何を思い笑ったのかは、男には分からなかった。
ゲームは静かに進んだ。チップをベットし、カードを見極め、今のまま続けて相手に勝てるのかを吟味する。時にはドロップし、時には攻め、時折簡単な会話をして様子を伺いながら時は進み――おおよそ3時間の時が過ぎた時、勝負の決着の時が近付く。
男は、ガンダールに対して劣勢だった。
強い役が出来てもあっさり降りられ、相手の不意を突いたつもりでいれば負ける。時折チップを大きく奪い返して持たせはしたが、3時間にもわたる激戦の疲れから男は小さなミスや油断が増え始めていた。男は、自分の手札を見て、ガンダールの人を食ったような笑みを見て、チップを見て、今しかないと思った。
緊張でカラカラに乾いた声で、男は叫ぶ。
ガンダールは興味深そうに口元の描く弧を深くした。
「大きく出ましたね。全額ベットですか………ふふっ、ギャンブルの浪漫であり、同時に多くは破滅への道筋。面白い……貴方はその手に握った5枚の紙切れとチップに己の魂を注ぐ覚悟をしたのだ。その上で勝つと己を信じて……」
ポーカーのチップを賭した時、他のプレイヤーにはいくつかの選択肢がある。相手の額と同じ額を賭けて応えるコール、ベットより更にチップを上乗せするレイズ、そして勝ち目がないと見てゲームを降りるフォールド。ハッタリで自分の札を大きく見せるも、大きい札と悟られぬようにして相手を誘うも自由選択。それがポーカーの醍醐味であり、最も難しい部分でもある。
レイズは正にハイリスクハイリターン。勝てばコールより多くのチップを手に入れられるが、負ければその分多くのチップを犠牲にする。逆を言えば、レイズを仕掛けてきた相手は手札に相当な自信があると見て良い。
つまり、リスクを考えるならばガンダールが乗るべき勝負ではない。
「勝つ覚悟、とおっしゃっていましたね。ならばそれが本物か見極めるのもまたギャンブラーの矜持でしょう……コールでございます」
それでも、ガンダールはチップの山を掌で押した。
次の一手を出した瞬間、このポーカーは決着する。そして、男の命の行方もまたその瞬間に決定する。生きるか、死ぬか。繋ぐか、断つか。刹那に込められたデッドオアアライブの緊張感がその場の時間を停止させた。
男が手札を見せる。命の札を。
ガンダールもまた、それに応えて手札を見せた。
数秒の沈黙――そして、先に口を開くのはガンダールだった。ガンダールは満足そうに頷き、二人のギャンブラーの勝敗を感心したように見下ろした。
「ふむ、勝つ覚悟とやら……見届けさせていただきました」
男の手札……それはダイヤの7スペードの8、クローバーの10、ダイヤのJ、ハートのQ。
通常のポーカーでは最弱の手前、役とも呼べないような手札。しかし、ロー・ポーカーのルールではこのブタが非常に強い。確率的には二分の一程度で完成するこのブタこそが、この勝負で二人の追っていた物と言える。
順番に並びすぎてもいけない。模様が揃ってもいけない。数字が揃ってもいけない。かといって、カードをチェンジしてしまえば揃ってしまうかもしれない。そのギリギリの瀬戸際で男が絞り出した、最後の一手。
これに勝つにはガンダールも同じくブタで、かつ7以下の数字があるか、ギリギリで競り勝つための7,8,9の札が必要になる。揃えるのは無理ではないが、いつでも揃えることが出来るとも断言できない。強ければ強いほどにパターンが増えていくのもデュース・トゥ・セブンの面白さだ。
そして、ガンダールはその面白さを存分に堪能したうえで、冷酷に言い放つ。
「実に下らない……100%の覚悟があるからこそ賭博場は輝くのに、随分と純度の低い覚悟がやってきたものです。オーネスト様のそれが美しい宝玉ならば、貴方は精々海辺の褪せた貝殻程度――興ざめですよ、お客様」
ガンダールの手札は、ハートの2、クローバーの3、クローバーの4、クローバーの5、クローバーの7。
一歩間違えればフラッシュやストレートに化けて敗北する非常にきわどい――そして、このルールにおける最強の札で男を打ち破った。
その瞬間、ガンダールの心臓に強い衝撃が奔った。
「か、ふっ……ふふっ、そう来ましたか……ッ」
「俺は生憎とギャンブラーじゃなくて唯の強盗だよ。貧弱で穢らわしいデミヒューマンくん?」
男の手刀が、ガンダールの胸を深く鋭く抉っていた。男が手を引き抜くと風穴からどろりと赤い液体が漏れ出し、ガンダールは張付けた笑顔のまま椅子ごと倒れ伏した。
男はそれを一瞥すると、ガンダールの懐を探って金属製の円盤を取り出す。その円盤は円の内側に向けて夥しい数の鍵を収納するために作られた、『アプサラスの水場』のオーナー専用の鍵束。そのうちの一つ、『1684番』を強引に引き千切り、跳躍してその番号が付された引出しの錠を開ける。
男はにやりと笑いながら、棚の中に仕舞われていた賞状保存用の小さなフォルダを手にし、中を覗く。期待に胸を膨らませる男だったが、内容を改めるや否やその喜色は失せていく。
「………なんだ、これは?」
中の羊皮紙には、一言こう書かれていた。
『背中は黙して語らず、ただ在るのみ』。
「――何って、お客様の求めていた物でしょう。それが貴方の求めた答えでございます」
背筋に、ぞくりと悪寒が奔った。
「き、貴様………何故………」
「何故?何がですか?」
そこには、先ほどと変わらぬ笑顔のガンダールがいた。狐を連想させる目も、弧を描く口も、そして貫いた筈の心臓までもが最初にこの店に入った時と同じ形で、いた。
ありえない。確かに殺した筈だ。いくら魔術に長けたエルフといえどあの速度ならば詠唱する暇もないし、回復魔法を持っていたとして自分の心臓を丸ごと再生するなど不可能だ。しかし、ならば何故――ぐるぐると取り留めもない思考が渦巻いて冷静さを奪っていく。
「驚かれましたか?ふふっ、実を言うとわたくしもこの部屋に来ると言葉に出来ない重圧を感じます。ここで大切な物を賭けてきた真剣勝負の残滓とでも言うのか……」
その声は、ガンダールの声だった。だが、目の前のガンダールは喋っていない。無意識に声の行先を目で追うと――男とガンダールが入ってきた部屋の扉から、男とガンダールが入ってきていた。そしてガンダールは心臓を抉られて絶命したガンダールを踏み越えてテーブルに付き、男は勝負のルールを提案している。
背後に足音がした。利き手を血染めに、鍵を持った男だった。
男は、まるで実体がないかのように男をすり抜けて『1684番』の棚に強引に鍵を差し込む。
「実に下らない……100%の覚悟があるからこそ賭博場は輝くのに、随分と純度の低い覚悟がやってきたものです。オーネスト様のそれが宝玉ならば、貴方は精々海辺の貝殻程度――興ざめですよ、お客様」
男がまたガンダールを貫く。なのに貫いた男の後ろには未だにけちなチップでポーカーをする男とそれに向かい合うガンダールがいる。得体の知れない力に縛られるように震えだす体を無理に横へ向けると、そこには先ほどから変わらないガンダールがいた。そのガンダールの後ろには、ゆっくりと階段を上るガンダールがいる。
さもそれが当然に起きることであるかのように、男を置き去りに部屋に男とガンダールが増えていく。とても恐ろしい事が起こっている筈なのに、震えで声も出すことが出来ない男は、その場にへたりこんでガンダールから後ずさった。
この男が元凶だ。この男を殺せばいい筈だ。なのに――『この男はさっき殺した』。
まるでペテンだ。この空間が、彼自身が、賭けそのものが全てペテンだったかのようだ。
しかし一つだけ――男が追い詰められているという焦燥だけが、本物だった。
ガンダールは笑顔のまま、後ずさった男の方へと歩み寄る。
「ええ、理解できないのでしょう?しかし、説明する義理はありませんねぇ……あんなにも退屈で下らないゲームを続けさせた上にルールまで破ろうとした貴方の行いは少々度が過ぎております。分かりますか?――貴方の賭けた命、ギャンブラーとして素直に受け取るには些か不愉快だ。本来ならばさくりと介錯でもしてあげる所ですが……」
ガンダールの仮面のように張り付いた笑顔が、魔石灯の逆光を浴びて歪んだ陰影を描いた。
「貴方は『時間をかけて』さしあげます。黄泉路への寄り道にどうぞお楽しみくださいませ、お客様?」
「何なんだよ……何なんだよぉ!!お前は何だ!あのメッセージは本物なのか、嘘なのか!?この部屋は一体……俺とお前は何なんだ!?」
根拠のない自信を掲げた果てに現れた、現実とも夢とも形容しがたい光景。
その中で、唯一くっきりと明確に自分を見つめるガンダールは、答えを知っている筈だ。
せめて自分がどうなっていて、どうなるのかだけでも――知って後悔するとしても、真実を知りたい。
「何なのか、ですか………さあ、何なのでしょうね?」
伸ばした手は、求める物に届かず空を切る。
男が最期に見たガンダールの笑顔は、さきほどのそれより悪魔的に見えた。
数日後、丁度人一人程度の大きさの荷物がダンジョンに運び込まれた。
一部商人や大型ファミリアはダンジョンに荷物を別途持ち込むことも珍しくないため、その光景や荷物の行先を気にする冒険者は一人もいなかった。
荷物は、オラリオの日常の中に融けて消えた。
後書き
今回はいつもと毛色が違う作品でした。
ぶっちゃけポーカーのルールよく知らないんで間違ってるかもしれない……(汗)
オーネストはガンダールと賭けをするために一度この部屋に入りました。ガンダールとオーネストの接点はそれ一回こっきりです。その間二人の間に何があって、どのような経緯を経て『コレクション』に背中の情報が追加されたのかは謎しかありません。
ただ、アズ曰く「あいつは手ぶらで部屋に入り、『狙いの品』らしい物を持って出てきた」そうです。勝ったのか、負けたのか……どっちなんでしょうね。
外伝 マリネッタの物語
前書き
今回はマリネッタの出番を増やしたくて書きました。
昔々、ある街に商人の夫婦がおりました。
夫婦の間には一人娘がおり、夫婦はこの子供をとても大切にして生きてきました。お金も人並み以上に在り、勉強も人並み以上に出来る夫婦に育てられた少女はとてもしっかり者に育ちました。三人の家族の暮らしは、ずっと続くものと思われていました。
しかし、家族を不幸が襲います。
それは、お得意先だったオラリオに荷物を運んでいる最中の事――なんと、家族は魔物に襲われてしまうのです。馬車の中にあった商品は壊され、食い荒らされましたが、家族は命からがらなんとかオラリオまで逃げ込むことが出来ました。商品ごとお金もなくしてしまった商人夫婦は酷く落ち込みながら、自分の家を任せていた姉夫婦に代わりの商品の輸送と迎えが欲しいと連絡をします。
しかし、いつまでたっても迎えどころか返信さえ来ません。お得意先の好意お宅に世話になっていた両親は不審に思い、お得意先の人からお金を借りて自分の屋敷に戻り、驚きました。なんと家族は事故で死んだことにされ、家を乗っ取られてしまっていたのです。
戻ってきた家族を見た姉夫婦は、「わたくしの妹家族は事故で死にました。その家族と同じ格好をしている貴方がたは偽物です」と断言し、戸惑う家族を門前払いにしてしまいます。
実は、この姉夫婦は妹夫婦の商才と財産に嫉妬しており、ずっと乗っ取る時を狙っていたのです。夫婦が死んだことや、オラリオに他人に変身する魔法があることを散々吹聴されたことで、周囲は家族が偽物だと完全に思い込んでいました。夫婦は失意に暮れ、子供は今の事態に付いて行けずに戸惑うばかりでした。
姉夫婦の警戒は徹底していて、主要な取引先には「偽物に注意しろ」というメッセージを飛ばして親子の頼れる人々を次々に警戒させていきました。中には家族が本物であることに気付いている人もいましたが、大商人となった姉夫婦に逆らう真似をすれば自分の立場が危ういために無視されてしまいました。
財産も家も思い出も、大切なものの殆どを失ってしまった家族は、仕方なく唯一味方になってくれるオラリオの取引先を頼って小さな雑貨屋を経営することにしました。
= =
「高ぁ~~~い!」
ある日の昼下がり、商店街に甲高い子供の声が木霊した。
「なんで牛乳がリットル500ヴァリスもすんのよ!いくらなんでフカッケ過ぎなんじゃないの!?」
「そうは言うがねぇ、お嬢ちゃん……西の牧草地でデカい山火事があったせいで牛系の商品は軒並み価格が高騰してんだよ」
店主はいっそふてぶてしいと言える態度でパイプをふかしているが、それを睨みつける少女――マリネッタはそれでも全く引き下がらない。よく見ればマリネッタの他にも牛乳の価格高騰に納得のいかない主婦が集まっており、口々にケチをつけていく。
「山火事が起きたのはもう3年も前でしょーが!!しかも燃えた山の近所には牧草地ないし!!」
「適当な事言って値段吊りあげてるんじゃないよ!!」
「どうせ奥さんから貰った小遣いをギャンブルに使いこんで金欠だから金が欲しいんでしょ!」
「なっさけない男だねぇ!やることが一々みみっちいんだよ!!」
「あー!あー!うるせぇうるせぇ!!文句があるんだったら余所の店で買いやがれ!!」
店主が大声で怒鳴ると、女性たちがうっと言葉に詰まる。
商店街のこの店は、街の中でも比較的良質で安定した量の牛乳を売ることが評判だった。だからこそこれだけの人数が突然の牛乳の値上げに文句をつけているのだ。彼の言うとおり別の店の牛乳を買うという選択肢は当然主婦たちにもあった。
しかし、この周辺で牛乳を売っているのは実質的にこの店のみ。他の牛乳屋は彼女たちの住宅街から歩いて10分、往復20分もかかる場所にある。態々そこまで行って、重い牛乳ポットを抱えて帰るのは主婦たちにとっては結構な面倒だった。
そう、この店長は彼女たちの足元を見ているのである。
だが、この時マリネッタが閃いた。
「………そうだ、アズに相談して牛乳を宅配する業者を作ろう!」
「え?」
突然の発言に周囲が呆気にとられる中、マリネッタの頭の中では様々な情報が回転していた。
「遠い牛乳屋と結託した運び屋よ!タンクを台車に乗せて住宅を訪問して売ってもらうの!遠くに行かずとも向こうから牛乳を売ってくれるわ!手数料でちょっと割高になるかもしれないけど、今の平均的な牛乳の原価がリットル120ヴァリスくらいだから……人件費と手数料も含めて300ヴァリス前後に値段が収まる筈!」
「あら、本当にその話が通ったらここで買うより200ヴァリスくらいお得ね!」
「アズさん雰囲気は怖いけどいい男だもんねぇ!きっと明日には実用化してくれるわ!」
「そうと決まったら今日は向こうの牛乳屋に買いに行きましょう!今日一日の辛抱よ~!」
「な、なんだとぉッ!?」
店主は突然の事態に動揺して身を乗り出すが、主婦たちは既に店に見切りをつけてどんどん通り過ぎようとしている。多少吹っかけても大丈夫とタカを括っていた店主の目算は、貧民街の少女によってあっさりと覆されてしまったのだ。
――このままだと本当に客が来なくなる!!
そう思った店主が咄嗟に叫んだ
「り、リットル280ヴァリスで売る!!」
その言葉を聞いた瞬間、とことこ歩いていたマリネッタが待ってましたと言わんばかりにニヤっと笑った。
「まだ高いなぁ~~……それ位の値段なら、自分で運ぶ手間の省ける配達の方がいいかなぁ~~……」
「ぐっ……なら260ヴァリスでどうだ!!」
「喪った信用を20ヴァリスぽっちで取り返そうって、それ都合よすぎな~~い?」
店主が彼女の後ろに目をやると、主婦たちは非常に冷たい目線を自分に注いでいる。このままでは「気に入らないから」という理由で売り上げが伸び悩み、奥さんに叩きのめされる未来しか見えてこない。
マリネッタはこれを狙っていたのだ。周囲の全員を味方につけ、全員の代弁者となることで交渉を優位に運べるこの状況を。ハメられた、と店主は怒りに震えたが、時すでに遅しである。
「このガキ、足元見やがって……!!」
「それでそれで?リットルお・い・く・ら?」
顔だけは可愛らしいのに、完全に悪魔の微笑み。
店主はがっくりとうなだれ、消え入るような声で宣言する。
「……今日は大特価の200ヴァリスでいい。今日だけ……今日だけだからなっ!!」
「やったぁ!おじさん大好きっ♪」
「畜生ぉぉぉぉぉーーーーーーーーーッ!!!」
店主の遠吠えと勝ち誇った少女の歓声が同時に響き渡った。
「さっすがマリちゃん交渉上手!はい、これお礼の干し肉!」
「余ってたレタス持って行きなさい!」
「これ、トマト!美味しいから孤児の皆で分けな!」
「今日の分の牛乳はおばちゃん達が奢ってあげるよ!」
「わぁい!!ありがとう皆!うちのちび達もきっと喜ぶよ!」
お礼の品を麻袋に詰めながら、マリネッタは人懐こい笑顔を浮かべた。
これが子供たちの面倒を見るマリネッタの日常だ。
口が上手く交渉上手なマリネッタは、この近辺では交渉上手として名が通っている。曰く、「貧民街の子とは思えないぐらいしっかりした子」だ。数年前にこの周辺に現れた彼女は、当時のストリートチルドレンをまとめ上げて悪さをしないように見張りつつも面倒を見ている。
自らも孤児であるにも拘らず孤児の世話をするしっかり者の彼女は、決してタダで食べ物を貰おうなどと物乞いはしない。泥棒も悪戯ももちろんしないし、面倒を見ている子供にもさせない。その誠実さと人懐こさがこの人脈を呼んでいた。
貧民街の孤児たちを養うのも楽ではない。衣服代金、薬の代金、勉強道具の代金に将来働くときの為の蓄え。そして最大の問題が食費だ。アズから定期的に結構高額なお小遣いを受け取っているとはいえ、食欲旺盛なちびっ子たちの胃袋は自重という物を知らないので生活には全く余裕がない。
「さてと、野菜と肉が確保できたところで次はパンね!パン耳貰うのにも限界があるし、どこかにいい話が転がってないか探すとしますかっ!」
袋を抱えて飛び出したマリネッタの手には、細い銀色の鎖がいつも巻き付けられている。
それは、マリネッタがお金より大切にしている大切で、彼女の持つ唯一のお洒落だった。
= =
雑貨屋の経営は順調でした。
元々は商人出会った二人だし、オラリオは彼女の家の中でも最も遠くの取引先。ここでならあの姉夫婦も手出しが出来ません。家族三人は、貧しくこそなりましたが何とか暮らしていける程度に店を大きくしました。
贅沢は出来なくなりましたが、家より家族と一緒にいられることを大事に思った娘はその生活を受け入れていました。
ところが、子供にひもじい思いをさせまいと働き過ぎた夫はある日に体調を崩し、病床に伏せてしまいます。夫は妻子にこう言い残し、息を引き取りました。
「姉夫婦を恨んではいけないよ。あの二人は確かに悪人かもしれないが、悪人だから恨んでいいという訳ではない。今までの事ではなく、これからの事を考えるんだ」
妻はその言葉に涙しながら頷きました。
しかし、娘は納得が出来ませんでした。
あの姉夫婦が裏切らなければ、こんなにも悲しい想いをしなくて済んだはずなのに――。
数年後、妻は流行り病に伏せて、そのまま還らぬ人になりました。
最期まで娘の身を案じながらの一生でした。
その頃になると店の従業員は家族だけではなく街の人も加わっており、彼らが店を経営することになりました。子供はもう彼等を頼って生きるしかありません。しかし、悲劇の連鎖はさらに続きます。
店を立ち上げた二人の商人は、皮肉にも非常に優秀でした。家がお金持ちになったの店が大きくなったのも、二人の才能あってこそ。残された従業員の商才では利益が殆ど挙げられず、店はあっという間に困窮してしまいました。
娘はこの現状をどうにかしたいと思いましたが、彼女はまだ5歳ほどの子供。どうすることも出来ないまま生活だけが苦しくなっていく日々が続きます。
= =
アズが定期的に子供たちに勉強を教えに来るのとは別に、最近はリリがよくマリネッタの元にやってくる。街の底辺仲間という意味では割と気の合うリリだが、曲がりなりにも冒険者の彼女がこうして遊びに来るのは余程ヒマしているのだろう。
そう聞いてみると、アズのせいでやることが無くなり猛烈に暇しているそうだ。このままだと溶けてなくなりそうなので遊びに来た、と告げたリリを見た私は、とりあえず子供たちの世話の手伝いをしてもらった。……胸を見比べて「マリ姉よりおっきい!」と言ったちびには片っ端から拳骨喰らわせてやったが。
そんな折、ちびっ子たちの昼ごはん製作を手伝ってくれているリリがこんなことを聞いてきた。
「マリは、いつアズ様に出会ったんですか?」
「あれ、その話まだしてなかったっけ……?」
「されてないです。別にどうしても知りたいって訳じゃないですけど……ほら、マリって単純にアズ様に恩があるっていう事情以上の感情を抱いてるでしょ?」
サラダのレタスを食べやすい形にパリパリ破るリリの言葉に、思わず顔が赤くなる。彼女が言っているのは、その……周辺には晒すまいと努めている内心のことだろう。所謂乙女心というものだ。
「隠してるんだからあんまり探らないでよ、それ……」
「何を言いますやら……別に恥じらわなくてもいいじゃないですか。二人で酔っぱらって散々醜態を晒した仲でしょ?」
「嫌な仲もあったものね!というか掘り返さないでよそれ!!ああもう、今思い出しても恥ずかしい!」
思わずスープをかき混ぜる手が乱暴になるが、余り無遠慮に混ぜると子供が「具が崩れてる!」と贅沢な文句を言うので仕方なくやめる。あの子供たちにもいつかは自立して欲しいものだが、親のいない子ばかりなせいか甘えん坊が多いのが困りものだ。
「それで?出会いはどうだったんです?まぁ今のベタ惚れっぷりからするとよっぽどロマンチックな出会いだったんでしょうね~?」
「んん~……そうねぇ…………………えへへ、そうかも」
アズと初めて出会った時の事件を思い出して、盛大に顔がゆるむ。
あの時は本当に嬉しかった。やっと見つけた新しい居場所を守ってくれた、とっても優しい王子様。別に本当の王子様ではないんだろうけど、私にとってはいつだってそうだ。今でも無邪気な子供のふりをしてアズに近付いてはその優しさに甘えている。
「はぁ~……もう出会いを説明しなくても結構です。顔で大体は分かったので」
「ええっ!そっちから振っておいて何よそれっ!まぁ待ちなさい!あれは今から二年前、ちび達を集めてこの家に……」
「はいはいすごいすごい。歳の差おおよそ10歳の叶わぬ恋という訳ですね」
「叶うもんっ!!私だってあと5年したらリリの身長を追い抜いてスタイル抜群の女になるもんっ!」
「はっはっは、なら予言してあげましょう。……10歳の時点で胸元が大平原の貴方では無理です!」
「うっさい一生ロリチビの小人族っ!!」
「あっ、何ですかその物言いは!そっちなんかチビで貧乏で貧相なくせに!」
ガルルルルッ!!とスープを混ぜていたお玉を掲げる私と菜箸で対抗するリリ。リーチの上ではこちらが有利。今日こそヒューマンの女の意地を見せる時!たかがちょっとばかりおっぱいが大きいからと言って調子には乗らせない!
「見せてやるわ……ヒューマンの持つ可能性をぉぉぉーーーッ!!」
「越えられない壁という物を思い知らせてあげますッ!!」
女の誇りと意地をかけ――二人の戦乙女は跳躍した。
「………途中で料理を投げ出しちゃったよ、お姉ちゃんたち」
「おなかへったよぉ~……」
「しょうがない。僕らで料理を仕上げようか……」
「え~!?でも一番料理上手いのはマリ姉じゃん!俺達に料理なんて出来るの?」
「途中までは二人がやってくれてるし……これもシャカイベンキョーって奴だよ、きっと」
その日の昼食は、普段の料理よりだいぶ不恰好だったという。
= =
雑貨屋に閉じ込められるように暮らしていた少女の元に、ある日女性が訪ねてきました。
何とその女性は家族の暮らしを滅茶苦茶にした、あの恩知らずな姉夫婦の片割れであるおば。不審に思った少女は自分から彼女の前には現れず、店の人に本心を探らせることにします。すると、相手は開口一番に「血縁の娘を引き取りたい」と言い出したのです。
これには店の人もとても怪しいと思いました。今まで両親が病気になっても顔一つ見せなかった癖に、何を今更そのようなことを言いだすのだ、と。店の人がそれを率直に問い詰めると、相手は驚くべきことを伝えました。
なんと、少女の両親が追い出された後に家を乗っ取ったはいいものの、手に入れた地位や名声、お金が既に尽きかけているというのです。所詮は他人から無理矢理奪ったお金と地位です。周囲やお得意先とも最初は上手くやっていたようですが、人徳も才能もある前任と比べて見劣りする商人夫婦から周囲は次第に離れていき、逆転を狙った事業にも失敗してお金を使い切ってしまったと言います。
そこで、夫婦はあるものに目をつけます。
それは、両親の部屋にあった金庫です。
どうしても金庫の暗証番号が分からずに放置していたこの金庫の中には、少女の両親がいざという時の為に残した最後のお金が遺されているのです。姉夫婦は強引にでもこじ開けようとしましたが、その金庫はオラリオで造られた極めて頑丈なもの。未だに開けることが出来ていないと言います。
そして、両親が死んだ今、金庫の暗証番号を知っているのは少女だけだと考えた相手は、今になって少女を引き取りに来たそうです。
少女は、思いました。あの二人は許せないが、ついて行って金庫を開けてあげれば少なくとも今ほどひもじい思いはしなくて済むのではないか、と。
しかし、同時に思います。両親の資産を食いつぶしたあの二人では金庫の金もアッと今に使い潰して結局は貧乏に戻ってしまうだろう、と。
姉夫婦の方は生活が懸かっているため一歩も引く気はなく、とうとう「預けてくれたら店を援助する」などと出来るかどうかも分からないことを言い出す始末。店も店で、あれほど両親に世話になった癖にかなり心が揺れている様子でした。
少女はこの人たちについて行っても未来はないと確信します。
――両親の遺した大切なものを、この人達はどんどん無くしていく。
――彼等は両親の遺したものを受け継いだわけではなく、ただ貰っただけなのだ。
――何の苦労もせずに貰っただけなのだ。
お金や道具の重み、人の信頼の重み。この人達はそれを理解していない。そんな人物がどれだけお金を得ようとも、得たものを軽く考えるからすぐに使ってしまう。今になって思えば今は亡き父はそれを知っていたのかもしれません。
少女は、彼らを恨んだり憎んだりする気持ちが消えていくのを感じました。
代わりに残ったのは、豊かさを求めることへの虚しさでした。
両親がいた頃は、貧しい事も我慢できました。そこには寂しさがなく、暖かさに満ちていたからです。しかし、それがなくなってしまうと少女は生活が苦しい事ばかりを考えるようになり、ふさぎ込んでしまいました。
少女は、本当はおなかのひもじさよりも、こころのひもじさが辛かったのです。
――貧しくてもいいから、温かい家族が欲しい。
大人たちが盗らぬ狸の皮算用を重ねる姿を背に、少女は家を飛び出して街の闇に消えていきました。
= =
この世の不幸は誰かの所為だと思いたいときは、ある。
攫われてしまった新しい家族の居場所が分かり、彼らが乗った馬車を見つけて助けようともがき、長身の青年にぶつかった所為でその馬車を見失ったとき――私はその男が『告死天使』だと気付いて、思わず足元の石を掴んだ。
こいつが魂を天に連れて行くと言うのなら、この世の運命は全てこいつが動かしているようなものだ。だったら家族が魔物に襲われたのも、姉夫婦に家を乗っ取られたのも、父の死も母の死もあの子たちが攫われたのだって、全部全部……。
そんなものは道理に合わない暴論だとは、その瞬間は思わなかった。ただ、その時に私は「それ」を――この世のすべての理不尽と不合理の集約点としての「悪」を求めて、叫んだ。
「お前が全部いけないんだ!!」
投げ飛ばされた石は、短い彷彿線を描いて『告死天使』のおでこに激突した。
「いたぁっ!?あつつつつ………ひ、人に石を投げつけるのは余程の事がない限りやめた方がいいよ?」
「余程の事よ!!アンタが、アンタがいるせいで……!!」
「おう、この俺……アズライールがいるせいでどうなったの?」
その男は、マリネッタの目線に合わせるように地面に座り込んで、真正面から見つめてきた。
子供の癇癪と相手をしない訳でもなく、見下している訳でもない。その男はどこまでも誠実に、真面目に、マリネッタと向かい合った。
「俺は君から逃げも隠れもしない。もしもその怒りや悲しみを解消する切っ掛けに俺がなれるというのなら、遠慮なく全部言ってくれ」
「……馬鹿にして!!お前が何してくれるって言うんだ!!攫われた私の家族を代わりに取り返してくれるって言うの!?」
「あ、なんだそんなこと……いいよ?」
「え?」
「だからいいよ……って。よし、攫われたんなら急いで取り返さないとね。犯人はどこにいる誰で、どうやって攫われたのか分かる?」
「お……大人。人間を売って金儲けする大人たちが、子供たちを馬車に連れ込んで……さっきまでそこにいたのを、貴方がっ!!」
「オッケー!それじゃまだ全然間に合うな!!さぁて……しっかり捕まっててよ!!」
しどろもどろになってしまった言葉から必要な情報を拾ったアズは、そう言うや否やマリネッタをひょいっとアズに抱え――空を飛んだ。腹の底が引っ張られるような、人生初の浮遊感。アズが次々に建物に鎖を引っかけて飛翔しているのだと気付いた時には、既に落ちれば死んでしまうほどの高さに舞い上がっていた。
「へ………き、きゃああああああああああああああッ!?」
「この周辺の馬車は……っと。お?300mくらい先に子供の生命の鼓動を複数感じるな。あれが例の馬車か!!」
アズは迷いなく遠い場所に鎖を投擲し、馬車に引っかかるや否や凄まじい速度で引っ張る。通常の人間なら絶対に経験することがない、300mの超時間跳躍の後――アズはマリネッタが怪我しないようにしっかり抱きかかえながらズドンッ!!と着地した。
「ってぇ!?いきなり馬車の上に飛び乗ってきたのはどこのバカだ!殺すぞオラァッ!!」
「邪魔する、よっと!」
「え?」
その一言と共に、啖呵を切った馬車の御者の顔面を鎖が打ち抜いた。馬はアズの姿を見た瞬間に突然大人しくなって勝手に馬車を停止させ、突然の事に馬車内で子供が逃げないように見張っていた3人の冒険者が慌てて外に飛び出す。
「な、何事だぁ!?」
「はーいそこの三人、こっちに注目!!」
ぱんぱんと手を鳴らした場所上部のアズに気付いた冒険者たちは、その男の正体に気付いて腰を抜かした。触れれば命はないとまで噂される『推定レベル7』の冒険者が、逆光を背に腰掛けていた。
「あ、『告死天使』……」
「な、なんで……」
あくまで紳士的に、笑顔で、しかし纏う気配は首筋に鎌を添えたように。
「あのさぁ。この馬車の中身全部タダで引き受けたいんだけど、構わないかな?」
アズラーイル・チェンバレットは、マリネッタがどれだけ必死になっても覆せなかった現実を、力づくで覆した。
「ヒッ……ヒャアアアアアアアッ!!」
笑顔で「お願い」をしたアズの返事を待たずして、男達は馬車を置いて四方に逃げ出した。
マリネッタはしばらく呆然としていたが、子供たちの安否が急に不安になって馬車に飛び込む。その中には、縄で縛られながらも必死で助けを求めていたマリネッタの『家族』が、全員無傷で揃っていた。
子供たちの縄をほどいて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で抱き着いてくる子供たちの頭を撫でながら自分の顔もぐちゃぐちゃに濡れて。必死になって何度も何度も、子供たちがそこに居る事を確かめるように名前を呼びあった。
「ねえ」
「ん?」
「何で……私を助けようと思ったの?」
「んー……キミが必死で、一生懸命だったから。だから正面から受け止めようって思ったら、思いのほか問題が解決できそうだったんで解決してみた」
「て、適当……」
「俺だって聖人君子じゃないから何でもかんでも助けるほど人が良くない。ただ……何って言うかな、一生懸命に頑張った人が報われないのって、納得いかないじゃん?俺ってそういう真剣さを持ってないからさ……余計にそういうの、守ってあげたくなるんだよ」
「……私の事、今でも守ってあげたいって思ってる?」
「思ってるよ」
「お金とかお給金とか、出ないよ?」
「俺が守りたいから守るんだって」
「そっか………じゃあ、これからずっと守ってくれる、王子様?」
「お姫様を守るのはどっちかというと騎士だと思うけど、謹んで受けておくかね?」
貧民街に済む貧相な身なりの少女は、今でも『告死天使』の前でだけはお姫様だ。
後書き
リリ「アズはパパ」
マリ「アズと結婚したい」
両方の要求を受け入れた場合の家族構成。
「父」アズ(18)―「母」マリネッタ(10)
|
「娘」リリルカ(15)
……どういうことなの。
21.死んデレらストーリー。
前書き
ふと冷静になって振り返るとオーネストもアズも明らかに敵サイドの方が似合うよね。
……あれ、こいつらが敵になったらどうやって倒すんだ?
雑踏が行き交う中、噴水の水をぼうっと眺める一人の少女がいた。
「ぬぼ~~………」
その少女がリリルカ・アーデという名である事を知る人間はこのオラリオでは少ない。しかも、その数少ないリリを知る者ですら、彼女の事をリリだとは確信できないだろう。今の彼女は変身魔法『シンダー・エラ』によって狼族の耳と尻尾を生やし、髪の色まで変えているのだから。
元々、リリはとても働き者だった。自分のファミリアを抜けるために必死で悪行を繰り返し、潜った修羅場と盗品は数知れず。そして、それほどに悪行を繰り返しながらも身元を特定されなかった理由こそがこの変身魔法だ。
では、何故彼女は変身しているのか。
その理由は、なんとリリも分かっていない。
仕事道具の巨大なバックパックは背負っているし、変身もしている。となれば必然、彼女は適当な冒険者を引っかけて金目のものをちょろまかすのが仕事となる筈だ。ところが今、リリはそれをする必要が全くない。
理由は言わずもがな、あの『告死天使』のせいだ。
元々リリはファミリア内で孤立した劣悪な環境下にあり、しかも出ていくにも金が必要という腐った状況下に置かれていた。だから危険な橋まで渡ってお金の亡者になったというのに……あろうことかあの告死天使はその前提条件を色々と覆してしまったのだ。
なんと、実はソーマ・ファミリアはアズの舎弟みたいな存在だった。そして当のアズは滅茶苦茶人が良く、頼めば大抵の事は叶えてくれるというとんでもない御仁。つまり、彼が片手間にソーマ・ファミリアと交渉すれば今すぐにでもリリはファミリアを脱退できる。それどころかお小遣いがてら受け取った最上級品の神酒を売りさばけば一転してお金持ちにだってなれる。
そう――もうリリが働く理由など何もないのだ。
「ぬぼ~~~~………」
そしてこの有様である。
産まれてこの方現状を脱出すること以外を考えたことが無かったリリは、ゴールへの道が完成した瞬間にある事に気付かされる。………やることがないのだ。
こう……仕事を引退してしまった人が何もやることがないまま虚脱感に苛まれるような感覚。仕事に燃えて燃えて……燃え尽きてしまって熱が消える、『燃え尽き症候群』にリリは見事に嵌まってしまったのだ。
気が付けばこのように仕事スタイルになっていたが、外に出てみれば仕事をする必要が全くない。
(そっか……夢が叶うと、リリには何も残らないんだ)
何故、自分が今までアズに頼ろうとしなかったのか。その理由を、リリはふと悟った。
届かないから夢であり、届いてしまえば夢ではない。
そしてリリには次に続く夢がない。
だから、こうして無為に過ごしてしまう。
こうして自分とは違う姿でぼうっとしていると、リリルカ・アーデという存在が最初からいなかったのではないかと思えてくる。自分がリリであれリリでなかれ、皆は興味がないように通り過ぎていく。それほどにリリという存在はちっぽけて希薄で、求められていない。
ならばいっそ――このまま流れに乗って消えてしまおうか。
そう考えた矢先、リリの周囲の空気が変わった。
「あれ、リリだ。こんなことろでぬぼーっとして何してんの?」
「え……あ、アズ様。おはようございます」
条件反射的にペコリと頭を下げると、そこにいた人物も「これはどうもご丁寧に」などと言いつつ頭を下げてへらっと笑う。
アズライール・チェンバレット。
どことなくパパという言葉が似合う気がする自称リリの三歳年上は、今日も変わらずお気楽そうだ。外見は若そうに見えるけど、本当は何歳なのか分からない。下手をしたら神のように数億年単位で生きているかもしれないし、彼の自称する通りかもしれない。そんな人物だ。
彼が現れると周辺の空気が冷たくなる。陰と陽ならば限りなく陰に偏ったその気配は闇や極寒のように自然界にある畏れとどこか似ていて、殺気の類は欠片も感じられない。最初は恐ろしかったそれも、今のリリにはむしろ涼しい程度にしか感じなかった。
「今日は天気がいいねぇ……こんな天気がいい日は昼寝とかしたいんだけど、俺が昼寝すると何でか物珍しがって人が集まるんだよなぁ」
「アズ様は何かと目立ちますからね……くすっ」
「というか、何故に様付け?」
「年上でしょう?」
「そうだけど」
「なら様付けです」
「そういうもんか……?」
何やら釈然としない模様だったが、深く考えるのは苦手なのか直ぐに「ならいいや」と笑った。体は大きいのにこういう時はちょっと子供っぽくてキュートだ。
「ま、それはそれとして。暇ならちょっとダンジョン行かない?知り合いの神にファミリアが出来てさぁ、今から訓練なんだよね」
「新人さんですか……ぶっちゃけどうでもいいんですけど、ヒマですしいいですよ」
「あっはっはっはっは、正直だねぇ!ま、護衛は俺がするから気軽にいこうか」
どこか毒のあるリリの物言いを快活に笑い飛ばした彼は、案内するように手を引く。
大きくて暖かな掌。この手がリリが無気力になる切っ掛けだと思うと少々複雑だが、彼は当然人の気など知りもしないだろう。
彼も本質的には自分勝手なのだ。自分の命も省みずにダンジョンにも行くし、お金の使い道も極めて適当。商売もどきをしてる癖に利益は簡単にマリネッタへ放り出す。それが貧乏人にとってどれほど妬ましい行為なのかも、どうせ深く考えてはいない。
しかしそうだと分かっても、リリは何故かこの男の事を意識してしまう。
「あの……一ついいですか?」
「ん?何かなー?」
「なんで狼族の姿をしてる後ろ姿でリリだって判別できたんですか?」
「ああ、そんな事……そういうのは雰囲気で大体分かるかな。それにホラ、俺のあげたチェーン腕に付けてるし」
「………アズ様はいけない人です」
「え、何故に!?」
アズはリリをあっさりすくい上げてくれる。例えそれが大勢の気まぐれで拾われた人々の一つだったとしても……アズだけはリリをリリだと気付いて声をかけてくれる。
ただそれだけの事実が、リリの心臓の鼓動を高鳴らせた。
= =
人には得手不得手という物がある。
それが証拠にオーネストは世渡りと人付き合いが壊滅的だし、告死天使と呼ばれる俺にもイロイロと苦手な事はある。主に、剣術とか。
「………ていっ」
支給品の剣を使って、魔物を真っ向唐竹割にしてみる。グギャアッ!と悲鳴を上げた魔物は中途半端に頭が割れて苦しんでいる。余りに剣の振り方がへっぴり腰だったせいか上手く倒せなかったようだ。これ以上苦しませるのも酷かと思い、剣をしまって軽く手にスナップを効かせて振る。
「それっ、っと」
袖から弾丸のような速度で射出された鎖が、魔物を粉々に打ち砕いた。
横でその光景を見ていたベルは呆然とし、リリは固まり、そしてベル指南役を任命されたガウルは頭を抱えた。
「えー………以上が冒険者の間違った戦闘方法だ。決して真似しないように」
「逆に質問ですけど、ガウル様は真似できますか?」
「言い方を変えよう。出来ないことをしようとするな……人間には限界がある」
「え……っと、それだとアズさんが人間の限界を突破していることに……?」
「何だ、知らなかったのかベル?アズは神にすら人間だと思われていないんだぞ?」
(悲しいかな否定できない……)
少なくとも親しい神以外からは割とそう考えられているきらいがある。親友ロキやヘスヘス辺りは普通に接してくれるけど、人伝に聞いた話だとフレイヤなんか俺の事を苦手に思ってるらしい。言われてみればあんまり話をしたことがないが……オーネストには「あのクソアマ避けになるなら大変喜ばしい」と満面の笑みで言われてしまった。
……ありゃ相当怒らせたんだな。フレイヤ当人は全く懲りてないって話だけど、あそこまで攻撃的な笑顔を見せるなんてよっぽど嫌われているとしか思えない。それが証拠にオッタルの耳をもぎもぎしちゃったらしいし。
「まぁ、何だ。戦い方講座として暇そうなアズを連れてきたが、こりゃ失敗だったかなぁ」
「そうですねぇ……アズ様の戦い方は高レベル冒険者の皆さまとは違った方向で異常みたいです」
ヒマしてたのでついでに付き合ってもらってるリリの解説に、うんうん頷くガウル。確かに、俺以外でこんな戦闘スタイルの奴見たことねぇ。大抵は剣、杖、槍、ハンマー、後は体術とか魔術で戦うのが冒険者なのだが、俺のは鎖だ。そして普通、鎖を振り回して魔物と戦っても威力が足りなくて勝てない。俺の鎖がおかしいのだ。
「というかアズ様、その鎖どっから出してるんですか?」
「どっからでも出るよ?」
「えっと………その鎖、何なんですか?」
「まるで実体があるような鎖……って、オーネストが言ってた」
「やだ、質問したら疑問が増えていく……」
リリが顔を抑えて呻くなか、ガウルは壁からバキバキ音を立てて出てきた新たな的を確認し、今度はベルの背中を押す。相手はゴブリン、遅れは取るまい。
「うし、一丁戦ってみな。もしダメなら俺かアズが助けるから」
「は、はいッ!ううう、初魔物との戦闘かぁ、緊張するなぁ……」
初めて法廷に立った新人弁護士みたいな引き攣った顔で前に出るベル。しかし、言葉とは裏腹にその身体は既に魔物と戦うための構えを取っている。身体は若干震えているが、アズ以上の剣術の心得があるらしい。
「情ケ無用!戦闘開始ッ!!」
「やぁぁぁぁぁッ!」
ベルのナイフがヒュッと空気を切り裂き、魔物の肩を切り裂く。だが、傷が浅いためか相手は怯まず、ベルに棍棒を振るう。
「ブギャアアアッ!!」
「うわわわ!?……っとと!」
多少大げさに体をのけぞらせたせいでバランスを崩しながらもなんとか構え直すベルに、俺は感心する。
「お、反応速度はまぁまぁだな……」
「ああ、そのようだ。ベルは耐久でなく速度で戦うタイプが向いてるかな。体も小柄だし、無難な選択だ」
ゴブリンの攻撃だって喰らう奴は喰らう。そこから相手の動きやタイミングを覚える前に撲殺される冒険者も皆無ではない。そんな中でベルは初見の攻撃を危なげながら回避できた、ということは反射神経はそれなりに優れている。
避けられる冒険者と、防いで戦う冒険者。魔法を用いない接近戦冒険者は大別してこの二つに分けられる。理想としては回避しつつも避けきれない攻撃は防げるという万能型が望ましいが、生憎とそれが出来れば苦労はしない。よって最初の内は避けるか防ぐかのどちらかに特化させた方がいい。
なお、俺はその辺の過程をぶっとばしてオーネストと地獄の強行軍コースで鍛えられたので、今のは全部本に書いてあった知識である。
「ちなみにアズ様はどちらで?」
「うーん、どっちでもないかなぁ……何せ戦いの師匠がオーネストだし。俺、事実上教わったのは最低限の体捌きと『近付かれる前に殺せば何の問題もなかろう』の一言だもん。それが出来たら苦労せんわ……」
「凄まじいまでの無理難題ですね……リリには出来ません」
「ま、必死であいつの背中追いかけてたら出来るようになったけど」
「凄まじいまでの順応能力ですね……リリには出来ません」
リリの目線が同情からドン引きに変わる瞬間が垣間見えたのは俺の気のせいだろうか。
「ほれ、咆哮でビビってたら付け入る隙を与えるぞ!目を逸らさず、狙いを定めろ!そうだな……魔石狙いはハードルが高いし、まずは棍棒を持つ手を切り裂いてみろ!」
「は、はいぃッ!!」
ゴブリン相手に悪戦苦闘しながらもガウルの指示で戦うベルを見ながら、俺は何だかもどかしい感情に駆られていた。俺ならあの程度瞬殺だし、オーネストなら蹴っただけで即死に持って行ける。そんな簡単な戦いに、素人はあそこまで手間取るものだったのか。
戦闘狂ではない筈だが、あれだけ刺激的な戦いばかりしていると価値観が変化してくるのだな、と一人内心でごちる。知らず知らずのうち、俺も強者の驕りを抱えていたのかもしれない。戦いで得られる生への実感……もっと深く追求するのもまた一興。
「俺ももう少し自分を追い込んでみるか……オーネストと一緒だと苦戦とは無縁だからなぁ」
「ちょっ……止めてくださいよアズ様!もし怪我したらマリは絶対泣きますよ?死んだらそれこそ目も当てられない……出来る事を出来るだけやればいいんですっ!」
「え?ああ………ま、それもそうか。命を賭ける時なんて、馬鹿な友達を救う時くらいで十分だよな」
リリに言われてふとあのお金大好きマリネッタの笑顔を思い出す。小遣い目当てで愛想を振りまくマセた子供だが、結構優しいから俺みたいな屑が死んでも涙は流してくれるだろう。俺に明日は必要ないが、彼女には明日が必要だ。そして明日を迎えるために必要な金は俺が持って来る。
うーむ、世の中上手く回っているものだ。なんかリリが「本当はダンジョンになんか行かないで……」とか呟いている気がするが、よく聞こえないので気にしないことにした。
「……おお、ベル君が漸くゴブリンを倒したようだな。肩で息しているが大丈夫か?」
「初の魔物狩りなんてあんな物だと思いますよ?リリなんか未だに魔物との戦いは苦手ですし」
(………ところでガウルさん、リリとアズさんってどういう関係なんですか?)
(うん……実は俺も知らん)
(エエエエエエエッ!?同じファミリアなのに知らないってぇ!?)
リリが大暴走した頃はダンジョンに籠っていたため、未だにその辺の珍事を耳にしていないガウルであった。
= =
「そもそも――ゴースト・ファミリアってのは根本的にファミリアとして成立してない。あくまで周囲が勝手に付けた俗称が定着しただけ。基本的には俺達は別々に行動してるんだよ」
昼食時、メリージアの用意してくれた弁当を食べながらガウルはぼやいた。
ちなみにリリ以外全員が弁当を持っていたが、元々小食だったアズがリリと弁当を半分こすることで食い逸れ問題を解決している。二人は肩を寄せ合っているが、アズの肩とリリの目線あたりがほぼ同じ高さなので高低差が凄い。
「ファミリアとして成立してないって……えっと、つまりどういうことですか?」
「いいか、ベル?そもそも神の眷属と書いてファミリアと読むんだ。当然、眷属は一つの神の下に仕えている形になる。ところがウチの連中は………俺はメジェド様に、浄蓮はオシラガミ様にと、既に主神が存在しているんだよ。というかそもそもオーネストには主神がいないから、俺達は立場的には何の繋がりもないんだ」
「簡単に言うと単なる友達であって、別に家族同然の繋がりはないってことかな。行動指針もないし、本当に暇な人がつるんでるだけなんだ、俺達は」
「リリは又聞きした話でしか知りませんが、何でもオーネスト様が『やらかす』とどこからともなく人が集まってオーネスト様をフォローしたり助けたりしている姿から、実体がないのに協力し合う集団……ゴースト・ファミリアと呼ばれるようになったと聞いています」
「概ねその通りだよ、リリちゃん。実際俺達に纏まりらしいものが出来たのってアズやメリージアが来た頃からだし」
「え、何それ初耳なんですけど……」
話を聞いてたベルよりも衝撃を受けて目を見開くアズに「自覚なしかい……」とガウルはぼやく。
本来、ファミリア同士は競い合う傾向が強い。別のジャンル……代表的な例として冒険ファミリアと鍛冶ファミリアは協力関係になることも多いが、同じジャンル同士のファミリアは多くの場合敵対関係になる。これは友人関係や恋愛関係にも当然に反映され、過去幾度となく諍いの種になってきた。
だからか、昔ゴースト・ファミリアと呼ばれた人々は基本的に「オーネストを手助けする」という共通目標を除いてバラバラに行動していた。手を貸すこともあるが、それは効率を求めるだけであって、慣れあう事で余計なトラブルを避ける狙いがあった。
が、アズの登場によって状況は大きく変わった。
「具体的にどれくらい……?」
「そうだな……今のオーネストがツン9割デレ1割だとすると、アズが来る前はヤンデル成分10割かな」
「タダの病んだ人じゃないですかッ!!いや確かに神様から聞いた話だと大分イッちゃってましたけど!!」
「たった1割デレが追加されただけで超眷属派閥を形成するとは……恐るべしオーネスト様です」
「俺からしたらアズの方がおかしい。何であの狂犬みたいな野郎と会ったその日から仲良しなんだよ?天変地異の前触れかと思ったぞ」
「えー。あいつ結構お茶目じゃん」
「だからその茶目っ気を出し始めたのがお前が来てからなんだよっ!」
そういう所も含めてアズライールという男は衝撃的かつ電撃的だった。
経歴不明、所属不明、年齢不明、意味不明。その癖して戦闘能力は驚異的の一言に尽きた。鎖を用いた遠近中隙のない立ち回りに加え、『死望忌願』という神ですら畏れをなす化物を体の中に飼っている事実。そして、彼の登場を皮切りにオーネストが少しずつ軟化していったことは、まさに青天の霹靂だった。
そんなこんなで二人はコンビを組み、一緒に暮らしだし、間もなくしてメリージアが屋敷に常駐するようになっていよいよゴースト・ファミリアは表だって話をする機会が増えて行った。
「ま、そういう訳だから。広義ではリリちゃんとベルもゴースト・ファミリアに属するのかもしれん。ゴースト・ファミリアってのはそういう不確定的で目に見えない大きな枠なのさ。だからこそ、内部の人付き合いもバラつきがあるし、誰がゴースト・ファミリアなのかを厳密に把握している人間はいないよ」
「なんか………オーネストさんって色々とスケールの大きい人ですね」
「いやぁ、あいつの起こしてきた事件簿に目を通したらそのスケールが更に大きくなると思うぞ?何せ生粋の問題児だからな」
「お前の言えたことか、アズ。お前なんぞ存在そのものが問題だっつぅの」
「まーまー俺とオーネストの話はこの辺にして!そろそろベル君の話に移ろうじゃない?」
「……それもそうか。ベル、まずは一通り動きを見て俺の感じた感想を言うぞ。まずは――」
この中で最も経験が豊富なガウルの助言、サポーターならではの視点で見えるリリの補足、アズのフォローとベルのリアクションが噛みあって4人の話は弾んだ。
そんな彼等から少し離れた席で――
「ふぅん。オーネストの事を探ってる連中、ねぇ。そんなに気になる事かしらね?」
「ええ、気になりますねぇ……『生前の』彼――ああ、襲撃者の事ですが、それを調べてみたらアラ不思議。手刀で人体を貫ける癖して『神の恩恵』がないのですよ。しかし、それ以外は魔物でもない純然たる人間……他にも不審点はイロイロと。ふふっ……」
「ははぁん、要はソイツを嗾けた何者かの存在を気にしてるワケね……知的好奇心がソソられるわ」
「えぇ、実に興味深い。昨今態々オラリオの火薬庫と呼ばれるオーネスト様にちょっかいをかけることに何のメリットがあるのか……いや、本当はそちらはついでです。本当は神聖なるギャンブルの場に来ておいて『保険』などという舐め腐った真似をしてくれた下郎が甚だ気に喰わないのですよ」
「プライドとかない癖にそういう所には拘るの、嫌いじゃなくてよ?……オーケイ、暫くあたしなりに探ってア・ゲ・ル♪」
「ふふっ、報告に期待しています。期待していますが……報酬代わりにわたくしの身体を要求しても却下しますからね?万年発情変態生物さん」
「うっさいわねぇ。一晩くらいいいじゃないケチ!減るモンでもないでしょ?ねね、絶対気持ち良くするから一晩お願い♪」
「残念ながらわたくしを興奮させられるのはギャンブルだけですので」
「んもうっ!身持ち硬いのか枯れてんのか知らないけどさぁ~……ね?」
「ね?じゃありません。貴方の提案には未来永劫興が乗らないので却下です」
「けちんぼ。腹いせにこの店の食材全部平らげて代金払わせてやる!」
「では、それが今回の報酬という事で」
「ムキー!!」
この日、二人の『ゴースト・ファミリア』が勝手に動き出していた。
彼らの行動が物語に響きはじめるのは、それからずっと後の事となる。
後書き
ちなみにガウルの密かな悩みは、たまにロキ・ファミリアにいるラウルという冒険者と名前を間違えられることだったりします。奇しくもレベルが同じで年齢的にも近いです。
22.朝霧の君
前書き
今回から数話ほどココのお話です。
例えばだが――ココ・バシレイオスの一日はいつも同じ女性の声で始まる。
「お姉ちゃ~~~ん!稽古の時間!!」
バァァン!!と大きな音を立てて部屋のドアが開く。ココの健やかな朝を台無しにした天真爛漫な少女は、朝早くから訓練用の鎧と木刀を抱える物騒な少女の登場に、ココは内心「もう少し寝かせてくれ」と思った。しかし思いは言葉にしないと伝わらない。そして伝えるために口を開いてしまうのが億劫だ。イコール、もうちょっと寝たい。
と、そこまで思考が廻った瞬間、ココの被っていた布団が一気に引っぺがされて自らの身体を包む暖気の加護が消滅した。
「ほら起きてっ!日は昇ったし雄鶏も鳴いたよ!ママも朝ごはんの準備はじめたし皆も起きてるよ~~!」
目を開けなくとも大体何が起きたかは想像できる。勇ましき妹分がココを安寧に誘う睡魔の手先、布団をはぎ取ったのだ。布団も無しに寝ていても寒くて居心地が悪いが、しかし未だに睡魔は強力な誘導催眠魔法を放ち続けている。そう、ココじゃなくて睡魔が悪いのだ。
「んんん………あと6時間眠らせて……」
「昼になっちゃうよ!待てない待てない待てない~~~!!」
「もぉ………こらえ性がない妹分だこと。しゃーない、一丁相手したげよう!」
ベッドからむくりと立ち上がったココは、顔に垂れた長い黒髪を振るってベッドとしばしの別れを告げる。こうなった以上、妹分は絶対に退かない。全力で睡魔を追い払って相手をしてあげ、心残りの睡眠は昼寝に変更だ。
「お姉ちゃん、ダンジョンにずっと籠ってて休暇の時くらいしか稽古してくれないんだもん!たまに帰ってきたらそうやってベッドに齧りつきだし!」
「だってダンジョン内じゃ基本寝袋だし。アレ、結構お尻とか痛くなるからとフカフカのベッドが恋しくなるのよ。冒険明けのベッドの上でとろけたいのよ……」
「そんな事言って遠征終了後3日も大寝坊したじゃない!」
「いやぁ、久しぶりのベッドの感触を存分に堪能してたら見事に昼夜逆転したわー……」
ぶーすかと文句を言う少女は、名をマナと言う。彼女はココを姉と呼ぶが、正確には妹分といった表現の方が正しく、血縁関係どころか同じスキタイの戦士ですらない。
マナはオリオン・ファミリアの先輩たちの間に生まれた子供だ。ココが5年前にファミリアに入った頃にはまだ8歳で、ダンジョンに憧れて剣を習おうとしては忙しいからと断られていた。それから色々とあって、今ではこうしてココに教えを乞うている。
彼女と年齢が一番近いのはココだからか、家族同然のファミリア内でも二人は特に距離が近い。一緒に風呂に入ったり同じベッドで寝たりもしたから、ココにとってもマナは妹のようなものだった。
「ま、今日はきっちりシゴいたげるから先に行って素振りでもしてなよ。髪をとかしたらすぐ行くから」
「お姉ちゃんってお洒落にはあんまり興味ないのに、髪のお手入れだけは欠かさないよね。なんか不思議ぃー」
「髪は女の華なのよ!分かったらマナも自分の髪のとかし方くらい覚えなって。その年にもなってお母さんに任せきりはイカンよ?」
はぁい、と熱意の籠らない返事をしたマナはすたこらさっさとファミリア所有の練習場へと走った。
ふと一瞬だけ「マナも行ったし今なら寝られるな」と魔が差すが、流石にそれは非道だと思ってドレッサーへ向かう。母から譲り受けた年季の入っている櫛と、ツバキ油などのごく少量の手入れ道具たち。それを手に取ったココは慣れた手つきで髪をとかしていく。
地上でもダンジョンでも欠かさず行うこの手入れが彼女の美しい髪質を保っている。
「………よし、こんなもんかな!」
鏡に映る自分の髪をチェックしたココは、いそいそと戦装束へと着替えはじめる。
戦の中に於いて尚も艶やかに、そしてしなやかに踊る黒髪の狩人。
彼女の主神でるオリオン直々に『朝霧の君』の二つ名を授かったレベル5の冒険者の1日が始まる。
= =
マナ・ラ・メノゥはクォーターエルフだ。
父はハーフエルフ、母は人間、だからマナにはエルフの血が4分の1だけ流れている。
世の中では一般的にエルフは大別してハイエルフ、エルフ、ハーフエルフの3つとされている。
エルフは一般的なエルフであり、ハイエルフは高貴な血の流れるエルフ。そしてハーフエルフはエルフと別種族――ヒューマンの場合が多い――の間に生まれた子だ。
ハーフエルフまではエルフの特徴である尖った耳が目立つが、それ以上エルフの血が薄くなるとその特徴が表れにくくなるため、クォーターエルフという言葉は殆ど使われることがない。マナ自身、同じクォーターエルフに出会ったことは未だにない。
8歳になるまで、マナは自分が母親と同じ魔導師になるものと信じていた。
4分の1に薄まってもエルフはエルフ。魔法の素養は人並み以上にあるし、女の身である自分は前に攻めるよりは後ろから援護する方が向いているとごく自然に思っていた。両親もそれを否定することはなく、魔法を使わせるために勉強に力を入れさせた。
そんな折に、マナは運命的な出会いを果たす。
ココ・バレイシオスだった。
歳が近いこともあって、マナは比較的年齢の近いココに興味があった。エルフの血など一切流れない彼女は生粋のスキタイだ。故に握るのは剣と盾であり、マナとは全く別の存在。だからこそ興味が湧いた。ココはココでオリオン・ファミリアに知人が殆どいないせいかマナに歩み寄ってきた。二人は直ぐに打ち解け、姉妹のように親しくなった。
ココは年齢の割に身長が高く、どこか大人びた雰囲気を持っていた。大人との剣術訓練でも怯まず正面から突っ込んで凄まじい体裁きを見せ、マナより先にダンジョンで冒険し、帰ってきたらダンジョンでの話を聞かせてくれる。
勇敢で大人で、自分より2歩も3歩も先を行く姉貴分にマナが憧れという感情を抱くのに、それほど時間はかからなかった。
ココは13歳という若さで冒険者となり、早くもその頭角を現した。ダンジョンに入って僅か1週間で1層の魔物の特徴と行動パターン、ドロップするアイテムや階層の構造などを完全に理解したうえで出現魔物を1撃で葬れるようになる。翌週は2層、翌々週は3層……初心者のためにと付き添っていた大人もココの恐るべき順応の早さに舌を巻いた。
「ココは戦いの天才だ……初心者殺しのアリ共なんぞ、俺のアドバイスも無しに半日で最適解を見つけやがった」
「このままだとランクアップの最速記録を塗り替えるんじゃないか?」
「来週からはもう10層に入るんだってよ。ステイタスも凄い勢いで伸びてるし、このままだとあっという間に俺達に追いつくぞ?」
大人たちは口々にココを称賛した。ココもそれを誇らしく思っていたが、彼女は決して増長や慢心を見せずにいつも通りの姿勢を通していた。マナも彼女の成長を自分の事のように喜んだ。自分も13歳になったら魔法を極めて活躍するのだと意気込んだ。
――それが今では毎日素振りをしているのだから、不思議なものだ。
「………92っ!93っ!94っ!95っ!」
最初の頃は20を数える頃には腕が上がらなくなっていたが、数年の鍛錬のためか今では100回に届くようになっている。もっともこれは基礎的な部分であり、レイピアを使うマナにとっては余り使う機会がないものだ。
最初はココと同じ剣術を目指していたが、数か月もすると「向いていない」という根本的な課題が浮上した。それに際して訓練内容も変わっていったのだが、素振りはなんとなく続けている。たぶん、素振りをしている時のココの姿に憧れてるんだろうと思う。
それに、「今は」使う機会がないだけだし。
と、聞き慣れた声が近づいてきて、マナは素振りの手をいったん止めた。
「いやぁ、お待たせ!素振り何回目ー?」
「丁度100回に届いたところ!さぁ、身体があったまってきたよ~!」
「今日もやる気マンマンだね。そんじゃあ、早速稽古始める?」
「お姉ちゃんはウォーミングアップしないでいいの?」
「ストレッチと素振りしながらここまで来たからダイジョーブ!」
マナの脳内で不思議な踊りを踊りながら猛スピードで早歩きするココのイメージが横切っていく。時には激しく、時にはしなやかに踊り狂いながら一定速度で進行するココの姿はシュールすぎて爆笑必至。不覚にも想像してしまったマナは速やかにそのイメージを頭の外に追い出すことで平静を保った。
(これから真剣な訓練をするっていうのに、一体何妄想してんだろう私……)
「………なにやら変な妄想してるみたいだけど、稽古しないの?」
「ッ、する!します!!」
「よろしい!ならちゃっちゃと構えて突っ込んできんしゃーい!!」
ココも腰にぶらさげた訓練用の木刀を右手に握り、構え――パリッ、と音を立てて周囲の空気が全て塗り替わった。全神経が引きずり出されるような緊張感が全身を包み、周囲の全てに敵が潜むような錯覚がのしかかる。剣を握り、剣に生きる存在独特の『世界』に入った。
マナも応えるように刃を掲げる。最初はこの空間に留まるだけで息が苦しくなったが、泣き事ばかり言っているとココにも無駄に時間を使わせるし、せっかくの訓練が無駄になる。
「行くよ、お姉ちゃん!!」
フェンシングを主眼に置いた突きの構えを取り、脚にあらん限りの力を籠めて踏み出す。
体が理想的な体勢とタイミングで繰り出したことを確信する、瞬速の刺突。ファミリア内のレベル1冒険者にも先制を取れる、自慢の一撃だ。前にココに稽古をつけてもらってから毎日のように練習し、ここまで磨き上げた。
絶対的な壁に体当たりで挑むように、マナは渾身の突きを繰り出した。
瞬間、ココの手に握られた木刀の先端がくるりと回り、マナの剣に強い衝撃が奔った。
「今の一撃、めっさよかったよ。暫く会わないうちにまた腕が上がったっぽいね!……でも一撃に集中しすぎて後の事が疎かだよ」
マナにとって最速の一撃は、その軌道を情報に逸らされて空を突く。
首筋に艶のある木材の感触。あの一瞬でマナの一撃を見事に掻い潜ったココの木刀の切先は、そのままマナの喉元寸前で停止していた。
(見切って、弾いて、突きつける……私が一つの行動を起こす間に三つの行動……!!)
勝てるとは思っていなかった。それでも内心、怯ませるくらいなら出来るんじゃないかと淡い期待を抱いていた。だが、そうではない。これで怯まないからココ・バシレイオスはレベル5にまで上り詰めたのだ。しかもココは訓練の際に俊敏のステイタスを全く使用していない。『非冒険者にも可能な模範的対応』の範疇に収めた行動をしている。
もしもココがステイタスを全開にすれば、マナの突きと全く等速のバックステップで回避することも、木刀の切先に自身の木刀を当てて吹き飛ばすことも、刺突を掻い潜ってマナを素手でいなすことも出来た。
それをしないのは、これが単なる稽古だから。
マナも神聖文字は背中に刻まれているが、冒険者として魔物と戦った経験はないレベル1だ。レベル5のココとでは出来ることと出来ないことの差が違い過ぎる。だからココはマナと戦う際には行動をセーブする。それは手を抜いているのではなく、『マナに合わせるだけの技量がある』ということ。
(途方もないなぁ……お姉ちゃんは。剣術の方はあと10年あっても追いつける気がしないや)
やがて突きつけられた木刀が引き、不敵な笑みのココは改めて初期位置に戻る。まるで何事もなかったようなその背中がどうしようもなく遠く、そして大きかった。
「さ、次はどうする?ベストな一撃のリズムを体に覚えさせるために反復?それとも突きが躱されたりした時の対処法探り?もしくは………練習中の魔法、使っちゃう?」
それでも、マナには目指す物がある。
「……全部やるッ!!」
ココの剣術を母の魔法、その両方を極める『魔法剣士』。
そのスタイルを完成させるために、マナは詠唱を開始しながら木刀を構え直した。
= =
リージュ・ディアマンテが戦略の天才ならばココ・バシレイオスは戦術の天才だ、と誰かが言った。
リージュは将の器であり、大軍を動かして相手を戦略的敗北に追い込む。綿密な計画、徹底した指示、先見の明、予想外の事態に対処する決断力と判断能力……それらを持ったうえで集団戦闘に挑み、勝利する。『勇者』の二つ名を持つフィン・ディムナも優れたリーダーシップを持っているが、こと大局を見る目に関してはリージュの方が1枚上手だというのが一般的な見解である。
すなわち、戦略の天才とは巨大な流れに乗る為の舵取りだ。
対してココは単独行動が基本で、特定の獲物を仕留める方法を考えながら疾走する。時には得物を狩る為に協力者を仰ぎ、己を鍛え、経験則や事前情報から行動を読み、あらゆる可能性を視野に入れたうえで確実に勝てると確信した時に敵を仕留める。彼女と似たスタイルの冒険者に『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタインがいるが、魔物を確実に狩るという点から見ればココの方がクレバーな戦いをする。
すなわち、戦術の天才は流れを作る「点」を潰すことに長けている。
そう、ココという少女は戦いに関してはまさしく天才なのだ。
天才なのだが……そんな彼女を好ましく思わない者もファミリア内にはいる。
それはやっかみや嫉妬でもあるし、もう一つの理由でもある。
そのもう一つとは、彼女がオーネストをライバルとしながらも非常に親密にしていること。すなわち、ゴースト・ファミリアの一員であることだ。一時期はオーネストを追いかけて人の忠告を無視したり音信不通になったりもしたし、レベル5となった最近も遠征以外の時間は彼の所へフラフラ行ってしまう。止めたら止めるなと言い、説教をすると途中で眠ってしまい聞いていない。
自分のファミリアの事をほったらかしてまで得体の知れない犯罪者紛いの男とつるむ少女――それを非行少女と呼ばずして何という。少なくともオリオン・ファミリアの一部はココにそろそろ灸を据えるべきと考えていた。
「あの悪娘め……今日という今日はきっちりオリオン様に説教してもらうぞ!」
「今回は表口と裏口、更には窓まで全面閉鎖!ホームの敷地から出るための順路はない!」
「今回はレベル5代の連中も(半ば無理矢理)連れてきての作戦だ!さぁ、挫折を味わうがいい!!ムハハハハハハハハ!!」
……などと言いながら最も戦力的に手薄な正門で高笑いする男達。
今まで裏口、窓、塀の上など様々な場所からココに突破されてきた彼等の執念も凄いが、その執念を以てしてもいつもココにはするりと包囲網を抜けられる。大体の場合、あっさり裏をかかれるのだ。
正門を通らないのは当たり前、窓も塀も今まで散々使われたし、時には別のファミリアが外出する際にこっそり紛れ込んで目をくらまされたこともある。他にも団長に頼んで別の場所に行かせる、陽動をかけて誘導する、敢えて実力差で普通に正面突破するなど、彼らは完全にココに遊ばれていた。
「ふふふふ、この時間帯ならマナとの特訓を終えて朝食をとっている頃!彼奴が呑気に飯を食っている間に、俺達の包囲網は完成したのだ!」
「おう!団長たち先輩とオリオン様には『これ以降は二度と付き合わん』とつっけんどんにされた上に明日からトイレ掃除を命ぜられたがな!」
「されど、それもココめに辛酸を味あわせることが出来るのならば安い物!ムハハハハハハ!」
「ふーん、アンタたちも大変ねぇ。多分だけどもっと罰は追加されると思うよ」
「ハハハハ………は?」
さらりと告げられた言葉にはたと停止した3人組は、ギギギと音を立てて敷地の外を見やる。
「おっはー♪」
そこで呑気に手を振っていたのは――ピクニックバスケットを小脇に抱えたココ・バシレイオス。
自分たちが多大な犠牲を払ってまで敷地内に留めようとした天才冒険者だった。
「な……ななななななな何故既に外にいるぅぅぅぅぅぅッ!?」
「お前はまだ食堂で飯を喰らっている筈ではなかったのか!?」
「や、昨日からアンタらがコソコソ動き回ってたから怪しいと思って先輩から計画全部聞きだしておいたよ?後はカンタン。食堂担当のママさんに頼んで明日の朝ごはんをお弁当にしてもらい、訓練終了後包囲網が完成するまえに普通に外に出させてもらいました!やだ、私ったらスゴくない?」
真面目に自分の有能さに衝撃を受けたような表情をしているが、実際には3人組の計画が色々と杜撰すぎただけである。事実、ココがわざわざ3人の顔を見に来たのもからかいに来たからだったりする。この3人、根本的に頭の回転が鈍いのだ。
ちなみにココは魔法を一つ習得しており、そして魔法習得の条件は知能と深い関わりがあると言われている。普段はちょっと抜けている姿が見られるココであるが、意外と頭はいい方なのだ。いわゆる「勉強の出来るバカ」タイプと言えるだろう。勉強も出来ないし馬鹿なのは……愛嬌が無い場合は救いようがない。そういう点でいえば3人は愛嬌があるのかもしれない。
「まぁそういうことだから!じゃ、バッハハ~~イ!!」
ひらひらと呑気に手を振った直後、ココは疾風のような速さでその場を離脱。後には馬鹿3人と、その馬鹿どもに朝っぱらから付き合わされた連中のジトッとした視線だけが残った。
「よう、馬鹿ども。お前の作戦とやらに律儀に付き合ってやった結果がこれなんだが?」
「夜中にギャーギャー騒ぎ立てるからうるさくて眠れなかった挙句、朝の睡眠時間まで削っておいて結果がこれか?」
「というか……ココちゃんにいたずらしようとするの、よくないですぅ……」
「うむ。これは久々に貴殿らの根性を叩き直してやる必用があるらしいの。さてはて……」
「覚悟のほど、よろしーかね?」
「「「ひぃッ!?」」」
……以前にも触れたが、オリオン・ファミリアは熱血系が多い。そのため、こと罰則などに関しては非常にスパルタである。というより、皆してこの3人を懲らしめる口実がてら協力した節さえある。つまり、彼らには最初から逃げ場など無い。
「お………おのれココッ!次こそは……次こそはぁぁぁ~~~~!?」
「というかもう俺達が強くなる努力した方が早くね!?」
「フッ……それが出来るならこの世に『天才』なんて言葉はないぜ……」
数秒後、オリオン・ファミリアの敷地内に悲痛でちょっぴり汚い悲鳴が鳴り響いた。
後書き
アルテミシアとは処女神アルテミスの名に由来する薬草(日本では朝霧草。ヨモギの仲間)で、同時にペルシャ戦争で古代にギリシャと戦った女王の名でもあります。
ちなみに女王アルテミシアは二人いて、一人は「世界最古の女海賊」「戦場を駆ける女」と謳われ、確かな戦略眼と大胆な決断でペルシャ戦争を生き延びた女傑海賊アルテミシアです。もう一人は亡き夫の為ギリシャと戦い、戦後は夫のためにマウロソス霊廟を建設、自らも後を追うように自害したという献身女王アルテミシア。
二人とも同じ国の同じ女王で、どちらもアルテミスらしさがあるのが面白いですね。
23.舞空遊跳
前書き
ちなみに時系列的にオーネストはまだダンジョン内で殺戮の宴中です。
オラリオの冒険者は数多くいるが、その戦闘スタイルで最も多いのは剣一本だ。
杖は魔法使いしか使わないし、魔法主体で戦う冒険者はそもそも絶対数が少ない。短剣やナイフはリーチが短くて使い手を選ぶ。槍は長すぎてダンジョン内では取り回しのきかない時がある。ハンマーや斧は重くて取りまわし辛く、ドワーフや猪人など力のある種族しか使わない。
以上の理由から、冒険者の戦闘スタイルは自然と剣一本に集約しがちなのだ。
そしてもう一つ――手で持つという点では盾もあまり使われない。
盾とは、古来より「人」と戦う際に身を守ることを前提としている。鎧では対応しにくい様々な攻撃に対して、盾は非常に優れた防御性能を有していることも確かだ。しかし、ダンジョンではどうしても好まれない。
ダンジョンはいつ、どこで、どれほどの数の魔物が攻撃してくるか分からない。どちらかといえば集団戦や一対一の戦いを前提としている盾は、ことダンジョンという環境下では重りになる。ダンジョン内で必要なのは機動力と継続性……片手を塞ぎ、重量もある盾はどうしてもデッドウェイトになる。
ともすれば生まれつきの怪力を持つ種族でなければ持ち歩くのは難しいし、長期間ダンジョン内を動き回ることを加味しても盾は持って行かない方が合理的だ。後々に盾を持ち歩けるほどステイタスや体力に余裕が出来たとしても、盾持ちに回帰するケースは少数だ。
だから、ココのように剣と盾を持った昔ながらの剣術はオラリオでは珍しい。
珍しいが故に、このオラリオでは盾作りが得意な職人が少ない。丈夫な盾を用意する分には問題ないのだが、その盾に細かい注文を付けた際にきっちり応えてくれる職人が少ないのだ。
そんな盾大好き人間たちのささやかな望みを叶えてくれる隠れ穴場の一つ、『シユウ・ファミリア』。そのホームの一室で、一人の職人が静かに盾を吟味していた。
様々な角度から盾の表裏を覗き、手に持った小さな鎚でカツカツと叩いて音を聞き、やがて静かにテーブルの上に置く。
ココ専属のシールド鍛冶師、フー・リィライはどこか満足そうに結果を報告した。
「罅や歪み、金属疲労は殆ど無い。このまま使ってもいいよ。いやー、スキタイの人は本当に盾の扱いが上手だよね!」
「トーゼンよトーゼン!私達スキタイにとっては基礎教養レベルの技術なんだから!」
外見は大人びているのに、すぐに煽てに乗っては自慢げに胸を張るのが彼女の子供っぽい所。その精神年齢の低さたるや、ほぼ同年齢のフーを苦笑いさせる程度である。しかし、彼の褒め言葉そのものにに嘘偽りはない。
「『衝撃受流』と『衝撃相殺』だっけ?おかげで修理する側が楽でしょうがないなぁ」
アマゾネスやドワーフと違ってスキタイはヒューマンの集団だ。遊牧騎馬民族として武勇を立てては来たが、生まれついてのアドバンテージはないに等しい。だからこそ、彼等は常に戦闘技術に磨きをかけている。
『衝撃受流』も『衝撃相殺』も決して門外不出ではないし、練習さえすれば他人にも真似事が出来る。だが、それを実戦や土壇場で活用できるレベルになる者は殆どいない。二つの技術は共に失敗した際にモロに攻撃を受けるため、リスクを考えれば回避に行動を絞った方がいいからだ。
ところが、スキタイの戦士は当然として20歳になる前には回避・パリィ・ブロックの3つのどれでも敵の攻撃を防げるようになっている。だからスキタイの戦士は武器を滅多に壊さない。予想外の攻撃で装備に予想外の負荷がかかる率が周囲と比べて異様に低い証拠だ。
「ドワーフなんかあっという間にベッコベコにしちゃうからね。やっぱり盾の扱いは君達が一番だ」
「ふっふん、もっと崇め奉るがいいわー!」
「はいはい……まったく君はこーいう時だけ調子がいいねぇ」
こうやってスキタイを褒められたとき、ココは何となく自分が褒められるよりも誇らしい気分になる。理由は自分でもよく分からないのだが、きっと自分を育て鍛えてくれた人々が素晴らしき先人だったのだと思えるからなのだろう。
「でもそんなこと言うなんてちょっと意外~。フーってば戦いには行かないのにそういうのは知ってるんだ?てっきりここに籠りっきりでソッチの知識は駄目なのかと思ってたけど」
「おいおい、何言ってるんだ。君が暇さえあればスキタイの偉大さについてこんこんと語り続けるから覚えたくなくても覚えたんだよ……?」
「そだっけ?全然覚えてない!」
「ったく、自分で喋っておいてコレだから君は……」
「ふわぁ~……おっ?ねーねー天井のカドっこにあるあの染みの形って若干クマっぽくない?」
「もう話聞いてないし!」
さっきまで会話していた筈の彼女は、現在大きな欠伸をしながら天井のシミの模様を一心不乱に見つめている。あまりにも不真面目なココに呆れたフーの目線が突き刺さるが、あの世界一我慢しない男――オーネストを以てして「本能で生きている」と言わしめた彼女は細かい事は気にしない。というか、下手をしたらゴースト・ファミリア内で一番神経が図太いので本気で気にしていない。
生真面目なフーは、内心そんな彼女と反りが合わないと思っている。
戦い以外では不真面目だし、人の忠告をあんまり聞いてくれないし、酒に強くもないくせに酒を飲んではオーネストの館で二日酔いに苦しんでいる。あんまりに自堕落だから面倒を見てあげることもあるが、どうにも彼女とは会話でも生活でも距離感が掴めない。
だが、ココは何故かフーに懐いている。仲がいいというより懐いているという言葉がしっくり来るのは、彼女がどこか動物的な気性だからだろう。見かけたらちょろちょろ近寄って来るし、館でも暇になると近づいてくる。盾作成の専属契約を交わしているから余計に顔を見る機会は多かった。
(ま、彼女が人間的な「好き」を見せるのはオーネストと一緒にいる時だけなんだけどね……)
そう考えるとほんの少しだけ喉に何かつっかえた気分になるのは何故だろう。とりあえず、こんなソリの合わないのに恋してたとは考えたくないので普段は気にしないことにしている。確かにココは美少女かもしれないが、頭に「残念」の文字を接続した方がよりしっくりくる。
「はぁ……ともかく、君が盾を大事に使ってくれるんなら製作者冥利に尽きるよ」
「どもども。でも、うーん……フーって変だよね」
「君に言われたくないよ!……というか、どこが変なんだい?」
「だってさ。そーいうのってさ、鍛冶屋としちゃあ商売あがったりなんじゃないの?防具が壊れなかったら仕事なくなるから売上げ落ちちゃうじゃん。唯でさえそんなに景気がいいファミリアじゃないんだし、仕事が減ると困るんじゃない?」
「ファミリアの経営に関しちゃ一言余計だっての!まったく、何を言うかと思ったら……君らスキタイの戦士たちの盾は一つ一つがオーダーメイドなんだよ?一つ作るのにそれこそ1週間以上かかるくらい丹精込めてるんだ。そんなに気合を入れたモノをしょっちゅう壊されたら造り直すこっちの精根が保たないって」
フーは苦笑いしながら肩を竦めた。実際にはそれに加えて盾に使用する希少金属の仕入れなどにも手間がかかるため、更に時間がかかることもある。
「そもそも、そんなにしょっちゅう壊れるような装備作ってたら親方に殴られる。『冒険者の命を護るのはお前の防具なんだぞ!』……ってな風にね。だから私の防具は装備する冒険者の無事を祈って全力で造る。もしそれでも防具が壊れるんなら、次はもっと凄い奴を作ってやるさ」
「むむ……偶にはアツい事言ってくれるじゃん!そーいうのがフーの戦いって訳だね!」
「そう言う事さね。それに、盾は私の子供みたいな存在でもある。それが壊れず無事に戻ってくるのはいいことだ。きっちり役目を全うしてるんだから……長生きしてほしいのが親心、さ」
盾に注がれる柔和な視線。使命を果たす我が子を可愛がるように、フーの指先がココの盾を撫でる。
道具は消耗品だ。武器に拘りのない戦士だと平気で手入れを怠って、早く道具としても役目を終えさせられる。ギルドなどで配布される安物の大量生産品ならそうでもなかろうが、手間暇かけて製造された物ならば作り手も使い手も愛着というものが湧く。
少なくともココには、今のフーが自分の埼品に愛情を注いでいるように見えた。
「君も無茶して壊れないでくれよ、ココ」
「……………う、うん」
不意の一言にココは少し驚いたが、気恥ずかしさから少し目を逸らしつつも素直に頷く。
フーという男は生真面目で口うるさい時があるが、いつでも優しい。アズは善性の中に酷く乾いた面が見え隠れするが、彼の優しさはじわりと浸透してくる献身的な暖かさがあった。
きっとこの男は表に出れば女性の心を掴むんだろう。アマゾネスのタイプではないが、きっとヒューマンやエルフには人気が出るに違いない。今はマイナーファミリアの工房に籠っているしレベルも1だから注目されてはいないが、なんとなくココには想像がついた。
(そう考えるとフーって優良物件よね。別に結婚したいとかは思わないけど、本当ならこーいうのを旦那にしたほうが夫婦生活とか上手く行くのかな……)
……が、同時にココは知っている。
この男は優しいけれど、時々ものすごく酷い事を言ってその優しさを台無しにするのだと。
「君がくたばったらこの子は自力で帰って来れないからね。この子が活躍するために頑張って生き残ってくれ!」
「おいコラー!?私より盾優先かーいっ!ちょっといい話っぽくて感動したのに酷い裏切りを見た!」
いい笑顔で親指を立てるフーのジョークとも本気とも取れない態度が、どうにもココには理解しがたい。こういうとき、ココはつくづくこう思う――フーのことは嫌いじゃないけど反りが合わない、と。
= =
ココはダラダラするのも好きだが、走り回るのも好きだ。
休める時に休んで動くときに動く。実に野生動物的だが、そもそも人間だって昔は野生動物と大差なかった事を考えれば不自然はない。だからココは時折、街の屋根から屋根に飛び移ってオラリオ中を駆け回る。
「やっふぅぅぅ~~っ!!」
足を踏みしめて、トップスピードを維持したまま跳躍。宙に投げ出された身体にぶつかる風の心地よさを感じながら、2件飛ばしで建物の屋根にとん、と着地。着地のエネルギーを最小限に抑え、トップスピードを落とさないまま今度は通りを挟んで反対側へと跳ねる。
その姿は余りに早すぎて地上からは一瞬しか見えない。戯れに彼女を追跡しようとした冒険者もいたが、その殆どが1分もしないうちに振り切られている。故に奇声を上げながら屋根の上を疾走する謎の女の正体は案外と知られておらず、特徴的な黒髪から『黒豹』という仇名で囁かれている。
なお、追いかけっこに負けた冒険者たちがリベンジに燃えていろんな場所を飛び跳ねていた所、楽しそうという至極単純な理由で参加者が増加。偶然練習場の近くを通りかかったオーネストによって『移動遊戯』という名前の競技になりつつあるのはここだけの秘密だ。
……補足すると、オーネストは彼らの動きが前世界の記憶にあったスポーツのパルクールに似ていたからそう呼んだだけで、それを聞いた周囲が勝手に採用したのが真相である。アズに到っては鎖を使った全く新しい移動方に挑戦して「これが俺の立体機動!」と意味不明な事を叫びながらバベルの頂上に鎖を引っかけて飛んで行ったが。あの鎖、いったいどこまで伸びるのだろうか。噂によるとフレイヤの部屋に突き刺さって部屋の主を死ぬほど驚かせたそうだ。
閑話休題。
ともかく、ココはこの屋根の上界隈では「『移動遊戯』の開祖」とも「幻の走り屋」とも噂される注目の的なのだ。そんな人物を見かけた周囲は、当然ながらこう考える。――競いたい、と。
「いたぞ、『黒豹』だ!」
「へへっ!鍛えに鍛えた俺のパルクールテクで今日こそ正体暴いてやるぜ!」
「『黒豹』様~~!サインちょうだ~~~い!!」
「ブラックパンサー……略してブラパン?」
「その呼び方は止めろ!下着屋みたいになるから!」
ココに追い縋るように十余名の冒険者が素早い身のこなしで屋根の上へと駆け上がり、跳躍するココの後ろに着いた。ジャッカルが野を駆けるように、鷹が空を切るように、オラリオの街並みの上を集団が駆け回る。
「おーおー集まってきた集まってきた。そんじゃー今回は北通りにあるギルド支部の屋根を最初に踏んだ人の勝ちねー!!」
「「「「やぁぁってやるぜ(わ)ッ!!」」」」
ルールらしいルールも碌にない。
あるのは『イケてない事をするな』という暗黙の了解だけ。
争うためではなく、金儲けの為でもない。ただ純粋に、この瞬間――群れとなって一つの目標めがけ疾走する瞬間が心地よい。自分の限界を探るように全力で、自らが楽しむことを忘れぬよう伸び伸びのと、オラリオの自由な若者たちは一斉に駆け出した。
思い思いの速度で自由な順路を辿り、バラバラな人間たちは有機的に動き回りながら進む。ある者は建物の間に垂らされた洗濯ロープを足場に飛び、ある者は看板の上を伝うように進み、中には狭い路地を三角飛びで跳ねまわって方向転換する器用な者の姿もある。
不思議な事に、彼らは皆『黒豹』との競争に負けると何も追求せずに自然解散する。正体を確かめるという目的がある割には顔も隠していないココの正体を詮索しない。それはもしかすると、彼女に正体不明のままでいて欲しい、謎多き憧れの存在のままでいて欲しいという願いから来るのかもしれない。
(次からはサングラスとかで目元だけでも隠してみよっかな?)
誰も知らない正体不明のカリスマ。そういうのも夢があって面白いかもしれない。
そう思いながら、ココは周囲で一番丈夫そうな屋根に飛び移り、そこで周囲が自分を通り過ぎたのを確認してからゆっくりとした足取りで屋根の端へと行き、それより先に足場のない淵に背を向けた。
「なんだ、突然……まさか試合放棄か!?」
「いや、ちげぇ!あれは何か……やろうとしてる!!」
異変を察知したメンバ―の足が止まった。
勝利したい思いはあるが、それ以上に――あのパルクールの女王が何をしようとしているのかをその目で見極めたい気持ちが激しく胸を躍った。あの時、初めて彼女の背中を追いかけた時に見えた新しい世界を、また彼女の背中が見せてくれる。そんな根拠のない高揚感が、全員の視線を彼女へと集めさせる。
すぅ、と、『黒豹』の身体が重力に従って屋根の外へと傾く。
彼女がそのまま重力に従い続ければ――彼女は頭から建物の下へと落下して無残な死を遂げる。それほどに無抵抗で、凪のように穏やかに空間を彼女の黒髪がふわりと広がった。
その直後。
「――ッ!!!」
ダンッ!と腹の底を叩くような重音を立ててつま先が『黒豹』の身体を宙に投げ飛ばした。
いや、投げ飛ばしたのではない。跳躍だ。それも、バック宙返り。
「綺麗………!」
思わずそんな感想が漏れるほどに、『黒豹』は美しい放物線を描きながら鮮やかに回転する。
高さ10M近く、飛距離にして30Mはあろうかという人生史上最大の跳躍。しかも、彼女はそれを後ろを向いて回転しながらこなしている。
やがて、放物線の最高高度を通り過ぎた頃に顔の所の回転は徐々に緩やかに、そしてしなやかに体を開き、遙か遠くにあった建物の屋根の先端を正確にストンプして更に跳ねる。
「ウソだろ……あの回転のなかでどうやって着地タイミングが分かるんだよ!」
「しかも足場が下手したら滑りそうなくらい狭い……一体どこに目が付いてるってのよ……!?」
「今度は宙返りではなく空中回転捻りだぞ!!」
縦の回転から横の回転へ、加速の反動を十全に活かした上で身を捻り、バランスを一切崩さない体勢移行。そして下手をしたら目を回してそのまま落ちそうなほどの回転の後、『黒豹』は側転二回、宙返り連続4回、更に空中2回転半身捻りを加えて完全に体勢を立て直し、そのまま更に目的地へと高く跳躍した。
そこに到るまでの流れるような速さ、高さ、体裁き、そして神懸かり的なバランス感覚。
そして何より、失敗すれば大怪我間違いなしの常識離れの大技を、この土壇場で平然と行って成功させる『イケてる』心意気。
「凄い………やっぱり『黒豹』は凄いや!!」
「おい、急いで追いかけるぞ!!このままじゃゴールの瞬間さえ見逃しちまう!!」
「『黒豹』様ぁ~~!!一生ついてゆきますぅ~~~!!!」
若い冒険者の間で密かなブームの兆しを見せる『移動遊戯』の最先端を駆け抜ける正体不明のカリスマウーマン。その正体が明かされるのは、本人が思っているより遙かに先になりそうだ。
= おまけ =
一方、そんな若者たちの娯楽を天高いバベルから見下ろす一人の女神。
「相変わらずオリオンの所のお姫様はヤンチャね。でも……うふふ、結構見応えがあるじゃない。参加してる子たちも楽しそうに魂の輝きを増してるわ。スポーツ……冒険者のやるスポーツ大会、『祭典競技』なんてあったら面白いかもしれないわ」
このオラリオにも娯楽は数多くあるが、スポーツというものは何となく注目度が低い。どうせ体を動かすのならば冒険者らしくダンジョンで暴れて武勇を立てろ、という潜在的意識があるからだろう。しかし、偶にはああやって何の気兼ねもなく純粋に体を動かすことを楽しむのを観察するのもいい。普段とは違う魂の輝きが見られる。
偶には良い事を思いつくな、と内心で自画自賛していたフレイヤだったが、不意に嫌な事を思いだしたように顔を顰める。………念のために言うと、楽しい時も怒っている時も微笑を湛えているタイプのフレイヤとしては『激レア』と呼んで差支えない表情である。
「………とりあえず『祭典競技』が採用された暁にはルールの文言に『死神っぽい人、鎖を使う人、黒コートで神に対して馴れ馴れしい男は参加資格を認めない』って書きこんでおきましょう。うん、そうしましょう」
今現在、その条件にばっちりぴったり当てはまる人物はたった一人。『告死天使』のみである。ではなぜフレイヤがそんな特定の人物だけ締め出すようなルールを作ろうとしているのかというと、それは彼女が『移動遊戯』の存在を知ることになった日に起きたある事件が発端となっている。
あれはそう、数か月前の事――フレイヤは自室で寝ていた。
別におかしいことではない。時間帯は昼だったがフレイヤとて昼寝くらいはするし、むしろフレイヤの場合は夜の方が忙しい。だから別に昼寝していてもおかしくはないのだが――そこに、とんでもない闖入者が現れる。
「…………?」
ふと、どこからかジャラジャラという金属同士がこすれ合うような音が近づいている事に気付いたフレイヤは眼を覚ましてその正体を確かめようとした。今までここに住んでいて一度も聞いたこともない音であるが故、気になったのだ。音は外から、ということは外を見れば千里眼染みたフレイヤの眼でその正体を確かめられる筈だ。
いまいち目が覚め切っていないフレイヤは、寝ぼけ眼を擦って立ち上がりテラスへ向かう。
そう、来訪者が訪れたのは丁度その時のことだった。
バベルの頂上というこの街で一番高い場所のテラスに鎖を引っかけた盛大な来訪者が。
「これが俺の立体機動ーーっ!!………ってヤバイこれ加速殺しきれない壁に突っ込むうううッ!!」
「きゃああああああ!!黒いナニカが空を飛びながら猛スピードでこっちに迫って来てるぅッ!?」
「うお~!くっあ~~!ぶつかる~~~~~!!こうなったら最終手段、インド人を右にッ!!」
「黒くてカサカサして飛ぶのいやあああああああ!!こっちこないでぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
謎インド人を発動した男は右腕に持っていた鎖を捻って辛うじて外壁直撃コースを回避。ズドガッシャアアアアアン!!と盛大にド派手な音を立ててフレイヤの部屋に突っ込んできた。
なお、何故フレイヤが流石に愛せない家庭内害虫を連想したのかは謎である。
後から聞いてみると、アズは『移動遊戯』という遊びをやっているうちに彼にしか出来ない独自の遊び方を発見してはしゃいだ結果、動きをコントロールしきれずにここに突っ込んで来たらしい。前々から正体不明で死神っぽい男だったアズだったが、フレイヤも流石にここまでダイナミックに寝込みを襲ってきた男は初めてだった。
彼女としては色々と――フレイヤ独自の視点から見て――気に喰わない所があるアズだったが、この件でなんとフレイヤは悲鳴をあげてスッ転んだ上に呆然としている所を見られるという猛烈な失態を冒した。
何というか、そういうのはフレイヤのキャラではないのだ。キャラではないのにアズ相手にそう言う所を見せてしまったというのは、彼女からすると果てしない恥辱なのだ。
好きな相手にそういう所を見せて魅了するのなら何の抵抗もない。だが、押しかけてきた好きでもない男にそういう生娘のような部分を見られるというのは、美の神のプライドからすれば不覚以外の何物でもない。
それが例えアズの意図ではなかったとしても、「いいようにやられた」という事実がフレイヤの中に生まれてしまう。別にフレイヤの『愛』の邪魔など何一つしていないから恨んだりはしないのだが……ともかくその日から、フレイヤはアズが苦手になった。
「もう、何なのよ……魅了には欠片も引っかからないし、魂は『死神より死に近い』し……わたくしの部屋にまで押しかけておいて平謝りして帰るだけって何よ!?男として燃え上がるものはない訳!?貴方はいったい何なのよ~~~っ!?」
結論から言うと、こうだ。
アズライール・チェンバレットは、美の女神フレイヤを以てしても「意味わかんない」。
尚、オッタルは自分の主が生娘のように騒いでいる光景を見て「フレイヤ様は今の光景を眷属には絶対に見られたくないだろう」と判断して静かに耳と目を塞いだため、情報が外に漏れる事はなかった。
後書き
アズの神様異聞録
・ヘスヘス(ヘスティア)に金を貢ぐだけ貢いで困らせるだけ。
・ロキたん(ロキ)と運命的な出会いを果たし、茶番コンビになる。
・タケちゃん(タケミカヅチ)に七支刀の切先の上で胡坐をかくコツを教わる。
・フレイヤをモヤモヤさせるだけ。アズさんマジパネぇっす。
・ファイさん(ヘファイストス)に『キミに合う武器なんてウチにはない』と言われてちょっと凹む。
・ソーマを舎弟にして神酒飲み放題になる。
・実は時々友神と一緒にギャンブルしているが、アズの馬鹿勝ちと神の馬鹿負けの結果お金は±0。
・ガネーシャと会話↓
「俺がガネーシャだ!」
「じゃあ俺もガネーシャだ!」
「うむ、お前もガネーシャだ!!」
アズ は おうごん の ガネーシャかめん を てにいれた !!
24.在りし日の残影
これはスキタイに限った話ではないが、世の中は年長者を敬った方がいい。少なくともココの故郷では誰もが年長者を敬っていた。長く生き、多くを知り、深い見識と経験を持つ年長者は歴史の生き証人なのだ。年長者なくして今の時代は訪れなかったのだから。
だから、ココは老人を敬い、手助けをするのは当たり前のことだと思っている。
そう言うと、迷子の老人は感動したように目を潤ませた。
「いやぁ、ココちゃんはええ子だのう。それに比べてうちの莫迦息子と来たら……『オラリオで結婚した!』の連絡を境にぱったりじゃよ!まったく……嫁の顔も見せんでからに!」
「あははは……まぁオラリオにいると簡単には休暇取れないからしゃーないかもね。息子さん、強かったの?」
「んむ。手紙じゃ『れべるろく』とか書いておったわ。若いのは直ぐに横文字とか格好つけた言葉を使いたがってイカン。『れべるろく』がどの程度だっちゅうの!」
「レベル6………そりゃ滅茶苦茶強いわ。多分その息子さん、ファミリアでも団長とか幹部とかそういう地位にいたんだと思うよ」
「なんだと?ぬぬ……そんなに強いのか。わしの中じゃあ未だにケツの青いガキなんだが、実は出世しておったんかのう………」
『移動遊戯』も終わってそろそろ帰ろうと思っていたココがおじいさんを発見したのは偶然だった。
道端で困ったように地図を見ては周囲を見渡して溜息を吐いていた老人は、名をシシド・スクワイヤと言った。何でも昔にオラリオへ向かった自分の弟子の現在を確認するために遠路はるばるオラリオに来たらしい。
長く白いひげと刻まれた多数の皺は彼が優に六十を越えた齢であることを感じさせるが、老齢で杖をついている割には動きがしっかりしている。名前や人種的な特徴だけを見ると極東の出身に思える。だとすれば……老骨には堪える長さだ。行くのも帰るのも相当な時間がかかったのではなかろうか。
「おじいさん、どこからオラリオまで来たの?やっぱ極東の方?」
「いいや、もちっとオラリに近い所じゃよ。確かにウチの地域には極東人の血を継ぐ者が多いがの。ま、大航海時代とかに色々あってそうなったんじゃとよ。ド田舎じゃったせいで余所者の血が混ざりにくかったのもあって、よく極東人に間違えられるわい」
快活に笑うシシド。歳の割にフランクな印象を受けるご老公だ。このような老人の息子というのが一体何者なのか、今更ながらココは興味が湧いてきた。
「息子さん、どんな人だったのか聞いていい?」
「ふむ、そうじゃの………先に言うとくが、我がスクワイヤ一族は『葛西流』という剣術を脈々と受け継ぐ剣士の家系での。まぁ、お察しの通り極東を源流とする剣術じゃよ」
「へえ、極東!ってことはその杖って実は仕込み杖だったりするの!?」
「ふふん、ココちゃんは勘がええの……ほうれ、この通りよ!」
シシドは悪戯小僧のようにニヤリと笑い、杖の取っ手を軽く捻る。すると何の変哲もない杖の取っ手がかちりと鳴り、中から微かに露出した抜身の刃が姿を垣間見せる。それはまさしくココが偶然本屋で発見した極東の物語に登場する『仕込み杖』――杖に擬態させた鍔のない日本刀そのものだったのだ。
「うわー本物だ!!はー……初めて見たぁ!極東の人達の刀は全部普通の刀だから本物を見れる日が来るとは……振っていい!?振っていい!?」
「これこれ!振ってもよいが、流石に場所を弁えたほうがええぞい?それにココちゃんの聞きたいのは剣ではのうて我が不肖の息子じゃろ?」
「………そだっけ?」
「忘れとるんかい………自由な子じゃの、きみ」
誰に対してもこういうとぼけた部分は抜けきらないのが彼女の悪癖の一つである。
「ともかく『葛西流』じゃ。わしは葛西流免許皆伝でな?村にはそれなりに門下生も多くおる。そんなわしが息子に葛西流を教え込むのは自然之理じゃった。自慢ではないがスクワイヤの家系は『古代の英雄』の血を継ぐ一族であるが故、息子もその才に恵まれておったのだ」
「ふーん……え!?スクワイヤ家ってそんなに古い血筋なの!?古代の英雄の血筋ってことは神の降臨より前だから千年以上前だよね!?」
「んん……正確には家名としてスクワイヤを名乗ったのは神の降臨から2~300年ほど後じゃ。まぁそれはそれとして……ともかく、わしと妻の間には二人の息子が産まれた。双方剣の才能があったのだが、話はその長男の方になる。……まぁ、ズバ抜けておってな。こと『居合』に関しては歴代最高であった。これは断言してもいいよ」
その時だけ、シシドは子を自慢する父親の顔をしていた。
馬鹿息子だの何だのと罵ってはいたが、それでもやはり息子は息子なのだろう。自らの血を引き剣士として大成した男を、誇らしいと思わない訳がない。ココにとっては見慣れた、戦いに生きる者特有の『誇り』を感じさせた。
しかし、その表情にふと呆れと微かな悲しみの入り混じった陰りが見える。
「……じゃが、息子は剣を追求する余りに狭い村を飛び出しおったのよ。なまじ才があるが故、狭い村で修業を続けるより誰かと剣を交えることを選びたくなったんじゃろうな」
「あれ?葛西流って門外不出系なの?うちの一族だとダンジョンで戦ってナンボなんだけど」
「ま、普通は剣術を覚えたら実践に移すんじゃろうが、その辺は流派の教えの違いじゃろう。葛西流は己の魂を鍛え上げるのが真髄。故に時代の表に立って歌舞くのはその本意より道を違えることだったのだ。言うに及ばず、冒険者になるなど以ての外よ!それを、あんの馬鹿息子が……スクワイヤ家の跡取りを弟に押し付けて夜逃げしおったのよ!!カァーッ!!」
くわぁッ!!と目を見開いたシシドは猛烈な量の唾を飛ばしながら怒り狂う。よほど腹に据えかねていたのか、恥も外面もかなぐり捨てて仕込み刀をブンブンと振り回しまくったせいで通りすがりが「ヒィィィィィッ!?」と腰を抜かして後ずさる。さっき「場所を弁えろ」とかほざいていた人間のやる事とは思えない蛮行である。
まぁ、幸いにして話は見えてきたし、怒り狂っても人には当たらないように手心を加えているようだ。よって――ココは気にしないことにした。
(……要するに、長男は奔放な人でしたっていうことね。ツッコむと面倒くさそうだから黙ってよーっと)
なお、途中でシシドはギルドに『街中で刀を振り回す危険人物』として通報されたりとしたのだが、隣に『朝霧の君』がいるということで責任は全てココに押し付けられるのであった。
「大体!あいつには将来の家長としての自覚が無さすぎる!そりゃあ弟も才覚に溢れた奴じゃったが、何にも言わんと勝手にいなくなってお家がどれだけ揺れたと思っておるんじゃガミガミガミガミ!!」
「なるほどー」
「しかもあやつめ旅費と生活費の為にわしのへそくりをゴッソリパクって行きおった!!じゃがな、一番かわいそうなのはあやつの婚約者よ!あれほど慕っておったのに声もかけずにいきおって、あの後泣きながら引きこもってしまったあの子を慰めるために門下生がどれほど苦心したことか!他にもガミガミガミガミ!」
「すごいねー」
「その後の嫌がらせが悪意満載なんじゃよ!!へそくり分の金を返してきたときなど、よりにもよってわしの妻宛に送ったんじゃぞ!?おかげでナイショで10万ヴァリスも金を溜めてたことがバレて『何を家族に隠して金溜め込んどんじゃワレぇぇぇ!!』とか叫びながら一晩叩き回された挙句残りのへそくり全滅!!アレ絶対確信犯じゃろ!!」
「おじいちゃんは悪くないよー」
「ああああああ!!わしはココちゃんみたいな素直で優しい娘が欲しかった!!そしたらお家も現当主の次男もどれだけ救われたか!!」
話を聞いてるんだか聞いていないんだなココはメモを元に道案内を続行する。
彼女はこういうときもマイペースだ。だが、マイペースなりに疑問を抱くこともある。
(息子さんの住所だからファミリアのホームかと思ったけど、この辺にそういうのはないんじゃ……っていうか、あれ?でも――案内を頼まれた場所ってやけに街の共同墓地に近いなぁ)
= =
目的地の近くに着いた頃には流石のシシドも納刀して大人しくなっていた。
というよりも、口数が明らかに減っている。奥さんの事、二男の事、最近になってこの街へ向かってしまった弟子とそのライバルの事……まるで、肝心の長男の話を避けるかのように話題はどんどん逸れていく。
最初の頃に受けた元気そうな印象も少しずつ薄れ、その足取りはいつしか普通の老人とそう変わらない歩幅になっている。その狭まった歩幅に合わせ、ココは夕暮れに照らされる道を進んだ。
「………そろそろ、このメモにある場所に着くよ」
「んむ……本当にかたじけない。キミのような親切な若人に出会えたのは幸運じゃったよ」
「でも、この辺って宿もなければファミリアのホームもなかったと思うんだけど……本当にここが目的地なの?」
『移動遊戯』を行うココはこの街の形をほぼ知り尽くしている。だからこそ、それがずっと気にかかっていた。
二人が辿り着いた場所は閑静な住宅街だ。商店街と墓地を挟むような形で存在し、引退した冒険者の中でも高齢で、蓄えた金で余生を過ごすような人が不思議と多く集まる。
まるで散って逝った戦友たちの残り香から離れたくないかのように、墓石の大群を眺めて終焉を迎える。そして、自らの骸はそこへ置いていき、魂は天へと召されていく。大抵の冒険者が引退後に故郷へ戻るにも関わらず、彼等は異郷の地に骨を埋めることを選んでいる。そこには、ココには当分辿り着けない境地があるのだろう。
こんな場所に、レベル6の高みに達したシシドの息子が本当にいるのだろうか。
それとも、シシドが高齢な事を考えると既に引退しているのか。そうなると少しおかしな話になってくる気がする。シシドの話しぶりからしてまだ現役と言った印象を受ける息子は、冒険者として引退するにはまだ早い気がしてならない。
これで用件は終わったが、胸にしこりが残る。せめてシシドの会いに来た息子の姿を見るまでは一緒にいるべきか――そう思案したココの様子を知ってか知らずか、シシドは彼女の疑問には答えず新たな頼みごとをしてきた。
「ココちゃんや、もう少しだけこの老人の散歩に付き合ってくれんか……」
「いいけど……おじいちゃん、さっきから元気ないね?」
「そうか………もしかして、わしは息子に会いたくないのかもしれん、な」
シシドの声は、微かに震えていた。
その時、ココの中で幾つかの情報が繋がっていった。
結婚を機に手紙を寄越さなくなった息子――墓地の近くという不自然な場所指定――何かを怖れるような様子――そして、行動と矛盾した『会いたくない』という言葉。ココは反射的に、墓地の方を見やった。
「まさか、おじいちゃんの息子がいる場所って――!!」
「気付いておらなんだか……純粋じゃな、ココちゃんは。おそらく、キミの想像した通りじゃよ」
シシドは無言で墓地に足を踏み入れた。
「ギルドで聞いたんじゃ……もう8年も前に、名前はここの墓石に刻まれていたと」
それが、答えだった。
「………8年も、知らないままだったの?」
「正確には、手紙が途絶えたのは20年ほど前じゃ」
「20年……!?それじゃ死ぬまでの間に10年くらい空白があることになるけど、一体なんで……!?」
「さぁのう。あやつのいたファミリアは、あやつと共に壊滅しておるそうじゃ。わしはよく知らんが、ファミリア内部の情報は殆ど外には漏れんらしい。だから当事者が死んでしまえば真実は全て闇に融ける」
ファミリアとファミリアは敵対関係になる事も多い。身内の情報が漏えいすると、それだけ突かれる隙が増える。だから、本当に大事な情報は当人たちの胸の中。皮肉にも、墓まで持って行ったその秘密は知ろうと思って知れる物ではない。
「ファミリアの……名前は?」
「『テティス・ファミリア』」
「!」
「それなりに大きなファミリアだったそうじゃ。既に主神は天界に送還されておる。壊滅した理由は……『地獄の三日間』とかいう大規模抗争だと言っておった」
『地獄の三日間』……ココの朧げな記憶が正しければ、それは『ゼウス・ファミリア』と『ヘラ・ファミリア』の壊滅後では最大のファミリア間抗争だ。当時の上位ファミリアの一部が町のルールを無視した攻撃を他ファミリアに仕掛けたことを切っ掛けに血を血で洗う抗争が勃発し、僅か3日の間に17のファミリアが壊滅し、冒険者276名の死者を出した。
街中で、家で、ありとあらゆる場所で冒険者たちは復讐と野心を燃やし、容赦なく敵を斬り、魔法で殺害し、民間人に死傷者を出して尚それは止まらない。炎と暴力の津波は、ギルドが事態終息の為の戦力を整えるまで三日三晩続いたという。
「私のファミリアはその抗争を防ぐ側としてギルドに協力したって、先輩が言ってた。事件の事は碌に喋ってくれなかったけどね……その時の事は禁句になってるみたい」
「それだけ凄惨な戦いだったのだろうなぁ………そんな戦いに、何故あやつは………いや、ここで問うても詮無きことよ」
「………………」
「本当のことを言うとな、この事は知っておったのだ。弟子からの手紙に……大まかな事は書いてあった。今日が息子の命日だということも」
立ち並ぶ共同墓地の間をゆっくりと歩む二人の足取りは、死者に引きずられるように重くなっていく。
オラリオの墓地は、一般人を除くファミリアのものの全てが共同墓地になっている。理由は様々あるが、最大の理由は死ぬ人間の数の多さに尽きる。毎年このオラリオに夢を見て飛び込んでは魔物の餌として散ってゆく冒険者は後を絶たないのに、それら全員を個人別に弔っては土地が足りないのだ。
死人が出ると墓守にギルドから連絡が届き、死んだファミリアの主神の立会いの下に墓石に死者の名が刻まれる。刻み方は様々で、墓石にどんどん堀り足すこともあれば死人が出る都度パネルのような石に名を刻んで陳列していくこともある。
どのファミリアの墓が目的の墓なのか、墓そのものは大きくとも数は多くない。一つ一つ確かめれば、見つけるのにそれほど時間はかからない。墓石にはあちこちに生花が供えられており、どれも明らかに昨日今日に置かれた物ばかりだ。
(これ、きっと事件の犠牲者に捧げる花だ……)
『恐怖の三日間』を詳しく知る人間は殆どいない。それほどに急激で謎が多い事件なのだ。事態を把握しているのは三日間の数少ない生き残りと事態終息に乗り出したギルド、そのギルドの護衛を買って出た少数のファミリアだけだろう。
街ではそんなそぶりは見えなかった。いつも通りの街に見えた。
その中で、「努めてそう振る舞う人々」の存在――シシドと同じ気分を味わった人々の存在を、ココは否応なしに考えざるを得なかった。
(おじいちゃん……今まで何年も息子さんの死を確かめられないままだったんだよね。ううん、きっと今も心の底では認めたくないと思ってる……)
シシドは決して足を止めていないが、きっと本音を言えばもう引き返したい気分の筈だ。今日はもう遅いから明日にしようとか、言い訳をして逃げたい筈だ。それでも――この老人は受け入れがたい事実から逃げることを止め、こんな場所までやってきている。
どれだけの覚悟を決めて、どれほど勇気を振り絞ったのか。だが、その決意が齎すものは決して救いなどではない。辿り着くのは、より辛く、より悲しく、逃げ場のない『事実』。それを突きつけられたとき、果たしてこのシシドという老人の心は耐えられるのだろうか。
(でも……もうここまで来てしまった。引き返す訳には……いかないよね)
この世にあるのはどうしようもない事実だけだ――いつだったか、オーネストはそう言った。どんな言い訳をして何度遠ざけても、もうシシドは逃げられない場所まで来ているのだ。
やがて、二人は見つけてしまった。
「……ここ、だね」
「………う、む」
テティス・ファミリアの墓は、その手前に石碑のような形式で名前が刻まれていた。
既に誰かが訪れたのだろう。赤、白、黄色を束ねた花束が添えられていた。
「薄々、そうではないかとは思っていたさ。あやつは変な所で律儀じゃから……急に手紙を送って来なくなった時点で何かあったのだと思っておった。そしてそれが5年、10年と続き……如何に老いたわしの頭でも最悪の想像というものが過る」
震える指で石碑の名を確かめていたシシドの指が、ぴたりと止まった。
『ファミリア団長【鎌鼬】アキラ・スクワイヤ…Lv.6 享年44歳』
「……事実を確かめるのが怖くて、こんなに皺くちゃになるまで踏み出せなんだ」
か細く、消え入りそうな声で、シシドはぽつりと呟く。
「本当に死んだとは限らない。ものぐさで手紙を出さなくなっただけかもしれないし、死んだという知らせも届かない。なら生きているかもしれない、待ってやろうと己に言い聞かせ………葛西流の教えを言い訳にオラリオに確かめることすらせず………ッ。こんな……こんな姿になるまで何もしない父親など……!!」
墓前にゆっくりと、一人の老人が膝をつく。
もう二度と見えぬ死後の世界へ旅立つ息子を必死で抱き止めようとするかのように、墓石に覆いかぶさる。8年前に、20年前に、それよりももっと昔の自分の道場でそうするべきだった。今となっては何もかもが手遅れな、冷たい抱擁。
アキラ・スクワイヤの名はそこにある。
しかし、彼の息子はもうどこにもいない。
それが、老い先短い父親の目の前に突き付けられた事実だった。
「莫迦者……莫迦者………!皆が莫迦じゃ……冒険者が英雄などと囃し立てる莫迦。力を与える莫迦。笑う莫迦。泣く莫迦。争う莫迦。息子を止められなかった救いようのない大莫迦……どいつもこいつも、どいつもこいつもぉッ!お、おおおぉぉぉぉぉぉぉあああああああああああッ!!!」
とめどない涙が、シシドの頬を伝って乾いた地面に落ちる。
責めるのは他人か、それとも不甲斐ない自分自身か。
責任の所在を確かめた所で、もう、意味はない。
人は死に場所を選べない。生きるつもりで生活をしていても、ふとした拍子に死は人の魂を黄泉の国へと引きずり込む。それを必死で避けようとしても、完全に防ぐことは不可能だ。どんな地位にあって何を営む誰であっても、たとえ世界を手中に収めたのだとしても、可能性をゼロにすることは未来永劫決して叶わない。
アキラという冒険者もそうだった。例え家族がどれほど強くそうであってほしくないと願っていても、そうだった。
自分とて、いつかここに名を連ねるかもしれない。
先輩も、後輩も、友達も――オーネストも、いつ『こう』なってもおかしくはない。
そんな当然の事実を今更になって思い知らされ、ココは何も言えなくなった。
老人の慟哭は、ついぞ日が沈んで魔石灯が点灯するまで響き続けた。
ココは、ただそれを見ている事しか出来なかった。
= =
「死んだ人は、どこに行くのかなぁ」
「………急に何を言い出すかと思ったら、何だそれは?」
困った時はオーネスト。複雑な考え事が得意でないココの知恵だ。……相談相手をどこか致命的に間違えている気がするが、ココにとっては些細な事だ。
あの後、ココはシシドを彼の弟子がいるというファミリアまで案内し、弟子が迎えに来た所まで確認してすぐにオーネストの館に行った。それは明確な目的があった訳ではなく、ただ今はファミリアのホームに戻りたくなかったからだ。
するとどうしたことか、偶然にもダンジョンから戻ってきていたオーネストがそこに居たのだ。今日は珍しく他のメンバーはおらず、館はメリージア・オーネスト・ココの3人しかいなかった。アズまでもがいないというのは非常に珍しい事態だった。
「今日ね、死んじゃった冒険者のお父さんをお墓に案内したの。それで……墓石を抱いて大泣きする姿を見て、なんかモヤモヤしちゃって」
「そのモヤモヤの理由が分からないから、死者の在りかを考えたのか」
「ん、多分そうだと思う」
オーネストは天井の方に目線を向け、静かに語った。
「……死後、魂は肉体と別れて天界へゆき、冥界にて神々の選定を受け、やがて全ての記憶を流し落として輪廻の環へと戻ってゆく。そうして長い刻を経てまっさらな魂は地上に新たな命として再誕する。それが、この世界の理だ」
「肉体は死んでも、魂は死なないんだね」
「――記憶を喪うことを『死』と呼ばないのであれば、な」
「あ……そっか。記憶がなくなっちゃったら、もう誰が誰だか分からないもんね」
黒板に書きこんだ文字が記憶なら、冥界とはその文字を黒板消しで払い落とす場所。そうして真っ新になった黒板に、新たな体の主が文字を書きこんでゆく。文字をもう一度見たいと思っても、消えたものを再生することは出来ない。出来るのは精々メモを取って内容を『真似る』ことだけだ。
「死んだ人間が……その老人が求めた息子とやらが還ってくることはない。生まれ変わりが現れたとしても、どれほど魂が似ていても――もうそいつはいない。いないと分かっていても振りきれないから、人は死者を偲んで墓標を立てる。それは、人がこの世に残す最後の形ある名残だ」
「………なんか、何で悩んでたのか分かって来たかも」
きっとそれは、自分だけが感じたいのちの授業。
自分で探して自分で見つけた、自分だけの生死観。
「私が死んだときも、家族をあんなふうに泣かせちゃうんだろうなって……でも、そうやって皆が自分のお墓の前で悲しんでいることさえ、死んだ私は気付けない。それってなんだか悲しくて、苦しくて、何か言いたいのに言葉は届かなくて………『死ぬのが怖い』っていう気持ちを初めて考えたんだ」
「そうか」
そっけない返事を返し、オーネストは座っていた椅子から立ち上がった。
これはココの答えだ。オーネストには何一つ関係ない。そしてオーネストは既に質問に答えるという義務を果たしたから、これ以上は会話をする必要がない。だから、話はそれで終わりだった。ココは彼がそうやって人の気持ちを汲むことをしないとよく知っているから、冷たい人だとは感じなかった。
それでも――時々、ぬくもりを確かめたくなるから。
「オーネスト。私が死んだらお墓参りしてくれる?」
オーネストは一瞬立ち止まり、ぼやくように一言漏らした。
「今日、墓参りの為にダンジョンを早めに出た」
屋敷のドアを開け、オーネストは自室へと向かう。
無駄なものは無駄だと感情の籠らない決断を下すオーネストが『墓参りの為に』と告げたということは、つまり『俺だって墓参りくらいはする』という意味だ。誰に何を祈ったのかは分からないが――きっと、その行為に意味がないと分かっていてもオーネストは墓に参るのだろう。
オーネストは他人の為に動かない。
そんな彼が墓参りを『必要な事だ』と考えているというのは――正直、意外だった。
「……『知ったことか』とか『嫌なこった』くらいは言うかなぁって思ったんだけどなぁ。何でこういう時だけ小さな優しさを見せちゃうんだろうね、オーネストはさ……」
こういう時に、ココはふと思う。
オーネストは、どんなに冷めても優しさを捨て切れる人間ではないと。
後書き
アズ「ないわー。オーネストに優しさとかないわー」
オネ「右に同じく」
ベル「セルフディスり!?」
ヘス「ボクはあると思うなー」
今回でココの回は終了です。他のメンツも時々触れていきたいですね。
言うまでもなく『地獄の三日間』はオリジナルです。大半の人々やファミリアが「何か怖い事が起こった」程度の認識しか持っていない空白の事件でもあります。関わった人間の半分以上が死亡しており、知っている人も多くが口をつぐんでいます。というか、『表沙汰になると困る連中が多くいる』と言いますか。
Q&Aとオマケ詰め
前書き
このコーナーは、読者が素朴な疑問として抱きつつもスルーしているんじゃないかと作者が勝手に想像する物事に答えていくコーナーです。ついでにおまけ付き。
Q,アズが無料配布してる『契約の鎖』って何なの?
A,アズが使ってる『選定の鎖』を現実に固着化させ、アズの囁きで「持ち主を守る」という行動をインプットされた鎖です。長さの概念は若干無視しており、防衛行動の際には手首に付けるミニチェーンサイズから10Mサイズの拘束用鎖まで化けます。付け心地抜群、動力不明、強度は不壊属性一歩手前。レベル3までなら一発KOできますが、相手を殺さないように動くだけで持ち主の命令通りに動くことはありません。
Q,リージュが巨人単独撃破してる件について。巨人殺しのファミリア(笑)
A,相性とレベルの問題ですね。リージュの魔法は無機物系に効果が薄く、数の多い持久戦に弱いです。なのでデカくて生物系で短期決戦必至のゴライアスはリージュにとっては雑魚同前。レベルも6ですから瞬殺です。
Q,アキくんって仇名?本名?
A,オーネストに脅されてるので答えられません。
Q,ショタオーネスト・ロリージュと一緒に遊んでくれてた太ったエルフってもしかして……。
A,ご想像にお任せします。ちなみにその太ったエルフさんは強引に遊びに誘われて断りきれずに付き合ってただけで、犯罪臭はありません。
Q,ヴェルトールが『レベル詐欺』ってどゆこと?
A,ヴェルトールがレベルを偽ってる可能性……もないわけではないのですが、極々稀に見せる彼の本気は明らかにレベル4に似合ってない効果を発揮します。そもそも高レベル相当の実力を持ったドナとウォノが彼の作品である時点で相当常識を逸してますし。
Q,ショタオーネストの持ってた黒曜の剣は本当に自力で手に入れたの?
A,彼が自力で手に入れた剣です。なお、愛着はゼロだったので3日後に使い潰されて粉々になりました。
Q,オーネストさん黒竜の牙どうやって折ったの?
A,丸呑みされかけた所をカウンター気味にアッパーカットで一発。牙は折れましたが反動で拳がグッチャグチャになった所をゴースト・ファミリアと愉快な仲間たちが駆けつけ、黒竜が怯んでる隙に暴れ狂うオーネストを無理やり鎮圧して撤退しました。ちなみに牙の方はこっそり回収され、今は人知れずフーくんの工房に保管されてます。
Q,オーネストってヘスティアとヘファイストス両方の甥っ子なの?よくわかんないんだけど?
A,オーネストのおっかさんはヘスヘスとファイさんと非常に緊密な関係で、家族同然だったのです。
Q,ガンダールって何者なの?
A,この街で彼の経歴を知ってるのはロイマンさんだけです。そしてそのロイマンでさえ「今の」ガンダールを全て把握している訳ではないそうな。
そもそも「アプサラスの水場」は闇派閥に属さない中立組織であるものの裏組織の中ではかなりの古参だから、抱えてる謎は多いです。主神の存否も、そもそもファミリアであるかも不明です。一説によるとクロッゾ家と同じように古き精霊の加護を受けているという噂もあるけど……命が惜しければ探らない方がいいです。
なお、感想、メッセージで随時質問募集中。
一部お答えできない質問もございます。
Q,アズって外見の説明ほとんどないけど、どんな奴なん?
A,身長189センチで手足が割と長めな細ノッポくんです。日本人としては平均的な黒髪茶目で、髪型は目にかからない程度に切りそろえた長さのストレートヘア。顔立ちそものものに特別な特徴はなく、ただ笑顔などの表情がとても映える人の好さそうな印象を与えます。死神の気配とかがなければ「声をかけやすそう」「優しそう」といった印象を与えると思います。
ちなみに体つきは細身と言ってもほどよく筋肉がついていてしかも長身なので、頼りなさそうなイメージは抱かれにくいです。そもそも死神の気配で本当に人間だと思われてない率が高いけど。
おまけ ふたりの前世
それは、ある日の昼下がり、アズ行きつけの喫茶店にて――
「時にオーネスト……おまえ妙に学があるよな。日本にいた頃は何やってたの?大学生とか?」
忘れられがちだがこの二人、身体はアレでも心は日本人である。しかし、このオラリオでリアルの話をした回数は限りなく少ない。互いに特に喋りたいことはなく、ただ共通認識みたいなものがあるからそれでいいやと深く考えなかったのだ。
アズの質問に、オーネストは虚空を見上げながらぼそりと呟く。
「高校生だよ。珍しくもねぇ、唯のちっぽけな高校生だった」
「ふーん。ちょっと意外だな。俺もこっちにくる1年前までは高校生だったけど、隠れてコッソリ煙草も酒も試す素行不良者でさ……成績は下の上くらい。本当、今になって思えばしょうもない奴だったな」
ドラゴンを狩るゲームが流行れば、話題を合わせるためにやる。流行のドラマや俳優の話に着いて行けなかったら、後で調べる。面白くもないギャグが流行ったら、とりあえず乗る。それをしなけりゃもれなく孤立するし、孤立すると先生に絡まれる。絡まれると余計に孤立するので適当にあしらって、それをネタに笑い話にする。
俺は、全く楽しくなかったが。
煙草も酒も、元は奨められたものだ。煙草は不味すぎて続かなかったし、酒も酔えなくてすぐに止めた。俺達が良く集まってそんなことをしていたことなど露知らず、担任は生徒をよく褒めていた。あれが優しさではなく都合のいい部分だけ見ているのだと気付いたのは、それからずっと後の事だった。
両親は俺の進路が知りたいのか、それとも自分が養ってもらえるのを知りたいんだか分かりゃしない。友達は本当に友達なんだか分かりゃしない。担任はちゃんと前に目がついてんのかさえ疑わしい。
俺は何がしたくてこんな空虚な学校に入学したんだっけ?ただ漠然と、高校に行っておけば将来の目標も見えてくると思って……その頃から一歩も進歩しないまま無駄に時間だけが過ぎた。
結局、何がしたかったんだ?どこに立って何をやってて、どっちを目指してんだ?
食べ物にもお金にも困っていない筈なのに、俺の心は驚くほどに風化していった。生きる目的のない、歩く屍――自分の事も分からないまま砂漠のような人生を延々と歩んでいく。特別な能力など無い。人と違う所など無い。つまりそれは、人として何も持っていないということ。
自分の存在が、世界に求められていない。
そう思うと、生きていることが怖くなった。
生きる希望がないのに『生きられてしまう』世界が、恐ろしかった。
死望忌願――自ら破滅へ向かう欲動。
思えばあいつは、あの頃から俺の中にいたのかもしれない。
「まぁ、少なくともオラリオでの人生よりは遙かにつまらない人生だったよ。で、お前は?その頭脳だし優等生だったんだろ?」
「……そうでもねぇよ。成績はともかく生活態度は最悪だったからな」
「あ、そこ今と変わんないんだ……」
子供の頃はいい子だったと聞いていたのでこっちの世界で捻くれたと思っていたが、そういう訳ではないらしい。オーネストは他人事のように淡々と語る。
「向こうの俺の家族関係は、多分最悪に限りなく近かったんだろうな。そんな環境からまともなガキなんて育つわけがねぇ……誰彼かまわず喧嘩吹っかけて、地元じゃ絡んできたヤクザの指を落としてケジメ付けさせたこともある」
「狂暴にも程があんだろ!?任侠映画もビックリだよ!!」
「成績が良かったのは、クソみてぇな大人どもより自分の頭が悪いのは耐えられなかったからだ」
「負けず嫌いでプライドの高い天才か!!」
どうやらオーネストの前世も立派にオーネストしてたらしい。歴史は繰り返し過ぎるということか。前世はヤクザかと想像したが、ある意味ヤクザより怖い。こいつなら将来立派に一人仁義なき戦いを繰り広げたことだろう。
「お前よくそれでオラリオに生まれてから10年普通に育ったな!?」
「はっ……こっちでも記憶はあったさ。だが、それが自分の記憶だとは思わなかった。思い出したのは8年前、記憶の俺とここにいる俺が重なってからさ」
テーブルに肘をついた手に顎を乗せて過去に想いを馳せたオーネストは、小さく笑った。
「現実の環境とかけ離れすぎててな……そうなるまで、ずっと唯の悪夢だと思い込んでたよ」
どうしてか――俺の目には、その笑顔が今にも泣きそうな表情に映った。
……これ以上、互いに過去の話をしても面白くはならなそうだ。
「ろくでなしのろくでもない過去なんざ、今更思い出してどうなる訳でもないか……過去はもう背中に背負ってるんだ。残りの感情の残滓は黒いコーヒーにでも溶かして飲みこんじまおうぜ?」
「………あいにくだな。俺はコーヒーに混ぜ物はしない主義だ」
「あっ、こいつノリ悪いなぁ!……ところで知ってるかオーネスト?オラリオってコーヒーをブラックで飲む文化はマイナーらしいぜ」
「言っておくが、こんな苦い物に砂糖も入れず飲むのは日本人くらいだ。緑茶文化が広まり苦味に慣れた日本独特のスタイルと言える」
「物知り博士か!ホントお前なんでも知ってるよな……」
二人の時間は、香ばしい匂いと共にゆるりと流れて行った。
おまけ2 家政婦の日常
オーネストの館の料理は基本的にメリージアが担当している。
一応オーネストとアズも基本的な料理は出来るが、メイドというジョブを名乗るまでに修行したメリージアの料理の腕には敵わず、しかも手際が良すぎて手伝う隙がないため事実上この館のキッチンは彼女の独壇場だ。
その日も、彼女はキッチンにいた。とはいえその目的は自分の昼食を作る為だったのだが。
そんなメリージアの下に、今日は珍しい客が来ていた。酒の勢いでアズに甘え過ぎて大衆にトンでもない姿を晒してしまい、酔いが醒めてから恥ずかしさの余り2日ほど寝込んだリリルカ・アーデだ。何でもうっかりパクってしまったアズコートを返しに来たらしいが、生憎アズはオーネストと出かけたまま帰ってきていない。という訳で、昼も近いのでメリージアは彼女の分の食事まで作ってあげることにした。
最初は遠慮していたリリだったが、既にキッチンから漂う食欲そそる香りに腹の虫が暴れ出し、結局ごちそうになることになった。
「メリージアさん、メリージアさん」
「ん?なんだよ、リリちゃん?」
手伝うこともなく退屈しているリリは、メリージアに話しかける。
「メリージアさんっていつもお二人のご飯を作ってらっしゃるので?」
「いや、お二人とも一度ダンジョンに潜っちゃうと長く帰って来ねぇから保存食持たせるのが精いっぱいでよ。外食もしやがるんでそんなに忙しくはねーかな……ちょっと寂しいけど」
「戦えないんでしたっけ……お気持ち、ちょっと分かります」
互いに理由はどうあれ戦闘力に欠ける者同士。女で小人族のリリは言わずもがな、メリージアは外見の発育こそいいもののアマゾネス特有の戦闘能力が非常に低い。アズ曰く「かくせーいでん」で人間の弱い部分を偶然受け継いだと思われるそうだ。
「へへっ……あ、そうだ。リリちゃんは確かアズ様に会ったのがウチに来た切っ掛けだったよな?」
「そ、そうですけど……」
「いいなーアタシもアズ様に目一杯甘えてぇぜ!一丁お酒の力を借りて迫ってみよっかな~!なんつって……」
「そ、そんなの絶対ダメですッ!!」
咄嗟に、リリは全力で叫んだ。
突然の大声に驚いたメリージアだったが、直ぐにニヨッと笑ってねっとりした目線でリリを見つめる。
「………ほっほう?何が駄目なのかな~?」
「えっ……い、いえ!アズさんに迷惑かけるのは、その、如何なものかと……」
「ほっほほ~う。リリはパパ想いなイイ子だな~?」
「ぱ、パパじゃありませんからっ!もう、からかわないでください!」
「顔真赤にしちまって……可愛いったらねぇなオイ♪」
何度も言うが、リリとアズは外見年齢こそ離れているものの年齢差3歳である。酔っぱらってパパ呼ばわりしたことはもはやご乱心の結果としか言いようがなく、リリ的には忘れてほしいブラックヒストリーと化している。
が。ファミリア内にオーネストを敬愛する者は数いれどアズを敬愛する人が少ないのが密かな悩みのメリージアは、これ幸いと秘蔵のアズ知識を持ち出した。
「ふっふっふっ……そんなアズ様大好きリリにイイコト教えてやるよ!実はアズ様はな……ぺラペラ……でなでな!……ペラペラ……すごいだろ!?それで……ペラペラ……くぅー、たまらん!!」
(め、滅茶苦茶話が長い!しかも、料理を完成させて食卓に並べているのに止まらない……ですって!?)
リリの否定など知ったことかと言わんばかりに喋りまくるメリージアに、リリはぐったりしながら食事をするハメになった。とりあえず、美味しかった。
なお、話によるとアズは魚のサシミという料理に目が無いらしい。
……オーネストはサシミを蛇蝎の如く嫌っているそうだが。
おまけ3 アズの友達
俺は、タケちゃん(タケミカヅチ)にどうしても聞きたいことがあった。
「なぁタケちゃん。トツカノツルギの切先の上で胡坐かけるってマジか?」
「おい、アズライール!貴様、我らの主神に何を訳の分からんことを……」
「何ッ!?お前、何故その一発芸を知っている!?あれはオオクニヌシにしか見せたことのない最終奥義だぞ……!?」
「ええええええ~~~~!?」
タケちゃんのケツはどうなってるんだ。
最強のケツを持つ神として痔持ちの人に崇められそうだ。
おまけ4 メリージアの謎
メリージアには元々苗字がない。捨て子である彼女からすれば本当の親の姓など名乗りたくもないのが本音だ。しかし、姓のないままというのはいかがなものか、とアズは考えた。
「という訳で、ないなら俺達でつければいいじゃないの。よし、手伝えオーネスト!!」
「自分で言い出したんだから自分で考えろ………っておいテメェ、人の足に鎖を括りつけるんじゃねぇ!!分かった、考えてやるから引き摺ろうとすんなッ!!」
こうして二人はいろいろとアイデアを出し、翌日に考え付いた姓をメリージアにプレゼントした。
その日のメリージアの上機嫌さといったら凄まじく、当日の夕食は3人がかりでも食べきれない程豪勢なものになったという。
ところが――メリージアはその姓を他の誰にも教えようとしなかった。
「それじゃ付けた意味がなかろうに……」
「だよなー。せっかくカワイイの付けたのになぁ」
「だってぇ~……アズ様とオーネスト様に初めて貰ったプレゼントだしぃ~……♪」
もじもじと恥らったメリージアは、上目づかいで二人を見た。
「お二人だけがアタシの本当の名前を知ってる……ってことにしたんだよっ♪」
彼女に付けられた姓は、3人だけの秘密として今も沈黙を保っている。
おまけ5 カエリナサト
「ヴオオオオオオオオ………」
「お、来たか次の魔物ぉっ!」
「ヴァッ!?」
ベルの気配を感じて出現した魔物は、その目線の先にアズがいることを確認して驚愕の悲鳴をあげた。
その表情には「あ、やべっ」と言わんばかりの焦り。そして、魔物はしばしキョロキョロと視線を彷徨わせたのち、自分の周囲の壁を掴んだ。
「………オオオオオオオオヴ」
「壁の中に戻っただと!?」
「恐怖の余り母体に還っちゃったのか……」
どうやら産まれる事を諦めたらしい。
おまけ6 正月
「そーいえばオラリオに正月ってあんのかな……オーネスト、きみの意見を聞こう!」
「日本における正月は一般的に6世紀頃に成立したと言われている。歳神という豊穣神を迎える行事で、その性質は祭りにも似ていると言える。この世界の年初めと現実の年初めが一致しているかどうかまでは知らんが、似たような行事はあるのだろう。ちなみにこの惑星のサイズとG型主系列星……つまり太陽型恒星のサイズ差と距離関係、公転速度が地球と一致しているらしく、オラリオを中心とした神の降臨地では基本的に太陽暦が用いられている。起算日の1月1日は向こうではイエス・キリストの受肉の日とされているが正確には受肉歳の日にちに関しては………」
「………そこまで真面目に説明しなくてもいいんだぜ?」
「ああ、話が逸れたな。この世界では神が初めて地上に降臨したその日が起算日になっているらしい。纏めて神の降臨を祝うわけだ。あんな愚昧な連中の為に祝うなど反吐が出ると思わないか?(にっこり)」
「めっちゃいい笑顔で毒吐いた!?」
※正月の時にちまっと書いたおまけです。
おまけ7 もしもアズがデストルドウを持たずにオラリオに来たら
「えっと……ファイさんから貰った『死鎌』と、ロキたんから貰った『魔枷』……ついでにオーネスト考案の『魔銃』を懐に入れてっと」
男は今日も友を引き連れ魔窟の底を目指す。
背中の『死鎌』に『魔枷』を引っかけた黒コートの男を、周囲はこう呼んだ。
「『首刈処刑人』のアズだ……」
「あの鎖大鎌という絶妙なセンス……闇の魂めいてステキだぜ……」
「アズー!俺だー!『首・刈・処刑!!』っていうあの決め台詞やってくれー!!」
「やめてっ!超恥ずかしいからやめてっ!!」
ロキ・ファミリア期待の超新星は、ちょっぴり恥ずかしい奴だった。
後書き
ちなみにオーネストが刺身嫌いな理由は子供の頃に生魚食べて食中毒になったせいです。
……しかも、こっちでも日本でも両方で。
オーネスト「火の通っていない魚は料理とは認めん……!」
アズ(やだ、すごい憎しみを感じるけど子供っぽくて笑える……)
25.荒くれ者の憂鬱
前書き
唐突なQ&Aコーナー「学べるオッタルの知恵袋2!」
主:オッタルさんてオーネストのスキルとかアビリティ知ってたりします?
オ:やめておけ。
主:え、唐突に!?どういう意味ですかそれ?
オ:……途中で数えるのが億劫になる程にあるからだ。おそらく本人も正確には把握しておるまい。
主:えぇー……さ、参考までにどんなのがあるんですか?
オ:正確な名前は知らないが、フレイヤ様曰く既にアビリティとスキルの境が曖昧なほどあるらしく、名前を挙げると『部位破壊』『投擲』『壊癒力』『的中力』『逆襲撃』『超耐性』『調合』『神秘』『治療』『凶運』『滅拳』『破砕』『威圧』『真眼』『狩人』『察知』『増血』『覚醒』『貫通』『狂闘士』……etc……etc……。
主:もういいです。ありがとうございました……ん?『調合』……?
オ:アズライールに薬学を教え込んだのは奴だ。あいつはその気になれば何でも出来る。
主:どういうことなの……。
ヘファイストス・ファミリア製の最高級武具は、その質の良さと高名さゆえに非常に高価格で取引される。それこそ剣一本でもオラリオの外ではしばらく遊んで暮らせるだけの額だ。故に、そんな剣をおおっぴらに見せびらかしているのは泥棒にとって「盗んでください」と言っているようなものであり――取り上げる手は数あれど、泥棒の格好の的だった。
(……どこのどいつだか知らねぇが、そんな細身のクセに高級品ぶら下げてんのが悪いんだよ)
男がターゲットにしたのは、金髪の冒険者。後ろ姿しか見えないが、十代後半といった風体で体は細身だ。その背にはヘファイストス製だと一目でわかる品質の高い剣が三本。おそらくは自分の物ではなく、知り合いか先輩に整備でも任されたのだろう。
後ろから素早く引き抜いて人ごみに紛れれば、誰が盗んだのかは意外と気づかれない。こういう場合、盗まれた方が間抜けだというのがこの街の見解だ。
(へへっ……精々その剣の本当の持ち主に怒られるんだな!)
気配を消し、歩調を合わせて背後に回り込み――その盗人は剣へと手を伸ばした。
直後、伸ばした手が掴みとられ、想像を絶する握力に『骨ごと握り潰された』。
錯覚――掴まれた手首から先が爆発したような激痛と共に、ぞっとするほど冷たい言葉が紡がれた。
「………薄汚い手で俺の持ち物に触るな。不愉快だ」
「あ………う、ぎゃあああああああああああああああッ!!?」
オラリオに一人の男性の醜い断末魔が響き渡った。
遅れて、理解する。金髪の冒険者が剣を盗もうとした男の腕を振り返りもせずに掴みとり、握力だけでへし折ったという事を。そして男が悲鳴を上げても尚振り返ることはなく、金髪の男は何事もなかったかのように歩いて去っていった。
「ああ、あっ、あぁああああ………!!」
「お、おい!大丈夫か!?」
男は往来の真ん中で自分の腕を押さえ、夥しい脂汗をかきながら叫んでいる。その腕は手首から先が本来曲がらない筈の方向へと折れ曲がり、肌は薄紫色にうっ血している。周辺の冒険者は突然の事態に戦々恐々しながら男の周囲に集まる。
「しっかりしろ、何があったんだよ!?」
「事件か!?ギルドに報告か!?」
「ああ、気にすんな。ソイツ『狂闘士』に絡んで腕を折られただけだよ」
「なんだ『狂闘士』か。なら問題ないな」
「モグリかよこいつ。心配して損したわー」
「ぐあああ……あ、ええ?ちょ、待っ………!」
男の周囲に集まった人々は興味を失ったように普段の生活に戻っていく。てっきり誰か助けてくれるものだと思っていた男は驚愕と困惑の入り混じった表情で周囲をキョロキョロするが、皆の反応は割と冷ややかだった。
「な、何でそんなに冷静なんだよ!アイツいきなり俺の腕を折ったんだぞ!?何もしてないのに!!」
……ここでさらりと自分の窃盗未遂を誤魔化そうとする辺り、案外逞しい男だ。しかし、周囲の目は呆れ果てた様な非常に冷ややかなものだった。
「な、なんだよその目は!俺がおかしいってのか!」
「……お前さぁ、『君子危うきに近寄らず』って言葉知ってるか?」
「そ、それくらい知ってらぁ!あぶねぇ橋だって分かってんなら態々渡んなってことだろ!?ば、馬鹿にすんなよ!」
「お前が手ぇ出した男はなぁ………その『危うき』そのものなんだよ。あいつは『狂闘士』だぞ?他人を平気で斬りつけるこの街で一番イカれた男なんだぞ!?腕一本で済んだことを有り難く思いやがれこのトンチキ野郎!!」
「……え?あいつが『狂闘士』ぁッ!?」
『狂闘士』。それは、この街で最も喧嘩を売ってはいけない相手TOP3に入るほどの超危険人物。金髪金目の悪魔とさえ呼ばれるそれは、超越存在たる神にさえ平然と刃を向ける本物の狂人。
自分が手を出した相手がその『狂闘士』ことオーネストであったことを漸く理解した男は、やっと自分がどれほど愚かしい真似をしたかを理解した。オーネストと言えば今までに個人でいくつものファミリアを隷属・脅迫・壊滅させてきた経歴を持つ恐ろしい冒険者だ。一説ではそのレベルはオラリオ最強である『猛者』オッタルと同格ではないかとさえ言われている。
つまるところ、最悪の場合は手どころか上半身と下半身が分離する可能性まであったのだ。その事実を知って尚強がれるほど男は逞しくない。
「……すいません、何でもありません。お家に帰ってポーション飲みます」
「そうしとけや。そして次からはこんな真似すんなよ?周囲に被害が出たらマジで洒落にならんからな」
虎穴に入らずんば虎児を得ず、とは言うが、男が手を出した虎は余りにも巨大すぎたようである。
「……しかし、そういえば今日の『狂闘士』はいつもの覇気がない気もするな」
「隣に『告死天使』がいねぇからいつもより気を抜いてんじゃねぇの?」
「いや、あいつら仲いいから寂しいのかも!なーんだあの化物そんな人間みたいな感情あったん――」
直後、噂話をしていた数人の足元に大砲のような威力の投げナイフが飛来してゴバァッ!!と石畳を粉砕した。
「……ヒトノワルグチ、ヨクナイネ」
「ウン、ホントダネ」
「オーネストサンハウラオモテノナイステキナヒトデス」
(こいつら調教済みだ……)
なお、投げナイフもヘファイストス・ファミリア製だったが流石にそれをチョロまかそうとする人は現れなかったのだが、後に通りすがりのシル・フローヴァがコイン落としたフリして鮮やかな手際で回収したという。
= =
(いかんな……今のは俺らしくなかった。くそっ、何度経験しても『この日』だけはナイーブになる……ガキが風呂で髪を洗いたがらないのと同じ気持ちなんだろうか)
オーネスト・ライアーは朝から憂鬱だった。
目が覚めた直後には「たまには二度寝くらいしてもいいか」と思って二度寝をしてはアズに起こされ、朝食では「たまには味わって食べるか」と思ってゆっくり食べてみてはメリージアに「美味しくなかった?」と涙目になられ、食後に「たまには郊外に釣りにでも行くか」と釣竿を出そうとしたところでとうとうアズに止めを刺された。
「おい、オーネスト。お前なぁ……いい年こいて牛歩戦術なんてやってんじゃねえよ!とっとと装備抱えてファイさんの所に行ってこいッ!!」
「……ぎゃふん、だな」
そう、オーネストにはダンジョン潜りから戻った翌日にやらなければいけない約束事がある。それは、ヘファイストスの所へ向きの整備と補充をしてもらいに行く事だ。しかも既に昨日の墓参りの際にヘファイストスと顔を合わせているため、向こうも既にオーネストが地上にいる事は承知済み。要件から逃げる隙がもうない。
ヘファイストスは決して悪い相手ではない。ないのだが……ないのだが……しかして、これ以上駄々をこねて約束を違えるのはオーネストの流儀に反するのも事実。まるで上に黄金のガネーシャ像が乗っているかのように重い腰を、ゆっくり持ち上げる。
「はぁぁぁぁぁぁぁ~~~……行ってくる。明日の朝に帰るから晩飯はいらん」
「おう、いってらっしゃい。ファイさんにもよろしく言っておいてくれよな」
「どうせあの人の事だから昼メシも用意済みだろ。メリージア、弁当はいらん」
「はぁ~い。では……いってらっしゃいませクソ野郎~~~♪(※悪意0%)」
「行ってくる……」
完全に出張に行くお父さんを見送る親子である。ただし、何故かアズがカミさんに見えるが。
……とまぁ、こうしてオーネストはヘファイストス・ファミリアのホームへと重い足取りで向かっているのである。
いつからだろう、こんな子供のような駄々をこねてまで苦手な事を避けようとしたのは。過去を振り返り、今の自分と比べる。昔は……そもそも、逃げる余裕もなく理不尽が殺到してきていた。逃げるとか逃げないと考える余裕もなかった。
「まるで微温湯、だな……」
ぽつりと口をついてそんな言葉が漏れる。
オーネストの生活は、年を追うごとに楽で安定したものになっていく。8年前の自分とはまるで別物のように思えるほど、今のオーネストには不自由がない。潤沢な資金、屑に負けない力、『狂闘士』という役割。そして――裏切りも死別もしていない、友達。
かつて、泥に塗れながら路地裏をかけた日々。千の夜、万の出会い。数えきれない裏切り、浮浪者狩り、強盗、陰謀、妄執、傲慢、死別、身体に刻まれた傷……それでも戦うために砥ぎ続けた牙。あの頃はまだ弱くて、誰彼かまわず噛みつき、ありもしない優しさに縋ろうとし、何度も嗚咽と共に落涙した惨めったらしい時代。
しかし、オーネストという戦士を鍛え上げて今という瞬間を構成しているのはそれだ。痛みや苦しみを呑み込んで罪を背負い、誰かを傷付けて生き延びてきた哀れな男にとっては、それが世界だった。そこで敵を作り、敵を作られ、敵になり、飢えた狼のように暴力に狂い続けた。
何もかもが足りなかった。
何もかもに飢えていた。
――何も考えなくてよかった。
だが、結局人間というのは過去に縛られた行動しか出来ない存在だ。
自由を求めれば自由に縛られ、変化を求めれば変化に縛られる。
オーネストと名を変えても、結局は『かつて』に縛られた。ヘスティアとヘファイストスの献身、時折姿を見せるかつての親友、目には見えない誰かの罪滅ぼし……折り重なる誰かとの繋がりはいつしか甘さとなり、甘さは過去と現在を矛盾させ、矛盾は妥協を呼ぶ。
アズライールと名付けられた男が来て――それからメリージアが館に住みついて――その頃から、オーネスト・ライアーはすっかり安定してしまった。望む望まざるに関わらず、どこか緩い存在になってしまった。
それをどこかもどかしく感じるのは、きっとオーネストという最大の嘘で塗り固めた壁の向こう側からの――
(……いや、止そう。俺はオーネスト・ライアーだ。真実を偽ろうとも、事実を偽った試しなどありはしない。目の前に事実があるならば、未来のことなど知ったことではない)
それより問題なのはヘファイストスだ。ここ数年で猛烈に加速した甥馬鹿神のエネルギーを、最近はもういなしきれなくなっている。ある意味あれも凄まじく飢えた存在だった。……オーネストのそれとは完全に別次元の方向へ突き抜けているのだが。
自分の悩みと比べて比較対象があまりに馬鹿らしい。オーネストは目尻を押さえて大きなため息をついた。
= =
オーネストがヘファイストスの元に行きたくない理由は、主に彼女に会いたくないというどこかゲンナリした思いによるものである。しかし、実を言うとそれだけが理由という訳でもない。
嘗てオーネストが無名だったころは、度々ヘファイストスの元を訪れる若い冒険者を、周囲は奇異の目で見こそすれヘファイストスが喜んで迎え入れていたため「弟子にでもするのか?」くらいに思っていた。元々、彼の神は身元に問題があっても気に入ったら簡単に受け入れる寛容さがある為、その頃は不審に思われなかった。
しかし、オッタルとの喧嘩以来オーネストの悪名は街に爆発的に拡散され、周囲もヘファイストスの元に訪れているのが「あの」オーネストであることに気付き始めた。そうすると当然ながら、よくない噂が瞬く間にファミリアに伝達していく。
曰く、ヘファイストスはあの男に手籠めにされている。
曰く、ヘファイストスは犯罪の片棒を担いでいる。
曰く、ヘファイストスは実は年下趣味である。
どれをとっても事実無根―― 一番下は絶対とは言い切れないが――な上に、どれもヘファイストス・ファミリアのイメージをマイナスに下げる物ばかり。これ以上オーネストが足繁くヘファイストスの元を訪ね続ければ、ファミリア内の不和、ブランドイメージの低下、更には彼の抱える余計なトラブルに関して言及される事態になりかねない。
オーネストは自己犠牲を伴った献身が嫌いだ。だから、今まで様々な鍛冶屋と縁を切ってきた時と同じように、噂が立ったのを知った時点でヘファイストスの元に通うのを止めた。通った期間は1年以上――人生の中では最も長く続いた専属契約だった。
ところがどっこい、通わなくなって数日後にヘスティアが館に転がり込んできた。
曰く、「キミが工房に来ないってヘファイストスに毎晩ヤケ飲みに誘われて、ボクの肝臓はそろそろ限界だよ!!」だそうだった。とりあえず、二日酔いに効く薬を調合してあげた。
翌日、今度はヘファイストス・ファミリアの椿・コルブランドという女が転がり込んできた。
曰く、「主神様が『あの子が来ない~あの子が来ない~』とめそめそ嘆いて仕事をしてくれませぬ。手前の胃はもう限界であります!!」だそうだった。とりあえず、胃に効く漢方薬を調合してあげた。
オーネストは迷惑をかけるのが嫌で身を引いたのに、何故かもっと迷惑が掛かっている。どこぞの少女向け恋愛小説でもあるまいし、ヘファイストスがそこまでオーネストを重要視しているなど予想だにしていなかった。これは今も昔もそうなのだが、どうにもオーネストは自分を重視しすぎるが故に他人の自分に対する評価をあまり考えていない節がある。今回のこれは、その性質が招いた失敗と言えるだろう。
結果、妥協に妥協を重ねたオーネストはやむなく新たな方法でヘファイストスの元に通うことにした。
この時間帯には完全に人通りが無くなる路地裏に入ったオーネストは、気配を探って周囲に誰もいないことを確認すると壁にもたれかかる。そして、静かに詠唱を開始した。
『己が自由の為ならば、我が身を虚偽にて染め上げよう。汝は炎を掴めるか。風を抱擁できるのか。出来ると真に思うなら――袖を掴んで真の名前を告げてみよ――』
この時を除いて一切合財使用する気が皆無な魔法『万象変異』を使用し、オーネストの身体を魔力の光が包む。
「――最近、これに慣れてきた自分がいるのが気に入らん……」
数秒後、そこにはどこかオーネストの面影がある金髪金目の美少女の姿があった。元々オーネストが細身で軽装なこともあり、服装的にも女性冒険者として不自然な所はない。いや、むしろオーネストと同じキツめの眼光のせいで妙に様になっている。他人が彼女を見ても、まさかそれが変身したオーネストだとは考えないだろう。
『万象変異』はオーネストが全く習得する気が無かったのに何故か習得してしまった固有魔法だ。その効果は凄まじく、なんと変身どころか詠唱通り自分の身体を炎や風にまで変化して動き回ることが出来る。恐らくこの世に現存する最高位の変身魔法だろう。
ヘファイストスの元にオーネストが通っていることを悟られないために屋敷を出た後に一目の付かない所で別人に変身することで普通の冒険者を装う。こうしてオーネストからヘファイストスへの直通の関係を誤魔化すことが出来るのだ。
ちなみに性別を変えているのはオーネスト本人と確実な違いを付けるため。それでも外見がオーネストに似ているのは、彼が自分を偽るのを嫌っているから性別だけを入れ替えているのが理由だ。
女の姿になったオーネストは、そのまま路地裏を突っ切ってファミリアホームへ足を進める。
本当なら表通りを通った方が早いのだが、この姿は周囲から見れば相当な美人らしく、ナンパなどを受けて余計に面倒なのだ。
(どいつもこいつもたかが性別が変わったくらいで食いついてきやがって……どんだけ女が好きなんだ、この街は?)
きっと助平男の性なのだろう。オーネストには永遠に理解できないであろう感覚だ。
ちなみに、前に一度表に出た際にはこんなことがあった。ロキとリヴェリアに偶然出くわしたのだ。女好きのロキは案の定初めて見る女に食いついた。
「その金髪と金目……そしてグンバツなスタイル!まるでアイズたんのお姉ちゃんやないか……姉妹丼かぁ、それもええなぁグヘヘヘヘヘヘヘヘ……へぐぉ!?な、何で頭を小突くねんリヴェリア!」
「ロキ、4度ほど死んでくれ。もしくはアズと一緒に旅にでも出て二度と戻って来るな」
「………もう行っていいか?付き合ってられん」
そういえばその場にアイズはいなかったが、彼女もオーネストも金髪金目である。
一部では本当に血が繋がっているという噂もあるのだが、アズを通してロキに彼女の両親についての探りを入れたところ「親戚の可能性もなくはないです。」だそうだ。……いいや、きっと偶然だろう。
どうでもいい事を考えているうちに、オーネストはホームに着いた。
時間帯の関係かそれほど人のいない受付に歩み寄り、カウンターに肘をかけて受付に声をかける。
「失礼。椿は今いるか?」
「あ、ブラスさんお久しぶりです!ちょっと待って下さいね、呼んできますからっ」
「ああ、頼むよ」
ここではオーネストはブラスという名で椿と専属契約をした事になっている。こうすることでヘファイストスと直接繋がっていることを偽装しているのだ。周囲はブラスの素性を良く知らないが、椿の契約者ということで無碍にされることはない。
なお、ブラスは表向き『契約冒険者』と呼ばれる特殊な冒険者ということになっている。契約冒険者はいわば冒険者の傭兵であり、年間契約の代金と引き換えに即戦力を求めるファミリアへ次々に『改宗』をするレベル2以上の冒険者の俗称だ。
特定の主神に腰を据えて仕えないため不心得者だと嫌われることもあるが、新参ファミリアでは教官やアドバイザー役として『生き残る方法』を教えてくれる。お金と同じく義と信用を重んじて悪目立ちを嫌う気質の彼らは、この街の新参ファミリアの成長を密かに支える陰の功労者とも言えるだろう。
契約冒険者は基本的に同じファミリアに居座らないため、悪目立ちしたり大きな手柄を上げる事は極力避ける。もし自分が『あのファミリアの冒険者』と周囲に認識されると仕事に不都合だし、本人が抜けた後のファミリアにも迷惑をかけるからだ。しかも彼らの情報は基本的に神と神の間でしか行われないため、『契約冒険者』は目立たない。よって、ブラスが実は「存在しない冒険者」であっても怪しまれることはまずない。
が。
「ブラスさんってお肌綺麗ですよね。髪もサラサラだし……特別な美容法とかあったりするんですか!?」
「さぁな。心掛けているのは溜まったストレスをその場で発散するくらいだ」
「おお……!確かにストレスは美容の大敵ですよね!うぅん、今度ショッピングにでも行こーっと!」
……このように、女になった弊害かよく話しかけられる。騒ぎを起こさないように可能な限り大人しくしているオーネストだが、オーネストから傲慢さや自分勝手さを引いてしまうとある物が残ってしまう。
それは――外見的な魅力とミステリアスな雰囲気だ。
元々オーネストは外見だけならオラリオでも指折りの美丈夫として知られている。それがブラスとして化けている現在はむしろ普段の危険な雰囲気が減少して、普段以上にその外見的魅力が際立っているのだ。
今日もブラスの元に、叶わぬ恋心を掲げた哀れな男がやってくる。
「ブラスさん!こ、ここっこっ……」
「コケコッコーか?随分とお寝坊な朝の合図だな」
「いえ鶏のモノマネではなくてですね!こ、今晩お食事でもどうかと……っ!」
「おいテメェ抜け駆けしてんじゃねぇ!!」
「アンタみたいなムッサイ男にブラスさんが振り向くわけないじゃない!生まれ変わって出直しなさいよ!!」
「あーっ!!てめッ、言うに事欠いてなんてこと言いやがる!男は逞しくてナンボだろうが!」
「………暇なのか物好きなのか、或いは両方か?客を口説いている暇があったら鉄を打ってろよ」
「何をおっしゃるブラスさん!鉄も恋も熱いうちに打たねば完成されんのですよ!」
「上手いことを言う……と言いたいところだが、俺の心に火をつけるには熱が足りないな。そんな調子では仕事も女も仕損じるぞ?」
どちらにしろお前の追いかけている『ブラスさん』は幻影でしかないのだがな――と内心で呟いて、ブラスは意味深な――他人から見れば官能的なまでに艶めかしい笑みを浮かべた。
(………ブラスさん、やっぱ美人だよな)
(ああ。あの妖艶な笑みと大人っぽい雰囲気が堪らんな……!)
(ブラスさん、ブラスさん……うっ、……ふう)
(あたし女だけど、ブラスさんになら抱かれていい……)
ちなみにブラスは前に冗談半分で「俺の接吻が欲しいのか……?」と言いながら唇を指で撫でながら妖艶に微笑み、その場の男女問わず全員の鼻血を噴かせるという事件を起こしたことがある。それ以来本人的には自重しているつもりなのだが、無意識にエロスが漏れているようだ。
……願わくば、彼らが永遠に真実に辿り着かない事を願うばかりである。
後書き
今回はとてもほのぼのした話でしたね。以下、ちょいと長いけど解説です。
オーネストの女バージョンである「ブラス」とは「真鍮(黄銅)」の意。自分の金髪金目を揶揄しつつ、金のようなイイコじゃないという皮肉を込めた名前です。名前を考えたオーネストの捻くれ具合が分かります。
『契約冒険者』は勝手な妄想です。原作にはありませんけど、こういう存在がいてもおかしくないなと思って作りました。テスタメントとは聖なる契約という意味なので、家族になることと違うニュアンスを持たせています。
ちなみにオーネストには『気位』というアビリティがあります。作者の勝手な妄想では『気位』はフィンやいつぞやのリージュとかが持っているイメージですが、こいつには『人気者補正』みたいなのがかかります。オーネストの場合は『威圧』のスキルとぶつかり合って効果があまり発揮されてないという感じです。
なお、ブラスの時は性別の関係で『威圧』の効果が下がって『気位』が優越します。ヘファイストス・ファミリアの皆さんが鼻血を噴いたのはその『気位』プラス、オーネストが『冗談半分』という非常に珍しい悪戯心で態とエロく演じたからです。……その破壊力は本人の予想を大幅に上回っていたようですが。
26.これだから神ってやつは
前書き
最近ちょっとだけ閲覧者数が増えた気がします。
少しだけ、頑張れる気がしました。
オーネスト・ライアーという男は他人の想いを省みない。
心配してると告げると「それがどうした。俺の行動には何の関係ない」と言い、好きだと告白されると「それがどうした。俺は別にお前のことなどどうでもいい」と言い、あれをするなこれをするなと注意されると「俺は俺のやりたいことをやる。お前のそれは俺には必要ない」といった具合にバッサリ切られる。他人の話を聞くのは、それこそ「気が向いた時」だけだ。
あの『豊穣の女主人』女将のミア・グランドの雷が落ちても1ミクロンも引かないどころか前に出て嵐を飛ばす胆力を持っているのはこの街でもこいつくらいのものだ。
しかし、そんなオーネストのウィークポイントとなる存在がこの街には3人いる。
一人、三大処女神が一人のヘスティア。
一人、隻眼赤髪の鍛冶神ヘファイストス。
一人、エピメテウス・ファミリア団長のリージュ。
理由はそれぞれだが、オーネストはこの3人にだけは少しばかり弱い。そしてその中でもヘファイストスには殊更弱い。それは武器を提供してくる弱みでもあり、彼女の持つ性質であり、その他でもある。そうして色々な条件が重なり合った結果が現状なのだ。
なお、この街で唯一オーネスト相手に『力尽く』という方法を取れるアズは例外にあたる。
そして、ヘファイストスが彼の弱点である事実に内心で喜んだ苦労人が一人。
「御足労頂き感謝する。貴殿にはいつも苦労を掛けるな」
「ふん、苦労しているのはお前だろう。胃薬常用者め。………追加、いるか?」
「すまぬ……すまぬ……!」
「泣くな鬱陶しい。他のファミリアの連中に見られるぞ」
涙を流しながらブラス(オーネスト)から薬の入った瓶を受け取るその女の名は椿・コルブランド。
ある意味オーネストとヘファイストスの関係がバレることを最も恐れている哀れな女性である。
彼女はオッタルの事件より以前からヘファイストスがオーネストに対して尋常ならざる入れ込みをしているのは知っていた。何故かと言うと、剣の代金をヘファイストスが受け取ろうとしないことを快く思わなかったオーネストが代金分の金を定期的に椿に押し付けていたからだ。
当時、ファミリアでは何の報告もなく勝手に鉄材が行方をくらましたり、ヘファイストスの私財がちょっとずつ質屋に入れられていたり、消滅した鉄材分の資金がどこからか捻出されていたりとおかしなことが度々起きていた。そこに来てのオーネストからの『代金』。
直ぐに事情を問い詰めた椿にヘファイストスはあっさりと真相を話した。
つまり、ヘファイストスはファミリアに内緒でオーネストの為の武器を作っており、消えた鉄材はその原材料になっていたのだ。しかし仕入れ分が勝手になくなると不味いので、ヘファイストスは損失分を自腹を切って埋め合わせていた。
『これは個人的な事情だから………ファミリアの仕事には出来ないのよ』
『な……何故です!?あの少年はこうして金を工面して持ってきているではないですか!』
『そうよ。でも……その金を短期間で工面するために、あの子はきっと幾度となくダンジョンで死にかけている。一人で下層まで向かい、死にかけて、それでも戦って、更に死にかけて………もしこれを仕事にしてしまったら、私はあの子の危険を願っている事になるわ』
『それは!冒険者ならば誰でも同じことです!誰しも得る物の為に必死にもなる!』
そも、冒険者として大きな対価を得るためにリスクを負うのは当然だ。誰だってより良い武器を得るにはより多くの金を稼がなければならないし、それに伴った力をつけなければいけない。出来ないのなら高い装備を求めるのは分不相応というものだ。
むしろ、椿はオーネストが代金を持って来るまで「実はこの少年は剣を転売しているのではないか」という疑いさえ抱いていた。ヘファイストスが手ずから打った最高級の剣は、そうそう簡単に壊れたりメンテが必要になるものではない。所属ファミリア不明で所在の知れない子供だから、疑いを抱くのは当然だろう。
『手前には分かりません!主神様は何故そこまであの童に入れ込んでいるのです!?我々の仕事は戦いと背中合わせ……それは女子供とて同じことです!貴方はどうして他の者とあの童を区別するのです!』
あの少年が真っ当な冒険者でないのは分かっている。この街の歪みや暗部を押し付けられて育った者特有のギラついた眼光。神に、ファミリアに、夢に希望を崩された者が纏う拒絶の気配は、一度身に付けば消すのは難しい。
だが、言葉は悪いがそういう子供というのはいつだって一定数存在する。全体数は少ないかもしれないが、力と金が物を言うこの街では自然と発生するものだ。
『この街には親を喪った者だって裏切られた者だって、不幸な者は幾らでもおります!』
『そうね。そんな当たり前の事に皆が目を逸らしているから社会というものはよく廻る。私達ファミリアもそれは同じことだわ』
『ならば何故あの童にはそこまで拘るのです!』
そこが、椿にとっては納得がいかなかった。
鍛冶ファミリアの在り方として、商人として、特別扱いというのは大きな問題があるのだ。ヘファイストス・ファミリアは今や街で有数の知名度を誇る。そんな組織が特定の誰かに武器を無償で与えているという事態は、著しく平等性を欠く。それが他ならぬ主神の手で行われているとなれば、あの少年にも当然火花が降りかかるということだ。
それを判らないほどこの主神は暗愚ではない筈だ。
『主神殿は確かに優しい、それは手前もよく知っています!ですが、同時に貴方は無償の愛を振りまくほど自己犠牲精神の強い者でもない!ならば、客として扱うべきでしょう!それが真っ当な付き合いというものです!あの少年だって金を用意しているのです!貴方が身を削る理由がどこにあると――!!』
その言葉は、翳されたヘファイストスの手によって制止された。
『そう言う問題ではないのよ。私にとっては、ね?』
その瞬間の眼を、椿は未だに忘れられない。
鍛冶屋として、主神として誰よりも敬う師の単眼が見せた、哀しみに満ちた眼。
『私にとっては、あの子だけは違うのよ。決定的に、致命的に………だから、客には出来ない。お金なんかあの子に『理由』を与えるだけ。重くて邪魔なしがらみにしかならない。今となっては武器を与えることぐらいしか、私はあの子にしてやれないから……』
椿は、主神に何と声をかければいいのか分からず、暫く黙っているしかなかった。
痛いほどの沈黙ののちに出た言葉は、当たり障りのない安い慰め。
『………少年はそれでも金を工面しております。貴方に身銭を削って欲しくないから、こうして持ってきているのではないですか?』
『――そうだと嬉しいのだけど、ね』
結局、お金は受け取ることになった。
………ここまでがシリアスな話。
そしてここからがシリアルな話だ。
「オーネストは来ていないの?」
「は、はい……」
「オーネストは、もう私の元に来てくれないのかしら……」
「さ、さあ……」
「オーネスト……オーネストぉ~……う、ううっ……」
「主、主神様!!大丈夫です。きっとそのうち来ますから!!」
「そんなこと言ったって本当に来るかどうかなんてわからないじゃない!あの子の事を他人事みたいに言うのは止めてちょうだい!!あの子はねぇ……あれでも子供の頃は私の眼帯を見て『格好いい!』とか『付けてみたい!』とか言いながらきゃっきゃとはしゃいでそれはもう可愛かったのよ!?それが今は何よ!すっかり不良みたいにヒネクレちゃって!!武器持たせなかったらギルド支給のすぐ折れるクソ剣持って冒険するし、折れないように剣を渡したら渡した分だけきっちりへし折ってボロボロで帰って来るし!!そうじゃないでしょ!?剣を大切にして戦いを控えるとかしなさいよ!!しかも私はファミリアなんかやってるから怪我したあの子を温めに行くことも出来ない!!ああ、妬ましやヘスティア!無職でヒモで紐なくせにあの子といつでも会えるからって独占して!私だって剣渡す以外の用事で来てほしいわよ!!『顔を見たかったから……』とか言われたいわよ!!………もういい!仕事なんてやってらんない!飲みに行くわ!後の仕事よろしく!!」
「え?え?あ、ええっ!?いやいやいやこの書類は主神様の捺印と署名が必要で……」
「そんなの筆跡真似て書けばいいのよ!私は行くから、あとの雑務よろしく椿!!」
「主神様ぁぁぁ~~~~ッ!?!?」
後の事情は知っての通り。本気で仕事をしないヘファイストスのせいでファミリア存続の危機に陥ったため、オーネストに泣き寝入りしてどうか来てほしいと24時間頼み込んで妥協してもらった。幸いだったのが、傍若無人と名高いオーネストがヘファイストスの名を聞いて首を縦に振ってくれたことだ。ここで別の神だったら間違いなく『知ったことか』で交渉は終了だったに違いない。
今では椿もオーネストと同じ苦悩(というよりヘファイストスの煩悩に対する頭痛)を共有する仲間。
そう、彼女も立派な『ゴースト・ファミリア』……本人に自覚はないが潜在危険人物の仲間なのだ。しかも見ようによってはブローカーよろしく自分の主神と危険な部外者が出会う仲介をしている状態。何ともリスキーな立場である。
既に魔法を解除したオーネストは神妙な面持ちで椿と共にツカツカと歩む。
「して、ヘファイストスの様子は?」
「うむ、昨日から既に掃除やインテリアの見直しなどの準備を始めておった。今朝は5時に起床して既に主神用の別室で活動しておる。炉には火を入れ、最高純度のオリハルコン等々を用意し、手前にさり気なく人払いを頼んできた。他にももてなしの為の入念なシミュレーション、昼食の準備、おめかし、午後の予定、話したいトークの確認、化粧にドレスアップまで済ませておる。今頃は貴殿の到着を今か今かと心待ちにしておるだろう」
二人の脳裏に過る、ソワソワしながら来訪を心待ちにする眼帯のお姉さん系神様の姿。
孫が遊びに来る前のおばあちゃんと彼氏を家に迎える少女を足して2で割ったようなその姿にファミリアの長としての威厳などある筈もなく、もし万が一こんな光景が外に流出すると本気でヤバい。7:3くらいの割合で、オーネストの社会的な立場が。
「あ、頭が痛くなってくる……来るたびに少しずつ悪化しているぞ」
「もてなしとしては洗練されている筈なのだがな……」
もてなしが豪華になればなるほどオーネストはヘファイストスに長く拘束されることになる。今回はオーネストは一本も剣を折っていないため明日には解放されるはずだが、折った日には以前に説明した通り最長で1週間は拘束されるのだから、彼としては堪ったものではない。
オーネストは弱点を晒すことを何より嫌う。そういう意味ではヘファイストスというのは弱点そのもの。リージュやヘスティアと違って彼女は最近まったく自重というものをしていないのだ。オーネストの本音としては、二人の関係が公にされた時にヘファイストスに盛大に暴走されるのが一番怖い。
「……もし主神様が暴走めされたら、ヘファイストス・ファミリアは色んな意味で面目丸つぶれだ。あんな恥ずかしい主神がトップとなると正直どんな顔をして表を歩けばいいか分からなくなるし、団員たちやギルドがどんな顔をするのかがとても怖い。かといってこれをやらねば……」
「みなまで言うな、分かっている……!俺に会えないフラストレーションを溜めたあの人の所為でヘファイストス・ファミリアの活動は滞り、主神が姿を現さないファミリア内に不安が伝染……挙句本気で出奔などされてみろ!あの人は間違いなくうちの屋敷に住みつくぞ……!?混沌だ!!混沌しか残らん!!そして誰も知らんところで俺の地獄が始まるッ!!」
この男を以てして『地獄』と断言させるのはここの主神くらいのものだ。苦渋に満ちた二人の表情は、まるで死地へ赴く寸前の兵士のような悲壮感が漂っている。
「分かっている……!あのテンションの主神様と同居することがどれほどの苦痛を伴うのか……!だからこそ、手前にはもう祈る事しか出来ん……!!」
「祈るな!祈れば目が塞がる……てめぇに出来ることは何だ!?この恥の塊が外に漏えいしないように見張ることだろうが!!」
『………ってコラぁ!人のことを恥の塊とか言うんじゃない!!全部ドア越しに聞こえてるからさっさと入って来ないかオーネストぉ!寂しいやら悲しいやらで切ない気持ちになってきたよっ!』
既に、ヘファイストス私室前。
オーネストの受難が始まる。
= =
一方、相方が悲壮な戦いに赴いているその頃。
「さぁ、行くぜヘスヘス!!新商品の発表だ!!」
「わー!ぱちぱちぱちぱち!!」
「これぞ乾坤一擲の逸品!『どこでもステイタス自動更新薬』だッ!!」
「はいアウトォォォォォォォォッ!!!」
暇を持て余したアズと偶然バイト休みだったヘスティアは、新作発表会で妙に盛り上がっていた。
「何て物を作ってるんだいキミはッ!そんなの裏の方でしか流通しないに決まってるだろ!」
「あっれー?だってダンジョンの中で更新できなかったら困るんだろ?イケると思ったんだけどなぁ……」
「イケないよ。主神の正式な儀礼なく勝手にステイタス更新とか……確かに便利だけど、更新は神とファミリアの絆を確かめ合う機会でもあるんだよ!?というかそもそもソレ、更新でどこが伸びたのかをどうやって確認するんだい!?」
「や、床に紙切れ敷いて背中押し付ければ一応ステイタスの写し出来るけど……」
「………アズライール。普通の冒険者は神聖文字読めないからスキルの解読とかが出来ないよ」
「え?そうなん!?」
ちなみに(アニメ準拠で言えば)神聖文字の正体は字体が盛大に潰れた日本語のひらがなとカタカナで構成されている。ところがこの文字、単語の部分の解読に神独特の解釈技法があるらしく、通常の人間は勉強しても完全に解読することが出来ないのだ。
しかし、アズは『完全に読める』。そしてアズには『主神がいない』。だから自分の発明がどれほどの危険性と問題を孕んでいたのかを理解できていなかったようである。
ヘスティアは覚えている。かつて、ステイタス更新の仕組みを聞いたこの男が「そんなのあるんだ。やったことないから知らんかった」と小さい声で漏らしたのを。そしてステイタスやレベルを詰問されたときに「俺も知らない」という問題発言を漏らしたことを。
アズライールは強い。それは間違いないが、レベルは不明だ。そも、考えてみれば彼はオラリオに来たときには既に他の冒険者など歯牙にもかけないほど強かった。本来は『恩恵』によって成長力にブーストをかけられることで強くなるのが冒険者のカラクリなのに、彼はそんな単純な構造を理解しておらず、なのに既に強かった。
もしアズが人間ならば、元々冒険者としての素養が高かった上に僅か数週間の短期間で最低でも5回は偉業を達成してランクアップしたらそれくらいの強さと知識量になる。しかし断言するが、人類にはそんなことは実現不可能だ。偉業とは英雄的な活躍――つまり、乗り越えようと思って容易に乗り越えられるほど生易しい内容ではない巨大な壁なのだ。
ともすれば、アズは以前から強かったということになる。
ならば何故彼は強いのか。
これは本当に可能性の話で確率は低いのだが、アズが『人間じゃない』のだとしたら……ある程度の説明はつく。彼がある種の『超越存在』か、冒険者のそれとはまったく別の力を与えられたのだとしたら、説明はついてしまう。その考えに到った時、思わず「キミは本当に人間なのかい?」と聞いた。そして「さあ?」と本気で首を傾げられた時は、こっちも本気で頭を抱えた。
(キミが人間だとボクは信じてる……信じてるけど……!キミは人間っぽくなさすぎだッ!明らかに雰囲気とか態度が超越存在側なんだよ!!)
湧き上がる熱い想いを必死で内に抑え込み、ヘスティアは変なところで無知なアズに説明する
「………あのね、知らないかもしれないけどこの街には『開錠薬』という、と~ってもあくどい非合法の薬があるんだ。どこぞの神が小遣い稼ぎに開発した、他人の『恩恵』を暴くための薬だ。キミのこれはそれと同じことが可能なんだよ?つまり、この薬も非合法だ。この街でステイタスを知られることの危険性くらいは知ってるだろ!?」
「うん。だから面倒くさいけど一杯プロテクトかけたんだけどなぁ……ほら、説明書」
「なになに?『他人のステイタスを覗き見る目的で使用した場合は薬が使用者の精神に呼応して出鱈目な内容を表示します。また脅迫などによって使わされた場合はエラー表示となります。あと、変な使い方をしたら――分かりますね?用量、用法を守って正しくご利用ください。『告死天使』はいつでも君たちに微笑んでいます』………怖ッ!!最後の一文とてつもなく怖ッ!!」
「えー、そんなひどい。俺が微笑んでたらなんか問題なの?」
「キミさ。『死神の微笑み』って聞いていいイメージある?」
「やだ、死ぬ予感しかしない……この街にそんな恐ろしい奴が!?」
「キミだよキミ」
これじゃあみんな怖がってどっちにしろ売れないのでは?と思わずにはいられないくらいにホラーなメッセージだ。祝福の言葉なのに不吉と恐怖しか感じない。てへペロしてる本人としてはちょっとした悪戯という感覚なのだろうが、内容があんまり笑えない。
「ま、そう言う事ならこの薬は生産禁止にするか……新商品界開発は難しいなぁ」
「もっと普通で平和的なのはないのかい?」
「後はアレかな………頼まれて作った髪染めとかマニキュアとか………ドライじゃが丸くんとか」
「ドライじゃが丸くん?」
「これなんだけど」
取り出されたのはタッパーに収まるちょっぴり大きな乾パンのようなもの。触ってみるとすごく乾燥しており、乾パンより更に固そうだ。微かに揚げ物特有の匂いはするが、これをじゃが丸くんと呼ぶのには抵抗がある。
彼を疑う訳ではないが、流石にこれは首を傾げる品物だ。
「おいしくなさそうだね、コレ」
「ところがどっこいコレに沸騰させたお湯を少量かけてやると……」
自作らしい魔石保温ポットからタッパーの中にお湯が注がれると、間もなくして大きな変化が起きる。その変化にヘスティアは思わず身を乗り出した。
「おおッ!?水分をどんどん吸い込んで見慣れたサイズのじゃが丸くんにッ!?」
「これぞアスフィさん協力の元で開発されたフリーズドライ製法が実現した究極系!!さあ、味付けはしてあるから食べてみるんだヘスヘス!!」
言われるがままにじゃが丸くんを手に取る。あのじゃが丸くんが纏うしっとりとした温かみと衣のザラつき指に伝わり、押すと中のイモが柔らかく変形する感触。これが、こんなにもしっかりとしたじゃが丸くんがさっきの乾パンもどきにお湯をかけただけで誕生するなど、奇跡としか言いようがない。
たまらず一口齧りつく。
しゃおっ、と歯に伝わる衣の子気味がいい歯ごたえと、下の上に広がるジャガイモの風味。程よい塩分が食欲をそそり、ヘスティアの口のなかにどばりと唾液が溢れ出て『早く食べろ』と唆す。欲望と腹の虫が掻きたてるままに、ヘスティアはそれを一気に食べた。
「~~~ッ!!ほ、本物のじゃが丸くんだ!!信じられない……何をどうすればこんな革命的なのにそのまんまなじゃが丸くんを作れるって言うんだ!!」
「そこはそれ、企業秘密という奴だよ!だがヘスヘス……こいつは素敵だ、食の革命だ!!流石に味は本物には劣るが、この技術を応用すればオラリオの食文化に激震が走るぞ!!フリーズドライ製法で作られたコイツは湿気にさえ気を配ればきわめて保存性が良く、体積も小さく、ただお湯をかけるだけでこの通り美味しい料理が出来上がる!!分かるかいヘスヘス、冒険者の食生活が一変するぞ……!!」
ヘスティアは想像する。今の時代、食材を長期保存する方法が限られる文明レベルのこの世界に激震を走らせるであろう発明が呼ぶ、津波のような波紋を。ただ、お湯と「それ」があるだけで主婦は料理から解放され、食に飢える冒険者たちは「それ」を抱えて嬉々としてダンジョンに突入し、いつしかそれはヘスティアのような貧乏な存在にさえ『恩恵』を……人の子が作り出した『恩恵』を浴びる。
世界は祝福に満ちて――人は、食楽の路へと。
「アイズちゃんの言葉が始まりだった……『ダンジョンの中でもじゃが丸くんを食べたい』……その一言が、歴史の流れを変えたんだ!!」
「歴史が変わる……悠久の時と営みの中に鎮座していたオラリオそのものが動くんだ。歴史の風が吹いている、確実に!!」
「今はまだコストパフォーマンスの問題で大量生産は出来ない……でも、確実に計画は前へ進んでいるんだ!中途半端はやめよう、とにかく最後までやってやろうって、あのサボリのヘルヘル(ヘルメス)でさえ真剣になって出資者を募ってる!沢山の仲間がいる。決して一人じゃない。開発者の一人として、これ以上嬉しいことはあるか!?」
「ボクもこれは応援せざるを得ないぜ、アズ……!ボクに手伝えるのは試食くらいだけど、これを商品化すれば素晴らしい世界が待ってることは分かる!流されるなよ、アズ……もしこの技術を鼻で笑うような連中が出てきたら、ボクがぶっとばしてやる!」
「信じるぜその言葉!!今日からヘスヘスもこの時代の一部だ、歴史を変える力だ!!」
「共に戦おう。共に耐え抜こう。一緒ならやれるさ……掴もうぜ、未来ッ!!」
交わした握手はどんな金属より固く、暖炉のように暖かく、そして草原をなぜるそよ風のように心地よい。
それは、世界の悪戯が生んだ奇跡。
1000年を超えても開発されるかどうかさえ分からないたった一つの着想が生んだ革命の軌跡。
少女はじゃが丸くんを語り、天使は知恵を囁き、万能者は神の遺産を建造する。それは紛れもなく聖人の所業、新たなる『愛』の誕生。
――この世界の歴史に本格的な『インスタント食品』の開発が始まったことを告げる文章が、この出来事の数千年後に発見される。
日記の著者はヘスティア。その日記に記されていたのは、インスタント食品開発の父とされる男から聞いた激闘の戦記であった。構成の人々はこの日記を歴史的な文章として解読し、その偉業を世界に改めて知らしめたという。
これは、異世界から来た男と幻想の神々とそれを取り巻く人々が紡ぐ《食譚》。
後書き
アズたちの熱意が世界を変えると信じて……!
いやぁ、なんだか久しぶりにはっちゃけた気がします。自分でもどうしてこうなったのか分かりませんが、取り敢えず次回はオーネストの話を続けます。
でもはっちゃければはっちゃけるほど、後で叩き崩すのが楽しみで楽しみになりますね。
27.君散り給うことなかれ
天国とはどんな場所なのだろうか。
きっとそこに死はないのだろう。病の苦しみも、差別も、区別もないのだろう。飢えもなく、不便もなく、人を縛る有限の法則すら曖昧になるのだろう。まさに一切の苦難から解放された楽だけの世界だ。全てに満足し、何一つ焦燥に駆られることもない。この世界に存在しない筈の永遠を、きっとそこでは誰でも平等に抱いている。
だが――それは本当に天国なのだろうか。
飢えが無いのなら、食べる喜びもなくなる。不便が無いと、向上心は失われる。不可能が世界から消滅すると、人は何をする必要もなくなり、何もしなくなる。なれば、天国に辿り着いた人間は一切の人間性を失ってただ悠久の刻を無為に重ねていくのではないか。己が地獄を避けた理由も、存在する意味や恐怖の理由さえも崩れ落ちてゆくのではないか。
神曰く、確かに天国らしい場所や地獄らしい場所はあるそうだ。
しかし、誰もがいつかはそこから離れ、輪廻へと還っていくという。
何故ならば、天国とは魂の休息所でしかないから。
天国にも地獄にも、あるのは永遠の停滞だけ。
魂はいつか、自らがただ世界から取り残されているだけだと理解する。
まさに天界に飽いた神々の姿こそが答えだった。
人は、結局どう足掻いても前へ進まなければならないのだ。
だから――
だから、いいかげんに甥離れしろこのぼけ神は。
「……ヘファイストス。もうアンタが俺を膝の上に座らせようとするのもアーンを要求したり強要してくるのも膝の上で耳掃除させられるのも、やめさせるのは諦めた。――だが、いい加減に風呂に一緒に入るのは止めてくれないか」
「嫌よ。貴方来るたびに血腥い臭いがするんだもの。自分で自分を洗えてない証拠だわ。いいからほら、こっち向きなさいオーネスト。次は手を洗ってあげるから」
「……………頼むから、自分で洗わせてくれ」
「ダ・メ♪」
ここは地獄だ。誰が何と言おうと絶対に地獄だ。
何が楽しくてそろそろいい大人になろうかという俺が人に体を洗って貰わねばならない。しかも、背中だけに留まらず全身を。尻と股間だけは何とか自力で洗えているが、それも黙っていれば勝手にやられそうで恐ろしい。
目の前には一糸まとわぬ裸体をさらけ出したヘファイストスがボディスポンジ片手に座っている。風呂の湿気と熱気で火照った肌は、彫刻のように完成された女性の裸体をより妖艶に、扇情的に染め上げていた。普段付けている眼帯は取り払われてその『中』が露わになってはいるが、彼女ほど大人びた人物だとそれさえ美しさの一部となる。
普通なら男に裸体を見られて恥じらいの一つでも見せる所であろうに、この女神はまるで5,6歳の子供を風呂に入れるような笑顔で俺の手を取った。確かに数億年の永き刻を生きた彼女からしたら俺など精々が受精卵程度の年齢かもしれないが、平気にしている理由は多分それではない。
「そう嫌がることでもないでしょ?昔はヘスティアとだってお風呂に入っては二人ではしゃいでのぼせてたじゃない」
絶対に、絶対に、特にヴェルトール辺りには聞かれたくない過去を掘り返され、俺は辟易した。
恥ずかしい過去だとは思わないが、随分昔の、まだ裏切られる前の話だ。あの頃まで、本当に俺はただの子供だった。いや、女神と風呂に入る経験は普通それほど出来るものでもないらしいが、その頃はそれをおかしい事だとは思わなかった。
――そんな話をしたところで、あの頃は還ってこない。だから、無駄な話だ。
「女神と風呂に入ったそれは『オーネストじゃない』。生憎と、風呂を楽しむ文化は名前といっしょくたにして8年前に捨ててきた。返り血が鬱陶しい時は水浴びくらいするが、長風呂はしない。時間を無駄にする」
「無駄にした結果臭くなったら意味ないでしょ。それに、貴方にも休息が必要よ。どうせ今は何に追われている訳でもないのだし、時間の無駄遣いをしなさいな」
鍛冶屋とは思えないほどに美しい彼女の手が俺の腕を掴み、その肌に泡立ったスポンジを丁寧に滑らせていく。強すぎず弱すぎずの力加減でスポンジが肌の上を滑っていく感触は、認めたくはないが心地よい。
「……爪の間に血糊がこびり付いてるわね。魔物の返り血?」
「ガントレットの中に入りこんだのが指先に溜まるんだ」
「爪の手入れはしてるんだから一緒に血も落としておけばいいのに……変なところでものぐさね」
長い爪は戦いの邪魔になる。だから冒険者は誰しも爪の手入れを欠かさない。俺もまたそうではあるが、こまごまと爪の間の塵まで取り除くことは、少なくともダンジョンの中ではやらない。少し間が空いた時くらいにはやることもあるが、優先順位が低い。
「……指先に血が溜まらないように新しいガントレットを――」
「それはアンタの仕事じゃない。防具はフーの担当だ。そこを違える気はない」
「……………むぅ。オーネストの友達の仕事かぁ……シユウ・ファミリアの子よね?あの神とも知らない仲じゃないもの、仕事を取る訳にはいかないわね……」
残念そうだが、同時に嬉しそうでもあるヘファイストスは、人の手の爪から汚れを丁寧に削いでいく。自分の出来ることをやらせてもらえないのは不満だが、こうして俺の世話を焼いている人間が一人ではないことは嬉しいらしい。
気が付けば、結局人間は独りでは生きていけない。オーネストとして生きるにしても、協力者がいなければ続かないことが多い。そんな当たり前の事を思い出さされることを言った時、この神はいつも嬉しそうだ。
「どうしてそんなに嬉しそうなんだ、あんたは」
「だって嬉しいじゃない。ヘスティアに見つかるまで私たちを頼らないで、見つかった後も色んな人を押しのけてきた貴方が、『それはあいつの仕事だ』なんて言うのよ?自分の殻から一歩も出る気がなかった貴方がよ?」
「……気が付いたらそうなっていただけだ。俺が望んだんじゃない」
「でも嫌じゃない。だから受け入れているんでしょう?……それでいいのよ」
爪を洗い終えたヘファイストスは、もう一方の手を取ってそこに自分の手を重ねた。
「貴方は甘えていいの。ワガママを言ってもいいの。それが普通に生きているって事だから」
「俺はいつだって自分勝手でワガママだ。俺以上に我儘な奴なんて業突く張りのフレイヤしか見たことがない」
あれは真正の業突く張りだ。自らが欲しいと決めればどんなに危険で外道な方法であっても一切躊躇う気が無い。純粋に、ひたすら純粋に欲しいものを手に入れる事に対して妥協がない。自分以外はどうでもいい、自分の気に掛けるもの以外はどうでもいい。そんな自分勝手を人から抽出して濃縮させたような欲望の化身だ。
そして、俺もそのような性質を持っている。やると決めたら断固やるし、やらないと決めたら断固やらない。こうあるべきだと思った時には既に手や足が出ている。我慢と嘘は俺の行動に存在しない。
しかし、ヘファイストスは首を横に振った。
「そうかもしれない。でもその一方で、貴方は『当たり前』を……失ったものを取り返すことをどこかで諦めていたんじゃない?欲しくないからと、無意識に遠ざけていたのではなくて?」
「それは………必要ないから必要ないんだ」
「不必要と断ずるものでもない。違う?」
「………そうかもしれない」
本当は分かっている。そんなことは、言われなくとも心の奥底では理解している。
ヘファイストスが俺に何を望んでいるのかなんて、最初から分かり切っていた。
『母さん』がいたら、同じことを言うのだろうから。
けれど。
「だが、それではオーネスト・ライアーは死ぬんだ」
戦わなければ、オーネスト・ライアーは死を迎える。暴力の化身として荒れ狂い、ダンジョンを蹂躙し続けなければ、オーネスト・ライアーはオーネスト・ライアーでいられなくなる。甘える。致命的な妥協をする。腐抜ける。牙を抜かれ、今度こそ終わる。
そして――その先に待っているのは、『おなじみの結末』だ。
それだけは御免だ。『二度と』御免だ。どんな汚泥と屈辱を被ろうが、俺はそれだけは受け入れてはならない。
「俺は戦う。誰にも邪魔させないし、それだけは止めない。それが俺の自由だ」
後悔しない生き方。未来を欲しない生き方。
馬鹿で無力な糞餓鬼には、そんな方法しかとることが出来なかった。
微かに目を細めたヘファイストスは、そんな俺を見つめて小さくため息を吐く。
「………まだ踏み出す事は出来ないか」
「……?どういう意味だ?」
「さあ?それはきっと、今の貴方には関係のないことよ」
「そうか」
今は関係ないと言うその言葉に、嘘偽りはないのだろう。神は嘘を見通すと言われているが、俺も些か勘には自信がある。ヘファイストスはつまらない嘘はついていない。
いつの間にか、ヘファイストスは爪を洗い終えていた。
「………じゃあそろそろ浴槽に浸かりましょうか!ほらおいで?昔はお風呂の深さが怖くてよく私の太ももの上に座ってたじゃないの!さあ、カモン!」
「しねーよ馬鹿。体格差と年齢考えろ」
「うーん、流石にもう恥ずかしいのかしら。男の子だものねぇ……じゃあ、オーネストの太ももの上に座らせてよ。ね?」
「………してやったら満足するか?」
「する。すっごくする!」
結局してやることになった。
ヘファイストスのお尻から太ももにかけた柔らかな体が俺の身体の上に乗る。
多分、俺以外がこれをやられたらヘファイストスを襲うか鼻血を噴いて気絶するかの二択だと思う。それほどにこの人は美しいのだ。本人は眼のせいかあまり自覚がないようだが、たまにそういう所が周囲を不安にさせる。案外、何かのきっかけにコロッと落とされてしまうかもしれない、と。
当の本人は御機嫌に鼻歌を歌いながら人を座椅子にしている。
神というのは変なところでガキっぽい……と思っていると、彼女の身体が一層俺の身体に押し付けられた。
「………もう盛りだと思うのに、勃たないのねぇ。私の身体じゃ色気が足りないのかもしれないけど、ちょっと心配だわ」
「品のねぇ話をするな。まさか狙って座ったのかこの変態女神は?」
「変態じゃないわ、貴方のおばよ。で……実際問題、どうなの?」
「気合」
欲求不満は別の物事に昇華させれば減退できる。それでも消滅するわけではないが、生理現象とは言え俺の身体が起こす事。ならば俺の意志でコントロールできない道理はない。
――ちなみにこの後ヘファイストスは「私、気合いれないと勃っちゃうくらい女らしい?」と恥じらいながら聞いてきた。……この女神、実はかなりアホなんじゃないかと心配になった。というか、甥にそんな下世話な話をするな。心配っていったい何の心配だ。
(早くこの混沌地獄から脱出したい……未来はいらないから、刻よ疾く過ぎ去れ……)
(久しぶりなんだし、今回は剣を折ってないから明日には帰っちゃうんだもの。今日はた~っぷりスキンシップ取るわよ~~~♪)
この後に夕食や就寝時の地獄の絡みがあることを考えると、憂鬱な気分にしかならない。
= =
オーネストが地獄(ある意味天国)の責め苦に遭っているその頃、彼とは正反対の地獄に堕ちている一匹の白兔がいた。
「ほらほら、段々と動きが鈍くなってるよ~?はいワンツー!ワンツー!」
「はひっ、はひっ……!!も、もう休ませてくださ~~~いッ!!」
「コラッ!この程度の危機で弱音を吐くんじゃありませんよ、ベル様!」
背中に背負われたリリの愛のシバキがすぱぁん!!と頭に入って「ごめんなさぁぁぁ~~~いッ!!」と叫んだベルは更に体を酷使してアズ主導の訓練に耐え続ける。
現在アズがやっているのは『くらえッ!ベルッ!半径20M『選定の鎖』をーーーッ!!』という特別訓練だ。このアズ、例え相手が親友ヘスヘスのファミリアとて――いいや、ファミリアだからこそ容赦せん。
見学人はそれプラス、全ゴースト・ファミリアの中でも1,2を争う付き合いの良さを誇る――というか、主神のメジェドと二人暮らしの超弱小ファミリアなのに基本的にヒマしてるガウルだ。彼は眷属一人だけファミリアの先輩として彼の行く末が気になるらしく、団員が増えるかレベル2になるまでは面倒を見る気らしい。
「なかなかにえげつない訓練だな。文字通り半径20M程度の部屋にリリを背負わせたベルを閉じ込め、四方八方から鎖を飛ばしてそれを避けさせるのか………ちなみにこれ、どういうコンセプトの訓練なんだ」
「冒険者なりたての頃、ギルドでの説明を馬鹿正直に信じて魔石とドロップ全部拾ってたら30層過ぎた辺りで魔物が地面から攻撃しかけてくるようになって……荷物抱えたままてんやわんやになった俺の経験が基になっている」
「なるほど、えげつないのはそれを経験したお前とそれをさせたオーネストの方だったか……」
その頃からアズは純度が一定以下の魔石は荷物がかさばるので全部砕いて捨てることにしている。態々砕くのは、砕かず捨てるとその魔石を魔物が拾って強化される可能性があるからだ。一度考え無しに捨てていたら「アズ・オーネストの後ろを行けば魔石が手に入る」と学習した魔物が延々とついてきて、まぁ恐ろしい目に遭った。あのバケモノ、恐らく撃破推奨レベルは6超えだったろう。
ちなみに地面から攻撃してくるタイプの魔物はとても珍しいらしく、滅多にお目にかかれないようだ。
ジャラララララララッ!!と音を立てて次々に飛び出す鎖は壁や地面を透過して出てくるため前触れが殆ど無く、しかも結構な速度で迫ってくるためベルは避けるのに必死だった。しかもベルの脳裏には、あの日にまるで小石を投げるように魔物を粉砕したアズの姿がこびり付いて離れないため「鎖=超即死」の図式が完成している。加えて女の子を背中に背負わせることで「ミスしたらこの子を怪我させる」というプレッシャーまでかかっている。
ここまで計算してた訳じゃないんだけど、ガウルが「やるなら徹底的にだ!」と言うのでこうしてみた。
「まぁ、当たっても死にはしないんだけどね。手加減してるから精々デコピンくらいの威力しかないさ」
「いやいやいやいや迫力がヤバイんですよこれ!!腕一本くらい持って行かれそうなプレッシャーと存在感が……ひょわあああああッ!!今掠った!カカトらへん掠ったぁ!」
「これを乗り越えればベルはダンジョンに必要な危険察知能力と回避力を身に着けるだろう。長時間持続させられればスタミナ増強にもなる。ステイタスが伸びれば女の子にもモテるぞ!」
「ベル様ぁ~♪ベル様がノーミスでこの試練をクリア出来たら……リリ、惚れちゃうかもぉ♪」
「う………うわああああああああああッ!!やってやる!やってやりますともぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
モテたい。それはベルの願望の中でも大きなウェイトを占めた強力な願い。それに火をつけられたベルは今まで以上の体裁きで鮮やかに鎖を躱し始める。
夢の為、愛する主神の為、そして何より自分自身の為に。
熱き覚悟を決めたベルは跳躍する。
「僕は、強くなって女の子とイイ感じの出会いを果たすんだぁぁぁ~~~~ッ!!」
なお、そんな彼の姿を見たガウルとリリは悪代官のような悪い笑みで彼の頑張りを見守っていた。
(くっくっくっ……単純な奴め。この試験にクリア時間などないわ!お前がスタミナ切れで鎖の餌食になるまでが訓練時間だ!!)
(ふっふっふっ、チョロいですねぇこの白髪。ノせるのが簡単すぎて笑えて来ますよ~!)
「なんで俺の周囲ってみんなちょっと腹黒いんですかねぇ……」
アズのぼやきはベルの雄叫びにかき消されて誰も聞いていなかった。
数分後、ベル撃沈。
耐久時間……8分12秒。まぁ、相当頑張った方だろう。何人かこの練習のテストに付き合ってもらったが、みんな8分を越えずして負けている。名付けて『死の8分』……ベルも十数回の失敗を越えてやっとたどり着いた8分だ。ここまで来るのにまる3日かかっているが、逆を言えば3日で順応したのかもしれない。
リリの座布団にされてうつぶせに突っ伏すベルの手を、ガウルがそっと握った。
「よく頑張ったな、ベル………まだレベル1なのにここまで耐えるなんざ、大したもんだ!」
「が、ガウル師匠~っ!!」
その時のベルには、優しく助け起こしてくれたガウルが天の御使いのように輝かしく見えた……のだが、次の瞬間にガウルはベルに一本の瓶を手渡す。
「……という訳でこの疲労回復ポーション飲んだら今度は剣術訓練だぞ。戦いでは人より長く走れる戦士こそ生き延びるんだ。頑張って次の苦境を乗り越えてみろ!!」
「し、師匠の鬼畜生~~~~ッ!!!」
「じゃあリリは先にアガりますんで、ベル様頑張って~~♪近くで応援してますから、ねっ♪」
「う………うわああああああああああッ!!やってやる!やってやりますともぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
重ねて言うが、ベルには夢がある。以下省略。
(こいつマジでチョロイわー)
(チョロ甘ですねっ!)
(リリちゃん何か手慣れてるなぁ。流石は接客業やってただけのこたぁある………)
……レベル不明のオラリオ最強候補であるアズ。一応ファミリア団長でレベル4のガウル。そして経験豊富で素人へのアドバイスが上手いリリ。最高とはいかずとも、新人を鍛えるにはかなり贅沢な教官に囲われて、今日もベルは戦い続ける。
「ほ、本当にこれで英雄になれるのぉぉぉ~~~~ッ!?」
「逆に考えろ。この程度の苦難も乗り越えずして……何が英雄かぁッ!!」
「ハっ!?そ、そうか……だからこそ英雄なんだ!!うおおおお!僕は自分が恥ずかしい!もっと稽古を付けてくださいガウル師匠ぉぉ~~~ッ!!」
(やっぱこいつチョロいわ)
……半ば「みんなのおもちゃ」と化している気がしないでもないが。
「ま、直情径行の方がステイタスの伸びはいいのかもな……んじゃ、俺も応援に加わろうかな」
今までずっと眷属のいなかったヘスティアがせっかく迎え入れた冒険者なのだ。あっさり死んでしまって大泣きするヘスティアを慰める役など御免である。彼女もゴースト・ファミリアの一人ではあるのだ。多少入れ込んで鍛えたって問題はないだろう。
それに、多分あの子は伸びる。アズと違って夢があり、戦いの才能もあり、何より『何色にも染まれる可能性』を感じられる。多分フレイヤ辺りの好みなんじゃないだろうか、とても澄んだ魂を感じる。案外あの少年なら、荒唐無稽なその夢とやらも叶えられる日が来るのかもしれない。
「羨ましいな……俺は未だに夢も見つからずに宙ぶらりんの昼行燈だ」
やりたいことをするのと夢を追うのは違う。
片やその時凌ぎの行動を延々と無意味に重ねる行為。片や目指す目的の為に一直線に行動を重ねて踏み出す行為。目標のためなら辛酸だって舐めるし泥も被る。夢のある奴は俺みたいに小奇麗な姿ではいられないんだろう。反面で夢もないくせにぼろ雑巾みたいになってしまうオーネストみたいなのもいるが、あれはまぁ……例外だろう、色々と。
(目標ねぇ………ダンジョン制覇は、面白そうではあるが何年か頑張りゃ終わっちまうな。俺とオーネストが二人で無茶すりゃ最悪1年以内に全部ブチ壊してみせる。商売……まぁ、あれは趣味であって夢じゃあないんだよな)
この世界の真実を解き明かすみたいな話もオーネストとやったことがある。が、それも結局天界に殴り込めば全部終わりそうだという結論が出た筈だ。こうして一つ一つ夢でないものを潰していくと、最終的にはなにもなかった。最強なんてガラじゃないし、大富豪なんて別になりたくもない。別段誰かの為に人生を奉げたいわけでもなければ無償の愛を世界に広げる旅に出たりもしない。
(宙ぶらりんに加えて伽藍堂か。命という灯以外に何も詰ってないとくれば、本格的に行燈だなぁ、俺は。昼行燈じゃあ夜の暗闇を照らせもしねぇぞ)
ここまでダメ人間だと自分が笑えてくる。
向こうからこっちの世界に来てそれなりに楽しいことは否定しないが、実は元いた場所とここはそんなに違いがないのかもしれない。
そういえば、向こう――俺のいた世界はどうなったのだろうか。
原因も分からない大災害に見舞われて、俺は意識を世界の向こう側――つまりこちらに持って行かれた。なら、向こう側の俺は死んだんだろうか。オーネストの奴は自分は死んだと断言していたが、自分の死なんて客観的に認識できるものでもない。
(『死』………か。試してみるか?)
『死望忌願』――俺の死、俺の命、俺がこちらで一緒になった『死に向かう意思』とやら。こいつが死を司るというのなら、その身に纏う鎖を辿ればその先に俺はいる筈だ。それが生きているのか死んでいるのかは別として。
「単なる思いつきではあるが、暇だしやってみますか。何が出るかな……っと」
掌に鎖を出現させ、自分を強く意識しながら、手繰る。
手繰る、手繰る、仏陀の垂らした蜘蛛の糸を手繰るように――
『――害から3日が経過し……――場では自衛隊が急………すが、地盤が脆………者は市の指定………』
ひどくつめたい雨ざらしの下で、途切れ途切れの雑音を聞きながら。
「……――!………!――」
だれかが横たわる俺を、呼んでいる。
「………ろ!意識――……ッシュ症……段……るしか……!――……!」
からだの感覚はどこか遠く、意識はふわふわと彷徨うように。
「………る君、ごめんなさ……!――……し、無くな……――、――!!」
耳には、聞き慣れただれかの悲鳴染みた声がこだまする。
『………氾濫の恐れが………――……療施設は………さんは、その場から………返しお伝えし………』
見上げた世界は、半分だけ黒く染まって――
「――ッ!?」
「……ん?アズ、どうかしたか?」
空から落とされたように、唐突に意識が舞い戻る。
耳はよく聞こえ、身体の感覚はいつもの重力を感じ、意識ははっきりと保たれている。
気が付けばその場の皆が俺の事を見ていた。
「立ったまま居眠りなんてみっともないコトしてませんよね、アズ様?」
「え?あ、うん………今頃オーネストの奴は地獄を見てるかなぁ、って」
「???」
事情を知らないリリとベルは首を傾げるが、ガウルは何かを察した。
「あ、ああ……俺は見たことがある訳じゃないが、なんかすごいらしいな……」
「ああ、すごいんだよ。オーネストを意気消沈させるのなんてあの人くらいだからな」
「ガウル師匠、何の話をしてるんですか?」
「まぁ、いつか教えてやるよ。それよりもベル、おまえその腰の投げナイフどこで買ったんだ?高いやつだぞ、それ」
「ああ、これはシルさんっていう人からプレゼントで……」
話が逸れていくのを感じる中、俺は鎖を手繰った自分の掌を見つめた。
(今のあれは、一体――)
困惑する意識の中で、俺はひとつだけ思い出すことがあった。
オラリオに訪れる直前――聖者の如く十字架に張り付けられた、死に損ないの青年。あれは俺に死のうと言った。安楽死のように、永続する苦痛からの脱却を提示した。
――何故だ。
俺が死んだのなら、何故その後になって選択する必要があった。
死という終わり、黄泉路への途を一時的に遠ざけたかりそめの現世の旅人。
それが俺だとしたら――俺の『死』、俺の『命』とは、『死望忌願』の本当の意味は――
「ま、別にいいか。オーネスト曰く、『神、天地にてくたばろうが、なべて世はこともなし』……俺がどうなろうと、さしたる問題はなかろうよ」
俺は『告死天使』、耳元にて汝の死を告げる。
もとより現世の者に在らざれば、其の在り処など泡沫の夢の如く。
今日に悔いはないのだから、俺に未来はいらないのだ。
俺はへらへら笑いながら嘯いた。
後書き
ロバート・ブラウニング&上田敏「誠に遺憾である」
※神、空にしろしめすなべて世はこともなし……「春の朝」という詩の一節。色々と訳し方がありますが、作者的にはヒネリなしに「この世界は神が天より治めているので、みんなが何やろうと万事問題なく(世界は)続く」という風に考えます。
28.むむむ。
前書き
アズの鎖攻撃ってアルカナハートのシャルラッハロートって子にちょっと似てる。意識しては無かったけど影響されてる気がします。そう、つまりアズは聖女だっ(ここから先は神聖文字になっていて解読できない)
(アズさんもそうだけど、ガウル師匠も実は滅茶苦茶凄い人なんじゃ………)
大好きだったおじいちゃん以来の剣術訓練で完膚無きに叩きのめされたベルは、アズと訓練を始めたガウルを見ながらそう思った。
推定レベル7と謳われる『告死天使』の最大の武器である鎖を次々に薙ぎ払い、弾き、隙あらば斬撃や刺突を繰り出すガウル。正面から直視するだけでも恐ろしい鎖をものともせずに突進し、その訓練時間はとっくに8分を越していた。
「ちいッ!ハンデ付きでもまだ届かんか!!」
「といいつつも楽しそうに戦ってるねぇ!」
「へっ……これでも戦いはそれなりに楽しめる方でね!お前と戦れる機会なんてそうそうないから、なおさら自分を試したくなる!!」
避けに徹していれば8分が限界の鎖も、防御や迎撃を込みにすれば戦えるらしい。しかし、それはあくまでアズの鎖を迎撃するだけのステイタスと技量があればの話だ。レベル4というオラリオ内でも上位に位置することは知っていたが、あれだけの攻撃を全ていなす実力と迫力は明らかにベルとは隔絶している。
最終的に飛んできた鎖を踏んで上を飛び越えたあたりから、ベルはもう考えるのを止めた。
「そら、今度は違う鎖で行くぞ!『奪』ッ!」
「その手にはもう引っかからんさ!!」
ベルが避けるしかなかった鎖を、ガウルは自らの『銀の腕』で薙ぎ払って前へ出る。義手であるが故に何の躊躇いもなく取れる戦法だ。義手は冒険者としてはハンデにもなるが、同時に利点にもなりうる。それを熟知した動きだ。
「『奪』は敵の動きや装備を奪う技!毎度毎度隙いあらば手や足を掴んできたからもう目が慣れた!!」
「だからって素手で正確に先端を弾くとは……上手い上手い!流石実践経験豊富なだけはあるよな」
「オーネストほどじゃねえが突破力には自信がある!これでも『団長』なんでね……格上相手も慣れたもんよッ!!」
踏み出したのとほぼ時を同じくして、アズをガウルの刺突が襲う。当たればそのまま首くらいは削がれかねない一撃を、しかしアズは焦りもせずにバックステップで躱しながら笑う。
普通、鎖を弾くのなら義手より剣で弾いた方がリスクは少ない。なのに敢えて素手で弾いた時点でアズにはガウルがリスクを承知で突っ込んでくることが読めていた。
「そんじゃ次は……『囲』だ」
瞬間、コートの隙間から複数の鎖が飛び出して、まるでその一本一本に意志があるかのごとくうねってガウルに殺到する。瞬時に刺突のリーチで届かない事を悟ったガウルは舌打ちしてブレーキをかけ、剣を素早く取りまわして直撃コースの鎖を弾きつつ横にステップして正面を逃れた。
弾かれた鎖が地面を抉り、すぐさまアズの懐へ高速で舞い戻る。鎖の主はまるで布をはためかせて遊ぶようにじゃらりと鎖を弄び、今度は両手を始点に鎖を発射させる。寸でのところで跳躍して攻撃を免れたガウルは舌打ちする。
「ちぃっ、手品師め!物理法則くらいは守ったらどうだこの問題児ッ!」
「だったらこういう手品は如何かなっとぉ!!」
斬り込んできたガウルの剣に対してアズが手を掲げ――ぱちん、と指を鳴らす。
ガキィィィィンッ!!と音を立て、ガウルの押し込む刃が止まった。
一瞬素手で受けとめたように見えて「アズさんも義手なの!?」と思いかけたベルだったが、次の瞬間に目に映った事実に唖然とした。ガウルの刃を止めていたのは、アズの指先に掴まれた道化師の絵柄のトランプカードだった。横のリリは頭を抱えている。
「と……トランプで受けとめてるぅッ!?」
「うわぁ……やっぱりアズ様は人外なんですねぇ……」
「騙されるな二人とも。こいつは『アズの力』じゃねえ、タネも仕掛けもある善良な手品だ」
「あ、バレた?」
へらっと笑いながらアズは素早くトランプを振り抜いて剣を弾き飛ばし、ガウルに回し蹴りを放つ。彼らしくない荒っぽい動き対してガウルも自らの蹴りで対抗し、脚同士が衝突。攻撃の反動を利用した二人はまた間合いを取った。
(あ、アズさん格闘も出来るんだ……!?てっきり鎖に頼り切りなのかなーって思ってたけど、凄い……)
ベルの関心をよそにばさりとコートをはためかせ、アズは自らの使ったカードを掲げる。そこいらの市販品とは比べ物にならないほど洗練されたデザインのトランプは、剣を受けたというのに傷一つない。
「このカード、イロカネっていう特殊金属をトランプ型に加工して『不壊属性』をかけた代物なんだ。ヒマ潰しに作ったはいいけどやっぱり戦いには向かなくて普通にトランプやってるよ」
「相も変わらず金持ちの道楽してるなお前は………製作に幾らかかったか言ってみろ。バカだと叫んでやる!」
「加工が難し過ぎて1枚なんと500万ヴァリス!プラス54枚で2億7000万ヴァリス!!」
「お前どんだけ下らないことに金費やしてんの!?俺の想像以上にバカだったぞ畜生ッ!!」
2億ヴァリス以上というのは、現在のヘスティア・ファミリアのタンス預金額とほぼ同等。ちょっとした屋敷くらいなら購入できる金額だ。ヘスティアが数年間アルバイトしても生活を続けるのが精いっぱいだったことを考えると、アズの金の使い方がどれだけおかしいのか分かる。
本人は貯金額11億ヴァリスくらいと言っているが、実はこうして時々馬鹿なアイテムの作成にドバッと金を注いでるため無駄遣いしなければ間違いなく富豪の類に類する。
「こ、これがおじいちゃんの言っていたオラリオのビッグマネー……!?」
「……の、極めて間違った使い方だ!!」
「というかつまり、アズ様は実戦の最中にそのナイフよりリーチの短いカードでガウル様の斬撃を受け止めたんですか………やっぱり人外じゃないですか!」
「や、これは受け止められるなーって思ったから斬撃と俺の間にカードを滑り込ませて止めたんだよ。ガウルも本気じゃなかったからこそできた真似さ」
「………俺の斬撃を喰らってもカードを取り落さない指の力はどう説明する?」
「そこはそれ、このイロカネに俺の鎖を融かして混ぜたからね。軽くマジックアイテムっていうだけだよ」
「今更気にする事でもないと思っていたが!お前の鎖は一体なんなんだよッ!!」
アズライールと書いて、何でも出来ると読む。なんとなくそう思った3人だった。
= =
ベルは密かに気になっている事があった。
アズは、前から主神ヘスティアの友人(友神ではない)だったそうだ。
そのアズの友達がガウルであり、ガウルの主神もヘスティアと知り合いらしい。
では、リリは?
リリことリリルカ・アーデは唐突にアズが連れてきた女の子だ。可愛いけど、時々彼女に踊らされている気がしてならない。
彼女は冒険者の中でもサポーターという役割をやっているそうだ。サポーターがどういう役割なのか、どういう扱いを受けるのかも一通り本人から説明された。小さな体と背中の大きなバックパックだけで「サポーターかよ」と馬鹿にしたような口調で呟く人も見たし、そのバックパックの影からアズの顔が出た瞬間に顔色を変えて口を押えながらダッシュで逃げるのも目撃した。
彼女に戦闘能力はないに等しいが、冒険者歴は長いので知識は豊富なのでその助言は参考になる。なるのだが……お金を稼がなければいけないサポーターが何故こんな金にならない新人育成に付き合っているのだろう。
自分の前を歩くリリを見る。リリはアズの顔を見上げてお喋りをしていた。
(やっぱり考えられる理由はアレだよなぁ……)
そう、リリはいつもさり気なくアズの近くにいるし、よくお喋りをしている。ガウルやベルにはどこか一線引いているような丁寧な雰囲気があるが、アズ相手のときはその表情がどこか緩んでいる。色恋沙汰とは縁が遠めだったベルでも、リリがアズのことを慕っているかどうかくらいの分別は付く。
「アズ様ー」
「ん?なーに?」
「リリ、そろそろ『改宗』しよっかなーと思ってるんですけど、どう思います?」
「いいんじゃない?リリちゃん今は退屈してるみたいだし、ソーマの所はあんまり楽しいファミリアとは言い難いもんなぁ。あいつ本当に酒造り以外に興味ないから経営は殆どあそこの団長がやってるし……っと、そうなると団長の許可が必要か」
「あ、そっちは大丈夫です。アズ様の名前をちらつかせたら快くOKしてくれると思いますんで。問題はその後、どこのファミリアに行くかなんですよねぇ……」
「リリちゃん向けねぇ………あ、そういえばフィンがいつか酔った拍子に『小人族の嫁が欲しい』とか言ってた気がする。ロキ・ファミリア行ってみる?」
「ヤです」
「………『勇者』のフィンだよ?ロキ・ファミリア団長で優良物件だよー?」
「絶対ヤです。そんな大手に戦闘力皆無のリリが入っても苦労する予感しかしません。あと、自覚ないかもしれませんがアズ様もスペックだけなら優良物件ですよ?競争率も低いですし」
言われたアズはそうか?と首をかしげたが、聞いていたベルは確かに、と納得する。
強くて金持ちですらっとした体格は男として羨ましく思う。何よりアズは優しい。あの死神のような気配さえなければ文句なしにモテるだろう。逆を言えば、死神の恐怖さえ克服してしまえばそこに残るのは優良物件なのだ。
しかし、リリとアズが結婚するというのはイメージしにくい。年齢はそんなに離れていないらしいが、二人がくっつくと言われると「養子縁組」の4文字がどうしても頭をよぎるほど体格差がありすぎる。
「まぁ俺のことは置いておいて、何ならヘスヘス………というかベルのファミリアにでもお世話になるか?将来性は無きにしも非ず、だぜ。なぁベルくんや?」
「……えっ!?あ、ええと……入団希望はいつでも受け付けてると思います。確かにリリが来てくれるんなら心強いなぁ。ヘスティア様も本格的にファミリアの経営はしたことがないって言ってたし」
「ふぅん………会ったことはありませんが、アズ様とゆかりの深い神なら確かに入りやすくはありますね」
『改宗』も楽ではない。そもそも新人がファミリアに入るのだって一苦労なのだから、誰かのオファーも無しに他の神に鞍替えなんてもっと難しい話だ。そういう意味ではバックに金持ちのいる新参ファミリアというのは将来性もある程度あって人手も飢えている筈だ。
今すぐにとは言わないが、選択肢としては十分アリ。そう判断したリリは密かに転職リストにヘスティア・ファミリアの名を書き加えた。
「そういえばガウルの所も一人ファミリアだよな。そっちはどうなんだ?」
「新ファミリアかぁ……メジェド様はファミリアを集めてないからどうなんだろう。本人に聞いてみないと……」
『むむ……たしかに私はファミリアを集めていない………ガウルは特別なんだぞ』
「へぇ、そうなんですか。貴方が面と向かってそういう事言うの珍しいです…………ね?」
くぐもった中性的な声に何気なく返答したガウルの足がピタリと止まる。
アズ以外の全員が全く気付かぬうちに、ガウルの真横に――白くて巨大な頭巾で『全身』を隠した不審者がいた。
「どわぁぁぁぁぁぁぁッ!?めっ、めめめめ……メジェド様ぁッ!?い、いつからそこに!?」
『ついさっき……むむ』
「ええっ!?こ、この形容しがたい白頭巾さんがガウル師匠の主神様ぁっ!?」
「このオバケのプータロウみたいな変なのがガウル様の主神様ぁっ!?」
(相変わらず銀○のエリザ○スみてぇな恰好してるなぁ)
失礼大爆発なことを口にする二人だが、驚くのも無理はない。
頭から膝の辺りまでを綺麗に真っ白い頭巾で隠すそのいでたちは不審者そのもの。エジプトチックな形の二つ眼以外に何も装飾品が無いそのシンプルさと正体不明っぷりたるや凄まじく、膝から下の美脚だけが生身で見えている部分な上に手を出す穴すらないという徹底ぶり。
リリの言うとおり、手作りオバケコスチュームみたいな変なのとしか形容できない。言ってはなんだが傍から見たら何の生物か問いたくなる。
(……時にガウル。メジェドってどうやってメシ食ってるの?)
(実は俺も見たことがない……一応食べてはいるみたいだけど)
アズも謎だらけだが、この神はもっと謎だらけ。子供たちに形容しがたいとかなんとか言われたメジェドは若干不満だったらしく、頭巾の中からくぐもった声が漏れる。
『むむむむ………初対面からとんでもなく失礼な子供たちだ。ガウル、我が軍門の団長としてなにか言ってやるのだ』
「え?あ、はい。………お前らーーーっ!!こんなんでもメジェド様は俺の命の恩人なんだぞ!!」
『………こんなんでも、は余計なんじゃないか……むむむむ』
自分の眷属からも変だと言われたのが堪えたのか、メジェドはしなっと項垂れてしまった。首や腰の存在を感じさせない滑らかな曲がりっぷりはどこか軟体動物を思わせるが、脚は人間だし人型なんだろう。多分。
『悲しい……私のこだわりのオーダーメイドで決めた格好がファミリアにまで酷評されて、かなしみのナイル川が頬を伝う……むーむーむー……』
「ああっ、メジェド様がむーむー言っている!これはメジェド様が悲しんでいる時の声だ!!」
「そんな判別方法!?いや、確かにさっきから「む」が多いけど!!」
「す、すいませんメジェド様……またクッキー作ってあげますから機嫌直してください。メジェド様の大好きなチョコチップクッキーですよー!」
「ガウル師匠クッキー作るの!?似合わない……滅茶苦茶似合わない!!」
『むむむむ、む……本当か?チョコで挟んでチョコをコーティングしてスプレーチョコをたっぷりまぶしたビターチョコクッキーを作ってくれるのか?』
「そんだけまぶしておいてビター要求なんですか!?」
「俺の不格好なクッキーでよければ腕によりをかけて作ります!」
『むむむ、むむ………ガウルがどうしてもというのなら、いいだろう。むむっ!』
「単純っ!!子供みたいに単純っ!!」
ベル、怒涛のツッコミ連打を出すもメジェド・ファミリアこれをガンスルーである。
メジェドはガウルの餌釣りに引っかかって機嫌を良くしたのか背筋をピンと伸ばす。とりあえず機嫌は直ったらしいが、表情が読めないのでいちいち不気味だ。
この街に数いる変な神様たちのなかでもメジェドは間違いなく一番変な神様だ、とベルは確信した。……少年はまだ知らない。その言動でメジェド以上に有名な変神がいることを。
『むむ、今日はとても機嫌がいいので私はホームへ帰るよ。ガウルも友や後輩と過ごすのもいいが、たまには早く帰ってくるといい……キミにはいつも期待しているよ、むむ』
「ちなみに俺もメジェドがいつかその頭巾を脱ぐ瞬間を期待してるんだけど」
『生憎とその予定はないよ、アズライール・チェンバレット。だがもしもその姿を晒すとしたら………』
頭巾の所為で目背は不明だが、心なしかメジェドの気がガウルに向いてる感じの雰囲気を感じる。
『………い、いや。何でもないぞ、むむむむ。もう帰る。むむ』
「ばいばーい。あ、ガウルはそんなに長く付き合わせる気はないから安心してくれ」
『それは朗報だ。むっむっむっむっ』
(………それはひょっとして笑っているんですか?)
小刻みに震えるメジェドを見てリリはそう推測するが、事実を確認する前にメジェドはスキップしながら帰ってしまった。
あの服装でするスキップは、想像を絶するほどにシュールだった。
「…………か、変わった主神様ですね」
「正直、俺もそう思う。でもいい神なんだ……どこからともなく俺の右腕を確保してきたし」
「謎だ……そもそも、あの神様は男なんですか?女なんですか?」
「ぶっちゃけ誰も知らないんだよねー、オーネストも知らないらしい。これもう分っかんねぇな」
この世の事は大体知っているオーネストさえ知らないとなると、最早それは人知を超えた領域。メジェドの性別とは人が踏み込んではいけない禁断の知恵なのだ。真実を解放する手がかりは、あの神の唯一のファミリアであるガウルの手にかかっているのかもしれない。
= =
ギルドという組織は、ギルド長であるロイマンを中心として活動方針を決定している。
しかし、そのギルド長には絶対的なルールが存在する。
それは、ある神の意向を必ず組織運営に反映させることだ。
「――ウラノス様。ロイマン・マルディール、ただいま到着いたしました」
ギルド地下――大祈祷場に、その神はいつも鎮座している。
「うむ……表の仕事、ご苦労であった」
賢者という言葉が良く似合うだけの英知を湛えた瞳に、老いて尚威厳を失わせぬ威厳と皺。地上に君臨しながらも決してファミリアを作ることなく過ごすこの神こそが、ギルドの創設者、ウラノスだった。
「いつも忙しい所を抜け出させてすまんな」
「いえいえ、貴方様の役割に比べれば大したことではありませぬよ。この街は、ウラノス様の祈祷なしには成り立たぬ場所ですから」
「それでも、だ。お主を深夜のヤケ喰い癖がつくほど苦労させてしまっておる事は、心苦しいとさえ思っておる」
「ははっ、それこそお気になさらずともよいことです。運動不足なのは私の落ち度ですから」
そう言って自分の腹を軽く叩いたロイマンは、そのでっぷり太った顔を引き締める。
「して、何用ですか?定期報告や会議にはまだ早ようございますが……もしや天界で何か動きが?」
「いや、天界ではない……そう、天界で動きが無かったことこそが真の問題とも言えるか」
「………?」
ロイマンは話が見えずに眉を顰めた。
現在、天界では多くの神々が地上に降臨した所為で魂の選定作業が激務化している。そのため天界から来るメッセージと言ったら「また神が地上に降りた!!」か、もしくは「なに、ルールを破った神!?即刻送還せよ!仕事やらせるから!!」の二択と化している。
しかし、ウラノスは言葉を濁し、婉曲な物言いをした。
そのような反応をする理由を、神ならぬロイマンは一つくらいしか思い浮かばない
「もしや、魂の選定作業に支障をきたすほど神が不足してきた、とか?」
「いや……そうではない。すまぬ、最初から説明すべきだったな……」
ロイマンには、ウラノスがどこか焦燥に駆られているように見えた。地上で何が起きようと中立を貫き続けてきたウラノスが、動揺している。それほど深刻な事態が発生したとすれば、暫く定時退社は出来そうにない。
「して、何が起きたのです?」
「うむ………かつて天界にてロキが暴れていたように、天界の神も決して一枚岩ではない。中には地上に降りる事を危険視されている神もいる。だから、要注意の神は天界の神が監視しているのだ」
いったん言葉を区切ったウラノスは、天井を仰ぐ。
「その一人が、いなくなった」
「……天界から地上に君臨したということ、でしょうか」
「違うな……天界の神も監視していたのだ。ずっとそこにいるものだと思っておったし、善性の神であるが故に魂の選定作業も真面目にこなしておった。……違うな。『今もこなしておる』と言った方が正確だろう」
「今もこなしているのに、いない?」
「ああ。監視していた神は、正体が露見した今も真面目に天界で働いておる。だがな……『監視が始まった時には既にそれは別の神だった』のだ」
言葉遊びのようにも感じるその言葉を、ロイマンは頭をフル回転させて考える。そして考え抜いた末に、ひとつの推論を導いた。
「替え玉……でしょうか」
「天界に残った者たちも迂闊よな……人間の言い方をすれば『役所仕事』よ。忙しさにかまけて事実確認を怠った結果、数百年以上も気付かぬままだったそうだ」
深いため息を吐いたウラノス。もしも彼がまだ天界にいれば、直ぐに事態に気付けたはずだ。だが、力ある神々の多くが地上に降り立った今、天界には最早余裕などない。今までは地上の平穏を乱すであろう神も、事前に連絡さえあれば何かしらの対策を立てられていた。しかし、今回のこれは致命的に遅すぎた。
「………神の中にも、人間で言う双子や兄弟のように容姿が似ている者は存在する。『その神』は、自らと容姿がそっくりな一人の神を言いくるめて自分の身代わりを要求し、自身は天界のだれにも気づかれることなく地上へと降臨した……奴は監視が始まる前に替え玉を用意し、誰にも気づかれぬように地上を監視し続け、入念な降臨計画を整え……100年近く前に地上へ降りた」
「何の、ためにでしょうか」
「分からぬ。分からぬが、ひとつだけ確かなことがある」
重苦しい空気を纏ったウラノスは、ロイマンが今までに見たことがないほど険しい顔で、告げる。
「あ奴は退屈で降りるような存在ではない。それでも地上へ降臨したという事は………何らかの『終末』を告げるつもりであろう」
その言葉は、大いなる不吉を予言せし神託。
人も、神も、男も女も老いも若いも清濁併せ呑みまんとする巨大な嵐が、音もなくオラリオに近づいていた。
「……時にウラノス様。地上に降りた神一柱――メジェド様は誰もその素顔を見せたことがないと聞きます。かの神には謎も多い……まさかあの方が『その神』とすり替わってオラリオに侵入しているということは――」
「ないな。あんなみょうちくりんな格好で平然と暮らしてしている神など地上と天界を探してもあの神しかおらん。大体、あれの謎が多いのは昔からだ」
「………はぁ」
ロイマンとしてはかの神は割と謎が多いので「繋がった」と思ったのだが、気のせいだったらしい。
後書き
申し訳程度のラスボスの影。
そしてロイマンさんのキャラ改変に誰も突っ込んでくれない不思議。
アンリマユ「ラスボス……つまり、出番か!!」
アズ「や、アンタ企画段階でありきたりすぎるって理由で弾かれてるから。あと作中で善性の神だって言ってたじゃん」
アンリマユ「 (´・ω・`) 」
ヤハウェ「ならば私の出番か!?善性ですごい強いぞ!」
アズ「あんたが出たらメガテンになるから却下、だそうです」
ヤハウェ「 (´・ω・`) 」
とりあえず、この二人は出番ないですわ。
29.其の名は「告死」
前書き
出張勝手にQ&A
Q:アズが格好つけて『刺』とか『奪』とか言ってるあれは必殺技?
A:手加減するときに使う技です。本当は何も言わずとも自由自在に動かせるので技名とか言わない方が自由度が上がって圧倒的に強いです。ちなみに技名はヘブライ語をそれっぽい語感にしたものです。……無論アズがヘブライ語など知っている筈もなく、技名は頼み込まれたオーネストが嫌々ながら考えた物です。
怒涛の接待地獄とスキンシップ地獄を超え、百を超える屈辱を甘んじ、千度も逃走を画策した。
しかし、耐えた。筋の通らない真似をするのは餓鬼の証拠。責任を取るのは大人の義務。
筋の通らない理論を必死に否定することで、オーネストはその役目を全うした。
そして――
「じゃあ、また来てね?」
「……ああ」
「次は剣の2,3本折ってもいいのよ?」
「……その必要があったらな」
「何ならお昼も食べて――」
「メリージアがいじけると面倒だ。やめておく」
「用事が無くても遊びに来て良いのよ?」
「………気が向いたらな」
「ハンケチ持った?」
「最初から持ってねぇ」
「これ、オシラガミ・ファミリア製のシルク100%ハンケチよ。貴方にあげるから使ってね!」
どっかで聞いたことのあるそのファミリアは、確か養蚕業をやっている生産系ファミリアだ。オラリオの高級仕立て屋はどこもこのファミリアからシルクや絹糸を仕入れ、オシラガミ・ファミリア自身も布製品を販売している。
これを貰って喜ぶというのはちょっと癪だが、そこいらの布きれとは比べるのもおこがましい手触りだ。これを受け取るまでにお小遣いよろしく色んなものを渡されたが、いい加減にこれで最後にしたい。
「………分かった。受け取る。だからいい加減にその手を離せ」
「だってぇ……離したらまた暫く会えないじゃない!何よ、ヘスティアの所には用事が無くても顔を出す癖に……」
「あんたが会うたびねちっこく引っ付いてくるのが嫌だからだ。ガキじゃないんだからこれ以上未練がましく駄々をこねるのは止めろ。朝っぱらからいい歳こいて牛歩戦術や時間稼ぎをしやがって………!」
その台詞はものの見事に昨日の自分にブーメランなのだが、ヘファイストスがオーネストより圧倒的に「いい歳」なのもまた事実。最後の握手とは名ばかりでまったく離れる気配のない掌をゆっくり引き剥がすと、ヘファイストスは名残惜しそう……というより物欲しそうな目でこっちを見つつも素直に引き下がった。その肌は気のせいか昨日よりツヤツヤしている気がした。養分を吸い取られた気分だ。
「じゃあ、俺はもう行くぞ」
「あっ、ちょっと待って!もう一つだけ重要な事を忘れてたわ!!」
「………なんだよ?」
目が据わっているオーネストの「どうでもいい事なら今度こそ帰る」という強いメッセージが込められた瞳に、流石のヘファイストスもちょっとたじろぐ。オーネストが来るたび相当アレなことをしている彼女だが、基本的に彼女は「来て貰う」立場だ。ヘソを曲げたオーネストが来なくなる可能性もあるにはある。
流石に引っ付き過ぎたかしら……と反省するヘファイストスだが、どうせ次にオーネストが来たときには忘れているのが彼女の悪い癖。それはともかく、これから問うこれは本当に重要なことだった。
「――試作の『短魔剣』のこと。前に渡したでしょ?感想聞かせてくれる?」
「昨日の内にいくらでも聞く機会があったと思うのだが……忘れていたな?」
「わ、忘れてたわけじゃないんだけど、後で良いかな~……ってのを10回ほど繰り返したら次の日になっていたというか……」
「……まぁいい。使った感想を言えばいいんだな?」
盛大に目先の欲に釣られていた女神は人差し指を突き合わせていじいじしている。あんたのキャラですることかと思わないでもないオーネストだが、剣の評価は彼女の仕事にも関わることに違いはない。
短魔剣――それは、随分前にヘファイストスが寄越した『試作品』だ。
この世界には『魔剣』と呼ばれる剣が存在する。ごく限られた妖精の加護を受けし血筋の鍛冶師にしか作ることが出来ないその剣は、他のどの武器にも存在しないある特性故に通常では考えられない高値がつく代物だ。その特性とは――どんな剣士が振るおうが、込められた強力無比な『魔法』の力を放出して敵を薙ぎ払う強力無比な力破壊力を秘めていることである。
使用回数を過ぎれば砕けてしまうという脆さもあるが、この武器を用いればレベル的に格上の相手であろうと大量の敵であろうと込められた魔法次第では撃破が可能だ。しかも使用するのに技量が必要ないため、非力な者でも一時的に強者に仕立て上げる事の出来る『魔法のような剣』だと言えるだろう。
「貴方に渡したあれは、言うまでもなく私の作ったものではない。うちの子の一人が作ったものよ。テスターとして製作者に伝える意見が聞きたいわ。率直に言って、あの武器はどうだった?」
オーネストに渡されたのはその魔剣を『魔法使用のための道具』として突き詰めた短剣型の魔剣だ。オーネストに渡された剣には『ブラストファング』という風の衝撃波を爪のように圧縮して飛ばす魔法が込められていた。攻撃範囲は狭いが、非常に高い貫通力を持った逸品だ。
オーネストもそれは使った。込められた魔力はかなりのもので、それなりに下の層の魔物にもダメージを与えるほどだった。それらすべてを加味して、オーネストは一つの結論を導き出した。
「あれはよく出来た玩具だった。ただ、玩具の域を超えるような代物ではない」
「あらら………やっぱりそう言うかぁ。普通の剣士なら10人が10人凄いって言うくらいの物ではあったんだけどねぇ……」
試作品とはいえ魔剣は魔剣。込められた力の強力さ故に、その剣を求める手はこの世界に数多ある。それほどに魔剣の力とは人を魅了し、時には狂わせるほどの輝きを放つ。流通数が圧倒的に少ないからか、大枚をはたいて買っておきながら倉庫に仕舞って使わないなんて連中もいるほどだ。
なのに、そんな剣であってもオーネストにとっては「玩具」でしかない。
「理由を聞かせて頂戴?玩具であると断ずる理由を」
「簡単な話だ。あの魔剣は魔物を20匹ほど殺した所で折れた。対してあんたの打ったこの無銘の剣は100を越える敵を斬り殺しても刃毀れすらしていない。どちらが優れているかなど一目瞭然だろう」
それは、オーネストに限らず最上級冒険者ならば誰もが同意する正論だったろう。
魔剣の強さなど破壊力が見せるまやかしに過ぎない。本当の武器とは、数多の魔物を薙ぎ払い、攻撃を防ぎ、全力で振るい続けて尚折れることのない最高の相棒だ。たかが数十回振るっただけで呆気なく折れる剣と、派手さはなくとも常に自分の腕に応えてくれる剣――どちらが命を預けるに相応しいかなど考えるまでもない。
肝心な時に剣として使えない魔剣という武器は、命を預けるに値しない。
魔剣とは、根本的に剣としては欠陥品なのだ。
「そもそも魔法を放出する機能だけが頼りなら剣でなくとも問題ない。魔剣の技術を応用して魔法弾でも作ってカートリッジ式の銃でもこしらえた方が建設的だ。完成した所で俺は使わんがな」
「鍛冶屋泣かせの貴方らしい答えだこと………後半の話はともかく、前半の方は参考になったわ」
自分がこの時代でどれだけ滅茶苦茶なことを言っているか自覚がないオーネストの発想にヘファイストスは頭を抱える。用事を済ませたオーネストは素早く詠唱をして『ブラス』となり、部屋のドアノブをねじって部屋の外に出て――ふと後ろを振り返った。
「魔剣を作ったどこぞの『クロッゾ』に伝えておけ。――『お前が魔剣だと思っているそれは真の魔剣ではない。魔剣を完成させたくば、まずは剣製を極めよ』……とな」
「オーネスト、それはどういう………いえ、まさか」
ヘファイストスは理解する。理解してしまう。
銃の話といい、昔からオーネスト発想がどこか飛び抜けている所があることは知っていた。その発想は時々革新的で、多くは異端的で、神でさえ舌を巻く卓越した着眼点を持っていた。だが、これは流石にヘファイストスも思い至らない発想だった。
つまり、オーネストはこう言ったのだ。
現代における『魔剣』という技術体系はそもそもにおいて完成していない、と。
悔しければ固定観念の束縛を破って新たなステージに進んで見せろ、と。
――今のような不完全品ではない、新たな概念を内包した魔剣を鋳造して見せよ――と。
「それは……『真の魔剣』ではなく『新たな魔剣』の域に達せということ?魔剣製造という才能が生み出す技術を更に洗練、昇華させて……過去の先人たちが誰もが辿り着けなかった領域を開闢しろと?」
「そうとも言える。どちらにせよ、それを目指すかどうかは言葉を聞いたクロッゾ次第だ」
「――そう。オーネスト……あなたは顔も見たことがない彼に『その可能性がある』と思ったのね。………一応、伝えてみるわ」
「そうか。ではな……また来る」
それだけを言い残し、ブラスは部屋を後にした。
オーネストはこの世界の魔剣を触って直感したことがある。
あれは出来損ないだ。実際にはあの形式より『上位』に昇華させなければならぬものを、過去から存在する魔剣の概念に縛られて進化を留めている。魔剣が高級な玩具でしかないという事実に、作り手は恐らく気付いてはおるまい。
その枠を越えた時――魔剣は初めて真の意味での剣となる。
思った以上に魔剣に思考を取られていることを自覚し、ふっ、と自嘲的な笑みが零れた。
(俺としたことが、あれではまるで助言じゃあないか。昔からの悪い癖だな……)
それは周囲から見れば「優しい」と称されるオーネストの一面だった。
自分に呆れながら廊下を歩いていると、見張りで待機していた椿がブラスの隣に並ぶ。
「昨日ぶりだってのにやけに久しぶりに感じるな……」
「手前もどうしてか同じ気分にさせられる」
「お勤めご苦労さん。大変だったろう」
「……1日ならまだマシな方だ。1週間見張りをやらされた時は仕事も手につかぬし無駄に神経が磨り減るし、時間間隔が狂い果てしなく続く錯覚を覚えるほどの地獄だった。顔色の悪さを隠すために厚化粧する羽目になったのはあれが初めてだ………胃薬、感謝する」
心なしか椿の顔は疲労のせいで数歳老け込んだように見え、さしものブラスも気の毒になってくる。
もし椿がいろいろと耐えられなくなったら……現在の状態を継続できない。彼女の負担を減らす策が必要だ。
「どうやらあの神は上司として致命的に欠けている部分があるらしいな……。次に来たらどうにかしてファミリア内部に協力者を増やす算段を持ちかけてみる」
「すまぬ……すまぬ……!!」
「だから泣くな鬱陶しい。向かい側から誰か近付いてるぞ」
幸いにして、向かいから現れた青年はブラスの物珍しさに目が逸れて椿を不審には思わなかったらしい。赤毛の短髪が似合うその男はブラスに見惚れたようにぼうっと目で追っていたが、二人が通り過ぎるとハッとして気の緩みを振り払った。
「いっけねぇ、俺としたことが……これからヘファイストス様に渡した魔剣の話を聞きに行くってのに、だらしない顔はしてらんないぜ」
不本意ながら一本だけ作らされた短魔剣。
その魔剣の呆気ない末路と剣を振るったテスターの衝撃的な発言は、この後の青年――ヴェルフ・クロッゾの魂にかけられた『魔剣の呪い』を大きく変容させることになるのだが……それも今はまだ未来の話である。
= =
唐突な話だが、アズライールという男は嫌われるより怖がられる率が高い。
漆黒のコートを好んで着ている彼だが、細身長身に加えてあの『死』の気配のせいでどうしても『死神』の類を連想させる。使用する鈍色の冷たい鎖も罪人を縛るように見えるし、『背中の魔人』などを何の予備知識なく見ようものなら漏らしかねないほどの恐ろしさだ。
何故か子供には好かれることが多いが、大人や多感な人は彼を見るだけで悲鳴を上げるレベルの存在である。
しかして『背中の魔人』はアズ自身も多用することはない切り札の一つ。オラリオ内では一部の存在しかそれを目撃したことが無く、多くの人はそれを『アズライールの真の姿の事』か、もしくは『誇張されすぎた噂』だと聞いたことがある、といった程度の認識である。
レフィーヤ・ウィリディスも当初はアズライールの噂を信じてはいなかった。
確かに怖い雰囲気はあったが、そもそも彼と最初に出会ったのは彼が主神ロキと肩を組んで「仰~げば~涼~しい~♪」などと歌いながらホームまで帰ってきたとき。何故かものすごく意気投合していた二人の姿を見れば怖いどころか「この人もアホかな?」と微笑ましく思えるレベルの存在だった。
その印象が覆ったのは、出会ってから間もなくしての事だった。
――ダンジョンに青銅の邪竜と呼ばれる魔物がいる。
第44層奥地の溶岩地帯付近に棲息する強力な大型希少魔物で、階層主を除けばダンジョン内でも五指に入る凶悪な敵としても知られている。特筆すべきは全身を覆った青銅の鱗であり、生半可な攻撃は青銅の防御によって防がれる上に鱗を飛び道具として発射してくることもある。全長20Mを越える巨体から繰り出される尻尾の薙ぎ払いと鱗の射出の二つだけで並みのファミリアはお手上げな程だ。
そのカイキノウ・ドラゴンを、アズは一人で屠った。
その時の光景を思い出すと、レフィーヤは今でも眠れなくなる時がある。
あのオーネストがアズと共にダンジョンに潜っていると聞いて道すがら様子見にいったロキ・ファミリアを待っていたのは、紛れもなく処刑場の断頭台だった。
既にそこに44階層の怪物としての威厳など欠片も存在しない。
そこにいるのは、処刑を待つばかりの哀れな家畜だった。
竜を象徴する巨大な翼、鋭い爪を抱えた手足、その胴体や頭まで文字通り全身を鎖に貫かれ、その姿は壁に磔にされた羽虫のように無残だった。時折拘束から逃れようと体を動かしては、貫いた鎖に体を抉られて鈍色が朱に染まる。
冒険者に絶望と死を齎す青銅の処刑者であった筈の強敵がまるで道化のように蹂躙されていた。
『グガ、ガガガガガ……ッ、アアアアアアアアアア……!!』
その瞳にあるのは自らが強者と驕ったことへの後悔と、ひたりひたりと近づく死の足音への恐怖。見る物に憐みを感じるほどに――抵抗すら許されぬ竜の死は決定的だった。
そして、その竜の頭の上に『告死天使』はいた。
「君は……随分永く生きているようだね」
ぞくり――全身の毛細血管が凍りつくような、感情のこもらない冷たい言葉。
それは独り言のようであり、厳かに告げられる裁判の判決のようでもある。
「魔物という存在に生物的な寿命はない。理論上、倒されなければ永遠に生きていくことも可能だろう。そう――君たちの命は時間によって終わりを告げることが出来ない。人に当然に存在する『やすらかな死』は、生まれながらにして君たちには訪れない。だから――」
握る鎖は拒絶を許さず魂もろとも肉体を縛り付け、絶対不可避の運命が竜の上から迫る。
湛える表情は、微笑。ロキと共にいた時のそれよりずっと熱が無く、つめたく、なのに一度目が合えば離す事が出来ない程に、魅入られて。
『骸は虚無のゆりかごへ、御魂は無明に抱かれり』
汝に安らかなる死が永劫訪れず、生の価値を見いだせぬと言うのならば。
汝の生命を終わらせよう。いずれ訪れる凄惨なる最期を、今こそ齎そう。
『死は甘美にて優麗なれば、とこしえの 静寂こそ救いなれ』
死とは終焉。生に価値を生み出す世界との契約。生命の旅路がいずれ辿り着く場所。
それは万人に用意された出口であり、望んで辿り着くことが出来ないことは牢獄の苦痛でしかない。
『肯定せよ、望まれし滅亡――顕現せよ、内なる破滅』
誕生の喜びと黄泉路への旅立ちは、この世を生きた証。世界からの祝福。
しかして、汝は死の在り処を定められずに産み落とされた。
ならば――
『――死望忌願、汝は吾と共に在り』
世の理が祝福されぬ生を続けさせるというのなら、終わりという名の祝福を受け取るべきだ。
アズの背中から這い出るように、鎖で縛られた十字架を背に負った魔人が顕現する。
それまでのものとは比較にならぬほど怖ろしく、畏ろしく、本能が確信するほどに、それは『死』そのもので。紅い眼光でアズと共に竜を見下ろす姿は、絶対者のそれで。
奇妙な文字の描かれた包帯に覆われた掌が掴むのは死神の大鎌の如き巨大な大鎌。
その刃を見ただけで魂に冷たい刃を添えられた錯覚を覚える、絶対的な『死』。
その魔人が刃を振りかざす姿は、まるで昔に読んだ物語にいた『死神』そのもので。
「慈母に生み出されたこの魔窟に抱かれて――お休みなさい」
『ותברך את הנשמה――』
金属が切れる音一つなく、カイキノウ・ドラゴンの首が落ちた。
この日以来、レフィーヤはアズライール・チェンバレットに完全に怯えてしまった。
理屈では分かっているのだ。あの刃や死の魔人の力が自分の方に向くことはないだろうと。だがそれを加味しても、あれはレフィーヤには怖すぎた。アズも怖がらせてしまったことを申し訳なく思って気を遣ってくれるが、それでもやっぱり怖いのである。
………オーネスト曰く、「お前が悪いんじゃない、お前の趣味が悪いんだ」。
………リヴェリア曰く、「レフィーヤの前ではこれから存在感を控えてくれ」。
………アイズ曰く、「アズ、本物の死神みたいで格好良かった」。
………ベート曰く、「嘘だと言ってくれよアイズ」。
長々と説明したが、いい加減に結論を述べよう。
今、レフィーヤの目の前にいるのだ、『告死天使』が。
「ん……あれ、レフィーヤちゃん?アイズちゃん達と一緒にいないなんて珍しいね?」
「そ、そそそそそそう言うアズライールさんもオーネストさんと一緒にいないのは珍しいですね!」
「ダンジョン以外では別々行動が多いんだ…………って、大丈夫レフィーヤちゃん?俺と一緒が嫌なら普通にこのまま通り過ぎてもいいのよ?」
「そ、そそそ、そうはいきません!人は恐怖に打ち勝ってこそ成長するものなんです………ッ!!」
(と、いいつつ小動物のようにプルプル震えてるんだけど……)
レフィーヤは、どうにかこの恐怖を乗り越えたいのである。
彼女とて一級とは言わずとも名高きロキ・ファミリアの名を背負う身。『千の妖精』の二つ名を与えられたレベル3の冒険者だ。そして、冒険者は苦難を乗り越えてこそ真に成長する。余所の冒険者に怯えてばかりでは、アイズの背中を追う身として恰好がつかない。
何より、主神ロキとアズに交友関係がある以上、いつまでも怖がる度にアイズの後ろに隠れて怯えている訳にはいかないのだ。故に今日、レフィーヤは協力者ゼロでこの苦難に挑むことにした。
――のだが。
(ひいいいいいーーっ!やっぱりこわいぃぃぃぃーーーっ!!)
注釈すると、レフィーヤはアズが怖く見えるのではない。
しかし、どうしてもアズの後ろや影にあの『死の魔人』の影がぶれて見えるのだ。今怖いのではなく、次の瞬間にそれが突然牙を剥くという勝手な妄想が脳裏にこびり付いてしまった。巨大なドラゴンの首をを音もなく刈り取ったあの死神の鎌が自分に向けられると想像しただけで、レフィーヤは心臓が止まりそうになる。
「えっと………俺は何をすればいいの?」
「ひゃっ!!」
何となく申し訳ない気分になってきたアズの気遣いの言葉さえ、レフィーヤにとってはビビりポイントになってしまう。そんな彼女に何かしてやれることはないかと気遣うのだが、気遣いのために動いたら相手を怯えさせる。しかしレフィーヤは恐怖に耐えてなんとかアズに近寄ろうとする。以下、エンドレスだ。
「あ、あの……俺の恐怖を克服するって言ってたけど、何か策はあるの?」
「ひええええっ!ないですごめんなさ~~~いっ!!」
「即答!?計画性なさすぎるでしょ!」
「びえ~~~~ん!!わだじぃ……わだじ、だべな゛ごれす(私、駄目な子です)ぅぅ~~~~!!」
「ああっ、ちょっ、泣かないでレフィーヤちゃん!周りの人達が何事かと集まっちゃうから!」
プレッシャーや恐怖、それに無計画な自分への情けなさ。色んな感情が入り混じったレフィーヤの涙腺はとうとう決壊してしまった。おんおん泣くレフィーヤをどうにかなだめたいアズだが、彼女はエルフなので気軽に触るとそれはそれで問題になる。
しかも二人がいるのは街中だ。必然的に二人の有名人は注目を浴び、いつしか人だかりが出来ていた。
「何だなんだ?………ヒィッ!?こ、『告死天使』!!」
「馬鹿言うなよそんなヤベーのがこんなところにいる訳……ヒャアアアッ!?『告死天使』!?」
「違うな、あれはきっと偽物だ。本物はこう、腹の底が冷えるような冷気を纏って…………あれ、今日はやけに冷え込むな。まるで腹の底が冷えるようだ」
「怖がってるレフィーヤたんぺろぺろ」
「街中で座り込んじゃうレフィーヤたんぺろぺろ」
「怖いと分かっていても近づいた負けず嫌いのレフィーヤたんぺろぺろ」
「お前らまとめて『九魔姫』に殺されても知らんぞ……」
「「「その時はアズにゃんの後ろに隠れる!」」」
オーネストを放っておいて遊びほうけた罰が当たった気分にさせられたアズは、肩を落としながら収拾がつかない状況を打破するための秘策を使用することを決めた。懐をがさごそ漁って取り出したその「特徴的なお面」を見つめたアズは、それを一気に被る。
「………アズだと思ったか!?残念、俺がガネーシャだ!!」
それは、あの日にガネーシャから譲り受けた――魔法具『黄金のガネーシャ仮面』。
ピカーッ!!と輝く仮面の輝きが周囲の目に突き刺さり、周囲の空気が変わっていく。最初は戸惑っていた周囲も段々と仮面の形を確認して驚愕と安堵に染まっていく。
「あれ、黄金仮面の眩さで顔が良く見えないけどガネーシャ様だったのか!?」
「本当だ。アズっぽいけどこのオーラはガネーシャ様だな……」
「こんなバカみたいなオーラ放てるのはあの神ぐらいだもんな!」
「なんだガネーシャ様かぁ。意外と変装上手なんですね!」
もしこの場にオーネストがいたら「この世界には馬鹿しかいないのか……?」と囁きそうな程、皆がアズのことを何故かガネーシャだと思い込んでいく。アズがガネーシャに見えるという事実こそが異常事態であることに周囲は全く気付いていなかった。泣いていたレフィーヤでさえこれには目を丸くして盛大にカン違い。
「ふぇっ!?あ、アズライールさんじゃなくてガネーシャ様だったんですか!?そんなぁ、それじゃ怖がってた私達が馬鹿みたいじゃないですか~!」
「はーっはっはっはっはっ!!」
『黄金のガネーシャ仮面』――それは、ガネーシャっぽい感じの威光や雰囲気を限界まで高め、周囲に仮面の主がガネーシャだと一時的に誤認させるスゴイアイテムなのだ。本来は誰でもガネーシャ気分になれる特殊な玩具としてガネーシャが開発させたのだが、試作一号機の開発にバカみたいなコストがかかる上に本人と紛らわしいのを増やしてどうするという話になって開発凍結。その試作一号が巡り巡ってアズの手に渡ったのである。
(さて、誤認効果は長続きしないからなんとか言い訳してレフィーヤちゃんをこの場から引き剥がすか………)
彼女の目的はあくまでアズへの恐怖心の克服。それを為さずして帰してしまうのは互いの関係の為にならない。どうしたものか……と悩んだアズは、ものの2秒で結論を下す。
「よし、そこの通路の影に入ろうとしてるブラスに手伝ってもらうか!」
「クソッタレ……!変身のために路地に入るその瞬間を目ざとく見つけてきやがって……!後にしろ後に!」
「そんな悲しい事をいうな!友達、であろう?」
「……後で殴ってやるから覚悟しておけ」
額に青筋を浮かべたブラスの恨めし気な目線が突き刺さる。偶然通った道で馬鹿を発見し、面倒事から離脱しようとした矢先の出来事だった。
困った時にはいつでも親友が助けてくれる。
名付けて『D ・ O ・ S』の発動である。
後書き
黄金のガネーシャ仮面はいつか使おうと心に決めていました(笑)
次回からブラス、仮面アズ、レフィーヤのデコボコトリオで物語が始まります。
ついでにヴェルフの強化フラグ。これによって同時にフーの覚醒ルートが開かれるかもしれません。記憶が正しければフーの伏線はこれで3つ目だった気がします。
カイキノウ・ドラゴンは言わずもがなオリモンスターです。攻撃パターンがシンプル故に隙らしい隙や弱点がない、非常に厄介な魔物ですね。ドロップで虹色の銅鱗という高級特殊素材が取れます。
30.そのとき、閃光が奔って
前書き
正直、感想がほぼ誤字の報告しかないこの小説ってのは唯のゴミクz(神聖文字なので読めない)
あと六話で以前投稿した分が全部公開というのはいいのですが、今後は仕事の関係で更新速度急降下になると思われます。ご了承を。
オラリオに数多くのファミリアあれど、最大派閥となるとどこの人間も口を揃えて一つのファミリアを挙げる。最強の冒険者を擁し、最高練度を誇り、その気になれば余所のファミリアなど平気で潰す事ができ、何よりも危険なファミリア。どこまでも束縛を嫌い悦楽に生きる、独占欲の強い美の女神の眷属たち――フレイヤ・ファミリアを。
このファミリアの影響力は絶大で、他のファミリアにとっては最も怒らせてはいけない存在と認識されている。そして、それは同時に反オラリオ思想の下に街に潜伏する闇派閥への牽制としても機能していた。ただ、既に力の多くを失って隠れるばかりの闇派閥は、放置すれば厄介ではあるがフレイヤ・ファミリアにちょっかいを出す力はない。こうした事情から、オラリオは長らくフレイヤ一強の勢力図が固定されていた。
そこに一石を投じたのが、『狂闘士』オーネストを頂点とするゴーストファミリアだ。
結果的に敗北したとはいえ、オーネストは正面切ってフレイヤを突っぱね、あまつさえ公衆の面前で『猛者』オッタルに大きな手傷を負わせた。しかも、その後に戦闘不能になって寝込んでいる彼を守護するように、オラリオのありとあらゆる「見えない協力者」がフレイヤ・ファミリアと火花を散らせた。邪魔者に容赦がないために誰も手を出そうとしなかったフレイヤを、明確に妨害したのだ。
フレイヤ・ファミリアに目をつけられるような行動を「個人」で行った冒険者の人数は五十人近くにも及び、有力ファミリアの中にはおおっぴらにオーネストを守護するために寝ずの番をした者も複数存在した。彼らは間違いなく、あのタイミングでフレイヤがオーネストを奪おうとするのなら戦争を始める気だったろう。
『戦争遊戯』などという生々しいものではない。
それこそ『地獄の三日間』の再来になるような、破滅的な戦いに発展する騒乱を。
主神に切り捨てられる事を覚悟の上でファミリアの垣根を越える協力関係。
行動指針も護るべき勢力もない。ただ、オーネストが動いた時に『勝手に動き出す』個人の集合体。
オーネストの為だけに動き、オーネストがいなくなれば勝手に消滅する『非営利集団』。
それが、ゴースト・ファミリアの正体だった。
勝手に見えない所で拡大を続け、オーネストを潰せば勝手に消滅し、しかしオーネストを潰すことを防ぐためにありとあらゆる手段を講じて四方八方から集結する。つまり、オーネストにさえ触れなければ何一つ害がない普通の冒険者・もしくは非冒険者たちなのだ。
この集団の恐ろしい所は、そのゴースト・ファミリアが潜在的にどれほどの規模で『どこまで出来るのか』、そしてトップを失った際に『誰が誰に何の報復をするのか』全く全貌が掴めない所にある。目障りだと思っても脅威を感じても、手を出した際に返ってくるであろう反動を防げないのだ。何故なら、それらは極めて個人的に、散発的に、突発的に行われることだからだ。
そして何より、事実上のトップに君臨するオーネストという男は手を出すには危険すぎた。
個人であるが故に、彼は勢力図や力関係など考えない。『猛者』に手傷を負わせた圧倒的な暴力で敵を蹂躙し、暗殺や計略を正面から破壊し、自身を懐柔、利用しようとする者の甘言に決して耳を貸そうとしない。そして、この男は骨から肉が削げようが内臓が破裂しようが必ず生き延びて、手を出した相手に徹底的な報いを受けさせた。
こうしてゴースト・ファミリアはフレイヤ・ファミリアとは別の意味でアンタッチャブルな勢力となった。弱小ファミリアは彼から被害をこうむることを怖れて手を引き、有力ファミリアは「フレイヤ・ファミリアの対抗勢力になりうる」と判断して不干渉を徹底。そして一部のファミリアは彼と実質的な協力関係、または下部組織的な関係となって見えない戦力と化した。
そして2年前、突如として現れた『告死天使』という男がオーネストの『友人』になったことで、図らずともオーネストの立ち位置は盤石とも呼べる状態になった。『推定レベル7』と噂されたオーネストに並んだ、もう一人の『推定レベル7』。これを以てして、ゴースト・ファミリアはとうとう正面切ってフレイヤ・ファミリアと釣り合う戦力を持つと世間に認識された。
――ただし、実はそこに致命的な勘違いがある事を知る者は、少ない。
その勘違いは、ゴースト・ファミリアの一員でさえ深く考えないこと。
「――という訳です。気まぐれな貴方のことですから別に期待はしておりませんが、一応……ね」
「……貴方も食えない男よね。望んでいるのは事の解決ではなく、『事そのものを乱すこと』……貴方、事態を相手にもこちらにも予想出来ない方向へ持って行くために態と情報を拡散してるわね?」
「何を言うかと思えば――当然ですよ。わたくしはギャンブラーですよ?賽の出目が決まった勝負などする意味がない。もっと先が見えず、運任せで、何が起きるのか予測がつかないくらいが、面白いのです。とてもとても……ふふっ、面白いのですよ。フレイヤ様」
「そういう所も食えないわ、ガンダール。愉快犯のような顔をして、自分自身もその先の見えない荒波に笑いながら飛び込んでいく。見ている分には楽しいけれど、眷属には欲しくないタイプね」
バベル最上階で秘密の会談を開いた二人は、妖艶に笑う。
『ゴースト・ファミリア』はオーネストが動いた時に追従するのではなく、オーネストを中心に動いているだけだ。彼が波を立てずとも、彼に向かう波に気付いた者達は勝手気ままに動き出す。そして、行動の結果が必ずしもオーネストの為になるとは限らない。
「ま、いいわ。乗ってあげる……そんな木端連中には興味ないけど、オーネストが何をされて、どう反応するか気になるもの♪」
「ほう、貴方は気に入った物は手に入れなければ気が済まない主義だと思っていましたが……彼は特別ですか?」
「あら、それを貴方が口にするの?……あの子は『皆の』特別なのよ。この街にとっても、この世界にとっても………ね?」
このオラリオ史上最大の見えない爆弾は、今もこの街の水面下で沈黙を保っている。
= =
「いやぁ、助かった助かった!持つべきは親友だねぇ、ブラスちゃん?」
「ちゃん付けするな、虫唾と悪寒が同時に走る。あとその呪いの面をはやく取っ払え。知能が下がるぞ」
「下がらないから。あと呪いの装備は一度つけると解除できないのがお約束だろ?」
「何がお約束だ……ゲームや漫画じゃあるまいし。馬鹿みたいな仮面付けた馬鹿の横を歩くこっちの気にもなってみろ」
「まぁまぁ、そう言わんでくれよ。この仮面が今回のレフィーヤちゃんトラウマ克服計画のカギになってんだから」
「た、確かにその仮面をつけていると死神のオーラみたいなものがだいぶ減っている気がします!この調子で慣らしていけば克服できるかも……!」
「………陰と陽がぶつかって中和されてんのかもな」
からからと快活に笑う黒い黄金仮面アズは確かに傍から見たら頭の中がお祭り騒ぎに見えなくもない。だが、周囲はその黄金に目を取られつつも「ガネーシャ・ファミリアの偉い人か」と勝手に納得してしまうので不審には思われていないようだった。
現在、アズとレフィーヤの間にブラスが入るという形で3人は並んで歩いている。
あの後、ブラス(オーネストの変身した姿)の介入によって一先ず人目の多い場所を脱したアズとレフィーヤ。しかし元々アズは散歩していただけであり、レフィーヤもアズの恐怖克服計画は白紙であるため、二人はどうしようか考えた結果ブラスについていくことにしたのだ。……別名「行き当たりばったり」とも言うが。
先ほど言った通り仮面によってオーラが削がれたアズだが、それでもまだ隣に並ぶほど克服できていないレフィーヤはブラスを挟んで反対側をとことこ歩いている。
「俺はな、今疲れてるんだよ。さっさと変身解いて屋敷に剣を置いて昼寝したい気分なんだ。だから屋敷に着いてからはお前ら二人で勝手にやれ」
複数本抱えた剣をこれ見よがしに揺らしたブラスは、不機嫌そうに自らの金髪をかき上げた。
突然アズが絡んでいった金髪金目の美女――丁度アイズを少し大人っぽくしたような印象の女性を、当初レフィーヤは『ゴースト・ファミリア』のまだ見ぬ一員だと思っていた。
「………未だにブラスさんの正体がオーネストさんだと言われて納得できない私がいるんですが、本当に本当なんですか?」
孤高の女剣士という肩書が良く似合いそうな女性――その正体がまさかあの『狂闘士』だなどと、誰が想像できようか。真実を知らされた瞬間の衝撃は筆舌に尽くしがたいほどだった。確かに言われてみれば顔のパーツや背丈、服装など共通点が多いのだが、下手をしたら女より色気があるその出で立ちにレフィーヤは一女性として理不尽なものを感じずにはいられない。
本当にからかってませんよね?とアズに目線を送ると、彼は肩を竦めた。
「信じられんかもしれないけど大マジだよ。魔法に関しては俺よりレフィーヤちゃんの方が詳しいでしょ?魔法使いとして違和感や気配みたいなの感じない?」
「普通なら感じる筈なんですけど、ちっとも……どれだけ複雑な魔法を使ってるんですか?」
「神造魔法」
一瞬ブラスの発言の意味を理解できなかったレフィーヤは、頭が真っ白になった。
「………………えっと、ご自分が何を言っているのか理解しての発言ですか?」
神造魔法――精霊を媒体とした通常魔法と根底を違える、「神気」を源泉とする「神の魔法」。確かに理論上、冒険者の身体にはごく微量の「神気」が存在する。しかしそれは砂粒一つを動かす事にも使用できないほど微量であり、自力で「神気」を精製することも人の身では不可能。
それを使えるのは神か、神の血を引く存在だけである。
しかし、同時にそれはエルフの血が流れるレフィーヤを以てして全く精霊の気配を感じられない事に説明がついてしまう。「神気」を源泉とするのなら全ての過程を精霊の力を借りずして行うことが出来るのだから、感知できないのも当然の事なのだ。
まさか――いや、そんな筈は――あり得ない筈なのに、あり得なくはない。そんな葛藤を見透かしたように、ブラスは小さく笑った。
「ふっ……ちょっとしたジョークだよ。そんなに難しく考えるな」
「で、ですよね!人が神の魔法なんて仕える訳ありませんよね~!」
「魔法の正体は『俺も知らない』が、俺が使いこなせているのならそれは俺の力だ。それだけ分かっていればいい」
「……えっ」
今――とても聞き捨てならない一言が聞こえた気がしたのだが。
咄嗟に聞き返そうとした瞬間、レフィーヤの肩に正面から急に現れた影に衝突した。
「きゃあっ!?」
「わっとぉ!?」
小柄なレフィーヤはあっさりとその場から弾かれて後方へバランスを崩す。次に訪れるであろう衝撃を予想して咄嗟に身を丸めて目をつぶる。しかしその予想に反して衝撃は訪れず、代わりに知らない男性の声が耳に届く。
「おっと、ごめんよキュートガール!急いでてね!」
どうやら声の主は走っている途中にレフィーヤにぶつかってしまったらしい。せわしない足音はそのまま遠ざかっていく。そっと目を開けたレフィーヤは、そこで初めて倒れかけた自分をブラスが受け止めてくれていた事に気付いた。こちらがエルフであることを意識してかどうかは分からないが、その手は体を支える最小限の部分に留まっている。
「………迂闊だぞ、レフィーヤ。冒険者なら自力でバランスを整えるか、そもそも事前に回避するくらいは出来るようになれ」
「あ、オーネストさ………じゃなくて、今はブラスさんか。その、ありがとうございます……」
「礼はいらん。それよりも隙を見せた自分を恥じろ。鍛えていればこの程度の衝撃で転倒しない筈だ」
「す、すみませんっ!」
どこか諭すように軽い叱咤を飛ばしたブラスの手に押されて立ち上がりながら、レフィーヤはちょっと落ち込んだ。注意されたことが悲しかったわけではなく、ブラスの指摘した点が痛いところを突いていたからだ。
曲がりなりにもレベル3であるレフィーヤは、強力な魔法を抜きにしても杖でその辺の魔物を撲殺する程度の筋力がある。しかし、いざ戦いとなると接近戦の経験不足が災いして咄嗟に反応できないことが多い。ダンジョン内では気を付けようと思っていたが、日常生活でこの有様では冒険者として気が緩んでいると言われても言い訳できない。
黄金仮面が物珍しそうにブラスを見る。
「お、珍しく他人に対しておせっかいな事言うのな」
「最近気付いたが、俺は意外とお節介焼きらしい」
「言われてみれば俺って滅茶苦茶おせっかい焼かれてる気がするな……この街に来てからずっと居候状態だし。まぁいいんじゃないか?情けは人の為ならず、めぐりめぐりて己が身のため……だろ?」
「ふん、確かにな。俺がやりたくてやっているのなら問題などなかろう」
仏頂面だったブラスが、アズに対して微かに微笑む。レフィーヤはその笑顔に思わず魅入られた。
(――オーネストさんってこんなに綺麗に笑える人なんだ……)
女性になっていることを差し引いても、その笑顔は吸い込まれるように美しい。
無愛想で無骨なオーネストの元に何故あれだけの人間が集まって来るのか、その一端を垣間見た瞬間だった。
その、刹那。
レフィーヤ達の目の前にいた男の身体に閃光と破裂音が奔り、倒れ伏した。
「え………」
事態が呑み込めずに呆然と倒れた男を見つめたレフィーヤの視界を、アズの背中が遮った。アズの手には既に鎖が握られ、ブラスも先ほどの笑顔を消して数本抱えていた剣の一本に手をかけて後ろを警戒している。
パリッ、と空気が『張る』ような錯覚。何かのスイッチがオフからオンへ、流れが動から静へ。目の一つも合わせないままに、二人は落ち着き払った声を交わす。
「ブラス、敵意は感じたか?」
「何も。詠唱らしいものもこの周辺では聞こえなかったな」
「うーん……あいつ、『何をされた』と思う?」
「魔法か魔法具を使ったものだろう。自然現象とは思えん。狙撃か時限式かは調べてみないと何も……今から調べるか?」
「ギルドを呼ぶ前に現場を触って変に疑われたりはしたくないんだけどなぁ……」
やや遅れて、レフィーヤは二人が「戦いの空気」を纏っていることと、レフィーヤを庇う形で周囲を警戒していることに気付いた。という事は――先ほど倒れた人は何者かに攻撃されたということか。大きな怪我をしたようには見えないが、そこまで理解すれば後の行動は早かった。
今度は落ち着いて戦闘用の杖に自然と手をかける。ダンジョン内でも奇襲に対してだけは口を酸っぱくして先輩方に教わってきたからだ。
「あの、私は何をすればいいですか?」
「………やはり敵意は感じない。接地トラップらしいものもなさそうだ。これ以上の警戒は無駄だな」
「と、ブラスが言ってるから特別警戒する必要はないかな?襲撃者がいないってのもそれはそれで不気味ではあるけど」
ブラスの意見を全面的に信用してアズはすぐさま鎖を仕舞う。緊張した割には呆気ないと思いつつ、臨戦態勢を解く。たった二人でダンジョンの深層まで潜る格上冒険者の判断である以上、レフィーヤの判断よりは確実だろう。急激に高まった緊張感を紛らわすようにふう、とため息をつく。
「こんな街中で人を攻撃するなんて、もしかして闇派閥の一派ですかね……?」
だとしたら由々しき事態だ。
オラリオも治安のいい街とは言い難い部分があるが、少なくとも街中の往来で突然人が襲われるほど腐った場所ではない。その治安をあざ笑うかのように人を襲ったということは、犯罪を犯しても構わないような裏の立場にいる存在の可能性が高い。
今でこそ連中の活動は不活発だが、昔はかなり暴れまわったとレフィーヤも聞き及んでいる。それが人を襲い始めたとすれば、街を揺るがす大事だ。
だが、ブラスは静かに首を横に振った。
「派手好きの連中にしては随分しょぼくれた手口だ。あの屑共ならやる時はもっと派手にやる。ともすればそちらの線は薄い……個人狙いの可能性もあるな。さてと……おいアズ」
「何だ?」
「面倒事は御免だがここからとんずらして後でギルドの連中に疑われるのも癪だ。お前、ひとっ走りしてギルド呼んで来い……………立体機動を使わずに」
「使わねぇよ。前にミスしてフレイヤの部屋に突っ込んで以来やめることにした」
「何!?馬鹿野郎、早くそれを言え!何度フレイヤの部屋に突っ込もうが気にすることはないからとっとと飛んであの女神に迷惑かけてこい!」
「そんなに何度もあんな所に突っ込むかアホ!街で一番高い場所だぞ!?届くけどさ!」
「ならワザと突っ込め!そして奴に迷惑の波状攻撃を仕掛け、精神を蚕食せよ!」
「フレイヤ嫌いここに極まれりだなお前は!!」
「……あのー、まずは倒れた人を看病する医者でも呼んだ方がいいんじゃ……」
脅威が去った以上は倒れた男性を看病するべきだろう、とレフィーヤは思った。しかし、よく見ると倒れた男性は既に周囲の人間によって看病されているようだった。二人が倒れた人を気にしなかったのは冷静に状況を見極めていたかららしい。
普段とは打って変わって心の底から楽しそうなブラスと呆れるアズ。一見して二人の関係はアズの好意の一方通行のようにも見えるが、なんだかんだで二人は本当の意味で友達らしい。でなければこんな状況でじゃれ合うようなことはしないだろう。
怪我人に振り向きもしないのは少し薄情な気もするが、それも冒険者としては必要な資質なのかもしれない――
「こ、こいつ死んでるぞ!!」
「おいおい嘘だろ……どこにも怪我してないじゃないか!何で心臓も呼吸も止まってるんだ!?」
「い………イヤぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
目の前で、人が殺された――その事実に初めて気付かされた一般人が恐怖から悲鳴を上げる。不安と恐怖は瞬く間に人々の間を伝播し、大きな喧騒となって周囲を覆った。
――死んでいる?
現実が受け入れられなくなるような言葉に、レフィーヤの頭が凍りつく。
ダンジョンでもなくこんな街中で、人が認識できないほどの速度で突然に、殺された。
ダンジョンでの人死にとは全く違う異次元の恐怖がレフィーヤの身体を金縛っていく。
もしも何かの運命が一つでも掛け違ってあれが自分の身に起きたとしたら、自分はロキやリヴェリア、アイズたちのいない、人生の中でも下らなくでどうでもいい場所で何の感慨もなくその一生を終えていた。
夢は夢で終わり、憧れにはどれほど手を伸ばしても届かず、ただ虚無の世界へと無感動に墜ちていく。そんな悍ましい未来が、すぐ近くにある――そう考えた瞬間、胸の奥からアズに感じるそれとも違った根源的な恐怖が湧き出た。
「ひぐっ………ッ!?」
「落ち着け」
思わず悲鳴を上げそうになったその瞬間――隣にいたブラスがレフィーヤの耳元で囁いた。
「まだ死んだかどうかは分からん」
何の根拠も感じられない言葉。なのに、ブラスの囁きにはどこか人を安堵させ、確信させるような柔らかさがある。こみ上げた感情が静まっていくレフィーヤを確認したブラスは、そのまま横を通り抜けて死者の骸に向かった。
「おい、どけ。俺がやる」
「はぁっ、はぁっ……!……え?な、何を……?」
「………そういえばこの世界には心肺蘇生法の概念がないんだったな」
どこか自分の迂闊さを呪うように頭を抱えたブラスは男を押しのけて死者の前に立った。
そして――死体の胸の中心辺りに蹴りを叩きこんだ。
「オラァッ!!」
「ゴブゥッ!?ありがとうございます!!…………………げほっ、げほっ……はっ!?お、俺は今まで何を……?」
「「「……………ええええええ~~~~~~~~ッ!?!?」」」
――後からブラスに聞いたのだが。
曰く、ブラスは『心肺停止状態ならまだ蘇生の余地がある』と判断したらしい。そして心肺停止とは心臓がけいれんしている状態であり、電気などの強い刺激を与えていることで麻痺が解ける可能性があることから、心臓に蹴りをかまして無理やり心臓を動かしてやったのだという。
「言っておくが……俺が蹴りを入れたのは、心臓に繋がる『経絡集約点』の場所を知っていて、尚且つ的確に蹴ることが出来たからだ。素人が真似しても死にかけにトドメを刺すだけだから覚えておけ」
「っていうか、この世界って心肺蘇生法が普及してないんだ?」
「私、『しんぱいそせーほー』とか心臓のうんたらなんて聞いたこともありません。ブラスさんて実は医者なんですか?」
「違う。昔、どこかの神に教わっただけだ」
ちなみに蹴られた男性が意識を取り戻すより前にお礼を言った理由は科学では解明できない謎らしい。
これは、レフィーヤ・ウィリディスが経験した奇妙な事件の、その始まり。
『ロキ・ファミリア』のレフィーヤとしてではなく、一人のレフィーヤとしての――小さな冒険録。
後書き
普段のオーネストより優しさ2割増しな理由は、誰かさんのせいで精神が摩耗しスルースキルが低下しているからです。
心肺蘇生法に蹴りという過程は存在しないので良い子も悪い子も決して真似しないでね!多分アバラが折れるだけだよ!
ちなみに近年の調べで心臓マッサージさえすれば人工呼吸はしてもしなくても生存率はほとんど変わらないことが判明したそうです。溺れた女性に人工呼吸するシーンは実は単なるセクハラ……?
31.心の温度差
「連続殺人事件ッスか?」
「確定じゃあないがな。上の方もちょっとピリピリしてるし、状況が状況だ。そういう噂はしたくなるんだろうよ」
「………………あ、あくまで噂……ですよね?」
ギルドの休憩室で啜っていた紅茶を噴きだしそうなショックを受けながらその少女――犬人のトローネは同僚の物騒な噂話を無理に笑い飛ばそうとした。
同僚が喋っているのは、最近になってギルド内で囁かれるようになった話だ。何でもここ最近になって死因不明の死者が街中で発見されていることから、何者かがこれを殺して回っているのではないかという説が浮上しているのだ。
「最初は確かに噂だった。だがな、もう一週間連続で続いてるんだよ……街中での不審死の報告が」
「既に死者は7名……今日もあったらとうとう週を跨ぐッス。生存者がいれば事件かどうかもはっきりするんスけどねぇ」
同僚の一人――先輩ヒューマンのヨハンは時々こちらを怖がらせようとからかってくることがある、トローネとしては誠に残念なことに今日はそうではないらしい。同期で「ッス」が口癖のルスケも先輩の言葉の節々から感じるリアリティを察知してか神妙な面持ちだ。
「しかも倒れた瞬間を目撃した人の証言内容に共通する部分があることが分かった。どんな事件背景があるにせよ、ここまで来ると偶発的な事故で片づけるのは無理があるだろ?」
「まぁそうッスね。俺らギルドはこの街の秩序の体現者である必要がある。なら当然、ルールの隙をついている悪い奴がいる可能性を示唆されたら放置はできねぇ」
ギルドはこの街の大枠を管理し、直接的な戦力を持たない代わりにルールの執行者としての絶対的な立場を堅持している。もしもギルドの管理がなければ、オラリオ内は本格的に多くのファミリアが無法を尽くす世紀末都市と化すであろう。唯でさえr『神』という世界の異物を大量に受け止め続けているこの街だ。上でルールなしに暴れられると、皿そのものがひっくり返る。
この街では公的な罪は公的立場にあるギルドが主導で対策し、解決に導く必要がある。クエストなどで処理される事件も多いが、こと指名手配や大規模な捜査はギルドに話を通さずして行うことは認められない。
と、いうことは。
「そ………それって私達ギルド職員が調査するってことですかぁっ!?」
「まぁ、当然そうなるわな。ギルド憲章にもちゃんとその義務が乗ってるぜ」
「無理です無理無理!!少なくとも私みたいなドジで内向的で学歴だけ高いような新人職員には無理ぃぃぃぃぃぃ!!」
「いやいやいや、まだトローネちゃんが担当になると決まった訳じゃないッスからそんなに慌てなくとも……というかさり気に学歴自慢したッスね」
ひいいいいっ!と独り善がりに頭を振って怯えるトローネの臆病すぎる姿に二人は呆れた。
「調査ったって一人でやる訳じゃないし、大抵は協力者におあつらえ向きの冒険者を雇用するんだからそんなに怯えなくとも……」
「しゃーないと言えばしゃーないッスけど。トローネちゃんは臆病ッスからねぇ。正体不明の殺人鬼なんて絶対に関わりたくないでしょーよ。本人がドン臭いのも事実だし」
「ドン臭いというよりはトロいんだよなぁ、この子は。言葉の意味を理解するのにやたら時間がかかる上にちょっとズレてるし」
「殺されりゅううう………犯人に逆上されて殺されりゅううう……!いやそれ以前にギルドの将来の危険因子として目ざとく狙われて路地裏でコッソリ始末されりゅうう!」
「自分の妄想に怯え過ぎだろ。呂律がヘンだ」
「何でさっきからチョイチョイ自分の価値を過大評価してるんッスかねぇ」
もはや何もツッコむまいと二人は休憩室常備の茶菓子を齧りながらトローネを放っておくことにした。3人は確かにギルド職員だが、ギルドだって結構な人員がいる。ピンポイントで自分たちに担当が回ってくることは相当確率が低いし、きっと関係ないだろう。
「――ヨハンさん!ヨハンさん、いますか!?」
不意に、休憩室の外から若い女性の呼び声と慌ただしい足音が響いた。続いて休憩室の扉が乱暴に開け放たれ、眼鏡をかけたハーフエルフの女性が顔を出す。人気受付嬢のエイナ・チュールだった。
「何事だい、エイナちゃん?俺達は休憩時間だよ?」
「分かってますけど、緊急事態なんです!急いで外に出る支度を……あ、丁度いいからルスケくんとトローネも一緒に行って!」
「…………そこはかとなーく嫌な予感がするッスね。対策会議と祭りの準備で人手が足りない……という話じゃなさそうだ」
「殺されりゅううう……う?あれ、エイナさんじゃないですか!エイナさんも休憩ですかぁ?」
一人だけ状況把握能力が可哀想なトローネに「ああ、この子はもう……」と頭を抱えながら、エイナは口早に状況の説明をした。
「西通りでまた人が倒れました!今度は被害者がまだ生きているそうです!急いで事実確認に向かってください!!」
……数分後、トローネが『告死天使』に遭遇して恐怖の余り気絶したことを追記しておく。
= =
事件現場に居合わせたレフィーヤは、被害者男性の手当てをするブラスを心配そうな目で見ていた。
ブラスは神妙な顔をして被害者男性に少量ずつ水で薄めたポーションを飲ませ続けている。被害者男性も目を覚ました当初は問題なさそうに見えたが、時折顔色が悪くなったり体が痙攣したりと容体は安定していなかった。
「あの……怪我はしていないように見えますけど、本当にポーションで大丈夫なんですか?」
「ああ。恐らくだが容体が安定しないのは電撃傷で体内の血管や神経が引き裂かれている所為だ。お前も魔法使いなら雷の特徴くらいは知っているだろう?リヒテンベルク図形痕がないということは電流は表皮を流れず体の中に直接叩き込まれた可能性が高い。広義に於いては怪我と同じことだからポーションで治るだろう」
(リヒテンベルク・ズケーコンってなんですか………!そりゃ雷の勉強はしましたけど、やったのは精霊を媒介にした人工的な雷の発生原理までですよ!人体に命中した際の対処は魔法使いじゃなくて治癒士のお仕事ですっ!!)
そもそも、この世界で魔法とはあくまで魔物に対抗する術として神や精霊に授かったものだ。魔法というスキル自体も希少なものであり、人に対して雷を放った際のダメージなどという限定的な知識を知ってる者などまずいない。
「大体、なんでわざわざポーションを水で薄めてるんです?普通のポーションを飲ませてあげた方が……」
「こいつはさっき一時的に心停止になったんだぞ。今のこいつは体内の流れが乱れて激しく不安定な状態になっている。ポーションは確かに傷を治すには最適だが、それには急激なコンディションの変化というリスクが伴う。こういう時の人間はちょっとした刺激や負担で簡単に突然死するものだ……しかし、傷がある以上は放っておいても死ぬかもしれん。リスクとリターン両立させるには、これが一番いい」
「ダンジョンでもない所でそんなに簡単に人は死なないと思いますけど……」
「お前が思っているだけだ」
「なっ………!」
余りに挑発的な物言いに流石のレフィーヤも頭に血が上りそうになるが、その苛立ちを治めたのもブラスの言葉だった。
「例え神の恩恵を受けようが、どんな魔法を覚えようが………所詮人間は人間でしかない。最期ってのは驚くくらい呆気ないものだ。どいつもこいつも、な」
その時だけ、いつでも事実を見つめているオーネストの瞳はどこか遠い場所を眺めていた気がした。
自分より長い間危険な場所で戦い続けた戦士の言葉は、一般論を語るそれとは比べ物にならないほど重い。
「………でもそれ、黒竜に殺されかけて瀕死の重傷を負いながらもう一度戦いに行こうとして大暴れした挙句にガレスさんを素手で殴って膝をつかせた人の台詞じゃないですよね?」
「………………」
これは又聞きした話だが――数年前、黒竜に殺されかけていた所を助けられてロキ・ファミリアに看病されていたオーネストは意識を取り戻すなり看病していたティオネを突き飛ばして武器も持たず医療テントを脱走したそうだ。
止めに入ったフィンを投げ飛ばし、それにキレたティオナの本気の拳をクロスカウンターで迎撃して逆にKOを取り、最後に立ちはだかった『重傑』ガレスの鎧を着た腹を素手で殴りつけて吐血させたところでリヴェリアに不意を突かれてトドメを刺されたらしい。
『重傑』の名の通り、ガレスはオラリオ内でもトップクラスの耐久を誇る最強のドワーフだ。高レベルの魔物でさえ彼に膝をつかせるのは至難の業であり、正面からのぶつかり合いで彼に勝てる冒険者は片手で数えるほどしかいないだろう。
そんな彼を素手で、しかも鎧越しに殴ったら普通は手の方が折れるもの。しかもこの時のオーネストは黒竜との無謀な戦いのダメージで死に体な上にティオナのストレートパンチが顔面に直撃して意識が朦朧としていた筈である。そんなコンディション下で何をどうすればあのガレスに膝をつかせるのか。そして、そんな事をした人間が『人間は呆気なく死ぬ』などと、どの口がほざくかという話である。
「………………………」
「………………………」
しばしの沈黙。
「………俺は、人より死ににくい。だからいつも俺より先に周りが死ぬんだよ」
(あれ、地雷踏んだ!?)
オーネストの表情は変わらないが、心なしか肩が落ちたような気がする。こういうときどんなふうにフォローすればいいのか全く分からない。アズなら何気ない台詞で普通にコミュニケーションを取れるだろうに。
(アズさん早く戻ってきて~~~!!)
「ん?俺を呼んだか?」
背後から――薄れてもなお氷のように冷たい死神の気配。
恐る恐る振り向いた先にいたのは、黄金の仮面を被った見覚えのある男。
「よっす!ギルドの人連れて来たよー!」
「…………ぴぎゃああああああああああああああああああああああああ!?」
人間は不意を突かれると人生で想像したこともない悲鳴をあげるものだと――この日、レフィーヤは学んだ。
閑話休題。
精神を立て直したレフィーヤ、容体の安定した男性が病院に運ばれていくのを見送ったブラス、そして現場にギルド職員を案内したアズの3人は、近くの喫茶店で事情聴取を受けていた。ヨハンが質問し、ルスケとトローネははメモ役らしい。
「えっと……まずはお三方の名前を聞こうか。金髪の君はアイズ・ヴァレンシュタインで間違いないね?」
「俺のどこがアイズだ。よく見ろ」
「レフィーヤ氏を連れていて金髪金目の女剣士だろう?どう見ても『剣姫』ヴァレンシュタインだ。持っている剣も第一級冒険者の品質だしな」
「しまった、言われてみれば条件が揃っている……!!」
早速ブラスに面倒くさい受難が降りかかった。
確かにこの街に金髪金目でレフィーヤと共に行動する女剣士などアイズしかいない。本人に親しい者でもなければ普通に間違えておかしくない。何より二人の顔立ちは割と似通っているから、遠目に見れば本人との違いが分からないのだ。
「くっ……似ているだけで別人だ。レフィーヤとは街で偶然出会った」
「ほう、余所のファミリアにしては呼び捨てにしている上に見知った顔だったようだが……トラブルを避けたいのなら下手な嘘はつかない方がいい」
ヨハンは完全に決めつけにかかっている。これは面倒な状況だ、とブラスは内心で毒づいた。本人は本気で間違えている上に至って真面目なつもりらしい。そして間抜けな癖に真面目な人間というのは話をどこまでも厄介な所へ無自覚に運んでいく。
しかも、ここでレフィーヤが違うと主張した所で「口裏を合わせている」と決めつけられたら聞く耳を持ってくれない可能性が高い。
「……自分の正体を隠そうとする、か。それがどういう意味を持っているのか知っているのかね?」
(無視して帰るか殺すかどっちにしようかこいつ)
(ハッ!?相棒がとてつもなく物騒な事を考えている気配がする!!)
――忘れられがちだが、ブラスはギルドが大の嫌いである。嫌いなものは嫌い、鬱陶しいものは鬱陶しいという竹を割ったような判断力を持つ彼女にとってヨハンの態度は不愉快極まりなく、言ってしまえば「下手に出てやったらつけあがりやがって」という一触即発レベルの苛立ちを抱いている。
すわ爆発か――!?と異変に気付いたアズが戦々恐々とした瞬間、想いもよらぬところからフォローが入った。
「ま、待ってくださいセンパイ。その人、本当に『剣姫』じゃないかもしれません」
オドオドしながら小さく挙手したのは、この中で一案頼りなさそうな御仁――トローネだった。
「お前がそんな風に口を挟むなんて珍しい……理由は?」
「アイズ・ヴァレンシュタインなら前に仕事で見たことがありますが、その時に持っていた剣はゴブニュ・ファミリアの専用剣でした。事実、税収に関する資料をこの前見た時もロキ・ファミリアとゴブニュ・ファミリアは専属契約者を多く抱えており、『剣姫』の名もそこにありました。でも彼女がいま抱えている剣はヘファイストス・ファミリア製と見受けられます。武器の違いは冒険者の違い……ですよねっ」
どこか慌てたように口早に説明するトローネだが、その指摘にヨハンははっとしてブラスと名乗った女性の持つ剣を見る。複数本持っていることも妙だと思っていたが、見れば剣の鞘にヘファイストス・ファミリア製であることを示す印があった。
それに、トローネは鈍くて遅いところはあるが記憶力と推理力が高い。その正確さたるや、あらゆる書類に記載された情報を繋ぎ合わせて会ったこともない冒険者の懐事情を理解できるほどだ。彼女の言葉を聞いたブラスは、肯定を示すように傍らに立てかけた剣を拾い上げてギルド三人衆に見せる。ヘファイストス・ファミリアのスタンダードモデルだ。
「………椿・コルブランドと専属契約をしている。『契約冒険者』をやっている手前、見てくれは市販の剣と同じだがな」
「なるへそ……専属契約者がいるのによそのファミリアで剣を買うなんて考えられないッスね。ンなことがバレたら店同士で情報が行き交って、即バレの上で契約打ち切り!それに、俺も『剣姫』がこんな男勝りな喋り方をするたァ聞いたことないッス」
「つまり、本当に他人の空似か………紛らわしい」
新人二人の指摘に自分の予想が間違っていたことを確信したヨハンは、心底面倒そうにぼそっと呟く。が、勘違いしたのはヨハン側だというのにこの態度なために周囲から冷めた視線が注がれる。迂闊な言葉で株を落としたヨハンは後ろ頭をぼりぼり掻いた。
「えー………こっちの不手際で申し訳ない。お詫びに何か奢るよ、お嬢さん」
「この店で一番高いクイーンベリーパフェの特盛とセイロンティー一品ずつ、ついでにお持ち帰りのジャムセットの一番高い奴」
「予想以上にガッツリ頼んできた!!」
「態々『一番高い』ことを強調する辺り、ご機嫌斜めッスね。まーこれは先輩が悪いッスから必要経費ッスね」
山盛りのパフェをもくもくと、しかし異様なまでに洗練された手つきで頬張るブラスは一旦さて置いて、質問は次へ移った。
「で、次ですが………ガネーシャ・ファミリアの人ですね?」
「違うよ!俺のどこがガネーシャ・ファミリアだって言うんだ!」
「どっからどう見てもガネーシャ・ファミリアだろーが!!これ見よがしに黄金の仮面なんか付けやがって!!鏡見てから言えよ!!」
「酷い!身体はガネーシャでも心は天使だよ!」
「ブラスさん、あれ……」
「確信犯だ、言うまでもなくな」
レフィーヤは頭を抱えたくなった。あの仮面でガネーシャ・ファミリアに間違えられない訳がないと完全に理解した上でのあの発言。この男、間違えられるのを分かっていてボケに入りやがった。パフェを未だにもくもくと食べていたブラスがふんっ、と鼻を鳴らしてジロリとアズを見やる。
「おいアズ。そのコントは読めてたからとっとと説明しろ。時間の無駄だ」
「ええっ、もうちょっと遊びたい……」
「え?いまスプーンで目ん玉くり抜いて欲しいって言ったか?」
「言ってないよ!お前のヤクザ並みの暴力発想が怖いわ!」
「あの、話が進まないんですが~………ねぇ聞いてます!?」
この不毛な茶番が終了するまでに数分かかったことは言うまでもないだろう。
一通り茶番を終えた6人はやっと本題に入っていた。
「つまり、3人は突然の閃光と共に被害者が崩れ落ちたのを確認。アズライール氏とブラス氏の私見では周囲に怪しい気配や魔法の発動は感知出来なかった……と」
「俺はともかくとしてブラスの気配察知能力は確かだぜ。まぁ、半径300M以内に不審者がいたら一発で気付くレベルだかんな」
「うわぁ、鷹の眼かよ………」
「流石は冒険者、化物染みた能力だ」
ドン引きするルスケとは対照的に冷めているヨハンは素早くメモを取る。トローネは病院に運び込まれた被害者や目撃証言に関する報告書を精査しているようだった。
「周辺の目撃証言と今回の証言……そして例の連続不審死事件で挙った証言、全て一致しています。周辺に犯人らしき不審者はなし。被害者が倒れる直前に雷のような音と光があったというのも共通です」
「被害者の様子は?」
「意識ははっきりしていますが、本人にも今のところ倒れた原因について心当たりはないそうです。ただ、ブラスさんの証言通り被害者には落雷などの強い電流を受けたような症状が現れているそうです。また、今回の証言を基に不審死した死亡者の遺体写真を確認した所、胸や首筋にごく小さな火傷のような穴が開いていたとのことです。以上の事実から――こちらの書類をギルド長が」
トローネが書類の中から一つだけ紙質の違うものをヨハンに渡す。その内容を改めたヨハンは、眉間にしわを寄せて内容を読み上げる。
「此度の連続不審死を何者かの手によって恣意的に発生させられたものと断定し、事件として認定するものとする………ギルド長の捺印もある正式な書類だ」
「と、言う事は………もしかして」
「ほ、ほ、ほ、本当に殺人事件の調査を手伝うんですかぁっ!?」
ルスケは予定外の業務内容に頭を抱え、トローネは震えあがる。
新人局員には余りにも荷が勝ちすぎる事態を、もしや自分たちが任されるのだろうか。いやいやこんな異常事態なら別のメンバーが寄越されるはず。いくら祭りや組織会議が近くて忙しいからと言って末端人員にそんな大事を任せはしない筈……戦々恐々する二人に、ヨハンはにっこり微笑んだ。
「安心しろ、お前ら……大丈夫だ」
「で、ですよねー!私みたいなデスクワークばかりの期待の大型新人を現場に向かわせるなんてそんな……ねっ!」
「だから何で自分を過大評価して………まぁいいッス。それよりも先輩、安心していいってことは帰っていいっつーことッスよね?今日の業務はすべて終了ってことでいいッスよね!?」
「はーははははは………そんな訳なかろう?むしろいい機会じゃないか。新人は現場研修こなしてナンボだ!!」
「なん……」
「ですと……」
二人の新人の顔色が、さあっと青く変わっていく。
「ロイマン局長から直々にアズライール・チェンバレット氏及びブラス氏の二名に事件解決の協力依頼も出ている。お前らはその二人の金魚のフンになってこい!事件捜査も護衛もその二人がやってくれるから!」
「ノオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?!?」
ギルド局員の余りに間抜けで情けない悲鳴とともに――事件は幕を開けた。
その、傍らで。
(ブラスさん、どういうつもりなんだろう。不審者はいなかったって――私と肩をぶつけたあの人はどう考えても怪しいのに、『あいつの事は報告するな』って……?報告したらブラスさんに都合の悪い事があるってこと……?)
少女は、密かな疑いを胸に抱いていた。
後書き
ぶっちゃけ前話の被害者男性は普通に死なせるつもりでした。そんなひどい。
ついでにオリキャラなギルドの3人をば。
トローネ・ビスタ……
高学歴芸人の犬っころ。垂れ耳タイプ。年齢は17歳。勉強は出来るけど鈍いタイプ。
ルスケ・ウエストロット……
ッス口調のヒューマン。年齢は22歳。どっちかというと怠け者だが、仕事の手は抜かない。
ヨハン・ネナーベ……
何気に仕事歴の長いヒューマンのオッサン。自称永遠の18歳。新人育成係を任されることが多い。
32.流動情報
「――それでですね。あの……生存したカース氏を含めて被害者は全員が元冒険者だったんですよ」
「元?ってことは……全員が昔は冒険者をやっていたけど途中でドロップアウトしたってこと?」
「は、ははははいっ。理由は様々ですけど……全員がきっぱり冒険者登録を抹消していますっ」
今、捜査班は三つに分かれている。
一つはブラス・レフィーヤ・ルスケのチーム。彼らは被害者を今まで殺害してきた『方法』を探るために動くことになった。
二つ目はヨハン率いるギルド隊。彼らは引き続き聞き込みを続けると同時に周辺に不審物が無かったかなどの証拠、証言の確保に奔走している。
そして最後に余ったトローネとアズは――被害者の共通項を調べることで犯人の『動機』を調べるためにギルドの資料保管庫に来ていた。
なお、これはブラスの指示だ。
『犯人はそれほど殺しに慣れている奴ではないだろう』
『そうかぁ?足がつきにくい方法で今まで何人も殺してるんだぜ?頭はいいだろう?』
『頭がいい事と殺しに慣れていることはイコールじゃない。事実、今回の被害者は辛うじて蘇生可能範囲のダメージだった。プロならそんな『隙間』は作らない。それに冒険者でもない奴を消すんなら闇討ちなり金で殺しの依頼をするなりもっと確実な手段があるし、電撃なんて回りくどい方法をするメリットもない』
『ってことは、プロの暗殺者でもないし、殺人鬼でもない?そして闇派閥でもないってちょっと前にも言ってたな』
『ああ。これは俺の勝手な推測だが、犯人は個人的な……ある種で幼稚とも言える私情でこれをやらかした筈だ。なら、被害者の過去のどこかに共通項がある』
この命令を基にヨハンが被害者の死亡前の行動を調査し、トローネとアズは経歴を調査することになったのだ。
デスクに山積した冒険者個人情報リストを捲りながら二人は被害者たちの経歴を調べ上げていく。ギルド未報告の情報もあるだろうが、それを差し引いても貴重な情報源だ。
「……あ。全員が一時期同じファミリアにいたようだね」
「は、はいっ。『ウルカグアリ・ファミリア』……生産系のファミリアだった、と思います……」
「何人かは『改宗』しているね。辞めたタイミングも多少ばらつきがあるみたいだ。関係あるがどうか分からないけど一応調べた方がいいかなぁ……」
「か、『改宗』の後のファミリアにも共通点や事件があったかもしれませんね……さ、探ってみますっ」
「オッケー。俺は『ウルカグアリ・ファミリア』の資料を漁ってみるよ。ええっと、確かこの辺に……あったあった」
アズはまるで勝手を知っているように資料室の棚から資料を抜き取る。実際の所、何度かこの部屋には入ったことがあるから大まかな資料の位置関係は知っている。しかし、そんな事情を知らないトローネは先程から若干強張っている体を更に強張らせる。
(どーして資料の位置を知ってるんですか!?はっ、ままままさか既にお金でロイマン局長を懐柔済みだから知ってて当然!?……って事は既にギルドは陥落していて哀れな私は死神に捧げられる若くて美しい生娘の生贄なのですかぁぁぁ~~~~っ!?)
……相も変わらず何故か自分を過大評価しているが、まぁギルド番付の『受付嬢アホかわいい子ランキング』では1位らしいので大目に見てあげよう。
トローネにとって、アズライールという男は途轍もなく不気味な男だった。
口元はいつもへらへら笑っているのにその瞳は黄金の仮面に隠されて見えず、黒いコートの隙間から漏れ出す尋常ならざる負の気配だけがやけに冷たく背中をなぜる。トローネお得意のデータ収集を以てしても彼は行動報告が極端に少なく、中には賄賂らしきものを手渡した形跡さえある。
秩序を最も重んじる筈のギルドに於いて、彼はあの『狂闘士』の仲介役という特殊なポジションにある。今まで完全に野放しだった獣を繋ぐ、ギルドからの唯一の鎖。故に――多少の無理も彼が相手ではまかり通ってしまう。
そんな存在、トローネでなくとも疑ってかかるのが普通だ。
(ロイマン大先ぱ~~い………ほ、本当に信用できる冒険者なんですかこの人は……?嗚呼、許されるなら前途有望な私じゃない誰かに代わって欲しい!顔だけで仕事できないミイシャ先輩とかに!)
「ええっと………当時流行りだった装備品の改造業に手を出したものの、引き際を誤って大赤字。経営を持ち直すために業績の悪い冒険者をファミリアから追い出し……リストラかぁ。世知辛いね」
「えっ!?は、はい!!」
咄嗟に話しかけられてトローネはびくりと跳ね上がり――その衝撃で座っていた椅子がバランスを崩して後ろへ傾いていく。
「あっ、へっ?はわわわわわわわぁっ!?」
「おっと危ない!」
直ぐに事態に気付いたアズが資料を投げ出して慌ててトローネの椅子を掴むが、既に重心が傾きすぎて止めるのは間に合わない。咄嗟に身を乗り出したアズは自分の足をストッパーに、トローネが床に叩きつけられる寸前でどうにか椅子を停止させた。
「ごめんごめん、なんか驚かせちゃったみたいだね?」
「……………あ、あの。ありがとうございまひゅ」
(……ございま『ひゅ』?)
まだ上手く事態が把握できていなかったトローネは、やっと自分が助けられたことに気付いて何だか自分が情けなくなった。散々警戒していた相手に助けられるなんて、自分はどんだけトロいのだろうか。
と、その直後――テーブルに積み上がっていた書類がぐらりと揺れた。
「えっ」
「あっ」
アズが投げ出したファイルがテーブルの上の書類の山にぶつかったのだろう、バランスがとれていた無数の紙媒体が二人の前に不気味な影を落とし――直後、二人の頭上に雪崩のように崩れ落ちてきた。
どさどさ、ばさばさ!!と盛大な音が鳴り響き、その中から書類塗れの二人が姿を現す。
二人は互いを見つめ合い、アズはばつが悪そうに項垂れた。
「なんか、ちゃんと助けきれなくてごめんね……」
「えと……」
「あー、格好悪っ……っていうか鎖使えば普通に防げたじゃん!しくじったぁ……!」
ぬぐおおお、と唸りながら頭を抱える仮面の男。その姿が、今までのアズライール・チェンバレットのイメージと比べてあまりにも情けなくて――自然と笑みが漏れた。
「くすっ、ふふ……♪」
「……人の不幸を笑わないでよ。唯でさえ恥ずかしいのにさー……」
「だ、だってぇ……なんだか落ち込んでるアズライールさんが子供みたいで、可笑しくて……!」
怖くても怪しくても、それが悪い人だとは限らない。中にはこんな間の抜けた人だっているだろう。こみ上げる可笑しさに笑いながら、トローネはもっとアズという男を知りたくなった。
そんな二人の傍らの落下物の中に、一人の冒険者のプロフィールが書きこまれた項の開かれたファイルがある事に二人が気付くのは……それから間もなくの事。
= =
『レフィーヤ。お前はギルドに依頼を受けた訳ではないから捜査に参加する必要はない。今日は大人しくホームに帰るんだな』
ブラスにそう言われた瞬間、レフィーヤはある錯覚を覚えた。
お前は役に立たないか帰れ――そう言われたかのような錯覚を。
いや、事実としてそう思われていたのかもしれない。レフィーヤはこのような事件には慣れていないし、メンバーの中では明らかに子供に分類されるだろう。客観的に見てその主張は正しい。レフィーヤに戦闘経験の心得はあっても事件捜査の心得などある筈もない。
しかし、理屈ではそう分かっていた筈なのに、レフィーヤはつい反射的にこう返した。
『ロキ・ファミリアの名を背負う冒険者として、ここで黙って身を引くことは出来ません!』
自分だって少しは役に立つ――そんな意地もあったのかもしれない。ブラスの隠し事の真相が気になっていたこともある。しかし、それ以上に胸の内に抱えていたのはもっと稚拙な感情だった。
何の事はない、子供っぽくてちっぽけな劣等感だ。
冒険者として、人間として、この場で自分という存在が全く必要とされていないという事実を抱えたまま帰るのが嫌だった。最低でも自分を恐怖させた事件の真相くらいは見極めておかなければ気が済まなかった。
ブラスは、そんなレフィーヤを一瞥して『邪魔はするなよ』とだけ告げて歩き始めた。
子供というのは本当に嫌なもので、その言葉にカチンとくると、相手の嫌な部分しか目に入らなくなってくる。その頃から、レフィーヤは自分で自分のことを嫌になりながらも、ブラスの不審な行動の事ばかり考えていた。
(嘘が嫌いなあの人が、目撃証言で嘘をついた理由……この人とは何度か轡を並べて戦ったこともあるけど、もしかして………)
ブラスの背中は何も語らない。微かな猜疑心と自己嫌悪を消せないまま、レフィーヤは彼の背中を追い続ける。アズたちに指示を飛ばした後、ブラスはルスケとレフィーヤを無視するかのように人通りの少ない路地を抜け、ひとつの大きな建物の入り口にまでたどり着いていた。建物の看板にはメモ帳にペンを挟んだ模様のエムブレムが掲げられているが、レフィーヤにはそれがどこかで見たことがあるもののような気がした。
「ここに、例の事件の殺害方法を知る手がかりがあるんッスか?」
「いや、ないだろうな」
「ないんスか!?」
さらりと行動の根底を否定されて愕然とするルスケを無視し、ブラスは懐から一枚のカードを取り出して建物の警備員らしい人物に手渡す。内容を改めた職員は顔を上げて確認を取った。
「これはオーネスト様のメンバーカードですね。あの方が他人にカードを預けるということは、それなりのお考えがあっての事でしょう。………ご用件をお伺いいたします」
「部屋をひとつ借りたい。それと、ここ一か月の魔道具関連の噂や加工職人の動向の情報をまとめて寄越すように所長に伝えてくれ」
「かしこまりました。2階の第三会議室が空いていますのでご自由にお使いください」
「……お前ら、ついて来い」
手招きをしたブラスはつかつかと建物に入っていく。置いて行かれてはたまらないと思った二人は慌ててその背中を追いかけた。
「あの……この建物はなんですか?何だかメンバーカードがどうとか言ってましたけど」
「『新聞組合』……と言って分かるか?」
「あー、知ってるッス。このオラリオにある事実、嘘、噂話を纏めてゴッタ煮にしたような文章の羅列をしょっちゅう発行してるアホ集団でしょ?内容は眉唾物ばっかッスけど、仕事づくめのギルド内では暇つぶしに結構人気なんッスよ。ほら、これ」
ルスケが取り出したのは安物の紙につらつらと写真や文章が乗せられた紙束だった。見た印象では精一杯ひらべったく伸ばした薄本と言った感じだ。ページ1枚が通常書籍10ページ分くらいある代わりにぺージ数自体は10にも満たない。
このなかで知らないのはレフィーヤだけのようだが、そのレフィーヤもその紙束に何となく見覚えがあった。
「これ、ガレスさん辺りが似たような紙を持ってたような……あ、エムブレムが建物のものと一緒だ」
「こんなものを発行している出版社は『新聞組合』しかない。まず間違いないだろう」
そう、確かリヴェリアが「またそんな胡散臭いものを……」と顔を顰めていたのを覚えている。ファミリア内では確かロキとフィンもざっと目を通す程度には見ていた。
「で、ここと『新聞連合』と何のかかわりが?」
「ここはその『新聞組合』の発行元……本部だ」
「マジッスか!?『新聞連合』って意外と贅沢な職場持ってるんスねぇ……そうそう儲かっているようには見えないんスけど」
「建物自体は既存の物だ。元はギルドから受注された手配書や情報公開文章を大量に印刷する公営施設だったが、ここ数年で印刷機が小型化したせいで大きな印刷所を抱えるメリットがなくなったから売りに出されたのを、当時無名だった『新聞組合』が丸ごと買い取ったのさ」
「ほえー………ここも元はギルドの職場だったんッスねぇ」
「言われてみればギルドの作りとよく似てますね。建築したファミリアが一緒だから似てたんだ……」
そこそこ年季の入った建物だと思っていたが、そこがまさか自分の昔の先輩が務めていた場所だとは思わなかったのか、ルスケは感心したように周囲を見回す。今でこそ『新聞連合』の持ち込んだ物があちこちに設置されているが、確かに基本的なつくりはギルドのそれと同じだ。
「『新聞連合』のこれからの活動内容を考えれば、この施設は必要なものが全部揃っている理想的な建物だ。何より旧式印刷機はギルドも処分に困っていたから値段がタダ同然なのが大きかった。一から集め直すより遙かに安上がりで済むし、広いスペースを利用すれば倉庫や宿舎の役割も賄える」
「やけに詳しいんスね?メンバーカードとか持ってたし、もしかしてブラスさんも『新聞連合』なんッスか?」
「いや………」
一瞬何かを言い淀んだブラスだったが、考えを纏めたかのように言葉を続ける。
「この建物を『新聞連合』に教え、買い取りの段取りを整えたのがオーネスト・ライアーだったんだ。買い取り資金も一部をオーネストから借りたらしい。だからここの連中は恩義を感じてオーネストを名誉会員のように扱っている。そんなオーネストが俺に身分証を貸したのなら、俺はオーネストが認めたゲスト……俺が連れてきた得体の知れない二人も連中にとってはまたゲストという訳だ」
「………『ゴースト・ファミリア』。アンタもそうなんッスね」
「まぁ、な」
何を隠そう俺がオーネストだから、などとは言い出せないので言葉を濁すブラス。やがて三人は第三会議室に辿り着き、そこに入る。テーブルの周囲に設置された椅子を無造作に引き出してブラスが座ったため、残りの二人も座る。
「あの……ブラスさん。そろそろ私達をここに連れこんだ理由を教えてもらえますか?最初、私達は被害者を襲った『方法』を探るって話でしたけど、何でそれが『新聞連合』に繋がるんですか?」
いい加減に、レフィーヤは多くを語らないブラスにフラストレーションを溜めていた。
人の話を聞いている筈なのに行動そのものは自分本位で、更に冷たい言葉や疑わしい言動を時折見せるブラス――いや、オーネスト。彼は自分の中で行動を決定したら、誰が何を言おうと実行するタイプの人間だ。故に自分の思考を他人に喋ることを無駄だと考えているきらいがある気がした。
責めるようなレフィーヤに対し、ブラスの声はどこまでも平坦だった。
「繋がる、繋がらないで言えば……俺とお前たちの認識は『繋がっていない』な。それを説明するために落ち着いて喋れる場所が欲しかったのもある」
「それは、さっきヨハンさんたちに不審者の情報をわざと伏せたこととも関係があるんですか?」
「ある」
「一緒に行動している以上、説明はしてもらえますよね?」
「今からしよう」
ざっくばらんな回答でレフィーヤの言葉を切り裂いたオーネストが、状況の変化に戸惑うルスケにメモを取るよう目線で促した。
「まず、『方法』だな。これは探るも探らないも二者択一だ。魔法か魔道具……これ以外で人間にあんなダメージを与える方法は存在しない。あれは完全に電気を利用した殺害方法だ。ルスケ、レフィーヤ………お前ら、人間が魔法も魔道具も使わずに人を殺すほどの電気を起こす方法を知ってるか?」
「出来たらそいつ人間じゃねぇッスよ……」
「魔物の一部には電撃を発生させる存在もいますけど………そんな訳ありませんよねぇ」
「そうだ。そんな事を実行しようとしたら街中で魔物を引き連れてけしかけるという馬鹿みたいな方法を取らなければならん。隠匿性も実行性もゼロに等しい以上、方法は限られる」
街中で周囲に気付かれずに特定人物を電気で殺害する――一般的に電気といえば雷のことである以上、雷を発生させる方法は確かに二つしかない。魔法か魔法具だ。
「では魔法から考える。まず単純に思いつくのが超遠距離雷撃魔法だが……俺はこれを実現性のない物と考える」
「でしょうね……まず、距離が離れすぎると魔法は威力が減退します。人間を即死させるにはある程度近距離で使用する必要があります。また、超遠距離で魔法を命中させるならそれだけの技量が必要ですが、そんな使い方はダンジョン内ではする意味が皆無なので出来る人はまずいないと思います」
ダンジョンは広いようで、戦闘空間そのものは広くない場合が多い。求められるのは精密なコントロールより範囲と威力だ。遠距離から人間サイズの敵を狙い撃つ技量があったとして、それがいつ、どこで求められるのかという話だ。無駄に集中力を浪費するよりぶっ放して命中させたほうが効率がいい。
「それと……常識的に考えて魔法使用者はターゲットを目視できる場所にいなければ命中させることは出来ません。なので、近くにそれをやろうとしている人がいたら……すっごく目立つと思います」
「あ、それと被害者の中には屋内で倒れた人もいるから、どっちにしろその線はないッス」
「そう言う事だ。まぁ、『そういう魔法』という可能性もあるが……使った瞬間に被害者から加害者までの閃光がラインで繋がる訳だから、目撃証言と合致しない。被害者を襲った閃光は近距離でのみ確認されている。なら、別の魔法は?」
「別の、魔法……ですか」
「そう……時限式魔法、とかな」
時限式魔法………つまり、セットから一定時間が経過したら自動的に発動するという意味だ。
………が。
「まぁ、ないだろうな。そんな使いにくいにも程がある魔法が都合よく存在するとは思えんだろう?」
「「はい、全く」」
当然と言うかなんというか、こちとら今すぐに目の前の魔物を倒したい時に魔法を求めるのだ。なのに何故インターバルを作る必要があるのか。戦いに於いて魔法にそんな無駄な時間差を作る意味が分からない。
実はブラスは他にも「空間転移魔法」なる恐ろしい方法まで想像していたのだが、これまた可能性が限りなく低い上に概念を説明するのが面倒だったので喋るのを止めた。
「話が逸れたが……つまり魔法による犯行は『限りなく不可能に近い可能』。よって今回は一旦除外する。ここで浮かび上がるのが魔法具という方法だ。それも、トラップ式のな」
「確かに……魔法具なら作り手の技量次第で様々な小細工を挟む余地がありますね」
魔法具は、『神秘』という発展アビリティを習得した冒険者が作成した特殊なアイテムだ。その道具には常識では考えられない、魔法に近いレベルの特殊効果が付与されている。もしも作り手が「道具の持ち主に電撃を喰らわせる」という特殊効果を付与しようとすれば不可能ではないし、こちらなら時限式もありうる。
「魔道具の作り手なら容疑者はかなり絞れる……!ブラスさん、この短期間でそこまで考えてたなんて……御見それしました」
「小説の名探偵さながらの洞察力ッス!ロイマン大先輩が解決を依頼したのはその頭脳を買ってのことだったんッスね!」
「あのデブがどんなつもりかなど知るか。俺は事件の真相に興味が湧いたからやってるだけだ。ちなみにこの事はアズにも伝えてある。今頃人間関係を伝ってそれらしい奴を炙り出している筈だ」
興味なさ気に廊下に目をやったブラスは、小さく「来たか」と呟いた。
直後、会議室のドアが開いて煩雑なまでにかき集められた紙束を抱えた女性が入ってくる。
「ハァイ、お待たせ!魔法と魔法具関連のメモ、持ってきたわよ!」
寝癖か癖毛か頭のあちこちから妖怪アンテナが剃り建つモノクルの女性が笑顔で入り込み、紙束をドサリと会議室のテーブルに布く。陽気に鼻歌を歌う彼女は会議室の三人を見渡して興味深げにうんうんと頷いた。
「オーネストくんの友達だって言うから期待してたんだけど、やっぱり彼はこっちの期待を裏切らない男ね!ヘファイストス・ファミリアに定期的に訪れる謎の美麗女剣士ブラスに、ロキ・ファミリアの『千の妖精』!残り1人はネタにもなんない凡人だけどねー」
「サラッとヒデェ!?初対面の相手に言うに事欠いてヒドイじゃないッスか!ちくしょうギルドで出世して『新聞連合』を冷遇してやる!!」
「無理だねーオーラがないもん。いいトコ中間管理職止まりで部下や同期に追い越されるタイプね!」
「やめてええええええ!!想像できるからこそやめてええええええ!!」
ルスケの心の脆い所にニコニコ笑いながら土足で踏み込んできた女性は、えぐえぐとぐずる彼をスルーして自分も椅子に座って足を組む。ふとレフィーヤと目があった女性はにこりと笑った。その笑顔は社交的に見えたが、瞳だけはレフィーヤの内心を探るような蛇の眼。
彼女を一瞥したブラスは、既に運ばれたメモ類に目を通しながらぼそりと呟く。
「まさかアンタが来るとはな。オーネストからは現場主義だと聞いていたが、本社にいたのか」
「あら、薄々感じてたけど貴方ずいぶんオーネストと親しいのね?外見もよく似てるし……まさか兄妹だったりして?」
「俺に関する詮索は遠慮してもらいたいものだな。間違っても記事にはしないことをお勧めする……互いの為に、な」
「ふふ、分かってるわよ。私もあの子を怒らせたくはないもの――それで」
手帳とペンを片手に、その女性は鼻息荒く身を乗り出した。
「こんな事を頼んだからにはあなた達――この『新聞組合』取締役のペイシェ・サーブル様の知的好奇心を満足させられる特ダネを持ってきたんでしょうね!?」
ブラスさんの知り合いって変人しかいないのかな――と。
なんとは無しに、レフィーヤは思った。
後書き
ペイシェ・サーブル……
常識はずれの癖っ毛を持つ長身の女性。全力で髪形を整えても結局ハネるため髪形を直す気はない。『色気より仕事』をモットーに10年前からマスメディアとして活動している。好奇心旺盛な姿は子供っぽく顔も童顔気味だが、既に齢30は過ぎているらしい。
取締役となった今でも時々本社を脱走して情報集めに奔走するが、その際には髪が目立たないように帽子をかぶっている。
33.改造屋
前書き
4/10 色々とミスがあったので後半を細々と書き替えました。
現在、ブラスたち4人は事件に使われた殺人魔道具の拠出を探るために、『新聞連合』がかき集めた街中の魔道具に関する情報を精査していた。
「ヘルメス・ファミリアの魔道具無許可販売………これは関係がないな。あそこは引き際くらいは弁えてる。あからさまな殺しの道具は作らんだろう」
「無許可販売自体はしてるんですか!?」
「するさ。財政にそれほど余裕がないからな。許可販売は税金を取られるから、裏でバレないように流すのがあそこのやり方だ」
「ま、裏の方ではみんな黙認してることだし?証拠そのものは残ってないから突かれても言い逃れできるってわけ。レフィーヤちゃんみたいな表の冒険者からしたらショックかもしれないけど、軽い罪ってのはある程度黙認されてるものなのよ」
「………否定はできねぇッスね。ギルドには実働部隊が無いッスから網の目は大きいんスよ」
ルスケの複雑な表情を気にも留めずにブラスとペイシェは黙々と作業を続けている。どうやらこの場で心が真っ白いのは自分だけらしいことを、作業をしながらレフィーヤは悟った。
表には出てこないオラリオの隠された部分――単なる噂から裏の取れた事実まで、『新聞連合』の情報収集能力は驚異的の一言に尽きた。
「………魔道具の不正転売。アビリティを偽った詐欺。ラキアへの横流し。魔道具を使用したと思われる窃盗、誘拐、殺人。粗悪品を渡された冒険者がダンジョンで死亡認定……偽物の『魔導書』による魔力不全事件………これが全部、オラリオの中で……?」
これでも、レフィーヤはダンジョン内外での殺人事件や汚い話を目撃したことはあった。ファミリアとして事件に関わったこともある。だからそのことで驚くことはないと思っていた。だが、目の前にある情報は想像以上に生々しくて、どれもこれも外道で、犯人は未だに街中を堂々と闊歩していて――あまりにも量が多すぎた。
どこか、自分の生きる場所を美化していた。そんな甘い自分が悔しくて、レフィーヤはきゅっと唇を噛んだ。
「ロキやリヴェリアにどれだけ過保護にされてきたのか、理解したか?」
不意に、ブラスが書類から目を離してレフィーヤの方を向いた。
確かにそうだ。自分の第二第三の親とも言える主神とファミリアの先輩たちは、きっとずっとこんな後ろ暗い部分からレフィーヤ達を守ってきたのだろう。事実を噛み締めたレフィーヤは静かに頷く。
「私にはまだ早い……って、思われてたんでしょうか」
「どうかな。表のオラリオで生きていく分には別段知らなくともいいことだ。なにせ、事件は裏で起きている訳だからな。進んで薄汚い裏に入る必要はない。あそこは、落ちるしかない奴が自然と引きずり込まれる世界だ」
表の小奇麗な世界と裏の薄汚い世界には、明確な線引きがある。いつだったか、フィンはレフィーヤにこんな言葉を漏らしたことがある。「オーネストの心は常に表と裏の狭間にある」、と。意味は分からなかったが、彼――今は彼女だが――が裏と表の違いを良く知っているのだと言う事だけは理解できた。
「ここの記事だって本当に起こっているか確認できないものもあれば、この情報網でも掴めないほどこっそり行われる裏取引もある。裏の連中は、同じ裏か或いは確実に落とせるカモにしか手を出さない。よって、表の人間は綺麗な世界だけ見ていてもしっかり生きていける訳だ」
「まぁ、アタシ達『新聞連合』は表も裏もきっちり見るのが仕事なんだけどねー。でないとスクープを逃しちゃうし?目を背けたらその分だけ真実が遠ざかるしー。今回の事件はイイ記事になりそうね!」
「……人死にで金儲けッスか。ハゲタカ精神旺盛ッスね」
テンションの高い編集長ペイシェに、ルスケの冷たい視線が突き刺さる。言葉には出さずともレフィーヤだって同じ気分にはさせられた。そう、この女はそうして人の不幸を飯のタネにしてる存在だ。彼女に限らず『新聞連合』は多かれ少なかれそういう集団だった。
しかし、ペイシェはさも心外そうに首を横に振って大仰に溜息をついた。
「あら失礼ね。別にアタシ達は金が欲しくて仕事してんじゃないのよ?そういう人が目を逸らしたり隠そうとするような暗部にこそ真実が潜んでるの。今回の事件だって、アタシ達が記事にしなければ痛い腹を探られたくない連中が情報を隠滅するかもしれないのよ?そんな連中の小細工で真実が闇に覆われたら………隠したもの勝ちで腹が立つじゃない?」
「それは……でも、死を悼むとかそういう発想はないんスか?」
「馬鹿ね。死んだ人間に遠慮した結果、真実を知らずに今を生きる人間が損したら意味ないじゃないの。うちの『新聞』がそういう案件を記事にするのはね……そうやって悪い連中だけが知っているような情報をスッパ抜いて、いい連中にも知ってもらって警鐘を鳴らすことでもあるのよ」
彼女の姿勢は褒められたものではないが、その思想には筋が通っている。反論できずに「でも……」と呟いたルスケに対し、ペイシェはトドメを刺した。
「だいたい、そう言う貴方は『新聞』を暇つぶしに購読してるんでしょう?その新聞には今回みたいな誰かの不幸も載っていた筈よ。記事を読む分には暇つぶしなのに、少しばかり物事に関わった途端に不謹慎だって騒ぎ出すのはちょーっと自分を都合よく考えすぎなんじゃない?」
「うぐっ」
「記事出す阿呆に見る阿呆♪人の記事を見て暇つぶししてた貴方は不謹慎じゃないのー?オネーサン気になるなぁ~♪」
「その辺にしておけ。民衆がどいつもこいつも確固たる信念を持っている訳じゃない。気が変わることはよくある」
「ええ、もうちょっとからかいたかったのに!ぶーぶー!ブラスちゃんノリ悪い~……本当にオーネストそっくりなのね」
「よく言われる」
ふざけた態度でテーブルに突っ伏しながらペイシェはメモの精査を続ける。だが、その目はルスケをからかう時とは比べ物にならないほどに真摯な眼差しだ。真実の一つ、情報の一かけらも見逃さないように一つ一つを確実に、そして手早くこなす様は、ひとつの道に全てを注ぐプロフェッショナルの姿勢に他ならない。このボサボサ髪の女性の情報に対する熱意の差が垣間見えた瞬間だった。
今日は、本当に人間のいろんな側面が見える日だ。そう思いながらぺらりとメモをめくったレフィーヤは、そこで気になるものを発見した。
「ええと、『北街のアルガード・改造屋・料金徴収時に注意』……?なんですかこのメモ?」
「ああ、それは多分新聞の購入代金を徴収するときのメモだと思うわよ。おかしいなぁ、資料をかき集めた時に紛れ込んだのかな?」
「じゃあこれは関係ないってことですね……」
「待て」
ブラスの眼光が、レフィーヤの発見したメモに向いた。
「『改造屋』と言ったな?……『改造』は魔道具の作成に似た性質のある職人技だ。『神秘』のアビリティを持っているかもしれんぞ」
= =
「――改造というのは、20年ほど前にオラリオで一時期流行した技術です」
『ウルカグアリ・ファミリア』所属、アルガード・ブロッケという男の備考欄に書かれた『改造屋』という聞き慣れない言葉。こういう時に説明をしてくれるオーネストのいないアズは、トローネの知恵を借りていた。
二人とも床に落ちたその資料が気になって、床に座り込んだままだ。
「それで、改造ってのは具体的に何をする技術なのかな?」
「既存の装備に特定の素材を化合してポテンシャルを引き延ばしたり、デザインを変更したり、オプションパーツを付け足したり……という技術です。一時期はかなり流行したのですが、色々と問題が多くて直ぐに廃れてしまったそうです」
「と言うと?」
「たとえば改造で剣を強くすれば一から剣を作るより遙かに安価で強化できます。でも、それって結果的には一度完成させたものに混ぜ物をするってことですよね?だから、改造で強化した剣はその殆どが耐久力が落ちてしまうんです。デザイン変更やオプションパーツも所詮は後付けである以上、やはり耐久力に難がある……という具合でして」
「つまり、威力は上がるけど耐久力が落ちてるからすぐ折れると。そりゃ長期戦が前提のダンジョンではマズイなぁ」
「そうなんですよ。……最初は欠点を知らない冒険者の皆さんも面白がって改造を施していたみらいですけど、改造すればするほどに耐久力は落ちてあっさり壊れてしまう。すると新しい剣はさらに強くしようとして改造に……としているうちに、改造のカラクリに気付いてきたんです。更に、他の職人が作った剣に後から手を施す商法が鍛冶ファミリアからいたく顰蹙を買いまして………」
後は簡単だ。メリットよりデメリットが多いと知れれば冒険者たちは夢から醒めたように離れていき、流行に乗って改造屋になった連中は目論見が外れて大コケ。改造のビジネスは一過性の流行として時代の流れに掬われて彼方へと消えてしまった、という事だろう。
「一応、今も少数ながら『改造屋』はいます。この人達は耐久力を落とさない『改造』の施せる腕利きの職人さんで、少ないながらきちんとした需要があります」
「つまり、このアルガード・ブロッケさんもその時代の職人さんの生き残りって訳だ……」
アズとトローネは顔を見合わせて、再び経歴書類を見て同時に呟く。
「40代になってこの童顔……流石は小人族だな」
「恐怖のロリショタ種族は伊達じゃないですね……」
そこには、年端もいかないようなあどけない顔をした少年の写真が張り付けられていた。
「俺も友達に小人族何人かいるんだけど、もう年齢わっかんねぇのよ」
「いっそサギの域ですよねぇ……私も初めて小人族にあった時なんかもう……」
どう考えても重要なのはそこではないのだが、残念なことにこの空間はツッコミ不在だ。しかし二人は少々天然であっても当初の目的を忘れるほど仕事が出来ない性質でもなかったのが幸いか、脱線は直ぐに修正される。
「……っとと、それよりブロッケさんだ。この人、被害者7人と同時期に『ウルカグアリ・ファミリア』にいたらしい。ブロッケさんは未だにここのファミリアの一員みたいだね。レベルは2、現在は個人的な工房で改造、鎧、装飾品を中心に作成している……と」
「確か、去年の決算書での売り上げはボチボチだったと思います。少なくとも然程お金に困ってはいないかと」
「ファミリアに所属してるんなら話は早い。一旦ヨハンさんの所に寄って話を伝えてからウルカグアリに会いに行こう。ファミリアの長ならブロッケさんと被害者の人間関係も知っているかもしれない。それに………」
アズはポケットから小さな箱を取り出して、その中に入っているものを摘まみ上げた。
「装飾品を作ってるんなら、こいつと関係があるかもしれない」
それは、ブラスが現場で目ざとく発見していた現場の異物――千切れた鎖らしきもの。今のところの読みでは、この鎖こそが被害者を襲った魔道具の一部である可能性が高い。ファミリアの道具作成名簿や動向によって犯人を絞り込む手掛かりになる筈だ。
「じゃ、早速いこうか。ブロッケさんは7人を殺した犯人の可能性と、真犯人による8人目のターゲットにされる可能性の両方があるからね」
「ええっ!?け、決断早すぎません!?それにアポもとってないし!」
「そこはそれ、非常時だしギルド権限で押し通せるでしょ」
ぱちっとウィンクして早速立ち上がるアズにトローネは慌てた。
「ももも、もしそのブロッケさんが事件に関係なかったらどうするんですか!もっと裏付け調査をしてから行きましょうよ~!」
というか本音を言えば殺人犯候補に自分から近付きたくないというのがトローネの意見なのだが、一応は冷静な観点から見ても彼女の言い分は間違っていない。
まだ被害者の『改宗』後の動向や関わった事件について調査が全然終わっていない。それに、まだウルカグアリ・ファミリア全員の経歴はチェックしていないので容疑者も被害者候補もまだいるかもしれない。アズの行動はどう考えても早計だ。
だが、アズはそんなトローネの手をがしっと掴んでにへら、と笑った。
「なーに言ってんの、それこそウルカグアリ本人に聞けばいい事じゃん。神様は記憶力いいからね~……かつてのファミリアの『改宗』先も把握してるだろうし、人間関係だってギルドの資料以上にバッチリ!こと自分のファミリアなら忘れてることはまずないさ!」
「ううっ、それはそうですけどぉ……」
「だいたい、被害者7人が一堂に揃ったファミリアだよ?ぶっちゃけこれ以上の共通項なんて見つからないと思うよ」
「それもそうですけどぉぉぉ~~~……!」
アズはトローネの手を離す気配がまったくない。その姿はまるで友達と一緒に遊びに行きたい子供の様だ。既に危険な場所に飛び込む気満々の冒険少年の眼をしている。
「そっそうだ!調べ事はお外で働いてるヨハンさんたちに任せましょう!ねっ!?」
「事情を調べた俺達が直接言った方が面倒が無くていいと思うなー」
「か……神様も実はブロッケさんとグルかもしれません!きき、危険です!危険な場所に冒険者を同行させる訳にはいかないなー!ああ私ったらなんて心優しいギルド職員なのでしょう!そう、アズさんのためなのです!!」
「大丈夫大丈夫。俺、護衛に関してはこの街で一番の自信あるから!」
「自信過剰っ!?」
グッと親指を上げて誇らしげにアピールするアズ。やっぱり手は離す気配がない。いよいよを以って逃げ道がなくなってきたトローネは焦って何事か言い訳に使える言葉がないか耳をパタパタさせて考えるるが、残念なことに高学歴で将来有望な彼女の頭脳を以てしても適切な答えは発見できなかった。
そして、とうとう袋小路に追い込まれた哀れな子犬に、死神の毒牙が迫る。
「君は死なないよ。俺が認めさせない。例えそれが神の裁定であろうとも――『告死天使』の名に賭けて、君の為に運命を覆して進ぜよう」
それは超越存在が人々を愛しむときに見せる、儚くも美しき微笑み。
この人になら自分の命を任せていい――そんな衝動が、無垢な少女の心を激しく揺さぶった。
「それでは不満かな、可愛いお嬢さん?」
「……………し、信じまひゅ」
数秒ほどアズの笑顔に目が釘付けになっていたトローネは、頬を火照らせながら微妙に呂律の回らない舌で返事をした。この瞬間、トローネの心は完全にアズの微笑みに『魅了』された。
ロキが面白半分でアズに教え込んだ女性オトしのテクニック――別名『神威微笑』が炸裂した瞬間だった。
= =
オラリオにある新聞は、現代日本の新聞と比べれば内容は洗練されておらず、まだ『薄っぺらい雑誌』程度のものでしかない。内容も真実と根も葉もない噂が入り混じった信憑性の高くない代物だ。情報媒体というよりは娯楽で、普及度は低い。
物珍しさに定期購読する固定客もいるため売上としては悪くないが、全体的に脳筋の多いオラリオでは新聞の価値などトイレのちり紙程度にしか思われていないのが実情である。情報を重んじる者、情報の中に隠された更なる情報を求める者にとっては新聞は街の息吹を感じる『生きた情報』だが、それ以外の者は情報を酒場で仕入れるスタイルをずっと続けている。
ありていに言えば、この街での『新聞』という文化は時代を先取りしすぎた。
一部の特殊な人間――ギルド長のロイマンや探偵稼業、情報屋、神々はその価値を認めているが、今のオラリオの人間にはそれが価値あるものだという実感が湧かない……いや、新聞という情報媒体の利用方法をいまいち理解できていないのだ。
おそらくこの世界で新聞というものの価値が高まるのはもっと先の事になる。
だが、逆を言えばいつか新聞が日常に溶け込む日が来る。
新聞を製作している『新聞組合』のメンバーは、そう信じている。
街を歩く男――ハンチング帽をかぶった若者、パラベラム・ルガーもまたその一人だった。
メモを片手に周囲を見回すパラベラムは、たまたま目に入った煉瓦屋らしき店で玄関を掃く男に阿指酔って質問した。
「えっと……すいませーん!この近所にアルガードって人の住んでる鎧工房がある筈なんですけど、どこにあるか知ってます?」
「ああ、アルガードさんの家ですか?ここを右手に行った先の路地から行けます。玄関先に鎧があるからすぐわかると思いますよ?そういえば最近あの人を見かけないけど……ま、元々外出の少ない人だし」
「ほうほう、これはどうも御親切に!あ、それと……これよかったらどうぞ」
目的地の情報を聞きだせたパラベラムは感謝の品を渡すように、肩にかけた鞄から紙束を取り出して男に差し出す。
「これは……『オラリオ新聞』、ですか?」
「自分、『新聞組合』という所で新聞っていうものを作ってるんです。代金は要りませんのでヒマつぶしがてら読んでみてください!色々と新鮮な情報が乗ってますよ!」
「は、はぁ………チラシの束にしか見えませんが、新聞ってそもそもなんですか?」
「簡単に言えば最近の出来事、皆が注目している情報、噂話や面白い事件などの情報を纏めて知れちゃう雑記の寄せ集めですかね。ギルドとも提携してるんで、ギルド発表の最新情報も一通り乗ってますよ!」
店員の男は少々胡乱気な顔をしている。見知らぬ男が差し出した聞いたこともない紙媒体の存在意義を、押し付けられたゴミ程度にしか思っていないのだろう。
だが、パラベラムはこれ以上の説明はしない。前は内容を理解してもらうために言葉を尽くしていたのだが、説明だけではどうしても空回りしてしまうことが判明した。よって、自分で読んで内容を検めてもらうのが良くも悪くも手っ取り早いというスタンスに変えたのだ。新聞の価値は、自分ではなく読み手が決めるのだから。
「気に入ったら近所の売店、書店でお買い求めくださーい!」
それだけ言い残して、パラベラムは目的地の路地裏へと入っていく。
今のパラベラムの仕事――それはアルガード・ブロッケという男への集金である。
新聞は基本的に許可を貰ったオラリオ内のギルド認可店で販売されているが、新聞は最新情報を貴ぶためにおよそ3日に1回のペースで発行されている。しかし、新聞の定期購読者の中にはそれを買う為に何度も店に足を運ぶのが面倒だと言う意見が取り寄せられていた。そこで、『新聞組合』は購読契約システムを構築した。
購読契約システムとは、先に新聞代金を払う代わりに発行された新聞を契約者の下まで配達するシステムだ。金さえ払えば全て確実に、しかも在宅のまま新聞を受け取れる。お金さえ気にしなければ便利なシステムだ。
そして、アルガードもまたそうやって先月に月割購入契約を結んだ一人だった。
アルガード・ブロッケ。種族はパルゥム、性別は男性、年齢は43歳。幾つかの鍛冶ファミリアとアイテム作成のファミリアを転々とした後にウルガグアリ・ファミリアに根を降ろし、現在は装備――主に鎧のカスタムを専門に受注する個人職人として活動しているらしい。……と、ここまでが先輩から仕事を押し付けられたパラベラムが把握している情報になる。
「さて、普通のお客様なら素直にお金を払ってくれる訳だけど……残念ながらアルガード様は普通じゃないかもしれない。厄介なことにならなきゃいいんだけどな……」
小さく嘆息したアルガードはハンチング帽の鍔を指で摘まみ、深くかぶり直した。
厄介かもしれないとパラベラムが判断する理由――それは、これがアルガードに行なう最初の集金であることが関係している。
何事も初めてというのはトラブルが付き纏う。『新聞組合』も新聞も歴史が浅く知名度が低いが故に『下』に見られていることが多く、初契約の集金時は今までも幾度とない苦難が待ち構えていた。料金支払いを拒否したり、貰うだけ貰っておいて一方的に契約を踏み倒したり、難癖をつける、金銭問題を理由に先延ばしにしようとする、新聞を突き返して『これで代金チャラ』などとのたまう……見も蓋もない言い方をすると『ナメられる』訳だ。
彼の懸念はそれだけではない。アルガードという男は新聞契約を交わしているにも拘らず、『今までに新聞を読んだ形跡がない』らしいのだ。契約時には確かに顔や住所を確認したのだが、後の調査でこの家から捨てられた新聞を見ると未開封の証である紙テープが破られてすらいない。変に思って本人確認の為に何度か尋ねたのだが、扉越しに代理人の返事が来るばかりで一向に顔を出さない。
新聞を買っておいて読む気が失せたことはあるだろうが、ああもあからさまだとこの客とのやりとりに嫌な予感を覚えざるを得なかった。具体的に何がという話ではなく、経験則という名の統計が『厄介』という警鐘をかき鳴らしているのだ。その厄介はこれから起きるかもしれないし、来月に起きるかもしれない。ただ、何となくパラベラムはそれが確実に訪れるであろうことを予感していた。
煉瓦屋に道を聞いたのは、別に家が分からなかったからではない。アルガードという男の情報をさり気なく聞き出そうとする狙いがあった。
「あの人の話じゃ最近見ていないらしいが……やけに出不精だな。生活してんなら最低限外出ぐらいするだろう。ならあそこに住んでないのかとも思ったが、お手伝いさんはいるようだし。話を聞く限りでは金回りにそこまで困ってる訳ではなさそうだな」
最初に契約に行った組合員の話では、半ば自営業の状態にしてはそこそこ儲けている風だったという。契約を続けるにしても辞めるにしても、取り敢えず今月分の代金は回収しなければ組合長に顔向けが出来ない。
鬼が出るか蛇が出るか……避けたい仕事だが、避けて通れない仕事でもある。
ため息交じりに真上を見上げると、屋根と屋根の間を数人の人影が次々に飛び移っているのが見えた。最近冒険者の間で密かな流行の兆しを見せる『移動遊戯』だ。近々それを題材にした特集をしようと計画している。
だが、パラベラムの目線は未来の記事には向けられておらず、参加者に女性がいるかどうかにばかりに向いていた。
「……ちぇっ。女の子はいるけど流石にスカートは履いちゃいないか」
どうせ相手をするなら40代のちびガキではなく美人奥様がいい。
そんな本音を漏らしかけたパラベラムは、実現しない妄言をのたまう自分が虚しくなって大きなため息を吐いた。
後書き
迷宮に潜らない回多すぎじゃないかと思う今日この頃。基本的に人間関係書きたいし、戦ったら主人公二名の無双ゲーだからぶっちゃけダンジョンなんていらな(ここから先は神聖文字になっていて読めない)
34.彼岸をこえた小さな背中
前書き
今回の事件、初期プロットでは最長3話で終了するあっさりストーリーだったのが、色々と考えてたらいつの間にかこの量に。解せぬ。
それはそうと、前話の後半らへんに色々と辻褄のミスがあったので修正しました。細かい所が気になる人は一応読み直した方がいいかもしれません。
事件捜査というのは使いっ走りより指揮する側のほうが忙しいもんだな、とヨハンは内心でごちた。
「………ヨハンさん!別動の連中から報告が上がりました!やはりブラスさんの言うとおり、ガイシャ7人は全員が被害に遭う直前まで金属製の首飾りをつけていたようです!目撃証言、知人の証言でハッキリしました!これで現場に散らばった鎖のようなものの正体が掴めましたね!」
「馬鹿野郎、首飾りの正体がわかってねぇのに浮かれるな!同じ形状のチェーンを使ったアクセサリ類を探し回って工房を特定しろやッ!!」
「ヨハンさ~ん!本部から通達!ガイシャは全員が元『ウルカグアリ・ファミリア』で現在は非冒険者だったとのことです!トロちゃんと黄金仮面さんが直接主神に話を聞きに向かってま~す!」
「その『ウルカグアリ・ファミリア』とその近辺について徹底的に調べろ!聞き込み班にも伝達しておけ!あと念のために同業ファミリアの意見を聞きてぇ!」
「ヨハンさん!西区でオラリオ外から来たと思われる不審者が暴れて『トール・ファミリア』に制圧されました!」
「この忙しい時に何所のバカだ!?本部の拘束室までしょっぴいてもらえ!褒章を要求されたら話をロイマン所長に回しておけ!」
指揮権を任されているのだから同じ部屋にずっと籠っていれば若いのが仕事をしてくれるかと思いきや、どうやら今時の職員は大半が事件捜査をした経験がないらしい。だから指示を飛ばす時に二つ三つは多く言葉を飛ばさなければきちんと言葉の意味を理解してもらえない。
ヨハンが20代の頃はこれほど拙い組織ではなかった。もっと経験豊富な先輩方に囲まれて日々自分の努力不足を見つけられるような、強い組織だった。なのに今では元服を済ませて間もないような若い連中ばかりぞろぞろ増えて、古株は減るばかりだ。
(『地獄の三日間』で一時期ものすげぇ退職者が出たからな……ベテランの数が足りねぇんだよ)
あのオラリオ最低最悪の三日間、ギルドはこの街の最も汚れて歪んだ場所を手ずから摘出する大手術を敢行することになった。しかもあの事件から数年間、オラリオの治安は歴史上最悪にまで落ち込んだ。
目を覆いたくなるような悲惨な事件やこの街を揺るがす大事件が立て続けに起き、対応に追われたギルド職員の何人も精神病にかかり、何人もが過労で倒れ、そして何人もが家族を連れてオラリオを後にしていった。ヨハンもあの頃はまだ半人前だったので、随分右往左往させられたものだ。
ギルドがその危機を乗り越えてオラリオの秩序として君臨し続けられるのは、間違いなくロイマン・マルディールという男の大改革――経費削減とファミリアに対する追加税の導入による資金確保と適切な運用があってこそだ。拝金主義などと顔を顰める者もいるが、あの男は金で危機を解決できるならその潤沢な資金を平気で投げうるだろう。
だから、金でどうにかできないことに対処するためにヨハンたち一般職員が存在する。
「今回の一件でトローネとルスケも使い物になるようになりゃいいが……」
『地獄の三日間』の前も、こうして街のあちこちで不審死体の発見が報告されていた。少しずつ、少しずつ、見えない悪魔が影を侵食するように広がる『狂気』という名の伝染病。早く刈り取れるのならそれに越したことはない。
冒険者という名の化け物が跋扈し、夥しい死と血をばらまいた惨劇の日々。
もうあんな時代が来るのは御免だぞ――と、ヨハンは静かにテーブルに置いた手を強く握り絞めた。
= =
それほど大きくはないが、繊細かつ洗練された外観の工房――それが、『ウルカグアリ・ファミリア』のホームだった。見た所では中規模ファミリアと小規模ファミリアの狭間といったところで、職人意識の強いファミリアにはそれなりにある体系だ。
そこに何の躊躇いもなく突入して受付に「ウルカグアリいるー?」などと言い出すのだから、アズライールという男は心臓に悪い。本人には欠片の敵意もないのだろうが、あの死神オーラが唐突に突入して来れば並大抵の人は焦るものである。
幸いにして遅ればせながら突入したトローネが事情を説明したものの、それが無ければファミリアの皆さんは「死神が主神を滅ぼしに来た」と盛大に勘違いして命を賭して戦ったことだろう。受付の女の子が悲痛な表情をしながら震える手でペンをナイフのように握っていた光景が印象的だった。
……直後に「ペンは剣よりも強しってそういう意味じゃないから」とアズにペンを取り上げられて泣きそうになっていたが。彼女からはなにか自分に近いものを感じるトローネだった。
やがて、ホームの奥からその少女が現れたことで、騒動は終息に向かった。
トローネとアズに紅茶をそっと差し出した美麗なドレスの少女は、儚げな笑みで微笑んだ。
「――満足なおもてなしも出来ず、申し訳ありませぬ」
「や、こっちも突然で悪かったね。次は菓子折りでも持って来ることにするよ……あ、いい香り」
「早速紅茶飲み始めてるし……」
ウルカグアリ――鉱物を司るとされるその神は、華奢でどこか神秘的な印象のある少女だった。長い蒼髪は清流のように揺れ、その身はドレスだけでなく首飾り、指輪、腕輪、ティアラなど数多くの装飾品で彩られている。しかしそれほどに豪奢な品を身に着けているにも拘らず、彼女からは上流階級特有の嫌味が一切感じられない。
むしろ、そうして多く彩られていなければそのまま光に融けて消えてしまうかのように、彼女の纏う気配は透き通っている。
「そのアクセサリさ、全部貰い物のプレゼントでしょ。それもほとんどがファミリアからのものじゃないの?」
「何故そのように?」
「全部のアクセサリが君に合わせたサイズになってるし、凄く映えてる。作り手が君を近くでよく見てきた証拠に思えるんだよねー」
「ふふっ………聞きしに勝る慧眼ですね、『告死天使』。貴方には神になる資質があるように思えます」
「そういう貴方は冗句がお上手のようだ。しかし残念……観察眼は俺の友達仕込みでね」
「ならば、そのご友人にも資格があるやもしれませんね?」
向かい合いながら微笑を浮かべる二人は、とても初対面の人と神のそれとは思えない。どうしてこの男は神を相手にこうも自然体でいられるのか、トローネには全く分からない。こちとら溢れ出る神の気品に中てられて体がガチガチだというのに。
「あ、そうそう。ウルカグアリって長いから『ウルちゃん』って呼んでいい?」
「あら、それなら私は『アズちゃん』とでもお呼びしたほうがよろしいかしら?」
「ふむ。その流れだとこっちの子は『トロちゃん』になるね。それでいい?」
「そんな人間になるのを夢見る白猫みたいな仇名付けないでくださいよっ!?私は犬人ですからっ!確かに心無い先輩にはトロちゃん呼ばわりされますけどっ!!」
この世界で受け取ってはいけないでんぱっぱを受け取ってしまい半狂乱になるトローネをなだめる事数分、結局『トロちゃん』は却下されることとなった。
「ウル様、優しいのですね……貴方様の下で働く眷属の皆さまが羨ましいですぅ……」
「甘えん坊なのね、トローネちゃんは。時々でも甘えたくなったらうちにおいで?次からは美味しいスコーンも用意してあげるから、ね?」
「ああ、ウル様からお母さんのにおいがしゅりゅぅ……」
ぐう聖だ、この神。トローネに膝枕をしながら優しく頭を撫でて微笑む姿が、もう女神としか形容できない。残念女神が溢れるこの世界でこれほど純粋な女神がいることに感動さえ覚える。
しかし、そんな感動の光景をいつまでも続ける訳にはいかないわけで。
「――改めまして!ギルド所属特別捜査班、トローネ・ビスタです!」
「無所属冒険者、アズライール・チェンバレット。今はギルド捜査班外部協力者としてトローネちゃんと一緒に事件捜査してるよ」
「『ウルカグアリ・ファミリア』主神、ウルカグアリよ。折角仇名を貰ったのだし、ウルと呼んでね?」
仇名が意外と嬉しかったのか、くすっと微笑みながらウルはそう告げた。
この人が良さそうな女神に殺人事件という残酷な出来事を知らせるのは気が引けたが、更なる犠牲者を出さない為には彼女の協力が必要になるだろう。事件のあらましとここへ来た理由を――あくまで次の犠牲者となる可能性があるという部分を強調し――アズに告げられたウルは、静かに瞠目しながら話に最後まで傾聴し、全てを終えた時に静かに一筋の涙を流した。
「そうですか………オスカー、マーベル、クライス、ローレンツ、ゴウ、ミヘイル、クレデント………みな、私の嘗てのファミリアで間違いありません。そう、あの子たちはもう逝ってしまったのね……」
「ウル様……心中、お察しします」
「カースが一命を取り留めたのが唯一の救いなのでしょう。……嘗て我が眷属となりし7つの魂よ、せめて今は安らかなれ――」
涙をぬぐいもせずに静かに祈りを奉げるウルの姿は神々しくも物悲しく、まるで絵画から抜け出してきたようだった。その清廉な姿はどこまでも純粋で穢れない。
(……トローネちゃん、今でも『主神がグル』って言える?)
(イジワルな質問しないでください……あの祈りを見たらそんなこと口が裂けても言えませんよ)
「……………すみません、時間を取らせてしまって。それで、アルガードの話でしたね?」
祈りの時間が終われば、待つのは良くも悪くもこの事件の鍵となる職人の話。ウルもそれを分かっているのか、哀しみを鎮めて再び二人に向かい合う。
「アルガードは……あの子は友神から面倒を見てあげてほしいと紹介された子よ。鍛冶系のファミリアはドワーフなんかが多いから、どこのファミリアでもソリが合わなかったみたい」
「ああ、ドワーフの人達ってやたら豪快な癖に手先は器用だからねぇ………気持ちはちょっと分かるかな」
「うちは元々本格的な武器とかは作らないファミリアだったからどうだろうな、って思ったのだけど……アルガードは装飾にも拘る方だったから直ぐに馴染んだわ。そのうち彼の影響で武器作りに目覚めた子が何人か出てね?それで、思い切って武器も作れる設備を整えた工房を作ったの。10人で回してたかしら……その頃は『改造』が流行ってたから、ほぼ『改造』専門だった」
嘗てを回顧してか嬉しそうに語るウルの話ではこうだ。ホーム外に作ったその工房は開工当初10人で回しており、被害者8人とアルガード、そしてもう一人の男……ウィリスという男で構成されていたそうだ。
当初の流行りに対応していたこともあって工房は大成功。短期間であっという間に元を取り、その後も暫くは安定した稼ぎを出していた。ところがそれから僅か1年も経たずして工房に問題が発生した。それは、『改造』の存続の有無、方向性の有無を巡って激しい口論が起きたのだ。
「『改造』は難しい技術……品質を落とさずに強化するには高い練度が必要だった。アルガードとウィリスにはそれが出来たのだけれど、残りの8人は残念なことにそれに追いつける技量ではなかった。つまり、当時の工房はアルガードとウィリスが『改造』に付きっきりで、残りの8人がその手伝いをしつつ思い思いの作業をしていたの。最初はそれで上手くいっていたけど……」
「デキる人に仕事を集中させると負担も集中して不満が爆発しちゃいそうですねぇ……」
「まさにそれが諍いの種になりました」
アルガードとウィリスはその頃既に『改造』を延々と続ける一日に疑問を抱き、『改造』の業務を縮小しようと主張し始めていたそうだ。しかし、当時の工房は収入の7割が『改造』によるもの。当然ながら反対意見が出た。二人がいたからこそ『改造』の品質が保てて儲けることが出来たのに、その二人が仕事量を減らせば収入の大幅低下は免れない。
次第にグループは『改造』以外の作業を求める二人、それに断固反対する三人、職人として自分たちも『改造』をやらせてほしいという五人に別れ、多数決で作業配分の変更が受け入れられることとなった。
「職人の意地もあったんだろうねぇ。真剣に物作りをしてるってのに、本当に評価・信頼されてるのは二人だけ……自分だって出来ると思った筈だ。……それに見合う実力があるかどうかは別だけどね」
「アズさん、ちょっとその言い方は……」
「あ、いや。悪く言うつもりはなかったんだけどね。ホラ、職人の間ではよくあるんだよ……なかなか本格的な仕事を任されないで燻ってる新人っていうの?自信はあるけど実力が伴ってない人に限って一人前の仕事をさせろってうるさいんだー、ってシユウにいつか愚痴られたのよ」
「まぁ、シユウとも交友があるのですか?うふふ、あの人も大変みたいですね?」
ちなみに話題に上がったその身の程知らずのファミリアはフーの弟弟子にあたるらしいが、アズもまだ顔を合わせたことはない。
「しかし、貴方の指摘は尤もなもの。私としては品質を落としてまで利益を上げる必要はないと言ったのですが……工房の10人はウルカグアリ・ファミリアをもっと大きくすることでこそ私への恩に報いることが出来ると考えていたそうです。結局私はその決意に負けて変更を許可して………それが、ひとつの悲劇を引き起こしました」
「悲劇………ですか?」
完全にではないが、全員の思惑をある程度反映した結果だ。最善ではないかもしれないが、改善はされている。少なくともトローネにはどうしてそれが悲劇とやらに繋がるのかが分からない。だが、アズはその時に不思議と悲劇の正体に勘付いた。
「品質の低下によって武器が脆くなり、お客に死人が出た………しかも、工房の誰かにとって特別な冒険者が。違う?」
「まさにその通りです。アルガードとウィリスが最も恐れていた事態でした。……それにしても、どうして分かったのですか?」
「ちょっとした推理と……過去の『死』の気配。うまく説明できないんだけど、そういうのを感じる体質でね。ヤな体質もあったもんだよ。さ、続けてくれ」
少しだけ切ない苦笑いを浮かべたアズに先を促され、ウルは語る。
「『舞牡丹』ピオ・ルフェール。当時としては珍しい小人族の女剣士でした。『ヘラ・ファミリア』所属、レベル3……アルガードとウィリスとはよく三人で仲睦まじく過ごしているのを見ました。もしかしたら恋心もあったのかもしれませんが………なれば尚の事、彼女の死は二人の心を深く穿ったことでしょう」
「そんな………お、おかしいですよ。二人は『改造』の腕は確かで、しかもピオさんとお友達だったんでしょ!?いくら品質が落ちるって言っても、そんな常連さんならお二人が手を抜くようなことを許す訳が!」
「その指名が増えすぎたことが元々二人の仕事が集中しすぎた理由……だから、業務内容が変更された際に指名のシステムは禁止になりました。ピオはそれでも二人の所属しているのだからと信じて『改造』を任せ――遠征中に突然剣が限界を迎え、その隙に魔物の凶牙に斃れたのです」
当時の作業記録は残っていない。指名制の禁止によって誰が誰の剣を担当して『改造』したのか、誰も把握していない。確かなのは、親友二人以外の誰かがその剣を担当し、粗悪な改造を施してしまったことだけ。
ピオの亡骸はダンジョンの安全地帯に弔われ、剣は彼女の仲間の怒りの視線と共に工房へ帰ってきた。その時の二人はどんな表情をしていたのだろう。憤怒に染まったのか、悲嘆に沈んだのか、現実を受け入れられずに呆然としたのか――ウルは敢えてその話を避けた。二人もそれを追求することはなかった。
「アルガードを除く9人は、間もなくしてファミリアを抜けました。工房内での激しい犯人探しと、これ以上そのメンバーが同じファミリアにいることが精神的に辛くなったことが重なったのでしょう。彼等はホームの職人からもファミリアの名誉に泥を塗ったと罵られ、失意のうちにファミリアを去りました。そのまま職人を辞めた者もいれば、よそのファミリアへ『改宗』した者もいました。共通していたのは………誰もが後悔をしたことだけ」
「自らの手掛けた作品で死人を出したことか、それとも利益を追求するあまりに大切なものを欠落させたことか。後悔のポイントは沢山あったろうね………どうしようもない最悪の結果への分岐は」
「……アルガードさんとウィリスさんは、どうなったのですか。大切な人を喪って……それが仲間の所為だと恨んだんでしょうか。それとも自分たちが業務形態に不満を言ったことをどうしようもなく悔いたのでしょうか」
トローネは、二人の職人の心を慮る。もし自分が致命的なミスによって同僚を死なせたら……担当冒険者に誤った情報を与えて死地に追いやったら……自分の心は、その責任に耐えきれるだろうか。
「ウィリスとはそれ以来とんと話を聞きません。冒険者を続けているかも定かではありません……アルガードは今も工房を一人で切り盛りしています。今でこそ普通にしていますが、事件後は自らの命を削るように鬼気迫る働きようで……仕事をしていなければ、心が耐え切れなかったのでしょう」
だとしたら、少なくともその二人には動機がある。
いよいよ犯人に近づいてきた。トローネはそろそろアルガードに対する嫌疑を口にしようとして――ウルが続けて放った言葉に口をつぐんだ。
「20年もかけて少しずつ取り戻したあの子の平穏を死で以って奪おうなどと、いったい誰が斯様な事を……!工房に恨みがあるのならばファミリアの主神たる私を狙えば良いではないですかっ!!卑劣なっ!!」
「工房に恨みのある存在に心当たりは……?」
「逆恨みならいくらでも出来ましょう!少なくとも『舞牡丹』の事件ではヘラ・ファミリアと和解しました!ともすれば、これは組織ではなく個人の恨み……!一番苦しんだのは当事者のあの子たちなのに、身勝手が過ぎるではないですか!」
トローネは頭に冷水をかけられた気分になった。
ウルの手は、怒りに震えていた。彼女にとってアルガードは愛すべき眷属。彼女はアルガードの事を犯人だなどと一遍たりとも疑ってはない。今、彼女は嘗てと今の工房を任せたファミリア達に卑劣な闇討ちを仕掛けた『真犯人』に憤っているのだ。
――今、この神に「アルガードを疑っている」などと告げられようか?
「もはや是非もありませぬ。直ぐにでもアルガードを呼び出します!我がファミリアは戦いは不得意なれど、姿も見せぬ卑怯な犯罪者の手を振り払えぬほど弱卒になった覚えはありません!」
まずい、とトローネは思った。もしもアルガードが本当に犯人だった場合、既に彼の復讐は終わっている可能性がある。だとすれば、事情を知ったアルガードに証拠隠滅されたりしらを切られて逃げおおせる事も出来る。ウルの様子からして彼に嫌疑がかかっているなどと知れれば協力を得られなくなるかもしれない。
逆に、逃走の為に更なる犠牲を重ねられれば目も当てられない。あんな殺人アイテムを作成できる男なのだ。本気になればどれほどの犠牲が生まれるか想像もつかない。どちらにしても、今というタイミングでアルガードを呼ばれるのはまずい。
かといって、彼女をどう説得すればいい。一瞬頭が真っ白になったその直後、アズが口を開いた。
「――落ち着いてくれよ、ウル。どこで犯人が見ているのか分からない現状で派手に動いたら、向こうが功を焦って余計に危険になるかもしれないんだ」
「余計に?何故です?」
「犯人は几帳面だ。1日に一人ずつターゲットを狙ってきている。だとすれば仮にアルガードさんがターゲットだとしても今日一杯は手を出してこない筈だ。いや、むしろカースさんの生存を知って焦っているかもしれない。アルガードさんを護るためにファミリアが大きく動けば、相手はターゲットに手が届かなくなる前に直接動くかもしれない」
「……なるほど、今は犯人を刺激する行動を取るべきではないと?」
「何所に誰の目があるか分からない。ここは波を立てないように静かに動くべきだ。大丈夫、俺やギルドの雇った手練れが速やかにアルガードを保護する。だからウルはなるだけ平静を装って、彼を保護する許可をくれ」
神に嘘は通じない。だからアズは敢えてアルガードへの嫌疑に触れず、アルガードが狙われている事を前提とした場合の本心として説得した。しばしの沈黙の後、ウルはその怒りを鎮めた。
「そうすれば犯人を見極めてこれからの凶行を止めるための対策も取れる、とおっしゃりたいのね。口惜しいですが、今の私は些か平静を保てていなかったようです……分かりました。主神として、貴方たちにアルガードの事を任せます。必ず……必ず守り抜いて頂戴」
強い意志の籠った瞳。彼の事を絶対的に信じている目だ。
事ここに到って、アズとトローネはほぼ同じ疑いを抱いた。
(本当にアルガードさんは犯人なの……?復讐心をもしも欠片でも持っていたのなら、主神ともあろうお方が気付かないとは思えない。だとしたら、犯人はアルガードさんの方ではなくて……!?)
(彼女の口ぶりからして、もうアルガードとウィリス以上には手がかりがない。だけどアルガードはファミリアという行動制限があり、ウィリスの方は不明……可能性が高いのは後者だな)
こうして、容疑者が一人増えた。
行方不明の男――ウィリス・ギンガム。もしも彼が復讐を誓っていたのならば――アルガードが狙われない保証はない。
= =
ぎしり、と脳髄が軋む。
これは痛みだ。生きていなければ感じることが出来ない痛み。僕の大切な人を蝕んだ痛み。大切な人が、二度と感じる事の出来ない痛み。痛み。痛み。狂おしいほどに求める痛み。しかし、その痛みが今の僕にはどこまでも心地よい。
震える手で焼き鏝を握りふらふらと作業台へ赴く。自分の体が言う事を聞かないような錯覚に苛立ちながら、作業台に着く。眩暈、頭痛、嘔吐感、あらゆる苦が僕を責め立てる。しかし、それでもいい。あの時の後悔と身を焦がす衝動に比べれば、こんなものは春風のようにぬるい。
ふと、作業台の淵から甘く優しい香りが鼻腔を擽った。
最近は花の香りだけが唯一ぼくを癒してくれる。僕の召使いが時々くれる花だ。彼女もこれを気に入ってくれている。仕事場に入って声を発するだけでも邪魔なあの召使いを追い出さないのは、この花を活けてくれるから。それだけだ。
足音が作業室の外から近付いてくる。
「失礼します。お花の取り換えに参りました」
「ああ………」
恭しく一礼した召使いの青年は作業台の花瓶を持ちだし、新たな花を生けた花瓶を置く。一分一秒でも花が部屋にないことが腹立たしいため、花瓶ごと代えるよう命令してある。丁寧に花瓶を置く召使だが、こいつが作業台のすぐ近くに存在すると言うだけで虫唾が走る。
ここは神聖な場所なのだ。何も分からぬ愚か者が足を踏み入れること自体が愚かしい。目的さえ終えたらとっとと追い出してやりたくなる。
「如何いたしました?何やら顔色が優れぬ様子ですが……」
「ああ、いや。最近少し忙しかったのでな……今日の夕餉は精の出るものを頼むよ。寝れば身体もよくなるさ」
「左様ですか……あまり無理はなさらぬようにしてくださいませ。貴方様はわたくしの仕える主。主の身に何かが起きては、わたくしは貴方様に申し訳が立ちませぬ」
さも心配そうに顔色をうかがうこの男に焼き鏝を押し付ければ、どのような声で鳴くだろうか。きっとこの世のものとは思えぬほど悍ましい死に際の豚のような声をあげるだろう。こいつは僕はそんなことを考えているなどと思いもしていないだろう。
「心配するな。もう行け」
「……御用がおありでしたら、いつものように呼び鈴を」
ああ、苛立たしい。出て行けと言うのが分からないのか。お前は邪魔なのだ。必要な時に必要なだけ口を開き、それ以外は沈黙して近寄らなければいいのだ。召使いが出て行ったのを確認し、僕は焼き鏝を放り出した。今はストレスで集中できないし、花も来た。しばし心を落ち着かせながら新聞でも読むことにする。
「………7人連続の不審死……ふくクッ……次の新聞では8人目の登場だな。もうすぐあがりだ、僕の最後の大仕事が!なあ、そうだろう!?そうだよな………あははっ、はははははははははっ、あはははははははははははは………!」
壊れたカラクリのように笑いつづける男の作業台には、美しい桜色の牡丹の花が静かにたたずんでいた。
後書き
没会話1
「相手は神様ですよアズさん!?敬語使おうとか思わないんですか?」
「オラリオに来てこの方一度も考えたことねぇな。人間の友達より友神の方が多いし。ええっと……ロキたんだろ?ヘスヘスだろ?ファイさんだろ?フレイヤ、タケちゃん、シユウ、ガネーシャ、三馬鹿神……ソーマ………んー、多分全部で30人くらい?」
「下手な神様より交友関係広いっ!?」
「しかもさらりと大御所の名前が混じっていますね……」
バベルの頂上辺りから『誰がアンタの友達よ、誰がっ!!』と色気もへったくれもない声が聞こえた気がするのは気のせいだろうか。
没会話2
「そうですか………オスカー、マーベル、クライス、ローレンツ、ゴウ、ミヘイル、クレデント、カース………みな、私の嘗てのファミリアで間違いありません。そう、あの子たちはもう逝ってしまったのね……」
「ウル様……心中、お察しします」
「いや、ナチュラルに流してるけどカースさんは死んでないからね……?」
はっ!とした表情でこちらを向く二人に「ああ、天然なのね……」とアズは遠い目をした。
35.覗きこむほどに、深く
やけに人っ気のない路地を進んだ先に、それはあった。
新聞代金を徴収に来たパラベラムは呆れたようにため息をつく。先ほど出会った煉瓦屋は確かに「すぐわかる」と言ったが、確かにこれでは間違えようもない。
「玄関先の鎧……というか、これは『玄関先が鎧』の間違いじゃないか?」
まず――その玄関にはポストがある。新聞紙で溢れ返ってるが、まぁポストはポストだ。
だが、その辛うじて普通な要素を正面から粉砕するように……非常に、文字に形容しがたい玄関が目の前にあった。
そこにあるのは、あまりにも存在感が強く、あまりにも場違いな鋼鉄の兵――両膝をついて太陽を受け止めるように両手を広げた4M大の巨大な甲冑が堂々と鎮座していた。
その造形は削る所を大胆に削り、極限まで実用性と見栄えを両立させた奇跡のバランス。
惜しむらくは、これを装着できるのはサイズ的にシルバーバックかミノタウロスくらいしかいないことだろう。完全に、金持ちの道楽にしか見えなかった。
「なんというか、ガネーシャ像ほどではないけどコメントし辛い……」
そういえば建物の特徴を聞いた時に先輩が「言葉で説明し辛い」とげんなりした顔で漏らしていたのを思い出したパラベラムは、ずるりとズレたハンチングを被り直した。
ポストと建物は比較的普通なだけに、この場違いな物体に「なにこれ」という感想ばかりが湧いて出る。もしここにアズとオーネストがいれば、きっと「このポーズどっかで見たことあんな。オーネスト知ってる?」「……お前が言いたいのは、多分アメリカ映画の『プラトーン』の宣伝ポスターだろ」「おお、それだ!お前よくそういうの覚えてんな!」というやりとりが交わされたところだろう。
鎧はどうやら腹が観音開きの玄関になっているらしく、お腹の部分までお手製の小さな階段が続いている。これだけ大型の鎧をいったい何のために、そして誰にいくら払って造らせたのだろうか。雨風に晒されている筈の鎧には埃や錆の一つも付着しておらず、新品のようにピッカピカだ。
「変人だ……絶対変人だ、ここの家主……ガネーシャ様ほどではないけど」
スケールは大きい。しかし悲しいかな、その全てはガネーシャ・ファミリアのホーム『アイアムガネーシャ』の玄関にある黄金のガネーシャ像と比べて色々とスケールが小さい。これは明らかに比較対象が大きすぎるせいなのだが、それでも比較してしまうのはガネーシャの猛烈な存在感ゆえだろう。
たぶんここにオーネストとアズがいたら「……銀閣寺と金閣寺だな」「滅茶苦茶分かりやすい比喩だな。オラリオじゃ通じないけど」という会話をするところだろう。
ちなみにパラベラムは気付かなかったが、太陽光に照らされる鎧の頭部には『Made by V.V.V. from Arle Familiar』と刻まれている。その頭部からは紐がぶら下がっており、紐の最下部には『BELL』と彫られた木札が結びつけてある。どうやら鎧の頭部内がそのまま鐘になっているらしい。
躊躇いがちにその木札を摘まんだパラベラムは、嫌そうな顔をしながらも力いっぱいそれを引いた。
がらんがらん、と喧しい音が響き渡る。
「アルガードさ~ん!アルガードさんいますか~!?『新聞連合』の者ですけど~!!」
= =
じりじりと日が傾いてゆく中、『新聞連合』での情報収集を終えたブラス一行とアズ・トローネコンビは一旦合流して情報を交換していた。目的地に歩く途中にブラスは「広域無線通信はないのか」と意味の分からないことを漏らしていたが、レフィーヤにはブラスの言わんとすることが分からなかった。
二手に分かれた捜査はほぼ同じ容疑者の名前を特定していたが、そこに至る経緯と最も疑わしいと結論付けた相手は微妙に異なった。
「魔道具に小細工の出来る職人の中でやった可能性のある奴を延々と調べ上げた。俺達の調べでは、アルガード・ブロッケが最も疑わしいことになった」
「あ、そっちもアルガードさんに辿り着いたんだ……あ、続きいいよ」
「アルガード・ブロッケ――仔細は省くが、こいつはここ一か月程度この街の住民が誰も姿を見ていない。仕事はしてるが、全ては手紙による受注。徹底的なまでに外との繋がりを断っている。また、現場に残っていた鎖を調べた所、アルガードと同じ加工癖が見られた。工房に不審人物が出入りしてるって話もある。現状最も疑わしいのはこいつだ」
その他、『新聞連合』が急遽かき集めた資料の中には二人がギルドで発見した被害者への繋がりなど様々な情報があった。これには自信満々で報告しようとしていたトローネも出鼻をくじかれたようで、報告されればされるほど落ち込んでは黄金仮面に戻ったアズに励まされていた。
(トローネさん、最初はアズさんのこと怖がってたのに……)
何となく仲間に裏切られた気分にさせられる。実際には殆ど喋っていないのだが、なんとなく近い部分があるものと思っていた。しかし、未だにレフィーヤはアズに慣れきれずにいた。どうして恐怖を克服することが出来たのか問い質せば、自分がアズに慣れるための手がかりがあるかもしれない。
尤も、今はそれを気にしている場合ではない。なにせ、たった今7人もの死者を出した凶悪犯の容疑者が決定されようとしているのだから。
「――以上のことから俺達は第一容疑者にアルガード、そして第二容疑者にウィリスを挙げた」
「なるほどね……容疑者に名前が挙がった二人に関してはこっちも一緒かな。俺達としては行方知れずのウィリスの方を疑ってるんだがなー……」
ふたりは平気な顔をしているが、ギルド組は浮かない顔をしていた。レフィーヤ自身、複雑な感情を隠せない。
どちらが犯人であれ、犯行動機はほぼ確実に復讐だろう。その『舞牡丹』という冒険者が親友であったのならば、当然復讐するほどの憎しみを抱く理由がある。恋慕の情を抱いていたのならば、彼女を失った時の絶望は計り知れない。
「20年近く前の親友の為の復讐……どっちが犯人だかわかんないッスけど、身勝手で哀しいッスね、こいつは……」
「私は……犯人の人は本気でそのピオさんが好きだったんだと思います。でなければ20年以上も前に死んだ人の為に動いたりしませんよ……」
「アビリティの確認は?」
「取れないよ。それ以上ツッコむと疑われるし、元よりアビリティ開示なんてご法度なんだから」
確かにこのタイミングでウルカグアリ・ファミリアからの信用を失ったらまずい。アズもその辺りの危険は察していたらしい。
それにしても、20年越しの復讐を果たす人間の気分というのは、どうなのだろう。人間は20年もずっと人を恨み続けることが出来るのだろうか。それとも、何かのきっかけで恨みを思い出してしまったのか。そこには本人にしか計り知れない妄執染みた感情――狂気がある。
「で、お前は主神に直接聞きに行ったんだろう。アルガードにおかしな動きはあったのか?」
ファミリアならば、普通は自分のファミリアの様子や近況くらいは把握している。殺人アイテムを作っていた可能性が最も濃厚な彼のことを知るのに一番手っ取り早い方法だ。しかし、問われたアズはどこか浮かない表情を浮かべた。
「結論から言うと確かに一か月ほど連絡を寄越してないが、ファミリアからしたらいつものことらしい。デカい仕事をするときは作業以外の世話をしてくれる使用人を適当に雇って工房に籠るんだと」
「何所からの受注だ?」
「いやそれが……受注が無いときは趣味に走る性質らしくてな。時々私財を注ぎ込んで1,2か月ほど自分の作りたい物を作るんだそうだ。だから受注データはないし、連絡も寄越さない。前に会った時も変わった様子はなかったとよ。神がそう言うんだ、その時は本当にそうだったと考えるのが普通だろ?」
「むしろ今回の話を聞いて急にアルガードさんが心配になったご様子でした。工房を通りかかるファミリア達からは作業音が聞こえてきたから死んではいない、といった具合でして……」
ブラスは二人の言葉を吟味するように傾聴し、ルスケはため息をつく。
「片や実行可能性があって疑わしく、片や行方知れずで疑わしい……ッスか。『新聞連合』の調べではウィリスは『街』の外に出た可能性が高いってことでしたけど、まだハッキリしたことは分かってないッス。取りあえず過去の住所は特定したんスけど……」
ルスケが地図とメモ取り出してテーブルに広げると、トローネが顔を顰めた。
「あの……このメモ、どんなに読んでも『ダイダロス通りのどっかにいるよ!』という極めてアバウトな意味にしか読み取れないんですが……」
「『新聞連合』はダイダロス通りには近寄らないからそっち方面の情報には弱い。あっちは情報屋の縄張りだからな。手を出すと要らぬ諍いの種になる。まぁ、知っていそうな奴の当てはあるから今はそのことを気にするな」
(この街、水面下でそんな勢力関係あったんですかっ!)
また一つ、レフィーヤは生きていくうえで必要ない知識を手に入れてしまった。そもそも『情報屋』などという胡散臭い仕事を生業にしている人間が本当にいたことを意外に思ったくらいだ。
それにしても――と、レフィーヤは思う。
(最初はアズさんへの恐怖を払拭しようと街へ足を運び、目の前で人が倒れたせいで事件に巻き込まれて……意地を張って捜査に参加したはいいけれど、全く役には立てない。私、本当に何でこの捜査に参加してるんだろう……)
踏み込めば踏み込むほどに、自分の知っている事も出来る事もないのを思い知らされる。もしかしなくても、レフィーヤはこの場において足手まといになっている気がしてならない。自分でついてゆくと言い出した手前今更引くのは躊躇われるが、首を突っ込み過ぎるとかえってファミリアに心配をかけるかもしれない。
「――なら俺はそのウィリスさんを探しとくよ。そっちはアルガードの方を探ってみてくれ。メンバーは今のままでいいかな?」
「いや、レフィーヤをそっちの調査に回す」
「えっ……?」
突然自分の名前を呼ばれたことで反射的に顔を上げたレフィーヤに、ブラスの真っ直ぐな目が突き刺さる。上の空で話を聞いていたことを責める視線のように感じた。
「嫌だとは言わんだろうな?俺の邪魔はするなと言った以上、駄々は通さないぞ」
「い、いえ………その、何で私はアズさんの方へ?ブラスさんの判断が確かなのは分かっていますけど、その……」
私が邪魔なのか、と言い出して言葉を呑み込む。問えば答えは返ってくるだろうが、そう面と向かって告げられて自分は正面から向き合えるだろうか。不思議と、ブラスにそう言われるのかと考えると彼の顔とアイズの顔がダブる。よく似ているだけに、もしも彼女が厳しい顔をしたらこんな風なのではないかとさえ思える。
しかし、ここで尻込みしていることが正しいのだろうか。それは単に自分の嫌なことから逃げているだけなのではないか。もしそうならばどうすればいいのか……思考の沼に嵌まっていくレフィーヤを見つめたブラスは、席を立ってレフィーヤに耳打ちした。
「社会勉強だ」
「は………?」
かなり一方的かつ意味の分からない言葉に唖然とする。
何の事なのか、ひょっとして自分をからかっているのか。訳が分からず固まる。
「俺が不審者の事を口止めした理由が知りたいんだろう。アズに着いていけば理由が理解できるはずだ」
「……へっ!?え、何でそのことが分かったん――」
「行くぞ、ルスケ。本当は俺一人で十分なんだがな」
それだけ言うと、ブラスは返事を待ちもせずに剣を抱えて歩き出す。余った剣は既に屋敷に置いてきたのか、今は一本しか持っていない。ルスケが慌ててそれに着いていき、レフィーヤはその場にぽつんと残された気がした。
色々と止まり掛けの脳の歯車をぎしぎし回し、ようやくレフィーヤは一つの推論に辿り着いた。
もしかして、自分はブラスにものすごく気を遣わせていたのではないか?思い返してみれば彼はいつも以上に説明するような言葉が多かった気がする。普段なら行動してから説明しない極めて不親切な人がだ。
部屋を後にしたアズが、やれやれと肩を竦める。
「せっかちだね、あいつも。それじゃ俺達も行こうか。レフィーヤちゃんもいいかな?」
「………アズさん」
「なーに?」
「………ブラスさんって実は口下手ですか?」
「うん。特に善意や気遣いに属する言葉に関しては下手ってレベルじゃないな。そのくせ人の考えてる事はバレるんだからホント性質悪いよ」
ブラスに心がばれたのも驚きだが、アズのブラスに対する理解力もかなりのものだ。
「さて、あいつの事はさて置いて、みんなでダイダロス通りに遠足だ!ほらトローネちゃんも立って歩く!」
「ふええ……と、とうとう殺人事件の容疑者と対面……しかもこちらに冒険者二人ということは犯人はこっちの可能性が濃厚!?でででで、でも……アズさんが護ってくれるって言ってたしぃ……」
「………大丈夫なんですか、この人?」
「大丈夫。いつも結構こんな感じらしいし」
顔を青くしたり赤くしたり忙しいトローネは、相も変わらず独り善がりに葛藤していた。
= =
オーネストの屋敷には謎が多い。
三階建てで数十人が一度に暮らせそうな大きさを誇っていながら、何故かこの屋敷は住処にこだわりのなさそうなオーネストが所有している。ギルドが正式に彼を所有者と認めるだけの書類をオーネスト・ライアーは冒険者登録の日にロイマンに手渡し、彼が承認したことで屋敷は正式に彼の物になった。
屋敷の見てくれは一見して小奇麗だが、使われている部屋も事実上一階だけだ。家具などはあってもその他のものが現在住んでいるオーネスト・アズ・メリージアの3人の私物以外ほとんど見当たらず、使われている生活エリアも数部屋とリビング、厨房と地下倉庫くらいのものだ。
何故オーネストがこの屋敷を手に入れたのか、どのような経緯で権利者になったのか、誰も知らない。元は『テティス・ファミリア』というファミリアの所有する屋敷だったそうだが、肝心のファミリアは『地獄の三日間』で壊滅し、主神も天界へ戻ってしまった。そのため世間では「オーネストが天界に戻る前のテティスを脅して奪った」とか「あの慈悲深い女神のことだから譲ったんだろう」とか様々な噂が流れているが、どれも真実たりうる根拠が欠落していた。
ただ、オーネストとこの屋敷に何かしらの関係があるのは確かだ。
メリージアがオーネストに何故二階を使わないのかを問うたとき、彼は「この先にはなにもない」と告げた。その際のオーネストはどこかここではない遠くを回顧しているようで、彼女は彼がこの先に触れてほしくないのだという端的な事実を悟った。
また、何か必要なものがあるときにオーネストは二階へあがってどこからか物を持って降りることがある。この時もまた、「どうせ二度と使われない物だ」と誰かに言い訳するような言葉を残す。メリージアはこの屋敷のメイドとして二階の窓や廊下を掃除することはあるが、個室に関しては手を付けていなかった。そこはオーネストにしか触れる権利がない場所のような気がしたからだ。
更に、屋敷の三階に関しては「足を踏み入れるな」と直々に禁止令が降りた。彼がこういう言葉を口にするのは珍しいことだったので、メリージアはよく覚えている。
オーネストの本心はいったいどこにあるのだろう。
寂しそうなオーネストと、暴れているオーネスト。
呆れているオーネストや、微笑んでるオーネスト。
どれが本当のオーネストなのか、メリージアは時々わからなくなる。
同じ人である筈なのに、彼には破滅的な凶悪さと垣間見える慈悲、そして目に見えない何かにする哀しみが同居している。その継ぎ目はいくら目を凝らしても見えて来ず、どれが本当のオーネストなのかが今でも分からない。
そう口にすると、アズは「全部含めてオーネストさ」と言って、にへら、と笑う。
人間にはいろんな側面がある。例えばメリージア自身、初めてオーネストたちに出会った時と今の自分は別人のように思える。常に即決即断でブレないように見えるオーネストも、もしかしたら自分と同じように変わっているのかもしれない。
「玄関に剣を置きっぱなしねー……よっぽど慌ててたのか?オーネスト様がこういうことするの珍しいなぁ~」
二本の剣を抱えてふらふらしながら、メリージアは呟く。この剣は間違いなくオーネストの剣だ。微かにオーネストの匂いもするし、この型の剣を使う剣士でこの屋敷に近寄るのはオーネストだけだからだ。メモ書きには「忙しくて昼には帰れなかった」というメモ書き。これも名前は書いていないがオーネストの字だ。
だったらこの剣はオーネストの元に運ばれるべきだろう。そしてそれをやるのはメイドである自分の役目だ。
これでもオーネストの私室に入って掃除するくらいは出来る。というか、オーネストを追い出して掃除することもある。アマゾネス特有の筋力を受け継げなかったメリージアは、無理をせず剣を壁に立てかけてからオーネストの部屋のドアを開けた。
「えーっと、剣置き台はっと……あったあった」
いたく年季の入った台だ。これも元々ここにあった代物なのだろう。重い剣を一本ずつ慎重に台にかける。ここにある剣は全て消耗品で、折った傍から補充されていく。一本の剣を長く丁寧に使うという発想はオーネストにもないわけではないが、彼の置かれた環境がそれを許さない。剣の手入れと戦いでは、オーネストは戦いを選ぶ。何もおかしい事はなく、そういうことだった。
剣をかけ終えたメリージアはその後部屋を後にしようとして――ふと、部屋の中に見覚えのない箱があるのを見つける。この部屋は1日1回掃除しているが、昨日の昼にはこの箱はなかった。ということは、昨日から今日までの間にオーネストがどこからか運び出して来たんだろう。
何なのだろうか、この妙に使い込まれた箱は。今までになかっただけに余計に気になるし、それがオーネストの部屋にあるのが余計に好奇心をかきたてる。
「………………ちょ、ちょっとだけなら……見てもいいよな」
割とあっさり好奇心に負けたメリージアは、あっさりと箱を開いた。そもそも本当に見られたくないアイテムならばオーネストはこの部屋に置かない筈だ。自分に見られても問題ないからこの部屋に置いているんだろう。
中には所狭しと紙が敷き詰められていた。試しに一つ捲って確かめる。
見出しには、『死亡認定書』とあった。
「え………」
次の紙をめくる。『死亡認定書』。
その次、『死亡認定書』。
次、『死亡認定書』。
めくってもめくっても、その全てがギルド公式の『死亡認定書』。そこにはファミリア、非ファミリアに限らずあらゆる人間の名前が書きこまれていた。死因も多岐にわたり、事故死、殺人など様々。後半になると紙の質が急に落ち、その紙には『テティス・ファミリア』の構成員だったと注釈のある名前がつらつらと並んでいる。
軽はずみに覗いただけのものだった筈なのに、そこにはゆうに100人を越える死者の名前が書き連ねられていた。他にもちらほら『地上追放認定』――神が強制的に天界へ送還されたことを示す紙も残っている。すなわち、この箱の中には『永遠に再会できない存在』の名前が並んでいる。
「こんなもんオーネスト様がわざわざ集めたりしねーよな……ってことはこれ、全部オーネスト様が貰ったもの……!?嘘だろこんな量!?」
ファミリアでは冒険者がダンジョン内で死亡するか行方知れずになったとき、『死亡認定書』を家族親族に対して発行する。しかしギルドの業務内容はあくまでオラリオ内にまでしか行き届かない為、既に壊滅したファミリアや街の中に近しい者のいなかった人の死亡認定書は行き場を失うことも少なくない。
オーネストがこれを持っていると言う事は、彼は既に100人単位の知人と死別していることになる。その人数は小さな村の2,3個分に相当する。一人の人間が普通に生きていくうえで、戦争中でもない限りは決して巡り合う事のない数字だった。
そして紙の殆どに行方不明者の報告者がオーネストだったことが明記されていた。
何も知らない人間ならこう思ったかもしれない。『オーネストが殺したのではないか』、と。
だがメリージアは直感的にこう思った。『オーネストは死の事実を残そうとした』、と。
冒険者の死人は多い。仮に殺人事件が起きても、その死体をダンジョンに放り込めば名誉の戦死。ダンジョン内で殺されても目撃者がいなければ名誉の戦死。ここはそういうことの起こる街だ。『死亡認定書』の中にダンジョンで魔物に殺された人が極端に少ないのは、そのまま放っておけばその人々の死の真相が永遠に失われるからだ。
態々そんな真似をしている以上、少なからず親しい人間がいた筈だ。もしかしたらこの中にはオーネストの本当の家族だっているかもしれない。もしもメリージアならば、この屋敷に訪れる『ゴースト・ファミリア』や愛すべき家主たちが永遠に帰ってこないと告げられる程の衝撃を何度も受けたことになる。
いつか、ヘスティアのファミリアになった白髪の少年が言っていた。苦しさを溜めこんだまま過ごしても辛いだけ――と。この紙切れの群集は、それを象徴する物のように思えた。
だとすれば、おかしいではないか。
死は離別だ。永遠の別れは悲しい。一般論だが、当たり前に人間が抱く憐憫の感情だ。そして親しい人間がこれほどに死ぬのは、人が極めて死にやすい環境にいるからだ。
時には人を助けもする優しさを持つオーネストから親しい者の命を奪ったのは、ダンジョンであり冒険者という職じゃあないのか。もしかして、彼が主神を持たないのは神が人を戦いに駆り立てるからではないのか。もしも推測が正しいのなら――オーネストはこのオラリオという街が、神が、そして冒険者という職業が、嫌いで嫌いでしょうがないのではないのか。
「オーネスト様は、なんで冒険者なんか続けてんだ……なんでオラリオなんかに居続けるんだよ……嫌いじゃねぇのか?憎くねぇのか?辛く――ねえのかよ………アタシには意味がわかんねぇよ」
オーネストは、何を思って紙切れに変貌してしまった死人たちを箱に仕舞い続けているのだろう。この紙を見た時、あの人はどんな顔をして、何を思っているんだろう。辛く、悲しく、弱音を吐きたいほどに苦しんでいないと――言い切れるだろうか。
メリージアは、まだオーネストの弱音を一度も聞いたことがない。
なぜだろうか、メリージアはそれが悲しいことのように思えて仕方がなかった。
後書き
オーネストの考えていることが、私にも時々わからなくなります。
もしもネタで前にアズが銃持ってましたが、実は本編でも銃使えます。
ただ、鎖の方が汎用性高いのでいらない子なんですけどね……。
36.『悪』の重さ
聞き込みは一日にしてならず。
協力冒険者によって様々な事実が浮かび上がったとはいえ、聞きこみは元来地道で時間のかかる作業である。誰が何の情報を持っていて、何が事件に関係があるのかも分からない。今のところは犠牲者に関しての推測を裏付ける証言や証拠がちらほら出ているが、如何せん聞き込みに不慣れなギルド職員が多いせいか皆は体力の限界を迎えつつあった。
そろそろ日も傾く。いい加減に今日の所は撤収するべきだろう、とヨハンは思った。幸いにして容疑者候補を探しに行く前のトローネから簡単な捜査経過を受け取ったし、例の冒険者二人も事件に関わっていると思われる冒険者へ聞き込みに向かった。もしもどちらかが犯人だと確定すれば、今日の仕事はこれでいったん区切ることが出来る。
そんな時に、病院へ向かった部下の一人が慌ててヨハンの元に戻ってくるのが見えた。
緊急事態か、それともまた新しい情報か――疲労の色が溜まり始めた現場が僅かに緊張する。
部下の報告に耳を傾けたヨハンは、ここでやっといいニュースを耳にすることが出来た。
「――被害者の容体が安定してきた?」
「はい。ブラス氏の処置は適切だったようです。短期間であれば医師の立会い付きで事情聴取も可能とのことです」
「そりゃいい。被害者当人に聞き込みが出来れば凶器の入手ルートを特定できる!よし……聞き込み組は一度撤収して情報を纏めろ!俺は被害者に会いに行ってくる!」
「おーい聞いたかお前ら~!一旦撤収!撤収~~!!」
後は5人がもどってくるのを待ちつつ情報を整理するだけだ。願わくばなるだけ早く事件を終息に向かわせたいものだ。ふぅ、とため息が漏れる。ヨハンももう若くはない。昔は三日三晩不休で働いても体が保ったものだが、最近は1日働けば1日の休憩が欲しくなる。
「こればっかりは冒険者が羨ましい。連中、恩恵のおかげで50過ぎても現役なんてザラだかんなぁ……」
こういうとき、ヨハンは冒険者という人種が羨ましくなると同時に、恐ろしく思う。
自分たちと同じ姿、同じ年を重ねながら、彼らの身体能力も精神構造も明らかに一般人とかけ離れている冒険者たち。恐怖は薄れ、憧れや夢のために毎日でも自分の身体を危険に晒すその姿は愚直であると同時にどこか異常でもある。
恐怖とは、自分の身を護るために危機から遠ざかろうとする本能だ。これを失うことは戦士にとって完全に戦うためだけの道具と化すことを意味する。そのような存在は人間にとって好ましくはないが、逆に非人間的な、戦争や闘争を望む意志にとっては都合がいいとも言えるだろう。
自分たちの為に、自分たちの意の向くままに動く人形。不平不満を漏らさず、常に自分の意思を反映するために動き回ってくれる便利な道具は、さぞ非人間的な意志の介在する場所では重宝されるだろう。
では、この場合『非人間的な意志』とは何か。それは嘗て信仰や主義と呼ばれた共通意識のせめぎあいの狭間に存在したものであり、今ではより直接的な――神と呼ばれる超越存在に対する絶対的信仰へと移ろいでいる。眷属という派閥を形成する一人として数多の人間の中から神に見定められた運命の子として日常的に暮らす一般人と隔絶した伸び代を与えられた彼等は、肉親を差し置いて神に陶酔する者も少なくない。
ヨハンは恐ろしく思う。
神が冒険者に恩恵を与えるというのは、神が人の心を支配する事なのではないか。
疑問に思う事を疑問と思わせぬよう、間違ったことを間違ったことだと感じにくくするよう、恩恵というのは冒険者の思想をごく微量に、極めて自然に誘導しているのではないだろうか。人間はそれに疑いを持たずに無邪気に神に群がり、肉体を作りかえられ、思考を作り替えられ、人間ではなくなっていっているのではないのか。
そもそも、降臨した神々は『暇つぶしに降りてきた』のではなかったか。
それは、子供が気に入った虫を捕まえて戦わせるのと同じことではないか。人間とはつまり神たちにとってそのような存在で、本当は魔物とダンジョンがどうなろうが彼らの知ったことではないのではないか。
その答えの一端を示したのがウラノスだった。
『君臨すれども統治せず』。少なくとも彼だけは人間の事を虫と同列に見ていない。人間という種族を神とは違う独立した種族として礼を持っている。
(俺は人間でいい。人間に出来るやりかたで、人間に出来る事をやっていく。雷入りネックレスなんて代物を作れる化物に成り果ててまで、誰が神になんぞ仕えるかよ)
化物の問題は化物が片付ければいい。
あの冒険者共も、精々治安維持と後輩の護衛の為に働いてもらおう。
(あのエルフのお嬢ちゃんはさておき、残りの二人は筋金入りの化け物だ。精々金の分は仕事して、大事な後輩を守ってもらうぜ……?)
ヨハンは人間の命は大事だと思っているが、冒険者を同じ人間だとは思っていない。ただ、人間扱いしていた方が都合がいいのを良く知っているだけだ。冒険者が2人死のうが200人死のうが、彼は一般人に被害が出ていないのなら気にしない。
被害者の事は人間として――神というまやかしに気付いて手を逃れた存在として死を悼んでいるが、もしもこの被害者たちが現役の冒険者だったらヨハンはまるで真剣になる気はない。彼はつまり、そういう男だった。
= =
「………銀閣寺と金閣寺だな」
『新聞連合』から聞きだしたアルガードの住居に辿り着いたブラスは、思わずそう呟いた。
「は?金の寺院と銀の寺院?なんスかそれ?」
「いや……独り言だ。気にするな」
煌びやかで巨大な金閣寺と、それに比べれば小ぢんまりしているが洗練された銀閣寺。どちらも室町文化を代表する木造建築物だが、このオラリオではアズ以外の誰にも通じない固有名詞と化している。怪訝そうな顔をするルスケの目線になんとなく疎外感を感じた。
玄関と一体化した巨大な鎧は、よく見ると基本設計はどっかの馬鹿がやったらしい。最初は鎧として作られ、後になってアルガードが『改造』したのだろう。金のガネーシャ像が大仏と同じ方法で鋳造されたのに対し、こちらは純粋に巨大な鎧として手作りされているらしい。
作業機械もガスバーナーも溶接機もないこの世界でどうやってこんな代物を手作りしたのかは謎としか言えないが……まぁ、物作りに関しては『万能者』アスフィと双璧を為す男だ。想像を絶する方法で何とかしたのだろう。
入り口を前に、ブラスはルスケに最終確認を取る。
「これからアルガードに接触する。まだ犯人と確定したわけではないから最初は下手に出ることにする。仮に犯人だったとして今日一日であっさり白状するほど素直でもあるまいから、帰るときは収穫が無くとも帰るぞ」
「うッス!むしろさっさと帰りたいッスけどね……」
「相手は殺人犯の可能性があるが、いざという時は相手が手を出す前に殺して安全を確保する。これはロイマンからの依頼書の優先順位において『犯人の逮捕』より『犯行の未然防止』が上回るからだ」
「………うッス。納得はできねぇッスけど、俺は守ってもらう側なんで任せるッス」
「自分の判断で人間の命が左右される事実からは目を逸らすなよ。お前達ギルドは、この街でそういった立場にいるんだ」
「……アンタはキレーなのに冷たい女ッスね。『酷氷姫』みたいッス。どーせなら優しく慰めてほしいッス」
「甘えたこと抜かしてんじゃねぇ。誰も彼もが自分に優しいと思ったら大間違いだ」
これ以上の問答は無用と思ったブラスは鎧の頭の鐘をガラガラと鳴らした。
しばらくの間を置いて、誰かの足音が建物内から近付く。
「はい、どちらさまでしょうか?」
顔を現したのは、栗色の髪を短く切り揃えたタキシードの青年だった。中性的な顔立ちと高めの声。彼の目線はまずブラスに向き、次にルスケの身に着けるギルド職員の制服に向き、改めて目線をブラスの方に戻した。
「ここは『ウルカグアリ・ファミリア』所有の工房で間違いないな。アルガード・ブロッケはここにいるか?」
= =
貧民街には『情報屋』が無数に存在している。
そもそも――普通、貧民街というのは総じて治安が悪く、通常の都市ではなるだけ存在して欲しくない空間だ。同時にこの街にはそんな不要な存在を強制的に追い出せる力を持ったファミリアが数多存在している。では、何故彼らは貧民街をそのまま放置しているのか。
その理由が『情報屋』だった。
彼らは貧民たちと合同で独自の情報収集ネットワークを所持しており、組織的に行動しているのだ。
彼らの情報を求める者は多い。例えば急に失踪したファミリアの行方を極秘裏に探りたい存在や、密かに抱いた疑惑について確信が得たい者、『戦争遊戯』を控えて相手の内情を探りたい者など、人伝の情報だけでは足りない場合に彼らはよく情報屋を頼る。
また、この貧民街には元ファミリアや指名手配犯も多くかくまわれており、その中にはファミリアのとんでもないスキャンダルを知っている者もいる。これらの情報は高く売れると同時に、貧民街で下手な真似をしたらこの情報を公開するという脅しにもなっている。
他にも、オラリオの内情を探りたい周辺都市の諜報員にとってここは情報の絶好の仕入れ場なために安定した収入があった。
収入の一部は情報収集協力者である貧民に配分される。貧民はその日に食べるだけのお金と情報や庇護下の治安がいい寝床を確保できるために喜んでこれに齧りつく。また、貧民の中には知恵深き神もわずかながら混ざっており、彼の元にいるギルド非公認ファミリアが貧民街内部の治安維持を行っている。
そう、オラリオの貧民街はある種の自治都市として明確な縄張りを持ち、他ファミリアに対してある程度の中立を保つだけの地盤を築いている。だからこの街の貧民街はこの街に当然として存在していられるのだ。
「お、ここだここ。この風が吹けば倒れそうなオンボロ小屋が例の情報屋の家だよ」
ダイダロス通りを地図も持たずにうろちょろ歩いた末に辿り着いたのは、通りの中でも一等入り組んだ場所にあった。あったのだが……。
「え………っと。これって小屋というよりは廃墟……?」
失礼ながら、レフィーヤはそのおんぼろ小屋にとても人間の住める場所には見えなかった。雑に張られた屋根にあちこち隙間の空いた壁。玄関はおんぼろ布の幕がかかっているだけで、風が吹けば全部小屋の中に入り込んでいる。無遠慮にベタベタ張り付けられたポスターやチラシを見たトローネが悲鳴をあげる。
「やだ、ギルド発行のポスターで壁の穴塞いでますよ!?掲示板から時々なくなってると思ったらこんな事に使われてたなんて!!………ってああああああ!玄関の布きれもよく見たら5年前に行方不明になったお祭りの旗だし!!」
「ファミリアのに比べてパクり易くて丈夫だかんねぇ……ま、家とは言っても住んでる訳じゃないさ。ここはあくまであいつに依頼がある時に利用される待ち合わせ場所みたいなものかな」
「キャアアアアアッ!!こ、小屋の中にギルドからの盗品がゴロゴロと!?せっ……窃盗罪です!窃盗罪で捕まえましょうこの人!!ギルドのペンや用紙に飽き足らずまさか傘立てと魔石スタンドまでパクってるなんて!考えられません!」
顔を真っ赤にしてトローネがぶんぶん腕を振る。この情報屋、情報屋というより泥棒屋と呼んだ方が正しいのではないだろうか。ギルド所属のトローネとしてはこんなにも自分の所属組織の備品を盗まれているのは許せないのだろう。
傘立てなど何に使っているのかと思いきや、どうやら傘立ての上に平らな木材を括り付けて即席の机に改造しているようだ。微妙に工夫している辺りが余計にイラッとくる。しかし、興奮するトローネに対してアズは素っ気なかった。
「無理だね」
「なんでっ!?」
「何でって、証拠がないもの」
「現物があるじゃないですか、今ここに!」
「だからさぁ、その品を本当に小屋の持ち主が盗んだかどうかは分からないじゃない?この辺の土地では盗品がどんどん回されて再利用されるなんてザラだからね。正直、あいつが盗んだかどうかは分からないんだよ」
「いやでも!見れば盗品だと分かる訳でっ!しかもこんなに大量に自分の家に抱えてるのに知らんぷりはないでしょ!」
「そもそもダイダロス通りの家なんて誰が所有しているかもよく分かんないんだよ?この小屋だって地図や土地管理書には載っちゃあいない。誰のものか分からない小屋にある盗品の盗み主がこれから会う情報屋だと直接的に証明する証拠はない」
やったんだろうと想像はつくが、いくらギルドでも確たる根拠なしにこのような無法者の巣窟に手を出す訳にはいかないだろう。しかし、アズの物言いはどうにも納得できないしこりが残る。
「ぐぐぐっ……な、なら神様に嘘かどうか判断してもらえばいいじゃないですか!」
「神様に嘘は通じないけど、隠し事をするのは簡単だよ。質問にイエスノーで答えなければいい。『さぁ、どうでしょう?』ってはぐらかしたり『今日は天気がいいね』って全く違う話を延々とし続ければいい。或いはそうだなぁ……『俺はやましいことなんてしてません』って言えば五分くらいの確率で神を騙せるよ」
「し、してるじゃないですかやましい事!泥棒がやましいことじゃないことぐらいは本人だって分かってる筈ですよ!」
「そこがミソでね。『本人がそれを微塵も悪い事だと思っていなけれな神は勝手に勘違いする』んだよ。例えば生きるために略奪をする必要のある環境で育った子供は、略奪が悪い事だという感覚がない。魂は嘘をついていないから、神はその『ずれ』を見ぬけないという訳さ」
トローネは段々と言い返す言葉が減っていき、とうとう俯いてしまった。
しかし、今のアズの話は「罪を立証できない」という話であって、「彼は泥棒ではない」という話とは全く違う。今のアズはまるでこの小屋の持ち主の行為が正当だったと言っているように聞こえた。
「…………アズさんは、泥棒の肩を持つんですか?」
勇気を振り絞って、レフィーヤは問う。
「泥棒は、悪い事ですよね」
「一般的にはそうだね。俺も泥棒はどうかと思う」
言葉を区切ったアズは、しゃがんでレフィーヤに視線を合わせた。
「――でもね。残念だけどこの世界ってのは善人だけでは回らないんだ。小さな悪の方がより大きな善を手助けすることもある。曰く、必要悪に近いかな」
「悪はよくないことです。人殺しも泥棒も立派な罪で、罪は悪じゃないんですか」
「それでも、より大きな悪を捕まえるためには小さな悪事を見逃さなければいけない時がある。正義と悪の二元論と一般の秩序は必ずしもイコールではない……むしろ秩序は正義と悪の狭間で成立するものだ」
「そんな理屈…………」
否定はできなかった。ファミリアは勢力を拡張するために卑怯な真似や礼儀知らずな行為をすることもある。自分の主神であるロキとて、昔は邪魔なファミリアを蹴落とすために随分策を弄したと聞いたことがある。これを行ったロキを悪とするならば、確かに罪を放置することで得られるものも多いのかもしれない。
「ここの家主は小さな犯罪を犯してはいるんだろうと俺も思うよ。でも、だからって本当に罪を立証できるかも分からない家主を捕まえる事が俺達のやるべき事かな?ウィリスさんのことは後回しでいいのかい?」
「泥棒と、殺人事件を天秤にかけろってことですか……卑怯ですよ。そんなの殺人が重いに決まってる。選択肢を無理やり一つに絞らせただけじゃないですか。納得なんて……」
「……まぁズルいこと言ったのは悪かったけどさ。ここの家主には家主なりに事情があるし、捕まえない方がいい犯罪者ってのもいるにはいるんだよ。オーネストみたいに、さ」
「オーネストさんが………?」
――そうだ、オーネストとて一度は指名手配までされた存在。暴力事件を含めてやらかした罪の数は数知れない。だが、同時に彼によって助けられた人間も存在する。ロキ・ファミリアは今までにかけられた迷惑を上回る程度の働きをしてもらっているし、オーネストの館に集う人々の中にも彼に助けられた者はいる。
『新聞連合』にしたってそうだ。オーネストの協力なしに大きな組織を作ることは難しかっただろう。『怖いけれど悪い人ではない』と感じていたオーネストこそ、まさに人を助ける悪人と言えるのではないだろうか。
そして、アズもまたオーネストに助けられた人間の一人だと自分で言っていた。
「……すいません、変な事を言ってしまって。分かりました、その情報屋さんの小さな罪には目をつぶります。トローネさんもいいですか?」
「よくはありませんけど………よく考えたら捜査の主導権はあくまでアズさんですしぃ………」
「うっ………ちょっと、やめてよその視線。俺が悪い奴みたいじゃん」
じとーっとした視線をぶつけられて思わずたじろぐアズの姿はちょっぴり間が抜けていた。
そして、今更になって自分とアズの距離が今までにないほど近かったことに気付かされ、レフィーヤは内心で驚いた。感情的になったことでいつの間にか距離を縮めていたらしい。喧嘩するほど仲がいい、という訳ではないが、互いの感情をぶつけあったことで思わぬ幸福を招いたようだ。
――結局、アズを怖がっていた理由は心のどこかで「アズは自分とは絶対的に違う」という思い込みだったのだろう。今では近くにいる事に何も違和感や恐怖を感じることはない。言葉を交わしたことで、アズが人間の当り前に抱えている「恩義」や「思いやり」を持っているのだと感じることが出来たのだから。
「――とりあえず、俺っち逮捕の線は消えたってことでいいんかね?」
突然かかる第三者の声。気が付くと、小屋にもたれかかる一人の男がいた。歳はヒューマンにして40歳程度の男性だろうか。栗鼠特有の先端が丸まったひらべったい尻尾と小さな栗鼠耳が出ている。――余りこの街では見ることがないが、栗鼠人のようだ。
男はニヒルな笑みを浮かべて3人を向き、そしてレフィーヤに白い歯を見せてニカッと笑った。
「また会ったな、キュートガール?」
「え………失礼ですけど初対面ですよね?」
「ウップス……そうか、あの時は急いでたから俺っちの顔までは見てなかったってわけか……」
あの時――急いでいた――それに、「キュートガール」なんて変な言葉づかい。その条件にあてはまる人間を探したレフィーヤは、遅ればせながらその人物とどこで出会ったのかをやっと思い出す。
「ま、まさか………事件現場で私にぶつかった不審者ッ!?」
「そうだ俺っちこそが現場の不審者………って違うわ!!客観的には違わないけど不審者じゃないわっ!!」
「ああ……まぁアレかな。改めて紹介しようか」
アズは片手をその男に差し、さらっと事実を述べた。
「彼の名前はラッター・トスカニック。『ゴースト・ファミリア』が一番信用してる情報屋だよ。ブラスの口止めの真相はつまり、頼りになる情報屋を間違いで指名手配されたら面倒だったからってわけ。先を見越してのちょっとした伏札って訳だね」
「不審者扱いされたのは気に入らないが、まぁ……いつでも新鮮お得な情報より取り見取り!情報屋のラッターだ!これからもご贔屓に、ってね!」
「……………………」
「えっと………その、私にだけ話が見えないんですが?これって私がトロいのが悪いんですか?」
つまり、情報屋で知り合いだったから事件には関係なかろうと見当はついていたと。そして説明するのが面倒だから口止めしていただけと――真相、そんだけなの?
状況が分からずオロオロしているトローネを無視し、レフィーヤは全力で絶叫した。
「そうならそうと口で説明すればいいじゃないですかぁぁぁぁ~~~~~~~~ッ!?」
結局のところ、あの人は口下手なんじゃなくて説明するのが面倒なだけだったのではなかろうか。そう思わざるを得ないようなしょうもない結末であった。
後書き
※アズは黄金仮面をつけたままです。それを踏まえてもう一度読み返してみてください。
37.忠
「ここは『ウルカグアリ・ファミリア』所有の工房で間違いないな。アルガード・ブロッケはここにいるか?」
「その前に、失礼ですがお名前とご用件をお伺いしても?」
「……ルスケ。あれを」
「え……ああ、スイマセン。自分、ギルド職員のルスケって言います。こっちは護衛のブラスさん。俺達ちょっとギルド上層部の指示でアルガードさんにお伺いしたいことがありましてね?あ、これ命令状です」
ギルドではファミリアに何かしらの協力を得たいときによく書類を発行する。この書類にはアズたちの貰ってきたウルカグアリの署名もあるし、護衛の存在もギルドの調べ事が施設の外で行われる際はさほど珍しいことでもない。相手の不信感を煽るほどのものではない。
ルスケの書類に目を落とした青年は、納得したように頷いた。
「そうでしたか……いや、これは失礼。ではお客様に改めまして……ここは確かに『ウルカグアリ・ファミリア』の所有する工房にございます。わたくしはこの工房を一人で切り盛りなされているアルガード様の召使い、モルドと申します」
「お前もファミリアか?」
「いえ、一般人ですよ。ファミリアにではなくアルガード様に個人的に雇われた御世話焼きです。背中を確認いたしますか?」
冒険者の背中には冒険者としての情報が書き込まれている。つまり冒険者として使える魔法、覚えたスキル、ステイタスのばらつきに至るまで全てが記録されているため、それを晒すというのは自分の手札を全て晒すに等しい。そのセリフを平然と吐けるのは、詐欺師か非冒険者のどちらかだろう。
「結構だ。それよりアルガードは?」
「工房の奥の部屋に籠られておいでです。少々お待ちください、ギルドの方が訪れたことを伝えてまいります。出来れば工房に迎え入れたいところですが、ここには応接室がございませんので……」
モルドは一礼して、無駄のない動きで屋敷の中へと戻っていった。
嘘を言ってる風には見えない、とブラスは思った。ならばアルガードがここにいる事は少なくとも確実だろう。先ほどちらりと家の煙突を見たが、炉に火が入っているのか微かに煙が上がっていた。何ならこのまま踏み込んで本人に真偽を確かめても構わないが、それはあくまで最終手段だ。
時間にして1、2分ほどだろうか。思ったより早くモルドは戻ってきた。
「お待たせして申し訳ありません」
「そ、それでアルガードさんは何と?」
「それが………部屋の内側からカギをおかけになっていまして。中から微かに話し声らしきものが聞こえるご様子からすると、未だにご友人と談笑されているのでしょう。あのお方は一度物事に夢中になると他のことが耳に入らなくなるので……申し訳ありませんが、待つしかありませんね」
「そりゃまた何というか………困った人ッスね」
「ええ、困ったお人なのです」
項垂れるルスケとは対照的に、モルドはくすくすと可笑しそうに笑った。
「ときどき威厳を気にして堅苦しい喋り方をしようとしては『疲れた』とぼやいて結局普通の喋り方になってしまったり、わがままを言っては私を困らせたり……子供っぽいお方です」
「まー見た目だけなら完全に子供ッスけど」
「本人には言わないでくださいね。ご自身がチビなの気にして厚底サンダル履いてますから」
さらりと主の威厳を削ぐ情報をばらしていく従者というのも如何なものだろう。
それにしても、文句を口にしてこそいるものの嫌そうな顔は一切しないのがブラスには気になった。たかが雇われの従業員、我儘な雇い主には嫌な顔の一つもするものだ。
「……面倒という割には随分嬉しそうに笑う。何故そんな面倒な奴に仕える?給料がいいからか?」
「いえいえ、そうではありませんよ。ただ単純にアルガード様のことをお慕いしているのです……ほら、玄関だって凄いでしょう?あの方は鎧が大好きなのです。子供っぽくて微笑ましいじゃないですか」
(あのサイズのオブジェを「微笑ましい」の一言で片づけるのはスケール的にも金額的にも無理があるような………)
玄関の巨大鎧を見上げて冷や汗をかくルスケとは対照的に、モルドは子供の微笑ましさを語るように楽しそうだ。もしかしたら子供好きか、低確率で特殊な性癖なのかもしれない。子供を偏愛する余り一般人の小人族と結婚したヒューマンの貴族がいたという噂もあるくらいだから、あり得ないとは言えない。
(んー、本人に今すぐ会えないとなると……どうするッスか、ブラスさん?)
(嘘をついている感覚を覚えない以上は本当に誰かと喋っているんだろう。無難な対応としては素直に会えるまで待つことだな)
(嘘をついてる感覚ってアンタ……たまに神様みたいなこと言うッスね。人間が嘘をついてるのか判別がつくんッスか?)
(ある程度はな。完璧ではない………しかし、そうだな。この男に聞き込みでもしてみたらどうだ。アルガードの人となりが分かるかもしれん)
どうせ本人以外にも聞き込みはすることになる。このモルドという男にも話を聞いておいて損はない。ブラスと二人きりで待つのも気まずいのでルスケは素直にアドバイスに従った。
「あの……モルドさん。俺達アルガードさんのことは資料でしか知らなくて……普段どんな人と接しているのかとか、依頼の事とか……当たり障りのない範囲で教えてもらえるッスか?」
「ええ、ええ!構いませんとも!!」
(目を輝かせてる……どんだけアルガードさんが大好きなんスかこの人……!?)
モルドが言うには、そもそも彼は数か月前からここの召使いになったそうだ。
ギルドのバイト求人で偶然発見したらしく、その時は特に深く考えず受けたそうだ。この街では非冒険者が安定した収入を得るのは簡単ではないため、詳しい仕事内容の分からない仕事であっても競争率は高い。
モルド自身生活に余裕がなかったために様々な仕事をしたが、ことファミリアの非冒険者求人は非常に待遇が悪い場合が多い。中にはファミリアの冒険者に仕事を邪魔されたり暴力を振るわれることもあったという。普通なら避けるべきなのだろうが、モルドは戦争孤児で身寄りがないため働かなければ貧民街の仲間入りだ。是非もなかった。
そうして出会ったのがアルガードという男だった。アルガードという冒険者は根っからの職人で作業台と結婚しているような男だったが、どうにも自分の近辺を整理したり掃除するのが苦手だったらしい。モルドが最初にやったのは工房内の大掃除だった。
『アルガード様、この腕輪は?』
『前の前の依頼の時に作った奴の出来損ないだ!捨てろ!』
『え、でもこのままでも売れそうなくらいには綺麗ですけど……』
『よく見ろ!輪の輪郭が0,004Mも歪んでるせいで光沢が美しくないだろ!そんな出来損ないを僕の作品として世に出すなんてありえんっ!!』
その辺の露店で売れば小金が稼げそうなものでも、アルガードが気に入らなければ全てガラクタ。そう言う失敗作は全部ファミリア経由でクズ鉄の再利用業者に流してしまうのだと彼は語った。職を探してオラリオに来た貧乏学生にとっては割と衝撃的な内容だった。そして、その日の手取り金も衝撃的だった。
『ふう、綺麗になった!それにしてもモルド、お前優秀だな!今までも何人か雇ってきたが、僕の作品を捨てるふりしてパクらなかったのはお前が初めてだ!これ、小遣い!』
『あ、ありがとうございま………うえぇぇッ!?こ、これ10万ヴァリスくらいありますよ!?こ、こんなに貰っていいんですか!?』
『お前は誠実だから、誠意に見合った対価を与えただけだ!その代り、これから僕に誠意のない対応をしたら給料は払ってやんないんだからなっ!!』
それだけ強調して言い残し、その日の仕事は終了した。
この時、モルドは衝撃を受けたという。彼の豪胆さにではなく、彼の人物評価にだ。
「――私の誠意にお金を出してくれるなんて………そんな人、今までいませんでした。非冒険者で孤児だった私はとにかく碌な職に就けたことがなく、働くと言うのは奴隷のように命令を聞き続けることなのだと思っていました……いや、お金を貰えるだけ奴隷よりはマシなのですが、とにかく………恥ずかしながら、ものすごく嬉しかったのですよ」
照れたように後ろ頭を掻くモルドは小さく笑う。
「それまでの私にとって、気遣いとか真面目さというのはやっても見返りが帰って来るものじゃあなかったです。労働者はみんな自分のことで精いっぱいだし、雇い主側はそういう気遣いとかを出来なかったら給料を引いてくるし、機嫌次第では気遣っても酷い仕打ちを受けます。真面目な人は損をする……そうも思っていました」
「しかし、アルガードさんは貴方のそういう所を文字通り買ってくれたんスね……」
「ええ。ちょっと金銭感覚が狂ってるところはありますけど、あの人はとにかく仕事に対して誠実な人間がいればそれでよかったみたいです。私はそのお眼鏡に叶ったらしくて……」
その日からモルドの生活は変わった。
毎日真面目に掃除をして、アルガードの服を洗濯したり食事を用意する。簡単な仕事というわけでもなかったが、真面目にしていれば理不尽な目に遭う事はない。休憩時間も十分取れる。なによりアルガードはモルドの仕事が行き届いていることを子供のように喜んでくれた。評価されないような自分の人格的な部分を、彼は目ざとく見つけては喜んだ。
『お前、本当に良い奴だな!ずっとこの工房で働いてくれよ!』
その言葉がなにより嬉しかった。生まれてからずっと孤独で誰にもその存在を求められなかったモルドのことを、アルガードは労働力としてではなく人格として求めてくれた。
この時、モルドは思った――体の持つ限り、ずっと彼のそばで働きたい、と。
「以来、不肖ながらこのモルドはずっと工房で働いているのでございます」
「なんか……俺、口下手なんで上手く言えないんッスけど、ずっと一緒にいられたらいいッスね」
「ええ、本当に……そうありたいものです」
照れ臭そうに、しかしはっきりとした口調で返答するモルドの態度から、彼が本気でそう思っていることが分かる。傍から聞けば誇大な主張にも聞こえるが、彼の纏う誠実さがそれを逆に自然な反応に思わせた。
ルスケの頭の中でアルガードという男のイメージが崩れていく。それまでは復讐の為に職人を続けた陰湿な存在という勝手な先入観があったが、モルドの語るアルガード像はもっと人間的で、少しひねくれてはいるが善良な人に思えてくる。
(……ブラスさん。本当にアルガードさんが犯人なんッスか?話を聞く限りではとてもそんな犯罪を犯すほどヤバい人には思えないッスよ)
(だから何だ)
(え……だから何だって言われても、その……ブラスさんの当ては外れたんじゃないかって……)
ブラスはそれに答えずにモルドに質問した。
「最近、そのアルガードに変わった様子はなかったか。やたら作業時間が伸びたとか、急な来客があったとか」
「変わったことですか……そうですね。ここ一か月ほど、少し元気がないように思えます。時々アルガード様の元には無茶な製作依頼が来ることがありまして、きっと作業で疲れているのでしょう。最近もよく工房に籠っておられます」
「ちょっ、ブラスさ……」
「他には何か?」
「そうですね……そういえばお客様が3度ほど。工房に直接人が訪ねてくるのは珍しいことでした。3度とも同じお客様で、30日前に一度、25日前に一度、そして8日前に一度訪れましたね……アルガード様曰く、同じ小人族のご友人だとおっしゃっていました。恐らく仕事を頼まれに来たのでしょう」
「そいつだ」
「は?」
「あの……一体何をおっしゃっているのですか?」
会話のキャッチボールが上手く行われていない。ブラスがえらく口下手だとは思っていたが、事ここに到ってルスケは彼女が一体何を言っているのか、何を考えているのかがさっぱり分からなくなってきた。突然のことにモルドも面喰っている。
いや、それとも彼女は自分の直感が外れたことを認め切れずに支離滅裂な事を考えているのだろうか。……あり得なくはない。彼女は自分の判断に絶対的な自信を持っている様子だった。プライドのせいで認められないこともあるだろう。
「その客人の名前、やってきた目的、そいつが訪ねてきた後のアルガードの様子が知りたい。恐らくそいつがアルガードを――」
「おいブラスさんよぉ!ちょっと落ち着くッス!」
なおも詰問を続けるブラスの強引な態度を一旦抑えるべきだと考えたルスケはブラスの言葉を遮った。
「……何だ、ルスケ」
(それはこっちの台詞ッスよ!)
ブラスは思いっきり面倒喰う誘うな面をしながらも、一応こちらに耳を貸してくれた。
モルドに聞こえないよう小さな声でブラスをなだめる。
(さっきまで冷静沈着だった癖に何を急に焦っているんッスか?アルガードさんを疑ってんのは分かってますけど、本当にアルガードさんが犯人かなんて確かめないと分かんないっしょ?誰にだって間違いはあるッス!)
(………何を勘違いしてるのかは知らんが、ひとつ聞いておく。お前の言う犯人ってのは誰だ?)
(誰って……それが分かったら苦労しないッスけど?)
(言い方を変える。お前、これまで普通に過ごしてきたような職人がある時突然20年前の復讐などという三文芝居のようなことをやると思うか?俺はそうは思わない……何か強烈な『きっかけ』が無い限りはな)
(きっかけ………?)
(自分できっちり考えろ。アルガードの様子がおかしくなった頃に何があった?)
アルガードの様子がおかしくなったというのは、先ほどモルドの言っていた「元気がない」という話だろう。その頃に何があったかなどルスケは知らない。だが、ふと引っかかるワードがあった。
確か彼の元気がなくなったのは一か月前。
そして、見覚えのない来客があったのも、約一か月前。
とすると、アルガードはその来客と前後して急に元気がなくなったことになる。先ほど話を聞いていた限りではこの客がアルガードに依頼をしたと思われるため、彼の元気がない理由は作品作りに労力を割かれているせいだと推測できる。
――待てよ。
頭の中でパズルのピースが組み上がっていく。
その客はその一週間後にも訪れ、更には8日前にも現れたという。約一週間前……連続殺人事件が始まった時より少し前だ。そして彼の様子の変化に、ブラスの口にした『復讐のきっかけ』と『犯人とは誰か』というワード。
来客者が『きっかけ』でアルガードの様子は変わった。
来客者が最後に訪れた日の翌日に事件が起きた。
それに、イメージする犯人。
犯人と言っても殺人を行った当人だけが犯人とは限らない。殺人の手助けをした人間や、殺人を指示した人間がいたとしたら、それらも殺人者と同等に罪深い存在と言えるだろう。つまり、『きっかけ』とは誰かが運んできた『動機』で、それを受け取ったからアルガードの様子がおかしくなったのだとしたら――その場合、犯人は一人とは限らないのではないか。
(……来客者がアルガードさんに何かを吹き込んで、今回の事件を手助けした?)
恐る恐る口にした言葉に、ブラスは小さく鼻を鳴らした。
(やればできるじゃないか。だが理解するのが遅すぎだ。百点満点で三十点だな。)
(赤点じゃないッスか……)
「あの……お二方とも何があったのかは存じませんが、喧嘩をしている訳ではないのですよね……?」
「ああ、話を勝手に切って済まなかったな。実は俺達がアルガードに聞きたい事の内容に、その来客者が関係しているかもしれないと話し合ってたんだ。なぁ、ルスケ」
「あっ、そ、そうッス!いやー仕事熱心が過ぎるのも考え物ッスね~!」
華麗にNGワードを躱して『嘘ではない』言葉をつらつら並べるブラスに慌てて合わせながら、ルスケは内心で揺れていた。確かにブラスの主張には筋が通っているが、確証になるような事実は何一つとしてない。彼女の推理はもしかしたら悪人でもない存在を勝手に悪人に仕立て上げるような拙い代物であるとも考えられる。
しかし、彼女の言葉を聞けば聞くほどにルスケはアルガードがやはり犯行に加担するような真似をしていたのではないかと思えてくる。もしそれが本当で、アルガードを拘束することになったら、目の前の使用人はいったい自分をどう思うのだろう。自分たちが彼の敬愛する主を疑っていることを知ったら、果たしてそれでも彼は明るく返事をしてくれるだろうか。
(俺はギルドの人間としてそれを暴かなきゃならない……例えそれを強く望まない人がいたとしても。その事実が、こんなにもキッツイ代物だったなんて………)
これまで様々な冒険者の担当を任され、何人も死亡報告を受け取ってきた。最初は悲しかったが、すぐ慣れた。今では「こいつは死ぬな」と雰囲気で勝手に推測することさえある。だからギルドの仕事の辛さなどもう理解した気でいた。
(クソッ、こんなキッツイ事を人に任せて、恨むッスよ先輩方……!そりゃそうだ。犯罪者にだって近しい人がいるだろうよ。だとすればあちら側にとって悪い奴は秩序の体現者である俺達ギルドかよ……!俺達はそれを分かってて、それでもしょっ引かなきゃならないって訳ッスか………!!)
腹の底がきりりと痛む。これは人を騙す痛みか、それとも自分が真実を見たくないが故の痛みなのか。経験したことのない、背筋に抜身の刃が添えられているような緊張感が体に広がる。
もう、どんな些細な切っ掛けで彼の幸せが崩れるのか予測もつかない。
彼は砂上の楼閣の上でいつも通り幸せな日常を歩んでいるのだ。
せめてアルガードよ、犯人であることなかれ。
せめてきっかけよ、一秒でも遅れて来い。
まるで子供がやりたくない仕事を忘れたいがために遊びだすかのように、ルスケは無事平穏に事が運ぶことだけを考え続けた。
だが、得てして人の願いとは儚いもので。
「――む」
ブラスの元に、一匹の犬が走ってきた。ペンの挟まれたメモ帳のエムブレムが描かれた犬用ハーネスを身に着けた犬は、工房の出入り口に止まってすんすんと鼻を鳴らしていた。
「え、なにコイツ……」
「『新聞連合』の伝書犬だな。身内に緊急連絡するときに使われるが……失礼」
ブラスは勝手に犬のハーネスに備え付けられたポーチを開いて中の紙を取り出す。犬は一瞬ピクリと反応したが、ブラスの手の匂いを嗅ぐと何事もなかったかのように身を許した。今日初めて『新聞連合』に行った筈の彼女から何の匂いを嗅ぎ取ったのかは不明だが、連絡内容を読まれても問題なしと判断したようだ。
「………『本部よりパラべラムへ。時間かかりすぎだアホ新人め。とっとと任務を終えて撤退しないとみんなで押しかけちゃうぞ?』………おいモルド」
「なんでしょうか?」
「今、アルガードに客が来ていると言っていたな……誰だ?」
「パラベラム様です。新聞の集金にやってきた所、アルガード様が直接お払いになるとおっしゃったので自室にお通ししています。もう一時間ほど話し込んでおられますね……アルガード様はご趣味の事となると非常に多弁になられるのです」
ブラスは眉を顰める。モルドからすれば何度も見た光景なので気にしていないのだろうが、『新聞連合』は暇な組織ではないことを彼女はよく知っている。新人一人とっても仕事一つに対して割り当て時間が決まっているため、同じ場所に1時間も留まることなどない。『時は金なり』……『新聞連合』の鉄の規則。
という事は、現在パラべラムという新人はこの鉄の規則を破っているか、或いは――アルガードによって『どうにかされた』のか。
「悪いが強制的に引き剥がした方が良さそうだ。このままだと早ければ10分ほどで『新聞連合』の連中が駆けつけるぞ。文面は新人いびりにも見えるが、トラブルに巻き込まれた奴がいたときは大人数で押し寄せて助けようとするのも連中の常套手段だ」
「なんと……それはいけませんね。アルガード様は喧しいのはお嫌いなのです。すぐにお伝えします」
「俺も行こう。いざとなったら俺がパラベラムを引き剥がす」
当然のようにモルドの後ろに続くブラスは一瞬ルスケに目配せし、そのまま直進した。
――お前にこの先の真実を見る覚悟があるのか。
そう問われた気がした。
38.悪霊の軍団
鎧という代物に憧れはじめたのは一体何歳頃の話だったろうか。
重厚な造り、人を模しつつも力強い造型、鈍く輝く銀色の光沢。幼いころの少年にとって、それは『力』の象徴であり憧れになった。いずれあんな風に風格と気品にあふれた鎧を身に着けたいという夢を抱くほどに一途な想いだった。
しかし、小人族に生まれた少年の身体が鎧を着こなすに相応しい体格を備えることは決してない。その事実に気付いた時、彼は親を恨んだ。どうして自分が小人族に連なる血族として生まれてしまったのかと嘆き、現実に打ちひしがれた。これが一度目の挫折だった。
やがて嘆くのに厭いた彼は現実を見据え、次の夢を抱いた。
鎧を着ることが出来ないのなら、鎧を作る事は出来ないだろうか。
最高の鎧を作りたい。巨大な王国で最強の騎士が纏うような、偉大な鎧を作りたい。着るのではなく、作り出す側になって鎧の雄姿を見て、そこに嘗ての憧れを投影したい。少年は鍛冶師見習いとしてファミリアの門を叩いた。
待っていたのは過酷な現実だった。少年の小さな体と細腕では力仕事の鍛冶に耐えきれず、雑用の素材運びにさえ支障をきたした。同僚たちに罵倒され、嘲笑され、見下され、少年は再び自分が小人族に生まれたことを恨んだ。少年はその環境に耐えきれず、最初のファミリアから半ば強制的に追放された。これが二度目の挫折だった。
二度目の挫折のショックが大きく、彼は暫く鎧の事を考えることが出来ないほどに落ち込んだ。その頃にもなると少年は青年とも呼べる年齢になり、現実的な生活を見定めてファミリアを選ばざるを得なくなった。この日から少年は辛うじて身に着けた鍛冶の能力を全力で磨きながら様々なファミリアに入ったが、どこで作業してもヒューマンとトワーフに後れを取った。
種族的な先天性の才能の欠如。同僚の嫌がらせ。碌な仕事を回してもらえずに飯泥棒と罵られた数は幾星霜。だが、彼は心のどこかでこう思っていた。
――三度目の挫折を甘んじれば、もう自分は二度と現実に勝つことが出来ない。
青年は底辺の更に淵、落下寸前の崖っぷちに死に物狂いで齧りついた。ここまで来ると漸く冒険者としての恩恵が機能を始め、無理をして作業を行うだけ少しずつステイタスが伸びてきた。純粋な小人族としての筋力を越えた恩恵の力が彼の後押しを始めた。
これ以上は誰にも負けられない――一歩でも引いたらまた駄目になる。そう固く信じた青年は、周囲からの嘲りや罵りに真っ向から抵抗した。時には暴力を受けて大怪我をすることもあったが、その分だけ最大限の嫌がらせで仕返しをした。そんな問題のあるファミリアを好き好んで置きたがる神はおらず、青年は崖っぷちのままいくつものファミリアを転々とした。
青年が元服を済ませて大人になった頃、大きな転機が訪れる。
『ウルカグアリ・ファミリア』――散々鍛冶界隈を回された挙句に流れ着いた工芸ファミリア。このファミリアでとうとう彼の努力が反映される。鍛冶関連で弱いこのファミリアで、意外にも彼の鍛冶などに関する知識が大きな影響を及ぼした。憧れを追い続けて早10年、やっと咲いた職人としての華だった。
運気は彼に向いていた。仕事は充実し、理解ある神を主神に持った。それから親友とある冒険者に出会い、その仲を急速に深めていった。
そして―――。
――――――。
結局、彼はその後10年近く、鎧を作れないまま時を過ごした。
作ることが出来ない環境にあった時期が数年、作れる精神状態になかったのが数年。
忌まわしくも絡みつく過去に一応の区切りをつけたころには、冒険者を始めて20年が経過しようとしていた。
気が付けば年齢は既に40を過ぎ、今となっては工房に他のファミリアを迎え入れる気概も湧いては来ない。まるで工房という名の鎧に身を包んで外を拒絶したかのように、アルガードはここにある。消えずに燻るの鎧への情熱に薪をくべ、全てから目を逸らすように仕事を続けていた。
だが、つい一か月前――燻る俺の熱に、憎悪という名の油を注ぎ込む出来事が起きた。
「………続けてください」
目の前の少年――パラベラムは、ごくりと唾を呑み込みながら、ペンとメモ帳を握ってこちらをまっすぐに見つめてきた。メモ帳の表面は手汗でくしゃくしゃになっているが、文字だけはしっかりと書きこまれ続けている。若いながら真摯な瞳だ。
若いというのはいい。どこまでも自分に正直で真っ直ぐにいられる。
人生で一番無謀で、脂の乗っていて、未来に繋がるものをたくさん抱えて生きている。
だからこいつを生かしている訳ではない。本来ならば神聖なるこの作業場に土足で上がり込んでいる時点で反吐が出る思いだ。だが、この男もまたあの召使いと同じように僕に益がある。だから追い出さずに置いてやっているのだ。
僕がこれから目的を終えて報われるまでの道筋を、僕以外の愚図共が何も知らないまま終わるのが面白くない。だから僕は最後の日に僕の工房に訪れた哀れな少年を語り部に選んだ。天の齎した偶然か、少年は僕が『確認』の為に読んでいた新聞とやらを発行する『新聞連合』の人間だという。
せいぜい、僕の崇高なる仕事を面白おかしく書き残して飯の種にでもするがいい。
真実をそのまま伝えるのならそれも好し。
内容を改竄するならしてもいい。僕はそれを地獄の淵で嘲笑うだけだ。
ただ、僕が殺したという事実が世界に残るのならばそれでいい。
= =
アルガードの部屋の扉は、床に十数個も並べられた美しい鎧の最奥にあった。
それ程広いとは言えない廊下に所狭しと整列した鎧は、まるで王の城に立ち並ぶ騎士たちのように整然としていた。まるで玉座に続くカーペットのようだ、とルスケは何とはなしに思う。一つ一つの鎧は全てが少しずつ持っている武器や意匠が違っており、彼の鎧のコレクション趣味の深さを感じさせる。
「ここがアルガード様のお部屋です」
「…………」
「あ、あの……ブラス様?」
ブラスはそれに返答せず、静かにドアに耳を当てた。
今はとにかく内部の状況が知りたい。ルスケには言っていないが、最悪の場合既にパラベラムは殺されている可能性があった。静かに指を剣に這わせながら耳に神経を集中させる。
『――トリックには苦労したよ。あれは僕の職人としての技術に加えてとある魔法を使う事で実現させたんだ。都合のいい瞬間に発動させるには『神秘』だけでは不十分だったからね。……詳しく聞くかい?』
『……お願いします』
『知識欲に素直だね。いいだろう、教えてあげよう……僕が連中を始末した華麗な方法をね』
(……随分興味深い話をしているな。今回の事件の話なのか?一方的に喋っている方がアルガードで相槌を打っているのがパラベラムだな)
やや一方的な会話と相槌、そしてかすかに紙の上をペンが滑る音がする。書いているのは恐らくパラベラムという男。態々ペンとメモ帳を取り上げずに喋っているのは犯行を隠す気がなくなったのか、それとも話の終了と同時にパラベラムを始末する腹積もりか。
今から突入してもいいが、まだアルガードの腹積もりが見えない。もう少し話を聞きたい所だが、流石にこちらの態度を見かねたモルドの態度が変わった。誰しも自分の主の会話を目の前でいきなり盗み聞きされれば快くは思わないだろう。
「………お客様、速やかにドアから耳を離してもらえま――」
(静かにしろ)
会話の流れからアルガードが犯人なのはほぼ確定。となればもうモルドに用はない。
「かっ……?」
手早くモルドの首筋に手刀を叩きこむと、モルドはあっさり失神して崩れ落ちた。無防備な人間ほど意識を落としやすい相手はいない。床に叩きつけられる前に物音で気配を悟られないよう手を添えてやろうかと思ったが、意外にも反応の早かったルスケが力ない体を受け止める。
目算以上の重さによろけてたたらを踏んだが何とか持ちこたえたルスケは、若干ながら非難がましい目でこちらを見やる。
(やけに手慣れてるッスね……ったく、野蛮なんだから)
(文句でも?)
(山ほどあるけど今は心の内に仕舞っておくッス。それに……モルドさんに逮捕の瞬間は見せたくないッスから)
少し意外に思った。先ほどまではアルガードが本当に犯人か疑っていたにもかかわらず、彼の瞳には諦めにも似た落ち着きがある。まるで今では完全にブラスと同じ結論に到っているかのようだった。ブラスの目線に気付いてか、ルスケはうんざりするように頭を振る。
(悔しいけど、これまでのアンタの行動には無駄が無かった。なら、モルドさんを気絶させたのは逮捕の妨げになるから。だから容赦なく最も効率的な方法を取った……つまりそういうことなんッスよね?)
(そうだ。それに、こちらで話がこじれると中のパラベラムに飛び火しかねない)
別に死人が出たからどうだと言う訳ではないが、助けるにせよ助けないにせよ手間は大して変わらない。ならば態々得る物の少ない選択をする必要もないだろう。ルスケもその言葉に感銘したりはしなかった。今のブラスの眼にはパラベラムの命を助けようなどという使命感や熱が全く籠っていない。そこに人道的な思いやりという物は存在しない。考えているのは数値的な目標達成へと至る筋道だけだ。
(アンタ、犠牲さえ出さなきゃ何でもやっていいって思ってるっしょ)
(ああ)
(だと思った……人間の情を逆なでする癖に、情と実情を天秤にかけるのがお上手だ。合理主義って奴ッスか?美人なら許されるって言う奴はたまにいますけど、俺はアンタが嫌いッス)
(それでいい。俺なんかに惚れたら奴はお気の毒だ)
(そりゃ皮肉ッスか?実体験ッスか?そーいう遠回しに物事をぼかす所も嫌いッス)
(そうか)
会話を続ける気が無いと言わんばかりに淡白な返答をされたルスケは、顔を顰めながらもモルドを廊下の向こう側へ抱えて行って寝かせた。おそらくあと数十分は目を覚まさないであろう彼に微かな憐憫を抱く。同時に、その憐憫がどれほど傲慢であるかにも。
何故なら、これから起こることがモルドを傷付けると分かっていても決して止まる気が無いから。例え彼がどれほど強い想いで止めようとしても、罪人は必ず連行する。彼はその事実に深く悲しむだろう。ルスケはそれを憐れんでいるのだ。
自ら作り出した悲しみに苦しむ人を、元凶の自分が憐れむ。
悪いのは犯罪者だと理解はしていても、それを傲慢と思わずにはいられない。
(実情がどうであろうが悪人は悪人。親しい人がしょっ引かれたらお気の毒。秩序の為なら致し方なし、ね………この人の前で同じコト言えるほど無神経にはなれねぇッスよ、俺は)
資料の上で発生している物事などこの世には存在しない。
「百聞」を圧倒的に上回った「一見」という現実に、ルスケは静かに打ちひしがれた。
= =
計画は簡単なものだった。尤もらしい甘言で愚図な8人を騙すだけだ。
あの事件は連中にとってはさぞ忌まわしい汚点だったのだろう。仔細は奴に任せていたから知る由もないが、新聞を見れば不審死の知らせと被害者の名前くらいは分かる。奴は上手くやった。僕もまた、上手くやった。
百合の花の香りを嗅ぐと、今でもあの日の殺人計画を鮮明に思い出す。百合の花は奴が持ってきたのだ。奴なりに思う所があったのだろうが、確かにこの香りは作業効率を高めてくれた。
話が逸れたが、トラップアクセサリを渡すことそのものは難しくはなかった。だが、当の渡すトラップ作りは難航した。大前提としてこのアクセサリは確実な殺傷能力、確実な発動、そして発動時期をある程度コントロールできる必要があった。
まず最初に一撃で相手を致命に到らしめるための方法に苦心した。
一番に考えたのは仕込み毒のトラップだ。腕輪でもなんでも体に密着させたものならいい。原始的かつ確実に対象を殺すことが出来る。しかしこれでは何かのはずみに誤作動する可能性を排除できず、また発動のトリガー設定が複雑・大型化するために諦めた。
次に、魔剣の欠片を使った殺人トラップを考えた。
魔剣を特殊な技術でバラすと刃の欠片に約一回分の魔法を使う力が残される。上手く利用すれば手投げ弾のように強力な威力を出せる。後はこの欠片を内包するアクセサリに『神秘』のスキルで付与効果を与えれば時限爆弾のように扱うことが出来ると考えた。しかし、実際に作ってみると魔法が暴発する方向をコントロールするのが難しく、下手をすれば重傷にすら至らない可能性がある。
威力を上げるためにもっと大きな欠片を使う手もあったが、殺人のトリックが大型化して不自然な形状になってしまう。これも諦めざるを得なかった。
いくつかの方法が頭の中に浮かんでは消える。早い段階で計画は行き詰まった。だが、それを察した奴は一つの本を寄越してきた。『魔導書』だ。
内容を改めた僕は正直驚いた。
そこには『現象写し』と呼ばれる全く新しい魔法が封入されていた。この魔法は簡単に言えば『特定の現象や情報を物質に転送する』もの。この現象の定義には、物質は含まれないが純エネルギーに近い魔法が含まれる。つまり、これさえあれば魔剣の欠片と同じ効果をほぼノンスペースで行える。
選んだのは電気の魔法。理由は最も命中率が高く、発動時の反動を考慮する必要が殆ど無いからだ。外見には死人も分かりにくいから初動が遅れて蘇生の可能性が低いのもポイントだった。後は『神秘』によって電撃が確実に持ち主に当たるためのいくつかの工夫を折り込み、その中に電気の魔法を封入。
『現象写し』によって移された現象は込めた魔力の量で持続時間が違うので、魔力消費量を媒介に込めた『神秘』でコントロールすることで、確実に殺害できる。
一日おきの殺害になったのは、奴の提案だ。あいつも中々にえげつない事を考えた物だ。
「――まぁ、こんな所だ。理解できたかい?」
「ええ。懇切丁寧な説明で非常に助かりました」
『新聞連合』のパラベラムは神妙な顔で頷いた。これでもう一度説明しろなどと余計なことを言ったら腕の一本でも捻ってやろうかと思っていたが、餓鬼の癖に物わかりはいいらしい。これで犯行動機、犯行内容を伝え終えた。もうこれ以上喋ることもないだろう。
「では、話は終わりだ。とっとと出て行ってもらおう」
「……一つだけ、まだ重要な事を聞いていません」
「なんだと?」
パラべラムは間髪入れずに僕に質問を投げかけた。
「――貴方はこれからどうするんです?態々『新聞連合』に自分の情報を渡したのは……何故です」
「ふむ……」
「貴方が8人の人間を殺害した理由も方法も分かりました。おそらく8人目も死亡したのでしょう。ならば目的は達成されている。俺にそんな内容を話さなければ、殺人容疑をかけられるリスクを減らしてそのまま職人だって続けられるかもしれない。そのリスクを冒してまで俺をメッセンジャーボーイにしたのは何故です」
一瞬苛立ちの余り殴り飛ばしてやろうかと考えたが、確かにそれを伝えておいてもいいのかもしれない。我々はどこから来た何者で、どこへ行くのか――この街のどこかで聞いた言葉だ。その先人の言葉に習い、向かう先を示しておくのも吝かではない。
「百合の花を散らせた罪人の数と死んだ人間の数がまだ合わない。……僕にはもう一人、この手で殺さなければいけない存在がいるんだよ。そして……いや、いい。とにかく僕は僕の言葉を残す人間を用意しておきたかった。それだけだ」
「………分かりました」
パラベラムはそれ以上聞かずに椅子から立ち上がると、ハンチング帽をかぶり直して、換気用に空けていた工房の窓に近づく。慣れた足つきで窓の外に出ると、顔だけを窓から出す。
「俺……どんな結末になろうと、貴方の語った真実は絶対に手放しません。こんなことを言うのは人として間違ってるのかもしれないけれど、ご武運を……しからば!」
一礼して、パラベラムは路地裏に消えて行った。
結局、この神聖なる工房を汚したことを咎めないまま送り出してしまった。最初は強い殺意を持っていた筈なのに、何故だろう。まぁ、いい。最後の仕上げを始めよう。作業台の中に大量に入れてあった魔力回復ポーションも魔法の実験ですっかり空になった。その中の中身が残った一本を抜き取り、一気に飲み干す。
酷い味だ。モルドのミルクティーで口直しをしたい。モルド――僕は何故モルドにあれほど怒っていたのだろう。分からない。いや、もう考える必要もなくなる。仕事前だと言うのにやけに体に倦怠感が圧し掛かるが、全力で堪え、ありったけの魔力を絞り出す。
『法則の糸を手繰り寄せろ。我が手は影を支配し現を動かす悪霊のしらべ――宿せ、操れ、複製された現実たちよ――!!』
瞬間――自分の意識がどこか遠くへ旅立つのを自覚する。
「後は頼んだぞ――『複製された』僕」
『確かに任されたぞ――オリジナルの僕』
直後――アルガード・ブロッケの身体は椅子から崩れ落ちて目を閉じた。
= =
それは、一瞬の判断だった。
ブラスは情報を収集したうえでパラベラムが十分遠ざかったことを確認し、扉を吹き飛ばそうとした。だが、彼の詠唱が耳に入った瞬間、周囲に異変が起きた。
ぎちぎちと金属が擦れ合う音、がちがちと金属同士がぶつかる音。
廊下に響き渡る無数の異音が二人を取り囲む。
「え……ち、ちょっと何ッスかこの音?」
「………ルスケ、鎧から離れろ」
「鎧から………って、まさかこの音鎧の中から――?」
しかし、言われてみればこの周辺で音の鳴りそうなものなど鎧しかない。恐る恐る横の鎧に目をやった瞬間、ルスケは見てしまった。
鎧の兜の隙間からこちらを覗く、鬼火のような灯を。
「ヒッ!?な、何ッスかこいつ!?中に何かいるッ!!」
「違う、中には何もいない……そうか、ネックレスと同じ原理で自分の魂を……まずいっ」
その瞬間、ルスケの視界に突然工房の天井と後ろに吹き飛ぶような浮遊感が襲う。遅れて自分の足が浮いている事に気付き、やがて何が起きているのかを理解する。これは恐らく、ブラスに力づくで襟首を引っ張られているのだ。その証拠に……ものすごく、喉が絞まる。
「ぐええええええええッ!?死ぬ死ぬ死ぬ死ぬぅぅぅぅッ!?う゛ぉろじでぇぇぇぇぇッ!?」
「我慢しろ!あの場にいたら鎧共に刺し殺されるぞッ!!」
直後――廊下にあった数十にも及ぶ鎧たちが一斉に動き出した。
『あいつを殺す。あいつを殺す。あいつを殺頃比ころころころころろろろろろろ………』
『ピオぉ!ウィリスぅ!僕を置いてかないでよぉ!僕をねぇ?僕?僕は僕を僕の僕が僕はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!』
『計画成就の為に時間は無駄に出来ない!無駄は美しくない!無駄は殺す!無駄は排除!排除排除ぉ!!肉体も排除ぉ!!』
『r2「yqjy8xjk6bb¥kっじr2「yqjy8xjk6bb¥kっじr2「yqjy8xjk6bb¥kっじr2「yqjy8xjk6bb¥kっじ』
『これが僕……僕の新しいからだぁ!!ああ、あはははははは!!素晴らしい、この身体なら僕を馬鹿にして来た愚昧な連中を皆殺しに出来る!!偉いのは僕正しいのは僕この世界の支配者は僕ぅッ!!』
どうにか距離を離したところで半ば強引に着地させられたルスケは、そのまま先導するブラスを追いかけるままに必死で走る。
「なんなんあなななななな何なんですかあいつらぁ!完っ全に狂ってんじゃないですかぁぁぁぁッ!!」
「連中みたいな喋り方をしてないで走れ!お前が近くにいては迎撃も出来ん!路地を出て裏街道まで誘導するぞ!!」
いつの間にかブラスの脇には先ほど向こう側に置いてきた筈のモルドまで抱えられている。出入り口前で急ブレーキをかけたブラスは扉を蹴り飛ばして外に脱出する。背後から迫る夥しい鎧の足音に急かされたルスケも必死の形相で飛び出した。
「はぁっ、はぁっ!チックショウ何なんだアレ!もしかして新種の魔物をテイムして敷き詰めてたんッスか!?」
「その方がまだマシだったかもな……!アレはもっとイカれた方法で鎧を動かしているぞ!」
「どうやって!!」
「自分の魔法を媒介にして、鎧の一つ一つに自分の記憶や人格などのパーソナリティ複製を定着させたんだ!純エネルギーに近いアストラル体としてな!」
「一般人の頭でもわかる言葉でお願いしまッス!!」
「自分の魂を切り取って鎧に無理やり押し込んだ!!これでいいか!?」
「分かりたくないけど理解しちゃったッス!!」
アストラル体とは魂に限りなく近い概念であり、魔法より更に純エネルギーに近い存在だ。恐らくアルガードは予め鎧の全てに『神秘』を用いてアストラル体を定着させる器として体裁を整えていたのだろう。そして『現象写し』を使って自分の思考をアストラル体として鎧へ一斉に送り込んだのだ。動力は全部アストラル体そのものの『魂の力』と補助魔力だろう。
しかし大量に送り込み過ぎたのが原因か明らかに感情が明後日の方向に突き抜けており、ほぼ理性は喪失しているようだ。大半はブラスたちを追跡しているものの、残り半分は反対方向へ駆け抜けたり壁にぶつかったりと出鱈目な動きをしている。
『兎は鳥だ!狐は何だ!ジャッカルのはく製をシカ角で串刺し!!あは、あは、あは!!』
『鎧を眺める時はまず斜め下からその威光を確かめるように見上げそこから足先から腰にかけての絶妙な曲線を撫でながら愛でるそして腰のくびれの可動範囲を確かめつつ胸部プレートをそっと外しししししししししししし、し、白銀ぇぇぇぇぇぇッ!!!』
がしゅん、がしゅん、と重さの感じられない足音が押し寄せる。ブラス一人なら振り切れる速度だが、ルスケが全力疾走しても全く引き剥がせる気配がない。厄介だな、とブラスは思う。あちらは肉体的な疲労が無いからアストラル体と魔力の両方のエネルギーが尽きるまで常に全力で行動が出来る。
しかも、あの鎧たちは段々と動きにぎこちなさが消えて速くなっている。最初は鎧の身体に完全に適応していなかったのを、ノロノロ逃げる目標を追いかけるうちに慣らされてしまったのだろう。そう、まるでステイタスの上昇に慣れずに体を動かす練習をする冒険者のように――
「待てよ……『恩恵』は魂に刻まれた『情報』……!」
「あの、ブラスさん!!連中ただの鎧にしては足が速すぎないッスかぁ!?」
「この予想は当たっていて欲しくないが……魂の情報と同時にアルガードのステイタスまで受け継いでるのかもしれん!!」
「もう何もかも出鱈目だぁッ!!」
次々と見に降りかかる不幸にルスケが天を仰いで叫ぶ。
アルガードも小人族の職人とはいえもう20年以上冒険者をやっているのだ。ギルドの登録ではレベル1となっているが、『神秘』のアビリティがある時点で明らかにレベル2かそれ以上だと考えるのが妥当だろう。つまり、税金対策でレベルをサバ読みしている可能性が高い。
スタミナが半無限で、しかも一体一体が最低でもレベル2の冒険者並みの身体能力。こんなものがあれば一人でちょっとした軍隊を作ることさえ可能だろう。しかし、それとは別にブラスには一つの疑念があった。
(これだけの術を行使した術者は、果たして無事でいられるのか……?)
自分自身の魂を情報として出力するだけで脳には果てしない負担がかかるはずだ。余りのストレスに人格や性格に異常を来たしてもおかしくはない。それを、何のためにかは測りかねるがこんな使用法をすれば――いや、それは護衛対象を安全な場所に移動させてからにしよう、とブラスは考え直す。
『生贄が足りないのです!?か!なララ貴方のためメメに荒侘なイきぇニ嬰のそっ首かげげげげげげgrrcsユーの生き血をサクリファイス!!』
「くそが、護衛対象がいるんじゃ無理は出来んか……!」
鎧の中でも最も小さな個体が2M近くある槍を掲げて凄まじい速度で突っ込んでくる。
ちっ、と舌打ちしたブラスは剣を抜いて距離を取りながら考える。力づくで強引に吹き飛ばして後ろの鎧たちに衝突させたいが、それをやるには抱えているモルドが邪魔だった。
「ガラではないが、切り裂く!」
槍も鎧も上物ではあるが、切り裂くことだけに集中すれば斬るのは難しくはない。それに、こちらの剣はオリハルコンを惜しげなく使ったヘファイストスの最上級品。対してあちらの槍は精々が鋼製。素材的にも斬れないことはない。
「ふッ!!」
微かに速度を落として槍の鎧に近づき、瞬時に居合のような瞬撃を槍に叩きこむ。
ブラスの刃は吸い込まれるように槍へと飛び――
直後、凄まじい手応えと共に刃が弾かれた。
「な……!?」
『ドワーフは死ね!ドワーフは生きる価値なし!ドワーフは穢れた一族!ドワーフは死刑か奴隷!!』
鎧は何事もなかったように狂気を感じる叫び声を上げながら槍を振り回す。何故自分の斬撃がああもあっさり弾かれたのか――あの『異常なまでの手応え』は何か。瞬時に考えを巡らせたブラスは、まさか、と逼迫した声を漏らす。
疑惑を確かめるためにブラスはその鎧に2発の斬撃を立て続けに叩き込む。鎧の足、関節の脆い部分、それぞれにぶつかった剣からは先ほど槍から感じたものと全く同じ手応えが返ってくる。
「間違いない……鎧も武器も両方が『不壊属性』だ!!」
「は………?『不壊属性』って………つまり、壊れないんスかあの鎧!?」
「ああ、壊れない!アルガードめ………アストラル体とは別に『現象写し』で『不壊属性』の性質を鎧に複製していたんだ!!」
『不壊属性』――このオラリオ内でもごく限られた存在が、非常に高価な資材と多大な時間を費やしてやっと製造することが出来る属性。その力は万物の法則を塗り替え、決して衝撃で壊れる事はない。たとえ装備者の命が消し飛ぼうとも、それはだけは原形のまま残る――文字通り壊すことが不可能な物質属性。その物質法則を、アルガードは複製したのだ。
理性は持たず、冒険者並みの能力を持ち、そして決して壊す事の出来ない鎧――『悪霊軍団』。
「待って下さいッス!俺達の後ろにいる鎧ってざっと見渡しても屋敷の中にいた鎧の半分くらいッスよね!?もしかして、もう半分は街に野放しッスかぁ!?」
「面倒ばかり起きやがって……こんなことならばレフィーヤでもいいから頭数を増やして来ればよかったッ!!」
ブラスは事ここに到って、他の冒険者を一人でも連れてこなかったことを後悔した。
後書き
いよいよ戦闘開始になります。
あ、ちなみに戦闘やってる間はアズ一行の出番はありません。
39.『免疫細胞』
鳥葬、というものがある。
人間の死体を鳥に食べさせることで、その血肉を大地に還す――とても古い文化だ。
ごく一部では神が降臨した今でもこの儀式によって大地に肉体を還すという考え方が残っている。
自分はそうではない。
ごく普通の、極東の火葬文化に馴染んで育ってきた。
鳥葬の文化を耳にしたのは、一目惚れした旅人からだった。その時は随分とグロテスクな儀式だと恐ろしく思い、そんな様子を見た旅人は「昔の話だから」と慰めてくれたものだ。
彼との1日が重なるほどに仲は親密に、なお愛おしく。
引力に惹かれるように、心は彼の瞳に吸い寄せられていった。
そして――。
「浄蓮……いますか?」
はっ、と物思いにふけっていた思考が現実へと戻ってくる。
部屋の戸から響く、どこか年齢を感じさせる女性の声。自らの主神の声だ。
「ここにおりますえ、主神さま。どうぞお上がりなさって……」
「では、失礼しますよ」
戸が音もなくスッ、と開き、主神オシラガミが部屋へ上がり込む。質素な着物を着こむその佇まいは、オラリオの大胆な服を好む女神たちと違ってどこか気品がある。一部の神からは面白半分に「熟女神」などと呼ばれているが、なるほど確かにこの女神からは成熟した美しさが感じられる。
そのオシラガミの瞳がすっと見咎めるように細まる。
「また、その傷跡を見ていたのですか」
「ええ……これを一日一度は見ておかんと、『初めて』を忘れそうになってしまいますさかい……」
自らの腹部に刻まれた、美しい肌を侵すよな醜い傷跡。一日に一度、必ず服を脱いではそれを鏡に映してそれを指でなぞる。そうすることで、これが刻まれた日の記憶を鮮明に喚起させることが出来る。
散々に抉られたような傷跡は枝分かれするように広がり、その様はまるで彼女の腹に棲みついた八つ足の大蜘蛛のように異様な存在感を放っている。
この傷跡を消し去ることも、出来ない訳ではない。
しかし、浄蓮はこの女としての辱めを敢えて体に残し続けた。
全ては来たるべき日に果たす復讐の為に――胸の内で今も暴れ続ける狂おしき獣を解き放つ、その日の為に。
「……まだ忘れられませぬか。その胎を抉られた日を」
オシラガミから注がれる、哀れみの籠った視線。
過去に囚われ続け、下法に堕ちる修羅の道へと歩んだことに、今更後悔などありはしない。それを分かっていてもこの神がこちらを憐れむのは、その執念が過去と結びついて解けないからなのだろう。過去を恨み、過去を悔やみ、過去に生きる――きっとこの主神は未来を見てほしいのだ。
しかしできない。これだけは、死しても手放すことは出来ない。
「どうして忘却出来ましょう?消えまへんよ、二度と……ああしから『女』を奪い、ああしの男までもを奪った仇を……幾千の夜が過ぎ去ろうが、この記憶だけは消させる訳にはゆきまへん」
静かに脱いだ着物を着こみ、改めて主神へと向かい合う。
「で、何の用でありましょうか?」
「……街の北西より強い『呪』の気配を感じます。いつものように確認して――それが世を乱すよどみであるならば切除してきて貰えますか?」
「その命、謹んでお受けいたします」
懐から手袋を取り出して、手に装着する。いや、他人はこれを手袋だとは思えまい。掌の表と指先以外には殆ど布が無く、本来護る筈の手の甲などはほぼ剥き出しになっているのだから。指先だけは琴爪によく似た角が鋭く伸びているこれは、自分専用の武器だ。
何もこの街の秩序を守っているのはギルドだけではない。かつてはアストレア・ファミリアがあったように、自律的にこの街の秩序を維持する存在は昔からオラリオに存在する。そして、オシラガミ・ファミリアのクニツ・浄蓮もまた――そんな秩序を裏で支える冒険者の一人だった。
= =
追いかけっこは長く続かなかった。
意識がないモルドとそれを抱えたまま走るブラス、そしてもとより体力がそれほどないルスケ。こんなメンツで無限のスタミナがある『悪霊の軍団』の集団から逃げおおせるなど到底不可能だ。時折ブラスが通路にあった木箱や樽を蹴飛ばして鎧たちをひっかけたり試みるが、碌に効果が現れない。
おまけに攻撃に転じようにもブラスが荷物を抱えたままで、しかも相手が破壊不能と来れば全く有効な対策が取れない。
「ルスケ、お前あとどれくらい走れる?」
「ぜぇーッ!はぁーッ!あっ、あとっ、3分ぐらいぃっ!!うぐぉっ、わ、脇腹が……ッ!!」
「情けない男だ」
「うっさいわ!!そんな大荷物抱えて顔色一つ変えずに走る冒険者のアンタがおかしいんッスよッ!!」
既にルスケは限界の一歩手前だ。全速力で走り続けて既に数分。デスクワークに特化した彼の身体は関節や筋肉が次々に悲鳴を上げ、全身から脂汗やら冷や汗やらが噴き出ている。
それに、長期間意識がないまま揺さぶられ続けているモルドもよろしい状況とは言えない。無抵抗な彼の身体は人間が反射的に行うような自衛行動を一切取れないので、既に彼の身体には潜在的なダメージが蓄積し始めている筈だ。
ブラスは思案を巡らせる。
凌ぐだけならルスケとモルドを狭い路地にでも押し込み、そのまま鎧を彼らの元に辿り着かせないように自分が肉壁となりつつ戦うのが安全策だろう。今はとにかくこの二人の安全を確保するのが優先だ。
(突入タイミングをしくじった。パラベラムが遠ざかるのを待たずに素早く捕縛するべきだったか……いや、詠唱開始時に既に鎧が動き出していたということは、動かす準備はとっくに出来ていた訳だ。だとするとおかしいな……あれほど長ったらしい詠唱をする必要がどこにあった?アストラル体を押し込む際の精度の念押しか?)
鎧を動かした理由は、おそらく彼がこちらの妨害とは関係なしに予めそうする計画だったのだろう。アルガードはこちらの存在に気付いている様子はなかったし、彼自身がこう告げていた。
――百合の花を散らせた罪人の数と死んだ人間の数がまだ合わない。
――僕にはもう一人、この手で殺さなければいけない存在がいるんだよ。
(工房の方向転換に同意した主神ウルカグアリ……工房から去った旧友ウィリス……或いは例の『共犯者』か?ともかく、そいつを倒すためにあの鎧どもの細工を用意したと考えるべきだろう)
しかし解せない。話が正しければ計画は一か月前から始まり、魔法を覚えてからもそれなりの時間があった風に感じられた。ならばあんな理性が半分飛んだような不完全品では最後のターゲットを確実に殺せるのか怪しいものだ。
平時に発動させればモルドは確実に死ぬだろうが、彼の陶酔ぶりから考えればそんな大がかりな仕掛けをせずとも殺すのは容易いだろう。
(ならば、統率する存在でもいるのか?より大量のアストラル体を蓄えられる器があれば或いは出来るかもしれないが……あの屋敷にそんな代物が――)
あの工房の玄関。
超特大、前代未聞の推定6,7Mクラス。
(そんな、物が…………)
作、『人形師』ヴェルトールと事実上の合作である鋼鉄の兵。
存在そのものが全く実用性皆無なのに、無駄に洗練された無駄のない無駄な造形美。
ブラスは猛烈な頭痛と共に、万感の想いをこめて叫んだ。
「……盛大にあるじゃねえかぁぁぁぁぁぁーーーーーッ!!!」
直後、アルガードの工房があった付近から盛大な土煙と轟音を響かせて鋼鉄の巨人が体を起こした。
太陽の光を大きく反射する眩い銀色の四肢がゆっくりと動き、その指がぎちぎちと音を立てて動き出す。
『ふクくっ……クははっはっはっはぁ……誰もッ!!誰も僕を止められない!止められないんだぁぁああああああああああアハハハハハハハハハハッ!!!』
空白の筈の兜の隙間から人魂のような光を漏らすそれは、街中に響き渡る特大の少年の声でビリビリと大地を揺らした。曲がっていた膝が伸びたことで全高7Mオーバーになった巨大な鎧――余りにも出鱈目な光景に、轟音に気付いた周辺住民さえも唖然となる。
『悪霊の軍団』の主が、神々の街に降臨した瞬間だった。
考えれば――鎧たちはアルガードの私室からずらりと並んで玄関近くまで列をなしていた。つまり、魔法で鎧たちに魂を転送したわけではなく、実際にはあそこから玄関の巨大な鎧にアストラル体を転送するために鎧を利用したのだ。だとしたらあの理性のない鎧たちは導火線か、あるいは増幅器。鎧の兵隊たちはそれによって生まれた副産物でしかない。
周囲の鎧が急に立ち止まり、統率のとれた動きで大鎧へ我先にと向かっていく。どうやら副産物の操作に関しても目途を立てていたらしい。元々が自分の魂だ。方法はあるのだろう。
「出鱈目な事ばかり考える奴……!あんなものを持ちだして、一体奴は何がしたい!?」
体力の限界を迎えて地面にへたり込んだルスケを背に、ブラスは忌々しげに吐き捨てた。
= =
嗚呼、人生最高の気分だ。
まるで建物が子供の積み木にように脆い。軽く足を動かしただけでいとも容易く薙ぎ倒せる。
試しに手を振ってみると、まるで普段の肉体の延長線上にあるかのように軽い。
まるで巨人の気分だ。
それも理性のないゴライアスのような存在ではない、洗練された大鎧だ。
子供の頃にあれほど憧れた鋼鉄の戦士に自分自身が成った。その感動たるや、間違いなく人生でも最大の歓喜であろう。
『僕自身が鎧になる!!考え付きもしなかったな!!図らずとも幼い頃の夢まで叶ったという訳だ!!ふくっ、悔しいが鎧の構造に拘り抜いたヴェルトールには感謝せねばなぁ……』
手先が種族的に器用という訳ではない猫人の身であり、しかも鍛冶が専門ではないにも拘らず、ヴェルトールは依頼に沿ってこのサイズの鎧を組み上げた。40年かけてやっと今の技量に到った僕とは違い、間違いなく天賦の才覚を持っている。
だからこそ、奴がレベル4の地位に居座って一歩も進もうとしない事には言いようのない腹立たしさを覚えていたが――もう、それも過ぎ去りし過去の時間となりつつある。
夢はいつか醒める。
幻想は長く続かない。
僕にはもう時間がないのだ。
全神経を集中させるように意識を引き伸ばし、街中に広めていく。それは何の興味もない一般人を捉え、自分の魂の残滓が籠った鎧たちを
『感じる……感じるぞ……!お前の魂の鼓動を!!』
首飾りを8個渡した後、もう一つお前の首に9個目をかけたのを覚えているか。
殺害人数が8人なのにどうしてひとつ多いのかと尋ねたお前に、僕は『お前も付けていなければ不自然だろう』と言ってやった。お前は盲点を突かれたように苦笑いしながらそれを受け入れたな。
その首飾りにはお前の考え通り、殺傷力など皆無な唯のネックレスだ。ただ一カ所を除いて。
それの中心部は特殊な透過物質を込めてある。この物質はアイテムとしては何の役にも立たないが、あらゆる探知機能や魔力をまるで空気のように透過する不思議な性質を持っている。その中に僕の魂を入れたらどうなると思う?
普通ならば人により何かが入っていると探知できる。だが、その物質に宿ってしまったその場合のみ、完全な隠匿性を得られるのだ。分かるか?お前は最初から最後まで、僕にずっと監視されていたんだよ。
兜の頭を動かして周囲を確認する。動かすたびに頭部内に設置した鐘が喧しくガラガラと鳴り響くが、気にする事でもない。
『バベルがあっちか。向こうにガネーシャ像が見えると言う事は、あいつがいるのはダイダロス通りの方角だな………聞け、僕の兵隊たち!!』
自分の分身たちに強く念じ、君主からの絶対命令を伝える。
最早魂だけの存在となった僕たちの魂は互いに深層意識下で繋がり、共振されている。それを利用すれば、最も大きな魂から小さな魂へ自分の行動思想をそのまま転送することが出来る。これまでに無理をして魔法を行使し続けて発見した僕の研究成果だ。
そして、僕はその研究成果を以てして最後の戦いに挑む。
『最後に殺さなければならない男を感じよ!奴の存在を感じるだろう!!……奴を殺せッ!!僕の共犯者を、必ず!!たとえこの世から消滅して地獄の淵に落とされるとてこれだけはやらぬわけにはまかりならんッ!!殺せッ!!それが僕がこの世界にいた最後の痕跡……ピオに対する最後の贖いッ!!』
ピオ――。
君があの時に僕たちと出会わなければ、今でも君は牡丹の花のように可憐な微笑みを浮かべていたのだろうか。今頃はレベルが5とか6とか、そんな『勇者』にも並ぶような戦士になっていたんだろうか。
僕たちは、そんな君から未来を奪ってしまった。
でも、君と出会わなかった未来なんて僕たちは考えたくない。一緒に街を遊んで回ったり、時には共に冒険に出たり。君は優しくて、可愛らしくて、時々おっとりで、たまにドジで、それでも尚美しくて――僕たちにとっては美の女神フレイヤよりもよほど魅力的な女だった。
ピオ、親友だった。いや、親友以上だった。愛してるなんて安っぽい表現じゃ言い表せないほどに僕たちは彼女にぞっこんだった。君が死んだと聞いた時、僕は怒りでも悲しみでもなく、底なしの奈落に身を落としたような喪失感を味わい続けた。それはウィリスもだと信じていた。
あいつら8人のせいでピオが死んだのだと思う事はあった。
だが違う。今でもその思いは切り捨てることが出来ないが、それだけではないのだ。
僕たちは――僕たち『10人』で贖わなければならない。
『まさか今更一人だけ助かろうなんて醜い事は考えないよねぇッ!?僕も、君も、裁かれるべき過去の罪なんだよ!!あの世で共にわび続けようよぉ……ウィリスぅぅぅぅぅぅーーーーーッ!!』
= =
「無理心中ってのは勿論迷惑だが、心中の為に他の人間を巻き込むってのは更に迷惑な話だな」
「ノンキ言って見物決め込んでる場合ッスかぁぁぁーーーーーッ!!」
その辺に放置されていた市場の二輪車に詰めて運ばれながら、ルスケはどこかのんびりしたブラスに全力でツッコんだ。
がらがらとし石畳の上を走る振動の不快さもさることながら、この二輪車はジャガイモか何かを運んだものなのか猛烈に土臭い。しかしもう走れないくらいに消耗しきったルスケはこの二輪車で気絶したモルドを抱えたまま運ばれることしか出来なかった。
「あいつ!街をブチ壊しながら兵隊引き連れて移動中なんッスよ!?このままだと犠牲者が出るッス!!俺達の事はいいからアンタどうにかして止めに行ってくださいよッ!!」
「俺の任務はお前の護衛と殺人事件の解決。あの大鎧どもを止める権利も義務もありはしない。なまじあったとしても、優先順位は2番か3番だ。心配せずともあいつが通っているルートは出稼ぎ連中の宿舎が立ち並ぶ場所だからよっぽど運の悪い奴がいないかぎり死人は出ない」
「いやいやよしんばそうだとしてもッ!!このままだとアイツ止まらないッスよ!?冒険者ステイタスに加えて『不壊属性』なんッスから、そんじょそこらの冒険者じゃ勝てないっしょ!?」
「勝てないなら逃げるだろう。冒険者ってのはそういう奴が生き残る」
「ホント冷徹ッスね!!あんた心が鉄で出来てるんじゃないッスか!?」
「心などという不確かな存在に根拠を求めるな、甘ったれが」
皮肉のつもりが何故か罵倒された。鉄どころかオリハルコン製なんじゃないだろうか。
「とはいえ……貧民街の方に向かっているのはマズイな。あの辺りはあれで人口密集地だ。既に避難は始まっているだろうが、あのデカブツが来るまでに間に合うかどうか……」
「他人事みたいに!俺達の街なんだからアンタも守ってくださいよ!」
「ぐちぐちと喧しい」
「ごわぁっ!?」
ガタン!と二輪車を揺さぶられたルスケは後ろ頭をぶつけて悶絶する。
「お前、何で人間が風邪をひくか知ってるか?」
「はぁっ?ンなもん……アレだろ。夜に寝てるときに毛布でも蹴飛ばしたせいで体調が悪くなるんだろ?」
「不正解だ。実際には菌やバクテリア、ウィルスが……お前にも理解できるように言えば『目に見えないくらい小さな生物』が体内に侵入することで発生する」
「なんかお前知能低いだろって言わんばかりの扱いを受けた気がするッスけど……理解は出来たッス」
「そこで質問だ。実はこの『小さな生物』は世界のそこらじゅうに住んでる。この台車にも、お前の口の中にもいる。なのにお前は今風邪をひいていない。それは何故だと思う?」
「……答えが出なくたって俺達は生きていける、それが答えッス」
「知らないなら知らないと言え。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だ」
この女は男の意地っ張りというものを全て真正面から打ち砕いて惨めな思いをさせるタイプらしい。デキるけどモテない女の典型だ。行き遅れてしまえ、と内心でぼやいた瞬間にもう一度台車が揺れて再び頭を打った。
「正解は、人の体の中に余計なものを叩きのめして外へ追い出す機能……『免疫』が存在するからだ。風邪ってのはその免疫が不完全な時に起きる。だから――もしもオラリオそのものを単一の生命体だとみなすならば、その『免疫』とは何だ」
「何だって……オラリオに入る邪魔者を実力で排除する連中……あっ、冒険者!!」
「そういうことだ。さぁ、そろそろ動き出すぞ?」
世界でも類を見ないほどに狂暴凶悪な戦闘集団――このオラリオには、冒険者という名の免疫細胞に溢れている。
同刻――とある屋根の上。
「おいおい何だアレ!家がどんどん壊れてるんですけどぉ!?」
「やろー舐めたマネしやがって!俺達『移動遊戯者』の遊び場をぶっ壊すんじゃねぇ!!」
「武器持ってきなさい!あのデカブツ、どうにかして止めるわよ!!」
「暇な冒険者かき集めて来い!!戦争だオラァーーーッ!!」
同刻――バベル付近。
「おっかしぃなぁ……この辺までオーネストの臭いがしたんだけど」
「あら?てぃおなはんやないの……こげん所に一人でどないしたん?」
「あれ、浄蓮?珍しいねーこんな時間帯にウロついてるなんて」
「ちょっと野暮用があってなぁ……ほら、あっちにおるごっつい鎧のオバケみたいなんを片づけんとあかんのよ」
「あっち?……何アレでっかぁぁぁぁーーーーッ!?」
「いや、あんだけ派手に暴れてるんによう気付かんかったね……オーネストはんに夢中になりすぎちゃいます?」
同刻――ヘスティア・ファミリア付近。
「……ど、どうしよう。師匠はまだ来てないけど、あんな鎧の集団が街を襲ってるなんて……どうする?どうする僕!?」
白髪赤目の少年はしばしの間狼狽えていたが、直ぐに衝撃の事実に気付く。
「っていうか、アレ?あの鎧の進んでる方向って神様がバイトしてる屋台の……ということは神様が危ないいいいいいいいいいいいいいッ!!?」
少年の足は、考えるより先に動き始めていた。
街に突如出現した巨大な敵と撒き散らされる被害に気付いた街の戦士たちは、既に各々で動き始めていた。まるで統一された意識の元に異物を排除するように、同時多発的に、一斉に。
ここは神々の街、オラリオ――世界一勇猛で命知らずな戦士たちの集う街。
40.オープン・コンバット
前書き
正直……週一ペースの更新にペースを落としても連載速度維持できるか怪しい生活サイクルを送っています。生憎私は文字書きである以前に社会人になってしまったのです……。
それは正に、人々にとって悪魔のような存在だっただろう。
『復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古復権復古………』
『芸術は破壊!破壊は芸術!!美しきものが皆壊れるのならば壊してしまえば醜いものも美しい!貴様らも美術品にしてやろうかぁぁああああぁーーーーッ!!』
『やぁみんな!僕は悪を滅殺して正義を遂行する正義の化身アルガーマンだよ!僕より身長が高い奴はみんな悪だから死にぃえあえあえあえあえあ?あ?ああっあ痲耆mr[.ンwe聯\quee24リーアぺ御jr!!』
大通りを埋め尽くす狂気の軍勢。このオラリオでは時代錯誤とも言える全身鎧に身を包み、意味不明な言語を発しながらも手に持った武器はしっかりと構えられた集団に、人々は恐怖した。
「な、なんだあいつらはぁッ!?」
「そんなっ!何でダンジョンの外でまで襲われなきゃならないのよっ!?」
「何所から入ってきた!!ラキアの特殊部隊か何かか!?畜生、ギルドは一体何やってたんだよ!!こういう時の為に金払ってるんじゃないのか!?」
「逃げろっ!!集団の奥に親玉みたいな馬鹿でかい鎧が迫ってる!!踏み潰されたらペチャンコだぞっ!」
「イヤァァァーーーーッ!!」
底辺のレベル1冒険者や非冒険者たちは蜘蛛の子を散らすように一斉に通路から逃げていく。鎧たちはまるで理性が感じられないのに、槍を持った兵が前の布陣をがっちりと固める典型的な突撃体勢で突っ込んでくるため、冒険者たちも迎撃するにしきれない。
「くそっ、隙間がねぇ!これじゃどれだけ頑張って近づいても剣が届く前に串刺しにされちまう!!」
「進軍速度が速すぎる……!!これじゃ魔法を叩きこもうにも詠唱が間に合わないよぉ!!」
『抵抗は無意味だだだだだ!!じっと死てロヨヨ。ああっ、脚を斬り落として伸長を縮めルルだけで済ム。馳駆っとシ升ョョョーーーーッ!!!』
逃げ惑う人々に、奇声をあげる鎧の槍が迫る。最後列でその姿を確認したエルフの女性は、横に走っていた男に足を引っかけて転倒させた。
「うわぁッ!な……いきなり何するんだ!」
「煩い!このままだと追い付かれるだろう!貴様がそこで足止めしろ!!」
「ふ、ふざけるなぁ!何で俺が見ず知らずの女の為に――ヒィッ!?」
鎧の足音がすぐ近くに迫っている事に気付いた男は、悪態をつく暇もなく四つん這いでなんとか逃げようとする。しかし、死への恐怖に腰が抜けたのかせいで動きがおぼつかない。必死で後ずさる男に鎧たちが追い付くのは必然だった。
逃げられないことを確信し、男は目をつぶって身構えるしかない。
しかし、男を待っていたのは想像と全く違う緊張感のない叫び声だった。
「どっせぇぇ~~~いッ!!」
瞬間、男性の頭頂部を掠めるように特大の刃が飛来して、鎧のどてっ腹を吹き飛ばした。
『アガぺぇッ!?』
「うっ……何この感触?妙に軽くて、なのに硬い。何だろう、アイズの剣と手ごたえが似てるような?」
「傷一つついてまへんなぁ……えらい頑丈ですわぁ」
最初に戦場に辿り着いたのは、所属の違う二人の冒険者だった。
「ろ、ロキ・ファミリアのレベル5、『大切断』が何でここに……!!」
「(どことは言わないが)小さい方!」
「(どことは言わないが)小さい方だ!」
「(どことは言わないが)小さい方が来た!」
「鎧より先にアンタ達をぶちのめしてあげようかなぁぁ~~~!?」
こめかみを痙攣させながら『大双刃』を構えるリュヒテ姉妹の(何かが)小さい方、ティオナ。母親の腹の中で姉に色んなものを持って行かれた双子の妹の怒りが爆発しそうになるが、ここはグッと堪える。流石に人の命が懸かっている時に所構わず暴れる訳にはいかなかった。
そしてその隣に並ぶ、日除けの和傘を差した着物の美女にも視線が注がれた。
もう必要ないと言わんばかりに後ろへ和傘を投げ飛ばした冒険者の姿が太陽の光に晒される。
「『上臈蜘蛛』……!その美しさで蜘蛛の魔物を魅了したオシラガミ・ファミリアのレベル4まで……!!」
「あの鎖骨がエロいな」
「いいや、うなじがエロいね」
「逆にエロくない所がなくね?」
「「それだ!!」」
「こらこら……女子に『せくはら』はあかんで?」
しゅるん、と彼女の腕が音を立てた瞬間セクハラ三人衆の前髪がパラパラと落ち、命の危機を感じた彼等はダッシュで逃走した。見事に蜘蛛の子を散らした浄蓮はティオナに上品な微笑みを向ける。
「さて、お邪魔な野次馬がおらんくなったところで、悪人退治といきましょか?」
「ナイス浄蓮!!スゴいね、今のって糸で斬ったの?」
「そういや手の内明かしたんは今日がお初やったですか?館でよう顔合わせとるからウッカリしとったわ。そう、ああしの武器はこれやで?」
もしもティオナがレベル5の冒険者でなかったら、糸を肉眼で確認することも難しかったろう。琴爪のように尖った特殊な籠手の指先から伸びた白い糸が空を切り裂き、接近していた複数の鎧に迫った。ギャリリリリッ!!と火花を立ててぶつかった糸の斬撃に、鎧が複数吹き飛ばされる。
またもや鎧には傷一つつかないが、この斬撃を受ければ下手な金属では輪切りにされるほどの力が籠っている。この糸を用いた戦い方も、また彼女が『上臈蜘蛛』と呼ばれる所以の一つだった。
「ウフフ……この糸はふー坊やとおーねすと殿の合作やから千切れへんでぇ?」
「あいつアイテム作りも出来るんだ……ンなこと出来るなら剣振ってないでとっとと転職すればいいのに」
「言うて聞く人やあらしまへん。よう知っとる癖に……」
くすくすと笑う浄蓮に、ティオナはどこか不満そうな顔で改めて大双刃を振り回す。会話の間に突撃してきた複数の鎧が紙切れのように吹き飛んだ。がしゃがしゃと喧しい音を立てて鎧が弾き飛ばされてる鎧に怯む様子は見られない。
「なんや、えらい様子のおかしな兵隊さんたちやねぇ?動きは早いけど立ち回りがど素人や……いや、そもそもこいつらホンマに生きとるんやろな……?」
「あ、浄蓮も思った?なーんか、意志は感じられるんだけど中身がないっていうか……やたら丈夫なのも気になるんだけど、中に人が入ってるにしては重さが感じられないんだよね?」
あれだけの威力で吹き飛ばされたら普通は鎧の中にも凄まじい衝撃が奔る筈なのだが、吹き飛ばされた鎧達はあっさりと立ち上がってまたこちらへ向かってくる。
「………確かめて見よか」
浄蓮は手を振り、自慢の糸を鎧の頭部に侵入させる。――通常なら顔面に糸が刺さるが、手応えが丸でない。まさか、と思い糸を頭部に巻き付けて力いっぱいに引き寄せると、パカン、と軽快な音を立てて鎧の頭部が外れた。
「やっぱり、この敵……中身がカラッポやわ」
「うげっ、頭がないのにうごうごしてて気持ち悪っ!?何アレ、オバケ!?」
「かもしれへんね。見てみぃ、頭が外れとんのに平気で動き回っとるわ」
頭を失って一度は転倒した鎧も、本来曲がらない筈の方向に関節を曲げながら体勢を立て直して四足歩行で二人に迫ってくる。
『ぼぼぼぼぼボクボクボク僕を侮辱する言動は死刑、死刑、私刑、しけぇぇぇ~~~~~~~~~~~~~ッ!!!』
「うっさい気色悪いこっちくんなオバケ鎧っ!!」
ティオナのフルスイングであっさり吹き飛ばされた鎧だが、やはり壊れない。
馬鹿力が自慢のアマゾネスの中でもレベル5という高みにいるティオナは、純粋な筋力だけならばレベル6に匹敵する。ここまで来ると並大抵の『硬い敵』は一撃で粉々にされてもおかしくないにも拘らず、鎧の軍団は止まる様子も見せない。
今までに戦ったことがない、全く異質な敵。これまで戦争紛いの争いも経験したことがあるティオナには、無機物である鎧がひとりでに動いて襲ってくるという浮世離れした現状が理解できない。
彼女には彼女が自分の人生で積み上げた戦闘経験と常識がある。中身のない鎧が動くわけがない……それがティオナの世界観だ。その世界観を冒す未知の存在に、僅かながらティオナが弱腰になる。
敗北する要素はないのに、勝利条件が分からない。
「どうしよう浄蓮……こいつら弱いくせに全然壊れないよ!?ほら、大双刃の先っちょが欠けてる!!これ滅茶苦茶硬くて強い剣なのに!『大切断』の名前が泣くよぉ……」
「ここまで丈夫やと単純に硬いっちゅう問題とちゃうよねぇ……まさか『不壊属性』?」
だが、もしそうなら対処の仕様がないわけではない。糸で縛り付けて行動不能にすれば――そう考えた浄蓮の視界が、あるものを捉える。
それは目算百数十Mほど離れた場所から近付きつつある巨大な鎧。
全高7Mはあろうかという親玉風味な巨大鎧が身をかがめ、まるでこれから全速力で走ろうとするように力んでいた。
「まさか……突っ込んでくる気!?だったらこのまま受けて立っちゃうよ!『巨人殺し』のファミリアに力押しで勝とうなんてブンフソーオーなことを……!」
「ちょお待って……あれは走る時の構えとちゃう!」
走るのならば片足を前にしてしゃがむはずなのに、あの鎧は両足を同じ場所で曲げている。
それが意味するのは――跳躍の構え。
『貴様らのような品のない女どもに構ってる暇はないのだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!』
直後、ズガァンッ!!という轟音とともに跳躍した鉄の鎧は、二人の頭上を遙かに超えて防衛線を悠々と突破した。
数百M離れた場所からけたたましい着地音と逃走する人々の悲鳴が響き渡る。踏み潰されたわけではないようだが、このまま放置すれば結局そのような末路を辿るだろう。
「………品のない女どもやて、ティオナはん」
「いやー言われちゃったねぇあっはっはっはっは……」
「ウフフフフフフフ………」
「あははははははは………」
異様に落ち着いた声で笑いあう二人に近づいた複数体の鎧が、街の外に飛ぶ勢いで吹き飛ばされた。
「……あれ、親玉やねぇ」
「そうだね」
「親玉潰したら子分も黙るんが集団っちゅうもんよねぇ」
「あるある。小さい魔物をはべらせてる魔物は大体そのパターンだもんねぇ」
二人の周囲にある空間に伝播する強烈な『憤怒』の感情が、ビキビキと音を立てて歪んでいく。
「死ぬより恐ろしいっちゅう言葉ん意味、噛み締めさせたるわ……!」
「壊れにくいんなら叩いて潰して丁寧にミンチにしてあげる♪」
しゃらら、と音を立てる糸と大双刃の刃がそっと触れ合う。
それはとても静かな――女のプライドを傷つけた愚か者に対する死刑宣告だった。
アルガードはまだ気付いていない。
自分が余計なことを口走ったために、二人の狩人を本気にさせてしまったことを。
= =
ベル・クラネルは新人冒険者である。
祖父に色々とアレな教育を施されてオラリオにやってきて今はなんやかんやでヘスティアという女神の眷属をしている彼は、今日も「師匠」と崇めるガウルと共に立派な冒険者になる為の特訓を受ける筈だった。
ところが、約束の時間が来る前にベルの視界をとんでもないモノが横切っていった。
それは、奇声を上げて武器を振り回す100体近くの鎧の大群と、その鎧たちの20倍以上はあろうかという超特大鎧の大行軍だ。
余りにも堂々と練り歩いているから一瞬「都会の祭りかな?」と楽観的な事を考えたベルだったが、次の瞬間に巨大鎧が建物を倒壊させて道行く人々の悲鳴が上がったことで事態を把握。鎧軍団がこの街にとって「敵」であることを理解する。
当然と言うかなんというか、ベルは震えあがった。未だ冒険者になって間もない若輩者で、しかも最近になってようやく魔物相手のヘッピリ腰が直ってきた程度の度胸しかないベルが「殺し合い」などという野蛮かつ残虐な行為にすぐさま立ち向かえる訳もない。
ただ、そんな少年にも「悪」を許せない心というものはある。いわば一般論レベルの、人並み程度の正義感だ。だから、鎧の軍団が通り過ぎていくのを何もせずに指を咥えて見逃すのはどうなのだろうと悩んだ。善意と恐怖の狭間――戦うか逃げるかの狭間。
だが、均衡は割とあっさり崩れ落ちた。
「もう逃げてるんならそれでいいけど、もしも逃げ遅れてたりしたら……!神様ぁぁぁーーーーっ!」
鎧の集団が向かっている方角――それはベルの尊敬してやまない主神ヘスティアが涙ぐましくもバイトをしているじゃが丸くんの屋台があることに、彼は気付いてしまったのだ。
もしもだ。もしも自分が怯えて縮こまっている間にヘスティアがあの鎧に襲われたら?それでもしも彼女の美しい肌に傷でも入ったとしたら?
――僕、最っっ高に格好悪くない!?
無駄な努力かもしれない。あれだけ派手に暴れているんだ、事態に気付けばヘスティアとて自力で逃げ出しているだろう。しかしそれでも、ベルはその目で一度確認しておかなければ安心することが出来なかった。
もちろん出来るだけ鎧に出くわさないように小さな路地を縫うように移動してはいたのだが、不意にベルは誰かの気配を察して急ブレーキをかける。
「まさか鎧に先回りされてたりは……しない、よね?」
恐る恐るベルは路地の角から片目を出して様子を伺う。
そこには、ローブを着こんだ男性らしき人が苛立たしげに佇んでいた。
「糞!!ファックファックファックファック、ファァックッ!!あのイカレポンチ野郎め、お膳立てしてやったってのに最後の最後でコレかよッ!!見せびらかすように暴れまわりやがって……計画が狂っちまうだろォガよぉぉッ!!ああ気分がワリィ!!………だが、ヒヒッ。鎧に自分の魂を写すたぁクレイジィだ!芸術家さんは発想がイイねぇッ!!芸術なんぞ興味がねぇが、馬鹿にゃできねぇなァッ!!」
(うわぁぁぁ……こんな時に限って滅茶苦茶近づきたくない系の人がいるぅっ!?)
怒り狂っているかと思えば全身を仰け反らせて喜色を露わにする挙動不審な男性に、ベルはものすごーく困った。ベルの記憶が正しければこちらの路地のルートを通り、かつ大通りを避けるにはあの超絶不審者のいる一本道を通らなければならなかった筈だ。
今から引き返すのでは間に合わない。かといってあそこを通って絡まれでもしたら、逆に誰かに助けてもらわなければいけなくなってしまう。散々迷った挙句、ベルは一つの方法を思いつく。
(道がないなら「上の道」を行くしかないかな。最後に木登りをやったのっていつだったっけ……)
建物を上って屋根の上を行く移動方法……『移動遊戯』。やったことはないが、この辺の建物は屋根が平らだからやろうと思えば出来ない事はない筈だ。手足の欠けられそうな場所におおよその目星をつけたベルは「よしっ」と呟いて昇ろうとし――
「でぇぇぇ?そこの曲がり角でコソコソコソコソしてるのはどこのどちら様かなぁ?お兄さんは優しいので今出てくれば7割殺しで済ませてあげるよぉ?」
(バレてたぁぁぁ~~~~~っ!?)
どわっと背中に冷や汗が噴き出た。
7割殺しってほぼ死んでるんじゃないですかね……などと場違いな事を考えて現実逃避をしてもいいのだが、ベル少年は痛い事はものすごく苦手素人冒険者。回避だけならそこそこ自信があるものの、あからさまに危なそうな男に無警戒に接近する気は全く起きない。
それに――先ほどからあの男を見ていると、巨大な蟲に睨まれているかのような背筋をなぞる不快感を感じる。あれに近づくことを、ベルの本能が完全に忌避していた。
(うう……お願いだから僕の事には構わず通り過ぎて……ッ!!)
「おいおいおいおいおいおいお~い!時間稼ぎですかね~?考えてるね~?自分が痛い目に遭うかどうかとかァ?この人見逃してくんないかなぁとかァ?或いは今から引き返せば逃げられるかもしれないとかァ!!どぉなんだオラ言ってみろやぁッ!!」
瞬間、ベルの鼻先すれすれを『何か』が掠め――ベルの横の『何か』にカコンッ、と子気味の良い音を立てて命中した。
(…………えっ?)
この時、ベルは建物の角を挟んだ位置からほぼ直角に正体不明の何かが飛来したことにも勿論驚いた。しかしそれ以上に驚いたのが――自分の真横に、いつのまにか見上げる程大きな鎧が音もなく佇んでいたことだ。
声も出ないほど驚いたベルは、全身の産毛が真上に逆立つような錯覚を覚える。
『……………………』
「……………………」
鎧はゆっくりと手を上げ、ベルを人差し指で差し、一言。
『執行猶予付き』
(何がっ!?)
それだけ告げた鎧は、突如として手斧を持ったままベルの横をすり抜けて通路へと侵入していく。
『執行猶予付き死刑』
「あァん?何だよオイオイオイオイオイ!誰かと思ったらポンコツ鎧かよっ!何だかねぇこの人形に話しかけてたことに気付いたかのような言い知れない虚しさ!この空虚感をどうしてくれんだよ糞鎧がぁッ!!」
『執行猶予付き斬首』
図らずとも、鎧が姿を現したことであの厄介極まりなさそうなローブマンはベルの存在を鎧と勘違いしたらしい。つまり、この瞬間だけならベルはノーマークである筈。その考えに瞬時に思い至ったベルは、建物の窓際や街灯などに次々に手足を引っかけてヤモリの如く駆け上がる。
が、焦った所為か足の固定が甘く、つま先が滑った。
「おひゅっ!?」
奇妙過ぎる悲鳴にしまったッ!と顔を真っ青にする。変な声で自分の存在がバレたらせっかく存在を悟られずに動いていた努力がパァだ。だが、心配は杞憂に終わった。
『パパパッパパッパパパパパパパッッッパパパ、パゥワアァァァアアアアアアッ!!!』
『一緒に死のう!どんな死に方がいい!?練炭!?首吊り?串刺し!?ギロチン!?それとも熱で溶かした黄金を口から流し込んで君も愉快な黄金像ぉぉぉーーーーッ!!!』
「サンドバックが2体追加ぁぁぁぁッ!丁度いい、戦闘サンプルとして俺様が有意義に使ってやるぜぇぇぇッ!?」
とんでもない奇声をあげる2体の鎧が悲鳴とほぼ同時に通路に突入してきたのが足元に見える。その声にかき消され、ベルの悲鳴は気付かれなかったらしい。ほっと一息ついたベルは、勢いよく屋根の上に登りきる。これで一度安全だ。
しかし――とベルは思う。
「待てよ……あのヘンな鎧を三体も同時に相手してあの人大丈夫なのかな?」
心にゆとりが生まれた時、人は余計な事を考える。先ほどまであれほど警戒していた相手にそのような感情を抱いてしまう彼は、きっとそういう人物なのだろう。そのまま素直に通り過ぎていればよかったものを、ベルはどうしても気になってか屋根の上からこっそり下の様子を垣間見た。
そして――絶句した。
「ん~~ん……首筋の筋肉を震わす心地よい振動だ。これはトータルステイタスで筋力800……820……824って所かぁ?雑兵の類にしちゃあそこそこの馬力だなぁ。動きが素人なのが気になるが、どうでもいいか?」
上機嫌そうにゴキゴキと首を鳴らしながら男がにたぁ、と嗤う。
鎧の手に握られた斧が、剣が、槍が――光の壁に激突して停止していた。
「次は耐久力のテストだっ!!俺様を長く楽しませる為にもあっさりクラッシュしてくれるなよぉ?――『反転』ッ!!」
男が左手を光の壁に叩きつけた瞬間、突如として三体の鎧が同時に吹き飛ばされる。けたたましい音を上げて壁や地面に激突しながら無様に転がる鎧たちを見ながら、男はローブのフードで隠していた顔を晒した。
「うはぁぁーーッ!!面白れぇ面白れぇ!!ピンボールみてぇに弾け飛びやがった!しかし今のは自壊してもおかしくない衝撃だった筈だが……これは耐久力だけの話じゃねぇなぁ!いいぜいいぜいいぜ!この大魔導師様の知的好奇心が刺激されるぅッ!!」
首元からネックレスをぶら下げた男は手に『魔導書』らしき物を握り、そのページをなぞると同時に周囲に無数の光の球が出現する。一つは炎を、一つは氷を、一つは雷を――全ての光球が違う属性を携えて男に追従する。
そこには、ベルの初めて目撃する『魔法使い』がいた。
「解析開始だ!!踊り狂え、実験対象共ッ!!アヒャヒャヒャヒャヒャヒャアアーーーッ!!」
尖った耳、浅黒い肌、狂気と恍惚の入り混じる歪んだ愉悦の表情。知的なイメージのあったエルフという種族とも、派手な攻撃をする煌びやかな魔法というイメージとも結びついてはいる。それでも、あれは何となく、『エルフとは違う気がする』。
最初に感じた本能的な忌避感は気のせいではなかった。ベルの本能のようなものが全身を振るわせるほどの警鐘を打ち鳴らす。本能的に、ベルは息を――気配までも殺してその男を凝視した。
(何だろう、この感覚……心の奥底が根拠も無しに叫んでる。自分でもおかしいって理解している筈なのに、それでも尚、僕はこのイメージが正しい物だと確信している)
この男は――『敵』だ。
戦おうと感じた訳ではない。ただ、本能的にその感覚だけは確信した。
後書き
Q.ゴースト・ファミリアのメンバーにレベル4が多い気がする件について。
A.これには理由があって、オーネストと近しくなる連中ってのは大体が訳ありなのです。つまり、レベル2、3程度で止まるほど半端な人が少なく、逆に5以上の最前線でバリバリに戦っている人も少なく、何らかの理由があって中堅で燻っているような人――レベル4くらいが多くなるのです。ま、名前が判明しているのはほんの数名ですけどね。
但し、その分だけ執念とタフネスが半端じゃない人が多いので、対人戦だとレベル差1程度なら平気で狩りに来ます。機会があればあっさりランクアップしちゃう勢です。
41.魔導を極めし者
それを戦いと呼ぶのは相応しくなかったろう。
圧倒的な力による蹂躙――ベルが目にしたのは、そう呼ぶに相応しい一方的な魔法の嵐だった。
凄まじい熱波の壁が鎧を壁に叩きつけ、壁諸共凄まじい熱量を押し付けたかと思えば、鎧の真上に氷の矢を大量に出現させて攻撃する。魔法に必要なはずの詠唱を一切せずに行われる光景は、最早神の奇跡をその目で見ているように凄まじい。
男性がすっと手を上げた瞬間、虚空に鋼鉄の突撃槍が出現して鎧のどてっぱらに飛来する。鎧は為す術もなく吹き飛ばされた。体そのものは全くダメージを受けていない鎧だが、そもそも攻撃をしている当人は倒すために魔法を放っている訳ではない。
「ほーう、炎熱魔法からの氷結魔法でも強度に一切の変化無しか。なるほどぉ?『不壊属性』の定着は完璧という訳だ!!アストラル体のエネルギーはじわじわ減少しているが、なるほど人間の魂を動力源にする……か。思ったより燃費は良さそうじゃないか?素晴らしいなぁ……!!」
恍惚とした表情で鎧のデータを収拾する危険な男は、身体を丸めてくつくつと嗤う。
その姿が、ベルには蜷局を巻いた蛇のように映った。
愉快そうな男が、なおも動こうとする鎧たちの方へと顔をあげる。
「愉快、愉快……しかぁぁぁし………今、飽きた」
突如、その表情が真顔になり、先ほどまで一歩も動かそうとしなかった足をつかつかと前へ進める。
「もう組成も原理も能力値も全部測ってしまった。つまり、貴様らには最早俺様の脳細胞を刺激するだけの魅力が皆無だ。端的に言うと――」
男が指をくいっと挙げた瞬間、石畳がまるでスライムのように波打ち、石の強度を保ったま隆起して三体の鎧を強制的に立ち上がらせる。鎧は抵抗するが、「粘性を持った石畳」は押しのけても押しのけてもずぶずぶと体を拘束していく。恐らく生身の人間があれを受ければ――『石の中に入れられる』だろう。
『執行猶予無し死刑。死刑。おまえは死ぬべ――』
「うん、お前が死ねや」
僅かに露出していた鎧の頭部に手を当てた男は、驚くほど無感動な声と共に指で鎧をタップした。
瞬間、鎧が凄まじい閃光に包み込まれる。ベルは咄嗟に屋根の上から覗き込むのを中断して顔を庇った。
ズドォォォォォォォォンッ!!!という大地を揺るがす爆発音が路地から壁を伝って真上に突き抜ける。遅れて木材やガラス、石材の破片が周辺にぶちまけられる。何が起こったのか確認するために覗きこんだベルの眼に映ったのは――完全に停止して地面に転がる、ぼろぼろの鎧。既に半壊している鎧は、まるで内側から凄まじい力が弾けたように歪にひん曲がっていた。
「ふぅぅぅぅ~~~……予想通り過ぎてつまらん結果だ。アストラル体で動いているというのは常に魔法を発動させた状態と同意義。つまり対魔法術式である『ウィル・オ・ウィプス』を初めとした魔力暴走干渉に極端に弱い。いくらアストラル体に人の意志が宿ろうが、そのアストラル体そのものを暴走させられては唯の爆弾だ………いや、それを利用して自爆戦法ってのもイカしてるな?帰って一度考え直しておくか!」
爆発のすぐ近くにいた筈の黒いエルフには傷一つなく、埃ひとつローブに付着していない。最初に見た様な壁の魔法で全てを防ぎ切ったのだろう。男は鎧の方には見向きもせずに懐から取り出した使い古しのメモ帳に何かをペンで書きこんでいく。
冒険者とも、魔法使いとも、これまで見聞きしてきたありとあらゆる人間に感じられなかった異常性。戦いという行為を実験としか捉えておらず、一切の攻撃が通る気配のない超越的な力。アズライールのそれとは全く違う、背筋をなぞる『気味の悪さ』に、ベルは震えた。
(……あの人の事は気になるけど、今は神様だ)
改めて巨大鎧を確認すると、段々と最初の道を逸れてベルの側に接近しつつあるのが見えた。方角だけを見れば未だにヘスティアのバイト先に近い方向へ向かっている。さっきまで見ていた光景や疑問を一度頭から追い出したベルは、愛すべき主神のいる方角へ飛び出した。
と同時に、屋根の上を移動する集団が次々に集まってきてベルの進路を塞いだ。
「何やってんだお前!ターゲットはあっちだろうが!一緒に行くぞ!!」
「あら、可愛い子!ねえねえ名前何って言うの?」
「後にしろ馬鹿!!それにしても一人で偵察に向かうとは『移動遊戯者』の鏡のような少年よ!さあ、俺達が来たからには恐れる物はない!共にこの街の屋根を護るぞ!!」
断っておくが、ベルからしたら全然知らない人達である。しかし彼らは『移動遊戯』に魅入られし者たち。彼らの不文律の中には、『屋根の上で会った者は顔を知らずとも兄弟!!』としっかり刻まれている。
つまり、端的に言うと――彼等はベルの事を広義での仲間だと勝手に勘違いしてる。
「へ?え?いや、僕は今急いでまして……」
「レッツゴー!!」
「な、何でぇぇぇーーーーーッ!?」
『移動遊戯者』はノリが大切。ノリが良ければ全て良し。故にノリで盛大に勘違いされたベルは半ば強制的に鎧討伐部隊に連行されることとなってしまったのであった。
「ファック………誰だか知らんが上手く逃げやがったなぁ。声からしてガキかぁ?」
鎧の処分が終わった男は、ローブのフードをかぶり直しながら悪態をつく。
男は、途中から誰かが自分の事を観察しているのには気付いていた。ただ、鎧の方に興味が向いていたので後回しにしていただけだ。終われば適当に始末して死体を跡形も残らぬよう燃やして灰にするつもりだった。
ところが、当の観察者は『移動遊戯』というふざけた遊びをしている連中と合流して行方をくらませた。もし相手に魔術の素養があればもっと早く手を打っていたのだが、相手からはそのような気配やマナを全く感じられなかった。要するに、ただのデバガメしていた凡人だ。
「まァいい。出来れば存在を悟られねぇように動けってオーダーだったが、『あれ』はそこまで狭量でもねぇし、『出来れば』の話だかんな。大体『あれ』の計画が成功しようが失敗しようが俺様は俺様の魔導を探求するだけよ」
唯の冒険者一人、放置して致命的な穴になる訳でもなし。今から追いかけてもどれがデバガメの犯人か特定するのが骨だし、目撃者を出さないように殺すとなれば皆殺しにしなければならない。不可能ではないが、やらないデメリットをやるデメリットが上回るような真似をするほど男は暇ではなかった。
「あ~~~あ。どっかに俺様の興味を引くほど奥深くて素晴らしい魔法がないもんかね?今回のも応用としては悪くなかったが、根本的な部分で人間業を越えられねぇ。人類の生み出す魔法はもう飽き飽きだ……」
心底つまらなそうに、男は足をぶらぶらさせながら路地裏の影に移動し――音もなく『影』の中に沈んで消えた。彼が消えた後の影が、まるで水面のように一瞬ゆらぎ、元に戻った。
= =
『反応が急速に遠ざかっていく………逃げる気なのか……逃げる、なよ……僕から逃げるなァァァァァァァーーーーッ!!』
巨大な鎧が甲高い咆哮をあげる中、『移動遊戯者』の集団はベルから情報を得ていた。
「何だとぉ!?全部不壊属性ぇッ!?」
「は、はい!よく分からないんですけど、凄い威力の魔法をぶつけられてもビクともしてなくて……なんか最後の方は魔力の暴走に弱いとかいう話をしてました……たぶん」
「魔力暴発の事か……?理屈は分かるが随分と飛躍した話だぞ?」
「だが少年は『移動遊戯者』。つまり俺達の仲間だ!仲間の言う事を信じない奴は終わってるゼェ!!」
「いやだから僕はそのパルクーラーじゃな……」
「「「「屋根に足をかけたその瞬間!君は俺らの仲間入り!!」」」」
「どうしよう!僕、このノリに着いていける自信がないッ!!」
都会の人はみんなこうなのだろうか、とベルは頭を抱える。もしそうだとしたらこれから都会で友達を作っていく自信がない。しかし、それはさて置いて鎧だ。この調子ではあの鎧たちを追い払わなければヘスティアどころかパルクール集団から解放される事も出来ない。こうなれば騒ぎの原因である鎧を片づけるしかない。
と、覚悟を決めたはいいものの……現実は厳しいものだ。
『ウィリスゥゥゥ!!そうか君は追いかけっこがしたいんだねぇ!?昔はいつも僕がびりっけつだったもの!!でも駄目だよぉ……今の僕から逃げ切るのは不可能不可能不可能ぉぉぉぉぉぉッ!!!』
親玉らしき巨大な鎧が再び咆哮を上げ、猿のように四つん這いになって建物の上を移動し始めた。パルクーラーは眼中にないのか建物を抉りながら進路を変えていく。時折間接を360度回転させたり不気味に痙攣しながらも異様な俊敏性で進む様は、鎧に悪魔に糸で操られているかのようだ。
が。
「待ちんしゃいなこのウドの大木がぁッ!!」
「ハッ倒してブッ殺して輪切りにしてやるから逃げんなぁぁぁーーーーッ!!」
ゴシャンッ!!と、巨大な鎧が屋根の上に這いつくばる。
猛スピードで迫った二人の冒険者が、巨大鎧を蹴り潰さん勢いで着地した反動で叩きつけられたのだ。その二人の周囲に他の鎧たちが群がり様に跳躍して近付くが、二人は全く引く気配がない。
『ボクヨリチイサイクセニ!ボクヨリチイサイクセニィィィィアアアアーーーーーッ!』
「誰の胸が小さいと言ったかオラァァァーーーーッ!?」
『人間には生まれながらに天井より選ばれた品格というものがあるのだつまり貴様らのような下劣な女どもには寵愛を受ける権利など無く人生の負け犬として惨めに過ごすことが運命宿命さだめめめめめめめbgレmppj・@5y寤ュゴ」聾ァイゴご臨終ぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!!』
「じゃかあしいわこの唐変木ガキがぁッ!!」
バリンッ!!ベキャンッ!!ギャリギャリギャリッ!!と凄まじい音を立てて鎧が跳ね飛ばされていく。遠すぎて顔は見えないが、その気迫たるや近付いただけで自分たちも弾かれそうな勢いだ。控えめに見ても、苦戦しているようには見えなかった。
「………帰って寝ようかな」
「いやいやいや!確かにあの二人は凄いけど、肝心の鎧が全然止まってねぇから!!」
「本当だ……あれだけ巨大な剣をぶつけられても立ち上がってる。不壊属性の話もあながちウソじゃなさそう」
(疑ったり信じたり忙しい人たちだな……)
微妙に一貫していない見解にゲンナリするベルだったが、ここでいつまでも呑気に見物していてはいつまで拘束されるか分かったものではない。非常に気は進まないが、控えめに挙手したベルは自ら口を開く。
「あのー、それであの鎧を止める具体的な方法について……」
「あ、ああ。そういえばそんな話してたっけ」
「忘れてたんですかッ!!」
「「「だって俺達パルクーラー!!ノリで生きてりゃ無問題!!」」」
「嗚呼っ!僕やっぱりこのノリ嫌いだっ!!」
こうしてやっと第一次鎧対策会議が始まった。
「魔力暴発を誘発させるなんて、普通は『それ専用の魔法』でもなければ無理だ。使える奴いるか?」
「オレ、マホウ、センモンガイ」
「魔力暴発って何~?」
「っつーか俺達の中に魔法使える奴いなくね?」
「俺達の知能が総じて低いと申すか!」
「そうだよ(便乗)」
「なん……だと……」
「出来ないことは仕方ない。鎧の撃退はすっぱりきっぱり諦めるか」
「結論出るの早すぎませんかッ!?」
第一次会議、失敗……。
続いて第二次鎧対策会議。
「魔力バランスが悪いんだろ?なら『混乱』のステイタス異常を与える毒薬で魔法暴発狙いとか!」
「バリバリの違法品じゃねえか!!しかも鎧相手に効果あんの!?」
「ないね」
「なんということだぁ!」
「魔力バランスが不安定なら付加魔法でいけないかな?エンチャント系で効果があるかもしれない!」
「魔法……魔法が使える奴………あっ(察し)」
第二次会議、失敗……。
泣きの一回、第三次鎧対策会議開始。
「ここに三本の魔力回復ポーションがあるじゃろ?」
「鎧にどうやってポーション飲ませるんだよ……よしんば飲ませられたとして、回復させてどうするんじゃこのボケナスがー!!」
「ですよねー!」
「ねーねーちょっとー!」
「しかし、前提として連中に『回復』の概念があんのか?もしないなら本当に中身に干渉できるかもしれんぞ?」
「ポーションは人体に影響を及ぼす薬品だよ?鎧相手に薬じゃ無理だよ~……」
「待ちな!!魔力回復ポーションは空のタンクに燃料を注ぐように魔力を吸収させる薬物。つまり、ポーションの薬液は魔力を蓄える性質を持っている筈だ!!」
「ちょっとってばー!」
「そもそもポーションも魔力回復ポーションも主成分一緒だっつーの」
「ちょっとその辺詳しく!!」
「ポーションは前提として血肉の代価になる訳で、それと魔力両方の代価になるものといったら根源霊素のエーテルぐらいのもんだろ?で、エーテルってのは魂と深い結びつきがあって、神聖文字に籠った『神気』と反応させることが……」
「ぐすっ……皆無視する……凄い発見したのにぃ……」
集団の一人が双眼鏡片手に体育座りで落ち込む女性の姿を背に、何故かポーションの性質について熱く語りだす集団。体育座りしている女性があんまりにも寂しそうだったので、ベルは居た堪れなくなって声をかける。
「あの……何を発見したんですか」
「ふんだっ。どーせみんな私の事なんて興味ないんだ……」
「そんなこと言わないで、ね?」
「………んっ!」
女性が双眼鏡を押し付け、ベルの身体を巨大鎧の方へと向ける。見ろって事かな?と解釈したベルはされるがままに双眼鏡を覗いてみた。鎧の上ではさっきの冒険者たちがまだ暴れ狂っている。
「っていうか、よく見たら片方は浄蓮さんだし……なんかイメージ崩れるなぁ」
「誰が女の人見ろっていったのよ!!もっと足元見なさい!!」
べし!と頭を叩かれたベルは若干の痛みをこらえながら足元を見る。
「………お二人とも足が綺麗です、ね?」
「まったく男って奴は!見るのはもっと下ぁっ!鎧の背中だよ!!」
べしべしべしっ!!と頭を叩かれまくりながら「何で僕こんな事やってるんだろう」と自問するベルだったが、鎧の背中を見た瞬間にあっ、と声が漏れた。その鎧の背に、本来ならばある筈のない物が浮かび上がっていたからだ。
「あれって、冒険者の背中に刻まれてるエムブレムと神聖文字!?」
「そうだよ(便乗)」
「大発見だと思って皆に声かけたのに無視するし……無視するし~~!!」
がすがすと地団太を踏む女性とミスタービンジョーはさて置いて、まさか鎧に神聖文字が刻まれているとは予想外だった。そもそもあれは人間に刻まれているものなのでは……と混乱してしまうが、この報告にポーション談義に花を咲かせていたメンツの顔色が変わる。
「……神聖文字が刻まれてるってことは、『神気』も内包してるって事か?」
「だとしたら、あいつらにポーションをぶっかければ……」
「『神気』に反応したポーションが鎧に強制的に浸透しようとし魔力バランスが崩れて、話の通り爆発させられるかも………!?」
光明が、見えてきた。
= =
「我が主君、戦局が動き始めたそうです」
「へぇ……思ったより早かったね?」
背後に控えていた『部下』の声に少々意外そうな声色を出しつつ、彼はチェスの駒を一つ前に進めた。彼の目の前にいる対戦相手は静かに唸り、細い手で駒を一つ突きあわせた。
「主要な存在がまだ動いていないにも拘らず解決の糸口を見つけたんだね。この街の危機管理能力を過小評価していたかな?」
「いえ、あの『学者崩れ』の独り言から手がかりを得たようです。あの男の気まぐれと慢心がなければ今も右往左往していた所でしょう。所詮、神々の住まう街などその程度の場所――」
「どうかな。通常では掴めない運命というものを掴む……そのような『偶然』を引き寄せる素質も世の流れには存在するものだ。彼の少年もまた数奇な運命を辿る子……興味をそそられる対象だね」
会話を続けながらもチェスは進み、彼は何の躊躇いもなく相手の布陣を翻弄する。打てば打つほど相手の熟考時間は伸び、選択肢が確実に潰されていく。盤上の趨勢がどちらに偏っているのかは誰の目から見ても明らかだった。
『………容赦がないな、君も。私がチェスを苦手な事を知っていてこれは大人げないんじゃないか?』
「ほんの戯れだよ。そう目くじらを立てなくともいいじゃないか」
『付き合わされる私は心穏やかじゃない』
くぐもった不機嫌そうな声に、彼は苦笑いする。彼の対戦相手は暇を持て余す神々の一人――その中でも一等何を考えているのか分からない存在なのだが、ボードゲームでは何を考えているのか簡単に見据えることが出来る。彼はそんな神のことを個人的に気に入っていた。
かの神は他の神と違ってあまり世界に興味がない。地上の人間も勿論だが、天界に関しても『昔から』興味が無さそうにしていたのを彼は知っている。時折人に興味を持つこともあるが、それも一時的だった。正味、彼は最初にこの神に『誘い』をかけたとき、返事には全く期待していなかった。
しかし、この神は乗った。
「今でも不思議に思うよ。君はどうして僕の話に乗ったんだい?」
『話のスケールが余りに大きかったからね。君の夢の行く末には、私にも興味があった』
「本当にそうかい?君は今の世界が嫌いという訳でもないだろう。むしろ『人のように生きる』ことを好んでいるようにさえ見える。君の気に入っているものと僕の目指すものは相対することも、聡明な君には分かっていた筈だ」
『そうだね。私はこの世界に満足したこともないが、不満に思ったことも一度としてない……君は、大いに不満の様だが』
こつり、とチェスの駒が動く。彼はほう、と唸った。神の差した一手が、追い詰められた陣に風穴を開ける可能性を示したからだ。
「不満だとも。尊きものを尊く扱えない不幸が、この世には満ち過ぎている。そしてその大きな源となっているのは、静止した刻の中で傲慢さばかりを肥大化させた連中のせいだ。正直、ダンジョンの主には同情すら覚えるよ」
連中からすれば、ダンジョンなど体のいい遊び場でしかない。莫大な財を生み出し、様々な欲に満ちた人間がひっきりなしに押し寄せ、傲慢の源を分け与えられた人間たちは時に思い上がり、時に傲慢になり、そしてその過ちに手遅れになってから気付く。
神を憎むあまりにこのような戦場を作り上げたというのに、その戦いこそが相手の望んでいた事。これほど屈辱的なことはない。迷宮の主は果たしてそれに気付いているのだろうか。
「僕は――神のことが嫌いではない。勿論人間も嫌いではない。むしろ好ましくさえ思ってる。彼を見給え、あの純真な心の暴走を」
近くの鏡には、オラリオで暴れては二人の冒険者に妨害される巨大な鎧とその傀儡たちが暴れる光景が投影されている。チェスを続けながらも、彼はその様子を心底愛おしそうに見つめる。
「秩序からは逸れているかもしれない。しかし、人の心とはもとより秩序で縛りきれるものではない。彼の想いはどこまでもピュアだ。愛おしくさえ思うよ」
『その割には、実験台のように使っていたようだが』
「仔細は彼に任せた。それに――今、彼の心には何の迷いもない。100%……不純物を取り除かれた美しき覚悟。自ら望んでその覚悟に到った。それは死より遙かに価値のある瞬間だ」
『………まぁ、それが君だからね。それよりも約束は守ってもらうよ』
いつの間にか、神はナイトで道を切り開き、その刃をキングの喉元に突き付けていた。
「ふむ……ここから粘って勝ちを拾いに行くことも不可能ではないが、確率としては低そうだ。それにしても面白い差し方をしたね。今までの動きは全て、このナイトを活躍させるための伏線だった訳か。………ああ、約束は勿論守るよ。もとより君を支配できるなどと思いあがったことは考えていない」
『ならいい。それではそろそろお暇させてもらうよ』
「結末を見届けないのかい?」
『晩酌の場で私の眷属から結末を聞くよ。それに、今日は私が食事を作る当番だ』
静かに席を立った神に、青年は声をかける。
「これも不思議に思っていたんだが……君はこれまで沢山の人物を僕に紹介してくれた。なのに自分のたった一人の眷属は一度としてここには連れてこなかったね。何故だい?」
神には今、一人だけ眷属がいる。
しかし、その眷属が出来る以前にもこの神は眷属を作っている。そしてそれを彼に引き合わせ、その全員が彼の同志となった。つまり、神はずっと仲介役という形でしか眷属を持つことをしていない。仲介が終わればすぐさま眷属契約を解除して後の事は知らんぷりだった。
しかし、他の誰を同志として彼に引きあわせても、たった一人の眷属だけは「契約」が終了しても一度たりとて連れてこなかった。
「それほど眷属くんに惹かれたのかい?」
『約束をしたからね』
「約束?」
『あの子は、『腕さえあれば』と言ったんだ』
神は静かに振り返り、その「単眼」の模様越しに彼を見た。
『他の戦士は与えた力で直ぐに答えを出した。でも、あの子はまだなんだ』
「それが理由かい?」
『いつかきっと、あの子は私の目玉が飛び出るほど驚く答えを持って来る気がするんだ。……むむっ』
この神がそう言うのなら、本当にそうかもしれない。
何とはなしに、彼はそう思った。
「興味深い話だ……その答え、僕も是非とも聞きたいな」
しかし、答えを出すなら急がなければならないだろう。
彼が『事』を起こした時には、既に刻の砂は硝子のくびれを通り過ぎた後だから。
後書き
ポーションの設定、エーテルの設定はしれっと勝手に作りました。あと冒険者の恩恵に関しても独自に勝手な解釈をしています。
最後の方に出てきた全く正体の分からない人たちは誰なんでしょうねー(棒)。
42.La La Bye…
鎧の襲来によってパニックになった一般人が逃げ出した今、街の中はこの一角だけに不気味な沈黙が訪れている。常に人ごみに塗れている場所からいるべき人が消えた空疎な空間。しかし、その沈黙は長く続かず、大地を駆け回る複数の足音とそれを追跡するけたたましい鎧の足跡が静寂をかき乱す。
『ろ?ろ?ろれれれれれれれええ~~……えげり?りままれここここここここ………ウギャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!オオオオアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
『御犬様は雄大!!御猫様は尊大!!御馬様は強大!!御鼠様は偉大!!そしてて人間は不完全Dr;出来損なbs㟴jぃぃぃぃぃぃぃぃあああああああああああAAAAAAA!!!』
「俺達は畜生以下かよ!?」
「真っ当に相手するな!どうせ正気を保ってはいまい!それより次の曲がり角を右ぃ!」
「あいさっ!!」
妙に道を走り慣れた男達は息の合った動きで障害物を次々に飛び越え、角を曲がっていく。鎧は半ば獲物を追う本能のような野性的な動きでそれを追跡し、男達と鎧の距離は中々離れない。鎧にはスタミナというものがなく、対して逃げるばかりの男達は時間が経てば減速せざるを得ないのが明確だった。
やがて男達は逃げ場のない路地に追い詰められる。
「うげっ……思ったより狭い」
「泣き言いうな、男だろ!!ここで迎え撃つしかないんだよ!!」
「来るぞ!!」
周囲の障害物を強引に押しのけるように突撃する鎧たちは、獲物が入り込んだ路地に一斉に殺到し――そこに誰もいない事に気付いて動きが一瞬止まった。その隙を――素早く屋根の上に登っていた男達は見逃さなかった。
「あーあ……これシャンパン並みに高いんだけどな~」
「俺達からの奢りだ、たらふく喰らえよ気狂い共がッ!!」
鎧の目に映ったのは自分たちに向かって投擲された複数のガラス瓶。
そして、ガラス瓶は鎧に命中して割れ、中の液体が鎧に降りかかる。
ガラス瓶など何のダメージにもならない――そう判断したのか鎧がさらに進もうとした刹那――鎧達の背中が強く輝いた。
直後、凄まじい爆炎と閃光が路地を激しく揺るがした。
「どうだ、やったか!?」
「鎧はバッチリ粉々だ!作戦成功っとぉ!」
「やれ、フラグは不成立に終わったか……焦らせやがる」
屋根の上から見下ろす先には、内側からひしゃげた複数の鎧の動かぬ姿があった。
同刻、街の別の場所でも爆音が上がる。
「ぬあっ!爆発の衝撃で壁が抉れとる!!」
「多少の被害はしゃーないしゃーない!」
「まったく、避難が済んでるからいいものを……」
「おい、C班も片付いたみたいだ!次行くぞ!!ポーションの残りはあと何本だ!?」
「非常時だからアズライールの無人販売所から一杯パクってきた!!」
「そうか。お前の事は忘れねぇよ。いい奴だった」
「ムチャシヤガッテ……」
「は、話せば分かってくれるって!多分!きっと。そうだといいナ………」
明日死刑にかけられるような表情を浮かべる男性が居た堪れなくなったベルはおずおずと声をかける。
「あの、僕知り合いなので説得しましょうか?多分許してくれると思うので……」
「きみが天使か……結婚しよ」
「いやいやいや僕男ですからね!?」
「分かってる……結婚しよ」
「全然分かってらっしゃらない!?この人アタマおかしいよぉ!!」
……唐突な告白はさておき、屋根の上を圧倒的な機動力で駆け回る『移動遊戯者』の足を持ってすれば、鎧の場所把握や誘導などお手の物だ。更に思わぬ鎧の弱点である事が判明したポーションによって次々に鎧は爆破され、脅威は着実に減少していた。
爆発の二次被害で街のあちこちから噴煙が上っているのはいただけないが、鎧の進路が避難困難な貧民街である以上は速やかに排除しなければならない。壊れた家の持ち主には申し訳ないが、これも尊い命を護る為である。
そして、悪霊の軍団が次々に駆逐されていく中、悪霊の王は未だに二人の冒険者に圧倒されている。
「あのデカイのが何で、何をしたかったのかはサッパリだが……終わりだな」
「ああ。この街で暴れたんだ。そのツケは体で払う事になんだろ」
『移動遊戯者』たちの目線の先には、抵抗虚しく進行方向と反対側に吹き飛ばされる巨大な鎧の姿があった。何に燃え、何に狂ったのかは不明だが、その姿は恐ろしさより哀愁を感じさせるほどに惨めだった。
……なお、ここでベルが嬉しくもない男の熱烈プロポーズを受けてしまったどさくさで逃走して無事に集団から解放されたことを申し訳程度に追記しておく。
= =
僕には時間がないんだ。急がなくてはならない。なのにこいつら羽虫共はどうして何度も何度も何度も何度も――
『何度も何度もぼぼボボ僕の邪魔をすっrrrrrぇうなああおああああオオオオオッ!!』
巨大な拳を振り上げ、次第に上手く出力されなくなる声を聞きながら叩き下ろす。全高6Mオーバーの鉄の巨人の身体から繰り出される、人体保護の無意識化にあるリミッターを解除した一撃が振り下ろされる。
だが、狙った二人の女冒険者はすぐさま回避し、結果的に僕の拳は石畳を粉砕するだけに終わった。ならば、と前に進もうとした瞬間、脚に何かが引っかかって大きくバランスを崩し、転倒する。頭部に内蔵された呼び鈴がけたたましい音を響かせる。
足元を見ると糸が絡まっている。冒険者の片割れの女が振るっていた物だ。これまでのものと違って足に絡みついて離れない。
『グぅ……ジジ邪魔まばかりを……僕はあの日の罪を贖わせなければならないんだ!!この大義をえれレラ儸……偁ぜ邪魔立てする!!どいつもこいつも、よってたかってぇ!!』
「そないなこつ決まっとります!!……あんさんの大義とやらに巻き込まれて無辜の民が血を流さへんようするためやッ!!」
「これだけ好き勝手に暴れて建物ぶっ壊して人の事まで馬鹿にしておいて、何言うのかと思ってたら大義ぃ!?頭おかしいんじゃないの、あんた!何所の世界にこんな風に街を滅茶苦茶にする大義があるってのよ!何様のつもり……よッ!!」
刃こぼれだらけになった双牙刀を棍棒のように振り翳したアマゾネスの女の攻撃が、僕の向かう方角から反対へと体を吹き飛ばしていく。こうならない為の身体だったのに、邪魔をする連中を叩きのめして前に進むための身体だったのに。
僕は夢に到達したのではなかったのか。それとも、やはり僕が鎧を着るのでは鎧の力を発揮できないのか。分からない。分からないのに、また現実はあの日のように僕を叩きのめす。
僕はウィリスを殺さなければ。ウィリスを?彼は親友だ、何故殺す。
そうだ、あさってはウィリスとピオと3人でバベルに買い物に行くんだ。今日は早めに作業を終わらせなければ。それにしても僕はいつまで改造屋を他の8人から押し付けられ――おかしい。おかしいな、他の8人はもう死んだと新聞にあったのではなかったろうか。7人の間違いだったか。
何故死んだんだ。そう、復讐だ。誰の復讐だ?ウィリスと、僕だ。僕は何をしていた?ネックレスだ、ネックレスをピオに送ってあげて、喜んでもらえて。違う。喜んだのはピオじゃなくてウルカグアリ様だ。おかしい。記憶が混濁する。モルド、水を持ってこい――モルドはいない。
様々な記憶がせめぎあい、混ざり、薄れ、擦れ、色褪せ、おかしくなってゆく。
僕が僕でなくなるのは、魂の摩耗が限界に来たその時。
タイムリミット、それが訪れる前に僕は――罪を。
『殺すんだぁぁ……ゥェ、えぃりすを殺ずんだぁ……!!』
「殺して、どうするの」
『殺してぇ……ぇ、そしたら、僕も死ぬんだぁぁッ、ぁぁ……』
「なんやそれ、意味あらへんやないの?」
愚か。意味は、ある。
『後悔の清算ヴぉ……ぁのとき、ピオを殺した始まりの10人全員………死ぬべきだっぁぁんだ……』
「……浄蓮、なんかさっきからおかしいよこの鎧。呂律が回ってない」
考えれば、簡単。改造屋のせいで客が死んだのなら、それは全員の責任だ。至極単純な連帯責任という図式。全員の暴走がピオという美しい牡丹を枯らせてしまったのだ。だから責任を押し付け合ったりするのではなく。
『ピオを殺したのはェ……ロぉく達全員……だから、僕はウィリスが復讐を持ちかけた時……本当の贖罪のたエェメの噁……けいか、くで………』
混濁する記憶の中に残る真実を必死で手繰り寄せ、今にも消えそうな筋書を口に出して確認する。そうでもしなければ次の瞬間にもこの鎧に定着された魂から『自分』が消えてしまう。消える前に――あと一つだけ――それだけを願って腕を前に出そうともがいて。あの日の夜のように、その日の朝のように、連なってきた挫折の記憶をなぞるように。
「計画で全員を殺し、共犯者となったかつての友達ウィリスも殺し、そして自分も死ぬ。それで全てを贖ったことになると、考えたんだろう?」
ひたり、と。
とても冷たく感じる誰かの手が、僕の頬をなぜる。
何とはなしに――僕は悟った。
地獄への迎えが来た。僕は結局、間に合わないまま終わったのだと。
奥にいる女たちが驚いている。余計な女も増えている。
しかし、そんなことはもうどうでもいい。
僕には分かる。黒い髪、黒いコート、そしてその背からこちらを見下ろす熱を感じない鎖の魔人。この男は、僕に終焉を告げる死神だ。
死――生命の持つ絶対不可避の運命。それはどんな形であっても、必ず「そこにある」ものだ。芸術はどれだけ愛でても永遠の存在にはなりえないように、鎧の身体を得た僕もそれを覚悟していた。
『クヤしぃなぁ……ぼぐは、最期までピオのddEめに……』
「ウィリスの為にも……じゃないか?復讐に溺れた哀れなウィリスと、逝ってしまったピオさんと。ウィリスに目を覚まして、一緒にあの世に行こうと思ったんだろう?」
あの日――ウィリスが「あの8人に復讐しよう」と持ちかけた時に、再び憎しみが蘇らなかったと言えば嘘になる。少なくとも、自分がピオの剣を担当していればミスなど絶対に起きなかった筈だ。あいつらに責任があるという点に置いて、僕とウィリスの意見は一致していた。
だが、違うんだよウィリス。
あの結果は8人と、僕と、そして君の10人が導いた結果なんだ。その事実だけは絶対にはき違えることが出来なかったから、僕は復讐せずして過ごしていたんだ。利益に走った時に結局折れたのは誰だ?改造以外の事をしたいからと妥協を許したのは誰だ?その中に僕と君が含まれていないなんて、そんな都合のいい話があるだろうか?
君も同じ思いだと思っていた。だから憎しみを堪えきれていたんだ。そして君がその沈黙を破り復讐すると言い始めた時、僕はその憎しみを復活させたと同時に決意した。この殺人計画の犠牲者を二人増やすことを。
可憐な『舞牡丹』を散らせた罪深き10の罪人。その最後の二人を君と僕で埋めることで、本当の意味で僕たちの贖罪は終焉を告げる。
擦れきった感覚は、ウィリスを騙して持たせたペンダントから感じる波動さえ読み取れないほどに摩耗している。もとよりこれほど巨大な鎧、自意識を保ったまま魂の力だけで動かすには無理があった。そしてペンダントを頼りにウィリスを追い詰めて殺し、僕も死に、あの世でその罪を全員で償おうと考えた。
ウィリスだけ生き残ったのでは道理が合わない。罪が平等ならば結果も平等でなければならなかったのに。
『ウィリスぅ………何デ、逃げタ………』
「……アルガード・ブロッケ。ウィリス・ギンガムは先に天へ昇った」
『え――』
死神の言葉に、擦れた様な声が漏れた。
「君達は友達なだけはあるな……根底では考える事は同じだったみたいだ。天で君の友達が待っている」
『そ、カ…………ウィリスはいツも、僕の一歩ssf{擠………ぃま、僕も逝くよ』
「送ってあげようか?」
『おねGwf……しあ、す』
白く染まっていく視界に、巨大な大鎌が振り下ろされた。
意識が消える刹那、一瞬だけ主神様の悲しむ顔が脳裏をよぎった気がした。
= =
『遅かったな。ずいぶん待ったぞ。まったくこの遅刻魔め……』
『ごめんごめん!夜なべしすぎてフラフラだったから寝すぎちゃった!』
『くすっ、アルガードったら相変わらず不健全ね?駄目よ、偶にはきちんとした時間に寝ないと!』
『ほら、我等が舞牡丹様もこういっていらっしゃるぞ?』
『だって手は抜けないよ!なんたってピオへの愛情と希望をたくさん積めたプレゼントなんだから!』
『ははっ、嬉しそうにこっ恥ずかしい事言いやがって!とうとう告白する勇気でも出たか?』
『か、からかわないでよ!もうっ!!』
『二人ともそんな事言ってばっかで私にはちっとも告白してくれないのね~……他の男作っちゃおっかしら?』
『『えっ!!それは嫌だ!!』』
『くすくす……女の子は流されやすいからすぐどこかに靡いちゃうのよ!さあ、モノにしたかったら追いかけてごらんなさい?』
『ま、待ってくれよピオ!俺達は職人だぞ!手加減してくれないと冒険者の君には追いつけないってぇぇぇ~~~!!』
『結局僕たちピオに振り回されるんだね……よぉし!!こうなったら先にピオに追いついた方が次のピオの剣の改造をするってことで、勝負だ!!』
ひとりの少女を追いかけて、小さな男と大きな男は走りだす。そんな二人の姿を見てはしゃぎながら少女は無邪気に加速し、男達も笑顔でそれを追いかけ続けた。
どこまでも、どこまでも――際限なく、追いかけ続けた。
= =
元冒険者の連続殺害事件の顛末を……不肖ながら、トローネ・ビスタに語らせてもらいます。
まず、最終的なこの事件の死者は8名……いいえ、7名でした。
死者7名はその全員が元ウルカグアリ・ファミリアで武器製造に関わっていた人物です。8人中1人だけは奇跡的に助かりましたが、残りの全員はアルガード・ブロッケの製造した電撃のネックレスによってその尊い命を奪われてしまったことになります。
犯人は2名、うち1名は言わずもがなアルガード・ブロッケその人です。彼は『事象写し』という魔法でもう一人の共犯者と共にネックレスを製造。それを元ファミリアに手渡していました。その手口は唯一の生存者だったカース氏の口から明らかになります。
概要はこうです。
共犯者は元ファミリアに接触し、彼等に「元ヘラ・ファミリアの人間がピオ・ルフェールの恨みを晴らすために動いているらしい」と吹き込んだそうです。しかも、敢えて真実は分からない風を装い、万が一の時の為に気を付けるよう親切心を装っていたといいます。
そして「もしもの時の為の防御アイテム」として、あの殺人ネックレスを手渡していたのです。共犯者の事をすっかり信用した彼らは、それが自分の命を奪うものだとも気付かず肌身離さず装着していたようです。
更に、実際に被害者が出たことで危機感を覚えた彼らは「彼の話は本当だったのだ」と勝手に勘違いし、余計にネックレスを手放せなくなっていったようです。
ネックレスの詳しい構造などは不明でしたが、事件の直前にアルガードと接触した新聞連合の記者からのタレコミとすり合わせる事でここまで詳細な事実を確認できました。
犯人のアルガードの動機は単純で、やはり嘗ての工房のいざこざが彼の心中でずっと尾を引いていたようです。そして共犯者に唆されたことで消えかけていた恨みが爆発。言われたままに計画を実行し、7人もの人間を殺めました。
そのアルガードですが、共犯者の殺害と自殺まで企んでいたらしく、最終的には自分の魂を鎧に映して街で暴れるという暴挙に出ます。彼の中では自分もまた罪人であるという潜在的な意識がずっと横たわっていたようです。
事件後、鎧は全て停止、若しくは爆発。爆発の理由はまだ判明していませんが、とにかくこのせいで街は滅茶苦茶になり、現在急ピッチでの修復計画が進んでいます。幸か不幸か、この鎧の襲撃で多少の怪我人は出たものの死者は一人も出ませんでした。
犯人のアルガードは事件鎮圧から数刻後に工房内で発見されましたが、彼は魂を極限まですり減らしたせいで幼児退行を起こし、簡単な言葉をオウム返しするくらいの知能しか残されていませんでした。この状況では罪に問うても意味がないと判断したロイマン大先輩の温情か、アルガードはそのままウルカグアリ・ファミリア預かりとなりました。
ウルカグアリ様は、事の顛末を説明したアズさんの胸を叩いてこんな事態になったことへの憤りをぶつけてきましたが、しばらくすると落ち着きを取り戻し、現実を受け入れました。元はと言えば自分の管理不行き届きが彼等の道を誤らせてしまったのだと深く反省するウルカグアリ様。彼女に事件の責任は及びませんでしたが、彼女は責任に匹敵する罪を背負ってこれから幼児のようになってしまったアルガードの面倒を見続けるのでしょう。
なお、彼に仕えていたというモルドという青年が彼女のファミリアに入ってアルガードの世話をしたいと頼み込んでいるのを見かけました。結果は分かりませんが、並々ならぬ熱意だったのできっと余程アルガードを想っている人物だったのでしょう。
そして、肝心のアルガードを唆した共犯『ウィリス』――アルガードの親友にしてピオさんの事件に関わったもう一人の重要人物。私、レフィーヤちゃん、アズさんは彼の残酷な事実を知ることになりました。今でも信じられなく思う自分が心の中にいます。
親友にそそのかされ、憎しみの心を利用されて殺人事件を冒し、挙句自分の魂を削りすぎて自分が何者だったのかも分からなくなってしまったアルガード。彼の罪は決して軽い物ではありません。7人も殺せば指名手配されても文句は言えませんし、殺しは当然ながらこの街でもどの国でもタブー。例え復讐や親友の為であったとしても、この事実だけは曲げることが出来ません。
でも――それでも。
私は、アルガードを憎んだり恨む気持ちはちっとも湧いてきませんでした。
彼はきっととても純粋で、すこしだけ行動が遅いだけの、友達想いの男だった。そしてその想いが強すぎたが故に、こんな結末を迎えてしまったのでしょう。彼にとっては嬉しくないと思いますが、私は強い憐みを彼に感じました。
明日、まだ集まっていない全ての情報を出し合ってもう一度事件のあらましを整理することになっています。とても目が冴えてしまい寝付けない私も、当事者としてそれに参加することになっています。明日の話し合いが終わればこの殺人事件からも解放され、晴れて元の業務へ戻れる……なのに、嬉しいと全く思えないのはどうしてなのでしょうか。
事件経過を最後にヨハン先輩に報告した時、ルスケ先輩も全く嬉しそうな顔はしていませんでした。むしろ煮え切らない、納得しがたいといった表情だったように思えます。小説のようにサスペンスがスッキリ解決なんてのは所詮創作でしかなく、私達はこうして小さな妥協を受け入れながら前へ進むしかないのでしょう。
この街は、明日からもアルガードの悲しい末路など気にも留めず、いつも通りに時を刻むのでしょう。誰もが彼に無関心で、自分にはさして関係のない存在だと考えている。こんなにも近くにあるのに、見向きもされずにアルガードの事件は埃に覆われていくのでしょうか。
いつか彼の事件の痕跡も全て修復され、鎧も回収され、最後にはギルドの書類棚に仕舞われた数枚の紙媒体にまで圧縮されて人々の記憶から消滅してしまう……そんな世の中が、私にはどうしてかとても残酷なものに思えました。
= =
「………以上です。勝手なことをして帰ってくるのが遅れて、すいませんでした」
「さよか……まー誰かに迷惑かけた訳でもなし。危ない目にも遭うとらんようやし、ええんちゃうか?」
ロキはレフィーヤの1日の冒険を聞いた上で、そう結論づけた。
「……まーリヴェリア辺りはウンとは言わへんかもしれんけど、オーネストとアズにゃんが一緒やったんなら問題あらへんやろ。それこそいい『社会見学』やったっちゅうこっちゃな」
「………全然役に立ちませんでした」
「あの二人が役立ちすぎるだけやて。特にオーネストなんかこの街の中やと1,2を争うくらいキレ者や。一番手っ取り早い方法を取りすぎるからそうは見えへんかもしれんけど、伊達に一匹狼気取ってるんちゃうって」
からからと笑うロキに、レフィーヤは控えめに頷く。確かにあの人は始終真実に辿り着く為の最短ルートを通っていたように思う。むしろレフィーヤ達がいない方が早く真相に辿り着いたのではとさえ思える程だ。
結局レフィーヤ達がギルドに戻った時には、オーネスト(ブラスの事はロキには敢えて言わなかった。嘘はついていないのでバレなかったようだ)は既に一通りの報告書をまとめてルスケに押し付け、帰路に就いていた。ウィリスの元を訪ねて真実を知った後、更にアルガードを止めに向かっていた間に、あの人は事態がアズによって終息に向かうことまで見越して行動していたのだ。
「信頼されてると考えるべきか、薄情者と思うべきか……」などとボヤきながらもロイマンの元へ向かうアズは、苦労人の背中をしていた。あの人にも色々と相棒に思う所があるのだろう。
「ほんで?今日の小さな冒険で、レフィーヤは何を学んだんや?」
「世の中の汚さと悪の存在意義です」
「言葉だけ聞くとめちゃめちゃ荒んどるな……」
冷や汗を流すロキだが、事実は事実。レフィーヤはこの日、嘘の重要性や人々の無関心から来る倫理との乖離、正当性のない小さな悪が世に及ぼす影響、善意の優先順位など、おおよそ子供が感心を向けるには早い事ばかりを目撃することになった。
「まぁ、アレや。大人に一歩近づいたか?」
「……私、あれが大人になるって事ならずっと子供のままでいいって……ちょっと思いました」
「せやろな。世の中は色んな汚い部分や汚れた部分を抱えとる。人も神も善も悪も、色んなモンが重なり合って引っ張り合う事で今の世の中が形を保っとる訳や。その中で世渡りしてくんには……」
ロキの部屋に置いてあったインテリアの天秤の皿に、インクの小瓶が乗る。真っ黒なインクを乗せた天秤はカタンと左に傾いた。
「……ま、清廉潔白ではいられんわな。汚れきらんとアストレアみたいな事になって、結局は上手く行かへんもんや。かといって……」
机の上にある小さな文鎮を持ち上げたロキは、天秤の反対の皿にそれを置いた。今度は右に皿が偏るが、ロキはインクの乗った皿にペンなどの適当な小物を乗せて、おおよそ釣り合ったバランスに整えた。
「黒く染まりきってもそれはそれでアカン。中庸なバランスを維持しようとするんが大人や」
「『秩序は正義と悪の狭間で成立するもの』……ですか」
「どこで覚えたんや、そんな言葉?」
「アズさんが言ってました。オーネストさんが悪人なのに捕まっていないのもそう言う事だ、って」
「んー、アズにゃんもやっぱりそういう所は大人やな~……それでこそわが相方に相応しい!なんつってな」
普段は漫才のようなことばかりしていても、やはりロキとアズは精神的に対等なのだろう。
アズライール・チェンバレット――昨日まで怖かったあの男は、レフィーヤにとって近く、なのにどこか遠い存在になってしまった。自分はアズのような達観した存在になれるまで、うんと時間がかかりそうだ。
アルガードの復讐の理由を、レフィーヤは最後まで肯定も否定もしきれなかった。
でも、アズはその性質がどんなふうに変化しても全てを受け入れていた。そして受け入れたうえで、彼を止めたのだ。レフィーヤは結局、もしもアルガードが自分自身だったらという仮定から抜け出せなかった。
「もしアルガードさんが私で、ピオさんがアイズさんだったら……それで私が本気で復讐を始めたら………」
「そんな仮定に意味なんかないやろ」
続く言葉は、ロキが遮った。
「どんなに考えても、結局現実はなるようにしかならへん。せやから怖い。やけど、最悪な未来が訪れんようにウチも子供たちも動いとるんや。やから……家族を信頼せぇ、な?レフィーヤ?」
「………はいっ!」
これからどんな現実が訪れようとも、どんな不安に押し潰されそうになろうとも、レフィーヤの周りには頼れる家族が沢山いる。ロキ、フィン、リヴェリア、アイズ……双牙刀をボロボロにして説教されてるティオナだってそうだ。
(それはきっと、オーネストさんだって同じですよね……?)
長身の告死天使と並んで歩く金髪の男の背を思い出しながら、レフィーヤの小さな冒険は幕を閉じた。
後書き
次回、アズたちが辿り着いた真実と……。
次でアルガードを巡る事件は一先ずお仕舞になる筈です。カルピスらない限り……。
43.証拠不十分
前書き
5/21 ミス修正
――時は、アズ達がラッターの案内を受けてウィリスの居場所へ向かい始める頃に遡る。
ラッターは依頼を聞くなり仲間の集まりに向かって情報を仕入れ、僅か十数分でアズたちの下に舞い戻ってきた。
「ヘイ、エブリワン!予め言っておくことがあるんだが……今回そっちが情報を欲しがった『ウィリス』ってヤツな、どんなに調べても20年前の目撃証言しか出て来ねぇ。とりあえず例の場所は判明したが、多分もういないだろうな……何せ、その場所に未だに棲んでるんならいくらなんでも目撃証言がある筈だからな」
普通の人間は生きていくうえで食事を取らなければならないし、服を洗ったり娯楽を求めたりするのなら外出は必須だ。その外出に出ている姿を誰も見てないというのは、そこに住んでいないと考えるのが妥当な線だ。
「ここの通りでは借金取りから逃げるために使われるポピュラーな方法さ。予めこの辺の地理に詳しい『逃がし屋』を用意しておいて一度ここに入り込みし、態と目撃証言を残しつつも本人は全く違う場所から街をエスケープ………なにせこの迷路みたいな地理と人の多さだ。スピード勝負なら逃げ出せる公算が高いのさ」
「………指名手配犯みたいな悪い人もですか?」
「ヘイ、キュートガール?そんな疑いの眼差しを向けないでくれ。俺達が手を貸すのはあくまで善意の範囲までだ。根っからの悪人や人情のないクズまで助ける程飢えちゃいないさ」
今日ですっかり人を疑う癖がついてしまったレフィーヤの目線にラッターは肩を竦める。
「大きな組織に目ぇ付けられてるような連中はこっちの界隈にブラックリストが回ってくるから大抵はみんな関わろうとはしない。下手に触って余計なイザコザを俺達のテリトリーに入れる訳にはいかないしからな。それに、ポピュラーな手だと言っただろ?追う側もそこは当然警戒するさ」
「………ええそうでしょうよ。ギルドは特に警戒してますからねー」
何でも内容に説明するラッターの横で、未だに彼のことをしょっ引きたいトローネが地を這うような恨みがましい声を垂れ流す。その目線には暗に「なまじラッター達のような逃げ道が残ってるから余計なことが起きるんだ」と言わんばかりだ。
しかし、レフィーヤは貧乏ファミリアの話はよく聞くが、夜逃げの話はそれほど聞いたことがない。
「多いんですか、夜逃げ?」
「多いですよ~……パターンは多すぎて説明しきれないくらいですけど、ファミリア結成の見通しが甘い神が一体何人夜逃げしようとしたことか!特に極東系の神!!タケミカヅチ様によるとあと799万数千人ほど天界で暇を持て余しているそうですが!!」
「あっはっはっ!日本神話は多神教ってレベルじゃない神の数だからね~!比率的に偏るのもしょうがないんじゃない?」
「ニホンシンワ?タシン教?なんかまた聞き慣れない言葉が……」
「………そういえばこっちには神話の概念が無かったんだったな。こりゃうっかりだ、今のナシねー」
――後にレフィーヤがリヴェリアに教えてもらったことには、シンワとは「神の辿った筋道」のようなものであり、タシンは「同じルーツを持つ多数の神」という古い概念を表しているそうだった。
ついでに普通の人間なら耳にしたこともないぐらい古くて難しい言葉な上に、シンワに関しては神ぐらいしか知らない筈の内容らしい。アズライールという男はどれだけ自分をミステリアスな存在にすれば気が済むのだろうか――と呆れてしまう。
閑話休題。
裏話や私怨はさて置いて、重要なのは何でもいいから手がかりを得ること。ウィリスが夜逃げしていようがいまいが、今の所彼に繋がる情報はラッターの仕入れた情報しかないのだ。ラッターの先導で隠し通路だらけの入り組んだ場所をひたすらに歩き続けた4人は、多数の小さな部屋が積み重なったような狭い空間にやってきた。
通路なのか建物なのか、壁や天井が所どころ存在せず、まるで既存の建物を無理やりこの空間にねじ込むためにあちこちを削ったような構造だ。ただ、アズだけはその空間をどこか懐かしそうに見つめながら歩いていた。
「分譲住宅か……結構な大きさだな」
「の、割に移動の便が悪くて日の当たりも最悪。おまけにダイダロス通りの建物でも指折りの部屋の狭さで人気はゼロだ。部屋数がやたらと多いし管理が面倒で誰も自分の縄張りにしたがらない塵溜めの中の塵溜めだよ、ここは。噂じゃこの部屋のどっかにファミリアの弱みや犯罪の証拠を放り込んで調査の手を逃れてる奴もいるらしい」
「まるでコインロッ……っとと、これもオーネストにしか通じないな」
「うわ、足元に穴が開いてる……!とてもじゃないけどここで生活する人の気が知れませんね、これは」
「吹き曝し状態のせいで風化が酷い……街はずれのオンボロ教会のほうがまだマシに思えます」
「だろう、ガールズ?だから常識的に考えれば何かから逃げるために使われたとしか思えないのさ……っとと、ウェイトエブリワン。この部屋だ」
4人の足が止まる。錆に塗れた金属のプレートには辛うじて数字であることが分かる文字が彫り込まれ、引けばそのまま壊れそうなほどに古びた扉。これと全く同じに見える扉がひたすらに並ぶ中でここだと断言できるのは、情報屋にしか読み取れない、間違い探しのような「何か」があるからだろう。
ラッターは懐から針金のようなものを取り出すと、かちゃかちゃとドアノブに突っ込んで掻きまわす。動かすたびに錆がぱらぱらと零れ落ちているが、それが「ピッキング」と呼ばれる行為であることをレフィーヤとトローネは知らない。
「アズさん、ラッターさんはさっきから何をしてるんで――アズさん?」
「気配がする」
アズが、黄金仮面を取り外して呟く。
その瞳は全てを吸い込みそうな深淵の如く、その場の人間には理解できない何かを見つめている。
「……『死』だ。それも、これは……」
「駄目だ、アズのダンナ。全く使われた形跡がないせいで中の錠まで完璧に錆びてる」
「とりあえず、ここに管理者がいるんなら『告死天使が修理代を出す』って言っておいてくれ」
「え、ダンナ……?」
緩やかな手つきでラッターを横に誘導したアズはふぅ、と息を吐き、とんとん、とつま先で地面を叩く。そして、目にも止まらぬ砲弾のような速度で扉に蹴りを叩きこんだ。
バキャン、と小気味の良い音を立てて酸化した扉の鍵が割れ、勢いよく扉が建物の中に飛び込んだ。幾ら錆びているからといって容易く蹴破れるものでもないだろうに、あれを人間が受ければ体を貫かれるほどの衝撃を受けるだろう。まるで黒い槍だ、とレフィーヤは顔をひきつらせた。
その瞬間、部屋のなかに押し込まれた空気が大量の埃を捲き上げて外に放出された。扉の正面にいたアズ以外の人間の足元からも吹き上がる埃に周囲が咳込む。
「けほっ、けほっ!!な、何ですかこの埃の量はぁ……ああ、制服が埃まみれに!!クリーニング代だって安くないんですよぉ~……?」
「こ、これはどう考えても長年放置されてた証ですよね……って、アズさん!?」
アズは埃をまともにうけて灰色になったお気に入りの黒コートを脱ぎ捨ててラッターに放り出し、有無を言わさず部屋の中に突入する。今まで温厚だった彼らしからぬ性急な行動に、思わず他の三人は焦って後ろをついてゆく。
部屋の中はとにかく埃だらけで、古くて、そして狭かった。罪人の放り込まれる檻とそう大差がない程度の大きさしかないその部屋には、机と椅子以外には何一つ家具がない。
そして――。
「え………う、嘘………!?」
そして――。
「………なるほど、やっとアンダースタンドしたよ。道理で誰も姿を見ていない訳だ」
そして――。
「…………俺達の探したウィリスという男はずっとここにいたんだな。但し――当の昔に魂は冥府へ旅立ったようだ」
そこには、天井から吊るされ先端が輪になったロープにぶら下がった『もの』があった。
かつては恐らく生物だったのであろう――水分は蒸発し、筋繊維や皮膚の残骸が辛うじてそれの原型を保っている。主成分はリン酸カルシウム、色は黄色に限りなく近い白、床には直径1M近くの茶色い染み。
レフィーヤは口元を抑えて嗚咽を漏らし、ラッターは静かに目線を下におろし、アズは瞑目する。そして、この中で唯一『それ』を見たことがなかったトローネが、埃まみれの部屋の床にぺたんと尻もちをつき、悲鳴を上げた。
「い………嫌ぁぁぁぁぁぁあああッ!!ほ、ほ、骨ぇ……人間の骨ぇぇぇえええッ!!」
そこには、ミイラと白骨の中間を彷徨う一つの亡骸が、首を吊った形でぶら下がっていた。
数分後、部屋にぽつんと残された日記帳に目を通したアズは、部屋を飛び出した。
直後、街に巨大な声を響かせる少年の罵声と地響きが起きた。
= =
某月某日
終わりを感じる。終焉だ。職人として、男として、もう俺には生きる意味が見つからなくなってしまった。食事さえ碌に喉を通らず、ウルカグアリ様に心配されてしまった。俺達の所為でファミリアの信頼だって大きく傾いたはずなのに、それでもウルカグアリ様は俺達の事を気遣ってくれている。その優しさが、今の俺達にとってはどうしようもなく辛い。
アルガードは、あれからまるで感情のない人形のような顔でひたすら工房に籠り、絶えず何かを作っている。その形相には狂気すら感じ、他人の声も碌に聞こえていないようだ。迸る衝動を処理できず、ひたすらに無我の境地に逃げ続けているのだろう。
俺も同じことをすれば気が休まるかと思い仕事道具の鎚を手に持つ。だが、原料の金属を持つ手が震えて止まらず、結局何も出来なかった。
俺達のこの手が、ピオを殺した。
彼岸の向こうへ。手の届かぬところへ。いや、死ねば届くか。
俺は自分の浅はかな考えを嗤った。ピオを殺す原因を作った男が、ピオと同じ場所に行けるものか。
某月某日
ファミリアを辞めた。ウルカグアリ様は止めなかった。ただ、とても悲しそうな目で、逃げ場が欲しくなったらいつでも来なさい、と囁いた。敏いお人だ。同時に慈悲深くもある。無理強いはされていないが、俺はその言葉を聞いた時に心が揺れるのを感じた。生きるのが辛くなったら逃げ場になってくれると、かの神は言うのだ。
だが、俺はもう準備を始めている。恐らくこれがウルカグアリ様と俺の末期の逢瀬となるだろう。
我らが美しき女神よ、貴方の眷属となり尊敬しながらも、その御元を去る不幸を赦し給え。
アルガードには会わなかった。会っても無駄だから、とその時は思ったが、今は違う考えを抱く。親友である彼も「同じこと」を考えないだろうか。俺が接触することで、それを自覚させてしまわないだろうか。なら、いっそ無心で鎚を振り続けたほうがあいつの為になるかもしれない。咎を負うべきはあいつじゃなくて俺なのだから。
アルガード、お前まで馬鹿に付き合うことはない。生きて神に仕え、ゆっくりと心の傷を癒し、いつか「あのバカが行方不明だ」と苦笑いしながらピオの墓前に花束を置く、そんな男になってくれ、と俺は厚かましくも願うのだ。
某月某日
ここなら誰にも見つかる事はなかろう。しかし、俺という存在を消し去るのにこの日記をこの世に残すという矛盾を捨て置いてもよかろうか、と疑問を抱く。死を前に筆とると思いのほかに書き残すことが思いつく。
信愛なる9人の職人と女神、そしてその眷属たちよ。先立つ不孝を赦し給え。お前達には未来がある。されど俺は背負った罪に耐えながら未来を目指す気概は残されていない。もしこの日記を見つけたら、そんなもので罪を贖ったことになるのか、と鼻で笑ってくれても構わない。
真実は、いつか誰かがアルガードに伝えることだろう。カースはお喋りだから、もう誰かに漏らしていてもおかしくはない。アルガード、これを読んでいるか。無責任な男だと憤って日記を投げ捨てるお前の姿が目に浮かび、思わず少しだけ笑ってしまった。
ピオへはここには書かない。彼女はこちら側にはいないのだから。
親愛なる女神様には、既に十分すぎる程に謝意を書き綴ったからもうよいだろう。
これ以上ペンを握っていると名残惜しんで躊躇いそうだから、ここで乱筆なる我が独白を絞めさせてもらう。
罪を償うのは、咎を負うのは、俺一人で良い。
「これが、現場から出てきた代物だ。お前さんの名前もあるぞ、カース」
次の瞬間、震える男の手がベッドに力の限り叩きつけられた。
「馬鹿野郎………馬っ鹿野郎があああぁぁぁぁぁぁーーーーッ!!」
容体が安定したばかりのカースは、その日記の内容を知るや否や、怒り狂って部屋の備品を片っ端から投げ飛ばし、子供の癇癪のように暴れ続けた。なんとか鎮静化した頃には、病室は何者かの襲撃を受けたようにボロボロになっていた。そんな中、彼のベッドの前で微動だにせず日記片手に座り続けていたヨハンが口を開く。
「落ち着いたか?」
「全く気は済んでないんだがね……暴れても意味がないという理性が働くぐらいには、冷めたよ」
項垂れるカースの顔には、酷い狼狽の色が見え隠れする。彼はやはり、この日記の意味に勘付いているようだ。
日記には不自然な部分がある。アルガードの証言内容を纏めると、ピオという冒険者が死んだのは改造した剣の強度が下がった所為。そしてそれを作ったのは誰か分からなかったらしい。だが日記の内容は少し引っかかる。
彼が自責の念に駆られて自害したことは想像に難くないが、気になる点は二つ。一つは、まるでウィリスが他の9人より遙かに重い責を負っているかのような独白。そしてもう一つは「真実は、いつか誰かがアルガードに伝えることだろう」という一文だ。
「真実とはなんだ。そして何故君がそれを知っているのか。その真実とやらを伝えたからアルガードはああなったのか、それとも否か……因果関係をはっきりさせておきたくてね」
「………ウィリスは」
「ん?」
「俺が出くわしたあのウィリスは誰だったんだよ……」
「少なくとも本人ではないだろうな。あの白骨死体の身元は状況証拠からしてウィリス本人だろう。部屋の合鍵は作られていないし、肝心の鍵は彼の腐った衣服の中に入っていたよ」
「……………………」
カースは呆然と床を見ている。まるで状況を処理できていないのか、あまりのショックに言葉が出なくなっているようだった。
そして、ヨハンはまだ彼に重要な事を伝えてない。今回のこれはあくまで『ウィリスの死因を究明する話』であり、彼はまだ自分を殺そうとしたのがアルガードであることを一言たりとも聞いていないのだ。
そんな残酷な現実が待ち受けている事も知らず、カースは記憶を整理するように、ぽつぽつと言葉を漏らした。
「他の連中は知らなかっただろうが、俺は知ってた。ウィリスが黙ってるんなら俺も墓まで持って行こうと……」
「何をだ」
「………『武器は完全だった』んだ。あいつが死ぬ必要がどこにあった……!!」
「………ちょっと待て、それは――」
「『舞牡丹』の剣は、あの時俺の担当だった。でも俺はその剣が誰のか直ぐに判ったから、こっそりウィリスと話し合って整備する剣をすり替えた。だから、『舞牡丹』が受け取った剣は、ウィリスがミスなく完璧に仕上げた剣だったんだ」
「馬鹿な。ヘラ・ファミリアとウルカグアリ・ファミリアはそれで騒ぎを起こし、ギルドの調査が入った!!そんな話は報告書にはなかったぞ!!」
「ああ、なかっただろうよ」
ふっと自嘲気味に笑ったカースは、真実を口にした。
「なにせ、『証拠がなかった』からな………俺とウィリスが作業を入れ替えたなんて帳簿には載ってない。そしてその頃、うちのファミリアでは改造時に強度が落ちていないかのチェックを行っていなかった。だから、立証されなかったんだ。それに、下手に事実を明かせば立証も出来ないままウィリスにだけ疑いの目が向けられる………あんた、自分の同僚を余所に売るか?」
「……納得した」
ギルドは今も昔も事件調査では証拠主義を取っている。だから事実が帳簿に残っておらず、強度チェックがされておらず、事実として剣が壊れていた場合、状況証拠と掛け合わせれば「ウグカグアリ・ファミリアの責任」となるのは事実だ。
「すると、なにか………あの事件は『舞牡丹』が普通に戦って死んで、その責任の所在をお前らに押し付けた……そんな事件だったというのか?」
「知るかよ。そうでもしないと怒りが収まんなかったのかもしれねぇし、あっちの神が慰謝料ぼったくる為に態と煽ったのかもしんねぇ。真相なんて……分かるものかよ」
ヘラ・ファミリアはとうの昔に壊滅し、主神は行方知れずになっている。当事者は恐らく全員がダンジョン内で死亡済み。ヘラ・ファミリアの所有していた土地や屋敷は軒並み売りに出され、冒険者の私物は金目の物を除いてすべて焼却処分されている。
どちらにせよ、当時立証できなかったような事実を覆す証拠を相手がずっと手元に置いているとは考えづらい。当時に彼がどれだけ頑張ったところで、責任の所在が誰にもなかったことを立証するのは無理だったろう。
「その事は、他の連中には伝えなかったのか?」
「当時はみんな疑心暗鬼だったから、言っても信用されないのが怖くて言えなかった。その後、あの頃のメンバーはバラバラになって……再会した何人かには伝えたよ。ただ、アルガードには言わなかった。職人として完全に復活してたあいつの心の傷を、今更になって穿り返したくはなかったからな……」
すれ違った真実。すれ違った想い。すれ違った結果。
全てが噛みあわないまま不協和音だけが響き、全ての人間を不幸にした。
始まりの事件での『敵』は消え、弾劾する相手も残されてはいない。
= =
取り調べを病室の扉の横に背を預けながら聞いていたアズとオーネストは、これ以上は聞く必要がないと判断してその場を後にした。
「カースが真実を伝えていたら、アルガードは事件を起こさなかったと思う?」
「アルガードが事件を起こしたんじゃない。起こすよう誘導されてあっさり乗せられただけだ。そいつを操ったクソ野郎の機嫌次第だな」
「本人の意志は無視かよ。悪党だねぇ、そいつ」
「この世に正義も悪もあるものか。あるのは、俺がそいつを許さないという事実だけだ」
「キレたか?」
「見つけたらとりあえず殺しておく」
オーネスト・ライアーという男は、洗脳とか信仰とか、とにかくそういうものが大の嫌いだ。人間の意志が別の大きな意志やイデオロギーに支配され、行動を制限されている光景を見るのが心底お気に召さないらしい。その判断基準は明瞭ではないが、オーネストは人間の尊厳に煩い。
自らの尊厳を捨てて他人の主義を振りかざす奴は「狗」。
自らの尊厳を諦めて流されるままの奴は「気に入らない」。
自らの尊厳を捨てずに泥の中でもがく奴には無言で手を貸す。
そんな彼が「許さない」と言ったのだ。犯人はオーネストに未来永劫許されることはないだろう。とても個人的で単調な話だが、彼にとってはその認識が重要なのだ。
病院の階段を下りて外に出る。鎧騒ぎの復興で忙しいのか、大通りはひっきりなしに馬車が行き来していた。
「アルガードは操られてたのか?確かに狂気は感じたが、彼自身の本音はピュアだったように思える」
「恐らくは特定の感情を偏らせる催眠術の類だな。人間、普通は特定の感情が存在しないことはない。憎しみだってあったろう。犯人がやったのは、そんな小さい感情ばかりを強く感じ、催眠をかけた本人をウィリスだと思い込ませるような……まぁ、複雑な催眠だ」
「確証はあんのかよ?言葉巧みに誘導したのかもしれないぜ?」
「牡丹の花だ」
曲がり角を曲がりながら、オーネストは露店にある牡丹の花を一輪つまみ、女性店員にコインを弾いて渡した。店員の女性はオーネストが『狂闘士』であることを知らないのか彼の美貌に釘付けになっているが、当然本人は無視して進み続けた。
「花がどうしたよ?」
「あいつの工房にはこの花があった。定期的に補充していたらしい。そしてこの花を最初に工房に置いていった奴は、犯人だ」
「何だそりゃ。その花の香りに幻覚作用でもあるってのかよ?ケシの花でもあるまいに」
「違う。後催眠誘導だ。それと、ケシの花の覚醒作用は香りにはない」
指で花を弄ったオーネストは、もういらないとでも言うようにそれを近くを通りかかった冒険者の女の子にすれ違いざまに握らせた。渡された女の子が花とオーネストを交互に見て、顔から火を噴いて倒れる。本人には欠片も自覚がないんだろうが撃墜数2だ。
「病院に行く前、ウルカグアリの所でアルガードを見たろ。最初は無邪気にはしゃいでいたのに、モルドが牡丹の花を持ってきた途端に急に落ち着きがなくなった。元々一度の催眠で数週間もたせるのは難しい。おそらく催眠誘導は牡丹の花の香りによってスイッチが入るようになってたんだろう」
「だからあの時ウル達に『牡丹の香りを嗅がせるな』なんて忠告したのか……なるほどねぇ、催眠術のトリガーに利用されてたわけだ」
「犯人は感情を煽るのが上手い奴だよ。『舞牡丹』の為の復讐が建前だったからアルガードも隠喩として捉え、全く怪しまなかったろう。花の香りが切れれば精神の均衡が不安定になり、また花の香りを嗅ぎたくなる。一種の中毒性だな」
ふと対向車線を見ると、不思議な雰囲気の少年がこちらに笑いかけていた。軽く手を挙げて応えると、少年は満足そうに路地に消えて行った。何だあの少年、ちょっと幽霊みたいで不気味だな。このオーネストとの差はなんなのだろう。
「ただ、恐らくは犯人にも誤算だっただろうな……アルガードがウィリスをも殺そうと考えてたのは」
「確かにな……ウィリスを殺す事への執着は明らかにズバ抜けていた。それに犯人が自分を殺すよう誘導する訳ないしなぁ」
「自分の魂の一部を定着させたネックレスを手渡し、それを感知することで相手を追う……パラベラムの話だとそういうカラクリだったそうだ。それにあいつは本物のウィリスが死んでいる事を知らなかったし、工房から出発して以降誰かを追うように何度か進路を変更している。犯人は街の中にいた」
通り過ぎる人並みに避けられながら俺達は街外れの教会に向かっている。俺の提案で、ヘスヘスの新しい眷属の顔を拝みに行こうと提案したのだ。俺は既に面識があるが、オーネストはまだなのだから。
しかし、街の中にいたということは、今も潜んでいる可能性がある。魂の気配を感じ取れるアルガードの魂が逝ってしまった以上、別の方法で追跡するのは困難を極めるだろう。
「………何か犯人に繋がる目撃証言とかありゃいいんだけどな」
「犯人は周到だ。目撃者がいたらとっくに殺してる。もちろん殺した証拠も完全に抹消してな」
今回の騒動は終わりを告げたが、オーネストの表情はどこか険しい。
かくいう俺も、漠然とした靄が胸の中を渦巻いていた。
「どうも、これで終わりとは行かなそうだな。時代のうねりって奴か?」
「さざ波にしては大きそうだ。将来が不安か?」
「からかうなよ。俺達に未来はいらない……だろ?」
「そうだ、俺達に未来はいらない。その時目の前にある現実だけを、俺達は相手にしてればいい」
なら安心だ、と俺は思った。
俺とオーネストと、二人揃っていれば相手取れない敵などないのだから。
数分後。
「そうだアズさん、聞いてください!!この前の事件で首からネックレスかけたものすごく不審な魔法使いを見たんですよ!!」
ヘスヘスと2人で、危険人物に接触した馬鹿者を滅茶苦茶説教した。オーネストはふっと笑って「運のいい奴だ」と呟くだけで、あとは我関せずとソファでくつろいでいた。
後書き
ぼーっとしてたら「未来」が誤字って「未来」になってました。滅茶苦茶必要な人物なのに……。
外伝 憂鬱センチメンタル
前書き
暫くヴェルトールの過去にちらっと触れる話をします。
かつて二人の冒険者がいた。
一人は冒険者として大成しにくいヒューマンに生まれた私、アスフィ・アル・アンドロメダ。
もう一人は道具作りの能力が低い猫人、ヴェルトール・ヴァン・ヴァルムンク。
二人はそれぞれ、自分よりも潜在的アドバンテージの高い相手との競争に果敢に挑んでいた。
「私はこの街で最高のアイテムを作成するアイテムマスターになる。ヘルメス様の下で沢山学ぶうちに、この夢だけは叶えたいって思えたの」
「アイテムマスターねぇ……つまりこの街の物作りでトップになろうってか?野心家だなぁアスフィは!……よっし!!なら俺は念願の『完成人形』を作り上げて世界最高の造型師になってやるぜ!!俺の人形見て腰抜かすなよ?」
「このまえ見せてもらった人形は腰が細すぎて真っ二つに折れたけど?抜かすってそういうことなのぉ~?」
「う……うるせー!お前のアイテムだってダメだったろ!!前の空飛ぶ靴!!俺の身体を無視して天空に飛び去ったまま帰ってこなかったじゃねえか!!」
顔を真っ赤にして反論した彼の言葉に図星を突かれた私は言葉に詰まり、「次は飛べるのを作るわよ!!」大口を叩いては二人で笑い合っていた。まだ10代で、若かった。
恋人――とか、そういう意識はなかったと思う。
純粋に、種族的に手先が器用なドワーフ達のせいで肩身の狭い思いをしながらもひたむきに情熱を燃やす彼に触発されていた。神秘の籠った道具を作成する職人は人間よりエルフが多くて肩身が狭い思いをしていた私は、彼と自分の苦労を重ねていたんだと思う。年月が過ぎるにつれて私は結果を出していき、ヴェルトールも自分のファミリア内でその頭角を現し始めていた。
そうして1年2年と年月は流れ、私達は次第に二つ名を背負う冒険者としてこの街の物作りのトップに食い込み始めていた。『ヘルメス・ファミリア』の財政難を救ったのは私の魔道具である自負があるし、ヴェルトールはその頃になると金持ちの欲しがる大型オブジェの設計や監督を任されるほどの立場になっていた。
自分の認めた相手がこの街で活躍しているのは何故か誇らしくて、負けていられないとモチベーションを掻きたてられた。次第に二人の会話は曖昧な夢の話ではなく、次はどんなことをやろうかという具体的な進路の話に変わっていた。畑違いではあったけど、同じ作り手としての意見はとても貴重で、交流の賜物として商品化した道具も複数ある。
「実はさ……もうすぐ『完成人形』作りに入ろうと思うんだ。金も溜まったし、お許しも出た!これから腕が鳴るぜ!」
「スゴイじゃない!ま、私も次期団長が狙えるぐらいには成長したし?こうなると……どっちが先に夢の階を上りきるのか競争よね!!」
「おうよ!完成したらまずお前に見せてやるから、精々それまでに団長になるんだな!!」
それから私達『ヘルメス・ファミリア』は長い繁忙期に突入し、私の自由時間は次第に無くなっていった。同時に彼も本格的に作業に取り掛かったのか、次第に連絡は途絶え気味になっていた。彼のことが気にならなかった訳ではないが、私自身が彼を気にかけるほどの余裕がないまでに多忙だった。
彼の事を思い出したのは、私が団長の地位に正式に就任して暫く経ったある日のこと。それまで、私は多忙さとファミリア管理、おまけにヘルメスの奔放さに振り回されて彼のことがすっかり頭から抜け落ちていた。約束の日から、既に数年が経過していた。
ヴェルトールはどこにもいなかった。
ファミリアに籍は残っていたが、ファミリアに戻ってきていないという。「逃げ出したんだろう」、と、ファミリアのメンバーは冷ややかな目で呟いて、目の前でホームの玄関を力任せにバタンと閉じた。
そんな訳はない、彼は自分の夢を諦めるほど自分に折り合いをつけるのが上手ではない。一度没頭すれば誰よりも深く造型を追求する生粋の職人肌だ。『完成人形』をつくるために作業に心血を注いでいた筈だ。
そう思って周囲にしつこく聞いて回り、それでも分からないからとうとう私は情報屋を雇った。相場を知らない所為で少々ぼったくられたが、それでやっと彼の情報を得る事が出来た。
どうやら彼は確かに『完成人形』――本人曰く、芸術を越えた究極の人形を完成させるために半年ほどオラリオの外で資料集めに奔走していたそうだ。そうして全世界のあらゆる人形の製造技術を短期間で会得した彼はオラリオに舞い戻り、あらゆる材料を基に人形の作成を開始した。しかし「究極」の名を冠するものを作ろうとするだけあって開発は難航。彼は次第に精神的に摩耗し、目はギラつき、頬は扱け、耳や尻尾の毛はまるで手入れされずに毛並みもボロボロになっていたという。
それから間もなくして、彼の行方はぷっつり途絶えていた。
私は、彼が逃げたとも思いたくなかったし、死んだとも思いたくなかった。彼は親友とライバルの中間に位置する大切な戦友だ。きっと行き詰まっているだけで、今もこの空の下で『完成人形』を作ろうと必死になっているに違いない。そう思い、仕事の合間を見ては彼を探しに出かけていた。月に1時間も探せないことなどザラだったが、それでも探した。
そして団長に就任してから更に数年が経過した頃――私は、衝撃的なものを目撃した。
『ウォノ~、壁から小さい箱が生えてるよ~?』
『む、中から魔石の気配がする……きっとアレは魔石の力を吸収して動くモノに違いない!』
『えっ!!それじゃ私たちと同じじゃない!!あの箱って実はアタシたちのイキワカレのお母さん!?』
『そんな筈は無かろう。母君とは子を産んだ親のこと、つまり母とは主様……ぬ?母は女性だが主様は男性……だと?いかぬ、混乱してきたぞ!』
きゃっきゃとはしゃぐその子供たちは余りにも美しかった。この世に存在する人工物とは思えないほどに完成された造型で、背中から伸びた純白の片翼がまるで彼らが天の御使いであることを証明しているかのようだ。そして何より、私はその子供たちの、人間にしては小さすぎる体を見て、戦慄した。
アイテムメーカーとしての観察眼が、結論を弾きだす。
この子たちは、人間じゃなくて『人形』だ――!!
最早、人形が自分で喋っていることも思考していることも私の頭から抜け落ちた。
何故なら、二人の人形はそれほどまでに芸術的な存在だったからだ。
極限まで人工物であるという事実を削ぎ落とし、生物的な美学、黄金比、曲線、存在感を一部の隙なく完璧に埋め合わせたこの世界の奇跡の体現、いや奇跡そのもの。それが神ではなく人間の手によって作り出されたという事実一つをとっても世界がひっくり返りそうなほどに、それは完成されていた。
そして何より、アスフィの知る限り「意志を持って動く人形」なんて発想を実現させようとした人間はこの世に一人しかいない。
こんなものを、彼以外の誰が造ろうと考えようか。
仮に考えたとして、どうしてそれを実行できようか。
私は確信を持って、人形たちに問いかけた。
「もし、そこの二人。もしや貴方の父親とは――」
――それが、今から2,3年前の話だ。
= =
あれはそう、まだオーネストを見かけて間もない頃……やっと世界に色が戻り始めてた頃だった。
俺は『完成人形』を隠すために動いていた。これはまだこの世に生まれるには早すぎる存在であることを、肌で感じ取っていたからだ。だから俺は『完成人形』をこの世界から隠すために偽装を施し、その封印の鍵としてドナとウォノという二つの人形を仕立てた。
この人形は、下手をすれば『世界のパワーバランスをひっくり返す』程の力を持っている。自分の作品を封印するのに気は進まなかったが、やむを得ない。代わりに鍵の二人には『完成人形』の本質的部分を少しだけ移植し、世界で2番目に高度な人形とした。
ドナとウォノは、身も心も子供だ。この世界に生まれて間もなく、周囲には知らないことだらけだった。彼等も『完成人形』ほどではないが、その価値を理解出来る者にとっては全財産をはたいてでも手に入れない代物。故にあまり外に出さず、出すときは俺と一緒に行動するよう躾けてきた。
しかし、子供のしつけ方が悪いのか、それとも元来子供がそういう生き物なのか――天真爛漫な二人は目を離すと家から脱走してご近所を『冒険』していた。困った話ではあるが、自分の子供が成長する様は見ていて嬉しい物だったので、あまり強く注意はしてこなかった。
そのツケが、回ってきた。
「ヴェルトール………久しぶりね。本当に………」
「ン………アレかな、最後に顔を合わせてから5年くらいは経ったっけか」
やっべー、と俺は内心で脂汗を噴出させていた。そう、5年だ。5年間もこの友達と完全に音信不通状態。しかも、『完成人形』が出来たら見せるとまで言っていたのに、すっかりそれを忘れていた俺は綺麗にブツを封印してしまっていた。つまり、完全に約束を破ってしまっている。
気まずさに顔を背けながらも、ちらっとアスフィの顔を見る。……………5年の間に色気が4割くらい増してる気がする。畜生美人になりやがって、ちょっとドキッとしちゃったじゃねーか。というか待てお前、何で両手にドナとウォノをだっこしてやがる。二人も見ず知らずの人の腕の中なのにちょっと嬉しそうじゃないか。くそう、母性か。俺には親として母性が足りないのか。
「………ひどいじゃないですか。私がやっと目的に達していざ会おうとしたらどんなに探しても見つからなくて、それでも必死に探してみれば、こんな細い路地の一角に個人工房ですか?一報くらいは寄越してくれてもよかったじゃないですか……」
「………………ご、ごめん」
「……冗談です。どうせ人形に夢中になりすぎて忘れていたんでしょう?私も何年か貴方の事を忘れてたのでおあいこです」
と言いつつプイッと明後日の方向を向いてさり気ない怒ってますアピールを繰り出すアスフィに、俺は内心「忘れられたままでもよかったんだが」とぼやいた。事実、俺は『完成人形』を作る事を急ぎ過ぎた過去の自分に「焦りすぎだボケぇ!!」と叫びながらドロップキックをかましたい気分なのだ。
俺は、急ぎ過ぎた。そして『完成人形』という代物が内包する危うさと、それを作ると言うのがどういう意味を持つのかに対して無頓着すぎた。だから人形を完成させて数年、俺は生ける屍のように乾いた街を当てもなく彷徨う事になった。アルル様だけは僅かなうるおいを与えてくれたが、そのアルル様にも「急ぎ過ぎた」と言われてしまった。
俺は大口でホラを吹いた愚か者だ。その年齢で到ってはならない領域に自ら突っ込み、そして溺れかけた。大間抜けも良い所で、堅実に出世した目の前の『万能者』とは大違いだ。そして、『完成人形』は彼女が造る道具と決定的に違う所がある。
その決定的な部分を他人に悟られたら、その時点でおしまいだ。だから俺はそれを隠し、自分の作品に蓋をした。パンドラの箱と違って誰かが迂闊に開かぬよう、厳重な鍵をかけて。
で、その鍵二人は未だにアスフィにだっこされている。
『マスター。マスターってパパぁ?ママぁ?』
「パパだよ。ある意味ではママだけど」
『つまり『おかま』か?』
「そう言う意味じゃないし、どこで覚えて来たんだそんな言葉!?」
知らぬうちに子供が教育に悪い言葉を覚えている気がして戦慄したが、べつにオカマは教育に悪いわけじゃないかと思い直す。それより問題はさらに不機嫌度が増したアスフィだ。
「………私に黙ってこんな可愛い人形さんたちを作っておいて説明も無しですか、ヴェルトール?この子たちを一目見た時にピンと来ましたよ。この世界にこんなにも馬鹿正直に人形を『生物』に近づけるようなバカな職人なんて一人しかいない。そう、馬鹿な夢を掲げていた貴方です!」
「確かに馬鹿だったよ。おかげで散々後悔するハメになった」
「……聞かせてください、貴方に何があったのか」
アスフィのどこかよそよそしかった態度が、純粋にこちらを気遣うものに変化した。
共に上を目指して競った筈の俺がどうして表舞台から姿を消すような事態に陥ったのか、そしてドナとウォノは「何」なのか。
だがな、アスフィ。言えないんだよ、俺は。
「スマン、それは言えない。強いて言うなら自業自得で苦しんでただけだ」
俺は、彼女の追及をかわすように体のいいセリフで話を濁した。
「は?そんなんで私が誤魔化されるとでも思ってんですかこのバカ猫は?」
「スンマセン浅はかでしたごめんなさいってフギャァァアアアアア!?痛い痛い痛い痛い尻尾は止めて尻尾踏むのはッ!?」
『ぬ、主様ぁ~!!』
『やめたげてよアスフィ!!シッポはダメだよ!!』
アスフィは誤魔化せなかったよ……。
= =
この世で最も複雑怪奇な造形物は何か。
その問いを投げかけたのも答えを出したのも同一人物だった。
『俺にとって究極の造形物ってのは、人間なんだ』
『人間が、ですか?私はそうは思いませんけど……だって人間は彫刻や絵画なんかでその造形を追及され尽くしています。人間が究極なら芸術家の先人たちは皆が究極の技師ですよ』
『それは外面だけの話だよ。確かに俺も先人たちの芸術品には敬意を持ってるし素晴らしいとも思うよ。だけどあれはその瞬間を切り取った固定的な造形でしかないだろう?人間は自ら動き、成長し、老いていく……その過程の中のほんの一部分を緻密に表現しただけなんだ。何より人間ってのは父親と母親が交わって生まれる物だろ?決して人工的に作り出すことが出来ない存在――命の神秘。これを究極と言わずしてどうするよ?』
『それはそうですが……それでは貴方は生命体を作り出したいのですか?』
この世界に溢れる人間は、嘗て天界の神々によって生み出された神のデッドコピーだと言われている。敢えて不完全な存在として生み出すことで、神々の停止した時から切り離された存在となったのだ。そして生命体を人工的に生み出す事が出来るのは神だけ。
だから、彼がもし生命体を作り出したいと言うのなら、それは神の領域に触れる禁忌の所業だ。
『自信家だとは思っていましたが……恐れ多いとは思わないんですかね、貴方は』
『何を言うかと思ったら、アスフィも意外と馬鹿馬鹿しい事を気にするんだな』
『ばっ……馬鹿馬鹿しいとはなんですか!!私はただ貴方が届きもしない物に手を伸ばして周囲から疎遠になり、その非凡な才能が認められずに埋まってしまわないかと心配になってですねぇ!!』
『アスフィみたいな可愛い子が認めてくれるんなら心強さとしては十分だな!』
『か、からかうなバカ猫っ!』
思わず彼をはっ倒そうとするが、反射神経のいい彼は咄嗟に身を引いたせいで私だけがバランスを崩して地面に突っ伏す形になった。非常に屈辱的で、とっても恥ずかしい。顔をあげるのが嫌になって暫く蹲っていると、彼が『俺が悪かった』と謝る声が聞こえた。気を遣わせてしまったのが余計に惨めだが、とりあえず顔をあげる。
『えっと……話を戻すケドさ。俺は別に生命の誕生を目指してるんじゃないんだよ。ただ、俺の目指す人形の究極形態ってのに近づけば近づくほど、人形は人間に近くなっていくんだ』
『それは形状が、ではなくもっと別の意味ですか?』
『ああ。俺はな………人形に動いて、考えて、喋って欲しいんだよ』
馬鹿だこいつは、と私は思った。昨今女の子でもなかなかそこまでメルヘンチックな夢を見たりはしない。それをもうすぐ成人になろうかという男が語るのだから、ここが酒場なら失笑ものだ。なのにこの男は、どこまでも本気の表情を見せる。
『それは最早人形とは言えないでしょう……求められる機能が人形の域を超えています』
『かもな。だがそれは人形としての進化を経てそこに辿り着いた訳であって、まったく別種からのアプローチじゃないだろ?からくり人形も立派な人形なんだ。自立的に動く人形だって広義で言えば人形の枠の内さ。俺は……人形に、俺の予想を超える存在になって欲しいんだ』
既にそれは作品に託す願いではないことを、彼は気付いているんだろうか。それは自分の子供、自分の弟子、自分の後に続く世代に老人が託すような願いだ。だが同時に、自分の作品とは自分の息子のような存在でもある。
道具の身でありながら勝手に行動し、成長する――異端的な、そして常人の想像を絶する目標。何がヴェルトールをそんな段階まで駆り立てたのかは分からなかったが、少なくとも今の彼にとっては夢物語のような目標の筈だ。
『滅茶苦茶な目標を追うのでは、真っ当な方法では辿り着きませんよ』
『まぁな。まず最初が難問だ。目標のためには極限まで人間に近づけた躯体が必要になる。表情が変わらない今の人形じゃ駄目なんだよ。分かるか?骨格は当然、顔の筋肉の構造や血管、神経まで模倣する。人間の身体となんら変わらない構造を持ちながら人間の身体ではないそれに意志を宿せば……究極の造形美を内包した究極の人形、『完成人形』が出来上がると思うんだ』
夢を語って興奮する彼の子供っぽい横顔は、まだ彼が無謀に夢を追いかける若さを持っているということでもある。私だって、と活力を分けてもらった事に気付き、彼に釣られて笑った。こんなバカな夢を本当に叶えられたら、彼は伝説になるだろう。そのライバルがここで燻っていては申し訳が立たない。
『では貴方がそれを追い掛けている間に、私がその人形の装飾品を作って差し上げましょう。いつぞやの空飛ぶ靴も大分形になってきましたし、これからもまだまだ新商品を作っていって、最終的には貴方の『完成人形』もあっと驚くものを作らせていただきます。………ところで、ひとつ疑問があるのですが』
『何?』
『いえ、その………どうやって人形に意志を宿すのかという最大の部分が謎なんですが』
『そらそうだろ。何せ俺が一番苦戦してるところだからな!』
能天気にからからと笑う彼を見た私は、内心で「この調子じゃ完成しないんじゃないのか?」と思ってしまったのだった。
しかし、現実は違った。
「まさか本当に意志を宿してみせるとは………一体どんなからくりなのです?」
「企業秘密だ」
「成程……『アルル・ファミリア』の利権に関わるという大義名分があるのなら、それは個人ではなくファミリア同士の情報戦になる。私も深くは追求できません。上手く躱しましたね、ヴェルトール」
「棘のある言い方は勘弁しておくれよ」
「棘を刺したくもなります。彼等を見た限りでは、貴方の夢はほぼ完成しているようではないですか。なのに……なのに、何故そんな貌をしているのです?」
「今の俺は、どんな貌をしている」
「耳の聞こえなくなった音楽家のような貌です。少なくとも、私と夢を語らっていたころの面影はない」
作りたくても作れないなどという陳腐域を超え、最早嘗て生業にしたそれに関わることすら嫌気が差しているような深い疲労の色が、彼の顔を曇らせていた。そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、大人しく腕に抱かれていた人形――ドナとウォノが手元から離れてヴェルトールの方へと向かう。とてとてと愛らしい小さな歩みであったが、ヴェルトールに辿り着いた彼らはその両肩へと昇って座った。
『マスターをあんまり虐めないでね?これでも前よりカイゼンしてるんだから!』
『うむ。むしろあすふぃ殿に会ってから少し顔色が良くなった気がするのだ』
ヴェルトールはそんな二人の頭を無言で撫でて微笑む。二人は目を細めて心地よさ気にそれを受け止めていた。やはり彼らはヴェルトールの子なのだ、と実感を得る。
「一人の友人として聞かせてください、ヴェルトール。この子たちは何なのです?貴方が昔語った『完成人形』とこの子たちは限りなく近いように思います。この子たちが貴方の夢なのですか?」
「それは――」
『チガウよー。アタシたちは『完成人形』の後に作られたからねー』
『特別ではあるが、完成してはいない。我らが片翼しか持たぬのにはそのような意味もある……と主様がいつか言っておられた』
「この子達とは別に、もう完成させていたのですか………!」
これは正直、予想外だった。人形の専門家ではないアスフィだが、この二つの――いや、「二人」の人形は『これがそうだ』と言われてもそのまま気付かず受け入れてしまえるほどに完成されている。これ以上と言われて想像がつかない程にだ。
何せアスフィ自身、ヴェルトールの所に案内してもらう前に一度工房に持ち帰って詳しく調べてみたい衝動に駆られた。あの魅力は、ヴェルトールに会いたいという思いが無ければ抗いきれなかったろう。それ程にこの二人は精緻で美しく、そして素晴らしい。
「で、では『完成人形』はどこに!?」
「――封印したよ。アルル様と『完成人形』と3人で話し合って、そう決めた。もしかしたら日の目を見ることは二度とないかもしれない……」
「……私との約束を破ってまで、それは封印しなければいけなかったのですか?その、『完成人形』が自らの封印を受け入れるほどに?」
ヴェルトールは淡々とした口調で、告げる。
「あれが表に出れば、オラリオのパワーバランスがひっくり返る。あれは……素晴らし過ぎた。時代に現れるのが早すぎたんだ。公表すればどのファミリアだってこぞって欲しがるだろうし、あれを見れば全世界の人形師が道具を投げ出して工房を仕舞うだろう。自分ではそれを作る領域に決して辿り着けない事を悟るからだ」
彼は、端的に、こう言ったのだ。
「俺は人類の到達点の一つに足を踏み入れたのだ」――と。
= =
アスフィ・アル・アンドロメダは考える。ヴェルトールの語った「灰色の世界」を。
例えばアスフィが「どんな奇跡だって起こせる魔道具」……願望器とでも言うべきアイテムを開発したとする。それが物質として存在し、願う人間がいれば、願望器はどんな無理難題でも叶えてくれるだろう。そのアイテムの前では今までアスフィが造った他のどんなアイテムでさえ霞むし、それさえあれば未来永劫新商品を開発せずとも困らないし、誰も魔道具を作る努力をしなくなるだろう。
つまり、それを開発した瞬間にアスフィの技術者としての仕事は終了したも同然になる。未来永劫その先には進まないし、その後ろにも戻ることが出来ない。つまりはそれが「灰色の世界」――生きながらにして全てが止まった状態。
ぞっとした。
好きであったはずの物事に奈落へ突き落される事を想像したことはあるが、「灰色の世界」は想像を絶するほどに酷であった。自分のミスや未熟さが招いた事態ならそうはならないだろう。だが、「灰色の世界」は恐ろしい事に、それを起こした本人は何ら罪深いことをしていないのだ。
自分の好奇心に押し潰されて動けなくなる……そんな言葉さえ生易しいほどに、その世界は絶対的に残酷だ。
ヴェルトールはその域をなんとか脱したと聞いているが、本当に彼は大丈夫なのだろうか。心配になったアスフィは、時折ヘルメスをホームのデスクに縛り付けて様子を見に行くようになっていた。
「え、ちょ、アスフィ!?いくら俺が仕事をさぼり気味だからってこれはちょっとやりすぎなんじゃ……ふっ!くっ!ぜ、全然解けない……しょ、食事とトイレはどうすれば……!?」
「我慢してください。では、行ってきます」
「アスフィィィィィーーーーッ!!俺が悪かった!!全部俺が悪かったから、これからはサボらずやるから!!お願いカムバックしてぇぇぇぇぇ~~~~~ッ!!」
別に積年の恨みを込めて絶対にほどけない結び方をした訳じゃないし、普段のサボリで他人にどれだけ仕事を押し付けてもらっているかを思い知ってもらおうと思った訳じゃないし、あわよくばこれで恐怖による束縛が出来てファミリア運営が楽になるなぁとかそんなことを内心で思っていたとかそう言うアレな事はアレなのでアレだ。そういうことだから。
そうして遊びに来た私は、時折手作りのドナ・ウォノ用の服を用意して二人に癒されながらもヴェルトールを観察した。彼は時折何かを思いついたように工房で何かを作ったりしていたが、怖ろしく洗練された手さばきで何かを作ったかと思うと直ぐに廃棄処分していた。人形師としての自分と「灰色の世界」の境で苦しんでいるのだ。
何度か、何を作っているのかと声をかけたことがある。するとヴェルトールはこちらを振り向き、彫刻刀を恐ろしい速度で振るって手元の木材を削り、出来上がったものを手渡してきた。何かと思って見れば、それはアスフィ自身の顔を掘った彫刻だった。しかも彫刻刀で彫ったとは思えないほどに曲線が滑らかで、眼鏡までもが完璧に彫りぬかれていた。
「やるよ。モデルになってくれてありがとさん」
彼自身、何を作ろうとしたのかが分からなかったんだろう。ただ、手に物を取らずにはいられなかったんだと思う。僅か10分足らずでここまでの作品を仕上げる彼の手先には神力が宿っているのかもしれないと思った。
だが、それで終わったら面白くなかったアスフィは、その彫刻に色を入れてコーティングを施した。魔道具はデザインも大事であるためこの手の細かい作業は慣れたものだ。彼に対抗する意味も込めて数分で塗り終えた。
「いい素材をありがとうございます。ふふっ、初めての合同作品ですね」
「そっか、言われてみればアイデアを交換したことはあっても作品を触らせるのは初めてだったんだな………つーか、よく考えたら見知った女の顔を彫刻して渡すとか新人職人の女口説きみたいだな………うわー思い出したら恥ずかしっ!」
「ふふふ……私の部屋で大切に飾らせてもらいます。そして「あれは?」と聞かれたら「ある職人が私にプレゼントしてくれたんです」と嬉しそうに説明して差し上げましょう。彫刻の底にも貴方のサインがありますからそれを見せるのも忘れずにね!」
「やめてぇぇぇーーーーッ!!」
その小さなからかいを切っ掛けに、ヴェルトールは表面上、段々と昔のお調子者に戻っていった。内面も以前ほど薄暗くは無くなり、完全にではないが世界は次第に色を取り戻していった。
後書き
ネコの尻尾は踏んだらあきまへんよ。いやこれホンマに。俗にいう「死ぬほど痛いぞ」って奴ですわ。
一応だけどヴェルトールは蒼崎橙子やローゼンとも肩を並べられるレベルの人です。
外伝 憂鬱センチメンタル Part.2
その日――『豊穣の女主人』のメイド達はいつものように開店準備の掃除をしていた。
毎日のように店を掃除し、机や椅子を整え、そして掻き入れ時に腹を空かせた客や酒飲みたちを囲んで大騒ぎ。それがこの店のメンバーの日常である。忙しい時や苦労するときもあるが、それでも従業員は皆、この店の主であるミアの下で冒険者たちの憩いの場を維持し続ける仕事にやりがいを感じていた。
そんな逞しくも美しい彼女たちの、日常の一幕。
「………あれ?あそこにいるのってヴェルトールじゃない?」
「えー?ヴェルトールがこんな朝の時間帯にこの辺通るなんて珍しいねー?」
窓拭きをしていたメイド2名は、窓の外の通りに見覚えのある男を発見した。
上に突き出た茶色の獣耳と、お尻から生えた細長い尻尾。キャットピープルの代表的な特徴を携えたその男は、名をヴェルトール・ヴァン・ヴァルムンクという。略して「ヴァヴァヴァ」だと本人は偶に言っているが、言いにくいのでその名で呼ぶ者はいない。
この店には個性的な常連客が多く、彼もまたその一人だ。
工芸ファミリアとして名高い『アルル・ファミリア』の副団長にしてレベル4という高い地位があるにも拘らず、彼は碌に物も作らなければ冒険もしない。何も知らない人からすれば随分お気楽なプータロウにしか見えないこの男は、戦いや仕事よりお喋りが大好きなのだ。女の子が相手ならその猫舌は更に饒舌になり、店に来れば3人ほどのメイドと数時間喋り倒すほどだ。
お気楽で自分を高い場所に置こうとしない姿勢は軽薄というより馴染みやすく、冒険者特有のプライドや価値観は然程持ち合わせていないように見える。店では「面白い人」とそれなりに人気だった。ついでにあの『狂闘士』にもその辺の女の子に話しかけるのと同じノリで突っ込んでは殴る蹴るの暴行を受けるコミカルな姿勢を崩さないのも、多分人気の秘訣のような気がする。
とにかく普段は面白いお調子者な彼なのだが、二人のメイドが目撃した彼の様子は明らかに普段と違っていた。
「なんか必死で走ってるね?」
「後ろの方を気にしながら走ってるねー」
「あんな真剣な顔してるヴェルトールなんてなんか珍しいね……」
「……あ、こっちの店に近づいてるね。流石レベル4、馬よりはやーい」
言い終わるが早いか、到達するが早いか。いきなり店の扉をバァン!と開いて店内に飛び込んだヴェルトールは床でキキーッ!と急ブレーキをかけ、その慣性エネルギーを全て殺し切らないままに跳躍して無駄に洗練されたしなやかな動きで店のカウンター裏に飛び込む。
突然の行動に驚いたメイドたちが一斉に彼の方を向く。偶に奇行に走ることはある男だが、今回の動きは殊更に奇妙だった。メイドの中でいち早く状況確認に乗り出したリューから質問が飛ぶ。
「ヴェルトール?普段はダラダラしている貴方が突然どうしたというのです?」
「まだ営業時間じゃないよー?それにこーんなに可愛いメイドさんたちに挨拶ひとつかけないなんてヒドイんじゃなーい?しかもそのカウンターはミアさんの特等席……」
「スマン!!今日の夜に迷惑料も兼ねてたっぷり払うから俺の事は少し黙っててくれ!!それと俺の次に人が来たらアーニャはその開いた窓を閉める事!!やってくれたらチップ弾むよぉ!!」
ひゅっと顔を出したヴェルトールは普段と違って余裕のない引き攣った顔で一方的にそう告げて、モグラのようにカウンターの中に引っ込んで見えなくなった。こんな珍妙な行動を取る彼を見たことがないメイドたちはしばしの間硬直するが、遅れて窓際メイド二号が外の様子に気付く。
「あー、誰かこっちに走ってきてるよー?水色の髪に四角眼鏡の美人さんだねー」
「あれー?あの人って『ヘルメス・ファミリア』の『万能者』だ!うわー有名人!分かってはいたけど大人の魅力が……ってアレ?なんか彼女もウチの店に向かってない?」
「にゃにっ!!ということはその女が店に入った途端に窓を閉めればお小遣いニャ!?ステンバーイ……ステンバーイニャー……!!」
お金に関してだけ反応の速い馬鹿ネコが目を金貨に変えて尻尾をウネウネさせ始めている中、開け放たれたままの店に件の『万能者』――アスフィが息を切らせて入り込む。その瞬間、アーニャは待ってましたと言わんばかりに窓を閉めた。
(……で、窓を閉めたからどうなるのかな?)
(さあねー……ホラ、ヴェルトールさんって偶に芸術家独特の価値観を持ちだすし、そーいうことじゃない?)
(窓が開いてるのが美しくないとか?そんな『雲の形が気に入らねぇ』みたいなこと考える人じゃないと思うけど……)
窓際族2名の会話をよそに、窓を閉められたのを確認したアスフィは悔しそうに顔を歪める。
「くっ、一歩遅かったようですね……!!窓の外から逃亡しましたか!!」
(わーお、窓を閉めた意味ちゃんとあったんだ!)
(意味ありげにあのタイミングで窓を閉めることによって、そこを通ったものと勝手に錯覚させる心理テクって訳かー……)
咄嗟の判断力が良すぎるから先入観にとらわれて普通の人間では思い浮かばないフェイントに引っかかってしまう。姑息だがそれを咄嗟に思いつくとは機転の利く男である。当の本人はアスフィからわずか数Mしか離れていない場所で蹲っているというのに、アスフィは窓から逃げたと信じて疑わない。
――なお、彼女が咄嗟にそう思ったのはひとえに彼女の主神がその手をよく使うからなのだが、そんなことはメイド達の知る所ではない。
これまた突然の有名人の来訪にメイド達はポカンとするが、当のアスフィはまるで周囲が見えていないかのように窓に向かって叫ぶ。
「しかし今日という今日は引き下がりませんよ、ヴェルトール!ファミリア繁栄の為にも今日こそは観念してもらいますっ!!」
アスフィは興奮気味に、それでいて怒っているというよりは追いかけっこの相手に声をかけるように明るく笑っていた。クールな顔立ちに見える彼女がその表情をすると、逆に可愛らしい印象を受けるのが不思議だ。
しかしずっとここにいられるのも不味いし、万が一ヴェルトールを発見されて騒がれたらそれも面倒だ。そう思ったモップ装備のメイドがおずおずと声をかける。
「あのー、今は開店前でして……」
「私事でご迷惑をおかけしました!では、さらば!!」
しゅっと手を挙げて断りを入れたアスフィは弾丸のような速度で店を飛び出し、そのまま遠くへと走り去ってしまった。嵐のような訪問から数十秒して、カウンターからにゅっとヴェルトールが顔を出して一つ溜息を吐く。
「な、なんとか乗り切ったか……ふぅ~、アスフィにも困ったもんだ」
「モテモテですね、『人形師』のヴェルトール?貴方はどちらかというと借金取りにでも追いかけられているのが似合う男だと思っていましたが?」
リューの言葉は周囲の思いを代弁するものだ。ヴェルトールは美人相手には見境なしにお近づきになろうとする。そんな彼があんな美人に。しかも明らかにヴェルトールの事を憎からず思っている女性から逃げ隠れするという選択を取っているのが分からなかった。
「確かにそうニャ。というわけで金渡すニャ。リシはトイチニャ」
「何が確かなんだよ、文脈繋がってねぇし人が借金してるみたいな言い方すんな!ったく、現金な子だねぇ。お金に煩い子は幸せな家庭を築けないってどっかの有名人が言ってたぜ?」
「どっかの有名人って誰ですか?」
「確か……『人形師』って冒険者だったかなぁ?」
「ニャるほど、要するにアテにならニャい言葉ニャのね……」
ちょっと信用しそうになって損した……と言わんばかりのアーニャの手に、ヴェルトールはじゃらじゃらとチップを渡す。
「その有名人こうも言ってたぜ。女の子に貢ぐ金はケチるなってな。どうだアテになる言葉だろ!」
「ステキな名言ニャ!!そんな言葉を残してるんならさぞ素晴らしい賢者……いや神に匹敵する存在に違いニャいニャ!!全人類に広めるべき神の御言葉ニャ!!」
(買収されてるし………)
(しっぽ超ウネウネしてるし……)
(餌付けされないか心配だわ……)
ちょっと調子に乗りやすくて適度にバカなのが彼女のチャームポイントである。本人に言うと怒られるので誰も言わないけど。世の中には知らなくていい真実というものがあるのだ。
「それはそれとして……なんでヴェルトール様はアスフィ様に追いかけられているのですか?見た所では恨みを買ったとかそう言う事ではなさそうですけど……むしろその逆みたいでしたよ?」
「タラした……という事でもないのでしょう?貴方は女性と言葉遊びはしても女性で遊ぶことはしない男だ」
シルの質問にリューも頷く。ヴェルトールはあくまでお喋りが好きなのであって、女性に性的なスキンシップや誘いは決してしない。容姿を褒めたり頬を突っついたりする程度の事はするが、いわゆる「男女の仲」に話を持って行くのを彼女たちは見たことがない。
そんな周囲の目線にヴェルトールはあまり言いたくなさそうな表情をするが、観念したようにやれやれと首を振った。
「正直ちょっと関わりたくなくてさ、避けてんのよ……」
「アスフィさんってこの街でもトップランクに入る美女だよ?そんな美人から何で逃げちゃうのさ?なんか昔に悪い事でもしたの?」
「………まぁ、ここだけの話なんだけど。俺、実は冒険者登録した時期がアスフィと近いっつうか、事実上の同世代冒険者なんだよね。余所のファミリアではあったけど、互いに切磋琢磨し合ったんだぜ?アイツは神秘を、俺はどっちかというと造型術で畑違いだったけどな」
「ええっ、なんか健全な関係で意外!」
「俺がいつ不健全になったってんだよ……」
「たまにパンツ覗こうとするじゃん。不健全っていうか、不潔?」
「それは造形師としての研究の為だから――」
「死ねば?」
「貴方って最低の屑だわ!」
「ダンジョンで魔物に喰われちゃえばいいのに」
「ひ、ひどい……!」
「いやー今のはどんな角度から見てもアンタが悪いってー……」
ボロクソに貶されて項垂れるヴェルトールだった。
言うまでもないが、完全に自業自得である。
「会ってあげればいいのに。何か不都合でもあるのですか?」
「まさか根無し草の風来坊気取って『一人の女だけは愛さねぇ!』なんて理由でもないでしょ?」
「そう言う訳じゃないんだけどなぁ~………」
彼にしては珍しく歯切れの悪い言葉だ。
「ホント、どうしてこうなったんだろうな……」
= =
俺は『完成人形』のせいで数年間もの間、人として再起不能に陥った。
そんな折に再開して沢山声をかけてくれたアスフィは、人生でも指折りの恩人だ。
そんな彼女との関係が拗れはじめたのはいつの日だったか……。
そう、あれは「『万能者』と『人形師』実は付き合ってるんじゃねーの報道事件」に遡る。
当時のアスフィは多忙の身でありながら定期的にファミリアの仕事を抜け出しては俺の工房へ訪れていた。その頃の俺と言ったら完全にやってなかったアルル・ファミリアの仕事を再開し、自分の芸術スキルを戦闘に応用しながらドナとウォノを育成中だった。
しかし、自立人形であるドナとウォノからすればアスフィは定期的に遊びに来てくれる優しいお姉さん。つまり戦闘に付き合うより彼女に出会う事の方が優先順位として高かった。そうすると必然的にこの子たちはアスフィが来る日は家で全力待機な訳で、それに追従する形で俺も待機しなければならない。
そしてある日、スクープを探し回っていた『新聞連合』の一人が俺とアスフィが頻繁に出会っていることをすっぱ抜いて新聞に晒しやがったのだ。
「これはちょっと困るわぁ……」
「そうですね。私と貴方はそういう関係ではないのですが……下手に変な噂が広まると面倒です。ここはアルル様とヘルメスのヤロ……もとい、ヘルメス様の連名で事実無根であると証明してもらいましょう」
という事で2ファミリアの話し合いが始まったのだが……考えてみればこの神共、地上でも屈指の暇神である。そう、ここで神共が自重しない悪癖でとんでもない事を言い始めたのだ。
「ヘルメス………もし貴方の所のアスフィがウチの子をオトせたら……『改宗』でヴェルをそっちに移籍させてもいいわよ?」
「なんだいそれ、すごく面白そうじゃないか!!彼が来てくれるんならウチのファミリアは大助かりだよ!!」
しかも二人は結構気が合うタイプの存在同士。会議によって知り合った二人は見る見るうちに意気投合し、とうとう事実無根どころか既成事実を作る話に発展してしまっていたのである。
しかも、アスフィの部屋にはヴェルトールお手製の彫像などが飾ってあり、彼女はそれを笑顔で他の面々にも紹介していたために「あれ、実はマジな関係なのでは?」と勝手に勘違いする始末。彼女のからかいが完全に裏目に出てしまい、二人は追い詰められた。
………かに見えたのだが。
「ヴェルトールと結婚………よく考えてみたらデメリットはないわね?」
「ファッ!?」
世の中何も恋愛結婚が全てではない。むしろ冒険者の結婚にはファミリア絡みで政略結婚が絡む場合も多い。アズ曰く「さながら戦国時代」………協力関係を結ぶために互いの信頼あるファミリアを交わらせ、予め子供の数と所属ファミリアまで決めておくことで下手に裏切れない契約以上の繋がりを持つことは実際にある。
その観点から物事を整理するとこうだ。
まず結婚相手の位だが、ヴェルトールはアルル・ファミリアの副団長であり個人工房を持つことを許されるほど主神アルルから信頼されている男だ。実力も実質的には現団長以上であり、レベルも4と釣り合っている。団長であるアスフィと立場的には対等に近いだろう。
次に製造業のメリット。造形師として超一流の技量を持つヴェルトールから協力を得られればヘルメス・ファミリアの商品のブランドイメージは更に高まるだろう。また、アルル・ファミリアとの共同開発で新商品を生み出すなどの戦略も望める。機能のヘルメスと加工のアルル、無敵の商業同盟も夢ではない。
そして冒険者としてのメリット。ヴェルトールの冒険者としての技量はレベル5でないのが不思議なほどに高い。おまけに自律人形という彼固有の戦力も所持しており、『戦争遊戯』や小競り合いで必要な戦力の中でも、ヘルメス・アルル両ファミリアで実質最高位の大きな力だ。味方になれば頼もしいのは間違いない。
「ウチとしてはデメリットがないのよ、これ……いや本当に」
「いやいやいやいや!!お前本気で惚れていない男と結婚していいのか!?それで女として後悔しない!?お前さんその、美人だし……他にも好条件の男はいるだろ?」
「それなんですが……冷静に考えてみたら、貴方が求める条件に一番近いかなぁと」
「なん……だと……?」
アスフィは物作りの天才だ。この街の頂点に君臨すると言ってもいい。そんな彼女としては魔道具を求めないバリバリの冒険者との結婚は馬が合いそうにないので乗り気ではない。逆に道具に頼りまくっているような男も嫌だ。みみっちい男、頭の悪い男、女をモノのように言う昔気質の男も当然論外。あと、自分より技量の劣る職人は死んでも御免だ。技術を盗みに来てますと言っているようなものだし、目に見える部分で自分より劣った職人を夫として認めるのはプライドが許さない。
となると理想の相手は自分とある程度立場が釣り合い、職人としてアスフィが一目置くほどの男で、ついでに個人的趣味を付け加えるならちょっと世話が焼ける部分もあるくらいの存在………年齢も出来れば近い方が良くて、仕事にも理解があって、子供やモノを大切に出来る……。
「となるとホラ、粗方当て嵌まる男なんて貴方くらいしかいませんよ?」
「こ、子供っておい……」
「無論この子達です♪」
『ママー!(←懐柔されてる)』
『母上ー!(←懐柔されてる)』
「我が子のように抱っこすんなぁ!?」
後で知ったことだが、アスフィは恋愛結婚どころか恋愛の類にあまり興味が無かったらしい。仕事大好き人間だったヴェルトールとしては何となく理解できる話だ。しかし生きている以上は子孫を残し後継を作るために最終的には結婚しなければならない……そんな事を考える彼女にとって、ヴェルトールという男は非常に絶妙な位置にいたようだ。
人間、どうせ誰かと結婚しなければならないなら少しでも好みの物件に手を出したいもの。しかもアスフィが認めるレベルの職人でフリーかつ手出し公認の相手など、今回を逃せば何年後になるか分かったものではない。結婚に興味はなくとも婚期は逃したくない。
「私ではご不満ですか?これでも貴方には献身的に付き添ったつもりですが……?」
「友達としてじゃなかったっけ!?同じ職人として云々って言ってなかったっけ!?」
「大丈夫。子供たちも懐いていますし、ね?」
「バツイチみたいな生々しい言い方は止めろぉ!!」
「恋愛結婚よりお見合い結婚の方が離婚率が低い。案外、いい夫婦になれるかも……♪」
「打算的なことを言いつつ頬を赤らめるなぁ!!」
つまり、この時からアスフィは……極めて打算的にヴェルトールの事を狙い始めたのである。
= =
「つまり……政略結婚から逃走しているのですか?」
「んんん、端的に言うとそう言う事になるの……カナ?」
ヴェルトールはいろいろと細かい部分(主に人形やスキルを匂わせる部分)を大胆に端折りつつ、事のあらましをメイド達に語った。なんとこの軽薄そうな男がどっかの物語に登場する良家のお嬢様みたいな理由で逃走しているとは予想外だ。
「じゃあさ、なんでヴェルトールは女の子大好きなのにアスフィさんからは逃げちゃうわけ?仲悪くもないし、アスフィさんって美人じゃない?結婚したがるならともかく嫌がる理由が分かんないよ?」
「そりゃ、まあ。アスフィはいい奴だし、正直ドキッとすることも少なくないのは認める」
「じゃあ問題なくない?」
「それは、そうなんだが……その………」
もごもごと口ごもるヴェルトールに、メイド達は困惑した。彼はいつも自分の感情にドストレートで1分以上やりたいことを我慢できない多動な男だ。そんな男がこんなにも口ごもるとは……というより彼に口ごもるという現象が起きていること自体が衝撃である。
「呆れないで聞いてくれるか?」
「うんうん、呆れない呆れない」
「みんな真剣に聞くニャ」
ヴェルトールは躊躇いがちに小さな声で呟く。
「なんか、アイツと結婚しちゃったらアスフィ抜きで生きられない超ダメ人間に調教されそうで怖いんだ……」
………何を言っているんだコイツ、という言葉をリュー達は呑み込んだ。ヴェルトールの表情が割と真剣に怯えていたからだ。
「アイツ人の好きな部分全部知ってて突いてくるんだ。この前ちょっと昼寝してたらいつの間にか添い寝してて、しかも俺の弱点の尻尾の付け根を絶妙な力加減で撫でてきてさ………ゴハンとかも俺が大好きな料理とかピンポイントで食べさせようとするし、隙あらば俺に甘えてくるし………正直さ、あざといなって思う時もあるんだよ。だけどそのあざとさの合間合間に本当の好意が見えて、しかも可愛いからさ……段々結婚してもいいかなって思えてきて……で、ある時ふと『俺ってアスフィに籠絡されてんじゃね?』って思うと、心が操作されてるような気分に………」
冷や汗がダラダラ零れ落ちるヴェルトールは、まるで人間の極限状態にいるかのようにヒステリックに頭をかきむしって蹲る。
「こ、この前何気なくすっと『これにサインしてください』って出された婚姻届に自然とサインしかけて途中で気付いた時、あいつおれの耳元で………「まだオちないか」って……!!俺、あいつと結婚したら操り人形にさせられるんじゃないのか………っ!?」
絞り出すように言い切った直後、ヴェルトールは不安に肩を抱いてガタガタと震えはじめた。あんまりに哀れなので数人のメイドが肩を撫でて慰めに入る。
「分かる、分かるニャ。尻尾の付け根、アレはキャットピープルにしかわからニャい快楽だニャ……悔しいけど気持ちいいのニャ……」
「大丈夫よヴェルトール、不安を感じるのは洗脳されてない証拠よ!」
「どんまい!」
「明日は明日の風が吹くよ!」
「もしも嘘でも嬉しいよ、その慰めが……ううっ」
リュー達遠巻きのメイドは顔を突き合わせてひそひそと喋る。
「結婚詐欺に引っかかる寸前の男の顔ですね、あれは。よくぞ踏みとどまったものです」
「聞く限りではアスフィ氏は本気でオトしに来てますねぇ……これはもう恋敵が出てきたら排除しそうな勢いですよ?」
「どこまで本気なんでしょうね、『万能者』は………せめて愛はあると信じたいですが。なかったら流石にヴェルトールさんが哀れです」
彼とアスフィの関係に決着がつくのは、遙か先の未来のことになりそうである。
44.トライアングルハーモニー
懐古する記憶、想ひ出の残像。
これはそう、アズライールという冒険者がまだまだ駆け出しだった頃――。
冒険者は普通、魔法を3つしか使えない。そのように説明では聞いた。
しかし、何故3つしか使えないのか。俺はそれが気になった。
「なぁオーネスト、何で人は魔法を三つしか覚えられないんだよ?ファンタジーとかでは複数使えたりするじゃん」
「人が神に到らないためだ」
「………えっと、詳しくお願いします」
オーネストは露骨に舌打ちしながらもちゃんと説明を開始した。舌打ちで心を抉ってからちゃんと説明するという辛辣親切なスタイルには最近慣れてきた自分がいる。っていうか、その一言で察せとか無理あるだろ。
「まずは人間の話だ。人間は……少なくともこの世界では神の創造した存在だ。限りなく神に近い容姿と神には程遠い能力を与えられた神のデッドコピーに過ぎない。そして神が那由多の存在なのに対し、人間は連中からしたら刹那の瞬き程しか存在できない脆弱な存在だ」
「確かに。この街の神様って軒並み年齢億オーバーだったし」
ヘスヘスとかロキたんとかまるで歳食ってるようには見えないのに実はとんでもないご老体だ。というか、神は年齢を重ねないのでご老体という言葉も当てはまらない。あれが本当ならば、なるほど確かに神は限りのない存在なのだろう。
「だが、相対的に見て神には一つだけ人間に劣る部分がある。それが『可能性』……僅か100年前後で爆発的に成長する、人間が人間たる所以だ」
「成長性……体か?」
「お前今絶対ヘスティアのこと想像したろ。あとロキの奴も」
ダレがチビだい!!とぐるぐるパンチしてくるどっかのヘスヘスをものの見事に思い浮かべたが、脳内オーネストが説明のために蹴り飛ばした。ダレが胸元大平原や!!とぐるぐるパンチしようとしたロキたんは脳内オーネストの一睨みで黙りこくる。オーネストめ、俺の脳でどれだけ猛威を振るえば気が済むんだ。
変な妄想してたらオーネストが睨んできたので、俺は慌てて妄想を打ち切った。
「……成長性ってのはそんな限定的なものじゃねぇ。もっと広義での成長だ。個体差的な力の増減……洞察力や精神年齢……人間に触発されて多少考え方が変わる神はいるが、どいつもこいつも根本的、本質的な意味では成長しない。何故なら神となったことで存在そのものが完成されてしまっているからだ」
「成長しないっつうか、成長する必要がないって感じだな。どんなに時間が経ってもずっとそのまんまだ」
「ああ、連中は成長する必要がない。そういう世界に生きている。だが人間はそうはいかん。産まれたからには生きねばならん。生きるためには知識も肉もありとあらゆるものが必要になるし、それらをある程度揃えると今度は夢だ理想だと文化的な欲求を追求したがる。挙句、死が近づくと今度は永遠の命を求めたり……始終忙しい連中が殆どだ」
だが、とオーネストは続ける。
「その忙しさが人間の成長性の本質だろう。神は何億年経とうがレベル100のままだが、人間はレベル1から死ぬまで果てしなく伸びる可能性がある。そして有限であるが故に焦り、前へ進む。現にダンジョンが出現した古代、人間は神の予測を越えた『英雄』となって敵と戦った……さて、ここからが魔法に関連する話になる」
「あ、そっからなんだ……」
「お前もこれくらいは知ってると思うが、自分の作った玩具の思わぬ遊び方を発見した神共は暇つぶしに次々地上へと舞い降りはじめた。『世界を脅かす魔物に対抗する力を与えるため』という大義名分を引っ提げてな。つまり、人間に恩恵を与えて眷属にするという一連のシステムの誕生だ」
「俺がギルドで聞いた話と比べて神の傲慢さが目立つ解釈がされてるんだけど………私怨混じってない?」
「純然たる事実だ。ともかくだ、この際に神々の間である締約が結ばれた。それが、神が人に与える恩恵――より正確にはそれを制御するシステムを完全に統一することだ」
それを聞いていて俺はロキたんからちらっと聞いた話を思い出していた。曰く、人間を本気で強化したいんなら神の力で無理矢理力を与えればいいけど、それをやると恩恵のルール違反だし面白くもない――そんな話だった。つまりオーネストの言う完全統一がロキの口にした恩恵のルールなのだろう。
恩恵というシステムを統一することで、神の気まぐれによる「ずる」を防止し、尚且つ過ぎた力で人間が暴走しないようにする……目的はそんな所だろう。俺がその予測を口にすると、オーネストは「概ね正しい」と言った。
「但しそれはあくまで多数意見だ。実際には違う側面もある……いいか、恩恵というのは曲がりなりにも神の力を分け与えているんだ。つまり恩恵を受けて成長力を更に爆発的に高めた人間とは、より神に近づいた存在とも解釈できる。これに一部の神は強い危惧を示した」
「自分の絶対的な立場が脅かされる。だから制限を加えようって話か……?全然そんな風には思えないけどな。街ゆく冒険者は誰しも人間の域を超えているようには見えないし、あのオッタルとかいうムキムキも神に到ってるとは到底思えねぇ」
「だろうな。逆を言えば、多少成長性を高めた所で神と人の差は埋まらないという事でもある。……さて、ステイタスに関しては上限が高すぎるから100年そこらで神との差を埋めるのは不可能、といった具合に恩恵というのは調整されている。レアスキルに関しては制限がない。こっちは神共の娯楽性と人間の可能性を加味した結果だ。それ以前に一人の人間が大量のレアスキルを得ることはまずないしな」
「お前とか一杯レアスキル持ってそうだけど?」
「複数と言っても多くて精々が5本の指で数えきれる範囲内だ。レアスキルとはその人間の本質が現れやすい……簡単に言えばそいつがどんな奴かを一言で表すようなものだ。そんなものが20も30も存在するってのは、ひとつの身体に魂が10個以上収まってるようなものだ。多重人格なんてものじゃないぞ、それは」
つまりシャーマン○ングならイケるのか、とも思ったが、魂を入れ替える度にレアスキルも入れ替わってるだろうから全部同時に持っているのとは違うだろうな。仮に人格を全部統一したら個性も統一されるから、これもまたレアスキルが複数とはならないだろう。
「ステイタス・レアスキルと二つ並んだところで、いよいよ魔法に話を移そうか」
「おう。話の流れからすると3つ以上の魔法を持つと神の領域って話になるっぽいけど?」
「まさか。たかが3つの魔法で神の領域になど到れるものか………しかし、一部の神は人間が魔法を使えるようになる事に激しく抵抗した。魔法そのものが神の御業と考えていたからだ。現代の人間の使用する魔法はその殆どが神の下位存在である精霊を由来としている事を考えればあながち嘘でもないが……連中にとっては不幸なことに精霊は神より人間の側に寄った存在だった」
「聞いたことあるなぁ。精霊と交わったり加護を貰った一族は特殊な才能を持って生まれるんだっけ。アイズちゃんとかもその系譜なんだろ」
「ああ、精霊はそれほどに人間と距離が近かった。それに魔物と戦うにしても見て楽しむにしても魔法抜きだと大半の神は面白くない。そこで魔法を司る神々が『3つ』という制約を立てた。地上では元々魔法なんぞ一生に一つ覚えれば上等だったからな。3つ確保してやるだけ有り難いと思えといった具合さ。事実、ほとんどのヒューマンは死ぬまで魔法スロットが埋まらないが、エルフなんかは大成すれば例外的に3つ以上覚える奴もいる」
これは後になって思うとレフィーヤちゃんのことだったんだろうと思う。彼女は、詠唱と効果を完全に把握できるエルフの魔法をコピーできるらしい。リヴェリアさんも学術的には9つの魔法を使えるとか、そんな話を聞いた。
「とすると、魔法の才能がズバ抜けている人は3個の制約を突破できるのか……」
「ああ……だが、実際には魔法という技術は曖昧だ。覚醒条件も含めて余りにも不確定要素が多すぎる。『神秘』と『魔導』の両方を極めたような奴はある程度魔法の伝道が出来たりもするが、そんな段階に到った頃には大抵の奴はヨボヨボだ。ステイタスと同じで制限がかかっている………『ように見える』だろう?」
もったいぶった言い回から、俺はオーネストの意図を直ぐにくみ取ることが出来た。
「なるほど、そこも違う意図があるって訳か……神の連中もややこしいこと考えてるねぇ」
「ふん、全くな………考えても見ろ、人間は元々3つ以上の魔法を会得できる可能性があるのにどうして3つだと決めつけにかかっている?どうしてその中でエルフなんかの一部種族の魔法的優越を放置している?」
確かに種族的な伸び率の違いを差し置いても、魔法だけは条件が変だ。明らかに一部の種族だけ優位の構造になっている。それでいて人間に魔法を使ってほしくないと言う割には、エルフ等が覚えるのは別にかまわないと来たものだ。
小さく唸りながら考えを纏めると、自分が口にした言葉がふと思い出された。
『精霊と交わったり加護を貰った一族は特殊な才能を得る』――。
人と神との契約に魔法は絡んでいないが、精霊と人との契約には魔法が絡んでいる。もしもこの精霊と2種も3種も交わっていったら、やがて人間はそれほどの加護をその身に得るのだろうか。恐らくこんなことを人間、若しくは精霊が計画的に行ったとすれば、神の恩恵に関係なく魔法は増殖していく。
「もしかして、精霊と交わったことで覚える魔法の数を制限して、精霊との上下関係をはっきりさせるため……?」
「ほぼ正解だ。より正確に言えば……神は精霊に反乱されるのが怖いんだよ。だから自分たちの下にいる方がメリットが大きいように見せかけつつ、精霊の力をダイレクトに反映する魔法のスロットには大きな制約をかけた。魔法の伝授によって神の恩恵を越えた人間が出現すれば、神の立場も面目も丸つぶれだからな」
「でもそれじゃ一部種族の優越性が説明できないんじゃ?」
「一部の種族にだけ魔法の優越を与えれば、人間は種族的な違いがあるから自分が魔法を覚えられないのはしょうがないと諦めがつく。逆に優遇されてる連中は『普通の種族では一つも覚えられない魔法をこんなに使える自分たちは魔法に優れているんだ』と一種の思考停止状態に陥り、魔法の根源的な部分をあまり考えなくなる。結果的には最高のさじ加減として現代も残っている。ま、後詰の策と言った所か」
「………話は最初に戻るけどさ、もしかして『人が神に到らないため』って……精霊の力を借りて人間が神の域に到るか、もしくはそういう方法で精霊が敵をけしかけてくるのを防ぐためってことだったのか?」
「俺はそう考えている」
そう締めくくったオーネストは、とびっきり皮肉の利いた笑顔で地面をかつかつと蹴った。
「何せ、現にこうして盛大に神に弑逆の意を示した精霊がいるからな……」
「地面……地下………あ、嫌~な事に気付いちゃったかも。お前もしかしなくてもダンジョンの事言ってるだろ?」
本や一般常識では「出現した原因は不明」とされているダンジョンの秘密を、オーネストは世間話でもするようにあっさりと暴露した。神の下位存在である筈の精霊の神に対する反乱という、空前絶後の大スケールだ。
「そうさ。このダンジョンの主――あるいは『魔王』とでも称しておくか?天上の神は、この地を這う反逆の精霊に人間が恭順する瞬間を何よりも恐れているのさ……原因を作ったのは自分たちなのになぁ」
その時の、心底愉快なものを見るようなオーネストの顔は今も忘れられない。くつくつと喉を鳴らすこの男の顔のあくどい事あくどい事。オリジナル笑顔リストに並べられるレベルかもしれない。
というかオーネスト、お前は一体この世界のどれだけのことを知っているんだ……と言おうかと思ったが、知るのが怖くてその時は何も言えなかった。
= =
「スロットリミッターが外れているか、多数の精霊の力を得たか……あのベルとかいうガキが見たという黒いエルフはそのどちらかだろうな」
「神の仕業って可能性もあるのか?恩恵のルール違反は天界の神が厳しく見張ってるから起きないんだろ?」
「だったらバレないようにやればいいだろ。馬鹿には出来ないが、出来る奴には出来る筈だ」
「おいおい神がその調子じゃ人間が困るんだが……」
「アズ様、アタシ達人間の事をクソ真面目に考えてる神なんぞ耳糞ほどしかいやしねぇんですよ?」
「あ、それもそうだったな……」
目の前に神の所為で割を食いまくったであろう存在が約二名。偶に忘れがちになるが、神とは人間に対して優位であるが故に傲慢でもあるのだ。俺はそう感じたことはないが、「それはアンタがおかしいのだ」ということらしい。
屋敷での朝、朝食を取りながらも俺達の会話は自然と先日の大騒動の真犯人のそれへと移っていた。現在この街で真犯人の情報を持っているのはこの屋敷の人間とヘスティア・ファミリア、そしてギルドのロイマンくらいである。なお、既にロイマンからはこの件について箝口令が敷かれているのだが、オーネストは知ったことかと言わんばかりにメリージアにバラしている。
メリージアはこれを他のゴースト・ファミリアにバラすだろうが、ファミリアは「分かっている」奴ばかりなので余計な騒ぎは起こさない。ただ、自分にとって重要な一握りの存在にだけ情報をほのめかし、音もなく警戒するのだ。
「………そのエルフってのは、神の支配するこの世界を壊したいのかねぇ」
「俺の見立てでは、その気があるのは力を与えた側だけだな。当人は単純に与えられた力で世界を解明する気だろう。神や神秘にとって猛毒たりうる『科学』という視点で……な」
「???」
メリージアは意味が分からないのか可愛らしく小首を傾げている。この可愛らしさで娼婦だったら間違いなく男心を弄ぶ稀代の悪女になっていただろう、となんとなく思う。彼女にはそういった逞しさが根底にあるからだ。
特に理由もなくじっと見つめていると、メリージアがこっちの視線に気付いてちょっと恥ずかしそうにはにかんだ。心臓どっくん。時折彼女が無性に愛おしくなるのは……俺も男だという事なんだろうか。
「あの、アズ様……オーネスト様が言ってた『科学』ってなんでっしゃろか?アタシ、学がねぇからろくすっぽワカンネーんですけど」
「ん………ああ、そうだな」
オーネストは「たまにはお前が説明しやがれ」と言わんばかりにこちらを一瞥し、優雅な手つきでフレンチトーストを食べ始めている。俺もあまり説明上手ではないが、頑張って説明してみよう。
「火が燃えるのには空気が必要で、火を消すには水をぶっかけるのが一番早い。これは分かる?」
「はいっ!アタシもメイド修業時代に何度かカーペットに火を放ってクソ師匠にキレられたんで!!」
「や、火傷しなくてよかったね。で、ええと………じゃあ何故空気があると火は燃えて、水をかけると消えるのか。これは分かる?」
「いいえっ!脳みそツルツルのアタシが火に関して分かるのは『熱い』、『明るい』、『料理の命』の三つまでなんで!!」
「あはは………まぁ、オラリオに限らず普通の人達はそんなこと逐一疑問に思わないよね。でも実際には理由がちゃんとある。空気がないと火が燃えないのは、大気中の酸素がないと燃料となる物質と連鎖反応でエネルギーを発生させられないから……つまり火を燃やし続ける材料になってるからだ。そしてその材料と燃料の間に水をぶっかけると、連鎖反応が遮断されてしまう。だから水で火が消える」
「………………」
ぼしゅー、とメリージアの耳から煙が噴き出ている。まだ小学校高学年レベルだと思うのだが、彼女にとっては早速難し過ぎたらしい。
「つ、つまりね。世の中で起きる自然現象ってのはそうやって何かしらの理由をつけることで説明できるっていうスタンス……それが科学なんだよ」
「つまり、何かと理由を付けたがる学者みたいな?」
「うん、まさにそれ」
実際には俺達の世界とこの世界では学者のレベルが全然違う。それは、この世界ではあらゆる現象が『神』や『精霊』といった世界観に基づく解釈を行っているからだろう。神の奇跡にも精霊の加護にも原理は求められず、そういうものとして解釈されている。そこに疑問を挟む余地はない。それは人には理解が及ばない高尚な領域なのだ。
だが科学は違う。
科学ってのは何でもかんでも理由をつけて順序立てて解明しようとする。俺達の想像も及ばない世界であっても何かそれを理解する屁理屈がどこかに存在する筈だと探す。そして見つける。見つけた理論状況を再現して同じことが起こるなら、そこには神秘も高尚な領域も存在しない。科学とは、奇跡を人の解釈できる領域まで引きずり降ろすことを意味する。
「科学はなんでも解明したがる。そのエルフは、オーネストの見立てではその科学で魔法を解明したんだろうね」
「魔法を解明?魔法って使える奴にしか使えないから解明してもあんまり意味ないんじゃ……?」
「確かに、この世界じゃ魔法なんて覚えられるかどうかわからない凄いものってイメージがあるみたいだね。でも、魔力、精神力、詠唱の解釈、大気中のマナのような魔法に関わる要素を一つ一つ丁寧に紐解いていけば、魔法というのが実際にはどうやって発生しているのかが分かるかもしれない」
詠唱、無詠唱に関わらず、魔法はあくまで一定のプロセスを経て効果を発揮する。そしてそのプロセスは恩恵に依拠し、恩恵によってその数を制限されている。冒険者の魔法とはそれらの手順を極限まで簡略化したものが定められたプログラムのようにスロットに追加されているものだ。そのプログラムを起動させれば、記録されたプロセスが勝手に順を追って魔法を発動する。
では、もしこれをマニュアル操作のように一つ一つ自分で操れるとしたら……最終的には、3つをゆうに超える魔法を無詠唱で使用することも可能かもしれない。
「滅茶苦茶難しくてややこしいけど、そういう方法を確立すれば、一人で5個も6個も魔法を使えるようになる可能性はあるよね。俺も専門家じゃないからよく分かんないけど、そうして自分に使えない物を強引にでも使えるようにするのが『科学』ってことなんだよ」
「へぇぇ……全っ然理解できねぇけど。その科学を学んだらアタシもカッケェ魔法使えるようになるんですか?」
「沢山勉強したら出来るかも………」
「諦めてメイドとして生きていきます」
彼女は早くも科学の魅力を振り切って未来に生きることを決めたようだ。とても逞しい顔をしているが、頭からブスブスと漏れる湯気で全部台無しである。最低限教養はあるし、決して馬鹿な子ではない筈なんだけどなぁ……。
「何なら『魔導書』でも書きしたためてやろうか?」
「欲しい!です!」
「おいよせ止めろ!オーネストの『魔導書』なんて危険度マキシマムレベルだよ!?」
この男が当然の如く魔導書を書けることに関しては最早何も言うまい。なお、俺は一度コイツの書いた魔導書の背表紙を見たことがあるが、そこには『滅却業火』、『氷獄魔牢』などのヤバそうな代物しかなかったと記憶している。
なお、最終的にメリージアのおねだりと自衛の意味も込めて『言語崩壊』という魔法が進呈されることになった。敵味方識別可能な広域魔法で、自分の使用する言語が一時的に分からなくなるらしい。副次効果として思考の混乱、魔法詠唱不能、ひどいと思考そのものが一時的に崩壊するらしい。………恐ろし過ぎるだろう。
「って言うかこの名前、オラリオに真正面から喧嘩売る名前だな……お前まさかこの街の転覆のためにこんな物騒なものを………ないか。お前なら転覆させずに沈没させるよな」
「アタシもそう思いやがります!オーネスト様は気に入らねぇモン片っ端からぶっ壊すクラッシャーでいやがりますからね!!」
「流石は俺のことをよく分かっているな。理解ある同居人がいてうれしい限りだ」
とうとうオーネストの本気スレスレのジョークまで飛び出し、笑顔がこぼれる。
俺達に未来はいらないが、きっと明日が来ても俺達は仲良しでいられる気がする。
こういうの、前の世界じゃずっと無縁だったから無性にうれしく思ってしまう。
(何だかな……俺もオーネストも唾棄されて然るべき碌でもない存在な筈なのに、メリージアといると救われた気分になっちゃうんだよなぁ)
こういう感覚は別の時にも覚える。マリネッタといるとき、リリといるとき……守るべき対象がいるとき。だからこんな時間が積み重なっていくたびに、きっとオーネストの中でも同じものが重なっている筈だ。
――オーネスト。お前もこの感覚、嫌いじゃないだろ?
言葉に出さずに目線を送ると、オーネストはふん、と鼻を鳴らした。
俺にはそれが、「否定はしない」と言っている気がした。
= =
――アズ様とオーネスト様の話はいつも難しい。
食事の後片付けをしながら、メリージアは内心でぼやいた。お二人の考え方はある意味では斬新で、ある意味では異端的……とゴースト・ファミリアの面々は言うが、メリージアには実感がわかない。
ただ、そんな折に二人がメリージアの事を少しでも気にかけてくれるだけで、幸せになれる。
魔法を授けてくれると言う話の時も二人はメリージアに持たせる魔法を慎重に選んでいた。それだけ自分が大事にされていると、どうしても嬉しくなってしまう。二人はまるで親のようで、友のようで、そして恋人のようで――。
(な、なに内心で舞い上がっちゃってんだよアタシは……)
自分で自分のピンク色の発想が恥ずかしくなりながら、ちらりと二人を見る。
アズは調味料を棚に仕舞い、オーネストは食後のティーセットを持ってメリージアのいる流し台に歩み寄っている。とても広義で見れば、二人と夫婦の間柄でもおかしくはないかもしれない。いや、夫が二人いるというのはおかしいが、その辺は愛があればいいと思う。
(――って違う違う!アタシはお二人に仕えるメイドの見習い!!だから主人とそう言う事を望むのは行き過ぎで、そういうのは一人前になってから……って一人前のメイドになっても夫にはなんねぇよ!?)
どうにも今日は舞い上がり気味だ。人生で初めて『魔法』という破格のプレゼントを貰った影響で高揚感が収まる気配を見せない。心地よい心臓の高鳴りを抑えられないまま、メリージアは皿を洗う。
後ろから近付いたオーネストが横で一緒に皿洗いを始めた。ダンジョンに潜らないときはいつもこうして家事を分担する。夫婦とまではいかなくとも、家族に限りなく近い。ファミリアというくくりを家族とするのなら尚更だ。
しかし、また少し経てばオーネストはその手に泡つきのスポンジではなく剣を握るのだろう。前にオーネストの部屋に運んだ剣を思い出し、高揚した気分が少しだけ沈む。また二人は命懸けのスリルを楽しむように魔窟の奥へと刃を押し込んでいく。死なないとは分かっているが、それでも待たされるのがいつも平気という訳ではない。
(そういえば……)
オーネストの部屋にあった大量の死亡通知書を思い出す。
あれは、きっとオーネストにどこかで関わっていた人々の亡骸の一つなのだろう。
それほどの死別、それほどの哀しみを背負ってもなお、オーネストは戦い続けている。
既に死別の哀しみを忘れてしまったのか?それとも今でもそうなのか?もしそうならば、オーネストは冒険者として戦いながら、癒えることのない傷より幻の痛みに耐え続けているのではないか。
漠然とした疑問と心配。それをオーネストにぶつけるのが、怖い。もし今でも苦しんでいるのだとしたら、メリージアに一体何が出来るというのだろう。消えない過去に、現在を生きる自分が勝てるか。オーネストが過去より自分を取ってくれる確証はあるのか。
「オーネスト様」
「なんだ」
「アタシを、捨てんな、ですよ……アズ様も」
自分でも馬鹿なことを言っていると思う。それでも、メリージアは問うた。
オーネストはそんなメリージアをしばらく見つめて、おもむろにぽつりと呟く。
「………お前はどうせ捨てても勝手についてくるだろうが。自分が押しかけメイドだったことも忘れたのか?」
「そういえばそうだったな!うわー、あれからもうそろそろ2年だな……懐かしいねぇ。『今日からこの薄汚ねぇ屋敷でメイドとして働くことにした!!』……ぷふっ、今とは大違いだ!」
「あっ……い、いやぁぁぁーー!?そんな過去の異物掘り返して笑うんじゃねえですよクソ野郎どもぉぉおぉ~~~っ!?」
思い出すのも恥ずかしく語ると顔から火が出そうな過去を掘り返され、メリージアは顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。そう、素直じゃなかった昔のメリージアは確かにそう言ったのだ。今にしてみれば何という馬鹿発言だと頭を抱えそうになる。
しかしそうか、捨てられたらまた追いかければよかったんだ――元々この屋敷にはほぼ無理やり押しかけた身なのだから、今更気にすることは何もない。
これで、何があってもお二人と一緒にいられる――。
それさえあれば、後は何もいらないから――。
言葉にならない充足感に全身を満たされながら、メリージアは今日もこの屋敷で生きていく。
後書き
前半は自己解釈過ぎる魔法の話をしつつ、後半でメリージアは二人に依存しまくってるけど二人も結構メリージアに依存してるところがあるんだよって話をしました。
メリージアは愛でるもの。たぶん。
45.吾闘争す、故に吾在り
前書き
血反吐ぶちまけるのって楽しいですね。
5/22 微修正
『まさか、まだ信じてたのか?馬鹿だな……そんなんだから食い物にされるんだよ』
知ってるよ。
『きみより先に、天国にいくね。きみはまだ、来ないで……』
余計なお世話だ。
『こんなに愛しているのに……どうして私の手元を離れてゆくの?』
結果が全てだろうが。
『ああ、あのガキか。役に立たないんでヤク漬けにして放り出しておいた。で、それが?』
『だからさ、本気でお前みたいな得体の知れないクソガキのために命を賭ける人間がこの世界に何人いると思う?ゼロだよ、ぜ~ろ』
『クソがぁ!!クソがクソが、お前ぇ!!お前の方が死ねよ!!何にも護るものがないくせにさぁ!!何で俺だよ、おかしいだろ!!お前が死ねよぉぉぉぉーーー!!』
『こんな子供を痛めつけてまで仕事するのが大人のやることかぁ!?』
『人間は神の被造物!!それを神が好き勝手して何が悪いというか!!下劣な猿が、我を見下すなぁぁぁぁぁ………ッ!!』
『おかしいね。再会したら抱きしめようと思ってたのに、手が無くなっちゃった――』
『ええと、君はダレでしたっけ?あはは、意味の分からない事を言う子供ですねぇ。出会ってなければ約束など存在しないのと同じことでしょう。分かります?君なんて知らない――そういうコトです』
『命の価値を教えてやる。2千ヴァリスだ、お前のはな』
『ああ、悍ましい!!生きていることが恥ずかしくないのですか!?僅かでも恥じるのならば今直ぐ死にませい!!死んで夫に詫び、血の海に溺れて苦しみながら煉獄に堕ちませい!!』
『これだから……てめぇみたいな死にたがりの餓鬼は………反吐が出る程嫌いだよ――!』
『お前はなぁ!!そうやって目的もないくせにいつも生き延びて、周りの命を啜ってるんだよ!!お前がいるから俺みたいな関係ない奴が割を食って!!死ね!!俺と一緒に死んで、お前だけ地獄に堕ちろぉぉッ!!』
知ってるんだよ、俺は。俺の存在が俺の周りを最も傷つけるなんてことは、当の昔に知ってたんだ。だから、馴れ馴れしく近付いてくる奴を遠ざけたかった。
迷惑で、鬱陶しくて、その癖して巻き添えを食った時だけ自分は悪くないと言い訳する奴は嫌いだ。
非力で、一方的で、何も出来ない癖に光に近づこうとして傷付く軟弱な奴も嫌いだ。
どいつもこいつも勝手に俺を巻き込んで、俺に巻き込まれて不幸になる。
だから――嫌いだ。
『俺達のことも、本当に嫌いか?』
不意に、友達を名乗る男から投げかけられた問いが脳裏をよぎった。
『ああ、大っ嫌いだ』
俺はその時、あいつの目を見て言葉が言えなかった。
= =
人類は本質的に争う生物である、という思想が霊長類学者の間では存在する。
最終的にこの説は不完全な説であり、人類は争う性質と助け合う性質の両面性を持っているという安直な結果が真実だということが後に判明した。
だが人類の作りだした文明や文化というのは厄介なもので、文化の多様性を認めるが故に別の文化形態で過ごす存在を「同族」と認め切れないことも多い。それが普通なら同種持つはずの道徳意識を薄め、敵と同類の境を極めて曖昧なものにしていく。故に人は争う、と学者は言う。
肥溜めの蛆虫にも劣る下らない理論だ。
理論は生きていない。しかし蛆虫は生きている。生きるのに必死になりながら汚らしい糞尿の海で蠢き続ける。醜く汚らわしい物だとしても、そこには生存というたった一つの目的に邁進する生物の輝きがある。つまり、理論や説などというのは現在を生きる全ての生物にとっては何の価値もない、文字通り机上の存在でしかない。
俺は、人間だから戦っているのか。……違う。
俺は、―――の子だからから戦うのか。……違う。
俺は、―――に捨てられたから戦うのか。……それも違う。
俺が、俺という存在であり続けるために、俺は戦うのだ。
「お前は何のために戦う」
その問いに対して返ってきたのは、惚れ惚れするほどに狙い済まされた斬撃。敵は手首を器用に操って剣の軌道を変化させ、弾こうとしたが一瞬捉え損ねる。直後、時間差でもう一撃。ボッ、と頭の真横の空間を破滅的な威力が通り抜ける。槍だ。突撃槍が俺の顔面を抉ろうとした。
顔面への攻撃で視界を奪い、それを回避することで発生した隙を縫って敵は跳ねるように離脱。再び間合いを取った。待つときはまるで石像のように微動だにせず、しかし突然何の前触れもなくトップスピードでこちらを錯乱する。
「………ギギギッ、キキッ!」
「唯の魔物にしては出来るが……成程、人語を解さないのなら『異端児』ではないな」
トリッキーかつ繊細、突発的ながら技巧派。まるで熟練の冒険者を相手にしているようだが、実際には真逆だ。メタリックグリーンの鱗に全身を覆われた亜人の黄色い瞳が、俺という獲物を捉えて離さない。
蜥蜴の獣人とでも形容すべき姿をした魔物は、舌をちろちろと動かしながら両手の武器で巧みに攻撃してくる。驚くべきことに眼球の僅かな隙である『盲点』の位置まで完全に把握した不意打ちまで撃ってくる。これほどの剣術、人間でさえも習得するには年単位の修行が必要だろう。
決してこちらに付け入る隙を見せようとしない。破格の速度もさることながら、ココと同じで圧倒的な先読み能力を駆使しているために思うように主導権を握れない。刃を強引に叩き込むと片手の剣でいなされ、その隙にもう片方の手に握られた突撃槍がこちらの胴体を掠める。
「キキキキッ!!」
「面倒な――がふッ!?」
視界がブレたと錯覚するほどの瞬間速度を捉えようとした刹那、今度は脇腹を鈍器で殴りつけられたような衝撃。反射的に空気の動く気配をした方向に手刀を繰り出すと、硬度と軟度を併せ持った肉質的な何かに命中する。
それを掴みとると、正体は千切れとんだ尻尾だった。人体には存在しないパーツである尻尾を利用して殴りつけてきたのだ。そして俺の反撃で自動的にちぎれた尻尾を囮に本体はまんまと離脱に成功している。文字通りトカゲのしっぽ切りだと思っていると、尻尾が蛇のようにうねり、俺の喉に一直線に飛来する。
「尻尾の先端だけ異様に硬い……成程、叩くだけでなく刺すことも出来るのか」
命中する前に握力で強引に圧潰。よく見れば先端は銛のように一度刺さると外れにくい構造になっている。ある程度自立行動し、突き刺さり、残る力を振り絞って暴れまわる。ここまで来ると単なる蜥蜴の尻尾ではなく別種の魔物とさえ形容できる。
風を切る音。瞬間移動のように残像を残して迫る蜥蜴の騎士の斬撃が再びこちらの盲点を突こうとするが、流石に俺も『目が慣れた』。先手を打つように剣に力を籠め、斧を振り下ろすように真っ向に振り抜くと、両手の武器を交差させた蜥蜴に命中した。岩を砕き周辺の空気を押し飛ばす衝撃に、蜥蜴は5Mほど後方まで吹き飛ばされた。
目を見る。驚くほど静かな意志を湛えた目だ。理性を感じさせない粗暴な魔物のそれではなく、忠誠を誓う騎士を彷彿とさせる。だが、俺にはこいつが誰に仕え、どうやってその技能を手に入れたのかなど至極どうでもいいことだ。
忠誠を誓う騎士は、自分の剣の向かう先を主に決めてもらう。
つまり、自分で自分の行動を決めきれず、一方的に信頼した赤の他人に行動を委ねている。
それは、『狗』だ。
そして俺は『狗』ではない。
「俺は、俺の力を、俺が存在するためだけに使う。自分が自分である根拠を欠片でも他者に依拠する存在には俺を殺す事は不可能だ」
蜥蜴が走る。人間では決してありえない脚力と俊敏性は瞬間移動のように錯覚されるほど速く、煌めいた刃はその軌道を自在に変えながら俺の身体へと迫る。俺はそれを――何もせずにぼうっと見た。
刃が俺の腹部を貫く。突撃槍だ、今の一撃で食道器官は致命的なダメージを受けただろう。下腹部が内側からこじ開けられるような凄まじい衝撃が奔り、灼熱のように熱い血液が零れ落ちる。蜥蜴はその槍を手放しながらさらに連撃を繰り広げようとして――
蜥蜴の剣が、きぃん、と音を立てて根元から折れる。止めを刺そうとして動きが一瞬大雑把になった瞬間に、俺の剣で叩き折ったからだ。普通なら腹を貫かれた時点で人間はまともに行動できなくなるのだろうが、俺はこの程度の傷では止まれない。
蜥蜴が槍を引き抜こうとする。しかし、ずたずたになって尚機能する腹筋に槍が締め上げられて抜けない。失血死を狙った行動だったのだろうが、致命的な隙だった。咄嗟に身を引いた蜥蜴の身体に袈裟切りの傷がつつ、と走り、次の瞬間に鮮血が噴き出た。
「俺は、俺がお前に殺されることを許容しない。だからお前に俺は殺せない。そう、全ては俺が考えて俺が決める事だ。そこに他の誰かなど介在しない」
まったくナンセンスだ。破綻した理論だ。そんな都合のいい世界の解釈など道理が通らない。
すなわち、通らない道理を通すことが出来ないのがお前の限界だ。
お前は俺を殺すという絶対目的を達成できないが、俺は出来る。
この瞬間、俺にとってこの戦いは何の価値もない『勝ち戦』に成り果てた。
「俺を殺しきれなかった貴様に目は必要ない!!」
剣を振るう。蜥蜴の眼球が肉片となって抉り飛ばされた。
「耳も、鼻も腕も足も首もッ!!」
剣を振るう。頬の近くにある耳が、鼻が、手が、足が、蜥蜴の身体から切り離されていく。この魔物は鱗の強度の分だけ余計に硬く、決して脆い体ではない。だがそれは客観的評価であり、煉瓦の壁も分厚い鉄板も平等に破壊する純然たる攻撃力の前には意味のない事実だ。
徒手で戦う魔物なら武器を捨てて牙なり爪なりを剥いただろう。だからこそこいつは、武器を扱うが故の新たな隙を生み出した。それがこの蜥蜴の戦士としての致命的な欠点――こいつは、超近接戦闘に対応できない。
「――全てを抉られッ!!戦士としての価値さえ喪失しッ!!何故自分が敗北したのかさえ理解できぬまま血達磨になれぇぇぇぇーーーーッ!!!」
嗚呼、今宵も我が身に降り注ぐ鮮血の暖かさが心地よい。
お前を殺すほどに俺も死に近づいていく、その感触が心地よい。
――嘘をつくな、妄想に陶酔したどうしようもない愚図め――
俺の心の中で、誰かが心底軽蔑するようにそう呟いた気がした。
= =
昔、あることが切っ掛けでオーネストとこんな話をしたことがある。
――魔物と人の共存は可能なのか?
その時の俺はまだ本当に新人で、『異端児』と呼ばれる魔物と友達になりかけていた。だが、少しばかりショッキングな事が起きて、結局俺は自らの手でその子を倒すことになった。倒す瞬間まであの子は俺のことを友達だと思ってくれていたと思うし、俺だって友達だと思っていた。なのに、魔物と人という壁を俺達は越える事が出来なかった。
そこまで大きな壁だろうか。
言葉は通じるし、一緒にいて楽しい思いを共有することも出来る。同じ食事を取ることも出来るし、逆に励まされたりもした。『異端児』はそうやって生活の大部分を共有することが出来る存在だ。
彼は男だったが、ひょっとしたら人間の女性と性交して子を宿す事も出来たかもしれない。子供がどちらの種族寄りになるか、寿命の差はどうするのかなどの細かい問題はさて置いて、そんな風に限りなく同じ存在として生活空間を共有する事は出来る筈だ。
それでも俺とあの子は駄目だった。
俺の感じた共存可能という価値観は幻想だったんだろうか。どこか致命的な間違いがあったのだろうか。理解できていても決して相容れない何かが、人と魔物の間に存在するのだろうか。様々な疑問が脳裏を渦巻き、俺はその答えをオーネストに求めようとした。
――可能なんじゃないか?
オーネストは、別段変わった様子もなくそう告げた。
過去、動物が自分と違う種族の子供の親代わりになったという話はいくつかある。それは付加したばかりの鳥に見られる刷込効果から本能的に赤ん坊などの弱い個体を守護対象と近くする動物的母性まで様々な形で現れる。オーネスト曰く、最終的にどうなるかは別として、寄り添うぐらいなら訳はないということだった。
『確かに魔物は人間を敵視するが、知能の低い奴は調教だって可能だ。それも立派な共存関係だ。どちらかの種族が片方に寄るか、優位に立つか、空間を隔てるか……平等である必要性を除けば出来ない話でもない。D型アミノ酸で構成された光学異性体でもあるまいし、食える物が共有できれば個人レベルじゃどうにかなるもんだ』
アミノ酸云々の話は俺には理解できなかったが、とにかくオーネストが言うには「個人レベルでは」可能だろうということだった。では、ちょっと想像は出来ないが社会全体ではどうだろう。これはオーネストに聞くまでもない。『条件付きで可能』だ。
だが、今現在では少なくとも俺と魔物が共存できる可能性はないだろう。
理由その一。俺があの子を殺したことを、他の『異端児』は知っているから。
理由その二。魔物の生命としての在り方を、俺は否定しているから。
そして理由はもう一つ。このダンジョンの主が、神の尖兵である俺達を敵視しているからだ。
「グルガァァァアアアアアアアアアアアッ!!」
真正面から迫る6Mオーバーの巨岩――いや、これはまるで巨岩のように肥大化・硬質化した甲羅だ。ウォール・トータス――確かそんな名前をした、深層の大型魔物が耳を劈く咆哮をあげる。撃破推奨レベル5,5と揶揄されるその姿は正に城壁の名に相応しく、巨体から繰り出される突進は同じフロアの別の魔物さえ軽々と吹き飛ばす生きた重機だ。
ちなみに甲羅は複合構造になっているため、表面を壊すと奥の層にまた甲羅が現れる。そして甲羅の破壊に時間をかけすぎると体内で新たな層の甲羅が生成される。人間なんぞ一発で噛み殺せそうなワニガメ似の面が恐ろしい形相でこちらを睨んでいた。
「そういえばどっかで聞いたことあるな。人間は高さ5,6メートル前後の物体に最も威圧感を感じるって……この威圧感から考えると、ありゃ案外マジかもなぁ。こいつデカくて固いからキライなんだよ」
流石の俺の鎖も真正面からあの甲羅をぶち抜くのは難しく、あれでは一撃で殺しかねる。しかも甲羅の隙間から見える皮膚なども見事に硬質化しており、どこを攻撃しても苦戦必至という腹立たしい仕様だ。
こちらが仕掛けてこないのを好機と見たウォール・トータスは手足や頭を格納して全身をボールのようにバウンドさせ、回転しながら出鱈目に突進してきた。トータス自身もどこへ飛んでいるのか完全に把握できないランダム攻撃が俺の周囲の地盤を抉り飛ばしていく。降り注ぎ跳ねまわる石のシャワーから鎖で身を守りつつ、強烈な攻撃に悪態を漏らす。
「まったくいつ出くわしても派手に動くな……!このサイズでスーパーボールとかおかしいだろ!」
直撃コースを避けつつ虚空に鎖のレールを敷いて強引にトータスの軌道を変更すると、奴はレールを綺麗に滑って着地して甲羅から顔を出した。その隙を逃さず鎖を放つが、予想以上に俊敏に動いた首の頭突きで鎖は軌道を逸らされる。
これでオーネストなら顔面を踏み潰すという意味不明火力の強烈ストンプを見せる所だが、生憎俺の脚はあいつの黄金の蹴りには劣る。具体的にはどこぞの海賊漫画の黒コックを二回りほど弱くした程度の技術と威力だ。
「あのカメ一応魔法弱点だけど………」
地響きを上げて突進してくるウォール・トータスの迫力を前に、俺は虚空に手を伸ばす。その指先に、つめたく硬い感触。何もない筈の虚空から這い出るように現れたそれを一気に引き抜くと、そこには俺の身長より長い2M近くの大鎌『断罪之鎌』が握られていた。
「ではここで質問です。俺の鎌は魔法に含まれるでしょ~……かッ!?」
全身を回転させて、地面を抉るように鎌の尖端を下から上へ斬り抜ける。
重量があるのか、ないのか。切れ味があるのか、ないのか。曖昧な感覚と共に振り抜かれた鎌の切先が、巨大な岩のような魔物を音もなく真っ二つに切り裂いた。
いや、それだけではない。斬撃の余波がトータスを貫通して奥にいた数体の魔物ごとダンジョンの壁を貫通していた。断罪之鎌に切り裂かれた壁は当分直らないのはやっぱりこの鎌がおかしな特性を持っているからだろうか。
「どう思う、オーネ………」
「俺を殺しきれなかった貴様に目は必要ない!!耳も、鼻も腕も足も首もッ!!全てを抉られッ!!戦士としての価値さえ喪失しッ!!何故自分が敗北したのかさえ理解でぬまま血達磨になれぇぇぇぇーーーーッ!!!」
「うわーお久々に猟奇殺人してらっしゃるッ!?」
空気を強引に押しのけるような斬撃と共に、オーネストの目の前にいる『迷宮の孤王』と思われるトカゲのような獣人がバラバラに引き裂かれていく。わずか数秒の間に十数回にわたって繰り出された斬撃は達磨落としのように魔物の身体をバラバラに吹き飛ばしていた。
噴き出る血飛沫のせいで壁や床は赤絵具をぶちまけたように目に痛い赤で染まり、最後には本当に達磨のようになった魔物の残骸だけが残され――魔石を剣で貫かれて絶命した。突き刺したまま横に薙がれたオーネストの剣から風圧で全ての血液が吹き飛び、美しい刀身を取り戻す。
ヘファイストス製の最高級武具の美しい輝きと、それを握るオーネストの血腥い斑があまりにも対照的だった。
「エッグ………ここまでやる必要あったの……?」
「ああ、久しぶりに骨のある奴だった。……こいつ、どこで覚えたのか、剣術や槍術を知ってやがる。『衝撃受流』まで……習得していたぞ。っ……ロキ・ファミリア辺りなら2,3人は殺られてたな」
「それってめちゃめちゃヤバい奴……って、おいコラ」
「何だ?」
怪訝そうな顔をこちらに向けるオーネストの姿を見た俺は、「何だじゃねえよ」と目頭を押さえて唸った。オーネストの腹を、2M近くある金属製の突撃槍が思いっきり貫通しているのである。誰がどう見ても大腸や小腸をブチ抜いて背中から飛び出ており、普通に考えて即死ダメージである。
それをこの男は口元からびちゃびちゃと鮮血を零しながら何を普通に突っ立っているんだ。無痛症か?無痛症キャラか?無痛症キャラだって流石にこの状況は焦ると思うのに生身の素でコレとかこの男は不死身の化け物か何かか?
「ウェル……アーユーターミネーター?」
「この槍、どうやら対冒険者を想定した……けふっ、特殊効果が込められているな。見ろ、神聖文字が刻まれている。……ぅ、ステイタス防御を貫通する仕組みらしい」
「無視して腹に刺さった槍を解説するな!ああもうっ、ちょっと動くなよこのばかたれ!!」
これ以上放っておいて喋りながら死なれても困るので、俺は懐からいつもの濃縮ハイポーションを取り出してオーネストにぶっかけながらゆっくり槍を抜く作業に取り掛かった。ワインを注ぐようにドプドプと流れ出る血液が足元を濡らす。
抜き終わった頃にはポーション驚異の回復力でオーネストの腹筋が復活していたが、俺のコートやブーツはあいつが盛大に零した血溜まりでぐしょぐしょに濡れていた。
「うげぇ、血腥い……ブーツの中にお前の血が入って超気持ち悪い……」
「だったら放っておけばいいだろうが。どうせポーションなんぞ飲まなくても死ねなくなった体だ」
「槍が貫通した腹のまま横にいられる方が俺にとっては気分悪いんですがねー」
何が楽しくてそんなゾンビみたいな親友を隣に置いておかにゃならんのだ。
もういっそ死んでおけと思ったが、流石にその言葉は呑み込み、代わりに溜息が一つ。
昨日あんな風にメリージアと和んでおいて今日のこれ……この男、つくづくどうしようもない男である。俺が言うんだから間違いない。
= =
「その槍はパラディン・リザードの……!と、討伐したのか!?」
近所の安全階層までやってきた俺達――というか俺の抱えていた槍を見るなり、周囲がザワついた。オーネストも知らなかったみたいだが、戦利品に頂いた特殊効果持ちの魔槍はこの辺では有名らしい事を悟る。
「マジかよ……!!この前『アシュラ・ファミリア』の精鋭を17人殺した特級危険種だぞ!?レベル6だって一人殺られたのに!!」
「倒せればランクアップ確定なのに、殺せる冒険者がいないってんで頭抱えてたのによぉ……」
「ゴメンね、横取りしちゃった」
「あ……いえいえいえ!!あんまりに犠牲者が多いんで困ってたんでさぁ旦那!ソイツが死んだってんなら文句言う謂れはねぇさ、なぁお前ら!!」
俺が気分を害したとでも勘違いしたのか、周囲が一斉にコクコクと頷く。18層より更に下、50層の安全階層では俺とオーネストの立場は地上以上に強い。というのも、実はオーネストが数年前には単独で初めて50層まで降りた際に事件が起きたらしい。
その謎の事件を圧倒的暴力とささやかな知略で解決したオーネストは、ここでは畏敬の念を込めた態度を取られている。我が親友よ、一体何をやらかした。ある意味この人達もゴースト・ファミリアに含まれるんじゃないかってくらい腰が低いぞ。友達だって理由で俺までビビられているし。
「ここ1か月で死者53人を出した『迷宮の孤王』の天下も意外と短かったな……」
「ったりめぇよ。『狂闘士』と『告死天使』に目ぇつけられて生き延びられる魔物がいるものかってんだ」
「黒竜は?」
「時間の問題だろ。前までは『狂闘士』が単独で挑んでたから殺しきれなかったが、あの二人なら絶対に殺れるね!」
オーネストのファンらしい連中の無責任な会話が聞こえる。三大怪物だか何だかに数えられる黒竜は俺も一度だけお目にかかったことがあるが、その頃はまだ俺は今ほど実力が無かったために普通にビビってぼろ雑巾なオーネスト連れて逃げていた。思えばあれから1年半ほど経過し、俺も随分戦いに慣れてきた。今なら確かに倒せるかもしれない。
何の気なしに頼もしくも二重の意味で危ない相方を見やる。こいつと並んであの竜と戦うと思うと、ざわりと柄にもない闘争心が湧き出た。
(………訂正、俺とオーネストの二人なら絶対やれる)
根拠はない。ただ、確信はあった。
俺達は破滅的なコンビだ。未来永劫、俺達を越えるコンビなどこの世には現れない。
ありていに言うと、ちょっぴり調子に乗ってたんだろう。後になってそう思う。
「なぁ、オーネスト――黒竜、仕留めに行ってみないか?」
「……お前にしては珍しい提案だな。なら、殺すか」
この瞬間、現在ダンジョンで確認されている中で最強と謳われる古代の化け物の末路が決定した。
……同時に俺達の大苦戦も決定したのがいただけないけど。
後書き
ちなみにネフェシュガズラの斬撃は月型の直死と近い概念です。ガー不可即死で広範囲のクソ技ですね。
46.黒竜討伐戦隊
前書き
黒竜は原作だとダンジョン外にいるってことになってるんですが、オラリオの外に話を持って行くのが面倒だしオーネストと因縁作りたかったので無理矢理ダンジョンに押し込みました。他にも都合のいい感じに設定弄りまわして正直悪いことしたと思ってます。
『黒竜』という魔物の話をしよう。
……とは言ってもこれは全てロキたんの受け売りで、細かい所は違うかもしれないが。
黒竜は、古代の時代にダンジョンの外に進出した魔物の中でも飛び抜けて強力だったものの一体だ。確か他にベヒーモスとリヴァイアサンがいて、三つ合わせて『三大怪物』とか呼ばれているらしい。特徴は強く、デカく、ヤヴァイ……だそうだ。
そんなの出てきてよく人類滅びなかったね、と呟くと、「人類も大概しぶといしなぁ」だそうだ。アニメやゲームではありがちだが、戦いの黎明期というのは本当に人間か疑いたくなるレベルのとんでもない人間がいるものだ。この世界の人類もそれが顕著だったようで、三大怪物のうち2体を押し返し、残り1体はオラリオのダンジョンに逃げ帰ったそうだ。
『リヴァイアサンは海に逃げ込んだらしーわ。ベヒーモスは人類には辿り着けんほどデカい山の頂点で今も眠っとるらしい。ま、今戦ったらどっちも現役時代よりは弱いやろ。ダンジョン出た時点で魔石のエネルギー補給はゼロやし?』
『ふーん。たらふく魔石食わせたら復活するかな?』
『やめーやシャレにならんから』
『嫌よ嫌よもぉ~?』
『好きのウチっ!………ってアカンアカンアカン!!それはマジでアカンから!!これホンマにフリちゃうで!!あんなんに復活されたらナンボ死人がでるか分かったもんやあらへんわ!!』
閑話休題。
ベヒーモスは山のような巨体から『陸の王』と呼ばれ、リヴァイアサンは水棲の化け物だったが故に『海の王』だった。そして押し返されて化石のように眠っているのがこの2体。で、そうなると残り一体の黒竜の名称もおのずと予測できる。
『空の王』――巨大な翼をはためかせて人間の街を強襲し、圧倒的な膂力と火力で焼き尽くし、戦いが終わると再び飛び去っていく。恩恵が一般的でなかった古代では、それは間違いなく絶望の権化だったろう。対抗しようにも強すぎる上に、長期戦に持ち込もうとすれば空を飛ぶ。上空からブレスでも落とされた日には最悪だ。為す術もなく消し炭にされてしまう。
難攻不落のベヒーモス、水中という環境を味方に付けるリヴァイアサン、そして神出鬼没の黒竜。しかし人間は魔法だのなんだのを駆使してこの化け物どもを撤退に追い込んだ。特に黒竜はこの時の激戦で片目を深く抉られ、翼にも傷を負って長時間飛行できなくなったらしい。
それでも三大怪物のなかで最も機動力が高かった黒竜だけは、『巣』に撤退するという選択肢を取れた。
ただ、その時の傷はおそらく『魂』を刻むほどのダメージだったのだろう。伝説が忘れ去られようとしていた頃に人々が再び発見した黒竜は、抉られた片目と歪に曲がった翼がそのままの状態だった。ダンジョンというゆりかごの中でも傷を癒す事は出来なかったのだ。
だが、逆を言えばこの化物は人間との激戦で蓄えた『経験値』をそのまま引き継いでいる。能力がダウンした分だけクレバーになったとも言えるだろう。ダンジョンと言う閉鎖的な空間も考えると、これはこの上なく厄介な話だ。事実、十数年前に二つの超大型ファミリアがこの黒竜を倒そうと挑み、あっさり壊滅した。
それ以来、黒竜はこのダンジョンで発見された中で『最強』の地位にずっと居座っている。
この『黒竜』を倒せなければ、ダンジョンは攻略できないだろう。
ただ、黒竜はどんな手を使っているのか50層付近の特定のエリアを現れたり消えたりを繰り返している。その周期は一定の為、冒険者たちは黒竜と確実に遭遇しないタイミングを選んで冒険し、現在は58層までが攻略終了している。問題は59層――黒竜との遭遇率が最高に高い殺戮地帯だ。
ここでオーネストは3度も黒竜と相対し、敗北した。
超大型ファミリア二つを壊滅させたオバケ怪獣相手にどうして3度とも生存できたのかが不思議なほどのダメージだったが、彼はそれを生き延びた。「二度ある事は三度ある」という訳だ。
そしてこれからは多分、「仏の顔も三度まで」……。
「いや、オーネストが仏ってのはウルトラスーパー無理あるか。むしろ修羅道を極めたような奴だし」
宿で朝食をとった後の軽い休憩時間中、俺はそんなことを考えていた。剣の手入れを済ませて瞑目していたオーネストが顔をあげる。
「修羅道は六道が一つ。そして六道とは迷える者の廻る世界だ。お前、そんなに俺が迷っているように見えるか?」
「見た目にはそうは見えないなー。俺の勝手な推測では、中身はそうでもないと思うけど」
「なら勝手に推測してろ」
冷たく突き放すオーネストのつっけんどんな態度もいつものことなので、言われたとおりに勝手に推測する。
そもそも、迷いのない人間というのは自分で思考していない人間だ。思考が凝り固まりすぎて人格とイデオロギーがすり替わった奴とか、洗脳・陶酔状態にある人間がそれに当たる。で、オーネストと言う男は自分で考えない類の人間が死ぬほど嫌いである。
逆説的に、オーネストは人は迷うべきだという考えを持っている。普段は即決即断に見えるが、実際には意外なほどに思慮深い彼の性格からそれは予測可能だ。彼は内心ではいつも悩みながら取捨選択し、しかし選んだ自分の答えに絶対に後悔しないと覚悟を決めている。だから迷いがないように見えるのだ。
つまり、オーネストは迷いや悩みに苛まれる中でも思う方向へ決断の斧を振り下ろす力が異常なまでに強い男ということになる。オーネストに斧………やっべー絶対に剣より強い。『超若本斧』など持たせようものなら『俺に殺されるために立ち上がって来たか!!』とか『一発で沈めてやるよ!覚悟は出来たか!?』言い出しそう。面白いから今度フーと一緒に作ってみようかな……。
「下らないことを喋りすぎた。行くぞ」
「おうさ。お前、今回は『勝つ気』で行けよ?」
「……気が向いたら、そうする」
「『嫌なこった』とは言わないんだな。お前が人の指図を受けるなんて珍しい。こりゃ明日はメテオが降って来るぞ」
「阿呆。今日の戦い言いだしっぺはお前だろうが。お前の気まぐれに付き合ってやると言っているんだ」
俺の言わんとすることを分かっているのか、鬱陶しそうに前髪を掻き上げたオーネストがうんざりしたような表情をする。
現実という名の化け物相手に一歩も引かずに前へ進み続ける、オーネストの破滅的な戦い。生命の全てを絞り出すような荒々しくも愚かしいその戦いは、生きるためではなく死ぬためのものだと俺は感じる。要するに「今この瞬間に負けて死ねたらそれでいい」というオーネストの極めて自己中心的な願望が現れている。
だが、言ってしまえばそれは後先を考えない獣の戦い方であって、肉体的には「全力」であっても戦士としての「本気」とは程遠い。
つまりオーネストと言う男は、実は真面目に戦っていない――もとい、真面目に戦う気がない。
そして断言しよう。この男、自分のために「本気」になる気が一切ない。
真面目に生きず、遊んでいるのである。未来がいらないから。
(そんなオーネストが『気が向いたらそうする』ねぇ……)
それがどういう意味か分かってて発言しているのやら。頭がいいオーネストだが、本当に時々だが抜けている瞬間があったりする。その「抜けている部分」という名のミクロン単位の変化を察知できる存在が五本指で数えるほどしかいないから世間には知られていないが、そうなのだ。
まぁ、気付いているならそれも好し。気付いていなくとも別に好し。オーネストのやることが変わったとしても、俺のやることは変わらない。そしてどっちであろうと周囲に不都合な事ではないのだから、それでいいだろう。
「さぁ、行くか!黒竜の討伐に!!」
「ふん……」
「とうとうここまで来たねー……スキタイ特権ってことで一番槍とっていい?歴史に名前刻んじゃっていい?」
「剣士の癖に一番槍とはこれ如何に?槍使いと夜の腰使いはこの私が一番よ!なんなら今晩ベッドの上で教えてあげても……!」
「相変わらずの性無差別変態発言はやめてくんないかな、顔だけ美人の性欲獣キャロラインさん?ドナとウォノの教育に悪いからさ……あと人間として普通に引く」
「退く……?否、退いては至高ノ痛みが、遠ざかる……オーネストヲも退けた、黒キ破壊ノ化身……アぁ、遠のいて久しい悦楽ノ闘争ヨ、来たれりぃ………!!」
「無秩序で品も緊張感もない連中の寄せ集めで黒竜を討伐とは、傍から見れば蛮勇でしかないな……………あ、別にアキくんのお友達を悪く言ってるんじゃないんだよ?あはは、ファミリアで団長してるとどうしてもキツイ感じになっちゃって……」
こうして俺達は集い、戦いへと――。
「………待て、この後ろの連中どこから湧いて出た」
まるでゴキブリがどこからともなく出てきて「うっわキモイわ家の何所に住んでたんだよコイツら」と漏らす時のような嫌そうな顔をするオーネストに、後ろの連中からブーイングが上がる。
「なによー!!黒竜倒す時は一緒に連れてけってあんだけ言ったじゃん!?」と、ココ。「私はアレよ。3回目のときにグチャグチャになったオーネストの事見てるもん。一人ではイカせないのはゴースト・ファミリアとしても人としても当然よねっ!」と、これはゴースト・ファミリアの一人にして『契約冒険者』のキャロライン・エトランゼさん。略してドスケベさんだ。
そんな残念美人キャロラインさんのわきわきした魔手から必死で尻尾の付け根を守っているのは言わずもがなヴェルトール。その隣で「もっと痛ミを……!」と危険人物特有の極限まで口角が吊り上った笑顔を浮かべている巨漢がユグー・ルゥナ。こいつは何故かオーネストに従順な元犯罪者らしいが俺も詳しい事は知らん。
そして最後に――ええと、あれ?こんな人ゴースト・ファミリアにいたっけ。
「えっと、失礼ながらアンタ誰ですか?」
「……『エピメテウス・ファミリア』団長、『酷氷姫』――リージュ・ディアマンテ。それなりに通った名だが、貴様の悪名には及ばないぞ、アズライール・チェンバレット……貴様のような気の抜けた男が………!」
何故か肌を突き刺す極北のブリザードのような殺意が注がれる。全っ然面識のない白髪美女に何でここまで睨まれなければならないんだろうか。何だこの人、オーネストの友達か。また新しいファミリアか。無言で睨まれていると、途中でオーネストが割り込んできた。
「おい、リージュ。こんなポンコツでもこいつは黒竜討伐の発案者だ。ある意味では今回の戦いの主賓とも言える。敬意を払えとまでは言わんがちゃんと喋れ」
「だって……わたしが何年もかけてやっと仲直りしたのに、この怪しさ満点黒コートは何で当然のようにアキくんの隣にいるのぉ……?そこ、9年前はわたしの特等席だったもん!」
(あれー!?盛大にキャラ変わってるー!?)
さっきのドギツイ視線はどこへやら、オーネストが来た途端に女の子している謎の美女。オーネストはそんな彼女に今までに見たこともないくらい普通に困った表情を浮かべ、はぁぁ……と、普段のオーネストらしくない溜息を吐いた。
「………こんなんでもこの黒コートの変人は俺の友達でもあるんだよ。それは事実として受け止めろ」
「でもぉ……せっかくファミリアをズル休みしてまで会いに来たのにぃ!アキくんはこんな黒のっぽと私のどっちが大事なの!?」
「お前と言う奴は………あぁもう、手ぇ繋いでやるから我慢しろっ」
「ほんと!?アキくん大好きだよっ!!」
リージュは手を握るだけでは足りないとばかりにオーネストに抱き着いて胸元に顔を埋め、ぷはっと顔を出してエヘヘっと可愛らしくはにかんだ。
何だろう、上手く言葉に出来ないが今までになかったタイプの人間だ。オーネストも素でリアクションに困っている。オーネスト三大意外な顔に登録してもいい顔だ。
……ちなみに他の二つは「ヘファイストスにお風呂へドナドナされるときの諦観が混じった顔」と、「いつの間にか寄りかかって寝ていたヘスティアの前髪を優しくなでるときの顔」だ。なお、年季の入ったオーネストファンによると、ユグーとの死闘の最中に見せた顔が一番強烈だったらしい。写真があったら見たいものであるが、残念なことにない。絵心のある奴が再現を試みたが、どうしても実物の迫力を再現できずに筆を投げたそうだ。
閑話休題。
オーネストとリージュさんの振りまくカオスな空気に触れるのを諦めた俺は、他の連中に事情聴取をすることを決めた。
= =
時は遡り――1週間ほど前。キャロライン・エトランゼという女の物語に遡る。
キャロラインという女は、『混血の里』と呼ばれる隠れ里出身の人間だ。
『混血の里』という場所は、嘗てまだ他種族と交わることが一般的ではなかった時代に生まれたとされる里だ。今でこそハーフエルフなど混血も他の人間と同じように暮らしているが、嘗ては些細な差異や親との違いを理由に混血児は激しい迫害を受けていた。そんな行き場を亡くした混血児たちが当てもなく彷徨った末に同じ苦しみを背負った者同士で作り上げたのが『混血の里』という場所………と、噂されている。
『混血の里』は、いわばお伽話やホラ話の類として扱われる物の一種で、実在するかどうかも怪しまれている場所だ。混血児が珍しい物ではなくなった現代では、仮に存在したとしても最早時代に遅れた古臭い里という程度の認識しか抱かないだろう。
しかし、実際には『混血の里』は、その成り立ちとはまるで違う現実を迎えていることを知る人間は少ない。
「『混血の里』………一体どれほどの人種が交わったのでしょうねぇ。キャロライン、君の身体には一体いくつの血が流れ、いくつの潜在能力を身に着けているのかな?それ程までに遺伝的な可能性を集約し続けた里の一族は、『果たしてなんという種族なのかな』?」
「さぁねー。とりま見た目はヒューマンだからヒューマンで通してるけど……敢えて名づけるなら『合成人』が妥当かなー」
「ふふっ……貴方と肉体関係を持った人たちはその事実を知ってどう感じるのでしょうか。種族を隠したことを怒るのか?得体の知れない存在に恐れおののくのか?或いはそれさえもミステリアスという名のスパイスにして更に燃え上がるのか?」
「燃え上がるのか、じゃない。燃え上がらせんのよ、このカラダで」
妖艶な笑みを浮かべながら、キャロラインは人差し指で唇をなぞった。
桃色の長髪をツインテールで纏めた彼女の肢体は、確かに自分で言うとおり官能的だ。美貌やスタイルは勿論のこと。露出度が高く、脇、胸元、背中、ヘソ、太ももなどが要点を押さえて肌を晒しているその特異な服装は、決して露出面積そのものは広くないにも拘らず、彼女の女としての肉感的な魅力を最大限に引き出している。
だが、そんな彼女のエロティックな魅力も彼の前には通用しない。
「貴方は相変わらず愉快な女性だ。惹かれませんがね」
「面と向かってオンナノコにそういうこと言うなっつーの……」
『アプサラスの水場』がオーナーにしてこの街の得体が知れない『怪人』の一人、ガンダール。彼は女にも酒にも財にも興味はない、最強のギャンブル狂いだ。背筋を震わすスリルだけが彼を夢中にさせる事が出来る。
その日、喫茶店――偶然にも当日のそこにはアズやガウルもいたが、ガンダール以外は互いに気付いていなかった――に呼び出されたキャロラインは興味深い話を聞かされた。
禁忌であるオーネストの情報を探る意志。
恩恵も魔石もなしに驚異的な能力を発揮した『人間』。
そして、それを裏で糸引いているであろう何者か。
(オーネスト関連の話題なんてお久だよね~!面白いコトにな・り・そ♪)
キャロラインもまたオーネストという男を心底気に入っている冒険者の一人だ。だからオーネストの話となると積極的に関わっていく。
ただ、それはメリージアのような一途な献身でもなければ、リージュのような恋心でもない。適切な言葉を敢えて探すなら『かなり行き過ぎて一線を越えたファン』といった具合だろう。というのも、彼女は「オーネストに女として抱かれたい」という破廉恥な劣情を抱いているのだ。
この女、とにかく性欲が豊富なのである。多少の好き嫌いはあるものの少しでも気に入った男はその日のうちにホテルの個室に連れ込んで一晩を明かそうとするし、驚いたことに女が相手でも同じことをする。両刀使いなのだ。
流石に相手の合意を得ずに押し倒すような真似はしないが、彼女の官能的な姿は個々の人物に眠る欲動に火をつけ易く、結果的に彼女は10の指では数えられないほどの冒険者と肉体関係を持っている。アズとメリージアどころかゴースト・ファミリアのほぼ全員に夜の誘いをかけたことがあるという別の意味の猛者だ。……全員に断られるという惨敗ぶりは別の問題として。
とにかく、『契約冒険者』という特殊な立場を利用して主神と対等に近い立場にいる彼女は、活動の合間を見て独自に街の不審者や侵入者について調査を開始した。
その結果、浮かび上がったのがつい最近噂になっている『ダンジョン内に空いた大穴』の話だ。
最初にその話を聞いた時、彼女は「それってアズが鎖で無理矢理削岩した穴じゃない?」と予想したのだが、調べてみるとその穴とやらはアズがダンジョンに入っていない日にもぽっかり穴を空けているのが確認されているという。
そして、その穴はそれなりに深い層まで穿ち、数時間で塞がる。これはダンジョンの自己保存機能が故だろう。ダンジョンに人工的に空けた床・天井・壁は時間が経つと修復されるのだ。問題は「ダンジョンに穴をあけて進む」というアズ以外がやらないような出鱈目な方法を誰が取っているのかという事だ。
まず間違いなく、その穴は人工的に開けられた穴だ。魔物はダンジョンそのものを破壊する行為はしないし、落とし穴にしては派手で目立ちすぎる。となると、こんなことをするのは人間だけだろう。では一体どんな人間がこんな真似をするのか?
ダンジョンの地盤は相当に固く、そして厚い。例えレベル7の『猛者』でも、地盤をぶち抜いて下の階層に行くには相当な時間が必要だろう。作業中に寄ってくる魔物の問題もあるし、この街でそれを実戦出来そうなのはアズ以外に思いつかない。そして実際にアズではなかったということは――。
「結論、街の外か、あるいはアングラで息をひそめている上級不審者!と言う訳でとっ捕まえるの手伝いなさいよユグー!」
「身モ蓋モない結論……オ前、知能ガ低イのか?」
「だまらっしゃい、私はクライアントよ。お金が続く限り貴方は私のしもべなんだから、そこんトコ忘れないでよね」
現在条件付きレベル3相当のステイタスで槍の達人でもあるキャロラインだが、流石に3止まりで得体の知れない連中に挑むのは愚策だ。その為、彼女はその正体を確かめる意味も込めて一人の助っ人を雇った。それがユグー・ルゥナという男である。
『契約冒険者』は金で動くため、借金があったり家族に仕送りでもしてない限り結構な金を持っている。裏での有名人で実力も立つユグーを雇うくらい、キャロラインの『お小遣い』なら訳ない。最も彼はキャロラインの好みではない。ユグーもキャロラインのような女性――というかそもそも他人に興味がないので関係は見ての通りいいとはいえず、さりとて悪いともいえない。
ユグーの詳しい来歴は彼自身もよく知らない。ただ、物心がついた頃には『闇派閥』の刺客であり、一時期は「最悪の背信者」として手配書にも乗っていた。それ以上彼女が知っている事と言えば、4年前にオーネストに完全敗北を喫して以来ずっと雇われ兵をしていることぐらいだ。といっても、彼は冒険者登録をしていないので完全にアンダーグラウンドの世界でだけ名が知られる男なのだが。
ただ、身長2,2Mの筋骨隆々な超巨体と、瞳を覆い隠す灰色の前髪という姿は、例え冒険者であっても怯む迫力だろう。実力に関しては――「4年前に『本気』のオーネストと殴り合いをして尚生きている」と言えばその異常な実力を計り知れるだろう。『恩恵』に関しては、オーネスト曰く「アズと同じ」らしい。
「お前も物好キな女だ……わざわざ札付キの人間を雇ってまで、その大穴とやらが気ニカカルのか?穴ガ開イタから何だ。放っておけば塞がるだけだ。誰がどのようにそれを行っていた所で、俺にもオーネストにも関係ナイ話だろう」
「あるかどうかは確かめないと判別がつかないでしょ?最近は『闇派閥』も動いてるし、この前の鎧事件も分からない部分が多いし……最近は通り魔も出てるって言うじゃない」
「その話は知っている………冒険者バカリ、確認されているだけで8人。行方不明者はソノ3倍以上。確カニ、波立ッテはいる……」
ユグーも思う所はあるのか、俯いて肩を震わせている。
ただし、俯いた理由は決して悲しみや警戒などといったありふれた感情ではない。
「………ッ、………ククッ!……どんな通リ魔なのだろうなぁ………冒険者ヲ狙ウという話だが、それでは俺ハ狙ッテくれんのかぁ……?俺を殺しに来ないなんて、寂しいじゃないか。キャロラインを狙ってくれれば、雇ワレノ俺にも至高ノ殺意と刃を向けてくれるのカぁ………?」
「また始まったよコイツ……マゾヒストもここに極まれりよねー」
ユグーが好きなもの。それは騒乱と悲鳴。
ユグーが好きなもの。それは裂傷と鮮血。
ユグーが好きなもの。それは敵意と殺意。
ユグーが好きなもの。それは、『自分自身へと押し寄せる』暴力と死、そして痛み。
命を賭けなければ生きる実感を得る事の出来ない、どこまでもイカレた戦闘狂――それがこの男だ。
「なんやかんや文句言いつつ、思いっきり厄介事を期待してんでしょアンタ。『痛みが生きる実感』だか何だか知らないけど、そんなに戦いたいならそれこそ冒険者にでもなればいいじゃない」
「駄目だな……冒険者は人間ヲ殺スのも人間ニ殺サレルのも理由が必要だ。もっと惨めで賤しい、命が枯草のように吹き飛ブ戦いがいい。オーネストとの戦いが、俺の理想とする至高ノ戦イに最も近かった………世界を圧シ潰ス、心地好キ殺意が欲しいのだ………!!」
にちり、と禍々しく恍惚の笑み浮かべるユグーの口元からは、唾液が垂れている。
『こんな』男だからこそ、戦いからは絶対に逃げないし、半端は決して許さない。何故なら彼にとっては殺し合いこそがどんな美酒にも代えがたい財なのだから。それを見越したうえで、キャロラインはこの男を呼び出して雇った。
アズのレベルでしか空けられない穴なのだ。この街の頂点に君臨する人外の領域に達する『敵』がいるかもしれないのだ。キャロラインはその最悪の予想を重んじているが故、彼のような男を呼んだ。金で確実に雇える最高戦力を。
「……言っとくけど、その至高のなんちゃらが出て来なくても文句言わないでよね」
「契約は全ウする。オーネストにそう誓ったからな」
(グッジョブオーネスト!!その誓いがなかったら、コイツ絶対に街の敵だった!!)
――この行き過ぎた警戒が、後の黒竜討伐戦隊が自動編成される理由の一つになることを、この時点では二人ともまだ知らなかったのであった。
後書き
今回は新キャラ二人が登場したのと、久しぶりにリージュが再登場しました。
キャロラインは回想も含め既に2回出てますね。変態ですが、周囲の面倒見もよいので性癖さえなければとても頼れるお姉さんです。あと尻尾フェチ。
ユグーは色々と謎な奴です。体がでかいのは多分巨人族的な種族の血が混ざっているからと思われますが、十代の頃に闇派閥にスカウトされて痛みを求めるままに戦い続けていました。オーネストとの戦いの顛末とかはいつか外伝で書きたいです。
次回に続くよ。
47.ロスタイム・ロスト
前書き
人を選ぶ小説を書いてる気は自分でしてるけど、今はそれでいい気がする。
穴の捜索にはそれなりに手間取った。
目撃証言があまりに少ないことから、キャロラインは礼の穴が2階へ続く主なルートとはまるで違う「旨味の少ないエリア」にあると予想した。しかし、そもそもダンジョン1階層分の面積は結構広く、街一つ分はある。その範囲に張り巡らされた細かい通路なども含めて確認するのは難しく、調査は数日に及んだ。
そして、とうとうその時がやってきた。
「見つけた………これだよ絶対」
それは、直径7Mはあろうかという穴だった。巨大と呼んで差支えない大きさだろう。岩盤の断面は、どういうわけか一度くり抜いた後にその断面を精密な立方体型のミノで整えたように幾何学的な立方体の連なりになっており、一見しただけではどのように穴を空けたのかがまるで予測できない。
キャロラインは昔、これと似たものを見たことがある。鉱物マニアだった「夜の友達」の家に、こんな美しい形をした銀色の物体があった。確かビスマスとかいう金属で、彼曰く「高熱で溶かした金属が結晶化したもの」だと言っていたが、自然に存在する物質があれほど人工的な角度90の直角になるとはにわかに信じがたく思ったのを覚えている。
しかしダンジョンの床は金属ではないし、彼の言う特殊な環境がここに当て嵌まるとも考えづらい。そもそもビスマスは脆い金属だし、この断面と結晶化には因果関係はないだろう。
「少しずつ塞がっているみたい。ここ見て、穴を縁取ったように埃が一切乗っていない地面がある。元々はもっと外まで穴が開いてたけど、時間をかけて地面が狭まってきてるんだわ。あと1時間も経てばここに大穴が空いてたなんて誰も気付かなくなるね」
「人ノ手で穿タレたものだが、人ノ腕で穿タレたものではない。つまらん、魔法ノ類か」
「順当に考えるとそうなるかな。何の魔法使えばこんな意味不明な形跡になんのかが謎だけど」
その手の推理ならオーネストが得意だろう。彼の知識の豊富さは賢者と呼んで差支えない。しかも賢者の癖に危険思想でバリバリの肉体派という所が彼の恐ろしい所だろう。つくづくお約束な物語の定番を崩す男である。こういう強キャラは真の敵が出てきたときにやられちゃいがちなのだが、残念なことに彼は狂キャラな上に性格が限りなく敵側だ。
ともかく原因を探るのは難しいが、誰が穴を空けたのかは判明させておきたい。
「………かなり、深いな。しかも下ノ階層まで穿ッテいる。最低でも5階層以上は奥まで続いているな」
「みたいねぇ。ちょっとユグー、落ちてきてどこまで続いてたか確かめてよ」
「階層ノ数を数えるのが面倒極まりない。お前ノ所に戻ってくるまでに数は忘れるだろう」
「ちぇっ、役に立たないんだから………ん?」
ちょっとだけ名案だと思っていた策が駄目になってふてくされた顔をしたキャロラインは、穴の下に見える第二階層を覗き込んで首を傾げる。なにか、穴の近くに光で反射しているものが見えた。確認するか――そう考えたキャロラインはユグーの肩に飛び乗る。
「第二階層までうまい具合に飛び降りて頂戴!」
「お前は自力デ到達デキるだろう。何故俺に乗る?」
「男は女の尻に敷かれてナンボよ」
「理由になっていないが、依頼者ノ命令と言う事にしておこう」
たぶん横にアズとオーネストがいたら「やっちゃえバーサーカー!」「俺も『狂闘士』なの忘れてないかお前?」と言っていただろう。二人は1階層の穴から2階層の地盤へと飛び降り、例の光を反射する者の正体を確認した。
半透明な物質だ。それなりに大きく、1M四方はある。触ってみると表面は微かに濡れており、恐ろしく冷たい。これは氷だ、とキャロラインはすぐ気付く。半透明なのは氷が形成される際に空気を多く含んだのが内部で気泡として現れているのだろう。
「何でこんなところにこんなデカい氷が………?」
「魔法だろう。珍しくもない」
「ううん、魔法だってのはいいけど妙なのよね……攻撃魔法で必要になる氷ってのは硬度が必要だけど、この氷は気泡が入っているから硬度が劣る。魔法で出来た氷って普通はもっと透き通っているもんよ」
「デは戦闘用以外での氷魔法だというのか?ナンだそれは、ダンジョンでは使い道がない」
「それもありうるんだけどぉ………この氷、もしかして。ユグー、これひっくり返して」
「自力デ出来るだろう。何故俺に頼む?」
「男はすべからく荷物持ちよ」
「面倒ダカラ次から依頼者命令と言え。ソレで納得してやる」
呆れた表情で1M四方の氷の塊をひっくり返すユグー。裏返った氷の形状を確認したキャロラインは自分の予想が的中したことを悟り、やっぱり、と呟く。
「斜めに続く規則的な段差………これは氷で出来た階段よ!戦うためじゃなくて速度を優先したから透明ではなかっのね」
「………よく見ればそれ以外にも氷塊ガ転ガッテているな。折れたのではなく、切られている」
「自分の後に続く人間を排除するためか、或いは安全の為か……下の階層にもそれらしいのがある。この氷の作り主は氷の階段で延々と下に降りていったみたい。こりゃ相当な魔法の使い手ね……『酷氷姫』並みじゃないといいけど」
この街の頂点に迫る数多の冒険者の中でも『最強の氷の使い手』と評されるレベル6の美しい後姿を見てちょっと涎を垂らしそうになりながらも、キャロラインは最悪の予感を予測する。ユグーは嫌な予感どころかレベル6クラスの敵の戦闘の可能性に期待を膨らませて涎を垂らしそうになっている。
……実は自分もユグーも似た者同士なんじゃないか、とは思いたくなかったキャロラインは、偶然の一致だと考えることにした。
ともかく、穴を空けた犯人を探って二人は穴を飛び降り続けた。
不思議な事に、穴の周囲には魔物が少ないか、まったくいない場合が多かった。原因は定かではないが、もしかしたら穴を空けた張本人が全て始末して魔石を回収したのかもしれない。そうだとしたらそれなりには儲かっただろう――そう思いながら飛び降り続けたが、流石に十数階層ほど降りると階層の高度そのものが高くなりすぎて移動が難しくなってきたため、途中からはロープを使ったり正規ルートで追ったりと手間がかかり始める。しかもそんな苦心をしているうちにもダンジョンの穴は塞がり始めているため、時間にも追われる羽目に陥った。
そして大穴はとうとう18階層の安全圏に到達したところで消滅。
ここに来て、ひとつ目の手がかりは途切れた。
……かに見えた。
「見たんだよ、昨日!とびっきりの上玉なネエちゃんが氷の螺旋階段を下りてくるのを!!」
「酒の飲み過ぎで頭がパァになってただけだろ。この前水晶に反射してる自分に喧嘩ふっかけて拳の骨が折れたのに全然懲りてねぇな」
「ウソじゃねえって!!マジだって!!昨日までこのフロアの宿にいんのを見たんだって!!」
安酒を煽る冒険者を眺めながら、キャロラインは思わぬ情報に頬をゆるませた。
「まだツキには見放されてないわねぇ~♪」
「俺も酒を飲みたい。退屈ヲ紛ラワスには酒の刺激が一番だ」
「ン………まぁ今から調査するには時間帯がアレだし、一杯ひっかけて今日は宿で寝ますか!」
その日、一組の男女が店で酒を『樽二本』開けて飲み干したという噂が流布されたらしい。
この二人、アズに負けず劣らずの酒豪なのである。
= =
「では、穴を空けた犯人を捜しに行くぞー!!」
『おー!!』
『応!!』
「……消極的おー」
「依頼者命令」
「何よ二人ともノリ悪いわね」
ここで、捜索に新メンバーが加わる。最近18階層のあちこちから生えた結晶を新たな彫刻として売り出せないか画策していたアルル・ファミリアのヴェルトールとそのしもべたち(ドナとウォノ)である。
ヴェルトールは女好きだが、キャロラインみたいな性的な部分に特化した相手は苦手としている。しかもこのキャロライン、実は獣の耳や尻尾を触るのが三度の飯並みに好きという困った御仁。当然ながらヴェルトールはこの捜索隊の誘いを懇切丁寧かつ大胆不敵に断ろうとした。
ところが。
『楽しそう!!』
『興味深い……』
好奇心が旺盛すぎるドナとウォノが見事にヴェルトールの意志を無視して捜索隊に参加。この二人を単独行動させるわけにはいかない保護者のヴェルトールは、いやいやながら捜索隊に参加させられたのであった。
18階層前後ならレベル2程度でもそれなりに動き回れるエリアだ。ここでレベル4相当の戦力が3人に増えれば戦闘も格段に楽になる。そう考えたキャロラインは全体を指揮し、周辺の捜索を開始した。
ところが19,20階層と探しても痕跡がまるで見つからない。ならばと氷の階段を下りてきたという女性を探すも、そちらも碌に情報が無かった。もしかしたら開けた大穴の位置がどんどん変わっているか、塞がったまま開けられてない可能性があった。
この調子が続くようならばいったん諦めるべきか――そう誰もが思っていたその日、22階層の探索日に、事態が動き出す。
「………これは、最初のアレとは違う穴だよね?」
「半径2M程度の洞穴……ま、人間が通るには十分すぎる構造だが――こいつ、なんか変だぞ」
魔物の食堂である「食糧庫」の付近に、それはあった。人間が通るのにちょうどよい大きさの洞穴だ。ただの洞穴ならダンジョン内にもあるが、この穴だけに注目したのにはもちろん理由がある。一番その違いを理解していたのは、奇しくもここに来たく無かったヴェルトールだった。
「こいつは明らかに人工的に掘られたものだ。ダンジョンに通常存在する洞穴に比べて露骨に小さいし、地面を斜め下に突き抜けるような構造の洞穴は俺の知るが限りダンジョンにはない。何より壁面が荒すぎる。ダンジョン内の洞穴の壁はもっとなめらかだ」
『サスガはマスター!!そーいうジューバコのスミをつつくような細かいトコロがカッコいい!!』
『うむ!!その鬱陶しくてみみっちいまでの観察眼とどうでもいい部分に着眼点を置く面倒くささは流石我らが主さまよ!!』
「お前ら気のせいか俺の事けなしてない!?あれ!?俺おまえらの父親にして母親だよね!?」
『つまり「おかま」か?』
「そのボケはもう聞いたッ!そうではなくて俺が言いたいのはだなぁ!」
「あー、そろそろ長くなるから閑話休題で」
「尺を勝手に縮めるなぁッ!!何なの俺の最近のこの扱い!?オーネスト相手に超お気楽キャラやってた頃とのこの扱いの違いは何!?」
以降の話はバッサリカットするが、ともかく洞穴を見つけたドナ・ウォノ・ヴェルトールは内部調査に入る。どうやらこの洞穴は「人工的に削られたのにダンジョンの自己修復機能が働いていない」らしく、埃の溜まり方から見ても昨日今日で空けられたものではないことは明白だった。
つまり、この穴を空けた存在と上層の穴の犯人は別人だろう。彫り方が全く違うし、そもそもこっちの穴が塞がっていない理由がまるで不明な時点で明らかに性質が異なる。ただ、元『闇派閥』のユグーによると、ダンジョンの最深部にいる存在から反神の加護を受ければある程度のダンジョン内地形操作が可能になるとのことだ。
「何その恐ろしい情報……ってゆーか何でアンタがそれ知ってんのよ!!」
「俺は闇派閥の上級幹部ノ末席に座ったことがあるのだから、知っているのは当然ノ事だろう。今は既に失ワレタ過去の物だ」
(ダンジョン最深部の存在て………何気にそっちも問題発言だよなぁ。ひょっとしてコイツがゴースト・ファミリアにいるのってかなりの奇跡なんじゃ?)
キャロラインは大して気にしていないようだが、今のはギルドが聞けばひっくり返るとんでもないマル秘情報大放出である。というか闇派閥の幹部格が持っている情報などトップシークレットも良い所の貴重情報確定済みだ。
ダンジョンの最深部にいる反神存在。
それはつまり、神に弑逆せんとする存在を意味する。
オラリオを根本から覆そうとする最悪の敵の影を知ってしまった一同だった。
ただし。
(……ま、いざとなったらオーネストかアズが何とかするっしょ)
(アレを相手取って災厄ノ騒乱ニ興ズルも又好し………クキキッ)
(『完成人形』で勝てねぇ相手じゃないだろうし、気にすることもねぇか?俺の作品は最強だかんなぁ………っとと、封印したのにもう復活を考えるなんて節操がなさすぎるか)
この時点で誰もその存在を不安に思っていないのは、流石と言うべきかなんというべきか。
結局その穴は大柄なユグーが入れないということでヴェルトール達だけで調べたが、アリの巣のように入り組んだそれは一度侵入すれば出られる保証のない文字通りの迷宮だった。そのため調査は難航し、結局はユグーが嘗て使用していた大柄な存在や魔物の運搬用の通路を利用しながら穴の調査をすることになった。
しかし、元々の目的である大穴や氷の階段についての情報はほぼ皆無。穴の性質が違う以上はあれは闇派閥の仕業ではないだろうという、そこまでしか判明しなかった。そんなこんなで途中から目的はヴェルトールとキャロラインによる未到達ダンジョン見学と化していた。
そして――気が付けば彼らが辿り着いたのは50層。
「後は………分かるよね?」
「イヤー全然全く予測がつかないわー。50層に着いた途端に遠征中だったオリオン・ファミリアと出くわしたついでにココと合流した後で俺達の噂を聞いて駆けつけたら何故かこんな階層まで空いていた謎の大穴を辿ってオーネスト追いかけて下まで降りてきたリージュさんと合流して最終的にここに集結したかどうかなんてまるで見当がつかないわ~」
「全部わかってんじゃないの死神モドキ。あたしゃロキじゃないからそう言う茶番には付き合わなわいよ」
「冷たいなぁ……ちょっとくらい付き合ってくれてもいいんじゃないの?」
「お望みとあらば夜のベッドで一カ所を重点的に温めてあげよーか?突き合いも勿論……ぐふふ、ガードが堅かったそのコートの中をまさぐらせなさい!」
「おいアズ、こういう品性の欠片も感じられない人間って無性に殺したくならないか?」
「気持ちは分からないでもないけどその刃は引っ込めようかマイフレンド」
とりあえず、能面のような無表情で剣を片手に迫ってくるオーネストには流石に命の危機を感じたキャロラインだった。
= =
「ええと、戦う前に確認しておくことがあるんだけど」
「なになに~?」
「キャロライン、ヴェルトール達、ココは戦力外だから絶対前に出ないでね?」
「なん……だと……?」
主にココが絶望的な顔をしているが、当たり前と言えば当たり前だ。なにせオッタルの耳をもぎもぎしたオーネストでさえほぼ一方的にやられたような空前絶後の強敵が相手なのだから、最低でもレベル6はないと参戦資格がない。つまり、実質4人パーティである。
「納得いかない……あたしこれでもレベル5よ?立派な上位冒険者よ?そこの白雪姫にだって剣なら負けない自負アリなんですけど」
「聞き捨てならんな、『朝霧の君』。時代遅れの遊牧民族がわが剣筋を見切れるとでも?そもそもレベル5とレベル6の間には絶対的な差があることを理解できていないとは、無知蒙昧な……」
二人の女剣士の目線が激しい火花を散らす。この二人、単純に同じ剣士として自分が上だと信じて疑わないらしい。……もしかしたらオーネストとの人間関係的な張り合いもあるかもしれないが。
ともかく、黒竜討伐発案者とされた俺としてはこの諍いを止めなければならない。
「あーもー喧嘩しないの。ココは確かにレベル5じゃ最上位かもしんないけど、リージュさんはオーネストも認めるレベル6最上位なんだから、差があるのは当たり前でしょ?ついでに言うと魔法の利便性。悪いけどココは参加しても無意味に命を散らす率の方が高いからね」
直接見たことはないが、リージュ・ディアマンテの実力はオーネストが「戦力になる」と明言しているレベルなのだから、俺としては疑う余地はない。またユグーも「どーせ殺しても死なない」という評価を受けているので、まぁ参加させても問題なかろう。
だがココ、テメーは駄目だ。
「ハッキリ言って、今のココちゃんのステイタスじゃセンスが間に合っても体がまるで間に合わないと思う。黒竜相手に攻撃を捌ける絶対値としての能力がまだ足りてないんだよ。速度だけギリギリ掠ってる程度かな」
「うごっ………そ、そんなに駄目なん?」
「君が駄目なんじゃないけど、黒竜相手はなぁ……オーネストどう思う?」
「盾ごと真っ二つか剣ごと真っ二つか、あるいはそのまま真っ二つだな。後は全身の組織を押し潰されて雑巾みてぇにペシャンコになるか、全身の皮膚がブレスの熱で爛れ……」
「うん、まぁそう言う事らしい。あとオーネストはそこまで詳細に予測しなくていいから」
「昔から想像力が豊かなんだ」
「心は確実に荒れ果てた荒野だぞオイ……豊かにするために植林しろ植林」
「砂漠に新芽は芽吹かん。どちらにせよココ、お前が命を賭けるのは今日じゃないのは確かかもな」
「………ちぇっ」
ぬくもりも癒しも会話さえも根絶やしにする不毛の大地オーネストの忠告まで来ると、ココも流石に引き下がる。ヴェルトール達は最初から見学に徹するつもりらしく、ココをおいでおいでしていた。どことなく落伍者の集まる負け犬オーラを感じるが、多分気のせいだと思いたい。
「そういえばユグー。闇派閥の間じゃ黒竜ってどんな存在なんだ?ダンジョンの主の直系のしもべな訳?」
「………闇派閥にも種類がある。ダンジョンの主を信望スル派閥などごく少数に過ぎず、後はダンジョンに然程興味ノ無イ犯罪組織の集団だ。俺はそのどちらとも繋ガリがあったが、どちらにも腰を落ち着かせることはなかった」
「ふーん………俺、オリヴァスのことがあったせいで闇派閥のことなんか誤解してたわ」
あいつはなんと自分の肉体に魔石を植え込んだ猛者だったが、考えてみれば闇派閥というのはやくざ者が寄せ集まって形成された反秩序集団であって、ダンジョンと直接結びつく存在とは限らない。ここ数年闇派閥の活動が消極的になっているとかでその実態をよく知らなかった俺としては、初歩的な勘違いに気付いた気分だ。
しかし、あのサバトマンの事を考えると、言い方は悪いが犯罪組織の方がまだ好ましい。
あんな哀れな存在になるくらいなら、まだ犯罪者の方が意味のある存在だ。悪人はまだ『生きている』が、善人でも悪人でも、人間でさえなくなった連中というのは救いようがない。
「しかし………黒竜は、決して服従ヲ良シトセヌとは聞いた。ダンジョンノ言イナリにもならぬ、魔物の本能ノ言イナリにもならぬ。奴はどこまでも孤高で、愚かしく、しかしてその意識こそが奴を獣ではない上位ノ存在としてあらせる。故にダンジョンの主もそれに触れようとはせぬ、と」
「………確かにアレは他の有象無象の魔物とは訳が違う。あれは自分が唯一無二の戦士であることを自覚し、それを貫こうとしているんだろう」
どこか人事のように呟くオーネストを見て、俺はなんとはなしに思う。
「だから、黒竜になら殺されてもいいと思ったのか?」
「………さぁな。別に黒竜じゃなくとも、俺が納得して死ねればそれでいいからな」
「今日は、そうじゃないんだろうな?」
「……………なんだお前、もしかして未来が欲しいってのか?」
オーネストは意外そうな顔をした。
未来が欲しいのか――か。俺も自分がいつか死ぬことは知っているので、それが訪れたら迷いなく受け入れるだろう。それはいい。それは自己満足の世界であって、答えは俺だけの胸の中に存在するからだ。俺は生の今際に残影を探す、あの世行き列車を待ち続ける死人予備軍でしかない。
しかし、こいつと一緒に列車に乗るのは、果たして俺にとって満足できる事なのだろうか。もしそうでないのなら、俺の納得する答えとは何だ。生きとし生けるものの終焉の日を、友達の分だけ拒絶する理由は何だ。
それは考えても分からない。
分からないから、「分かるまでの時間」とやらを稼いでも、悪くない。
「1日ぐらいは未来をねだってもいいんじゃないか?」
「1日ぐらい、ねぇ………主賓がそう言うんなら、今日はそれに足並みを合わせてやるよ」
オーネストは御機嫌でもなく、不機嫌でもなく、しかしどこかいつもの自分本位なオーラのない返事と共に歩き出した。
もしかしたら、オーネストは変わろうとしているのかもしれない。
そう考えると少し嬉しくて――そして、何故かそれが俺とオーネストの距離をこじ開けるような予感がした。
後書き
22階層の穴を空けたのが誰か直ぐに分かった人は作者より凄い。
オーネストはもっとクソ野郎なんです。ただ、そのクソ具合を活かせる展開に持って行けないのは私の技量が不足しているからです。許せ、クソ野郎……!(謝意)
48.金狼
前書き
私が二次創作を書きはじめた理由は、好みの二次創作が見つからなくなってきて暇を持て余したからです。
本当に書きたくて書きはじめたのって、いつだっけ……。
オーネスト・ライアー。
『狂闘士』の二つ名を持つこの街でも指折りの冒険者。
この街の『悪人』の象徴であり、彼を形容する言葉は二つ名以外にも多くある。罪を罪とも感じない暴虐の貴公子、人も神も等しく敬わない背信者、決して支配されることを良しとしない順わぬ剣士……そして、「化物より化物らしい人間」。
アイズにとって彼は『怖い人』だ。
アイズは今でも時折思い出す出来事がある。
数年前、まだダンジョンを無謀にも単独で突き進もうとしていた頃――オーネストが、ダンジョン攻略中のロキ・ファミリアの元に運び込まれてきた。彼を知るものの間では有名な、単独での黒竜討伐の失敗時の話だ。確かアイズがそれを見たのは二度目の頃になる。
最初にソレを見たとき、アイズは直感的に「死体が運び込まれてきた」と思った。
腕は骨と言う骨が砕けてまるでパスタのようにぐねぐねとうねり、下腹部から太ももにかけて奔った巨大な裂傷からはジョウロのように血が漏れ出る。眼球には穴が開き、全身のありとあらゆる部分の皮膚が爛れ、或いは裂け、頭の一部が抉り取られて頭蓋が見えていた。
――訂正しよう。「死体よりひどかった」。
生きた人間があそこまで壊れるのだという事実がひどく受け入れ難く、その場で嗚咽を漏らしそうにもなった。そこまで死に近づきながら、中ほどから折れた剣を握る手が緩まらないままぶらぶらと波打つ光景は、戦いという行為が何か自分の想像もつかないほど怖ろしいものなのではないかという不安を掻きたてた。
少年は人道目的でファミリアのテントに運び込まれ、ポーションを浴び、それでも塞ぎ切れない傷をありったけの止血剤や包帯で強引に塞ぎ、そこまで手を尽くしても意識が戻る気配がなかった。むしろ治療を施す前まで生きていたという事実の方が異常であり、「死体」と「死に体」の言葉の意味をうっかり現実が取り違えてしまったかのようだった。
現実に運命を間違えられた少年の身体は、死にたいのに死ねないかのように心臓の鼓動だけを継続させてゆく。死なせてやった方がいいのではないか――そんな声も上がった。
――でも、彼は生きている。
――いいや、死んでないだけだ。
そんな問答が繰り返される。眼球が潰れ、腕が変形し、巨大な傷の痕を全身に抱え、恐らく内臓も著しい損傷を受けているだろう。仮に助かったとしても、もう冒険者として戦う事は不可能に思えた。それどころか他人の助けなしに生きていくことさえ困難に思える。発見時は足も一本切断され、応急処置のポーションで奇跡的に繋がっただけらしい。一度切断されたのなら神経に異常が出る。今まで通りには動かないだろう。
ロキ・ファミリアとしての計画ではもっと奥まで進む予定だったのだ。しかし、重篤患者を抱えこんだ事で遠征そのものがストップしていた。オーネスト――重傷過ぎて誰も彼がオーネストであることを知らなかったが――の存在のせいで数日もダンジョンで無駄な時間を過ごし、苛立ちも募っていたのだろう。早く死ねばいいのに、という囁きもよく聞こえるようになった。
そんな中、ティオナ・リュヒテは何故か黙々と少年の面倒を見続けた。
彼女は別に誰かに頼まれたわけではない。気が付いたら、彼女が少年の額に濡れたタオルを置いて、ポーションの混じった水を飲ませていた。病人を触るのは初めてなのか、度々リヴェリア達にどうすればいいか質問して教わりながらも、彼女は彼に拘っていた。
どうしてか問うと、ティオナは彼を見ながら囁いた。
「この子、お母さんを呼んでた」
それは恐らくティオナだけに聞こえた、彼のうわごとなのだろう。時折死にかけの身体を微かに震わせ、彼は言葉にならないうわごとを呟くことがある。その一つが、ティオナを突き動かした。
「あたしね、昔はお姉ちゃんと一緒にカーリー・ファミリアってところで………ううん、やっぱなんでもない。……なんでも、ないよ」
それっきり、ティオナは口を閉ざした。それ以上は聞いてはいけない気がして、アイズも口を閉ざして彼の看病を手伝った。
姉のティオネも時折顔を出し、ティオナに仮眠をとるよう伝えたり、食事を持ってきてくれていた。ただ、それは少年の事ではなく、少年にかかりきりで時折舟をこぐ妹を慮っての行為だったんだろうと思う。
――後に知ったことだが、カーリー・ファミリアとはオラリオの外に存在するファミリアで、主神カーリーは闘争と殺戮を好む余り闘技場に沢山の剣奴隷を抱え込んでいるらしい。そこから導き出される勝手な憶測の数々を、アイズは心の底に押し込んだ。いずれティオナ達が真実を自らの口で語るまで、この記憶は必要がないものだ。
オーネストが運び込まれて5日――彼の容体は奇跡的にも安定し始めていた。未だ激しい発熱に襲われているが、少なくとも慎重に地上に戻れば助かるかもしれないという展望は見えていた。ティオネは心底ホッとし、周囲は不満を持ちながらも撤収の準備を進める。
そんな折、アイズは見たのだ。
数日前は骨が粉砕骨折して形が安定しなかったほどの彼の手が、完全な骨格を取り戻してゆっくり持ち上がるのを。
それは、遠く離れている誰かを呼び戻そうとするかのように弱弱しい手だった。
或いは、手で掴む事の出来ない儚いなにかをそっと受け止めようとするかのようでもあった。
二人は、呆然と伸ばされた手を見つめ、アイズより一瞬早くはっとしたティオナがそれを包み込むように掴んだ。
「キミ、意識があるの!?私の顔が見える!?」
彼の眼は、うっすらと開かれていた。
とろりとした瞳はこの世とは違うどこかを見つめているかのようだったが、不意にその目がはっきりと自分の手を握るティオナを見た。あれほどの重傷を負っておいて、4日で意識が戻るなど――いや、それ以前に手の施しようがなかった腕が完全に骨格を取り戻していることもまた、衝撃だった。
だが――事はその直後に起こった。
オ―ネストは呆然と、自分の手を握って覗き込むティオナを見て――まるであらゆる負の感情が爆発したような歪んだ声色で、こう言ったのだ。
「また俺は、逝けないのか――なんでいつもいつもこの世界はぁぁぁぁあああああーーーーーッ!!!」
包帯塗れで寝そべった体勢のまま、濁流のような激情に駆られたオーネストの手が真横に振られ、ティオナの身体が紙切れのように吹き飛んでテントを突き破った。避けたり声をあげる暇もなかった。
もう、その姿は彼が人であることを忘れさせた。
鬼という言葉すらも生ぬるい殺意の塊が、怨嗟のような咆哮を上げる。
「ぐぅぅ……ぁあああ………!!がぁ゛ぁ゛ぁぁああああああーーーーーーッ!!!」
頭を搔き毟りながら立ち上がる、まるで理性を感じない暴走した獣。纏わりついた虫を掃うように頭から強引に引き剥がされた包帯の中から、潰れていた筈の血走った眼球が現れる。塞がりきってない傷口のうち大きなものからは再び血が噴き出て、彼の身体を紅く染めていく。
体はボロボロなのに、戦闘に必要な部分だけは完全に治りきっていた。アイズはそのまま彼がテントを突き破って獣のように疾走するのを見るしかなかった。
「……意識を取り戻したばかりで錯乱しているのかな?」
彼の声とは対照的に落ち着き払った少年の声。ティオナが吹き飛ばされたことを真っ先に察知した『勇者』、フィン・ディムナが槍を構えて彼の行先に待っていた。
「黒竜はどこだ……殺す……そこを………どけぇぇぇッ!!」
「どかない、よっ!」
獣のように荒々しく、しかしすべてが相手を殺す為の殺意を込めて振るわれる拳。しかし、フィンにそんな無骨な攻撃は届かない。全てが躱され、或いは槍で弾かれて捉える事が出来ない。
弾丸のように放たれたオーネストの拳をいなしながら、フィンが問いかける。
「落ち着くんだ、君。そんなに慌ててどこに向かう?君の身体はまだ戦いに耐えられるほど回復していないし、武器もないんだよ?」
「退かないのなら、死ねぇッ!!!」
「やれやれ……聞き分けのない子だ、折角助かったばかりだというのに、キツめのお灸が必要かい?」
「――そうか、お前が邪魔したのかぁぁぁーーーッ!!!」
暴走する感情を更に爆発させたオーネストの怒声が、まるで物理的な衝撃波のように周囲を揺るがせる。アイズは無意識に後ずさったが、フィンはその目つきを鋭く変貌させながらも引かない。
自分たちが態々助けた怪我人なのだ。死ににいくために助けた訳ではないし、助けたからには絶対に治ってもらう。錯乱して黒竜に向かおうとする彼の大仰な「自殺」を止められないのでは、威厳に関わる。
「5日ぶりの運動の途中すまないが、もう一度眠っていたまえ!!」
オーネストが再び走り込むと同時に、フィンは彼の顔面に向かって槍を放った。常人なら決して見切れない神速の突き――しかし、勿論殺すためのものではない。顔面に当たる直前でフィンは手先を微かに手繰り、軌道を逸らして槍の腹でオーネストの首筋に一撃を叩きこもうとした。
ほぼ前触れのないモーションからの急加速、彼の超人的な戦闘能力が生み出す必殺級の一撃。しかも、正面からの攻撃に見せかけて視線を集めつつも突然視界から消えるような挙動で相手を混乱させる下準備までしている。一撃で昏倒させる為の、少なくともアイズからすれば完璧な動きだった。
彼の首筋を叩こうとした槍の腹が、オーネストに鷲掴みにされるまでは。
「僕の動きに、反応した――!?」
「がぁぁぁぁぁああああーーーッ!!!」
それは戦士としての本能が不幸にもそうさせたのか、槍を決して離さぬよう握り込んでいたフィンは、槍ごと瞬時に虚空に投げ飛ばされた。いくらフィンの身体能力が高くとも、小人族の彼は絶対的に重さがない。その弱点を突いた動きだった。どれだけの力が込められていたのか、フィンは通常では考えられない程遠くまで吹き飛んだ。
だが、そのモーションが生み出した隙はを突くように黒髪の冒険者が拳を掲げてオーネストの前に立つ。その形相は正に『怒蛇』の名に相応しく、オーネストに負けず劣らず怒り狂っていた。
「人の妹と団長に……何してくれてんだクソガキぃぃぃぃぃッ!!!」
片思いの相手と妹に手を出されて怒髪天を突いたティオネ・リュヒテが、風を斬って拳をフルスイングした。後にレベル6に到達するアマゾネスの拳は、魔物すら殴り殺す。その拳が何の手加減も直線で、無防備なオーネストの顔面に突き刺さった。
ドグチャァッ!!と、人間の身体が立てるとは思えない生々しい衝突音が響き、ティオネのストレートパンチがオーネストを貫く。頭が消し飛んだのではないかと錯覚するほどに、重い一撃だった。
「かっ……あ………?」
なのに、呆けた様な声を挙げて倒れ伏していたのはティオネの方だった。
気付けば自分が地面に叩きつけられていた、と彼女は思っただろうが、アイズには見えていた。
彼女の拳の命中と全く同時に、オーネストの拳がティオネの顔面を容赦なく叩き潰し、ティオネが地面に叩きつけられてバウンドしていた。彼女が呻いたのは、バウンドして地面に叩きつけられてからだ。
クロスカウンター。その言葉が、現実にやや遅れてアイズの脳裏に浮かびあがる。
敵が攻撃する瞬間の体勢移動や加速を利用して逆に攻撃を叩きこむカウンターだが、互いに互いの拳が邪魔しないまま命中すると、両方がカウンターを喰らった形になる。つまり、ティオネが攻撃した瞬間、オーネストはその速度に完全に合わせて諸刃の剣を叩きこんだのだ
「はぁ……はぁ……目覚ましに丁度よかったぜ、お前の拳は……」
「え、ぐぅぅッ!?」
うつぶせのまま痙攣するティオネの背中を踏み潰しながら――魔物をも屠る拳をまともに浴びて鼻と口から血を垂れ流すオーネストは、それでも前に進もうとしていた。ティオネを踏んだのは単に自分の足の運び先を変えなかった結果であって、踏まれて嗚咽を漏らすティオネをオーネストは振り向きもしなかった。
ほんの数秒の出来事だ。その光景を目の前で見た団員の殆どが、何が起きたのか理解しかねたまま停止している。その中を、もう自分が投げ飛ばした相手も殴った相手も忘れたように進むオーネストの体からは、未だに血がぼたぼたと零れ落ちてる。
なのに、オーネストはそれを全く意に介さない。自分の命の源が零れ落ちているのに、彼は躊躇いなく戦い、躊躇いなく進む。自分の望みに、強制的に体を附随させている。
死人が死にきれないまま動いているような悪寒が体を震わせた。
彼は自分の邪魔者を全て叩き伏せるつもりだ。戦って、戦って、邪魔する相手全てを屠って、それでもなお前へ。まだ前へ。そして全身が今度こそ本当に砕け散って動かなくなった時に、彼は――自分の言う事を聞かない自分の身体も、まとめて殺す気なのではないか。
人間が持つ発想とは思えない狂気の少年に、しかし立ちはだかる人間は存在した。
「やれやれ……嫁入り前の娘っ子を傷物にした上に踏みつけるとは、お主いったいどんな教育を受けて来たんじゃ?流石の儂も、少々見過ごせんぞ」
「どきな、老害。若人の道の邪魔になってるぞ」
「ほほう、獣のように唸っていたと思えば……何とも憎たらしい小僧じゃ」
まるで駄々をこねる餓鬼を冷ややかに見つめるように、ガレス・ランドロックは蓄えた髭を指でつまんだ。
ファミリア最古参のパワーファイターからは、決して目の前の敵を通さないという城壁のように固い決意と闘志が湧き出ている。『重傑』の二つ名を持つ彼が、しかも鎧を装備した状態で立ちはだかっているこの状況に――オーネストは何のためらいもなくティオネの血で汚れた拳を振るった。
ズガンッ!!と凄まじい音がするが、ガレスはその場から一歩も動いていない。彼の鎧に包まれた腹に命中したオーネストの拳から、血液が噴き出た。オーネストはその光景を、先ほどの狂いようが嘘のように静かに見つめていた。
「お主、脚が完全に治りきっておるまい?でなければ足を使ってもっと早く動き、儂を翻弄したじゃろう。ティオネもそうじゃ。動きを見切っていても足が付いてこなかったからクロスカウンターになった。違うか?」
「………………」
「大人しく捕まらんか、悪餓鬼め。お主は死に体で歩くのがやっと。しかしこちらにはそのうち戻ってくるであろうフィンも含めて戦力多数。お主が持っていた剣は折れておるし、何よりお主の拳では儂を止められん。大人しく地上まで引きずられて、傷を直してもまだ行きたいのなら勝手に――」
瞬間、オーネストが再びガレスの腹を殴った。
しかし、先ほどとまるで動きが違う。腰を低く、手を放つと同時に大地を貫くように足を地面に叩きつけ、全身の運動エネルギーを全て乗せたような拳を全身でねじ込んでいた。先ほどの握りしめた拳ではなく、手の形は掌底。今度は金属音ではなく、ドウンッ!!と大気を揺るがす音がした。
だが、それと全く同時にガレスの腕がオーネストの肩を掴む。全くの手加減なしにギリギリと握られた肩の周辺の傷が開き、血が噴き出る。オーネストはその激痛をまるで意に介さないように更に拳を叩きこもうとして――直後、後頭部に杖が叩きつけられた。
「ぐっ、あ……――」
ガレスは――先ほどのクロスカウンターのように態とオーネストに体を殴らせ、その隙をついてオーネストを動けないように拘束していた。その隙を、このファミリアのもう一人のレベル6――『九魔姫』のリヴェリアが突き、弱点を正確に殴り飛ばされたオーネストは意識を失――わず、脚を地面に叩きつけて堪えた。
「………ッ!!」
「この……お前の為なのだ!とっとと眠らないか!!」
もう一撃、リヴェリアの杖が寸分狂わずオーネストの首筋に叩きつけられ、今度こそ膝から崩れ落ちる。その手の指が、がりり、と地面を引っ掻いた。
「くそ……が………俺は、誰も………」
倒れ伏して尚、周囲に凄まじいプレッシャーを振りまいて地面を這いずるオーネストの狂気に、今度はリヴェリアも気圧されて引きそうになる。――それが最後の抵抗だった。オーネストの纏うプレッシャーが消え、そこには気を失った血塗れの少年が残った。
「まったく、大暴れしてくれたものだ……まさかあの体でここまで被害を受けるとは、誤算だった。一人でこんな階層にいたことといい、何なんだこの子供は……とにかく、もう一度医療テントへ運んでくれ、ガレス――ガレス?」
「………すまん、儂も不覚を取っての。怪我人……追加じゃ」
オーネストの意識が完全に途切れたのを見届けた後、ガレスはその場に膝をつき、激しく咳込んだ。鎧はオーネストの血が付着した以外無傷そのものであるにも拘らず、何故――アイズは目の前の光景が信じられなかった。
「ガホッ、ゴフッ……ゴホッ………ゴブッ!!」
「な………ガレス!お前、血が……!?」
「ハァ………あの小僧、力任せに見せかけてなんと器用な………先ほどの一撃、『鎧通し』と呼ばれる東の武術じゃ……ゴホッ!……鎧を貫通して、直接衝撃だけ叩き込んできおった……!!」
その日は、ロキ・ファミリアにとって忘れられない日になった。
フィンは無事だったものの、当時レベル5だったティオネとレベル6のガレスが重傷。オーネストを「疫病神だ」と言って捨て置こうと主張するファミリア達もいたが、フィンが「子供を見捨ててのこのこ地上に帰ったら、それこそ笑いものだ」と全員黙らせた。
子供――本当に子供なのだろうかと、アイズは思わざるを得なかった。
確かに倒れ伏して小さな寝息を立てる当時のオーネストは、まだ顔に幼さを残していた。しかし、あの時にロキ・ファミリアの高ランク冒険者相手に一歩も引かず、それどころか二人も戦闘不能に追い込んだ彼は、自分さえも食い殺す化物にしか思えなかった。
今でこそオーネストはロキ・ファミリアとも行動を共にすることがある。
それでも、アイズはまだ戦うオーネストが怖かった。レフィーヤがアズの恐怖を克服した時に羨ましいと感じたほどに、アイズはまだ彼の事で心の整理がついていない。
アイズは、オーネストをどう思うか、今の皆に個人的に聞いて回った。
顔を殴られたティオネは、もうオーネストの事を恨んでいないと言っていた。
「いやぁ、だって気絶して目を覚ましたら団長が看病してくれてて……まぁ顔が腫れてたから見られたくはなかったけど、団長手ずから看病よ?もう幸せが上回っちゃって『ラッキー!』って………あ、あら?アイズ?ちょ、まだ話の途中……」
ベートには………そういえばオーネストと友達だし、聞かなくっていいか。
「よ、ようアイズ!今ヒマか?ちょっと町にでも一緒に………え?何故Uターンする!?俺に用があったんじゃねえのぉっ!?」
レフィーヤは怖かったころのオーネストをあんまり知らないし……後は団長、リヴェリア、ガレスの3人。丁度3人が食堂にいたので、聞いてみた。
「オーネストか。傲慢かもしれないが、私にはあいつが哀れに思える。あそこまで傷つきながらも、決して戦いを手放そうとしない。まだ20にもならない子供が、まるで生きていることを後悔してるように見えるんだ………。オーネストには、親が必要だ。あいつを受け止めてくれる親が……」
「………親に捨てられた子に似とると思ったの。あの爆発的な感情の激しさと、周囲を無視してでも一人で生きようとする姿……不幸な子供じゃ。親に愛を貰えない、しかし時たまこの世に出来てしまう子じゃ……じゃから、誰かが体を張ってオーネストの『大人』になってやらんといかんのだろうな………口惜しいのう、儂では役者不足じゃったわい」
「オーネストは何が何でも大人の意志には添おうとしない。大人に支配されるのが嫌なんだ。本質的には子供の発想だけど、その考えをオーネストは貫き通せてしまう。だから彼は不幸なんだ。弱音を吐いて誰かに甘えることを、自分自身が絶対に許さないから………哀しいな、彼は死ぬまで戦い続ける覚悟を決めているんだ」
大人だからなのか、それとも私が子供だからなのか、大人たちは口を揃えてオーネストに同情的だった。しかし、オーネストは同情されるのも嫌いだし、アイズにとっての大人となる人間が周囲に殆どいなかった。
ふと、何故オーネストには親がいないのだろうと思った。
アイズも親はいない。最初からいなかった訳ではなく、両親との思い出もあるが、もういないのだ。自暴自棄になったようにダンジョンに突入して出鱈目に暴れたこともある。大人たちを信頼してはいるが、今でも無茶をしてしまう事がある。
前に聞いた話では、オーネストがオーネストと名乗り始めたのは10歳の頃。もしかしたら、それ以前には彼には親のような存在がいたのかもしれない。そしてそれがいなくなって、暴れているのかもしれない。
(私とオーネストは、似てる………?)
髪の色と目の色は殆ど一緒だ。顔立ちも少し似ていると言われたことがある。もしアイズの想像と同じなら、もしかしたら境遇も似ているのかもしれない。なのに、オーネストとアイズはどうしてここまで離れてしまっているのだろう。
同時に、自分もどこかで何かを掛け違えたらオーネストになっていたのではないかと思うと、アイズは怖くなるのだ。
自分の心のどこかにも、金色の化け物が潜んでいるのかもしれない――と。
「アイズ!アイズ、大変だよ!!」
「え、何が……?」
数日前の出来事を反芻していたアイズは、ティオナの突然の言葉に思考を中断させた。
ロキ・ファミリアは現在ダンジョン50階層に到達した所だ。今日は一休みして、明日から下に本格的に足を踏み入れる予定なので、現在は休憩中だった。
しかし、その静寂を破ったティオナの口から出たのは、奇しくもアイズが考えていた男の話だった。
「オーネストが!!オーネストが……アズたちと一緒に黒竜と戦いに行ったって!!」
「……………ッ!?」
時代のうねりは、多くの存在を巻き添えにして、たった一つの方角へと突き進む。
外伝 あいつはそういう奴だから
前書き
書いたはいいものの短くて出すタイミングがなかった短編を発表。今回のオーネストはそこそこクソ野郎になったんじゃないかと思います。
「………春姫」
「………嫌だ」
「行きましょうよいい加減に。そろそろ半年ですよ?」
「………行きたくない」
「貴方にとっては恩人でしょう?それに私にとっても大恩ある冒険者ですよ?どうしてそこまで拒むのです?」
「い、嫌なものは嫌だ……それに、今日屋敷に奴がいるとは限らないじゃないか!そんなのはアズにでも代わりに伝えてもらえばいい!!」
この二人――『タケミカヅチ・ファミリア』の一員であるヤマト・命とサンジョウノ・春姫は何度目になるか分からないやり取りを繰り返していた。周囲も「またか」と苦笑している。狐人である春姫は不機嫌そうにブンブン尻尾を振り回して命を翻弄し、命は命でその尻尾を擽って反撃している。
傍からみていると二人ともいい年して非常に子供っぽいが、それだけ仲がいいとも言える。
この二人、元々は幼馴染だった。
ところが幼少期、春姫が親から「極めて不自然な勘当」を受けて故郷を追われ、以来彼女は行方知れずになっていた。二人が再開したのはそれから数年後――春姫から命へと会いに来たときだった。
何でも、春姫は紆余曲折あって『イシュタル・ファミリア』というファミリアに売り飛ばされたのだという。
『イシュタル・ファミリア』といえば歓楽街に居を構え、戦闘娼婦と呼ばれるアマゾネス集団を抱え込む規模の大きいファミリア。その活動は冒険+遊郭としての仕事で成り立っている。命は自分の幼馴染がそのような世界に入って男に穢されたのではないかと嫌な想像をしたが、奇跡的にも彼女の貞操は無事だった。
彼女は、非常に困った様子だった。周囲は「イシュタル・ファミリアから逃げ出して来たのではないか」などと様々な邪推をしたが、彼女の口から飛び出したのは衝撃的な一言だった。
「突然身請けされ、そのまま放置されたから行き場所がないのだ……」
「ファッ!?」
身請けとは、簡単に言えば娼婦を買って仕事から解き放つことだ。身請けされた娼婦は二度と古巣に戻る必要はなく、娼婦という仕事から完全に解き放たれる。娼婦としての将来するであろう稼ぎや、場合によっては負債の分を含めて金を払う事になる為、大抵の場合はかなりの高額になる。
つまり、身請けとは買う側にとってかなりの金と決断を迫られる。ちょっと気に入ったから身請け、などというのは余程の大金持ちでない限り不可能。よほど強い懸想がないと実行できない方法だ。
それを行った相手が、あろうことか大枚をはたいて手に入れたであろう女を放置。しかも彼女の態度から察するに、彼女の心を揺るがすための駆け引きなどではなく本気の放置らしい。なんというか、あり得ないとしか言えなかった。
それでも命は再会を喜び、そんな命に春姫の頬もほころんだ。
かくして彼女は主神の好意と命の要望でタケミカヅチ・ファミリアに入団することになる。
そして数日後、命は春姫の口から、彼女を身請けした人物の正体を知ることとなった。
「………はぁぁぁぁぁぁッ!?『狂闘士』に嫌がらせで身請けされたぁッ!?」
「今になって思えば嫌がらせとしか思えないんだアレはっ!!」
なんでもイシュタルは大分前からオーネストと交友があるらしく、ごくたまに歓楽街に訪れていたらしい。7年前にイシュタル・ファミリアの元団長と「何か」があり、それ以来現役を退いた元団長の様子を時折聞きに来るという話だった。
元団長は、とても優しい人らしい。何でも失明していて目が見えないらしいが、失明の原因にオーネストと関係があるかどうかについては誰もが口を閉ざしている。それが一種の答えと言えるだろう。
そんな折、偶然にも春姫はオーネストと出会った。出会ったその時は相手が特別な存在とは思わなかったし、この頃の春姫はすっかり外に出る事を諦めかけていた。だから、本当に漠然と「この人が助けだしてくれればいいのにな」とありもしない幻想を胸の片隅に抱きながらも、何も言わなかった。
すると、まだ何も話さないうちにオーネストが口を開いた。
『………お前、気に入らないな』
『……は?』
『閉塞した状況に不満を持っている癖に、自分で現状を打破しようという気概が欠片も感じられない。祈りをささげて奇跡が起きるのを待つ祈祷師と同じだ。ああなればいいのに……こうなればいいのに……そんな実現可能性の限りなく低い妄想を抱きつつも、その妄想を実現させる為の方法は考えない。できっこないと言い訳している。………そうか』
勝手に得心したオーネストは部屋から出て行った。
そして、イシュタルが入ってきた。
『オーネストが貴方を身請けしたわ。出てっていいわよ』
『え?』
『あ、ちなみにオーネストはもう帰ったから。貴方、自分の身は自分で何とかしなさい。オーネストは貴方の面倒見ないってー』
『え?………え!?』
もっとロマンチックに、勇者のような人が助けてくれることを、心のどこかで願っていたのだ。
それを見透かされ、オーネストは春姫が一番すっきりしないであろう助け方をした。
要するに、完全にオーネストの嫌がらせである。
「だから素直に感謝したくないと?」
「………うん」
「た、確かにオーネスト殿も性悪だとは思うが、恩人は恩人でしょう?」
「………うん」
「お礼、言いに行きましょうよ」
「………あいつは絶対に顔を見るなり『助けた覚えがないからどうでもいい。邪魔だから帰れ』って言うに決まってる!あんな性悪な男に助けられたくなかったぁ~~~ッ!!」
あと何年かオーネストに見つからずに過ごしていたら望む結果は得られたかもしれないのに、あんなのに見つかったのが運の尽き。ものの見事に乙女の夢を叩き潰されて結果だけを渡された形になった春姫だった。
「ちなみに何でそんなことしたんだ、オーネスト?」
「元々嫌いなタイプだったんだがな。ああいうのは夢ばかり見て現実を見ていないから、それを思い知らせてやろうと思って金を放り込んだ。ドラマチックの欠片もない展開に置いてけぼりにされる姿が容易に想像できて、実に清々しい気分だったな」
「といいつつ、内心ではメリージアとの余りの違いに内心イラついてたんじゃないのか?あの二人、立場は似てるのにまるで正反対な態度だからな」
「オーネスト様、アタシみてぇなクソ生意気な半人前メイドの為にそんなに怒って……感激です!!」
「……………もォ面倒だからそれでいい」
= =
人には、その器に見合った格というものが存在する。
その格が強さに直結するのならば――オッタルの器はとてつもなく大きいのだろう。
そのような話にオッタルは興味が無かった。自分の存在を認め、絶対の忠誠を誓ったフレイヤの存在さえあればオッタルはそれで良かった。彼女が望んだ全ての期待に応え続け、全ての困難を打ち払った。気が付けばオラリオで最強と謳われる『猛者』となったが、それをオッタルは誇らしいとは思わなかった。ただ、フレイヤの最強の剣としての自分を改めて自覚した――その程度の感慨だった。
あるとき、フレイヤの「いつもの気まぐれ」に付き合った日。
オッタルはありふれた、自分より弱い存在と出会った。
その存在は矮小な一個人で、体格も実力も到底自分に勝るものではない。出で立ちは薄汚く、眼光だけが不気味なまでの気迫を湛える、オーネストと呼ばれる少年。――よくいる、力任せで吠えるしか能のない中級冒険者だった。
別にだからどうとも思わない。あの若者はフレイヤにその魂を気に入られ、これからファミリアの一員となる。何度も見た光景だ。実力はいい。相応しい覚悟さえ生まれれば、実力など後からついてくる。彼女に欲しいと思ったものを諦めるという発想はない。当然として、オッタルは少年もそうなると思っていた。
案の定というか、フレイヤの放つ妖艶なる神気に中てられ反抗的だった少年の動きが鈍っていく。威勢だけは良かった眼も段々と力を失う。この段階で完全に魅入られるような存在はいくらでもいる。むしろこの段階で完全なフレイヤの奴隷と化していないというそれだけで、フレイヤ・ファミリアに席を置く資格があるというものだ。
「私の元に来なさい、オーネスト。――貴方が母親を忘れられるくらいに、夢中にさせてあげる」
これで決まった、と、オッタルは感慨もなく思った。
「――俺に、触るなッ!!」
少年の眼から、全ての迷いと戸惑いが消えた。
直後、フレイヤがあらん限りの力を込めた掌底で吹き飛ばされた。
「阿婆擦れが……くそ神がッ!!俺を、俺の意志を支配しようとしたなッ!!俺を支配する奴は誰であっても許さない。俺の一生を支配する奴は賢者であろうが聖人であろうが王であろうが、たとえ神であろうが――絶対に殺すッ!!」
余りにも純粋で、狂気を帯びるほどに強大で、微塵の揺らぎも許さなぬほどに堅牢な意志。
誰の元に下ることをも許さぬ、孤高の覇気。
「俺を支配する権利を握るのは、俺だけだッ!!誰にも邪魔させない……この世界の誰にも、俺が俺であることだけは誰にもッ!!」
そこから先のことは、よく覚えていない。
ただ、吹き飛んだフレイヤを傷付けぬよう抱きすくめて仲間に預け、許されざる罪を犯した小僧を蹂躙したのは覚えている。途中、「殺してはだめ」というフレイヤの命令だけは聞き逃さなかった。
頭に血が上っていたのだろう、と後から思った。
そして、目の前の少年が放つ底なしの殺意がそうさせたのだろう、とも。
薙ぎ倒しても薙ぎ倒しても立ち上がる不屈の少年に、オッタルはただただ「むきになって」戦い続けた。振るった剣の圧で周囲を噴き飛ばし、建物を崩壊させ、大地を蹴り割って圧倒した。少年は肉が抉れ、折れた骨が肺に突き刺さり、夥しい血液をぶちまけて尚、微塵も臆することなくオッタルに真正面から殺意をぶつけてきた。
そして――それは、自分でも隙だと認識できないほどの刹那。
オッタルの振るった剣に『認識できない何か』をして攻撃を凌いだオーネストの右腕が、オッタルの視界の上を通り抜けた。
――ブチチッ、と、神経と血管、皮膚組織が抉るように引き千切られる音がした。
視界に入る鮮血。人生で一度も経験したことがない、頭から噴出する自分の流血。
痛みは感じた。人生でほぼ経験したことがない痛みだった。だが、オッタルはその痛みをどうでもいいものと思った。今、目の前にいる一人の戦士が口にする言葉を聞き逃してはならないと思った。
死んでいないのが不思議に思えるほどの出血と生々しい傷跡。あらぬ方向に折れ曲がった左足と骨が剥き出しになった左腕。そんな傷など何事もなかったようにどこまでも冷めた言葉で、オーネストは手に持ったものを地面に投げ捨てた。
「どうした、猪……耳が千切れているようだが?」
「――――…………」
フレイヤに向けられたものと打って変わって、それに何の感慨も抱いていないかのような声だった。目的地へ向かう途中に、通りすがりと肩がぶつかったから会釈した。たった今起きた現象をその程度の出来事だと認識しているかのような声だった。
「お前は…………そうか、猛者など最初から眼中になかったのだな」
あの殺意は全て、この現状を作ったフレイヤに向けたもの。
オッタル相手に一歩も引かなかったのは、邪魔なものをどけるため。
オラリオ最強の男は、あれだけ暴れたにも関わらず『相手にされていなかった』。
余りにも稚拙な事実を、オーネストは鼻で哂った。
「てめぇみたいな人形野郎に……誰が、興味を示す……かよ――」
直後、オーネストは力尽きた。地面にぶつかった体から鮮血が飛沫となって飛び散る。周囲で様子を見ていた群衆から数名が迷いなく飛び出し、ある者は武器を手にオッタル達を警戒し、ある者は必死でオーネストにポーションなどの応急措置を施し、またある者はオーネストを治療する場所を探すために人払いを始めていた。
誰もが既にフレイヤなど眼中になく、すべての思考がオーネストを第一に変更されていた。『猛者』が目の前にいるという絶望的な事実を突きつけられた数名の冒険者は、死んでも通さない覚悟を決めた瞳をしていた。
フレイヤは、「帰りましょう。貴方の手当てもしないとね」と、どこか嬉しそうに告げた。
オッタルは傷を塞ぎもせず、ただ捨てられた自分の耳を拾い上げて、じっと見つめた。
「どう、オッタル?耳を引き千切られた感想は?」
「……『頭を冷やせ』と……この耳は、頭に登った血を吐き出して冷静になれという意味っだったのだろうかと、考えていました」
「さぁ、どうかしら。耳は種族の象徴でもあるわ。普通なら猪人に対する痛烈な侮辱とも取れる。それに、ただ子供っぽく眼中にない筈の相手をどかせないことに腹を立てて八つ当たりをしたのかもしれない。あるいは最強に手をかける名誉?あるいは『聞く耳』を持たない貴方へのあてつけ?あるいは………あるいは………可能性はいくつもある。全てだったのかもしれないし、そうでもなかったのかもしれない。意味は一つとは限らないわ」
だくだくと血がとめどなく流れるオッタルの頭を気にも留めず、女神は謳う。
「あの子の行動の意味は誰にも分からない。分からなくてもいい。何故なら、行動を起こした自分さえその意味を分かっていれば他人に理解されずともいいと思っているから。それがあの子の美点であり、欠点でもある。だからこそ、彼はいいのよ」
自分の価値は自分が決める。
自分のやることは自分で決める。
傲慢なまでの自己決定権。
それは、自らが世界で唯一の存在であることの証明であり、反逆の遠吠え。
「あの子が手に入るか入らないか、私にも予測は付かなかった。おかげで引き際を誤ってお腹に痣が出来ちゃった♪」
美しい絵画にへばりついた染みのような青痣を、フレイヤは愛おしそうに撫でる。
「そう、これなのよ………『オーネストはそうでなくっちゃ面白くない』。手に入ったら面白くない。手に入ったらそれはオーネストではない。だからこそ……その二律背反が、堪らない」
フレイヤは、手に入れることを望み、手に入らないことも望んだ。結果として、フレイヤは望んだ結果を得られた。ならばあの戦いに意味はあったのだろうか、とオッタルは思った。フレイヤは彼が死なない事をどこか確信しているようだが、オッタルの経験則ではオーネストは5割以上の確率であのまま死ぬだろう。
そこまで考えて、オッタルは首を横に振った。
(いや………フレイヤ様のような確信が得られなかったのは、俺が奴を知らなかったからか。思えば俺の行動は、半ばあいつに支配されていたようなものだ。この耳も奴の望むことをやられた結果。これは――恥ずべき戦いだったな)
オーネストは、フレイヤに絶対の忠誠を誓うはずのオッタルの心を動かした。オッタルは、あの瞬間にフレイヤの事を考えているようで考えていなかったのかもしれない。心のどこかで、自分が揺らぐことなど無いという驕りを抱いていたのだろう。
「ところでオッタル――もしあの一撃で私が死んだとしたら、貴方はオーネストを殺したかしら?」
オッタルは一瞬、「貴方がそれを望むのならば」と言いかけて、やめた。
あの時のオッタルなら、きっとこうなっていた筈だ。
「殺した後になって『しまった、フレイヤ様の御許に行くために殺されるべきだったか?』と呟くのではないでしょうか」
「ぷっ………あはははははははははは!!ちょっとオッタル、それって最高に面白いジョークよ!貴方ってばオーネストに毒されたんじゃない!?あは、あはははははははははははははは………!!」
オーネストはオッタルのことを「人形野郎」と呼んだ。
フレイヤには当然忠誠を誓っているが、あの男の言ったままのくそまじめな男でいるのも癪だ。
その感情を「毒されている」と呼ぶのなら、俺はそれを認めよう。
= スペースが余ったからネタやるよ! =
もしもベルくんがオーネストパッチをインストールしたら。
「ブモォォォォォォォッ!?」
アイズは、その光景に目が釘付けになった。
幽鬼の如く、ゆらりと前へ進む白き獣を。
兎――否、あれは白狼だ。
爛々と輝く紅い瞳は獲物を逃すまいとギラつき、返り血を浴びた白髪がその狂暴性を示している。
齢15にも満たぬであろう少年の声は、ぞっとするほどに冷たい。
「逃げるな、迷宮の家畜。貴様には逃げ場も帰る場所もない。あるのは目的――命を奪うという目的だけだろう」
第5階層には存在する筈もない凶悪なモンスター、ミノタウロスが仰向けにひれ伏す。
その喉は抉られ、眼球にはナイフが深々と突き刺さり、魔石のある胸の真下を抉るように剣が突き刺さる。既にミノタウロスは口から血泡を吹きながら這って逃げようとしていた。立ち上がるための足の一本は、既に斬り飛ばされて失われている。
本来なら魔石の再生力によって復活する筈の欠損ダメージ修復は遅遅として進まない。それが胸に深く突き刺された剣が魔石を傷付けた結果だとは気付いていない。そして、仮にそれに気付いて引き抜けたところで――白狼はそれを許しはしない。
弱弱しい悲鳴を上げてその場から離れようとするミノタウロスの上に、小柄な少年の影が落ちた。
「生まれ出でたその時から、貴様は逃げることを許されん。泣こうが喚こうが、誰に助けを求めようが――手遅れなんだよ」
少年の小さな掌がゆっくりと翳され、それは欠けた何かを求めるようにゆっくりと、ミノタウロスの口へぴったり当てられた。
「――ファイアボルト」
瞬間、ミノタウロスの口から体内へ雷のような速度で灼熱が注ぎ込まれ、爆ぜた。
「ヴガアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?ヴヴアッ、ガ、ゲアアアアアアアアアッ!?」
身体の内から荼毘に付される地獄のような責め苦。眼球の奥から血液が沸騰し、空気を取り込むための肺細胞が塞がれ、胃袋の胃液が蒸発し、生きながらにして生体機関がぐずぐずに焼け爛れていく。
いっそ早く、死を迎えたい。そんな願いを叶えるように、白髪の少年は畳み掛ける。
「――ファイアボルト」
「ヴァアアアアアアアアアアアアアッ!!!アアエ、アアアア――」
「――ファイアボルト」
「アアア――ア――――、――――」
眼球、鼻、傷、腹に突き刺さった剣の根元から赤黒い煙と飛沫が噴出し、ミノタウロスは動かなくなった。
「ファイア………なんだ、もうくたばったか」
少年はそれを最後に、ミノタウロスウへの興味を失ったようにミノタウロスの腹に突き刺さった剣を引き抜いた。炭化した腹からボロリと魔石が零れ落ちたのを無視し、目の前で唖然とするアイズを無視し、その少年――ベル・クラネルは何事もなかったのように歩みを進めた。
「………ベル君っ!今日の儲けは!?」
「ない」
「なっ…………ま、また魔石を持って帰らずに敵だけ殺して来たのかい!?」
「金に興味はない。それに、うちは商業ファミリアに転換しただろう」
「そ、そりゃそうだけど……今のウチの経営は結構赤字ギリギリなんだよ!?」
「知るか。大体、派手に動きすぎると魔石の大きさからレベルを3つサバ読んでいることがバレるだろう。隠せと言い出したのはそちらで、俺はそれに応じた。今更文句を言うな」
「うううう……ウチの子はどうしてこんなに悪い子になっちゃったんだ!」
「生まれつきだ。気にするな」
性悪説を地で行く健康優良不良少年は、今日もダンジョンで火だるまを量産する。
ベル・クラネル……二つ名なし、あだ名は【白狼】。オラリオに来て半年でレベル4に昇格するも、ギルドには盛大にサバを読んでレベル1のフリをする。現在は商業ファミリアの皮を被ってミアハ・ファミリアと共にアイテムを薄利多売中。なお、アイテムの原料はダンジョン内部で調達している模様。支給品の武器を使ってるのはレベルバレ対策。ドロップだけ持ち帰って魔石を放っておくのは収入からレベルを割り出されないための対策である。
後書き
黒竜編終わったら地上組メインで話を進めたいなーと思ってます。主にガウル・リリマリ辺り。
49.邪竜葬礼の誓い
前書き
今になって思えばアズのキャラクターモデルってBBのハザマ………?
(黒コート、いつも笑ってる、足技得意、鎖的な武器を使うなど共通項が多い事に最近気付いた)
これは、可能性の話だ。
もしも黒竜が50~60階層の特定の場所に出現することに「ダンジョンは何が起きるか分からないから」という短絡的な事実以上の意味を含んでいるとしたら、それは何だろうか。
例えば、場所。
黒竜は必ず大きく開けた「ボス部屋」のような場所に出現する。ダンジョンの大型魔物は大抵がそうなので目新しい事実とは言えない。だが、通常そのような階層主クラスの敵は、その特定の場所にしか生息しない固有の存在である場合が多い。ならば黒竜とは複数存在するのか。それは否である。目撃証言に共通した抉れた片目がそれを証明している。
この場合、普通は「どうやって移動しているのか」を疑うのが当然の反応だろうが――ロイマン・マルディールという男は「何故移動しているのか」を最初に疑った。ダンジョン内を巡回する魔物の前例は多く存在するが、階層まで跨ぐにはそれなりの理由がなければやらない筈だ。
この世に無意味なことなど無い。
ただ、無意味と感じた人間にはその意味が見いだせなかっただけだ。
賢人の英知とは、ただの岩が石造となる可能性を秘めるように、無意味の中に内包されている。
動向を探る必要がある――そう考えたロイマンは直ぐに手を打った。
「……というわけで、頼みましたよ?貴方には課題、論文、実地などありとあらゆる学問で貸しがありますし、何より黒竜に存在を悟られずに長時間観察できる魔法を持つ存在は貴方以外に思いつきませんでしたので」
「うひゃぁ~………先輩に呼び出されるもんだから碌なこっちゃないだろーとは思ってたけど、容赦ないっすねー。ま、先輩が居なきゃ単位がズタボロだったのは事実ですし………あ、監視に必要な物は流石にそっちで確保してくれますよね?でないとバカに高くつきますから」
「そっちはどうにかします。万全の態勢を整えるので、思う存分、余すことなく観察してくださいねー」
「うっへぇ、余計にプレッシャーかけてきやがったこの拳法殺しボディ……」
ゲンナリしながら小声でロイマンの悪口を呟いたのは、オラリオ外の海辺の町に居を構える『マソ・ファミリア』のメンバーの一人、エルフのミリオン・ビリオン。ロイマンが学生時代に散々手間をかけさせられた憎むべき後輩だ。
青リンゴのような髪型の中央には小奇麗な顔が覗いている。一見すると男にも見えるが、実際には男装の麗人という奴だ。
本人曰く女らしい服より男の服の方が動きやすくて便利らしく、持っている服はすべて機能重視の男性物。一つのことに夢中になりすぎて他の大事なものをボロボロ零してしまうタイプのちょっとダメな子である。
「お給金出ます?」
「便宜は図りますよ?貴方ではなく貴方のファミリアにね」
「つまりウチの懐はエターナルブリザードですかい……しゃーない、これもマソ様への奉仕活動と思って頑張りますよ……」
肩を落としてとぼとぼ割り当てられた部屋へ向かうミリオンの背中を見送りながら、ロイマンは次の協力者を部屋に招き入れる。
「君とは初めましてだったかな?『シユウ・ファミリア』所属、フー・リィライ君」
「仕事中に抜け出して来たんで手短にお願いできますかね……」
「用事そのものは大したことではありませんよ。早ければ半日で片がつく」
困ったような表情を浮かべる礼儀正しい青年に、ロイマンはにっこり笑いかけて――。
「きみ、オーネストからギルド未確認未登録のドロップを貰ったそうだね?確か名前は、ええと――『黒竜の牙』だったかな。貸してくれるとありがたいんだ」
「………………何故、貴方がそれを知っているんでしょうかね」
この街で10人にも満たない程度の人間しか知らない事実を、さらりと突きつけた。
――半日後。
「うわー、これ絶対ヤバいて。流石は三大怪物のドロップ……禍々しいっつーか触ったら呪われそうなレベルだね」
「長時間触らない方がいい。友達曰く、本物の呪物と遜色ないレベルの力が籠っているらしいからね………こうして近くにいるだけでも、レベルの低い人には精神的に結構クる」
「やれ、そこまでの代物ですか。シユウ様自ら封印用の箱を作ったとは聞いていましたが、やはり黒竜は我々の想像を越える……」
その個室には、ロイマン、ミリオン、フーの3人が『黒竜の牙』を囲う形で座っていた。
ミリオンは非常に珍しい魔法を習得している。
『ミラークラウド』――杖などの補助道具は必要なく、代わりに二つの媒体が必要になる非常にレアな魔法だ。ミリオンはこの魔法を使う事で、「鏡」に「物体の持ち主」の姿を投射することが出来る。簡単に言えば、彼女はある日街で偶然落とし物を拾った時、その落し物の主を鏡に写すことが出来るという訳だ。それゆえ彼女の元には定期的に行方知れずになった人物を探す人が訪れる。
――なお、相手が死んでいる場合は鏡が割れる。理由は不明だが、それゆえ彼女は常に小さな鏡を複数持ち歩いている。時には依頼者に逆上されることもあるが、それは彼女にしか出来ない仕事であることを本人が一番分かっている。不真面目なように見えて、存外に損な性分だ。
「あ゛ー………こんだけ大物の魔物追いかけるのは初めてなんすけど。っつーか、そっちの黒いガキは結局なんなんすか?ウチ、出来ればこの魔法の事知られたくないんすけど」
「私だってこの牙を持っている事を知られたくなかったんだ。お互い様でしょ?」
二人の視線はどこか冷たい。互いに互いの存在をそれほど快く思っていないのが伝わってくる。しかし、この牙がないことにはミリオンは黒竜の監視が出来ないので、両者の信頼関係はある程度築いておかなければ困る。
「オラリオの外にいる君には分からないかもしれないが、この牙は本気で危険なんだ。君がとちくるって壊そうとしたってこいつは壊れやしないから触っても構わないが、持ち逃げされるのは絶対に御免だよ」
「しねーし。そんな三下みてーなみっともない真似しなくても食っていけっからね。大体そんなに危険危険言うなら処分したらいいんじゃねーの?金になるから手放せませんか~?」
「それこそ馬鹿な。私はオーネストと親方に頼まれたからこれを持っているだけだ。………まぁ、もしこれを加工して剣でも作ろうものなら、それはそれは危険な剣が出来上がるだろうという興味はあるけど」
ロイマンは直感的に、この牙はいつかオーネストの武器になるのではないかと思った。シユウがこんな危険な代物をわざわざ彼と関わりのあるフーに持たせているのだから、そういう意味なのだろう。
ともかく、この日からたった3人で結成された「黒竜調査チーム」は活動を開始した。
ミリオンは大量のMP回復ポーションを抱えて鏡だらけの部屋に籠り、フーは定期的に牙の管理状況を確認しに訪れ、ロイマンはそんなフーについでとばかりにミリオンの身の回りの世話をそれとなく押し付けながら彼女の報告を読む。表面上は何の変化もない極めて少人数で、しかし加速度的に、黒竜の調査は進んでいった。
「だーっ!もう我慢ならん!ビリオンさん貴方は一刻も早く風呂に入って着替えなさい!一体いつになったら風呂に入るつもりなんです!?率直に言いますが、臭い!!こんな不潔なエルフは生まれてこの方初めて見る!!」
「うわっ、馬鹿、やめろ!お前エルフの服ひっぺがそうなんてどんな神経してるんだ!?へ、変態!ばか!うわぁ~~~!?」
「……………え、なんで男なのにブラしてるんですか?」
「お・ん・な・だからだよぉぉぉぉぉーーーーーーーーッ!このガキャ絶対にブッ殺したらぁぁぁぁぁーーーーーッ!!」
「わわわ悪かった!私が悪かったから暴れないでください!鏡が!鏡が割れ――!!」
………そして、ロイマンの予想を遙かに超えて部屋の鏡の枚数は加速度的に減少していった。
――それから1週間程度が経過し、黒竜調査がある程度進んだ頃、ロイマンに火急の要件が入った。
ギルド最古にして最難関のクエストの一つ、黒竜の討伐に挑む……オーネスト達の姿。
過去三度にわたり不覚を取った相手を仕留めるために、彼はアズライールと共にそれに向かっていた。
(――これは、いけない)
ロイマン・マルディールは考える。
彼らはまだ、調査結果を知らない。このままでは、全員が還らぬ人になるかもしれない。
ならば、ロイマンがすべきことは。ギルド最高責任者としてではなく、一人の太ったエルフとして、「オーネスト・ライアーを生み出してしまった原因の一人」として、自分に出来る事をせねばなるまい。
= =
ダンジョンの奥底から流れる空気が、異様なまでに重苦しい。これまで階層主などの凶悪な魔物が待ち構えている場所で幾度となく感じたことのある気配だが、この近くから感じるのはそれまでと比べ物にならないほど濃密だ。
ダンジョンを伝播する気配。オーネストの殺意と同じように、周囲の世界を塗りつぶし、侵食するかのような力を感じる。
「全員、『契約の鎖』は装備したな?」
オーネストの視線に、アズ以外の全員が腕に嵌められたアクセサリのような鎖を掲げて応える。特にリージュと後方待機組は3重の鎖を嵌めていた。そう、忘れられがちだがこれはアズが戦闘力に乏しい相手に送る護身用の鎖だ。鎖の持ち主の身を守るためだけに動き、常識離れした防御力を誇る自立武器でもある。
オーネストは、これを全員装着するよう義務付けた。鎖の持ち主であるアズ以外、普段は防具を嫌うオーネスト自信も言い出しっぺということで装備している。
「全員分必要なほど黒竜の攻撃って強いかねぇ?青銅の竜はそこまででもなかったけど……今回の鎖は割と容赦なしに強化した。それでも足りないか?」
「本来なら全員分あっても足りない。体のいい盾と考えず、避け損なった時にそいつで身が護れればラッキー程度に考えておけ。そいつは『お守り』だ。ないよりましなだけだ」
それでも生存の可能性が数パーセント埋められるのなら安い物なのかもしれない。
アズの鎖の性能を知らないリージュが、鎖を指でなぞりながらアズに問いかける。
「………アズライール。鎖の強度と防御力はどの程度だ?」
「ン………少なくとも撃破推奨レベル4,5クラスとタイマン張るならほぼ防御率100%だ。それ以上はあんまり試したことがないが、下手な盾よりは性能を保証する。自立行動する上に高速で動き、強度そのものも不壊属性一歩手前の大盤振る舞いだよ」
「そこまで反則級のアイテムを装備しても気休め止まりて……まぁ、確かにヤバイ相手だし、実際に戦ったオーネストが言うんだから本気でヤバイんだね」
非戦闘組のキャロラインがげんなりした表情でぼやく。現在の彼女の背中には、日常的に愛用する槍に加えてオーネストがあのパラディン・リザードから失敬した防御貫通槍も抱えられている。槍は使わないというオーネストが押し付けたのだ。
これもいざという時は役立つかもしれない。防御貫通というのははっきり言って魔剣に匹敵するほど強力な効果である。黒竜相手にキーアイテムとなりうる可能性はあった。
「黒竜は、以前戦った時より強くなっているだろう。俺はこれまで3度黒竜に挑んだが、挑むたびに奴の力は少しずつ増していたように思える。恐らくダンジョン内で、何らかの方法を用いて冒険者のように成長している筈だ」
「成長する魔物………?そんなのアリか?」
「……闇派閥ではヨクアル話だ。わざと魔物に魔石ヲ貪ラセて強化し、怪物進呈で押し付けル。時々失敗して自ラガ贄ニナルがな」
「……………黒竜の奴、魔石を喰って自分を強化してるってのかよ。成長期ですかこのやろー。更にデカくなってダンジョンの穴にギュウギュウに詰まっちまえばいいのに」
「やめとけ。ギュウギュウに避け場のないブレスが襲って来て、全員炭の柱になって立ち往生だ」
ヴェルトールの希望的観測はあっさり蹴散らされた。確かに通路を埋め尽くすサイズの竜ならただ射程外からブレスを吐いているだけで全て迎撃できてしまう。かといって身軽なら弱いかと言うとそうではなく、その分の機動力を全力で活かして叩き潰しに来るだろう。そういえば、とココが質問を飛ばした。
「ねぇ、黒竜のブレスってヤバイの?」
「魔法の威力に換算するならレベル8オーバーの火力だ。当たったらそばから炭化するから死にたくなきゃ避けろ。避け損なったら死ね」
「『ね』っ!?『ぬ』じゃないのっ!?」
ついでに言うとその黒竜のブレスを何発も喰らったであろうに生きているオーネストは一体何なんだろうか。体の何パーセントを炭化させたのか想像もしたくない。
炭素硬化だ、とか言い出しても驚かないぞ。実はこいつ既に死んでてキョンシーなんじゃねえかと疑いたくなるところだが、オーネストは非常に残念なことに生身の人間である。これが生身の人間なら他の奴等全員ガラス細工か何かなんじゃねーのと疑いたくなる強度だが。
取り留めもなく友人の人外加減を考えていると、オーネストと目線があった。
「確認するが――黒竜は俺達を『終わらせる』だけの理不尽が詰った文字通りの怪物だ。お前はそれも分かった上で、他の連中まで巻き込んであれと戦うというんだな?地上の煉獄に生きながら肺を焼かれる覚悟は?腕の骨が肉を巻き添えにバラバラになっていく感触を受け入れる覚悟は?マリネッタとリリルカを地上に置いたまま野垂れ死んで、めでたく塵の仲間入りする覚悟まで済ませているか?」
「いや、別にそこまで考えてないけど」
「…………」
ぱかぁん、と顔面が跳ね上げられる。オーネストの居合拳だ。威力がない代わりに絶対避けられないように極限の速度を叩きだしている。衝撃で鼻の奥がむずむずして、くしゅん、とくしゃみが出る。くそう、不意打ちは卑怯だぞ。
「いきなり何すんだよ?」
「お前の軽挙妄動っぷりに殴りたくなっただけだ、気にするな、人間のクズ」
「お前もクズだろーが。クズじゃなけりゃリージュさんもココちゃんもここに連れてこないしメリージアのために引き返すことを打診する筈だ。でもお前はしないし、文句も言わない。つまりそれ自体が答えだよな?」
「……それもそうか。要するに俺達は同レベルのクズな訳だ」
「今更だろ?」
アズラーイル・チェンバレットはいついかなる時も死に向かって存在している。そこに至る過程を享楽的に甘受し、へらへらと、無責任に、自分勝手に死へと突き進む。この世の全てを面白半分に受け止め、時折生きているふりをしながら、終わるまでの時間をずっと世界の片隅で待っている。
オーネスト・ライアーはいついかなる時も嘘で塗り固まっている。嘘に嘘を固め、嘘のルールで現実を縛り、嘘で覆い尽くしたとのたまいながらも嘘の隙間から真実を漏らす。どこまで行っても完璧になれない半端者として意地汚く世界の淵に這いつくばっている。
とてもではないがまっとうではない、救えないクズだ。
そんなクズなのに、ふと後ろを振り返ればそんなクズどもの中に光を見た人々が着いてきている。俺もオーネストも、それには薄々勘付いていた。こんな碌でもない人でなしを、しかし人々はどうしてか放置はしてくれなかった。
いいのかお前ら。この先に道なんてないぞ、奈落だぞ。着いて来ればお前らは間抜けにも順番に死の滝壺へ真っ逆さまだぞ。まっとうに生きたいなら、クズの先導になんて着いてこない方がいい。
「この先は地獄逝きだぜ。着いてきて後悔しない?」
「欠片でも死にたくないと思ってるなら引き返すんだな」
「馬鹿言わないで。アキくんをここで送り出すだけの女になれば、わたしは死んでも死に切れなくなる。本当の本当に下らない、家畜のような存在になり果てる。もう本当にアキ君に手が届かなくなるぐらいなら、黒竜は私が殺すわ」
凛とした、どこまでも透き通る美しい声。リージュ・ディアマンテという少女の瞳からは、0,001%の不純物も見つからない極めて純真な殺意がゆらめいている。彼女とオーネストの関係など知りはしないが、おそらくこれは神が最も好む人の本質的な強さを体現してる。
彼女は、覚悟を出来る人間だ。死なせるべきではない。
そして、ユグーは。
「ここまで来て、退却?寝呆ケタ世迷言ヲ抜かすな。極上ノ快楽を手にせぬまま黄泉路ニ滑落スルなど、それこそ滑稽だ」
「お前は別に死んでもいいか……」
「おいアズ。今更分かりきったことをわざわざ口に出すな。非効率的だ」
(うわぁ、二人して本人を前に言い切りおった……)
(でもユグーさん聞いてないっぽいよ。そんなに戦い好きなの?)
(多分オーネスト達以上のクズなんちゃうかなー)
ひそひそと喋る非戦闘員認定組3名をよそに、オーネストとアズは戦いの覚悟を決める。
「結局、ここにはクズとバカしかいない訳だ」
「おいオーネスト、クズとバカを舐めるなよ。バカは賢者100人分の働きをするし、クズは他の物を腐らせるだろ?つまりクズとバカの方が勝算高いぞ!」
「天才的な計算だ、目頭が熱くなる。この世はつまり、クズとバカが未来を切り開いている訳だ。感動的すぎて道徳の本をチリ紙代わりに鼻をかみたくなるな」
「黒竜殺して地上に戻れたら存分にすればいいんじゃね?あの館に道徳の本があるかどうかが甚だ疑問だけどな」
何とはなしに――俺達はいつもの調子に戻っていた。
黒竜の覇気にあてられて、少しばかり気分が沈んでいたらしい。しかし、もう大丈夫だ。
「まぁ何はともあれ戦いだ。俺も他の2人も全力で手伝うんだから、お前黒竜を打ち損じたりすんなよ?ミスったらアレだぞ。生きて連れて帰ってフレイヤの部屋に投げ入れたるぞ」
「それはいい。あの高慢ちきの女神を殺害するいい機会だ。突入角を間違えるなよ、一撃で仕留めきれない」
「それは生きて帰ると解釈していいのか?」
「――ああ。よく考えてみたんだが、俺には黒竜に負けてもいいが、勝ってもいいわけだからな」
「それ聞いて安心した。今日は勝ち戦だ。何があろうが勝ち戦。帰って豊穣の女主人で一杯ひっかけよう」
向かうは不倶戴天の最悪災厄、生き損なった魔物の分際で人間に牙を剥く世界最大の蛋白質の塊。しかしてそれは悪魔的であり、絶対的であり、あらゆる部分にして人間を超越した神に迫る世界の猛毒。
しかしお気の毒――そっちは猛毒一種類、こっちは『狂闘士』と『告死天使』で混合猛毒だ。
かつてないほどイカれた騒霊による、邪竜葬礼の宴の幕を開けよう。
後書き
今回は普段よりちょっと短かったので、アズの誕生秘話をちょっと語ります。
実はこの小説の冒頭にあった磔にされたアズ自身とのやりとりは、この小説の構想が練られるより1年ほど前に既に書いていました。その時点で既に死望忌願の原型も頭の中で出来ていたのですが、問題は「このキャラをどんな舞台で動かす誰にするか」という点。それを頭の中で解消できないまま試行錯誤を繰り返し、そして諦めて文章だけ記録して放置し………そして割と最近になってダンまち世界と照らし合わせてアズと言う存在が浮かび上がってきたのです。
次回、出番のなかった『死望忌願』が吠えます。
50.第一地獄・千々乱界
前書き
7/12
すいませんごめんなさい思いっきり書きかけのまま投稿しちゃいました!!
というか投稿されてることに気付いていませんでした!!
うああ、多分スマホで誤字修正した時だ。スマホでやると下書きボタンが一度解除されるんです。
と言う訳で今度のは完成版です。
人間は、本当に美味しいと感じる食べ物を口にした時、言葉を失う。
人間は、本当に美しい物を目の前にした時、行動を失う。
人間は、想像を絶する状況に突然立たされたとき、言葉と行動の両方を失う。
では、今自分の立たされている状況は何だというのだろう。
想像を絶する環境の中で、それでも雄叫びをあげて邁進する今という刻は、夢と現のどちらなのだ。
「――ッおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーッ!!!」
『להרוג אותך כדי לשרוד――!!』
背中から出現した『死望忌願』がその漆黒のコートの内より夥しい量の鎖を放出し、虚空で出鱈目に軌道を変えながら黒竜に殺到する。それは鉄の雨と形容すべきか、灰色の嵐と形容すべきか、まるでそれ自体が巨大な生物であるかのように大小様々な鎖が鉄砲水のように噴出し、ひとつの巨大な鎖と化して黒竜の前足を猛烈なパワーで殴りつける。
人間なら『よくて』粉微塵になる、この世の物理法則を越えたエネルギーの塊による破滅の殴打。それは吸い込まれるように黒竜に命中するかと思われた。だが、黒竜はまるで下らない手品を見るようにそれを一瞥し、家どころか小さな村なら一撃で更地に変えかねない巨大な後ろ足を振るい、鎖に叩きつけた。
ゴガジャラララララララッ!!と金属の山が盛大にぶちまけられるような異音を立て、大樹のように密に固まっていた筈の鎖の結合が砕かれる。この世で絶対とされる不壊の理に最も迫ると言われた不可避の力が、砕き裂かれる。
「まッッだッッだぁぁぁあああああああああああッ!!!」
鎖が黒竜に接触するや否や、俺は下腹部にあらん限りの力を込めて放った鎖を手前に引き戻した。
刹那、バラバラに引き裂かれた鎖が黒竜の脚の元で巻き戻し映像のように再構成され、黒竜の脚を掴む世界最大の枷が顕現する。貪り喰らう獣を縛る魔枷と化した実体のない概念の塊がけたたましい軋みの音色を奏で、黒竜の体のバランスが僅かにずれる。
これだけの力を込めても『僅か』。されど100Mを越えた規格外の巨体における僅かは、矮小な人間にとっては大きな差を生み出す。この鎖を引いた瞬間、既に俺の親友が黒竜のほぼ直角の身体を獣のような速度で駆け上がっていた。最早曲芸を越えて神懸かったクライミングの末、口にヘファイストス製の直剣を咥えたオーネストが辿り着いたのは黒竜の潰れた眼球の近く。
間髪入れずにオーネストは剣を手に握り、幾千の敵を屠った斬撃を叩き込む。
グオオオオオオオンッ!!と、剣を振って発生するとは思えない怪音を立てて音速を突破した殺戮の刃が迫る。バランスを崩した黒竜にとっては致命的な隙だった。
筈だった。
『グルルルロロロロロロオオオオオオオオオオオッ!!』
「――野郎ッ!!」
黒い硬殻に覆われた光沢のある首が鞭のようにしなり、音速を越えた速度でオーネストに突っ込む。空中から斬撃を放つオーネストの剣と、地に足をついたうえで死角をカバーするように振るわれた黒竜の角が、激突した。
――ィィィィィイイイイイインッ!!
鼓膜を削るような甲高い振動音が響き、刃が停止する。いや、重量とパワーで押し切られたオーネストが弾き飛ばされる。飛ばされながらオーネストは空中で体勢を立て直し、二本の投げナイフを投擲し、投擲の反動で空中を疑似的に移動する。本来ならば移動方法となりえない行動によって加速するのがオーネストという男の出鱈目な部分だろうが、更に出鱈目なのはこれほどの威力を込めて放たれた投げナイフの価値だ。
投げナイフには大砲並みの威力と速度が込められている。
逆を言えば、『たかが大砲程度の威力しかない』。
オーネストの斬撃には速度も威力も到底及ばす、当然ながらそれをあしらった黒竜にとっては豆鉄砲以下の価値しかない。二本のナイフは全く同時に黒竜の眼球に向かったが、黒竜はそれを『まばたき』することで弾き飛ばし、更に麒麟のようにしならせた首を袈裟に振り抜いた。
轟ッ!!!と、竜の首の形をした空気の塊が――僅か1秒にも満たない時間ではちきれんばかりに圧縮されて無理やり押し出された大気の爆弾が、空中を移動するオーネストに迫る。
「凍てつけッッ!!」
直後、オーネストの真下から、突如として巨大な『氷山』がせり上がる。しかも一つではない。オーネストと大気の爆弾を遮るように、100Mをゆうに超える人工アルプスの山々がたった一人の人間の思うままに連なり続ける。オーネストへの直接攻撃を阻む重複防壁だ。
これほど瞬間的、かつ大規模に氷魔法を発動させて狙い済ました形状に仕上げる事が出来る魔法使いはこのオラリオの何所を探しても一人しかいない。その気になれば一人で街を厳冬の季節に変貌させることが出来る、白銀の姫君唯一人だ。
刹那、氷山と大気の爆弾が接触し――空間全ての音を置き去りに、爆ぜた。
ほぼ無意識に、獣のような自己保存機能を頼りに、俺は『死望忌願』の鎖で作り上げた巨大な盾を形成して両足を大地に突き刺すほどに踏ん張っていた。
「くおおおおおおおおッ!?」
盾は表面が高速回転する円錐状の――ありていに言えば平べったいドリルのようなもので、このサイズと表面を高速回転する鎖ならばこの世の粗方のものは防ぐことが出来る。しかして、黒竜の放った大気の爆弾は、既にこの世にある存在として破綻した破滅力を以てして空間を埋め尽くし、盾が綻び、千切れ始める。
盾を維持する力がないなら、もう体で相殺するしかない。俺は盾で拡散させきれないエネルギーに身を任せ、脚を浮かせた。
瞬間、俺は不気味な浮遊感と白んでいく視界を自覚し、気が付いたら内臓を吐き出しそうな衝撃と共に壁に叩きつけられていた。
「ご、がっ」
漏れるのは、受けた衝撃とは余りにも不釣り合いな短い嗚咽。咄嗟に体の衝撃を鎖でカバーしたにもかかわらず、肺に溜まったすべての空気が一撃で吐き出され、口の中に鉄分と胃酸の入り混じった味が広がる。もし鎖でカバーしていなければ、今頃俺は壁に叩き潰されていた所だろう。
遠くを見ると、氷山を発生させたであろうリージュが辛うじて作り出した防護氷壁が崩れ落ちる瞬間と、氷の破片が体に突き刺さったまま立ち上がるオーネストの姿があった。氷壁があったから氷が刺さる程度で済んでいるが、恐らくまともに喰らえば全身の穴と言う穴から血液が零れ落ちていただろう。
更にその反対側には、黒竜に17度にわたって踏み潰され続けた筈のユグーが、血塗れの姿で立ち上がっている。度重なる攻撃で襤褸切れに成り果てた彼の衣服の切れ目から、背中を囲う美しい蛇の入れ墨が見え隠れする。
4人がかりだ。4人がかりで立ち向かって――それでもあの竜はブレスの一つすら吹いていない。
あれが手、足、尾、頭のいずれかを振り回すたびに、挑戦者たちの身体は千々に乱れかねないほどの物理的破壊エネルギーを浴び、血反吐を吐き出す。それが来ることを判っているのに、災厄と呼んで差支えないほどの力を避けきることも受け止めきれることもない。
すなわち、圧倒的な力による蹂躙を『される側』に、俺達は立っている。
自分の力を100%引き出した全力でも未だに碌な傷さえ与え切れていない現状と、不覚を取って今にも吐血しそうなほどの衝撃の恐怖。絶望を乗り越えた先に待つ更なる絶望。戦えど戦えど届きはしない絶対的な領域に――黒竜はいた。
「反則だろ……攻めれば壊され、攻めなくても壊され、ダンジョンの床と壁までをも破壊するたぁナンセンスだぞ」
「馬鹿が、そのナンセンスに俺達は挑んでるんだ。文句を言う暇があったら考えろ。考える事を辞めた奴からここでは死んでいく」
「俺達も死ぬのか」
「俺達次第だ。てめぇが決めろ、殺るか死ぬかをな」
恐ろしくシンプルで端的な事実を、オーネストは好む。今俺に突き付けられているそれも、またどうしようもなく他に選択肢のないシンプルな二択だった。
この男は今、俺を試しているのだ。俺が死を選ぶと言えば、ひょっとしたらオーネストは「なら俺が介錯してやろう」と首を刎ねて『くれる』かもしれない。だがもう一つの選択肢を選んだなら、こいつはいつもと変わらない澄ました顔で「そうか」と言うに違いない。そう思うとおかしくて、自然と口元が綻んだ。
「そうかい………それじゃ、死力を尽くすしかないねッ!!」
「そうか」
掲げた覚悟と矛先は、全てあの化物へ。化物より化物らしいと恐れられた俺達なんかより余程な、世界に立った三匹の本物の怪物の一柱へと向いていた。どいつもこいつも正気じゃない、沙汰から外れた思惑を胸に抱き、立ち上がる。
「アキくんの未来のために、この身体から肉が削げ落ちようとも命を貰うッ!!」
「戦い!!戦いィ!!そうだ、貴様か!!貴様が俺ノ求メル至高そのものか!!ならば殺そう!!殺されよう!!生命を貪ルようにィッ!!」
我らが闘志、未だ消えず。
我らが勝機、未だ見えず。
答えのない無限の世界を地獄と呼ぶのなら、ここを第一地獄・千々乱界と呼び畏れよう。
再び黒竜の尾が振るわれたとき、その場にいる全員の身体が宙を舞っていた。
= =
目の前で繰り広げられている戦いは、果たして本当に人間の概念で「戦い」と同じものなのだろうか。少なくとも、ココの知る戦いという行為からは、その光景は逸脱しているとしか思えなかった。あらゆる出来事の規模が桁外れに大きく、全ての選択が刹那的で、勝機らしいものなど碌に見えない。戦士としての感覚が、全く眼の先の光景に付いて行けなかった。
ココは、この戦いを本気で手伝う気だった。
単純にスキタイの戦士としてそうしたかったし、スキタイの戦士ではないココという一人の女としても、オーネストの敵を共に屠るつもりだった。これほど深層に潜る経験はさしものココも指で数える程しか経験がないが、これまでオーネストと共に戦って息が合わなかったことはなかったのだ。だから、もしオーネストに並ぶ人間がいるなら、それは自分に違いないと思っていた。
「………サイッテー」
蜂蜜以上に甘ったるい自身の勘違いが余りにも愚かしくて、吐き捨てるように自分を下卑した。あの光景を見れば、少し前にリージュと無理に張り合おうとしていた自分がどれほど滑稽だったのかが理解できる。
栄えあるスキタイの若き天才剣士、ココ・バシレイオスには、まだあの凄まじい衝撃が吹き荒れる滅裂空間で生き延びる為の術が存在しない。アズは「君が駄目なんじゃない」等と気を利かせたことをのたまっていたが、今のココには自分こそが駄目な存在にしか思えなかった。
『むぐぅ……コレ、ケッカイしてなかったらアタシたちフッ飛んでるんじゃない?』
『怖ろしき攻撃よ……拙者の第二の術、『奇魂』の相殺結界を揺るがすなど並大抵ではござらん。至近距離ではひとたまりもない』
「――想像以上にマズイね、こりゃ」
風圧を手で防ぎながら、ヴェルトールが普段の姿からは想像もつかない程真剣みを帯びた声で呟く。
安全圏から様子を伺っていたメンバーの先頭では杖を構えたウォノが魔法結界を張ることで戦いの余波を受け流しているが、それでも大気を強く打ちつけるような衝撃を凌ぐので精一杯。ドナの言うとおり、油断すれば全員が後方に吹っ飛ばされかねない衝撃が戦闘空間に吹き荒れている。
黒竜のいる場所は、何の遮蔽物もない大きなフロアだ。中心部の大きく開けた空間から無数の洞窟が繋がっている構造になっており、ココたちはその洞窟で最も見晴らしのいい場所から行く末を見守っている。
出来る事は、最早傍観することと祈る事だけだ。何も出来ないし、何も変わらない。自分たちという存在の無力さだけを思い知らせるためだけに存在する最低の特等席から、彼等は戦いの趨勢を見守っていた。
黒竜のいる間に4人が入りこんだ時、既に黒竜は轟音を立てて飛翔し、脚で攻撃を仕掛けてきた。並みの冒険者ならその時点でぺしゃんこの肉塊になっていた所だろうが、彼等は並ではない。ユグーはまともにその一撃を受けたが死なず、他の3人は早々に攻撃を躱した。そこからは、ワンマンゲームの始まりだ。
ユグーは何度でも立ち上がるが、立ち上がるたびに黒竜に改めて踏み潰される。リージュの氷はまるで通用せずに防護壁となり、アズの鎖さえも容易に引き千切られ、唯一黒竜の速度に追いつけるオーネストが攻撃を当てても相殺される。戦闘開始からものの数分で、4人の身体は見る見るうちに傷ついていった。
しかし、アズは相変わらず笑っているし、ユグーも笑っている。リージュとオーネストには微塵の精神の揺らぎも感じられない。それはどんな武勇譚に登場した如何なる英雄よりも鮮烈で、リアルで、果てしのない存在感を放って現在という物語を書き換え続けている。
「……………悔しいなぁ」
「何がよ、ココちゃん?」
「私もあそこで戦える戦士になりたかった、ってハナシ。悔しいなぁ、もうちょっと早く生まれて、もうちょっと死にかけるくらいの戦いをしてたら……私もあそこにいられて、一緒に戦えたかもしれないんだなぁ………って、さ」
人生はいつだって理不尽で、些細な違いがどうしようもなく重く圧し掛かる。
ココは人生に置いて手を抜いていたことはない。剣に関してはむしろ人より何倍も激しく取り組み、幾千の実戦を潜り抜けて刃を研ぎ澄ませてきた。彼女が現在の年齢でレベル5の地位にいること自体が本来ならば早すぎるのであり、戦士としての誉だ。
だが、その事実は今のココにとっては何の慰めにもならない。ココは今、あそこにいる戦士たちに憧れたのだ。届かないから、羨望を抱いたのだ。無い物ねだり、子供の我儘、何一つ実効性の伴わない空想。今の自分の剣があの領域に届かないことへの悔しさが、行き場を無くして胸中を激しくうねる。
自分があそこでオーネストのサポートを出来たら――アズやリージュの鼻を明かす大活躍でも出来たら――全ては仮定であり、仮定は実体を持たない。たった今、目線の先で生死を競う争いの場に自分が参加できない惨めさが、ココをどうしようもなく蝕んだ。
しかし。
「自分がいれば結果は変わってた、ってか?」
「結果はあんまり変わんないよ。過程が変わってただけ……」
そう、結果は変わらない。
「オーネストはいつだって生き残るもん。今回も勝つに決まってる。だってオーネストだもん」
「……だな、オーネストだしな。アイツの問題は大体その一言で片付くよな」
「ついでにアズもいるしぃ、リージュちゃんもいるしぃ、バカのユグーもいるし!何とかなるっしょ!あ、ホラ!なんか反撃開始みたいよ?」
気楽に笑うキャロラインの指さした先で、反撃の狼煙が立ち上る。
= =
オーネストは考える。黒竜は4足歩行だ。その足から繰り出されるメガトン級の蹴りはそれだけで脅威だし、前足の爪も岩盤をフルーツカットでもするようにスライスする。おまけに頭のスナップを効かせた攻撃に、尻尾も超特大の鞭となっている。上下左右どの方向から攻めても隙など存在しない。
だが竜の骨格と長時間飛行を行えない事を考えれば、黒竜の重心が後ろ足の方に存在するのが理解できる。後ろ足を固定させることが出来れば、他の部位より大きく動きを制限することが可能だ。それを実現させる方法は――他人を利用する事。
「アズ、リージュ。お前ら俺の言うとおりに連携しろ」
「ええっ!黒のっぽと!?ヤだけどアキ君の頼みならいいよ!!」
「ヤなのかよ!!いや別に協力してくれるんならいいんだけれどもっ!!」
口から血を垂らして尚漫才をする余裕がある悪友に若干の呆れを感じる。人のことをどうこう言っている割には自分だって相当いかれている事に自覚が薄いのか、或いはそんな些細なことは気にしていないのかもしれない。アズライールという男はどうもそのさじ加減が曖昧な男だ。
二人に手早く作戦を伝えると、オーネストは自らの作戦の後詰をするために黒竜に挑み続けるユグーに近づく。吹き荒れる猛烈な衝撃波に自分の剣から発した衝撃波を連続でぶつけ、力づくで移動するための道を作る。こうでもしなければ体が何度吹き飛ばされるか分かったものではない。
ユグーは既に全身を傷付けられていたが、その動きはむしろ段々と速く、鋭く変貌していた。
からくりそのものは簡単だ。世の中には自分が傷付くほどに力を発揮するスキルが存在する。『狂化招乱』しかり、『大熱闘』しかり、オーネスト自身もその手のスキルは人一倍持っている。しかしオーネストのスキルが複合的に発動するのに対し、ユグーはたった一つのレアスキルによってその力を強めている。
『尽生賛歌』。
ユグーにとって、戦いという行為も、それに挑むことも、傷つくことも、疲労することも血を流すことも死に物狂いになることも命の危険を感じることも死の淵を彷徨う事も、全てが美しくてかけがえなく素晴らしい。それらすべてはユグーがこの世に生を受けているからこそ感じる事の出来る事であり、すなわち生きていることが素晴らしい。
故にユグーにとっては命を賭した戦いで得られる全てが祝福に満ち溢れており、その祝福を受ければ受ける程にユグーは人生を素晴らしいと感じる。死に限りなく近いその賛美こそが、ユグーの身体を限界のさらに奥へと押し込んでいく――すなわち、『尽生賛歌』とは最高に人生を楽しむというそれだけに特化し、それを実現するための活力を永遠に与え続ける世界で一番『人間らしい』スキルだ。
このスキルはレベルの垣根を越える。今の黒竜に散々に痛めつけられたユグーなら、恐らくオッタルとの殴り合いを繰り広げても互角以上に戦えるだろう。事実、オーネストが彼と戦った時もそうだった。彼はスロースターターではなく、敵が強ければ強いほどに自分も強くなる戦士の究極系なのだ。
最初は掠りもしなかったユグーの掌が、今は黒竜の前足による斬撃をいなすほどの膂力を振るっている。まるでアズの『断罪之鎌』を複数本振り抜いたような斬撃を放つ肥大化した爪を相手に正面から挑む大馬鹿者など、オーネストを除けば奴ぐらいの物だろう。
「感じるぞ、貴様ノ殺意を!その眼から這い出て我ガ喉元を噛み千切らんとする意志!尋常な魔物とはまるで別の、天上ノ威光ニモ迫ル勢いぞッ!!」
大地を踏み割るほどの深い踏み込みと共に、ユグーの剛腕と黒竜の爪が激突する。黒竜の爪はそれ自体が音速を超えた最上級の武具に匹敵する威力を内包している。その爪と拳が接触し――ゴガァァンッ!!と凄まじい轟音がダンジョンを揺るがした。
ユグーは大地を削りながら後方に弾かれるが、倒れはしない。逆に黒竜は思わぬ反撃に僅かながら体を仰け反らせている。基本的に全ての行動が音速を突破している黒竜にとってもこの攻撃速度と反応は予想の範疇を越えていたのだろう。
この短期間で、既にユグーは黒竜との差を急激に埋めつつある。冒険者という枠を逸脱した天賦の戦才――もしかしたら、彼は太古の英雄の血でも引いているのかもしれない。――だからどう、という訳でもないが。先祖が誰であろうとクズはクズ。事実は変わらない。
「ユグー、ついてこい」
「――従おう、勝者よ」
最高の戦いに水を差すようなオーネストの一言に、ユグーは厭な顔一つせずに追従した。
勝者と敗者。ユグーにとって戦いは勝利か死の二択だったが、オーネストはその道理を捻じ曲げてユグーを敗北させた。それゆえの、ユグーなりのオーネストへの礼儀がこれだった。
(今の弾きで僅かながら重心が左足に傾いたな。翼でバランスを取りながら体勢を立て直そうとするのだろうが……させてやらんぞ、デカブツ)
オーネストは手でユグーに簡単なサインを飛ばし、ユグーはすぐさまその意味を理解する。直後、二人の目の前に竜の首が叩きつけられ、岩盤と衝撃波の津波が押し寄せた。が、オーネストはそれに負けぬ威力の震脚で更に岩盤を砕いて相殺し、ユグーは振り翳した両腕を地面に叩きつけてオーネストと同じように力を相殺する。激化の一途を辿る攻撃の中で既に黒竜周辺の地面は粉々に砕け、人間ほどの大きさがある岩盤がそこかしこに散らばっていた。
一瞬の隙。加えて、首の叩きつけによって重心が更に前へ偏った。
それとまったく同刻に――オーネストとユグーに気を取られ過ぎた黒竜の左羽根の付け根に、夥しい量の鎖が巻きついて後方に引き摺った。こんなバカげた質量の敵を相手に投げ縄のような力技をかましているのは、『死望忌願』をフルに活用した本気のアズだ。
「大漁だ大漁だぁぁーーーッ!!もしかして俺の鎖って漁師向きなんじゃねッ!?」
(最高のタイミングだ、悪友。そして、リージュもな)
「――凍てつけ、氷造・降り注ぐ楔……堕ちろッ!!」
間髪入れず、上空に巨大な氷柱が無数に降り注ぐ。柱一つが直径5M近くある処刑の楔は、本来ならば黒竜の翼や首を利用してあっさりと弾かれていたろうが、瞬間的に多くの行動を求められて体をバラバラに動かした黒竜は、今、この瞬間だけは氷柱を回避できない。
そして、いくら黒竜が驚異的な力を有していても、高高度で形成されて魔力と重力加速、そして氷そのものの質量を加算した氷柱の連続攻撃は否応なしに体が揺さぶられる。まるで神罰が下るが如く降り注いだ氷柱たちが黒竜の尾と左の羽へと重点的に降り注ぎ、その数発は翼の防御力が低い部分に突き刺さり――黒竜の血液と共に凍結して刺さったまま停止した。更に重心が崩れる。こうなってしまえば、後は楽な仕事だ。
「我ガ一撃、この命続ク限リ無窮なり――ッオオオオオオアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「今日は黒竜に言いたいことがあってな。まず、話を聞く前に頭を垂れて跪け――ッ!!」
鼓膜を突き破らんばかりの咆哮を上げて突き出されたユグーの拳と、珍しく両手で剣を握りしめたオーネストのフルスイングの剣が、重心の偏った黒竜の左足首に同時に叩き込まれた。
瞬間、黒竜の放った『真空の爆弾』を遙かに超えた轟音と衝撃が、黒竜自身の脚を弾き飛ばした。
『グロロロアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?!?』
不気味なほどゆっくりに、されど恐るべき速度で、黒竜の巨体が地面に叩きつけられた。
黒竜の眼が、転倒の瞬間に既に黒竜に新たな攻撃を叩き込むために疾走するオーネストを捉える。その瞳はまるで屈辱に震えて憎悪を撒き散らしているかのように、周囲の空間が軋むほどの滅気を放出している。
黒竜の視線に応えるように剣を握ったオーネストは、そんな黒竜を鼻で笑った。
「………跪き方が無様だな。見るに堪えんからもう一度やり直せ」
オーネスト・ライアーとは、そういう男である。
後書き
どうでもいい話。
ユグーの名前は『地球のかたちを哲学する』っていう色んな民族の世界観が載った本に出てきた世界蛇の名前が元になってます。あれはとても面白い本でした。見つけたのが図書館だったことが悔やまれる。買いたかった……。
とまぁそれはさておき、黒竜はまだまともにダメージ通ってませんし全然本気じゃないのでこれからさらに苦しい戦いになる気がします。ぶっちゃけプロット上のラスボスより強いかも……。
51.第二地獄・荼毘伏界
前書き
お待たせしました。なんとか続きを書き出せたので投稿します。
11/26 すげー恥ずかしいミスを修正しました。
それは、オーネストたちが黒竜討伐に乗り出す4日ほど前のこと――。
黒竜の行動をひたすら監視していたミリオンの目に、今までに見たことがなかった黒竜の行動が映った。黒竜は岩石だらけのとある階層で、壁に頭を押し付けていた。最初は何をしているのかといぶかしがったミリオンだったが、やがて何をしているのか理解して素っ頓狂な声を上げた。
「なんだコイツ、岩食ってるぞ?」
「え、黒竜がかい?」
部屋の中で彼女の洗濯物をたたんでいたフーが顔を上げる。あまりに生活力が低いミリオンを見かねて面倒を見始めているフーもフーだが、自分のブラとパンツが知り合ったばかりの男に畳まれていく光景に疑問を覚えない彼女も相当なのかもしれない。
顎に手を当てて首を傾げたフーは魔物に関する記憶を探る。
「岩を食べる、ねぇ……魔物が食料庫以外で何かを補給するってのは、魔石以外にはあまり聞いたことがないなぁ。アズや『ガネーシャ・ファミリア』の人によると魔物は普通の生物と同じ食べ物を食べられるらしいけど、岩はちょっと……鉱物みたいな外殻を持っている魔物ならありえるかも」
「フーン、鉱物を吸収して自分の体を硬くするとかか。ウチはてっきり胃石かと思ったよ。一応翼もあるしな」
「胃石?なんだいそれ?」
「あん?知らねーのかよフー助。海辺の動物やら鳥やらは腹の中に石を貯めるんだよ。錘代わりにしてたり、石で食ったモン磨り潰したり。『マソ・ファミリア』は海辺のファミリアだかんなー、鍛冶ばっかのフー助と違ってその辺の知識はあるよ」
「知ってるから偉いってわけでもないだろうに……しかもそれ野生生物の話だし」
なぜか誇らしげにニマッと笑うミリオンの顔は、どことなくいたずらっ子のような印象を受ける。最初は険悪な関係だった二人だが、あまりにも自堕落なミリオンの生活態度に耐えられなくなったフーが彼女の服をむしって以来、二人の関係は妙に精神レベルが低下していて子供っぽいやり取りが増えている。
曲がりなりにもエルフで、しかも女性のミリオンから服をむしったとなれば普通なら一生口を利いて貰えなくても可笑しくはない。エルフという種族は純潔をモットーとしてプライドが高くて気難しい。……気難しさに関してはオーネストほどではないが。
なのにこうして微笑ましいとも言えるイヤミを言って笑う上に「フー助」などと呼んでいる姿は、とても邪険な態度には見えない。フーとしても大失敗を犯した自覚はあるので謝ったのだが、なぜか許してもらっていないのに態度が軟化している。
果たしてミリオンがエルフとして特殊なのか、それともココ曰く「エルフ受けがよさそう」な性格と顔が原因なのかは不明だが、ともかく二人の仲が深まっているのは確かだろう。洗濯物を畳み終えたフーがミリオンが魔法をかけた鏡を覗き込む。
そして、顔をしかめた。
「聖灯………」
「え?コポ……なに?」
「黒竜が食べている鉱物はただの岩じゃない。あれは聖灯……現在ダンジョンでしか取ることができない、世界一希少な『石炭』だよ」
フーの表情は普段の顔から一気に鍛冶師としての、そして冒険に携わる人間のそれに変貌していた。鍛冶師としての知識と少々のカンが、目の前の光景に激しい警鐘をかきならす。
「その世界一希少な石炭が、なんなんだよ?名前だけ知ってるなんて言わねーよな?」
「聖灯………それは嵐の中でもはっきり見えるほどに強く輝き、しかも少量で非常に長時間燃え続けることから灯台として使われている。別名は『セントエルモの蒼い火』だと言えばわかるんじゃないか?」
「あ………あー!あの灯台のあれ!?あれってそのコボルドなんとかの火なの!?」
「コルポサント!コボルドの石じゃないからね!?というか何の石だよそれ!?」
『セントエルモの蒼い火』といえば海の人――特に船乗りにとっては希望の象徴だ。悪天候な環境でも100KM以上遠くからはっきり目視で確認できるほどに強いその光は、丘に戻ろうとする船を天啓のように導いてゆく。
「聖灯は光源であると同時に、すさまじい熱量を放つ燃料でもある。ヘファイストス・ファミリアをはじめ、鍛冶ファミリアの最高級武具はこの燃料なしには成り立たないともいわれている。恐ろしく扱いが難しいが故に達人級の人間にしか扱うことができない、まさに聖なる灯の源なんだよ、あれは」
「はぁー………そんな高級品をボリボリ食って、いったい何がしたいんだよ黒竜は?まさか地上に持って帰って金儲けに使うわけじゃあるまいし」
「…………燃料、高熱……鱗……ブレス……?」
もしも鉱物を食べる魔物がいたら、それは硬質の物体を纏っているだろうという推測。
最高級の燃料が生み出すであろう莫大な熱量。
黒竜の代表的な技――火炎放射。
脳裏によぎったのは、オラリオを火の海にする火焔の邪竜の影。
「まさか――まさか、な」
「?」
フーの脳裏をよぎった絶望的なまでの想像の内容を知らないミリオンは、冷や汗を垂らすフーの顔を見て不思議そうに首をかしげながらMP回復ポーションを呷り、「まずっ」と呟いた。
= =
ドラゴンとは、古来より力の象徴であった。
東洋では万象を司る「龍」として、特に龍の中には神の遣いというだけでなく神格を持つ者も存在する。龍に似た姿をした蛇は龍の遣いとも言われ、主に海神や天候の神として崇められてきた。一部では八岐大蛇のように人に害をなす存在が龍と同格視されることもあったが、東洋人にとって龍とは神秘的で神々しい存在だった。
しかし西洋ではこれとは対照的に、龍も蛇も忌み嫌われる邪悪な存在として度々物語や神話に登場するなど「邪竜」の側面が強い。竜は巨大な蜥蜴のような姿をし、火を噴き傲慢で人を殺める。故に東洋とはまるで違い、竜を殺す事は人知を超えた悪に打ち勝つ戦士の誉として語り継がれてきた。西洋人にとって龍とは圧倒的で禍々しい存在だった。
今、このダンジョンに存在するのは後者としての竜。
火を噴き、暴れ狂い、人を圧倒する傲慢で邪悪な存在。
そう、火を噴くのだ。
4人がかりで漸く転倒させたこの黒竜は、今までブレスを吐き出さなかった。
理由は分からない。黒竜の持つ戦士としての矜持が使う必要はないと判断したのか、温存したのか、或いは温存しなければいけない事情があったのか。或いは――。
「冒険者の能力と手の内を見極めたいから最初は使わなかったんだろ。何せ今回は新顔が3人もいた訳だからな」
「『異端児』でもなしにその知能なのかよ……。あいつ実は人間の姿になれたりしないだろうな?実は『異端児』のプロトタイプとして作り出されたとか」
「アレの創造主に聞いてみろ。どうせアレも今、この光景を楽しそうに見物している」
「……黒竜倒した俺らを放っておいてくれるものかね、その創造主とやらが」
「倒してみれば分かる。なにせ顔も見たことがないからな、全ては推測しか出来ない」
「推測する予想結果の数言ってみ」
「可能性が高いのが3通り、低いのが7通り、限りなく低いのが26通り、ほぼ存在しないパターンは無限大。どれも人にとって快いものではなかろうな。なんならお前が説得していい方向に変えてみるか?低確率の7通りの内の一つは『アズライールと魔王が信頼関係を結ぶ』だ」
涼しい顔で告げるオーネストの顔はどこか冗談めかしている気がする。しかし、俺は生憎そのジョークに応えられるほど余裕がなく、手に持っていた自作の継続回復ポーションを呷った。ごくごくと喉を鳴らし、微かにフルーティな香りはするが美味とは口が裂けても言えない液体を胃に落とす。
こいつはいつぞやのじゃが丸くんポーションから着想を得た新しいポーションだ。通常のポーションは飲んだ瞬間に効果を発動して飲んだ薬剤の質と量の分だけ一気に体を回復するのに対し、このポーションは飲むと常に体が少しずつ回復するようになるものだ。短期的には使い勝手が悪いが持続時間が長く、継続的にダメージを受けることが前提の場合はこれが効いてくる。
では、どうしてそんなポーションを俺が飲んでいるのか。
簡単な話、俺達が継続的なダメージを受けているからだ。
今、黒竜との決戦の場は紅蓮の炎によって灼熱の窯と化しているのだ。そこにいるだけで体が焼かれ、吸い込む息で喉と肺がやられかねないほどに、大気は凄まじい熱を帯びている。もしもポーションを飲まなければ、恐らく俺は数分足らずで全身火傷に陥り『生きながらに肺を焼かれて』死に絶えるだろう。
一度は転倒させた黒竜に、俺達は全力で攻撃を叩き込んだ。
リージュの氷は羽に大きなダメージを与え、俺も『断罪之鎌』で前足を切断してやった。ユグーの戦車も吹き飛ぶ超重量の拳は立て続けに足に叩き込まれたし、オーネストはこの機を逃す理由がないとばかりに黒竜の首筋を嵐のような斬撃を叩き込んだ。
だが、オーネストの斬撃が頑強過ぎる黒竜の鱗を断ち切ったその時、黒竜の全身から爆発的な炎が噴出し、一気に形成が変化した。
『ヴルルロロロロロロロ………!!』
黒竜の全身から陽炎が立ち上り、関節や口、目から青い焔がめらめらと立ち上る黒竜が唸り声をあげる。纏っているのは蒼炎――烈火より更に凄まじい熱量を意味する。口からブレスを吐くことは知っていたが、目の前のそれは最早黒竜というより『炎竜』と呼んで然るべきだった。
噴火寸前の火山の火口から這い出た、星の内より湧き出る熱の全てを司る怪物。
その姿は恐ろしくも神秘的で、炎という極めて原始的な危機を集約した『目に見える絶望』として悠然と立ちはだかる。
これまでに攻撃した分の傷は消滅こそしていないが、内側から噴き出る超高温の炎がまるで物質のように欠損部分を包み込み、まるで弱体化など望めなかった。
「………これまでコイツが全身から炎を放出したことなど一度もない。ブレスの持続時間も長すぎる。熱量も前回と比べて格段に上がっている。なんともはや、成長を通り越して進化していやがるな」
「ノンキ言ってる場合か!この熱量、下手すればダンジョンの酸素を全部燃やし尽くしかねんぞ!」
「いいや、どうやらこのフロアは酸素供給が過剰らしい。当然か……酸素が無くなればあいつも炎を燃やせなくなるからな。恐らく魔王の差し金って所だろう」
「全く以て嬉しくない全面バックアップだなオイ。ま、この上更に敵の援軍が来ないだけマシか。あのパワーと熱量じゃあどんなに頑丈な魔物でも巻き添え一発で肉塊にならぁね」
強力過ぎる力は時として味方にまで累を及ぼす。黒竜の発生させていた真空爆弾も、このダンジョンの魔物が喰らえば9割以上は一撃で死に至るだろう。援軍が援軍の役割を為さない以上、魔王とやらも援軍を寄越さない。代わりに黒竜の活動する環境はベストなものを整えるということらしい。
高熱過ぎてかいた汗さえ瞬時に蒸発する環境のなか、俺は鎌を片手に溜息を吐く。本当に、今までのお遊びのような戦いとは桁が違い過ぎる。自慢のコートを今日に備えて耐熱祝福済みのものに変えていなければ、自然発火して火だるまになりそうだ。
「で、こんな予想外過ぎる事態に大軍師オーネスト様はどんな作戦を立てるんで?ユグーはともかくこのままだとリージュちゃんがもたないぞ。この高熱空間で彼女を守れるのは氷の魔法だけだが、魔力が持つものじゃない」
「………アズ、魔力継続回復ポーションと魔力回復ポーションをありったけ寄越して俺とリージュが態勢を整えるまで全力で時間を稼げ。やれるな、親友?」
「考えがあるって事だろう?なら期待に応えるさ、親友――俺は告死天使、死を司る俺にとって、死を退けるなど造作もないことだ」
懐のポーションをありったけオーネストに押し付けて、俺はオーネストが突きだした拳に自分の拳をこつんとぶつけて笑った。
こういう時だけは、自分持っている強力過ぎる力があってよかったと思える。大天使なんて御大層な存在とは程遠い俺だが、友達のために大見得を切るときに『死望忌願』は後ろで背中を押してくれる。流れ続ける時間によって運ばれてくる死が訪れるまで、俺の死は俺と共に在る。
(『やれるな、親友?』だってよ………こっ恥ずかしい台詞さらっと言ってくれちゃって。俺って奴は割と冷めた人間の筈なのに、なんでこんな時に嬉しくなっちゃうのかね)
オーネストがポーションを受けとり、何も言わずにリージュに向かって走り出す。
その動きを察知した黒竜の口から、マグマより尚熱狂的な火炎の奔流が躍る。直後、まるでレーザービームでも放ったのかと思えるほど凄まじい速度の火炎が閃光となってオーネストに飛来した。オーネストはしかし、それに見向きもしない。
「背中、任せた」
「おう、任された」
自分と炎の間に、この世で己が最も信頼する男がいることを知っているから。
「さあて、物理的な衝撃波や質量があるんなら鎖しかない訳だが、その炎なら俺でも防げるんでねッ!!さあ、鎌をもう一本追加だ『死望忌願』ッ!!」
『חותכים דרך בשני להב――!!』
俺の鎌が『死望忌願』の手に――そして虚空に伸ばしたもう一本の手が、『もう一本の鎌』を顕現させてガチリと握る。死神の鎌が一本だけ等とは一言も言っていない。ただ、二本同時は威力過剰で出す必要が無かったから出さなかっただけであり、操ることを考えなければ原理的には何本だって出すことが出来る。それこそ、この世にある死の数だけ出せるだろう。
俺の手の動きとシンクロした『死望忌願』の両手が一対の鎌をバトンのようにグルグルと回転させ、腰を捻って構えを取る。生半可な回転では意味がない。極限まで指先の神経を尖らせ、鎌が一枚の円盤に見える程の速度に加速させる。
「全てを切り裂いて進め、『断罪之鎌』ッ!!」
瞬間、眼前に迫る超高熱のブレスを腹で受けとめるように鎌が投擲された。万象に死を齎す鎌は大地さえも溶解させる莫大な熱エネルギーに接触し――まるで流水を押しのけるようにブレスを弾いていく。アズやオーネストの元には火の粉の一つも巻かず、邪竜の息吹は虚しく虚空に霧散した。
鎌はそのまま黒竜の顔面に迫るが、黒竜は素早く体勢を低くして回避しながら全身を回転させて尻尾をアズの方へと向ける。鞭のようにしなった尻尾は超高熱を乗せてアズの手前10mに着弾し、高熱でガラス化した大地と共に凄まじい衝撃波と熱風が襲いかかる。
先ほどの衝撃波よりも遙かに性質の悪い灼熱の津波の攻撃範囲はオーネストやリージュにさえ迫る勢いで押し寄せる。
「――ところで、何で俺の苗字がチェンバレットになったか知ってるか?」
不意に――灼熱の津波に突如として無数の穴が開く。穴は凄まじい速度で灼熱の津波を削り取り、直後に黒竜の顔面に無数の衝撃が奔った。衝撃で首元の鱗が『鱗と言う存在を殺されたかのように』容易に剥ぎ取られ、血液の代わりに灼熱の炎が噴出する。黒竜は何が起こっているのか理解できぬかのように目を見開いた。
熱波が防がれたその先にあるのは、銃。
それは、黒竜どころかオラリオの全ての人間が見たことのない兵器。
現代の死神。あちらの世界で最も多くの人間を殺傷した象徴的な突撃銃――その漆黒の銃はAK-47、カラシニコフと呼ばれるものに酷似していた。そして銃には弾倉がなく、代わりに映画でよく見る琥珀色の弾丸を連ねた『バレットチェーン』が伸びていた。そのバレットチェーンが続いている先は――俺の心臓。
「自分でも使い道の分からない力を色々と調べて探ってたら、俺の心臓からこのチェーンが出てきてな。オーネストが面白がって、バレットチェーンから取って『チェンバレット』の姓を付けたんだよ――ここだけの特別情報だから他言無用だぜ?」
これはアズライールという男の魂から精製された魂魄を穿つ弾丸。『徹魂弾』と名付けたそれは、殺すことより滅ぼすことによって死を齎す。『断罪之鎌』が切断によって魂を断ち切る力だとしたら、『徹魂弾』とは触れたもの全ての魂をその場で砕け散らせる破壊の力。
「この銃、色々と使いにくいし見た目が周囲に理解されなさすぎて普段は使ってないんだが………」
こいつは少々『魂が削られる』ので長期間使用すると威力がガタ落ちするが、オーネストが逆転の一手を打つまでは出し惜しみなどしていられない。
俺の両手に『徹魂弾』が、そして『死望忌願』の両手に新たな『断罪之鎌』が。
「お前ぐらいの相手になると話は別だ。サービスするからたらふく喰っていけッ!!」
圧倒的な力に対抗する圧倒的な『死』を内包した俺は、全力でその場を駆け出した。
= =
轟音に混じり、二人の戦士が戦う音がする。アズライールとユグー。まるで連携などしていないが、ユグーはアズに対応する黒竜の隙をついて攻撃しているため、結果的に黒竜の攻撃は分散されてオーネスト達の所には届いていない。
本来ならばこの戦いにリージュも踏み込まなければならない筈だったのだが、今、リージュは思うように動けないでいる。理由は彼女の周囲を囲む煉獄のような炎と熱気だ。
この超高熱にオーネストとユグーは純粋な防御力と耐熱能力で耐えているが、既に並みの冒険者では数秒で蒸し焼きになるほどの気温に達している。アズはポーションと、おそらくあの背中に連れた恐ろしき魔人の加護によって辛うじて動けているのだろう。しかし防御のステイタスがレベル6の中では低い方であるリージュにとって、この環境はいるだけで過酷過ぎた。
苦し紛れに火避けの加護の効果がある指輪を装備してみたが、効果はあくまでダメージの軽減までだ。これでも非常に貴重なアイテムなのだが、ダメージの遮断までは叶わない。結局リージュは自らの魔法である『絶対零度』を周囲に展開して冷気のバリアを張るのが精いっぱいだった。
(歯痒い……脆い我が身が歯痒い……!魔力も足りない、この環境では氷壁も形成出来ない!この私が足手まといになるなんて――!!)
ぎりり、と歯を噛み締める。血の滲むような努力を重ねてやっと想い人の隣に立つことを許されたというのに、いざ黒竜と相対してみればこの有様だ。かつて世界を滅ぼしかけた伝説の三大怪物の一角は18歳の女剣士には余りにも強大過ぎたのかもしれない。
そう考え、ふと自分があまりに馬鹿馬鹿しい事を考えている事に気付いた。
「強大過ぎる力………ははっ、わたしって馬鹿だ。その力に抗う為に私は――私は戦う事を選んだんじゃないの」
人生は抗う事の出来ない大きな波が荒れ狂い、それは人の運命を幾度となく狂わせる。こんなはずではなかった運命を引いてしまったあの日の雨が降り注ぐ夜に、リージュはそれを思い知らされ、そして運命を越える力を欲した。
終わりは突然訪れる。幼馴染のと永遠とさえ思える決別もそうだった。だからその突然が現れても一刀のもとに両断して前へ進めるように、一足先に修羅の道へ足を踏み入れなければいけなかった人に届くように――二度とあのような惨めで苦しい思いを彼にさせないために、自らを磨き抜いた。
泥も被った。血反吐も吐いた。嘲りと嘲笑は聞き飽きて、女だからと何度も下品な連中に襲われそうになった。裏切り、虚偽、大人特有の薄汚い駆け引き。人間と戦う時は常に格上で、身だしなみを気にする時間が惜しくて常にざんばら髪。今のリージュの姿からは想像も出来ない狼少女は、誰彼かまわず噛みついて、少しでも経験を糧にしようと足掻き苦しんでいた。
今もそうだ。我儘ばかり言って、自分勝手な事ばかり考えて、身の程も弁えずに前へ進む。
熱に魘されるような衝動。一歩前へ進めなかったら、一歩分だけ届く場所が遠ざかる。
「追いかけるんだ、ずっと……追いかけないと届かない。届かなかったら後悔する。後悔だけは、もうしたくない」
「――そうか、お前は偉いな。俺はそこまで真っ当に物事を考えられなかった。よく知り合いにくそガキ呼ばわりされて、その通りだと思う」
偉い、だなんて言われたのはいつ以来だろうか――消耗するばかりのリージュを支えてくれる暖かな手に、場違いな安らぎと懐かしさを感じた。もう8年も、これほど優しい言葉をかけられていなかった。いや、優しい言葉の温かみを感じられるほどに心を許せた相手が一人しかいなかった。
彼が近づいてきているのは分かっていた。今はオーネスト・ライアーと名乗る唯一無二の存在。足手まといになっている私を助けに来たのか、戦力外通告を告げに来たのかまでは分からない。それでも、近くに彼が来たというそれだけで、活力の薪が心臓の炉にくべられる。
「手、貸してくれるか。頼れそうなのがお前しか思いつかなかった」
目の前で手を差し伸べた男の発した声は、富より名声よりなによりも欲し続けた言葉を象る。
今日の、今の、この瞬間に「そう」答えるためだけに。たったそれだけの理由で――されどほかの誰よりも、黒竜の吐き出す炎より遥かに熱狂的な覚悟を胸に秘めて戦い続けてきた。
手を伸ばす。永遠に届かないかもしれないとまで覚悟したそれは、確かにリージュの指に触れた。
「8年前のあの日に、そのセリフを聞きたかったな――進もう、今度こそ一緒に!!」
「お前がついてこれるなら、好きなだけ一緒にいていいぞ」
「もう、追いついたもの。いやだって言っても離れないよ」
「………お前、男の趣味が最悪だな」
アキくんは、呆れながら微笑んだ。その笑顔が、世界の何よりも愛おしかった。
今日こそは、出鱈目で理不尽な運命を塗り替える。いや、塗り替えられる。
この取り合った手の感触を忘れない限り、絶対にーー。
後書き
アーカードゥーシャは語感だけであんまり意味のある言葉ではありません。しかもヘブライ語ではなくロシア語ベース。
ちなみにアーカードゥーシャは銃弾と着弾点が明確な時でないと死の力を発揮できないので、空気や液体、なにやらもやもやしたものには効果が薄いです。実体のないものを攻撃するにはネフェシュガズラが有効ということですね。
なお、アズの攻撃は基本的に全部魂を変換して放出していますが、明確な消耗品である弾丸は他のものに比べてケタ違いに消耗が激しいので今のアズは相当無茶をしています。
戦いは、まだ終わらない。
52.第三地獄・幽明境界
前書き
ダンまち世界の魔法は精神力を魔力代わりに消費してるというデンジャーな設定なんですが、ポーションで回復できる精神力という概念はもう魔力概念と大して変わらないだろうと思ってこの小説では魔力扱いだったり。そろそろ改変しすぎで原作ファンに怒られるかもしれません。
オーネスト・ライアーは奇跡を信じない男だ。
この世に存在するのはすべてが結果であり、事実だ。だから奇跡というものは存在せず、世間一般が奇跡と呼んでいるのはその人物が勝手に排除した見えざる可能性が顕在化しているだけだ。故にこの世に奇跡はなく、そして奇跡と呼ばれる物を解析して発生原理が判明したら奇跡は奇跡でなく単なる事実として観測される。
しかしオーネストに運命を信じるかと問えば、恐らく躊躇いなしに首を縦に振るだろう。
運命。なんとも大仰で都合のいい言葉だが、オーネストの人生はこの運命とやらとの壮絶な戦いと共にあった。運命とはなるべくしてなった事実を引き寄せる巨大な流れであり、個人の意思や主張を飲み込んでしまう非情な災害。足掻いても足掻いてもオーネストはこれに勝てなかったが、決して流れに身を任せようとしたことはなかった。
それはきっと「オーネストになった誰か」の、露悪的な俯瞰で世界を生きるオーネストに対するささやかな抵抗だったのだろう。
諦め、欺くことを選んだオーネスト。
それでも抗い続けることを選んだオーネスト。
どちらもオーネストの本心であり、互いに互いを打ち消すことができないまま二つの意志は統合された。
統合の結果生まれたのは、終わりを望むのに終わりに逆らい続け、戦いが嫌いなのに戦いを望み、他人を傷つけるだけ自分も血を流す矛盾した存在。どこか決定的に自分を諦めているくせに、自分を自分でなくそうとする意志には決して譲歩する気にもなれず、運命に順う奴隷と運命に逆らう反逆者の境面を延々と彷徨ってきた。
『出来るわけがないんだよ。どうせ最後には全部なくしてしまうんだ。分かってるくせに』
8年前、喉の渇きに耐え切れずに啜った薄汚い雨水に映った小汚い少年が、膝を抱えて呟く。
『分かってる。いつだってそうなるからな』
8年後、いつの間にか居ついていた自称メイドの出した紅茶の水面に映った小奇麗な青年が、背中合わせでつぶやく。
『なのに君ってやつは馬鹿みたいに抵抗しちゃってさ。そんな半端だから、また君の近くになくしてしまうものがたくさん集まってきてる。本当に無駄で無意味で価値のない集まりだよ』
『まったくだ。どいつもこいつも人の話を聞きやがらないし考えてることも意味が分からねぇ、酔狂で悪趣味な奇人変人の寄せ集めだ』
『本当にそう思ってるの、嘘つきオーネスト?』
『――どういう、意味だ?』
8年前の少年はすくりと立ち上がり、8年後の青年を見つめた。
『心のどこかで今の君はこう思っている。今なら、って』
『今更、の間違いだろう。もう何もかも手遅れになっちまったから誕生したのが俺だろう』
『違うね。孤高で高潔を気取っていた君は、運命の流れに逆らい続けるうちに気付いたんだ。運命を変える方法に』
『そんな都合のいい舞台装置は存在しない。世界はなるようになり、なるようにしかならない。仮にそれがあったとして、俺にその方法は実践できない。する意味も価値もない』
『君がそう思っている限りは、確かにそうなんだろう。それもまた事実だ』
8年前の少年は、おぼつかない足取りでゆっくり遠ざかっていく。
8年後の青年は、それを黙って見送った。
青年の手元には、チェスのそれに似た駒が握られている。見たこともない形で何の役割を持つのかも不明で統一性のない出鱈目な駒。そのうちのいくつかを、青年は無造作に拾い上げた。
十字架を背負った死神。蛇の首飾りをした巨人。そして、刀を握った女剣士。
『………………』
くだらない、と放り投げた。かつん、と乾いた音を立てて駒が床に散らばる。
視線を前にすると、今度はチェスどころか置物ほどのサイズがある竜の駒が鎮座していた。
駒は少しずつ進んでいた。このまま進むと、駒は放り捨てた3つの駒を弾き飛ばしてしまうかもしれない。そう思ったが、だからといって駒を拾って避けさせたりする理由はない。
しかし、ふとその駒を見るといつの間にか立ち上がっていた。そして巨大な黒竜の駒に向かい合っている。どう見ても無謀で、とてもではないが勝ち目はない。せめてもうひと押し、この小さな駒たちを助けられる何かがあればこの巨大な力に抗うことはできるかもしれない。
その一押しが出来る駒は、青年が握っていた。
『………………』
ふと、駒を見ていて思い出すものがある。半端で惰弱な自分の近くを、頼まれてもいないくせにうろうろする連中。偶然出会った生まれる前の記憶を共有できる存在。切り捨てたはずの絆。切り離せな絆。切ることをしなかった絆。一つ一つが鎖となって、駒から伸びて青年の手足に絡みついている。
青年はそれを引き千切ろうと手足に力を籠め――また、記憶を垣間見る。
『晩酌の話し相手が眼を離した隙に勝手にくたばるのはこの俺が許さん。――俺に生かされてろ、馬鹿一号』
『今日からこの薄汚ねぇ屋敷でメイドとして働くことにした!!』
『オーネストの世話を、これからもよろしくお願いします』
『あ……き、くん……。わたし、進まなきゃ――』
『秘密主義か?似合わねぇな、キザ野郎………勝手にくたばんじゃねぇぞ』
『一度だけでいい、来てくれ……二度目を逃したら、ボクは今度こそ自分が嫌いになってしまう……』
とびきりの同類やらそうでないやら、よく見る顔の連中の様々な顔が脳裏を駆け抜けてゆく。まるで鎖から伝わってくるようなそれがどうしてか暖かく、そしてひどく脆い気がした。引っ張ればそのままぱきりと割れてしまうようなそれを見て――オーネスト・ライアーは自問した。
この鎖を、俺は引き千切っていいのだろうか。
『千切れ、俺には関係ない』
『千切るな、それはお前が欲したものだぞ』
『捨ててしまえ。それでお前は半端ではなくなる』
『護り通せ。それがなければ永遠のしがらみから抜け出せない』
『選べ』
『選べ』
『『選択せよ、オーネスト・ライアー』』
オーネストは鎖に手をかけ、震えながら力を籠め――やがて諦めたように「くそっ」と呟いて、自分の手に握られてたい駒を竜の駒の真正面に据えた。
『グダグダ悩むのは俺の性分に合わん。面倒だから、悩みの原因になってるこの邪魔な駒から先にぶち壊してやる』
オーネスト・ライアーは、その選択の意味をまだ知らない。
= =
こんな事ならば上の安全層にいるうちに手を打っておけばよかった――と思わなかった訳ではない。黒竜があれほどの炎を纏うことは確かに予想外だったが、万が一に備えるならば「その程度の備えはあってしかるべき」だった。もっとも出発前の時点ではリージュが来ることも完全に予想外だったことを考えると仕方ないともいえる。
俺は手甲を外して自分の爪で指先を切り裂き、リージュに顔を向ける。
「舌出せ」
「べー」
アズとユグーの命を削る死闘とはあまりにも不釣り合いな光景は、炎のせいでココたちの場所からは見えない。
それにしても小さな口を精一杯に開けてピンク色の舌を出すリージュのなんと子供っぽいことか。出すだけならべーなんて言わなくていいだろうに、しかもなぜこの状況で舌を出す必要があるのかを一切聞いてこないのは如何なものか。しかし今はそんなことを指摘している場合ではない。
(昔はあんなに使うのを嫌っていたのにな……)
それはオーネストが人生で数える程しか使ったことのない力。切り札ほどではないが、ずっと使うことを忌避していたそれを黒竜打倒の為に使う。自分のためだと思えばひどく嫌気がさしたが、自分以外を生かすためと思うと不思議と仕方ない気がしてくる。
唾液で微かに濡れたリージュの舌に、血が滲む指を当てて文様を描く。ほんの2秒ほどで文様を書き終えた俺は「もういいぞ」と声をかけ、アズから受け取ったポーションを取り出した。俺が基礎を教えた薬学で作られたそれは、質の点では申し分ない。
血の描かれた舌を仕舞い込んだリージュは既に俺が何をしたのかを察しているだろう。この血の「秘密」を知る存在は殆どいない。アズも察してはいるが詳しくは知らないだろう。ある種の反則技でもあるが、使えるものを使うことに間違いなどありはしない。
「いいか、このポーションを全部飲み干すとお前の魔力は舌に塗った血の印に反応して過剰回復を起こし、暴走する。魔力暴発の爆発が伴わないものと考えてくれればいい。過剰な魔力が全身に滞留してすぐさま意識を失うだろう。だが、過剰回復された分の魔力を全力で放出し続ければ倒れることはない」
「つまり、飲んでしばらくは『絶対零度』を魔力限界を超えて際限なしに使うことができる?」
「ああ。だがこれは継続回復と瞬時回復に俺の血を挟んだ急場しのぎの強引な手段だ。放出量が間に合わなければ即座に自滅する。だからお前は飲むと同時に全力で黒竜を凍らせ続けろ。節約など考えるな。仲間のことも無視しろ。このフロアを永久氷壁に変えるつもりでやれ」
現在の黒竜の熱量は、存在そのものが炉だ。アダマンタイトクラスの金属も数秒触れているだけで融解を始めるだろう。当然金属製であるオーネストの剣も例外ではない。一瞬の接触では問題なかろうが、2度3度と叩き込むほどに刃は熱を持ち、その強度は加速度的に低下してゆく。おまけに下手な盾より遥かに強度が高い鱗はそのままになっている以上、あの炎をどうにかしなければ攻略は難しい。
「現在この場で状況を打破する可能性を持つのは、お前だけだ」
「……ふふっ、偶然やってきたわたしが偶然身に着けた氷の魔法が今日に役立つなんて、不思議だねアキくん。これも運命ってやつなのかな?だとしたら、利用できる流れは全て利用すればいい。大丈夫、わたしは勝利を呼び込むエピメテウスの『酷氷姫』で、アキくんの幼馴染だもん!」
根拠のない自信に満ち溢れた彼女の表情に、オーネストは言いようのない不安のようなものを感じる。アズに背中を任せたときは絶対的な安心感があったが、彼女にそれは感じない。しかしそれは彼女の信頼や実力を疑ってのことではない筈だ。むしろ彼女は誰よりも信頼できる相手だ。彼女なら成功させるだろうという確信もある。
なのに、どうして俺の心はこうも揺れている。
オーネストはその笑みに何かを言おうとして、しかし何を言えばいいのか分からないまま頭を掻き、ポーションの瓶の蓋を折ってリージュに差し出した。彼女はどこまでも屈託のない笑みで、一歩間違えば劇薬になりうる薬を躊躇いなく飲み干した。
「……アキくんが何考えているのか、私はなんとなくしか分からない。けど私はアキくんが頼ってくれた自分をどこまでも信じているから。だから、そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫だよ」
「――ッ、俺は……」
俺は、そんなにも不安そうな顔をしていたのか。そう問うより前に、リージュの纏う冷気が爆発的に膨張する。そして俺の隣から姿をかき消し、黒竜へと疾走した。その動きには魔力を持て余した様子も躊躇いも一切感じられない、美しい動きだった。
「俺は………俺はいつ死んだって後悔はない。だから不安を感じるような『未来を求める』感情はない………筈なんだが、な」
今の俺はどんな表情をしているんだろう。
そんな漠然とした疑問を心の隅に抱きつつ、オーネストはリージュに続いて地面を踏みしめ、放たれた矢のようにフロアを駆けだした。
= =
オーネストとリージュの会話より数分前、時間稼ぎをしている二人はあわよくばそのまま黒竜を倒そうという気迫で激戦を繰り広げているが、その戦況は芳しいものではなかった。
アズは時間稼ぎも兼ねて『徹魂弾』と『死神之鎌』を併用しながら攻撃を続けているが、黒竜は『死神之鎌』の斬撃全ての直撃を避けている。その影響で『徹魂弾』は体に命中しているが、鱗が剥がれるだけでそれ以上の効果はない。『徹魂弾』は対象物質が何であろうと命中したそばから完全に対象を殺すが、内から湧き上がるエネルギーを相手にすると焼け石に水となる。
ゲームのように言うと『徹魂弾』とはあらゆる防御を貫通して固定的なダメージを相手に与えるので防御は不可能だが、消滅した部分を再生させてしまう相手には相性が良くない。大抵の魔物はそれでも数秒でハチの巣になるが、現在の黒竜はあまりの高熱に肉体と炎の境が曖昧になっているため消しても消してもカラダがなくならない。
ユグーは超高熱で全身が焼け爛れているが、戦ううちにスキルが炎への凄まじい耐性を得ているのか、炎の影響をそれほど受けてはいない。だが炎が効かないことと炎に有効打を持っていることは別の問題で、その表情には微かな不満が現れていた。
「拳に手応エガ無イとは………体の殆どがマグマと炎の中間を彷徨ッテイルのか!?」
「ったく、質量保存の法則は無視かよ!!こいつはまるで魂と肉体を全て溶かして一つにしているみたいだ!!生物的な構造を保ちつつ中身は定型がないなんて、ここまで来ると物質的実体のないエネルギー生命体の域だぞッ!!」
叫ぶアズの表情には苦悶が浮かんでいる。まるで有効打が打てないのに自分自身は時間稼ぎのために魂を消耗しているのだ。むしろそれでも全く動きが鈍らないことを賞賛すべきなのだろう。消耗が激しいアズと致命的な相性の悪さを察したユグーは、事態を打開するためにここで初めて合流した。
「おい、アズライール。あれはどうすレば殴れる。スライムのように核ハあるのか」
「悪いがない。むしろ鱗の中身が全部核みたいなもんだから余計に性質が悪ぃ。『死神之鎌』を避けてるってことはダメージはないでもないんだろうが、アイツ回避能力が高すぎる。あの図体でロキたんとこのフィン並みかそれ以上の回避力だ」
単純に『勇者』のフィンと同程度の俊敏性だというなら相当な化け物だが、アズが言っているのはそういうことではない。フィンは非常に小柄かつ種族的に俊敏性が上がりやすい性質があるから恐ろしく動きが速いのだ。なのに黒竜は本来ならいい的になる筈の超巨体のままフィンと同程度の回避力を維持している。
大きな物体が落下する際というのは見る分にはゆっくりに見えるが、それは単純に物体が大きいから縮尺的にそう見えるだけであって現実にはかなりの速度で落下している。黒竜があの図体でフィンと同等の『回避力』を維持するためには、実際にはフィンが霞んで見えるほどの速度で移動しなければ実現できない。
正真正銘、黒竜は化け物だ。
「そんな事ハどうでもいい。殴ル方法を教エろ。デなければ十全に楽しめぬ」
「お前もオーネストとは違う意味で人の話を聞かないタイプだな……まぁいっか。まずは俺の鎌だが、お前は当然鎌なんて使わんから別の方法だな」
アズの鎌は一度黒竜の足を一本両断した。その後すぐに黒竜は蒼い炎を放ち五体満足に復元された。しかしそれ以降黒竜は鎌を異常に警戒するようになっている。つまり、あの再生は一度っきりでもう出来ないか、もしくは再生するのに大きなエネルギーを必要とするから何度も使えないと考えられる。
アズは過去に聞いた話を思い出す。ダンジョンは神の気配を感じたとき、近くの階層で最も強力な魔物の魔石に直接エネルギーを送り込むと同時に神の抹殺命令を下すらしい。『黒化』とも呼ばれるその現象で無尽蔵のエネルギーを得た魔物は足がもげても短期間で再生できるとのことだ。
無論その中核となる魔石さえ砕けば撃破可能だが、逆を言えばそれほどに特殊な状況でなければ高位の魔物も欠損した体の再生はおいそれと行えない。何より黒竜はダンジョンからの支配を受けず自立意識を持っているという話だから、この推測は間違っていない筈だ。
鎌が効くのならやはり現在の黒竜は純エネルギーであるアストラル体と実体の境を彷徨う状態なのだろう。魔石の在処さえ曖昧で、串刺しにしても死ぬかどうか分かりはしない。どのような経緯であんな力を発揮できるようになったのかは不明だが、アストラル体に直接ダメージを与える方法など殆どない。
逆に、少なくとも現在の黒竜は熱量を持った存在として目の前にいるのだから、熱量に干渉する魔法の類ならば通常以上に効果が見込める。オーネストとリージュはそのための対策を立てている筈だ。若干イチャつきながら。
と――アズはふと思いつく。
「鎌はダメ、魔法も今は無理となると――あっ、俺の鎖を腕に巻き付けたらイケるんじゃね?」
時間稼ぎと囮には向かないために使っていなかった『選定の鎖』だが、これは元々実体・非実体の両方に干渉出来る性質を持っている。つまりよりアストラル体に近い性質に変質した現在の黒竜に鎖は相性がいいはずだ。
アズはすぐさまユグーの手に巻き付けてあった鎖に触れ、力を注ぎ込む。鎖はアズの魂の一部。魂の指令を受けた鎖はすぐさま形状を変更し、鎖帷子のように細かい網目を巻き付けるようにユグーの手を包み込んだ。念のために複合構造にして耐火祝福を施されたコートの繊維も組み込んでおく。
「――生命力が簒奪サレルような感覚がある」
「鎖の維持に吸い取られてるだけだ。お前さんなら問題あるまい?さ、これで殴れるはずだぜ」
「フム………」
手のひらを閉じ、開き、嵌められた鎖の手甲の具合を確かめたユグーは、感謝の言葉一つなく地面を踏み割る速度で踏み込んで弾丸のように黒竜へと駆け出した。オーネスト並みに話を聞かない猪突猛進に「チッ」と舌打ちしたアズはすぐさま駆け出して『徹魂弾』を構える。
「オラ、こっち見なぁッ!!」
アサルトライフル二丁を両手撃ちなど現実では馬鹿者の所業だが、彼の銃はあくまでイメージとアズの魂で構成された存在であり、弾丸もアズの魂を使ったもの。本物の銃とはまるで仕様が違うため、そんな滅茶苦茶な射撃でアズは黒竜の注意を引いた。
いくら効果が薄いとはいえ命中した物体を死に至らしめる弾丸を好き好んで浴びたい存在などいない。黒竜は弾丸の発射を感知するや否や、広範囲にわたるブレスを吐き出した。ブレスと弾丸が接触してボボボボッ、と炎に穴が開く。その穴でおおよその弾道を察知した黒竜は身を捻りながら自らの翼を左右交差させるように振り抜く。
瞬間、真空の爆弾にも匹敵する力で両翼が纏った煉獄の熱波が正面に放出された。
罅割れた大地に散乱する岩や土煙ごと灰燼に帰するが如き空間のうねりは、蒼い破滅の津波。直撃を受ければ一撃で骨まで炭化する超高熱の壁となってアズの下に押し寄せる。ここまで広範囲の技で、しかも空気の押し出しトセットとなると『徹魂弾』だけでは防ぎきれない。このままだとアズはオーネストたちを守り切れない。
(――ま、俺の知ってるオーネストならもう完璧に態勢整えてる頃だろうけど)
瞬間――アズの背後から魂さえ凍てつかせる極寒の冷気が空間を切り裂くかの如く降り注ぎ、超高温と超低温が衝突した。急激な空気の膨張と収縮が瞬時に繰り返されたかのように凄まじい強風が吹き荒れるのを地面に鎖を打ち込んで耐えながら、俺は後ろに向かって叫んだ。
「おいオーネスト!やるんならやるって俺に言っておけよ!!一瞬吹っ飛ぶかと思ったわ!!」
「お前なら吹っ飛ばんだろうと信用してやったんだ、有り難く思われこそすれ、文句を言われる筋合いはないな――畳みかけるぞッ!!」
「反撃開始ってかぁッ!?」
体中が警告の痛みを発していた超高熱の空間が一気に冷却され、肺に吸い込む空気が随分と心地よいものに変化する。更に一本ポーションを飲み干したアズは、まるで背後に目がついているかのように疾走するオーネストにぴったり合わせて移動を開始する。
その二人の上空に――『雪の化身』がいた。
「感じる……凍てついた血、制止する刻。そう、そうか。これが私の『絶対零度』の根源的な――これならば、もう遅れは取らない」
純白の髪を靡かせ、人ならざる冷気と魔力を放出し、それでもなお消費が追いつかない冷気を背中から翼のように噴出して舞い踊る、吐息が漏れるほどに神秘的な姿。
温度や熱をすべて奪い、自分だけの静謐を齎す絶対零度の力。
大地の化身と化した蒼炎の黒竜に真っ向から立ちはだかるは、天空より舞い降りし氷雪の御遣い。
「凍てつけ――氷獄の吹雪にその魂までも凍りつかせろ、古の獣よッ!!」
この日、リージュ・ディアマンテは一時的とはいえ間違いなく人という枠組みを一歩踏み超えた。
後書き
『全員で勝つという条件付きならば』、状況を打破する可能性があるのはリージュだけ……です。
今の状態のリージュはぶっちゃけ天災クラスの戦闘能力を持っていて原作にいれば一人でオラリオを滅ぼせるレベルです。………それぐらいの戦闘能力を持ってこないと抵抗も難しい黒竜って何なんでしょうね。そして熱波に消えたユグーですがどーせ生きてるから放っておけばまた出てくるでしょう。
戦いは、まだ佳境に届かない。
53.辺獄・衣鉢継界
前書き
8/22 なんか〆が決まってないなぁと思ったので書き足しました。
熱――それは世界において最も基本的なエネルギー。
熱はこの世界において二つに分類される。
それは、『星』の熱と『生命』の熱だ。いや、もしも『星』を一つの生命体と考えるのならば、この世に存在する全ての熱は『生命』の熱ということになるのかもしれない。熱とはそれそのものがこの世に存在しようとする灯であり、それが尽きたときに人は刹那と那由他が永遠に交錯する世界へと旅立ってゆく。
灯は大きすぎればその身を焼き尽くす過ぎたる力ともなる。或いはほかの灯を飲み込むうねりともなるだろう。人は持ちすぎても、持たな過ぎても灯を維持することができない。まるで神の裁定の如き奇跡的なバランスの中で、人は生きている。
そのバランスが崩壊した瞬間、リージュ・ディアマンテはそれまでに感じたことのない悪寒を覚えた。
魔力の暴走だと聞いていたのに、魔法も使っていないのに、内から湧き上がる「熱を消し去る力」が全身を満たす。破裂するほどに膨れ上がったそれを――しかしリージュは失われていない冷静さに意識を注いで叫んだ。
「凍てつけ、凍てつけ凍てつけ凍てつけ凍てつけ凍てつけッ!!!」
破裂する前に放出しろ――彼の言った言葉だ。だから、とにかく放出した。
瞬間、喉を焼くほどの灼熱の窯に突如氷塊が噴出した。放出された瞬間に溶け、溶けた瞬間にさらに放出される。最初は拮抗しているように見えた高温と低温は、数秒としないうちに氷の噴出が勝り、リージュの周囲に大きな氷の空間を作り出していた。
この氷は、ただの氷とは違う。本来氷とは低温の環境と水がなければ成立しない個体だ。そして魔法によって発生するそれは氷ではあるが、氷が出現する原理が異なる。放出された魔力が魔法法則による定義づけで水として出現し、それが凍ることで氷魔法や水魔法は成立している。
しかし、リージュが放つ今のこれは何かが本質的に異なる。
これは奪うものだ。触れるすべての『生命』の熱――灯の力を奪い、消滅させる、冷気とは異なる性質を内包した『何か』だ。それが、自らの内より放出されている。本来は自らの灯と共にある筈の魔力が変質している。
『何が――私の中で、何が……』
『驚いたな』
唐突に、身を凍らせるほど冷たく透き通った声がした。
『無限の器と無限の可能性の融合――それがヒトにヒトならざる力を与え給うか』
『だ、誰だ……!?』
目には見えない。ただ、とても純粋な光がぼうっとしたシルエットを作り出していた。その姿はひどく曖昧で、人にも見えれば獣にもただの自然物にも見えるが、しかしそれには確かな意志を感じる。
『我は、ヒトがメイヴと呼ぶ者。或いはウンディーネ。或いはセルシウス。或いはルサルカ。或いはヴォジャノーイ。或いはジャックフロスト。或いはシンビ。そのすべてがヒトの解釈によっては我であり、我ではない。総体であって総体ではない。全であって全ではない』
『メイヴ……ウンディーネ……ではお前は精霊だと言うのか!?』
『或いは妖精でもある。ヒトには理解できないだろうが、妖精と精霊の境とはヒトの認識が決めるものであって、我からすれば同一の存在であると言える。精霊の認識するヒトとヒトの認識する我々には微妙な差異が存在する』
光は極めて曖昧な発言を繰り返しているが、少なくとも人以上の存在であることは感じ取れる。冒険者として魑魅魍魎を相手にしてきたリージュの本能がそれを告げていた。だが同時に光を警戒し、敵視する意識はまるで沸いてこない。
『不思議だ、お前は。初対面の相手に当然として抱く緊張などの様々な意識が、お前の前では省かれている気がする。お前は敵なのか?そうではないのか?私に何をした?』
『お前が抱いている疑問は、お前の魂が我の側に近づいているから感じる肉体と精神のずれが齎すものだ。我にヒトの持つ嘘や疑いという概念はない。認めるのは事実のみだ』
『近づいている……精霊に、わたしがか?』
自らの肉体より湧き出る『熱を奪う力』は確かに人の身には強すぎる力だ。自分の内側からそれを出せば、自らの熱さえ奪いつくして死に絶えるだろう。それが起きていない現状を鑑みればその理屈も理解できなくはない。
『精霊とは神の下位存在。汝はあの男から血を受け取ったことで神秘の側にひとつ傾いた』
『待て……血を受け取るだけなら冒険者全体が言える。神聖文字を背中に刻まれる時点で微量ながら神血を受けるのが冒険者だ』
『お前はエピメテウスの血を得た。そしてあの男からの血も得た。血の力と薬によってその身には通常ではありえぬ根源霊素に満たされた。我からすれば余りにも不完全で不安定だが、ヒトの解釈からすればそれは我の概念と近づいたことになる。だから我は最初に驚いたと言った。汝は不完全ながらこちらに足を踏み入れたのだ』
自分が、精霊に近づいた。何一つ実感の伴わない重さのない言葉。今という瞬間さえ、リージュにとってはどこか現実味のない感覚だった。いや、そもそも自分は現実にいるのだろうか、それとも夢のなかにいるのだろうか。この感覚こそが精霊の言う『肉体と精神のずれ』なのだろうか。泡のように湧き出ては答えも出ぬまま弾けて消える疑問を抱きながら、リージュは問うた。
『お前は結局の所、何のためにわたしの前に現れた?わたしはお前からすれば不完全な精霊なのだろう?薬が関係あるのなら、あれは時間が経てば効果は切れる。ならばこの邂逅に何の意味がある?こう言っては何だが、私は急いでいる。戦いに赴かなければならない。この邂逅がお前の気まぐれで起きているのならば、もうこの話は終わらせたい』
今、オーネスト達は炎を纏った黒竜と絶望的な戦いを繰り広げている筈だ。
そして、それに打ち勝つためにリージュはオーネストの頼みを受け入れた。
『精霊だか何だか知らないが、構っている暇はない』のだ。
そんなリージュの毅然とした態度に、精霊は揺らめいた。
『我は汝に興味を持った。汝に力を与えた神でも、神の血を持つあの男でもなく、それを受け入れて今も躊躇いなく戦いに赴く意志を普遍的に抱く汝は面白い。汝に力は与えぬが、僅かな知恵を授けよう。汝が何に近づいたのかを知れば、汝の『絶対零度』の力は更なる飛躍を遂げるであろう。受け取るか?』
リージュはその言葉を咀嚼し、間髪入れずに結論を弾き出した。
『そうか、ならばとっとと寄越して失せろ。寄越す気がないなら失せろ。そして授けるのに時間がかかるのならば矢張り失せろ』
今必要なのは得体のしれない精霊の知恵ではなく時間である。
精霊が、どこか愉快そうに再び揺らめいた。
『面白い。焦って判断を疎かにしているのでもなく、機械的に裁定しているのでもなく、打算で顔色を窺うこともせず、自身の絶対的な裁量で選び抜いたな』
『そのおべんちゃらは私の「急いでいる」という発言を聞いていての事か?』
『焦るな、ヒトよ。精霊の時間はヒトの時間とは違う。こちらでの一刻は、あちらでは一瞬だ――祝福を受け取るがよい』
光の中から暖かな礫が飛来する。リージュはそれを受取ろうとしたが、自分の周囲に放たれた『奪う氷』が邪魔をして動けなかった。礫はリージュの額に当たり、音もなく体に浸透していった。
それを確認したかのように精霊の光はうねり、乱れ、やがて霧散していった。
『婉曲な奴だな。アキくんとは絶対にウマが合わない………う、ぐっ!?』
突如、頭に激痛。脳裏に無理やり理論が叩き込まれるように、リージュの全身を精霊の知恵とやらがあらゆる感覚、知識として駆け巡り、震わせる。
全身の血液が逆流するような冷たさ。
灯の逆転にある、消滅と異なる結果。
熱を奪い、纏わりつく極寒の雪。
転じて、動を静止させる力。
何処までも純白で、瞬間を幾重にも折り重ねた雪原に限りはなく、凍てついたまま全身を流れる血潮は加護と転じる。
右手を動かす。右にあった氷が金剛石を砕いたかのように美しい飛沫となって散り、そして腕に纏われる。
左手を動かす。左の氷がやはり飛沫の軌跡となって、『村雨・御神渡』へと纏わりつき、濡れるように艶やかな刀身が更なる輝きを纏う。
物質としての氷ではない。リージュの魂に刻まれた『絶対零度』という固有法則と神の力が振れて偶発的に生まれた、この世に存在しなかった法則だ。リージュの内より出でてリージュのみに従う、リージュそのものだ。
全身が淡く輝き、黒竜の圧倒的な灼熱を纏う冷気が一気に押し返す。急激な温度変化のもたらす空気の奔流がリージュの髪を乱暴になぜる。吸い込む息は肺が凍り付くほど冷たいのに、リージュの体を巡る凍てついた血はそれを許さない。
凍てついた血、停止した刻。リージュは、そのような存在となったのだ。
「そう、そうか。これが私の『絶対零度』の根源的な――」
完全なる熱の支配に至らないのは、それだけ黒竜の放つ力が絶大であることを示しているのであろう。しかし、もはやそれもどうでもいい。今、リージュは大切な人のために動き回り、立ち向かう力を得ている。その事実一つだけを認められるなら、後は行動という選択肢以外に選ぶ道などありはしない。
「これならば、もう遅れは取らない」
視界に写るのは愛しい人とその親友となった人。見知らぬ人。そして、忌まわしき邪悪の化身。
状況は何も変わらない。相変わらずこの空間は灼熱に満たされている。ただ、リージュだけが劇的に変化した。もう耐えるだけの無様な姿など晒すことはない。この力ならば逆襲とて出来る。細かい力のコントロールは叶わないが――。
『節約など考えるな。仲間のことも無視しろ。このフロアを永久氷壁に変えるつもりでやれ』
それが必要だというのなら、リージュは躊躇いなくそのように世界を塗り替え、運命を凍結させよう。
「凍てつけ――氷獄の吹雪にその魂までも凍りつかせろ、古の獣よッ!!」
言霊が奔り、世界が魔力で塗り替わる。
リージュは気付いていない。自分の背中に刻まれた神聖文字が自動的に書き換えられ、レベルが一つ上に押し上げられていることを。自分自身がオラリオで公的に認められる3人目の最上位に名を連ねた事を。
= =
黒竜の焦熱領域を一変させる猛吹雪に背中を押され、二人の命知らずが風を背に受けて疾走する。その姿はまるで獲物を狩りにかかった二頭の餓狼のように研ぎ澄まされている。
「ったく、あんまり遅いから『徹魂弾』撃ちすぎちまって魂がぼろぼろだ!!俺ぁ明日はもう寝るぞ!!地上に帰らず宿で腐るまで寝る!!」
とんでもないことを口走っているアズだが、魂を削るこというのは寿命を削ることとは微妙に異なる。少なくともアズの解釈では、削りすぎなければあとで養生すれば魂は元に戻るものだ。……なお、削りすぎた場合に死亡するのか、本気で寿命が削れるのか、もっと違うことが起きるのかは本人もよく知らない。一つだけ確かなのは、まともではいられないという部分だけだろう。
無論それを知っているオーネストはいつもの調子で皮肉を言う。
「明日を迎えられれば好きなだけ寝な!!尤も下手すりゃ『今日』に焼き尽くされるだけだがなッ!!」
「それも悪いたぁ言わねえが……ここまでボロクソにやられたら仕返しに一発ドギツいのかまして吠え面かかせたくなってきたッ!!」
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
「………喜べ、吠えたぞ」
「いやそんな『なんか言えよ!』って言われて『なんか。』って返すみたいなことじゃねーから!?」
話し合いも何もなく、ただ言いたいことだけ一方的に吐き出しあって二人は二手に分かれる。打ち合わせも合図もない、たった2年――されど濃密な2年で戦いを積み重ねてきたコンビだからこそ可能な無意識の連携行為だ。
させまいと反応したのは黒竜。世界最悪の熱刃と化した前足を振り下ろし、大地が一瞬で融解する。黒竜はそれを二人の進路を塞ぐように全方へ薙ぐ。元来持ち合わせていた膂力と組み合わさった爆発的な熱波が地を駆けるように二人に押し寄せた。
しかし、それはもう通じない。既に人間は熱を味方につけた。
黒竜すら見上げるほど高くに構えた常勝の雪姫が、戦場音楽を奏でるように両手を掲げる。
「氷造・降り注ぐ氷柱」
瞬間、3階建ての家屋ほどもあろうかという巨大な氷柱が二人の上から無数に降り注いで熱波に直撃し、激しい水蒸気をまき散らしながら火砕流のような熱刃を完全に防ぎ切った。これまでリージュが展開してきた氷に比べて、その氷はぞっとするほどに透き通り、近づくだけで命を吸い取られる錯覚を覚えるほどに冷たかった。
氷そのものは熱に魘され少しずつ溶解していく。だが、その暇を縫って白蛇のように螺旋を描く無数の雪の集合体が煌きながら飛来し、溶岩地帯と化しつつある黒竜へと殺到する。
「氷造・輝石の大蛇――獄炎さえも貪欲に喰らえッ!!」
地面すれすれを駆ける蛇の煌きが鱗粉のような飛沫になって地面に落ち、落ちた場所から地面の熱が奪われて氷が突き立つ。蛇はそのまま黒竜に接近したが――黒竜が凄まじい衝撃と共に足を地面に叩きつけ、全身から噴き出す熱の力をバリアのように展開したために蛇はかき消される。
効果がないように見えるが、本来ならばあの熱はそのまま放射線状に拡散されて接近するこちらを焼くほどの火力がある。あの雪の白蛇に想像を絶するほど熱を奪われて本来の威力が発揮できていないのだ。一気に状況が前進した現状に、アズは感心したようにリージュをちらりと見上げた。
(時間制限はあるようだけど、黒竜のあの火力を押し留める程とは舌を巻くね。オーネストが特別な想いを抱くわけだ……ほんと、この世界の女の子って強いなぁ)
アズが言っているのは肉体が、ではない。生命力に溢れるとか逞しいとか意志が強いとか、そういった意味での強さを言っている。あれだけ強力な魔法を使い、更に上位の力に踏み込むには恐ろしいほどの苦境を潜り抜けなけれないけない。そこに至るには尋常な覚悟では辿り着くことが出来ない。
オーネストの力と化学反応的なブーストを起こしていると言えど、それをああも御するに足る因果をかき集められるのは、運命に抗う者の証左だとアズは考える。
アズの記憶にある限り、アズがアズになる前の世界にこのような「強さ」を持つ人間は碌にいなかった。自分自身も勿論そうだ。何故ならばあの世界は緩慢で変化を望まない世界だったから、戦いが求められていなかった。むしろその強さを持つ者は忌避され、疎外されていたといっても過言ではない。
同級生に一人、虐められている女の子がいた。男子全体はそれに関わりが薄かったためにその事を碌に知らなかったけど、様子がおかしい彼女に凡人なりの気配りをした当時の彼はそれを偶然知ってしまった。だからといって、現状を彼に変えられる訳ではなかった。
出来るのは精々、彼女の心が本当に折れてしまわないように時々気に掛ける程度。彼女はそれでも慕ってくれたが、対症療法的で根治に至らない現状はいつまで経っても変わらなかった。彼女にはおそらく、現状の学校、家庭、人間関係に至るまで全ての環境に反逆するだけの力も勇気もなかったのだろう。恥ずべきことではない。それがあちらでは当たり前だっただけだ。
(正反対の世界、か………いいや、考えてる場合でもないか)
すぐさま意識を戦いに切り替えたアズの頭上から、リージュの声がかかる。
「妖怪鎖コート!!鎖を出せ!!」
「変な妖怪に仕立て上げないでほしいが諒解っとぉ!!」
『断罪之鎌』ではなく『選定之鎖』を携えて先程リージュが放った氷を踏み越えて更に加速する。指示に対して迷いは抱かない。オーネストが信頼するリージュを疑う理由はないし、彼女とて恐らくそれは一緒なのだろう。仲良しでなくとも、オーネストという大きなバイパスでゴースト・ファミリアは繋がれている。
だから、鎖が今まで感じたことのない冷気をまとって輝いた時も、アズは驚きこそすれ戸惑いはしなかった。纏わりつくのは異質な魔力。以前に試した際はこの非物質的物質である鎖が魔法による干渉を受けることはなかったが、彼女が覚醒した新たな力は鎖に馴染んでいた。
「『源氷憑依』――癪だが、貴様とわたしの魔法は相性がいいらしい。今の貴様が持つ武器には我が氷雪の加護が付される!それで戦え!!………アキくんにもあげるね!これできっと戦いやすくなると思うからっ!」
「この力……そうか、俺の鎖の本質は魂の束縛と自由の『奪取』。灯を奪うこの力とは本質的に近い部分があるって訳か!!」
(もうリージュの切り替えの早さにツッコミすらしなくなったか)
「アキくん?アキくんでも大丈夫だと思うんだけど……ダメだった?」
「受け取っておく」
淡白な返事をしたオーネストの剣にもリージュの加護――熱を奪うことを本質とした氷雪の力が宿る。いや、正確にはこれはかけられた本人が武器だと感じるすべてに適応されるため、おそらく脚や拳にも場合によっては宿るのだろう。
オーネストにとって一つ幸運だったのは、この加護が攻撃的なものだったこと。精霊的に言えばオーネストの本質はどこまでも攻撃であり、防御の加護や力は根本的に相性が悪くて効果が出にくい。もしもこの冷気の本質が「熱気から身を護る」というものであったならばオーネストは絶対に拒絶していただろう。
……冷気の本質を理解した瞬間にこの性質とオーネストの相性を考えて性質を気合で攻撃的に変形させたリージュは、実は誰よりも運命を塗り替える力が強いのかもしれない。
ともかく灼熱の黒竜への対抗手段を手に入れた二人は同時に仕掛けた。
「どぉぉぉ……りゃあああああああああああッ!!!」
何重にも束ねた鎖の鞭を形成したアズが微塵の躊躇なく鎖を横薙ぎに振り回す。ガジャラララララララララッ!!と金属音をまき散らして振るわれた鎖だが、初期の黒竜にこれは通用しなかった。理由は簡単で、この恐ろしい強度と威力を誇る鎖を黒竜の単純な戦闘能力が上回っていたからだ。
当然、黒竜はこれを破壊しようと首を振り回し、触れるもの全てを焼き尽くす熱量を内包した熱波と共にブレスを吐き出した。溶岩の河口から噴き出すような迫力で、光学兵器のようなブレスが発射される。
直後、その炎を易々と突破した鎖が黒竜の首に巻き付いた。
『ッ!?!?!?』
「へっ………その炎、確かに相当ヤバい力だ。だけど、肉体まで炎に変えたのは一長一短だったのかもな」
鎖は、アズが散々『徹魂弾』で削った鱗の薄い部分に絡みついていた。そのことに気付いた黒竜は激しくもがいて鎖を引き千切ろうとするが、最初に足をつかんで転倒させた鎖の束より細いはずの鎖がまったく千切れない。それどころか鎖が激しく水を蒸発させるような音を立てて青白い首に食い込んでいく。
『死望忌願』と共に鎖を掴んで踏ん張るアズは不敵な笑みを浮かべ、さらに力を込めて鎖を引く。
「お前の肉体はエネルギー体になっている。つまり、外の鱗を除けば現在のお前の体には物理的な質量が極端に少なくなっている。さっきから熱波ばっかり飛ばして誤魔化してるけど、その姿になる前の重量級パワー、今はそれほど使えないんじゃないか?」
『グルルルルルルルルッ!?』
アズは確かにオーネストの為に時間稼ぎをしていたが、その間何も考えずに戦っていた訳ではない。黒竜が蒼炎を纏って以降、戦いの雰囲気や戦法、そして黒竜そのものの姿がガラリと変質した事を加味し、アズなりに分析を重ねていたのだ。
首ばかりを狙っていたのは質量のことを加味した上で決定打を打てる方法が来た時の為の伏札の一つ。もし黒竜への対抗手段が出来上がったら、鱗のない部分が役に立つだろうという推測から作り出したものだった。
そして、その動きの拘束が……致命的な隙になった。
「――どうした化け物。膝の上と下がおさらばしているぞ?」
それに気づいたとき、既にオーネストは剣を抜いていて。
それに気づいたとき、既にオーネストの攻撃は終了していて。
それに気づいたとき、黒竜は初めて自分の後ろ足が音もなく寸断されていることに気が付いた。
『ゴ………ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?!?』
常に破壊力を求め暴力的に振るわれるオーネストの刃は、本当はこの世界のどの剣士より美しい斬撃を放つことが出来る。なにより早く、なにより無駄のない剣術の極地の一つ――居合抜刀術。それは無駄を嫌うオーネストが辿り着いて当然の、そして『本気』の業。
鎖に引かれ、足を冷気の刃で寸断され、黒竜の動きが再び完全な隙を晒す。
その隙を――『吹き飛ばされて天井に張り付いていたユグー』もまた、見逃す気はなかった。
空気は高熱になればなるほど上方へ行く。その灼熱の中でユグーはずっと待っていた。黒竜にまともに攻撃を叩き込める、極限の隙を。相手に喰らわされた殺意に応答するに相応しいだけの攻撃を繰り出す準備が整ったと感じた瞬間、ユグーは『天井に突き刺していた足を曲げて全力で蹴りだした』。
天井を蹴り砕いた反作用、重力加速度、位置、そして決定打を与える為にアズに受け取ったナックルに全身全霊を込め、ユグーは笑いながら黒竜の背中へ飛来した。
「待たせたな、黒竜!!貴様ノ至高にぶつけるに相応しイ、俺の至高ヲ受ケ取レ………ヴァオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
それは完璧なタイミングで振り下ろされ――魂を捉える耐火籠手に接触した黒竜の背中にクレーターのようなへこみが形成されるほどの威力で衝撃が大地を穿った。
遅れて、ガウウウウウウウンッ!!!と大気が裂けるような悲鳴を上げ、攻撃の余波で黒竜の翼が中ほどからバキバキにへし折れた。ユグーの拳はそれだけで止まらず、とうとう灼熱の蒼炎を貫通して地面に叩きつけられた。黒竜に荒らされた大地が更に地響きを立てて捲れ上がり、その場をユグーが離脱した直後に黒竜がその場に轟音を立てて倒れこんだ。
「わたしからも受け取ってほしいものがあるのだ。嫌とは言うまいな?」
透き通った、酷氷なる声。
間髪入れず、リージュが射出した氷柱が無数に降り注いで容赦なく黒竜の背を抉った。
『グゥゥゥゥウウウギャアアアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!?!?!?』
「えげつねー………しかもユグーもユグーで氷の加護なしにあの威力かよ。あいつ『俺自身が隕石になることだ』とか言い出さねぇだろうな……時にオーネスト、お前もしかしてユグーが天井にいたの……」
「お膳立てすれば落ちてくるだろうと知ってて斬ったが?」
「だよねー♪」
ここまで、すべてはオーネストの手のひらの内。予定調和のつまらない流れだ。そして――黒竜がまだこの程度で終わる筈がないというオーネストの予感もまた、ある意味ではオーネストの予測通りだった。
黒竜の放つ圧倒的な滅気が、揺らぐどころが更に高まっている。肌で感じるその威圧が全身を逆撫でするように纏わりつき、絡まり、呼吸する喉を絞める程に重く全身を締め付ける。
「さて………構えろアズ。次のあいつは、恐らく更に強靭になるぞ」
「第三形態かぁ………もはやラスボスだな。段々と驚かなくなってきた自分がいるぞ」
「――なら、せいぜい次の接敵で度肝を抜かないよう気を付けろ。消し飛ばされたら俺も助けられん」
「………お前がそこまで言うってんなら、次に出てくるのは俺の人生史上最強最悪の敵ってわけだ」
「もしかすれば、俺にとっても………な」
灼熱と氷雪のぶつかり合いで常温に戻りつつある空間の中で、アズの額から汗がつつ、と伝って乾いた地面に落ちた。それは単なる体温調節の為の汗か、それとも――4人の目の前で溶岩のようにぐずぐずに崩れ落ちながらも決して四散することはない黒竜『だったもの』のせいか。
ユグーの拳で体を貫かれた蒼炎の黒竜は、その場で音もなくぐずぐずに溶け落ち始めていた。まるで肉や骨格など最初からなかったかのように――いや、エネルギー生命体と化していた事を考えれば骨格はすでになくなっていたのかもしれないが、あの形状は黒竜の魂と鱗によって辛うじて形状を保っていたのかも知れない。
翼が、腕が、顎が、黒竜を黒竜と認識させていたパーツが崩壊してゆく。
それは、黒竜という存在そのものが崩壊することを意味する。その筈だ。
なのに――。
リージュは少しずつ内より湧き上がる魔力量が落ち着き始めるのを自覚しながら、胸中に渦巻く疑念を証明するように無数の氷柱を虚空に顕現させ、マグマの塊になった黒竜に投擲する。魔物が受ければ触れた瞬間に全身が凍結し、氷の重量で粉々に粉砕されるであろう獄氷達は、溶岩と接触した瞬間に液体となって四散した。
「奴を覆う熱が更に高まっている……おのれ、魔力放出も限界か」
過剰なまでの魔力を放出することで空中を飛行していたリージュも、ポーションの効力が収まってきたことで徐々に放出量が通常に戻り始めたために地上に着地する。相手が次の行動を起こせないように一気に溶岩を凍らせようとしたが、どうやらあの溶岩は蒼炎の黒竜時よりさらに高温になっているらしく、まるで空間を歪ませているかのような陽炎が溶岩から立ち上っている。
ずるり、ずるりと大地を融解させながら、溶岩は一か所に集まり始めている。ちょっかいを出そうかと未だに氷雪の加護を得た鎖を投擲するが、あと十数Mの処で突然先端が消し飛んだ。物質的な性質を維持できなくなって崩壊したのだ。
魂をも縛る鎖を焼失させる熱、それは魂をも焼き尽くす熱。
これほどの高熱を纏って、いや熱そのものに変化してまで、黒竜は一体何のためにこんな姿になっているのだろうか。このままアメーバ状態になって体積を拡大し続ければダンジョンそのものが丸ごと巨大な火山になってオラリオは文字通り溶岩に飲み込まれるが、さしもの黒竜にもそこまでのエネルギーは内包していないのだろう。
「アズ、お前はあの溶岩の塊が何に見える?」
「えっと………」
脈打ちながら少しずつ球体に近づいていくそれは、白熱しながらもどこか原子生物的な印象を受ける。空間を乱雑に塗り潰す気配に乗って、鼓動を感じる。しばし黙考したのち、アズは答えた。
「卵………いや、蛹か?」
単なる蛋白質の集合体からもっと精緻で神秘的な灯を灯す寸前。
殻を破る寸前――新たな姿になる寸前。
新生。
再誕。
新たな環境に適応した個体。
「やはりお前は分かるか。俺もそう思う」
「待ってアキくん。それじゃ、さっきの炎の姿はまさか蛹になるための準備段階だったって言うの……?最初の戦いはあの竜にとっては単なる情報の集積と時間稼ぎだったって言うの!?」
「そこも含めて全てが奴ノ思惑ノ内カ………良いぞ、賢シサも又至高ノ強者ニ必要だ!!」
「喜んでる場合かおバカ!!ヤバイのが来るぞ――!!」
ぐちゃり、と粘音を立てながら、一つの塊となった溶岩の中から、この世の全ての光を無に帰すかの如き歪で巨大な漆黒の腕が這い出てきた。
後書き
リージュの攻撃時の言霊が英語からラテン語に変わりました。
より根源に近づいたてきなアレではなく単なる格好つけです。ノリです。言語関係とか誰も突っ込んでくれないですけど大体がノリです。
今回、黒竜に大ダメージを与えたように見えますが、オーネストはまったく勝ったと思っていません。自分を何度も殺しかけた相手に対するある種の信頼関係ですね。要するに今回は辺獄でしたが、次回からみんなは更なる地獄に叩き込まれることになります。
それなりに二次創作を書いてきたけど、これだけしつこくて強い敵キャラ書いたの初めてかもしれません……。
54.第四地獄・奈落底界
オーネストたちが黒竜討伐に乗り出す1週間ほど前――ミリオン・ビリオンは机に無数のアナログカウンターとギルドの魔石関連の資料を並べながら、白紙の紙にかりかりとインクで情報を書き込み続けていた。日常では不真面目な態度を取りがちな彼女も、仕事に集中している時だけは驚くほど丁寧な仕事をする。……集中できていない時は酷いものだが。
「やっぱり……理屈に合わねー」
ガネーシャ・ファミリアの研究で明らかになった魔物の行動と魔石エネルギーの費用対効果に関する論文を始めとした少ない手がかりと、魔石の運用方法、魔石による強化種作成実験の極秘資料などを読み漁った結果、ミリオンが出した結論はそれだった。
鏡の先ではミリオンの観察によって明らかになった黒竜の生態の一部、『魔物の捕食』が行われている。余りにも巨大な黒竜の捕食行動は既に狩りと呼べるものですらなく、人間が茶菓子をつまみ食いするかのように自然な動きで魔物たちは黒竜の胃袋に収まっていく。
あえて噛まずに丸呑みを選んでいるのは周囲に血液が散って無駄な痕跡を残すのを嫌っての事だろう。こと知能の高い動物にとって、自分がそこにいた痕跡を薄めることで生存率を上げる行動は突飛な事ではない。あれの消化器官がどのような仕組みになっているのかは不明だが、少なくとも撃破推奨レベル4程度の魔物では生き残れない環境であることは想像に難くない。
そして、どんなに大型で特殊な魔物でも食に関して共通していることがある。
それは『食糧庫』での補給と魔石接種の違いだ。
『食糧庫』での栄養補給とは、言うならば飲み終えた紅茶のカップにもう一度紅茶を注ぐ行為――もっと言えば人間の飲み食いと本質的に違いはないエネルギー補給行為だ。しかし魔石の接種は違う。これはエネルギーを注ぐ器――紅茶のカップそのものを拡大するような効果がある。この器の拡大は、人間でいえば成長、或いは神の恩恵を受けることに近いと言えるだろう。
そして魔物の場合、今までの変異種報告から察するに魔石接種を行った魔物は必ず外見的な変化が発生している。一番ありふれているのが色の変化であり、これまでの報告で最も多かったのが『赤化』と『黒化』だ。『赤化』は典型的な変異種の特徴であり、『黒化』に至っては発生原理が『神威』の影響であることがほぼ確定している。
(ま、確定した段階で資料の話は終了してるのがちょーっとクサいっすけどね。普通こういうのって色々と実験や観察を繰り返して発生原理まで理論立てて説明出来る段階までやってから神のダンジョン入りを停止させるモンじゃないっすか?)
ミリオンの個人的な印象からすると、判明から禁止までのスパンが異様なまでに性急だ。そのあたりの事情は偉大なる太鼓腹のロイマンが詳しいだろうと思ったビリオンは、一旦その思考を打ち切って黒竜の話に頭を戻した。
ずいぶん脱線したが、つまりミリオンが疑問に思ったことは一つだ。
「あれだけバクバク魔石食ってたらもっと外見にハデな変化が出てもおかしくないと思うんっすけどね………見た感じ、古代の目撃例も現代の外見も全然変化がないのはなんでっすか?いくらダンジョンから直接的な恩恵を受けていないからって、あの量の魔石を平らげれば絶対に体の維持を引いても余剰エネルギーが体を変異させる筈っすよね?」
余剰エネルギーは、いったいどこへ行ったのだろう。
そして、そのエネルギーは何に使われるのだろう。
結局その疑問は解消されることなく、彼女は小さな引っ掛かりを覚えたまま魔力回復ポーションを呷って監視を続行した。
その後、煮詰まった彼女の疑問を聞いたロイマンが最悪の予測を弾き出すまで、数日を要した。
そしてその予測は、奇しくも現在溶岩の蛹を破る黒い怪物を観察するオーネストと全く同じものだった。
= =
巨大な溶岩のゆりかごを破り這い出てきたのは、確かな質感を持った実体だった。腕は地面を叩き、這いずるように蠢きながら溶岩の内よりもう一方の巨腕を引きずり出す。滴る溶岩を飛び散らせながら巨大な物体が這い出てくる光景は、どうしてかグロテスクで圧倒的な光景に思えた。
リージュがその異様さに圧倒されて唾を飲み込む。ユグーは反対に神々しく神秘的な瞬間を見つめるかのように恍惚の表情で涎を垂らす。そして俺ことアズラーイルは――押し寄せる「生命」の鼓動を浴びて、手が震えていた。武者震いか、恐怖か、歓喜か、どれとも判別のつかない曖昧で感覚的な衝動が全身を支配していた。
生とは死と等価値だ。しかしあれは、あの塊から発せられる凶悪なまでの生命の鼓動は、死を押しのけて生を貫く生命賛美に満ち溢れている。死を迎えることでも永遠の束縛を彷徨うのでもなく、ただ前を見て力尽きるまで進み続ける愚直な意志。それは、ある意味で俺とは正反対の波動だったのかもしれない。
と、沈黙を引き裂くようにオーネストが口を開く。
「蝶は幼虫から蛹の姿になる際、成虫になる際に再利用できない器官が液状化して肉体の大部分が命のスープになる。そして更なる時間をかけて自身の体を再構成し、成虫になる。あいつがやったのは恐らくそれと似た事だ。この周辺の階層で魔物を喰らい、貯め込んだ魔石のエネルギーを使って自分の体を再構成したんだろう」
「完全変態だっけ、確か。若かりし頃の俺は想像を絶する変質者の事だと信じて疑わなかったよ」
「それ以上おちゃらけて俺に無駄な時間を使わせるつもりならお前の顔面を完全変態させてやろう。心配するな、今よりいい顔にしてやる。脳みその方は溶けてしまうかもしれないがな」
「………すまん、静聴するから続けてくれ」
オーネストのこちらを見る目が、絶対零度の筈のリージュの魔法より冷たく鋭く全身を突き刺す。もし視線に攻撃力があるのなら、今頃この脆い体は串刺しにされているのではなかろうか。オーネストならメンチビームで山の一つくらい吹き飛ばせそうだ……が、これ以上余計なことを考えているとリアル串刺しにされそうなので話に集中する。
「恐らく俺たちとの戦いを予測していたわけではなく、元より数千年前に設計された骨董品の体でいつまでも戦えるとは思っていなかったんだろう。だからダンジョンに潜りながらこいつは元の歪な体で騙し騙し戦いながら、自分の体を全てアストラル体に変換して自分自身を設計し直す手筈だけ整えていた」
自身の体を設計し直す、という言葉そのものがオラリオの常識や認識から大きく外れた発想だが、オーネストは当たり前のようにそれを語り、事実それは正しいのだろう。
何のことはない、あちら側の思想から考えればゲームや漫画のボスが第二第三形態を用意しているなど珍しくもないことだ。俺はそれを感覚で――そしてオーネストは感覚だけでなく理屈でも理解している。
ただ、それでも人の話をはなから聞いていないユグーを省いてリージュだけは、全く想像の外側から飛び込んできた理屈に混乱しているようだった。
それはそうだろう、と俺は思う。そもそもこの世界では魔物にまっとうな知性があること自体があまり知られていないのだ。外科手術の概念もほんの一部の医療系ファミリア以外は知らなければ、ダーウィンの進化論だって存在しない。元ある生物の形状が新たな形状に変化するという概念が確立されていないのだ。
「今の体で倒せればそれで良し、倒せなくても消耗はさせられる。そして自身の肉体を製錬する為の莫大な熱量………蒼炎を纏った黒竜は、強くなっているようで所々弱体化した部分があったな?」
「そうだな。熱はすさまじく厄介だったけど、逆を言えば熱対策さえあればむしろ最初の姿よりいなしやすかったくらいだ」
「ああ。あいつ、莫大な熱量で自身の骨格や鱗を製錬し直すついでに、余剰エネルギーで俺たちと遊んでいたのさ。新しい体を作り直している間に俺たちがくたばればこれもまた良し。勝敗がどちらに転んだにせよ、溶岩の繭に入ってしまえば狙いは達成される。なかなかに老獪じゃないか」
「――あの、アキくん。どうやって体を作り替えたのかとか、体を構成するのに熱が必要だったのかみたいな疑問は多々あるんだけど、一つだけ教えて。あの溶岩から出てこようとしている黒竜は、以前の黒竜とどう違うの?」
それは重要かつ切実な疑問だろう。次々に戦闘スタイルを変える黒竜相手ではどんな対策を取ればいいのか確信が持てない。オーネストの知識はそれに対抗しうる唯一の武器だ。オーネストはその質問に、彼にしてはすこしばかり回りくどく説明する。
「いいか、強い剣を作るには職人の腕もそうだが、いい金属とそれを溶かす超高熱の炉が必要不可欠だ。その金属が黒竜の骨格及び鱗や爪の部分。そして炉はあの灼熱――恐らく『聖灯』辺りを食い散らかして燃料にしたんだろう。どんな歪な金属も溶かして形状を作り替えれば新たな姿に生まれ変わることが出来る」
それは、つまり、そういうことなのか。
これから訪れるであろう恐ろしい未来に、俺は気が付けば自分の口を手で覆っていた。
「端的に言うと――あの黒竜は攻撃力、防御力、俊敏性などありとあらゆる能力で以前の黒竜を超えている。加えて言うと、奴は恐らく………」
言葉を遮るように、溶岩の繭から四つの巨大な槍がそり上がった。
否、槍ではない。
それは溶岩を撒き散らしながらゆっくりと重力に従ってしなり、広がり、やがて月光を覆う漆黒の天幕のようにばさりと空間を影で塗り潰す。雄々しく、巨大で、そして悪魔的なまでに鋭い4つのそれは次の瞬間、床に叩きつけるほどの威力で「羽ばたいた」。
夢を喰らう怪物が、そのまま現実へ這いずり出る。
其は邪悪と力の象徴にして、人が見た悪夢そのもの。
太古の昔、人間という種を絶望の淵に追いやり神に牙を剝こうとした伝説の怪物の、更なる先。
「……失った飛行能力を完全に取り戻している。奴は元来空の支配者――今、この空間の全てが奴の絶対的優位を保証してしまった」
独り言のように呟いたオーネストの言葉を押し潰す轟音が、空間を満たす。
『グゥゥゥウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!』
その咆哮を浴びた瞬間、俺は自分の体から魂が弾き飛ばされるような感覚に歯を食いしばった。
心の底から湧き上がるその感覚は、いったい何なのだろう。20年にも満たない刹那の刻しか生きていない俺には、それを言葉で説明することが出来ない。それでもきっと、この光景を見る全員が俺と同じ思いを抱いている確信があった。
――俺たちに、もう明日は来ない。
直後、黒竜は翼をはためかせ、ユグーへの意趣返しのように天井近くから急速降下し、その巨人のような黒脚を大地に叩きつけ、59層の分厚い岩盤が粉々に砕け散った。
「きゃあああああああッ!?」
「もっと深ク暗ク愚カシイ戦いへ、ワレを誘うカッ!!」
「な、ぁっ………でっタラメすぎんだろぉ……ッ!?」
『真空の爆弾』とは比べるのも烏滸がましいほどの衝撃に喘ぎながら、俺たちは未知未開のダンジョン60層へと叩き落された。
「いつもそうだよな、テメェは……忌々しいぐらいに少しだけ手が届かねぇ癖していつも俺を殺し損ねる。今まで互いに殺しあってきたのに、互いに殺しきることが出来なかった。だから今日は――本当に終わるまで付き合えよ」
オーネストは見下ろす黒竜にそう呟き、重力に身を委ねて60層への闇に沈む。
二度と這い上がれぬ奈落へと、堕ちるように。
= =
「うそ………」
ウォノの張った相殺結界の中から、ココたちは呆然とその光景を見つめていた。
次元の違う戦いを見つめる事さえ難しく、その場を吹き飛ばされないだけで精一杯だったココたちは目の前の光景に唖然とする他なかった。地震や地割れという言葉さえ耳に馴染のない彼らには、フロアの床が丸ごと崩落するなどオーネストとアズ以上に現実味のない光景に映っただろう。
しかし、床が抜けるのはある意味では必然だった。岩盤を粉砕しながら戦った黒竜とそれに立ち向かった4人のせいで岩盤内部には大量の亀裂が走り、更にそれに追い打ちをかけるように超高熱の蒼炎による岩盤の融解と体積の急激な変化。止めを刺したのはフィールド全体を元の温度に引き戻したリージュの『絶対零度』だ。これいによって急速な温度変化に伴う体積変化を引き起こした地盤は極限まで脆く追い詰められた。
それでも分厚いダンジョンの岩盤は形を保っていたのだが――黒竜の一点集中の叩きつけがとうとう最後の均衡を崩した。既にココたちから見えるのはただの奈落であり、底へ落ちていった黒竜とオーネストたちの姿など映らない。
本当に、ココたちには何もすることが無くなってしまった。
追いかけようにも60層に続く筈の洞窟への床は崩れ去り、空を飛べない彼らには行きつけなくなってしまっている。諦めたように首を振ったヴェルトールが、へたり込んでん大穴を覗くココの肩に手を置いた。
「もう、こうなったら外野にはどうこう言えないな。後はオーネストたちが勝って戻ってくるのを祈るだけだ」
「……………」
「元々参加させないって話だったのを、無理を言って着いてきたんだ。今更文句は言わないよな」
『イギありー!オーネストたちがシンパイだから帰りたくありませーん!!』
『異議なし、であるな。というかもう……結界の維持に力を使いすぎて……ぱわぁが……』
「お疲れさま!がんばりまちたねー、ヨシヨシ♪」
相殺結界を張りっぱなしだったためにくたびれたように肩を落とすウォノの頭を撫でてキャロラインがねぎらう。流石の彼女も子供と人形は守備範囲外なのか性的なものは感じないが、撫でるためにしゃがんでいるせいで一部の露出が余計に強調されて結局エロい。ウォノが人間だったらかなり目に毒な光景だったろう。
口惜しいけれど、もう本当に自分が出来ることはなくなってしまったのだな――と悟ったココの視界が微かに滲む。それが涙だと気付いたココは袖でごしごしと涙を拭い、立ち上がった。唯でさえ無力なのにこれ以上情けない姿を晒したら余計に惨めな気持ちになる。
「いこっか、ドナちゃん」
『ええっ、ココぉ?イイの、待ってなくて?』
「いいの。オーネストって祈りとか待つとかそーいう行動の伴わない感じのコト嫌いだし、どーせ勝ったらアズの鎖を使うなりなんなりして戻ってくるよ。それに59層レベルに長居できるほど私たち強くないから、早めに切り上げよっか」
現在のメンバーはレベル5のココにレベル4相当のドナ・ウォノ、そして正真正銘のレベル4であるヴェルトールに加えてレベル3のキャロラインという構成だ。50層レベルで絶対に通じない実力ではないが、たった5人で長期間ウロついて無事でいられる場所でもない。幸い5人にはアズ支給の鎖を持っているので町に戻る分には問題ないはずだ。
問題ない――筈だった。
「おや?もうお帰りになられるので?ぼくとしては在り難い話ですねぇ。宜しければ道を開けてもらえますか?」
にこにこと、若い男が、その場の誰にも悟られずに立っていた。
若い男だ。ココとそう変わらないかもしれない。顔立ちは童顔で親しみやすそうにも見えるが、張り付いた面のような無機質な笑みが言いようのない不安を掻き立てられる。そう、初対面で穏やかな口調なのに、その男はどこか――或いはすべてが作り物のような異質さを纏っていた。
誰が何を言うよりも前に、キャロラインが刺すような視線で男の前に立つ。
その眼には強い警戒の色が滲んでいた。
「この先、もう道がないんだよね。なのにこっちの道に何の用なの」
「いえいえ、私には空を飛ぶ方法がありますんで、ね」
「っていうかさ………おたく、冒険者とは思えないくらい軽装だよね。しかもこの階層で単独行動とか聞いたこともないんだけど?」
いつ、どこから現れたのかも知れない男は、白いシャツに茶色のジーンズを身に着け、洒落たサスペンダーが肩にかかっている。革靴と手袋を装着した姿はギルド職員のようにも見えるが、靴の使い込みと本格的な革手袋、そしてベルトに仕込まれた戦鞭らしきものがそれを否定する。
軽装すぎるのも不審だが、ここまで来て体に汚れの一つもないこともそれに拍車をかけた。普段から余裕綽綽のアズでさえ40層を超えると黒コートに汚れの一つや二つは出来るというのに、この男のシャツはまるで卸したてのように皺ひとつよっていない。
あからさまな不信の目にもかけらも動じない男は、恭しく胸元に手を置いて微笑む。
微笑むという形式にのっとった、感情のこもらない表情変化だった。
「ふふふ、こう見えて私は強いんですよ?それに一人の方が集団より逃げるのは楽なんですよねぇ」
「ふーん。ほぉーー……へぇぇぇーーー…………じゃ、最後の質問いいかな?」
「それで通してもらえるのでしたら、なんなりとお申し付けを」
それを聞いたキャロラインは――背中に背負っていた自分の槍を抜き放って男の鼻先に突き付けた。
「あんたさぁ、なんで『生き物のにおいがしない』のかなぁ?」
「生き物のにおい………で、ございますか?」
「そーよ。オスにはオスの、メスにはメスの、人間には人間特有の体臭ってもんがあんのよ。フェロモンとか汗とか口臭とか体を洗う石鹸とか身近に触れているものとか、とにかく人間には必ず生活のにおいってモンがあんの」
指摘を受けた瞬間、一瞬――ほんの一瞬だけ、青年の表情に生の感情が乗った。ほんの刹那の間に感じ取った、粘りつくように濃密な、こちらにとって不快感の塊を押し付けられたかのように受け入れがたい視線。余りにも瞬間的過ぎて形容する言葉が見つからないそれを感じた瞬間、この場の全員が確信した。
――こいつ、「敵」だ。
気が付けば、ココは剣を握っていた。ヴェルトールはジャマダハル・ダガーを、ドナとウォノはヴェルトールの意を汲み取ったようにごく自然な動きで剃刀剣と杖を、それぞれがそれぞれの戦う準備を始めていた。
「あたしってホラ、オスのにおいにビンカンだから?だから………分かるのよ、アンタからは人間のにおいがしなくてさぁ………虫の内臓をグチャグチャに掻き混ぜて発酵させたような吐き気のする汚臭がする訳よ」
「ふむ、なるほど。におい……臭いですか。それほど臭うとは誤算でしたねぇ。獣人種なら鼻のいい者は気付くかもしれないとは想定していましたが、いやまっことこれは失敗でした。次からはそれも考えて『創りませんと』、ねぇ」
瞬間、男とキャロラインの間に1M近くある巨大な蝶らしき蟲の魔物が割り込む。反射的にキャロラインは槍を振るってそれを薙ぐ。瞬間、虫の胎が破裂して強烈な悪臭を内包した液体が飛び散った。キャロラインはそれに顔色を変えて跳ね飛ぶように後方に下がり、自分の槍を見て息をのむ。
「溶けてる………カスタムとコーティングを重ねたあたしのアダマンタイト製の槍が……!」
愛用の槍の刃先が、しゅうしゅうと不気味な音をたてて飴細工のように溶けている。
もし撤退が遅れて顔に一粒でも触れていたなら――と、キャロラインは生唾を飲み込んだ。
そして、その溶解液をモロに浴びたはずの男を見て絶句した。
男の体には、溶解液どころかなにかが降りかかった痕跡さえ残っていなかった。
「えぇ、えぇ。この子『たち』の体液は『万物溶解液』という特殊な溶解液になってるんです。凄いでしょう?魔物としての能力はせいぜいが撃破推奨レベル1.5といった酷い有様なのですが、この溶解液の酸性は別格!現在検証している限りではなんと『不壊属性』を除くありとあらゆる物質を溶解させることが出来るのです!本来はもう少し先にお披露目する予定だったのですが、なんとオーネスト・ライアーとアズライール・チェンバレットを同時に始末できるチャンスかもしれないとお伺いいたしまして沢山連れてきてしまいました!!」
「おい、冗談だろ……お前ら、壁から離れろ!!」
ヴェルトールの声にはっとして壁を見たココは、思わず悲鳴を上げそうになった。
うぞうぞ、うぞうぞと――極彩色の羽を持った巨大な蝶たちが壁を這いながらこちらに近づいていた。そのすべてが、恐らく魔物。もしあれが一斉に飛び立って自分たちの下に殺到したら――。
「この先には始末したい連中がいる。貴方たちはそれを邪魔せず素直に帰っていれば何も知らずに脱出出来たのですが………まぁ、精々戦闘実験個体としてデータ収集に協力したのちに溶けて消えなさい。大丈夫、証拠は『万物溶解液』のおかげで跡形一つ残りませんので」
前方には強烈な酸の雨、後方には足場のない崩落したエリア。
前門の虎、後門の狼――いや、背水の陣。
逃げ場を失ったことで、剣を抜かずに逃げる道が途絶えた。
身命を賭する絶望的な状況。しかして、愚者の集いはそこに別の意味を見出した。
「時に皆や。黒竜とのドンパチ中にあんなもんが上から降り注いだら流石のオーネストも死ぬよな……?」
「当たり前………だよ、たぶんきっと流石に?アイツもそれ狙ってる訳だし………だとしたらさぁ、ここは友達として逃げる訳にもいかなそうだよね。どーやら私たち、まだオーネストの為に戦えるっぽいじゃん?」
「あーあ、どっちにしろ逃げ場ないんじゃしゃーないか。厳しいことこの上ない状況だけど………一丁恩の押し売りしちゃいましょっ!!」
――逃げる選択肢など、毛頭ない。
未知の敵への不安や恐怖は皆無でもないが、それを上回る覚悟が全員の武器を握る手に力を与える。
黒竜とは別次元の恐怖を内包した魔物との戦いが、オーネストたちの与り知らぬところで幕を開ける。
後書き
コキュートスにちなんで4つの地獄で終わらせるとか楽観的なことを考えてた愚か者がいたらしいです。
馬鹿ですね、きっとカルピス大好きな奴に違いありません。
55.第五地獄・天網恢界
前書き
前の投稿から20日も経ってた……申し訳ありません。
世界が灰色に見える、なんて言葉がある。
しかし実際には世界が灰色になる訳でもなく、色覚を司る細胞に常人と異なる要素がない限りはそんな光景は拝めない。つまりはただ本人の何もかもに興味を抱けない心情を表した比喩表現であり、オーネストの眼には毎日様々な色が世界に塗りたくられている。
うんざりするほどに鮮やかに、今日も世界はそこにある。昨日も一昨日も、それよりずっと前に起きたありとあらゆる人間の慟哭と末路を受け止めて、尚も何一つ変わらずにそこにある。来るなと叫んでも、この世と自分の両方が存在する限りは時間が経過すれば明日は来る。
今日も魔物を鏖殺し、周囲に後ろ指をさされ、欲しくもない憐憫を浴びせられ、獣のように飯を喰らい、腐敗した街の闇に袖を引かれ、失い、背負い、オーネスト・ライアーという連続的な存在を継続させていく。
オーネストは世界の色を失ったことはない。
だが、色を持つこの世界そのものがオーネストには疎ましく、憎かった。
なんなら時間か世界か、或いはその両方を粉微塵になるまで叩き潰してやりたい衝動にさえ駆られる。
あの日から――1日経つのも100日経つのも、1000日経つのも同じことだった。何を知り、何を経験しても心の時間はあの日を境に壊れた時計のように同じ場所を指し示し、それを見るたびに自分がその時間へ二度と戻れない事を悟らされる。もう求めるものなど本当は何もない。
それでも、この体は朽ちてはくれない。朽ちてしまえと願っても、それが受け入れられることは一度もなかった。いつも逝った存在や生きた存在がオーネストの最期の邪魔をする。呪われているかのようだ。
生きながらにして、死している。まるでゾンビのようだ。元来ゾンビとは死した肉体に魂を定着させ続けることで、死した後も動き続けなければいけないという永劫の責め苦を与える刑罰であるとする説がある。厳密な話や方法に関してはさて置いて、本質的にはゾンビとオーネストに違いはないのかもしれない。
雑多な人間が通り過ぎる大通り。賑わしい商人のセールスとファミリアの勧誘。朝っぱらから酔っ払った男とそれに絡まれる女。しょうもない武勇伝で盛り上がる貧相な冒険者。人を値踏みする不快な神………この世に存在し、オーネストの視界に映る全てがオーネストにとっては鬱陶しい。
(いっそ、本当にすべて壊してやろうか――)
もしも今、自分が腰に携える剣を本気で振り抜いたなら、少なく見積もっても50人程度は抵抗も出来ずに肉塊に変えられるだろう。2回振れば100人、2万回振れば100万人。この机上の空論ならば、オーネストが不眠不休で剣を振り続ければ数日でオラリオを完全な血の海に変えられる。
効率的に破壊するならばバベルを人口密集区に向けて倒すのもいい。もっと手っ取り早いのは、オラリオの地盤の一部を爆破してオラリオという街をその下のダンジョン内に叩き落す方法だ。これならば一度でカタがつく。或いは神共を皆殺しにし、その敵討ちだ何だと武器を取った連中を皆殺しにすれば、最終的にオラリオという街の経済システムは崩壊するだろう。完結するまでの過程でオーネストは誰かに殺されるかもしれないが、そればそれで別にいい。極論を言えば、自分の命も世界の行く末もオーネストの知ったことではないのだから。
いい加減に、うんざりしていたのだ。
この悪夢は、世界をぶち壊してしまえば覚めるのか、試してみてもいいかもしれない。
その過程で俺を罵った男を斬り、俺を守ろうとする女を斬り、何も知らない子供を斬り、斬り、斬り、斬り、斬り、斬り――
「ちょいとそこの外人さん……聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「――あ?」
意識の外から唐突に聞こえた間抜けな声に、オーネストは首を向けた。
珍しい、と思う。他人が自分に話しかけてくることもそうだが、そんな声に耳を傾けるという行為をしたのがひどく久しぶりの事のように思える。自分がこんな反応をすることが、オーネストにとっては珍しかった。
そして、もっと珍しいものをオーネストは見ることになる。
「ケータイ落っことしちゃったせいで迷子なんだけど、交番って近くにある?」
オーネストはその質問にしばし沈黙し、目頭を押さえて呻き、思った。
オラリオの共通語ではない、はるか昔に聞いたことのある言語――日本語。
そしてケータイという言葉に交番とくれば、日本人ならば何を言っているのか理解できる。
何でオラリオに地球人の、しかも日本人がいるんだ。そう突っ込もうとしたが、オーネストはそれよりまず目の前のどこか頼りない印象がある男に現状を理解してもらうことが先決だと考えた。単なる迷い人ならば知ったことではないが、これは、初めてのパターンだった。
「……………この世界に携帯電話の概念はない。故に電波中継設備も携帯電話を開発する会社もない。更に言うとここは法治国家ではないし警察もいないので交番は存在しない」
「えぇー………ないわー。目が覚めたら異世界とかマンガだわー……」
頼りなさそうな男はあからさまに脱力した表情で溜息を吐いた。
男には今知り合いがいない。食料がない。社会的な立場もない。この世界の金も教養も当然ない。
確信できるが、今現在この男の事情を知ったうえでアドバイスをしてやれるのはオーネストぐらいしかいないだろう。
オラリオを滅ぼそうかと考えた矢先のこれだ。今回も世界は俺を破滅から遠ざけたかったのか、訳の分からない男を引き寄せたらしい。しかし、この世界に生まれて16年………こんなことが起きる日が来る可能性は完全に失念していた。
『生まれる前の俺』と同じ世界にいたかもしれない男――そう考えると、不思議な縁を感じない訳でもない。
「………んん?つかぬことをお聞きしますが外人さん。アンタ日本語分かるの?というか俺の言ってる事理解できたうえで完璧な対応したよね?まさか――」
「話せば長くなりそうだな………ついてこい、お前の知りたいことくらいは教えてやる」
「マジか!そんじゃお言葉に甘えて知識をご教授させてもらいますかね!」
「あと、俺は騒がしいのは嫌いだ」
「おっけー」
その一言で何かを察した男は、周囲を物珍しそうに見つめこそするものの、それについてオーネストに質問したり喧しい感嘆詞を口にすることもなくなった。初対面でここまで物分かりのいい男も珍しい、と思いながら、オーネストはその男を引き連れて自らの屋敷へと向かった。
思えばそれが、俺の苛立たしい毎日に一石を投じた最初の出来事。
「異世界漂流記とか書いてみようかな。『トンネルを抜けると、そこはオラリオだった』……」
「『雪国』のパクリかよ。こんな世界にきてまで川端康成の力を借りようとするな」
『オーネスト・ライアー』が初めて持った、友達だった。
(……あれから、2年か。この余裕のない非常時に言うのもなんだが、俺はこいつの世話を焼きっぱなしの気がするな)
黒竜の放った攻撃で地盤滑落に巻き込まれたオーネストが真っ先に発見したのが、体が半分瓦礫に埋まっているアズライールだった。滑落のダメージからはまだ完全に立ち直っていないのか、周囲の状況を把握しようと顔を動かしては砂埃にむせてまったく把握できていない。
『死望忌願』でも使ってさっさと立ち上がればいいだろうに、とも思ったが、よく見ると瓦礫の重量を押しのけるために『死望忌願』がアシストをしている結果、そこまで手を回していないらしい。どうしてここまで間抜けなのかと頭をかいたが、そういえばアズライールの戦闘指導は実質的に自分がしていたことを思い出して溜息を吐き出す。
(それでもやりようはあるだろうに……いや、魂を削りすぎて本能的に力をキープしているのもあるな。それを踏まえてもこれは無様だが)
もしも二人とも生きて事を終えたら、アズにもう少し力の使い方を考えさせるのもいいかもしれない。そんなことを考えながら、オーネストはアズライールの手を引いた。
= =
無数の瓦礫と砂埃に奪われた視界を取り戻すように身を捩っていると、突然手を掴まれて強引に引き上げられた。反動でどうやら半分ほど埋まっていたらしい体が瓦礫を押しのけて外に出る。冒険者歴2年のバランス感覚は意外と優秀だったらしく、俺の体はグラグラと揺れる足場の上でも難なく姿勢を取り戻した。
「さんきゅ、オーネスト………」
「感謝する必要はない。寝たままくたばった方が楽だったと思える現実が待っている」
「悪いが眠るような安らかな死には期待してないよ。俺の死に場所は俺が決める。お前もそうだろ?だから感謝は必要だ」
「そうか、なら勝手にしろ」
「相変わらず会話になんねぇヤツ……」
愚痴っている訳でも気にしている訳でもない。こんな時でもオーネストがオーネストだと再認識できることに意義を見出しているというか、そんな男とつるんでいる俺自身が未だ俺であることの相互確認というか。ともかく、そのようなものだ。
会話を続ける俺たちの真上から、万象を押し潰さんとするかのような滅気が降り注ぐ。それを浴びただけで自分の魂がぐちゅりと潰れてしまいそうな錯覚を覚える重圧に抵抗するように、俺は真上を見上げた。
砂埃はまだ残っているが、その埃を散らす大胆なまでの翼のはためきが奴の姿をより鮮明にしていた。
黒き古の戦士の再臨を歓迎しているかのよう、嵐に匹敵する風が吹き荒ぶ。
それは、獣の次元を超えた威光さえ感じる雄姿。自らの肉体を再構成しても尚片側しか開かぬ深紅の眼は、空の王の威厳と矜持を示すように一点の曇りすらない。
――控えよ人間、愚かなる神族の劣化模造品よ。
――空の主、風の母、炎の申し子……『天の王』の御前である。
――羽を持たぬ劣悪種よ。跪き、泣き叫んで命乞いをしろ。
――それが、それだけが貴様らに残された最後の『権利』だ。
――これから起こるのは略奪でも簒奪でも、まして悲劇や不幸ですらない。
――あるべき場所に舞い戻った絶対者が、あるべきことを行い、あるべき結果が残る。
――故に。
――貴様らがここで死に絶え、その魂の煌きを失うは、必然なり。
やはり、勘違いではないようだ。
加速する心臓の鼓動と脂汗。反射的に握っていた鎖が、ほんの微かにカチカチと音を立てている。それは風の影響でもあり、別の要因でもあった。俺の中の『死』が、あれがそうだと囁いている。
2年間……たった2年間、俺は自分の死が訪れるまでのロスタイムの中で安楽に生きてきた。生への旅路に死を引きずって、それが来る日を待っていた。
そうか、こいつがそうなのだ。
俺を終わらせる存在で、連続する俺の今日に終止符を打つ存在なのだ。
しかし、違う。
それは今日、ここに来てはいけないものだ。
俺はなんて馬鹿な男なんだ、と自嘲する。
自分が死ぬことなど織り込み済みの人生なのだから、明日など来なくともまるで構わないと思っているのも事実。なのに、今、俺は心のどこかであれを拒絶した。
誰かがいつか、何かの理由で死ぬのは自然なことだ。
死なないというのは、生がない――すなわち、もう生きてはいないという事なのだから。
だから、ここで死ぬのが宿世というならここで死ぬのが人生の道理だ。
でも、それでも――。
「………悪い、『死望忌願』。お前の力、抗うために使わせてくれ」
『――יחד עמך』
俺は、オーネストと二人なら勝てない敵はないと思っている。これは自惚れだが、本気だ。
だから、俺とオーネストのどちらかが欠ければこの天を舞う黒竜に勝つことはできない。
何故なら、あれに勝つのはきっと『不可能』に類する絶対的な存在だから。
俺は、オーネストと一緒にこいつを倒したい。
生き残ってまた馬鹿な会話をしたい。
友達が死ぬという事実を、俺は何が何でも実現させたくない。
オーネスト、お前はまだまだ生きるべきだ。
生きて世界を歩き続け、いつかどこか――お前が救われる場所に辿り着くべきだ。
それが俺の、お前の意見などまるで無視した一方的で勝手な願望。
反論もなにも聞いていない、お前を生かすという俺の決定事項。
「やるぞ、友達」
「アズ、お前に一言言っておきたいことがあった」
「……こんな時にいきなりなんだよ」
黒竜を見上げるオーネストの表情は見えないが、俺はオーネストが何かを明確に俺に伝えようとしている気がした。オーネストの「聞いてほしい」という言葉になっていない意志が、俺とオーネストの周囲に流れる時を一瞬だけ止まった気がした。
「俺は、ときどきこう思うんだ。……――」
オーネストの口が動こうとしたその瞬間――止まった俺たちの時を引き裂く衝撃波がダンジョン第60層に絨毯爆撃のように降り注いだ。
俺がオーネストの口からその言葉を正しく聞き取れたのは――それからずっとずっと後の事。
= =
ちゃりん、と足元で音がしたのを聞き、リリルカ・アーデは朝食のハムパンを食べ歩く足を止めた。
音の正体を探る視線が足元に注がれ、原因を探る。音の正体はあっさりと見つかった。リリは食べかけだったハムパンの残りを素早く口に頬張り、ハムスターのように頬を膨らませながら原因を拾い上げた。
今は人の体温程度に暖められた、金属らしき鈍色の連なり。持ち上げるとじゃらら、と小さな摩擦音を立てたそれは、リリがアズに受け取って以来腕に巻き付けっぱなしだった鎖だった。
「………?」
ハムパンの残党を飲み込みながら、思わず首をかしげる。この鎖は金属とは思えないほど肌にフィットし、決して締め付け過ぎず、かといって緩み過ぎない絶妙の幅を常に保って腕に収まっていた。そういう不思議な鎖であることはアズの言動からなんとなく悟っていたし、これまで無意識に取り落としたことなど一度もない。
なぜ急に外れたのだろうか――?疑問に思いつつも鎖を改めて腕に巻こうとしたリリは、やや間を置いてもう一つの事実に気付かされた。
「あれ、鎖が綻んでる………?おかしいなぁ、これ不壊属性一歩手前の強度だって触れ込みだったんだけど……」
鎖の一部がひん曲がり、ブレスレットとしての機能を果たせなくなっている。最近は日常を穏やかに過ごしているリリにはこの鎖が壊れるような荒事に出くわした記憶はないし、まして自分で壊すような真似もしていない。そもそも、この鎖はそんじょそこらの破壊方法では傷も碌につかない代物だ。壊れる理由が分からない。
ううん、と唸り、ふとある可能性に思い当たる。
この鎖はアズの魂が源になっているというのをいつか聞いた。だから鎖に何かあったのだとしたら、それはアズの魂に何かが起きているからかもしれない。例えばダンジョン内で――そう考えかけたリリは、はっとしてぶんぶんと頭を左右に振った。
(アズ様が負けたりケガしたりする筈ない……だってアズ様はリリなんかと違っていつも強いんだから。だからあと何日かしたらいつもの緩い笑顔でリリたちのところに戻ってくる)
ほんの少しだけ脳裏を過った不吉な想像を頭から追い払い、リリは鎖をぎゅっと握りしめた。
「でもやっぱりちょっと心配だから………この鎖に祈ったら、アズ様に通じるかな………?」
あまり宗教に関心がなかったリリが辛うじて覚えている、小人族の神への信仰方法――鎖を両手で包むように指を組み合わせて顔の前に持ってきたリリは、静かに頭を垂れて祈りを捧げた。
神に届かなくともいい。
神よりよほど大事な存在の為に、祈るのだ。
ただ、無事でいてほしい人に届きさえすれば――。
= =
「――に渡す余――……まの俺たちにあると思って……――!?」
薄れる意識、断続的に降り注ぐ途切れ途切れの言語。
「そんなこ……――、……まじゃ本当に死ん――!!見捨て……――!?」
霞んだ記憶と、もっと霞んで半分真っ黒に染まった視界。
「――で俺たちが争――……、……は本当に手遅れになっちま……――!!」
体を流れ落ちる冷たいなにかと、体を流れ落ちる熱いなにかが混ざり合ったものが背中を濡らす。
「だったらおま……―――よ!!――魔になるなら………くぞ!!――………っていられ――!!」
声を出そうと息を漏らしても、小さくかひゅっと音が鳴るばかり。
『………閣府は自衛………決定しま――……依然強風と氾…………――無事を願うばかり………』
立ち上がろうと思って動かした脚には、何の感覚もなくて――
『――あなたは、まだそちらに行くべきではありません』
子供のような姿の誰かの声が、俺の魂を引き戻した。
意識が、浮上した。
寝ぼけているような現実味のない眼を開けた俺は、しかし直後にこれが今という現実であることを否応なしに思い知らされる。
「ぁ……あぐううううッ!?……ごっ、……がふっ!!がはぁッ!?」
突然全身を襲うように現れた激痛に悶絶し、激しく咳込む。口から胃液交じりの血が漏れたことを悟った俺は、不快感を無視して濃縮ポーションを無理やり自分の喉に押し込んだ。全身が炙られるようなもどかしい不快感と引き換えに、それ以上俺の口から血が吐き出されることはなくなった。
シュウシュウと痒みにも似た異質な感覚が腕や腹を包む。ポーションで急速に傷が治癒されているときの感触だ。この感触から察するに、腕はもちろん内臓にも傷が入っていたらしい。あの激痛の中で咄嗟にポーションを取り出して飲む選択が出来たのは、冒険者としての本能が故だろう。
呼吸を整えて周囲を見渡そうとして――悪寒。咄嗟に地面に転がりながらその場を離れた瞬間、ギュバァッ!!とすさまじい音を立てて地面が大きく『縦に割れた』。その切れ目の深さは、天井からの光源が底に届かない程だ。
生命を喪う虚無の予感はまだ消えていない。俺は咄嗟に『死望忌願』にありったけの力を注いで大量の鎖を出鱈目に上方に展開した。ギュガガガガガガガガッッ!!と凄まじい衝撃が降り注ぎ、出鱈目に飛び狂う鎖たちに衝突しては拡散されていく。が、咄嗟の展開だったこともあって防ぎきれず、衝撃は無数真空の刃となってアズの下に降り注ぐ。
「ぐうっ……!!」
ブシュウッ、と手足や肩から鮮血が噴出した。まだポーションの効能が残っていたために傷口は何とか塞がるが、今の攻撃で俺はやっと衝撃波が何なのかを理解できた。
「なるほどこいつは――真空の爆弾じゃなくて真空の刃って訳かッ!!」
直撃を受ければ、恐らくは脳天から一刀両断。ここれまでの莫大な運動エネルギーを出鱈目に放ってくるのとはわけが違う、極限まで研ぎ澄まされた「コンパクトな」破壊力こそが、降り注いだ斬撃の正体だった。
『グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
上方に未だ王者然と君臨する天黒竜が2対の翼のうち後方から生えた翼をはためかせた。羽の淵から生え揃った夥しく鋭角な棘が空気を切り裂き、それが無数の刃の雨となって地表に降り注ぐ。
大気をゆがめたように不自然に空間を歪ませた突風に刃の攻撃範囲は、悪夢のように広範囲だった。味方3人が今どこで何をしているのかは分からないが、確実に、庇う余裕が存在しない。素早く武器を『断罪之鎌』に切り替えて地面を抉り飛ばすように下から一閃。縦一閃に裂かれた真空の刃が俺の左右に着弾し、鋭い切断音と共に地面を深く穿つ。
『断罪之鎌』の本質はイデアの両断。衝撃波はその形が崩れても衝撃波のままだが、真空の刃とは言葉で形容するほど単純な現象ではない。拮抗が崩れればその威力はただの衝撃波にまで減退する。
しかし――降り注ぐ斬撃の数が多すぎる。一羽ばたきにつき左右合わせて六十近い空気のギロチンは、もし万が一多数集団に浴びせられたら最悪だろう。守ってくれるはずの仲間が邪魔で回避という選択が取れず、サイコロステーキのようにバラバラに切り裂かれてしまう。
『――氷造、集槍降雨ッ!!』
と、斬撃の合間に別の場所から透き通る凛とした声が響き、虚空を無数の氷の突撃槍が乱れ飛ぶ。リージュの魔法による攻撃だ。彼女は無事らしい。……オーネストもどうせ無事だし、ユグーに関しては心配もしていないけれど。
黒竜はその巨体――いや、よく見れば最初の形態よりスリムになっている気もする――を翼によって驚くほど軽やかに動かし、氷の槍の集中砲火を避けて見せる。先読みして狙った氷さえ自在な急停止、急加速などの三次元的機動で一発も当たらずに掻い潜っている。
外れた槍がダンジョンの壁に衝突して巨大な氷柱を生やす。あの氷の槍の中に、大型魔物さえ一撃で冷凍させるほどの冷気を詰め込んでいるらしい。オーネストの策の関係か力の使い方が恐ろしく緻密で柔軟になっているらしいが、黒竜の空戦経験がどうやら一枚も二枚も上手らしい。避けられた氷が空しく壁に着弾し続け、巨大な氷柱の列が蛇のようにうねる。
直後、もう動きは見切ったとばかりに黒竜は前の羽を空間ごと押し出すように羽ばたかせ、飛来する氷槍そのものを強引に風で吹き飛ばした。行き場を失った槍が地面に降り注ぎ、無数の氷柱がせりあがる。
間髪入れず、黒竜の灰が膨らみ、振り下ろされるような首から光学兵器染みた灼熱のブレスが地面に降り注ぐ。紙に落書きするようにブレスが地面を薙ぎ払い、直撃した場所が一瞬で融解して溶岩の道になる。
肌を焼く熱風から辛うじて逃れながら、俺は冴えない頭を限界まで回転させる。
(………相手は上からブレス・真空の刃・その気になれば飛び蹴りだの真空爆弾だのなんでも落としてこれる。対して俺たちは下から上へ豆鉄砲みたいな攻撃を撃つばかり。おまけに向こうは回避能力がバカ高いから並の攻撃じゃ当たらないし、あの鱗の強度も最初以上に上がっている)
地形的な優位は黒竜にある。
総合攻撃力の高さや攻撃範囲の広さもあちらにある。
機動力も明らかに今まで以上に上がっている。
おまけに魔物とは思えない学習能力。
魔力量、スタミナ、実戦経験、考えうるあらゆる要素がこちらにとって不利――いや、いっそ絶望的な差を指し示している。
今まで魔物にだけは然程苦戦してこなかった人生で初めて――俺は、平均的な冒険者が味わう絶望というものをその身に受け、呻いた。
「おいおい………こいつ、どこに勝つ隙があるんだよ………っ!?」
このままでは――本当に、俺たちは終焉を向かえる。
なのに、それを回避する方法がない。
何故なら『俺たちはあの黒竜に立ち向かうには、余りに無力だから』。
逃げ場も希望も未来も破壊し尽くす、凄惨な一鬼夜行の幕が開く。
汝、三途の灯に照らされ、四肢を捥がれ、五臓六腑を撒き散らし、七難八苦に蹂躙されよ。
後書き
ちなみに七難と八苦はどちらも元は仏教語。二つ合わせるとおおよそ人間が生きているが故に味わうであろうあらゆる苦しみを内包します。この四字熟語、世間の想像以上に過酷な意味を持っているのかもしれません。
オーネストとアズを本気で追い詰めるために、私も本気で殺しに行きます。
外伝 煩雑な日常4連発
前書き
突然ですが、地獄の連打の合間の息抜きとしてここに外伝を入れます。
① ふたりとわんころり。
オラリオという街は、中央や賑わっているエリアに限って言えば非常によく整備されている。下水道は完備なので中世ヨーロッパのように道路や川が糞尿パラダイスになっていることもないし、夜になると魔石灯が犯罪の温床となる暗闇に睨みを利かせる。無論それは賑わっていないエリアになると所々怪しい部分はあるが、それでも一定の水準は保っている。
そして、そのように良く整備された街では野良犬や野良猫がウロウロしていることが少ない。野生生物は糞尿悪臭、住民を襲う凶暴性、器物の破損に盗難など様々な害を及ぼす。それが人間の勝手な都合によって勝手に「害」に分類されたのではないかという話はさておき、本当にオラリオには動物が少ない。
もちろんガネーシャ・ファミリアには魔物以外の動物がいたりするし、畜産関係のファミリアは自分の土地に牧場を持っていることもある。或いは、とにかく動物が大好きで世界中の動物を集めては自分のファミリアにしているという極まった変神も存在したりするが………蛇足はそこそこに、アズは目の前のそれを見つめた。
「わうっ!!」
「………犬だな」
「ベルジアンシェパードドッグマリノア……ベルギー原産の牧羊犬だな。尤もこの世界では確かマノーリャと呼ばれているが。オラリオとは違う大陸の犬だが、物の覚えが早いことから大分輸出されていると聞いたことがある」
しゃがみこんで犬を眺めていると、後ろからオーネストの補足が入った。よく一度見ただけで犬の種類が判別できるな、と感心する。いや、それ以前に彼は十数年前からこの世界で生きて来たのによく前の世界の犬の種類を正確に覚えているものだ。実は適当に言っていました、なんてのはベタなお約束だが、この男がそんな適当なことを言うような茶目っ気を持っている訳がないのでその名前で正解なのだろう。可愛げの「か」の字もない男である。
「物覚えが早いねぇ……お手!」
「がうっ!!」
かぷり、と差し出した手のひらに鋭い牙が突き刺さり、アズは悶絶した。
「~~~~~ッ!!ち、ちょっとしたジョークだからそんなに怒るなよぉ……」
「馬鹿、違う。お前の死の気配を警戒して自棄になってるだけだ」
言われて犬を見てみると、ぐるるる……と唸ってはいるものの、さっきの威勢はどこへやら少しへっぴり腰になっている。そんなにビビらなくても取って食ったりしないのに、とアズはなるべく優しい口調で犬に最接近した。
「ぷるぷる。ぼくこわいてんしじゃないよ?」
「きゃうんっ!?」
「逆効果じゃねえか。脳みそぷるぷるゼラチン質なのかお前は?」
駄目だった。むしろさっきより警戒されながらビビられている。
そういえば昔からアズは動物と仲良くなった試しがない。ケガしたスズメを看病した時には散々手のひらをつつかれ、近所の人懐こいと評判の猫には触った瞬間に引っかかれ、ハムスターに至ってはとうとう触る事すらできずに逃走された。加えて今は『死望忌願』まであるのだから、もう一生動物に好かれそうにない。
「……しかしアレだな。この犬って野良か?オラリオって飼い犬に首輪つける文化とかある?」
「一定以上の大きさの動物を飼う場合はギルドによって目印をつけることが義務付けられている。何も身に着けていないところを見ると、捨て犬か何らかの理由で元の飼い主から離れたか……」
そう言いながらオーネストは犬に近づいて手を差し出す。
「噛まれるぞー」
「噛んだら殺すだけだ」
ごく自然な、そしてきっと本気の殺害宣告。
その一言を聞いた瞬間、犬は突然警戒を解いて忠犬の如くびしりとしたお座りの姿でオーネストを迎え入れる。オーネストは何事もなかったかのように犬の頭を指先で軽く撫でる。
「ふむ、毛並みも肉付きも悪くはないな。人と行動を共にした経験もありそうだ………そういえば『新聞連合』の連中が伝書犬を探してたな。頭はそれなりにいいようだし、暇潰しがてら預けてみるか?」
「…………………」
オーネストの気まぐれをよそにアズが思い出していたのは、昔に読んだ世紀末漫画での暗殺者の性質の話。剛力で覇道をいく兄に対して虎は死を覚悟して飛び込んだが、弟の際は襲わず大人しくしていた。これは暗殺者としての性質を表す試練であり、静かに敵を屠れる後者こそが暗殺者として優れているということらしい。
(……………俺がラオウタイプなの?どう考えてもオーネストがラオウタイプだよね?暴力万歳世紀末タフボーイだよね?なんでそいつの方が俺より動物に受け入れられるんだよ?)
なんだろう、ひどく釈然としない胸の突っかかりは。
犬の首の下まで撫でるオーネストを見ながら、アズは密かにこの親友の矛盾した性質にツッコんだ。
② THE ☆ 壊滅的食生活
「あの、アズ様………」
「ん?なーに?」
日が暮れてバベルが深く長い影を落とすオラリオのとある屋敷で、自称メイドとなったメリージアは口の端をひくひくさせながら、言葉を続ける。
「さっきからもそもそ食ってるその粗末なジャンクフードが、まさかアズ様の夕餉だなんて言わねーですよね?」
「え、まさにその通りだけど?」
「アタシの記憶が正しければ、朝飯は食ってねぇでしたよね?昼には何を食い漁ったんで?」
「メリージアの言う粗末なジャンクフードことじゃが丸くんだけど?」
ジャガイモをこねて油で揚げただけで何の栄養バランス的価値も感じられない単なる炭水化物の塊を1日2回、1度に3つ。それがアズの由緒正しい基本的な食事スタイルらしい。数か月に及ぶメイド修行で食事の何たるかを叩き込まれたメリージアにとってその食事方法は控えめに見てもクソの類である。
そして、そんなアズを上回るウルトラ問題児がその奥でコップを傾けている。
「で、オーネスト様は夕餉に何を食い散らかすんで?」
「なにも」
「…………は?」
「だから、食うのが億劫だから食わんと言っている。水で十分だ」
自分の胃袋や肉体に対して何の迷いも呵責もなく仙人のような苦行を強いる変態がいた。栄養という概念そのものを覆しかねない革命的な発想だが、やっぱりメリージアから見たらクソの類である。
「………料理は?」
「ヒマなときに、不定期に。あとたまに外食とか、友達に奢って貰ったり?週1度あるかないかってなペースだね」
「オーネスト様、普段も物を口にしていなかったりします?」
「最近あまり食欲がなくてな。3か月中2か月半は水で済ませている」
「へえ。ほお。ふーん。そうかそうかそうですか…………………も少しまともなメシ食いやがれ粗食通り越して貧食の馬鹿共がぁぁぁああああーーーーーーーッ!!!」
――後にも先にもあんなにメリージアにブチギレられたのはあの時だけだった、と後にアズは語る。
その日から三日間、アズとオーネストは胃袋が破裂するのではなかろうかという量の食事を毎日3食取らされて暫くダンジョンに潜れなくなったという。なお、それ以降の二人は比較的規則正しい食生活を送っているが、やっぱり二人ともメリージアの目を盗んで貧食をやっているらしい。
………勿論バレるとメリージアの愛と栄養とボリューム満点の豪勢な食事ラッシュが待っており、お残しの許されない膨大な食糧との持久戦が開始される。
普通に食っていればいいもの、懲りない馬鹿共である。
なお、メリージアが屋敷で食事を作り始めた数か月後にオーネストの食欲不振の原因が味覚障害だったことが発覚し、アズが推定レベル7と目される最大のきっかけとなった『バベルの籠城事件』が勃発していたりするが……連日ダンジョンで暴れまわっていたオーネストがあの食事量のどこから必要カロリーを捻出していたのかは未だに解明されていない。
③ファッションチェックするわよ!
オーネストの屋敷は昔から襲撃者対策用の様々な防犯装置が設置されている。これはオーネストがこしらえたものではなく、元々この屋敷にあったものらしい。とはいってもその性質はブービートラップのような攻撃的なものではなく、むしろ防壁や隠し通路の類が多い。つまり、迂闊に触ったら怪我をするほど危険なものはない。
しかし、隠し通路というのは悪意ある人間に利用されると厄介な場合もある。
例えばヴェルトールに「顔だけ美人の性欲獣」だの「万年発情変態生物」だのと散々な二つ名をつけられ、それが何一つ間違っていない夜這い大好き女とか。
「ハァイ、アズー!アタシと一夜のアバンチュールしなぁい?」
アズの寝室にある隠し扉から唐突に現れたキャロラインの第一声がこれである。
その服装は見る人が見れば興奮で眠れなくなるほど大胆で扇情的姿なのだが、生憎とこれから穏やかな睡眠に誘われんとしていたパジャマ姿のアズの心には何一つ響かない。フレイヤを目の前にしても欠片も心が動かなかった仙人が相手では分が悪いというものである。
「俺眠いんだけど」
「なら別に寝てもいいわよ!寝たままの相手とヤるっていうのも背徳的で興奮するしっ!」
「………鎖で踏んじばって外に放り出そうか?」
「緊縛がお好みか・し・ら?」
「……………………」
アズはしみじみと思った。変態とはこんなにも面倒くさい生物なんだなぁ、と。
寝込みを襲われても困るなぁ、と思ったアズは体にかかっていた毛布をどけてこの迷惑な客に真面目に応対することにした。こんな時でも相手を責めずに真っ向から向かい合う姿勢は、ある意味聖人である。
「ま、いいか。ヒマだってんならなんか飲み物出すよ。ホットミルク好き?」
「白濁したものは基本的に何でも好きよ!!」
「ふーん。甘酒とかヨーグルトとかおかゆとか?」
「や、そういう意味と違うんだけど……というかおかゆは飲み物じゃなくない?」
「カレーだって飲み物なんだ。ごはんだって飲み物さ」
「かれえって何よ?魚?というか白濁したものが好きってそういう事じゃないんだけど……」
「そっかーこっちの世界にはカレー普及してないんか。これは明日から暫く類似料理を捜索しないとなぁ。オーネストなら案外なんか知ってるかも……あ、ところでドスケベさんってスパイス系で辛いの大丈夫?」
「アタシが言うのもなんだけど、あんたと喋ってると時々ため息が出るわ……」
キャロラインはしみじみと思った。この世にはこんなにもからかい甲斐のない男がいるのか、と。
………それはそれで落とし甲斐があってイイかも、とも。彼女もなかなかに懲りない人である。
ちなみにドスケベさんというのはアズがキャロラインに付けた仇名であり、その名に至るまでにちょっとした小話があったりするのだが……今回の話とは関係がないので割愛させてもらう。
ミルクを淹れに行くオーネストを尻目に、キャロラインは暇つぶしがてらアズの私物を漁り始めた。男もプライベートも漁る事に躊躇いはないようだが、他人が見れば唯の泥棒である。あわよくば春画の1枚でも出てくれば盛り上がるのだが、生憎と棚の中に仕舞われたアズの私物はどこまでも健全な類の物だった。
魔石やドロップを入れるための年季が入ったバックパックは少しばかり埃を被っている。その近くにあるのは見る人が見れば大枚をはたいてでも欲しがるダンジョンの貴重なドロップアイテムたち。ただしその大半は何らかの薬の原料になるものと見た目が美しいだけの嗜好品であり、武器の材料になるようなものは極端に少ない。恐らく物珍しさのコレクションと、趣味の薬づくりに使うマテリアルといった所だろう。
横の棚は物置のようだ。魔物の調教用に使うような大きな首輪(端っこに「アズ♡ロキ 愛の合作」と書いてある)、金属製のトランプ(イロカネ製のアレ)、用途のよくわからないからくり仕掛けのアイテム、高価かつ趣味的なマジックアイテム……数としては多くなく、棚を埋め尽くすほどには詰まっていない。暇を持て余したアズがフーあたりと一緒に作ったりコレクションしたものだろう。
なかなか興味を惹かれる物が出てこないなぁ、と思いながらさらに隣のクローゼットを開いたキャロラインは、そこでぴたりと体を停止させた。
――黒い。クローゼットの中にハンガー掛けで吊るされる寸法もデザインも完全に一致した真っ黒な上質のコートが、十数着にも及んでそこに鎮座していた。どれほど探してもクローゼット内は漆黒に包まれており、他の上着が唯の一着も存在しない。
「え?なにこれ………いやマジでなにこれ?」
クローゼットとはかくも黒き物だったろうか。それともこれはあくまで仕事服のストック的なアレであり、私服は別にあるのだろうか。………キャロラインの記憶が正しければ、アズと彼女が出会ってから彼が黒コートを身に着けていなかった日はない。晴れの日も雨の日も戦いの日も昼寝の日も、絶対に脱がない訳ではないものの完全に身に着けていなかった日がない。
――参考までに、『ゴーストフ・ファミリア』でも色々と標準的な方であるガウルが持っている私服は上着だけで6、7着。正装もあれば薄手、厚手など季節で変えるものもあるので同じ上着を持っていることなどない。ちなみにキャロラインは上着だけで100着以上持っていたりするが、それは彼女のお洒落に対する並々ならぬ情熱のなせる業であり、標準的な男性冒険者ならガウルと同じ程度の上着量だろう。
「おーいミルク持ってきたよー………ってなに人の荷物物色してんの?パクるなら何をパクるか先に申告してからにしてねー」
「あのさ、アズ。なんでアンタのクローゼットの中には黒いコートしか入ってないワケ?黒コート専門の店でも開く予定なの?これ全部同じ奴だよね?」
「全部じゃないよ。手前二つはそうだけど、他は耐火祝福済、耐水加工済、超密繊維入り、薬剤系の作業用、風通しのいい特殊素材、荒事なしのお外行き用、冠婚葬祭用……って感じにそれぞれ性質が違うんだよ」
「へーそうなんだー…………って判んないから!穴が開くほど見比べても違いが全然判んないから!むしろアンタが見分けつかないでしょ!?」
「大丈夫、だいたい服の纏う雰囲気で分かる!」
「いやいやいやいや判るかぁいっ!!アンタ本当に仙人なんじゃないの!?」
試しに作業用と冠婚葬祭用をクローゼットから取り出して見比べるキャロラインだが、いくら見比べてもその違いがまったく分からない。人並み以上に五感の優れた彼女でさえ違いが見破れないとなるとプロの鑑定士レベルの人間を呼ばないと違いを看破するのは不可能だろう。
「何故!?何故変質的なまでに黒コートオンリーのパーティ編成なのよ!?」
「いやーオラリオ来たての頃に『オシラガミ・ファミリア』のキャッチセールスに捕まって買ってみたら意外と気に入っちゃってさ。それに死神っぽい雰囲気にマッチしてるから丁度いいかなーと思って」
「丁度良く無くない!?クローゼットの中を見る限り限界突破してるよね!?明らかにここまで同一デザインで揃える必要性ないよね!?」
こいつ、どこまで本気なのだろうか。もう夜這いとかホットミルクとか考えていたことが色々と吹っ飛んでしまったキャロラインであった。
数日後、アズのクローゼットにキャロラインのプレゼントとして白いコートが贈られたのだが、それを着てみたアズをオーネストは見るなり「死装束にしか見えん」とバッサリ両断。以来アズは若干名残惜しそうに白のコートを棚の奥に仕舞い込んでしまったという。
④ 過去を背負って
その日、『豊穣の女主人』の一角がいつも以上に微妙な空気を醸し出していた。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
無言第一号、別名「静かなる暴君」……というか形容する二つ名が多すぎて定期的に「二つ名認定会議」が開催されているらしいが本人はそんな事は知ったことではない男、オーネスト。普段は必ずアズと相席で食事をするオーネストなのだが、今日彼のテーブルにはアズがいない。その理由は店の端っこでアズがロキと一緒にオクラホマミキサーを踊っていることが原因だろう。
「あれ、ロキたんなんかステップの仕方違うくない?」
「いやいやアズにゃんの足が長すぎんねんて。ホレ見てみ?これ。ナイフ一本分は違うで?ほんまええ足しとるわー」
「って言いながら脇擽るのやめてくんない!?普通にくすぐったいから!ちくしょうこうなったら仕返しだ!!」
「わひゃひゃひゃひゃひゃ!?む、剥き出しの横腹をコチョコチョとは卑怯やろひきょ……ひゃわあっ!?もーあかんてアズにゃん!ウチ以外にやったらセクハラやで!!」
「ロキたん以外にこんなこと出来る相手いないよー!」
「ウチもこーゆーセクハラ許してくれるんアズにゃんしかおらんでー!」
「「えっへへへへ~♪」」
何をやっているのだあの阿呆二人は。オラリオ中見渡してもあそこまで神と仲がいい馬鹿も、その馬鹿に付き合う馬鹿も珍しい。勇名轟かす『ロキ・ファミリア』の面々もあまりにヒドイ主神の姿にあっけにとられ、リヴェリアに至っては無表情で辞表を書き始め必死な表情のレフィーヤに止められている。
アズは決して酒では酔わないが、ロキがいると場酔いしてしまう傾向にある。『向こう側』に居た頃は心を許している相手が碌に居なかった反動なのかもしれない。
閑話休題、ではオーネストのテーブルに誰がいるのかというと。
「………………むぐむぐむぐむぐむぐ」
凄い勢いで料理をハムスターのように頬張る金髪金眼の少女――アイズ・ヴァレンシュタインである。
アイズとオーネストの関係には昔から周囲の憶測が飛び交っている。
同じ金髪金眼で来歴が不明。行動だけを見ると互いにダンジョンに異常なまでに執着しており、凄腕の戦士であることも共通している。また、二人とも浮世離れした美貌を持っており、その顔立ちも瓜二つとはいかないまでも似てはいた。
ともすれば周囲が「実は血縁関係なのではないか」と邪推するのは当然の流れであり、更に誰にも物怖じしないアイズがオーネストの前でだけはどこか普段と違う雰囲気を醸していると来れば誤解が生じるのも無理はなかった。
だが、実際には血縁関係があるかどうかはありえなくはない程度の確率でしかなく、兄妹という線に至ってはオーネスト・ロキ連名で「ありえない」という結論が出ている。つまり、二人が似ているのは他人の空似という奴である。
ついでに言うとアイズはオーネストに特別な気持ちを抱いているが、それは家族愛とか恋心などの浮ついた想いではなくもっと曖昧で暗いものである。要するに態度が違ったのはアイズが一方的に気まずがっていただけだ。
なお、無言3号はオーネストとの口論でこの店の名物メイドとなりつつあるリュー・リオンその人である。彼女はいつもオーネストと言い争っているイメージがあるが、どこか純朴そうなアイズを気にしてか今日はただメイドとしての役割を全うしているようだった。
「………追加注文、致しますか?」
「アイズ、まだ食べるか?」
「ううん、腹八分」
と言いながら3人前は平らげているアイズは、口元にライスの粒が張り付いたまま首を横に振った。まだ飲み込み切れていない食べ物が両頬を膨らませ、普段の大人しいイメージから一転小動物のような愛らしい雰囲気に変貌している。
彼女は普段あまり表情が顔に現れないが、割と浮き沈みのある性格をしている。なので助けた相手に悲鳴を上げて逃げられれば傷つきもするし、優しくされれば喜びもする。勿論、今のアイズは上機嫌の部類である。
実はオーネストの席でアズが注文した料理が届くより前に当人がロキと遊び始めたので料理がかなり余っていたのだ。オーネストはそれを全部食べる気など全くなく、偶然居合わせた『ロキ・ファミリア』に押し付けようとしたところ、偶然好物の料理が複数あったということでアイズが仲間になりたそうにこちらを見て来たので席に招いた。よってアイズは上機嫌なのである。……普段冷たく話しかけてこないオーネストに「食うか?」と問われてちょっと嬉しかったというのもある。
――なお、この光景を見ていたベートはアイズを横取りされた嫉妬とオーネストの意外すぎる一面を見た驚きで一人百面相をしていたが、「オーネストの野郎がアイズに手を出す筈がねぇ」となんとか自分の中で折り合いをつけた模様である。周囲にものすごく笑われて結局キレたが。
オーネストはかなり人でなしで暴君だが、それは自分の我儘を一方的に押し付けるはた迷惑なものとは性質が異なる。故に、普通のことを当たり前にすることだってある。そんな普通の雰囲気でいつもいてくれればいいものを、とリューは内心で溜息をつくが、こうして静かに隣席で座っている彼の顔がほんの僅かにリラックスしていることに気付き、思わず頬を緩ませる。
(昔は些細なことでも拒絶意志の防壁で心を封じ込めていたのに……少しずつ、変われているのですね)
「アイズ、お前口元に飯粒がついているぞ」
「えっ、ホント?」
「あ、私が取りましょう。ほら、じっとしてて……」
「ん………」
従業員としてそこまでする必要はないが、どこか子供っぽいアイズは不思議と見ていて世話を焼きたくなる。紙ナプキンを手に取ったリューはアイズの口元を丁寧に拭い、アイズはそれに身を任せる。まるで母親に世話される娘のようだ。
というか、このやりとりがまるで一般家庭のワンシーンのようである。もちろんそれにオーネストとリューも途中で気づいたが、言葉に出さなければそのまま流せる。からかわれるのが嫌いな二人はさりげなく周囲を盗み見たが、幸い目線はアズとロキが集めてくれているようだった。
まぁ、こんな瞬間があっても悪い事ではない――そう思い、オーネストが席を立とうとした矢先に……それは起きた。
「なんだか、パパとママがいた頃みたい……」
「「!?」」
ぼそりと、消えてしまいそうなほどか弱い声。両親を亡くして尚戦い続ける少女、アイズ・ヴァレンシュタインが漏らしてしまった色々と致命的な本音であった。その言葉にオーネストとリューがかちんと固まっているのに気付いたアイズは、申し訳なさそうに頭を下げる。
「……ごめん、なんでもない」
「い、いえその……」
リューが狼狽える。彼女からすればアイズは子供だ。ファミリアは家族同然とはいえ、血縁の家族をアイズが持たないことも知っているリューからすれば、その言葉は余りにも重く悲しい呟きだった。
(こ、こんな時にはなんと言えばいいんですか……)
何か慰めの言葉の一つくらいはかけてあげたいのに、言葉が見つからない。誰か何でもいいからフォローを……そんな気まずい沈黙を破ったのは、何故かこんな時だけ真面目になってしまうあの男。
「………アイズ、謝るな」
「え……?」
「二度と戻れない思い出は誰にでもあるものだ。それに縛られることも、戻れないという事実を悲しく思うことも、人間ならばある。だが、だからこそ俺たちはその弱さを仕舞い込む。前に進むとき、過去に引き摺られないようにな」
「オーネストにも、あるの………?」
「ああ。……過去は楔にも重石にもなるし、時には人の運命を決定づけることもある。だがな、過ぎ去った事実は後でどんな行動を取ろうと変えることはできないし、無かったことにもできない。それが今を生きる人間の一部となって積み重なり、人の形を成していく。だからお前のその弱音も過去も、お前だけが持つお前の一部だということを忘れるな。さっきの謝罪はまるで自分の過去を否定しようとしているようだった。それは、辛いことだぞ」
「…………オーネストは、違うの?」
「俺はいいんだよ。お前の話をしてるんだから」
「……その逃げ方、パパっぽい」
「その様子だと俺の杞憂に終わりそうだ」
フッ、と一瞬だけ微笑んだオーネストは、席を立ってバカ騒ぎするアズとロキに手加減居合拳を叩き込む。アイズはそんなオーネストの方を見送り、一度強く頷いた。先程の弱弱しい彼女はどこにもいない。オーネストの言葉で何かが吹っ切れたようだ。
その一方で、リューは励ましの役目を一番似合わなそうなオーネストに取られるという言葉にできない屈辱に打ち震えていたのだが。
何故、よりにもよってあの男が――とも思うが、元々オーネストは他人の心情の機微にはかなり鋭い方なので納得はできなくもない。できなくはないのだが、なんか悔しい。あのくそガキにコミュニケーション能力で劣ったのがやたら悔しい。その口惜しさを吐き出すように、リューは呟く。
「人の事言えないくらい過去に苦しんでる癖に………自分事はいつも後回しなんだから」
「リュー、さん」
「え……あ、何でしょうか?」
不意にアイズに名前を呼ばれたリューはハッとして彼女の方を向く。
直後。
「今の言い方、ママっぽかった」
「―――……………」
アイズの特に深い意味のない一言に、リューは「よりにもよってオーネストと!?」と全力で否定したい反発心とまだ幼さを残す華奢なアイズへの気遣いとの葛藤に板挟みにされ、数時間ほど顔に張り付いた営業スマイルが取れなかったという。
後書き
天然娘アイズの爆弾に翻弄されるリューさんであった。
なお、最終的にはオーネストが悪いことになる模様。
外伝が終わったら、戦いが待っている……。
56.第六地獄・凶暴剽界
前書き
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これまで三度繰り返したが、黒竜と戦う際のオーネストの精神状態は常に日常以上に異様だった。
目に入るありとあらゆる敵を、敵以上に憎い「何か」ごと鏖殺するように、破滅的に、のめり込むように、無為に、無策に、破壊衝動の赴くままにダンジョンを突き進む男を、誰が正気と言えようか。裂かれた腕で敵を斬り、兜もなしに頭突きで敵の牙を砕き、背中から血を噴出させながら正面の敵を蹴り潰す。口から吐き出した吐血と、その血も慄く殺意に満ちた雄叫び。巨人も怯み、獣をも怯えさせ、その隙を逃さず破滅の剣を振りかざして返り血に塗れる。そんなものは既に人間とは言えない。――化け物の類だ。
そしてその化け物はいつも、どんな敵を殺しても同じ場所で壁に突き当たる。
血濡れの化け物より更に化け物らしい、太古の怪物に。
最初は何度前へ進んでも後ろへ吹き飛ばされ続け、それでも前へ進もうとして足が折れ、最終的には気を失った。その時は偶然にも餌を蓄える性質のある特殊な魔物に生餌として黒竜から離れた場所へと連れ去られた。
目を覚ましたオーネストは、自分を喰らおうとしたその魔物の顎を殴り潰した。依然捕らわれたままの狂気を抱えて奥に進もうとしたが、当時のオーネストの素手では突破できない敵が多すぎて、武器を手に入れに引き返すことで一度頭が冷えた。
この頃、世間知らずの少年はこの古の覇王を知識としては知っていたが、自分の命さえ見えていない盲目的な彼にはそれが自分の当たった壁の正体だとは思っていなかった。自分が何度も命を捨てる勢いでぶつかり続けた数多の「魔物」という括りの一つに過ぎない。あれは確かに強かったが、倒せば下の階層にもっと強い存在がいるのだろう――そう考えていた。
二度目はそれから更に成長し、ヘファイストスの剣を手に入れても尚、誰の手助けも求めずに『地獄の三日間』の残滓が潜むこの都市を彷徨い歩いていた頃。今度は以前より遥かに早く、纏う狂気もさらに深く灼熱の溶岩のように滾っていた。そして黒竜のいる場所へと再度辿り着き――この時、やっとオーネストと黒竜は互いに互いを個の存在として認識した。
オーネストは、二度目の対峙の際にこの漆黒の破壊者と一度戦ったことがある事に気付いた。
そしてその力の差が、当時自身が思っていたほど埋まっていない事も瞬時に理解した。
黒竜は、そのちっぽけな人間が以前に珍しく縊り殺し損ねた存在であることに気付いた。
そしてその力が、自身には及ばずとも以前より爆発的に増大していることを知った。
オーネストは混沌とした激情の奔流の中で、黒竜との戦いで自分が果てるかもしれないことを期待した。抗っても抗っても届かずに、徹底的な破壊が己の身に返ってくる。その果てに辿り着けるなら、そこが終着点かもしれない。言葉で形容しがたい向死欲動――自殺では意味のない、満足と納得に足るほどの、魂を粉々に打ち砕くほどの永遠の終わりを望んだ。
黒竜は絶対者然とした姿の裏で、密かにこの人間がほかのありとあらゆる人間と違う特別な存在であることを感じ取った。触れれば崩れる案山子のような存在とは、あらゆる部分が違いすぎる。かつて戦った英雄と呼ばれる連中とも違う。意識と闘争本能が融合した嵐のような存在に、黒竜は「また縊り殺し損ねる」という漠然とした予感を抱いた。
少年の期待は裏切られ、竜の予感は現実になった。
オーネストの刃は竜に傷を負わせるには辛うじて至らず、黒竜は自らの引き起こした衝撃波によって巻き起こった瓦礫と砂塵に阻まれてオーネストを見失った。その後、オーネストは『ロキ・ファミリア』に望まずして助けられ、再度オラリオへと戻る事になった。
三度目の対面の際、オーネストは未だかつてない程に強い戦意を以って戦った。目撃者は黒竜しかいないが、見る者が見れば「魂を燃やし尽くすような戦い」と称したであろう。或いは、人間が化け物になる過程を生々しくも悍ましく描いたような戦いだった。
黒竜は更に成長したその人間に戦士として純粋な敬意を表すると同時に、恐怖を覚えた。この人間をこれ以上取り逃がしたら、いずれ自分をも滅する存在となる。三大怪物の一角をたった一人で下すような存在が人間の側に付いたとなれば、それは黒竜にとっての「母」の命を脅かす。黒竜は今度こそこの人間を確実に殺害せねばならないという強い殺意を抱いて戦った。
オーネストの刃は黒竜の鱗を切り裂くまでに鋭く、強くなっていた。黒竜の知る限り、古代の英雄や数十年前に現れた戦士たちの中にもこれだけの実力を持った存在は多からずいた。だが、それは人間という限りある器を極限まで使いこなして辿り着いた「境地」と呼べる領域にまで達した戦士達であり、目の前の人間が振るう剣はまだそれに達していないと黒竜は思った。
黒竜は確実にオーネストを殺すため、体の傷を無視してまで徹底的に痛めつけた。途中で爪や尻尾の一部を斬り飛ばされ、髄に至る寸前の猛攻を受けたが、それでも持ち前の力と実戦経験で圧倒し、最後の最後まで追い詰めてもう抵抗が出来ないことを確認してから食い殺そうとした。
オーネストは、掠れる意識の中で自分の死期を悟った。
2度目の瀕死より更に体が砕け、原型を留めているのが不思議な体。もう出せるものは何もなく、あとは刹那と那由他が永遠に交錯する世界へゆくだけだと、意識を落とした。
オーネストは、『まるで意識がないまま黒竜の顎を殴り飛ばした』。
――のちに助けに来たアズに聞いたところ、オーネストは意識がないまま戦おうとしていたらしい。いや、確かに意識はあるかのように動いていたが、それが本当にオーネストのパーソナリティに基づいた論理的な動体反応だったのかどうか、アズには判別がつかなかった。
敢えてそれを理屈に合った言葉にするなら、脳の活動を超越した浅ましき生存本能の塊。まるでオーネストではなく、オーネスト以外の誰かがその肉体の本能を代行させているかのようだったという。その事実を耳にしたとき、オーネストは激しく怒り狂い、苛立ちのあまり自分の膝に拳を叩きつけて膝と手の骨を粉砕骨折し、それでも収まらない怒りで自分のいた病室とその隣の部屋に至るまで半径10Mすべてが破壊されるまで暴れた。
黒竜は、これを以ってしていよいよオーネストを明確な『敵』と認識した。
使う未来など来ないだろうと考えていた『深化』をすることも決定した。
『深化』するまでの戦略を立て、あわよくば肉体が再構成される前に滅ぼすことも織り込んだ。1000年余りの間にため込んだありとあらゆる方法に加え、今まで決して助力は請わなかった「母」の力までもを借りた。万全の布陣で待った。
オーネストは、以前よりも早く来たためか今までほど爆発的には成長していない代わりに、取り巻きを3名もこしらえて挑みに来た。母すらも警戒する『死を呼ぶ者』、『抑止力』、途中から精霊の加護を得た奇妙な人間。いずれもオーネストには一歩劣るが、『敵』と呼ぶには値する力を持っていた。おかげで「あわよくば」などと甘い見積もりで立てた作戦は水泡に帰した。
そして今、黒竜はとうとう翼を持たぬ存在への最終手段として空まで飛んでいる。かつて支配した青天井に比べると余りにも矮小だが、ちっぽけな人間を相手にするには十分すぎる程大きな空間を支配下に置いた。
黒竜は静かに、その人とは思えぬほどに凄まじき剣士を見下ろした。
オーネストは今度こそ黒竜の手に掛かるのか、それともこの試練を過ぎて尚も生き延びるか。
依然として力関係は変わらない。
黒竜は3勝、オーネストは3敗。黒竜は今回も自らが勝つと確信している。
だからこそ、問題はたった一つ。その敗北が「死」か、それとも「敗走」かの一つ。
黒竜はオーネストを殺すため、少しでも可能性を削ぐ。
60層のホールに追い詰めることで59層への復帰を困難にし、上空からの攻撃に逃げ場がない環境を作り上げ、広域破壊の波状攻撃で肉の体を徹底的に追い詰める。オーネストだけでなく取り巻きの3人も殺し、危険因子をここで嬲り殺しにする。
今の黒竜は、「取り逃がすかもしれない」などとは欠片も考えていない。
漆黒の狩人の眼光を浴び、オーネストは思う。
今日の自分は、黒竜を相手にするにはいつもの暴走にも似た殺害衝動が足りない。いつもと違う目的でここに来たせいか?我武者羅に、無策無謀に飛び込んでいないせいか?その意志の揺らぎが、甘さが、一方的に嬲られる今の惨状を招いているのか。
(無様――)
無数の真空の刃によって既に額や体の一部は切り裂かれ、どくどくと心臓の鼓動に合わせて暖かな命の源が零れ落ちていく。骨や筋肉は軋み、自分の体が少しずつ死へと歩み寄る虚脱感が背中に伸し掛かる。
しかし、この程度は傷とも呼べないし危機とも言えない。これまでの黒竜との死線に比べれば掠り傷と言って差し支えない程度の裂傷が何だというのだ。黒竜を前にしてこんなにものんびり戦っている自分自身への苛立ちさえ湧き出てくる。
(並び立つ存在なんぞ気まぐれで連れてくるからこうなる。アズの口車に安易に乗るから、余計な事柄ばかり頭を過って戦えない。これだから俺は愚かだというんだ)
これまではアズがいて、黒竜も予想外の行動をし、リージュを庇うような行動をしていたためにギリギリでそのラインを踏まないまま戦いを進めていた。それはオーネスト本人も然程自覚がなかっただろう。アズライールやリージュという存在は、オーネストの心に引かれた最後の一線を越えない為の枷として働いていたのかもしれない。
そのリージュもアズも、これ以上は庇い切れない。いや、もしかしたらもう死んでいるかもしれない。そもそも黒竜相手に「庇う」などと甘ったれた思考をしていた自分が異常だった。今まで一度も突き破ることが出来なかった理不尽の権化の命を奪うには、「護る者」ではなく「奪う者」でもなく「殺す者」にならなければいけないのに。
(誰が行動を共にしているとか、誰が味方だとか、そんなことはもう忘れろ。あいつらの命の在処はあいつらが決めることなのに、俺がその行く末を気にするのはもうやめろ)
言い聞かせるように――まるで「きっと生き残るから」と自分に刷り込むように、しかし己がそんな都合のいい幻想を信じているという事実を認めたくないかのように、忘れろ、と何度も何度も自分の心に叫び続ける。
リージュが黒竜に攻撃をしたのも、アズが鎖を展開して生き延びたのも、オーネストの頭の中で「自分に関係のない事象」と切り捨てられた。そうだ、これでいい。
(本来オーネスト・ライアーが考えて気にするような事柄ではない。オーネスト・ライアーという男は致命的に盲目で、決定的に愚かしく、ただ目の前に存在する現実だけを薬物中毒者のように求め続ける世界最悪の屑――おれは、つまり、そういう存在だったろうに)
くそったれた世界で、くそったれた存在が暴れて果てて、死ぬ寸前の末期の最期の瞬間に、運命に向かって「俺は最後まで自分のやりたいようにやってやったぞ、ざまぁみろクソッタレ」と吐いて捨てられる自分でいればいい。
アズは一日くらい未来をねだってもいいと言った。
だが、俺は殺す者。過去も明日も現在も、貴賤の区別なく粉々に砕く。
だから――。
(アズ、てめぇは精々てめぇの未来を自力で掴み取るんだな)
それはきっと、未練という名の枷。
自ら外して捨ててしまった、オーネストがオーネストになる最後の枷。
さぁ、オーネスト。お前は空っぽだ。抱えた罪と破滅的な破壊衝動だけがお前だ。
(全部壊れてしまえ。俺の邪魔をする一切有情を、自分諸共殺し尽くせ)
今のオーネストにあるのは、この世に存在するありとあらゆる憤怒と激情を掻き集めて数万倍の濃度で抽出したような、空間を飲み込む奈落の狂気。人間として何か致命的なものを喪失した化け物の表情だった。
「お゛おおおおおおおああああああああああああああああああッッッ!!!!」
『グヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!』
世界に終わりを告げる終末の獣も恐れ戦く巨大な破滅が、この日、ダンジョンに存在するありとあらゆる存在に決戦の刻限を告げた。未知の魔物と戦闘していたココたちも、オーネストの無茶を知って緊急出動した『ロキ・ファミリア』も、ダンジョンの上の神々も、ギルドの依頼を受けて疾走する彼も、悟った。
古の怪物と現代の怪物のどちらかが、今日、真の敗者となる。
= =
「――しかし、今のままではオーネストくんに万に一つの勝機もありません」
ミリオンが魔法で投影する戦いを見つめながら、ロイマン・マルディールは只ならぬ表情でそう呟いた。
「…………そんな馬鹿な。オーネストは死なない」
頭を振ったフーが呻くようにそう呟く。その言葉の端には自身が道理の通らないことをのたまっている自覚と、それでもやはりあの男が帰ってくるだろうという信頼が入り混じり、ひどく不安定な感情を吐露する言葉だった。
「いやいや、人なんだし。死ぬときは死ぬっていうかむしろ今すぐ死んでも可笑しくな――」
「そうですねー、確かにオーネストは死なないかもしれませんねー。援軍も要請してはいますし、きっと手遅れになるギリギリで救い出されるでしょう。本人にとっては甚だ不本意なことにね」
「ええっ!先輩まで何頭おかしいこと言ってるんっすか!?昨今こどもの絵本にだって死人はいますよ!?現実見ましょうやマジで!!」
(それは君の絵本チョイスが独特過ぎるせいだと思いますが……片足のダチョウとか哀れな象とか好きでしたよね、君)
この中で唯一オーネストという男の事をよく知らないミリオンだけが、訳が分からないとばかりに顔を顰める。あそこはダンジョンでオーネストは冒険者、そして敵は黒竜だ。むしろ死ぬ条件の方が綺麗に揃っているように見えるだろう。しかし、オーネストを知っていれば納得はしただろう。
オーネストという男は公式には犯罪者だ。だから彼の情報は大っぴらにオラリオの外には伝わっていない。彼女とて本人に出会ったら、完全ではないにしろそう考えるのも無理はないと思えるだろう。
この街に現れて早八年間、彼の経歴を知っているのもなら誰もが知っている。その血に塗れ、余りにも死と隣り合わせ過ぎた経歴の中で現在まで生き残っているというだけで、彼は既に冒険者の伝説だ。
「しかし、彼と共にいる3人はどうなのでしょうね?一部で『不死者』とまで呼ばれる彼ならばまた生き残るかもしれませんが、残りの二人の肉体はそこまで頑丈ではありませんし、オーネストの心に占めるウェイトも………代償は余りにも大きいですよ」
「そう、か。俺はあの面子のなかじゃアズしか顔を合わせたことないけど、もしもアズが死んだらオーネストは……」
オーネストにとってアズライールという男は唯一の友達であり、あらゆる意味でオーネストを止めることのできる最終安全装置。人間であることを辞めるかのように破滅の道へ突き進み続けるあの救いようのない男を、唯一救えるかもしれない存在だ。
もしアズが死ねば、彼は恐らく――。
アズにしかオーネストを変えられなかったのだ。
アズがいなくなれば、『決定的』になる。
「私の私見ですが、オーネストにとってのアズは既に彼の『家族』に匹敵する程に大きな存在となっています。もしそれを喪えば――今度こそ、彼は崩壊する」
「………え、家族……ロイマンさん、あなた彼の経歴を知って――!?」
「失礼、今の言葉は忘れてください」
ロイマンは額の汗を高級そうなハンカチで拭い、言葉を濁した。
オーネストの過去を知る人間は、フーの知る限りではヘファイストスとヘスティア、そしてあのリージュという女性の3人だけだった。そしてその3人も、決して周囲にオーネストの過去を吹聴するような真似はしなかった。そんな彼について、ロイマンはかなり深く知っているらしい。
本当に、この男はどこまで知って、どこを見据えているのだろうか。これまでギルド代表という犯罪者を遠ざけるべき立場でありながらずっとオーネストの敵にならなかったこの肥満のエルフは、なぜそこまでして。
「………いや、今は詮索は後か。それよりロイマンさん、オーネストに万に一つの勝機もないとはどういう事です?」
『ゴースト・ファミリア』には目的や過去の詮索は必要ない。あるのはオーネストの味方として動くというただそれだけだ。つまり、この男も自分と同じ穴の狢。そんなことよりもフーにはあの暴力の権化のような男に勝利の女神が振り向かない理由の方が気にかかる。
「あのー。当事者の可愛い後輩ミリオンちゃんがまるで話についていけてないのはスルー?」
「スルーで」
「今シリアスな話してるから状況の変化があったとき以外は黙ってて貰えると助かりますねー」
「味方がいねぇ。ブラック組織だブラック組織………」
恨めし気な――何故か主にフーに恨めし気な視線を送ったミリオンは、ぶつくさ文句を言いながら鏡の観察に戻る。彼女の物分かりがよくて助かった、などと心の隅でロイマンは一人ごちる。
「………さて、オーネストが勝てないという話の続きですね?とはいっても、理屈は別に難しくないですよ。恐らく本人には逆に自覚がなく、アズ君辺りは察していたのかもしれませんが――」
少し、間を置いて――。
「オーネスト・ライアーという男はね、生きることに対して真剣になれないのですよ」
確信を持った声で、ロイマンは断定した。
「すべてが行き当たりばったりなのです。この世への八つ当たりの為に行動してる男なので、明確に何かを守ろうとか勝とうと真面目に考える思考がないのです。戦いで怒ったり暴れているのはただ単に暴れているだけ。陰鬱とした煩わしい感情を爆発させているだけ。逆を言えばそれこそがオーネスト・ライアーなのです」
「………オーネストはオーネストだ。そしてオーネストである限り、彼は自分の命に真摯に向き合えない、と?」
「そうです」
フーは視界が白んでいくのを自覚しながら、ふらりとよろけて壁に持たれかかった。
ロイマンの話を聞き、自分の知るオーネストの記憶を必死に掘り起こし、フーは納得した。
納得して、しまった。
「それじゃあ、オーネストを殺すのはオーネスト自身ということですか!?」
「その通りです」
「そんな馬鹿な話が………」
「そんな馬鹿なことを馬鹿正直に貫き通せてしまうのが、あの男です」
そんな生き方が長く続く筈がない。究極的に自己中心的で、暴力的で、己を顧みないままに唯々破壊だけを積み重ねていけば、自分も周囲も必ず綻び、いつか崩壊する。
その在り方を自分で貫き通してしまった狂人は誰だ?
決壊を防ぐようにどこからともなく集まってきたお節介焼き達を虜にした金色の獣は誰だ?
虜にされた人間たちを、それでも自分に近づけさせなかった孤独な男は、誰だ?
つまり、オーネスト・ライアーとは――そういう男なのだ。
= =
精神が肉体を超越し、殺すという意識だけが際限なく加速していく。
自身の脚に掛かる反動を一切無視した踏み込みが地面を割り砕き、踏み出したオーネストの肉体が音速を超えて上空に弾き出される。
生身の人体が音の壁を越えようとすれば衝撃波で引き裂かれて死亡する。いくらオーネストが超人的な身体能力を持った冒険者だとしても、無事で済むはずがない。自分で自分を押し出してすぐ、オーネストの通った空間から裂けた服の切れ端と血飛沫が下にばたばたと零れ落ちた。
全身に裂傷が奔るが、どうでもいい。
それで戦えるならば体が引き裂かれても構わない。
軋む腕を強引に振りかぶり、ヘファイストスの直剣を抉るように正面に突き出す。狙いすます先は、黒竜の腹部中央。この加速と破壊力ならば、捌かれる前にその肉を抉る。代わりに命中した際の反動は全て自分の体で受け止める。アズの魂が弾丸になるように、オーネストの肉体そのものもまた弾丸になりうる。
ギャリリリリリリッ!!とけたたましい音を響かせて刃が逸れる。眩い火花を散らしてすれ違ったのは、反応を間に合わせた黒竜の尾だった。昨日戦った蜥蜴の尾を思い出させるが、黒竜が操るとなるとそれは牙より余程厄介な武器だ。恐らくその先端の硬度と速度は爪を上回るだろう、剣を突き出すのではなく斬るために動かしていれば腹を貫かれて上半身と下半身が分断されていただろう。まぁ、どうでもいいが。
擦れ違い様に浴びせられた黒竜の殺す意志が心地よく背筋を通り抜け――瞬間、身を翻した黒竜の鋼鉄をも粉砕するような鋭い尾がオーネストのどてっ腹に叩き込まれた。べきべき、みちみちと何かが弾け、裂ける音と共に体がダンジョンの壁面に叩きつけられ、吐き出す空気と共に肉片の混じった鮮血が口から噴き出した。
腹と尾の間に割り込ませたヘファイストスの剣は、衝撃で折れる寸前まで捻じれながらも辛うじてオーネストが水風船のように割れる事を回避したらしい。オーネストは自分の口から何が出て、どれほど危険な状態にあるのかも無視して背筋のみで壁から弾かれ、その下にあるリージュの魔法によって壁から生えた巨大な氷柱を足場に着地。間髪入れずに体を強引に捩じり、反動を乗せて折れかけの刃を矢のように投擲する。
黒竜はその刃を鬱陶しそうに風で吹き飛ばそうとし――風を起こした反動で素早く刃の射線上から逃れた。
「チッ………人間の道具の良し悪しまで判別がつくとは、つくづく――鬱陶しいぞ手前はぁぁぁーーーーッッ!!!」
射線上を外れた場所に、壁を蹴った反動で虚空に射出されたオーネストの刃が迫った。
今度はガリンッと鈍い音を立て、黒竜の右下腹部の鱗が皮膚ごと剝ぎ取られる。傷は浅いが、天黒竜となって初めて黒竜の体からマグマのように熱い血が噴出する。
一連の流れ――捻じれ曲がっても並の武器を遥かに上回るヘファイストスの剣の強さに気付けなければ、黒竜は風であれを吹き飛ばそうとして失敗していた筈だった。そして、悪態をついた癖にオーネストは黒竜が直前でそれに気付くことを見越して先読みで黒竜を斬りつけた。
壁の対向にあった氷柱の上に叩きつけられるように着地したオーネストは、既に戦えないほどに傷ついた体を強引に引き起こして立ち上がる。瞬間、噴き出した血飛沫が氷柱の上を真っ赤に染めた。引き裂かれた傷の激痛、折れた骨が内蔵を串刺しにした鈍痛、ありとあらゆる痛みが全身を襲う。
「ぐがあぁ………ア、ああああああああああああああああああああああッッ!!!!」
人間はここまで理性の剥がれた獣に近づけるのか――そう感じざるを得ない程に激しく浅ましい悲鳴染みた怒声が響き渡る。だがオーネストの咆哮は痛みを誤魔化す為の物ではない。
――自分はまだ生きて戦える。その確認だ。
あの炎の姿の影響か、オーネストが握る二本目の剣の表面に付着した血液が本当に沸騰していた。炎と違って浴びれば皮膚や装備にべったりへばり付き、その体を焼き尽くすだろう。頬に微かに張り付いた黒竜の血が発火して燃えるが、オーネストは無言で燃える自分の頬の皮膚を肉ごと剥ぎ取った。
ぶじゅり、と音を立てて火の付いた肉片が足元に落ち、燃え尽きた。
「終わりが見えぬ暗夜を、彷徨って彷徨って彷徨って彷徨って………ここにあると思ったから。だのにお前は俺の邪魔をするばかりで、まだ辿り着けない。お前がそうなのか?それとも、お前も俺の終わりではないのか?だとしたら俺は何処へ向かう――何処へ向かってるんだッッ!!!」
噴き出す血の量が次第に減り、熱した鉄を水に突っ込んだような音と共にオーネストの傷口から白い煙が噴き出る。近くに人間がいたら気付けたろうその煙は、オーネストの体を死ねなくする躰の呪縛。その事実が、今にも崩れ落ちそうなほどに罅割れたオーネストの心を飢えさせる。
敵より何より恨み続けたこの肉体を殺し尽くすのが先か、黒竜という空前絶後の怪物を殺し尽くすのが先か――殺し尽くした先に更なる殺戮の道が続いているのか。
「道の終わりまで己を殺し尽くせないのなら――次は天界の総てを、それでも届かないのなら今度こそイカレたこの世界ごと殺し尽くしてやるッッ!!!」
『グルルルルルル………ガァァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
天の主が、世界を犯す殺意に応えるように咆哮を上げた。
叫べば叫ぶほど、暴れれば暴れる程、殺せば殺す程に――オーネストの頭の中で、大事な何かが焼き切れてゆく。心を縛る鎖が脱落し、オーネストの中にいる本当の自分が、擦り切れていく。本当の自分を嘘の自分が喰らい、貪り、壊す。
本当に、君はそれでいいの?と――誰かが囁いた気がした。
聞くための鼓膜は、とうの昔に破れていた。
後書き
このペースだと最悪第12地獄ぐらいまで行ってしまう……。
これがカルピス執筆者の定めなのか。そろそろ戦いも中ごろです。
ちなみにオーネストの傷がなんか治っていますが、あれは傷がついた場所を治すときの方が凄まじい激痛を伴うので今の傷レベルなら常人が10回はショック死するものです。痛みに慣れ過ぎているが故に本人には耐えているという感覚がありません。
57.第七地獄・四聖諦界
天を舞う二つの破滅を呆然と見上げるリージュ・ディアマンテの心を支配するのは、自分の体が砂になって崩れ落ちるかのような虚脱感と、後悔だった。
なんとなく分かる。彼はもう集団で行動することに我慢していられなくなったのだ。それは煩わしいだとか一人の方が早いだとかそんな一般的な言葉では言い表せない、思考からの脱落だ。彼はそうまでして頭の中から欠片もそれを考えられない程に狂わないと、命というものを忘れることが出来ない。
忘れさせてはいけなかったのだ――そのためにリージュはここに来たのだ。
なのに、精霊の力まで借りたのに、今のリージュは生き残るだけで精一杯だった。多少は手伝いもしたが、結局無駄にしかならなかった。だって今、オーネストは死ぬまで止まらない戦いへと飛び込んでいる。
空中で何度も激突する力と力に交じり、氷と岩と黒鱗と血肉が降り注ぎ、60階層を紅く染めていた。
それだけの痛みを抱えてもまでして、オーネストは『――――』を。
視界が段々と白んでいく。結局――わたしはおばさんとの約束を――。
「伸ばしても伸ばしても、どうして届かないの………」
「あのバカ……カンッペキに暴走してやがる!!もぉぉ~~~なんっでこういう肝心な時に人の話聞かないかねぇあのバカッ!!ドバカッ!!ミスター自己中ッ!!」
「へ?」
突然の罵声に驚いて振り返ると、そこに気に入らなくて気に入らなくて只管に気に入らないあの黒ノッポがいた。こんな状況で、もう引き戻せないほど深く戦いに沈んでしまったオーネストを見て、この男は絶望どころが盛大な苛立ちを剥き出しにして地団太を踏んでいる。地団太の直撃を受けた地面がミシリと軋んだ。
アズライール・チェンバレット――死を告げる者。得体のしれない癖にオーネストの隣に並んでいたその男は、今の事態に唖然とすることもなく、絶望するでもなく、ただ純粋に苛立っていた。しかもそれは純粋に、オーネストが身勝手だからというそれだけの理由で。
そして苛立っているかと思うと今度は急に肩をがっくりと落として項垂れる。
「ちくしょーああなる前に殺せないかなーって思ってたけど、やっぱそんなに甘い敵じゃねえか。有効打も見つかんねーとなると玉砕覚悟でガチンコするっきゃないかな………さてとっ」
アズは懐を探り、数本の小瓶を取り出して立ち竦むリージュに突き出した。
「ほい」
「え?」
「これ、俺の残りのポーション。マズイことに回復はあと2本しかないから、使い道は大局を見る目のあるリージュちゃんに任すわ。俺はちょいとオーネストに喝を入れてくる」
「なっ……!!」
絶句。この男は、あのオーネストを見てもまるでいつもと態度を変える素振りがない。
アズライールの口元からは盛大に吐血した痕跡が残り、自慢の黒いコートにも赤い滝が描かれている。顔色も良くはない。明らかに消耗している。だのに自分の回復薬を他人に押し付けて、自分はあの音速を越えた化け物の戦いに乱入しますという。正気の沙汰ではありえない。
「アズライール・チェンバレット!!貴様は………貴様は本当に今のアキくんに声が届くと思っているのかッ!?アキくんは何もかも捨てようとしているんだぞ!!自分さえもッ!!」
「捨てる?無理無理。あいつ自分で『人間はしょせん人間にしかなれない』って言ってたし、口であーだこーだ言ってるくせに自分が一番過去に執着してる矛盾満載人間だよ?だいたいそれが出来ないから8年もこうしてアホみたいに冒険者続けてんでしょーが。アホなんだよあいつは」
まるで友達の悪口をぼやくようにつらつらと、アズはリージュにそう告げた。
つまりこの男は、この世がどれほど乱れようと自分が死に近づこうと、オーネストの前では友達なのだ。どんなに変貌しても、自分の手に届かなくなっても、どこまでもどこまでも友達の域から出しはしないのだ。
それは――それはオーネストの近くにいた誰もがやろうとして、結局辿り着けずに諦めた領域なのに。リージュが一番取り戻したかった関係なのに。この男はまるで息をするかのように、自分の中にある自分を変えることをしないまま。表と裏が完全に一致した、不変の心。
例え明日世界が滅ぶとしても、いつも通りのオーネストの隣ではいつも通りこの男がいるのだろう。
なんとはなしに、そう思った。悔しいけれど、確かに思った。
「貴様は……例え自分が死ぬとしても、ずっと『そう』なのか?」
「そうさな。君の言葉の真意はイマイチわからんけど、俺はどこまでも俺だよ。このまま生き、このまま年を重ね、このまま死ぬる。むしろ俺が俺じゃないままくたばる方がよっぽど恐ろしい。だからこそ、あのアホが自分を見失ってるんならそれを修正して現実見せてやるのが友達の務めじゃない?」
「自分が自分であるのなら、明日に死すとも後悔なし………アキくんは、そういえばそんな男だったな」
なら、自分は何だ。リージュ・ディアマンテという女は何を望み、どうあるべきか。
そんなものは決まっている。『わたしはわたしの意志にだけ従っていればいい』。
それが、やりたいことをやるという意味の本質なのだから。
「………リージュちゃん、ちょっと壁に突き刺さったあの氷柱増やしてくんない?オーネストが足場に使ってるもんだからどんどん崩れ去って……というかあの氷、黒竜の風浴びても砕けない強度なんだな」
「存在を停止させる性質を持った氷だ。強度の問題ではなくそのような性質がある。割っている黒竜とアキくんが異常なだけだ……わたしは空を飛べぬ。あとは任せた」
「任されました――よっとぉ!!」
時折空中から降り注ぐ空気のギロチンをステップで躱したアズは、壁に鎖を突き刺してその身を空中に投げ出した。
(――わたしは、アズライールにはなれん。なれんから、わたしはリージュとして成せるを成す)
氷を束ね、熱を奪い、壁に出鱈目に命中して足場の代わりとなる氷。
今の自分ならば難しい話ではない。この階層に降りる際も氷の螺旋階段を伝って来た。
二人の道化が踊る極上の舞台を思い浮かべ――そもそも自分の氷が外れたのが足場のきっかけだったことを思い出し、「何が幸いか分からないものだ」と苦笑した。
「氷造・舞踏する天使ッ!!」
人々を魅了するかのように暗雲を裂いて舞い降りる救世主――と呼ぶには余りにも異質な存在が暴れる盤上を作る為に、天に掲げたリージュの手に収束した獄氷が天使の環のように輪転した。
(――氷。つめ、たい。力――人ノ抱エルには早き、領域――?おレは、なにを……)
3人の戦いからも黒竜からも感知されない瓦礫の中で。
全身を引き裂かれたまま横たわる男の意識が、微かに、しかしはっきりと、その感覚を捉えた。
しかし、男はまるで全身を縛られたかのように――まだ、動かない。
= =
意識を超克した破滅的な衝動が、引き千切れそうな体を暴れ狂わせる。
こちらが加速して黒竜に向かえば向かうほど、奴の鱗と肉が剥げていく。しかし剥げた肉は魔物特有の再生能力で瞬時に復活し、こちらが空中で直進しか出来ないことを見抜いた黒竜は回避と同時に迎撃を開始した。
接触の度、真空の刃や刺突、骨をも灰燼に帰す灼熱の焔がこの身を焼く。
ぶつかる度、俺が俺であるという証が一つずつ欠けてゆく。
それでも――この剣に込めた力が止まらない。
「お゛お゛ああああああああああああああッッッ!!!」
『グルルル………ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』
――ィィィィィィイイイイイッ!!!と、自分の背中の後ろから音が追いかけてくる。
ヘファイストスの剣と黒竜の角が衝突し、衝撃波の爆弾が目の前で弾けた。
目が見えない。衝撃で潰れたのだろう。しかし、もう両目を抉り取られても奴の居場所が分かる。
耳が聞こえない。衝撃で頭がぐらぐらと揺れて耳から熱い液体が零れ落ち、頭の奥に刺すような痛みが走る。しかしもう音など聞こえなくともいい。痛みとは肉体の安全装置だ。無視する。まるでそれが自然なことであるかのように、気が付けば激突していた壁から這い出て、また加速するように壁を蹴り潰す。
体が砕けるほどに、本能を越えた何かが際限なく肉体に力を注ぎ込む。
黒竜の迎撃に押し返されたかと思えば、突撃に籠る破滅もまた俺の背を押す。
限界が近づいている。どちらの、何の限界かはわからない。ただ、近づいてくる。
―――。
―――。
何か、異物が入り込むような感覚。超音速で弾けた鼓膜が再生され、その濁った音が脳に伝わる。
これは、小さな無数の金属が擦れ合う、聞き慣れた音。鎖――あいつの気配。
しかし、もう関係のないことだ。
何もかも、何もかも、関係のない――。
「――黒竜より先に先ずお前を叩き落したろかぁぁッ!?」
「ガボュッッッ!?!?」
人間の喉から鳴ってはいけない奇妙な音と共に、体が殴られたように横っ飛びに吹き飛んだ。考える間もなく音速の慣性が強制的に捻じ曲げられ、胃や腸、腹筋背筋大腰筋などを含む胴体の筋肉と背骨を含む数本の骨がグジャリ、ブヂブヂと異様な音を立てて引き裂かれ、これまでで一番の量の血を吐き出した。
少し遅れて、アズに無理やり押し付けられた鎖が自分の胴体を縛っていることに気付かされる。
こんな鎖を展開出来て、俺の体を加速の反動で体が両断されないように引き戻せる人間など、俺には一人しか心当たりがない。下手をすれば黒竜の攻撃より甚大な傷を負った俺は、目で相手を殺す力を込めてほぼ下手人の男を睨み付けた。
「ぐ、ぶ、あ……て、てめ……!!」
「黙れクズ・オブ・クズ。お前に文句を言われる筋合いなんぞ砂粒一つ分もねぇ。俺の話を聞かずに暴れ続けてたのが全面的に悪いのは確定的に明らかなので。しかし俺は曲がりなりにも天使なので鎖で負った傷はこの手持ち最後のポーションで治してやろう。ほれ、感謝の言葉は?」
「……耳が、おかしくなったかな。大親友に殺してほしいと懇願された気がする。殺してやるのが人情だし、一度確認してその通りだったら慈悲深く殺してやろうか」
「オーケー、きっと空耳だから気にする必要ないと思うよー」
頭に少量の液体が降り注ぎ、細網一つ一つの隙間を縫うように体内に吸収される。この体を縛る呪いとは別に、それは俺のズタズタにさ入れた内臓器官と筋肉を再生させていった。
「内臓破裂させないと止まらないとかお前何なの?いかれてんの?」
「俺の日常のどこをどう見てまともな人間だと思った。この変質黒コートが――本当に、何のつもりだ?」
これまで、アズライールという男にこれほど苛立ったことはない。自分の握力で自分の拳を潰してしまいそうなほど握りしめた俺の質問に、今度はアズがこれまで見たことがないほど怒りを露にした表情で胸倉を掴んでくる。
アズの背後からは『死望忌願』が源氷憑依の加護を得た夥しい量の鎖で結界を張っていた。その結界も、黒竜からの外の攻撃で抉れては継接ぎのようにその場しのぎの再生を繰り返す程度の代物だ。
アズは、敵を背後に欠片も背後を気にせず、ただ真っ直ぐにオーネストを見ていた。
「俺は確か言った筈なんだよなぁ、真面目に戦えってさ。勝つ気で行けって。それが、なんだ。さっきの知性の欠片も感じられない『おみごと』な戦いっぷりは何だよ師匠サマよぉ?」
どこかこの状況を俯瞰して眺める自分が、「ああ、今までにない程キレてるな」と他人事のように呟く。師匠サマ――確かに俺はアズに戦い方を教えたが、こんな風に、しかも嫌味をたっぷり塗りたくって告げられたのは初めての経験だった。
思えば、今までこの方こいつと正面切って喧嘩したことなど碌にない。なかった訳ではないが、数少ないそれは俺の行動に対してアズが「止めようとする」ものだ。あくまでも現状からの逸脱を抑える程度で、俺の行動そのものを否定したことなどない。
アズという男はいつもそうだ。自分から他人の生き方や方法を否定することはせず、多様性という名の曖昧な世界にふわふわと浮きながら自分の通る道を決めている。だからこそ、俺とアズは同じ屋敷に住んで行動できていたのだろう。誰に対しても寛容で、誰に対しても本質的な干渉はしようとしない、どこか享楽で無責任な傍観者。
だが、今日のアズはオーネストの行動を、考えを「変えようとしている」。
オーネスト・ライアーを否定しようとしている。
その事実が、オーネストの精神を一気に目の前の事実へと引き戻した。
鎖の結界が、また一つ大きく抉られる。アズの手が一瞬だけ震え、額から汗が垂れる。
鎖は魂の一部。あれだけ膨大な量を常に展開し続け、破壊され続けているアズの魂は『徹魂弾』をひたすら出鱈目に放ち続けるほどの負担をかけているのだろう。
それでも、アズはこんな無茶をしてまでこの空間を作り出してオーネストに激昂することを選んだ。
これは――「死んでもやる」意志だ。
「俺は、お前のいい加減に人をあしらう所もだれに対しても傍若無人なところも自分勝手で時々餓鬼っぽい所も嫌がらせ大好きなところも意地っ張りが過ぎて人格捻じれ曲がったところもよぉ~く見てた。とてもじゃねえが褒められたもんじゃねえクソッタレな人間だ。だがな、それでも俺がお前と一緒にいて平気だったのはなんでだと思う?」
「……知るかよ」
「お前が、人に対して決して嘘や裏切りはしなかったからだ」
オーネスト・ライアー。偽りに塗れた姿になり果てて尚、己の正道を選び続ける道。
それが、俺の名前に込められた唯一の意味。
「そいつに出会い、そいつの考えを聞き、そして下した判断にお前は決して自分で言い訳もしなければ忘れることもない。判断を間違えたときは、間違えたことを口に出せる。尊敬したよ。昼行燈の俺とは違う。お前がそうありたいという意識が一番伝わってきた」
鎖の結界が、また揺らぐ。
魂を欠損しすぎたかのようにオーネストの体がゆらぎ、顔から生気が失せていく。
それでも、アズは貫くように揺るぎない瞳で俺を射抜き続けた。
「なぁ、オーネスト。俺は正直黒竜に勝つ方法が見当たらねぇよ。見当たらねえけど、それでもお前と俺なら勝てると思って、お前も負けてやる気はないと言ったからいけると思ったんだ。それがお前、途中から俺の事は眼中にないみたいに神風よろしく突撃と攻撃を連打しやがってよぉ……そいつはな、もう俺の信じるオーネストじゃねえんだよ」
「………だが、あれが俺の本心だ。なんとなく知ってんだろう、お前も?」
消えてなくなりたい――。
すべてを忘れたい――。
受け入れて受け入れて、受け入れ続けた末に望むに至った矛盾の向死欲動。
「甘えんなボケ」
俺の友達は、それを分かったうえで踏みにじった。
まさに、俺が今までやってきたように。
アズの背後の『死望忌願』に黒竜の攻撃の一部が命中し、アズの脚が大きく抉れた。よろけた足を無理やり鎖で外骨格のように固定したアズが、今にも消え入りそうな腕に極限まで力を籠める。存在と消滅の狭間で生命の炎を燃やし尽くすように、込められた言葉は強い。
「てめぇなぁ、何でもかんでも過去の思い出と重さ比べて勝手に俺達を軽く見積もってんじゃねえよ。俺や『ゴースト・ファミリア』の連中にとっては今のお前が『重い』んだ。過去など知ったことか、くそくらえとほざいている今のお前に惹かれてんだ」
「だから来てほしくないんだよ。お前らは――お前らなんぞ、嫌いだ。どいつもこいつも好き勝手に俺の近くに寄ってきやがって」
「気に入らないんなら全員皆殺しにしてみろ。さあ、聞くぞ。お前にそれが出来るか?」
出来るか、だと。
簡単なことだ。
俺はいつだって俺だけの意識に従って、俺だけの判断で決断できる。
望めばやり、望まなければやらないだけ。自分に感情に従えば、待っているのは――。
「俺は――俺は、結局それは選ばないだろう。殺さない、だろうな」
喉から漏れたのは、自信が欠如し、曖昧で、情けない声だった。
心底考えて出した、抗いようのない結論だった。
俺は、あいつらを――アズを、メリージアを、リージュを、ヘスティアを、ヘファイストスを、ココをヴェルトールをガウルを浄蓮をティオナをベートをリューをラッターをペイシェをキャロラインを――俺の周囲をうろつくとことん馬鹿で救いようのないお人よしどもを前に、躊躇うだろう。
フレイヤは断じて殺すが、他は躊躇うだろう。今、俺が躊躇ったのだから。
本当が、嘘を黙らせた。
「――だと思ったぜ」
そこまで聞き届けて、やっとアズがにへら、と笑った。
どこまでも――きっと死ぬ直前か、死んだ後でも変わらないいつもの笑みを、俺に向けた。
どうだ、お前から言質を取ってやったぜ。
そんな声が聞こえてもつられて笑うほど、透き通る笑みだった。
「難しい話でもないんだよ。お前が捻くれまくってるからややこしくなってるだけで、答えはガキでも分かる簡単なものなんだ。お前は、本当は踏み出すだけでいいのにな」
「ちっ………お前に知ってる知らないの話で負けたのは初めてだ。俺には……分からんよ」
そういえば、ヘファイストスにも似たようなことを言われた気がする。
踏み出すといったって、過去から途切れた俺の希望はどこへ向かう。
あの時に置いて行かれた俺は、今更何を望んで歩き出せばいいというんだ。
「分からんなら、分かるまで、付き合ってやらんことも………ない、けど?」
鎖の結界の再生が止まった。もうこれは引き裂かれるだけの障害物だ。黒竜の爪が結界内に突き刺され、外を蠢く黒い巨体の影が見えた。維持する力は、もう注がれない。
「あ、あらら………頭に血が上りすぎて、ちょっと、今すぐ付き合うのは無理、かも…………」
そんな軽口をたたくアズの体は、次第に力を失ったように傾いて――オーネストの体に伸し掛かる形で止まった。死んではいない。ただ、魂を削りすぎてもう声も出ない程に消耗しきっている。
「まったく、『俺とお前なら倒せる』って話だったのに……先にくたばりやがった。信じられねぇ」
『לא מת――רק מתקרב――』
「………悪いが何を言ってるか分からん」
オーネストの体が動かなくなっても尚存在する『死望忌願』の口から何か音が漏れたが、流石に意味は読み取れなかった。ただ、これがここにあるという事は、アズライールの魂は消滅してはいないということだ。
鎖の結界が完全に破壊され、滅気を放つ天黒竜の邪顔が再び目に映った。
まだ、アズが戦えないことには気づいていないらしい。もとより守る余裕もない。
「手間かけさせやがって、この…………まぁ、いい。お前の口から答えを聞くまでは俺がどうにかするさ」
自分の人の好さに眩暈がしそうだと思うのは、俺の自惚れ過ぎだろうか。
どうやら俺は、ここでアズの身を守りながら黒竜を迎撃するまったく別の方法を考えなければならないらしい。意識を、集中力を加速させ、黒竜がアクションに移る前に戦略の海に飛び込む。
空を飛ぶ敵を殺すには通常ならば飛び道具が有効だ。しかし黒竜の機動力を相手にすると、どうしても飛び道具を発射してから到達するまでに致命的なタイムロスが生まれ、容易に回避されてしまう。ならば必然的に、取れる手段は通常ではないものに限られる。
現状、発射から着弾までの時間を更に縮めて命中させるような武器も魔法も技も、オーネストは持ち合わせていない。そも、黒竜は音速以上の速度にさえ反応している事を加味すれば、あれに命中させられる飛び道具は雷か光の類でしかありえない。
正確には不可能ではない。『万象変異』――忌々しい、来歴を考えると心底忌々しいこの魔法を使えば、雷に化けることなど訳はない。だが、『万象変異』は『雷になったら解除するまでなったっきり』だ。黒竜に致命傷を与えるだけのアンペアを出すのにどれだけの魔力を喰らうのか分かったものではないし、黒竜の鱗には通常ではありえない密度の組成、魔力、性質が内包されている。
リージュのようにその情報量を上回る精霊の加護などの性質を携えた魔法ならいざ知らず、今のオーネストの力で黒竜の鱗を貫通する魔法など数度発動させるのが関の山。そして黒竜がたった数度の雷で撃破出来るほどなまっちょろい存在であるなど楽天家の考えだ。
ならば取るべきは黒竜の三次元的機動と同質の力、すなわち飛行能力。
『飛翔靴』のように道具を利用して飛ぶか、或いは風の類を操る魔法で疑似的に飛ぶか――まず『飛翔靴』はありえない。何故ならあの道具が生み出す推力では圧倒的に速度不足だし、そもそも持っていない。ならば魔法か。『万象変異』をより精密に操作するのならば、先ほどの雷の案に依らずして飛ぶだけの小細工は出来るだろう。
――実行したことは、ないが。
こんな言い方をすればあの神はさらに鬱陶しくなるだろうが、『万象変異』はこれまでヘファイストスの為だけにしか使ったことがない。それに、戦闘で使い勝手のいい技とも言えなかった――こと対人戦では、特に。
いや、それはある種の言い訳だろう。使おうと思えば使える場面はあった筈だ。なのにオーネストはごく自然にこの魔法を使うという選択肢を頭の中から追いやっていた。
これを使えば、『――――』を頼ろうとしたようで……あの日の雨に打たれた『――――』の最期の行動を自分自身が肯定してしまったようで……それからずっと続けた破滅的なオーネスト・ライアーとしての生き方の全てを自分自身が裏切ってしまうようで……あの瞬間に取り残された一人の餓鬼が、厭だ厭だと叫んでいるかのようだった。
『お前、今回は『勝つ気』で行けよ?』
不意に、一人の男の言葉が思い起こされる。
馬鹿で不格好で頭が悪くて素人丸出しでしつこいようでしつこくなくて足だけ無駄に長くて時々役に立って時々迷惑をかけてきて、どこまでも図々しいくせに自分に対してだけ無駄に察しが良かったあの馬鹿の――今、力なくぐったりしている大間抜けの言葉だ。
勝つ気――自分は勝つ気でなかったのだろうか、と自問する。帰ってきた答えは、肯定だった。目の前に現れる事実という残酷な事象の連続に対して、自分の意識だけを頼りに真正面から受け止め続けるのがオーネスト・ライアーだ。それは勝とうとしているのではない。ただ前へ進み、いつか果てようとしているだけだ。
『今日は、そうじゃないんだろうな?』
そう――そうだった。
約束は守る。気に入らないが、確かにそうしないと道理が通らない。
俺は、俺自身に課した一つの『わがまま』を、折った。
『己が自由の為ならば、我が身を虚偽にて染め上げよう。汝は炎を掴めるか。風を抱擁できるのか。出来ると真に思うなら――袖を掴んで真の名前を告げてみよ――』
その詠唱が耳に届くのとほぼ同時――黒竜が反射的に振るった首の角に、骨の髄まで響くほどの運動エネルギーが込められた鈍色の刃が激突した。
瞬間、衝撃。
空間が揺らぎ、黒竜の体が僅かに後方に弾かれる。空の支配者が、空で圧される。
体を弾いた正体は、黒竜の前の前でわざとらしく舌打ちしながらその刃を構える。
「使う気はなかったんだがな………お前を相手に出し惜しみしてくたばるのも癪だから態々使ってやった。俺にこんな忌々しい魔法を使わせたんだ、お前は。分かるか?これまで3度も繰り返した無様な結末を、これでも繰り返すなどと――」
――全身に旋風を纏って空を駆ける風の化身。
――空の王たる黒竜の天下に弓引くは、神聖なりし風天。
「そんな半端な結果は誰が許そうが俺が絶対に許さんッ!!」
オーネスト・ライアーの滅気が、天空の支配を砕くように爆ぜた。
後書き
主人公をガツンと説教したり主人公に守られたりする男、アズライール。
色々と女性キャラを頑張ってヒロインっぽくしたつもりでしたが、負けました(何にだ)。
そしてやっとやる気を出したオーネストがまっとうに戦いだしました。
こうまでしないと本気になれない、本当に世話の焼ける阿呆なんです。彼は。
58.第八地獄・死途門界
前書き
ミスって書きかけを公開してしまって申し訳ございません。
今度こそ完成した58話です。
アズが倒れた時間とほぼ同刻――59階層通路。
「おや――おや、おや。おや」
自らの胸から生えた鋭く幅のある刃をじっくり10秒ほど観察した男は――後ろに立つ『人形師』に表情だけが愉快そうな顔を、180度回転した首で向けた。人体の構造を無視した動きに刺突の犯人――ヴェルトールは「うげっ」と露骨に眉をひそめた。
「おかしいですねぇ、僕の公算によるとこの子たちが空を飛べばレベル6級の集団にも被害を及ぼすことが可能だった筈ですが――どういう了見で?」
「教えるかバカ。ていうかこっちみんな気持ち悪い。喋らなくていいから死んでちょ。あとおまっ、近づくと本当に臭いなっ!」
仮にも猫人であるために人並み以上の嗅覚を持つヴェルトールに、男は無言で口から『万物溶解液』を吐き出した。ヴェルトールは顔面からその液体を浴びるが――まるでコーティングが施されたかのように液体はすべて弾かれ、地面に零れ落ちてダンジョンの床に穴を空けた。
……尋常じゃなく臭かったのか、ヴェルトールの眉間の皺がぎゅっと狭まった。
「悪いけどそれはもう効かないよん。液体はただ液体、俺にとってはもう臭いだけのものだ。物質を溶かすことは出来ても魔力やその構築式、精霊の加護みたいなものを破壊できるワケじゃないからな」
「なるほど、理屈は簡単……あのお人形さんの相殺結果『奇魂』ですね?しかしあれはお人形さんの周囲にしか展開できないと思っておりましたが――?」
「ま、今週のビックリドッキリ技ってなわけだ。こっから先は企業秘密でね」
「成程、理屈ではなく事実こそが重要ですね。とても参考になります」
「参考にせんでいいから死ねっての。何おたく、今巷で大流行のリアル殺しても死なないタイプ?」
男の体液もすべて『万物溶解液』であるという推測に基づき、既に対策は講じてある。そのためのヴェルトールであり、そのための槍――アズが戦利品に持っていたステイタス防御貫通槍だった。
『ゴースト・ファミリア』黒竜討伐非参加メンバーと襲撃者の戦闘はかなり難しい局面を乗り越えつつあった。
触れれば死する『万物溶解液』を内包した虫の波状攻撃に最初は苦戦を強いられた一行だったが、ウォノの展開する相殺結界によって液体の命中を弾き、更に魔法で攻撃が可能という事実が判明してからは一進一退の攻防に転換。
そして局面を打開するためにヴェルトールの隠し技能――人形のスキルをまるっきり真似できるというある意味反則的な裏技を用いて謎の男の背後に辿り着いたのだ。相手を生かすか殺すかという迷いもあったが、ブレインであるこの男を始末しなければ自分たちが死ぬと判断したヴェルトールの動きに迷いはなかった。
彼は元々技術力と速度だけならレベル5寸前のステイタスを所持している。攻撃力に関しては不安要素があったものの、この問題はキャロラインが抱えていた槍がすべてを解決してくれた。この槍の前にはどんなに防御力の高い冒険者も一般人程度の耐久しか保てない。
「ハァ……ハァ……もう、『三連三角』の展開も限界……」
「あたしだっていい加減ガス欠するってば。あぁ~もう、久々に使うと精神がしんどいのよねぇ……」
『そ~お?アタシまだゲンキ~!』
『拙者もまだやれまする』
普段は使用頻度が低い魔法をフルに使う羽目になったココとキャロラインは肩で息をしているが、それとは対照的に片翼の天使人形――ドナとウォノはたちは元気だ。
むしろ魔石のエネルギーがある限り半永久的に動き続けられる彼らがいたからこそ何とか戦いになったと言ってもいい。
もしこの人形を複数製造することが出来れば。
魔法によって性質を複製することが可能なら。
等身大の人間サイズで製造することが出来れば。
自ら人形を作り、自ら魔石を調達する知能を持っているのならば。
もしそうならば、それはファミリアどころか世界のパワーバランスを崩壊させる。
「………これは大きな誤算でしたね。ヴェルトール・ヴァン・ヴァルムンク、貴方は例の二人に負けず劣らずの危険だ。『取り込む』べきだった」
「へー、取り込むねぇ……それはアンタのバックにある組織の話か?それとも、その心臓も骨もねぇ軟体の体の中に飲み込むって話なのか?さっきからさぁ、槍の先から伝わる振動が均一過ぎるんだよなぁ……てめー、生物学的な意味での人間じゃねえだろ?滅茶苦茶硬いスライムみたいだ」
「あは、当たりです」
男はあっさりと白状し――同時に、ヴェルトールが横向きに槍を薙いだ。
胸の中心から横一線に刃が光り、薙がれた部分が綺麗に割れる。
血液は噴出せず、その中には骨も血液も筋肉も内臓も存在しない、悪臭を放つ虹色のどろりとした液体が入っているだけだった。それは、外側だけが人間の形をした、ただの粘性の液体の集合体だった。
斬ったヴェルトールも、それを目撃したココとキャロラインの背筋にも、戦慄が走る。
その液体は果てしなく冒涜的で、汚いとか穢れているという言葉では足りない程に異質で異様で呪われた何かだ。世界に存在してはいけない、気持ち悪いという言葉が物質になるまで幾重にも重なり続けて圧縮されたような、何かだった。
「なんなの、こいつ……。こんな魔物なんて先輩からも聞いたことない……」
「そうでしょうねぇ。魔物ではありませんからねぇ」
「アタシいろんな男を抱いてきたんだけど、全身液体で出来てる種族なんて聞いたことないわよ……!!」
「そうでしょうねぇ。人間ではありませんからねぇ」
『人の姿をしているのに人に非ざるとは、謎かけのような御仁であるな』
『じゃあなんなの?』
ただ二人、この悍ましい存在の悍ましさを感じ取れなかった人形が無邪気に男にその正体を問うた。
男は微かな感情を乗せた偽物の笑顔で、嗤った。
「きみたちの親戚だよ――!」
『マスターのカクシ子!』
『主よ、誠か!?』
「絶対にノウッ!!そういう意味じゃなくて『つくられた存在』ってことだよ!!」
相変わらず緊張感があるんだかないんだかわからない人形主従にココとキャロラインは頭が痛くなってくる。その様子さえも張り付いた笑みで観察していた男の外側が、少しずつ液体となって崩れ始めた。
べちゃべちゃと悪臭と異音を立てながら崩れる人型に、ココは思わず目を逸らす。キャロラインは警戒してか見ていたが、やがて臭いの酷さにむせてそっぽを向いてしまった。生身の中で唯一人、その光景を眉をひそめて見つめ続けるヴェルトールだけがそれに耐えていた。
「おや、それなりに出来のいい体にしたつもりだったのですがねぇ。その槍の持つ特異性質と少しばかり相性が悪かったかな?貫かれた細胞の組成そのものが壊れ、全身を不純物が駆けずり回っていきますねぇ」
「要するに死ぬってこったろ。自分がくたばる感想はなんかあるか?」
「生憎とこの人格も、この体も、設計図を基に引かれただけの存在です。私が得た情報は私に引き継がれ、私が私である必要はなくなる。そう、私とは――厳密には、存在しないので」
男は、最期まで作られた笑みのまま虹色の水たまりの中に沈んでいった。
水たまりは、煙を上げて収縮し、僅か数秒で消滅する。それと時を同じくして、潰してきた虫たちの体液や破片も煙を上げて消滅し、そこにはクレーターのような抉れた凹凸が残る地面だけが残された。
「作られた肉体と作られた人格、幾度のトライ&エラー。壊し、使い潰し、得られた成果だけは受け取ってまた新たな存在を創造する……個の概念が存在しない、結果だけを吸って成長する人形………ちっ、こいつの存在もこいつを作ったとかいう誰かも、胸糞悪ぃんだよ………」
それは『ゴースト・ファミリア』としてか、はたまた『人形師』の美学としてか、心底不愉快そうにヴェルトールは地面に唾を吐きつけた。今の名前も分からない男が言葉通りに人形の類だとしたら、その製造者とヴェルトールは100年の時をかけて語らっても相容れないだろう。
「………オーネストに探りを入れたヤツと、関係あるかしら?」
『アプサラスの酒場』の一件を耳にしていたキャロラインが呟く。通常のファミリアや魔物の概念とかけ離れた力と思想によるオーネストへの敵対行為という意味では、無関係とも思えない。先だっての鎧事件といい、今回のこれといい、これまでにオーネストに襲い掛かった理不尽な災厄とは明らかに性質が異なる。
敵の全容が見えてこない。
少なくとも、個人で起こすような『私怨』の節がなく、むしろ今まで興味がなかったものを偶然手に取るように現れているというか――そう、命令されてとりあえず行動する、という印象を受ける。一方的な悪意や恨みをぶつけられることが圧倒的に多かったオーネストに関連するトラブルにあって、このような『小ざっぱりとした』干渉は異質だ。
(オーネストに干渉してはいるけど、それが本質ではない……?オーネストに興味はあるけど、1番や2番に食い込むほどではないから片手間に調べているような………だとしたら、こいつの主の目的って――)
思考にふけるキャロラインの背中――崩落した59階層から、風が吹いた。
先ほどまでの濁った空間が押し出され、今度はどこか激しくも不快ではない不思議な感覚が押し寄せる。突然の変化に戸惑う中、ココだけは、この風が何なのかを感覚的に感じ取った。
これは、そう、いつかダンジョン内で無茶をして倒れたときに感じたそれ。
母親を思い出す程に柔らかく優しい、けれどただ優しいだけでない棘がある、そんな人の存在。
「オーネストだ、この風――オーネストの起こした風だ」
= =
『疾風』の二つ名を持つあのエルフがここにいれば、自嘲気味に呟くだろう。
――あれに比べれば私などそよ風だ、と。
「おォオオオオオオオオオオオオッ!!」
隼の羽ばたきすら霞んで見える変幻自在の刃が黒竜に襲い掛かる。それら一撃一撃の威力は先程までの捨て身の斬撃には及ばないが、膨大な風を纏うオーネストの刃と体の軌道は鳥でさえ絶対に不可能な超高速戦闘を行っていた。
斬り抜いた瞬間に方向転換して横っ面を切り付け、接近すると見せかけてターンして視界から外れ、その瞬間に死角から斬り付ける。重力を無視するかの如き異次元な戦闘方法は、捉えることは愚か抵抗する方法さえ存在しない。
空力、揚力、抗力、生物が空中を自在に動くために必要なありとあらゆるファクターを省略することを可能とした魔法という理外の力。
人間どころか馬車さえ空の彼方に容易に吹き飛ばせる風速がオーネストの背後で渦巻き、放出される。急加速によるGの影響も、『万象変異』の力によって大幅に軽減されている。いや――オーネストの肉体そのものから生成される神秘の風は、オーネストと風の境を曖昧にしている。
しかし、黒竜もまた異次元な存在。オーネストの高速戦闘を捉えることは出来ずとも、動きに反応して直撃を逸らしたりカウンターを狙って殺人的な威力の攻撃を放つ。オーネストの動きを学習して対応し、対応されていることを自覚したオーネストが新たな行動パターンを作成し、それにまた黒竜が合わせてを繰り返す。
千日手となった空中戦が突風と激突音を伴って地上に降り注ぐ。
途中からオーネストは態とリージュの作り出した氷を砕き、今度は風と氷を合わせた突風を発射し、黒竜が発射した獄炎の息吹と衝突。さしものオーネストの風も黒竜のブレスまでは完全に防ぎきれなかったのか、逸れたブレスはオーネストより下方の60層の壁に衝突し、ものの数秒で壁を真っ赤に融解させ、貫通させた。
オーネストの表情はいつもの無表情や世界を呪うような滅気に満ち溢れたものではなく、どこか苦し気だ。
「慣れない事をすると……神経が、擦り減るなッ!!」
今の一撃、逸らすにしても59層の方向に逸らすことは出来ない。上の階にいるであろう別の冒険者――ココ達――に命中する可能性があったからだ。別に死んでも俺には関係ないが、この喧嘩はアズライールの喧嘩だ。それを思い出してしまったオーネストは、もうアズライールの流儀に則った戦い方をせざるを得なくなった。
心底煩わしくて、合わせることがこの上なく鬱陶しい。
しかし、そんな苛立ちにオーネストは内心で苦笑していた。
これは、いわば自分で逃げてきた道であり、勝手に生き続けてきたツケだ。
(――だから嫌だったんだ。お前なんぞと……お前らなんかに……本当なら、気にせずにただ暴れているだけの方が楽でいいに決まってる。死んだ人間背負うより、今を生きる人間を背負う方が重いに決まってるんだよ)
死んだ人間はもうこの世界のどこにもいない。ただ記憶という名の残滓を残し、忘却の彼方に辿り着くまでそこに存在し続ける。それは消えない傷であり、何よりも残酷なことだ。
しかし、生きた人間は違う。死者は質量を持たないが、生者は物質的質量と記憶的質量の両方を持つ。そして物質的な部分でしか会話することのできない人間は、過去の記憶と違ってこれから如何様にも変幻しうる未知数で不安定な存在だ。
過去を守るのは容易い。過去に殺されるのも又、容易い。
本当に難しいのは、今という奇跡的なバランスで保たれた世界を維持することだ。
世界を構成するのは認識だ。認識は生きとし生ける者が刺激として感じることのできるすべてだ。隣人も美意識も価値観も五感も、それを刺激として認識しうるのならそれが人間の脳裏に構成された現身の世界なのだ。そして世界は狭ければ狭い程、選択という苦しみを少なくする。
これがアズライールの世界――その価値観のほんの一部。
オーネストはアズライールが目覚めるまでの間、その肩代わりを嫌々ながらしてやっている。
ただこの一欠片の価値観を借り受けただけで、オーネストは自分を維持し、他人を維持し、不測の事態に対応できる形をしながら自分の使いたくない魔法を使って、普段と全く違う戦法まで用いて黒竜と戦わなければいけない。自由をこよなく愛するオーネストにとって、この戦いは辟易する程に億劫だった。
黒竜の反撃が少しずつ激しくなり、オーネストもその激しい反撃が他の誰かに命中しないようにさらに死力を振り絞る。全身をバラバラに引き裂くほどの反動は感じないのに、心には重苦しい鎖が絡みついたように重圧を感じさせる。
『ギャオオオオオオオオオオオオオッ!!』
「ッづああああああああああッッ!!」
黒竜の爪と振り上げた剣が交差し、ギリギリで爪を弾く。だが先端から発せられた真空の刃を防ぎきれずに体に横一線の切り傷が入り、血液が噴出する。流れ出る血は熱いが、何も考えずに暴れ狂っていた時に流したそれと比べると、余りに冷めたものに思える。
ふと剣に違和感を感じて見やると、戦闘の反動でとうとう二本目の剣に罅が入っていた。予備の剣はあと一本――僅かに黙考した末、オーネストは左手に三本目の剣を取り出し、その腹に罅割れた剣で『神聖文字』を掘り込み、最後に切り裂かれた傷から漏れた血で文字をなぞった。
「ちっ………この俺が自分の血を利用してヘファイストスの真似事とは、本当に最悪の気分だ」
指でなぞった文字が幻想的な輝きを放ち、無銘の直剣を包み込んでいく。
ヘスティアが自らの眷属の為にヘファイストスに作成を依頼した、『神聖文字』の刻まれたナイフ――アズが起きてからの恐らく黒竜との戦いが続くのに、既に2本の剣を駄目にしてしまったオーネストが苦肉の策で施した『ヘファイストスの真似事』は、いっそ腹立たしくなるほど思い通りに剣の内包する法則を底上げしていく。
手段を選ばなければ死ぬぐらいなら、そのまま死んだ方がいい。そんな考えを抱いているというのに、さっきから先の為に節操なしに使いたくなかった力を使い続ける。この街で指折りの高慢ちきな自分がたった一人の間抜けの為に自らここまで自分の意志を曲げることが、信じられない。
――人は、人の為にこんな選択ばかりを続けているのか?
――あいつも、俺の知らないところではそうだったのか?
自問したオーネストは、血が付着したままの手のひらで鬱陶しそうに前髪を掻き揚げた。
「アズの奴……何が『未来はいらない』だ。こんなに重い荷物を放り出してくたばる腹積もりだったのか?この荷物、俺には重過ぎる。とっとと起きて――引き取りに来いッ!!」
それまで、俺は俺であることを我慢しておいてやる――言葉にせずそう呟いたオーネストは、再び竜巻のような風を纏って空の支配者に刃を向けた。
= =
じゃらり、と鎖が鳴る音を聞きながら、そこに足を踏み入れる。
足場一面が鎖で埋め尽くされたその真っ暗闇の中心に、スポットライトを当てられたように降り注ぐ明かりが、一人の人間を照らしあげた。眩しさに目を覆いながら、それを見る。
大きな十字架と、それに纏わりつく鎖。その鎖に全身を雁字搦めに縛り付けられたそれは、よく見れば人間だった。
動きを拘束されるように2本の槍のようなもので両足を貫かれており、足元には血だまりが広がっている。抉れた肉は既にすべての血を出しきったとでも言わんばかりに赤黒く変色し、見る者の神経をざわつかせる痛々しい断面を晒している。
と、鎖に絡め取られた人間が顔を上げた。
生きているのかも怪しいほどにやせ細り、生気を無くした虚ろな顔は、幽霊と見紛う。
抉り取られているのか、右目があるはずの空間がぽっかりと空き、守るべき眼球を失った瞼がくぼみを作っていた。それだけではない。同じ右頬の皮膚は酷いやけどで爛れ、身体も傷だらけ。その身体はまさに死に体だった。
助けようと声をかけようとし、ある事実に気付く。
「あれ、なんか………デジャヴュ」
この光景に、このシチュエーションに、強い既視感を感じる。
時間も空間も曖昧な世界の、しかし確かに起きた記憶。
俺がオラリオという世界に五体満足で現れる、そのほんの少し前。
「ということは……おい、これどゆことなん?なぁ、『死望忌願』?」
「よお、やっと気づいたか?相も変わらず呑気なようで何よりだ……」
じゃらり、と鎖を鳴らして声を絞り出したズタボロの『俺』は、口角を吊りあげてくぐもった笑い声をあげる。酷く擦れていて、電波状況の悪いラジオのように聞き取りづらかった。だが、何故か何を言っているのかは理解できた。
「随分な顔色だな。ひでぇ有様じゃねえか。アバラ何本かイってるだろ?罅の入った骨は幾つだ?千切れた筋も何本か鎖でも無理矢理繋ぎとめてるな」
どこか愉快そうにさえ見えるズタボロの俺の目の前で、今にも倒れ伏しそうなアズライールとしての俺がよろめく。持てるすべての体力を両足に注いでいなければ崩れ落ちてしまいそうだ。磔の俺の言う通り、もう体はガタの来た部分を強引に鎖で繋ぎ合わせて何とか外面を保っている。
鎖を使うにも魂を削る。維持するのにもまた、大なり小なり力を使う。
「そこまで苦しんで尚、まだ生きようと思ってるのか?」
消耗しきった体と心に囁くのは、「諦めて倒れてしまえ」という甘い誘惑。
諦めて、自暴自棄になって、何もかも投げ出す瞬間の解放間を想像する。
全てを諦めて、このスポットライトの外に広がる無明の中に融けてゆく。
それは――それは、確かに甘美な誘惑だ。考えないでよいという事は、それ自体が救いでもある。
「お前の友達も――オーネストもそうだろう?破滅を望んでいる。違うか?」
オーネスト――師匠、恩人、悪友、トラブルメーカーの悪態製造機、暴力の化身――誰よりも暴力が嫌いで、それ以上に自分自身が嫌いな男。黒竜との戦いの中に、あれは自分の死に場所を見出そうとしていた。あの男が世界を滅ぼすと言い出したら、本当に世界を滅ぼすために動き出すのだろう。
そして、この星からきれいさっぱり人間を抹消し、神を抹消し、魔物を抹消し終えた究極の静寂が包む爆心地で、いよいよを以って自分を滅ぼすのだろう。
「似たもの同士だよ、お前らは」
「似てないさ」
でも、俺は断言できるから。
俺がここで全部投げ出してくたばるのと、オーネストのそれが決定的に違うと思うから。
「オーネストは逃げようとはしない。心は捕らわれていても、体は常に前にある。例え未来に広がるのが希望の見えない永遠の空漠だったとして、それでもオーネストは前を向いて死のうとするんだ」
「たった二年、隣にいただけで随分知ったような口を利く」
「真実なんて知ったことかよ。俺がそう思ってるんだ。思うのは勝手だろ。それこそ神にだって俺の抱いた印象に口を出す権利はねぇ」
俺の知っているオーネストは、いや、オーネストの中にいるあの友達は、俺とは違う。
全身の骨が砕け散って、すべての人間が持つべき財産と尊厳を失って、絶対に抗えない運命の流れに押し流されたら。自力では何一つ理想を叶えることが叶わず、誰の手を借りることも出来ず、縋るべき希望を失った遭難者になったとしても、あいつは立つ。立って、前へ進んでから死ぬ。
俺なら、そこまで行ったらきっと無理だ。前へ進むとか後ろに下がるとかそんな問題ではない。自分の存在が存続していくという事実を受け入れるより前に壊れて、自分でも何を考えているのかわからなくなってしまうだろう。
でも、オーネストという男は全部背負って現実を見極めて、自分に希望が残されていない事を知ってから立ち上がる。すべて余さず背負って前に進めるのだ。
閉塞的で絶望的で、それでも、生きているから。
生きている以上は、進むしかない――それが生きるという事だと知っているから。
生きているからこそ、あいつはあんなにも愚直に死に向かえるのだ。
それは何より輝かしく、愚かしく、重苦しく、悲しく、どうしようもなく「人間」だということだ。
「俺、思ったんだけどさ……オラリオから俺の眼に映った世界だと、自殺ってのは異端的なんだ。人間が普通に抱く思想じゃない。俺のいた世界じゃ普通なのかって言ったらそれは違うけど、なんというか、根底にある意識がどこか決定的に違う」
いつだったか、俺が死を肯定したときにティオネは強い拒否反応を示した。
それは、恒常的に命の危険が存在する世界とそうでない世界――その間に生まれる認識のずれ。
これは俺の勝手な思い込みだが、命の危険が少ない俺の世界や認識の中で、死の在り様が変貌している。その変貌した形を垣間見たティオネは俺を侮蔑したのだ。こちらの世界の「死」と余りにも違いすぎるから。
「ティオネちゃんはそれが嫌だったんだろうな。この世界に則った死の在り方じゃない。俺は、オーネストなんかより遥かに人間的でない存在。いいや、いっそ人間の成り損ないなんだよ」
死ぬのが幸せなんてのは、生物種的本能から鑑みるに異質だ。
生物種として破綻していると言ってもいい。
神の出来損ないである人間の、更に成り損ない。
もしそれこそが「神に近しい」という事なのだとしたら、とんだ皮肉だ。
「オーネストを見てるとイライラする時がある。でもそんな時、俺はオーネスト以上に自分自身にイライラしている。俺はすぐに何でもいい加減に考えて投げ出そうとするのに、あいつの背中は俺も含めて全部乗っちまうんだ。乗せて、苦しくて潰れそうなほど伸し掛かられても進むんだ。すげえだろ?真似したいけど、ちょっとアイツの境地に達するのは無理だと思う」
「俺はお前だ。だがお前はオーネストではない。その結果は自明の理だ」
「そう、当たり前だよ。当たり前だけど……その当たり前が俺にはどうしようもなく重く見える。だから思った。俺がオーネストのこぼした分を拾って背負えるんなら、それをしてくれる男なんだとアイツが思ってくれれば、今ほど極端で狭い生き方をしなくて済むんじゃないかってさ」
そう言いながら、俺は歩き出して十字架に縛り付けられた鎖を掴んだ。
鎖は、最初から俺の支配下にあったようにあっさりと外れ、磔になっていた『死望忌願』が俺の胸に落ちてきた。俺はそれをたたらを踏んで受け止め、背負う。
ぞっとするほどに軽いそれはしかし、弱りきった俺の体をへし折ってしまうのではないかと思えるほどの重圧を体に与えた。ただそれをしているだけで息が切れ、眩暈がする。なのに、意識だけはどこまでも冴えていくのを感じる。
これがオーネストの生き方だ。自分がどんなに折れそうでも、決して背負うことを諦めない。
なんという苦行なのだろう。こんな奴、忘れて路端にでも放り投げれば楽だろうに。
そんな楽な道に逸れることが出来ない人間が、あいつなんだ。
「だから……悪ぃけど、俺は……まだまだ踏ん張らせてもらう、ぜ……!……なに、どうせ帰り道は一緒なんだ……死ぬまでの旅路――旅は道ずれ世は情け。まさか……今更付き合いきれんとは、言うまいな……?」
「それが、お前の探した夢か?」
「そんなん、知るか……ただ、やりてぇと思った……夢かも知れんが、違うかもしれん……それ、だけだ………!!」
歯を食いしばって、腰に渾身の力を籠めて前へ踏み出し、十字架にもたれかかる。
俺に抱えられた『死望忌願』はいつか俺に見せた苦笑と共に、俺と共に十字架に触れた。
「なぁ、アズライール。十字架ってのは神聖なる物なんて言われてるが……実際には、罪人を縛り付ける苦しみの重荷でしかない。イエス・キリストという変わり者の男のせいで事実と建前は逆転してしまったが、これは『俺』の罪だ」
「罪……命を粗末に考えてた罪か?それとも七つの大罪?或いは、原罪ってヤツか?」
「さぁな。そもそも、何が罪かなんてことを人間が決められるものかねぇ……」
『死望忌願』は目を細めながら、囁く。
「罪は死で贖われ、十字架は解放される。十字架は罪の重さであると共に、罪との距離……『こちら』と『あちら』を繋ぐ墓標でもある。傷も苦痛も、すべては距離………死の危機に瀕したお前は、限りなく仮面に近づいている」
「十字架が距離………?俺とお前が近づいてるって……?」
「……鈍いヤツだな。この十字架は救済であり、諦観であり、死苦であり、そして使い方によっちゃあお前さんの夢とやらを存続させる武器でもあるんだよ」
十字架が武器――いや、投擲武器や棍棒として強力であることは実は知っていたのだが、どうにもこの十字架は俺の想像とはまったく違う意味を内包したものらしい。
「背負え、この十字架を。俺がお前なら、お前は俺になれる。お前がオーネストの荷物を背負う気なら、これぐらい余分に背負って見せろ。『こちら』に生きるならば『あちら』に引っ張られるな。前を向いて、後悔さえ飲み込んで進め。俺はお前の仮面だ、お前の写し身だ。常に俺はお前の心と共にある」
そう告げて、俺の背負った『死望忌願』が光の粒子となって消え去った。
俺は息を切らしながら話を延々と反芻し、手から鎖を出して地面に突き刺さった十字架を引き抜いた。白銀のように美しく、赤黒く乾いた血を含んでも尚純粋な輝きを放つそれは、俺の心臓に不思議な鼓動を齎した。
暖かく、冷たく、近く、遠く――曖昧で矛盾した感覚が交錯する。
俺は、これが本当は何なのか、不思議と理解できる気がした。
いつかオーネストが告げたあの言葉を思い出し、俺は溜息を吐いた。
――その力の本質は『人間』だ。
――『人間を生み出した神』から解脱しようとする力と言ってもいい。
「何の情報もない所からそこまで核心に迫れるオーネストも大概だが……さてコイツ、どう扱ったものかね……」
苦笑しながら、俺はゆっくりと十字架に手を当て――眩い光ではなく、沈むような暗黒に包まれた。
後書き
今回はやたら長くなってしまいました。次回、真の死神が降臨します。
なお、十字架も5,6個くらいある意味の何個かが明かされます。……たぶん。
そしていい加減隠す気ないだろってなってきたオーネストの血の秘密にそろそろ誰かツッコんでもいいのよ。
59.第九地獄・死中活界
前書き
∑(・口・)(原作を読んである重要な事実に気付いた顔)
(-"-;)(今から修正するかどうか悩んでいる顔)
(^_^;)(逆に後で利用する機会がありそうだから放置しようと考え直した顔)
その日、バベルの頂上で優雅に紅茶を楽しんでいた女神の手から、唐突にティーカップが零れ落ちた。
その日、喧嘩をしていた二人の神が同時に地を仰ぎ、同じ人間の名前を呼んだ。
その日、隻眼の神が――その日、祈りを捧げる老神が――その日、薬を調合する神が――。
その日、その世界に降臨し、存在するありとあらゆる全能者たちが、オラリオの奥底で胎動した絶対的なそれの片鱗を知覚し、震えた。
オーネストに加勢するタイミングを窺っていたリージュも。
突如として意識が完全に覚醒したユグーも。
ダンジョン内で戦い、或いは移動し、或いは休息していた者たちも。
そして、黒竜とオーネストも――それに気付いた。
「………どう、すっかなぁ」
オーネストがさり気なく守り続けていた静止の氷柱の上で、黒いコートがはためいた。
掠れた声を上げながら、幽鬼のようにゆらりと長身が立ち上がる。
既に戦える状態ではないほど疲弊した体が小刻みに揺れ、コートの袖から血が零れ落ちる――否、血のように見えたそれは、斑な血に染まった包帯のような布切れだった。呪帯とでも呼ぶべきか、『死望忌願』の容貌と同じく包帯には赤黒い染みと共にどこの言葉とも知れない呪文がびっしりと書き込まれ、その鬼気迫る文字に込められた行き場の知れない誰かの意志が空間に伝播する。
いつも手袋もなしに素手で鎖を扱っていた細い指が呪帯に包まれ、アズの素肌が禍々しい文様に隠されていく。顔を覆う寸前まで巻き付いたそれは突如動きを止め、背中にだらりと下がった。その姿はまるで『死望忌願』そのものに近づいているかのような様相だった。
「あぁ……これ、ちょっと足りないな……どうすっかな……」
どこか普段より力の足りない口調で呟いたアズは、足元に転がっていた氷の破片をおもむろに拾い、握りしめる。その切っ先を右目で覗き込み――。
「脚はちょっとアレだから、選ぶとしたら………」
ぶつり、と何かを貫く音を立て、その切っ先を躊躇いなく自分の右目に押し込んだ。
「ぐ、ぅおおおおおおおおおおおおおお……ッ!!かっ、はぁ……ッ!!あっ、ぐがぁ……ッ!!」
思わず目を逸らしたくなる程に常軌を逸した光景。氷の破片はミチミチと音を立ててアズの右目を貫き、中ほどまで侵入した所でゴリッと瞳の底で音を立てて停止する。アズにとっては顔面に金槌で鑿を叩き込まれるような鈍痛が連続して襲ってくるようなものだ。血管や神経を通して心臓の鼓動と同時に押し寄せる激痛の津波にアズは悶絶している。
生気を感じなくなりつつあるその顔面は更に蒼く、まるで自傷によって自らの命を貫こうとしているかのように見える。
「はぁ……はぁ……ふぅぅーー……っ」
最初は多量の出血が氷を濡らしたが、やがてその血や体液は氷の刃が内包する静止の冷気によって凍結し、アズは氷の刃が突き刺さったままの顔を上げて、切れる息を吐き出した。瞬間、首元で止まっていた包帯が右目の周囲に巻き付き、アズの両肩から胸元で交差する鎖が巻き付いた。
更に一段『死望忌願』の滅死の気配が強まり――。
瞬間、アズの周囲にいた全員が『自らの首を鎌で落とされたと錯覚した』。
錯覚の一言で片づけるには余りにもリアリティに溢れ、自分の視界が地面へと落下していく刹那を鮮明に思い出させる程に、それは紛うことなき『死』の感触だった。黒竜さえもが一瞬自らの首がまだある事に疑問を覚えるほどに――熱が無く、つめたく、そして魅入られるように安らかなりし『死』を自覚させた。
その瞬間アズから発せられたそれは、無差別で一方的で不可避なる力、『死』の波動そのものだった。
「――ッ!!」
瞬間――60階層から59階層までを埋め尽くす嵐のような量の鎖がアズの周辺から溢れ出た。
四方八方から空間を塗り潰す冷たい鈍色の鎖はこれまでアズが扱っていたそれとは思えない程に太く頑丈な形状に変化し、その一部は黒竜にも飛来する。弾こうと真空の刃を無数に飛ばした黒竜だったが、瞬時に迎撃から回避に移る。直後、真空の刃を呆気なく弾き砕いた鎖が黒竜のいた空間を通り抜けて壁に突き刺さった。
これまで黒竜の炎とリージュの氷に彩られていた世界が一気に重苦しい牢獄のように変貌する。それは無数に突き刺さった鎖だけでなく、元来鎖が内包する不可避の運命が黒竜とオーネストの意志だけの空間に割り込んだからだ。
その鎖の上――とても足を置けそうにない傾斜の鎖の上に、アズはいつの間にか爪先だけで立っていた。右目が氷に塞がれたせいで左目だけになってしまった視界がオーネストを捉える。じろじろとその様子を観察したアズは、やがて少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「お待たせ、風の精モドキ」
「言うに事欠いてそれか?」
突然目覚め、突然自分の眼を貫き、突然それまでと一線を画す力を発揮したその友人に、しかしオーネストは動じるでもなく呆れ顔を見せる。アズに怒られてすっかり頭が覚めてしまったオーネストからすれば、目の前にこの男がいることは想定の範囲内であるし、謎の自傷行為の理由も凡その見当がつく。
おそらく、『近づけば近づくほどにいい』のだろう。事実、アズから発せられるそれは余りにも自然に、濃密に、明瞭に、しかし以前より透き通るようだ。より本質的に、アズは『死望忌願』の根源たる部分に触れたのだろう。
どうやって、何に触れたのかまでは知らない。知る必要もない。それはアズにだけ理解できる領域であり、極端に言えば自分と他人を分ける明瞭な境を越えることだろうからだ。アズの力とは恐らくそれ程に単純で、極めて個人的なものだ。
しかし、そうして更に平均的な人間から見て遠い領域に踏み込んだくせして、こいつは相変わらずへらへら笑っている。その事実が喜ばしいのか否か、オーネストにはいまいち決めかねる。案外決める必要もないのかもしれないと思い直したオーネストは、色々と思案する自分が馬鹿らしくなってきた。
「なんか俺が寝てる間にめっちゃ風の加護みたいなの受けてるじゃん。昔やったゲームに出てくる風の精っぽいわー。なんだっけ、ジンだっけ?」
「せめて風神モドキと呼んでほしいもんだな、死神モドキ。妖精の加護如きではここには至れない。ついでに言うと、ジンが風の精霊なんて言い出すのは日本人くらいだ」
「そうなん?中東系で砂嵐的な感じだと思ってたんだけど」
「ジンってのは幽霊だの精霊だのといった実体の見えない………ああ、いや、もういい。無駄話は俺の悪い癖だ。この話の続きは酒場でやる」
「おっけい。そんじゃま都合よくパワーアップしたことだし、そろそろシメに掛かりますかね?」
「……大丈夫なんだろうな、テメェ。次に倒れたら俺もどうしようもないぞ?」
じろりと睨む。そもそもオーネストの頭を冷やすためにアズが無茶しすぎて倒れたのだってオーネストからすれば不測に近い事態だった。次に戦闘中にギブとかほざくようならいっそ死んでいた方が面倒がなくていい。
そんなオーネストの不信を知ってか知らずか、アズは暢気だ。
「いやぁ、俺も『大熱闘』的なものに目覚めたかな?死にかけた方が調子が良くなったみたいだ。多分両足捥げたら空前絶後の強さになると思うわ」
「目、後で治るんだろうな?それのまま帰ったらお前、メリージアが3日は泣くぞ」
「リージュちゃんの氷ならギリギリセーフかな?『静止』の性質が目の組織を必要以上に傷つけないし、後で引っこ抜いてポーション注いだら引っ付くと思う。あとはアレかな、片目が無くなってはいるんだけど霊能力的な何かが上がってるみたいだから、反応速度とか距離感に関しては無問題だよ」
「このビックリ人間が……」
「お前にだけは絶対言われたくねーっつーの……」
言い返されて、オーネストは「そうかもな」と呟いた。
そして、その眼を再び獰猛な獣のように鋭く光らせる。
視線の先にあるのは、不倶戴天の天災級怪物――黒天竜。
「リージュは温存する。ユグーは好きにやらせる。俺とお前はこの場で絶対に奴を殺す。それが俺達の勝利の最低ラインだ。これが出来なきゃ全滅だと思っておけ」
「あいよ」
「その他いろいろと不測の事態はありうるが、すべてその場で対処する」
「うむうむ」
「お前も死力を尽くせ。勝って生き延びるつもりなら、死ぬまでの散歩がてら、なんて半端な覚悟はやめて泥中で足掻くように生命に齧りつけ」
「……………やれるだけやるわ」
最後の一つにアズは一瞬呆け、少し考え、厳しい顔つきで答えた。
人にどうこう言ってはいるが、アズとて自分の命に執着する意識はほぼ存在しない。
生に対する執着の差は死闘の重要な局面で必ず決定的な差を生み出す。
言ってしまえばオーネストなりの意趣返し。
ただし、アズはその意味を正しく理解し、自分にそこまで出来るか確信を持てなかったから曖昧な答えを返した。
アズらしい、とオーネストは思った。
そして、アズがそれでも結局やってくれる気がした。
「俺はやりたいようにやる。お前もやりたいようにやれ」
「元より俺はそのつもりだよ?さぁて、久しぶりにイカれた騒霊たちの……いいや、違うな」
言いかけ、アズはすこし考えた。
騒霊には実体がないが、今の自分たちは生者として戦おうとしている。
なれば、騒霊は相応しくない。自分たちに相応しいのは、あれしかない。
「――『狂闘士』と『告死天使』の最高にサイコで見苦しい醜劇をとくとご覧あれ、ってなぁッ!!」
「――血反吐と臓腑をぶちまけて死にな、クソッタレ」
1柱の化け物と、化け物と呼ばれた二人の人間が、激突した。
= =
熱意と脱力の中間。
存在と消滅の狭間。
生存と死別の隙間。
それが今の俺、今のアズライール。
オーネストが疾風となってその場を離れると同時に、俺は鎖の上を疾走していた。
それと全く同時のタイミングに、黒竜が動き出す。
「ギュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」
ちっぽけな人間など軽々しく吹き飛ばす重厚で殺意に満ち溢れた咆哮を聞いたのは、一体何度目となるだろうか。より『深く』なってこそ更に実感する、黒竜の底なしの存在感。成程、個としてここまで洗練され、凝縮された一つの意志とはそれ自体が呪のようなものだ。
いつだったか、オーネストみたいな滅茶苦茶な男は向こう一億年は現れないだろうとからかった時の事を思い出す。オーネストが人間にとってのそれならば、黒竜とは魔物にとってのそれなのだろう。あれは本当に桁と想像を外れた怪物なのだろう。
絶対殺を謳う『断罪之鎌』の直撃でも本当に殺しきれるか怪しいまでの生命の輝きは、単に体が強くて偶然現代まで生き残った怪物という過小的な評価で説明しきれない。
いや、当たれば恐らく死ぬのだろうが、『殺せるイメージに至らない』。
それだけの存在圧を他人の認識に植え込むほどに強烈なのだ。
対してこちらは死にたがりと死にぞこないがそれぞれ一人ずつ。
死にたがりはしかし、やる気になった。ならば死にぞこないもやる気を出さねばなるまい。
元より、その為に俺は立ち上がり、右の眼を抉ったのだ。
(あれを倒すには魔石を破壊するっきゃないんだけど、魔石ねぇ……大抵は体の中心に近い心臓あたりに存在するものだけど――探るか)
意識を沈め、存在しない鎖を辿る――かつて戯れに自分の『死』を手繰った感覚が手のひらに宿った。あの時は気付かなかったが、今なら分かる。これは自分や他人の生命を手繰る鎖だ。前から生死の気配は不思議と感受出来たが、これはその曖昧な感覚を技術となるまで絞った代物。
瞬間、俺の魂の感覚だけが現実世界の時間と空間を解脱し、非物質的領域に至る。
存在の曖昧な淡い鎖が目の前に突き出される。
そのすべてが少しずつ違った形状と気質を纏っていた。
冷たい鎖――リージュだ。精緻で雅やかだが、芯は強い。
複雑に編み込まれた鎖――これはユグーか。随分複雑な事情があるらしい。
これはオーネスト――おい、鎖に『触るな』って札が張り付いてんぞ。あいつ何でもありか。
これも違う、これも、これも、これも――余分な鎖を掻き分け、数多の鎖の中を探す。
(――これだ)
一際禍々しく、血と茨に塗れ、周囲の鎖をも強引に引き千切るかのように堂々と、それはあった。鎖を掴むと茨が手の平に王者なく突き刺さり激痛が奔り、しかも鎖そのものが焼けるように熱い。
いや、単に痛いという領域ではない。夥しいまでの生命を荼毘に付し、塵に帰してきた規格外の化け物が抱え込んだ魂の性質は、もはや呪怨という名の毒に等しい。棘を通して俺の全身に毛細血管の端まで爆発するような激痛が迸った。
(ッ!!気配を手繰っただけでこの有様か!しかし、その程度では止まってやれん……ッ!!)
まるで腕が溶鉱炉にでも突っ込まれて融解しているかのような錯覚を覚えても、『死望忌願』としての力が俺の手に更なる握力を生み出し、鎖を強引に引き寄せる。
あの大馬鹿がやっと自分の未来を背負ったのだ。
空の雲より朧な俺の命もまた、自らの未来くらいは背負わないと割に合わない。
生きることは苦痛の連続だ。
これは、そのほんの一部に過ぎない。
だから――。
『てめぇの根源。心臓。魂の在処を……見せやがれぇぇぇぇぇーーーーーーッ!!』
刹那、言葉や視覚を越えた第六感的な情報が脳に叩き込まれると同時に目の前の鎖は視界から消失し、そこで黒竜に向かって駆けだした自分としての物質的領域が戻ってくる。現実世界には存在しない刹那以下の情報世界から、俺は情報を引きずり出した。
代償として鎖を掴んだ右手が血を噴出して無残に爛れるが、爛れた肉ごと『死望忌願』の呪帯が包み込み、人間の形に押し留める。ポーションはもう手元にないので有難い話だ。感覚も触覚以外は殆どなかった。それはそれで、明らかに危険な領域に文字通り手を突っ込んでいるのだが。
俺は構わずその手に『断罪之鎌』を構え、黒竜に斬撃を飛ばして牽制しながら叫んだ。
「オーネストッ!!聞こえるかッ!!」
「何だッ!!」
「黒竜の魔石の在処だッ!!」
オーネストの返答が来るか否かのタイミングで黒竜が鎖を掻い潜って強烈な旋風を飛ばしてくるのを別の鎖に飛んで回避し、更に追撃で迫った熱戦のようなブレスを手元の鎖によって回避しながら跳ね回る。もはや会話が成立していることが奇跡だ。黒竜が更に広範囲の追撃を放とうとするが、オーネストが死角から黒竜に回り込んだために辛うじて余裕が生まれる。
尤も――俺が引き出した事実は、黒竜が本当の本当に前代未聞の怪物であることの証左だったのだが。
「黒竜の魔石なんだがな!!こいつ、魔石が『三つ』あるッ!!」
「ほう、とうとう魔物の大原則まで破ってきたわけか……ッ!!」
魔物の体に魔石は一つしかない、という原則を、恐らく歴史上初めてこの黒竜は覆した。
魔石は魔物の魂と肉体両方の中核であることは言わずもがな、魔物の最大の弱点でもある。極論を言えば魔石さえ破壊出来ればどんな巨大な魔物でも容易に殺害することが出来る。
そしてこの黒竜は、その弱点を分散することで一撃死のリスクを分散するという極めて合理的かつ悪魔的な進化を遂げていた。
「不思議には思ってた……あの巨大竜が抱え込む魔石となれば人間が抱えられないほど巨大になる筈なのに、巨大化ではなく小型化していたことをなッ!!」
「脳に一つ!!心臓部分に一つ!!あと、翼の付け根部分にもう一つ!!恐らく相互互換機能あり!!ただ、それでも魔石は魔石だ!!ぶっ壊せばその分だけ奴の命のストックは減るし、戦闘能力も下がる!!どれからぶち壊すッ!?」
「翼の根元だッ!そこに魔石があるという事は、巨体を浮かせる四枚羽にそれだけ他の器官以上のエネルギーを送る必要があるという事だ!!背中を抉って機動力を削ぎ、そのまま心臓部分の魔石を破壊するッ!!」
「頭はッ!?」
「あいつの頭はそれ自体が武器だッ!!狙って壊せる状況じゃないッ!!」
言われて確かに納得する。恐らく眼球を抉られた過去からだろう、黒竜は頭部周辺の反応速度や角を利用した動きが達人級に巧い。頭蓋骨の強度も鱗とは比べ物にならないだろうし、むしろ破壊するのが最も難しい部位だろう。
黒竜の攻撃による轟音に掻き消されぬよう声を張り上げたオーネストが黒竜の翼を切り裂こうと接近し、黒竜の放つ真空の刃と同じ飛ぶ斬撃を風で再現する。黒竜の放つそれの大きさと遜色ない威力で放たれたそれを見て、オーネストは瞬時に何かに気付いて舌打ちし、すぐさまその場から離れた。直後、オーネストのいた空間をブレスが通り抜け、視界が白熱に染まる。
真空の刃は黒竜の羽ばたきで発生した風の壁によって威力を減退され、翼のはためきと同時に照準を定めた黒竜のブレスがオーネストに迫ったのだ。状況だけ見れば、オーネストが一度攻撃する間に黒竜は二つの行動をしたことになる。翼と首をそれぞれ独立した武器として使うことによって相手より優位に行動している。
俺も隙を突いて鎌による死の斬撃を放っているが、回避と攻撃を同時にされるのでオーネストと同じ結果に終わっている。
自分の体が持つ特性を熟知し、人間の行動を学習した黒竜の鉄壁の戦法には驚かされる。
真空の刃、真空の爆弾、空気の壁など風と空気を規格外の威力で圧縮した多彩な広域攻撃。
長い首によって確保された広すぎる射角を誇る、一撃必塵の超火力ブレスによる遠距離攻撃。
冒険者が装備する一級の武器でさえ弾かれる強靭な鱗、爪、角などの頑強な肉体。
巨体に似合わぬ驚異的な俊敏性と反射速度、そして的確な思考力。
更には数段の変身に加えて複数魔石所持などの芸の多彩さ。
変身するたびに隙が無くなり、戦うほどに動きを覚えられていく。
だから、あれを葬るにはあちらも知らない不意の一撃で全てを決するしかない。
二人だけで倒すには、それしかない。
複雑に入り組んだ鎖の結界も、黒竜は所々邪魔な部分を破壊しながら移動している。翼が引っかかってしまったなどと半端なミスは一切ないし、恐れるに足らずとばかりに自在に隙間を潜り抜けてはこちらやオーネストに攻撃を仕掛けてきた。
おかげでこちらは黒竜に手が届かず、黒竜は安全圏からじわじわとこちらの体力を削れる訳だ。俺も『死望忌願』に近づいたことで無茶な力を発揮しているが、それも無尽蔵なものではない。むしろ、この力が途切れた時こそが俺の死ぬ時だろう。あちらはリスクを冒さずずっとああして嬲っていれば――。
「――?」
微かに、引っかかった。
確かに黒竜はわざわざ接近戦に持ち込まずとも遠距離で攻撃していれば負けはしない。オーネストの速度は黒竜に追いついてこそいるものの、完全な捨て身の戦法を断念したオーネストには致命の一撃を黒竜に叩き込む隙を掴みかねている。
だが、攻撃が消極的過ぎるのではないか?
俺はともかくとして、黒竜はオーネストの本気の時に発揮する化け物染みた爆発力と未知の部分を知っている筈だ。魔法を解禁したらしいオーネストは現在風だけで戦っているが、その動きは少しずつ風の特性や鋭さが増幅して強力なものになってきている。
黒竜がそうであるように、オーネストの学習能力も人知を超えている。発想力、応用性、持続性のどれをとっても化け物クラスの思考力と学習能力は、幼かった彼に8年間ずっと生存という結果を齎してきた。
そのリスクを考えれば、黒竜はもっと強引で更に広範囲な攻撃を仕掛けてきても全くおかしくはない。
いや、むしろ既にその考えに至っているのか?
何をすべきか取捨選択している最中なのか?
或いは俺と同じで、もう既に切り札を持っている?
ならばなぜ使ってこない?
待っているのか、それとも――今、既に準備しているのか?
ぞわり、と全身に鳥肌が立ち、得体の知れない悪寒が背中の後ろを流れ落ちた。
こちらは必殺を想定した切り札なのだ。当然あちらも必殺を想定している。
俺の必殺は当然強力ではあるが、黒竜の必殺とは『どの程度の次元になる』?
バックステップした先でオーネストの背中と俺の背中が軽くぶつかった。
偶然ではない、と直感する。オーネストも似たような結論に至ったから合流しに来たのだ。
「顔色が悪いな。気付いたようだから言っておく。奴は必殺の一撃の準備をしている……その証拠にさっきから黒竜の再生した片目に異常なまでの魔力が収束している」
「魔力って……あいつ、何する気?」
「俺達を殺す気なのは確かだろう」
互いの顔も見えないまま、黒竜にだけ意識を集中させる。黒竜はまとめて俺達を吹き飛ばすように無数の真空の刃を乱れ撃ち、いくつかの鎖を破壊しながらこちらに飛来した。一度別れ、逃げた先で再び背中合わせになる。
「どうやらあれは目ではなく、『別の器官』らしい。考えてみれば当たり前だ、ずっと片目で戦ってきた黒竜に今更もう一方の目が復活しても使い辛いだけだからな」
「何個仕込みすれば気が済むんだあいつ。くそう、地上に戻ったらガウルの義手にも仕込みしてやる」
「勝手に言ってろ。それより、魔力の収束具合からして奴が札を切る時は近いぞ」
「なんとなく想像ついてたわ。甘い話って本当世の中にはないよなぁ……」
「だから……」
「だから、俺たちはどうするんで?」
大軍師オーネスト様のありがたーい――これは嫌味ではないが――作戦曰く。
「使う前に抉殺する」
「どシンプルな無茶ぶり来たッ!?」
やられて嫌ならやらせない。オーネストの思考は常にシンプルで最短の道を行く。
言葉に出した以上、オーネストは本気である。俺達の人生で一番短く、一番難しく、一番命懸けの作戦を本気で今すぐ決行するからお前もやれと言っているのだ。
滅茶苦茶である。暴君だ。自分本位にもほどがある。
しかしこの男がそう言うのなら本当にここで叩かないと詰むんだろう。
「あぁ~………命懸けの闘いってのはこんなに心臓に悪いんだな。背中越しに鼓動が伝わってたりしない?」
「ふん……俺の心臓の五月蠅さで相殺されてるのかもな。まったく、未来ってのは重いもんだ。何なら緊張が解ける魔法の言葉、使うか?」
「やめとく。あ、いや待てよ?ちょっと思いついちゃった」
一つ、俺は思い間違いをしていたのかもしれない。今のような状況の場合、自分が生き残る事を優先して考えると絶望しか見えない気がするが、生き残る術をきちんと考えれば勝機がちゃんとある訳だ。すなわち――。
「――ってな感じでマイナーチェンジしたらどうかね?」
「………啖呵としちゃ弱いが、お前らしいか」
ふっ、と小さく笑ったオーネストが剣を掲げ、俺もそれに合わせて鎌を掲げ、二つの切っ先が同時に黒竜へと突き付けられた。
「「俺達の求める未来に、黒竜は要らない」」
後書き
アズは『霊〇』を取得した!(〇絡……某死神漫画に登場したがそんなに出番なかった技術)
という冗談はさておき、お待たせしてすみません。
次回、とうとう戦局が動きます。(←今まで動いてなかったのかよ)
60.第十地獄・灰燼帰界 前編
前書き
最近のお気に入り作業用BGMは「Ying Yang」と「Godsibb」。
ちなみにこれまでによく使った曲は「LILIUM」とか「ブラーチャ」とか。
この変なテンションの小説を続けるには、変なテンションになれる曲が必要なのです。
3つの光が空を交差するのをぼうっと見上げる。
歪なる威光。永劫の終焉。焼尽の黒焔。
己が魂を賭けるように、幾度となく光は激突し、その度に世界が悲鳴を上げた。
「黒竜――そうダ、俺は至高ノ熱戦を求めて……」
黒竜を追い詰め、灼熱の躰を拳で貫き、そして……そして、そこから先の記憶が不明瞭だった。
三大怪物の名に相応しい熾烈な猛攻を受けた気はする。
だが、その猛攻を受けても尚、俺は動ける筈だった。
そう、あそこに求めるものがある。己もまた一筋の瞬きとなってあの至高の殺意と激突すべきだ。そう理屈で思っているのに、体には反映されなかった。
精神の思うままに肉体が動かないということは、肉体の限界という奴なのだろうか。これまでの生に於いて唯の一度も経験したことがない限界というものを迎えたのならば、成程確かに動けない筈だ。そう思い、自らの体を唯一動く首を曲げて見やる。
(……………なんだ、コレは)
ゴーレムのように武骨な両腕は、アズの即席で作ったナックラーも含めて健在だった。
ただ一つ――手の甲から肩に伸びるように皮膚をのたうつ黒い筋を除いて。
実体のある物ではない。これは、入れ墨の様に皮膚の色を変色させたものだ。
爬虫類特有の鱗のような文様を描いているが、顔があると予想されるその先端は見えない。黒い筋は剣ほど太く、肩を通って腹や背中を規則的になぞり、紆余曲折してもう一つの端は反対の腕に続いていた。
『いやはや、化け物同士の闘いとはなんとも凄まじい。あそこに人間が巻き込まれようものなら、無辜の民はいとも容易く肉片に転生してしまいことだろう。恐ろしいねぇ、厭だねぇ、化け物はさ。化け物なんざ見世物小屋の檻の中で他の化け物と食い合ってくたばればいいとは思わないかね?』
「!?」
その男が自分の隣にいて、まるで友人にそうするような気さくさで声をかけてきたことに、ユグーは驚愕を隠せなかった。ユグーの思い描く世界で起きうる現象ではない。男は四角い淵の眼鏡にまるで一般人のような軽装で、強者の気迫どころか生命の気配すら感じられない。まるで全く別の場所に存在した人間の影だけがその場に投影されているかのようだった。
その後ろにはユグーと同じく黒竜との戦いに赴いたリージュが不自然なまでに静かな面持ちで空を見上げている。自分の真後ろに突然現れた男の姿も声も認識していない。目の前の敵をしかと見据えているだけだ。
お前には見えないのか、聞こえないのか――そう問おうとしたユグーの喉が、声を出さない。
再度肺を膨らませる。しかし、出ない。
自分が動いているという気配すらリージュは認識していないようだった。ユグーの見る限り、彼女は戦士として一流に近い素質を持っている。そんな人間が、敵を注視しているとはいえ背後の不信な気配に疎い筈がない。まるで、「気付かぬようにと望まれた」ように、リージュはユグーの異変に気付いていなかった。
(なんなのだ、これハ。白昼夢だとでもいうのか)
だとすれば、随分とくだらない夢だ。何の意味も見いだせない。
ふと、自分は既に死んでいるのかもしれないと思い、足元の瓦礫を蹴る。
脚が動き、瓦礫は蹴り飛ばされた。リージュはそちらを見ない。それもそうだろう、黒竜とオーネストたちの猛攻の余波が降り注ぐこの場所で瓦礫の一つが動いたから何だというのだ。だが物体に触れることは出来た。肉体と精神は繋がっている。
もう一度体を動かそうとする。
先程足が動いた時とは打って変わり、黒竜に向かおうとしたときの様に体の自由が利かなくなった。
『うえぇ……怖いよ。痛いよ。ヒッグ、怖いのも痛いのも厭だ……』
眼鏡の男とは違う、子供の声。男と反対方向に、アマゾネスの少女が立って己の目を拭っていた。
ユグーの視線に気づいたように顔を上げた可憐な少女は、泣きはらした顔を屈託のない笑みに変えた。
『だから怖いのは殺そう!痛いのは殺そう!この世に溢れるる苦しみと悲しみを生み出すモノをすべて滅ぼしちゃえば、誰も苦しまなくて生きていけるよね?全て終わるんだ、すべての苦しみが!』
『終わらんさ!!はははっはっはー!!』
また、実体のない人間がユグーの周囲に増える。ピエロのような恰好をした男の犬人だった。
『生きる苦しみとは生の実感!痛みを知ってこそ人は手を取り合える!世界が平和になったところで酒場の酔っぱらいがカッとなって殺人の罪科を犯すことは止められぬワケだからね!全てが都合よくはいかない!痛みこそ人間だ!だから化け物も人間もみんなハッピーに生きようじゃないの!!』
『されど幸福なる世界とは調和の世界。痛みを知ることも重要ですが、知る必要のない痛みもありましょうぞ。調和無くして世界はあるがままにならぬのです。癌は癌。調和を壊す強すぎる力は、他の多くの者の調和の為に尽滅せねばなりませぬ』
修道女のような恰好をしたエルフの女が、目を伏せて祈りながら異を唱える。
いや、彼女だけではない。いつの間にはユグーの周囲はあらゆる種族のあらゆる人間で埋め尽くされていた。誰もかれもが口々に、目の前の闘いをまるで他人事のように好き勝手に言葉を交わす。
『俺より強い奴なんてなぁ、要らねえんだよ!殺せ、殺しちまえ!!全員皆殺しだ!俺が法度を敷き、俺が俺の裁量で世界を廻せ!それで人類の意識は統一されんだよ!!』
『手負いの獣は弱ってから仕留めるべし。待て。待って戦いに勝利し疲弊したところを仕留めればよろしい。そして過ぎたる力となりし折は、己をも殺せばよい』
『暴力はいけません。言葉と真心を叫び続けるのです。人の可能性は無限。たとえ何十年の月日がかかろうとも、彼らはきっと秩序を知り、平和的に生きてくれることでしょう。それが平和な千年王国の始まり。無意味な闘争の潰えた人類が新たなステージへ進む階なのです』
『生きることを諦めるのはイヤ!でも他人が生きられることを選べないのはもっとイヤ!!だからアタシはアイツラが戦うんなら何度でも立ちはだかる、何度でも止める!何度繰り返してもいいよ、アタシの自己満足だから!!』
『邪悪滅するべし!!人を持て遊ぶ神の先兵も、人類に災厄を振りまく魔の狩人も等しく地上から滅するべし!!人の道は人が決める!!』
『神様はやさしいんだよ。やさしくない神様もいるけど、やさしい神様もいるんだ。神様はとっても聡明で、何でも知ってて、いつも人間にやさしい。そんな神様のいうことを聞いて生きていれば、ぼくは天国に行けるんだ』
『愛が足りない!!この世の全ては愛を育む愛の庭!!愛こそ人類最強にして無尽の感情!!世界よ、愛を知り、愛に包まれよ!!闘いなんて馬鹿馬鹿しいぞォ!!』
『殺すと決めたら殺しなさい!恋人も家族もガキも老人も殺しなさい!!殺して憎むのよ!世界を憎み抜くの!!ここは常世の地獄、救いなぞ幻想!!憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め!!憎しみこそ生きる原動力になる!!生きて殺して俺以外全員いなくなってしまえば………雑音を聞かずに済むのだから』
それは無責任な、どこまでも無責任な数多の声。
目の前の闘いの結末を、滅茶苦茶に語るだけの声。
無意識的で、集合的で、この世の全ての色をごちゃごちゃと混ぜ繰り回し、その全ての色が混ざらないまま歪なマーブル模様を描いているような、異常で異質なそれを絵具に人間の型に色を塗り込んでいるような、混沌。
『滅べ!!』
『生かせ!!』
『赦せ!!』
『怒れ!!』
『止めよ!!』
『させよ!!』
『愛せ!!』
『憎め!!』
荒れ狂う感情の奔流に耳を苛まれつつ、ユグーは自問する。
それはこの声の正体でもなく、自分が何をすべきかでもなく、純粋な疑問。
(何故そこに、俺ノ意見が。俺ノ声が存在シナイのだろう)
手のひらの黒い筋が蠢き、見えていなかった手の甲にてばくりと口を開く。
ユグーの手の甲に現れたのは、すべてを飲み干す巨大な蛇咬だった。
『総論』
『滅せし確率低し。説得の可能性難し』
『両者を滅する可能性が生まれるまで相互に生かし、現状維持』
『されど連中は人間の世界を崩壊させる破滅の因子』
『見極める必要がある。いつ、どうするのか』
『取り除かなくちゃ』
『毒を制する毒になるかもしれない』
『人間の為に』
『人間が想う人間の為に』
『人間が人間としてある為に』
『神が滅んでも人が生きていける、人間の為だけの秩序の為に』
やがて結論が出たというように、すべての人間が笑顔でユグーに手を差し伸べる。
100にも届こうかという笑顔、手のひら、意識、それに呼応したかのようにユグーの体の黒い大蛇の躰が妖しく輝き、その場の全ての意志を喰らうように蛇咬がバグン、と閉じた。人間たちは一人もいなくなり、そしてユグーの頭の中に『総論』とやらが滝のように雪崩れ込む。
ユグー・ルゥナという意識が膨大な流れの内に流されそうになり、意識が遠のく。
その狭間で、問う。
(お前らは、誰だ。お前らを見る俺は――誰だ?)
ただその疑問だけが、只管に掠れ行く意識のなかで存在し続けた。
= =
やればできるなんて無責任なことを言われれば反論の2,3はしたくなるが、やらねば死ぬと言われれば人間に残された道は実行と逃避の二者択一。なれば選択肢の肢とは事実上一つのようなものであり、俺にそれを選ぶ事への躊躇いは存在しなかった。
「最大火力による徹底的な殲滅ねぇ。単純な話だけど、確実に叩き込んで命中させられる保証が欲しいな」
「俺が作ってやろう。満足か?」
「満足でなくともやれってんだろ?どうせ他に代案もないし、やろやろ」
「ただ――こいつは後出しジャンケンかもしれん」
オーネストの眼光が、一瞬だけ今ではない遠くを見据える。
「こちらも札を切るが、向こうも札を二枚以上伏せているかもしれん。相手が先に焦れて動いた場合に出鼻を挫く捨て札は、俺なら用意するからな。後出しされた場合の勝率は五分を切るのを肝に銘じておけ」
「と、いうことは確実に切ってくると踏んでる訳ね」
少年漫画とかならこちらの攻撃と同時に向こうが動いたら「何だと!?」と驚愕するのだろうが、この可愛げの「か」の字もない無頼漢にかかれば予測可能な未来として予め言葉に出てしまうらしい。
「黒竜の頭脳も怖いが、お前の灰色の脳細胞も怖いよ」
「人間ってのはそういうもんだろう。『悪魔の狡知』なんて言葉があるが、実際にそいつをひねり出してきたのは神でも悪魔でもなく、人間だ」
悪魔に一番近い生物は人間、などという名言がある。間違ってはいない。少なくとも、ちょっくら国を滅ぼすために核ミサイルのスイッチを押せる程の権力を握った者が複数存在していた俺たちの世界では、そいつは至極まっとうな考え方だ。
それに、たとえ悪意でなくとも一つの名の元に統制された集団というのはどれも形のない化け物になりうる。俺たちの世界では国家とは怪物だ。ホッブズとかいう哲学者曰く、恐れ多きその名は「リヴァイアサン」。膨大な人間の意識を飲み込んで善と秩序の力を振るうその化け物は、時に戦争と言う名の虐殺を大衆の意として振るうことができる。
皮肉な話だが、もしかしたらこの形のないリヴァイアサンは、こちらでの『三大怪物』たる海の覇王リヴァイアサンより多くの人間を殺しているかもしれない。ファンタジーが胡乱げな目で見られていたあちら側にも、確かに形を変えて怪物はいたのだ。
長期に渡って自然発生し、拡散し、求められ続ける実体を伴わない怪物。
長い歴史のほんの一部の年月だけ、人間に不可避の猛威を振るった怪物。
あちらとこちらでは、すべてが対照的だ。
向こうでは聞き上手で主張の少ない凡夫だった俺も、こちらでは化け物呼ばわりされる狂人扱い。それを気にしていた嘗ての俺は、まるで気にしない今の俺に取って代わった。しかし今だけ、俺は俺自身を化け物であれと望んでいる。
「じゃ、そろそろ黒竜に人間ってヤツを堪能してもらうかね」
「既に授業料は眼球で払ってるが、もう一杯喰らうのも乙なものだろう」
神でも悪魔でもない俺自身に祈る。
堕ちて尚堕ちよ。沈んで尚沈め。
俺よ、目の前に君臨する怪物を上回る怪物であれ。
「カウント、3……」
両手にカラシニコフに酷似した銃が握りしめられる。グリップから伝わる硬く冷たい感触と、心臓から伸びる『徹魂弾』の鈍い光がやけに鮮明に感じられた。これ以上なく弾の威力は高まっているが、これ以上なく魂の限界を感じさせた。
「2……」
目線を合わせないまま、オーネストの周囲に風が集まっていく。神秘的なエネルギーを内包した濃密なまでの空気の流れが、目には見えない『何か』を形成してゆく。これまでのオーネストが纏っていたそれと桁が違うように感じるのは、初めて扱う魔法の風の具合を掴んできたのだろう。
「1……」
オーネストの体が風の塊を抱え、爆ぜるように加速する。
俺の背中に輝く銀色の十字架が現れ、キキキキキキ、と歯車が回転するような異音を立てる。
「ゼロ」
轟ッ!!!――と。
『グゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!』
「――ッ!?」
筆で書き殴った墨のような漆黒が、空間を貫いてオーネストを追い抜く。
それは本当に、何の前触れもないノーモーションからの、究極の奇襲だった。
爆音を置き去りにする、音速を超えた突進。オーネストが散々使ったそれを模倣するような破壊と粉砕に特化した砕滅の集約点となって加速する。
どのような原理でそれを成したのかなど分かりもしないが、一つだけ確かなことがある。黒竜は後出しジャンケンなど狙っていなかった。黒竜が考えていたのは――。
――『俺達が何かする前に鏖殺する』ことだったのだ。
「………マジか」
次の瞬間、黒竜の顔面は今まさに黒竜を攻撃しようとするアズの目の前にあった。
その口からは溢れんばかりの灼熱が漏れ出し、溶鉱炉にアズを叩き込むように大口を開いている。
全く行動が間に合わない。いや。それどころかこの一撃は広大な地下空間であるダンジョンを貫通して大地震を引き起こすのではないかと疑いたくなるほどに、速過ぎる。回避するとかしないという問題ですらない。もはやここまでの大質量の物体が通ったとなれば、近くにある物体は衝撃波だけで粉々に砕け散る。体が避けられても空間の壁に押し潰されるのだ。
考えうる限り最も絶望的で、最悪な奇襲。
オーネストに目もくれず、まず確実に殺せう一人を確実に殺す為の一手。
必殺だ、必滅だ、回避不可避だ。
「だからこそ、それが中断される事なんて欠片も考えなかったろう?」
黒竜の目の前に、巨大な銀色の十字架がひとりでに掲げられた。
俺とて、その程度の絶望は考えていた。オーネストだってそうだろう。
切れる札が一枚なのは、なにもお前だけではないのだから。
「生ある者が逃れ得ぬ咎を背負え――『贖罪十字』」
その十字架に触れた、その瞬間。
黒竜の加速が、黒竜の火焔が、黒竜の質量が、黒竜の引き連れた衝撃波が、黒竜が破壊の意志を込めて発生させたありとあらゆる現象が、十字架に飲み込まれるように消え去った。
刹那、十字架がキキキキキキキキキキキッ!!!と耳障りな奇音を立てて振動する。
「罪は消せない。だから『贖罪十字』は存在がある限り絶対に破壊できない」
『グルルルゥッ!?』
流石というべきだろう。馬鹿な魔物なら「なんでこの十字架は壊れないのか」と困惑して動きを止めるだろうが、黒竜は瞬時にそれを『未知の存在』と認識し、リスクを避けるために瞬時に距離を取った。距離を取るついでに真正面に真空の刃と空気の壁とブレスを三つ同時にぶちまけるが、『贖罪十字』に触れた瞬間にすべては無に帰す。
破壊を吸い取っているのではない。攻撃を無効化しているというのも少し違う。
この十字架の本質とは、どれほどそれを避けようとしても、破壊しようとしても、決して叶わないという普遍的な過去を表す――そのような性質がある。だから、十字架は決して拒絶することが出来ない。
過去をなかったことにはできないのと理屈は同じなので、「現象」がなくなっているのではない。
ただ、この十字架に攻撃することは過去を殴ろうとするようなものなので、決して叶うことはない。
叶うことがないから「意味」がない。
すなわちこの十字架は、十字架を破壊しようとする事象が含む「意味」そのものを、消滅させているのではなく「なくして」いる。黒竜の攻撃は確かに十字架とその後ろにいるアズに届いたのだ。届いたが、『意味がないから何も起こらなかった』。
「そしてもう一つお前さんに伝えておく……罪からは逃げられない。お前が生きている限り、それはどこまでもお前さんを追い、そして負う」
黒竜がそれ――あの十字架がアズの目の前に存在しない事を認識した瞬間、黒竜の前上から異音がした。
ギギキキキキキキキキキキキキキキッ!!!
そこにあったのは、黒く、どこまでもドス黒く染まった漆黒の鎖が周囲に巻き付いた十字架。
具現化せざる罪を総て吸い込んだように重く、深く、決して潰える事はなく。
「背負えや、そいつがお前さんの『罪』の重みだ」
その重圧だけが、黒竜の全身に雪崩れかかった。
ずぐん、と、黒竜の翼に果てしない重量が伸し掛かる。
これまで世界に誕生してから今に至るまでに虐げられてきたあらゆる者達の血涙と怨嗟が蘇るように、その骸の重量が降り注いだように、余すことなく十字架によって存在を認められた罪科たちは止め処なく黒竜を地に堕とさんと引き摺る。
ただし。
『グゥゥゥウオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!』
背負った罪の重みに耐えられる者にその効果は鈍く、そして罪という意識を超克した化け物の躯体を留めるには余りに足りなすぎる。人間なら頭蓋ごと砕けて潰れる死の重圧も、黒竜の機動力を完全に奪うには至らない。
まだ動ける――ただし、万全からはかけ離れる。
それで黒竜が弱くなる訳ではないが、ことオーネストにとってその僅かな隙は致命的と言う他ない。
「まぁ、そうがなるな」
間髪入れず――オーネストの両腕に発生していた『真空の爆弾』が明確な指向性を持って黒竜の四枚の翼に叩き込まれた。
黒竜がオーネストの突進を真似たのと同じように、オーネストも黒竜が散々放ってきた『真空の爆弾』を模倣し、再現し、更に指向性を持たせることで更に強い衝撃を発生させて黒竜に叩きつけられる。
通常ならば黒竜にその程度の風など傷を負うほどの攻撃たりえない。だが、『贖罪十字』の罪と星の重力と、更には黒竜の翼が上方から攻撃を受けたときに最も風を浴びる面積が広くなる瞬間を狙い打たれたことにより、黒竜の動きが『鈍った』。
これだけの攻撃を叩き込まれて、それでも黒竜の動きは『鈍った』だけ。
少し鈍り、その一瞬から更に少しだけ鈍り、それでも決定的な隙とは言えない。
依然としてこの蒼穹を朱に染める覇王の速度は、オラリオ最上位冒険者を越える駿足でちっぽけな人間種を圧倒せしめる。
故に――その僅かな隙をこじ開ける為の一手を『切り札』と呼ぶ。
俺は、オーネストが黒竜に仕掛けるより僅かに早く、十字架を手放すと同時に事を起こしていた。
「かーごめかごめ……籠のなかの黒竜ぃをー……いま、いま、堕とすッ!!」
腹の底に力を籠め、俺は両腕に抱えた『徹魂弾』を――『出鱈目な照準でぶっ放した』。
まるで若者が音楽に合わせて出鱈目なステップを踏むように、派手なだけの破裂音を撒き散らすように、体を回転させながら撃つ、撃つ、撃つ。残魂も疲労も忘れ、嘗てより連射性能の増したアサルトライフルで俺は銃の舞を踊った。
弾丸は下へ、上へ、銃の反動に振り回されるようにまるで照準を定めないままに嵐のように周囲にばら撒かれる。その一発さえも、黒竜には向かずにただ無為に弾丸を連射し続けた。マズルフラッシュが空しく空間を照らし、魂はただただ散逸し続ける。
だって、『照準を合わせる役目は俺にはない』のだから。
黒竜、お前は一つ見落としをしているのかもしれない。
俺が目覚めると同時に八方に放ち、壁や天井に突き刺さった巨大な鎖たちを、お前は徹底的に破壊しなかった。
俺が設置した鎖を張り直さず移動だけに使っていたから、元々大した役割はないものと考えたのか。
それとも現在の黒竜の能力ならば鎖が飛来しても苦も無く破壊出来るからか。
或いは、破壊に費やす時間と隙を鑑みて、あえて放置せざるを得なかったのか。
いずれにせよ、その判断は残念なことに致命的な失態と言わざるを得ない。
「さあ、出番が来たぜ!踊り狂って捻じ曲がれよ『選定之鎖』ッ!」
この鎖は俺の魂であるが故、どんな形状でどこにあろうが俺の意のままに動く。
俺の為だけの黒子であり、バックダンサーであり、僕であり、俺自身。
そして――鎖も弾丸も俺の魂を源泉とするモノである以上、『こういうこともできる』。
壁や天井に突き刺さったアズの鎖たちが指揮棒に振り回されるように一斉に蠢き、我先にと空間を塗り潰すように空間を駆け巡る。その鎖の端に、或いはリングに、俺の放った『徹魂弾』が命中した。
ギキィンッ!!と甲高い金属音を立て、弾丸の弾道が変化する。さらに同じ鎖に出鱈目に放った弾丸が何発も命中し、弾き、弾道を変化させ、跳弾の嵐が発生した。その全てが出鱈目なようで――鎖の結界の中から漏れて壁や床に命中するような無駄弾はただの一発もなし。
黒竜との惨殺空間に発生したのは、魂魄をも穿つ消滅の棺だった。
「運べ、囲え、弾け、穿てッ!!廻転する『死』の跳弾する先に、不可避の尽滅よあれかしッ!!」
跳弾というのは漫画のように意図してコントロールすることは不可能に近い。だが、俺の鎖と俺の弾丸は生憎とまっとうな物理法則の元に動いてはいない。俺が今現在放つことの出来る最悪の技術によって出鱈目に散逸した筈の破滅が次第に収束し――黒竜の鈍った背中に流星のように降り注いだ。
ガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッッ!!!
『ギュオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?!?』
黒竜の背中、翼の付け根部分に夥しい量の弾丸が降り注ぎ、堅牢を誇る黒鱗が凄まじい速度で弾け飛んでいゆく。冗談のようにあっさりと、再生する速度を容易に上回り、まるで氷に熱湯をぶちまけるように、無慈悲に。
撃てば撃つほどに俺の心だけが肉体を離れ、どこかに消えていきそうになる反動を歯ぎしりして堪え、俺は死力を振り絞って撃ちまくった。あと数秒も続ければ俺と言う存在が何を考えていたのかを完全に忘却する領域に達しそうなほどに、それは極限の一斉掃射だった。
『徹魂弾』は命中した物体、エネルギー、運動を弾丸に込められた力の分だけ削る。たとえそれが不壊属性だったとしても、そのような性質ごと殺す、反物質によるエネルギーの発生を伴わない対消滅に近い現象を引き起こす。
最初の一撃を浴びたその瞬間には既に手遅れ。
背中の肉を抉られ、翼の付け根を殺され、翼による移動回避も叶わぬまま一方的にいたぶられ続ける。この一瞬――二重の重圧によって動きが鈍った瞬間に俺の持てる最大火力を叩き込む。『断罪之鎌』では振るモーションを見てから回避されるため、完全に弾道予測が出来ない照準の仕方をする『徹魂弾』だけで実行が可能だった攻撃。
そして、黒竜は他の誰よりもそれをはっきりと理解していた。
「……ッ、こいつ、どれだけ……ッ!!」
弾丸を発射するたびに脳の回路が焼ききれそうな程に激しくなる『死』を堪える俺の眼に、絶望的な光景が映った。
黒竜が翼を上部に展開して、『徹魂弾』の掃射を防ぐ盾にしている。弾丸は確実に翼を削って機動力を封じているが、これでは魔石どころか背中の黒鱗まで弾丸が到達しない。時間をかければ出来るだろうが、時間をかけられるほど俺の弾丸は長く保たない。
しかも第二形態で見せた灼熱の炎を翼に纏わせ、『徹魂弾』の破壊を軽減するバリアのように使っていた。恐らくそれもまた黒竜が、本来は攻撃の為に取っておいた切り札の一枚。この状況に至ってもまだ黒竜は、こちらの思惑に欠片も乗ってはくれない。
翼を犠牲にすることで時間を稼ぎ、魔石の損耗を控え、そして本当の切り札を切るまでの時間稼ぎを画策している。おそらく、アズが想定する攻撃時間限界以上の時間を見積もったうえで、だ。
待つのは、死。
もうこの攻撃を中断しようともしまいとも、黒竜の切り札に対抗する力は俺には残されていない。この魂の連撃が途絶えたときは、俺が力尽きて指先一つ動かせなくなり、疲労と無の境目が曖昧になる瞬間だけだろう。
だから――次だ。
「背負え、オーネストォォォォォーーーーーーッッ!!!」
黒竜の上方――『贖罪十字』によって8年の間に犯した夥しい悪行の罪科を背負った一人の友達が、頷きもせずに剣を構えた。
「背負うさ。いつだって、そうしてきた」
いま、俺の遍く未来の全てがあいつの背中に掛かっている。
後書き
この一話で黒竜第三形態決着まで行く気だったんですが、最初のユグーの謎空間を抜いても全然1話に収まらないことが判明し、変則的ながら前編と後編に分けることになりました。
おまけ解説
グラーエイツ……そのまんまヘブライ語で贖罪の十字架的な意味だと思う。なお、グラ―には贖罪以外に救いという意味もあり、ついでにエイツとは木のこと(磔に使う十字架はこの頃木製だったからか、十字架の意味も含まれるみたい)なので直訳すると「救いの木」とも訳せるというなんとももやっとしたネーミング。
あと十字架が変な音を立ててますが、別に深い理由はありません。
敢えて言うなら罪に対して人間が抱きがちなとある考えを代弁している音です。
最近どんどん小説内外での説明が投げやりになってきた気がする。
61.第十地獄・灰燼帰界 後編
前書き
文字数が膨らむ割に話が進まなくて本当にすいません。
この小説書き終わったらもっとコンパクトな文章を書けるよう修行に出たい気分です。
書きかけで投稿するという何度も繰り返したミスをまたしてしまい、申し訳ありませんでした。
勘違いするなよ、■■■■。
これは貴方が望んだから使っているんじゃない。
ただ――ただ、もう少しその行く末を見ていたい馬鹿がいて。
それで、その馬鹿の未来に邪魔な黒蜥蜴がいるから仕方なく使ってるだけだ。
激しく紫電を迸らせる全身を真下で防御する黒竜に向け、剣先に意識を集中させる。
『万象変異』――雷。雷の速度と俺の罪科の重力加速、そして剣の三重刺。
今考えうる、今の俺が繰り出せる最大貫通力の貫撃。
(これで貫けなきゃ、後は本当に死ぬだけだな。死ぬだけ――狂おしくなるほど待ち望んだ俺の終焉。そこに飛び込みたかっただけなのに、アズの奴め。あいつがいると死を望む自分が白ける)
不思議だ。あれほど熱狂した戦いだったのに、自分以外の人間が関わると熱が冷める。
今、こうして切っ先を黒竜に向け、背に巨大な十字架を背負った今でも、微かの熱もない。
――いいや、違う。熱はある。
次の瞬間に、確実に、全力を以って致命の一撃を叩き込む。
鋼にも似た決定意志。それはつめたいが、その形状は鋼をも溶かす熱で形作られる。
ならばそれは、俺の意志だ。
俺は、確かにこの胸に存在する熱に魘されて黒竜を穿つ。
「脆く儚き我が身よ、煉罪の深紅き霹靂となりて漆黒を穿て」
その瞬間、ギロチンが振り下ろされるような速度で落下を始めた『贖罪十字』の底を蹴り飛ばし、オーネスト・ライアーという男は『雷刃』へと変貌した。嘗ての英雄たちも成し得なかった限界を越えた加速が生み出す刃の威力を以てすれば、それは虚言となりえない――力の身の捨て身を上回る、技術を重ねた捨て身の一撃だった。
人間でありながら雷であるという、この世に起こりえない『奇跡』という副次効果を携えた一撃の意味を、オーネストはこの瞬間だけ忘れていた。
= =
どこまでも果てのない黒と、どこまでも際限のない闇が波打つ泉の中央にいた『それ』は、どこか遠い場所から投影される深紅の霹靂を見つめる。覗き込んだ者を引きずり込むような深淵の淵のような眼光には、人間の言語ではまだ説明のできない狂気的な意志が渦を巻いている。
――金色の御髪、金色の眼。
――溢るる力は矮小なる人間のそれではない。
――ああ、なんと。
忌まわしき
呪われし 恐ろしい
祝福されし 暖かい
異端的な 妬ましい
偉大な 羨ましい
悪魔的な 悍ましい
神々しい 美しい
憎い 眩しい
愛おしい 狂おしい
穢れなき
――左様であるか。
――恐れを抱いたことも、警戒したことも、やはりそういう訳であるか。
言葉のようで言葉ではない、意志というエネルギーの奔流の中で、『それ』は納得する。
納得したのならば、後はそれに付随する行動を取るのみ。
――ならばちっぽけな『個』よ、滅せよ。
――その細胞の一片すら余さずこの栄光なる穢れの盤上より消えよ。
――黒竜、我が愛しき子に与えし力では足らぬ。
『それ』の、ぞっとするほど白く、彫刻のように温度を感じさせない指の先に、どす黒く染まった結晶が現れる。『それ』は手を掲げ、その結晶を砕いた。
『それ』の足元に広がる闇より暗き泉のそれに似た液体が結晶から溢れ、彫刻のような『それ』の手を黒くなぞり、泉に堕ちて消えた。
――あれを滅する為の力に集いし我が傀儡たち。
――望まれし力を飲み、望むがままに為せ。
――殺せ、血に狂い、血に狂わされた、哀れでちっぽけな一人の男を。
瞬間、泉の漆黒に無数の紅い光が血管をなぞるように八方に広がり、どくん、と胎動した。胎動は加速しーー思い出したように『それ』が頭を振ると同時に終息した。
ーー口惜しや、これまでか。
『それ』は、もう深紅の霹靂を見ずに手を降ろす。必要な力は十分に送った。殺すべきと決めたことも殺す方法を講じたのも決して偽りではないが、『それ』の行使した力は呼び水程度でしかない。
――真なる終末の日まで、これ以上の干渉はできぬ。
――これ以上の介入を行うとするのなら、それは黒き翼が髄まで散ったその刻のみ。
――或いは。
一瞬、紅き霹靂の背後に控える黒套の、死より死に近い人間に目を細める。
男は既に力尽きたように膝から崩れ落ち、その懐から一本の鎖が零れ落ちる。
人間はそれを見届け、何かを呟き、そしてこと切れるように氷柱の上で倒れ伏す。
――……………。
『それ』は、刹那の思考を止め、再び目を閉じて悠久の眠りへと戻っていった。
= =
雷が煌いたと認識したその瞬間には――既に、『徹魂弾』の雨を潜り抜けたオーネストの刃は黒竜に突き刺さっていた。
神聖文字とオーネストの血によって強化されたヘファイストスの直剣は、周辺をプラズマ化させながら炎に包まれた黒竜の二つの翼を貫通し、背中にその刃を届かせていた。
「ッッオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
雷から人へと肉体を強制的に戻したオーネストが犬歯を剥き出しにして獣のように吠え、剣を凄まじい膂力で更に黒竜の背中に叩き込んだ。『雷刃』の貫通力によって既に黒鱗を貫通していた剣がギチギチと軋むような音を立て、黒竜の肉を強引に抉ってゆく。
強引に振り落として来る可能性かとも思ったが、いまだにオーネストの体に紙一重で当たらない大量の弾丸が降り注いでいる為に下手に体勢を変えられないのだろう。オーネストの一撃でバリア代わりの翼には大穴が開き、もう一対の翼は構造上背中を覆えない。
尤も、それを抜きにしても黒竜の抵抗は終わらないが。
『グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?!?』
「く、そ、がぁ………ッ!!」
げに恐るべきは黒竜の肉体の頑強さ。オーネストの繰り出した、例え相手が完全装備のオッタルやガレスでも当てれば一撃で両断する破壊力の刃の直撃を受けて、それでも剣は黒竜の背中に刃の中ほどまで突き刺さった時点で停止していた。刃の刺さった感触で背中の魔石の位置はおおよその見当がついたが、魔石の周囲を覆う骨と筋肉の塊が信じがたい程に硬い。
更に、オーネストを焼き殺さんと黒竜が傷ついた背中から燃える血を噴出し、オーネストの全身が焼かれる。咄嗟にダメージを軽減するために魔法を用いて全身を炎で覆ったオーネストだったが、黒竜の血の炎は纏った火さえ焼き尽くして肉体を蝕んでいく。
このまま時間をかければ勝ち目はない。ならば多少のリスクを抱えてでもここで確実に相手の力を削ぐしかない。
「だったら……!」
複雑に入り組んだ筋組織の鎧に覆われた部分を貫くには、一点に集中した力をもう一度叩き込むしかない。『贖罪十字』による重量増加がまだ自分に圧し掛かっているうちに剣の柄を無理矢理黒竜の肉に捻じ込み、強引に柄を重力と垂直にする。
剣の刃は未だに強度を保っているが、所詮強化度合いは急造品の域を出ない。長時間灼熱の血に触れていれば遅かれ早かれ刃は砕ける。だから、砕けぬうちに更に叩き込む。
「腕一本くれてやるッ!!もう一度無様に這いつくばりやがれぇええええええええッ!!!」
高く振り上げた右拳にあらん限りの筋力、気力、膂力を凝縮させ、筋肉が極限まで弓引く。
次の一瞬、次の一撃に殺意と戦意と覚悟の塊を押し込めて――己の腕を粉砕する威力でオーネストの拳が剣の柄に叩き込まれた。
ダガァンッッ!!!と、大気が歪むほどの破壊力が一挙に剣に注がれ、逃げ場を無くした莫大な破壊の一撃が黒竜の背中を貫いた。
『ガアアア、グギ、ア……ッッ!!』
「ぐ、う、おぉぉぉおおおおおおおおおおお……ッ!!!」
それまでに黒竜に命中したどれよりも体の芯に響く、一種の勁にも似た衝撃が黒竜を揺るがし、体内でバギャン、と鈍い破砕音が響く。それを聞いたオーネストは、叩き込んだ反動で原型を留めない程滅茶苦茶な形状になった拳に目もくれず左の拳を構える。
オーネストの一撃は、自らの腕と引き換えに黒竜の背中にある巨大な魔石を確かに粉砕した。これで黒竜の再生力も移動力も随分制限される筈だ。だが、それは巨大な肉体を制御する三つの内のひとつに過ぎない。先程の一撃で更に大量の黒竜の返り血を浴びて全身が燃えている上に右腕一本を失ったオーネストからすれば、これは骨を切らせて肉を断ったようなものだ。
「これで終われるか……ッ!!ぐああああああああああああああああああああああッッ!!!」
まだ足りない――魘されるように体を突き動かして灼熱の血の中から剣を強引に抜き取ったオーネストは、間髪入れずにその剣を鋭く数閃した。瞬間、黒竜の4つの翼の付け根が完全に斬り伏せられ、尾を引く紅の血と共に剥がれた翼が無様に宙を舞った。
機動力は削いだ。反撃の隙も削いだ。後はもう一つの魔石を壊して一気に――。
「――ッ、な、んだ……これは」
すとん、と、膝が落ちた。力を込めて立ち上がるが、凄まじい虚脱感のせいか踏ん張ることが出来ない。これまで凄惨な戦いに身を投じて死に急いできたオーネストが初めて経験する状態だった。
全身を焼く血の炎の熱によるダメージはある。
『贖罪十字』の加重の事も理解している。
それを差し引いても、異常なまでの疲労だった。
更に状況は悪化する。上方から絶え間なく降り注いでいたアズの『徹魂弾』の集中砲火が突如として止んだ。理由は、あえて考えるまでもない。
「アズ……限界か」
上を見上げ、悔いるように呟く。
黒竜に翼による防御一択という状況を作り出したこと自体が本来なら歴史に残る戦果だ。その間にオーネストは黒竜の魔石を一つ砕き、翼を全て切り裂いた。魔石を貫く為に腕一本を犠牲にしたが、最低でももう一つの魔石を壊すために左手は残した。
しかし、これで黒竜は上からの攻撃を気にせずに行動できることになる。今は翼を失ったことで落下を開始しているが、地上に降りればまた地に足の着いた戦い方も出来るし、ここで仕留め損なえばこちらの警戒する『切り札』が待っている。
もう一撃叩き込めば、少なくとも下にいるユグーとリージュでも辛うじて戦闘になるレベルにまで追い詰められるというのに。
なのに、肝心な時に限ってこの体は働こうとしない。
いつもそうだ。オーネストの人生は、肝心な時に一番求めるものがなく、ぼろぼろと得たものが手のひらから零れ落ちていく。残ったのは欲しくもない戦闘技術、知りたくなかった事実、知識、経験、恨み、妬み、畏怖と嘲笑、そして――未来という名の辺獄。
「………ふざけるな」
そんなものを得るために、今まで足掻いてきたのか?
ミア・グランドは生きることにこそ価値があると言ったが、それでは目指した場所に辿り着けなかったという結果を背負って永遠に沈んでいく人間に価値はあるのか?
逃した一瞬は永遠になる。
永遠は、死出の忘却というもう一つの永遠でしか忘れることは出来ない。
「ふざ、けるなぁ……ッ!!」
オーネスト・ライアーは断言する。自分が自分になれなかった人生に価値はない。
今、アズたちと共に迎える未来を見ること以外に何も望んではいない自分がいる。
溺れる程の後悔と無力の果てに、望む未来を求めようとしている自分が確かにいる。
これ以上後悔したくないから、後悔しない生き方を模索した。
このまま後悔だけを抱えて沈んでゆく終わりに、満足など出来る筈がない。
「今動けなくていつ動けるッ!?何度俺は俺を裏切ればいいッ!?人生でたった一度の些細な一欠片でいい……もう二度と訪れなくてもいい……だからッ!!」
ある筈の力を振り絞り、落下を始めて身をよじり始める黒竜の背中を力の入らない握力で必死に掴む。もはや脱力のせいで体を守っていた炎さえ消え、全身が黒竜の消えない炎によって呪いのように黒く蝕まれながら、オーネストは涙を流しながら叫んだ。
「俺の望んだ未来を、俺に掴ませやがれぇぇぇぇぇぇええええええええッッ!!!」
それはきっと、オーネスト・ライアーという鉄壁の城から漏れた、本物だった。
――いいよ、言い出しっぺ俺だし。ただ、これ終わったら全力で寝るから暫く起こすなよ。
背中を、冷たいなにかが押した。
= =
黒竜は、オーネストの体が背中から剥がれていくのを感じた。
その理由も、黒竜は知っていた。
焦って攻め込んでくるであろうことも、燃える血を浴びることも辞さずに戦うことも、予想の範疇であり、狙いであった。オーネストの虚脱の原因……それは全身を蝕む血にこそあった。
黒竜の血は唯の燃える血ではない。その内には、『母』が来るべき終末の決戦を見据えて与えたもうた『神殺し』の呪怨が流れている。黒竜がその身を漆黒に染めているのは偶然などではなく、黒竜そのものが神殺しのプロトタイプであるが為の黒い因子こそが所以だ。
同じ血を分けしベヒーモスとリヴァイアサンは、それぞれ黒竜とは別の、しかし決して劣る事はない特異な因子を埋め込まれている。それらもまたすべてが終末の決戦を見越したものだ。
黒竜の全身にも、牙にも、そして血にも、濃密な『神殺し』が込められている。
その血を人間が浴びれば込められた呪いと灼熱にのたうち回って死ぬ。
そして、この血は『神気』を喰らい、無力化することをその本懐とする。
確信はなかったが、黒竜はオーネストの説明不能な戦闘能力と再生能力には神の力が関係していると踏んでいた。普通の冒険者ではありえないほど高度で深くに『神の力』が入り込んでいるのならば、己の血によってその力の一部を封じることも可能だと考えた。
ただ一つ誤算であったのは、神の力を封じられたオーネストは灼熱の血に抗うことが出来ずその場で燃え尽きるという見立てが違った事だ。オーネストは確かに弱体化したが、その全身を蝕み続けるだけで殺すには至っていない。
人間が浴びれば数秒と持たずに塵となって崩れるほどの熱量に耐えているオーネストの力には、まだ黒竜の予測できない何かがあるのかもしれない。しかしどちらにせよもう終いだ。弱体化には成功した。あとは振り返り、止めを刺すだけだ。
魔石を一つ犠牲にはしたが、翼の再生を止めることで貫かれた部分の再生は続いている。もうあの忌々しい消失の弾丸も
――『切り札』の準備を止めないまま、黒竜は静かに己の勝ちを確信していた。
「――まったく、最悪なダチだよ。お前は」
前触れと呼ばれる程のものもない、無機質なまでの致命。
黒竜の胴体を――それも、魔石がある場所をピンポイントで、青白く発光する刃が貫いた事に黒竜の思考は一瞬停止した。遅れて、空間を捻じ切るような轟音と閃光が空間を強かに照らしあげた。
『―――――ッッ!?!?』
黒竜が見上げた先にいたのは――金属片を撒き散らし、両腕と胴体から血を噴出しながら「ざまぁ見ろ、くそったれ」と笑うオーネストの顔だった。
= =
折れた右腕に、呪帯の絡まった『選定之鎖』が巻き付く。
それは、まだ辛うじて意識のあるアズが下に放り投げた、アズの最期の力の結晶だった。オーネストの背中に優しくもたれ掛かったそれは、オーネストにその力を貸す。恐らく、そういう鎖なのだろう。
余程慌ててこちらに放り投げたのか、鎖にはついでとばかりにアズの持ち込んだ水筒だのトランプだのアイマスクだのといったしょうもないガラクタが幾つか絡んでいる。この極限状態に於いてここまで役に立たないものを見せてくる馬鹿も珍しいが、それもアズらしいといえばらしいのだろう。
首の皮よりなお薄く、しかし確かにそれは途絶えかけの戦意を繋げて見せた。
だが、どうする。魔法はまだ使えない訳ではないらしいが、力が先程のもの程引き出せないし、握力が足りないから剣を振り下ろせない。鎖の補助があってもそれは無理だろう。何かサポートする道具でもない限り、もう打つ手が――。
(――あんの馬鹿、そういう事かよ!)
よくもまぁ、と更に飽きれながら鎖に絡まったものの一つ、トランプの束を掴み取る。
黒竜の血の炎で皮膚の爛れと再生力が拮抗する高熱の腕に掴まれたそれは、しかし燃え尽きることはない。何故ならこのトランプはアズが金持ちの道楽と言わんばかりの金を費やした金属製のトランプだからだ。
そうだ、このトランプはあの大馬鹿が馬鹿馬鹿しくも超希少鉱物である『イロカネ』をベースに作成した合金で出来てる。そしてイロカネは、本人はそこまで考えての作成ではなかったろうが、魔力を通す媒体として最高峰の性質を持っている。
加工が難しすぎる上にもっと別の安価で安定した効果を発揮する宝石や水晶に隠れて日の目を見ることは少ないが、イロカネは間違いなく最高の魔力伝導物質だ。魔剣の原材料にでも使ったらさぞ派手な代物が出来上がるだろう。
このカードで何をするかなど考えてはいなかったろう。ほぼ間違いなく「何かに使えるかもしれないし、取りあえずなんか送っとけ」とかいい加減なことを考えて無理やり引っ掛けたに違いない。要するに使い方はこちらに丸投げという訳だ。
(何をする。何に使える。何が有効だ。時間がない、考えろッ!!)
魔石の位置は鎖が教えてくれる。照準も鎖と呪帯が強引に導いてくれるだろう。
第一条件、体がいう事を聞かない以上、武術に準ずるものは却下。魔法のみの攻撃となる。
第二条件、魔法を使用する際は一撃で黒竜の魔石の位置を破壊する必要がある。
第三条件、現在の装備と組み合わせて黒竜の魔石を貫ける威力に達さなければならない。
(黒竜に届く一撃を魔法で使うならほぼ雷一択。だが俺が現時点で発生させられる雷で黒竜の腹部を貫通させる威力を出せる可能性は低い。かといってイロカネのトランプをどう使う?魔力導物質であることを利用して威力を増幅させることは出来るが――雷、増幅、剣……)
握ったトランプを指でずらす。規則的にずらりと並んだ54枚のカードを見て、剣を見る。剣を雷の速度で発射すれば、その貫通力は当然雷以上になるだろう。かといって剣をそこまで加速させる方法など、あるだろうか。
電気の速度の弾丸――電磁投射砲。確か、アメリカ軍が電磁投射砲の実用化に乗り出したなんてニュースをはるか昔に見た気がする。
(レール……)
イロカネのカードを並べて、簡易的なレールを作る。
(弾体……)
剣を磁場で操り、カードごと浮遊させる。
(発射に必要な膨大なエネルギー……)
魔力を代用すれば、自分自身が大容量コンデンサのようなものだ。
(発生するプラズマと、発射の反動――)
これまで死ねなかった体だ。今更何を気にする必要がある。
レールガンの基本原理くらいなら知っている。あとは細かい物理法則を魔法で発生させた現象で埋め合わせる。魔導式電磁投射砲。なんともまぁ、アズ辺りが好きそうな技ではないか。
まったくもって馬鹿馬鹿しいその思想は、西暦という時代を生きた人間でしか辿り着かない異次元の発想。そしてオーネスト・ライアーという男は、そこに一つでも合理性があれば躊躇いなく実行できる異常な判断力を持っていた。
両腕を黒竜に突き出し、電磁力を操作してトランプをレール上に並べていく。既に中身は原型を留めていない右腕を鎖で強引に縛り上げ、そのレールの上にヘファイストスの直剣を設置する。両腕と剣を中心に青白い電光が煌き、光の筋はやがて一つの円となって膨大な熱量を胸の前に形成していく。
(まともな人間が真似すれば上半身は発射の反動とプラズマでバラバラの消し炭だな)
それに自分がならないという確証も存在しない。これは威力と引き換えに自分の体を捧げる、本物の自爆技だ。それでも、今、ここで実行しなければ黒竜の次の狙いは無防備なアズ、そして体の動かなくなって落下している自分自身。
自分で黒竜を討伐しようなどと言い出しておいて、最後は力とアイテムだけ貸しておねんね。
その癖して、どうせ目を覚まして俺のやったことを聞いたら「もっと安全に戦えんのかこのアトミックヤクザは」などと呆れ返るに違いない。勝手な奴だ。絶対に友達にいてほしくない。そんな奴と友達になってしまった俺は、やはり友達趣味が最悪なんだろう。
「――まったく、最悪なダチだよ。お前は」
言いながら、笑みが零れる。黒竜は一応こちらを警戒してはいるようだが、弱った俺が先程より更に速く貫通力のある攻撃を行えるとは考えていないらしい。
(これを発射したら、俺も寝るか。目が覚めるかは分からないがな)
両掌を開き、脱力する肉体からありったけの魔力を込めて瞬間的にエネルギーを高め、照準を合わせ、祈るように。レールの胸元から手先へと迸るようにカードが輝き、今出来る極限の相乗効果を蓄えて。
俺は、剣を発射した。
眩いプラズマの燐光が、ただ一筋の告死の使者となって空を駆ける。
俺から黒竜までにある距離をあっという間に縮めた目にも止まらぬ異次元兵装は、黒竜の反応する時間をも許さずに魔石を貫いた。命中の衝撃で体組織を再び大きく破損させた黒竜の目が見開き、悲鳴すら上げられずに胴体をへし折られて落下していく。もう、最初に遭遇した時ほどの戦闘能力は発揮できまい。
発射の反動で真っ赤に染まる視界と、激痛すら感じられない程に破壊された肉体がひしゃげる光景を視界に収めながら、俺は「ざまぁ見ろ、くそったれ」と吐き捨てて――。
そこで意識を落としていれば、すべては終わっていたのだろう。
見てしまった。
感じてしまった。
黒竜、あいつは魔石の力の3分の2を破壊されて体内の循環を滅茶苦茶に寸断された今でも、まだ。
あの化け物の中の化け物は、『切り札』の準備を止めてはいなかった。
黒竜の頭部周辺に集束する魔力が、まるで地上の太陽のような煌きを放ってに可視化しつつある。
もう、オーネストにもアズにも打つ手が残っていない。
ユグーにはこれから訪れるである超広域破壊攻撃を防ぐ手立てはないだろう。
異常に勘づいたリージュが剣を片手に走り出しているが、もう間に合わない。
間に合ったところで、恐らく総合的なエネルギーの差を埋められない。
撃たれたら終わる。
下手をすればダンジョンを数層犠牲にする火力で、恐らく原爆の爆心地付近にいた人間のように『影しか残らない』。
(………結局、こうなる訳か)
オーネスト・ライアーという仮面を剥いでもがき、借りたくもなかった力を酷使してまで進んだ無様な結末。つくづく俺は、運命とやらに逆らう力が足りないらしい。
(しかし、それでいいのかもしれない。勝てない程の相手と戦って勝てず、死ぬ。この世にありふれた、自然な死だ。アズの面倒を見ていたガキも、メリージアも、あれも、これも……まぁ、物好き連中が何とかするだろ)
この世に永遠はない。黒竜もまた必ず終わる日が来る。
本当に今出すことのできる全てを出し切った果ての諦観に、俺は身を委ねた。
「どこを斬ればいい?」
《右目ッ!あのオーネストとかいうのが魔石二つと翼斬ったから、その反動で今だけは反応が鈍ってるはずだから!!》
《オッタル、命令よ。オーネストを絶対に殺させては駄目。余裕があったら貴方が黒竜のそっ首を切り落としなさい。あと黒コートは無視しなさいよ》
「……アズは私が回収するから、ふたりはオーネストをお願い」
『リョーカイ!!オーネストはセキニンもってアタシたちがキュウシュツするよ~!!』
『あのお二方をあそこまで追い詰めるとは憎き奴よ……されど、これ以上の狼藉は我らが許さぬッ!!』
「………………」
目と耳の錯覚だろうか。上からなんか降ってくる。大剣を抱えた褐色肌の猪人と、見覚えのある金髪金目の少女。ついでになんか、2対の人形が抱き合いながら動かない翼でグライダーのように滑空している。
落下しながら目を擦り、もう一度よく見てみる。
急速に落下スピードを加速させるオラリオ最強の冒険者――『猛者』オッタルと、目が合った。何故こんな愉快な面子で登場し、何故落下していて、そもそもなぜここに来ているのか……流石のオーネストにも、まったく意味が分からなかった。
「………………何してんだお前」
「フレイヤ様の命令以外で俺が動く訳がなかろう。後始末はつけてやるから大人しく寝ていろ」
短い会話の後に、オッタルはオーネストを通り過ぎて更に加速した。
階層一つ分の自由落下でも正確に落下先を見極める奇跡的な体捌きと、恐らくそのまま着地しても怪我の一つもしないであろう頑強な肉体。そしてこの街でたった二人しか存在しない『公式なレベル7』の一角にして、勝てる戦士がいないが故に最強の代名詞となった冒険者。
そんな男が、しかも事の仔細をある程度のぞき見していたミリオン・ビリオンのサポートまで受けて、相手の弱点まで判明している段階で、攻撃を失敗するなどという事は――それこそ彼の仕える女神フレイヤの名に誓ってあり得ない。
「黒き獣よ。貴様はつくづく星の巡りが悪いな……この世界で最悪の人間二人に追い詰められた挙句、フレイヤ様の命を受けた俺が来るまでにその『切り札』とやらを発動させ損ねた。だからといって、どうという訳でもないが――」
アズの攻撃ともオーネストの破壊とも違う、場を支配するかのような圧倒的な存在感と力を込めた刃を以て。
「――貴様は、ここで潰えろ」
『ガアアアアアアアアッッ!?!?』
空間ごと断絶するが如き一閃が、回避の間に合わない速度で魔力集束の要となっていた黒竜の右目を顔面ごと切り裂いた。渦巻く魔力が力を喪って霧散し、暴風となって60層を吹き抜け、そして黒竜が最後の最後まで殺意塗れでこしらえた『切り札』は日の目を見る事すらなく消え去った。
奇しくもそれは、嘗て黒竜がその眼球を喪うこととなった一撃と、まったく同質の一撃だった。
後書き
オーネストは『詠唱破棄』を習得した!
正直オラリオ世界の魔法って使い勝手が悪すぎると思います。本当に神にテコ入れで制限されてるんじゃありませんかね……。
オッタルとかなんとかがここにやってきた理由などの説明は次回です。微妙にギャグチックに見えるかもしれませんが、単に乱入者たちが空気読めないだけだったり。という訳で、次の更新は来年になりそうです。良いお年を!
62.連ナル鎖
前書き
明けましておめでとうございます。
今年こそ完結できますように願いを込めまして、今年もよろしくお願いいたします。
――時は、『ゴースト・ファミリア』と黒竜が激突した時間に遡る。
ロイマンは黒竜を探っていたミリオンとフーからその報告を受けるや否や、仕事を全て部下に放り出して肉に包まれた腹をタップンタップン揺らしながら猛スピードでとあるファミリアに走り、そこで『荒鷹追眼』の異名を持つ冒険者を引っ張り出し、彼と同じ神に仕えるファミリアに台車で運ばれながら通りの近くの喫茶店で寛いでいるフレイヤ(変装しているので余計に見つけづらかった)を発見してマシンガントークでオーネストが危ないことを説明してすぐさま援軍を出すよう依頼をこじつけるという嵐のような荒業を披露した。披露ついでに疲労困憊になったが。
その結果どうなったかと言うと、色々と凄まじい事になった。
まず、フレイヤとロイマンの選抜で援軍出張者がオッタルに決定。
その後、『ヘルメス・ファミリア』に赴いてアズ考案で開発を進めていた『無線通話機』なるマジックアイテムの試作品を貸してもらい、これをナビゲート役のミリオンとそれを聞くオッタルに装備。更にまっとうな方法で今から59階層に援軍を送っていては手遅れになる可能性が高いことから『瞬間転移(テレ・シフト)』なる魔法を持つ別のファミリアの冒険者にアズ印の魔力回復ポーションをしこたま持たせて強引に魔法で40階層近くまで下降してもらい、更に更にその瞬間移動に無理やり同行させられた今度はロイマンの後輩でアングラ世界の人間(非公式ファミリア所属)に『行動加速』の魔法をオッタルにかけてもらい猛スピードで58階層まで降りさせるというゴリ押しもいい所なトンデモ移動法を決行させたのだ。
ちなみにこの作戦の為に魔法連発で疲労困憊になること間違いなしの魔法使いを護衛して安全区域まで運ぶ為の腕利き冒険者も『フレイヤ・ファミリア』から提供されている。なお、オッタルが59階層に辿り着いた時点でオーネストとアズは黒竜第三形態との戦闘に突入していることを考えると、オッタル達がどれだけの無茶をさせられたか分かる。控えめに見ても1層から59層まで早くて1か月かかる所を2時間程度で降りるとか人間ではなく巨大モグラか何かのやることである。
ちなみにロイマンがこの作戦を思いついたのは、主に『ダンジョンを掘って上下移動する』というコロンブスの卵を全力で踏み潰したアズのアイデアが根底にあったりする。諸悪の根源はアズだったが、それをコネ・パイプ・軽い恫喝をフル活用して実行段階に移して見せたロイマンも結構悪魔であった。
あとは58層で発見した『ロキ・ファミリア』の面々の中で唯一疑似的な飛行が可能なアイズを同行者に加え、更に下で出会ったヴェルトールの進言でドナとウォノを加え、黒竜の腹をオーネストがレールガンで貫いた所で4名はやっと59階層の空中に飛び出したのである。
「間に合いましたか……やはりオーネストくんは祝福されている」
「まー多大な犠牲の上に成り立ってる祝福っすけど?」
ミリオン視点では、この無茶に付き合わされた全員の冒険者やそうでない人々の不幸を代償に捧げているとしか思えない逆転劇である。この贅肉大臣は権力を濫用しすぎなのではないだろうか。謝罪会見くらいはするべきだろう。
「ゲロ吐きそうになりながらポーションガブ飲みして魔法酷使させられた皆様方に感謝の言葉はないんすか?」
「オーネストくんが生きて帰ってきたら労いの言葉くらいは考えましょう」
「悪魔だ、ゼッタイ悪魔だこの拳法殺しボディ……」
サラッとどうでもよさげな返答をしたロイマンにドン引きしながらミリオンが本日何本目か分からないスムージーポーションを呷る。このスムージーポーションはフーの友達のメリージアというらしい顔も知らない大天使が開発してくれた、栄養が取れて味も若干マシになったポーションである。
なお、それを持ってきた当のフーは、地べたに崩れ落ちて悔し涙を流している。
「わ、私の防具が……心血を注いでオーネストを守ってくれるようにと叩き上げたガントレットが……こ、粉々に……!!まだ足りないっていうのかオーネストォッ!!私の防具道に安住の地はないんですかシユウの親方ぁぁぁーーーーーッ!!」
「いや、装備品一つをそこまで気にする?」
「するに決まってるだろう!!私の作品は私の子!!親友を守る為に可能な限りの技術を注ぎ込んだ仕事と愛の結晶なんだぞッ!!目の前で使命半ばに散って逝ったあの子たちの無念を気にしない奴なんてそんなの人間じゃねェッ!!邪魔外道の人非人だッ!!!」
「そこまで言い切っちゃうアンタが怖いよッ!!」
緊張の糸が切れてか大分フリーダムな空気になってきているが、ともあれこうしてロイマンの用意した援軍は為ったのであった。
= =
『グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!?!?』
斬撃でぐらついた黒竜の巨体がダンジョン60層のささくれたった岩盤に叩きつけられ、遅れてその近くにオッタルは着地する。着地の反動が膝を通って全身に突き抜けるが、鍛え抜かれた頑強な肉体はこの程度ではダメージを受けない。
オッタルは、たったいま目の前の黒竜の片眼を切り裂いた事に対して特別な感情は抱いていない。
自分はただ、己の唯一にして絶対の主であるフレイヤの命令を忠実に実行しただけであり、その過程で何を成し遂げたのかは問題ではない。己がフレイヤの意に沿い、その望みを叶えることが出来たかどうか――それだけが行動の価値だ。
だがそれを差し置いても、目の前の怪物をここまで追い込んだ化け物染みた二人には驚嘆を覚えた。
(もしも黒竜の撃破がフレイヤ様直々の討伐命令で『フレイヤ・ファミリア』総出ならば身命を賭してでも追い詰めるだろうが、それを事実上二人でか。つくづく貴様等は常道を逸れることが好きだな)
黒竜は、嘗てオラリオ最大にして最強のファミリアであった『ゼウス・ファミリア』と『ヘラ・ファミリア』の精鋭たちを壊滅させた未曾有の大怪物だ。現在最強と目されている『フレイヤ・ファミリア』も、二つのファミリアの壊滅以前は三番目の地位に甘んじていた。
別にその事実に問題はない。フレイヤはそもそも自身のファミリアが何番かなど眼中になく、己の望みを叶え易い環境であれば何でもいいのだ。無論あの美と贅の女神が清貧な生活など望みはしないだろうが、トップに対する拘りはない。オッタルもまた、オラリオ最強の地位に興味はない。フレイヤの僕として最高である事には少なからず拘りを抱いているだけだ。
しかし、その拘りを以てしても当時の最大ファミリア二つを壊滅させた怪物に挑むことの意味を理解できない程オッタルは愚昧な男ではない。
恐らく、黒竜に自分一人で挑めば死ぬだろう。
『フレイヤ・ファミリア』総出での戦闘であろうと、高確率で壊滅だ。
黒竜を倒さなければならぬという使命など欠片もないオッタルにとってその事実は重要ではないが、信望者たる自分ではなく戦士としての自分から見れば戦わずして負けていることになる。屈辱ではないが、その強大な力を過小評価することは出来ない。
故に、手を貸す者がいたことを差し引いても事実上たった二人で黒竜をここまで追い詰めたという事実は、少なからず『二人でフレイヤ・ファミリアに匹敵する』という噂が偽りではないことを証明していた。
黒竜の眼球を切り裂くと同時に、その眼から火山の大噴火のような凄まじい炎が噴き出し、オッタルは素早いステップでそれを回避して射程圏外へ離脱する。
『グウゥゥゥ、ウゥゥゥゥゥ………!!』
「長き時を経て、三大怪物の一角が堕ちるか……貴様の首を落とす役目、この俺が引き継ぐ」
血を這いずる黒竜の翼は無残に切り裂かれ、腹部を通ったオーネストの一撃でくの字に折れ曲がった体はまともに動かせる状態ではない。前足と固めの潰れた顔面は未だに怪物の名に相応しい威圧感を放っているが、ここまで追い詰められればあの二人でなくとも撃破は可能だろう。
横目で見上げた空には、既にぴくりとも動かないアズを背負って風の魔法で下降するアイズと、ドナ・ウォノの二人に掴まれて下降するオーネストの姿。アズはまるで血の通わない死人のようにだらりと全身が虚脱し、オーネストは全身の火傷に加えて粉砕骨折した両腕で既に剣すら握れない。
(あの男ならば剣を口に咥えて戦いかねんが……当人にその気はなしか)
オーネストの視線は黒竜に向いてこそいるが、その眼は言外に「さっさと止めを刺せ」と要求しているように思える。
達成不可能とまで謳われる三大怪物討伐クエストの達成は、恐らく世界を沸かせ、歴史に刻まれる偉業であろう。その最後の止めを刺したとなれば、その名は未来永劫語り継がれる英雄となることは間違いない。冒険者として、人間として、この上ない富と名声を得る事ができるだろう。
オッタルもオーネストも他の面々も、最後の一撃に興味はないらしい。
(ならばしめやかに、そして確実に一撃で仕留める)
二つの魔石を砕いたとはいえ、それでも一筋縄で倒せる存在でないことくらいはオッタルも認識している。間合いは十分。剣を握る手に力を籠め、一息吐き出し、下腹部に力を込めて踏み出す。地面を蹴り飛ばして放たれた矢のように加速する肉体をコントロールし、最強の一太刀を繰り出すための一つの装置になる。
狙うは黒竜の首、そして魔石。
灼熱の返り血を浴びぬように切り裂く。
「これで――」
振り上げた刃が黒竜の首へ吸い込まれるように降ろされる、その刹那。
オッタルは、その極限の集中力で観察した黒竜の巨大な口の中に、鈍色の何かが入っていることに気づいた。それは剣の柄のような形であり、血が付着しており、そしてその柄の先に――『大きな魔石』が突き刺さるように妖しく輝いていた。
あれは、なんだ。
剣と、魔石だと?
そういえば、オーネストの放った剣の行先はどこだった?
その目にもとまらぬ一筋の光が通り過ぎた後に、魔石の破片はあったか?
そして、その魔石には『まだ力が籠っているのか』?
黒竜が眼球を抉られた際にぐらついたのは、『本当に体勢を崩したからか』?
連続する疑問の回答予測が絡み合い、最悪の正答を導き出す。
「――貴様、まさかッ」
頭を巨大な槌で打ち抜かれたような衝動に駆られたオッタルの刃が黒竜の首を落としたのと、黒竜の顎が魔石を剣ごと噛み砕いたのは、ほぼ同時だった。
瞬間、煉獄すら焼き尽くす熱量の塊が、第60階層で爆発した。
= =
地面が融解し、もう少し戦い続ければ岩盤が崩落して61階層に落下するのではないのかと思えるほどに引き裂かれた足場。その場にいるだけで肌が焼け爛れそうな絶対焼失の溶岩の海の中に、二つの球体があった。
一つは煌々とした妖光を放つ太陽の如き灼熱の塊――アズたちが「繭」と称したそれに近いもの。
ただし、放つ熱量はあの時の比ではない。以前の「繭」はあくまで自らの肉体を進化させるための防衛手段だったが、この熱量は明らかに己を護ることより周囲に灼熱を撒き散らしている。既にダンジョン第60層は巨大な焼却炉か、或いは火山の火口と化していた。
追い詰められて尚、相手を絶対的に殺害せしめんとする黒竜の狂気が生み出した、ここは常世の地獄だった。
そしてもう一つ――その灼熱を強引に拒絶するかのように発生させられた冷気の障壁内で、半径数Mの岩の小船で生きながられる数人の人間とそうではない者たち。『ゴースト・ファミリア』の姿がそこにはあった。
「回避が遅れていれば焼死していたか……?」
極めて冷静に周囲を観察し、まるで他人事のようにオッタルは呟く。
オッタルが黒竜の放熱を浴びる直前、リージュはまるで停止した時間を動いたような速度で『絶対零度』を展開してオッタルと黒竜の間に氷柱を滑りこませた。これによって辛うじて撤退の間に合ったオッタルは、上方から合流したドナ・ウォノ・オーネスト・アイズ・アズがいるリージュの元まで撤退し、氷による防御が間に合ったのだ。
「借りができたな、『酷氷姫』」
「黒竜相手に遊ばせる戦力がないだけだ。アキくんと黒いのが戦闘不能な今、腹立たしいが貴様が我等の最大戦力だからな。無駄遣いは出来ん」
「そうか……では先程の発言は撤回しよう」
リージュの人を駒と見るような発言に、オッタルは自然体でそう返答する。二人ともそういう精神構造であるが故、双方まったくストレスはない。これで真っ当な人間なら「それでも感謝する」とでも言うのだろうが、二人は言わないし気にしない。
アズとオーネストが黒竜と異次元の戦闘を繰り広げているさなか、リージュは臨戦態勢を維持しつつ只管に魔力の自然回復を図っていた。一切無駄に動かず、戦いに必要な最小限の集中力以外は意識をカットし、このような説明は極めて不自然だが「極度にリラックスした臨戦態勢」を取っていた。
魔力と精神力は密接な関係があり、魔力の回復にはポーションを除けば瞑想の類しかない。……一説では愛の接吻だの何だので魔力が爆発的に増大するという話もあったらしいが検証した馬鹿はいない。ともかくその努力の甲斐あってか、リージュは黒竜の予想外の抵抗に備えてそれなりの魔力を回復させることに成功していた。
ただし、それも今後の選択次第では水泡に――いや、荼毘に付すことになる。
「熱を防ぐまではいいが、周囲の熱量が大きすぎる。いくら私の氷でも神殺しの炎を突破して黒竜に止めを刺すには魔力が足りないし、攻撃と引き換えに防御を捨てる事になる」
「となれば必然、我等は焼死か。この熱量の中ではオーネストとて1分と持つまい。そこの大男はどうか知らんがな」
「………………」
ユグーは一言も言葉を発さず、ただ黒竜だった存在をひたすら見つめ続けている。
出来ることがないとはいえ、その静けさはいっそ不気味ですらある。
二人の後ろではアイズが慣れない手つきでオーネストの止血を行い、オーネストは両腕から微かな煙を出しながら上体を起こしてアズの様子を見ている。その眼は普段の温度がこもらない瞳と違って真剣そのものだ。
心配そうに二人の様子を見るドナとウォノを尻目に、オーネストの表情がどこか悔しそうに歪んだ。
「………このままだと、死ぬな」
『オーネスト、カイフクポーションがイッポンだけあるんだけど、これじゃダメなの?』
「無理だ。アズに足りないのは血でも体力でもない、『魂』だ。彼岸を渡る魂を呼び戻すのに薬は通用しない」
「そんな……アズ、死んじゃうの!?」
「………こいつは三途の川の渡し賃を前払いしてるようなものだ。その時が来れば常人以上にあっさりと死ぬさ」
もとよりアズライールとはそのような男だ。明日死ぬるも今日死ぬるも同じと考える輩だ。
だが、オーネストはそれを防がねばならないと考えていた。
固くたゆまぬ遺志で、この死に損ないをもう一度叩き起こしてやらねばならない。
胸倉を掴んで一度張り倒し、襟首をつかんで屋敷に連れ帰ってやらねばならない。
だって――あいつはこの戦いに、未来を賭けたのだから。
その意識の為なら、もはやオーネストは何も躊躇わない。
最善手を打ち、黒竜の攻撃から生き延びさせる。
「ドナ、アズが死ぬのは嫌か?」
『アタリマエじゃない!アズがいなくなるんでしょ……フツーのニンギョウみたいにうごかなくなって、ニンギョウとチガってカタチものこらずホシにカエっちゃんでしょ!?そんなの………そんなのヤダ!!』
必死に訴えるドナの悲痛な叫びは、彼女の人形としての生死感が滲みだす。
そこに込められた様々な意志、無常さはしかし、今のオーネストには重要ではない。
ただ、アズを助けたいという意志があるのならばそれでいい。
「こいつを助ける方法が一つだけある。だが俺一人じゃ出来ないことだ。手伝ってくれるか?」
『ウン!アズがまたうごくんなら、なんでもするよ!!』
「アズの胸を血が噴き出す程度に切り裂け。そして俺の右掌も同様に切り裂いて、二つの傷口を重ねろ。後は俺が何とかする」
「!?」
後ろでアイズがぎょっとしたのを感じたが、オーネストは敢えて無視した。
説明する暇がないし、今を逃せばアズの魂は「どこか」からこちらに永遠に戻ってこれなくなるだろう。強行させてもらう。
『えっ……?そ、それで助かるの?うーん……』
ドナは一瞬躊躇った。人間をむやみに傷つけてはいけないというヴェルトールの教えや、血を出すことは助けることの反対なのではないかといった人形である彼女にとっては些細な疑問が引っかかったからだ。
しかしドナは思考能力的には無邪気な子供でしかなく、複雑な思考をしない。決断は早かった。
『わかった、オーネストをしんじるねっ!』
「あ、あの、オーネスト……まさか介錯を……っ!?」
「後で説明してやる。今は黙って見ていろ……この馬鹿は俺が必ず連れ戻す」
最悪の想像に至ったアイズを強引に黙らせたオーネストは、未だに減刑を取り戻さない腕を無理やりアズの方へ向ける。
ドナの手に取った剃刀状の剣が、綺麗にオーネストの掌とアズの胸部を切り裂き、血飛沫が舞った。
= =
全身を包む虚脱感が、境目を越えるように倦怠感へと変貌していく。
既視。もう何度か味わったことがある気がする、土が濡れた匂いと止まない雨音。
(ああ――これは、今度こそかな)
なんとはなしにそう思う。これは、俺の手繰った「死」の在処。
ただ、体から抜け落ちるような熱い何かは停滞し、代わりに湿った布が肌に張り付く不快感がある。
意識は朦朧としているが、思考が出来ない程ではない。ただ、ひどく喉が渇いた。息苦しい時に酸素を求めるように、俺の本能は水を求めた。
(何か、飲み物――乾く、乾くよ)
意識を自分の横に向けると、見慣れた、しかしオラリオでは見慣れないペットボトルがあった。中にあるのは綺麗な水ではなく、得体の知れない着色料で白く濁った清涼飲料水だ。
咄嗟に手を伸ばそうとするが、腕が上手く動かず震える。それどころか、動かせば動かすほど全身に連続する鈍痛が響き、激痛にうめき声が漏れる。それでも喉の渇きが耐えがたい。人生でこれほど乾いたことはない程に、辛い。
「――□□□くん!?□□□くん、目を覚ましたのね!!」
不意に、女の子の声が聞こえ、目の前のペットボトルが持ち上げられる。
ペットボトルを持ち上げた少女はそれのふたを開け、病人用の水差しに流し込んでいる。
見覚えがあるし、聞き覚えもある声だ。思い出せないが、よく知っている人だ。
思い出そうとすると、鈍痛に交じって頭に鋭い痛みが奔った。
「はい、これ飲んで!慌てずゆっくり……!」
体を起こされ、鈍痛。痛みの余り触らないでくれと叫びそうになるが、声が上手く出ない。
口に水差しの先端が入る、少しずつ、ほんの少しずつ口が潤い、俺はひりついた喉を懸命に動かしてそれを飲み込む。途中で上手く呑み込めず気管支に入り、むせて全身が震える。それまで以上の激痛が奔り、俺は更に呻いた。
「あ……ご、ごめんなさい!大丈夫!?」
女の子が背中をさすってくる感触は暖かいが、全身の激痛を抑える効果はない。
楽に死にたいなんてどこかで思っていた罰なのか、生きることの苦しみが殺到してきたかのように苦しい。咳に交じって血と唾液が微かに自分の太股に垂れ、それを自力でぬぐうことも出来ない。
(痛みで……頭がおかしくなりそうだ……!)
やがて咳が収まると、再び女の子が飲料水を飲ませてくる。喉の渇きは僅かに癒されたが、もう喉を動かす痛みを味あわされるのが嫌になって俺は途中で顔を背けた。女の子はそれに気づき、俺を再び寝かせた。
そこになって気付いたが、俺は段ボールと梱包材の上に寝かされているようだった。
同時に意識が薄れ、倦怠感を吸い取るように虚脱感が襲い来る。
意識が薄れるまでに数秒だったような気もするし、数分経ったような気もする。
「―――リンク………薬を砕い………沈痛――ばらく……――避難所まであと………」
涙目の少女がゆっくりと何かを説明している。
しかし、俺の耳には断片的にしか情報が届かない。
そんなことよりも、俺には不思議なことがあった。
先程からやけに距離感が掴みにくいせいか、俺の胸に手を置く人間が何重にも重なって見える。
声も段々とばらけ、男か女かも分からない声が幾重にも重なって聞こえるようになった。
聞き覚えのある声にだけ意識を集中させようとするが、頭が重くて集中できない。
意識が途切れる寸前に俺の耳に届いたのは、二つの声だった。
「絶対にあなたを死なせないから。私を助けたあなたを、一生賭けてでも守り抜いて見せるよ」
『絶対にお前を死なせんぞ。俺が生きろと言っているんだ、生きる以外に選択肢があると思うな』
俺は、「なんて身勝手な連中なんだ」と内心嘆息した。
死ぬことも許してくれないなんて、身勝手で残酷な人間たちだ。
= =
アイズ・ヴァレンシュタインという人間は運命に流されがちだ。
アイズは今日、オーネストが黒竜に挑むなど夢にも思わなかった。
助けに行く途中で『猛者』に会い、飛行能力があるからと同行するとも思わなかった。
移動しながら説明された中で黒竜がアイズの予想を完全に超えた怪物であると知った。
アズライールという男が自分の手の中で冷たくなっていく光景が信じられなかった。
周囲が溶岩に囲まれた状況は、ここで死ぬかもしれないと覚悟を決める程度には絶望的だ。
羽の生えた動く人形が自分の知る人間を切り裂く光景など、狙っても見られないだろう。
しかしそれ以上に驚愕したのが、目の前の光景だった。
オーネストは、血が噴出する自分の手のひらとアズの胸の傷を重ね、自らの血をアズの中に流し込んでいた。猟奇的な、常軌を逸した光景。アイズは、オーネストがアズを介錯しようとしているのではなかと疑った後に、オーネストがもう正気ではないのではないかと疑った。
オーネストは壊れている。それは疑うべくもない。
だが狂気の芯には絶対的な理性があり、妄信的ではない。
自らの血を分けて友人の魂を呼び戻すなどという悪魔信仰を信じる人間ではないのだ。
(でも、それならこれは何……?)
もしオーネストに確かな目算と根拠があるというのなら、目の前のこの光景は何だ。
擦り込むように相手に血を与えるこの光景が、狂っていなくて何だというのだろう。
理性が否定する光景――しかし、アイズはその直後に再び己の想像を超えた光景を見る。
「こんな方法でしか呼び戻せないとは反吐が出るが……使った以上は結果を貰うぞ」
瞬間、オーネストの目の前に光り輝く『神聖文字』が浮かび上がった。
アイズはその光景を見たことがある。それは昔にたった一度だけ――ロキが自らのファミリアを迎え入れた際に、自らの力を分け与えて眷属とする瞬間。あの時、確かにロキは彼の冒険者の背中に血を垂らし、浮かび上がる『神聖文字』をその背中に刻んでいた。
儀式の様子は普通、他人には見せないし本人も見えない。
だからアイズがその光景を知っていたこともまた、ある種の運命だったのかもしれない。
(神の扱う神聖文字……オーネストがアズに血を分け与えた……?それじゃ、オーネストは『神』……!?そんな、でもオーネストから神の気配なんて感じないし、それに年を重ねて成長してる!他の神々がオーネストの正体を知らないこともあり得ない……)
混乱に次ぐ混乱に頭が掻き混ぜられる思いだったアイズだが、そんな疑惑はオーネストの顔を再び見ることで霧散した。
オーネストは、まるで祈るような目で只管アズの為に足掻いている。
その姿に、その意志に貴賤など存在せず、種族がなんであるかは問題ではない。
オーネストはアズの友達で、友達を助けようとしてるだけだ。
「だったら、私たちが今やるべきことは……二人の邪魔をさせないこと……」
オーネストがしているのは死ぬ為の闘いではなく、失わない為の闘いだ。
アイズたちがここに来たのは、死ぬ為ではなく助け、そして共に生きて帰る為だ。
何も迷う必要はない。ただ生きる事に必死になればいいだけだ。
「アイズ」
「……なに、オーネスト?」
「リージュ達をここへ呼べ。今の状態を凌ぎきるための作戦を説明する」
まだオーネストは諦めていない。諦めを胸に抱いたはずの男が、もう一度抗っている。
今のオーネストなら、頼れる。信用できて、信頼できて、彼がこうだと言えば迷いなくそれに向かって行ける。そんな頼もしさと優しさを、きっとオーネストは元々持っている。
(私も負けられない。『ロキ・ファミリア』の戦士として、意地でも生き延びる)
そう思うと、自然と心は落ち着きを取り戻していった。
溶岩の海に漂う小舟に取り残された生存者達は、傲慢にもだれ一人とて欠かさずこの地獄を渡り切ろうと画策する。生の連なりを途切れさせんがために、運命の大波に逆らう一本の鎖を手に握り。
後書き
昔読んだ本によると、天然着色料の一部は虫の幼虫とかを磨り潰して加工したものなんだとか。事実としてそういう着色料は使われていますが、別にそれが健康に悪いんじゃなければ気にすることでもないような気がします。
タイトルでは地獄の連続は途切れていますが、地獄の連鎖は終わっていません。これは地獄と地獄の間を繋ぐ鎖なのです。
63.彼岸ノ海
前書き
黒竜戦を書いてたらスペース余ったからなんか書いとけと思ったらトンでもないの出来ました。
まぁ、割といつもの事ですが……。
※ラウルの口調が違った件についてのお知らせ
感想で色々言いましたが、よく考えれば口調さえ把握できてないようなキャラを小説に出すからこんなことになるわけなので、もうラウルくんを別キャラに差し替えることにしました。違和感を覚えた方々、雑な小説で申し訳ございません。ラウルくんは恐らくこれ以降出番ありません。
黒竜の攻撃にて60層が溶岩の海に変えられた時刻と同刻――59層には能力的な問題から救援に行きそびれたココとキャロライン、ヴェルトール、そして黒竜討伐戦線の件を聞いて飛び出したアイズ他数名を追いかけてきた『ロキ・ファミリア』の面々が顔を合わせていた。
「それでは……ロイマンとフレイヤに唆されてアイズはこの下に降りた訳だね?」
「というか、全員行きたいと言ったらアイズ以外役立たず認定を受けたというか……」
「そしてドナ・ウォノ・『猛者』と一緒にあそこに降りたのか」
気まずそうに明後日の方角を向きながら白状したティオナの言葉を聞きながら、フィン・ディムナは地獄の窯を覗き込む。顔が焼けそうな程の熱気と火の粉が舞い上がり、60層の様子は伺えない。ただ、常識的に考えるなら火山の火口に飛び込んで生きていられる人間はいない。
背筋を伝う汗がやけに鮮明に感じられる。この汗がただ単に熱いから流れたものではない事を知りつつ、しかし確かめてもいない事を結論付けるのは早計だとかぶりを振る。状況は絶望的だが、絶望とは人間の感情が決定する価値観だ。
冒険者とは奇跡のような確率を引きずり出してこそ真の強者になれる。
アイズも強者である事を望むのなら容易に死にはしない。
「下にはオーネストやアズもいるし、オラリオ最強の氷の使い手たる『酷氷姫』もいる。上手く凌いでいることを信じて行動しよう」
フィンの考える可能性が低い事は周囲も先刻承知だろう。
ロキ・ファミリアの冒険者の一人が不安と恐れの入り混じった表情で溶岩の海を見つめる。
「信じるったって、これはちょっと……言っちゃあ悪いが向かえば死人を増や……」
「そういうこと言うな!!」
「死ぬわけあるかよ!オーネストもアイズも……!!」
「これから助けに行こうって言ってるのにもう!!本当に信じられません!!」
「わ、悪かったよ!!俺だってその、別に本気じゃないって……」
若い衆の猛反発を受けて冒険者はおどおどしながら前言を撤回するが、周囲の声が大きいのはそれだけ不安が心を圧迫しているからだ。そもそも下の階層が大穴から見える光景も、その下が溶岩に埋め尽くされている光景も、これまでのダンジョン攻略の常識からすれば考えられないものだ。
これまでの常識が通用しない、余りに勝率が低すぎる状況。
そんな中で、不思議とその場の全員が縋るように信じている男たちがいた。
「オーネストは何だかんだでアイズには甘い所がある。それにあいつでカバーできずともアズがいるのだろう?」
「あやつはオーネストの友人とは思えぬほど人が良いからな。本当に危ない状況でもなんとかするじゃろ」
リヴェリアとガレスの脳裏に浮かぶ、人知を越えた行動を取り続ける二人の若者。常にこちらの予想の斜め上を通過していく彼らならば、或いは本当に古の怪物を――。
話がまとまったのを確認したキャロラインが槍を抱えてウインクする。
「じゃ、行こう?天井がブチ破れてから暫く経って、岩盤もファミリアひとつ通れる程度には再生してるし。ここの淵を通ったら穴から落ちずに正規ルートで60層まで一直線ってね!」
「一応未踏破階層の開拓になるが、目的はあくまで下で戦う冒険者たちの救出だ。全員、気を引き締めていこう!」
連合の暫定リーダーとなったフィンのひと声の下、黒竜の攻撃の中でも彼らが生きていることを信じて、ファミリア達は前進を選ぶ。
その真下、特に意図せず碌に見えない60層を覗いたティオネはふと眉をひそめた。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「え?ううんと………今、溶岩の中に十字架みたいなものが見えた気が……駄目ね、やっぱり気のせいかしら?」
「老眼じゃねーの」
「黙れ犬」
「狼だクソアマゾネスッ!!」
相変わらず噴煙と火の粉を噴き上げる60層は視界が悪い。
ティオネがその合間に一瞬垣間見たそれを気に留める者は、本人を含めて存在しなかった。
= =
「――本当に、それでいいの?」
「ああ、今は何もしなくていい」
アイズの勝手な脳内イメージによると。
オーネストは焦らすとか待つとか維持するとかそのような保守的で受け身な戦法を取らない男で、戦う以上は攻めて攻めてありとあらゆる手段を用いて攻め通す極まったインファイターだと思っていた。
「アイズ、その俺が突っ込むしか能のないイノシシだと思っていたと言わんばかりの顔をやめろ」
「…………顔に出てた?」
「カマかけだ。本当に思っていやがったな?」
渋い顔をするオーネストに、アイズはものの数秒で本心がバレたことが恥ずかしくて俯いた。周囲からは考えていることが顔に出ないと言われているが、実は自分はものすごく分かりやすい性格の人間なのではないだろうか。ロキにだってこんなに早くバレはしない。リヴェリアには結構見通されるが。
「ウォノくん、静止結界に異常は?」
『源氷憑依はまだ持つと思われる。重ね掛けはまだ必要ないと思いまするぞ、りーじゅ殿』
相変わらず溶岩の上に取り残されたアイズたちは、現在はリージュの魔法ではなくウォノの魔法『奇魂』の相殺結界にリージュの『源氷憑依』を重ね掛けした状態で熱を防いでいる。リージュが持続的に相殺するよりこちらのほうが消耗を抑えられるというオーネストの案だ。
ウォノと手をつないで自らの魔石の力を分け与えているドナが退屈そうにぼやく。
『ホントにここでジッとしてていいのかなぁ……』
「それが現状の最適解だ。フレイヤさまも賛同している」
「あいつと意見が一致したか。反吐が出るほど不快だが、まぁ一般常識段階で共通の認識を持つことくらいあるだろうから今回だけ特例として見逃しておくか」
フレイヤのことが嫌いすぎる人ことオーネスト。そのうち同じ世界に生きていることが気に入らないとかいちゃもんをつけ始めそうだ。ちなみに全員の会話はオッタルの通信装置を通じてフレイヤ本人の耳にも届いているが、当人は気にしていないご様子である。
ただ、こうして会話している間にも魔力は消耗され、時間は経過し、そしてアズと向き合うオーネストも額に汗を浮かべ続けている。小休止どころか、戦いは今なお続行中なのだ。
アイズは先ほどのオーネストの言葉を思い出しつつ、愛剣の柄を所在なさげに触る。
『俺たちは、黒竜に動きがあるまでここから動かない。いいな?』
アズに向き合い何かをしながら、オーネストはそう断言した。
『でもこのままだとジリ貧だよ、アキくん。打って出ないの?』
『ジリ貧なのは黒竜も同じだ。アズも動けない現状、乗せられて先に動いたほうが負ける』
『つまり俺たちがここに閉じ込められているのは黒竜の苦し紛れの策だということか?』
『俺の読みではな』
死の淵を何度も経験して数多の犯罪の当事者となったオーネストの読みは、恐ろしく精度が高い。それに、現状この場所で――いや、オラリオ内で最も多く黒竜と接していたオーネストの言はどちらにしろ無視できない。
『俺たちは苦しいが、『奴も苦しい』のだ。そうでなければ残る力で俺たちをじっくり炒ることなく一度で押し潰しに来る。溶岩で包む――それで仕舞いだ。一番効率よく確実に倒せる』
一分の隙も存在しない溶岩で包むなり結界や氷を突き破る熱線を発射するなり、殺す方法はいくらでもある。アズが欠けた状態ならばこちらの最も取って欲しくない手段だ。確実に魔力が足りずに溶岩を浴びることになり、生存可能性があるのはリージュとアイズの二人くらいのものだろう。
理由はリージュがアイズに『源氷憑依』をかけ、アイズの魔法と重ね合わせて脱出する方法がとれるから。その場合、他の面子は溶岩の海に沈む。実際にはそのような非情な判断を下さねばならない状況にはなっていない。
『つまり、それを黒竜がしないのは……そうするだけの余力が残っていないから?』
『当然といえば当然の話だ。魔石の三分の二を焼失し、予期せぬ攻撃で切り札も失った』
『ついでに首も切断してある。本来なら戦える状態ではない』
あの一瞬にオッタルが首を切断し切らなければ、おそらく現状は変わっていた。自らに危険が迫っている可能性が高い中で敢えて攻撃を優先し、黒竜の鱗ごと首を切断した当たり、やはりオッタルという男も埒の外に存在する怪物なのだろう。
『しかし、ならば何故黒竜は逃げぬのであるか?』
ウォノが首を傾げるが、その理由はアイズにもなんとなく理解できた。
さっきオーネストが言っていた推測と同じく、「しないのではなく出来ない」のではないだろうか。その理由を考えれば推測は簡単だった。
『引けば『猛者』と『酷氷姫』、そして場合によってはそれ以上の人の追撃が待っている。それに、首を切られたのなら単純に動けないのかもしれない。逃げられないなら迎撃するしかない………じゃ、ないかな』
『その考えで相違ないだろう。だから奴は待つしかない。俺たちが下手打って防御が疎かになったところを食うしかない。攻めの手を緩めたら自分が食われるから、この状況でギリギリまで待つしかない。ならば俺たちがするのは奴の一番嫌がる行為――すなわち、待つことだ』
その後、黒竜の今後の行動に応じた作戦を簡単に伝え、それ以降メンバーは全員ずっと大人しく黒竜が痺れを切らすのを待っている。
こうして何もせずに待っていると、段々とオーネストや自分たちの出した結論が実はとんでもない間違いだったのではないかと思えてくる。実はこちらが待つという選択をすることさえ見越して、自分が最低限の労力で相手を潰す作戦なのではないだろうか。
アイズたちは永遠に来ることのないチャンスを待ってずっと馬鹿正直に待ち続け、やがて魔力が切れて、溶岩に――。いや、或いは黒竜はあの溶岩の繭のなかで更なる形態変化を起こしてこちらを蹂躙する気で、今の状況はブラフなのでは――。
背筋から這い上がる「死」の恐怖を振り払うように頭を振ったアイズは一度深呼吸する。氷の加護を以てしても完全には防ぎきれない熱が喉を通るが、少しだけ気は落ち着いた。周囲を見るとオッタルは微動だにせず剣を抱えたまま瞑目し、リージュや人形たちも焦る様子はない。アイズは少しだけ焦っていた自分が恥ずかしい気分にさせられた。
(わたし、未熟だ……レベルが上がっても、まだ足りないものがあるのかな)
救出だけが仕事であると予め告げられての同行だったが、内心では戦いもあるかもしれないと小さな期待を抱いてはいた。しかし、この様子では仮に戦いになっても自分は役に立たないかもしれない。自分にも与えられた役割はあるが、
唯一オーネストは意識不明のままのアズを前に神聖文字を操り続けている。
その姿に普段の超然的な雰囲気は感じられず、ただ懸命にアイズには理解できない何かを続けていた。
「オーネスト、今いい?」
「………何をやっているのか、と聞きたいのか?」
「うん」
黒竜に動きがない今、アイズにはやる事がない。そうすると気がかりなのは意識を取り戻さないアズがどうなっていて、オーネストは何をしているのかが気になってくる。断られたら素直に諦めようと思っていたが、オーネストは作業しながら喋る余裕は辛うじてあるらしい。
「今、アズの体から『情報』が抜け落ちかけている」
「情報?」
「魂でもあり、肉体でもある。アズライール・チェンバレットという男を構成する情報――存在そのもの。恐らく魂が抜けた瞬間、この世界からアズライールという男は骨も残らず完全消滅するだろう」
「それは、死ぬってこと?」
「少し違う。こちらではそうだが、あちらでは――いや、これは憶測だな。正直、アズがどういう状況にあるのかは俺にも正確に把握しかねる」
意味が分からないが、どうやらオーネストにも分からないことはあるようだ。ただ、話を統括するに、アズの現状は医者にどうこうできる類の問題を逸脱しているという事らしい。
「アズは『もともとここにはいなかった存在』だ。それが『死望忌願』を引き連れてこちらに来たのはきっとアズが特別なのではなく、この世界が脆いのだろう。奴は隣の部屋とこちらの部屋に空いた風穴で、『混ぜてはいけないもの』が溢れ出ることを図らずしも止めている」
「………??」
「だが、きっと『弁そのものは向こう側に開く』から、アズが『いなくなる』のなら弁は自然と閉じる。そこから引き戻すには閉じきっていない今を於いて他にない………しかし、今の俺では『壁』を越えられないし、何より時間が足りない。弁の隙間から呼ぶしかない。後は、奴次第だ」
「………???」
「要するにだ。やることはやっている。後は寝坊助野郎が帰ってくるか、そのまま永遠の眠りにつくかの二つに一つって訳だ」
「なるほど、分かった。要するに峠を越えるかどうかってこと……合ってる?」
(………しまった、最初からそう説明すればよかったか。俺も少し焦っているのかもしれんな)
ロキやリヴェリアならこの話の半分でも理解できたのだろうか――少なくともアイズにはそう解釈するのが精いっぱいだった。しかしそう分かってしまえば事実はシンプルだった。
血の気のない顔で眠るように意識を落とすアズの顔を見る。
アズとは特別親しいわけではないが、アイズは少しだけアズに憧れていた。
アズはなんというか――そう、身近な大人像だった。
アズは自分のようにファミリアの先輩や主神に口出しをされることもすることもなく、好きや気まぐれで他人に付いて行ったかと思えば一人でも行動し、誰を妄信することもなければ己に陶酔することもなく自由気ままにフラフラしている。
それでいて、戦いでは圧倒的に強い。周囲にはあまり言っていないが、アズの『死神の如く』と謳われる異次元の強さ――無傷で周囲を圧倒し、他人をも助ける余裕がある強さには羨望を抱くことがある。レフィーヤなんかはよくアズのことを怖がっているが、アイズはむしろ物語の一幕のように場を支配するアズの威圧感を『かっこいい』と思った。
縛られることなく、どこまでも思いのままに。
家族同然のファミリアたちのお節介が嫌いな訳ではないが、だからこそ時々周囲を微温湯に感じる瞬間がある。自分の意志を他人に曲げられている感覚が、僅かだが確かにある。
そんな子供の心にとってアズの存在は眩しく、そして柔らかかった。
そんな彼が死のうとしていると聞いても、アイズには何故かそんな気がしない。
いつもにへら、と笑う彼のことだから、また目を覚まして笑いかけてくれる。
根拠もない一方的な願いでしかない。それでも、アズなら「しょうがないな」と笑って答えてくれる気がした。
「早く戻ってきてね、アズ」
アイズは彼の温度がない額をそっと指で撫で、再び繭となった黒竜に向き合った。
何時かは分からないが、その瞬間は確実に迫っている。
それを乗り切れなければ、アズは眠るための体さえ失くしてしまう。
(アズもそれは困るよね。「居眠りしてる間に体がなくなっちゃったよ。どうしよう?」とか言うのかな?)
――それから、どれだけの時間が経っただろう。
時折リージュの魔法の継ぎ足しの詠唱が聞こえるのと、溶岩が深紅の泡を弾けさせる事を除いて動きがない溶岩の中心はまるで時が止まったかのように静かな空間。
その空間の中で、僅かな動きがあった。
「――あと一発で打ち止めだ。『剣姫』、こちらに」
「……うん」
リージュの声に事情を察したアイズが前に出る。
『コクリュー、動くかな?』
「動くな。それも確実に」
それまで目を瞑っていたオッタルが立ち上がり、大剣を持ち上げた。
「流石に焦れてきたらしい。それとも限界が近いからか、先ほどから苛立たし気な焦燥の吐息が空間を伝播している」
「――判るのか?」
「本能のようなものだがな。あちらがこうも追い詰められていなければ悟ることも難しかっただろう」
矢張りレベル7に至った人間は、『どこか人間ではない』。獣の本能か、戦士の本能か、こういうところはオーネストと同じだ。彼の言葉が含む重みが、その言葉を信頼に足るものであると否応なしに実感させられる。
「作戦通りに行くぞ。準備はいいな」
「口を慎め猪が。誰に物を言っている?作戦を通すのは私の仕事よ」
「迷宮に足を踏み入れた時から、当の昔に覚悟など出来ているから……」
『あず殿とおーねすと殿を守り切れているうちに、お願い申す』
『みんなで帰ろう?大丈夫、オーネストの作戦だよ!』
(歯痒いが、今は奴らに期待するより他になし。だが――悲観するには少々贅沢な戦力かな)
今にも沈む岩船の、船頭に立つは三人と二つ。
何れも万夫を退け幾千の勝利を重ねる闘士なり。
最大戦力は動くこと叶わず、黒き牙を穿つは無頼の刃。
人が喰らうか、獣が喰らうか。それとも喰らったそれが真の獣なのか。
魔王と神の代理戦争、力と力の生存競争、『あちら』と『こちら』の綱引合戦。
今この瞬間こそが、正に一線を越える刻。
= =
何かが幾重にも重なり、擦れるような音が聞こえて、俺は眼を開けた。
そこは溶岩に包まれた巨大な洞窟の中/コンクリートが罅割れた埃臭く陰気な部屋/光のようにまっさらな砂と海が広がる青天井の下/だった。
「あれ……これ、どこだ?」
目を凝らすとそこはどこか見慣れた貧民街の家のようでもあり、人々が闊歩する町中のようでもあり、そっけなく飾りっ気もない自分の家のようでもある。あらゆるものがあり、あらゆるものがなく、ただ曖昧な幻が幾重にも重なって逆に見分けがつかなくなり、結局その光景は光のようにまっさらな砂と海が広がる青天井の下に収束された。
立ち上がる。体が立ち上がった。
立ち上がる。よろけて砂上に落ちた。
立ち上がる。体は動かなかった。
気が付くと俺は三人になっていた。
いいや、俺は最初に立ち上がったのだから立っている筈だろう。
そう考え直すと、俺が二人減って立っている俺だけになった。
なんとはなしに、そういう意識が大事なのかと考える。
周囲を見渡すと、底には誰もおらず、何もなかった。
暗闇に落ちたときもオラリオに辿り着いた時にも俺には先達がいたが、いないのだろうか。いるような気もするし、いないような気もする。
ふと自分の体を見てみると、体が三重に見えた。
まっさらな俺、体が欠損した俺、黒い外套を纏い黒竜の猛攻を防いだ俺。
どれが俺なのだろう。
「いや――」
そもそも、黒竜と戦った俺は本当に現実の俺だったのか?
それとも死にたく思うほどの苦しみの中で女の子に介抱された俺が俺なのか?
或いは、この何もない海の真ん中で呆けている俺が俺なのだろうか?
分裂する俺をさっきのように一つに纏めようと思い、纏まらずにそのまま立ち竦む。
「それはそうだろうな。そも、人間に『本当の自分』などという都合の良い人格は存在しない。何故ならば、1秒前の自分は今の自分とは異なるのだから」
後ろを見る。誰もいない。周囲を見回すが、人物らしき人物は俺以外に見当たらない。
という事は――ああ、なんとなく理解できてきたかもしれない。
「『本当の自分がない』って、何だよ?今こうして喋っている俺が俺ではないってか?人間は意識を連続させて自分を形作るものだろう」
「そうでもあるが、そうではない。根幹の意識は一つのトリガーで如何様にも変貌しうるものだ。未来に今の自分の思考がそのままである保証はあるか?過去の自分と今の自分の精神構造が100%一致すると断言できるか?一つの質問に二つ以上の答えを導き出した時、お前は複数いるのだ」
「ぜってー屁理屈だろそれ」
「『だがそういうこともあるかもしれない』と一瞬納得しかけた」
「それを屁理屈だっつーんだよ。話が進まないから一応そういうことにしておくけど………ここの俺は随分おべんちゃらがお好きだ」
この場に俺しかいないなら、喋ってるのはどうせ俺というパターンだ。
少し形は違うが、『死望忌願』の時と同一なんだろう。
「で?この気味が悪い程の晴天が照らす白い海岸の中で、俺に何を伝えたいので?」
「――汝に問う。汝にとっての現実とは何ぞや?」
「現実…………………」
現実。現実――舌の上で転がして、頭が停止する。
いや、何を今更疑いを持つことがある。
あの感覚、あの痛みが嘘っぱちや幻影である筈がない。
「俺は黒竜との闘いでぶっ倒れて/ドデカイ地震に巻き込まれて/このわけわからん砂場で問答してて/――………あ……れ……?」
思考が同時に浮かび、そして沈んだ。
「そうれ、見たことか。本当の自分は何処に行った、■■■。いいや、アズライール。それともアズライールは幻想で、本当のお前は存在を見失った名無しの権兵衛か?」
冷静に考えれば――俺がファンタジーの世界で謎の力に覚醒して、死神呼ばわりの大活躍などあり得るのだろうか。挙句二年もろくすっぽ苦労せずに「俺達に未来はいらない」などとクサい台詞を吐きながらヒャッハーして三大怪物の一角と戦った末に友達を助けて力尽きる?これでは痛々しい妄想小説の類ではないか。
なら俺は大地震に巻き込まれて両足欠損、片目失明の死に体で知り合いに看病してもらっているというのか。首都直下地震は以前からニュースでそのリスクが報じられていたのだし、ありうる話だ――。
いや、本当にそうか?被災地できちんとした治療も受けられない状態で、目ん玉と両足の捥げた人間が生きているなどと、そんな都合の良いことが起きるだろうか。やはり、漫画かドラマの類だ。
では、今ここにいる俺が全てなのか――絶対にないとは言えない。手前二つのどちらもが現実ではないのなら、そもそも俺と言う存在が既に常世の存在ではなくなっているのかもしれない。俺は既に肉体と言うくびきから解放された意識だけの存在であり、ここは死後の世界なのだ。
だが、そうなのか?あの生々しい現実感と、終着を迎えていない記憶が偽りか欠損のあるものなのか。俺は分裂しているが、すべての時間は同時に進行しているような感覚があるのに、それでもその現実は存在しないのか。
混乱する中で、俺は必死に記憶を遡る。
遡って、遡って、遡って。
「俺は――俺は、面子をやたら気にするだけで後は普通の父親と母親を持って、平成という時代に日本で生まれた。名前の由来は『歓迎すべき来訪者』……だったか?好き放題するガキだったが、小学校に上ってからは周囲に歩幅を合わせることを覚えて、中学には周囲に迎合することを覚えて……高校じゃあ、自分と言う存在を殺す事を覚えた」
「まるで周囲が何もかも嫌いになったような物言いをするのだな」
「嫌いだったさ。そう、周囲も俺も何もかも嫌いだった。嫌いな周囲を形作る世界も嫌いだった」
「破滅主義だな。或いは唯の駄々っ子か?」
「知るかよ、と言いたいけど……たぶん、俺はどこまで行っても駄々っ子なんだろうよ」
オラリオでは、自分のやりたいことしかやってこなかった。あらゆるしがらみを無視した。無視することのできる、都合の良い世界と環境だった。まるで現実の嫌なこと全てから目を逸らすように、ああそうだ。俺はあの世界に没頭し、あそこに骨を埋める気でいたに違いない。
現実にはそんなにも都合の良い場所は存在せず、目を覚ませばまた嫌味なまでに抗いがたい現実が待っていて、俺はその中に埋もれながら心の中に呪詛を、心の外に世辞と気遣いを吐き出して生きていくのだろうと知っていた。
そうか、そうなのか。
俺はあの世界が大嫌いで、もしかして逃げ出したかったのか。
「アズライールは、死にかけの馬鹿が死の寸前に垣間見た胡蝶の夢か。そして死にかけでもがいているのが現実の俺で、ここはその狭間だ。違うかよ」
「お前が決めることを俺に求めるな。お前がそれでよいのなら、それでよい」
「ハッ………ばっかじゃねえの」
感情がごちゃ混ぜになって、何を考えて何をしたらいいのか訳が分からなくなって、俺はその場に倒れ込むように仰向けになった。そして、『死望忌願』を初めて見たときのことを思い出し、呻いた。両足が千切れて片目が抉られた痛々しい姿。あれは、俺の現実の姿であり、俺に忍び寄る『死』そのものだったのだ。
「ばっかじゃねえの」
あいつは「楽になろう」と言ったではないか。
苦しみやしがらみから解放されようとのたまったではないか。
死んでいるのなら確認を取る必要はない。ならば、俺は死んでいなかったのだ。
死と生の狭間で、俺は生きる事を選んだ。都合の良い未来を願った。
それにあれは、いつまでも付き合うと言ったのだ。
「俺の妄想に延々と付き合いますってか?マジで冗談キツイぜ………」
意識が一つに統合されていくのを感じた。
視界の先、俺の直上に『贖罪十字』が見え、俺は乾いた笑い声を漏らした。
あの十字架め、こんなところまで俺を追いかけてきやがった。
それももう、滑稽としか思えない。あんな紛い者の無敵など。
そうだ、前に己の死を探ったときもそうだったし黒竜に殺されかけて意識が飛んだ時もそうだった。俺は何度か短い覚醒を繰り返し、その中で現実世界に意識を送っていたのだ。しかしそれも、あの様子では持つまい。さっきも言ったがあれで生きている方がおかしいのだ。もうじき死ぬ。
「甲斐のない人生って、こういうもんなんだなぁ……ッ」
もう一度幻影の世界に溺れるも良し。現実と向き合い、現実に潰されるも良し。
どちらにしろ、俺の前に広がるのは虚しさだけだ。選択など馬鹿げている。
もう考えるのも苦しむのも億劫だ。選択しなければ、ずっとここにいられる。
未練も苦痛も放り出し、一生この狭間にいるのがいい。
なんと素晴らしい。死ぬより更に楽な道じゃあないか。
それともこれこそが『死』という事か。
なるほど――安楽にして甘美なり。
(元より、おれはそういう存在。自分がいなくなってしまえばいいと思ってたんだ。丁度いい塩梅だろ……)
誰かの声が聞こえた。何人かの声が耳に響いた。子供の声?男の声?混ざり合った音は雑音のようであり、俺は煩わしさからそれに耳を貸さず静かに脱力した。力が抜けていくこの一瞬一瞬から生きる意志が剥がれ落ち、今が『そう』なのだと強く感じる。
「Komm, süsser Tod――」
足元に押し寄せるさざ波が心地よく、俺と言う存在を無へと溶かしていく。
今この瞬間こそが、正に一線を越える刻。
後書き
告死の御使いよ、彼岸の波に溶けてゆけ。
64.■■■■
前書き
なんとなく調子が出ず、他所のサイトに浮気してました。すまぬ。
最近、黒竜編と後のストーリー一章を以てこの二次創作を終わらせてもいい気がしてきました。
幾らなんでも話が長いし、合計70話超えてるし、もうゴールしてもいいよね……?
もしも魂の在処が肉体にあるのだとすれば、死という事象を通り過ぎた肉体から離れた魂の在処はどこにあるのだろう。もしも輪廻転生がこの世の理ならば、魂とは親から与えられるのではなくもっと違う場所から溢れ出でて器に定着するのだろう。
ならば魂のいずる場所とは自分と他人の境界がなく、きっと安らかな場所であろう。
人が個となる以前、混沌という名の無我。
そこに溶けてゆく――きっとそれを望む者にとっては最も甘美な死。
記憶に過る街の人間たちと、結局あまり支えられなかった男の幻影が瞼の裏に浮かび、それも嘘だったのだと勝手に決めつけて消し去った。いや、聞こえぬふりをして押し込めた。確認するのが怖かったのかもしれない。どちらも認めないことで、本当にしてしまいたかった。
その時、さざ波以外の音がなかった空間に、ビシリ、と無機質な音が響いた。
「――んあ?……十字架に罅?」
音の発生源は、『贖罪十字』だった。
曰く、『この十字架は救済であり、諦観であり、死苦』。俺の死であり、諦めであり、救いであると言っていた。死とは俺に迫るものだ。諦めとは現世のことだろう。救いは、まぁ単純に考えれば死んで楽になるという事なのだろう。
同時に十字架は罪の象徴だという。あれは俺の罪なのだ。では、何故罪に罅が入る?
俺が罪から解放されるからか?死ぬことで?だいたい罪って何だ?
あの時は理解できた気がしたのに、今の俺には理解が及んでいない。
それは、現実の俺だと思ったあの悲惨な体に付随する認識では捉えられないと言う事なのか。
「あいつ、なんか色々言ってたよな……『こちら』に生きるならば『あちら』に引っ張られるな……だっけか。他にもなんかごちゃごちゃと……背負うことがオラリオにいる事ならば、投げ捨てるのは――いや、壊れるのはオラリオから出ていくこと?」
自分の夢から出ていくというのに、わざわざ十字架だの自分のもう一つの側面だのを持ち出すものだろうか。いや、そもそも『死望忌願』とは俺の何の願いを人格化した存在であるのか。
あちらとこちら、二つの世界。
オラリオに入る時と出る時の、対照的な世界。
分裂する俺の認識。……俺の意識?
仮に俺の意識だとして――『俺がなったのか』、それとも『させられたのか』?
「おい、質問いいか」
「なんだ」
「俺の意識が統合されようってときにも、お前は我関せずと一方的に喋ってたな」
もしかして俺は、とんでもない見落としをしているのではないだろうか。
そうだ、思えばあの世界は人間の妄想で作り出すには余りに矛盾が少なく、理想郷とは呼べない部分を内包しつつも生への希望に満ち溢れた世界だった。俺のいた世界とは、俺の在り方も含めて対極だった。
俺がこちら側たるオラリオで『死望忌願』と出会ったのなら、それと対を成す『何か』があるということは、ないか?それは『死望忌願』とは反対へと向かう選択を迫るのではないか?
「お前、『本当に俺自身か』?」
「一言もそう言った覚えはないが――俺がお前の人格のひとつであることは確かだ」
「じゃあお前は何故物知り声で俺に話しかけ、選択を迫る?俺に何かを決定させようと選択を迫るのはどうしてだ。どうしてお前は俺なのに、『俺はお前の意志を自分の中に認識できない』?『俺ではない何か』も混ざってるんじゃないのか?」
命に贔屓はあっても特別はない。俺が『告死天使』であったのは、『死望忌願』が俺の傍にいたからだ。いなければ俺は少なくとも今よりは凡庸な男であり、黒竜と戦うなどと奢ったことを考えなかっただろう。
俺がそうなった理屈がある筈だ。
先駆か?きっかけか?綻びか?砂漠で見つけた一粒の砂か?
どのようにそれが起きたのかなど知らないが、『奇跡的な何か』がなければ、道理に合わない。
そもそも、この広い世界に完全に同一な人間はなくとも似た人間はどこかに居るはずである。俺の人格がオラリオ行きの理由になっているのなら世界各国から異世界へ意識を飛ばす人間が大量に発生することになる。つまり、俺があちらに行ったのは何かの力が偶発的に作用したのであり、広義で解釈するに『俺の意志とは関係のない力』を挟んでいる筈なのだ。
果たして、俺の予想は正解だった。
「――然り」
俺の声をしたそれは、可能性を確定性へと変えた。
その瞬間、俺の人格が一気にオラリオ寄りに引き戻された。
そうだ、オラリオにいた俺ならこんな単純なことに気づかない訳ないし、そもそもあの世界を妄想だなどと言い出すことは決してない。俺は、俺自身に思考を引き摺られていたのだ。そうなのだと思えば、様々な事柄が一挙に浮上する。
「入る時に『死望忌願』に会う。帰る時にあんたに会う。行先は選択次第で変わる」
「然り」
「あの十字架。背負うことと捨てることと壊れること、全部条件違うだろ」
「然り」
「俺が世界に入ったその瞬間から、俺の認識に関係なくあのオラリオは成り立ったんだ。いや、もしかしたらそれ以前からずっと成り立っていたものに俺が勝手に入り込んで、そこで繋がりが生まれた」
「然り」
…………………………。
「うっわ恥ずかしッ!?さっきまでの俺超恥ずかしッ!?そーだよあんなインテリアトミックヤクザ野郎が俺の想像の範疇にいる訳ねえんだよ!!リリちゃんが変身する!?ドスケベさんのドスケベ行動!?最後にポッと出て沸いたリージュちゃんとかが俺の妄想の産物だぁ!?世界舐めすぎだ馬鹿野郎!!オーネストの言った通りだ、事実で成り立ってんだよこの世界は!!」
余りに恥ずかしくて俺は自分の顔面を数発殴り、それでも抑えきれない欲動に駆られて砂浜をばんばん叩きながら両足をじたばたさせてもだえ苦しんだ。
馬鹿だ俺は、本当に馬鹿だ。ぶっちゃけありえない。
この体たらくでオーネストの荷物背負うとかほざいてたのが恥ずかしくてしょうがない。もういっそ死にたい。でもこんな理由で死んだらその方が更に恥ずかしくて死ねる。
「あ゛~~~!!もう帰る!!」
「どちらにだ?」
「アズライールの方に決まってんだろ馬鹿!!帰ってオラリオで知り合った全員に土下座したいわッ!!マジほんとありえん!!2年前に死んだ親友トーテツくんが草葉の陰でプークスクスしてるレベルだよッ!!」
本当にすまない、トーテツくん。あんなに泣いたのにその事実をなかったことにしようとした俺は最低だ。あの瞬間から消えなかった胸の苦しみや後悔、行き場のない感情を偽物になどしてはいけない。あの世に行ったら真っ先に君の所に行って謝る。まぁ、君の場合は「よくわかんないけどまた遊べるねっ!」とかそういう癒し系の一言で許してくれるんだろうが、それでもだ。
(――トーテツ君、か。そういえばそろそろ命日だっけか……)
オラリオで初めて感じた喪失感――永遠に会えない事の意味。
あの一件は、俺の心に漂っていた夢見心地を貫く楔となった。
それでも、俺とトーテツくんは友達だったんだ。
「………行くか」
俺は砂場で寝ころぶ俺を引きはがし、現実世界の俺を引きはがす事でオラリオへ戻ろうとし――自らの胸に押し当てられた二つの手があることに気づいた。二つとも暖かく、そして必死だった。
『絶対にあなたを死なせないから。私を助けたあなたを、一生賭けてでも守り抜いて見せるよ』
一つは皸て尚献身的な温かさを感じる、かつて助けた女の子の手。
『絶対にお前を死なせんぞ。俺が生きろと言っているんだ、生きる以外に選択肢があると思うな』
もう一つは、血に塗れて尚美しき我が親愛なる悪友の手。
しばし考え、取捨選択した。
「………ごめん。多分、まだ行けないから」
俺は女の子の手を出来るだけ優しく、そっと引きはがす。
あちらにも、俺の存在を望む声はあるのだ。たった一つかもしれないけれど、苦しくてしょうがない場所なのだけれど、そこにも俺の居場所はあるのだ。今は絶対に選ぶ気になれないけれども――その事実はしかと胸に受け止めなければならない。
気が付けば砂浜には白い階段があった。どこまでも際限なく続くような階段だ。
あの先に、懐かしき我が戦場がある。多分戻ったところで役には立たないが、それでも戻る。
「しっかし遠いな……それだけ俺の肉体が瀬戸際という解釈でいいのか?まったく、真後ろに扉一枚とかの親切設計にしておいてくれって……のぉッ!!」
体をかがめ、俺は人より少しばかり長い脚を使って階段を一気に駆け上がっていった。
= =
溶岩の海に佇む黒竜の繭の攻撃は、劇的だった。
ごぼごぼと音を立てるだけだった溶岩が意志を持ったかのように柱となって吹き上がり、結界で守られたオーネストたち周辺に無数に立ち上る。繭そのものもこれまでにない威圧感と共に空間が歪むような陽炎を立ち上げ、アイズが素人目に見ても何か行動を起こすのは明らかだった。
「これで打ち止めだ――『源氷憑依』!!」
「ドナちゃん、準備いい?」
『オッケー!』
元気よく返事する可愛い人形は右手でアイズの足にしがみつき、左手に鎖を握っている。リージュが所持していたアズの鎖だ。若干ながら錆びつき半透明になっているが、それでもまだ物質として機能している。鎖の繋がれた先は、結界を維持するウォノの脚に括り付けてある。
「風よッ!!」
作戦通りリージュの『源氷憑依』によって絶対零度の属性を得たアイズの全身から極北の風が吹き荒れる。
『キターーーっ!!すごいエネルギー!』
「これが『酷氷姫』の魔法の力……!!」
「呆けている暇はない。準備をしておけ」
準備はいいか――などと確認は取らず、オラリオ最強の剣士『猛者』オッタルは大剣を正面に構えた。
『まず、リージュの『源氷憑依』はアイズに使う』
『………どうして、私?他の人の方がレベルは――』
『リージュの魔法とお前の魔法は相性がいい。オッタルに使うという手もあるにはあるが……おい通信機越しに聞いてる女神。一応確認だけしておくが、こいつに広域攻撃魔法はあるか?』
アイズには誰の事か分からなかったが、オッタルの眉間の血管が一瞬びくっと震えたのと、通信機から聞こえてくる妖艶な声で察する。
《あら、それって私のことかしら?まぁいいけど、オッタルにその手の魔法はないわね》
(クソオンナって………仲悪いっていうのは聞いたことあるけど、ひどい)
仮にも美の女神――しかもオラリオ内の神でも格上と言える存在によくもまぁ堂々と酷い呼び方が出来るものだ。尤も彼がここまで口汚い言葉を発することはそれ自体が稀ではあるのだが。
『……あの繭を突破するには、単なる物理攻撃に氷を付与しただけでは弱い。氷の魔剣でも都合よくあったら話は別だが、今はアイズが勝利の鍵だ。それと――リージュ、アズの鎖を貸せ』
言われるがままに渡された鎖を掴んだオーネストは輪になっていた鎖を親指で千切り、どういう原理か鎖の長さを伸ばしてリージュに返した。アイズは一瞬自分の目がおかしくなったのかと思ってごしごし拭ってもう一度見るが、やはり鎖は何故か伸びている。
(え?今なにか………え?あれ?なんで皆鎖が伸びた事に何も言わないの……?)
『その鎖をウォノの脚に結び、もう片方をドナに持たせろ。ドナは鎖を持ったままアイズの脚につかまれ』
『ぬ?この鎖にはなんの意味があるのだ?拙者には皆目見当もつかぬぞ、おーねすと殿』
『この鎖は端と端に伝導性がある。アイズの魔法発動と同時に、この鎖を通して切れかけたウォノの『源氷憑依』にエネルギーを継ぎ足す。黒竜を倒せたとして、俺達が消し炭になったら意味がない』
『それはそうだけど、魔法の継ぎ足しなんて出来るの?』
『アズの鎖とドナ・ウォノの二人ならな。本人曰くこの鎖は繋げた相手の心の内を探ることも出来るらしい』
そんな馬鹿なと思ったが、アズなら出来る気がしてくるのは何故だろう。いっそ鎖なしに人の心が読めると言われても信じてしまいそうだ。
……ちなみに本人が起きていたら恐らく『なんか車のバッテリー充電するコードみてぇ。あの先っちょで挟むやつ』と言っていたと思われるが、恒例のオーネストにしか……もとい、オーネストくらい察しが良くないと通じない例え話である。
『後は、行動だ。はっきり言うが、黒竜がどんな攻撃を仕掛けてこようとこちらの取れる作戦は一つしかない。すなわち――』
すなわち、オッタルが拓き、アイズが往く。
地面に穴を空ける程に深く、地面に捻じ込むように踏み込んだオッタルは、その腹から爆発に近い叫び声をあげて弓のように弾き絞った剣を振り下ろす。
「ぜああああああああああああッ!!!」
気合一閃。
直後、轟ッッ!!という闘気と風圧が入り混じった突風が溶岩を貫いた。
地響きが鳴る程に凄まじい斬撃が剣圧となって静止結界の外に放出され、目の前に広がっていた溶岩の海をぱっくりと切り裂いた。それは、黒竜まで続く一直線の道となってアイズの前に現れる。
魔法もなしに純粋な剣圧のみで大地を切り裂く。その域に達するまでにどれ程の実力と鍛錬が必要なのかを語る時間も考える暇も存在せず、すべきことはたった一つしか存在しない。ドナが手を放し、オッタルが道を開け、そこに生きる為の道が拓けた。
「往け、アイズ・ヴァレンシュタイン!!黒竜を冥府へと送る風となってッ!!」
「荒れ狂えッ!!」
掻き集めた風を背に、灼熱の業火をの隙間を駆け抜ける一陣の風と化して、氷獄を纏う『破れかぶれの一撃』を突き出す。
引けば灼熱に飲み尽くされ、臆せばわが身を焔が喰らう。
故に前へ。どこまでも前へ。今という時が続くと信じて、前へ。
左右背後から炎の柱が次々に押し寄せるが、オッタルの押しのけた剣圧の余波に揺さぶられて間一髪アイズに届かない。乱れた髪が微かに外に靡き、一瞬で灰になるが振り返る暇もない。ただ、生きる為の闘いを続けるだけだ。
永遠のように遠く感じる道がぐんぐんと縮まってゆき、生死を問わない決着の場へと誘われてゆく。
「……ッ!!!」
アイズは、正直に言えば怖かった。それまで戦いで命が懸かったときも、進むことを躊躇うほどの恐怖を覚えることはなかった。それほどにオーネストの作戦はシンプルかつ危険すぎるものだった。特に最後の行程が、誤れば一瞬で絶命して再度挑むことが出来なくなるほど端から見ると無謀だった。
しかし、目を閉じることはしない。
今のアイズの背中は多くの人々の力によって押されているから。
まだ死ねないから、こんなところで終わる訳にはいかないから。
眷属として、家族として接してくれたロキ・ファミリアの皆の為に。
「死に物狂いで前へッ!!」
オラリオ最強の『猛者』に道を譲られ、道を拓けてもらったから。
自らが使える最後の氷の魔法を託してくれた『酷氷姫』の為に。
「決して止まらずッ!!」
自分に代わって彼らを守護してくれているドナとウォノの為に。
作戦を立て、アイズを指名して、お前ならできると言ったオーネストの為に。
「生き残る為にッ!!」
そして、『耐火祝福済みコート』とイロカネトランプを借りたアズライールの為に。
アイズ・ヴァレンシュタインは、『繭』を斬るのではなく、凍らすのでもなく、ただ真っすぐにその中に『飛び込んだ』。
骨さえ灰も残らず焼失する太陽のような熱の中で、しかしまだ死んではいない。
(これが、『繭』の中……ッ!!)
アズのコートを羽織り、残る全ての鎖を体に巻き付け、イロカネのトランプを服の中に巻き込み、魔法によって極限まで魔法伝導効率を高めた上から更に風のバリアを纏い、ほんの一瞬――僅か数秒だけ『繭』の中でも焼き尽くされずに動くことが出来る。
アイズはその中で赤子の産声のような、老人の戯言のような、歓喜のような、諸悪のような、止め処なく渦巻く「いのち」のようなものを感じた。それはほんの一瞬で、別にそれを感じようと思って感じた訳ではない。きっと『繭』の中は一つの別世界だったのだと思う。アイズが感じたのは、きっと黒竜の鼓動だったに違いない。
それも、今から終わる。
オーネストは言った。
『繭』は外から凍らせても中まで冷気は届かない。
かといって冷気の刃で切り裂いた所で、限りなく実体が薄い『繭』には効果が薄い。
『――だったら、内から弾けさせろ』
アイズの役割は、正しくは黒竜を斬ることではなく、破れかぶれの刃は単に少しでも負担を減らすために『繭』を押しのけるのがその本懐。故に、本来のアイズの役割とは――『繭』を内側から崩壊させるための『爆弾』だった。
内にある全ての魔力を喰らいつくしてもいい。もう二度と魔法が使えなくなったって構わない。命を削ったっていい。この一瞬、一生の中の刹那の瞬間に、アイズ・ヴァレンシュタインという一人の女が積み重ねてきた闘争の成果の全てを込めて。
「弾け飛べぉぉぉぉぉーーーーーッッ!!!」
日が昇る場所に、風は吹く。
アイズの全身からあふれ出た霊廟の凍風は、体に仕込んだイロカネトランプを通して爆発的に膨張し、魂の殻を突き破るように圧倒的な慟哭となって『繭』から溢れる。圧潰し、尽滅せんと迫る獄炎が一瞬それに拮抗するように胎動し――やがて、力尽きたように氷の風に流された。
生きる為に。
その一言が物理的な力を以てこの世界に顕現するが如く、『繭』から幾重にも重なって放たれた静止の風が灼熱の空間を彩った。
『繭』が破壊される瞬間。
アイズは何者かの悔恨と屈辱、そして無念が抜けていくのを感じた。
その声は、母親に謝っているように聞こえた。
なんとなく、もう二度と会えなくなってしまった両親の背中を垣間見る。
もしかしたらオーネストがそうであるように、黒竜もまたアイズの抱いていた可能性だったのかもしれない。『もしも本当に独りで戦っていたら』という、可能性の同一人物。
アイズは消えゆく意識に、咄嗟に手を伸ばした。
掴めるはずもなく、空を切った。
はっとして目を開けると、まるで巨大な卵が割れたような形状に変わり果て、岩と化した『繭』の中で座り込んでいた。アズのコートは跡形もなく消え去り、鎖もトランプもアイズの体からすり抜けるように落ちる。
もう、そこには自分以外の誰もいなかった。
= =
溢れた風は壁に命中して巨大な氷塊となり、溶岩に触れて岩の道を作り、獄炎に揺蕩うオーネストたちの岩船の周囲の熱を奪い取りながら広がり続け――そして、止まった。『繭』は内側からひしゃげ、もはや何の命の気配も感じられない岩の塊となっていた。
暫くして、ウォノの静止結界が音もなく消失した。
『げ、限界にござる………が、もう攻撃は来ないか……』
「なんとか最後まで結界が保ったらしいな。作戦は成功か」
「ふん、普段生き残る気がない馬鹿が本気で生き残ろうとしたんだ、ある意味当然の結果だろ」
ぽつりとオッタルが呟いた瞬間、どこかウンザリとした口調でオーネストが立ち上がる。
「………アズライールの看病はもういいのか?」
《あら?手遅れ?手遅れなのね?ああ惜しい男を喪ったー。これは『フレイヤ・ファミリア』の長として二度と化けて出ないように丁重に盛大に葬ってあげないといけないわねー。せめて死体は炎で浄化して海に散骨してあげましょー》
「残念だったな女神。通信機越しによーく音を聞いてみろ。聞き苦しい音が聞こえてくるぞ」
《あーあー、聞こえない聞こえなーい》
《ちょっと煩い!オーネスト、アズは無事なんだね?》
《やれ、これで一安心ですね》
通信機越しにフーとロイマンの安堵した声が聞こえた。
どこか嬉しそうにも見える表情で明後日の方向を向いたオーネストの後ろには、地面に寝かされたまま鼾をかいて腹を掻く緊張感のない男の姿があった。上着を剥ぎ取られ(アイズに渡された)白い素肌が露になっているが、そこには確かな血の巡りが確認される。
それはすなわち、ただ寝ているだけで命に別状はなくなったことを意味する。腹の傷もいつの間にか塞がっており、どうやら乾いた血の感触が嫌で剥ぎ取ろうと腹を掻いているらしい。
ただ、自ら貫いた眼球に突き刺さる氷柱だけは、出血すら凍らせたまま依然としてそこに刺さっている。これがリージュの氷でなけれぱ、また別の死因が待っていたかもしれない。
「ったく、人が何とか守り抜いたのをいいことに気持ちよく眠りやがって……見ろ、鼻提灯なんか膨らませてやがる。峠を越えてなきゃああはならん」
《ちっ》
「ざまぁ見ろ」
心底輝かしい笑顔でそう言い切るオーネスト。もちろん悪意で固められた笑顔である。
というかフレイヤはアズに対してだけ態度の砕け方が露骨というか、その辺にいる性格ひねくれ女にまで格を下げているのは何故なのだろうか。周囲はそのままの方が面白そうなのと聞けばフレイヤが不機嫌になるのが目に見えているのであえて触れないが。
と、歩き出したオーネストが途中でよろめき、下に座り込んだ。
「ぐっ……使った事も碌にない力を、使いすぎたか……」
「アキくん、それ以上は……黒竜ももういないんだし、一旦休もうよ」
「あと少ししたら上の階から救援がやってくる。それまで休むことを勧めておく。無論無視しても構わんが、メリットはあるまい」
「……………」
オーネストの目は先程のやり取りから一転して険しい。ただしそれは周囲の言葉にイラついている訳ではなく、まだ何かを考えているといった様子にリージュには見えた。
「アキ、くん?」
「リージュ、悪いがアイズの奴を迎えに行ってくれ。恐らく魔力を使い切った反動で上手く動けずにいる筈だ。……迅速に、頼む」
内心ではこんなにも素直に「頼む」などと言ってくれたことを喜びたい気持ちがあったが、有無を言わさぬ言葉にリージュは敢えて何も聞かずに頷く。彼が警戒を解いていない理由ははっきりとしないが、戦いが終わって気が緩んでいる瞬間に攻撃を受けると人は崩れやすいことをリージュはよく知っている。
ここは未だにダンジョンの腹の内――まだ安心はできないのだ。
リージュは言われるがままに溶岩が冷えてできた道を伝う。足場の半分程度がアイズの風のおかげで戻ってきたが、まだあちこちに溶岩が固まっていない場所が点在しているようだ。特に爆心地となった『繭』の周辺は未だに熱が強く残っていた。なまじ『繭』の中で爆発した為に、逆に根本の方が被害が少なかったらしい。
その『繭』の残骸の中に――少々美しい髪の一部が焼け落ちているものの、五体満足なアイズの姿があった。コートと鎖は完璧に焼けてしまったのか、元の恰好のまま剣を杖になんとか立ち上がっている。迎えに来たリージュの姿を見ると、アイズの目から小さな涙が零れた。
「わたし、生きてる………」
それは緊張感が途切れたせいなのか、それとも生死の境を彷徨ったが故の実感なのかは分からない。ただ、きっとアイズという少女にこれだけの闘いはまだ少し早くて、生と戦の合間に渦巻く様々な感情がごちゃ混ぜになって抑えきれなくなり、零れ落ちてしまったのだろう。
リージュはそんな彼女の元に歩み寄り、手を取った。
「ああ、そうだ。私もアキくんもあの死神モドキも、誰も彼もが生きている。後は我々が生きて地上に戻ればいい」
「……わた、わらし……何で、勝ったのに……生き延びたのに、涙が……」
「悲しみだけが人の流す涙じゃないんだ。それが何ゆえの涙かは分からなくていい。流れるものは流してしまえばいい……さぁ、泣きながらでいいから戻ろう」
「………ッぐ、うん……!!」
剣を握ったまま、リージュに引かれるままに、アイズはとぼとぼと歩き始める。
もう出ないのではないかと思っていた涙を流しながら。
こうして、長すぎるほどに長かった黒竜との戦いが幕を閉じた。
――そう、思いかけてしまった。
突然二人の目の前に何者かの姿が迫り、べきり、と何かが折れる音がした。
「え………」
「な………」
リージュはレベル7に限りなく近いレベル6だ。アイズも今は泣いているとはいえ若くしてレベル6に辿り着いた猛者。その二人を以てして――『目の前の二人』の速度は常識を超えていた。
「――過ギタル慢心に留意せよ、『酷氷姫』……闘争を萎えさせル」
「が、ががが、あギ………ギ、ハハハハハハハアハアハハハハハハハッ!!!」
そこには、今まで全く動く気配がなかった筈のユグーと、そのユグーの手によって首の骨をへし折られた全身黒ずくめの男がいた。男は首が折れて45度の方向に回ったまま、目だけをユグーに向けて狂ったように笑い続ける。
――なんだ、これは。
この男が闇討ちを狙い、それをユグーが防いだということは辛うじて理解できた。
だが、ならばこれは誰だ。何のためにこんなことをする。
首の骨が折れたら、人間は死ぬ。死ななくとも折れた場所から下の躰は二度と動かなくなる。ユグーの腕力で折られたとしたら、それはほぼ斬首台にかけられたに等しく、即死していなければおかしい。おかしいのに、この黒ずくめの男はまだ笑い続けていた。
「ハハハハハハハ……嗚呼、お前ユグーじゃないか。久しいな。死ね」
男の漆黒に染まった両腕が上がり、ユグーの顔面に獣の爪のように突き出された。直後、バッゴオオオオオオンッッ!!と、空間を強かに打ち付ける衝撃が奔り、ユグーは後方に後ずさり、拘束から逃れた男が跳ねるように後方に引いた。
ユグーにダメージらしいダメージは見受けられないが、音と衝撃からして万が一リージュたちが受けていたら首が文字通り吹き飛んだかもしれない。
男の首はねじ曲がって体から下に垂れさがる体勢になり、やがてぐりぐりと左右に蠢いた末に首は元の位置に戻った。そこに来て、その場の全員が気付く。いや、オーネストとオッタルは辛うじてその気配を事前に察していたが、それを除いてもそれはまるで幻の中から現れた影のように突然現れた。
ユグーに弾かれた男の後ろに、数十人に及ぶ黒ずくめの集団が音もなく整列していた。
その全員の服が、よく見れば「あの時」――リージュが襲われたあの白ずくめの集団の色違いだった。その皮膚は黒く変色し、魔石は以前に見かけた男たちのそれより数倍に膨れ上がり、全員が狂気に浸り切った目でオーネストたちを見やる。
「我等は偉大なる代理人。真理を得たる賢者にして凶徒なり」
「その血は神の威光を穢す為にあり、その肉はいずれ原初へと戻る為にあり」
「死せよ、吾らの望む世界の為に。滅せよ、汝らが伏せた真実の為に」
「処刑されよ、臓物を撒き散らせ」
「処断されよ、醜く喚きながら」
「それこそが我らの望み。世界の希望、あるべき現実」
「礎となれ」
「礎となれ」
「『彼女』を、怖がらせるな」
考えてみれば、それは当然の帰結だったのかもしれない。
だって、黒竜との戦闘に生き残ったとしても、その冒険者たちは必ず疲弊するのだ。それは人間が人間であるがゆえに避けられず、そもそも黒竜を倒すという奇跡を貫くこと自体が稀なことなのだ。だから、だから――。
「こいつ等、ダンジョンに魂を売った異端者たちか……!!よりにもよってこんな時にッ!!」
「テロリスト連中が動く可能性は考えていたが、動きが早すぎる。『魔王』に何か施されたな?走狗共が」
「終わりだ、オーネスト・ライアー。負けて、死ね」
「ここまで来ておいて終われるかよ、糞が……っ!!」
本当に運命という奴は悪辣な存在だと、オーネストは反吐のような悪態を吐き捨てた。
後書き
勝ったら生かして返すとか一言も言った覚えはありません。
まぁこの展開は多少なりとも読まれていたとは思いますが……。
65.Again And Advance
前書き
特に異論もなかったので、ややこしいストーリーをカットして話を畳む方向でいきます。
アズ過去編の短縮、オーネスト過去編大幅カット等々。
最低限やりたいのはガウル主役の話と、いくつか。
即時打ち切り可能なイデ発動エンドも用意してたんですが、流石にそれはひどすぎるのでちゃんとします。ただ、最初に想定していた最終章は断腸の思いで諦めます。
人間――忌まわしい人間、神の劣化模造品。
何故貴様らは戦う。何故貴様らは命を賭して我等に立ちはだかる。
そのちっぽけな体にどれだけの可能性を秘めて、貴様らは戦士となる。
何故神々は、貴様らのような欠点だらけの生物に力を与え、我等と戦う先兵とする。
――貴様らは何を求めて此処に至り、何処へ向かおうというのか。
それは、或いは迷いだったのかもしれない。
故に――。
故に――。
= =
フィンたちかどうにか60階層に辿り着いた時、そこは予想だにしない状況を目にする。
「なんだこれは、黒い人間……!?」
無数に入り乱れる黒い人間たちの腕、足、剣。まるで狼の群れが羊を蹂躙するかのように荒々しい攻撃が縦横無尽に吹き荒れ、黒竜との戦いに生き残った勇者たちを食い散らそうとしていた。
「ぬ、う、う………ッ!!」
「ヒハハハハッ!!押してるぜぇ、俺たちがオラリオ最強をよォッ!!」
「それが宿命ッ!!それが必然ッ!!さぁ惨殺されよ、貴様は古き存在となったのだッ!!」
二人掛かりで押し込まれる二本の剣を一本の大剣で受け止めるオッタル。最強の猛者に恥じぬ心技体を揃えた彼の体は、凄まじい膂力を上回る破滅的な暴力によって押し込められ、足場が砕ける。同時に背後からオッタルの背を狙う別の黒装束が貫手で迫る。
「……小癪ッ!!」
しかし、レベル7は伊達や酔狂で得た称号に非ず。瞬時にそれに気付いたオッタルは上半身の力だけで強引に二つの剣を横に跳ねのけ、次の瞬間深く踏み込んだ斬り上げの一撃を背後に叩き込み、そのまま回転して正面の二人にも斬りかかった。
背後の一人は腕ごと両断されて吹き飛ぶが、正面の二人は剣を盾に後ろに飛んで衝撃を逃がし、生き延びる。その顔には醜悪な笑みが浮かんでいた。
「耐えられる、この体なら!!逆襲できる、この力なら!!いけるぞ、これならフレイヤ・ファミリアの皆殺しさえ容易いッ!!」
「お前たちは『彼女』を本気にさせたんだよぉッ!その報いを自分たちの命で払うがいいさ!」
「………力だけならレベル7クラス、か。それに加え――」
油断なく剣を構えなおしたオッタルは自らが切り裂いた背後の敵に眼をやる。
腕から腹にかけて致命傷に近い傷を負った黒装束の肉体は鮮血を噴出させていたが、負った傷が気泡のようにぶくぶくと膨れて蠢いたかと思うと、そこには斬られる前の肉体が再生されていた。僅か数秒での完全回復。魔物でさえあり得ない超再生能力だ。
「ゲッグ………カァ、ハはは………どうした猛者、さっきのそれは攻撃か?温いなぁ……哀れだなぁ……俺たちのような力を与えられないファミリアってのはぁッ!!」
「………………」
オッタルは、男の体を両断するつもりで切り裂いた。黒竜の首さえ切断した一撃に近い威力だ。しかし男は両断されず、その傷は再生している。二人掛かりとはいえ一度は自らを押し込んだ筋力、斬撃の威力を半減させるほどの耐久力、そしてダメージを感じさせない超速再生能力。ただ魔物化した人間程度の力を遥かに超えている。
《――『魔王』ちゃんの力ね》
「フレイヤ様……」
《神に対する強烈な殺意と敵対心の為せる業。仕組みとしては神がファミリヤに施す成長制限解除から更に踏み込んだ物……神を殺す為の力の欠片の欠片。簡単に言うと強制レベルアップね。それも人間換算で3は上がってるかしら?》
フレイヤの声は、ご機嫌とも不機嫌とも言えない平坦な声だった。別段オッタルが負けるとは思っていまい。だが、単純な能力値がレベル7に近い人間が十数名も現れての乱戦。ロキ・ファミリアが来たはいいが、この状況で戦えば犠牲を出しかねない。
ロキ・ファミリアの最優先救出目標であるアイズはリージュと共にどうにか猛攻を防いでいるが、既に魔力を切らせたリージュでは決め手に欠け、実戦経験とステイタスで劣るアイズはリージュの足手まといにならないよう敵をいなすので精一杯だ。オーネストに関しては戦えない筈――。
「阻めよ、護……!!」
ギャララララララララララッ!!と金属の擦れ合う音を立て、オーネストとアズのいた場所に膨大な鎖が出現し、黒装束の攻撃を防ぐ。その鎖の音を聞いたフレイヤが物凄く小さな音で舌打ちしたのが聞こえたが、聞こえなかったことにする。
『選定之鎖』。神さえ恐れる堅牢なる鎖の出現とは、それそのものがアズライールという男の覚醒を意味している。鎖の中から緊張感のないダレた声が漏れる。
「うごぉ……これ、ちょっ、駄目だ全然密度出ねぇ……一応前はサバトマンの攻撃防げたけどこれわっかんねぇぞ……」
「なんだ、目を覚ましたと思ったら使えねぇ。帰ったら一度鍛え直してやるからそのつもりでいろ」
「そういうお前も動いてねぇじゃねーか!」
「戯け。神殺しの竜血を浴びて命がある方がおかしいのだ。あのクソ竜め……道理で力が出ん訳だ。あれは相手を燃やす血ではなく、『神を焼き尽くす為に一からそうあれと作られた力』だった」
「ふーん。じゃあ普通の奴が浴びたらファミリア契約切れたりすんのかな?」
「それより先に魂が燃え尽きるだけだ」
平常運行すぎるほど平常運行な上に黒竜の凄まじい秘密にサラッと気付くオーネストと、死の淵を彷徨っていた癖に相変わらず暢気なアズの復活。どうやら戦力的にはまだ充てに出来るものではないらしいが、彼らの態度によって戦場で巻き起こる変化は劇的だった。
「やっぱり生きてやがったか、オーネストぉ!!よっしゃ、こうしちゃいられねぇ!!アイツが復活する前に周りの黒いのを全員ボコすッ!いいだろフィン団長よぉ!」
「あの馬鹿オーネスト、敵の前で堂々と動けないとかなんとかべらべらと……集中砲火受けたらどうする気よッ!!早く周りを片付けないとッ!!」
「仕方ない……魔法使いは後方!!ベート達は二人一組になって攻撃!!相手は強いが力に振り回されている!!冷静に対処すれば勝てる相手だ!!」
ロキ・ファミリアの戦意が一部高揚。更にアズの身を案じていたアイズもその声を聞いた瞬間襲ってきた黒装束にカウンターの蹴りを叩き込む。
「アズ、生きてた……なら私も生き残る。アズが戻ってくるのに比べれば、こっちの方が簡単なはず」
「その意気だ戦姫!!アキくんもそのうち立ち上がる。そうなればこの馬鹿馬鹿しく長い戦いも終わりだッ!!」
リージュの力強く透き通った声が、フィンの指示と重ねる形で周囲を鼓舞する。
そして何より、黒装束の動きが劇的だった。
「なっ……ナメ腐りおってあの人間擬き共がぁッ!!殺せ!!誰より早くオーネスト・ライアーとアズライール・チェンバレットを血祭りにあげろぉッ!!」
狙ってかどうかは不明だが、二人の暢気な会話は仲間にとっては頼もしく、そして敵にとってはこの上ない挑発行為に映ったのだろう。ばらけていた戦場が一気にアズの鎖の檻周辺に集まり、それが逆に周囲が黒装束を迎撃しやすい環境となる。
「おいオーネスト、お前態とやってんだろ。耐久力落ちてるっつってんのに……今は鎖を維持するのもギリなんだぞ?」
「かといって狙いを分散させた結果どこかの誰かがくたばったら、お前きっと手が届かなかったことに後悔するぞ。それが力のない奴の行き着く先ってもんだ」
「そいつは実体験か、それとも嫌味か」
「両方だ。含蓄があるだろ」
「リアクションしにくい事言うんじゃねえよ」
かくして、ダンジョンに身を売った黒装束と人間勢力が60層にて激突した。
= =
「再生力と腕力ばカりで闘争ノ気位と言うモノが足ラヌッ!!借り物の力に呑マルルは愚ノ骨頂ッ!!」
「ゴブッ……ぁ……か、な」
振り抜いた腕が黒装束の胸に埋め込まれた赤い魔石に直撃し、黒装束の胸部を貫通する。魔石は肉片や骨片と共に飛び散り、遅れて重要な機関を喪った肉体は力なく崩れ落ちる。その光景に周囲の数名の黒装束が身構えるが、ユグーは構わず拳の具合を確かめるように閉じた手を開く。
(闘争を求めてはいル。先程迄ト違い思考と体は一致スる。だが、何だこの違和感は……黒竜との闘争ノ真下より、俺ノ思考ニ何かが……俺ではない何かが、この連中を疾ク倒スようニと、『次』を警戒している……)
あの時――白昼夢のような光景から何かが流れ込んで以来、ユグーはこれまでに抱いたことのない戸惑いを抱き続けている。それは理性とも本能とも違った場所からユグーの姿を見て、疑問を呈する。その疑問の形もわからないまま戦っているのは、ユグーの意思と流れ込んだ意思が折衷するものだったからに過ぎない。
流れ込んだ意思は、ユグーの認知しない何かを知っており、ユグーの認知しない思考と法則の下に何かを為そうとしている。警戒していると言ってもいい。では、警戒しているそれとは何か――それを確かめる為にユグーは黒装束に仕掛けた。
そして、確信を持つ。
(こヤツら、ではナい)
確かにこの黒装束は凡百の者とは比べ物にならぬ程の力としぶとさを持っている。しかし、そのどれもが力を万全に出し切っていない。御するべき力を御せていないのだ。それも馬鹿げた再生能力の前には些事だと思っているのかもしれないが、ロキ・ファミリアもその事実に気付いたのか次第に黒装束に対して攻勢に出ている。
視線の先ではせいぜいがレベル5程度の若者たちが黒装束を転倒させ、魔石を確実に砕いている光景が見えた。魔石の破壊と同時に絶叫した男は逃げるように走り出し、未だに残る溶岩の中に墜ちて消えた。
弱い――このまま続ければ、黒装束は全滅する。一部は力を御し始めていたり岩盤を砕いて溶岩を利用するなど攻撃の手を緩めない者もいるが、ここを血戦の地と定めているのならばいずれ負けて死ぬだろう。彼らは意識していないだろうが、オーネストは鎖の中で次第に体力を回復させている。
刹那、黒装束の一人がユグーの考え事を妨害するように蹴りを放つ。拳で払うと、衝突時にズガンッ!!と巨大な質量が衝突したような衝撃が奔る。これまでの雑魚と違ってそれなりに出来るな、と思いそちらを見ると、どこか見覚えのある顔だった。
「お前は……確か、オリバだったカ?」
「オリヴァス、だ。相変わらず物覚えの悪い木偶だよ、貴様は」
「そウ、オリヴァス。俺を闇派閥に引キ込ンダ男。流石に雑魚とは違う……」
「貴様はつくづく俺の精神を逆撫でする。闘争が欲しいというから誘ってやれば行方をくらまし、久しぶりに会ってみればあの忌まわしく汚らわしいオーネスト・ライアーとつるんでいるだと?貴様は何なのだ?」
「知らヌ。戦え」
拳と拳が再度激突。僅かに体が押される。腕力ではない、嘗てより格上との相手と幾度となく戦闘を繰り広げ続けてきた武闘派のオリヴァスの実力はユグーも認めるが、それに加えて黒化の力によって本当にレベル7に匹敵する実力を得たらしい。
強い。だが――それだけだ。黒竜と比べるとあまりに粗末でちっぽけな脅威。出来てせいぜいが数人の死人を出す程度。あの白昼夢語った「人間の為だけの秩序」とやらの脅威になる程の力かと問われれば否。よくてもオーネストが戦えるようになる前には仕留められる程度の力だ。
オリヴァスが素早く体を回転させ、次の瞬間ユグーの顔面が地面に叩きつけられる。恐ろしい速度の踵落としを脳天に受けたのだ。ユグーは気にせず顔を起こし、もう一撃脳天に衝撃を受けて再び叩きつけられる。
「貴様に構っている暇はないのだ。とうとう彼女は力を与えたもうた。お前にわかるか?この力――『神殺しの黒』!!忌々しき女神の生き血を啜ってたまたま手に入れた力を振りかざすあの愚か者を――神の力に頼るだけの地上の愚者の代表を屠る時が来たのだ!その手始めに、まずはその傲慢な男の親友を名乗る疫病神を縊り殺す!」
「貴様、思っタヨり馬鹿だな」
素直な感想を言うと同時に、もう一度頭を凄まじい力で踏みつけられ、顔面が岩の地面に埋まる。瞬間、自分の頭の上に確実にある足を掴み、握り潰すつもりで握ったユグーは起き上がりながらそれを振り回し、目の前に叩きつけた。
オリヴァスの体が岩に埋まるが、瞬間的に掴まれていないもう片方の足でユグーの手が蹴りつぶされ、オリヴァスは拘束から脱して距離を取る。下手な冒険者なら頭が潰れて目玉が千切れ飛ぶ力だったが、オリヴァスは再生力だけでなく防御力も格段に向上しているらしい。
「馬鹿。貴様に馬鹿などと言われる日が来るとは思わなんだ。俺のどこが馬鹿だと?」
「オーネストの力は神の力だト思ッている。愚カ、実ニ」
「事実だ!!」
オリヴァスの黒く染まった顔面は、恐らく生身ならば怒りで真っ赤に染まっているだろう。唾を飛ばす権幕の叫び声は、唯の人間が聞けば鼓膜を突き破る音量だった。子供の癇癪だ、とユグーは思った。
「奴の異常な成長性は!!奴の異常な生命力と再生能力は!!奴が黒竜との戦いで見せた魔法の異常性は!!奴の容姿も立場も全て全て全て神の力があったから可能だった事だろうがッ!!愚かしく汚らわしく無知蒙昧な神の黴臭い絶対者主義の傲慢さが生み出したのがあれだ!!オーネスト・ライアーだ!!」
実に下らない、白ける言葉だった。ユグーはそんな経験はなかったが、今ならば哀れみという感情を学習できる気がした。この男は何も分かってはいない。オーネスト・ライアーという男がどれほど凄まじい男なのかが分かっていない。
「ナメた黒野郎だ。オーネストが神の力だか何だか知らねぇが、たかがその特別な力とやら一つがなくなった所であいつの強さが揺るぐものかよッ!!」
「オーネストにとってむしろ特別な力は邪魔だった!!そんなことも理解できない馬鹿はやっぱり人間じゃなくて魔物だ!!」
ユグーの意思を代弁するように、別の黒装束を仕留めたロキ・ファミリアの人間――ベートとティオナが不愉快そうにオリヴァスに攻撃を仕掛ける。巨大な剣と双剣。どちらもオリヴァスには及ばず躱され、カウンター気味に弾かれて後方に飛びずさる。実力はオリヴァスに及んでいないが、放つ気迫と意志の力は実に良い。
そう、オーネストの強さは特別な力ではない。
オーネストの強さは、魂の慟哭と折れない意志だ。
ただそれだけ。神の力も伝説も才能も必要ない――存在しなかったところで、オーネストなら必ず到達する。あったから強く見えたが、本当は全てなくてもよかった代物なのだ。
「奴ハ限界を目の前にしタ時、己を乗り越え、限界ノ更ニ先へ踏み込む。踏み込めずに力のみヲ与エられることを待った貴様でハ、至高ノ熱戦には到達できナい」
「………芥共が!!単細胞生物共が!!どいつもこいつも、愚か者は決まって奴を庇う!!奴に憧れる!!奴に群がる!!人殺しの、汚らわしい、人間以下の屑虫にぃぃぃぃッ!!!」
黒く染まった頭髪を振り乱し、頭の皮を剥ぎ取るようにぐちゃぐちゃと音を立てて頭を文字通り搔き毟ったオリヴァスの、劣等感や鬱憤を全て込めたような絶叫が響いた。
「黒装束も大分数が減った。そろそろ諦めて俺の経験値にでもなれや、クソ黒ヒステリー野郎」
「オーネスト狙いじゃなくったって、アイズに手を出した時点であたしたち腸が煮えくり返ってんだよね。だから喋ってないでとっとと討伐されろ、魔物!!」
「後がつっかエテイる。嘗テの同僚のよしみ、前座ハ去レ」
この場に、オリヴァスを脅威として捉える人間はいない。
存在するだけで無視できなくなる台風の目――オーネストと違い、オリヴァスはこれだけの力を手に入れても戦いの中心としては扱われない。その力も、片手間に多くに与えられた力と同等の黒い力を受け取ったに過ぎない。紆余曲折あって黒竜を倒すに至ったオーネストと違い、オリヴァスは何一つ目的を達成できていない。
自分の考えだけが上手くいかない。与えられた力を十全に発揮してもユグー一人さえ突破できていない。黒竜討伐直後という圧倒的なアドバンテージを得たにも関わらず、ロキ・ファミリアに妨害され、随所でフィンたちレベル6クラスとオッタルの力で黒装束は着々とその数を減らしている。
このまま終わることが出来るか――迷宮の尖兵として。
「認めるか……認めるか!!認められ――」
言葉はそれまでで、前触れはなかった。
ただ、オリヴァスの背後に溶岩の柱が生まれ、それがオリヴァスの肉体を瞬時に焼却し、体に残った魔石だけが溶岩の中に取り込まれた。ベートとティオナは何が起きたのか分からずに唖然とし、ユグーは手の刺青が疼き始めたことを自覚した。
消滅する寸前にオリヴァスの視界が捉えたのは、彼に視線すら向けておらず、オリヴァスの「次」に目を向けるオーネストの姿だった。
オリヴァスという男は、オリヴァスであるという必要性がないままに消滅した。
オリヴァスだけではない。力任せの戦いで攻めあぐねていた黒装束も、一部ファミリアの連携を崩して命に手を届かせようとしていた黒装束も、平等に突然現れた溶岩に呑まれ、死んでいく。
「このまま終わらないとは思っていたがな――アズ、俺が通るから鎖をどけろ」
「もういいのか?」
「これ以上は寝ていられん」
剣を放り捨てて無手で立ち上がるオーネストを見て、アズは剣を使わないのかとも聞かずに鎖の檻の一部を開けた。実際にはオーネストの剣は無理な攻撃の連続でとうに限界を迎えていたのだろう、と考えながら。
「俺、ちょっと手伝えん。任せていいか」
「言い出しっぺはお前だが、乗ったのは俺だ。ケリをつける義理くらいあるだろ」
終わりが近づいている。
僅か1日の間に起きた激動の戦乱の収束点が、溶岩の内から這い上がってくる。
= =
ずっと考えていた。生存の為の道を。
予想外に次ぐ予想外。足搔きに重なる足搔き。
苦し紛れの策を看破される可能性を見据えていたが故に辛うじて存在を保つことが出来たが、それも尽きかけていた。炉にくべる薪が尽きれば、炎は燃え尽きて消える。
何を間違ったのだろうか。
三大怪物たる己が漆黒の身が人間に劣る筈がない。母さまの与えてくれた、神を殺すための尖兵に相応しい威容はそれに見合った能力を発揮し、あのちっぽけな人間共を後一歩の所にまで追い込んだ、だというのに人間はいつもその先に踏み込んでくる。嘗て片目を失ったあの瞬間も矢張り、そうだった。
考える。考えて考えて、黒き雑兵が人間を襲い始めても考え、そしてふと思う。
――あの人間は。
オーネストと呼ばれたあの男は、人間というちっぽけな存在でありながらどれだけ壊れても決して揺ぎ無い殺意で戦闘を塗り固めていた。人理を超越した存在である己さえも「異常だ」と思わせるだけの力――感情、意志、魂の咆哮。
人間には。黒竜の想像を踏み越え、神の力さえ御する可能性を引き出すことが出来るのか。
――あの人間も。
『繭』が破られて敗走する瞬間、黒竜はそれを破った人間がこちらに手を差し出しているのを感じた。己の死が迫っていたというのに。黒竜は敵であるのに。なのに、「母」という存在に抱いた感情を通して、黒竜とあの金髪の少女は一瞬だけ通じ合った。
超越存在である筈の己と同じ思考を抱く成長性が、人間には秘められているのだろうか。
もう1000年以上の年月が過ぎた。
黒竜であることに誇りもある。
だが、もしかすれば――己も変革すべき時が訪れているのではないだろうか。
――ならば、我も一歩先へと踏み込もう。
上手く行く保証もない無謀で異端的な変化。それを為すための薪は上で人間と戦い、動きを鈍らせている。母さまが何のつもりで遣わしたのかは知らないが、同じ黒の力を僅かでも宿しているのならそこいらの魔石とは比ぶるべくもなく好い薪だ。
薪を喰らい、炉にくべる。そして精錬を始める。
黒天竜としての敗北による固定観念の破壊。
新たなる可能性の器の想起。
そして、材料。
黒魔石――嘗てよりの古の滅波、母なる力。
神の血――忌むべき相反する異物、邪なる忌光。
人の組――これまで軽視し、しかし神によって可能性を見出されし器。
始めよう、新たなる器の創造を。
始めよう、新たなる可能性の模索を。
= =
ひたり、と、小さな小さな足音。
やけに大きく響くその音に、その存在感に、場にいるほぼ全員が息を呑む。
まるで水浴びの直後のように体から溶岩を流れ落とさせた『それ』は墨のような漆黒の頭髪を揺らし、服とも鎧とも皮膚とも知れない硬質化した何かに身を包み、そして血のように深紅い瞳と、星のように眩い金の瞳をうっすらと開けて顔を上げる。
「――広いな。成程、人とはこれほどに広い世界を視ているのか」
まるで世間話をするように発した声に――金色の瞳に――そしてその顔立ちに痛烈なまでの既視感を覚える周囲を尻目に、『それ』は手を握り、開き、そしてその爪を漆黒の鉤爪に変形させて無造作に横一線で振り抜いた。
瞬間――偶然にもその横振りの直線状にいた数名の冒険者が夥しい鮮血を放出し、ばらばらに引き裂かれた武器と鎧と自分の血の上に崩れ落ちた。遅れて、60層の端の壁にゾガンッ!!と音を立てて5つの切れ目が浮き出た。
「――あ、え?」
「……おれ、なんで、こんな………」
「ポーションッ!!ハイポーションを大至急怪我人へ!!急がなければ手遅れになる!!」
『親指の疼き』が収まらなかったフィンの間髪入れない怒声と共に、彼の槍が振るわれて『それ』に吸い込まれ、あっさりと捌かれた。殺すよりも治療の時間を稼ぐことが肝要の攻撃ではあったが、それでも魔物を死に至らしめるには十分な威力であったにも関わらずだ。
「まるでこれまでと見え方が異なるな。先程まで煩わしい蠅のように鬱陶しかったが、同じ目線に立つと新鮮なものだ」
「君は、誰だ!!」
フィンの直感が、人生をかけて積み込んだ経験則が、『それ』に痛烈なまでの危険を感じていた。本来なら部下も知り合いも見捨てて逃走を決め込む程の死期――先ほどファミリアの仲間が輪切りで即死しなかったのが不思議でしょうがないほどの力を、『それ』は持っている。
そして何より、『それ』は余りにも――余りにも似すぎていた。
「『狂闘士』に、オーネスト・ライアーに瓜二つな顔の君は一体誰だッ!!」
恐ろしく整った顔立ち。
片方だけながら、彼と同じ金色の瞳。
長い髪を切って捨てれば、その身長も顔も声も何もかもがオーネストと似すぎていた。
と――背後から声。
「黒竜だろう」
「オーネスト………?君は、もう動けるのか?」
「どうでもいい」
『黒竜』とオーネストが、向かい合う。
金と黒、鏡合わせのようであり、対照的な光景。
「答えは簡単だ。アイズは『繭』を破ったが『魔石は壊していない』。そして黒竜は俺との戦いで微量ながら俺の血を――忌々しい神の因子が混ざった血を浴びた。あとは発想の転換……『繭』によって体を小さく出来るし存在しなかった器官を作り出せるのならば、『竜の形をやめる』ことも可能。俺に似たのは、俺の因子を起点に肉体を再構築したからだ」
黒竜――いや、もはや黒竜とは呼べない存在となったそれは、オーネストを見て目を細める。
「ついでに黒装束共の魔石を吸収して力の回復も済ませてある。違うか?」
「矢張り貴様は他とは違う。力も、知能も」
「肯定と捉える」
人間サイズにまで凝縮された、不倶戴天の天災。
人の大きさの怪物――全く未知の魔物。
1000年の長き刻を経て、異端児とも新種とも異なる可能性の顕現。
「人間の可能性を探りたくなった。その為ならば竜の姿を棄てよう。古き衣を脱ぎ捨て、ちっぽけなひとつと成り果てよう。さぁ、人間――神が見出した、神の模造品。貴様らの可能性を――貴様らの内から湧き出す力の正体を、我に見せてみよ」
黒竜人――三度衣を脱ぎ捨てて、四肢を変じさせ新たな五蘊を得んとする存在。
ダンジョン最古にして最新、そして最強の矛が人類の喉元に刃を向けた。
後書き
黒竜最終形態です。能力的には黒天竜の上位互換。
いっそこいつ主人公で一本話作れそうな気がします。
66.最終地獄・蹈節死界
前書き
前回没会話 オリヴァスが頭を搔き毟ってたあたりのアズとオーネスト
アズ「よっ、ファンタジー界のバリー・ボンズ!」
オネ「ドーピングしなくても実力はありますってか?馬鹿馬鹿しい。大体バリー・ボンズは薬物使用を辞めてからホームラン数が落ち込んだだろうが」
アズ「おっ、お前野球も話せるクチかよ?」
オネ「有名どころだけだ。間違っても話を振ってくるな。薬の話題も含め、二度とだ」
アズ(この反応、昔にクスリで何かあったか………?)
オネ「俺を騙して裏派閥に孤児として売ろうとした同年代のクソ野郎がな、復讐してやろうと思って2年越しに探し出したらシャブ漬けでラリってたんだよ。末期だ。何日か後に自分から馬車に突っ込んで死んだ」
アズ「そんなコエー話を頼んでないのに話すな!!」
周囲(のん気かこいつら)
神より恩恵を受けた冒険者は、レベル1で常人と袂を分かち、レベル2で超人と袂を分かち、そしてレベル3で人というくびきと袂を分かつと言われている。一つの解釈の仕方として、ファミリアのレベル3以降に坐する存在というのは「人間ではない」。冒険者とは、恩恵とは、人が人より外へと踏み込む行為なのだ。
だが、そもそも恩恵とは何か。
恩恵によって人間が常識を外れた成長性を持つのならば、なぜこの世界の人間がたった一つの事実に疑問を抱かなかったのか、オーネスト・ライアーは不思議でならない。恩恵を受けた人間がどうしてそれを疑問に思わなかったのかが理解できない。
いや、恐らくはこの世界の人間たちは「神に与えられた力」という1点にばかり目を取られ、重要な事実に気付けなかったのだろう。
神の力で成長の限界を突破したとして、その膨大な力を収める器は変わらない。
人が人の域を踏み越えた後でも、その見てくれは変わらずそこにある。
化け物と称されるだけのエネルギーを、1枚の皮で抑え込む。
「人間」という器は、一体どれほどの可能性を秘めているというのか。
そしてその器の可能性を示したのがあの亜人染みた「異端児」であるというのならば――試作品ではなく完成品は、一体どこまで手を伸ばすのか。魔物の限界か。人の限界か。或いはそれらすべてを内包し、その翼を天へと伸ばすのか。
これが実験であり、実験が成功したとしたら、神と人類に残された道は何だ。
――そんな取り留めもない未来を考えつつ、しかしその未来に興味はない。
一つの物事に意識が集中し、それ以外のすべての事柄が雑音以下の存在となって過ぎてゆく。
今や幾度となく衝突した時に抱いた破滅的な欲動も感じず、ただ涼風が吹き抜けるような心地よささえ感じる。何もかもが滅茶苦茶だった自分の人生で、漸くたった一つだけ綺麗に物事が片付くような、根拠もない予感。
今日、自分の手で、一つのケリをつける。
「オーネスト、彼は――」
「どけ、フィン。俺の獲物だ。冒険者のマナーは理解してるな?」
駆け寄るフィンにそれだけを告げると、彼はすぐに察した顔をする。
ダンジョンにおける魔物との戦いは、原則として横取り禁止。冒険者指南の要綱には乗っていない暗黙のルールだ。特別に厳守したことなどないが、こういう時には問答が不要で役に立つ。それに、せっかくなのだ。邪魔者は少ない方がいい。
フィンは瞬時に思案を巡らせ、先ほどの黒竜の攻撃について洞察し、すぐさま結論を下した。
「………ロキ・ファミリアは現時点を以て撤退する。オーネスト、勝つんだよ」
「ついでにアズ達も連れていけ。ケリは俺が付ける」
聡い男だ。あの一撃でファミリア達が即死しなかったことが単なる偶然であることにすぐさま気が付いたらしい。
そう、黒竜は相手を斬るかどうかなど考えず、ただ手の具合を確かめる為だけに手を振っただけだ。ファミリアが斬られたのは副次効果であり、気にも留めなかったが故の生存であり、本気で攻撃するつもりがあれば今頃ダンジョンには輪切りの肉が数十ほど転がっていただろう。
『そんな都合のいい事は黒竜に限ってはあり得ない筈なのだが』、結果はそうなった。神に牙を剥く最強の尖兵が内包する尋常ならざる殺意が、あの瞬間には込められていなかった。というよりも今、確かに目の前にある筈の――自分に瓜二つと言っても、あまり鏡を見る趣味がないので実感は湧かないが――黒竜からは、そんな完成された暴力装置としてのそれを感じられない。
「皮肉だな」
「何が、だ」
「変わろうとしている。同じ姿になった者同士が、互いに」
「数奇な宿命を認めよう。神ではこの未来を予想することは不可能だっただろう」
憎み蔑む存在の力を取り入れる。口で言うのは容易な事だが、十世紀を超える時代も同じ存在であり続けた存在が自らを変えるなどというのは並大抵の変化ではない。そして、その変化を生み出した存在が何者なのかと聞かれれば、それは恐らく――。
「因果だな」
「何が、だ」
「変化の原因を与えたのは、俺たちか」
「数奇な邂逅を認めよう。この時代、この時間に貴様たちという存在が現れなければ、我もこのような考えは抱かなんだ」
奴が変化を恐れないというのなら、俺もまた『それ』を躊躇うまい。餓鬼の意地っ張りを貫いてこの8年間碌に使うことのなかったそれを引っ張り出して我が物顔で振るう厚顔無恥さで、自分ではない誰かの為にと反吐が出るような戯言を胸に秘め、巫山戯た夢想を貫き通そう。
不意に視線を感じて後ろを見たら、ベートに担がれてぐったりしながらこちらを見つめるアズと目が合った。ティオナやアイズ、リージュや他の顔見知り達も撤退しながらこちらを見ていた。
「これで勝って帰ったらお前たぶん『英雄』になっちまうけど、そこんとこどうなの?」
「これから戦うって時にやる気の失せること言うんじゃねえよ、アズ」
「テメェ、死んだら絶対に許さねぇからな!お前を完膚なきまでブチのめすのは俺だかんな!」
「分かった、分かったからその荷物の運搬は任せるぞベート」
「死んだら駄目なんだからね、オーネスト!!アンタが死んだらメリージアとか、あんたが名前も知らない人だって泣いちゃうんだからね!!アンタは生きて帰ってきて、これからの人生を真っ当に生きるの!!」
「オーネスト……生きて!生きて、またロキたちと一緒にご飯を食べたり一緒に戦ったりしよう!?」
「若造が生き急ぐなよ!人生は長いんじゃからな!」
どいつもこいつも、こんな屑の瀬戸際程度で煩わしく騒ぐものだ。本当に馬鹿で途方もなく物好きで理解不能で――そして、心底どうして自分にこんな人の繋がりが生まれたのか理解に苦しむ。しかし、人生は思い通りに事を運べないのが当たり前だとするならば、これも俺の歩んだ結果なのだろう。
「アキくん、これを!」
撤退のさなか、立ち止まったリージュが自らの剣を投げて寄越す。くるくると美しい軌道を描いたそれを、あまり意識せず直感的に受け取る。鞘に収まったそれは彼女の愛剣『村雨・御神渡』――元はシユウの作成した、この世界に現存する最高級の刀だ。
「……素手でやるつもりだったんだがな」
「私、信じてるから……また一緒に笑える明日が来るのを信じてるよ、アキくん」
大きな声ではなかったが、やけに耳に残る透明な声を残し、リージュは背を向けて撤退した。俺の剣がない事を気にしての事だろう。レールガンの弾丸となって地面に叩き付けられた挙句に黒竜に喰われたあの直剣を思い出し、あれを打って貰うのも最後にしようか、と思った。一度自ら禁を破ったのだ。今更元通りも馬鹿らしい。
「この手合いの獲物も、使うことはないと思っていたんだがな」
微かな逡巡を押し殺し、刀をベルトに納める。刀――それも日本刀を扱ったことはないが、恐らく『他のどの武器より手に馴染む』だろう。なにせ、『リージュの剣術の基礎は俺が教えたようなもの』なのだから。忌まわしいはずの記憶が巡り巡ってこの手に収まるとは、因果だ。
歪でもある。俺の人間関係は実に混沌とした坩堝だ。しかし、気が付けばそんな連中が好き勝手に叫びながら撤退していくのを薄い笑みで見送っている自分がいて、それに違和感を覚えない。或いは、彼らに毒されてしまったのかもしれない。
バリッ、と空間が固定化されるような緊張感の中で、ゾーンに入ったように自分の意志が剣へと注がれていく。いや、剣と結びついていく。「人とは刃なり」――ひどく錆びれた記憶の中で、それを伝授した男の顔が朧げに脳裏を過った。
俺の今までの剣とは、暴力の延長線上にあるものだ。棍棒と同等だ。繰り出すのは業でもなんでもなく、単なる物理的エネルギーを放つ為の不可欠たり得ない道具を使っている。それは技術の伴わない、剣術とはまるで異なるものだ。
剣術とは剣ありきで、剣を使う人間ありき。すなわち剣と人間を同時進行的に考え、武器と命を直結させることで完成する。それは暴力ではなく一種の儀式であり、その武器を用いて相手を殺す為に不要な過程を殺ぎ落とした究極の結晶だ。
剣術とは己が剣の力を極限まで引き出すことにあり、剣が己を極限まで高める行為。
故に、人とは刃。憑依、或いは融合。転じて、人刃一体。
左手を刀の鞘にかけ、親指で鍔を押し上げる。時折咄嗟に使ってしまいかけるため、その動きをこの体は嫌味なまでによく覚えているのだろう。普段戦いに於いて見せる仁王立ちのような雑把な暴力ではなく、業としての剣技。
対し、黒竜は無構え。決まった方などもとより持たず、何より人型の体を操るのも初めての黒竜としては、当然といえば当然かもしれない。
沈黙――ここに三大怪物の一角と『狂闘士』の異名を持つ存在が向かい合っているなどとは考えられないほどの沈黙が、場を支配する。まだ冷めやらぬ溶岩に照らされた二人の口が、動いた。
「行くぞ、人間」
「来い、化物」
二人の視覚的存在がぶれて消え去り――瞬間、空間を置き去りにするほどの膨大で雑多な不可視の咢がが行き場を失って第60階層に荒れ狂った。
= =
武術とは、基本的に心技体の全てが揃ってこそ理想的な形になるとされている。
武術という極めて洗練されて無駄を省いた形に己を嵌めるには、どうしても自分の我の部分を殺さなければ収まらない。それは人によっては美的感覚のような話であったり、忌避感であったり、そしてオーネストにとっては極めて私的な拒否反応でしかなかった。
だからこそ、武術には必ずどこかしらに妥協の部分が存在する。武道というルールや変化を拒まれたことへの納得、邪道外道の道の外、武術ではなくそれを使う人間に対する意識。枚挙に暇がないその妥協を振り切ったその先に、極という道が拓ける。
「………完全には反応しきれなかったらしい」
「そのようだな」
まるで実験結果を共に観察する双子のような二人だが、そこには既に優劣が現れていた。
黒竜は人間の肉体と竜の特性を駆使した爆発的な加速によって0,01秒にも満たない速度でオーネストの背後に回り込み、大きく身を反らせて破断の砕爪を振った。速度は黒天竜時のトップスピードに匹敵し、込められた力は小手調べとはいえ当たれば衝撃波で人体が赤い霧と化す程のものだった。
しかし、背後に回り込んだとき、既にオーネストは常軌を逸した反射神経でそれに反応し、爪が振るわれる位置に対して斬撃を放っていた。結果、斬撃と爪が衝突し、猛烈な衝撃波が発生した。黒竜の頑強なる肉体ならばともかく、自分の移動速度で自壊を起こしたオーネストがこれを至近距離で受ければ、肉体のダメージは計り知れない。
――至近距離で、『本当にその身に受けたならば』、という過程の話だが。
衝撃波の晴れた場所にいたのは、半ばまで断たれた爪から血を漏らす黒竜と――まったくの無傷で悠然と佇むオーネストの姿だった。
「我が爪を半ばまで断ち切るとはな。身を引かなければこの腕、持っていかれたか。まだ体の扱いが甘いらしい」
「それはこちらもだ。少しばかり態勢を整えきれなかったせいで刃の入りが浅かった」
衝撃波の軌跡は、オーネストの肉体があった場所を中心に一本の道のように、衝撃波に抉られていないそのままの形で残っていた。他の全てが破壊しつくされた中で、そこだけが守られたように無事だった。首元を振ってごきり、と音を鳴らしたオーネストが、どこかうんざりしたようにごちる。
「しかし慣れないものだな。こんなものは脳筋馬鹿の発想だ。できる自分が嫌になる」
「爪を斬って衝撃波が発生した瞬間、貴様、返す刃で衝撃波の向きを上塗りしたな。それがお前の本当の実力というものか?」
「そんな大層なものでもない。やったのは素人でも知っている単純な技だ」
そう、オーネストが使ったのは秘伝の極意でも必勝の技でもなんでもない。
刀を、とりわけ日本刀を扱う人間ならば呆れるか、或いは感心するほどシンプル。
そしてオーネストの戦術とは本来致命的に噛み合わないもの。
「居合――ただ単純に、ただ速く、ただ正確に間合いを切り裂くだけの………極めて守護に近い技だ」
それが、オーネストがずっと使わずにいた忌々しい過去の遺物。
元々、オーネストの本気の斬撃は普段のような破壊と粉砕ではなく、静かに研ぎ澄まされた斬撃だった。感情が高ぶった時や絶対に斬ると決めた時しか使わなかったそれは、しかし抜けば必ず常軌を逸した速度で相手を斬ってきた。
しかし居合とは間合いに入った存在を斬るという特性上、常に特攻するオーネストの戦い方とは思想も相性も最悪。更に言えば、この居合を学んだ相手にオーネストは気がおかしくなりそうなほどの愛憎を抱いていた時期があったため、自然と使うことを嫌がっていった技でもある。
しかし、それは過去だ。経験したのはオーネスト・ライアーではなくその前だ。
「魔法も使った。自滅も捨てた。おまけに得意分野を使うようになった。だが、結果が伴う程の力を得た時には全てが手遅れだった。そう思っていた。だが――」
今、オーネストは過去ではなく現在、そして現在の続く未来へと歩んでいる。
ならば――もう躊躇わない。
「生きた人間ってのはそうであってもそうではない。決まったことなど何一つありはしない。何故なら……ああ、本当に馬鹿だ。俺が自分で言ったことだ。それは俺が決めるんだよ、全部」
瞬間――オーネストは黒竜の間合いに沈み込むように踏み込んだ。
次に待っていた光景は鱗や表皮を切り裂かれて後方に下がる黒竜。遅れて、空間にガギギギィッ!!と同時複数の金属音が響き渡る。吹き飛んだ黒竜が態勢を立て直そうと身を翻そうとしたその瞬間に、またオーネストは黒竜の目の前に沈むように近づいていた。
音もない。刃を鞘に納めている。似つかわしくないほどに静かだ。
しかして、その攻め手は――。
「そういえば貴様、俺から何か探るんだろ?本気で抵抗しないと細切れだ。命を有効に使って探れよ」
再び、同時複数の斬撃音を残して黒竜の全身が引き裂かれた。
黒竜は最初の一度は何をされたのか理解できなかったが、二度目の斬撃において「やっとオーネストが斬撃の後に剣を鞘に納めるところを垣間見た」。そう、黒竜にはオーネストが剣を抜いて自身を斬った瞬間を全く認識できないまま、ただの本能で身を捻って致命傷を避け続けていた。
人間の形の肉体に不慣れなのは確かだが、身体能力そのものが以前より衰えている訳でもない。オーネストの斬撃を受ける皮膚や鱗も、黒竜時点での堅牢な防御力に劣るものではない。なのに、事実として黒竜は切り裂かれ、そして斬撃を見切れなかった。
これがオーネスト・ライアーの本気。神の尖兵でも傀儡でも何でもない。ただ自分のためだけに生き、自分の存在意義を神の意志さえ無視して決定する傲慢な男の、可能性の更なる先。そう、それでこそなのだ。
人は神に生み出された。
魔物は魔王から生み出された。
どちらも親に愛されし子で、同じ条件である筈だ。
しかし黒竜には、自分の意志の決定権は元を辿れば魔王の意志であると考え、「知ったことか」と吐き捨てるなどという発想は全く浮かびもしなかった。魔物はすべからく心の奥の、本能と限りなく近い場所にそれが普遍的に存在しうると思っていた。他の誰かに勾引かされる意志の脆弱な存在ならまだしも、そのような意志を抱くのは欠陥品の証だと思っていた。
しかしオーネストはその神にとっては致命的な欠陥を抱えながらも、他のどの人の子よりも手強く黒竜に戦いを挑み、生き残ってきた。その戦いの中で爆発的に成長してきた。オーネストは人の既成概念を打ち破る存在で、そして黒竜のそれをも打ち破る存在だった。
これだから人間なのだ。故に神の期待する人間なのだ。
小さな小さな脆くて儚いその肉体に、世界の創造を凌駕する可能性を内包しているのだ。
面白いのだ。興味深いのだ。知りたくて間近で見ていたくて、だから神々は地上へ降りた。
混沌と進化の権化。可能性の生き物。
だから、もっとだ。もっと人間を、可能性を知りたい。
その先に己の進化が待っているのならば、自分の行き先すら知りたい。
「我はまだ死なぬ、死ねぬ!希望と可能性を知るその時まで、存分に踊り狂おうぞ、オーネスト・ライアァァァァーーーーーーーっ!!!」
瞬時に再生された傷を撫でながら、黒竜は心底純粋な好奇心に胸を躍らせ、破顔した。
= =
全方位に張り巡らされた神経の網――第六感とも呼べる感覚を頼りに剣を抜き、斬り、そして納める。秒間に数十回は襲いくる斬撃や蹴り、尾やブレスの連撃、どれもが殺意の籠らぬ無邪気な破壊。だからこそ反応するのが余計に困難だが、その一つ一つを呼吸ひとつ乱さず凌ぎ、余った時間に反撃を叩き込む。
時には弾き、逸らし、受け止め、そして二重に斬り、襲いくるありとあらゆる角度、威力の殺撃を真っ向から突破する。次第に人間の肉体と魔物のパーツの融合に慣れ始めた黒竜は、背に4枚の翼を展開して真空の刃さえ交えた波状広範囲攻撃を仕掛けてくるが、そのすべてを余すことなく認知し、反応し、一切を叩き斬る。
居合とは居ながらにして死合う事。自ら赴かず、迫る全てを受領した上で応報する。故に本来は全ての一撃が後手となる。しかし人間の眼球が捉えた映像と現実に起きる映像にはラグが存在し、物事に反応した人間が行動を起こすまでの間にも僅かなラグが存在する。人は常に一瞬遅れた世界で生きている。
では、何故遅れた世界の中で人間は不自由なく生きていけるのか。それは先読みをしているからだ。これは何も人間だけの話ではなく、動物や魔物とて似たような事をしている。相手の動きを基に一瞬先、一秒先の動きを先読みし、視覚の認識より早く行動に移すことで予想通りの現実を迎えることが出来る。
だから読む。黒竜の先を只管に読む。一つ斬撃の角度や数を間違えればその瞬間に破綻する攻防の中で、無限の選択肢の中から適切なものを選択し続ける。その先、その先、遥か先。勝利と生存に向けて選び続ける。もっと速く、もっと速く、速く、速く、速く――。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!?」
一撃を放つ速度が加速していく。黒竜の縦横無尽な速度と馬鹿力で周囲の岩盤が砕けて溶岩が舞い上がるのに、それ以上に周囲が俺の斬撃によって切り刻まれていく。斬撃は、いつしか嵐になっていた。ゴギャギャギャギャギャッ!!と耳障りな金属音が響く度に、刃がもっとと囁く。
斬撃で防ぐ、返す刃で反撃する。その間の時間を予測し続けるうちに、間の時間にもう一つの攻撃を叩きこむ隙間を見つけた。そこに一撃を挟むともう一つ、更にもう一つと、札を切る速度が破綻していく。1ターンに1回の制約が崩れ、選択肢が雪崩れ込んでくる。
斬撃を放つ腕が熱い。骨が融けて内側から灼かれているようだ。自らの斬撃の速度に肉体が耐えきれていない。再生速度を破壊速度が上回り、血反吐を吐き出す方がまだマシな激痛が腕を中心に全身に広がっていく。
皮膚が破けて血管が弾け、服が紙のように裂けていく。全力と本気を掛け合わせた死に物狂いの攻撃が、捨て身で戦っていた自分が本当は生ぬるい選択肢を選んでいたのだと嘲笑う。本当に――本当に――これはきっとアズの痛みに近い。自分が知り、自分を知り、今と戦う人間の痛みに近い。
生命を絞り出す愚者の号哭。自分が自分と向き合う事をしなかったから、本当はこんなにも痛いのだと今の今まで知らなかった。
だから、知れてよかった。これが痛み、これが前に進むということ。この痛みが、止まった俺の時間の針に、そっと指をかける。緩んだばねを螺子で回し、再び鐘の音を響かせる。
「ハ……ッ、ハァっ。貴様、まだ加速するの、かぁ……!!」
俺の斬撃の量を捌ききれなくなった黒竜が、全身に切り傷を浴びながら笑う。既にこちらの斬撃には黒竜を本気で切り裂いた威力が乗っているというのに、それに対応する黒竜も加速度的に深化している。神の血を持つとはいえ所詮は人間である俺と、人間ではない魔物の黒竜。ここで仕留めきれなければ、いつか俺は奴の可能性に押し潰されるだろう。
「ならばァ!!今度はこれも試してやろうッ!!貴様とあの男を殺す為に用意したにも関わらず、獣に邪魔された切り札をォッ!!」
瞬間、黒竜の左目が深紅の輝きを放ち、その内から目さえも灰塵に帰すほどに膨大な熱量が権限を始める。結局不発に終わった切り札の正体。それは、成程確かに――あの時に使われていれば、絶対に死んでいたであろう「切り札」だった。魔石とは違う魔力蓄積機関と化していた黒竜の欠けた眼球から、生命力そのものを絞り出すような莫大なエネルギーが抽出される。それは、使い方を一歩掛け違えば、このダンジョンという広大な空間の全てを焼き尽くす地上の太陽となりうる力。
「統てを喰らえ、我が業炎――『焼喪天』ッ!!!」
眼球の目の前で膨れ上がった巨大な熱量の球が圧縮されるようにギュルリと縮み、黒竜はその血に塗れた両腕でそれを握り潰した。
瞬間、莫大な熱量が腕の隙間より無数に分裂して空間を埋め尽くす。その光景は、空に巨大な彼岸花が咲いたかのように美しく、そして残酷な力。一筋の光は二筋に分裂し、四筋、八筋、十六筋にと倍々に分裂する。分裂した炎の矢の一つが第60層の壁を掠り、掠った場所が飴細工のようにどろりと融け落ちた。
一撃を受け間違えたら、などという問題ではない。近づいただけで万象を焼く魔力の炎が無尽に分裂し、未来を食い潰していく。きっとこの街の全ての冒険者が、絶望、或いは迫りくる死と表現するであろう圧倒的な破壊だった。
だが、俺はもう決めていたし、確信していた。
「有難う」
「……ッ!?」
「お前の……お前らのおかげで、8年もかかった反抗期が終わりそうだ。だから――」
息を吐き、吸い、刀を鞘に納め、俺は感謝する。
憎悪と虚しさの記憶、或いは愛憎の記憶。
俺はそれが嫌いで、それでも忘れられなくて、余計に苦しんで。
でも、今こうして自分に向き合えるというのならば、大丈夫な気がした。
「有難う」
俺は、そのとき/ /を超えた。
黒竜が気付いた時には、『焼喪天』は空間が捻じれるような力を受けて霧散した。かちん、とオーネストが刀を鞘に納めるのが見えた。自分が下に落ちていることに気付いた。そして――。
自らの胴と羽根が両断されていることに、やっと気づいた。
= =
「俺には父親がいたんだ」
「格好いい人だと思ってた。世界最強だとも信じてた」
「剣も教えてもらったし、冒険者としてのイロハとか、居合拳とか。本当に色々」
「でも、時々あの人を見る目が妙に怖くて、子供心には理由が全然……」
「10歳の時だった。誕生日の日――親父は俺に剣をくれた」
「冒険者登録もしてない俺を、親父はこっそりダンジョンに連れて行ってくれるって言った」
「喜んだよ、正直不安よりもそっちが大きかった」
「親父が魔物を切り裂いている所は、子供心ながら改めて父親の凄さを知れた」
「餓鬼だったから、何層まで降りたたかは覚えてないな」
「ただ、確か10層前後ってな所だ。そんなに深くはなかった」
「魔物の群れのいる洞穴みたいな空間を見せてもらった時な」
「突き落されて、洞穴に落とされた」
「訳が分からなかった」
「助けを求めたけど、自力で上がって来いって、まるで一人じゃ頭を洗えない子供に言うように……」
「今でもあれが何を考えてたのかなんて全ては分からない。俺の知らない所で死んだから」
「でも分かることはあるよ。最期に見た顔。俺を見下ろす顔が――」
「嗤ってたよ。デッサンの狂った絵みたいな顔だった」
「憎しみとか、嘲りとか、嫉妬とか――そんな俺の知らない感情を全部集めて……」
「汚泥と一緒にこねくり回して、無理矢理人間の形にしたような感情だった」
「俺はその時、初めて自分が親父に心底憎まれていたことに気付いたんだ」
「以来、ずっと努めて居合は使わなかった。明確な理由なんて本当は……」
「俺も分からないんだ。憎んでるのか、怖かったのか、あの瞬間をなかったことにしたかったのか」
「ただ、その訳の分からない感情を、今日、乗り越えたと思う」
「…………………」
「こいつ、貰っていくぞ」
「………それと、だ」
「貸しにしとく」
「じゃあな」
「下らない話に付き合ってくれて、感謝するよ」
ダンジョン第50層に存在する宿屋――その外にあるベンチの上で、長身の男が寝転がっていた。物取りも恐れず呑気に眠るその男は、やがて寝息を止めて起き上がり、枕元に置いてあった鞄を抱えてベンチの端を開ける。そこに、上半身が裸になった男が刀を抱えてドカリと座る。
「服どうした?」
「破れた。下が残っているだけ上等だろ」
「まぁお前ならなくてもいけるって。ダビデ像みたいな感じで」
「お断りだボケナス。お前と違って俺は文明人であることに誇りがあるんでな」
「ひでぇ」
金髪の男の暴言に苦笑いしながら、長身の男は鞄から二つのグラスと一本の酒瓶を取り出して、片方を金髪の男に渡す。受け取った傍から酒を注いだ男は、自分のグラスにも注いで、瓶を置く。
「任務完了だ。これで文句ないだろ?」
「ま、俺としてはお前が生きて帰ればそれでいいんだがな。今回は俺が先にグロッキーだったから正直参ったよ」
「鍛え直してやるから心配すんな。俺の心優しさに感謝しな」
「スパルタの予感しかしねぇよ。ま、それはそれとして………色々な記念を祝して、乾杯!」
「色々ってお前……ふん、乾杯」
きぃん、と甲高い音が響いた。
やがて騒がしい面子が集合するまでの数分間、二人のささやかな祝杯は続いた。
後書き
正直これほど間を開けることになるとは思っていなかった作者です。
最後の戦いはかなりドシンプルなドツキ合い(?)になったので1話に収まりました。
正直燃え尽き感が凄くて、いっそここが最終話でいいんじゃないのかと思い始めています。
ちなみに今回のこれで大体オーネストがどこの誰なのか特定出来るヒントは揃った気がします。ちなみに本名のヒントも微妙に揃いました。
67.確かにそこにいた人々へ
オラリオは、街が始まって以来の大事件に湧き上がっていた。
現存する現役の冒険者の中で唯の二人しか辿り着けなかった極致に至ったレベル7の高みに、新たに足を踏み入れた冒険者が誕生したからだ。
『エピメテウス・ファミリア』――『酷氷姫』リージュ・ディアマンテ。
『ロキ・ファミリア』――『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタイン。
奇しくも二人、しかもその美貌が知れ渡った女性冒険者だ。更にこれに加えて複数の冒険者がレベル6及びレベル5の位に次々に足を踏み込み、周囲を驚かせた。しかしそのランクアップより更に周囲を驚かせたのが、彼らが驚異的な成長を遂げたその理由だ。
ダンジョンに巣食う『回避可能撃破不可能の災厄』――黒竜と、彼らは戦って勝利したというのだ。
嘗てオラリオで最強と謳われた『ゼウス・ファミリア』は『ヘラ・ファミリア』と共に全戦力を投入してこの黒竜に挑み、そして壊滅した。あの日、人類は「もしかして今なら勝てるのでは」という在りもしないささやかな希望を、完膚無きにまで叩きのめされたのだ。
しかし、それから僅か十数年の歳月を経て、それは為された。
更に、その歴史に永遠に名を刻むべき黒竜討伐の最後の栄冠を飾った冒険者の名を聞いて、ある者は驚き、ある者は我が耳を疑い、ある者は呆れ、そしてある者は大して驚きもせずにただ納得だけをした。
オーネスト・ライアー。
その名が意味するのは、オラリオ最狂、静かなる暴君、金狼、最高額指名手配犯。
『狂闘士』の二つ名を持つそれは、出自も主神もレベルも一切が謎に包まれた、しかし推定レベル7と呼ばれる、間違いなくこの街の頂に君臨する存在の一人だった。
財にも名誉にも女にも興味がなく、ただ圧倒的な殺意を八つ当たりのようにダンジョンにぶち撒け続けたその男は、レベル7に達した上記二人、レベル7のオッタル、他数十名と共に黒竜とその取り巻き相手に大立ち回りを演じ、最後にはこれを撃破。これまで一度も確認されたことがないほどの魔力を内包した、形状からして従来のそれと異なる魔石を持ち帰ったことで勝利を証明した。
――当然その男の背にはもう一人の推定レベル7、『告死天使』アズライール・チェンバレットの姿もあった。彼もまた、人知を超えた力を以てしてオーネストを援護し、黒竜を追い詰め続けたという。
たった一夜にして、この街の不可侵領域だった二人はれっきとした『英雄』に祭り上げられた。
オラリオは実力と結果が全てだ。英雄的所業をやり遂げれば、それがどんな人格の誰であろうとも英雄だ。狂った判断基準、歪んだ羨望、矛盾した賛美。その全てがオラリオならば許される。
こうして、アズとオーネストは自らは全く望んでいないのに、いつの間にか英雄とされた。
同時に、こんな噂も世間に流布される事となる。
――あの二人は、『レベル8』に踏み込んだ超越者なのではないか、と。
「………ってな話になってるんだってよ」
「誰からの情報だよ?」
「さっきギルドに行った後にラッターがな。どうやら俺らがダンジョン内で寄り道してる間に情報と例のアレだけ上に登ってたみたいだ」
贔屓にしている情報屋のラッター・トスカニックがその情報をくれたのなら、本当にそうなのだろう。いつぞやのアルガードの件で花を買った出店で黄色い花を見繕いながら、オーネストは漠然とそう思った。それにしても例のアレか、とオーネストは一人ごちる。偽装の為に持って帰ったあの高価な石ころの存在にギルドは右往左往しているそうだ。
「黒竜が体内に持っている特殊な魔石、その名も『竜玉』!……ってなことでお前が持って帰った黒竜の目ん玉結晶をギルドに出したんだけどな。どうやら従来の魔石とは全然組成が違う上にエネルギー量がとんでもないってことで、鑑定した職員が悲鳴を上げてたぜ」
「だろうな。あれは魔石を変質させた一種の魔道具だ。あれが一つ暴走するだけで街が滅ぶ。尤も黒竜が本来持っていた魔石のエネルギー総量はあんなものじゃなかった訳だが……ま、何も知らない馬鹿共は知る由もないだろ」
「でも一つ問題があってな。黒竜討伐報酬とあの魔石の代金合わせると、館の金庫がもう一つ必要な量になっちまうっぽいんだよ。額が額だけにギルドも即金は無理って言ってたけど」
「いるか。山分けにするなりヘスティアに擦り付けるなりしとけ」
「ヘスヘスに押し付けるか。いい案だな!」
何となく二人の脳内で金塊に押し潰されて情けない悲鳴を上げるあの紐神の姿が脳裏を過ったが、浪費家の彼女が本気になればどうにか使い切ってくれる筈である。最初の最初にアズが彼女に献上した500万ヴァリスが翌日にはアクセサリ代に消えてたくらいなので間違いない。
……尤も、使っても使っても補充されるドブ金に彼女の何らかのリミッターが働いたのか、すぐに金に手を出さなくなったが。
「黒竜は何やってんの?」
「他の三大怪物に会いに行くそうだ。その後は人間について学ぶと言っていた」
「へぇ。『彼女』も大概放任主義というか、親子して似てるというか………」
黒竜を戦闘不能にしたオーネストは、黒竜の命を取らなかった。というより、もう黒竜の命を取る取らないという話に大して興味が持てなかったのだ。そこでオーネストは黒竜の意見を聞き、彼の死を偽装するために彼の体に埋まっていた眼球代わりの器官を譲り受けたのである。ついでに黒竜の角も一本押し付けられ、それはシユウに預けてある。あれは一種の呪物だ。おいそれと持ち歩けない。
一方のアズだが、こっちはこっちで『魔王』と、招待される形で出会っていたそうだ。人が苦労している間に何をやっているんだろうか、この男は。最終的に『魔王』と盟約を交わしたそうだが、幼女だけでなくそんなものまで抱えて大丈夫なのか、と余計な心配をしてしまう。詳しい話をオーネストは聞かなかった。どうせアズの決める事だ。黒竜と魔王が似ているかどうかなど、それこそオーネストの知ったことではないので無視した。
(ヤッバ、何度見てもあり得ないくらいイケメン………はぅあぁ~♪ウチの店に2回も来てくれるなんてありがとうどっかのご利益ある神様!)
(祈り届ける相手が無節操すぎるでしょ……っていうかアンタがしつこく言ってたヤバいイケメンってあのオーネストな訳?物理的にヤバいイケメンじゃん。黒竜ぶっ殺したんでしょ?告った翌日に変死体で見つかるとかシャレになんないからやめときなさいって!)
(分かってるの、綺麗な花には棘があるって……でもその棘もまた……はぅあぁ~♪)
「………お前って本当モテるよな」
「あ?何がだ?まぁいい、この花貰うぞ」
恍惚の表情で見つめてくる店員とその店員の肩を揺さぶる店員に「何をやってるか知らんが愉快な奴らだな」と思いながら、オーネストは「チップ込みだ」といい加減に金貨を一掴み置いて後にした。愉快な奴らは嫌いではない。自分がそうなりたいとは思わないが。
= =
オーネストが墓地の中を歩いているのを、俺は後ろから着いていく。墓地には死の残り香が充満していて、どうしてか落ち着く気分にさせられる。こんな事を感じてしまう自分はどうしようもなく死神に近いのだな、と何とはなしに思いながら進むと、大きな墓の前に二人の人影があった。
一人はヘスヘスことヘスティアだ。普段の露出高めな服ではなく、肌を覆い隠した黒い服――喪服を着ている。その隣にある影はファイさんことヘファイストス。こちらもまた、黒い服を着ていた。ヘスへスは白い花を、ファイさんは赤い花を墓に献花する。オーネストはその隣からしゃがみ、黄色い花を墓に添えた。3人のイメージカラーに合わせたような花束たちが、風によって微かに揺られた。
「これが、俺に見て欲しかったものか?」
「そうなる。別段大したことではないが、一応お前には言っておこうと、な」
墓場に吹き込む風で美しい金髪を揺らす物憂げな姿は、大した事ではない出来事に思いを馳せるには余りにも不釣り合いだった。それに、この墓から感じる死の気配は、余りにも。
「やっぱり感づいたかい、アズ。君には分かるんだね、この苦しみの残り香が……」
「ヘスヘス、この墓は………これは、恐怖や憎しみの、争いの中での死の気配か?」
「『テティス・ファミリア』……僕やヘファイストスにとっては姉のような存在だったテティスが率いていたファミリア達の墓さ」
テティス・ファミリア。そのファミリアの名前を、俺は幾度か聞いたことがある。例えば――そう、オーネストと俺が住んでいるあの館の以前の所有者として、とか。他にもたまに屋敷の中で、会話の断片で、隠すようにその名を聞いた事があった。それに対してそれとなく想像することもあった。それでも、別段オーネストに詳しく聞く事はしてこなかった。
「俺は、このファミリアの中で生を受けた」
それは、オーネスト・ライアーがオーネスト・ライアーになる前の記憶だった。
「団長のアキラ・スクワイヤと、その恋人だった女性、その間に俺は生まれた。生まれてすぐに生みの親は容体が悪化して死に、俺は主神テティスに名前を与えられ、彼女とそのファミリアに育てられた」
「母親さんの、名前は?」
「――分からない。彼女はファミリアの人間じゃなかったし、その詳細は付き合ってた団長と主神テティスしか知らなかったそうだ。ルッティと呼ばれてたが、本名かどうかも不明。魔法使いだったらしいが、顔写真も残ってないんじゃ顔なんぞ分からんわな。遺品の杖をヘファイストスに調べてもらったが、出た結論は『製造方法不明』だった」
「神に理解出来なかった以上、恐らくは根底の根底から人間によって創造された技術体系なのでしょうね。分かるのはそこまでだったわ」
ファイさんの注釈を聞きながら、俺はふと思い出すものがあった。
「アプサラスの酒場でガンダールからかっぱらったあの杖か?」
「そうだ。ファミリア壊滅のどさくさであそこに流れ込んでたのを、興味本位でな」
「……アキ、生みの親の事を知りたいと思うのは興味本位ではなく人として当然の事よ」
「そうは言うがヘファイストス、俺を専ら育てたのは、物心ついた頃から面倒を見てくれたテティスだ。あの人が俺の母親だよ」
自分にとっての母親だと断言するその想いは強いだろう。オーネストは真顔でそう言い切った。否定は出来ないのか、ファイさんも静かに目を閉じて引き下がる。オーネストはそのまま話を続けた。
「俺はファミリアの事は好きだったし、親父だって頼れる男だと思っていた。だが、俺の気付かない何処かでこの街はおかしくなっていっていたんだろう。その頃の俺にはそれに気付くだけの洞察力と経験がなかった。リージュも、そしてロイマンもな」
「リージュちゃんとはその頃から友達だったんだってのは分かるけど、何故そこでロイマンさんが?」
「あの頃まだ出世してなかったロイマンは、俺たちの遊び場の近くに住んでたんだ。半ば無理矢理遊びに付き合わせてたから、当人はさぞ迷惑だったろうな」
オーネストが可笑しそうにほんの僅かな笑みを浮かべる。きっと子供特有の人懐っこさと強引さに逆らえなかったんだろう。そんなロイマンさんも今やギルドのトップである。そして確か、彼がトップに上り詰めるきっかけになった事件が――。
「俺が10歳の頃に事はついに起こった。『地獄の三日間』――何とも陳腐な言葉だが、その三日が俺の全てを変えた。親父は俺を見捨て、ファミリアは俺の与り知らぬところで他ファミリアと抗争を繰り広げた末に壊滅。瀕死の俺を助けるために自らの生き血を捧げたテティスは、神の力を不当に使用した事を理由に拘束されて天界に強制送還された。抗争に手が出せずにおっかなびっくり動いてたギルドの手でな」
「そいつがギルド嫌いの理由か?母親を拘束したから、そして秩序の体現者の癖に役に立たなかったから、って所か」
「10歳のガキには何もかも憎く見えたのさ。張りぼての秩序を掲げて今も街を守っていますって面してるギルドは、今も気に入らない………『地獄の三日間』での混乱の事後処理で名を上げたロイマンが出世街道を駆け上がったのも、その頃だった。俺に便宜を図るのは……ま、罪滅ぼしのつもりかもな」
遠い目で空を見るオーネスト。その横で、ファイさんがまた足りない情報を埋めてくれる。
「当時のロイマンはテティス捕縛の現場で倒れていたアキを助けようとしたの。だけど、ギルドの当時のルールでは神の捕縛条件は決まっていても、神の不当な力を与えられた存在をどうするかは取り決められていなかった。眷属なら神が送還されりゃ勝手に消えるが、よりにもよって注いだのは神血だ。前例なんぞありゃしない。責任問題や人的被害を恐れた当時のロイマンの上司が放置を決め込んだせいで、あいつは動けなかった」
「せめて保護されてれば、僕なりヘファイストスなりすぐにアキくんを迎えに行けたのに……っ」
「やめろヘスティア。俺は……運が悪かったんだ」
ぎりり、と拳を握りしめたヘスヘスに柔らかい声で諫めたオーネストは、墓を見下ろす。
「神の血――俺の異常な再生能力と神の力の一部の行使を可能とした力の源。俺はそんなもの要らなかった……親父の裏切りで心身共にぼろぼろだった俺は、せめて最後に信じられるテティスの下で死にたかった。そこで死ねるなら寂しくなかった。しかし、結果としてテティスは俺を生かす事を選び、取り残された俺は孤独になった」
「――それから暫く、世界一の都と言われた迷宮都市オラリオは暗黒時代に入ったんだ。おおよそ3年、表面上の平静を取り戻すまで3年かかった。その3年で、アキくんは……」
「俺はオーネスト・ライアーになった。只管に運がなかった。子供だった。だから、俺は意地を張るしか能のないろくでなしの人でなしになった。お前に出くわすまで、ぶっ壊してぶっ殺して、怒り狂うだけの男だった」
「今もだいたいそんな感じじゃね?」
「だから卒業するんだよ、これから。8年の反抗期をな」
オーネストはしゃがみ、へし折れたヘファイストスの直剣の柄を墓場に添えた。
それはきっと、オーネストにとっての何らかの決別だったのだろう。
二柱の神と俺の見守る中、立ち上がったオーネストは静かに目を閉じる。
「オーネスト・ライアーとしてではなく――テティス・ファミリアの最期の生き残りである『アキレウス・スクワイヤ』として………さよなら、みんな」
そう言い終えて一瞬墓を見たオーネストの顔が、10歳前後の幼い子供が今生の別れを告げる顔と重なって見えた気がした。
= =
不意に、頭を上げる。敷地内に聞き覚えのある足音の鳴り方が二つ、近づいてくる。
きっと自分が猫だったら、ぴんと尻尾を伸ばし、耳をピョコピョコ動かしてるだろう。そんな事を考えながら、延々と続けていた編み物を放り出して玄関に走る。待ちすぎて長くなりすぎた編み物を避けながら、待ちきれずに走る。いつも待ち望んでいて、ずっと幸せで、幸せ過ぎてそのち零れ落ちてしまうのではないかと思う程に恋焦がれた、大切な二人。
「………お帰りなさいませ、クソ野郎共っ!!」
二人は、どこか雰囲気が違っていて、でも確かに自分の好きな――メリージアの愛する二人だった。
「ただいまー!いやー今回は苦戦したねぇ!」
からっとした笑顔で軽快に笑うアズライール・チェンバレットの笑顔が心に染み渡り、幸福感に包まれる。何も考えていないようで、しかしいつも優しく、メリージアが近くにいれば笑って抱きとめてくれるアズが、メリージアはどこまでも好きだった。
そしてもう一人――決してアズのように優しい態度は見せないのに、本当は誰よりも優しさを知っていて、素直じゃないからこちらのあいさつにもぶっきらぼうに「ああ」と言うだけの――。
「……ただいま」
「!?」
――それは初めての返事で、余りにも唐突で。
更に続く言葉と普段のオーネスト・ライアーならば絶対にやらないと断言できる行動に、メリージアの幸福度が爆発した。
「目の下に隈が出来てるな。心配かけて悪かった」
オーネストが控えめに、そして割れ物を触るように優しく、メリージアの体を抱きしめた。
(えええええええええええええええええええええええええええええ!?ええ、えええええええええええええええええええ!?何!?アタシもしかして夢見ちゃってる!?幸せ過ぎるからこその夢オチ!?いやでも、お、オーネスト様の手が!いや全身から伝わるぬくもりや匂いが!!ち、近いぃぃぃぃっ!!ああっ、オーネスト様の頬とアタシの頬が重なってぇ、アタシの頬なんか汚ねぇから触っちゃダメっつーかかハグしてくれるなら一度フロで体を清めさせてってそうじゃなくてああああああああああああああああああ!!だめぇ、そんなズルい!不意打ちズルい!だってこんなの嬉しいに決まってやがるのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?)
既にメリージアの思考回路は乙女回路が乱入してしっちゃかめっちゃかである。その顔は当然のごとく真っ赤だが、浮かぶ表情は幸福を通り越して多幸の域に達している。当たり前と言えば当たり前だが、この世で一番好きな人にやられて嬉しいことをされたら顔も蕩けるというものである。
「じゃ、俺もハグっと。今回は俺も反省してるからねー」
「!?!?」
そして、背後からアズがハグして来たことによってメリージアの思考回路がオーバーヒートした。
アズは優しいから頼めばハグくらいしてくれる人だが、アズからハグを求めてきたのはこれが初めての出来事だ。というか、2人とも初めてだ。それはつまりメリージアという存在を二人が求めてくれたという事で、2人とも今はメリージアだけを見ているということで、それでそれで――。
(ああ、もームリ。ダメダメこんな幸せ過ぎるサプライズは夢の中でも事前に申請してからしやがってくださいませ。でないと死ぬ。幸せに窒息させられて死んじゃう!こんな夢の中でも烏滸がましいような幸せサンドイッチされたらアタシ、アタシ――もう頭がフットーしてガマンできなくなっちゃうぅぅぅぅ!)
メリージアはその後数十分間、正気を失ってオーネストとアズにべったり張り付いて「にへへへ……」と幸せそうににやけていたという。
「………本当、物好きな女だ。俺なんかにそんな面見せていいのか?」
「恋に貴賎はあるまいよ。しかし……甘えん坊のネコみたいで可愛いねぇ」
「お前は猫懐かないだろ」
「いいよ、代わりにメリージアを愛でるから。ほら、喉元なでなで~」
「んにゃぁ~♪らめれすよアズしゃまぁ~♪」
「………酔ってるな、何にかは分からんが」
なお、その後正気に戻ったメリージアは好きな人の前で醜態を晒した自分の行動への羞恥に耐えられなくなって丸一日自分の部屋に引きこもり、2人を困らせたのであった。彼女の部屋の前で右往左往する二人の姿は非常に和み系の光景だった――とはヴェルトールの談である。
きっとそれが、その日が、オーネスト・ライアーという男のその後を決定づけたのだろう。
アズにはそれが可笑しくて――そして、いつかまた運悪く彼の下に選択が降り注いで狂ってしまったとしても、もう大丈夫だろうと思った。
もしも、もしもその瞬間に自分がいなくとも――もう大丈夫だろうと思った。
「アズ」
「ん?」
「テメェ、何があろうが死に逃げなんて出来る思うんじゃねえぞ。あの世だろうが異世界だろうが、俺もメリージアも時空の果てまで追いかけて連れ戻してやるからな」
「……何で急に?」
「なんとなく、お前が見通しの甘いこと考えてる気がしてな」
……もしもの瞬間に自分が居なくても絶対大丈夫どころかコッチが大丈夫じゃないかも、と心の中で訂正した。
俺たちは英雄じゃない。
俺たちは優しい善人じゃない。
俺たちは尊敬されるような立派な人間じゃない。
でもーー俺たちは確かに、「いま」を生きる人間だ。
すべての行動の理由など、それで充分だ。
後書き
黒竜編、これにて完結です。恐らくこの小説もこれで完結。
一応あと2章くらいやりたい気持ちはあるのですが、恐らく書いている余裕がないのでいったん断念させていただきます。これまで応援してくださっていた皆さま、お付き合いいただき誠にありがとうございました。
補足:
3色の花……以前にココが墓で見た花 しかもあの日のオーネストは墓参りしていた
オーネストの正体……テティスの関係者で名前がアキから始まる=息子のアキレウス
魔法・万象変異……神話においてのテティスの変身能力
父親のアキラ……アキの部分がオーネストと共通 プラスで異常な居合の速度
モロバレだった気もしますが、オーネストの真名はアキレウスでした。
真名を認めてしまったオーネストはもはや無敵モードです。ネタ的にも。
外伝 いけいけむてきのオーネスト
「――いちおう、な」
「成程。由々しき事態ですね。ギルドの長として、情報提供に感謝します」
黒竜討伐記念で街中がお祭り騒ぎになる中、ギルドの一室で明るいとは言い難い会話をする二人の男がいた。片や拝金主義者と揶揄される脂肪の塊、片や絵画か物語から抜け出てきたかのような美麗な青年。二人の会話は簡潔で、短かった。
「それにしても……まさかキミが自分からここに来るとは思っていませんでした。ここには忌々しい思い出しかないでしょうに」
「別に、気まぐれだ。どうせアズの事だからそこまで深く考えていなかったろうと思ってな」
「それでも、今までの貴方ならばそのアズくんに伝言を握らせて終わりだったでしょう?」
「否定はしない。今もギルドにはいい思いはない。だが……あんたに言いたいこともあった」
「先程の話以外にもですか?」
「……ガキの頃、逆恨みして悪かった。それと、救援の手配をしてくれたことに感謝する」
その言葉を向けられた男――ロイマンは、思わず手に持っていたペンを取り落とした。重要な書類にインクが跳ねるが、今のロイマンにはそれを気にする余裕さえなかった。
だって、もう二度とこんな瞬間は来ないのだと思っていた。それ程に遠くに行ってしまった心であったのに、彼はそれを自ら口にしたのだ。前々から型破りな存在だと思っていたが、もしかすればこれはロイマンの記憶にある彼の前科の中でも最大の威力を誇るかもしれない。
「……あんたにも、俺の意地のせいで随分迷惑をかけた。後悔してるって訳じゃないが、詫びの一つくらいは言っておきたかった。仕事、これからも頑張れよ……出世するの、夢だったろ」
それだけ言って、オーネストは魔法で自らを風に変え、執務室の窓から消えていった。
「失礼します、ルスケっす。ミリオンさんの宿泊先の件とヨハン先輩の行方に関する報告が………ロイマン大先輩?え、泣いてるんッスか……?」
「………え?ああ……そうですか、私は泣いているんですか。はは、不思議なぐらいに……止まらない。私も年を取ったという事ですかね……」
ロイマンのデスクにあるインクで汚れた書類には、ギルドの権力乱用と部下の管理不行き届きを理由にした辞職を表明する旨が書き込まれていたが、もはやそれは涙のせいで滲んでしまい、とても書類として提出できるものではなくなっていた。
= =
オーネストがシユウ・ファミリアのフーの工房を訪ねた時、やけに賑やかな声が耳に届いて首を傾げる。中から聞こえるのは怒声――それもフーと誰かが言い争っている。聞いたことのない声であることと、そもそもフーが他人と喧嘩をしている事自体が稀有だ。
「失礼する。取り込み中か?」
「ああ、オーネスト!聞いてくれよ、私がせっかく磨き上げた作品をミリオンが無遠慮に触りまくって指紋でべたべたにしたんだよ!?」
「ンだとォ!?そんなもん触っちゃダメなら触っちゃダメって先に言えってんだよフー助ぇ!大体触っただけで品質が落ちる訳でもねぇだろうし!?第一ウチはゲストなんだぞゲスト!!丁重に扱えっつーの!」
「あのねぇ、失礼な客まで丁重に扱うほど私の心は広くないんですよ!?大体貴方みたいな薄汚れた不潔エルフなんて本当は頼まれたって泊めたくないっていうのに……!」
「………いつから工房に女連れ込んで乳繰り合う男になったんだか」
「ちょっと!?私が連れ込んだんじゃないっての!ギルドから頼まれて……」
「聞いた!?ちょ、聞いたかおいフー助!?女って!ウチの事女って!いやぁ~やっぱり出来る男はそういうトコロが分かってるんだよなぁ!にじみ出るフェロモンを感じれるんだよお前と違って!!」
オーネストは猛烈に面倒くさくなって帰りたくなったが、今日ぐらいはとグっと堪えた。
「で……俺のは出来てるのか?」
「ああ、勿論。君がなかなか戻ってこないものだから、埃を払うのが面倒だったよ。ほら、1Aの棚とB1の棚に」
言われるがままに彼の工房の隅にある棚に近づく。棚の一番端――ほぼオーネストの特等席――にそれはあった。初めて受け取った時とは比べ物にならないほど細緻にオーネストの手に合わせられた籠手は、以前から更にデザインや組成が変化しているようだった。続いて脛当ても取り出すが、これもまた籠手と同じく変化している。
「今までのマイナーチェンジから随分飛躍したな」
「黒竜と君の戦いを、途中までとはいえ見たからね……前々から足りない、足りないと思ってたけど、今回は特別に悔しかった。その分だけ、今までとは比べ物にならないほど強化されてる。親方も珍しく文句を言わなかったよ」
「そうか――フー」
「なんだい?」
「ありがとう。そして……これからは、簡単に壊さないようにする」
「……へ?」
「それだけだ。じゃあな」
装備品を手早く装着し、オーネストは工房を後にした。
「感謝?オーネストが?私に?はっはぁ、これはリアリティの極めて高い夢ですね。黒竜素材の剣を作るかどうか悩みすぎて夜更かししすぎたかぁ……」
「お礼言われただけでこの反応かよ……普段どんだけワルなんだよアイツ。顔はイケメンだけど」
「いやー夢の中とはいえミリオンも妙にリアリティのある反応するなぁ」
「おーい、現実だぞー。いやむしろ現実を見れ。ったく、ウチはお前の夢の中に出る程親しい仲かっつーの!」
「いや、私はミリオンさんの事可愛げあると思ってますよ。って夢の中で言ってもしかたないか。夢で寝れば現実に返るっていうし、おやすみ………」
「えっ、あっ……お、お休み……?――ってドサマギでウチの膝の上で寝んなし!こ、今回だけだかんな!ウチはエルフで、これは特別なんだかんな!?」
本来、潔癖のエルフが他人の男に膝枕するなど一部の男からすれば一生に一度の夢レベルの出来事である。ベル辺りなら100パーセント羨ましがる。ボーイッシュで普段が不潔でファッションセンスがないとはいえ、腐ってもエルフなミリオンの膝枕は一般男性からすれば金を払ってやってもらえるならいくらでも払うものだ。
そんな夢を目の前に別の夢を見る彼は、なかなかに器用かつ恵まれた男なのかもしれない。
……同性に好かれないタイプだが。
= =
『豊穣の女主人』にオーネストが入る時、いつも独特の張り詰めた空気が漂う。
オーネストの全身にこびり付く、他者を拒絶、或いは無視するような高慢な態度。そして店主ミアとの険悪としか言いようのない関係が生み出す緊張感。それはいつも唐突に訪れ、遅れて上がるアズライールの呑気な声で中和される。それが一種の様式美になっていた。
しかし、黒竜討伐の騒ぎの煽りでいつも以上に客入りが多い事を加味しても、リューが店内にオーネストが来ている事に気付いたのは余りにも遅かった。カウンターに座ってから気付くなど、これまで考えられなかった事だ。
それほどに――それほどに、その日のオーネストは静かで、どこか穏やかなまでも風を纏っている気がした。なのでリューは思わず素っ頓狂な事を聞いてしまった。
「えっと……どなたですか?」
「とうとう常連客の顔すら……若年性健忘とは恐ろしいものだな」
「その物言い!いつものくそガキですね!?」
「見て分からんか。何の為に眼球が二つも付いている、この戯け」
珍しく言い返せないド正論に言葉が詰まる。これは言い訳のしようがない大失態である。確かに見ればオーネストだ。いっそ他の誰だよという話だ。男装のアイズと言われれば可能性は僅かにあるが。だがそれは視覚情報に頼った話であり、魂に刺さるレベルの激しい気配を放つ彼の気質を知る者ならリューを咎める事は出来ないだろう。
「な、なんですか。普段と違ってやけに穏やかな気配を放って。別人と間違えても可笑しくありませんよ、くそガキ」
「まぁ、色々とあった。そうか、そんなに変わってるか……」
「……今日はやけに素直ですね。普段なら全力でみっともなく揚げ足を取りに来るくせに。悪いものでも食べましたか?」
「いや、いい加減に意地を張り続けるのも疲れただけだ。少し自分を見直す事にした。だからそれを伝えに来ただけだ、リュー」
リュー。今、リューと言ったのだろうか。
この青年が何を言っているのかリューはいまいち理解しきれていなかった。オーネストがリューを呼ぶときの台詞は「くそメイド」或いは「お前」である。それ以外など経験則の上ではありえない。余りにもあり得な過ぎて暫く自分がリューと呼ばれたことに気付かなかったリューは、遅ればせながらやっと状況を理解した。
「は、はぁ?なに急に名前読んじゃったりしてる訳?マジ意味分かんなーい」
「落ち着け、キャラが変わってるぞリュー」
「う、うるさいですね!何ですか、もしかして態と呼んでますか!?」
「態とも何も、自分を見直すと言ったろう。リューが不満ならリオンに変えるが……」
「こ、この期に及んで……まだ私の名前を呼ぶと言うのか……!ええい、貴方にそう呼ばれると背中がむず痒いのですよ!いつものくそメイドで構いませんッ!!」
「そうはいかん。そういう餓鬼っぽい事を続けているといつまでも中途半端だ。自分を見直すと言った俺の言葉も軽くなってしまう」
オーネストは一歩も引かず、真剣な口調でリューの提案を却下した。オーネストがこんな真剣な顔で、しかも自分の名前を呼ぶことについて一切の侮辱なしだ。今まで攻撃的なオーネストと対話する為に敢えて攻撃的な態度を取っていたリューは、ここに来てのまさかのノーガード戦法で間合いを零距離に詰められていた。対抗策など思いつく筈もなく、もはやされるがままである。
「今までの俺の態度に非があったのは事実だ。だから謝罪しろというなら……まぁ、一回くらいなら謝る。すまない、今までの俺の態度は八つ当たり同然だった。リューの料理を馬鹿にしたのも謝る」
「え、え。い、いや別に私はそのことを根に持っている訳じゃ……!」
「では、呼び名を決めてくれ。何なら姉さんでもいいぞ、冗談だが」
「ねねね、姉さん!?い、嫌です姐さんは!それなら名前で呼ばれた方がまだマシで……!」
「じゃあ、暫定的にリューと呼ばせてもらう。いや、年上だからリューさん、か?」
「敬意の籠らないさん付けされたって嬉しくも何ともありませんよっ!!」
「そんな事はない。これでも俺は、リューが俺の事を気遣ってくれていたのは少しくらい知っているつもりだ。俺みたいなくそガキに真剣に向き合ってくれたリューは大した人だよ」
「う、うううう~~~~ッ!!」
オーネストの猛ラッシュを防ぐ術もなく受けまくったリューはもはや限界だった。謎の羞恥に顔はゆでだこのように真っ赤になり、反論も碌にできずうーうー唸るだけの可愛いエルフメイドと成り下がってしまっている。彼女のドSっぽい態度が好きだったドMの皆様はこの姿を見てさぞ残念がるだろう。まぁ、別の方向性に目覚めるかもしれないが。
「ねえあれもしかして新手のからかい方なの?」
「うーん、微妙。楽しんでる可能性もあるけど、逆にあんな内容で楽しんでる時点でオーネストくんマジで丸くなってるよね。マルクス主義だね」
「意味わかんないわよ。ンなことより仕事なさい」
この日、リューは素直オーネストによって色々と大切なものを失った。
なお、ミアさんに対してオーネストは「あんたの話を素直に聞き入れる事は出来ないが、少しは見直す事にする」と彼の偽らざる本音を聞かされて複雑そうな顔をしていたとか、いなかったとか。
= =
「オーネストが素直になった!?これはチャンスねオッタル!今なら素直に私に靡……」
「素直に殺しに来るだけかと愚考しますが、フレイヤ様?」
「……オッタルも最近ジョークというものを理解してきたようね」
「というか、ノリがあの告死天使に毒されておられますよ?」
フレイヤ芸人化計画、進行中。
= =
「素直に私に甘えるようになってくれるってことね、オーネスト!さあ、おばさんの胸へダイブ・イン!」
「それは断固ない」
「ヘファイストス、流石にその解釈はボクも引くわぁ……という訳でオーネスト!こっちのおばさんの胸にダイブ・イン!」
「それも断固ない」
「ハッ!やっぱりいくら胸がでこぉてもチビの色香じゃ無理やな!ほんじゃオーネスト、おばさんじゃないこのウチの胸にダイブ・イン!」
「ないっつってんだろ」
「誰がナイチチや!?」
「言ってねーよ頭湧いてんのか?」
「くっそ、アズにゃん!アズにゃん聞いてーな!オーネストがウチの胸の悪口言うねん!!揉んで確かめて!」
「えー?いいよ。でもあんまし揉んだことないから痛くしたらゴメンねっ」
「ちょ、ウソやんアズにゃんここはボケやで……ええ!?なんで指ワキワキさせてんねん!?ちょ、アカンてそれは!R18指定になってもうって!ウ=ス異本書かれてもうって!揉んでもあんまないから!」
「………らしいよ、ヘスヘス!」
「ふふん、語るに落ちたね無乳神!自らナイチチを認めるなんて!!」
「な、なんやてーーーーーッ!?裏切ったなアズにゃん!こうなったら逆にウチがアズにゃんの胸揉んだらぁ~~~ッ!!」
「初めてだから、痛くしないでね……」
「アカン、別の人に役割を委託しとうなった……」
「つまりこのキャロライン様の出番ね!!」
「チェンジでお願いします。ドスケベさんはお帰りください」
(何なんだこの展開は………)
= =
「ああ、その気配……見えなくとも分かるわ、貴方ね」
「……………」
「聞いたわ、黒竜を討伐したって。ふふ、無茶する子……いい仲間を持てたのね」
「あんたは――」
「ん?」
「あんたは、俺の事を……」
「憎んでないのか、と問われれば……ないわ。何度だって断言してあげる。あれは私の心の歪みが起こした事。むしろ、私の方が嫌われたと思って……」
「嫌いになれるか!!あんたは確かに間違ってたさ!でも……そんな事を言うのは、やめてくれ」
「………なら、誰も悪くなかったのよ。誰も間違ってなかったから……」
「……………」
「わたし、貴方に会えなかったらずっと変われなかったと思うから。苦しんで悲しんで、ずっと泣いていた貴方がずっと生きていてくれたから………だから、光を失って冒険者として戦えなくなった今に不満や後悔なんてないわ。だから……」
「だから、俺に俺のやったことを後悔するなと……言いたいのか」
「自分の立場を利用して子供の首を絞めた女に同情の余地なんてないわ。何なら、忘れてくれても………」
「そんな事を言う貴方は、嫌いだ」
「――ごめんなさい」
「謝る貴方も嫌いだ。……ああ、くそっ。こんな事言いに来たんじゃないのに……」
「当ててあげようか?」
「え?」
「俺の事はもう忘れてくれ………違う?そして私の答えも決まってるわ」
「嫌だ、か?」
「なんだ、分かってるんじゃない。イシュタル・ファミリアの元団長の勘を……いいえ、ママの勘を舐めちゃ駄目よ?アキレウス」
「あんたには……敵わんよ。目が見えなくなっても全く変わってない。流石は本気で俺の母親になろうとした女だ。一生、忘れられそうにない……」
後書き
リリ「最後の意味深な人誰ですか?」
アズ「作者曰くルペ・シノみたいな人だって。俺、ルペって分からんのだけど」
マリ「あたしルペは知らないけどこの女の人は知ってる。貧民街でよく子供をかわいがってファミリアに連れて行ってたらしいよ。近所のおばさんに聞いたんだ」
リリ「へー。子供好きなんですか?いい人じゃないですか」
マリ「でも連れていかれた子供の行方が一人として分からないから絶対に付いていくな、って怖い顔で念押しされたなぁ」
リリ「え、それって……まさか」
アズ「………あいつはあんまり詳しく話してくれなかったけど、まぁそういう事さね。心を病んでたらしい。ほんでオーネスト拾って、情が移って、心の病に向き合って……すれ違ったのさ。あいつがオーネストを名乗り始めたのはその後らしい。タルタルが教えてくれた」
リリ(多分イシュタルの事だけどひっどい仇名……)
今更になって振り返る『俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか』のお蔵入りネタ集
という訳で打ち切りエンドを迎えた私の過去作について話をば。
①名前だけキャラのトウテツ君とは?
アズがまだアズになる前に出会った異端児です。一言で言えば底抜けに明るい羊コスプレのショタ。アズともとても仲が良かったのですが、原作の異端児騒乱みたいなのが起きてアズは自らの手でトウテツ君を殺す羽目に陥りました。ちなみに首謀者はオーネストが「塵掃除」した模様。
アズにとっては隠れたトラウマになっていて、自分を屑呼ばわりし始めたのも死神っぽくなっていったのもその頃からです。ちなみに異端児からは仲間殺しと恐れられていますが、同じくらいアズも彼らに会うと古傷を抉られるので徹底的に距離を取っていました。それだけ二人は、仲が良かったんです。
②スクワイヤ家のその後?
実はオーネストのおじいちゃんに当たる人物であることが判明したシシド・スクワイヤ。もう名前覚えてない人もいそうですが、ココ主役の話で出てきたじいちゃんです。実は没話なのですが、シシドはもう一度登場する予定がありました。……敵として。
あの後「ラスボス」にスカウトされたシシドおじいちゃんは、息子を殺したのは神を絶対とする世であり、オラリオの夢を無責任に膨らませた冒険者だと考えるようになり、ラスボスから人外の力を受け取って若返ります。その後おじいちゃんは夜な夜な有力な冒険者を仕込み刀で殺害する闇討ちをはじめ、それに偶然出くわしたココが驚愕する事で物語が始まる……という話でした。
ココの妹分として登場したマナ・ラ・メノゥはここで活躍する予定で、他にもアキラ・スクワイヤと同じくオラリオドリームを掴みに来たおじいちゃんの弟子とそれを連れ戻しに行ったらいつの間にかファミリアに入れられていた弟子など登場予定がいくつかあったのです。途中からはガウルとかも合流して大騒ぎしてなんとかおじいちゃんを追い詰めますが、死の寸前にまで瀕して尚おじいちゃんの決意は揺らがず逃げて体制を立て直そうとします。
しかしそこで騒ぎに駆け付けたオーネストがおじいちゃんを一閃。最期にその一撃が息子のそれを受け継いだものだと確信したシシドは、孫にも会えて引導を渡されるのなら、悪い最期ではないと笑顔を浮かべて絶命する……という話でした。
③月狂浄蓮惨糸忌譚。
イマイチ出番の少なかった浄蓮さんの話。彼女は昔はファミリアでも何でもない娼婦だったんですけど、あるファミリアの団長さんに惚れて惚れられ相思相愛になり、そのまま二人で暮らそうと逃げ出した事があります。所がどっこい団長さんの主神は強烈に嫉妬深い人で、二人は捕らえられて団長は縛られたまま眼球だけ残して鳥に食い殺されます。眼球だけ残された理由は、彼の目の前で同じく拘束された浄蓮さんが胎のみを鳥に食われて泣き叫ぶ様を死ぬまで見せ続ける為でした。
その後致命傷のまま放置された浄蓮さんはオシラガミ率いるファミリアに助けられてそのまま彼女の傘下に加わりました。その胸に誓うは復讐。女の悦びを奪い男を殺した「簒奪の神、プロメテウス」を必ず殺すという固い決意でした。
そしてある日、そのプロメテウスがオラリオ内にいる事を知った浄蓮は復讐を遂げられると狂ったように笑いながら出奔。その翌日から町のあちこちで彼女がやったと思われる「身元不明な輪切りの死体」が大量に出現し始めることで物語が始まる、という話です。
この話ではベルやロキ・ファミリアのキャラなど既存のキャラに加えて別のオリジナルファミリアも話に加わり、彼女を探しつつプロメテウスの謎にも迫っていくというストーリーにする予定でした。
プロメテウスは実はもともとはヘファイストスの力であった「鍛冶の炎」を簒奪して自分の物とし、それを咎められて強力な封印を施されたまま堕天させられた元神です。最終的にはその強力な封印をラスボスが解いたことが後に明かされることになっていました。
そして浄蓮さんですが、隠されたスキル「月狂」によって満月の夜にだけステイタスが馬鹿みたいに跳ね上がるという力を用いて半ば暴走に近い形でプロメテウスと彼のファミリアを惨殺してしまうことで、ラスボスの名前までたどり着けないという構図にするつもりでした。尚、その後も浄蓮は満たされぬ復讐欲に暴走しますが、ティオナ・リュー・ベルを中心とした皆様の説得と、義手で糸を防ぐ事でとうとう彼女の無力化に成功したガウルの説得でやっと正気を取り戻し、改めて復讐の虚しさを認めて生きていく……ってな感じで終わるつもりでした。ちなみにここからガウルと浄蓮の関係が深まっていきます。
④目覚めよ、夜魔
はい、これも本編で出番イマイチだった勢の話で、ガウルの事ですね。実はガウルにはメジェドのファミリアになった影響で魔法が一つ発現していて、これが『闇食眼』と言います。簡単に言うとこの魔法を使う事でガウルは左の目に周囲全ての光を食わせ、自分は全て見えるけど相手には光を喰らった目以外何も見えないという空間を作り出す事が出来る魔法です。二つ名の由来はコレですね。
ちなみに吸収した光は右目からビームとして発射可能。その貫通力は普通にレベル6のエルフの魔法ぐらい威力出ます。ネタキャラかよ。
ガウルの過去話とかもあったんですよ。彼はオシリス・ファミリアというファミリアで団長をしていたんですが、ファミリアが拡大していくにつれて主神の心変わりに付いていけなくなり、更にある時ダンジョンで強力な敵に遭遇したさいに殿を務めた事で利き腕である右手を失ってしまいます。
主神から煙たがられ始めていた事もあって、これでガウルの団長としての地位も扱いも地に落ち、彼は追い出されるも同然でファミリアを追い出されます。腕がなくなって体も思うように動かず段々心が闇に染まっていっている所を助けたのが、メジェド様。そういうバックボーンのあるキャラだったのです。
なお、オシリス・ファミリアは後の最終決戦で敵側として登場しますがそれはまた別の話。
ちなみに最終話では自分の魔法をアズのせいで改造された義手のパーツによって増幅させることでとんでもないビームを撃ったり、敵に捕らわれたメジェド様を自慢の右手で助けて「腕があれば、貴方を助けることもできる」とか言ってメジェド様をトゥンクさせる話も用意してました。
⑤死望忌願の正体は?
あれの正体は、実は「現実世界で大多数の人間が持つ生死観」の概念の具現化です。
すなわちオラリオ世界では「死んだら魂が神に選別されて輪廻を巡る」というのが当然になっている事に対し、現実世界では神も輪廻も空想でしかなく実際には死ねば精神的にも物質的にも永遠にオシマイであるという意識があって、それを偶然人より強めに持っていたアズが奇跡的な確率で精神だけ世界の境界を超えてオラリオに辿り着いた際、思想が現実と逆転して死望忌願が現れたって事になっています。アズでなくても持てる可能性があったことはたしか本編でちょびっと示唆したと思います。
つまるところ、オラリオ世界は現実の反転世界であり、アズの肉体は未だに現実世界にあるんです。オラリオでアズに肉体があるのは、反転世界の法則が働いたせいで逆説的に肉体が構成されているのであって、例えばオラリオ世界の人間が現実に行くと肉体があるのに肉体が消滅するという逆転が発生するのです。二つの世界をそういう関係性として設定してました。
⑥ラスボスって結局誰やったんやという話。
アフラ・マズダです。天界で彼と入れ替わってたのは彼の力を分割して生まれたスプンタ・マンユ(アンラ・マンユも同じルーツにしてる)で、当人は地上で色々と見分を広めていた訳です。
アフラ・マズダは前から「裁定者」としての意識を強く持っており、天界のルールや神の在り方にも裁定者として懐疑的でした。そして地上を回って悪神だけでなく中性、善性の神さえ無自覚の悪行を巻き散らしている現実を見て、彼は神に見切りを付けます。
神を滅ぼし、人の世界に再構築する。そのために全ての地上の神を、ひいて彼らに毒された哀れなファミリアを完全滅却し、アズの世界のような神なき世を創生せんと暗躍を続けていたのでした。天界のチェックを潜り抜けて地上にいるので神の力は使い放題、手の広さも滅茶苦茶で、しかし心の底から人間の事を愛しているという点だけは純粋な神です。すべてが終わりし後は自分自身も神の力を全て捨てて一人の人間となる算段までつけてました。
そしてその姿は純粋な少年そのもの。
ちなみにコイツ、アルガード事件を陰で操っていた奴と同一人物どころかアズが街で見かけた「幽霊っぽい不気味な少年」がその張本人です。彼はあちら側から来たアズに並々ならぬ関心を寄せており、その為に直接彼を見に来ていたのでした。
⑦それそこに魔王がいるよ。
本編の最後らへんでアズと魔王が会って仲良くなっていたみたいな事を書きましたが、そこにも色々ストーリーがあって、アズは最終的に「もしも魔王が地上に上がったら誰も傷つけさせないけど、代わりに魔王も全力で傷つけさせないよ」みたいな約束をし、その証に力を込めた守護の鎖を魔王に渡します。
魔王は元々精霊で、神の傲慢に不満を抱いて人を助けるうちに一つの勢力として大きな力を持ってしまった存在です。それゆえに神に「下っ端の癖に神と同等など許せない」と理不尽な力でねじ伏せられ、彼女は「穢れた精霊」として人間の文化文明から徹底的に抹消されてしまった過去がありました。
神に潰され人間からも否定された彼女ですが、その在り方が逆に神への弑逆という思いを集める器となってしまい、ある時その神に匹敵する絶大な力が発現します。これがダンジョン誕生の原因です。
三大怪物は全てが「神殺し」の為の切り札で、それ以外にも魔王自身が膨大な力を貯め、更には人間を配下にしたり人の要素を持った新種の魔物を創生したりと神々の黄昏に向けて全力で準備していました。元は神の僕であるという意識から、神へは憎しみ以外に羨望などの愛憎入り混じった気持ちを持っています。
で、そんな神さえ慄くアズが「守ってあげる」と言ってくれたのが彼女にとっての1000年ぶりの人間からの掛け値なしの善意だったので、コロっとアズを気に入ってついつい約束を受けてしまいます。その後何度か「オラリオに現れた亡霊」という都市伝説みたいな感じで地上に顔を出しています。もちろんアズはお気に入り。これが後のストーリーに大きな変化をもたらします。
さて、この辺までの全ての話を通過していよいよ⑧の最終話構想に至る訳ですが、長くなるので分割させていただきます。続きに興味のある人がいるかどうかはさて置いて、続きはそのうちに。
続、お蔵入りネタ集
アズの力、説明漏れ一覧
『断罪之鎌』
死を司る存在、死神の象徴としての鎌。鎌に刈られれば魂を失うという共通イメージが強く反映された結果、「魂の切断」という概念を得た。いつだか話した通り、これは型月の「直死」に近いレベルの力で、魂の欠損は「魂の再構成」といった出鱈目な力でもない限り永遠に修復されない。
また、切れ味は絶対で放たれれば防御不可能。これは「死は不可避である」というイメージが具現化したものであるため、避ける以外のあらゆる選択肢が意味をなさない。
『選定之鎖』
死へ至る因果、罪の象徴としての鎖。罪は人を追い、どこかで必ず追いつくという逃れ得ないイメージが強く反映された結果、「捕縛」の概念を得た。ただし、完全な不可避ではない為に断罪之鎌と違って絶対の力はない。また、鎖自体が何かと何かを繋げるものであるため、あらゆる存在と接続、追跡が可能。どこまでも追いかける反面ですべての罪が絶対ではない事の示唆にもなっている。
『徹魂弾』
死を拡散する力、殺人の象徴としての銃と弾。人は銃で撃たれれば死ぬという安易で現代的な死のイメージが強く反映されている。避けられないというイメージによって断罪之鎌より回避が困難になっているが、その威力という点では劣る。弾丸が命中すると相手と消滅するという「手加減が出来ない」力でもあり、安易な殺害手段は力としては使いづらいという現実的で融通の利かない力。
『贖罪十字』
死を前にはすべてが無意味である、というアズの個人的な人生観の具現化としての十字架。本編で説明した通り、十字架に触れたものの概念的な「意味」を無とする。また、背負うことと捨てることと壊れることの意味は以下の通り。
十字架を背負う=あちら側の存在でありながら、オラリオ側の存在になるという矛盾を抱えて生きる事。イコール、現在のアズの延長。今のままであることが良いことかどうか、それは誰にも分からない。
十字架を捨てる=あち側の世界と完全に決別し、矛盾なくオラリオ、或いはあちらの側の存在になる事。『死望忌願』の力は永遠に失われるが、世界の在処を正しく認識した個人に戻れる。ある意味精神的には最も割り切った答え。
十字架が壊れる=
最悪の結末。世界の穴を塞ぐ存在であるアズが「全てを投げ出して死の悦楽に沈む」、つまりすべてを投げ出して死ぬことによって成る。これはアズが無意識に抑えつけていた死を望む思いが世界の穴から完全に開放され、あちら側の死がこちら側の死に雪崩れ込むという「危険な存在でありながら責任を放棄」した結果として現れる。
オラリオ含むこちら側の世界全ての生きとし生ける者すべてが死こそ永遠の消滅であり、逃れるすべがないことを知る。これによって大多数の神が発狂し、大多数の人々がそのイメージに耐えられず精神崩壊し、人類も神も集団自殺や殺人へと走る。雰囲気的にはイデエンド、或いは人類補完計画発動エンド。
ちなみにこのエンディングに到達する可能性をオーネストは知っていて、当然の如く発狂しない。
このエンディングの最後は、フレイヤが発狂してオッタル以下ファミリアに人類の皆殺しを命じたり、ロキが「永遠から解放される」とアズに感謝したりと街が混沌の坩堝と化す中、狂気と自棄でオーネストを殺そうとした人々を皆殺しにした死体の山に腰かけたオーネストが空を仰ぎ、「アズ、お前本当にこれで良かったのか……?」と言い残すことで終了する。
ちなみに皆殺しエンドではなく、それでも生きる希望がある人々が集ってダンまち世界は新たな生死観で文明のやり直しをすることになる。ちなみに魔物はすべて例外なく自傷で死ぬ。
(7.5) 最終決戦前の小話
アズが本編内でオーネストと別れるような不吉な予感を感じていたのを覚えてますか。実はその思いは本来黒竜との戦いの後にさらに強まっていくことになっていて、黒竜戦以降のアズはまるで自殺前の身辺整理のようにオラリオのあちこちに行ったり普段それほど話さない人と小難しい話をしたり、知り合いを全員呼んで記念撮影したりとします。
が、今まで以上にのんびりしてるようにしか見えなかったため、オーネスト以外はその事に疑問を覚えることはない……ってな感じに描写するつもりでした。
⑧最終決戦構想
人類滅亡計画の最期の詰めとしてアズの力と「こちら側とあちら側の隙間」を欲してアフラ・マズダはアズの拉致を決行します。
で、ここから重要なのですが、実は本来の構想では黒竜との最終決戦ではオーネストは自分がアキレウスであることを認めるには至らず、黒竜と全力で殴り合った末の引き分けで終わる感じになっていました。その後黒竜が人化するのも魔王の話の後の事で、「/ /(超えてはいけないライン)」も超えてない状態でアズと一緒に襲撃を受けます。
精神的に脆い部分を補いきれなかったオーネストはアフラ・マズタのリミッターが外れたファミリアの圧倒的な力を前にアズを援護する余裕がなくなり、アズも魂の摩耗という欠点を突かれてとうとう力尽き、拉致されてしまいます。この戦いにはゴースト・ファミリアのメンバーとしてココとヴェルトールが参加していましたが、ココは剣が折られて敗北し、ヴェルトールは瀕死の重傷を負い、他の面子が駆けつけた頃には傷だらけで慟哭するオーネストしか残っていないという有様でした。
この後オーネストは黒竜後編の精神暴走状態と同じような精神に陥り、アフラ・マズタの軍勢に一人で立ち向かって果てようとします。これはオーネストの「何もうまくいかない人生」という人生観にとうとうアズも呑まれ、箍が外れてしまったという感じです。
しかし、これにメリージアが「こっちはまだ希望が残ってるのに、一番諦めの悪いオーネスト様が先に諦めてんじゃねえッ!」とビンタ。オーネストにぞっこんなリージュも「不幸になる事と不幸を気取る事は違う。今のアキくんは手に届くものを勝手に届かないと思って不貞腐れてるだけだよ」と敢えて突き放すような言葉を送ります。
アズ一人いないだけでオーネストというペルソナが崩れていく中、最後にオーネストを止めたのはティオナ。ティオナはオーネストが嫌いでしたが、嫌いな本当の理由は「オーネストは戦いが泣くほど嫌いなのに戦っているのが嫌だった」からだと告白し、今のオーネストを見て「オーネストは本当はアズを助けたい筈なのに、それから目を逸らして戦おうとしている。望まない戦いならもう戦うな」と彼を引き留めます。ティオナとしては、「これ以上オーネストが戦って負ければ、今度こそオーネストは二度と立ち直れなくなってしまう」という純粋な心配だったのですが、ここでオーネストはついに自分と向き合います。
不幸だとか手が届かないとか、関係ない。
オーネストはアズを助けたい。手遅れであったとしても、それは本心だ。
だから、オーネストは誰の為でもない、自分が「得る」為の戦いをしようと決心、覚醒します。
ちなみにこれのせいでティオナがオーネストを嫌いな理由がなくなってしまって二人の仲が急速に縮まったりするのですが、それはさておき覚醒オーネストは自分が元テティス・ファミリア団長の遺児であることを大々的に公開し、アフラ・マズタが神類滅亡の初めとして間違いなくオラリオを潰しに来る事を断言します。そして、それを迎え撃って望む未来を掴みたいなら、全員で戦えと演説します。
ゴースト・ファミリア、ロキ・ファミリア、イシュタル・ファミリア、ヘスティア・ファミリア、ヘファイストス・ファミリア、ガネーシャ・ファミリア、そしてフレイヤ・ファミリアは即答でオーネストの下に集い、それに感化された他の全てのファミリアがアフラ・マズダ迎撃の為に一丸となります。
その後は戦いの前準備にオラリオは湧きます。その陰で情報屋ラッターはオーネストの為にアフラ・マズダの本拠地を探りますが、深入りしすぎて殺されてしまいます。しかしアズが作った彼の義指に情報の欠片が隠されており、これを見つけたオーネストがガンダールと共にオラリオ内の「掃除」を行ってとうとう本拠地が判明します。
余談ですが、ラッターは途中でこれ以上深入りすれば死ぬだろうという確信がありながら、それでも追いました。
ラッターは、誰も必要とせず誰も信じないにも関わらずその周囲に人が集まるオーネストに対する憧憬を抱いていました。ラッターも同じ生き方をしたのに、彼にとってはオーネストのそれは輝いて見えたのです。そして惨めな人生を送っていた自分も、オーネストの近くにいて、オーネストに覚えていてもらえれば、その一度の光さえあれば惨めな過去を忘れて死ねる。もう悔いはないと考えていました。
ラッターはオーネストに丁重に葬られ、立派な墓を建てられました。
以下、ちょっと気分が高揚してきたので書いてみる。
「――重要な報告が、いくつかある。傾聴してくれ」
重苦しい声が館の広間に響く。普段は碌に使われない大きなテーブルや椅子を運び出して臨時会議室と化したそこには、オーネストに近しい人間や主要なファミリアの主神や団長クラスの人間が集まっている。その全員の視線がアキレウス――もとい、オーネストに注がれる。
「まず、俺にとっての懸念事項……アズライ―ル・チェンバレットの生死だ」
「オーネスト様!アズ様は………!!」
メリージアが震える声で、縋るようにオーネストを見つめる。彼女の両手はリリとマリネッタの小さな手と繋がれ、マリネッタは今にも泣きだしそうだ。リリも懸命に平静を装ってはいるが、足が微かに震えている。
リリはアズがいなくなった後、オーネストに自分を鍛えるよう土下座して頼み込んだ。それに対するオーネストの返答は、「この短期間で実力をつけるなら、お前の魔法を伸ばすしかない」というものだった。変身魔法シンダー・エラ――その根幹や本当の使い道までを叩きこまれた今のリリはレベル3程度のモンスターの技を全て扱えるという異質な成長を遂げた。それでもなお、彼女の内心は「こんな努力をしてもアズが死んでいたら意味がない」という不安との戦いの連続だった。
ここでアズが手遅れであれば、もうリリは折れるだろう。だからこそ、アズの悪運を信じて彼女は気丈にもオーネストの言葉を待った。
「単刀直入に言うと、生きている。どんな状態でかは知らんが、少なくとも連中はアズを死なせていない――より正確には、アフラ・マズダの計画を成就させるために『死なせてはならない』」
「ちっ」
「舌打ちは止めなさいフレイヤ、みっともないったらありゃしない」
「うっさいわね殺すわよイシュタル。で?あの黒コートカサカサ野郎を死なせてはならないって何?」
「あいつはアズを中継点に、『あちら側』から力を得るつもりだ。いくら奴が神であっても所詮は数多いる神の一人……全神の滅亡を図るためには別ベクトルの、それこそデストルドウに匹敵する力が必要だった、んだが………」
オーネストはゆっくりと周囲を見渡す。ぶっちゃけ神以外全員が話についてこられていない。というかアズの無事を知って安堵しすぎて何人か既に話を聞いていなかった。後者は見逃してやるとして前者を放っておく訳にもいかない。
「簡単に言うと、アズを生贄に儀式をしてパワーアップ中という訳だ」
「それは……もしかして殺生石の儀式のような?」
イシュタルがぽつりとつぶやき、春姫の尻尾がびくりと震える。殺生石の儀式は、その詳細を当事者以外は誰も知らないが、生贄と儀式、そして名前の不吉さから幾人かはその言葉の意味を察する。オーネストはそれに少し考え、首を横に振る。
「同じなのは力を得るという点だけだ。仕組みとしては全くの別だな。殺生石は魂を石に押し込め、その石を分割して周囲に渡すことでパワーアップするもんだが、アフラ・マズダのそれはアズを起点に別の場所から力や法則を引きずり出すものだ。殺生石の儀式が狐人の犠牲なしに成立させられないのと違い、アズのそれはアズが生きていなければ絶対に成立しない。逆説的に、連中はアズに死んでもらっちゃ困るという事だ。無論無事とはいくまいが、奴は絶対に生きている」
「つまり?」
「敵の大将はオーネストから力を頂いてるんだから、アズを確保できれば人質救出に加えて敵の戦力ダウンにもなるってことだ」
少なくともここで、アズ救出という明確な目標と正当性が周囲に認識された。
「だがよぉ、オーネスト。あの鎖野郎が生きてるのはまぁいいとして、ソイツがどこにいるのかが分かんねぇと計画は元の木阿弥だ。場所は知れてんのか?」
壁に背を預けていたベートがゆっくり目を開いて問う。返答は早かった。
「場所は知れた。俺たちオラリオの人間や神に感知されず、なおかつオラリオを滅ぼすのに都合のいい、謎の本拠地の場所がな」
「我々に見つけられないというのは分かる話だが、オラリオを滅ぼすのに都合がいいというのはどういう事だい、オーネスト?敵は近くにいるとでも?」
「いいや、敵は本拠地を船のように動かしているという意味だ。あちらの都合のいい時に現れ、一方的に攻撃できる。なんとも都合のいい本拠地を作ったものだ……場所の説明の前に、連中が神出鬼没だった理由も説明しておくか」
フィンの疑問に答えるように、オーネストは懐から大きなコインを取り出す。オラリオで一般的に出回る硬貨ではなく、その面には魔法陣のような複雑な彫刻が施されている。少なくともそれにアイテムづくりに造詣の深いヘルメス達が反応した。
「転移術式……か?」
「驚いたな。まさかそれを完成させ、生体テレポートまで成功させ、おまけにそこまで小型化していたなんて………」
「ご名答。神の力も関与してか、連中はそれを魔法具にまで落とし込んでいたらしい。だから連中は本拠地からオラリオまで一瞬でたどり着ける。道中を気にする必要もない。元が神出鬼没だから兵糧攻めも効かないし隠密行動し放題だ」
「インチキだぁ」
ココのボヤキに周囲も内心で頷く。そんな技術があっては尻尾を掴む方が無理だ。今は亡きラッター・トスカニックの情報屋としての尋常ならざる嗅覚と執念に、面識のある面々は静かに敬意を表した。彼の足掻きで辛うじて繋がった糸を、オーネストたちは歩んでいるのだ。
「そして問題はそのワープ先……それは天界と地上の合間、星に縛られし神々の盲点。そしてフレイヤでさえ容易に気付くことは出来ない分水嶺……」
一幕置き、オーネストは意を決したように真実を口にした。
「連中がいるのは宇宙だ。魔法で構築した移動要塞を衛星軌道上に乗せて、ずっと俺たちを見下ろしていたのさ」
対し、周囲の反応は。
「ウチュー?エーセー……キドージョー?」
「それは、馬車で何日掛かる場所なのだ?見下ろしていたという事は標高の高い山の上か?」
「移動要塞ってんなら要塞なんだから元から高いんじゃねーの?」
「馬鹿、そんなバカでかいものが動いてたら否応なしに噂になるわ!」
「オーネスト、案内して。わたしちょっと行って見て確かめてくる」
「…………………」
オーネストは膝から崩れそうな自分の体をしっかり支えた己の大幹を内心で褒め讃えた。
「あの、ごめんオーネスト。今のは君の説明の仕方が悪かったと思うナ」
「せやな。地上の子供らは宇宙とか衛星とかなんのこっちゃな話やし」
「成程、宇宙とはアフラも考えたものね。それだと高高度からなんでもやり放題、おまけに今の人類は飛翔靴でフラフラ飛ぶのが限度だもの。まさに今の文明では太刀打ちできない最高の移動要塞よ」
「くそっ、こんな時アズなら二の口なく理解したうえで通訳してくれるものを……!!」
思わぬところで友達の不在が響くオーネストだった。
その後、様々な試行錯誤の末にオーネストは遂に真実を伝える事を諦め、「ものすごい空の上で天界のギリ下くらいにあるので飛んでいける距離じゃない」とか「上の空は海の中みたいに空気がない」とか必要最低限な情報を微妙な嘘を交えながら説明した。
ティオナが「泳いでみたい」と言ったので殴った。泳いではいけない理由を説明するのに更に時間を要したのは余談であり、のちにオーネストはこの日を「人生で一番多くの嘘をついた日」と振り返ることになる。
次回、気分が乗ってまた文章書き始めなければ最終回。
後書き
要塞の名前はガガーリン。嘗て、宇宙に神がいると信じた者の幻想を打ち砕いた男の名。命名、オーネスト。
ちなみに宇宙の事を誰もわかってくれないっていうのは私の愛してやまないアニメの一つ、「ガン×ソード」のネタのオマージュです。敵の本拠地を宇宙に設定したときに「やるしかない」と思いました(笑)
続々とお蔵入りネタ集
最終回を前にしてまだ没ネタを思い出すスタイル。
EX①ミックスポーション動乱
ミアハの独占状態だったミックスポーションを、それとは知らず、しかもミアハのよりはるかに低コストで開発に成功したアズ。これを知ったディアンケヒト・ファミリアと独占が崩れるとマズイと焦ったミアハ・ファミリアが入り乱れて大変なことになる……というショートストーリー。ギャグ系。
EX②幻覚の破り方一覧
昔よくあった感じに、「不自由ない理想の世界」の幻影に入り込まされたゴースト・ファミリアみたいな話。あんまり細かい所は決めてなかったんだけど、オーネストだけは「理想の世界」に存在する森羅万象を偽者と断定して破壊しつくすことで解決しようとして、友達とか母親とかを一切躊躇なくバラバラ惨殺死体に変え続けてる途中でアズが助けに来て、オーネストの狂気を垣間見たアズが流石にドン引きするというのを考えてました。
ちなみにこれはアフラ・マズダがアズの「あちら側」との繋がりを調べる為に術者をけしかけたものです。
EX③異世界オーネスト
黒竜討伐からアズとの再会までの間に存在した外伝ストーリー。黒竜の呪いの解除に伴う神力の暴走によって並行世界に行ってしまったオーネストがひたすら首を傾げるお話な気がします。
オーネストのいない(原作寄り)世界のロキ・ファミリアは微妙に弱く、特にオーネストの記憶と照らし合わせるとベートがかなり弱くて「お前弱いな」と言ってしまいブチギレさせたりします。他、ティオナが普通に友好的で「え、何こいつキモッ」と言ってブチギレさせたりもします。特にオチなしお遊びストーリーです。
EX④オラリオゴッドファーザーズ
オーネストとアズが赤ん坊を拾ってファミリアと一緒に親を探す話です。オーネストが誰お前と思うぐらい赤ん坊に優しく、逆にオーネスト以下他の面子がオーネスト不在時にものすごく困るという珍しい光景を繰り広げます。
何故オーネストが赤ん坊に優しいのか、それはオーネストなりの「大人観」が影響していて、最終的に母親を見つけて彼女が赤ん坊を捨てた事を知ると、彼にしては珍しく感情剥き出しで激怒してガチ説教をかます……そんなストーリーです。
EX⑤結成!ヘスティア・ファミリア!
外伝と大分違う方向に向かっているベル以下数名がなんやかんやあってヘスティア・ファミリアに集結してチームになるお話です。原作とは違う流れながら同じ面子がゴースト・ファミリアの影響を受けながら強くなっていきます。
なお、この話でははて迷の更に外伝としてちょびっと書いた(没ストーリー倉庫にまだ残ってる)オリファミリアのキャラがライバルポジとして登場したりとかいろいろする短いストーリーにするつもりでした。
話し忘れ設定:メリージアがメイドになるまで
オラリオにはメイド育成学校(オリジナル設定)がありまして、ファミリアとはまた違った独立組織として勢力を持っています。アズはそこの校長を務める謎のメイド「ケロケロ仮面」とミアさん経由で知っていて、とりあえず当時女性として色々終わってたメリージアを更生させようとそこに預けました。
そこでメリージアは野良猫みたいに暴れてはケロケロ仮面校長にしつけを受けてメイドとしての技能を習得していき、しかし物覚えが良かったために接客態度以外の全ての技能を見事習得しました。
ケロケロ仮面は可愛らしいカエルのお面をかぶったスタイル抜群色白メイドですが、その正体は天界の激務に耐えかねてこっそり天界と外界を行き来する冥府の女神ヘカテー。死は永遠の停滞であるため、ヘカテーは自分の時間を停滞させることで疑似的に神力を封じ、更に停滞の力を利用して天界と外界の時間の流れをズラすことで天界にバレずに地上で休暇を取りつつ、眷属ではなく教え子としてメイドを育成しています。
Q.冥途とメイド、かけてるの?
A.この世界のヘカテー様はしょうもないギャグがお好きです。
Q2.何でケロケロ仮面やねん?
A2.へカテーと名前が似たエジプトの女神「ヘケト」がカエル顔なため、他の神へのカムフラージュもかねて態とカエルの仮面をかぶっています。なお、当人はカエルの仮面をお気に入りの模様。
前回の続き。
アフラ・マズダ率いる軍勢の本拠地は、なんとオラリオ世界では概念さえ碌に知られていない宇宙だったのです。しかしながら、宇宙ってどゆこと?宇宙は極寒という言葉が生易しく思える程寒かったり真空だったり宇宙放射線やら何やらが荒れ狂っていたりと、とてもオラリオ世界の技術力で恒常的にいられる場所ではありません。ではアフラ・マズダはどうやってそれを用意したのか?
その答えは、ダンジョンにありました。
「そもそも、ダンジョンで取れる素材、生まれる魔物、その全ては魔王の力を基にダンジョンという機能そのものが作り出している物だ。誰も気にしちゃいないようだが、壁から魔物が出てくるってのは『壁の組成が魔物に変わってる』んだ。貴重な素材を取り尽くしてもしばらくすれば再生するのは『ダンジョンから原料を取り込んで再生させている』からだ。有機物とか無機物とか原子だとか、そんな問題を超越してる不確定物質………詰まるところ、ダンジョンを構成する岩盤や地面ってのは、その操作方法さえ解明出来れば『万能のマテリアル』なんだよ」
これはオーネストの為に命を賭し、散ったラッターの情報を基にオーネストが推理した内容でした。今は亡き彼はアフラ・マズダを探るうちに不自然な煉瓦屋の存在に気付き、そこを起点に敵の居場所や移動手段を掴みました。
実はこの煉瓦屋、ちらっとですがアルガード編で登場してます。新聞連合のパラベラムが道を聞いた人です。そもそも粗方開発の終わったオラリオで煉瓦屋なんてそうそう儲かるものじゃないので怪しかったみたいです。この煉瓦屋には転送魔方陣に加えて地下直通のトンネルが存在していて、それを調べた結果、ユグーとキャロラインがダンジョンで偶然発見したビスマス結晶的な穴が採掘後であったことも判明しました。そこまで分かれば後はオーネスト特有の何でそんな事断定できるんだよって聞きたくなるのに最終的にはど正解な直感推理で判明する訳です。
ここからオラリオはアフラ・マズダの眷属を結界で物理的に遮断し、迎撃態勢に移ります。
まずオーネストは、術者として異端手前のガンダールや術に造詣の深い神々を集めてバベルを改造。大気圏外からの攻撃を想定した様々な仕掛けや術をフル動員で挑みます。これに関しては天界から神の知恵を使うなと文句が来ますが、オーネストは「これが失敗すればオラリオは滅び、次の標的は天界だ。守られている分際で文句を言うな」と文句を一蹴。天界は渋々ながら人類文明に損害を与えない範囲で神の力の開放を許可します。
街は避難したい人間は避難させ、戦力にならない下位冒険者や一般人は次々に疎開。アフラ・マズダの作る世界はあくまで人間の為の世界であるため、無理にオラリオに残って死地に身を投じる必要はないという判断です。これによって去る者もいれば、残る者も多く出ます。
各ファミリアはファミリアの利害の枠を超えてダンジョンでのレベリング、素材集め、各々の鍛錬などでギリギリまで鍛錬。ガウルや浄蓮、ベル達もそれに加わります。リリはそれに付き合いながらもオーネストに変身魔法の教えを請い、めきめきと実力を伸ばします。
ココはオラリオを出て一度スキタイの魔地とされる「タルギタオスの断崖」へ赴きます。ダンジョンの魔物に匹敵する「何か」が蠢くが故に存在そのものがスキタイに秘匿された地で、ここに踏み入って生きて帰れた者はなく、しかし最深部にたどり着いた者はスキタイの王の資格を得るとされています。
黒竜戦から力不足を感じていたココは、今一度自分の戦う理由を再確認するために一人でここへ向かいます。一応連絡役兼移動用テイムモンスターを連れたガネーシャ・ファミリアの人が近くまで同行しましたが、彼女は果たしてアフラ・マズダ襲来までに生きてオラリオに戻れるのか……。
ヴェルトールは重症から回復しましたが、彼は他の誰よりもアズとオーネストの助力が出来なかった自分を責め、そしてオーネストが腹をくくった事を知って自分も本気になる必要があると思います。彼は病み上がりの体を起こし、もうずっと帰っていなかったアルル・ファミリアのホームへ向かい――そして、完成人形の開放を決意します。
リージュは黒竜戦で契約した精霊と意識を交わすことで氷の力を極限まで高め、どんどん人外染みた力を発揮するようになっていきます。精霊も世の理そのものを変えようというアフラ・マズダに思うところがあるらしく、その力はレベル7の領域さえ超えようとしていました。
ユグーは、自分が何者なのかを知るために動いていました。そして偶然にもガウルの伝手で「ラプラスの一族」と呼ばれる特殊なエルフの一族と接触します。ちなみにこのエルフは没ストーリーにあるはて迷外伝に登場した少女だったりしますが。この一族は人類史の監視、記録者で、Dグレで言えばブックマンみたいな連中です。
彼女の言によると、ユグー・ルゥナという名前と性格の人間は人類史でその存在が確認されて以来常に世界のどこかに自然発生的に存在し、常に「結果的には人類存続に貢献」してきた存在だといいます。その歴史は古く、初めてその存在が特別な存在だと認知されたのはダンジョン発生時だといいいます。また、そのすべてのユグー・ルゥナが出自の知れない存在だったといいます。
ラプラスの一族の見解によると、ユグー・ルゥナは人類が続くことを願う思い、神に頼らず生き続ける人間の希望が注ぎ込まれた「器」であると考えられています。そしてユグーがゴースト・ファミリアにいる理由は恐らく、オーネストとアズという二つの存在が人類の今後を大きく左右するからだろうとエルフは言いました。
ユグーはそれが納得できませんでした。自分の意志だと思っていたのが自分の意志ではない。なまじ「集合無意識の声」を聞いているが故に、余計に受け入れがたかったのです。ユグーはユグーで、オーネストを気に入りその傍にいたのはユグーがそう思ったからです。
端的に言うと、ユグーはイライラしていました。何で自分がそんな事にかかずらわなければいけないのか心底理解できませんでした。そんな折、ユグーは本業の冒険者補助の帰りのキャロラインに会います。ユグーが浮かない顔をしていることに気付いた彼女と二人で酒を呷り、ユグーはキャロラインの身の上話を聞かされます。
曰く、彼女は混血の里に生まれた様々な種族の混血児であり、あらゆる種族の特性を遺伝子に持っている代償に極めて子供の出来にくい体らしい。だからこそ彼女は余計に肉体関係を欲し、快楽によって生きる実感を得たいのだという。後世に残すものがないのは、ユグーも同じ。見つめ合う二人。そして……。
「いや、でもやっぱりアンタはないわ。ぜんっぜん好みじゃないし」
「俺にモ人ヲ選ぶ権利ガあるぞ」
人類の大半にとって美しく実際に男女問わず様々な人を魅了したキャロラインに性欲も恋愛感情も抱かないのは、誰の意志なのか。それはきっと今、ここで酒を飲んでいるユグー・ルゥナに違いないのだ。そう思ったユグーは、翌日にオーネストに眷属化を頼んだ。
背に刻まれた「Cogito, ergo sum(我思う、故に我在り)」の文字と共に、ユグーは一人の人間として改めてオーネストについてゆくことを決めた。
後書き
あとはフーの物語を通して最終決戦。何故今回フーを入れなかったのかというと、長くなりそうだったからです。
もうちょっとだけ続くお蔵入りネタ集
前書き
何故か日間2位という過去最高の場所に来たので投稿。(H30.5.24)
喋り忘れていた気のする話① オーネストの容姿
何で物語の中で大半の人がオーネスト=アキレウスだと気付けなかったのかという話を誰もツッコんでくれなかったので大変寂しい思いをしたのですが、これにも一応理由があります。10歳の時のオーネスト(旧アキレウス)は、現在のオーネストと違って碧い瞳に茶髪の少年でした。しかし例の事件があり、養母であるテティスに神の血を注がれたせいでオーネストの魂が変容。更に事件後に世界最低レベルまで治安が落ちたオラリオの裏道から脱出できないままもがき続けたオーネストの体は1週間に1,2回は死にかける生活を送っていたため、肉体がどんどん破壊されては新生を繰り返すうちに、外見が混血となった魂に引っ張られる形で変質していったのです。
作中でも何度か言及した気がしますが、オーネストは異常なまでの美形です。で、その理由が魂の変質。もしオーネストがアキレウスのまま普通に育っていればそれはそれでイケメンにはなりましたが、テティスの力が混じったオーネストの顔は骨格の成長にも多少影響が出て、テティス(言わずもがな超美人)の姿に引っ張られています。そのせいで成長するにつれてオーネストの顔からアキレウスの面影は消えていき、今ではエルフでさえ美形だと思う程の容姿へと変化してしまっています。
ちなみにオーネストの肉体に傷跡は一切ありません。存在における魂の割合が強すぎる為、肉体が魂に引っ張られて最終的に傷をなかったことにしてしまうからです。オーネストが自傷的な戦い方をする理由の一つです。幾ら傷ついてもなかったことにしようとする小綺麗な体が気に入らない、ってな所です。
喋り忘れていた気のする話② オーネスト、オートモード
オーネストの体に注がれたテティスの血は、オーネストの命を保ち、オーネストの傷を癒し、しかし本質的にはオーネストを戦いから遠ざける為に作用しています。オーネストの異常な再生能力の代償として伴う痛みは、痛みを忌避して欲しいというテティスの願いの一部の具現でもあります。そしてオーネストも知らないテティスの最後の切り札が、オーネストの自動自己防衛システムです。
これは単純な仕組みで、オーネストの心や環境が完全に戦えない状態になった際に自動的に発動し、オーネストの肉体を動かして敵を退けながら生存するよう行動させるというものです。ちなみにオーネストはそのシステムの存在にはあまり気付いておらず、ただ自分の向死欲動に向かっているのに上手くいかないものと思っています。過去に意識のないまま黒竜の顎を蹴り飛ばしたのも、このオートモードのせいです。
逆に、そんなものの存在に気付かないオーネストという男はこのオートモードを発動させたことが殆どなかったりします。そうまでしてオーネストに生きて欲しかったテティスですが、オーネストにとってそれは呪いに等しいものでもあったのですね。
前回の続き。
戦闘能力の低いフーは防具を作ることでしか周囲に貢献できない事を自分でよく理解していました。そして最終決戦で自分が本当に出来る事とは何かを考え、禁断の発想に至ります。
それは今までしてこなかった剣を打つこと。それも並大抵の素材ではオーネストもといアキレウスの戦いについていけない。ならばそれを作るための素材は究極の素材――黒竜のマテリアルに外なりません。魔物の素材を武器に転用することはよくある事ですが、それが黒竜となると人類の誰一人として経験したことのない加工となります。
フーはシユウ親方に許可をもらい、専用の工房に籠って剣を打ち始めます。しかしそれは地獄の始まりでした。黒竜の素材はそれ自体が神を殺すための呪いの集積体、つまり呪物です。近くにいるだけで人を狂わせるそれを直接手にして加工するフーの精神に想像を絶する負荷が襲い掛かります。
幻覚、幻聴、発熱。激しい神経の痛み、或いは無痛状態という異常。優しかった筈の性格も狂暴性や残虐性を頻繁に思い浮かべるようになり、食事を運んでくれるミリオンが「もうやめた方がいいんじゃない?」と本気で心配する程に身も心もボロボロになっていきます。
しかし、フーの心の底にはいくら自分が限界に近づこうが決して譲れない鋼のように重く硬い信念が横たわっていました。オーネストの為の剣を打つ。オーネストが叶えたいあらゆる我儘に最後までついて行ける、世界で最も気高く鋭い剣が欲しい。
誰かの為に想いを込めて武器を作る。シユウ・ファミリアの最も基本である精神だけを支えに、半ば自分が何をしているのか分からなくなりながらフーは命を削るような鬼気迫る勢いで剣を打ち続け――数日後、剣の完成と同時に力尽きるように倒れました。
ほぼ飲まず食わずで呪いに耐えながら職人としての全てを出し切ったフーの顔は、晴れやかでした。ちなみにこの後フーのファンたちが彼を看病して二日後には目を覚ましました。
出来上がった剣は、光を吸い込むような全く光沢がない片刃の刃。
形状はどこか歪で、どこか原始的でありながら完成された印象の造形でした。
完成した剣を受け取ったオーネスト曰く、「これを剣の形状にするには一人でバベルを建築するぐらいの精神力が必要」、「普通なら完成より前に気が狂って自殺するか、完成した後に剣の呪いにあてられて殺人鬼になる」、「フーのレベルはこれを完成させた時点で既に一つ上がっている」、「人類史に残る最強かつ最悪な武器で、多分今の時代だと俺以外には扱えない」とのこと。
「銘はどうしよう」
「付けるな。付けてはならない」
「え、何で?」
「黒竜の体の一部を凝縮して作った剣だぞ。形ある呪いと言っていい。もしこんな代物に名前の一つでもつけてみろ、その名前は後の人類史で永遠に『呪いの言葉』となるぞ。口にするだけで呪われる忌み名だ」
「……コトダマってのかな。私もアズからそういう話は聞いたことがある。でもそうなら、真の名をつけられない為の名前が必要だね」
「名のない剣。無銘、では不適格か………とりあえずは、『アザナシノツルギ』とでも呼んでおく」
『アザナシノツルギ』――性質は、万物を呪い滅ぼす神殺しの剣。
オーネストは、最強最悪の矛を手に入れました。
その頃、ヘファイストスは悩んでいました。オーネストを守るための究極の装備を作りたい。でもオーネストにとって鎧は邪魔、武器は既にフーが作っているしその他の細かな防具もフー任せとなっている以上、自分に出来ることとは何なのだろうか。
そんな折、天界よりテティスから手紙が届きます。地上廃滅と天界そのものの存亡の危機ということで、本来なら手紙さえ送ることは許されないのですが、例外的に認められたということでした。その手紙には色々な想いやこの手紙をオーネストには知らせないこと、ヘスティアの分まで手紙が許されなかったのでよろしく言っておいて欲しいなど、さまざまな事が書かれていました。
そしてその中に、まるでヘファイストスの心を読んだようなメッセージがありました。
『アキレウスは優しい子だから、本当は自分を守るより仲間を守っていたいと思うの。だから、そんな防具を作ってあげて。今度こそ手が届くように』
テティスはヘファイストスにとっては育ての親。オーネストの事が分かるように、ヘファイストスの考えることも理解していたのです。このメッセージにヘファイストスは自分の作るべきものを悟ります。
オーネスト・ライアーの強さの歴史とは、実際には敗北と喪失の歴史でした。幾度も負けては生き延び、幾度も守りたいと思っては守れず、敗北に敗北を重ね続けた結果出来上がったのがオーネストの普段の戦闘スタイルです。一人で暴れ狂い、一人で死ぬための戦い方です。
ヘファイストスは、盾を作りました。
おおよそ考えうる限り、オーネストが最も必要としないであろう防具です。
しかしその盾は、オーネストの体に流れる力に同機する特殊な神聖文字が刻まれていました。
「これは?」
「触れてみて」
その円形の盾にオーネストが触れると、盾は光り輝いて一人でに浮き出しました。更にその盾はオーネストの意のままに動き回り、実体のない障壁として多重展開されました。通常の人間ならば決して不可能ですが、テティスの神血を受け継いでいるオーネストならば使いこなせる反則級オーパーツ。同時に多くの人を護るための盾です。
これにはオーネストも流石に予想外だったのか、「重力を無視した独立兵装……?」と唖然としていました。
「これは貴方の知る、貴方の世界――貴方と人とのつながりを世界として、それを守る事に特化させた盾。手に持つ必要はない。助けたいと思うだけでいい。投擲武器代わりにも使えるけど、その盾は唯一自分だけは護れない。何故ならそれは、他の誰かを護るためだけの盾だから」
自分を護れない盾など、盾ではない。しかしオーネストと護りは致命的に噛み合わない。だからこそ本来はあり得ない、自分は護れず他人だけを護る盾としました。オーネストはそれに気付き、そしてこれからの戦いが「アズを助けるための、何も失わずに勝つ戦い」であることを再確認し、ヘファイストスに頭を下げました。
「ありがとう。こいつで今度こそ……守りたい奴全部守って勝利するよ」
なお、この後鼻血出しそうなくらい喜んだヘファイストスに猛烈にハグされたオーネストはものすごく迷惑そうな顔しながら「今回だけは甘んじて受けるか」と気が済むまでやらせてあげたのでした。
= =
『時は来た』
「時間だ」
『これより我らは神話の時代と永劫に決別し、人の法を敷き、人の世を創生する』
「これより俺たちは、誇大妄想のイカレ共を徹底的に叩きのめし、俺たちの未来を奪い取る」
『その為に絶対の障害となるオラリオとダンジョン。是を衛星兵器『繁栄を終焉せしめるもの』にて跡形もなく消し去る。それこそが創生の最先となる』
「その為にまず、クソ共の作ったクソ兵器の衛星爆撃を防がなきゃならん。業腹だがな。バベルを改造した急拵えの障壁で受け止めきれなきゃそこで負ける。本当に業腹だ」
『これまで僕に付き従い、惜しまぬ努力と新たなる夜明けへの情熱を注いでくれた諸君。これは宣戦布告であり、最終決戦でもある。例え『繁栄を終焉せしめるもの』を地上の醜い神の尖兵共が乗り切ったとして、しかし我らの方針に変更などない。徹底的に古き穢れを漂白し、人類に仇名す『魔王』諸共粛々と圧潰せしめるのだ』
「こんな頭の悪い賭博にこれだけの人間や神が参加した事に、正直少し喜んでいる。命より大事な物の為にどこまでも愚かになれる存在こそ、今を生きる存在ということだ。だから究極的にはバベル障壁があろうがなかろうが、やることは変わらない。無論、臆病風吹かせて逃げても俺は一向にかまわん。俺のやることは変わらない。潰して勝って手に入れる。それだけだ」
『地を見よ、あの神々の欲望が構成した薄汚い盆を見よ。あれが敵だ、滅ぼされる運命のものだ。乗る建物も神も人も、全てが人の世界の贄となる。そして地上の全ての魔物を贄として喰らい尽くし、天界を追放者とし、流れる膨大な膿を絞り切った果てに待つもの――それこそが人の歴史。人歴である。人の遍く可能性を、自らが絶対者と驕った神々とそれに毒された哀れな民にしろしめしてあげようではないか』
「上を見てみろ、重役出勤のテロリスト共のお出ましだ。太陽の位置のお陰かここからでも見える。見下ろしやがって腹が立たんか?高尚な目的に唾を吹きかけてやりたくないか?勝手な理屈で滅ぼされてやる程俺たちは『おりこう』か?――違うよな。あんな訳の分からん連中の夢見る『未来』なんぞ俺たちは欠片も興味ないし、邪魔なら潰す。それがオラリオ流って奴だろう」
二人の男が、睨み合った。
二つの意志が、同じ場所に集った。
なれば、起きる事など一つを於いて他になく。
『聖戦を開始する!!各員、神の支配なき未来へと向けて狂奔せよッ!!!』
「これから『いやがらせ』の始まりだ。低俗な喧嘩の始まりだ。連中の上手くいくと思っている事、その悉くを泥に塗れた薄汚い靴で踏み躙ってやれッ!!」
ここに、最終決戦の火蓋が切って落とされた。
後書き
チクシュルーヴ=白亜紀末期にユカタン半島に堕ちた小惑星。
この小惑星落下こそが恐竜絶滅の直接的要因であるという説が根強い。
期を逸したお蔵入り短編
前書き
そのうち出そうとか思ってたら黒竜編で燃え尽きちゃったのでお蔵入りしてた文章です。
お前はもういらないと、親同然の相手に言われたことがあるだろうか。
この人の為に働くのだと誓った相手に、その覚悟と熱意を一方的に斬り捨てられたことがあるだろうか。
「お前から剣を取り上げる。利き腕を失った身では戦えまい?それに、片腕ではホームの手伝いもサポーター役もままならん。荷物になったお前を養い面倒を見る余裕は――いまのうちにはない。既に『恩恵』は消してあるので、早々にここを去るがいい」
この街で唯一、心底から心酔した神の冷酷な言葉が、俺の心に熱した火掻き棒を突き刺されるような衝撃を与えた。誰が敵になっても最後には味方してくれると信じていた神に、俺は静かに切り捨てられた。握らされたのは少しばかりの私物と、田舎に帰るための旅費。
利き腕の右を失って包帯に塗れた俺は、ファミリアから戦力外として一方的に追放された。
気の毒そうに俺の背を目で追う団員。
調子に乗っていたからいい気味だと管を巻く団員。
俺の事にはもう興味がないと言わんばかりに無感動な視線を向ける団員。
ついこの前まで自分が団長を務めていたファミリアとは思えない疎外感と惨めったらしさから、俺は逃げるようにその場を後にした。
田舎育ちで学もなければ天賦の才も魅力もない。ただ、剣の腕っ節だけは人並み以上だと信じてこの神に着いてきた。貧乏ファミリアだからと後ろ指を指されたことも、遠回しに馬鹿にされたこともある。酒場でいちゃもんをつけられて口論になった数など数知れない。
自分を馬鹿にされるのは腹が立つが構わない。ただ、自分を拾ってくれたあの神を馬鹿にすることだけはどうしても許せなかった。だから馬鹿なりに頑張ってファミリアの名声を上げるためにずっと頑張ってきた。
そうして足掻いているうちに一人、また一人、同志とも家族とも言える戦士たちが集い、ファミリアは次第に数十人規模にまで膨れ上がっていった。
――とても、充実した毎日だった。
あの時、ファミリアが初めて50階層に足を踏み入れた時。
当時勢いのあった俺達は、強敵を前にして引き際を誤った。
そして、団長としての責務を果たすために撤退の殿を務め、後の事は覚えていない。
かすかな記憶にあるのは吐き気を催す悪臭を放つ邪竜の牙、舞い散る血潮、遠くに転がる誰かの右腕。思い出すたび、無くしたはずの右腕が喪った物を求めるように酷く疼いた。
それも、長い昏睡状態から目が覚めた俺を待っていた現実に比べれば何と些末な事か。
何故自分がベッドに寝かされているのかを思い出せずに寝ぼけ眼を擦ろうとして、何も起きなかったあの瞬間。俺は動かしている筈の右腕の行方を目で追って、魂を断崖に突き落とされた。
己が右手が無くなっている事に気付いた時、俺はこの世のものとは思えないほどの悲鳴を上げて狂乱した。俺が生きていくために絶対に必要な腕が――忠誠を誓うために掲げた剣を支えた腕がないという端的な事実を、どうしようもなく受け入れきれなかった。
ファミリアを出て歩いていても、気が付いたらバランスが取れずに転んでいる。その度に、剣士生命もろとも断たれた腕を返してくれと思った。見ず知らずに相手に助け起こされるたびに、俺は自力で立ち上がれないという事実に打ちのめされた。
周囲の蔑みの眼と憐みの目が注がれる右肩の先。
ある筈のないパーツが抜け落ちた空白。
硝子に移るそれを見る度に、俺はその現実を振り払いたくてガラスを割ろうとし――割る為の右腕が無いがために何度もみっともなく尻もちをついた。
腕がないというのは、この世界では致命的だ。
腕が日本あることを前提に構築されたこの世界では、片腕の人間は労働力として見なされない。何故なら両腕と比べて圧倒的に一つの作業をやりにくいからだ。掃除をしようとすれば満足に雑巾を絞れない。皿洗いをしようとしたら皿を磨けない。肉体労働では両腕を使う仕事が一切できず、おまけに利き腕を失ったせいで文字も満足に書けない。
ただ着替えをするだけで、俺は途方もない労力を使った。いつかは慣れる、早くなると慰めの言葉を貰うこともあったが、それは俺の壊れた心に何の潤いも齎しはしない。俺の人生は、俺の夢は――ゼウス・ファミリアを越えるファミリアとなってあの方に仕えるという夢は、永遠に思えるほど遠のいてしまったのだから。
俺は、屍だった。
身体は生きていても、その心は死んでいた。
生きる事も出来ず、死ぬことも出来ず、何も出来ずにこの世界を漂う葦だった。
「腕さえあれば……腕さえあれば……ッ!!」
たった一本、なくしたものさえあれば、こんな地獄は覆せたのに。
歪になったシルエットの肉体を抱えたまま、俺は呪詛のように何度も呟いた。
そんな屍にもう一度生命を吹き込もうとした神が降臨したのは、俺が三日三晩に渡って嘆き苦しみ、その感情がこの世界への憎悪に歪みつつある、そんな時だった。
「腕さえあれば――何と申すか」
それが、悪夢の終わりと困惑の始まり。そして――。
= =
「ガウル……ガウル・ナイトウォーカー。いい加減に目を覚ますがよい」
ゆさゆさとゆすられた俺は、そのくぐもった声に寝ぼけ眼を開く。
そこは、本当に眷属が一人しかいないとある神の家。あの後俺を拾い、ファミリアとして受け入れた神の家だ。声の主を察した俺は、揺さぶった人物に上半身を起こして挨拶する。
「おはようございます……久しぶりに夢見ました、メジェド様」
「むむ、おはよう、ガウル。随分魘されていたが、悪夢でも見ておったか?」
「いえ、夢の最後にメジェド様が助けてくれたので悪くはなかったですよ」
「む……むむむむ。我が眷属はお世辞が上手いな……むむむ。まぁ、いいのだが」
俺を起こしてくれた今の主神――メジェドはやたらと「む」が多い神様だ。
この神様は常にその全身を白くて大きな頭巾で隠している。その隠しっぷりたるや、頭巾だけで瞳と膝から下の足以外をすっぽり覆っていていっそオバケのコスプレのようになっており、言ってはなんだが傍から見たら何の生物か問いたくなる。
布を覆っている所為でいつも声はくぐもっていて、脚を除く体型も確認できないから性別は不明。食事も風呂も決して他人には見せようとしないためにこの神の正体はオラリオの神々の間でも謎に包まれている。
ただ、その足はかなりの美脚であるため女の子説が根強く、一部ではその中に絶世の美女とか幼女が入っているに違いないとカルト的な人気を誇っているようだ。俺の見立てでもこの神は女神だと思うが、真相が明かされる日は来るのだろうか。
「では顔を洗って食事を取るがよい。今日もダンジョンへ赴くのだろう?」
「そういえば今日のご飯はメジェド様の当番でしたね……前から気になってたんですが、その手のひらを外に出せない服でどうやって料理してるんですか?」
「むむむ、料理の時は、これは脱ぐ。邪魔であるからな」
「………………………」
今、ものすごく衝撃的な言葉を聞いた気がする。つまり、精一杯早起きすればメジェド様のご尊顔を拝める可能性があるということだろうか。俺の呆然とした表情に気付いたメジェド様はゆらゆらとせわしなく身体を揺らして急に早口になった。
「む、むむむむむ。べ、別に裸で料理している訳ではないのだぞガウル。この中とてちゃんと服を――むむむ、自分で自分の秘密を少し喋ってしまった。これ以上は何を聞かれても答えられぬぞ、むむ……」
どうもメジェド様は俺があられもない想像をしているか、若しくは自分が変態だと思われたと勘違いしたらしい。最近気が付いたがメジェド様はどうやら結構な照れ屋のようで、精神的に動揺すると「むむむ」が増えるらしい。
メジェド様はいつも自分の事をほとんど語らない。だから俺はこの神と出会って2年間、ずっとメジェド様について気付かされっぱなしだった。今でこそ普通に喋れているが、最初の頃はこの神と居るのが気まずくてしょうがなかった時もある。
しかし、それでいいとも思う。
知らないことよりも、相手の気持ちを判った気になって突き進む事の方が怖い。その事実を、俺は嘗ての主神の下を離れてようやく気付かされた。俺はあの人を分かった気になっていただけなのだ。だからこそ、多くの事に気付けないままファミリアを追い出されたのだろう。
今の俺には真実が見えない。
当たり前だと思い考えもしなかった全ての本質を見失い、いつも自分の判断が正しいのかをどこかで疑っている。それは、暗黒に包まれた夜道を心許ない篝火を頼りに進むようだ。全ての真実は目に見えず、姿形は手探りで少しずつ確かめるしかない。
人生とはそういうものだ、と、ある命の恩人が語っていた。
ならば、その人生を続けながら答えを探すしかない。
だから、俺は夜道を歩む者になったのだ。
不意に目を落とすと、そこには鈍い光沢を放つ金属製の右腕があった。
拳を握りしめると、きしり、と小さく軋む。メジェド様と恩人の二人から受け取った右腕だ。
暫くそれを見つめた俺は、メジェド様の用意した朝食を食べるためにリビングの方へ向かった。
メジェド・ファミリア唯一の眷属――Lv.4の冒険者、ガウル・ナイトウォーカー。
種族はヒューマン、年齢は27歳。血を吸ったような赤黒い髪を小さく揺らす彼を、人はかつて彼を『紅い嵐』と呼び、現在は『鉄腕』と呼んでいる。
しかして、彼の本当の実力を知る者は別の名前をしばしば口にする。
『夜魔』、と。
後書き
今更ながら女神アルルを出しておいて実は原作に異端児のアルルというキャラがいるのを見落としていた作者です。……いや、これは原作者が女神アルルの存在を知らなかったことが悪いのであって俺は悪くねぇ!(親善大使並みの言い訳)
女神アルル……
(前にも説明した気がするが)ギルガメシュ叙事詩にてギルガメシュの親友となった野人「エルキドゥ」を作った創造神。(ちなみに野人としての力を与えたのは軍神ニヌルタ)
本作では創造神故に神によって創造された天界に価値を見いだせず完全に嫌気が差し、地上で人間に物作りを教えている。完成品を嫌い、伸びしろを残す未完成を尊び、完成した職人や創造に興味のない人間には見向きもしないという割と極端で気難しい性格。経営の能力は高いが経営や儲けに興味が薄いのでファミリアの規模は生産系中規模程度。
赤銅色の髪に褐色の肌、抜群のスタイルをしているが、いつも色褪せた分厚いローブに身を包み、着飾るということをしない。これは美しさに頓着がないのではなく、ローブを脱いだ裸の自分の体が世界で最も完成された女体であるという自負があるから。つまりフレイヤとは別方面で美の思想が突き抜けている。
ヴェルトールについては、若くして創造の「答え」に辿り着いたためにお気に入りからは外れているが、人の身でその領域に至ってしまったことで世界の色が褪せたことを憐れんでか副団長の座を用意するなど一定の気遣いを見せている。そう、アルルにとってヴェルトールは最も自分に似てしまったファミリアなのだ。
いつか終わるお蔵入りネタ集
前書き
次回こそ!次回こそ終わるから!たぶん。きっと、おそらく……。
オラリオをダンジョンごと掃討する為だけに力を注がれた終極殲滅兵器『繁栄を終焉せしめるもの』。太陽の光を遮る一つの陰――神滅要塞ガガーリンが姿を現わした時、戦いの火蓋は切って落とされました。
チクシュルーヴはこれまでダンジョンから定期的に吸い上げ続けてきた魔力や魔法具などの技術を総動員した上で、数多のドワーフたちによって改良に改良を重ねられ、重力加速による威力増大までを考慮した兵器。そこにアフラ・マズダの神力――宇宙は天界に近いので更に力が高まる――まで加わります。
半ば物質化するほど凝縮された魔力を撃ち出すその威力は、直撃すればオラリオという蓋を吹き飛ばしてその下深くに続くダンジョンさえ跡形もなく消滅させる威力を持っていました。もはやそれは地軸をずらし、星の自転速度を狂わせる事すら可能でした。
容赦なく発射されるチクシュルーヴ。しかしこの日の為にオラリオそのものを結界の発生装置に改造した『バベル障壁』が展開されます。オラリオにいる全員の神の神力を動力源とした結界は最初、難なくチクシュルーヴを防ぎます。
しかし防ぎ切ったのも束の間、間髪入れず第二射が発射。先ほどより明らかに威力の増加した一撃が再び結界に直撃し、結界が軋みます。そう、アフラ・マズダに協力するのは人間だけでなく、彼と同じく人間を見限ったり彼に傀儡とされている神も含まれています。その神々の力と物理法則の二重の威力。これには結界が軋みの音を上げますが、これも防ぎ切ります。
が、間髪入れず第三射。威力は更に倍増、障壁が更に軋みます。これを乗り切るオラリオ勢ですが、ここに来て度重なる荷重に耐えきれず結界機能のあちこちがショートし始めます。結界の中核となっている黒龍から奪った魔石もあと一度耐えらえるかどうか。しかも次を防ぎ切ったとして、その次がない保証などありません。
そして放たれる、今までで最大の威力の第四射。結界が受け止めますが、こちらの限界とあちらの威力増加で結界の負荷は限界に。ところが次の瞬間、神威に匹敵する莫大な力を放つ存在が地上に出て、チクシュルーヴに対して漆黒の光線を発射。しばしの拮抗ののち、黒い閃光はチクシュルーヴの攻撃を貫通してガガーリンにまで砲撃を到達させます。
現れたのは、幽霊のように白く、陰のように黒い服を身にまとったダンジョンの主、『魔王』。
彼女はアズに地上で事が起きることや友達を手伝って欲しいなどの事を伝えられており、約束を守る為に地上に現れ人類と神に力を貸したのです。
この砲撃によってチクシュルーヴが破損、沈黙。ダンジョンごとオラリオを破壊するアフラ・マズダの計画は水泡に帰す――事はありませんでした。
次の瞬間、要塞ガガーリンがオラリオに向けて加速しながら落下を開始。しかも破損したチクシュルーヴにエネルギーを充填しながらです。それはガガーリンそのものをオラリオにぶつけて地表を吹き飛ばしつつ、発射不能になったチクシュルーヴのエネルギーを地表激突と同時に地下に叩きこもうという計画でした。もはや結界が限界になったオラリオは耐えられないし、たった一人でチクシュルーヴを防いで大気圏外を攻撃した魔王も直ぐには動けません。
しかし、そもそも魔王は魔物の生みの親。
彼女は事が始まるより遥かに前に、ダンジョンの外に旅立つ黒龍に言伝を頼んでいました。
オラリオに近づく巨大な蛇。優雅なまでに鰭をたなびかせ、大気を強制的に水中へと塗り替えて進む呆れる程巨大なる怪物。
オラリオに近づく巨大な猪。足場の有無など関係ないとばかりに『空中』に地響きを起こして突進する、呆れる程巨大なる怪物。
オラリオに近づく巨大な龍。嘗てオーネストが見たそれより巨大に、速く、純黒の矢となって空を駆ける、呆れる程巨大なる怪物。
リヴァイアサン。
ベヒーモス。
黒龍。
嘗て人類に牙を剥いた最古にして最強の尖兵、『三大怪物』がガガーリンの前に立ちはだかりました。
三体の完全同時攻撃。それは人類にさえ振るわれたことのない、三位一体最強の攻撃。
それは魔王の最強の一撃に匹敵する絶大な破壊力を以てしてガガーリンを粉々に打ち砕きました。
空を覆うほどに広がる爆炎。しかし、その中を動く影が三大怪物の隙間を潜り抜けてオラリオに迫ります。それは要塞ガガーリンの「上部」。攻撃が直撃する直前にチクシュルーヴ含む下部機構7割を切り離したことによって人的戦力を上部にのみ集中させ、ガガーリンがバベルめがけて突進。しかしこれをなぜかいち早く反応したベヒーモスが追い縋って接触したことで逸れ、ガガーリンはバベルの内壁を大きく抉って地面に衝突しました。
これでやっと終わる――そう思った者は余りにもアフラ・マズダを軽視しすぎていました。
バベル結界は物理的な結界の他、アフラ・マズダに連なる者を強制的に街の外に排除するためのもの
。それが度重なる砲撃でオーバーヒートを起こし、更には外壁という『円陣』が破壊されたことで完全に消滅。更に同時期に情報リークによって乗せられたラキアの軍勢をけしかけながらオラリオ内に突入。肝心の地表に衝突したガガーリン上部も最初から突入を想定していたかのように、空を飛べなくなっただけで中の者たちも含め健在。
もちろんオーネストはそんなことは予想済みなので、彼の鬨の声と共にオラリオ冒険者たちは一斉に迎撃。オラリオ全域を舞台とした本当の最終決戦が始まります。
アズの居場所はガガーリン内部。そこまでに邪魔をするすべての敵を切り払い、オーネスト最後の戦いの幕が切って落とされました。
ちなみに、ベヒーモスがいち早く反応した理由は………「タルギタオスの断崖」の最奥地で眠っていたベヒーモスの所にやってきた修行中のココが「帰りの時間ないから送ってって!」と頼んでベヒーモスが「いいよ」と二つ返事したから、ベヒーモスに動くようココがお願いしていたというのが真実でした。
断崖に住む何かというのはベヒーモス直属のレベル6相当モンスターたちで、最奥地にはスキタイの剣という伝説の錆びたボロ剣の折れたやつがあった、とココは言っていたとか。
そして始まる大乱闘。この辺は大分省略していきます。
アルガードの事件で出てきた現代最強の魔法使い、ガルドロット。
神なき世界に賛同した子供の傭兵、エドヴァルト。
黒龍編でココたちと交戦した人造魔物の製造者、女学者アード・E。
ギルドを裏切ってアフラマズダの心棒者になったヨハン。
その他いろいろ。ぶっちゃけ書き始めてから考えるつもりだったので決まってる方が少ないですが、それぞれがレベル7~8に相当する厄介な性質ばかり持っています。やりたいイベントは決めていて、主要メンバー全員に対応する敵とか作る気でした。
ガルドロットは様々な科学的魔法解釈でこれまでの魔法使いの制約を大幅に超えた力を行使。彼は魔導の追及さえできればそれでよくアフラマズダに忠誠心はないため、圧倒的な力を振るう反面戦い方は「好きなおかずだけかじる」ような雑なもので、特定の誰かに頓着せずに荒らしまわる役でした。オーネストの魔法に大変な興味を惹かれて後であっさり寝返る予定でした。
エドヴァルトは直接的な戦闘能力は低めだけど、傭兵としての経験から前線指揮と格上を殺す能力に特化しています。これは余談ですが、エドくんはハーメルンの二次創作にいた元傭兵の子供オリ主を見て「まったく元傭兵の要素ないじゃん」とショックを受けて作ったキャラで、二次主人公格くらいはありあす。レベル差を覆すために徹底的に相手を弱体化させて槍で突き殺し、傭兵の界隈では『悪魔槍』の異名を持ちます。
この子はロキ・ファミリアと激突した末にフィンに敗北して拘束され、「いつになったら地獄に着くんだ」と悪態を吐きます。
アード・Eはヴェルトールみたいな人造生物の究極を追及していますが、行動目的さえ果たせれば形状も美学も関係ないという思想でレベル6~7に相当する従属生物を大量に生産して他の幹部格にも提供しています。
科学者のアード・Eは科学的観点から機能性が低いとヴェルトールの人形をバカにし、ヴェルトールはヴェルトールでアード・Eの作品は醜いし魂が籠らない生ごみだと罵倒。二人は激突します。最初こそ圧倒的な機能性でヴェルトールを押し込むアード・Eでしたが、すぐに結果は覆ります。
ドナとは女性、ウォノとは男性。そして互いに片翼。
『完成人形』とは、完成した存在。
完成とは、完結。雌雄同体。両翼。人を超えた存在。
ヴェルトールが作った究極の人形、それはドナとウォノの『本来の姿』。
フィニートの封印とは一つの完全なものを二つの性質に分けて二つの人形とすることであり、その封印を解くことは二人が融合して真なる姿を現すことにありました。
右手に剣を、左手に杖を。美しき純白の双翼を広げたそれは、ヴェルトールの創造した究極の新人類。その戦闘能力はヴェルトール自身を超え、アード・Eの最高傑作を超え、完成した存在の名に恥じぬ圧倒的な力で攻撃。アード・Eはそのままフィニートの攻撃の余波を受けて塵一つ残らず消滅しました。
フィニートはヴェルトールを深く深く愛しているため、それを馬鹿にした彼女がどうしても許せなかったようで、「力の加減を間違えてしまいました」と見え透いた嘘で薄ら笑いを浮かべていました。
様々な戦い。様々な裏切り。
そしてメジェド様。
メジェド様は実はアフラマズダに協力していました。理由は「断る理由も別にない」から。しかしガウルを拾ってからは「断る理由が出来た」と関係を切っていました。しかしアフラマズダはそれでよくとも彼(彼女?)に一方的な恩義を感じたファミリアが新世界創生に立ち会ってもらおうと強引にメジェド様をガガーリン内部に連れ込み、それを取り返す為に激突します。
最終的に、決着はメジェド様のファミリアとして本当に力を受け取った証、『闇蝕眼』からの目からバスタービーム(命名アズ)で大逆転。戦いの余波でガガーリン外部に落っこちそうになったメジェド様を、これまたアズの改造で伸びるハンドになっていた『銀の腕』で助けたガウルは「腕さえあれば、貴方を助けられるんです」と笑顔で『答え』を出しました。
後書き
中からニトクリスが出てくるとかそういうのはないです。謎は謎のままでいい。つまり謎のとり天せんべい。天のせんべい、すなわち天空神オシリスの供物。大分県はエジプトだったんだよ。
なんか出てきちゃったお蔵入り短編
前書き
前話で触れたエドヴァルトくんの短編を発見したので折角だから載せておきます。
だから早く終わらせろとあれほど(ry
戦争とは利権の奪い合いだ。
ダイヤの取れる鉱山を、広い海を支配する権利を、宗教的歴史的に重要な土地を――あらゆる利権を我が物にするために、指導者たちは戦争を起こす。例えそれが人種差別の末の独立運動であっても、人権もまた利権であることに変わりはない。
暴力、支配、君臨。トップに立つのが人間であろうが神であろうが、惨めな生き方は誰だって嫌なものだ。だからより地位を、権力を、豊かさを求める。他人の物ばかり羨み、奪い合う。その過程で戦争が起きるのは当然で、人の血が数多に流れるのは普通で、その中から奴隷――あるいはそれに類する存在が生み出されることは自然だ。
俺はそんな存在の一つとして生きてきた。
親の顔は知らない。人並みの生き方など知らない。ただ、敗戦国の国民だったという理由で額に奴隷の烙印を押された。感情を表に出さず、苦痛に耐え、ただ従順にあらなければならないことを周囲の様子から学び取り、そうしてきた。そうしなければ苦痛が更に大きくなるのだと学んだからだ。
やがて奴隷は戦場での捨て駒として先陣を切らされる存在へとなった。逃げれば捕まり処刑される――だから俺はそれまで隣にいた奴隷が死のうが、相手が自分の振るった槍に喉を貫かれて絶命しようが、必死に戦った。死への恐怖と、戦闘という極限状態による頭をかち割りたくなるストレスの波。汗も涙も、涎も鼻水も小便も糞もゲロも、出る物は全て漏らして、それでも俺はみっともなく生き延びた。
やがて俺を隷属させていた国が敗北した。勝った国はこちらよりはマシな指導者だったらしく、支配された国は前の国より良くなった。だが、俺のような生き延びた奴隷たちへの差別や偏見が無くなる訳ではないし、元より俺達には行き場所がない。自然と奴隷たちは一カ所に集まり、金を稼ぐ方法を模索することになった。
取れる手段は少ない。昔と同じく奴隷同然の労働環境でいいから職を求めるか、それとも賊に身をやつすか――生活する術を知らない奴隷たちではそれが精いっぱいだった。そんな折、新たな母国となった国から『傭兵』の募集の御触れが出された。
金で雇って戦ってもらう兵士。そのようなものがあるのかと思った。使い捨ての兵士であることにはそれほど変わりないが、『生き残れば金がもらえる』、『武器を持参すればだれでも参加していい』という部分に吊られた俺達は傭兵に身をやつすことになった。
戦争に参加する側になると、今までに見えなかった様々なものが見えてきた。
利権を求める国同士の諍い、神同士の喧嘩。殺人を職にする戦士たちの金と命に対する嗅覚。そして、今までは出来なかった「旗色が悪くなったら逃げる」という縛られない戦術。俺達は戦争に参加して次々に死者を出しながら、戦いの術を体と頭に刻み込んでいった。
やがて、死に対する感覚がマヒしてきた。
敵を殺すたびに震える夜を過ごす者を「新兵」と呼ぶ立場になった。仲間が死んだときに涙が零れなくなった。自分の真横を殺人級の魔法が通り過ぎても「今のは死んでもおかしくなかったな」と他人事のように考えるようになった。
嘗て俺達を隷属させた国のように、碌に抵抗できない相手を殺すような仕事も任された。金の為にと言い聞かせ、老人や子供も手にかけた。逆恨みされて襲撃されることもあった。俺より先に仲間が報復し、相手は勝手に死んだ。ゲリラ戦法を編み出して敵を散々に打ちのめしたこともあれば、逆に対応を誤って仲間が藁のように斃れていったこともあった。
生きるために略奪しなければいけないのなら略奪する。自分の命を脅かす相手は速やかに排除する。表沙汰にすると不味い事は隠れてやり、他人に人でなしだと罵られたら「どうでもいい」と返答し、俺達はどんどんと戦争という人の捨て溜まりに染まっていった。
俺達にとっての日常が、戦争になった。
戦いでは誰かが死ぬのは当たり前。誰かが苦しむのは当たり前。涙ながらに命だけはと懇願する兵士も、非道な行いを非難する裏切り者も、殺すかどうかを決めるのは損得勘定。つまり、自分たちの都合のいい方へと常に命を転がした。
そうして血塗れの手に握ったはした金をはたき、俺は共に戦い抜いた戦友と晩飯を食う時間を楽しむようになった。今日はあんなにも殺した。へまをしたあいつがくたばった。そんな不謹慎な話で盛り上がりながら、どうせ俺達も次の晩には死んでしまうかもしれないのだから、今は楽しめばいい。そう思った。
いつか自分も、腐乱した肉のこびり付いた骸骨になって荒野に転がるのだろう。
戦後処理の為に死体を次々に地面の下へ埋めながら、漠然とそう感じた。
敵はよく、地獄に堕ちろと俺達に叫ぶ。
神によるとあの世には天国と地獄があり、いい奴が天国に行くらしい。ならばきっと戦争をしている俺達みたいな奴らはみんな地獄行きだろう、と呟いたら、周囲は「違いない」と大笑いした。
『金の為に散々殺して来たからな。そりゃあ高尚な所には旅立てんだろう』
『ゴミみたいにくたばってハゲタカの腹の中に納まって、クソになって大地に還るだけだ』
『未来なんてモンはねぇ。俺たちゃ俺達の生きたいように生きて、いつかは忘却の中に消えるだけだ』
神たちは自国の戦士たちには『恩恵』を与えて強化し、傭兵たちにはそれをしない。当然と言えば当然だろう。『恩恵』を持つ人間は増やせば増やすほど得をする訳ではない。唯でさえ戦争では管理が大変で貴重な眷属を出来るだけ死なせたくないのだから、俺達のような屑に先陣を切らせて温存する必要があるのだ。
神の声の下に殺人を犯す連中は、果たして天国に行けるのだろうか。神から頼られる位だからその志は高く、きっと良い所へ行けるのだろう。それを別段うらやむ気概は発生しない。連中は連中という生き物で、俺達は俺達という生き物だ。生きる世界が違う。
傭兵として渡り歩くうちに、見知った顔は次々に地獄へ旅立っていく。
リーダー格だったドワーフおやじ、同期だった剣士のアマゾネス、心配してくれたエルフの青年……種族という単位を俺達は気に留めなかった。どんなに強くなろうと、才能にどんな違いがあろうと、人間は所詮人間の域を脱することはなかったからだ。
正々堂々勝負をしろとほざく騎士を相手に目潰しで隙を作ってから『お望み通り一騎打ちしてやった』こともある。後になってそいつはレベル2だった事を知って、俺は馬鹿馬鹿しい気分になった。結局、敵も味方も恩恵持ちもそうでない奴も、死ぬ時は死ぬのだ。
やがて俺が15歳になった頃――俺の住んでいた地域は統一連合国家として生まれ変わり、戦争の連鎖が集結した。戦場のど真ん中で集中砲火を受けてくたばり掛けだった俺に情けをかけた兵士がそれを伝えてくれた。その頃には「フリードマン傭兵団」の初期メンバーは俺を除いて全員がくたばっていて、後から来たメンツも壊滅状態だった。
もうすこし早く地方にも終戦の知らせが届いていれば死ななかった命もあった。
だが、情報伝達が遅れるなど戦場ではよくあることだ。俺はそう思って気にしなかった。
戦争が終息して、元奴隷の傭兵団は解散した。各々が田舎に引っ込んだり、実績を買われて正規軍に入ったりとそれぞれの道を歩んだ。俺はそんな仲間たちを見送って、一人になった。
身体と金だけ手元に残り、それ以外は何もなくなった。
俺はいつだって戦争の中で生きてきた。その前は奴隷として。生き残る術を学んでは来たが、世渡りの術など学んではいない。『平和』とやらの訪れた国の中で過ごすことが酷く場違いで、もどかしく、そして惨めに思えた。
この時になって俺は気付かされた。
自分が生きる意味が分からない。
かつては死にたくないという生存本能に縋って生きてきた。それから、食うに困って再び戦火に身を投げ入れた。どちらにも明確な理由があって戦ってきた。だが、戦場に身を窶すうちに生存本能は薄れてゆき、機械的に殺人を効率化することばかりに傾倒していった。食うに困っていたのも、その時は何もかもが足りなかったからだ。今は傭兵として得てきた潤沢な資金が手元に残されている。
大人たちはこいつで高価な武器を買いこみ、高い酒を呷り、ギャンブルの類で豪遊しては財布を空にしていた。あるいは活躍することで上からのスカウトを狙っていた連中もいた。上手く行った奴もいれば、死んだ奴もいる。それだけだった。俺も誘われたことはあるが、興味が無かったので断った。
そう、興味がないのだ。
金にも酒にも地位にも誘惑にも、自分の将来にも興味がない。
興味があったのは、きっと、居場所。
あのどうしようもない屑たちと笑いあった俺が存在出来た、居場所。
「この国には、もう俺の居場所はないんだな」
連中は死んだ。つまり、俺の居場所は過ぎ去った幻影になったのだ。
ならば、探さなければならない。
俺のような血に塗れた人殺しが収まり、俺のスキルで生きていける場所を見つけなければならない。
この国は駄目だ。ここは島と呼ぶには巨大だったが、大陸と呼ぶには狭すぎる。だから統一連合国家の誕生と共に戦争相手をなくしてしまった。戦乱の最中に魔石を求めた魔物狩りが何度もあった所為で、魔物も碌に存在しない。大きな戦いは向こう数十年起きる事はないだろう。
俺は戦後に復興された市場で一番高い酒を一本買って、傭兵団の共同墓地の墓石にそれを振りかけた。
連中の安月給では到底手が届かなかった、本当に高級な『神酒』だ。安酒に慣れた連中の舌に合うかは分からないが、文句は地獄に行ってから聞くことにした。
「俺、大陸の方に行くよ。あっちはまだ戦争やってるらしいからな………どうも平和な世界ってのは、俺にとって居心地が悪いらしい」
戦争が終わって初めて気付かされる。他人が尊いとのたまう平和に何の価値も見いだせない、戦争に染まりきった自分自身を。子供たちが戯れる光景を、人々の笑い声を、活気ある町を見る度に心のどこかで苛立ちを覚える自分の汚れきった心に。
ここは居心地が悪い。地獄に近い騒乱の世界こそが俺の居場所だ。
「流石にどこで戦争するかまでは決めてないけどさ。まぁ、間違っても天国には辿り着かんよ」
最後に、すこしばかり残った『神酒』を自分の口に含んで呑み込む。
酒瓶から口を離した俺は、空になった酒瓶を墓の横に放り投げてその場を後にした。
それから一年後、オラリオの冒険者名簿に一人の男の名前が書きこまれる。
――エドヴァルト・アンガウルという一人のヒューマンの名が。
= =
エドヴァルト・アンガウル――種族、ヒューマン。
≪来歴≫
奴隷身分地域の生まれ。両親不明。5歳より奴隷として隷属を開始。
7歳の頃に戦争奴隷として初陣。その後1年間従軍し、終戦まで生き残る。
8歳の頃に奴隷身分から解放され、その後すぐに仲間と共に『フリードマン傭兵団』を設立。
以降6年間傭兵団の一員として戦場を転々とし、14歳になる頃に終戦を迎える。
その後傭兵団の代表となるが、傭兵団の維持が困難になったことを理由に解散。
残った資金を元手に大陸行きの貿易船に乗ったのを最後に、その消息を絶つ。
≪活躍≫
大陸最強と呼ばれ、『恩恵』持ち戦士を何度も退けた『フリードマン傭兵団』の設立者の一人。後に大幹部を経由し、代表になる。
戦時中は『恩恵』を与えられない立場にあったにも拘らず、当時はまだ無名だった『フリードマン傭兵団』のメンバーとして前線に立って戦った。詳細な戦果は不明瞭な部分も多いが、『悪魔の矛』の異名で知られる槍の名手であったことや、王国からの信頼が厚く多くの戦場で戦果を挙げたことで知られている。
確認できる限り、戦局を左右する大きな戦いでは必ず彼とその仲間たちの活躍があると言っても過言ではない。最も有名なのが、12歳の頃、ジョウラク戦役に於いて一騎打ちも含め神の恩恵を受けた眷属4名の首を打ち取ったことである。うち2名がレベル2であり、この大打撃が傭兵団の渾名に『眷属殺し』を加える要因となった。
また、独自の技法で『手投げ弾』を開発。この発明は後に統一連合の中枢となるマルティン王国の正式な武器として採用され、反連合派を追い詰める一因となった。当時の国王であるラルカ2世はこの功績を高く評価し王国軍の高官の席を用意したが、彼は傭兵団としての矜持から断ったという。
他にも部隊長としての指揮には定評があり、執拗なゲリラ戦法による兵糧潰しから少数精鋭の奇襲作戦まで、常に相手を後手に回らせる戦運びで傭兵団を勝利に導いたとされている。
その後も統一連合が樹立するまで最前線で戦い抜き、終戦を迎える。
彼が最後に参加した『ミコトノリ決戦』は戦時中最大の混戦となり、この戦闘によって民兵最強と名高い傭兵団も壊滅状態となった。この際に傭兵団の設立者が彼を除いて全員戦死したため、彼を『最後の傭兵』と呼ぶ者もいる。
戦争終結と同時に戦功者式典に呼ばれるも、これを拒否。傭兵団の生き残りを集め、正式に傭兵団の解散を宣言。この知らせは戦争の終結を象徴する出来事の一つとして大陸中に響き渡った。
≪人物≫
彼と親しい間柄にあった人間は悉く戦死しているため、彼の人物像には不明瞭な点が多い。ただ、戦場においては例え何が起きても常に冷酷だったとされている。反面、酒や食事の場では同僚たちと楽しげに語らっていた所が目撃されている。また、統一連合を去る直前、彼が時価5000万ヴァリスの『神酒』を購入して戦友の墓地に供えたという逸話から分かるように、仲間との信頼関係が非常に深かったことが伺える。
―――『統一連合偉人図鑑』57ページより抜粋―――
「それ、誰?」
「わわっ!あ、アイズさん!?」
不意に上から声をかけられ、レフィーヤはぱっと顔をあげる。そこには尊敬する先輩のアイズの顔があった。本に夢中になりすぎてアイズが近くにいる事にも気付けなかったことに恥ずかしさがこみ上げるが、慌て過ぎて落としかけた本をキャッチするのだけは忘れずに済んだ。
アイズはどうやら本に乗っていた写真(オラリオでは馴染みのない技術だ)の少年が何者なのか気になったらしい。なにせ本のページ初めにでかでかと載っている子供だ。珍しくも思うだろう。
「ええっと………この人は、海の向こうにある『統一連合国』という国の成立に関わった歴史の重要人物の一人、だそうです。凄いんですよ、冒険者でもないのに10歳の頃には国王に認められていたんですって!!」
「……7歳で初陣。8歳で傭兵団の幹部格。そして14歳で歴史の表舞台を去る……ミステリアス」
「凄い人です。子供の奴隷から建国時の戦功者にまでのし上がっていながら式典の参加を固辞!なんっていうか、戦いに生きる人の誇りみたいなのを感じちゃいますよね!」
写真に写る少年は何か別の写真からの切り抜きなのか、横から誰かの腕が肩にかかったり後ろに誰かが立っている様子がわかる。傭兵とは思えないあどけない表情で笑っており、額には傭兵団の象徴である鳥のエムブレムが刻まれた額宛を装備していた。
この写真だけを見れば、とてもではないが彼がそれほど建国に尽力した存在だとは思えないだろう。写真撮影時期が3年前なので、今もこのころの面影が残っているかもしれない。
しかし、とアイズは思う。
「5歳から奴隷として扱われて、戦わされてたんだよね……わたし、5歳の頃は戦う事なんて考えてなかったな……」
写真の中で幼さを隠しきれないこの少年は、果たしてこんな風に笑うまでにどれだけの苦しみと悲しみを味わったのだろう。この後も彼は笑っていられたのだろうか。そして、ほぼすべての仲間を失った彼の胸中には、何が残ったのだろう――。
レフィーヤは無邪気に偉人としての彼に憧れのような感情を抱いているようだが、アイズにはどうしてもそうは思えなかった。
自身よる遙かに幼い頃より人間を殺す事を強要され、恩恵も受けられないまま戦場を駆け、格上と殺し合う。それがどうして美談や英雄譚になりうるだろうか。彼にはもっと、普通の生き方があったのではないだろうか。
両親がいなくなった「だけ」の自分は、まだ幸せだったのかもしれない。
なんとはなしに、アイズはそう思った。
= =
茶番:こんなエドヴァルトは嫌だ八連発。
その一。
「戦争するんならラキアがいいぜ?」
「マジかちょっと行ってくる」
オラリオに行かない。
その二。
「あの、傭兵の仕事探しに来たんすけど」
「募集してません。時代は冒険者です」
「えー……」
見通しが甘々。
その三。
「仕事がない。ショックだ。故郷に帰ろう……」
打たれ弱すぎてホームシックになる。
その四。
「……ここはどこだ???」
「大和の国(極東)ですけど……珍しい恰好の旅人さんですね?」
方向音痴で見当違いの所に行く。
その五。
「君、いい体してるね!闇派閥に入らないかい!?」
「傭兵だし、金払うならいいよ?」
考え無しにエクストラハードモードに踏み込む。
その六。
「大陸の飯はなんて美味いんだ!くぅ、こうしちゃおれん!大陸中のグルメを食べ尽くす!!」
「泣きながら飯をかっ喰らってる……今までどんだけマズい飯食ってきたんだ?」
急にグルメ旅になる。
その七。
「キャアアアア!誰かギルドの前に倒れてるわ!」
「み、みず……水を……」
「行き倒れだ~~~!?」
サバイバビリティがマイナス値。
その八。
「エドヴァルト社長!商品の積み込み、終わりました!」
「これからは大陸との貿易で国力をあげる時代ぜよ!バンバン商売ぜよ~!!」
急に商人の道に目覚める。
以上、こんなエドヴァルトは嫌だ、でした。
いい加減に終われネタ集
前書き
おまけ・昔感想で書いたアレ。
ショートコント「ケッコンしたい!」
アズ「ロキたん……俺、君にずっと言いたいことがあったん……ゲブぅッ!?」
ロキ「うおおおおお!?アズにゃんが血ぃ吹いた!?しっかりせぇ、傷は浅いで!?」
アズ「俺のプロポーズ、受け取って……くれ……がくっ」
ロキ「アズにゃぁぁぁ~~~~んッ!!」
ユアーラーヴフォエーヴァー♪ヒートミーヲトージテー♪キーミヲーエガークヨー♪
ロキ「………はっ、もしかしてこれ『血痕死体』っちゅうこと!?ちょっ……その洒落ぇ伝えるためだけに死んだんか!?何でプロポーズ後のことまで考えてへんね~~~~んッ!?」
アイズ「………?アズ、ロキと結婚したいの?(血痕死体の部分が伝わってない)」
アズ「…………このまま死にたいよロキたん」
ロキ「…………後追いしてええかアズにゃん」
リヴェリア「…………いっそそのまま3日ほど死んでてくれ」
レフィーヤ「えっと……お、お似合いだと思いますよ、二人とも!」
ロキ「あかん、この子も分かってへん……!」
アズ「くそう、練習不足か……不覚!『O-1《オラワン》グランプリ』への道は遠いな!」
リヴェリア「そんな大会はないッ!!」
人類は決して一つにはなれないが、共通の敵を前にして手を取り合うことはあります。
それは一時しのぎに過ぎないのだろうが、それでもオラリオの全ての戦力は生きる為の戦いを繰り広げていました。
アフラマズダ派の『違法改造』――天界のルールを無視して過剰な力が注がれたファミリア達の爆発的な戦闘力に加え、常軌を逸した練度で攻めてくる改造魔物による攻撃に最初は押され、死者も出すオラリオ勢力でしたが、彼らとの最大の違いにして優位性である実戦経験の差と連携が次第に状況を覆していきます。
更に、アフラマズダ派はオーネストの苛烈すぎる猛攻で戦意を喪っていきます。
神の力の使用を一切躊躇わなくなり、あらゆる障壁を呪断するアザナシノツルギで万物を断絶し、周囲の味方を見境なく守り、更に魔法により身体変化によって物理、魔法共に一切攻撃が通用しません。
※オーネストの変化能力はテティス譲りの力。あちら側の世界に於いてテティスがあらゆるものに変化してペレウスから逃げた伝説をもとにしています。
圧倒的な力、次々に倒されていく幹部格。ベルたち弱小組も上位冒険者たちの指導によってしつこく喰らいついてくるなど、オラリオに趨勢が傾いていきますが、オーネスト含む頭脳派はまだ警戒を解きません。まだアフラマズダがいる。まだアズの救出が成されていないからです。
オーネストは作戦前にアズの連れていた謎の存在『死望忌願』の正体に関する私見を一部の司令官クラスに語っていました。
輪廻転生、天界冥界のない世界。魂という概念に付与された意味が薄い、或いは存在しない世界。すなわちあちら側、我々が現実と呼ぶ世界。『死望忌願』の正体はつまり、アズの来たあちら側に存在する「死」という絶対法則がアズという異物を通してこちらに具現化したものだといいます。
オーネストの仮説によると、本来あちら側とこちら側は明確な壁が存在し、決して混ざり合う事のない、世界の法則そのものが違う場所です。故に『死望忌願』はあちら側の世界では実体化しません。既に法則として存在しているからです。
しかし、オラリオ世界に於ける死はこの死とは趣が大きく違う。根幹で言えば別物と言っていい。それが『死望忌願』をオラリオにて実体化するものと変えたと言います。
まずアズライールという男が、奇跡的な確率を通り抜けて本来通れない筈の世界の壁を越えて魂だけの姿でこちらに来ます。この時、肉体はまだあちら側で生きているとオーネストは推測しています。本来なら魂だけの存在は形になれませんが、オラリオ世界とあちら側は反転世界と言ってもいい、決して交わらないのに密接な関係にあります。
しかし、オラリオ世界は肉体より魂の比率が強い世界であるために、本来は掠れる程しかなかった魂がオラリオの法則に引き摺られて肉体を構成。「ない」ものが「ある」ものになったと思われます。
しかし、ここでアズ本来の肉体が生きていることが話を拗らせました。その結果、アズはあちらと向こうと意識が連続したままになり、肉体と魂の線が世界の壁を越えて繋がったままになります。もしこちら側でアズが死ねば、かりそめの肉体が崩壊してあちら側の体にアズが戻って終わりです。そしてこうなると、こちら側からあちら側への干渉は不可能になります。
これは黒竜編でオーネストがアズの意識を取り戻すために「弁」がどうこう言っていた部分です。アズが自分の魂を手繰って垣間見た場面、死に瀕したときに会った誰かは、あちら側のアズの肉体に意識が一瞬戻っていたからです。
ともかく、アズはあちら側の人間でありながらこちら側に来ました。しかしアズの魂の法則は半分オラリオ、そしてもう半分があちら側。そして生きている以上は対極にある死から逃れられない。よってあちら側の死、アズだけの死である『死望忌願』は逆転的にこちらでは物理的な力を持つものとなりました。
「――待って!それじゃ、アフラマズダの儀式とやらは!!」
「奴は気付いたんだろう。あちら側に神なき世界があることを。そして神なき世界で生まれた法則は、こちらの神々を殺しうることを」
神に対する決定的な戦力。それが、現れる可能性をオーネストは説きました。
「これは俺の想像だが、恐らくアズはあちら側にいた頃から少なからず死に近い側の精神を持っていたんだろう。だから奴のあれは『死望忌願』となった。だったらアズ以外の奴が同じことをすれば、『死望忌願』とはもっと違うものが出てくるんじゃないか?」
――もしかしたら、『死望忌願』以上に厄介な何かが。
オーネストはついにチクシュルーヴの最深部に辿り着きますが、そこには予想通り意識のないアズが囚われていました。そしてその前に立つのはアフラ・マズダ。彼は儀式を成功させ、その身に『死望忌願』と同じ概念存在、『存在意義』を身に宿していました。
レゾンデートルの姿は死神然としたデストルドウと正反対の直線的で無駄を削ぎ落された、ロボット感のある姿。それはアズの中にある『あちら側』にアフラマズダの持つ『絶対の裁定者』という現実では形になり得ないものを投影した結果でした。
オーネストの人生の全てを知っているアフラマズダはオーネストに様々な声を投げかけますが、オーネストは最早彼の事などどうでもいいとばかりに躊躇いなく殺しにかかります。笑みを崩さず迎撃するアフラマズダ。神の力や武器を全力で使いこなして攻めるオーネストですが、レゾンデートルの内包する「絶対性」という法則に阻まれて決定打を撃ち込めません。
更に、戦闘でレゾンデートルの力が振るわれる程にアズのこちら側の法則に綻びが生じ、アズの肉体は段々とあちら側、すなわち重傷を負った姿に近づいていきます。それでは最終的にレゾンデートルが維持できなくなるのですが、同時にデストルドウを形として宿したアズがこちらで完全な形になる事は、レゾンデートルをこちらの世界に完全に固着させる事にもなります。
今は不完全な状態での顕現ですが、有限の魂を削るデストルドウに対し、神という途方もない魂を糧とするレゾンデートルは常に全力を出せるようになり、そうなるともはや攻撃範囲はオラリオという街そのもの飲み込むほど拡大してしまいます。
アフラマズダは闘いながらも外の人間たちにさえ実体のない分体を送り声をかけます。ベルの生い立ち、リリの抱えた闇、ヴェルフを取り巻く薄汚い声……それだけにとどまらず、この戦いに参加するあらゆる者の不幸を語り、そんな不幸を生み出す世界を自ら存続させ続ける事を選ぶのか、と問います。
そして、その最大の不幸の塊とも言えるオーネストにも、問います。
対し、オーネストの答えは単純明快でした。
「お前、バカか。闇も悲劇も不幸もない世界?平等な世界?作りたきゃ自分の日記の隅にでも作ってろ。血反吐吐いて裏切られて泥を舐めて……それでも目を開いたらそこに現実って奴が転がってて、そこを命ある限り彷徨い歩く。それが、人間が生きるって事だろう」
彷徨うこと、それが人の生。
自分を貫き通す事を好むオーネストにとって、正解など存在しないあやふやな世界であるからこそ、その世界を自分の足で歩み、悩み、後悔し、それでも続け、最期に自分が自分であり続けたと言う事が出来る人生こそが至上。
誰かに歩かされる人生ならば、歩かせようとする何かを殺す。
すべてが平等だとのたまう世界なら、平等であることが自分の邪魔をするなら平等を破壊する。
きわめて簡単に言うと、アフラマズダの「神なき世界」は、押しつけがましいのが気に入らない。
「人様の人生に口出ししてんじゃねえよ。俺は、例えオラリオの連中が全員ウンと頷いたとして、お前ののたまう未来はいらないね」
「そういう、事だわな……そりゃ、俺らにはいらないモンだ」
アズが、全身がずたぼろになりながら目を覚まし、そう言いました。
瞬間、レゾンデートルの力が急速に弱まっていきます。
「おぉい、オーネスト。悪ぃが俺、あっちに帰らなきゃならんみたいだ。こいつも一緒に連れてくわ」
『なっ――アズライール!!貴方はそれがどういう意味か理解しているのか!?君は、もう二度とこちら側には来られない。あのスラムの幼子たちとも、リリルカとも、ゴースト・ファミリアの面々とも、ロキとも!!――アキレウスとも二度と再会出来なくなるんだぞ!?』
「煩いガキんちょだな。いいんだよ、俺がいくって決めたんだから。そういう訳だから……悪ぃ、あと頼んだ」
「ふん、猛烈に断りたいんだが?お前は結構そういうところがあるよ。面倒くさいことを俺に押し付けて、自分はどっかに享楽に出かけてる」
「あっはは、そういう性分なもんで。なに、そんな俺と知ってて友達になったんだろ?」
「……てめぇなんぞ絶交だ、なんて言わねえぞ」
オーネストはアズがもう全ての覚悟を決めて、後悔のない選択をしたことを悟っていました。だから呼び止めはしませんでした。
『厭だ!厭だ厭だ厭だ厭だ厭だッ!!あれだけ時間をかけたのに!!まだ何一つ成し遂げられていないのに!!こんなにも世界を、人を愛しているのにッ!!何故、何故だ!!どうしてみんな負ける!?どうして自分から愛を捨てる!?どうして救済が救済であると分かっていて踏み躙るッ!!』
「まぁまぁ、落ち着けよおこちゃま。あちら側も結構いい所だし、嫌なら神の座捨てて、街頭演説でもがんばれよ」
『やめろ、厭だ……厭だぁぁぁぁああああああああああああああああああああッ!!!』
絶叫するアフラマズダを押さえつけたアズの姿が少しずつ透けていきます。
と、オーネストが口を開きました。
「言うだけ言って逃げられると思うんじゃねえぞ。あの世だろうが異世界だろうが、俺もメリージアも時空の果てまで追いかけて連れ戻してやるからな」
「……うん、わかった。ジジイになってもずっと待ってる」
「そんなに時間かけるか。長くて5年だ」
アズはあちら側の世界に戻り、両足欠損、右目欠損、全身傷だらけの状態ながら奇跡的に生き残り、治療を担当した医者を驚愕させます。その背中には、まるで刺青のように見える痣が微かに残ったまま。
意識を取り戻したアズ――本名、九宮出流は、オラリオでの事を思い出してか自分の命と真剣に向き合って生きていく道を選び、サイバネティクスエンジニアを目指して勉強を始めます。死んでもいいやなどと言わず、周囲とのつながりを大事にし、その片手間でパラリンピックに参加してメダルを量産しながら。
オーネストはオラリオを再構成すべく様々な神、ギルドと手を組んですぐさまオラリオという街を再構成。三か月足らずで復興し、世界最大の欲望の街は復活しました。
また、この件によってダンジョンの主である「魔王」は地上の神を間接的にとはいえ守ったことを認められます。魔王はもともと神に虐げられた精霊が神に匹敵する力を得た存在。神の謝罪とその存在を認めることを、魔王は一応受け入れました。
ただ、魔王は神を許した訳でもないし自らが神の座に座ることもしませんでした。ただ、好きにさせてもらうとだけ言いました。魔王はアズとその親友オーネストは信じていても、他を信じた訳ではありません。ただ、ほんの少しだけ人に興味が湧いた魔王は時折街に現れ、その間だけダンジョンの機能は停止するようになりました。
ダンジョンが停止すればダンジョン内で魔物も狩れないし素材も回収できません。その日の分だけオラリオの金の周りは悪くなりましたが、死者も多少は減りました。
ちなみに魔王はオーネストに「一番効率よくダンジョンから人を追い出すには、金と敵の在処たるダンジョンを100年ほど封鎖しちまえ。経済的にオラリオは滅ぶぞ」と教えています。ダンジョンが機能しなくなれば魔石ビジネスは崩壊し、冒険者がレベルアップする手段も事実上絶たれます。
死者が減ると天界もあまり文句を言えませんし、地上の神は本腰で攻め込まれるのも経済的に干上がらせられるのも怖いので魔王に良いとも悪いとも言えません。ただ、オーネストは「世界はこのまま緩やかに魔物と離れていく」、そんな気がしました。
そしてオーネストは自らの神力を利用して、アズのいるあちら側への干渉の研究を続け、その傍らにはゴースト・ファミリアの面々が……。
とまぁ、そんな感じで物語は幕を閉じる、というのが私の作ったストーリーです。
以下、細かい話。
アズに現実世界側で寄り添っていた女の子とは親しい仲ながら結婚とかには至ってません。なにせアズというかイズルくんは待っている訳で、その奥にメリージアがいるのも理解してる訳なので。
また、オーネストとの契約がまだ体に残っているので能力は一般人を超えています。
「お前の車いす捌きはおかしい、って?いや、そんなこと言われても……」
オーネストの研究ですが、研究開始から2年後には世界の壁を超えることに成功してるので、再会は結構早そうです。リリもこの研究の副主任くらいなポジまで出世してます。ロキも個人的に協力してる模様。
「やっぱこっちの世界にYoshimotoの風を吹かすにはアズにゃんおらんと始まらんわ!」
「そんな訳の分からん風を吹かすな、この馬鹿主神」
「タコヤキソースの匂いしそうな風だな……」
アフラマズダは記憶喪失で何の変哲もない少年としてこちら側に飛ばされてます。世界の壁を超える過程であらゆるものをはぎ取られたため、レゾンデートルも喪っています。記憶を取り戻すことも、あちら側に戻らない限りは二度とありません。
「ゾロアスター教……アフラマズダ……うっ、頭が……」
リリは変身魔法の大先輩たるオーネストの指導でメチャ強くなっています。
ヴェルフは「己の魔力を吸って魔法の破壊力を出す」という壊れない魔剣を開発してます。
ベルはなんやかんやで成長途上。ハーレムルートとは言い難いですが、充実人生です。
あとゼウスの事もなんかする気だったけど忘れました。
あとメリージアはアズが行った後身ごもってるのが発覚して出産し、4児の母です。
とある事情でアズとオーネストの二人と行為に及んでました。あの野郎共……。
ちなみに二卵性双生児四つ子です。しかも綺麗に男女に別れてます。普通アマゾネスが男の子を出産することはあり得ないのですが、色々と複合的な事情があってこうなったのか、或いはメリージアの執念的な何かがあったのかは不明です。あの野郎共……。
ちなみにこの小説の裏設定として「アマゾネスが産んだ男、すなわちアマゾーンは凶兆の兆し」的な口伝があるというのがあります。結局使わなかったアイデアなので、誰か再利用してください。
なお、エンディングは残り二つ考えてました。
一つは現実世界と完全に縁を切ってオラリオ側の世界の存在になること。この場合、最終的にはレゾンデートルとデストルドウが相打ちになることで双方特異的な力が消滅します。
ハッピーエンドかと思いきや、向こう側のアズが死ぬのでアズに寄り添っていた女の子は世に絶望します。彼女はあちらではいじめを受けていてアズ(イズル)だけが心の支えで、その心の支えが大災害の際に自分を庇った傷によって死ぬ、という事になっているからです。
女の子は死後の世界でイズルに再開しようと身投げします。
……そして運命のいたずらで女の子はオラリオに辿り着き、アズ達が拾ってしまうと。結局ハッピーエンドじゃねーか。
もう一つ、アズはアフラマズタの力を消失させるために自らの力を『殺し』、消滅します。
殺された力は、あちらとこちらの間という曖昧な世界に四散。アフラマズダはどうあがいても負けますが、アズは犠牲に……。
なったかと思われましたが、オーネストとアズの『契約』は切れていません。オーネストはアズの死そのものが極めて曖昧な世界で行われたせいで、まだ死が成立しきっていないと推測。つまりまだ間に合う。「四散したアズの力を全て回収すればアズは元の形を取り戻し、復活する」と仮説を立てます。
希望的観測ではなく、オーネストはそれが出来ると確信し、皆にしばしの別れを告げます。
「あの馬鹿を連れ戻してくる。なに、神の力を使うしあっちは時間の概念が曖昧だ。お前らにとっては帰ってくるのは一瞬だろうな」
そしてオーネストは契約の気配を辿り、数多の並行世界にてアズの欠片を探す、果てしない旅に出るのでした……。
今度こそ、全部書ききりました。これにて本当に、「俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか」で書きたかった話は全部終了です。人様にお見せできる短編とかも全部処理しました。もう何も出てきません。
投稿時点でお気に入り登録してくれた人が、たぶん98名。総合評価1,072pt。
これほど自らが地雷だと思う要素をふんだんに取り込み、更に書きたい事を書きたいだけ書き殴った作品にこれだけの評価が付いたという事自体が驚愕の事で、読者の皆さんには感謝の言葉しかありません。
同時に、読んでて疲れる文章だらだら書きまくってごめんなさい。読みやすさは度外視してたのでかなり疲れさせてしまったであろうことは存じています。それでも、黒竜編は個人的には今まで挑んだことのない方向性への挑戦だったので、割と書けて良かったと思っています。
もう二次創作を昔ほど書けなくなった古臭い作者ですので、これ以上多くは語らず終わろうと思います。皆さん、ありがとうございました!