IF物語 ベルセルク編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)


 

第一話 動乱の始まり

~ベルセルク:北欧神話・伝承に登場する異能の戦士達。軍神オーディンの祝福を受けた戦士達。戦いに際しては鬼神の如く戦うが、戦いが終わると暫くの間茫然自失となる。ベルセルク達は自身の中に熊や狼の様な野獣が乗り移ったと考え、その状態で戦っている時には敵味方の区別さえも付かなくなった。英語では“Berserk”だけで「怒り狂う」と言う意味の動詞扱いにもなり、日本語ではしばしば“狂戦士”と訳される。~



帝国暦 487年 10月 20日  オーディン  ブラウンシュバイク公爵邸  アントン・フェルナー



ブラウンシュバイク公爵邸の廊下を居間を目指して急いだ。とんでもない事が起きた。全く先が見えなくなった、これからどうなるのか、話し合わなければならない。居間には捜していた男達が居た。
「如何した、フェルナー」
ブラウンシュバイク公が上機嫌に俺に声をかけてきた。皆でお茶の時間を楽しんでいたらしい。

「ブラウンシュバイク公、陛下が、フリードリヒ四世陛下がお亡くなりになられました」
“なんだと”、“馬鹿な”、“本当か”等の言葉を発しながら男達が立ち上がった。ブラウンシュバイク公、クレメンツ中将、ファーレンハイト中将、リューネブルク中将、アンスバッハ少将、シュトライト少将の六人。そして一人だけ椅子に座ってカップを口に運んでいる男が居た。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大将、多分飲んでいるのはココアの筈だ。

エーリッヒに近付いた。
「卿は驚いていないんだな」
「いや驚いているよ。先手を打たれたようだ」
「先手?」
どういう事だ? 皆の顔を見た、皆も訝しげな表情をしている。そんな俺達を見てエーリッヒが低い笑い声を上げた。

「グリューネワルト伯爵夫人だ、彼女が陛下を手にかけた」
「!」
皆が息を呑んだ。僅かに間をおいてからファーレンハイト中将が“馬鹿な”と吐いた。エーリッヒがまた笑い声を上げた。
「他には考えられません。タイミングが良すぎます。これでリヒテンラーデ侯は掌を返しますよ、ローエングラム伯は排除出来ない」

皆がエーリッヒに視線を向けた。見下ろされる形になったがエーリッヒは気にする事も無くココアを飲んでいる。表情は嫌になるほど冷静だ。
「どういう事だ?」
ブラウンシュバイク公が低い声で問い掛けるとエーリッヒはチラッと公を見た。そしてカップをテーブルに置いた。

「反乱軍は大敗北を喫した。その軍事的脅威は当分考えなくて良い。もうローエングラム伯の軍才は帝国には必要ない、むしろこれ以上彼に力を与えるのは危険だ、だから今回の戦いで飢餓地獄に落とされた辺境星域住民の不満を利用してローエングラム伯を排除する。それが政府、貴族の考えでした」
「読まれたというのか?」
クレメンツ中将の問い掛けにエーリッヒが頷いた。

「ローエングラム伯か、或いは参謀長のオーベルシュタイン大佐か。最初から陛下を殺害するつもりだったかもしれませんね。ローエングラム伯は十分に力を付けた。……陛下が亡くなられた以上次の皇帝を決めなければなりません。ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家は競合する立場になる、協力は出来ない」
「……」

「そしてリヒテンラーデ侯、彼は外戚に権力を渡す事を恐れている。危険だと考えているし自らの保身も有る。彼は間違いなくローエングラム伯と組んで我々を抑えエルヴィン・ヨーゼフ殿下を皇帝にしようとする。或いはローエングラム伯がそういうふうに誘導する……」
呻き声が起きた。

「陛下の御遺体を改めよう。自然死でないと分かれば……」
「グリューネワルト伯爵夫人に疑いが向く、伯爵夫人が犯人と分かればローエングラム伯もその地位には居られない」
アンスバッハ、シュトライト少将が提案した。皆が頷く中、エーリッヒが“無駄ですよ”と言った。

「私が言ったのは推測でしかありません。証拠が有れば良いですが無ければブラウンシュバイク公爵家が窮地に陥ります。それに……」
「それに?」
俺が問い掛けるとエーリッヒは微かに笑みを浮かべた、冷たい笑みだ、冷笑だろう。

「真相など暴いてもリヒテンラーデ侯にとっては何の意味も無い。私がリヒテンラーデ侯なら調べた上で何もなかったと発表する。そしていずれローエングラム伯を排除する時に使う。それはブラウンシュバイク、リッテンハイム両家をローエングラム伯を使って潰した後だ」
呻き声が起き“何という事だ”とブラウンシュバイク公が呟いた。

「さてと、忙しくなるな、準備をしないと」
エーリッヒが立ち上がった。何処か楽しげだ、浮き浮きとしている。
「何がだ? 何が忙しくなるのだ? 準備とは?」
「戦争ですよ、公。貴族連合軍対政府軍、我々は反乱軍となってローエングラム伯率いる宇宙艦隊と戦うのです。銀河最強の軍隊と戦う、なかなか楽しい未来だ」
皆が黙り込んだ。

「避ける方法は?」
ブラウンシュバイク公が低い声で尋ねた。
「有りません。たとえ公が避けようとしても周囲がそれを許さない。貴族達は皆、エルヴィン・ヨーゼフ殿下が皇位に就くのを認められない、殿下をリヒテンラーデ侯とローエングラム伯が支えるのが認められない。必ずブラウンシュバイク、リッテンハイム両家を担いで政府を倒そうとします。彼らを説得出来ますか?」
「……難しいな」
ブラウンシュバイク公が溜息を吐いた。

「そしてリヒテンラーデ侯とローエングラム伯はそういう貴族達が目障りなのです。たとえ公が説得に成功しても必ず挑発して叩き潰しにかかります。堪え性に無い貴族達には耐えるのは難しいでしょうね。結局は暴発してブラウンシュバイク公爵家は捲き込まれる事になります」
またブラウンシュバイク公が溜息を吐いた。

「勝てるのか、ローエングラム伯に。卿は伯を高く評価していたが」
「百の内九十九パーセント負けます」
同感だ、負けるだろう。貴族連合など当てにならない事はクロプシュトック侯の討伐で分かっている。あれは烏合の衆でしかない。他の人間もそれは分かっている。皆、顔色が良くない。

沈痛な表情で沈黙するブラウンシュバイク公にエーリッヒが笑いながら話しかけた。
「そんな顔はなさらないでください。たとえ一パーセントでもローエングラム伯相手に勝ち目が有るというのは大したものですよ。自慢して良いと思います」
それで励ましたつもりか? 全く……。溜息が出そうだ。

「それより他の方々に共に戦ってくれるかどうか確認した方が良いでしょう」
エーリッヒがクレメンツ、ファーレンハイト両中将、アンスバッハ、シュトライト両少将に視線を送った。そして俺にも。ブラウンシュバイク公も皆を見た。
「味方すれば反乱軍となる、そして敗者になる。これまでの名誉など欠片も無くなるでしょう。抜け出しても誰も軽蔑はしません、少なくとも私は軽蔑しない。ここでブラウンシュバイク公に味方するなど愚の骨頂だ」
「エーリッヒ」
何かを言おうとしたがエーリッヒが手を上げて止めた。

「それに戦っている時に裏切られるよりはずっと良い。ローエングラム伯もそういう人間は嫌悪します。抜けるなら今です」
重苦しい沈黙が落ちた。ブラウンシュバイク公も何も言わない、いや言えないのだろう。エーリッヒの言葉には一グラムの偽りも無かった。

「卿は如何するのだ?」
クレメンツ中将がエーリッヒに問うと“私ですか”と言ってブラウンシュバイク公を見た。
「ブラウンシュバイク公には命を助けて貰いました。私は未だその借りを返していないのですよ。困った事に私の予想とは違って意外にブラウンシュバイク公は良い方だった。このまま抜けては一生後悔するでしょう、借りを返す機会を与えてくれた事を感謝しますよ、公」
笑みを浮かべている。胸を衝かれた、四年前俺のしたことは正しかったのだろうか……。

「ならば小官も御一緒しますよ、ヴァレンシュタイン提督。小官の命を救ってくれたのは貴方ですからな。小官も未だその借りを返していません。ここを抜けては返しそびれてしまう」
リューネブルク中将が不敵な笑みを浮かべて答えた。死ぬ気だな、そう思った。リューネブルク中将はエーリッヒが死ぬと言っている。そしてエーリッヒもそれを否定しない。二人とも死ぬ気だ。クレメンツ、ファーレンハイト両中将が自分達も共に戦うと言った。二人もエーリッヒには常々借りが有ると言っている。どれ、俺も宣言するか。

「俺も卿と共に戦うぞ、ここに卿を引き摺り込んだのは俺だからな。卿を見捨てては行けん」
「諸悪の根源だな、アントン・フェルナー少将。だがついに積年の悪行の報いが来たか」
エーリッヒがおどけるとようやく部屋に笑いが起きた。そしてアンスバッハ、シュトライト両少将も公と共に戦うと言った。

「おめでとうございます、ブラウンシュバイク公。世の中思ったよりも馬鹿が多い。或いは公の人徳かな。勝算は二パーセントに跳ね上がりました。倍ですよ」
エーリッヒの言葉に皆が笑い出した。ブラウンシュバイク公もだ。
「酷い奴だ、もう少し勝率を上げてくれても良いだろう、せめて五パーセント程度にはしてもらいたいものだ。そうではないか?」
クレメンツ中将の言葉に皆が口々に同意した。和やかな空気が部屋に流れた。

ブラウンシュバイク公が突然頭を下げた。
「済まぬな、皆。オットー・フォン・ブラウンシュバイク、心から卿らに感謝する。この通りだ」
声が湿っている。耐え切れなくなったのだろう、嗚咽が漏れた。頭を下げたのは涙を隠す為かもしれない。少しの間、部屋を沈黙が支配した。どういうわけか、切ない程優しい気持ちになっていた。



帝国暦 488年  2月 10日  オーディン  ゼーアドラー(海鷲)  ナイトハルト・ミュラー



ゼーアドラー(海鷲)は何処か浮ついていた。誰もが内乱が近いと分かっているからだろう。そして内乱はかつてない規模のものになる筈だ。
「負けられんな、今度の内乱は」
ケンプ提督の言葉に皆が頷いた。確かに負けられない、この戦いが帝国の未来を決めるだろう。そして俺は一個艦隊の司令官として初めて戦場に出る、緊張と不安を感じている。

「負ける事は無いだろう、貴族連合など烏合の衆だ。クロプシュトック侯の一件がそれを証明している」
ビッテンフェルト提督が気負う事なく言った。
「確かに貴族連合は烏合の衆だ。だがな、ブラウンシュバイク公爵家は厄介だぞ」
「クレメンツ、ファーレンハイト、そしてヴァレンシュタイン……」
ロイエンタール、ミッターマイヤー提督の言葉にテーブルが静まり返った。

ロイエンタール、ミッターマイヤー、メックリンガー、ケンプ、ビッテンフェルト、ルッツ、ワーレン、ケスラー提督。ローエングラム元帥府の指揮官達、おそらくは帝国の精華といって良い男達だ。その男達が沈黙している。俺の不安の理由の一つがそれだった。ブラウンシュバイク公爵家にはアントンとエーリッヒが居る。そしてクレメンツ中将とファーレンハイト中将。どちらも有能な指揮官だ。これまでの実績がそれを証明している。

「ミュラー提督はヴァレンシュタイン提督とは士官学校で同期だったと聞いたが?」
「ええ、そうです。……親友でした、今でもです」
俺がケスラー提督の問いに答えると皆がちょっと困ったような表情をした。親友という言葉に引っかかったのだろう。だが取り消す気は無い、本当の事だ。

「少し聞いても良いかな」
遠慮がちな声が聞こえた。
「構いませんよ、ワーレン提督」
「平民の彼がブラウンシュバイク公爵家に仕えたのはちょっと不思議な気がするんだが何か伝手でも有ったのかな」
何人かが頷いた。そうだな、普通は貴族の所有地の出身か、それでなければ何らかの伝手が無ければ貴族に仕える事は無い。

「我々共通の親友であるアントン・フェルナー少将がブラウンシュバイク公爵家に仕えていました。彼の親戚が公爵家と関わりが有ったのです。そして或る事情からエーリッヒはブラウンシュバイク公爵家に仕える事になった……」
「或る事情?」
皆が不思議そうな表情をした。

「ええ、詳しくは言えませんが軍上層部に睨まれて命が危険になったからです。私がそれをアントンに話してアントンがブラウンシュバイク公に相談した。そして公がエーリッヒを庇護したのですよ。エーリッヒは貴族が嫌いでしたから不本意だったでしょうが生きるためには已むを得なかった……」
皆が考え込んでいる。おそらくはエーリッヒの両親が貴族に殺された事を思っているのだろう。そしてそれにも拘らずブラウンシュバイク公爵家に仕えるエーリッヒの心情を。誰かのグラスがカランと音を立てた。

「ブラウンシュバイク公は儲けたな」
ロイエンタール提督がポツリと言うとテーブルに苦笑が溢れた。
「そうだな、あそこは領内の統治も極めて開明的で領民達のブラウンシュバイク公に対する信望も厚いと聞いている。他の貴族領とはえらい違いだ。あれはヴァレンシュタインがやった事だろう?」

「ああ、武勲を一つ上げて昇進する度に改革案を提示したと聞いている。ブラウンシュバイク公はそれを受け入れた」
ケンプ提督の問いにケスラー提督が答えた。その通りだ。本当は後方での勤務を望んでいたがそのためにエーリッヒは前線に出続けた。そしてどの戦場でも抜群の功を挙げた。だからブラウンシュバイク公もエーリッヒを信頼し改革案を受け入れた。そして改革が進めば進む程公のエーリッヒに対する信頼は厚くなっていった。

「軍備も相当なものだ。艦隊戦力は毎年増強して六万隻を超える。かなり厳しい訓練を積んでいる」
「クロプシュトック侯の事件の時には出なかったのか?」
「出なかった。一説には貴族達の実力を知る良い機会だと敢えて出さなかったと言われている。貴族連合軍の余りの惨状に当てにならんとブラウンシュバイク公は呆れたらしい」

メックリンガー提督とルッツ提督の会話に皆が失笑した。が俺は笑う事は出来ない、鎮圧軍を出すなとブラウンシュバイク公に進言したのはエーリッヒだ。士官学校時代は気付かなかったがかなり強かな計算をするようになった。その当てにならない連中と共に戦う。勝算の無い戦いをしない筈なのに一体何を考えているのか……。

ざわめきが起きた。出入り口の方だ。視線を向けると懐かしい顔が有った。エーリッヒ、アントン、クレメンツ中将、そしてファーレンハイト中将。珍しい事だ、彼らが此処に来るなど。そう思っているとこちらに近付いてきた。そうか、会いに来たのか、律儀な奴だ。

テーブルの前に来た。幾分空気が重くなった。皆が居心地の悪さを感じた時エーリッヒがクスッと笑った。相変わらず悪戯好きで子供っぽいところは少しも変わらない。卿は帝国軍大将だぞ。
「御迷惑でなければ同席させて頂けませんか?」
穏やかな声だった。空気が軽くなったような気がした。

皆が顔を見合わせたがロイエンタール提督が“どうぞ”と言った。皆が少しずつ席を詰めてエーリッヒ達が席に座った。
「あの折は御配慮、有難うございました。おかげで助かりました」
ミッターマイヤー提督が姿勢を正して謝意を述べるとエーリッヒがひらひらと掌を動かした。

「気になさらないでください。元々弁護士志望でしたのでね、困っている人を見ると無性に助けたくなる性分なのです。御蔭で今はブラウンシュバイク公を助けようとしています。一種の病気だな」
エーリッヒの言葉に元帥府の皆は困ったような表情をした。何と応対していいか分からなかったのだろう。クレメンツ中将達はおかしそうな顔をしている。

「出来る事なら戦場で出会ったら手加減して頂けると嬉しいですね。まあ無理なお願いだという事は分かっています。ですが心の片隅にでも覚えて頂ければ幸いです」
「……はあ」
「……冗談ですよ、ミッターマイヤー提督。場を解そうとしたんですが……」
エーリッヒが困った様に、心配そうに言うとクレメンツ中将達がこらえきれないといった様に笑い出した。

「ああ、失礼。大将閣下はこの通り冗談の下手な方でね。我々は慣れているから笑えるんだが卿らは良く知らないからな、ちょっと笑うのは難しいかもしれない。まあ悪気は無いんだ、悪くとらないでくれ」
エーリッヒは困ったような顔をしている。それを見て彼方此方から苦笑が起きた。ミッターマイヤー提督も苦笑している。

エーリッヒ達が飲み物を頼んだ。エーリッヒはカルーア・ミルク、カルーアは少なめにと頼んだ。他の三人は水割りだ。エーリッヒは飲めない酒をいつの間にか飲むようになっていた。アントンも最初は止めたらしいが今では量を過ごさなければ止めることは無い。少しずつだが何かが変わったと思う。

「しかし珍しいですな、ここにいらっしゃるとは。何か特別な用でも?」
ケスラー提督が問い掛けるとエーリッヒが僅かに首を傾げた。
「用など有りません。ただこうして話がしたかった。一緒に酒を飲みたかった。それだけです。明日にはブラウンシュバイクに戻りますので今日しか機会は無いのですよ」
ブラウンシュバイクに戻る、その言葉に元帥府の人間が顔を見合わせた。皆の表情が幾分硬い。しかしエーリッヒは気付かないように言葉を続けた。

「次に会えるのは何時になるか、或いはヴァルハラでという事も有るでしょう。私とアントンは生きているうちにナイトハルトに会いたかった。クレメンツ提督はメックリンガー提督と、ファーレンハイト提督はルッツ提督と。しかし個別に会えば要らぬ疑いを持たれますからね。こういう形で会う機会を作るしかなかったのです」
シンとした。もう直ぐエーリッヒ、アントンと戦う事になる、嫌でもその事が頭に入って来た。

「良く来たな、クレメンツ」
「ああ、卿と飲みたくてな、メックリンガー」
メックリンガー提督が声をかけるとクレメンツ提督が答えた。ファーレンハイト提督とルッツ提督が頷き合っている。そしてエーリッヒとアントンが俺に笑いかけてきた。困った奴だ。
「もう会えないかと思っていたぞ」
エーリッヒとアントンが顔を見合わせた。そしてこちらを見て“寂しかったか?”、“間に合って良かった”と言った。気が付けば笑っていた、しょうがない奴らだ。

飲み物が運ばれてきた。エーリッヒ達がグラスを取った。
「乾杯しましょうか?」
「良いですな、しかし何に乾杯します」
「そうですね、……我々皆の武運長久を祈って。如何です?」
エーリッヒとケスラー提督の遣り取りに皆が頷いた。今夜は楽しく時間を過ごせそうだ。




 

 

第二話 アルテナ星域の会戦

~スクルド:北欧神話に登場する運命の女神、ノルン達の一柱で三姉妹の三女。その名前は「税」「債務」「義務」または「未来」を意味する。スクルドは未来を司る女神でありワルキューレでもある。同じワルキューレのグズ、ロタと共に戦場に現れては戦いの決着に関与し、戦死者を選び取っているとされている。~



帝国暦 488年  4月 6日  ガイエスブルク要塞  アントン・フェルナー



「メルカッツ総司令官、遊撃の件、お許し頂き有難うございました」
「いや、卿の言う通り敵を混乱させるのであれば有効な手段だと思う。しかし気を付けて欲しい。敵は生半可な相手ではないからな、危険だと思ったら無理をせず素直に引く事だ」
「はっ、御言葉肝に銘じます」

エーリッヒとメルカッツ総司令官が穏やかに話している。エーリッヒは如何いうわけか年長者に可愛がられる傾向が有る。どうも年長者はエーリッヒの事を自分の息子とか孫とか、要するに庇護対象と感じてしまうらしい。ブラウンシュバイク公にも多少そういうところは有る。外見が良いからな、得しているよ。羨ましい事だ。

「メルカッツ総司令官の言う通りだ。卿は結構無茶をするからな、気を付けろよ」
ほらな、ブラウンシュバイク公が心配そうに言っている。
「大丈夫です、無茶はしません。出来る相手でも有りませんし」
「フェルナー、頼むぞ」
「はっ」
無理ですよ、公。こいつぐらい無茶をする奴は居ないんです。というよりこいつの無茶と俺達の無茶はレベルが違うのだと思う。いつも本人は平然としているから。

貴族連合軍の基本方針はガイエスブルクでローエングラム侯を待ち受けて一大決戦となった。そんな中でエーリッヒの艦隊二万隻は遊撃部隊として単独行動を許されている。敵を翻弄し混乱させ疲弊させるのが役割だ。自ら提案し志願したのだから何らかの思惑が有るのだろう。参謀長の俺にも内緒だ、後できっちりと話を聞かなければ。

「ところで例の件、如何なりましたか」
エーリッヒがブラウンシュバイク公に問い掛けると公が顔を顰めた。
「スパイの件か?」
「はい」
メルカッツ提督が“スパイ?”と言って公とエーリッヒを交互に見た。

「ヴァレンシュタインはローエングラム侯がこちらの動きを探るためにスパイを送り込んでくる筈だと言うのだ」
「なるほど、有りそうな事ですな」
「動きを探られるだけでも厄介ですが破壊工作、内部分裂、扇動などされてはたまりません。元々貴族連合軍は寄せ集めですから纏まりは悪い。内部から崩れてしまいます。早急に炙り出しが必要です」
エーリッヒの言葉にメルカッツ総司令官が大きく頷いた。

「リッテンハイム侯にも調査を頼んだがわしと侯の所に今年に入ってからそれぞれ十人程志願して来た男達が居る。妙な事に平民、下級貴族、そして我らの領地の人間ではない。普通ならローエングラム侯の所に行きそうなものだが」
「……ではその男達が」
総司令官が問い掛けると公が重々しく頷いた。

「多分。怪しいとすればその連中だろう。それぞれ監視を付けているが今の所目立った動きは無いとアンスバッハは報告している」
こっちはアンスバッハ少将、リッテンハイム侯の所はリヒャルト・ブラウラー大佐が調査している。二人とも慎重な男だ、まず間違いは無いと見て良い。連中はローエングラム侯が送り込んできたスパイだ。

アンスバッハ少将の役目には他の貴族達の動向確認も含まれている。言ってみれば貴族連合軍内部の防諜担当官だ。そしてシュトライト少将は諜報担当官。オーディン、そしてローエングラム侯の元帥府の中にこちらの協力者を配備、そこから情報を収集している。もっともローエングラム侯の元帥府は防諜が厳しいらしい。良質の情報はなかなか得られない。

このメルカッツ総司令官の執務室にリッテンハイム侯が居ないのも敵を欺く策の一つだ。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は協力体制にあるが表向きは対立しているように見せかけている。ローエングラム侯の目を欺くため、そして貴族達の目を欺くため。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、それぞれに不満を持つ者は必ずもう片方に近付くはずだ。その動向を押さえる。怖いのは貴族達が独自の勢力を作り動く事だ。何を仕出かすか分からない、それは阻止しなければならない。

「動きませんか、厄介ですね。このままではこちらも出撃出来ません。……シュターデン大将が出撃したがっています。許可しては如何でしょう。貴族達にローエングラム侯の力量を思い知らせるという意味でも悪くないと思いますが」
ブラウンシュバイク公とメルカッツ提督が目を剥いた。まじまじとエーリッヒを見ている。

「シュターデンを使ってスパイを炙り出すと言うのか」
「メルカッツ総司令官に競争意識を抱いているようです。総司令官もやり辛いでしょう、外へ出すのも一手だと思います。そうだろう、アントン」
「まあ、そうかもしれない」
「この通り、フェルナー少将も同意見です」

ブラウンシュバイク公とメルカッツ総司令官が今度は俺を見た。エーリッヒ、あんまり俺を巻き込んで欲しくないんだが……。御蔭で俺は卿に匹敵する悪謀の持ち主と陰で言われているらしい。アンスバッハ少将とシュトライト少将に言われて落ち込んだわ。あの二人、楽しそうに笑ってた。本当に性格が悪いのはあの二人だと思う。

「もしシュターデンが勝ったら如何する。増長するぞ」
「それは有り得ません。今の宇宙艦隊の司令官達はシュターデン大将を嫌っているんです。士官学校では詰まらない授業をしましたし卒業後は宇宙艦隊の司令部で碌でもない作戦を立てて苦労をさせられた。情け容赦なく叩き潰してくれますよ。一石二鳥、いや三鳥と言ったところです」

エーリッヒが指を折って利点を数えた。あーあ、二人が引き攣っている。卿はそういう事をやるから周りから怖がられるんだ。そして手離してはいけないと思われる。ブラウンシュバイク公爵家から逃げられなくなったのも卿自身に一因が有るんだぞ。恩返しとか言って働き過ぎたんだ。しかも本人は未だ足りないとか思っているし。

「確かに貴族達は兵力の多さに浮ついています。一度戦って負けるのも必要かもしれません」
「うーむ、……フェルナー、痛い目に遭ってこい、そういう事か」
まあ平たく言えばそういう事だ。貴族なんて望めば叶うと思っている馬鹿ばかりだ。多少は現実を見せる必要は有るだろう。

ブラウンシュバイク公が出撃に同意した。その場からリッテンハイム侯に連絡を入れ説明すると侯も出撃に同意した。リッテンハイム侯は要塞内にスパイが居る事がかなり不安らしい。家族に危害が加えられるのではないかと心配している。ブラウンシュバイク公も頷いていたから公も同じ不安を抱いていたのだろう。出撃を許可したのはそれも有るのかもしれない。

総司令官の執務室を出ると真っ直ぐにクレメンツ提督の部屋に向かった。部屋にはクレメンツ提督の他にファーレンハイト提督、リューネブルク中将の姿が有った。
「出撃が決まりましたかな」
「決まりました。シュターデン大将が出撃した三日後です」
俺がリューネブルク中将の問いに答えると三人が“本当か”というような表情をしたが“スパイの焙り出しです”と言うと一転して得心したように頷いた。

「シュターデン大将と協力するのかな」
「まさか、シュターデン大将は大物を釣り上げる餌ですよ、クレメンツ教官。それ以上じゃありません」
余りの言い草だと思ったのだろう、部屋に苦笑が満ちた。エーリッヒは時々クレメンツ中将の事を教官と呼ぶ。大体不本意な事が有った時だ。こういうところは分かり易いんだな。

「冗談で言っているんじゃありません。貴族連合軍の多くは練度も低ければ士気も低い烏合の衆です。とても肩を並べて戦うなんて事は出来ません。となればどれほど非情と罵られようと餌として利用するくらいしかないんです。幸い相手は武勲欲しさに食らい付いて来るはずです。そこを撃つ。割り切らないと彼らを救うために我々が大損害を出しかねません。そうなったらもう戦えませんよ」
苦笑は消えた。皆が苦い表情で頷いている。

「なるほどな、確かにそうだ。それで大物、というと?」
「戦略的な意味は有りませんが両軍最初の戦いです。勝って味方の士気を高めるという意味は有る。ローエングラム侯は信頼出来る指揮官を送り込むでしょう。彼が最も信頼するのはジークフリード・キルヒアイス、オスカー・フォン・ロイエンタール、ウォルフガング・ミッターマイヤーの三人です」

「キルヒアイス提督は辺境星域だ。となるとロイエンタール提督かミッターマイヤー提督が出て来るという事か」
ファーレンハイト提督が答えるとエーリッヒが頷いた。
「その可能性が高いと思います。上手く行けばそこを叩けるでしょう。成功すれば敵味方両軍に与える影響は大きい」

皆が頷いた。勇将ミッターマイヤー、名将ロイエンタールを敗北させれば味方の士気は否応なく上がるだろう。逆にローエングラム侯にとっては最も信頼出来る指揮官が出だしで躓いた事になる。かなりの計算違いの筈だ。その後の戦いにも少なからず影響は出ざるを得ない。それにしても良く考えている。だから遊撃を望んだのか……。

クレメンツ提督がファーレンハイト提督、リューネブルク中将と顔を見合わせ、そしてエーリッヒに視線を向けた。
「さっきまで三人で話していた。卿はこの日が来るのを待っていたのではないかと。貴族連合軍とローエングラム侯が戦う日が来るのを予測していたのではないかと。我々の勘違いか?」

エーリッヒが笑みを浮かべた。不思議な笑みだ、透明な感じで嬉しいのか悲しいのか良く分からない、柔らかい笑み……。
「この日が来ない事を願っていました。でもこの日が来るのも分かっていました。だからこの日のために準備をしました。内政を整え領民の離反を防ぐ、軍備を増強し精強ならしめる。悪足掻きですけどね」
「……」

「有難い事にリッテンハイム侯爵家は直ぐにブラウンシュバイク公爵家の真似をしてくれた、何かにつけて張り合いますからね。お蔭で両家の戦力は期待出来る。今では私はこの戦争を楽しんでいるのか、恐れているのかも分からなくなってきた。こんな日が来るとは思いませんでしたよ……」
相変らずエーリッヒは不思議な笑みを浮かべている。クレメンツ提督達も何も言えずに黙っていた。

「……エーリッヒ」
「大丈夫だ、アントン。大した事じゃ無い、死ぬまでに答えを出せば良い事だ。死ぬ時には納得して死ねるだろう、それで十分だ」
「……」
「卿も同じだ。私をブラウンシュバイク公爵家に引き入れた事が正しかったのかなんてくよくよ悩むんじゃない。死ぬまでに答えを出せば良いさ」
現実的なのだろうか、楽天的なのだろうか……。

「……死ぬまでにか、答えが出なかったら如何する?」
エーリッヒが笑い出した。
「最初から答えは無かったのさ」
「……」
「最初から答えが無いから答えは出ないんだ。簡単だろう? 悩んでいる暇は無いぞ、フェルナー参謀長。直ぐに出撃だ」
肩を叩かれた。良く分からなかった。だが確かに悩んでいる暇は無さそうだった。



帝国暦 488年  4月 19日  アルテナ星域   ミッターマイヤー艦隊旗艦ベイオウルフ  ウォルフガング・ミッターマイヤー



「他愛も無い敵ですな」
ディッケル参謀長が呆れた様な声を出した。全く同感だ、なんと他愛の無い敵なのか。スクリーンには機雷と我々に挟まれて次々と撃破されていく敵の別働隊の姿が映っていた。シュターデン、所詮は理屈倒れか、実戦はまるで駄目だな。

敢えて正面に六百万個の機雷を置いたのは何のためか、ローエングラム侯の本体が来ると情報を流したのは何のためか、まるで分かっていない。少し考えれば敵の挟撃を誘発し各個撃破するためと分かりそうなものではないか。それなのに見えない敵を相手に注文通りに艦隊を分散させるとは、余りにも拙さ過ぎる……。これなら何もせずに退いた方が未だましだ。

「閣下、この後は如何しますか。正面から敵の本隊を迎え撃ちますか?」
「いや、時計方向に進撃し後方から敵の本隊を攻撃する、その方が良いだろう」
ディッケル参謀長が頷いた。目の前に敵が居らず背後から襲われたとなればシュターデンは如何思うか。恐慌状態になるだろうな、少しは実戦の機微を知ると良い。もっとも次に生かせる機会が有るとも思えんが。

別働隊を壊滅させると最大戦速で艦隊を時計方向に移動させた。二時間程で敵本隊の最後尾が見えた。こちらには何も気付いていない。俺が前方に居るものだと疑ってもいない、愚かな……。一撃目で混乱、二撃目で恐慌、三撃目で遁走だ、後は逃げる敵を追撃して戦果を拡大すれば良い。逃げられるかな、シュターデン教官。

「速度そのまま。全艦砲撃用意!」
参謀長が復唱した。艦橋が昂揚している。皆が次の一瞬、“撃て”の命令を待っているのが分かった。右手を上げた。
「主砲斉射三連、撃て!」
右手を振り下ろす! 砲撃による光の束が一つ、二つ、三つと敵艦隊に打ち込まれその度に大きな光球の爆発が起きた。艦橋に大きな歓声が上がった。

「よし、追撃……」
「閣下!」
オペレータが悲鳴のような声を上げた。何だ? 顔が蒼褪めている、何が起きた?
「側面からエネルギー波、急速接近!」
馬鹿な! 側面! エネルギー波? 敵が居た? ベイオウルフに凄まじい衝撃が走った。



帝国暦 488年  4月 19日  アルテナ星域   ヴァレンシュタイン艦隊旗艦スクルド  アントン・フェルナー



「敵艦隊の進撃が止まりました!」
オペレータが声を上げると艦橋に歓声が上がった。
「敵艦隊を機雷源に押し付けるように包囲しろ、ワルキューレの発進を許可する。攻撃の手を緩めるな!」
俺の命令をオペレータ達が艦隊に命じている。艦橋は奇襲の成功に凄まじいほどの熱気に溢れた。火傷しそうな熱さだ。

「アントン、ワルキューレには例の指示は徹底しているのか?」
「大丈夫だ、敵の指揮艦クラスを集中して狙えと命じてある」
エーリッヒが指揮官席で頷いた。
「時間が無い、ミッターマイヤー艦隊が奇襲を受けたと知れば必ず増援が来る。おそらくはロイエンタール提督だろう。厄介な相手だ、彼が来る前にあの艦隊を叩き潰す。少しでも敵を混乱させてくれ」
冷静な声だった。いつもそうだ、どんなに勝っていても興奮する事、感情を動かす事は無い。兵達はそんなエーリッヒを何時の頃からか“ビスク・ドール”と陰で呼び出した。陶磁器のように冷たい、人形のように表情が変わらない。

「ベイオウルフ、被弾しています!」
オペレータが叫ぶような声で報告してきた。驚いて“間違いないか”と確認すると“間違いありません”と憤然とした口調で返してきた。嘘吐き呼ばわりしたわけじゃないぞ。時々オペレータにはこういうタイプの男が居る。しかし、ベイオウルフが被弾?

「ウォルフガング・ミッターマイヤー提督戦死。敵艦隊にそう通信をしてください」
エーリッヒの指示にオペレータが戸惑った様子を見せた。しかしエーリッヒが無言で彼を見詰めると慌てて通信をし始めた。
「信じますかな?」
リューネブルク中将が問い掛けるとエーリッヒが冷たい笑みを浮かべた。

「信じません、謀略だと思うでしょう。でも不安にはなります。中級指揮官、下級指揮官は現在の苦境を脱する前に部下達の不安を払拭しなければならない。さっきまで勝ち戦だったのに……、天国から地獄ですよ」
「……」
エーリッヒがクスクスと笑う。リューネブルク中将の顔が強張っている。俺も同様だろう、オペレータは蒼白だ。

「ミッターマイヤー提督が無事なら通信で姿を皆に見せる。声だけなら負傷だ、声も出ない様なら戦死か人事不省だろう。アントン、オペレータに最優先で確認させてくれ」
「分かった」
オペレータに指示を出すまでも無かった。俺がオペレータに視線を向けると“直ぐかかります”と言って彼は敵の通信を傍受し始めた……。



 

 

第三話 効率

~ノルン:北欧神話に登場する運命の女神。複数形はノルニル。その数は非常に多数とも言われ、アールヴ族や、アース神族、ドヴェルグ族の者もいる。しかし通常は巨人族の三姉妹である長女ウルズ、次女ヴェルザンディ、三女スクルドの事のみを意味する場合が多い。彼女ら三人の登場によりアースガルズの黄金の時代は終わりを告げたとされている。~



帝国暦 488年  4月 20日  アルテナ星域   ビッテンフェルト艦隊旗艦ケーニヒス・ティーゲル  リヒャルト・オイゲン



『後背からシュターデンに攻撃をかけた直後に側面からヴァレンシュタインの攻撃を受けたらしい。その一撃がベイオウルフに命中した。かなりの衝撃だったようだ、ミッターマイヤーは指揮官席から放り出されその時の衝撃で負傷、人事不省になった』
スクリーンから溜息が聞こえてきた。ケーニヒス・ティーゲルのスクリーンには艦隊司令官達の姿が有った。

『無事なのか、ロイエンタール提督』
『無事だ。命に別状はない。だが酷い怪我をしている。肋骨が何本か折れているし腕も骨折した。頭も強く打ったようだ。首の骨が折れなかったのは幸いだった。だが当分はギブスが必要だろう、それほどの衝撃だった。医師は暫くは絶対安静が必要だと言っている』
問い掛けたケンプ提督は複雑な表情だ。助かったとは言っても当分は絶対安静が必要とは……。正規軍は有力な指揮官を失った。

『しかし、それでは艦隊はまともな防戦など出来なかっただろう』
メックリンガー提督の言葉にロイエンタール提督が頷いた。いつもは何処か不敵、昂然に見えるロイエンタール提督が意気消沈といって良い表情だ。余程に衝撃を受けたらしい。ビッテンフェルト提督は腕組みをしたまま無言で提督達の遣り取りを聞いている。

『負傷の直後、軍医にミッターマイヤーを診察させていた時に敵艦隊から通信が入ったそうだ。“ウォルフガング・ミッターマイヤー提督戦死”とな』
スクリーンから呻き声が聞こえた。一つではない、複数だ。皆が顔を強張らせている。
『その瞬間から艦隊は恐慌状態になった。ミッターマイヤーの姿を見せられなければ声も聞かせられん。どうにもならなかったと参謀長のディッケルは言っている』
溜息が出そうになって慌てて堪えた。

『前と横はヴァレンシュタイン、後ろは機雷源。後退して隊形を整える事は出来ん。兵力は敵の約七割、押し返すことも出来ん。不意を突かれて何も出来ず一方的に叩かれたそうだ。そうしているうちにベイオウルフが危なくなった。ディッケルはミッターマイヤーを守って艦から艦へと移乗した。指揮など執れんし執る暇も無くなった』
『……』
ぼそぼそと抑揚が無かった。本当にロイエンタール提督が話しているのだろうか、そんな事を思った。

『良くやったよ、ディッケルは。俺が駆け付けた時、最終的に生き残った艦はボロボロになった五百隻程だった。ディッケルが移乗先を間違えればミッターマイヤーは死んでいただろう。降伏を受け入れず味方の来援を信じてミッターマイヤーを守った。俺には奴を労わる事しか出来なかった。来援が遅れた事を詫びミッターマイヤーを守ってくれた事に礼を言う事しか出来なかった……』

『緊張が切れてしまったのだろうな。ディッケルは泣き出してしまった、余りの惨めさ、悔しさ、いや或いは安堵からかもしれん。人目も憚らずに肩を震わせて泣いていた……』
ロイエンタール提督が首を振っている。また溜息が聞こえた。思わず目を閉じた。本当に現実なのか、これは。

『……ディッケル中将は良く降伏しなかったな』
ケスラー提督が問い掛けた。
『コルプトの件が有るからな。降伏すればミッターマイヤーの身に何が起きるか、それを思うと降伏は出来なかったとディッケルが言っていた』
コルプト大尉の一件か。確かにそうだ、ミッターマイヤー提督が降伏すれば何が起きたか……。

『ローエングラム侯は何と?』
『ミュラー提督、俺が報告した時ローエングラム侯は呆然としていた。最初は何が起きたのか分からなかったのだと思う。だが直ぐに“おのれ、ヴァレンシュタイン”と言って宙を睨んだ。鬼気迫る表情だった』
ミュラー提督が視線を伏せた。親友が僚友を大敗北に追い込んだ。何とも遣る瀬無い気持ちだろう。皆も困ったような表情をしている。

『それにしても恐るべき相手だ』
場の雰囲気を変えようと言うのだろうか、メックリンガー提督がヴァレンシュタイン大将を評した。
『ああ、戦闘中に通信で心理戦を仕掛けてくるとは……』
ケンプ提督の言葉にメックリンガー提督が首を横に振った。

『それだけではない、ケンプ提督、それだけではない。この一戦、ヴァレンシュタイン提督は全てを見切って攻撃をかけている。シュターデン大将の動きもそれに対応するミッターマイヤー提督の動きも完璧に見切った。そうとしか思えん』
『……』
提督達が顔を見合わせている。しかし反論は無かった。同じような事を考えていたのだろう。自分もそう思う、しかしそんな事が現実に可能なのだろうか?

『それにヴァレンシュタイン提督はミッターマイヤー提督を確実に斃す為にシュターデン大将を見殺しにした、いや餌として利用したようだ。ミッターマイヤー提督が死なずに済んだのは奇跡に近いだろう。恐ろしい相手だ、或いはヤン・ウェンリーを凌ぐかもしれん』
誰かが溜息を吐いた。その音がやたらと大きく響いた。

通信が終るとビッテンフェルト提督が溜息を吐いた。
「遣りきれんな、ミッターマイヤー提督も辛いだろう」
「……」
「俺もアムリッツアでは旗艦以下数隻にまで撃ち減らされた。部下を無意味に大勢死なせてしまった。あの惨めさ、苦しさは……、言葉では表せん」
余程に苦しかったのだろう、普段の提督からは想像もつかない程暗い表情で首を振っている。

「ですがミッターマイヤー提督は戦闘直後に人事不省に……」
「だから責任が無いとでも? そんな事でミッターマイヤー提督が自分を欺けるとでも思うのか? 百万人以上の将兵が死んだのだ。ドロイゼン、バイエルライン達分艦隊司令官も皆死んだのだぞ」
「……申し訳ありません、思慮の無い事を言いました」
確かにそうだ。ミッターマイヤー提督なら自分を許せないだろう。自分は何を言っているのか。

「俺は動けたからな。苦しくてどうにもならん時には無理矢理身体を苛めて疲れ切って眠る事が出来たが絶対安静では只々苦しみ続けるしかあるまい。辛い事だ……」
我々の前ではいつも変わらぬ豪放磊落な提督だった。提督がそんな苦労をしていたとは……、知らなかった……。

「雪辱の機会が有れば良いが」
雪辱の機会? ヴァレンシュタインとの再戦という事か。
「その希望が有るだけでも違うのだがな」
そうか、提督はヤン・ウェンリーと……。提督には希望が有る、だがミッターマイヤー提督は……。溜息が出そうになった。



帝国暦 488年  4月 20日  アルテナ星域   ヴァレンシュタイン艦隊旗艦スクルド  アントン・フェルナー



艦橋に一歩足を入れるとそこは他の場所とは別世界かと思う程静かだった。強敵を相手に大勝利を収めた興奮は何処にもない。理由はエーリッヒだ。指揮官席に座るエーリッヒは何かを考え思い悩んでいる。時折溜息も吐いているようだ。その姿を見て部下達は騒ぐのを控えている。ビスク・ドールが悩んでいる、部下達にとっては天変地異の前触れだろう。部下を不安にさせるとは、指揮官失格だな。

「困ったものだな、フェルナー参謀長」
「全くですよ、リューネブルク中将。一体何を悩んでいるのか」
お互い苦笑しか出ない。二人でエーリッヒに近付くと後五メートル程の距離で柔らかく押し返してくるものが有った。遮音力場? リューネブルク中将も気付いたようだ、訝しげな表情をしている。エーリッヒがこれを使う事は殆ど無い。構わず中に入ったが気付く様子も無い、心ここに有らずだな。

「いけませんな、提督。大勝利を収め皆が喜んでいるのに提督だけが思い悩んでいる。兵達は皆提督を心配していますよ」
リューネブルク中将に言葉にエーリッヒがチラッと周囲を見た。心配そうに見ていた部下達が慌てて視線を逸らす。エーリッヒが軽く溜息を吐いた。

「何を悩んでいるんだ? 完勝出来なかった事か?」
エーリッヒが首を横に振った。そうだろうな、そんな事で思い悩むような奴じゃない。
「じゃあシュターデンの事か? 利用した事を悔やんでいるとか」
「まさか、狙い通りで大喜びだ」
肩を竦めてあっさり答えた、詰まらない事を聞くな、そんな口調だ。犠牲が多くて悩んでいるのかと思ったが……。

「内戦というのは嫌だね。知っている人間と殺し合いをする事になる。おまけに殺したくない人間ばかり向こうにいる。ウンザリだよ」
エーリッヒは心底嫌そうな顔をしている。なるほどな、そういう事か……。リューネブルク中将が肩を竦めた。
「ミッターマイヤー提督は無事ですよ、提督。重傷を負ったようですが無事だと政府軍が通信しているのをスクルドのオペレータが傍受しています」
「……」
本当かと言う様に俺に視線を向けてきた。

「リューネブルク中将の言う通りだ。遮音力場なんて使っているから分からないんだ。一時間も前に分かった事だぞ」
「……そうか、無事だったか。姿も見せなければ声も聞こえない、もしやと思っていたが……、無事だったか……」
ほっとしたような表情をしている。リューネブルク中将と顔を見合わせた。また中将が肩を竦めた。おかしそうな表情をしている。

戦闘中は冷酷なまでに殺そうとしていたのに終わってからは心配の余り塞ぎ込んでいる。全く、困った奴だ。
「シュターデン大将の艦隊だがヒルデスハイム伯達の別働隊は全滅した。本隊は二千隻程の損害を出している」
「シュターデン大将は今何処に?」
「レンテンベルク要塞に向っている。戦闘中に負傷した。かなりの重傷で要塞で治療をするようだ。当分動けないだろう」
リューネブルク中将が“今日二番目に良いニュースですな”と言って笑った。酷い事を言うと思ったが俺も笑ってしまった。エーリッヒだけが笑わない。付き合いが悪いな。

「結局こっちは一万隻失った、向こうは一万三千隻。1対1.3か、効率は良くないな」
「そんな事はない、効率良く殺しているさ」
皮肉か? エーリッヒは冷笑を浮かべている。リューネブルク中将も困惑している。中将も真意が掴めないのだろう。

「冗談だよな」
「本気で思っている。敵も味方も効率良く殺している」
エーリッヒが低く笑い声を立てた。拙いな、こいつがこういう笑い方をする時は大体碌な事が無い。一体何を言い出す気だ、リューネブルク中将も引き攣っているぞ。

「もし、貴族連合軍が内乱に勝利を収めたらどうなると思う?」
内乱に勝ったら? 考えた事が無かったな、リューネブルク中将と顔を見合わせた。中将は困惑を浮かべている。多分俺と同じで考えた事は無かっただろう。
「貴族共が今まで以上にやりたい放題やりだすだろうな。この世の終わりだ、ウンザリだよ」
おいおい、まさか……。顔が引き攣った。エーリッヒが俺を見て声を上げて笑った。

「分かったか。万一貴族連合軍が勝つ事になっても戦後処理に困らないようにしないとね。あの阿呆共は叩き潰す。まあ叩き潰すのはローエングラム侯だけど。こっちはそれに協力するだけだ」
「それがつまり餌ですか」
リューネブルク中将に言葉にエーリッヒが頷いた。とんでもない事を考える奴だ。

「帝国貴族四千家、餌には不自由しない。効率良く餌を蒔いて正規軍を釣り上げる。実際そういう戦い方しか出来ない。あの連中と正面から戦っても勝つのは難しいし長引けばジリ貧になりかねない。なにより貴族共が暴走して滅茶苦茶になりかねない。利用しながら潰していくしかない」

だから餌として利用して帝国軍の指揮官を釣り上げるか。餌の第一号がシュターデンとヒルデスハイム伯。釣り上げたのはミッターマイヤー大将……。なるほど、効率が良い、いや良すぎるな。遮音力場を使っていて良かった。こんな話、兵達には聞かせられない。

「レンテンベルク要塞に立ち寄りシュターデン大将をこの艦に収容する。アントン、準備をしてくれ」
「本気か?」
「本気だ。直ぐにローエングラム侯が来る。怒り狂っているだろうからね、早めに収容しないと酷い事になる」
「……」

おやおや、シュターデンを心配しているのか? さっきまではシュターデンなどどうでもいい様な口振りだったが。エーリッヒが俺を見た、視線がきつい。
「勘違いするな、シュターデンなどどうでもいい。だが彼の率いる艦隊は未だ六千隻程有る。それをガイエスブルクに撤退させろと言っている。シュターデンを収容しなければ彼らは撤退出来ない。このままだと無意味に失う事になるぞ」

「なるほど、狙いは艦隊か」
「そうだ、シュターデン大将はおまけだ」
リューネブルク中将が“酷い話ですな、シュターデン大将はおまけですか”と言って笑い声を上げた。兵達が談笑する俺達を見ている。兵達に笑顔が有る、エーリッヒが元気を取り戻したと見て安心しているのだろう。遮音力場を使っていて本当に良かった……。

「レンテンベルク要塞には艦隊が配備されているが連中は如何する?」
問い掛けるとエーリッヒが顔を顰めた。
「レンテンベルク要塞は難攻不落とは言い難い代物だ。本当は全部ガイエスブルクに引き揚げさせた方が良いんだが……」
「難しいでしょうな、あそこにはオフレッサーが居ます」
リューネブルク中将の指摘にエーリッヒが大きく息を吐いた。なんだってあの野蛮人、あんなところに籠っているのか。死ぬ気か?

「それに撤退が間に合うかという問題も有る。一つ間違うと追い付かれてローエングラム侯の追撃を受けかねない」
「有り得るな、今頃は頭から湯気を立ててこっちに向かっているかもしれない」
エーリッヒが“卿は嫌な事ばかり言うな”と文句を言ってきた。ローエングラム侯が怒っているのは事実だろう。それにいずれはこっちに向かってくる、これも事実だ。現実逃避は良くないぞ。

「已むを得ないな、確実に出来る事をしよう。シュターデン大将の収容と残存艦隊の撤退、これを優先させてくれ。後は向こうの判断に任せよう」
「分かった。ところでエーリッヒ、頼みが有る」
「何だ?」
「シュターデン大将を収容したら」
「したら?」
鼻がヒクヒクする。いかん、ここは笑うところじゃない。もう少し耐えるんだ。

「傷心のシュターデン大将を見舞ってくれ」
「……」
「教え子に見舞って貰ったら喜ぶぞ」
リューネブルク中将が吹き出した。俺は急いで遮音力場の外に逃げ出した。何にも聞こえない、後ろは振り返るな、仕事をするんだ。先ずはレンテンベルク要塞に連絡だ。それと病室の手配だな……。


 

 

第四話 勝てる可能性

~ブリュンヒルドはワルキューレの一人で主神オーディンと知の女神エルダの娘とされる。ワルキューレは戦死した兵士をヴァルハラへ導く存在であり、ブリュンヒルデはその一人(長女)であった。ブリュンヒルデはフンディング家とヴォルズング家の戦いにおいて、オーディンの命に逆らってヴォルズング家を勝たせてしまった。その事がオーディンの怒りに触れ処罰されることになる。すなわち彼女の神性を奪い「恐れることを知らない」男と結婚させられてしまうことである。それまで、彼女は燃え盛る焔のなかで眠り続けることになった。~



帝国暦 488年  5月 4日  ガイエスブルク要塞  アントン・フェルナー



ガイエスブルク要塞に戻ると要塞はお祭りのような騒ぎだった。貴族達はコルプト大尉を殺したミッターマイヤー提督が完膚なきまでに敗れた事を気が狂ったように喜んでいる。ローエングラム侯の信頼する部下を破って鼻を明かしたという想いも有るようだ。口々にエーリッヒの挙げた武勲を称賛、いや絶賛した。

日頃仲の悪いフレーゲル男爵までニコニコしながら話しかけてきたのには目を疑った。最初は別人じゃないか、次は悪い物でも食ったのかと思ったくらいだ。彼らの話す事を聞くとエーリッヒはミッターマイヤー提督の悪辣な罠に引っ掛かったシュターデン大将の艦隊を全滅の危機から救った英雄になっているのでまた吃驚した。

何で? と思ったが原因はシュターデンだ。エーリッヒはシュターデンをスクルドに収容した後、律儀に病床のシュターデンを見舞ったのだがその時も親身になって応対したためシュターデンは随分と感激したらしい。他愛ないよな、負傷して気が弱くなったのか、それともエーリッヒが余程の役者なのか、判断に迷うところだ。

それにエーリッヒは会戦の直後、ミッターマイヤー提督の事を気遣って塞ぎ込んでいる。兵達はその事をエーリッヒがシュターデンの安否を気遣っていると誤解したようだ。シュターデンはその事を兵達から聞いて泣いて感激したそうだ。そして病室からガイエスブルク要塞の貴族達にそれらの事を話し貴族達も感激した。

~日頃仲が悪いと言われるシュターデン大将の危急を救いその傷心を気遣う。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン大将こそ武人の鏡、花も実も有る帝国軍人である。辺境星域で焦土作戦を行った金髪の小僧とは物が違う。ローエングラム侯など所詮は姉の七光りで出世した成り上がりの小僧でしかない~。

本当に御目出度いよな。エーリッヒはこいつらの事を餌としか見てないんだけど餌はエーリッヒを絶賛中だ。これってどう見ても片想いだよな。恋愛以外でも片想いが有るって初めて知ったわ。しかもここまで強烈な片想いは見た事が無い。貴族達に囲まれてエーリッヒは顔が引き攣ってるし俺とリューネブルク中将は噴き出しそうになるのを堪えるのが大変だった。それにしても遮音力場って本当に罪作りだわ。

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、メルカッツ総司令官に帰還の報告をするとここでも大喜びだった。敗けていたのをひっくり返しての大勝利だ。普通の勝利よりも喜びは大きい。ブラウンシュバイク公はローエングラム侯の横っ面を引っ叩いてやったと嬉しそうだった。休養と艦隊の整備を命じられたが損害は軽微だからそれ程手間は取らないだろう。エーリッヒからも幾つか御願いをしたが上手く行くかどうか……、ちょっと疑問では有るな。

報告の後は三人でクレメンツ中将の私室に向かった。私室にはファーレンハイト中将も居た。どうやら俺達がここに来ると想定して先回りしていたらしい。お茶の用意もしてあった。テーブルに座りながらコーヒーを飲んだ、エーリッヒは紅茶だ。
「やったな、ヴァレンシュタイン。ウォルフガング・ミッターマイヤーをあそこまで叩くとは、見事なものだ」
「全くだ、驚いたよ」
エーリッヒが二人の讃辞に苦笑を浮かべた。こいつ、褒められるのに慣れてないんだよな。

「一点でミッターマイヤーを狙い撃ったが良く向こうの狙いが分かったな」
クレメンツ提督が狙撃銃を構えるような恰好をした。最近、クレメンツ提督は結構お茶目だ。良い意味で頼れる兄貴みたいなところが有る。
「機雷原を用いた時点でミッターマイヤー提督の考えは分かりました。シュターデン大将が挟撃をしたくなるように仕向けている、そう思ったんです。ローエングラム侯の本隊が近付いているという通信も有りましたしね、少々露骨でした」
エーリッヒが答えるとファーレンハイト提督が“シュターデンには難しかったようだな”と皮肉った。危なかった、もう少しでコーヒーを吹き出すところだった。リューネブルク中将も噎せている。

「少し気になったのですが誰もレンテンベルク要塞が陥落した事を話題にしないんですからね」
そうなんだ。レンテンベルク要塞は四月二十八日にローエングラム公の攻撃を受け四月二十九日に陥落した。オフレッサーも捕えられたしさぞかし貴族達も気落ちしてるかと思ったんだが誰も話題にしない。ブラウンシュバイク公も軽く触れただけだ。これって現実逃避の一種か。

「まああの要塞はイゼルローンのように難攻不落という代物じゃない。大軍に囲まれればあっという間に落ちてしまうのは貴族達も分かっていたからな、気落ちはしていないさ。……それでも丸一日もった、良く守ったほうだろう」
「それにオフレッサーは必ずしも貴族達に好まれているわけじゃない、その辺りも影響している」
クレメンツ、ファーレンハイト両中将の言葉になるほどと思った。オフレッサーは少し血腥すぎる、貴族達から見れば味方では有っても嫌悪の対象というわけか。

「薄情なものですな」
リューネブルク中将が吐き捨てた。オフレッサーを血腥いと嫌悪する、同じ白兵戦を専門とする中将には不愉快な事だろう。
「所詮は貴族ですからね、戦争の本質が殺し合いだという事がまるで分かっていない」
「……」

「いずれその愚かさを後悔する事になるになりますよ、今回の内乱でね」
エーリッヒがカップを口に運びながら冷笑を浮かべていた。ヒルデスハイム伯は後悔する間もなく死んだ。今頃はヴァルハラで後悔しているだろう。
「まあそういう事だ。リューネブルク中将、俺達が卿らを差別する事は無い。信じて欲しいな」
クレメンツ中将の言葉にリューネブルク中将が軽く一礼した。陸戦隊ってのは扱いが難しいよな。エーリッヒとリューネブルク中将のように緊密に結びついているのは稀だ。なんでここまで気が合うんだろう、時々不思議になる。

「ところでヴァレンシュタイン、我々の勝ち目はどれくらいだ。疾風ウォルフは当分、いやこの内乱では戦場には出て来れんが。十パーセントくらいにはなったか」
ファーレンハイト中将がニヤニヤと笑いながら問い掛けてきた。エーリッヒが苦笑を浮かべた。話題を変えようとした、そんなところだろう。それとも本気で訊いて来たかな?

「残念ですが二パーセントは変わりませんね」
クレメンツ中将が俺を見て“相変わらず点が辛いな”と言ったから“同感です”と答えた。だがエーリッヒはそれが不満だったようだ。
「ミッターマイヤー提督は当分出てこない。ですが向こうには未だロイエンタール、ケンプ、ビッテンフェルト、ケスラー、メックリンガー、ミュラーが居ます」

リューネブルク中将が“結構分厚いですな”と呟いた。同感だ、良くミッターマイヤーを叩いたよ、空振りだったら逃げ出したくなったな。
「辺境には別働隊としてキルヒアイス、ワーレン、ルッツが居ます。辺境星域の平定が終れば本隊に合流するでしょう。それにローエングラム侯も居るんです、簡単に勝てる相手では有りません、二パーセントでも多いんじゃないかと思うくらいです」

今更ながらだがローエングラム侯の持つ戦力の巨大さに溜息が出た。俺だけじゃない、皆が溜息を吐いている。コーヒーよりも酒が欲しくなってきた……。
「ミッターマイヤー提督を叩いたのは余り意味が無いように思えてきたな」
「そんな事は無いよ、アントン。意味は有る」
「本当か?」
“本当だ”と言ってエーリッヒが笑った。

「ウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールを分断出来た」
「……」
「あの二人を組ませると二個艦隊どころか四個艦隊、五個艦隊分の働きをしかねない。それを阻むことが出来た。その分だけ敵の進撃は遅くなる。それに……」
エーリッヒが口元に微かに笑みを浮かべた。やばいぞ、ビスク・ドールが笑った。眼は笑わず口元だけに笑みを浮かべる、危ない事を言い出す前兆だ。

「カール・グスタフ・ケンプ、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト、ウルリッヒ・ケスラー、エルネスト・メックリンガー。……気付きませんか?」
エーリッヒが問い掛けてきた。皆が顔を見合わせた。はて、何だ? 待てよ、ナイトハルトの名前は呼ばれていない……。ナイトハルトと彼らの違い、何だ? クレメンツ中将が“なるほどな”と言って息を吐いた。

「分かったのですか、クレメンツ中将」
「ああ、分かったよ、ファーレンハイト中将。……偏りが有る、ローエングラム侯の立場に立って考えてみると全体のバランスが今一つ良くないんだ。そうだろう、ヴァレンシュタイン」
エーリッヒが頷いた。なるほど、ケンプ、ビッテンフェルトは勇、ケスラー、メックリンガーは知。偏りが有るとは言えるな。

「本当ならワーレン、ルッツ提督が居ると良いのですが二人とも辺境に行っています。別働隊は規模が小さいですから使い勝手の良い二人を入れたのでしょう。ですがその分だけ本隊に皺寄せが行った。おそらくローエングラム侯としてはロイエンタール、ミッターマイヤーの二人を組ませる事でそれを解消しようとしたのでしょうが……」
「アルテナ星域の会戦でそれが崩れたか」
「ええ」

皆がエーリッヒとクレメンツ中将の会話を聞いている。ファーレンハイト中将とリューネブルク中将は何かを考えていた。全体的に見ればローエングラム侯が圧倒的に優位だ、それは間違いない。しかし本隊だけに限れば齟齬が生じている。その齟齬は決して小さくは無い。ローエングラム侯も頭を痛めているかもしれない。

「ミュラー提督がその穴を埋めるという事は?」
「そうですね、ナイトハルトなら可能だと思います。しかしそこまで周囲から信用されているかどうか……。若いから仕方ないんですが残念な事に実績がそれほど有りません、それに……」
エーリッヒがファーレンハイトの問いに答えると失笑が起こった。クレメンツ提督が笑っている。

「まあ誰もが卿やローエングラム侯のようには行かんさ」
「それに提督がそれを許さない、そうでしょう?」
意味有り気なリューネブルク中将の言葉にクレメンツ提督とファーレンハイト中将が訝しげな表情をした。エーリッヒは困ったような顔をしている。中将達が今度は俺に視線を向けてきた。知ってる事を話せ、そんな感じだ。あー、あれを話すのかよ、気が重いわ。

「ナイトハルト・ミュラーを謀略にかけようと考えています。彼はエーリッヒや小官と親しい。ローエングラム元帥府では能力だけでなく心情面でも信用されていない可能性がある、その辺りを突いてみようと。まあ今でも結構居心地は悪いんじゃないかと思います、あの戦いの直後ですからね。先程、エーリッヒがブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、メルカッツ総司令官にお願いしてきました。シュトライト、アンスバッハ少将が取り掛かります」

二人の中将がじっとエーリッヒを見詰めた。エーリッヒは視線を伏せ気味にして合わせようとはしない。
「こちら側に寝返らせようというのか? 上手く行くかな?」
「上手く行かなくても良いんです。積極的にナイトハルトを使わない、そういう風になれば……。彼は手強いですから」

「場合によってはミュラーが粛清されるという事も有るぞ、分かっているのか」
「分かっています、向こうの総参謀長は猜疑心が強い。十分有り得ると思っています」
クレメンツ提督とエーリッヒの会話に皆が凍り付いた。おいおい、本気か? そこまでやるのか? エーリッヒが視線を上げた。眼が据わっている。

「むしろそうなって欲しいと思います。そうなれば向こうの組織を自壊させる事が出来るかもしれません」
やばい、エーリッヒは本気だ。それが分かったのだろう、クレメンツ提督が大きく息を吐いた。そして“俺もとんでもない男を教え子に持ったものだ”と吐いた。

「貴族を餌に敵を潰す。向こうも馬鹿じゃありません、使えるのはあと一度でしょう。完勝する必要が有ります」
「そうだな、幸いと言っては何だが卿の勝ち戦以来出撃を望む貴族が増えているそうだ。メルカッツ総司令官がぼやいていた。大物を釣り上げる餌には不自由せんだろう」
クレメンツ提督もぼやいているように俺には見えるけどね、まあ口には出せない。

「次は避けましょう。多分ロイエンタール提督が出て来ます。そう簡単には潰せない」
「なるほど、となるとその次ですが誰が出て来ますかな?」
リューネブルク中将が問い掛けた。皆が顔を見合わせた。
「ビッテンフェルト提督。彼は先年失敗している、性格的にも攻撃を好む、雪辱を望んでいるはずだ」

「ケンプ提督もですよ。元帥府では年長者ですし先年の戦いではヤン提督に上手く逃げられている。あれが無ければビッテンフェルトの敗北も無かった可能性が有る」
クレメンツ、ファーレンハイト中将の言う通りだろうな。出て来るのは先ずあの二人だ。それにしてもケンプ提督が年長者ってローエングラム元帥府は若い連中が揃っているな。

「ナイトハルト・ミュラー。今頃は周囲の視線が痛いだろう。彼も出て来る可能性は有る」
「なるほど、可能性は有るな。……如何する、エーリッヒ。彼が出てきたら叩くのか?」
「いいや、そのまま逃がす。そして次を叩く。その方が楽しくなりそうだからね。貴族達にも彼とは戦うなと言っておく必要が有るな」
エーリッヒ、頼むから微笑むのは止めてくれ。皆引き攣っているぞ。

勝てる可能性は二パーセント? 俺は三十パーセント以上ある様な気がしてきた。戦力的には圧倒的に不利だろうがエーリッヒは性格の悪さでそれを補いそうだ。数値化出来る部分では無く数値化出来ない部分で勝つ。……まるで魔法だな、これで内乱に勝ったら貴族連合軍は用兵術では無く魔術で勝ったとか言われそうだ。士官学校にも魔術科とか出来るかもしれない。

「ビッテンフェルトにケンプか。どちらも厄介だな、釣り上げてもこちらの腕を食い千切って逃げそうな連中だ」
同感ですよ、ファーレンハイト提督。魚というよりも鮫みたいな連中です。一つ間違うと食い殺されそうな怖さが有る。エーリッヒも頷いている。

「三個艦隊を動かしましょう。釣り上げて包囲して短時間に攻め潰す。そしてガイエスブルク要塞に引き揚げる」
三個艦隊、此処にいる全員、つまり俺達も出るって事か。
「艦隊の整備、補給、将兵の休養、一週間はかかるぞ」
「丁度いい。ロイエンタール提督を避ける事が出来る」
俺とエーリッヒの遣り取りにクレメンツ、ファーレンハイト両中将が頷いた。リューネブルク中将も嬉しそうにしている。ガイエスブルクで貴族達の顔を見ているより宇宙に出た方が気が楽なのだろう。

「十日後だ。十日後に三個艦隊で出撃する。総指揮はヴァレンシュタイン大将が執る」
クレメンツ提督の言葉にファーレンハイト提督、エーリッヒが頷いた。出撃が決まった、十日後だ。
「というわけで、今晩は少しこれに付き合え」
クレメンツ提督がグラスを口に運ぶ仕草をすると部屋に漣の様に同意の声と笑い声が満ちた。

 

 

第五話 死に場所

~ヴァルハラは北欧神話における主神オーディンの宮殿。古ノルド語ではヴァルホル(戦死者の館)という。ヴァルハラはグラズヘイムにあり、ワルキューレによって選別された戦士の魂が集められる。この宮殿には540の扉、槍の壁、楯の屋根、鎧に覆われた長椅子があり狼と鷲がうろついているという。これは戦場の暗喩である。館の中では戦と饗宴が行われラグナロクに備えている。~



帝国暦 488年  5月 13日  ガイエスブルク要塞  アントン・フェルナー



「いよいよ明日は出撃か、楽しみだな」
「本当に来るんですか? 今回は陸戦部隊の出番は有りませんよ」
エーリッヒは幾分迷惑顔だ。しかし相手はそんな事に頓着しなかった。
「そう言うな。リューネブルクも行くではないか。俺が行っても問題は有るまい」
「……」
「安心して良い、艦の中では大人しくしている。リューネブルクと喧嘩などはせん」

本気かな、このトマホーク親父。突然エーリッヒの私室にまで押しかけてきたが。俺とエーリッヒは椅子に座っているのだがこの親父は立ったままだ。話はすぐ終わると言って俺達が立つのを止めたのだが……。面倒くさい親父だ、今からでも立った方が良いかな?

「借りを返す、そんな事を考えているなら無用です。閣下を助けたのはわざわざ向こうの思惑に乗ることは無い、そう思ったからです。それだけです」
あっさりとした口調だった。多分本当にそれだけなのだろう。でもな、それって相手にとっては結構傷付く事かもしれないんだが……。

レンテンベルク要塞で捕虜になったオフレッサーは無傷でガイエスブルク要塞に帰ってきた。しかしオフレッサーの部下達は皆、殺された。一人生きて戻ったオフレッサーに裏切りの嫌疑がかかったのは当然だろう。もう少しで裏切り者として殺されるところだったのだがエーリッヒがそれを止めた。

“本当にオフレッサー閣下が裏切ったのなら部下を殺したなどと敵は公表しません。隙を見てオフレッサー閣下が一人で逃げたと公表します。こちらの仲間割れを誘い裏切り者として処刑させる事で味方内に疑心暗鬼を生じさせようというローエングラム侯の計略でしょう”。

貴族達は簡単に信じた。何て言ったってエーリッヒは彼らの想い人だ。その人の言う事ならカラスは白いと言ったって信じただろう。それにエーリッヒはリューネブルク中将と親しい。そのリューネブルク中将とオフレッサーは良く言って犬猿の仲、悪く言えば不倶戴天の敵、そんな感じだ。その事もあって信じられると思ったのだろう。

おかげでエーリッヒの人気は上昇しっぱなしだ。至誠の人、無私の人と呼ばれている。そしてローエングラム侯の事を生まれだけでなく心まで卑しい成り上がり者と非難している。知らないって本当に幸せだよな。エーリッヒだってかなりエグイ事をしてるんだが……。

「まあ確かに卿に借りは有る、それは返さなければならん。だがそれだけではないぞ」
「……」
「卿なら俺に最高の戦場を用意してくれそうだと思ったのでな」
「……最高の戦場?」
エーリッヒが眉を寄せている。オフレッサーが“そうだ”と言って頷いた。

「この俺がヴィクトール・フォン・オフレッサーとして闘える戦場だ。俺でなければ戦えない戦場、他の誰でも無く俺だけが戦える戦場……」
この親父、死にたがっているのか……。
「……レンテンベルク要塞では随分と奮戦したはずですが」
オフレッサーがフンと鼻を鳴らした。

「納得出来んわ、最後は落とし穴に落とされたのだぞ」
それはあんたが間抜けなだけだろう。ロイエンタールとビッテンフェルトの二人目掛けて突っ込んだら床が落ちたとか。頼むからこっちにそのデカい尻を持ち込むな。
「死に場所を探しているのですか?」
エーリッヒが問うとオフレッサーが唸り声を上げた。

「……そうかもしれん。あの小僧に嵌められた。もう少しで裏切り者として殺されるところだった。この恥辱を雪ぐ為なら、殺された部下達の無念を晴らす為なら死も厭わん」
「……」
「如何だ? 卿なら出来ると思ったのだが」

オフレッサーが見下ろしエーリッヒが見上げる。二人の視線がぶつかった。一、二、三、ゆっくりとエーリッヒが立ち上がった。オフレッサーに近付く。
「御希望は分かりました。ですが約束は出来ません。或いはこれからそういう戦場が現れるかもしれません。その時は閣下にお願いします。それで良ければどうぞ」
「うむ、その時は頼むぞ、俺が居る事を忘れてくれるな」
そう言うとオフレッサーは“邪魔したな”と言って部屋を出て行った。

オフレッサーが出て行くのを見届けてからエーリッヒが席に戻った。
「良いのか、オフレッサーを受け入れて」
「武勲が欲しいと言うのなら断ったよ。だが死ぬ事も厭わないと言われてはね」
「断れないか」
エーリッヒが頷いた。

「妙なもんだな、また一人借りを返していないとか死ぬのも厭わないとか言いだした。困った人間ばかりここには集まってしまったよ」
俺の言葉にエーリッヒが笑い出した。
「賢い奴はローエングラム侯の所に行ったよ。ここに残ったのは困った奴じゃない、損得勘定の出来ない馬鹿と大馬鹿と底無しの大馬鹿さ」
酷い言い方だが事実でもある。そして俺がエーリッヒを馬鹿の一人にしてしまった……。

「馬鹿と大馬鹿と底無しの大馬鹿か、違いを教えて欲しいな」
「自分が馬鹿である事を知らない貴族達、馬鹿そのものだな。その馬鹿共に担がれて反逆を起こしたブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯、これは大馬鹿だろう」
酷い奴だ、苦笑が止まらん。エーリッヒも笑っている。全く、こいつは何でこんなに明るく笑えるんだ? 狡いじゃないか。

「なるほど。となるとそれに付き合おうとしている俺達は底無しの大馬鹿という事か」
「そういう事だ。しかしこの世界もそれほど捨てたもんじゃない。一つだけ良い事が有る」
「と言うと?」
エーリッヒが悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「出世争いとは無縁の世界だから居心地が良いんだ。何と言っても先が無いからな」

確かにその通りだ。エーリッヒと二人、一頻り笑った。哀しくて切なくて馬鹿みたいに可笑しかった。
「アントン、飲まないか?」
「昼間からか?」
「ここは要塞の中だ。御日様なんて何処にもない。誰も気にしないよ」
「一杯だけだぞ」
一杯じゃ終わらないだろうな、嬉しそうに頷くエーリッヒを見ながら思った。

一昨日、ロイエンタール提督がシャンタウ星域で貴族連合軍を打ち破った。味方は三割程の兵力を失って潰走した。そこまでは予想通りだから驚かない。驚いた事は会戦の場所がシャンタウ星域だった事だ。ガイエスブルクからはかなり距離が有る。用心している、増援が無い事を確認してから攻撃したのだろう。やはり貴族を餌として使えるのは次が限界のようだ。

一昨日、昨日と貴族連合軍の艦隊がガイエスブルク要塞を出撃した。兵力はそれぞれ一万五千隻、ラートブルフ男爵、ホージンガー男爵を中心とした艦隊だ。一昨日の敗報を聞いて雪辱との事だがこの二つの艦隊が餌候補だ。さてどちらに、誰が喰い付く。ケンプ、ビッテンフェルト、ナイトハルト・ミュラー。或いはそれ以外か……。



帝国暦 488年  5月 20日  シャンタウ星域  ケンプ艦隊旗艦 ヨーツンハイム カール・グスタフ・ケンプ



「連中、馬鹿なのか?」
「閣下、そのお言葉は」
「すまん、参謀長。しかしな……」
“これは酷いだろう”、そう言おうとして言葉を飲み込んだ。フーセネガーも大凡の事は察したのだろう、困ったような表情をしている。戦況は有利だ、にも拘らず指揮官席の司令官と傍に立つ参謀長が顔を見合わせて困惑している、何なのだ、これは。

シャンタウ星域で貴族連合軍と接触した。敵は一個艦隊、約一万五千隻、こちらとほぼ同数だろう。先日ロイエンタールがやはりここで貴族連合軍と戦い勝っている。どうやら貴族連合軍はこのシャンタウ星域で雪辱を期したいと思っているようだ。しかし希望と現実は違う。開戦直後、僅かな時間で貴族連合軍は圧倒的に不利な状況に陥っている。練度も低ければ指揮も拙いのだ、これでは自ら負けるために出撃してきたようなものだ。

「もうすぐ敵は後退するものと思われます」
「うむ」
後退か、潰走に近いかもしれんな。こちらは敵の両翼を交互に叩いてから中央に攻撃を集中した。敵はこちらの動きについてこれない、翻弄されている、右往左往だ。
「如何なされますか」
フーセネガー参謀長が問い掛けてきた。少々心配そうな顔をしている。

「深追いはせん。追撃はするが適当な所で打ち切るつもりだ」
「はっ」
フーセネガーがホッとしたような表情をしている。
「安心しろ、参謀長。俺もヴァレンシュタインから伏撃などは受けたくないからな」
「はっ」
フーセネガーが大きく頷いた。いかん、かなり深刻だ。

ミッターマイヤーが敗れた。完璧な勝利から一転、完膚なきまでの敗北。狙い澄ました一撃だった。シュターデンという獲物を狩立てたミッターマイヤーをヴァレンシュタインは無慈悲な一撃で仕留めた。ゼーアドラー(海鷲)で見た大人しげな印象とはまるで違った。

肉食獣を狩る獰猛で冷酷な肉食獣、そんな印象が有る。内乱勃発前、ローエングラム元帥府に有った貴族連合軍への蔑視は今ではもう無い。今あるのはヴァレンシュタインへの言い様の無い恐怖感だ。フーセネガーもその恐怖感を十二分に感じているのだろう……。

「閣下、敵が崩れます」
他愛ない敵だ、だが口には出来ない。それを憚る雰囲気が有る。
「参謀長、このまま追撃するぞ。但し周囲には気を付けろ、敵が潜んでいる可能性が有る」
指示を出すとフーセネガーがオペレータ達に命令を下した。オペレータ達が頷いている。今一つ波に乗り切れない、そんな感じがした。

痛かったな、あの敗戦は痛かった。損失を見れば痛み分け、少しこちらの分が悪い、そんなところだ。しかし敗け方が悪かった。大勝利から一転、完膚なきまでの敗戦だ、初戦だった所為か皆の心に強烈に焼き付いている。勝っていても安心出来ない、そういう意識がこびり付いてしまった。

昂揚感が無い。スクリーンに映る敵の敗走を見ても心が浮き立たない。何処かでヴァレンシュタインの影に怯えながら戦っている様な気がする。いかんな、やはりミッターマイヤーが居ないのは痛い。戦力的にも痛いが明朗快活な奴が居ないとどうも元帥府の、軍の雰囲気が沈みがちだ。それにロイエンタール、ミッターマイヤーが居ない所為で奴は孤立しがちだ。その事も雰囲気を悪くしている。どうも面白く無い。

切っ掛けが要るな。ヴァレンシュタインの影を払拭し軍の士気を昂揚させる切っ掛けが。一番良いのはヴァレンシュタインを戦場で破る事だが……。
「前方より艦艇群が接近! 敗走する貴族連合軍を後方に逃がしつつ接近してきます!」
オペレータが甲高い声を上げた。新手か! 艦橋の空気が一気に慌ただしくなった。

「閣下」
「落ち着け、参謀長。艦隊の速度を落させろ」
フーセネガーがオペレータに指示を出した。顔色が良くないな、やはり怖がっている。ヴァレンシュタインだと思っているのだろう、その可能性は有る。だが戦火を交えるには未だ距離が有る。先ずは相手を確定する事だ。

「艦艇数多数、約二万! ゆっくりと近付いてきます!」
艦橋がザワッとした。オペレータの報告が悲鳴のように聞こえたのは俺だけではあるまい。艦艇数二万か、こちらより五千隻程多い。おそらくはヴァレンシュタインだ。ブラウンシュバイク公爵家でも最大の兵力を任されている。それだけの信頼を得るだけの働きもしている。凶暴でデカい熊を目の前にしている様な気分になった。部下達の視線を痛い程に感じた。

「艦隊を後退させろ、敵艦隊との距離を保て」
俺の出した命令をフーセネガーがオペレータに伝えていく。大丈夫だ、俺の声は平静だった。オペレータ達も落ち着いている。ヨーツンハイムが動きを止め後退を始めた。速度を落していたせいだろう、スムーズに前進から後退へと切り替わった。

さて、如何する? 念のため、先ずは相手を確認する事だな。
「戦艦スクルドを確認! スクリーンに投映します!」
一気に艦橋の空気が緊迫した。やれやれだ、命令する手間は省けたが余り嬉しい報せではない。スクルドがスクリーンに映った。ヴィルヘルミナ級を元に造ったため改ヴィルヘルミナ級とも言われるノルン級旗艦戦艦の四番艦だ。

「総司令部に連絡、我ヴァレンシュタイン艦隊と遭遇。現在距離を保って対峙中。指示を請う」
俺の指示を聞きオペレータが一心にキーボードを操作している。さて、総司令部がどう反応するか……。戦えと言うか、退けと言うか、或いは増援を送るから引き止めろと言うか……。何も言わずに撤退した方が良かったかもしれんな。

スクリーンに映るスクルドはヨーツンハイム程ではないが大きい。そして重厚感はヨーツンハイムを上回るだろう。ヴィルヘルミナ級に比べると多少武装を落とす事で軽量化を図りそれによって高速を得たと聞いている。そして特徴的なのは通信機能が充実している事だ。打たれ強くしぶとく戦う、貴族らしくない泥臭い艦だ。

まあ、それも当然か。艦の設計にはヴァレンシュタイン、クレメンツ、ファーレンハイトの意見が大きく反映されたらしいからな。一番艦ノルン、二番艦ウルズ、三番艦ヴェルザンディ、それぞれブラウンシュバイク公、クレメンツ、ファーレンハイトが乗艦としている。そして四番艦がスクルド、ヴァレンシュタインの乗艦だ。

「総司令部より入電! 増援を送る、三日間敵を引き止めよとの事です!」
艦橋が凍り付いたように静まった。三日か、近くに味方が来ているという事だな。しかし三日とは……、微妙な日数だ。ヴァレンシュタイン相手に三日持たせる……、厳しい任務になった、一つ間違えば各個撃破になりかねん。フーセネガーが心配そうな顔をしていた。敢えて笑って見せた。指揮官を務めるのも容易ではないな。

「そんな顔をするな、参謀長。総司令部の判断はいささか厳しいが間違っているとは思わん。ここで直ぐに退いては奴を恐れて逃げたという事になる。それでは軍の士気が上がらんし今日の勝利の意味も無くなる。そうは思わんか」
「それは……」
フーセネガーが沈痛な表情をしている。

「何時かは奴を叩かねばならんのだ。その機会を逃すべきではない、そうだろう?」
「それはその通りです。ですが三日というのは……」
いかんな、総司令部を批判していると周囲に取られかねん。
「確かに厳しい。しかし向こうは速度を落している。こちらを叩きに来たと言うよりは味方の救援が目的なのだろう。先ずは距離を保ってヴァレンシュタインを足止めしよう」
「はっ」

やれやれだな、誰が近くにいるのかは分からんが一秒でも早くここに来てくれよ。スクルドにヴァルハラに連れて行かれるのは名誉かもしれんが御免だ。オーディンでは妻と子供達が俺を待っているのだからな。



 

 

第六話 釣り上げる

~ノルン級旗艦戦艦:帝国軍旗艦級大型戦艦。ヴィルヘルミナ級を基に造られたため改ヴィルヘルミナ級と呼ばれた。ネームシップ、ノルンは帝国歴四百八十五年に建造されている。ヴィルヘルミナ級同様大型の推進器を四基搭載し、その推進力は一基当たり巡航艦一隻以上の能力を持つ(推進器の性能はヴィルヘルミナ級以上である)。また正面の主砲をヴィルヘルミナ級の約半分(通常戦艦と比べれば五割増し)にする事で艦全体のバランスを整えるとともに重量の軽減を図っている。これによりノルン級は高速戦艦としての能力を備える事になった。また通信機能を充実させる事で管制指揮能力を向上させている。~



帝国暦 488年  5月 20日  シャンタウ星域  ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



「敵艦隊、後退します」
オペレータがいかにも義務的と言った口調で報告してきた。まあ仕方ないな、攻撃は散発的、追ったり追われたりの繰り返しだ。これで何度目かな、四度、いや五度目か。接触してから五時間、まともな戦いはしていない。損害だって殆ど、いや皆無に近い。

しかしまあ何と言うか、絵になるな、この配置は。指揮官席にエーリッヒが座りその左右を俺とリューネブルク中将、背後をオフレッサーが固める。エーリッヒは肘を付いて軽く手を顎に当てて考え込む風情だ。俺とリューネブルク中将は手を後ろに組みオフレッサーは腕組みをして仁王立ち。エーリッヒがやっている事を考えれば極悪非道のボスとボスを囲む三人の大幹部、そんな感じだ。

スクルドの乗組員はこっそりとフォトを撮っている。無言で立っているシーン、打ち合わせをしているシーン、談笑シーン……。多分馬鹿な貴族達を相手に売り付けるのだろう。戦闘中なんだって理解しているか? 小遣い稼ぎは止めて真面目にやってくれないかな。溜息が出て来た。

「良いのか、このままで」
オフレッサーが太い声で話しかけてきた。
「クレメンツ、ファーレンハイト艦隊が所定の位置に着くまで後一時間はかかります。説明したはずですが」
リューネブルク中将が皮肉っぽい口調で説明した。オフレッサーがフンと鼻を鳴らした。

「そんな事は分かっている。だが向こうの動きをみるとあれは援軍を待っているぞ」
「……」
「こっちに援軍が有るのも気付いているかもしれん。大丈夫か?」
おやおや、この男、トマホークを振るうだけの男と思っていたが多少は考える能力も有るらしい。何でレンテンベルクで落とし穴なんかに落ちた? 血の臭いを嗅ぐと原始人になって思考能力がゼロになるのか?

「大丈夫です、向こうの増援が一個艦隊ならケンプ艦隊と合わせても三万隻、こちらは五万隻ですから数で押し潰せます」
「増援が二個艦隊ならどうする?」
「逃げます、潰し合いはこちらが損ですから」
エーリッヒの答えにオフレッサーが唸り声を上げた。

「卿、逃げるとか平然と言うのだな」
「負けるも使いますよ、昔それでシュターデン教官に嫌がられました」
オフレッサーが吼えるように笑い出した。こいつ本当に人間か? 熊が吼えたのかとかと思ったぞ。
「分かるぞ、さぞかし可愛げの無い候補生だったのだろう」
「可愛げで戦争は出来ません」
エーリッヒがぶすっと答えるとリューネブルク中将も吹き出した。耐えるんだ、アントン。参謀長は司令官を笑ってはいかん。

「笑っても良いぞ、アントン」
「……」
「遠慮するな、鼻がヒクついている」
吹き出してしまった。
「済まん、エーリッヒ、でもな、……」
また吹き出してしまった。済まん、笑いが、耐えられん。オフレッサーとリューネブルク中将も笑っている。仏頂面のエーリッヒを一人置いて三人で一頻り笑った。オペレータ達がフォトを撮っているのが分かったが止まらなかった。

エーリッヒが話し始めたのは俺達がたっぷり三分は笑った後だった。
「正直援軍については余り心配していない。ローエングラム元帥府の指揮官達はこの手の共同作戦は苦手だろうと私は見ている。増援が二個艦隊でも慌てずに対処すれば逃げるのは難しくない筈だ」

三人で顔を見合わせた。オフレッサーは右手で顎髭を撫でている。
「どういう事だ、エーリッヒ」
エーリッヒはチラッと俺を見たが直ぐに正面に視線を向けた。拙い、怒ってるな。
「彼らの多くは前線で武勲を上げて昇進してきた、他者の力を借りず、自分の力だけでね。彼らは共同作戦を執れるだけの力量と相性の良さを持つ相手に巡り合えなかったんだ。それが出来たのはミッターマイヤー提督とロイエンタール提督だけだった。極めて希な事だ」
なるほど、以前もミッターマイヤー提督とロイエンタール提督の事は言っていたな。ミッターマイヤー提督を叩いて二人の連携を阻んだのは大きいと。

「分かるだろう? 彼らにとって同僚というのは協力者であるよりも競争相手という認識が強い。明確な序列が有ればともかく現状では宇宙艦隊に所属する同格の一艦隊司令官に過ぎない。この場に増援が二個艦隊現れても誰が指揮を執るか、進むか退くかで揉めるだろう。現れる指揮官を想像してみれば良い、素直にケンプ提督に協力すると思うか」
そう言うとエーリッヒは“ロイエンタール、ビッテンフェルト、メックリンガー、ケスラー、ナイトハルト”と名を上げだした。

「なるほどな、素直に協力しそうなのはナイトハルトだがそれでもケンプ提督と上手く行くかと言われれば疑問だな。むしろナイトハルトはメックリンガー提督、ケスラー提督の方が上手く行きそうだ」
ビッテンフェルト、メックリンガー、ケスラー、どれもケンプ提督とは上手く行きそうにない。エーリッヒと戦う前に罵り合いが始まりそうだ。

「おい、リューネブルク」
「何ですかな」
「貴族連合軍は敗けると俺は思っていたんだがな、間違いだったか?」
オフレッサーが顎髭を頻りに撫でている。リューネブルク中将が俺を見て笑い出した。駄目だ、俺もまた笑い出しそう。

「ヴァレンシュタイン提督の見積もりでは勝算は二パーセントだそうです」
「はあ? 二パーセント? 二パーセントも勝ち目が有るのか? ヴァレンシュタイン、卿、正気か?」
オフレッサーの声が一オクターブ上がった。二パーセントも勝ち目が有るのかって、そっちかよ。エーリッヒは不愉快そうに顔を顰めている。駄目だ、また吹き出した。オフレッサーが来てから笑ってばかりいるな。何故だろう?

「アントン、そろそろ始める」
「エーリッヒ、少し早いが」
「急に戦いたくなったんだ。卿らの笑い声を聞いていたらね、ムカついてきた」
止めろ、エーリッヒ、腹の皮が捩れる。頼むからその仏頂面は止めてくれ。

皆が笑う中、エーリッヒが艦隊に速度を上げるように命じた……。



帝国暦 488年  5月 20日    ミュラー艦隊旗艦 リューベック ドレウェンツ



「あと三日、いや二日半か」
指揮官席に座ったミュラー提督が大きく息を吐いた。表情は沈痛としか言いようのない表情だ。僚友であるケンプ提督と親友であるヴァレンシュタイン提督が戦う。提督はかなり心を痛めている。やはりアルテナ星域の会戦、あの敗北が響いている。

アルテナ星域でミッターマイヤー提督がヴァレンシュタイン提督に敗れた事は政府軍にとって酷い衝撃だった。ヴァレンシュタイン提督が有能である事は分かっている。しかしあそこまで一方的にミッターマイヤー提督が敗れるとは……。誰もが信じられず何かの間違いだと思った。

その衝撃の所為だろう、心無い連中がミュラー提督を非難するかのような事を言った。だが提督はそれに対して何も反論しなかった。ただ無言で沈痛な表情をしていただけだ。そして今も沈鬱な表情をしている。総司令部から援軍を命じられた時からずっとだ。

「閣下、少しお休みになっては如何ですか? いささかお疲れのように見えます」
「……」
私が声をかけても返事は無かった。聞こえているのだろうか?
「閣下?」
「ああ、済まない、気を遣わせてしまったな。だが私は大丈夫だ」
提督は私を見て微かに笑みを浮かべた。痛々しい笑みだ、とても見てはいられない。

「大丈夫です、ケンプ提督は我々の艦隊が三日後に戦場に着く事を知っています。それまで無茶はなされないでしょう」
気休めではない、その程度の事は出来る筈だ。
「……だと良いが……」
「閣下?」
提督が私を見た。何処か困ったような表情だった。

「ドレウェンツ大尉。士官候補生時代の事だが私は何度もエーリッヒ、いやヴァレンシュタイン提督とシミュレーションを行った。だが殆ど勝てなかった、いつも負けていた」
口惜しそうな口調ではなかった。しかし、ヴァレンシュタイン提督がミュラー提督をシミュレーションで圧倒した? 本当なのか? 本当だとすればヴァレンシュタイン提督の力量は相当なものだ、一部で囁かれるミッターマイヤー提督の敗北は運が悪かったなどで済む話ではない。後二日半、間に合うだろうか……。自信が無くなってきた。

「稀に勝つ事が有ってもそれは私が勝ったというよりヴァレンシュタイン提督が何かを試してそれが上手く行かなかった、それで私が勝った、そういう勝利だった。本当の意味での勝利ではなかったと私は思っている……」
「……」

「もっとも彼はシミュレーションの戦績にあまり拘らなかった。彼の口癖が戦争の基本は戦略と補給だった。勝てるだけの準備をしてから戦う、そして戦えば必ず勝つ」
「……」
ミュラー提督が大きく息を吐いた。
「我々はそういう相手を敵にしている。間に合えば良いんだが……」
提督の沈痛な表情は変わらない。間に合うだろうか……。



帝国暦 488年  5月 20日  シャンタウ星域  ケンプ艦隊旗艦 ヨーツンハイム カール・グスタフ・ケンプ



五時間の駆け引きの後、ヴァレンシュタイン艦隊は攻勢を強めてきた。艦隊の速度を上げ距離を詰めて攻撃をかけてきている。しかし未だ本気とは思えない、こちらの様子を見ている、そんな感じの攻撃だ。こちらは押されながらも相手を窺っている、そんなところだろう。それがもう四時間近くも続いている。どうもおかしい。
「参謀長、どう見る」
「はっ、なんとも判断しかねますが……」
参謀長のフーセネガーが口籠った。やれやれだな。

「兵力の少ない我々が撤退しなかった、相手を引き止めている。となれば常識的に考えて我々には増援が有る、時間稼ぎをしている、相手はそのように見ていると思います」
「うむ、そうだな」
ヴァレンシュタインがそれを分からないとも思えない。

「となりますと敵の攻撃はいささか不可解です。兵力が多いのであればそれを活かして各個撃破を図るのが用兵の常道、或いはこちらの増援が来る前に撤退するのも有ると思います」
「俺もそう思う。だが現実にはヴァレンシュタインは俺達の時間稼ぎに付き合っている。今も本気とは思えない攻撃だ、不思議な事だ」
ヴァレンシュタインが無能なら有り得る。しかし無能ではない、無能でない以上何らかの狙いが有る筈だが……。

「となると敵にも増援が有るのかもしれません」
「合流してから一気に我々を押し潰すか」
「はい」
気が付けば唸り声が出ていた。一理ある、しかしわざわざ増援を待つ必要が有るのか? 兵力差は歴然なのだ、攻め寄せて良いではないか。その上で増援を待つ! 俺ならそうする。

「或いは……」
「或いは?」
フーセネガーがじっと俺を見ている。
「相手も増援が来るのに時間がかかるのかもしれません」
「相手もか」
「はい、そしてこちらの増援が何時来るのか、計りかねている」
また唸り声が出た。

迷っているのか、ヴァレンシュタインは。だから思い切った攻勢に出られない。可能性は有るな……。
「閣下! 敵が!」
オペレータの声に慌ててスクリーン、戦術コンピュータのモニターを見た。ヴァレンシュタインが攻勢を強めている! 艦橋の彼方此方から悲鳴のような声が上がっていた。

「参謀長!」
「閣下、先ずは御指示を!」
そうだ、先ずは指示だ。如何する? 艦隊を後退させるか? それとも反撃する? 向こうが迷っているのなら反撃も選択肢の一つだ。こちらが強気に出れば向こうが後退する可能性は有る。待て、あれは……。

「敵、速度を上げつつ陣形を変えています!」
「閣下、敵が陣形を!」
オペレータとフーセネガーが声を上げた。ヴァレンシュタインが陣形を変えつつある。紡錘陣形だ、中央突破を狙う気か! 艦橋の空気が一気に緊迫した。火花が散りそうな気がした。

「こちらも陣形を変える、後退しつつ縦深陣だ、急げ!」
「はっ、後退しつつ縦深陣だ。両翼は現状の後退速度を維持、中央は後退速度を上げろ、急げ!」
俺の出した指示をフーセネガーが命令にしていく。敵は中央突破を狙っている、二万対一万五千、何処まで耐えられるか……。

この時点で攻勢をかけてきたという事は敵の増援は近くに居るという事か? 今までの曖昧な攻撃はこちらを引き止める為? となれば無理せず撤退をすべきではないのか? ミュラーが来るまであと二日半は有る、どうする? 已むを得ずとはいえ総司令部の命令に背く事になる。しかし負けるのよりは良い筈だ。……互いの陣形が少しずつ完成して行く。どうする? 突っ込んでくるか? 撤退、いや踏み止まるか……。じりじりと時間が過ぎ陣形が整って行く、だが答えは出なかった。何時の間にか拳を握り締めていた。じっとりと掌に汗をかいている。気付かれないようにそっと汗をズボンで拭いた。
 
「フーセネガー参謀長!」
「はっ」
フーセネガーの顔色は良くない。読みが外れた、そう思っているのかもしれない。俺に責められると思っている可能性も有るだろう。
「損害が大きくなる前に撤退すべきだと思うか?」
「それは……」
フーセネガーの表情が歪んだ。足止めは総司令部の命令だ。撤退の責任を自分に押し付けようとしている、そう思ったのかもしれない。

「勘違いするな、撤退の責めを卿に負わせる事はしない。あくまで参謀長の意見を聞きたいだけだ」
「……」
「敵の増援は近くに居るのかもしれん。このままでは……」
「……小官も同じ危惧を抱いております。……撤退を、進言します」
絞り出す様な声だった。やはり撤退か……。ふっと息を吐いた。安堵か、無念か、自分でも分からなかった。

「敵、後退しています!」
「何!どういう事だ!」
オペレータの報告に思わず声を上げた。スクリーンには確かに後退する敵がいた。戦術コンピュータのモニターも後退する敵を示している。どういう事だ? あの攻撃は何だったのだ? 混乱した、俺だけではない、皆が困惑していた。

「閣下、如何なさいますか?」
フーセネガーが問い掛けてきた。如何? 敵は撤退している、このまま撤退させて良いのかという事か。待て、そうか、そういう事か……。
「追うぞ! フーセネガー」
「追うのですか?」
フーセネガーが訝しんでいた。

「ヴァレンシュタインには増援は無い、有ってもかなり遠くに居るのだ。奴はこちらの増援を探っていた。俺達が撤退すれば増援は無いと見て追撃するつもりだった。だが踏み止まったため増援が近くに居ると見て撤退するのだ」
「なるほど」
「追撃だ!」

 

 

第七話 二パーセント

~エインヘリャルは北欧神話でいう戦死した勇者の魂。日本語表記では他にエインヘルヤル、アインヘリヤルもみられる。「死せる戦士たち」とも呼ばれる彼らは、ヴァルキューレによってヴァルハラの館に集められる。ラグナロクの際に、オーディンら神々と共に巨人たちと戦うために、彼らは毎日朝から互いに殺し合い、戦士としての腕を磨いている。ヴァイキングの間では、死後ヴァルハラに迎えられることこそ、戦士としての最高の栄誉とされていた。そのため、エインへリャルとしての復活を信じて戦場においても死を恐れることなく、キリスト教徒より勇敢に戦うことが出来たと考えられている~



帝国暦 488年  5月 20日  シャンタウ星域  ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



「敵艦隊、追ってきます!」
「全艦に再度命令、急速後退! 急げ!」
エーリッヒが命令を出すとオペレータ達が弾かれた様に動き出した。まあ仕方ないよな、エーリッヒはちょっと御機嫌斜めだ。もう俺もリューネブルク中将もオフレッサーも笑うのは止めたんだから機嫌を直して欲しいよ。仕事は楽しくやらないと。

「敵艦隊、速度を上げています!」
オペレータが声を張り上げるとエーリッヒが“喰い付いた”と言って小さく笑った。背筋が寒いわ、これが出た時は相手に大量戦死者が出るのが確定した時だ。アルテナ星域の時も同じだった。リューネブルク中将を見ると中将も肩を竦めている。オフレッサーは気付いていないようだ、真後ろだし初めてだから分からないのだろう。

「敵、砲撃してきました!」
「応戦せよ! アントン、艦隊をU字型に再編する。本隊は中央、アーベントロート、シュムーデは右翼、アイゼナッハ、クルーゼンシュテルンは左翼、ルーディッゲ少将は予備として本隊の後方に配置。但し、後退速度は現状を維持。追い付かれるな!」
「はっ」

後退速度は現状を維持か、陣形再編のために速度を落とすなという事だな。となると本隊と予備は少し速度を上げる必要がある。紡錘陣形からU字型、さらにこの状態から速度を上げるか、結構きつい命令だな。だが敵が迫っている以上悠長な事は出来ん。

オペレータ達に指示を出すと彼らも慌てて各分艦隊の位置を確認しながら指示を出し始めた。敵は少し出遅れた、今は未だ損害らしい損害は出ていない。しかし向こうは速度を上げてきている。このままではいずれは追い付かれるだろう。そうなればこちらにも損害は出る。急がなければ……。

「なんと言うか、簡単に喰い付いたな。罠だとは思わんのかな」
オフレッサーが小首を傾げている。
「思いませんね。敵は艦隊速度を上げています、ケンプ提督は逸っているんです。こちらに増援が無い、戦闘状態になるのを恐れている、そう思っています」
エーリッヒが他人事のように答えるとオフレッサーが“フム”と頷いた。実際敵が速度を落とす気配は無い、少しずつ距離は縮まっている。

「こちらは陣形を変えている、包囲されるがそれでもか?」
「虚仮脅しぐらいにしか思いませんよ。何と言ってもこちらは全速で逃げています。罠なら速度を緩めて誘い込むだろうと思うはずです。そして積極的に追えば自分の後ろに増援が迫っているとこちらが判断すると思っている」

オフレッサーがまた“フム”と頷いた。不思議だな、この二人。互いに正面を見ながら話している。オフレッサーは腕組み、エーリッヒは頬杖。両者とも相手の顔を見て話そうという気は無いらしい。それでも会話が成り立っている。相性良いのか? リューネブルク中将も不思議そうに見ている。

「追い付かれるぞ」
「陣形が整うまで追い付かれなければ問題ありません。その後は誘い込んで半包囲します。最終的にはクレメンツ、ファーレンハイト艦隊が蓋をしてくれます。後はぐつぐつ煮込んで終わりです」
「なるほど、手順だけ聞くと美味そうだな」
オフレッサーが頷いた。この男なら本当に食いそうだ。

「敵の増援が迫っているという可能性は?」
「その可能性は有ります、ですが小さいでしょう。それならもっと早く仕掛けた筈です。……ところでオフレッサー閣下、私の頭の上から話しかけるのは止めて頂けませんか。見下ろされているようで不愉快です」
あ、また仏頂面になっている。なるほど、相性が良いわけでは無かったか。

「フム、俺は気にせんが卿が不愉快と言うなら考えなければならんな。……耳元で囁くというのはどうだ?」
溜息が聞こえた。
「……そのままで結構です、動かないで下さい」
思わず吹き出した。髭面のオフレッサーがエーリッヒの耳元で囁く? リューネブルク中将も吹き出している。それを見てオフレッサーが大声で笑い出した。

オペレータ達が驚いて俺達を見ている。戦闘中に笑い出したのだから無理もない。エーリッヒが顔を顰めるのが見えた。
「何を見ている! 各員職務を遂行せよ!」
エーリッヒの命令にオペレータ達が動き出した。相性は……、考えるのは止めよう……。



帝国暦 488年  5月 20日  シャンタウ星域  ファーレンハイト艦隊旗艦 ヴェルザンディ  アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト



「間もなく戦闘予定宙域です」
「参謀長、戦闘の推移によっては多少ズレが有るかもしれん。索敵部隊には予定宙域だけに留まらずその周辺も索敵対象であることを徹底させてくれ」
「はっ」
参謀長のブクステフーデ准将がオペレータに指示を出していく。その姿を見ながら俺はヴァレンシュタインとミュラーの事、そしてコルネリアス・ルッツの事を思った。

ヴァレンシュタインはミュラーと戦う事を出来るだけ避けようとしている。親友だからではない、その方が戦局を有利に進められる、そう思っているようだ。場合によっては寝返らせるか、或いはローエングラム侯の手で粛清させるか、そこまで考えている。非情としか言いようがない。ヴァレンシュタインが持つ情の厚さを思えばその苦衷は胸を掻き毟らんばかりだろう。だがそれでも彼はそれに耐え勝つ事を模索している。

コルネリアス・ルッツ、彼は辺境星域でキルヒアイス提督、ワーレン提督と共に戦っている。当分俺が彼と戦う事は無いだろう。だが辺境星域の平定が終わればルッツは本隊に合流する筈だ。そうなれば戦力を増強したローエングラム侯は攻勢を強めてくる。ルッツとも戦場で戦う事になるのは間違いない。

「二パーセントか……」
「閣下?」
副官のザンデルス大尉が訝しそうな表情をしている。いかんな、思わず口に出たか。
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
「はい」

先日、皆で飲んだ時改めて勝つ可能性をヴァレンシュタインに訊いたがやはり答えは二パーセントだった。理由は最終的には戦場でローエングラム侯を殺さねばならない、しかしどう見ても殺せそうにない、どうすれば彼を斃せるのか、そこが見えてこない、そう言っていた。そして貴族連合は弱点が多すぎるとも……。

“ローエングラム侯を相手に中途半端な勝利は有り得ません。どちらかが滅ばざるを得ない。その辺りを貴族達がどの程度理解しているか……、不安が有ります。このままで行けば戦線が膠着し長期戦になる可能性も有りますが長期戦は明らかに貴族連合に不利です。そうなれば結束の弱い貴族連合は常に分裂、離散の危険が有ります”

“貴族達に我々は勝てるのだという希望を与え続けねばなりません。希望が有る限り貴族連合は一つで有り続けるでしょう。しかし希望が無くなれば、その時から貴族連合の終焉が始まります。裏切り、逃亡者が続出するでしょう。悲惨な結末が待っていますね”

希望を与える、つまり俺達が戦場で勝ち続ける事だ。勝ち続ける限り貴族達は俺達が居れば何とかなる、ローエングラム侯に勝てると思うだろう。そして俺達に縋り付く筈だ。だが貴族を餌にするのも今回が最後、となれば徐々に徐々にだが勝つための条件は厳しくなっていく。これから先どうやって貴族達に希望を与えるのか……。

「索敵部隊から報告! ヴァレンシュタイン艦隊、ケンプ艦隊を確認! 予定宙域です!」
「状況は! どちらが勝っている!」
ブクステフーデ参謀長が怒鳴るようにオペレータに状況の確認をした。
「ヴァレンシュタイン艦隊はケンプ艦隊を半包囲下においています!」
オペレータの答えに爆発するような歓声が艦橋に上がった。良し、今回は貰った。後はクレメンツ提督が来れば包囲は完成だ。
「艦隊の速度を上げろ! 急げ!」



帝国暦 488年  5月 22日    シャンタウ星域 ミュラー艦隊旗艦 リューベック ドレウェンツ



先行する索敵部隊から連絡が入ったのは二十二日に入ってすぐの事だった。“こちらに向かってくる艦艇群を確認。その数、およそ二万隻”。その報告がリューベックに伝えられると艦橋は凍り付く様な沈黙に陥った。身動ぎ一つ許されない、そんな沈黙だ。

ミュラー提督はその報告を聞くと指揮官席で身体を強張らせた。そして眼を閉じると深く息を吐いた。恐れていた事が起きた。多分ケンプ提督は敗北したのだろう。しかし妙だ、敗走してくる艦隊には会わなかった。それにケンプ艦隊からの連絡も無い。どういう事だ?

戦っている最中、こちらの艦隊を秘匿するために通信を封鎖したという事は有り得る。だが敗北したなら味方を捲き込まない為、或いは救援を求める為に通信してもおかしくは無い筈だ。通信妨害をされた? そして全滅? 嫌な想定ばかりが頭をよぎった。

オルラウ参謀長が“閣下”と提督に声をかけた。
「索敵部隊が接触したという事は三時間もすれば我々とも接触するでしょう。如何されますか?」
「……このまま前進してくれ、周囲を警戒しながらだ」
ゆっくりとした、噛み締めるような口調だった。

戦うのだろうか、向こうは二万隻近い兵力を維持している。という事は殆ど一方的にケンプ提督は敗れたのだろう。ヴァレンシュタイン提督の艦隊は間違いなく貴族連合軍最強の艦隊だ、兵力もこちらより多い。このまま進めばその艦隊と戦う事になる。旗艦リューベックの艦橋は重苦しい空気に包まれた。オペレータ達が時折ミュラー提督に視線を向ける。強敵と戦う昂揚感は無い、明らかに怯えている。

三十分程経った時、敵艦隊から通信が入ってきた。スクリーンに黒髪の若い男性が映った。間違いない、ヴァレンシュタイン大将だ。……オフレッサー? ヴァレンシュタイン大将の後ろにオフレッサー上級大将も映っている! 生きていたのか……。艦橋の彼方此方からざわめきが起こった。

『やあ、ナイトハルト、久し振りだ』
「……エーリッヒ」
屈託なくにこやかに話しかけてきた。皆がますます驚いている。
『ちょっと卿に頼みたい事が有るんだ』
「それを聞く前にケンプ提督の事を教えて欲しい。ケンプ提督はどうなった? 艦隊は?」
ヴァレンシュタイン提督がちょっと困ったような表情を見せた。

『ケンプ提督の艦隊は全滅した』
“全滅”という言葉が大きく響いた。皆震え上がっている。オルラウ参謀長が“馬鹿な”と小さく呟くのが聞こえた。
『だがケンプ提督は無事だ、降伏して捕虜になった。彼だけじゃない、百万人以上の部下も一緒に降伏した』
「……」
百万人以上が捕虜? 単純計算で一万隻以上が降伏したという事か。どういう事だ?

「そうか、クレメンツ提督、ファーレンハイト提督も一緒だったのか……。私を攻撃しないのか?」
ヴァレンシュタイン提督が肩を竦めた。
『しないよ、そんな事は。一個艦隊潰したからね、お腹が一杯なんだ。私が小食なのは知っているだろう』
三個艦隊を動かした……。危なかった、一つ間違えばこの艦隊も殲滅されていたかもしれない。或いはヴァレンシュタイン提督はミュラー提督と知って見逃したのか?

「……クレメンツ提督、ファーレンハイト提督は?」
『二人はガイエスブルク要塞に戻った。私は卿に頼みたい事が有ってね、ここで待っていたんだ。良いかな、話しても』
「ああ、構わない」
ミュラー提督の言葉にヴァレンシュタイン提督が頷いた。本当に戦争をしてるんだろうか、そんな長閑さを二人から感じた。

『捕虜を預かって欲しいんだ』
「預かる?」
『ああ、ガイエスブルク要塞には百万もの捕虜を収容する場所は無い。それに貴族連合軍は軍規が緩いからね、捕虜に対して非人道的な暴力事件が起きかねないんだ。分かるだろう? ミッターマイヤー提督の事を考えれば』
「確かにそうだな」

『ケンプ提督もその事が不安だったようだ。という事でね、二人で話し合った。それで内乱の期間中は捕虜としてオーディンで過ごすという事で同意した。つまり軍務には戻らないという事だ』
「なるほど」
なるほど、と思った。ようするに場所を貸せという事か。

『如何思う?』
「良い考えだと思う」
『ならばローエングラム侯の了承を取ってくれないか。そしてケンプ提督達をオーディンに運んで欲しい。如何かな?』
ミュラー提督が少しの間俯いて考えた、顔を上げた。

「もしこちらがケンプ提督を戦場に出したら?」
『……次からは捕虜は取らない』
「皆殺しか」
『そういう事になるね。望むところではないが容赦はしない』
艦橋が凍り付いた。ヴァレンシュタイン提督の声には先程までの和やかさは無かった。ヒヤリとするものを感じる程冷たかった。

「分かった、ローエングラム侯の許可を取ろう」
『捕虜の引き渡し、そして私の艦隊が撤退するまでに二十四時間が必要だ。その二十四時間の間、帝国軍の軍事行動の停止、それをローエングラム侯に宣言して貰いたい』
「……」

『私はローエングラム侯は信じるがオーベルシュタイン総参謀長は信じていない。陰で小細工されるのは御免だ』
ミュラー提督が大きく息を吐いた。
「分かった、ローエングラム侯を説得しよう」
『宣言は一時間以内に頼む。それを過ぎれば時間稼ぎをしていると判断して撤退する』
提督が眉を寄せた。

「捕虜は如何なる?」
『貴族達の玩具になるな』
「エーリッヒ!」
ミュラー提督が声を荒げたがスクリーンに映るヴァレンシュタイン提督は眉一つ動かさなかった。
『小細工はするなと言っている。卿は親友だがそれを信じて私の部下を危険に曝す事は出来ない。我々は敵対関係に有るんだ』

一時間では我々の艦隊はヴァレンシュタイン提督の艦隊には追い付けない。ヴァレンシュタイン提督は無理なく撤退できる。或いはクレメンツ提督、ファーレンハイト提督はヴァレンシュタイン提督の直ぐ傍に居るのかもしれない。それならば撤退を阻む艦隊が現れても排除は難しくない。ヴァレンシュタイン提督はこちらをかなり警戒している。

ミュラー提督がヴァレンシュタイン提督の要求を全て受け入れた。ヴァレンシュタイン提督は軍事行動の停止が宣言されたらまた連絡すると言って通信を切った。一時間、一時間以内にローエングラム侯を説得し軍事行動の停止を宣言して貰わなくてはならない。


 

 

第八話 一時の憩い



帝国暦 488年  5月 22日    シャンタウ星域 ミュラー艦隊旗艦 リューベック ナイトハルト・ミュラー



『おのれヴァレンシュタイン、またしても……、もう良い!』
スクリーンに映るローエングラム侯が宙を睨み据え吐き捨てた。リューベックの艦橋は縮み上がっている。おそらく総旗艦ブリュンヒルトも同様だろう。
「閣下」
『何だ!』
蒼氷色の険のある視線で見据えられた。正直怯みを覚えたがまだ用件を伝えていない。

「ヴァレンシュタイン提督よりケンプ提督達捕虜の扱いについて提案を受けています」
『提案だと?』
蒼氷色の険が益々強まった。スクリーン越しだから耐えられるがそうでなければ逃げ出していたかもしれない。

「はい、捕虜としてこちらで預かって欲しいと言っています。ガイエスブルク要塞にはそれだけの捕虜を収容するのは難しいそうです」
『勝手な事を』
ローエングラム侯が顔を顰めた。もう少し感情を抑えて貰えないものか、報告がし辛いというのは良い事とは言えない。

「それに貴族達が私的に暴力を振るう可能性が有ります。ヴァレンシュタイン提督はその辺りも懸念しているようです」
『……なるほど』
多少視線が落ち着いた。呼吸がし易くなった様な気がする。
「いささか身勝手な言い分であるとは思います。しかし将兵の事を考えれば受け入れるべきではないでしょうか」
ローエングラム侯が渋々といった感じで頷いた。

『良かろう、内乱が終結すれば反乱軍を相手に使えるのだ。休養を与えたと思う事にしよう』
投げやりだが納得はしている、ホッとした。
「有難うございます。それと万が一にも彼らを戦場に出す事はお止め頂きたいと思います。それをすれば次からは捕虜を取らない、皆殺しにする、ヴァレンシュタイン提督はそう言っていました」

『その心配は無用だ、約束は守る』
いささか心外、そんな口調だ。もう一つ頼まなければ……。総参謀長が居る、なんとも遣り辛いな。
「それともう一つ、ヴァレンシュタイン提督から要求が有ります」
『未だあるのか、欲深い奴だ』
口元が捩じれている。好感度ゼロ、無理もないな……。

「捕虜の引き渡し、そしてヴァレンシュタイン提督の艦隊が撤退するまで、向こうは二十四時間を想定しています。その二十四時間の間、帝国軍の軍事行動の停止、それを一時間以内にローエングラム侯に宣言して貰いたいと……」
『一時間以内?』

「ヴァレンシュタイン提督はローエングラム侯は信じるがオーベルシュタイン総参謀長は信じられない、陰で小細工されるのは御免だと言っております」
ローエングラム侯が忌々しそうな目でオーベルシュタイン総参謀長を睨んだ。しかし総参謀長は表情を変えない、確かに何を考えているか分からないところが有る。エーリッヒが不安に感じてもおかしくは無い。

『分かった、一時間以内に宣言する』
「よろしくお願いします。一時間を過ぎますと時間稼ぎをしていると判断して撤退するそうです」
『そんな事はしない』
益々不愉快そうな表情だ。でも悪いのは俺じゃない、エーリッヒと信用の無いオーベルシュタイン総参謀長だ。耐えるんだ、ナイトハルト。

「それと」
『未だ有るのか』
「旗艦スクルドの艦橋にオフレッサー上級大将の姿を確認しました」
ローエングラム侯がオーベルシュタイン総参謀長を睨んだ。不愉快の極み、だな。
『……ご苦労だった、ミュラー提督。宣言は必ずする、卿は捕虜を受け取りレンテンベルク要塞に帰投せよ』
冷え切った声だった。敬礼をする前に通信が切られた。リューベックの彼方此方から息を吐く音が聞こえた。



帝国暦 488年  5月 22日    シャンタウ星域 ミュラー艦隊旗艦 リューベック ドレウェンツ



「ナイトハルト、ローエングラム侯に上手く話してくれた事、感謝している。助かったよ」
「いい気なものだ、こっちは寿命が縮むような思いをしたよ」
ミュラー提督がぼやくとヴァレンシュタイン提督が軽く笑い声を上げた。和気藹々、そんな二人を艦橋のオペレータ達は困惑しながら見ている。

「今も寿命が縮むような思いをしているんじゃないか。私がここに居る事を総参謀長が知ったら如何思うかな?」
「知りたくもないね。卿は無茶ばかりする、私は振り回されてばかりだ」
またヴァレンシュタイン提督が笑い声を上げた。ミュラー提督を信じている、自分の身が危険だとは微塵も思わないらしい。

ローエングラム侯が広域通信で二十四時間の軍事行動の停止を宣言するとヴァレンシュタイン提督は直ぐに艦隊を我々の艦隊に接近させた。そして捕虜の移乗が始まると単身、リューベックに乗り込んできた。リューベックの乗組員は唖然、ヴァレンシュタイン提督は平然、ミュラー提督は溜息、そして今、二人は紅茶を飲んでいる。

「それで、何の用だ?」
「用が無ければ訪ねては行けなかったか? 私達は友達だろう?」
ミュラー提督が溜息を吐きヴァレンシュタイン提督が肩を竦めた。
「分かったよ、教えて欲しい事が有る。ミッターマイヤー提督の具合は如何かな。酷い怪我をしたと聞いているが……」
妙な感じだ、怪我をさせたのはヴァレンシュタイン提督なのだが……。

「命に別状は無い、怪我は酷いが半年もすれば軍務に復帰出来る筈だ」
「そうか、良かったよ、それは。フラウ・ミッターマイヤーも一安心だろう」
ヴァレンシュタイン提督が大きく息を吐いた。
「知っているのか?」
「いや、会った事は無い。だが仲の良い夫婦だと聞いている」
「……」
ミュラー提督が何かを言いかけて一口紅茶を飲んだ。

「内乱というのは……、嫌だね。知っている人間と殺し合わなければならない。おまけに如何いうわけか殺したくない人間ばかり敵になる」
「……そうだな、同感だ」
「ケンプ提督が早めに降伏してくれた事には感謝している。あの人は子供が二人いる、それにまだ小さい。ケンプ提督が戦死していたら……、悪夢だよ」
ヴァレンシュタイン提督が首を横に振っている。不思議な事だ、この人は勝っても喜んでいない。

「オフレッサー上級大将を見たが?」
「ああ、もう少しで貴族達に裏切り者として殺されるところだった。だが私が止めた、彼が裏切るなど有り得ないからね。オーベルシュタイン総参謀長殿も小細工をする……」
ヴァレンシュタイン提督が微かに笑みを浮かべた。間違いなく総参謀長を嘲笑している。

「……卿と行動を共にしているのか」
「借りを返すと意気込んでいるよ。如何いうわけか私の所にはそんな人間ばかり集まってしまった。戦争は勝つために行うはずなのに……、馬鹿げているな。もっとも私自身、ブラウンシュバイク公に借りを返すために戦っているのだから彼らを拒絶する事も出来ない、困ったものだ」
自嘲するかのようなヴァレンシュタイン提督の言葉にミュラー提督が視線を伏せた。切なそうな表情をしている。

「そんな顔をするな、ナイトハルト。こうなったのは卿の所為じゃない」
「……」
「あの時は仕方なかった。帝国軍三長官に睨まれた兵站統括の中尉を救えるのは大貴族しか居なかった。だから卿はアントンに話をした、私を救うためだ。そうだろう?」
ミュラー提督が“ああ”と小さく答えた。視線は伏せたままだ。

「ブラウンシュバイク公の庇護が無ければ私はとっくの昔に戦死している」
「……」
「卿は正しい選択をした。それは私が保証する、だから悩むな、後悔するな。ナイトハルト・ミュラーにはそんな顔は似合わない。私は卿に出会えた事を感謝しているよ、卿は私の大切な友人だ」
ミュラー提督がまた“ああ”と小さく答えた。提督は今にも泣き出しそうだ。艦橋のオペレータ達も皆顔を伏せている。

「誤解しないでくれよ、ナイトハルト。卿は私の大切な友人だ。しかし戦場では卿を殺す事を躊躇ったりはしない。機会を得れば無慈悲なほどに捻り潰すだろう。だから卿も私を殺す機会を得たら躊躇うな」
「分かっている」
「卿はローエングラム元帥府では十分な立場を築いていない、その事も忘れるなよ」
“分かった”と言ってミュラー提督が頷くとヴァレンシュタイン提督も頷いた。ヴァレンシュタイン提督は優しい眼でミュラー提督を見ている。何故この二人が戦う事になるのか、そう思った。

「エーリッヒ、勝てるのか?」
「……貴族連合には色々な意見の人がいるよ。絶対勝てると言う人間も居ればアントンのように二十パーセントくらいは勝算が有るという人間も居る」
「……卿はどう思うんだ?」
「私の見るところでは勝算は二パーセント、かな。ゼロじゃないだけましだ」
「……」

耳を疑った。私だけじゃない、艦橋の皆が驚いている。冗談かと思ったがヴァレンシュタイン提督は平静な表情で紅茶を飲んでいる。ミュラー提督は無言のままだ。その後、少しの間二人は他愛ない話をしていた。主に士官学校時代の話だ。何度も何度も笑い声が上がった。そしてヴァレンシュタイン提督は帰って行った。ヴァレンシュタイン提督もミュラー提督も特別に別れを惜しむような事はしなかった。また会える、そう思っているのだろうか。

「二パーセントか……」
「本気でしょうか? 冗談を言っているようには見えませんでしたが……」
ミュラー提督の呟きにオルラウ参謀長が問い掛けた。ミュラー提督が参謀長を見た、提督は深刻そうな表情をしている。

「私はエーリッヒ・ヴァレンシュタインという男を知っている。例え二パーセントでも可能性が有るなら、その可能性を手にするために死力を尽くすだろう。実際我々はとても優位に戦争を進めているとは言えない状況だ。厄介な男を敵に回してしまったよ……、この内乱は酷い戦いになりそうだ」
そう言うとミュラー提督は大きく息を吐いた。



帝国暦 488年  6月 10日    アルテナ星域  レンテンベルク要塞  ナイトハルト・ミュラー



「大丈夫かな、ケンプ提督は」
「キルヒアイス提督が居ればローエングラム侯に取り成してくれるだろうがオーベルシュタイン総参謀長ではな……、控えめに言っても期待は出来んだろう」
ケスラー提督とメックリンガー提督の会話に皆が頷いた。

アムリッツア会戦の後、大失敗をしてローエングラム侯に叱責されたビッテンフェルト提督をキルヒアイス提督が取り成した事は皆が知っている。オーベルシュタイン総参謀長が何もしなかった事も。ローエングラム侯に報告しているであろう、叱責を受けているであろうケンプ提督の事を考えると溜息が出そうになる。

「ミュラー提督、オフレッサーが生きているのは間違いないのか」
「間違いありません、スクリーン越しでは有りますが姿を見ました。ヴァレンシュタイン提督にも確認しています。オフレッサー上級大将はもう少しで裏切り者として殺されるところだったそうですがヴァレンシュタイン提督がそれを止めたそうです。それを恩に着て今では一緒に行動しているとか」
俺が答えるとビッテンフェルト提督が“フン”と鼻を鳴らした。

「だから俺は直ぐに殺すべきだと言ったのだ。奴一人の所為でまた数多の兵士が死ぬ事になるぞ!」
「同感だ、オフレッサーを貴族共に殺させる等と言っていたが……、役に立たん! 策士策に溺れるとはこの事だな」

ビッテンフェルト提督とロイエンタール提督が憤懣をぶちまけた。二人ともこのレンテンベルク要塞を攻略するために凄惨な地上戦を経験している。総参謀長に対する怒りは大きい。そうか、ローエングラム侯が総参謀長を厳しい眼で見たのはこの二人の進言を退けて策を実行した事も関係しているな。いわば総参謀長に顔を潰された、この二人に対して顔向けが出来ない、そういう事か。エーリッヒの奴、何処まで想定していた?

「向こうにはリューネブルク中将も居る。地上戦なら向こうが上だな」
「艦隊戦も怪しくなってきた。ミッターマイヤー提督に続いてケンプ提督も敗れた。思った以上に敵は手強い、手加減して欲しいものだ」
ケスラー提督とメックリンガー提督の言葉には自嘲の響きが有った。良くない状況だ、士気が下がっている。

七人居た指揮官が五人に減った。これ以上減るのは危険だ、単独で動くべきではない。しかし共同作戦を執ればそれだけ行動の自由度は減る、そして多方面での軍事行動も執れなくなる。それだけ戦局の推移は緩やかなものになるだろう。つまり内乱の長期化だ。しかしこれ以上の敗北は戦争そのものを失いかねない。

「敵は思った以上に連携が良い様です。単独で動くのは危険ではないでしょうか?」
「ミュラー提督の言う通りだな。単独で動くのは危険だ、二個艦隊で行動を共にするようにしたいが?」
ロイエンタール提督が提案すると他の三人が頷いた。さてこの場に居るのは五人、一人余るが……。

「ケスラー提督はメックリンガー提督と組んでくれ。俺はビッテンフェルト提督と組む」
ロイエンタール提督を除く三人の視線が俺に集中した。やはり信用されていない。残念に思う一方でエーリッヒ達と戦わずに済む事への安堵感が有った。

「ミュラー提督は予備になってくれ」
「予備、ですか」
「ああ、俺達の傍に居ていざという時には駆け付けて欲しい。敵の不意を突けるはずだ」
「それは構いませんが小官よりもビッテンフェルト提督の方が適任では有りませんか、ロイエンタール提督?」
俺が問い掛けるとビッテンフェルト提督、ケスラー提督、メックリンガー提督が頷いた。皆、俺と同意見らしい。一体ロイエンタール提督は何を考えているのか……。ロイエンタール提督が微かに笑みを浮かべた。

「そうだな、確かにビッテンフェルト提督の方が適任なのだが一人にすると何をするか分からんという困った癖が有ってな」
ロイエンタール提督の言葉にビッテンフェルト提督が“おい、どういう意味だ、酷いではないか”と抗議した。もっともケスラー、メックリンガー両提督は“なるほど”と頷いているしロイエンタール提督も気にする様子は無い。

「というわけで俺がビッテンフェルト提督の監視役にならざるを得ん。ミュラー提督には予備をお願いしたい」
「承知しました。必ず期待に添います」
「うむ、宜しく頼む」
やはり戦う事になるか。いや、俺が来る前に逃げるだろうな。直接戦う事は余りあるまい。そう思う事にしよう。溜息が出そうになって慌てて堪えた。



 

 

第九話 反逆者の特権



帝国暦 488年  6月 10日    ガイエスブルク要塞  アントン・フェルナー



ガイエスブルク要塞はまたもお祭り騒ぎだった。敵の一個艦隊を降伏させた。それにケンプ提督は元撃墜王だ。その撃墜王を降伏させたとなれば貴族達が盛り上がるのも無理は無い。捕虜が居ないのが不満そうだったが収容する場所は無いし食料も食い潰す、それを説明すると渋々では有ったが納得した。本当はお前らが玩具扱いして暴力を振るうからなんだが……。

ケンプ提督に良い様に叩かれたラートブルフ男爵は、自分が上手く負けて相手を引き付けたのだと自慢していた。まあ結果としてそうなったのは事実だから間違いではない。でも自慢する事でも無いだろう。一緒に出撃したホージンガー男爵だがこいつは何処かに隠れていたようだ。出撃はしたが本心では怖かったのだろう。敵のいない所を選んで移動していたらしい。ローエングラム侯が二十四時間の軍事行動の停止を宣言するとさっさと戻ってきた。

メルカッツ総司令官の執務室に行くと既にブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、クレメンツ提督、ファーレンハイト提督が揃っていた。エーリッヒが皆を集めて欲しいとメルカッツ総司令官に頼んでいたのだ。何か話が有るらしい。スクルドで訊いたのだが教えてくれなかった。かなり拙い話の様だ、出来れば聞きたくない。でも俺は参謀長なんだよな……。

「御苦労だった、ヴァレンシュタイン提督。戦果の程はクレメンツ、ファーレンハイト両提督から聞いている。良くやってくれた」
「はっ」
メルカッツ総司令官の讃辞にブラウンシュバイク公が嬉しそうにウムウムと頷いている。

「それで、皆を集めて欲しいとの事だが」
「はい、今後の方針について確認をしたいと思ったのです。総司令官閣下、閣下は今後ローエングラム侯がどのように動くと思われますか?」
執務室の空気が変わった。先程まで有った賑やかな空気は無い、シンとしている。皆の表情からも笑顔が消えた。メルカッツ総司令官が“フム”と頷いた。

「単独で動いているところを二個艦隊やられた。しかも一度は三個艦隊に囲まれての敗北となれば……、嫌でも慎重にならざるを得まい。敵はこれ以上の敗北は避けたい筈だ。おそらくは単独での行動を止め数個艦隊で作戦行動を起こす事になるのではないかと私はみている」
皆が頷いた。

「となりますとこれまでのように敵艦隊の撃破を行う事は難しくなります」
「うむ、そうなるな」
「敵の侵攻速度は遅くなりますからじりじりと押し込まれるでしょう」
エーリッヒの言葉に皆が頷いた。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の顔は苦虫を潰したようなものになっている。

「卿の言う通りだ、これからは徐々に戦局は苦しくなるだろう。要塞まで引き寄せ一気に決戦、そう考えているが戦局が厳しくなった時、味方が何処まで耐えられるか……。正直不安が有る」
総司令官の声は苦渋に満ちていた。今は勝っているから良い、しかし味方が負け始めたら……、混乱して決戦など無理という可能性は有る。

「何処かで打開しなければならないだろうと考えているが……」
「何か良い手が有りますか?」
クレメンツ提督が問い掛けたがメルカッツ総司令官は首を横に振った。
「或いはと思う考えも有るが何とも言えない。敵が動けば何か見えてくるかもしれんが時間が無い、おそらく二カ月もすればこちらはかなり押し込まれているはずだ」
勝機を探るには時間がかかる、問題は味方がそれに耐えられるかという事か。

「その頃になれば辺境星域も平定は間近です。そこからは状況は悪化する一方でしょう。平定が終れば三個艦隊が本隊に合流します、ローエングラム侯は一気に押し寄せて来る」
ファーレンハイト提督の言葉に皆が頷いた。なるほど、エーリッヒが勝てる可能性は二パーセントと言う筈だ。思った以上に状況は良くない。

「私の艦隊を動かすというのは如何かな、それならば兵力で圧倒出来ると思うが」
リッテンハイム侯が皆の顔を見回した。リッテンハイム侯は旗下の三個艦隊をブラウンシュバイク公との仲の悪さを偽装するためにここまでは動かしていない。
「小官もそれを考えていました。ここぞというところで侯の艦隊を動かす。それによって戦局を変える……」
メルカッツ総司令官の言葉に皆が頷いた。

「問題は何処で使うかですな」
「それについては小官に考えが有ります」
クレメンツ提督の言葉にエーリッヒが答えると皆の視線がエーリッヒに集まった。エーリッヒの表情は厳しい、かなり危険な策のようだ。

「ただ、その前に或る作戦を実行させて下さい。その方がより効果が大きくなる筈です」
皆が顔を見合わせた。或る作戦? 違うな、危険はこちらか。嫌な予感がしてきた。地雷原の上で飛び跳ねている様な感じだ。

「その作戦とは?」
「敵の後方に出て攪乱を行いたいと考えています」
「攪乱か」
「はい、それが出来れば敵を苛立たせ、その侵攻を遅くする事が出来るでしょう。その分だけ味方の動揺も少なくなる筈です」
「……」

皆が訝しげな表情をしている。そこまで効果が有るのか、そんな表情だ。エーリッヒが微かに笑みを浮かべた。寒い、背中をヒヤリとしたものが走った。
「具体的にはオーディンを狙います」
“オーディン!”という声が彼方此方から上がった。予感が当たった、嬉しくない……。
「詳しく話を聞こうか」
メルカッツ総司令官の声が重々しく響いた。



帝国暦 488年  6月 10日    ガイエスブルク要塞  アルベルト・クレメンツ



メルカッツ総司令官の元を辞すると俺、ファーレンハイト中将、ヴァレンシュタイン大将、フェルナー少将の四人は自然と俺の部屋に向かった。紅茶を四つ用意するとオフレッサー上級大将とリューネブルク中将が訪ねて来た。どうやら見計らって来たらしい。紅茶を二つ追加だ。皆でテーブルを囲んだ。

「次の出撃は何時だ?」
オフレッサー上級大将が唸るような口調で問い掛けてきた。
「会議を要請していたほどだ、早いのだろう?」
オフレッサー上級大将が皆の顔を見回した。フェルナーが呆れたように苦笑を浮かべた。
「十日後には出撃です。但し我々の艦隊だけです」

オフレッサー上級大将が満足そうに頷いてリューネブルク中将を見た。そして“当たったな”と言った。
「当たったとは?」
「早いだろうと予測したのはリューネブルクだ、クレメンツ提督。こいつが予測したのはもう一つある。デカい戦いになる、そうだな」
最後はヴァレンシュタインの顔を覗き込むようにして問い掛けた。ヴァレンシュタインが声を上げて笑った。珍しい事だ。

「大きくなるかどうかは分かりません。しかし退屈はしないでしょうね。今回は閣下とリューネブルク中将にも働いて貰います」
オフレッサー上級大将とリューネブルク中将が顔を見合わせている、二人とも嬉しそうだ。まるで獲物を見つけた肉食獣だな、どちらが先に獲物を獲るか、そんな表情だ。

「但し、死に場所を用意したわけでは有りませんから生きて戻って貰います」
「なるほど、まだまだ先に楽しみが有るという事だな」
オフレッサー上級大将が二度、三度と頷いた。そして“おい、リューネブルク”と中将に声をかけた。
「何でしょう?」
「卿が何故この男と共にいるのか、俺にも分かって来たぞ。中々楽しい男ではないか、ワクワクしてきた」
部屋に笑い声が満ちた。ヴァレンシュタインも苦笑している。

「我々を使うという事は地上戦が発生するという事ですが場所は何処でしょう? まさかとは思いますがレンテンベルク要塞、ですか?」
「いいえ、違います。オーディンです」
リューネブルク中将が目を瞠って“オーディン”と呟いた。オフレッサー上級大将は唸り声を上げている。それを見てヴァレンシュタインが笑みを浮かべた。そして“但し直ぐに撤退します”と言った。

「貴族連合軍は圧倒的に不利な状況にあります。しかしローエングラム侯にも弱点が無いわけでは無い。今回はその弱点を突こうと思います」
「その弱点がオーディンか」
「正確には守るべき拠点が多過ぎるという事だね、アントン。リューネブルク中将が言ったようにレンテンベルク要塞も守るべき拠点の一つだ」

なるほど、貴族連合軍はガイエスブルク要塞に固まっている。ローエングラム侯が攻め寄せれば後方に有る侯の重要拠点は比較的手薄だろう。特に現状ではミッターマイヤー、ケンプの二個艦隊を失っているのだ、後方に回す兵力は極端に不足している筈だ。そこを突く……、大胆では有るが理には適っている。

「他にもローエングラム侯には色々と守るべきものが有る、拠点とは限らない、例えば人とかね」
「……皇帝陛下」
「……グリューネワルト伯爵夫人も居るな」
ファーレンハイト中将と俺が言うとヴァレンシュタインが微かに笑みを浮かべた。ヒヤリとする冷たい笑みだ。
「リヒテンラーデ公を忘れて貰っては困ります」

皆が顔を見合わせた。オフレッサー上級大将がまた唸っている。
「リヒテンラーデ公が居なくなればどうなるか? 新たな政権首班はこちらに関係改善を呼びかけるかもしれない。そうなれば今度はローエングラム侯が反逆者になる」
「それは……」
リューネブルク中将が声を上げた。そしてヴァレンシュタインが低く笑う。

「ええ、シュターデン大将の作戦案とほとんど同じです。オーディンを占拠し皇帝を擁しローエングラム侯を反逆者とする」
「……」
ヴァレンシュタインの笑いは止まらない。
「そんな必要は無いんです。こちらはちょっと力を示せば良い、そして働きかければ……。寝返ってくれる人間が出るでしょう、リヒテンラーデ公を排除してね。その心配が有る限りローエングラム侯は常に後ろを気にしなければならない。こちらが烏合の衆なら向こうもそうしてしまえば良い」

暫くの間沈黙が落ちた。皆が顔を見合わせ沈黙している。士官候補生時代から変わった所が有るとは思っていた。共に戦うようになってからは戦場で戦うだけの単純な男ではない、戦略家として帝国屈指の男だと感嘆した。ブラウンシュバイク公爵家の内政を変えた男だ、政治家の素質も有ると認めた。だが謀略家としての才能も有ったか……。

笑い声が聞こえた。リューネブルク中将が笑っている。
「提督、勝てる可能性は二パーセントでしたな。その二パーセントが微かに見えてきたような気がします、そうでは有りませんか」
ヴァレンシュタインが柔らかく笑った。

「……さあ、どうでしょう」
「最初から狙っていたのでしょう? 敵を引き寄せて叩く、そして手薄になったオーディンを突く」
そうだ、今なら分かる、ヴァレンシュタインは狙っていたのだろう。リューネブルク中将が皆を意味有り気に見回した。

「楽しくなってきましたな」
「同感だ、期待出来そうだ」
「魔術ですよ、これは」
「魔術師ヴァレンシュタインか、良いネーミングじゃないか」
「死に場所を忘れんでくれ」

リューネブルク中将、ファーレンハイト中将、フェルナー少将、俺、オフレッサー上級大将が口々に言うとヴァレンシュタインは最初呆れていたがやがて笑い出した。
「魔術の代償は高いですよ」
代償は命、かな。已むを得んだろう、ヴァレンシュタインが使うのはどう見ても白魔術とは思えない。間違い無く黒魔術なのだから……。



帝国暦 488年  6月 30日  ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



ヴァレンシュタイン艦隊二万六千隻はガイエスブルク要塞を発ちオーディンを目指して航行している。と言っても敵の目を潜り抜けなければならない。当然だが航路からはかなり外れた、言ってみればかなりの悪路を航行している。そして今、旗艦スクルドの会議室では作戦会議が開かれようとしていた。

司令官ヴァレンシュタイン大将、副司令官シュムーデ中将、分艦隊司令官アーベントロート中将、分艦隊司令官アイゼナッハ中将、分艦隊司令官クルーゼンシュテルン少将、分艦隊司令官ルーディッゲ少将、分艦隊司令官シュターデン大将、そして参謀長である俺、フェルナー少将。それに陸戦部隊を率いるリューネブルク中将、オフレッサー上級大将。エーリッヒを上座にして席に着いた。シュターデンは一番下位に控えている、かなり腹を括っている。

とうとうシュターデンもこの艦隊に来た。アルテナ星域の会戦で敗れた事で貴族達は誰もシュターデンを相手にしなくなったらしい。露骨に避けられたようだ。ローエングラム侯に雪辱したいとは思っても六千隻では出来る事も限られている。という事で出撃の四日前、エーリッヒに旗下に加えてくれと頼みに来た。

“このままでは一生下を向いて生きる事になるだろう、そのような惨めな一生を送るのには耐えられぬ。それくらいなら死んだ方がましだ”
“……”
“オフレッサー閣下に聞いた、卿が死に場所を与えてくれると。私にも死に場所を与えてくれぬだろうか”
エーリッヒはちょっと迷惑そうだった。まあ気持ちはとっても良く分かる。俺だって内心では御免だった。レンテンベルク要塞に置いて来るべきだったと後悔したほどだ。人助けをして後悔するとは、……前代未聞だ。

“私はシュターデン提督を利用、いえ見殺しにしたのですよ”
“分かっている。非情としか言い様は無い。しかし卿は私を利用してミッターマイヤー提督を完膚なきまでに打ち破った。私には出来なかった、いや思いつかなかった事だ、違うかな”
“……”

“軍人である以上、どれほど非情であろうと勝たなければならない。その点で私は卿に及ばない事が分かった。卿の下で一分艦隊司令官として使ってくれ。どんな任務でも否とは言わぬ。この通りだ”
シュターデンが頭を下げた。正直驚いた。プライドの高いこの男がエーリッヒに頭を下げる? 本気なのだと思った。
“……分かりました。出撃は四日後です、準備を整えてください”
シュターデンは何度も礼を言って部屋を出て行った。そして出撃して十日、艦隊はシュターデン分艦隊との連携を確認しつつオーディンに向かっている。

「短期間の休息で作戦行動が続きます。将兵達は不満に思っていませんか?」
「少なくとも小官の艦隊ではそのような事は有りません。連戦連勝、将兵は勇み立っております」
エーリッヒの問いにルーディッゲ少将が答えた。他の司令官達もシュターデンを除いて頷いている。エーリッヒが俺を見た、本当か? そんな感じの視線だ。大丈夫だ、間違いない、将兵達は出撃を喜んでいる。自分達は宇宙最強の艦隊なのだと信じている。士気は高い。

「今回出撃の目的ですが敵艦隊の撃破では有りません」
分艦隊司令官達が顔を見合わせた。声は出さない、視線をエーリッヒに戻した。
「オーディンを攻略します」
今度はシュターデンを見た。シュターデンが以前唱えたオーディン攻略作戦を思い出したのだろう。シュターデンは視線にたじろぐ事無くエーリッヒを見ている。分艦隊司令官達が視線をエーリッヒに戻した。

「オーディンでは二つの事をします。先ず一つ、物資を奪います。オーディンに有る補給物資を全て強奪しガイエスブルク要塞に運びます」
「全てですか、かなりの量になります。運ぶと言っても輸送船が……」
「問題は有りません、アーベントロート中将。輸送船も全て奪うのです」
「……」
「運べない分は使えないようにして廃棄します」

分艦隊司令官達が顔を見合わせた。
「物資と輸送船を奪う、ローエングラム侯の補給線を破壊しようという事か」
ルーディッゲ少将が呟くとエーリッヒが“その通り”と言って頷いた。
「オーディンで行う事の二番目は人攫いです」
今度は皆が頷いた。対象者が誰か想像がついたのだろう。

「先ず、エルウィン・ヨーゼフ」
会議室に声にならない驚きが起きた。予想外だったとは思わない、エーリッヒは皇帝に対していかなる敬意も示さなかった、その事への驚きの筈だ。
「次に帝国宰相リヒテンラーデ公爵、彼の政務補佐官ワイツ」
驚きに気付かぬようにエーリッヒが言葉を続ける。空気が痛いほどに張り詰めた。

「それからグリューネワルト伯爵夫人、マリーンドルフ伯爵家のヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ」
「……」
「以上の五人、一人も欠ける事無く攫って貰います」
否を言わせぬ何かが有った。身動ぎもせずに皆が聞いている。

「アントン、例の物を配ってくれ」
役割分担表を皆に配った。オフレッサーはリヒテンラーデ公とワイツ補佐官。リューネブルク中将は皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世。マリーンドルフ伯爵家には俺が、そしてグリューネワルト伯爵夫人の元にはエーリッヒが自ら赴く。シュターデン大将はオーディン周辺の哨戒任務、他の司令官達はシュムーデ中将の指揮の下、補給物資の収奪、輸送の手配を行う。

「オーディンではモルト中将が三万の将兵を擁していると聞きます。制圧に手間取ると逃げられる可能性が有りますが……」
アーベントロート中将が恐る恐ると言った風情で疑問を呈した。
「艦船、およびワルキューレを使って上空から攻撃します。簡単に粉砕出来るでしょう」
皆が眼を剥いた。新無憂宮の上空は飛行禁止地域だ。それを無視しようとしている。

「宜しいのですか、閣下」
不安げにアーベントロート中将が問うとエーリッヒが微かに笑みを浮かべた。
「構いません。我々は反逆者です。反逆者は反逆者らしく行動する。皇帝の権威も禁忌も関係無い、全てを踏み躙り目的を果たす。それが反逆者だけに許された特権です……」

皆が震え上がった。胆力に優れたオフレッサー、リューネブルクでさえ顔を強張らせている。戦慄する諸将にエーリッヒが柔らかく微笑みかけた。楽しんでいる、間違いなくエーリッヒは反逆を楽しんでいる……。
「我々は反逆者なのです」
詠う様な声だった。


 

 

第十話 帝都攻略




帝国暦 488年  7月 10日    ガイエスブルク要塞  ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世



ブラウンシュバイク公の私室を訪ねると公は一人でグラスを揺らしていた。テーブルにはボトルとアイスペール、そして生ハムが置いてある。一人で飲んでいるのか? だとすれば珍しい事だが……。
「一人かな、ブラウンシュバイク公」
「うむ、一人だ。若い連中を呼んで飲むかと思ったが急に億劫になってしまった。……何か用かな、リッテンハイム侯」
「いや、用は無い。暇だったのでな、何となく訪ねただけだ」
ブラウンシュバイク公が私を見て笑みを浮かべた。

「飲まぬか、リッテンハイム侯」
「良いのか、億劫なのであろう?」
「若い連中と飲むのはな、リッテンハイム侯ならば大丈夫だ、もう若くはない」
思わず苦笑が漏れた。確かに若くは無い。公が立ち上がりグラスを用意してくれた。折角だ、飲んでいくか。

「ほう、ジンか。シンケンヘーガーだな」
「うむ、ロックならこれが良かろう。わしはこの季節は何時もこれだ」
「確かに、もう七月だな」
オーディンと違いここには季節が無い。せめてジンをロックで飲む事で季節を感じようというのか。公にそのような面が有るとは……、粋だな。

アイスペールから氷をグラスに移しジンを注ぐ。トクトクと軽やかな音がした。軽くグラスを掲げるとブラウンシュバイク公もグラスを掲げた。一口飲む、フム、もう少し冷たい方が良いな。公が生ハムを一切れ口に入れた。顔が綻ぶ、やはりシンケンヘーガーにはハムが合う。

「ヴァレンシュタインが心配かな」
私が問うと微かに苦笑を浮かべた。
「……気付かれていたか」
「ここ二、三日塞いでいたからな。……大丈夫だ、今の所ヴァレンシュタインが戦っているという報告は無い。敵の目を潜り抜けオーディンに向かっているようだ」
ブラウンシュバイク公が“そうだな”と言ってジンを一口飲んだ。

「あれが上手く行けば次は私だ」
「うむ、そうだな」
「準備は出来ている」
「そうか……」
いかぬな、相変わらず気分が乗らぬらしい。公の気分を変えようと思ったのだが……。

「大分可愛いらしいな、ヴァレンシュタインが」
冷やかすとブラウンシュバイク公が苦笑した。
「優しげな顔に似合わず無茶ばかりするのでな、心配になる」
「そうか、困ったものだな」
「ああ、困ったものだ」
二人で声を合わせて笑った。

「……わしもリッテンハイム侯も男子には恵まれなかった」
ポツンとした口調だった。
「そうだな」
「娘を持つ父親というのは悪くないが息子というのがどういうものか、ずっと知りたいと思っていた。まあ妻には言えんがな……」
「……」
同感だ、妻には言えん。息子を持ちたいと一番思っていたのは妻だろう。跡継ぎを生みたい、そう願っていたはずだ。

「ヴァレンシュタインは有能で、野心が無く信頼出来る男だった。その所為かな、こんな息子が居たらと思っていたのだが何時の間にか息子のように思っていたようだ」
「そうか、……で、どうであった、息子を持つ父親というものは?」
「良いものだ、楽しかったな」
ブラウンシュバイク公は本当に楽しそうな顔をした。

「無茶ばかりするから叱り付けたいが結果を出すから注意するくらいしか出来ん。それに人前で手放しで誉める事も出来ん、顔が綻ぶのも抑えねばならん。何とももどかしい事だ」
「そうか、もどかしいか」
「うむ、それに余りに褒めては娘が妬くからな、その辺りも考えなければ……」
「なるほどな、それは面倒だ」
二人で声を揃えて笑った。一口飲む、うむ、冷えてきた。心地良い冷たさだ。そろそろだな、生ハムを口に入れた。冷えたシンケンヘーガーが良く合う。

「アレが出来の良い息子ならフレーゲルは出来の悪い息子だな」
「息子が二人か、少々妬けてきたぞ」
「そうか、妬けてきたか」
「うむ、妬けてきた」
また二人で笑った。妙な気分だ、公と息子の事で話す事になるとは。こんな日が来るとは想像も出来なかったな。

「リッテンハイム侯、子供というのは娘も息子も、出来が良いのも悪いのも、少しも変わらん」
「……」
「なんとも愛おしく、心配で、悩みの種だ。子供の数だけ悩みの種が出来る、そういうものだ」
「なるほどな。……それでも私は公が羨ましいぞ」
「そうか、羨ましいか」
「ああ、羨ましい」
また二人で声を上げて笑った。羨ましいぞ、ブラウンシュバイク公。公は息子は持てなくとも息子と思える男を持つ事が出来たのだからな……。



帝国暦 488年  7月 20日  オーディン ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アドルフ・ラムザウアー



「シュターデン提督より報告! 哨戒線の構築が完了! これより哨戒任務を実施するとの事です!」
俺が声を上げるとヴァレンシュタイン提督が微かに頷いた。予定通り、そんなところかな。ホントクールだぜ、ウチの提督は。俺達帝都オーディンを攻略中なんだぜ、もうちょっと興奮しても良いじゃん。

まあ今の所攻略作戦は順調だ。スクリーンには宇宙港を制圧するアイゼナッハ艦隊、アーベントロート艦隊、クルーゼンシュテルン艦隊の様子が映っている。画面が薄暗いのは未だ時間が早い所為だろう。オーディンではまだ寝ている人間も多い筈だ。寝耳に水、だろうな。

もうオーディンから逃げ出す事は出来ない、自家用宇宙船で逃げ出してもシュターデン艦隊が外を固めている。取り逃がすことは無い。他にもスクリーンには新無憂宮、リヒテンラーデ公爵家、マリーンドルフ伯爵家、グリューネワルト伯爵夫人の住居の様子が映し出されている。

それぞれの屋敷の上空には小規模の艦隊が監視のため待機している。映像はそれらの艦隊から送られたものだ。オフレッサーの親父とフェルナー参謀長は既にリヒテンラーデ公爵家、マリーンドルフ伯爵家に向かっている。リューネブルク中将と提督は待機だ、新無憂宮の攻略が今一つ思わしくない。

お、通信が入ってきた。
「シュムーデ提督より通信が入っています!」
「スクリーンに映せ!」
リューネブルク中将かよ、提督の声が聞きたいよ。ちょっと高めの柔らかく温かみを帯びた声。中性的、いや女性のような声だ。

その提督の声が戦闘中は冷たく変わる。どれほど優位に戦闘を進めていても冷たさは変わらない。まるで“この程度の相手に何を騒いでいるの?”、“話にならないわね、可哀想だから叩き潰してあげる”、“貴方じゃ熱くなれないの、詰まらないのよ”そんな感じだ。ツンツンしたそっけなさが何とも言えない。俺だけじゃない、皆も言っている。いつか熱くなった提督を見たいってな。そのためなら何でもするって。

『申し訳ありません、敵の排除に時間がかかっております。敵は新無憂宮の建物内に籠って抵抗しています』
シュムーデ提督の顔色、良くないなあ。まあ中に籠られるとちょっと厄介だよな。壊すわけにもいかないし……。あ、ヴァレンシュタイン提督が小さく笑った。出たよ出たよ、ビスク・ドールの微笑みが! これが出るとブッ飛ぶぜ!

「敵は新無憂宮がお気に入りのようです。ならばそこで死なせてやるのが親切というものでしょう。構いません、新無憂宮を攻撃してください」
『しかし、宜しいのですか、新無憂宮を、攻撃など……』
声が裏返ってるぜ、シュムーデ提督。目ん玉飛び出しそうだ。ヴァレンシュタイン提督が声を上げて笑った。

「ワルキューレでは効率が悪いですね、戦艦を用いて艦砲射撃を行いましょう。新無憂宮もろとも敵を叩き潰して下さい」
『か、艦砲射撃……』
キター! 新無憂宮を艦砲射撃! マジかよ、それ! 提督以外の人間が言ったらサイオキシン麻薬でイッちゃってるか、ブッ飛んでるかを疑うけどビスク・ドールは素面だぜ。マジで痺れるわ! 最高! シュムーデ提督、あんたも腹を括りなよ。ここまで来たら楽しまなくっちゃ。俺達は反逆者なんだ。

「西苑から北苑、東苑、南苑と順に攻撃してください。徹底的に、情け容赦無く、跡形も無く、全てを消し炭にしてください」
『……』
呆然としているシュムーデ提督にヴァレンシュタイン提督が艶然と微笑んだ。でも眼だけが笑っていない。くー、これだよこれ! “私の命令が聞けないの? それで良いのね?”、提督の目がそう語りかけて来ている。背筋がゾクゾクする。イキそうなくらいの恐怖! 堪らねえよ!
「私がやりましょうか?」
『た、た、直ちに取り掛かります!』

シュムーデ提督が慌てて敬礼して通信が切れた。
「宜しいのですかな?」
「構いません、新無憂宮も五百年近く使っています。そろそろ建替えの時期ですよ。解体業者が困らないように念入りに壊しておきましょう」
痺れるぜ! なんでそんなにクールに冗談が言えるんだ! リューネブルク中将も唖然としている。

「艦砲射撃、始まりました! 西苑を攻撃しています!」
隣のフォルカー・ローラントが報告すると彼方此方から“おお”という声が上がった。スゲエ、新無憂宮が艦砲射撃で吹き飛んでいる!
「小官が訊きたかったのは陛下が西苑に居たら、そういう事ですが」
え、っと思った。そうだよな、そういう事も有るよな。え、俺達どうなるの? 大逆罪? 弑逆者? でも今でも反逆者だぜ? 皆が顔を見合わせた。

「ああ、そっちですか。運が無かった、そういう事ですね」
はあ? そっち? 運が無かった? それで終わり?
「誰の運が無かったのかな。殺されたエルウィン・ヨーゼフか、擁立する皇帝を失ったリヒテンラーデ公、ローエングラム侯か、それとも弑逆者となった我々か……。答えが出るまでには時間がかかりそうだ、退屈せずに済むでしょう」

ヴァレンシュタイン提督は指揮官席で頬杖を突いてスクリーンを見ている。スゲエ、スゲエよ! ローラントを見た、ローラントも興奮している。提督、あんたクール過ぎるよ! あんたくらい反逆が似合う人は銀河に居ない、宇宙一の反逆者様だぜ!

「リューネブルク中将、艦砲射撃が北苑に移りました。そろそろ準備してください。エルウィン・ヨーゼフが生きていれば敵は降伏してくるはずです。死なせるわけにはいきませんからね」
「なるほど、そのための艦砲射撃ですか」
リューネブルク中将が苦笑している。そういう事か、皇帝は死ぬかもしれないけど戦闘は早く収まるって事か。いや、戦闘が早く終わった方が皇帝が死なずに済む可能性が高いって事かな。戦闘に巻き込まれずに済む? 良く分からねえけどとにかくすげえや。

提督がシュムーデ提督を呼び出した。グリューネワルト伯爵夫人を捕えに行くから後の攻略戦の指揮はシュムーデ提督に任せると言っている。シュムーデ提督は緊張しているけどヴァレンシュタイン提督にとってはもう戦闘は終わったも同然なんだろう。未だ戦闘中だけど提督が居なくなると張り合いが無くなるぜ、もっとドキドキハラハラしたいんだ……。



帝国暦 488年  7月 20日  フレイア星域 ミュラー艦隊旗艦 リューベック ナイトハルト・ミュラー



予備か、そう思った。ロイエンタール、ビッテンフェルト、メックリンガー、ケスラー、この四人が二個艦隊づつ動かすようになってから一月以上が経った。侵攻速度は遅くなったがそれ以外には問題は生じていない。順調に攻略は進んでいる。エーリッヒを始めとするブラウンシュバイク公爵家の艦隊もめぼしい動きは無い。時折敗北した貴族連合軍を収容して撤退するぐらいだ。当然だが俺の出番も無い。

暇だ、そう思った。このまま順調に進めば多少時間はかかっても貴族連合軍をガイエスブルク要塞に追い詰める事が出来るだろう。そしてガイエスブルク要塞での攻防戦になるがそう簡単には決着は着かないかもしれない。しかしその頃にはキルヒアイス提督達の別働隊も合流している筈だ。こちらの戦力は充実している、そして相手は一部を除いて烏合の衆だ。時間はかかってもこちらが勝つ……、筈だ。俺の出番はガイエスブルクに追い詰めてからだろう。

問題は追い詰める事が出来るかどうかだ。エーリッヒ達がみすみすそれを待っているとも思えない。いや引き寄せてガイエスブルクで決戦、それもあるな。となると今は誘い込まれている? そういう事になるのか……。あまり楽しくない考えだ。順調に進んでいる、そう思おう。

「閣下!」
オペレータが声を上げた。
「ロイエンタール提督から通信が入っています」
「スクリーンに映してくれ」
指揮官席から腰を上げるとスクリーンにロイエンタール提督が映った。珍しいな、表情が硬い、敵と接触したか?

『ミュラー提督、オーディンが攻撃を受けている』
「オーディンが?」
一瞬何を言われたか分からなかった。艦橋が静まり返った、そして皆が固まっている。オーディンが攻撃を受けている!
「馬鹿な、あそこには……」
声が震えた。

『そうだ、まともな防衛戦力は無い』
ロイエンタール提督の沈痛な声がリューベックの艦橋に響いた。
「間違いないのですか? その情報は」
『オーディンのモルト中将からローエングラム侯に報告が有った。だがその後は……』
ロイエンタール提督が首を振った。連絡が途絶えたか……。司令部が全滅したか、通信能力を喪失したか、どちらにしても危険な状況だ。おそらくは組織だった抵抗など出来ないところまで追い詰められているだろう。

「敵は一体……」
『分からない、規模も正体も不明だ。想像は付くがな』
「……」
『ローエングラム侯は既にオーディンに向かった。メックリンガー、ケスラー提督も向かっている。我々にもオーディンへ向かう様にと総司令部から命令が有った』
「分かりました、小官も直ちにオーディンに向かいます」
『うむ、頼む』

通信が切れるのを確認してから指揮官席に座ったが思ったよりも大きく音が響いた。
「閣下?」
オルラウ参謀長が心配そうに俺を見ている。いかんな、指示を忘れていた。
「進路をオーディンに、急いでくれ」
参謀長がオペレータに指示を出す、漸く艦橋が動き出した。

「大変な事になりました。オーディンには皇帝陛下が」
オルラウ参謀長の声は微かに震えていた。
「それだけではない、オーディンは我々の後方支援の拠点だ。今後の戦争遂行にも影響が出かねない」
オルラウが小さく呻き声を上げた。

オーディンを攻めているのはエーリッヒなのか? エーリッヒなら補給物資を見逃す事は無い。もしそうなら補給物資の不足から大規模な戦闘を起こし辛い状況になるかもしれない。戦線は膠着するな、内乱も長引く。ケンプ提督の敗戦が五月の下旬だった。あれから約二カ月か……。

ガイエスブルク要塞に戻りオーディンを目指した。補給、整備を考えればギリギリだな。殆ど休む事なく出撃した筈だ。という事は今回のオーディン攻略、偶然や思い付きではないな。最初からオーディンを狙っていたのだ。……嫌な予感がしてきた。二パーセントの勝率か、何を考えている? 内乱が長期化する事に勝機が有る、そう考えているのか? 見えない、俺には見えない、エーリッヒは何を狙っているのだ? 焦燥ともどかしさが全身を押し包んだ。手をきつく握り緊めた。
「エーリッヒ……」
気が付けば呻いていた。


 

 

第十一話 罪を負う者

帝国暦 488年  7月 20日  オーディン ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



艦橋に入ると子供の騒ぐ声が聞こえた。視線を送ると幼児が肥った中年の女性を相手に駄々を捏ねている。あれがエルウィン・ヨーゼフ二世か、傍にリューネブルク中将とオフレッサー上級大将が居るが二人とも諦め顔だ。その近くに痩身の老人と若い男が居る、二人とも後手に拘束され兵士に付き添われている。宰相リヒテンラーデ公とワイツ政務補佐官か。

後ろを見ると蒼白い顔をした若い女性が居た。彼女も二人の兵士に付き添われている。兵士に頷くと彼らはヒルデガルド・フォン・マリーンドルフをリヒテンラーデ公の傍に連れて行った。それを確認してからリューネブルク中将とオフレッサー上級大将に近付いた。

「上首尾のようだな、フェルナー少将」
オフレッサーが唸るような口調で俺を労ってくれた。
「ちょっと手古摺りました。父親のマリーンドルフ伯が自分が人質になると言い出して、説得するのが……。お二人とも上手く行ったようですね。後はエーリッヒだけですか」
二人が頷いた。

「それにしても驚いたぞ、新無憂宮を砲撃するとは。止めなかったのか?」
オフレッサーがリューネブルク中将に咎める様な視線を向けた。それを見て中将が肩を竦めた。
「平然としたものですよ、そろそろ建替えの時期だと言っていました。解体業者が困らないように念入りに壊してしまおうと。冗談かと思いましたが本気だったようですな。西苑と北苑は消し炭です」
思わず溜息が出た、俺だけじゃない、オフレッサーも溜息を吐いている。

「無茶をするな。俺が言うのもなんだが死に急いでいる、いや生き急いでいるように見える」
オフレッサーが呟く。同感だ、俺も気になっていた。何処かで普通じゃない、生き急いでいる様な気がしていた。オフレッサーも感じたという事は俺の思い過ごしじゃないという事だ。気を付けなければ……。

「一応西苑から北苑へと砲撃しています。どちらも陛下が居る可能性が低い場所です。そういう意味では無謀とは言えない。きちんと計算をしていますよ、ギリギリですがね。実際相手は艦砲射撃を受けて戦意を喪失して降伏した。陛下も無事保護しました」
オフレッサーが唸り声を上げた。この二人、仲が悪いのかと思ったが結構会話が出来ている。俺が来る前にも話していたのかな?

「ヴァレンシュタインはアレを知っていたのか? それで吹き飛ばしても良いと思ったとか」
オフレッサーが顎でエルウィン・ヨーゼフ二世を指し示した。皇帝は相変わらず中年女を相手に癇癪を起している。
「如何でしょう。しかし小官はアレを陛下と呼ぶくらいなら反逆者の方がマシですな」
リューネブルク中将が嘲笑を浮かべた。オフレッサーは顔を顰めたが何も言わなかった。内心では同じ思いなのかもしれない。

「リューネブルク中将、あの太った女性は?」
「乳母だ、面倒なので一緒に連れてきた」
余程に嫌な思いをしたのだろう。リューネブルク中将の声にはウンザリという響きが有った。オフレッサーが同情するかのような視線で中将を見ている。彼も嫌な思いをしたのかもしれない。

「ヴァレンシュタイン提督が御戻りになられました! グリューネワルト伯爵夫人も一緒です」
オペレータが声を上げると艦橋の彼方此方から歓声が上がった。三人で顔を見合わせた。オフレッサーもリューネブルク中将も満足そうな顔をしている。
「五人揃ったようですな」
「うむ、どんな役が出来るのか……。ストレートか、フラッシュか」
「ワンペアでブラフという事も有る、楽しみですな」

顔面蒼白な伯爵夫人とエーリッヒが艦橋に戻ったのは十分ほどしてからだった。他の四人が揃っているのを見ると俺達を見て満足そうに頷いた。そして直ぐに幼児の躾けを始めた。騒ぐな、走るな、言う通りにしろ。喉を締め上げ額にブラスターを押し付けながらの教育だ。幼児はたちまち大人しくなった。上手い物だ、一般向けではないが覚えておいて損は無いだろう。代わりに騒いだのは乳母だったが“三日間食事抜き、強制ダイエット”と冷笑するとこちらも大人しくなった。女子供の扱いが意外に上手い、正直感心した。

その次に行ったのは指揮官席の周りに椅子を用意させた事だった。遮音力場の中に席を五つ。五人の囚われ人が椅子に座った。そしてオフレッサー上級大将とリューネブルク中将が指揮官席の両脇に立つ。俺は遮音力場の外で待機する事になった。他にも囚われ人が逃げないように兵が取り囲んでいる。一体何を話すのか、遮音力場を使うという事は余程の話の筈だが……。



帝国暦 488年  7月 20日  オーディン ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  ヘルマン・フォン・リューネブルク



五人の客が席に着いた。幼児は乳母が居ない所為かおどおど、フロイライン・マリーンドルフは蒼白になりつつも気丈に、グリューネワルト伯爵夫人は俯いて座っている。ワイツはキョロキョロと落ち着きが無くリヒテンラーデ公は傲岸な表情でヴァレンシュタインを睨みつけていた。どうやら陛下への扱いが気に入らないらしい。

「エルウィン・ヨーゼフ、六歳では難しいかもしれないが……」
「ヴァレンシュタイン! 陛下に対し無礼であろう! 立場をわきまえぬか! 」
ヴァレンシュタインが無表情に叱責をしたリヒテンラーデ公を見た。
「立場? 私の立場は反逆者だ。貴方達が私を反逆者にした」
「……」

「反逆者は皇帝の臣下ではない、対等の立場だ。公こそ立場をわきまえた方が良いだろう、貴方は捕虜だ」
リヒテンラーデ公が忌々しげに口元を歪めた。ヴァレンシュタインが視線を皇帝に戻す、皇帝は明らかに怯えた表情を見せた。反逆者か、悪くないな、皇帝と対等の立場だ。それにしてもいつもとは口調が違う、オフレッサーも訝しげにしている。

「エルウィン・ヨーゼフ、これから私達が話す事を良く聞きなさい。どれだけ理解出来るかでお前の人生が変わるだろう。運が良ければ良い皇帝になれるかもしれない。だが何も理解出来なければ暗君として惨めな人生を送る事になる。多分、早死にするだろうな」
更に皇帝が怯えた様な表情を見せた。彼にはヴァレンシュタインが死を告げる死神に見えているかもしれない。

「ヴァレンシュタイン提督、いささか酷くは有りませんか? 陛下は未だ六歳なのです、もう少し労わって差し上げても……、人質として利用するならこの場に居なくても良い筈です」
フロイライン・マリーンドルフか、小娘と言って良い年齢の筈だがそれなりに胆は据わっているらしい。ヴァレンシュタインがここに連れてきた以上それなりの物が有る筈だ、何を持っている? 見せて貰おうか。

ヴァレンシュタインがフロイラインに視線を向けた。彼女が明らかに怯みを見せた。睨んでいるのか? 横目で確認するとヴァレンシュタインが彼女を無表情に見ていた。
「六歳だろうと六十歳だろうと皇帝である以上責任は生じる。失政が起きれば場合によっては殺される事も有る。違うかな?」
「……それは」
絶句するフロイラインにヴァレンシュタインが冷笑を浴びせた。

「彼を皇帝にしたのは私ではない。そこに居るリヒテンラーデ公とローエングラム侯だ。六歳の幼児に皇帝は無理だと思うなら彼らが擁立する時に反対すれば良かったのだ。六歳の幼児には無理だと言ってな。だがフロイラインはそれをしなかった……」
「……」

「即位を認めた以上エルウィン・ヨーゼフは皇帝だ。ならば彼を皇帝として扱うのが臣下の務めだろう。その時々に応じて皇帝と幼児を使い分ける等不忠の極みだな」
「……」
フロイライン・マリーンドルフの顔が強張った。
「フロイライン、マリーンドルフ伯爵家は神聖なる銀河帝国皇帝を愚弄しているのか?」
「そんな事は……」
「ならば黙っていろ、不愉快だ」

彼女が口籠って顔を伏せた。ヴァレンシュタインが冷笑を浮かべながら他の四人に視線を向けた。皆、視線を逸らした。
「貴方達をここに呼んだのは気紛れではない、意味が有っての事だ。その事を良く理解して貰おう、発言には当然だが責任が生じるという事も」
「……」
「私を甘く見るな」

声に気負いは無かったが恐ろしい程に威圧感が有った。皆、顔を引き攣らせている。リヒテンラーデ公でさえ例外ではなかった。遮音力場を使ったのは周囲に会話を聞かれるのを避けたのではなくこの威圧感を外に漏らさないためではないかと思った。漏れれば艦橋の人間全てが押し潰されてしまうだろう。

「リヒテンラーデ公、貴方はフロイライン・マリーンドルフを御存じか?」
「顔と名前ぐらいは知っておる」
公の立場ではそれが精一杯だろうな。むしろ知っているのが不思議なほどだ。マリーンドルフ伯爵家は決して大貴族というわけでは無い。まして二十歳前後の小娘など……。

ヴァレンシュタインの口元に冷ややかな笑みが浮かんだ。
「その程度か、やはり貴方はローエングラム侯に勝てない」
「……」
リヒテンラーデ公の口元に力が入った。不満のようだ。
「彼女はオーディンにおけるローエングラム侯の目であり耳なのだ。いわば貴方の監視役だ、それを知らないとは……」

今度は声にも嘲笑が有った。リヒテンラーデ公が厳しい眼で彼女を見た。そしてワイツとオフレッサー、グリューネワルト伯爵夫人は驚いている。自分も驚いている、彼女がローエングラム侯の目と耳? 彼女も驚いていた、信じられないというようにヴァレンシュタインを見ている。だが否定はしなかった、では目と耳というのは事実か……。

リヒテンラーデ公が口元を歪めた。嘲笑だな、この小娘に何が出来る、そんなところか。低い笑い声がした、リヒテンラーデ公ではなかった、笑っていたのはヴァレンシュタインだった。リヒテンラーデ公を見ながら嘲笑っている。ギョッとするほど悪意に満ちた笑いだった。どういう事だ、何が有る? オフレッサーと顔を見合わせた。彼も驚いている。

「この小娘に何が出来る、公はそう御思いの様だ。フロイライン・マリーンドルフ、教えてあげては如何かな? 貴女に出来る事、してきた事を」
「……」
フロイラインは答えない。蒼白な顔をして押し黙っている。

「恥ずかしがる事は無いのに……。良いだろう、私が話す」
フロイラインの身体が一瞬だが強張った。それを見てヴァレンシュタインがまた嗤った。おかしい、何故こんなにも感情を露わにするのだ。言い様のない不安を感じた。オフレッサーが居心地悪げに身動ぎした。

「彼女はローエングラム侯に味方すると申し出た折、家門と領地を安堵するという公文書を貰っている」
「……」
「その後、彼女は知人縁者を説得してローエングラム侯に味方させた。しかしその大部分が公文書を貰っていない」
エルウィン・ヨーゼフを除く皆がフロイラインに視線を向けた。フロイラインはブルブルと震えている。

「リヒテンラーデ公、お分かりかな、その意味するところが」
「味方を売ったという事か」
公の声は嫌悪に満ちていた。ヴァレンシュタインがまた嗤った。
「味方? 最初から彼女にはそんなものは居ない。彼女はマリーンドルフ伯爵家を大きくするために肥料を求めただけだ。馬鹿な貴族がそれに気付かず肥料になった」
フロイラインの震えがさらに大きくなった。

「いずれローエングラム侯が帝国の覇権を握れば公文書の無い貴族は取り潰されても文句は言えない。その時ローエングラム侯は思うだろう。フロイライン・マリーンドルフの御蔭で戦う事無く邪魔な貴族を潰す事が出来た、彼女は役に立つとね。……マリーンドルフ伯爵家は権力者の信頼を得て勢力を伸ばす。貴族達の血肉を肥料にして大きくなる。……おぞましい事だ」

皆が視線に嫌悪を込めて彼女を見た。否定しないという事は事実なのだろう。しかし二十歳そこそこの女性がそこまでやるのか? 信じられないが事実ならば目の前に居る伯爵令嬢は化け物に違いない。オフレッサーも嫌悪の表情を浮かべている。

「お分かりかな、リヒテンラーデ公。彼女を甘く見ない事だ、死にたくなければね」
「……」
リヒテンラーデ公は答えなかった。だが誰よりもヴァレンシュタインの言った事を実感している筈だ。フロイラインを見る公の視線には嫌悪以上に冷酷な光が有った。危険で油断出来ない敵と認識した、そういう事だ。

「フロイライン、皆の視線が痛いかな」
「……」
「気にしない事だ、貴方達の中には他人を非難出来る様な立派な人間は居ない」
皆の視線がヴァレンシュタインに集中した。そしてそれぞれを見回した。不安、怯え、疑心……。この男は、この女は、何を隠しているのか……。

「そこに居るローエングラム侯の姉君は先帝陛下、フリードリヒ四世を暗殺した」
皆の視線がグリューネワルト伯爵夫人に集まった。伯爵夫人が顔面を蒼白にして“何を言うのです”と抗議したがヴァレンシュタインは“無駄ですよ”と笑いながら遮った。
「既にリヒテンラーデ公はその事実を御存じだ」

今度はリヒテンラーデ公に視線が集中した。グリューネワルト伯爵夫人はまるで幽霊でも見たかのような表情で公を見ている。そして公は苦虫を潰したような表情をしていた。オフレッサーが頻りに首を振っている。信じられないのだろう。

「反乱軍が大軍で帝国領に押し寄せた時の事だ。ローエングラム侯は辺境星域で焦土作戦を執る事で反乱軍の補給を破綻させた。そして大勝利を収めた。しかし当然だが辺境では侯に対して怨嗟の声が上がった。政府、大貴族が協力してそれを口実にローエングラム侯を排除しようとした。それを知ったローエングラム侯、おそらくはオーベルシュタイン総参謀長の独断だとは思うが貴女に皇帝を殺すようにと頼んだ」
伯爵夫人の顔が強張った。

~もう少しだった、もう少しで排除出来る筈だった。だが伯爵夫人が皇帝を殺害した。その瞬間から後継者争いが勃発、ローエングラム侯排除は吹き飛んだ。何よりもリヒテンラーデ公がローエングラム侯と手を組んでブラウンシュバイク、リッテンハイム両家を反逆に追い込んだ~。ヴァレンシュタインの話が続く。

「リヒテンラーデ公は全てを知っている。知っていてローエングラム侯と手を組んだ。不問にしたのではない、ブラウンシュバイク、リッテンハイム両家を潰した後ローエングラム侯に皇帝弑逆の罪に問うつもりだ。侯は失脚するだろう。帝国は一つ、覇者も一人、当然の事だな」
ヴァレンシュタインが話し終わると異様な沈黙が落ちた。皆が無言で視線を交わす中、怯えた様な幼い声が聞こえた。エルウィン・ヨーゼフ……。

「宰相」
「陛下」
「その女は御爺様を殺したのか」
幼児は恐ろしい物を見るかのようにグリューネワルト伯爵夫人を見ていた。その姿に伯爵夫人が縋る様な視線で公を見た。リヒテンラーデ公が口籠る、ヴァレンシュタインが笑い声を上げた。そして皇帝に視線を向けた。冷え切った視線だ。

「エルウィン・ヨーゼフ、お前にここに居ろとは言ったが喋って良いとは言っていない。黙れ、口を開くな、死にたくなかったらな」
「無礼だろう! ヴァレンシュタイン!」
リヒテンラーデ公が立ち上がって怒鳴った。それを見てヴァレンシュタインがまた笑った。

「ならば答えられよ。真実か偽りか、どちらを選ぶ。真実を告げれば伯爵夫人が死ぬ。伯爵夫人が死ねばローエングラム、リヒテンラーデ連合は終わりだ。偽れば皇帝に対し先帝暗殺の真実を欺いたとして公が罪を背負う事になる。さあ、どちらを選ぶ?」
「……」
「それともエルウィン・ヨーゼフを殺すか? 傀儡が余計な事に気付いたと。それならば連合の継続は可能だ。仲良く皇帝殺しの罪を背負うと良い」
リヒテンラーデ公の身体が小刻みに震えた。

「分かったか、エルウィン・ヨーゼフ。皇帝という地位がいかに危険か。お前の不用意な一言で人が死ぬ。場合によってはお前が死ぬ事になる。分かったら黙って聞いている事だ」
皇帝が震えながら頷いた。冷徹、そう思った。ヴァレンシュタインは徹頭徹尾、エルウィン・ヨーゼフを皇帝として扱っている。幼児としても傀儡としても扱っていない。この中でもっともエルウィン・ヨーゼフに誠実なのはヴァレンシュタインだと思った。何を考えている?

「伯爵夫人、自殺したいとお考えかな? だがその時は私はローエングラム侯に全てを話す、私が貴女を殺したなどと思われては心外だからな。自分のために貴女が人殺しをしたと知ったら侯は、キルヒアイス提督は如何思うか。精神を保てるかな?」
「……」

伯爵夫人は首が折れそうなくらい俯いている、震えている。それにしてもヴァレンシュタインは容赦が無い、まるで包囲して殲滅する様な話し方だ。いや、これは戦いか、戦いなのか。オフレッサーに視線を向けた、オフレッサーも厳しい表情で皆を見ている。

リヒテンラーデ公が力無く椅子に座った。それを見てヴァレンシュタインが冷たい笑みを浮かべた。
「先帝陛下暗殺にはリヒテンラーデ公にも責任が有る」
「どういう意味だ。私は無関係だぞ」
憤然とするリヒテンラーデ公に対してヴァレンシュタインが冷笑を浴びせた。

「ローエングラム侯排斥、その情報はリヒテンラーデ公の所から漏れた」
「馬鹿な、そんな事は……」
「未だ分からないのか、彼が何故ここに居るのか?」
ヴァレンシュタインがワイツを指差した。ワイツの顔が蒼褪めリヒテンラーデ公が顔を強張らせて“馬鹿な”と呟いた。

「人間には目と耳が二つある。ローエングラム侯にとってフロイライン・マリーンドルフが目と耳の一つならもう一つはワイツ補佐官だ」
「……」
「カストロプの動乱、あの時討伐隊の指揮官にローエングラム侯はジークフリード・キルヒアイスを推薦した。だが公は年若く実績の無いキルヒアイス提督を危ぶんだ筈だ。もっともらしい理屈で公を説得したのは誰だ?」

リヒテンラーデ公がワイツ補佐官を睨んだ。
「そうなのか、卿なのか」
「違う、私じゃない、違います!」
「無駄だ。ローエングラム侯からは彼に金品が贈られている。調べればすぐ分かる事だ。先帝陛下暗殺に関わった罪は重いぞ」
ワイツが呻いた。絶望している。リヒテンラーデ公の顔が屈辱に歪んだ。

「……何故だ、あれほど眼をかけてやったのに」
「年寄りだからだ」
ヴァレンシュタインが冷淡に告げた。
「……」
「先の短い老人よりも先の長いローエングラム侯にかけた、それだけだ。不思議ではない」
今度はリヒテンラーデ公が呻いた。

「分かったか、先帝暗殺の責任の一端はリヒテンラーデ公に有る、にも拘らずよくも掌を返してくれた。御蔭で我らは反逆者になった」
「……」
「自分が何をやったか、分かっているのか? 公を国務尚書にまで引き上げたのは先帝陛下であった。その先帝陛下を暗殺した者共と手を組んで先帝陛下の御息女、その令嬢を反逆者にした。そして唯一の男子を傀儡として利用した。全て保身と野心のためだ、恥を知らぬにも程が有る! クラウス・フォン・リヒテンラーデ! 先帝陛下の御恩情を忘れたか! この不忠者が!」
リヒテンラーデ公が呻きながら顔を両手で覆った。そんな公をヴァレンシュタインが冷酷な眼で見下ろしていた。



 

 

第十二話 恨みと嫌がらせ



帝国暦 488年  7月 20日  オーディン ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



五人の捕虜が兵士達に付き添われて艦橋から出て行った。それを見届けるとエーリッヒは大きく息を吐いて指揮官席の背もたれに身体を預けた。眼を閉じている、顔に疲れが見えた。
「エーリッヒ、疲れているのか」
「ああ、少し慣れない事をした。疲れるよ」
「……」

如何したものか、伝えなければならない事が有るんだが……。それにしてもトマホーク親父とリューネブルク中将、二人とも妙な表情をしているな。遮音力場の中で何が有った? 訝しんでいるとエーリッヒが“疲れてもいられないな”と言って体を起こした。

「アントン、後で自室に戻ったらこれを見てくれ」
エーリッヒが極小のチップを差し出してきた。
「連中との会話が記録されている。知っていた方が良い」
「分かった」
正直気が進まなかったが受け取った。オフレッサーもリューネブルク中将も怯懦とは無縁の男だがその二人がチップを妙な眼で見ているのだ。碌なものでは有るまい。

「エーリッヒ、気になる事が有る」
「……」
「ナイトハルトがフレイア星域に居る。こっちに向かっているようだ。後五日もすれば、二十五日にはヴァルハラ星域に到着するだろう」
エーリッヒが溜息を吐いた。表情は渋い。

「せめてシャンタウ星域に居てくれれば……、それで他の連中は?」
「全員こっちに向かっている。ロイエンタール、ビッテンフェルト提督の二人もフレイア星域だ。オーディンに到着するのはナイトハルトの方が僅かだが早いようだ」
エーリッヒは頷くと“ローエングラム侯は?”と訊いて来た。

「アルテナ星域だ。レンテンベルク要塞に居たらしい。メックリンガー、ケスラー提督もその近くに居た。アルテナ方面から三個艦隊、フレイア方面からも同じく三個艦隊がオーディンに迫っている」
フレイア方面からは六日もすれば三個艦隊が集結する。アルテナ方面は二週間はかかる筈だ。

「恐れる必要は有るまい、こちらには皇帝を始めとして人質が居るのだ」
「ですが包囲されるのは面白くありません、むしろ危険です」
俺が答えるとオフレッサーがフンと鼻を鳴らした。しかし包囲されれば最悪の場合オーディンから抜け出せなくなる可能性も有る。
「シュターデン提督は知っているのか?」
「いや、未だ知らせていない」
エーリッヒの顔が厳しくなった、拙ったな。

「直ぐ報せてくれ、哨戒任務にも影響する」
「分かった」
「アントン、シュターデン提督を差別するな。彼はもうこの艦隊の分艦隊司令官なんだ」
「分かった、気を付ける」
差別したわけじゃない、まだ時間が有ると思って後回しにしてしまっただけだ。だが言い訳でしかないな。

「それで、補給物資の収集は始まったのかな」
「始まった、だが五日では終わらない、十日以上かかるとシュムーデ提督より連絡が有った」
状況は良くない、エーリッヒの言う通りナイトハルト達がシャンタウ星域に居てくれれば問題は無かったのだが……。

「如何します? 一度外に出てミュラー提督を撃退するというのも有るかと思いますが」
リューネブルク中将が提案した。確かにその手も有る、一日は時間が稼げるだろう、その分だけ物資の補給は進む。しかし精々一日だ、リスクを冒すだけの見返りが有るのか……。エーリッヒが首を横に振った。

「以前から言っていますが彼とは戦いません。簡単に撃退出来る相手じゃ有りませんし手間取ればロイエンタール、ビッテンフェルト提督も合流するでしょう。ガイエスブルク要塞には戦わないで戻ります。二十四日の正午にオーディンを発つ、それで行きましょう」
「補給物資の収集は中途半端になりますな」
リューネブルク中将の指摘にエーリッヒが溜息を吐いた。

「仕方ありません。全てが上手く行くなんて無いんですから。物資と輸送船を奪う、積み込めない分に関しては処分する。物資も無ければ輸送船も無い、そうなればローエングラム侯を大分苦しめられるはずです」
全てが上手く行くなんて無いか、俺には十分に上手く行っている様な気がするが……。さて、シュターデン教官に連絡するか。



帝国暦 488年  7月 25日  オーディン ミュラー艦隊旗艦 リューベック ナイトハルト・ミュラー



『ミュラー提督、今何処だ?』
「ヴァルハラ星域です、ロイエンタール提督。もうすぐオーディンに到達します。五時間もかからないでしょう」
俺が答えるとスクリーンに映るロイエンタール提督が頷いた。

『気を付けてくれ、ミュラー提督。ヴァレンシュタインはオーディンを退去したらしいがはっきりとは分からん。オーディン近辺で待ち伏せしている可能性は十分に有る』
「そうですね、気を付けます」
その可能性はまず無い。エーリッヒは自分が追われている事を理解している。敵が集結するのを待っている事は無い。だがリューベックの艦橋には不安そうな表情を浮かべるオペレータの姿が見えた。

『万一、戦闘になった場合は出来るだけ引き伸ばしてくれ。俺もビッテンフェルトも後一日程でオーディンに着く』
「分かりました。しかし向こうは陛下を手中にしています。脅されれば……」
『戦う事も後を追う事も出来んか。……そうだな、厄介な事になった』
ロイエンタール提督が沈痛と言って良い表情になった。こちらも溜息を吐きたい。何でこうなった? それにしても良いよな、美男子はどんな表情をしても様になる。

エーリッヒは皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世を拉致した。他にも帝国宰相リヒテンラーデ公、グリューネワルト伯爵夫人を拉致したという真偽が定かでない情報が入っている。補給物資も奪って行ったらしい。エーリッヒがオーディンに居たのは五日間、その五日間で何をしたのか。おかしな事にオーディンからは全く情報が入って来ない。入手した情報はいずれもフェザーンの独立商人から得たものだ。

「オーディンに着いたら状況を確認してこちらから連絡を入れます」
『そうしてもらえるか。奴が何処に行ったのかという問題も有る。何か手がかりが無いかも調べて貰いたい』
「了解しました」
通信が切れると参謀長のオルラウが寄って来た。

「閣下、念のため、哨戒を念入りに行いたいと思いますが」
「……分かった、そうしてくれ」
念のため、哨戒を念入りにか……。妙な言い方だが本人は気付いていないだろう。オルラウの表情は強張っていた。奇襲の可能性をロイエンタール提督に指摘された事で慌てている。

溜息が出そうだ。ミッターマイヤー、ケンプ提督が続けざまに敗れオーディンが襲撃された。将兵はエーリッヒに翻弄され怯えている。だがその怯えは五時間後、オーディンに着いてさらに深まった。
「馬鹿な、新無憂宮が……」

彼方此方で呻く様な声が聞こえる。旗艦リューベックのスクリーンに映る新無憂宮は北苑、西苑が瓦礫の山になっていた。
「閣下、これは」
ドレウェンツが問い掛けてきたが声が震えている。
「陸戦じゃない。多分艦砲射撃だろう」
無茶をやる、そう思っているとドレウェンツが“艦砲射撃”と呟いた。呆然としている。

「リューベックを新無憂宮の近くに下ろせ」
「しかし新無憂宮の上空は」
「構わない、参謀長、非常時だ」
「はっ」
「それと、ロイエンタール提督にオーディンに着いたと連絡を入れてくれ」
「はっ」

俺の周りには新無憂宮の破壊を知って呆然とする人間しかいない。だがエーリッヒの周りにはアントン、リューネブルク、オフレッサーが居る。皆喜んで新無憂宮を壊しまくったのだろうな。新無憂宮の上空を飛ぶ事など何の躊躇いも感じなかったに違いない。溜息が出そうだ……。



帝国暦 488年  7月 25日  ヴァルハラ星域 ロイエンタール艦隊旗艦 トリスタン  オスカー・フォン・ロイエンタール



『新無憂宮を艦砲射撃?』
スクリーンのローエングラム侯の声が一オクターブ上がった。呆然としている。気持ちは分かる、俺もそれを聞いた時は冗談ではないかと思った。
「はい、北苑、西苑だけですが瓦礫の山になっているようです。モルト中将は降伏せざるを得ませんでした。抗戦を続ければ東苑、南苑も攻撃されると思ったのでしょう」

モルト中将は降伏後自決しようとしたらしい。だがヴァレンシュタインに“無意味だ”と止められた。そして帝都を無防備にしたのも、前線を隙間だらけにしたのもモルト中将の責任ではないと諭した。そして瓦礫だらけになった北苑、西苑を片付けるようにと命じた。暗に俺達の責任だと言っている、嫌な事をしてくれる……。

『馬鹿な、そんな事は有り得ない。それでは弑逆者になってしまうではないか』
ローエングラム侯が首を振っている。だが本当に有り得ないのだろうか。
「今でも彼らは反逆者です。それに陛下が亡くなれば次の皇帝を誰にするかという問題が発生します。こちらは混乱せざるを得ません」
侯が口元を歪めた。ムッとしているようだ。

『それを狙ったと言うのか』
「可能性は有ると思います。陛下を捕える事が出来れば良し、出来ずとも殺せれば良し……」
『……』
「他にもリヒテンラーデ公、ワイツ補佐官、グリューネワルト伯爵夫人、マリーンドルフ伯爵令嬢の四人が拉致されています。リヒテンラーデ公が居なければさらに混乱に拍車がかかった筈です」

ローエングラム侯が唇を噛み締めている。伯爵夫人が攫われたからな、怒り心頭、そんなところか。まあ叫びださないだけましではある。或る程度は想定していたか。或いはオーベルシュタインが指摘したか。それにしても奴の姿が見えないのは何故だ? 伯爵夫人を見殺しにしろとでも言って叱責されたか? それと気になるのはマリーンドルフ伯爵令嬢だ。彼女を攫う事に何の意味が有る? 侯の恋人か?

「それからオーディンに有った補給物資、輸送船が根こそぎ奪われるか破壊されています」
『生産工場もか』
「そちらは大丈夫です。但し、補給物資は一から生産しなければなりません。費用の問題も有りますが時間がかかります。元に戻るには最低でも三カ月はかかるそうです」
ローエングラム侯が顔を顰めた。

『帝国内の補給基地から持って来る事で当座を凌ぐしかあるまい』
「しかし輸送船が有りません、先程も言いましたが奪われてしまいました。物が有っても船が無ければ……。我々が使用しているのを使うとなれば我々の補給に影響が出ます」
『……ヴァレンシュタインめ、碌でもない奴だ!』

ローエングラム侯が吐き捨てた。気持ちは分かる、だがそれだけに手強い、厄介という事だ。嫌らしい程にこちらの急所を突いてくる。オーディンから連絡が無かったのもそれだ、我々にオーディンの状況を報せるなとゲルラッハ子爵を脅した。報せれば人質の安全を保障しないと。御蔭でこちらは状況が掴めず混乱した。

「ヴァレンシュタインは昨日オーディンを発ったそうです。周囲にはマールバッハからアルテナ星域を目指すと言っていたとか」
『アルテナか』
「罠の可能性も有ります。リヒテンラーデから大回りでガイエスブルクに戻る可能性も有るでしょう」
人質にはリヒテンラーデ公も居る。リヒテンラーデでは便宜を受け易い筈だ。ローエングラム侯が微かに目を伏せ気味にした、ヴァレンシュタインが何処に向かうかを考えている。

『可能性は有るな。……ロイエンタール提督、卿はビッテンフェルト提督と共にリヒテンラーデに向かってくれ』
「はっ」
『ミュラー提督にはマールバッハに向かうようにと。私もマールバッハに向かう。上手く行けばそこで挟撃出来るだろう』

確かにその通りだ。フレイアに向かっていない以上リヒテンラーデかマールバッハに向かう筈だ。しかし航路を外れられれば追う事は難しい。だが人質が居る今、航路を外れる必要が有るか? 賭けでは有るな、ヴァレンシュタインはどれを選択した? リヒテンラーデかマールバッハか、それとも……。それにしても挟撃して如何するのだ? 攻撃出来るのか?



帝国暦 488年  8月 10日  マールバッハ星域 ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



「哨戒部隊より報告!前方に艦隊発見! 数約五万!」
オペレータの報告に艦橋がざわついた。皆が指揮官席に視線を向けた、そして直ぐに視線を戻した。指揮官席のエーリッヒは身動ぎもせずに座っている。安心したのだろう。

「ローエングラム侯がお出ましかな?」
「多分ね、イライラしながらずっと待っていたんだと思うよ」
「如何する」
問い掛けるとエーリッヒは“さて”と言って頬杖を突いた。
「後ろからはナイトハルトが迫っているな」
「ああ、大体一日の距離らしい」
「……通信は可能か。……臨戦態勢をとって艦隊を停止させてくれ。少し早いが食事にしよう」

「食事? 戦闘食じゃないよな?」
「当然戦闘食だ。戦闘になる可能性も有る、食堂に行くような余裕は無い。捕虜にも用意してくれ」
おいおい皇帝にも戦闘食を出すのか。いや、出すか。こいつはブラウンシュバイク公にも戦闘食を出したからな。公は初めての戦闘食に目を白黒させていた……。

「おい、戦闘食は勘弁してくれ。コース料理とは言わんからサンドイッチとかホットドックにせんか。ピザでも良いぞ。戦闘にはならんのだろう?」
オフレッサーが嘆いたがエーリッヒは無視だ。“早く指示を出せ”と不機嫌な声で催促された。リューネブルク中将も諦め顔だ。いやオペレータ達もゲンナリしている。

戦闘食、戦闘中でも簡単に栄養を取る事が出来るようにと軍が開発した非常食だ。栄養は有るんだが誰も喜ばない。内容は一袋に五本入ったビスケットとパックに入ったジュースで終わりだ。ビスケットは一本百五十キロカロリーの栄養が有る。つまり五本で七百五十キロカロリー。そしてジュースはリンゲル液を飲み易くした物。両方ともお世辞にも美味いとは言えない。

食事が始まると直ぐにオペレータが声を上げた。片手にはビスケットを持っている。
「ローエングラム侯から通信が入っています!」
「食事中です、一時間待てと伝えなさい」
「は、はい」
オペレータがエーリッヒとビスケットを二度、三度と見てから返信を始めた。

「嫌がらせか? 戦闘食に一時間はかからんぞ。十五分も有れば終わる」
「もちろん嫌がらせだ。他に何が有る」
俺とエーリッヒの会話にオフレッサーが溜息を吐いた。
「戦闘食で嫌がらせか。出来ればもっと美味い物で嫌がらせがしたかった。そうは思わんか、リューネブルク」
「同感ですな、泣きたくなる」
リューネブルク中将が情けなさそうに答えた。俺も全く同感だ。

「何を言っているんです。こんな美味しくない物を食べさせられたから嫌がらせをするんじゃないですか」
思わずエーリッヒを見た。憤然としている。俺だけじゃない、トマホーク親父とリューネブルク中将もしげしげと見ている。オフレッサーが唸った。

「……なるほど、確かにそうだ」
「食べ物の恨みは恐ろしいんです。ローエングラム侯にはたっぷりと礼をしないと……、冗談じゃない!」
そう言うとエーリッヒは渋い表情でビスケットを一口食べジュースを飲んだ。そしてパックを睨みつけた。これでまた碌でもない事が起きると決まった。軍の馬鹿野郎、なんだってこんな不味い物を作った。事が起きる前に遮音力場に逃げたい気分だ。




 

 

第十三話 武器なき戦い




帝国暦 488年  8月 10日  マールバッハ星域 ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



エーリッヒが囚われ人達を艦橋に呼んだのはローエングラム侯に再度通信しろと言った一時間後まであと二十分と迫った時だった。全員が艦橋の一隅に集められ兵達が監視している。
「十分前になったら臨戦態勢のまま艦隊を動かす、あらかじめ全艦に通知してくれ。それとローエングラム侯との話し合いは録画と広域通信を頼む」
「広域通信? 分かった」
オペレータを見ると頷いて直ぐに指示を出し始めた。

「アントン、ローエングラム侯は一時間待つかな?」
「如何かな? 姉君思いだから時間前に連絡してくるんじゃないか。それにこちらが艦隊を動かせば直ぐに分かるだろう。焦って連絡してくる可能性も有る」
艦隊を停止してから約四十分、ローエングラム侯のワルキューレによる接触を何度か受けている。攻撃は無い、こちらの様子を窺うだけだ。

こちらも当然だが哨戒任務は実行中だ、敵の動きは分かっている。向こうも艦隊を止めている、今頃は食事を済ませているかもしれない。お互い相手の行動は妨害しない、そして必要以上に挑発するような事もしない。お互い突発的な衝突で済し崩しに戦闘に入る事を避けたいと思っている。

ローエングラム侯は人質解放を願っているしエーリッヒも艦隊戦力では劣勢だと分かっている。おそらくは多少の論戦と落としどころを狙っての交渉になる。もちろんお互いに圧力をかけながらだ。ローエングラム侯は兵力、エーリッヒは人質の命が武器だ。そしてローエングラム侯は人質の解放、補給物資の返還を望みエーリッヒは航行の安全の保障を得ようとしている。

論戦となればエーリッヒが圧倒的に優勢だ。何と言ってもエーリッヒは皇帝暗殺の真相を知っている、証拠も有る。あれを暴露すればローエングラム侯はもたない。だがそれだけに危険だ。ローエングラム侯が暴発して戦闘になる事も有り得る。その時は人質など何の意味も無くなる。

兵力では不利なのだからローエングラム侯を上手く制御して成果を得なければならない。となると簡単に暴露というわけには行かない。何処までを曝し何処からを秘匿するか……。或いは他に交渉のカードが有るのか。広域通信か、何か考えが有りそうだが……。エーリッヒを見た、俺を見て笑顔を見せた。

「ローエングラム侯は一時間待つと思うよ」
自信満々な表情をしている。さっきまで戦闘食が不味いと仏頂面していたのに……。可笑しかった、或いは俺達を安心させようとしているのだろうか?
「賭けるか?」
「良いとも。私が勝ったらカルーア・ミルク二杯、卿が勝ったら水割り二杯だ」
「乗った!」
俺とエーリッヒの遣り取りをオフレッサーとリューネブルク中将が、オペレータ達が呆れたように見ていた。

「で、侯が待つだろうと思う根拠は何だ?」
「ローエングラム侯はあれで結構律儀な所が有る。それに時間前に通信してくれば足元を見られると思うだろう。負けず嫌いだからね、今頃は歯噛みしながら時計を見ているよ」
なるほど、侯の性格を良く見ている。オフレッサー、リューネブルク中将も頷いている。

「分が悪いな、俺の負けかな」
「如何かな、まあここで勝ってもガイエスブルク要塞に戻れなければ意味が無い」
「そうだな、司令官閣下の才覚に期待というところだ。……十分前だ、エーリッヒ」
「全艦に発進命令を、速度は半速でいこう」

艦隊がゆっくりと動き出す。エーリッヒがエルウィン・ヨーゼフを呼んだ。幼児を膝の上に乗せ耳元で囁いている。ところどころ内容が聞こえるが本気か? また碌でもない事を。リューネブルク中将が苦笑しオフレッサーは訝しげだ。どうやら後ろに居るオフレッサーには聞こえなかったらしい。

約束の一時間が経った。間をおかずにオペレータがローエングラム侯から通信が入った事を大声で告げた。エーリッヒが“カルーア・ミルク、二杯だぞ”と言ってウィンクをした。そして幼児を抱えて立ち上がる。
「映像をスクリーンへ」
エーリッヒの言葉にスクリーンにローエングラム侯の姿が映った。幼帝を抱えたエーリッヒを見て驚いている。

「ローエングラム侯、出迎え大義! 陛下も侯の忠誠を御喜びであるぞ」
『な、……』
ローエングラム侯が呆然としている。それを見てリューネブルク中将、オフレッサーが顔をヒクつかせた。オペレータの中には俯いて腹を抑えている人間も居る。エーリッヒは至って厳かな表情だ。どう見ても宮中の重臣、摂政だが似合い過ぎだ。戦闘食の嫌がらせ第二弾だな。

「陛下の御前であるぞ、ローエングラム侯。頭が高い、控えよ」
『……』
困惑している、如何して良いか分からないのだろう。怒り付けたいが皇帝を抱いているエーリッヒを怒鳴り付けるわけにもいかない。一つ間違えば皇帝を怒鳴り付けたと取られかねない。駄目だ、俺も腹が痛くなって来た。

「ローエングラム侯、陛下がローエングラム侯に御言葉を下さる、謹め」
『はっ』
流石に今度は僅かに頭を下げた。皇帝の言葉を無作法に立ったまま聞く事は出来ない。
「大儀である! 予の心配は要らぬ、下がれ!」
『……』
ローエングラム侯が皇帝を上目づかいに見ている。本心からかそれとも言わせられているのか確認しようというのだろう。

とうとうオフレッサーが吹き出した、続けてリューネブルク中将が、オペレータが、そして俺も吹き出した。スクルドの艦橋は皆腹を抱えて笑っている。ローエングラム侯が顔を真っ赤にしているのが見えた。エーリッヒが皇帝を下ろし指揮官席に座らせ、そして右手を上げて“静かに”と声を上げた。皆が懸命に笑いを堪える。

「一度で良いから“頭が高い”、“控えろ”をやって見たかったのですよ。それに緊張が解れるかと思ってやったのですが如何ですか?」
『ふざけるな!』
ローエングラム侯は真っ赤になって振るえている、ブリュンヒルトは寒いらしい。温度調整が上手く行っていない様だ。実験艦だからな、故障だろう。

「お気に召しませんでしたか、失敗かな、これは」
そう言うとエーリッヒは俺を見て肩を竦めた。仕方ないな、付き合うか、俺も肩を竦めた。周りにはローエングラム侯は冗談の分からない奴だと見えたかもしれない。またオフレッサーが吹き出した。

『卑怯だろう!』
「卑怯とは?」
エーリッヒが目を見開いた。邪気のない悪魔、そう思った。
『陛下を利用してこの場を逃れようとは』
「ああ、それですか。しかし最初にエルウィン・ヨーゼフを利用したのはそちらですよ。何も知らない子供の名前を使って我々を反逆者にした。そちらだって相当に卑怯でしょう」
今度はローエングラム侯が眼を見開いた。

『無礼だろう、ヴァレンシュタイン! 陛下を呼び捨てにするなど』
「我々は皇帝の臣下では有りません、反逆者なのです。問題は無い、違いますか?」
『……』
「反逆罪は間違いだったというなら陛下とお呼びしますよ。しかし陛下はこちらに居ます、どうやって勅令を出すのか見物だな」
ローエングラム侯が口籠った。未だ顔は赤い。駄目だな、興奮しててはエーリッヒには勝てない。

「如何思う?」
エーリッヒが陛下に問い掛けた。陛下が困ったような顔をしている。
「分からないか?」
今度は頷いた。ローエングラム侯が驚いている。そりゃまあ反逆者と皇帝が親しいなんて普通は無いよな。でも皇帝はあの一件からリヒテンラーデ公に不信感を抱いたようだ。むしろエーリッヒの方が信頼出来る、いや自分を殺さない、安全だと考えたらしい。

「ローエングラム侯。ケスラー提督、メックリンガー提督を会話に加えて頂けませんか?」
『どういう意味だ』
「どういう意味? いえ、その方が落ち着いて話せると思っただけです」
ローエングラム侯の顔の赤みがさらに強まった。お前じゃ話にならない、そう言われたと感じたのだろう。実際そうだろうな。地味にチクチクと苛めている。

『お前が苛立たせているのだろう!』
おいおい、卿じゃなくてお前かよ。沸点が低いな、これで大軍を指揮出来るのか? 心配になってきた。リューネブルク中将とオフレッサーが顔を見合わせている。やり過ぎるなよ、エーリッヒ。
「ですから二人を入れて落ち着いて話そうと言っています。私としても後々卑怯だとか狡猾だとか言われたくないですからね」
『……』

「戦闘になるより交渉の方がお互い利が有ると思いますよ。侯もそう思ったから通信してきたのでしょう。そのためにも年長者の意見というのが大事だと思うのです。それにケスラー提督、メックリンガー提督、二人ともそちら側の人間です。侯にとって損は無いでしょう」
『……良いだろう、二人を入れよう』
渋々だがローエングラム侯が頷いた。スクリーンに二人が映った。

「ケスラー提督、メックリンガー提督、久し振りです。ゼーアドラー(海鷲)以来ですね」
にこやかに話しかけられ二人がゴニョゴニョと口籠った。少し迷惑そうだが仕方がない、嫌がらせ第三弾だからな。自分はお前の部下達とこんなに親しいのだと見せつけている。実際ローエングラム侯は面白くなさそうだ、当てにならないとでも思ったか……。感情を隠すのが下手だな、エーリッヒは上手いぞ。私生活はそうでもないが公務では役者になる。

「そうそう、オフレッサー閣下もローエングラム侯とは久し振りでしょう。何かお話しされては如何です?」
おいおい、ここでオフレッサーに振るか、四弾目だな。蛮人オフレッサーが“そうだな”と言って低く含み笑いをした。うん、渋い、凄味が有る。
「また会えたな、小僧。生憎だが俺はまだ生きているぞ」
『……貴様』
ローエングラム侯が呻くとオフレッサーがニヤリと笑った。

「大神オーディンは卿の事が嫌いらしい。別な誰かがお気に入りのようだな。もっとも卿の事を嫌っているのはオーディンだけではなさそうだが……」
オフレッサーが意味有り気に言ってまた低く含み笑いをした。渋い、渋すぎる、そして凄味が有り過ぎる。若いエーリッヒの脇を固める渋いトマホーク親父か、オペレータ達が感嘆している。人気急上昇だな。

「ところでオーベルシュタイン総参謀長は如何したのです? 姿が見えませんが」
エーリッヒの問い掛けにローエングラム侯の表情が微かに動いた。
『オーベルシュタインは他に仕事が有る』
「なるほど、これを機に私諸共全員始末してしまえと言われましたか。余りに煩いので遠ざけたと。……確かに邪魔な人間が多いな」
『……』
ローエングラム侯の顎に力が入った。どうやら図星らしい。なるほど、皇帝暗殺の真相を知る伯爵夫人が邪魔か。エーリッヒが暴走して殺してしまった事にしようとしたか。

「そろそろ話し合いを始めましょうか。何時までも無駄話をしていても仕方が無い」
侯がジロリとエーリッヒを睨んだ。無駄話をしているのはお前だろう、そんな目だ。その通りだよ、ローエングラム侯。卿はもうエーリッヒの術中に嵌っている。

「こちらとしては黙って道を空けて欲しい、そんなところですね」
どうやら暴露は無し、先ずは正攻法で交渉か。緊張感など欠片も無い世間話でもするかのような口調だが……。
『ふざけるな! 人質と補給物資を置いていけ。それなら通行を認めてやる』やっぱりな、ローエングラム侯が噛み付いた。若いな、挑発に乗ってどうする。

エーリッヒが俺、リューネブルク中将、オフレッサー上級大将の顔を見回して肩を竦めた。俺達も肩を竦めた。
「ケスラー提督、メックリンガー提督、少しローエングラム侯に落ち着くように言ってくれませんか。これでは話し合いになりませんよ」
ケスラー、メックリンガー提督が困ったような表情をした。

『侯、ヴァレンシュタイン提督の言う通りです。それでは話し合いになりません』
『小官も同感です。話し合いが不調なら戦闘になりますがそれで宜しいですか』
『……』
ケスラー、メックリンガー提督が説得したがローエングラム侯は不機嫌そうな表情をしたまま返事をしない。二人とも気まずそうだ。

「ガイエスブルク要塞に着いたら人質は解放しますよ。そこから先は自分の意志で決めれば良い。オーディンに戻るも良し、ガイエスブルクに残るも良し、或いはフェザーンに亡命するも良し、止めはしませんし阻みもしない。如何です?」
フェザーンに亡命する、その言葉を聞いたワイツが大きく頷いた。オーディンに戻っても殺される可能性が高い。生きる希望を見出したようだ。

ケスラー、メックリンガー提督は何も言わない。しかし表情に不満そうな様子は見えない。妥当な線だと思っているのだろうな。何も言わないのはローエングラム侯がどう反応するか見えないからだろう。いや正確には賛成するかどうかの判断がつかないからか……。スクリーンに映るローエングラム侯は納得しかねる、そんな表情をしている。

『解放すると言うが保証が有るまい』
「……」
エーリッヒが唖然としている。分かる、気持ちはとっても分かる。この状況で嘘を吐くと思うのか? リューネブルク中将、オフレッサーも呆れ顔だしケスラー、メックリンガー提督は表情を必死に隠そうとしている。何考えてるんだ、この馬鹿。俺なら同意したうえで接収した補給物資、輸送船の返還を要求する。少しでも取り戻せればかなり違うはずだ。

「私が信用出来ないと?」
『保証が無いと言っている』
「なるほど、嘘を吐く人間は他人が信じられないか……」
エーリッヒが大きく頷いた。そして“何を”と反駁しようとしたローエングラム侯を手を振って止めた。

「怒りましたか? しかし事実でしょう。イゼルローン要塞の向こう側ではこちら同様内乱が起きている。あれは侯の謀略だ、そうでもなければこうも都合良く内乱など起きない。帝国の内乱に乗じないようにとの考えから工作員を送ったのでしょう、捕虜交換を利用してね。“人道をもって捕虜交換に応じてくれたことを感謝する”とか言っていましたが嘘ですね。ザマーミロ、馬鹿な奴、本心はそんなところだな。だから私の事も信用出来ない」

なるほど、そういう事か……。皆驚いている。ケスラー、メックリンガー提督も驚いている。……ローエングラム侯は驚いていない。顔は強張らせているが否定はしない。周囲にも伏せて行ったか、知っているのはキルヒアイス、オーベルシュタイン、そんなところなのだろう。しかしそれを気付いたか、エーリッヒ……。

「仕方ない、ではこうしましょう。五人に一人ずつ希望をこの場で述べて貰う。オーディンか、ガイエスブルクか、フェザーンか、如何です?」
『……良いだろう』
リヒテンラーデ侯、フロイライン・マリーンドルフ、グリューネワルト伯爵夫人はオーディンを希望した。ワイツがフェザーンを希望するとリヒテンラーデ侯が忌々しそうな表情をした。残りは幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世だ。

「如何する? 彼らと一緒にオーディンに戻るか?」
エルウィン・ヨーゼフが激しく首を横に振った。やはり連中に不信感を持っている。オフレッサーが大きく息を吐いた。哀れだと思ったのかもしれない。実際哀れでは有る。六歳の子供が人間不信に陥っている。エルウィン・ヨーゼフがエーリッヒを見上げた。

「予はその方と一緒に居る」
「私と? 私は反逆者だ、お前の敵だ。お前を殺すかもしれない」
一瞬だが幼帝が怯えた様な表情を見せた。
「それでも良い、その方と一緒に居る、いかぬか?」
「……好きにしろ、決めるのはお前だ、私ではない」
「その方と一緒に居る、決めた」
エーリッヒが俺を見た、苦笑している。

「困った陛下だな、エーリッヒ」
「全くだ。自分の臣下よりも反逆者に懐くとは……、先が思いやられるよ」
「こうなると誰が反逆者なのか、分かりませんな」
「そんな事より早く終わらせて飯にせんか。戦闘食では腹が膨れんし満足も出来ん。何か美味い物を食わせろ」
オフレッサーの言葉に皆が笑い出した。

『ふ、ふざけるな!』
スクリーンから怒声が響いた。ローエングラム侯が顔を朱に染めて怒っている。皇帝を奪われては一大事か。それとも愚弄されたとでも思ったか。
『卑怯だろう! ヴァレンシュタイン! 子供を懐柔して利用するなど汚い手を使って……、恥を知れ!』

「卑怯卑怯と煩い男だ、子供だな」
『何だと!』
「私を卑怯と罵るほどローエングラム侯は公明正大なのか?」
艦橋がざわめいた。エーリッヒの口調が変わった事に気付いたのだろう。あの時と同じだ、リヒテンラーデ公達を叩きのめした時と……。オフレッサーとリューネブルク中将が顔を見合わせるのが分かった。

「辺境星域で焦土作戦をとって十億人を苦しめたのは誰だ? 何の罪も無い女子供、老人を飢餓地獄に落したのは誰だ?」
ローエングラム侯の顔面が蒼白になった。侯だけではない、二人の提督も同様だ。三人とも凍り付いている。
『……それは……』
「自分は関係ない、策を立てたのはオーベルシュタインだとでも言うつもりか?」
立ち尽くすローエングラム侯にエーリッヒが冷笑を浴びせた。侯だけではない、艦橋も凍り付いている。俺も含めて皆動けない、あの時もそうだったのか……。

「お前の真の姿を教えてやる。ミューゼルという名ばかりの貴族に生まれ多くの貴族達に蔑まれ馬鹿にされてきたがローエングラム伯爵家を継ぐなり十億人の弱者を踏み躙った男だ。自分が貴族だと認識出来て満足か? 十億人踏み躙る事が出来て楽しかったか?」
『違う、あれは……』
何かを言おうとしたが言葉が出てこない。エーリッヒが低い笑い声を上げた。

「勝つためか? 帝国を護るためか?」
『そうだ、私は帝国を護るために……』
「言い訳をするな! 見苦しいぞ!」
必至で言い募ろうとするローエングラム侯をエーリッヒが怒気も露わに叱責した。

「十億人を踏み躙って得た勝利をお前は何のために使った? 辺境星域のために使ったか? そうでは有るまい、リヒテンラーデ公と組んで五歳の幼児を皇帝に祭り上げ帝国軍最高司令官として軍の実権を握った。お前の出世と野心のために使ったのだ。否定出来るか?」
『……』
スクリーンからでもローエングラム侯の身体が小刻みに震えているのが分かった。

「傲慢で冷酷な野心家、弱者を踏み躙りその事を省みぬ冷血漢、しかもそれを認めようとしない卑劣漢、それがお前の真の姿だ。お前に他者を責める資格が有ると思うのか? そんな資格など無い、思い上がるな! 小僧!」
立ち尽くすローエングラム侯にエーリッヒが怒声を叩き付けた。

“やめて下さい”と制止の声が聞こえた。グリューネワルト伯爵夫人が蒼白になって嗚咽を漏らしていた。そして“もうやめて下さい”と何度も繰り返した……。




 

 

第十四話 毒




帝国暦 488年  8月 10日  マールバッハ星域 ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



艦橋にエーリッヒが戻ってきた。あまり顔色は良くない。
「大丈夫か、疲れはとれたか」
「多少はね。嫌な仕事をすると疲れるよ。心配をかけてすみませんでした」
そう言うとエーリッヒは指揮官席に座った。リューネブルク中将とオフレッサーは無言だ。

ローエングラム侯との通信は唐突に終わった。エーリッヒに論破された事も有るがグリューネワルト伯爵夫人が泣きながら制止した事でローエングラム侯が一方的に艦隊を退いた。ガイエスブルク要塞で人質三人、リヒテンラーデ公、グリューネワルト伯爵夫人、マリーンドルフ伯爵令嬢の三人をローエングラム侯に引き渡す。決まった事はそれだけだった。

人質の受け取り人はメックリンガー提督だ。彼の艦隊はこの艦隊の後方を航行している。ガイエスブルク要塞に着いたら、或いはその直前で人質を引き渡す事になるだろう。
「もう少し休んでいても良かったのに」
「そうもいかない、司令官が寝込んでいては部下達が心配するだろう」
エーリッヒは苦い表情をしている。

交渉が終わるとエーリッヒは崩れ落ちるように床に座りこんだ。ローエングラム侯を挑発し苛立たせて自分を優位に持っていく。そして相手が感情的になったところでそれを叩く。一つ間違えば戦闘になる。余程に緊張した、神経を擦り減らしたのだろう。蹲るエーリッヒは疲労で蒼白だった。

ギリギリだったのだ。伯爵夫人の制止が無ければどうなっていたか……。背筋が凍る思いだった。直ぐにエーリッヒをタンクベッドに運び休ませた。本当はベッドでゆっくりと休んだ方が良いのだが本人が受け付けなかった。何処かで自分を大事にしていない。痛めつけたがっている、そんな気がした。

ローエングラム侯と戦うのは本意ではないのだろう。以前からエーリッヒはローエングラム侯を高く評価していた。その侯を貶し辱めそして勝とうとしている。その事がエーリッヒを苦しめているのかもしれない。ローエングラム侯以上に自分を追い込もうとしている……。俺とリューネブルク中将の推測だ、オフレッサーも同意している。

「無理をするなよ」
「無理はしていない。必要な事をしているだけだ」
「……」
俺が納得していないと見たのだろう、エーリッヒが大きく息をするとさらに言い募った。

「ローエングラム侯相手に中途半端な勝利は有り得無いし共存も無い。そんな生易しい相手じゃないんだ。いったん敵対した以上潰すか潰されるかだよ。どんな非情な策であろうと勝つためには使う。卑怯卑劣と罵られようともやる。躊躇っていたら負けるからね。敵である事を惜しまれるよりも憎悪されるぐらいでなければ彼には勝てない……」

淡々とした口調だった。だが何処かで自分に言い聞かせているような響きが有った。自分を追い込むな、エーリッヒ。
「勝算は上がったのではありませんか?」
空気を変えようというのだろう、リューネブルク中将が茶化すように問い掛けてきた。オフレッサーも“そうだな”と頷く。エーリッヒが“遮音力場を使います”と言った。オペレータ達には聞かせたくないか。

「勝利の定義にもよります。向こうの大義を否定し正当性を喪失させるという事なら勝ちました。今回の一件、そして例の一件でリヒテンラーデ・ローエングラム連合が権力欲、野心から貴族連合を反逆者に追い込んだという事が明確になった。たとえ戦争に負けても貴族連合が一方的に悪という事にはならない。滅んで当然という事にはならない」

「そしてリヒテンラーデ公とローエングラム侯、例え彼らが勝者になっても長続きはしない。いずれは滅ぶ……。帝国は混乱するな、新たな秩序が生まれるまで混乱する。私がした事は帝国を徒に混乱させる事か……。馬鹿げているな」
エーリッヒが自嘲した。何処かで虚ろな響きが有った。かなり落ち込んでいる。

「卿が勝てば良いではないか、そうなれば混乱はせんだろう」
オフレッサーの問いにエーリッヒが小首を傾げた。
「勝てば、ですか。オフレッサー上級大将、困った事に私にはラインハルト・フォン・ローエングラムが敗北するという事が想像出来ないのですよ。勝てるのかな、彼に」

皆で顔を見合わせた。エーリッヒは冗談ではなく本当に疑問に思っている。
「今度の一件でローエングラム侯から人が離れるという事は有りませんか? 誰もが彼について行く事に疑問、不安を感じると思うのですが。それに例の件も有ります」
リューネブルク中将の言う通りだ。かなり有利になったはずだ。

「そうかもしれません。しかしそうじゃないかもしれない。向こうは必ずこの内乱を権力闘争ではなく階級闘争として皆に訴える筈です。門閥貴族の横暴を訴え平民達の権利を確保する為には已むを得ない事だったと訴えるでしょう。そして今更降伏しても貴族達の報復から逃れることは出来ないと指摘する。上手く行けば離反は避けられる可能性は有ります。被害を受けたのは辺境の十億人だけなんです。帝国全体から見れば五パーセントに満たない」
皆が唸り声を上げた。

「それに例え全銀河が敵になろうともジークフリード・キルヒアイスがローエングラム侯の傍を離れる事は有りません。あの二人に勝つ? どちらか一人でも持て余しているのに? 至難の業だな、馬鹿みたいに犠牲が出るでしょう。ウンザリだ」
駄目だな、エーリッヒは落ち込む一方だ。俺も溜息が出そうになった。他の話題を提起するか。

「あの三人、オーディンに戻るようだがどうなるかな?」
エーリッヒが首を横に振った。
「どうにもならないだろうな。……リヒテンラーデ公、グリューネワルト伯爵夫人、フロイライン・マリーンドルフ、あの三人はもう終わりだ。いずれオーディンでは血で血を洗う様な凄惨な政争が始まるだろう。あの三人はまず生き残れない」
「……」
どうにもならない、俺もそう思う、どうにもならないと。そして生き残れないと。

「あの三人が抱えている秘密は誰にも相談出来ない。公になればその瞬間から全てが崩壊する。伯爵夫人があそこで私を止めたのも私が全てを暴露すると恐れたからだろう。だが私は彼女が懺悔するのではないかと思った。そうなればとんでもない混乱になったはずだ。ローエングラム侯は自暴自棄になってこっちを攻撃する可能性も有った。震え上がったよ、もう駄目かと思った。心臓を鷲掴みされたかと思うほどの恐怖を感じた……」
なるほど、エーリッヒが崩れ落ちるほど疲労したのはそれの所為か。グリューネワルト伯爵夫人の制止は助けではなく恐怖だったか。

「あの三人は、いやオーベルシュタインを入れれば四人だが事が公表されれば彼らは終わりだ。だがローエングラム侯は彼らを切り捨てれば生き残る可能性は有る。しかし侯に伯爵夫人が切り捨てられるか……、難しいな。多分その時は苦しんでいる侯を見かねて伯爵夫人は自ら命を絶つだろう」
エーリッヒの言葉に皆が頷いた。

「だがそうなればローエングラム侯とジークフリード・キルヒアイスは帝国の覇権を得るためではなく復讐のためにだけに生きる事を選ぶ筈だ。復讐鬼の誕生だよ、ウンザリだな……」
エーリッヒが溜息を吐いた。



帝国暦 488年  8月 25日  アルテナ星域 ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  エルネスト・メックリンガー



ガイエスブルク要塞を目前にしてヴァレンシュタイン提督から人質の解放が伝えられた。そして小型の連絡艇で受け取りに来て欲しいと。私と副官のザイフェルト中尉、他に五名の兵を連れてスクルドに向かった。スクルドからは中に入るのは私だけにして欲しいと連絡が有った。

ザイフェルト中尉を始め皆が危険だと言ったが宥めてスクルドには一人で向かった。出迎えはフェルナー少将と数人の兵士だけだった。リヒテンラーデ侯達人質は居ない。はて、騙されたか?
「フェルナー少将、人質は?」

幾分声がきつくなったかもしれない。それに気付いたのだろう、少将は苦笑を浮かべながら兵達に人質を連れてくるようにと命じた。兵達の姿が見えなくなるとフェルナー少将が近寄ってきた。そして“これを”と言って掌を差し出す。掌にはチップが乗っていた。

「これは?」
掌を見ながら訊ねた。簡単には受け取れない、危険だ。
「真実」
「真実?」
フェルナー少将が頷く。
「謀略では有りません。いや謀略と取られても仕方がない。しかし知らなければさらに危険です」
「……」

已むを得ず受け取ったが後悔と後ろめたさが胸に押し寄せてきた。
「あの三人にはそれの存在を知られないようにしてください」
「あの三人……」
リヒテンラーデ侯、グリューネワルト伯爵夫人、マリーンドルフ伯爵令嬢の三人か、あの三人が絡んでいる?

「それとローエングラム侯とオーベルシュタイン総参謀長にもです。危険です」
思わず掌の上のチップを見た。人払いをしてまで渡した事を秘匿しようとしている。禍々しい瘴気を漂わせているように見えた。フェルナー少将に“早くしまって下さい”と言われて慌ててポケットに入れた。少将は緊張している、かなりの代物のようだ。

「メックリンガー提督はクレメンツ提督と士官学校で同期生だったそうですね」
「そうだが……」
「四回生の頃から髭を生やし始めたと聞きましたが」
何の話だ? 今更……。通路に人質を連れた兵士たちの姿が見えた。なるほど、当たり障りのない会話をしていた、そういう事か。

「そうだな、確かその頃からだろう」
「クレメンツ提督が閣下の事を若い頃から身嗜みが良かった、お洒落だったと言っておられました」
「残念だが男からの評価が高くても余り意味が無い。肝心のご婦人達からの評価は低くてね、まだ独身だ」
軽く笑い声を上げるとフェルナー少将も釣られた様に笑い声を上げた。

人質が引き渡された。三人とも顔色が良くない、そして憔悴している。チップの事を思い出した。あれが関係しているのだろうか? 何が記録されているのだ?
「間違い有りませんか?」
「確かに、人質は解放して貰った」
「では、お気を付けて」
「うむ」

互いに礼を交わしてスクルドを後にした。“お気を付けて”か……。意味有り気に聞こえたのは気の所為だろうか?



帝国暦 488年  8月 26日  ガイエスブルク要塞  アントン・フェルナー



ガイエスブルク要塞が爆発した。実際に爆発したわけでは無いが爆発したとしか言い様のない騒ぎに包まれている。皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世を擁した事、ローエングラム侯を完膚なきまでに論破した事、そして大量の補給物資。誰もが頭のネジが二、三本吹っ飛んだんじゃないかと思うくらいに弾け飛んだ。

貴族達はエーリッヒを褒め称え、いや崇め奉った。“糾弾者ミュンツァーの再来”、“帝国の守護者”、“古今無双の名将”、“帝国の勝利の剣”、美辞麗句の嵐だ。いい気なもんだ、エーリッヒの苦労を知っている俺にはとてもじゃないがそんな事は言えない。

ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は新無憂宮を砲撃した事を驚いていた。“余り無茶をするな”、“公に心配をかけるな”、二人の言葉にエーリッヒは素直に頭を下げた。二人は満足そうだったけど俺は騙されない。必要と判断すればエーリッヒはまた無茶をする筈だ。なんで年長者は簡単に騙されるんだろう? 謎だ……。

皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世をブラウンシュバイク公爵夫人、リッテンハイム侯爵夫人に預けるとメルカッツ総司令官の元で作戦会議だ。エルウィン・ヨーゼフ二世はエーリッヒと離れるのを嫌がったが“大人しくしていろ”と言われると素直に従った。御婦人方が眼を丸くしていた。

今回の作戦会議は参加者が多かった。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、メルカッツ総司令官、オフレッサー上級大将、エーリッヒ、クレメンツ提督、ファーレンハイト提督、リューネブルク中将、アンスバッハ少将、シュトライト少将、ザッカート少将。

「作戦会議を行う前に見て頂きたいものが有ります」
「……」
「今回の作戦において判明した事実です。今後の戦局にも影響する事は間違いありません」
空気が重いな、俺が話しても誰も何も言わない。黙って聞いているだけだ。内心気圧される物が有ったがエーリッヒとリヒテンラーデ公達の遣り取りを再生した。

映像が流れる。誰一人身動きしない、黙って見ている。
“……しかしその大部分が公文書を貰っていない”。
“……ローエングラム侯の姉君は先帝陛下、フリードリヒ四世を……”。
“……暗殺にはリヒテンラーデ公にも責任が……”。
“ローエングラム侯排斥、その情報はリヒテンラーデ公の所から……”。
“先帝陛下の御恩情を忘れたか! この不忠者が!”

映像が終ると彼方此方から溜息が聞こえた。
「陛下が、いや先帝陛下が暗殺された可能性が有るとはブラウンシュバイク公から聞いていたが……、それにしてもとんでもないシロモノだな、これは。公になればローエングラム侯だけではない、リヒテンラーデ公もお終いだ」
リッテンハイム侯の嘆息に皆が頷いた。マリーンドルフ伯爵家は眼中にないか。

「素直には認めまい、捏造だと否定する筈だ」
「だが影響は出る、抜ける人間も出ると思うが」
ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の言葉、それぞれに皆が頷いた。
「ヴァレンシュタイン提督、卿は如何思うのかな? 今後の予定ではリッテンハイム侯が辺境星域奪還軍を起こす事になっているが」

メルカッツ総司令官の言葉に皆の視線がエーリッヒに向かった。
「ローエングラム侯は先日、焦土作戦の真実を暴露され政治的に窮地に立っています。おそらくはこの戦争は権力闘争では無く階級闘争だと言い自分が平民、下級貴族の味方だと言って周囲の動揺を抑えようとするでしょう。焦土作戦は力を付けるために必要だったと言って」
「ずいぶん時間がかかっているな」
クレメンツ提督の言葉にエーリッヒが苦笑を浮かべた。

「人質が心配なのですよ。返還前にやればこちらが人質を返さない可能性が有ると考えた。だから沈黙していた。しかし返還は無事終了しました。そろそろローエングラム侯の声明が出ると思います」
「ではここでもう一度ダメージを与えるか?」
「いえ、総司令官閣下。今回は毒として浸透させたいと思います」

毒、という言葉に皆が顔を見合わせた。
「既にローエングラム侯の部下の一人にそれを渡しました。少しずつ密かに広げていく。ローエングラム侯が気付いた時はどうにもならない程に浸透させていく。リヒテンラーデ公の周辺とマリーンドルフ伯の周辺にも毒を埋め込みたいと思います」
ヒヤリとするほど冷たく聞こえた。“どんな非情な策であろうと勝つためには使う。卑怯卑劣と罵られようともやる”。口だけじゃない、本気でやろうとしている。

「シュトライト、任せて良いか?」
「はっ」
「そして予定通り、リッテンハイム侯の軍を使って辺境星域の奪還を目指します。エルウィン・ヨーゼフ二世陛下を奪いました。向こうはブラウンシュバイク公が手中に収めたと見る筈です。リッテンハイム侯はそれに反発して辺境星域奪還に向かったと思うでしょう」

リッテンハイム侯が笑い声を上げた。
「なるほどな、陛下を攫ったのはそれが目的か。となればブラウンシュバイク公から私に援軍が出るとは思わぬだろう」
リッテンハイム侯の言葉に皆が笑顔で頷いた。エーリッヒだけが頷かない、笑みを見せない。

「ローエングラム侯の軍は補給に不安を抱えています。こちらは貴族達を使ってリッテンハイム侯に競り合うかのように攻撃を本格化させます。ローエングラム侯の目をこちらと辺境に集中させ補給の不安を煽る。そして何時か、オーディンの毒がローエングラム侯を襲う……」
エーリッヒがじっと俺を見た。“敵である事を惜しまれるよりも憎悪されるぐらいでなければ彼には勝てない……”。そう言っているように聞こえた。






 

 

第十五話 浸透



帝国暦 488年  8月 27日  ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  ヘルマン・フォン・リューネブルク



「昨日はよく眠れましたかな?」
「駄目です、来客が多くて寝るのが遅くなりました」
そうだろうな、明らかに寝不足気味の顔をしている。
「それは御気の毒です、人気者は御辛いですな」
「人気者になる気は無かったのですけどね。今日も押しかけて来そうなのでここに逃げて来ました」
そう言うとヴァレンシュタインは指揮官席にゆったりと腰を下ろした。

「邪魔では有りませんか?」
「いいえ」
「では話をしても?」
ヴァレンシュタインが軽く笑みを浮かべた。
「構いません。遮音力場を展開しましょう、その方が良いでしょう」
フェルナー少将もオフレッサーも居ない。これは俺の一人占めだな。

「予想通りでしたな」
「そうですね」
ヴァレンシュタイン提督が頷いた。昨夜、ローエングラム侯が将兵達に演説をした。門閥貴族の横暴を訴え平民達の権利を確保する為には権力が必要だと訴えていた。辺境星域において焦土作戦を執ったのもそのためであり個人的な野心や出世欲からではないと。内乱終結後は平民達の権利を大幅に拡大する、リヒテンラーデ公もその事は了承している。動揺する事無く指揮官を信じて戦えと……。

それを聞いた貴族達がガイエスブルク要塞内に有るヴァレンシュタインの部屋に押し掛けた。小賢しい言い訳でローエングラム侯の真実は傲慢で冷酷な野心家でしかないと言って。あの男に鉄槌を下してやりたいと言って。そう言った貴族達の目はヴァレンシュタインを熱い眼で見ていた。自分でやれ、人を頼るな、全く何を考えているのか。

「しかしリヒテンラーデ公の名前を出すとは思いませんでした」
「自分の名前だけでは将兵を説得出来ないと考えたのかもしれません。或いはそこまで追い詰められたか……」
「予想以上に将兵の動揺が激しいと?」
“可能性は有るでしょう”と言ってヴァレンシュタインが頷いた。

「リヒテンラーデ公もローエングラム侯に倒れられては困る、渋々でしょうが同意したのでしょうね。どのみち内乱が終ればローエングラム侯を排除して反故にするでしょうし」
「とは言っても貴族達は不満たらたらでしょうな。平民達の権利の確保など貴族達への抑圧でしかない」
「リヒテンラーデ公に力が有る間は黙っています。しかしちょっとでも弱みを見せれば……」
「さて、どうなるか……」

皇帝暗殺を知りながらその相手と手を結んだ。本来なら許される行為ではない。それをした以上不満を持つ人間がそれを知ればクーデターという形での排除も有り得るか。いや、それだけではないな。もうすぐ辺境星域でも大会戦が起きる筈だ、それで敗北すれば……。リヒテンラーデ公を支えるローエングラム侯に貴族達が不信を持てばオーディンでのクーデターは十分に有り得る……。

「リヒテンラーデ公側の貴族達がこちらに誼を通じようとして来る、有るとお考えですか?」
「有るでしょうね、ですが上手く行くかどうか、難しいと思いますよ」
クーデターを起こしても潰される可能性は高いか。期待はしていないということだ。だがローエングラム侯にとってオーディンが不安定というのは面白く無い筈だ。特に補給に不安が有る現状ではなおさらだろう。狙いはそちらか。少しずつ、少しずつだが追い詰めている。

「メックリンガー提督ですが例のチップ、そろそろ見ましたかな」
「見たでしょうね。驚いたと思いますよ」
微かにヴァレンシュタインが笑みを浮かべて頷いた。
「混乱するでしょうな」
「混乱します、そして誰かに相談する。そして少しずつ広まっていく」
そして少しずつローエングラム侯の足元が弛んでいく。気が付いた時には地崩れが起きているかもしれない。その時、ローエングラム侯は自分が孤立している事を知るだろう。

「貴族達は出撃するようですな、張り切っています」
「面白くなりますね、補給に不安のある正規軍も攻め寄せられたら戦わざるを得ない。オーディンで必死に補給を作っても間に合わない状況になるかもしれません」
「なるほど、彼らを補給物資の消費のために使いますか」
「勝てなくてもそのくらいは出来るでしょう、期待しています」

酷い言い方だ。思わず苦笑が漏れた。ヴァレンシュタインはニコリともしない。そうか、戦後の事を考えれば一石二鳥か。オーディンに毒を埋めるのもそれが理由か。貴族達を暴発させローエングラム侯の手で始末させる……。敵も味方も皆殺しだな。ローエングラム侯は自分が道具だと知ったら如何思うか……。自尊心の強い侯には耐えられまい。

「自由惑星同盟、いや反乱軍の事、お聞きになりましたか?」
「第十三艦隊がバーラト星域に達したという事なら聞いています」
情報はきちんと収集している様だ。
「どうなると思いますか、アルテミスの首飾りが有りますが」
ヴァレンシュタインが俺を見て微かに笑みを浮かべた。

「アルテミスの首飾りですか、ヤン提督が強攻すれば意味が有るかもしれません。しかし強攻するかな?」
「……」
「帝国の内乱は終結の気配さえ見えない。慌てて攻略する必要は無いでしょう。となれば持久戦でハイネセンを攻略するという手も有ります」
「なるほど」
包囲して補給を断つか、有り得るな。

「あちらの反乱は年内に終結しそうですな。こちらはどうなるやら」
「……」
ヴァレンシュタインを見たが何の反応も示さなかった。内乱は長期化する、そう思っているのか。或いは早期終結の目処が見えない、そう思っているのか……。疲れている様だな、少しゆっくり休んでもらった方が良いだろう。俺は陸戦隊の様子でも見に行くとするか……。



帝国暦 488年  9月 10日  レンテンベルク要塞 ウルリッヒ・ケスラー



「メックリンガー提督」
「……」
「メックリンガー提督」
「ああ、何かな、ケスラー提督」
二回呼ばれてようやく気が付いたようだ。もっとも二回も呼ばれたという事は分かっていないだろう。

「食欲が無いようだが大丈夫か? 全然手を付けていないが」
「大丈夫だ、ケスラー提督。ちょっとぼんやりしていた」
どうもおかしい。一緒に高級士官用の食堂に来たが料理を前にしてもぼんやりとスプーンでシチューを掻き回すだけだ。
「まあ状況が良くないからな、メックリンガー提督の気が塞ぐのも無理は無いか」
「そうだな」
メックリンガー提督が力なく微笑んだ。

状況は良くない、皇帝は奪われ補給物資も奪われた。ローエングラム侯がヴァレンシュタインに論破されて以来将兵の士気も低い。平民達の権利の保障を宣言したが何処まで信じてくれるか……。そして貴族連合は攻勢を強めつつある。こちらは補給物資に不安を抱え、将兵の士気の低さを憂いつつ迎撃に出ざるを得ない。

唯一の救いはブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が仲間割れをしたらしいことだ。エルウィン・ヨーゼフ二世をブラウンシュバイク公が手に入れた事で反発したらしい。リッテンハイム侯は辺境星域の奪回を宣言して軍事行動を起こしている。

貴族連合軍は優勢になった事で綻びが見えてきた。寄せ集めの弱点が現れた、そういう事だろう。キルヒアイス提督率いる別働隊がリッテンハイム侯の艦隊を撃破すればかなり情勢を挽回出来る筈だ。皆が辺境星域で行われる会戦に熱い視線を送っている。……それにしても気になる、メックリンガー提督は何を悩んでいるのだ? 現状を憂いているだけでは無さそうだが……。

「ケスラー提督」
「何かな、メックリンガー提督」
「貴族連合軍は何故我々を反逆者にしないのかな。皇帝を擁しているのだから簡単だと思うのだが」
腑に落ちない、そんな表情だ。相変らずスプーンはシチューを掻き回している。

「おそらくはその方が有利だと考えているのではないかな」
「有利? 反逆者である事がか?」
「うむ。リヒテンラーデ公とローエングラム侯を反逆者にすればリヒテンラーデ公の周辺からは陛下を廃立して新たに別な方を皇帝にという話が出る可能性が有る」
“なるほど、廃立か”とメックリンガー提督が頷いた。

「お互いに皇帝を擁して非難し合うよりも反逆者でありつつもこちらを幼君を擁して権力を弄した君側の奸、そういう形にした方が利が有る、そう思ったのではないかな。例の一件でこちらを論破したという事も有る。陛下も居るのだ、反逆者のままでも余り実害は無い、そう考えた可能性は有ると思う」
今度は唸り声を上げた。

「実際皇帝が居ないという不都合を除けばこちらも不利益を被っていない。反逆者になったわけでもない。この状態では貴族達も皇帝を廃立しようとは言い辛いだろう。つまり我々は皇帝奪還のために苦労する事になる。そういう面でも貴族連合軍は有利だ」
「なるほど、強かな計算をする」
その通りだ、貴族連合軍は反乱当初の予想とは違い強かに計算して動いている。その分だけ手強い。

食事が終り部屋に戻る途中だった、メックリンガー提督が私を自分の部屋に誘った。気になったのは私を誘う彼の目に迷いと怯えのようなものが見えた事だ。誘った事を何処かで後悔している、何処かで私に誘いを断って欲しいと思っている。それだけ悩みは大きい、そしておそらくは私にも関係が有る……。

部屋に入るとメックリンガー提督が大きく息をした。心の準備、そんな感じだ。「ケスラー提督、見て欲しい物が有る」
「見て欲しい物?」
「ああ、そこに座ってくれ」
そう言うとメックリンガー提督がリモコンでTV電話の電源を入れた。彼の示した場所に座る。メックリンガー提督も傍に座った。映像が流れ始めた。人質の五人、ヴァレンシュタイン提督、オフレッサー、リューネブルク、スクルドの艦橋か。一体何が……。



「如何思った?」
見終わって呆然としているとメックリンガー提督が覗き込むように身を乗り出して訊ねてきた。如何? 如何と言われても……。考える時間が欲しい。
「メックリンガー提督はこれを何処で入手したのだ?」

「フェルナー少将から渡された。あの三人は知らない」
あの三人? リヒテンラーデ公達の事か。つまり極秘に渡された。
「そしてローエングラム侯とオーベルシュタイン総参謀長には知られるなとも言われた」
「……そうは言ってもローエングラム侯に報せぬわけには……」
メックリンガー提督が“分かっている”と言って頷いた。

「私も報せる必要があると思った。そしてその度に考えてしまうのだ。ローエングラム侯はこれを受け止められるだろうかと……。夜には明日こそはと思い朝が来れば果たしてと考えてしまう。毎日それの繰り返しだ」
「……それで報せられなかったか」

メックリンガー提督が力無く頷いた。表情が苦い、おそらくは私も同様だろう。確かに報せたらどうなるか……。グリューネワルト伯爵夫人が大逆罪を犯した、それも自分達を守るために、……想像が付かない。彼が食事も摂れないほど悩む筈だ、私が同じ立場でも悩むだろう。

「これが捏造なら良いのだが……、ケスラー提督は如何思う?」
「いや、事実だろう。辻褄は合う」
「そうか、そうだろうな」
メックリンガー提督が溜息を吐いた。捏造であればどれほど楽か。

「この映像を見ると以前から貴族達はローエングラム侯を排除したいと思っていたようだ。辺境星域での焦土作戦はそんな貴族達に格好の口実を与えてしまった。反乱軍も大敗した以上ローエングラム侯を排除するのに遠慮は要らない。皇帝陛下崩御さえなければ侯は貴族達によって排除されていた筈だ。殺されたかどうかは分からないが失脚は間違いなかったと思う」
メックリンガー提督が頷いた。

「だが皇帝フリードリヒ四世が死んだ事で全てが変わってしまった。排斥の動きは表に出る前に消えてしまった。だから我々は何も気付かなかった。だがローエングラム侯排斥の動きを知っていれば余りにもタイミングが良過ぎる事に気付いたはずだ、それにその後の流れは我々に余りにも都合良く運び過ぎた……」
「オーベルシュタイン総参謀長か……」
「そうだ、彼がシナリオを考えたのだと思う」

皇帝崩御を知った時、皆が唖然とする中で的確に今後の展開を読んだのはオーベルシュタイン総参謀長だった。そして方針を立てたのもオーベルシュタイン総参謀長だった。偶然ではない、必然だったのだ、彼が全てを演出した。辺境星域での焦土作戦、そして皇帝暗殺から今回の内乱は一つのシナリオなのだ。バラバラに起きたのではない……。

「ヴァレンシュタイン艦隊を攻撃しろと言ったのは……」
「口封じだろうな、全てを闇に葬るつもりだった」
「恐ろしい男だ」
メックリンガー提督が溜息を吐いた。
「そうだな、恐ろしい男だ。オーベルシュタイン総参謀長も、そしてヴァレンシュタイン提督も」
「ヴァレンシュタイン提督も?」
メックリンガー提督が驚いた様に聞き返してきた。
「そうだ、ヴァレンシュタイン提督もだ」
「……」

「オーベルシュタイン総参謀長がシナリオを書いた事をヴァレンシュタイン提督は早い時点で気付いたのだと思う。皇帝を暗殺したのは伯爵夫人でその裏に総参謀長が居ると。しかし彼はそれを表沙汰にはしなかった。おかしいとは思わないか?」
「確かにそうだ。何故だ?」
メックリンガー提督が眉根を寄せた。

「リヒテンラーデ公が握り潰す、そう思ったのだ。だから知らぬ振りをしてこちらを油断させた」
「……」
「その上でオーディンを襲った。我々は向こうの狙いを補給物資と皇帝の身柄だと思った。リヒテンラーデ公やグリューネワルト伯爵夫人はあくまで人質だと……」

メックリンガー提督が呻いた。こちらも呻きたい気分だ。もし事実を知っていれば如何したか? オーベルシュタイン同様攻撃を進言しただろう。ヴァレンシュタイン提督がマールバッハでこちらと相対したのはローエングラム侯が暗殺に関わっていない、暗殺はオーベルシュタインの独断だと判断していたからだ。そしてそれを確かめた。だからこの映像をメックリンガー提督に渡した。こちらを混乱させるためだ。

「むしろ狙いは真相を語らせる事か」
「そうだ。最初から狙いはそれだった。だからマールバッハでの会談で焦土作戦の事を持ち出したのだ。伯爵夫人達を人質にとれば侯が卑怯だと非難するのは分かっていた。それを逆手にとって論破した」
またメックリンガー提督が呻いた。両手はきつく握りしめられている。

「ローエングラム侯は平民の権利を守るためには已むを得ない事だったと将兵に弁解した……」
「だがその焦土作戦がきっかけで皇帝暗殺、そして今回の内乱が起きた。リヒテンラーデ公が忘恩を罵られているがそれはローエングラム侯も同じだ。侯も陛下の御引立てが無ければ二十歳で帝国元帥にはなれなかった。この映像が公になればどちらも権力の保持と野心から行動した、恥知らずの忘恩の徒と言われても仕方がない。平民の権利を守るため等と言っても誰も信じるまいな」

メックリンガー提督が首を横に振った。
「如何すれば良いのだ」
「……ローエングラム侯に話さなければなるまい」
「……やはりそうなるか」
「皆で話そう」
「皆? ロイエンタール提督達もか?」
驚いたようにメックリンガー提督が問い掛けてきた。

「彼らの将来にも関わる、侯に話す前に知らせておいた方が良いだろう。それに皆で話した方が侯も落ち着いて聞いてくれる筈だ」
「なるほど、そうかもしれん」
感情的になられても皆で説得する。二人よりも五人の方が効果は大きいだろう。或いは五人で話せば良い案が出る可能性も有る、もっともそんなものが有ればだが……。





 

 

第十六話 齟齬




帝国暦 488年  9月 15日  レンテンベルク要塞 ウルリッヒ・ケスラー



ロイエンタール、ビッテンフェルト、ミュラー、三人の提督が押し寄せる貴族連合軍を撃退しレンテンベルク要塞に引き上げてきたのは十四日の夜遅い時間帯だった。疲れているだろうとは思ったが急いだ方が良い、話が有ると誘うと三人とも嫌がりもせずに付いてきた。彼ら三人もこちらに相談したいと思う事が有るのかもしれない。

メックリンガー提督の部屋に入りそれぞれ席に座った。
「卿らを部屋に誘ったのは見て貰いたいものが有るからだ。予め言っておくがかなり厄介な代物だ、そして我々全員に関わってくる。私とケスラー提督ではどうすれば良いか判断出来なかった。卿らの力を借りたい」

三人が無言で視線を交わした。それ以上の反応が無い事を見てメックリンガー提督が映像を映そうとした時だった。ドアをトントンとノックする音が聞こえた。誰だ? 皆が訝しげな表情をしている。心当たりは無いという事か。またトントンとノックする音が聞こえた。

席を立ってドアに向かう。嫌な予感がしたがドアを開けると目の前に血色悪い半白髪の男が立っていた。やはりこの男か……。
「オーベルシュタイン総参謀長……」
誰かが背後で呟いた。決して好意的な響きではない、どちらかと言えば迷惑気な響きが有ったが目の前の男は無表情だ。可愛げが無い、士官学校時代からそうだった。

「私も話に混ぜて貰えるかな」
「……」
「嫌な事は一度で済ませたい、そう思うのだが」
偶然ではないか、メックリンガー提督の様子がおかしい事を知ってずっと彼を監視していたな。そして皆が集まる時に動きが有ると待っていたわけだ。話の内容も察知しているようだ。

「メックリンガー提督、総参謀長にも入って貰おう、如何かな?」
「そうだな、そうしよう。いずれは総参謀長にも聞かなくてはならんからな」
メックリンガー提督の口調には好意など一欠けらも無かった。当然か、今日の事態を引き起こしたのは目の前のこの男だ。しかし本人もそれは分かっている筈だ、それでもここに来た。総参謀長も悩んでいるのか?

中に入れると私の隣に座った。気が重いが仕方がない、士官学校では同期だったのだ。席ぐらいは隣に座っても文句は言わん。他に言いたい事が有るからな。
「メックリンガー提督、始めよう」
「そうだな、始めるとしよう」
映像が流れ始めた。


映像が流れ終わっても誰も無言だった。黙って顔を見合わせている。ややあってロイエンタール提督が口を開いた。
「オーベルシュタイン総参謀長、我々が聞いた事は事実かな?」
「フロイライン・マリーンドルフの事は知らない。それ以外は細かい部分で幾つか差異はあるが大凡は事実だ」
淡々とした抑揚の無い口調だった。だがその事が皆の怒りに火をつけた。

「自分が何をしたか分かっているのか?」
「焦土作戦など行うからだ!」
「同感だ、あれの所為で兵の士気が下がりっぱなしだ!」
「この上弑逆者等と言われたら……」
「どうにもならん!」
皆の責める言葉にもオーベルシュタインは微動だにしなかった。自分が責められていると分かっていないのではないか、そう思わせる態度だ。

「已むを得なかった。生き残るためには仕方が無かった事だ」
「焦土作戦など行うからだろう!」
ビッテンフェルト提督の怒声にオーベルシュタインが首を横に振った。
「焦土作戦を執ったから、それが原因で排斥されそうになったから皇帝を暗殺したと卿らは思っているようだがそれは違う。先ず最初にローエングラム侯排斥が有ったのだ。我らが生き残るためには焦土作戦を執り皇帝を暗殺せざるを得なかった」
皆が顔を見合わせた。“どういうことだ”とメックリンガー提督が押し殺した声で質問した。言外にいい加減な事を言う事は許さないという響きが有った。

「ローエングラム侯排斥の動きが出たのは焦土作戦を執る前の事だ。フェザーンから反乱軍が大規模出兵を企てているとの連絡がリヒテンラーデ公に入った、その時ローエングラム侯の排斥がリヒテンラーデ公とゲルラッハ子爵の間で討議された」

「リヒテンラーデ公? ローエングラム侯排斥を企てたのはブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯ではないのですか?」
ミュラー提督が問い掛けるとオーベルシュタイン総参謀長は“違う”と否定した。ミュラー提督だけではない、皆が驚いている。首謀者はリヒテンラーデ公か……。しかも排斥の動きは戦いが始まる遥か前、にも拘らず戦後は手を結んだ……。

「ローエングラム侯排斥の首謀者はリヒテンラーデ公とゲルラッハ子爵だ。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はリヒテンラーデ公の誘いに乗ったというのが正しい」
「ワイツ補佐官がそう言ったのか?」
私が問うとオーベルシュタインは“そうだ”と言って頷いた。

「だからヴァレンシュタイン提督がリヒテンラーデ公を厳しく叱責したのだ。誘っておきながら土壇場で掌を反した、そしてブラウンシュバイク、リッテンハイム両家は反逆者になった」
「しかし、それでは……」
メックリンガー提督が何かを言いかけ途中で口を噤んだ。おそらくは怒るのも無理は無い、そう言いたかったのだろう。

「元々貴族達はローエングラム侯に対して良い感情を持っていなかった。成り上がりという点で蔑視し覇気が強すぎるという点で危険視していた。そしてローエングラム侯は元帥府を開くと平民、下級貴族出身の卿らを艦隊司令官に登用した。貴族達には新たな政治勢力、敵対勢力の誕生と見えた筈だ。平民達に政府への不満が募っていた事も侯を危険視させる一因だっただろう。政府首班であるリヒテンラーデ公はその辺りに敏感に反応したのだと思う」
「……」

「反乱軍を撃破すれば帝国の安全保障は問題無い。となればローエングラム侯の存在価値、利用価値は激減する。つまり価値よりも危険度の方が高くなるのだ。リヒテンラーデ公が排斥を考えるのは当然といって良い」
「ではあのままでは焦土作戦を執らなくてもローエングラム侯は排斥されたと言うのか」
「その通りだ、ビッテンフェルト提督。侯は排斥され我々も宇宙艦隊から追われた筈だ」
ビッテンフェルト提督が面白くなさそうに“フン”と鼻を鳴らした。

「しかし、だからと言って……」
ミュラー提督が口籠った。皇帝暗殺とは口に出来なかったのだろう。
「排斥で済めばよい、場合によっては命を奪われる者も出ただろう。ロイエンタール提督、卿とミッターマイヤー提督は特に危ない。否定出来るかな?」
「……いや、総参謀長の言う通りだ。否定はせん」
ロイエンタール提督が苦い表情で肯定した。これで彼は皇帝暗殺を非難し辛くなったな。オーベルシュタイン総参謀長が皆を見回した。

「我々が生き残るには我々が必要とされる状況を作り出す必要が有った。反乱軍が役に立たなくなる以上帝国内において軍事的緊張を作り出さなければならない。誰もが強大な武力を必要とする状況だ……」
「それが皇帝暗殺か」
メックリンガー提督が呟くと皆が顔を見合わせた。

「皇帝が死ねば次の皇帝を誰にするかで紛争が起きる筈だ。リヒテンラーデ公、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、最善はリヒテンラーデ公と手を結ぶ事だが誰と組んでも良かった。敵を潰し最終的に組んだ相手を潰す、それで全てが解決する筈だった」
「現実にはかなり苦戦しているな」
ビッテンフェルト提督が皮肉ったがオーベルシュタイン総参謀長は“そうだな”と言って何の反応も見せなかった。

「反乱軍との戦いに手間取る事は出来ない。圧倒的に勝ち次の内戦に備える必要が有った。リヒテンラーデ公をこちらに引き寄せるためにもだ。焦土戦術を使ったのはその為だ」
オーベルシュタイン総参謀長が口を閉じた。皆無言だ、思いがけない真相を聞いて困惑しているのかもしれない。

「総参謀長、ローエングラム侯は知らないのだな?」
私が問い掛けるとオーベルシュタイン総参謀長は無言で頷いた。誰かが溜息を吐いた。
「如何するつもりだ? 貴族連合に知られた以上いずれは侯も知るだろう。侯が知れば……」
また誰かが溜息を吐いた。ローエングラム侯の反応を考えたのだろう。

「ローエングラム侯には私から話す、卿らは心配せずとも良い」
「話すと言っても如何話すつもりだ?」
メックリンガー提督が問い掛けるとオーベルシュタイン総参謀長が微かに笑った。
「小細工はしない、ありのままに話す」
「しかし、それでは」
「受け入れて貰う、そうでなくてはこれから先、戦う事が出来ない。覇者には冷徹さが必要だ」
シンとした。皆で顔を見合わせた。特に反対する人間は居ない。

「良いだろう、ではこの問題は総参謀長に任せよう」
私が言うと皆が頷いた。正直進んで請け負いたい仕事ではない。総参謀長がやると言うなら任せるまでだ。どう繕うかという問題も有るが事実無根と否定するか、捏造と非難するかぐらいしかない。

「私からも卿らに頼みが有る」
「……」
「この映像だがおそらくはオーディンの貴族達にも流れている」
総参謀長の言う通りだ。メックリンガー提督に渡したように何人かの貴族に流れている筈だ。

「オーディンが混乱するのは面白くない。補給の事も有るがオーディンにはグリューネワルト伯爵夫人が居る。夫人の件でローエングラム侯が混乱するのは最小限に留めたい。夫人の安全を守り貴族達の軽挙妄動を防ぐには勝利が必要だ。勝っている限り貴族達はこちらを怖れて動く事は無い。……必ず勝ってくれ」
「勝手な事を、夫人を危険にさらしたのは卿だろう」

メックリンガー提督が非難したがオーベルシュタイン総参謀長は何の反応も見せなかった。必ず勝ってくれか、簡単に言ってくれる、先ずは辺境星域だな。別働隊がリッテンハイム侯に勝てるかどうか……。



帝国暦 488年  9月 22日  キフォイザー星域  ワーレン艦隊旗艦 サラマンドル  アウグスト・ザムエル・ワーレン



「決戦はここか」
参謀長のライブル准将が呟くと副官のハウフ中尉が頷いた。二人の表情には何処かホッとしたような安堵の色が有る。気の所為ではないだろうな、俺も何処かで決戦を望んでいる。

辺境星域平定の任に就いてから既に七十回を超える戦いを行った。いずれも大規模なものではないが度重なる戦いで将兵には疲れが出ている。昨年の焦土作戦の所為だろう、我々に対する辺境星域住民の敵意は決して小さくは無い。その事が七十回を超える戦いという抵抗に結びついている。

焦土作戦……。短期的には反乱軍の補給体制を破壊し帝国軍に勝利をもたらした。しかし今回の内乱、特に辺境星域の現状を見れば間違いなく失敗だった。ルッツ提督、キルヒアイス総司令官も内心ではそう思っているだろう。口には出さないが現在の状況に頭を痛めている事は明らかだ。

特に先日、ローエングラム侯がヴァレンシュタイン提督に論破されてからは辺境星域の抵抗はこれまで以上に酷くなった。既に平定した地域も不安定な状況に戻りつつある。将兵達の士気も決して高くない、勝っているのに皆ウンザリといった表情をしている。

「ここで勝てばかなり楽になる筈です、閣下」
「そうだな」
参謀長の言う通りだ。ここで勝てば戦局はかなり楽になる。味方の士気も上がるし辺境星域の人間も我々の支配下にある事を嫌々であろうと認める筈だ。辺境星域平定に大きく前進する事になる。

辺境の平定が終われば本体に合流だ。本隊は思う様に貴族連合軍の平定が進んでいない。いやむしろ痛めつけられている。ミッターマイヤー提督は負傷により離脱しケンプ提督も脱落した。補給物資も奪われ皇帝陛下、リヒテンラーデ公、グリューネワルト伯爵夫人も攫われた。伯爵夫人達人質は取り返したが陛下は貴族連合軍に留まった。どう見ても劣勢にある。

貴族連合軍、特にブラウンシュバイク公爵家に所属する部隊が手強い。内乱が始まる前から厄介な相手だとは分かっていたが正直ここまで手強いとは思わなかった。反乱軍などより余程に手強いだろう。なんでこんな連中が貴族の私兵なのか、さっぱり分からん。

「リッテンハイム侯の艦隊は五万隻を超えると聞きました」
ハウフ中尉の言葉にライブル参謀長が頷いた。
「我が軍が四万隻、一万隻程多い。だが偵察隊の報告によれば艦艇は機能別に配置されているわけでは無い。火力も機動性も異なる艦艇が雑然と並んでいるそうだ。烏合の衆だ、恐れる必要は無い」
参謀長が俺を見た。間違ったことは言っていませんよね、そんな感じの視線だ。正直可笑しかったが笑う事は出来ない、黙って頷いた。

貴族連合の副盟主、リッテンハイム侯が辺境星域奪回の軍を起こした。もっとも内実は違う、ブラウンシュバイク公爵家が赫々たる武勲を上げ皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世も手中に収めた。その事に反発したリッテンハイム侯が辺境星域奪回を名目にして独自の軍事行動を起こした。そんなところらしい。連中は今このキフォイザー星域にいる。開戦は明日だろう。

失敗だったな、ブラウンシュバイク公爵家が手強いからリッテンハイム侯爵家も手強いだろうと思ったが結局は他の貴族同様、ただ艦艇を集めただけか。それならむしろ出撃せず予備としておいた方がこちらに対する脅しになった。これまで出撃しなかったのはブラウンシュバイク公が止めたのだろう。張子の虎でも相手が見間違ってくれれば意味が有ると。だがそれもリッテンハイム侯の我意で崩れた。あとはそれを戦場で証明するだけだ。



帝国暦 488年  9月 23日  キフォイザー星域  ルッツ艦隊旗艦 スキールニル  コルネリアス・ルッツ



敵味方合わせて十万隻に近い大軍が向かい合っている。向こうは五万隻が密集隊形をとっている。おそらくは一斉に攻撃してくるのだろう、数の差で押し切ろうというわけだ。こちらは俺とワーレン提督が約二万隻ずつ率いて斜線陣を布いている。総司令官のキルヒアイス提督は八百隻を率いてワーレン艦隊の陰に隠れた。

先ず俺の艦隊が敵と接触するはずだ。そして次にワーレン提督が敵と接触する。その僅かな時間を利用してキルヒアイス総司令官が敵の右側面に回り込む。そしてワーレン提督が戦闘状態に入るのと時を合わせて総司令官が敵の中枢部を突き左側面に抜ける。まともに艦隊編成さえ出来ていない敵だ、そうなれば混乱せざるを得ない。そこを俺とワーレン提督が全力で攻撃する。混乱から崩壊、敗走になるのは時間の問題だろう。

「閣下、敵が前進を始めました!」
「総司令部より通信! 前進せよとのことです!」
オペレータが声を上げる。艦橋の空気が瞬時にして引き締まった。ヴェーラー参謀長が艦隊に前進を命じる。オペレータ達が艦隊に命令を下し始めた。

総司令官自らの陣頭指揮による一撃離脱戦法か。大胆不敵としか言いようがないが総司令官は少し焦っているのではないだろうか。鮮やかに勝たなければ辺境星域の住民を心服させる事が出来ないと力説していたが……。本心では一日も早くローエングラム侯の本隊に合流したいという気持ちが有るようだ。それが一撃離脱戦法を採らせたのだろう。

「閣下、ワーレン提督より通信が」
オペレータが訝しげな表情をしている。確かに妙だ、敵との接触を前に通信など。何か有ったか?
「スクリーンに映せ」
ワーレン提督がスクリーンに映った。顔が強張っている。良くない兆候だ。

「ワーレン提督、何か有ったかな?」
『ルッツ提督、敵の艦隊だがまともな艦隊編成になっている』
「まともな? また妙な事を……、……馬鹿な!」
一瞬ワーレン提督が何を言っているのか分からなかった。慌ててオペレータ達に確認を命じた。ヴェーラー参謀長、グーテンゾーン中尉も顔が強張っている。

「馬鹿な、それでは……」
『うむ、総司令官閣下の横からの一撃離脱は上手く行かないかもしれない』
ワーレン提督の声が沈痛に響いた。オペレータが敵の艦隊編成に混乱は無いと報告してきた。してやられたか……、どうやら敵に上手く嵌められたらしい。

「総司令官閣下に連絡しよう」
『そうだな、手順を変えなければ』
「ああ、我々が何とか敵を混乱させる、そこを総司令官閣下に突いて貰う」
『うむ、急ごう、時間が無い』
オペレータにキルヒアイス総司令官との間に回線を開くように命じた。落ち着け、戦いはこれからだ、まだ火蓋さえ切られていない……。




 

 

第十七話 キフォイザー星域の会戦



帝国暦 488年  9月 23日  キフォイザー星域  ルッツ艦隊旗艦 スキールニル  コルネリアス・ルッツ



キルヒアイス総司令官に連絡を取ると直ぐに総司令官がスクリーンに映った。表情が硬い、どうやら総司令官も気付いたのかもしれない。
「閣下、敵陣が」
『ええ、どうやら騙された様です』
「時間差を利用した一撃離脱戦法は難しいと思いますが」
『小官もルッツ提督と同意見です』
『そうですね、難しいでしょう』
声が苦い、若いだけに屈辱に感じているのかもしれない。

「では我らが敵陣を崩してから総司令官が横腹を突く。それで宜しいでしょうか?」
『そうしましょう。それ以外には有効な手は無さそうです』
『斜線陣は横陣に変更したいと思います。小官の艦隊を前に出します、宜しいでしょうか』
ワーレン提督が問うとキルヒアイス提督が頷いた。

「閣下、戦いはこれからです。指揮をお願いします」
『分かりました。お二人には面倒をおかけしますが宜しくお願いします』
「はっ」
『はっ』
通信が切れた。ようやく最後に笑みが出たが大丈夫だろうか。引き摺らなければ良いのだが。

ワーレン提督の艦隊が横に並ぶ、十分程してオペレータが声を上げた。
「賊軍との距離、百三十光秒」
敵艦隊の編成を見て斜線陣を利用しての一撃離脱戦法は急遽取りやめた。今では俺の艦隊とワーレン提督の艦隊は横陣で並んでリッテンハイム侯の艦隊に相対している。キルヒアイス総司令官の八百隻は後方で待機状態だ。

隙を見て迂回して敵陣に突撃する事になっているが果たしてそんな機会が来るかどうか……、状況は厳しい、予断を許さない。もう直ぐだ、もう直ぐ射程距離内に敵が入ってくる……。一番嫌な時間だ、戦闘になれば踏ん切りが着く。しかしこの時間だけは色んな感情が起こって迷う。艦橋の空気も重い、張り詰めた様な息苦しさが有る。

本来なら三個艦隊、四万隻で迎え撃つ筈だった。中央にキルヒアイス総司令官、左右を俺とワーレン提督が固めた筈だ。だが一撃離脱戦法を採った時点でキルヒアイス総司令官の艦隊は八百隻を除いて俺とワーレン提督に分け与えられた。急造の艦隊だ、連携において不安が有る。微妙な艦隊運動、激しい戦闘になった場合果たしてどうなるか……。

敵は無能を装ってこちらを油断させた、それに引っ掛かった。してやられたという思いが強い。最初から敵が手強いと認識していたらどうだったか? もっと手堅く行った筈だ。開戦前に再度敵の情報を収集し直しただろう。余りにも敵を甘く見過ぎた。……いかんな、埒も無い事ばかり考えている。だからこの時間は……。

「敵、イエローゾーン突破しました!」
漸く来たか!
「ファイエル!」
命令と共に多数の光線が敵艦隊に向かって行った。そしてそれ以上の光線がこちらに向かってくる。五万隻の艦隊の攻撃、悩んでいる暇は無い、戦え!



帝国暦 488年  9月 23日  レンテンベルク要塞 ナイトハルト・ミュラー



「ミュラー提督」
出撃から戻り部屋で休息を取ろうとしたところをビッテンフェルト提督に呼び止められた。
「何でしょうか?」
「少し俺の部屋に寄って行かんか、コーヒーでもどうだ」
「分かりました、頂きます」

正直部屋で休みたかったが誘われては仕方が無い。部屋に入るとビッテンフェルト提督がコーヒーを出してくれた。疲れた体にコーヒーが染み渡る。思ったよりも美味い、良い豆を使っているのだろう。
「別働隊の話、聞いたか?」
「戦いが始まったとは聞いていますが」
ビッテンフェルト提督が“そうか”と言ってコーヒーを一口飲んだ。

「思う様に行っていないらしい。負けているわけではないがな」
「そうですか」
「上手く行かんな」
ポツンとした口調だった。ビッテンフェルト提督にしては珍しい事だ。表情も沈んでいる。

「先日の話、如何思った?」
「……あの話ですか、何と言って良いか……」
「……俺はどうにもならん、と思った。どうにもならんと……」
「どうにもならん、ですか」
「ああ」
ビッテンフェルト提督はコーヒーカップを見ている。たしかにどうにもならない。

「あの話を聞いた時、俺は最初総参謀長を責めた。だが皆を救うためだったと言われてはな……。それに焦土作戦は一度は皆で受け入れたものだ、今更非難するのは卑怯だろう。例の件についても勝手な事をするとは思ったが俺に代案が有るわけじゃない」
「……」

「あの男のした事を認めたわけじゃないが何も言えなかった。第一死んでしまった人間は帰ってこない、それに秘密はもう相手に知られてしまった。どうにもならんな」
ビッテンフェルト提督が首を横に振っている。

「皆も同じ気持ちじゃないのか。最後は総参謀長に任せて終わりだ。これからどうするかなんて誰も言わなかった。話しても無駄だと思ったんじゃないかな、どうにもならんと」
「……」
そうかもしれない。あの時有ったのは脱力感だった。俺だけではなく皆も同じだったか……。

「総参謀長がローエングラム侯に話す、それさえ決まれば……、そんなところだな」
「そうかもしれませんね。小官も酷く脱力感が有ったのを覚えています」
「せめてローエングラム侯に話しておけばとも思ったが……」
あそこでエーリッヒ達を問答無用で攻撃出来たかもしれない。伯爵夫人を失うが秘密は守れた。エーリッヒも斃す事が出来た。補給物資も戻ってきただろう、戦局は一気に変わったかもしれない。

皇帝を失う事を責める人間もいたかもしれない。しかし政府首班であるリヒテンラーデ公はおらず政府は機能していなかった。ローエングラム侯が最高司令官として処理する事は可能な筈だ。脅しには屈しない、反逆者との間に交渉は無い、そう言い切れたのだ。

「総参謀長はローエングラム侯に話しをされたのですか?」
「そうらしいな、ケスラー提督が総参謀長に確認したらしい。話はしたそうだ」
「今更では有りますが事前に話をしておけば……」
「話せなかったんだろうな、あの男には。ローエングラム侯に受け入れて貰えないと思ったか、或いは侯を苦しめたくない、そう思ったのか。……優しいのかな?」
ビッテンフェルト提督が首を傾げた。あの総参謀長が?

「……優しい、ですか」
「ああ、ローエングラム侯には自分で話すと言っただろう。初めは自分がやった事だから責任を取るのかと思ったが……」
「そうではないと?」
俺が問うとビッテンフェルト提督が頷いた。

「ローエングラム侯が混乱するところを俺達に見せたくなかったのではないか、なんとなくだがそう思った。夫人の件でローエングラム侯が混乱するのは最小限に留めたいとも言っていたしな」
「そういえばそうですね」
あの総参謀長が? そんな気遣いを? ちょっと可笑しかった。いや、ビッテンフェルト提督がそんな風に考えるのも可笑しい。

「まあ俺がそう思っただけだ。本当は俺達の離反を防ぐため、そう考えたのかもしれん」
「……離反ですか」
「指揮官が精神的に弱くては安心して付いていけんだろう」
「まあ、そうかもしれません」
ちょっと拙い方向に話しが進んでいる。

「辺境で勝てれば良いんだが……」
「そうですね」
「負ければオーディンで騒乱が起きる可能性も有る」
「ええ」
ビッテンフェルト提督が俺を見た。厳しい眼だ、身の引き締まる思いがした。

「ローエングラム侯だけじゃない、俺も卿も厳しい選択を強いられるかもしれんぞ」
寝返り、降伏を考えているのだろうか。
「戦いたくても戦えない状況になる可能性も有る。そうなれば意地も通せん」
そうか、部下の離反、それは俺にも言える事か……。
「覚悟だけはしておいた方が良いだろうな」
「そのようですね」



帝国暦 488年  9月 23日  キフォイザー星域  リッテンハイム艦隊旗艦 ゲンドゥル  ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世



「敵、後退します!」
「うむ、全艦に命令。攻撃の手を緩めるな!」
「はい!」
参謀長のザッカートの命令にオペレータが嬉しそうに頷いた。ふむ、優勢な所為だろう、艦橋の空気は悪くない。戦術コンピュータには後退する敵と前進する味方の様子が映っている。

「ザッカート、味方が優勢だな」
「はい、敵は艦隊を自在に操れぬようです。どうも編成を誤ったようですな」
「上手く騙せたという事か?」
「そのようです」
「旗艦の名前が良かったという事はないか?」
「そうかもしれません。ゲンドゥル、魔力を持つ者という意味ですから」
思わず笑い声が出た。ザッカートも声を合わせて笑う。

ゲンドゥルはノルン級をベースに造られたため改ノルン級と言われている。違いは殆ど無い、側面砲塔や大気圏航行用の大気取り入れ口が隠見式になっただけだ。だがその分だけ防御力は上がっている。ブラウンシュバイク公が口惜しがっていたな。ゲンドゥルは私が旗艦として使っているが二番艦ランドグリーズ、三番艦ヒルドはグライフス、ヴァルテンベルクが旗艦として使っている。

「それにしても門閥貴族というのは評価が低いな」
「宜しいでは有りませんか、その御蔭で敵を騙せました」
「まあそうだが、余り嬉しくは無いぞ、ザッカート」
「ヴァレンシュタイン提督の提案に一番乗り気だったのは侯爵閣下です」
「そうだったか」
今度は苦笑が漏れた。全く、とんでもない男だ。わざと烏合の衆に見せかけて敵を油断させろとは。まともな軍なら有り得ないが門閥貴族の軍なら有り得ると平然と言いおった。

「どうかな、我らだけで勝てるかな?」
ザッカートが笑みを浮かべながら首を横に振った。
「なかなか、そこまで甘くは有りません。押す事は出来ますが打ち破るとなると」
「難しいか」
「はい」
やれやれだ、兵力はこちらが多いのだがな。門閥貴族の評価が低いのも無理は無いか。

「ではあの男が来るのを待つしかないな。今頃はこちらへ急いでいるだろう」
「はい、我々は益々攻撃を強めて敵を防御で手一杯にする必要が有ります」
「そうだな、グライフス、ヴァルテンベルクにも攻撃の手を緩めるなと伝えてくれ」
「はっ」



帝国暦 488年  9月 23日  キフォイザー星域  ワーレン艦隊旗艦 サラマンドル  アウグスト・ザムエル・ワーレン



「敵、攻勢を強めて来ます!」
「総司令部より入電、無理をせず後退せよとの事です!」
「ルッツ艦隊より入電! 我後退す、貴艦隊も後退されたし!」
「了解と伝えろ。参謀長、艦隊を後退させろ」
「はっ」

リッテンハイム侯の艦隊が押してくる。密集隊形だが中央にリッテンハイム侯、右翼にグライフス大将、左翼がヴァルテンベルク大将の様だ。状況は良くない、開戦以来八時間が過ぎたが敵に押される一方だ。艦橋はそれへの対応に追われる声が飛び交っている。

艦隊数で劣勢で兵力でも劣勢なのだから仕方が無い事では有る。痛いな、兵力差も痛いが艦隊数が少ないのはそれ以上に痛い。こちらも三個艦隊有ればもう少し楽に戦えたのだが……。愚痴っても仕方が無い、隙を見て敵を崩す、それに乗じて敵を撃破する。

しかし何処で敵を崩すか、このままでは敵艦隊に為す術も無く押し潰されるだろう……。一度何処かで思い切り艦隊を後退させ敵を引き摺り込む。その場合は俺とルッツ提督二人で退くのではなくどちらか一方のみ退く。敵の艦隊も隊形を崩すだろうし多少は側面が伸びる筈だ、そこをキルヒアイス総司令官に突いてもらう、同時に後退しなかった方は全面攻撃で敵を混乱させる。そういう形で逆撃をかけるしか無いと思うのだが……。

「総司令部より通信が入っています!」
オペレータの声が上がった。また厄介事か、スクリーンに映すように命じるとキルヒアイス総司令官、ルッツ提督が映った。
『厄介な事になりました』
キルヒアイス総司令官の表情が硬い、良くない兆候だ。
『後方から艦艇群が接近しているようです。一万隻を超える大軍だとか』

艦艇群? 一万隻? 艦橋がざわめいた。
「間違いないのですか?」
キルヒアイス総司令官が頷いた。
『してやられました。おそらくは貴族連合でしょう。このままでは前後から挟撃される事になります。その前に前方の敵を叩いて撤退します』
撤退? 出来るのか? ルッツ提督も厳しい表情をしている。

『先ず主砲斉射を三連、全面攻勢に出て敵を怯ませた後、一気に後退します。敵が追って来なければそのまま撤退、追ってくるようであれば私が迂回して側面を突きます。お二人はそれに合わせて反転攻撃、敵を崩しましょう。そしてタイミングを見計らって撤退……』
『……』
「……」
如何する? 良いのか? 上手く行けば良いが上手く行かなければ……。

『時間が有りません、指示に従って下さい』
已むを得ない、時間が無いのは事実だ。ルッツ提督に視線を向けると彼が頷いた。俺も頷き返す。
『分かりました』
「総司令官閣下の指示に従います」

『では全艦に主砲斉射の準備を』
『はっ』
「はっ」
正念場だ、危険ではある、だがここを乗り切れば……。まだ勝負は分からない筈だ。





 

 

第十八話 手向けの酒




帝国暦 488年  9月 23日  キフォイザー星域  ルッツ艦隊旗艦 スキールニル  コルネリアス・ルッツ



「主砲斉射三連! ファイエル!」
命令と共に艦隊から光の束が敵艦隊に向かって突き進んだ。敵艦隊の彼方此方から光の球が湧きあがった。爆発した艦艇が発する光だ。艦橋から歓声が上がった。幸先は良い。後は終わりを全う出来るかだ。

「艦隊を前進させろ! 続けて撃て! 攻撃の手を緩めるな!」
攻撃が続く、敵は如何だ? 退くか? それとも耐えるか? 混乱しているなら場合によっては敵陣を突破して離脱という事も有り得るが……。難しいな、混乱は軽微だ。もう収束に向かっている。後退は? 後退もしていない、多分こちらの後ろに援軍が居ると分かっているのだろう。こちらが撤退しようとしていると察している。

「閣下、このままでは」
「落ち着け、参謀長。まだ始まったばかりだ」
「はっ、申し訳ありません」
動揺するヴェーラー参謀長を窘めた。気持ちは分かるが艦橋には他にも人が居るのだ。参謀長が動揺しては周囲が不安に思う、耐えて貰わなければ。痩せ我慢も給料の内だ。

十分、二十分、三十分、駄目だな、敵はこちらの攻撃に怯みを見せない。むしろ攻撃を強めてくる。このままでは撤退出来ない……。
「後方の敵は確認出来るか? 後どのくらいで接触する」
オペレータが“約二時間半時間です”と答えた。二時間半か、時間が無い。一時間で撤退に移っても前面の敵、そして後方の敵から執拗に追撃を受けるだろう。敵が合流すれば六万隻を超える、こちらよりも五割増しだ。大きな被害を受けるだろう。しかし挟撃されるよりはましだ、なんとか撤退しないと。

「キルヒアイス総司令官、ワーレン提督と通信がしたい」
直ぐにスクリーンに二人が映った。二人とも顔色が良くない。
『上手く行きませんね』
此方から言う前にキルヒアイス総司令官が言った。ワーレン提督も渋い表情で無言のままだ。

『もう一度、主砲斉射三連をしてください』
「しかし」
『分かっています。同じ事を繰り返しても意味が無い。ですから今度は手順を変えます』
『手順を変える?』
ワーレン提督が訊き返すと総司令官が頷いた。

『主砲斉射三連と共に敵に全面攻撃を、突破を図ってください。同時に私が側面を突きます』
「しかしそれは」
『危険では有りませんか?』
そう危険だ、敵が混乱しなければ総司令官が危うい。
『已むを得ません。他に手が無い』
総司令官の口調が苦い。彼にとっても不本意なのかもしれない。“他に手が無い”か……。

『本当は最初にそれをやれば良かったのでしょうが……』
確かにそうだ、全面攻撃も二度目では敵に与える衝撃は小さい。上手く行かない、何かがチグハグだ。これが敗けるという事なのか。……馬鹿な、何を考えている、敗けるとは敗けると思った時から敗けるのだ。指揮官は最後まで諦めてはならない。

『敵を崩し上手く行けば突破して逃げましょう。それが無理なら敵の混乱に乗じて撤退する。時間が有りません、準備にかかってください』
『はっ』
「はっ」
互いに敬礼を交わして通信を終えた。オペレータに主砲斉射の準備を整えるように旗下の艦隊に命じさせた。後は総司令官の命令を待つだけだ。

キルヒアイス総司令官は俺の後方に居る、側面を突くという事は俺と連動して正面の敵を崩すという事だ。責任は重大だ、上手く行かない場合は総司令官の撤退を援護する必要も生じるだろう。難しい任務になるな。溜息が出そうになったが慌てて止めた。皆が俺を見ている。

直ぐにキルヒアイス総司令官より命令が来た。同時に総司令官の艦隊が高速で動き出す!
「主砲斉射三連! ファイエル!」
光線が伸び敵陣に突き刺さると光球が湧き上がった。総司令官の艦隊は高速で迂回している。
「全艦隊に命令、突撃!」
如何だ、上手く行くか? 敵の注意をこちらに引き付けられれば総司令官の迂回攻撃は上手く行く、上手く行く筈だ。

艦橋から悲鳴が上がった。駄目だ、確かに敵は混乱している。しかし致命的なものではない、直ぐに混乱は収束するだろう。そして敵の一部隊が総司令官の艦隊に攻撃をかけている。こちらの狙いを見破ったという事だ。総司令官の部隊からたちまち損害が出た。

「総司令官に退くようにと伝えてくれ!」
オペレータが総司令部に通信をし始めた。キルヒアイス総司令官の部隊は高速とは言え巡航艦の部隊だ、決して防御力は高くない。このままでは何の意味も無く打ち減らされるだけだろう。一度撤退するべきだ。

「総司令部から返信です。攻撃を続行せよとの事です」
オペレータの声に艦橋が静まり返った。賭けろというのか? 敵の混乱に賭けろと。確かに今退いても次に如何するという問題が出る。時間も無い。ならば今賭けるべきか? しかし僅かな可能性だ、如何する……。ワーレン提督に相談、無理だ、そんな時間は無い。総司令官の部隊は損害を出しながら突き進んでいる。皆が俺の顔を見ていた。

「……攻撃を続行する。全艦に命令、前方の敵に向かって、突撃せよ!」



帝国暦 488年  9月 23日  ガイエスブルク要塞   アントン・フェルナー



ドアを心持小さく叩くと中から“どうぞ”という声が聞こえた。部屋に入るとエーリッヒは一人テーブルでワインを飲んでいた。しかも軍服を着ている。
「まだ起きていたのか」
「起きていた、報せが来ると思ってね」
「飲んでいるのか」
「まだ飲んでいない、グラスに注いだだけだ」

傍に寄って椅子に座った。なるほど、グラスにワインが注がれているが飲んだ形跡は無い。
「それで、どうなった?」
「リッテンハイム侯から連絡が有った。キフォイザー星域の会戦は貴族連合軍の大勝利だ。敵の総司令官、ジークフリード・キルヒアイス上級大将は戦死。敵兵力の二分の一を無力化したとの事だ。ファーレンハイト提督の働きが大きかったと言っている」
エーリッヒが微かに頷いた。

「ジークフリード・キルヒアイスが死んだとなるとラインハルトはどうなるかな。自分の半身を失うわけだが狂うか、それとも冷徹になるか……。アンネローゼがいるからまだ拠り所は有るか……。しかしそれを失えば……、楽しくなりそうだな」
「エーリッヒ」
エーリッヒが訝しげな表情をしている。無意識の呟きか。

「二分の一を失ったか。となると残りは二万隻といったところだな……。ルッツ、ワーレン、それぞれ一万隻程度の兵力が残っているという計算になる。さて如何するかな、あの二人に辺境星域平定を続けさせるか、それとも諦めて本体に戻すか……。現状では戻すのが妥当だな。あの二人が戻って来るとなれば厄介だな」
エーリッヒが顔を顰めた。

「確かに厄介だな」
使い勝手の良い二人が戻って来る。一個艦隊には及ばないが一万隻を保有するとなれば侮る事は出来ない。辺境星域の平定が失敗した、キルヒアイス総司令官を敗死させたからといって喜んでもいられないか。何より腹心を殺されたローエングラム侯がどうなるか、予断を許さない。

「それで、リッテンハイム侯は?」
「ガイエスブルク要塞に帰還する準備をしている」
ドアが勢いよく叩かれて人が入って来た。オフレッサー上級大将とリューネブルク中将だ。二人とも大股で近づいてきた、興奮している。

「ヴァレンシュタイン、聞いたか?」
「キフォイザーでリッテンハイム侯が勝った事、キルヒアイス上級大将が戦死した事なら今聞きました」
二人も席に座った。
「これで正規軍による辺境星域の平定は失敗になりましたな」
リューネブルク中将が幾分興奮した様に言うとオフレッサーが大きく頷いた。

「アントン、ブラウンシュバイク公は?」
「予定通りだ、放送の準備をしている」
オフレッサーとリューネブルクが訝しげな表情をした。
「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が共同でキフォイザー星域での勝利と正規軍による辺境星域の平定が失敗した事を宣言します」

「なるほどブラウンシュバイク、リッテンハイム連合が一枚岩であると宣言するわけか」
「辺境星域も積極的にこちらに付きますな」
オフレッサー、リューネブルク中将の二人が頷くとエーリッヒが微かに笑みを浮かべた。
「狙いはオーディンです。オーディンの貴族達は必ず反応する筈です。リヒテンラーデ公、ローエングラム侯に反旗を翻す人間が出る」
“なるほど”と二人が頷くとまたエーリッヒが笑った。

「オーディンで混乱が生じればローエングラム侯は必ずオーディンに向かう。後方支援の根拠地が混乱するのは受け入れられない。そしてグリューネワルト伯爵夫人を守るために必ずオーディンに向かう」
「……」
「その隙を狙ってレンテンベルク要塞を奪回します。ローエングラム侯をヴァルハラ星域に押し込める……」

オフレッサーとリューネブルク中将が顔を見合わせた。
「楽しくなるな、リューネブルク」
「同感ですな」
「まだ死に場所では有りませんよ」
「分かっている」
オフレッサーが答えるとリューネブルク中将も頷いた。

「もう勝率は二パーセントとは言わないでしょう?」
「言いませんよ、中将。辺境星域の平定が失敗した、キルヒアイス提督が戦死した、現時点で五十パーセントかな。いや、キルヒアイス提督が戦死したのだから六十パーセントか。オーディンで混乱が起きレンテンベルク要塞を奪還できれば八十パーセントと言って良いと思います」

「八十パーセントか、勝利は目前だな」
「残念だがそうは行かないな、アントン・フェルナー。残りの二十パーセントが困難なんだ。ラインハルト・フォン・ローエングラムを戦場で斃さなければならないんだから」
「……」
エーリッヒが俺達を見回した。

「今回ここまで上手く立ち回れたのは内乱だからです。貴族、平民の利害関係、国内の問題、皇帝、それらを上手く利用出来ました。そして相手を混乱させる事が出来た。軍事よりも政治で優位に立つ事が出来たから戦局が有利になったんです」
“なるほど”とリューネブルク中将が頷いた。

「純粋に戦闘のみなら向こうはこちらよりも強いですよ。残り二十パーセントを掴み取るにはその部分をいかにひっくり返してローエングラム侯を斃すかという難問を解決しなくてはなりません」
三人で顔を見合わせた。オフレッサーが息を吐くとリューネブルク中将が軽く苦笑を浮かべた。

「ローエングラム侯の欠点です。反乱軍を相手にしている分には問題は無かった。特に向こう側に踏み込んで戦っている分には。政治的な思考は必要としなかったから、ただ勝てば良かったから」
「……」
声に哀しみが感じられた。ローエングラム侯を哀れんでいるのか?

「だがその欠点が辺境星域での焦土作戦でモロに出た。勝てば良い、武勲を上げれば良いという発想が自国民を平然と踏み躙るという愚行を引き起こした。有能な軍人では有るが政治家に要求される細やかな配慮は出来ない人なのだな、惜しい事だ」
やはりそうだ、哀れんでいる。侯を惜しんでいる。

エーリッヒがグラスのワインを一息に飲み干した。
「おい、大丈夫か」
「心配はいらない。フルーツワイン、アルコール度は五パーセントだ、一本空けても大した事にはならない」
「そうは言っても……」
エーリッヒが軽く笑った。
「手向けの酒だ」
驚いてオフレッサー、リューネブルク中将を見た。二人も驚いている。

「……キルヒアイス提督のためか、彼を殺す策を立てた事を後悔しているのか?」
エーリッヒが困ったような笑みを浮かべた。
「彼だけのためじゃないさ。それに後悔はしていない。ローエングラム侯と戦う以上あの二人は必ず殺す、どちらか一方だけという事は無いからね。あの二人がそれを望まない」
エーリッヒがまたグラスにワインを注いだ。あの二人? ローエングラム侯とキルヒアイス提督か。

「訂正、二人じゃなかった、三人だった」
「三人?」
どういう事だ、ローエングラム侯とキルヒアイス提督ではないのか。まさか……。
「ああ、グリューネワルト伯爵夫人を忘れていたよ。全員ヴァルハラに送ってやるさ。ヴァルハラでならあの三人は幸せになれるだろう。現世で幸せになろうとしたのが間違いだったんだ」

そう言うとエーリッヒはまたグラスのワインを一気に飲み干した。見ていられん、何処かで自分を痛めつけている。一瞬だが三人目はエーリッヒ自身の事を言っているのかと思った。オフレッサーもリューネブルク中将も痛ましそうに見ている。エーリッヒが本当に戦っているのは敵では無くローエングラム侯を殺したくないと思う自分自身の心なのだろう……。

「もうその辺にした方が良いだろう」
「そうですね、この辺にしましょう」
オフレッサーが止めるとエーリッヒは素直に従った。ホッとした。こんなエーリッヒは見たくない。リューネブルク中将もホッとした表情をしている。

「これまでは前哨戦、これからが本番だ。今まで以上に人が死ぬ。ま、人間なんて何時かは死ぬ。遅いか早いか、バラバラに殺すか纏めて殺すか、それだけの違いだな。酒を飲む機会には当分苦労せずに済みそうだ」
「……エーリッヒ」
オフレッサーか、リューネブルク中将か、ごくりと喉を鳴らす音が聞こえた。

「ワルキューレは大忙しだな。超過勤務手当が付けば良いが。そうでないと恨まれそうだ」
そう言うとエーリッヒはクスクスと笑いだした。徐々に笑い声が大きくなっていく。凍り付きそうな笑い声だった。








 

 

第十九話 運の悪い男



帝国暦 488年  9月 24日  レンテンベルク要塞  ナイトハルト・ミュラー



早朝、ローエングラム侯から会議室に召集がかかった。と言っても集まったのは俺の他にビッテンフェルト提督とロイエンタール提督だけだ。メックリンガー提督とケスラー提督は出撃している、通信回線を開いてスクリーンでの参加となった。

会議の内容はおそらく、いや間違いなくキフォイザー星域の会戦の事だろう。昨夜遅くだが辺境星域平定の任に就いていた別働隊が敗れキルヒアイス総司令官が戦死したとの一報が入った。戦闘の詳細は分からない、ただ敵に援軍が有ったとは聞いている。そして総司令官が戦死したという事はかなりの損害を受けただろう。

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯がキフォイザー星域での会戦に勝利した事を宣言した。宣言では他に辺境星域に対してローエングラム侯に服従しない事、貴族連合に味方をするか、或いは中立の立場を取る事を要請している。そして貴族連合軍は不実なる君側の奸、リヒテンラーデ公と冷酷で傲慢な野心家であるローエングラム侯を討ち帝国を安定させると表明している。

気になるのはブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が共同で声明を出した事だ。二人は反目していると思っていたがそうではないのかもしれない。ブラウンシュバイク公への反発からリッテンハイム侯は辺境星域へ出兵したと見ていたがそれが誤りだとすると援軍というのはブラウンシュバイク公爵家の艦隊の可能性も有る。我々は騙されたのかもしれない……。

これからどうするのか、その対策がこの場で発表される、或いは討議されるのだと思う。……しかしローエングラム侯は大丈夫なのだろうか、腹心ともいえるキルヒアイス提督を失って平静を保てるのか……。会議室は重苦しい沈黙に沈んでいる。ロイエンタール提督は目を閉じ、ビッテンフェルト提督は腕組みをして座っている。スクリーンに映っているケスラー提督、メックリンガー提督は沈痛な表情だ。

ローエングラム侯がオーベルシュタイン総参謀長と共に会議室に入って来た。皆起立して敬礼で迎える。侯が正面に立ち答礼する。顔色は良くない、いつもよりも色が白いような気がする。礼の交換が終わり皆が席に着いた。会議室の空気は重いままだ。

「既に知っているとは思うが辺境星域平定を行っていた別働隊がキフォイザー星域でリッテンハイム侯に敗れた。総司令官、キルヒアイス上級大将は戦死。ワーレン提督、ルッツ提督も軽傷とはいえ負傷している。別働隊は約五割の損害を受け撤退した」
淡々とした口調だった。いや、むしろ虚ろだろうか。ローエングラム侯の持つ覇気が感じられない、当然あってしかるべき悔しさもだ。

「敵には援軍が有りその援軍に後背を突かれた。援軍を率いたのはアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト中将、ブラウンシュバイク公の部下だ」
会議室は静かなままだ。誰も喋らない、スクリーンの二人も微動だにしない。予測していたという事だ。
「我々は欺かれたという事だ。他の貴族は分からないが盟主であるブラウンシュバイク公と副盟主であるリッテンハイム侯の間には緊密な協力関係があると見て良い。今後はその辺りも考えなければならない」

「この際辺境星域の平定は一旦中止する。ワーレン、ルッツ両提督には本隊への合流を命じた。先ずは目の前の敵、ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯に集中する」
妥当な判断だな。兵力の減じたルッツ、ワーレン両提督だけでは辺境星域は平定出来ない。そして本隊も戦力に余裕は無い。今は戦力を集中して貴族連合軍に当たるべきだ。

「ミュラー提督」
「はっ」
「卿はオーディンに向かえ。キフォイザー星域で敗れた以上、オーディンで騒乱が起きる可能性が有る。後方支援の本拠地が混乱するのは望ましくない。またリヒテンラーデ公よりも艦隊の派遣を要請されている。卿の艦隊を派遣すればオーディンも落ち着くだろう。至急出立せよ」
「はっ」

命令には無かったが任務にはグリューネワルト伯爵夫人の護衛も入るのだろう。前線から外された、信用されていないという事だろうか。考えすぎか? グリューネワルト伯爵夫人の護衛を命じられたと考えれば信用されていないと言うのは気にし過ぎか……。

「これまでは卿らに戦闘を任せ私は後方に居た。だが今後は私も前線に出て戦う」
初めて会議室に驚きが生まれた。皆、顔を見合わせている。
「貴族連合軍は勝ち戦続きで士気が上がっているようだ。頻りに出撃してくると聞いている。せっかく来てくれるのだ、私自ら出向いて連中を心から歓迎してやろう」
ローエングラム侯が乾いた笑い声を上げた。虚無的で何処か寒々しい笑い声だった。



帝国暦 488年  9月 25日  オーディン  オイゲン・リヒター



「嫌な予感がする」
「まあそうだな、否定はしないよ、ブラッケ」
ブラッケは顔を顰めている、多分私も同様だろう。最近のオーディンは如何も落ち着きが無い。誰もが他人の顔色を窺っているようなところが有った。このポンメルンでも食事をしながら声を潜めるようなしぐさをする客が目立つ。御蔭でフリカッセを少しも美味しいと思えない。ここのフリカッセは絶品だと評判なのに。面白くない、ワインを一口飲んだ。

「如何する? 逃げるか?」
「……」
ブラッケが小声で話しかけてきた。
「騒ぎが起これば我々も危ない、いや一番危ういぞ」
「それはそうだが……、逃げて何処へ行く?」
「……ブラウンシュバイク、いやヴァレンシュタイン提督の所かな。彼なら我々を受け入れてくれる筈だ」
やっぱりそこか、というよりそこしかないというのが現実か……。

ローエングラム侯より依頼を受けて社会経済再建計画を作成した。つまり我々は政府、いやローエングラム侯よりの人間と周囲からは見られている。そしてこのオーディンでは親ローエングラムは少数派だ。その中でも国内改革派はさらに少数派といって良い。貴族達からは非好意的な視線を向けられている。リヒテンラーデ公派、ローエングラム侯派に関わらずだ。

「正直に言うぞ、リヒター。私はローエングラム侯もリヒテンラーデ公も信じてはいない。リヒテンラーデ公は元々改革が必要だとは思っていない。ローエングラム侯は人気取りのために社会経済再建計画を必要とした。彼が辺境でやった事を思えば分かる事だ。あの二人が社会経済再建計画を必要としたのはあくまで内乱を勝ち抜くためだ」
押し殺した、軽蔑したような口調だった。

「分かっているさ、そんな事は」
「なら……」
「落ち着け、ブラッケ、声が大きい。この内乱が何処へ落ち着くのか、まだ分からないんだ。貴族連合軍が予想に反して優勢で有る事は私も認める。だが勝敗が決まったわけでは無い、そうだろう?」
ブラッケが渋々頷いた。

「それにガイエスブルク要塞にどうやって行くつもりだ。下手をすればローエングラム侯の軍隊に問答無用で撃沈されかねん。我々は改革の火を消してはならないんだ。ヴァレンシュタイン提督に言われた事を忘れたのか」
「そんな事は無い」
声が弱い。“少しはフリカッセを味わえ”と言うとバツが悪そうに食べだした。

ブラッケはヴァレンシュタイン提督の所に行きたがっている。ブラッケにとって本心から自分達改革派の理解者だと思えるのは彼だけなのだ。ブラウンシュバイク公爵家の領地を開明的な統治に変えたのは彼だった。もちろん、それには我々も深く関わっている。

改革案を彼に求められた。その改革案を彼が手直ししてブラウンシュバイク公に提出した。我々が作成した物に比べれば改革の度合いはかなり低い。しかし百の成果を求めて拒絶されるよりも確実に得られる五十の成果を目指すべきだと言われた。五十の成果が出れば残り五十の成果を得るために説得する事は難しくは無いと。

力が有るなら押し付けられるが力が無ければ受け入れ易いように変えなければならない。ブラウンシュバイク公爵領の内政は段階的に改革された。税制、司法、福祉、医療、農業、商業……。領民達の権利が拡大し手厚く保護された。それに伴ってブラウンシュバイク公爵領の生産量が上がりそれを認めたブラウンシュバイク公が改革を推し進める事に同意した。

嬉しかった。改革が実施され成果が出るのを見るのは嬉しかった。このまま行けば……、何度もそう思った。だが内乱が起こった。内乱が起こる前、何か力になりたいと言うとヴァレンシュタイン提督は無用だと断った。貴方達の仕事は戦う事では無くこの帝国を改革する事だと。貴族連合軍が勝つ可能性は低い、自分達に関わるなと。貴族連合軍には改革派の席は無いとも言われた。

そしてこう言われた。~いずれローエングラム侯から協力の要請が来る。改革の火を消したくないならローエングラム侯に協力した方が良い。貴族連合軍が勝った場合には自分が貴方達の安全を請け負う。そうなれば貴族連合軍、ローエングラム侯、どちらが勝っても改革は続くだろう~。

その後、直ぐにローエングラム侯から呼び出しが有った。社会経済再建計画を作成せよとの事だった。ヴァレンシュタイン提督の助言に従って計画を作成したが心楽しい作業ではなかった。ヴァレンシュタイン提督と共に夜遅くまで討論した時を思い出す、あの時は本当に楽しかった。私だけじゃない、ブラッケもそしてヴァレンシュタイン提督も本当に楽しそうだった……。

「ヴァレンシュタイン提督は勝てるかな?」
ブラッケが縋るような表情をしている。勝って欲しい、そう思っているのだ。私もそれは同じだ。だが願望に囚われてはならない。
「分からんな、優位では有ると思うが……。一応宇宙船は用意してある。いざとなったら宇宙へ逃げよう」
「宇宙へ? それで何処へ行く」
「何処へも行かない。ローエングラム侯はオーディンの騒乱を放ってはおかないだろう。彼の軍隊が騒乱を鎮圧する筈だ。それまで退避すれば良い」
ブラッケが不得要領気味に頷いた。



帝国暦 488年  9月 30日  ガイエスブルク要塞  ヘルマン・フォン・リューネブルク



「ローエングラム侯は辺境星域の平定を諦めた様だな」
「妥当な判断だ。むしろ遅過ぎたくらいだね」
辺境星域平定の放棄、その結果これまで別働隊が平定した地域もローエングラム侯の支配下から抜け出している。もっとも貴族連合に与するのは僅かだ。大部分は様子を見ている。もう一撃何か起きれば雪崩を打って貴族連合を支持するだろう。

貴族達は喜び勇んで出撃している。赤毛の小僧をやっつけたから今度は金髪の小僧をやっつけようという事らしい。まあ上手く行くとは思えん、ヴァレンシュタインが言った様に物資の消耗くらいにしか役に立たんだろうと俺も見ている。もし何かの間違いで勝つ様なら辺境は動くかもしれない。

「ミッターマイヤー提督が破れた時点で辺境星域の平定を後回しにされたらこっちが負けていた。今頃はガイエスブルク要塞で枕を並べて討ち死にだった」
「そうだな」
ヴァレンシュタインとフェルナー少将の会話に深く頷いた。その通りだ、皆死んでいただろう。

「ローエングラム侯のミスか」
「そうだね、戦力の見積もりを誤ったと思う。或いは過信したかな、自分の能力を」
ヴァレンシュタインは小首を傾げている。

「クロプシュトック侯の反乱鎮圧は酷かったからな、それが頭に有ったのかもしれない」
「最初から全軍で来られていたら確実に負けていた。本隊の戦力にキルヒアイス、ルッツ、ワーレン、あの三人が加わったら悪夢だよ。だがローエングラム侯が戦力を分散してくれたおかげで勝つ事が出来た。勝った戦いは不意を突いたか多数を以って小数を撃ったかだ。キフォイザー星域の会戦は典型的な各個撃破だね」

「提督の見積もりでは二パーセントですからな、勝てる可能性は。油断もするでしょう」
チラッとヴァレンシュタインが俺を見た。
「確かに圧倒的にこちらが不利ですがだからと言って油断して良いという事にはならないと思いますよ」
「……」

「シミュレーションと実戦は違うんです、シミュレーションは何度でも対戦出来ます、やり直しが出来ますが実戦は一度しか機会は有りません。やり直しは出来ない。例え二パーセントの可能性でも先に勝ち札を引き寄せれば勝つ、油断は許されないんです。戦場では運の良さが大事と言われる事が有りますが根拠のない事じゃない。運の良い指揮官というのはそういう勝ち札を引き寄せる何かを持っているのでしょう」

“なるほどな”とオフレッサーが太い声で頷いた。確かに運の良い指揮官というのは居る。俺の目の前の男がそうだ。絶対負けると思ったこの内乱でも互角以上に戦っている。
「提督がそうですな」
「私? 私は違うな、運は良くない。性格は良いんだけど」

しれっとした口調にもう少しでコーヒーを吹き出しそうになった。多分冗談だろう。オフレッサー、口を拭え、髭がコーヒーで濡れているぞ。最近この男と良く話をするのだが食事をすると髭に料理の臭いが付くらしい。この間は魚料理だったが食後に髭を良く拭わなかったせいで魚の臭いがすると頻りに言っていた。

「ナイトハルトがオーディンに向かったらしい」
「有り難い話だ、彼と戦わずに済む。貴族達も一々相手を確認する必要が無くなってホッとしただろう。もっともこの時期にオーディンに行くのは運が良いとは言えないな」
また皆が笑い出した。フェルナー少将が“あいつ、運が悪いよな”というとヴァレンシュタインが“昔からね”と付け加えた。また笑った。

午後の一時、ヴァレンシュタインの部屋で過ごすのどかなお茶の時間を破ったのはクレメンツ提督だった。部屋に入ってくると“大変だ”と言った。表情が硬い。
「ローエングラム侯が前線に出ている。たちまち二個艦隊を撃破した。カルナップ男爵とヘルダー子爵の艦隊だがカルナップ男爵は戦死した」

シンとした。皆が顔を見合わせている。いくら貴族連合とはいえ僅かな期間で二個艦隊を撃破とは……。
「復讐の始まりか、やれやれだ。あれを斃さなければいけないのかと思うとウンザリするな……」
ヴァレンシュタインが溜息を吐いた。

「如何する、出撃するのか?」
オフレッサーの問い掛けにヴァレンシュタインが首を横に振った。
「それは駄目です。もう直ぐリッテンハイム侯とファーレンハイト提督が戻ってきます。オーディンで混乱が生じればレンテンベルク要塞からオーディンへと艦隊が動く。それに乗じてこちらはレンテンベルク要塞を攻略します。出撃している暇は有りません」

「いや、それなんだがな、メルカッツ総司令官がヴァレンシュタイン提督に出撃して貰いたいと言っている」
「はあ? 何の冗談です、それは」
ヴァレンシュタインが笑い出した。フェルナー少将も笑っている。だがクレメンツ提督はニコリともしない。

「総司令官閣下が卿を呼んでいるんだ」
「……冗談じゃないんですか」
「うむ、冗談ではない」
重々しくクレメンツ提督が頷くとヴァレンシュタインが大きく溜息を吐きフェルナー少将は天を仰いだ。“運が悪かったな”、オフレッサーがボソッと呟いた。性格が悪いぞ、オフレッサー。




 

 

第二十話 包囲網



帝国暦 488年  10月 4日  ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



ヴァレンシュタイン艦隊はレンテンベルク要塞の方向に向かって航行している。旗艦スクルドの艦橋は重苦しい雰囲気だ。何と言っても出撃以来司令官のエーリッヒの表情が常に厳しい。乗組員達はそんなエーリッヒと視線を合わせないようにしながら時折チラっ、チラっと見ている。

エーリッヒが溜息を吐いた。
「少しはリラックスしたらどうだ。卿だけじゃない、クレメンツ提督も出撃しているんだ」
「嫌な予感がする。今直ぐガイエスブルク要塞に戻った方が良いと思う」
「気持ちは分かるがね、メルカッツ総司令官が困っているんだ。分かるだろう?」
また溜息を吐いた。俺も溜息を吐きたい。

ローエングラム侯が前線に出た。たちまち貴族連合軍の二個艦隊を撃破した。カルナップ男爵は戦死、ヘルダー子爵は命からがらガイエスブルク要塞に逃げ込んだ。ローエングラム侯の余りの強さに貴族達の間に動揺が走っている。
“戦力として当てにしているわけでは無いが徒に騒がれるのも困る。今後の戦いにも影響しかねない”。メルカッツ総司令官が嘆くほどだ。

オーディンで騒乱が起きればレンテンベルク要塞奪回のために出撃する。それをスムーズに行うためにも貴族達を落ち着かせなければならないというわけだ。そこで貴族連合軍最強のヴァレンシュタイン艦隊に出撃命令が下った。もっとも戦って勝つ必要は無いと言われている。ただ出撃して帰ってくれば良い、そうすれば貴族達も少しは落ち着くだろうと……。まあ二個艦隊撃破した後だ、ローエングラム侯はレンテンベルク要塞に戻った筈、出会う事は無いという読みもある。

エーリッヒは不本意だっただろうが総司令官の命とあれば従わないわけにも行かない。そしてクレメンツ提督が一個艦隊では万一という事が有るとメルカッツ総司令官を説得して共に出撃する事になった。二個艦隊、合計四万隻を超える大軍だ。エーリッヒに対して最大限の配慮はしていると思うのだが……。

十月一日にガイエスブルク要塞を出撃して以来特に問題は無い。敵どころか味方にも会わない状況だ。だがエーリッヒの表情は緩まない。睡眠はタンクベッド睡眠で済ませ艦橋から離れる事は滅多にない。明らかにエーリッヒは臨戦態勢をとっている。オフレッサーもリューネブルク中将もその事をからかう事無く大人しく控えている。それを強いられるほどにエーリッヒの表情は厳しい、緩まない。

またエーリッヒが溜息を吐いた。
「気が進まんのか?」
「ええ、進みません。どうも嫌な感じがする。少し神経質になっているのかな」
エーリッヒが答えるとオフレッサーが“フム”と言った。この二人、何時も正面を見たまま話す、相手の顔を見て話すという事が無い。

「妙な男だな、卿は。新無憂宮を攻撃するほど大胆かと思えば臆病かと思うほど用心深い。どちらが本当の姿だ」
「どちらも私ですよ」
「……ローエングラム侯が怖いか?」
「怖いですね」
あっさり答えた。普通そんな風に答えるもんじゃないんだが。オペレータ達が眼を丸くしている。オフレッサーが俺とリューネブルク中将を見て肩を竦めた。困った奴、そんなところか。もっともエーリッヒからは見えない。

「恐ろしいと思う事は恥じゃありません。無意味に強がるよりは余程良い」
「……」
「私は戦いたくないと思う相手が何人かいます」
「……」
「ラインハルト・フォン・ローエングラム、ジークフリード・キルヒアイス、ヤン・ウェンリー、オスカー・フォン・ロイエンタール、ウォルフガング・ミッターマイヤー、アレクサンドル・ビュコック、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ……」
また三人で顔を見合わせた。いずれも名将として評価の高い人物だ。七人の内二人が反乱軍、一人が貴族連合軍、四人が正規軍にいる。正規軍が強い筈だ。

「ミッターマイヤー提督には勝ちましたな。キルヒアイス提督も閣下の作戦で斃しました」
「不意を突いて騙してね。そうでなければ勝てなかった。彼らと正面から戦えと言われれば逃げましたよ。勝つ自信なんて欠片も無かった」
リューネブルク中将の問いにエーリッヒは無表情に答えた。

俺ならあの連中よりもエーリッヒと戦いたくない。戦術能力の優劣は分からない、だが勝負に対する執着は誰よりも上だろう。ミッターマイヤー、ケンプ、キルヒアイス、いずれもエーリッヒにしてやられた。戦えば必ず勝つ、そこまで準備してから戦う。そして常に主導権を握って戦う。この内乱での勝ち方を振り返ればエーリッヒにはそんな怖さが有る。勝てる可能性が二パーセントと言っていた事を思えばその思いはさらに強まる。

エーリッヒが今回の出撃に不機嫌なのも勝つための準備が何も出来ていない所為だろう。勝つ必要は無い、戦う必要は無いと言われても納得が出来ずにいるに違いない。行き当たりばったりで主導権を取れない、自分のスタイルではない、そう思っているのだ。

「とにかく今日一日だ。今日一日レンテンベルク要塞に向かえばガイエスブルク要塞に帰還出来る」
「……私は今帰還したい」
そんな子供みたいな事を言うな。メルカッツ総司令官からは十月五日になったら帰還して良いと言われているんだ。時間にして後十時間程の我慢だ。

そう言おうとした時だった。
「司令官閣下! クレメンツ艦隊より入電です。後方の哨戒部隊が連絡を絶ったとの事です」
オペレータの報告が艦橋に響いた。エーリッヒは微動だにしない。いや、右手を強く握り締めているのが見えた。リューネブルク中将、オフレッサーは厳しい表情だ。クレメンツ艦隊は我々の後方に居る。さらにその後方を哨戒していた部隊が連絡を絶った?

「エーリッヒ、事故だと思うか?」
「いや、それは無い。クレメンツ提督がこちらに知らせて来たという事は問題が起きたという事だ。少なくともクレメンツ提督はそう判断している」
「敵が居るという事か?」
オフレッサーが問うとエーリッヒが頷いた。敵か、しかし誰が……。

「クレメンツ提督に問い合わせてみよう」
「止せ!」
厳しい声だった。我々だけじゃない、オペレータ達も驚いてエーリッヒを見た。
「通信を傍受されたくない。例え内容が分からなくても頻繁に通信を始めれば後ろの敵にこっちが気付いたと判断される」
「しかし、誰が……」
リューネブルク中将が呟くとエーリッヒが低く笑い声を上げた。驚いてエーリッヒを見た。俺だけじゃない、艦橋に居る人間皆が見ている。

「ローエングラム侯だ」
“ローエングラム侯?”、皆の声が重なった。リューネブルク中将、オフレッサーが訝しげな表情をしている。
「レンテンベルク要塞に戻ったんじゃないのか?」
激しい音が鳴った。エーリッヒが指揮官席の肘掛を強く叩いた。

エーリッヒが俺を見ている。厳しい眼だ。気圧されるような感じがした。
「見たのか? アントン」
「いや、それは……」
確かに見ていない。エーリッヒの視線が更に強まったように見えた。

「貴族の艦隊を叩けば動揺を鎮めるために我々が出て来ると判断したんだ。そして密かに迂回して我々の後方に出た。ローエングラム侯の真の狙いはこっちだ。誘い出された!」
吐き捨てるような口調だった。相手の狙いに乗ってしまった、そんな思いが有るのかもしれない。

「確証が有るのか?」
オフレッサーが問うとエーリッヒは首を横に振った。
「私が神経質になっているのかもしれません。ローエングラム侯ではない可能性、敵が居ない可能性も有ります。しかし高を括って痛い目を見るよりも臆病者と蔑まれた方がましです! 部下を無駄死にさせたくない」
また指揮官席の肘掛を強く叩いた。酷く苛立っている。俺達が事態を甘く見ていると思っている。気を引き締めろ! エーリッヒの言う通りだ、状況は決して良くない。先ずはエーリッヒを落ち着かせる事だ。兵達に良い影響を与えない。

「エーリッヒ、少し落ち着こう」
「落ち着いていられるか、これが。後ろに付かれたんだぞ! それもローエングラム侯にだ!」
「皆が見ている。卿は指揮官だぞ、落ち着け」
忌々しそうに俺を見たがエーリッヒは何も言わなかった。

「如何する、艦隊を反転させてローエングラム侯を叩くか?」
オフレッサーが問い掛けるとエーリッヒが首を横に振った。
「前方にも敵が居ますよ、おそらくはロイエンタール提督でしょう。ビッテンフェルト提督も居るかもしれない。反転などしたら間違いなく挟撃されます」

確かに反転は危険だ。ロイエンタール、ビッテンフェルトの二人が居るかどうかは分からない。しかしレンテンベルク要塞に対して背を向けるという事は常に後背を危険に曝すという事だ。ローエングラム侯も後背をガイエスブルク要塞に向けているが貴族達は怯えている、攻撃される危険性は少ない。圧倒的にこちらが不利だ。

「なら横に逃げるしかないな。辺境星域の方向で良いか?」
「ああ、そうしよう。……いや、待て……」
「如何した?」
「逆方向にしよう」
エーリッヒが指示を変えた。辺境星域の方向に向かった方が安全だと思うが……。
「裏をかこうというのか?」
エーリッヒが首を横に振った。

「違う、囲まれたかもしれない。そっちはルッツ、ワーレンを伏せた可能性が有る」
シンとした。俺、リューネブルク中将、オフレッサー、無言で顔を見合わせた。確かにルッツ、ワーレンは辺境星域からレンテンベルク要塞に戻る途中だ。可能性は有る。

「……しかしそうなると逆も待ち伏せが居るのではありませんか?」
「リューネブルク中将の言う通りだ。消去法で行けばメックリンガー、ケスラーの二人が居る事になる、三万は居るぞ」
「兵力は辺境の方が少ない。転進するなら辺境の方が良かろう」
エーリッヒが首を横に振った。

「メックリンガー、ケスラーの二人は常識的な用兵家です。無茶はしないし好まない。だがルッツ、ワーレンは無理が出来る。それにキフォイザーでキルヒアイス提督を死なせてしまった事であの二人は精神的に追い込まれている。死に物狂いでこちらを足止めにかかるでしょう。兵力は少なくても彼らと戦うのは危険です。それにメックリンガー、ケスラーの二人も我々が辺境に向かうと思っているかもしれません。そうであれば逃げられる可能性は高いと思います」

なるほど、と思った。リューネブルク中将、オフレッサーも頷いている。兵力は多くてもメックリンガー、ケスラーの方が包囲は緩いと見たか。
「分かった、直ぐ艦隊に命令を……」
「通信は駄目だ。旗艦先頭、全艦我に続け、各艦復唱せよ。発光命令で出し続けるんだ。それからクレメンツ提督の所に誰か説明する人間を出してくれ」
「わ、分かった」
ひしひしと危機感が迫ってきた。オペレータ達も蒼白になっている。

「艦隊は沈降させながら迂回する、俯角三十度!」
「沈降? 降りるのか?」
問い直すとエーリッヒが頷いた。
「貴族連合軍も政府軍もガイエスブルク要塞とレンテンベルク要塞を結ぶ線上で戦っている事が多い。上手く行けば包囲網を掻い潜れるかもしれない」
「分かった」
エーリッヒがまた肘掛を叩いた。



帝国暦 488年  10月 4日  ロイエンタール艦隊旗艦 トリスタン  オスカー・フォン・ロイエンタール



「哨戒部隊から報告は無いか?」
「未だ有りません」
レッケンドルフ中尉が申し訳無さそうな表情で答えた。
「気にするな、中尉。卿の所為ではない」
「はあ」
益々申し訳無さそうな表情になった。やれやれだな、思わず苦笑が漏れた。

敵は出撃していないのだろうか? いや、それならローエングラム侯から連絡が有る筈だ。連絡が無いのは侯が敵の後方に居るからだろう。このままいけばいずれ俺とビッテンフェルトが前から、ローエングラム侯が後ろから敵を攻撃出来る筈だ。そしてワーレン、ルッツ、メックリンガー、ケスラーが両脇から包み込む。包囲網の完成だ、敵を殲滅出来るだろう。

ガイエスブルク要塞に居るのはブラウンシュバイク公、メルカッツ、クレメンツ、ヴァレンシュタイン、そして後は有象無象だ。出撃してくるとすればクレメンツ、ヴァレンシュタインのどちらか、或いは両方の筈だ。これを殲滅出来れば、特にヴァレンシュタインを倒せれば戦況は一気に変わる。ミッターマイヤーの仇も討てる……。焦ってはいかんな、焦ってはいかん。

「逃げたかもしれんな」
「敵が、でしょうか」
「うむ、敵がこちらに、或いはローエングラム侯に気付いたという事も有るだろう」
実際にその可能性は十二分にある。両脇にワーレン、ルッツ、メックリンガー、ケスラーを置いたのはその為だ。正面から迎え撃つよりもどちらかで補足する可能性の方が高いかもしれない。

「ですがその場合には」
「そうだな、左右どちらに逃げても補足される。後は皆で包囲して終わりだ」
「……なんというか漁師達が網で魚を獲っているようであります」
「面白い例えだ」
俺が笑うと中尉も笑った。確かに漁をしているような戦いだ。しかし相手は一筋縄ではいかない大物、場合によっては網を引き千切るかもしれんしすり抜けるかもしれん……。

「この銀河でも滅多に見ない大物だ。上手く引き上げたいものだな、中尉」
「はい!」
レッケンドルフ中尉が力強く頷いた。



帝国暦 488年  10月 4日  ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



旗艦スクルドの艦橋は重苦しい沈黙に包まれていた。誰もが音を立てる事を極度に恐れている、そんな雰囲気だ。音を立てれば敵に気付かれる、そう思っているのかもしれない。まだ敵艦隊との接触は無い。既に艦隊は迂回を終えガイエスブルク方面に向かっている。

「逃げ切ったと思うか?」
小声で訊ねるとエーリッヒは首を横に振った。言葉は無い。相変わらずエーリッヒは張り詰めた表情をしている。後方のローエングラム侯は振り切ったのだろうか。振り切ったのだとすれば残りはメックリンガー、ケスラーの二人だ。なんとか出会わずに切り抜けたいのだが……。いやそれよりも本当に包囲網は有ったのか? 何も無いとそんな疑問が湧き上がってくる。エーリッヒが感じ過ぎなのではないかと。

「レーダーに反応あり!」
オペレータの声が上がった。敵か?
「二時の方向、仰角三十五度! 二万隻を超えます!」
オペレータの報告が続く。艦橋にどよめきが起こった。

包囲網は有った! エーリッヒの読みが当たった! オフレッサーが唸り声を上げている。二万隻を超える、二個艦隊か。メックリンガー、ケスラーの二人だな……。逃げ切れるだろうか、後ろにはローエングラム侯も居る筈だ。他にもロイエンタール、ビッテンフェルト、ルッツ、ワーレンが追ってきているかもしれない。背中に冷たい汗が流れた。

「こ、これは」
「如何した!」
「敵艦隊はレンテンベルク要塞の方向に移動しています」
オペレータが困惑したような声を上げている。レンテンベルク要塞の方向に移動? どういう事だ? 何故前を塞がない、逃げられてしまうぞ?

エーリッヒが大きく息を吐いた。顔から緊張が薄れている、如何いう事だ?
「エーリッヒ、何故連中は包囲網を崩すんだ?」
「我々を包囲するよりも大事な事が起きたという事さ」
「大事な事? ……そうか、オーディン!」
「クーデターか!」

リューネブルク中将、オフレッサーが声を上げるとまたどよめきが起こった。彼方此方から“クーデター”、“助かった”という声が聞こえる。それを見てエーリッヒが立ち上がった。
「油断するな、まだガイエスブルク要塞に戻ったわけじゃない」
皆が慌てて顔を引き締めた。それを確認してからエーリッヒが指揮官席に座った。

「エーリッヒ、急いでガイエスブルクに戻ろう、メルカッツ総司令官が我々の帰還を待っている筈だ」
「レンテンベルク要塞の攻略か、まさか本当になるとはな」
「楽な戦いじゃない、しかし勝たなければ……」
オフレッサー、リューネブルク中将の言葉にエーリッヒが一つ息を吐いた。



帝国暦 488年  10月 4日  メックリンガー艦隊旗艦  クヴァシル  エルネスト・メックリンガー



『意外だったな、こちらに来るとは』
「確かに、包囲されていると気付かなかったのかな」
『それはないだろう。艦隊は随分と下に居る、我々の目を晦まそうと考えたのだと思う』
なるほど、ケスラー提督のいう通りだな。包囲されていると知ってこちらに来たか。

「ルッツ提督達よりも与し易いと思ったかな」
『或いは裏をかこうとしたか』
「一筋縄ではいかんな」
『全くだ』
私が笑うとケスラー提督も笑った。

『それにしても運が良いな。あと一日あれば彼らを殲滅出来た』
「そうだな」
確かにあと一日あれば殲滅出来た。しかし運だけの問題だろうか……。オーディンでクーデターが起きた。それを知ったローエングラム侯は全軍にレンテンベルク要塞に戻るように指示を出した。包囲網は崩れた。

クーデターが起きる事は予想出来た事だ。だからミュラー提督を事前にオーディンに送った。間に合わずにクーデターが起きたがミュラー提督を送っている以上彼に鎮圧を任せこちらは敵の殲滅に全力を尽くすべきではなかったか。オーディンは根拠地だ、重要な事は分かるが……、如何も釈然としない。

或いはこれはローエングラム侯の限界なのかもしれない。事に及んで冷徹さが足りない、感情に流され易いという欠点を持つ侯の限界。アムリッツアでも感情に任せてビッテンフェルト提督を叱責した。だとすれば今回の事はやはり運ではなく必然という事か……。

『メックリンガー提督、敵の艦隊はヴァレンシュタイン提督とクレメンツ提督だそうだ』
「……そうか」
分かっていた事だが逃がした獲物は大きい、千載一遇のチャンスを逸した。あと一日、いやローエングラム侯が……。いかんな、これ以上は愚痴ではなく不満になる。敵の艦隊が悠然と去っていく。クレメンツ、もう少しで卿を斃す事が出来たのだがな。残念だがその機会は失われてしまったよ。次に会う時は……。




 

 

第二十一話 クーデター




帝国暦 488年  10月 20日  ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  フォルカー・ローラント



「レンテンベルク要塞を放棄するとはな、どうなってるんだ?」
「俺にも分からないよ、ラムザウアー。ホント、どうなってるんだろう」
俺とラムザウアーは???な状況だった。もっとも俺達だけじゃない、旗艦スクルドのオペレータ達は殆どが???だ。ホントどうなってるんだろう。ここ最近の出来事はわけの分からない事ばかりだ。

ヴァレンシュタイン艦隊はレンテンベルク要塞に向っている。この艦隊だけじゃない、クレメンツ、ファーレンハイト艦隊も一緒だ。放棄されたレンテンベルク要塞を接収するのが目的らしいが、……ホント、どうなってるんだって言いたくなる。政府軍は何を考えているんだ?

「罠って事は無いかな、前回みたいに俺達を引き寄せておいてバクって食べちゃうとか」
「大丈夫だ、ビスク・ドールは落ち着いている。やばけりゃもっとピリピリしているさ。レーダーよりも頼りになるからな、ウチの司令官は」
俺もラムザウアーも指揮官席を見た。ビスク・ドールは指揮官席にゆったりと座っている。いつも通りの姿だ。

前回の出撃は危なかった。包囲されてるだなんて最初は司令官の考え過ぎなんじゃないかと思ったが本当に敵が居たから吃驚した。オーディンでクーデターが起きたから逃げられたがそうじゃなきゃどうなっていたか。冗談抜きでヴァルハラ行だっただろう。ビスク・ドールがらしくなくピリピリしていた筈だ、本当に危なかった。

ガイエスブルク要塞に戻ったらブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯両家族、メルカッツ総司令官が“良かった、良かった”って提督の事を迎えてた。あの出撃はメルカッツ総司令官の命令だったけど大元はブラウンシュバイク公からの依頼だったようだ。貴族達が怯えてどうにもならなかったらしい。貴族って役に立たない奴が多いよ。

「レンテンベルク要塞を捨てたのってオーディンのクーデターが原因なんだろうな、ラムザウアー」
「多分そうだろう、他には考えられねえ」
「酷かったみたいだな、あのクーデター」
「ああ、クーデターを起こした連中はあっちこっちで殺しまくったらしいぜ」
ラムザウアーが顔を顰めた。

「それは俺も聞いている。この艦に人質として乗せられた人間は陛下を除いて皆殺しだ」
「ローラント、もう一人フェザーンに逃げた若い男も生きてるさ」
「そういえばそんなのが居たな」
あの男は運が良かったな。或いは見切りが早かったのか。貴族じゃないからしがらみが無かったんだろう。

もったいないよなあ、グリューネワルト伯爵夫人もそうだけどあのマリーンドルフ家の嬢ちゃんも結構な美人だった。皆死んでしまったんだなあ、殺すくらいなら俺にくれって言いたいよ。まああの陰険ジジイのリヒテンラーデ公は死んでも構わないけど。あいつが余計な事をしなけりゃ俺達は反逆者にならずに済んだんだ、あのクソジジイ。

「しかしなあ、ゲルラッハ子爵がクーデターの首謀者って最初に聞いた時は何の冗談だって思ったわ」
「同感、子爵はリヒテンラーデ公の一の子分だ。それがリヒテンラーデ公とその一門を皆殺しとか、いやあ権力争いって凄いわ。俺は平民で良かったよ」
「同感だよ」
お互いしみじみとした口調になっていた。

俺達だけじゃない、皆が言っている。貴族って稼業も楽じゃないって。考えてみればカストロプ公爵家もクロプシュトック侯爵家も滅亡した。ブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家は反逆者だ。この内乱で敗ければ滅亡だろう。自分だけじゃない、家族、親族まで巻き込む事も有る。そう考えると結構厳しい世界だ。

「あれ、本当かな。如何思う、ローラント」
「あれってあれか? 多分本当なんだろう。あの映像ってここで録った奴だろう?」
「そうだろうなあ」
クーデターを起こしたゲルラッハ子爵が或る映像を流した。

先帝陛下暗殺、犯人はグリューネワルト伯爵夫人。まあ裏にローエングラム侯が居るのは自明の理だな。そしてリヒテンラーデ公は隠蔽に加担。二人で帝国の実権を握ろうとしたって事だ。その後はローエングラム侯とリヒテンラーデ公で最後の決戦だ。ホント貴族なんて碌なもんじゃない。そうか、ローエングラム侯も厳しいな。姉が弑逆者、この内乱で敗ければただじゃすまない。勝ち続けるしかないんだ。

ゲルラッハ子爵はリヒテンラーデ公に付いていけないと思ったのかもしれない。このままじゃ自分も弑逆の協力者になってしまうと思ったのか。それとも政府軍は旗色が悪いからこの辺でリヒテンラーデ公達と手を切らないと家が没落すると思ったのか。映像を公表したのは自分達の正当性を訴えたかったんだろうな、裏切ったんじゃないって。気持ちは分かるが少々姑息だよ。それだけ生きるのに必死って事かな。

「ローラント、ゲルラッハ子爵が貴族連合軍に接触して来たって本当かな」
「本当だと思うよ。多分ローエングラム侯を反逆者、弑逆者にするつもりだったんだと思う。こっちには陛下が居るから勅令として宣言して貰おうと思ったんじゃないか」

「政府軍がいきなり反乱軍か、吃驚だな」
ラムザウアーが呆れた様な声を出した。まあ俺だって呆れている。この内乱、誰が正義で誰が悪なのか、コロコロ変わるからさっぱり分からない。大体なんで俺達反乱軍が皇帝を擁しているんだ?

「何を話している? 仕事に集中しろ」
ぎょっとして顔を上げるとフェルナー少将だった。拙いな、少し話に熱中し過ぎたか。
「済みません。その、敵がレンテンベルク要塞を放棄したって事が信じられなくて。……クーデターの事も有りますし」
「気持ちは分かるが仕事に専念しろ、いいな」
「はい」

俺とラムザウアーが答えるとフェルナー少将は頷いて司令官の傍に戻って行った。やばいやばい、仕事だ仕事。ウチの司令官は厳しいからな、怒らせないようにしないと。ラムザウアーを見ると奴も同じ気持ちなんだろう、肩を竦めて仕事に戻った。



帝国暦 488年  10月 20日  ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



「やはり皆戸惑っているようだ」
「クーデターか、それとも敵が居ない事か」
「両方だな」
「そうか」
そっけない返事だった。だがこの状況に一番失望しているのはエーリッヒだろう。心の内ではオーディンを罵っているに違いない。

オーディンで起きたクーデターははっきり言って手際が悪かった。自由惑星同盟の救国軍事会議に比べると悲惨といって良い程に酷い。実行者の力量が結果に出るのだとしたらオーディンの実行者達は明らかに二流、いや三流だったとしか評価は出来ない。

首謀者はゲルラッハ子爵、シュトライト少将が毒を埋め込んだ一人だ。彼は例の録画を見てリヒテンラーデ公、ローエングラム侯に協力する事に不安を感じたらしい。貴族連合軍が善戦している事にも不安が有った。そしてキフォイザー星域の敗戦が彼にリヒテンラーデ公、ローエングラム侯の切り捨て、貴族連合軍への寝返りを考えさせる事になった……。

「エーリッヒ、ゲルラッハ子爵はクーデターが成功すると思ったのかな?」
エーリッヒが小首を傾げた。
「どうかな、難しいと思ったんじゃないかな。だがこの機会を逃がせばもう次は無いと思ったかもしれない。このままではリヒテンラーデ公、ローエングラム侯にズルズルと引き摺られると……」

「それくらいならいっそ、そういう事ですか」
リューネブルク中将の言葉にエーリッヒが頷いた。
「我々がオーディンを攻略した事で艦隊の持つ攻撃力は圧倒的だと思ったのかもしれません。ナイトハルトがオーディンに着く前に事を起こすしかない。グリューネワルト伯爵夫人を人質にとればローエングラム侯を抑えられる、そう思ったのでしょう」
なるほど、と思った。あの攻略戦が影響したか。そしてナイトハルトの存在が引き金を引いた。

クーデターを考えてもゲルラッハ子爵には兵力が無かった。そしてオーディンにはローエングラム侯がモルト中将に預けた守備兵が有った。我々のオーディン攻略戦で大きな損害を受けたとはいえゲルラッハ子爵にはどうにも出来なかった。だがゲルラッハ子爵に武力を持つ協力者が現れた。

憲兵隊。そして憲兵隊を率いる憲兵総監オッペンハイマー大将。伯爵の地位を持ちリッテンハイム侯の縁に連なる貴族でもある。野心家では有るが有能とは言えない、誠実さも無い。目先の欲で動く一番始末に困るタイプの男だ。憲兵総監の地位にあった事を幸いに貴族連合に加わらなかったのはローエングラム侯と戦えば貴族連合が敗けると判断したからだ。貴族連合軍内部でも非難する人間が多かった。

オッペンハイマー大将もその事は分かっていただろう。ごく普通に寝返ったのでは功が弱い、受け入れられないと思ったに違いない。そしてゲルラッハ子爵に近付いた。オーディンでクーデターを起こしローエングラム侯を宿無しの存在にする。その上で貴族連合軍に接触し自分達の功績を認めさせる。そう考えたようだ。

「しかし何とも手際の悪いクーデターだな」
「あの状況では誰だってクーデターは間近と判断するでしょう。当然ですがそれなりの対応を取る。簡単には成功しませんよ。ま、実行者側の手際が悪いのは認めますがね」
オフレッサーとリューネブルク中将の会話にエーリッヒが頷いた。俺も同感だ、あれは酷かった。

ゲルラッハ子爵、オッペンハイマー大将の起こしたクーデターが失敗した理由、それはリヒテンラーデ公、モルト中将、グリューネワルト伯爵夫人がクーデターを予測していた事、そして覚悟を決めていた事だ。彼ら三人はもう後が無い事を十二分に理解していた。

リヒテンラーデ公は一族を集めて戦った。一族の人間達もリヒテンラーデ公の勢威が有って今が有る、公を失えば自分達も没落すると理解している。モルト中将の援護を受け最後まで、全滅するまで戦ったそうだ。生存者無し、リヒテンラーデ公一族は文字通り鏖殺された。

モルト中将もグリューネワルト伯爵夫人を二度も奪われては生きてはいけない。必死で防戦したようだが兵達が従わなかった。多勢に無勢、そう思ったか。或いはローエングラム侯を見限ったか。結局モルト中将は自決、グリューネワルト伯爵夫人は服毒自殺した。そしてマリーンドルフ伯爵家……。

「マリーンドルフ伯爵親子も助からなかったな」
「仕方ないだろう、アントン。味方でさえも自家の発展のために潰そうとしたんだ。マリーンドルフ伯爵家はあの一件で貴族社会では孤立した。力も無ければ味方もいない、そんな家が生き延びる事など不可能だ。カストロプでさえ滅びた、マリーンドルフはカストロプより小さい」

マリーンドルフ伯爵親子はローエングラム侯に味方する貴族達に殺された。フロイライン・マリーンドルフが引き入れた味方達。彼女が自分達を利用しようとした事、ローエングラム侯が自分達の存続を望んでいない事、それらを知った彼らはクーデターに同調、反ローエングラムを表明しマリーンドルフ伯爵親子を殺した。

フロイライン・マリーンドルフは暴行された上での殺害だったらしい、無惨を極めたようだ。他にもヴェストパーレ男爵夫人、シャフハウゼン子爵夫妻が殺されている。ローエングラム侯に近いと見られたようだ。オーディンでここまで貴族の血が流れるなど初めての事だ。

武力制圧は成功したがグリューネワルト伯爵夫人が死んだ事でクーデターとしては失敗した。進退窮まったゲルラッハ子爵はローエングラム侯を勅令により反逆者とするべくガイエスブルク要塞に接触してきたがブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もグリューネワルト伯爵夫人を押さえられなかったゲルラッハ子爵に利用価値を認めなかった。

ナイトハルトがオーディンに着いたのはクーデター後だったがグリューネワルト伯爵夫人が居ない以上クーデター勢力の鎮圧に躊躇う事は無かった。クーデター勢力は瞬時に制圧、ゲルラッハ、オッペンハイマーは捕えられた。ローエングラム侯ももう直ぐオーディンに着くだろう。侯が彼らをどう扱うか……。

「エーリッヒ、ギュンターは無事だと思うか」
「この内乱には関わるなと言った。それを守っていれば無事の筈だ。それにオーディンを制圧したのはナイトハルトだ、大丈夫だろう」
「そうだな。……ローエングラム侯は捕えた連中を如何扱うかな?」
「皆殺しだろう」
「……」

「ローエングラム侯の権力基盤は弱い。それを揺さ振ろうとする連中を許す事は無いと思う。感情的にも伯爵夫人を殺した連中は許せないだろう。兵士の罪を問う事は無いと思うが指揮官、貴族は容赦無く殺すだろうね」
平静な口調だった。口調と内容がまるで一致していない。その事に寒々しい思いがした。

「内乱というのは収め方が難しい。単純に敵だから殺してしまえという事が出来ないんだ。元々は帝国人なのだから出来るだけしこりの残らない形で終わらせる事が必要だが今のローエングラム侯にはその辺りの配慮は出来ないだろう。元々得意でもないしね。……御蔭でこちらは手を汚さずに済む」
エーリッヒが低く笑い声を上げた。オフレッサー、リューネブルク中将の顔が強張っている。俺も同様だろうな、頬の筋肉が引き攣るような感じがする。

「……それにしてもレンテンベルク要塞を放棄するとは思わなかった。奪還戦でトマホークを振るえるかと思っていたのだがな」
「小官も同じ思いです」
オフレッサーが話題を変えた。リューネブルク中将が相槌を打ったのはクーデターの話をこれ以上続けるのは避けたいと思ったからかもしれない。

「私も予想外でした。まさかレンテンベルク要塞を放棄するとは思いませんでした。出来れば要塞攻略戦で数個艦隊を叩く、そしてオーディンで最終決戦にしたかったんですけどね、上手く行かない」
「レンテンベルク要塞放棄は上策かな?」
俺が問い掛けるとエーリッヒは“如何かな”と言った。

「各個撃破を避けた、戦力をオーディンに集中させた、そういう意味では正しいだろう。オーディンという根拠地を安定させるという意味でも間違いとは言えない。しかしこれで辺境は貴族連合に加わるだろうな。ローエングラム侯は孤立し追い込まれた事になるがその辺りを理解した上での要塞放棄なのか……、少々疑問だ」
「軍事は練達だが政治には疎い、ですか」
リューネブルク中将の言葉にエーリッヒが“ええ”と肯定した。

「戦略というのは敵を倒す方法論だと思います。そして政略は味方を増やす方法論。だから戦略より政略が優先される、味方を増やしてから敵を斃す。そういう観点から見れば政略的にはレンテンベルク要塞放棄は明らかに下策でした。辺境星域を放棄したに等しい。ナイトハルトに全てを任せて自分はレンテンベルク要塞に留まるべきだった」
「……」

「リヒテンラーデ公ならその辺りは分かった筈です。政略をリヒテンラーデ公、戦略をローエングラム侯、あの二人がもっと緊密に協力していればここまで追い込まれる事は無かった。もっとも信頼関係なんて無かっただろうから不可能だったでしょうけど」
エーリッヒの言葉にリューネブルク中将、オフレッサーの二人が頷いている。

「これから如何なる?」
「レンテンベルク要塞を根拠地としてフェザーン、オーディン間の通商路を遮断し兵糧攻めで締め上げます。まあこれは貴族達に頼みましょう。こちらはローエングラム侯を弱めた後で決戦を挑む事になります」
「……」

オペレータがレンテンベルク要塞を確認したと報告してきた。スクリーンに要塞が拡大投影されると艦橋がざわめいた。約半年ぶりに貴族連合軍はレンテンベルク要塞を奪還した事になる。次は帝都奪還だ、その時オーディンは今回のクーデター以上に血塗られる事になるだろう……。



 

 

第二十二話 崩壊への序曲




帝国暦 488年  10月 31日  オーディン  ギュンター・キスリング



「大丈夫か、ナイトハルト」
「ああ」
大丈夫じゃない、酷い顔色だ。ナイトハルト・ミュラーはかなり参っている。ワインの飲み方も何かを忘れようとするかのようだ。何を忘れたいのかは想像が付く。不器用な奴だ。

「無理はするなよ」
「済まん、心配をかける」
ナイトハルトが笑みを浮かべた。痛々しい、見ていられない笑みだ。
「辛いんだろう、吐き出して良いぞ。この店の主人を以前俺が助けた事が有る、それ以来何かと便宜を図ってくれるんだ。この部屋は防音完備だからな、ここでの話が外に漏れる事は無い」
「そうか」

「それに俺は口が堅い事には自信が有る」
「そうか……、済まんな」
オーディンの裏通りにある店だ。帝国軍の士官が来るような店ではない。だが今のこいつにはこの店の方が良いだろう。ここなら胸のつかえを吐き出す事が出来る筈だ。

「卿が反乱に加わってなくてホッとしたよ」
「エーリッヒから内乱には関わるなと言われていたからな」
「そうか、エーリッヒがそう言ったか」
ちょっと虚ろな口調だ。何か思う事が有るのかもしれない。
「自分とアントンはブラウンシュバイク公に恩義がある、だから貴族連合に与する。だが卿は柵が無い、内乱には関わるなとね」
ナイトハルトが“そうか”と言ってグラスを呷った。

「……きついな、こんなにもきついとは思わなかった」
「ナイトハルト」
声をかけるとナイトハルトはグラスにワインを注ぎつつ弱々しい笑みを見せた。
「エーリッヒと戦うのはきつい」
「……きついか」
「ああ、きつい」
しみじみとした口調だった。

「内乱が起きる前は負けるとは思っていなかった。エーリッヒやメルカッツ提督、クレメンツ教官、ファーレンハイト中将が居るから多少厄介かと思ったが負けるとは思わなかった。手古摺っても最終的には勝てると思ったんだが……」
「……」

かける言葉が無かった。実際俺も貴族連合軍が勝てるとは思っていなかった。あれは烏合の衆だ、統一された意思の下に戦う事など無理だと思いエーリッヒ達を不運だと思った程だ。だが現状は圧倒的に政府軍が不利な状況にある。宇宙艦隊副司令長官だったキルヒアイス上級大将は戦死、ミッターマイヤー、ケンプは脱落した。

「不思議なんだ。確かに貴族連合軍は予想以上に手強い。しかしここまで一方的になるほど手酷く負けたわけでもない。貴族連合軍にもそれなりに損害は与えている。それなのに肝心な所で敗ける、こんな事になるとは……」
「そうだな」

レンテンベルク要塞は奪回され辺境星域は貴族連合軍へと旗幟を鮮明にしている。政府軍が自らの勢力圏としているのはヴァルハラ星域を中心とした帝国の一部だ。おまけに皇帝も奪われた。圧倒的に不利な状況にある。妙な話だが気が付けば押し込まれていた、そんな感じだ。ナイトハルトがぼやくのも無理は無い。

しかし俺の見るところ貴族連合軍は中核になるブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家の兵力は殆ど損害を被っていない。そして両者の結束は予想以上に強い。損害を受けたのはそれ以外のどうでも良いと言える貴族達だ。言ってみれば贅肉を切り落として筋肉を残している。上手いやり方だ、最初から総てを統率しよう等と考えていない。

一方ローエングラム侯はジークフリード・キルヒアイス、ウォルフガング・ミッターマイヤー、カール・グスタフ・ケンプを失っている。こちらは軍の中核部隊だ、簡単に補充が出来るわけではない。落してしまった筋肉を付けるには相当な時間がかかるだろう。明らかに分が悪い。そして軍以外でもリヒテンラーデ公を始めとする貴族達を失った。いずれ内乱が終われば始末するつもりだっただろうが現時点では痛い損失でしかない。ローエングラム陣営は明らかに弱体化し孤立している。

「エーリッヒが出来るのは分かっていた。戦略家、戦術家として有能な事もな。でも謀略までこなすとは思っていなかった。酷い状況だよ、兵達は何のために戦うのか分からずにいる。士気は下がる一方だ」
ナイトハルトが溜息を吐いた。どうやら軍の状態はかなり酷いようだ。

予想外だろうな。兵達の殆どが平民だ。彼らはこの内乱が起きた時、反逆者を討伐するという大義名分以外に門閥貴族達の専横を抑え平民達の権利を確保するという想いが有ったはずだ。ローエングラム侯がその願いを叶えてくれる、だから侯のために戦うという希望が有っただろう。

だがその大義名分も希望も打ち砕かれた。辺境星域での焦土作戦、フリードリヒ四世の暗殺、リヒテンラーデ公との野合、所詮ローエングラム侯も平民達の事など考えていない、身勝手な野心家でしかないと気付かされた。そして戦局は決して良くない……。

「そのうち逃亡者が出るかもしれない。皆頭を痛めている」
「……そこまで酷いのか」
ナイトハルトが頷いた。深刻だな、兵達の心は折れかかっている。今では貴族連合よりもローエングラム陣営の方が烏合の衆に近いのだろう。今は兵達かもしれないがそのうち指揮官クラスの心も折れるかもしれない。そうなれば崩壊は間近だ。

「付いていけるのか?」
「……」
「今回のクーデターの後始末、酷い物だった。大丈夫なのか、ローエングラム侯は」
「……」
ナイトハルトが苦しそうな表情をしている。やはりな、悩んでいるか。ただ裏切りは矜持が許さない、そんなところかもしれない。

オーディンで起きたクーデターは凄惨な結末を迎えた。クーデターの首謀者、ゲルラッハ子爵、オッペンハイマー大将を始め主だった参加者は本人のみならず家族まで死を強いられた。リヒテンラーデ公の一族が族滅させられた事がローエングラム侯に処罰の正当性を与えてしまった。

政府閣僚は殆どがゲルラッハ子爵に同調したため政府は有名無実化している。このオーディンで生き残った貴族達はほんの僅かで息を潜めて、首を竦めて生きている。貴族達にとってローエングラム侯は流血帝アウグスト二世にも等しい存在に違いない。

ローエングラム侯の処罰が厳しいのはグリューネワルト伯爵夫人を殺された怒りも有るだろうが見せしめの意味も有るのだと思う。貴族連合軍と戦うのに根拠地であるオーディンが安定しないのでは安心して戦えない。二度と敵対勢力の蠢動を許さないためには厳しい処置が必要だと考えたのだと思う。

理解は出来る、しかしそれも自分に災難が降りかからなければだ。ナイトハルトはその災難を生きている人間では一身に受け止める事になった。クーデターを鎮圧したまでは良かったがその後にローエングラム侯からゲルラッハ子爵達の処刑を命じられた。

全員毒による自栽という形をとったが中には死を望まず押さえつけて毒を飲ませた者もいるらしい。ナイトハルトが自ら毒を飲ませたわけではないが本人にとって気持ちの良い話ではないだろう、しかも一人や二人ではないと聞く。ナイトハルトが憔悴し迷っているのはその事も影響しているだろう。

「侯を裏切るような事はしたくない。だが俺一人の問題ではないからな。部下達の事も考えなければ……」
「……」
「ビッテンフェルト提督に言われたよ。戦いたくても戦えない状況になる可能性も有る。そうなれば意地も通せんと」
「……」
「覚悟だけはしておいた方が良いだろうな」
ナイトハルトがグラスを一息で空けふーっと息を吐いた。



帝国暦 488年  11月 20日  レンテンベルク要塞 アントン・フェルナー



「ガイエスブルク要塞に比べるとやはり小さいな」
「そうだね、おまけに居住性も良くない。まあ最前線なんだから余り贅沢は言えないか」
昼食後の御茶の時間、二人ともゆっくりと背もたれに体重をかけ寛ぐ。満腹感と幸せ感が……。陽だまりで昼寝をする猫の気分が良く分かる。世は事も無し、満足満足。こういう怠惰な時間が有っても良い。エーリッヒの部屋はコーヒーとココアの香りが混じった妙な匂いに満ちていた。

「オーディンは酷いみたいだな」
「貴族達が頑張っているからね」
「それはそうだ。拿捕すれば自分の物になる。楽しくて仕方がないだろう」
「他人の物を金を払わずに懐に入れる。褒められた事じゃないんだから少しは罪悪感を持って欲しいよ」

他人事みたいな批評に思わず噴いた。作戦は卿が考えたんだけどな。それに仕事を楽しむのは悪い事じゃない。フェザーンからの、いやフェザーンだけとは限らない、オーディンに向かう交易船、輸送船は尽く貴族達によって拿捕されている。その所為でオーディンは物資不足に陥っているらしい。

「放置はしないだろう」
「放置はしないだろうね」
「如何する?」
問い掛けるとエーリッヒが首を横に振った。
「如何もしない、ローエングラム侯に任せるよ。大体貴族達は我々が行けば嫌がるだろう、分け前が減ると言って」
見殺しか。エーリッヒは貴族連合軍をローエングラム侯の手で葬り去るつもりだ。エーリッヒがココアを飲んだ。俺もコーヒーを口に運ぶ。

「餌としては使わないのか?」
またエーリッヒが首を横に振った。
「同じ手が何度も通じるとは思わない。危険だよ」
「……」
「貴族達が敗北して補給線を回復しても直ぐに物資が届くわけじゃない。商人達は慎重になる筈だ。オーディンの困窮は暫く続く。なんならもう一度補給線を断っても良い。ローエングラム侯への不満は募る一方だろうな」
「……」
エーリッヒが笑みを浮かべて俺をじっと見た。

「暴動が起きるかもしれないよ、アントン」
「……」
「ローエングラム侯を見限る人間も出て来るだろうな」
「……それが狙いか」
「そうなれば良いがその前に決戦を挑んでくるかもしれない。如何なる事やら……」



宇宙暦 797年  12月 20日  イゼルローン要塞  アレックス・キャゼルヌ



「帝国の内乱は随分と酷いようですな」
シェーンコップ准将の言葉に皆が頷いた。
「オーディンでクーデターが起き鎮圧したと思ったら今度は暴動とは……、ローエングラム侯の旗色はかなり悪い」
「というより現状では負けかけている、そんなところではないかな。副司令長官のキルヒアイス提督も戦死しているしリヒテンラーデ公もクーデターで殺された」
パトリチェフ准将、ムライ少将が言うと司令室の彼方此方から“ウーン”と唸り声が聞こえた。ヤンは無言だ。

「やはり皇帝暗殺と焦土作戦が効いているんじゃないですか。辺境星域は貴族連合に付いたのでしょう?」
「付いた、というよりオーディン周辺だけだろう、ローエングラム侯が支配しているのは。これでは帝国を支配しているとは言えんな。第一皇帝も奪われている」
アッテンボローとフィッシャー少将の遣り取りに彼方此方から同意の声が上がった。

「司令官のお考えは?」
俺がヤンに振ると皆が視線をヤンに向けた。ヤンは困った様に髪の毛を掻き回した。
「正直に言えばローエングラム侯が敗けるとは思わなかった、予想外、かな。総司令官のメルカッツ提督は地味だけど老練で隙が無いと聞いているが……」
言葉が途切れた、納得してはいない。

「腑に落ちない?」
俺が言葉に出すとヤンが頷いた。
「政略面でローエングラム侯を叩いています。彼の大義名分を尽く潰している。その上でローエングラム侯の部下達を戦場で破っている。これではローエングラム侯から心が離れますよ。少し鮮やか過ぎるな」
ヤンの言葉にパトリチェフが“なるほど”と相槌を打った。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、ですな」
バグダッシュの言葉にヤンが頷いた。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、ここ最近良く聞く名前だ。貴族連合軍で主力部隊を率いる提督だという事だが……。
「知っているのかな、中佐」
「同盟では余り知られていませんが帝国ではブラウンシュバイク公の腹心としてかなり有名な男です。まだ二十代の前半ですが大将の地位に有ります」

ローエングラム侯程ではないが出世は早い。平民で大将、ブラウンシュバイク公の後ろ盾が有ったのだろう。恩返しというわけだ。
「内乱前、何度かブラウンシュバイク公が戦場に出ていますがそれに同行しています。公の上げた武勲に関わっているという事でしょう」
皆が顔を見合わせた。近年ブラウンシュバイク公が戦場で上げた功績は決して小さくない。その事を考えたのだろう。

「ローエングラム侯が敗れれば一安心、そういう訳には行かないようだな」
「キャゼルヌ少将、私はむしろヴァレンシュタイン大将の方が手強いと思いますね。彼の謀才は侮れません、油断するとローエングラム侯のように滅茶苦茶にされますよ。部下から離脱者が出ているという報告も情報部にはフェザーン経由で届いています」
彼方此方から溜息が聞こえた。昨年同盟軍を粉砕したローエングラム侯が部下に離脱されるまでに追い込まれている。

「部下が離脱か……、ローエングラム侯を斃したとして問題はその後だな。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯、何処まで協力体制を維持出来るか。今は盤石に見えるが敵が居なくなれば……、場合によっては新たな内乱が起きるかもしれない」
ヤンの言葉に皆が顔を見合わせた。新たな内乱、意表を突かれたのだろう。

帝国の混乱はまだまだ続くのかもしれない。同盟にとって帝国の混乱は有難い事だ。今回の内乱で同盟は少ない戦力をさらに失う事になった。出来れば或る程度の戦力の回復が出来るまでは混乱して欲しいものだが……。



 

 

第二十三話 決戦前


帝国暦 489年  1月 7日  レンテンベルク要塞 アントン・フェルナー



メルカッツ総司令官の執務室に男達が集まっていた。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、メルカッツ総司令官、オフレッサー上級大将、ヴァレンシュタイン提督、グライフス提督、ヴァルテンベルク提督、クレメンツ提督、ファーレンハイト提督、リューネブルク中将、アンスバッハ少将、シュトライト少将、ザッカート少将、そして俺、フェルナー少将。

「そろそろかな」
ブラウンシュバイク公の言葉に皆が頷いた。とうとう内乱は年を越した。二年がかりの反乱になった。誰にとっても予想外の事だろうが少しずつ終局が見えてきている。ここにきてようやくローエングラム陣営に綻びが生じた。

貴族達の通商破壊作戦は予想以上にオーディンを揺さぶった。フェザーン商人が交易船を出すのを渋り始めたからだ。物が届かなくなる、困窮するという現実よりも届かなくなるかもしれないという恐怖がオーディンを激しく揺さぶった。今回のオーディンの混乱を見ていると恐慌というのは現実よりも人間の心が生み出すものだというのがよく分かる。

貴族達の通商破壊作戦を無視出来なくなったローエングラム侯は自らロイエンタール、ビッテンフェルト、メックリンガー、ケスラーを引き連れ補給線を破壊する貴族達を攻撃した。完璧に掃討したと言って良いだろう。ローエングラム侯は声明を出して航路の安全を宣言した程だ。

ブルクハウゼン侯爵、ジンデフィンゲン伯爵、クロッペンブルク子爵、ヘルダー子爵、コルヴィッツ子爵、シュタインフルト子爵、ハーフェルベルク男爵が戦死。ランズベルク伯爵、ラートブルフ男爵、フレーゲル男爵は命からがらレンテンベルク要塞に逃げ戻った。

通商破壊作戦に動員された兵力は八万隻、その内損失は四万隻を超える。無傷の艦など一割も無いだろう。余りに一方的な結果にレンテンベルク要塞は憂色に包まれたがエーリッヒだけはそれと無縁だった。エーリッヒはブルクハウゼン侯爵達が戦死したと聞いた時は“御見事”と称賛したがフレーゲル男爵が逃げ戻って来たと聞いた時には“詰めが甘い”と吐き捨てた。全く同感だ、あの役に立たない甥御殿を何故片付けないのか、肝心な所で役に立たんな、ローエングラム侯。

大戦果だが状況は変わらなかった。ローエングラム侯の声明を聞いてもフェザーン商人達は交易船を出そうとせず内乱終結までは船を出さないと声明を出したからだ。理由は簡単、エーリッヒはフェザーンの保険会社に通商破壊作戦はこれからも続くと囁いた。どうしてそんな悪知恵が働くのか……。

実際フレーゲル男爵達を再度送り込んでいる。但し兵力は少ない、広い宇宙空間で何処まで通商破壊作戦が出来るかは不明だ。だが兵力を送り込んだという事実が大きかった。元々高かった保険料は更に高騰し交易船を出す事は利益よりも危険が大きいと商人達も判断せざるを得なかった。ローエングラム侯は戦術的な勝利は得たが戦略的には敗北した。

その敗北が目に見える形で現れたのがオーディンでの暴動だった。フェザーン商人が交易船を出さないと知ったオーディンの住民が物資不足に対する不満から暴動を起こした。当時オーディンを守っていたのはナイトハルト、ワーレン、ルッツの三提督だったが兵を使って暴動を鎮圧した。

どうにもならなかったようだ。暴動を抑えるには物資を供出するしかないが軍にも供出出来るような余裕は無かった。辺境の惑星なら人口も少なかっただろう、供出による抑制は可能だったかもしれない。だがオーディンは帝都だ、当然だが人口は多い。一度物資を供出すれば際限なく供出を続けざるを得なくなる。苦渋の決断だったと思う……。

「ミッターマイヤー提督の負傷が癒え復帰したそうです。艦隊の編成に取り掛かったとか。それを考えるとこれ以上の先延ばしは危険でしょう、今なら疾風ウォルフは決戦に加われません」
シュトライト少将が渋い表情をしている。彼方此方で頷く姿が有った。

「ブラウンシュバイク公の仰られるようにそろそろ決戦の時だと思います。ローエングラム侯が動かせる兵力は三個艦隊、約五万隻。一戦して内乱を終わらせましょう」
メルカッツ総司令官が重々しく発言するとまた皆が頷いた。

「しかし厄介ですな、ローエングラム侯の下にロイエンタール、ビッテンフェルトの二人が残りました。頭が痛いですよ」
「そう言うな、ファーレンハイト中将。我々が敗北する可能性も有った、いやその可能性の方が高かったのだ。それを思えば何ほどの事も有るまい」
クレメンツ提督の言葉に彼方此方から笑いがさざ波の様に起きた、皆が苦笑している。

「いやいや、勝ち目が出てきたから頭が痛いのですよ。負け戦なら悩む必要は有りません。華々しく散る事だけを考えれば良い」
ファーレンハイト提督の言葉にオフレッサーが吠えるように笑った。なんだかなあ、人間の中に一匹だけデカいクマが居る、そんな感じだ。

暴動後、ルッツ、ワーレン、ナイトハルト、ケスラー、メックリンガーの五人がローエングラム陣営から離脱した。兵達がローエングラム侯に付いていけないと訴えたらしい。特にルッツ、ワーレン艦隊は酷かったようだ。彼らは辺境星域の鎮圧を担当していた。辺境星域の抵抗の執拗さは彼らにローエングラム侯への不信感を持たせたようだ。それがオーディンの暴動で限界に達した。

彼らはこちらの味方になったわけでは無い。中立を表明してカストロプに退避している。貴族連合軍は通商破壊作戦で四万隻を失ったがローエングラム侯から五個艦隊、六万隻以上を奪った事になる。流血こそないが凄絶なまでの潰しあいだ。決戦に使える艦隊は貴族連合軍が八個艦隊、ローエングラム侯が三個艦隊にまで減った。

「全軍で押し包むのかな?」
リッテンハイム侯の言葉に皆が顔を見合わせた。
「出撃は全軍にしましょう。但し戦闘に入るのは三個艦隊にすべきだと思います」
妙な事を言うな、エーリッヒ。皆不思議そうな顔をしている。まさかとは思うが正々堂々なんて考えているわけは無いよな。俺が思った事をオフレッサーが問い質すとエーリッヒが軽く笑い声を上げた。

「そうじゃありません。カストロプの艦隊が本当にローエングラム陣営を離脱したという保証は無い。もしあれが擬態なら全軍でかかっても五分五分ですよ。オーディン近郊で戦えば四日もすれば連中は押し寄せて来る。不意を突かれて大敗します」
彼方此方から唸り声が聞こえた。

「余程の危険が無い限り三個艦隊で攻め続け罠ではないという見極めがついた時点で全軍で攻めるべきだと思います」
「ヴァレンシュタイン提督の言う通りだな。ここまで来たのだ、念には念を入れよう」
メルカッツ総司令官の言葉に皆が同意した。

出撃は二日後、一月九日になった。最初に戦うのはヴァレンシュタイン、クレメンツ、ファーレンハイト艦隊。ファーレンハイト提督がビッテンフェルト提督、クレメンツ提督がロイエンタール提督、そしてエーリッヒがローエングラム侯に相対する事が決まった。



帝国暦 489年  1月 7日  レンテンベルク要塞  アマーリエ・フォン・ブラウンシュバイク



ドアをノックする音が聞こえると侍女が速足でドアに向かった。二言、三言、言葉を交わし相手を確認すると私を見て頷いた。隣に座っている妹に視線を向けると妹が頷く。二人で立ち上がった。妹は微かに緊張している。侍女に視線を戻し頷くと侍女がドアを開け若い男性が入って来た。

ゆっくりと私達に近付いて来る。ソファーの前で立ち止まると
「お時間を取って頂き有難うございます」
と言って礼をしてきた。三人で席に座った。侍女が紅茶を持って来た。目の前の青年はコーヒーを好まない。飲むのはココアか紅茶だ。

「ヴァレンシュタイン提督、私達に話したい事が有るとの事ですが?」
妹のクリスティーネが問うとヴァレンシュタインは“はい、御人払いをお願いします”と答えた。彼は物静かな、穏やかな雰囲気を醸し出している。しかしそれでも私は緊張を強いられているし妹も同様だろう。冷徹なのだ、感情が見えない。六年前、彼はブラウンシュバイク公爵家に仕えた。未だ子供だったがその時から冷徹で感情が見えなかった。夫を含め男達には頼もしく見えるのだろう、だが私には違和感と畏怖の方が強い。

「陛下は如何お過ごしですか?」
妹と顔を見合わせた。エルウィン・ヨーゼフとヴァレンシュタイン、皇帝と反逆者、幼児と誘拐者。本来なら二人の間には反発、敵意が有って良い、だがエルウィン・ヨーゼフはヴァレンシュタインを嫌っていない。むしろ何処かで頼りにしている。

「子供なりに色々と考えているようです。以前の様に癇癪を起す事も無くなりました」
私が答えるとヴァレンシュタインは無言で頷いた。この内乱で甥は変わった。いやもしかすると変わったのではなく苦しんでいるのかもしれない。オーディンのクーデター騒動でグリューネワルト伯爵夫人、リヒテンラーデ公、その他大勢が死んだ時、非常にショックを受けていた。

自分の知る人間が殺されたという事が幼児には衝撃だったようだ。通商破壊作戦で貴族達が死んだ事も影響しているだろう。子供らしさが消えているような気がする。何処か目の前の青年に似ていると思った。この青年も十代の前半で両親を殺されていた、衝撃だっただろう……。

「苦しんでいるのかもしれません」
妹も私の懸念を口に出した。口調には憐みが有ったがヴァレンシュタインは無言で頷いただけだった。やはり感情が見えない。兵達は彼をビスク・ドールと呼んでいる。上手い事を言うものだ。

「良い皇帝になると思われますか?」
思いがけない質問だった。エルウィン・ヨーゼフを皇帝として認めるという事だろうか? 彼を廃しエリザベート、ザビーネを女帝にするとは考えていないのだろうか? 妹を見たが彼女も驚いている。

「御息女を皇帝にしたいと御考えですか?」
「いいえ、そうは思いません。皇帝の地位が如何に危ういか、今では私も妹も良く分かっています。先帝陛下は寵愛していた伯爵夫人に殺されました」
「ですが夫達が如何思うか……、それに貴族達が……」
妹が溜息を吐いた。

「皇帝も貴族も平民も命は一つ、そして失えば死」
嘲笑、……ヴァレンシュタインの言葉には嘲笑が混じっていると感じた。妹は唇を噛み締めている。だが彼の言う通りだ。命は一つしかなく失えば死は平等に訪れる。今回の内乱で誰もがそれを肝に銘じただろう。身分がどうであれ所詮は人間に過ぎないと……。そして目の前の青年は今頃気付いたのかと嗤っている。

「御安心を、御二方には既にお話ししました。ブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家は帝国の藩屏としてゴールデンバウム王朝を支えていく、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はそのように御考えです」
思わず妹と顔を見合わせていた。私達だけではない、夫達も……。ホッとした。これ以上争わずに済む。そして思った、目の前の青年が説得したのだと。

「それに今回の内乱で貴族達はその多くが戦死しました。生き残った貴族も敗戦で力を失っています。ブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家が手を結べば反対は出来ません。不満を言う様なら潰せば良い」
気負いはない、平静な口調だがヒヤリとするものを感じた。

目の前にチップが置かれた。二つ、色は赤と青。置いたのはヴァレンシュタイン。訝しむ私達をヴァレンシュタインが穏やかに見ている。
「選んで下さい」
「……これは?」
私が問い掛けても無言だ。妹と視線を交わす、どちらを選ぶべきか? 赤? それとも青? いやそれよりもこれは何なのか……。私が青を、妹が赤を選んだ。

「これは?」
今度は妹が問い掛けた。
「設計図です」
「設計図?」
「そうです、侯爵夫人。この帝国の、いや新たな帝国の設計図」

設計図? 新たな帝国? 一体彼は何を言っている?
「ゴールデンバウム王朝の命数は尽きかけています」
「ヴァレンシュタイン! 無礼でしょう!」
妹が叱責したがヴァレンシュタインの表情は変わる事は無かった。

「大胆な改革を行えばその命数を延ばす事が出来ます。これまでは貴族達が反対して出来なかった。しかしこの内乱で貴族達は力を失った。今なら改革が出来ます。改革がいかに有効かはブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家が一番良く分かっている筈です」
「……」

その通りだ。この青年がブラウンシュバイク公爵家に来て六年、改革は直ぐに始まった。改革のために費用は発生したがそれ以上に領内の生産高は上がった、そして領民達の忠誠心も。リッテンハイム侯爵家も当家と同じように改革を行う事で領民達の支持を得た。ブラウンシュバイク公爵家の人間なら、リッテンハイム侯爵家の人間なら、改革の有効性を疑う者は居ない。

だが改革の内容は平民達の権利を抑えてきた帝国の方針とは全く相容れないものだった。ルドルフ大帝の血を引く一人として後ろめたさを感じないわけでは無い……。
「改革を帝国全土に広げろと?」
「そうです。フェザーンを征服し自由惑星同盟を征服して宇宙を統一する。この宇宙から戦争を無くす、そのためには改革が必要です」

「宇宙を、統一……」
声が掠れた。そんな事が出来ると?
「イゼルローン要塞は?」
「攻略は可能です、侯爵夫人。その中に全て入っている」
ヴァレンシュタインの言葉にチップを見た。この中に全てが? 信じられない、妹と顔を見合わせた。

「何故これを?」
「……」
「貴方が居れば必要無いでしょう? 私と妹に託す必要は無い」
「……生きて帰って来るという保証は有りません。だからそれを託します。そしてそれは二つ揃って意味が有る様にしてあります。宇宙を統一して帝国を繁栄させるには貴女方が協力するしかない」

「……つまり自分の死後、夫達が権力を求めて争った時はこれを使って止めろという事ですか?」
「そういう事です」
声の掠れが止まらない、帝国を私達に託す? もう一度チップを見た、この中にヴァレンシュタインから私達に託された帝国の未来が入っている。ヴァレンシュタインを見た。目の前の青年は平静を保っていた。自らの手で宇宙を統一したいと思わないのだろうか? 死を恐ろしいとは思わないのだろうか? 眩暈がしそうだった。

「陛下は戦場に連れて行きます」
「……」
「皇帝としてこの内乱の結末を見届けて貰う」
「ですがエルウィン・ヨーゼフは未だ……」
最後まで言葉を続けられなかった。ヴァレンシュタインが冷たい目で私を見ている。

「関係有りません、公爵夫人。陛下は銀河帝国第三十七代の皇帝なのです。その責務を果たして貰う」
「……」
「ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯も同意しておられます」
そういう事なのだと思った。夫達はエルウィン・ヨーゼフを皇帝として認めた。だから戦場に出す、皇帝としての責務を果たさせるために……。

そして皇位を諦めたのもそれが理由だろう。皇帝としての責務を娘達に果たさせるのを受け入れられなかったのだ。ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家は帝国の藩屏としてゴールデンバウム王朝を支えていく、そしてエルウィン・ヨーゼフは皇帝として帝国を統治する。目の前の青年がそれを決めたのだと思った。



 

 

第二十四話 ヴァルハラへ



帝国暦 489年  1月 15日   フレイア星域  ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  ヘルマン・フォン・リューネブルク



「フレイア星域か、ヴァルハラまでは後五日の航程だな」
フェルナー参謀長の言葉にヴァレンシュタインが頷いた。ヴァルハラまでは後五日、縁起の悪い言葉だ、後五日で死ぬような感じがする。チラっとヴァレンシュタインに視線を向けたがまるで表情は変わらない。多分何も感じていないのだろう、縁起が悪いなどと言ったら笑い出すかも知れん、一生俺をからかうに違いない。

ヴァレンシュタインが三十分後に作戦会議を開くと言った。フェルナー参謀長に分艦隊司令官の召集を命じると会議前に陛下の所に行くと言って立ち上がった。念のため俺が同行する事にした。内乱である以上敵は侵入しやすい、そして味方が敵になる事も有りうる。一人には出来ない。

エルウィン・ヨーゼフ二世は厳重に警備された一室に侍女と共に居た。ヴァレンシュタインの顔を見ると嬉しそうな笑みを浮かべた。妙な子供だ、誘拐犯に懐くとは……。
「もう直ぐヴァルハラ星域に着く。ローエングラム侯と決戦だ」
「……」
「大勢の人間が死ぬだろう。死者の数は五百万を超えるかもしれない。私も死を覚悟している」
エルウィン・ヨーゼフ二世の表情が悲しげに歪んだ。

「予の所為か。予が子供だからか?」
「正確には皆がお前を皇帝として認めていないからだ。お前は子供で弱く何も知らない、だから誰もお前を皇帝として認めない」
「……」
エルウィン・ヨーゼフ二世が悔しそうに唇を噛み締めた。

幼児にはむごい言葉だ。だが事実では有る。エルウィン・ヨーゼフ二世、エリザベート・フォンブラウンシュバイク、ザビーネ・フォン・リッテンハイム、誰が皇帝になっても内乱は起きたと思う。それだけの要因が帝国には揃ってしまった。

「止めたいか?」
エルウィン・ヨーゼフ二世が頷いた。
「戦闘が始まったらお前に時間を与えよう」
「……」
「その中で皆を説得する事だ。皆がお前の言葉に納得すれば戦争は終わる」
「……終わらなかったら?」
ヴァレンシュタインがエルウィン・ヨーゼフ二世をじっと見た。

「皆がお前の言葉を信じなかった、お前を皇帝として認めなかったという事だ。皇帝の地位に有りながら皇帝として認められない。惨めな一生を過ごす事になるな」
「どうすれば認めて貰える?」
「自分で考えろ」
エルウィン・ヨーゼフ二世が唇を噛み締めて俯いた。

「お前は皇帝なのだ。皇帝とはこの帝国の支配者にして最高権威者でもある。他人の言葉を借りるな、皇帝として自分で考えた言葉で話せ。そうでなければ誰もお前の言葉を信じない」
「……」
「期待しているぞ、エルウィン・ヨーゼフ。お前が皇帝として認められることを」

それだけを言ってヴァレンシュタインは部屋を後にした。ヴァレンシュタインはエルウィン・ヨーゼフ二世を皇帝として育てようとしている。戦いの前に皇帝を使ってローエングラム侯側に何らかの混乱を与えようとしているとも考えられるが明らかに育てようとしている。エルウィン・ヨーゼフ二世もそれが分かるからヴァレンシュタインに懐くのだろう。

妙な男だと思った。軍人でありながらその枠に収まり切らない。改革者としての顔も持つとは思っていたがエルウィン・ヨーゼフ二世への対応を見ている国家の重臣という評価が妥当だろう。内乱が終わればこの男が帝国を動かすのかもしれない……。見られるかな、それを……。

会議室にはフェルナー参謀長を始め参謀達は集まっていたが分艦隊司令官達の姿は無かった。会議開始までは未だ十分以上有る、こちらに向かっているのだろう。五分程で皆が集まった。シュムーデ中将、アーベントロート中将、アイゼナッハ中将、クルーゼンシュテルン少将、ルーディッゲ少将、シュターデン大将。定刻前だが全員が揃った、ヴァレンシュタインが会議を始めると宣言した。

「もう直ぐ決戦が始まります。我々の艦隊はローエングラム侯と直接対決する事になる」
ヴァレンシュタインの言葉に皆が頷いた。
「正直に言います、戦術能力で私はローエングラム侯に及ばない。正面から戦えば敗けるでしょう、必ず」
皆が顔を見合わせた。ヴァレンシュタインは嘘を吐かない、そして彼の言う事が外れる事も無い。

「兵力差で押し切ることは出来ませんか? こちらはローエングラム侯よりも一万隻程兵力が多いと思うのですが」
シュターデン大将の言葉に何人かが頷いた。だがヴァレンシュタインは同意しない、首を横に振った。
「難しいでしょうね、侯は天才です、引っ掻き回されて崩されると思います。正面からでは勝てません」

「ではどうします?」
俺が問うとヴァレンシュタインはちょっと唇を噛み締めるような表情を見せた。
「ローエングラム侯の持つ強みはその優れた戦術能力です、帝国随一かな。こちらが勝つためには侯が戦術能力を発揮出来ない状況を作り出すしかありません」
皆が顔を見合わせた。何を言っているのか分からないのだろう。もしかするとエルウィン・ヨーゼフ二世の説得が絡んでいるのだろうか?

「つまり混戦状態を作り出します」
“混戦”、“それは”、“しかし”等と声が上がった。皆が驚いている。
「誰も自ら艦隊の指揮統制を放棄するとは思わないでしょう。不意を突いて混戦に持ち込みます。混戦状態になれば艦隊指揮は出来なくなるのですからローエングラム侯の最大の武器を潰せます。後は単艦戦闘、消耗戦です。兵力はこちらが一万隻多い、勝てるでしょう」
「……」

皆声が出ない。いずれも自分の能力には自信を持っている男達だ。ヴァレンシュタインはその男達に勝つために能力を、プライドを捨てろと言っている。しかし勝つためとはいえ艦隊の指揮を放棄するとは……。思わず首を横に振った、途方もない事を考える男だ。

「しかし、それでは損害が……」
アーベントロート中将が口籠った。言いたかった言葉は分かる。消耗戦になれば損害が馬鹿にならない、そういう事だろう。だがヴァレンシュタインは表情を変えることなく言葉を続けた。

「混戦状態になった時点で接舷攻撃を行い戦艦を二隻奪取します」
「……」
「その戦艦を使いブリュンヒルトに近付き接舷攻撃をかける、そして内部を制圧する」
ざわめきが起きた。皆が俺とオフレッサーを見ている。接舷攻撃、つまり主役は陸戦隊、俺とオフレッサーか。二隻と言うのはそれぞれ一隻ずつ、どちらか一方が辿り着けば良いという事だな。オフレッサーが静かに興奮を見せていた。死に場所を得た、そう思っているのかもしれない。俺も少し興奮している。

「二隻では少なくありませんか?」
「あまり多いと怪しまれますよ、シュムーデ中将。二隻はローエングラム侯を守るためと言ってブリュンヒルトに近付く。混戦状態ですからおかしな事では有りません。そして隙を見て接舷攻撃をかける。上手く行けば早い時点で決着が着くでしょう」

会議終了後、艦橋に戻ってから何故エルウィン・ヨーゼフ二世の事を話さなかったのか訊いた。オフレッサー、フェルナー少将が訝しげな表情をしたので説明すると二人とも頷いている。それを見てヴァレンシュタインが微かに苦笑を浮かべた。

「戦う前から戦わずに済むかもしれないとは言えません。上手く行かない可能性も有るんです。皆に弛んで欲しくは有りません。そういう事が許される相手ではない」
「……」
「最悪の場合は延々と潰し合いが続きますよ、地獄です」
もう苦笑は無かった。憂鬱そうな表情だけが有った。



帝国暦 489年  1月 18日     ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



エーリッヒの私室に四人の男が集まった。エーリッヒ、俺、リューネブルク中将、オフレッサー上級大将。決戦前に少し飲みたいとエーリッヒに誘われた。そしてリューネブルク中将、オフレッサー上級大将がそれに合流した。エーリッヒはフルーツワイン、他の三人はウィスキーの水割りを飲んでいる。

「ヴァレンシュタイン、感謝しているぞ。卿は最高の舞台を用意してくれた」
オフレッサーの言葉にエーリッヒが首を横に振った。
「喜ぶのはまだ早いでしょう。エルウィン・ヨーゼフの説得が上手く行けば戦わずに勝てる。それに失敗しても接舷攻撃が上手く行くとは限らない、乱戦ですからね、味方に撃沈される可能性も有る」

「それでもだ、俺は卿に感謝している。卿は如何思うのだ、リューネブルク」
「そうですね、これだけ華々しい舞台は無いでしょう。感謝しています」
陸戦隊の二人は上機嫌だ。戦死する確率は誰よりも高いのだがな、困ったものだ。エーリッヒも困ったような顔をしている。話を変えた方が良いか……。

「ようやくここまで来たな、正直貴族連合軍が勝てるとは思わなかった」
俺の言葉にエーリッヒを含め皆が頷いた。
「卿の御蔭だ、感謝している」
エーリッヒが苦笑を浮かべて“運が良かった”と言った。そうじゃない、運も有るかもしれないがそれだけでは勝てなかった。

「本当に勝てる可能性は二パーセントだったのか?」
前から疑問に思っていた。リューネブルク中将、オフレッサーも興味津々といった表情だ。エーリッヒの苦笑がさらに大きくなった。
「正面から戦えばね。二パーセントでも多いくらいだ」
「なるほど、正面から戦ってはいないな」
俺が冷やかすとリューネブルク中将、オフレッサーが噴き出した。

「内乱だから出来た事だ。そうでなければ負けていたよ。ローエングラム侯と正面から戦わない、ローエングラム侯を孤立させる、それしか勝つ方法は無かった」
「……」
「皆が彼の持つ華やかさ、眩さに目と心を奪われた。そうである限りローエングラム侯は孤立しない。勝利の鍵は如何にして彼の持つ華やかさ、眩さを奪うかだった。あまり楽しい作業じゃなかったな」
「……」
ぼやく様な口調だった。

「最後の戦いも華やかさ、眩さとは無縁だろう。二つの艦隊でフリカデレを作るような戦いになる。頭の天辺から爪先まで泥塗れ、いや血塗れになるような戦いだ。ローエングラム侯にとっては不本意な戦いになるだろう」
エーリッヒがワインを一口飲んだ。表情が渋いのはワインの味の所為ではあるまい、大分鬱屈している。

「後悔しているのか?」
エーリッヒが“まさか”と言って肩を竦めた。
「私はローエングラム侯とは違う、戦争に美しさや完璧さを求めたりはしない。戦争は芸術じゃないんだ、どれほど無様であろうと勝てば良い。そして多分、私は勝てるだろう。スクルドは耐久性に優れている、単艦戦闘は望むところだ……」
また一口ワインを飲んだ。

「能力じゃない、兵力の多さで勝つ。凡人が天才に勝つ、極めて希な例だ。士官学校の教材にしてもおかしくない。どんなに出来が悪くても諦めるなと生徒に希望を持たせる事が出来る」
余りの言い草に皆が失笑した。エーリッヒも笑っている。オフレッサーが“酷い話だ”と言うと更に笑い声が大きくなった。

「内乱が終わったら如何するんだ?」
「そうだな、……ブラウンシュバイク公爵家から去るよ。借りは返したからね」
「そうか……」
「何かと世話になった。アントン、卿には感謝している」
「いや、感謝するのは俺の方だ」
「軍も退役して民間に戻るつもりだ」
驚いてエーリッヒを見た。リューネブルク中将、オフレッサーも驚いている。視線を受けてエーリッヒがちょっと困ったような表情を見せた。

「ヴァレンシュタイン、卿の才能はこれからの帝国に必要だろう」
「もう関わりたくないんです、軍にも政治にも。今回の内乱で嫌になりました」
「……少し疲れたのではありませんか」
リューネブルク中将の言葉にエーリッヒは首を横に振った。
「違います、自分が嫌になったんです。人間、勝つ事ばかり考えると際限なく卑しくなるというのは本当だと実感しましたよ、もう沢山です」
しみじみとした口調だった。

リューネブルク中将、オフレッサーが痛ましそうな眼でエーリッヒを見ていた。エーリッヒは疲れている、その事を憐れんでいるのだろう。そしてブラウンシュバイク公達がエーリッヒを放すとも思えない、その事も憐れんでいるに違いない。エーリッヒも心の何処かでは無理だと思っているだろう。

「……それで、民間に戻って如何するのだ?」
オフレッサーが問い掛けるとエーリッヒはちょっとはにかむ様な表情を見せた。
「本を一冊書こうと思っています」
本? 弁護士じゃないのか?

「今回の内乱を単なる権力争いという位置付けで終わらせたくないんです。この内乱が起きた一因にはこれまで抑圧されてきた平民、下級貴族の怒りが有ったと思います。ラインハルト・フォン・ローエングラムはその怒りの体現者だった。彼はその抑圧を解消しようとしたのだと思います。ローエングラム侯の登場は偶然じゃない、必然だったんです。彼が現れなくても他の誰かが同じ事をしたでしょう」
「……」

オフレッサー、リューネブルク中将が頷いている。二人ともローエングラム侯とは敵対した。しかし同じ怒りは有るだろう、ブラウンシュバイク公爵家に仕えたとはいえ俺にも無いとは言えない。そしてエーリッヒ、彼も両親を殺された。その抑圧の犠牲者だった。エーリッヒがローエングラム侯と戦う事を不本意と思ったのもそれが有るからだろう。

「この内乱が終ればローエングラム侯は反逆者として排斥されます。まともな評価などされる事は無いでしょう。だから自分がその辺りを記しておきたいと思います」
「その本が出版されたら是非読みたいものだ」
オフレッサーの言葉にリューネブルク中将が“読むのですか? 本当に?”と冷やかしオフレッサーが“馬鹿にするな”と抗議した。エーリッヒが笑う、俺が笑う、そしてリューネブルク中将とオフレッサーも笑った。その本が出版されれば名著として評価されるだろう、出版されればだが……。



 

 

第二十五話 覇者の矜持



帝国暦 489年  1月 21日   ヴァルハラ星域  ヴァレンシュタイン艦隊旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



正面のスクリーンに敵が映っていた。戦術コンピュータがモニターに擬似戦場モデルを映し出している。艦橋は静かだ、だが息苦しいほどに空気は硬い。誰もが表情を強張らせている。いつも冷静なエーリッヒも幾分緊張しているように見えた。

互いに三個艦隊が正面から向き合う形で進んでいる。ブラウンシュバイク公達の艦隊は我々の後方で待機だ。カストロプ方面に偵察部隊を送りケスラー提督達が本当にローエングラム侯から離脱したのかを確認している。確認が済めば戦闘に参加するだろう。だがそれにはかなりの時間がかかる筈だ。最低でも四日はかかるだろう。

艦橋にはエルウィン・ヨーゼフ二世も居る。誰よりも緊張しているのが彼だ。喉が渇くらしい、さっきから何度も水を飲んでいる。
「反乱軍との距離、三百五十光秒」
三百五十光秒……、相手はだんだん近づいて来る。艦内に流れたオペレーターの声は何処か上擦っていた。

「広域通信の準備を、良いな?」
エーリッヒの言葉は前半はオペレーターへの指示、後半はエルウィン・ヨーゼフ二世への確認だった。エルウィン・ヨーゼフ二世がぎこちなく頷く。非人間的な操り人形のような動きだ、こんな時だが吹き出しそうになるのを堪えた。

オペレーターが準備が出来たと報告してきた。エルウィン・ヨーゼフ二世がエーリッヒに視線を向ける、エーリッヒは頷くと“落ち着け、深呼吸をしろ”と言った。エルウィン・ヨーゼフ二世は頷くと大きく深呼吸を二度、三度とした。そして艦橋の中央に立つ。

説得が上手く行けば戦争は回避出来るだろう。エルウィン・ヨーゼフ二世がローエングラム侯達を説得する事はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、メルカッツ総司令官、そして各艦隊司令官も知っている。賭けなのだ、上手く行けばエルウィン・ヨーゼフ二世は皇帝として皆から認められる事になる。だが失敗すれば……、皇帝か……、皇帝も楽ではないな。

「皆、聞いて欲しい。予はエルウィン・ヨーゼフ二世だ。予は皆に謝る。予が幼く何も知らないから、皇帝として頼りないから、皆が争う事になった。そして大勢の人間が死んだ。予の所為だ、本当に済まぬと思う。予は皆に約束する、エルウィン・ヨーゼフ二世は良い皇帝になると約束する。だからこれ以上争う事を止めるのだ。予は誰も責めない、誰も罰しない。なぜなら罪は予一人に有るからだ。だから……、だから……」
声が詰まった。眼を真っ赤にして涙ぐんでいる。艦橋の皆も痛ましそうな表情をした。

「泣くな! 皇帝が泣いて如何する! 同情されて如何する! 皆の敬意を勝ち取れ! お前は皇帝なのだ!」
エーリッヒが叱咤した。エルウィン・ヨーゼフ二世を厳しい眼で睨んでいる。厳しいな、だが正しい言葉だ。皇帝は人を纏めなければならない、そのためには敬意を持たれなければならない、そうでなければ皇帝の権威は地に落ちてしまう。フリードリヒ四世が弱い皇帝だったのも敬意を勝ち取れなかったからだ。彼が強い皇帝なら貴族達も増長しなかった、内乱も起きなかった……。エルウィン・ヨーゼフ二世が涙を拭った。

「これ以上争うのは止めるのだ」
「……」
「予は皆を信じている、戦うのは止めると信じている。だから皆も予を信じるのだ。誰も責めない、誰も罰しない。予はエルウィン・ヨーゼフ二世である、皇帝として約束する」
エーリッヒが皇帝の傍に寄った。

「聞いての通り陛下はこれ以上帝国の混乱を望んではおられない、死者の増大を望んではおられない。ローエングラム侯、ロイエンタール提督、ビッテンフェルト提督、陛下の御言葉を無にするような事はなされるな。内乱の終結こそが陛下の御意志である。艦隊の進撃を止められよ」
そして自らの艦隊、クレメンツ艦隊、ファーレンハイト艦隊にも進撃を止めるように命じた。

艦橋の空気が強張った、皆顔を引き攣らせている。射程内までそれほど距離は無い、向こうがエルウィン・ヨーゼフ二世の言葉を無視すれば急進してこちらに大きな損害を与えるだろう。クレメンツ艦隊、ファーレンハイト艦隊の進撃が止まったとオペレーターから報告が有った。如何する、ローエングラム侯、止まるのか? それとも……。
「敵艦隊、進撃を止めました!」

オペレーターの声が上がると彼方此方から安堵と歓声が上がった。皆がチラチラとエルウィン・ヨーゼフ二世を好意的な表情で見ている。皇帝として認められたと言えるのだろうか、まあ第一歩では有るな。
「良くやったな」
エーリッヒが声をかけるとエルウィン・ヨーゼフ二世が泣き出しそうな表情で頷いた。

「戦闘は防げたがまだ内乱は終結したとはいえない、もう一仕事有ります。陛下には皇帝としてこの内乱の結末を見届けて貰わなければなりません」
エルウィン・ヨーゼフ二世が頷いた。“陛下”か、エーリッヒも敬意を表しているのかな、ちょっと可笑しかった。

「アントン、私と陛下、それにオフレッサー閣下とリューネブルク中将はブリュンヒルトへ行く。ローエングラム侯に伝えてくれ。それとロイエンタール提督、ビッテンフェルト提督にもブリュンヒルトへ集まるようにと」
皆が驚いた、顔を見合わせている。

「大丈夫か? こっちに呼んだ方が良いんじゃないか?」
彼らが心変わりをすれば危険だ。だがエーリッヒは首を横に振った。
「これから帝国は一つになる。そのためには彼らを露骨に敗者として扱うのは得策じゃない。我々に敗れたのではなく陛下に従った、そういう形を取らなければ……」
皆の視線がエルウィン・ヨーゼフ二世に向いた。エルウィン・ヨーゼフ二世は緊張している。

「それは分かるが……」
俺が渋るとエーリッヒが軽く笑い声を上げた。
「大丈夫だよ、アントン。彼らは停戦に応じた、皇帝の権威を認めたんだ。今更馬鹿な真似はしない。それよりも皇帝が自ら赴いて彼らを受け入れる、その事に意味が有る。ケスラー提督達も安心してこちらに戻ってくるだろう」
「なるほど、皇帝の権威か……」
敗北ではない、皇帝の権威に従う。帝国人なら当然の事だ。葛藤は少ないだろう。

「帝国には反乱軍という敵が有りイゼルローン要塞は反乱軍の手中に有る。帝国内でこれ以上争っているような余裕は無いんだ。帝国には彼らが必要だ、その事を忘れてはいけない」
もうエーリッヒは笑っていない。厳しい目でエルウィン・ヨーゼフ二世を見ている。皇帝が緊張しながら頷いた。
「分かった。準備をしよう。ブラウンシュバイク公達にも説明しておく」
「私はちょっと部屋に戻る。準備が出来たら教えてくれ」



帝国暦 489年  1月 21日   ヴァルハラ星域  帝国軍総旗艦 ブリュンヒルト  ヘルマン・フォン・リューネブルク



ブリュンヒルトの艦内に入るとウォルフガング・ミッターマイヤー大将が数人の部下と共に出迎えてくれた。総司令部に詰めていたのだな。危なかった、もう少し後なら艦隊を率いていたかもしれない。互いに礼を交わすとヴァレンシュタインがミッターマイヤー大将に話しかけた。

「御身体の具合は宜しいのですか?」
「ええ、問題は有りません」
「そうですか、ナイトハルトから聞いていましたが御本人から聞くとやはり安心しますね、本当に良かった」

丁重な言葉だ。敗者に対する言葉ではない、尊敬する年長者に対する言葉だった。ミッターマイヤー大将が困ったような表情で“御心配をおかけしました”と言った。ヴァレンシュタインもちょっと困ったような表情をしている。お互い、妙な会話だと思ったのだろう。

ヴァレンシュタインが陛下にミッターマイヤー大将を紹介した。大将が臣下の礼をとるとエルウィン・ヨーゼフ二世が“予を信じてくれて嬉しい”と言った。ミッターマイヤー大将が更に一段頭を下げる。
「陛下の御寛恕を戴き心より御礼申し上げます。願わくばローエングラム侯にもその御寛恕を……」
「ミッターマイヤー大将、予は誰も責めぬ。予を信じよ」
「はっ」
ミッターマイヤー大将がチラッとヴァレンシュタインを、俺とオフレッサーを見た。なるほど、言質を取ったか。

「艦橋の様子を広域通信で流して頂きたいのですが」
「広域通信ですか」
「後々誤解が生じないようにしておきたいのです。映像を流した方が皆も安心するでしょう」
「なるほど。分かりました、そのようにしましょう」
ミッターマイヤー大将が頷くと部下に広域通信の準備をするようにと指示を出した。部下が速足で艦橋に向かった。

ミッターマイヤー大将の先導で艦橋に向かう。会話は殆ど無い、少し空気が重いが艦内におかしなところは感じられない。兵達もこの状況に不満はもっていない様だ。後は馬鹿な跳ね上がりを注意するだけだろう。大丈夫だ、こちらは先頭がヴァレンシュタイン、オフレッサー、陛下、俺、そして同行した部下十人の順で続く。十人は選りすぐりの部下だ、滅多な事で遅れは取らない。

艦橋に入ると一人を除いて全員が臣下の礼を取った。エルウィン・ヨーゼフ二世が顔を上げるように命じ皆がそれに従う。
「ロイエンタール提督、ビッテンフェルト提督。これ以後は帝国軍人として陛下を支えていただきたい」
ヴァレンシュタインが声をかけると二人が軽く頭を下げた。

「それとお二人に、そしてケスラー提督達にお詫びします。戦いたくても戦えない状況にした。屈辱でしょう、しかしそうしなければこちらは勝てなかった。早期に内乱を終わらせる事は出来なかった。許していただきたい」
ヴァレンシュタインが深々と頭を下げた。皆が驚く、そしてヴァレンシュタインが頭を上げた。

「ローエングラム侯は陛下には従えませんか?」
ヴァレンシュタインの問いにローエングラム侯が口元を歪めた。
「折角の厚意だが、断る」
「侯!」
「閣下!」
「何を!」
ローエングラム侯の言葉にミッターマイヤー、ロイエンタール、ビッテンフェルトの声が上がった。艦橋がざわめいている。

「ローエングラム侯は予を信じぬのか?」
「……」
哀しげなエルウィン・ヨーゼフ二世の問いにローエングラム侯は無言だった。無礼と言えばこれ以上の無礼は有るまい。オフレッサーが“死ぬ気だな”と呟いた。同感だ、まあ想像出来ない事でも無かった。

「ローエングラム侯……」
「無駄ですよ、陛下」
「ヴァレンシュタイン……」
エルウィン・ヨーゼフ二世がヴァレンシュタインに視線を向けた。ヴァレンシュタインは皇帝を穏やかな表情で見ている。

「ローエングラム侯は陛下を信じていないのでは有りません。陛下の御寛恕を受ける意思が無いのです」
「……」
「何故ならローエングラム侯は覇者にして覇道を歩む者だから。覇者は頭を下げる事も跪く事も無い。寛恕など受け入れるわけがない。そうではありませんか、ローエングラム侯」
ローエングラム侯が微かに笑みを浮かべた。その通りだ、とでも言うように。覇者か、確かにそうかもしれない。ならば寛恕等受けるわけは無い。

エルウィン・ヨーゼフ二世が俺を、オフレッサーを見た。ヴァレンシュタインの言った事の意味を理解したとも思えない。だがローエングラム侯が自分に従わない事は分かったのだろう。縋る様な視線だが俺に出来る事は無い、唯一出来る事は視線を逸らさずに受け止める事だけだ。エルウィン・ヨーゼフ二世の顔に絶望が浮かぶ。ヴァレンシュタインが歩き出した、ローエングラム侯に近付く。艦橋の空気が強張った。

「ジークフリード・キルヒアイスは死んだ、グリューネワルト伯爵夫人も死んだ。直接手を下したわけでは無いが私が殺した、そういうふうに仕向けた」
ローエングラム侯がヴァレンシュタインを睨んだ。ヴァレンシュタインが更に近付く。

「そしてローエングラム侯が銀河帝国皇帝になるという夢も潰した。侯の大切なものを全て私が無にした」
「貴様……」
低い声だった。憎悪が滲み出ている。声だけではない、顔にも憎悪が出ている。ヴァレンシュタインが止まった、距離は五メートル程か。こちらの表情は少しも変わらない、穏やかなままだ。

「簒奪か、新しい王朝を創る。美しい夢だ、いや夢だから美しいのかもしれない」
「……」
「六年、いやもう七年前になるか。初めて侯を見た時に分かった。最終的には他人の下風に立つ男ではないと。そしてブラウンシュバイク公爵家に仕えた時、何時かブラウンシュバイク公爵家は侯と戦う事になると思った。だから勝つために準備した」 
声も穏やかだ、何かを懐かしんでいる様な響きが有った。

声は穏やかだが誰も動かなかった、皆固まっている。当然だろう、七年前にこの内乱を予想したなど誰も信じられないに違いない。だが共に戦った自分には分かる、ヴァレンシュタインは間違いなくこの内乱を想定して準備していた。その事はクレメンツ、ファーレンハイトも分かっていた。

ローエングラム侯はじっとヴァレンシュタインを見ている。そしてヴァレンシュタインは淡々と言葉を紡ぐ。
「歴史家はこの内乱を門閥貴族とリヒテンラーデ公、ローエングラム侯の間で行われた権力争いと記すかもしれない。だがそれは真実ではない、この戦いは私と侯の戦いだ」
「……」

「もしかすると自裁したかと思っていたが……、生きていたならば仕方が無い。決着を付けようか、ラインハルト・フォン・ローエングラム」
「私と卿でか?」
ローエングラム侯が問いヴァレンシュタインが頷いた。
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、一対一での戦いを所望する」
そう言うとゆっくりと上着を脱いだ。








 

 

最終話 ワルキューレの審判



帝国暦 489年  1月 21日   ヴァルハラ星域  帝国軍総旗艦 ブリュンヒルト  ヘルマン・フォン・リューネブルク



軍服を脱ぎ捨てた。腰の左右に何かが付いている、ナイフケースのようだ。ヴァレンシュタインが片方のナイフケースをベルトから外しローエングラム侯に下手投げで放った。ケースが侯の足元に鈍い音を立てて転がると侯が腰をかがめて拾い中から諸刃の短剣を取り出した。短剣をじっくりと眺める、そしてケースを無造作に捨てた。

「ドルヒか、随分と古風だな」
「ブラスターでは一瞬で終わってしまう、味気ない」
「なるほど、楽しめそうだ。卿の顔を見るまでは死ねないと思っていたが……。殺す機会を用意して貰えるとは……。礼を言うぞ、ヴァレンシュタイン」
ローエングラム侯が笑いながら鞘を捨てた。ドルヒの刃が鈍く光る。
「それには及ばない、本当は射撃に自信が無いからドルヒを選んだ」
ローエングラム侯の笑い声が更に大きくなった。ヴァレンシュタインも笑みを浮かべている。

「お二人とも何を考えておられる。馬鹿な真似は止められよ、ローエングラム侯! ヴァレンシュタイン提督!」
ミッターマイヤー大将が窘めたが二人とも何の反応もしなかった。無駄だ、もう止められない。オフレッサーが大きく息を吐いた、この男も俺も二人を止めない。何故ならヴァレンシュタインの言う通りこの内乱は二人の戦いだったからだ。二人にとってこれはけじめなのだ。

オペレーターが躊躇いがちに幾つか通信が入ってきていると報告してきた。オペレーターはヴァレンシュタインを見ている。おそらくはフェルナー少将、クレメンツ、ファーレンハイト提督だろう。ブラウンシュバイク公も居るかもしれない。ヴァレンシュタインが首を横に振った。

「オペレーター、通信を繋いで……」
「無用だ、その必要は無い」
「しかし」
「ロイエンタール提督、ビッテンフェルト提督、余計な事はしないで貰おう。卿らはローエングラム侯を宇宙の晒し者にしたいのか?」
「……」
「ここで殺してやるのがせめてもの情けだろう」
宇宙の晒し者か、確かにその通りだ。殺してやるのが情けというのも事実……。二人の提督も、そしてミッターマイヤー大将も口を閉じた。

「殺せるのか、卿に私が」
ヴァレンシュタインとローエングラム侯が見詰め合った。
「……私に殺されるか、私を殺すか、どちらでも良い。侯が無様に引き立てられる姿を見ずに済む」
思いがけない言葉だったのだろう、ローエングラム侯が“卿”と呟いた。そしてロイエンタール提督達は顔を見合わせている。やはりそうか、憎しみから殺すのではない。ヴァレンシュタインの心に有るのはローエングラム侯への想いと憐れみだろう。或いは償いか。

「……私が勝った場合は如何する?」
「自分でケリをつければ良い。私を殺せばもうこの世に思い残す事は有るまい、違うかな?」
ローエングラム侯が微かに苦笑を浮かべた。侯の眼には先程まで有った憎しみの色は無かった。穏やかな眼をしている。

「そうだな。……ヤン・ウェンリーと決着を付けたいと思ったが……」
「残念だが侯ではあの男には勝てない。私が保証する」
にべもない言葉だ、侯の苦笑が大きくなった。
「そうか、では心置きなく卿と戦う事が出来るな」
ローエングラム侯が片手にドルヒを持ったまま器用に上着を脱いだ。白のマントと黒の上着が床に落ちた、金の肩章が煌めく。白と黒と金、不思議なほど華やかに見えた。

「ヴァレンシュタイン」
エルウィン・ヨーゼフ二世が声をかけるとヴァレンシュタインが少し困ったような表情を見せた。
「予が頼んでも戦うのを止めぬのか?」
ヴァレンシュタインが一礼した。
「陛下の御働きで戦闘は回避されました。その事には感謝します。ですが内乱が終ったわけでは有りません。内乱は我らの戦いをもって終結するでしょう。この上は皇帝として結末を見届けて頂きたいと思います」
「……」

エルウィン・ヨーゼフ二世が俺を見た。止めて欲しい、眼が訴えている。
「陛下、止める事は出来ません。あの二人にとっては未だ内乱は終わっていないのです。そしてローエングラム侯の名誉を守るにはこれしかありません」
「……予は無力だな」
寂しそうな声だった。胸を衝かれた。
「だからこそ見届けなければなりません。それが陛下に出来る唯一の事です。ここから逃げる事は許されません」
無力さを噛み締める事が強さへの第一歩になる。ここから逃げたらエルウィン・ヨーゼフ二世は弱いままだ。それが分かったのだろう、エルウィン・ヨーゼフ二世が頷いた。

“ヴァレンシュタイン”とオフレッサーが声をかけた。
「ブラウンシュバイク公、フェルナー少将達に伝える事は有るか?」
遺言か。
「御好意には感謝しますが自分の口で伝えます」
ほう、勝つと言うか。オフレッサーがニヤリと笑った。
「……その言葉、確と聞いた。待っているぞ、戻って来る事を」
ヴァレンシュタインが腰のナイフケースからドルヒを抜き逆手に構えた。ローエングラム侯も構えた。構えは順手だ。

「ヴァレンシュタインが逆手でローエングラム侯が順手か、受けと攻め、二人の性格が出ているな」
「そうですな、閣下なら如何します?」
「俺は順手だ。卿は?」
「小官は逆手を」
「なるほど」
オフレッサーが妙な眼で俺を見た。なるほど、俺を計ったか。どうやら考える事は同じらしい。この戦いを通して互いを計ろうとしている。何時かは戦うかもしれないという事だな、ヴァレンシュタインが居なくなればその可能性は高まる……。

二人がゆっくりと距離を詰めた。俺から見るとヴァレンシュタインは左、ローエングラム侯は右に位置している。四メートル、三メートル半、三メートル、ヴァレンシュタインが僅かに腰を落とすとローエングラム侯も腰を落とした。艦橋の空気が痛い程に硬くなった。ヴァレンシュタインは顔の前に右手を置いている。ローエングラム侯も同様だが右手の位置は僅かにヴァレンシュタインより前方だろう。順手と逆手の差だ。左手は二人とも心臓を守る位置に構えている。

「刃渡りは十センチといったところか、短いな、かなりの接近戦になる」
「……切り結ぶというのは難しいでしょう。間合いの取り方の勝負になります」
「そうだな、ローエングラム侯の方が背が高い、となると……」
「多少ですが間合いは侯の方が長い。おそらくは三センチから四センチ、五センチには届かないと思います」
オフレッサーが腕組みをして“うむ”と頷いた。エルウィン・ヨーゼフ二世はじっとヴァレンシュタインを見ている。

「だが構えの差が有るぞ。その分を入れれば……」
「ええ」
ローエングラム侯は前に刃を出す事が出来るがヴァレンシュタインには出来ない。刃渡りの分だけローエングラム侯が有利だ。腕の長さもいれれば十三センチから十四センチ……。
「足長の半分だな。ヴァレンシュタインが踏み込めるかどうか、それが勝負を分けるだろう」

足長の半分か。ほんの僅かな距離では有る。だが近接格闘ではその僅かな距離が生死を分ける。詰めるか、詰められるか……。訓練では詰められるだろう、だが白刃を前に詰められるのか。訓練では強くても実戦では弱いという人間は少なからずいる。ヴァレンシュタインは詰められるのか、ローエングラム侯は……。二人とも近接格闘の経験が多いとは思えない、果たして……。

距離が縮まった、二メートル半。ローエングラム侯が右手を軽く上下前後に動かし始めた。相手への威嚇、そしてリズムを取る事で動きを軽くしようとしているのだろう。だが右手に気を取られるのは危険だ。近接格闘では左手、足、膝、肘、肩、頭、身体の全てが武器になる。肩で相手を押し崩すだけで勝機が生まれるのだ。

ヴァレンシュタインは近付くのを止めた。腰を落としじっとローエングラム侯を見ている。構えは逆手のまま、そして踵が僅かに浮いているのが分かった。良い姿勢だ、前後左右、相手の動きにいつでも反応出来るだろう。踵が地に着いていては反応出来ない。基本は出来ている様だ。

じりじりとローエングラム侯が近づく。距離二メートル、未だだ。未だ踏み込んでもドルヒの刃は届かない。最低でもあと五十センチは距離を詰めなければならない。詰めればヴァレンシュタインを間合いに捉えることが出来る。飛び込んで一撃、可能だがその時はヴァレンシュタインの間合いに入る事にもなる。

ダン! とローエングラム侯が床を音を立てて踏んだ。脅し、あるいは誘い、フェイントか。ヴァレンシュタインの身体が微かに動いたように見えたが……。
「小細工をするな」
「しかし身体が僅かに動きました。ローエングラム侯が如何見たか」
「うむ。二人とも思案のしどころだ」

上手く行けばヴァレンシュタインを動かす事で攻撃しようとしたのだろう。だがヴァレンシュタインは僅かに動くだけで踏み止まった。問題はその動きをローエングラム侯が如何見たか、そしてヴァレンシュタインは動いてしまった事を如何思っているかだ。二人とも次の動きを必死に考えているだろう。

ローエングラム侯がまた距離を詰めた。艦橋の空気が更に硬くなった。間合いに入った、そう思ったのだろう。突然艦橋のドアが開いた、慌ただしい物音を立てて三人の軍人が入って来た。
「エーリッヒ!」
「ヴァレンシュタイン!」

一瞬注意が逸れた。無声の気合いが迸った! 気が付けば二人が接触する程に接近している、そして離れた。ローエングラム侯が逃げる、ヴァレンシュタインが追う、“ちぃぃー”と苛立つような声を上げて更にローエングラム侯が逃げた。もう届かない、二人が距離を取って対峙した。艦橋の空気が緩み彼方此方で息を吐く音が聞こえた。オフレッサーも唸り声を上げている。

「見たか?」
「いえ、あの三人に気を取られました」
艦橋にはクレメンツ提督、ファーレンハイト提督、フェルナー少将の三人が居た。
「……そうか」
「見たのですか?」
オフレッサーが頷いて話し始めた。不覚を取ったか……。

フェルナー少将達が艦橋に入って来るのと同時にローエングラム侯が動いた。おそらくヴァレンシュタインの注意が一瞬だが逸れたのだろう、その隙を突いたのだ。右から薙ぐ様に腕を動かしたらしい。狙いはヴァレンシュタインの左側の頸動脈、喉。ヴァレンシュタインはドルヒでそれを防ごうとした。

しかしローエングラム侯の動きはフェイントだった。侯は薙ぐと見せかけて腕を戻し突きに変えた。当初狙った頸動脈とは反対側の頸動脈を狙う、決まれば瞬時に勝負は付いただろう。だがヴァレンシュタインは僅かに斜め左に身体をずらすと左手でローエングラム侯の右上腕を押さえた。そして右手のドルヒでローエングラム侯を攻撃しようとした。

俺が見たのはそこからだ。ローエングラム侯は攻撃を避けるために後ろに跳ぼうとしたがヴァレンシュタインが腕を掴んだため十分に距離を取れなかった。声を上げたのはこの時だ。ヴァレンシュタインが距離を詰める、ローエングラム侯が右腕を押さえるヴァレンシュタインの左手を振り払うようにして斜め後方に跳んだ……。

フェルナー少将達がヴァレンシュタインに馬鹿な事は止めろと言っている。無視するかと思ったがヴァレンシュタインは楽しみを奪うなと言った。笑みを浮かべながらだ。三人が絶句している。
「楽しいな、ローエングラム侯」
「ああ、楽しい。なかなかやるな、ヴァレンシュタイン」
「喜んで貰えて幸いだ。練習した甲斐が有った。続けようか」
二人がまた腰を下ろし艦橋に緊張が戻った。練習か、一人自室でドルヒを振るったか。止める等論外だ、あの三人も分かっただろう……。

「狙いは良かった。フェイントでヴァレンシュタインの右腕は完全に左に振られていた。単純に頸動脈を狙うのではなく右上腕部を切り裂きつつ頸動脈を断とうとしたようだ。或いは偶然腕を切ったか……」
なるほど、ヴァレンシュタインの右上腕はワイシャツが切り裂かれている様だ。先程の攻防で切られたか。もっとも血痕は見えないから傷は無いか有っても掠り傷だろう。偶然かもしれんな。

「だが躱された、間一髪だった。腕を切られた痛みから自然と身体が左にずれたのかもしれん。だとすればあとほんの数ミリ刃がずれていれば勝負は決まった可能性も有る、惜しい事だ」
それが事実なら血も出ない様な掠り傷がヴァレンシュタインを助けた事になる。
「……運が無いと思いますか」
「さて……」
オフレッサーが俺を見たが直ぐ視線を二人に戻した。

「ローエングラム侯はそのまま腕を戻しながら頸動脈を薙ごうとしたのだがヴァレンシュタインが侯の上腕を押さえるのが僅かに早かった。左にずれたのが良かったな。そうでなければそこで勝負はついていたはずだ。だがヴァレンシュタインが侯の腕を押さえた事でローエングラム侯の右腕が死んだ」
「……」

「惜しかった。あそこは腕を押さえるのではなく後方へ押し上げるべきだった。そうすればローエングラム侯はバランスを崩した筈だ、そのまま足を掛ければ倒す事も出来た、勝負はそこで付いただろう。ヴァレンシュタインの方が背は低い、押し上げるのはそれほど難しくなかったはずだが……」

「侯が逃げるのが早かったという可能性は?」
オフレッサーが僅かに眉を顰めた。
「……かもしれんな。しかし俺には押さえただけのように見えた」
背が低いというのも欠点とは一概に言えない。場合によっては利点になる。ローエングラム侯だけではない、ヴァレンシュタインもミスを犯したか。

ローエングラム侯が時計回りに動く、ヴァレンシュタインも同じ動きをする。二人の位置が丁度逆転し止まった。今度はヴァレンシュタインが右手を前後に動かしてフェイントを入れ始めた。一つ、二つと入れながら距離を詰める。そしてローエングラム侯がじっと待つ。

攻守が入れ替わった、そう思った時だった。ローエングラム侯が動いた。予備動作無しの突き! 踏み込みが鋭い! 狙いは顔面! ヴァレンシュタインが仰け反りながらドルヒで防ぐ、硬い金属音が響いた。良く防いだ! だが未だ後が有る。ローエングラム侯が弾かれたドルヒで頸動脈を狙う! ヴァレンシュタインの上体は起き上がっている、重心は踵! 素早い動きは出来ない、如何する?

ヴァレンシュタインの身体が沈んだ! 頭上をローエングラム侯のドルヒが走り抜ける、髪の毛が何本か切られ巻き上がった。ヴァレンシュタインが足を飛ばす! ローエングラム侯の前足を蹴った! 重心を崩されローエングラム侯が倒れ込む! 二人の身体が重なって床に、そして大量の血が噴き出す、“ヴァレンシュタイン!”、エルウィン・ヨーゼフ二世の悲鳴が、そして倒れ込んだ二人から咳き込む音と呻き声が上がった……。

「終わったようだな」
「ええ」
あの出血では助からない……。
「行くか」
オフレッサーが歩き出した、俺とエルウィン・ヨーゼフ二世が後に続く。他の人間、フェルナー、クレメンツ、ファーレンハイト、ロイエンタール、ミッターマイヤー、ビッテンフェルトも倒れ込む二人に近付いて来た。

重心を崩され倒れ込んだローエングラム侯はドルヒでヴァレンシュタインの左胸、心臓を刺そうとした。ヴァレンシュタインは倒れ込んでくるローエングラム侯の頸を狙った。普通、相手の足を蹴る時は重心の乗った前足を払う様に蹴る。相手を横に倒すのだ。そして倒れた相手の上に圧し掛かって攻撃する。だがヴァレンシュタインは前に踏み込むように倒れ向う脛を押す様に蹴った。あれでは自分の正面に倒れ込んでくる。確実に斃す為に相打ちを狙ったのだろう。

二人の周りに皆が集まった。出血が酷い、二人を中心に血が滾々と流れ出ている。オフレッサーがローエングラム侯の身体を引き離してヴァレンシュタインの横に並べた。ローエングラム侯の眼は開いているが生気は無い、頸動脈が切り裂かれていた。動かした所為だろう、血が溢れだした。ロイエンタール提督が一つ息を吐く。ミッターマイヤー大将、ビッテンフェルト提督も痛ましそうな表情をしている。

「生きていたか」
オフレッサーの問いにヴァレンシュタインが頷いた。顔面はローエングラム侯の血で真っ赤だ。
「声は出せるか」
「……ええ」
細い声だった、少し掠れている。フェルナー達がホッとした様な表情を見せた。
「立てるか?」
首を横に振った。

「右膝を痛めました、ローエングラム侯が倒れ掛かって来た時に痛めたようです」
「無茶をするからだ、ドルヒを離したら如何だ」
ヴァレンシュタインが困ったような表情を見せた。
「離れないんです。指が動かない」
フェルナー少将が屈むとドルヒから指を一本ずつ離していく。随分と力を入れている、余程に強張っているらしい。

「軍医を呼ぼう、膝とその腕の手当てをしなければならん。胸にも刺さっているか?」
「ええ、少し刺さりましたが掠り傷です、手当はスクルドでします。このままで」
ローエングラム侯のドルヒはヴァレンシュタインの心臓を狙ったがヴァレンシュタインの左腕がそれを防いだ。上腕が胸に縫い付けられるようにドルヒで刺されている。僅かに心臓に届かなかった。ドルヒがようやく指から取れた。フェルナー少将がヴァレンシュタインの上体を起こした。

「ローエングラム侯に上着とマントをかけて下さい」
ミッターマイヤー大将が足早に動いた。
「遺体は如何しますか?」
ロイエンタール提督が問い掛けた。何処か懇願する様な口調だった。敗者ではある、だがそれなりの礼節を、そう思ったのだろう。

「このままブリュンヒルトに」
「このまま?」
「総員、退艦させてください。ブリュンヒルトは砲撃で爆破します」
「艦と共に葬ると」
ロイエンタール提督の言葉にヴァレンシュタインが頷いた。

「ブリュンヒルドはワルキューレの一人でしたが、オーディンの命に逆らって処罰されたそうです。罰は彼女の神性を奪い恐れる事を知らない男と結婚させる事。ローエングラム侯に相応しい艦でしょう。最後まで一緒に、侯も喜ぶと思います」
ブリュンヒルトと共に葬るか。貴族達に遺体を汚されたくない、その想いはヴァレンシュタインにも有るのだ。

ロイエンタール、ビッテンフェルト提督が顔を見合わせ頷いた。ミッターマイヤー大将が上着とマントを持って戻って来た。丁寧に遺体を包むように上着とマントをかける。ロイエンタール提督がミッターマイヤー大将に遺体をブリュンヒルトごと爆破すると伝えると一瞬驚いた表情を見せたが直ぐに頷いた。



帝国暦 489年  1月 21日   ヴァルハラ星域  ヴァレンシュタイン旗艦 スクルド  アントン・フェルナー



「ブリュンヒルトはオーベルシュタイン中将を除いて総員退艦したそうだ」
「彼は残ったのか」
「ああ、自分なりにけじめを付けたいと言ったそうだ」
俺が答えると指揮官席のエーリッヒが頷いた。オーベルシュタインは艦橋には居なかった、自室に籠っていたらしい。自裁するつもりだったのだろう。

エーリッヒは退艦させろと言わない、俺も勧めない。皇帝フリードリヒ四世暗殺の首謀者なのだ、エルウィン・ヨーゼフ二世が誰の罪も問わないとは言ってもそれで済む事ではない。だが罰すればエルウィン・ヨーゼフ二世の権威に傷が付く。彼が自裁してくれればむしろ有難いのだ。

負傷の手当ては終了している。膝は膝蓋骨、膝の皿が骨折したためギプスで固定、左腕も傷を縫った後提肘固定三角巾で上腕部を固定した。今は局所麻酔が効いているから問題ないが麻酔が切れれば発熱するだろう。今のエーリッヒは一人で指揮官席から動く事は出来ない。可哀想とは思うが無茶が出来ないと思えばホッとする。ブリュンヒルトでの決闘沙汰には本当に胆を潰した。ブラウンシュバイク公も蒼白になって止めろと命じてきた。

「艦隊も全て移動を完了したようだな」
「ああ、準備は出来たよ」
スクリーンにはブリュンヒルトが一隻だけぽつんと浮かんでいる。
「全艦に命令、主砲斉射準備」
「全艦に命令、主砲斉射準備」
エーリッヒの命令を俺が復唱するとオペレーター達が艦隊に命令を伝えだした。

エーリッヒが右手を軽く上げる、手が微かに震えていた。そして振り下ろした。
「ファイエル!」
命令と共に数万の光球がブリュンヒルトに向かう、ブリュンヒルトは瞬時に消滅した。何の残骸も無い、綺麗に全てが消え去っていた。多分ブリュンヒルトはヴァルハラに帰ったのだろう。確かにローエングラム侯に相応しい艦だ。

「アントン、肩を貸してくれ」
「ああ」
エーリッヒは立ち上がると何も無い宇宙に敬礼した。オフレッサーが、リューネブルク中将が、艦橋に居る皆がそれに続いた、俺も。エーリッヒが何かを呟いた。眼から一筋の涙が零れていた……。



 

 

外伝1 哀戦士



帝国暦 489年  2月 25日   オーディン  帝国軍中央病院  アントン・フェルナー



人気の無い軍中央病院の白い廊下に複数の足音が響いた。誰も喋らない、口を開く事を躊躇わせるような静けさが廊下には有った。暫らく歩き幾つかの角を曲がると目指す病室が見つかった。二人の軍人が病室の前で警備している。
「あれか」
ブラウンシュバイク公が呟く。隣りを歩くリッテンハイム侯と視線を交わすと病室に近付く。病室の前に居た警備兵が姿勢を正して敬礼した。

警備兵が居るのは病室の前だけではない。帝国軍中央病院の出入り口の全て、エレベータ、エスカレータ、階段の全てに警備兵が配備されている。おざなりの警備兵ではない。リューネブルク中将率いる装甲擲弾兵が警備についている。彼らの誰何無しには出入りはもちろん階の移動も不可能だ。帝国でもこの病院以上に警備が厳しい建物は無いだろう。

「御苦労」
ブラウラー大佐が声をかけてドアを開けブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、俺、ブラウラー大佐の順で中に入った。簡素な部屋だ。ベッドと幾つかの機材。エーリッヒはベッドに上半身を起こしていたがこちらを見て軽く頭を下げた。ベッドに近付いた。

「元気そうだな、顔色も良い、手術も無事に済んだと聞いた」
「御心配をおかけしました」
「だがリハビリをしたがらぬと聞いたぞ。いかんな、思う様に歩けなくなる」
心配そうなブラウンシュバイク公の言葉にエーリッヒは穏やかな、困った様な笑みを見せた。ずっとこんな笑みは見せなかった。士官学校卒業以来かもしれない。今のエーリッヒにはあの過酷な内乱で正規軍を震え上がらせた凄みは感じられない。

「分かってはいるのですがリハビリをする気持ちになれないのです」
「困ったものだ、そうは思わぬか、リッテンハイム侯」
「全くだ」
帝国最大の実力者二人が苦笑している。普通なら恐縮する、だがエーリッヒは穏やかな笑みを浮かべたままだ。

「新無憂宮の北苑、西苑の片付けがようやく終わった」
ブラウンシュバイク公の言葉にエーリッヒが“そうですか”と答えた。昨年の夏、エーリッヒが北苑、西苑を艦砲射撃で粉砕した。地上だけではない、地下の残骸の整理がようやく終わった。ローエングラム侯も行っていたのだがクーデター騒動や暴動の所為で十分に行えなかったようだ。

「それにしても無茶をする。実際に残骸を見て肝を潰したぞ」
リッテンハイム侯の言葉にエーリッヒが微かに笑みを浮かべた。
「楽しかったです。反逆者になるのも悪くないと思いました」
ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が顔を見合わせた。二人とも困った奴だというように笑っている。

「生き残れるとは思っていませんでしたし勝てるとも思っていませんでした。何処かで戦死すると思っていました」
ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、俺、ブラウラー大佐、皆の視線がエーリッヒに向かった。
「だからあんなに無茶ばかりしたのか。一対一での決闘など……、一つ間違えば命を失っていたぞ」

リッテンハイム侯の言葉にエーリッヒは首を横に振った。
「無茶ではありません」
「勝つ自信が有ったのか?」
「いいえ、有りません。死ぬ気でした」
シンとした。死ぬ気だった。やはりそうだったのか……。“馬鹿な事を”とブランシュバイク公が小さく呟いた。

「馬鹿な事ですか……」
今度はエーリッヒが呟いた。口元に軽く笑みを浮かべている。
「十二の時、両親を貴族に殺されました。私の一番大切なものを貴族に奪われたんです、無慈悲に。あの時平民だからといって虐げられる事の無い社会を創りたいと思いました。それを両親の遺体の前で誓いました」
「……」

「そんな時ローエングラム侯が現れたのです。美しい目をしていた。下級貴族の出自、皇帝の寵姫の弟という立場、覇気、才能、全てが揃っていた。……出世も早い、彼なら帝国を変える事も可能だと思った。彼なら平民達の支持を得易い。新たな王朝を創る事も可能だと思いました」
「エーリッヒ!」
それ以上は言うな、言ってはいけない。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、ブラウラー大佐、皆顔を強張らせている。

「それからはずっと見てきました。多少政略面で弱い部分が見えましたがそれも悪くなかった。自分が助ければ、そう思いました」
言葉が続く、笑みが続く、楽しそうな表情だ。俺の制止など何の意味も無かった。エーリッヒはローエングラム侯の事を懐かしんでいる。

「だが卿はわしの所に残ったな。いつかわしとローエングラム侯が戦う事になると予想していたのに何故逃げなかった? 彼の所に行けば卿を重く用いてくれたはずだ。何故ローエングラム侯の所に行かなかった?」
「それは出来ません」
エーリッヒが首を横に振った。きっぱりとした口調だった。表情も変わった、現実を見据える目だ。

「私はコンラート・ヴァレンシュタインの息子です。父の名を貶めるような生き方は出来ません。それにローエングラム侯は節義の無い人間を軽蔑します。私は公に命を救って貰いました。それなのに公を裏切れば軽蔑されるでしょう。それくらいなら敵になる事を選びます。例え勝ち目が無くても」
笑みがまた浮かんだ、でもさっきまでとは違う。何処か寂しそうな笑みになっていた。

病室に沈黙が落ちた。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯、ブラウラー大佐、そして俺、皆押し黙っている。何と言って良いのか分からない。いつも考えてしまう、あの時、エーリッヒをブラウンシュバイク公爵家に引き入れたのは正しかったのかと……。死ぬまでに答えを出せば良いと言われた、出なければ答えは無いのだと言われた。俺は答えを出せるのだろうか、その答えに納得して死ねるのだろうか……。

「……だが卿は敗けなかった、勝った」
「そうだね、アントン。私は勝った。彼の弱点である政略面を突いて。勝利が確実になっていくにつれ辛くなったよ。自分の夢が、願いが潰えてしまうと。侯は私にとってもう一人の私だったんだ……」
「……」

「私は何処かで貴族連合軍の勝利を願っていなかったのだと分かったよ。戦うために色々と準備をした、でもそれは勝つためというより無様な負け方をしてローエングラム侯に軽蔑される事を恐れたからだ。憐れまれるくらいなら憎まれたかった……」
「だから、ローエングラム侯をあんなにも貶めたのか? あれは自分の心を叱咤する為か? ローエングラム侯は敵なのだと……」
ブラウンシュバイク公が問うとエーリッヒは“はい”と頷いた。

「そして私を侯の心に焼き付けたかった。忘れて欲しくなかったんです。一騎打ちも勝てると思っていませんでしたし勝つつもりも有りませんでした。ただ最後にローエングラム侯に思う存分戦わせたかった。艦隊戦では死者が多く出ますから……」
「だから一騎打ちを……」
呻くようなリッテンハイム侯の声だった。

「ええ、侯の怒り、悲しみを私が受け止めようと思ったんです。それが私に出来る唯一つの事だと思った」
「償いか? エーリッヒ」
エーリッヒが首を横に振った。
「違うよ、そんな傲慢な事は考えていない。私の望みだ。侯と共に生き侯と共に死ぬ。侯の居ない世界に私は耐えられないと思った。実際今も酷く寂しい。何もする気になれない」
事実だろう、今のエーリッヒは酷く寂しげで頼りなさそうに見える。

「皮肉だな、卿が勝つとは」
ブラウンシュバイク公が嘆息を漏らすとエーリッヒがまた首を横に振った
「勝っていません。あの時私は心臓を庇った。ですがローエングラム侯は自分の喉を庇わなかった。無防備に私の上に倒れこんで来た。今でも思い出します、喉を切り裂かれるその瞬間まで侯は楽しそうに笑っていました。侯は勝つ事を望んでいなかった。戦いの中で死ぬ事を、私に殺される事を望んでいたんです。多分全てに絶望していたのでしょう」
「……なんと……」
リッテンハイム侯が呻きブラウンシュバイク公が首を横に振った。ブラウラー大佐は痛ましそうにエーリッヒを見ている。エーリッヒの眼から涙が零れた。一筋、また一筋……。

ローエングラム侯が天才ならエーリッヒはそれに匹敵する傑物だった。その二人が共に死を望んでいた。一人は全てを失った絶望から、もう一人は大切なものを失う絶望から。二人が協力すればどんな世界が現れたのか……。エーリッヒ、辛かっただろうな。敵も味方も大切なものも全て殺す。狂う事でしか成し得なかっただろう。ベルセルク、そう思った……。

「ローエングラム侯の死に責任を感じているのか?」
「責任ですか……、いいえ、ただ寂しい、虚しいんです。何故あの時心臓を庇ったのだろう。庇わなければ一緒に死ねたのに……。全てが私の望みとは別な方向に進んでいく……」
ブラウンシュバイク公の問いに答えるエーリッヒは寂しそうだった。死に損ねた、そう思っている、そしてその事を責めている。ブラウンシュバイク公がやるせなさそうに息を吐いた。

「……ヴァレンシュタイン、ローエングラム侯は死んだ。辛かろうが死んだ者は戻っては来ぬ。そして卿は生きている。生きている者は生きている者だけが成し得る責任を果たさねばなるまい」
「責任ですか……」
「そうだ、未来を紡ぐという責任だ」
「未来……」
虚ろな口調だ、ブラウンシュバイク公の言葉はエーリッヒの心に届いていない。

「卿が望んだ世界、わしとリッテンハイム侯で実現して見せよう。だから力を貸せ、ヴァレンシュタイン。怪我を治し戻って来るのだ」
「そうだ、我等には卿の力が必要だ」
「その必要はないでしょう。御婦人方に全てを託しました」
ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が顔を見合わせてから微かに笑った。力の無い笑いだ、エーリッヒが不思議そうに二人を見た。

「残念だが卿の配慮は無駄になった」
「それはどういう意味です、公」
またブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が顔を見合わせた。二人とも苦笑が止まらない。
「アマーリエと侯爵夫人が自分達の手には負えないと言って我らにチップを見せたのだ。二人とも震え上がっていたぞ。もっとも見せられた我らも溜息しか出なかったが」

俺も中身は見せてもらえなかったがチップの事は聞いた。一体何時から用意していたのか……。チップの事を聞いた時は声を出す事も出来なかった。
「自分で卿の夢見た世界を実現したいとは思わなかったのか?」
「……あれは保険だったのです」
保険? 自分が居なくても帝国が変わる様に残したという事か。違うな、リッテンハイム侯の問いに答えたエーリッヒは困った様な顔をしている。他に何か有る。

「貴族連合軍は負けると思いました。その時にはブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も戦死したでしょう。例え降伏しても反逆者の盟主と副盟主です、待っているのは死。生き残る事は出来ません。お二人を救う事が出来ないのならせめて両夫人、御息女方は助けたいと思いました」
「……」
皆、声も無く聞いている。エーリッヒ、卿は……。

「私も戦死していたでしょう。あの方達を守る人間はいない。だからあのチップを作りました。戦局が悪化したらチップを御夫人方に渡すつもりでした。そしてチップを使って内乱終結後、ローエングラム侯と取引させる……。ローエングラム侯ならあのチップの価値を理解して十分に利用するでしょう。庇護者を失い無力な寡婦と子供を許す事など何程の事でも無い」

「……閣下、そのチップは何時作られたのです?」
ブラウラー大佐が恐る恐る問うとエーリッヒは一瞬だけ大佐を見て直ぐ視線を逸らした。
「……クロプシュトック侯の反逆が終った時です。何時かローエングラム侯と戦う事になると思った。貴族にどの程度期待出来るかと思いましたが期待外れも良いところでした。貴族連合など所詮は烏合の衆だと再確認しましたよ。あの阿呆共と組んで勝てる筈がないと……」

ブラウンシュバイク公は溜息を吐きリッテンハイム侯は首を横に振っている。戦う事だけではなく戦った後の事、敗けた後の事も考えていたとは……。俺は戦う事だけで精一杯だった。俺だけじゃない、皆そうだったろう。ブラウラー大佐も溜息を吐くばかりだ。

多分エーリッヒはそうやってブラウンシュバイク公の恩に報いると同時にローエングラム侯に自分の夢を託すつもりだったのだろう。エーリッヒが内乱を恐れず死を恐れなかったのはその所為だ。こいつにとっては全ての準備が終わっていた。むしろ内乱が起こるのを、その時が来るのを待ちかねていたのだろう。

「ヴァレンシュタイン、改めて言う。早く戻って来い、そして我らに力を貸せ。今回の内乱で貴族は弱体化し平民の力が強まった。それを無視する事は出来ん。卿が望んだように社会を変えなければならんのだ」
「ブラウンシュバイク公の言う通りだ。あのチップだけでそれを成すのは難しい。卿の力がいる」
反応が無い。エーリッヒの心には届かない。エーリッヒの心はローエングラム侯を追っている。

「エーリッヒ、俺からも頼む。戻って来てくれ、皆が卿を待っている」
「……」
「陛下が卿の事を心配している。それにリヒター、ブラッケが卿を待っている。卿と改革について話し合いたいそうだ」
「……そうか」
駄目だな、俺の声は未だ心に届いてはいない。

「ロイエンタール、ミッターマイヤー提督達、ローエングラム元帥府の軍人達も卿を待っている。卿を頼りにしているんだ」
「私を? 馬鹿な、私は彼らの希望を潰した人間だ、そんな事は有り得ない。私を憎んでいるだろう」
ようやく反応が出た。そうか、エーリッヒが落ち込んでいるのはローエングラム侯の事の他に彼らの事が有るからかもしれない。エーリッヒは彼らを高く評価していた、疎まれていると思っているのか……。

「彼らは卿を疎んじてなどいない。卿がローエングラム侯の名誉を守ってくれたと感謝しているよ」
「……」
「彼らは今困った立場に居る。彼らを助けてくれないか」
「助ける? 私が?」
表情が動いた、良い傾向だ。

「彼らはローエングラム侯の元で正規艦隊司令官を務めた。その所為でいささか弱い立場にある。メルカッツ閣下は彼らを高く評価しているがこのままでは軍内で不当な扱いを受けかねない。改革派の政治家達も同様だ。卿に勧められてローエングラム侯に付いた所為で立場が弱いんだ」
「馬鹿な、何を考えている。これからの帝国には彼らの力が必要なのに」
喰い付いて来たな。

「だから卿が彼らを守ってくれ。この内乱で最大の武勲を挙げた卿が彼らを正当に評価すれば誰も文句は言えなくなる。そうだろう?」
「……」
「待っているぞ、エーリッヒ」
「……」
最後まで返事は無かった。



「戻って来るかな?」
病室を出るとリッテンハイム侯が呟いた。自信無さげな口調だ。
「戻ってきますよ、リッテンハイム侯。エーリッヒは戻ってきます」
「自信ありげだな、フェルナー。しかしヴァレンシュタインは戻るとは言わなかったぞ」
ブラウンシュバイク公が問い掛けてきたが公の目は笑っていた。公もエーリッヒが戻ると思っている。

「戻らないのなら戻らないと言った筈です。答えが無かったのは拒絶では有りません、迷っているのでしょう」
「……」
「エーリッヒは彼らを見捨てる事など出来ません。必ず戻ってきます。あいつは何時も誰かを助けたがっているんです」
そう、エーリッヒは必ず戻って来る。ブラウンシュバイク公が、リッテンハイム侯が、ブラウラー大佐が頷いた。待っているぞ、エーリッヒ。





 
 

 
後書き
最終話の感想でエーリッヒが一騎打ちで勝つのは不自然というような感想が有りました。自分としてはあれはラインハルトの自殺のような死を表したつもりだったのですが上手く伝わらなかったようです。という事でそのあたりを外伝という形で捕捉しました。でも書いてみて思ったのですがこの外伝が最終話でも良かったかなと思っています。