ソードアート・オンライン -旋律の奏者-


 

クエストに出掛けよう 01

 「ん……」

 設定しておいた時間に鳴り始めた起床アラームの音で目を覚ました僕は、纏わりつく眠気をどうにか振り払って布団から抜け出した。
 冬が間近に迫っているのか、今日の朝は久しぶりに寒い。 襲ってきた冷気に、僕の意識は否応なく覚醒してしまう。
 ぐっと身体を伸ばして、残っていた眠気を完全に消し飛ばしてから、僕がさっきまで寝ていたベッドに振り返ると、そのまま勢い良く布団を引き剥がした。

 そこには、身体を丸めてスヤスヤと穏やかな寝息を立てる少女がいる。
 冗談のように長い桜色の髪。 透き通るような白い肌。 無防備な寝顔はあどけなくて、毎日見ているのにドキドキしてしまう。

 彼女の名前はアマリ。 僕の相棒だ。

 これもいつものことだけど、その寝顔を見ていると、このまま寝かせておいてあげようかな、なんて思考が頭を掠める。 とは言え、そんな甘いことを言っていられないので、心を鬼にして肩を揺すった。
 あまり露骨に触るとシステムにハラスメント行為として認識されてしまうから、そこには細心以上の注意が必要だ。 もしもシステムがそう認識すると、警告メッセージがアマリに届いてしまう。 それ自体は今更なことだからどうでもいいとして、問題は寝ぼけたアマリがうっかりイエスボタンを押す可能性があることだろう。 そうなれば僕は1層の主街区、はじまりの街にある黒鉄宮の牢獄エリアに強制転移されることになる。
 思い出したくもないけど、前にそれで痛い目を見ている僕としては、その心配は割と切実だ。

 「おーい、アマリさーん。 朝ですよー」
 「ん、うにゃ……」
 「ほら、起きなさーい」
 「んー、ん……起きる、です」

 今日は比較的早く起きてくれたアマリは、ベッドの上でのっそりと身体を起こして大きな欠伸をした。 まだ覚醒していないまま僕を見上げると、すぐにだらしない笑顔を浮かべて僕に抱きついてくる。
 その行動もいつも通りなので、僕が慌てることはない。 アマリの小さな身体を受け止めると、そっと抱き締めた。

 「おはよう、アマリ」
 「うん、おはよーです」

 そして今日が始まる。








 ソードアート・オンライン。
 ログアウト不能のデスゲームと化したここは、全100層からなる浮遊城をその舞台としている。
 城の名はアインクラッド。
 各階層には次の層へと向かうタワー状のダンジョン、迷宮区があり、その迷宮区の最奥を守護するボスモンスターを倒すと次の層に行ける、と言う仕組みだ。
 ボスモンスターが倒されて2時間すれば下層の転移門から次の層に行くことも可能になるし、それを待たずとも誰かが次の層の転移門を有効化(アクティベート)した時点で転移が可能になる。
 そんな調子で100層に向かい、そこにいるであろう最終ボスを倒せばゲームクリア。 つまり、現実世界に帰れるのだ。

 とは言え、プレイヤー全員が解放のために危険なボスモンスターと戦っているわけではない。
 HPがゼロになった時点でアバターは四散し、現実のプレイヤーも死に至る。 おまけに蘇生手段も皆無の超ハード仕様なのだから、最前線で戦うプレイヤーが少数になるのは当然だ。
 いつの頃からか攻略組と呼ばれるようになった彼らは、幾つかのグループに分かれ、それぞれに戦っていた。
 僕とアマリも攻略組に名を連ねている。

 2024年10月。
 現在の最前線は74層。 残るフロアの数は26。 生存者は約6000人。
 それがアインクラッドの現状だった。









 「クエストですです?」
 「うん。 ハイレベルの素材が報酬らしいよ」

 和やかな雰囲気の朝食を食べながら、僕とアマリは今日の方針について話していた。
 クエストを受けつつフィールドや迷宮区でのレベリング兼マッピングが僕たちの基本方針だ。 クエストをクリアすれば戦闘に有用なアイテムが得られるし、そこまで多くはないにしても経験値が加算される。 とは言え、受けるクエストは討伐系がメインで、それは完全にレベリングのついででしかない。

 そこを踏まえて今回のクエスト。
 クエスト開始地点は70層にあるダンジョンの最奥。 そこにクエストNPCがいるそうだ。
 最前線から4層降りると言うことは、言うまでもなく攻略に直接の関係はないし、レベリングを目的にするにしても、やや物足りない感は否めない。 アマリが首を傾げるのも当然だろう。
 それでもクエスト報酬として素材が貰えると言う情報を聞いて、アマリはすぐに納得してくれた。

 僕もアマリも、武器はプレイヤーメイドだ。 知り合いのぼったくり鍛冶屋さんに依頼して作ってもらったわけだけど、それもそろそろ強化しないと最前線では通用しなくなってきている。
 僕たちは今まで使っていた武器をインゴットに戻して、それをメインにいくつかの素材を注ぎ込んで武器を作ってもらってきた。 現実的なプレイヤーには『何を馬鹿なことを』と笑われるだろうけど、それでも僕にとって武器は自分の分身で、そしてアマリにとってもそうなんだろうと思う。
 だからこそ、僕たちの武器を今以上に強化しようと思うと、それ相応の素材が必要になる。 そこにきての今回のクエストだ。

 僕が自分で集めた情報と、とある鼠の情報屋さんから仕入れた情報とを合わせて判断すれば、このクエスト報酬がレアな素材であることは間違いない。 僕たちにとっては願ってもないクエストなのだ。
 そして、僕にはそれとは別に、このクエストを受けたい理由がある。

 「正直なところ、今のままだと最前線はちょっときついでしょ? ボス戦までにはなんとかしないとだったろうし、この辺りが良い頃合いかなって。 えっと……ダメ、かな?」
 「んー、了解ですよー では、今日はそのクエストに挑戦しましょー」
 「うん。 じゃあ、準備しないとね」

 武器の限界に気付いていたアマリは、思いの外あっさりと了承してくれた。 それが嬉しくてにやけそうになる顔をなんとか制御する。
 幸い、アマリに気付かれなかったようで、いつもの口調で会話が進んだ。

 「それで、それはどんなクエストなのですか?」
 「ん、ああ、それがさ。 どうにもクリアした人がいないらしくって、どんなクエストかの情報はさっぱりなんだよね」
 「……それ、大丈夫ですです?」
 「大丈夫だよ。 誰もクリアできてないのは、クエストの発動条件が厳しくて、そもそも誰もクエストに挑戦できてないからみたいだし」

 誰もクリアできてないクエストなんて聞けば、それに危機感を抱くのは当然だけど、僕はそれなりの確信を持って大丈夫だと言える。

 「2人パーティー限定クエストみたいだからね。 だから当然、2人でクリアできる難易度に設定されてるだろうし、いくら70層と言っても、最前線より強いモンスターが出るとも思えない。 退路の確保は当然するけど、そこまで危なくはないよ」

 それに、と僕は笑って見せた。

 「それに、僕たちならどんな難関クエストだろうと余裕でしょ?」

 自信と信頼に満ちた僕に対する返答は、言葉ではなく笑みだった。
 普段の穏やかな笑みでも、苦笑でもない。 きっと僕が浮かべているであろう、ニヤリと言う笑み。
 それだけで返事としては十分過ぎた。

 「でも、それでも誰もクリアできてないなんて不思議ですねー。 コンビで行動してるパーティーは確かに珍しいですけど、私たちだけじゃないですよ?」
 「ああ、それはもう1個、かなり特殊な条件があるからだよ」
 「ですです?」
 「結婚してないとダメなんだってさ」 
 

 
後書き
 花々の更新を放ったらかしながら、新しいSAO二次を書き始めました。 どうも、迷い猫です。

 旋律はなんて言うかベタなSAO二次を目標にしています。
 つまりは主人公が俺TUEEEEEで、ヒロインとイチャラブで、原作キャラと色々な繋がりがあって、本家主人公である黒の剣士よりも強い、みたいな感じです。
 当然のようにユニークスキル持ちですし、当然のように原作をぶち壊しますし、当然のようにリアルでもハイスペックです。
 もっとも、私は捻くれ者なので、ベタな展開になりきらないところもあるでしょう。

 まあ、王道と邪道の中間地点よりもちょいと王道より、ですかね。 そこらへんの判断は極めて個人的なので、読者の皆さんがそう感じるかは保証できませんが。

 と言うわけで、旋律の奏者は始まったばかりですが、これからよろしくお願いします。

 ではでは、迷い猫でしたー 

 

クエストに出掛けよう 02

 結婚。
 それは当然、SAOの中でのシステムに定義された関係だ。
 一方が結婚申請のメッセージを飛ばし、相手がYesのボタンを押せばそれで成立する、酷く薄っぺらいシステム。

 だけど、SAOで結婚まで至っているプレイヤーはかなり少ない。
 理由はいくつかあるけど、アイテムと情報の共有化が最大の理由だろう。

 アイテムストレージは完全に共有化されるし、ステータス画面は互いにいつでも見ることができるようになる。 それを隠すことはできないのだ。
 そしてそれは、相手に自分の全てを曝け出す行為に等しく、裏切りや詐欺が横行するアインクラッドに於いて、そこまで相手を信用できるカップルは稀なのだろう。 男女差の甚だしい不均衡も当然、理由だろうけど。

 僕とアマリが結婚したのは、最前線が10層だった頃。 しつこい求婚に折れた形だけど、当時も今も僕はアマリを愛している。
 色々とあって軍に追われ、攻略組から追放されていた頃、僕を支えてくれたのはアマリだった。 どんな時でも僕の隣にいてくれて、何があっても僕を信じてくれたアマリを、僕は愛している。

 そんな愛する妻と一緒にクエストに挑戦する。 それはもう、言葉にできないくらいの幸せだった。









 「んー、やっぱりこの層はモンスターが少ないですよー」
 「いやまあ、ドラゴンタイプなんて大量に出てきたら困るけどね。 普通に出てくるモンスターがフィールドボスクラスって、なんて言うか悪夢みたいな層だよ」
 「それを簡単に斬るフォラスくんも大概です」
 「アマリにだけは言われたくないけどね」

 いや、本当に君にだけは言われたくない。

 鎧のような硬い鱗を軽々と粉砕するアマリの攻撃は、見慣れた僕でさえ呆れてしまう。
 けれど、当人はそんなことをまるで気にしていないのか、年頃の女の子には不釣り合いな両手斧をグイッと持ち上げると肩に担いだ。 そんなアマリにため息を吐きながら、僕は自身の相棒たる薙刀を軽く撫でる。

 薙刀の銘は《雪丸》
 刀身も柄も鍔も、それら全てが白一色で構成されている雪丸は、その華奢な造りに反して斬れ味が異様にいい。 要求筋力値が低く、敏捷値を優先的に鍛え上げている僕にとって、これ以上ない相棒だ。 それでいて長いリーチを有しているので、雪丸を製作してくれたぼったくり鍛冶屋さん曰く、『反則級』らしい。
 とは言え、長いリーチのせいで懐に入られた場合の対処に困るので、反則級と言う評価は撤回してほしかったりする。 これは長物の武器を使う殆どのプレイヤーが行き当たる壁だろうけど、それでも槍や棍のように火力不足に悩むことはないので、あまり強く言えないのが実情だ。

 一方、アマリが使う両手斧、《ディオ・モルティーギ》は純粋に火力だけを追求した武器で、神殺しの名に相応しい禍々しい外見をしている。
 黒と紫なんて言う、不吉極まりない配色。 巨大な円盤のような刃は肉厚で、斬ると言うよりは叩き切ると言った方が正解だろう。 当然、要求筋力値は相当高く、こんな冗談みたいな武器を扱えるのはアマリぐらいなものだ。 これも当然だけど、僕では持ち上げることすらできない。
 ちなみに、アマリはディオ・モルティーギを《でぃーちゃん》と言う極めて微妙な愛称で呼び、とてつもなく可愛がっている。 喋りかけたりは日常茶飯事で、たまに抱き枕にして寝ることまであるから恐ろしい。 一緒のベッドで寝ている僕からすれば、本当にやめてもらいたい。

 閑話休題。

 さて、僕たちが今いるのは70層にあるダンジョンだ。
 迷宮区とは主街区を挟んで反対側にあるため、僕たちは初めてここに入る。 マップデータが全くないと最奥に行くまで時間がかかるので、鼠の情報屋さんからクエストの情報を買う際にそれも一緒に買っておいた。 だから、目的地はすぐに分かるんだけど、このダンジョン、出てくるモンスターの強さがかなり高く設定されているので探索が容易ではない。
 最前線のフィールドボスクラスのモンスターが普通に出現するなんて、あまりにも悪ふざけが過ぎる。

 そもそも、僕たちの武器が最前線で使えなくなってきたからここにいるのに、最前線クラスのモンスターを相手にしていると言う矛盾。 幸い、ドラゴンタイプのような大型モンスターはアマリのディオ・モルティーギと相性がいいので(武器の特殊効果に、大型モンスターに与えるダメージ+18%、と言うものがある。 反則と言うならこれこそがそうだろう)苦戦らしい苦戦はしていないけど、勘弁してほしいと言うのが正直な感想だった。

 とは言え、僕にはクエスト報酬のレア素材以外にこのクエストを受けたい理由があるので、ここで引き返すわけにはいかないのだ。

 「さてと。 あれが目的の小部屋だけど、アマリ、準備はいい?」
 「オッケーです」
 「うん。 じゃあ行こっか」

 アマリの返事ももらえたので、特に警戒するでもなくクエストNPCがいるらしい小部屋に入る僕とアマリ。
 結婚しているプレイヤーが2人で小部屋に入ったことでクエストのフラグ立てに成功したのか、部屋の中央に突然としか言えないくらいの唐突さで人が現れた。 頭上に金色のエクスクラメーションマーク(いわゆるびっくりマーク『!』だ)があるので、間違いなくあれがクエストNPCだ。

 「このようなところに人間とは珍しい。 何用で参った?」

 大柄な体躯に似合う低く響く声での問いかけに、僕はすぐさま返答ができなかった。
 何しろ、そのクエストNPC、人ではないのだ。

 知り合いにかなり背の高い斧戦士がいるけど、彼は間違いなくそれ以上だ。 2メートルは確実にある。
 隆起した胸板は岩のように厚いし、逞しい二の腕は僕の頭よりも遥かに太い。 肌は浅黒く、所々に鱗があり、極め付けは鋭い牙と爪と、それから曲線を描く角。
 そこにいたのは、ゲームやアニメでよく見る龍人そのものだった。

 「フォラスくん?」
 「あ、ああ、ごめん。 ちょっと驚いちゃって」

 アマリに声をかけられてようやく気を取り直した僕は、まっすぐにクエストNPCを見据える。

 70層に点在する街や村にいるNPCから得ていた情報と鼠の情報屋さんから買った情報とを合わせても、クエストNPCが龍人なんて言う情報はなかったので驚いたけど、よくよく考えてみればこの層はドラゴンタイプの巣窟だ。 龍人がいてもなんらおかしくはない。

 「えっと、ヴェルンドさん。 僕たちはあなたに用があってきたんだ」
 「ほう、我に用とな。 して、何用だ?」
 「あなたが持つ特殊な鉱石を分けてくれないかな?」

 単刀直入に用件を伝えると、クエストNPC、ヴェルンドさんの頭上にあるエクスクラメーションマークがクエスチョンマークに変わり、点滅を繰り返す。 これがクエスト開始の合図だ。

 「貴様は何故、それを知っておる?」
 「街の人たちから聞いてね。 なんでも、あなたは凄腕の鍛治師で、他には誰も持ってない特殊な鉱石を所有してるとか」
 「ふむ、確かにその通りだ。 我は我しか持ちえない鉱石を所有しておる。 しかし、奴らの口の軽さには困ったものだな。 人間に迎合した愚かな龍人たちを同胞とは思わんが、龍人族の秘を簡単に話してしまうなど実に嘆かわしい」

 ヴェルンドさんはNPCとは思えないくらいに自然な苛立ちの雰囲気を醸し出す。 クエストNPCの中には、こうした高度なAIが組み込まれたNPCがいることは情報として知っていたけど、実際に見るのは初めてだった。
 人間らしい(正確に言えば人間ではないけど)と言うか、普通に話しているとNPCとはとてもじゃないけど思えない。 GMが動かしているのかと疑いたくなる精巧さだ。

 「まあ、人間の貴様に言っても仕方がないか。 貴様、鉱石が欲しいと言ったな?」
 「うん」
 「断る。 あれは我ら龍人族が長、龍皇様が創られた鉱脈より出ずる秘宝。 人間如きに分け与えてやる謂れはない……と言いたいところだが、実はそれについて、ちと困ったことがあってな」
 「困ったこと?」

 うむ、と大きく頷いたヴェルンドさんは少しの間を空けて口を開く。

 「あの鉱石は龍皇様が創られた鉱脈より出ずる物だと言ったであろう? 鉱脈は次元の狭間に隠され、そこへと至る道は龍皇様と我とが持つ腕輪の力により封印されておるのだ。 故に、人間共にはもちろん、龍人族の者にも龍族の者にも鉱脈が荒らされることはない」

 ヴェルンドさんが語る話しを、僕とアマリは遮ることなく聞いた。
 クエストの説明だから、と言う理由ももちろんあるけど、口を挟むことが躊躇われたのだ。 なんとなく、この続きが予想できたから。

 「しかし、つい先日のことだ。 龍皇様が貴様ら人間共の手にかかり、身罷られてしまったのだ」
 「…………」
 「…………」

 予想通りの続きに、僕たちはやはり何も言えない。 何かを言えるわけがない。
 だって、ヴェルンドさんの言う『人間共』の中に僕たちは含まれているのだから。 それは種族として、と言う意味合いではなく、龍皇の討伐に僕たちも参加していた、と言う意味合いだ。

 龍皇。
 正式名称と言っていいのかどうかは微妙だけど、スヴァローグ・ザ・エンペラー・ドラゴン(Svarog the Emperor Dragon)と言う名のフロアボスだ。
 ドラゴンタイプの巣窟である70層のボスに相応しく、巨大で雄々しい姿をした彼を討伐する際のレイドに僕とアマリは参加した。 ラストアタックこそ僕たちではないけど、だからと言って殺したことに変わりわない。
 そう。 僕たちは殺したのだ。 ヴェルンドさんが慕う、龍人族の皇帝を。

 「龍皇様が身罷られた今、次元の狭間に隠されたあの鉱脈に行くことは叶わない。 だが、手がないわけではないのだ」
 「……手?」
 「うむ。 我が持つ腕輪だけでも道を開くことはできる。 しかし、それはあくまで開くだけで、道を固定することができん。 そこで貴様らだ。 貴様ら人間の力を借りるなど業腹だが、背に腹は変えられんからな」
 「それで?」
 「何、簡単なことよ。 我が道を外から開き続けておく。 その間ならば道は渡れるだろうし、鉱脈の中を歩くこともできるであろう。 つまり、鉱石の採掘が可能、と言うわけだ」

 僕たちの思いなんてお構いなく進んでいくクエストの説明。
 いかに挙動が自然だろうと、やはりそこはNPC。 システムが決めたクエストのストーリーに従うしかなく、感情だってありはしない。

 ヴェルンドさんは秘宝の在り処に至る鍵を龍皇から与えられるほど信頼されていたのだ。 その信頼が一方通行なわけもなく、きっとヴェルンドさんは龍皇のことを慕っていたと思う。 それは、今までの言葉の端々からも感じられた。
 慕っていた皇帝を殺した下手人が目の前にいて、僕であれば真っ先に復讐を考える。 殺そうと行動する。
 もしもそうなった時、僕はそれを責めたりはしないだろう。 当然の思考だと納得するだろう。 もちろん、だからと言って大人しく殺されるつもりは毛頭ないけど、それでもいい気分ではないのは確かだ。

 「もしも貴様らが道を渡り、鉱石を採掘すると言うのなら道を開いてやってもいい。 本来であれば貴様ら人間に分け与えるなどあってはならないことだが、しかし、その時は鉱石をいくらか譲ってやろう」
 「…………」
 「悪い話しではないであろう?」
 「……わかったよ。 その話し、乗らせてもらうね」

 僕が言った明確な受領の答えと同時に、視界の端に映るクエストログが更新された。 

 

クエストに出掛けよう03

 ヴェルンドさんが自分で言っていたように、特殊な鉱石があるダンジョンに向かうための道は案外と簡単に開いた。 ヴェルンドさんがやったことと言えば、右手首の腕輪を軽く掲げただけだ。
 たったそれだけの動作で次元の狭間へと至る道を出現させてみせられると、なんて言うかこう、大仰な儀式とか長ったらしい呪文の詠唱だとかを密かに期待していた僕にとって、拍子抜けもいいところだった。 そんなことを考えているから、アマリに『変なところで子供っぽいですねー』とか言われるんだろうけど。

 ちなみにそのアマリは、ヴェルンドさんが現れて以来、一言も声を発していない。 人見知り、と言うわけではなく、人の話しに割り込むのが苦手なのだ。 気心の知れた相手と会話する場合はそんなこともないけど、そうでないとこの調子で、だから、他のプレイヤーから誤解されることもよくある。
 まあ、当の本人は巨大な両手斧を振り回す戦闘狂なので、お淑やかさは皆無だ。 アマリには双子の姉がいて、お姉さんも攻略組に名を連ねている辺り、この姉妹は戦闘の才能に恵まれているらしい。 もっとも、そんな才能はこんな世界でなければ役に立たないものなので、本人たちにとっていいことなのかは微妙なところだろう。

 そう言えば最近、ボス攻略以外でお姉さんに会ってないけど、元気でやってるのかな?

 なんて、思考が横道に逸れていた僕を振り返り、ヴェルンドさんが怪訝な表情を浮かべていた。

 「どうかしたのか?」
 「なんでもないよ えっと、それで道は完成?」
 「うむ。 道を固定できない故、我が外から道を開き続けておらねば消えてしまうが、それでも貴様らが往来することは十分に可能だ」
 「持続時間とかは?」
 「このような方法を試したことがない故、正確には分からんが、連続では1日が限界だろう。 休憩しつつであればいつでも開けるのでな。 もしも向こうで夜を明かしたとしても問題はない」」
 「そう」

 つまり、クエストの制限時間は1日。 インターバルを挟めば、実質的な制限時間はなし。 最悪、件のダンジョンでキャンプすることになっても救済措置あり、と言ったところか。 今のところ、そこまで難易度が高い風には感じられない。

 対策の立てようがない未知のクエストに挑戦する以上、事前に得られる情報は可能な限り得たほうがいいだろう。
 僕は質問を重ねた。

 「鉱脈にモンスターが出たりするのかな?」
 「出るわけがなかろう。 トラップの類いも基本的にはない」
 「基本的には? つまり、あることにはあるの?」
 「うむ。 鉱脈に龍皇様の愛剣が隠されているのだが、その剣には特殊効果があってな。 持ち主の手を離れると自動的に防衛機構が作動し、持ち主の影を生み出すのだ。 影は剣に近づく全てを敵と認識し、当然、貴様らにも襲いかかってくるだろう」
 「それがトラップ、ね……」

 龍皇が使っていた剣。
 興味がないではないけど、近づかないほうが無難だろう。 幸いなことに、こちらから近づかない限りは安全みたいだし、触らぬ神に(いや、影に、かな?)祟りなし。 わざわざ危険を冒す必要はない。

 けど、そんな僕の思考を知ってか知らずか、ヴェルンドさんが言う。

 「龍皇様が亡くなられて以来、奥方様は悲しみに暮れていてな……。 龍皇様は塔の守護を任されているのだから、いつかそんな日が来ると覚悟はしておられたのだろうが、だからと言って割り切れるものでもない。 せめて形見の品としてその剣を、と思いはするのだが、我だけでは鉱脈に立ち入ることができん。 なあ、人間よ。 これは無茶な頼みではあるが、その剣を取ってきてはくれないか?」
 「…………」

 僕の無言をどう解釈したのか、ヴェルンドさんは続けた。

 「もしも貴様らがあの剣を取ってきてくれれば、相応の礼はしよう。 だから……頼む」

 僕はすぐには答えられなかった。
 ヴェルンドさんの頼みを聞いてあげたい気持ちはある。 僕だってシステム上のものとは言え結婚しているのだ。 せめて形見を、と言う考えは理解できる。
 でも、そう思うと同時に、理性は無視するべきだと言っていた。

 70層のフロアボスだった龍皇ーースヴァローグ・ザ・エンペラー・ドラゴンと同等の強さだとするのなら、このクエストが2人パーティー限定なんて言う条件であるはずがない。 フルレイドである48人で挑むべきクエストだ。 2人パーティー限定クエストである以上、それは2人パーティーでのクリアが可能な難易度に設定されているだろう。 そこは今までのSAO生活で得た経験から信じてもいい。
 問題はクリア可能なレベルに僕たちが達しているかだ。

 僕のレベルは95。 アマリのレベルは97。 レベルやスキルに関しては誰も語りたがらないので正確なところは分からないけど、多分それは、攻略組でもトップクラスのレベルだと思う。 少なくとも、結婚しているプレイヤーに限って言えば、間違いなく最高値のはずだ。
 僕たちがクリアできないクエストなら、それは誰にもクリアできないクエストだと、この場合は言い換えてもいいだろう。 でも、だからと言って、油断はできない。
 何しろ、ヴェルンドさんの頼みを聞けば、弱体化しているだろうとは言え、スヴァローグ・ザ・エンペラー・ドラゴンとの戦闘が必須になる。 あまりに危険。 あまりに無謀。 そもそも、弱体化している保証だって、あくまで僕の経験則であって、明確に記載されているルールではないのだ。

 断ろう。

 その結論をヴェルンドさんに伝えようとした刹那、今まで沈黙していたアマリが優しい声音で言った。

 「フォラスくん」

 アマリが僕を見て、そして笑う。

 「難しく考えすぎですよ。 それはフォラスくんの悪い癖です」
 「いや、でも……」
 「好きな人が死んじゃって、手元に何も残らないなんて寂しいじゃないですか。 私はそんなの嫌ですよ」
 「……危険があるって、分かっての?」
 「あっはー、変なことを言うですねー。 危険? そんなのどうだっていいです」

 緩い口調はいつものままに、それでもキッパリとアマリは言い切った。
 それがなんでもないように。 危険なんてどうだっていいと。
 いつもと同じだらしない笑顔。 僕の大好きな笑顔でアマリは言う。 それが当然のことのように、それが当たり前のように、アマリは言う。

 「何を迷ってるですか? どうして迷うですか?」
 「…………」
 「情報がない? ボス戦がある? 死んじゃうかもしれない? あはっ、それってつまり、最っ高のシュチュエーションじゃないですか!」

 焦点の定まらないアマリの瞳は、狂った熱を孕んでいる。
 狂気。 あるいは狂喜。
 きっと、この状況を心の底から楽しんでいるのだろう。 アマリはそういう狂人だ。

 「立ち塞がるなら踏み砕く。 それが私たちですよ。 今更迷うことなんてないのです。 殺す。 全部殺す。 殺して殺して殺し尽くす。 難しく考える必要なんて皆無っ! 全部殺せばいいだけですよー」

 どこで入ったのか定かではないけど、どうやらアマリの狂人スイッチが入ったらしい。
 そんなアマリの狂人具合を目の当たりにして、僕は笑った。 そう。 笑ったのだ。

 「ふふ、そうだね。 そうだったよ。 全部殺す。 目に映る全てを殺す。 それが僕たちだ」

 なんのことはない。
 狂人のアマリが大好きな僕もまた、ただの狂人なのだ。
 自分が狂っていることは知っている。 アマリが狂っていることも知っている。 でも、それがどうした。 
 

 
後書き
 エアコンを買い換えるべきか、空気清浄機を買い換えるべきか迷いながら、結局どっちも買い換えました。
 と言うわけで、どうも迷い猫です。

 さあ、きっと賛否両論あるであろう今回のお話し。
 なんて言うか、オリキャラ2人には気持ちよく狂ってもらいました。
 最初の後書きで王道を目指すとか言いながら、明らかに王道を外れた2人組が主人公です。

 まだ始まったばかりなので、色々と話せないことが多いですが、安心してください。 この2人、これからキチンと王道しますから。 多分……。

 ではでは、迷い猫でしたー。 

 

龍皇の遺産 01

 「モンスターが出ないダンジョンなんてつまらないです」
 「まあ、今からボス戦なんだし、もうちょっと我慢しようよ」
 「むー、フォラスくんが言うなら我慢するです……。 でも、その代わり、このクエが終わったら迷宮区に突撃するですよ?」
 「ボス戦だけじゃ足りませんか、そうですか……」

 僕とアマリは適当な会話をしつつ、鉱脈の奥に鎮座する重厚な扉を見上げる。

 あれから、狂人スイッチが入った僕たち2人はヴェルンドさんが開いてくれた道(分かりやすく言うとゲート)を通って鉱脈に突入した。 当然、ヴェルンドさんからの頼みを引き受けて。
 ちなみに僕たちの狂人具合を目の当たりにしたヴェルンドさんが若干引いていたようにも見えたけど、多分それは気のせいだろう。

 そんなこんなで鉱脈に突入した僕たちは、モンスターのいない鉱脈を駆け回りながら鉱石を採掘した。
 異常に厳しい発生条件のクエストだけに、もしかしたら採掘スキルがないと駄目なんて言う鬼仕様かとも思ったけど、それは杞憂だったようだ。 あまり使用頻度の高くない採掘スキルを習得するために、今まで必死で上げてきたスキルのどれかを捨てるなんてさすがにもったいなさすぎる。

 で、クエスト達成の目標個数を採掘した僕たちは、ヴェルンドさんから受け取ったマップデータを元に、龍皇の剣があるであろう部屋の前にいる、と言うわけだ。

 「さて、と。 情報皆無だから対策も作戦も立てられないけど、一応確認しておくね」
 「ですです?」
 「この先にいるのは龍皇、つまりスヴァローグ・ザ・エンペラー・ドラゴンだと思う。 さすがに本家と同じステータスなんて言う無茶苦茶な設定はしてないだろうけど、それでも警戒はしておくこと。 いいね?」
 「了解ですよー」

 いつもと変わらない笑みを浮かべるアマリの髪を撫でてから、僕は眼前の扉を見上げた。

 この先で戦うことになるであろうスヴァローグの攻撃パターンを、情報不足ではあるけどそれでも僕たちは知っている。 とは言えそれは、フロアボスとしてのスヴァローグから変更されていなければ、だけど。

 スヴァローグの攻撃パターンの内、かなり厄介だったのは火炎ブレスと長い尾による薙ぎ払いだ。
 敏捷性を損ないたくない僕はもちろん、冗談みたいに重いディオ・モルティーギを振るうアマリも金属系の防具は最小限以下しか装備していない。 具体的に言えば、僕は左腕を覆うガントレットだけで、アマリは簡素な胸当てだけ。
 そんな紙装甲の僕たちにとって、ブレスや薙ぎ払いみたいな広範囲攻撃は非常に厄介なのだ。 うっかり回避しきれなかった場合、それは誇張抜きで致命傷になりかねない。
 けど、他に警戒するべき攻撃は特になかった。 強いて挙げるならその堅牢なる鱗が厄介ではあったけど、そこはそれ。 アマリのディオ・モルティーギにかかれば砕けないものはないし、僕の雪丸に切り裂けないものはないので、問題にはならなかった。
 確かにスヴァローグは強力で凶悪だったけど、総合的に見れば戦いやすい相手と言う印象が強い。

 まあ、なんとかなるでしょ。

 そう楽観的に思考を閉じた僕は、平然とした調子のまま扉を開け放った。









 扉の奥。
 プレイヤーが扉を開けたのを感知して、部屋に明かりが灯る。
 それでもなお暗い部屋はかなり広く、僕が記憶しているボス部屋の広さとほぼ同じだ。 薄暗い部屋の中央には、恐らく話しに出ていた剣だろう。 スヴァローグが吐いていた火炎を彷彿とさせる紅蓮の大剣があった。

 「行きますか」
 「おー」

 僕の気合の入っていない声に続いて、やる気が感じられないアマリの緩い声。
 僕たちが部屋の中央に進むと、床に突き刺さった大剣が鳴動して、やがて仄かに発光する。 それが合図だったのか、何もない宙空に粗いポリゴンの塊が幾つも出現し、次第に形を持っていく。 ドラゴンのフォルムを粗方完成させたところで地の底から響くような重低音の雄叫び。 そして、それは完成した。

 「あっはー、やっぱり大きいですねー」

 明らかに場違いな緩い声のアマリに苦笑いを浮かべつつ、僕はそれを見上げる。

 ゴツゴツとした鱗に覆われた巨体。 鋭い爪を有する四肢。 恐ろしく長い尾。 曲刀に匹敵するほど鋭く発達した牙。 招かれざる客を睥睨する瞳。
 Svarog Emperor Dragon the Shadow。 龍皇の影。
 その名に相応しい、漆黒の龍がそこにいた。

 「じゃあ殺るよ」
 「じゃあ殺るです」

 同時に漏れた僕とアマリの声。 見るまでもなく、僕たちの表情は愉悦に歪んでいるだろう。

 さあ、殺し合いの時間だ。









 先手を打ったのはスヴァローグ。
 獰猛な一鳴きの直後、その長い尾を叩きつけるように振り下ろす。
 直撃を受ければ冗談ですまないダメージを被る一撃ではあるけど、縦方向に振り下ろされる尾に当たるほど僕たちは間抜けじゃない。 余裕を持って左右に散開した僕たちは、スヴァローグの一撃で揺れる地面を踏みしめながら、攻撃直後の無防備な獲物に肉薄した。

 敏捷値に殆どのレベルアップボーナスを注ぎ込んでいる僕の方が、当然のように先にスヴァローグを射程に捉えた。
 駆けながら雪丸の切っ先を後方に流し、スヴァローグの巨体の真下で急制動。 そこで雪丸の刀身が妖しい紅色に染まる。

 「ーーっ!」

 無言の気合を弾けさせ、雪丸をとてつもない速度で振り上げた。

 単発重攻撃《血桜》
 薙刀のソードスキルの中でも破格の威力を誇る一撃は、唯一鱗のないスヴァローグの腹を一文字に斬り裂く。
 軽量級の薙刀使いである僕は普段、当然だけど出の早いスピード重視のソードスキルを好んで使う。 高威力のソードスキルを使って敵を圧砕するのはアマリの役目だし、そもそも僕の筋力値で重攻撃系のソードスキルを使ったところでダメージ量はたかが知れているからだ。 それに、異常な切れ味を持つ雪丸は重攻撃との相性があまり良くない。

 なら、どうして重攻撃の中でも筆頭の《血桜》を使ったのかと言えば、答えは至極単純。
 《血桜》は高威力が売りであると同時に、相手にノックバック(それは、かなりの、と注釈を加えなければならないほどの)を与えることが売りなのだ。
 さすがに僕の低い筋力値で繰り出した《血桜》では、スヴァローグのような大型モンスターにそこまで凄まじいノックバックは起こせない。 起こせないけど、それで十分なのだ。

 「あっはぁ!」

 どうせこれは、敏捷値に劣るアマリの一撃を確実に当てさせるためのサポートなのだから。

 アマリの余りある筋力値を活かした跳躍は、翼で空を飛ぶスヴァローグの頭上を優に超える。 スヴァローグの巨体の真下にいる僕には見えないけど、見なくてもそれは分かった。 そして、アマリが使うであろう必殺のソードスキルも。

 硬直が解けると同時にその場から飛び退いた僕の耳に、ズンッと言う、硬い鱗が発するとは思えない絶望的な音が届く。 直後、ディオ・モルティーギの禍々しい刃がスヴァローグの身を裂いたのだろう。 僕が先程までいた場所にその巨体が勢い良く墜ちた。

 同じく単発重攻撃《デストロイ・ノヴァ》
 物騒な名前の通り、新星すらも破壊せんばかりの勢いで振り下ろすその一撃は、ディオ・モルティーギの重量に後押しされて更に威力を増す。 あんなものを喰らえば僕のHPは9割以上喰われてしまうだろう。 だから、スヴァローグが地に墜ちるのも仕方がないのだ。

 龍皇を地に墜とすなんて、不遜極まりないことをした張本人が危なげなく着地するのを視界の端に捉えながら、僕は安堵の息を漏らす

 予想通り、スヴァローグは弱体化していた。 いや、予想以上に、か。

 フロアボスだったスヴァローグはHPバーを6本持つとんでもない強敵だったけど、このスヴァローグはHPバーが3本。 あくまで体感ではあるものの、そのステータスも大体半分程度にまで落ちている。 そうでもなければ、さすがにアマリの一撃とは言え、あそこまで勢い良く墜ちはしないだろう。

 だから漏らしたのは、あるいは落胆の息だったのかもしれない。

 (なんだ。 もう少し殺り甲斐のある相手かと思ってたけど……)

 見れば、スヴァローグの1本目のHPバーは既に3割も削れている。 油断はしないけど、この分だと予想よりも早く終わりそうだ。

 (まあ、さっさと終わるならそれでもいいけどさ)

 でも……

 「もっと楽しませてほしいなぁ。 じゃないと……」

 面白くないでしょ? 

 

龍皇の遺産 02

 (うーん……)

 火炎ブレスを危なげなく回避した僕は、スヴァローグに肉迫しながら内心で首を捻っていた。
 なんて言うか、違和感があるのだ。

 戦闘が始まってからではなく、もっと前から付き纏う違和感。
 ヴェルンドさんの話しを聞きながら、どこかに感じていた違和感。
 実際に戦って見れば分かるかと思って放置していたけど、その違和感の正体がまるで分からない。 と言うか、その違和感がなんとなく増している気さえする。

 (これでも頭は回る方なんだけどなー)

 自慢でもなく、そんなことを思った。
 狂人スイッチが入ってしまった弊害で、普段は回る頭が余り回っていないのは自覚している。 今は完全に入っているわけじゃないけど、それでも戦闘が……否、殺し合いが愉しくて愉しくて考えることに意識を向けられない。 意識の大半は獲物であるスヴァローグに向けられている。

 「あっはぁ!」

 アマリの両手斧2連撃ソードスキル、《イグニッション・キル》がスヴァローグの長大な尾を断ち切ると、2本目のHPバーが消失する。 残り1本になれば攻撃パターンが変わるのは通例なので、僕はスヴァローグへの接近を放棄してその場で止まり、アマリも硬直が解けてからその場を離れた。
 狂っていようと冷静に。 別に死にたがりと言うわけではないので、それは僕たちにとってルールのようなものだ。

 と、スヴァローグが大きく吠えた。

 やっぱり攻撃パターンが変わるのかな、なんて思いながら警戒していると、当のスヴァローグは両翼を勢い良く広げて飛翔する。 部屋中に突風が吹き荒れるけど、それに攻撃の意味はないらしく、僕のHPは僅かも減りはしない。 つまりあれは攻撃ではなく何かの準備らしい。
 グングンと高度を上げ、スヴァローグの巨体は天井付近まで届いた。 あの高さまで行かれるとこちらの攻撃は届かないだろう。 投げナイフを使った投剣スキルなら問題なく届きはするけど、さすがにあの硬い鱗に有効打を与えられるほど、僕の投げナイフは残念ながら威力がない。

 視線を巡らせると、同じく不審に思っているのか、首を傾げているアマリと目が合った。
 あの手の大型モンスターを複数人で相手にする場合の基本として、互いに援護し合える位置取りにはいるものの必要以上に近付かないようにしている。 もしも広範囲攻撃に2人揃って巻き込まれたら目も当てられないからだ。

 言葉を交わさずに互いが疑問を抱いていることを確認した僕たちは、そのまま合流するでもなく、未だ飛翔を続けていた。

 「いい加減、降りてきてくれないかなー」

 と、そんな僕の呟きが聞こえたからではないだろうけど、望みが早くに叶うこととなる。
 上空から僕たちを睥睨していたスヴァローグの瞳がギラリと光ったと同時に、部屋の中央に向かって急降下を始めたのだ。 中央?

 その攻撃に、僕は益々首を傾げる。
 僕とアマリはそれぞれ散ってはいるけど、部屋の中央にいるわけではない。 当然、そこに向かって急降下しても僕たちに対する攻撃にはならないだろう。

 (つまり、攻撃じゃない?)

 あるいは、着地の衝撃に攻撃判定があるのかもしれないと警戒してはみるけど、もしもそうだった場合は衝撃波のエフェクトが見えるので回避は割と簡単だ。

 と、

 (…………)

 そこで、

 (…………っ!)

 何故かは分からないけど、ゾッとした。

 「アマーー」

 アマリの名を呼ぼうとして、けれどその声はスヴァローグが地面に衝突した時の爆音で掻き消される。 警戒していた衝撃波のエフェクトは発生しないけど、代わりにとてつもない噴煙が立ち上ったのを見て、僕は戦慄の正体を悟った。

 そう。 違和感はずっとあったのだ。
 単純で、だからこそ見落としていた違和感。

 スヴァローグはドラゴンタイプだ。 フォルムは分かりやすい西洋龍のそれで、フロアボスだった頃とまるで変わっていない。
 けど、けれどだ。 依頼主であるヴェルンドさんは龍人族を自称していたし、その姿はまさに龍と人との中間に位置する龍人そのものだった。 そんな龍人族の彼は言った。 龍皇のことを指して『我ら龍人族が長』と。
 それは龍皇もまた、龍人族と言うことに他ならない。 そもそも、ドラゴンタイプのスヴァローグがどうやって剣を使うと言うのだ。
 愛剣と言う以上、剣を日常的に使っていたはずで、つまり、龍皇も龍人の姿になれると言うことだ。

 僕がその結論に達した瞬間、再び部屋中に突風が吹き荒れた。
 着地の衝撃による噴煙が晴れ、そこにいたのは大剣を振り切った姿勢の龍皇だ。

 紅蓮の髪と瞳を持つ龍人族の長が、その逞しい両腕で大剣を手にそこにいた。

 「アマリっ!」

 今度こそアマリの名を叫んだ。
 瞬間、龍皇の巨躯が霞むような速度でアマリへと飛ぶ。

 その攻撃が予想外だったのか、あるいは予想通りだったけど避けられなかったのかは分からない。 そのどちらであったところで同じことだろう。

 「う、ぎ……」

 アマリが短い呻き声と共に吹き飛ばされた。
 それは、まるで冗談のような光景だ。

 小柄な身体に不釣り合いな筋力値と、圧倒的な重量を誇るディオ・モルティーギを有するアマリが吹き飛ばされるなんて、フロアボスの一撃を正面から受け止めない限りはそうそう起こらない現象だ。 つまり、今の攻撃はフロアボスクラスと言うことになる。
 それでいて霞むような速度でアマリとの距離を詰めた機動力は、明らかに僕より速かった。

 とは言え、アマリもただ攻撃を受けたわけではなく、ディオ・モルティーギできちんと受け止めていたらしい。 HPの減少はそこまでではなかった。

 安堵の息を漏らす頃には、僕は既に龍皇との距離を詰め、雪丸を振り下ろしていた。
 アマリに意識を割いていたのか、はたまた敏捷値が低いのか、雪丸は狙い違わずに龍皇の首を斬りつける。 が、防御値が異常に高く設定されているらしく、雪丸を持ってしても微々たるダメージしか受けていない。

 (まあ、それでもいいけどさ……)

 ダメージを受けなかったところで、僅かに怯むことに変わりはない。 そして、その僅かな隙が僕の狙いだ。 僅かな隙があれば、ソードスキルを使える。

 使用するのは《血桜》。 妖しい紅色の一閃は、狙い通りに龍皇を吹き飛ばした。
 当然と言えば当然だけど、ドラゴンタイプのように巨大なモンスターを吹き飛ばすことはできないけど、今の龍皇は龍人としてのそれだ。 吹き飛ばすのは容易い。 それでも恐ろしい防御値によって、与えられたダメージは1割にも満たないけど。

 「あっはー、ビックリしたですよー。 まさか、私が力勝負で押し負けるなんて、ちょっと屈辱です」
 「アマリが押し負けるなら、僕なんて紙屑同然だろうね。 でもまあ、僕としてはあっちの方が殺りやすいけど」
 「じゃあ、いつものようによろしくです」
 「はいはい」

 隣に立ったアマリに苦笑いを返しつつ、僕は雪丸の切っ先を龍皇に向ける。

 凄まじい筋力値を有する代わりに、敏捷値はそこまで高くないのだろう。 初手のアマリに接近した時のあれは、筋力値の補正がかかる跳躍で、だから速かっただけだ。 だとすれば、直線的な移動は可能でも、小回りは効かないと言うことで、それはつまり、僕にとっては格好の獲物だ。

 先に動いたのは僕。

 吹き飛ばした龍皇との距離を一足で詰め、ソードスキルを使わずに雪丸を振るった。
 とは言え、薙刀は基礎攻撃力のパラメーターが軒並み低い。 一部に例外はあるものの、そもそも薙刀は女性が使う武器と言う色が強いからだ。
 史実的な話しをすれば、平安時代の武士が好んで使った雄々しい武器ではあるけど、現在の武道としての薙刀(正確には平仮名表記で、なぎなた)は圧倒的に女性の競技者が多い。 だからだろうけど、SAOの薙刀も筋力値が低くても使える物が多いのだ。
 閑話休題。

 言ったように龍皇の防御値はかなり高い。 対して僕の筋力値はかなり低い。
 けど、ここで活きてくるのが薙刀の特性だ。

 僕の相棒、雪丸は柄だけで6尺(約180cm)もあり、刀身を含めた全長は9尺(約270cm)にもなる。 SAOに存在する長物武器の中でもトップクラスの長さだろう。
 長い。 それはつまり、間合いが広いと言うこと。 そして、間合いの広さは使用者に二つの恩恵をもたらす。
 まず一つに相手の間合いに入らずに攻撃が可能と言う、明らかに卑怯な安全性。 もう一つが、長い柄の先に刀身がある……端的に言えば重心が先端に集中しているが故の、遠心力による攻撃速度と火力の両立。

 「ぜ、やあっ!」

 僕の絶大な敏捷値にものを言わせた、凄まじい速さの斬撃。 そこに遠心力が加わって瞬間的な火力を押し上げると同時に、速度にまで補正がかかる。
 それは、余裕のタイミングで構えられた大剣の防御を軽々と無視して龍皇の身体を浮き上がらせる。 もっとも、浮き上がったのは一瞬で、吹き飛ばすまでには至らないけど、その隙に僕は雪丸を引き戻して切っ先を龍皇に向けた。

 身体は左足を前に出した半身。 柄頭側の手を右足の付け根に、切っ先を龍皇の鳩尾に。 攻守共に転じやすい、いわゆる中段の構え。

 崩された体勢を立て直した龍皇は、僕を紅蓮の大剣で薙ぎ払おうと一歩踏み出すけど、そんな単純な接近を僕が見逃す道理はない。

 「残念だけど」

 踏み出したばかりの右足を一閃。 継いで、右足に斬撃を受けて動きを鈍らせた龍皇の、左腰辺りから右肩口に向かっての振り上げ。

 「あなたの剣は僕には届かない」

 静かに言いつつ、僕は雪丸を振るい続ける。

 どれだけ紅蓮の大剣が大きかろうと、雪丸の前ではさしたる意味もない。 僕に攻撃を当てようと思えば接近するしかないけど、接近する前に雪丸の刃が龍皇の身を削る。 ソードスキルを使わない攻撃は、それでも着実に龍皇のHPを微々たる速度で喰い続けた。

 「龍人形態がもう少し大きければ、あるいは勝ち目もあっただろうね」

 あるいは僕の間合いを超える一撃があれば、きっと僕を退けるくらい簡単にできただろう。
 でも、これが現実だ。

 巨大な龍の姿であればアマリのディオ・モルティーギの餌食だし、龍人の姿であれば僕に削り殺される。
 結局、どちらであれ龍皇の死は確定だった。

 「本当に残念だよ」

 僕の言葉に反発したのか、それともジリ貧の現状を打開しようと目論んだのか、果たしてどちらなのかは分からないけど、龍皇の持つ大剣の紅色が一際鮮やかに輝く。

 ソードスキル発動のエフェクト。

 大剣を片手で高々と掲げるその構えを僕は知らない。 ボスモンスター専用のソードスキルだろうそれは、きっと必殺の威力を有しているはずだ。 龍皇の筋力値による一撃を受けてしまえば、紙っぺらのような防御値しか持たない僕のHPなんて一瞬で消えるだろう。
 軌道の分からない初見のソードスキルを完全に回避するのは至難だ。 だからこそ僕は、後退することなく雪丸を紅蓮の大剣の切っ先に突き出す。

 ソードスキルが発動する直前、雪丸の刃は狙い違わず大剣の先を突いた。
 徹底的に鍛え続けた敏捷値による神速の突き。 それに押された大剣の刀身は、纏っていた紅蓮の光を消失させて後ろに揺らぐ。
 一瞬ではない完全な隙に、今度は雪丸が淡いブルーの光を帯びる。

 使用するソードスキルは《雪月花》
 長物武器に有るまじき速度と俊敏な動きで左右から龍皇の身に殺到する斬撃。 刹那の間を空けて繰り出される、殆ど真下からすくい上げるような一撃は龍皇の身体を浮き上がらせ、雪丸と僕自身との回転によって生じる莫大な遠心力を孕む横薙ぎの一閃は、宙空で揺らぐ龍皇を切り裂いた。

 薙刀の熟練度をカンストすると同時に習得した、6連撃にも及ぶ最上位ソードスキル、《雪月花》は、半分以上あった龍皇のHPバーの全てを喰らい尽くした。

 「龍人族の皇帝。 あなたの眠りがせめて穏やかであることを祈るよ。 だから……」

 僕の祈りと同時に、龍皇の身体は微細なボリゴンの破片になって砕け散る。
 雪のように降り注ぐそれを見ながら、僕は言った。

 「おやすみ」 

 

龍皇の遺産 03

 「うー、美味しいところがフォラスくんに攫われてしまったです……」

 龍皇を殺し尽くした僕たちは、もう用のない鉱脈を歩いていた。 クエストの目的である鉱石は目標数を確保してあるし、ヴェルンドさんから頼まれていた龍皇の愛剣も回収済みだ。
 ちなみに、その大剣は僕が持てるような重量ではなかったので、アマリが両手に抱えている。。 要求筋力値が冗談みたいに高くて、アマリでさえ保持が精一杯らしい。 『これを振り回すなんて不可能です』といつもの緩い口調に悔しさを滲ませていた。

 そのアマリさんは、龍人形態になった龍皇を僕が1人で殺してしまったので、大変にご立腹だ。 強敵を殺したがるあたり、完全に戦闘狂(バトルジャンキー)だろう。 もっとも、それに関しては僕もそうだから何も言えないけど。

 「でもほら、仕方ないでしょ? 人型なら僕の方が適任なわけだし、そもそもそれを言うならHPバー2本は殆どアマリが喰い尽くしてたよね?」
 「それはそれ、これはこれ、ですよ。 ぶっ殺し足りないです。 殺戮が足りないです。 もっと殺したいですー」
 「分かった分かった。 了解したともさ。 じゃあ、ヴェルンドさんに報告したら、迷宮区でモンスターを殺し尽くしましょうねー」
 「それは元々の予定です! 私はもっと大きい奴をぶっ殺したいのですよ」

 完全に危険な発言のアマリ。
 現実でこんなことを言っていたら問答無用で逮捕されるだろう。
 まあ、基本的にアマリはこの調子なので、変わり者が多い攻略組の中でも奇人変人扱いを受けている。 ついでに、僕もその扱いだ。

 さて、今はそんなことよりもアマリの機嫌を直すことが先決だ。 この状態を放置していると、フロアボスに単身で挑みかねないし(以前、それが現実になりかけて必死で止めた)、そうならなかったとしても、いじけたままのアマリを放っておくなんて僕にはできない。 やっぱりアマリには満足して欲しいのだ。

 「と言っても、74層のフィールドボスはもういないからなー。 かと言って迷宮区に大型モンスターは出ないし……」
 「じゃあ、クエストはどうです? 大型モンスターをぶっ殺す系のクエスト。 きっとアルゴのお姉様なら知ってるですよ」
 「ん、それは妙案。 どうせまた、とんでもない情報料をふんだくられるだろうけど、まあ、レベリングにもなるしね」
 「じゃあ決定ですねー。 あはー、今からとっても楽しみです」
 「それは良かった」

 ようやく楽しそうに笑ったアマリを見て、僕も笑い返す。
 その笑顔が危ない笑顔だとか、楽しみにする内容が血生臭いだとか、この際気にしない方向で行こう。 それに、大型モンスターを殺すなんて僕としても楽しみだし。

 そんな狂人の会話を交わしていると、ヴェルンドさんが開いてくれた道のある場所まで戻ってきた。
 道は相変わらず健在で、僕とアマリはその前で止まる。

 「それにしてもさ。 なんて言うか嫌な話しだよね」
 「ですです?」

 僕たちプレイヤーは、色々な理由で何体ものモンスターを殺し続けてきた。 モンスターは茅場 晶彦の手によって生み出された仮初めの命だと、多くのプレイヤーは認識しているだろう。
 けど、僕は違う。 きっとアマリもそうだ。
 モンスターは生きていると、たとえシステムに動かされている仮初めの命でも生きていると、そう認識している。 だからこそ、僕もアマリもモンスターを『倒す』ではなく『殺す』と言っているのだ。
 そして、そう認識しながらも、僕たちはモンスターを殺すことに躊躇いを覚えたことはない。 生きるため、目的のため、モンスターを殺し続けてきた。 何体も何体も何体も、ずっと殺してきた。

 ヴェルンドさんが慕う龍人族の皇帝を殺したことを後悔はしていない。 彼を殺さなければ僕たちの解放はあり得ないのだから、これからだって殺し続けるだろう。

 「この手を血で染めて、そうまでして向こうに帰る理由が僕にはある。 向こうに置いてきたことがある。 今更、後悔なんてしてないよ」

 僕もアマリも重度のネットゲーマーだ。 だから、モンスターを殺すことに慣れているし、モンスターを殺すことが楽しいと感じている。
 ゲームが好き。 戦うことが好き。 戦うことが好きと言うことは、即ち殺すことが好きと同義だ。

 この世界であればそれは奇人変人扱いで済んでいるけど、現実では異常者扱いだろう。 最悪、それなりの施設に収監されかねない。
 もちろん、僕にだって分別はある。 プレイヤーを殺すことを楽しんだりはしない。 少なくとも今は。
 でも、この先もそうあれる保証はどこにもないのだ。 いつかプレイヤーを……人を殺すことを楽しいと感じるかもしれない。
 そう。 ()()()()()()()

 何度でも言うけど、僕は何も後悔していない。 モンスターを殺したことも、プレイヤーを殺したことも、全く後悔していない。 けど、そんな自分が怖くなる時がある。

 いつか僕は、現実でも人を殺すんじゃないか? 自分のために人を殺すんじゃないか?
 僕は自分が狂っていることを自覚しているけど、それでも冷静な部分は残っていて、その冷静な自分が狂人の自分を見て思うのだ。
 怖い、と。

 「昔からどこかネジが飛んでたと思うよ。 でもさ、ここに来てそれが決定的になって、だけどやっぱり後悔してないんだ。 後悔できない。 それってもう、人間じゃないんじゃないかなー、とか思うわけですよ」
 「大丈夫ですよー」

 自嘲気味に吐いた支離滅裂な言葉を、アマリはいつもの緩い口調で否定した。 それは迷いのない即答だった。

 「大丈夫ですよ、フォラスくん。 確かにフォラスくんは頭のネジがぶっ飛んでるですけど、私はそう言うフォラスくんも含めて愛しちゃっているのです。 もしもこの先、フォラスくんが人を殺したとしても、どんなことをしたとしても、私はそんなフォラスくんを変わらず愛し続けます」
 「…………」
 「それにですねー。 私の頭もネジがぶっ飛んでるですからお揃いなのですよ。 今はそれでいいじゃないですか」

 そう言って笑うアマリの表情は、はにかむような照れ笑いだった。
 文脈にそぐわない表情。 だけど、僕はそんなアマリに何度も救われ、そして今も救われる。

 「難しく考えるのはフォラスくんの悪い癖ですよ? 頭空っぽにしていいのです。 ネジがぶっ飛んでてもいいのです。 私はフォラスくんが隣にいてくれるだけでいいと、本気で思ってるですよ」
 「そっか……」
 「フォラスくんは違うですか?」
 「そうだね。 僕もそう思うよ、本当に。 アマリが隣にいてくれるだけでいい……。 うん、その通りだね」

 考えることを放棄する。
 アマリが僕の隣で笑ってくれる。 それだけで大抵のことはどうでもよくなるのだ。 我ながら単純だけど、結局はいつものように僕も笑った。

 「さてと。 じゃあ、ヴェルンドさんに報告しよっか」
 「はいですよー」

 目の前にあるのはヴェルンドさんが開いてくれている道。
 隣にいるアマリが、両手で持っていた大剣を肩に担いで手をこちらに伸ばす。 僕がその手を握ると、ぎゅっと握り返された。












 「ありがとう」

 アマリが持ってきた龍皇の大剣を渡した直後、ヴェルンドさんはとても嬉しそうにそう言った。

 「これで奥方様も気が晴れるであろう。 重ねて礼を言う。 ありがとう、人間たちよ」
 「お礼はいらないよ。 僕たちには僕たちの目的があったからね」

 元々の予定とは大きくずれたけど、僕はヴェルンドさんに目的の鉱石を渡す。 クエストログの更新を知らせるメッセージを視界の端に収めながら、またも嬉しそうに表情を綻ばせるヴェルンドさんと目を合わせた。

 「さて、謝礼の品だが……」

 何を迷っているのかは知らないけど、一瞬だけ途切れた言葉の好きに僕は言う。

 「その前にひとつ、ヴェルンドさんに言っておくことがあるんだ」

 ひとつだけの心残り。

 「僕たちは、あなたが慕う龍皇を殺した」

 ずっと言おうと思ってことことだ。
 黙っていることもできたけど、それはヴェルンドさんを騙しているようで嫌だった。 もしもこの言葉にヴェルンドさんが怒り、僕たちに復讐しようとしても、それでも言っておきたかった。
 モンスターだけじゃない。 NPCだって生きているんだ。 だから僕は、ヴェルンドさんに対して誠実でありたい。

 けど、ヴェルンドさんの反応は、僕の予想を大きく超えていた。

 「改まって何かと思えば、なんだ、そんなことか」
 「…………」

 あまりにアッサリとした反応に僕のリアクションが追いつかない。
 いやまあ、別にヴェルンドさんとバトりたかったわけじゃないけど、いくらなんでもその反応は淡白すぎないかな?

 「ふん。 言ったであろう? 塔の守護を任されていた龍皇様がいずれ貴様らに討たれることなど、言われるまでもなく覚悟しておったわ」
 「でも……でも、僕たちは……」
 「我は貴様らを責めたりなどせんよ。 貴様ら人間にも目的があるのだろう? 龍皇様を討ったことを許せはせんが、それを恨む道理もない。 何より、あのお方は武人だ。 戦場で果てられたのであれば、きっとご満足なさったはずだ」

 少しだけ悲しそうに、だけど、どこか誇らしそうにヴェルンドさんは言う。

 「龍皇様は守護者として。 貴様らは剣士として。 互いが互いの存在を賭けて争った結果ならば、部外者である我が口出しなどできんよ。 まして、復讐などしてしまえば、我が龍皇様に殺されてしまうわ。 なんだ、恨み言でも期待していたのか?」
 「いや、そう言うわけじゃ……」
 「貴様らは龍人族が最強の男を討ち取ったのだ。 ならば胸を張れ。 貴様がその調子では龍皇様が浮かばれん」
 「……はい」

 姿勢を正して頷いた僕に、ヴェルンドさんは穏やかな笑みを浮かべた。

 この一幕を現実主義者が見れば、『そんなものもシステムによってなされた応答だ』と言うだろう。 でも、僕はそんなことを思わない。
 正直、ヴェルンドさんの言葉は理解できないけど、それでも分かる。 きっとヴェルンドさんにとって、龍皇は誇りなのだ。 だからこそ、そんな龍皇を討ち取った僕たちを称賛こそすれ、罵倒する理由がないのだろう。

 「しかし、貴様は気持ちのいい男だな。 我に黙っていることもできただろうに。 もしも我が貴様らに復讐の意思を向けたとしたら、貴様はどうしていたのだ?」
 「殺すよ。 僕自身とアマリの命を脅かすなら、たとえ僕たちに非があっても関係ない。 僕は僕とアマリのためにあなたを殺す」
 「ふん。 全くもって正直な男だ」

 そう言って、ヴェルンドさんは大きく笑った。 

 

戦慄の記憶 01

 「ちょっと待テ。 スヴァローグ・ザ・エンペラー・ドラゴンと2人だけで戦ったって言うのカ?」
 「うん、まあ。 て言ってもかなり弱体化してたよ。 体感だけど、フロアボスだった頃の半分くらいのステータスかな。 攻撃パターンは殆ど一緒。 厄介なブレス攻撃はなかったけど、HPバーが最後の1本になると龍人形態になるから、それが注意点だね。 細かい攻撃パターンと攻略法は後でメッセージにして飛ばすよ」
 「フー坊の無茶苦茶さ加減は相変わらずだナ……」

 鼠の情報屋さんこと、アルゴさんは盛大なため息を吐いた。
 なんて言うか、激しく大きなお世話だけど、それでも一応は僕たちの心配をしてくれているみたいだから文句を言ったりはしない。

 「ところデ、マーちゃんはどこに行ったんダ? フー坊が1人なんて珍しいことも……いや、そうでもないカ」
 「察してくれて何よりです。 アマリはでぃーちゃんの強化をお願いしに行ってるよ。 元々の口実はそれだったからね」
 「その間に別の女と密会しているト……。 ニャハハ、フー坊は浮気者だナ」

 一転、楽しそうに笑うアルゴさんにジト目を送るけど、当の本人はまるで気にしていない様子だ。
 アルゴさんがこの調子なのはいつものことなので、今度は僕がため息を吐いて話しを進める。

 「まあ、浮気者で良いけどね。 で、クエストの話しだけど、報酬は強化素材、《ドラゴニュート鉱石》。 重さ(Heaviness)丈夫さ(Durability)の添加材に1個使うだけで、強化回数に関わらず成功率を最大に引き上げてくれる上に、強化が成功したら武器の全ステータスが5上昇するって言う、とんでもないレア素材だよ」
 「個数ハ?」
 「2人で40個。 元々はでぃーちゃんをインゴットに戻す予定だったけど、おかげで強化だけで済むよ」
 「確カ、でぃーちゃんの強化試行上限数は72だったナ」
 「よく覚えてるね。 で、残りは51回。 今が+18だから、多分、+50にはなるんじゃないかな。 そうなれば当分は使えるだろうね」
 「+50って強化レベルの上限じゃないカ」

 驚きすぎて逆に冷静になっているアルゴさんに僕は頷いた。
 まあでも、その反応は仕方ないと思う。
 何しろ、フル強化に成功すれば、武器の全ステータスが160も上昇する計算だ。 そうなれば今の最前線どころか、下手をしたら100層までだって十分に通用する可能性だってある。 と言うか、今までの傾向を見ている限り、敵側の大幅なレベルアップでもないとそれは現実になるだろう。
 当然、今でもとんでもなく重いディオ・モルティーギが更に重くなるわけだけど、それも大きな問題にはならないはずだ。 問題があるとすれば、でぃーちゃんを抱き枕に使うとベッドが崩壊するだろうと言うことくらいで、それはこれから考えればいい話しである。

 とは言え、問題はディオ・モルティーギに関することだけじゃない。
 ドラゴニュート鉱石の噂が広まれば、それを求めてクエストに挑むプレイヤーが激増するだろう、と言う現実的な問題がある。
 《龍皇の遺産》は結婚しているプレイヤー限定のクエストだ。 それを受けるためだけに結婚するプレイヤーは増えるだろうし、そうなればそれに比例してトラブルも増えるだろう。
 けど、僕が懸念している問題はそれでもなくて、もっと単純に、無茶な挑戦で死者が増えるかもしれないことだ。

 SAOがデスゲームである以上、死の危険に飛び込まないのが普通だけど、多くのプレイヤーがそれを無視してでもクエストに挑戦しかねない。 それだけの価値……言ってしまえば魔力がドラゴニュート鉱石にはある。

 僕と同じ懸念を抱いたらしく、アルゴさんも苦い顔で黙っていた。

 「情報規制が必要だろうね。 少なくとも、中層ゾーンのプレイヤーには知られないことが大前提。 じゃないと、死人が出るよ」
 「そうだナ」
 「と言うわけで、僕が口止め料を払うよ。 とりあえずは1万コルでいいかな?」

 言って、僕はアルゴさんの返事を待たずにトレードウインドウを開いて金額を入力する。 これはアルゴさんの主義を考慮しての提案だ。

 デマとゴシップは売らない。 それ以外なら売れるネタはなんでも売ると言うのがアルゴさんの主義だ。
 なんでも、と言う表現に含まれる内に例外はいくつかあるけど、今回の情報に関して言えば例外には含まれない。 あくまで正当なクエストの正当な報酬に関する情報だからだ。
 たとえ死者が出かねないと言っても、アルゴさんはその主義を貫くために問われれば答えなければならない。 デマを売らないと言う主義があるので嘘の情報を流すわけにもいかないし、情報屋の信頼を保つためにも理由もなく秘匿することはできないだろう。

 そこを踏まえての僕からの提案だ。
 僕が口止め料を支払えば、アルゴさんは主義を曲げることなく情報を明かさずに済む。 そして、口止め料を受け取ったことを理由にすれば情報屋としての信頼は僅かたりとも傷付きはしない。
 アルゴさんの情報には普段からお世話になっているので、この辺りでその恩を返すのも悪くないだろう。 それに、僕の身内がアルゴさんの主義を何度か曲げさせているので、その謝礼と言う意味もある。

 そんなあれこれを、僕は当然だけど口には出さない。 でも、アルゴさんも察してくれたらしく、『分かっタ』といかにも渋々と言った声音で答えてコルを受け取った。

 けれど、そこで終わらないのがアルゴさんのアルゴさんたる所以だ。
 僕に何を言うでもなくウインドウを操作してストレージから羊皮紙でできたスクロールを取り出すと、それを無言で放ってきた。

 「これは?」
 「スピード系の素材をドロップするMobとクエストの情報ダ。 今日は気分がいいからやるヨ」

 素っ気ない風を装っているのは照れ隠しをしているからだろう。 僕としては口止め料を払った正式な依頼だけど、アルゴさんにとってはそうじゃなかったらしい。 普段はふてぶてしいのに変なところで義理堅いのは相変わらずだ。
 ここで下手に遠慮しようものなら、多額のコルを請求されるのがオチなので、僕はアルゴさんの気分が変わらない内に羊皮紙をストレージに収めた。

 「ありがとね。 ドラゴニュート鉱石は雪丸の強化に向かないから困ってたんだけど、これでなんとかなりそうだよ」
 「どうせ気まぐれだしナ。 それに、お得意様にはサービスしないとだロ?」
 「じゃあ、そのサービス精神をもう少し発揮してもらえるかな? ちょっとクエストを探しててね。 大型モンスターを討伐する系のクエスト。 心当たりはない?」
 「その情報は有料だナ。 3千コル……と言いたいところだけド、さっき渡した中に目ぼしいのがあるゾ」
 「そう。 なら、明日にでも言ってみようかな」

 僕がそう言ったタイミングで、丁度メッセージが届いた。 目線でアルゴさんに断わりを入れてから確認すると、差出人はアマリだった。
 どうやら強化はつつがなく終わったらしい。

 「マーちゃんカ?」
 「うん。 強化が終わったみたいだね。 でぃーちゃんの調子を見たいから来て欲しいって」
 「まさかいきなり最前線にいかないだろうナ?」
 「大丈夫だよ。 さすがにアマリも僕もその辺りは心得てるから」

 慣れていない武器で最前線にいくほど、僕たちは馬鹿じゃないし無謀でもない。 それはアルゴさんも分かっているだろうけど、それでも心配して確認する辺りがアルゴさんの優しいところだ。

 「まあ、そう言うわけだから」
 「ン、あア、さっさといってやレ。 マーちゃんを待たせると後が怖いゾ」
 「そうだね。 じゃあ、また色々とお世話になるだろうけど、またね」

 そう言って手を振ってから踵を返すと、そのまま転移門のある広場に向けて歩き出した。

 「なア、フー坊」

 と、アルゴさんの声が追いかけてくる。
 首だけで振り返るとアルゴさんは動くことなく僕をまっすぐに見ていた。
 困っているような、迷っているような、泣き出してしまいそうな、そんな複雑な表情。 それだけでなんとなく言いたいことは伝わったけど、アルゴさんはその情報を口にする。

 「奴らが動いていル」

 詳細なんてない。 どう動いているのか、何をしているのかも言わない。
 その情報は僕にとって最も聞きたくなかった情報だ。 それが分かっているからアルゴさんの表情は複雑なのだろう。

 「……そっか」

 僕はそれだけ言って、そのまま転移門に向かった。 あるいは逃げたのかもしれない。

 アルゴさんは追いかけてこなかった。 

 

戦慄の記憶 02

 笑う棺桶(ラフィン・コフィン)
 アルゴさんが言った奴らとは、確認するまでもなく彼らのことだろう。

 ラフコフの名がアインクラッドに駆け巡ったのは、今年の元日のことだった。
 大晦日の夜、観光スポットのフィールドで野外パーティーを楽しんでいた小規模ギルドを襲い、メンバー全員を殺したと、ラフィン・コフィンの名と共に主だった情報屋に送付したのが始まりだ。
 それから約8ヶ月。 彼らは多くのプレイヤーを襲い、奪い、殺し、ただただ暴虐の限りを尽くした。

 最終的には攻略組から、フロアボス戦と同等クラスの討伐隊が派遣され、既にラフコフは存在しない。
 討伐戦の際に出たラフコフ側の死者は8人。 捕縛者は36人で、戦場から逃れて生き延びているラフコフのメンバーがいることは間違いなかった。
 少なくとも5人、多ければ10人以上のラフコフの残党はいるだろうけど、その誰もが今まで大人しくしていた。 それが動き出しているのなら、ろくなことにならないのは確定だろう。

 もっとも、だからと言って僕にできることは何もないし、たとえあったとしてもやるつもりはない。 こちらにちょっかいを出してくるのなら話しは別だけど、彼らが勝手に何かをしているのなら放っておいて構わないだろう。

 僕の復讐は既に終わっているのだ。 だからもう、誰も殺さない。
 それは僕自身の誓いであり、アマリのお姉さんと僕の兄との2人と交わした約束だ。
 でも、もしも彼らが僕の周りにいる人たちを殺したりすれば、その時は約束を律儀に守ったりはしない。 そう。 そうなれば僕はまた復讐の鬼となるだろう。 《戦慄の葬者》と呼ばれたあの時のように……

 「ーーって、フォラスくん、聞いてるですかー?」

 そんないつもの緩い声で我に返ると、僕を心配そうに覗き込んでいたアマリとバッチリ目が合った。
 どうやら考え事に没頭していたらしい。 僅かな後悔と反省を胸に、至近距離にあるアマリの頭をそっと撫でてから僕は笑う。

 「ごめん。 ちょっと考え事をね。 えっと、何の話しだっけ?」
 「あんたっていっつも考え事してるわね? そんなんだと将来ハゲるわよ」

 僕の問いに答えてくれたのはアマリではなく、僕たちの向かいでコーヒーを啜っていたベビーピンクの髪のぼったくり鍛冶屋さんだった。

 ここは彼女が経営するお店、リズベット武具店の奥にある工房。 強化を終えてからもアマリと彼女はここでおしゃべりしていたらしく、迎えに来た僕も巻き込まれた形だ。
 店の方は接客のために雇っているNPCがいるので問題ないそうで、そもそもの話し、今は基本的に暇な時間帯なのだとか。 だからと言って店主が工房に篭っておしゃべりに興じているのもどうかと思うけど、僕がわざわざ心配することでもないだろう。 大体、こうして一緒になっておしゃべりをしている時点で同罪なので、僕から言えることはないのだ。

 改めてぼったくり鍛冶屋のリズベットことリズさんに視線を移す。
 アマリの冗談みたいに長い桜色の髪も大概だけど、彼女のベビーピンクのショートヘアもかなり派手だ。 ダークブルーの瞳は大きく、それでいて口や鼻は小さい。 古風なエプロンドレスに身を包んでいる姿を見ると、鍛治師と言うよりはウエイトレスと言った方が通じるかもしれない。 歳は僕よりも幾つか上だろうけど童顔で、なんて言うか可愛らしいお人形のようにも見えるけど、その実、性格はその外見を大きく裏切っている。
 気に入らないお客さんを怒鳴りつけたりすることがあったり、口もまるで大人しくはないし、おまけに失礼ではあるけど女子力はかなり低い。 それでも今は絶賛片想い中らしく(お相手は僕も良く知る人物だ)、その話しをする時は決まって女の子の顔になるので、そんなところは素直に可愛いと思える。
 僕やアマリなど、仲の良い人と話す時はあまり遠慮することがなく、今も完全にプライベートモードだ。

 「で、今度は何を考えてたの?」
 「今年のクリスマスにリズさんがしてくれるミニスカサンタが楽しみだなーって」
 「するわけないでしょ、そんなの」
 「え、しないの?」
 「なんで普通に残念そうなのよ……」

 頭痛がするのか呆れたのか、リズさんは額に手を当ててため息を吐いた。
 ちなみにリズさんはツッコミ役だ。 奇人変人が多い僕の周りにしては珍しく常識的な人で、話すのが楽しかったりする。 僕との交流に限って言えばアルゴさんもツッコミ要員だけど、あの人はあの人で間違いなく変人の部類だろう。
 例えば、さっきの話しをアルゴさんにすれば、『ミニスカサンタならしてやってもいいゾ。 1万コルだナ』と言うのが目に見えている。 更に、実際にしておいて『フー坊に辱めを受けタ。 この情報はマーちゃんにいくらで売れるかナ?』と強請ってくることも確実だ。

 「あーあ、残念。 リズさんのミニスカサンタ、結構楽しみにしてたんだけどね」
 「彼女の前で何言ってんのよ。 ほら、あんたも何か言ってやんなさい」
 「あはー、私もリズ姉様のミニスカサンタを楽しみにしてるですよー」
 「あんたもか⁉︎」
 「仕方ないなー。 じゃあ、僕がトナカイをしてあげるからさ」
 「なら、一緒にプレゼントを配って……って、しないって言ってるでしょうが‼︎」
 「じゃあ、私もフォラスくんと一緒にトナカイさんです。 あはー、楽しいクリスマスになりそうですねー」
 「人の話しを聞けー‼︎」

 リズさんの絶叫が部屋に響き渡ったところで、僕とアマリは一緒になって笑う。
 こう言う反応をしてくれるからやっぱりリズさんは面白い。

 「あー、もう、話しを戻すわよ?」
 「あ、うん。 お願いします」
 「雪丸の強化素材をどうするかって言う話しだったでしょ。 あんたの相棒のことなんだからちゃんと聞いときなさいよね」
 「あはは、面目無い。 まあ、強化素材の方はなんとかなるよ。 アルゴさんから情報を貰ったしね。 大型モンスター討伐系のクエストもあるらしいから一石二鳥なのです。 今日はディオ・モルティーギの慣らしをしないとだから、行くのは明日以降になるけどね」
 「一石二鳥?」

 事情を知らないらしいリズさんは首を傾げる。

 「クエストボスにトドメをさせなかったからアマリが拗ねてるんだよ。 だから、大型モンスターの討伐でご機嫌取りでもしようかなーって」
 「相変わらずね。 じゃあ、明日の攻略は休むつもりなの?」
 「クエストが終わったら迷宮区でも暴れるですよー。 明日は質と量を両取りの欲張りデートなのです」
 「ずいぶん物騒なデートがあったもんね。 ま、あんたたちなら大丈夫だと思うけど、気をつけなさいよね」
 「分かってるよ。 ありがとね。 心配してくれて」

 ニッコリと笑いかけると、リズさんは顔を赤らめてそっぽを向く。
 こう言う照れ屋なところはアマリにも僕にもないリズさんの美点だ。 素直に羨ましいと思う。

 それからお客さんが来るまで僕とアマリとリズさんは笑いながら色々な話しをした。









 そして、現在。
 リズさんのお店にお客さんが来たのをいいタイミングとして、僕たちはリズベット武具店を後にした。
 特にあてがあるわけではないけど、適当なフロアでディオ・モルティーギの慣らし運転をしようと転移門に向かう途中で、それまでいつも通りの馬鹿話をしていたアマリが突然、柄にもなく真剣な調子で言う。

 「ねえ、フォラスくん。 リズ姉様と話してた時、ホントは何を考えてたですか?」
 「ん? んー、そうだね。 アマリには言っておかないとだよね」

 変なところで勘のいい相棒に苦笑してから、僕もまた真剣な表情になる。

 「ラフコフが動いてるらしい」
 「…………っ!」
 「具体的な話しは聞かなかったし、明確な証拠もない情報だけど、あのアルゴさんが不確定情報を僕に言うとは思えない。 だから、彼らが動いてるのは間違いないだろうね」

 言って、僕は顔を前に固定したまま動かさない。
 街を行き交う人。 長閑で落ち着いた街並み。 平和そのもののリンダースを歩きながら、僕は続けた。

 「別に彼らが何をしていようと構わないんだ。 僕らの関係ないところで何をしようと、そんなのはどうだっていい。 でも、もしも僕の前に現れて、僕の今を侵そうって言うのなら、その時は容赦しないだろうね。 僕は僕のために雪丸を振るう。 その結果、彼らの命を奪うことになったとしても僕は躊躇わない。 だけどさ、そうなったら約束を破ることになる。 もしかしたら、また攻略組から追放されるかもしれない。 それでも僕は……」
 「そうならないといいですね」
 「うん。 そうだね」

 そして無言。

 あれだけの戦いを経て、彼らはそれでも殺人者であろうとする。 自身の快楽のため、人を殺そうとする。
 それを責めるつもりはない。
 僕も彼らと同じ殺人者だから。 そして今も、僕は僕のために雪丸でモンスターを殺し続けている。
 あの頃の僕はモンスターだけじゃない。 人すらも殺した。 何人も、何人も……。

 復讐。

 あの頃の僕にそれ以外の動機はなかった。 リーナを殺した彼らへの復讐だけを生きがいにしていた。
 もし、もしもアマリの身に何かあれば……アマリだけじゃない。 アルゴさんやリズさん、他にもたくさんいる僕の友人たちを彼らが殺そうと言うのなら、僕はまた復讐を選ぶだろう。

 でも、もうあんなことは嫌だ。 だから、彼らには大人しくしていてほしい。
 それが僕の本音だった。

 「ねえ、アマリ」
 「ですです?」
 「リーナはさ、今の僕を見たらなんて言うかな?」

 復讐に囚われ、生き返らせるために全てを拒絶し、けれど復讐は遂げられず、生き返らせることもできなかった。 だと言うのに、今は多くの人に囲まれて笑い合えている僕を見て、果たしてリーナはなんて言うのだろう?
 粗雑で粗暴なようでいて実のところ誰よりも優しかったあの片手剣士は、果たして何を思って自身の命を散らしたのだろう?

 何よりも解放を願い、どれだけ絶望的な状況だろうと弱音を吐かず、それでも死の恐怖に怯えていた彼女。 リーナの涙を、僕は一度だけ見たことがある。
 本当は怖いのだと、僕に縋って泣いたあの夜のリーナを、僕は今でも夢で見る。 夢に見て、そして何度だってそんなリーナを抱き締めるのだ。

 アマリに対して抱く想いとは別の想い。
 それは恋じゃない。 愛でもない。 かと言って友情でもなければ、もちろん家族に向ける情とも違う。
 僕は未だに、リーナに向けていた自分の想いの意味を測れないでいる。

 死者の声が生者に届くことはない。
 どれだけ望もうと、その言葉は聞こえない。
 リーナは死んだ。 死者の思いは誰にも語ることはできないし、そして語るべきではない。

 それでも僕は願ってしまう。
 リーナの声が聞きたい。 リーナの思いが知りたい。
 それが怨嗟の声だろうと、失望だろうと、僕は祈ってしまうのだ。

 「『相変わらず女々しい奴め』」

 聞き覚えのある口調でアマリが言う。

 「リーナ様ならそう言うですよ、きっと。 そう言って欲しいだけかもですけど」
 「…………」
 「フォラスくんが言うように、リーナ様が何を言うかなんて分からないです。 でも、分からないなら勝手に捏造すればいいですよ。 こう言って欲しいって思えば、それがリーナ様の言葉です」

 ロマンチックなようでいて自分勝手な思想。
 僕の頼れる相棒であり、愛する妻は笑った。

 「私はフォラスが好きですよ。 リーナのことも、リズのことも、アルゴのことも、お姉ちゃんのことも好きです。 もちろんアインのことも好きだし、エリエルのことだって大好き。 他にもいっぱい好きな人がいます。 だから、もしもまた、誰かが殺されたら復讐を選ぶでしょう。 きっと壊れてしまう。 今度こそ私は人を殺します。 フォラスにだけは背負わせませんよ」

 いつもの緩い口調じゃない、素のアマリの言葉。

 「どんな時でも一緒にいる。 そう言ったでしょう? だから、何を悩んでいるかは知らないけど、フォラスはフォラスのままでいいんです。 私も、私のままでいますから」

 普段の様子からは想像できない凛としたアマリ。
 彼女のお姉さんと共通する、ただひたすらにまっすぐな声は、僕の心に染み込んで闇を祓う。

 いつだって僕はアマリに助けられてきた。 アマリに救われてきた。
 だから僕は、何度だって笑えるのだ。 笑って、こう言えるのだ。

 「ありがとう、アマリ。 大好きだよ」
 「私も大好きですよ、フォラス」

 そう言って僕らは手を繋ぐ。
 指を絡め、ギュッと、ギュッと…… 

 

キャラクター紹介 01

 アバターネーム:フォラス レベル95
 主武器:薙刀 固有名『雪丸』
 ステータス:STR2、AGI8

 身長152cmとかなり小柄で、はっきりと女顔。 長い黒髪とあいまって性別を間違われることが多いが、純粋な男の子。 少女然とした外見を利用したイタズラをすることが多いため、自身の外見にコンプレックスはない様子。
 戦闘で邪魔にならないよう、圏外に出る前には長く伸びた髪を結ぶ。 その結び方がポニーテールなのは完全に遊び心。

 主な戦闘スタイルは、その徹底的に鍛え上げたAGIを活かしての撹乱と、仲間が大技を確実に当てるための足止め。 反則級のリーチを誇る雪丸を用いた相手の間合い外からの攻撃は鋭く、亜人型モンスターと相性がいい。 また、雪丸の長大なリーチによって生み出される一撃は数値的な火力の低さを補い、敵を容赦なく切り刻む。 加えて、攻撃範囲が恐ろしく広いため、小型モンスターや低級モンスターの殲滅も得意。
 対プレイヤー戦でも間合いのアドバンテージをフルに利用した立ち回りは圧巻の一言で、1対1の戦闘に於いてダメージをもらうことは稀。
 基本的に戦闘に於いて死角はないが、雪丸のリーチが長いため、懐に飛び込まれることを嫌う。 もっとも、懐に飛び込めるような敵は殆どいない。
 装備は基本、革と布だけの紙装甲。 金属装備は左腕を覆うガントレットのみ。

 性格は穏やかで理知的。 ただし、戦闘狂の一面がある。 アルゴ曰く『冷静な狂人』
 友人知人が傷つけられることを嫌い、もしも傷つけられれば即座に復讐に動く。
 物事を難しく考えるところがあるが、アマリが隣にいればオールオッケーな楽天家でもある。

 SAO最初期から攻略に励んでいる生粋の攻略組。
 アマリとはデスゲーム開始宣言からの付き合いで、何度も結婚を申し込まれていた。 10層攻略の最中、瀕死の状況に追い込まれ、それを脱してから結婚。 それ以降は周囲が石を投げつけたくなるほどのラブラブバカップル。
 とある事件を起こして一時期は攻略組から追放され、軍からも追われる身にあった。 攻略組に復帰した今でも軍の要注意プレイヤーリストに名前が記されていて、フォラスを目の敵にするプレイヤーも一定数存在する。
 少なくない数の殺人歴があり、『戦慄の葬者』と呼ばれることもある。

 SAOに兄がいるらしいが果たして。









 アバターネーム:アマリ レベル97
 主武器:両手斧 固有名、ディオ・モルティーギ
 ステータス:STR8、AGI2

 身長はフォラスよりも若干高い155cm。 膝の辺りまで伸びた長い桜色の髪が特徴的。 誰もが羨む可愛い系の美少女。
 フォラスとは違い、戦闘中も髪は結ばない。

 ディオ・モルティーギの驚異的な重量から生み出される膨大な火力を用いた一撃必殺の戦いが信条。 殆どの場面で力押しを選び、HP総量の少ない敵を容赦なく圧殺する。
 大型モンスターに与えるダメージに+18%もの補正がかかるディオ・モルティーギを豪快に振るう様は正に鬼神。 素早い敵との相性が悪いが、フォラスの的確なサポートによって苦もなく弾き飛ばす。
 攻略組からは、その可愛らしい外見でありながら鬼神の如き戦いをするため、『惨殺天使』などと囁かれている。
 フォラスと同じく革と布系の装備がメインで、簡素ながらも高性能の胸当てが唯一の金属装備。

 いつも緩い笑顔と緩い口調のゆるふわ系。 だが、もちろん戦闘狂。 むしろ理性が殆どぶっ飛んでいるので、フォラス以上に危険人物。 アルゴ曰く『純正の狂人』
 緩いのはあくまで演技であり、その本来の姿は凛としている。 もっとも、フォラスの前でさえあまり見せないため、それを知るものは数少ない。
 フォラスのことが何より大好き。
 人を呼ぶ時に変な敬称をつける癖がある(リズベットなら『リズ姉様』など)。

 フォラスと共にSAO最初期から攻略の最前線にいる。
 とある事件の当事者の1人。

 SAOに姉がいるらしいが果たして。 
 

 
後書き
 まだまだ2人だけのキャラ紹介。
 こんな情報が欲しいと言う要望がありましたら言ってください。 内容によっては順次補填します。 

 

久方振りの再開を 01

 昨日のあれこれを思い出して、僕はついついため息を吐いた。
 それも仕方のないことだろう。 何しろ、2年にもなるSAO生活でTOP10に入るほどのハードスケジュールだったのだから。
 龍皇の遺産をクリアしてディオ・モルティーギを強化したのは一昨日。 強化したディオ・モルティーギの慣らしは適当な階層でしたので、それ自体はそこまで苦労しなかった。

 で、問題の昨日。
 一昨日に約束してあった通り、まずはアルゴさんから貰った情報を頼りに大型モンスター討伐系のクエストを受けた。 まあ、それは別にいい。 元々の予定だったし、何より雪丸の強化のためだから頑張れた。
 けど、そこで問題が発生したのだ。
 そのクエスト、『精霊王の願い』の舞台は69層。 つまり、今の最前線よりも5階層も下で、正直な話し、クエストボスがそこまで強くなかったのだ。
 クエストボスを瞬殺(それでも普通ならフルパーティーで挑むクエストらしい)したアマリは満足できなかったらしく、その日のうちに別のクエストを受ける羽目になった。
 ちなみに、2個目のクエストは74層で受けるもので、その難易度は折り紙付き。 龍皇の遺産が優しく思えるほどの高難度クエストをなんとか進め、目当ての大型ボスも大過なく圧殺できたので、そこはまあ一安心だ。
 そして、次の問題。
 確かに約束はしていた。 けれど、大型モンスター討伐系のクエストを連続でこなしてヘトヘトだった僕を引き摺り、なんと74層の迷宮区に特攻を仕掛けるなんて、果たして誰が予想できただろう。
 連戦の疲れを感じさせずに最前線でディオ・モルティーギを両手に暴れ回る姿は圧巻で、僕は久し振りにドン引きしてしまった。 しかも、その暴走が5時間も続いたのだ。 家に帰れたのは朝の3時。 さすがに無茶苦茶過ぎる。

 「あふ……」

 欠伸を噛み殺しながら歩く僕の隣にアマリはいない。
 昨日のデートがよっぽど疲れたのか、未だにベッドでお休みだ。 しかも、案の定ディオ・モルティーギを抱き枕にして。
 ただでさえ重かったディオ・モルティーギが更に重くなったので心配していたけど、ベッドが崩壊することはなかった。 それでも、いつ壊れるか分かったものではないので、近いうちにより頑丈なベッドに買い換えるつもりだ。

 「と言うわけでエギルさん、腕の良い木工職人に伝手とかないかな?」
 「いきなりだな。 まあ、あることにはあるが」

 店に入って開口一番にそう言った僕を、エギルさんはため息を吐きながらも普通に出迎えてくれた。

 ここは、アインクラッド50層の主街区にある小さな雑貨屋。 正確に言えば故買屋だ。
 店主の趣味なのか、武器や防具、ポーションなどの道具類は当然のこと、食材だったり素材だったり、狭い店内の陳列棚には多種多様なアイテムが並べられている。 正直な話しをすると、ここ以上に品揃えが豊富で安価な店はいくつもある。 でも、僕はここの店主であるエギルさんとは長い付き合いだし、何よりこのごちゃごちゃとした雰囲気が好きなので、大体の買い物はここを利用している。

 店主の名前はエギル。
 SAO最初期から攻略に参加している古強者の両手斧戦士で、更に同時に商人系のスキルを持つ変人プレイヤー。
 日本人的なそれではない色黒の肌。 190cmほどもあるだろう大柄な彼の両腕は筋肉が隆起していて、胸板も岩のように厚い。 厳つい顔にスキンヘッドなんて言う恐ろしい外見だけど、それでいて話すととても良い人で、攻略組から追放されていた僕に変わらず接していてくれた数少ない友人だ。

 「で、なんで木工職人なんだ?」
 「んー、ベッドの耐久値が怪しくてね。 今より頑丈なやつが欲しいんだよ」
 「ベッドが? おいおい、フォラス、あんまり激しいと嫁さんに嫌われるぞ」
 「それセクハラだから」

 ニヤニヤと笑うエギルさんに軽く手を振って、今度は僕がため息を吐く。
 と言うか、言うまでもなく僕とアマリは未成年なので、そんなことになることはない。 一緒に寝ていると言ってもそれは寝ているだけで、基本的に色めかしいことは皆無だ。

 「エギルさんはアマリの武器、覚えてる?」
 「ああ、でぃーちゃんだったか?」
 「そうそう、でぃーちゃん。 で、ほら、でぃーちゃんって重いでしょ?」
 「そうだな。 ありゃあ、俺でも振れないぜ」
 「僕は持てないよ。 まあ、それは置いといて。 アマリはさ、たまにでぃーちゃんを抱き枕にするんだよ」
 「おめえを抱かないでか?」
 「だからセクハラだってば……」

 今度は深々とため息を吐くけど、エギルさんはまるで気にした風もなくニヤニヤ笑いも続行中だ。

 「おめえとアマリは結婚してるんだろ? だったらそう言う話しにならねえのか?」
 「なりません。 まったくもう……」
 「そうむくれんなよ。 てことはあれか? でぃーちゃんが重すぎてベッドが耐えられねえってことだな?」
 「そう言うこと。 今のベッドも頑丈だけど、それでも耐久値がごっそり減ってさ。 壊れる前に新調しようかなって。 腕の良い木工職人さんに依頼しておいてもらえないかな?」
 「任せろ。 っと、いらっしゃい!」

 僕との商談が終わったタイミングで丁度お客さんが入ってきた。
 商人らしい威勢の良いエギルさんの挨拶は、僕を通り越して新しいお客さんに向いている。 このままカウンターの前に居座っても商売の邪魔になるので、エギルさんには目で挨拶してカウンターから離れる。

 「あ、ども」

 カウンターから退いた僕に頭を下げたお客さんは、そのまま取引に入りたいのか、エギルさんの顔を見て、そして固まった。
 言った通り、エギルさんはかなりの強面だ。 悪役レスラー(しかも、かなり強い)みたいな風貌なので、相当に怖いだろう。 まして、くだんのお客さんは気の弱そうな感じだ。

 あーあ、これじゃあ、良いカモだよ……。

 口に出せば営業妨害になりかねないので、あくまで心の中で留める。
 エギルさんは気の良い人だけど、商人である以上、取引に手加減はしない。 気の弱そうな相手からは毟れるだけ毟り取る悪徳商人だ。
 もっとも、毟り取る相手にもエギルさんの線引きがあって、レア装備で身を包んでいるような相手だったり、お金に余裕がありそうな相手だったりからしかそう言うことはしない。 逆に、お金に困っているであろう相手には色をつけてあげたり、中層ゾーンのプレイヤーに対しては採算度外視でサービスしたりもしているので、まるっきり悪徳商人とは言えないだろう。

 ちなみに、今、エギルさんの目の前で縮こまっているプレイヤーは明らかに前者だ。
 メイン武器と思しき両手槍は華奢な造りだけど、細部に精巧な細工が施されていて、見ただけでレア装備だと分かる。 それも、たまたまのドロップ品ではなく、細工職人の手による装飾だ。 僕でも分かると言うことは、エギルさんなら簡単に分かるだろう。
 おまけに両手槍以外にも、装備している防具類にも恐らく同じ職人の手による細工が見られるので、そこそこのお金を持っていることに間違いはなさそうだ。 ボス攻略で見たことはないから、中層ゾーンのプレイヤーなんだろうけど、少なくとも彼はエギルさんにとって毟り取っていいお客さんになる。

 実際、価格交渉をしている2人を見ていると、エギルさんは人の良い笑みを浮かべていた。 付き合いが長いから分かるけど、あれは明らかに毟り取る時の顔だ。
 対する両手槍使いのプレイヤーさんは肩を狭めて小さくなっている。 どうやら、とんでもない安値での買取を言い渡されたらしい。

 ご愁傷様、と心の中で黙祷を捧げた僕は、彼とは違う新しいお客さんとバッチリ目が合った。

 「「あ」」

 完璧にシンクロした声。
 次いで、僕はニコリと笑い、その人物はニヤリと笑う。

 「やっほー、相変わらず黒いね」
 「そう言うそっちは相変わらず女の子みたいだな」

 そう言い合って、僕とキリトは軽く拳を打ち付け合う。

 キリト。
 全身黒系統で固めているこの人と僕は兄弟だ。 キリトが兄で、僕が弟。
 ちなみにキリトも攻略組で、フロアボス攻略戦の時には臨時でパーティーを組んだりもしている。 もっとも、普段のキリトはソロだし、僕は基本的にアマリとのコンビだから、それ以外でパーティーを組むことはあまりない。

 「アマリとは別行動なのか?」
 「今は夢の世界を冒険してるよ」
 「……もう夕方だぞ?」
 「昨日、ちょっと無茶してね。 さすがにお疲れなんじゃないかな?」
 「何したんだよ?」
 「大型モンスター討伐系クエスト2連続の後に迷宮区で大暴れ」
 「それ、ちょっとなのか?」

 明らかに呆れた調子のキリトに「ちょっとでしょ」と適当に返してからエギルさんの方に視線を向ける。
 どうやら一応の合意に達したらしく、エギルさんのホクホク顏がここからでも見えた。

 「よし決まった! 『ダスクリザードの革』20枚で500コル!」

 その威勢の良い声を聞いて、僕とキリトは顔を見合わせて苦笑。
 ダスクリザードの革は防具素材としてかなり良質だ。 それを20枚で500コル何て言うのはあまりにもあんまりだけど、当のエギルさんは有無を言わせるつもりはないようで、迷っている両手槍使いのプレイヤーを軽く睨むようにして促した。

 「あはは、さすがは悪徳商人」
 「鬼だな」

 向こうに聞こえないように小声でやり取り。 聞こえればさすがに営業妨害だし、それを見て笑っている僕たちも同罪だろう。

 「毎度‼︎ また頼むよ兄ちゃん!」

 豪快に笑うエギルさんと僕たちの前を通り過ぎる両手槍使いのプレイヤーとを見比べて、もう一度苦笑した。
 可哀想ではあるけど、エギルさん相手に隙を見せた彼も悪い。 次は頑張ってね、と適当な慰めを胸中で呟いていると、入れ替わるようにしてキリトがエギルさんに声をかける。

 「うっす。 相変わらず阿漕な商売してるな」
 「よぉ、キリトか。 安く仕入れて安く提供するのがウチのモットーなんでね」
 「あはは、半分嘘つきだね」
 「まったくだ。 まあいいや、俺も買取頼む」
 「キリトはお得意様だしな、あくどい真似はしませんよっ、と……」

 そう言いながらトレードウインドウを覗き込んで、エギルさんの厳つい顔が驚きで固まった。
 何事かと思って身を乗り出すけど、キリトの手元にあるトレードウインドウには何も映っていない。 設定を弄らない限り、ウインドウが本人以外に見えないのは、SAOの仕様だ。

 「おいおい、S級食材じゃねえか。 『ラグー・ラビットの肉』か、オレも現物を見るのは初めてだぜ……。 キリト、おめえ別に金には困ってねえんだろ? 自分で食おうとは思わなかったのか?」
 「思ったさ。 多分二度と手に入らないだろうしな……。 ただなぁ、こんなアイテムを扱えるほど料理スキルを上げてるやつなんてそうそう……」

 そこまで言ったキリトが恐ろしい勢いで僕に振り返る。 見れば、エギルさんも僕を見ていた。
 えっと、僕、何かしたかな? 何てとぼける暇もなくキリトが口を開く。

 「なあ、確か料理スキル上げてたよな?」
 「うん、まあ。 でもやらないよ」
 「うぐ……。 いや、そう言わずに」
 「キリト君?」
 「シェフ捕獲」

 僕ににじり寄ってくるキリトを制してくれたのは、またもや新しい来客だった。 キリトは僕への懇願を放置して、その新しい来客の手を捕まえる。

 「な……なによ」

 突然のことで驚いたのか(当然だ)、シェフ(仮)は反射的に後ずさる。

 (へえ、ずいぶん珍しいお客さんが……。 ああ、いや、目的は買い物じゃなくてキリトか)

 うんうんと適当に納得した僕は、その隙にキリトから距離を取って、新たな闖入者に視線を投げた。

 美人、と言うのが彼女を表す上で外せない言葉だろう。
 綺麗な栗色の髪。 大きなはしばみ色の瞳。 顔立ちは人形かと見紛うほどに整っていて、スラリと伸びた手足は芸術品と言っても過言ではないとかなんとか。 純白と真紅とに彩られた騎士服は華やかでありながら凛とした印象を与え、その可憐な容姿と相まって密かにファンクラブまであるらしい。
 彼女の名はアスナ。
 SAOで誰もが認める最強ギルド『血盟騎士団』(Knights of the Bloodの頭文字からKoBの通称で呼ばれる)の副団長であり、実質的な攻略責任者だ。
 絶世の美貌に加え、視認さえ困難なその剣技をして『閃光』の異名を持つアスナさんは、当然のようにかなりモテる。 ファンクラブの会員たちはわりと大人しいけど、プレイヤーの中には行き過ぎたストーカーや、逆に目の敵にする人たちもいるらしく、色々な方面からの危険があるそうだ。
 だからなのか、アスナさんには複数の護衛がKoBから派遣されていて、今日もそんな護衛さんたちが店の外に立っていた。 アスナさんの手を握っているキリトのことを警戒しているのか、はたまた羨ましがっているのか、そこまでは分からないけど、とにかくキリトを殺気の篭った目で睨んでいる。

 「珍しいな、アスナ。 こんなゴミ溜めに顔を出すなんて」

 その視線に気がついたキリトは、アスナさんから手を離しながらそう言った。
 自慢の店をゴミ溜め呼ばわりされたエギルさんは顔を引き攣らせたけど、アスナさんが微笑と共に挨拶するとそれも霧散する。

 と、エギルさんに視線を向けた弾みで僕に気がついたらしい。 アスナさんの目が一瞬で剣呑なものになった。

 「どうしてあなたのような人がここにいるんですか?」

 キリトに向けていたものとは明らかに違う、敵意に満ち満ちた声。
 僕にとっては聞きなれた声だけど、場の空気は一瞬で凍りつき、キリトが沈痛な面持ちで俯いた。

 「さあ、どうしてだろうね。 でもまあ、安心してよ。 もう帰るから」
 「そうですか」
 「じゃあ、エギルさん。 そう言うことだからまたね。 さっきの件はよろしく頼むよ。 キリトも、じゃあね」
 「お、おう。 入荷したら連絡するぜ」

 僕とアスナさんとの関係を知っているエギルさんは、無駄に引き止めることなく手を振ってくれる。 キリトも気にしてくれているみたいだけど、結局なにも言わない。

 「フォラスさん」

 アスナさんの横を通り過ぎた直後、彼女は僕を呼び止めた。
 と言っても、その声に友好的な成分は一切なく、ただただ底冷えするような敵意だけで彩られている。

 「何?」
 「アマリと別れる気にはなりましたか?」
 「まさか。 別れる気なんて更々ないよ。 残念だったね」

 ギリっと歯軋りの音が聞こえそうなくらい、アスナさんの顔が歪む。
 いつもの問いにいつもの答え。 予定調和の会話を終わらせて僕はエギルさんの店から出た。

 (アスナさんが元気そうで良かった)

 ふと、それだけを思った。 

 

久方振りの再開を 02

 僕とアスナさんは仲が悪い。 それはもう、絶望的にだ。
 一応言っておくと、僕はアスナさんを嫌ってはいない。 むしろ好きの部類に入る。 もっとも、その好意は異性に対してと言うより、あの純粋でまっすぐな心の有り様を尊敬している、と言った方が近いだろう。

 アスナさんが僕を嫌う、あるいは憎んでいる理由はいくつかある。

 まずは最大の理由。
 僕が殺人者だから。
 事故や自衛のための殺人ではなく、僕は確固たる意志を持って人を殺した。 何人も、何人も……。 それは許されるべきことではないし、僕自身、許されたいと思っていない。 事情を全て知ったところで、アスナさんは僕の存在を許容できないのだろう。

 加えて、僕は一度、アスナさんと正面から敵対したことがある。。 それもアスナさんだけではなく、その場に居合わせたKoBのメンバー、聖竜連合の一団、風林火山の面々、そしてキリトにすら、僕は狂気の刃を向けたのだ。
 今でこそ攻略組に復帰しているけど、僕はあの事件を理由に攻略組から追放されていた。 だから、アスナさん以外にも僕を嫌うプレイヤーは相当数いるはずだ。

 他にも細かい理由を挙げていけばキリがない。 そんな僕があまつさえアマリと結婚しているのだから、その嫌い方は輪を掛けて強烈だ。
 アマリ。
 いや、別に僕が結婚していることに関してはどうだっていいのだろう。 この場合、問題なのはその相手がアマリだからと言うだけで、そこまでプライベートなことで嫌うほど理不尽な人柄でないことくらい、僕は知っている。

 アマリとアスナさんは姉妹だ。 加えてそこに、双子の、と言う注釈が入る。

 向こうにいた頃は仲の良い姉妹ではなかったらしい。 と言うより、仲の悪い姉妹だったそうだ。
 それがどうして姉妹揃ってSAOに囚われているのかは分からないけど、ここで再会した2人は徐々に関係を改善させ、いつの間にやら仲の良い姉妹になっていた。
 SAO最初期からアマリ一緒にいる僕は、そんな2人の様子を見て、とても嬉しい気持ちになったのを今でも覚えている。

 僕とアマリが結婚した頃は僕とアスナさんとの仲も良かったので、盛大に祝福もしてくれたし、一緒にパーティーを組んだことだってあるけど、今は顔を合わせれば敵意満点の目線を向けられ、アマリと別れないのかと言われる始末だ。 もちろん、僕が全面的に悪いので、文句や不満は一切ない。 だからと言ってアマリと別れる気はないけど。

 とまあ、僕とアスナさんとの関係はそんな感じで、和解の余地はないだろう。 だから、キリトから送られてきたメッセージを見て、僕が思わず固まってしまったのも仕方がないことだと思う。

 「どうしたですかー?」
 「あ、うん。 いや、なんかとんでもないメッセージが……」

 突然固まった僕に首を傾げるアマリに、どうにかそれだけを返してもう一度メッセージを確認する。 どれだけ確認してみても、そこにある衝撃の内容は変わらなかった。

 明日、キリトとアスナさんがコンビで迷宮区に潜るらしい。
 そこまではいい。 アスナさんがキリトに一定以上の好意を寄せていることは、会う機会の少ない僕にだって簡単に分かることだ。
 あの純粋でまっすぐなお姫様は、半ば無理矢理に同行を認めさせたのだろう。 確かエギルさんの店でラグー・ラビットの肉がどうとか、シェフがどうとか言っていたので、S級食材を調理する条件として提示したのかもしれない。 あるいは、単純にごり押ししたのか。

 問題は、そのパーティーに僕とアマリが招聘されていると言うことだ。

 いやもう、本当に訳が分からない。 久し振りに会ってあれだけの嫌われようだったのに、直接ではないにせよその日のうちに僕をパーティーに誘うとか、意味不明にもほどがある。 しかも、僕を絶対に連れて来いとアスナさんに厳命されているらしい。

 と、謎の事態に困惑している僕の目の前で、今度はアマリがメニューウインドウを開く。 数秒の操作の末、ウインドウから顔を上げたアマリが一言。

 「あはー、デートのお誘いですよー」

 タイミング的に差出人が誰かも、そして大体の内容にも察しがついたけど、僕は一応確認してみることにした。

 「えっと、ちなみに誰から?」
 「んー、お姉ちゃんですよ」
 「ですよねー……。 ちなみに内容は?」
 「一緒に迷宮区に行こう、だそうですよ。 フォラスくんも連れてくるように言われたです」

 僕とアスナさんとの関係を知っているはずなのに、アマリはにこやかにそう言った。
 予想通りすぎる展開に頭痛がするけど、だからと言って無視する訳にもいかないだろう。 キリトとアマリに僕の連行を頼んでいる時点で、その思惑は不明でも譲歩するつもりがないのは明確だ。
 純粋でまっすぐ。 可憐な容姿からは想像できないけど、あのお姫様は自分の意志をどんな状況でも貫き通す。

 「一応聞くけど、僕に拒否権はないのかな?」
 「ある訳ないですよー。 お姉ちゃんからの命令は必ず遂行するのがこの私です」
 「ですよねー……」

 ため息にも力が入らない。

 と言うか、意味が分からない。
 今更、僕になんの用があるのだろう?
 僕の自由は血盟騎士団の団長、いけ好かない聖騎士様の名によって保証されている。 故に僕を牢獄送りにはできないはずだ。 アスナさんも血盟騎士団のメンバー(しかも副団長だ)なので、命令に真っ向から反したりはしないはず。
 それを言えば、僕の連行自体が命令違反になりかねないけど、アスナさんはキリトとアマリに頼んでいるだけなので、その辺りはグレーと言う解釈なのだろう。 連行するのはあくまでキリトとアマリだ、とかなんとか。
 そう言う搦め手みたいなのは得意じゃないし好きじゃないだろうに、そこまでしてでも僕に会いたい事情があるのか……。 そう言えば、以前にも似たようなことがあって、とある事件の協力を求められたことがあるけど、今回もその類のことなのかもしれない。

 「まあ、いいよ。 分かった。 僕も行くって伝えておいて」
 「了解ですよー」

 ここで考えても答えは出ない。 だったら、直接会って質してみればいい。 どうせ明日は元から迷宮区に行く予定だったのだ。 パーティーが2人になろうが4人になろうが、別に構わないだろう。

 (それに、このままって言う訳にもいかないしね)

 チラリとアマリを見る。
 アスナさんに返信しているだろうその横顔はいつも通りだけど、どことなくいつもより楽しそうだ。

 言葉にはしないけど、僕とアスナさんとの関係には心を痛めているはずだ。
 できれば仲良くして欲しいと、そう思っているのは明白で、それでも言葉にしないのは、その原因の一端が自分にあると理解しているからだと思う。

 「ねえ、フォラスくん」
 「ん?」
 「明日が楽しみですね」

 そうだねと、短く返して僕は腰に巻いた剣帯に吊ってある()()()を鞘から抜き放った。
 ここは僕たちのホームの地下室。 何もない広大な空間で向かい合うアマリは、さっきまでの笑顔を凶暴なそれに変えてディオ・モルティーギをストレージから呼び出す。

 「じゃあ、やるですよー」
 「うん。 やろっか」

 そう言って互いに構えた僕たちは、示し合わせたわけではないけど同時に床を蹴った。 

 

久方振りの共闘を 01

 「あはー、朝からカオスですねー」
 「いやはや、元気そうで何よりだよ」
 「なんだかあの感じ、久し振りな気がするです」
 「確かにね。 まだ2人がコンビだった頃は、ああ言うハプニングはしょっちゅうだったらしいけど」

 目の前で繰り広げられたカオス極まる状況を見ながら、僕たちは適当な観客になっていた。
 さて、状況を説明しよう。

 僕とアマリが一緒に74層の主街区、カームデットの転移門広場に到着すると、そこにはキリトがいて、けれどアスナさんはいなかった。 やや生真面目すぎるところのあるアスナさんにしては珍しいと思ったものの、僕は気にしていなかったし、そもそもの話しをすれば別に遅刻しているわけでもないのだ。
 そこで待っていたキリトとアマリの微笑ましい交流があったことを追記しておくとして、適当に話していると、いつの間にやら約束の時間を10分ほど過ぎていた。
 珍しいと言うよりも、アスナさんが遅刻なんて初めての事態だったので気にはなったけど、そこはほら。 意中の相手とのデート、しかも、かなり久し振りのデートなのだから、それなりに準備することもあるだろうと納得していた。 ちなみに、そう言う女の子の機微に疎いキリトが帰ろうか悩んでいたので、当然だけどそれは食い止めておいた。

 で、待つこと数分。
 転移門から悲鳴と共にアスナさんが現れ(飛び出して、と言ったほうが正確だろう)、それに反応が遅れたキリトと衝突して地面を派手に転がった。 恐らく、転移元のゲートにジャンプで飛び込んだのだろうと冷静にことの成り行きを見守っていると、あろうことかキリトがアスナさんの胸を揉みにしたのだ。

 いや、身内の名誉のために言っておくけど、キリトにそのつもりはなかっただろう。 ただ、自分にのしかかったままのアスナさんを退けようとしただけだろうけど、運の悪いことに(運の良いことにかもしれないけど)軽装細剣士のアスナさんの胸当ての隙間に手が入った、と言う状況だ。
 アスナさんは可憐な外見に似合わず、その気性はかなり攻撃的で、そんなことをする不埒者、つまりは我が兄キリトを問答無用でぶん殴った。 細剣士であるが故に敏捷値を優先的に鍛えているとは言え、そこはさすがの閃光様。 体術スキル込みの殴打でキリトはもんどりを打ちつつふっ飛ばされていった。
 圏内なのでダメージが発生することはないけど、それでも衝撃はかなりのものだったのだろう。
 キリトをぶん殴ったアスナさんはそこで我に返り、それから数瞬前の出来事を思い出して顔を朱に染め、両手を胸の前で交差した。

 と、ここまでが今の状況である。

 「や……やあ、おはようアスナ」

 確かに僕もあの立場になったらどうするべきかの最適解は得られないけど、少なくともそのキリトの対応が悪手であることは理解できる。 当然、アスナさんから発せられる殺気が更に一段階上がる。 このまま放置すると街中で戦闘を始めかねないので、僕は嫌々ながらも事態の収拾に動こうとしたところで転移門が再度青い光を発した。
 それを見たアスナさんが慌てたように走り出して、キリトの背後に隠れるように、あるいは縋るように身を寄せる。

 何事だと様子を見守っていると、転移門から1人の男が現れ、キリトの背に隠れるアスナさんを見つけると眉間に皺を寄せた。

 「ア……アスナ様、勝手なことをされては困ります……!」

 甲高い声の主は、血盟騎士団の団員だ。 ギルドのユニフォームにゴテゴテとした金属鎧。 豪奢な装飾が施された腰の武器は両手剣。 その長髪を後ろで束ねているやや病的な痩せ型の男は、キリトを意図的に無視したままアスナさんに尚も言い募る。

 「さあ、アスナ様、ギルド本部に戻りましょう」
 「嫌よ、今日は活動日じゃないわよ! ……だいたい、アンタなんで朝から家の前に張り込んでるのよ⁉︎」
 「ふふ、どうせこんなこともあろうと思いまして、私1ヶ月前からずっとセルムブルグで早朝より監視の任務についておりました」
 「そ……それ、団長の指示じゃないわよね……?」
 「私の任務はアスナ様の護衛です! それには当然ご自宅の監視も……」
 「ふ……含まれないわよバカ!」

 全くもって同感である。
 それでも悪びれることなく、むしろ苛立ったようにアスナさんに歩み寄ると、その華奢な腕を掴もうと……

 「っ!」

 そう認識した時点で、僕の身体は反射的に動き、自制を振り切って男の手を叩き落としていた。

 「はい、そこまでね」
 「なんだと? き、貴様、何様のつもりだ! 部外者はーー」
 「うるさいなあ」

 僕に攻撃の矛先を向けた男の言葉を遮り、そのまま至近距離で睨みつける。
 驚いたようなアスナさんと明らかに面白がっているキリトを横目で見つつ、僕は言った。

 「アスナさんは今日、僕たちと一緒に迷宮区に行くんだ。 邪魔をしないでよ」
 「貴様らとだと?」
 「そう。 ギルドの活動日だって言うなら仕方ないけど、今日は違うんでしょ? どんな理由があって人の約束に首を突っ込むのかな?」
 「私はアスナ様の護衛だ! 貴様らのような雑魚プレイヤー如きにアスナ様の安全が守れるものか!」
 「ふふ、僕たちが雑魚プレイヤー、ね」

 僕は笑う。
 KoBにどんな事情があるのかは分からないし知るつもりもない。 この男がどう言う理由でアスナさんをギルド本部に連れて行こうとしているのかだって、僕にとってはどうだっていい。
 だけど、この男はアスナさんが拒否していることを平然としようとした。 それだけで理由は十分だ。

 「大丈夫だよ。 僕たちは少なくともあなたほど雑魚じゃないから」
 「な、な……ガキが! そこまで言うからには、それを証明する覚悟があるんだろうな……」

 男はそう言ってウインドウを操作する。 直後、僕の目の前にも1枚のウインドウが出現した。
 内容は予想通りと言うかなんと言うか、デュエル申請を受けるか否かのメッセージだった。
 僕がこれでYesのボタンを押せば、オプション選択画面に移り、デュエルが開始される。 60秒のカウントダウン終了と共に互いのHPを守る障壁が解除され、存分に殺し合えるのだ。
 もちろん、僕はデュエルを受諾した。 それは迷うことのない即断即決。

 とは言え、こちらももちろんのことだけど、選んだオプションは初撃決着モード。 これなら先に強攻撃をクリーンヒットさせるか、あるいはHPが半分を切るかでが勝敗が決まるため、基本的に命の危険はない。
 筋力値全振り脳筋プレイヤーの一撃が僕のような紙装甲プレイヤーに直撃すればその限りじゃないけど、さすがにこのデスゲームのSAOでそんなプレイヤーは相当に稀少なので、そちらの心配はいらないだろう。 と言うか、そもそもの話しをすれば、正面戦闘のタイマンで筋力値全振り脳筋プレイヤーの攻撃に当たってあげるほど僕はのろまではないし、甘くもない。

 一応、同じギルドに所属しているアスナさんに視線を投げると、僕の意図を察してくれたのか、小さく頷いた。 隣にいるキリトが険しい顔をしていたので安心させるように手をヒラヒラと振ってから、次いでアマリに目を合わせる。

 「はは……」

 どうやら僕だけが決闘(お楽しみ)をするのが気に入らないらしく、頬を膨らませて分かりやすく拗ねていた。
 デュエル直前の緊張感なんてまるで感じることなく苦笑して、それから僕は目の前の男(デュエル申請で名前が分かった。 クラディールと言うらしい)に向き直る。

 僕の余裕な態度が気に入らないようで、こちらは分かりやすい憤怒の表情を作っている。
 我慢の限界が近いだろうからと、僕がYesボタンを押すと同時に始まる60秒のカウントダウン。 それを見てクラディールは愉悦の表情と狂的な嗜虐心とに顔を染め、腰から大振りな両手剣を抜き出した。

 「ご覧くださいアスナ様! 私以外に護衛が務まる者など居ないことを証明しますぞ!」

 芝居がかった口上を喚きながら剣を上段に構えたクラディールを、僕は武器を構えることなく見守った。 と言うか、あんなびっくりするほど長い雪丸を持ちながら街を歩くなんて邪魔すぎるので、そもそも構える以前にストレージから出してさえいない。
 それを侮辱と取ったのか、クラディールの顔が更なる憤怒に染まるけど当然無視。 丸腰のまま、構えるでもなければストレージから雪丸を取り出すでもなく、ただただクラディールを観察する。

 (重金属装備の両手剣士。 装備から判断する限り筋力値優先のバランス型。 重心が前に向いた上段の構え)
 (構えはフェイントの可能性あり。 ただし前に向けている重心がある以上、後退や横移動に若干の遅れが出ると予測)
 (その他、推測しうる行動パターン、及び攻撃パターンのシミュレート開始)
 (性格は自尊心が強く直情傾向。 アスナさんに対して執着している節がある)
 (僕を侮り、見下している)
 (自身の力に絶対の自信を持ち、驕っている)
 (シミュレート終了。 次いで、推測しうる攻撃パターンに対する回避ルートを計算開始)
 (以上のことを総合的に判断して、初手は突進からの振り下ろし、あるいは突進系のソードスキルと推測)
 (計算終了)
 (全ての可能性を警戒し、且つ迅速に排除する対処を検討)
 (北北東から微風。 視界良好)
 (対象者に苛立ちを確認。 集中力の欠如も同時に確認)
 (街区内であり、デュエル中であることから不意打ちの可能性は低いと判断)
 (検討終了)
 (行動決定)
 (瞬殺)
 (一撃)
 (必殺)
 (最速)
 (決定)

 これからの行動を1秒未満で決定した僕は、ゆらりゆらりと身体を揺する。
 初めは小さく、次第に大きくなる揺れはクラディールの集中を更に削ぎ、それとは反対に僕の集中はどんどんと深まり、時の流れが遅くなっていくのが分かった。


 目の前にいる敵の全てが見える。

 3

 ギャラリーの全てが見える。

 2

 僕の死角に立っているはずのアマリたちの全てが見える。

 1

 そして……

 0

 世界が止まり……

 DUEL‼︎

 動き出す。

 デュエル開始の表示が宙空に瞬いた瞬間、転移門広場に鈍い打撃音が鳴り響き、次いで金属鎧が地面を擦る不快な音が喧騒を突き破る。 直後、デュエルの勝者を報せる表示とファンファーレが生じたどよめきを塗りつぶした。

 「な……なに、が……」

 呆然と地面を這い蹲るクラディールに僕は一言。

 「あなたの負けだ」 

 

久方振りの共闘を 02

 最強ギルド、血盟騎士団の副団長を任せられているアスナは、一度だけフォラスとデュエルしたことがある。
 現在はどうしようもなく拗れてしまっている2人だが、SAOが始まってからとある事件が起こるまでは良好な関係を築いていた。 デュエルを行った時は既に関係が拗れていたとは言え、剣を向けることに躊躇いがあったのも事実。
 フォラスのメインアームは、長大なリーチを誇る薙刀。 そのリーチの長さは確かに脅威ではあるが、裏を返せば懐に潜ってしまえば手も足も出ない一長一短の武器。 細剣使いであるアスナの速さを持ってすれば懐に飛び込むことは容易ではないが可能で、その間合いに持ち込めればアスナの勝利は揺るがないはずだった。
 そう。 そのはずだったのだ。

 しかし、蓋を開けてみれば、勝者はフォラス。
 懐に潜れなかったわけではない。 むしろ、細剣にとって必殺の間合いに何度も持ち込んだ。

 (違う……持ち込んでもらった、が正解ね)

 あの時のデュエルを思い返して、アスナは内心でごちる。

 剣を向けることに躊躇いがあったのは確かだったが、そんな思考はデュエルの途中から完全に消え、本気でフォラスを斬ろうと剣を振るった。
 だが、当たらない。
 キリトをして視認困難とまで言わしめた『閃光』の細剣は悉くが躱され、弾かれ、流された。

 フォラスの敏捷値がかなり高いのはアスナとて知っている。 しかし、そのアスナもまた、レベルアップボーナスの多くをAGIに費やしているスピード型。 加えて、どれだけ軽いとは言え、アスナの細剣に比べれば重いだろう薙刀を使っているフォラスとそこまでの開きがあるとは思えない。
 にも関わらず、フォラスはアスナの視界から完全に消えて見せたのだ。 それも一度ではなく何度も。
 どう言う理屈で起きた現象かは分からないが、このデュエルを観戦すれば分かるかもしれない。 故にアスナは可否を問うように振り返ったフォラスに頷いたのだ。

 芝居がかった口上と共に構えるクラディール。 対するフォラスは構えないどころか丸腰のまま、薙刀を取り出すそぶりもなく佇んでいた。 アスナからだとフォラスの顔は見えないが、いつもの穏やかな微笑を浮かべているのだろうと推察して、アスナは尚もフォラスから目を離さない。
 次第にフォラスの華奢な後ろ姿がゆらりゆらりと揺れ始める。

 (あれは……)

 アスナにとっては既知の、そして屈辱的な敗北を想起させる動作。
 あの時のデュエルでも、フォラスはあの動作をしていた。 それだけではなく、アスナに圏外で敵意を向けた時も、アスナが知る限りの対人戦の際、フォラスは決まってあの動作をしていたのだ。

 (つまり……)

 あれはフォラスにとっての対人戦に於けるフォラスの構え。 あるいは何かしらのルーティーンなのだろうと当たりをつけたアスナは、これから起こる全てを見逃さないように目を凝らす。
 やがてカウントダウンは終わりに近づき……

 DUEL‼︎と宙空に文字が瞬いた瞬間……

 フォラスが視界から掻き消えた。

 「え……」

 驚愕の声を漏らしたアスナだったが、何も驚いたのはアスナだけではない。
 フォラスの正面で両手剣を構え、デュエルの開始と同時にソードスキルを発動しようとしていたクラディールの顔にありありと驚愕の色が浮かぶ。 しかし、発動しようとしていたソードスキルはシステムが律儀にプレモーションを認識し、使用者の驚愕など構うことなくオレンジ色のライトエフェクトを両手剣に灯した。

 だが、それが発動することはなかった。

 ドンッと言う鈍い打撃音が辺りに響き、クラディールがその場から横に吹き飛ぶ。
 そして、その瞬間に、あたかもずっとそこにいたかの風情でフォラスの姿が現れた。

 宙に浮き、仄かに赤いライトエフェクトの残滓を煌めかせたフォラス。
 小柄なフォラスがクラディールの側頭部を攻撃するために跳び上がったのだろう。 使われたのは体術スキルの基本技、『閃打』。 同じく体術スキルを習得しているアスナも良く知っているそれは、拳を打ち出すだけの単発技で、威力は武器を用いたソードスキルに比べれば相当に低い。 ガントレットを装備した左腕での攻撃なので素手よりは威力があるものの、大したダメージにはなっていない。 だが、それでもソードスキルなので、デュエルを終わらせるには十分な一撃だ。

 フォラスが着地すると同時に勝者を告げる表示とファンファーレが周囲の喧騒を塗り潰した。

 「なにが……」

 起こったの? そう続けたかった言葉が続かない。

 アスナはフォラスから目を離さなかった。 加えて、デュエルで任された時よりも強くなっていると自負している。 それは、レベルやステータスに限らず、アスナ自身の戦闘技術も。
 だと言うのに見えなかった。
 移動も、跳躍も、攻撃も、何もかもが見えなかった。
 アスナが、そして1人の例外を除いて、ここにいる全員、フォラスの姿を完全に見失っていた。

 「ねえ、キリト君」
 「見えなかった……」
 「え……」
 「何も見えなかった……。 アスナのレイピアでも剣の軌跡が見えるのに、あいつのは何も見えなかった。 閃打のライトエフェクトも、あいつ自身も……」

 ソードスキルのライトエフェクトすらも見落とすなんてありえない。 隠蔽スキルを発動していようと、キリトクラスの索敵スキルがあればさすがにソードスキルを使った時点で看破できただろう。 それすらも出来なかったと言うことは、あれは隠蔽スキルによるものではなく、もっと他のスキルによるものか、あるいは……

 「システム外スキル……」

 揺れる声の呟きが、自分のものなのか隣に立つキリトのものだったのかすら分からない状況で、アスナはフォラスのつまらなそうな声を聞いた。

 「あなたの負けだ」 
 

 
後書き
久し振りの(ここでは初めてのですが)三人称視点はやっぱり難しいです。
と言うわけで、どうも、迷い猫です。

この話しは当初の予定では入れないはずだったものですが、前話を一瞬で終わらせ、戦闘に関する描写が一切ないままでの決着だったのね、ついつい入れてしまいました。
フォラスくんの戦闘に於ける特異性を表現するには、フォラスくん以外の視点でないとどうにもいまいちなのですが、かと言って対戦相手のクラディールさんの視点は個人的にやりたくないし、アマリの視点だとネタが割れている分、その驚愕の度合いが表現できないので、アスナさん中心の三人称視点になりました。 原作に倣った形です。
今後も視点が変わる話しの予定がありますので、そこはご容赦ください。

話しは変わりますが、お気に入り登録、並びに感想を書いて頂いた方に心よりのお礼を申し上げます。
嬉しくてテンションが上がって、最近は更新のペースが格段に上がっております。
ここまで読んでくださった全ての方に精一杯の感謝を。

ではでは、迷い猫でしたー 

 

久方振りの共闘を 03

 「あなたの負けだ」

 困惑と敗北の衝撃とに苛まれて硬直しているクラディールに僕はそう宣言した。
 どうやら、本気で僕を雑魚プレイヤーだと思っていたらしい。 その無知を責めるつもりはないけど、よくもまあその程度でアスナさんの護衛を務められるものだ。
 もっとも、クラディールの場合は護衛と言うよりもストーカーと言ったほうが適切だろうけど。

 「さて、これであなたが雑魚だって証明されたわけだけど、どうするのかな? まだやるって言うなら付き合うよ」
 「……れ」
 「うん?」
 「黙れぇえぇぇ!」

 呆然としていたクラディールは、ヒステリックな奇声と共に立ち上がって両手剣を振りかぶった。

 冷静さを失った攻撃。
 だけど、ここは主街区だ。 当然アンチクリミナルコードの圏内なので、どんな攻撃をしようとも僕のHPが減ることはない。 本来であればHPを削るだろう攻撃は全て、紫色の障壁に阻まれる。
 それはシステムに定められた絶対のルール。
 だから僕は迎撃するでも回避するでもなく、ただ憎悪の炎を灯すクラディールの目を見ていた。

 けど……

 ギャリン、と言う金属同士が激しく衝突する音が周囲に響く。
 僕の身に降りかかる両手剣は直前で障壁に弾かれるはずだったのに、その手前で誰かが剣を滑り込ませて弾いたのだ。

 剣の持ち主は僕を背に庇うようにして立ち、クラディールにその漆黒の剣先を向けて言う。

 「納得いかないって言うなら、次は俺が相手だ」

 飄々とした、けれどどこか厳しさの混在する声音。
 僕に背を向けているので顔までは見えないけど、僕の兄であるキリトは大層ご立腹のようだ。

 と言うか、ご立腹なのはもう1人いて、僕の後ろから嫌な殺気がビンビンと伝わってくる。 恐る恐るチラリと確認すると、ディオ・モルティーギを既に両手で持つアマリが予想通り狂気の笑顔を輝かせていた。 キリトが弾いていなければ、アマリがクラディールを吹き飛ばしていただろう。 『あっはぁ!』とか笑いながら。

 「そこまでです」

 やれやれだよと内心で肩を竦めていると、アスナさんの凛とした声が周囲に響く。
 憎悪の赴くままに両手剣を振おうとしているクラディールと、それを迎え撃とうとするキリトとの間に流れるピリピリとした空気は、その瞬間に霧散した。

 「あ、アスナ様……これは……」
 「クラディール、血盟騎士団副団長として命じます。 本日を以って護衛役を解任。 別命あるまでギルド本部にて待機。 以上」

 副団長らしい冷徹な声音で宣言したけど、その声には苦悩が含まれていた。
 それを察したらしいキリトが気遣うように歩み寄って肩に手をかけると、アスナさんはそのままもたれかかるように身体を預ける。 コンビを解消して以来どことなく不仲だった2人だけど、その様子を見ている限りではもう和解しているようだ。
 もっとも、キリトがどうこうではなく、アスナさんが素直になっただけだろうけど。

 そんな仲睦まじい2人を見てクラディールはブツブツと何事かを呟いていたけど、僕のところにまでは何も聞こえない。
 やがて、マントを翻すと転移門に向かって歩き出した。 その道中で僕にすれ違う際、小声で、それでも確かに僕に届くだけの声量でボソリと言った。

 「殺す……貴様は絶対に殺す……」

 それだけを言い捨てて去っていくクラディールの後ろ姿を見送ってから、僕は仲睦まじい2人組に視線を戻した。
 張り詰めた表情のまま、アスナさんは僕を見て言う。

 「巻き込んでしまって申し訳ありません」
 「あー、別にいいよ。 僕が勝手にやったことだしね。 むしろ咎められて然るべきじゃないかな?」
 「咎めるつもりはありません。 あれはこちらの落ち度です」
 「そう。 なら安心だね」

 アスナさんの落ち度ではないけど、血盟騎士団の落ち度と言えば確かにそうだ。 少なくとも、護衛の人選に問題がある。
 あのいけ好かない聖騎士様の指示とは思えないので、きっと参謀職の人たちの仕業だと言うことは容易に想像できる。 アスナさんが謝る理由にはならないけど、良くも悪くも真面目なアスナさんなので、謝罪しないと気が済まないのだろう。

 「それはそれとして、ありがとね。 アスナさんが仲裁してくれて助かったよ。 キリトは火に油を注いでくれたみたいだけど」
 「そう言うお前はしっかり挑発してたけどな」
 「それが僕の趣味だからね。 まあ、一応お礼は言っておくよ。 庇ってくれてありがとう」
 「初めからそう言えよ。 いや、そんなことより、さっきのあれはなんなんだ?」
 「あれ?」
 「デュエルが始まってすぐに消えたあれだよ。 何かのスキルなのか?」
 「自分でも思ってないことを口にするのは感心しないね。 そうじゃないって分かってるでしょ?」

 適当にはぐらかそうとため息を吐く。
 軽く非難の視線を向けるけど、当の本人はまるで気にしていない。 そしてあろうことかアスナさんまで興味津々の顔で僕を見ている。

 ここで誤魔化すのは簡単だ。
 デスゲーム云々はもちろんのこと、普通のゲームでだってスキルの詮索はマナー違反であり、たとえシステムに定義されていないスキルであろうとそれは変わらない。 僕がここで何も言わなければ知られることはないし、唯一あれの詳細を知っているアマリだって僕が言わなければ教えたりしないだろう。 あるいは明確に拒絶すればこれ以上聞かれはしないはずだ。

 とは言え特に隠す必要がないのも確かなので、僕は渋々の調子で頷いた。

 「分かったよ。 けど、さすがにここは人が多いし、移動しながらでもいいよね?」
 「ああ、俺はいいぜ。 アスナもそれでいいか?」
 「うん、私もそれでいいけど、アマリはどう?」
 「もちろんオッケーですよー」

 きっちりと全員の同意が得られたところで、僕たちは転移門に歩み寄った。
 今日の目的地である迷宮区へは直接転移ができないので、まずは迷宮区の最寄りの町を転移先に指定する。 そこからは徒歩で迷宮区を目指すことになるわけだけど、この4人であれば問題はないだろう。 フィールドよりも高レベルのモンスターが出る迷宮区でだって、アラームトラップにかからない限りは余裕で進めるはずだ。
 いくつかの懸念材料はあることにはあるので、それを解消するために思考を重ねながら、僕は目的の町の名前を口にした。









 「『心渡り』?」
 「そう。 心を渡るって書いて『心渡り』」

 キリトが発動してくれている索敵スキルの恩恵で周囲にモンスターもプレイヤーもいないことを確認してから、僕はクラディールを破ったシステム外スキルの説明を始めた。
 僕を嫌っているアスナさんは合の手なんて入れてくれないし、アマリはアマリであれの詳細を知っているから口を挟まない。 だから、僕とキリトの2人での会話になってしまうのは無理もないだろう。

 「意識の空白って僕は呼んでるけど、そう言うデッドスペースに身体を捻じ込んで視界から……正確には意識から消える技術だよ。 要するに不意打ちだね」
 「意識の空白?」
 「んー、ミスディレクションって言えばいいのかな? 手品とかで右手を振り上げた瞬間に左手で何かしらをすると、大体の観客はそれに気付かないでしょ? 原理はそれと同じ。 他のことに意識を向けた一瞬を利用するんだよ」
 「いやでも、デュエル中に他のことに気を取られるなんてあるのか? お前はゆらゆらしてただけでで何もしてなかっただろ?」
 「珍しく勘が鈍いね、キリト。 まあ、僕が何もしなかったって言うのは正解だけど、あの場にいたプレイヤーは全員、僕とクラディール以外の何かに一瞬だけ気を取られたはずだよ」

 クスクスと笑いながら言うと、意外な人物からの返答があった。

 「デュエル開始の表示、ですか?」
 「ん……うん、そう。 その通りだよ。 デュエル開始を知らせる表示が宙空に瞬いたあの一瞬だけは、絶対にそっちを見る。 人は動くものを目で追う習性がある、なんて言うのは説明するまでもないよね? 程度の差こそあれ、反射的に起こる現象は止められない。 そして、僕にはその一瞬で充分なんだよ」

 アスナさんから相槌があるとは思っていなかったので、説明を繋げるまでに一瞬の間が空いたけど、よくよく考えてみればアスナさんは心渡りを体験していて、しかもその時に負けているのだ。 雪辱に燃えているわけではないだろうけど、それでも正体を知りたいと言う思いは、単純な好奇心からくるキリトよりも強いだろう。

 「もちろん、それだけだと完全に渡りきれないよ。 ほら、さっきキリトも言ってたけど、身体を揺らしてたでしょ? ああして同じリズムで動く物体を見ると、人は勝手にその先を予想する。 そのリズムを崩せば、一瞬だけでも認識が遅れるし、何よりあの動きは相手の集中を削ぐしね。 更に渡る直前に隠蔽スキルを発動させてたんだ。 あれだけのプレイヤーがいればすぐに看破されて無効化されるけど、これもやっぱり一瞬を稼げる。 他にも色々な要因が重なって、色々な要因を重ねて、その全部を同時に重ねて、それだけのことをして作った一瞬は、僕にしてみれば絶対的な意識の空白なんだよ。 そして、クラディールにとっては致命的な意識の空白だった。 とまあタネはこんなものかな」

 そして無言。
 僕の説明を聞きながら対処法を考えているのだろう。
 アスナさんは、僕がまた攻略組に刃を向ける時に備えて。 キリトは純粋なゲーマー魂で。 理由は違うけど向かう方向は同一の2人に僕は思わず苦笑した。 

 

久方振りの共闘を 04

 「それにしても君、いっつも同じ格好だね」
 「う……い、いいんだよ。 服にかける金があったら、少しでも旨い物をだな……」
 「その黒ずくめは何か合理的な理由があるの? それともキャラ作り?」

 心渡りの対処法を考えていたはずの2人は、いつの間にかそれを放置して、ついでに僕たちも放置してそんな話しをしていた。 彼らの後ろを歩く僕たちからすれば、あの空気はなんだか侵し難い。
 一応フィールドなので、索敵による警戒は続けているけど、2人の間に流れる空気は非常に緩い。 まあ、それだけは僕たちに言われたくはないだろうけど。
 何しろ、2人が前を歩いてくれていることをいいことに、僕の右手とアマリの左手はガッチリと繋がれている。 しかも互いに武器すら出していない。 緩い空気と言うなら、これもそうだろう。 と言うか、僕とアマリにとって、圏内だろうと圏外だろうと変わりなくデートなのだ。
 もちろん、デートだからと言って警戒は怠らない。 キリトが索敵スキルを発動してくれてはいるけど、僕もまた、索敵スキルを発動していた。

 だからだろう。 僕とキリトは同時にあることに気付き、そして同時に歩いてきた方向に振り返った。
 アスナさんが怪訝そうな声でキリトに話しかけているけど今は無視。 それよりもそのまま視線を集中させると、すぐに幾つかのカーソルが点滅した。

 カーソルの数は12。 色は全てグリーン。
 即座にメニューウインドウを開いてマップを表示させると、綺麗な二列縦隊の一団がこちらに向かっていることが分かった。

 その並びを見る限り、他の攻略組の可能性はあまり高くない。
 あまり大所帯でフィールドを行軍すると戦闘の際に連携が難しくなるため、攻略組はパーティー上限の6人以上で移動したりはしないし、腕に覚えがあるからこそここまで整然と並んだりはしないだろう。 かと言ってカーソルの色がオレンジではなくグリーンであることからもPKの一団と言う可能性も限りなく低い。 何より奴らは弱者を襲うことに快楽を見出しているクズなので、攻略組の主戦場である最前線に来ることなんて殆どない。

 「あはー、どうするですかー?」

 可視状態にしておいたマップを覗き込んだアマリが、まるで緊張感のない様子で言う。
 別にこのままここにいてもいいし、無視して進んでも問題はない。 遭遇したからと言って不都合があるわけでもなければ、たとえPK集団だったとしても丁重におもてなしすれば良いだけの話しだ。 もちろん、約束した2人の手前、殺したりはしないけど、麻痺させて放置するくらいはさすがに文句を言いはしないだろう。

 ただ、なんだか気になるのも確かなので、キリトに視線を投げた。

 「どうしよっか?」
 「一応確認したい。 その辺に隠れてやり過ごそう」
 「そうね」
 「了解ですよー」

 どうやらキリトも気になっていたようで、手早く指示を出してくれた。 アスナさんとアマリが返事をしたのを見て、まずはキリトが、その後に僕たち3人が続いて土手を上がる。
 道を見下ろす位置にちょうど良い茂みがあったのでそこに身を潜めると、僕とアマリはさっさと隠蔽スキルを発動させた。

 これで向こうからは見られずに済むだろうと楽観的に考えていると、少し離れた位置に身を潜めたアスナさんが困ったような顔をしていたので声をかけてみる。

 「どうしたの?」
 「……着替えを持っていません」
 「ああ、それだと目立つもんね。 んー、ねえキリト」
 「分かった」

 呼ばれただけで瞬時に僕の要求を察したキリトが、その真っ黒のボロコートの前を開いてアスナさんの身体を包み込んだ。 黒系統の装備はそれ単体で隠蔽効果がある場合が多く、キリトのコートもそこに含まれる上、装備者が発動する隠蔽スキルの効果をブーストしてくれる優れものだ。 アスナさん自身は隠蔽スキルを持っていないと思うし、そもそも装備者でもないのでその恩恵は受けられないけど、それでもあのコート自体にある隠蔽効果で見つかることはないだろう。

 それにしてもキリトも大胆なことをするものだ。 殆ど抱きついているのと変わらない体勢になることに躊躇いがない。
 もっとも、キリトの場合はそう言う思考に到達していないだけだろうけど。 アスナさんさんはしっかり意識しているようで、顔を真っ赤に染めながら、それでも嫌がる素振りすら見せない辺り、やっぱり恋する乙女らしい。

 「あはー、あれで付き合ってないって言うから驚きですねー」
 「だね。 ただまあ、キリトが鈍感すぎるだけだと思うけどね」
 「あそこまで鈍感だとお姉ちゃんが可哀想です」
 「それも同感」

 状況に似合わない緊張感皆無のやり取りの間に例の一団が可視範囲に入って来たので、どちらが言うでもなく押し黙る。

 現れたのは黒鉄色の金属鎧で身を固めたプレイヤーたちだ。 片手剣と盾を装備した6人と、その後に続く斧槍を装備した6人との一団。 全員が同じ濃緑の戦闘服を着ているので、その正体は簡単に分かった。

 アインクラッド解放軍。 プレイヤーの間ではそのまま『軍』とも呼ばれるSAO最大規模ギルド。
 25層のボス攻略戦で甚大な被害を被った軍は、元々の拠点だった1層に引っ込んで低層フロアの治安維持に尽力している。 その一環としてオレンジプレイヤーの捕縛を担ってもいて、厳密に言えばオレンジプレイヤーではないけど、過去に殺人を犯した僕は軍の部隊に追われたりもした。 攻略組に復帰した際にその辺りのことは精算されたとは言え、今でも軍の要注意プレイヤーリストに僕の名前があるとか。

 「やれやれ、噂は本当だったわけか……」

 12人全員が索敵範囲から脱したのを確認して、僕はそう呟いた。

 軍の一部がボス攻略を狙っていることは、不確定情報として既に知っていた。 曰く、ボス攻略に尽力しない軍に低層プレイヤーたちから批難が噴出しているらしい。 アインクラッド解放軍と名乗りながら、実際に解放のために戦っているのは攻略組なのだから、彼らの主張もそれなりに正しいだろう。
 もっとも、自分は安全な低層に引き篭もっておきながら何を偉そうに、とか思わなくもないけど。

 閑話休題。

 問題は、軍のプレイヤーたちのレベルが、果たして最前線に通用するのかどうかだ。
 追われる身だった僕は、当然の用心として軍の幹部たちやトップレベルのプレイヤーの情報、あるいは内情についての情報収集を怠ってはいない。 それは、追われる身ではなくなった今でも変わらずに続けている。 軍が僕を要注意プレイヤーとしているように、僕からしても軍は要注意の存在なのだ。
 現在の軍のギルドマスターはシンカーと言う名の男性プレイヤーで、その副官にユリエールと言う女性プレイヤーがいる。 ただ、どちらも戦闘を至上命題にしていないのでレベルはそこまで高くない。 軍で最高レベル保持者は、こちらは因縁深い名だけどキバオウ。 彼が72で、その配下も70前後だったはずだ。
 階層攻略の安全マージンが階層+10を目安にしていることからも、ここ(74層)は明らかに無理がある。

 それでもやらなきゃいけないと言うことは、彼らも余程切羽詰まっているのか、あるいはただの自殺志願者か……。
 たとえどちらであろうとも、またどちらでなかったとしても僕がどうこう言う理由はないので止めるつもりもない。

 「さて、僕たちも行こっか? 連中に遭遇したら面倒だけど、まあなんとかなるでしょ」
 「おおー、珍しく楽観的ですねー」
 「他人事だからね。 それに、彼らもまさか圏外で僕をどうこうしようなんてしないよ」

 クスリと笑って僕は言う。

 「命は大切だろうからね」 

 

久方振りの共闘を 05

 さて、僕とアスナさんとの冷え込んだ関係はもはや言うまでもないだろう。
 昔はよく一緒に行動していたけど、最近ではボス攻略以外で顔を合わせる機会がめっきり少なくなったし、たとえ会ったとしても共闘したりはしてこなかった。 半年くらい前、一緒にフィールドに出たこともあったけど、あの時は戦闘らしい戦闘もなかったし、その後にあったラフコフ討伐戦でも僕は誰とも共闘せずに1人で暴れまわっただけなので、実を言うと今のアスナさんが一般モンスターと戦うところを僕は初めて見た。

 特筆すべきはその速さ。
 キリトをして視認困難とまで言わしめる細剣捌きは圧巻で、モンスターに回避の隙を与えない。 それでいて狙いは正確で、狙う箇所が少ないために細剣との相性が悪いはずの骸骨系モンスターへと正確に細剣を突き込む技量はとんでもない。 おまけに視野も広く、KoBの攻略責任者を任されるだけあって、パーティーメンバーに与える指示も的確だ。
 大技を好んで使うキリトと小技で相手の体勢を崩すアスナさんとの相性は、どうやら抜群にいいらしい。 今も現れた骸骨剣士を、2人の連携で苦もなくポリゴン片に変えた。

 そんな情景を視界の端に収めながら、僕もまた絶賛戦闘中だ。
 相手にしているのは、今アスナさんとキリトが倒した骸骨剣士。
 74層迷宮区に出るモンスターの中ではそこそこ強いモンスターだけど、それでもやっぱり僕が苦戦するには足りない。 いや、僕たちが、か……。

 「あっはぁ!」

 ゾンッ、と言う恐ろしい音を立ててアマリのディオ・モルティーギが迷宮区の床に振り下ろされる。 僕が長いリーチを活かして足止めしていた骸骨剣士の背後から、単発ソードスキルで不意打ちした。 フル強化したディオ・モルティーギの破壊力は元々の異常な火力を更に押し上げ、6割以上も残っていたHPを完全に喰らい尽くす。
 ポリゴンの粒子に変わる骸骨剣士を眺めながら、僕は今日何度目になるかも分からないため息を吐いた。

 僕たちは今、74層の迷宮区にいる。
 元々の予定通りだし、予定になかった軍とのニアミスもあったけど、今のところ大きな問題は起きていない。 ただ、問題がないことが既に異常なのだ。

 僕とアスナさんとの関係を考慮に入れれば一緒に迷宮区にいること自体、ちょっとした異常ではあるけど、そもそもの話しをすれば誘っておいて特に何もないって言うのはおかしい。 僕はてっきりアマリとの付き合いに真っ向から異を唱えるつもりかと思っていたのに、どうやらそれも違うらしい。
 迷宮区に入る直前でこのパーティーの役割分担を決める時に話して以来、今の今までアスナさんが僕に話しかけることはなく、キリトやアマリと穏やかに言葉を交わしているだけだ。 時折、キリトが僕を気遣わしげに見るけど、その視線にはどことなく面白がっている色が見えるので、尚更理解不能である。 ちなみにアマリは特に気にした風も見せずに僕ともアスナさんとも緩い会話を繰り広げている。 つまりは至っていつも通りだ。

 「と、ところで!」

 内心で首を傾げていると、今まで穏やかに話していたアスナさんが上擦った声を上げた。
 何事かと視線を向けると僕とバッチリ目が合う。 どうやら僕に話しかけたらしい。

 遂にきたか、と言うのが正直な感想だった。
 一緒のパーティーを組み、何かしらを伝えようとしていたアスナさんが、ようやく決心がついて僕と相対する。 ただ、僕よりも事情を知っているらしいアマリとキリトがニヤニヤしているのが気にならなくもない。

 「その……最近はどうなんですか?」
 「ん? どうって言われてもね。 約束は守ってるよ。 プレイヤーは殺してない」
 「そう言うことではなくて、調子はどうかと聞いているんです!」
 「調子? あー、うん、いいんじゃないかな。 えっと、そんなに不健康そうに見える?」

 SAOで体調不良なんてあまりないけど、それをアスナさんに心配されるほど僕の顔は酷いのかな? と、そこまで考えていたところで、キリトが噴き出すのが聞こえた。
 見るとそっぽを向いて肩をヒクヒクさせている。 どうやら大笑いしたいところを堪えているらしい。

 「アスナさんこそどうなの? なんだかキリトを家に連れ込んだって言う噂だけど?」
 「んなっ」「そっ、それは!」
 「ああ、本当だったんだ」

 慌てる2人を見てクスリ。
 確証がなかったので適当に鎌をかけただけだけど、どうやら実際にそうだったらしい。
 さすがは純粋でまっすぐなお姫様。 恋愛事でも純粋にまっすぐにキリトを誘惑しているようだ。

 「あ、あなたはどうしてそう……」

 苦々しい表情で言うアスナさんを見ながら僕は苦笑する。
 そう言えば、こんな穏やかなやりとりもずいぶん久し振りだ。 以前はこれが日常だったので、懐かしさが心地いい。
 最近アスナさんからは敵意の籠った視線を向けられてばっかりだったけど、どう言う心境の変化か、今日に限って言えばそれも一切見られない。

 相変わらず意味不明だけど、これ以上考えても答えは得られないだろう。 そう結論を出した僕はこの問題を放置することにして、それまで言わなかった忠告をキリトにする。 もちろん、アスナさんに聞こえないように小声でだ。

 「それよりキリト。 あんまり浮気してると後が怖いよ?」
 「べ、別にそう言うわけじゃ……」
 「ま、キリトがアスナさんに乗り換えるって言うなら止めないし、そもそも僕が何か言う権利もないけどさ。 でも、中途半端って言うのは良くないと思うよ。 向こうは今日のこと知ってるの?」
 「ああ、昨日の内に話した」
 「で、なんて?」
 「無茶はしないでねって、それだけだったな」
 「ふうん……」

 まあ、あの人の性格を考慮に入れれば納得できる話しだ。
 キリトに対してあの人は、どう取り繕っても引け目を感じている。 だからもし、キリトがアスナさんとそう言う関係になるのなら、きっと文句を言うでもなく身を引くだろう。

 一緒に戦えない。

 それは剣の世界であるここ(SAO)ではかなりのウエイトを占める引け目であり負い目だ。 そう言う人間関係の機微に疎いキリトは、あの人が苦しんでいることを知らない。

 アスナさんの恋を応援しているのは本音だ。 色々と辛い思いや苦しい思いをアスナさんがしてきているのは僕も知っている。 そして、今もそれらが続いていることも、やっぱり僕は知っている。
 そうでなくてもアスナさんはアマリのお姉さんで、いずれ僕の姉になる人だ。 できれば失恋して欲しくはない。

 けど、それと同様に、あの人の恋が終わってしまうことを嫌だと思っているのも本音なのだ。
 キリトとあの人との関係が終わってしまえば、言葉でどう言おうと悲しむことは目に見えている。 悲しみながら、それでもキリトから身を引くだろう未来まで、容易に想像できてしまう。

 ダブルスタンダードとは少し違うけど、矛盾した思いを抱いているのは確かだ。

 「やれやれ、恋って難しいね」
 「あはー、それはフォラスくんが難しく考えるからですよー」
 「あはは、全く以ってその通りだよ」

 はあ、と吐いたため息にキリトが気まずげに目を逸らし、アスナさんが首を傾げるのだった。









 「ん、なんか重くなってきたね」
 「そうですね。 ボス部屋が近いのでしょうか?」
 「だろうな。 マップの空白部分も少ないし、多分もうすぐ……」
 「あ、見えてきたですよー」

 あれから数回の戦闘を消化した僕たちは、アマリが指差す方向を見て緊張の度合いを更に高めた。
 長い長い通路の先。 そこに見えるのは、重厚で禍々しい巨大な扉。
 もう何度も見てきたボス部屋へと続く扉が、そこにはあった。

 多分意識してのことではないだろうけど、アマリが僕の手を、アスナさんがキリトのコートの袖を、それぞれギュッと掴む。
 最強格に数えられる剣士の1人であるアスナさんでもさすがに怖いらしい。 ちなみにアマリの場合はその逆で、今にもあの扉の奥に駆け込みたいと言う衝動(あるいは狂気)を自制するための行動だ。

 「どうする……? 覗くだけ覗いてみる?」
 「あっはぁ、賛成ですよー」
 「そうだな。 ボスの姿くらいは見とかないと対策の立てようもないし……」
 「だね。 まあでも大丈夫だよ。 ボスが部屋から出たりはしないし、最悪、僕たちならよっぽどじゃない限り逃げられるよ」
 「あなたたちは本当に緊張感がないですね」
 「緊張と萎縮は別物だよ。 それとも何もしないで帰る?」
 「……いえ、開けてみましょう」

 僕の挑発が効いたのか、あるいは攻略責任者としてのプライドか、アスナさんは迷いを払うように首を振ると、転移結晶を取り出した。 それに倣ってキリトも転移結晶を片手に持ち、握り込んだ拳を扉に当てる。
 ボス部屋の扉を開ける動作に筋力値の高低は関係ないけど、いつもの癖で僕ではなくアマリが扉を押す係だ。
 キリトとアマリ。
 このパーティーに於ける筋力値自慢の2人が扉を押すと、扉は滑らかな動作で開き始める。 ある程度まで開けば後は自動で開くのでそれに任せ、キリトとアスナさんは緊張の面持ちで、僕とアマリは逸る気持ちを抑えながら開放を待った。

 部屋に入ると、回廊の光すらも侵食しかねないほどの暗闇の中、ボッと二つの青白い炎が上がる。 それに連続していくつもの炎が灯り、次いで一際大きな火柱が上がると部屋全体が薄青い光に照らされて完全に視認できるようになる。

 「ふふ」「あはー」

 同時に笑った僕とアマリに呼応したのか、遂に74層のボスがその姿を現わす。

 『The Gleameyes』 意味は多分、『輝く目』。
 その名に負けない青く輝く瞳を見て、狂人2人の口角が持ち上がったのは言うまでもないだろう。 
 

 
後書き
ようやくグリームアイズさん登場です。
どうも、迷い猫です。

さあ、実は色々と匂わせまくっているのがこの章、74層攻略戦です。 章を丸ごと使って伏線張りまくりですが、全てを回収し切れるかは不明だったりします←おい
それでも確実に回収する伏線は、フォラスくんの過去(主人公なので当然です)、キリトさんの恋愛事情(私の趣味なので当然です)、それからフォラスくんのユニークスキル、でしょうか。
ちなみに、次の話しでキリトさんのアレが登場します。 同時にフォラスくんのソレもお披露目します。 もちろんアマリちゃんのアレも全開仕様となるでしょう。 さあ、果たして私は表現し切れるのか?

まあ、そんな不安は置いといて、次の更新も楽しみにして頂ければ幸いです。 ええ、本当に。
ではでは、迷い猫でしたー 

 

久方振りの死闘を 01

 The Gleameyes。 青い目の悪魔。
 ゴツゴツと隆起した筋肉を覆う肌は瞳と同色の青。 人型の身体に山羊の頭を持ち、下半身を長い毛に覆われたその異形を端的に言うのなら『悪魔』の一言に尽きるだろう。

 今まで大小様々なモンスターを殺し尽くしてきた僕たちだけど、ここまで分かりやすい悪魔型のモンスターは初めてだ。
 未知のモンスターに遭遇した緊張と、それを遥かに上回る狂喜とが全身を駆け巡るのが分かった。 表情はどれだけ抑えようとしても笑顔を浮かべ、雪丸を握る手に一層の力が篭る。 見るまでもないし聞くまでもないけど、それはアマリも同様だろう。

 「ゴァァァアアアアア‼︎」

 青白い炎を呼気と共に吐き出しながら、グリームアイズは高らかに咆哮。 直後、その右手で妖しく煌めく大振りの剣を振り上げ、こちらへの突進を始める。

 「うわあああああ!」
 「きゃあああああ!」

 同時に響いたのはキリトとアスナさんの絶叫。
 見る間もなくUターンした2人は僕たちの存在を忘れたのか、絶叫の勢いそのままにボス部屋から走り去った。

 いっそ尊敬したくなるほどの遁走ぶりに苦笑いを浮かべつつ、そこである程度の理性を取り戻した僕は、グリームアイズを迎え討たんと身構えるアマリの頭を軽く叩いた。

 「……なにするですか?」
 「とりあえず戻るよ。 あの2人を放置して戦うと後が怖い」
 「そこに敵がいるですよ? ぶっ殺さないなんてあり得ないです」
 「……分かった。 ただし、ぶっ殺すのはまた後でね。 今は偵察だけだよ?」
 「あっは、了解ですよー」

 退くつもりのないアマリに譲歩するのは僕のいつもの癖だ。 甘いと言うことくらい分かっているけどやめられない。
 さすがのアマリも2人だけで殺すことが難しいことは分かっているので、どれだけテンションが上がっていようとも撤退のタイミングを見誤りはしないだろう。

 「とりあえずは攻撃パターンの割り出しが最優先。 攻撃は後回しで回避と防御に専念。 それから僕が合図したら撤退すること。 いいね?」
 「もっちろんオッケーですよ!」
 「元気が良すぎて不安だけど……いくよ」
 「あっはぁ、やるですよぉ!」








 ボス部屋からほど近い安全地帯に、2組の男女がいた。
 1組は僕とアマリ。 そしてもう1組はキリトとアスナさん。
 4人で迷宮区に足を運んでいたので当然の組み合わせだけど、今の状況はちょっと特殊だった。

 「いやまあ、別にいいんだよ。 あの手のモンスターは初めてだし、びっくりして逃げたくなる気持ちは全然理解できないけど、仕方ないだろうって納得はできるしさ。 でも、一応パーティーメンバーの僕たちに何も言わないで逃げるっていうのはどうなのかな?」
 「「すいませんでした!」」
 「うん。 だから別にいいんだって。 ただ、もしものことがあったらどうするんだろうなーとか思ったわけですよ、僕は。 そこのところ、2人はどう考えてるのかな?」
 「「お、仰る通りです、はい」」


 にこやかな笑顔を浮かべて問う僕と、そんな僕の前に並んで正座をするキリトとアスナさん。 そしてそれを横から見てニヤニヤするアマリ。

 とんでもなくカオスな状況になっている理由は単純明快で、パーティーメンバーを無視して逃げた2人にちょっとお話しをしているわけである。
 と言っても、これは完全に冗談の部類なので、ノリの良いキリトと意外に付き合いの良いアスナさんが乗っかてくれているだけの、言わばお遊びだ。 そもそもの話し、無視して逃げたことを責める僕は、2人から勝手にボスの偵察をしたことを責められてもおかしくないので、こうして冗談として流しているのだ。

 あれから。
 74層のフロアボス、グリームアイズの攻撃パターンをある程度見極めた僕たちは、当然のことながら攻撃に転じることもなく撤退。 手近の安全地帯で先に逃げ込んでいた2人と合流して今に至る。

 「さて、冗談はこのくらいにして……。 あれはちょっと大変そうだね」
 「やはりそう思いますか?」
 「うん。 大型剣装備の悪魔型。 HPバーは4本。 攻撃パターンは両手剣ソードスキルとブレス、それから爪と拳による攻撃もあったよ。 ソードスキルはボス用に少しアレンジが効いてて苦労するかな」
 「……ステータスはどうでしたか?」
 「敏捷値はそこそこで筋力値がかなり高かったね。 ブレスはそこまでだったけど、攻撃は全体的に高威力。 ただし防御は手薄だし、そもそもの防御力も低いからそこが狙い目といえば狙い目だね。 詳しい話しは後でデータにしてKoBの本部に送るよ」
 「お願いします」

 敬語であることを除けば昔と変わらない僕とアスナさんとのやりとりを、キリトとアマリが苦笑い気味に聞いている。
 この手の頭脳労働は僕たちの領分なので、向こうの実戦組は大人しく待機だ。

 「前衛を手厚くして確実に削るのが得策でしょう」
 「あるいはダメージディーラーを集めて短期決戦にするかだね。 さっきも言ったけど防御が薄いから、そんなに時間もかからないでしょ?」
 「そんな⁉︎ 危険すぎます!」
 「危険のないボス攻略なんてないよ。 タンクを集めたって防御にしくじれば一瞬で壊滅だからね」
 「回避に失敗すれば一瞬で全滅です‼︎」
 「まあ、そこは追い追い詰めるとして、今は休憩にしよ? もうお腹ペッコペコだよ」

 白熱仕掛けた議論をリセットするように提案すると、アスナさんは渋々乗ってくれた。
 さすがに昼の3時にもなればお腹が空く。 料理スキルを持っているアスナさんと僕、それから料理スキルを持ってはいないけどとある事情でお弁当を持参しているキリトがそれぞれのストレージから昼食を取り出した。

 「あれ? キリト君、お昼ご飯買ってあったの?」
 「いや、買ったって言うわけじゃなくてだなーー「愛妻弁当だよね、キリトのは」

 しどろもどろに誤魔化そうとするキリトを先回りして、僕が答えを提示する。
 どんな理由があろうとも、誰かが作ってくれた食事を誤魔化そうなんて、あまりにもアンフェアだ。 それはキリトのために食事を作るあの人に対して失礼すぎるだろう。

 僕が示した回答の意味をたっぷり5秒かけて理解したアスナさんは、やや掠れた声で呟いた。

 「え……あ、愛妻弁当?」
 「ち、違うぞ! 愛妻じゃない。 ただ、その……付き合ってる女の子がいるから……」
 「あはー、熱々ですねー。 おにーさん、彼女さんがいたですかー」
 「いやまあ、その、一応な」
 「一応? それは初耳だね」
 「一応じゃありませんでした! 全力で付き合ってます!」

 半ばヤケクソ気味に言ったキリトの告白に驚いたのはアマリだけ。 僕は元々知っていたので驚かないし、アスナさんに至っては驚くを通り越して呆然としている。

 そう。 何を隠そうキリトには彼女がいるのだ。 その付き合いは1年半ほど前からになる。
 もっとも、あの人は戦闘職でない上に目立つのが嫌い(これはキリトもそうだけど)なため、知っている人は数少ない。 と言うか、基本的にソロプレイのキリトが実は誰かと付き合っているだなんて誰も思わないだろう。

 「良いよねキリトはさ。 愛妻弁当を食べられて」
 「……お前も作って貰えば良いだろ」
 「残念だけど、アマリは料理スキル持ってないから」
 「あはー、私は食べる専門なのです」

 緩く笑ったアマリは僕が取り出したお弁当を受け取ると、そのまま楽しそうに蓋を開ける。 それに触発されたのか、キリトが続いて、その後に呆然としたままのアスナさんも小さなバスケットを開けた。
 キリトの愛妻弁当の中身は彩り鮮やかでありながら、キリトの大好物である肉類が中心。 僕とアマリのお弁当はシーフードグラタン(っぽい何か)と簡単なサラダとパン。 アスナさんのは肉や野菜を挟んだ綺麗なサンドイッチ。

 「へえ、アスナさんのそれ、美味しそうだね」
 「え、あ、ありがとうございます」
 「ちょっと分けてくれない?」
 「それは構いませんが……」
 「ホントに? よかったー。 ほら、自分で料理してると、たまに人が作った料理を食べてみたくなるんだよね」
 「少し分かります。 えっと、じゃあどうぞ。 作りすぎてしまったのでちょうど良いです」

 言ってバスケットを差し出してくれたので、遠慮しないで(もちろんお礼を言ってから)サンドイッチを取り出す。
 その際にちらりと見ると、中にはまだ大きめのサンドイッチが1個と、やや小振りなサンドイッチが1個残っていた。 確かに1人用とすれば多いけど、キリトと分けるならちょうど良い量だ。

 「頂きます」

 微妙に罪悪感を覚えつつも口に運ぶ。

 「うわ、美味しい……」

 ついついこぼれ出た感想は、そんな単純なものだった。

 とても懐かしい味を噛み締めつつアスナさんを見ると、まだ気落ちはしているものの少しだけ嬉しそうに微笑んでいた。
 現実では知らなかった感覚だけど、料理人にとって単純な『美味しい』と言う賛辞は何よりも嬉しかったりするのだ。 何しろその一言のためだけに作っているのだから。
 食べさせたかった相手ではないとは言え、それでもやっぱり嬉しいらしい。

 「んー、この味はマヨネーズと醤油……いやでも、そんな調味料、SAOにあったっけ?」
 「ありませんよ。 なので自作しました」
 「自作?」
 「はい。 アインクラッドで手に入る全ての調味料が味覚再生エンジンに与えるパラメーターを解析して、自分で配合したんです」
 「うわー、ずいぶんと気が遠くなる作業をしたんだね」
 「それ、フォラスくんにだけは言われたくないと思うですよ」
 「あ、こらっ」

 突然会話に割り込んできたアマリが、僕の手からアスナさん謹製のサンドイッチを強奪する。 取り返そうと手を伸ばしたけど、時すでに遅く、はしたなく開けられた大口に全てが飲み込まれてしまった。

 「おおー、ホントに美味しいです。 懐かしい感じの味ですねー」
 「ふふ、ありがと。 ところでアマリ。 フォラスさんにだけはってどう言うことなの?」
 「フォラスくんも似たようなことをやってるからですよー。 あっちは調合ですけど、毎日色々やってるですよ」
 「調合スキルも持ってるの⁉︎」

 ペラペラとバラされた僕の個人情報に、アスナさんは目を丸くして驚いた。

 別に調合スキル自体は珍しくない。 回復ポーションだったり解毒ポーションだったり、はたまた各種毒類の製作に用いる調合スキルは割とポピュラーなスキルだ。
 実を言うと料理スキルよりも先に習得していて、すでにコンプリートして久しい。

 僕がやっている調合の研究は単純で、様々な素材を掛け合わせることでできるアイテムの効果を数値化してまとめ、それを基により強力な薬品を作ろうとしているのだ。 実際、僕が作る薬品群は店売りのそれに比べて効果が劇的に高く、市場に出回ればかなりの高額が付くだろう。
 もっとも、商売が目的ではないので市場に出回ることはまずないので、僕が薬剤師(調合スキル持ちのプレイヤーをこう呼ぶ)であることはあまり知られていない。

 なのでアスナさんが知らなかったのも無理はないだろうけど、驚いたポイントはそこではないだろう。
 アスナさんが驚いたのは、僕が調合スキル『も』習得していることだ。

 デスゲームたるSAOでは当たり前だけど、戦闘を主とする剣士クラスが生産系スキルを持つことは滅多にない。 それで言えばアスナさんも十分に変人の仲間だろう。
 何しろいつ死んでしまうのかも分からない状況なのだ。 万全を期すために限りあるスキルスロットは戦闘系スキルや戦闘に有用な補助スキルで埋めることが基本とされている。
 にも関わらず、僕は料理と調合のスキルを習得して、貴重なスキルスロットを潰しているのだから、変人度合いはアスナさんの比ではない。

 「人のスキル構成をペラペラと……。 アマリ、後でお仕置きだからね」

 言いながらアマリの頭に軽いゲンコツを落とした僕を見るアスナさんの目が、完全に変人を見る目だったのは気のせいだろう。 うん。

 お願いだから気のせいだって言って…… 
 

 
後書き
おかしい……話しが全然進まない……
と言うわけで、どうも、迷い猫です。
前回の後書きでした予告まで全く届いていません。 と言うか、冷静に考えると、あの予告の内容に届くのは次の次くらいになりそうです。 決して悪気があるわけではないので許してください(土下座
と言うか、このほのぼの回が今までで一番文字数が多いって……全く以ってどうかしてるぜ!←おい

次の話しはクラなんとかさんって言う侍と、コーなんとかさんって言う中佐が出ます。 これは絶対に。

それはそうと、今回の話しで幾つかの爆弾を落としました。
最大級の爆弾で言えばキリトさんに彼女がいることでしょう。 そしてその彼女とは、勘のいい読者の方なら簡単に想像がつくであろうあの人です。

さて、さっさとグリームアイズ戦をやりたいので今日はこの辺で。
ではでは迷い猫でしたー 

 

久方振りの死闘を 02

 ほのぼのとした雰囲気での食事を終えた僕たちは、そのまま安全地帯休憩していた。
 少し前なら攻略最優先、より早い解放が史上命題、とでも言いそうなほど切羽詰まっていたアスナさんだけど、いつの間にやらその焦りはなくなったらしい。 今も楽しげにキリトやアマリとおしゃべりしている。 とは言え、まだキリトに彼女がいると言う事実に整理がつかないのか、時折気まずげに目を伏せたりはしているけど、概ね順調に交流を深めていた。

 安全地帯と言うのはあくまでモンスターが侵入できないだけの場所なので、PKの一団に襲われる可能性も皆無とは言えない。 最前線の迷宮区に奴らが来ることは滅多にないので、それは限りなくゼロに近い可能性だけど、だからと言って僕は警戒を怠ってはいなかった。
 だから、安全地帯に僕たちとは別のパーティーが入ってきたのに気付いた僕たちは、今までのほのぼのとした空気を霧散させて警戒した。 立ち上がり、いつ何が起こってもいいように身構える。

 「おお、キリトにフォラスじゃねえか! しばらくだな」

 そのパーティーの先頭にいたカタナ使いのプレイヤーは見知った顔だったので、引き上げた警戒レベルはすぐに下げた。
 向こうもまさか知り合いがいるとは思っていなかったのだろう。 少しだけ驚いたような顔をして、それから気の良い笑顔を浮かべる。

 「おめぇらが一緒なんて珍しいな。 しかも、アマリちゃん以外が連れ、に……」

 見知った顔のカタナ使いことクラインさんは、僕とキリトの肩をバシバシ叩きながらそれぞれの連れを見て、そして固まった。

 「あー……っと、ボス戦で顔は合わせてるだろうけど、一応紹介するよ。 こいつはギルド『風林火山』のクライン。 で、こっちは『血盟騎士団』のアスナ。 ……っておい、なんとか言え。 ラグってんのか?」

 固まっているクラインさんは、キリトに脇腹を小突かれてようやく再起動する。 そのまま物凄い勢いで頭を下げた。

 「こっ、こんにちは‼︎ クライン24歳独身! 恋人募集ちゅぼおっ」

 途中で言葉が崩れたのは、アマリがキリトとクラインさんとの間にディオ・モルティーギを振り下ろして、物理的にアスナさんへ伸びる魔の手を断ち切ろうとしたからだ。

 「あはー、お久しぶりですクラインちゃん。 ところで、今なんて言いかけたですかー?」
 「お、おお久しぶりだなアマリちゃん大丈夫俺は何も言ってないぜ」
 「ですかー。 なら良かったです。 クラインちゃんの首をぶった切らないですみました」

 句読点すら怪しいクラインさんの弁明にアマリが笑い、僕とキリトも顔を見合わせて笑う。
 状況に追いつけていないアスナさんは呆然としていたけど、すぐにそれも回復してクスクスと笑った。

 そんな微笑ましい交流をしているアマリたちを尻目に、僕は下げていた警戒レベルを今度こそ最高まで引き上げていた。
 クラインさんや風林火山の面々、そして当然アマリたちとも違うプレイヤーの反応が僕のマップに表示されているのだ。 その数は12。
 それだけで誰が来たのかは分かる。 そして、その後に起こるであろう面倒ごとも、大体の予想がついた。 僕がため息を吐く頃にはみんなも気がついたらしく、警戒の面持ちで安全地帯の入口に視線を集中していた。

 そして現れるのは黒鉄色の金属鎧に身を包んだ一団。 つい数時間前にニアミスし、その時は遭遇を避けた軍の連中だ。
 見た時よりも分かりやすく疲労しているのは当然だろう。 何しろ安全マージンを取れていない74層の迷宮区を踏破してきたのだ。 むしろ死者が出ていないことが奇跡とさえ言える。
 12人と言う大所帯なので連携はかなり難しいだろうけど、そこを徹底的に訓練したんだと思われる。 たとえ迷宮区であろうとも基本的に敵は1体か2体で出ることが殆どで、多かったとしても3体程度だから、連携さえなんとかなれば大人数である分危険は少なくて済む。 それでもそんな戦闘は神経を使うので、疲労して当然だ。

 軍の一団を率いているらしい先頭の男が「休め」と合図を出すと、残ったメンバーは崩れるように座り込む。 そんな仲間の様子に気を配るでもなくこちらに近づいてきた男は、僕たちの先頭に立ったキリトに愛想のない声で語りかけた。

 「私はアインクラッド解放軍所属、コーバッツ中佐だ」

 ヘルメットを外して口にした名を、僕は記憶している軍の情報から照会する。

 コーバッツ中佐。
 アインクラッド解放軍の階級制度の正確な仕組みは分からないけど、佐官を名乗っている以上、そこそこ高位のプレイヤーだろう。 その名には聞き覚えがあって、確か軍の中でも極めて野心的なキバオウの一派に属していたはずだ。
 キバオウ派はオレンジの捕縛を主任務としている一派でもあるので、僕とは衝突の機会が多かった。

 短く名乗り返したキリトに対して頷くと、そのまま横柄な口調で続ける。

 「君らはもうこの先も攻略しているのか?」
 「……ああ。 ボス部屋の手前まではマッピングしてある」
 「うむ。 ではそのマップデータを提供してもらいたい」
 「て、提供しろだと⁉︎ てめぇ、マッピングする苦労が分かって言ってんのか⁉︎」

 横暴極まる要求に声を荒らげて異議を唱えたのは、キリトではなくクラインさんだった。

 マッピングの苦労は尋常ではない。
 何しろ、いつモンスターが出るかも分からない道をトラップに警戒しながら進み、そして戻るを何度も繰り返して手に入れるものだ。 その危険度と苦労は言うまでもないだろう。
 だけど、中佐を名乗るこの男は止まらない。

 「我々は一般プレイヤー解放のために戦っている! 諸君が協力するのは当然の義務である!」
 「ちょっとあなたねえ……」
 「て、てめえなぁ……」

 爆発しかねない調子で唸ったのは2人。
 先ほどまではクラインさんだけだったけど、今度はそこにアスナさんが加わっていた。 2人とも完全に怒っている。 一昔風に言うなら『おこ』だ。

 「ふふっ」

 そんな一触即発の空気で、僕はいつもと変わらず笑ってしまった。

 「何がおかしい!」
 「ん? ふふっ、何がって中佐さん、おかしいことだらけだよ」
 「なんだと?」
 「だってさ、軍は今の今まで下層フロアに引きこもってたんでしょ? それがノコノコ最前線に来たと思ったら一般プレイヤー解放のために戦っている、だって? もうおかしすぎるよ」
 「き、きさ……」

 かあっと憤怒で顔を紅潮させたコーバッツは、僕の顔を改めて見て絶句した。

 「貴様、戦慄の……」
 「懐かしい名前だね。 でもそれはもう返上したから、今はただのフォラスだよ」
 「貴様のような薄汚いオレンジ風情が私に口答えするな!」

 ミシッと言う不穏な音が後ろから聞こえる。 アマリがディオ・モルティーギの柄を恐ろしい筋力値で握りしめた音か、はたまた空いている手をきつく握った音か、背を向けている僕には判断できない。
 ただ確実なのは相当に怒っているだろうと言うことだけだ。

 「マップデータを提供すればいいんだな?」

 こちらも負けず劣らず怒っているらしく、クラディールと相対した時以上に重い声音でキリトが割り込んできた。
 このままコーバッツが喚こうものならアマリの我慢が限界を迎えると思ってのことだろう。 そして、その予想はきっと正しい。

 「いいの?」
 「どうせ街に戻ったら公開する予定だったんだ。 悪いな、勝手に決めて」
 「いいよ。 『マップデータで商売する気はない』でしょ?」
 「まあな」

 ひょいと肩を竦めたキリトは、手早くトレードウインドウを開いてマップデータをコーバッツに送る。 苦い表情のまま受け取ったコーバッツは、「協力感謝する」と、まるで気持ちの籠っていない上辺だけの謝辞を述べて踵を返した。
 その背中にキリト(お人好し)が忠告を投げる。

 「ボスにちょっかいを出すならやめといたほうがいいぜ」
 「……それは私が判断する」
 「さっきちょっと覗いてきたけど、生半可な人数でどうこうなる相手じゃないぜ。 仲間も消耗してるじゃないか」
 「私の部下はこの程度で根を上げる軟弱者ではない! 貴様ら、さっさと立て!」

 明らかに消耗している仲間(本人の弁を借りるなら部下)を気遣う様子もなく発した号令に、軍の面々は弱々しく立ち上がると、それでも健気に整列した。 怒りでなのか傲慢でなのか、狭窄したコーバッツの視野にはパーティーメンバーを思いやる余裕がないのだろう。
 そのまま何を言うでもなく重い足取りで安全地帯から出ていった。

 「じゃあ僕たちもいこっか?」
 「行くってどこにだ?」
 「そんなの決まってるよ……」

 首を傾げるクラインに僕は言う。

 「あの愚鈍な中佐殿の様子見にだよ」 

 

久方振りの死闘を 03

 運の悪いことにモンスターが現れ、その対処をしている間に軍の一団が索敵範囲から外れてしまった。
 元々ギリギリの位置から追っていたので仕方のないことではあるけど、連中の行き先は分かっているのでそのままボス部屋まで急いで向かっていると、ようやく索敵に反応が出る。

 「うわ、ちょっと遅かったみたいだね……」

 誰にでもなく呟いてから、僕は走る速度を限界まで上げる。 この時点で残ったメンバーはアスナさんとキリト、それからアマリだけになった。 筋力値を優先的に鍛えているクラインたち風林火山の面々を置いていく形になったけど、彼らは少数とは言え攻略組の一角を占めるギルドだ。 滅多なことはないだろう。
 ちなみに筋力値優先どころか、敏捷値を切り捨てていると言っても過言ではないアマリが何故残っているのかと言うと、僕が背負っているからだ。 互いの武器をストレージに戻し、数少ない金属装備を外すと言う蛮行にアスナさんが顔をしかめていたけど、緊急事態のため何も言わないでくれている。 こうでもしないと筋力値の低い僕はアマリを背負って走れないのだから仕方ないので、できれば落ち着いてからのお小言も勘弁して欲しいものだ。

 そんなこんなで走ること数分。
 僕たちはボス部屋の目前まで到達する。 アマリを降ろしつつ急いで中を確認すると、そこには案の定ボスと戦闘中の軍がいた。

 「撤退しろ! その人数じゃ無理だ!」
 「うるさい! 私に指図をするな! ……貴様ら、何を怯んでいる! 戦え!戦うのだ!」

 キリトの指示を一蹴したコーバッツは、どう見ても無謀な戦いを命令する。

 盾持ちの前衛がグリームアイズの大剣を防ぎ、斧槍を構えた後衛がその隙に攻撃を仕掛ける。 ボスモンスターを攻略する上での基本戦略だけど、レベルが足りていないため6人でも完全に防ぎきれていないし、攻撃してもダメージが殆ど通っていない。 加えて、グリームアイズの攻撃には盾での対応が難しいブレスがある。 このままでは壊滅も時間の問題だろう。

 と、外した装備を整えていた僕は、見たくもない最悪のシナリオを見た。

 グリームアイズが放ったソードスキルにより、前衛の2人が吹き飛ばされ、ボス部屋の床を転がる。
 SAOでは攻撃による転倒はバッドステータス扱いで、動けるようになるまで時間がかかる。 本来であればこの時点で他のプレイヤーが威嚇だったり投剣だったりのスキルでボスのヘイトを稼ぎ、ターゲットを転倒したプレイヤーから移すべきだけど、ボスモンスターとの戦闘経験が浅い彼らは仲間が吹き飛ばされたことに竦み、呆然とするだけだった。
 そして、その隙を逃すほどボスモンスターは甘くない。

 グッとグリームアイズが上体を反らす。 あれは先ほどの偵察の時に何度か見たブレス攻撃のプレモーションだ。 この角度からだと僅かしか見えない口元に、青白い輝きが充満していく。

 「ーーーーっ」

 それを確認する前には、僕は既にボス部屋を駆けていた。
 アマリを背負っていない僕の全速力。 徹底的に鍛え上げた絶大な敏捷値を全開にした疾走は、さながらロケットのような速度を生み、ブレスを吐き出す直前のグリームアイズと転倒した2人との中間地点にギリギリで滑り込んだ。

 とは言え、このタイミングで割り込んだからと言ってもできることは数少ない。
 何しろ僕は頭に超が付く軽装薙刀使い。 盾を以ってしても防御が難しいブレス攻撃に対処する術はかなり限られている。 より正確に言うのならたったひとつしかない。
 これが僕だけであれば、あるいは後ろにいるのがアマリであれば、僕が選択する行動は回避になるだろう。 あれだけ分かりやすいプレモーションを見せてくれているのだから回避は簡単だ。
 でも、今の状況でそれはできない。 それをするくらいなら、そもそも割り込んだりはしない。

 ヒュンッと空気を裂く音をひとつ響かせてから、両手を巧みに使って雪丸を回転させる。 やがてヒュンヒュンと連続的な音を奏でる頃には、雪丸が薄緑のライトエフェクトを灯し、同時にグリームアイズのブレス攻撃が発動した。
 武器防御スキルを鍛えていると習得可能になる、汎用ソードスキル『スピニングシールド』。
 短剣などの小型武器を除く全ての武器で使用可能な珍しいソードスキルで、物理攻撃はもちろん、ブレス攻撃すらも防いでくれる優れものだ。 ただひとつ難点があって、この技は武器の耐久値をいっそ冗談かと思いたくなるくらいの速さで削るのだ。

 薄緑色をした光の円盾(ラウンドシールド)と、青白い輝きを放つ吐息とが衝突する。
 そもそも回避を前提に能力構成(ビルド)を組んでいるので当然だけど、僕は防御行動が苦手だ。 それでも幸いなことに、ブレス攻撃の殆どは威力が高くても重い攻撃にはならない。 幾らかのダメージは受けたものの、特に問題もなくブレス攻撃を防ぎれた。

 大技の後の技後硬直に襲われているグリームアイズから一旦視線を切って、僕の後ろで呆然としたままのプレイヤーに指示を飛ばす。

 「転移結晶で撤退して。 時間は僕が稼ぐから」
 「ふざけるな! 我々アインクラッド解放軍に撤退の二文字はない!」

 ようやく転倒から復帰したプレイヤーたちが僕の指示に従おうとした瞬間、ようやく駆けつけたコーバッツがそう叫ぶ。
 あまりの言葉に反駁し損ねた僕を見て、更に言葉を重ねた」

 「貴様ら! オレンジ風情の言葉になど耳を貸すな! 我々は一般プレイヤー解放と言う大義を任せられているのだぞ!」
 「だからってこのままだと全滅するよ。 それでもいいの?」
 「黙れ! 我々は死を恐れるような軟弱者ではなーー」

 ヒュンッと空気を切り裂く音。
 コーバッツの鼻先を雪丸の刃が掠めると、さすがのコーバッツ(馬鹿)も言葉を失った。

 「誰かを巻き添えにするのは許さない。 そんなに死にたいならあいつを殺した後に僕が殺してあげるよ」

 コーバッツは僕の顔に何を見たのだろう? その表情を恐怖に染め、一歩後ずさった。
 僅かにできた空白を見逃すわけもなく、僕はそのまま声を張り上げる。

 「軍の人たちは早く撤退して!」
 「だ、駄目だ! 結晶が使えない!」
 「だったら、ボスを迂回しつつ部屋の端に! ボス部屋の外はモンスターが出るかもしれないから危険ーー」

 僕の指示がグリームアイズの咆哮に掻き消される。
 瞬間、部屋を照らす幾多もの青白い炎が揺らめき、その身を雷撃へと姿を変え、部屋にいる僕を含めた13人全員を貫いた。

 ーー範囲攻撃⁉︎ しかもこれ……

 床に倒れこみながら、僕は戦慄する。
 視界の左上に表示された4本のHPバー。 その最上段にある僕のHPバーの枠が緑色に点滅し、右端に同色のデバフアイコンが表示される。
 現状考えうる最悪のバッドステータス、『麻痺』。
 最弱のものでさえ自然回復に結構な時間がかかる悪辣な状態異常を受けた僕は、抵抗する術もなく地に崩れ落ちた。

 僕とアマリが偵察した際、あんな攻撃を使ってはこなかった。 おそらくボス部屋にいるプレイヤーの数が一定以上になると使用するスキルなのだろう。 そう言う条件で繰り出される攻撃があることを僕は知っていたのに、完全に油断していた。
 麻痺中は利き腕以外動かないので、回復はかなり難しい。 おまけに一瞬で状態異常を回復してくれる浄化結晶は使えないのだ。 色々とあって耐毒スキルをカンストしている僕は、ある程度の時間で回復するだろうけど、それでもこのままグリームアイズが何もしないでいてくれるわけがなく、地に伏した全員が殺されることは避けられない。

 そんな絶望的な状況で、僕は小さく笑った。

 気が触れたわけではない。 もちろん諦めたわけでもない。
 僕は絶望の直前、確かに聞いたのだ。

 聞くものが聞けば身の毛もよだつ、けれど僕にとっては頼もしくも愛おしい狂気の笑声を。 だから心配はない。

 「あっはぁ!」

 聞きなれたそれと同時、倒れこんだままの視界に収まっていたグリームアイズの巨体が吹き飛んだ。
 そして、開けたそこにいたのは桜色の髪を持つ少女。 惨殺天使などと言う物騒極まりない異名で呼ばれるアマリが、有り余る狂気を滲ませ、ただただ笑っていた。

 「もしかしてピンチだったですかー?」

 グリームアイズを吹き飛ばして転倒させたアマリは、そのまま追撃するでもなく跳躍すると、僕のすぐそばに降り立ってそう言った。

 「ふふ、まさか。 ここから大逆転の予定だったんだよ」
 「あはー、それは悪いことをしたですねー。 そんなフォラスくんにぷれぜんとふぉーゆーです」
 「ん」

 怪しい発音の英語を言いつつ、僕の口に突っ込んできた麻痺解毒用のポーションを飲み下す。
 これは僕が持てる全ての知識と熟練度を集約して調合したポーションだ。 効果は店売りの物よりも早く、実験ではレベル8の毒による麻痺でさえ、たったの10秒で治してみせた。 この麻痺がどの程度のものかはわからないけど、少なくともそれ以上と言うことはないだろう。

 と、適当に当たりをつけた直後、デバフアイコンが消えた。
 所要時間は約6秒。 経験則から判断するに、レベル7相当の麻痺毒だったらしい。

 「アマリ、軍のお馬鹿さんたちを壁際まで運んで。 それまで僕が時間を稼ぐよ」
 「独り占めは許さないですよ?」
 「わかってる。 じゃあ、頼んだよ」
 「了解ですよー」

 頷いたアマリの頭を軽く撫でてから僕は駆け出した。
 HPは6割を切っているけど、それを気にしていられるほどの余裕はない。 転倒から復活したグリームアイズを止めないと、まだ麻痺の抜けない軍の一団が全滅しかねないのだ。

 「みんなも軍を端に避難させて!」

 アマリに続いてボス部屋へと足を踏み込んでいたキリトたちにもアマリと同様の指示を出す。
 遠巻きに見ていたみんなも状況は察しているらしい。 それぞれが威勢良く返事をすると、グリームアイズを大きく迂回して軍の一団の救助に向かってくれる。

 「さて……」

 ここからが僕の仕事だ。
 軍の一団にボスが向かわないように食い止めつつ、あの範囲攻撃を使わせないよう立ち回らなくてはならないのだから、その難易度は言うまでもないだろう
 それでも、僕に気負いはなかった。

 「あなたの相手はこの僕だ」

 大剣を携えるグリームアイズの両足を雪丸で薙ぎ、僕はそう宣言した。 
 

 
後書き
グリームアイズさん(大体2歳)の鬼強化。
と言うわけで、どうも、迷い猫です。

原作では二刀流を解禁したキリトさんに瞬殺(小説で2ページ、アニメでは約1分)されてしまうグリームアイズですが、ここではかなり強化されています。

以下、裏設定。 読み飛ばしていただいても本編に影響はありません。

スキル名『パラライズ・ランス』
The Gleameyes専用、特殊攻撃。
ボス部屋内のプレイヤーが12人を越えると開放される状態異常付与範囲攻撃技。
防御不可。 当たれば耐毒スキルおよび耐毒ポーションの有無に関わらず、レベル7相当の麻痺を付与。 麻痺の確率は95%。
ブレス攻撃後の咆哮がプレモーション。 出は遅いが攻撃速度自体はかなり高速。
技後硬直が長く設定されているのが救い。
回避に成功したプレイヤーがボスのタゲを取り、麻痺したプレイヤーがその隙にポーションなどで回復すれば全滅は防げる。
状態異常付与がメインのため、ダメージ自体は少ない。

いやはや、自分でやっておいてなんですが、実にいやらしいスキルですね。 製作者はきっと性格が悪いことでしょうww
と言うか、実際にこんなスキルを使うボスが出るようなMMOは絶対にやりたくありません。

ではでは、迷い猫でしたー 

 

久方振りの死闘を 04

 しつこいくらい繰り返すけど、僕の能力構成はスピード特化型だ。
 防御に関しては殆ど切り捨ててあるし、攻撃に関しても数値的な火力は低い。 それでも雪丸の特性をフルに活かせば火力不足は補えるので、ボス攻略の際は両手装備の両手斧系統を除く長物武器使いとしては異例のアタッカー。 回避に回避を重ねてひたすら攻撃を加え、敵をジワジワと削り殺すのが僕の趣味……もとい、戦闘スタイルだ。
 もちろんこのスタイルには弱点がいくつもある。

 まずひとつ、ブレス攻撃などの回避が困難な攻撃への対応が難しいこと。
 防御を切り捨てている僕が武器防御スキルを習得して、あまつさえ結構な熟練度になるまで鍛えている理由がこれだ。 ブレス攻撃の直撃を喰らえば一瞬でHP全損だってありうるので、それに対する警戒と対策は怠っていない。

 次に挙げられるのは、単独戦闘での火力不足だろう。
 先の言い分と若干の矛盾があるように聞こえるだろうけど、それは真実かつ切実な問題だ。
 確かに雪丸のような長物武器は先端に重心を置いているため、遠心力を利用して火力の底上げができる。 けれどそれは一長一短の技術で、遠心力を加えようとすれば当然、攻撃は大振りになるし単調にもなるのだ。 防御を切り捨てている僕にとって、大振りの攻撃は敵に隙を見せてしまう諸刃の剣であり、味方がいるのなら別にしても、基本的にトドメを刺す時以外ではその技術も使えない。

 他にも色々と欠点はあるけど、要するに何が言いたいのかと言うと……。

 「あー、結構ピンチかも……」

 グリームアイズが僕の天敵であると言うことだ。

 雪丸は確かに長い。 その長大なリーチは攻略組でも随一だろうし、モンスターでも僕を越えるリーチを持つ敵は人型に限って言えばあまりいない。 実際、この前のクエストで戦った龍人形態の龍皇は、自分の間合いに持ち込むことなく僕に殺された。
 だけど、グリームアイズの間合いは、その巨大な大剣と逞しい腕を入れてしまえば僕の間合いよりも遥かに広い。 それはつまり、間合いの優位に立てないことを意味している。

 そして何より厄介なのがブレス攻撃で、プレモーションが長いから回避も妨害も容易いけど、回避に専念すれば軍の一団を目敏くターゲットにするし、妨害に動けばグリームアイズの間合いに入らざるを得ない。 加えて、ブレス攻撃を発動させると硬直が解け次第、あの範囲攻撃を使ってくるのでそちらは絶対に阻止しなくてはならないのだ。
 幸いなことに状態異常付与の範囲攻撃の回避はできているけど、それはあくまで僕が落ち着いているからであって、未だに麻痺している軍の一団に回避の術はなく、しかもどうやら防御不可のいやらしすぎる攻撃なので、発動されれば軍の一団に麻痺の重ねがけと言う最悪に近い状況になりそうなのだから、やっぱり阻止が市場命題となる。

 雪丸で斬ろうとすれば大剣で削られ、距離を取ればブレス攻撃からの防御不可状態異常付与範囲攻撃(長すぎる)のコンボが待っている。 あまり逃げ続けていると軍の一団を守れないので、状況は限りなく逼迫していた。

 「こうなるとアマリのパワーが羨ましいよっと」

 言いつつグリームアイズに肉薄して跳び上がり、その鼻っ面を仄かな赤いライトエフェクトを纏った左手でぶん殴る。
 近距離専用に鍛えておいた体術スキル、『閃打』は左腕に装備したガントレットで威力を底上げしているはずなのに、グリームアイズのHPを数ドット削るだけで精一杯だ。 そもそも攻撃力の低い体術スキルの中でも初歩の初歩である閃打なので仕方がないとは言え、この非力さはいっそ笑えてくる。
 もっとも、ダメージは殆どないものの、どうやらそこは弱点らしい(弱点を攻撃してるのにダメージが数ドットって……)ので、狙い違わずブレス攻撃はキャンセルできた。

 飛び退きつつチラリと視線を送ると、軍の一団の避難は大体終わっていて、壁際まで運ばれていない連中もグリームアイズからは十分以上の距離を置いている。

 (うん。 これでなんとかなりそーーっ)

 瞬間、僕は己の失策を悟る。

 ブレス攻撃をキャンセルすると、グリームアイズには約3秒間の硬直が課せられていた。 その隙に腰のポーションで体力を回復したり、現状の確認をしたりと、今までは逼迫しながらも余裕はあった。
 だから僕は、油断してしまったのだ。

 いつの間にやら硬直から解放されたグリームアイズが、僕に向かって必殺の威力を孕む大剣を振るう。
 どうして? なんで? そんな疑問を置き去りにして、僕はその大剣と僕の身体との間に雪丸を滑り込ませた。

 直後、今までのSAO生活でもそう感じたことのない、酷く急激な加速度で僕の小柄な身体は宙を舞っていた。

 元々小柄な僕。 金属装備は左腕のガントレットのみ。 超が付くほど軽い雪丸。 頼りない筋力値。
 グリームアイズの攻撃を正面から凌げるわけがない、と言う僕の弱点を露呈させた。

 「うぐ……」

 それでもどうにか転倒を防ぎつつ着地した僕は、その最悪の状況に絶句してしまう。

 「き、貴様……」

 掠れた声は、僕の真後ろにいるコーバッツのものだろう。 他にも数人の声が聞こえる状況下で、グリームアイズがグッと上体を反らし、キラリと眼が光った。
 何度目になるかもわからないほど多用されたブレス攻撃のプレモーションにはなかった現象に眉を顰めつつ、僕は雪丸を回し始める。
 アマリたちは遠い位置にいるし、コーバッツたちは動けない。 僕は回避が可能だけど、それをすると間違いなく後ろにいるうちの誰かが死んでしまうだろう。

 そこまで状況を整理した僕に、回避の選択肢はなかった。
 雪丸を回転させるスピニングシールドの発動とブレス攻撃の発動がほぼ同時。
 青白い光に照らされた視界の中で、僕は自分のHPバーがガリガリと削れていくさまを見た。 ポーションで8割ほどまで回復していたはずのHPが凄まじい速さで喰われていく。

 「何故、何故避けなかった……? 貴様であれば、回避は容易かったはずだ」
 「あなたたちが後ろにいるのに避けられるわけないでしょ?」
 「なっ……我々は貴様の敵だと言うのに、それでも我々のために……」
 「それは違うよ。 あなたたちのためじゃない」

 既に危険域へと突入したHPバーから意識を離し、僕は言う。

 「嫌なんだ。 誰かが死ぬのが。 僕はもう、誰かが死ぬのを見たくない。 もう、あんな思いはたくさんだ。 だから……」

 ギリッと歯を食い縛り、そんなことをしてもシステム的に無駄なことを片隅で考えながら、それでも現状に反発して僕は叫ぶ。

 「僕は誰も死なせない!」

 そんな咆哮と同時にブレス攻撃が止む。
 僅か数ドットだけ残したHPを見ながらも僕は駆け出していた。

 今までのパターン通りであれば、これからあの範囲攻撃が使用される。 それを阻止するために雪丸を後ろに流したまま走り、そしてソードスキルを発動させる。

 雪丸が鮮血色の光を纏う。 使うソードスキルは『血桜』。
 グリームアイズには大したダメージを与えられないだろう。 それでも、あの範囲攻撃を止めることは可能だ。

 後方に流していた刃先が床を掠めながらグリームアイズへと向かう。 咆哮を上げて晒け出された首元へと、振り上げの一閃。
 次いで訪れる硬直が解けた瞬間には、腰から抜いたポーションを飲み下すのと飛び退くのとを同時に実行していた。

 「キリト!」
 「わかってる!」

 僕の声に一瞬の間も置かず、()()()()()()()()()()()()()()()()が僕とグリームアイズとの間に割って入った。
 頼もしい兄の背中を見つつ更に後退した僕の視界に、泣きそうな顔のアマリが映る。

 心配しながらも駆け寄って来なかったのは、僕の指示を遂行するためではなく、僕を信じてくれていたからだろう。 どれだけ危機的状況であろうとも、僕が必ず生きて帰ると、そう信じてくれているからだろう。
 そんな愛する妻に笑顔を返してから、僕はメニューウインドウを開いた。

 雪丸の耐久値は限界に近い。 その証拠に全体がひび割れ、刃は所々が欠けている。 使い物にならない相棒に心の中で礼を言い、ストレージから取り出したのは予備の薙刀……ではない。
 現れたのは()()()()()

 穢れなき純白の片手用直剣、『エスペーラス』
 禍々しい紫紺の片手用直剣、『マレスペーロ』
 それぞれに『希望』と『絶望』の名を冠する二振りを鞘から抜き放った僕は、クスリと笑った。

 純白は僕の雪丸の色。 紫紺はアマリのディオ・モルティーギの色。
 この装備をアマリ以外のプレイヤーに見せるのは初めてで、それはフロアボスに対して使うのは初めてだと言うことだ。 なのに、緊張も恐れもなかった。
 あるのは安心感と高揚感。

 大丈夫。 僕は独りじゃない。

 そう確信して左右の剣を強く握ると、アマリの声が飛んできた。

 「殺ってやるですよ!」
 「うん、殺ってくるよ!」

 互いの言葉は短く、ただそれだけのやりとりで僕は戦場へと向かった。
 

 

久方振りの死闘を 05

 「スイッチ!」

 僕に代わってグリームアイズのタゲを取り続けてくれているキリトの背に、僕は力一杯叫んだ。
 それに間を置かず、左右の剣を強振したキリトがバックステップでグリームアイズから距離を取る。

 「ーーーーっ!」

 瞬間、無言の気合と共に僕はグリームアイズへと肉薄してソードスキルを発動させる。

 橙色の光芒を散らしながら、右手のエスペーラスを振るう。 コンマの差で左手のマレスペーロが跳ね上がり、グリームアイズの腹部を裂いたかと思えば振り下ろされる。 次いで、逆手に握り変えたエスペーラスを一杯に引き絞り、跳躍と同時に一閃。 そのまますれ違って飛翔した僕は、床に火花を散らしながら着地した。

 ()()スキルの4連撃、『デュアル・クロス』。

 二重に重なった橙色の十字架に蝕まれたグリームアイズは咆哮とは違う絶叫を吠える。
 それが収まる頃には、グリームアイズの背後に着地した僕が再び剣の間合いへと踏み込んだ。

 双剣スキル3連撃、『トライエッジ』。
 グリームアイズの足元をすり抜けざまに切り裂いた青の軌跡は3本。 堪らず体勢を崩すグリームアイズに今度は追撃も仕掛けずに跳ぶと、呆然としているキリトの隣に降り立った。

 「やっほーキリト。 時間稼ぎありがとね」
 「お、おう。 いや! そうじゃなくて! もう大丈夫なのかよ⁉︎」
 「ばっちり。 全快とはいかないけど、7割までは回復したよ」
 「うわ、マジだ……」

 呆然から心配、そして呆れ。
 キリトの表情の変化はそんな感じだった。

 それもそうだろう。
 何しろ僕のHPはさっきのさっきまで1割どころか数ドットしか残っていなかったのだ。 それがたったの10秒で7割まで回復していれば驚く前に呆れても仕方がない。

 貴重なレア素材を大量に使って精製する特製のポーションなので、そのゲームバランスを壊しかねないほどの回復量と回復速度に見合っただけ残した希少品だ。 ストレージに入れてあるストックも3本しか残っていない。
 対してグリームアイズは、どうやらかなり高度な戦闘時回復(バトルヒーリング)スキルを持っているらしく、今の連撃で丸々削り取った1本分のHPを回復させている。 あれもまたゲームバランスを崩しかねないだろう。

 「うわー、削ったのにあれはないわー」
 「とか言いながら笑ってるぞ? そんなに楽しいのか?」
 「ふふ、キリトも笑ってるよ。 やれやれ、兄弟揃って戦闘狂とか、天国のパパとママが嘆いてるよ」
 「お前が言うな」

 状況にそぐわない穏やかなやりとりでキリトがニヤリと笑い、僕がニコリと笑った。

 「で、勝算は?」
 「んー、安地でも言ったけど、やっぱり防御が手薄だね。 ただ、HPバーを1本削ってからのバトルヒーリングが異常に高い。 あれは多分、HPを減らせば減らすだけ回復力が増すだろうね」
 「うへー、めんどくさいな」
 「ま、勝算があるとすれば短期決戦になるかな。 キリトのそれも僕のこれも同系統のスキルっぽいし、手数でゴリゴリ力押しだね。 と言うわけでプレゼント」

 ヒョイと投げたポーションを受け取ったキリトがそれを飲み下すと、ギョッと目を丸くした。
 多分、自分のHPバーに加わった大量のバフアイコンに驚いているのだろう。
 攻撃力上昇、防御力上昇、筋力値上昇、敏捷値上昇、最大HP上昇、隠蔽率上昇、スキル冷却時間の短縮、HP自動回復。 それら全てのバフがあのポーション1本で付与されるのだ。
 こちらのポーションも相当なレア素材が必要になるけど、だからと言って出し惜しみをしている場合でもない。 暢気におしゃべりしているけど、状況は最悪に近いのだ。

 「グォオオオォォォ」

 トライエッジで与えておいた移動阻害の効果が切れたらしく、今度は完全な咆哮と共にグリームアイズがこちらへと向かってきた。

 「キリトは左手側をよろしく。 左右から挟み込むよ」
 「りょーかい」

 短い作戦会議の後、僕とキリトは同時に散会した。
 先ほどのソードスキル2連発が効いているのか、ターゲットは僕。 右手に持った大剣を振り下ろしてくるけど、今の僕にとってそれほど脅威にはなり得ない。

 「アマリとアスナさんはそのままそこにいて! 何があるかわからないから、軍の人たちの護衛を最優先に!」
 「了解ですよー」「わかりました!」

 それぞれから返ってくる頼もしい返事にもう一度笑って、左右の剣を煌かせる。

 今度はソードスキルを使わない連撃。
 僕が装備しているエスペーラスとマレスペーロは、雪丸と同じく軽さと鋭さに特化させた剣だ。 通常の片手用直剣に比べると短い刀身だけど、それらが持つステータスは尋常ではなく高い。
 数値的な火力で言えばキリトの持つエリュシデータに迫り、そのくせ羽のように軽く、耐久値も申し分ない。 欠点らしい欠点を挙げるとすればやはりリーチの短さだけど、僕はこのくらい短い方が使いやすいし好みなので問題になってはいない。 この二振りに関して言えば、リズさんの『反則級って言うかチートよ、これ』と言う弁には素直に賛成だ。

 先の宣言通り、手数でゴリ押ししている僕が鬱陶しくなったのか、グリームアイズはその大剣を横薙ぎに振るう。
 けど、僕の攻撃はソードスキルではないので即座に回避に切り替え、身を低くした。

 すかさず切り返しの大剣が降ってくるけど、さあグリームアイズ、僕ばかりに集中してていいのかな?

 直後に響く轟音と衝撃。
 屈めた視界で開けたグリームアイズの足の間から、キリトの攻撃が見えた。
 左右の剣が描く軌跡が鮮やかなイエローの菱形を描き、グリームアイズの背を刻む。 堪らず絶叫するグリームアイズの足元で僕もソードスキルを発動させた。

 跳び上がる勢いを上乗せして繰り出すのは、7連撃にもなる高速の突き。
 最後の一撃をわざと大剣に当て、その衝撃で距離をとった僕は、硬直が終わるや否やまたも斬りかかる。
 今しがた使ったソードスキル、『ポラリス・スティング』の硬直時間は、双剣のソードスキルの中では平均的だけど、それでも他の武器によるソードスキルの硬直時間に比べればかなり短い部類だろう。

 威力よりも速さを優先した双剣のソードスキルの殆どは、硬直時間が短く設定されている。 加えて連撃が主軸のスキルであり、僕ようなスピード特化型のプレイヤーにはうってつけだ。

 ガリガリと削れていくグリームアイズのHP。
 予想通りHPが減っていくとバトルヒーリングによる回復力が飛躍的に上がっていく。 けれど、僕とキリトの両手から絶え間なく溢れる剣戟は、バトルヒーリングの効果すら意に介さずひたすらHPを喰らい続ける。

 HPバーが残り1本になった瞬間、僕とキリトは同時に叫んでいた。

 「キリト!」「フォラス!」

 「「止めだ‼︎」」

 そして発動するのは、当然のことながらソードスキル。
 まずはキリト。

 綺麗なライトブルーの光を帯びた二振りの剣が瞬く。 もちろん初見のそれは、恐ろしい攻撃力とスピードで、徹底的にグリームアイズの身を刻んだ。
 16連撃にもなるソードスキルは残ったHPの7割をも喰らい、そして止まる。 ここまでの連続技だ。 技後硬直は相当なものになるだろう。
 このまま放っておけば手痛い反撃にキリトは曝されることになるけど、僕がそんなことを許すはずがない。

 「あはっ」

 僕の笑い声と同機して、エスペーラスとマレスペーロが純白の光芒を弾けさせる。
 使用するソードスキルは、双剣スキル上位剣技、『サウザンドエッジ』。 上下左右から殺到する24本の剣戟は、ゾッとするほどの速度で回復していくHPを削り、最後の一撃で完全に喰らい尽くした。

 爆散するグリームアイズ。
 そのポリゴン片を見に浴びながら、僕は囁くように言った。

 「さようなら、青き瞳の悪魔。 あなたは確かに強かった。 僕だけでは勝てなかっただろう。  だけど、僕たちの勝ちだ」

 おやすみ 

 

久方振りの死闘を 06

 
前書き
注意
今回の話で、フォラスくんとアマリちゃんが大暴走します。 と言うか狂います。
苦手な方はお気をつけください。 

 
 爆散したグリームアイズの残滓が完全に消えた瞬間、ワッと沸く軍の一団を横目に収めながら、僕もキリトも、それから遠く離れた位置にいたアマリとアスナさん、クラインさんたち風林火山の面々も警戒を解かなかった。

 グリームアイズのラストアタックボーナス獲得のメッセージは表示されたけど、肝心の経験値やアイテム類のドロップウインドウが出ていないし、何より鳴り響くファンファーレと共に宙空で瞬くはずの『Congratulations‼︎』が未だに表示されていないのだ。
 ボス攻略から遠ざかっていた軍の一団が知らないのも無理はないけど、今までも何回かあった現象に、攻略責任者のアスナさんがさすがの察しの良さで声を張り上げた。

 「油断しないでください! ボス戦はまだ続いています! HPが減っているプレイヤーはポーションを飲みつつボス部屋から退避! 麻痺しているプレイヤーを守りながら安全地帯までーー」

 的確に出していく指示は、けれど、最後まで続かなかった。

 突如、軍の一団を含む全てのプレイヤーの身体が鮮やかな青の光に包まれる。
 何度も見てきた転移のエフェクトだけど、当然、僕たちの誰も転移系のアイテムを使ってはいない。 と言うか、結晶無効化空間なので、使えるはずがないのだ。

 「強制転移……」

 青い膜に覆われた視界の中でボス部屋の最奥を見ながら呟くと、完全に視界が青に塗りつぶされる。

 次に視界が晴れた時には、僕たちは全員、周りに何もない場所へと降り立っていた。
 そこは小高い丘。 木もなければ敵もいない、ただただ砂と石だけが転がる無味乾燥とした場所に転移させられていた僕たちは、全員の一応の無事を見て取って安堵の息を吐く。

 ボス部屋にいた頃の位置関係はバラバラに、それでもある程度密集して転移されていたのは救いだろう。 もっとも、一様に表情は固いけど。

 「結晶無効化空間であることは相変わらずのようですね」
 「だね。 まあ、そうでもなかったら強制転移でモンスターのいないところに送る理由なんてないもんね」
 「……フォラスさんはどう思いますか?」
 「ん? ああ、あれのこと?」

 パニック寸前になっている軍の一団を刺激しないようにか、小声で話しかけてきたアスナさんと一緒に小高い丘の端から眼下を見下ろす。

 「あれ全部ぶっ殺すか、それともあの先にある転移門まで辿り着ければゴール、ってところだと思うよ。 ただし後者は確証なし」
 「では、あれをすり抜けつつ撤退は危険ですね。 着いたはいいけど転移ができない、なんて状況になったら目も当てられません」
 「同感」

 短く返してからまた眼下に広がる衝撃の光景を見て嘆息。

 ここは小高い丘だ。 その下には広々とした平地が広がり、そこに所狭しとモンスターが蠢いている。 更に先には転移門があるけど、使用可能かどうかはここからだとわからない。


 「さて、どうしよっかな」
 「あはー、全部ぶっ殺せばいいだけですよー」

 声。
 軍の一団に気を使うでもなく響いた声は、僕とアスナさんを絶句させる。
 振り返れば、狂気を内包した笑顔を浮かべるアマリがいて、既にディオ・モルティーギを肩に担いでウズウズとしていた。 放っておけばあそこに突撃して暴れ狂うことだろう。

 「フォラスくん、()()をやるですよ」
 「ふふ、そうだね。 やろっか」
 「ちょ、ちょっと待ってください! まさか、あそこに行くつもりですか⁉︎」
 「うん。 皆殺しにしてくるよ」
 「危険すぎます! あれだけの数を相手にするのに策もなしなんて! こちらはたったの22人ですよ!」
 「22人? それは違うよアスナさん。 僕とアマリの2人でだよ」
 「なっ」

 穏やかな笑みと共に僕が吐き出した言葉は、突然の口論を始めた僕とアスナさんを遠巻きに見ていたキリトや軍の一団すらも絶句させた。

 「それに策もあるしね。 僕のこれは対多数戦闘にも対応できるし、そもそも僕のプレイスタイルは知ってるでしょ?」

 左右それぞれに握った片手剣に視線を落としたアスナさんは、すぐに視線を上げた。
 おそらく今、アスナさんの頭の中では色々な思考が駆け巡っていることだろう。

 現状を打破するためには、どうあれ戦闘は必須だ。 アスナさんは22人と言ったけど、消耗具合(HPではなく精神的な)を考慮すれば軍の一団は使えないし、そうでなくてもレベル的に見ても頼りにはできない。
 となれば10人だけであそこを突破、あるいは敵を全滅させる必要がある。 けれど、今も呑気におしゃべりをしているここが、いつまでも安全とは限らないのだ。
 何しろ、今回のボス戦は不測の事態が多すぎた。
 今までの流れを無視した、フロアボスの圧倒的強化。 ボス戦後の強制転移。 終わりの見えない悪夢は、ここの安全性を保証してはくれない。

 軍の一団を見捨てると言う選択肢もあることにはあるけど、それを選ぶことはしないだろう。 アスナさんも、キリトも、クラインさんたちも、そんな結論を出すはずがない。 無論、僕とアマリも。

 これ以上起こるかもしれない不測の事態に対応するためには、いくらかのプレイヤーを置いておく必要がある。
 まずは広い視野を持つアスナさんと、索敵スキルを習得しているキリトは鉄板だ。 護衛が2人だけと言うのは些か不安なので、風林火山の面々にも残ってもらう。
 これが現状で取れる最善の策だろう。

 けれど、僕には、否……()()()には、そんな策とは無関係な理由があった。

 「もう考えるのは面倒なんだよ。 敵が目の前にわんさかいて、それを放置しろって? そんなの無理。 もう我慢の限界」
 「あはー、私も我慢できないです。 殺す! ぶっ殺す! 皆殺し! あそこにいるぜーんぶ、私たちの獲物なのです!」

 横取りは許さないですよ! そう宣言したアマリの顔には獰猛な狂喜の笑み。 僕もきっと、同種の笑みを浮かべているだろう。

 気圧されて何も言えない仲間たちから視線を外してストレージからポーションを取り出すと、僕とアマリはそれを呷った。
 キリトに渡したポーションと同じ物を飲み下した僕たちのHPバーに表示されるバフアイコンを見つつ、僕はもう一度アスナさんに視線を戻す。

 「……お願いします」

 幸い、葛藤は短かった。
 現状を打破するために多少の危険は目を瞑るしかない。 それがわかっているだろうアスナさんだけど、その表情は冴えない。
 安心させるように笑いかけてから、僕は小高い丘の端に足をかける。

 「アマリ、もう我慢はいらないよ。 いっぱいいっぱいぶっ殺そう」
 「あっはぁ、素敵ですねー。 全部食べちゃっていいですかー?」
 「いやいや、そこは2人で仲良く、ね」

 「あは」「ふふ」

 2人で笑って、そして跳んだ。

 さあ、パーティーの始まりだ。









 丘の端に立つ2人の後ろ姿を眺めながら、アスナはチクリと胸が痛んだ。
 何故、死地に赴く2人を止めなかったのか?
 そんな思考が駆け巡り、ひたすら己を責め続ける。 いかにフォラスからの提案とは言え、そしてそれが最善だとわかっているとは言え、その痛みが消えることはない。

 「仕方ないさ」

 ふと、後ろからそんな声が届いた。

 「あの2人が行くしかなかったよ。 俺もアスナもあの量のMobとは戦えないし、あいつらが適任だって言う判断も妥当だ」

 アスナがよく知る()らしい、情緒の全てを排した実際的な口調は慰めのつもりだろうか。 それでも声の端々に滲む心配を見て取って、その不器用さに思わず笑ってしまった。

 「心配なら一緒に行ってきてもいいのよ? クラインさんたちがいてくれれば、軍の人たちをなんとか守れるもの」
 「いや、別に心配なんて……そう言うアスナだって心配してるだろ」
 「うん……」

 コクンと頷いたアスナの頭に、ポンと彼の手が乗る。
 攻略最初期の頃、短くない期間一緒に行動していたアスナにとっては懐かしくも愛おしい感覚だ。

 (思えばあの頃から、私はこの人が好きだった……)

 先程とは違う種類の痛みを胸に感じ、その手をやんわりと払う。
 いっそこのまま、キリトを伴ってあの2人を追いかけたい衝動に駆られるアスナだが、その案は言葉にする前に自身の中で却下した。
 このお人好しのことだ。 そんな提案をしようものなら一も二もなく頷くだろう。 アスナの隣で剣を振るい、活路を見出すだろう。

 (けど、そんなことは言えない……)

 2人が率先して戦地に赴こうとしている理由の大部分は、ただ敵を殺したいと言う狂った狂気だ。 それはアスナにもキリトにもわかる。
 だが、その案の裏側……頭の片隅に、アスナやキリトに対する心配があったのも間違いないはずなのだ。

 単純な戦闘で足を引っ張ることはないだろうが、ああ言う対多数の戦闘の経験が圧倒的に不足している2人では、どうあってもあちらの邪魔になる。 もしもアスナやキリトが窮地に陥れば、彼らは自身の身に降りかかる危険を度外視して助けに入るだろう。

 自身の無力がもどかしい。
 もっと私が強ければ。 もっと俺が強ければ。

 グルグルと回る思考のリフレインに曝されていた2人の眼前で、それぞれの弟妹が跳んだ。
 跳躍は筋力値を中心に補正がかかるアクションなので、アマリがとんでもない飛距離を叩き出し、フォラスがその後塵を拝する。

 飛距離がない分(それでも大概の距離だが)、着地の早いフォラスがまずは接敵。
 左右それぞれに握られた片手剣が藍色のライトエフェクトを纏うのを見て、アスナは息を飲んだ。

 あの手の混戦の場合、ソードスキルを使わないのが基本だ。
 技後硬直は隙を作り、その隙は致命的なものになるからだが、フォラスの双剣はそんな常識を簡単に斬り裂いた。

 直後に繰り出されるのは、藍色の2連撃。
 リーチの短い片手剣の刀身から吐き出される光の軌跡は、手近にいた6体の敵の首を狙い違わず裂き落とす。 別の敵が技後硬直を狙い殺到するが、それらが攻撃圏に入る前に再びの跳躍でその場から脱した。
 どうやらアスナが危惧しているよりも技後硬直は短く設定されているらしい。 ホッと息を吐いたのも束の間、フォラスの着地点にいた一団が持つ両手剣が、毒々しい赤の光を帯びた。

 迎撃のソードスキル。

 最悪の未来を想像して身を固めたアスナの眼下で、重力に従って落下するだけだったはずのフォラスが急激に軌道を変えた。 それはさながら、空を飛ぶように。

 「あれは……」
 「『疾空』!」

 すかさずキリトの驚愕が隣から聞こえた。

 疾空。
 その名の通り、空中を走るためのスキルで、疾走スキルの派生スキルだ。
 正確に言えば、今しがたフォラスがしたように空中で方向転換する使用法がメインで、空中を走ったりはできない。 それこそ今のような状況では便利なスキルではあるが、そもそもの話し、対多数戦と言うシチュエーションが限りなく少ない上にとんでもないバランス感覚を必要とするスキルなので、攻略組でも習得しているプレイヤーは稀だ。
 だと言うのに、フォラスはそんな不人気スキルを使いこなし、空中で器用に体勢を整えると敵の少ない一角に危なげなく着地すると、純白のエフェクトが灯り、24連撃が殺到する敵を切り刻んだ。

 瞬間、辺りを揺るがす轟音。

 安堵もそこそこに爆音の発生源を見ると、そこには柱のような土煙が天を突かん勢いで立ち昇っていた。
 何が、と思考する間も無く、そこから桜色の髪が飛び出し、近くにいた敵を吹き飛ばす。

 元々の火力が高いディオ・モルティーギの恐ろしさはアスナも知っているが、あそこまで無茶苦茶な土煙を上げるほどの火力は出せないはずだ。
 にも関わらず、アマリが振り上げたディオ・モルティーギがダークブラウンのライトエフェクトを灯して振り下ろされると、そこに2本目の柱が屹立する。 周囲にいた敵はそれに巻き込まれ、あるいは飲み込まれ、その身をポリゴン片へと変えた。

 SAOの常識に照らせばありえない光景に目を奪われていたアスナの耳に、ゾッとするほど楽しそうな声が届く。

 「あは」「ふふ」

 それが笑声だとは気がつかなかった。

 「あは、あはは、あっはははははぁ「ふふ、ふふふ、ひははは「あははははははは「ははっ「ははは「はっははは「ははは、あっはは「ふひはっ「はーっはは「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

 それは哄笑。
 狂いに狂い、完全に壊れた狂人たちの哄笑。

 その光景に、笑声に、丘の上で呆然と見ていた一同は何も言えない。

 それから30分。
 狂気にして狂喜の哄笑は敵を全て殺し尽くすまで止まらなかった。 
 

 
後書き
あっはぁ
と言うわけで、どうも、迷い猫です。

ええ、もう完璧に狂ってます、はい。
言い訳のしようも、弁解の余地もありません。
次からは通常運転なのでご安心を。

ではでは、迷い猫でしたー 

 

久方振りの死闘を 07

 全てが終わった瞬間、僕とアマリは次なる獲物を探すように視線を彷徨わせ、そしてバッチリと目が合った。
 獰猛な狂喜の笑みを浮かべた天使が1人。 向こうの目に映る僕も、きっと似たような表情なのだろう。

 「あは、あははー、もう終わりですかー?」
 「んー、多分ね」
 「あはー、久し振りに殺戮ができて満足ですよー」
 「ふふ、僕もだよ」

 ブンとディオ・モルティーギを一度振るってから肩に担いだアマリと、チンと涼やかで軽やかな音を立ててエスペーラスとマレスペーロを腰の鞘に落とした僕。
 周囲への警戒は怠らないけど、それでもこの状況までくればさすがに新たな敵は出ないだろうと、そう考えたところでファンファーレが鳴り響き、リザルト画面とCongratulations‼︎の表示が同時に現れた。 間違いなくボス戦終了の合図だ。

 「さて、戻ろっか?」
 「はいです」

 互いに危険域まで落ち込んでいるHPに苦笑いをして、僕とアマリは手を繋ぐと歩き出した。
 目的地は当然丘の上。 完全にドン引きしている仲間の元へと歩き出す。









 「バカ!」

 丘の上に戻った僕たちを待っていたのは、労いでもお礼でもなく、端的かつ単純な罵倒だった。
 それでも何も反論できないのは、そんな罵倒をした張本人であるアスナさんの目に涙が溜まっていたからだ。

 「2人が死んじゃったらどうしようって……そう思ったら……」
 「ごめんなさいです」
 「うん、ごめん」

 か細く震える声と涙目とのコンボを受けて無心でいられるほど、僕たちは人間を止めていない。 まっすぐな心配のされように返せる言葉は、やっぱりまっすぐな謝罪だった。
 見るとキリトは呆れたような苦笑いを浮かべ、クラインさんたち風林火山の面々も一様に呆れ顔だ。 軍の一団は慄いているけど、あまりつつくと面倒なことになりかねないのでこの際無視。

 「とにかくポーションを飲んどけよ。 終わったって言っても油断はできないしな」
 「あー、ほっとけば回復す……はーい、飲みまーす」

 キリトに返す言葉を急転換したのは、おっかないお姉さん(アスナさん)に睨まれたからだ。
 さすがは美人。 涙目でも眼光の迫力は凄まじい。

 おとなしくポーチから安物の素材で作った(それでも店売りよりは高性能)ポーションの瓶を口に咥えると、今まで沈黙していたクラインさんが堪りかねたように口を開いた。

 「そりゃそうとおめえら、さっきのあれはなんなんだよ? あんなスキル、見たことねえぞ」
 「……クラインさん、その『おめえら』ってどこまで含まれてるの?」
 「おめえとキリト、それにアマリちゃんに決まってんだろ」
 「言いたくない、は通用しないよね……」

 小さく息を吐くと、クラインさんたちだけではなく、アスナさんや当事者のキリトでさえ興味津々に僕を見ていた。 と言うか、キリトも同系統らしきスキルを持っているでしょうに。
 で、どんな時でも僕の味方のアマリは、先ほどの殺戮がよっぽど楽しかったのか、いつもの緩い微笑に愉悦を重ね、何もない宙空に視線を固定している。

 「まあ、別にいいけどさ」

 今度は長くため息を吐いて、冴えない頭を強制的に切り替える。

 これだけ大々的に使ってしまえば隠しようもない。 隠していた持ち札を切ったのは僕の判断なので、何もかもが今更だろう。

 「これはエクストラスキルだよ。 名称は『双剣』。 左右それぞれに片手用直剣を装備する武器スキルで、見てもらった通り手数重視だね」
 「出現条件は?」
 「さあね。 1年くらい前にいきなりスキル欄に現れたから、多分、何かしらの条件に合致して攻略の進捗具合に併せて解放されたんじゃないかな?」
 「てことは、お前専用のユニークスキルってことか?」
 「だと思う。 キリトもそんな感じでしょ?」

 詰め寄るクラインさんの矛先をキリトにズラすと露骨に嫌な顔をされた。
 とは言え、さすがに僕にだけ説明させるつもりはないのか、思っていたよりもすんなり頷いた。

 「ああ。 俺のは『二刀流』。 お前の双剣に比べると手数には劣るけど、それでも普通の武器スキルに比べれば手数が多いな。 やっぱり同じく出現条件は不明で、1年くらい前に追加されてた」
 「火力重視で手数もそこそこなのが二刀流で、徹底的に手数を追求したのが双剣、って言う認識で良さそうだね」
 「しっかし、兄弟揃って同系統のユニークスキルを習得するなんて、おめえら、相変わらず仲良いな、おい」
 「ま、たった1人の肉親だからね。 で、アマリのスキルなんだけど……」

 未だに興奮でトリップしている相棒に視線を送ってから嘆息。
 説明役は僕に丸投げのつもりらしい。 そうでなくても軍の一団がいる以上、こちらの会話に混ざるつもりがないのだろう。

 「あれは『爆裂』。 これも出現条件不明……って言いたいところだけど、なんとなくの心当たりはあるんだよね」
 「あんのか? 詳しく教えやがれ」
 「ほら、クラインさんは覚えてるかな? 『背教者ニコラス』」
 「お、おう……。 そりゃ、覚えてるっつーか……」
 「まあ、あの時のあれこれは置いといて、爆裂はニコラスが使ってたスキルなんだ。 あの戦いでラストアタックを取ったアマリが習得したから、多分、そう言う設定だったんだろうね」
 「ニコラスを倒した報酬ってわけか? ……ったく、水臭えぞ、おめえら。 こんなすげースキルのことを黙ってるなんてよ」

 背教者ニコラスの名で()()()のことを思い出したクラインさんは、微妙になりかけた空気を無理矢理押し流した。

 背教者ニコラス。
 去年のクリスマスの夜、僕とアマリが殺したモンスター。
 そしてそれは、年1回しか出現しない特殊なモンスターで、倒せば多くの財宝と蘇生アイテムが手に入ると言う噂が出回ったモンスターなのだ。

 リーナを蘇生させるために背教者ニコラスを殺そうとしていた僕と、その頃には既にオレンジを、否……『レッド』を何人も殺していた僕を捕らえるために集まったプレイヤーたちとの戦闘が勃発した。
 僕を捕らえようとしたプレイヤーたちの先頭にいたのはアスナさん。 そして、そこにはキリトやクラインさんもいて、僕はその全員に狂気の刃を向けたのだ。

 あの夜の出来事はその内話すとして、とにかくそれ以来、僕は決定的に攻略組の敵になった。
 それを思い出して気まずくなるべきは僕だろうに、お人好しのクラインさんの方が気まずげにしている。

 「僕は色々なところで恨みを買ってるからね。 自業自得って言われたらそれまでだけどさ」

 クスリと笑った僕は、ウインドウを操作してエスペーラスとマレスペーロを除装した。
 どうせバレてしまった双剣を今更隠す理由はないけど、だからと言ってこれ以上見せびらかす理由もない。 と言うか、使い勝手が良すぎてそれに頼りきりになりかねないのだ。

 「それにしても、ずいぶんと悪辣な難易度になってたね。 今までのボス戦の傾向とか、各層におけるボスの強化具合から考えてもさっきのあれは異常だったよ」
 「そうですね。 73層も苦労はしましたが、この層の難易度に比べれば優しかったと言えるでしょう」
 「そりゃ、不測の事態ではあったけど、それでもね。 これからの攻略が思いやられるよ、本当に」

 やれやれと首を振りながら、僕は考える。

 縦構造のアインクラッドは上層に行けば行くほど難易度が上がる。
 敵のレベル。 ダンジョンの複雑さ。 トラップ。 クエスト。 それら諸々が一部の例外を除いて一定のペースで高度になっていく。 少なくとも、今までであればそうだった。

 だけど今回。
 74層フロアボスは今までの上昇ペースを無視して、その難易度が跳ね上がっていたのだ。
 ボス部屋の結晶無効化空間。 おそらくはプレイヤーの人数に対応した特殊スキルのアンロック。 ボス討伐後の強制転移。 圧倒的物量による妨害。
 跳ね上がった難易度が下がることは、これまでの経験からしてないだろう。 そうでなくても次の層は75層。 3度目のクォーター・ポイントにして、100層を除けば最後のクォーター・ポイント。
 25層、50層と、それぞれのクォーター・ポイントの難易度は悪辣だった。 いくつかある例外のひとつが、クォーター・ポイントに於ける難易度の急上昇なわけだけど、この分だと今までのそれよりも更に難易度が跳ね上がっていると見るべきだ。

 「また難しいことを考えてるですか?」

 ふと、僕の思考を突き崩す声。
 確認するまでもなくアマリだ。 知らない人の前ではしゃべりたがらないアマリが、僕を見て、僕だけを視界に納めて笑う。

 「フォラスくんがいれば私はそれでいいのです。 フォラスくんと一緒なら私はなんだってできるのです。 だから大丈夫ですよ」

 ぎゅっと僕の腕に抱きついてきたアマリの熱は、それまで重ねた思考の全てを溶かす。
 いっそ、劇毒じみたその熱に寄り添って僕も笑った。









 その後。
 丁寧なお願い(クラインさん曰く『脅迫』)で双剣と爆裂、それからついでに二刀流に関しても口止めをしてから、僕たちはそれぞれ解散した。 軍の一団は転移結晶で1層へと戻り、キリトは愛する彼女を安心させるために帰宅。 アスナさんは今回の報告をするためKoB本部へ。 僕とアマリと風林火山の面々は75層のアクティベートに向かった。

 75層の主街区に向かう道中、こんな一幕があった。

 「なあ、フォラスよ……」
 「ん?」
 「おめえがあの時、軍の連中を助けに飛び込んだ時、なんつーか嬉しかったよ」

  お人好しのカタナ使いはそれだけ言って、野武士面に似合わない優しい笑みを浮かべた。

 「おめえはやっぱいい奴だよ」
 「……よくそんな恥ずかしいセリフが言えるね。 別にあの人たちのためじゃないよ」

 照れ隠しをしても隠しきれていないことは自分でもわかっていた。
 優しい笑みをニヤニヤに変えたクラインさんを追い払って、主街区への道程で出てくるモンスターをクラインさんたちに押し付けながら、僕とアマリはいつまでも手を繋いでいた。 

 

キャラクター紹介 02

 
前書き
前回に比べて詳細な設定と、新出のスキルなどを(75層到達時) 

 
 アバターネーム:フォラス レベル97
 主武器:薙刀 固有名《雪丸》
     片手用直剣 固有名《エスペーラス》
     片手用直剣 固有名《マレスペーロ》

 スキル:《薙刀》   熟練度1000
     《双剣》   熟練度1000
     《体術》   熟練度891
     《武器防御》 熟練度1000
     《索敵》   熟練度1000
     《隠蔽》   熟練度1000
     《疾走》   熟練度1000
     《伐採》   熟練度755
     《料理》   熟練度1000
     《調合》   熟練度1000
     《裁縫》   熟練度1000
     《鑑定》   熟練度1000

 言わずと知れた本作の主人公。
 短期間でレベルが上昇しているのは、大型モンスター討伐クエストを2個クリアし、グリームアイズとその後の戦闘で暴れ回った成果。
 エスペーラスとマレスペーロはどちらもリズベット製。

 生産系関連のスキルだけで5つも習得している変態スキル構成プレイヤー。
 伐採スキルは木材系の素材を入手するためではなく、ポーション類を調合に使う草花系の素材集めがメイン。 ちなみに、筋力値の低さから大型の鉈は持てないため、伐採には小さな鎌を使っている。
 日々の食事だけではなく、普段から着ている服と戦闘用の服を自前で作るために裁縫スキルまで習得。 フォラスとアマリが着る服は全て彼のお手製で、かなり性能が高い。
 外見と合わせて完全に女子。 ただし男の娘ではない。

 広範囲かつ遠距離からの攻撃を可能とする薙刀。 圧倒的な手数を有する双剣。 薙刀使用時に懐に飛び込まれることを想定した近距離戦用の体術と、どのレンジでも対応可能な武器スキル(正確に言えば体術は違うが)を合わせ持つ。
 武器防御は紙装甲のフォラスが回避の極めて困難な状況の対策として習得。 アマリの協力でマスターしているものの、基本的に回避優先なので使われる機会はあまりない。
 隠蔽スキルを持っているモンスターやプレイヤーからの不意打ちを警戒して、索敵スキルは範囲よりも精度を重視してModを取得。 看破率は兄よりも高い。
 隠蔽はシステム外スキル《心渡り》を補助するために習得。
 疾走スキルも同じく心渡り補助のために習得したが、その類い稀なバランス感覚と空間識別能力により、Modの《疾空》を完璧に使いこなしている。 その気になれば空中を走れると言うのが本人の談。 ただし真偽は不明。
 日々の研究を基に調合スキルで製作したポーション類や毒類の効果はとんでもなく高性能。 ただし市場に流通していない。

 エスペーラスは純白の片手用直剣。
 マレスペーロは紫紺の片手用直剣。
 意味はそれぞれ『希望』と『絶望』
 リーチは短剣以上片手剣以下。 羽のように軽く、それでいて数値的な火力は片手用直剣では現在の最高クラス。 その上耐久値もかなり高く設定されているので、雪丸以上の反則級武器。 某ぼったくり鍛冶屋がチートと呼ぶのも仕方がない。
 本来は欠点でしかないリーチの短さすらもフォラスの戦闘スタイルを考慮すれば利点になる。 まさに鬼に金棒。
 ちなみに鞘は自作。









 アバターネーム:アマリ レベル98
 主武器:両手斧 固有名《ディオ・モルティーギ》

 スキル:《両手斧》     熟練度1000
     《両手棍》     熟練度569
     《両手槌》     熟練度871
     《両手槍》     熟練度216
     《両手剣》     熟練度458
     《体術》      熟練度1000
     《爆裂》      熟練度1000
     《隠蔽》      熟練度1000
     《戦闘時回復》   熟練度1000
     《軽金属装備》   熟練度1000
     《軽業》      熟練度693
     《所持容量拡張》  熟練度1000

 本作のメインヒロインにしてフォラスの妻。 そして狂人筆頭。

 武器スキルだけで6つ(正確に言えば体術は違うが)も習得している、フォラス以上の変態スキル構成。
 多くの武器スキルを習得している理由は、「色々な武器で色々な敵を色々な感触でぶっ殺したいから」だとか。 やっぱり狂人。

 軽金属装備や両手武器のModに多く見られる《最大HP増加》を片っ端から習得しているため、HP総量は攻略組随一。 更に10秒間で最大HPの5%を回復するので、装甲は薄くても力技で壁職が可能。
 防御は完全に無視しているが、フォラスがあまりに心配するため、軽金属装備を習得している。 隠蔽スキルもフォラスが心配しないように習得した。
 軽業スキルは、空中での姿勢制御が苦手なため、その補助の意味合いで習得。
 生産系のスキルは皆無の戦闘狂。 フォラスに比例するように女子力も皆無。

 背教者ニコラスのラストアタックボーナスで爆裂を習得。
 その効果は、武器の攻撃部位に何かが接触した瞬間に衝撃波を生み出すと言うもの。 こうして爆弾魔が誕生した。 と言うか、本人がそのまま爆弾。
 衝撃波の大きさは、《使用者の筋力値》《武器の重さ》《(ソードスキルを使用した場合)ソードスキル固有の攻撃値》《武器固有の攻撃値》が複雑に絡み合って算出される。
 くそ重い武器を好んで使うアマリにとっては鬼に金棒どころか、ターミ◯ータにショットガン。
 火力は絶大だが、接触と同時に目標を吹き飛ばしてしまうため連撃には不向き。 ただし、そもそも単発技が大好きなアマリには問題にならない。 

 

紅色との日 01

 聖騎士、ヒースクリフ。
 KoB団長にしてSAO最強の男。 ヒースクリフのHPバーが半分を下回ったところを見た者は皆無らしく、そのとんでもない防御力はフロアボスの攻撃すら跳ね返す。
 彼が最強の名を欲しいままにしたのは50層攻略戦の折。 2度目のクォーター・ポイントで出現したボスは仏像のような多腕型で、恐ろしいまでの猛攻と今までに見たことがない異形とに怯んだプレイヤーたちが勝手に結晶で脱出してしまい、戦線が崩壊した状況を収拾してみせたのだ。
 もっとも、その頃の僕は攻略組を追放されていたので伝聞でしか知らないわけだけど、それでも何かと縁があるのか興味を持たれているのか、色々なタイミングで話すことが多い。

 そして、今日。
 74層攻略が完了し、75層が開通した次の日。 新聞に書かれた大袈裟な記事に苦笑いした10分後。
 僕の目の前に聖騎士が立っていた。

 目頭を押さえる。 見る。 目を擦る。 見る。
 そんなローテーションを3回繰り返してから、僕はこれが幻覚ではないらしいことを悟った。 まあ、初めから分かっていることではあったけど。

 「残念ながら幻覚ではない。 それは君も理解しているだろう?」
 「……人に会ったらまずは挨拶って教わらなかったのかな?」
 「ああ、これはすまない。 おはよう、フォラス君」
 「……おはよう」

 僕の安い皮肉はまるで相手にされなかった。

 朝、いつものように目を覚ました僕は、寝ているアマリを起こすことなく家のリビングにいた。
 昨日のボス戦で疲れているだろうアマリを休ませたいと言う甘さがあったことは否定できないけど、それ以上にこれからのことを考慮しての行動だ。

 これから攻略が難航することは容易に想像できる。 跳ね上がった難易度に対応するためには今以上のレベルが必要になるだろう。
 アインクラッドでは、エリア毎のモンスター出現量が細かく設定されている。 ネトゲ用語で言えば『リソース』とも言うその出現量は、仮にエリア内のモンスターを全滅させると一定時間モンスターが現れない、あるいは現れにくくなることを指している。
 MMORPGはリソースの奪い合い。 システムが供給する限りある経験値やアイテムをより多く獲得した者が強くなる。 と言うのはキリトの弁だったけど、それに関して言えば僕も激しく同意だ。

 昼は他のプレイヤーがわんさかいるので、その様は正に奪い合い。 狩っているモンスターを横取りするような露骨な簒奪はもちろん認められていないけど、やっぱりレベリングの効率が落ちることは否めない。
 ひたすら効率を重視するなら最前線でキャンプ狩りをするのがベストだ。 とは言え、さすがの僕も、そしてアマリもそこまでの無茶をするつもりはないし、そんなことをしようものなら1時間以上『お話』をするだろう人が目に浮かぶので却下。 代替案として、夜をメインに狩りをすることを昨日の内に決めておいた。
 夜に街を出て、昼に戻り、また夜に出る。 そのサイクルでいた方が何かと面倒も減るので一石二鳥だろう。

 そんな方針を決めた翌日。 こちらの思惑を察しているのかいないのか微妙な男が家を訪ねてきたのだ。 歓迎できなくても仕方がないだろう。

 「で、何の用かな? 僕たちに干渉しないって言うKoBのルールを決めたのはあなただったはずだけど?」
 「いや、今の私はKoB団長としてではなく、君の友人としてきたのだ」
 「ものは言いようだね。 まったく……」

 はあ、と、これ見よがしにため息を吐くけど、当の本人はどこ吹く風。 心情の察しにくい微笑と金属質の瞳は一分たりとも揺らがない。

 「とりあえず立ち話もなんだから入れば? 何か用があるんでしょ?」
 「ふむ、それではお邪魔しよう」

 遠慮するでもなく聖騎士様は頷いた。









 このいけ好かない聖騎士様との付き合いは、意外なことに結構長い。
 ヒースクリフに初めて会ったのは攻略がまだ10層にも到達していない頃だから、かれこれ2年近い付き合いになる。 もっとも、そんなに頻繁に顔を合わせていたわけではないので、決して親しい間柄とは言えないだろう。
 それでもこの男は僕に並々ならぬ興味を抱いているようで、ふとした拍子に僕の前に現れる。 まさに今日のように。
 会うたびにギルドへの勧誘(出会った当初はパーティーの誘いだった)をされるので、僕としてはあまり好きになれない。 と言うか、どうやら僕のリアルを詳しく知っているらしいので、やっぱり好きになれない。 別に嫌いではないけど。

 「さて、早速で悪いが本題に入らせてもらおう」

 僕が淹れたコーヒーに口をつけてから、団長さんはそう切り出した。
 SAO最強ギルドの団長ともなれば忙しいのだろう。 ギルドに所属していない僕にはなんとも言えないところではあるけど、早々に話しが進むのは僕としてもありがたいので、コクリと頷いて先を促す。

 「まずは74層ボス攻略おめでとう。 軍のプレイヤーを守りながら、たった10人で討伐してしまうとは驚いたよ。 しかし、喜んでばかりもいられないようだ」
 「だね。 ボス戦の難易度が急激に上昇してたし、ボス部屋の結晶無効化空間化は相当厄介だよ。 次からはあれがデフォルトになるのかな?」
 「問われても明確な答えを出せないが、おそらくはそうなるだろう。 それを見越した上で今後の対策を立てる必要がある」
 「……用件は察したけど一応聞いておくよ。 具体的な対策はあるの?」
 「血盟騎士団に入ってはくれないか?」
 「やだ」

 何度となく繰り返された勧誘を僕は断った。 それはもう、考える間もない即答で。
 些か子供染みた拒絶の仕方ではあったけど、勧誘した本人が気にした素振りを見せないので僕も気にしない。

 「僕はね、ヒースクリフ。 昔から人間って言うのが嫌いなんだよ。 それはあなたも知ってるでしょ?」
 「《ドクター》の人間嫌いは有名な話しだ。 無論、知っているさ」
 「そう呼ばれるのもずいぶん久し振りだね……。 懐かしいけど嬉しくはないよ、本当に」
 「ふむ。 そう言う事情だと言うのなら仕方がない。 今日の勧誘は諦めるとしよう」

 サラリと『今日の』と言える辺りがこの人の凄まじいメンタリティーだろう。
 人の話しを聞かない。 自分の意思を押し通す。 他のものに目もくれず、ただ一心不乱に目標へと一直線。
 アスナさんとも共通しているまっすぐさは、僕がまだ《ドクター》なんて呼ばれていた頃にはなかった価値観だ。

 苦笑いを浮かべながらため息を吐いた僕に、ヒースクリフは「ところで」と続けた。

 「アマリ君は嫌いではないのか? 彼女も人間のはずだが」
 「うん? まあ、恋は盲目って言う解釈でいいよ。 アマリは僕の例外」
 「例外か。 それは便利な言葉だ」
 「僕に言わせれば卑怯な言葉なんだけどね。 と、そんな真面目な話しはどうでもよくって……。 それにほら、アマリは頼りになるからね」
 「ふむ。 確かに彼女のアタッカーとしての能力は攻略組の中でも特筆するものがある。 特にあの火力は素晴らしいの一言だ」
 「それは同感。 アマリはどんな敵でも圧砕する最強の矛だ。 たとえ敵がどれほど強固だろうと関係ない。 その一撃はこの世界の全てを終わらせる」

 ほう、と興味深そうに眉を持ち上げるヒースクリフ。

 「これは惚気話として聞き流してくれていいけど、この世界を終わらせるのはヒースクリフ、あなたじゃない。 キリトでもアスナさんでもないし、それに僕でもない。 もちろん、他の誰かなんて言う可能性は皆無だね。 この世界を終わらせるのはアマリだ」
 「……楽しみにしておこう」

 一瞬の緊張が僕とヒースクリフとの間に流れる。 けど、そんな空気もすぐに消え、僕はいつも通りニコリと笑い、ヒースクリフは感情の窺えない微笑を浮かべた。

 ああ、今日も平和だ。 
 

 
後書き
久し振りの更新だぜー
と言うわけで、どうも迷い猫です。

て言うか短い! 今までで一番短い話しでありながら、今までで一番きな臭い話しでもあります。
ええもう、なんて言うかラスボスの正体を知っている(さすがに知らない人はいないはず……いませんよね?)みなさんからしてみれば『あーはいはい』みたいな感じだとは思いますが、今後の展開を見据えると絶対に外せない話しだったので、半ば無理矢理に捻じ込みました。

て言うかって言うならこれこそ『て言うか』ですが、ヒースクリフさんのキャラクターがうまく再現できません。 『基本断定口調』『常に上から目線』『語尾は「〜だ」』『疑問系は「〜かな?」』と言うのが私目線のヒースクリフさんだったので、そんな感じで頑張りました。 できてる自信はありません←おい

とにかく、ちょっとした山場は越えたので、次の更新はもっと早くできるかと思います。 多分……

ではでは、迷い猫でしたー 

 

紅色との日 02

 ヒースクリフを追い返した僕は、アルゴさんから貰った情報を整理したり、寝ているアマリの顔を眺めてニヤニヤしたり、アルゴさんに色々な情報を送ったり、寝ているアマリの髪を撫でてニヤニヤしたり、アイテムの整理やスキル熟練度の確認をしたり、寝ているアマリの頬をプニプニしてはニヤニヤしたり、装備の耐久値をチェックしたり、寝ているアマリの小さな鼻をツンツンしてはニヤニヤしたり、寝ているアマリの長い睫毛を弄ってはニヤニヤしたり、その度に「んにゅ……」と漏らすアマリの様子を見てはやっぱりニヤニヤしたり、まあ、そんな感じで時間を潰していた。

 アマリは基本的に眠りが深いので、僕が本気で起こしにかからない限りは起きないだろう。 前に一度、寝ているアマリを起こすのが忍びなくて、そのまま起こさずにずっとアマリの寝顔を堪能していたことがあったけど、その時はぶっ通しで20時間くらい寝ていた。
 こちら(SAO)に来てからも、あちら(現実)にいる時も、僕はあまり纏まった睡眠をらない体質なので、そう言うところは羨ましく思わなくもない。 さすがにずっと寝っぱなしって言うのは勘弁だけど。

 このままいつかのようにアマリの寝顔を堪能して夜まで待つのも悪くはない提案ではあるけど、残念なことにエギルさんから呼び出しのメッセージを受けてしまった。 なんでも、ベッドを新調してくれる木工職人とコンタクトが取れたとか。
 詳しい話しを聞くためにエギルさんがいる50層に向かおうと決めた僕は、ベッドの上で幸せそうな寝息を立てているアマリに振り返る。

 「いってきます」

 返事は当たり前だけどない。 それでも僕は笑って寝室から出ていった。









 で、現在。
 僕は50層の主街区、アルゲードに来ていた。
 転移門広場から西に伸びる目抜き通りにあるエギルさんのお店による前に、僕はそう言えば食事がまだだったことを思い出した。
 どうにもアマリとの生活が長い僕は、アマリがいないと食事を疎かにしがちだ。 食事に対して頓着がないと言うか、食事の優先順位が低いと言うか、とにかく、アマリが空腹を訴えない限りその事実を忘れてしまうことすらある。
 別にエギルさんのお店に寄ってからでもいいけど、僕はさしたる理由もなく、つまりはちょっとした気まぐれで転移門広場から東に向かった。

 キリトが何故か贔屓にしている謎のNPCレストランは論外として、アルゲードのレストランはNPCが運営しているものにしろプレイヤーが運営しているものにしろ、あんまりピンとこないお店が多い。 それこそキリト辺りはその雰囲気が好きなんだろうけど、僕はこの街の雑然(キリトの言葉を借りるなら『猥雑』)とした雰囲気は苦手なのだ。

 とは言っても、エギルさんやキリトに会いに来るので、大体の地理は把握している。 ある程度落ち着いた雰囲気の、アルゲードでは大分落ち着いた雰囲気のお店を探すのには苦労したけど、それでもなんとかギリギリのラインにあるそこを見つけた時は柄にもなく安心したものだ。

 閑話休題。

 久し振りにそのお店、《マロッキーノ》に向かう道中、いつも騒がしいアルゲードがいつも以上に騒がしいことに気がついた。 見れば進行方向には人集りができていて、全く進めそうにない。

 何があったんだろう?
 なんて首を傾げては見たけど、小柄な僕ではあの人垣の先は見れないのだ。 飛び越えられないことはないけど、さすがに街中でそんなことをして目立つのも嫌なので、少ない隙間をスルスルと縫うように進んでいく。

 どうやらここに溜まっている人たちは何かを見ようとしているらしく、心渡りを使えるだけの《意識の空白》がある。 こう言う時、心渡りは本当に便利だ。

 「あ……」

 人混みを渡っていた僕は、ようやく見えてきた人垣の発生源を見て、思わず声を出してしまう。

 そこにいたのは紅と白の少女。
 集まった人が鬱陶しいのか、その綺麗な顔に厳しい色を添えて歩く少女が近づけば、人の波が自然に避けていく。 さながらモーゼのような現実に苦笑していると、少女もまた、僕に気がついてしまった。

 「あ……」

 数瞬前の僕と同じように思わずと言った風情で声を上げ、それから最短距離で僕の前に立つ。
 その頃には周りにいた人たちが道を譲っていて、気がつけば僕と少女は向かい合っていた。

 「まさかこんなに早く会えるとは思っていませんでした」

 栗色の髪を風に揺らしながら、紅と白の少女は言った。

 「少し、お時間を頂けますか?」









 「それにしても相変わらず凄い人気だね」
 「目立つのは仕方ないですけど、あまりいい気分ではありません」

 今までのように嫌悪の籠った視線ではないものの、それでも十分に厳しい目線を僕に向けたアスナさんは、目の前に置かれたカルボナーラ(正確には『っぽい何か』)をつつく。
 美人なアスナさんが街を出歩けば大体あんな感じになるけど、やっぱりいつまで経っても慣れないらしい。 今日は随分とお疲れモードだ。

 あの後。
 アルゲードの街で再会したアスナさんは、どうやら僕に用があったらしく、かと言って街で話していると周囲からの視線があるので移動することにした。 適当なお店だったり、あるいは別の層に行っても良かったところだけど、元々ここ、マロッキーノに来る予定だったので、そのままアスナさんを連れてきたと言うわけだ。

 ちなみに、迷路のようなアルゲードの街の中でも一際入り組んだところにあるため、僕たち以外にお客さんはいない。

 「だったらいっそ変装でもしたらどう? 騎士服を脱げば大分違うと思うよ」
 「変装……それはあなたのようにですか?」
 「うん? うん、まあそんな感じ」

 適当に頷きつつ僕はヴォンゴレ(やっぱり正確には『っぽい何か』)をフォークで巻き取る。

 アスナさんが言う変装とは、僕の今の格好に対する指摘だ。

 圏外に向かう際に縛っている髪を下ろし、普段は隠蔽スキルの効果を上げるために黒系統の服を重用しているけど、今日は白のパーカー風の上衣に明るい青白色のパンツを履いている。 更にアクセサリーアイテムに分類されている眼鏡までかけているので、よく知らない人が見ればまさか僕がフォラスだとは気がつかないだろう。 と言うか、元々の外見もあって女の子と勘違いされることの方が多かったりもする。 おまけにカモフラージュ用に短剣まで装備しているので、雪丸のイメージが強い僕の正体は簡単にはバレない。

 アスナさんとは違う意味合いで有名な僕は、気軽に街を歩くと騒動になりかねないのだ。 自慢や自惚れではなく、純然たる事実として。
 《戦慄の葬者》 《骸狩り》 《災厄》 《復讐鬼》 《笑う殺人狂》
 僕を指す異名はどれもこれも物騒なものばかりだ。
 それらは僕の行いが悪かったので仕方がないとは言え、街を歩けば騒然とされるのはあまり良い気分ではないので、普段のお出かけは大体こんな格好をしている。 もっとも、僕の異名を知っていようとも、その外見まで知っているプレイヤーは攻略組を除けば少ないから、そこまで気を遣う必要はないのかもしれないけど。

 「それにしてもって言うならこれもそうだけど、まさか同じ日の内に血盟騎士団の団長と副団長に会うなんてびっくりだよ。 もしかしてKoBって結構暇なのかな?」
 「暇だなんてとんでもありません」
 「へえ、じゃあなんだってこんなところに? こう言ったらあれだけど、この街はアスナさんには似合わないよ」
 「あなたを探していました。 キリトくんに聞いたところ、よくエギルさんのお店に顔を出すと言われたので」
 「エギルさんのお店は反対側だけど?」
 「ええ、知っています。 あなたがお店に顔を出し次第、連絡を頂けるようお願いしてきました」

 サラリととんでもないことを言ったアスナさんは、カルボナーラを上手くフォークに巻いて、上品に咀嚼する。

 「……美味しい」
 「ふふ、でしょ? ここは僕のお気に入りだからね」
 「レシピを聞いたら教えてくれると思いますか?」
 「んー、無理だと思うよ」

 以前のアスナさんであれば、食事中でも関係なく用件をさっさと切り出して話しを早々に終わらせただろうし、そもそも僕に食事に誘われても絶対に断ったはずだ。
 それがどう言うわけか、今はこうして食事を共にして、あまつさえ歓談までしている。 一昨日エギルさんのお店であった時にはいつも通りだったのに、昨日にはその態度が一変していた。 何があったのかは断定できないけど、どうやら謎の心変わりがあったらしい。
 それでも頑なに突き放したような敬語を止めない辺りはアスナさんらしいと言えばらしいけど。

 さて、そろそろアスナさんの思惑を聞いておこう。 主に僕の精神衛生のために。

 「ねえ、アスナさん」
 「はい」
 「アスナさんは僕のことが嫌いだよね?」

 思わず変な言い回しになったのは仕方ない。 昨日もそうだったけど、こんな感じのアスナさんを目の前にすると、どうにも変な感じがするのだ。

 「少なくとも一昨日あった時は凄い嫌われようだったって自覚してるんだけど、僕の勘違いだったかな?」
 「それは……」
 「ああ、別に責めてるわけじゃないよ。 僕はアスナさんに嫌われる……憎まれるだけのことをしたし、それを許してもらおうなんて更々思ってない。 でも、昨日あったらなんだかいつもと違ったから、それが気になっただけ」
 「…………」
 「憎んでるって言うならそれでいいし、むしろそうあるべきだとも思う。 ねえ、本当のところを聞かせてよ」

 逃げ場を求めるように視線を泳がせたアスナさんは、最終的に俯いてしまう。 間を保たせようとしたのか、手に持ったフォークが僅かに動くけど、残念ながらカルボナーラは既に完食されている。

 尚も無言が続いたけど、やがてポツリポツリとアスナさんの言葉が紡がれる。

 「一昨日、あの後キリトくんと一緒にご飯を食べて、その時に色々と聞きました。 あなたのこと。 《白猫音楽団》のこと。 リーナさんのこと。 アインちゃんのこと。 エリエルのこと。 アマリとのこと。 あの時のこと。 全部、全部聞きました……」
 「……そう」
 「それまでも知っていたつもりでした。 あなたの友達として、血盟騎士団副団長として、可能な限り情報収集をしていたつもりです。 でも、キリトくんから話しを聞いたら細部が異なっていて……。 もう、何を信じたらいいのかわからなくなって」
 「何を信じたら?」
 「フォラスさん、あなたは本当に復讐を望んだのですか?」

 無言になるのは、今度は僕の番だった。

 「あの復讐は、本当にあなたが望んだものだったのですか?」

 ーーやめろ

 「キリトくんが言っていました。 『あいつは狂ってなんかない』と」

 ーーお願いだからやめてくれ

 「確かにあなたはプレイヤーを殺しました。 ですが、それはあなたが殺したかったのですか?」

 ーーそれ以上は言うな

 「あの事件に関わった多くのプレイヤーはあなたを非難しましたが、キリトくんやクラインさんはあなたを擁護していましたよね? 直接の関わりがなかったエギルさんやアルゴさん、それに団長も、やはりあなたを擁護した。 今更ながら、それを思い出しました」

 ーーそれ以上言えば戻れなくなる

 「そんな人たち全員に話しを聞き、そうしたことで益々わからなくなって……」

 ーーやめろ

 「ねえ、フォラスさん」

 ーーやめろ

 「あなたは本当に復讐を望んだのですか?」

 ーーやめろ

 「あの復讐は、本当にあなたが望んだものだったのですか?」

 ーーやめろ

 「あなたは本当に狂っているのですか?」

 ーーやめろ

 「フォラスさん」

 ーーやめろ

 「あれは、本当はアマーー「やめろ‼︎」

 ようやく口にできた拒絶は、大音量となって店内に響いた。

 「やめろ……。 それ以上は、やめてくれ」

 続いた声は自分でも驚くくらいに掠れていて、アスナさんに届いたかはわからない。
 それでもどうにか声を絞り出して、今までの全てを否定する。

 「違うよ、アスナさん。 僕は復讐を望んだ。 あれは僕が望んだ復讐だ。 キリトが何を言ったかなんて知らないし、外野が何を言ったって関係ない。 僕は狂っている。 僕は狂っている。 僕は狂っている。 だから復讐を始めたんだ。 だからアスナさんたちに刃を向けたんだ。 僕は、僕は……」
 「そう、ですか……」

 ブツブツと呟く僕に何を見たのか、アスナさんはそれっきり何も言わなかった。
 その気遣いがありがたくもあり、同時に少しだけ苦しい。

 違う。
 僕は狂っている。
 復讐を求めた。
 僕が復讐を求めた。
 だから、僕は狂っている。

 狂っているんだ。 

 

紅色との日 03

 「ところでフォラスさん」

 気まずい沈黙を払拭してくれたのはアスナさんだった。
 人の顔色を窺うことに長けたアスナさんらしい、如才ないフォローに僕はありがたく乗っかる。

 「うん?」
 「これはその、言いたくなければ言わなくてもいいことですが、それでも聞いておきたいことがありまして……」
 「その前振りを聞くと言いたくなくなってくるけど、まあ一応聞いておくよ。 何かな?」
 「その、キリト君の彼女さんのことで……。 どんな人なのかな、と」
 「あー……」

 こちらもこちらでなんともアスナさんらしい、直球なお言葉だ。 まあでも、キリトに直接聞いたりしないだけ、それでもアスナさんからすれば変化球のつもりなのだろう。
 見れば表情は真剣そのもので、僅かに頬が赤らんでいる。 いつの間にやら恋する乙女の顔になったアスナさんに僕は思わず苦笑した。

 多分、キリトに付き合っている人がいると聞いてからずっと、気になって気になって仕方がなかったのだろう。
 これがアスナさんでなければ、僕の選択は黙秘以外ありえないし、そもそも昨日の時点でその事実さえ明かさなかった。 さすがの僕も、人のプライベートをペラペラと話す趣味はない。 キリトにも相手の人にも恩があるから尚更だ。
 あの時、わざわざその事実を開示したのは、そう言うところは鈍感なキリトと純粋でまっすぐなアスナさんが微妙な関係に陥ることを避けるためであって、断じて面白がっていたわけではないけど、果たしてあれが正解だったのかはわからない。

 ちなみに、キリトの交際相手の情報を知っているプレイヤーはかなり少数だ。
 まずは僕。 それからあの人が所属しているギルドのメンバーの4人。 みんなの頼れるお父さん(笑)であるエギルさんと、辣腕情報屋のアルゴさん。 他にも数人が知っているだろうけど、みんながみんなその件に関して口を割ることはないだろう。
 目立つのが嫌いな2人を慮ってでもあるけど、大半の理由は『初々しい2人を見てニヤニヤしたい』と言う純然たる欲求に駆られてのことだ。 かく言う僕も、あの2人を見てはニヤニヤしている口だったりする。

 さて、そこまで徹底してみんなが口を割らないことを僕が喋るわけにはいかない、と言うのは大前提として、しかしこのままアスナさんを放置しているとアルゴさん辺りを締め上げて吐かせる可能性が高い。 さすがに暴力を振るうことは性格から考えてもないだろうけど、デマとゴシップは売らない情報屋であるが故に、アルゴさんが口を滑らせてしまう可能性はゼロとは言えない。
 情報屋と言う要素を取ってしまえばアルゴも年頃の女の子だ。 いかに同性とは言え、今も出しているアスナさんの無言の圧力に耐えられるとは到底思えない。. 美人と言うのはこう言う時に得だと、そんな場違いな感想を抱いた。

 一部の情報を明かした僕は、ここできちんと話しをして、ある程度アスナさんを満足させる義務があるだろう。
 まあ、刺激がないので進展らしい進展をしない2人の関係にそろそろ爆弾を放ってみようと画策していることは否定できないけど。

 「優しい人だよ。 なんて言うかな……誤解を恐れないで言うなら、弱い人、かな。 それと、少しだけキリトに似てる」
 「キリト君に?」
 「口下手で周囲に壁を作るくせに寂しがり屋。 目立つのが苦手で引っ込み思案。 キリトはさ、あれでいて繊細だから」
 「それは知っています」

 頷いたアスナさんの表情は冴えない。
 アスナさんの性格を考慮すれば、略奪愛を考えたりはしないだろう。 真面目で現実的、それでいてロマンチストなアスナさんは、きっとこのまま諦める。
 キリトとあの人との恋路を邪魔したいわけではないし、別れて欲しいなんて露ほども思っていない。 それと同時にアスナさんに諦めて欲しくないと思うのは矛盾なのだと、それは誰に言われるまでもなくわかっていることだ。
 けれど、どうしても願ってしまう。
 双方の幸福を。 キリトの幸福を。

 「僕はね、アスナさん。 アスナさんの恋を結構本気で応援してるよ。 でも、やっぱりキリトの恋も応援してるし、あの人の恋も応援してる。 だからさ、後悔はしないで。 きちんとぶつかって、その結果がどうなるかなんて僕にはわからないけど、後悔だけは絶対にして欲しくない」
 「あ、あなたに言われるまでもありません!」
 「そっか。 それじゃあ、今日はこの辺で、かな? アスナさんもあんまり暇じゃないでしょ?」
 「……そうですね」

 それでは今日はありがとうございました。 短く礼を言って立ち上がったアスナさんが突然動きを止め、それからウインドウを開く。 どうやら誰かからメッセージが届いたらしく、しかもそれが余程の内容なのか、元々大きな瞳を丸くして視線を上下に行き来させる。
 誰からだろう? そんな疑問が頭を掠めたところで僕にもメッセージが届いた。

 「あー……」

 開いてみれば、差出人は噂の張本人であるキリト。 そして、その内容を確認した僕はアスナさんが驚いた理由がよくわかった。
 本文はたったの1行。 それどころか、たったの19文字。

 『ヒースクリフとデュエルすることになった』

 それを読んで僕は内心でため息を吐く。

 僕の兄は、どうやらトラブルに愛されているらしい。 やれやれ。



















 アルゲードにあるエギルさんのお店。 その2階にある生活スペースに僕とアスナさんは駆け足気味に飛び込んだ。
 1階にいたエギルさんの許可は取ったとは言え、それでも決して褒められた行為ではないことは承知しているけど、僕もアスナさんも冷静ではなかった。

 「よう、早かったな」

 しかし、当の本人である《黒の剣士》様は飄々と、あるいは不敵に笑って僕たちを出迎えた。

 「ねえ、アスナさん」
 「……なんでしょう?」
 「この黒いの、とりあえず1発ぶん殴っていいかな?」
 「奇遇ですね。 私もそうしようと思っていたところです」

 それにイラっとしたのは僕だけではないらしい。 見ればアスナさんは腰のレイピアを既に抜剣していて(いつの間に⁉︎)、キリトにその切っ先を向けている。 どうやらアスナさんはぶん殴るどころではなく、自慢のレイピアでぶっ刺す(しかもソードスキルを使うつもりらしく、薄紫のライトエフェクトが灯る)予定のようで、かく言う僕も体術スキルでぶん殴る気満々だ。

 「ちょっ、落ち着け! 落ち着けって!」
 「問答ーー」
 「ーー無用!」

 ことここに至ってようやく事態を察したキリトが両手を前に突き出して制止を促すけど、残念ながらもう遅い。 まずはアスナさんのレイピアがキリトの顔面に向けて飛び、それから僕の左拳が同じく顔面に向かう。
 もちろんここは圏内なのでキリトに届く前にアンチクリミナルコードの障壁に阻まれる。 けれど、攻略組でもトップクラスのスピードを誇るアスナさんと僕の攻撃は、キリトに多大なノックバックを課し、壁まですっ飛ばした。

 キリトにお仕置きしてスッとしたのか、楽しそうに笑うアスナさんとハイタッチをしてからキリトを見下ろす。

 「キリト君」
 「は、はい……」
 「とりあえず正座しようか?」
 「はい、わかりました」

 凄くいい笑顔のアスナさんから立ち上る阿修羅の如きオーラに屈し、キリトは素早く正座した。
 とは言え、それを滑稽だとかチキンだとは笑えない。 僕だってこんな笑顔のアスナさんを前にしたら、それがたとえどんな状況でも正座してしまいそうだ。

 うん。 端的に言って怖い。

 「どう言うことか説明してもらえるかしら?」
 「あ、久し振りのツンモードだーなんでもありませーん」
 「……それで?」

 茶化しに入った僕を絶対零度の一瞥(小動物なら殺せるレベルの鋭さだ)で黙らせて、アスナさんはキリトに向き直った。

 「えっと、ヒースクリフの奴に呼び出されて、行ってみたらKoBに入らないかって」
 「団長がキリト君に興味があることは知っていたわ。 問題はその先よ。 どうして団長とキリト君がデュエルすることになるって言うの?」
 「あー、いや、もちろん断ったんだけど、そしたら『剣で決めようではないか』って。 なんでかあいつはノリノリだし、俺もあいつの強さは気になってたし、それで……」
 「それで挑発に乗った、と。 キリトって馬鹿だよね」

 これ見よがしにため息を吐くとキリトは気まずそうに顔を伏せた。
 その時はノリで受けたものの、ことここに至って重大さがわかったらしい。

 ヒースクリフは間違いなくアインクラッド最強の男だ。
 神聖剣の硬さは異常だし、攻撃だって半端ではない。 加えてシステムに頼ったスキルとは別に、ヒースクリフ個人のプレイヤースキルだってずば抜けている。 対人戦に特化した僕でさえ、今の状態ではヒースクリフに勝てる算段は立てられないのが本音だ。 まあ、勝算がないではないけど。

 キリトの持つ二刀流は確かにとんでもないスキルだし、プレイヤースキルもヒースクリフに劣ってはいないだろう。 問題はそこではなく、むしろ相手がヒースクリフだと言うことが問題なのだ。
 キリトに限った話ではなく、現時点でヒースクリフを相手に勝てるプレイヤーは1人としていない。。 何しろヒースクリフは、絶対にHPバーを半分以下に落としたりはしないのだから。

 更に言えば、このデュエルはキリトに損しかもたらさないことを、果たして我が兄は気づいているのだろうか?
 ヒースクリフが勝てば血盟騎士団に入る。 キリトが勝てば血盟騎士団に入らない。
 賭け金が余りにも不公平だろう。 KoBに入りたくないのなら断固拒否すればいいだけで、そうすればいかにヒースクリフと言えど無理強いはできない。 むしろ、あの男の性格上、きちんと断ればあっさり退くはずだ。 それこそ僕に対する勧誘のように。

 挑発に乗ったキリトは馬鹿の一言で片付けるとして、気になるのはヒースクリフの思惑だ。
 アスナさんが言ったように、ヒースクリフがキリトに興味を持っていることは知っていたけど、どうして彼は強者を手元に置きたがるのだろう?
 キリト然り、アスナさん然り、そして僕然り。 攻略組トップクラスのプレイヤーを熱心に勧誘しているのは、どうにも血盟騎士団の戦力増強以外の理由があるように思えてならない。 同じくトップクラスのプレイヤーであるアマリをただの一度だって勧誘したことがないのがいい証拠だ。

 「……って、フォラスさん、聞いているのですか?」

 突然、視界にアスナさんの顔が飛び込んできた。 結構な至近距離で顔を覗き込まれた僕は、暴れまわる心臓をどうにか抑えて、露骨にならないように身体を引く。
 どうやら考え事に没頭し過ぎていたらしい。 アマリにもよく言われることだけど、それはどうしても治らない悪癖だ。

 「ごめん。 全然聞いてなかった。 で、なんて?」
 「デュエルを取りやめてもらうよう、団長を説得できないかと、そう聞きました」
 「あー、多分だけど無理だと思うよ。 前言を翻すような男じゃないからね。 それはアスナさんも知ってるでしょ?」
 「ええ、まあ……」
 「だ、大丈夫。 要は勝てばいいんだろ?」
 「勝てば、ね……」
 「なんだよ。 俺じゃ勝てないって言うのか?」
 「さあ、どうかな。 ただまあ、苦戦は確定だろうけどね。 じゃあ、アスナさん。 行こっか?」
 「はい?」
 「ヒースクリフのとこ。 さすがに僕がKoBの本部に乗り込むわけにはいかないでしょ?」

 笑って言うと僅かの間を置いてアスナさんが言う。

 「説得は無理なのでは?」
 「一応だよ。 一応。 駄目元で言ってみるのもありかなって。 まあ十中八九無駄足だろうけどさ」
 「……わかりました。 行ってみましょう」
 「話しが早くて助かるよ」

 クイっと肩を竦めてから、下で待っていると伝えて僕は部屋を出た。
 元々はベッドの件できたのだ。 エギルさんにそのことを聞かないといけないし、それ以上にやることもできた。

 階段を下りる途中でメニューを開き、メッセージ機能を立ち上げる。
 辣腕情報屋のとある鼠さんに仕事の依頼だ。 

 

紅色の策略 01

 「期待してるなら悪いけど、ヒースクリフは説得に応じないよ」

 エギルさんのお店を出た僕は、隣を歩くアスナさんにそう言った。 アスナさんもアスナさんで同じ結論に達していたようで、反論も不審がることもなく頷く。

 「それともうひとつ。 キリトは負ける」
 「……断言しますね」
 「ヒースクリフは負けないって言った方が正確かな。 ヒースクリフは負けない。 絶対にね」

 どうやらこちらに関しては少なからぬ期待をしていたようで、僕の断定的な口調に眉をひそめる。

 とは言え、それは確実な未来だ。
 何もキリトに期待していないわけではないけど、今回に限って言えば相手が悪すぎる。 短期決戦になればあるいは、とも思わなくはないけど、こうしてデュエルに持ち込んだ以上、あの男が油断するはずもない。
 初撃決着のデュエルなので、最初に一撃を与えた方が勝つ。 それでも実力が拮抗しているプレイヤー同士だと、初撃決着モードがその字面の通りの結末になることなんて稀だ。

 強攻撃の先制。
 ハイレベルプレイヤー同士の戦いになれば、いきなりソードスキルを使うことは論外だし、そもそも使ったところで絶対に当たらない。 ソードスキルは強力な持ち札ではあるけど、絶対の切り札にはなり得ないのだ。 どれほど強力な攻撃だろうと万全の体勢であれば対処は容易だし、対処してしまえば硬直が待っているのだから、それは当然のことだろう。

 例外はあるとは言え、初撃決着デュエルの基本は削り合い。 先に相手のHPを半分以下まで落とした方が勝ち。 たまに油断して強攻撃で決着がつくこともあるけど、それが基本形だ。
 そして、ヒースクリフのHPは絶対に半分以下にならない。
 なら、結果は予想するまでもないだろう。

 「これでキリトは血盟騎士団入りが決定したわけだけど、アスナさんからしたら嬉しい誤算だったのかな?」
 「べ、別に、そんなこと、ありませんけど……」

 徐々に萎んでいく声は図星を指されたからか。. 俯くアスナさんの横顔は気まずさと嬉しさが同居していた。

 まあ、これはアスナさんを責められないだろう。
 挑発に乗ったのはキリトだし、負けるのもキリトだ。 ヒースクリフにしたって挑発しただけだし、彼の筋書きを正確なところまで掴んでいるわけではないけど、75層なんて中途半端な現時点で負けることはできないのだろう。 納得はできないけど理解はできる。

 「そりゃ、好きな人と一緒に同じギルドに入れるって言うのは嬉しいけど、でも別に負けて欲しいわけじゃなくて、ただ一緒にいたいと言うか……」
 「アスナさんアスナさん、心の声がだだ漏れですよ」
 「わ、忘れなさい!」
 「了解しました、副団長殿」

 茶化す僕と顔を真っ赤にして怒るアスナさん。
 そう言えば、こんな感じが昔のスタンダードだったっけ。 なんて感慨に耽りながら、頭の片隅では別の思考を組み上げていく。

 考えるのはもちろん、キリトの彼女さんであるあの人のことだ。
 キリトが血盟騎士団に入れば、あの人はその意味を誤解しかねない。 かと言って事情を正確に説明できるほどキリトの対人スキルは高くないし、そうなれば最悪、誤解したまま身を引くなんて笑えない事態が起こるだろう。
 ヒースクリフの説得もキリトの勝利も諦めている僕だけど、いくらなんでもそれを傍観していることはできない。
 僕から説明することも可能ではあるけど、さすがにそれは僕の仕事ではないし、そもそも首を突っ込むわけにもいかないことだ。

 「アスナさん」
 「なんですか!」
 「ちょっと考え事しながら歩くから、ギルド本部までのナビはよろしくね」
 「え、あ、はあ。 それは構いませんが……」

 色よい返事とはいかないけど、それでも了承してもらった僕は、そのまま思考に没頭するべく、意識を自身の内面に向ける。

 (血盟騎士団への入団がキリトの意思によるものではないと伝える状況の案を検討開始……)
 (ヒースクリフの思惑に沿い、血盟騎士団の利益に繋がる状況の案を検討開始……)
 (最終目標はあの人が誤解しない状況)
 (キリトにとって不本意だと知らせることが大前提)
 (ヒースクリフを頷かせるためには、彼らの利になることが大前提)
 (僕がデュエルに介入する)
 (却下)
 (デュエルが始まる前にヒースクリフを圏外で闇討ちする)
 (返り討ちが関の山。 却下)
 (あの人に事情を包み隠さず説明する)
 (そこまで直接的な干渉はルール違反。 却下)
 (血盟騎士団への入団がキリトの意思によるものではないと伝える状況の案を検討終了)
 (ヒースクリフの思惑に沿い、血盟騎士団の利益に繋がる状況の案を検討終了)
 (案を実行する策を検討)
 (目には目を)
 (歯には歯を)
 (挑発には挑発を)
 (挑発は僕の趣味)
 (挑発は僕の特技)
 (今後の方針を決定)
 (挑発)
 (挑発)
 (挑発)
 (挑発)
 (挑発に決定)





























 「ほう。 これは珍しい客人だ」

 55層の主街区、グランザムにある血盟騎士団本部。 その最上部に位置するヒースクリフの執務室を訪ねた僕とアスナさんを見て、いけ好かない聖騎士様はそう言った。

 「まさかとは思うが、君も血盟騎士団に入るつもりかね?」
 「まさか。 僕は入らない。 今回はちょっとお願いがあってきただけだよ」
 「ふむ。 まあ、かけ給え。 お茶を淹れよう」
 「あ、団長。 それは私が……」
 「客人をもてなすのはホストの仕事だ」

 上司にお茶汲みをさせるわけにはいかないと判断したアスナさんをあしらって、悠々とお茶(とか言いながらコーヒーだ)を用意し始めたヒースクリフ。
 この男の揺るがないところはアスナさんも理解しているのだろう。 それ以上は何も言わずにソファーに座った。

 ちなみに僕は既に座っている。 ヒースクリフに対して遠慮は無用だと言うことはこれまでの付き合いで学んだことだ。

 「さて、君たちの用件はキリト君が血盟騎士団に入ることかな?」
 「僕がそれ以外でここにくると思う?」
 「つまり、抗議をしにきた、と?」
 「それこそまさかだよ。 何を言っても無駄でしょ?」
 「……ふむ。 舌戦では分が悪いな。 君の望みを言い給え」

 ひょいと肩を竦めてみせるヒースクリフだけど、そこにユーモラスさはない。 あるのは底知れぬラスボス感だけだ。 まあ、それこそこの男には相応だろう。

 コトリと目の前に置かれたコーヒーを飲んで、僕は小さく息を吐いた。
 ここから先が僕の仕事だ。
 検討した案をそっくりそのままヒースクリフに承諾させる。 妥協点はない。

 一応、アスナさんには説明しておいたけど、それでもやっぱり不安なのだろう。 僕の隣で身を固くしたまま動こうとしないでいる。

 「今回のデュエルを大々的にやって欲しい」

 ヒースクリフは短く「ほう」とだけ言い、無言で先を促した。

 「イベントにして欲しいって言えばわかりやすいかな? イベント。 それこそ、アインクラッド中に轟くような、そんなどでかいイベント」
 「ふむ」
 「デュエルは明日。 開催場所は昨日アクティベートしておいた75層の主街区、コリニア。 転移門広場に隣接したコロシアムがあったから、そこを利用。 今から情報屋をフルに使って宣伝してもらうとして、入場料を取れば血盟騎士団の財政的にもウハウハでしょ? ついでにあなたの最強の称号が不動のものになるわけだし、一石三鳥だね」
 「……君はキリト君が負けると思っているのかな?」
 「そっちは確定だよ。 あなたは絶対に負けないでしょ? 少なくとも現時点では」

 含みを持たせた笑顔を向けると、ヒースクリフはあっさり頷いた。
 もう少し焦ってくれるかとも思ったけど、そこはさすがの聖騎士様。 焦りも動揺も見られない。

 「では、そのように手配しよう。 情報屋への依頼料はこちらで持つ。 アスナ君」
 「は、はい!」
 「ダイゼン君を呼び給え。 彼と細かい話しを詰める」

 はい、ともう一度生真面目な返答をすると、そのまま部屋から出て行ってしまう。
 ダイゼンさんと言うのは、確か血盟騎士団の経理担当のプレイヤーの名だ。 団長の前で緊張していたアスナさんは気づかなかったみたいだけど、ギルドメンバーを呼び出すつもりならメッセージで事足りる。 呼び出すのだから礼儀を重んじる、なんて情緒溢れるメンタリティーはこの男に限って持ち合わせていないだろう。

 つまりは人払いがしたかったのだ。 僕と話しをするために。

 「さて、今回はどう言った思惑かな?」
 「別に。 ただ、このまま放置すると面倒なことになりそうだって、それだけだよ。 まあ、あなたが馬に蹴られて死ぬぶんには構わないんだけど、ことはそれだけじゃ済まないだろうしね」

 説明を求めるヒースクリフを適当にあしらう僕。
 わかってもらう気はないし、そもそも全ての理由を話したところでヒースクリフには理解できないだろう。
 誰かの恋を応援するなんて、そんな人間的な感情、この男に理解できるはずがない。

 まあ、この策が成功すれば、僕はアスナさんの恋路を邪魔したことになるので、馬に蹴られるのは案外、僕なのかもしれないけど。

 当分は馬っぽいモンスターと夜道には気をつけよう。

 冗談めかして思考を打ち切った僕は、そのままソファーに沈み込んだ。





























 ダイゼンさんとの折衝を終えた僕は家に帰り、アマリの寝顔で癒されてから心を鬼にしてアマリを起こした。 キュートなアマリの起き抜けのハグを受け止めてから夕ご飯を食べて、それから予定通り75層のフィールドで狩りを始めた。
 家に帰ったのは昼間。
 それでも今日は決戦の日なので寝るわけにもいかず、可愛い寝息を立てるアマリを背負って、僕は75層に向かう。

 アマリを背負うたびにドギマギしているのは内緒だ。 

 

紅色の策略 02

 「うー、眠いですよー」
 「無理して起きてなくてもいいのに。 眠いなら家に帰る?」
 「帰らないですー。 お兄さんの晴れ舞台を見逃すわけにはいかないですよー」
 「まあ、見れるのは負け犬として這い蹲るキリトだけどね」
 「おい待て! 俺が負ける前提なのか⁉︎」
 「キリト君はこっち!」
 「はい、すいません」
 「あはー、お姉ちゃんは張り切ってるですねー」
 「さすがは恋する乙女」
 「あなたたちは黙ってなさい!」
 「怒られちゃったです……」
 「乙女って怖いね」
 「あー、もうっ‼︎」
 「なあ、恋する乙女ってどう言うことだ?」
 「キリト君‼︎」
 「は、はい‼︎」

 やばい、めちゃくちゃ楽しい。

 ここはコリニアにあるコロシアム。
 観客席から観戦するのも悪くなかったけど、それをすると知らない人が周りのせいでアマリがあまり喋らなくなってしまうので、それならばとキリト側の控え室に顔を出したのだ。
 で、冒頭のやりとりである。

 アスナさんはキリトに神聖剣のレクチャーをしていたらしく、僕たちはそこに乱入した形だ。
 絶対にない可能性とは言え、アスナさんはキリトを勝たせようとしているらしい。 そうなれば自分の恋を妨げる結果になるわけだけど、その辺りは踏ん切りがついたのか、あるいは保留することにしたのか、とにかくそこに迷いはない。
 まっすぐで純粋なアスナさんのことだから、キリトに負けて欲しくない一心なのだろう。 いやはや、本当に可愛らしい。

 「まあ、アマリの方が可愛いけどね」
 「ですです? いきなりどうしたですか?」
 「アマリは可愛いなーって」
 「照れるですよー」
 「よっ、世界一の美少女」
 「えへー」
 「天使が霞むほどの愛らしさ」
 「へへー」
 「さすがは僕の妻」
 「それはさり気ない自分褒めです」
 「バレたかー」

 ちなみに僕は徹夜だ。 完全徹夜で略して完徹。
 普段の3倍のテンションでお送りしていまーす、っと。

 さて、あまり悪ふざけが過ぎるとさすがにまずいだろう。 僕たちを見る2人の視線が既に凄いことになっているので、この辺りが潮時だ。

 「で、キリト。 二刀流は使うの?」
 「いや、使わないよ。 こんな場所じゃ使えないだろ?」
 「隠すつもりならそうだろうね」

 まあ、勝てないことに変わりはないので、わざわざ公衆の面前で披露する必要もないだろう。 キリトは目立ちたくないと言う性格と、それから手の内を晒したくないと言う現実的な判断だろうけど。

 と、そんなやりとりをしていると、控え室の扉から控え目なノック音が響いた。

 「どーぞー」

 誰何を発するでもなく、気楽に出されたキリトの入室許可。 僕としてはもう少し警戒してもいい気がするけど、そもそもここはキリトの控え室だ。 文句を言うわけもなく、まして止めることもできない。

 「えっと、キリト。 その……ご飯を持ってきた、よ?」

 果たして、扉から現れたのは気弱そうな少女は、控え室にキリト以外がいることに驚いたのだろう。 首を傾げた体勢のまま固まった。

 肩辺りで揃えたやや藍色がかった黒髪。 困ったような垂れ目と右目の下にある泣きぼくろ。 淡い青色の落ち着いた雰囲気の服の上から羽織る紺色のマント。 アスナさんのような華もないけど、その分厳しさも一切ない柔和な顔立ち。
 そこにいたのは、僕にとっての恩人であり、ギルド《月夜の黒猫団》のメンバー、サチさんだった。

 「お、サンキューな、サチ。 ……って、どうした?」

 事態を理解していないキリトがまるで危機感なく首を傾げるけど、いかに我が兄とは言えそれは空気が読めていなさすぎると苦言を呈したい。

 狭い控え室の中。 いるのはキリトと僕とアマリ。 ここまではいい。 サチさんとは仲が良いので、僕が結婚知っていることを知っているし、今もアマリとは手を繋いでいるので誤解のしようもなくアマリを僕の妻と認識するだろう。 そこで問題になるのがアスナさんだ。
 アスナさんは当然のことながら今日も血盟騎士団のユニフォームだ。 そもそもアスナさんは超が付くほどの有名プレイヤーだから、サチさんだって知っているだろう。 そして、キリトが一昨日、一緒にパーティーを組んだと言うことも、多分知っている。 もっと言うなら、昔は一緒に行動していたことも。

 さあ、事実を色々と誇張して今の状況を説明しよう。

 元カノとの密会中に今カノ襲来。
 しかも、元カノとの復縁の噂まで。

 ……自分で言っといてなんだけど、これは些か修羅場すぎる気がしなくもない。
 なんとなくでも状況を察したらしいアスナさん(多分、『ご飯を持ってきた』のくだりで気がついたはずだ。 やれやれ、勘が冴えているのもこうなると考えものだ)の顔は若干引き攣っているし、サチさんはサチさんで硬直から復帰したけど困った顔のまま俯いてるし、明らかに微妙な空気が流れている。

 さすがの僕でもこのタイミングでの対面は予想外だったので、どうアクションを起こすべきか迷う。
 けど、この場にはモンスターだろうと空気だろうと、全てを纏めて吹っ飛ばす達人がいることを忘れてはならない。

 「えとー、この人、誰ですかー?」

 コテンと首を傾げて問うアマリに答えたのは、空気が読めない我が兄ではなく僕だ。 と言うか、キリトは視線で黙らせてある。

 「うん、えっと、じゃあ紹介するね。 この人はサチさん。 《月夜の黒猫団》って言うギルドのメンバーで、僕にとってはお姉さんみたいな人」
 「は、初めまして。 サチです……」
 「サチ姉。 こっちは僕の妻のアマリ。 《惨殺天使》って言った方が通りがいいかな?」
 「むー、そんな可愛くない名前は却下です。 ども、フォラスくんの愛する妻、アマリですよー」
 「……で、こちらはギルド《血盟騎士団》副団長、《閃光》のアスナさん。 おっかないけど実は優しいツンデレさんだから安心して」
 「その紹介は甚だ不本意ですが、初めましてアスナです。 フォラスさんは後でお話しがありますので覚悟しておいてください」
 「ツンデレさんは不本意かな?」
 「不本意どころか事実無根です。 私はあなたにデレた覚えはありません」
 「ああ、なるほど。 妹にはデレデレだと」
 「どこを聞いたらそうなるんですか!」
 「いや、聞いたらって言うか、今までのアスナさんを見てたら」
 「そんなつもりはありません!」
 「お姉ちゃんは私が嫌いなのですか?」
 「そ、そんなこと言ってないでしょ!」
 「とまあ、こんな感じでシスコンだから」
 「フォラスさん!」

 こう言う時の姉妹の連携は僕でも感心してしまう。
 僕の意図を瞬時に汲み取って、悪ふざけのテンションに合わせてくれる如才なさ。 きちんと姉妹仲を強調しつつ、さり気なくキリトを無視して話しを進めることでキリトとの関係を暗に否定する戦略。
 まあ、そんなことを言うと浮気の言い訳が上手いみたいに聞こえるけど、それはそれ。 あまり気にしないで行こう。

 と言うか、キリトとサチ姉とアスナさんとの関係が微妙にさせまいと、知らない人がいる中で会話に入ってきたアマリはやっぱりお姉ちゃんっ子だ。 こう言う連携プレイも、そう言えば久し振りに見た気がする。

 「ところでサチ姉。 他のみんなは?」
 「あ、うん。 先に席を取ってるって。 ほら、人が凄いから」
 「そんなことより、メシくれよ。 もう腹ペコだ」

 本当に空気の読めない馬鹿(キリト)がそう言うと、サチ姉は苦笑しながら布で包んだ箱を手渡す。
 キリトとは違って視線や空気に敏感なサチ姉のことだ。 僕たちが誤魔化しにかかっていることもお見通しなのだろう。 それでも何も言わないのは、やっぱり一緒に戦えないと言う引け目があるからだと思う。 肩を並べて戦えるアスナさんは、サチ姉にとってのコンプレックスで、だからこそ何も言えない。
 それでもそんなことを考えているとキリトに悟られたくない一心で気丈に笑ってみせるサチ姉は、やっぱり優しくて弱い。

 「キリトはそればっかり。 朝もいっぱい食べたのに」
 「それはそれ、これはこれってな。 お、サンドイッチか」
 「軽めにしたほうがいいと思って」
 「ありがとな。 んじゃ、頂きます」
 「はい。 召し上がれ」

 アスナさんに遠慮してなるべく甘い空気を出さないよう、サチ姉は笑って、それからアスナさんを正面から見据える。
 咎める色でも、責める色でも、まして嫉妬の色でもない、ただただ申し訳なさそうな色が揺らぐ瞳をアスナさんに向け、すぐに俯いた。

 「あー、サチ姉。 みんなが待ってるんじゃないのかな?」
 「え? あ、うん、そうだね。 じゃあ、もういくね……」
 「うん。 また近いうちに遊びにいくから」
 「待ってる。 じゃあ、キリト」
 「ふぉあ?」

 頑張って。
 小さな声で短く言い残したサチ姉は、アスナさんとアマリに一礼してから控え室から出ていった。

 「……フォラスさん」
 「その話しは後でね」
 「はい……」

 微妙な空気が流れる中、いよいよデュエルが始まるようで、キリトとヒースクリフを呼び出すアナウンスが辺りに響く。
 観客たちの怒号のような歓声がコロシアムを揺らし、周囲の空気が塗り変わる。

 「さて、出番だな」

 最後のサンドイッチを飲み込んだキリトが、手を払いながら立ち上がる。
 表情に余裕はない。 けれど、ワクワクしているのが手に取るようにわかるほど、その双眸は爛々と輝いている。

 「戦勝報告を期待してるですよー」
 「無茶はしないでね」

 背に吊った漆黒の愛剣、エリュシデータの柄に軽く触れ、大きく息を吐くと、キリトはそれぞれの声援に押されて一歩踏み出す。
 僕がその背にかける言葉はただひとつ。

 「いってらっしゃい」

 キリトの返事もたったの一言だった。

 「いってくる」

 そうして《黒の剣士》は控え室から出ていった。 

 

紅色の策略 03

 「すまなかったなキリト君。 企画はフォラス君とダイゼン君に任せていたのだが、こんなことになっているとは知らなかった」
 「……ギャラは貰いますよ」
 「それはフォラス君に請求し給え。 あくまでこちらに請求しようと言うのなら……そうだな、任務扱いにさせて頂こう」
 「気が早いですね。 もう勝った気ですか?」

 キリトの挑発的な苦笑の返答は、言葉ではなく濃密な殺気だった。
 常人であれば咄嗟に後退するほどの威圧感だが、キリトはただ淡々と殺気を身に受け、その眼をヒースクリフに向ける。

 「ほう」

 思わず漏れた声は僅かな驚きと、確かな感嘆。
 まさか自分の殺気をものともしないプレイヤーがいるとは思っていなかったヒースクリフだが、その理由に数瞬遅れて辿り着いた。

 フォラス。

 キリトの弟にして、アインクラッドに於いて非常に稀有な対人戦のスペシャリスト。 今でこそ大人しくしてはいるものの、今夏まではオレンジ狩り……否、レッド狩りをしていたPKK。 彼の名を聞けばレッドの誰もが恐怖し、彼の視界に映るレッドは例外なく殺された。
 元々あったもの変換しただけの単純な二つ名《戦慄の葬者》
 レッドを戦慄させ、レッドを葬りさる者。
 故に《戦慄の葬者》
 少女と見紛う愛らしい外見に内包された狂気は、最悪の殺人ギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》すらをも凌駕するだろう。 正確な数は算出不可能だが、彼が殺したプレイヤーは既にレイドの上限人数を越えるとまで言われている。

 キリトはそんなフォラスの殺気を、狂気を、真正面から受け止め、そして受け入れたのだ。 今更、この程度の殺気に怯むほどやわではない。

 (なるほど。 さすがは彼の兄、と言うことか)

 内心で呟きながらキリトから視線を外すと、ヒースクリフは手慣れた動作でデュエル申請のメッセージを飛ばした。 一瞬の逡巡すらなくデュエルが受諾されると、宙空にカウントダウンが表示される。

 「ところでキリト君」
 「なんでしょうか、団長殿?」
 「これが終われば我がギルドの団員になるが、実はもう1人、優秀な人材が入ることになる」
 「……どう言うことだ?」

 もったいつけたようなヒースクリフの言葉にキリトは眉をひそめる。 嫌な予感が脳内を駆け巡り、思わず今まで取り繕っていた敬語が吹き飛んだが、それを咎める声はない。

 しかし、ヒースクリフはとんでもない爆弾を落とした。

 「フォラス君さ。 彼は君が私に負けるようなことがあれば、自分も血盟騎士団に入ると言った。 このデュエルに介入する条件として私が提示し、彼はそれを受け入れた」
 「なん、だと……」
 「これで君は負けられない理由が増えたが、それでも君は私には勝てない。 私はこの余興で優秀な部下を2人も手に入れることができる。 礼を言おう、キリト君」

 感情の抑制されたヒースクリフの鉄面皮の奥に、キリトは明らかな歓喜を見た。

 自分が負ければ血盟騎士団に入る。
 それは別に構わない。 嫌ではあるが、それは自分の言葉の責任だ。 フォラスにも言われたように挑発に乗った自分が馬鹿だっただけ。
 しかし、フォラスは違う。
 フォラスまで巻き込むのは、いくら何でも許されない。

 ギリッと歯を鳴らしたキリトは、おもむろにメニューを開く。
 使うつもりはなかったスキル。 フォラスが軍の一団やクラインたちを脅してまで秘密にしてくれた奥の手。
 だが、負けられない戦いを前にして、それを隠しているわけにはいかなかった。

 軽やかな音と共に背に加わった新たな重み。
 リズベットが鍛えてくれたもう一振りの相棒と、元々装備していた相棒を同時に抜き放つ。

 《エリュシデータ》と《ダークリパルサー》
 漆黒と純白の二刀を携えたキリトは、カウントダウンがゼロになった瞬間、ヒースクリフに向けて駆けていた。



















 「もしも団長と戦うとなったら、フォラスさんならどうしますか?」
 「んー……圏外で闇討ちが現実的かな」
 「その冗談は全く笑えません」
 「じゃあ、パーティーを組んでおいて後ろから、とか? 麻痺毒を使えば更に成功率は上がると思うよ」
 「ですから、それも笑えない冗談です」

 僕の軽口をバッサリ切り捨てたアスナさんは、視線をキリトに固定したままため息を吐く。
 ちなみにアマリは僕の太ももに頭を乗せて、控え室のベンチに横たわっている。 いわゆる膝枕だ。

 「まあ、真剣に答えるとするなら、正々堂々、正面から不意打ちするよ。 心渡りはそのための技だからね」
 「あなたなら団長に勝てると?」
 「初撃決着で、なおかつ周囲に誰もいない状況ならね。 今の状況だと僕は勝てないかな」
 「なぜですか?」
 「さあ、どうしてだろうね」
 「……これ以上の詮索は無駄だと言うことですか」

 わざとらしく息を吐いたところで、キリトとヒースクリフとの間にカウントダウンが表示される。
 この勝負の先は見えている。 キリトは負け、血盟騎士団に入ることは確定だ。

 キリトに限って言えばそれは自業自得なのでどうだっていいけど、それが与える影響を考慮していないのはいただけない。 主にサチ姉に対するフォロー不足的な意味合いで。

 「ところでフォラスさん。 先ほどのかたですが……」
 「ああ、うん。 サチ姉のこと?」
 「ええ。 あの人がキリトくんの、その、彼女さん、ですか?」
 「まあアスナさんなら気付くよね」

 げんなりとした調子を隠さずにため息を吐くと、意外なことにアマリが口を開いた。

 「なんだか儚い感じの人だったですね、サチ姉さん」
 「ん、そうだね。 でも、怒ると怖いから気をつけてね」
 「そうは見えなかったですよ?」
 「前にキリトと一緒に悪ふざけしてたら怒られたけど、いやもう、本気で怖かったよ。 目が笑ってない微笑みで延々と《お話し》。 アスナさん以上に怖かったね、あれは」

 その時のことを思い出して、僕は思わず身震いしてしまう。

 あれはそう、僕が攻略組に復帰してしばらくした時のこと。 リズさんのところに遊びにいくアマリを見送ってから、僕はキリトと合流して《アインクラッドを外周から登っちゃおうぜツアー》を敢行したのだ。
 結果は大方の予想通り失敗。 80mほど登ったところで侵入不可能領域を知らせるメッセージが眼前に現れた。 いきなり表示されたことの驚いた僕とキリトは手を滑らせて、そのまま落下することになった。
 もちろん、落下中に転移結晶を使って事なきを得たわけだけど、それを知ったサチ姉(観客だった黒猫団のメンバーがリークしたらしい)は、僕たちがキリトのホームに帰るなりハラハラと泣き出してしまって、それをどうにか落ち着かせたら今度はお説教。
 無事ではあったものの危険なことをした僕たちを心配してくれたサチ姉に反論できるわけもなく、僕とキリトはひたすら謝罪の言葉を繰り返したのだった。 ちなみにその日のキリトの晩御飯は《はじまりの街》で売っている丸パンひとつだったらしい。

 「……それはフォラスくんたちが悪いです」

 そんなあれこれを聞いたアマリの第一声は、アマリにしては珍しい、明らかに呆れた調子のお言葉だった。
 サチ姉に対してそうだったように、返す言葉がないので苦笑いを浮かべつつ肩を竦める。 ちなみにアスナさんは言うまでもなく絶対零度の視線込みの呆れ顔だ。

 と、肩を竦めながら視線を向けた先で、キリトがメニューを開いていた。
 デュエル開始まで10秒を切った状況で何を? そんなことを考えていると、キリトの背に新たな剣が追加される。

 「なっ……」

 キリトの愛剣。 《エリュシデータ》と《ダークリパルサー》。
 今回のデュエルで使わないと宣言していたそれら二振りの剣を、キリトは公衆の面前で音高く抜き放つ。

 歓声や野次に包まれていたコロシアムの空気が、その二刀を前に困惑とどよめきとに変わった。

 「あの馬鹿……」

 思わず口から溢れた罵倒の言葉は、けれど、誰の耳にも届かなかっただろう。
 キリトとヒースクリフとの間にデュエル開始を告げる表示が瞬き、瞬間、キリトは10mほどあった距離を駆けた。

 キリトは勝てない。
 二刀流を使おうが、たとえどんなスキルを使おうが、現時点でのヒースクリフを打倒する術はないのだ。 キリトが劣っているわけではない。 むしろ、単純な戦闘能力で言えば、キリトに分があるだろう。
 けれど、それでもヒースクリフは負けない。 絶対に。
 何故なら、ヒースクリフが思い描いているだろう思惑を全うするには、彼自身が最強であり続けなければならないのだから。 だから負けない。 どんな手を使ってでも勝つ。 それが彼自身の主義に反していようとも躊躇わない。

 僕たちの眼前で繰り広げられているデュエルは長期戦の様相を呈している。
 手数で押す二刀流。 あらゆる攻撃を盾で捌く神聖剣。
 攻め立てているのはキリトだけど、攻撃と攻撃の僅かな隙をヒースクリフは逃さない。 どうしても捌ききれない削りダメージによって少しずつ減っていく互いのHP。 やがて、両者のHPが半分を切ろうとした瞬間……。

 世界は時の歩みを止めた。

 キリトが繰り出した16連撃にも及ぶ必殺のソードスキル。 上下左右からヒースクリフを食い千切らんと殺到する剣戟に対応しきれず、最後の一撃を彼はその身で受けるはずだった。
 しかし、間に合うはずのない位置まで振らされた十字盾は本来であれば絶対に不可能な速度で動き、キリトの一撃を弾いて見せた。
 直後に訪れる技後硬直に囚われたキリトの身を、ヒースクリフの無慈悲かつ最低限の攻撃が襲う。 的確な一撃はキリトのHPを半分以下まで落とし、そして勝敗は決した。

 盛り上がる観客の声を聞きながら、僕は深いため息を吐いていた。 

 

紅色の策略 04

 「馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、本格的に馬鹿だよね、キリトは」
 「いや、あいつがお前まで血盟騎士団に入れるって言うから……」
 「それが嘘だって気づかなかった辺りが馬鹿だって言ってるんだよ。 そんな重荷をキリトに背負わせると思う? 咄嗟のことだったから仕方ないって言っても、そこまで信用されてないってちょっとショック」
 「別に信用してないとかじゃなくてだな。 ただ、お前が巻き込まれたって聞いたらカッとなったと言いますか……」

 ヒースクリフとのデュエルにボロ負け(観客の目線で言えばいい勝負だっただろう)したキリトから事情は聞いたけど、それでも納得ができなかったので、今は絶賛お説教中だ。
 二刀流を使ってまで勝ちにいったのは、ヒースクリフに『お前が負けたら弟も血盟騎士団に入れちまうぜ』と挑発されたかららしい。 今回のデュエルの始まりがそもそも挑発に乗った結果だと言うのに、いくらなんでも学習しなさすぎだろう。 まあ、僕のために怒ってくれたキリトの優しさには思うところがあるけど、それはそれだ。

 まったくもう、とため息を吐いてから視線を下にずらすと、僕の膝の上でアマリがスヤスヤと気持ちよさそうに寝ていた。 どうやらデュエルが終わって興味がなくなったのか、はたまた単純に眠かったのか、今は完全に熟睡モードである。
 微妙に逆立った神経をアマリの髪を撫でたり頬をツンツンしたりで紛らわせてから、僕はキリトに視線を戻した。

 「あれだけ大々的に使ったんだから、もう隠しようもないね。 《二刀流》。 明日辺りになったらキリトのホームに情報屋やら剣士クラスの連中やらが大挙として押し寄せるよ?」
 「あー、あり得るな」
 「キリトはもう完全に自業自得だけど、サチ姉が可哀想だね、ほんと。 目立つの苦手なのはキリトだけじゃないって言うのにさ」
 「わかってるよ。 サチには黒猫団のギルドホームに避難してもらうつもりだ。 俺はエギルの店にでも押しかけるかな」

 若干遠い目をしながらキリトが言ったところで、僕たちの間に流れていた空気が一気に弛緩した。
 すわ兄弟喧嘩か⁉︎ と心配してくれていたのだろう。 アスナさんが詰めていた息を吐いて口を開く。

 「とりあえず、ギルドの入団手続きとか諸々の作業は私が進めておくけど、それでいいわね?」
 「そうしてくれると助かるな。 けどいいのか? そんな雑用を副団長様に任せて」
 「いいわよ、別に。 今回は団長が迷惑をかけたんだから、その分はこっちでフォローします」

 心なし固い口調ではあるけど、どうやらギルド加入関連の面倒な事務処理はアスナさんがやってくれるらしい。
 小規模ギルドであればギルドマスターと直接やりとりをするだけで済むけど、そこはさすがの最強ギルド。 部隊の配置やキリトの配属先など、調整する箇所は多いだろう。 ヒースクリフはカリスマ性があるくせにその手の実務に手を出そうとしないので、そう言う面倒ごとはアスナさんが全て捌くようになっているそうだ。

 まあ、攻略組でもトップクラスの実力を持ったキリトのことだ。 さすがにいきなり幹部待遇とはいかないだろうけど、それでもこのままいけばそれなりの自由は保証されるだろう。 そうでなくとも鬼の副団長様がキリトを縛り付けることを良しとしないのは明白で、その点キリトはやっぱり恵まれている。

 「さて、じゃあそろそろいこっか?」

 大体の話しが纏まったようなので切り出すと、キリトは何も察していないのか、頭上にはてなマークを浮かべて首を傾げる。

 「キリトの残念会。 サチ姉が準備してくれるって言ってたよ」
 「サチが?」
 「本当は祝勝会のつもりだったらしいけどね。 ねえ、アスナさんはどうする?」
 「私は……いえ、色々とやることがありますので」
 「んー、それって後に回せない? ほら、バタバタしちゃってちゃんと紹介できなかったし、それに、黒猫団のメンバーにも紹介したいしさ」

 食い下がる僕が珍しいのか、アスナさんは怪訝そうな顔で僕を見て、それから察してくれたらしい。 コクリと小さく頷いた。

 「わかりました。 それではお邪魔します」
 「お前ら、いつの間に仲良くなったんだ?」
 「どっかの黒いののせいだよ。 フォローする身にもなってほしいよね、まったくもう」

 盛大に吐いたため息の意味がわからないキリトは、アスナさんに説明を求める視線を送るけど、それは黙殺された。



































 22層は結構好きな層だ。
 面積の殆どが森林や湖で構成されているここは、僕のホームがある層とは別種の居心地の良さがある。
 フィールドにモンスターは出ないし、迷宮区自体の難易度も低く、フロアボスも弱かったので、攻略はたったの3日で終わった。 故に攻略組からすれば記憶に薄い層だろう。
 面積の殆どを占める森林の奥地では良質な素材が取れるため、《伐採》スキル持ちの木工職人が、あちこちに点在する湖で釣りをするために《釣り》スキル持ちの趣味プレイヤーが時折訪れるくらいで、それ以外のプレイヤーはあまり見かけない。
 そんな人の少ない層だからこそ、目立つのが苦手なキリトとサチ姉がホームに選んだのがこの層だった。

 アインクラッド22層の南西エリア。 ただでさえ森と湖ばかりの22層の中でも殊更にそれらが多い穏やかな村。 その外れにあるログハウス。 そこが2人のホームだ。

 「こんなところにプレイヤー用の物件があるなんて知りませんでした」
 「そうなの? 28層の攻略が終わった頃に出た新聞に載ってたよ、確か。 覚えてない?」
 「……そんな昔の記事を覚えていられるのはフォラスさんくらいです」
 「え、サチ姉は覚えてたよ。 だからここを買ったんだよね?」
 「らしいな。 フィールドにモンスターが出ないってのは確認済みだったから、あいつが住むにはうってつけだしな」

 ヒョイと肩を竦めると、キリトはそのまま気負いなくホームの扉を開けた。
 途端、優しい木の匂いと一緒に、色々な料理の香りが鼻孔をくすぐる。 どうやら、サチ姉が気合を入れて作っているらしい。

 ただいまも言わずにズカズカと入っていくキリトの後ろ姿をぼんやり眺めていると、僕の隣に立ったアスナさんが躊躇いがちに口を開いた。

 「あの、本当に私がいても大丈夫なんですか?」
 「大丈夫。 アスナさんの気持ちに気付いてないってことはないだろうけど、だからって意地悪するような人じゃないし、そもそも浮気してるわけでもないでしょ?」
 「ですが……」
 「大丈夫」

 ニコリと笑ってから玄関を潜ると、ようやく決心がついたのか、あるいは抵抗を諦めたのか、アスナさんも続く。
 暖炉の焚かれた暖かな部屋に踏み入った僕たちに気がついたのか、キリトを弄り倒していた黒猫団の面々がこちらに目を向ける。

 「おー、なあなあ、フォラ、ス?」

 黄色の髪が特徴的なダッカーさんの声がフェードアウトして、同時にその場の空気が変わったのは僕の後ろに立ったアスナさんに気付いたからだろう。 もしかしたら、僕が背負っているアマリに気付いたからなのかもしれないけど、まあ、どちらだとしても同じことだ。

 「ア、アスナ、さん? 《閃光》のアスナさんじゃないですか⁉︎」
 「KoB副団長がどうしてここに⁉︎」
 「て言うか、フォラスの背中にいるのって、《惨殺天使》のアマリちゃんかよ⁉︎」
 「フォラス! どう言うことだよ!」

 うわーめんどくさーい。

 負けたキリトを弄っていた黒猫団のメンバーが、今度は僕たちに照準を合わせたようだ。
 この状況をアスナさんに丸投げするわけにもいかないし、かと言って未だに寝ているアマリは戦力外。 となると、僕が説明するしかないだろう。

 「とりあえずみんな落ち着いてよ。 キチンと紹介するからさ」
 「お、おう」
 「えっと、まあ知ってるみたいだけど、こちらは血盟騎士団副団長、《閃光》のアスナさん。 僕の友達だから粗相のないように」

 ええー‼︎ と、『友達』と言う紹介に対しての驚愕の四重奏には嫌気がさすけど、ここでこのまま紹介をやめるわけにもいかないので続行。

 「それでこっちがアマリ。 《惨殺天使》で僕の妻。 可愛いでしょ?

 ええー‼︎ と、2度目の驚愕の声は完全に悪ノリだ。
 僕が結婚していることをサチ姉が知っていたように、黒猫団の他のメンバーだって当然知っている。 その相手がアマリだと言うことだって特に秘密にしているわけでもないので教えてあるし、まして、僕と同様にアマリも有名人だから、容姿を含めて知らないはずがない。
 今の今まで紹介しなかったのは単純に時期が合わなかったことと、意外に思われるかもしれないけど別行動が多かったからで、むしろ顔合わせ(まあ、アマリは寝ているけど)の場を設けるのが遅かったくらいだろう。

 そんな仲間たちの叫び声に反応してキッチンから出てきたサチ姉は、まず僕を見て、それからアスナさんを見て、一瞬だけ複雑な表情を浮かべたけどすぐに笑った。 そう言う物分かりの良さはサチ姉の美点であり、サチ姉の欠点でもある。
 いっそ、感情を素直に出して怒ってくれた方がこちらとしても、何よりアスナさんとしても気が楽だろう。

 視線を合わせたサチ姉とアスナさんとの間に流れる微妙な空気を察していない黒猫団のメンバー(愉快な仲間たち)が矢継ぎ早にしている質問攻撃を適当にあしらいつつ、僕は今日だけで何度目になるかもわからないため息を吐いた。

 はあ 

 

紅色の策略 05

 SAO最強ギルド、《血盟騎士団》副団長、《閃光》のアスナは悩んでいた。
 キリトに関するあれこれは解決した(正確には『させられた』。 主にと言うか完全にどこぞの少女然とした腹黒少年の策略だ)ので、昨日までに比べれば気持ちは随分と楽だ。 詳しくは追い追い話すとして、キリトのKoB入団が本人の意思ではないことは、彼の恋人であるサチは納得してくれた。
 と言うより、そもそもそこまで疑ってはいなかったらしい。 その点で言えば、完全にどこぞの腹黒少年の杞憂であり、それでもその無駄に細かい配慮はアスナも感心してしまった。
 『ああ、大事な人なんだな』と、本人に聞かれれば間髪入れずに否定されるだろうことを胸中で呟き、思わず笑ってしまったのは完全に余談だろう。

 とりあえずは、キリトが血盟騎士団に入る上での問題は粗方解決され、後は部隊の配置やらキリトの待遇やらを決めるだけになっていた。
 もっとも、周囲が何を言おうと直轄部隊にキリトを配属すると決めているので、アスナとしてはそこまで悩むことはない。 フォワード隊の責任者に実力を見せると言う意味合いで、今は訓練を名目とした中層迷宮区攻略にいってはいるけど、それもやはり一応以上の意味はなく、今日から晴れて同僚なのだ。

 その事実が嬉しくないかと問われれば、答えは迷うことなく否だ。
 攻略組トップクラス剣士として《閃光》の二つ名を頂戴しているアスナだが、そんな些細なことを除いてしまえばただの女の子。 それこそどこぞの腹黒少年が揶揄するように、恋する乙女のアスナにとって、片想いの相手と同じギルドになると言うことが嬉しくなかったら恋する乙女失格だろう。

 けれど同時に、あの儚げな少女のことを思い出してしまう。
 サチと言う名の少女。 キリトの彼女にして、人嫌いで有名なフォラスが姉と慕う少女。
 彼女の顔を思い出すたびに、アスナの胸はチクリと痛んだ。

 別に疚しいことをしているわけではない。 キリトに恋人がいることを知って以来、少なくとも本人にはアピールしていないつもりだ。 あくまで旧知の仲として、あるいはかつての攻略パートナーとして、その領分で接していた。
 だからと言って今までの自分を許せてしまうほど、アスナは自分に甘い性格ではないと言うだけの話しだ。

 いっそ彼女に責め立てられれば、そうなればキリトのことをスッパリ諦められたかもしれない。 諦めるまではいかずとも、身を引こうと素直に思えたのかもしれない。
 だと言うのに、彼女はアスナを責めなかった。 キリトとの関係性を問うこともなく、少しだけ気まずそうにしながらも笑顔を見せてくれさえした。
 アスナの立場でこれを言うのは些か問題だろうが、そんな中途半端な彼女の態度に苛立ちを覚えたのも確かだ。

 このままだとキリト君を奪っちゃうよ、などど口にも思考にも上げられないアスナではあるが、どうしてもキリトを諦める理由が見つからないのも事実。 そして、キリトと彼女との関係性に疑問を持ったのもまた事実。

 「フォラスさんだったら詳しく知ってると思うけど……」

 どこぞの腹黒少年の名を呟いてから、アスナは盛大にため息を吐く。

 どこぞの腹黒少年はその辺りの事情を完璧に把握しているだろう。
 人の感情の機微や表情の変化に敏い彼のことだ。 うっかりすると当事者たち以上に理解している可能性さえある。
 かと言って、その辺りの事情を聞いたとしても素直に教えてくれるとは思えない。 昨日、《友達》などとアスナにとっては意外極まる単語を使って黒猫団の面々にアスナを紹介した彼だが、友達を相手にしたからと言ってペラペラと事情を話すような人柄でないことはアスナも知っている。

 知ろうと思えば本人たちに聞くのが手っ取り早いのだが、キリトはその手の人間関係の機微に疎いし、彼女とはそこまでの話しができるほど打ち解けていない。 と言うか、たとえ打ち解けたとしても流石に聞くのは憚られる。

 となると、やはりどこぞの腹黒少年に聞いた方がいいのかもしれない。 教えてくれるかどうかは別にして、聞くだけ聞いてみても無駄にはならないだろう。 そうと決まれば早速どこぞの腹黒少年を呼び出して……と、思考がそこまで行き着いたところで、メッセージの受信を知らせる電子音が鳴った。

 特に考えることなく開いたメッセージの差出人は、可愛い妹のアマリだった。

 「ーーーーっ!」

 そのメッセージを読んだ瞬間、アスナは短く息を飲んで、その直後に自身の執務室から飛び出した。 攻略組の中でもトップクラスの敏捷値を誇るアスナの疾駆。 ギルド本部の長い廊下をさながら光の速さで駆け抜けながら、アスナの鋭い眼光はひたすらに先を見据える。

 メッセージの差出人はアマリ。
 しかし、そのメッセージの本当の送り主を、アスナは聞かずとも察した。

 「お願い……間に合って!」

 今の今まで信じてもいなかった神に縋りながら、アスナは短い祈りを吐き出した。

 『キリトが殺される』
 たったそれだけの8文字は、アスナの平静を吹き飛ばすには十分だった。



































 「どうよ……どうなんだよ……。 もうすぐ死ぬってどんな感じだよ……。 教えてくれよ……なぁ……」

 狂気によって掠れた声を聞きながら、キリトは自分のHPが緩やかに、されども無慈悲に減少していく様を見た。 このままの調子でいけば確実に殺されるだろう。

 「なんとか言えよガキィ……死にたくねえって泣いてみろよぉ……」

 尚も譫言のように囁くクラディール。

 ことが起こったのは迷宮区を目前にした休憩時のことだった。
 ギルドから支給された固焼きパンと瓶に入った水と言うなんとも質素な昼食にため息を吐きつつ、水で喉を潤したキリトたちに、一斉に麻痺毒が襲いかかったのだ。

 何が? 誰が?
 そんな疑問は既に意味をなさない。

 ただ1人麻痺を逃れたクラディールは狂気の哄笑と共にフォワード隊の責任者、ゴドフリーともう1人の団員を躊躇なく殺した。 そして今、キリトをすら殺そうとしている。

 「おいおい、なんとか言ってくれよぉ。 ホントに死んじまうぞォ?」

 自身のHPが危険域にまで落ちているが、それをキリトはどこか遠い世界の出来事のように眺めていた。

 諦念。

 ここでこれ以上抵抗しようとも無意味なのだと、諦めていたキリトの脳裏にとある人物が浮かぶ。
 純白と真紅の騎士服を着た少女。 少女と見紛うほど可憐な顔立ちをした小柄な弟。
 誰などと問うまでもない。

 アスナとフォラス。

 ーーーー俺がここで死ねば、アスナにこの男の毒牙が向けられる……
 ーーーー俺がここで死ねば、フォラスはどんな手段を用いてでも犯人を特定して、そして絶対にこの男を殺す……

 それはキリトが死ねば確実に起こる絶対の未来だろう。

 「くおっ‼︎」

 故にキリトは両の眼を見開き、自身のアバターに突き刺さっているクラディールの剣の刀身を掴んだ。

 「お……お? なんだよ、やっぱり死ぬのは怖えェってかぁ?」
 「そうだ……。 まだ……死ねない……」
 「カッ‼︎ ヒャヒャッ‼︎ そうかよ、そうこなくっちゃな‼︎」

 必死に抗い、片手で剣を引き抜こうと試みるキリトと、狂気に惑い、キリトを殺さんと剣に全体重をかけるクラディール。

 結果は明白だ。
 いかにキリトのレベルが高く、筋力値で勝ろうとも、片手と両手では勝算はない。 そうでなくとも麻痺毒に侵されているのだ。 この抵抗も死の刻限を十数秒遅らせるのが精一杯だろう。

 それでも諦めるわけにはいかないのだ。
 強いようでいて脆い少女のために。 いつも飄々としているくせに繊細な弟のために。

 「死ねーーーーーッ‼︎ 死ねェェェーーーーーーッ‼︎」

 金切り声を上げたクラディールの顔が愉悦に歪む。 キリトの死はすぐそこに迫っていた。
 それでもキリトは諦めない。 諦めるわけにはいかない。

 ーーーー俺は……
 ーーーーまだあいつに何も伝えてない……
 ーーーーだから頼む……
 ーーーーどうか保ってくれ……

 瞬間、純白と真紅の色彩を帯びた風が吹いた。

 ギャリンッ、と。 不快な、それでも耳に馴染んだ金属同士が激しく擦れ合う音を聞きながら、その直後に舞い降りた1人の少女にキリトは目を奪われた。

 「間に合った……間に合ったよ……神様……間に合った……」

 震える声で風は続ける。

 「生きてる……生きてるよねキリト君……」
 「……ああ……生きてるよ……」

 キリトの掠れた声を聞いた風……否、閃光のアスナは、治癒結晶でキリトのHPを回復すると、一瞬だけ小さく微笑んだ。

 「待っててね。 すぐ終わらせるから……」

 立ち上がり際に囁いたアスナは、そのまま躊躇うことなく細剣を抜く。 絶対零度の厳しい眼光とは別種の、憤怒の業火に満ちた瞳はクラディールを捉えていた。

 ーーーーこいつがキリト君を

 殺そうとした。

 ギリっと歯を食いしばると、アスナを見て今更な言い訳の言葉を無視して細剣を突く。 怒りで剣先が鈍っているのか、クラディールの口を掠めただけの攻撃に、けれどもクラディールは大袈裟に仰け反った。

 ようやく言い訳が通用しないと悟ったのだろう。 クラディールは大剣を振りかぶり反撃に出ようとする。
 だが、アスナの剣尖がそれを許すはずもなかった。

 宙空に引かれる無数の光の帯。 剣先はキリトの動体視力を以ってしても捉えることはできず、ひたすらにクラディールのHPを喰らい続ける。
 HPが赤の危険域に達した段になって勝ち目がないと理解したクラディールが剣を放ると両手を上げ、地面に這い蹲るようにして命乞いを始めるが、それらの言葉をアスナは全て無視した。

 否、アスナはクラディールの命乞いを、それ以前にクラディールの存在を正しく認識できていないのだ。

 ーーーー許サナイ
 ーーーーキリト君ヲ殺ソウトシタコノ男ヲ許サナイ
 ーーーー殺ス
 ーーーーキリト君ヲ殺ソウトシタコノ男ヲ殺ス
 ーーーー殺ス!
 ーーーー殺ス‼︎

 正常な思考の働かない状態で、アスナは殺意の赴くまま最後の一撃を……

 『私は認めません‼︎ 絶対に、絶対に認めません‼︎』

 振り下ろす直前に止まった。
 頭の中で響くのは、かつての自分の言葉。

 『たとえ大切な人の仇だからって、人を殺していい理由にはならないはずです‼︎』

 かつて、殺人を犯した友人に向けた断罪の言葉。

 『復讐は何も生まない! そんなことはあなただってわかっているでしょう‼︎』

 まるで今の自分を責め立てる鋭利な言葉。

 『フォラスさん‼︎』

 そう。 仲間を殺され、狂気の赴くままに復讐していたフォラスを責めた時の言葉だ。 あの頃のフォラスを真っ先に責め立てたのは誰あろうアスナだった。

 だと言うのに、自分は一体何をしているんだ?

 その疑問がギリギリの位置で細剣を止めた。 あるいは、ギリギリの位置で細剣を止めてしまった。

 「ッヒャアアアアア‼︎」

 そんな決定的な隙を見逃すような良識を、目の前の殺人者は持っていなかった。 当然だ。 何しろ、この手のプレイヤーが考えていることはただひとつ。
 殺すことだけ、なのだから。

 甲高い金属音が周囲に響き、アスナの手から細剣が弾き飛ばされる。 短い悲鳴をあげながらも体勢を整えようとするが既に遅かった。

 絶叫と共に撒き散らされるどす黒い赤のライトエフェクトを、アスナはどうしてか酷く冷静に見ていた。

 ーーーー私は何もわかってなかった
 ーーーーフォラスさんのこと
 ーーーーアマリのこと
 ーーーー大切な人が殺されると言うこと
 ーーーー何も、何も、本当に何もわかってなかった

 それは懺悔だったのかもしれない。
 減速した世界でグルグルと回り続ける思考の渦に飲み込まれながら、アスナは笑い出してしまいたい気分だった。

 実際にクラディールがキリトを殺そうとしている現場を見て、アスナは間違いなく狂ったのだ。
 かつてあれだけ責め立てたフォラスと同様に、ただただ狂気に支配され、敵を殺すこと以外の思考は消失した。

 ーーーー私もフォラスさんと……ううん、フォラス君と同じ
 ーーーー今ならちょっと、フォラス君の気持ちがわかるよ
 ーーーーねえ、フォラス君。 今更だけど、あの時のことを謝ったら許してくれる?
 ーーーー多分、君は笑ってこう言うよね……
 ーーーー『謝らないで』って……
 ーーーー『僕も謝らないから』って……
 ーーーーああ、最後にもう一度、あの頃みたいに笑い合いたかったなー
 ーーーーキリト君とアマリとフォラス君と、それから私で、もう一度……

 「アアアア甘ぇーーーーーんだよ副団長様アアアアアア‼︎」

 振り下ろされる大剣の切っ先を見つめ、けれどアスナの意識はそこにはもうなかった。
 だからこそ気がつくのが遅れたのだろう。

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 トンと、軽やかな突きでモーションから外れた大剣は、その身に纏わせていたどす黒い赤のライトエフェクトを霧散させ、持ち主に多大な硬直を強いる。

 剣技阻害(スキルキャンセル)
 ソードスキルが攻撃判定を持つ直前の一瞬を狙い、その武器を僅かにずらすだけの地味な技。 しかし、それはソードスキルに対して絶対的な防御となり得る。

 それ自体は割とポピュラーなシステム外スキルだが、アスナはこれが誰の手によるものかわかっていた。

 「本当に甘いよね、アスナさんは。 でもまあ……」

 グリンと()()の刀身が翻り……

 「アスナさんのそう言うところ、僕は結構好きだよ」

 平時と変わらない穏やかな声と同時に、クラディールの身体を切り裂いた。

 「アマリの次にだけどね」

 HPを完全に吹き飛ばされ、ポリゴン片へと変わるクラディールを見ながら、彼はいつもと変わらない調子で惚気てみせた。
 そして紡がれるのは短い(うた)

 「さようなら、狂気に溺れた愚かな騎士。 今更赦しを請うつもりはない。 それでもどうか、あなたの眠りが穏やかなることを」

 この時の彼の横顔を、アスナは生涯忘れないだろう。
 その最後の言葉と共に、毎夜毎夜思い出すだろう。

 おやすみ

 そう言って、彼は目を伏せた。 
 

 
後書き
今回の反省。
夜勤明けのテンションで書いたらダメですね。

と言うわけでどうも迷い猫です。
いやもう、支離滅裂の極みです。 夜勤明けのテンションで書くのは危険ですね、本当に。
でも、書きたい描写は書けたので、まあ良しとしましょう。 今回の話に関する批判は……なるべくなしの方向でお願いします(土下座

ではでは、迷い猫でしたー 

 

長い長い休息を

 「納得できません!」

 珍しいことにアスナさんが怒鳴っていた。
 いやまあ、僕とかキリトとかに対しては結構な頻度で怒鳴っているアスナさんなので、珍しくはないのかもしれないけど、今回はその相手が相手だった。

 「しかしアスナ君。 彼がまたプレイヤーを殺したと言うのは事実なのだろう? であるならば、これは順当な処分だ」

 なんとびっくり、お相手はヒースクリフでしたー。 わーい、パチパチー。 ……虚しくなるのでやめよう。

 さて、僕たちが今いるのは、血盟騎士団本部の最上階にある団長の執務室。
 ちなみにこの場合の僕たちと言うのは、アスナさんとヒースクリフと僕。 それから今回の事件の被害者、キリトだ。

 そして、何故アスナさんがここまでヒースクリフに食ってかかっているのかと言うと……

 「彼は確かにクラディールを殺しました! ですが、クラディールは団員を2人も殺し、ラフコフの残党と手を組んでいた大罪人です! そんなクラディールを裁き、団員1名と私の命を救ってくれた彼に処分を下すなんて、いくらなんでも無茶苦茶です!」

 とまあ、こんな感じである。

 クラディールがラフコフの残党と接触し、僕に関わりのあるプレイヤーを殺そうと画策していることを知った僕は、まず真っ先にアスナさんにメッセージを送った。 以前はフレンド登録をしてあったけど、今はそれも解除されているので、寝ているアマリを叩き起こして(比喩ではない。 帰ったら仕返しが怖すぎる)、アスナさんにメッセージを送ってもらったのだ。
 それから僕はヒースクリフに連絡を取り、同時にマップ追跡でキリトの居場所を特定すると、久し振りの全力疾走でその場所に向かった。
 で、ギリギリだったか余裕だったかは知らないけど、とにかくキリトが殺される前に到着していたアスナさんがクラディールを殺す一歩手前の場面に遭遇したわけだ。

 今回の問題になっている点は、僕がクラディールを殺したこと。
 僕の身柄は便宜上ヒースクリフの保護下にある。 その保護がなければ僕は攻略組に復帰できなかっただろうし、今でも軍に追われる身だっただろう。
 何しろ僕は多くのプレイヤーを殺した殺人者だ。 そう簡単に受け入れられるわけがない。
 そんな僕の身柄を便宜上とは言え保護してくれているヒースクリフが僕に出した条件はただひとつ。

 誰も殺すな。

 この『誰も』には当然のことながらレッドプレイヤーも含まれている。 と言うか、僕の場合はターゲットがレッドプレイヤーのみなので、むしろレッドプレイヤーを殺すな、と言われているわけだ。
 敵の多い僕は、もちろん自衛のために殺すことは許可させてある。

 けど、今回の一件はその特例の適用範囲外だろう。
 僕がクラディールを殺したのは自衛のためではないので、まあ当然だ。

 僕自身は大体の処分を受けるつもりだし(捕縛とかは勘弁だけど)、むしろ今回の処分を甘いとさえ思っている。

 「攻略組からの一時離脱勧告。 処分としては随分と軽いものだと思うが?」
 「ですから、処分を下すことそのものに納得がいかないと言っているんです! 度合いの問題ではありません!」
 「ふむ……」

 凄まじい剣幕でにじり寄るアスナさんを持て余したのか、ヒースクリフが僕に視線を投げてきた。
 読み取りたくはなかったけど、『君がなんとかし給え』と視線で訴えられている。 ヒースクリフの頼みとなると無条件で断りたくなるところではあるものの、今回に限って言えば仕方がないだろう。 僕は興奮するアスナさんの肩を叩いた。

 「なんですかにゅっ!」

 勢い良く振り向いたアスナさんの頬に僕の指がめり込む。
 狙ってやったことではあるけど、ここまで盛大に引っ掛かってくれるとは思わなかったので、僕は驚いた。 ちなみにキリトが噴き出す声が聞こえてきたりもしているけど、まずは肩を震わせて大爆発寸前のアスナさんを止めることが先決だ。

 「アスナさん。 少し落ち着いてよ」
 「……ですが」
 「気持ちは嬉しいんだけど、僕はヒースクリフの言い分に賛成だよ。 約束を破ったんだから処分を受けて然るべきだし、処分を受けないとうるさい連中もいるからね。 そうでしょ?」
 「うむ、さすがはフォラス君だ。 今回の件をいい機と見て、フォラス君を捕縛すべしと主張するプレイヤーが出ることは想像に難くない。 先に私が処分を下してしまえばそのプレイヤーは黙らざるを得ないだろう」
 「何しろ相手は聖騎士様だからね。 真っ向から食ってかかれるプレイヤーなんてそうはいないよ。 たとえいたとしても、既に処分を下していればそれを盾に相手の主張を突っぱねられるって算段でしょ?」
 「その通りだ。 君は攻略組にとっても貴重な戦力。 そんな君を牢獄送りにしてしまえばその損失は計り知れない。 加えて、君を牢獄送りにした場合、彼女が暴走する未来が目に見えている」

 アマリのことだ。
 確かに、僕が牢獄送りになんてされようものなら、あのゆるふわ戦闘狂はそれを言い出したプレイヤーを襲撃し兼ねない。 そしてそうなった時、止められるプレイヤーは極少数だけだ。
 現時点ではヒースクリフ。 それから僕。 キリトとアスナさんだったらあるいは止められるかもしれないけど、他のプレイヤーにはまず不可能だろう。

 そこまで説明されてようやく納得してくれたらしく、アスナさんは怒らせていた肩を下げ、勢い良くヒースクリフに頭を下げた。

 「申し訳ありませんでした」
 「いや、私は気にしていない。 ……さて、そう言うわけでフォラス君」
 「なんでしょうか、聖騎士様」
 「君に攻略組からの一時離脱を勧告する。 以降、私が許可を出すまで75層に立ち入ることを禁じ、又、攻略組と故意に接触することを禁じる。 尚、この裁定に不服がある場合はこの場で申し出るように」
 「不服はありません」
 「ふむ、ではその旨を攻略組に通達しておこう」

 格式張った口上を一瞬でやめたヒースクリフは、そこで薄く微笑した。

 「しかし、この処分はすぐに解かれることになるだろう」
 「だろうね。 まあ、その日が来ないことを祈ってるよ」

 そう言って僕とヒースクリフは顔を見合わせて笑うのだった。



































 きっかけはデュエルの時だった。
 クラディールの様子が普通ではなかったことが気になり、僕は僕で独自に情報を収集していた。
 明確な証拠はなかったけど、とにかく嫌な予感がしたのだ。 あの時のクラディールの目と声には、殺人に快楽を見出している者特有の狂気があったから。 まるでそう、ラフコフのような。

 色々と調べている最中にキリトとヒースクリフのデュエルが決定し、その時点で既にクラディールをマークしていた僕はアルゴさんに連絡してクラディールの動向を探ってもらった。 本来であれば、主義によってその依頼内容すらも商品にし兼ねないアルゴさんだけど、今回の依頼はことがことだけにさすがのアルゴさんも黙って頷いてくれたし、そもそもの話しをするとアルゴさんはどんなプレイヤーにも情報は売るけど、犯罪者に情報は売らないことにしているのだ。

 で、そんなこんなで今日。
 遂にクラディールとラフコフの接触の決定的な証拠(具体的には密会の現場を納めた記録結晶)をアルゴさんとは別の情報屋から買い取って、それをヒースクリフに渡そうと思っていたところでアルゴさんから、キリトの訓練に関する情報がメッセージで送られてきた。

 後はもう、2人も知っての通りなので特に説明するでもなく、僕は長いため息を吐いた。

 「ごめんね、キリト」
 「何がだ?」
 「クラディールがキリトを狙った理由は、間違いなく僕への報復だから。 僕があの時、もっとうまく場を納めていればこんなことにはならなかった。 僕がいなければこんなことには……」

 そう。 クラディールがラフコフと接触していたことは僕の責任ではないけど、キリトを標的にしたのは僕の責任だ。
 僕があの時、あの転移門広場でのデュエル騒ぎの時、もっと穏便に処理していればこんなことにはならなかっただろう。 キリトが死の危険に晒されることなく、アスナさんが激昂することもなく、KoBフォワード隊の責任者であるゴドフリーさんももう1人の団員さんも死なずに済んだのだ。

 ごめん。

 アスナさんの執務室のソファーで、僕はそっと頭を下げた。

 「違う」

 しばしの沈黙の後、キリトの声が頭上から降ってきた。

 「お前のせいじゃないさ。 お前がいなかったら俺がクラディールを止めてた。 そうなればあいつの憎悪は結局俺に向けられてただろうし、今日のことはお前がいなくても起こっていた」
 「でも、僕がいたから……」
 「お前がいたから俺は助かったんだ。 だから謝るなよ。 俺はお前に感謝してるんだぜ」

 おどけたように言ったキリトの言葉に、不覚にも涙腺が緩みかけた。
 SAOの感情表現は少し過剰で、それでもどうにか溢れる前に堰き止める。

 「フォラスさん」

 ふと、頭上からアスナさんの声が届いた。
 下げていた顔を上げると、そこには今にも泣き出してしまいそうなアスナさんと、そんなアスナさんを見て慌てたように視線を彷徨わせるキリトがいた。

 「フォラスさんは私たちと交わした約束を破りました。 事情はどうであれ、約束は約束です」
 「お、おい……」
 「キリト君は黙ってて。 ……約束を破った代償は払ってもらいます」
 「うん。 それはもちろんだよ。 もう誰も殺さないって、2人とそう約束したのを破ったのは僕だからね。 約束通り、僕は2人の命令になんでも従うよ」

 約束。
 ヒースクリフの保護下に入り、攻略組に復帰する際、僕はこの2人とこんな約束をした。

 誰も殺さない。

 ヒースクリフの出した条件と全く同じ内容ではあるけど、僕の中の優先度で言えばこの2人と交わした約束の方が大事だった。 言ってしまえば、ヒースクリフの出した条件に頷いたのは、2人と交わしたこの約束があったからで、その優先度は他の有象無象に対する何よりも高い。
 その約束よりも2人の命の方が大事なのは言うまでもないし、アマリが大事なのも言うまでもないだろうけど。

 正直に白状すれば、ある程度の危険を伴うとは言え、クラディールを殺さずに捕える方法はあることにはあった。 それを選択しなかった時点で、僕は2人に責められても何も言えないのだ。

 「ねえ、アスナさん。 僕は何をしたらいいの?」
 「では目を閉じてください」
 「? まあいいけど……」
 「そのまま動かないでください」
 「…………?」

 いまいち要領を得ない命令に首を傾げながら、それでも僕は従う。
 と、アスナさんが立ち上がる気配を感じた。 そして、直後にこちらに向かってくる足音と気配。

 ああ、ここでアスナさんの気が済むまでブン殴られるのか、と。 そんな未来を予想して身構えた瞬間……

 「……え?」

 僕はそっと抱きしめられた。

 「え、え……ちょ、アスナさん?」
 「動かないでくださいと言いました」
 「いや、それはそうだけど……あの、何をしてるんですかって……」

 僕の当惑の声は完全に無視されて、それから僕の頭を抱えている腕に一層の力が篭る。
 立っているアスナさんと座っている僕との位置関係上、そんなことをすればアスナさんのアマリと比べるべくもない立派な胸部(こんなことをアマリに言ったら殺される)に顔を埋めることになるわけで。 けれどアスナさんはそれに動揺している僕に気づいていないのか、あるいは気づいて無視しているのか、そのまま僕の髪を撫で始めた。

 「ねえ、フォラス君」

 それは、とても懐かしい呼ばれ方だった。
 僕とアスナさんが決定的に対立してから、ただの一度も使われなかったそれ。

 「キリト君が殺されそうになってるのを見て、色々わかったよ」

 そして紡がれる声音はまだ仲が良かった頃のように穏やかで

 「ねえ、フォラス君」

 あの頃のように暖かかった。

 「大切な人が傷つけられるって、こんなに痛かったんだね。 私、そんなこともわからなかった……」
 「アスナさん?」
 「わかってあげられなくてごめんね。 今更だけど、あの時フォラス君を責めたりして、本当にごめんね……」

 気がつけば髪にパタパタと滴が落ちてくる。
 それが何かなんて考えるまでもない。

 「ごめんね、フォラス君」
 「謝らないで。 僕も謝らないから」
 「ふふ……」
 「…………?」
 「フォラス君ならそう言うって思ってた」
 「えっと、それはそれとしてアスナさん。 それそれ離してくれるとありがたいって言いますか、離してくれないと困ると言いますか……」
 「離しません。 だってこれ、フォラス君の罰だもん」

 言って、アスナさんは更に力を込める。

 「フォラス君。 ありがと」
 「えっ……?」
 「キリト君のピンチを教えてくれてありがとう。 私を助けてくれてありがとう。 クラディールを殺してくれて、ありがとう」
 「ーーーーっ」

 それはアスナさんが絶対に言ってはいけない言葉。
 だけど、その言葉に力は何もなく、ただひたすらに優しいだけだった。

 ありがとう。

 それだけが僕の胸に突き刺さり、緩んでいた涙腺が更に緩む。

 そして僕は泣いた。
 声を上げず、ただアスナさんに縋るように泣いた。
 人前で泣くなんて何年ぶりだろう。 少なくともここに来てからは初めてで、なのにアスナさんは笑わなかった。
 笑わず、一緒になって泣いてくれた。
 声を上げずになく僕の代わりに、わんわんと泣いてくれた。



































 後日談、と言うかその日の夜。
 昼間に叩き起こしたことに対する仕返しをしてスッキリしたアマリに、僕は今回の一件に関するあれこれを始まりから終わりまで語った。
 再び人を殺したことを責めるでもなく、いつもと同じ調子で笑ったアマリは、そのまま僕の膝枕で眠ってしまい、そんなアマリに感謝しながら僕も眠った。

 なんだか久し振りにぐっすり眠れたのは、ようやくアスナさんと仲直りできたからだろうか? 
 

 
後書き
と言うわけで、《平穏な日々》編は終了。 全然、平穏じゃないと言う点に関してはスルーと言うことで。

さて、次回からは私自身初の試みとなるコラボ編です。 誰とコラボして誰が出るかは、公開までお楽しみに。

ではでは、迷い猫でしたー