ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
第1話 転生
前書き
当サイトには初めての投稿となりますので、ミスが見つかり次第順次改編更新すると思います。
はたから見ればほんの一瞬の事だったんだろう。
スマートフォンに目を落とし、ブラウザホームの今日の運勢を確認して、ついでに銀河英雄伝説の二次創作小説の更新情報を探し、お目当ての作品が更新されてなかった故に軽く舌打ちしたのだが、その時背後からどう見ても眼が逝っちゃった男が大声を上げつつ涎を垂らして体当たりしてきたのだ。
俺がホームの端に立って、次の電車を列の先頭で待っていたのも運命なのかもしれない。
ぶつかってきた「狂気」としか書いてない男の顔と、軌道に落ちていく俺を呆然した表情で眺めているくたびれた中年の顔が、俺の見た最期の景色だった。なんでそこは黒髪ボブでストレートな眉目整った美少女ハーレムじゃねぇんだよと、どうでもいい事を考えつつ俺は軌道に落ちる衝撃に備え、体に力を込めた。
そして次の瞬間、光に包まれた。
何が起こったのか、俺にはさっぱりわからなかった。だがあまりの眩しさに瞼を閉じ、数秒置いてからゆっくりと片方ずつ瞼を開くと目の前に巨大な顔があった。
俺は叫ばずにはいられなかった。だが声を上げようにも口からは「オギャー、オギャー」としか出てこない。一体どうなったんだ俺は? 言葉を忘れちまったのか? それとも例の壁の中に住む人類の生き残りの話の読みすぎで、空想と現実の区別がつかなくなってパニくっているのか? いやパニくっているのは間違いないんだが。
そうこうしているうちに、俺の体はその巨人に持ち上げられた。しかも抱えるようにだ。少なくとも身長一七〇センチ体重七〇キロのごく標準的な三〇代日本人男性である俺を、だ。俺は暴れた。もうこれは間違いなく“喰われる”んじゃないか。巨人は女性っぽい。しかも優しそうな顔をしている。だけどアイツは確か楽しんで人を殺してたよな……そこまで考えて俺は必死に手足を動かして抵抗したが、その時になってようやく俺の体に何がおこっているのか理解できた。
俺の手が、見るからに小さく……そう赤ん坊のように小さくなっていた事に。
意識、というのは言語を解さなくても分かるものだが、やはり幼い頭脳では限界がある。三〇分でも意識を保とうと努力すると、体全体が疲労感に包まれる。そして強烈な空腹感も…… だが腹が減ったとは言えない。かろうじて聞き分けた言葉は英語に近いが、英語ではない。「あいむあんぐりー」と言ってみたが、怪訝な顔で首をかしげられるだけだ。結局は泣き叫んで食事を要求するしかない。食事と言っても、まぁ授乳なんだが。
きっと輪廻転生する際には同じように前世の記憶を持っているに違いない。だが、この授乳という奴でその記憶というのは吹っ飛んでしまうのだろう。
まぁそれはともかく。俺は理想的な食っちゃ寝の生活を楽しんでいた。が、いつものようにこちらの世界の母親?に抱かれつつ女性の乳房の感触を楽しんでいた時、そのお楽しみの部屋に闖入者があった。
こちらに産まれて以来であった事のない姿をした男だった。襟元にアイボリーのスカーフを押しこんだ暗緑色のジャンパー。スカーフと同じ色のスラックスに黒い短靴。そして濃い琥珀色の髪に載せられている白い五綾星を染め抜いた、やはり暗緑色のベレー帽。そう、それはいつも画面の向こうにあって、黒と銀のピチピチした悪趣味軍服とは対照的にシンプルで機能的な自由惑星同盟軍軍服を着た男だった。
俺が銀河英雄伝説の世界に生まれ変わった事を確実に認識したのはそれから数年してようやく同盟公用語を何とか一人で読み書きできるようになってからだ。望外の出来事かもしれない。前の世界で中学生だった頃、図書館で何度も借りて読みなおしていたし、レンタルビデオ屋でほぼ毎週なけなしのお小遣いを使って借りて見ていた。アニメ版の台詞は大抵リフレイン出来る。勿論PCがそれなりの価格に落ち着いてきた頃にはゲームもやり尽くした。もはや銀河英雄伝説は俺の前世において人生に欠くことのできない書籍の一つだった。もちろんそのせいでいろいろ身を持ち崩して、三〇過ぎても結婚できずにいた事はまぁ、どうでもいい事だ。
ただし望外の事態とはいえ、もしかしたら赤ん坊の時に見たあの父親は日常的にコスプレしている男かもしれないし、英語が母体となっている言語だとはわかっていたから恒星を二つ持つ星系と無敵の女性提督がいる世界かもしれない。とにかく母親が目を離している隙をみて、携帯型端末を弄りニュースや画像に手当たり次第アクセスして確証をもった。七三〇年マフィアの面々はアニメに出てきたような姿をしていたし、伝説的な英雄リン=パオ、ユースフ=トパロウルの写真も山ほど出てくる。そして母エレーナ=ボロディンが俺に最初に読み聞かせた話は「長征一万光年」であり、同盟軍士官である父アントン=ボロディンがくれたおもちゃは同盟軍戦艦を模したぬいぐるみだった。
確証をもった後、俺はじっとしていられなかった。カレンダーを確認すれば宇宙暦七六七年。俺は現在三歳だから、三二年後には自由惑星同盟があのいけすかない金髪の孺子に崩壊させられることになる。そして自由惑星同盟は基本的に徴兵制を維持しており、俺は運がいいのか悪いのか再び男に産まれてしまった。しかもよりにもよって「ボロディン」という名前の軍人の家に。
もちろん父親が軍人だからといって軍人を志す必要も義務もない。俺が徴兵年齢に達するのは一五年後。兵役は基本的に二年だからエル・ファシルの戦いが始まる七八八年よりも前に退役して社会復帰できるはずだ。兵役中に戦死さえしなければ。
だが幸か不幸か第二の人生を銀河英雄伝説の、しかも建前であるにせよなんにせよ前世日本と同じ民主主義政体を持つ同盟側に産まれたのだ。心情的にも俺は同盟軍に入って手助けしてやりたい。決してイケメンチート軍団たる帝国軍の向う脛を蹴り飛ばしてやりたいってわけでは……多分にあるかもしれないが。
とにかくただ漫然と軍に入って職業軍人をしているだけではあのイケメンチート軍団に勝てるわけがない。頭の中に残っている銀河英雄伝説のストーリーを活用する為にも、同盟軍内においてある程度の実力や権限を持っていなければ意味はない。せめて同盟と同盟軍に対する致命的な一撃となる帝国領侵攻を阻止するなり被害を軽減しなければ。逆算すれば二九年後。俺が三二歳の時だ。その時までに何とか将官位になっていれば……
「どうした、ヴィクトール?」
机を挟んで反対側に座っていたこちらの世界の父が、俺の顔を怪訝な表情で見つめている。原作ではボロディン提督としか記載されていないからこの父が第一二艦隊司令官とは限らないのだが、今は二六歳の同盟軍少佐で第三艦隊に所属する小さな戦隊の参謀をしているらしい。順調に昇進している事は間違いないらしく、官舎近所に住む他の軍人家族からも期待の若手と言われている。もちろんあの微妙な口髭はまだなかった。
「お父さん。僕は軍人になる。艦隊司令官になって、お父さんと一緒に帝国軍と戦う」
「ほう、そいつは頼もしい」
そう言うと父アントン=ボロディンは俺の小さな頭を机越しに大きな手で掻き毟った。前世とは全く異なる琥珀に近い俺のようやく伸び始めた髪がガシガシと音を立てる。
「だがな、艦隊司令官になるのは大変だぞ? しっかり勉強して、士官学校に入って、さらに優秀な成績をとらなきゃ艦隊どころか一隻の軍艦すら任せてもらえないかもしれない」
「なら頑張る」
「よく言った。それでこそこのアントン=ボロディンの息子だ」
さらに強く俺の髪を掻き毟る。その父の手を俺の横に座る母がやんわりとほどくと、すこし影のある笑みを浮かべながら父に言った。
「あなた。決して無理をなさらないでください。前線に立って戦って武勲を立てるより、生きて帰って来てくれることの方が、この子にとっても幸せなのですから……」
「心配するな、エレーナ」
そう答えると父は母に向けて俺も驚くほど鋭い眼差しで応えた。
「今の上司のシドニーは俺の同期だが、これまであいつと組んで負けた事がない。勇敢だが無謀な事は命じない良い指揮官だ。大丈夫、安心しろ」
「ですが……」
「俺が出征中に困った事があったら、弟に相談しろ。俺に似ず万事に慎重な奴だが、それだけに信頼に値する」
父の言葉に母が唇を噛みしめるように頷く。原作通り父がボロディン提督であるなら、あと二九年は生きている。だがここで原作がそうだからと言って両親が安心したり喜んだりするはずがない。せめて今はこの二人の子供であるべきだ……
「大丈夫、お父さんは絶対艦隊司令官になるよ」
俺は子供らしく無邪気な口調で言うと、父は怪訝な顔をすることなく笑顔で再び俺の頭を掻き毟るのだった。
だが俺の無邪気な予言はあっさりと覆される。
宇宙暦七七二年八月一四日。こちらの世界の母エレーナが交通事故死。
原因は暴走した無人トラックとの衝突。体の太った交通警官が特に遺族でもないのに憤って説明してくれた。なんでも間違った情報を物資流通センターのオペレーターが入力したらしい。その為、無人タクシーとトラックのそれぞれが機能不全を起こしたらしく、たまたまボルシチ用の野菜を買いに出かけていた母がそれに巻き込まれてしまったというわけだ。
前世は幸いなのか両親は俺が死ぬまでピンピンしていたから(つまりは前世両親に対して親不孝をしたわけだが)、親の葬儀に出るというのは凄く不思議な感覚を味わった。
こちらの世界の父アントンは出征中で家を留守にしていたから、葬儀は叔父のグレゴリー=ボロディンが取り仕切ってくれた。子供の目から見ても勇猛果敢で剛毅な父と比べて、七歳年下のこの叔父は同じ同盟軍軍人でありながら貴族か学者を思わせるような落ち着いた容姿と性格をしている。軍服を纏っていても醸し出す雰囲気が“紳士”なのだ。ちなみに今二六歳で中佐と言うから父よりも出世が早い。
「ヴィクトール」
聞くだけで人の心を落ち着かせる奥行きのあるアルトの声が、地中へと埋められる母の棺を眺める俺の背中からかけられる。
「アントン兄さんが出征中の間は、私の家に来てくれないかな」
「でも、家を守るのは母さんと僕の仕事です」
「勿論そうだ。だが八歳の子供が一日二日ならともかく、これからずっと一人で官舎に住むのは危険なことだ」
そう言うとグレゴリー叔父はポンと俺の肩に手を置いた。それだけで安心を感じる。
「アントン兄さんが出征中の時だけでいい。私の家に泊まりなさい。私にとっても君は家族なんだから」
三週間後、出征から帰ってきた父アントンとグレゴリー叔父との間で家族会議が開かれ、グレゴリー叔父の言うとおりになった。両親の祖父母はことごとく鬼籍に入っていたし、それ以外に選択肢がなかったのも確かだ。
「ヴィクトールがウチに来てくれるなんて!!」
そういいながら子供の俺を抱き上げて頬ずりするのは、グレゴリー叔父の奥さんのレーナ=ビクティス=ボロディン。つまり俺の義理の叔母さん。元自由惑星同盟軍中尉で、あの真摯なグレゴリー叔父が土下座してまで口説いたというだけあってスタイル抜群の南方系美女。バリバリ北欧系で俺から見ても控えめだった母とは正反対に陽気で気さくで……
「アントン義兄さんにはずっと出征していてもらいたいわね」
「おい、レーナ」
そして大変遠慮のない人だった。横で見ていたグレゴリー叔父がさすがに突っ込みを入れて、父に頭を下げている。父は苦笑せざるを得なかった。
そして二年後。引っ越したり戻ったりの変則的な生活にも慣れ、レーナ叔母さんのお腹が大きくなってきた宇宙歴七七四年五月三〇日。
父アントン=ボロディン准将 パランティア星域にて名誉の戦死。二階級特進で中将となる。
後書き
2014.09.21 話タイトル修正
2014.09.22 最終行修正 第一次パランティア星域会戦→パランティア星域
2014.09.23 46行目修正 宇宙標準語→同盟公用語
2014.09.27 タイトル半角修正
第2話 別れと出会い
前書き
昨夜に引き続き更新いたします。
今まで書いてきた二次創作とは全く異なる書き方ですので、不慣れゆえに読みにくいところがあろう
かと思われますが、ご了承ください。
まだ主人公は戦場に立てません。
宇宙暦七七四年七月一七日 ハイネセンポリス ヴェルドーラ市郊外軍第七官舎 ボロディン宅
まさかそういうオチだとは思わなかった。
人の生き死には、人間では計り知れない運命の神に委ねられている部分が多いとはいえ、一〇歳にして両親を亡くしてしまうとは考えてもいなかった。オチなんて言葉が出てくる時点で、今の俺はどうかしているのかもしれない。
それに第一、自分の父親の名前がボロディンだからと言って、ボロディン提督だと決めつけていた自分の方がおかしいんだ。大体ボロディンなんて名前、地球時代の東欧・ロシアにはそれこそ掃いて捨てるほどいる。今いる世界が原作通りに進んでいると考えるのも、考えれば滑稽な事だ。
ともかく俺が一〇歳で戦災孤児になってしまった事は間違いない。このままだとトラバース法に基づいてどこかの軍人の養子になるか、養護院に入って気まぐれな引き取り手が現れるかの二者択一だったのだが……
「アントンは私の部下だ。その死については、指揮官である私にも責任がある。彼が残した子供を育てたいと考えるのは間違いではあるまい。それに貴官の奥方は近々出産されるだろう。家庭的にも大変な時期ではないか?」
「シトレ閣下はそうおっしゃるが、であれば閣下は今まで死なせた部下の孤児をすべて引き取れるのですか? 直接ではないにしても私とヴィクトールの間には同じ血が流れている。いわば家族だ。閣下のご厚意には感謝するが、この件に関しては断固として譲れない」
俺を境に、右手には身長二メートルをなんなんとする長身の黒人少将が、左手には中肉中背で温厚にして注目の若手と評されるロシア系大佐が、互いに喪章をつけたまま主の居なくなった官舎のリビングで互いに向かってガンを飛ばしあっていた。
一体なんなのよ。この状況。
別に俺には美人局の素養はないし、顔だってそれこそ平凡そのものだ。ジュニアスクールの成績は前世の記憶があるから一応クラスヘッドはキープしているが、運動能力は中の上か上の下と言ったところで目立っていいわけじゃない。クラスには俺よりモテる奴はそれこそ多い。グレゴリー叔父は今までのつき合いがあるし、シドニー=シトレ少将……まぁその容姿や顔つきからしたら未来の統合作戦本部長は間違いないなんだろうけど、稚児趣味があるとは原作にはなかったはずだ。
「シトレ閣下のご厚意は夫ともども感謝に堪えませんし、亡くなった義兄も義妹も閣下のお気持ちにたいへん感謝していると思います」
俺がどうでもいい事で頭を悩ませていると、いつの間にか背後に立っていたレーナ叔母さんが俺の両肩に手を載せて引き寄せながらシトレに相対して言った。
「軍事子女福祉戦時特例法の規定によれば、第三親等までの親族が不在あるいは経済的・福祉的に子女の養育に適さない場合を前提としております。ヴィクトールの場合、第二親等の祖父母はすでに鬼籍に入っておりますが、叔父である夫グレゴリーは健在です。そして我がボロディン家はヴィクトールが幼少の頃から馴染みがあり、経済的にもいささか自信がございます」
「それは……わかってる。だがレー……ボロディン夫人」
「つまり法的にも道義的にもそして経済的にもなんら問題はないという事で、よろしいですね、シドニー=シトレ少将閣下?」
「あ、あぁ……」
おい未来の統合作戦本部長、なんでそこでレーナ叔母さんから目を逸らす。それに今、叔母さんの事を名前で呼ぼうとしただろ!!
「よかった。さすがは閣下でいらっしゃいます」
俺の両肩に置かれた手に力が込められたあとの、その声には勝者の余裕というかなんというか、完全に上から目線な声だった。翻って見れば、長身の黒人少将閣下はすっかり肩を落としており、思いのほか小さく見えた。
「……では、ヴィクトールは私が預かるという事でよろしいですな?」
「……致し方あるまい。一〇年来の天才法務士官と言われた女性に私ごときが勝てるわけがないだろう」
明らかに悔し紛れに近い声ではあったが、シトレ少将は溜め息交じりで応えると、俺に向かって背を伸ばし完璧な敬礼をした上で立ち去って行った。
その少将を玄関まで見送ったグレゴリー叔父がリビングに戻ってくると、ぼんやりとしている俺をソファに呼び寄せた。すでに目の前には温くなった紅茶が苺ジャムと一緒に物悲しげに置かれている。
「シトレ少将にも困ったものだ」
苦笑と溜息とを混ぜ込んだ言い方でグレゴリー叔父は呟くと、いつものようにジャムをスプーンですくい口に運んで紅茶を口に運んだ。
「少将にとってアントン兄は欠くべからざる一翼であったのはわかるが、あぁも気落ちされるとこちらが迷惑する」
「叔父さん」
「シトレ少将には十分な野心があるし、それを支えるだけの軍事的才能も器量もある。これまでも多くの戦友を失ってきたし、より多くの部下を失ってきたはずだが、やはり兄は別格だったという事かな。だがその犠牲を惜しんでいるあたりは、まだまだ甘い」
「軍人同士に友情がある事はいけないのですか?」
俺が生意気にもそう問いかけると、グレゴリー叔父は一瞬驚いて俺を見つめ、それから小さく首を振って応えた。
「友情の有無が問題じゃない。ただ戦場であれば部下に対して「死ね」と命じるに等しい事態も発生する。その時失われるのが“大切な部下”か、それとも“大切じゃない”部下なのか」
「友情に差を付けるな、という事ですか?」
俺の先読みに対して、今度こそグレコリー叔父の顔は驚愕に変化して俺を見つめたまま沈黙した。
そんな驚いた眼で見るなよ。こちらは前世で三〇年以上生きてきたわけで、三二歳のシトレ少将も二八歳のグレゴリー叔父も年下と言えば年下だ。
「……時々だが、ヴィクトールと話していると何故か普通に大人と話しているような気がするよ」
「すみません、生意気でした」
「いや、責めているんじゃないよ」
叔父は俺の頭に手を伸ばすとくしゃくしゃと掻き毟り始めた。
「ヴィクトールは軍人になるつもりだとアントン兄から聞いていたから言うわけではないが、部下に対して友情の差を付ける事があっても構わない、と私は思っている。性格も能力も異なる人間だし、すべて平等に扱うとなれば、それでは軍の機能を十全に果たすことはできないし、大体人間でなくなるだろう。だけど死んだ後に平等に扱わないのは間違いだ。死者は任務の為に死んだという一点において平等であるのだから」
「……」
「だから“ヴィクトールを”養子に欲しいという少将の気持ちが純粋な誠意から来ているのはわかるけど、彼の為にも何としても阻止しなくてはいけない。そういうことだよ」
俺はグレゴリー叔父の言葉を頭の中で反芻しながら、沈黙した。
軍人になって、自由惑星同盟を滅亡から救う。それはこちらの世界に転生してからの目的だった。艦隊を率い、原作を知っているというある意味でチートを駆使して、優位に戦いを進める。それが尊いことなのか、または正しい事なのかは正直俺にはわからない。だが軍人になって一兵でも指揮をするという事は、部下の命運と部下の家族の命運を預かるということだ。それが父親の戦死という事実を持って、今になってようやく身に染みて感じられる。
前世日本で銀河英雄伝説のゲームをしている時、些細なミスで数千隻の艦艇を失う事もあった。あの時はすぐに借りは返せると軽く考えていた節がある。同盟軍の駆逐艦一隻には士官・下士官あわせて一六四名が乗り組んでいる。その一隻が吹っ飛べば一六四名の人生がそこで途絶えることになる。もしその中に自分の親しい友人がいたとしたら、そして友人に孤児が残されたとしたら、おそらく今の俺はシトレ少将と同じ事をするだろう。
だが多数の艦船を麾下とする提督であるならば、その行動は正しくない。どんな戦闘においても犠牲はゼロではない。完全勝利という事もないわけではないだろうが、滅多にあることではない。正面艦隊決戦となれば犠牲者の数は万の単位だ。残された孤児の数をすべて救う事など一人の人間に出来ることではない。
つまりこれから俺のやろうとしている事は、そういう事なのだ。戦争の犠牲者は数字ではないが、数字でもあるということを。
そこまで考えを巡らしていた時、突然甲高い音がリビングに響き渡った。思索の海から現世に意識を取り戻した俺は、ソファから立ち上がると音のした方向へと視線を向ける。そこには割れたグラスと、お腹を抱えて蹲るレーナ叔母の姿があった。
「レーナ!!」
「叔母さん!!」
俺とグレゴリー叔父は慌ててレーナ叔母さんに駆け寄ったが、理由が怪我ではない事は一目瞭然であった。
「い、イタタタタタ」
「お、おいレーナ……」
グレゴリー叔父も何が理由かはわかっているんだろうけれど、当事者としては“初めての経験”だろうから軽くパニくっている。
傍から見ていると、あれほど哲学的な事を言っていた叔父が、妊婦の妻の出産でこれほど慌てているのは面白い。が、面白がっている場合でもない。
とにかく俺は叔母の傍に付いているよう叔父に言うと、埋め込み式ソリヴィジョンの電源を入れ、救急車を呼び出した。叔母の状況を手短に伝えると、画面の向こう側に映る応対用の仮想人格は小さく頭を下げ、救急車の到着時間と搬入先を伝えて消える。代わりに画面には妊婦に対する応急処置についてのマニュアルと、救急車の到着時間までのタイムウォッチが現れた。
後日、
「二八歳の大人より一〇歳の坊やの方がよっぽど頼りになるとは残念だねぇ」
とレーナ叔母さんが言ったとか言わなかったとか。
宇宙暦七七四年七月一八日 グレゴリー=ボロディンに長女誕生。アントニナと名付けられる。
後書き
2014.09.22更新
第3話 士官学校
前書き
なかなか上手く視点変更が書ききれません。
とりあえず原作登場人物を2名とオリキャラ(名前だけ)を登場させてみました。
宇宙暦七八〇年一一月一〇日 テルヌーゼン市
父の死からいろいろあったが、正式に俺はグレゴリー叔父の被保護者となった。まぁグレゴリー叔父も軍人で、民法上の手続きによる養子とはいえ、現実はトラバース法の状態と大して変わりはない。
だがトラバース法であれば、一五歳までの養育期間中は政府から養育費が支給される。それに遺児が軍人か軍事関連の職業に就くのであれば養育費の免除がある。逆にいえば本人が期間終了後軍事関連以外の職業に就くとなれば、養育費は国庫に返還しなければならない。
俺は士官学校への入学を希望していたし、当然その事実はグレゴリー叔父もレーナ叔母さんも知っていたはずなのだが、二人はあえてトラバース法ではなく民法上の扶養手続きを取ったのだ。特にアントニナを産んだばかりのレーナ叔母さんが、トラバース法の適用に断固として反対したらしい。
「冷静に考えるとね。ヴィク(養子になってからレーナ叔母さんは俺をこう呼ぶようになった)が一五歳になった時、アントニナはジュニアスクールに入学するでしょ? いっぺんに養育費を返還するのは家計上苦しいのよ」
そうアントニナを横に寝かせていたレーナ叔母さんは言っていたが、全く筋が通っていない事くらい俺には分かっていた。国に俺の将来を縛らせたくない。俺を軍人にはしたくない。という親心は十分すぎるほど理解できる。
結局、一五歳の時に俺は士官学校の入学志望届を出した。既に准将に昇進していたグレゴリー叔父も、六歳のアントニナと三歳のイロナと乳飲み子のラリサ(なんでみんな妹ばかりなのよ)を連れたレーナ叔母さんも反対しなかった。若干寂しそうな顔をしていたのは見間違いではない、と思う。
ともかく俺は宇宙歴七八〇年に自由惑星同盟軍士官学校に入学することを許された。入学時の席次は三七八番/四五六七名。戦略研究科志願者内では一四五番/三八八名中。というか、この入学試験が半端なく難しい。
一五歳で卒業するミドルスクールの学力を基準にしているというのは真っ赤な嘘だと、ヴェルドーラ市立ミドルスクールの最優秀卒業者である俺は断言できた。普通にユニバースクラスの問題が並んでいる。まさかここで第二の人生躓くわけにはいかないと必死に勉強してもこの席次。前世の基準でいえば中学三年生に、三田の医学部を受験させて満点を獲れという感じ。一応四年制大学を卒業している身としても、社会人を一五年近くやっていて記憶が完全に飛んでいた俺には、久しぶりの受験勉強は身に染みた。
「そのくらい出来て当然じゃないのか。ヴィクトール」
というのが、宇宙歴七六四年戦略研究科入学席次一二番/四二七五名中の叔父のありがたいお言葉であり、
「だから法務研究科か後方支援科か戦史研究科にしておけばよかったのよ」
というのが、宇宙歴七六五年法務研究科入学席次三三番/四四七七名中の叔母のありがたいお言葉である。……宇宙船暮らしでろくに勉強してなさそうな魔術師の脳みその良さを思い知らされた気がする。
ともかく俺は士官学校の初年生として、実家と大して距離の離れていないテルヌーゼン市で集団生活を送っており……
「貴様ら、よくその程度の知力と体力でこの栄えある自由惑星同盟軍士官学校におめおめ来れたものだな。もう一度鍛えなおしてやる。グランドをあと一〇周。俺に続け!!」
そういって再び走り出す、少し伸ばせばなかなかに見ごたえがあろう金髪をきっちり角刈りした、胸筋ムキムキランニングな二年生に付いていくこと三〇分。もはや一人で立つことすらできない俺達初年生は、同室の仲間と互いに肩を貸し、足を引きずりながら部屋へと戻っていく。
「ランニングとはいえ、さすがに“ウィレム坊や”が出てくるとキツいな、ヴィク」
俺と肩を組んだまま、二段ベッドの下へ仰向けで倒れこんだ同室の戦友(バディ)は、荒い息遣いで目を閉じて言った。俺も今は『あぁ』としか答えられない。
だいたいあの“ウィレム坊や”の存在は異常だ。現役合格で士官学校の二年生なのだから、数え年一六歳の俺達より一つ年上なだけなのに、体つきは二〇過ぎのレスラーと言っても過言ではない。それでもただの脳筋であればまだ可愛げがあるに、学年主席だという。そして当然のように戦略研究科に所属しているから、直下の学年である俺達は徹底的にしごかれる。三年四年の上級生も、戦術シミュレーションや射撃実技等で後れを取っているせいか、形式なりとも“ウィレム坊や”が敬意をもって接している以上、あまり口を挟んでこない。第三次ティアマト星域会戦で、自分の年齢以上の軍歴を持つビュコック提督にああも慇懃無礼な態度が取れるというのも、士官学校におけるこういう経験が原因なんじゃないだろうか。なお最上級生は現在絶賛訓練航海中で不在。帰還は三か月後。それまでは“ウィレム坊や”の天下だろう。
「ところでヴィク、今、何時だ」
「一八三七時だ。フョードル=ウィッティ候補生殿。飯に行くなら一人で行け。ついでに哀れな同室戦友に冷たい経口補給水を持ってきてくれると感謝してやる」
「ヴィクが俺に感謝してくれたことなんかあったか?」
「口に出した記憶はないが、心の内では毎日感謝している」
「あほぬかせ」
同室戦友のフョードルの悪態を聞き流しつつ、ようやく息が整った俺はベッドの端に半身を起こし、大きく息を吐いた。士官学校に入学して数日のうちに、同室戦友となった彼ウィッティは、原作ではクブルスリー本部長の高級副官でクーデターの最初の一撃であるアンドリュー=フォークの狙撃事件を未然に防げなかった奴だ。入学早々、特徴的な髪型をした原作登場人物に出会って俺は驚いたものだが、次の週には“ウィレム坊や”に遭遇したので、もう驚くことは諦めていた。まだ会った事はないが後方支援科四年生にはアレックス=キャゼルヌの名前も確認した。
これからの同盟、それも軍事的な意味に絞ってのみ考えれば、俺の年齢を境にして上下五年の世代の士官という存在は極めて貴重だ。帝国領侵攻時には三七歳から二七歳。いずれにしても働き盛りで軍の中核となる存在になっているはずだ。もしかしたら好き嫌い関係なく彼らと積極的に交流し、金髪の孺子による侵攻を阻止できるだけの戦略と戦力と叶うのであれば国力を構築することが、転生者として同盟に産まれた俺のめざすものではないか?
勿論わざわざ金髪の孺子が元帥や宰相になるまで待ってやる必要もない。同盟軍が金髪の孺子をその砲火の下に捕らえた事は幾度としてあった。その機会を逃さず仕留めればいい。ついでに一緒にいる赤毛のイケメンも仕留める事が出来れば、自由惑星同盟は少なくとも近々で滅亡などという事は回避できる、と思う。
「おい、ヴィク!!」
突然体を揺さぶられ、俺は慌てて眼を瞬いてから小さく首を振ると、目の前にウィッティの顔があった。
「お前、時々そういう風に突然意識を飛ばすことがあるが、それは一体どういう病気なんだ? もしかしてオカルト的な『なにか』なのか?」
「いや、単に空想好きって奴だ。むしろ非常に想像力が逞しいと言って欲しいね」
「……士官候補生として、それがいい事とは思えないが、お前、今のうちに夕飯を食べないと拙いんじゃないか? 今晩は当直巡回だろ」
俺はウィッティの言葉に、一度目を閉じて今日の予定表を思い浮かべる。一八三〇時、第五限終了。一九〇〇時から二〇三〇時までが希望者の自習時間。その間の二〇〇〇時から士官学校内の閉門及び巡回業務がある。たしかにウィッティの言うとおりだ。
「おっしゃる通りだ。我が高級副官殿」
「おい!! いつから俺はお前の高級副官になったんだよ」
ウィッティが容赦なく俺のちょっと短めに切りそろえられた琥珀色の頭を叩く。確かに痛いが、後に引きずるような強さではない。彼の気遣いに感謝しつつ、俺は“ランニングで”痛む体を起こすと彼と共に食堂へと向かった。
だがこのタイミングで食堂に行ったのは明らかなミスだった。
かなり広い食堂ではあるが、雑然としているわけでもない。四隅がそれぞれの学年ごとに占有され、食堂の中心あたりが学年間の交流スペースになっている。学年を跨いでの部活動や同好会活動の打ち合わせなども行われているわけで、上級生と下級生の『美しき』上下関係もそこかしらで見受けられるわけで……
「おい、そこの初年生二人。第二分隊のヴィクトール=ボロディンとフョードル=ウィッティだったな」
こっちに来い、と言わんばかりに大きな声と手招きで俺達を呼び寄せるのはやはり“ウィレム坊や”だった。
「「ご用でしょうか、ホーランド候補生殿!!」」
「用があるから呼んだんだ。そこに座れ」
「「はっ」」
バカ丁寧に敬礼する俺達を一睨みすると、自分の取り巻きの一部にずれるよう顎で指図する。同期生相手にその扱いはどうかとは思うが、怒るのも怒らないのも取り巻きA・Bの心の持ち方一つだし、下級生の俺が斟酌する話ではない。遠慮なく俺とウィッティが空いた席に座ると、ドンと太い腕で安造りのテーブルを叩いた。
「貴様達には聞いておきたいと思った。特に第二分隊でもお前達は目立つ二人だからな」
「は」
「二人とも父君が将官だというのは聞いている。そこで聞きたいのだが……」
「失礼ですが、それは違います」
「どう違うのだ?」
話を止められ明らかに不愉快な表情になったホーランドに対し、俺は遠慮なく答えた。
「私の父もウィッティ候補生の父も既に戦死しています。私の場合は叔父に引き取られましたが、ウィッティ候補生はトラバース法によりアル=アシェリク准将閣下のお世話になっていたのです。故に父親が将官であるというのは不正確です」
それが俺とウィッティの共通点。高級軍人であった父親が戦死したことと、扶養先も高級軍人の家庭であること。その事実を知っている教官達は、俺達に対して他の候補生とは時折ではあるが、若干違った態度で接することがある。
ゆえに一般家庭から努力で這い上がってきたと思っている奴や、同じ養子先でも佐官・尉官の家庭に送り込まれた奴から俺達二人はあまり好かれていない。特に平凡そのものの俺達がエリート揃いの戦略研究科に在籍しているのは『何らかの意図』が働いているのではないか、と勘ぐる奴すらいる。逆に取り巻きになって、卒業後の配属先に配慮してもらおうと考える奴もいた。そういう奴らに対して俺達二人は明確に隔意を持って接してきた為、最近ではごく普通の同期生すら必要以上に俺達に接近することがなくなってきている。
だが、この自分の能力に過剰なほど自信を持っている上級生ですらも、そういう奴らと同じように考えているのかと思うと俺は軽く失望せざるを得なかった。
「……わかった。不正確だったのは認めよう。だが俺が聞きたいのはそういうことではない」
逆らって来た事に対する不満よりも、俺の呆れたと言わんばかりの視線に自身を軽く見られた事に屈辱を感じたであろうホーランドは、小さく舌打ちしてからそう応えた。
「貴様達は子供の頃から軍事教育を受けてきたと思うが、戦争に勝つためには何が必要かも教わって来ていると思う。受け売りでも構わん。是非教えてもらいたい」
俺はホーランドがそう言うことすら信じられず一瞬呆然とした。左横に座るウィッティも同じように困惑している。だが数秒して頭に血が回り始めた俺は今更ながら納得した。この自信満々な“ウィレム坊や”は俺達に教えを請うているのではなく、俺達の後にいる将官に教えを乞うているのだと。
そう考えると、俺はやはり可笑しくなった。“ウィレム坊や”もせこい野心を抱えているのだ。それに対して、今更ながら軽蔑だの何だのと余計なことを考える必要はない。グレゴリー叔父の名前だけ借りて、言えるだけ言ってみよう。それで今後……第三次ティアマト星域会戦までに影響を与え、原作では失われてしまった第一一艦隊の将兵が少しでも救われるのであれば。
「戦争に確実に勝つ方法はただ一つ。敵に比して一〇倍となる圧倒的多数の戦力と、正確で適切に運用可能な情報処理機能、および確実に途切れることのない後方支援体制を確立し、それを運用できるだけの国家経済力を整備することです」
悪いな。不敗の魔術師さん。台詞を貸してもらうぜ。
後書き
2014.09.24 更新
2014.09.24 士官学校の入学定員数を変更
2014.10.25 アントニア→アントニナ(3ヶ所)修正
第4話 士官学校 その2
前書き
ゆっくりじっくり士官学校編です。
自分としては“ウィレム坊や”が無能な提督だとはとても思えないんですがね。
ただ中将になったまでの経験とかが、彼の能力を偏ったモノにしてしまったのかと。
宇宙暦七八〇年 テルヌーゼン市
「戦争に確実に勝つ方法はただ一つ。敵に比して一〇倍となる圧倒的多数の戦力と、正確で適切に運用可能な情報処理機能、および確実に途切れることのない後方支援体制を確立し、それを運用できるだけの国家経済力を整備することです」
原作ではトリューニヒト国防委員長にあの魔術師が言った台詞だ。確かあの時は五倍だったか? トリューニヒトを鼻白ませる為に、わざと過大なことを言っていたというイメージだ。
前世地球上で繰り返された戦争を思い返すならば、『戦争に勝つ』にはこれだけの前提条件でも不足だ。少数戦力が多数戦力を撃破したことは幾度としてある。とくに非対称戦などにおいては『戦闘に勝っても戦争で負ける』ことはよくある。
結果として巨大な軍事力を、無理なくセオリー通りに運用できる国家経済力があれば、『戦争に勝つ』ことは出来なくても『戦争に負けない』ことは出来る。前世で明治日本が強大な帝政ロシアに勝利したというのは、講和によって相対的に勝利したように見えるだけであって、クレムリンに日章旗を揚げたわけではない。もしロシア国内で革命が起こらなければ、豊富な帝政ロシア陸軍により満州の日本軍は蹂躙されていた可能性もある。外交や謀略戦の重要性は言うまでもないことだが、こと同盟と帝国とフェザーン自治領しかないこの世界には、イギリスやアメリカに匹敵する戦略を揺るがす事の出来る戦力を有した第三国が存在しない。
そして現状の同盟が帝国の侵略に対抗できるのは、ひとえに国家体制・技術力などを含めた両国の総合国力に致命的な差がないことにある。原作を知っている俺は、そこで『とある自治領の黒狐』を思い浮かべたが、この場でそれを言ったところであまり意味はないし、どうせ説明しきれない。
「……貴様、俺をバカにしていっているのか?」
俺に注がれる“ウィレム坊や”の視線は明らかに危険な水位に達していた。トリューニヒトは政治家で、しかも表情を平然と取り繕うことの出来る主演男優であるから、魔術師は問題なかった。目の前の“ウィレム坊や”は士官候補生で、しかも自分の能力に過剰な自信を持っている奴だ。瞬時に拳が飛んでこなかったのは、俺の背中にグレゴリー叔父を見たからだろう。
「だいたい一〇倍の戦力などどうやって整える。貴様は一〇倍の戦力がなければ、我々は帝国軍に勝てないとでもいうのか!!」
「ホーランド候補生殿。これは自分があくまでも『戦争に勝つためには何が必要か』という候補生殿の問いに対し、養父や学んだ知識から導き出した自分なりの答えに過ぎません」
いつ飛んで来るか分からない拳に正直怯えつつ、俺ははっきりと“ウィレム坊や”の両眼を見据えて答えた。こういう場合、相手に答えを言わせてそれとなくぼやかしつつ、丁度いい引き際を見計らうのが、前世で社会人だった俺が学んだ本当にどうでもいい処世術だ。
「ですから、もしホーランド候補生殿に別のご意見があるのでしたら、是非とも後学のためにお聞かせ願いたいと自分は考えます」
そこまで俺が言うと、俺達のテーブルを中心に半径数メートルの視線が、“ウィレム坊や”に集中する。まともな答えがないとは言わせないという雰囲気が若干ながら漂いはじめる。特に“ウィレム坊や”にいいようにされている三年生・四年生にその傾向が強い。だったら人任せにしないで自分達で掣肘しろと言いたいところなんだが。
その微妙な雰囲気を感じ取ったのか、“ウィレム坊や”は明らかに必要もない咳払いを一つ入れてから答える。
「まずは現在の艦隊編成を火力と機動力に優れたものに順次切り替え、個々の艦隊戦において帝国に比し優位に立てるよう整備する。帝国は第二次ティアマト星域会戦での敗北以降、回廊に要塞を建設し、この要塞を根拠地とした戦力の逐次投射による離隔と突進遠征を行っている。その意図が数的優位を基本とした消耗戦である以上、要塞を攻略・奪取することにより帝国の戦略そのものを崩壊させ、同盟軍による帝国領侵攻が可能となる」
「なるほど」
一見正しいように見える意見だ。帝国軍の戦略意図に関してはほぼ間違っていない。現在のそして将来の同盟軍上層部も同じような見識を持っているのだろう。故にイゼルローン回廊で数多の同盟軍の将兵が屍を晒したのだが。
「しかし、イゼルローン要塞の要塞主砲と要塞外壁の防御力、それに駐留艦隊の機動戦力は軽視できません。ホーランド候補生殿はどうやって攻略しようとお考えですか?」
「圧倒的な火力だ」
してやったりという笑顔で“ウィレム坊や”は俺に答えた。
「ビーム攻撃であの要塞が揺るがないことは知っている。だが機動力に優れた大火力部隊を要塞主砲の死角に送り込めば、要塞自体を直接攻撃できる」
ヌフフフフという例の気持ち悪い声を上げて満足そうなホーランドに向かって、俺はわざと神妙な表情を浮かべて沈黙した。俺の態度を見た取り巻きA・Bは満足そうだし、周囲で聞き耳を立てていた三年生・四年生からは明らかに失望の雰囲気が漂っている。
ここで引き下がっても、俺は別に問題ない。周囲からさらに隔意をもたれるか、それともホーランドの取り巻きとして扱われるか、所詮は他者の視点であって俺が斟酌すべき話ではない。ただホーランドの言っていることが戦略ではなく戦術レベルであることと、過剰な攻撃力重視・補給軽視の問題点を指摘しておかねば、将来貴重な将兵が失われることになりかねない。それだけはどうしても俺の心が許せない。俺は一度小さく腹から息を吐いて“ウィレム坊や”を真正面から睨み付けてから言った。
「大火力部隊を持ってイゼルローン要塞を直接攻撃する。結構なことです。ですが実現するには多くの問題点があります」
俺のあからさまな反抗的態度に、“ウィレム坊や”もすぐに気がついて気持ち悪い声を止め、両拳を握りしめている。右横ではウィッティが心配そうに俺を見つつも、僅かに椅子から腰を上げ重心を俺寄りにしている。俺が殴られそうになったら、俺を突き飛ばして身代わりになるつもりなんだろう。まったく困った同室戦友だ。
「まず大火力部隊を要塞近辺にまで送り込ませねばなりません。要塞主砲の有効射程も出力も艦砲のそれとは比較にならず、要塞駐留艦隊もいる以上、接近することだけでも困難が伴います」
「次に要塞を直接攻撃できるだけの兵器となると、艦砲などではなくレーザー水爆ミサイルの艦隊規模発射しかありません。しかも数度にわたってです。レーザー水爆は有効射程が短いだけでなく、実体弾なので充分な補給がなければたちまち火力不足に陥る事になります」
「さらに直接攻撃を行う部隊を要塞駐留艦隊から防御する艦隊も必要になります。直接的にも間接的にも。当然ながら要塞駐留艦隊の規模よりも大きくなければなりません。場合によっては三個、いや五個艦隊を動員することになるでしょう。彼らに十全な戦闘能力を持たせるには、大規模な後方支援体制を用意せねばなりません」
「ついでに申し上げるならば、仮に要塞攻撃が失敗した場合、失われる戦力も膨大になります。それを補いつつ、国防体制を維持するのは現在の同盟の国力では困難です」
ここまで言い切って、俺は一度大きく呼吸した。目の前の“ウィレム坊や”は顔を真っ赤にして俺を睨み続けている。
はっきりいえば俺の答えには幾らでも反論のしようがある。的に察知されず接近するなら妨害電波などの支援方法もあるし、原作通りミサイル攻撃専用の艦艇を用意したうえで、囮としての大兵力も動員可能だ。だが最後の一点だけは反論のしようがない。もっともあの要塞を陥落させた方法は全く違うのだが。
「ゆえに、大規模な戦力を維持・運用できるだけの充分な国力を整備することが、戦争勝利の方法であると自分は考えております」
この言葉が止めとなった。“ウィレム坊や”は何も言うことなく赤い顔のまま『フン』と鼻息を吐くと、取り巻きを連れて大股でカフェを出て行く。ホーランドが椅子から立ち上がった時、正直殴られると思った俺は全身に力を込めたし、ウィッティも腰を浮かせたが、立ち去っていく姿を見て俺達は崩れるように椅子へ腰を落とした。
「……お前が殴られずにすんで良かったよ。ヴィク」
「……正直俺は、アイツが殴りかかってくると思ったんだけど」
「いやいや“ウィレム坊や”も少なからず教訓を得てくれたようで何よりだ」
お互いの情けない顔を見て溜息をつく俺とウィッティだったが、肩を落とし背中が丸まっている頭上から浴びせられた暢気な声に、俺達は疲れた首を振り上げた。
そこには随分と若作りな悪魔の尻尾を持つ要塞事務監が立っていた。
相手は四年生。こちらは初年生。先任順序は軍隊の鉄則だ。俺達は疲れた身体を今一度椅子から立ち上がらせ敬礼する。キャゼルヌも面倒くさそうに答礼すると
「あれほど補給・補給言うからてっきり後方支援科だと思ったんだが、戦略研究科とは思わなかった。これでしばらく“ウィレム坊や”も大人しくなるだろう」
あまりにも他人行儀な言い方なので、俺はカチンと来て言い返した。
「こういっては身も蓋もありませんが、彼の増長を押さえることが上級生の仕事では?」
「確かに身も蓋もない言い方だが、アイツはあれでちゃんと上級生に対しては礼節を保っている。目の前の誰かさんのような言葉遣いはしないのさ」
と、怒らずそして悪びれず答えるものだから、結局俺もウィッティもお互いの顔を見合わせずにはいられなかった。
この事件というか遭遇戦以降、キャゼルヌが卒業するまで俺達二人は彼の『暗黙の保護下』みたいな扱いを受ける羽目になる。しかも『あの』ホーランドを口で撃退したということで、それまでホーランドに遠慮していた戦略研究科『以外』の候補生が何かと気を遣ってくれるようになった。特に秀才揃いで男性比率の高い戦略研究科ではなく、女性比率のかなり高い情報分析科や半々の後方支援科などからお誘いがくるものだから、俺達二人の戦略研究科での立場がたいへんいろいろな意味で『微妙』になってしまった。
もっとも前世日本でモテ期のなかった俺としては、たちまち女性との付き合い方に不慣れな面を露呈してしまい、『なんていうか、顔も性格も家柄も悪くないんだけど恋人にするにはちょっと』みたいな扱いになってしまった。むしろそういう面ではウィッティが調子に乗っていたと思う。
そしてホーランドなどは『あいつ等は口先だけの軟弱者だ。実戦になれば後方支援ぐらいしか役に立たない』などと陰口をたたいているらしい。お陰で直上の二年生からは圧力を伴った視線を感じる事がしばしばだ。だが『保護者が将官だから贔屓されている』と言わないところは、さすがにエリート連中だと思ったが。
ともかく暗黙の保護下で、俺はウィッティとそれなりに努力し、二年進級時には戦略研究科内でも上位の成績を収めることが出来た。同科上級生からのストレスを、上手い具合に発散できたと思う。
正直言えば、自分が銀河英雄伝説の世界にいることを満喫していたのかもしれない。体力はホーランドのイジメ寸前とも言うべき『追加』訓練でゆっくりとではあったが充実していったし、あの魔術師がいやがっていた「戦闘艇操縦実技」や「射撃実技」も、前世では経験できなかったことだったから興味を持って取り組めた。「戦史」「戦略論概説」「戦術分析演習」もそれなりにというか、ぶっちゃけ『ヤンに負けたくない』という無謀というべき意地で高得点を確保してきた。
ただ「戦略戦術シミュレーション」の成績が、戦略研究科としてあまりにも芳しくなかったのだ。
後書き
2014.09.24 更新
2014.09.24 言い回し修正
第5話 士官学校 その3
前書き
数多くのPV、本当にありがとうございます。
正直、これほど反響があるとは思っていませんでした。
ですがちっとも話が進みません。主人公最初の挫折です。
宇宙歴七八一年 テルヌーゼン市 士官学校二年生
「戦略戦術シミュレーション」の成績が、あまり芳しくない。
それは将来、艦隊を指揮する立場となるべき人材として期待されている戦略研究科の候補生として、かなりマイナスと評価される事実だ。もちろん戦略研究科の卒業生が、全員艦隊を指揮するわけではない。だが星間国家の実力組織として最大のものが宇宙艦隊であることは疑いようのないことで、シミュレーションは実力組織をいかに効率よく運用できるかという指標でもある。もともと戦史研究を志望していた不敗の魔術師は、一〇年来の天才をシミュレーションで破ることにより出世の足がかりを手にした。
いくら他の科目成績が良かったとしても、才能あるいは適正がないということで、艦隊を指揮する立場には立てない。「戦略戦術シミュレーション」六五点という成績を前に俺はかなり焦っていた。
艦隊を指揮する立場に立てないにしても、三一年後の同盟崩壊を救う手だてがないわけではない。だが自由惑星同盟という星間国家の生存条件として、あの金髪の孺子を仕留めることは絶対条件だ。情報部の工作員として帝国に侵入し暗殺するというのも手ではあるだろう。地球教徒やテロ組織を活用する手もあるだろう。だが『赤毛ののっぽさん』や『やたらと口の堅い猫』が周囲を固めているところに突入して首尾良く殺せるとはとても思えないし、他人任せは不確定要素が多すぎる。だいいち、俺は陸戦で一対一となっても孺子に勝つ自信はない。
俺が確実に金髪の孺子を殺す為には『ハーメルンⅡ』『エルムラントⅡ』『ヘーシュリッヒ・エンチェン』『タンホイザー』『ブリュンヒルト』のいずれか、あるいは全てを“戦場”で撃沈するしかない。あるいはヴァンフリート四-二を惑星ごと吹っ飛ばすかだ。その為にはどうしても実力としての宇宙艦隊、あるいは宇宙戦闘艦の指揮権が必要だ。
そして首尾良く孺子を殺す事が出来たとしても、不敗の魔術師によるイゼルローン攻略が成立し、帝国領侵攻が議会に提出され討議に移った時、実働戦力を有していない、あるいは指揮したことのない高級軍人の言葉に耳を傾けてくれる人はそう多くないだろう。艦隊指揮官としての実績のあるなしは、後方でも大きなファクターだ。
「おい、ヴィク。知っているか?」
俺が教官から渡された「戦略戦術シミュレーション」の成績表と睨み合っていると、士官学校生活一年間ですっかり要領を覚えたウィッティが、端末片手に暢気な声で俺の背中を突っついた。
「こんど校長が交代するらしいぜ」
「ふ~ん。誰から聞いた?」
「キャゼルヌ先輩だ。今の校長は年度末で定年になる。それで本部から新鋭の中将を呼ぶって話だ」
「つまりポストが空くまでの『腰掛け校長』か」
「ま、そういうことだ。あまり真剣に仕事してくれるとは思えないな」
溜息をつくウィッティに、俺は肩を竦めて応じた。
士官学校の校長は、基本的に同盟軍中将を持ってあてることが軍憲章には記されている。後方にあって優秀な士官を育てるという任務は、軍にとって最重要任務と言っても過言ではない。だが実際のところ優秀な高級軍人というのは実務・実戦で必要とされており、戦局に大きな影響を与える事のない(そう考えていること自体が間違いなんだが)後方の教育職は軽んぜられる傾向がある。出世コースから外れた退役まで六年程度の老中将か、あるいは次期重要ポストが空くのを待つ若手の中将が当てられる。士官学校校長の在任期間は平均すれば四年だが、老中将は退役まで在任し、期待の若手は一・二年で転出していくので、実際に四年間在任する校長は殆どいない。
ただこの時、俺の思考は「戦略戦術シミュレーション」の成績に集中していた為、新年度になるまで士官学校の校長については忘却の奥底にしまい込まれていた。
大講堂の中央演壇に、あの長身黒人『中将』閣下が登壇するまで。
そうだった、と今更後悔してももう遅い。三年後には魔術師が、五年後には自称革命家が入学してくるのだから、シドニー=シトレが校長となるのは間近であったのは間違いない。ただウィッティの『腰掛け校長』という言葉に惑わされただけなのだ。宇宙歴七八五年に校長職であったといっても、その年に『着任』する必要はないわけで。
「そう嫌そうな顔をする必要があるのかね。ボロディン候補生」
巨大な書斎机に白い布がぴっちりと掛けられた本革ソファ。壁一面に並べられたトロフィーや報償盾。そして歴代の校長の写真が天井近くにばっちりと並んでいる。士官候補生がこの部屋に入ることが許されるのは、成績上位者の表彰を受ける時と、落第や譴責の通告を受ける時の二通りしかない。だから俺は呼ばれた時、ばっちりと七年前の出来事を思い出した。
一体なんなのよ。この状況。
「……校長閣下。自分はなぜ呼び出されたか、よく分からないのでありますが」
「校長が校長室に士官候補生を呼んではいけないという規則はないはずだが?」
「正当な理由があるのであれば、お教えいただきたく存じます」
「亡き戦友の息子の顔を見たかった、ではいかんかね?」
予想通りの返答に俺は失礼を承知で大きく溜息をついた。公私の区別が付いていないなどと杓子定規にいったところで、この校長にはさして効果はないのは分かっている。
「こんな顔でよろしければ写真でも撮ってください。ですが、校長室に呼ばれるというのはこれっきりにしていただきたく存じます。全候補生に贔屓されたと思われますので」
「そう思われても大して気に留めないくせによく言う。だが私が君を呼んだのは、別に理由がある」
そう言われては、俺としても背筋を伸ばして聞くしかない。亡き父の上官であり、良き先達者である彼との間には、一〇の階級が横たわっている。だが、少なくとも認めたくはないが尊敬する彼の言葉を聞いて、俺は体温が急激に降下したのを感じざるを得なかった。
「君は軍人に向いていない。私は出来るだけ早いうちに君が退学届を出すことを期待している」
言葉にするといささかテンプレ的ながら、俺はどうやって自分の部屋に戻ってきたか分からなかった。ただ本当に、意識を自覚したのはウィッティに頬をペシペシと叩かれてからだった。
「いきなり新校長に呼ばれたから、どんなとんでもないイタズラをしたかと思ったが、大丈夫か? 顔、真っ青だぞ?」
「あ、あぁ……」
「どうしたんだ。退学しろとでも言われたのか?」
「あぁ」
「……はぁ!?」
ウィッティの顔はいっそ見応えがあった。あの面長な顔に目と口で丸が三つ出来たのだ。だがその顔を近づけて俺の肩を揺すられると、マジでビビる。この顔ならあのオフレッサーにも勝てるんじゃないか。ガッチリと俺の肩を掴むウィッティの指が、まるで針金のように感じられる。
「一体どういう理由で? ヴィクは全科目平均で八五点を越えているだろ。確か二年進級時成績は……」
「一九番/四五五〇名中。戦略研究科で一三番/三八八名中」
「少なくとも俺よりは上だ。ヴィクの成績が退学に値するなら、同時に士官学校の生徒を四五三一名も退学させなくてはならない。そんなアホな話があるか」
俺の肩を掴んでいた両手を放し、部屋から出て行こうとするウィッティの後から襟首を掴んだ。
「校長室へ行くつもりだろ、ウィッティ。止めてくれ」
「分かってて止める理由はなんだ、ヴィク。お前の正統な権利を侵害されているんだぞ?」
「校長は『退学届を出すことを期待している』と言っただけだ。『出せ』と命じたわけじゃない」
俺はヴィクだけでなく自分にも言い聞かせるように言った。そうしなければ、俺自身ウィッティの手を離したくなってしまう。
「俺には軍人になるべき重要な何かが欠けていると、校長は言っているんだ。それを見つけ、校長が言った言葉が正しいか自分で判断するまでは、反論も抗議もする意味がない」
そこまで言い切ると、さすがにウィッティも立ち止まり、俺を見下ろして言った。何を言うのかもだいたい想像がつく。
「校長の言っていることが正しかったら退学するつもりか?」
「するわけがない。俺には軍人になってやらなければならない事がある。必要であるなら改善するし、必要でないなら改善しない。校長に抗議するかしないかは、俺がその時に決める」
図らずも第二の人生を銀河英雄伝説の世界で過ごすことになった。こちらの世界の父親は帝国軍によって倒された。恨む、という気持ちは残念ながら浮かんでこない。我ながら『親不孝』だとは思うが、軍人となり自由惑星同盟を滅亡から救いたいという気持ちのほうが強い。
だから『軍人に向いていない』からといって『退学届をだす』つもりはない。
だがなぜシトレは俺が『軍人に向いていない』と判断したか。それを知ることは決して損ではないと、俺は思った。
後書き
2014.09.26 更新
第6話 士官学校 その4
前書き
ようやく主人公は士官学校2年生です。
多分次は時間がちょっとジャンプします。
宇宙歴七八一年 テルヌーゼン市 士官学校二年生
軍人に向いていないと告げられてから三ヶ月。
俺の士官学校生活は初年生とほとんど変わりなく過ごしている。後輩という者ができて先に敬礼する回数こそ減ったが、まだ上級生の方が圧倒的に多い。そして相変わらず「戦略戦術シミュレーション」の成績は良くない。
さすがにこのままではよくないと、評価の高い同級生や上級生の結果を何度も見なおした。腹は立ったがここ数年では最優秀という“ウィレム坊や”の戦いも、だ。
だが何度見返しても、自分との比較を繰り返しても彼らの戦い方が自分よりも優れているとは思えなかった。むしろ何故自分の成績がこれほどまでに低く扱われているのかが理解できない。
「戦略戦術シミュレーション」はその名の通り、仮想的な宇宙空間の中で、与えられた戦力・資源を用いて戦略的・あるいは戦術的目標を達成させるゲームのようなものだ。宇宙艦隊を率いて戦略目標を撃破するシナリオが最も多いが、他にも物資輸送、星域占拠、空間制圧等の戦術シナリオもある。幾つかの戦略・条件が重なり合った中で、複数の勝利条件をどれだけ満たしていくか。それが評価の可否となる。早い話が前世に繰り返し行っていたゲームのより精度の上がったバージョンで、よりリアルに、より厳しくクリア条件が設定されているものだ。
前世で銀河英雄伝説のゲームはかなりやり込んだ。完勝することだってあった。だがそれは戦略的条件が極めて安易に設定されていたことを、今の俺はよく理解できる。失敗しても基地に戻れば補給が出来、艦艇や兵員の補充も可能だった前世のゲームとは違い、「戦略戦術シミュレーション」では、失われた艦艇・兵員の補充は戦略条件で認められているもの以外は一切ない。
故に実働戦力の戦略保存こそ優先されるべきであり、戦略最優先目標を達成するために不必要な戦闘は出来うる限り回避する。敵艦隊の撃滅を目的としている場合、交戦時は徹底的に防御を優先し、敵艦隊の全滅撃破ではなく、敵部隊の実力結束点の破壊と敵旗艦撃破に打撃力を集中する。逆に戦略輸送が最優先目標とされる場合は、実働戦力を牽制に利用し、確実に全ての物資を送り届ける。それが俺の考え方だ。
結果として俺は与えられた最優先戦略目標を「確実に」達成している。しかも損害は軽微だ。その代わり付帯目的ともいえる追加勝利条件を達成したことは、偶然を除いてあまりない。ゆえに評価として満点を取ったことは一度もなく、落第点を取ったことも一度もないというのは理解できる。
“ウィレム坊や”は戦略輸送を最優先目標としているシナリオで、数隻の輸送艦や数百隻の護衛艦を失いつつも、襲撃してくる敵艦隊を華麗な戦術で完全撃破する。見ていても興奮するような鮮やかな勝利だったが、最優先目標である戦略輸送には僅かであっても失敗しているのだ。数隻の巨大輸送艦に搭載されていたであろう物資が輸送先に届かなかったことで今後の戦略を左右することもあるだろうし、数百の護衛艦には一万人以上の将兵が乗り組んでいる。それを失っているにも関わらず、何故満点+追加評価点なのかが理解できない。「戦略戦術シミュレーション」は『ゲームのようなもの』ではあっても『ゲーム』ではないはずなのに。
思い悩んだ末に俺は「戦略戦術シミュレーション」の主任教官に質問をぶつけた。戦略最優先目標の達成に僅かであっても失敗しているにもかかわらず満点+追加点を与えるのは、いかなる理由なのか……
「実際の戦場において、戦略最優先目標を完璧に果たすことは不可能だ。日々システムを更新しているが、現実には、シミュレーションでは補いきれない不確定要素も数多く存在する」
主任教官は、俺が“ウィレム坊や”と一悶着あったことを既に知っており、またグレゴリー叔父の養子である事も知っている為か、頭ごなしではなく聞き分けのない子供を諭すような口調で答えた。
「故に戦略最優先目標には『ある程度の損害』が発生することは織り込み済みなのだ。そして実戦においては想像もしていなかった危険な事態というのも発生する。この場合は『敵艦隊の奇襲』だ。それを最小限の犠牲を持って排除し、なおかつ戦略最優先目標を達成したのだから、満点であり追加点を与えることになったのだよ」
「物資を搭載した輸送艦を失うことも、数百隻の護衛艦艇を失うことも『想定される損害』であるのですか?」
「さよう。……なるほど君は確かにこのシミュレーションでは一隻の輸送艦も失っていないし、護衛艦艇も三〇隻しか失っていない。戦略最優先目標は達しているが、君は敵艦隊からは逃走している。君がこの命令を出した上官だとして、今後この宙域に戦略輸送を行わせるに際し、敵艦隊の奇襲の懸念を持たざるを得ないだろう」
「はい」
「その危険性を一度に排除したと考えれば、ホーランド候補生の評価は正しいものだと考えないかね?」
主任教官の問いかけに、俺は何も言うことが出来なかった。
最優先目標に被害が想定されているというのは分からないでもない。宇宙船技術がほぼ完成されたと言っていい状況下ではあるが、想定外やメンテナンス不足などによる事故は発生している。
敵艦隊が戦略輸送のルートに存在しているという伏線設定も、また分からないまでもない。情報部が想像以上にヘボで役立たずで、輸送ルートに一個艦隊規模の戦力がいる可能性を本部に伝えない可能性もなきにしもあらずだ。もちろん知らせておいて同数戦力を護衛として送り出す司令部もどうかしていると思うが、前提条件についてとやかく言う必要はない。
だが複数命令を与えて、それを達成させることで評価を加算していくやり方は明らかに間違いだ。まず最優先目標を達成するという使命をおざなりにしてしまう可能性がある。たとえばホーランドを襲撃した敵艦隊は、あくまでも戦略シミュレーション上で構成された仮想人格に率いられた艦隊だ。動きも緩慢で、ゲームなら平均的モブ敵キャラとも言うべき存在だ。もし敵艦隊が金髪の孺子に率いられていたら、あるいは色目違いの女たらしや体操選手や黒猪だったら? 俺だったら戦うことなく早々に逃走を選択するだろう。あるいは輸送艦を後方に待避させる時間稼ぎの為に、撤退を前提とした防御戦を挑むかもしれない。
つまりは『被害が出ることが前提』という考え方が、俺にはなかった。多少の被害があっても目標を達成し、なおかつ不確定要素を排除できることが『最上』ということだ。たとえその被害が『自分のもっとも信頼する部下の戦死』であったとしても。
前世であれば、確実に取れる契約を取ってくるだけでなく、他にも何件かの営業成績を上げるというのは十分評価に値しただろう。勇み足をして確実に取れる契約すら失ったとして、会社から罰を受けたとしても命まで取られるわけではない。だが戦場ではミスをすれば容赦なく命を奪っていく。
そういう現実に、俺が耐えられない。シトレはそう考えて『軍人には向いていない』と言ったのだろうか?
自分の手の届かない範囲での戦略前提条件により、目標を達成させるために損害が出る、ということに耐えられないだろうと。
もしそうだとしたら、俺を舐めるにも程がある。なにしろこちらは『一度死んだ』身だ。怖いのはチョコレートの中に狡猾に隠されたアーモンドだけであって、新たな人生の目標である『同盟の生存と自身の生存』を達成する為には、『多少の被害』など恐れない。もっともなるべくその規模を小さくしたいとは思うが。
結論が出た限り、シトレにはそれなりに返事をしなければならない。事務監に校長のアポイントを取ってもらい、俺は再び校長室でシトレと向き合い、その事を話した。だが今度もシトレの返事は同じだった。
「君は明らかに軍人向きではない。トラバース法の制約がないのだから、今からでも飛び級で一般大学へ進学して、官僚でも政治家でも目指すべきだと私は考える。若干危険な面も見受けられるがまずは許容範囲だ。君にはその分野での才能と能力がある」
一度溜息をついた後のシトレの言葉の節々に、若干なりとも苦渋が込められていることが俺には分かった。
「これは私個人の意見だ。君の人生だから君が決めることであって、私が本来とやかく言うべきことではないのも確かだ。だが軍という組織は、君の貴重な才能と能力を潰す可能性の方が極めて高い。敵の砲火が先かもしれんが。……まぁ軍組織の中で高位にいる私がこう言うのもおかしな話だがね」
「……自分は軍人ではなく政治家向きだと、仰られるのですか? おべんちゃらを駆使できるほどこの口は達者ではありませんが」
「おべんちゃらを言うだけが政治家の適正ではない。君には国家戦略レベルの視野があり、自由惑星同盟と民主主義という制度を守るという最優先目標を見失うことのない意志があり、目標に向かって努力するという才能があり、士官学校校長に真っ向喧嘩を売るだけの度胸があり、そして人が死ぬという戦争という社会現象を必要と知りつつも心底嫌っている。そういう人間が簡単に戦争で死なれては国家にとっての大きな損失だ」
そこまで言って、シトレはその長身を椅子から持ち上げ、俺の目の前まで歩み寄ると真っ正面に立つ。前世では一七〇センチだった俺の身長は、一六〇センチを若干越えたばかりであったから、二メートルのシトレが目の前に立つと、完全に仰ぎ見る形になる。
「君が一般大学に進学し、官僚で実績を備え、政治家として最高位になるにはあと三〇年は必要かもしれない。だが、その三〇年後から同盟が帝国とほぼ同レベルか若干上回る国力を手に入れる道を歩みはじめる」
「それは買いかぶりすぎです。校長」
「そう買いかぶりでもないさ。もし君が二人いるなら、一人は軍人として統合作戦本部長、もう一人が最高評議会議長となってもらい、二人で同盟を切り盛りしてもらいたいものだ。もっとも私は君の指揮下では戦いたくないから、その頃には故郷で養蜂でもしているがね」
ここで俺が原作の知識を披露できたらどれだけ気が楽になっただろう。一八年後に同盟は帝国に無条件降伏。一九年後には滅亡すると。滅亡から逃れるためには金髪の孺子を確実に倒さねばならないことを。
だがここで「私は別世界から転生してきた人間で、これから未来はこうなります」などと言えば、正気を疑われる事は間違いない。シトレの俺に対する評価は地に落ちるし、下手をすれば放校処分だ。
またたとえ政治家に転身したとしても、ジェシカ=エドワーズと同じように議員になることは出来ない。まず彼女と俺とは明確に政治スタンスが異なる。与党政治家としての道を進んだとしても、帝国領侵攻前に最高評議会の席に座ることは不可能だろう。分厚い評議会議員候補が俺の前に並んでいる。トリューニヒトのケツを舐めるというのであれば、もしかしたら可能性もあるだろうが。
「自分は軍人の道を進みたいと思います」
俺の言葉に、シトレは心底残念そうな表情を見せた後、俺の両肩に大きな手を乗せて言った。
「それも君の意志だ。尊重しよう。アントンも妙なところで頑固なところがあったが、やはり君は彼の血を引いているな」
「ありがとうございます」
「では今日これから、私と君は士官学校の校長と一候補生だ。分かったな?」
「承知しました。シトレ校長閣下」
俺は久しぶりに気合いの入れた敬礼を、シトレに向かってするのだった。
後書き
2014.09.27 更新
第7話 魔術師 入学
前書き
多くのPVありがとうございます。
前話より少し飛んで4年生となった主人公が、大した人生経験もないのに
偉そうに魔術師に人生訓をたれる話です。
宇宙暦七八三年 テルヌーゼン市 士官学校
士官学校に入学して三年が過ぎ、いよいよ四年生となる。先に敬礼する相手は間違いなく少数派になった。それだけで自分が小心者だと自覚しつつも、偉くなったようで少し胸を張りたくなる。“ウィレム坊や”が最上級生になり、実習航海やなんやで士官学校にいる時間は減るから、俺としても今年一年は伸び伸び学校生活を送れるようになるだろう。
しかしシトレの校長としての手腕は贔屓目抜きにしても実に見事だった。
欠点のない秀才よりも異色の個性を伸ばすところに教育の重点を置いている事により、「一芸に秀でているものの全体としての成績はそれほどではない」といった中の下とか下の上位の成績の候補生のやる気を一気に向上させた。それは彼らの別教科への学習意欲をも向上させ、かつ秀才達の尻に火を付けるような形となって、士官学校全体の向学心は間違いなく上昇した。
その上で校内におけるいかなる体罰の厳禁と、年間休日と校外学習を増加させることで、密閉式に近い士官学校の溜まり澱んだ雰囲気が少しずつではあるが改善してきた。校外学習と言っても軍事関連企業が中心で、俺としては後方支援の根幹となる基礎国力と戦災関係の企業や支援施設などを巡るべきだとは思うが、主戦派で占められている国防委員会は士気が落ちると懸念して承認しないのかもしれない。
旧弊打破という意味でも、士官学校の風通しはかなり良くなった。それを不満に思う者もいないわけではないだろうが、新入生にとってみれば朗報だろう。なにしろ今年はかの魔術師が入学する。原作通りあの軍人らしからぬ軍人が育つ校風は整っていた。
まぁ入学してくる魔術師はともかく。俺は四年生の総合席次でようやく一桁に達した。座学も実技もこれまで以上に努力した。努力した分が報われるというのは、恵まれている状況というべきか。
そして評価基準が自分とは明確に異なる「戦略戦術シミュレーション」については、少しだけ考え方を変えてアプローチしてみようと考えた。戦略最優先目標を阻止する為に相手はどういう手を打ってくるかという方向に、である。
早い話が以前とは全く逆の視点でシミュレーションに臨むという事だ。損害を顧みず自分をぶち殺すには自分ならどうするか。強行突入・進撃包囲・伏兵・誘導・機雷戦・通信妨害など、考えつく限りの方策を作り、その中で空域や戦略条件下ではどのシナリオが一番被害が大きくなるか選択、それに対応できる作戦を立案し、万が一の為の戦略予備も計画した上で事に臨む。
この変化で、俺は二年・三年と僅かではあったが成績を上昇させることができた。対仮想人格戦の場合の成績は全くと言っていいほど変わらなかったが、対有人戦(つまり候補生同士)の成績はある程度向上した。対戦する相手が誰だかわかっている場合は、ほぼ勝利を手にすることが出来るようになった。対戦相手は当然俺に向かって「勝つために」挑んでくるのだから、相手の癖や性格がわかれば、勝利への道はかなり近くなる。なるほど「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というのはよく言ったものだと心の底から感心できた。
もっともその過程において、進んで人を罠に貶めることに慣れていくドス黒い不愉快さと、その影にちらつく毒々しくも甘美な味を知ってしまったわけで。毎朝鏡を見る時、自分の頭に羊の角が生えてないか、確認するようになってしまったのだが。
それはともかく、変な偶然というものはあるもの。それとも入学四年目にしてようやく弟子入りした小悪魔に大悪魔が褒美を与えてくれたのか、それとも俺をこの世界へと転生させた何者かの超常的な力が働いたのか。俺は入学式から二ヶ月もせずして魔術師に出会ってしまった。
その日はたまたまウィッティが俺とは別の訓練を受けている関係で、部屋に戻っても一人しかいない状況になり、ぼんやりと自室自習するならと次の対戦に備え、地球時代の戦史や公文書記録を読んでみるかと俺は校内の図書ブースへ向かっていた。
既に五限目が始まっており、図書ブースには学課のない候補生がある程度の間隔を取って、各々勉学に励んでいるようだった。俺も同じように周囲がそこそこ空いている席を探していたのだが、その中でも一番奥の辺りに位置する読書席で、どう見ても勉強ではなくボンヤリと映画鑑賞しているような雰囲気で座席にもたれかかっている魔術師の卵を見つけてしまった。両足を上げて座席で胡坐をかいて画面を見ている姿は、多少若作りとはいえヒューベリオンの司令艦橋にいたあの姿とまったく同じだった。
「ヤン=ウェンリー提督……」
俺は近寄ってその姿を見て、思わず呟いてしまった。そりゃそうだ。原作アニメを見ていた人間なら、誰だって無条件でそう呟きたくなるに違いない。
「はぁ? ……」
胡坐をかいたまま、こちらを見上げるヤンの顔が、半分寝ぼけた表情から『ヤッチマッター』という表情に変化するのを見て、俺は苦笑を堪え切れなかった。そしてヤンは、俺が怒るよりも苦笑している事に安堵を感じたのか、気恥かしそうに例の収まりの悪い髪を右手で二・三度掻いた後、座席から立ち上がって敬礼した。
「大変失礼いたしました。戦史研究科初年生のヤン=ウェンリーです」
「戦略研究科四年生のヴィクトール=ボロディンd……だ」
俺が『です』と言いたくなったことも無理ない事だと、内心で皮肉を感じざるを得ない。あの金髪の孺子に比類するこの時代の主人公を前にして、今の俺はただの年齢順序とはいえ『先輩』なのだ。強烈な違和感が身体中を這い廻るのを、俺は感じた。
俺が何も言えず、妙な感動に震えているのをヤンは困ったように見つめていたが、思い出したように「あ」と口に出して俺に言った。
「『戦略研究科の悪魔王子』のお噂は常に耳にしています。特に「戦略戦術シミュレーション」の対候補生戦における戦いぶりは、戦史研究科でも有名です」
「……それは今まで聞いた事がない異名だが、褒められていると思っていいのだろうか?」
悪魔と言われて思わず俺は右手で側頭部を撫でてみたが、今のところ角が生えた様子はない。俺の児戯のような仕草に、ヤンも苦笑を隠せないらしい。口を手で押さえて体を震わせている一六歳のヤン=ウェンリーというのもなかなか見ていて面白い。
「ボロディン先輩が他の候補生と会話する目的は、相手の弱みに探りを入れることであって、それが「戦略戦術シミュレーション」での勝利に通じているらしい、そうです……これはあくまでも噂ですが」
図書ブースで長々と会話するのもまずいと思い、俺はヤンをカフェに誘った。どうやら授業がない(本当かどうかはわからないが)らしいヤンは素直に付いてきたが、先ほどの『悪魔王子』について聞くと紙コップ入りの紅茶を傾けながらそう答えた。
「相手の癖や性格を知ろうとして会話している事は否定しない。だが『悪魔王子』とはどうしてだ?」
顔も容姿もごく平凡なロシア系で、この世界で俺の事を『カッコイイ』と呼んでくれたのは、唯一義妹のアントニナだけという経歴なのに、『王子』というのは強烈な違和感だ。
「……お気を悪くすると思いますが」
「わかった。亡父が准将で、養父も准将だからだな。では『悪魔』とは」
「それは先輩のあまりにも苛烈で容赦ない対艦隊戦闘指揮がそう言わせていると思います」
俺はヤンの答えに首をかしげた。
確かに『敵艦隊撃滅』を最優先目標とするシミュレーションにおいて、艦隊を攻撃する手を緩めたことは一度もない。だが対有人戦では特殊な例を除き戦力差のない一対一の勝負になる。容赦なく戦うのは対戦相手によっては通信妨害下でこちらの側腹を急襲してくる場合であり、その時にはバーミリオンで奇しくもヤンがラインハルトを追い詰めたように、陣形をC字に変更して一気に回頭し包囲戦へと移行するという場合ぐらいだ。意図して苛烈に戦うこともない。敵旗艦および分艦隊旗艦を撃破すれば勝敗は決する。長時間味方を戦線に置いていらぬ犠牲を払わせてまで敵を殲滅する意味などないし、俺はそういう指示をシミュレーションで出したことはない……敵が金髪の孺子でない限り、実践することはないだろう。
「苛烈で容赦ない戦いぶりと言われるのはいささか心外なんだが」
「……私は用兵というものにあまり興味を持っていないので、これは友人の受け売りなのですが」
戦略研究科の俺に対し、初年生が四年生に『用兵学に興味がない』と告げるのは、いかにヤンであっても勇気がいったのだろう。一旦俺から視線を逸らしてから話し続けた。
「まず補給部隊を粉砕。あるいはそう見せかけつつ、次に敵の主力部隊を集中砲火により個別分断し、たちまち旗艦周辺を丸裸にして撃破する。相手が奇妙な位置に旗艦を置いたとしても、まるで『最初から知っているかのように』攻撃し、短時間のうちに撃滅する。全ての事象を知る『悪魔』のようだ……そうです」
「別に最初から知っているわけではないんだが」
俺は自分の無神経な行動で、転生者であるという事実が意図せず漏れてしまったかと内心びくびくしながら、一言ずつ答えた。
「戦場において敵の全てを相手にする必要はない、と俺は思っている。補給艦を真っ先に狙うのは、相手の戦闘可能な継続時間を短くし、撤退に追い込みたいというせこい考え方から出ているにすぎない」
「……」
「極端なことを言うと戦わずして最重要目標を達成するのが一番望ましい。シミュレーションはあくまでも仮想的なものだが、戦闘艦一隻に百人以上の将兵が搭乗している。目標を達成するのに犠牲が出るのはやむを得ない場合が殆どだが、犠牲は極力減らしたいし、俺自身も死にたくない。つまりそういうことなんだ」
俺がそこまで言い切ると、ヤンは黙ったままじっと俺の顔を見つめていた。ヤンには同盟の生存のために、必要不可欠な人材だ。とりあえずは二年生になった時、一〇年来の天才を打ち破ってもらわなくてはならない。
こんなご教授など本来不要なのだろうが、言わずにおれない転生者の度し難い性なのかもしれないが。
「遠い昔、『戦わずして勝つことが最上』と言っていた希代な兵法家がいたそうです」
「たしか孫子だな。そのうち戦史科目でテストに出るぞ」
「それは……ありがたいですね。進級に自信が持てそうです」
俺の即答に、ヤンは笑みを浮かべ、紙コップの底に残る紅茶を惜しみつつ、肩を竦めて応えた。
「私は歴史を学びたかったのですが、運がいいのか悪いのか、母は幼い時に、父親はつい最近事故でなくなりまして」
それは知っている……とは俺は言えない。ただ「そうか」と頷くしかない。
「いささか資金的に苦しい中、タダで歴史を学べるところはないかと探した結果が、ココでした。私自身、自分のやれる範囲での仕事をしたら後はのんびりと暮らしたいと思っているんです」
「……それは怠け根性だな」
俺はしばらくの沈黙の後に、応えざるを得なかった。意外と諦観をない交ぜにした苦笑を、ヤンは俺に向けている。話の分かる先輩だと思っていた俺に、軽く失望しているのかもしれない。
「たった三歳しか年上でない俺が偉そうに人生論を言うのもなんだが、興味がないことと才能がないことは一致しない。興味がないことでも将来興味が湧くこともある。今ある自分が全てである、と判断するのは人生を怠けていると俺は思うよ」
「はぁ……」
「かくいう俺も、校長閣下に『軍人に向いてない』と二年前に言われたクチだ。いろいろあって今も軍人を目指すことに迷いはないが、時折考え込むこともある。あ、これは秘密だぞ。友人にも言うなよ」
「言いませんよ。そんなおっかないこと」
「つまり人生何があるか分からない。自分にあんまりタガをはめるな。自発的に苦労を買って出たわけではないのはよく分かるが、士官学校に入ったのは何かの縁だ。縁のある場所でじっくり考えてみるのも悪くはないんじゃないか?」
俺の説法になっていない説法に、ヤンは首をかしげていたがとりあえず納得したようだった。
「とりあえずは頑張ってみたいとは思います」
「俺で良ければいつでも話しかけてきてくれ。地球時代の歴史には俺も興味があるし、たまには下級生とこうやって腹を割って話すのも悪くない」
「それは戦略戦術シミュレーションの事前偵察として、ですか?」
「違うな。ただ俺はいろいろな人を知りたい。この時代の人間を肌で感じたい。たまたま俺が話した相手が、何故か『偶然』戦略戦術シミュレーションの対戦相手になっただけなんだ。まぁ『偶然』というのは怖いな」
「ええ、『怖い』ですねぇ」
頭を掻きながら苦笑するヤンは、やはり画面の向こうにいた不敗の魔術師そっくりだった。
後書き
2014.09.27 更新
2014.09.28 文脈一部修正
ネタバレ:「戦略戦術シミュレーション」は基本的に同学年間でしか対戦しません。
ボロディンJrごときが、不敗の魔術師に勝てるとは思えないんですがね。
第8話 休暇
前書き
いつも数多くの閲覧ありがとうございます。
今回は一応本編ですが、少し雰囲気が違う感じになります。
義妹の登場を楽しみにしていた読者の皆様、お待たせしました。
宇宙暦七八三年 テルヌーゼンより オークリッジ
同盟軍士官学校四年生というのは、非常に微妙で、実に美味しい地位である。
現役合格なら最後の一〇代。軍人としては下士官上位の兵曹長待遇(半給だが)。最上級生である五年生が実地演習や航海実習で留守がちな故に、士官学校内では最上級生のように振る舞える。
士官学校は基本的に寮生活であり、週一休暇(初年生は外出すら認められないが)はあっても、外泊は特別な例を除いて認められていない。軍隊は乗艦勤務が多いから、休暇が少ないのも候補生の頃から慣れさせるという意味もある。
だが四年生には夏休みがあるのだ。特別な例というわけではなく、夏期に三日間も。
初年生の頃から外泊できず、せいぜい夜間脱柵して安くて量があり、それなりの味があるスタンドで食欲を満たす程度でストレスを発散していた候補生達は、ここぞとばかりに休暇を楽しむことになる。
テルヌーゼンから遠い故郷のある候補生は、軍から特別に配給されるチケットで家族を呼び寄せたり、候補生同士で近場の避暑地へ小旅行(含むナンパorデート)に出たりする。もちろん寮に残っても別段問題はないが、殆どの候補生は外の空気を吸いたくて外泊を選択する。
かくいう俺も外泊を選択したが、グレゴリー叔父の官舎はテルヌーゼン市から飛行機で目と鼻の先のハイネセンポリスにある。グレゴリー叔父もレーナ叔母さんも当然のことながら元士官学校候補生であるから、外泊可能な休暇期間があることを知っており、一ヶ月前にレーナ叔母さんから、脅迫状に近いビデオレターが届いていた。
なお同室戦友のウィッティの養父であるアル=アシェリク准将の官舎もハイネセンポリスにあるが、こちらは奴も含めて家族水入らずで別荘地に赴くとのこと。
「義妹さんをプールへ連れて行く機会があったら、是非三次元ビジョンで撮……」
と言った同室戦友を、俺はハイネセンポリス第二空港の到着ロビーで、人目をはばからずぶっ飛ばしてからターミナルビルを出た。ただしゲート側に並ぶ無人タクシー乗り場ではなく、地下の市街方面連絡鉄道の改札口に向かう。
無人タクシーは家まで直行してくれるが、公共サービスとはいえ、寮生活の士官学校で無人タクシーを使う機会などあるわけがない。故に士官学校の学生証(同盟市民カードに等しい)では乗ることが出来ず、なけなしの財布から現金で精算しなければならない。正直面倒くさいし、なにより俺は無人タクシーが大嫌いだった。
もっとも鉄道もあまり好きではない。が、前世では実用化されていない高速地下リニアは無人タクシーより安上がりであるし、なにより乗り継ぎとかが面倒でも市街地まで速く到着できる。惑星ハイネセンの大気圏内旅客航空を主に扱う第二空港利用客の大半は一般中所得者層なので、鉄道を利用する客は非常に多い。いまも三分置きに、ハイネセンポリス方面や近郊の衛星都市への列車が慌ただしく発車していく。
大きなトランクを押す家族連れ、太った年配の旅行者、黒いスーツにビジネスバッグといった前世が懐かしくなる姿もある中で、俺は座りたいが為にしばらく列車を待つという、相変わらずせこい考えでホームに設置されたベンチに腰掛けていた。リニアに乗り込んでいく人の群れを見送りつつ、空港内のキヨスクで買ったパンを囓っていると、一つ席を挟んだ右隣に座っていた顔色の薄い三〇代後半くらいの女性がいきなり胸を押さえて苦しみだした。
突然のことで俺も一瞬何が何だか分からなかった。というか、なにかのドッキリ番組かと思うくらいのタイミングだった。思わずどこかで撮影しているのかと思って俺は辺りを見回したが、視界にはいるのは忙しそうに列車に乗り組む乗客ばかりだ。誰も女性の異変に気がついていない。
あるいは気がついていても無視しているのか……経済的にもやや斜陽な同盟にあって、ここは中心からやや外れているとはいってもハイネセンのはずだ。近年経済も治安も悪化していると言われる辺境領域ではない。それとも時間に追われ、面倒には関わりたくないということか。となると、時間に余裕があって、家に帰るだけの俺が対処するしかない。
「大丈夫ですか?」
俺は出来うる限り最高に『穏やか』な口調で女性に話しかけると、きつく閉じていた両目のうち左目が僅かに開いて俺を見つめる。黄みがかった薄茶色の瞳には力が感じられない。
「だいじょう、ぶ、です」
どう見ても大丈夫ではないのに、そう言葉を続ける。俺はあまり容姿に自信がある方ではないが、少なくとも前世のように心配して若い女性に声を掛けただけで痴漢扱いされるほどではない……はずだ、きっと。しかも士官候補生の制服を着ている。身元もばっちりだ。少なくとも周囲から痴漢呼ばわりはされないだろう。
「大丈夫なわけないでしょう。これから医務室に連れて行きます。身体を持ち上げるので力を抜いてください」
俺は女性の右脇に左肩を入れ、女性の身体をベンチから持ち上げると、今度はゆっくりと腰を曲げて女性の膝裏に右腕を差し込む。いわゆる『お姫様だっこ』の状態だ。女性の身体は見るからに痩せていたが、意外と重い。
「荷物は何処です?」
俺の問いに、女性は小さく首を振る。それを『ない』と判断した俺は、腰に力を込めて歯を食いしばって立ち上がる。太腿と背中に負荷がかかるが、“ウィレム坊や”の“砂袋体操”に比べれば大したものではない。
すぐに周囲に目を走らせ、階上の改札口へと向かう。久しぶりの負荷に足はきつかったが、徐々に慣れてくると、スムーズに足が出てくる。だがその足に後から衝撃が走った。
「イテェェェ!!」
「お母さんを何処に連れて行くつもりだ!! この痴漢野郎!!」
この場でもっとも聞きたくなかった言葉が俺の背中から聞こえてくる。首だけ振り返って少し視線を落とすと、若干ウェーブのかかった金褐色の髪の少女が、少し大きめのショルダーバックを肩に掛けて立っている。苦しんでいる女性を腕に抱える士官候補生と、それを睨み付ける美少女の図と叫び声には、さすがに行き往く人の足も止まるらしい。一瞬の沈黙が周囲を漂う。
「黙れ小娘!! 前に立ってさっさと道を空けるか、荷物を持って付いてこい!!」
こういう空気の時は、周囲の人間に『事件』ではなく『内輪もめ』と認識させて、余計な干渉をさせないようし向けること。前世で二度ばかり同じような場面で職質にあった俺の、ささやかな小知恵だ。
「おふくろさんが苦しんでるんだ、早くしろ!!」
まさか怒鳴られると思っていなかった美少女は、しばらく呆然とした後、周囲が急激に無関心へと変化していくのを感じ取り、再び俺を見上げ唇を噛みしめている。俺は母親と同じ色の瞳を見返すことなく、母親を抱えたまま歩き始めた。エスカレーターを歩き上りしている間、一度振り返ると美少女は黙ったまま俺の後に付いてくる。
改札口まで来て駅員に医務室の場所を聞くと、逆に部屋の中に導かれ、俺はそのまま女性を駅長室のソファに横たえることになった。美少女が横たわった母親の側に駆け寄るのを見て、俺は溜息を一つつくと、駅員に医師の手配を頼んだ。
「あ、一応ですが、名前をお願いします。規則なんで」
『モノ盗んでいませんよね?』と確認するような前世そのままの駅員の態度に、俺は無言で差し出された紙に自分の名前を書いて叩きつけると駅員室を出た。構内は相変わらず乗降客でごった返している。
「……ま、どうせ急ぐ道でもない」
“労多くして益少なし”か、と俺は自嘲すると、人混みに混じり込んで、ハイネセンポリス行きのリニアへ乗り込んだ。
グレゴリー叔父の家があるオークリッジの軍官舎街に着いたのは、それから二時間後。リニアを二度乗り換え、最寄り駅から二〇分ほど歩いてからだった。
一車線の道路に面し、やや広めの敷地には芝生が敷き詰められ、平屋のガレージに二階建ての母屋がある。家屋の素材は当然木ではないが、ぱっと見ではそれが分からないようにデザインされている。前世のアメリカ地方都市に多く見られる町並みを見て、俺はホッとした。ウサギ小屋と評される日本の建て売り住宅も郷愁を誘うが、こちらの世界に生まれてこのかた、寮を除いてずっと官舎暮らしだ。死んだ両親とも、今いる義理の両親とも。
「あ、ヴィク兄ちゃん」
家の前の、幅の広い歩道に設置された消防用の散水栓の上で、腰掛けていたアントニナが俺を見つけて手を振っている。レーナ叔母さんの薄茶色の肌と鮮やかな黒い瞳にやや厚めの唇、グレゴリー叔父や俺と似た琥珀を薄めた、真っ直ぐな金髪を肩口で綺麗に揃えている俺の自慢の義妹。久しぶりに自分の目で見る九歳の妹は、背もグンと大きくなり、スマートな身体を薄手のピンクのキャミソールとホットパンツで包んだその容姿は、年齢以上に大人びて見える。
「遅かったね。寄り道しちゃダメじゃない」
「アントニナ、お前、いつもそんな格好をしてるのか?」
「兄ちゃん何処、見て言ってるのかな? 大声で叫んでもいいんだよ?」
「それは今日、第二空港のホームで経験済みだ。二度はゴメンだな」
溜息混じりに俺は候補生制服のポッケから、PXで買ったチューインガムを放ってやると、アントニナは器用にも人差し指と中指で挟んで取った。
「他になんかないの?」
「貧乏軍隊の、さらに未成年ばかりの士官学校のPXに、お前は何を期待してるんだ?」
「『アルンハイム』とか」
「未成年者は飲酒厳禁だ」
散水栓の上に器用に立ったアントニナに向けて、ついでとばかりに俺は候補生用のジャケットを放り投げた。それをアントニナは“空中で一回転して”から掴んで地面に着地する。五歳の頃から器械体操をしていたはずだが、ここまで成長しているとは聞いていなかった。
「ねぇ!! 見た!? 驚いた!?」
「そりゃ驚いたがお前、曲芸師にでもなるのか?」
「ううん。フライングボールの選手になる。先月ようやくリトルリーグに入ったんだ」
「……ま、何してもいいけどな」
一瞬だけ亜麻色の髪の完璧超人面が俺の頭の中を横切ったが、それを振り払うように一見すると少年にも見えなくもない義妹の頭の上に左手を置いて掻きむしってやる。
「怪我だけはすんなよ。フライングボールは結構危険なスポーツだからな」
「上級生より上手な僕が、そんなヘマするわけないじゃん」
「そう言う油断が禁物なんだ」
俺がそう言うと、アントニナは俺の左手からすり抜けて、母屋の玄関を空けてくれた。まったく良くできた義妹だと思う。玄関で靴裏を自動消毒してから入ると、リビングではエプロンをしたレーナ叔母さんが夕食の準備をしていた。その横で次女のイロナは書き取りの練習をしており、真似するように三女のラリサが緑のクレヨンで絵を描いていた。横に長い長方形で、後ろが太く、紅いラインがあって所々に節があるから、たぶん軍艦だろう。しかも旗艦クラスの。
「おかえり、ヴィク。遅かったじゃない」
相変わらず引き締まった体つきのレーナ叔母さんは笑顔で迎えてくれる。
「ヴィク兄ちゃん。お帰りなさい」
書き取りを続けている六歳のイロナは、視線だけ俺に向けて見るからに面倒くさそうに応える。
「ヴィクにいちゃん、しぇんかん」
まだ描き途中なのに俺に向かって絵を掲げる三歳のラリサ。近寄ってその絵を手に取ると、艦首の番号が白で〇五〇一と描かれている……どうしてこの子が“リオ・グランデ”を描けるんだろうか?
「叔母さん。最近、宇宙ドックに行った?」
「グレゴリーが統合作戦本部施設部次長になった関係で、特別に見せてもらったのよ。ラリサはどうやら就役したてのその艦をいたく気に入ったみたいでねぇ。絵を描くとなるとその艦ばかり描くんだよ」
「そう、ですか」
機密とかその辺りどうなんだと思いつつも、俺は“リオ・グランデ”の未来を、家族の将来を重ね合わせて考えてしまう。
原作で同盟が帝国に滅ぼされるのは、宇宙歴八〇〇年だから一七年後。俺は三六歳。アントニナは二六歳。イロナは二三歳。ラリサは二〇歳。去年竣工し、今年就役した“リオ・グランデ”は彼女達の妹のような艦だ。そして“彼女”は同盟軍最後の宇宙艦隊司令長官アレクサンドル=ビュコック元帥の墓標となった。
自由惑星同盟は選抜徴兵制を敷いている。だが女性は志願制で、前線での勤務も奨励されてはいない。まず今のままなら義妹達が軍人を職業に選ぶとは考えられない。レーナ叔母さんが強烈に反対するだろうから。
だが先月レーナ叔母さんから送ってもらったビデオレターの最後に映ったグレゴリー叔父の顔は、若作りであり、特徴的な髭もなかったが、俺の前世の記憶にある同盟軍第一二艦隊司令官にそっくりだった。もちろん実父アントンのように戦死してしまう可能性もあるだろうが、内勤数年で少将、そして中将へと昇進するのであれば、もう疑う余地はない。
もし、俺がこのまま軍人としてのキャリアをスタートさせたとして、原作通り帝国領侵攻作戦が発動するまで何も出来なかったとしたら……尊敬する叔父は、帝国領ボルソルン星域で限界まで戦い、自決するだろう。
充分に円熟した用兵家と評され、俺をこの歳まで育ててくれた温厚で責任感の強い紳士である叔父のことだから、旗艦“ペルーン”以下八隻まで戦ったというのは、ルッツの奇襲による玉砕の結果ではなく、第一二艦隊を撤退させる時間稼ぎの為に、殿をした結果ではないかと思う。
そんな叔父を戦火で失った時、義妹達はどう思うだろうか? まして産まれ育った同盟が滅びるとなったら?
俺はどんな手を使ってでも、それだけは阻止しなければならない。
「あら、お帰りなさい、グレゴリー。ヴィクももう帰ってきてるわよ」
レーナ叔母さんの声に、俺は玄関を振り返り、そこに一ヶ月前にはなかった微妙な髭の生えているグレゴリー叔父の顔を見て、俺は固くそう誓わざるを得なかった。
後書き
2014.09.28 更新
2014.09.29 リオ・グランテ→リオ・グランデ と一部文脈修正
2014.10.01 爺さんの名前を修正
第9話 斜め上
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
仕事の疲労と、三回書き直しで一日飛ばしました。
期待していた方には申し訳ありません。
士官学校に帰寮しての一幕です。ヤンとJrの微妙な距離感が出てるといいなぁ。
宇宙暦七八三年 テルヌーゼン
三日間の夏休みをハイネセンで過ごした俺は、来た道をそのまま逆に士官学校へと戻ってきた。
アントニナにはフライングボールの練習場に連れて行かれ空中ですっこけるという赤っ恥を掻かせられ、イロナには勉強の邪魔ですと一言いわれて敬遠され、ラリサには一日中軍艦の絵を描かせられたあげく肩車をさせられた。相変わらず親近感のあるアントニナとラリサはともかく、イロナとの距離が急激に広がったようで、俺はそれが心配だった。
母親であるレーナ叔母さんより真っ黒でウェーヴのきつい髪とグレゴリー叔父のスラブ系の赤白い肌というイロナは、その容姿から姉妹の中で少し浮いているのかもしれない。と、いうより本人が浮くことを望んでいるようにも見える。レーナ叔母さん曰く、それも少女の成長期に見られる一現象だと言っていたが、果たして本当にそうだろうか。
……まぁとにかく。同室戦友の望みなどかなえてやる義理はないが、とりあえず家族の写真を撮ることは出来た。当然ばっちりグレゴリー叔父の顔も映っている。それが邪な欲望を抱く同室戦友の悪落ちを阻止してくれるに違いない。どうでもいいことだと思いつつ、大きな溜息を吐くと、俺と同じように帰還した候補生第四学年の一群の中へ紛れ込んでいく。
「……まぁ、家族の写真というのはうらやましいというか、なんというか」
俺とウィッティがカフェでその写真を巡って応酬しているのを見たヤンが、いつものようにのんびりとした顔つきで寄ってくると、ぼっそりとそう呟いた。ヤンが天涯孤独(エル・ファシルの脱出の後に分かる程度の遠縁はいるらしいが)の身であることはウィッティも知っており、若干気まずそうに俺を見てくる。俺もヤンが寄ってくるとは最初から思っていなかったわけだから、『スマンな』と視線でヤンに応えた。ヤンもそれが分かったようで、逆に無言で小さく頭を下げて応える。
「そういえば、ウェンリー。お前今度『あの』ワイドボーンと戦略戦術シミュレーションで対戦するんだってな」
話題の転換の必要性を感じ、ウィッティがそう話を振る。相変わらずE式がしっくりと来ないウィッティはヤンをいつも名前で呼ぶので、しばらくの間はヤンも訂正していたが、最近は諦めたようで完全にスルーしている。
「一〇年来の天才の胸を借りるつもりで頑張りますよ。機関工学の成績、今回かなり悪かったので、少しは挽回しなくてはいけませんからね」
「相変わらずダメなのか、「機関工学」?」
「ええ、まぁ。私にはこちらの方面の才能はないようでして……」
ウィッティのノリに、ヤンも苦笑を浮かべつつ応える。原作では全く接点のなかった二人が、目の前でリラックスして話しているのを見ていて、俺は一体どれだけ原作の世界を引っ掻き回しているのか、今更ながら不安を覚える。
それと同時になんとなくヤンの、一線を引いて常に傍観者でいようとする態度が、どうにも最近気になって仕方ない。もちろん本人が軍人になる意志を持って士官学校に入って来たわけではないことは十分に承知している。それをことさら否定しようとは思わないが、逆に言い訳にされてしまっているようにも思えるのだ。
肉体的な要素が必要な分野を除いて、ヤンに才能がないわけがない。将来の不敗ぶりもさることながら、あれだけ難しい入学試験に、いくら上位からほど遠いとはいえ、宇宙船暮らしで基本自学自習だけで合格するのだ。塾にも行かず効率よく勉強できる能力に継続できる努力は、ほかの欲求に目を逸らしがちな少年時代にあって、大した物だと言える。なぜその努力が機械工学に向かないか……興味のないことには可能な限り手を抜いているのだろう。落第さえしなければいいと考えているのは間違いない。
「機関工学は正しい計算式から正しい答えが出る学問だ。才能あるなしは正直関係ないだろう」
俺の少し強い声での呟きに、ウィッティもヤンも俺に視線を動かす。
「ヤン。君はただの好き嫌いを、才能という言葉で逃げてないか?」
図らずもテーブル上は沈黙に包まれる。今度は俺とウィッティの視線がヤンに向かい、ヤンの視線は手元の紙コップの底に注がれたままだ。
「好き嫌いも含めて、才能なんじゃないかと、私は思うんですが」
「才能とは生まれつき物事を巧みにこなせる能力の事だ。負の才能という言葉はない。才能が必要なのは開発部門だけであって、運用部門には必要ない。そこに必要なのは努力だ」
「……」
「得意・苦手はわかる。俺だって「帝国公用語」と「仮想人格相手の戦略戦術シミュレーション」が苦手だ。だがだからといって努力だけは惜しんだことはないぞ」
俺の言葉に、ヤンは相変わらずこちらに視線を向けることなく、残り少ない紅茶が生き延びている紙コップの底を見つめている。沈黙はおそらく数分だったろうが、俺に取ってみれば三〇分近い時間が過ぎたように思えた。
先に破ったのはヤンだった。
「伺いたいことがあります。勿論、ご不快ご不満であればお答えいただかなくても結構です」
俺に向かってそう言うヤンの視線は、原作ではクーデター鎮圧寸前の、エベンス大佐との会話時の鋭さだった。
「ボロディン先輩が努力を惜しまない人だというのは分かります。苦手科目についても人一倍苦労しているのは、ここ数ヶ月お付き合いさせていただいてよく分かっているつもりです。『興味がないからといって才能がないとは限らない』という言葉は、今でもはっきりと覚えています」
記憶力に自信がないとか、ハイネセンで道に迷うとか、原作では言っていたような気がするが、俺はヤンの真剣な態度に、正直飲まれていてそれどころではない。一度区切って、残り少ない紅茶を喉に流し込んだヤンは、俺にはっきりとした口調で問いかけた。
「人には向き不向きがあることを承知した上で、何故そこまで努力されるんですか? 名誉欲ですか? 出世欲ですか? それとも“ボロディンという家名に対する義務感”ですか?」
その台詞は一三年後に、俺と同い年の「不良中年」がお前に聞く質問だ……と言うことは出来ない。原作云々ではなく、ヤンの心の底に漂っていてなかなか表層に出てこない鋭い本音の矛先が、俺の喉を勝手に締め付けてくるからだ。原作におけるエベンス大佐のことを俺は今でも大嫌いだが、あの対話でどれだけ苦しんだかは分かるような気がする。そして結局、自分の信じたいと思う信念に殉じるように死を選択したことも。
だからこそ俺は本音で応えるしかない。その結果ヤンにどう思われようと、中途半端など許されることではないことを、俺は理解できる。
「名誉欲はある。出世もしたい。漆黒の艶やかで癖の全くない髪に、端麗で眉目整った、やや小柄な美女にモテたいとも思う。つまるところ俺は俗人が抱くであろうありとあらゆる欲望に貪欲だ、と自覚している」
俺の口は俺の腹の中から出てくる言葉を勝手に紡いでいく。そして俺自身がその異変に高揚しつつある。
「ボロディンという家名に対する義務感も当然だ。俺を産んだ実の両親、そして育ててくれた叔父夫婦。彼らが何処へ行っても『ヴィクは我々の自慢の息子だ』と誇れるようにありたいと思う。だが一番の、俺の最優先の欲望は……『平和』だ」
「……『平和』ですか?」
意図せず緊迫から急激に開放されてしまったと言わんばかりの、唖然とした表情でヤンは聞き返してくる。
「帝国と戦う事をほぼ義務づけられている軍人になることに精練する目的が、どうして平和なんです?」
俺は頷いた後、目の前に置かれたボールペンを右手の指の間で廻しながら応えた。
「俺の家、というか叔父の家には九歳を筆頭に三人の義妹がいる。みんな俺の自慢の義妹だ。今のところ軍人になる気配はないが、国家の存亡がかかるとなれば志願するかもしれない。俺は彼女達から志願する自由を奪うつもりはないが、戦場に立たせるつもりもない。その前にあの要塞を陥落させる。」
「……仮にイゼルローン要塞を陥落させたところで平和になりますか?」
「それは正直分からない。だが攻撃選択権を帝国から奪うことが出来れば、少なくとも可能性はある。選択権のない今の状況ではそれすらも望めない」
そしてその時までに、食器の名前をしている癖に役立たずな准将を、掣肘出来るような地位にいなければならない。あるいはあの作戦を立案する段階で、口を挟めるだけの権威と実力が。
「……その平和が恒久平和になりますか?」
「歴史に造詣の深いヤンなら分かるはずだ。人類歴史上に恒久平和などありはしない」
「……ですね」
「つまるところ、俺は僅かな期間の平和しか望んでいない。だがな、ヤン。お前さんが戦史編纂室の研究員で一生を終えるくらいの期間くらいはあると思うんだがな」
俺の言葉は終わったが、聞き終えたヤンは、下を向いて大きく溜息をついた。その姿からは先ほどまであった殺気に近い気配は全く感じられない。
「校長閣下が先輩に『軍人に向いていない』と言われた理由が分かるような気がします」
「なにしろ口先から産まれたらしいからな」
「義妹さんは美人なんですか? それこそご自分の命を賭けるまでに」
「美人に決まっているだろうが!!」
机を叩いて立ち上がる俺の正統な激怒に、それまでずっと黙っていたウィッティも、そして言ったヤンも、笑いを隠しきれていなかった。ウィッティなんかは腹を抱えて笑っている。お陰で周囲の視線がかなり痛い。俺が不承不承で腰を下ろすと、ヤンは指で笑い涙を拭きながら応える。
「先輩と話していると、自分が何となく虚しく見えてくるから、ちょっとばかり嫌なんですよね」
「そうか?」
「とにかく面白いお話は伺いました。私には私なりの主義主張もあるので譲れない部分もあります。が、これからはなるべく手を抜かずに頑張ってみますよ。『永遠ならざる平和』の為に」
ヤンはそう言うと席を立ち、俺に向かって敬礼する。久しぶりに見る整った敬礼だ。立ち去ろうと回れ右するヤンの背中に、俺は声を掛けた。
「とりあえずは明日、ワイドボーンに負けるなよ」
「負けるわけないじゃないですか」
それに対してヤンは人の悪い笑顔で応えた。
「大変不本意ですが、私はどうやら『悪魔王子』の一番弟子らしいですからね」
そしてヤンは翌日、原作通りワイドボーンに戦略戦術シミュレーションで勝利した。
ただしワイドボーンの補給線を一点集中で撃破するところまでは原作と同じだったのだが、そこから様々な戦術を駆使して挑んできたワイドボーンの主力艦隊を、犠牲らしい犠牲を出さずほぼ一方的に撃破したそうだ。教官達の衝撃は相当なモノらしく、ヤンを戦略研究科に転科させたらどうかという話もあるらしい。俺は授業の関係上リアルタイムで見ることは出来なかったが、見ていたウィッティが言うには
「『悪魔王子』の弟子なんて可愛いものじゃない。あれは『悪魔提督』だ」
……俺はなにか間違ったことをしたのだろうか。一抹の不安を抱かずにはいられなかった。
後書き
2014.10.01 更新
第10話 10年来の天才
前書き
本日は会社がお休みなので、少し早めにUPします。
Jrは四年生の中盤から後半。原作登場人物も次々と登場します。
主に魔術師の当て馬であるタイトルの人なのですが。
宇宙暦七八四年初頭 テルヌーゼン
ワイドボーン事件以降、俺はヤンの紹介でジャン=ロベール=ラップと知り合い、さらに何故かそこから事務監の娘のジェシカ=エドワーズを紹介された。
ラップは原作通りの典型的なアメリカン優等生で、初年生の中でも人望が厚いことを実感せずにはいられない。結果としてヤンに手も足も出ず、“一〇年来の天才”から“普通の優等生”へと転落してしまったワイドボーンとも平然と会話できるコミュ力は、前世でいささかコミュ障気味だった俺としてはうらやましい限りだ。
そしてジェシカ。確かに『すれ違う男の半分が振り向く美しさ』というだけあって美人で、ヤンやラップと結構つるんでいるというのも原作通り。だがどうやらヤンやラップから俺の変な噂を聞いていたらしく……
「“悪魔王子”と伺っていたんですけど、ちっとも悪魔らしくないんですね」
と、宣った。さっそくウィッティと一緒に、ヤンとラップにヘッドロックによる制裁を加えたが、初対面でしかも士官学校の有力支配者である四年生相手に、そういうことをいきなり言えるというのはどういう心臓をしているんだか。婚約者のラップを失った衝撃もあるだろうが、トリューニヒトを、しかも六万人の遺族と軍人が揃う慰霊祭の場で痛烈に面罵するのも分かるような気がする。だが、後でそっと近寄ってきて、ヤンやラップに聞こえないくらいの小さな声で
「……ヤンのやる気スイッチを入れて下さってありがとうございます」
と囁いたのには驚いた。
考えてみれば幼い頃に母親を亡くし、壺磨きと歴史に没頭するという、偏った少年時代を過ごしていたヤンにとっては、ジェシカは母親に近い意味での初恋を抱く相手であったろう。そしてジェシカもそれを意識しつつ、やもすれば世捨て人になりそうなヤンを、それとなくラップと一緒にフォローしていたに違いない。そう考えると、女性は実際の年齢以上に成熟しやすいものだと実感せずにはいられなかった。
いずれにしても、ヤンやラップ(実のところヤンは全く貢献できていないが)を通じて、俺は初年生の知己を順調に増やしていくことができた。だいたいはラップを介しての一・二分の立ち話や紅茶の一杯を奢る程度だったが、ワイドボーンだけは別格だった。
ヤンに敗北してから一月後、奴はラップを介することなく俺とウィッティがアントニナの魅力について語り合っているカフェのテーブルに近寄ってくると、いきなり深く頭を下げてきた。
「お手数とは思いますが、どうか小官に「戦略戦術シミュレーション」をご教授してくださいませんでしょうか?」
両手をきつく握りしめ、顔を強ばらせ、背筋が硬くなっているワイドボーンの姿は、“屈辱”とでも題した彫刻そのものだった。四年生の俺にも頭を下げるのはプライドが許さないかと一瞬だが階級を意識したが、むしろヤンにコテンパにのされた原因が俺であり、ヤンを上回るためにはヤンの師匠(笑)と思われている俺に話を聞くべきと言う境地にようやく達したからなのだろう。原作通り「奴は逃げ回っていた」といきり立って叫ぶわけにもいかず、相当鬱屈していたに違いない。元々それなりに整っていた顔つきも、若干頬がこけて色あせている。
そんな状況でウィッティは沈黙を守りつつ、面白そうに俺とワイドボーンを見比べている。俺の高級副官殿はどうして肝心なときになると沈黙するのか……俺は小さく溜息をついた後、ワイドボーンを睨み付けて言った。
「俺は教師じゃない。担当教官に頼むべきじゃないのか?」
「聞きました。ですが『学生を個別指導して贔屓するわけにはいかない』と断られました」
「正論だ。俺からも言うことはない」
「ですがボロディン候補生殿はヤン候補生に……」
「なぁウィッティ、俺はヤンの奴に「戦略戦術シミュレーション」の指導をしたことあったか?」
「俺の覚えている限りでは『ない』」
ウィッティの返事に、「そんな……」と言わんばかりの表情を、ワイドボーンは浮かべている。当然だ、あの不敗の魔術師に俺が用兵学を教えるなんて、勘違いも程々にしろと思う。いろいろな意味で。
「ワイドボーン。つまりは“そういうこと”だ」
俺の宣告に、ワイドボーンは立ったまま震えていた。はっきりとお前はヤン一人に負けたのだと言われて、残り少ないプライドを削り取られているのだろう。他の教科に関してはヤンを遙かに上回っているのだし、それほどヤンを強く意識することもないと思う。だが自分に対する周囲の評価があの一敗で大きく変化したことに耐えられないのだ。そう考えると小心な日本人だった俺としては、ワイドボーンをいささか哀れに感じてしまう。
「……ワイドボーン候補生、君は俺より遙かに優秀だと思う」
そのまま食器と同じように身体硬直の上に、床へぶっ倒れることは勘弁だったので、椅子に座らせてしばらく落ち着かせてから俺は言った。
「俺はかろうじて成績上位者にいる平凡な一学生に過ぎない。だから不得意科目のない君が羨ましく思える」
「ですが」
「ヤンはある意味で“天才”だ。仮に俺とヤンが「戦略戦術シミュレーション」の正面決戦シナリオでぶつかったとすれば、君と同じようにほぼ一方的に敗れるだろう。というか勝利する自信がない」
「……」
「変なプライドを持たず、少しぼんやりしながら結果を見てみれば、なにか違ったものが見えてくるんじゃないか?」
そう言い切ると、ワイドボーンは俺の顔を見ながら口で「ぼんやり……ぼんやり……」と独り言を言っている。見るからに不気味だったが、自分にそうやって言い聞かせているんだろう。あんまり突っ込んでやるのもかわいそうなので、俺はウィッティに視線を送ってたちあがると、座ったままのワイドボーンの肩に手を置いてやった。
「あぁ読書なんかいいぞ。“退屈な”過去の戦史なんか読み漁ってみると、意外と気持ちよく眠れるもんだ」
これは余計なお節介だったかもしれないな、と思いつつ俺はワイドボーンを置き去りにして、ウィッティとその場を去った。カフェの出口から一度だけ振り返って見ると、ワイドボーンは席に一人座ったままだ。
「随分と優しいな、お前は」
ウィッティが俺に軽く肘を当てると、俺は頭を掻いてごまかした。
ワイドボーンは第六次イゼルローン攻防戦の序盤で、金髪の孺子の狩猟の餌食となった。だがその時点で、二七歳で大佐だった。ヤンも大佐だ。エル・ファシルのハンデがなく、不敗の魔術師と同じ地位にいる。しかもヤンのように本営の幕僚ではなく部隊の参謀長として、だ。そうしてそんな奴が無能なものか。金髪の孺子が規格外なのであって、優秀な軍事指揮官になる素質はある。ヤンに負けただけで潰れるとは思わないが、少しぐらいフォローしたっていいだろう……
「俺が優しいってこと知らなかったとは、高級副官失格だぞウィッティ」
「だから俺がいつからお前の高級副官になったんだよ」
二度目の肘鉄は、完璧に俺の鳩尾にクリティカルしたのだった。
以来、ワイドボーンは一人で図書ブースに長時間籠もっている姿が見受けられた。さすがにヤンの隣に座るということはなかったが、夏から秋、秋から冬にかけて、ワイドボーンの読書席の座り方が最初はキッチリ背筋を伸ばしていたものがいつの間にか猫背になり、年明け頃にはデスクに足を載せていた。そこまで見習う必要はないだろうが。
だがそうやって暢気に四年生をやっていてもいずれ終わりはやってくる。
学年末試験でヤンの席次は少しだけ上がった。落第スレスレが平均点ソコソコといったところまでに上昇している。だが「射撃実技」や「戦闘艇操縦実技」は普通にダメな成績だった。
「肉体的欠点です。これは“努力”じゃ無理ですよ」
別に成績を見せに来なくてもいいのに、ヤンはそう言って“悪い点数だけ”俺に見せに来る。入れ違いにワイドボーンもやってくるが、二人は軽く敬礼するだけで言葉を交わさない。
「相変わらず仲が悪いのか」
「性格が合わないんですよ。彼とは」
すっかり口調の角が取れてしまったワイドボーンも、俺に成績表を見せる。別に俺は親でも教師でもなんでもないのに、何故か親しい下級生はこぞって俺に席次表を見せに来る。
「お前は首席だっているのは分かっているから見せに来なくてもいい」
「そういう先輩は七番ですか。残念でしたね。やはり「帝国公用語」と「対仮想人格戦」の成績ですか」
「努力はしているぞ」
「分かっております。八五点と八二点というのは、決して悪い成績ではないですよ」
肩を竦めるワイドボーンというのは原作では絶対に見ることはない絵面だろうなと、俺は妙なことに感心しつつワイドボーンを眺めていると、その本人が顔を寄せてきて小声で話しかけてきた。
「そういえば来月卒業式ですが、“ウィレム=ホーランド”なる五年生から、パーティーのお誘いがあったんですが、いかがしましょうか?」
「……なんのパーティーだか知らないが、俺の手元にはそんなお誘いは届いていないがね」
俺は小さく舌打ちしてそれに応えた。パーティーというのは大なり小なり候補生だったら開く自由はある。だいたい週一休暇の前日夜とかに、親しい友人やクラブ活動の内輪で開くことが多い。校外との交流があるクラブや、クラブOB(士官の多数はみな“士官学校OB”なんだが)主催となると、外のホテルやレストランで開かれることもある。そこで将来有望な士官候補生を紹介(or捕獲)したい側と、若い女性の関心や有力者の支援を得たいと思う士官候補生側の需要と供給が成り立つのだ。学校としても風紀が乱れる心配から、そう多くの回数を開くわけにもいかないが、規則に則っているならば社交教育の一環になるだろうと黙認している。
だが最上級生で、実習や演習でなかなか学校構内にいない“ウィレム坊や”が、直接面識のない学年首席のワイドボーンを誘っているというのは、何となく目的が透けて見える。
「では、欠席した方がよろしいですか?」
「それはお前の勝手だ。お前が決めろよ。行って見聞を広めて来るもよし、図書ブースで昼寝するもよし」
「先輩は“ウィレム坊や”の事をお嫌いだと、ウィッティ先輩から聞いていますが?」
「嫌いだ。向こうも俺の事を目の敵にしている」
俺ははっきりとワイドボーンに言ってやった。
「だがお前は誘われたんだ。行って“ウィレム坊や”の顔を見てこい。ついでに話をして来ればいい。相手も学年首席だ。なにか参考になるようなネタもあるかもしれない」
ここまで角の取れたワイドボーンが、ホーランドの閥形成パーティーに行って、そのまま取り込まれてしまう可能性はある。それを惜しいとは思うが、本人が俺にこういう事で許可を求めるような真似をしていることが、ワイドボーンにとって決して良いことではないはずだ。指揮官の性格としては、独善的な決断をすることの方が優柔不断で上司の顔色を伺ってから決断するよりも、まだマシな事が多い。
「そうですね。じゃあ行ってきます。会場はレストランのようですから美味しそうな夕飯にありつけそうですし」
「ワイドボーン」
俺は心配性だと思うが、一言いっておかずにはいられなかった。
「俺の目から見てもウィレム=ホーランドという男は極めて優秀だ。敢闘精神にあふれ、決断も早いし、決断した後の行動力は賞賛に値する。常に自信と誇りを持ち、指揮官としての能力は俺より数段上だろう」
嫌いだといった奴を高く評価する俺の態度に、ワイドボーンは首をかしげている。
「だが視野が非常に狭い。そして身の丈を越える、過剰なほどの自信を抱いている。それでいながら、心の奥底の器は小さい。そういう人間は部下に服従のみ求め、意見をいたく嫌う。自分の考えと異なる者を認めたがらない」
「……」
「だから言うまでもないことだが“気をつけろ”。俺が奴に殴られなかったのは、士官学校規則があり、なおかつ俺の両父親が将官だからだ……わかったな?」
「……わかりました。気をつけます」
話しているうちに、過去の自分の事を言われていると気がついたワイドボーンは、真剣な眼差しで俺に頷いた。ヤンとは違って賢い奴だから、“ウィレム坊や”と衝突することはないだろう。俺が手振りで“帰れ”というと、ワイドボーンは敬礼して俺の視界から下がっていく。それを眺めつつ、俺は大きく溜息をついた。
正直いうと、俺もあらゆる方面からパーティーのお誘いがある。
なにしろ亡父が准将、養父も現役准将で期待の若手。俺自身、無謀な努力でなんとか学年で一桁の席次。だからグレゴリー叔父に近づきたい奴、“ボロディン家”に入り込みたい奴、俺を取り込んで勢力強化したい奴……見せる笑顔とは正反対の黒い一物をみな腹に抱えている。
顔だけ笑って、その供応に預っていればいいのだろうが、俺自身はともかく、グレゴリー叔父やボロディン家に迷惑がかかるような事態は絶対に避けなくてはいけない。だから小心者の俺としては校内で開催されるパーティー、それも研究会の打ち上げみたいなものにしか今まで参加していない。
だがこれから軍人としてのキャリアを進めるに従い、俺も給与のうちとしてそういうパーティーに参加せざるを得なくなる。相手もOBや地元有力者だけでなく、場合には国家の指導層になる場合もあるだろう。欲望と権威の渦巻く中、言葉の白刃の上で俺は果たして上手にダンスを踊れるかどうか……ワイドボーンに説教出来るほどの自信は正直なく、将来に憂鬱さを感じるのだった。
なお、それから数日後。ワイドボーンは俺のところにやってきた。
「あのレストランの生ハムは最高ですね。素材は一流、腕は二流というところですか」
「……ホーランドと話してこなかったのか?」
「話しましたよ。数と火力と機動力こそ戦争を勝利に導く原点だと彼は言ってました。私が「そうですか、なるほど」と答えたら、結構怖い笑顔を浮かべて太い手で私の肩を陽気に何度も叩いてくれました。お陰様で今朝から筋肉痛です」
肩を回しつつ応えるワイドボーンに、俺は溜息をつかざるを得なかった。
後書き
2014.10.01 更新
第11話 卒業
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
明日は仕事上UPできる保証がないと判断し、本日中に2話上げることにしました。
ついにJrが士官学校を卒業することになります。
宇宙暦七八四年から七八五年 テルヌーゼン
ついこの前、“ウィレム坊や”の卒業式を見送ったと思ったら、いつの間にか自分の卒業式が目の前にちらつく時期になっていた。
正直何を言っているか分からなかったが、催眠術とか超スピードとかそんなチャチなものでもなんでもなく、士官学校五年生は、遠方航海・戦闘実習・野外(地上)演習・空間(宇宙空間)作業演習・操艦操縦実技演習などなど、嵐のように実技実践演習が組み込まれている。士官学校での座学講義などはほとんどないと言っていい。今頃、俺達の下の学年が四年生として威張り散らしていることだろう。
そしてこの実習は、正直言ってキツイものだ。
座学やシミュレーションで学び蓄えた知識やテクニックを、旧式とはいえ実際の艦艇や戦闘艇、戦闘装甲車を利用して発揮しなければならない。特に宇宙空間での各種実習・演習においては、ハイネセンの訓練宙域ではなく、候補生を大きく四つの集団に分割し、そのうち二組が別々の練習艦隊に乗り込んで約三ヶ月半かけて、同盟の各星系にある訓練宙域を巡っての実施となっている。
これはハイネセンの訓練宙域での砲撃演習の困難さや、戦闘艇の大規模発艦による民間航路への悪影響(早い話迷子になって迷い込んで衝突とか)、遠征や迎撃任務における艦隊内での長期間集団生活への適合審査、同盟重要星系での実地学習などの問題からこのような形式に落ち着いている。
練習艦隊は練習用に改造された戦艦と宇宙母艦と巡航艦、それに輸送艦・工作艦・病院船合わせて一〇〇隻の小集団である。それぞれの練習艦隊は、スケジュールに従って運行されるが、艦隊上層部以外は別の練習艦隊が何処にいるのか把握していない。そして、練習艦隊同士が遭遇(勿論上層部が端から計画したものではあるが)した場合は、即疑似交戦となる。それが標準時で朝だろうと夜中だろうと訓練中だろうと関係ない。
俺とウィッティの乗船した第二練習艦隊所属の練習戦艦“旧ベロボーグ”には、俺達を含めて士官候補生五〇人程、専科学校の艦船運用科員や機関運用科員がそれぞれ三〇人程ずつ乗り合わせている。もちろん正規の乗組員も規定数同乗している。みなそれぞれ現役の士官・下士官・兵ばかりだ。
士官候補生は当然彼ら現役乗組員から評価されるが、同時に専科学校の修了候補生からも評価される。その重圧に耐えることも、当然評価のうちに入る。卒業後、即実戦部隊に配備される者もいるのだから、それまでにリーダーシップも実技も、多数の下士官・兵の上に立つだけの実力を見せなければならない。見せられなければ、後方勤務に優先して回され、数年のうちに閑職から退役という厳しい道が待っている。戦死しないから勝ち組とするか、負け犬と思うかは人それぞれだが、少なくとも出世とは無縁のキャリアだ。
その中でも例外はある。戦略研究科は体質的な問題(ワープ酔いが激しいなど)か精神的な問題(強度のホームシックなど)がない限りは、基本的に閑職ロードはない。だから現役兵・専科修了生以外に、他の科の士官候補生からも厳しい視線が向けられる。「甘えを見せるようなら(精神的に)追い込むぞ」というような。
針の筵のような環境下、成績を落とす戦略研究科の候補生が多い中で、俺とウィッティはどうにか乗船前の成績を維持できていた。陸戦実習や後方勤務実習などを終えて、ハイネセンの士官学校寮に帰還したのは雪がちらつき始める一一月下旬。卒業まで後数ヶ月残すのみ。学年最終考査を残して、俺は二年生となっているヤンから相談を受ける羽目になる。
「本年度末を持って、戦史研究科が廃止される、という決定がなされました」
ヤンの顔にはいつものような余裕がなく、言葉の節々に意志の強さが籠もっている。
そうか、そのイベントがあったかと、俺は心の中で舌打ちしつつ、紙コップの中の烏龍茶を一気に飲み干した。
「……それで同期の戦史研究科の連中がザワザワしていたのか」
あえて直接応えることなく、俺は言葉の回り道をしたが、原作では教官にすらこの件では噛みついたヤンに、この程度のごまかしは通用しない。
「私は戦史を研究したくて士官学校に入学したのです。学生を募集しておいて、卒業前に学部を廃止するのはおかしいと思いませんか?」
「……確かにお前さんの言うとおりだな。もちろんお前さんの研究したいのは“戦史”ではなくて“歴史”なんだろうが」
「戦史研究科の廃止に、ボロディン先輩は反対だと考えてよろしいですね?」
「個人的には、な。だが士官候補生、あるいは軍人として言うなら反対も賛成もしない」
「そのお答えは少しばかりズルくはありませんか?」
ヤンの珍しい挑発的な言葉遣いに一瞬頭に血が上ったが、俺は一旦目を閉じ、腹から小さく息を吐いて心を静め、心拍が落ち着いた段階で、若干興奮気味のヤンを見つめ直して口を開いた。
「ヤン=ウェンリー候補生。君の言いたいことは、自分も正しいと思う。結果として軍全体が歴史研究を軽視すると判断されかねない決定は、軍人としての自分も了承しかねるところはある」
「……」
「だがな。我々は軍人だ。軍人とは軍隊の組織要素であり、軍という組織は運用上、上意下達は絶対だ。それが守られなければ軍隊は組織として形を失い、ただの夜盗と変わらぬ暴力集団になりかねない」
「上層部が下した判断が、どんなにおかしなものでも、ですか?」
「おかしな判断を下した人間は、いずれにせよ処罰される。フェアとかフェアじゃないとかはこの際関係ない。“軍人は命令に従う”まずこれが大前提だ」
そこまで俺が言うと、ヤンはいまだに納得しがたいといった表情で、鼻息を漏らす。
「軍上層部が戦史研究科の廃止を決定したのなら、軍人である君はそれに従わなければならない。感情を抜きにしてそれは分かるな?」
「……はい」
「ここは戦場ではなく、士官学校であり教育機関だ。生死を一刻一秒で争う場ではなく、候補生に教養と能力を与える場所に他ならない。その教育機関が特定の科目を軽視するような判断を決定するのは問題ではないか、と『上申』するのは、軍組織上における命令違反には値しないと思う」
「……なるほど」
しばらくの沈黙の後、ヤンは苦笑していた。
「『上申』するのは問題ではない。ということですね?」
「時と場所と事案によるが、な。一度下された決定には従え。その上で来年・再来年と上申することは、間違いではないし、軍法上も問題ないだろう」
「よく分かりました。では反対の署名は……頂けませんね」
「挑発する相手を間違えるからそうなる。普段から言葉遣いには気をつけろよ」
俺が組んだ手の上に顎を載せ、目を細めて応えたのを見て、ヤンは済みませんでしたと素直に頭を下げた。
「ちなみに、どの科に転属することになった?」
「戦略研究科です。教官から秀才揃いの学科に転属出来るのは滅多にないことだと言われましたよ」
ここも原作通りか。俺は溜息をもらすと組んだ手を解き、背を椅子に深く押し込んだ。
「俺の後輩になるんだったら少しくらいは喜べよ」
「大変不本意です。もうすこし心優しい先輩を持ちたいと思いましたが」
俺は無言で空になった紙コップを握りつぶすと、ヤンに向かって放り投げた。空気抵抗が大きかったのかそれほどの速さは出なかったが、ヤンの運動神経の鈍さのお陰で綺麗に額に命中する。その仕打ちにヤンは抗議することなく苦笑しつつ、潰された紙コップをポッケにしまい込んで敬礼すると、俺の前から立ち去った。
ヤンの姿が完全にカフェから見えなくなると、俺はもう一度深く溜息をつかざるを得なかった。
おそらくシトレはヤンやラップの抗議行動に関して、表面的な罰を与えるだけに止めるだろう。原作を思い出すまでもなく、シトレはそういう行動を高く評価する教育者の面がある。ヤンの素質もワイドボーンの一件以来、シトレの注視するところだろう。ワイドボーンも含めて、ここまでは原作の流れを大きく破壊してはいないはずだ。
ヤンがエル・ファシルで英雄的な行動をして以後順当に昇進し、第七次イゼルローン攻防戦で要塞を奪取してくれるところまで進んでくれればひとまずは重畳。ヤンの総合席次が原作よりも三〇〇ほど上昇しているが、統合作戦本部に囲い込まれるような超エリートになるにはかなり不足だし、おそらく卒業時に提出する希望配属先に戦史編纂室とか平然と書いてしまうだろうから、その希望は間違いなく通るだろう。
そしてイゼルローン要塞陥落前に、戦線でウロチョロしている金髪の孺子を殺すことが出来れば、ひとまず平和の前提条件は成立する。
あとは帝国領侵攻のようなアホな作戦案を握りつぶし、出来ればフェザーン回廊の出口にもイゼルローン規模の要塞を建築し、両回廊を結ぶ辺境航路を開拓することで、固定・機動両戦略防御が構築できれば、自由惑星同盟の「軍事的引きこもりの平和」が成立する。
そうなればグレゴリー叔父も戦死することはないし、帝国との休戦なり和平なりが成立して軍縮へと話が進めば、可愛い義妹達が戦場に出ることもない。俺はきっと黒髪の美女といい仲になって、世界中の農場からアーモンドを消滅させる運動に従事できるだろう。
そうなるためにも俺は軍人としてそれなりに出世の努力をしなくてはならない。そういうわけで最終考査まで俺はウィッティとかなり突き詰めて勉強したと思う。去年の“ウィレム坊や”のような突出した成績優良者は同期にはいないので、少しくらいは総合席次が上がっていると思いたい。
だが最終考査終了後の休日後、最終席次発表(つまり卒業式)の前日夜、シトレ校長より直々の映像通信を受けた時は、『また余計な事言うんじゃないのか、この親父は……』位にしか思っていなかったのだが……
「君はいい意味でも、悪い意味でも、私の期待に応えてくれない困った人物であることは、アントンの子供として産まれたときから承知している」
俺の部屋に設置されている通信画面の向こうで、シトレは歓喜の表情と言っていい顔つきで、変な言葉を続ける。同室戦友はシトレの顔を見た瞬間に、早々に二段ベッドの上に隠れ、こっそりとこちらを伺っている。
「性格がます軍人向きではないし、頑固という点では折り紙付きのボロディン家で育っている。いずれ聞き分けのない上官と衝突し、敵に対して余計な同情心を見せ、失った部下の為に心を消耗し、最終的には空想上の女性といい仲になって、病院の中で一生を終えるような気がしてならない」
黙って聞いていても、随分な言われようだと思うが、既に校長と一学生という立場であると宣告されたはずだ。
それなのに、この黒人の親父は親しげに長々と俺の悪口を言い続けている。
「つまり君が今日という日まで退学届を出さなかったというのは、私としても大いに不満であるし、同盟政府にとって大変な損失であると私は考えている。こうなってしまった以上、私としては貴官が、早期に退役して政界に転じて貰うことを節に祈るしかない」
「あまりにもひどい言いようじゃないですか、校長閣下」
「そうかね?」
「それと約束です。士官学校にいる間も、軍人である間も、校長と一学生の節度は守ると」
「今は友人達の息子にお祝いを述べているだけに過ぎないが」
「校長として卒業式での祝辞を述べられるだけで充分です。通信切りますよ」
「あぁ、切る前に言い忘れた事がある。明日、卒業生の答辞をよろしく頼む。ではまた明日、会場で」
通信はシトレの方から切られた。
だがあの黒人親父、最後になんと言った? 答辞?
「やったな、ヴィク!! 七八〇年生、首席卒業だ!! おめでとう!!」
いつの間にか二段ベッドから降りてきたウィッティが笑顔で俺に向かって拳を差し出している。それが俺に対する祝いの表現である事は間違いない。俺もうれしくないわけではない。間違いないのだが……
「答辞の原稿なんて作ってないぞ……あのクソ校長(おやじ)め!!」
後書き
2014.10.01 更新
2014.10.02 若干文面更新
第12話 ささやかな家族の夜
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
卒業式後の小話っぽい話をお送りします。
結構難産でした。キレが悪くてJr着任は次話に持ち越しです。
宇宙歴七八四年 八月 ハイネセン
夢だと思った。というか思いたかった。
あのくそ親父(=シトレ中将)が卒業式前日に答辞指名をするという奇襲に出た為、俺は慌てて端末を開いて、ウィッティと原稿を徹夜で作成した。ユニバース卒業式テンプレ集と過去の士官学校卒業式の動画を見比べて、適当に文面を繕ったようなものだが、とりあえず形になったのでよしとしたい。
当日の式の流れは一卒業生として把握していたので、さほど問題ではなかった。だがまさか答辞を読むとは思っていなかったので、名前を呼ばれて起立して、演壇前まで歩いている時、顔の筋肉はほとんど硬直していた。後でレーナ叔母さんに映像を見せてもらったが、お世辞にも凛々しいという言葉は使えない。
つっかえることなく答辞を読んでいる最中も、正面のクソ親父は士官学校の校長らしい厳めしい顔つきをしている癖に、俺を見るあの大きな目は俺の緊張している姿をあざ笑っているように見える。あの時ほどその黒い面にクリームケーキをお見舞いしてやりたいと思ったことはなかった。
答辞を無事終え演壇から降りるときには、木製の階段を踏み外しそうになって、正面第一列に並んでいた同期卒業生からは失笑が漏れたし、校長に対する卒業生一斉敬礼の号令の声はひっくり返り、立ち上がって帽子を投げた時には緊張して帽子は手から離れずその反動で尻餅をつく有様……すっこけた俺をウィッティが起こしてくれたがそれこそ罠で、あっという間に俺は同期の連中に取り囲まれると短靴で次々と蹴りを入れられ、再び引き上げられたと思ったら胴上げ一〇回。そして俺は再び床に腰を打ち付ける羽目になった。俺は前世、プロ野球チームの優勝監督が歓喜の中で、どんな身体的苦痛を味わっていたのかをその身をもって感じた。
「卒業式で首席総代が胴上げされるなんて、おそらく士官学校開設してから初めての事なんじゃないか?」
式典が終わり、ヤンやラップそれにワイドボーンといった顔見知りの下級生から次々と祝福という名の肉体的苦痛(膝カックンをしたワイドボーンはいつか絞める)を味わった後、ウィッティ(一四番/四五一一名中)と卒業証書を交換して会場で別れ、テルヌーゼン市内にある軍人系ホテルのレストランでようやく腰を落ちつけた俺に、グレゴリー叔父は肩を竦めて言った。
「あれを見れただけでも、テルヌーゼンまで来た価値はあったわね」
ドレス姿で実年齢(機密事項)より遙かに若く見えるレーナ叔母さんがそれに続く。そういえばグレゴリー叔父も今日は軍服ではなく上品なスーツだった。一見しただけでは軍人にはとても見えない。列席した他の卒業生の家族達に配慮してのことだと思うが、そういう気遣いがさすがだと思ってしまう。
「え、あれって当たり前の事じゃないの?」
成長期よろしくテーブル席の春巻きを口に入れたまま問いかけるにはアントニナ。その横で黙々と歳不相応な上品ぶりで箸を動かすイロナに、レーナ叔母さんの隣で悪戦苦闘しているラリサ。三姉妹それぞれが着飾って食事をする風景は新鮮だった。行儀の悪いアントニナにレーナ叔母さんからお叱りが入るのはいつもの通りなのだが。
「士官学校卒業後は、個人の功績と武勲次第で席次に関係なく出世することは出来る。だが士官学校首席卒業となれば、同じ功績を得たとしても同期の誰よりも上位に立つことができる。言うなれば同期全員がヴィクトールの下に立つことになるわけだ」
「ふ~ん?」
「……アントニナ、お前は学業も運動神経もいいが、成績発表で一番になったことはないだろう?」
これは納得してないなと、俺とグレゴリー叔父は視線で話すと、グレゴリー叔父はかみ砕いてアントニナに説明する。そう、アントニナは自分が納得できない事があった場合、説明された理由を理解できないと、トコトン不機嫌になる若干悪い癖がある。
「そりゃあ、そうだよ……」
「仮に今後アントニナはその一番になった子と同じ成績を取れたとする。そんな場合でも一番になった子には絶対服従だ」
「え~、やだ~」
両手に箸を握ってドンとテーブルを叩くアントニナの少し延びた金髪に、今度はレーナ叔母さんの平手が飛ぶ。
「う~」
「アントニナは絶対服従することになるその子の事を好きになれるかい?」
「……多分無理」
「だがヴィクトールは歓迎されたんだ。その絶対服従せざるを得ない相手から。凄い事だと思わないか?」
「ヴィク兄ちゃんが凄いことは前からわかってるもん」
前世には存在すらなかった義妹の、心を蕩かさせるこの即答に、俺はこの世界に転生できたことを心底感謝した。神様がいるなら這い蹲って御礼申し上げたい。叔父の言うことも分かるし、俺は同期から寄せられた好意に少なからず感激していたが、義妹の真摯な信頼には勝てないのだ。
グレゴリー叔父はそんな俺とアントニナを見て小さく溜息をついている。レーナ叔母さんは苦笑している。イロナはシュウマイに取りかかるようだ。ラリサは首をかしげたままこちらを見ている。
「で、任地は決まったのかな?」
話題の転換の必要性を感じたグレゴリー叔父は、小さく肩を落とした後、俺に言った。
「首席卒をいきなり最前線に持って行くことはないだろうが、遠い場所となるとな……」
「校長閣下からお聞きになっていないのですか?」
「教えてくれなかった。あの方はどうも“ボロディン家”をよく思っていらっしゃらないようだ」
グレゴリー叔父の珍しく皮肉っぽい冗談に、俺は苦笑した。やはり少し酒が入っているようだ。おかしいな。ロシア系の叔父は、遺伝的にはウワバミだと思うのだが。
「統合作戦本部、査閲部統計処理課です」
俺の言葉に、グレゴリー叔父の焦茶の瞳は酔いから冷め、急激に細くなった。
「誰の差し金だか非常に疑いたくなる赴任先だな。士官学校を卒業したばかりのヒヨッコ少尉に、百戦錬磨の部隊査閲をやらせようというのは……」
そう。最初に赴任する任地が記入されている卒業証書を手にとった時、俺は自分の目を疑った。
統合作戦本部下の査閲部といえば、国内において戦闘以外で軍を管理運用する部門だ。戦場で武勲を上げることはない。だが同盟国内宇宙航路で重大事故が発生した場合の救難や現場統制、防衛部から申請された補給艦隊を護衛する部隊の手配、そしてこれが査閲の本分であるが、国内全ての部隊に対する装備点検・訓練における全ての手配と指導および評価を行う部署だ。
ぶっちゃけ部隊風紀・法務を担当するのが憲兵司令部で、それ以外の全てをチェックするのが査閲部になる。実戦部隊の棚や襖に指を這わせ、「おたくの部隊指導・訓練はまったくろくでもないですな」と言うのが仕事だ。はっきり言って嫌われ者である。戦いの場にも出ないクセに偉そうに実戦(笑)指導する恥知らずなどと陰口をたたかれる職域だ。
だから査閲部に在籍している者の大半が実戦経験者で揃えられている。それも下士官・兵卒から苦労して這い上がった猛者士官ばかりだ。名を聞いただけで戦場を思い浮かべられる英雄的人物も多い。それくらいの者でないと、査閲を受けた側の不満が押さえきれない場合もあるのだ。
そんな鬼ばかりで地獄同然の職場に、士官学校首席卒業(実戦経験なし)を放り込む。今の人事部長が誰だか知らないが、手配した人間ははっきり言ってバカなのか、それとも『誰かの強い推薦があったので』やむを得ず配置したのか。グレゴリー叔父の言うとおり、こんな初歩的な手配ミスを犯すほど人事部は劣化していないはずだから……
「士官学校校長室に白いペンキを詰めた家屋破壊弾を撃ち込んでやろうか……」
「グレゴリー、悪口は程々にしなさい。子供達にうつるから」
「だがな……」
「いいじゃないですか。ヴィクトールが統合作戦本部に勤めるんだから、オークリッジから通えるんですし」
レーナ叔母さんは、結局オイスターソースを口の周りにベッタリつけたラリサの口を拭きながら応えた。
「ましてヴィクが戦場に出なくてすむのですから、シトレ中将には感謝しないと……」
叔母さんの心からの言葉に、俺は悄然とせざるを得なかった。グレゴリー叔父も反論することなく唇を小さく噛み、目を閉じている。
俺の実父アントンもグレゴリー叔父も、戦略研究科を優秀な成績で卒業し、戦場では武勲を、内勤では堅実に功績を上げて、かなり早く出世街道を進んできた。功績を挙げるということは、それなりの危険を伴うものだ。グレゴリー叔父はまだ三七歳なのに既に六〇近い戦地に赴いていたし、父アントンは戦場で露と消えた。
直近の部下であった父の戦死に責任感を感じているシトレも、俺を実の息子のように育ててくれるグレゴリー叔父も、俺に戦場で安易に戦死して欲しくないという気持ちがあるのは間違いない。シトレは直接告げたし、グレゴリー叔父もレーナ叔母さんに反論しないところを見れば、そうなのだろう。そして両者とも、俺に対してそれとは全く逆の期待を抱いているのも確かだ。
かくいう俺も目的があって出世することを望んでいる。だからといってこの場で「早く戦場に立って武勲を上げて恩返しがしたいです」と返事できるほど、俺は脳天気でも無神経でもない。
まるで進むべき一本道のゴールに向かって、心を斟酌されることなく急かされ続けるようなものだ。原作の知識がある事を煩わしいと、こういうときこそよく思う。
「職場でいじめられない程度に、職務に精錬するつもりです」
俺はそう応えざるを得なかった。
「それに同室戦友のウィッティも近くの戦略部にいることですし。ご心配には及びません」
「あぁ、アル=アシェリク准将閣下のご子息だな。彼は気持ちのいい青年だ。閣下も後方勤務本部にお勤めだし、どちらかというと人をフォローするのに向いているから、安心だ」
「なにしろ私の高級副官ですからね」
「なるほど……彼はきっとそういう役職が向いていると思うよ」
原作ではクブルスリー大将の高級副官で、食器による暗殺未遂事件を阻止できなかった。それから彼は原作に登場していない。少なくとも統合作戦本部長の高級副官を務められる人間だ。ビュコック元帥の幕僚になっていても可笑しくない。上司を傷つけられた事を、事前に阻止出来なかったことを、悔やんでも悔やみきれなかっただろう。友人としても、戦友としても頼りになる奴と、この世界に来て知っただけにあまりにも惜しい。
グレゴリー叔父が第一二艦隊司令官に任命された時は、彼に副官になってもらおう。
そう心のメモに記帳して、俺はようやくレーナ叔母さんに許された飲酒を楽しむことにした。
後書き
2014.10.04 更新
2014.10.05 補弼→任命
第13話 査閲部 着任
前書き
いつも多くのPVありがとうございます。
半日遅れ(土曜日の仕事が深夜まで)の更新になります。
Jrはいよいよキャリアをスタート。そこである伝説と出会うとは思わずに。
七八四年九月 ハイネセン 統合作戦本部
士官学校を卒業してからの一ヶ月が過ぎた。実を言えばこの一ヶ月は、士官学校卒業生のうち辺境に赴任する者達の移動時間を考慮したものではあったが、元から有人居住惑星のない場所に士官候補生を送り込む事などないわけで、移動に必要な時間以外は『卒業休暇』となる。
ちなみに俺の任地はハイネセンポリス中心部より一〇〇キロ離れた統合作戦本部査閲部。事実上、任地へ赴く距離は〇。よって、一ヶ月まるまる休暇として使えるはずだったが、結果として義妹達の世話や、引っ越しの手伝いで何かと忙しく、骨の髄から休みを取れたのはせいぜい二日ぐらいだった。
そう、ボロディン家は八月、オークリッジの慣れ親しんだ官舎から引っ越すことになったのだ。引っ越すと言っても直線距離でせいぜい二〇キロ先にある『ゴールデンブリッジ』街一二番地。その街の名が示す意味はグレゴリー叔父の少将への昇進だった。職務も統合作戦本部施設部次長から、宇宙艦隊司令部第一艦隊副司令官へ変わった。
同盟軍第一艦隊といえば首都警備・国内治安・そして伝統ある海賊討伐と星系間航路治安維持を主任務とする部隊だ。栄光あるナンバーフリートではあるが、実情は一〇〇〇隻程度の機動集団と一〇〇隻前後の戦隊の大混成部隊である。それも当然で、主戦闘任務が海賊討伐である以上、一万隻以上の戦力はいささか過剰なのだ。
よって第一艦隊が全軍で出動するということは滅多にない。ゆえに艦隊の次席指揮官というのは全く意味のない閑職のように見えるが、それもまた違う。定番の作戦では機動集団一つに複数の戦隊が同行するので、上層となる指揮・参謀集団が別個に必要となるのだ。さらに各星系方面司令部との調整もあり、宇宙艦隊の面子という面でも少将クラスの人間が必要不可欠になる。しかも用兵と指揮と人格に一定以上の評価がある人物が。温厚な紳士であり、軍政・軍令に忠実で、能力も充分(むしろ過剰気味だが)、人望もあって調整能力も高いグレゴリー叔父は充分に資格があった。
グレゴリー叔父の昇進が決まって役職も決まると、引っ越したばかりの官舎には来客が有象無象に押しかけてきた。クソ親父(=シトレ中将)はどうでもいいとして、かつての部下でハイネセン近郊に在住している人はみんな来たんじゃないかと思えるくらいだ。特にジェフ=コナリー大佐は、例の細い顔に黒いカストロ髭の容姿で、「ジュニアも首席卒業で査閲部に赴任が決まられたとか。おめでとうございます」と宣い、何処で聞きつけたのか俺の好物のチキンフライを山ほど持ってきてくれた。もっとも大半をアントニナとラリサに食べられてしまったが。
そういうわけで叔父昇進祝いのミニパーティーがぶっ続けで開かれ、初めて統合作戦本部の査閲部に登庁した時は緊張感からではなく、単純な食べ過ぎが原因の胃もたれを感じていた。
胃をさすりつつ、俺はハイネセンポリスからの軍中枢区画行き直通リニアに乗り、地上五五階の巨大な外観ではなく、中枢とも言える地下四〇階のホームで降りる。扉が開き、例の濃緑色のジャケットが一斉にホームへと降りる様は壮観だったが、その中でもポツポツと何処へ行ったらいいか分からない、といったおのぼりさんが見受けられる。……そのほとんどが新着任の同期生だった。“事前に調べてこいよ”とも思うが、二〇両編成に詰め込まれた四〇〇〇人近い降車客を前に圧倒されたのだろう。
その人混みをかき分けるように、俺は地下六五階にある査閲部統計課へと向かう。いざとなったら立て籠もれるよう複雑に入り組んだ通路を抜け、幾つかのセキュリティーゲートをくぐり抜けると、その場所はあった。鬼査閲官のたむろす地獄のようなドンヨリとした空間かと思いきや、地下なのに天井は高く、床は中彩色の鼠色で壁と天井は押さえられた温白色で、非常に落ち着いたオフィスだった。受付のようなものはなく、映像の出ない前世では使い慣れたオフィス電話が一台、入口付近の小さなテーブルに置かれている。思い出すかのように外来受付番号をプッシュする。
「査閲部統計課です」
電話に出てきた女性の声は、必要以上の言葉は喋りません、と自己主張していた。
「ご用件を」
「本日、貴課に着任いたしましたヴィクトール=ボロディン少尉であります」
「承知しました。その場でお待ちを」
そう言っただけで女性は電話を切る。少なくとも電話口の女性がコールセンターの指導を受けたことがないのは確かだろう。俺は今後の職場環境のクールさを想像し小さく溜息をついていると、オフィスの向こう側から俺に向かってゆっくり近づいてくる、白みがかったグレーの髪と同じ色の小さな髭の、やや痩せた長身の中年男性が見える。
俺は今、生きている伝説を見ているのか……呆然として立ちつくし、緊張から唾が音を立てて喉奥を落ちていく。
『生きた航路図』『ヤンの片足』『艦隊運用の名人』……彼、エドウィン=フィッシャーがいなければヤン艦隊は迷子になるし、ヤンの奇策を実行することは出来なかっただろう。彼がいたからこそヤン艦隊は不敗神話を保ち続けられたのだ。だが何故、その彼が統合作戦本部の、しかも嫌われ者の査閲部にいるのだろうか。
「お待たせしましたかな」
まさに紳士そのもの。グレゴリー叔父の上を行くフィッシャー『中佐』の穏やかな問いかけに、俺はイイエとしか応えられない。俺の緊張を新任ゆえと理解したフィッシャーは「そうでしょう」と小さく囁いてから頷く。
「査閲部長のクレブス中将閣下と、統計課のハンシェル准将が、君の到着を待っているよ」
「それは……申し訳ありませんでした」
俺は鳴らすくらい強く踵を合わせ、背筋を伸ばしてフィッシャーに敬礼した。上司より遅い登庁など、軍隊組織に限らず本来許されることではない。それくらいは分かっているつもりで定時の二時間前に登庁したわけだが、それを上司達は上回るのだ。
「気にしないことだよ。そして失敗しても、決して顔には出さないように」
答礼の際もフィッシャーの顔は穏やかで落ち着いている。それが逆に俺は恐ろしい。ユリアンが「地味が軍服を着て物陰に黙って立っているような」人物だと評価していたが、それはただの外面だけだ。彼の実力と強さはその皮膚と脳みその裏側に隠されている。
査閲部長室をフィッシャーがノックし、扉が開かれた後も、俺はただただ無言でついて行くしかない。
それほど広くない査閲部長のオフィスには、やはり二人の中年男性将官が立っていた。席に座っている太った中将がクレブス中将で、立って腕を組んでいるのがハンシェル准将だろう。二人とも俺を静かな目で見つめている。俺が礼法授業を一つ一つ思い出しながら、気合いを入れて敬礼すると、二人の将官も答礼を返してくる。二人とも完璧な敬礼でありながら、ちっとも身体が強ばって見えない。
「〇六一二時に登庁ならまず合格だ」
俺に対するクレブス中将の最初の言葉がそれで、
「あと三〇分は早く来てもらわんとな」
と応えたのがハンシェル准将だった。二人とも原作には登場しない。クレブス中将は定年間近から見て専科学校出身の士官だし、ハンシェル准将は兵卒からの叩き上げだろう。言葉に遠慮がない。
「査閲官は常に他者から監視されていると言っても過言ではない職務だ。必要以上に厳しくする必要はないが、つけいる隙を与える必要はない」
「は!! よろしくご指導願います」
「うむ」
クレブス中将は小さく頷くと、手を組んで俺を見上げた。
「正直言うとな、少尉。この査察部に士官学校を卒業したばかりの少尉が着任したことに我々も戸惑っている」
「はっ……」
「人事部にも一度確認したが、間違いはないとのことだ。だが実戦経験のない貴官に、訓練評価やその統計が出来るはずもないし、我々としても期待していない。しばらくはフィッシャー中佐に同行してもらう。いいな」
「承知しました」
「……なるほど、素直であるのはよい素質だ。査閲官としての適性はともかく、な」
そう言うと中将は立ち上がり、ハンシェル准将から受け取った辞令と階級章を俺に手渡した。
「士官学校首席卒の貴官のキャリアが、この場から始まったと誇れるよう、職務に精励することを望む」
「はっ」
俺の手に少し厚みを感じる辞令と、クリップ付けされた少尉の襟章が渡され、フィッシャー中佐が襟章を取ると、俺のジャケットの右襟に取り付けた。これで儀式は終わりだ。俺は二人の将官に敬礼し、フィッシャー中佐と共に執務室を出る。
「クレブス中将閣下の言葉を繰り返すようだが、少尉にいきなり仕事をせよと言われても無理だと思う」
『まぁ、かけたまえ』とフィッシャー中佐はオフィス内で俺を座らせると、小さく溜息をついて言った。周囲にいるのはほとんどが年配者ばかりで、女性は異様なほど少ない。フィッシャー中佐と俺が話していても、全く気に留めることなく、自分達の仕事に集中している。
「よってまずは私が査閲した結果の入力と、過去入力分の解説と学習、査閲に同行しての実践を進めていきたいと思う。いいかな?」
「よろしくお願いいたします」
「首席卒ということで、肩身の狭い気分を味わうかもしれない。そういう時は相手の仕事の様子を見て、自分の意見を、直接ぶつけて見てもいい。下積みで苦労の多かった者もいるし、査閲官としての実績もある。君にあたりちらしたり、君を殴ったりするような愚かな者はいないはずだ。少なくとも君の軍歴より少ない者は、この場所にはいないからね」
もしかして最後の下りはジョークだったのだろうか。俺はフィッシャー中佐の穏やかな顔を伺ってみたが、そこから察することは出来なかった。
後書き
2014.10.05 更新
2014.10.05 台詞一部修正
第14話 愛されし者
前書き
いつも閲覧いただきありがとうございます。
ようやく自分の立場をほんの少しだけ理解出来たJrです。
明日はUPが微妙です。
宇宙歴七八四年八月 統合作戦本部 査閲部 統計処理課
初登庁の日は瞬く間に時間が過ぎていった。まず基本的な業務の流れの説明をフィッシャー中佐から受け、昼休みには統計処理課の他の課員に自己紹介をし、その後は報告書の種類についてのおおざっぱな説明を受けた。
携帯端末を利用してのメモは二〇〇枚近くになり、掌サイズの紙メモ帳だったら持ち運びすら困難になりそうな量だった。これだけの量を全て把握している査閲部統計処理課の要員は一体どういう頭をしているのかと感心する。むしろ頭ではなく身体で把握しているのではないかと……経験という血肉で。
出仕一週間の間にフィッシャー中佐から紹介された課員は、所属している査閲官全てではなかったが、やはりというか殆どが専科学校あるいは一兵卒からのたたき上げ士官ばかりだ。少なくとも軍歴が二〇年を下回る人がいない。むしろ今年四四歳のフィッシャー中佐の方が若造なのだ。それはつまり……
「坊主が産まれたころは戦艦ボノビビのC第五砲塔の砲座に座っていたなぁ」
とか
「坊が一回半人生をやり直して来る前に、儂は殴られながらスパルタニアンをいじっていたのか……」
という話が、平然と出てくる。言うまでもなく「坊」とか「坊主」とかは俺のことだ。この場にもしヤンがいたら、意外と喜ぶんじゃないだろうか。
「しかし、坊はなんだって士官学校首席卒なのに、この“爺捨て穴”に放り込まれたんだ?」
オフィスの端に簡単に作られている小さな休憩室でそうあけすけに聞いてくるのは、統計課で最年長のマクニール少佐。一八歳で徴兵され、一兵卒から這い上がってきた。人生の大半を砲座と戦闘艦橋で暮らしてきた人物で、来年の二月で六〇歳の定年を迎える。すでに回される仕事もほとんどなく、時間(ヒマ)を見ては研修中の俺とフィッシャー中佐に話しかけてきてくれる。前世の六〇代よりも遙かに元気そうで、やはり平均生涯年齢九〇歳という未来は伊達ではないなと痛感せざるを得ない。もう孫も成人し、警察組織である航路保安局の警備艇に乗り込んでいるらしい。
「ここは出世とは無縁の場所だぞ。誰か有力な政治家子弟の嫉みでも買ったか?」
「それは……よく分かりません」
同期に政治家の子弟がいなかったわけではない。ただ嫉みを買うほど付き合いがあったわけではないし、父親も軍の人事に関与できるほど有力者でもない。仮にそうだとしても、あのクソ親父(=シトレ中将)が排除するだろう。というかこの人事は明らかにクソ親父の仕業だ。
だが何故、クソ親父は横槍を入れてまで俺をココに配属させたか。
戦死しては父アントンに申し訳がない……だけではあるまい。それなら後方勤務本部へ配属すれば済むことだ。あっちは女の子だらけで、いい仲になり損ねた同期もいっぱい配属されているのに、いらぬ事をしてくれる。
「まぁ……宇宙艦隊参謀本部にはちょっとソリの合わない一期上の先輩がいるので、それを配慮してくれたのかもしれません」
「だが首席卒の坊なら統合作戦本部長も宇宙艦隊司令長官も夢ではないのに、初っ端から査閲部だからなぁ……下手したら中将まで行けないかもしれないぞ」
「それはないと思うよ、マクニール少佐」
俺の隣に座って、悠然と紅茶を飲んでいたフィッシャー中佐が珍しく口を挟んできた。俺とマクニール少佐が話している時は滅多に口を開かず、いつものように穏やかな表情で話を聞いているだけなのだが……
「ボロディン少尉は第一艦隊副司令官ボロディン少将閣下のご子息だ」
いきなり投下された爆弾発言に、マクニール少佐もフィッシャー中佐を見、そして俺を見る。俺が諦めて頷くのを見てから「おやまぁ」と呆れた口調で呟いた。というか俺も驚いた。何故今更それを言うのかと。
「……ん~そうなると、ますますワケがわからんなぁ」
「あの、マクニール少佐……」
「なんだい、坊主」
「自分を戦死させたくなくて養父が人事に干渉した、とはお考えにならないんですか?」
小心者の俺がおっかなびっくり問うと、逆にマクニール少佐の方が目を丸くして驚いたようだった。
「坊主は自分の親父さんがそんなにも恥知らずな男だと思っているのか?」
「いえ、そうは思いませんが……」
「グレゴリー=ボロディン少将閣下はいずれ中将、大将になる人だ。そんな人が軍人となった自分の息子の命惜しさに不義を望むわけがない。息子の栄光ある将来も、自分のこれまで築いた名声も失うことになる」
グレゴリー叔父はマクニール少佐の言うとおりだろう。だが元凶は違えど、俺と同じような勘ぐりをする奴は多くいるに違いない。幸い、マクニール少佐はそういう勘ぐりはしなかった。「いい人」だとは思う。だが前世もそうだが、いい人は総じて世間に少ない。
「だからこそよく分からん。クレブス中将は人事部に掛け合った上で、配置を了承したらしいが……」
溜息混じりのマクニール少佐の言葉が、その日の夜まで俺の頭の中に残っていた。
それからさらに一週間が過ぎ、ようやく俺はフィッシャー中佐の手助けを得ず、情報の入力や訓練考課表の統計作成が出来るようになった。ちょくちょく添削は入るものの、形となった考課表を手に取り、俺はようやく給与分の仕事ぐらいは出来るようになったかと喜んだ。未だテンプレ集を手放せないのだが、それなりにホッとしたのも事実だ。フィッシャー中佐と共に本部ビル三〇階の食堂で昼食を取っている時、そのせいで油断していたのか、俺は中佐につい聞いてしまった。
「艦隊運用というものは、やはり訓練でしか鍛えられないものなのですか?」
原作における『艦隊運用の名人』はどうやってその運用法を学んだのか。確かに士官学校には艦隊運用術・用兵理論等の学科はある。しかし実際に艦隊を動かすとなると、これがなかなか上手くいかない。フィッシャー中佐に教えられながら作成した考課表を見てもそれは明らかだ。
再編成されたばかりの部隊だと、艦のカタログデータの半分以下の速度でしか集団行動が出来ない。出来るようになる為に訓練をしているのだから当然といえば当然なのだが、艦隊運用というものが指揮官や幕僚集団、艦長などの腕に左右されるのであれば、教科書にはないコツのようなモノがあるのかもしれない。
そのコツがいつかは役立つかもしれない、と参考までにその道の『名人』に聞いてみたのだが、俺に問われたフィッシャー中佐はというと、口元にサンドイッチを運んだままの姿で固まってしまっていた。
「中佐?」
「……二週間か。これを早いと見るか、遅いと見るかは判断が難しいところだ」
数秒後、ようやく筋肉に信号が行ったフィッシャー中佐は、サンドイッチを皿に戻し、紅茶カップを手にとって一口傾けてからそう呟いた。
「いや、済まない。でもどうして少尉はそう考えたのかな?」
「あ、いや……それは……」
俺は自分の考え方を一応述べた。『コツ』という言葉に、フィッシャー中佐は小さく眉を動かし苦笑したが、それ以外ではずっと黙ったままだった。彼が口を開いたのは、たっぷり一分経過してからのことだった。
「さすが、と少尉には言いたいところだが、艦隊運用に特別な『コツ』というものは存在しない」
フィッシャー中佐の声は、いつもよりも深くそして低い。俺は思わず背筋に力を入れざるを得ない。
「艦隊運用を上達させるのに必要な要素は大きく分けて三つあると私は思っている。適切で素早い空間把握と、部隊を構成する艦艇性能の理解、艦艇を統率する下級指揮官あるいは艦長の力量の把握だ……それに加えてある程度の作戦構築能力と、下級指揮官同士の相互理解と、適切で効率的な燃料の管理術があれば、よりスムーズな運用が可能になる」
艦艇が戦列を組み直して別の陣形を形成するに際して、動く先の空間に余裕があるか、空間に障害物がないかを把握するのはまず当然のことである。個艦性能以上の運動を求めるのは、特殊な外的要因がない限り意味のないこと。土俵が整えばあとは下級指揮官や艦長が、上級指揮官の指示に適切な行動で応えればよい。上級指揮官に作戦構築能力があれば部隊移動の時間や空間に余裕が産まれるし、下級指揮官同士の相互理解があれば交叉する移動経路となっても衝突せずスムーズに動ける。さらに燃料を効率的に管理することが出来れば、より長時間広範囲にわたる運用が可能となるだろう。
「もっとも、私も本に書けるほど艦隊運用に自信をもっているわけではない。ただ今までの航法・航海士官としての実戦経験や『訓練査閲官としての経験』から、こうなのではないか、と考えて言っているだけに過ぎないのだが」
フィッシャー中佐の最後の言葉に、俺は自分の瞳孔が大きく開いたことを実感せずにはいられなかった。
士官学校首席卒の俺を、出世コースの基本である戦略部や防衛部、宇宙艦隊司令部の参謀本部などではなく、嫌われ者で猛者の集まりである査閲部に、あのクソ親父(=しつこいようだがシトレ中将)が横槍を入れてまで放り込んだ理由が、ようやく理解できた。
あのクソ親父は、俺の出世など幾ら遅れても構わないと思っている。むしろ早々に退役しろと思っているのは本人も言っているからそうなのだろう。だがどうせ時間がかかってもいいなら、彼らのような実戦経験豊富な勇者達から、その貴重な経験を学び、そして査閲官として経験を積んでこい、功績を挙げる機会と相殺で、と言外に言っているのだ。しかも戦場に出ることなく!!
「フィッシャー中佐」
俺は、最後の確認がしたくて、失礼な質問を中佐に投げかけた。
「中佐の、査閲官になる前の任地はいずれでしょうか?」
「……四年前。第二艦隊第一分艦隊の航法・運用担当士官だった」
中佐の答えははっきりとしていた。
「私は今まで君ほど『彼』に愛された新任士官を見たことがないよ」
そういうとフィッシャー中佐は再び紅茶カップに口をつけた。その穏やかな顔に、若干の気恥ずかしさ浮かんでいたのも間違いないのだった。
後書き
2014.10.05 更新
2020.09.23 誤字修正
第15話 嫌いな奴
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
少し遅くなりました。第15話をお送りします。
珍しく?Jrが陰気で尊大な奴になっています。(実を言うと作者もJrと同じく良識派の彼が嫌いです)
宇宙歴七八四年一一月 統合作戦本部 査閲部 統計課
俺が統計課に配属になってから三ヶ月が過ぎた。
フィッシャー中佐の告白以降、俺は中佐だけでなく暇を持て余しているマクニール少佐や、他のかなり年配でそろそろ退役かという位の査閲官や事務の人と積極的に話すようになった。若い(といっても四〇代なんだが)査閲官は仕事をバリバリこなしているので、声をかけづらいというのもあるが、老勇者達は話しかけてくる俺に、快くいろいろな経験談や自慢のコツを教えてくれる。
「砲撃、ってのはだ、坊。こういっちゃ悪いが、画面を見て引き金を引ける奴なら、それこそジュニアスクールのガキだって出来る仕事なんだ」
特にその中でも最もよく話すマクニール少佐は、少しでも酒が入ると自慢の理論を話し始める。
「だが、名砲手ってのはそうそういねぇ。俺の顔見知りにアレクサンドル=ビュコックってのがいるが、コイツはまた凄かった」
フィッシャー中佐は既に帰宅の途につき、俺は少佐に連れられて下級士官用のバーに絶賛連れ込まれ中なのだが、その席で原作における超大物の名前が酔っぱらった少佐の口から出てきたのにはさすがに驚き、俺は飲み慣れないウィスキーを吹き出した。
「おいおい、坊主、大丈夫か?」
「なんとか……で、そのビュコック……さんは、どう凄かったんですか?」
「とにかく度胸が良くて正確な砲撃ができる。本人は運がいいからだと謙遜していたが、一瞬しか映らない敵の先制砲火を、砲手画面で瞬時に確認してから応撃するんだ。これはそうそう出来る事じゃない」
その身振り手振りがいちいち珍妙なマクニール少佐だったが、赤ら顔でも目は真剣だった。
「速く正確に射撃をする。これは俺達査閲官の評価項目のなかでも特に重要だ。だがな、敵より先に砲撃するというのは、場合によってはあんまり良いことじゃない」
「敵に自分の位置を先に知らせることになる、からですか?」
「そうだ!! よく分かったな坊主。さすが首席卒は頭の回転が違う」
そういうとマクニール少佐は俺の酔った頭を、長年の砲撃指導で少し曲がった指でゴリゴリとひっかいた。もっとも俺の返事は原作にあった、ヤン艦隊の熟練兵・教官の叱咤をそのまま口に出しただけなのだが、その事はあえて言うまい。
原作の知識があるというのは、確かにこういったところで役には立つ。だが結局、マフィアとかダゴンの英雄の場面を別として、宇宙歴七八四年現在からエル・ファシルの戦いのある七八八年までの五年間は、歴史上の出来事など殆どわからない。正直、金髪が赤毛と仲良くなっただの、孺子の姉が後宮に連れて行かれただの帝国側のこの時期における原作知識はあんまり役に立たない。
それよりも肝心なときまでに出世できているか、実権をにぎっているか、そちらの方が心配になってくる。
最終的な目標は「同盟の引きこもり型防衛体制の確立」だ。その為には対帝国での戦力比をアスターテ星域会戦以前くらいに維持しなくてはならない。となるとやはり帝国領侵攻前に宇宙艦隊司令部で艦隊を統率しているか、統合作戦本部で軍事戦略に関与できる位置ぐらいにいなければならない。階級でいえば中将。あるいは将官であって、シトレかロボスの高級幕僚になることだ。
だがシトレは俺に将来軍人として大成して欲しいとは思っていても、相当の時間がかかってもいいと思っているようだし、ロボスとは面識がない。中将になるとしても、帝国領侵攻は七九六年八月。約一二年で八階級を上らなくてはいけない。一階級あたり一年半。少尉から中尉へは一年だから良いとしても、相当のスピードが必要だろう。なにしろあのグレゴリー叔父が今年少将になったのだし、フィッシャーは現在中佐。七九六年時点でグレゴリー叔父が中将、フィッシャーは准将だから、実戦に参加しない場合は一階級昇格するのには五年必要と考えるべきなのか。クソ親父(=シトレ中将)の親心が次第に憎たらしくなってくる。
「おい、坊主。どうした、大丈夫か?」
久しぶりに意識を別次元に飛ばしていた俺の面前で、マクニール少佐が手を振っている。
「これっぽっちで酔っちまったのかよ。将来の統合作戦本部長殿は案外酒に弱いんだな」
「まだ小官は二一ですよ?」
「俺が二一だったときは、徹夜飲みなんか当たり前だったぞ。もっとも飲まなきゃやってられなかったがね」
「……はぁ」
「明後日からいよいよ現場入りだものな。フィッシャー中佐が付いているとはいえ、初めて実戦部隊の白い目を浴びに行くんだから、緊張していてもおかしくない。よし。今日のところはこれでお開きにしてやる」
そういうとマクニール少佐は腕を伸ばして大あくびをするのだった。
翌々日。俺はフィッシャー中佐と共に、ハイネセン軍用宇宙港からシャトルに乗って、訓練中の艦隊へ査閲に赴いた。と、言ってもハイネセンのあるバーラト星系ではなく、複数の正規艦隊が同時に訓練できるほどの空間を持ち、補給と休養の望める有人惑星が近くに存在する、ロフォーテン星系管区内のキベロン演習宙域までである。
既に査閲対象の艦隊は移動を開始しており、俺達査閲官は三〇人ばかりのチームを作って、連絡用の巡航艦で追っかけていくのだが、この巡航艦の中で査閲官専用スペースとなった士官食堂の一角で、俺達は書類や端末を並べつつ、深刻な表情で顔を見合わせていた。
「我々の査察対象はいうまでもなくラザール=ロボス中将閣下の第三艦隊だ……」
今回の査閲チームの首席であるオスマン大佐が、軽く舌打ちしてからそう吐き捨てた。
「言うまでもなくロボス中将は気鋭の戦術指導能力をもつ指揮官だ。貴官らにあっては査察評価を、より慎重に行って欲しい……」
そう。俺の初めての査閲先はよりにもよってロボスの率いる艦隊だった。
事前に渡された資料によれば、ラザール=ロボス中将は現在四五歳。中将に昇進してから二年が経過し、あと数年で間違いなく大将に昇進すると言われている。オスマン大佐が言うように、優れた戦術指揮能力を持ち前線でも後方でも優れた業績を挙げてきた。精力的に幕僚グループを纏め上げる力量は当世一との評判だった。
もっとも第六次イゼルローン攻防戦以降、食器の専横を許し帝国領侵攻で大損害を出した、プライドだけデカイ中年デブしか知らない俺としてはにわかに信じがたい。それはともかく、ロボスの内外における評判が高いことから、査閲側がうかつな事をしでかして宇宙艦隊司令部と統合作戦本部間でトラブルの種になるような事は避けたい……オスマン大佐の言外の気持ちを、査閲官達はみな承知していた。
そんな緊張した俺達査閲官は、巡航艦からシャトルに、シャトルから戦艦アイアースへと移乗すると、案内に出てきた幕僚に連れられて、すぐさま戦闘艦橋へと通された。査閲首席のオスマン大佐と次席のフィッシャー中佐が、戦闘艦橋の一番高い指揮官階層に向かい、一番下っ端の俺は、同じ尉官らと一緒に一番下層のオペレーター階層から、巨大な差段艦橋を仰ぎ見ていた。
「……殺人ワイヤーに自壊雛壇か」
「なにか言ったかね?」
原作そのままの、艦隊旗艦の指揮中枢部としてあるまじき非安全性に心底がっかりしていると、俺は背後から声をかけられた。シャトルから降りてここまで、案内役の幕僚以外に査閲官へ声をかけた者は一人もおらず、丁重な無視か、意図的な無視か、汚物でも見るような斜視以外浴びてこなかった俺達に声をかけるのはどんな物好きかと、俺は振り向いてその声の主を確認すると、不思議そうな、珍獣を見るような視線で中年寸前の男が俺を見ていた。そしてその周囲で査閲官達が直立不動で敬礼しているのが分かった。
「随分若い査閲官だね。君は……」
「し、少将閣下」
階級章を見て俺は慌てて敬礼すると、その少将も悠然と答礼する。何処にでも良そうな、それでいてどこかで見た事のある少将だ。褐色の髪に、肉付きの薄い頬。グレゴリー叔父やフィッシャー中佐程ではないにしても、穏やかな雰囲気を纏っている。いつだったか似たような顔の作りを見たような気がするが……
「ボロディン少尉!! こちらはグリーンヒル少将閣下だぞ!! さっさと申告せんか!!」
(かなり年配の)同僚の言葉に、俺は体中に電流が走ったのを感じた。
ドワイド=グリーンヒル。的確かつ堅実で整理された判断を下せる軍内部でも評判の良識派。軍人としては異様に気配りができ、バランス感覚に富んでいるが故に、二〇年来のライバルであるシトレ・ロボス両者の補佐役を務めることができた。軍人というよりむしろ政治家向きなんじゃないかと、クソ親父ならずとも俺は考えることもある。
俺にはこの人がなんで軍人やっているのかよく分からない。有能な『人物』であるのは認める。だが結局この人は多くの会戦でロボスを補佐していながら勝った例がほとんどない。幾ら優秀だからと言っても、軍人になって六年程度の食器(=ナイフの反対)を上司として掣肘せず、専横すら許している。あまつさえ若手将校達の暴走を押さえる為にクーデターの親玉になるなど正気の沙汰ではない。どう考えても民主主義国家における優秀な『軍人』ではない。その良識とやらを十全に発揮したければ、とっとと軍服をスーツに替えてヨブ=トリューニヒトと対峙すべきなのだ。もっとも良識だけでトリューニヒトに勝てるわけがないが、レベロよりはマシだろう。この人の不作為で、一体どれだけの同盟軍将兵と軍属が無駄に屍を晒したことか。
正直、俺はこの人が大嫌いだ。この世界では原作と異なるかもしれないが、『食器』よりも。
「大変失礼いたしました。小官はヴィクトール=ボロディン少尉であります。グリーンヒル少将閣下」
フィッシャー中佐の薫陶よろしく、俺は感情を顔に出さず、努めて冷静に自己申告した。
「ほぅ……君が亡きアントン=ボロディン中将のご子息か」
「はい。少将閣下は父をご存じでありますか?」
普段から『グレゴリー叔父のご子息』と呼ばれることはあっても、『アントンの息子』と呼ばれることはない。もう一〇年以上昔に亡くなったこちらの世界の実父を、昨日のように覚えている人は今ではグレゴリー叔父とレーナ叔母さんとクソ親父だけだろう。だがこの人は何故だ? 俺が視線だけで問いかけると、グリーンヒルは小さく微笑んだ。
「彼がシトレ少将指揮下で分戦隊を率いて最期の戦いとなったパランティア星域で、私は別の艦隊で幕僚を務めていた。士官学校でも三期上で、同期の間でも勇敢で正義感あふれる事で有名だった。何度かシトレ中将を挟んで会話したこともある。丁度、君が産まれたときだったかな。彼はたいへん喜んでいたよ」
「そうですか……父は軍の話を家では殆どいたしませんでしたので、閣下のお話を伺えて嬉しく思います」
「こんな話で良ければ、いつでも我が家に来てくれたまえ。彼のご子息なら家族揃っていつでも歓迎しよう。あぁ、今こういう話をしてはダメだな。貴官は今回の査閲の担当者だった」
今更思い出したと言わんばかりに、少しオーバーな身振りでグリーンヒルは肩を竦めると、俺の横をすり抜けるときに軽く二度ばかり肩を叩いて行った。
誰がアンタの家になんか行くものか。行ったところで悪い予感しかしないしな。
俺は笑顔でオペレーター達に挨拶しているグリーンヒルの背中から視線を逸らし、拳をきつく握りしめるのだった。
後書き
2014.10.08 更新
第16話 査閲と
前書き
更新を二日空けてしまいました。暖かいお返事本当にありがとうございます。
演習開始からデブじゃない中将、そして中佐の心遣いをお届けします。
たぶん次回にはJrは中尉に昇進している、のかなぁ……
宇宙歴七八四年一一月 キベロン演習宙域 査閲部 統計課
オスマン査閲集団の査閲下におけるロボス第三艦隊の演習がついに開始された。
まずは各小戦隊の砲撃・移動訓練が、ついで単座式戦闘艇の近接戦闘訓練が、訓練誘導弾を利用した雷撃戦訓練が開始される。おおよそ一〇〇隻前後の集団、あるいは一〇〇〇機前後の戦闘艇が次々と標的を撃破していく。
俺や年配の尉官達はそれら各小戦隊から上がってくるデータと、標的の撃破状況のデータの双方を比較し、その撃破率、撃破時間、評価点を叩きだしていく。ここまでのところ対静止標的・対可動標的共に他の正規艦隊や独立部隊よりも評価点が高い。
「さすがロボス中将の第三艦隊だ。同盟一の精鋭の名は伊達ではない」
同僚の一人が査閲中に思わず漏らした言葉だったが、俺もそれには同感だった。単純な撃破率であれば文句なしに最強といっても良いだろう。ただ俺の心の中にはグリーヒルに対する反感以上に、なにやら言葉にするには難しい、何となくモヤモヤする得体の知れない違和感があった。
三日かけての演習第一段階の戦隊別訓練が終わると、演習対象の第三艦隊乗組員には休養が与えられる。だが、査閲官にはそれはない。第三艦隊の総隻数は一三〇六〇隻。旗艦を含めた分艦隊が五つ。戦隊は二八。小戦隊にいたっては一五〇以上ある。それら一つ一つの戦隊ごとに評価点を出し、コメントがあれば書き込んでいく必要があるからだ。三〇人以上の査閲官が参加しているとは言っても、一戦隊を一人の査察官だけで評価するわけにはいかない。俺はフィッシャー中佐が率いる一〇人チームの一人として、評価会議に参加している。
「第七七九戦艦小戦隊、対静止標的撃破率八八%。対可動標的撃破率三五%。まず一五八点。小戦隊各艦延べ移動距離は五.四光秒……少し長い。マイナス九点」
ようやく一〇人が座れる会議室で、中央の三次元投影機を動かしつつ、一つ一つの演習科目に対する評価点を足したり引いたりしている。フィッシャー中佐が一つの小戦隊の評価を終えると、チームの一人一人に意見を求め、必要と判断できるコメントを俺に指示して入力させ、報告書を作り上げていく。午前八時から午後九時まで。食事すら司令部の従卒に運ばせて、ひたすらそれの繰り返しだ。その間、ずっと喋りっぱなしのフィッシャー中佐に、俺はたまらず昼食の時に聞いてみた。
「中佐、よく喉が嗄れませんね」
「少尉。これには『コツ』がある」
やはりサンドイッチに紅茶という英国スタイルは変える気がないらしいフィッシャー中佐は、三杯目の紅茶を傾けた後に、俺にこっそりと囁いた。
「大声を出さないこと、喉の少し口よりの処から声を出すこと、読み上げるときだけは目を細めてぼやくようにすること。この三つだ。それでも演習最終日は蜂蜜とオレンジが欲しくなる」
「父と叔父は、ジャム口に含んでから紅茶を飲みますが?」
「どうやらボロディン家のお茶会は私にとって鬼門のようだ」
そう言ってお互い苦笑した後、中佐は俺に向かってやや真剣な目で言った。
「意見がある時には遠慮する必要はない。君は新任の少尉であることは会議室にいる誰もが知っているし、みな百戦錬磨の紳士だ。間違うことで学ぶことも多いはずだ」
「ありがとうございます。ですが……そうすると会議時間が長くなってしまうのでは?」
「切り上げるタイミングは私が心得ているよ。それよりも君は会議中、ずっと何かを言いたげだった。それが私には気になるんだが……」
「小官自身でも、それが分からないのです。言いたいことはあるのですが……言葉に出来ず」
「そうか……それなら仕方がない。分かったらいつでも発言してくれ」
そこまで言われると、俺も考えなくてはいけない。翌日から再び演習は始まった。演習第二段階は戦隊単位での演習だ。今までの小戦隊とは隻数も異なるだけでなく、上級指揮官が複数の小戦隊を指揮する。故に査閲対象の階級も上昇するので、下手な評価を下せば容赦なくチームの会議室に怒鳴り込んでくることもある。
幸いにして我らがフィッシャー中佐のチームには来なかったものの、もう一人の中佐の処には幕僚を連れた指揮官が評価に対する説明を求めて訪れたらしい。その際グリーンヒル少将が間に入って仲裁したという話を聞き、違和感の原因がはっきりしなかったこともあって、俺は暗澹たる気分になった。
再び休みを一日おいて演習第三段階。今度は複数の戦隊が集まって編成される分艦隊規模の演習が始まる。
それまで評価対象が小さく細かかったものが一気に大きくなり、標的も空間規模になる。それに伴い標的の撃破ではなく、宙域への投射射線量で評価が決まる。これまで艦隊といえば練習艦隊規模しか経験のない俺としては、二〇〇〇隻の艦艇が指揮官の命令によって移動・砲撃する有様に、素直に感動していた。おそらくユリアンも初めて艦橋に立った時、同じ思いをしたに違いない。演習図面も個艦単位ではなく勢力範囲表示になる。
「あ」
演習第三段階の一日目の夜、俺は思い出したようにベッドから飛び起きた。演習の華麗さに俺は子供のように魅入っていたが、今更ながら肝心なことに気がついた。何故複数艦による単一目標に対する集中砲火などの意図した集中砲火訓練を行っていないのか? それは各艦艦長同士のチームプレーであって演習する必要がないということなのだろうか……単純に艦対艦の火力では、巡航艦は戦艦に勝てない。それが戦隊規模、分艦隊規模、艦隊規模となればその火力の差は著しくなる。
だが集中砲火となれば話は変わってくる。実体弾でも同様だが、低威力の火力でも同じところに何度も当てていればいずれ装甲を打ち破る事が出来る。低威力の巡航艦主砲でも、三隻以上集まれば戦艦のエネルギー中和磁場も撃ち抜ける。基本的に中性子ビームや光子砲のベクトルは実体弾のように反発するのではなく、合成される。だからこそ金髪の孺子は戦艦エピメテウス以下第一一艦隊の旗艦中心部を崩壊できたし、ヤン=ウェンリーは過度に保護された要塞の航行エンジンを撃破することができた。
俺が翌日その事をフィッシャー中佐に告げると、中佐は口ひげに手を当てしばらく考えてから応えた。
「集中砲火戦術に関する訓練も当然計画している。しかし、それだけでは貴官は不足だと?」
「確かに計画されていますが、全艦隊、あるいは分艦隊全艦による一点集中砲撃訓練と、同時併行しての陣形変更訓練は計画されていません」
「それはそうだが……貴官の求めているのは実戦演習というよりも、むしろ式典で行われるような砲撃ショーのようなものではないか?」
「どんな堅艦も複数艦からの集中砲火には耐えられません。それと同じように、艦隊規模での一点集中砲火が可能であれば、敵艦隊を細いながらも分断することが可能なのではないでしょうか?」
「……グリーンヒル参謀長と検討してみよう。今から演習項目を変更するとなるとかなり大がかりな事になる」
参謀長の名前が中佐の口から出て来たところで、俺は一瞬この提案を引っ込めようと思った。結果的に採用されればロボス-グリーンヒル両巨頭率いる第三艦隊の攻撃力を向上させることになりかねない。いや、向上させることは悪いことではないし、第三艦隊の精強化が進むのは同盟にとって悪いことではない。
だが、根本的に俺はロボスもグリーンヒルも嫌いだ。ロボスと対立するくそ親父ももちろん嫌いだが、こちらの世界の実父の件や、俺に対する捻くれた温情もあることから、グリーンヒルに比べればはるかにマシだ。ぶっちゃけ俺は『シトレ派』と言っても過言ではない……多分に認めたくはないが。
そして案の定、俺は演習第三段階最終日の夜、フィッシャー中佐と共に、グリーンヒルに呼び出された。
行き先は戦艦アイアースの司令官公室。当然待っているのは、グリーンヒルだけではない。
「君がボロディン少尉か」
グリーンヒルを左隣に立たせ、司令官専用の席に座っているのは、小柄ではあったが顔には精気があふれ、眠たそうだが鋭い眼差しと太い眉を持つ……若いラザール=ロボス中将だった。
「士官学校を卒業したばかりと参謀長から聞いた。何故君が査閲官をしているのかね?」
「それは閣下……」
俺が口を開こうとすると、フィッシャー中佐が俺の膝前に手を出して制する仕草をすると、代わりに一歩踏み出してロボスに応えた。
「ボロディン少尉には確かに実戦経験はありません。ですが彼の士官学校における成績と、士官学校校長の強い推薦を鑑み、人事部は彼を査閲部に配属するよう辞令を交付いたしました」
文句があるならアンタのライバルであるシトレに言え、というフィッシャー中佐の返答に、ロボスの顔は誰にでも分かるような不快の表情が浮かんだ。
「小官も彼の上官として、彼の任務に対する真摯で献身的な行動には、充分評価に値するものと考えます」
「彼の士官学校の席次は?」
「首席であります」
中佐の返答に、ロボスの顔はさらにゆがんだ。もしかしてこいつ学歴コンプレックスか? さすがにロボスも首席と返答されては成績から俺を批判することは出来ないらしい。いや、こうなると卒業間近に追い込み学習した苦労の甲斐はあった。マジで苦労したが。
「……参謀長より、少尉からの提案があったことを聞いた。本来なら少尉からの提案などいちいち勘案する話ではないが、一応聞かせてもらおう。どうして一点集中砲火を演習科目に入れる必要があるのかね?」
苦々しい、本当に苦々しいというのはこういう表情の事かと俺はロボスの顔を見て思った。だがロボスと俺との間には八つの階級があり、いかなる形とはいえ上官には違いないので、感情を出すことなく俺はフィッシャー中佐に話した内容をそのままロボスに伝えた。言い終わった後もしばらくロボスは腕を組んだまま目を閉じていたが、次に目を開いた時にはグリーンヒルに演習第四段階の計画表と投影機を持ってこさせていた。
「貴官の言いたいことは分かった。が一点集中砲火が戦術的に有効かどうかは不確かだ」
明後日からの演習予定図を元に、俺が投影機を使って説明した後で、ロボスは鼻息荒く応えた。
「集中砲火が効果的であることは疑ってはおらん。それを一点に集中する理由が乏しい。個艦単位での近接戦闘、相互連携においては有効だろうが艦隊・分艦隊規模では逆に効果が薄くなる」
司令官席に座りながらも三次元投影機を指さし説明する精悍なロボス、というあまりにも原作イメージとは異なる言葉の切れ味に、俺は正直この時驚いた。そして一体この後どんな出来事があって、ああも無惨に晩節を汚すことになったのか、人ごとならず興味が浮かぶ。
「特に艦隊単位での一点集中砲火は威力も大きかろう。その代わり一度目標を外せば、一斉射分のエネルギーと時間を敵に与えることになる。何しろ戦闘宙域は広大だ。一万隻分の砲火が一点に集中したところで、撃破できる艦艇数はたかがしれている」
「ですが……」
「貴官の意見を全て否定しようとは思わんよ。巡航艦三隻で敵戦艦一隻を血祭りに上げられるのであれば、有効的なのは考えてみれば当たり前の話なのだからな。だが残念ながら貴官には艦隊戦闘の経験がない。そして第三艦隊はナンバーフリートであって、数隻単位の辺境の警備部隊ではない。艦隊戦闘に必要とされる火力は『点』ではなく『面』なのだ」
「……」
「シトレ中将が期待するだけの俊英だ。貴官もはやく出世して艦隊戦闘の場に出てくれば分かる。いや早く出てきてもらおう。実際の戦闘を見て、見聞を広げ、より建設的な意見を寄せてもらいたい。なにしろ中将に意見を言える少尉などそうそうおらんからな。中佐、少尉。ご苦労だった」
それが面会終了の合図であることは疑いようもなかった。
「……申し訳ありませんでした」
俺はアイアースの廊下を歩きながら、先を進むフィッシャー中佐に謝罪せざるを得なかった。この件で俺の上申を取り上げたフィッシャー中佐も、ロボスやグリーンヒルから睨まれることになる。フィッシャー中佐もグリーンヒルとさほど年齢は変わらないから、その差はほぼ絶望的になるだろう。下手をしたらアスターテまでに第四艦隊へ配属されることがないかもしれない。
「別段謝られるような話ではないよ少尉」
立ち止まって振り向いたフィッシャー中佐の顔は、俺が考えていたよりもずっと陽気だった。
「あのロボス中将の苦虫を噛んだ顔を拝めたのだ。これはなかなかお目にかかれない光景だった」
「しかし」
「私も長い間艦隊勤務をこなしてきたが、こういうリスクを取ろうとは考えた事がなかった。安全運転というのかな。任務は果たすが、リスクを取って責任を負ってまで何かを得ようとはあまり考えたことはなかった」
これが原因か、と俺はフィッシャー中佐の穏やかな笑顔を見て納得した。
エドウィン=フィッシャーという艦隊戦闘において欠くべからざる才幹の持ち主が、初老になってようやく准将であったというのが疑問だったのだ。ヤンの右足と呼ばれた程の名人が、いくら戦闘指揮が『どうにか水準』とはいっても、もっと高い階級にいても良いはず。だが彼はその穏やかで真面目な性格が徒となったか、あるいは正直に臆病だったのか、不必要なリスクを負うことを躊躇していたのだろう。故に出世は遅く、ヤンという『有能な怠け者上司』に巡り会えたことでようやく大きく羽ばたいたのだ。
「査閲部にもそろそろ飽きてきたところだ。次の人事で私は何処に飛ばされるか分からないが……複数の艦艇を率いることになったら、貴官の『一点集中砲火』戦術を使わせてもらうよ。それで、相殺だ。いいね?」
「ですが……」
「貴官がこれから出世して、艦隊を率いてもらう時には幕僚の一人にしてもらえればもっと良いが……シトレ中将の言うとおり、貴官の性格ではなかなか出世できないかもしれないな」
苦笑するフィッシャー中佐の顔を、俺はまともに見ることは出来なかった。
俺はあまりにも恵まれている。父アントン、グレゴリー叔父、シトレのクソ親父にフィッシャー中佐。みな俺に対して愛情を持って接してくれる。それに応えるべき俺は迷惑をかけている。
それが今の俺にはとても辛かった。
後書き
2014.10.11 更新
第17話 いろいろな嵐
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
やっぱり今回もJrは中尉に昇進できません。ボロディン家に緑が丘という嵐が吹きます。
Jrはシスコンですかね、やっぱり。
宇宙歴七八五年二月~八月
キベロン訓練宙域における第三艦隊の演習は査閲部からも好評のうちに終了した。
最終評価報告はハイネセンに戻ってから提出される事になる。現場で出来ない作業や、他の演習との比較統計などの作業も、ハイネセンで行われることになるだろう。それでも一ヶ月程度か。七八五年の新年はあまり良い気分で迎えられそうにはなかった。
「まぁ、坊主。失敗って言うのは誰にでもある。人死にならずによかったじゃねぇか」
ハイネセンに戻るなり、軍人生活残り一ヶ月となったマクニール少佐に連れられていつものバーに行くと、少佐はそう言っていた。軍隊生活四二年。前線勤務も後方勤務も俺の人生の二倍(前世分も入れれば実は同じなんだが)経験した古強者は、どうやら戦死せずに退役できるようだ。
「ただなぁ……正直俺の年金だけでかみさんと二人で年金生活というのは難しいかもしれねぇなぁ。貯金もそれほどあるわけでもねぇし」
後一五年ぐらいして戦争で負けたらさらに削られますよ、とは言えない。そうならないように頑張っているつもりだが、初手から躓いてしまった感がある。
「いずれにしても、戦争はこれまで一三〇年以上続いているんだ。坊が退役するまでになくなっているとは考えにくい。だいたい坊は首席卒なんだ。出世の機会なんか何処にでも転がっているさ」
少々落ち込んでいる俺を慰めるように、少佐は俺の肩に手を回して言う。酒の臭いに加齢臭が加わっても、これはこれで仕方ない。前世での接待を思えば、何てことでもない。
「退職金も出るから、とりあえずしばらくはかみさんと旅行に出て、それから官庁系のアルバイトを探すかな。あ~俺を女子大の教授にでも雇ってくれないかな。バロンみたいに」
「若い愛人が麻薬中毒になっても知りませんよ?」
「男だったら、それくらい本望なんじゃねぇか少尉!?」
冗談か本気か分からないような、少佐の気迫あふれる返答に、俺は引きつり笑いを浮かべることぐらいしかできなかった。
基本的に同盟軍は二月と八月に大規模な人事を行うことになっている。八月は主に新兵や新任士官・下士官の入隊による編成関連の人事が主であり、二月はその対月として功績を挙げた者や退役者の整理などが主となる。特に大きな戦役に参加したり、大きな功績を挙げたりしない限りはこの時期に昇進・賞罰が決定する。また士官学校卒業生の場合、公報として『同窓名簿』が各個人の端末へと送られる。
ただ昨年任官したての少尉は、取り立てて降格に値する処分がない限り、ほぼ間違いなく次の年の八月に中尉へと昇進する。いわゆる自動昇進だ。そして少尉では配属されることのなかった辺境・前線勤務が始まる。おそらくロボス中将の不興を買った俺は、下手をすれば軍役終了(=金髪の孺子によるゲームオーバー)まで辺境巡りの可能性がある。シトレもそうそう人事に干渉は出来ないだろうし、グレゴリー叔父はああ見えてかなり潔癖なところがあるから呼び戻すという期待はできない。
故に俺は査閲部で仕事を真面目にこなしつつも、時折老勇者達の経験談を聞きまくっている。マクニール少佐には砲術、フィッシャー中佐からは艦隊運用技術、他にも誘導弾・地上戦・後方支援・物資調達・野戦築城などなどなど、ここにいるのはその道で苦労して食ってきた人ばかりだ。中には気むずかしく偏屈な……むしろそんな人ばかりなんだが、丁寧に教えを請うてみるとフィッシャー中佐の言うとおり、野卑だが紳士だった。
二月。周囲の好意で、夫人を職場に呼んでの花束贈呈に、さすがのマクニール少佐も目を赤く腫らしていた。
「こいつがボロディン少尉だ。如才ない孺子だが、いつか必ず統合作戦本部長になる。俺が保障する」
夫人に俺を紹介する時、少佐がそう言ったことが気恥ずかしかったが、夫人の穏やかな笑みと深いお辞儀に、敬礼する手が震えたのは言うまでもない。他にも数人が査閲部を最期に退役することになり、その日の査閲部は殆ど仕事にならなかった。が、翌日から別所より転属されてきた人達への教育やらなんやらで、あっという間に日常へと戻っていく。
フィッシャー中佐は二月の人事で異動はなかった。中佐には悪いが、俺としてはそれが一番嬉しい。本人も苦笑していたが、まんざらでもない様子で教えてくれる内容が段々と濃く、マニアックになってくる。そういったことを休日、自宅で寛いでいるグレゴリー叔父に話すと。
「……シトレ中将の贔屓も程々にしてもらわないとなぁ」
と、背後で料理をしているレーナ叔母さんには聞こえない声で呟いていた。
そんなこんなで仕事に聴講にと忙しくも楽しく平和な日々を俺は送っていたが、嵐は突然やってきた。
六月一八日。久しぶりの休日。グレゴリー叔父が遠征で出張中。フィッシャー中佐は夫人とお出かけ、他の同僚もそれぞれ少ない休みを満喫している為、聴講もなくぼんやりと数少ない私服に着替え、レーナ叔母さんの舵を手伝いつつ、末妹のラリサの勉強を手伝っていた。
午後一時。五歳とは思えぬラリサの、数学に対する貪欲な学習意欲にタジタジになりながら、レーナ叔母さんと作ったサラダ、ボルシチ、水餃子に紅茶と昼食を準備していく。グレゴリー叔父が海賊討伐遠征で不在、アントニナは朝から行方不明、イロナはジュニアスクールの合宿で不在。なのに、コースが五人分用意されているのに俺は不審に思ってレーナ叔母さんに尋ねた。
「あぁ、それはね。アントニナの友達が今日、こっちに遊びに来るのよ。何でもその子のお父さんも軍人さんで、しかもグレゴリーと同じ少将だそうよ。それで転校早々アントニナが意気投合しちゃったらしくてね。それからというもの時々向こうの家に行ったり、遊びに来たりするのよ」
キッチンから聞こえてくるレーナ叔母さんの声は軽く浮かれている。
「ウェーヴのかかった金褐色の髪とヘイゼルの瞳の調和が取れた凄い美少女でね。ほらアントニナは肌が私にて薄茶色にストレートのブロンドでしょ? だから一緒にいると色違いの対称が取れていて、見てるだけでうっとりするわよ」
「へぇ……アントニナの同級生なんだ」
なんだろうか……すごく嫌な胸騒ぎがする。
「そう。でもちょっと大人びているかしら。お母さんが少し病気がちで、入退院しているらしいの。それが原因かもしれないわね。あ、それと頭は凄く良いわよ。一度覚えたことは忘れないみたいで、学校の成績もトップみたい。イロナは随分と尊敬しているわ」
「ふ~ん……叔母さん。俺、昼食終わったら外でていいかな?」
もはや俺の心の警告灯は真っ赤に染まり、サイレンがガンガンと鳴り響いている。冗談ではない。父親が少将? 金褐色の髪? ヘイゼルの瞳? 母親が病気がち? 記憶力抜群? 満貫じゃないか!!
「それはいいけど……せっかくだからその子とじっくり話していきなさいよ。あんまり低年齢の子に興味を持ってしまうのはどうかと思うけど、その歳にもなって浮いた話一つ聞かないなんて、軍人だとしてもどうかと思うわよ?」
「いやいや。仕事が忙しくて、そんなヒマありません」
「時間は作るものですよ。まったく。そんなんじゃ私、エレーナに顔向け出来ないじゃない」
「は、ははは」
頭を掻いてごまかすしかなかった。だが、嵐はすぐそこまでやってきていた。
「ただいま、お母さん!!」
「おじゃまします」
「お帰りなさい。手を洗ってきてね。すぐ昼ご飯にするから」
「「は~い」」
アントニナの突き抜けるような明るい声の後にある、張りはあるのにそこはかとなく威圧感のある声が続く。正直、その声まで似て欲しくはなかった。顔を覆いたいぐらいだ。
「ヴィク兄ちゃん、おはよ」
「お、おう。朝早かったのか?」
「フライングボールの朝練もあってさ。あ、ヴィク兄ちゃんは初めてだっけ?」
「な、にが?」
「この子。フレデリカ=グリーンヒルって言うの。フレデリカ、この人がいつも僕の言ってるヴィクトール兄ちゃん」
俺の顔を見て、その子……後の不敗の魔術師の副官にして妻(ただし一一歳の)の顔も引き攣っている。確かにその顔には見覚えがある。あの時、空港地下のホームで痴漢野郎呼ばわりしたあの美少女。向こうもこちらがあの時の『痴漢野郎』だと分かって引き攣っているようだった。
「……初めてお目にかかります。ドワイド=グリーンヒルの娘で、フレデリカと申します。ヴィクトール少尉のお話は、妹さんからも父からも伺っております」
「……いつも妹がお世話になっています。グリーンヒル少将閣下にはつい最近小官もお世話になりました」
つまりあの時のことは『なかったことにしろ』と言いたいワケか。そして余計なことを言ったら少将に言いつけるぞ、と。
レーナ叔母さんの言葉でもないが、なんと大人びたことだ。天真爛漫なアントニナと比べるまでもないし、どちらが俺の好みかと言えば、それも言うまでもない。そして彼女に罪があるわけではないが、彼女の存在の後には、あのグリーンヒルがいる。娘の出会いと憧れを、上手い具合に利用してヤン=ウェンリーを取り込もうとした。娘の幸せも当然考えてのことだろうが、前世地球でもよくある閨閥構築にはいろいろな意味でお近づきになりたくない。
帝国領侵攻でシトレとロボスは責任を取って引責辞任した。だがグリーンヒルは査閲部長に(現在査閲部にいる俺としてはかなり腹の立つ話だが)左遷されただけで、軍に残留することが出来た。
元帥のいないあの時の同盟で大将の地位にあったのはクブルスリー、ビュコック、ドーソン、ヤンそしてグリーンヒルの五名。
仮にクーデターを起こさなかったとしても、ビュコックは老齢でそれほど長く宇宙艦隊司令長官を務めることは出来ない。ドーソンは事務職としては優秀な人材かもしれないが、小心で神経質で人望が薄い。クブルスリーはいずれ本部長になると噂された人物であるが、グリーンヒルのほうが『先任』だ。そしてヤンは有能な軍事指揮官で卓越した戦略家だが、若すぎるほど若い。
つまりグリーンヒルは『いつでも要職に戻れる』環境にあった。ブロンズ中将など後方・情報系の将校にも、ルグランジュ中将のような実働部隊にも人望がある。ビュコックが軍を去った後、ドーソンがボロを出せば、グリーンヒルに復職の可能性すらあるわけだ。しかも今後三〇年は同盟軍の大黒柱になるであろうヤンは娘婿。
俺が転生したこの世界が、原作通りに物事が進むかどうかははっきりしない。だが俺が何も干渉しなければそうなる可能性は高い。あれだけの被害を出して失敗した作戦の参謀長が、辞任あるいは予備役にならないというのは、どう考えてもおかしい。そして復職の可能性すら残している。どうしてそんな奴に近づきたいと思うか。
昼食の場で、アントニナと笑顔で話しながら、こちらを丁重に敬遠するフレデリカの綺麗な横顔を一瞥して、俺は横に座るラリサの質問に耳を傾けつつ思った。
結局、俺はフレデリカが家にいる間、彼女と俺はなんら感情の挟む会話をすることはなかった。一度嵌ったら飽きるまでトコトンのめり込むラリサの性格にはこの時ばかりは感謝しきれない。夕刻になって無人タクシーを呼び、グリーンヒルの官舎への行き先登録をすませると、ボロディン家は総出でフレデリカを見送った。
フレデリカの乗った無人タクシーの姿が見えなくなるまで手を振っていたアントニナは、ようやく手を下ろすと、大きく一つ溜息をついてから俺を見上げて言った。
「ねぇ、ヴィク兄ちゃん。フレデリカのこと、どう思う?」
「どう思うって……どういうことだ?」
「ん~なんていうか……」
言いにくそうにしているアントニナの視線が玄関先に向いているのを見て、俺はレーナ叔母さんに視線でアントニナのことを示す。叔母さんはすぐに察してラリサと一緒に家の中へと戻っていってくれた。その動きにアントニナは『ありがと』と呟いた後、いつも定番の散水栓に腰を下ろして続けた。
「フレデリカ、美人でしょ」
「お前ほどじゃないと思うが」
「お世辞でもありがと。だけど学校でちょっと浮いてるんだ、あの子」
お世辞のつもりは一切なかったが、若干影のある顔で、長く細い足をプラプラしているアントニナを見れば少しばかり真面目な話だとわかる。だが正直前世でコミュ障だった俺に、小学生の学内生活相談をされても、まともな答えを出すことは出来ない。
「……少し大人びているな。確かに」
「うん。それで女の子グループから敬遠されてるし、男の子グループからも距離を置かれてる。今のところ僕が一緒にいるから何とかなってるけど……」
「お母さんが病気がちだからな。背負うものが両親健在の子達とは違う。しかも父親があのグリーンヒル少将だ。その当たりを知ってあえて近寄らない子もいるだろう」
「第三艦隊でお父さんを亡くした子もクラスにはいるんだよ……」
「……そういうこともあるだろう。グレゴリー叔父さんだってかなりの数の味方を『殺している』。だからといってアントニナ、お前がクラスで浮いているワケじゃないだろう?」
「でも……」
「あの子は学校では『大人しい』のか?」
俺の問いに、アントニナは小さく頷いた。
「そうか、自分を抑えている処があるワケか……だったらアントニナ、その分厚そうな猫の皮剥いでやれ」
「は?」
「父親の職業で喧嘩するなんてジュニアスクールじゃよくあることだろ。ハイスクールにまでなってやっているようじゃ心的成長を疑うが。徹底的にやれ。大いに喧嘩して殴り合え。ただし絶対に陰湿にはやるなよ。それこそ教師が仲裁に入るくらい派手に暴れろ」
「ちょ、わけわからないよ!!」
「お前の本音を彼女に直接ぶつければいい。挑発する機会を逃すな。そしてお前から先に手を出せ。彼女が大声を上げてクラス中に本音をぶちまけるようにな」
俺の過激な案に、アントニナはしばらく呆然と俺を見つめていた。夕日が沈みかけ、その最期の輝きがアントニナのブロンドを紅茶色に染め上げる。やはりお世辞抜きに俺の義妹は美人だ。その美人が数分してようやく納得してから笑みを浮かべた。
「ヴィク兄ちゃんは過激だね。失敗するかもしれないのに」
「義妹が一番大事だ。正直相手がどうなろうと知ったことじゃない。俺の乏しい脳みそはこれぐらいしか解決策がない。あの小娘がお前の顔に拳を打ち込めるとは思えないけどな」
「ふっふふふ。そうだね」
アントニナはそういうと散水栓から腰を上げ、大きく背伸びした。フライングボールクラブに入って既にレギュラーとなっているだけあって、キッチリと鍛えられつつある一一歳の肉体は、彼女ナシ歴二二年目(前世を入れれば五〇年以上)の心を揺り動かすには充分だった。
「あ、また鼻の下延びてるよ。まったく困った兄ちゃんだ」
「うるさいな。俺はロリコンじゃない」
「ロリコンでもいいよ。ヴィク兄ちゃんなら」
そう言うと、アントニナは鼻歌交じりにスキップしながら母屋の玄関へと走り去っていく。
いくら前世で妹がいなかったとはいえ、一〇歳も年下の子供に、手玉に取られるようでは、俺も転生したところで大して成長してないな、と俺は自嘲せざるを得なかった。
後書き
2014.10.12 更新
第18話 嵐の後始末
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
とりあえずJrを次の任地へ送り込まなければ、いつまで経っても緑が丘の呪いが解けないと思い
投稿いたします。若干短いです。
宇宙歴七八五年 八月 統合作戦本部
正直申し上げまして、嵐はまったく収まっていませんでした。
アントニナは俺の余計な……間違ったかもしれない……いやたぶん間違った意見を鵜呑みにし、翌日早々フレデリカに喧嘩を売った。最初はいつものように挨拶から始まり、次にフレデリカの被った分厚い猫の皮を鋭く指摘し、席から立ち上がったところを先制平手打ち。結局、教師が仲裁に入るまで三ラウンド八分三五秒。アントニナのTKO勝利……と折角綺麗な顔に大きなくまと絆創膏を貼り、ストレートのブロンドをぼさぼさにしてしまったアントニナ本人が拳を挙げ、これまでも見てきた晴れ晴れとした笑顔で証言した。
当然のことながら先に手を出したこと、挑発したことにグレゴリー叔父はカンカン。アントニナを激烈に叱りつけたのだが、殊勝に黙って聞いていたアントニナの行動にかえって不審を抱いて聞き、その理由を聞いて深く肩を落としたそうである。誰に入れ知恵されたのかというグレゴリー叔父の追求には、頑として応えなかったのは……さすが幼くても『女は度胸だわ』と感心せざるを得なかった。
だから薄々と俺の入れ知恵だと分かっていたグレゴリー叔父から、妹達の見えないガレージで一撃貰ったのは仕方ないと諦めている。ていうか一撃で済んで良かったと心底思った。
そして現在。小官ことヴィクトール=ボロディン少尉は、傷だらけの勝者?である義妹であるアントニナを連れて、ハイネセンで評判のケーキ店で逸品を購入し、メイプルヒル(グリーンヒルのクセに!!)にあるグリーンヒル少将宅を訪れたわけで。
「……なるほど。理由は伺った」
ボロディン家とはまた趣の異なった広めのリビングで、俺とアントニナは腕を組んでいるグリーンヒルを前にしていた。俺の見るからに現在のグリーンヒルは少将ではなく、大切な娘を殴られたただの父親であった。
「だが拳を挙げさせたのはいささか野蛮であるとは思わなかったのかね?」
「正直、示唆した自分もそう思います」
「……結果として良ければ、それまでの過程はどうでもいいと、君は思うか」
「思いませんが、他に方法が思いつきませんでした」
「なんという浅知恵だ。軍人である君が、教育者にでもなったつもりかね?」
悪いですがその台詞、黒いクソ親父(=シトレ中将)にも言ってやってくれませんかね、と内心で思いつつも、俺はソファから立ち上がり、深くグリーンヒルに頭を下げた。グリーンヒルは腹に据えかねているようだった(それは当然だ)が、グリーンヒルの横に座っていた夫人が、俺の顔を見て小さく溜息をついてから口を開いた。
「もしかして二・三年前、私がハイネセン第二空港の地下駅で発作を起こした時、助けていただいた士官候補生の方じゃありませんか? 確か、ヴィクトールさん」
「……はい」
「やっぱり……あの時はお礼もお詫びもせずごめんなさい。私の事を運ぼうとしたホームで、フレデリカが貴方のことひどく罵ったあげく、腿を蹴り上げたでしょう?」
「九歳の少女の蹴り上げなど、痛くも痒くもありません。それよりご無事でなによりでした」
俺が夫人に応えると、まったく初耳だという壮年と少女が驚きの表情を浮かべている。俺もフレデリカがボロディン家に来た瞬間にそれは分かっていたが、あえてフレデリカが遠回しに拒絶したことから黙っていたわけで。グリーンヒルは唖然としているし、アントニナは『どうして教えてくれなかったのか』と完全にむくれている。
「……それとこれとは別だと、分かっているかね?」
「はい」
むくれるアントニナを連れて、グリーンヒル夫人がケーキと一緒に二階へと上がっていくのをよそに、俺とグリーンヒルはソファで対峙していた。
「……君は本当に怖い物知らずだな。亡きアントン=ボロディン中将もそうだったが、ボロディン家の血はそうにも荒々しいものなのかね?」
「小官は血液や遺伝を根拠とした性格というものは信じておりません。性格構築はまずもって幼少期における教育環境によるものだと思っております」
「なるほど。実に現実的な発想だ。娘の頬とひっかき傷の保障として聞きたいが、君に怖いものはあるのか?」
「チョコレートの中に巧みに隠されたアーモンドと、ボロディン家の平和な未来です」
俺の正直な返答に、グリーンヒルは一瞬目を丸くした後、膝を叩いて含み笑いを浮かべている。
「君の前では艦隊司令官も艦隊参謀長も怖くない存在と言うことか。出世欲とか名誉欲とかは、君にとってはたいしたことがないものだと?」
「出世も名誉も俗人としての欲求は持っています。ですが家族の平和と自由と安全、それを支える国家の安全に比べればたいしたことはありません」
「国家の安全……君は政治家かそれとも統合作戦本部長にでもなったつもりなのかね?」
俺はこのグリーンヒルの質問に、猛烈に腹を立てた。目の前で良い香りのする四客のティーカップを底浚いして床に叩き落とし、石作りの上品なテーブルの上に足を載せて踏みつけたいくらいに……だが小心者の俺は、フィッシャー中佐直伝の表情管理をフル活用して、どうにか心を落ち着かせると、とびきりの笑顔で応えることしかできない。
「勿論です。常に高く広い視野で考えることが戦略研究科出身の軍人の、生涯の任務ではないでしょうか?」
「……君は本気でそう思っているのか?」
数分の沈黙の後、グリーンヒルは紅茶を二杯飲んだ後に、そう応えた。今手にある三杯目を持つ手は、俺にも分かるくらい震えている。
「はい。本気です」
「道理で怖い物知らずなわけだ。立っている場所が違うわけだからな。なるほどシトレ中将閣下が、人事に干渉してでも手元に置いておきたい気持ちも分かる気がする」
カップの中身を一気に飲み干した後、どうにか落ち着いた様子で、グリーンヒルはソーサーに戻し足を組み直す。
「ここでの話は他言無用に願いたい。誓えるかね?」
「誓います」
どうせろくでもないことを言うのは間違いない。俺はそう思ってあっさりと応えた。そしてやはりグリーンヒルの口から出た質問は、やはりろくでもないものだった。別な意味で。
「君は近年における現在の政治の腐敗と経済・社会の弱体化に関してどう対処すべきと考える?」
俺はあえてその質問に答えることを拒絶した。その質問に対する答えは既に用意してある。だがこの答えを今グリーンヒルにするには、あまりにも俺の地位は低すぎ、権力も実力もない。この会話を録音し、後日俺を攻撃・処刑するための証拠にする可能性だってあり得る。少なくともその質問に答えるほど、俺はグリーンヒルという人間を信用してはいない。だいたい一介の少尉にする質問ではない。
あるいは、と思う。グリーンヒルはこういった『お前だけが頼りだ』みたいな甘い囁きで、多くの軍人を籠絡してきたのではないかと勘ぐってしまう。それは原作でも前線で実働部隊を指揮すると言うよりも、参謀や各部局でキャリアを積み上げてきた彼に許された、あるいは前線指揮官としての功績に乏しい彼にできる唯一の人誑しの術なのかもしれない。
グリーンヒル夫人を仲介して、フレデリカとの完全な手打ちを終えたアントニナと共に、ゴールデンブリッジの官舎へと戻る間そんなことばかり考えていたので、すっかりアントニナのご機嫌は悪くなってしまった。百貨店やアイスクリームスタンドで散々散財させられて、さらに山のようになったお土産を官舎まで運ばされて、ようやくアントニナは落ち着いてくれた。さらには七月の休暇には費用すべて俺持ちで、家族全員とフレデリカを郊外のコテージへ連れて行く約束までさせられた。さすがにそれは俺の給与では不可能なので、やむを得ず、『真にやむを得ず』俺は高級副官(ウィッティ)も巻き添えにせざるを得なかった。ウィッティが二つ返事で了承したので、よからぬ気配を感じた俺は当日必要時以外は奴に目隠しさせておいた。
そんなさんざんな六月と七月を過ごし、俺はようやく士官学校卒業より二回目の八月を迎えることになる。
この時期は統合作戦本部に限らず、あらゆる部局・部隊がざわめきの坩堝に落とし込まれる。昇進する者、配置転換される者、昇給する者、逆に左遷される者。軍に新たに加入する者達を含め、多くの軍人軍属のこれから半年ないし一年、あるいは数年先の未来が決められる。
自動的に中尉へと昇進することになる俺ら士官学校卒二年目は、いよいよ実働部隊への配属が解禁される。戦場・戦火の中へと向かうことになる。今年度の同窓名簿で名前が赤字になったのは、休暇中の交通事故で亡くなった一人だけ。七八〇年生、任官拒否六七名も含めた卒業生四五三六名のうち、今あるのは四五三五名。これからは加速度的に赤字の名前が増えていくだろう。次が自分でないとは限らない。
自分の執務机の電源を投入し、携帯端末を填め込む。机上に現われた投影画面には複数箇所からの仕事のメール以外に、最優先事項と親展のマークがつけられたメールが表示されていた。本日一六三〇時に人事部第一三分室に出頭せよとしか書かれていない。それは中尉への昇進と、新しい任地の通告に他ならない。俺はフィッシャー中佐にその事実を淡々と告げると、中佐はゆっくりと頷き黙って軽く肩を叩いてくれた。統計課長のハンシェル准将は今更ながら「貴官がいることで査閲部も以前に比べてずいぶんと活気が増していたんだがな」と言ってくれたし、クレブス中将は「そうかご苦労」の一言だったが年季の入った力強い握手をしてくれた。査閲部の老勇者達はみな俺を思い思いに俺との別れを惜しんでくれた。
一六三〇時。俺と同じ統合作戦本部に初任することになった七八〇年生一〇数人が、人事部第一三分室の前に集まっていた。俺が到着すると、顔を知っているせいか皆俺に向かって敬礼してくる。先任順序とはいえ同期が、軍隊のしきたりに染まりつつある事を、俺は答礼しつつ感じざるを得なかった。
一六三三時。俺の名前が呼ばれ、分室内の応接室に入ると、人事部の壮年中佐が補佐役の若い女性兵曹長と並んで俺を迎える。形式だった挨拶に続いて、中佐の手から辞令が交付され、兵曹長の手で少尉の階級章が外され新たに中尉の階級章がジャケットの左襟につけられる。ものの一・二分の儀式だが、これが地獄への門へ進む必要な儀式なのだ。
俺は辞令を開いて、先ほど中佐から告げられた次の赴任先を確認する。
宇宙艦隊司令部所属 ケリム星域方面司令部傘下 第七一星間警備艦隊司令官付副官。
フレデリカのようにいきなり正規艦隊の艦隊司令官付副官ではないにせよ、士官学校首席卒の中尉としてはまずまずの赴任先だ。しかも事実上、上官は警備艦隊司令官と参謀数名のみということ。
ケリム星域といえばハイネセンのあるバーラト星域の隣接星域であり、緊急的な事態がない限り帝国軍との戦闘はないといっていい、いわゆる安全圏。
ただしケリム星域はバーラト星域に次ぐ同盟有数の巨大な経済圏を有している。星間警備艦隊の主任務である交易路の防衛や星系間航路のパトロールは、同盟の経済自体を防衛していると言っても過言ではない……またシトレのクソ親父が武勲を立てさせない程度に学習してこいとの干渉でもしたのかと思い、第七一警備艦隊司令官の名前を確認したところで、俺は久しぶりに足が震えるくらい愕然とした。
顔写真には生気に満ちた壮年寸前の男が映っている。その下に階級と名前が記されていた。
アーサー=リンチ准将。
それが次の任地における、俺の仕えるべき司令官の名前だった。
後書き
2014.10.13 更新
第19話 器量
前書き
とりあえず明日は台風の後始末が大変そうなので、今日中に上げてしまいます。
ジュニアはいよいよハイネセンとは別の任地に赴きます。よりにもよって上司はあの男。
実は筆者は原作ほどあの男は嫌いではありません。
※自由惑星同盟の版図に関して原作を一部改編し、銀英伝ⅣEXのマップを若干参考にしています。
故に今後も空間距離で幾つか原作と異なる設定が出てくることをご了承下さい。
さすがにイゼルローンがハイネセンの隣とか、そんなぶっ飛んだ設定はしませんけど。
宇宙歴七八五年八月~一〇月
俺の新任地となったケリム星域はバーラト星域より八八〇光年の位置にある有人星域であり、互いに巨大な経済圏を構成していることから、両星域間の交通の便は極めて良い事で知られている。
ハイネセン中央宇宙港から出発する旅客便の数はサンタクルス・ライン社の二〇便/日をはじめとして、相当な数に上る。またフェザーン方面とイゼルローン方面への分岐点にあたるジャムシード星域とも隣接していて、その地理的経済効果はかなり大きい。
前世の例えで言えば、バーラト星域が首都圏、ケリム星域が中京圏、ジャムシード星域は近畿圏といったところか。
バーラト星域ハイネセンより、ケリム星域主星系イジェクオンまでは二回の長距離ワープと四回の短距離ワープ、それと通常航行で約五日間。俺の乗るサンタクルス・ライン〇七七六便は定刻通り惑星イジェクオンの静止軌道上に到着。そこから大気圏突入用のシャトルに移乗し、降下。俺はイジェクオンの旅客用宇宙港に降り立った。
このイジェクオン星系はただケリム星域の主星系というだけではない。この星系からは複数の辺境星区へと分岐する航路が存在する。特に原作で登場する恒星系のうちでもクーデターで最初に蜂起した第四辺境星区の中心地であるネプティス星系への直接航路も存在する。先ほどの例で言えば、バーラト=ケリム=ジャムシードが東海道、ケリム星域イジェクオン星系は名古屋、ネプティスは岐阜あるいは津・四日市と言ったところだろう。
守るべき最優先の航路は当然バーラト星域方面。次にジャムシード星域方面となるが、他にも大小様々な航路があるわけで、この星域の警備艦隊が守らなければならない宙域は膨大な数になる。その為、それなりの規模の戦力が配置されている。
だがここで問題がある。星域を防衛する艦隊である星系警備艦隊(ガーズ)と星間巡視隊(パトロール)の職域区分の問題だ。両者とも軍艦が配備されている事には違いないのだが、星系警備艦隊は総数こそ少ないが戦艦や宇宙母艦を中心とする重装部隊で、星間巡視隊は多数の巡航艦や駆逐艦で構成される軽快部隊である。警備艦隊は基本的に単一星系の警邏・防衛、巡視艦隊が星系・星域間の警邏防衛と大まかに活動範囲が決められているわけだが、星系内から出てこないノロマで動きのトロい警備艦隊、あっちにフラフラこっちにフラフラ肝心なときに火力不足で役に立たない巡視艦隊、と両者の仲はすこぶる悪い。
だったら最初からそんな面倒な区分をなくしてしまえと俺は正直思うわけだが、それこそド辺境でもない限り両者は並立している。はっきり言えばポストの数と警邏効率の問題だ。両者を統一すれば、統合部隊の指揮官ポストが増えてしまう。それが統合作戦本部防衛部の下部組織なのか、宇宙艦隊司令部の下部組織なのかでまた一悶着するだろう。火力が充実していても出足の遅い戦艦に辺境航路の警邏など無意味だし、戦闘艇による細かい警邏を必要とする星系内を駆逐艦で代行すれば、一体何隻増やせばいいのか見当がつかない。とりあえず過去の同盟軍人がそれなりに考えて、苦心してこういう形になってしまったと今は考えるしかないだろう。
さて俺の仕えるべきリンチ准将は、第七一警備艦隊の司令官だ。戦艦八九隻、宇宙母艦一〇隻、巡航艦二三一隻、駆逐艦一五五隻の計四八五隻、兵員約六万を率いている。少壮気鋭で活力に富み、同僚となる二人の巡視艦隊指揮官より統率・用兵の面で優れており、上部組織であるケリム星域防衛司令部からも、編成上の上部組織である宇宙艦隊司令部からも信頼が厚く、数年のうちに『少将』『星域防衛司令官』に昇進すると噂されている。
エル・ファシル星域で油断から致命的なミスを犯し、民間人を見捨てて逃亡したという、民主主義国家の軍事指揮官としてあるまじき行動。さらには金髪の孺子の提案に乗って、クーデターを示唆するという大罪。人間も一皮剥ければ、どこまでも卑劣になれるという見本とも言うべき男の、それが『現在の』評価だ。
「なにか、仰いましたか?」
惑星イジェクオンの郊外にある星域防衛司令部内で、俺を案内している女性兵曹長が振り向いて聞いてきた。さすがに同僚も同期も友人もいないここで意識を飛ばすのはマズい。日本人的笑みを浮かべて、俺はベレー帽の位置を直すふりで兵曹長の問いをごまかした。
「こちらです。どうぞ」
兵曹長が敬礼し、廊下の向こうに消えて行くのを確認してから、俺は一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、司令官公室のベルチャイムを押す。ジーっというベル音と共に、拡声部から「入れ」と強い口調での命令が聞こえてくる。気合いの入った、自信にあふれる男の声だ。俺は扉を開けて中に入る。
「中尉、よく来てくれた」
司令官公室にいたその男……アーサー=リンチ准将は、仕事の手を止め、席から立ち上がり歓迎するように両腕を広げて俺を迎え入れた。机の上は書類や資料が散乱しており、コーヒーの空き缶と不吉な形をしたチョコレートが無造作に寄せられている。
「申告します。この度、第七一警備艦隊司令官付副官を拝命いたしました、ヴィクトール=ボロディン中尉であります」
「おう、ご苦労。第七一警備艦隊司令官のリンチだ。これからよろしく頼む」
俺の敬礼に一瞬戸惑ったリンチは、慌てて髪を梳かしてから答礼する。同じ髭面でも原作のように精神的にくたびれた感じではない。肌は仕事疲れだろうか少し張りがなかったが、目にも口調にも鋭気が含まれている。
「グリーンヒル先輩からな、期待の俊英と寄越してくれると聞いて、到着を楽しみにしていたのだ」
……俺をここに寄越した人間の名前を、リンチ准将閣下は問われるまでもなく明かしてくれたことに、俺は天に感謝ではなく恨みを言いたくなった。自白してくれたリンチは、親しげに俺の肩を抱くと、自分の机の上を指さして言った。
「見てくれ。主に俺と貴官の前任者のお陰でこの有様だ。差し迫って、机の上の整理から俺を補佐してくれ」
「は、はぁ……」
「恥ずかしながら、俺は実戦での指揮にはそれなりに自信があるつもりだが、こういう細かいことは苦手でな」
だったらエル・ファシルで敵を撃退した後に反転離脱して後背攻撃なんか受けるなよと言いたかったが、命令は命令だ。とりあえず同じ大きさの書類を纏め、机の端に積み上げた後、備え付けの給湯室から雑巾を持ってきて机を拭き、空き缶を捨て、不吉な形をしたチョコレートを容赦なくゴミ箱に叩き込む。チョコレートの動きに『あぁ……』とかリンチは呻いていたが、聞かなかったことにした。綺麗になった端末机に、先ほど積み上げた書類の表紙を斜め読みして大まかに分類し、さらに日付順に積み直して机の右半分に並べておく。ここまでで一〇分。さらに給湯室の整理をしてコーヒーを入れるのに五分。ようやく俺が見てもなんとか格好がつく司令官室になった。
「いや、助かった」
司令官席にゆったりと座って俺の入れたコーヒーを傾けつつリンチは、かなりイラついている俺にさらにイラつくような台詞をのたまいやがった。
「……申し訳ありませんが、この司令部には従卒はいないのですか?」
「それが先週から産休に入ってしまってなぁ……男なんだが産休を取るとかいいおって。まぁ今のところ海賊も外縁流星群も大人しいから、ゆっくり女房孝行してこいよ、と言ってしまってこのザマだ」
ベレー帽を脱いで頭を掻くリンチは笑いながら続けた。
「後方の、安全圏に位置する当艦隊司令部の要員は僅かでな。あくまでも我々は実働部隊だから、こういった雑事に皆おっくうで……後方勤務スタッフも基本的に地上勤務だから、残業してはくれんのだ」
「……はぁ」
「今、首席参謀は軌道上のドックに行っている。夕刻には地上に戻ってくるから、その時スタッフを紹介しよう……えぇと呼び出し番号は……」
「この番号ですか?」
「おぉ、そうだ。すまん、すまん」
がはははと笑うリンチに、俺は笑みを浮かべつつ心のなかで不信感を募らせた。ドーソンのように神経質な男ではない。むしろ大らかな性格だ。怠け者准将といったところだろうが、少壮気鋭といわれる以上、ただの怠け者ではないはずだ。一応デスクワークでもの功績を挙げているはずだが、もしかしてこの方面はダメなのか。
疑問がわずかに氷解したのは、やはり全てのスタッフが揃ってからだった。星域防衛司令部人事部に辞令を提出し、もはや半分棺桶に足を突っ込んでいるような定年寸前の司令官に挨拶し、他の巡視艦隊司令官にも一応挨拶して夕刻警備艦隊司令部に戻ってきてみると、司令官公室には三人の男が待っていた。一人は年配で、もう二人はリンチと同い年位だろうか。大佐と中佐が二人。
「紹介しよう。首席参謀のエジリ大佐に後方参謀のオブラック中佐、それに情報参謀にカーチェント中佐だ」
すっかり髭を剃ったリンチは、その容姿だけでも『少壮気鋭』と主張している。それに引き替え、紹介された三人からは一見しただけでも全く覇気というものが感じられない。
首席参謀のエジリ大佐は五〇代後半。もうこの年齢での将官昇進は無理だろう、という言葉が服を着て歩いているような男だ。士官学校卒業ではなく専科学校卒業ということだから、若い頃は有能だったに違いない。だが白髪交じりで頬が薄い今の彼にはその面影すら残っていない。
後方参謀のオブラック中佐と情報参謀のカーチェント中佐はリンチと同い年で、士官学校でも同期だったとか。オブラック中佐は茶色の、カーチェント中佐は鉄灰色の髪の持ち主で、いずれも中肉中背。それほど目立った容姿をしているわけでもないが、俺を見るオブラック中佐の黒い瞳は落ち着きがなく、カーチェント中佐はリンチと俺を比較するように視線を動かしている。
これはマズイ。俺は本能的に思えた。
司令官からしか覇気が感じられなく、主要な幹部にはそれが感じられない。司令官の同期という部下は明らかに挙動不審だ。一見しただけで他人を評価するのは愚かなことかもしれないが、幹部達は司令官のイエスマンとしか思えない。そうなると艦隊首脳部の実力は司令官の双肩のみにかかってしまう。とてつもなく優秀な司令官であっても、所詮は一個の人間に過ぎない。やれることには限界があるし、視野にも限界が出てくる。
ヤン=ウェンリーは指揮官としての資質と参謀の才能を兼備する希有な人間とムライは評していた。俺も心底そう思うし、とても敵わないと思うところだ。が、ムライがその後でユリアンに自白しているように、本来参謀を必要としないであろうヤンはムライを求め、ムライは上司から求められた意義を理解し、司令官にことさら常識論を諫言する役目をうけおったのだ。そしてヤンは一度としてそれを煩わしいとは思っていなかっただろう。
金髪の孺子にも赤毛ののっぽがいた。麾下には覇気に富んだ(富みすぎた奴もいたが)若い指揮官がキラ星のごとく。政略的な分野ではドライアイスの剣とミネルバ嬢ちゃんがいた。シュトライトのように用兵分野ではないにしても諫言する男も控えている。少なくとも金髪の孺子には、若干容量が少ないにしろ諫言を受け入れるだけの器量があった。
リンチがヤン=ウェンリーや金髪の孺子に勝る軍事指揮官かどうか。それは実際にその指揮ぶりを見てみなければ分からない。分からないが、双方の幕僚を見比べるだけで、その器量に対して猛烈に不安が募る。
自分自身でも突拍子もないことだとは思う。頼むから杞憂であって欲しい。俺は心底そう思わずにはいられなかった。
後書き
2014.10.13 更新
2014.10.14 前書き 文章一部修正
2021.01.02 行程距離修正(7日→5日)
第20話 胃痛
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
Jrの胃痛ショーをお送りします。あんまり台詞がありません。
おばちゃんとか参謀とか見覚えのない名前は、みんなオリキャラです。
宇宙暦七八五年一一月 ケリム星域イジェクオン星系
だいたい悪い予感というのは当たるというのが、世の中の常識というかなんというか。誰かの言い草ではないが、困ったものだ。
副官業務を始めて二週間。早くも第七一警備艦隊というより星域防衛司令部最大の弱点が、俺の目前に現れた。
同盟随一の主要航路に位置するだけあって、その航路の重要性が広く理解され、軍に限らず警察戦力も多数配備されている故に、中央航路の安全性はよく保たれているといっていい。ケリム星域における宇宙海賊の襲撃や遭難事故の数は、バーラト、ジャムシードに次いで航行数比被害率が少ない。
これは良いデータのように思われるが、それはあくまでケリム星域内の各星系における数値だ。ケリム星域を一歩出れば、そこは修羅の世界に近い。一次航路(つまりイジェクオン星系から次の星系まで)の安全性は完全に確保されているが、そこから先の二次・三次航路となると海賊の襲撃が加速度的に増えていく。ネプティス星系までは確保されてもその周辺は護衛なしでの航行は危険そのものだ。
アーサー=リンチは優れた軍事指揮官であることは、いちばん近くで見てきただけでよく分かる。少壮気鋭の噂は決して誇張ではない。原作におけるヤン=ウェンリーや金髪の孺子とまではさすがに言わないが、精力的な指揮、適切な艦艇運用能力、剛性のある精神力、能力に裏打ちされた自信のある態度。いずれをとっても警備艦隊の指揮官としては申し分ない。
だが、その自信がいささか過剰気味な処が見受けられる。そしてそれはケリム星域防衛司令部に悲劇をもたらしている。第七一警備艦隊の実力は、ひとえにリンチ一人の才覚に支えられていると言ってよく、補佐すべき幕僚スタッフは俺の見る限り自己の職責こそ全うしているが、あくまでも第七一警備艦隊の幕僚スタッフとして、である。彼らはリンチの能力に充分な信頼をよせているが、リンチのやもすれば職権範囲外への干渉に関しては非協力的だ……それ自体が間違っているわけではないが、スタッフとしてリンチを諫めないのはどうかと思う。
リンチは第七一警備艦隊だけでなくケリム星域防衛司令部への干渉を止めない。軍律上問題があるのは当然の事なのだが、俺としてはリンチ一人を責めることは難しいとも思えてしまう。つまり……ケリム星域防衛司令部全体にエネルギーを感じないのだ。リンチの干渉には『俺がやらなかったら、この星域はいったいどうなる!』といった彼の軍人としての義務感が見え隠れする。
そしてそういったリンチの行動に、防衛司令部隷下の巡視艦隊は不快感を隠せていない。リンチの自信のある態度も傲慢不遜にしか見えない。それは「お前らの不作為が原因だ」と会う度に言ってやりたくなるし、リンチも雰囲気を充分すぎるほど理解しており、巡視艦隊や防衛司令部の指揮官・幕僚スタッフを軽蔑すらしている。そしてリンチが第七一警備艦隊を率いて治安維持任務を着実に実行していけばいくほど、両者のすきま風は強くなっていく。
これはリンチと他の同僚の相互不理解と不信感、上層部とくに棺桶に足を半分突っ込んだような防衛司令官のベレモン少将の統率力のなさが、時間が経つにつれ増幅・拡大していった結果だ。リンチにもう少し他者を許容する寛容というか器量があれば、少し話は変わっていたかもしれないが、帝国との前線が遠い上に海賊には戦艦クラスの大型艦も優れた軍事指揮官もいない故の緊張感のなさが、彼を必要以上に強情にさせているのかもしれない。
このような状況は好ましくない。もし許されるのなら、グレゴリー叔父に超光速通信を入れて第一艦隊にお出ましを願い、ついでに査閲部長と憲兵司令部と人事部長にも通信を入れて、中央の介入をお願いするだろう。だがそれは越権行為というだけでなく、軍律・軍秩序を乱す行為である。そもそも自分の無能を宣伝するようなもので、俺としてもいささか不満がある。ならば副官として出来ることを順序よくやっていくしかない。帝国軍という不確定要素がない以上、時間には若干の余裕があるはずだ。もっとも俺の人生のほうには、それほど余裕があるわけではないんだが……
とにかくせっかく数がいても、有効に運用できなければ宝の持ち腐れ。二人の巡視艦隊司令官の副官と腹を割って話してみて……PXへ胃薬を買いに行く羽目になった。そりゃ、アンタ達専科学校出身で中尉になった方々から見れば、士官学校の首席卒業者など煙ったいことこの上ないでしょうよ。しかもリンチがことある毎に頼りになる士官学校首席卒の俊英とか宣伝してくれれば、いじめてやろうとか思うのも無理ないとは思いますがね。だからといって端から「各々の職責を全うすることが重要なのではないかね?」と大上段に袈裟斬りはないでしょうが。
「だからそんなことやっても無駄なのだ」
俺の動きを、嫌いな巡視艦隊司令官から嫌みたらしく指摘されたリンチは、不吉きわまりないチョコレートを口に放り込みつつ、鼻息荒く俺に言った。あの中のアーモンドを噛み砕く、身の毛もよだつ音が俺の意気をさらに消沈させる。
「奴らが馬鹿とは言わんよ。それなりに武勲を挙げているからこそ、その地位にいることぐらいは分かってる。だから俺や貴官のような士官学校卒に対してすぐ『軍のイロハも知らんクセに』とか僻みがはいる。俺の提案に対してとにかく反対したくなる。根本的に提案の善し悪しではなく、提案者の好き嫌いで判断するんだ。そんな奴らをまともに相手しようとか、まともにしようとか、考えるだけ時間と労力の無駄だ」
「しかし、第七一警備艦隊の戦力だけでは、現在のケリム星域外縁および三次航路の安全維持は不可能です」
「不可能じゃないさ。俺の艦隊だ。装備も練度も海賊共とは格が違うし、なにより海賊には俺に匹敵する指揮官はいない」
「それはそうですが、数は力です。このままではケリム星域外縁部の治安悪化が先か、第七一警備艦隊の過労死が先か、となってしまいます」
「この程度の作戦任務で過労死するような奴らなど、どうせものの役には立たない。貴官の前任者もそうだったが、数日徹夜したぐらいで、音を上げるような奴は大抵口先だけだ。それより中尉、D星区の海賊出没統計資料は出来たか?」
リンチの退庁後、睡眠時間を削って作成した資料を俺が差し出すと、片手でページをめくりながら、再びあのチョコレートを口に放り込み、バリボリと音を立てて噛み砕く。殆ど呼んでいるのかと思うような速読でリンチが資料を読み終えると満足そうに頷いた。
「やはり貴官は頼りになる。参謀を持つなら貴官のように努力を惜しまない人材が相応しい」
「エジリ大佐は、実績も経験も充分おありの方ですが……」
「エジリは頭が固い上に、自分の仕事を型にはめている。だから星域全体の視野というものがない。俺の艦隊における仕事はそつなくこなすから飼っているだけで、時期が来れば中央から誰か連れてくるつもりさ」
「……オブラック中佐とカーチェント中佐は?」
「後方参謀は艦隊の燃料と武器の補充に支障がなければいい。情報参謀はとりあえず統計処理が出来ればそれで充分だし、貴官もいるから業務に支障はない。あいつ等は士官学校の頃一緒だったからな。それなりにこちらも力量を心得て仕事している。もっとも俺の仕事を手伝える成績じゃなかったが」
俺の出した資料を基に、第七一警備艦隊を近々出動させるということになり、俺は珍しくリンチから定時での退社が許された。それをありがたく俺は受けると、リンチの言葉を胸くそ悪く思いながら、三日ぶりに帰る宿舎への途中にあるPXに寄っていつものように胃薬を買う。
「坊や、幾ら薬効成分が弱いといっても、こういう薬を常用するのは良くないよ」
年季の入った、薬剤師の資格を持つPXの販売員のおばちゃん……マルセル上等兵軍属が、いつものように胃薬を袋に入れながら言った。
「リンチ准将のところで鍛えられているんだろうけど、あの人は自分にも容赦ないけど、部下にも容赦ないからねぇ……奥さんも娘さんもいるというのに、ろくに家へ帰らないから」
「はぁ……」
「今は良いけど、いつか大きな失敗するんじゃないかって、あたしゃ心配でねぇ……優秀なひとだから余計心配なんだよ」
この人のいいおばちゃんに、エル・ファシルの悲劇を予測できるとは思えないが、リンチにそう予感させるものがあるのも確かだ。
「准将閣下はマルセルさんの目から見ても優秀な方ですか? その、副官としてこういう質問をするのは大変恥ずかしいのですが」
「そりゃあ、そうだよ。准将が来てからというものイジェクオン近辺で海賊が出たって話は聞かなくなったし」
「前の司令官はそれほどひどかったんですか?」
「なにしろ星間輸送会社から賄賂を貰っていたって事で、ハイネセンから憲兵が飛んできて連れて行かれちゃったくらいだからねぇ……老後が心配だったんだろうけど」
つまり前任者の不始末を放置していたような星域司令部に対し、中央から派遣されてきたエリートのリンチは、最初から不信感を持っていたのだろう。前任者が捕縛されて意気消沈していた星域管区の人間も、そんなリンチの態度を苦々しく思っていたに違いない。実績が上げられない無能ならまだ彼らも救われただろうが、リンチは運が悪いことに優秀だった……
「リンチさんはケリムに来てもう二年。先月の人事異動でも動かなかったから、来年には昇進して別の処にいるのかもしれないねぇ……」
坊やも身体に気をつけて頑張るんだよ、と結局最後は激励になってしまったが、おばちゃんの好意をありがたく受けて、俺は宿舎の自分の部屋に戻った。
ワンルームに備え付けの端末机。ユニットバス、折りたたみ式のベッドを一応備え、制服と私服一着以外何もない部屋で、俺はインスタントラーメンを啜りながら、ぼんやりと端末画面に映るリンチ准将の公開されている履歴を見つめながら考えた。
リンチは現在三八歳。グレゴリー叔父の一つ年上になる。士官学校戦略研究科を卒業。席次は一八八番/三七六六名中。戦略研究科では七五番/三六九名中。戦略研究科の卒業生よろしく、統合作戦本部や宇宙艦隊司令部でデスクワーク、前線では参謀とそれなりに戦績を重ねている。二九歳で中佐となり、駆逐艦小戦隊の指揮を執ってから、部隊指揮を主にし、幾つかのナンバーフリートを渡り歩きつつ昇進し、ケリム星域へとたどり着いた。まず軍人としては順調というかスムーズに出世しているといっていいだろう。
だが部隊指揮官として最高位である宇宙艦隊司令長官にたどり着けるような人材かというと無理がある。グレゴリー叔父なら、ケリム星域に配属された場合、既設部隊の指揮官達と衝突などせず交流を深め、実働部隊の相互連携を構築してしまうだろう。グレゴリー叔父はそれが出来るから第一艦隊副司令官で少将、リンチは地方の警備艦隊司令官で准将。二年もこういう環境にあれば、とっとと功績を挙げてナンバーフリートに復帰したいと思っているに違いない。それが彼を必要以上に焦らせている。
エル・ファシルの悲劇は、彼のそういった焦りと驕りが重なった結果だろう。少将に昇進して星区防衛司令官になっても、エル・ファシルという辺境では出世の本流から取り残される。そこに海賊とは戦意も装備も桁違いの帝国艦隊が侵攻してくる。近年の実戦経験が海賊討伐で、戦闘指揮もそちらに慣れっこになっていたから……帝国艦隊の再反転追撃など、思いつきもしなかったに違いない。
リンチに足りないのは心の余裕。一五年後の同盟崩壊という原作の歴史を知っている分、俺もリンチを笑えない。このままリンチの副官を続けたとして、数年後リンチはエル・ファシルの防衛司令官になっている。俺がリンチの副官として同行することになるとしたら……エル・ファシルの奇跡はおきず、ヤン=ウェンリーという奇才は世に出ることはない。若干席次の上がったヤンがエル・ファシルに配属されるかは未知数だが、仮に俺がヤンの代わりに脱出の指揮を執り、イゼルローンを攻略して『ミラクル・ヴィック』『魔術師・ヴィック』など呼ばれたとしても、正直金髪の孺子に勝てる自信は全くない。その時、ヤンが艦隊の指揮官となっている可能性はほぼゼロだ。自称革命家も部隊指揮出来ているとは思えない。
そう考えるとまた胃が痛みを訴え始める。俺はインスタントラーメンをかき込むと、PXで買った胃薬を飲み、早々に横になった。
今は遠くの未来よりも一夜の睡眠がほしい心境だ……っていったのは誰だったか。思い出すのがおっくうになるほど疲れるというのは本当にありえるんだなと俺は思い、目を閉じた。
後書き
2014.10.15 更新
2014.10.15 誤字修正
第21話 初陣 その1
前書き
いつも多くの閲覧ありがとうございます。
いよいよJrは戦場に向かいます。
相手が帝国軍ではないですが、初陣は初陣ですよね。
宇宙暦七八五年一二月 ケリム星域イジェクオン星系
年末なんだけど戦場で新年を祝うわけにもいかず(この辺は正直ヤン艦隊が羨ましい)、俺を乗せたリンチ准将以下第七一警備艦隊は、惑星イジェクオンの軌道上を離れ、一路ネプティス星系への進路を取って航行している。だが警備艦隊全艦がこれに従っているわけではない。
まず本来の任務とも言うべき星系内パトロールの為、二隻の戦艦と一〇隻単位の巡航艦ないし駆逐艦で構成される小戦隊が、イジェクオン星系内を八つのブロックに分けてそれぞれ巡回している。それに加え、増援用の予備兵力やドック入りしている艦艇も合わせると、艦隊のおよそ八割が別行動を取っている。
現在リンチ准将の直接指揮下にあるのは、戦艦二五隻、宇宙母艦一〇隻、巡航艦四八隻、駆逐艦二四隻の計一〇七隻だ。兵員約二万。その目的は、ネプティス星系近隣のD区画と呼ばれる宙域に根拠地を持つと推測される宇宙海賊集団『ブラックバート』の根拠地破壊、掃討ないし捕縛であった。
彼ら『ブラックバート』団は、基本的に商船及び貨物船を中心に襲撃を行っている。旅客船を襲うことはしない。また襲撃した宇宙船について、乗員あるいは同乗旅客には一切手をつけない。宇宙船は奪っていく場合と奪わない場合がある。人質をとっての身代金要求はしない。宝石や貴金属を有している場合は容赦なく奪い取っていくが、現金には手を出さない。彼らの主たる獲物は各種工業用金属、液体水素燃料、植物プラント、重機材、そして食料品……貴重ではあるが、転売するにもあまり価値があるとは言えない商品ばかりを狙うという宇宙海賊としてはやや特殊な部類に入る。
人質をとって身代金を奪ったあげく人質を殺す、あるいは船ごと奪い、生きたまま人質を宇宙空間に放り出す、といった凶悪な宇宙海賊もいる中で、その存在は際だっている。さらに異なるのは、他の宇宙海賊が単独艦ないし少数の編成であるのに対し、一〇隻以上の集団を編成している点だ。中央に近いこの星域においては尋常な規模ではない。襲撃を受けて帰ってきた商船乗組員によると、その中に旧式戦艦も単座式戦闘艇も目撃されたというし、巡視艦隊のパトロール部隊も数度撃退されている。
「元軍人が指揮を取っている可能性が極めて高いと思われますが」
「そうだな。戦艦もいるようなら巡視艦隊のパトロール連中では歯が立つまい。まぁ俺が出ていって、潰してやるしかあるまいよ」
旗艦である戦艦“ババディガン”の戦闘艦橋で、リンチは鼻で俺の警句を笑った。確かに笑えるだけの準備をリンチはしている。目撃証言も多い『ブラックバート』団の編成・戦力・得意とする戦術・奪われた物資の量と傾向・出現あるいは襲撃位置などなど。俺も手伝ったとはいえ膨大な量の情報を統計的に処理し、現在までに襲撃されていない宙域で複数の艦艇を整備・隠匿できる宙域を幾つかに絞って、一つ一つ虱潰しに潰していくという方法だ。手伝っている俺としても、堅実で成功の見込みが大きいと思えてくる。
「空振りしたら、また次の星区に向かう、というわけですか」
「移動する宇宙船にぶっ続けで乗っていられるような、長征世代のような奴じゃなければな」
「たしかに」
人間の生理機能として、重力のない場所での長期間生活が健康に与える影響が大きいことは、前世でも周知の事実だ。この時代の重力制御と慣性制御の整った宇宙船であれば、そういった悪影響は減るのは当然だ。だが、亜空間跳躍航法はどうにもならなかった。ヤンが幼い頃からいわゆる『ワープ酔い』で発熱したこと、妊婦の母体と胎児に悪影響が出ることも含め、亜空間跳躍航法が人体に与えるストレスは無視できないものだった。
長征一万光年は五四年にわたる長期の宇宙船航行であった。それも帝国の追撃と危険空間航海というハンデを背負って。当然造物主の悪意もあろうが、ストレスから来る事故により失われた命も多いだろう。当初四〇万人で出発した脱出者は、一六万人余まで減少している。
宇宙海賊は別に自殺志願者でもなんでもなく、不法に利益を貪る集団である以上、ある程度重力を有する小惑星規模の補給基地ないし、休養のための根拠地がなければおかしいという話になる。戦艦クラスの艦艇を整備するには、それなりの設備が必要になるし、転売するならば保管用の宇宙船等を係留する場所も必要だ。
「虱潰しをするためにわざわざ数少ない宇宙母艦を全部連れてきたんだ。員数不足とはいってもな」
「……パイロット不足は本気でどうにかしたいところですが」
「みんなナンバーフリートに持って行かれるんだ。こんな警備艦隊で充足率四〇%というだけでもまだマシさ」
大規模な小惑星帯を有するD星区の捜索には、やはり小回りのきくスパルタニアンは欠かせない。それを多数搭載する宇宙母艦は、今回の作戦でもっとも重要な艦艇だ。だがリンチの言うとおり、同盟軍は常にパイロット不足。士官学校や専科学校の専攻者は勿論のこと、各部隊内でも希望者を募る『部隊内選考』もある。それだけしてかき集めたパイロットも、訓練で半数以下に絞られ、帝国軍との戦闘ではドックファイトだけでなく母艦ごと吹っ飛ばされて、あっという間に失われてしまう。ゆえに補充は正規艦隊が優先され、地方艦隊は後回しにされる。だから充足率四〇%というのは奇跡に近い。これもリンチがかなり強引に引っ張り、かつ慎重に運用してきた苦心の結果だ。わずか四〇〇機とはいえども、それを全部投入するリンチの意気は高い。
「成功するさ。その為に俺はここまで準備してきたんだ」
D星区にワープアウトした後、リンチが独り言を呟くのを俺は聞き逃す事は出来なかった。一〇一隻とはいえ、艦隊は艦隊だ。残念ながら士官学校の時の練習艦隊と同レベルの陣形構築ではあったものの、一時間かからず部隊を整然と運行する一つの集団へと変化させた。各小戦隊や独立小隊の指揮官から布陣完了の連絡が、旗艦“ババディガン”へと伝えられ、俺は全部チェックの上リンチに報告する。
「第七一警備艦隊第一任務部隊、全艦配置完了しました」
「よし、D-〇一ポイントより一〇ポイントまで捜索を開始する。各艦予定通り作戦行動を開始せよ。スパルタニアン、全機発進」
リンチの命令を俺が復唱し、それを“ババディガン”のオペレーターがさらに復唱する。各艦へ指示が行き渡るまでに数分。巡航艦は六隻一組で八集団。四集団で二列横隊を組む。それぞれに宇宙母艦が一隻ずつ同行し、スパルタニアンが直衛と探索の二班に分かれて集団から発進する。それぞれが分散しても各個撃破されないよう、リンチ直卒の戦艦部隊と宇宙母艦二隻が二列の中間に位置し、即応用の駆逐艦小戦隊が六隻四集団で、直卒集団の周囲を囲んでいる。この陣形で小惑星帯を上部からスパルタニアンと各艦のセンサーで掃除機のように探索していく。いわゆる二重ローラー作戦だ。
「すぐに発見できるとは思えませんので、司令は先に休養されてはいかがですか?」
もし発見できるようなら跳躍直後の全周回センサーで発見されているだろうと、俺は暗にリンチに諭した。一瞬、俺をリンチは睨み付けたが、数分間無言で腕を組んで画面を見た後で頷いた。
「俺が休んでいる間は、誰が部隊を統括する?」
「それは当然、首席参謀のエジリ大佐にお願いすべきです」
「オブラックとカーチェントは?」
「後方参謀殿と情報参謀殿にはそれぞれにお仕事があります。何かあれば、小官が起こしに参ります」
「……よかろう。エジリ大佐!!」
リンチの鋭気の籠もった声に、左翼の参謀席で腕を組みじっとババディガンのメインパネルを見ていたエジリ大佐が、顔をこちらに向けゆっくりと立ち上がり、リンチに敬礼する。
「お呼びでしょうか、リンチ准将閣下」
「俺は先にタンクベッドで休む。貴官は俺の代わりに今から四時間、指揮を代行して貰う。二交代三ワッチでいこう。それでいいか?」
「承知しました」
「ボロディン中尉を艦橋に残しておく。敵襲、敵基地発見の場合はすぐに知らせろ。人工物発見の場合は適時判断せよ。判断は大佐、それと中尉に任せる」
「「はっ」」
俺とエジリ大佐が敬礼すると、リンチも面倒くさそうに答礼してから艦橋後方のエレベーターへと向かっていく。リンチの姿が見えなくなったところで、俺は改めて指揮官席に座ったエジリ大佐を見た。
壮年のアジア系。それも前世よく見かけた日本人特有の容姿を色濃く残している五〇代後半の男。もし二〇年前、この世界に渡ってこなかったら、俺も彼のような容姿になって今も会社に通っていたに違いない(リストラされていなければ)。もちろん大佐といえば、中小企業の社長並みの権限と部下がいる。首席参謀の彼には部下は従卒だけだが、前世の俺よりは社会的な地位は上になるか。しかし、今の彼は上官にあまり協力的でない部下の一人だ。
「……私の顔に、何かついているかね?」
俺の視線に気がついたのか、エジリ大佐は首だけ俺のほうを向けて問うてくる。まさか懐かしい顔ですので、とは言えないので、爆弾を込めて別の話題を振ってみる。
「失礼ですがエジリ大佐は、こういう作戦はお嫌いですか?」
俺の問いに、エジリ大佐は勢いよく振り向き、ぎょっとした視線で俺を見つめる。これほど失礼な質問に、叱責ではなく驚愕で応える処を見るに、彼の士気が低いのは間違いない。一瞬の沈黙の後、俺から視線を再びメインパネルに移してから、大佐は応えた。
「……なるほど。私は君の目には『やる気のない首席参謀』に見えるのかね?」
「エジリ大佐とこういう話をするのは初めてですので……知人に全くやる気のなさそうな立ち振る舞いをしつつも結果を残す者がおりますから、大佐もそう言う『スタイル』なのかと」
「いや、私は君の言うとおり、見た目通りのやる気のない首席参謀だ」
それを馬鹿正直に言ってどうするよ、と俺は心底呆れたがエジリ大佐の声は随分と悟りきった感じであるので、あえてそこに踏み込もうとはしなかった。俺が黙っていると、大佐はゆっくりと言葉を続けていく。
「私も君くらいの年だったか。専科学校を卒業して三年かな。下士官昇進試験を受けて兵曹長になった。その時は未来に対し夢も希望も溢れていた。今のリンチ准将のように、ただがむしゃらに突き進んでいた。二四歳で幹部候補生養成所に入り、翌年少尉任官した。砲術長や船務長、駆逐艦の艦長と順調に昇進していったが、専科学校出身者の限界に当ってね……」
それはつまり幾ら功績を挙げても、士官学校卒業者を優先する人事システム。幕僚経験のない者には将官への道は『事実上』閉ざされている。アレクサンデル=ビュコックやライオネル=モートン、ラルフ=カールセンのような例外は知られていても、あくまでも例外だからこそ、その名が際だつ。おそらく俺がこの間までお世話になった査閲部長のクレブス中将もそうだろうが、あの人はデスクワーク側の人間だ。
「なんとか五〇歳で大佐までは昇進できた。士官学校の下位卒業生とほぼ同じだ。だがそれは武勲を挙げたから、ではなく軍内派閥で上手く立ち回ったからに過ぎない。ある人からそう教わってから、私はもう自分の職責を全うすることだけを考えるようになったよ。リンチ准将には悪いが、あと二年の任期を平穏無事に過ごしたい。それだけだ」
「……人事考査にはとても聞かせられないお話だと思いますが、何故そんなことを小官に話してくれるのですか?」
「士官学校首席卒業者なら、つまらない爺の戯れ言などをいちいち人事に告げ口してせこい功績稼ぎするとは思えないからだよ……というより、君自身あまりリンチ准将を快く思っていないように見えたからかな」
「そのつもりは全くありませんが?」
「……慎重というのは悪くない。特に口は災いの元だ。私も気をつけるとしよう」
そう応えると、エジリ大佐は沈黙の徒になってしまった。俺も閉じた貝を開こうとは思わなかった。無理矢理こじ開けて、こちらが余計なことを喋っても仕方ない。口は災いの元と当のエジリ大佐も言っている。
それから四時間、エジリ大佐が指揮官代理の間、艦隊は一度ならず人工物反応を確認したものの、スパルタニアンから送られた映像を見るに一〇〇年以上昔に航行中の艦艇から放擲された廃棄物であるので、リンチを起こすことはなかった。念のためエジリ大佐に艦隊を一時停止させ、詳細な検索に取りかかるよう俺は進言したが、大佐は首を振ってパッシブセンサーによる捜索だけで終わらせた。
いずれにしても大目的である根拠地には当然何らかの防御装置が働いていることだろう。エル・ファシルのようにその思考を逆手にとってレーダー透過装置を切っている場合も考えられるが、根拠地は動くことが出来ない。そしてそういう基地のたぐいは根本的に金属の固まりである。磁気センサーやアクティブレーダー、重力変動探査装置なども利用できる。なにしろ小惑星帯と艦隊の距離は、エル・ファシルの脱出時における帝国軍哨戒艇と脱出隊の距離に比べはるかに近距離なのだ。
結果として星区侵入してから三六時間後。俺達はついに小惑星帯に巨大な重力変動点を確認した。そこには複数の艦艇と思われるエネルギー反応も確認できた。リンチは既に起床し、艦橋に入っている。
「……この星区において鉱石掘削活動などの民間商業活動の申請はない。そうだな? ボロディン中尉」
「はい」
「軍部で極秘工作活動を行っているという話もない。あるとしたら作戦申請時に確認できる。そうだな?」
「はい」
「では簡単な引き算だ。艦隊全艦、攻撃準備。目標、海賊基地」
「艦隊全艦、攻撃準備。目標、海賊基地」
俺の復唱をオペレーターがさらに復唱する。その声は三六時間前とは比べものにならないくらい緊張しているのは、艦橋最上部の俺からもよく分かった。俺とエジリ大佐、それにオブラック中佐とカーチェント中佐の視線がリンチに集中する。リンチの喉を唾が落ちていくのが、一番側にいる俺にはよく分かる。
「攻撃を開始せよ(プレイボール)!!」
自らの弱さを隠そうとする陽気で皮肉っぽい声とともに、リンチの右腕は振り下ろされた。
後書き
2014.10.16 更新
2014.10.16 リンチ直卒艦隊の編成を修正
第22話 初陣 その2
前書き
いつも閲覧いただきありがとうございます。
ストックというか、初期構想から少しずつ外れていっているところがあるので、
手直し手直し進めていきたいと思います。リアルも冬はかき入れ時ですので。
ちょっと長めでリンチの味が薄い話になってます。
宇宙暦七八五年一二月 ケリム星域ネプティス星系外縁D星区
リンチの指揮の下、D星区における第七一警備艦隊による宇宙海賊の根拠地への攻撃が開始された。
帝国の前進基地とは異なり、海賊の根拠地というものは軍用艦艇による重層防御も、根拠地自体の防御能力(防御火力・装甲含めて)も薄いというのが常識だ。
艦艇の小規模補修用のドックと係留宙点、転売に備えて戦利品を保存する倉庫あるいは空間、乗組員の為の簡単な休養施設と近隣惑星へ向かう為の小型艇用の桟橋、艦艇用の燃料・エネルギー貯蔵施設などなど。宇宙海賊が必要とする施設は多いが、あまり目立った施設を建てればすぐに討伐軍が派遣されるので、おのずと小規模なものになる。
仮に強力な防御火力を備え付けたところで、討伐艦隊の火力の前にはあまり意味をなさない。それこそアルテミスの首飾りや、トールハンマーのようなレベルでもない限り。
まずは定石通り、駆逐艦と巡航艦による重層球形方位陣を形成した上で、根拠地に向けて通信文を送る。
「我々はケリム星域第七一警備艦隊である。根拠地に潜む宇宙海賊に告ぐ。降伏せよ。しからざれば攻撃する」
降伏したところで、宇宙海賊の処罰は情状酌量の余地がない限り、懲役二〇年以上死刑までと決まっているので、当然無視される。こちらも無視される事は織り込み済み(リンチは降伏すること自体望んでいない)であり、リンチは返答期限が切れるとすぐさま行動を起こす。
ゆっくりと包囲網を狭めつつ、後方より戦艦と宇宙母艦より根拠地に向けて長距離砲による対地予備攻撃を開始する。すでに観測の結果から、根拠地の形状が比較的大きめの小惑星をくり抜いたダヤン・ハーン基地同様の円筒型と判明しているので、その砲撃は遠慮がない。海賊側からの反撃もなく、光子砲は小惑星の両面を焼きつくしていく。
「頃合いだ、スパルタニアンを出せ」
制宙権(一度言ってみたかった)を確保し、海賊側の伏兵の除去と強行偵察を同時進行で行うスパルタニアンが宇宙母艦から切り離される。付近哨戒に三個中隊、根拠地上空制圧に二個中隊、強行突入に二個中隊が派遣される。強行突入の二個中隊が中隊毎に円筒の上下出口から突入を開始すると、異変が起きた。
「おおっ」
根拠地の一方の出口から、スパルタニアンを排除するような加速で、海賊船が一〇数隻飛び出してきた。衝突こそ免れたものの、数機が加速とエネルギー中和装置を浴びて制御不能になり、小惑星に激突する。
「今更脱出か? 間抜けな奴らめ」
一瞬の衝撃から立ち直ったリンチが、逃走方向に配備している巡航艦と駆逐艦にレーザー水爆による攻撃を命令した後、直属の戦艦部隊を追撃に向かわせる。同時に反対方向の巡航艦と駆逐艦あわせて四隻に、根拠地への攻撃および上陸・接収の指示を出す。
「司令官閣下、上陸・接収は後でもできます、まずは部隊の半数で包囲網を維持すべきです。とにかく四隻では少なすぎます」
俺は思わずリンチにそう言った。リンチの指示が間違っているとは思えないが、戦力差を十分理解した上で今更脱出を試みる相手であれば、少なくとも追撃戦力を減らす為に『置き土産』を残していく可能性が高い。脱出する海賊集団ばかりに目を向けては、いらぬ犠牲を払う事になる。それに脱出した船が『ブラックバート』団の全てである保障などありはしない。逃走した一〇数隻のほうが囮の可能性もある。
だが俺の諫言をリンチは首を振って否定した。
「奴らは全力で逃げに移っている。一〇数隻となれば奴らのほぼ全戦力だ。見ろ、逃走する敵艦の内に報告のあった戦艦がいる」
「脱出した艦艇は一〇数隻です。掃滅するのに部隊の半数五〇隻でも十分お釣りがきます。それより根拠地に不用意に近づいて損害をこうむる方が危険です」
「数の少ない海賊が、わざわざその数を割って逃走を図るわけがない。貴官も言っていたではないか、『ブラックバート』の頭領は元軍人の可能性があると」
「だからこそです。一〇数隻とはいえ、我々は彼らの正確な数を知っているわけではありません」
「貴重な戦艦を犠牲にしてまでか?」
「その通りです」
リンチは俺を一旦睨んだ後、数秒して決断した。
「戦艦四隻で援護砲撃を行いつつ、第三・第四巡航艦分隊は根拠地に接近・上陸せよ。他の艦は脱走する海賊艦を追撃!」
限りなく一方的な折衷案か、と俺は溜息を押し殺してその命令をオペレーターに伝えた。
戦艦を含む海賊艦がこの根拠地に潜んでいたという事は、根拠地発見を主目的としていた俺達の予想になかったわけではないが望外の事態だった。それが俺達の攻撃が開始されるまで、根拠地の内部に潜んでいたということ。それ自体がおかしい。常に多数の艦艇で襲撃を行う海賊の指揮官としては手落ちにすぎるし、こちらが根拠地を発見できないと考えているのであれば、間抜けにも程がある。
だが相手の愚かさを期待するというのは、軍人としては最もあってはならない態度だ。俺はいったん司令艦橋を離れて、索敵オペレーターの階層まで降りて、観戦中の暇そうな准尉の階級章を付けた背が高くてアントニナに似た褐色肌の若い女性下士官を一人捕まえて聞いた。
「この艦に次元航跡追跡装置はあるか?」
「えぇありますが……ですが偵察専門の艦艇とは違ってそれほど出力があるわけではないですよ。普通の戦艦や巡航艦と変わりません」
唇のやや厚めの、かなり若い、まだ一〇代の航海科の准尉は俺を見るなり敬礼して応えた。どこかで見たことがあるような気がするが、まぁ気のせいだろう。
「この星区全体をカバーするのに必要な艦艇数はどのくらいだ?」
「のべ数でしたら……まず一〇〇〇隻くらいは必要ですね」
カチカチと自分の席に戻って軽くカーソルを叩いた准尉の返答に、俺は大きく溜息をついた。その溜息が意外だったのか、彼女は細い顎に指をあて、艦橋の天井をしばらく見上げた後、「ちょっと待って下さいね」と言った後、再びカーソルを叩きはじめ、一分もせずして小さなペーパーにプリントアウトした。
「副官殿の権限で出来そうな方法と言ったら、多分これくらいでしょうか」
「えっ?」
ほっそりとしたきめ細やかな手から渡されたペーパーから、俺はしばらく目を離せなかった。ペーパーには小惑星帯周辺で観測可能な範囲とそれに必要な艦艇数を記してある。巡航艦三個分隊(三〇隻)を一週間つかって何とか計測できるプランだ。かなり大雑把であるし、リンチが俺の私的な意見の為に巡航艦の三個分隊を派出してくれるとは思えないが、実現不可能ではないレベルのプランでもある。
「あ、ありがとう。これは助かる……えっと」
「イブリン=ドールトン准尉です。戦艦ババディガンの航法予備下士官を務めています。ボロディン中尉殿」
「えっ?」
「どうかしました?」
俺が驚いた声を上げたせいで、彼女……イブリン=ドールトン准尉が小首をかしげて俺を見つめる。確かにポプランが原作で言っていたように唇が薄ければ完璧、といっていい。彼女の名前を聞いたら『不倫』の一言しかすぐには思い出せないが、たしか捕虜交換の際にハイネセンへ帰還する船団の航法士官を務めていたはずだ……あれが七九七年だからえっと……
「幾つなんだっけ」
「……二一歳ですが、なにか?」
俺の思考が思わず口先に漏れ、先ほどの好意的な態度が一転。彼女は一気に白けた視線を俺に向ける。それで俺はすぐさま自分の失点を悟った。
「い、いやその。一七・八歳かな、と思って……」
「えぇ。いつも見た目より若く見えるって言われますが、なにか?」
フォローどころかさらに墓穴を掘ってしまったらしい。俺は早々に敬礼して、ドールトン准尉の返礼を待つまでもなく、司令艦橋へと走って戻った。
「おやおや、士官学校首席卒の期待の若手は、そちらの方も手が早いらしい」
司令艦橋の最後の上り階段ですれ違いざま、なかなか怖い表情をした後方参謀のオブラック中佐に皮肉られた。相手にされませんでしたよ、と軽く返すと、三〇代後半にしては若く見える整った顔つきの中佐は“フフン”と鼻先で嘲笑って、俺とは逆に階下へと降りていく。怒りよりも呆れの方が多い内心はともかく、その背中に一応敬礼してからリンチの傍へ戻った。
「まだ戦闘は終わってないぞ」
リンチもまた俺とドールトン准尉の動きを見ていたらしく、視線を向けた早々に俺に皮肉を飛ばしてくるが、その顔はオブラックとは異なり「仕方ない奴め」といった雰囲気だった。
「貴官が居ない間に三隻沈めた。海賊の戦艦が逃走の最後尾についている。どうやら盾になるようだな」
「やはり元軍事経験者でしょうか」
「だろうな。味方の撤退を助ける為に最後尾につく、というのは誇りを持つ軍事指揮官ならば常識だ」
その常識をアンタは近い将来破ることになるだろうね。と心の中では思いつつも、俺は表情に出すことなくメインパネルに映る戦闘の状況を見つめる。八〇隻近い艦艇が、残り七隻目がけて砲撃を集中させる、極めてワンサイドな戦闘だ。追撃側が砲撃精度を上げるため、火力を制限してはいるが、全艦撃沈もそう遠いことではない。しかも彼らの逃走方向に配置されていた巡航艦や駆逐艦は、追撃艦からの砲火に巻き込まれないよう、ゆっくりと彼らに向けて逃走ルートを開きつつ、後進旋回して逃走ルートの中心軸に主砲を向けつつある。その動きはゆっくりではあったが、非常に理に適っているものだった。やはりリンチの軍事指揮官としての、あるいは訓練教官としての能力は高いと認めざるを得ない。
しばらく追撃風景を見つめていた俺だったが、残りが五隻になったところで不思議に思った。海賊艦は俺の見ている数分間だけだが、進路を全く変更していない。ついに海賊側の戦艦が撃沈して、戦艦ババディガンの艦橋は歓声に包まれたが、俺は逆に不審感が増大した。
「司令官閣下。逃走集団が無人艦の可能性はありませんか?」
「宇宙海賊にとって、命以上に貴重な戦闘艦艇を無人にする理由があるか?」
質問に質問で返され、俺は一瞬胃袋の中で嫌な思いが渦巻いたが、それを吐き出すことなく応えた。
「命は一つしかありません。戦艦は確かに貴重ですが、代わりとなる艦はあります。むしろ小官としては、根拠地攻撃を行っている部隊の安全が気にかかります」
「あまり話を飛ばすな。無人艦の理由は?」
「逃走進路が直線的です。回避行動も機械的で、人為性を感じません」
リンチは俺の返答に、腕を組んで画面を見たまま黙った。さらに一隻撃沈したところで、俺に顔を向けて言った。
「海賊の首魁はここにはいなかった、ということか?」
「その判断は出来かねます。根拠地に『置き土産』が置かれているかどうか、で判断できるかもしれません」
「『置き土産』?」
「『ブラックバート』団は液体水素燃料を略奪することが多い集団です。配下艦艇の数が多いとはいえ、タンカーの搭載量はかなりの量になります。艦艇の腹を満たすには十分です。それを一ヶ所にまとめ、着火させれば」
「水素の爆発温度ぐらいで艦艇の装甲がどうなるとも思えんが?」
「略奪したタンカー内部で保管されているのであれば、タンカー自体が爆弾になります。しかも敵の根拠地は円筒型です。内部へおびき寄せて一気に破壊する『置き土産』です」
「至急、別働隊に連絡をとれ!! 接近一時中止、距離を取って包囲待機するように!!」
「了解しました」
リンチの命令は緊急通信で別動隊に飛ばされ、別働隊は行動を停止して、根拠地から距離をとる。その間に追撃部隊は最後の一隻を撃破したが、俺は勿論のことリンチも浮かれていない。
「『置き土産』については理解したが、このまま遠巻きに包囲していたところで意味はないぞ」
別動隊の先任指揮官から遠回しの抗議を受けたリンチは、バディガンのメインスクリーンに映る根拠地の姿を見て、俺につぶやいた。
「強襲上陸して内部を調査するか、それともいっそ爆破するか」
「円筒中心軸に合わせて、戦艦の長距離砲による一点集中砲撃で、内部の艦艇だけを吹き飛ばせませんか?」
「……そういう奇妙な芸が出来るとは思えんが、どうせ調査したところで根拠地は処理するところだ。訓練がてらにやってみるか」
リンチの半ばやる気のなさそうな返事と指示の下、二〇隻の戦艦がのったりゆったりと密集陣形を形成し、慎重な軸線調整の後に、その全艦が斉射を行う。砲撃まで一時間以上もかかっているわけだから、この部隊が実戦で一点集中砲撃などできないだろうが、今回は上手くいったらしく、太く青白いビームがほぼ正確に円筒内部を貫いた。望遠映像では分かりにくいが、両開口部から爆炎が上がったのは間違いなかった。そしてその数秒後、根拠地が文字通り粉々に吹き飛んだ。その破片で砲撃した戦艦の装甲に傷がつくくらい大きいもので、かなり離れていたババディガンすら爆発の余波による微細振動を感じたほどだった。
「……中尉、これから気がついたら遠慮なく意見をいいたまえ」
二〇隻程度の戦艦の集中砲撃で元が岩石型小惑星の頑丈な根拠地が粉々になるわけがない。明らかに内部に爆発物が仕掛けられていた証拠だろう。その爆発物も液体水素だけはなく、ゼッフル粒子も含まれていただろう。もし上陸を試みていたら、皆吹き飛ばされていた……その恐怖に震えているリンチの言葉に、俺は感謝する事もなかったが、少しは人の意見を聞けるようになったリンチに、俺は言った。
「海賊の首魁はこの星区にはいなかったと思われますが、爆破スイッチを押す担当の海賊の一部がどこかに潜んでいる可能性は高いと思われます。この星区の調査と並行して、次元航跡追尾装置による調査も行ってはいかがでしょうか?」
「小惑星帯に別の根拠地が残っている可能性がある。任務もあるしあまり数は割けんぞ」
「巡航艦分隊を二つ、それとドールトン准尉をお貸し願いませんか?」
「……よかろう。やってみてくれ。ドールトン准尉に関しては艦長の領分だ。俺からもそうしろと言っていたと伝えれば何とかなるだろう」
「ありがとうございます」
俺はリンチに敬礼すると、参謀席とは反対に位置する艦長席へと歩みを進める。ババディガンの艦長は特に俺に対して含みがあるわけではないからいいとして、問題はドールトン准尉のほうだ。
命令とはいえドールトン准尉が素直に協力してくれるかどうか、そちらのほうがこの作戦の成否よりも困難なように、俺は思えて仕方なかった。
後書き
2014.10.18 更新
2014.10.18 ドールトンの容姿を追記
第23話 初陣 その3
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
初陣と言うよりは捜査に近い話になりつつあります。
自分で書いていて、リンチはさすがにここまでバカじゃないよなぁ……と反省してます。
宇宙暦七八五年一二月 ケリム星域ネプティス星系外縁D星区
就業時間外に同い歳の女の子(しかも美人)と部屋で二人っきり。ですが空気は甘甘生クリームどころか、ツンドラもかくやと言わんばかりに底冷えしております。
「……と、言うわけで貴官に航法、プラン構築の面で協力してもらいたい」
「了解しました。中尉殿」
完璧な、ほぼ完璧なと言っていい敬礼で応えるドールトン准尉の顔は、何というか能面(唇厚いし、褐色だけど)から優しさ成分を抜いたような感じだ。感情がない。考えれば恐ろしい話だ。壁に掛けた喋る能面相手に夜仕事をする恐怖は……でもこのままではそれが現実となる。
実を言えば部下を持つ苦労、というものを俺は前世を含めて持っていない。せいぜい同列者の中の先任という程度で、士官学校を含めて、上下関係で先輩・後輩という関係はあっても、上司・部下という関係はなかった。リーダーシップ研修で上司と部下、その組織構造、運用などを学んでいても、さて実践となるとなかなか難しい。まぁ自分がトップに立てるような器ではないのはよく心得ているが。
とはいってもこの航跡追跡計画を立案するためには彼女の、航法下士官としての能力は不可欠だ。二階級とはいえ階級で服従させる方法もあるが、それはリンチがやっていることとまったく同じで芸はない。時間が限られている今、俺が出来る方法といえばはっきりと自分の気持ちを説明することぐらいしかない。
「准尉が俺に対して含むところがあるというのはわかる。なにしろ俺は女性の扱いには不慣れだし、デリカシーがないとよく義妹に言われている。だからまぁいろいろ地雷を踏んでしまったり、フォローが下手だというのは勘弁して欲しい」
「……」
「ただ仕事をするなら俺はなるべく気持ちよく仕事をしたい、と思っている。そう言う意味でも俺は准尉の協力を求めたい」
「大変失礼な質問をいたしますがよろしいでしょうか?」
相変わらずの無表情で聞いてくるドールトンに、俺は紙コップの中の烏龍茶を傾けつつ頷いた。まるで俺の心の奥底をさらけ出す羽目になったときのヤンと、ドールトンの姿が被る。それを承認と受け取ったのか、ドールトンはコホン、としなくても良さそうな咳払いをした後、かなり大きめの胸を張って言った。
「……中尉殿はもしかして童貞ですか?」
俺が口に含んだ烏龍茶を盛大に吹き出したことを誰が咎められようか。あまりの勢いで鼻からも出てきたことも分かってくれると思う。同志諸君(誰だよ)なら!! 幸い横向きに座っていたからドールトンの褐色の肌にかかることはなかったが……牛乳だったらどうだったかとか、余計なことは考えていない。そんな余裕はない。
かなり苦しく咳き込んで床に蹲る俺を、ドールトンは長身を生かしてそれはそれは怖い笑みを浮かべて見下ろしている。咳が収まっても助けようともしない。
ようやく二度ばかり深呼吸して俺が腰を上げると、ドールトンは一度部屋を出てから、紙タオルを束で持ってきて机の上だけ拭く。つまり床は俺が拭けということかよと口には出さず、黙々と俺は床を拭く。束の半分を消費してなんとか原状復旧が終わると、改めて俺は准尉に協力を求めると、了解しましたと含み笑いを浮かべつつ、俺の差し出した手を握ろうとして……
「せめて消毒ぐらいはして欲しいのですが」
と、この女(アマ)は明確にそれを拒絶した。
とにかく手打ちを終えた俺とドールトンは、先に手を消毒した後で実質的な話に移った。
まずは俺がリンチから借り受ける事になる二〇隻の巡航艦で、どこまで星系内の次元航跡を解析できるかと言うこと。次元航跡とはぶっちゃけ水面上の航跡と同じようなモノだから時間が経てば消えてなくなってしまう。それでも数日、大型艦なら一週間くらいはなんとか観測できる。第七一警備艦隊の星区内侵入でかなりかき乱されているだろうから、結構な処理時間が必要になるが、これで数日来の海賊艦の挙動がわかるはずだ。だがドールトンの言ったとおり星区全体の観測にはかなりの数の艦艇を必要とする。そこでドールトンの協力が必要となる。
D星区は無人星系であることは誰もが承知しているし、有用な鉱石も産出せず、居住に有望な惑星も存在しない。かなり大きな有人星系であるネプティスの側にあっても、近隣に有人星系が少ないことから滅多なことでは輸送船はこの星系を通過しない。ただしゼロではない。かなりの遠回りにはなるが、幾つかの有人星系へ向かえる航路がある。それこそ海賊の裏を掻くようにあえてこの星系を抜けようとする逞しい(無謀とも言う)商人もいて、意外とその試みは成功している。
「海賊が自分の根拠地星系で襲撃を行うとは考えにくい、そういうことですね?」
「襲撃されれば、当然軍なり警察なりの捜査が行われるからね。その時根拠地が発見されれば、海賊側としては大損だから」
それを見越して、リンチと俺はこの星系に根拠地があるのではないかと推測していた。その読みは当ったわけだから、リンチも無能ではない。先に偵察艦を出して航跡調査をさせなかったのも、海賊側の油断を誘うためだったのだが、それは今裏目に出ている。巡航艦二〇隻では明らかに手不足だが……
「近隣の星系からこの星系に跳躍してくる航跡を辿る。その最短コースをリストアップする。現在進行中の小惑星帯掃討作戦とのデータと重ね合わせ、不審な航跡があればそれを残す。複数艦艇が跳躍可能な宙点をリストに出す為に、小官の知識を使うというわけですね」
「二〇隻では出来ることが限られているからね」
戦艦も含め一〇隻以上の艦艇を運用する海賊だ。その運航には細心の注意を払うだろう。しかも製造管理の厳しく難しいゼッフル粒子(やはり根拠地跡から検出された)を扱う奴らだ。かなりの頻度でこの星系と別の星系を行き来していたはず。安定した宙点を選択し、しかも根拠地のある小惑星帯に向かっている航跡を探り出し、その方向を確認する。だから航法知識があるドールトンの知識が必要となる。
まずは海賊が使いそうな跳躍宙点を取捨選択、次にそこへ巡航艦を半分隊(五隻)派遣し、周辺の次元航跡を調査。そして海賊が使用したであろう航路の確認と、『別の根拠地』と考えられる星系の把握。それに巡航艦分隊の調査航路の設定。それがドールトンに俺が指示した仕事だ。巡航艦への命令は俺がリンチを通して行う。副官業務は交代要員がいないので、俺は仕事の合間を見てドールトンの分析結果を確認し、さらに巡航艦へ指令を出す。ちなみにドールトンは予備下士官なので、艦長にこの職務への専従を許可して貰った。
ドールトンが宙点を選択し、巡航艦分隊の調査航路を作成するのに三時間。巡航艦へ指示し、四個半分隊がそれぞれに散って調査するのに二四時間。幾つかの分隊から興味を引く情報が届き、それをドールトンが分析し、次の調査航路を産出するのにまた三時間。巡航艦分隊は殆ど立ち止まることなく外縁部の宙点を調査し続け、ドールトンも四つの分隊の調査航路を同時に計画しながら、俺に状況を報告。俺も副官業務の合間を縫って計算と分析を行って……リンチの許可から四九時間後。俺とドールトンは自分達が出した結論を見て、結論が導く重大な問題に直面することになった。
「当艦隊がこのD星区に到着した約一八時間前に、根拠地近辺には複数の航跡が確認されました。その航跡はネプティス星系との跳躍宙点を起点としています。その三時間後。四隻程度の大型艦が根拠地を出航。アレスⅣ星系との跳躍宙点へ向かい、そこで次元航跡は途絶えました。おそらくアレスⅣ星系にパルスワープで向かったものと推測されます。以後、この星区での次元航跡は当艦隊と破壊された根拠地の破片以外、確認できません」
「……」
リンチ、エジリ、オブラック、カーチェント、そして俺が集まる第七一警備艦隊司令部(戦艦ババディガン内小会議室)で俺が言った言葉に、沈黙した四人の顔はそれぞれだった。
「これから導き出される結論は……」
「言わんでもわかっとる。こちらの情報が事前に漏れていたな」
「そんな!!」
リンチの歯ぎしりの含まれた結論に、情報参謀のカーチェントは顔を蒼白にして席から立ち上がる。
「この作戦に関しては、防衛司令部でも司令官ベレモン少将と防衛区参謀のパトラック大佐しかご存じないはずです。第七一警備艦隊でも……ここに派遣された部隊でも『スパルタニアンによる制空訓練』として集められており、作戦情報開示ですらネプティス星系を離れてからなのです!!」
「だが、現実にはネプティスから海賊に向けて通報艦が発進し、海賊は我々の到着以前に大型艦で逃げおおせた」
エジリの声ははっきり部外者と言わんばかりで、いっそ清々しいものだった。
「我々がこの星系でうろうろしている内に、海賊はアレスⅣ星系へとまんまと逃げおおせたわけだ……おそらく我々が撃破した一五隻の海賊艦はすべて無人艦、と考えるべきだろう。根拠地の爆発もすべて自動制御だ」
「俺達は海賊艦を血祭りに上げ、根拠地を粉砕して、任務は成功とイジェクオンに凱旋する……そして間をおかずに『ブラックバート』が再び活動する。俺達は体のいい笑いものになるわけだ」
リンチは思いっきり右拳で簡素な作りの机をぶったたく。派手な振動と共に、並べられたコーヒーカップがカチャカチャと擦れた音を立てる。
「司令部共め。ベレモンかパトラックか、それとも両方か知らないが、この俺をコケにしやがって!!」
「……ですが本当に星区司令部から情報が漏れたのでしょうか?」
机の振動が収まった段階で、顔だけは冷静な(頬の一部がぴくぴくしているが)オブラックが余計な口を挟む。
「たまたま偶然ということもあるでしょう。司令部が早々情報を外部に、しかも海賊に漏らすなど……」
「そ、そうです。リンチ司令。仮にも海賊討伐は星区防衛司令部の主任務の一つです。その司令部が反逆罪を犯すような事をするでしょうか」
「理由など知るか。憲兵に二人を締め上げさせれば分かるだろう」
少しだけ息を吹き返したカーチェントに、リンチは吐き捨てるように言った。コケにされた、あるいはされかけたことに腹が据えかねているのは一目瞭然だ。目からは火が出そうな感じだ。だが口から出てきた言葉は、それどころではなかった。
「第七一警備艦隊所属全艦に、惑星イジェクオンの上空制圧と宙域封鎖を命じる」
リンチの言葉に、会議室の空気は凍り付いた。無関心を装っていたエジリですら、リンチに驚愕の表情を見せている。誰もリンチに対して口を開くことが出来ない。それはそうだ。
「……それでは第七一警備艦隊が星区司令部に叛乱を企てる形になってしまいますが?」
誰も話さないので、俺はリンチに確認した。リンチは俺を一度睨んだ後で視線を逸らしてから応える。
「致し方あるまい。仮に軍法会議なっても、目的が二人の拘束ならば正当性を主張できるだろう」
「できないと、小官は考えます」
「なぜだ?」
リンチの疑問に、俺は正直応えることすら面倒に思えた。こんな事すら分からないのかと失望どころの話ではない。頭に血が上って冷静になれないのはわかる。ここにいる人間が言いふらすような胆力を持っていないと解っていても、容易に口に出すようでは処置なしだ。艦隊警務部に通報して拘束してやりたい気分は山々だが、従犯として巻き込まれるのは勘弁だから丁寧に答えるしかない。
「まず司令部の二人が情報を漏らしたかどうかが、状況証拠である点です。憲兵もそれでは二人を拘束することに躊躇するでしょう。司令部の二人が逃走する可能性を考えたが故に閣下が当艦隊を使って宙域封鎖を命じたのはわかります。ですが……」
イジェクオンの宙域を封鎖するとなれば、それは同盟の大動脈をぶった切ることになる。経済的損失は軍の保障とかいう言葉が通じるレベルではない。星区司令部に対する叛乱というレベルではなく、第七一警備部隊は同盟の公敵として討伐の対象になるだろう。これがまず一次的に正当性を主張できない一点。
第二に司令部の二人のいずれかであるにしろ彼らが海賊に情報を漏らした理由。脅迫・収賄などであれば、憲兵は容易に証拠を掴んでいる。なにしろケリムはバーラトの隣の星区。ド辺境ならともかく、憲兵の練度・規律は充分維持されているだろう。それでも掴めないということは、そういう事実はないと判断できる。
第三に理由がいずれにしろ、ケリムという重要星区の最上クラスの軍人が海賊とつながっていたという事実自体が公表するには危険であること。余波はケリムにとどまることはない。大なり小なり辺境区でも同じ事があるだろう。軍部の社会に対する威信失墜を公表することになり、それは任命責任者である統合作戦本部も望んではいない。下手したら軍上層部だけでなく政権そのものが吹っ飛ぶ。
「以上のことから、もう我々が直接行動するということは出来ないレベルであると、小官は考えます」
「……では、このまま黙って間抜けを演じろということか、ボロディン中尉」
「いいえ、やるべき事は多くあります。間抜けを演じるのも一つですが、『ブラックバート』の背景をもっと深く捜査すべきです。憲兵を頼ることなく、出来る限りの情報を収集すべきです。そうすることで……カーチェント中佐の無罪が立証されます」
「俺の無罪だと!!」
リンチには逆らえないがさすがに新米の俺には容赦しないらしい。それはそうだろう。彼自身が海賊とつながっているとは(間抜けすぎて)とても思えない。だが司令部の二人が情報を漏らしたのでないとすれば、必然的に情報が漏れたのは第七一警備艦隊から、となりその情報管理を担当するのはカーチェントだからだ。彼自身の罪ではないにしても、彼の管理が甘かったという事になるのだ。俺の隣で怒りの視線を向けるカーチェントを、俺は丁重に無視したが、代わりにエジリが咳払いの後俺を問いただした。
「……憲兵に頼ってはならない理由は、一体何故だね? 彼らの権限を持って司令部に禁足を命じることもできるだろう。無言の圧迫にもなる」
「エジリ大佐。それは『司令部の二人』が関与していた場合はそれが成り立ちますが、こと民間人……たぶん州議員クラスの人間に対しては逆の効果を持つことになります」
同盟の憲兵はあくまで軍内の警察組織だ。帝国のように地上戦部隊を使って一応は民間人である地球教徒を追っかけ回すような事は出来ない。民間人が犯人であれば、国家警察あるいは州警察が対処することになる。憲兵が民間人を脅した、となれば野党が政権に簡単に噛みついてくるだろう。
「情報を漏らした犯人は民間人だと、貴官はいうのか?」
「正確には星区司令部か第七一警備艦隊か、今回の海賊討伐作戦を事前に知り得た人間の側にいる民間人です」
「……だから直接行動は出来ない。相手の油断を誘うためにも、しばらく我々は間抜けを演じている必要がある。そういうことか」
「はい、リンチ閣下。その通りです」
あくまで第七一警備艦隊がちゃんと防諜体制を整えていることが前提だが、とまでは俺はリンチにはいわなかった。もはやケリム星区のどの戦力にも疑念は生じている。第七一警備艦隊に限らず、他の巡視艦隊も、だ。こと政治的な判断すら必要な状況下であるならば、もはや頼るべき武力はただ一つしかない。
「第一艦隊をケリムに呼び寄せるべきです。だがそれまでに犯人の目星だけは、我々第七一警備艦隊でつけなくてはなりません。例え状況証拠だけであっても」
「ふん。結局父親を頼りにするワケか。なさけないな」
斜め前に座るオブラックの厭味に俺は唇を噛み、拳を握って我慢したが、次の瞬間そのオブラックが衝撃と共に椅子から転げ落ちたのにはさすがに驚いた。
「いや、失礼」
右拳を撫でながら、正面に座るエジリが笑顔で応えた。
「最近、めっきり歳をとったせいで右肩の調子が良くなくてな。おやオブラック中佐。大丈夫かね?」
そういえばエジリは大佐だったよなと、俺はどうでもいいことをその時思い出していた。オブラックの発言が礼を失しているとはいっても鉄拳制裁はいかんと思うんだ……でも正直、俺は気分が良かったが。
後書き
2014.10.19 更新
2014.10.21 文面一部修正
第24話 初陣 その4
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
なかなか捜査が終りません。孤立無援なJrは今日もカーソルを叩き続けます。
宇宙暦七八六年一月 ケリム星域イジェクオン星系 第七一警備艦隊係留地
新年を迎えたところで、俺の気分が晴れるわけでもなんでもない。
結局D星区では粉々になった根拠地以外の海賊拠点は発見できず、第七一警備艦隊はすごすごと係留地のイジェクオン星系へと帰還する事になった。もっとも司令部以外は、あの『ブラックバート』の根拠地を撃破した事を純粋に喜んでいたし、幸いにも味方に一隻も被害がなかったことから(意図せずして)リンチへの部下の信頼はかなり高くなっていた。
ゆえに一部を除く第七一警備艦隊の将兵は、半舷休暇を使って惑星イジェクオンへと降り立ち、思い思いに新年を楽しんでいる。たった一人、戦艦ババディガンの個室で書類と複数の端末を弄り、『ブラックバート』関連の資料を集めている俺は別に僻んでいない。断じて僻んでいない。
望んでもいない事態に憂慮と怒気を漲らせていたリンチも、部下達から『さすがは名指揮官』と呼ばれれば少しばかり気が晴れたようで、星区司令部への報告の際も落ち着いていた。俗物め、と横で見ていた俺は心の中で舌を出していた。が、奥さんや娘さんと再会した時の顔が普通によき父親だったので、俺も俗物らしく微笑ましく見つめていたのだが。
俺が許せないのは二つ。一つはカーチェントが地上に戻って、以来まったく俺の手伝いをしようとしないことだ。正月早々仕事しろとは言わないが、アンタ機密漏洩罪の容疑者の自覚あるのと言ってやりたい。
もう一つは後方参謀のオブラック。エジリ大佐から右裏拳を受けて顔を腫らしての情けない帰還だったのに、地上について搭乗口を出た途端、きゃあきゃあと女の子達が寄ってきたのだ。そして女の子達に顔の腫れを心配され、その原因をエジリ大佐ではなく俺になすりつけやがった。リンチに同道して地上に降り立った俺は、早速悪役野郎に祭り上げられてしまったのだ。そこまではいい。
「ボロディン中尉は童貞な紳士だと思っていましたが、かくも暴力的な方とは思いませんでした」
そう言って、ドールトン准尉まで遠回しに俺への協力を拒否してきやがった。何かを頼もうとしても、やれ休暇だ、やれ任務だと言い訳に走っている。ドールトンの協力なくして海賊の事実を掴むことは出来なかったことには感謝しているが、ここまで変貌してしまっては、もはや協力は得られないと判断せざるをえない。というより、いま彼女の説得に時間をかけている余裕はない。
今ではただ一人、エジリ大佐だけが協力的だ。一次的な資料の収集や分析は俺でも出来るが、この星区内部の人間関係などの資料には記載されていない情報に関しては、大佐の経験と知識が頼りになる。A代議士は海賊と繋がりがあると噂されている商社から多額の献金を受けている等々……単なるうわさ話から、どこからそんな情報を手に入れてくるのかというような機密まで持ってくる。その顔も、遠征前のやる気のないものとは正反対で、一〇歳は若返ったと思えるほど生き生きしている。
エジリ大佐の覚醒はとにかく、分析だけは俺が一人でやらざるを得ない。俺自身の新年のお祝いは、叔父の家に直接メールカードを送るだけだ。グレゴリー叔父に一枚だけ。それで叔父なら分かってくれるだろう。だが情報を得てから戦力規模を算出し、出動態勢を整え、憲兵・査閲各部との調整を終えて出動するのは、基礎情報を手に入れてから大体二週間は必要だろう。その前に作戦立案と統合作戦本部および国防委員会の出動許可を得る必要があるから、まず四週間というところか。
四週間。おおよそ一ヶ月で『ブラックバート』の概要とその背後関係を洗わなければならない。しかも誰の手も借りずに、副官業務をこなしつつだ。これはなかなかハードな仕事になる。
「君はなぜ、そこまで熱心に追求できるのかね?」
一〇年来のD星区近辺における民間開発プロジェクトについての情報を持ってきた、エジリ大佐の質問に俺はやや困惑した。
「なぜ、と仰られましても……宇宙海賊は正統な経済活動を、武力を持って侵犯する犯罪集団であり、その追及・撃滅は同盟軍人としての主任務の一つであると考えますが?」
「いや、そういう根拠を聞いているんじゃない。なぜ君はこの事案をそれほどまでに追求したがるのか、という君の正直な気持ちに私は興味がある」
「そうですねぇ……」
別段この任務が俺の勤労意欲を刺激しているわけではない。元々軍人になった目的が「引きこもり平和主義」を達成するための実力と権力を持つための手段であって、人(金髪の孺子は除く)を殺したり、傷つけたりしたいが為に軍人になったわけではない。結果としてそうなるとは分かっていても。
だがいずれにしろ、どのような地位・職場であっても、職責にあっては出来る限りの努力を惜しまないというのが、士官学校以来の自分に課した目標であり義務でもある。天才でも秀才でもない、原作知識を持っているだけの普通の人間である俺ができる、それが唯一の出世できる道だ。
「努力出来るときにしないで後悔するのはちょっと性にあいませんし、早く出世したいですからね」
「ほう……出世か。なるほど」
俺の少し省いた答えに、エジリ大佐は少し溜息混じりで、なるほどなるほどと小さく頷いている。その動きはベコ人形にも似ているが、宇宙歴七八六年のこの世界にはベコ人形は残念ながらない。
「仮に君は出世してそれなりの地位を得たとして、君は一体何を望んでいるのかね?」
「『平和』です。それも期限付きの」
「『平和』、か……ふふっ若いなぁ……羨ましいくらい魂が若い」
エジリの喉奥で押しつぶしたような笑いに、俺はカーソルを叩く手を止めて、椅子ごとエジリに向き直った。それを見てエジリも少し離れた位置に丸椅子を持ってきて腰を下ろす。
「軍人として君が出世して、世界が平和になると思っているのかね」
いわゆる老軍人が若い士官を相手に世間の厳しさを教えてやろう……とでも考えているのだろうか。俺はその質問に口を開かず、視線だけでエジリを促す。それに気がついたエジリは「ふぅむ」と喉を鳴らすと、残り少ないグレーの髪を掻きながら、まぶたを細めて俺を見る。
「軍人として出世したところで、やることは“効率よく敵を殺す”仕事に従事するだけだ。例え正規艦隊司令官になろうと、統合作戦本部長になろうと。後方勤務本部長だって、人殺しの手伝いをしていることにかわりはないのだがね」
「仰るとおり軍人の仕事とは人間の罪悪である人間を殺すことです。ですから軍人の仕事がなくなるよう、あるいはごく少なくなるよう社会を作り上げる必要があります。つまり『戦争を止める』んです」
「戦争を止める? そんなことが出来るとでも?」
「出来ると思いますし、その為にどんな小さな事からでも努力していきたいのです」
この老軍人と俺との間に横たわるのは、戦略論と戦術論のすれ違いと殆ど同じだろう。老人が産まれる前から同盟と帝国は戦争してきた。その戦争状態が『経験上』今後も続くと考えている。一〇数年後に帝国の、一人の野心家によって宇宙が統一されるなど考えられるわけがないし、口に出せば夢想以外のなにものでもない。たまたま原作の知識として俺はそれを知っているだけだし、それ以外に平和で豊か(貧乏だったけど)な世界で暮らしていた記憶もある。前世の地球では多種多様な国家があり、なにより世界中で戦争しつつも、それなりに平和だったという『経験』がある。
「君が同盟軍を率いれば、帝国との戦争に勝てる自信があるのかね?」
「いいえ、ありません」
「正直だな……なのに戦争を止めることが出来ると?」
「出来ると思います。あの要塞を落とすことが出来れば」
「あの要塞……イゼルローン要塞を、落とすというのかね?」
「ええ」
俺の返答に、エジリは苦笑し……膝を叩き……その笑い声は次第に大きなものになっていく。俺はエジリの態度をあざ笑うことも怒ることも出来ない。原作でイゼルローンは七回目にしてようやくその所有者を替えることが出来た。それまでに六回。『イゼルローン回廊は屍を持って舗装されたり』と言われるくらいの犠牲者を出してきたのだ。今、何次かまではわからないがエジリの態度を見る限り、これまでにも要塞攻略は不可能だと思わせるだけの犠牲を払ってきたのだろう。
「なるほど。君は本当に愉快だな。まるで軍上層部の楽天主義そのものだ。正直エリートとはその位ではないと勤まらないということかもしれん」
「大佐殿はそうはお考えにならないのですか?」
「残念ながら私はそこまで楽天的にはなれんよ。なにしろイゼルローン回廊には二回。戦艦の砲手として、また駆逐艦の艦長として、あの要塞に接近したからな」
腕を組み笑顔を浮かべて、エジリは再びベコ人形になる。
「君は雷神の槌(トールハンマー)を知っているかね? あの恐るべき要塞砲。いや知識としては君もご存じだろうが、実際にその目でその威力を見なければ分からんよ。一瞬にして僚艦一〇〇〇隻以上が消滅する恐怖。こちらの砲撃が全く効果を挙げない要塞表面の流体金属……とても落とせるとは思えんな」
「……」
「あの要塞は難攻不落だ。近づかないに超したことはない。つまり我々には戦略的選択権がないのだよ、帝国軍は攻めてくる。我々はそれを迎え撃つ。帝国軍が止めない限り、戦争を止めることなど出来はしない。無用な犠牲を増やしたくなければ、その位は理解して欲しい処なんだがな」
そう言ってエジリは席を立つと、俺の肩を二度ばかり軽く叩いた。
「夢を見るのは悪い事じゃないが、現実を無視するのは良くないことだ。君がそれなりに真面目で、有能な人材であることは僅かな期間だけ見てきただけでも分かる。だからせめて無用な犠牲を出すような軍事指揮官にはなって貰いたくないね。そして早いうちに夢から覚めて貰いたいものだ。年老いてから夢破れた哀れな例を幾つも見てきた私の、たいしたことのない助言だがね」
部屋を出て行くエジリの姿が、扉の向こうに消えた後、俺は再び端末画面に向き直った。
現在の軍指導者も、将来の指導者も、おそらくエジリの言うようにある意味では楽天的な人間であるかもしれない。自らも戦列に加わるとはいえ、トールハンマーの前に六度も兵力を展開したのだから。だが同時にエジリが言ったとおり、イゼルローン要塞が難攻不落であることを同盟側に理解させた上で、帝国は攻撃選択権を行使している。故に彼は戦争は終わらないと考えてしまう。
あの要塞を落とすことが平和への道であるとは限らない。それはヤン=ウェンリーのいうとおりでもある。イゼルローン要塞を攻略せず帝国の侵略を防ぐ方法なら、イゼルローン回廊出口付近に要塞と機雷による封鎖網を築けばいいだけのことだ。ただし、建築中にイゼルローンから出てくる帝国艦隊の妨害がなければという前提で。だがそれすらもガイエスブルクのような移動要塞という戦術でクリアできるだろう。
問題は同盟にそれだけの技術がないことだ。防衛衛星クラスの自動要塞は作れても、ダゴン星域会戦以来の機動縦深防御戦略思想が、その分野での技術進展を遅らせている。そうダゴン星域会戦。一四〇年前のあまりに絢爛たる勝利が、同盟の軍事技術と軍事戦略を一つの方向に固定してしまったのだろう。
だが、今更それを悔やんでいるわけにはいかない。技術は時間を重ねる毎に進歩する。ガイエスブルクが移動要塞になるのも一一年以上先の話だ。いま俺がしなければならないのは将来の戦略構築ではなく、目の前の海賊集団とその後背にいるであろう密告者の捜索だ。
そういえば、エジリはヒントになるようなことを言っていたような気がする。年老いて夢破れた『哀れな』例……元軍事指揮官を思わせる戦闘・襲撃指揮、戦艦すら使い捨てできる海賊らしくない発想、根拠地に爆弾を仕掛けて鎮圧艦隊を罠にかけるような抜け目のなさ……
調べなくてはいけないことがまたまた増えたようで、俺は正直嫌になるが少なくとも見えなかった灯が見えてきたような気がする。そして再び俺はカーソルをカチカチと叩き始めるのだった。
後書き
2014.10.21 更新
第25話 初陣 その5
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
とりあえず今回と、あと一回でJrの苦い初陣は終りそうです。
宇宙暦七八六年一月 ケリム星域イジェクオン星系 第七一警備艦隊係留地
グレゴリー叔父からの返事がきた。
出来得る限りの支援を約束するが、第一艦隊自身が事前に予定されていた訓練の為、すでにロフォーテン星域へ進発している。今すぐ訓練を中止して部隊をケリム星域に向かわせるには不確定要素が多く難しい。他の艦隊あるいは独立部隊を派遣するのは可能だが、事態を承知しない部隊が星系内を引っ掻き廻してしまうよりは、しばらく時間をかけてでも捜査を進展させておいてから第一艦隊を投入した方がいいのではないか……
兵は拙速を尊ぶ。それに反する事になるが、この際はやむを得ない……たかだか一中尉の不確かな情報だけで、第一艦隊をすぐさま動員できるわけがない。しかるべき手順を踏まなければならないことはわかっていたが、なんとも歯がみする連絡だった。
協力者はエジリ大佐一人の状況で、俺はリンチの世話をしつつ、集めた情報を一つ一つ洗い出している。『ブラックバート』団として名が知られる以前に、海賊達はどのような行動をしたか。以降、どのように戦力を増強していったか。他の海賊達のデータを排除し、純粋に『ブラックバート』団のみと考えると、見えてくる筋がある。
その名前が知られる以前の彼らは、建築資材・機材を目標として略奪に励んでいた。名前が知られてからは、食料品も狙い始める。だが名前が知られていると言っても、中央には響かない程度に……
ちなみに略奪した商品から考えられる『常時扶養可能な』人間の数はおよそ二万人。艦艇数で行けば二〇〇隻近い。だがケリム星域内で認識されている海賊全てを集めても、それだけの数にはならない。海賊が略奪品を転売すると決めつけるから、我々は惑わされる。転売する為ではなく、消費する為、あるいは生きていく為にそれらが必要だから略奪したのだろう。
俺以前にもその結論に達した人間はいたらしい。人口二万人で小惑星上に建設可能な人工居住区となるとそうとう目立つ。なおその前任者は一〇年前に星区内の全星系における比較的大型の小惑星を徹底的に調べ上げたそうだが、権限不足から調査に割ける艦艇が少なく、D星区にあった根拠地も見落としたようだ。ちなみにその人物は半年足らずで別の任地に赴いている。名前はフレデリック=ドーソン中尉……どこかで聞いたような名だが、聞かなかった事にしたい。
「!!」
空になった烏龍茶のペットボトルを俺は全力でダストシュートに叩きこんだ。原作で神経質で小役人タイプと言われるくらいなら、頼むからもっと深く細かく調査してくれ!! 俺と同じ中尉という事は、経歴も同じように士官学校を出てまだ日も浅いという事だろうから精一杯背伸びして精一杯迷惑をかけたに違いないんだろう。推測するにその性格が徒となって、担当する軍艦乗り達をうんざりさせた挙句、お返しとばかりに手抜き調査をされたとしか思えない。それに加えて誰も協力してくれる奴がいなかっただろう。
「……もっともエジリ大佐以外、誰も協力してくれないのは俺も同じか」
と、いうことは今後の人生もこうなのか、何か俺が悪いことでもしたのだろうかと、俺は不安を感じざるを得ない。しかしドーソンは僅か半年で任地を移動するか……余程周囲と溶け込めなかったのか、それとも更迭されるほど無能だった……ワケがない。
「フレデリック=ドーソンの履歴書……はさすがに任地選任者以外の部外閲覧禁止か。ただその後に大尉昇進して、異動先は宇宙艦隊司令部参謀本部付作戦四課課員、ね」
半年の任期で一階級昇進するというのは、余程の功績を挙げたことに他ならない。もちろんドーソンがこのケリムに赴任する前に既に充分な功績を挙げていて、たまたま半年後に昇進したという可能性も否定できない。異動先が宇宙艦隊司令部なのも偶然かもしれない。
しかし誰かの推挙があれば、人事もそれまでの功績やその人の能力を鑑みて、昇進のタイミングを前にずらしたりすることはある。その代わり、次の昇進のタイミングは間違いなく遅くなることで釣り合いをとっているのだが、もしかしてドーソンの昇進には『誰か』の推挙……それも海賊と繋がりのある人間で、政治権力を持っている者がいたのか。
政治権力を持った者。軍内部人事にも口がきける大物。ケリム星域でそれだけの実力者となると、ケリム星域全体の地方自治権を持つケリム共和政府の首相か、行政担当参事官、あるいは州議会議長や各有人星系の主席行政担当官。『ブラックバート』が名乗りを上げる前から相応の地位にある者は……いない。首相や州議会議長は選挙で選ばれるし、参事官は首相のブレーンから選ばれることが多い。主席行政官は基本的に官僚だが、行政官クラスまで昇進すると、一ヶ所に長期間赴任することは出来なくなる。赴任先の有人星系との繋がりが深くなり、癒着が産まれる懸念があるからだ。
これはやはり星域司令部かあるいは第七一警備艦隊司令部の周辺を疑うべきか。しかし、リンチもカーチェントもオブラックもまだ三八歳だ。一〇年前といえば二八歳。その歳では『ブラックバート』と関係を持つことは出来ないし、ケリムに赴任してまだ日も浅い。周辺にスパイがいるか、の確認は必要だろう。……そこまで来ると、俺の労力では調査しきれない。憲兵に協力を求めるのが筋だが、エジリ大佐に答えたように民間人への聴取権限は令状と警察の同行が必要になり、その隙に海賊の協力者は逃げてしまうだろう。ここはエジリ大佐に頼むしかないか……エジリ大佐?
後数年で退役する老軍人。イゼルローン攻略戦に二回立ち、雷神の槌を二度目撃し生還した勇者。幕僚経験がないばかりに、地方艦隊を巡りここケリムで大佐に昇進。そして将官への昇進は絶たれている。星区内の人間関係に精通していて(つまり人脈が広い可能性が高い)、作戦行動などの機密にすらアクセスする権利がある。いつもは覇気もなく、艦隊の首席参謀としての日常業務を淡々とこなすだけなのに、この調査に対しては非常に協力的だ。
第一艦隊を動員しようと言ったとき、オブラックが俺をあざ笑ったのを拳で制裁したのは、俺が信頼を寄せるようにする為の劇ではないか? 彼の持ってくる情報を、俺は選別こそしているが最初から否定したことはない。つまりとっておきの情報とやらに毒を混ぜることも数を増やすことも出来る。
頼りないかもしれない。だが原作に出てこないからと俺が先入観で彼を軽蔑しているのは間違いだし、彼は士官学校の成績はどうあれ情報の専門家だ。俺はすぐに地上にいる彼と連絡を取り、地上へと急ぐ。半分居眠りしていたシャトルのパイロットに、後でウィスキーを贈ると約束して臨時宇宙港まで降りてもらい、無人タクシーに乗り込む。彼の家は任務の都合上、宇宙港からはそう遠くない場所にある。
「こんな時間に失礼だと思わないのか、中尉」
玄関に出てきたカーチェント中佐は、ボサボサ頭を掻きながらパジャマ姿で(誰かに似ているが、彼とは違ってカーチェントには奥さんがいる)俺を睨み付けた。だが、もう俺は怯むわけにも、今までの非協力に怒るわけにもいかない。俺は精一杯の謝罪をして、カーチェントに頭を下げた。
「小官の力だけでは『例の問題』を解決できません。是非とも中佐のお力をお貸し願いたいのです」
「……まぁ、とりあえず入りたまえ。ここは寒いんだ」
暖房はとっくに切れている寒いリビングで、俺は手みやげに持ってきたウィスキーのミニボトルをカーチェントに差し出すと、「情報将校に物を贈るなんて、君は本当に首席か?」と呆れられた。呆れつつも、暖房のスイッチを入れてから、いそいそとミネラルウォーターを出すところはらしいと言えばらしいのか。
「……ま、遅かれ早かれ中尉が僕の処に来るのは分かっていたんだが」
水割りを傾けつつ、カーチェントはパジャマ姿でソファに深く腰を落としてあっさりと言った。
「エジリ大佐のことを聞きに来るんじゃないかと思っていたんだけど、違うかな?」
「……そうです。申し訳ありません」
完全に俺の目的も思考もカーチェントには見抜かれていた。呆然となるよりも先に、俺の口からは謝罪の言葉が出てくる。
「いや。こっちも悪いと言えば悪い。士官学校を出て二年目の若造が、ケリムに派遣されてきたことで、余計な事を考えていたんだ」
「余計な事、ですか?」
「グリーンヒル少将のお声掛かりで、首席卒とはいえいきなり艦隊司令官付副官へ着任だ。少将は情報部にも在籍されていたから、何らかの繋ぎを僕に入れてくれると思ったんだが……着任三ヶ月、いっこうになくてね。正直、こちらがタイミングを逸してしまったかと」
「は、は、は……」
「あれほど無能ぶっていたのに、なんにもアクションがないから逆にこっちが戸惑った。かといって迂闊にこちらから話しかけるわけにもいかないし。でも考えてみれば当たり前だ。君は艦隊指揮官候補として送り込まれたワケで、情報将校として送り込まれたワケじゃない」
「……はぁ」
「リンチ准将の目をくぐりながら、『ブラックバート』の情報を集める演技に、君も騙されてくれたことでこちらも準備はどうにか出来ている。エジリは君の行動に油断して余計な策を企てているし、第一艦隊の到着が遅くなることもエジリは察したことだろう」
俺は「あ」と思わず口に出して立ち上がった。
「じゃあ、第一艦隊はもう……」
「この新年三日ですでに事態を把握して、移動を開始している。リオ=ヴェルデ星域で反転し、既にバーラト星域外縁部に戻っているだろう。今回の作戦で『ブラックバート』の全組織を壊滅させるのは不可能かもしれないが、ケリム星域における活動は壊滅寸前まで持って行けるだろう」
「世間知らず、物知らずは小官の方だったというわけですね」
「悲観することはないさ。君のD星区における艦隊幕僚としての行動は、僕の目から見ても満点以上だ。あの根拠地に『置き土産』を仕組んでいることは想像がついていたけど、ああいう方法で犠牲者なく解決出来るとは思っていなかった。その上、君は情報参謀の力を借りずに、情報漏洩の事実を突き止めた。あれは僕にとっても冷や汗ものだったよ。エジリに感づかれたかと思った」
再び椅子に腰を下ろした時、もう俺は何も言うことが出来なかった。全てはカーチェント中佐の、そして同盟軍情報部と第一艦隊の掌の上で、必死に踊っていただけに過ぎなかったのだ。リンチもエジリも、そしてこの俺も。苦い教訓と言うよりも、己の卑小さ、尊大さを痛感せざるを得ない。原作知識があることで、普通の男の俺は人より若干遠くが見えていると思いこみ、相手を見下し、その全てを理解していると信じていた。
俺は前世で三〇年ほど生きてきて、一体何を学んできたのか。小説の世界に転生して、予言者のように振る舞い、順調すぎる人生を送ってきたことで自ずと尊大になり、うぬぼれ、人を登場人物としか認識できなかったのだ。悔しいというより自分に呆れて物が言えない。穴を掘って埋まっていたい。
「えらそうに言わせてもらえば、若いうちに世間が広いことを理解しておくことは、良いことだと思うけどね。じゃあ明日もがんばってくれたまえ。ボロディン中尉殿」
カーチェントの激励と宣告は、俺の心に重く重くのし掛かったのだった。
後書き
2014.10.22 更新
第26話 初陣 その6
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
これでようやくJrの初陣が終りました。そして次の戦場も……
宇宙暦七八六年一月下旬 ケリム星域イジェクオン星系 第七一警備艦隊係留地
カーチェント中佐との会話から一週間後。ケリム星域に向けてバーラト方面から第一艦隊一万三五五七隻が、ジャムシード方面から三個巡視艦隊一八四四隻が、それぞれ侵入を果たす。第一艦隊は両星域の境界宙域で分艦隊および戦隊単位(一六個)に分かれると、おそらくは事前に調査していた有人・無人星系を捜索・掃討していく。主力となる旗艦分艦隊はイジェクオン星系に、そしてグレゴリー叔父が率いる第一分艦隊は一路ケリム星域でもかなり辺境に位置する有人星系アグルシャプへと向かっている。
同盟政府からケリム共和政府首相のみに伝達されたこれら一連の軍事行動に、統合作戦本部から何も聞かされていなかったケリム防衛区司令部も、当然我々第七一警備艦隊も何ら対処することが出来なかった。ただし、防衛区司令部管轄下の憲兵隊のみが秩序だって行動した。
『ボロディン中尉、“明日”はよろしく』
カーチェント中佐から侵攻前夜に因果を含んだ短い通信を受けていた俺は、当日もそれまでと変わることなくリンチの副官業務に従事し、夕刻からエジリ大佐と共に海賊調査を行っている。海賊の襲撃行動パターンについてエジリ大佐と討論している二〇〇〇時。通告もなしに俺とエジリ大佐のいる部屋の扉が『外から』開かれた。ついで慌ただしく部屋に入ってくる複数の人影。先頭に立つ中佐の階級章をつけた憲兵を除いて、他の全員が防護ヘルメットと赤い腕章をした武装憲兵達であり、その銃口のいずれもが俺とエジリ大佐に突きつけられている。俺もエジリ大佐も椅子から立ち上がって手を挙げるしかなかった。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい!!」
見覚えがないのでハイネセンの憲兵本部から直接派遣されてきたであろう憲兵中佐の後から、『慌てた表情』のカーチェント中佐がそれに続いて入ってくる。
「一体どういう事ですか!! エジリ大佐とボロディン中尉が何をしたと!? 正当な罪状なく拘束するおつもりですか!!」
「我々憲兵隊は本部命令によって行動している。干渉は不要に願いたい」
憲兵中佐はカーチェント中佐を一顧だにせず、俺とエジリ大佐を細い目で見つめて中佐に答える。
「エジリ大佐およびボロディン中尉。貴官等を同盟軍基本法における機密保護条項および収賄に関する軍事犯罪条項に基づいて拘束する」
「出頭命令ではなく、拘束するのであれば当然令状を持っているであろうな」
そう応えるエジリ大佐の態度は、俺の目から見ても海賊と通じている人間には思えないほど堂々としていた。それに対し憲兵中佐も無表情でジャケットから紙を取り出し、刑事ドラマさながらに令状をエジリ大佐の前で開く。それを手に取ることなく、エジリ大佐は大きく溜息をついてから俺を見て、そしてカーチェント中佐を見て、再び溜息をつく。
「ボロディン中尉は一切関与していない。拘束するならば私一人で充分ではないか?」
「命令です。異存がおありなら、軍法会議の場で」
憲兵中佐は冷徹にエジリ大佐に応じると、武装憲兵を顎で指示し俺と大佐の両腕を後に廻し、手錠をかける。
え、手錠? ナンデ? ナンデオレマデ、テジョウナンデ?
一瞬カーチェント中佐が俺に目配せをしたのは間違いない。だが現実は俺の両脇には武装憲兵がいて、しょっ引かれている。すれ違う戦艦ババディガンの乗組員が驚愕の目で引っ立てられる俺達を見ている。シャトルの発着所で、ラブロック中佐とドールトン准尉の姿を見たような気がするが確認はできない。不思議なのは俺と俺を拘束する憲兵四名は、エジリ大佐や憲兵中佐の乗るシャトルとは別のシャトルになったことだ。
シャトルに乗り込んですぐ俺は手錠を外された。手錠を外した武装憲兵に視線だけで「良いのか?」と確認すると、軍曹の彼は無言で手錠をポケットにしまい込み、シートを指し示してから敬礼してシャトルの先頭方向へと行ってしまった。手持ち無沙汰で俺がシャトルのシートの間に立っていると、武装憲兵が去っていった方向から一人の軍人が歩いてきた。准将の階級章をつけている四〇代前半の男だった。
「災難だったな、ボロディン中尉」
敬礼が交わされた後、収まりの悪い明るいブラウンの髪を持つ准将は笑顔で俺の前のシートに座ると、俺にその隣に座るよう指し示した。俺がその横に座ると、身体を傾けて左手を差し出してくる。
「君には嫌な思いをさせたが、こうでもしないと事の真相を話せそうにないと思ったからな。小官はテリー=ブロンズ。統合作戦本部情報部で第九課課長をしている。カーチェントの上司だと思ってくれればいい」
「は、はぁ」
気軽に手を差し出してくる原作登場人物に、俺は手惑いつつもその手を取る。ブロンズ准将の手は情報将校にしてはガッチリとしていた。しばらくするとシャトル発進のアナウンスが流れたので、俺もブロンズも黙ってシートベルトを掛ける。シャトルが振動と共に戦艦ババディガンのハッチから微加速で射出されて数分後、窓の遮光カバーが外された。ブロンズ越しに戦艦ババディガンの船体がゆっくりと傾いていく姿が見えてくる。
「さてどこから話そうかな」
准将とは思えない気さくさでブロンズは顎を撫でながら、シートを傾けて天井を見ながら言った。
「まずは『ブラックバート』団の正体だな。彼らは中途退役した同盟軍将兵で、エジリと同様専科学校から這い上がった古強者だ。指揮官はロバート=バーソンズ。最終階級は准将」
彼、バーソンズ准将は少数艦艇による特殊戦……すなわち敵地におけるゲリラ戦の専門家で、ティアマト、ヴァンフリート・アルレスハイムといった星域で、敵補給線の寸断や情報収集を任務とし、その方面で充分な功績を挙げていた。
ただ将官への昇進で、もはや悪弊と言っても過言ではない士官学校生優位の不文律により、准将に昇進した時にはもう次の昇進は不可能な位の年齢だった。結果、准将で退役した時、彼自身不満を抱えていたようだが、海賊集団の親玉になるほどではなかったらしい。
鬱屈とした日々の中で、彼を海賊の親玉に走らせたのが、退役兵、とりわけ捕虜になったり、重度の障害を負って退役せざるを得なかった者達の、悲惨な境遇を目にしたからだ。帰還捕虜は厳しい帝国内矯正区での生活で荒んでいたし、障害者は擬似生体の購入や精神病院への通院等で貧困にあえいでいた。
彼は直ちに故郷のケリム行政府に退役者の待遇改善を訴えたが、財政難で行政府は応えられなかった。さらに同盟政府にも訴えたが……行政府どころではない深刻な財政問題で苦しむ政府は首を縦に振ることが出来ない。彼は考えられる限りの事を試みた。財団の設立や各企業への支援要請、最後には政治家への立候補など。だが退役兵はただでさえ年金をもらっているのに、さらに支援しろというのは虫が良いと企業には断られ、当選もできなかった。
結果として彼は手段を暴力的なものへと変化させていった。実戦で鍛えられたゲリラ戦の指揮能力を存分に生かし、標的艦として廃棄処分予定だった艦船の一部を奪い、財団設立の際に得た繋がりで同志を集めて、商船への攻撃を開始する。
その一方で、得た財貨でケリム星域の最辺境アグルシャプ星系に土地を少しずつ購入し、そこに重度障害者や戦闘行為には参加しない退役兵をやはり少しずつ集め出した。現地行政府の役人もうすうす気がついてはいたが、事実上黙認していた。むしろケリム行政政府に感づかれないようと手助けすらしていた。ケリム行政府にしても投入される税金の方が税収より遙かに大きい辺境星系の事など気にも留めなかった。なにしろケリム行政議会に議員を送り込めるほどの人口がなかったからだ。
「あとは君の推察通りだろう。エジリ大佐のような軍内のシンパを通じて、機密を入手し船団勢力を維持していけばいい」
「……エジリ大佐はどうやって『ブラックバート』との連絡を取っていたのでしょうか。第七一警備艦隊はネプティスを出航後、完全無線封止を実施していました。艦艇間の光パルス以外、一切の通信が出来ませんが」
「その時点で本人が連絡を取る必要はない。事前に動きがあることを伝えておけば、後は戦艦ババディガンがネプティスに入港する、それを知るだけで海賊に警報が出る」
ブロンズは含み笑いを浮かべて俺に応えた。
「軍の退役者には多くの技術者がいる。艦隊の乗組員が多い以上、艦船運用関連技術者は当然多い。彼らのうちまだ若く健全で充分に働ける者の過半が宇宙港などに再就職している。管制・整備・補給・航路掃宙など隠れようと思えば何処でもいい。ただこういった公共業務は年齢による制限がある。だから下請け企業などに潜り込んでいる。一番疑いが濃いのは航路掃宙業者だな。業務は危険で手当も少なく、独自に船を運用できる」
ゲリラ戦に精通している指揮官ゆえに、正規軍や捜査機関の弱点もよく心得ている。その上財団設立の際の苦難から、行政府や企業の盲点も心得ている。
「だから君のように妙なところで切れて、地元や軍内部とのしがらみが薄い若い副官の存在は、彼らにとって悪夢に近かっただろうな。情報分析科や艦船運用科のような専門分野ではなく『戦略研究科』という何処に特性があるか分からない、どの分野にもまんべんなく優秀な人材というのは」
「自分はそんな優秀な人間では……」
「やる気のないエジリ大佐が君に近づいたのも、それが理由だし、証明だ」
「……」
「いま士官学校で教官をしているフィリップ=ドーソンという大佐がいる。そいつも君同様、中尉昇進後すぐにケリム防衛区に配属された。やはり君のように『ブラックバート』の動きを察知して、いろいろと調査した。なかなか読み応えのある調査書だったが、運悪くアグルシャプ星系の行政官の目にとまってしまった」
そしてその行政官は、あらゆる政治権力を使ってドーソンをケリムから遠ざけた。しかも昇進させてまで。
「君も事件発覚がなくあと一ヶ月この地にいたら、大尉昇進は間違いなかったな。惜しいことをした」
腕を組んで腹を押さえながら笑うブロンズだったが、俺はとても笑えなかった。俺がエジリ大佐に出世も目標の内だと言ったこと。彼はそれを聞いてどんな気持ちだっただろうか。
「今回の摘発劇で、どれだけの人が処分されるんでしょうか?」
俺の問いに、ブロンズは笑い声を止めて、俺の顔を一度見た後、腕を組んだままシャトルの天井を見上げた。数分の沈黙の後で、ブロンズは先ほどとは打って変わった重い声でゆっくりと応える。
「君の叔父さんがロバート=バーソンズを捕らえられるか、どうかだな。捕らえられたら死刑になる人間は一人で済む。事件もある程度まで公表され、同盟政府もケリム行政府も支持率を気にして、寛大な処置をするだろう。だが捕らえられなかった場合は、エジリ大佐をはじめとして、かなりの人間の首にロープが掛かる、かもしれない」
「……事件を公表できないから、ですか」
「それもあるが『義賊』などという存在を、同盟政府は認めない。自らの不作為を証明する保身からだけでない。暴力による同盟政府への反逆を認めることになるからだ」
ブロンズの顔は渋い。
「今回の問題は政府の統治権に対する挑戦だ。政府としても全面的に引くわけにはいかないし、軍部も首謀者が元軍人であり、廃品とはいえ戦艦を奪われたという失態もある。良くも悪くも彼一人の組織といってもいい『ブラックバート』を潰したという結果が求められているんだ」
ゲリラ戦に識見のある相手が逃走している以上、例え第一艦隊や独立巡視艦隊を動員したとしても、捕縛することはかなり難しいだろう。動かない星系内根拠地に関しては徹底的に洗い出されるだろうが、ロバート=バーソンズ一人を逃せば、また別の場所で彼は同じ事をする。むしろもっと過激になるかもしれない。
「だから私としては彼が自首してくれることを望んでいる。軍部も情状酌量を政府に依願することも出来る。そうなれば最小の犠牲で結末をむかえられるからな」
ブロンズのそんな独白に、僅かな政府に対する批判の粒子が含まれていることは、俺にも理解できた。だが彼が幾ら政府に批判的だからといって、弱者救済を否定するクーデターになぜ参加したのかまでは、俺には察する事は出来なかった。
そうしてブロンズ准将とのシャトル内の会話を終えた俺は、地上に到着すると今度は手錠なしでシャトルから降り、ケリム星区憲兵本部へと向かうことになる。ブロンズ准将はそれには同行しない。ブロンズ准将の姿が万が一ケリム星区憲兵本部で目撃されては、カーチェント中佐やおそらく別の巡視艦隊に潜んでいる情報将校の活動に問題が出るからだろう。シャトルはブロンズ准将を乗せたまま、再び射出場へと移動していった。
それから三日。俺は憲兵本部で寝泊まりする事になる。幸いにして留置所ではなかったが、二日連続会議室で憲兵の調査官と取り調べに近い意見交換をしたときは、さすがに胃が痛くなった。エジリ大佐とは結局会えずじまいで、解放された俺を迎えに来てくれたのは、リンチ一人だった。
「結果として俺がエジリを見誤っていたし、見抜くことは出来なかった。指揮官としては失格だな」
無人タクシーの中で、リンチは呟くように俺に言った。
「それに海賊の調査の為、エジリが貴官に協力……まぁ監視か誘導かは分からないが、近づけたことで貴官にも迷惑を掛けた。済まなかった」
「いえ、これはもうどうしようもありません」
リンチがもう少し柔軟であったとしても、神なき身である以上、エジリ大佐の行動を察知できるとは思えない。むしろカーチェント中佐を変なふうに巻き込むことになり、話は余計ややこしく、解決までに相当な時間がかかっていた可能性もある。
「……第七一警備艦隊司令部は解散することになると宇宙艦隊司令部から内々で連絡があった。戦艦ババディガンや他の艦長クラスにも禁足が命じられた。今回の事件に一定の目処がつき次第、多くの者が別の任地に赴くことになるだろう」
「そうですか……残念です」
「丁度二月で人事異動の時期には重なるが、八月までには新司令部を発足させたいとの事だ。つまりそれまでに部隊の引き継ぎや、残務・資料整理を行えということだろう。結局、貴官とは一度しか作戦行動を共に出来ず、資料整理ばかりやらせることになってしまったな」
別に資料整理は嫌いじゃないんだが、そういってくれるということは、それなりにリンチも俺のことを気にしてくれているということなのだと思う。
「また明日から仕事を頼む。その前に今夜はウチに寄ってくれ。妻と娘が貴官の為に結構な量のジャンバラヤを作って待っている。貴官に来てもらわないと、全部俺が処分する事になるから、悪いが手伝ってくれると助かる」
気恥ずかしそうに言うリンチに俺は承知しましたと応えざるを得なかった。
結果として俺はそれから半年間、第七一警備艦隊に所属し、残務処理を行った。第七一警備艦隊や他の巡視艦隊が惑星イジェクオン上空で軌道係留されている間は、星域警備を第一艦隊第二分艦隊が担当した。俺がグレゴリー叔父の養子と知っている分艦隊司令官からは何度も呼び出しを受けるはめになる。
リンチは俺より一ヶ月早く、別の任地へ赴くことになった。行き先はトリプラ星域方面所属の偵察戦隊司令官。今と殆ど同じ業務だが、有人星域ではあってもケリムとは比較にならない辺境地域だ。階級が降格ではないから、昇進見送りということだろう。第七一警備艦隊からも一〇〇隻前後がこれに同行することになる。
カーチェント中佐はリンチと入れ替わりに来た准将の幕僚にそのままスライドした。一応俺の残務処理も手伝ってくれるが、事実上の首席幕僚扱いとなり俺がケリムを離れた後で、大佐に昇進したとのこと。
オブラック中佐は事件発覚後、一ヶ月も経たずに第五四補給基地参事官として司令部を離れた。同盟には八四ヶ所の補給基地があるが、そのなかでもこの基地は事実上の無人星域(民間経済活動が皆無)で辺境警備の独立戦隊と補給船以外は滅多に訪れないシャンダルーア星域内にある。降格はしなかったが、事実上の左遷に等しい。
エジリ大佐の裁判は始まった。証拠の少なさから最初は起訴すらできるかどうかと言ったところだったが、第一艦隊と憲兵隊、国家警察の共同捜査で、次々と『ブラックバート』関係者が拘束されていくにつれ、今度は自分が主犯であると逆に主張し始めた。主犯がロバート=バーソンズだと分かっている検察側と、政府と戦って名を上げたい弁護側との駆け引きが続いている。ちなみに軍法会議の方は既に第1級通謀罪が確定している。なおその線から『ブラックバート』の海賊船は三〇隻近くいたことが判明し、グレゴリー叔父がその大半を撃沈ないし捕縛したものの、肝心のロバート=バーソンズは網にはかからず、未だ逃亡を続けている。
ドールトン准尉はオブラック中佐の左遷にショックを受けていたようだが、四月に第三幹部候補生養成学校から推薦入学許可書が届いたことで、学校のあるジャムシード星域へと移っていった。推薦書を出したのはリンチと俺だ。後で非協力的になったとはいえ、最初は戦艦の航法予備士官業務をこなしながら手伝ってくれたわけで、その功績には報いる必要がある、と考えたからだ。我ながらいささか人が良すぎるとは思ったが、リンチが強く賛成してくれたことで、どうにかなった。
そして俺は宇宙歴七八六年七月一七日、後継の副官に業務を引き継ぎ、ケリム星域を離れバーラト星系に戻る準備をするよう人事部より命令を受けた。一週間後、端末通信ではなく、軍事郵便でご丁寧に『軍機』のスタンプが押された手紙をカーチェント中佐から直接手渡され、指紋照合で封を切って中身を読んで、俺は溜息をついた。
「ヴィクトール=ボロディン中尉を大尉に昇進のうえ、フェザーン駐在弁務官事務所づき武官に任命する。宇宙歴七八六年九月一〇日までに現地に着任せよ」
断ってください、こんな命令!! なんて言う相手がいるわけもなく、俺はいそいそとハイネセンへ、そしてフェザーンへ向かう準備を進めるのだった。
後書き
2014.10.22 更新
第27話 雨宿り その1
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
一年ぶりにハイネセンに帰還して家庭問題に悩むJrです。
たぶん、タイトルは近いうちに変更するかも
宇宙歴七八六年8月 バーラト星系 ハイネセンポリス
士官学校を卒業して二度目の八月。俺は一年ぶりにハイネセンの地を踏んだ。
だが次の任地はフェザーンだ。まず統合作戦本部人事部に顔を出さなくてはならない。原作のユリアン同様、フェザーン駐在武官の任免は人事部長の直接管掌するところであるから、人事部長のアポイントを取らなくてはならない。中尉昇進の時のように小さな分室で課長(中佐)より辞令を渡されるのではなく、中将の執務室で直接手渡されるのだ。昇進業務が中心の課長ではなく、他に業務のある部長のアポイントは非常に取りにくい。なんで赴任側が命令側のアポとらなきゃいけないのか、いまいち分からないがそれが規則なら仕方ない。
ハイネセンからフェザーンまでの旅程は約五〇〇〇光年。旅客船で三六日、貨物船で四〇日、軍の高速巡航艦でも三〇日はかかる。当然の事ながら駐在武官の運送しかも大尉ごときに、高速巡航艦が用意されることはないので、必然と旅客船を使う羽目になる。必要経費で支払われるとはいえ、これまた旅費が高い。貨客船であればまだ若干安いんだが、これほど長距離になると大型貨物船の余剰船室でもそれなりに値が張るし不定期だ。
一番安く行く方法は軍の定期便(基地間定期連絡船)を乗り継いで行く方法だが、ジャムシード星域まではまだ何とかなっても、その先のランテマリオ・ポレヴィトといった星域への便となると非常に少ない。さらにポレヴィト-フェザーン間は特別な許可がない限り、軍用船舶の侵入は許されていない……誰が決めたか知らないが。
つまりフェザーン行きの旅客船のダイヤを見つつ、ある程度の余裕を見てハイネセンを旅立たなければならない。と、なると当然ハイネセンでの滞在時間は短くなるわけだ。
「アントニナ。お前、学校はどうしたんだ?」
荷物といえば将校用の鞄ひとつな俺が、ハイネセン第三宇宙港(軍民共用)に到着した時、到着ロビーの噴水前から、さも当然とばかりに手を振るアントニナの姿を見て、俺としては心配を隠せない。グレゴリー叔父もレーナ叔母さんも、学校をサボって向かえに来ることを許すとは思えないのだが……
「お母さんが迎えに行きなさいって。ジュニアスクールの試験も終わったし、選択授業は別にいつでも受けられるから学業は問題なし」
「……まぁ、それならいいが」
一年前に同じ宇宙港の搭乗ゲート越しに見た姿よりも五センチ以上は大きくなっているアントニナを見て俺は溜息をついた。既に一六〇センチはあるだろうか。相変わらずの薄着で、胸は身長ほど発育していないようだが、腕もホットパンツから伸びる腿にもうっすらと筋肉がついているから、一見した限りではもう一二歳には思えない。
「兄ちゃん、どこ見てるのかな? フレデリカみたいに叫んで蹴りを入れてもいいんだよ?」
悪戯っぽい表情にも少しだけ妖しいものが含まれているのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。だからあえて俺は話題を転換した。
「そのフレデリカちゃんとはそれからどうなんだ? 仲良くしているか?」
「『フレデリカちゃん』? 兄ちゃん、フレデリカとそんなに仲良かったっけ?」
俺の鞄を肩に掛けたまま、その鞄越しにアントニナは俺を流し目で睨んでくる。怖い。かなり怖い。
「……いや、グリーンヒル閣下のこともあるから」
「前回の中間テストでフレデリカ、僕の一つ上の順位だった。だから今いちばん仲が悪い」
「で、アントニナ。お前の順位は?」
「二位なんだよ!! も~!!」
俺の鞄ごと両腕を上げて叫ぶ姿に、到着口のあらゆる方向からアントニナへと視線が集中する。どう見ても若い軍人が、年端もいかない(といってもティーンエイジャー)少女に荷物を持たせて怒らせている……空港に司法警察風紀班がいるとは思えないが、肩身が狭いどころではない。俺は鞄をアントニナから取り戻すと、あえて大嫌いな無人タクシーへと早々に乗り込んだ。
「そういえばお父さんが言ってたけど、ヴィク兄ちゃんケリムで功績を挙げたんだって?」
当然のように俺の隣に座ったアントニナは、顔を近づけると俺にそう問うた。肩口で切り揃えられていた金髪は一年で少し伸び、タクシー内の空調によって僅かに掛けられたコロンか何かの匂いが、俺の鼻孔を微妙に刺激する。いかん、いかん。
「あぁ……たいしたしたものじゃないけどな」
実際そうなので、俺がアントニナと反対側で頬杖をつくと、アントニナは腕を頭の後ろで組んで身体をシートに押しつけた。
「じゃあ……しばらくはハイネセンで勤務になるの?」
「いや、ちょっと遠くに行く。フェザーンだ」
「フェザーン!! ナンデ!!」
助手席シートから立ち上がって、盛大に無人タクシーの円い天井に頭をぶつけ、アントニナが直頭部を抱えてシートに蹲った。その動きに俺は苦笑を隠せない。本当にこれでフライングボールの選手なのか。
「任務なんだよ。帝国軍との戦場じゃないだけ、まだマシってもんだ」
そういうと、俺はいつものようにアントニナの頭の上に左手を置いて掻きむしってやる。
ハイネセンへの旅中、人事部公報として端末に届いた同窓名簿を見た。七八四年卒業(七八〇年生)四五三六名のうち、一四名の名前が赤字に変わっていた。病死した一名をのぞいて半数以上が辺境巡視艦隊に配備されて帝国軍との戦闘での名誉の戦死、残りの半数が地上戦による戦死と事故死で分けられている。中尉になってこれからという時に無慈悲な砲火で散華した同期達に、俺は船室で一人冥福を祈ることしかできなかった。それに比べて俺はなんと恵まれていることか。戦場とはいっても一方的な海賊との戦闘。それも一度きり。そして次の任地はフェザーン。戦いはある。敵もいる。だが砲火はない。
「せっかく帰ってきたのに、僕さびしいよ」
「そう言ってくれる家族がいる俺は恵まれているな。なにしろ我が家には美人が揃っている」
俺の言葉に、アントニナはプライスレスな笑顔で応えてくれたのだった。
家で待っていてくれたのは、やはりレーナ叔母さんとラリサだった。例によってイロナはグリーンヒル宅へ行ってまだもどってきていないらしい。これはもう完全に避けられていると考えていいだろう。六歳になったラリサは、今度は帝国公用語にも興味を持ち始めたらしく、俺が手を挙げると『Ja, willkommen!!』と敬礼して応えてくれた……今夜は帝国公用語の集中砲火を浴びることになると察して、俺の顔は引き攣った。
「せっかく帰ってきたというのに、グレゴリーが訓練で出動なんて……ついてないわ」
夕飯を終えて、台所で一緒に後片付けをしていると、レーナ叔母さんは溜息混じりに呟いた。
「ケリムではお手柄だったと、グレゴリーは言っていたわよ。でも次はフェザーンなんて……」
「仕方ありません。命令に従うのが軍人ですから」
ボルシチの入っていた椀を洗いつつ、俺はそう応えるしかない。ケリムでは完全にすれ違いだった。意識してグレゴリー叔父もイジェクオン星系に寄ろうとはしなかったようだ。わざわざ不便なネプティス星系に艦隊を停泊させていたのだから……
「大尉に昇進することになりました。お祝いはフェザーンから帰ってきてからでもいいですよ」
「そうね。フェザーンは戦場じゃないんだから、大丈夫よね」
レーナ叔母さんの顔は笑いと悲しみの中間といって良かった。心配してくれる家族の存在。俺には本当にもったいないのかもしれない。
「……イロナは大丈夫よ。別に貴方に含むところがあるワケじゃないの」
洗い物が一段落し、三姉妹が眠りの園へと撤退していった後、リビングで叔母さんはそう俺に言った。
「アントニナとラリサを強く意識しすぎているのよ。アントニナは貴方に遠慮なく近づくし、ラリサはこういうと親馬鹿かもしれないけれど本当に頭がいいの。わかるでしょ?」
目の前に並ぶウォッカの影響ではなく、俺もレーナ叔母さんの意見と全く同じだった。
「イロナは努力家で、何事にも真面目に取り組むわ。でも運動神経や積極性ではアントニナには敵わないし、頭の良さでは年下のラリサに追いつかれそうになっている。焦りがどうしても内に籠ってしまう。いい子だから口には出さないし、家ではいつも大人しくしているわ。貴方が来たときにだけそれを外にぶつけて、貴方に甘えているのよ」
「……イロナとはそのことは?」
「一度だけ話したわ。イロナも分かっているのよ。でも……」
そう言うとレーナ叔母さんは一度だけウォッカに口をつけた。いつも陽気で気さくで遠慮のない叔母さんも、伏し目がちに言いにくそうにしている。イロナが俺を直接標的にする理由がないことは俺も分かっているし、出来のいい姉と妹に挟まれると、何かと辛いというのも分からないわけでもない。
だがこのままイロナの事をレーナ叔母さんに任せていいという話でもない。アントニナやラリサと直接このことを話せるようになるまでには、相当時間がかかることは目に見えている。従兄とはいえ養子である俺にしか、当たることができないのだ。賢く真面目であっても、まだ九歳なのだから。
「……イロナを明日からしばらく連れ出しいいですか?」
俺の応えに、レーナ叔母さんは本当に済まなさそうに、小さく頷いたのだった。
翌日、朝から俺はイロナを連れて家を出た。アントニナは声を上げて、ラリサも六歳なりの不満顔で抗議したが俺は明後日には戻って来ることと、明明後日以降はちゃんと付き合ってやる事を条件に、二人を引き下がらせた。肝心のイロナも無表情だったが、特に抗議することなく黙々と旅装を整えると、俺と一緒に無人タクシーに乗り込む。その無人タクシーがハイネセン第二空港(大気圏内航空)に到着したことに、イロナは少しばかり驚いていたようだったが、何も言わずに俺の後をついてきた。数時間のフライトを終えて降り立ったのは、懐かしのテルヌーゼン市だ。
「イロナ、少しそこで待ってな」
自転の関係上、既に夕方に近いテルヌーゼンの空港ロビーから、俺はあるところに電話する。六コール後に出てきた事務員に上司を呼ぶよう依頼するとたっぷり一〇秒後、画面に六四分けのブラウンの髪を持った少佐殿が現われた。
「俺を呼び出すとは随分と偉くなったものだな。え、『悪魔王子』」
「四日後には大尉に昇進の予定ですので、そこはご寛恕願いたいと思います。キャゼルヌ少佐殿」
「で、テルヌーゼンまで来て、俺になんの用事だ。酒の催促か?」
「近いです。ご迷惑をおかけしますが、今夜私ともう一人、先輩のお宅でお世話になっていいですか?」
「……なんだ、お前。いつ俺がオルタンスと同居しているって……ヤンか? それともワイドボーンか?」
あいつらぁ……と額に手を当てながら苦虫を噛むキャゼルヌは、俺が肯定も否定もしなかったので、高く舌打ちする。
「まぁどちらでもいい。だがお前さんと一緒に来るのは誰だ? 暑苦しい男を二人も泊めるほど、俺の心は広くないぞ?」
「宿はちゃんと取りましたから、先輩の甘い生活の邪魔はしませんよ。私の妹です」
「未成年者略取で通報していいか?」
「家族ですから時間の無駄になると思いますが?」
「真面目に返すな。本当にお前はユーモアがない奴だな。いつまでたってもそれじゃ女に好かれないぞ?」
「……妹がいれば充分ですよ」
「いじけるな。まったく歯ごたえのない奴め。オルタンスには俺から言っておくから、お前は妹さんと一緒に士官学校に来い。俺の仕事が終わるまでそこで待ってろ」
そういうとキャゼルヌは通話を切った。真っ黒な画面に向けて俺が苦笑して受話器を置くと、不審な目つきでイロナが俺を見上げている。ウェーブのきつい黒髪が、傾き始めた日差しに照らされて、鮮やかに光沢を放っている。目つきさえ戻れば充分美少女なのだが……
「ま、とりあえず行くとしようかイロナ。我が青春の学舎へ」
俺の照れ隠しの言葉に首をかしげつつも、イロナはちゃんと俺の後についてくるのだった。
後書き
2014.10.25 更新
2014.10.25 誤字修正中
第28話 雨宿り その2
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
こういう人の内面を主題とする文章は実は凄く苦手です。
近いうちに27話も合わせて大規模に書き直すかも。(Jrがあまりにも情けないので)
宇宙歴七八六年八月 バーラト星系 テルヌーゼン
二年前に卒業した同盟軍士官学校は、変わらぬ姿のままで健在だった。そろそろ課業も終わり、卒業間近の五年生を除く多くの候補生達が、門限までのわずかな一時を柵外で過ごそうと通用門からぞろぞろと出てくる。その流れに逆行する青年将校と少女の姿はやはり目立つのかそれとも異様なのか、俺とイロナに対する視線はまさに集中砲火そのものだった。
門の入口にある守衛室で入構の手続きをとった後、手を引きながらイロナに構内を案内する。広大なグラウンド、いくつかの校舎、体育館、無重力演習場、図書館、厚生会館、科学実験棟などなど……卒業式が行われた講堂以外の初めて見る風景にイロナは無表情だったが、その眼が好奇心に輝いているのはわかる。
事務局次長のキャゼルヌの終業時間はおそらく一九〇〇時ぐらいだろうか。それまでには事務局近くにいなければならない。構内の広さからハイキングと言っても過言ではないが、イロナの足でも事務局まで戻れる程度の距離で、俺達は歩きつづける。
しばらくグラウンドを包み囲む雑木林の間を歩いていると、太い楡の木に背を預け、綺麗に(候補生達によって)刈られた芝生の上に腰を下ろしている、見憶えある黒髪の青年が目に入った。おそらくジェシカから貰ったのであろうハンカチを無造作に芝生に敷いて、その上に本を何冊も重ねつつ、一冊ずつぼんやりとした眼差しで読みふけっている。
「ヤン=ウェンリー候補生!!」
俺が声をかけてやると、ヤンは気だるげに首を俺とイロナに向け、俺を視覚にはっきりと捕らえると、ゆっくりと立ち上がり腰を叩きつつ、俺達に寄って来た。相変わらず収まりの悪い髪を掻きつつ、のほほんとした表情で挨拶するその姿は、体つきが多少引き締まったとはいえ昔とあまり変わらない。
「お久しぶりです。ボロディン……中尉ですよね。それと……」
「義妹のイロナだ。イロナ、階級章すら判読できないコイツが俺の三つ下のヤン=ウェンリー候補生だ。こう見えても士官学校きっての用兵の天才で歴史通なんだぞ」
「……イロナ=ボロディンです」
オズオズとイロナが顔を上げながらヤンに手を差し出すと、ヤンは一度俺に視線を送りつつ、その手を握って応えた。
「ヤン=ウェンリーです。ミス=ボロディン。お兄さんとはこの士官学校で僅かな期間ご一緒させていただきましたが、相当いじめられました」
「あのなぁ……」
「それはすみませんでした。兄に代わってお詫び申し上げます」
そしてヤンの冗談に、生真面目に返事をするイロナ……一瞬あっけにとられるヤンは、再び俺とイロナを見比べて笑いをこらえている。おそらくロクでもないことを考えているのは間違いない。俺は容赦なくヤンの額にデコピンを一撃喰らわせる。
「ちょっと待って下さい。紹介したい後輩がいるんです」
俺がイロナと小旅行している事、今夜キャゼルヌ宅へお邪魔する事を告げると、ヤンは額をさすりながら携帯端末を操作する。通話先が出たのか、用件もそこそこに相手にこの木陰に来るよう命じている。
「おやおや『無駄飯喰らい』のヤンもずいぶんと偉くなったもんだな」
「『悪魔王子』の居ない士官学校ですから気楽なものですよ。シトレ校長閣下にはお会いになりましたか?」
「『黒いくそ親父』に会うつもりはないよ」
わざわざイロナを連れての旅行なのに、なんでわざわざあのくそ親父に会わなけりゃいけないのだ。だがシトレという人名に生真面目なイロナは敏感に反応して、ヤンに「シトレ叔父さんの事ですか?」と余計な事を聞いてしまう。イロナの反応に、ヤンは瞬時にその意味を理解し、小さく何度か頷いた。
「あぁ、そうでした。ボロディン先輩の実家には、校長は顔を見せにいらっしゃるんですよね」
「そういうことだ」
「ですが今回は会っておいた方がいいと思いますよ。校長、今期中の退任がほぼ決まったそうですから」
それはつまり次の任地が決まったという事だろう。そして俺が二年生の時から足掛け六年の校長勤務の終わりであり、中将として八年目が終わるという事は……ついに正規艦隊司令官のポストが空いたという事だ。それはフェザーンに赴任する俺にとって、今後一年以上は間違いなく会えない、あるいはシトレが戦死したら二度と会えないということと同じ。
「まぁ時間があれば会ってみるとするさ。最悪、映像メールでもいい事だしな」
「あいかわらず根に持ってますねぇ……分かる気はしますが。あぁ来た、来た。アッテンボロー、こっちこっち」
親しい友人を呼ぶかのようにヤンが手招きした方向から、息を切らして一人の『そばかす』が駆け寄ってくる。もつれた毛糸のような鉄灰色の髪をもつ中肉中背の青年革命家にして奇術師、無類の毒舌家。
「はぁはぁ……いったいなんです。ヤン先輩?」
「アッテンボロー、こちらが『私が心から尊敬してやまないといつも公言している』ヴィクトール=ボロディン中尉殿と、その妹君だ」
ヤンの言葉に、とにかく俺に形だけでも敬礼しておこうと慌てて小さく手を額に当てただけのアッテンボローは、もう一度俺を振り返り、イロナを見て……踵を合わせて再度、今度は背筋を伸ばして敬礼する。
「七八五年生のダスティ=アッテンボロー二回生であります!! ヤン先輩が『シスコンで、口先から生まれた軍人に全く向いていない、それでいて変なところで鋭い嗅覚を発揮する悪魔のようだと常々吹聴している』ヴィクトール=ボロディン先輩と、その美しい妹さんにお会いできて光栄です!!」
俺はすぐさまヤンの頭めがけてチョップをくり出し、見事にヤンの前頭中央部に命中させる。四年生になっても相変わらずの運動神経のようだ。「クハッ」とヤンが小さな苦悶の声を上げるが、俺はほっておいてアッテンボローに敬礼を返した。アッテンボローがイロナと握手している間、今度は首まで傾けて痛がるヤンの肩をひき寄せると、囁くように問うた。
「ところでワイドボーンとは相変わらずか?」
「別に彼を嫌っているわけじゃないですよ。性格が合わないだけで……ただ最近は随分苦労しているみたいで、ちょっとは気にしています」
ヤン曰く……一年生からずっと学年首席を維持していて、俺やウィッティが卒業してから教官が何人も変わり、『一〇年来の秀才』と再び評価されるようになった。本人はそう言われることが一番迷惑らしく、図書ブースでぼんやり本を読んでいても、後輩がウヨウヨと集まってきてはいろいろ言ってくるらしい。特に一年生のアンドリュー=フォーク候補生に付きまとわれているとの事。
「アイツは陰気で尊大で、それでいて卑屈で独善的な実に嫌な奴ですよ。あの野郎、この間も有害図書撲滅委員会とかいう品性もセンスも欠片のない自主委員会を作って、人が苦労して集めた本を焼きやがりましたからね」
いつの間にかイロナと仲良くなったのか、(イロナがいたく恥ずかしがっているにもかかわらず)肩車したアッテンボローが話の輪に加わってくる。
「ワイドボーン先輩が気の毒ですよ。ヤン先輩に戦略戦術シミュレーションで一回も勝ててない事を『ほかの分野では引き離している』とか言っていつも同情する仕草を繰り返すんです。言われる度に古傷を抉られるワイドボーン先輩の気持ちぐらい、子分を自称するなら察しろと言いたいですね」
「あれからずっとワイドボーンに負けてないのか? ヤン」
「『悪魔王子の一番弟子』として『弟弟子』負けてやる義理などないので」
しれっと応えるヤンに、はぁ~と俺は溜息をついた。兄弟弟子を自称するなら少しくらい仲良くしろよと言いたいが、そこは譲りたくない一線なのだろう……とりあえずイロナをアッテンボローの肩から下ろしてやってから、俺は言った。
「ワイドボーンには近いうちに俺の方からフォローを入れておくさ。ヤンもアッテンボローも、アイツが苦労しているようだったら手助けしてやってほしい。『誰に頼まれた』と言われたら、遠慮なく俺の名前を出していいからな」
「わかりました。『殿下』がそうおっしゃるのでしたら」
ヤンがそう言うと片足を引いて中世風のお辞儀をしたので、俺は容赦なく左前の足の甲を蹴り飛ばしてやった。
それからキャゼルヌからの連絡が来るまで、イロナを含めて四人でいろいろな事を話しあった。アッテンボロー家が姉三人弟一人に対して、ボロディン家は義兄一人妹三人とまったく逆な事を耳にして、アッテンボローが「俺もボロディン家に産まれたかったなぁ……」とかしみじみと心情のこもった返答をしてイロナを困らせたり、ヤンがやたら饒舌にラップとジェシカの交際状況を説明したりと、時間を忘れるように語りあった。
後日、別の場所で再会したアッテンボローから、「あの時のボロディン先輩はちっとも偉く見えませんでしたよ。なんていうかジュニアスクールの先輩みたいで。もっとも今でもたいして偉くは見えませんがね」と大変失礼なことを言われたのはどうでもいいことかもしれない。
そうしているうちに日は沈み、門限の関係でヤンとアッテンボローが名残惜しそうに寮舎へと帰ると、再び俺とイロナは薄暗い士官学校の中をゆっくりと歩き始めた。
「ヴィク兄さんはこういうところに通っていたんですね」
足下だけを照らす街灯に沿って、イロナは歩きながら俺の背中に言い放った。
「後輩の人達がみんな兄さんに親しげで……いいなぁ……私もここに通いたい」
「イロナ」
俺は足を止めて振り返る。イロナには軍人なんかなってほしくない……そう言おうとしたが、再び口をつぐまざるを得なかった。イロナは歩きながら泣いていた。
「わた、わたしが強情で……」
分かっている。薄茶色の肌に切り揃えた見事な金髪で、母親譲りの陽気さと誰にでも気さくで頭も良く、運動神経も抜群で活動的な、学校の中心的存在であるアントニナと同じ学校に通うという辛さ。遺伝の神様の悪戯か、黒髪に白い肌という姉とはまさに正反対の容姿に産まれ、同級生からも教師からも常に姉と比較され続けるという拷問に近い学校生活。『賢姉愚妹』とか『本当にボロディン家の娘なのか』とか言われないためにも、ひたすらストイックに勉学に運動にと励み続ける日々……
たしかに強情かもしれない。しかし『他人がなんと言おうと聞き流せばいいことだ』と、イロナにアドバイスすることがどれだけ非情なことか。言い逃れをすることが出来ない生真面目さの中で、唯一のはけ口が『直接血の繋がっていない義兄』の俺だけしかいない。その俺も年が離れている上に、士官学校に地方赴任でなかなか家に居付かない。故にアントニナのライバルであるフレデリカに近づいていったのだろう。俺に隔意があるというのも近づきやすかったに違いない。それが余計自分を浮かせる原因となると本能的に分かっていても。
結局、俺は泣き続けるイロナと肩を並べて歩くことしかできなかった。そしてとうに仕事を終えて、事務局の前で俺達を待っていたキャゼルヌもまた同じだった。真ん中に九歳の少女を挟んで二二歳と二五歳の男が並んで歩くという、軍服を着ていなければ即通報の光景をあたりに見せびらかしながら、キャゼルヌの借家に向うことになる。
「なんですか。男二人してだらしない!!」
そのままの状態でキャゼルヌ宅に到着した俺達に、いまだ結婚はしていないものの、既に婚約はして充分に旦那を尻に敷いているオルタンスさんは盛大に怒声を浴びせた。俺もキャゼルヌも項垂れて応えるしかない。少なくとも二〇になったばかりの彼女の方が、遙かにイロナの気持ちを理解していた。だらしない男達は直ちにリビングから追い出される羽目になる。
「まさかお前さんが義妹さんのことで悩んでいるとはさすがの俺も考えになかった」
ブランデーを注いだグラスを傾けつつ、狭いソファで足を組んだキャゼルヌは、俺にも一つ寄越してくれた。
「もっとも分かっていたとしても、なんら対策が取れないというのはかわらないのだがね」
「こういうとき、男はだらしなくていけない」
「全くだ。酒を傾けるぐらいしか能がない……それで今度の人事、お前さんはフェザーン行きだそうだな」
ヤンにもワイドボーンにも話していない次の赴任先をキャゼルヌに言い当てられ、俺はさすがに驚いたが、すぐにその漏洩先の顔を思い出して舌打ちせざるを得なかった。
「……あのクソ親父。どうしてこうもペラペラ喋る」
「目下、次の次の統合作戦本部長と言われるシドニー=シトレ中将を『クソ親父』よばわりできるのはお前さんぐらいだろう。そのシトレ中将閣下は次期第八艦隊司令官に内定しているが、その副官にお前さんの名前が挙がっていたんだ」
「あぁ~副官ですか……人事部がNOを突きつけたんでしょうね」
リンチに続いて、シトレの副官をする。副官の任用権は軍司令官にあることは同盟軍基本法によって保障されている。司令官がこういう副官が欲しい、といえば人事部は経歴・実績・能力・そして『色』を見て、適当な人材を推薦する。勿論、司令官から直接『コイツ』と指名することも出来るが、人事部がそれを認めない場合もある。特に今回はそうだろう。
軍政を担当する国防委員会が一番恐れているのは、幕僚以下が司令官のシンパで構成され軍閥化することだ。ヤンが査問会に呼ばれたことも、ユリアンやメルカッツをイゼルローンから引き離したことも、根源はそこにある。
ましてボロディン家という将官家系で、幼少の頃から顔見知りである相手を副官にしたいと言えば、シトレの黒い腹に余計色がついて見えたに違いない。士官学校卒業と同時に査閲部への配属などで人事部も『そろそろシトレ中将も自重して欲しい』と思ったことだろう。
「だが今回、お前さんを欲しがったのは情報部だ。お前さん、ケリムでなんかやらかしただろ? 第一艦隊の緊急出撃といい、大規模な海賊討伐といい、第七一警備艦隊解散といい、ケリムでは大鉈が振るわれたしな」
「私は何もしませんでしたよ」
「詳しくは聞かんさ。だが妹さんのこともある。フェザーンでは充分に自重しろよ。同盟の駐在武官が何人も奴らの甘い囁きに手玉にとられた。出来の悪い兄貴でも、無くしたら気の毒だしな」
「四日後、人事部に出頭すると大尉に昇進することになりますが」
「そうか、それはよかったな」
効果的な反撃になっていないことは明らかだったので、俺は無言でグラスの残りを乾かすのだった。
後書き
2014.10.25 更新
2014.10.26 ヤンの台詞におけるJrの階級を修正
第29話 フェザーン到着
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
いよいよJrはフェザーンに到着します。まずはジャブでお出迎えです。
宇宙歴七八六年九月 バーラト星系よりフェザーン
結果としてキャゼルヌ宅に一泊する事になった俺とイロナは、キャゼルヌの出勤にあわせて家を出て直接空港へと向かうことになった。
イロナはその気持ちを存分にオルタンスさんに話し尽くし、オルタンスさんもずっと聞き役で接していたらしい。ただ最後に、「人生は一度きりなのだから、苦しんだまま生きるよりは思いのまま生きる方が、ずっと幸せになれるわよ」とだけ言ったそうだ。二度目の人生を送っている俺としては何とも複雑な気分だが、イロナがそれで納得して、昨日よりはずっと晴れ晴れとした表情を見せているのだから、オルタンスさんには感謝の気持ちしか言えない。
どうにか陽気の一部を取り戻したイロナを連れてハイネセンに戻ると、アントニナとラリサが手ぐすね引いて待っていた。今度は二人前のアイスクリームとチョコケーキを奢らされ、今年の冬物をそれぞれ二着も買わされるという去年の倍額以上の散財をする羽目となった。しばらくハイネセンには戻らない方がいいんじゃないかと思わせるほどに。
それでもきゃあきゃあと笑顔を浮かべる家族の姿を見れば、散財も悪くないと思う。イロナも距離感に戸惑いながらその輪に加わり、ようやく家族の団欒が戻ってきたように俺には思えた。だがその団欒に長く浸かることは俺には許されない。
三日後、統合作戦本部人事部にアポイントを取った時間は午前一一時。人事部長エルサルド中将に面会できたのは午前一一時四九分。そして執務室を出たのは午前一一時五三分だった。ユリアンのように俺がヤン閥で、人事部長が七割トリューニヒト閥のリバモア中将というわけでもない。というよりエルサルド中将とは、俺は今日まで面識はなかったはずだ。
「君がシトレ閥だからさ」
俺の疑問に苦笑してそう教えてくれたのは、エルサルド中将の執務室の前で一緒になり、執務室でも一緒で、ここ情報部九課課長室でも一緒のブロンズ准将だった。
「エルサルデ中将はシトレ中将の七歳年上だが、中将昇進ではシトレ中将の方が先任だ。それに君の最初の任地である査閲部への推挙の件もあって、二人の仲はあまり良くない。たいした稚気じゃないから、まぁ許してやってくれ」
「はぁ……」
やはり俺は『シトレ閥』と思われているんだろうか。確かにシトレのクソ親父には迷惑も被ったが、恩義もある。俺を自分の副官にしようと工作したことで、エルサルド中将も確信したのだろう。だが『シトレ閥』とか他人に言われると、どうにも腹の虫が治まらない感じだ。
「私が君を情報部に連れてきたのは、フェザーン駐在武官の任務についての簡単な説明をする為だ。フェザーン星域の位置を君は知っているかね?」
「……えぇ、まぁ」
「結構。この程度のおちょくりで腹を立てるような士官では、駐在武官などとても勤まらないからな」
二度ばかり拍手するとブロンズ准将はウンウンと頷く。これもテストだったのかと思うと、小心者の俺の胃が小さく悲鳴を上げる。
軍民関係なくあらゆる情報を集め、分析し、場合によっては工作し、戦争遂行の一翼を担う情報部は真に魔窟というべき場所だ。統合作戦本部ビル地下七七階という異様な位置もそれを際だたせる。艦隊も有効な情報がなければその威力を発揮できない。だが時に政府の意向を重視し、機関を運用して世論を掻き惑わしたり、野党の指導者などへの妨害工作を行ったり……と好ましくない任務もあるらしい。あくまでも『噂』であるが。
「フェザーンは建前でも『帝国の一自治領』にすぎない。だから同盟は『弁務官』を置く。『大使』では国交関係があると帝国に誤解されるからな。帝国がその暴虐ぶりを発揮すれば、フェザーンなど卵の殻を踏みつぶすより簡単に崩壊する……と思うだろう」
ブロンズ准将の言うとおり、一〇数年後には金髪の孺子がボルテックと結託(あるいは利用)し、帝国軍を大挙としてフェザーン回廊へ投入。自治領を軍事占領している。その危険性をこの時代でも情報部は理解しているにもかかわらず、何故神々の黄昏の時に同盟政府の動きが鈍かったのだろうか。疑問は尽きないが、ブロンズ准将は話を続ける。
「フェザーン自治領に帝国が軍事侵攻しない理由は幾つかあるが、一番の理由は帝国貴族内部の対立だな。貴族は多かれ少なかれフェザーンと金銭面で結びついている。帝国政府も国債を買ってもらっている。フェザーンに不利益な行動を起こそうとすれば、それに対抗する貴族を示唆して妨害させる。弱者の戦術、というべきだな」
もちろん同盟軍もフェザーン侵攻作戦を企図したことは何度もある。だが国防委員会の予算承認が通過したことは一度もない。政治家の内情すら時に捜査する情報部だが、この件に関してだけは時の統合作戦本部から指示があっても、適当にお茶を濁している。なぜか?
「外交というのを帝国も同盟も忘れて久しい。特に砲火のない戦争を戦争と呼ばない節が両国には見られる。フェザーンはそれをよく知っている。表も裏も。だから情報部としてはフェザーンの存在を棄損するのは認められない。帝国の情報を安易に得られるチャンネルの損失は同盟にとって死活問題に近い」
「フェザーンが帝国・同盟双方に情報と経済力を駆使し、歴史を動かしている、と考えてよろしいのでしょうか?」
原作でもフェザーンの為政当局の苦心については詳しく書かれている。俺はジャブのつもりでそう言ってみたが、ブロンズ准将の驚きようといったらなかった。
「歴史、という言葉は私には思いつかなかったが、彼らの生存戦略は君の言うとおりだ。そして我が同盟は帝国よりも国力が劣るが故に、その戦略に乗らざるを得ないのが実情なんだ」
だから帝国の情報を現地で収集・分析する駐在武官という任務は重大なものになる。帝国軍の侵攻を事前に察知することで効果的に戦力を運用し、迎撃することが出来る。もし誤った情報が流れれば……原作通り同盟は滅びる。
「そういうわけで大尉には、フェザーン側のチャンネルを閉ざすような短慮だけはしてもらいたくない。腹も立つことはいっぱいあるだろう。だがそこも戦場だと理解して慎重に行動して欲しい。パーティーだのゴルフだの誘惑はいっぱいある。役得だと思ってくれて構わないが、料理にも酒にも女性にも毒が含まれていることだけは忘れないでほしい」
「承知しました」
「特に君は将来を嘱望されている士官だ。それほど長い派遣にはならないだろうが、充分に気をつけて行ってきてくれ。余計な心配だとは思うがね」
そういうとブロンズ准将は敬礼せず、俺に情報将校とは思えないゴツイ右手を差し出した。俺もその手をガッチリと握りしめた……
それが三七日前の出来事。フェザーン船籍の旅客船に乗って、俺は今、フェザーンに到着した。
宇宙港に到着し到着手続きロビーに向かうとすぐに宇宙港の警備員が俺の元に駆け寄ってくる。軍服を着ているから余計目立っているのは分かるが、あまりにも一直線に向かってくるので驚いた。が、特別者専用の軌道エレベーターに案内され、その場に待っているフェザーン側当局者と顔を合わせ、名前を聞いてさらに驚いた。
「ニコラス=ボルテックと申します。フェザーン自治政府対外交渉部に勤めております」
「ヴィクトール=ボロディン大尉です。在フェザーン同盟弁務官事務所つき駐在武官を拝命しました」
今後ともよろしくお願いします、という儀礼的なお辞儀と敬礼の会話を終えると、個室内に入ってきた女性のアテンダントによって机の上に烏龍茶とチキンフライとポテトが次々と並べられていく。しかも香辛料の違いによって四種類も。
「……」
これがフェザーンの流儀か、と俺はにこやかなボルテックと暖かいチキンを見比べた。その視線に気がついたのか、ボルテックは先にチキンの一つを手に取ると、俺に断ることなくかぶりついた。なんというか人のいい小役人が、時間に余裕が出来たので遅い昼食をとろうかといった風情だ。もっとも言いたいことは『毒は入ってませんよ』であろうけども。
「なかなか美味しいですよ、これ。いや、役得でした」
「そうですか?」
「これは帝国でもそれと知れた軍鶏でして。私の薄給ではとても口には出来ないんですよ。さ、どうぞ。遠慮なさらず」
烏龍茶を飲みながら勧めるボルテックを見て、俺も一つ手にとって口に運ぶ。確かに旨い。脂も皮も香辛料も、同盟のスタンドで売っている物とは桁違いに……値段も桁違いだろうが。俺が別の香辛料のチキンを食べ終えると、再びアテンダントが現われ、俺とボルテックの前に冷たいおしぼりと、レモンスカッシュを置いていく。
「ボロディン大尉はお若いながらも中々慎重でいらっしゃる。ケリムでも随分とご苦労をされたようで」
「いや、それほどでも……」
ズゾーッと音を立ててレモンスカッシュを飲む、三〇代半ばのボルテックはどう見ても小役人だ。だがその口から出てくる言葉は、俺の胃を刺激するのに充分な物ばかり。気分が悪いので俺もレモンスカッシュを飲み、また別の種類のチキンフライに手を伸ばすと、ボルテックもポテトを手にとって口に運ぶ。
「あ~満腹でした」
机の上の料理と飲み物が全て空になり、アテンダントがそれらを全て片付けると、ボルテックは腹をさすりながら言った。
「あ、お代は結構ですよ。これはあくまでも自治政府から大尉に対するお礼ですから」
「お礼、ですか?」
別に軍人になる前もなった後もフェザーンに対してなんら便宜を図った事はないし、これからも払うつもりはない。確かにこのチキンフライは値が張るだろうが、これで買収できると思ったら大間違いだ。しかしフェザーンの意図はそんなことではないだろう。
俺が改めてボルテックに問いただすと、ボルテックはウンウンと小さく頷いて応えた。
「ケリム星域で大尉は『ブラックバート』団をほぼ壊滅に追いやっていただけました。ネプティスの近くにある彼らの基地を撃滅してくれたことで、我らフェザーンの貿易船には充分な安全がもたらされたのです。この程度のお礼ではむしろ申し訳ないと思うくらいですよ」
「あれはリンチ准将の指揮で行われた作戦です。しかもケリム星域の掃討作戦は第一艦隊が主力で、私は何も手伝っていない。供応を受ける資格はないかと思いますが?」
「ご謙遜を。大尉は『埋伏の毒』を見つけ出して拘束したではないですか」
エジリ大佐のことか、と俺は心の奥底で呟いた。拘束したのは俺ではない……俺の視線に気がついたのかは分からないが、ボルテックは鶏の脂で口が滑らかになったのか話を続ける。
「海賊にもいろいろ種類がありますが、『ブラックバート』団のような組織だった準軍事規模となるとそう多くはありません。大抵は港に密偵を潜らせておくのが精一杯の小さな組織ばかりです。同盟国内で我々フェザーンは武力を振るわけにはいきません。しかも『ブラックバート』団は規模も大きく巧妙で狡猾です。それを撃破してくださった。今後、同盟国内の他の海賊も恐れをなしてその活動を収縮させるでしょう。フェザーンとしては願ったり叶ったりなのです」
「なるほど」
最近、ほんとうにパトリチェフみたいになっているなと思いつつ、そう応えるしかない。
「……ですが、首領は」
「分かっています。ロバート=バーソンズを取り逃がした、ことですな。ですがご安心いただきたい」
ボルテックの目はそれまでより僅かだが細くなる。
「彼の動きの一部ではありますが、フェザーンは幾つかの情報を掴んでいます。この情報については今後私から大尉に直接お渡しするつもりです」
「それはありがとうございます。フェザーン自治政府のご協力に感謝いたします」
あんたから直接情報を受け取るわけではなく、あくまでも同盟政府とフェザーン自治政府の連絡業務としてしか受け取らないよ、という俺の言外の言葉に、頷き掛けたボルテックの首は一瞬だけ止まったが、結局ふたたびベコ人形のようになった。
「いやぁ大変有意義な昼食でした」
地上に降りついた軌道エレベーターの扉が開くと、ボルテックは最初に見せたにこやかな笑顔に戻っていた。
「出来れば大尉とは長くお付き合いしたいものですが、そうもいきますまい。本国には大尉を待っていらっしゃる方が大勢いらっしゃいますでしょうしねぇ。大尉でしたら『行ってくれるな』と泣いてくれた女性もおおぜいいらっしゃるんでしょう?」
「義妹はたしかに女性ですけど、少し若すぎますね」
宇宙港の搭乗口で見送るアントニナとイロナとラリサの手を振る姿を思い出し、俺はそう正直に応えてやったが、ボルテックは冗談だと思ったようだ。小さく首をかしげて腕を組むと、ボルテックは羨ましそうな視線を俺に向けてくる。
「義理の妹さん、ですか。なるほど。ですが大尉、フェザーンの女性もなかなかのものですぞ。大尉くらい将来有望な方ならよりどりみどりでしょう。若いというのは本当に羨ましい限りですよ」
「は、ははははは」
前世で二・三人との付き合いがあったとはいえ、こちらの世界では良いところまで行くにもかかわらず、誰一人落とすことが出来なかった俺としては、ボルテックの言葉には乾いた笑いでしか応えることができなかった。
後書き
2014.10.26 更新
第30話 フェザーンの夜
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
ジャブの次はフックとアッパーでしょうか。
宇宙歴七八六年一〇月 フェザーン
この年の自由惑星同盟フェザーン駐在弁務官事務所の首席駐在武官はアグバヤニ大佐といい、かなりの年配で、歳相応に太っている男だった。褐色の肌はレーナ叔母さんと遠い先祖が同じであることを示してはいたが、性格は正反対だった。
初対面で着任の挨拶をする俺を見る目には明らかに隔意があったし、表面からにじみ出る陰気で尊大で狭量な性格は、俺以外の駐在武官からも敬遠されている。彼がこの重要な任地に赴任できた理由も、政治家との深い繋がりがあるからであって、自身の積み上げた功績ゆえではないことも知れ渡っている。知らないのは当の本人だけではないか、というのはとても笑えない冗談だ。
そうとはいえ、新任駐在武官である俺がフェザーンに着任した以上、形式として歓迎パーティーを開催しないわけにはいかない。長年の慣例であり主賓の質はともかく、わざわざ中止して、フェザーン上流階級との貴重な情報交換の場を失う必要も、同盟の悪化する財政状況を喧伝する必要もない。場所はホテル・バタビア。たしかユリアンもこのホテルではなかったかと記憶を辿ってみたが、さすがにホテルの名前までは俺も覚えきれていない。
主賓として招かれた以上、俺は笑顔を浮かべてフェザーンの紳士淑女を相手に会話とダンスに勤しまなければならない。所持している一張羅の白の軍用礼装を身に纏い、パーティー会場の中央で檻の中にいる動物よろしく、招待客の皆様に愛嬌を振りまくことに専念する。空腹に耐えることといつでも笑顔でいることさえできれば、特段難しい作業ではない。
特段意味をもたない上っ面だけの会話、ご機嫌取り、売り込みに自慢に冗談……パーティーが開かれて二時間経ってもなかなか途切れない来客の挨拶に、俺はそろそろ顔の筋肉が引き攣り、胃袋が不服を訴え始めた頃、俺とアグバヤニ大佐の前に異形の男が現われた。まだ若い。だがその姿を見て俺と大佐の周りにいた招待客は、ゆっくりとかつ敬意を欠かすことなく離れていく。
「アグバヤニ大佐」
「やぁ、ルビンスキーさん。ようこそいらっしゃった」
「丁度時間が空きましてな。ならば若い大尉を冷やかそうかと参上した次第」
肌は浅黒い。目も口も鼻も眉もみなそれぞれ作りがデカい。それにもまして身体がデカい。ハゲだが。現在一七七センチの俺が顎を上げて顔を見るのだから、おそらくは一九〇センチ以上だろう。精気みなぎる体躯を薄紫色のタートルネックと上品な浅葱色のスーツで覆うことで、周囲に威圧感ではなく自然と敬意を向けるような雰囲気を醸し出している。傲慢な台詞もこの体躯と服装のセンスで、柔剛両面から相手に認めさせてしまう。
アドリアン=ルビンスキー。フェザーンの黒狐と言われるが、外見だけならどう見ても「黒熊」だ。
「貴官がヴィクトール=ボロディン大尉殿ですな。自治政府高等参事官のアドリアン=ルビンスキーです。よろしく」
差し出される手は大きく、そして肉厚だ。軽く握っているのだろうが、こちらとしては万力に挟まれたかのような締め付けに感じる。
「よろしく。高等参事官殿」
「ルビンスキーで結構ですぞ。なにしろ役職で呼ばれては自分かどうか分からないものですからな」
この傲慢さが当たり前のように聞こえてくるのだから、コイツは本当に恐ろしい。ルビンスキーが三六歳で自治領主となったのは、和平派の前自治領主ワレンコフが地球教のコントロールから逃れようとして事実上処刑されたからだが、まずもってそれなりの実力が伴わなくては長老会議での立候補すら出来ないのだ。転生して、これからの未来が少しは分かるとはいえ、小心者の凡人である俺にとってルビンスキーを見ると、いずれどんな形であれ相対することに恐怖を覚える。
「大尉は随分とお疲れのようだ。無理もない。五〇〇〇光年も旅してこられて、すぐにパーティーですからな。こういう世界に慣れていない若者にとってみれば、もはや拷問に近い」
三〇代前半のルビンスキーの毒舌というか、皮肉はスパイスが効き過ぎている。当てこすられた感じのアグバヤニ大佐の肥満した顔も、時折ではあるがピクピクと痙攣している。まだ若い自治政府の要人を、年配である大佐が表だった場所で怒るわけにもいかない。自分自身への評判だけでなく、同盟とフェザーンの関係悪化を招きかねないからだが、大佐にとってどちらが重要かは俺は分からない。
それを見越した上でこういうトゲの生えた言葉を投げかけてくるわけだから、ルビンスキーも人が悪い……いや、人が悪いのは分かっているんだが、原作ではこれほど直接的に言うような男ではなかったはずだ。むしろ、こういうどぎつさは彼の息子であるルパートの方が強かっ。ということは、この時点ではルビンスキーも才幹と若さの釣り合いがまだ取れていないということかも知れない。
「いえ、大佐のフォローのお陰で、小官はパーティーを楽しんでおります。高等参事官殿」
若さなら負けるつもりはないし、ここで怯んでいるようでは後々で軽く見られる。もちろん軽く見られた方が俺としてはありがたいのだが、尊敬せざるとはいえ大佐は俺の上司であり、フェザーンにおける同盟軍の事実上の代表でもある。別に恩を受けたわけでも関心を買おうとも思わないが、ささやかな愛国心を見せるくらいはいいだろう。
「チキンフライ以外にも、フェザーンに料理があることを改めて教えていただけましたし。何事もよい人生経験だと思います」
「ふふっ。なるほど」
俺の挑発にも黒狐は乗ってこなかった。むしろ怒りを見せるどころか、楽しんでいるかのようにも見える。しかし異相とはいえ絵になる男だ。グラスを傾ける仕草一つとっても隙がない。
「いや、失礼。大尉はなかなか面白い方のようだ。月並みのようですが、これからもよろしくお付き合いを」
そう言うとルビンスキーは上目遣いで小さく頭を下げると身体を翻して、出口の方へ向かっていこうとするが、数秒立ち止まった後、首を廻して俺に視線を向けて言い放った。
「そうですな。今度時間が出来たら、大尉にはエビをご馳走して差し上げますよ。では失礼」
「いや、良かった。ホッとしたぞ、君」
ルビンスキーが上機嫌で俺の前から去っていったのを見て、アグバヤニ大佐は顔の脂肪を揺らしながら喜んでいたが、俺はとてもそんな気にはなれない。
「若手でも実力派というあのルビンスキーに一泡吹かせたようなものだ。私は彼のことが嫌いだが、彼から食事に誘われるというのも滅多にあることではない。彼が言っていた『エビ』とは一体何の事だかわからないが、とにかく大尉、お手柄だぞ」
「……はぁ、そうですね。緊張しました」
緊張したのも事実だが、あの野郎の捨て台詞だけはどうにも勘弁ならない。ルビンスキーの知識の深さと広さを見せつけられた、あるいは地球との結びつきを思い知らされたが、よりにもよってロシア系の血を引く俺に『エビ』か。俺が日本人の転生者であることはさすがにルビンスキーでも知らないだろうから、純粋にこちらの世界における血統から挑発したのだろう。左手に持つコップを割らなくて本当に良かった。
その後、ルビンスキーが俺達の前から去ったことで周囲の訪問客もそろそろお開きかと感じ取ったようで、次々と俺と大佐の前に来ては挨拶をし、出口へと向かっていく。それでも予定時間通りに終わったということは、ルビンスキー自身も時間を見計らってきたということだろう。どこまでも気に入らない夜だった。
翌日、改めて俺は弁務官事務所で自己紹介し、駐在武官の上司・同僚・部下(といっても俺の部下ではないが)の紹介を受けオフィスの見学を終えると、レクリエーション終了とばかりにフェザーンの市街に足を伸ばした。
もちろんユリアンについていったマシュンゴのような部下がいるわけでもなく、同期生は当然いるわけが無い。ゆえに俺は一人ところどころ解れたVネックと擦り切れたジーンズの上下で、ノタノタと繁華街を歩いていく。時折ブランドモールの柱やエスカレーターの鏡面部で自分の姿を見るが、乞食とまでは言えないが、貧乏人には見えるだろう。同盟弁務官事務所から尾行でもしない限り、俺を同盟軍大尉とは認識できないはずだ。もっともアントニナが今の俺を見たら憤慨するに違いないが。
しばらくは表の繁華街をそうやってブラブラしていたが、特に買いたい物もほしい物もない俺としては、衣料品店に入って情報収集するよりは、夜の繁華街で酒を飲んで美味しい物を食べて情報収集したいわけで……裏道を数本抜けて、時折意地悪く後を振り向いたり、急に角を曲がったりしながら、小さな路地裏へと足を踏み入れた。
その路地裏は、裏通りという割にはそれほど汚れているわけでもなく(もともとフェザーンは清潔な街だが)、七割の整然と三割の雑然とが絶妙に混ざった、言うなれば『良い感じに退廃的な』飲食街だった。街の飾り付けはやや帝国風を思わせる擬似木材と石材のコントラスト。照明も前世でいうクラシカルなデザインで統一されている。その街中を若い女性の滑らかで張りのある歌声が、大きくもなく小さくもなく耳障りよく流れている。
歌声に引っ張られるように俺が歩みを進めると、歌声の発生源は地下だった。人が肩をすりあわせてようやくすれ違うことの出来るくらいの狭い階段を下り、本物の胡桃材で作られた扉をゆっくりと開く。そこは照明が適度に落とされた小さなスナックだった。それほど広くはない。カウンター席が幾つかと、ボックスソファーが幾つか。そして低く抑えられた小さなステージ。
「いらっしゃい」
バースペースの奥にいたバーテンダーが俺に声を掛ける。店内の客は俺の侵入など気にすることなく、ステージで歌う若い女性に視線を向けている。とりあえず俺は誰も座っていないカウンター席の一つに座って、バーテンダーにウィスキーを注文すると、他の客同様にステージを見つめる。
歌う女性は若い。二〇歳には達していないだろう。まだ身体の線は細いが、ピッタリとした深紅のナイトドレスが身体の曲線をより強調している。スリットは深く、肩口も大きく開いていてより扇情的だ。男の客達の視線は殆ど胸やスリットの奥へと向いている。歌手はその視線に気がついているのは明らかだが、その歌声に雑念は全く感じられない。強くしなやかに延びる豊かな声は、狭い店内で反響し、俺の胸すら揺さぶる。帝国公用語であるのをこれほど残念に思ったことはない。
歌が終わり、店内は拍手の渦に包まれ、女性はゆっくりとお辞儀をする。胸の谷間が見えそうなくらい深く……おそらくはそれを狙っているのだろう。にやけ下がったボックスソファーの男達に愛嬌を振りまき、時に酌をしていく。そして今度はボックスソファーに座っていた別の女性がステージに立ち歌い始める。先ほどとはうってかわってリズミカルな曲だ。再び男達の視線がステージへと向けられる。だが声量といい声質といい、先ほどの女性に比べたら素人の俺にですら分かるほどの差がある。
聞くまでもないなと思い、バーテンダーが入れてくれたグラスを手に取り一口すすると、俺の横に座る影があった。深紅のナイトドレスに赤茶色の長い髪。ほっそりとした顎の左に小さなほくろ。
「お客さんはこの店は初めてね」
若い女性はバーテンダーから渡された烏龍茶のグラスを俺に掲げる。
「わたしはドミニク。これからもどうぞご贔屓に」
後書き
2014.10.28 更新
第31話 神に従う赤い子羊
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
本日はお休みなので、昨日上げられなかった分をまず上げさせて貰います。
宇宙歴七八六年一〇月~ フェザーン
フラフラと裏通りを歩いて偶然立ち寄った店のはずなのに、そこにはしっかりと狐の網が張り巡らされていたでござる。
悪運と言うべきなのか。そう言わざるを得ない運の悪さ。間違いなく偶然のはずだ。誘導されたわけでも、追っかけられたわけでもない。なのに、黒狐の情人があの店にいた。豊満で妖艶な肉体も、世の中を達観したような眼差しでもなかったので別人だと思っていた(あるいは思いたかった)わけだが、ドミニク=サン=ピエールと名乗っている以上、本人なんだろう。もう二度と近づくまいとは思っていたが、俺は再びこの店を訪れている。
「いらっしゃい」
胡桃材の扉を開けると、いつものように年配のバーテンダーが出迎える。弁務官事務所内での勤務という名の統計処理作業を終えて、尾行を巻きながらの訪問だから時刻は二〇時を過ぎている。店の営業時間は午前二時までだが、ドミニクは火曜日と木曜日と金曜日、しかも二二時で上がってしまう。本人に聞いて地雷を踏むようなことは遠慮したいので、フェザーンの労働法を調べて、それが意味することを事前に確認しておいた。それから導き出される結論は、ドミニクには黒狐の魔手が『まだ』延びていないということ。
「叔父さんから聞いているわ。私が店に来ない時にはいらっしゃらないんですってね」
二曲目を歌い終えたドミニクが、今夜は光沢のある紫のドレスに細い金鎖のネックレスという、『そういう衣装は後二〇年くらいしてからのほうがいい』といった姿で、俺の隣の席に座る。彼女の叔父さんとやらには心当たりがないので聞いてみれば、ドミニクは細い手でバーテンダーを指し示す。
「この店にいらっしゃってからもう一月も経つというのに、ご存じじゃなかったのは驚きね」
「ここには歌を聴き、酒を飲みに来ているのだから、知らなくも別にいいんじゃないか?」
「あら、じゃあ私の歌を聴きに来てくれていると期待して良いのかしら?」
「酒だけが目的なら、週に一回がいいところだよ」
それが全てではないが、事実であるので俺は正直に応える。毎日飲み歩くほど給与をもらっているわけでもなく、当然ながら『同盟弁務官事務所駐在部』の領収書をきれるような店でもない。高級でも場末でもない、その微妙な位置にある酒場で、ドミニクの歌声とそれを目当てにしている中間所得層ないし中小企業の幹部といった客層の話に耳を傾けるということが目的なのだから。だが黙々と酒を出すバーテンダーの動きまでは正直俺の目は回っていなかった。
「せっかく五〇〇〇光年離れた同盟から来ているというのに、こんな場末の飲み屋の小娘の歌声が聴きたいなんて、貴方も随分と物好きなのね」
ドミニクの言葉に、俺は一瞬下腹に力を込める。叔父であるバーテンダーは場末と呼ばれて少し不愉快そうだが、半ば諦めてもいるようだ。さすがに俺から同盟出身者だとは話していないし、他にも特段自分が同盟出身者ではないと思うよういろいろと気をつけているはずだが……やはり後で黒狐とつながっているのか。ここで席を立てば余計怪しまれると思い、軽くスルーしてみる。
「物好きなのは否定しないよ」
「貴方の帝国公用語、変なところにアクセントがあるからバレバレ。きっとお国の言語教師が下手だったのね。もっとも帝国のド田舎からくるオノボリさんに比べれば、遙かにスマートで聞きやすいけど」
そう笑いながら、ドミニクはいつものように烏龍茶を傾ける。原作でルビンスキーやルパートと一緒に搭乗するときは必ずと言っていいほどウィスキーとロックアイスが並んでいた。フェザーンの青少年健全育成法にも一六歳未満の飲酒はこれを認めないとある。そして彼女の態や店の規模・品格・備品から言っても、今の彼女が宝石店やクラブの経営者で、貨物船のオーナーとは思えない。
「貴方が来てくれるお陰でようやくダンス教室の月謝が払えるの。これからもご贔屓してくれるとありがたいわ」
「ウチの上司のことだから、来月にはどこにいるのか分からないよ」
「本当にウソが下手ね。航海士のような専門職なら、一月もフェザーンの地上に縛り付けておくなんて、そんな馬鹿な会社があるわけ無いでしょうに」
俺を見るドミニクの流し目に、危険な物が僅かだが含まれているのは分かる。時折アントニナも同じような目をする。それは決まって『そんなことも分からないほど僕(ちなみにアントニナは僕っ子だ)が馬鹿だと思うのか』と怒っている時だ。俺があえてそれに言葉で応えず、肩を竦めて手を開くと、小さく鼻息をつくドミニクの顔には僅かながら優越感が浮かんでいる。頭がいいと自覚している証拠かも知れない。
「……じゃあ、俺はなんだと?」
「最初は同盟弁務官事務所の駐在武官かとは思ったわ。けれど貴方って若すぎるし、軍人にはとても向いてなさそうだし、何よりウソが下手すぎる。それにあの人達は必要以上に見栄を張って、こういう場所にはこないの。別のクラブで痛い目に遭ったからよく覚えているわ」
いきなり直球ど真ん中で当てられて、俺の背中にはかなりの量の冷や汗が伝ったが、運良くドミニクは自分で否定してくれた。意外に迷っているのか、グラスから滴る水滴が包む手を伝うくらいになってから続けた。
「同盟系中小商社の研修社員、というところかしら。そうね。会社の幹部、それも最近昇進したばかりの人の息子さんで、近い将来会社経営に参画させたいと親心を持っている。それにかなり上級の幹部からの受けもいい。だけどまだ若いし経験が不足しているから、まずは外の世界を見てこいとばかりにフェザーンに放り出された。そんなところね」
……中小商社を同盟軍に変えればそのままその通りというべきだ。言葉に裏なく、正直に分析したというのであれば、ルビンスキーがその利発さ故に情人にしたという話も信じられる。しかし……シトレのクソ親父がいつも俺に言っている『軍人に向いていない』というのが、こんな時に役に立つというのも、なんだか癪にさわる。
「会社の名前は聞かないでほしいね」
「贔屓のお客さんを困らせるわけがないでしょう? しかも私の夢に投資してくれる確かな金蔓に」
「正直だなぁ……しかし、君の夢ってなんだ?」
ドミニクの夢。少なくともルビンスキーの情人になることではないだろう。ただの情人ならルパートの母親のように捨てられるのがオチだ。夢と聞かれてドミニクは一瞬驚いた表情を俺に見せた後、自嘲気味に応える。
「歌手よ。女優にもなりたいけれど、今は歌手」
「君は美人だし、オーディションを受ければすんなり通るんじゃないのか?」
「私くらいの美人なんてこのフェザーンには『一束幾ら』でいるわよ。歌もダンスも同じ。オーディションでは良いところまでは行くけれど、なかなか最後までは行けないわ……覚悟がないからかしらね」
「覚悟?」
ドミニクからとても聞くような言葉ではないので俺が問い返すと、ドミニクは困ったような表情を浮かべる。答えたくないというよりは、答えにくいという感じか。
「芸能事務所とかに所属する事よ……そしていろいろな人の『相手』をすること。『相手』をするなら、ステージでも何でも用意するって人は結構いるわ」
『相手』という意味は言葉通りではないことはわかる。女性として譲れない一線だということも。ただここはフェザーンで、『国でも親でも売り払え……ただし出来るだけ高く』が格言となる場所だ。故にドミニクも『覚悟』という言葉を使ったのだろう……ルビンスキーの魔手が届いていないことに、俺は心底ホッとした。
「私は戦う限りは勝ちたい。でも守りたい物もある。だからクラブやいろいろな処を廻って、気のいいパトロンを見つけようと思ったけれど……やっぱり甘いのね、私」
「一五歳の女の子ならば、それくらいが普通じゃないか?」
「貴方、ご家族はいて?」
ドミニクの突然の問いかけに、俺は戸惑った。何故そう言う質問がでてくるのか、瞬時には分からない。だが俺が答えるまでもなく、ドミニクは言葉を続ける。
「私には叔父さんしかいないわ。技師だった父は宇宙船の事故で死亡。音楽教師だった母は病気で。兄弟はいないし、残った血縁の叔母さんも一昨年亡くなった。音楽をやりたくてもお金がない。血の繋がらない叔父さんにそこまで甘えるわけにはいかない。お金が全てのフェザーンで、私の財産といえばこの身体と声だけ」
「……」
「声を売り物にするなら、身体は絶対に売りたくない……ただそれだけ」
あと四年でルビンスキーに見初められ、情人の一人となって一財産築き、ルパートを騙し、ルビンスキーの側で多くの陰謀を見つめてきた女性の、それが一五歳での意地だった。
「俺が気前のいいパトロンでなくて悪かったね」
俺はしばらくの沈黙の後、そう応えるしかなかった。学校に戻れと言うのも、覚悟を決めろと言うのも簡単だ。だが学校に行けと言うのは今までの努力も、将来の夢も諦めろと言っているのに等しい。覚悟を決めろと言うのは彼女を今まで支えてきた精神への侮辱だろう。
「……最初から期待していないからいいわよ。おかしなものね……フェザーン人の私より、フェザーンの事を理解している同盟の人なんて」
そう言うとドミニクはすっかり氷の溶けた烏龍茶を一気に飲み干すと、顔だけ俺に向けていった。
「こういうの、本当はルール違反なんだけど、貴方の名前を伺ってもいいかしら?」
「……ビクトル=ボルノー。ビクトルでもボルノーでも、どちらで呼んでも構わない」
情報部で勝手につけてくれた(というよりブロンズ准将の簡単なアドバイスで作った)偽名を俺は口にした。前世を含めて、偽名を名乗るのは初めてで、緊張していないと言えばウソになる。それを感じ取ったわけではないだろうが、ドミニクは一度目を細めた後、俺が今まで飲んでいたグラスに手を伸ばし、残り少なくなっていたウィスキーを一気に呷ると、空になったグラスを俺の目の前で掲げて言った。
「ビクトルさんの速いご出世を、私は心待ちにしているわ」
それからも俺は毎週火曜・木曜・金曜と変わらずドミニクのいる店に通い続けた。さほど高い店ではないとはいえ何度も通うわけだから、出ていく額も結構なものになる。それまで外食で済ませていた昼食も弁当にし、それなりに生活費を削ってどうにか月収支を黒字に持っていくことができた。時折俺を食事に誘ってくれる同僚もいたが、預金額を想像してから乗ったり断ったりをしている。それゆえか『ボロディン少将の家は倹約なのか』と変な噂すら立ってしまった。ゴメン、グレゴリー叔父。
そしてフェザーン当局から帝国軍の情報が入り、弁務官事務所での確認調査などで残業や泊まり込みがない限り、いつものように二〇時にはカウンター席の一つを占めて、ドミニクの歌と狭いスナックの室内を漂う来客の噂話に耳を傾ける。酔客に絡まれたときには笑顔で対処し、二ヶ月もすると常連として認識され、特にドミニク以外話しかけてくる人はいなくなった。時折女性が話しかけてくることもあったが、しばらくすると俺を挟んで反対側の席にドミニクが座るので、みな気まずそうに去っていく。
「若い男性がこの店に来ること自体、珍しいことだから彼女達も『機会』を逃したくないの。わかるでしょう?」
ドミニクは苦笑して俺にそう応えた。
「彼女達、ビクトルのことを『ヴィクトール要塞』と呼んでいるわ。カウンターに座ったらトイレ以外に動こうとしないし、幾らモーションの砲撃を仕掛けても小揺るぎもしないって。どんな『主砲』をお持ちなのか味わってみたいとも、言っていたわよ」
「幸いなのか不幸にしてなのか、一度も使ったことがないよ。実際あるのかすら、自分でも正直自信がない」
「あら、お国にはそういう人はいらっしゃらないの?」
「同僚に言わせると『シスコンで口から先に生まれた男』だからモテないんだそうだ」
俺がそう応えると、ドミニクはしばらく首をかしげたまま俺を見つめている。まだ右目まで赤茶色の髪は届いていないが、艶やかな髪が落ち着いた照明に照らされて、悩ましげにきらめいている。本人は卑下するが、充分に美人だと思う。俺に僅かだが好意を持ってくれていることもわかる。だが例え九割九分ルビンスキーに繋がっていないとは分かっていても、デートに誘ったりするのはどうにも気が引けた。
「……さしあたって、私も妹のように思われているという事かしら?」
「三人もいればもう義妹は充分だよ。新年のプレゼントをどうしようか、今から頭が痛いんだ」
「妹さん、お幾つ?」
「来年度で上から一三歳・一〇歳・七歳」
「可愛い盛りね。画像とかお持ち?」
俺が軍服姿のグレゴリー叔父や軍官舎の写っていない三人の集合写真を選んでドミニクに見せると、あら、と意外そうな声を上げた。
「みんな美人だけど、真ん中の妹さんだけ毛並みがちがうのね」
「いや、全員血の繋がった妹だよ。家族の中で血が繋がっていないのは俺だけだし」
「……ビクトル、養子なの? それで養われ先の義理の妹さんに、新年のプレゼントを贈るわけ? 貴方、ちょっと人が良すぎない?」
「いやこの歳まで養ってもらったんだから、むしろ当然じゃないか?」
と前世日本人らしく答えると、ドミニクは心底呆れたといった表情を浮かべている。フェザーンの家族愛がそれほど薄いとは思えないが、家族が血の繋がっていない年老いた叔父一人ということが影響しているのかも知れない。しばらくすると、『よし』と少し気合いが入った声でドミニクは呟くと、俺に身体ごと向き直って言った。
「今週の日曜日。良かったら、私と義妹さんのプレゼントを買いにご一緒できないかしら?」
句読点の位置が間違っている事を祈りつつ、覚悟を決めて俺はドミニクの申し出を了承することにするのだった。
後書き
2014.10.29 更新
第32話 羽化後の雨
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
取り合えずJrに、人生の節目が訪れます。
Jrが魔法使いになると予想された方、申し訳ありません。
宇宙歴七八六年一一月~ フェザーン
前世とは違い、クリスマスという独身男性をいい意味でも悪い意味でも苦しませる儀式はこの世界にはない。それは大変大変素晴らしいことだが、代わりに新年パーティーは存在する。同盟でも帝国でもここフェザーンでも宇宙歴(帝国は帝国歴とか言ってるが)を基本としているから、この人類世界でほぼ同日に行われているのは間違いない。誕生日を聞けば一〇月産まれが多いというのも、認めがたいが事実である。
ハイネセンの実家では家族そろってのパーティーが普通だった。まだ実父アントンが生きていた時はグレゴリー叔父一家が家を訪れてくれた。近年ではカストロ髭のコナリー大佐夫妻やウィッティとウィッティの保護者だったアル=アシェリク准将ご夫妻、そして去年からフレデリカ=グリーンヒルが、妹達への土産を持ってグレゴリー家にやって来る。
それはともかく。俺は今フェザーンにあって、何の因果かドミニクと一緒に妹達へのプレゼントを探すという、この世界に転生してから想像もしてなかったような状況下にある。フェザーンの中心街から少し離れた場所にあるショッピングモールが立ち並ぶ街の駅前で、いつものホロボロ姿でドミニクを待っていたら……
「貴方がモテない理由がよく分かったわ」
やや厚手の上着にフロントスリットの黒いスカートを身に纏っているドミニクが、俺の姿を見て開口一番にそう言い放つと、容赦なく腕をとって俺を男物のカジュアルスペースへと引きずり込み、勝手に次々と服を選んでは俺の持つ籠に放り込んでいく。
「これとこれに着替えて来なさい。いますぐ!」
現金で四〇〇フェザーンマルクも支払わされただけでなく、更衣室で強制的に着替えさせられる。歳下の、本来だったら少女と言っていい相手にいいようにされ、店員は苦笑を隠しきれていない。悪いがドミニクの姿をどう見ても御年一五歳とは思えないのだが。
「どうにか見るに堪える姿になったようね」
着替え終わった俺を見て、ドミニクは俺の顎に右手を伸ばしクイクイと俺の首を廻すと、大きく溜息をついた。
「義妹さん達へのプレゼントだけど、まさか傘とかおもちゃとか文房具とか考えてないでしょうね?」
「……だって義妹だし」
「義妹さんはそれで怒ったことはある?」
「ないよ。程度の差はあれ、みんな喜んでくれた」
「……貴方のセンスのなさが、どういう陰謀の上に成り立っているのかよく理解できたわ」
ウチの可愛い義妹達が俺に対して一体どういう陰謀を企てているのか。ドミニクが陰謀という言葉を言ったことで、一瞬ピクリとした俺だが対象が異なるので理解できない。俺が戸惑っていると、ドミニクは心底呆れた表情で、今度はフェザーンのみで販売するというブランド時計店へと引きずり込む。
俺の想像する値段とは全く違う。五〇フェザーンマルクより安いものは見当たらない。おもちゃでもそれなりに値が張るのはあったけれど、為替レートから考えても四〇フェザーンマルクを超えたものを買った覚えはない。
「ちょ、ちょっとドミニク……」
「ビクトル、妹さん以外の女の子にプレゼントを贈ったことはないんでしょう?」
「そ、そんなことは」
前世を含めればある。あるにはあるが、贈られたときの相手の微妙な表情を思い出し、暗澹たる気分に陥る。
「じゃあ黙ってみてなさい。上の妹さんは褐色肌に金髪だから……これ。真ん中の妹さんは白い肌に黒髪だからこれと。一番下の妹さんは、もう少し可愛いデザインがいいでしょうね。じゃあ、これ。あ、あとこれも」
二八〇マルクに二三〇マルクに一九〇マルクに五五マルク……せしめて七五五フェザーンマルク也。
「なんで四つ?」
「最後の腕時計、別のデザインにしてもいいのよ。その代わり五〇〇フェザーンマルクになるけど?」
一瞬ではあるが、原作でよく見たあの迫力ある目つきを見せつけられ、俺は両手を挙げざるを得ない。それでも五五フェザーンマルクの品で抑えてくれたのは、ドミニクの好意だろう。店員の残念とも微笑ましいとも取れる表情に、財布から大枚を出す俺としては、もうどうにでもしてくれといった気分だった。ご自宅まで配送しますか、という問いには即座に俺は頷き、ドミニクが五五マルクの腕時計を早速腕にはめている隙に、グレゴリー叔父の自宅住所を記入する。ただし配送料は三八〇フェザーンマルク也……
「女の子へのプレゼントを買うときはもう少しお金を持ってくるものよ」
全くの浪費の後、テラス式のカフェでドミニクは綺麗な長い足を見せつけるように組んで、俺に言った。為替レートで行けば、今日ここまでの出費は月給の半分にほぼ等しいのだが。
「腕時計の代わりに、次の火曜日のお代は半額にしてあげるわ」
恩着せがましいというよりは、折角ついた贔屓の客へのサービスという感じでドミニクが言うものだから、余計に腹がグルグルとする。深く息を吐くつもりでモールのメインストリートを眺めると、若い少女のグループがジェラートを片手に、お喋りしながら歩いているのが目に入った。ジュニアスクールくらいだろうか。年齢だけで言えばドミニクと同じぐらいだ。俺の視線に気づいたのか、ドミニクも少女の一団に視線を向ける。
「ああいう姿を見て、私が傷つくとでも思っているの? ビクトル」
「いいや。あちらに行こうと思えば、今からでも方法があることを、君は知っているはずだ」
「……そうね。実の親がいないのは貴方も同じだったわね」
しばらく俺とドミニクは視線を合わすことなく、メインストリートの人の流れを見つめた。幼い子供を肩車した父親と乳母車を押す母親。周囲にハートをまき散らす二〇代のカップル。笑い声と喧噪をまき散らす一〇代の男女グループ。目つきの悪い少年は買い物袋を下げて一人ぼっち。
「ビクトル。私、これから行きたいところがあるけれど、一緒に来ない?」
「構わないが、あまり遠いのは」
「場所は中央市街よ。帰り道になるわ」
そう言い放つとドミニクは席を立ち上がり、すたすたとメインストリートへと歩みを進める。俺もその後についていこうとするが、その行く手をウェイターが遮る。俺が若いウェイターを睨み付けると、その手にはオーダー表が握られていた。
移動中、ドミニクはずっと黙ったままだった。何かに怒っている……わけでもない。怒っているならば一緒に行きたいところがあるなどと言わないだろう。フェザーン生まれの彼女なら、俺の尾行を巻くことなど容易なはずだ。リニアから降りたときも、舗装された道を歩いているときも、ひたすら無言。日曜日なので当然人通りは多かったが、中央官庁や行政府が林立する地区に入ると途端にその数は減る……
フェザーン自治政府警察本部、航路局、少し離れたところに自治領主府、財務当局、フェザーン準備銀行、超光速通信管制センター……ただひたすら『仮想敵』の施設が俺の視界を抜けていく。余計に呼吸が荒くなる。そして、ドミニクの歩みは全く止まらないが、もうここまで来ればドミニクが向かいたい場所というのは想像がつく。華美ではないが、だからといって実用一点張りでもない重厚な造りをした建物。自由惑星同盟フェザーン駐在弁務官事務所。
その正門から五〇メートルくらいの場所でドミニクは立ち止まる。おそらく、いや間違いなく、俺とドミニクの姿は赤外線監視システムで捉えられていることだろう。俺が一人で映っている分には問題ない。何しろ日曜日を除くほぼ毎日、この建物に通い詰めているのだから。だが、ドミニクは……
「行きましょう」
ドミニクはそういうと狭い路地へと身を翻す。その動きは素早く、ついていくのも精一杯。ただ路地に入った時に僅かに感じた尾行の気配は、あっという間に消えていく。一〇分程度の運動の後、たどり着いたのはいつも来るドミニクの店。地下に降り、鍵を開けて入ると、当然ながら人の気配はない。
「どこにでも座って。今日が休日だってみんな知っているから誰も来ないわ」
俺がいつものカウンター席に座ると、いつもなら叔父が立っているカウンターにドミニクは入り、下の棚から深紅のリキュールを取り出した。並べられたグラスを二つとって、俺の前に並べてリキュールを注ぐ。俺の分を注ぎ終わると、ドミニクは断るまでもなく一気に自分の分を飲み干した。吐きだした血のように薄い唇に残った赤いリキュールを右手で拭うと、カウンターテーブルに両手をつき、俺の顔に自分の顔を寄せ付ける。据わった薄い空色の瞳の中に、俺のとぼけた顔が映る。
「さて、ビクトル」
酒に酔っているというより酔わされているという口調で、ドミニクは俺に囁くように言った。
「私は貴方に『覚悟』を見せたわ。次は貴方の本当の名前、教えていただけないかしら?」
「ヴィクトール。ヴィクトール=ボロディン」
もはやウソを答える必要はない。例えドミニクが黒狐に飼われている可能性があっても、弁務官事務所のカメラにその身を晒した以上、勤務熱心な同僚諸君がドミニクのことを独自に調査するだろう。俺に近づいた怪しいフェザーン人として、フェザーン当局に照会を求める可能性もあるが、そこまで馬鹿ではないと思いたい。
そして同盟弁務官事務所周辺に潜んでいるフェザーン側の監視網もドミニクを捕らえた可能性は高い。フェザーン人の同盟側工作員として、今後の警戒対象にされるだろう。だがそれを帝国に情報として売るかどうかは微妙なところだ。
「年齢は二三。階級は大尉。自由惑星同盟フェザーン駐在弁務官事務所つき駐在武官」
「第一艦隊副司令官の甥で、宇宙歴七八四年士官学校首席卒業者。少しばかり間抜けで、生真面目で、女心に疎い、どうしようもない人」
そう言い放つと、ドミニクはきめ細やかな両手を俺の両頬に当て、自分の唇を俺の唇に押しつけるのだった。この後、何があったかは言わない。ただ宿舎に戻ったのが深夜だったことは付け加えておく。
それからドミニクの店で収集される情報は増加することになる。他の女性が歌っている時、今までは俺がじっと聞き耳を立てているだけだったが、今度はドミニクが直接接客することで客から少しずつ情報を抜き出してくれる。国家の存亡を揺るがすような情報など、中小企業の幹部や接待客、中間所得層が持っているわけなどないが、電子新聞に載らないような些細な情報が少しずつ漏れてくる。宇宙船の材料を生産する帝国内の鉱山で、労働者の一部が減っているとか、帝国側の商人が紙パルプの買い付けを始めているとか、帝国の誰それという若手貴族が軍拡を求めているとか。
逆にドミニクが俺に話を聞くこともある。同盟内部の政治情報、軍事情報、経済情報……当然ながら駐在武官としてリーク出来る情報と出来ない情報の区分けがあるから、それに合わせたレベルでドミニクに伝える。ドミニクに伝えた情報は市中に出回ってはいないが、同盟と取引のある商人にある程度の金額を払えば得られるようなレベルのものばかりだ。それでも店に来ればタダで聞けるわけだから、必然とドミニクに対する客の口も軽くなる。
これじゃまるで『ヒモ』だなとカウンターに座って、ボックスソファーの賑やかな笑い声を聞きつつ俺は自嘲せざるを得なかった。お客も少しずつ増え、狭い店は満席になることもある。働く女性も増えたことで、ドミニクも勤務日数を週二日に減らしてお客の数を調整している。年が明けて二月、三月。帝国軍の遠征を察知し、フェザーン商人の動きと、漏れ聞こえてくる調達物資の量からその動員規模を計算し、その数値が五月の辺境部における交戦でほぼ正確だったことが判明し、アグバヤニ大佐からまさかのお褒めの言葉を頂くことにもなった。
ドミニクのプライベートも順調だった。勤務日数が減り、かつ収入が増えたことで歌やダンスのレッスンに割ける時間が増え、オーディションで落選しても審査員の評価はかなり高くなり、七月のオーディションではほぼ間違いなく歌手デビューすることが出来るだろうという話になっているようだ。誰のお陰か細かった身体も女ぶりを増し、元々大きかった胸と腰との釣り合いが取れてきて、理想的な曲線美を描くようになってきている。
「貴方に会えただけで、これほど変わるとは思わなかったわ」
七月初旬の金曜日。接客の合間を縫って俺の隣に座ったドミニクは、艶を増した笑顔で囁いた。もともと頭にもスタイルにも声にも才能はあって、たまたま一五歳から一六歳という時期に会えただけで、俺が彼女に何かしたわけでもなんでもない。そう思うと内心忸怩たる想いが渦巻く。微妙な空気を感じ取ったのか、ドミニクは何も言わずに俺の背中をポンと叩くと、再びボックスソファーへと戻っていく。そのタイミングだった。
胡桃材の扉につけられた鈴が鳴り、来客を告げる。いつものようにカウンターに詰めているドミニクの叔父さんがそれに応える。
「いらっしゃい」
「ほう、噂通りなかなか良い店だな。席は空いているかね?」
重々しい響を持つ、強い男のみが持つことを許される声。聞き覚えはある。時折開かれるパーティーで遠巻きに。直接聞いたのはもう一年近く前のこと。そして俺の隣の席は、ちょうど空いたばかりだ。
「隣に座らせていただこうかな。ご主人、ウィスキーをストレートで二杯。彼に一つ渡してくれ。私の奢りだ」
大きく重厚な身体が、貧弱なカウンター席に小さな悲鳴を上げさせる。そしてその男は俺に大きな顔を向けた。
「久しぶりだな。ボロディン大尉。フェザーンでの暮らしが充実しているようでなによりだ」
そう言うと、アドリアン=ルビンスキーは俺に向かってグラスを掲げるのだった。
後書き
2014.10.30 更新
第33話 決められた天秤
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
これでフェザーン編はオシマイです。
宇宙歴七八七年七月~ フェザーン
男という生き物には「格」がある。
人格、風格、体格……いろいろあるが、結局は分野別の序列付けだ。誰は誰より●格が上である、そういう使い方が一般的だ。
そして今、俺の隣に座る巨漢にしてフェザーン自治政府高等参事官アドリアン=ルビンスキー。
並んでフェザーン人が評せば、一〇〇人が一〇〇人して俺よりルビンスキーの方が、格が上だと言うだろう。地位にしても、資産にしても、体つきにしても、そして人間としても。年齢は三二歳。俺より九歳年上のはずだ。だが身に纏う覇気は年齢以上の差を感じさせる。
「どうした。大尉。飲まないのか? 毒など入ってはいないぞ」
「この店の品物に毒が入っているとしたら、とうに死んでいます。高等参事官殿」
「おやおや、一〇ヶ月前のことを忘れたのかな。『ヴィクトール』」
ルビンスキーの声は聞くだけで人の腹を振動させる。薄手のカットソーにサマージャケットの姿は、いつもより威圧感をまき散らしている。幸いボックスソファーの方に背を向けているので、気がついている者はいないようだが、トイレに立つため脇を抜けた中年の商人が顔をチラ見してギョッとしたので、この店から客がいなくなるのは時間の問題だ。
「高等参事官殿をお名前で呼ぶのはさすがに恐れ多いですから、それは勘弁していただきたいですね」
ウィスキーで喉を灼いたお陰か、かろうじて俺の舌は心臓の鼓動と比例せずに済んだ。
「それにしてもこのような場末の酒場に足をお運びになるとは驚きです」
「運ぶとも。足を運ぶ手間より利益になるのならば」
さも当然という口調。ルビンスキーは最初にグラスを掲げてからずっと、グラスの中の氷を見下ろしている。
「ここでは火曜日と金曜日、酒を飲むだけで同盟の話が聞けるらしい。しかも囁くのは歌の上手い赤茶色の美女と聞く。彼女がどういう伝手で同盟の情報を手に入れるかは知らないがな」
俺を横にしてルビンスキーはそう呟く。ドミニクの情報源が俺と知ってこの店に来たのは言うまでもない。だからこそ奴に、正直に応えてやる必要はない。
「この店の酒は逸品揃いですよ」
「ほう。君は彼女が逸品ではない、と言うのかな。大したものだ」
絶妙な返しに俺は奥歯で歯ぎしりすることしか出来ない。そしてどうやらボックスソファーにルビンスキーの来店は伝染したようで、こちらを伺うような視線と気配が次々と俺の背中に突き刺さる。ドミニクがその気配をすかさず感じ取って、自然な動きでステージへと上り歌い始めるが、来客の緊張感をほぐすには至っていない。
そして三〇分もしないうちに店内は俺とルビンスキー、そしてドミニクとドミニクの叔父を残して空っぽになった。トイレに立つふりをして、ドミニクが俺に心配そうな視線を向けるが、俺は『近寄るな』と眉をしかめる事で合図すると、ボックスソファーの片付けに戻っていく。
「愛とか恋は幻想の代物だと、君は知っているか?」
ルビンスキーの奇襲に、俺は首を意識的にゆっくりと回し、大きな顔を睨み付ける。ルビンスキーは俺の視線などまるで気にしない。ゆっくりとグラスを傾けてウィスキーを太い喉へと流し込んでいる。明らかに俺の返答を待つ態度だ。応えてやらねば、聞き耳を立てているドミニクもドミニクの叔父も失望するだろう。
「幻想という言葉は実に高等参事官らしいお言葉です。閣下は愛も恋も信じた事がないのですか?」
「信じるという言葉も幻想だな」
「……閣下は悲観主義者でいらっしゃるのですか?」
「君ほど楽観主義者でないことは確かだな」
そう言うとルビンスキーは鼻で笑う
「仮に君の言う愛が現実にあるとして、君は彼女を幸せに出来るのかね?」
それは言われるまでもなく、俺がドミニクと『そういう』関係になってからずっと考えていたこと。だがルビンスキーは容赦しない。
「まず彼女の幸せというものを考えてみよう。彼女には両親がない。心優しい叔父さんはいるが、年老いて将来が心配だ。とりあえず来月にはデビューも決まった。歌手としての一歩を踏み出せる。踏み出すことは出来るだろう。さて、売れるかな?」
俺が顔色を変えなかったのを誉めてほしいと、今ほど思ったことはない。ルビンスキーがこの店に訪れた時からおおよそ予想していたとはいえ、この男の声で聞かされると改めて胃が縮んでいく。
「……フェザーンの遣り口は十分承知の上ですよ」
「君が彼女を連れて同盟に帰ったとしよう。フェザーンの美しく聡明な女性をボロディン家は歓迎するだろう。だが統合作戦本部はどう思うかな? 果たしてグレゴリー=ボロディン少将を中将に昇進して良いものだろうか」
「子供の罪が親に伝染するほど、同盟の法体制が揺らいでいると思っておいでなら、勘違いも程々に」
「法が揺らいでいるとは考えてないさ。揺らいでいるのは常に人間の方なのだからな」
「……」
それが真実であることは承知している。法は健全でも恣意的な運用はある。グレゴリー叔父がいくら有能で、誠実な軍人であろうと敵はいる。軍の出世レースは常に過酷だ。
そしてドミニクは俺と一緒に同盟弁務官事務所のカメラに写っている。優秀な同僚がその内偵を進めているのは間違いない。この店の事ももう承知しているだろう。ただこの店に俺も顔を出していること、そして先の会戦で有効な情報を提供できたことで、この店とドミニクの存在は同盟に利するものとして考えている。ドミニクがフェザーンを捨てて同盟の人間となっても直接危害を加えられる恐れはほとんど無い。
だがフェザーンで情報工作を担っていた人間が、同盟の軍人の家族となることを軍部や情報機関は深く警戒するだろう。しばらくは監視の目がつく。そしてグレゴリー叔父の競争相手にとって見れば、小さいながらもスキャンダルの種になる。花を咲かせるかは分からないが、可能性は充分すぎるほどに。
そして連れて帰った俺はどうなるか。士官学校首席卒業。二年で大尉。速い出世であることは否定しない。だが原作通りなら帝国領への侵攻まではあと九年。それまでに戦略を左右できる地位にまで昇進できるか……まず無理だろう。そうなると同盟を救うには金髪の孺子を早々に殺すしか選択肢がない。
いいや、すぐに連れて帰る必要はない。勿論『愛は不滅だ』とは言わない。置き去りにされたとドミニクが考え、心変わりする事もあるだろう。前世でも遠距離恋愛の成立が困難な事は承知の上だ。だが俺が昇進し、帝国領侵攻を阻止できれば……いつでもドミニクを同盟領に呼べる。俺が希望を僅かなりとも取り戻したタイミングだった。
「そうだ、これも君には言っておかなければならないな。昨夜のことだが、ボルテック対外交渉官がアグバヤニ大佐と会ったそうだ。君のことも話題に上ったそうだぞ」
そう言いながら、何の話題かまでは言及しない。ボルテックに問えば、それは同盟弁務官事務所駐在武官の間で情報の齟齬が生じていることを公にするようなものだ。逆にアグバヤニ大佐に問えば、既に俺とドミニクの関係を知っているであろう大佐は俺に疑念を持ち、何らかの行動をとることだろう。泰然自若として無視する。それしかないが……やはり大佐は黙っていないだろう。
「守るものが多いというのも大変だな」
それはルビンスキーの勝利宣言だった。俺が自らの身の程知らずと無謀さと愚かさを痛感し、背を丸めて両拳をカウンターテーブルに押しつけるのを見て、ルビンスキーは再び鼻で小さく笑うと席を立って店を出て行こうとする。
「ルビンスキー」
俺は自分の腹の中から勝手にわき出る感情に身を任せた。
「今の俺には才能も実力も覇気もないが、時期を待つという事は知っている。あんたはいつか自分の身の丈以上の欲望に溺れるだろう。気をつけるんだな」
「……なるほど。心しておこう」
胡桃材の扉の前で足を止めて首だけ振り返ると、ルビンスキーはそれだけ言い放ってこんどこそ出て行った。
扉がゆっくりと閉まり、鈴の音が収まってから、ドミニクは俺の処に駆け寄ってきた。背中越しでも泣いているのははっきり分かる。ルビンスキーの言葉の全てを聞いていたのだろう。言葉に出さなくても、彼女には次にどういう事態が待っているかは理解できている。今あるのは手持ちぶさたというより、ルビンスキーの脅迫を真っ向から受ける形になったドミニクの叔父の、逃げともいうべき食器を洗う音だけだった。
……それからの状況変化は、こちらが呆れるほどに素早いものだった。
ルビンスキーと会った次の日には、アグバヤニ大佐から呼び出しを受けて、ドミニクとの関係を説明させられた。一通り事実を説明すると大佐は最初こそ頷いていたが、フェザーン自治政府から『好ましからざる行動』と指摘されたことを俺に告げた。
「その女性との関係が悪いとは言わん。君の倫理観に、私は口を出すつもりはない。ただ君がその女性を利用し、同盟に有為な情報を入手した功績はともかく、フェザーン当局はあまり快く思ってはいないようだ」
いちいち大佐の言うことはもっともでもあり、同時に俺の神経を逆なでさせるものであり、自分の馬鹿さを痛感させるものでもあるので、俺は大佐に何も応えなかった。それが逆に大佐を困惑させたのか、しなくてもいい咳払いをしてから、大佐は書類を開いて俺に告げた。
「駐在弁務官からも君の行動を問題だと言ってきている……残念だが君には転属してもらうことになる。統合作戦本部人事部も事態を憂慮し、一週間後を目処に転属先を連絡するそうだ。それまでは駐在武官宿舎での謹慎を命じる」
「承知しました」
他の駐在武官も似たようなことをやっているのに、自分だけ処分されるのはおかしいではないか、と抗議するまでもなくあっさりと俺が応えたもので、大佐はいぶかしげに俺を数秒見ていたが、結局追い払うような手振りで、俺に退出を命じた。
宿舎での謹慎となれば当然ドミニクの店に行くことは出来ない。荷物と資料を整理し、朝昼晩と食堂で食事をし、ただ時間が過ぎるのを待つ。同僚もあえて遠巻きにして近寄ってこない。彼らとて俺と同じような傷を持っている。ただ相手はドミニクのような女性ではなく、もっと欲の皮の突っ張った男であり、『そういう』関係ではないというだけで。
一週間後、再び大佐に呼び出されると、執務室で俺は辞令を受けた。同盟軍の徽章を頂点に印刷したピラピラの辞令書に記載されていた俺の次の赴任先は、マーロヴィア星域防衛司令部付幕僚。宇宙歴七八七年八月三〇日までに赴任せよとの指示だった。
マーロヴィア星域はハイネセンから四五〇〇光年。フェザーンからは約六〇〇〇光年。自由惑星同盟きってのド辺境で、ハイネセンからでも余裕で一月以上の旅程になる。それを八月三〇日と断ってまで書いてあるということは、『ハイネセンに寄るな』と言っているに等しい。フェザーンからはポレヴィト・ランテマリオ・ガンダルヴァ・トリプラ・ライガールと少ない定期便を綱渡りしていくことになるだろう。しっかりとチケットが用意されているのは、フェザーン側の配慮かも知れない。
そのチケットに従い軌道エレベーターで宇宙港まで上り、フェザーン船籍の旅客船に乗り込む前のこと。ふと壁一面に映された映像に目を奪われた。赤茶色の長い髪は繰り返されるフラッシュによって輝きを放ち、きめ細やかな肌はより美しく瑞々しく写されている。腕には大きなトロフィーを抱え、マイクを向けられ笑顔と泣き顔の中間というべき表現しにくい顔をしている。
「三度目の挑戦での頂点、ドミニクさん。今のお気持ちをお聞かせ下さい!」
アナウンサーの質問に、画面の中のドミニクはなんと応えて良いか分からないといった表情を浮かべた後、「嬉しいです」と応えた。
「では、今のお気持ちをどなたに伝えたいですか?」
その質問に俺の足は止まり、画面を見つめる。繰り返されるフラッシュの光に目を細めつつ、ドミニクの顔を見つめる。
「……今まで応援してくださった、多くの人達に感謝したいです。とっても」
そして俺はその言葉を背に、辺境への搭乗口へと歩みを進めるのだった。
後書き
2014.11.01 更新
第34話 頑固爺とドラ息子
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
ド辺境で爺様と共に一旗揚げようとJrは頑張ります。(まだ導入部分)
皆さんのご期待に応えられるような作品をお送り出来るよう頑張ります。
宇宙暦七八七年八月三〇日より マーロヴィア星域 メスラム星系
旅程五三日。その間に海賊の襲撃を受けること三回(逃走・交戦離脱・逃走)。武装輸送船リリガル四四号に乗った俺は、ようやくマーロヴィア星域の中核である惑星メスラムの軌道上に到着した。
俺の新任地となるこの星域を説明するならば、ド辺境の一言で済む。星域管区に含まれる星系の数は一六を数えるが、有人なのはその内の四つ。メスラム星系はその中でも人口の多い星系であるが、総人口は一五万。星域全体でも二〇万に達しない。前世で言えば東京都の特別区位か。惑星メスラムはヤンが赴任した惑星エコニアとほぼ同レベルで、主な産業は液体水素燃料製造と農業、それに宇宙船装甲用材に使われる金属の小惑星鉱山群がある。
本来なら小惑星鉱山で働く鉱山労働者をはじめとした鉱工業の発達が望め、しかも惑星メスラムは岩石型惑星であり、液体としての水が存在でき、しかも呼吸可能・屋外活動可能な大気圏と、地球標準重力の一・二倍の重力を有していて自転周期は二七時間と、これ以上の天然惑星は本来望むべきではないと言うべき環境なのだ。その星系が何故発展しなかったのか。
理由の一つはハイネセンからフェザーンにかけての同盟中央航路からあまりにも距離があること。同様の鉱山で中央航路により近い箇所は数多く、特に市場への距離は絶望的で、価格・輸送時間・生産量で勝負にならない。
次に恒星の出力が小さいこと。地球よりやや大きい惑星メスラムの大地に降り注ぐエネルギー量は少ない。自転軸の関係もあるが、両極地が極めて広く惑星全体が寒い。カプチェランカのような極寒ではないにしても、雨が降るより雪が降る季節の方が長い。ゆえに植物は耐寒性の強いものか、工場や人工環境(居住ドームみたいなもの)内でしか生育しない。
また鉱山が小惑星帯にあること。鉱山労働者は惑星上に居住地を持ちつつも小惑星まで行って作業に従事する事になる。すべてを小惑星帯で行う事は可能で、実際操業している企業は「鉱山船」と呼ばれる移動式のプラントを用いている。だから惑星上がそれほど発展させる必要性がない。自然重力下における休暇と娯楽の簡単な施設があればそれで十分なのだ。
そして最大の要因は宇宙海賊だ。プラントも精製金属も、宇宙海賊にとってみれば垂涎の資材である。各星域管区を統括指揮する統合作戦本部防衛部の資料だけで二〇以上の海賊が確認されている。常駐しているわけではないだろうが、広大な公転距離を持つ濃密な小惑星帯に潜まれては、確認が難しい。
同盟政府も同盟軍も宇宙海賊の討伐には力を入れているが、経済的な面から中央航路を優先する。艦艇も兵員も有限である以上、それは仕方のない。だが広大な星域管区版図を有するマーロヴィア星域に配備されている艦艇が、僅か二三九隻というのはいくらなんでも少なすぎる。一星系の防衛戦力ではない。一星域の全戦力(戦闘艦艇のみ)で二三九隻。戦艦はたったの五隻。巡航艦が一三五隻に駆逐艦が一〇四隻。当然ながら宇宙母艦は配備されていない。巡察艦隊と警備艦隊の区別もあるわけもない。兵員数は一万四〇〇〇人弱。定員充足率六〇パーセント以下……惑星住人の一〇人に一人が軍人である。シャレではなく、軍事基地も産業の一つなのだ。まぁ三六〇〇人しかいないエコニアに比べれば、軍艦があるだけまだマシかもしれない。
そして俺の転属に合わせこの星域の防衛司令部の顔触れも幾人か変更されることになった。正確に言えば、防衛司令部の顔触れが情報参謀と後方参謀を除いて交代するので、大尉の一人くらい捩じ込めるスペースがあったというだけ。当然司令部付き幕僚などという役職に前任者はいない。新任司令官の名前はまだ知らされていないが、結果として一番乗りする形になった俺は、前任の司令官、首席参謀、情報参謀、後方参謀、副官からヒアリングし、一応の星域状況を把握する事が出来た。もはや誰が司令官に来ようと現状を良くすることはできないというのが五人の一致した意見であり、俺もおおよそ同意できた。つまりそれが示す意味は、もう中央に戻ることはできないということ。暗澹たる気分に包まれつつも、交代する各人と引き継ぎ資料を作成し、個人的にも星域関連資料を作成して、新しい司令部の着任を待った。
「で、最初に到着した貴官が、オマケに付いてきたという御曹司か」
司令官用の執務席に座った老人は、俺を一瞥してから、まずは一撃とばかり毒舌を打ち込んでくる。
まだ若干黒いものが残ってはいるが、大部分が白髪に覆われた頭部。眉も髭もモサモサして、額には長年の苦労を忍ばせる皺が多数刻みこまれている。だが歳を感じさせない、瞼の奥に輝く瞳には力がみなぎっていた。短気で頑固な人物と言われる。後の第五艦隊司令官にして、ラリサお気に入りの戦艦リオ・グランデを墓標とした、同盟軍最後の宇宙艦隊司令長官……
「さようです。ビュコック准将閣下」
「『さようです』か。あ~士官学校七八〇期生首席卒業。査閲部で一年、ケリムで一年、フェザーンで一年。現在二三歳で大尉。なるほど」
頑固オヤジことアレクサンドル=ビュコック准将は、俺の経歴書と俺の顔を交互に見ながら頬づえをつき、つまらなさそうな口調で言った。
「大尉。わしが大尉に昇進したのは三五を過ぎてからになってからなんじゃよ。軍歴二〇年を前にしてようやく駆逐艦を任されてな」
「存じております」
「……わしの経歴を、何故貴官は知っているのかね?」
明かに不愉快だといった表情でビュコックの爺さんは俺を睨み上げる。確かに爺さんから見れば不愉快な事だろう。二等兵からの叩き上げ、現在は六一歳だから四二年目というところだ。こちらの世界での俺の人生の二倍半、軍歴だけなら二倍弱。そんな彼から見れば、俺など苦労知らずの御曹司だ。
「本を一冊書いたとはいえ、わしはそれほど有名人だと、ついぞ聞いた事はないがな」
「査閲部に在籍した折、マクニール少佐と知己を得ました。少佐は小官に砲術の話をされる際には、必ずと言っていいほど閣下のお名前を出されました。“同盟軍でも最高の砲手の一人だ”と」
「マクニール……あぁ、“酔いどれマクニール”か……ほう」
視線の質が不愉快から疑念まで変化した。そして俺の経歴書を未決の箱に放り込むと、手を組んで皺の寄った顎を乗せて俺を見上げる。
「彼の掲げる砲術理論……理論というものではないな、『コツ』を言ってみたまえ」
「おおまかには『相手より先に撃つより、早く正確に撃ち返せ』と『むやみやたらと射点・射線を変化させるな』の二点です」
マクニール少佐が退役するまで、査閲部で俺と膝を突き合わせて話した事は基本的にその二点に収束される。他にもいろいろな『コツ』は教わったが、それらのほとんどが引き金を緩くするといった分野であって、ビュコックの爺さんが聞きたい事はそういうことではないだろう。本当に俺が自分の知るマクニール少佐と知己を得ているのか、疑っていたということか。
そういうとビュコックの爺様は未決の箱から決済の箱に俺の経歴書を移す。そして俺に顔を寄せるように手招きした。俺がそれに従って前進し爺様に顔を寄せると、爺様は老人とは思えぬ動きで席から立ち上がり、固い右拳が俺の頭めがけて振り下ろす。誰がビュコック提督のそんな動きを予想する!?
「イタァァァ!!」
「この馬鹿息子が!!」
頭蓋骨が割れたかと思うくらいの痛さで思わず床に蹲る俺を、爺様は容赦なく叱咤する。
「シトレ中将はフェザーンに配属させた張本人を探しに情報部まで怒鳴り込んだというのに!! それだけ期待されているにも関わらず、軽率な行動でこんな辺境に流されおって、反省せい、反省!!」
最初から俺の事など全て知った上での演技だったわけで、俺はものの見事に爺様に騙されたわけだ。そしておそらくこの人事もクソ親父(シトレ中将)がまたも干渉した結果だろう。本当は感謝したい気持ちで一杯だが、この痛撃はそのお叱り分ということなのか。左手を頭に当て、涙ながらに俺がかろうじて立ちあがると、爺様はドンと先ほど俺の頭に振り下ろした拳を執務机に叩きつけた。
「あのマクニールが一緒に酒を飲んだほどの男なら見どころは十分ある。まず貴官にはケリムで見せた実力をこの辺境で見せてもらうぞ。後から来る連中を交えてな」
そう言うと爺様はどっかりと音を立てて席に座りなおす。
「さぁ、ジュニア。マーロヴィアの大掃除じゃ!!」
爺様の年齢不相応な覇気の溢れる声に、俺の背筋は自然にピンと伸びるのだった。
その翌日。交代となる星域管区参謀長と司令副官が軍の連絡船で到着した。参謀長はルイ=モンシャルマン大佐。司令官付き副官はイザーク=ファイフェル少尉。いずれも原作の登場人物であり、第五艦隊の幕僚幹部だ。いずれも原作より若干若作りであり、ファイフェル少尉など士官学校卒業したばかり。それでいきなり初任地がなんでこんな『修羅場』なのかと恐怖と困惑で落ち着きがない……無理からぬ事だとは思うが。
一方で残留組も改めてビュコック爺様に挨拶する。情報参謀はウォリス=リングトン中佐。西欧系の三〇代前半で、士官学校情報分析科卒。艦隊情報参謀も兼任している。後方参謀はグエン=サン=チ少佐。五〇代後半で、軍補給専科学校卒。やはり艦隊後方参謀も兼任している。そして俺も転属という形なので、前任者はいないが残留組として扱われるらしい。つまりビュコック爺様が呼び寄せた(ファイフェル少尉は人事部の機械抽選の結果だろう)のが交代組。それ以外は残留組だ。
もう年配の、准将に昇進していなければとっくに退役している歳のビュコック爺様が、あえて新任の司令官としてこのド辺境に赴任したということは、爺様の言うとおり「大掃除」の為に選ばれたということだろう。准将の定年は六五歳なので、治安回復には四年はかかると統合作戦本部防衛部は考えていると見ていい。
内々に治安回復の命令を受けたビュコック爺様は、司令部要員を全員交代させる権限があったにしても、情報参謀と後方参謀はあえて残したのは、どんな人材にしろ現状の問題点を把握するには、当の本人から聞いておくべきとの考え方からだろう。俺の存在は正直計算外だったのだろうが。
「この星域がド辺境じゃということは承知しておる。じゃからといって海賊の跳梁跋扈を許しておくわけにはいかんのだ。各人にはそれぞれ職務に精励し、治安改善の手助けをしてもらいたい。以上じゃ」
ビュコック爺様の簡単な訓辞が終わり、それぞれの執務へと戻っていく中で、俺は再びファイフェル少尉に呼ばれて爺様の処へと引き返した。やはり同じように呼び戻されたのか、モンシャルマン大佐も爺様の執務室で待っていた。
「転属してからヒマだったジュニアの目から見ての感想で構わない。現有戦力で海賊共を制圧することは可能かね?」
モンシャルマン大佐の実務家を思わせる重みのある声での問いに、俺は一呼吸置いてから応えた。
「現有戦力が全て信頼に値するというのであれば、可能であると考えます」
「つまりは内通者がいると考えていいわけだね?」
「さようです」
「リングトン中佐とチ少佐は、海賊討伐に際し、信頼に値する幕僚と思うかね?」
「小官が転属したのはつい数日前ですので、彼らが信頼できるかは正直分かりかねます」
「君が海賊討伐の総指揮を担うとして、最も必要とされる事項を一つあげるとすれば何かね?」
「行政側の助力と緊密な連携です」
海賊と戦って勝つのはそれほど難しい話ではない。ケリム星域の『ブラックバート』のように元軍人で、戦艦すら運用する大がかりな組織は別として、軍艦と海賊船では武装にも練度にも格段の差がある。だが海賊は小規模故の身軽さで潜伏・移動・攻撃を行う為、勝つことは可能でも制圧することは困難だ。
彼ら海賊を制圧するには武力だけではだめだ。海賊になる理由は人それぞれだが、その一つとして経済的困窮が上げられるのは間違いない。違法な商取引、掠奪、人身取引などに手を染めるのも、貧しさゆえにという処もある。貧しさから脱却できる合法的な手段があるのならば、命を天秤に掛けるような海賊行為を行うのは、反政府組織か犯罪組織かのいずれかである。そして星系の経済を指導するのは軍部ではなく行政府である。
そこまで俺が説明するまでもなく、モンシャルマン大佐は無言で頷くと、爺様と一言二言話す。爺様は厳しい目つきでそれを聞いていたが、三〇秒もしないうちに大佐に小さく手を掲げて話を止め、椅子から立ち上がった。
「ジュニア。貴官がケリムで『ブラックバート』を壊滅寸前まで追い込んだのは、わしも聞いておる」
初対面の時、この話はしているのであえていうのは、モンシャルマン大佐とファイフェル少尉に聞かせるためだろう。俺が頷くと、爺様はさらに続けた。だが次の言葉は考えていなかった。
「その実績を鑑み、貴官に海賊討伐の全ての作戦立案を命じる」
「……作戦立案の権限は司令官と参謀長のみに与えられる権限であると考えますが」
それを考えるのは、統合作戦本部から命じられた爺様達の仕事でしょう、と俺は含みを持たせて応えたが、爺様達は一度視線を合わせた後で俺に応える。
「わしと参謀長は、現有戦力の把握で手一杯じゃ。同時に作戦を考える余裕なぞない」
さすがにそれは明確なウソだと、俺にも士官学校を卒業したばかりのファイフェル少尉にも分かる。
「ゆえに参謀長より、貴官に作戦立案を命じる。指揮権限は司令官準拠とし、戦力は星域管区の戦力のみとして作戦を立案せよ。期限は二週間以内だ」
「……ですが」
「いいかね、ジュニア」
爺様の声のトーンが、人の背中を引き締めるような、やや危険なゾーンへと入っている。
「広大とはいえ辺境の軍管区に、『次席幕僚』などという余剰人員を飼っておく余裕はないのじゃよ。給与を振り込んで欲しかったら、それなりの仕事をしてもらわんといかんのでな」
「微力をつくします」
そう言わざるを得ないような雰囲気の中で、俺は直立不動の姿勢で敬礼する。その姿を見て、爺様は「うむ」と頷いてから、モンシャルマン大佐に視線を向ける。爺様からの無言の命令を受けた大佐がさらに続けた。
「作戦に必要な物資に関してある程度の相談には乗る。情報で不足する部分があるのであれば、参謀長と同等のアクセス権限を貴官に付与する。リングトン中佐とチ少佐には、貴官にアクセス権限が与えられたことのみ、参謀長である小官から伝達しておく」
「承知しました」
それは作戦事項を現時点では二人に話すな、ということだろう。いずれは解除される事だろうが、爺様とモンシャルマン大佐がこれから二人の『身体検査』を行うと言っているのと全く同じだ。
「作戦立案に際し、補佐が欲しいのであれば勤務時間外のファイフェル少尉を遠慮無く使って構わん。行政府と接触する場合は司令官の命令であると突っぱねてよい。その当たりの匙加減は貴官に任せる。フェザーンで折角痛い目に遭ってきたんじゃから、その『経験』は充分に活用するんじゃぞ」
最後に爺様が余計なことを言ってくれた。あのクソ親父(シトレ中将)から聞いたんだろう。どうして余計なことまで吹き込むかな、あの黒狸。
とにかく作戦立案権限をほとんどフリーハンドで与えられたことは望外とも言うべき状況だ。当然、俺が落第点の作戦を立てたとしても、二週間という限られた時間ならば、改めて司令部で作戦が立てられると爺様と大佐は考えているのだろう。故にそれなりのものを仕上げなければ、爺様や大佐の信頼を失うし、ひいてはこうやってフォローしてくれたクソ親父の面目にも関わる。
課題は重いが、もうチャンスはないだろう。その覚悟で臨むしかないと俺は心の中で呟いた。
後書き
2014.11.02 更新
第35話 できること
前書き
6年ぶりにご無沙汰しております。平 八郎です。
つぶやきにも書きましたが、「マーロヴィアの草刈り」をとにかく終わらせるつもりです。
一日一話で行くか、まとめて一気に公開かは、後で考えます。
宇宙暦七八七年九月から マーロヴィア星域 メスラム星系
さてマーロヴィア星域管区の海賊討伐作戦をビュコック爺様から任されたといっても、どこから手をつけるべきか。
司令官権限で、使用可能な戦力は二三九隻の所属艦艇のみ。たったそれだけの戦力で一六個の星系(メスラム星系が一番多いだろうが)に潜む海賊を見つけ出し撃破しなくてはならない。普通に必要とされる艦艇数の桁の数が一つ違う。
過去の情報によればマーロヴィア星域では、広大な管轄宙域に多くの海賊集団が点在している。拠点位置が確認出来ないのだから、個々の規模は大きくないと考えていい。しかしどの組織も軍内部か行政府内、あるいは宇宙港関係者に内通者がいるらしく情報が事前に漏れているようで、出動がたいてい空振りに終わっている。
軍内部の綱紀粛正に関しては、ビュコックの爺様やモンシャルマン大佐が部隊の掌握と同時に洗い出しを行っている。どこまで出来るかは分からないが、とりあえずは全ての艦が運用できるという仮定に立つしかない。
海賊を武力で撃破する手段は大まかに二つ。
一つは根拠地を探し出し撃破すること。膨大な時間と正誤判別の手間がかかり、成否は運用する艦艇の数に左右される。だが根拠地となっている鉱山船や小惑星にはワープ機能はなく、発見さえ出来れば撃破は容易だ。根拠地を潰せば、機動戦力はメンテナンスを行う場所を失う。人も宇宙船は手入れが必要であり、結果として海賊を撃破する事が可能となる。もっとも組織が複数の根拠地を有している場合はあまり意味がない。
もう一つは囮を利用した機動戦力の撃破。より能動的に情報を活用し、囮の艦艇を利用して海賊船をおびき出す戦術だ。手間はかからず少数の戦力でも実施可能だが、事前に作戦情報が漏れれば空振りに終わる。何度も実施したところで成功するとは限らないし、複数の艦艇を有する組織であれば、根絶には至らない。ただ成功すれば、海賊の襲撃手段が直接的に奪われるので、長期にわたってある程度の安全が確保できる。
つまり『家を焼く』か『足を切る』かの違いだ。宇宙戦闘兵器や空間航行能力および空間索敵能力の向上により細かな戦術は変化しているものの、対海賊戦略はもはや『伝統』の域に達しつつある。運用する軍人は組織として知識を蓄え、後継に受け継がれている分、宇宙海賊に対して圧倒的に優位に立っている。ただしそれも戦力が充分揃っていればの話。
結局のところ、戦力不足という壁がこのマーロヴィア星域では立ちはだかる。ケリムの時には第七一警備艦隊だけで四八五隻。ここは星域管区所属艦艇全部合わせても二三九隻。一六個の星系にある跳躍宙点各所に艦艇を派遣し次元航跡を調査するだけで、手元には一隻も残らない。同時並行で探査する必要性もないが、星域内を移動するだけでも数日の時間を必要とする。マーロヴィア星域の海賊船は確認されているもので大きくてもせいぜい巡航艦くらいだから、次元航跡の大きさは小さく数日もすれば消えてしまう。根拠地を明確に把握できないのは、今までの軍指導部が無能だったわけではない。
過去の管区防衛司令部も数度にわたり中央に戦力の増強を依頼していた。しかし中央航路から遠く離れたド辺境に大戦力を駐屯させるよりも、制式艦隊や中央航路星域の巡視艦隊に配備する方が重要視される。艦艇だけなら配備は出来るだろう。二万隻以上を一度に失ったイゼルローン攻略やアスターテ星域会戦、アムリッツァ星域会戦以降の惨憺たる敗北が続いている時期ならともかく、戦力に余裕があるはずの現時点でもマーロヴィア星域に艦艇が配備されない理由はただ一つ……「動かす人が足りない」のだ。
幾ら素晴らしい軍艦を建造しても、運用する人間がいなければただの金属と有機化合物の箱。総人口一三〇億人といわれる自由惑星同盟で五〇〇〇万人という数字は、継続維持可能な軍人の数的限界に近い。当然五〇〇〇万人全員が戦闘艦艇要員ではない。後方支援部隊があり、地上戦部隊があり、指揮・運用組織がある。軍艦の省力化は自由惑星同盟軍成立以来常に求められているが、それでも限界は存在する。充足率六割というマーロヴィア星域防衛艦隊は、空間戦闘が継続可能なギリギリの数といっていい。
「せめて一〇〇〇隻あれば、話は違ってくるんだがなぁ」
大尉の階級で執務個室が与えられているというだけで本来は破格の扱いだが、ここでは単に司令部の部屋が余っているだけだ。自然環境の良さからこの惑星が、将来辺境開拓において重要な拠点となると考えた一〇〇年前の統合作戦本部が作っただけあって、管区防衛司令部の建物は無駄にデカイ。各艦の艦長にも個室が与えられているというのに、施設の七割以上が未だ閉鎖されている。充分な人員を配置し、通信などの設備を再構築すれば、数個艦隊の戦力を指揮統制することすら出来るだろう。だが現在はたったの二三九隻。
しばらく自分の考えをメモにとり、それを破く作業を繰り返す。いつの間にか時計は二〇〇〇時を指していた。勤務時間は基本的に〇八〇〇時から一八〇〇時。次席参謀という考えることが仕事のような者に残業手当は出ないので、気晴らしまがいに俺はファイフェルに電話する。
「……あぁ、すみません」
画面の向こうのファイフェルは、俺の顔を見てもどこかぼんやりした様子で、幼さの残る顔には疲労が浮かんでいる。原作では第五艦隊の高級副官で少佐からの登場だったが、現在は士官学校を出たばかりの少尉。いきなり星域防衛司令官の副官に任じられ、その労苦は大きいのだろう。まして上官があの爺様ときては。
「どのようなご用件でしょうか。ビュコック司令官閣下との直接通話をご希望ですか?」
「……ファイフェル少尉、随分疲れているんじゃないか?」
「大丈夫です。若いですから。で、ご用件はなんでしょう?」
「ビュコック司令官閣下に繋いでくれ」
「はい。お待ち下さい」
数秒遅れで通信画面にビュコック爺さんが現われる。こちらはファイフェルとは対照的に元気いっぱいといった感じだ。
「おぉ、ジュニア。残業手当が出ないというのに、遅くまで仕事ごくろうじゃな」
「ありがとうございます閣下」
爺様にとって軽いジャブなのだろうが、言われた側は結構な打撃を感じる。一兵卒からの叩き上げの爺様は、若い士官学校出身者が嫌いだから皮肉っているのではないのはわかっているんだが、士官学校を出たばかりのファイフェルがそう誤解しても不思議はない。何しろ副官として四六時中、爺様からプレッシャーを浴び続けるのだから。
「で、対海賊の作戦案は纏まったのかね?」
あからさまとは言わないまでも、隠し味の唐辛子のように刺激的な圧力を加えつつ、爺様は俺に尋ねてくる。別に逆らおうと思っているわけではないが、能面素面で受け流せるほど俺の心臓は強くない。
「多方面から検討しておりますが、糸口すらつかめておりません」
「なるほど、ジュニアは正直じゃな」
腕を組んで司令官席に深く腰掛ける爺様の目には、充分に危険な色が含まれていた。だが俺が話したいことが全く別次元の事であると察した爺様は、ものの数秒であっさりとその色を消し去る。
「なにか儂に要求でもあるのかね? シトレ中将とは違って、儂には出来る事と出来ない事があるがの」
「ファイフェル少尉に休養を頂けませんか?」
本音を言えばファイフェルを一日俺に貸し出して欲しいのだが、あの顔を見ると仕事の話は別にして呑みに誘ってやりたくなる。
「近頃の若いのは身体が弱くていかんな」
俺の意図を察して爺様のギョロッとした瞳は、近くに座っているファイフェルに向けられたのだろう。画面の向こうからガタガタッと何かが床を擦った音が聞こえてくる。
「よかろう。三日以内に彼に全日休暇を取らせる。それでよいかの?」
「ハッ。ありがとうございます」
わずか三日でマーロヴィア星域防衛司令部内でも『おっかない爺さん』と認識されつつあるビュコック爺さんは、俺の敬礼に面倒くさそうに応えると、通信画面は爺様の方から切られた。
そしてファイフェルの休暇は俺が申請してからそれから三日後。あらかじめ爺様から含まれたのだろう。ファイフェルはしっかりと軍服に身を包み、俺の執務室に『出頭』してきた。
「大尉をお手伝いするよう、閣下より命じられて参りました」
到着した時よりも数段引き締まったファイフェルの敬礼に俺は席を立って応えてやると、壁に立てかけておいたパイプ椅子を二つ開いて、その一方にファイフェルを無理矢理座らせた。その対面に俺も座る。
「休みの日に悪いな」
「いえ、命令ですから」
背筋を伸ばし、緊張した面持ちで応えるファイフェルを見て、俺はこれ見よがしに足を組んで背を伸ばし大きく欠伸をする。俺の動きに一瞬唖然とするファイフェルに向けて、俺は軍用ジャケットのポケットからウィスキーのミニチュアボトルを放った。運動神経はさすがにヤンよりいいのか、面前ギリギリでファイフェルはボトルを捕らえる。
「まぁ飲めよ。休みなんだから気にすんな」
「よろしいのでしょうか。その……」
「休みの日に酒を飲んじゃいけないとは同盟軍基本法には書いてない。安心しろ。それとも下戸か?」
実のところ軍施設内での飲酒はご法度なのだが、もう一本のミニチュアボトルを俺は取り出して、一気に中身をあおる。前世ではあまり酒を、特に強いウィスキーをこうやって飲むことなどなかった俺だが、気分の問題だ。俺の動きを呆然として見送ったファイフェルだったが、プハァと俺が酒臭い息を吐くと諦めたように蓋を廻して、ボトルの三分の一くらいをあおり呑んだ。
「あの爺さん。(士官)学校出てないから、小官のこと僻んでるんすかね」
さすがにそのまま司令部で酒盛りするわけにもいかない(某要塞司令部の風紀はいったいどうなっているんだ……)ので、着替えて市街のパブに入ると、先ほどまでの丁寧な口調はどこへやら、本性というか本音をファイフェルは盛大にぶちまける。
「そりゃあドーソン教官みたいな上官じゃないってのは認めます。認めますけどね、頑固で皮肉っぽいところはどうにかなりませんかね」
「そうだなぁ……」
ファイフェルの愚痴も分かる。だがビュコック爺さんが士官学校を卒業したばかりのファイフェルに含むところがあるわけがない。幸いにして俺は査閲部でマクニール少佐や多くの老勇者達と俺は面識を持った。気むずかしくて偏屈な人ばかりだったが、普通に付き合っていて悪意に満ちた皮肉を言われたためしはほとんど無い。ビュコック爺さんに偏屈なところがあるのは原作でもよく知っているが、基本的な精神構造は好々爺のはずだ。ただ単にファイフェルから漂うエリート臭が気に入らない……というだけかも知れない。
「なぁ、ファイフェル。少し肩の力を抜いてみたらどうだ?」
俺は目の据わったファイフェルの肩を揺すって言った。
「確かに爺さんはここの司令官で、歴戦の勇者だ。だからといって必要以上に意識する必要はないと思う」
「小官が片意地を張っているっておっしゃるんれすか?」
「必要以上に緊張しているのは確かさ。なれなれしくする必要もないが、親戚のちょっと偉い爺さんぐらいの距離感でいいと思う」
俺の言葉に、ファイフェルはいぶかしげに俺を見る。その視線は見つめると睨み付けるの中間ぐらいだ。
「……そいつは将官の家系に産まれた大尉殿の経験からですかね?」
「そうだ。幸い俺の死んだ親父も、叔父さんも、叔父さんの知り合いもみんな将官だったからな」
ファイフェルの酒に舌を取られた厭味に拳で返してやっても良かったが、ようやく外殻がほぐれた相手に浴びせていいモノではない。僅かな期間であってもファイフェルが性根の悪い人間ではないとわかっている。それが証拠に、察したファイフェルの顔はみるみる蒼くなっていく。
「……すみません。トイレ行ってきます」
口に手を押さえて席を立つこと五分。ファイフェルは真っ白い顔で席に戻ってきた。
「申し訳ありません。口が過ぎました」
「気にするな。俺も気にしてない。卒業していきなりの副官業務で苦労しているのは分かっている」
「……ありがとうございます」
俺が用意していた烏龍茶に口をつけ、ファイフェルはしばらく肩を落としていたが、猫背になりながらポツポツと呟きはじめる。
「仕事に自信が持てないんです」
「……」
「自分では精一杯やっているつもりなんですが、ビュコック閣下の態度を見ているとどうにも不足しているところがあるようにしか思えてならないんです」
歴戦の勇者を前にして、糞真面目な新卒の少尉が「出来ません」とは言えないのだろう。普通に前世で言う五月病なのかもしれない。恐らく爺様は気がついているのだろうが、手を差し伸べないというのはあえてファイフェルの力量を見極めたい意図があるように見える。
「爺さんは、手落ちくらい覚悟しているだろうよ。精一杯やるのもいいが、出来ることと出来ないことははっきりさせた方がいい……な」
ファイフェルにそこまで言って俺は目が覚めた。出来ることと出来ないこと。艦艇二三八隻で出来る限界から、作戦を立案すればいい。警戒する宙域が艦艇数に比して広すぎるなら『狭くして』やればいい。人間が足りないなら人間以外のものを使えばいい。敵が多すぎるなら纏めてから減らしてしまえばいい。実施するのに労を惜しむべきではないし、時間はかかるが艦隊を動員できなくても『小道具』の調達は何とかできるはずだ……
「ボロディン大尉?」
「ファイフェル。爺様との間に隙を作るな。あの爺様は本音を率直に言う相手を決して粗略にはしない。精一杯仕事をして倒れそうになったら、爺様は必ず手を差し伸べてくれる。爺様を信じろ。あの爺様は命を預けるに値する指揮官だ」
俺はそう言うとファイフェルに財布を放り投げた。多分三〇〇ディナールぐらい入っているはずだ。ファイフェルの酒量と肝臓の性能なら、あと二回呑んでも充分お釣りが来るだろう。
「え、あ、あの?」
「せっかくの休みだ。骨の髄から寛いでくれ。あ、中身はともかく財布は後でちゃんと返してくれよ」
席を立ち俺は個室にファイフェルを残し、店を飛び出した。なんか店員が声を上げようとしていたが、一目散に無人タクシーに乗り込んで、管区防衛司令部へと向かう。無人タクシーの中で、必要とする物資と情報と法律そして連絡すべき相手を端末にリストアップし、すべて記憶させる。
「問題になることは間違いないから、辞表の書き方もダウンロードしておくか」
舞い戻ってきた誰もいない狭い自分の執務室で、俺は独り言をつぶやくと苦笑しつつ、キーボードに指を滑らせるのだった。
後書き
2020.05.22 第1稿 以降誤字修正予定
第36話 鎌研ぎ
前書き
酒を飲んで目が覚めるJrは順調にアル中への道を進んでいるように思えます。
キレたアル中は、大抵危険分子という部類になります。
宇宙暦七八七年一〇月 マーロヴィア星域 メスラム星系
ファイフェルに酒を奢った翌々日の夕刻、どうにか形になった作戦紀要を印刷し、部隊編制も含めた作戦案を携帯端末に纏めた俺は、疲れきっているものの瞳に奇妙な陽気さを抱えつつあるファイフェルに連絡をとり、ビュコック爺様に作戦案の作成終了と報告のアポイントを取った。
「おぉ、ジュニア。待ちかねたぞ」
数分もかからず出頭せよとの連絡が端末に戻り、俺は駆け足で司令官室へ赴くと、皮肉を多分に含んだ笑みを浮かべた爺様が俺をわざわざ立ち上がって出迎えてくれた。
「一週間たっても目処が立たないと言われた時には、流石に温厚な儂もどうしようかと思っておったが、形になったようでなによりじゃ」
はよう説明せんかといわんばかりに手招きする爺様に、俺は敬礼した後司令官室を見渡すと、中にはモンシャルマン大佐とファイフェル少尉はいるが、リングトン中佐とグエン少佐の姿はない。
「……彼らには残念ながら聞く耳が与えられないようだ」
俺の視線に気がついたモンシャルマン大佐は、声は小さいがはっきりとそう言った。つまりそれは『身体検査』において二人が『不合格』であったという事だ。
「近日中に報告書が出来る。村の掃除も勿論大切だが、部屋の掃除のほうが先だ」
「……残念です」
俺の返答にモンシャルマン大佐は「そうか」と答えると、無言で爺様に視線を向け、爺様もそれに無言で頷く。
早々に出てきてしまった問題に、俺は心の中で溜め息をつきつつも、ファイフェル少尉に三次元投影機の準備を頼んでから、爺様とモンシャルマン大佐に紀要を手渡した。無言で受け取った二人の老練な軍人達は、読み進めていくにつれ、その表情が険しくなっていく。
「……なるほど、ジュニアがあまり軍人に向いていないとシトレ中将が言うのもよく分かる」
俺が作戦案の詳細を説明した後、紀要を未決の箱に入れた爺様は、濃緑色のジャケットに隠された太い腕を組み、目を閉じたまま椅子にふんぞり返って言った。
「戦力が足りないのは十分承知しておる。それを補う為に無人の兵器を運用するのも理解できる。じゃがこの作戦は一歩間違えば、民間経済活動への軍の妨害活動と捕らえかねない。軍隊は戦場以外で与えられた以上の権限や権力を振るうべきではない、と儂は思っておる」
「法律も幾つか意図的に解釈する形になりますな。法務が外部報道機関に説明するのも苦労がいる」
「まぁ、マーロヴィアなどという辺境の事なぞ中央の報道機関は気にもせんじゃろうがな。じゃがこの作戦案は情報部と後方部となにより行政府の協力が基幹となるものじゃ。法的にも、実力的にもな。ジュニアに罪があるわけではないが、このド田舎ではその三者が頼りにならんというか、まぁだいたいが汚染されておるのでなぁ」
リングトン中佐もグエン少佐も残留組であり、爺様達の到着より前には一応俺の上官であったわけで。僅かな期間とはいえ一緒に仕事をしていた人物に、作戦案を聞かせられないほどの罪があったとは思わなかった。俺はつくづく人を見る目がないと、自省せざるを得ない。
「情報参謀にしろ後方参謀にしろ、人については統合作戦本部からいずれ派遣されるじゃろうが……この作戦案を実施するには、行政府側の協力者も含めて人選が重要になるじゃろうな……さて、どうするかの?」
爺様は困ったような表情を浮かべつつ俺に視線を向ける。俺に両方の指揮を執れるかと聞くような視線に、俺は唇をかみしめた。
作戦を実施するに当たり、モンシャルマン大佐の言うとおり意図的に法律を解釈することが必要であり、海賊集団への直接的な情報工作活動が必要であり、膨大な数量になる『小道具』の調達も必要だ。民間経済活動の障害となるような指示もあり、とても俺一人でこなせる仕事量ではないから情報・後方分野における専門家も必要不可欠。俺はフェザーンで情報工作の困難さを身に染みて理解していたし、後方しかも補給・調達関係の知識はあっても経験は全くない。マーロヴィア星域管区に所属している情報課員や後方課員を統率指揮することは可能であっても、作戦を成功させる為には幅広い知識ではなく経験に裏付けされた信用が必要なのだ。
正規の情報参謀と後方参謀を汚職で失う事になるマーロヴィア星域管区内部で、臨時昇進による管理階級の抽出はさらに困難だろう。戦力が低下している状況下での運用を行ってもらう爺様と、マーロヴィア軍部の再建を担当となる大佐に、これ以上の負担をかけるわけにはいかない。
「……情報・後方作戦指揮者の獲得方法は二つあると考えます」
方法を選んではいられない俺としては、決断せざるを得なかった。
「統合作戦本部と後方勤務本部に改めて助力を願い出る方法が一つ。もう一つは……国防委員会に直接上申する方法です」
統合作戦本部はマーロヴィア星域管区の治安改善に激烈な興味があるわけではない。あるのなら宇宙艦隊司令部に命じて第一艦隊をこそ派遣するだろう。それだけの熱意があるとは思えないが、爺様を派遣したというのは『とりあえず改善の要あり』とまでは認識していると見るべきだ。俺が窓口にと考えているブロンズ准将にとってこの上なく迷惑な話だろうが、期間限定でも代理の情報参謀の派遣を拒むまではしないと思う。
後方勤務本部に関しては、甚だ不明だ。おそらく尻尾の生えている先輩は士官学校の事務監から統合作戦本部の参事官に移籍しているだろうが、今の時点ですぐに頼りになるとは思えない。後方勤務本部にいる同期を頼るのも手だが、顔見知りは大半が中尉だから人事権とは無縁だ。それに本部も「今までの担当者に問題があるので人を派遣してほしい」と言って、はいそうですかと優秀な人材を派遣してくれるだろうか……答えはNoだろう。
国防委員会に人事を上申する方法。これは悪手だ。仮にマーロヴィア行政府の人間を挟んだにしても、軍の組織体系と規律を掻き乱す行動に他ならない。行政府としても自身の統治能力を中央から疑われる(すでに疑われているにしても)行動はこれ以上したくはないし、現地軍部にしてほしいとは到底思わないはずだ。何でも使える手は使わなくてはならないとは思うが、事は政治と軍の関係という巨大な問題にまで発展してしまう。
「儂は、統合作戦本部長と戦略第一部長にこの作戦案を提出し、改めて助力を仰ぐつもりじゃ」
俺の返答に、爺様はたっぷり二分後に力を込めてそう答えた。爺様の軍人としての決断だし、聞いた俺も腹の底からホッとした。
「モンシャルマンにも伝手はあるし、ジュニアにもそれなりの伝手はあるじゃろう。行政府には当然働いてもらうが、現時点では我々は我々の職権の許す範囲で仕事をする。それでよいな?」
「承知しました」
「よし、ではそれぞれの仕事にとりかかろう。戦の九割は準備で費やされるものじゃからな」
爺様のその言葉が合図となり、俺は敬礼して司令官室を後にすると、纏めた作戦案を暗号化した上でマーロヴィア星域の情報参謀が更迭されることを匂わせつつ、ブロンズ准将へと送信したのだった。
そして二日もかからずして、ブロンズ准将は俺に超光速通信による直接通話を求めてきた。
◆
「……君の作戦案は読ませてもらった」
司令部専用超光速通信装置の画面に映る収まりの悪い明るいブラウンの髪を持つ准将は、画面の目の前で直立不動の姿勢を崩さない俺を、文字通り苦虫を嚙み潰した表情で見つめている。
「同盟憲章と地方行政法と同盟軍基本法の幾つかに抵触する可能性がある……あぁ君が言いたいことは分かっているとも。我々情報部がそれらの法律に関して、時々非常に疎くなる事があるのは事実だが……」
「法律を犯すような作戦案ではないと、小官は考えておりますが……」
白々しさ満点の俺の返事に、今度こそブロンズ准将の眉間に皺がよった。
「有人星系の小惑星帯を実弾機雷で封鎖することが『解釈の違い』で済むのかね?」
「星系鉱区の合法操業指定範囲外にて実施いたしますので、演習宙域に指定しても法律上の問題はありません」
「『臨時』演習の期間が、三年以上になるというのはいささか言葉の使い方に問題があるのではないか?」
「掃宙訓練は積めば積むほどよいと、かつて査閲部で学びました」
「帝国軍の脅威がない状況下で、民間航路の軍事統制を行うのは宇宙航海法の航行の自由及び統制条項規約に違反しないのかね?」
「商船の襲撃遭遇率を見る限り、当星域は帝国軍の軍事的圧迫のある国境星域より遥かに危険です。マーロヴィア行政府がこの方式に反対するのであれば、その根拠を示してもらいます」
「……たとえ無人星系の、それも一部とはいえ小惑星帯を、ゼッフル粒子で吹っ飛ばすのは『自然環境保護法』に反しないかね?」
「星域開拓以来、この星域で『正確な測量』が行われなかったのはとてもとても残念なことです」
そこまで言い切ると、ブロンズ准将は肩を落として大きく溜息をついた。
「……若者の捨て身というものをいささか過小評価していたな」
「合法的で一番簡単な方法は、第一艦隊に出動してもらうか、三〇〇〇隻程度の遊撃分艦隊を派遣していただくことなのですが」
「出来れば私もそうしたい。ただそうなると他の星域も手を挙げて第一艦隊が過労死するか、前線で実働可能な制式艦隊が同盟軍から消滅する。その上、海賊がいなくなるのは一時的なもので、艦隊が帰還すれば海賊もまた再発するだろう。消費期限の切れた機雷とゼッフル粒子と通信需品関連だけで話が済むなら、そちらの方がよっぽど安上がりだ」
ブロンズ准将はそう言うと、俺から視線を外し顎に手を当てて何かを考えていたようだが、しばらくして腰から端末を取り出し操作した後、再び俺に視線を向けた。
「私としては君の立案した作戦が、マーロヴィア星域管区作戦司令部だけで実施するのは現実的に困難なものであると推測する。ウォリス=リングトン中佐の件もある。マーロヴィア星域管区司令部情報参謀の交代要員については情報部で速やかに手配しよう」
「ありがとうございます」
「貴官の作戦立案能力に関しても私はある程度信頼しているが、フェザーンでの一件がある。情報部隊の指揮官が貴官ということでは、情報部長も容易にはご賛同していただけないだろう。部長のご賛同が得られなければ、統合作戦本部長も国防委員会もこの作戦を納得しまい」
「地域交通委員会などの最高評議会他メンバーや、野党の批判対応もあります」
「ハイネセンは我々に任せてもらおう。私は貴官にいささか借りがあるし、シトレ中将に将来干されるような事は避けたいからな」
皮肉と微笑みの中間のような顔でブロンズ准将は肩をすくめた後で、「そうだ、アイツがいたな」と妙なことを呟くと、小さく鼻息を吐いてから俺に言った。
「扱いにくいが腕の立つ部下が一人いる。貴官より五歳ほど年上だが、階級は同じ大尉だ」
それはこの作戦を実施するに当たっての応急的な情報要員ということだ。正式に中佐を派遣するとなれば、人事部に掛け合って情報参謀としての辞令を発しなければならない。人事異動が終わったばかりの一〇月に手すきの佐官など情報部にはいない。だから自分の権限で動かせる尉官の部下をひとまず動かす。五歳年長で大尉(つまり二八歳)という事は、昇進の機会を逃している冷や飯食いか、専科学校出身者という事だ。腕が立つということは情報戦の最前線で戦って将校推薦を受けた相当の強者だろう……
「この作戦が貴官の立案である事はその部下に伝えておく。ただし君には作戦指揮の責任も負ってもらうぞ」
「承知しました……できれば後方参謀も一人お貸し頂けると助かるのですが」
「そちらは後方勤務本部から通達が来るだろう。これから私が各部部長会議に諮るから、すぐに管区司令部へ連絡がいくはずだ」
「度重なるご支援、感謝いたします」
「なに、シドニー=シトレの五代ぐらい後の統合作戦本部長に恩を売れたと思えばお安い御用だ。もっとも馬鹿がつくほど正直な君に情報部長の職責は無理だと思うがね」
そう言うと、超光速通信はブロンズ准将の方から切られた。俺は信号の切れた画面に敬礼しつつ、溜息をついた。
情報戦という正濁双方を操らねばならない分野に身を置くブロンズ准将が、なぜ今後一〇年で中将に昇進して後に、厨二病のような救国軍事会議に身をゆだねる事になったのだろうか? 正義感という素地はわかる。だがそれだけでトリューニヒトという男の内面を嫌悪したからなのだろうか。まだ俺はヨブ=トリューニヒトという男には巡り合えていないが、情報部のエキスパートが忌み嫌う口舌の徒は、フェザーンの黒狐をも上回る毒々しさなのだろうか。
一方、後方勤務本部からの返答は申請したビュコックの爺様の方に直接届いていた。その結果を聞くようファイフェルを通じて司令官室に呼び出されてみれば、果たして爺様の気圧はかなり低いものだった。
「交代は当面見込めない、とのことです」
目を閉じて腕を組み半ば眠っているような、不貞腐れた爺様の代わりに、ファイフェルが俺に囁いた。
「後方勤務本部長閣下がおっしゃるには、「人事異動を行ったばかりなので本部には当面余剰人員などいない。管区内か隣接するライガール星域管区かガンダルヴァ星域管区かトリプラ星域管区から貴官が都合をつけろ」でした」
「マーロヴィアとまではいわなくとも、全部辺境の星域管区ばかりか。その中でも大きいのはガンダルヴァ星域管区だが……確か辺境中核指定を受けている星域だから、星域司令官は通常通りだと少将になるな……」
「はい。例の機雷の件もありましたので、すぐに星域司令官のロックウェル少将閣下に通信を入れたのですが」
「……が?」
「後方勤務本部長閣下と殆ど同じ返答でした……」
ファイフェルは下唇を噛みしめながら、左手で胃の辺りを摩っている。
原作通りのロックウェルであれば、性格はともかくとして後方勤務のスペシャリストであり、能力の面から言って十分有能な指揮官だ。ただ帝国軍との前線で切った張ったしてきた爺様と、後方勤務のエリート士官では歩んできたキャリアが全く違う。この二人に熱い友情が産まれていた可能性は限りなくゼロだ。今のファイフェルの言葉からすれば、兵卒上りの准将である爺様に対し、エリート少将として『相応な』態度をとったのだろう。
「ジュニア‼」
ファイフェルの囁きが終わったのを見計らったように、爺様は俺を呼びつけ報告するよう無言で顎をしゃくった。改めて敬礼してブロンズ准将との会話を報告すると、まるで蒸気機関車の加減弁ように荒い鼻息で答えた。
「予想通りの長期戦じゃな」
「状況開始より終了まで最低でも三年を見込んでおります。進められるところから進めていくという形しかありません」
「貴官に焦りはないな?」
「こういう病気は根治に時間がかかると思いますし、体力が整わない段階で手術を急いでも、あまり良い結果は出ないと考えます」
「……そうじゃのう」
そういうと爺様は腹の上で手を組むと、落ち着かせるように二度ばかり深呼吸をしてから、改めて俺とファイフェルを見つめて言った。
「儂はこう見えて若い頃はヤンチャでな。士官学校出身者など何するものかと、いろいろと焦っておったものじゃ」
もしかしてここは笑うところだろうかと考えたが、ファイフェルのなんとも言えない視線を感じて、俺はフィッシャー中佐直伝の顔面操作術で完璧にスルーした。それで理解したのか、ファイフェルも同じように無表情で爺様の話に耳を傾ける。
「特に戦場を長年うろうろしていたから、こういうことに儂は若干疎い。いずれにしても、儂も少し血が上っていたようじゃ。ここはジュニアを見習って、少し自重でもしようかの」
……若いのはすぐにいい気になるからな、と言っていたのは果たして誰だったか。俺は胸の内で首をかしげながらも、爺様の話に耳を傾けるのだった。
後書き
2020.05.22 事前投稿
第37話 官僚
前書き
ブロンズ准将の鹿毛頭が禿げたらJrの責任だと思います。
ヒロイン……ではたぶんないんじゃないのかな。きっと。
宇宙暦七八七年一〇月下旬 マーロヴィア星域 メスラム星系
取りあえず助っ人が来るまでは、作戦実行までの下準備に勤しむしかない。
通常哨戒任務の報告書と過去の報告書を照らし合わせて海賊の根拠地を類推したり、星域の現在の経済状況と作戦による影響、運行する主要星間輸送会社の内情確認等々、リンチの指導下で散々徹夜したことを思い出しながら作戦の修正を続けた。
「この部屋で作業するのは気分転換に丁度いいんです」
ビーフジャーキーを嚙みつつ行儀悪く椅子に半分胡坐をかきながら、ファイフェルは俺に言った。このド辺境星域にファイフェルの同期卒業生はいない。もしかしたら同い年の専科学校の卒業者はいるかもしれないが、一日の大半を司令部に詰めているファイフェルと出会う機会はまずない。
だからというわけではないが、ファイフェルは副官業務が終わると俺の執務室(極小)に、酒とつまみを持ってきては作戦案の手伝いに来る。それだけだと体に悪いからと俺が野菜ジュースや栄養補助食品も用意してやるのだが、買うのは司令部内のPXなので補給部を中心に『わけの分からない噂』で盛り上がっているらしい。呆れてしまうが、統括する上官が収賄容疑で拘束され意気消沈している女性の多い補給部が、そのネタで盛り上がっているならしばらくほっておこうと考えている。
「軍の人事は軍で解決できますが、やっぱり行政府側の協力者についてはどうしようもないですね」
「民間人にモンシャルマン大佐の軍隊式身体検査を受けさせるわけにもいかないしなぁ」
「『包装紙方式』しかないんですかね」
相手が海賊である場合でも、軍管理星域(大半が帝国との国境付近の戦闘領域)以外での軍事行動は、管轄行政府と警察組織へ作戦を伝達する必要がある。現在マーロヴィア星域には『対海賊作戦』が恒常状態となっており、今更作戦内容を伝達する義務はないのだが、俺の立案した作戦案では、護送船団方式など行政府側の管轄事項にも関与することになる。ファイフェルの言う『包装紙方式』は既存の『対海賊作戦』の表紙は変えずに中身だけ別のものにするというやり口だ。前例がないわけではないが、あまり褒められた手ではない。
「そうするにしても信頼できる行政府の役人。しかも上位者告訴権を有しているレベルでの協力者は必要だな」
ハイネセンから四五〇〇光年。同盟きってのド辺境星域。公選中央議会代議員は既定最小限の一名。行政長官と三名しかいない地方評議会議員のみが公選で選ばれ、他の長官職は現地採用と中央からの派遣官僚で半々。信頼できるできない以前に、協力対象の数が少ない。海賊組織も中央に比べれば貧乏な組織だから、それなりに人選を絞って取引するだろう。
「現地採用者と公選者を対象外とするなら、協力者は検察長官か経済産業長官となるんだろうが……」
検察長官のヴェルトルト=トルリアーニ氏は六〇代後半の男性。マーロヴィア星域に検察補佐官として中央から派遣されて二〇年。この地で管理官・参事官・次長と昇進した人物だ。その二〇年で傘下の警察組織が検挙した海賊はわずかに三。軍や警察内部に海賊の協力者がいて、戦力不足故の結果と見るべきか。当の本人にも海賊の触手が伸びてる可能性は高いが、それでも地方治安維持の経験と膨大な星系情報を持つ捜査のプロフェッショナルに違いはない。
経済産業長官のイレネ=パルッキ女史は三〇代前半の女性。前職が財政委員会事務局主税課課長補佐付係長という輝かしいキャリア中央官僚。ハイネセンで何かやらかしたらしく、半年前に着任したばかり。本職である財政・税務をめぐって現地採用の財務長官であるマイケル=トラジェット氏と激烈な対立関係にあり、酒場でも噂になるほど自治政府内で浮いた存在になっている。だがそれはキャリア官僚らしい整理された頭脳と的確な指示で、他所に口を挟めるほど経済産業局を能率的な組織にした結果ともいえる。
「多少の情報漏洩を含めて経験豊富な検察長官か、海賊の手は伸びてないと思われるが経験不足な経済産業長官か」
「筋から言えば検察長官なんですが」
「そうなんだよな」
ただ今回の対海賊作戦は、『家を焼く』と『足を切る』の両方を同時に行う作戦だ。僅かな情報漏洩があっても海賊の一掃はできるかもしれない。だが掃討することはできない。そして最終目標は海賊を掃討することだけではない。
「作戦だけでなく、今後のこともある。もう一人の方に会ってみるよ。作戦の細かいところまで説明するのは、新任の情報将校が来てからだな」
「噂通りでなければいいですけどね。美人だそうですし」
「それは厭味か? 何だったら代わってやってもいいぞ、ファイフェル」
「ビュコック閣下の面倒を見なければなりませんから、謹んでご遠慮申し上げます」
「老人介護は大変だな。だが若いうちに苦労するのはいいことだ」
「口止め料はタフテ・ジャムシードのコーン・ウィスキーでお願いします」
すっかり酒の味を占めたファイフェルは、そう言って空になったショットグラスを俺に向かってかざすのだった。
◆
パルッキ女史のアポイントは二日後。余程暇なのか、すぐにでも庁舎に来いと言わんばかりの喰いつき具合だった。中央でバリバリやっていたキャリア官僚にとってみれば、人口二〇万以下の極小自治体における業務などさして難しくはない仕事なのだろう。まして経済はどん底、産業と言われるほどものすらない無駄に広いド辺境だ。手持無沙汰だったのかもしれない。
マーロヴィア星域管区司令庁舎と比較にならないほど小さな二〇階建てビルの一室。マーロヴィア経済産業庁舎の長官公室で、女史は待っていた。
「前々から貴官とはお話したいと思っていたのよ」
渡りに船だったわ、と言って長すぎる足を組んでコーヒーを飲む姿は、ファッションモデルですと自称してもあながち間違いではない。長身で丸顔。ぱっちりとした二重瞼に濃い群青色の瞳。頭の後ろできつく纏めたブラウンの髪がブロンドだったら、金髪の孺子女バージョンというべきか。姉君と明確に違うのは憂いる表情とか瞳の色とかではなく……典型的『ファッションモデル』なスタイルということ。
「大尉、視線が胸に向かっているわよ。貧相で悪かったわね」
「いえ、むしろそちらの方がスラっとしててかっこいいですよ」
「ありがとう。でもそれセクハラだから、今後は気を付けてね」
女性は男性の視線に敏感というが、おそらくは彼女にとってはお決まりのネタなのだろう。耐えるとか過剰に反応するいうより、鼻で笑い飛ばすというスタイルなのか。地球時代から綿々と生存するセクハラ親父議員も、逆に鼻白むに違いない。
「さてお遊びはこれまでとして、ボロディン大尉。本日のご来訪の要件をお伺いしたいのだけど」
「星域における治安維持について、現在司令部で新案を検討しているのですが、特に経済産業分野においてご協力を願う件についてです」
「マーロヴィア経済産業庁が軍の作戦に協力できることなんてないとは思うけど?」
「管区軍司令部は今後当星域を通過するすべての商船について、可能な限り軍艦による護衛船団下に組み込めるかどうか検討しております」
俺の返答に、それまで笑みすら浮かべていたパルッキ女史の顔が急激に変化していく。まずは目から、そして顔から、およそ感情という感情が消えていく。恐らく彼女の目に映る俺の顔も同じようにドライに変化しているだろう。官僚と軍人。立場職責は異なれども、お互いにリアリズム教の下僕だ。頭の中で整理しているのか、数分間壁に掛けられた小さなスミレの絵を見つめた後、俺に鋭い視線を向けて言った。
「……無茶な要求ね。軍が産業の基幹たる商船航路を統制しようということかしら?」
「統制するつもりはありません。軍艦による護衛を付けることで、より安全な運航を保証することが目的です」
「護衛を付けない商船の安全は保障しない。そう言外に運航側の萎縮を求めているのだから、統制以外の何物でもないわ」
パルッキ女史の言うのはまさに正論だ。ブロンズ准将も言っていたように、護衛船団は直接航路封鎖するような民間航路の軍事統制ではないとはいえ、宇宙航海法の航行の自由及び統制条項に抵触する恐れがある。
ただし原作における救国軍事会議がハイネセンで実施した経済統制とは異なり、護衛船団下に入るよう強制するものではない。また通信統制も実施しない。
そして前提条件として正反対なのが、ハイネセンは一惑星だけで一〇億人居住し生産よりも消費がはるかに大きい星系であるのに対して、メスラムはたった一五万人。基幹産業が宇宙船装甲用材と液体水素燃料製造と農業で、総量としての規模は小さいが、消費よりも生産がはるかに多い。
ありえない話であるが、仮にマーロヴィア星域が同盟から切り離され経済封鎖をかけられたとしても、餓死者を出すことなく星域の経済を独自に回すことができる。恒星間航行も高度先端医療もない太陽系時代に戻り、カロリー維持だけの貧しい前近代的生活に耐えることができるのであれば。
「長官の御懸念ももっともですが、現在管区の有する艦艇数で、同盟領域最悪と言われる運航被害率を改善するには、護衛船団を編成するが最も効率が良いと小官は結論に達しました」
「それは軍の都合でしょう。あなたがしなければならないのは、速やかに統合作戦本部防衛部に艦艇の増援を要請することであって、星域経済産業庁に護衛船団を強制することではないはずです」
「星域開闢以来の星域統計とここ一〇年の星域輸出入・商船運航記録をもとに、『時刻表』を作ってみました」
経済産業庁自身が公開しているデータと軍の有するデータからファイフェルと俺で組んだ、現在の経済規模を維持できるだけの商船をなるべく時間のロスなく運航できる護衛船団のダイヤグラムを、ソファの向かいに座る女史の手元に置いた。船団のうち二割が海賊に襲われるという安全率も見ている。
わずか数枚のレポートではあるが受け取った女史は、まるで出来の悪い生徒の宿題をチェックするような女教師のようにじっくりと読み進める。カチカチという秒針の音だけが公室内に響く。五分後に秘書官の一人が様子を窺いにノックして入ってきたが、女史のひと睨みと本日の業務はすべて明日に切り上げるという命令で退散してしまう。
たっぷり二〇分後。女史はレポートを机の上に置いて、目頭を押さえて深く溜息をついた。
「なんでこういう話が経済産業庁や行政府政策立案局ではなく、よりにもよって軍部から出るのかしら……ほんと辺境の、ド田舎役人共の不作為には腹が立つわ」
おそらく護衛船団という考え方は、女史が赴任する以前の両当局も計画立案していたことだろう。だが海賊に繋がっている人間が居そうな軍管区あるいは庁に、協力を求めるというリスクを考えていたに違いない。これは相互不信というべきであって、俺としては女史の言うように以前の両当局者を非難することはできない。そのあたりを察しきれないところに、女史と辺境の田舎役人の間に意思疎通や感情的な反目が感じられる。だが今はそれを女史に言う必要はない。
「ご苦労されているようですね」
「あなたみたいに部下で大して苦労もしてない若造に何が分かるというのよ。知ったかぶりするんじゃない!」
バンバンと女史が低いテーブルを叩くと、女史と俺のコーヒーカップが音を立てて小躍りした。先ほどまでの官僚的な口調はどこへやら。ヒステリー一歩手前のキレ具合だ。バリバリのキャリア中央官僚が、こんなド辺境に流された要因はどうやらその辺りにあるのかな、などと余計なことを考えつつ女史が落ち着くのを待ってから話を切り出した。
「これはあくまでも軍部からの提案です。経済産業庁にて詳細をご検討いただき、近々に軍管区司令部と連名にてマーロヴィア民主評議会と行政長官連絡会議に諮っていただければと」
「軍人にしてはよくできてるとは思うけど、幾つか要素計算を間違えているわね。この起算は帝国軍を相手にしたものでしょう。国内民生の範囲ではもう少し弾力性を持たせないと時間ロスが大きくなるわ」
「その辺りのフォローもお願いいたします。それとですが……」
「まだあるの? こんどはなに?」
「まだ計画段階なのですが、近々にメスラム星系の小惑星帯において、大規模な機雷掃宙訓練を実施したいと考えておりまして」
「馬鹿じゃないの! あんたたち軍部は!」
せっかくセットされた頭を掻きむしってソファから立ち上がった女史の叫声は、先程の比ではなかった。
後書き
2020.05.22 事前投稿
第38話 オーバースペック
前書き
パルッキ女史は会社の近くをよく通る外国人のモデルさんがモデルです。
もちろん話したことはありません。
タイトル通りの人物登場です。
宇宙暦七八七年一一月 マーロヴィア星域 メスラム星系
経済産業庁のパルッキ女史に護衛船団を提案してから半月後。マーロヴィア星域管区司令部及び所属部隊の身体検査がほぼ終了した。
艦艇乗組員のうち、およそ一パーセントが海賊や非社会的組織と金銭的あるいは物理的な繋がりがあり、三パーセント近くが横領等の犯罪に手を染めていた。比率として多いか少ないかはともかく、モンシャルマン大佐と大佐の選んだ憲兵隊だけで全てを成し遂げたわけだから、流石というしかない。
だが結果として艦隊戦力の一割(汚職関連には士官より下士官や兵の方が多かった)が即座に戦力として運用することができない状況になった。配置転換や艦艇の一時運用停止などして凌いではいるものの、実際のところパトロール任務を実施するだけで限界一杯。護衛船団を形成すればそれすらもおぼつかなくなる。即座に作戦を実行するわけではないので、海賊掃討作戦に影響はないものの、早いうちに事態を解消する必要がある。
『情報部からの助っ人(兼ブロンズ准将からのお目付け役)』が到着した時のマーロヴィア星域は、まさにそんな状況下であった。
「突然マーロヴィアなんて田舎で仕事しろなんて、小官は何も悪い事をしたつもりはなかったんですがねぇ」
やはり重力が違うと体が重いですなぁと、とぼけたアルトボイスを俺に浴びせながら、横を歩く二八歳の顔を俺は覗き見た。例のドジョウ髭は生えていないが、髪はポマードでしっかりと仕上がったオールバック。飄々とした表情はアニメで見た本人そのものだ。
「ここまで来てくれた事は感謝しております。バグダッシュ大尉殿」
「『殿』はいりませんよ。確かに小官の方が先任ですが、同じ大尉じゃないですか」
そう言うと、オールバックから一本だけ反り返った髪の毛を親指と人差し指で挟み込みながら、視線を上げてさらにとぼけたように肩を揺らす。
「士官学校では先輩後輩は大きな階段でしたが、ここで小官の作戦指揮権限者はボロディン大尉です。五歳位の年齢差で怯んでいては、今後が思いやられますな」
「……バグダッシュ大尉は士官学校を出ていらっしゃる?」
「勿論。ボロディン大尉が入学した年には少尉に任官していましたぞ。つまらん上官を殴ったり、その愛人を寝とったり、企業の倉庫の中身を失敬したり、まぁいろいろやってきましたがね」
「……それ本当ですか?」
「さぁ、どうでしょうかね?」
鼻で笑いながら、バグダッシュは空港のロビーを抜けて無人タクシーを止めると、さっさと乗り込んでいく。形式だけとはいえ、年少同階級の指揮下に入るという事を心理的に嫌がる人は多い。が、バグダッシュがそうでないのは正直ほっとした。もっとも狂信的ヤン原理主義過激派状態のユリアンや、ヤン=ウェンリーファンクラブ会員No3のシェーンコップ相手に、ヤンを餌にして腹芸をこなせるような精神性の持ち主なのだから、ヘマして辺境に流された高級士官の息子なぞ歯牙にもかけない存在であろうけど。
そんなバグダッシュは無人タクシーに乗り込んでからというもの、ずっと自分の端末をタッチペンで操っている。時折フフンと鼻で笑うような仕草を見せていたのでそっと横目でカンニングしてみると、風俗関係のホームページを検索していた。一瞬何考えてるんだコイツと思ったが、風俗関係でも開いているページはある特定の分野に絞られていた……つまり『盗撮・盗聴』分野に。情けないことだが俺は星域管区司令部に到着するまで、一切口を開く事が出来なかった。
「まぁ、素人さんなりには合格ですな」
黙ったまま司令部にある俺の個室に入ってバグダッシュは、俺に断るまでもなくパイプ椅子を二つとり、一つに腰掛け、もう一つに長い左足を放り出して言い放った。
「個室防諜も一応できているし、大尉の端末に侵入するのにはちょっと骨が折れました。この辺の海賊の情報屋程度を相手にするなら、まずは十分防御できるレベルです」
「……自分の端末に侵入、ですか?」
「暗証を彼女の誕生日と愛称にするというのは、いささか男として未練がましいとは思いますがねぇ」
腰にある自分の携帯端末に手を当て絶句する俺にかまうことなく、バグダッシュは自分のカバンからもう一つの端末(当然民生品のオリジナル)を取り出して三次元投影機に接続すると、部屋の照明を消すよう天井を指差す。俺が照明を落とすと、ここ数週間見続けたマーロヴィア星域全域の航宙画像が立体図で現れた。
「ボロディン大尉の作戦案は長い長い航海の間に読ませてもらいましたよ。飴と鞭を使って小さい海賊を磨り潰しながら、偽装海賊による襲撃によって意図的に海賊集団を幾つかの大集団へと集約させ、対立を煽りつつ、小惑星帯ごと封じ込めて討伐するというのは、実に偽善的で悪魔的で非人道的な作戦ですなぁ」
「それって褒められていると思っていいんですかね?」
「絶賛したつもりですよ? ここに旨いワインがあればより感動的に手放しで賞賛するんですが」
そういいながらバグダッシュは俺に断りもなくジャケットから鈍い輝きを放つスキットルを取り出して一口呷った。
「だが残念なことに手足が足りないから状況終了まで三年なんて時間をかけることになるんです。小官も大いに手伝いますし、どうせ海賊共は『まとめて蒸し焼き』にするんですから、ここまで時間をかけて実行する必要はないんじゃないですかねぇ」
バグダッシュの口調は軽薄そのもので、聞いている俺ですら軽い『アドバイス』かと思えるようなものだ。だが時間をかけることこそ今回の目的の一つであり、その目的が何であるかについて、俺は爺様にもすべては説明していない。だがバグダッシュの、顔はともかく目の奥底に、光るものがあることを見逃すことはなかった。
「……数は力です。魚を捕らえる網の目は細かいほうがいいし、餌も多いほどいいでしょう」
「この作戦の実行責任者はビュコック准将閣下で、立案者はボロディン大尉です。私は情報戦の指揮代行と作戦へのアドバイスが今回の仕事ですからな」
右唇がちょっとだけ動いたような気がしたが、俺はあえてスルーした。それが気に障ったのかどうかはわからないが、もう一度スキットルを呷ると今度ははっきりと呟いた。
「公然と酒を飲んでもいい職場というのは、そうそうないものですからな。ちょっと腰を据えても悪くないでしょう。小官もできる限りご協力いたしますよ」
爺様とバグダッシュの顔合わせはものの数分で済んだ。それは特に感動を呼ぶものでもなければ、冷たいものでもなかった。正式な情報参謀ではないにしても情報将校として時間の許す限り早く到着した相手に皮肉をぶつけるほど爺様は皮肉屋ではないし、バグダッシュも年配の上官相手に全く不可のない応対に終始していたので、まさに『ザ・形式』というような感じであった。それでも海賊掃討計画において、特に後方支援が重要となるというところに話が及ぶと、流石に爺様の顔も険しくなったようだった。
その風向きが変わってきたのは、もう一人の助っ人がマーロヴィア星域に派遣されてきてからであった。
宇宙歴七八七年一一月二九日。爺様と二人で無駄にデカい管区司令庁舎内の、照明の八割が消えてもなおまだ床を照らすスペースに余りある食堂で昼飯を食べている時。司令室でモンシャルマン大佐と留守番をしていたはずのファイフェルが、血相を変えて飛び込んできたのだ。
「どうしたのかね? ジュニアの大切にしているウィスキーのミニボトルでも盗み飲みしまったのかの?」
「い、いえ。そうではなく」
「それともバグダッシュ大尉の大切なワイングラスを割ってしまったか?」
「ち、ちがいます」
「なら慌てんでいい。落ち着いて報告せんか」
爺様があきれた表情でろくでもないことを言いながらも、ファイフェルが差し出した通信文の印字紙を、曲った人差し指がある右手で受け取ると、斜め読みした後で俺に差し出した。俺もその通信文を読んで、爺様と全く同じように小さく感嘆した。ようやくマーロヴィア星域管区に代理ではあるが、ガンダルヴァ星域管区から補給責任者が赴任するらしい。
「後方勤務本部からロックウェル少将への押し付けが上手くいったようじゃな」
「赴任してくるのはオーブリー=コクラン大尉……ですか」
「前任が補給基地の需品課長となると、『縁の下の力持ち』と言ったところじゃろうな。補給基地すらない我がマーロヴィア星域管区には少し勿体ない気もするが、管区内にある補給基地とはいえ直接の麾下ではないからロックウェル少将も渋々承認したというところじゃろう」
コーヒーを傾けながらファイフェルを叱りつけている爺様の想像はほぼ正解に近いと俺でなくとも思うだろう。だが原作を知る俺としてはコクラン大尉の能力は、勿体ないどころか完全にオーバースペックだとしか考えられない。爺様とロックウェルの現在の関係からも、ツンデレのような真似をするとは考えにくい。この奇妙な人事が意図するところを想像し、ある男の影を感じ取った。それはあまりにも神経質で、原作厨の俺のたくましすぎる妄想ともいえるが、分かりそうな人物に確認せずにはいられなかった。
「この人事に横やりを入れたのはヨブ=トリューニヒト氏ですか?」
俺の個室をカウンターバーかワインセラーとしか思っていないであろう、赤ワインのボトルを翳してラベルを見ているバグダッシュに、俺は椅子に座ったまま天井を見上げ何気なく聞いた。それに対するバグダッシュの反応は視線を向けていなかったのでわからなかったが、ほんの僅かな時間ではあったが空気が気体から固体へと相転移したのは間違いなかった。再び空気が気体に戻った後で、先に口を開いたのはバグダッシュの方だった。
「……ブロンズ准将閣下も惑わされるわけですなぁ」
「では、やはり?」
「ボロディン大尉がご自分で直接国防委員会やトリューニヒト議員に作戦案を送りつけていないのは確認済みなんですがねぇ……どうしてわかったんです? 後学の為に聞いておきたいんですが」
それは原作を知っているからね……と言うわけにもいかないのでとりあえず自分の考えたシナリオを説明する。
ロックウェル少将の『根負け』ともとれる人事。専科学校出身者らしいプロフェッショナルな後方勤務要員を、成功しても評価のされにくい辺境の治安維持作戦への派遣すること。爺様とロックウェル少将のあからさまな仲の悪さを考えれば、軍とは別の力学が働いたと考えるべき。(原作からとは言わないが)ロックウェル少将とヨブ=トリューニヒト国防委員の間で何らかの取引がと……そこまで説明すると、バグダッシュは『もういいです』と言わんばかりに両手を俺の方に向けて翳した。
「やはり高官のご子息の視点というのは違うものなんですなぁ……あぁ、お気を悪くせんでください」
「もう慣れてますよ。で、実際は?」
「治安維持活動も含めすべからく軍事行動は、全て国防委員会に報告することになっているのは軍基本法から言っても当たり前なんですが、辺境の、それもマーロヴィア星域管区なんてド辺境の治安回復作戦なんて、はっきり言って国防委員会の方々のご興味をそそるようなものではないんです」
興味はないし、第一艦隊を動かすわけでもない。国防の主敵はあくまで帝国軍であるし、他に治安に問題を抱えている重要星域は山ほどある。マーロヴィア星域管区内メスラム星系出身の代議員ですら、陳情の効果は薄いと考え積極的に軍部へ働きかけようとはしていなかった。それ以外にも仕事はあるし、代議員が国防委員ではない為に機密の点から作戦案に直接触れていなかったからというのもあった。そこをトリューニヒトに突かれたのだ。
「ご存知のように元々警察官僚だったご経歴から、議員は治安維持政策に大変ご熱心なようで。政治家としてはまだまだ若いですが如才な男です。ロックウェル少将に限らず軍の若手有望と言われる将官や高級佐官にもいろいろとお声をかけているようですし。そのせいで昨日ブロンズ閣下にお叱りを受けましたよ。「ちゃんと監視していたのか」ってね。不可抗力だとわかったら閣下、苦虫を噛んでましたが」
バグダッシュが誰を監視していたかは置いといて、この干渉が作戦に与える影響はどうなるか、俺はバグダッシュの興味ありげな視線をかわしつつ、とぼけ気味に考えてみた。
トリューニヒトがバックについたことは、『小道具』の手配の困難さが減ったと考えていいだろう。そしてトリューニヒト自身が作戦案に干渉してくる可能性がないことも。作戦案を見れば警察官僚だった経験から、法的に若干問題があっても実現性が高いと推測できる。功績はフォローした自分にも転がり込むし、仮に失敗しても軍の責任で彼が傷つくわけではない。この作戦は彼の望む最もリスクの低い投資先になったという事だ。『小道具』の手配には金と時間と労力が必要だが、彼自身が支払うわけではない。軍からの作戦提出である以上、作戦成功に尽力せざるを得ないブロンズ准将の苦い顔が目に浮かぶ。
「厄介なのは作戦が終わった後なのかもしれませんね」
「そうなりますなぁ……」
俺とバグダッシュはそう呟くとそれぞれの作業に戻っていった。
コクラン大尉がガンダルヴァ星域管区から到着したのは、それから一五日後。年の瀬が迫る一二月のことだった。爺様とモンシャルマン大佐とファイフェルに挨拶ののち、星域管区補給本部(施設稼働率一割未満)の一室に自分のオフィスを確保すると、前任者更迭で滞っていた細かい決済をわずか一〇日で済ませてしまった。
在籍していた補給本部の要員達ですら唖然とするスピード決済で、不安に思った何人かがいつも敬遠している俺のところにまで来て告げ口する始末。俺も見学がてらに仕事の様子を眺めてみるが、三つの端末を並べて殆どの事項を分かっているパズルのように始末していく。懸案事項と思われるものも数ヶ所にヴィジホンをかけ、部下を呼んで確認・報告させる。すべてが滞りなく進んでいく有様を見て、『同盟軍を実際に支えているのは戦果学校や叩き上げの士官だ』と、かつて査閲部の面々を思い浮かべざるを得なかった。
そして一九日目の一二月二〇日。その余裕で事務処理をしていたコクラン大尉が、真っ青な顔で俺に面会を求めてきたのだった。
「その、ガンダルヴァではこれほどの物資を必要とする作戦とは聞いていなかったものですから……」
出てもいない汗を拭きながら、若作りではあるものの生真面目な役人顔のコクラン大尉は、俺にそう言った。
「国防委員会の了承印と統合作戦本部の了承印がありますので、各補給基地に連絡して物資を差し押さえることは可能です。ですが輸送する船舶及びマーロヴィア星域管区内における保管場所についてご考慮いただけたらと」
「無理は承知しています……というより、今回の作戦案の詳細をコクラン大尉はご存知なかったのですか?」
「ロックウェル少将閣下はただ星域管区の補給参謀の一時的な代行と治安維持作戦の手伝いをしてこいと言われただけで……」
それはトリューニヒトとロックウェルの間に、作戦に対する若干の温度差があるという事だろう。両者とも傍観者には違いないが、立場が微妙に異なるということ。もう一点は作戦案の機密に関して、今のところ維持されていると見ていいということ。コクラン大尉が海賊集団と繋がりがあるとは到底思えないので、俺は作戦の進行状況について軽く説明すると、大尉は腕を組んで「う~ん」と唸った。
「よく、作戦案が通りましたね……と言うべきでしょうか。軍艦を海賊船に偽装させて軍の補給船団を襲撃したり、有人鉱山のある小惑星帯に機雷やゼッフル粒子発生装置を仕組んだり、交通障害にしかならない通信機搭載機雷を跳躍宙域近辺に設置したりとなんて、普通に無茶な話ですよ」
「責任は星域管区司令部と自分がとります。で、輸送船と工作艦の手配は可能ですか?」
「偽装海賊船は管区司令部から出していただくとしても……やはり少し時間を頂きたいです。工作艦はともかく、作戦の機密性から民間輸送船はチャーター出来ないうえ、長期に渡って予備の少ない軍用輸送艦を拘束するわけですから……いや待てそうか、あの船を使えば……」
渋かったコクラン大尉の顔に、児戯を思わせる色が含まれたのを、俺は見逃さなかった。
「コクラン大尉?」
「輸送船に関してですが……とりあえず物を包んで運べて、最低限の恒星間航行速度が出せれば『デザイン』や『型式』に関しては特に問わない、ですね?」
「ゼッフル粒子関連の資材を運ぶ船以外は」
「それなら心当たりがあります。もしかしたら作戦に若干の味付けができるかと思います」
「ウィスキーのミニボトルが必要ですか?」
「『タダで頂ける』のでしたら、頂きましょう」
コクラン大尉が笑顔で応えると、俺はフェザーンから持ってきた帝国産ウィスキーのミニボトルを一つ、コクラン大尉に手渡すのだった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
2020.05.27 ゼッフル粒子の部分について修正
第39話 猛将の根源
前書き
メアリー・スー一直線ですが、五年前は猛将とJrだけで「草刈り」をやろうと書いてました。
絶対無理です。
宇宙暦七八八年一月 マーロヴィア星域 メスラム星系
新年。
今年もまた職場での新年を迎える事になった。去年はフェザーンだったわけで、そう考えると随分と遠くに来てしまった感がある。周囲にいるのはペテン師の片割れと自称小心者の小役人となれば。だがこの二人が加わった事で、マーロヴィア星域管区治安回復作戦の準備は飛躍的なまでの速度で進んでいる。
パルッキ女史による護衛船団運行表の修正と軍管区所属艦艇の手配が済んだところ、メスラム自治政府公報には今後の星系運航業務に関して軍の決めた日程で、可能な限り護衛船団を編成するという経済産業臨時条例が掲載された。このことで行政府内、特に経済産業委員会と財務・検察委員会の間では激論が交わされたという。
新年早々にも関わらず星域管区司令部にも検察長官のトルリアーニ氏が乗り込んできた。あまりにも重大な決定に関して検察に何も伝達しなかったことをクドクドと爺様に話していたが、爺様は最後まで聞いた後で、
「規則の作成に関して、軍の代表者はボロディン大尉であるので、彼に聞くように」
と俺に放り投げてきた。トルリアーニ氏の嫉妬と嫌悪と軽蔑が混ざった恨み深い視線を受けて、俺は大きく溜息をついてから、傍にわざと置いておいたマーロヴィア星域内で販売されるタブロイド紙を手に取って、トルリアーニ氏に見せた。
『軍に投降した海賊組織の情報によると、検察とくに航路警備隊内部に深刻な内通組織があるとのこと』
『軍は管区司令官交代に伴い綱紀粛正を実施した結果、その戦力を減衰させたものの、海賊討伐に対する作戦能力は向上した』
『ただ減衰させた戦力によって管区全域をパトロールするのは困難であり、今後はマーロヴィア経済の生命線である航路維持を中心として戦力を再編する模様』
どうやら記事の内容を事前に知らなかったトルリアーニ氏の顔色は赤くなったり青くなったり忙しかったが、これ以上司令官公室に居座られても困るので、俺は視線で爺様とモンシャルマン大佐とファイフェルに合図してから氏に告げた。
「軍は身を切りました。次は検察の番です。検察長官閣下のお力を軍は期待しております」
その言葉にトルリアーニ氏の顔が奇妙にゆがんだ。墓穴を掘ってしまった中年官僚の悲哀をまざまざと見せつけた感じだ。氏自身が海賊に関与していたかどうかまではわからない。だが彼の部下に海賊とつながる者がいた可能性はあるし、氏もそれを認識しているのだろう。認識しているがゆえにマッチポンプのようなバグダッシュのタブロイド紙に対する工作にあっさりと引っ掛かった。
来た時とは正反対に肩を落として星域管区司令部を後にするトルリアーニ氏を見送ったあと、俺はバグダッシュとコクランを呼び集めた。
「なにしろ検察長官自身がクロですからな」
もはや司令部要員のささやかなバーとなり果てていた俺の執務室で、お気に入りのワイングラスを傾けるバグダッシュは、いきなり爆弾を投下した。
「潔く海賊方につくか、手を切って正道に戻るか。どちらの道を選んでも、検察長官の人生は今日からいばらの道というわけです」
「もう証拠を集められたんですか、さすが情報部ですな」
冷蔵庫からオレンジジュースを出すコクランが、三割の呆れと一割の皮肉を交えた感嘆で応えた。聞いていなかった俺も、スキットルに入れたスコッチを少しだけ喉に流し込んだ。
「物的証拠でないと拘束はできませんよ?」
「そんなもの検察長官閣下の顔色で十分じゃないですかねぇ」
「おい」
流石に顔色が変わって立ち上がったコクランだが、俺は手で制して言った。
「軍は惑星メスラムの地上における治安維持活動には『表立って』動くことはできない。そこは分かっているんですよね。バグダッシュ大尉?」
俺の言葉に、コクランは無言でバグダッシュを細い目で睨みつけた。バグダッシュはといえばいつものニヒルな微笑で受け流している。
コクランは自称『小役人』で戦闘指揮を執ったことはない典型的な後方勤務士官ではあるが、その中でも彼の生真面目さは際立っている。労を惜しまず、整然と筋の通った手腕で物事を解決してきたからこそ『あの』対応ができたのだろう。故に正義を通すのに罪がなければ作ればいいじゃない、と平然と口にするようなバグダッシュとは精神的な骨格がまるで異なる。
現状この二人が感情的に対立したり、足の引っ張り合いをする可能性はない。二人ともその道の専門家(プロフェッショナル)であり、年下の左遷大尉の作戦であっても、手を抜かずに協力してくれることには感謝しかない。
だがそれはあくまでも二人の内心という脆く不確実なものに立っている。仮にこの二人のいずれかがソッポを向けば、俺は胸ポケットにある辞表を爺様に提出するしかない。そしてこの二人以外に、俺には彼らと同等以上の信頼と作戦への献身を求めなくてはならない相手がいる。
「……まぁ検察長官閣下は、作戦後に司直に委ねますよ。おっとこれはジョークではないですぞ」
「ちっとも面白くないよ」とコクランが呟いたことを俺が無視したのを見て、バグダッシュは続ける。
「海賊たちは四つぐらいの集団になりそうですな。一番大きい集団で一〇隻ないし一三隻程度の戦力でしょう。巡航艦の五隻もあれば鎧袖一触ですな」
広域分散し警備の薄い船を襲撃することこそが海賊の長所であり、纏まって行動するのはその最大の長所を打ち消す愚策だ。護衛船団を組んだことで、所属艦が一~二隻程度の弱小海賊は手出しができなくなる。バグダッシュが情報屋から聞き出したデータと過去の星域軍管区のデータを突き合せれば、今後の海賊再編の想定は可能だ。
「輸送船への改修は順調に進んでいるようです」
ロフォーテン星域管区キベロン宙域にある訓練宙域に標的として集約していた船舶を無理やり輸送船に改装しようというアイデアで、あっという間にコクランは二〇〇隻近い『仮装輸送船』を確保してしまった。元々標的艦として無人操縦できるよう改装されていたわけで、後はカーゴスペースをもっともらしく取り付ければいい。その点、帝国軍が破損遺棄した輸送船は非常に重宝した。形が形なので、穴を防ぐだけで相当な量の物資を運搬可能だからだ。
「輸送船の回航及び偽装海賊艦への参加者の人選も済みました」
これは俺。モンシャルマン大佐によって粛軍された部隊の中から、二〇名前後の艦長を選び出してさらにそこから五名五隻に絞った『特務小戦隊』を選抜。残りの一五隻でローテーションを組み、キベロン宙域からマーロヴィア星域管区に隣接するライガール星域管区へ仮装輸送船を回航させることになる。もともと一度ないし二度使えればいいという前提だから、メスラム星系まで到着すれば、後は物資の移動や配置以外では燃料を抜いて軌道上で放置すればいい。
肝心の物資集積指揮は基本的にライガール星域管区マグ・トゥンド星系でコクラン大尉が行う。俺と特務小戦隊はライガール星域から出た後、ガンダルヴァ星域の無人星系に潜んで以降は行方をくらます。マーロヴィア星域管区防衛艦隊は、行政府の勧告通り民間船運航の護衛艦抽出の為、一部星系へのパトロール回数を大幅に減らす事になる。そしてパトロールの居なくなった星系には当然……
「鉱山会社への勧告文書はもう作成されたんでしたね」
「いまからパルッキ女史の鞭で尻を叩かれる鉱山会社の面々の顔が目に浮かびますなぁ」
特に海賊からリベートを貰っている関係者は、事態を把握した時には顔が青ざめている事だろう。だが命あるを感謝してもらわねばならない。目星は付いているから、復讐を企図するようならそれなりに対処するつもりだ。ご褒美と思うかどうかは個人の趣向。
「ところで、偽装海賊の名前。もう決めたんですか?」
何気ないバグダッシュの一言。コクラン大尉は興味本位に俺を見ているが、バグダッシュはもう感づいてはいるだろう。
「『ブラックバート』でいこうと思います」
「世の中、面白くていいですなぁ」
そう言うと、新年何度目か分からない乾杯を、バグダッシュはするのだった。
◆
それから数日かけて物資調達の順序および護衛戦隊の手順を再確認した上で、コクランと回航要員は護衛戦隊と共にライガール星域管区へと出発していく。また俺も『ブラックバート』となる臨時分隊指揮官や艦長達と顔を合わせ、細かく打ち合わせをすることになった。
「よもや自分が作戦とはいえ、自国内で海賊行動をする事になろうとは思っていなかったな……」
嚮導巡航艦(通常の巡航艦に通信機器を無理やり増設した型)『ウエスカ』の小会議室で、艦長兼臨時分隊指揮官である髭もじゃの威丈夫は、太い腕を組み心底呆れたという表情で、俺と作戦案を交互に見ていた。
「この作戦案をビュコック准将閣下もモンシャルマン大佐も承認したのは間違いないんだな?」
「その通りです。カールセン中佐」
最初にモンシャルマン大佐から預かった信頼できる艦の名簿を見た時、何故この人がここにいるのかはよくわからなかった。が、俺がカールセン中佐から吹きつける物理力を伴う威圧感に抗いながら応えると、カールセン中佐は大きく鼻を鳴らし、不満の表情を隠すことなく紙の作戦案をテーブルの上に放り投げた。
まだモジャ髭がかろうじて黒いカールセン中佐は、その最期において参謀らしき士官に士官学校を出ていないこと、エリートに対する意地だけで戦ってきたこと、こんな時代でなければ到底艦隊司令官になれなかったことを独白している。中将にもなって、それも旗艦『ディオメデス』の撃沈寸前にそんなことを言うのだから、この人の士官学校出のエリートに対する反感は、ビュコックの爺様以上の筋金入りだろう。
そして俺はそれなりに努力したとはいえ、結果として現場でヘマして辺境に流された士官学校首席卒業者以外の何物でもない。カールセン中佐が俺に好意を持つ一片の理由すらない。そして今、俺は不本意ながらも彼が最も嫌悪するであろう台詞を吐かねばならないのだ。
「今回の作戦において戦闘指揮・運航に関しては中佐にお願い致しますが、臨時戦隊の、ことに部隊運用に関しては、小官に従っていただきます」
あぁ今この瞬間、俺はカールセン中佐にとってみれば完全に度し難い世間知らずの悪役エリート若造なんだろうなと、心の中で溜め息をついた。
俺だってこんな事は言いたくないが、俺はこの作戦立案者であり同時に責任者でもある。おそらく、いや間違いなく『非情』『残虐』『卑劣』と批判を受ける決断をしなくてはいけない場面が必ず来る。その時先任士官であるカールセン中佐に責任を負わせるのは、甘っちょろいし筋違いと批判されるかもしれないが、俺の良心が許せない。作戦自体が失敗に終われば、俺の軍におけるキャリアは間違いなく終了する。だが成功しても批判されるであろう状況下において、カールセン中佐のキャリアを傷つけるわけにはいかない……一〇年後の同盟軍にとって、ラルフ=カールセンという指揮官の存在は巨大戦艦より貴重なものなのだ。
だがそれを俺の目の前で、顔を真っ赤にし、血を噴き出さんばかりに拳を固く握り締めているカールセン中佐に言っても無駄だし、理解されるようなものではない。バグダッシュ、コクランの二人が加わったおかげで、作戦運用に大きく弾みがついて、状況終了までの期日は計算上かなり短くなったとはいえ、俺自身は荊の上で作戦遂行する事になるだろうと痛感せざるを得なかった。
そして宇宙暦七八八年二月一四日。全ての準備が整い、爺様の執務室にマーロヴィア星域管区司令部要員が集まり、作戦名『草刈り』の状況開始が爺様の口から宣告される。すでにコクランはライガール星域管区に、バグダッシュはすでに階級章と制服を官舎において行方をくらましており、ここには最初の四人しかいない。
「兵卒上がりの年上の上官の操縦方法を、存分に学んでくるがいいぞ」
カールセン中佐の上申を何度も受けた爺様は、俺の敬礼に面倒くさそうに応じた後、そう言った。
「ジュニアの命令は儂の命令じゃと口酸っぱく言っておいたからの。カールセンの血圧は十分すぎるほど上がっておるだろうて」
「……主力部隊の運用と機雷の改造・敷設に関しては、我々に任せてもらおう。ブラックバートに襲撃される船団についても準備は整えておく。一応、問題ないとは思うが行き違いの場合、三重の暗号で交信する事になるが、貴官の方の最終返答符号はどうする?」
陽気に笑っている爺様をよそに、モンシャルマン大佐は真剣な表情で俺に言った。
正規軍と偽装海賊が八百長を演じるとはいえ、傍から見て演技とわかるようなようでは不味い。特に護衛船団に随行する民間船の乗員乗客にばれないよう、その襲撃は真剣なものになる。事前にどの護衛船団を襲うかはある程度決まっているのだが、状況によってはアドリブもかますことになる。
その為の誰何符号も用意してあるが、護衛船団側から発信された符号に対しての返答符号が必要になる。返答符号がなければ、護衛艦艇は本物の海賊として容赦なく反撃することになる。軍用通信を盗聴するレベルの海賊になれば、返答符号を必死に考えようとするだろうし、バグダッシュも盛んに偽情報を流している。
俺が大佐からファイフェルに視線を動かすと、ファイフェルはすぐに自分のポケットから紙のメモ帳を取り出し、ペンをインクモードで起動する。
「末尾一の日はアントニナ。二の日はイロナ。三の日はラリサ。四の日はドミニク。五の日はレーナ。六の日はカーテローゼ。七の日はフレデリカ。八の日はアンネローゼ。九の日はヒルダ。〇の日はマリーカ。で」
「……まぁ、なんというか。ボロディン大尉らしいというか」
「それほどプライベートが充実しておったのじゃったら、もう少しこき使ってやるんじゃったわい」
「フェザーン駐在武官というのは相当役得があるんですね」
三人が三人をして、何となく白けたような呆れたような口調で答えたので、俺は無言で肩をすくめた。まぁ実際役得といえば役得であったわけだし、それが原因でこんな辺境に流されたわけだが。
「誰も想像しない符号だろうから、各護衛船団の指揮官にのみ伝えておこう」
数回咳払いしてからモンシャルマン大佐はそういうと、俺に向けて手を差し出した。
「こちらの事はすべて任せて、存分に仕事をしてくれ。貴官の代わりはファイフェル少尉がやってくれるだろう」
「少尉のことも宜しく面倒を見てやってください」
「二人ともファイフェルに甘いのう」
爺様はわざといじけたような口ぶりで顎をさすりながら応えると、その鋭い眼が俺を真正面から見据えた。
「ジュニアも気をつけるんじゃぞ。言うまでもないが、貴官は白刃の橋を渡っておるんじゃからな?」
「承知しております」
「本物は手ごわいぞ。儂が保証する」
その本物が何を指しているのか、爺様がはっきり理解していると承知した上で改めて背筋の整った敬礼を俺はするのだった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第40話 訓練
前書き
血圧を上げるというのは、肉体的に大変危険な行為です。
上司の血圧を上げるのは、経済的に大変危険な行為です。
そして今回の話はかなり長い割に進みが遅いので、読者の皆様の血圧が上がるかもしれません。
宇宙暦七八八年二月 マーロヴィア星域 ラマシュトゥ星系
メスラム星域を離れて一五日後。
ライガール星域でコクラン大尉と再会し、予備の燃料と光子魚雷などの消耗兵器、巡航艦五隻の生活必需品四か月分を搭載した稼働状態の良い帝国軍小型輸送艦と合流する。
補給終了後は予定通りマーロヴィア星域に向けて進路をとるが、主要航路ではなく、寂れて航路情報も乏しい星系を幾つか渡り、現時点でマーロヴィア星域の最辺境となっているラマシュトゥ星系に特務戦隊は潜伏した。
この星系は事実上、自由惑星同盟の版図における最も辺境の星系だ。これまで通過してきた星系以外との航路情報はなく、星域管区のパトロールですら半年に一回。資源らしい資源もない。小さく弱々しい赤色矮星の周りを、幾つかのガス惑星が公転しているだけ。これまで海賊の目撃情報すらない。念の為にと跳躍点宙域近辺の次元航跡を調査したが、見事にまっさらだった。
「こんな星系にいったい何の用があるというのだ?」
比較的大きめだが名前もラマシュトゥ-Ⅳ-3としかつけられていない岩石型衛星の赤道付近に投錨した嚮導巡航艦ウエスカの狭い戦闘艦橋で、カールセン中佐は俺を睨みつけながら言った。くだらないことを言ったら縊り殺すといわんばかりの視線だが、ひるんでいても仕方がない。軽く咳ばらいをした後で、俺はできる限り軽い口調で答えた。
「訓練です。砲撃と戦隊機動を主に実施します」
「……評価は貴官がするのか?」
実戦経験のほとんどない若造が何を言うかと、顔に書いてある。カールセン中佐にとってみればそれは当然だ。長年軍務についていて、先任艦長として部下だけでなく同僚すら教育してきた立場だ。そのキャリアを貶しているも同然の発言だろうが、ここはのんでもらわねばならない。単艦の海賊ならまだしも、草刈りの為にわざわざマーロヴィアの海賊は集団化させている。それを一隻残らず撃破するには、正確な砲撃と的確な戦隊機動が必要とされる。
「小官は査閲官業務に経験があります。予備の燃料も十分ありますので、時間の許す限り実施しましょう。僚艦の艦長をウエスカに集合させてください」
「……命令だからな。致し方なかろう」
苦り切った表情を隠すことなく、カールセン中佐は副官と航海長を呼び、自艦と僚艦への指示を下した。その命令毎に副長や航海長の非好意的な視線が、俺の背中に刺さっているのは痛いほどわかった。
それから一二時間後に、特務分隊の訓練は開始される。
今回同行する五隻の巡航艦はモンシャルマン大佐の粛軍をクリアした上で、艦長の経歴・戦歴・実績を洗いざらい調べたうえで選んだ艦ばかりだ。爺様の手元に残してきた戦艦を除けばマーロヴィア星域管区内の精鋭中の精鋭と言っていい。
だが現実には基本的な五隻単縦陣から一斉回頭による単横陣への組み換えすら上手くこなすことができない。対静止標的撃破率は五〇パーセントを切っていて、対可動標的撃破率など一〇パーセント以下だ。ロボス中将率いる第三艦隊と比較してはいけないと分かっていたが、充足率六割とはいえ帝国軍と戦い続ける制式艦隊と辺境の警備部隊ではかくも実力差があるのかと痛感させられる。
これが一〇数年後のランテマリオ星域会戦で、混成艦隊の前衛部隊が司令部からの統制を逸脱した狂乱を演じた挙句、手痛い反撃を受けて以後の攻勢を失うに至った遠因の一つだろう。日常的な警備活動を少数の艦艇で実施せざるを得ない環境下では、まともな集団訓練などする時間はない。リンチと共に働いたケリム星域のような経済的に重要な星系ならば艦艇の数に余裕があるのでまだしも……三日ぶっ通しで実施した訓練の結果が悪いという事は、再びウエスカに集まった艦長達もどうやら十分理解はしているのだが。
「艦長達はこの訓練の意味を知りたがっている」
蓄積された疲労と、結果に対する慙愧と、ミスを指摘する小生意気な若造への不満で、顔色がさえない艦長達を代表してカールセン中佐が俺に問うた。
「我々の目的はマーロヴィアに巣食う宇宙海賊の掃討にあるはず。海賊が集団化したとはいえ、その統制は脆く攻撃力は制式艦艇に比べて貧弱だ。このまま訓練を継続するよりも、速やかに戦隊を航路防衛や星系内捜索活動に戻すなり、偽装海賊としての活動を始める方が効率的だと考えるが、どうか?」
ストレスが限界点に達しようとしているのは十分理解している。部下からの突き上げは相当なものだろう。実戦経験のほとんどないエリート崩れの若造の道楽になんで付き合わねばならないのか。彼らにおもねることは簡単だし、拒絶することも簡単だが、それでは目的を果たすだけの実力を得ることはできない。彼らが彼らのキャリアが示す実力を一二〇パーセント発揮できるようにしなければ、本物を倒すことはできない。
査閲部に在籍していた時に話を聞いた年配の勇者達は、既に出世の望みがないことを受け入れていた。目の前の彼らはそうではない。年上の上官を命令ではあっても指揮する為には、彼らを納得させるだけの理由と統率力を示さなくてはならないのだ。俺は下腹部に力を込めて大きく息を吐くと、こちらを見つめるカールセン中佐をはじめとした艦長達の顔を一望する。いずれも五〇歳を超えているであろう、疲労がなくとも皺が顔に寄る年齢になった下級佐官達だ。その中で一番手前に座る、カールセン中佐を俺は正面から見据えた。
「海賊の掃討も確かに目的の一つですが、それだけではありません。最大の目的は、このマーロヴィア星域管区の再活性化であります」
その言葉に、艦長達の顔に戸惑いが浮かぶ。
「その最大の障害となるのがブラックバート……ロバート=パーソンズ元准将に率いられた恐るべき海賊集団の撃滅が、この特務分隊に課された最大の任務であります」
◆
「……“あの方”を叩くというのか」
嚮導巡航艦ウエスカの会議室の沈黙を最初に破ったのは、やはりカールセン中佐だった。
「ブラックバートは一昨年、ケリム星域管区で第一艦隊に撃破されたはずではないか?」
次に俺に聞いてきたのは巡航艦ミゲー三四号艦長のカール=ブルゼン少佐。幼少時に帝国から亡命してきた人物で、二等兵の頃からの経験に裏打ちされた操艦の腕とセンスは、マーロヴィア星域管区でも随一と評判の人物だ。
「仮に逃亡したとしてもケリム星域からわざわざマーロヴィア星域まで逃亡するだろうか? 経済的なことを考えれば商船の運航量の多いフェザーン方面へ行くのが普通ではないか?」
これは巡航艦サルード一一五号艦長のマルソー少佐。後方勤務から実戦部隊に移籍した変わり種だが、海賊を単艦で長時間追跡し撃破するといった辛抱強い指揮ができる人で、五人の中では俺に対するわだかまりが最も少ないように見える。
「大体、ブラックバートがこの近辺で発見されたのなら、他管区の部隊が黙ってねぇだろう」
呆れ顔で両手を天井に振り上げたのが巡航艦ミゲー七七号艦長のゴートン少佐。『暴れ牛』の異名があるように勇猛果敢な艦の指揮をするらしいが、上官に何度か手を挙げたらしく譴責処分の数も多い。当然、俺に対しては反感しかもっていないように見える。
「……ブラックバートの統率力は尋常ではない。エル・ファシル星域管区に在籍していた時、私の所属していた駆逐艦分隊は彼らにいいように翻弄された」
腕を組んで苦虫を噛みながら答えるのが巡航艦ユルグ六号艦長のリヴェット少佐。この中では一番年長で、帝国軍との戦闘も海賊との戦闘も多くこなしてきた。戦闘数に比して撃破艦艇は少ないが、損害もほとんどない。
いずれの艦長もブラックバートという名前を無視できないのは一目瞭然だった。それだけに海賊ブラックバートの名は有効であると、俺は確信して、彼らの問いに一つ一つ答えた。
「まず本物のブラックバートは完全に撃破されたわけではありません。残念ながらケリム星域管区第七一警備艦隊の副官をしていた小官が、不本意ながら保証せざるを得ません」
経済的なことを考えたとしても、十分に武装した警備部隊がうろつくフェザーン航路で、根拠地を失い弱体化したブラックバートが襲撃を行うのはあまりにもリスクが高い。エル・ファシルやドーリアといった星域管区は現在帝国軍と接触している故に、民間船舶の運航は制限されているか十分な護衛がついている。そしてブラックバートは旧式・廃棄予定だったとはいえ同盟軍の戦闘艦を有している故に発見されても特別任務という事で誤魔化しがきく。そして
「彼らがマーロヴィア星域にくる理由の最大のものは、偽物のブラックバートが現れる……つまり我々が彼の名前を騙って軍の護衛船団を襲うからです」
「バーソンズ閣下を倒す事が、どうしてこのマーロヴィア星域管区を活性化することにつながるのか。儂には理解できん。ボロディン大尉、説明してもらいたい」
カールセン中佐は大きく首を振って大きな声で俺を問い詰める。納得できない説明であれば、色々な意味で容赦するつもりはないのだろう。作戦への不服従か、最悪艦ごと逃亡しようかという勢いだ。
だがカールセン中佐がそうなるのも無理はない。徴兵され、専科学校そして幹部候補学校に推薦入学し、卒業後数年で駆逐艦の艦長となった時の上官がロバート=バーソンズ大佐(当時)なのだ。確実な戦果だけでも帝国軍の戦艦一隻を大破、巡航艦三隻に駆逐艦六隻を撃沈という大武勲を持つ中佐が、マーロヴィア星域管区の巡航艦先任艦長などをしている最大の理由は兵卒上りだから、ではない。ロバート=バーソンズの有能な部下だったという経歴が重なっているからなのだ。
潜在的なシンパと見られ、それでいて操艦も戦闘指揮にも優れている故に艦長の職から外すことも躊躇われ、士官学校出身者でないこともあって辺境に流された。制式艦隊に所属させればその情報をブラックバートに流しかねない。海賊に身をやつすにしてもどこか遠くで、中央航路よりはるかに遠いところでやってほしい……そういう軍内部のエゴや保身から、中佐はマーロヴィア星域管区に配属されたわけだ。
経歴をモンシャルマン大佐より付託された参謀長権限を使って読んで、俺は納得できたし中佐のエリート嫌いの根っこがとんでもないところにあって驚いたものだった。それを承知の上でブラックバートを名乗り偽装海賊作戦を組み立て、実働部隊の先任艦長に中佐を選んだ俺は、もう悪魔に魂を売ったも同然だ。
「バーソンズ元准将は宇宙海賊の中でも特異な人物です。リヴェット少佐の仰るように、並々ならぬ統率力を持ち、いまだに多くのシンパを軍内外に抱えていると思われます」
シンパという言葉に、机の上で握られたカールセン中佐の両拳に力が込められたが、無視して俺は続けた。
「彼は海賊行為を行う目的は私腹を肥やすことではありません。それは十分承知しています。だからといって彼の海賊行為を許すわけにはいかないのです。カールセン中佐ならお分かりいただけると思います」
「……あぁ」
「彼の希望を、いささか形を変えた上で達成できる条件がこの星域……具体的にはメスラム星系に整っています。必要とされる資本はブラックバート以外の海賊組織を掃討することで得られる形になります」
宇宙海賊の巣食う小惑星帯には機雷とゼッフル粒子による重層的な空間封鎖が実施される。堅気の鉱山会社には一時的な損失が出るが、このマーロヴィア星域にもともと堅気な会社自体が存在しない。大なり小なり海賊とつながりはあるから、取り潰しにかかる補償額など第一艦隊を動員・常駐する額に比べればまだましだ。それに行政府直轄あるいは半官半民となった鉱山会社に『新しい労働力』が軍から提供され、その製品は優先的に軍が買い取ることになる。そして幸いに爆発することのなかった機雷を処理するにも人手は必要。その為に事前実施される更地作業が若干過激であることは否定しない。
つまりロバート=バーソンズが海賊行為で資本を作り、ケリム星域で実施していた活動を、行政が直轄して行うという事だ。パクリも甚だしいが、今度は非合法ではない。しかし実施するためにはブラックバートという義賊の存在は完全に抹殺されなければならない。自らの不作為を忘却させ、行動を正当化し、彼らのやってきたことを否定すること為に必要な儀式なのだ。
そしてケリム星域で敗退・逃亡したブラックバートは数を減らしているとはいえ、恐らくは元准将の指揮下でも最精鋭で構成されているであろう。海賊を偽装した上で、彼らに勝つ為には部隊にそれなりの練度が必要になる。
「バーソンズ元准将をこの星域に引きずり出す為には、大きな餌とともに、彼の軍内外に残る名声を必要以上に貶める必要があります。その実働戦力として我々が行動するのです。そして、汚名をそそぐために出てきた彼を葬るだけの力を我々は持たなくてはならない」
そこまで言ってから俺はカールセン中佐に視線を向けた。すでに彼の眼は深紅に染まり、俺を絞殺せんばかりに睨みつけてはいるが、その瞳の奥に僅かな恐怖が見え隠れしている。軍内で自分を育てた恩人を自分が撃つという恐怖と、純粋に歴戦の用兵巧者と戦うという恐怖。ゲリラ戦を得意とする元准将に、今の戦力・練度では到底勝ち目はないとわかっている目だ。
「……ここで偽物のブラックバートが暴れていると、元准将が耳にするまでにはそれなりの時間が必要でしょう。一ヶ月から二ヶ月は余裕があります。補給は軍の輸送船団から略奪できます。一個巡航艦分隊がフォーメーション訓練する準備は整っております」
俺の断言に、カールセン中佐をはじめとした五人の艦長はみな沈黙で応えた。出てもいない汗を拭き、腕をきつく組み、額に手を当て、首元のスカーフを緩める。数分ののち最初に口を開いたのは、やはりカールセン中佐だった。
「それで我々が……あの方に勝てると、貴官は言うのか?」
「あの方ではなく、バーソンズ元准将です、カールセン中佐」
本人を直接知らない強みで、俺は笑顔を浮かべて中佐に応じた。
「勝てる勝てないの問題ではなく、勝たなくてはいけない、です。まず勝たなくてはあらゆる意味で我々は生き残れないことをご理解ください」
その会話以降、カールセン中佐ら艦長達の態度は大きな変化を見せた。俺に対する感情は敵意と隔意と不本意のままで変わらなかったが、訓練に対する熱の入れ方は明らかに強くなった。嚮導巡航艦ウエスカの戦闘艦橋でカールセン中佐の激しい叱咤が飛ばない時間はなく、副長や航海長が砲撃・操舵などの各部署の中間責任者を会議室に呼び出して厳しく叱責することもいつものことになった。
そしてその会議には必ず俺も同席するようにしている。上司の叱責の敵意の矛先を、部下ではなく俺に向けるようにするための小細工だった。おかげさまで俺はこの特務分隊でどの階級からも満遍なく嫌われている存在となった。特に各艦の中尉や特務少尉といった中間責任者からは、『会議室でネチネチと細かいことを指摘してくる嫌味な首席大尉殿』という評価で固まった。
常に端末を手に、会議室と戦闘艦橋を行ったり来たりして、人の粗を探している。叱られている様を見ながらも端末をいじり、なぜそのように砲撃や機動をしたのか理由を事細かく質問してくる。戦場に出たこともないくせに、一人前に人の批判をしてくる等々。査閲部にいた頃の数倍の濃度で向けられる敵意に、俺はほとほと呆れつつも、開かれる会議の回数に比例して、分隊の練度が大きく上昇していることに満足していた。
そしてラマシュトゥ星系に到着し、訓練を開始して三週間後の三月一日。集中的な訓練の成果がはっきりと表れ、なんとか第三艦隊の末席分隊と言っても差し支えないレベルまで分隊の練度が達したのを見計らったかのように、マーロヴィア星域の何処かに居るバグダッシュから超光速通信が届いた。
「お坊ちゃまのご成長ぶりはいかがですかな?」
明らかにマーロヴィア星域軍管区司令部ではない、場末というかスラムの中にあるアジトのような雰囲気を背景に、私服姿のバグダッシュは何時ものような軽薄な口調で俺に言った。
「もう少しで一月になりますから、そろそろご機嫌を伺おうと思いまして」
「順調ですよ。立ち歩きくらいはできるようになりました」
「まだハイキングをするのは無理ということですかな?」
「まっすぐ歩けるようになったら、こちらからご連絡いたします」
「ご隠居様もそろそろシビレを切らしておりますからね、では」
お互い敬礼するまでもなく、あっという間にバグダッシュのほうから通信は切られると、同時に圧縮された作戦の進捗状況報告書が俺の端末に直接流れ込んできた。簡潔にしかも整然と内容が纏められた報告書で、それだけ見てもバグダッシュの有能さを十分認識できたが、内容を読み進めていくうちにその大胆さに呆れるといったほうがいいように思えた。
まず偽名を使って物資の横流しを餌に幾つかの弱小海賊組織に接触して、海賊の勢力分布を既存の情報と照らし合わせていく。そこで確認された海賊組織を大まかに四つに分類したうえで、司令部から星域政府に通告された機雷訓練宙域の情報にレベル差をつけて漏洩させた。
当然、海賊同士での情報交換は頻繁だから、それを突き合わせて状況照合を行うだろう。それを見越して、弱小海賊の幾つかを減刑処分を餌に降伏させた。驚いた他の海賊組織は慌てて組織の引き締めを図る。そこでバグダッシュが意図的に流し込んだ偽の作戦情報に粗があることに気が付き、幾つかの情報屋が海賊自身の手によって潰された。
海賊組織は自身の安全を守るため、比較的親交のあるいくつかの集団に纏まることを余儀なくされた。異なる集団同士の間では緊張感が高まっており、後は火をつけるだけの状況になっている。
文章にすれば簡単に見えるが、現実にハリネズミのようにアンテナを張り巡らしている海賊と簡単に接触し、まるでゲームをするかのように相手を操ってしまう手腕はとてもマネできない。星域開拓以来、宇宙海賊に悩まされ常に主導権を奪われていたマーロヴィアが、たった一人の情報将校によって手玉に取られようとしている。
「つまりマーロヴィアはバグダッシュ一人を派遣するほどの価値もない、ということなのか?」
俺は嚮導巡航艦ウエスカにある自分の個室で、バグダッシュの報告書を片手に溜息をつかざるを得なかった。
自由惑星同盟が国家として成立し、ダゴン星域会戦で帝国と接触するまでの間、多くの星域と星系がその支配下に入った。産めよ増やせよ拡大せよで領域を拡大したものの、まずは初期投資人口の不足で、ついで資本の選択集中で、そして帝国との戦争で、みるみるうちにその価値を低下していったのだろう。
メスラム星系に分不相応ともいえる巨大な星域軍管区司令部があるのも、いずれはここを根拠地にさらなる支配領域拡大を、と臨んだのだろう。が、一五〇年にわたる長い戦争が辺境への投資意欲を低下させた。それが海賊の目に留まりカビのように星域を蝕んでいった。
ビュコック爺さんをこのド辺境に送り込んだのも、統合作戦本部が准将の定年までの四年間で成果を上げてくれれば儲けものぐらいの考えだったのかもしれない。原作の初登場時点でビュコックは中将として第五艦隊司令官まで昇進しているわけだから、このマーロヴィアでもそれなりに実績を上げたに違いない。そこで、俺は背筋が寒くなった。
はたして俺は転生してこれまで、なにか状況を変化させているのだろうか?
原作に登場しないキャラとしてこの世界に生を受け、士官学校では多くの原作キャラと出会い、多少なりとも運命を変更させたのだろうか? 自由惑星同盟の引きこもり防衛など果たせることなく、結局は原作通り天才ラインハルト=フォン=ローエングラムによって蹂躙させられてしまうだけなのではないか。大きな歴史のうねりの中で、凡夫一人ができることなどたかが知れている……
バグダッシュの報告書と共に、マーロヴィア星域メスラムにある情報集積センターから転送されてきた、俺個人宛の通信文を見ながら、そう思った。
それはアーサー=リンチ個人から。気さくな挨拶に加えて二月の人事異動における少将への昇進と、エル=ファシル星域防衛司令官への転属の連絡が記されていた。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第41話 マーロヴィアの草刈り
前書き
情報は時に一個艦隊の武力に勝るというのは間違いありません。
Jrがどんなに頑張ったとしても、バグダッシュの1/4くらいしか仕事できないでしょう。
宇宙暦七八八年三月 マーロヴィア星域 ラマシュトゥ星系
機は熟した。
はっきりとそう言い切れるほど自信があるわけではないが、特務分隊は少なくとも俺の必要と考えるレベルの練度を獲得し、草刈り作戦を実施するにあたりまずは大きな障害がなくなったと俺は判断した。分隊基礎運動訓練から始まり、全艦による一点集中砲撃訓練まで、ラマシュトゥ星系に到着してより都合三八日。ほぼ休みなく訓練を実施した甲斐があった。
嚮導巡航艦ウエスカの会議室に集まった艦長達の顔には、疲労感が大半を占めてはいたものの、達成感があったのを俺は見逃さなかった。
「いよいよ、今日から我々は海賊集団ブラックバートとなるわけだ」
「この国に亡命してからかなりの時間がたつが、まさか本気で海賊をする日が来るとは思わなかった」
「部下と御曹司の板挟みに、小官の忍耐も限界に近かったが、ようやく解放されるか」
「あぁ、やっと、だな」
各艦の艦長達はそう言いながら肩を竦めたり、コーヒーを飲んだりしていたが、カールセン中佐だけは腕を組んで、じっと目をつぶったままだった。彼に声をかけられる雰囲気ではないのは明らかであり、集まった他の艦長達も、あえてカールセン中佐に声をかけようとはしなかった。
「作戦をご説明いたします」
俺が必要もなく小さめに喉を鳴らすと、会議室の照明を落として、中央にある三次元ディスプレイを起動させる。艦長達も口を閉じてディスプレイに映し出されるマーロヴィア星域の星域航海図を注視した。
「まず我々の現在位置は、このラマシュトゥ星系」
ディスプレイの白い点の一つが赤く染められる。そこから延びる細い線がゆっくりと俺の指示通りに赤く染まっていく。目標点は最初が本拠地であるメスラム星系。通常であれば約一〇日の行程ではあるが、あえて通常航路を逸脱し、ライガール星域やタッシリ星域からの民間ルートを挟み込むように、偽装商船や輸送船を『襲撃』しながらメスラム星系へと近づいていく。
メスラム星系に侵入後は、老朽化して廃棄処分された鉱石採掘プラント(バグダッシュを通じて地権者から買収済)に根拠地を置き、海賊狩りを実施する。自らをブラックバートと触れ回わり、集団化した他の海賊組織の縄張りを荒らしまわる。
接触してくる海賊組織もあるだろうが、裁判などの手続きを一切せず容赦なく撃破する。軍管区司令部とは完全に通信を切り、あくまでも私掠船として行動する為、味方のパトロールと衝突する可能性もゼロではない。発見された場合は擬似交戦の上、逃走を選択する。
特務分隊が海賊と『私闘』を繰り広げている間、軍管区所属の艦艇は海賊が潜伏する可能性の高い小惑星帯に、掃宙訓練と称して実弾機雷とゼッフル粒子発生装置を設置していく。実弾の幾つかは炸薬部を除き、時限航跡監視記録装置を搭載した事実上のスパイ衛星として活用する。そこで得られたデータは軍管区司令部で処理し、次の機雷敷設ポイントを決定する。ポイントはバグダッシュを通じて、俺個人に連絡される。
また非情な海賊を演出する為、気密すらできていない自動操縦の老朽標的艦に通信機を仕込み、それを撃破するというマッチポンプを実施して、本家ブラックバートの名を失墜させる。かつてブラックバートの名を騙った宇宙海賊が数週間もしないうちに沈黙したのは、面子を潰された本家が出張ってきたからだろう。こちらは海賊の情報網も利用して悪名を轟かせるわけだから、それだけプライドの高い集団であれば、さほど時間をかけずに出てくるのは間違いない。できればブラックバートに砲撃有効射程の長い戦艦がいないことを祈るのみだ。
「以降、作戦終了まで船体をすべて黒に塗装します。何か質問がございますか?」
「降伏して裁判を希望する海賊も、容赦する必要はないのか?」
巡航艦サルード艦長のマルソー少佐が手を上げて問いかけてきた。辛抱強い指揮官であるという評判通り、俺のような若造が指揮する訓練でも表立って批判はしてこなかったが、流石に裁判なしで仮借なく攻撃するのは同盟軍基本法に抵触するのではないか、と言外に言っているのは間違いなかった。
「動力を停止し、無抵抗で船を捨てて出てくるというのであれば命だけは助けますが、それ以上の温情を海賊に与える必要はありません」
「偽装艦と民間船の区別はどうする? そこまで強硬にやる以上間違って撃沈しました、という言い訳は通じないぜ」
ゴートン少佐が皮肉ぶって肩を竦めて言った。
「すでにマーロヴィア星域を航行する民間船舶に対して、航行計画票の事前提出を求められております。隣接するライガール・タッシリ領星域には、マーロヴィア星域へ航行する船舶すべてに対し護衛船団運行指示が出されておりますので、それ以外の独航船舶には、『航路外へ誘導し、強行接舷による内部査察』を実施いたします」
「……それは誘拐とどう意味が違うんだ?」
「護衛船団を組みたくないほど急ぎで運ばなければならない荷物であれば、事前に軍か行政府に連絡があると思われます。連絡なしに独航する船があるとしたら大変興味がありますね。果たして何を積んでいるか、ここが帝国戦力圏内で、さらに三〇年前だったらと思う次第です」
俺の返答に、室内にいる艦長達は呆れ顔で俺を見つめた。三〇年前まで同盟軍は帝国勢力圏内での私掠戦術が、非公式ではあるが公認されていたのは事実だ。ダゴンの殲滅戦で勝利を得ていたとはいえ、同盟政府は帝国の国力とは比較にならないほど小さいことを意識していたし、事実であったから敵の補給線を圧迫する目的で帝国領内における商船への略奪行為を実施していたのだ。
もちろん現在でもバーゾンズ元准将のように特殊戦を実施しているが、それほど大規模には実施していない。理由は単純。イゼルローン要塞の建造だ。建造に際してそれまでも厳重な警戒網が敷かれていたイゼルローン回廊の出口付近は蟻の出入りする隙間の無いほどにまで強化され、物理的な突破が困難になってしまった。
今も昔も統合作戦本部は不正規戦をあまり重要視してはいなかったが、高いリスクを払ってまで実施する意味がないと判断し、以後帝国本土における私掠戦は中止された。もちろん、裏には巻き添えを喰らっていたであろうフェザーンからの圧力があったに違いない。
「もっともらしく海賊行為をするのが今回の作戦には必要です。盛大にやりましょう」
それから一月半の間。特務分隊はブラックバートとしてマーロヴィア星域を暴れまわることになる。後日ファイフェルが纏めてくれた軍の報告書からいくつか抜粋すれば……
三月一三日 クビュ星系において単独航行中の商船『レキシントン三二号』を襲撃。救援信号を発信する商船に強行接舷。搭載されていた食料品や生活物資を強奪。乗組員(※無人)を残し、通信回線を開いたまま撃沈するという残虐行為が行われる。
三月一八日 グアンナ星系外縁部において単独航行中の鉱石運搬船を襲撃。複数の巡航艦クラスの海賊船と駆逐艦クラスの海賊船が遭遇。駆逐艦クラスの海賊船と鉱石運搬船が共に撃沈する。通報を受けた巡航艦ミスリル一三九号が急行し残りの海賊船を追撃するも振り切られる。
三月二三日 クビュ星系において護衛船団『A-〇三』が海賊船団と遭遇。巡航艦クラス五隻からなる大集団に、護衛艦五隻が迎撃。砲撃戦となるも双方に損害なし。ただし、護衛艦の一隻が海賊船団の内部通信を傍受。文中に『ブラックバート』の記載を確認。
三月二八日 ソボナ星系において所属不明の砲撃戦が行われていると付近を航行中の護衛船団『C-七七』より通報。近隣をパトロール中の駆逐艦ヴィクトリア七六六号が急行。周辺宙域にて無数の艦船破壊片を確認。駆逐艦にして七隻相当のもので、すべて民間船改造のものと判明。しかし護送船団ルートからかなり外れていることから、捜査は難航。
四月三日 クビュ星系にて護衛艦一隻を伴う軍小型輸送船レヴォニア一〇八八号が海賊集団に襲撃され、護衛艦が撃破された上、輸送船搭載物資を強奪される。この際に海賊船側より『ブラックバート』である旨の通信が発せられる。
四月七日 ソボナ星系において護送船団『W-〇九』が巡航艦クラス五隻からなる海賊船団と遭遇。護衛艦隊が撃退に成功。損害なし。
四月九日 軍の護衛を断った民間船団が、七隻の海賊船団に襲撃される。緊急通信を受けた駆逐艦オーベンス三四号が急行すると、海賊船同士での戦闘を確認。一方がもう一方を圧倒し、オーベンス三四号を確認すると逃走。撃破された海賊船団は、現場に残された遺留物及び数名の生存者の証言により、撃破された海賊は大手組織のバナボラ・グループと判明。
四月一四日 アブレシオン星系にて単独航行中の民間船が海賊船団に襲撃。緊急通信を受けた第三パトロール小隊が急行したところ、当該船舶の無事を確認する。しかし発見時、航行動力は切られた上で乗員はすべて船内にて昏睡状態で拘束され、搭載品は無事であったがその中から大量のサイオキシン麻薬が発見される。
四月一八日 メスラム星系小惑星帯のD鉱区にて大規模破壊事故発生。鉱石プラント船は付近の小惑星帯ごと完全に破壊され、内部に多数の死亡者を確認。付近を遊弋していた脱出ポットの中に生存者若干名あり。彼らは以前他星域で誘拐された被害者の模様。彼らの証言から、この鉱石プラントが海賊の根拠地であったと判明する。
四月二二日 ヨルバ星系にて単独航行中の商船が海賊船団に捕捉される。第二パトロール小隊が到着するも、その目前で商船を爆破し、船団は逃走。商船内に生存者なし。
四月三〇日 メスラム星系にて海賊集団ツカシューレ・グループが、星域軍管区司令部に降伏する旨連絡。同グループの本拠地である小惑星帯Q鉱区に演習用機雷とゼッフル粒子が散布されたことにより脱出が不可能になった為とのこと……
◆
「……そういうわけで、ご隠居様は近頃のお坊ちゃまの成長を大変喜んでおられますな」
画面の向こう側のバグダッシュは、無精ひげに手を当てつつ上目遣いで俺に言った。
「ただ片言しか話せないことが残念だと仰ってました。それと若旦那に転送したお手紙は安全ですから、すぐに中身確認しておいてください」
「……ちょっと待って。アンタなに勝手に人のメールフォルダの中身を確認してんの?」
「それが執事の仕事でございますから」
「……いつから主人のメールフォルダを開くのが執事の仕事になったんですかね?」
「申しあげておきましたからね。必ずご開封してくださいよ。でないと、若奥様に嫌われますよ」
傍受したところで海賊討伐を実施している軍関係者の相互通話とも思えない会話は、いつものようにバグダッシュの方から切られた。俺は端末を開いて内容を確認すると、奇妙な宛先からのメールが届いているのが分かった。『マルブランク芸能プロダクション』……聞いたこともないし、俺に関係があるとも思えない。だが、あのバグダッシュがあそこまで言うのだからと判断し開封すると、画面に映る自分の瞳孔が急激に変化していくのが分かった。
帝国語でプロダクション社長の名前はニコラウス=ボルテマン。件名は「現在同盟で活動している所属歌手の、今後のスケジュールについて」 そして内容は「ガンダルヴァ星域管区にて四月二九日、期待の大型新人ユニット『ロイヤル・フォーチュン・一二』がステージ。満員観客の拍手喝采を浴びた。次回公演はトリプラ星域管区で五月上旬を予定」だった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第42話 ブラックバート その1
前書き
草刈りという題名をつけたかっただけなんて、今更言えるわけもない。
ようやくフラグ回収です。
宇宙歴七八八年五月一日 マーロヴィア星域 ソボナ星系外縁部
ついにきた。
三月から一月半の内に、商船(大半が偽装艦)二五隻を襲撃、海賊船一八隻撃沈、海賊根拠地大小三か所を蒸し焼きにした偽物の残虐行為を正すべく、本家が出陣してきた。
ガンダルヴァ星域管区内で発生した海賊情報を軍のネットワークで確認すれば、フェザーンのタンカーと金属資材運搬船の船団が襲撃され、両船とも乗組員を脱出ポッドに押し込んだ挙句、船ごと強奪されたとのこと。生存乗組員によれば、最初五隻程度の改造海賊船が強襲接舷してきたところ、同盟軍の七六〇年型標準巡航艦二隻がこれを撃退。コンボイに取り残された海賊を確保するという目的で巡航艦が接舷し……そのまま乗っ取られたとのこと。
星域管区司令官のロックウェル少将はこの事件にカンカンになって、隷下の巡視艦隊だけでなく星系警備艦隊も通常哨戒圏を無視した星域探索に投入した……ざまぁみろ、と思ってしまうのはやはり原作にとらわれているからなのか。取りあえずは上官に対する忠誠心の表れということにしておきたい。
ニコラウス=ボルテマン……間違いなくボルテックのことだと思うが、ユニット名の後ろに付けた数字は、現在活動可能なブラックバートの戦力と見ていいだろう。フェザーンの意図は、「左遷解除の口利きしてやるから、ブラックバートを始末しろ」ということだ。ボルテックの情報をすべて信じるわけにもいかないが、四月二九日にガンダルヴァ星域管区を出てトリプラ星域管区経由ということは、最短で五月一五日にはマーロヴィア星域管区に侵入してくることになる。
すでに襲撃の形でコクラン大尉から十分な補給物資を得ているとはいえ、三月上旬から海賊行動に入っている乗組員の疲労はかなり蓄積されている。なれない海賊行動がだんだんと板につき、海賊船との戦闘での勝利に高揚しているとはいえ、その影響は無視できない。
一度、特務分隊をメスラムに戻すべきか、そう考えないでもなかった。だがそうすると機密保持の面から問題が出てくる。メスラム星系における海賊の恭順と討伐は順調に進んではいるが、データに残っているマーロヴィア星域管区内の海賊の一五パーセントが未処理の状況だ。特務分隊を原隊復帰するには尚早というべきだし、ブラックバートの情報収集の網に引っ掛かるようなことはすべきではないだろう。それよりも確実にブラックバートを処置するほうが重要だ。
「トリプラ星域管区への跳躍宙点を有するアブレシオン星系で待ち受けます」
おそらく、というよりも間違いなく彼らは我々偽物のブラックバートを狙いに来る。そして保有する戦力が複数の巡航艦クラスであることも見抜いているだろう。そうなれば彼らは持てる戦力全てをつぎ込んでくると考えられる。つまり一二隻ないし一四隻。
「それだけの艦艇数なら、複数の集団に分かれて侵入するんじゃないのか?」
「否定できませんが、偽ブラックバートがバナボラ・グループの海賊船団を撃破したことを知っているとなれば、各個撃破の危険性を考え戦力の一斉投入を図る、というのが元軍人の思考ではないでしょうか」
「しかし、一団となって侵入してくるというのもまた、考えにくい話だが」
「現在、マーロヴィア星域管区への航路運行において、船団方式をとるよう隣接星域管区へ指示が出ています。ガンダルヴァ星域管区で、商船改造型の武装艦を囮とし、旧式とはいえ制式の軍艦を使って海賊行動を行ったことから、彼らはその方式で偽ブラックバートを釣りだそう、と考えていると思われます。問題は……」
「何隻の軍艦がいるかということだな」
カールセン中佐が、目を閉じたまま答えてくれた。
標準巡航艦が二隻だけ、ということであれば彼らは全戦力で護衛船団を偽装するだろう。一〇隻前後の輸送船を護衛するのに二隻の巡航艦が付く、というのは小規模船団としては極めて常識的な編成だからだ。だが他にも軍艦がいた場合……特に旧式であっても戦艦がいた場合、戦力的に多様なシナリオを創ることができる。
こちらにとって有利な点は、ブラックバートが護衛船団を偽装したとしても、それが本物ではないということが分かるということ。個艦性能においては相手よりも整備運用面で優勢であること。そして特務分隊の総数をブラックバートが完全には把握していないということ。
「まずはトリプラ星域側から出発する護衛船団のスケジュールを完全に把握しましょう。そのどれかの便に偽装して、侵入を果たす可能性が極めて高いと思われます」
次にそれを迎え撃つ作戦。ブラックバートには最低二隻の標準巡航艦がいる。これを分隊全艦で撃破し、残りの武装艦は各個に撃破する。もし戦艦が同行していた場合は、最優先で集中砲火を浴びせる。だがブラックバートの偽装した護衛船団に五隻の巡航艦が集団で接近すれば、当然彼らも警戒するだろう。それであるならば、「パトロール中の巡航艦一隻が船団に遭遇した」というシナリオで動いたほうが自然だ。
ほかにも多様なシナリオが考えられるが、それはアブレシオン星系に到着するまでの間にウエスカの戦術コンピューターに放り込んでおけばいい。ここまで話し、俺は集まっていた艦長達にアブレシオン星系への進路変更と、各種兵装の整備と塗装の変更を指示して会議を解散させた。部屋を出てシャトルへと向かう艦長達をよそに、カールセン中佐だけは椅子に座りなおしていた。俺は余計なこととは思いつつも、机上の資料をまとめる手を止めた。
「中佐、いろいろ思うところはあろうかとは存じますが……」
「……あぁ、わかっているとも」
小さく手を上げてそう応えるカールセン中佐の顔に、訓練の時のような覇気がないのは確かだった。俺は備え付けのドリンクサーバーでホットコーヒーを二つ煎れ、一つをカールセン中佐の前に置いた。それを見て、カールセン中佐は小さく視線を俺に移した後、何も言わず一口啜った。
「ボロディン大尉、君は何故そこまで熱心に任務に取り組むことができる?」
数分の沈黙の後にカールセン中佐は、呟くようにそう俺に問うた。つい最近、場所も相手も違うが、まったく同じ経験をしているだけに、今回は困惑しなかった。
「まったく同じ質問を、小官はケリム星系警備艦隊に在籍中、首席参謀だったエジリ大佐から受けたことがあります」
「そうか、エジリ大佐もか……大佐は確か二年前にケリム星系で逮捕されたのだったな」
そういうとカールセン中佐は、会議室の天井をぼんやりとした眼差しで見上げながら言った。
「貴官が警備艦隊にいた頃、大佐にどういう感想を持ったかは知らないが、大佐が駆逐艦分隊の先任艦長だった時のことは今でも思い浮かぶ。第2次イゼルローン要塞攻略戦でたった五隻の小さな駆逐艦達が、敵の砲火を巧みに掻い潜って、中性子ミサイルの一斉射撃を戦艦に叩き込んだのだ」
「……そうですか」
それだけの猛将が、ケリムで醒めてしまったのか。士官学校優位の不文律という壁にぶち当たり、同様な立場で苦難にあるバーソンズ元准将へ『夢』を託したのだろうか。俺が一抹の不安を覚えてカールセン中佐を見つめると、珍しく、というか面識を持ってから初めてカールセン中佐の笑みを見た。
「そう心配するな、大尉。儂はちゃんとブラックバートと戦う。裏切ったりはせんよ……でなければ、バーソンズ閣下に仕えていた仲間達の立場を、ビュコック閣下や、ひいては同盟軍全体の下士官・兵の勇名をさらに悪くしてしまいかねないからな」
そう言うとカールセン中佐は荒々しくコーヒーを飲み干し、大きく足音を立てて会議室から出ていくのだった。
◆
それから一三日かけ、特務分隊は予定通りアブレシオン星系に到着。分隊で唯一、制式塗装に戻したウエスカと残りの四隻がここで分離する。すでに各艦艦長には作戦案を通告してあり、変更がある場合は適時ウエスカから戦術コンピューター回路の番号を通知することになる。
一方でウエスカは単艦でアブレシオン星系にある跳躍宙点へと進み、その前方六光秒付近に停止する。通常のパトロール手順通り、跳躍質量反応と次元航跡解析と分隊以外からも招集して定数をそろえた三機のスパルタニアンを発進させての三通りによる全周警戒を実施する。
事前にマーロヴィア星域管区司令部より、トリプラ星域管区より駆逐艦二隻に護衛された計一三隻の護送船団が移動中との連絡を受けている。予定通りで行けば本物の護送船団は一九日に前方の跳躍宙点に出現する。それまでじっくり四日間、この周囲に網を張っている計画だった。
もしブラックバートが未知の跳躍宙点からマーロヴィア星域管区に侵入した場合は、偽装商船を再び撃破しながらの挑発行動を続けることになる。そうなると流石に一回はメスラム星系に戻ることになるだろう。そうならないことを祈りつつ、二日が過ぎた五月一五日。こちらの最速の予測で、奴らは現れた。
「前方跳躍宙点に重力ひずみを複数確認。数は一〇ないし一五」
「計測値から見て各個は質量二〇万トンから三〇〇万トン程度と思われます」
観測オペレーターの報告と共にウエスカの狭い戦闘艦橋は一気に緊張感に包まれる。複数の光学・量子センサーが作動し、画面処理が行われ、跳躍宙点に現れた異変がメインスクリーンに投影される。何もない宇宙空間からポツリポツリと小さな光の円盤が現れ、その中央から物体が現れる。全長二〇〇メートル前後、全幅四五メートル前後、全高四〇メートル前後。自由惑星同盟軍の制式塗装で包まれたそれは、明らかに『制式の』駆逐艦であった。さらにその後ろから商船らしい二回り大きな船が複数隻出現する。
「現時点における正面勢力を報告せよ」
跳躍宙点での動きが終わり、わずかな時空震を浴びたあとで、俺は沈黙するオペレーターに命じる。俺の横ではカールセン中佐が無言で腕を組んでいた。
「駆逐艦二隻は最前に並列、商船らしき船団は跳躍宙点より〇.四光秒の位置において並行二列縦隊を形成しております。商船の数は九隻」
「敵味方識別信号を受信しました。向かって右舷の駆逐艦が七六〇年型のラフハー八八号、左舷が七七〇年型のサラヤン一七号」
「間違いなく敵だ」
艦籍をデータベースで照合するよう命じようとした寸前に、カールセン中佐は吐き捨てるように呟くと、目を細めて小さく鼻息をついた。なんでそんなすぐにわかるんだという俺の視線に気が付いたのか、カールセン中佐は不快感を隠さずに俺に言った。
「かつて自分が乗っていて、大破して戦地で廃棄処分されたはずの駆逐艦とその僚艦が目の前にある。これほど不愉快なこともないな。名前を付けた奴の顔が見たくなってきた」
「あぁ……それは……」
それは間違いなく、そしてかなり運がいいのだろう。戦艦や宇宙母艦でもない限り、一度でも廃艦処分となった艦の名前は、新造艦には使われないというのが原則。恐らく艦籍データベースでも廃艦処分と出るだろう。だが艦籍データベースの更新は複雑な手続きが必要で、戦闘中行方不明の艦艇などでデータ処理が遅れたりした場合、データは放置されることもある。
「ラフハー八八号より通信です。こちらの艦籍と任務について問うてきてますが?」
指示通りこちらは敵味方識別信号を出していないので、駆逐艦は不安を覚えて問うてきたのだろう。オペレーターの一人が心配そうにこちらを見ると、俺はカールセン中佐に言った。中佐が以前乗っていた駆逐艦の名前を使っている『ブラックバート』である以上、カールセン中佐の顔は知られている可能性が高い。
「カールセン中佐、ここは自分にまかせていただけませんか?」
「よかろう」
頷いてカールセン中佐がカメラに映らないよう戦闘艦橋の右端に移動する。それを確認してから俺は受信画面に正対した。画面には模範的同盟軍人ともいうべき少佐の階級章を付けた中年の男性が映っている。俺が敬礼すると、相手も答礼するがそれもそこそこに詰問口調で問うてきた。
「貴官がそちらの巡航艦の艦長か? 官姓名を申告せよ。」
「申し訳ありません、少佐。小官はビクトル=ボルノー大尉と申します。巡航艦『ニールスⅢ』の副長代行を務めております」
「何故、識別信号を出さない。辺境の、それも星域管区境界において識別信号を出さないとなれば、海賊と誤認される可能性すらある。軍機違反であり、不用意に部下を危険にさらす危険な行為である。正当な理由はあるのか?」
「はい。先日、当艦は恒星アブレシオンからの強力な太陽風と磁気嵐を受け、航行機関部と長距離通信アンテナに重大な電子的損傷を受けております。幸い搭載艇の緊急通信回路により近隣哨戒中の僚艦に救援を要請しており、当艦は現宙域において待機中であります」
「……そうか、それは災難だったな」
正規軍に対して軍規と組織論の両面からこうも堂々と演技ができるというというのは、この少佐もかつて軍での、それもこういう経験が豊富な退役者ということだ。だが救援要請という言葉に、この少佐は一瞬言葉を詰まらせた。
「僚艦の到着はいつ頃になると連絡があったか?」
「一二時間後とのことでした。ご存知の通り、マーロヴィア星域管区は配備艦が少ないので、時間通り到着するかはわかりません。難儀しそうです」
「艦長はどうなされた。不在のようだが?」
「艦長は機関に明るく、機関中心部で陣頭指揮をなさっておいでです。航海長は各部航法装置の再点検の為、現在艦橋を不在にしております」
わざとらしく心細い演技でそう答えると、画面の少佐は顎に手を当てると、しばらく沈黙していた。だがその手に半分隠された細い唇が、小さく笑みを浮かべているのは間違いなかった。
「もしよければ、当艦から応急班を送ることが可能だが、どうか?」
「お申し出、感謝いたします。少佐。ですがそちらの船団のスケジュールのほうは、いかがなのでしょうか? ただでさえ少ない護衛戦力が半分になってしまっては……」
「それは問題ない。実は船団後方よりマーロヴィア星域管区に新たに配備される戦艦が一隻と巡航艦が二隻続航している。あと五時間もすれば合流できる。もし修理が長引くようなら船団の護衛は巡航艦が担当してくれる。当艦の応急班で修理不能であるなら、戦艦が曳航してくれるだろう」
「ありがとうございます。すぐに艦長に連絡いたします」
「資材の運搬上、シャトルでは困難が予想される。接舷させてもらうがよいか?」
「承知いたしました。お待ちしております」
お互いに敬礼して画面が消えると、狭い戦闘艦橋ではオペレーターや、不在扱いにされた航海長達が今にも吹き出しそうに肩を震わせていた。
「よく素面でスラスラと嘘がつけるものだな」
艦長席に戻ってきたカールセン中佐が呆れた口調で俺に言った。
「接舷したいというのは、奴らこのウエスカを乗っ取るつもりか」
「若造だと思って組みやすしと、思ったのでしょう。あの少佐は装甲服でご馳走して差し上げたいと思いますが、問題は戦艦と巡航艦です」
「嚮導巡航艦を乗っ取るつもりなら、駆逐艦からはかなりの数の要員を送り込んでくるだろうから、接舷状態を維持し、戦艦と巡航艦の油断を誘いつつ、撃破の機会をうかがう形になるな」
巡航艦一隻で戦艦と巡航艦二隻は相手にできない。商船と自称するのも海賊の武装船に違いはなく、残りの駆逐艦一隻も計算に入れなくてはならない。だが規模は予想の範囲内ではある。
「各艦にツーマンセル戦術を指示しましょう。当艦近辺に遊弋したタイミングで前方を航行中の『護衛船団』を襲撃してもらいます。急襲すれば駆逐艦一隻と改造武装船九隻です。状況が許せば跳躍宙点付近に機雷を撒きましょう」
「……それは後で一基残らず回収しないと、完全に軍規違反になるな」
カールセン中佐はつまらなさそうな口調で言ったが、その言葉に反してその目には闘争心があふれていた。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第43話 ブラックバート その2
前書き
やはり戦闘シーンというのは難しいですね。
どうしても説明口調になってしまいます。
宇宙歴七八八年五月一四日 マーロヴィア星域 アブレシオン星系跳躍宙点
今のところ、順調に事態は推移している。
駆逐艦一隻を先頭に、九隻の商船がウエスカの鼻先を、隊列を整えて進んでいく。オペレーターの一人に、移動中の海賊船の撮影と分析に専念してもらい、俺はカールセン中佐と副長と航海長の四人で、接近してくる駆逐艦の逆攻略を計画する。接舷距離までは現在の速度でおよそ一時間。
逆突入作戦では警備部を中核として航法・機関の班以外から四〇名を抽出して、臨時の陸戦隊を編成する。指揮は副長。嚮導巡航艦の定員は一〇〇名だが、マーロヴィア星域管区の実情から現在は八八名。搭載している装甲服は四〇着。駆逐艦の定員は七〇名で、海賊が員数通り乗船しているとは思えないが、最悪を考えてすべての装甲服を臨時陸戦隊に配備する。
通信封鎖をしている他の四隻には「一時間後」と「22」だけを発信した。彼らがそれに従って戦術コンピューターを開いてくれれば、こちらがラフハー八八号を相手している間に、海賊状態でツーマンセルによる船団攻撃を実施してくれるだろう。数的に一〇対四で不利ではあるが最初に駆逐艦を撃破すれば、他の商船改造の海賊に想像を絶するような新兵器でもない限り、火力・防御力・装甲の面から比較してもそれほど難しい相手ではない。
「戦艦と巡航艦が出てくるまでは、何とか船団を制圧しておきたいところです。制圧した後、それを悟られないようにするのもまた難しいですが」
「奴らも今頃、このウエスカを乗っ取る旨、戦艦には連絡しているだろう。そこは貴官のよく回る舌に期待している」
出会った当初の牛刀でこちらを叩き切ろうといわんばかりのものに比べれば、カミソリで肌を剃るついでに少しばかり傷つけてやろうという感じにまで軟化したカールセン中佐の嫌味に、俺は肩を竦めるだけで言葉に出さず応えた。
そうこうしているうちに、ラフハー八八号はウエスカの右舷に停止した。全長三七〇メートルの巡航艦と二〇八メートルの駆逐艦では大きさが二回り違う。艦橋に戻ってきたウエスカの航海長とラフハー八八号の航海長が通信を取り合い、ウエスカのカーゴハッチ付近にラフハー八八号の艦首側面が張り付くような形になる。ゆっくりと慎重に接舷し、双方の重力錨が接合される。これで両方は一体化した。
「奴らがウエスカに乗り込んできたタイミングで通信妨害をかけろ。カーゴの気圧は十分だな?」
問題なしというオペレーターの返事にカールセン中佐が頷いた瞬間、ウエスカとラフハー八八号は微振動を起こす。ブラックバートの工作班ならぬ切り込み隊が、ウエスカのハッチを外側から解放したのだ。重力を切っているカーゴ内部に蓄えられた通常の数倍にまで高められた空気が、一体化したことで一気にラフハー八八側に吹き込み、入り込もうとした海賊側の切り込み隊の生体位置反応が、一気に乱れる。その数は二〇。
「陸戦隊切り込め。目標は予定通り機関室と環境制御機械室」
カーゴの重力を戻し、装甲服を付けた臨時陸戦隊がラフハー八八号側へと突入、壁に打ち付けられて目を廻しているブラックバートの切り込み隊をトマホークで次々と無力化していく。ヘルメットカメラ越しに見れば装甲服を着ているのは一〇名。残りの一〇名は武装していたが普通の地上戦闘服であったようで、気圧の変動に耐えられず息をしているようには見えない。
死体をカメラ越しで見るのは、この草刈り作戦を実施して以降何度かあった。それが海賊の死体であれ、片手の指に満たない味方の死体であれ。前世では葬儀の時か海外紛争や事故の報道の時ぐらいしか見ることのないそれに、俺は慣れたとはいえ免疫を完全には獲得しきれていない。それでもここまで作戦指揮官として目をそらさぬようにしてきた。
ケリムでブラックバートと対峙した際も当然戦死者は出ていた。だがそれは墜落したスパルタニアンの搭乗員や被弾した艦の乗組員であり、この目で直接遺体を見たわけではない。そして基本的に責任はリンチが負っていた。
だが今回はすべて俺の責任だ。「犠牲が出るのはやむを得ない」と言葉として言うのは簡単だが、死体を見る機会が増えるにしたがって、喉を通らなくなっていく。こんなことで将来一〇〇万、二〇〇万と死なせる立場に立った時、俺は耐えられるのか。恐らく時間とともに耐えられるようになるんだろう。死体が数字とただの光点にしか見えなくなって。
「機関室制圧完了。我が方の損害は負傷三名。いずれも軽傷」
「環境制御機械室制圧完了。損害なし。これより睡眠ガスを流し込みます」
副長ともう一人の突入班班長からの報告を聞いて、俺は背中をそらして大きく息を吐いた。カールセンも同様に大きな溜息をつく。彼ほどの歴戦の勇者でもそうなのか、俺が視線を向けたことを敏感に感じ取ったのか、カールセン中佐は自嘲したように口を曲げていた。
「貴官とは違って、儂は、死体を見ることにそれほど慣れてはおらんでな」
「小官も別に慣れているわけではありませんが?」
「副長と警備班長のヘッドカメラに映るトマホークで倒された海賊の死体から目をそらしていなかった。顔色一つ変えずにな」
「自分では血の気は引いていると思うのですが」
「陸戦総監部に二〇年勤務していたような顔色をしていたぞ」
俺はそっと腰から携帯端末を取り出してカメラに映る自分の顔を見た。確かにカールセン中佐の言うように、顔色は悪くない。だがおよそ感情というモノが感じられない能面のようにも見える。俺の児戯のような仕草を見ていたようで、小さく鼻息を吐くと視線をウエスカの正面スクリーンに向けたまま、俺の耳に入るギリギリの小さな声で呟いた。
「貴官のような人物が上官であったら、儂の生き方も少しは違っていたかもしれんな」
それがどういう意味か、俺はカールセン中佐にあえて問うような真似はしなかった。一時間後、勝手知ったる同盟軍標準駆逐艦内部の制圧は完了し、生きている海賊は全員拘束の上、薬物で眠らせた。装甲服を脱いだ副長は艦の制御を手中に収めることに成功したと報告してきた。
その間も別動隊の方では刻々と状況が進行している。
臨時に別動隊先任指揮官となったミゲー三四号のブルゼン少佐はサルード一一五号のマルソー少佐と、ミゲー七七号のゴートン少佐はユルグ六号のリヴェット少佐とコンビを組み、ブラックバートの扮した護衛船団へと攻撃を仕掛ける。
まずミゲー三四号が船団の正面に立つサラヤン一七号に向けて、念のために「今日は何の日」と誰何信号を撃つ。当然サラヤン一七号側は何のことかさっぱりわからない。サラヤン一七号の艦長が強烈にブルゼン少佐を糾弾している間、船団は平行二列縦隊から密集上下二列横隊へとゆっくり陣形を変えていく。
割符なしと判断したブルゼン少佐は、航路左右の浮遊小惑星に隠れていたミゲー七七号とユルグ六号に横隊の上下へ全力射撃と突入を命じると、ミゲー三四号の艦尾に追従していたサルード一一五号を切り離し、両艦でサラヤン一七号へと襲い掛かる。
左右からの襲撃で武装商船は戦列を組んでミゲー三四号を撃つどころではなく、サラヤン一七号は二隻の巡航艦の集中砲火で宇宙の塵となり果てた。嚮導役の駆逐艦を失った武装商船は最早烏合の衆でしかない。それぞれに反撃と逃走の道を模索しようとするが、戦闘能力が格段に違う巡航艦が常に二対一で追い込み漁のように襲い掛かると、二時間かからず降伏した一隻を除いてすべて撃沈された。
ラフハー八八号に接舷されてから都合四時間。ラフハー八八号の艦長が言っていたことが正しければ、残りの戦艦と巡航艦二隻の一行が到着するのは一時間後。戦艦を巡航艦三隻分の戦力と考えれば、既存戦力比はほぼ互角。ウエスカの副長にラフハー八八号の指揮を執ってもらう手もあるが、その手はむしろウエスカの戦闘能力を低下させることにしかならない。
一時間という制限時間で、ブラックバートを打ち破る作戦を立てるのはほぼ不可能だが、事前に想定している戦闘計画から近いものを引き出すことは可能だ。通信封鎖を解除し、ウエスカ以外の艦長とラフハー八八号にいるウエスカの副長を通信画面に呼び出す。
「ここでブラックバートを撃破します。逃走を許すわけにはいかないので、跳躍宙点側に二隻、ウエスカ側に二隻で分散配置します。挟撃戦です」
「ボロディン大尉、降伏した武装商船はどうする? 降伏した奴らは拘束して、可能な限り冷凍睡眠状態にしているがこのまま放置するのか?」
ブルゼン少佐が画面の中で手を挙げて俺に質問を投げかける。挟撃戦となれば少佐の言う通り監視・保護に戦力は割けない。
「するしかありません。燃料を放出して航行動力機関を破壊してください。万が一、目が覚めて船を乗っ取られるのも迷惑ですし」
「それは下手したら遭難することになるが……まぁ、それも仕方ないか」
「ラフハー八八号はどうしますか? 接舷したままですとウエスカの戦闘能力を大きく損なうことになりますが……」
副長の質問に、カールセン中佐の視線も当然のように俺に向けられる。この作戦の主立案者は俺だが、艦の指揮官は言うまでもなく中佐だ。下手なことを言ったら許さんぞという気配がする。
「このままです。ラフハー八八号がウエスカに乗っ取りを仕掛けたことは、ブラックバート本隊には既に伝わっています。通信妨害をかけられていることも承知しているでしょう」
「それで?」
「武装商船が攻撃されたことも承知しているとみれば、バーソンズ准将の思考として状況不利と見て逃走も視野に入るでしょう。ですが視界に入ったラフハー八八号を見捨てて逃走することはできません」
「彼が逃げないと確証を持って言えるか?」
「彼我の戦力を准将がはっきりと認識しているのであれば間違いなく……」
戦艦一隻と巡航艦三隻とでは、戦力的にほぼ対等。巡航艦の主砲で戦艦のエネルギー中和磁場を打ち抜くのは容易ではないし、機動力以外、すなわち有効射程も砲門数も防御力も明らかに戦艦の方が上。相手が巡航艦クラスの大きさの『海賊船』であれば鎧袖一触だ。
こちらが正規軍である可能性も考えてはいるだろう。その場合、自分達が出てきた方向……トリプラ星域管区に連絡が飛び厳重な警戒が敷かれると判断する。つまり自分は追い込まれた鼠になったと認識するわけだ。それでも引き返すことを選択するとしても、一度はこちらの跳躍宙点に出現して再度長距離跳躍を試みなければならない。咄嗟に無差別跳躍を行うこともできるだろうが、部下の生存を目的として海賊行為をする准将にそれはできない。
そして彼の年齢も問題だ。計算で行けば今年で八〇歳になる。戦病死以外での平均寿命が一二〇歳のこの世界で、元気な八〇歳というのは普通だ。だが根拠地も戦えない部下や傷痍兵の住処も失い、逃走して新たに一から構築するにはやはり遅すぎる。彼あってのブラックバートであり、彼が仮に後継者を指名していたとしても、彼ほどのカリスマは得られないだろう。優秀な艦長……そう、カールセン中佐のような人物でもいない限り。
「確証を持って申し上げます」
これは賭けだ。自分の命だけでなく、特務小戦隊全員の命が懸かっている。しかし分が悪い賭けではない。戦艦がブラックバートにいることを前提に、特務小戦隊は一点集中砲火とツーマンセル訓練をゲップが出るほどやってきたのだ。
「ここでブラックバートを完全に叩き潰します。可能であれば准将を捕らえます。故に戦艦への攻撃は航行動力部を中心に、巡航艦二隻に対しては容赦せず」
「よかろう」
カールセン中佐の深い頷きと共に口に出た重い了承の言葉に、五人の少佐はそれぞれ頷き、各々のなさねばならぬことを果たす為、画面から消える。戦闘宙域となるであろう空間の把握。適切な砲撃を行うための位置取り。連続射撃に備えた砲身の再チェック。戦闘速度へいつでも上げられるよう機関の回路確認に燃料の残量チェック。
戦闘に際して当たり前のことかもしれない。だがその当たり前のことが、つい数ヶ月前この辺境ではできていなかったのだ。自分が変えた、と思うのは流石に驕りが過ぎる。だが僅かなりとも貢献できたことは誇りに思おう。これから先はどうなるかわからないが。
「跳躍宙点に重力歪が発生……数は三。誤計測でなければ、戦艦一隻、巡航艦二隻と思われます」
ウエスカの観測オペレーターの声は興奮して大きいものでもなければ、逆に委縮して小さいものでもない。的確な報告、そして適度な緊張感。
「総員、第一級臨戦態勢を取れ」
カールセン中佐の瞳は、メインスクリーンに映し出された、三つの光点へと注がれていた。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第44話 ブラックバート その3
前書き
戦争はいやですね。始めるのも収めるのもメンドクサイ。
宇宙歴七八八年五月一五日 マーロヴィア星域 アブレシオン星系跳躍宙点
さぁ、勝負の時が来た。
ブラックバート側は測定通り戦艦一隻と巡航艦二隻。戦艦を中心として左右に巡航艦を従えている。
こちら側はウエスカとラフハー八八号は接舷したままで、その周辺を威嚇するようにゴートン少佐のミゲー七七号とリヴェット少佐のユルグ六号が遊弋する。ブルゼン少佐のミゲー三四号とマルソー少佐のサルード一一五号は、跳躍宙点よりさらに星系外縁部にて探知妨害かけつつ側背攻撃の態勢を整える。
攻撃配置を選択できる分、こちら側が優勢であることは間違いない。跳躍後、バーソンズ准将は速やかに状況を確認するだろう。ラフハー八八号はウエスカと接舷している。ラフハー八八号が乗っ取りを仕掛けて、逆に敗北したと確信するのにそれほど時間はかからないはずだ。だがそれが遅ければ遅いほどいい。
ミゲー七七号とユルグ六号が射線を戦艦に向ける。戦艦は即座に反応し、射程の長さに物を言わせて砲撃を開始する。呼応するかのように、巡航艦が一隻距離を詰めてくる。もう一隻は戦艦の後方へ位置取りを変更する。
「側背攻撃は見抜かれているな」
「ええ、こちら側が巡航艦四隻以上ということを、認識しているのは間違いなさそうですね」
ラフハー八八号の通信回線へ何度もアクセスが試みられていることは、移乗した航法士官から連絡はあった。それでもバーソンズ准将がラフハー八八号を見捨てる選択をしない。ミゲー七七号とユルグ六号に対する砲撃指示は、明らかにウエスカとラフハー八八号を盾にさせまいというものだ。勇猛なゴートン少佐も隙あらば反撃を試みているようだが、リヴェット少佐の牽制砲撃支援を受けても思うように効果を上げられない。
そうしているうちにブラックバート側の巡航艦がウエスカの有効射程内に侵入してくる。ラフハー八八号とは反対側に強行接舷を仕掛けようという意図は明らか。艦名はムンカル三号。艦籍データベースによればトリプラ星系警備艦隊に所属する艦のはずだ。
「全力射撃用意。合図あるまで砲門は開くな。敵との距離五〇万キロで重力錨開放。同時に艦を前方下方へ垂直降下。艦首を水平面上方へ向け、接近する巡航艦の艦底部を砲撃三連。ボロディン大尉、付け加えることは?」
「相手はこちらに強行接舷を試みております。軸線に誤差がありますので連射を行うのであれば、偏差をご考慮ください。それと射撃終了後は留まっての戦果確認はせず速やかに移動を」
「副長、聞こえたな。貴官の腕に特務小戦隊の命運がかかってる。頼むぞ」
砲雷長を兼務する副長の、了解の回答にカールセン中佐は頷き、スクリーンに映るムンカル三号の艦首を見つめる。すでに彼我の距離は巡航艦の有効射程より短い。ここでムンカル三号が砲撃を行えば、死んだふり状態のウエスカが展開する微弱な中和磁場では被害を防ぎきれない。最悪、一瞬であの世逝き。俺は一度死んだ身ではあるが、他の乗員はそうではない。制御された空調下で出る汗もないのに襟元のスカーフを緩めたり、コンソールに備え付けられた衝撃防御用の把手を何度も触ったりしている。
「……距離三光秒を切りました。測距をキロ単位に変更します」
「敵艦、速度を落としました。等減速運動の模様」
「敵艦の砲門、光学で開放を確認」
「……大尉、五〇万キロで斉射三連して、標的をギリギリ外した場合の評価点は幾つだ?」
「この場合、標的は減速移動中ですが、こちらは機動後射撃になります。有効射程の半分以下ですから、当然減点対象です。標的との距離も換算して三五点くらいでしょうか」
「この状況下で訓練査閲ができるのだから、貴官の腹の座り具合は尋常ではないな。」
カールセン中佐の呆れた声に、俺は何も応えず深呼吸した。七〇万キロ、六五万キロ、六〇万キロ……
「五〇万キロです!」
「錨(アンカーアウェイ)開放、機関始動、砲門開け!」
重力錨の強制切り離しによりウエスカ全体に振動が伝わる。それと同時に艦全体が下方へ急加速したため、ほんの一瞬人工重力にズレが生じる。人間が認知できる間ではないが、体をブレさせるには十分だ。俺もカールセン中佐も体幹でそれを躱す。一方でメインスクリーンから見える星空は急速に変わっていくから可笑しな気分になる。
「狙点固定!」
「撃て!(ファイヤー)」
スクリーンに六本の青白いビームが三回煌めく。その後、速やかに戦艦へ向けて艦首を翻す。急加速と高機動の繰り返しの後、観測機器を担当する測距オペレーターが巡航艦に砲撃が複数命中し、完全破壊に成功したと報告が上がる。一瞬、艦橋で歓声が上がるがそれも束の間。至近を八本のビームが通過する。運良く外れてくれたが、戦艦の全力射撃だ。当たればひとたまりもない。
ウエスカは直ぐに中和磁場の出力を上げつつ、ミゲー七七号とユルグ六号との合流に向かう。タイミングを合わせてミゲー三四号とサルード一一五号が、後背防御の巡航艦へ攻撃を仕掛ける。これで数的優勢を確保したが、ブラックバート側は巡航艦を前に出し、こちら側へ突撃してきた。包囲される前に、数が多い方の戦力を少しでも減らして突破を試みるつもりだ。
「戦理にはかなっている。だが、そうはいかない」
俺の独り言に気が付いたわけでもないが、巡航艦が有効射程に入る前には、ウエスカを中心とした平行横隊を完成させており、その全艦が戦艦に照準を合わせている。そしてカールセン中佐の手が振り下ろされた。
「撃て(ファイヤー)」
気負うわけでもなく、やる気がないわけでもない。落ち着いた砲撃指示に、三艦合計一八本のビームが巡航艦を素通りし、戦艦に向かっていく。収束比が甘かったのか、メインスクリーンに映る戦艦の前面で中和磁場と複数のビームが衝突し……中和磁場を貫いた二本が戦艦の左舷側の表面装甲を薄く二〇〇メートルばかり削り取った。
「誤差距離修正。第二射用意」
戦艦が再び中和磁場を張り直し、さらに接近してくる。再びカールセン中佐の手が上がった時、測距オペレーターの一人が声を上げた。
「戦艦及び巡航艦より通信! 『我降伏す、寛大な処置を求む』 両艦とも減速し、艦首部に降伏信号旗を上げております!」
衝撃というべきか。カールセン中佐の手は肩より上で止まった。艦橋要員の半数の視線が中佐に向けられている。そして中佐の視線は俺に向けられている。撃つべきか、撃つべきではないか。偽装降伏なのか、それとも本気で降伏する気があるのか……戦況、相互の戦力、指揮官の性格。俺は決断した。
「降伏を認めます。航行機関を停止するよう当該艦へ指示を。それとウエスカ以外の艦は、それぞれ二隻で両艦の拿捕をお願いします。ラフハー八八号の状況を参考にして、接舷・拿捕に際しては十分警戒するように、と」
「よかろう。各艦に伝えよう」
「それと副長にはお手数ですが何名かお連れ頂いて、ラフハー八八号に移乗していただき、漂流している武装商船の回収と曳航をお願いいたします」
「わかった。副長、聞いたな。ウエスカのシャトルを使え」
副長が砲雷長席から立ち上がり、中佐と俺に敬礼してから艦橋を出ていくと、中佐は大きく溜息をついてからずっと座っていなかった艦長席に深く腰を下ろした。
それから何分沈黙があっただろうか。目を閉じ、ジャケットの上からでもわかる太い腕を組み、微動だにしない中佐を俺は見ていた。いま中佐の中にあるのは回顧か、それとも懐古か。いずれにしても中佐に声をかけるほど、俺は空気が読めないわけではない。重い空気を破ったのは、ウエスカの通信オペレーターだった。それはミゲー三四号からで、降伏したバーソンズ元准将がこちらの指揮官との会話を望んでいるというモノだった。
◆
「……ブラックバートの指揮官はボロディン大尉だ」
通信オペレーターが報告を持ってきてから三分後。ようやく口を開いたカールセン中佐はそう言って席から立ち上がった。
「頼んでいいか?」
「よろしいのですか?」
「あぁ……」
それはかつての上司と対面するのが怖いということなのか。ブロンズ准将から譲ってもらったバーソンズ元准将の経歴や性格などのレポートを見るに、上官には忠誠、同僚には友好、部下には寛大、任務に忠実と実に模範的軍人らしい軍人であった。海賊に身をやつした理由も、結局は彼自身の人間的な生真面目さ故だったとブロンズ准将は語っていたし、俺もそう思っている。
中佐も本当はわかっているのだろう。だがエジリ大佐同様、元准将関係者として軍内部から白い目で見られてきた現実、そして長いこと海賊活動していた故に変貌したかもしれない元上官の現在を想像し、恐れ、逃げたかったのかもしれない。俺は再度、中佐と視線を交わした。中佐はしばらく俺を見ていたが、数秒で目を閉じて頷くと、戦闘艦橋の端へと移動する。オペレーターに予備席の方へ通信を回すよう伝えると、俺はその予備席の前に立った。
画面が一度乱れた後、数秒してラフハー三四号の個別通信室で後ろに銃を構えた兵士を伴った、准将の制服に身を包んだ一人の老人が映った。顔はわかっていたが、資料に映っていたものより幾分歳をとっているように見えた。原作のムライ中将の髪をごま塩にして、さらに頬を削り取って、目を切れ長にしたらこんな感じだろうか。貧相に見えるがその視線には、長い経験と実績に裏付けられた重みがあった。本来海賊の頭目に対してすることではないのかもしれないが、俺は自然と踵をそろえ、先に彼に向って敬礼した。
「ロバート=バーソンズ元准将閣下でいらっしゃいますね。小官はヴィクトール=ボロディン大尉であります」
俺の敬礼に対し、スクリーンに映るバーソンズ元准将は、一度眉をしかめた後、おそらく現役の頃と同様の、きっちりとした答礼で応えた。
「ロバート=バーソンズだ。大尉が最近マーロヴィアで暴れまわっている『ブラックバート』とやらの指揮官と考えていいか?」
「はい、任務指揮官とご認識いただいて結構です」
「選り抜きの巡航艦を五隻も率いているわけだから今更海賊とも思わないが、正式な軍籍は有しているのか?」
「はい」
襲撃された側とした側。元准将で現在海賊の老将と、現在海賊モドキで現役大尉の俺。何となくおかしなやり取りに思えたので、俺が小さく笑みを浮かべると、バーソンズ元准将も痩せた頬を緩ませて、小さく肩をすくめた。
「こんな若造にしてやられたと悔しがるべきだろうが、ここまでしてやられると悔しいとは思えなくなるな。ウッド提督でもここまで上手くいくこともあるまい」
「過分なご評価、恐縮です」
「かつて小官が帝国領内で行ってきた襲撃手順も幾つか参考にしていたようだな。特許料を取りたいものだが、そうもいくまいて。代わりと言ってはなんだが、小官の命と引き換えに、部下の生命の安全を保障してくれるか?」
冗談のような口調だが、元准将の瞳は笑っていない。まだ何か隠し持っているのかもしれないが、こちらとしてもこれ以上の殺戮は考えていないし、俺もしたくない。
「小官としてはそのつもりでおります、閣下。ですがそれは閣下が余計なことをご計画なさらず、また部下の方々に反抗や逃亡の意志がない事が条件になります」
「余計なこと、か。確かにそうだな。このおいぼれの心臓の横に高性能爆薬を仕掛けることは」
爆薬と聞いて思わず銃を構える画面奥の兵士にむかって、俺は手を挙げてそれを制した。もし事実であればミゲー三四号はいまごろ大惨事で、その混乱で戦艦も逃げおおせただろう。それをしなかったということは、降伏の意思はあるということ。もっとも通話が終わり次第、元准将は手術台に乗ることになるだろうが。
「止まった心臓を動かせる程度まで爆薬を減らすよう、医師には伝えておきます」
「ハハハッ。若いのに小気味がいい。大したものだ……貴官、ヴィクトール=ボロディン大尉と言ったか?」
「はい」
「同姓同名でなければ、ネプティスⅮの根拠地を吹っ飛ばしてくれたリンチ准将の新任の副官、だったな。エジリが言っていた。如才ないが士官学校首席らしくない好青年で、近いうちに頭角を現すだろうと……どういうヘマをした? こんなド田舎で海賊狩りをさせるほど同盟軍は人材豊富だとは聞いてないが」
そう言ってニヤニヤと笑う元准将は、同盟領内を股に掛ける海賊の親玉というより、在郷軍人会の顔役のように見えた。もっとも元准将は海賊になる前はそういう立場だったのだが。
「それは軍機になりますので、申し上げられません」
「私怨も多分に含んでおるが、貴官をマーロヴィアなんぞで燻ぶらせるようなアホ人事をした奴を知りたいな。単純に一人の退役軍人として納得がいかん」
「歴戦の閣下のご評価は、小官には過分にすぎます」
「かつて部下にラルフ=カールセンという奴がおってな……才気渙発とは言わないが、巡航艦乗りとして抜群の胆力と根性と機転と気風を有した男じゃった」
俺は思わず艦橋の端に移動したカールセン中佐に顔を向けようとして、止めた。気持ちよく話している元准将の邪魔はしてはいけないだろう。
「このおいぼれと付き合いがあった故に、どこか遠くで腐っているかもしれん。だが腐らせるにはあまりに惜しい船乗りなんじゃ。大尉。貴官が出世して正式に戦隊指揮官になるようなことがあったら、そいつを探し出して部下にしてやってくれ。他にも紹介したい部下は大勢いるが、コイツはとびきりなんじゃ」
それは知っている。実力は疑いない。今、ここにカールセン中佐がいると、元准将に伝えたい。喉まで出かかったがそれを飲み込む。
「もし、そういう機会がございましたら、准将のおっしゃる通りにしたいと思います」
「頼んだぞ、大尉。それとそちらの巡航艦の艦長にもよろしく伝えてくれ。『いい腕だった。だが降下即応砲撃は敵に対して不用意に腹を曝け出す。大胆不敵もいいが、今後も使う船と時と場所を真剣に見極めてから使え』とな」
「えっ?」
通信は元准将の方から切られた。再度繋げようと思ったが、会話が終了したと分かって近づいてくる中佐の姿が目に入ったためその手を止めた。その顔は妙に晴れ晴れとしている。俺が准将の話と中佐への伝言を告げると、小さく何度も頷いた。
「あの方ならば最初の挙動で、ウエスカが俺の操艦だとお分かりいただけただろう。途中で浴びた戦艦の砲撃が外れたのは、おそらくわざと外したのだと思う。まだまだ対艦戦闘で俺は、あの方の域には達していない」
「では今回の戦いは、元准将が手抜きされたとお考えですか?」
「いやあの一斉射だけだ。あの一斉射以外には明確に殺意があった」
「では何故、准将は降伏なさったんでしょうか」
明確に手抜き、勝利は譲られたものと中佐に言われ、俺は腹が立った。運よく勝利し生き残ったことを素直に喜ぶべきだと頭では分かっているが、腹の虫がおさまらない。体の若さに精神が引きずられているのか。俺の理不尽な怒りをぶつけられたカールセン中佐だったが、顔には笑みが浮かんですらいる。それは知己を得て数か月経って初めて見た中佐の屈託のない笑顔だった。
「貴官でもそういう顔ができるのだな、と思うと可笑しくてな」
「小官とて人間です。感情はあります」
「手抜きとは言い方がまずかった。わざと外したのは、俺の存在を確認する為だろう。アドリブを求められる状況下の艦運用において、その操艦には指揮官の抜けきれぬ癖というモノがある」
「査閲部に在籍していた時、伺ったことがあります」
「あそこにいる名手達は到達している次元が違う。恐らくは降下即応砲撃を見て疑問に思い、砲撃回避の初手にJターンを使うかどうか判断するために一斉射したのだ」
で、あればもう一つの疑問が浮かぶ。
「では元准将は相手がカールセン中佐だから降伏したと?」
「それはあの方の内心だが、察するにそれはない。戦艦への集中砲火を見て、逃走は叶わないと判断したからだ。つまり部隊訓練を含めた貴官の作戦指導に対して、あの方は負けを認めたのだ」
愉快に笑いながら士官学校出のエリートの俺の肩を叩くカールセンという、原作アニメではまず見られなかった代物に驚きを覚えつつも、胸の奥で安堵した。
元准将が昔と変わっていなかったことを、カールセン中佐が心底から喜んでいるということに。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第45話 マーロヴィアの後始末
前書き
フラグ回収終わり。
宇宙暦七八八年六月 マーロヴィア星域 メスラム星系
“成果は期待以上。結果は上々。帰投せよ。”
簡単な文面ではあったが、マーロヴィア星域管区司令部からの直接命令が届いた。ブラックバートを撃破した後も、軍輸送船団より『略奪』しながら海賊や独航船舶を追っかけまわしていたが、やはりというかブラックバート撃破以降は明らかにその数を減らしている。
メスラム星系に巣食う海賊の大半が、小惑星帯で機雷とゼッフル粒子に拘束させられるか消滅させられ、彼らの機動戦力は俺達や護衛船団の護衛艦に撃破された。そこでブラックバートが星域内で撃破されたという情報。バグダッシュが偽装した情報屋ルートで拘束されたバーソンズ元准将の映像が星系、星域、星域外へと流され、まだ僅かに生き残っていた海賊で船を持っているものは星域外へと逃げ出した。最近拘束した海賊達の証言でそれも立証されている。
偽ブラックバートの戦力はいまだ健在。中央の部隊ですら討伐に失敗していた本家ブラックバート拘束成功という勝利の興奮で、兵士たちの疲労は覆い隠されてはいる。しかし地上を離れることほぼ半年。交代で休息をとっているとはいえ、長期にわたる緊張の連続は肉体的にではなく精神的なダメージとして蓄積されている。中央の制式艦隊ほど人員に余裕があるわけではない。今後はゆっくりとだがミスは出てくるだろう。
それに本家が拘束されたことで、最近マーロヴィアで凶悪に暴れていたブラックバートは『本物』なのか、という疑問が情報屋界隈で流れているらしい。ブラックバートの名前を使った作戦は、もう潮時であろうと爺様達は判断した。特務小戦隊の面々もそれに同意し作戦を中断、作戦に従事した全ての将兵に作戦内容の機密保持宣誓書へサインをさせた後、本星メスラムへ二週間かけて帰投した。
「ひとまずは、ご苦労じゃった」
すでに送ってある報告書を読んでいるであろうビュコック爺様は、椅子から立ち上がるとまずはカールセン中佐の、そして俺の両肩を二度ずつ叩いて言った。
「厳しい作戦であったことは、作戦立案当初からわかっていたことじゃて。結果として星系内の海賊一掃と有力海賊を捕縛できたわけじゃから、大成功と判断できよう」
「は、ありがとうございます」
「カールセン。ご苦労じゃったな。後はわしらに任せろ。思うところはあるじゃろうが、今はゆっくり休め。ウエスカや他の艦も二週間はドック入りが必要じゃな」
「いえ、ウエスカに損害はありませんので二週間も……」
「航行機関部と長距離通信アンテナの損傷はかなり大きかったとラフハー八八号から聞いている。こんな辺境じゃから修理にも時間がかかる。今まで暇こいておったドック要員を鞭打っても、そのくらいはかかるじゃろうて」
「……ありがとうございます。閣下」
カールセン中佐が敬礼をして司令官公室から出ていくと、ビュコック爺様の顔付きは部下の苦労をねぎらう好々爺のそれから、老練で冷厳な辺境管区司令官へと変貌した。
「さて、ジュニア。わかっておるじゃろうが、貴官の仕事はここからが本番じゃ」
俺達が偽装海賊で暴れまわっていた頃、爺様たちは根拠地メスラム星系にあって小惑星帯に潜む宇宙海賊を蒸し焼きにし、慎重に情報操作して護衛船団計画を練り、動かせる数が著しく少なくなった艦艇でどうにかこうにか星域内のパトロールを必要最小限とはいえ実施していたわけで、その労苦は偽装海賊作戦を半年以上実施していた俺達と何ら遜色ない。爺様の横に立つファイフェルなど今にも死にそうな青白い顔をしている。
だが爺様の言う通り、本当の仕事はこれからだ。
偽装海賊を使っての討伐作戦と機雷とゼッフル粒子を使っての蒸し焼き作戦で、マーロヴィア星域内の海賊組織は認知されている組織の大半を撃破ないし投降させた。だがそれは全てではない。逃げ出した生き残りはしばらくすれば戻ってくるだろうし、星域外からの流入もあるだろう。駆除作業はこれからも続く。
同時に捕虜となった海賊に対する民事更生プログラムを着実に実行しなくてはならない。作戦の承認により、軍中央の支援は一応確約されてはいるが、『海賊捕虜収容所』としてメスラムを発足させる上で、その原資を全て軍が負担するのは些か虫が良すぎるし、現実的ではない。その為にマーロヴィア星域行政府経済産業庁の協力は取り付けたが、絶対的な資本力不足から中央政府の協力も必須となる。パルッキ女史だけで中央政府を説得できない場合は、当然作戦立案者が説明に行かねばならない。つまり俺だ。
「バーソンズがとっ捕まったことで、首都の防衛部連中はさぞ枕を高くしておることじゃろうて……いずれジュニアには一度ハイネセンに行って、その後頭部を蹴り上げてもらわねばならんじゃろうな」
「覚悟はしております。レンタルしているバグダッシュ大尉とコクラン大尉を返却する前に、星域管区の管理システムも固めねばなりませんし」
「まぁ交代メンバーにはあまり期待しておらんから、そちらは儂とモンシャルマンで進めておくとしよう。ジュニアには行政府側との折衝に当たってもらおうかの」
「民生分野に関しては行政府経済産業長官のパルッキ女史が指揮官であると思いますが」
「儂の主義には反するが、憲兵隊の二個小隊を貴官とバグダッシュに付ける。孤立無援のお姫様を救いに行くのは王子様の仕事じゃろう」
「地上での警察権はあくまで治安警察……ですが」
「どこをどうめぐったのかは知らんが、ハイネセンの中央法務局から統合作戦本部防衛部を経由して儂宛に怪しげな書類が届いての。今はバグダッシュに預けておる」
それは元警察官僚の国防委員様から届いた『印籠』だ。バグダッシュから情報部、情報部から防衛部会、防衛部会から国防小委員会・憲兵審議会、そしてそこから何故か中央法務局にジャンプして、来た道を折り返してきた。口利きだけなら大した労力でもない。後で面子やら区割りやらが問題になるかもしれないが、そこは口先から生まれた巧言令色の権化だ。あくまで口を利いただけで『直接的な利益を得たわけではない』し、『正義を実現する為に手を貸した』だけなのだ。
間違いなく。そう間違いなくこの草刈りと種蒔きが終わった後、俺は例の国防委員様にお会いすることになるだろう。彼自身が俺の能力をどう評価しているかはわからない。だが現時点において、俺は彼にとって利用価値がある人間であろうとは思う。職業軍人一家の御曹司。シトレ中将の秘蔵っ子。士官学校首席卒業者。フェザーンでの失態も既に耳にしているだろう。硬軟両手を使い分けて俺を軍内部における飼い犬にしたいと考えているのは、このマーロヴィアの草刈りに対する彼の一方的なボランティアでも明らかだ。
社会にとっての悪性がん細胞、信じてもいない正論を吐く人間、どんな時も傷つかない男。原作における同盟側の最大の悪役。まだ実力も何もない時点で黒狐とご面識を頂いて、次に寄生木と出会うというのは前世の俺はどんな悪いことをしたのだろうかと思い返したが、家屋に発生する特定の昆虫類に対する虐殺行為以外、大してないはずだ。
「……自分の家と道路を清掃し終えたのに、今度は隣家の倉庫掃除の手伝いもしなくてはいけないとはツイてないです」
「私もそこまで面倒を見なくてはならないのかとは思わないでもないが、不愉快であっても法的根拠がある以上これも仕事なのだ。何しろここはハイネセンから四五〇〇光年離れているのでね」
モンシャルマン大佐の検察当局に対する嫌味を含んだ返答に俺も頷いたが、これも軍外で孤軍奮闘していたパルッキ女史の助けになるならと思わないでもなかった。
「連邦警察からの委任拘束令状があるとはいえ、憲兵隊が民間人それも行政府高官を拘束するというのは実に外聞が悪い。くれぐれも行動は慎重にな」
「了解しました」
「すでに宇宙港内部の監視も実施している。貴官から連絡があり次第、検問を設置する。正直そこまでしたくはなかったのだが……」
憲兵隊の規模が小さいとはいえ宇宙港に検問を設置するとなれば、クーデターと疑われても仕方がない。いくら中央から遠く離れているとはいっても、民間施設における検問を警察ではなく軍が行うことへのアレルギーは当然ある。一般に星域軍管区が海賊討伐作戦を大規模に実施していることは公表されているが、だからといって自分達に不都合が及ぶことを容認しているわけではない。
小惑星鉱区の操業認証の取り消し。護衛船団という事実上の航路統制。小惑星帯で何故か頻発する(ゼッフル粒子)大火災。航路で暴れまくる暴虐不遜なブラックバート(偽物)とその首謀者(本物)の逮捕。大手海賊集団の降伏など、メスラム星系を波立たせるニュースは事欠かない。海賊に半ば支配されていたようなド田舎の民心は大きく揺れ動いている。
救われる点はド辺境であるが故に報道機関の存在が極めて少ないことだ。ローカルなメディアはあるが、基本的には星域内というより星系内でしか活動しないレベル。ハイネセンにいるような、政府に対する反骨溢れる独立系ジャーナリストであれば、マーロヴィア星域軍管区司令部の傲慢さはたちまち紙面の標的となっただろう。だれも見向きもしない、ニュースのネタにすらならないド辺境の強みだ。
だがそれも時間の問題。ロバート=バーソンズ元准将の逮捕は、数日中に中央法務局・国防委員会・憲兵隊本部・統合作戦本部防衛部および法務部の連名で正式に公表される。その場でマーロヴィア行政府要人の逮捕も発表されるだろう。そうなればジャーナリストの二個小隊ぐらいの来訪は覚悟する必要がある。彼らが来訪するまでの一~二週間で、掃除を終えなくてはならない。どうしたって批判されるだろう。だが結果の良し悪しで、批判の大きさは変化する。
「一週間で片づけましょう。またしばらくバグダッシュ大尉をお借りします」
「今までだってほとんど司令部に顔を出しておらん奴じゃから、好きに扱き使うといいぞ。せっかくの無料レンタル品なんじゃからな」
まったく面倒なことじゃなと、まだまだ皺のよりが深くない顎を撫でながら、爺様はそういうのだった。
◆
そうして司令部での打ち合わせを終え、実質八ヶ月ぶりに戻った自分の執務室の扉を開けると、そこにはさも当然と言った表情のバグダッシュがパイプ椅子に座ってワインのラベルを眺めていた。俺が白けた眼で狭い部屋の中を見回すと、腰高ぐらいのワインセラーがいつの間にか壁脇に鎮座している。
「……バグダッシュ大尉」
「おぉ、お久しぶりですな、ボロディン大尉。実働部隊の引率お疲れ様でした」
「えぇ、バグダッシュ大尉がいかに偉大な存在であるか、十分すぎるほど認識できましたよ」
「なんだか気持ち悪い褒めかたですな。これは小官のワインですからいくら煽てても差し上げませんぞ」
「しばらく酒はNGです。憲兵隊を率いて長官の頸を取りに行くんですよね?」
検察長官の頸を取る前に、業務時間内の飲酒で自分が捕まったらどうするんだと言ったつもりだが、ワインセラーがあるのは俺の執務室(笑なので、この場合、捕まるのは俺になるわけか。非難を諦めて自分の椅子に座ると、バグダッシュはジャケットの胸ポケットから白い封筒と記憶媒体を取り出して俺に手渡した。封筒の中身は中央法務局から憲兵隊本部に出された委任拘束令状。記憶媒体の方は降伏した海賊から搾り取った行政府内の金銭授受についての証言調書だった。
「ケリムでも痛感しましたが、情報部の方々の有能さはまるで魔法使いのようでホントに頼りになるというか……コレ、造り物じゃないですよね?」
「造り物でここまでリアルにできれば、情報部員として超一流といえるんですがねぇ」
「結果としてバグダッシュ大尉はお一人でマーロヴィアに巣食う海賊を手玉に取ったわけですが、後学の為に伺いたいんですが、テクニックはともかく情報部員として必要な才覚って何です?」
「冷静さと度胸ですよ。それも大して難しいことじゃない」
バグダッシュは鼻で笑うと、パイプ椅子を逆にして座り、背もたれに肘を当てて意地悪そうに言った。
「相手にするのは所詮人間で、異世界のバケモノじゃない。人間である以上、欲があり、感情がある。金も異性も名誉も、つまるところ形を変えた欲でね。物を取引する貨幣と同様に、欲を取引するのは情報なんだ」
「ただ情報はベクトルであって、金銭のように数値だけじゃない」
「おっしゃる通り。ベクトルから方向性を取り除くのが冷静さ。好きな方向に無理やり動かすのが度胸ってわけだ」
「そうなるとブロンズ准将の言われる通り、自分には無理ですか」
「いや素質はある。単純に性格が向いてないだけですよ。人生経験が少なくて隙だらけってのもありますが、一番問題なのはあまりに欲がないということですかな」
「欲がない? そんなことはないと思いますが?」
「一見すると生活苦とか経験したことのないお坊ちゃま特有の青臭い無欲さに見えるんです。そういう世間知らずは『正義』とか『道義』とか調子のいい言葉でいくらでも操れる」
こちらから話を振っただけだったが、バグダッシュはどこからともなく出したコルク抜きを、左手の指の間をグルグルと回しながら饒舌に話し続ける。
「貴方は違う。事に当たって必要とあれば法を踏み越えることも躊躇わない。かと言って良心や善意や遵法精神のないサイコパスでもない。今は上官がいて、命令があり、任務がある。そういった拘束が無くなった時、あなた自身が何をしたいのか、正直なところ分からなくてね」
「……」
「ただ今回、ご一緒して分かったことが一つだけありますよ」
「……それは?」
「貴方が私の上官になった時は結構楽しいだろうな、ってことです。適度に難易度があって好きなように仕事ができて、勤務中に酒が飲める職場って、そうそうないですからな」
バグダッシュの手にはいつの間にかワインボトルがあり、今まさにキュポンと音を立てて栓が抜かれたのだった。
後書き
2020.05.22 事前投稿
第46話 隣地の草刈り
前書き
ルドルフはいったいいつ頃から独裁者への道を望んだんでしょうか。
恐らくは准将になったあたりではないかと、思うんですがね。
宇宙暦七八八年六月 マーロヴィア星域 メスラム星系惑星メスラム
ワインを片手にシナリオを創り、翌日部下についた兵卒上がりの年配憲兵少尉にそれを説明して各種手配を済ませた六月一五日。俺は一個小隊と共に経済産業庁に、バグダッシュはやはり一個小隊を率いて星系首相府に向かった。俺は上位者告訴権の署名獲得、バグダッシュは国家警察より委託を受けた憲兵による民間人逮捕承諾署名の獲得だ。俺達がそれぞれの省庁に入ったと同時に、メスラム唯一の宇宙港はモンシャルマン大佐率いる軍憲兵の管轄下に入る。
「委託令状があるとはいえ任意の署名ですから、無理はなさらずともいいとは思いますが」
「小官は顔同様、スマートな交渉術を得意としておりましてね。星系首相も快くサインしていただけますよ」
どこがスマートなのか問い質したいところではあったが時間もない。さほど広くもない中央官庁街で、普段より軽装備とはいえ憲兵を後ろに連ねながら歩けばかなり目立つ。好奇より不安の方が多い視線を四方から浴びながら、俺は経済産業庁へと足を踏み入れた。
事前に署名を貰う相手にはアポを取ってはいたが、何も知らない受付嬢は憲兵の提示する令状を見て蒼白になり、警備員が駆け付けまた警備員に令状を提示して……三分経たずして、俺達は長官室に通される。
「ホント、軍は強引な手口を使うのね。貴方も半年以上姿を見せなかったけど、どうやらご活躍だったようでなによりだわ」
直接の知己を得て作戦が開始され八ヶ月。パルッキ女史のブロンドには明らかにそれとわかる白いものが混ざり、分厚い化粧の下は荒れてそうで、目には疲労が浮かんでいる。軍とは違い、彼女にはハイネセンからの援護射撃も、頼れる上司も部下も存在しない。暴虐ともいえる軍の海賊狩りや護衛船団による統制、何故か小惑星帯のあちらこちらで発生する天体異常現象に、さして大きくもないとはいえマーロヴィアの政界財界から集中砲火を浴びたのだ。書は心を現すというが、俺が開いた上位者告訴権委任状にするサインも結構乱雑だ。
「これで軍主導の作戦はおしまいね?」
「ええ、後は『新労働力を活用した地域振興計画』の実行となります。今後も我々軍は長官閣下にご協力を惜しみません」
「今後『も』? 今まで軍が私に協力をしてくれたことがあって?」
フンッと荒く鼻息をつくと、パルッキ女史は俺に向かって委任状を放り投げる。
「このド田舎星域から海賊が居なくなったのはいいわ。新しい産業の為の労働力を確保してくれたことは、道義や人道に目をつぶれば純経済的に悪くない話ね。問題はそれを指揮するのが私ということよ」
「流刑植民地の女王様というお仕事はお嫌いですか?」
「代わってほしけりゃ、代わってあげるわよ」
「……そうですね」
量が多くて面倒ばかりな仕事であることは間違いない。バーソンズ元准将の作ったシステムを焼き直し、公金を使って手柄を乗っ取った計画で彼女を巻き込んだのは軍であり、事実俺だ。そして彼女自身幸いなことに、この計画の人道的な欠陥を理解している。
責任を取るという言い方は多分に誤解を招く。だがアレを彼女に紹介することは、劇薬には違いないにしても彼女の労苦を少しは軽減できる効果はあるはずだ。それで彼女が派閥に飲み込まれるとしたらそれはそれで仕方がないが、アレが政府首班になるまでには今少し時間が必要のはず。もっとも憲兵の視線のある現時点で口にする必要はない。
「ひと段落したら、ウィスキーの一杯でも奢ります」
「一〇も年下の男にお酒を奢ってもらうほど女はやめてないわ。せめてボトルと言いなさい」
小さな舌打ちと共に漏れた『もう少し年上だと思ったのに』という言葉を丁重に無視して、俺は敬礼して彼女の執務室を後にする。予定通りというか、経済産業庁舎を出た段階で憲兵の一人が連絡を受け、宇宙港の検問開始が告げられる。
現時点で星域外に逃亡するには、自分で宇宙船を作る以外に方法はなくなった。この星には宇宙船を建造するに十分な伝説の天然資源は山ほどある。時間を掛ければ検問だけでは済まなくなるだろう。それは今までの苦労が全て水の泡になることだ。そう思うと自然と駆け足になり、俺が駆け足になれば憲兵達も駆け足となる。
そして星域治安検察庁庁舎の前で、バグダッシュはただ一人で待っていた。
「ボロディン大尉でしたら、ちゃんと引き連れてきてくれると思ってましたよ」
「……バグダッシュ大尉の小隊は『配置』についたわけですね」
「念のためってやつです。証拠隠滅が無理な時点で、検察長官の生き残る道が一つしかないのは間違いないんですが、人間追い込まれるととんでもないことをしでかしますからね」
それじゃあいきますか、とバグダッシュは表情同様の剽軽さで検察庁庁舎へと入っていく。果たして自動ドアが開くと、そこには武装した治安警察部隊の二個小隊が銃をこちらに構えて並んでいた。大急ぎで武装したのか装備はバラバラ。なのに顔は全員引き攣っている。
憲兵隊が宇宙港に検問を作り、星系首相官邸と経済産業庁にも部隊を向けた。何も知らなければクーデターそのもので、大概のクーデターの最初の標的は治安維持組織であり、組織のトップは検察庁だ。軍が海賊狩りと称して経済産業庁と組んで、星域の実権を不法な手段で握ろうとしている。そう見えてもおかしくない。
さてどうします? と含んだ視線を俺に向けるバグダッシュに、俺は小さく溜息をつくと二歩前に出て治安警察部隊の面々を無言で睨みつけた。面々の視線と銃口は一斉に俺を指向する。一本ならともなく、複数が煌めいたら俺の二度目の人生はここで終わり。三度目があるかもわからないし、残念だとは思うが何故か恐怖を感じない。
一度後ろを振り向いて憲兵隊を見ると、こちらは誰も拳銃に手をかけていない。標準装備である小銃すら持たず、無言で手を後ろに回して直立不動。治安維持部隊との対比は一層明らかだ。俺は小さく息を吸い込んだ後、治安警察部隊の面々にフィッシャー中佐直伝の無害な笑顔を向けて言った。
「お仕事ご苦労様です。小官はマーロヴィア星域軍管区司令部次席参謀のボロディン大尉と申します。こちらは情報参謀のバグダッシュ大尉。我々は憲兵隊と共に検察長官ヴェルトルト=トルリアーニ氏の逮捕に伺いました。氏は在勤でいらっしゃいますか?」
笑顔で放たれる言葉の意味を理解するに数秒。治安警察部隊の面々は互いに顔を見合わせ、それが自然と一人に集中する。年配の隊員。袖を見ると四本のラインがあるから勤続二〇年以上というところか。その隊員が小銃を肩に掛け、一歩前に出て俺と対峙する。
「地上における警察権はマーロヴィア検察庁の掌握するところだ。憲兵隊、まして星域管区の軍人ごときがでしゃばるな」
生意気な孺子め、と言わんばかりに俺を睨みつける。アメリカンドラマによくいる、少し皺が寄り始めたマッチョベテランSWATそのまま。何となく懐かしいものに出会ったみたいで、俺は自然と微笑ましさを感じた。それが気に障ったのか、血管が浮かび上がったゴツイ顔を俺に寄せてくる。
「何がおかしい。それともビビッて声が出ないのか?」
「いえいえ。これほど歓迎していただけるとは思ってもいませんでしたので。失礼ですが指揮官でいらっしゃる? お名前と階級をお伺いしたい」
「カッパーだ。階級は警部補」
スッと視線をマッチョの胸に向けると、申告通りの名前が縫い付けられている。バグダッシュに視線を向けると、彼は首を振った。残念ながらリストにない人物らしい。
「ではカッパー小隊長。速やかに我々を検察長官の前に導くか、それとも長官をここまで引きずってくるか、どちらかをお願いしたい」
「なに寝ぼけたことを言っているっっっ」
「耳が遠いようだからもう一度言うぞ、カッパー小隊長。速やかに我々を検察長官の前に連れていくか、長官をここまで引きずってくるか。どちらか選べと言ってるんだ」
「貴様!!」
「治安警察だったら拳で喧嘩売る前に、令状と法的根拠を相手に問え。その程度の脳味噌しかないから、海賊にいいようにやられるんだ。歳食っててもその程度のことが分からないのか?」
これで殴ってくるようだったら、それはそれで結構。一時退散はするが、次は装甲車と装甲服とトマホークでお迎えに上がるつもりだ。丁寧に軋轢なくこちらから令状を見せることも考えたが、根本的に海賊と裏でつながってる奴と繋がってはいないが不作為を決めてる奴しかいない警察の、それも現場に直接刺激を与え、本来の任務を思い出してもらわねばならない。そうでないと彼らは今後、女王様の働きアリにすらなれない。
カッパー小隊長は歯ぎしりしたが、硬く握りしめられた拳を俺に向けることはなかった。彼が一歩退いたのを見て、胸ポケットにしまっていた逮捕状とパルッキ女史のサインが入った上位者告訴権証明書、それにバグダッシュから預かった星系首相のサイン入り民間人逮捕承諾書を全て提示する。これらは全て、『お前らが無能だから軍と憲兵隊に任せるんだぞ』と言っているに等しいもの。果たしてカッパー小隊長の顔は、最初は赤く、次に青く、そして白くなった。
果たして肩を落としたカッパー小隊長を先頭に、俺達は長官公室に向かう。狭い領域とはいえ治安の番人という立場の本拠地に、軍と憲兵隊の侵入を許す。よりにもよって公文書によって事態は法的に保障されて、なおかつ治安維持機構のトップが逮捕されるという。行き交う職員はみな、カッパー小隊長同様に意気消沈している。運が悪かったとは思うが、本来なら彼らも軍が海賊掃討に動いた段階で自ら行動すべきだったとも思う。
「ここです」
カッパー小隊長が指し示す先に長官室はある。ごく普通の執務室を思わせる木扉だ。勝手に開けて入れと言わんばかりのカッパー小隊長に、俺はあえて皮肉を込めて応えた。
「常軌を逸した長官が銃を構えて、我々が扉を開けたと同時に発砲の恐れがある。小隊長、悪いが部下の貴官が扉を開けてもらいたい」
俺のいい様にバグダッシュは右唇を吊り上げて笑うと、カッパー小隊長は心底ムカついたと言わんばかりの表情で扉を開けた次の瞬間、閃光と共にノブを持ったまま床に倒れた。即座に俺もバグダッシュも、勿論憲兵隊も床に腰を落としたり、壁を背に張り付いたりしたが、目の前で胸から血を流しながら声もなく口を開け閉めするカッパー小隊長から目を逸らせなかった。付いてきた憲兵隊のうち二人を割いて、小隊長を現場から下がらせると、俺は大きく溜息をついて、腰からブラスターを引き抜き、エネルギーカプセルを確認する。
「……ボロディン大尉は預言者かなにかですか?」
「皮肉ですか、バグダッシュ大尉」
「本気でそう思うようになりそうですよ。今回の任務でコレが一番のビックリです。で、どうします?」
「警告して降伏すれば良し。反応なければ突入します。憲兵隊、記録保持と援護射撃を」
そっと携帯端末をカメラモードにして室内を探る。内部にバリケードはない。恐らくはソファの背に隠れて扉に照準を合わせて狙い撃ちというところだろう。撃たれて死ぬ可能性はあるが、初撃を躱し切れば後は憲兵隊が突入して数の暴力で押し込める。とそこまで考えたところで、自分がナチュラルに人を殺そうと動いたことに気が付いた。
前世ではしがないサラリーマンだった。実銃を撃つのはこちらの世界に転生して、ジュニアスクールでの銃の扱い方講座が最初。当然ながら自分の手で人を撃ち殺すかもしれない状況というのも初めて。射撃の訓練成績は悪くはなかったが、ケリムでの海賊討伐戦以降、俺は人殺しとしてのステップを着実に踏んでいる。
「検察長官トルリアーニ。貴方には海賊への情報漏洩、それに伴う収賄の容疑と……治安維持要員カッパー小隊長殺人未遂容疑が懸かっている。速やかに武器を捨てて投降せよ。でなければ生死問わず拘束する」
やや大きめの声で告げると、中からヒッっという悲鳴が聞こえてくる。それも男性の声だ。彼の秘書は女性だから彼で間違いない。
「トルリアーニ、聞こえてるな。武器を扉に向けて捨て投降しろ。殺人まで加われば、貴方の量刑は死刑以外無くなる。一つしかない命を大事にしろ」
二度目の人生を銀英伝の中で生きている俺としては、言ってる傍からおかしなセリフだが、テンプレみたいな立てこもり犯への勧告だから仕方がない。しかし俺が告げてから一〇秒経ち、三〇秒経ち、一分経っても反応がない。迷っているのか、それとも戦う気でいるのか。検察官として現場に立つことはなかったかもしれないが、少なくとも立てこもり犯に対する警察の行動を彼は理解しているはずだ。時間を掛ければことが大きくなり、それは事態収拾に対しても負荷となる。
「突入します。いいですね」
小声で憲兵隊小隊長に告げると、小隊長は無言で頷く。俺は中腰になり小隊長はその後ろに立ち、バグダッシュは反対側で中腰に、その背後に憲兵隊員が並ぶ。カメラで見た時に確認したが、扉に対して右奥に執務机、その手前にソファがあるから、まずは視線と射線を俺に向けさせるため、部屋の隅にまっすぐ突入する必要がある。声には出さず、口唇だけでカウントを始めると、バグダッシュと憲兵隊員の動きが止まる。太腿に力を入れ、脇を閉じ、ブラスターの銃口を地面に向ける。五……四……三……
俺は明るい室内にダッシュで飛び込む。その背後から銃声が響く。トルリアーニの悲鳴が上がらないから天井に向けて撃っているのだろう。ガラスや照明や陶器が割れる音が続き、俺は扉の対面の壁にぶつかった後、ブラスターを構えたが、トルリアーニの姿はない。すぐに動く向きを変えソファに手をかけ横っ飛びする。果たしてそこには中年太りしたトルリアーニが銃を両手で握りしめたまま体を丸めてうずくまっていた。俺はその両手首を思いっきり左手で握りしめ床に押し付けると、ブラスターの安全装置をオンにし右手でもぎ取り、部屋の隅に向かって投げた。そのタイミングでバグダッシュがソファに飛び込んできて、無傷でトルリアーニを抑え込む俺を見ると、ブラスターを下ろし大きく溜息をついた。
◆
「士官学校首席卒業者っていうのはみんな大尉みたいなんですかね」
小さくヒッヒッと悲鳴か息継ぎかわからない声を上げつつ連行されていくトルリアーニを見送ったあと、主のいなくなった執務室の端末を叩きながら内部を漁りつつ、バグダッシュは俺に言った。なにを言いたいのかよくわからないが、応じないわけにはいかない。
「一つ上の首席卒業者は、ウィレム=ホーランドっていうんですが」
「……あぁ、理解しました。ボロディン大尉のほうが異端なんですな」
鼻歌交じりでカチカチと端末を叩きながら、バグダッシュはとんでもないことを言う。
「人づてに聞いたことがありますが、ホーランド大尉は典型的な軍事指揮官で参謀としても優秀ならしいですな。まぁそれ以上でもそれ以下でもないですが」
「それでも十分では?」
「アナタと比べるまでもない。立ってる視点の高さも広さもまるで違う。大人と子供ですよ」
情報部員は監禁しても起きている限り油断できない。そう言ったのは誰だったか。バグダッシュの言う俺とホーランドに対する評価。戦略研究科卒業生としてそうあるべきだと数年前グリーンヒルに告げたことを、もしかしてバグダッシュは知っているのだろうか。俺が黙って書棚にあるファイルをぱらぱらとめくっていると、クックッとせき込むような笑いでバグダッシュは続ける。
「不思議な人だ。子供っぽいところもあるし、抜けてるところも多い。なのに事があれば隙なく無駄なく躊躇なく行動できる。如何にも模範的軍人な外面なのに、飲酒を咎めようとしない。首都からこれほど離れた場所で、直接の知人でもないトリューニヒトの長い手を見抜いたのは最早驚異だ。それでいて才走るところもなければ、功名餓鬼でもない」
「最近の大尉は随分と多弁ですね」
「多弁になりますとも。これでも人を見る目はあると思ってますが、これほどまでに矛盾を抱え込んだ人と今まで一緒に仕事したことがなくてね。この任務が終われば次いつこうやってお話しできる機会があるかわかりませんからな」
多弁でありながら端末の上を動く指の動きに乱れはない。五分ほどでケリが付いたのか、バグダッシュは私物の端末を起動させ、トルリアーニの端末のすぐそばに置くと、検察長官用の本革張りリクライニングを大きく傾けて天井を見上げた。
「ボロディン大尉、軍人なんかやめて政治家になったらどうです?」
「なんです、いきなり?」
「軍人としても優秀だ。それは間違いない。アナタが指揮する部隊……いや艦隊はきっと宇宙にその名を轟かすでしょう。だがアナタが艦隊を指揮できるようになるまでには恐らくあと二〇年はかかる。今の情勢だとそれまでに帝国軍との戦闘で戦死する可能性が極めて高い」
「……かもしれませんね」
「今すぐは流石に無理ですが、アナタの能力からすれば前線で無理しなくても三〇代半ばで准将にはなれそうだ。その時点で退役し、政治家として登壇するんです。情報将校として私ができる限りバックアップしますよ」
「大尉はどうしてそこまで私を評価するんです? まぁ軍人に向いてないと言われたことはありますが」
「でしょうね。いい鑑識眼をしてますよ。シトレ中将閣下は」
「……仮に政治家になったとして、私が権力得て豹変し独裁者になるかもしれない。そうなれば海賊討伐で名を挙げ、少将で政治家に転向したルドルフ=フォン=ゴールデンバウムの再来だ。そうは考えないのですか?」
俺がマーロヴィアに来てからずっと抱き続けてきた疑問。クソ親父にしても爺様にしても、俺を軍人に向いてないと評価した人達が考えていないとしか思われない危険性。自由惑星同盟にルドルフが現れるという、五〇〇年の歴史の流れを逆転させることに。
だが俺の返事に、バグダッシュはキョトンとした表情で俺を見た後、まずは含み笑い、それが音になり、次第に大きくなって腹を抱えて笑い出した。
「アナタにルドルフの真似はできない。同時に今の同盟の汚職政治家のようになりようがない。両者に共通する幾つもの要素がアナタには徹底的に欠けている」
「それが欲ですか?」
「トルリアーニ如き小物の銃口が向いている先へ、瞬時に突入を決意できる生存欲の無さは病的ともいえる。死にたがりというわけでもないから、私には理解に苦しむし不思議でならない」
「……」
「仮にアナタが独裁者になったとしても……まぁ、その時の『お楽しみ』ということで」
そういうと要塞攻略戦を前に蕩児たち相手に見せた、気持ちいいまでのサムズアップをバグダッシュは俺に見せるのだった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
2020.06.03 カッパーの発言を修正
第47話 草刈りの終わり
前書き
少し短いです。
書いていて自分の筆力の低下を実感しました。豆腐メンタルなので、手心をお願いします。
宇宙暦七八八年八月 マーロヴィア星域 メスラム星系惑星メスラム
トルリアーニ逮捕以降の事後処理の速度はというと、型にはめたように圧倒的というべきものだった。
予定通りハイネセンにおいて軍と中央法務局連名によるマーロヴィア星域における治安維持活動が報道陣に公開される。計画立案から実行までほとんどが軍部と経済産業庁によるもので、中央法務局は捜査員すら派遣しなかったが、治安維持作戦の主導的立場として発表される。功績のただ乗りであるが、これについてはマーロヴィア軍管区司令部に大きな不満はない。
次にド辺境とはいえ星域行政府の高官、それも治安維持を担当するトップであるトルリアーニの逮捕が発表される。この星域で海賊が跳梁跋扈したのはトルリアーニが海賊と繋がりがあった為であり、辺境を軽視する治安維持機構全体の責任ではなくトルリアーニ個人の問題である、と強弁したのだ。一理ある話ではあるが、政府に批判的なマスコミやジャーナリストはこれを糾弾する。個人の問題であるにしても、行政官僚の腐敗は政権自体の問題であり、ひいては最高評議会の管理能力に疑念がある。そう批判された。
そして最後に宇宙海賊『ブラックバート』の首領であるロバート=バーソンズ元准将の逮捕と、その戦力の降伏が発表されると、記者発表の席は困惑と興奮で溢れかえったようだった。ケリムで歴戦の第一艦隊が総動員されたにもかかわらず逃してしまった名うての海賊の壊滅と逮捕。それもマーロヴィア星域管区という実働戦力にも行政府にも問題のある場所で成功したというのだから、まぁ驚くのも無理はない話だ。どうやってそれに成功したのか、質問が相次いだがそれに応えたのがよりにもよって若手の国防委員だった。
「中央法務局の皆さんの長年の捜査の蓄積と、老練な軍管区司令官の堅実で果断な指揮、それに経済産業庁長官をはじめとした勤勉で実直でそして何より正義を愛する行政府の諸氏が協力し合い、大きな腐敗と悪徳を打破することに成功したわけです。法務、軍部、行政の緊密な連携こそ国家の安全と市民の自由、そして自由経済を救ったのです」
まるで舞台俳優のように通る声で、そして長いセリフを短く感じさせるよう、大仰にはならないアクションで、軍作戦内容や微妙なところに届きそうな質問を的確にはぐらかしていく。巧みな話術というべきだ。背景も裏側もわからない人間が聞けば、まず間違いなく気分が高揚し、今回の作戦を、そして実行しそれに助力したであろう若手の国防委員を褒めたたえるだろう。そしてド辺境星域の治安に興味がある人間は圧倒的少数だし、背景を探りに行こうという気を失わせるに十分すぎるほどの絶対的な距離がある。
超光速通信で送られてきた記者会見映像を、半ば義務的に見ていた星域軍管区司令部の気圧は、当然ながら極限まで低下している。コクラン大尉もライガール星域管区から戻ってきて、バグダッシュと俺も加わって久々に司令部全員が集合したにもかかわらず。
「……いったいなんなんです、アレ」
映像が終わり真っ暗になったスクリーンを前にして、最初に不満の煙を漏らしたのはファイフェルだった。年長者たちには聞こえない声で、俺に囁いた。
「トリューニヒト国防委員でしたっけ。彼はこの作戦で何か仕事したんですか?」
「機雷の手配への口利き。コクラン大尉をここに配属させる口利き。中央法務局から憲兵隊へ業務委託させた口利き。まぁ実にフィクサーらしい仕事をした……らしい」
「……小官はトリューニヒト国防委員の口利きでここに来たつもりはないんですが」
俺の声が思いのほか大きかったのか、これにコクラン大尉が乗ってくる。まぁ彼はそう思うだろうし、勘繰られるのも迷惑な話だろう。爺様とモンシャルマン大佐の少し冷めた視線がこちらに向いているのを確認し、俺個人の想像と断ったうえで、昨年末バグダッシュに話したことを話した。そして程度の差こそあれ、露骨に不満の表情を浮かべる。
「投資先として儂は歳を取りすぎておると思うから、恐らくはジュニア目当てじゃろう」
両手の上に顎を乗せ、三白目になった爺様は、吐き捨てるように言った。
「まさに寄生虫じゃな。安全で快適な首都におって、危険は全て他人に押し付け、果実の上手いところだけをすべて持っていく」
「貴官の想像が正しければ、この治安維持作戦の評価を大きく上げたブラックバートの捕縛に彼はなんにも関与していない。失敗すれば他人のせい、成功すれば自分の功績か。あの弁舌は盗賊の舌だ。あの舌で自由だの民主主義の勝利だの言われると、気持ちが悪くなる」
モンシャルマン大佐も全く容赦がない。
「仮にまたガンダルヴァ星域管区に戻って仕事することになっても、あまりいい気分ではできそうにないですね」
散々機雷やら船舶やらゼッフル粒子やらの調達で苦心したコクラン大尉の心中は複雑そうだ。
「ですが、あれこそ今の政治なのでしょうな」
そんな中で空気を全く読まず、バグダッシュがボソッと呟いた。醒めた口調がより部屋の温度を低下させる。
法的な問題点を補正し、軍や機構の動きを潤滑化させる為に表に出さずに各所を調整する。それが政治の仕事だ。それは爺様も大佐も十分すぎるほど理解しているのだろうが、トリューニヒトのように露骨にさも自分が統括して指揮しましたと言わんばかりの態度が気に入らないのだろう。爺様の舌鋒は、当然のごとく俺に向く。
「ジュニア。後始末の方はどうじゃ?」
「刈り切った草は焼却炉に持っていきましたので、次は土を掘り起こす番です」
「よかろう。航路開削と掃宙訓練はやればやるほど上手くなるモノじゃからな」
そういうと爺様は、すっかりぬるくなったコーヒーを啜るのだった。
それからというもの俺は司令官代理という形でほぼ毎日、惑星メスラム上の司令部と収容所、惑星軌道上の廃船置き場と機雷をバラまいた小惑星鉱区を行ったり来たりという生活に落ち着いた。収容所で生き残った海賊の中から従順で比較的若い要員を選考し、廃船置き場に蓄積されているゼッフル粒子入りの廃船を引っ張り出し、星系間航行能力のないタグボートで小惑星鉱区まで押し出し、無人操縦で小惑星帯に突っ込ませる。
熱反応型の自動機雷は慣性航行状態では反応しないが、機関を始動するとその熱源を感知して作動する。それを利用してタグボートで初速を作り、適当なポイントに到達した時点で廃船の機関を始動させる。始動すれば機雷のもつ小さいが高出力の推進機が作動し廃船に勝手に突撃してくれる。そして廃船の内部にはゼッフル粒子が搭載されているので、機雷の爆発熱に煽られ膨大なエネルギーを発して誘爆し……その熱がさらに近くに敷設された機雷を誘引する。地球時代によく使われた自走式機雷処分用弾薬を廃船で置き換えたわけだ。
これで残った廃船分の機雷は処理できるが、爆破した後の後始末は掃宙艦と特務艦の出番となる。特務艦と言っても帝国の輸送艦を改造したもので、掃宙艦に先導されつつ爆破処理が完了した宙域に侵入し、航行に支障のある破片を掻き集める役目を帯びている。これには専門の航路開削用の機材が複数積み込まれており、民生用の航路開削船とほぼ同等の能力を有していているが、この手の機材はマニュアル操作なので、そこに戦傷者や降伏した海賊などを要員として配置する。
勿論破壊された廃船は資源として再回収される。小惑星で宇宙船用装甲用材を生産している鉱山船はいくつか残っているから、再び精錬されて用材となる。元々私企業だった鉱山・精錬企業も、海賊との癒着があったことを盾にマーロヴィア星域政府に「収用」という形で公的管理となり、生産された用材も軍が安値一括で購入し、マーロヴィア星域外への軍事輸送船団に資材を積み込み、リオヴェルデ・エリューセラ・タナトスといった辺境部にある軍直轄造兵廠へと送られる。
日本で言う第三セクターに近いが、現在の自由惑星同盟において財務委員会の圧力が強いのか、それとも軍事費の圧迫が強いのか、いわゆる国有企業は水素などの生活必需資源とインフラに限られている。行き過ぎた新自由主義とまでは言わなくても、国家が私企業の領域に立ち入って公金を利用して営利を得ることを民業圧迫として敬遠しているし、政府に批判的な勢力はそういう公金が注ぎ込まれる企業の汚職をよく槍玉に上げる。パルッキ女史が「植民地の女王様」を嫌がるのも、官僚の本能である自己権限の拡大をいらぬところから疑われたくないという側面もある。
そして将来的に……今のままでは難しいかもしれないが一〇年後、ラインハルト=フォン=ローエングラムによる「神々の黄昏」が始まった時、ランテマリオ星域の後方にあって十分に距離の離れたこのマーロヴィア星域に有力な軍事物資生産設備を有しておくことは悪いことではない。艦艇を自力生産できるほどの設備は難しくとも、艦船の補修や改造ないしミサイルなどの消耗兵器生産設備を構築することができれば、少しは勝率が上がろうというモノだ。そこには機雷の取り扱いに慣れた嘱託従業員もいる。
そう、機雷。地雷同様あればあったで民生の邪魔でしかないが、貧者の持てる数少ない戦略兵器でもある。ランテマリオの戦いでも回廊の戦いでも、いや帝国の内戦においてもその有効性は証明されている。それをより大胆に、攻勢防御として利用できないか? 指向性ゼッフル粒子があれば容易に開削されることだろうが、戦闘宙域を大きく制約することはできる。そして艦隊行動のチョークポイントとなる回廊はひとつではない。
想像の翼を広げて、地球が人類の中心地から離れて八〇〇年近く経っているのに、未だ机の上から絶滅していない紙にいたずら書きのようなメモを書いていると、鍵をかけていない俺の執務室の扉からファイフェルが飛び込んできた。いやに慌てているので収容所にぶち込んだ海賊たちが反乱を起こしたのか疑ったが、ファイフェルの顔には危機というより驚愕の方が多かったので、俺は一度だけ深呼吸をすると席に座ったままファイフェルに言った。
「どうした。パルッキ女史に言い寄られでもしたか?」
「そんな縁起でもないことを言わな……あぁ、すみません。少し慌ててました」
予定通り軍務一年で中尉に昇進し、軍隊生活に慣れ始めたのか軍用ベレーを被ることが少なくなったファイフェルは右手で小さく頭を掻くと、苦笑して応えた。
「先輩はエル・ファシル星域をご存知ですか?」
俺がファイフェルに何も応えることなく、無言で立ち上がり携帯端末を確認したのは、もし俺以外に転生者が居たら当然の行動だと思うだろう。
宇宙歴七八八年八月二八日。端末の画面にはそう記されていた。
後書き
2020.05.22 事前入稿
閑話1 エル・ファシルにて その1
前書き
ヤン視点の閑話になります。
正直、原作とさほど違わないというか、これを書くのはいいことなのか迷いました。
宇宙暦七八八年八月 エル・ファシル星域 エル・ファシル星系
「ひとつ狂うと全てが狂うものだな」
エル・ファシル星域駐留艦隊旗艦である戦艦グメイヤの司令艦橋の一角、幕僚グループの末席でヤンは胸中でつぶやいた。
当初アスターテ星域を哨戒警備中であったエル・ファシル星域駐留艦隊所属する二〇隻ばかりの哨戒隊が、運悪くほぼ同数の帝国軍哨戒部隊と不運にも遭遇。お互いが後方へ増援を呼び、あれよあれよという間にエル・ファシル駐留艦隊のほぼ全機動集団が出動する羽目になった。
帝国軍側も予期せぬ拡大であったのか、おそらくはアスターテ星域の哨戒部隊を全て糾合したのであろう一〇〇〇隻程度の戦闘集団を編成し交戦。お互いに二割程度の損害を出して終わった。二割という数字は決して小さくない数字であり、帝国軍の後退に合わせて戦域を離脱する判断を下した上官に、用兵上の判断ミスがあったとはヤンは思わなかった。
だが帝国軍は帰投すると見せかけて急速反転し、油断したエル・ファシル星域駐留艦隊の後背を襲撃した。最後尾に付けていた戦艦グメイヤの周囲には破壊された僚艦の生み出す爆発と閃光が溢れることになる。想定外の事態に慌てふためく司令部にあってヤンともう一人、管区司令兼任のリンチのみがある程度落ち着いていた。
「艦隊右舷回頭! 迎撃せよ、砲門開け!」
リンチの声は大きく、聞く者とそして言った者自身を落ち着かせようとしたものだろうとヤンは思った。だが、後に敵を背負いながらの一斉反転迎撃は、一時的に部隊全体の側腹部を敵にさらけ出すことになる。反転攻勢をかけるのであれば、すでにエル・ファシル方面への移動を開始している前衛部隊から順次反転し、ドーナツの輪を内側からひっくり返すように陣形を再編すべきではないか。ヤンは意を決し幕僚グループの末席から、上官のいる司令艦橋の最上部までできるだけの速度で駆け上がると、恐慌をきたしている他の参謀達の困惑の視線をよそに、リンチに向かって自分の考えを告げた。それに対してリンチは眉を顰めつつ、小さく首を振ってこたえた。
「貴官の言いたいことはわかるが、部隊全体が混乱している現状では細かい指示を必要とする艦隊機動は実施不可能だ」
「であれば、回頭を中止し全速で前進。時計回りで敵の後背をつくべきです」
「それまでに味方の大半がやられてしまう。敵の方が優位な状態に立っている以上、より短時間で敵に正面を向けられるよう動くべきだ」
「しかし」
「ここは士官学校のシミュレーション室ではない。下がれ」
リンチが議論を打ち切るように、視線を艦橋正面のスクリーンに視線を戻すのを見て、ヤンは何も言わず敬礼して自分の席に戻った。これ以上言っても司令官は聞く耳を持たないであろうし、ここで再度意見具申をして作戦が変更することにでもなれば、ヤンの目から見ても熟練した部隊ではないと分かる駐留艦隊ではさらに混乱してしまう。この際、司令官が冷静さと戦意を著しく欠いているわけではない事が分かっただけでも、幕僚としては満足しておくべきだ。最もその前にエル・ファシル星系まで自分が生きて戻れるかどうか。
戦艦グメイヤは被弾しつつも戦闘可能状態で反転を果たした時、後衛に配置されていた直属戦隊の過半数は失われ、他の指揮下部隊も四割以上の被害を出していた。それでもどうにか部隊全体が反転を果たし、攻撃する態勢を見せたため、すでに三割近い損害を出している帝国軍側も一方的で乱雑な砲撃を停止し、ゆっくりと時間をかけつつ後退に移った。
今度は慎重に部隊を再編制しつつエル・ファシル星系に帰投した残存部隊は三五〇隻、兵員八万五〇〇〇人を数えていた。損害が大きく部隊内における士気の低下も随所で見られるものの、それなりに秩序が維持されているという点で、行政府も民間もそして軍・艦隊要員自身も安堵していた。ただ敵の残存部隊も七〇〇隻を数え、こちらの倍以上。それだけの戦力でエル・ファシル攻撃を企図するとはまず考えられないが、早急に増援が必要であることは、ヤンに限らずエル・ファシルにある全ての人間が理解していた。
しかし、周辺星域の情勢はそれを許さなかった。
エル・ファシル星域と同様の同盟外縁部のダゴン星域において、ラザール=ロボス中将率いる同盟軍第三艦隊がほぼ同数規模の帝国軍に優勢な状況で勝利した。ただし帝国艦隊も壊滅したわけではなく、未だ五〇〇〇隻以上の戦闘可能艦艇を有しており、彼らは惨めな敗北を糊塗するためにも勝利を欲していた。彼らはイゼルローン要塞への帰路途中、エル・ファシルとアスターテの両星域をめぐる小競り合いで帝国側が優位になっている状況を確認すると、『駐留部隊からの増援要請を受けて』比較的損傷の少ない三五〇〇隻を艦隊より分離し、エル・ファシル星域を『叛乱軍の魔手から解放しよう』と図った。
それを感知したのはドーリア星域軍管区テルモピュライ星系の哨戒部隊であり、エルゴン星域軍管区を通じてエル・ファシル星域に連絡が着いた時には、エル・ファシル星域外縁部の跳躍宙点に無数の帝国軍艦影が姿を現していたのだった……
「ヤン中尉。エル・ファシル行政府から軍管区司令部に、民間人の脱出計画の立案と遂行の依頼があった」
「はぁ……」
「今、司令部が防衛計画にかかりっきりになっているのは貴官の目にも明らかだろう。皆、手がふさがっているんだ。新任でここに配属されたのは運が悪いとは思うが、貴官に民間人脱出計画の指揮を執ってもらう」
「……了解しました」
命令を持ってきたパーカスト大尉の言葉とは裏腹の、『面倒なことはごく潰しに任せればいい』といった表情に、ヤンは敬礼しながら心の底から溜息をついた。ツイてないといえばツイてない。が、襲い掛かってくる一〇倍以上の敵と戦うのは無謀以外の何物でもない。司令部の防衛計画がすぐに脱出計画に変更されるに違いないが、とりあえず早急に民間人脱出において船舶の手配などを纏めておくようにという内示と考え、ヤンはらしくもなく勤勉に行動を始めた。
エル・ファシル星系の人口は約三〇〇万人。エル・ファシル星域全体では五〇〇万人になる。幸い星域内の他の星系に帝国軍が向かったという情報は届いておらず、星域最大の要衝エル・ファシル星系に照準を合わせて帝国軍も戦力を集中しているのは司令部の分析からも間違いない。故にヤンとしてはエル・ファシル星系のみの脱出計画を練り、残りの星系に関しては事前に状況を伝え、各星系の駐留部隊に脱出計画を練ってもらうしかない。そこまでこちらが計画する権限はないと、ヤンは判断した。正直言えば一つの星系だけで手間取るのに、星域管区にある残り一〇個の星系にも同じことはしていられない。
まず三〇〇万人について行政府に住民人口等のデータを。次に現在エル・ファシル星系内に停泊している民間船舶―貨物船やタンカーなども含めて―の確認とその一時的な強制収用手続きを。そして脱出コースの検討。とても一人ではできる仕事量ではないので、軍港管理部や補給管理部から何人か融通してもらい、宇宙港の小会議室を借り、そこに行政府側の担当者及び航宙企業の運用部門担当者と共に計画を練る。
「食糧輸送船やタンカーにも住民を乗せるのですか?」
「持ち運びできる一人当たりの荷物重量が二〇キロではとても足りませんよ!」
「押し寄せている民衆が宇宙港だけでなく軍用宇宙港への立ち入り許可を求めています」
次々と下士官や兵士達がヤンに問題を押し付けてくる。誰かに助けを求めたくても、現在脱出計画の指揮官はヤン自身である。部下というより協力者のようなチームの各員に対応を任せるのもヤンの権限であり責任だった。
こうなったら出来ないことは出来る人に任せる。ただし責任は自分がとる。はっきりとそう割り切ったヤンは問題を全てチームの中の担当者と思しき人物たちに任せ、自分は彼らから集められる報告と、彼らが手に余ると判断した問題を解決することだけに集中した。それでも寄せられる問題は多い。特に民間人と軍人の間に発生するトラブルが特に。
さすがに計画のトップがこれから逃げるわけにはいかない。軍人や行政府役人達は、脱出計画自体の細部を詰めるために労力を割いているため、民間人の不安の解消というほとんど解決することができない問題に関与する暇はない。ヤンは脱出コースの検討書類だけ端末で持ちながら、宇宙港へと向かった。
「君が……脱出計画の責任者なのかね?」
「はぁ、まぁ……そうなります」
明らかに失望を禁じ得ない民間人側協力者達の顔つきを前に頭を掻きながらヤンは応えた。
「ですが、ご安心ください。船舶の調達は順調です。誰一人残すことなくエル・ファシルを脱出することはできるでしょう」
「……それは、本当かね?」
やや若さが残るが、知識と知性を感じさせる協力者の一人の医師がヤンに問うた。勿論ヤンには完全な自信があるわけではないし、成功の見込みなど逆に保証してもらいたいくらいだ。
だが、そんなことを言っても仕方がない。正面に立つ医師はともかく、他の協力者のヤンを見る目は厳しい。中尉という階級の低さから、軍が真剣に脱出計画に携わるつもりがないと勘繰られるのは無理ないことだが、非協力的になられては元も子もないのだ。裏打ちに値する実績がないのは……まぁどうしようもない。
「ええ。大丈夫です。ですから皆さんも落ち着いて鷹揚に整然と行動してください。もし不安に思っている人が近くにいたら、傍によって勇気づけてあげてください。困っている人が居たら手を差し伸べてあげてください。お願いします」
ヤンは深く頭を下げた。頭を下げて何とかなるなら、いくらでも下げよう。士官学校で話の分かる先輩が言っていたではないか。好き嫌いで逃げることなく、なるべく手を抜かずに努力せよと。気持ちが通じたわけでもないが、協力者たちは戸惑いの表情を浮かべ、お互いの顔を見合わせる。その中で最初に口を開いたのは、やはり若い医師だった。
「わかりました。ヤン中尉、でしたな。私達にできることがあれば遠慮なく言ってください」
「ありがとうございます。ドクター……」
「ロムスキーです。総合中央病院の救急センターに務めてます」
「よろしくお願いします。ロムスキー先生、他の医師の方と連絡は取れてますか?」
「なにぶん、この混乱状況です。今どこにいるかどうか……」
「これから宇宙港全体に放送を掛けます。ロビーの数か所に野戦病院を開設しますので医師の方にはご協力を頂きたいのです。移動にはカートを使って構いません。最優先です」
「わかりました。お任せいただきたい。中尉が脱出計画に専念できるよう、我々も軍の指示に従います」
ギュッとヤンの手を握るロムスキーの握力に、ヤンは一瞬たじろいたが痛がるわけにもいかない。そのロムスキー医師に促されたように他の協力者たちも次々と握手し、それぞれ若干の不安の表情を浮かべつつも協力を約束する。
彼ら協力者一団が離れた後、ヤンは宇宙港ロビーでのけんかの仲裁、大気圏外シャトルの運航計画の承認、軍事物資と行政府保管物資の放出についての手続き、及び民間病院の医療品物資統制を指示したのち、朝配給されたサンドイッチを持って一人ロビーの片隅にあるカウンターに向かった。袋を開くとかなり変形して中身がこぼれかかっているサンドイッチが、捕食者に対して不必要な虐待をしたことを無言で抗議していた。その一つを口に放り込むとヤンは民間宇宙港ターミナルロビーの高い天井を見上げる。
三〇〇〇隻対三五〇隻。まともに艦隊決戦を行うなど自殺行為以外のなにものでもない。増援と言っても、エル・ファシル星域内にあるのは他の有人星系の警備部隊で、あわせても三〇〇隻に満たない。大規模に纏まった戦力と言えば後方のエルゴン星域しかないだろう。それだって二〇〇〇隻前後だ。ダゴン星域で戦っている第三艦隊がすぐさま転進して来ない限り勝ち目はない。
にもかかわらず、リンチ司令官をはじめとした司令部は脱出計画についてヤンとこれまで一度も相談していないし、報告するよう促してきたことすらない。戦って勝てないのは誰でもわかっているのに何故か。その状況を納得できる結論にヤンは達し、少なくない衝撃からサンドイッチを喉に詰まらせた。
慌ててヤンは胸を叩き吐き出そうとするが、虐待に対するサンドイッチの恨みは深いらしく、適度に乾燥した薄い生地が喉に張り付いて余計苦しくなる。こんなところで中途半端に、しかもサンドイッチを喉に詰まらせて死ぬのか……小さな闇が見えた時、ヤンの目にコーヒーの入った紙コップが差し出された。慌ててそれを手に取り、一気に喉へ流し込む。コーヒーと共にサンドイッチが強制的に胃に流れ込んだことを感じると、肩を落として二度深呼吸し……不思議そうな目でこちらを見つめる少女を確認した。
「助かった。ありがとう。ミス……」
「グリーンヒル。フレデリカ=グリーンヒルです。フレデリカって呼んでください。中尉さん」
「……」
金褐色の美しい髪をした美少女に救われた気恥ずかしさから、ヤンは思わず紙コップを握りしめた。その行動にフレデリカと名乗った美少女の眉が一瞬寄ったが、それを認識するほど気持ちに余裕がなかったヤンは、思わず本音を漏らした。
「コーヒーは嫌いだから、紅茶にしてくれた方が良かった……」
「……」
「え、あ、ごめんごめん。助けてくれたのに失礼だった」
「いいんです。中尉さん。見てましたけど本当に忙しそうですもの。一生懸命お仕事されてるのはわかってますから。でも食事はゆっくり、ちゃんととってくださいね?」
「ありがとう。ミス=グリーンヒル」
「フレデリカ、です。また時間があったら持ってきてあげますね。中尉さんはアイスとホット、どっちがいいですか?」
「……ホットで」
ヤンは小鳥のように手を振って去っていくフレデリカの姿に、自分はそうじゃないと言い聞かせつつ、何となく背筋が寒くなるような感じを覚えた。彼女の命運も、自分の手の内にあるという恐ろしさを。それゆえに確認しなくてはならないことをヤンははっきりと認識できた。リンチ司令官とはそれほど長い付き合いでもなく、それほど親しい上官でもない。司令官と一幕僚。ただそれだけの関係ゆえに、リンチ司令官がどういう気持ちなのか。直接聞く以外に方法はないだろう。幸い理由はある。
脱出計画の概要をまとめ司令部に出頭したヤンは、忙しく動き回る司令部要員と、司令室の片隅に頭を寄せ合って話し合っているリンチ司令官以下の幕僚の姿を見た。スクリーンには数少ない偵察衛星や哨戒艦からの情報が映し出されている。確認されている帝国艦隊は四〇〇〇隻に達しているようだった。
「司令官閣下。民間人の脱出計画ができたので、ご覧いただきたいのですが?」
ヤンの報告に、幕僚の一人が視線を向ける。その動きによって気が付いたのか、リンチは首を廻してヤンを見た。
「何の用だ?」
「行政府より依頼されていた脱出計画ができましたので、ご覧いただきたいのですが?」
「わかった。後で目を通す。デスクにおいて置け」
リンチは何も置いていないデスクを指差す。興味がない、というより端から司令官の頭に民間人の脱出計画は入っていない。そう感じ取ったヤンはデスクの上に計画書を置いてリンチの背中に向けて敬礼する。答礼はもちろんない。だがヤンが振り返って司令室を出ようとした時、その背中からリンチが声をかけた。再びヤンが振り返ると、リンチは視線をヤンに向けることなく続けた。
「ヤン中尉。民間人は全員船に乗れるんだな?」
「はい、閣下。一人残らず」
「よし。ご苦労だった。ハイネセンまでの民間船の指揮も引き続き貴官に任せる。うまくやれ」
そういうと再びリンチは幕僚達と話し合いを続ける。もうないな、と判断したヤンは司令室を後にし、宇宙港に作った会議室へと戻った。
間違いなく、とまでは言い切れない。だが司令官の頭には脱出船団を護衛するつもりが毛頭ない、というのは理解できた。民間船団を逃がすために戦うか、それとも民間船団を囮にして自身が逃亡するか。それともただひたすら保身のために逃げ出すか。自由惑星同盟軍創設以来の輝かしい歴史の中にも、民間人を犠牲にした汚点がないわけではない。逃がすために戦うなら、脱出計画の発動時刻を問い質すなり指示するはずだ。ということは。
「最悪に近いが、最悪ではない」
ヤンは独白すると決断せざるを得なかった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
閑話2 エル・ファシルにて その2
前書き
前回の続きになります。
ヤン視点というのはJr視点とは全く違うので、相当悩みました。
宇宙暦七八八年八月 エル・ファシル星域 エル・ファシル星系
脱出計画について、実行する手段についてのめどは完全に立っている。必要なのは適切な脱出のタイミングだけだ。ヤンは一睡もせず民間宇宙港の小会議室でじっとある報告を待っていた。それが届いたのは夜が明けてすぐのことだった。
「間違いありません。昨夜から夜明け前にかけて補給廠より軍用宇宙港の貨物ターミナルへ、大規模に物資が移動しています」
警部補の階級章を付けた治安警察官の一人がヤンに耳打ちした。
「仰られた際にはまさかとは思いました。やはり軍司令部は我々を見捨てるようですね」
「私もいちおう、その軍司令部の一人なんだけどねぇ」
憤る警察官の言葉に、ヤンは頭を掻きながら応じた。どう答えていいかわからないといった表情の警察官をよそに、ヤンの頭の中はフル回転している。
軍司令部が民間人を見捨てると決めたのは間違いない。だが三五〇隻全てが一丸となって行動するか、それとも分散して逃げ出すか。それによって話は変わる。
脱出作戦の骨子は、護衛を放棄した艦隊を囮にして、太陽風に乗りレーダー透過装置を作動させず、隕石群を装って悠々と逃げ出すことだ。一丸となって逃げるのであれば、それに対して惑星を挟んで反対側から脱出すればいい。だが蜘蛛の子を散らすように逃げ出した場合はどうするか。不用意に帝国軍の索敵範囲の拡大を招き、船団への接近を許すことになりはしないか。
ヤンは警察官に軍司令部が脱出した場合は、民間人がパニックにならないよう、各船へ民間人乗船の誘導準備を整えることを指示して、一人管制塔へとむかった。管制塔では民間宇宙港の施設要員と管制官が缶詰になって準備を進めている。管制は惑星周辺の運航も含まれるので、軍の索敵設備を介せず、狭いとはいえ周辺宙域の状況把握が可能だ。
「軍艦の配備状況を教えてくれ」
ヤンからそう頼まれた管制官は、この糞忙しいと時に余計な仕事を増やした若造を怒鳴ろうと思ったが、いつになく真剣な表情のヤンの顔を見て、幾つかのレーダー情報をリンクさせ、簡単なホログラフを作り上げた。まだ識別装置が作動している状況なので、どこにどの艦がいるかはっきりとわかる。集団は九個。一番大きな集団は五〇隻程度で、その中心に戦艦グメイヤが確認できる。他の八つの集団には戦艦は配備されず、数も三〇隻前後。全体を見ればグメイヤのいる集団を中心とした球形陣にちかい。
「なるほど」
昨晩司令部で見た限り、帝国軍の布陣はこの惑星を目標としつつも、基本的には鶴翼の陣形をしていた。四〇〇〇隻とは実に微妙な数で、一惑星への攻撃戦力としては充分だが、惑星全体を覆いつくすような包囲を施せるほどの数ではない。後の先、というだろうか。同盟軍の動きに応じて戦力を運用するつもりだ。帝国軍の指揮官が誰だかはわからないが、極めて常識的な戦理に則っている。
それに対しリンチ司令が指示した陣形は集団毎の分散逃亡を企図しているのだろう。ある一定の距離までは集団で行動し、帝国軍に捕捉された時点で打ち上げ花火のように集団を分散させ、帝国軍の包囲網を機動力で食い破ろうという作戦だ。
作戦としては悪くない。四〇〇〇隻の帝国艦隊が分散した同盟艦隊を各個撃破するにしても、全てを捕捉・撃滅するのは難しいだろう。ヤンの直観では二つないし三つの集団は安全な後方へと逃げ切れる。戦艦や重装艦とそれ以外の艦艇が別集団というのも、移動速度を考慮に入れた判断だろう。そしてレーダー透過装置もなければ船速も不揃いな民間船舶は、この作戦の足を引っ張る最も邪魔な存在だ。
「ありがとう。よくわかった」
ヤンは管制官に礼を言うと、宇宙港のロビーへと戻る。日差しがゆっくりと差し込み、ロビーの床に腰を下ろし休んでいた人達が目を覚ます。緊張感から寝ていない人もいるが、最初の一夜が明けて狂騒はわずかなりとはいえ収まりを見せている。寝ている人を避けながらヤンは、滑走路が一望できるコーナーまで来て肩を預けた。眼下では民間人の荷物や食料物資を貨物シャトル積み込む作業が続いている。
「中尉さん」
ヤンが振り返ると、そこには両手に紙コップを持ったフレデリカ嬢が立っていた。
「ご注文通り、ホットティーです。どうぞ」
「あぁ、ありがとう。ミス・グリーンヒル」
「フレデリカでいいんですよ。中尉さん」
首をかしげる少女に、ヤンは苦笑して肩を竦めた。湯気を上げるホットティーは、宇宙港のキオスクで販売されている品ではあったが、いつもよりはるかに美味く感じられた。
「フレデリカさん、ご家族は?」
胃が温まり人心地ついたヤンは、自分の隣で同じように紅茶を飲む少女に問いかけた。明らかに生活苦とは無縁の、それでいて自己主張しない上品なジャケットとパンツルックから、ヤンはそれなりの地位にある人の家族だろうと推測してはいた。
「母の実家がここなんです。療養もかねて短期の里帰りだったんですけど」
「お母様は大丈夫なのかい?」
「ロムスキー先生がすぐに診察してくれて。今は大丈夫です。先生、中尉さんのこと褒めてらっしゃいました。危機的状況下にあるにもかかわらず民間人の医療体制を最優先で構築してくれた、若いのに頼りになる軍人さんですって」
「は、はははは……」
ロムスキー医師に特に配慮したわけではないが、結果としてフレデリカの母親を手助けしたことになり、ヤンは少し落ち着かなかった。それをごまかすようにヤンは、フレデリカに他の民間人の健康状態や食料の配給状況、心理状態などを次々と問いかけると、フレデリカも立て板に水を流すように整然としかも簡潔に応えた。ややパニック気味の行政官や、もとから軍自体に反発心のある治安警察、階級の低いヤンに対して若干反感を抱いている熟練下士官達よりも、その答えには説得力があり且つ現実的だった。
「中尉さん。恐らく民間人の皆さんは脱出計画について、いつ出発かということに一番関心を抱いていると思います」
フレデリカはヘイゼルの大きな瞳を、ヤンに向けてはっきりと言った。
「帝国軍は相当な戦力でこっちに向かってきているんですよね? 包囲されちゃうより前に脱出したほうがいいんじゃないかなと、思うんですけど」
「時期を待っているんだ。正直私にもわからないし、いつ出発するとも言い切れない」
わかってて質問するんだから、この子の肝っ玉は相当太いんだなぁ、と妙なことにヤンは感心しつつ応えた。
「だけどそう遠くないのは確かだよ」
「軍事機密なんですか?」
「うん。まぁそうだね。機密というよりは、条件が整うのを待っている。条件が整えば、すぐにでも出発するつもりなんだ」
手ごわいジャーナリストだなぁと笑みを浮かべると、フレデリカも笑顔で応える。なるほど年の少し離れた妹がいるというのは、こういう気持ちになるんだなとヤンは胸の内で理解した。だがそれもガラスを振動させるほどの爆音で一気に吹き飛んだ。ヤンのフレデリカの、そしてロビーにいる官民全ての視線が滑走路の向こうに見える軍用宇宙港の方へと視線を向けられる。そこには白い雲を引きながらまっしぐらに天空へと飛び立っていくシャトルの群れがあった。そのシャトルの胴体には、赤白青の横分割三色旗に五角形の軍章が書き込まれている。
「あれは……軍のシャトル……」
少なくない衝撃にフレデリカの声は震えていた。すぐに一人の少尉がヤンの下に駆け寄り、リンチと指揮下将兵の脱出を告げる。その声が聞こえたのか、ヤンはフレデリカの視線が自分に向けられたことを、目ではなく肌で感じ取った。予想よりも若干早いが、それだけリンチ司令官も焦っていたということだろう。ヤンはフレデリカの僅かに震える細い肩を二度叩き、自分でもできうる限りの陽気さを含めて言った。
「これで条件が整ったよ。じゃあ出発しようか、フレデリカ」
その後、血相を変えて集まってきた民間人協力者の一団に、ヤンは司令官を囮にしたことを告げ、速やかに手荷物のみ持って、割り振られた船への乗船を急がせた。その後も行政官集団や治安警察が次々とヤンを責め立てたが、それに対してもヤンは平然と対応した。それゆえか、乗船は予想よりもはるかにスムーズに進行し、六時間後には脱出船団への乗船が終了し、ヤンは旗艦に指定したサンタクルス・ライン社の七〇〇万トン級大型貨客船シースター・サファイアの艦橋に臨時の司令部を設けるに至った。船団総数七六六隻。エル・ファシル星系に投錨していた全ての民間船舶のうち、恒星間航行能力と与圧・与重力機能を有する全ての船が同行する。
「本当にレーダー透過装置を作動させなくてよいのですか?」
席をヤンに譲ったシースター・サファイアの船長が、頭の後ろで手を組みぼんやりとした表情で無人となった宇宙管制センターから送られてくる情報を眺めているヤンの傍で囁いた。サンタクルス・ライン社の辺境航路用としては最大の貨客船であるシースター・サファイアには、海賊対処用としての軽武装とレーダー透過装置が標準装備されている。
それゆえに万が一交戦となった場合ヤンはこの船を、他の船を逃がす時間を稼ぐ盾として使うつもりであった。その為に旗艦にしたわけだが、船長としてはせっかくの装備を使わずにいるのが不満のようだった。
「大丈夫ですよ。敵の目は司令官閣下の部隊に集中しています。レーダー透過装置を作動させてしまうと、この近くに潜んでいる帝国軍の哨戒艦に逆探知される可能性が極めて高いです」
「しかしこの船は私が言うのもなんですがかなり大きく、二万三〇〇〇人もの乗客が乗船されています。発見されてしまっては……」
他の船にはそういった装備はない。発見された時に自分達だけ作動させていれば、他の船を犠牲にしても逃げられるのではないか。船長の内心を読み取ったヤンは心底呆れ果てたが、人間の本性は動物である以上自己保身であり、自己犠牲ではないのだと自らに言い聞かせて、努めて冷静に応えた。
「どんなに偽装を凝らしても、いずれ帝国軍には発見されるでしょう。ですがその時にレーダー透過装置を稼働させては、自らが人工物であると主張してしまうことになります」
「はぁ……そういうものですか……」
「生き残るためです。その為に透過装置は作動させない。船長申し訳ないですが、部下の皆さんにもそれを徹底させてください」
「了解しました」
不承不承の体で敬礼する船長に、ヤンは小さく答礼した後、再び管制センターからの情報を見つめた。最大出力でレーダー透過装置を作動させている駐留艦隊は一時間前に出港しており、僅かにパッシブで確認できる進行方向もエルゴン星域管区への最短コースを取っているように見える。包囲網が完成される前に振り切ってしまおうというものだろう。跳躍可能な星系外縁部に到達すれば、逃げ切れる可能性は充分ある。
だがあまりにも直線的すぎる動きは、帝国軍の哨戒艦の注意をひくに十分だし、帝国軍が逃走阻止のために配置を変更するのも難しくないだろう。透過装置への過信とその利用に対する固定概念は帝国も同盟も関係ない。思い出せば、同期の首席に戦略シミュレーションで勝ち続けられたのも、彼の先入観を操作できたからではないか。最初の一勝は正面決戦に固執させ、次に補給線を必要以上に意識させ、そして自分と対戦するに際して受動的な心理状態へと追い込んだ。今回のような脱出作戦は二度とやりたくはないが、士官学校時代の経験と訓練は、充分に教訓として有効だった。
帝国の哨戒艦が同盟艦隊の移動を確認するのに一時間。その進行方向に対して兵力を移動する位置の指示を出し、陣形を崩して移動態勢に入るのに三〇分。艦隊同士がそれぞれの艦の持つ索敵範囲に相互を確認するようになるまでは約六時間。帝国軍の指揮官がよくいる艦隊決戦主義者であれば言うことはない。ヤンは決断した。
「出航しましょう。各船に航法コンピューターのシナリオC九回路を開くよう指示を。惑星エル・ファシル重力圏を出てからは、変針宙点まで各船航法測距以外での通信・発振を禁止」
命令はシースター・サファイアより脱出船全てに伝達され、船団は軍艦と比べてはるかにゆっくりとした速度で惑星エル・ファシルの衛星軌道上から移動を開始する。衛星軌道からまずは内惑星軌道へ、事前に天文台のデータで確認した周期運動する短周期彗星の軌道に乗って一路恒星へ向かう。そこで非周期彗星の軌道に変針後、最大船団速度まで加速した上での恒星を利用した加速スイングバイで、一気に外惑星軌道から跳躍可能な外縁部へといっさんに軌道上を突き進んだ。
船団は帝国軍の哨戒網に一度ならず引っ掛かった。だが内惑星軌道上においてはその軌道が理に則った彗星軌道であることと、レーダー透過装置など人為性を感じさせないことから自然の隕石団であると判断し、意図的に見逃した。加速スイングバイ後の外惑星軌道上では、不審に思っても既に軍艦では追跡不能なまでの速度に達しており、まず民間船が出せる速度ではないと判断して、追跡指示は撤回された。
そして外縁部に到着した脱出船団は恒星間跳躍へと移行し、若干通常から離れた航路を進み、同盟軍の安全勢力圏であるエルゴン星域へ向かうことになる。
エル・ファシル星系を出てからエルゴン星域に到達するまで、実際ヤンは何もすることがなかった。星系内に集中していた帝国艦隊の指揮官は、極めて常識的らしく星域内の他の星系に食指を伸ばすことをしなかった。恒星間跳躍航行を繰り返している状況下では、むしろ同盟領内の航路情報を有している宇宙海賊の方が危険だが、帝国軍との係争地域に好んで宇宙海賊が出てくるわけがない。
結果としてヤンは脱出成功に安堵した民間人達の掌返しに近い賞賛と歓待を受ける羽目になったが、それもヤンが迷惑そうに頭を掻くのを見たフレデリカと、その相談を受けたロムスキーら民間協力者の代表達によって下火となった。もはや決死の脱出というよりは集団移民という状況にまで雰囲気が落ち着いてしまった為、ヤンは艦橋に二四時間詰める必要もなくなり、フレデリカの入れた紅茶を飲みつつ、六時間おきに開かれる連絡会議に顔を出すだけになっていた。
むしろヤンに浴びせられる暴風雨は、エルゴン星域に脱出船団が到着してから始まった。
脱出船団がエル・ファシル星系を出発して五日と一一時間かけてエルゴン星域の境界星系であるナトゥラ星系に進入を果たした時、それを出迎えたのはU字陣を形成し砲撃態勢を整えたエルゴン星域の星間巡視隊の一つだった。帝国軍の侵攻を警戒し、外縁跳躍宙点の監視をしていた星間巡視隊が、未確認の八〇〇近い重力ひずみを確認すればその反応も無理はない。だが跳躍してきた船がすべて民間船であったことには戸惑った。あわただしく通信が交わされ、ヤンと巡視隊司令の間で情報交換がなされ、その双方に衝撃を与えた。
エルゴン星域には二日前、エル・ファシル星域駐留艦隊の一部が生還を果たしていた。数は三〇隻に満たず、そのいずれもが大なり小なり損傷を負っていた。エル・ファシル星系内で捕捉された駐留艦隊三五〇隻は、ほぼ全軍で待ち構えていた帝国軍の半包囲下に置かれ、分散離脱を試みほとんどで失敗した。
帝国軍の指揮官はリンチが脱出を企図していること、それが分散離脱であることを完全に把握しており、艦隊を一〇〇〇隻の主力部隊と三〇〇隻程度の小集団に編成し、分散離脱を仕掛けたタイミングで各個撃破と広範追撃戦を展開した。兵力の絶対数において一〇倍であるので、分散離脱は自然と逃散と変化し、各艦はそれぞれに生存の道を探らざるを得なくなった。
そうやって生還した艦の乗組員から民間脱出船団が惑星エル・ファシルからの脱出に「失敗」したこと、民間人の脱出は絶望的であることを告げられ、それから二日間軍艦以外の船がエル・ファシル星域から来なかったことから事実であると判断していた。脱出船団を指揮していたのが二一歳のうだつの上がらない中尉であることも事実を補強する理由として十分だった。
だが実際は脱出船団に一隻の脱落もなく、健康を悪くしていた高齢者数名が関連死した以外、死者を出すことなく無事に民間人の脱出は成功した。これから想定されるのは「保護すべき民間人を見捨てて軍隊が後方へ逃走した」という現実だった。報告は星間巡視隊からエルゴン星域軍管区司令部、そして統合作戦本部へともたらされ、軍首脳部はその不名誉極まる汚名を雪ぐにはどうすべきか頭を悩ませ、結果としてヤンを英雄として祭り上げる選択をしたのだった。
故にダゴン星域で勝利した第三艦隊を差し置いて、脱出船団は航路を最優先で進みハイネセンに到着。軍が総力を挙げて建設したほとんど街と言っていい仮設避難施設に民間人を上げ善据え膳で収容し、ヤンを「名誉ある同盟軍人」として持ち上げた。変則的な二階級特進、複数の名誉勲章、記者会見にインタビュー、政府や財界有力者との豪華なパーティーなど。名誉欲と虚栄心にキリの無い人間であれば天国のような、そんなものに無縁に近いヤンにとっては地獄のような二週間が続き……ヤンはとある上官の家へ夕食に招かれた。
「本当によくやってくれた。君のおかげで私は家族と再会できた。感謝している」
「はぁ……どうも」
メイプルヒルにある高級軍人用の官舎の一つでヤンは、自分を招いた上官……ドワイド=グリーンヒル少将に応えた。正確にはフレデリカとその母親から招待されたわけで、グリーンヒル少将自身に招かれたわけではないのだが、メイプルヒルという住所を聞いた時点で断るべきだったと内心で深く後悔していた。軍人の名前にあまり興味なさすぎる自分が一番悪いとは分かっていたが、それより頼りになる先輩達のうち、ハイネセンにいるキャゼルヌ中佐に相談すべきだったと。
だがヤンの内心を知ってか知らずか、グリーンヒルはいたって上機嫌だった。それはそうだろうなと、ヤンは察する。自分が出征している間、妻子が身を寄せていた故郷に帝国軍が侵攻したが、ほとんど奇跡的に脱出できた。自分の娘はその時の脱出指揮官を夕食に招待してほしいと、父親に珍しく強請るくらい良好な関係を築けている。直接ではないにしても軍人としては部下になるわけで、作り上げられた英雄とはいえこれからも私的な関係を維持できるとなれば、グリーンヒルの軍内における立場は補強されると言っていい。
それでもグリーンヒル夫人の料理は、散々味わされた高級ホテルのシェフの作品に比べ、はっきりと料理であると認識できるもので、ヤンとしては久しぶりの家庭の食事という感じで満足がいくものだった。お代わりなどすることなく一食分をじっくりと時間を掛けて平らげると、フレデリカの作ったというパンプディングをデザートに、グリーンヒルが先に切り出した。
「今回の脱出作戦。君は『司令官を囮にした』と公言しているが、これはどうしてだね?」
フレデリカが淹れた紅茶を片手に、グリーンヒルはヤンの目を見ながら言った。
「リンチ少将が君や民間人を見捨てて脱出したのは紛れもない事実だ。その不愉快な行動を利用したのも事実とはいえ、君が公言する必要はないのではないかな。何しろ私の妻子を含め三〇〇万人もの証人がいて、それぞれが報道や言伝でさかんに触れ回っているのだから」
「お答えします。それが事実であるからです」
グリーンヒルの言いたいことを察しつつ、ヤンは応えた。
「なにも私は犠牲なくエル・ファシルを脱出できたわけではありません。八万人近い駐留艦隊乗組員と三万人以上の後方要員を見捨てています」
「軍人が民間人を保護するために犠牲となるのは、民主主義国家の軍人として当然のことではないかね?」
「それが回避できる犠牲であるのならば、当然のことではありません」
少将を相手にこうも喧嘩を売るようなことを言ってもいいのだろうか、とヤンは思わないでもなかった。だが所詮少佐どまりの男という自他ともに認める自身の評価を考えれば、すでに少佐になっているのだからこれ以上の出世はそうそう見込めないし、望んでもいない。うまくすれば左遷され「戦史編纂室の編集員」にしてもらえるかもしれない。そう思うと自然とヤンは何となくだが元気が出てきた。しかし言われた側の衝撃は小さなものではなかった。カップをソーサーに戻し、パンプディングを二口ばかり口に運ぶと、グリーンヒルはヤンの顔をまじまじと見つめてから問うた。
「回避できる、ということは作戦によっては駐留艦隊も生還できた、ということかね?」
「ええ、まぁ」
「後学のためにぜひ教えてもらいたい。どういった作戦で駐留艦隊と民間船団双方を脱出させることができるのかね?」
「……すみません。これは小官の言い方が間違っておりました。駐留艦隊自体は犠牲になりますが、要員の生還は可能だ、という意味です」
「……駐留艦隊自体が犠牲となる、のか?」
「生還した駐留艦隊の要員の調書も取れているとは思いますが、リンチ司令官閣下の作戦は戦闘艦隊の脱出作戦としてはさほど間違っているとは思えませんでした」
それゆえに帝国軍の指揮官に行動を推測され、万全の迎撃態勢を整えることができた。帝国軍の最終目的はエル・ファシルの占領であろうが、その前に自軍の一〇分の一とはいえ駐留艦隊が出撃あるいは逃走するのを見逃すとは思えない。であれば、航続距離の長い戦艦と巡航艦の一〇隻ばかりを切り札として船団に同航させ、残り全てに幾つかの戦闘プログラムを事前に組んで無人で帝国軍に送り出せばよい。幸いというか、あらんかぎり掻き集めた故に船腹には余裕があった。三〇〇万人が三一一万人になっても問題はなかった。
「幕僚の一人として、リンチ司令官閣下にこの作戦を提案するべきでした。いくら民間人の脱出計画に傾注していたとはいえ、意見を出せなかったことは、自分が幕僚として問題であったと思います」
「そうか……いや貴官の言う通りかもしれないな……」
そういうとグリーンヒルはしばらく目を瞑った。
「実を言うと司令官のリンチ少将は私の知人でね……確かに細かいところに目が利くようなタイプではないが、勇敢で活力に富んだ指揮を執ることができる指揮官だったはずだ。それがなんで……」
「……」
「つまらない愚痴を言ったな……いや、ヤン少佐。今日は家族の我儘に付き合っていただいてありがとう」
手を伸ばすグリーンヒルの手を取り、ヤンは無言で握手した。家族としての感謝なのか、それとも別の意味が込められているのか。ヤンは正直判断しかねないまま、グリーンヒル夫人やフレデリカの見送りを受けて、グリーンヒル邸を後にした。
グリーンヒルが気を廻して手配してくれた無人タクシーの中で、ヤンは思った。軍の不名誉を覆い隠すために作られた英雄となり、どこに行くにもサイン攻め。品性の欠片もないイエロージャーナリズムと、聞いたこともない親族の出現。面倒なことこの上ない。英雄とはなんと因果な商売だろうか。せめてもの救いは、人を殺してではなく、人を救ったことが理由で得たものだから。
「しょせん英雄なんてどこにでもいるものさ。歯医者の治療台にはいない程度のものだろう」
ヤンはそう呟くとリクライニングを倒し、少佐となって引越しを余儀なくされた、広大で荷物の少ない官舎までの短い眠りにつくのだった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第48話 帰還
前書き
これでマーロヴィア編は終了になります。
次更新は一週間後で考えておりますが、執筆速度によっては大きく延びる可能性があります。
宇宙歴七八八年一一月 マーロヴィア星域メスラム星系
ひと段落。という表現が正しいのかはわからないが、「マーロヴィアの草刈り」における軍の戦場と後方での処理はほぼ終了した。
もはやルーチンワークと化した機雷処理事業と、経済産業庁主導の捕虜を活用した惑星メスラムの農鉱業セクター事業は、主にパルッキ女史の奮闘を持って順調に進んでいた。なにしろ世の中の関心はその九九%がエル・ファシルの英雄へと向けられており、ド辺境で細々と行っている軍官民三者による捕虜や収容者を使った共同事業など、当然見向きもされるものではなかったが、逆にそれが功を奏したといえる。
翻って経済産業庁以外のマーロヴィア行政府の混乱は尋常ではなかった。治安維持組織のトップが海賊と繋がっていた事実は、それ以前まで憶測にすぎなかったことが現実となっただけに過ぎないのだが、重い腰を上げた中央検察庁が特捜班一個中隊をわざわざ送り込み、行政府とその追認機関に過ぎない立法府の洗い上げを始めたからだ。これには当然のように軍管区憲兵隊が協力することになり、また当然のごとく爺様はその連絡官として俺を指名した。作戦が終わったにもかかわらず、忙しい日常は変わらない。
軍管区の戦力再整備は爺様とモンシャルマン大佐が進めていた。艦艇の補充はいっこうに進まないが、護衛船団方式の継続と作戦成功による航路の治安回復によって、そのシフトに余裕を持たせられるようになってきた。余裕があればそれを見逃す爺様ではない。カールセン中佐をはじめとした『偽ブラックバート』特務小戦隊を今度は教導部隊として、艦艇に対する再教育を担わせるようにした。中佐達はさんざん俺が痛めつけてきた鬱憤を晴らすかのように鍛えなおしているらしく、俺はしょっちゅう中佐に捕まり、猛獣の如き視線を浴びせられつつ成績評価を手伝わされている。
その中佐が捕らえたブラックバートの首領であるロバート=バーソンズ元准将は未だマーロヴィアの営倉に閉じ込められている。八〇代という年齢を考えて塩水マットレスベッドや家具類も用意された。実際のところはカールセン中佐に頼まれて俺が代理購入して差し入れしたものばかりなのだが、バーソンズ元准将はなぜか俺に恩義を感じたらしく、時折俺を小一時間拘束しては色々なことを教えてくれる。少数艦による奇襲戦のパターン、長期宇宙滞在における将兵のリラクゼーション方法、異常天体の戦術利用法などなど。任官したての頃、世話になった査閲部の日常が戻ってきたように思えた。
そんなこんなであっという間に二ヶ月が過ぎ、原作通りヤンが俺より早く少佐になって、エコニアの捕虜収容所で暴動があったという話がマーロヴィアに流れ着いたころ、軍管区司令部にハイネセンへの召喚命令が届いたのだった。
「悪いことをしておったのはジュニアとバグダッシュ大尉だけなんじゃが、司令部全員宛で召喚命令が来るとは思わなんだ」
爺様は相変わらず辛辣な皮肉っぽい冗談を舌に乗せて俺に飛ばしてくる。
「じゃが命令は命令じゃ。新司令部は来年の一月には発足させたいということで、仕事と並行して引継ぎの用意をせねばならん」
今は一一月で、ハイネセンからマーロヴィアまで一月以上はかかるから、早めに連絡してきたというのはわかる。だが今の司令部が編成されたのは一年と二ヵ月前。予定より早く「草刈り」は終わったが、「種蒔き」は始まったばかりだ。帝国軍によって司令部が壊滅したとか、特にひっ迫した外的要因がない限り、管区司令部は短くても二年の任期がある。司令官に任免権のある幕僚はその範疇ではないが、司令官である爺様までハイネセンに呼び戻されるのは、人事考課に関わった話であるとしか思えない。
爺様の言う通り「悪いこと」をしたと判断するのはあくまで統合作戦本部と国防委員会の人事考課部なので、「草刈り」作戦指揮官の最終責任者は爺様である以上、作戦が成功に終わったとしても問題があると判断されれば、当然ながら処罰される。
そういうことなのか、と何も言わず視線だけで爺様を見ると、意外とさばさばしている。
「予定より二年と半年早く帰れるわけじゃからな。女房孝行ができそうで何よりじゃわい」
「しかし、作戦自体に問題があったとすれば……」
「ジュニア。気にせんでいい。仮にそうだとしても作戦案にサインしたのは儂なんじゃからな」
年季の入った手で爺様は俺の肩を二度ばかり叩いた。軍歴四三年で鍛え上げられた爺様の剛直な精神が、掌を超えて俺に流れ込んできたような気がした。こういう器量を俺は爺様の歳になるまでに獲得できるかどうか。二度目の人生なのに、失敗ばかりしている俺としては些か自信がなかった。
とにかくどんな形であれマーロヴィアを去らなくてはならないとなれば、事業の補強と後始末を急がねばならない。作戦報告書の取り纏めだけでなく、小惑星帯に残る機雷処理のマニュアル、海賊捕虜名簿の再チェック、作戦後残余となった艦艇・物資のリスト作成など。だいたいコクラン大尉が主体となって、俺とバグダッシュが協力して残務処理を行うことになった。
一二月を迎え、新任の軍管区司令官であるリバモア准将と幕僚達が次々とマーロヴィア星域メスラム星系へと着任してきた。いずれの顔にも不満の文字が浮かんでいる。年齢から推測して一〇年後に統合作戦本部の要職である人事部長にまでなるエリート軍官僚にしてみれば、中央を遠く離れたド辺境での勤務などしたくもないだろう。そしてこの人事も恐らくは某氏の差し金であろうとは推測できる。一体どうして某氏にそこまで関与できる権限があるというのか。
そして業務引継ぎと言ってもリバモア准将には次席幕僚という名の無駄飯ぐらいはいなかったので、俺はファイフェルと交代で爺様の補佐と、モンシャルマン大佐の代理として後継参謀長に共同事業の引継ぎを行い、司令部が引継ぎで顔を出せない部署に挨拶をして回った。
「そう、ハイネセンに戻るのね」
トルリアーニ逮捕の頃に比べ、中央から何故か続々とノンキャリ官僚が送られてきて、ずっと血色がよくなったパルッキ女史は、初めて会った時のように長い足を組んでソファに座って俺を迎えた。
「昨日よりは今日、今日よりは明日、この星域が経済成長しているのは実感できている。まずは良しとすべきでしょう」
「旧司令部としては行政府、特に経済産業庁の皆様にご協力いただいき、大変感謝しております。司令部は全面的に変わりますが、今後ともご協力のほどよろしくお願いいたします」
「経済産業庁としてはとにかく駐留戦力を増強してほしいとは思っているけど、あなたの無謀無茶極まる掃討作戦で海賊が一掃されたことには感謝しているのよ」
「そう言っていただけると、心理的に助かります」
賄賂というわけではないが、フェザーンから大事に持ってきた帝国産ウィスキーのミニチュアボトルを机の上に置くと、女史は「確かにボトルとは言ったけど……」と細い指を額に当ててぼやくと、組んでいた足をほどいて俺の顔をじっと見つめてから言った。
「軍人であるあなたに聞くのはおかしいとは思うけど、これからマーロヴィア星域が経済発展をしていく上で、次のステップアップになる産業は何だと思う?」
「即効性を求めるなら軍事産業でしょう。安い人件費というのは労働集約産業としては大きな魅力です。ですがそういうお答えを望んではいらっしゃらない」
「あなたも分かって言ってるのでしょう? 分野が広いとはいえ単一行政組織を下地にした経済は強靭性を著しく損ねるものよ」
「ええ。ですので軍事関連施設で製造可能な民間からも必要とされる物資・製品に絞ればよいかと。宇宙船舶の整備・部品の製造や船舶自体の建造。あとは長期保存食糧製造からはじめて最終的には人造蛋白製造プラントのような大規模プラントの製造でしょう」
俺の回答に、女史の視線はより細く鋭くなる。軍事産業の誘致は確かに大きな魅力で、今後も『大いに』需要が見込める。初期投資も第三セクター方式で軍が補助するので一から始めるよりは楽と言えば楽だ。しかし、宇宙船ドック自体の建造には莫大な投資以上に付随する専門性の高い重工業が必要となる。人造食料プラントなどは知識と技術と労力と資材の最大集約製品と言っていい。そしてそのいずれもが今のマーロヴィアにはない。そんなことは俺も女史もわかっている。
「あくまでも農鉱産資源に立地せよと?」
数秒の沈黙の後に女史は応え、俺は頷いた。
「経済発展は伸展の余地の大きさに担保されると小官は考えております。マーロヴィアは中央航路から離れておりますが、それは同時に帝国軍の脅威からも遠く離れているとも言えます」
「海賊さえ対処できれば、十分安全圏というわけね。」
「マーロヴィア星域はまだ先に多くの未開拓宙域があります。一〇〇年前、辺境開拓重要拠点に指定されて以降、まったく開発されていません」
「先立つモノがなかったでしょう。今の一番の問題は人口で……そういうこと」
「強制は無理でしょうが、食料と産業の芽があれば移住してもいいと思う物好きが、一%くらいいるんじゃないかと思います」
「約三万人、ね。現在の食料生産能力から考えればもう少し余裕があるわ」
あとはしっかりと海賊の発生を阻止すること。除草剤を蒔くレベルで掃討したつもりだから、リバモア准将がよほどのヘマをしない限り、一年程度は治安に余裕がある。それに綱紀粛正が行われた治安組織も失点を取り戻すために躍起になるだろう。文明の発展を陰から支えてきた『役人』というプロフェッショナルの意地とプライドを見せてもらいたい。言外の視線に納得した表情を浮かべた女史は、ソファから立ち上がり俺に手を差し伸べた。俺も立ち上がってその細い手を握りしめる。
「あなた方のマーロヴィアに対する絶大な献身に敬意を」
「ありがとうございます。長官閣下にはこれからもご苦労が絶えないと思いますが、どうかご壮健で」
「これでもキャリア官僚の端くれ。失敗と労苦は、成功への礎だと学んでいるつもりよ」
「ちなみに、どんな失敗をされたんです? ハイネセンで」
「……胸と服の隙間に手を突っ込んだ上司を後ろ回し蹴りで壁に叩きつけただけよ。腰骨折るくらいにねっ!」
そういうと女史は俺の手を潰さんばかりに握りしめるのだった。
◆
宇宙歴七八九年の新年は、タッシリ星域パラス星系で爺様達と一緒に迎えることになった。ヤンがエコニアからハイネセンに戻る際、二〇日以上かかったのと同じエラーに巻き込まれたわけで、こればっかりはしょうがない。
それからロフォーテン星域でかろうじてハイネセン行きの軍事直行便を確保し、ハイネセンに到着したのは一月一四日のことだった。爺様、モンシャルマン大佐、バグダッシュとコクラン大尉、それにファイフェルと全員一緒で統合作戦本部防衛部へ帰任の挨拶をしたのだが、バグダッシュとコクラン大尉は帰任の報告もそこそこに情報部と後方支援本部へ、爺様は宇宙艦隊司令部へと案内されていった。俺を含めた残りの三人には待命が指示され、手持無沙汰になった俺達は統合作戦本部四五階にあるカフェのBOX席を一つ占拠して、数日後を目途に爺様やバグダッシュ達のスケジュールを確認の上、慰労会を開こうということを決めた。
「バグダッシュ大尉とコクラン大尉は「重要レンタル品」だからな、本店も早く返却してほしかったのはわかる。問題はビュコック司令の方だ」
残念ながら栗毛の三つ編みではなかったが、同じくらい若い女性の給仕が持ってきたコーヒーにクリームを入れ慎重にかき回すモンシャルマン大佐は、俺とファイフェルだけに聞こえるような低く小さい声でそう言った。
「人事異動の季節だから仕方ないが、前任が防衛司令官なのに待命期間もなく宇宙艦隊司令部に急ぎ呼ばれるというのはあまりいい傾向ではない」
「ですが査問とか、そういうわけではないのでしょう?」
ファイフェルの質問にモンシャルマン大佐は小さく頷いたが、その顔色はさえない。
「罰するというわけではない。これは私の勝手な推測ではあるがビュコック司令は独立部隊の指揮官に任命されると思う」
「准将で独立部隊となると、一〇〇〇隻以下。恐らく六〇〇ないし七〇〇隻前後の機動集団というところでしょうか?」
俺が査閲部時代の記憶を基に応えると、大佐も先程と同じように小さく頷く。
「で、あれば問題というわけではないとは思いませんが?」
「……ボロディン大尉らしくないな。この時期に独立機動集団を新編成するとしたら、その目的地はどこになる?」
「あぁ……なるほど」
「もしかしてエル・ファシル星域への即時投入なんですか?」
「そうだ。ファイフェル中尉。そしてだ、ビュコック司令が機動集団の指揮官になられた場合、その幕僚は?」
「まさか私達なんですか?」
ハイネセンに戻ると分かってからというもの、顔色が飛躍的に良くなっていたファイフェルの声は完全に震えている。士官学校を卒業してすぐにマーロヴィアというド辺境、そして短期で頑固で皮肉屋で癖の強い上司という罰ゲームに近い赴任先からようやく逃れたというのにまたなのかという絶望感……原作を知る俺としてはスーパー勝ち組だと思うし、ファイフェルにとってはかなり理想の上司ではないかと俺は思うのだが。
「ビュコック司令と私は結構長い付き合いでね。あの方は上司として硬軟織り交ぜて人の能力を存分に引き出し活用することができる人だ。バグダッシュ・コクラン両大尉は専門分野におけるプロフェッショナルだが、ボロディン大尉もファイフェル中尉も、私が過去知っている司令の補佐役の中では最上位の部類。自分が部隊指揮官になった時、二人が待命状態であれば扱き……いや活躍できる場を作ろうと考えるだろう」
大佐の舌が本音を滑らせたのは間違いない。ビュコックの爺様もめんどくさがり屋ではないだろうが、自分の権威が人事部にどれだけ通用するかということはわかっているだろうし、直近で能力を把握している部下を継続して確保したいのは、上官としては当然のことだ。
「人事部から横やりがなければ参謀長は私か、あるいはオスマンという大佐だろうと思う。そういうわけで、二人にはなるべくハイネセンから離れないでおいてもらいたい。あのお方が短気なのは、十分マーロヴィアで学んだと思うがね」
「「了解しました。モンシャルマン大佐」」
俺とファイフェルは席から立ち上がり、大佐に敬礼すると大佐も完璧な答礼してから、俺達に背を向けてカフェの出口へと向かっていった。
恐らくその独立部隊は功績を上げて順次拡大され、将来の第五艦隊の基幹部隊となる。いよいよ俺も本格的に帝国軍と血で血を洗う戦場へでることになるのだ。空港でこっそり同送名簿を確認した時、同期四五三六名のうち、三二五名の名前が赤字に変わっていた。俺が三二六番目になるとも限らない。二期下のファイフェルはどう思っているのだろう。俺がファイフェルの方へ顔を向けると、ファイフェルの方も同じように俺を見ていた。
「……今の大佐の様子ですと、またご一緒できそうですね。よろしくお願いします」
「あぁ、話の分かる後輩がいるというのは、結構やりやすくていい」
「老人介護どころかこちらがカウンセリングしてもらいたいくらい元気な司令官ですから困ったものです」
「俺の口止め料は些か値が張るぞ」
俺はそう言うと、ファイフェルの右手をきつくシバキ上げるのだった。
統合作戦本部地下の駅で右手をブラつかせながら左手で荷物を引きずるファイフェルと別れ、俺は地下高速リニアを一回乗り継ぎ、最寄駅から約一キロの街路を進んだ。地球時代と変わらない欅が道の両側に植えられ、落葉してはいるが大きく枝を伸ばしたその姿は圧倒的だった。少将以上の高級軍人の家族が住む『ゴールデンブリッジ』街一二番地。俺はフェザーン出立以来二年半ぶりに戻ってきた。
社会システムが健全に作動しているというべきか、それとも高級軍人には特別な配慮が与えられるのか、どちらかはわからないが、街路にはゴミが一つも落ちてはおらず、消火栓には錆一つない。そんな冬の夕焼けに長く影を伸ばしている街灯の根元に、アントニナは立っていた。
フェザーンに出立する前には肩口までしかなかったストレートの金髪は腰よりも下まで伸び、顔を構成する部位からは幼さが駆逐されている。グレゴリー叔父そっくりの温和なようで切れ味のある鋭い眼差し、レーナ叔母さん譲りの女性としては平均より高い身長。ダウンジャケットの上からでもわかるメリハリの付いた上半身に、ぴっちりとしたジーンズに包まれた引き締まった長い足は一五歳のものとは思えない。
「兄ちゃん。お帰り」
「あぁ、ただいまアントニナ。もしかしてずっと待っててくれたのか?」
「まさか。キャゼルヌ中佐から一時間前にヴィジホンで連絡があったんだよ。統合作戦本部で捕まえようとしたのにいつの間にかいなくなってたって。もしかしたら女連れかもしれないから気を付けろとか言ってた」
「あの野郎……」
「そんな器用な真似ができるなら、マーロヴィアに左遷されるようなヘマはしません、て、僕が答えたら中佐爆笑してたよ」
若作りの要塞事務監が、俺を指差して腹を抱えて笑う姿が脳裏をよぎり、思わずF語が口に出る。それを見てアントニナは、わざとらしく眉をしかめつつも頬を緩ませ、俺から若干距離を取った。
「フェザーンで振られたからって心が荒んじゃった兄ちゃんのそんな姿は見たくなかったなぁ~」
「振られたわけじゃない! ていうか、なんでそんな話までアントニナが知っているんだ?」
「シトレの叔父さんが教えてくれた」
「……」
「ムチャクチャ怒ってたよ。少し白くなってきた頭から湯気が出そうだった」
いつの間にか俺の手からトランクをもぎ取り、家に向かって押し始めたアントニナが、僅かに顔を傾け、すっかり大人びた女性の流し目で俺を見た。
「言っておくけど、母さんも僕もイロナもムチャクチャ怒ってるんだからね。そこのところはき違えないように」
「あぁ、分かってる。心配かけたな」
そういうといつものように俺は、トランクを挟んでアントニナの頭の上を掻きむしってやった。そこで右肘の高さがいつの間にか胸の位置になったことに気が付いて、俺はようやく家族の元に戻ってきたと認識することができたのだった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第49話 オルタンス邸
前書き
ほんの少しだけですが、減速運転で進めていきます。
オルタンス邸で1話使うとは。
宇宙歴七八九年一月一八日 ハイネセン星域 ハイネセンポリス イリジウム四番街区
軍人になって初めて受ける待命指示というのは、それまで月月火水木金金だったのもあってかなんとなく手持無沙汰な感じがして、正直あまり気分がよくない。
長期休暇であれば給与は全額保証され、勤務地(今の俺はハイネセンになる)から旅程三日の距離であれば、人事部に申告せずともよく、それ以上の距離でも申請して承認されれば旅行に行っても構わない。短期休暇の場合は勤務地に一日内、公定休日(週一)の場合は半日内の旅行が許可される。
しかし待命指示というのはいつでも命令を受けたら速やかに出頭することが義務とされるもの。しかも給与は八割支給という存外ケチ。そして待命が二年に及んだ場合は自動的に予備役編入となる。そうそう簡単には働かなくても食っていけるというご身分になることはできない。
モンシャルマン大佐の言う通りなら直ぐにでも爺様からの呼び出しがあるものと思っていたが、どうやらそうでもなく俺は三日ほど暇を持て余し、結局グレゴリー叔父の家に居候して、妹達の面倒を見ることになった。キャゼルヌから自身の官舎に夕刻呼び出しを受けたのは、実にそんな微妙なタイミングだった。
軍服に着替えデパートに立ち寄った後、指定された住所を無人タクシーに入力して乗り込むこと二〇分で到着。意外と近いのは統合作戦本部勤務中級幹部用の独立家屋型官舎だからだろう。将来を嘱望される佐官クラスの既婚者向け故に、補佐する相手(つまり将官)の傍に居を構えるのは効率的に悪いことではない。歩くと少し時間はかかるが、たしかこの近くにコナリー大佐の家もあったはずだ。
「よう。元気そうで何よりだ」
玄関のベルを鳴らして出てきたキャゼルヌは、ニヤニヤと変な笑みを浮かべながら俺と右手で握手し、左腕に抱えているブランデーの箱を見て言った。
「そういう気を廻すところは相変わらず如才ないな。六年物か?」
「五年物のカルヴァドスですよ。媚びを売るなら実力者に売りたいですからね」
「ハンッ、よく言う」
キャゼルヌはそう言うと、俺から受け取ったカルヴァドスの箱に書かれた銘柄を一瞥した後、手招きで俺を家の中に導いた。通い妻から正式な婚約者、来月にはキャゼルヌ夫人になるオルタンスさんのキャゼルヌ宅への侵略状況は極めて深刻で、フェザーンに行く前イロナとお邪魔した時(この時は独身者向けの借家だったけど)には男の家に隠れてます状態だったが、今ではもうキャゼルヌの方が『週末の異邦人』に見えるようになっていた。そしてその実力者は、以前はリビングだったが今度はダイニングで、ディナーの準備を整えていた。
「いらっしゃい、ボロディンさん。妹さんはお元気?」
「お久しぶりです。オルタンスさん。さっきまで家庭教師をしてまして。散々な目に遭いましたよ」
オルタンスさんに軽く敬礼すると、俺はテーブルの上に並べられ芳香を漂わせる料理へと視線を向ける。鶏肉とベーコンのワイン煮込みがメインで、ライスサラダにキャロットラぺ。そしてクッペが二つずつ。ボロディン家は両親の血統からロシア系とポリネシア系の料理が主体だが、オルタンスさんはフランス系のオーソドックスな洋食が得意なのかもしれない。
「ボロディン家のお料理に比べれば、まだまだかもしれませんけど」
「とんでもない。この不肖の後輩に、これほどの手料理をふるまっていただけるなんて、正直感動しております」
「そうだぞ、オルタンス。コイツはフェザーンで美女と美食に溺れて失敗して、辺境に流されたクチd……ッツ」
「まぁ! これ『クール・ド・レオパルド』じゃありませんこと。あなた、ちゃんとボロディンさんにお礼したんですの?」
「……気が利くな、不肖の後輩」
「いえいえ」
鼻で笑おうとしたキャゼルヌの背中を、カルヴァドスを抱えたオルタンスさんが小さく抓ったのを、俺は見逃さなかった。オルタンスさんが俺に気を使ってくれたこと、そして言いたいことが分かるだけに、キャゼルヌも不承不承俺に礼を言った。やはり精神性では五歳年上のキャゼルヌも二歳年上の俺も、オルタンスさんに頭が上がらない。
そしてオルタンスさん特製のコックオーヴァンは、しっかりとした煮込み具合と、とろみ付けが絶品だった。恐らく来週あたりヤンとアッテンボローがここに来て食べる雉肉のシチューの美味さが明確に予感できて、たぶんキャゼルヌがいろいろ配慮してその場にいないことが分かるだけに、残念でならなかった。
食後、ダイニングからリビングに移動し、俺とキャゼルヌにコーヒーが供され、オルタンスさんはキッチンへと引き返していった。皿を流れる水の音を確認してから、キャゼルヌは俺の方へと視線を移した。
「さっきは悪かったな」
「事実ですから仕方ありません」
俺が苦笑して肩を竦めると、キャゼルヌは罰が悪そうに小さく頭を下げ、コーヒーを一口してから、真剣な表情で俺に向き合った。
「マーロヴィアでの活躍は後方勤務本部にいる同期から聞いている。エル・ファシルの英雄騒ぎで最近ではほとんど話題になっていないが、査閲部と法務部と憲兵隊の連中が色めき立っているらしい」
「法務部ですか。厄介ですね」
法務部から今後襲い掛かってくるであろう注文内容に思いをはせていると、キャゼルヌは首をかしげて俺を見て言った。
「査閲部の方が厄介じゃないのか?」
「私の初任地は査閲部ですので、なんで色めき立っているかはだいたいわかります」
「なるほどな。ではお前さんの今後について国防委員会と宇宙艦隊司令部が喧嘩を始めたというのは知ってるか?」
国防委員会ということはトリューニヒトが関わっている可能性が高い。国防委員会は軍政、統合作戦本部は軍令、宇宙艦隊司令部は実働をそれぞれ取り仕切る組織だ。マーロヴィア以来唾を付けたがっているトリューニヒトが国防委員会参事部に引き抜こうとして、早急にエル・ファシルを取り戻すための独立機動集団を編成したい宇宙艦隊司令部および統合作戦本部戦略部とぶつかったということか。この場合、国防委員会側の大将がトリューニヒトで、宇宙艦隊司令部側の大将がシトレであるのは容易に想像がつくし、キャゼルヌに喋ったのも腹黒親父なんだろう。だが
「喧嘩をするほど、私の価値が高いとは思わないんですがね?」
「シトレ中将閣下のお気に入りであるのは誰の目にも明らかなはずだと思うが?」
「それにトリューニヒト氏が手を伸ばしてきた、ということでしょう?」
「なんだ、わかってるんじゃないか」
「問題は正面切って宇宙艦隊司令部と喧嘩するできるほど、現在のトリューニヒト氏に権力というか影響力があるのかということです」
「……なるほど、お前さんが問題にしているのはそこか」
キャゼルヌはようやく納得したという表情で、腕を組んで頷いていた。
マーロヴィアにコクラン大尉を派遣するに際し、ロックウェル少将を説得する程度ならまだわかる。物資調達の為に後方勤務本部を動かしたり、軍部と検察の間を取り持つような口利きをするのも、能動的でタフな元警察出身の、国防委員の行動としては十分理解できる。
だが軍の、それも恐らくはシトレを中心とする宇宙艦隊司令部の半分と、エル・ファシルを早期に奪回したい統合作戦本部が、タッグを組んで作ろうとしている独立機動集団の内部人事に口を挟めるほどの権力をトリューニヒトが手にしているとは思えない。二・三年後には最高評議会の閣僚の席を手に入れるだろうとはいえ。
「そうか。マーロヴィアみたいなド田舎では、奴の最近の増長ぶりというか、羽振りの良さは実感できないか」
キャゼルヌの口調はプライベートの中だから口が緩くなったのか、清々しいまでにトリューニヒトに対する軽蔑で満ちていた。
「マーロヴィアでお前さんたちがブラックバートの親玉を捕まえただろう? あれが不味かった。」
トリューニヒトの仕切る記者会見はマーロヴィアの司令部で見ていた。確かに物事の裏を知らずあれだけ見ればトリューニヒトが『主導ないし中核的なフィクサーとなって』バーゾンズ元准将を拘束した、と誤解してもおかしくはない。
「ブラックバートに煮え湯を飲まされた連中は軍民問わず山ほどいる。それこそお前さんの叔父さんも含めてな。特に星間物流企業だ。奴自身繋がりがある軍需関連と近いし、資本力と影響力は同盟でも抜きんでている。奴はその力を吸収し自分の為に利用しようとしているんだ」
「……」
「軍もマーロヴィアの治安に問題を抱えているのはわかっていて、老練なビュコック准将を送り込んだ。准将が切り開いた道を別の人材で舗装すれば、時間がかかっても治安回復は可能だと見込んでいた。早急な司令部内の綱紀粛正を見れば、軍の構想は間違いではなかったんだが……」
司令部内の汚職で空いてしまった穴を、軍は早急に埋めることができなかった。情報部のフォローもあって提出された「草刈り」作戦において、軍は奴に付け入る隙を与えてしまった。そしてブラックバートの撃滅という明らかな大戦果。治安組織の長が拘束されたということも、行政の不始末というより綱紀粛正が適切に働いたと理解され、それはあの滑らかな弁舌によってトリューニヒトの功績と誤解された。
「軍内部にも奴の尻馬に乗りたい奴が大勢いる。特に後方や支援、軍政といった、実戦部隊側から軽く見られていた分野の連中に多い。かくいう俺も後方勤務側の人間だから、連中の気持ちも分からんでもない」
「……」
「あとはエル・ファシルの一件だ。ヤンの行動はもちろん賞されるべきだが、それでも駐留軍が民間人を見捨てて逃亡したことは間違いない。実際のところ民間人の軍に対する信用度は低下している」
「民間人からの信用度は、民主国家における権力の基盤、ということですか」
「お前さんやヤンが悪いというわけではない。だが残念なことに一議員の跳梁跋扈を許すほど、軍の体面は傷がついているし、積極性と影響力は低下してしまった。それでまぁ、お前さんの今後にケチが付いたってわけだ」
軍が行動に積極的になる、というのはあまりいい傾向ではない。今回のことも、帝国との開戦以来、そしておそらくイゼルローン要塞の築城以降攻撃選択権が帝国側に握られ、対応するために組織を巨大化してきた同盟軍の、新陳代謝能力の低下が顕著になってきたということだろう。
そして事は軍部の問題だけではない。原作で同盟側登場人物の多くが危惧している、民主政治全体の活力が低下していることの証左でもある。
「それで私の待命期間が延びているわけですね」
「たぶん今回は押し切れるだろう。ビュコック司令官も少将に昇進されたし、トリューニヒトの厚顔を苦々しく思っている軍人は統合作戦本部にも宇宙艦隊司令部にも多い。なにしろエル・ファシルに恒久的軍事基地を築かれる前に対処の必要があるからな」
「それなんですが、エル・ファシルへの制式艦隊の出動は考えていないのですか?」
「数が足りないんだ」
「……そうですか」
キャゼルヌの口調が一瞬変わったのは、俺に言えないことを知っているからだろう。
現在同盟に艦艇一万三〇〇〇隻を基準とする制式艦隊は第一から第一〇までの一〇個艦隊が整備されている。今のところ欠番がないのは、ここ一・二年で艦隊が消滅するような大敗を喫したことがないおかげだ。そして現在この一〇個艦隊を、前線配備・移動・整備・休養・移動の五つのローテーションで運用している。だいたい二個艦隊でペアを組んで運用するパターンだ。
エル・ファシル星系の帝国軍支配が長期化すれば、キャゼルヌの言う通り恒久的軍事基地が建設され、帝国軍の前線はより同盟側に深く切り込んでくることになる。それは国家の安全保障としては危険な状態だ。本来なら速やかに奪回に動く必要がある。エル・ファシルを襲った帝国艦隊は約四〇〇〇隻と言われているから、前線配備の二個艦隊二万六〇〇〇隻を動かせれば、奪回はそれほど難しい話とも思えない。
敢えてビュコックを少将に昇進させ、独立機動集団を編成させて奪回に動くというのは、効率が悪いことこの上ない。第一三艦隊誕生時のような制式艦隊三個がいっぺんに壊滅してしまうような大惨事があったわけでもないのに、あえて二〇〇〇隻ないし三〇〇〇隻の部隊を新編成するのはどういう意味か。つまりは制式艦隊を複数投入せざるを得ない大規模な作戦が計画されているということ。フェザーンから帝国軍出師の噂がない以上、そんな大それた作戦が展開される目的地は一つしかない。
「ビュコック司令官以外に、エル・ファシルに投入される戦力は決まっているんですか?」
俺の質問が微妙なところに突っ込んでくるものでなかったのが意外だったのか、キャゼルヌはカップに口を付けたまま片眉を上げて俺を見つめる。
「おそらく決まっているだろう。直接は聞いていないが、複数の独立部隊が編成されるらしい」
「五つか、六つ」
「まぁ、そんなところだろうな」
基本的に独立部隊とは、宇宙艦隊司令部直属で准将を司令官とし、戦力としては一〇〇〇隻以下の小集団を指す。制式艦隊の解散や再編の為に書類上編成されるものから、耐用年数が近く損傷もあって部隊運用として困難な艦艇の終の棲家というモノまで、存在する理由も経歴も部隊によって様々だ。
エル・ファシル星系はともかく、複数の星系を傘下に収める星域全体を支配するには最低でも二万隻は必要というのが常識だ。帝国軍はエル・ファシル星系と、後方のアスターテ星域との連絡線は確保しているようだが、エル・ファシル星域全体の制圧には取り掛かっていないらしい。まだ同盟側の勢力圏内にあるエル・ファシル星域の諸星系からの強行偵察によって、約三〇〇〇隻の帝国艦隊がエル・ファシル星系に駐留していることがそれを証明している。
そうなると奪回には少なくとも五〇〇〇隻は必要と考えられる。爺様の機動集団が基軸部隊となり、幾つかの独立部隊を巻き込んで臨時の小艦隊を編成するわけになる。俺の役割は作戦参謀というよりは他の独立部隊との協調・統制に関することが主体になる、かもしれない。
俺がそこまで考えているうちに、オルタンスさんが部屋に入ってきて、俺とキャゼルヌのコーヒーを入れなおしてくれる。会話が途切れたタイミングを見計らってきてくれるとしたら、流石としか言いようがない。頭が勝手に糖分を渇望しているのか、オルタンスさんが部屋から見えなくなってから、俺の手はコーヒーシュガーへと伸びていく。
「あんまり砂糖を入れすぎると、肥満の原因になるぞ」
最初から腹の中同様、ブラックを飲み続けるキャゼルヌは、溜息をつきながら俺に言った。
「結婚するなりして、生活面を管理された方がいいかもしれんな。仕事熱心なのは知っているが、どうにも仕事関係以外の面には疎いように見える」
「来月でしたっけ、先輩の結婚式」
「話を逸らすな。真面目に聞け」
余計なおせっかいだと言っているキャゼルヌですら分かってはいるのだろうが、言う口ぶりも、顔つきも真剣だ。俺自身、自分の隙の多さについては指摘されるまでもなく理解している……つもりだ。
「お前さんにはどうにも自身の価値というモノを理解したうえで、敢えて目を逸らそうとする節があるな」
「高級軍人の息子で、士官学校首席卒業者ということですか?」
「お前。俺のことをバカにしてるのか?」
明らかにキャゼルヌの口調に危険なものが加わったので、俺は混ぜっ返すことはなく眉を寄せたキャゼルヌの顔を正面から見つめる。それでキャゼルヌは理解してくれたようで、新しいコーヒーに口を付ける。
「……そのつもりは毛頭ありませんよ」
「喧嘩を売る相手は気を付けて選べよ。保身に対する無関心さはトリューニヒトの例を挙げるまでもなく外部にいらぬ迷惑をもたらすことになる」
「まぁ、なるべき気を付けるようにします」
「その口調はヤンそっくりだな……いやヤンがお前に似ているのか」
そう言うとキャゼルヌは顔に手を当て、大きく溜息をつくのだった。
第50話 第四四九〇編成部隊
前書き
これでストックはなくなりました。
来週以降の更新はちょっと難しそうです。
宇宙歴七八九年一月二二日~ ハイネセン 宇宙艦隊司令部
キャゼルヌの新居を訪れた三日後の一月二二日。予想通り、統合作戦本部人事部第六分室への出頭を命じられ、俺は少佐への昇進と辞令を課長の一人から交付された。新たな配属先は『宇宙艦隊司令部隷下第四四九〇編成部隊司令部幕僚』である。そして既に司令官は着任し、宇宙艦隊司令部内の一室に司令部を構えているそうで……
「モテモテで結構なことじゃな、ジュニア」
マーロヴィア司令部の時よりも少しばかりグレードの上がったオフィスチェアに、爺様はドッカリと腰を下ろして俺にキツイ一撃を吹っ飛ばして来た。爺様の左には同じく昇進したモンシャルマン准将、右には残念ながら昇進しなかったファイフェルが立っている。俺がしっかりと踵をそろえて直立不動の敬礼をすると、爺様はいかにも面倒くさいといった表情で答礼する。
「政治屋どもめ。エル・ファシルを奪回しろとか、イゼルローンを攻略しろとか、言いたい放題のわりには邪魔ばかりしおる。ジュニアは骨休めできたか?」
「お陰様をもちまして。それと閣下。少将へのご昇進、おめでとうございます」
「なになに、ジュニアのおすそ分けってとこじゃ。ありがたいことに定年が三年さらに伸びてしまったわい」
「はははは……」
あっさりとイゼルローン攻略の話を暴露し皮肉をぶつける爺様に、俺は視線を動かしてモンシャルマン准将を見るとこちらは珍しく肩を竦めて苦笑していた。勿論ファイフェルの顔色はあまり良くない。
「我々は少佐の着任を待っていた。才気渙発・縦横無尽の作戦参謀がいなければ、どうにも話が進みそうになかったのでね」
「准将閣下まで……」
「閣下はよしてくれ少佐。言われると背中がかゆくなってどうにも心地が悪い。参謀長で頼む」
「承知しました」
「どうやらファイフェルも貴官の着任を、首を長くして待っていたようじゃからの。早速話を進めるとしようか」
軽い咳払いの後に爺様がそう言うと、短い返事と共にファイフェルの背筋がピンと伸び、運動信号伝達機能が壊れかけ始めた自動歩行人形のような動きで、部屋の照明を落とし、部屋の中央に設置されている三次元投影機を作動させる。動きがキビキビしているようで何となくテンポが遅いのは、俺が「不在にしていた」一週間の間に、俺に代わって資料を集めて分析などをして、相当爺様に絞られたからかもしれない。
本来副官と参謀を兼務するというのはよほど小さな組織でもない限りまずありえない。俺が三年前ケリムにいた頃、リンチの下で慣れていたというのもあるだろうが、ファイフェルにしてみればありえないと思う経験だっただろう。それが分かるだけに申し訳ないなと思うとともに、ずいぶんと爺様に期待されているんだなと感心した。ようやく調整が済んで、同盟全域とイゼルローン方面の航路図が投影されると、ファイフェルが俺をチラッと見たので、軽く頷いてやる。
「正式には二月一日を持って編成されることになる第四四九〇編成部隊は、艦艇約二四〇〇隻、兵員約二八万を規模とし、宇宙艦隊司令部より今後二週間内に機動集団としての部隊編制と戦闘序列の決定を行うようにとの命令を受けております」
部隊編制は文字通り宇宙艦隊司令部が、ビュコック爺様の指揮下に入れる為に掻き集めた幾つかの独立部隊や戦隊・小戦隊を、機動集団→独立部隊→戦隊→隊→分隊と各規模に整列させることだ。辺境警備の哨戒隊は別として、基本的には戦隊までが同一艦種で編成される。宇宙艦隊司令部から手渡されたそれぞれの部隊は規模も戦力も大抵はぐちゃぐちゃなので切った貼ったして、司令官が戦力として動かしやすいようにしなければならない。
戦闘序列は部隊編制が終わった段階で行われる隷下部隊の隷属関係を明確にすることだ。部隊指揮官が戦死した場合、次は誰が指揮権を引き継ぐかなどの取り決めも行われる。
いずれにしても司令部の戦術指揮能力と人事管理能力が問われる仕事で、ここで下手を打つと部隊としての能力を十全に発揮することができない。
そんな面倒なことは司令部ではなくどこかの部署に一括外注すればいいという発想もないわけではない。だが仮に司令部以外で編制された部隊が功績を上げた場合の功績について、あるいは敗北した時の責任の所在が不明確になる。功績処理において不確定要素が増えるのは、軍という組織の健全性を保つ上で非常に危険なことだ。だからこそ司令官には司令部の人事権がある。勿論統合作戦本部の人事部が介入することもあるが、司令官が能力において信頼できる幕僚を集め、入念に部隊編制を行えるようにしているのだ。
「部隊編制と戦闘序列が宇宙艦隊司令部の承認を受け次第、編成部隊は「第四四高速機動集団」となります。そして戦力化後一ヶ月を目途に、現在編制中の四つの独立部隊と共にエル・ファシル星系奪回に赴くことが指示されております。その中で当部隊は星系奪回作戦の基幹部隊として、他の独立部隊の最上位となります」
これはキャゼルヌ宅で予想していた通りの結果だ。四つの独立部隊と言えば約二五〇〇隻。これに地上軍や後方支援部隊が加わるから、ビュコックの爺様は『半個艦隊』を率いることになる。帝国軍の増派がない限り、約二倍の戦力比だ。原作末期の同盟では考えられないほどまともな作戦で、勝算は大いにあるといえる。
「現在、当司令部には情報・後方の参謀は配備されておりませんが、宇宙艦隊司令部より人員の充足は早急に手配すると打診されております。地上戦部隊に関しては陸戦総監部より装甲機動歩兵二個師団と大気圏内空中戦隊四個を派遣可能できると連絡を受けております。後方支援本部も工兵・通信・管制・医療の分野である程度の部隊を用意できる、とのことです」
ファイフェルがそこまで言い切ると、爺様がその後を引き継ぐ。
「そういうわけでジュニアには部隊編制をやってもらう。儂とモンシャルマンは独立部隊の指揮官達との顔合わせと戦力把握、それと宇宙艦隊司令部作戦課と統合作戦本部査閲部へ挨拶に行ってくる。五日で編成を終わらせること。戦闘序列は編成表を見て儂が決定する。ジュニアには判断資料としてモンシャルマンと同じ閲覧権限を与える。オフィスは隣の部屋じゃ。席はファイフェルが用意しておる」
「承知しました。では二八日午後に提出でよろしいでしょうか?」
「今日も入れるんじゃから、二七日の午後三時じゃ」
「……了解しました」
「一週間ズル休みしたんじゃから、それなりに働くんじゃぞ。わかったな?」
ドンと机を右拳で叩く爺様の、マーロヴィアから変わらぬブラックぶりに、心の中で苦笑せざるを得なかった。
◆
司令官公室のすぐ横にある司令部幕僚オフィスの広さは約八〇平米。そこにモンシャルマン准将と俺、それに未赴任の情報・後方参謀、ほかに四つの空席と副官のファイフェルの席がある。他に三次元投影機と小さな応接セットがあるので、前世中企業の総務オフィス(投影機があって書庫がない)を少し大きくしたような造りだ。
もっともモンシャルマン大佐は結構忙しく各所を回っているので、実際ここを使っているのは俺一人だけなのだが、広くなったとはいえ個別のオフィスを持っていたマーロヴィアの頃に比べると若干居心地が悪い。
そして俺にとっても最も居心地を悪くする要因は従卒の存在だ。仮にも二〇万将兵の司令部であるのだから、場末の不動産屋みたいに成績を上げられない若手の営業マンが、机に菓子をこぼして留守番しているような状態では流石にまずいのはわかる。宇宙艦隊司令部のタワーの中にあるオフィスとはいえ、機密と高官(笑)の巣窟である幕僚オフィスに外注のビル管理業者を易々と入れるわけにはいかない。故に各艦隊司令部には直属の従卒がいて、それら維持業務を担ってくれている。その為に幕僚オフィス内に狭いながらも従卒専用のスペースもある。必要な存在だとは分かっているが。
「コーヒーをお入れいたしましょうか、少佐殿」
なんでこの子がここにいるんだよと、出会ってから俺は何度自分に問いかけただろうか。彼女は従卒ではあるが、正式な軍人ではなく兵長待遇の軍属である。故に人事権は統合作戦本部人事部の管掌するところではあるが、この人事の意味が分からない。
「いや、紅茶にしてくれるかな。ミス・r……ブライトウェル」
「かしこまりました」
デザインは一緒だが、正式な軍人と色違いのジャケットをピシッと伸ばし、文句のつけようのない敬礼をして、踵を鳴らして回れ右で給湯室へと向かう赤毛の彼女、ジェイニー・ブライトウェル……旧姓リンチの後姿を、俺はまともに見ることができない。
ケリム星系第七一警備艦隊で副官をしていた時、ブラックバート掃討戦以前に二回、エジリ大佐逮捕後には一〇回ほどリンチ司令官の家に呼ばれて顔を合わせている。当時はまだ一一歳か一二歳で、ようやく母親と一緒に料理を作り始めたという歳だった。個人的にも妹らしきものが一人増えた(実はアントニナやフレデリカと同い年)くらいにしか思っていなかった。
リンチがトリプラ星系の偵察戦隊司令官に転属になった時、ハイネセンに戻っていった記憶がある。エル・ファシルの一件の時、彼女はどこにいたかまではわからない。だが少なくともエル・ファシルの一件で人生が五四〇°ぐらいは変わってしまったのは間違いない。星系防衛司令官のお嬢さんから民間人を見捨てた卑怯者の娘へ。大量にジャンバラヤを作って喜んでいた少女は、顔に大人ぶり以上の冷気と厭世感を漂わせた軍属に生まれかわっていた。
そんな彼女が淹れたPXで売ってる二流茶葉のダージリンを傾けつつ、俺は机に備え付けられた端末で、宇宙艦隊司令部から送られてきた二四五四隻分の艦長と艦自体のデータをざっと眺めていき、前部隊の戦歴も含めて簡単に頭の中で整理する。俺は士官学校を出てまだ四年。艦隊戦闘など経験したことのない一介の少佐にできることは、基本に則って編成を組むことだろう。爺様もそれ以上のことを望んではいるだろうが、期待はしていない。
指揮官はどのように兵力を運用するか。基準とすべきはビュコックの爺様の戦術構想だ。爺様がマーロヴィアに行く前の経歴は何度も漁ったことがある。二等兵として徴兵されて以降、艦隊規模の会戦だけで二九回参加。分隊指揮官としては数知れず、隊指揮官として五〇回、戦隊指揮官として一二回、任務部隊指揮官として五回指揮を執っている。
幸いというべきか、当然というべきか、爺様はまだ生きているのでその大半の戦闘報告書はデータとして残されている。近々は勿論任務部隊のもので、第四艦隊と第七艦隊でそれぞれ六〇〇隻程度の指揮を執っていた。五回とも艦隊規模の会戦であるので、部屋にブライトウェル嬢しかいないことをいいことに三次元投影装置でその会戦のシミュレートを見る。爺様の部隊だけ表示色を変え、その動きと戦果を指揮官からの命令と時系リンクさせてみると、なかなか面白いものが見れる。
誤解を招く言い方だが爺様は『時折上官の命令に忠実には従っていない』が『上官が望む結果を確実に得ている』。例えばあそこに行って火線を引いて敵の勢力侵犯を阻止せよ、という命令に、移動を殆どせずに三斉射しただけで敵部隊を追い散らし、その後で悠然と指示された座標に移動しているので、見る人間の立場と視野からしたら小憎たらしいことこの上ない。
これは扱いにくい部下だったんだろうなと、俺は当時の上官たちに同情した。逆に言えば鈍感で鷹揚な指揮官程、爺様は重宝されたかもしれない。上官の望む結果を推測し、敵の動きと戦列、自部隊の火力を冷静に把握して、より効率的で損害が少なくなるよう戦果をあげる。ほかの会戦も同じように早回しで見てみたがだいたい同じだ。指揮下の戦力も爺様の命令を忠実に過不足なく運用できているし、火力投射に関してみれば見事というしかない。だが第三艦隊の査閲時の部隊運用速度に比べると個々の艦艇の動きは相当遅い。敵の砲撃下で運用速度が遅くなるのは当然だが、それでも遅すぎる。
「爺様は練度を火力統制で補うという思考なんだな」
俺は査閲部時代の上官であるフィッシャー中佐開祖の、機動戦術教の狂信者であったので、各艦のあまりにもトロい動きにイラッとした。だが爺様の部隊は命令通り動かして移動中に損害を受けるよりは、自分の目を信じて火力統制をして着実に勢力圏を広げていく方を選んでいる。砲撃の名手という経歴が影響しているのか、ダイナミックではないが効率的に戦果を挙げることに徹している。
となれば求められる編成は大胆な機動戦術をとるようなものではなく、安定性と均一性の高いものであるべきだろう。俺が照明を戻して改めて自分の席に戻ると、再びリストに向き合う。今与えられている二四五四隻の中から、まず艦齢が四〇年を超しているものを別枠とする。その中で既存の独立部隊編制がある事実上の副司令官部隊七一六隻はそのままに、それ以外を規模ごとに並べ替える。そこから巡航艦を二個隊(五〇隻)ばかり抜き出して副司令官部隊に付け替え、残りの一五〇〇隻を二つに分ける。そのうちの一つを最先任艦長の大佐を代昇進させて率いさせ、残りを爺様直卒の部隊とする。
単純に同規模戦力を三つにする形だが、これであればピーキーな機動戦術は無理でも、満遍なく安定した火力投射と一定の艦隊運動を取ることができる。この場合の問題点は、代将(大佐だが准将クラスの戦力を扱うための一時的な昇進状態)に誰を指名するかだが、これは流石に爺様や参謀長と相談する必要があるだろう。
進むべき方針が決まった段階でリストを見つめなおしてみたが、その中に艦種が不揃いな二〇隻ばかりの奇妙な部隊があった。二〇隻といえば規模からすれば『隊』で、辺境の哨戒隊などを別とすれば通常は単一艦種で構成される。なのにこの部隊は戦艦が一隻、巡航艦三隻、ミサイル艦二隻、駆逐艦一四隻と独立した哨戒隊にしてはやや火力が控えめな構成。だがそれらに共通する前歴を見れば宇宙艦隊司令部の意図は明白で、流石に気分が悪くなった。
俺はその『第八七〇九哨戒隊』の艦データを一隻ずつ開いていく。戦艦アラミノス、嚮導巡航艦エル・セラト、巡航艦ボアール九三号……原作ではリンチの戦線逃亡後、エル・ファシル星域防衛艦隊のうち生き残った半数が自主的に退路を探り、残り半分の二〇〇隻がリンチと運命を共にした。詳しいところは軍機で検索できないが、リンチとは別の意味で『民主主義の軍隊として』許されざる存在ということか。
いつの間にか時間が過ぎ、時計を見ると一八時を回っていた。ハイネセンにおける定時ではあるが、次席参謀という無駄飯喰らいに定時は存在しない。しかし軍属には厳格に定時がある。重要な会議等でお茶出しが必要な時を除いて、彼らは軍の評判もかかった労働者だ。故に彼女が俺に敬礼して退出の挨拶をするのは、規則であり、礼儀である。礼儀ではあるが……
「ミス・ブライトウェル」
「……なんでしょう? ボロディン少佐殿」
一度敬礼して、回れ右した彼女は、もう半回転して俺に正対する。背筋が伸びたきれいなアイスダンスのような動きであったが、表情は真逆の氷河期そのものだ。
何か言わなくてはいけない。その一心で俺は声をかけたが、何を言おうか、気の利いたセリフすら思いつかない。時間が経つにつれ、氷河期にクレバスが寄り始めた顔を見て、俺は思いついたことをそのまま口にした。
「ジャンバラヤ」
「え?」
「明日でなくても構わないので、司令部の昼食を作ってくれないか? ケリムで食べたあのジャンバラヤ、実に美味かったんだ」
「……は?」
「司令部のキッチンは狭いから準備は大変かもしれないが、君に頼みたい。材料費が必要なら出すし、何なら俺が買ってくる」
「……はい?」
「とにかくこれは命令だ。俺の端末のアドレスと電話番号を教えておくから、夜までに材料の詳細を送ってくれ。爺様と参謀長と副官のファイフェルと俺だから四人分。文句言う奴がいたら俺が命じたと言ってくれ」
自分でも何言っているんだかよくわからないが、氷河期がプチ氷河期になったのはわかった。俺が小さなメモに番号とアドレスを書き込み、それを細い彼女の手に握りしめさせる。これはセクハラかなとも思ったが彼女が無表情で再び敬礼し、俺がそれに答礼し、彼女の姿が司令部から消えると、俺は大きく天井に向かって溜息をつくと自分の席に深く腰を落とした。
エル・ファシルは呪いだ。消し去るにはあまりに大きな汚点とそれをかき消す為に作られた英雄。英雄の放つ光が強ければ強い程、影もまた深くなる。これからヤンが脚光を浴びるたびにより強い呪いとなる。直接の責任がゼロではないにしても司令官の命令に従った第八七〇九哨戒隊、そして親の罪が何の責任もない子供に伝染することが、自由と民主主義と法治主義であるこの国ではあってはならない。
自分の権力で防げるものであるのなら防ぎたい。俺はそう思うとかろうじて頭に残っていた軍用ベレーを顔に移動させるのだった。
後書き
2020.06.18 投稿
2020.01.02 独立艦隊の数字を変更(5個→4個 4000隻→2500隻)
第51話 若気の驕り
前書き
連休中に少しだけ書き進めました。
ですが、どうにも戦闘まで話をテンポよく進めることができません。
ボロディン家の話やキャゼルヌの結婚式とかあるので、エル・ファシルが遠いです。
宇宙歴七八九年一月二七日~ ハイネセン 宇宙艦隊司令部
第四四機動集団司令部では賄いの昼食が出るらしい。
妙というか、変な噂が宇宙艦隊司令部の一部で流れている。もちろん根も葉もある話なので、否定するつもりもない。恐らく毎日米やスパイスを抱えて登庁するブライトウェル嬢が目撃され、爺様指揮下に入った独立部隊の下級指揮官達が爺様とご相伴して、そこから漏れていった可能性が高い。
軍人という職業は、基本的には頭を使う肉体労働者で、陸戦総監部のように日がな一日ずっと鎧をまとってトマホークを振るってるわけでもないが、当司令部を訪れる人間の胃袋は一般人の平均よりも大きいのは確かだ。しかも作るのはうら若い女の子とあって、噂を聞きつけ何のかんの口実を設けては、訪れてくる軍関係者がそこそこいる。
「……あの子、どこかで見覚えがあると思ったら、あのリンチの娘じゃないか」
関係者の中でも少しだけ耳聡な人物……例えば目の前にいる新任の情報参謀マルコス=モンティージャ中佐などは、トルティージャを俺のお代わり分も含めて平らげた後でこっそりと耳打ちしてくる。それに対する俺の返答もほとんど決まっている。
「ええ、仰る通り彼女はアーサー=リンチ少将の一人娘です。ですが何か問題でしょうか?」
「……いや問題ではないんだが……う~ん」
一八〇センチになった俺の、顎ぐらいの高さしかない浅黒い肌で小柄なモンティージャ中佐は、俺に同じ質問をぶつけてきた他の軍人達と同じような、なんとも言えないといった困惑の表情を浮かべる。彼女の作った昼飯を平らげてしまったという負い目もほんの少しはあるかもしれないが、大抵は別の心配だろう。だから俺の次の言葉も定型だ。
「モンティージャ中佐は、親の罪が子供に伝染するとお考えでいらっしゃいますか?」
俺の問いかけに、大抵の人は罰が悪そうな表情を見せて引き下がるか、頭を掻いてごまかす。それで打ち合わせ中にそっと出される食後のコーヒーを前に、彼女に「なかなか美味しかった」などとお世辞を言ってくれるのだが……
「もちろん。そう考えている」
一見すると『豊臣秀吉のテンプレか?』と言わんばかりの人懐こい外皮をしたラテン系青年の情報将校は、想像以上の答えを俺に返してきた。
「君はそう考えないのか……なるほど情報部でも噂になるわけだ」
「バグダッシュ大尉、からでしょうか?」
「いやブロンズ准将閣下からだよ。聡い君のことだから彼女がここに配属されたのも、新設部隊の設立目的もだいたいは想像しているだろう?」
俺が無言で頷くと、モンティージャ中佐の目つきが丸い物から糸のように細くなる。
「この種のウイルスは実にしぶとい。特に伝染範囲が広い場合はね。君は第四四機動集団内部に集団免疫を作ろうと画策しているようだが、汚染源に最も近い関係にある人物が最も汚染されているのは世の真理だ」
「彼女もそうなると?」
「一度でも住んでいる世界全体からの抗体反応を受ければ、人間の良心などたやすく粉砕される。ましてや一五歳、それも高級軍人の娘。発生源が近親であるがゆえに、精神の再建はたいてい即効性の高い『憎悪』でなされる」
それはあまりにも一方的な見方だ、とは言い切れない。犯罪者の家族が周囲からの圧力で崩壊し、その行き着く先が非合法な組織などという事例は、地球時代でも日常茶飯事だ。だからと言って一五歳の少女が市中に放り出されるよりはまだマシな軍内であっても、孤立状態にあっていいという話ではない。それこそ予防措置が必要であって、中佐が考えている予防措置が俺の考えとは全く違うというのはわかる。
「だが個人的には実に痛快で面白い。優しすぎて、隙だらけなのが難点だな」
そう言うと、モンティージャ中佐は目付きを糸からどんぐりへと戻した。今後も当然のように警戒するが、少なくとも軍外とは違って年齢相応の少女に対する程度にするという中佐の言外の回答に、俺は頷いてさらに突っ込んでみた。
「もし彼女が『闇落ち』みたいなことになったらどう対処されるんですか?」
「一度も銃を握ったことのない少女の制圧などわけないさ。それこそ情報部の伝統芸というやつだよ」
そう言うと中佐はバグダッシュとよく似た気持ちのいいサムズアップを俺に見えるのだった。
その一方でつまらない反応をしてくれたのが、補給参謀となったのがギー=カステル中佐で、四つ年上の二九歳。フランス系の血を色濃く残す彫りが深く整った容姿と長身の持ち主だ。
一学年下になるキャゼルヌ曰く『典型的な秀才で、問題がなければ中将。後方支援本部次長や本部下補給計画部部長くらいにはなれるだろう。与えられた職権範囲で対処できる問題は手際よく片すことができる。だがそれを超えた時の融通が利かない。まぁ彼の手に余るような事態などそうあるものでもないが』と珍しく苦々しい表情で言っていた。褒めるのが下手なわけでもないキャゼルヌがこうも言いにくいということは、何か問題があるのかと言えば、やはりその通りで。
「彼女に昼食を作らせている理由は何だね?」
初対面で一回り(この時代に干支はないんだが)以上は年下の少女が香辛料の薫り高いジャンバラヤを持ってきたところで、冷たい視線を俺に浴びせてくる。
「この部隊に配属される以前に、彼女とはいささか面識がありまして。その時ご馳走になった彼女の料理が実に美味でして」
「正確に答えたまえ。君も知っている通り、彼女はあのリンチの娘だ」
「はい中佐。仰る通りですが?」
「我が部隊に無用な誤解を避けるうえで、配慮する必要があるのではないかね?」
どこかで聞いたことのあるようなセリフではあったが、言っているカステル中佐がネグロポンティ氏と同属異系か知りたくなって、俺は魔術師のセリフをまるまるパクって応じた。
「我が自由の国では親の罪が子に伝染するとは過分にして知りませんでしたが?」
「そういうことを言っているわけではない」
「それ以外には聞こえませんが……」
「……彼女の存在、そして彼女に食事を作らせていること自体が評判になれば、司令部の風紀を乱す或いは乱れていると周囲に誤解されないかということだ」
「存在のことを言うのでしたら、彼女をこの司令部に配属させたのは統合作戦本部人事部軍属課ですので、そちらにお問い合わせください。司令部直属の軍属従卒任務として、『司令部の機能を十全に運用しうる為に、軍職権外での補助任務を全うする』ことが求められております。昼食を司令部内でとれるように差配したのは小官で、ビュコック司令官もご了解済みです」
虎の威を借りる技はマーロヴィアで散々鍛えられたので、中佐は俺に対して細く整った眉を吊り上げて俺を威圧しようとしても柳に風だ。
だいたい従卒が食事を作ったくらいで風紀を乱すなんて、昨今憲兵隊でも言わないような風紀委員みたいなセリフを言うとは、キャゼルヌが言う融通の利かなさ以上に、自己保身に対する意識が強そうに見える。ブライトウェル嬢に対する意識の持ちようも、モンティージャ中佐のように明確な考え方の上に立っているわけでもない。
ただ彼がどのような考え方にしても、年長の一軍人の自己保身から一五歳の少女に対してつらく当たるようなことは、例え世間が許しても第四四機動集団司令部と俺が許すわけにはいかない。とはいえ、彼が不安や不満を持って今後勤務されても困る。モンティージャ中佐が辛く当たることはしないだろうと分かるだけに、もう一人の中佐にもそうなってもらいたいと思って俺はあえて下手に出て別側面から攻勢をかけた。
「大変失礼ながら、カステル中佐は……もしかして香辛料が苦手でいらっしゃいますか?」
「……いや、そうではないが」
「確かに彼女のジャンバラヤは美味なのですが、やはり料理の都合上香辛料が強いのは致し方なく……どうでしょう、中佐。まだ一五歳の彼女の未来もお考えいただいて、ぜひ今後『も』彼女の料理を評価していただければ」
ブライトウェル嬢がまだ『未成年』という点を強調して、俺はあえて中佐に年長者の余裕を見せるよう促した。案の定というか、苦々しいというよりはバツが悪いと思ったのか、渋い顔をして「よかろう」と応えて言った。
「どうやら彼女は味付けというモノを調味料に頼る悪い癖があるようだ。それは矯正されなくてはならない。それには貴官も同意してくれるな?」
……どうやら中佐は本気で香辛料が苦手だったのかもしれない。それとも地球時代から続く血がなせる業なのだろうか。この三日後。司令部全員が揃っての昼食時、人数分の見事なトマトファルシが並べられたので、まずは良しとしたい。
勿論「トマトファルシはフランス料理ではなくてバスク料理なんですが」と俺は中佐に言うことはなかったが。
◆
そして宿題の期限である二七日午後。俺はモンシャルマン准将を通じて爺様に部隊編制の最終案を提出すると、一時間もせずしてファイフェルを通じて司令官公室に呼び出された。遅れて宿題を出して教官の前に引きずり出された生徒のような気分で立っていると、先生役の爺様の機嫌はかなり良かった。
「まぁ六五点というところじゃな。部隊構成を均等三分割した割には、部隊間の火力と機動力に差がない。合格点と言いたいところじゃが、ジュニアに聞きたい」
そう言うと爺様は俺が提出した編成表の紙の束をポンポンと叩いて言った。
「第八七〇九哨戒隊をそのまま旗艦司令部の直轄隊とした理由は何かね?」
やはりその質問か、と俺は胸の中で嘆息した。ある意図をもって構成される中途半端な哨戒隊を解体せず、そのまま直轄隊として運用することの意図を理解した上での質問だ。
「お答えします。第八七〇九哨戒隊の前任地と特殊な経歴を踏まえ直轄隊として運用した方が良いと考えた次第です」
「他の部隊に再配属されたら、各所で弾除け扱いされるとジュニアは考えるんじゃな?」
「ゆえに旗艦の傍に集団でいればまず問題ないと考えました」
「旗艦ごと吹き飛ばすアホウがおるやもしれんぞ?」
「尋常でない処分を覚悟の上で撃ってくるのですから、そうなったらさすがにお手上げです」
「ハハハハッ。よかろう。部隊構成はこのままでいく。細かいところの修正と代将の人事については、儂とモンシャルマンで手配しておこう」
爺様はそう言うと、編成表を決済済みの書箱に移して大きく溜息をつき、一呼吸置いた後で両手を組んでその上に顎を乗せると、俺に鋭い視線を向けて言った。
「出撃が決まった。四月一五日までには戦域にて状況を開始。一ケ月でエル・ファシル星系を奪回せよとのことじゃ。独立部隊の編成が終了次第、合同訓練を公表し、訓練終了後にエル・ファシル星系へと向かう」
「承知いたしました」
「各独立部隊との合同訓練は三月中旬を見込んでおる。回数にも時間にも余裕はない。第四四機動集団自身の訓練計画とその実施に関して、ジュニアは訓練計画を立案し、二月一五日までに儂へ提出せよ。それを参謀長が修正し査閲部に提出する。それと並行して……エル・ファシル星系奪還作戦の作戦骨子と戦略評価を纏めてもらいたい。情報閲覧権限は参謀長と同格。情報・補給参謀にもその旨は伝える。期限は三月一日までじゃ」
爺様の一言に、司令部公室の空気は一気に張り詰めた。黙って立っているファイフェルの、喉を唾が流れる音すら聞こえそうだった。『半個艦隊』による星系奪還作戦。独立部隊を含め五〇万近い将兵の生死を賭けた作戦の骨格と、作戦の成否の物差しとなる戦略評価を、採用の可否はともかく一介の少佐に計画させるということだ。そうなると別の疑問が浮かんでくる。
「機動集団次席指揮官であるジョン=プロウライト准将閣下のご意見はいかがなのでしょうか?」
「最終的には彼を含めた他の独立部隊の指揮官・参謀による合同会議で決定する。が、その前にジュニアには現在の第四四機動集団司令部としての意見骨子を作ってもらいたい」
爺様の口調は極めて峻厳だった。
「貴官の意見は意見じゃ。全てを採用しようなど儂は微塵も思っておらん。じゃがいずれにしても判断を下すのは儂であって、プロウライトではない。その事を肝に銘じろ」
当然の疑問であり、そして答えもわかっている質問だった。俺はうかつにも老虎の尻尾を踏んでしまった。職権を超えた前世日本の空気読みをしてしまったことを後悔し、俺は小さくした唇を噛んだが、それを爺様の鋭い視線は見逃してはくれなかった。
「そういう気配りをするなとは言わん。じゃがそれはモンシャルマンの仕事であって、貴官の仕事ではない」
「は、申し訳ございません」
「自分には出来ると思っているからそういう疑問を持ったんじゃろうが、一度も帝国軍と直接戦ったこともない小僧に、まともな作戦や評価が出来ると思っておるのか? 思い上がりも甚だしいぞ!」
ドンッと爺様の右拳が執務机に振り下ろされた。決済箱が振動で机の上で小さな驚きを見せる。怒られて当然のことで俺は爺様に何も答えられず直立不動のまま指一本動かせなかったし、なぜか爺様の左後ろに立つファイフェルの顔色は白を通り越して青くなっている。
僅かな空調の音だけが爺様の執務室に流れたのはどのくらいか。執務室の時計は俺の左側の壁にかかっているが、爺様の顔から視線を動かすことすらできないのでわからない。恐らく数分だったのだろうが、三〇分以上にも感じられた沈黙は、爺様の方から破られた。
「ジュニア、帝国軍は追っかければ逃げる海賊とは指揮も武装も何もかも次元が違う存在じゃ。それをしっかりとわきまえて作戦と戦略評価を作成せよ」
「は、肝に銘じます」
「ファイフェルの休日は貴官に預ける。それと軍属契約の許す範囲であの嬢ちゃんの残業時間も付ける。わかったな」
「承知いたしました。微力を尽くします」
俺がそう答えた後、士官学校に入学してから最高と思われる精度での敬礼を爺様にすると、爺様は面倒くさい表情で座ったまま敬礼すると、ハエでも追い払うかのような手ぶりで俺に出ていくように示し、席から立ち上がって俺に背中を向ける。
その背中に俺は最敬礼した後、顔を上げた時、目に入ったのは殆ど死後硬直のような有様のファイフェルの立ち姿だった。
後書き
次回投稿未定
第52話 軍と家族
前書き
久しぶりにウィッティ君とアントニナの登場回です。
軍事・戦闘描写は一切ありません。本当は箇条書きで書きたいくらいなのに。
宇宙歴七八九年 一月末 ハイネセン 宇宙艦隊司令部
爺様の執務室を出てすぐ隣の司令部幕僚オフィスの自分の席に戻った俺は、地球時代とそれほど変わらない座り心地の事務椅子に腰を落ち着かせると、椅子が許す最大のリクライニングにして天井を見上げた。
オフィス全体での三次元投影ができるよう、天井全体に張り詰められたスクリーンは艦橋に使われるものと同じ製品で、大きさが違うだけだ。今はただの照明としてぼんやりと温白色の明かりを映しているだけで、首を折って見上げる俺の目には、何も映らない。
爺様は原作でも言われているように愛想が悪く頑固で短気な人物なのは間違いないが、きちんと筋を通していれば普通の『おっかない親父さん』なのだ。そんなおっかない親父さんが、あぁも俺をこっぴどく叱ったのも、俺に驕りを見て取ったからだろう。俺にそのつもりはなかったが、マーロヴィア以降大きな失敗をせずに任務をこなしていた故に、いつの間にか見えない線を踏み越えていたわけだ。
自分が白刃の道を歩いていることを改めて思い出しつつ目を閉じていると、机上の呼び出しチャイムが鳴った。モンティージャ中佐もカステル中佐も席を外していることを知っている彼女が鳴らしている以上、俺に用事があるということだろう。応答のボタンを押すと机上に小さな画面が現れ、ブライトウェル嬢が敬礼しているのが映る。リクライニングを元に戻しその画面に向かって敬礼すると、手を下ろすのもそこそこに、彼女は口を開いた。
「少佐殿。少佐殿にご面会を求めている方がいらっしゃいましたが、いかがいたしますか?」
リクライニングから戻った俺の顔に何か異変を感じたのか、それともただ単に俺の態度が気に障ったのか、ブライトウェル嬢の眉間に僅かな皺が寄っていたが、俺は気にせず応える。
「面会希望者? 私に?」
「はい。統合作戦本部戦略部第四課のフョードル=ウィッティ大尉とお名前を窺っております」
アポなしなんで追い返しますか? と言わんばかりな氷河期な彼女の口調に、俺は力なく苦笑すると肩と首を落とした。
「士官学校の同期なんだ、ミス・ブライトウェル。通してあげてくれ。それにコーヒーを二つ」
「承知しました」
……それから数秒後、実物のブライトウェル嬢とともに、士官学校卒業時より少しだけ顔に苦労が出てきた懐かしい顔が司令部幕僚オフィスに入ってきた。ブライトウェル嬢が踵を鳴らしてキッチンへと消えていくのを見届けると、俺はウィッティと向き合って敬礼もそこそこに右手を伸ばした。それに対してウィッティは一瞬首を傾げた後、人の悪い笑顔を浮かべて俺の手をがっちりと握りしめ……
「お久しぶりであります。ヴィクトール=ボロディン少佐殿!」
ウィッティは実にわざとらしく肩を逸らせ、顎をしゃくり上げて、力を込めて俺に向かって声を投げつけた。
「マーロヴィアでのご活躍は統合作戦本部戦略部でも高く評判で、少佐殿のお噂はかねがね耳に親しんでおります!」
「やめて!」
「フェザーンでの一件についてもぜひ詳細をお伺いいたしたく、フョードル=ウィッティ大尉、本日まかり越しました!」
「いい加減、やめろよ!」
俺が気恥ずかしさからたまらず声を上げると、ウィッティは笑って手を放し、拳を握りしめて伸ばしてきたので、俺も同じように伸ばして拳をこつんと突き合せた。
「なんか相変わらず元気そうで何よりだ。我が高級副官殿」
「人事に行った同期から、お前がフェザーンからマーロヴィアに飛ばされたって話が流れて、同期みんな真っ青だったぜ。期の首席の本部長昇格が絶望的だから、うちらの代は冷や飯喰いになるかもってな」
「そいつは、皆に悪いことしたな……」
「それでもハイネセンに戻ってこれたんだからもう大丈夫さ。でもすぐに出るんだろ?」
「さぁな」
「作戦の出どころが統合作戦本部戦略部だから機密は気にしなくていい。もっとも戦略的には添え物扱いの作戦ではあるけどな」
チラッと横目でコーヒーを持ってきたブライトウェル嬢を見て小さく肩を竦め、応接の机の上に並べられる間だけ口を閉じ、彼女がキッチンに消えると皿ごと手に取って、コーヒーの芳香に鼻を向ける。
「あの子、噂じゃこの司令部で随分と大事にしてもらっているそうじゃないか」
「俺がケリムの第七七警備艦隊にいた三年前、彼女にはずいぶんと世話になったからね」
俺がそう答えると、ウィッティの眉間に小さく皺が寄る。
「ヴィクはホントに女を見る目がないな。フェザーンの一件も女がらみって聞いてるぞ」
「そんなことまで知りたがるとは戦略部も相当暇なんだな」
「まさか。相変わらず間抜けでお人よしかどうか確認しに来たんだよ。成長してないって言うべきかな?」
そう言うとウィッティは俺の目の前で一気にコーヒーを喉へと流し込んだ。その顔には七割の安堵と二割の好奇心と……一割の警戒感が浮かんでいる。おそらく戦略部の何処かが余計な心配をして、同室同期であるウィッティに探りに行かせた、というところだろうか。
「心配しなくていい。司令部内の士気は高い。そう心配性の人に伝えておいてくれ」
「わかった。出動は四月頭って聞いている。時間があればそれまでに同期連中集めて飯でも食べようや」
「時間ね。どこかに売ってないもんかな」
「わかる。わかるぞ、ヴィク。キャゼルヌ先輩の結婚式の招待状、お前のところにも来たか? なんで二月下旬にするかな。戦略部が糞忙しくなる時期を見計らってるとしか思えない」
「おそらく糞忙しくなるから、だ」
キャゼルヌは皮肉っぽいが優れた軍政家であり、その情報網も情報部ほどではないにしろ後方に張り巡らされている。俺がハイネセンに帰ってきた時点で正式に発表されたわけでもない(おそらく第四次)イゼルローン攻略戦とエル・ファシル奪還作戦の動員兵力を殆ど正確に推測しているのだから、準備期間として二月下旬が忙しくなるのは誰でもない後方勤務である彼が一番よく知っている。
そのタイミングで結婚式を入れるというのは、そうでもしなければ休暇が取れない人間が多いと分かっている故に、気を利かせたということだろう。二度と会えなくなるかもしれないわけだから……
「それより戦略部はどうなんだ、ウィッティ。貧乏司令部とは違って忙しくてもやりがいはあるんじゃないか?」
「士官学校と変わらないさ。先輩が上司になったってだけで、いい奴と気に入らない奴が半々だ」
肩を竦めるウィッティの顔には皮肉が浮かんでいる。
「幸いウィレム坊やとは違う部署だが、時々顔を見るくらいの距離にはいる。最近はいたくご機嫌斜めだ」
「『エル・ファシルの英雄』か」
視線で頷くウィッティに、俺は鼻で笑った。
ホーランドは首席、翻ってヤンは中の上から中。四つ年下の凡才と階級が並んだばかりか、軍内外の知名度で大きく差を付けられた。奴はブルース=アッシュビーの再来を目している以上、実戦部隊配備前のスタートラインで強力な年下のライバルにさぞかしヤキモキしていることだろう。
「奴は実戦部隊への異動でも考えているのかな?」
「出動予定の各艦隊の予備参謀か『機動集団の幕僚』の席ならねじ込められるらしいが、本人は上級司令部の幕僚か戦艦分隊の指揮官を望んでいるみたいでな」
「何をアホなことを」
「功績亡者も露骨すぎるものだから、一部から相当煙たがわれてる。優秀なのは間違いないし、ロボス中将の受けも悪くないから、今回は見送りだろう。出番があるなら『第五次』だな」
ウィッティの自嘲気味の返答に、俺は溜息をついた。今回の作戦における戦略部の意気込みとは裏腹に、ウィッティ自身の目算では相当に良くないらしい。直接的な言葉でないだけに、主進攻口ではないにしても出動する側の俺としては胃が重くなる。それを察したのか、ウィッティはカップを皿に戻してから、俺をまっすぐ見据えた。恐らく次に話す言葉が、ウィッティがこの司令部に来た本当の理由だ。
「ヴィク。悪いがそちらの作戦で『増援』は計算に入れないでくれ」
「アスターテから帝国軍が出てこないだけでまずは十分だ。そこまで気にしないでくれウィッティ」
「ビュコック少将閣下にも『力不足で申し訳ない』と伝えてほしい。これは俺の上司のクブルスリー少将閣下からだ」
情報分析にも定評がある戦略研究科の若手であるウィッティは、直接には言いづらい伝言を頼まれるほどにクブルスリーから信頼されている。故にクブルスリーが思ったより早く統合作戦本部長に就任した時、ウィッティを高級副官に任命したのだろう。フォークの凶刃さえ防げていれば、原作でも指折りのキャラになっていただろうが、それは今言うべきことではない。俺はしばらく無言で何も映っていない天井を見つめた後、少しばかりの諦めを含めてウィッティに言った。
「いい上官か? クブルスリー少将閣下は」
「そうだな。ヴィクが歳を取れば、ああいうふうになるんだろうなと考えるくらいには、いい上官だと思うよ」
俺の問いに、ウィッティは照れくさそうに肩を竦めて応えてくれた。
◆
ウィッティが司令部から作戦本部へ帰って行ったあと、殆ど入れ違いで戻ってきた爺様に俺はクブルスリー少将からの伝言を告げた。果たして爺様はオフィスチェアにどっかりと腰を下ろすと、司令官室内に響き渡るような大きな溜息をついて
「言い訳だけでも伝えてくれるんじゃから、まぁクブルスリーにしては上出来じゃな」
などと皮肉ぽく呟いた後、不在としている者も含め司令部全員に今日は早上がりするように、と命じた。司令官室から退出する際、こっそりと振り返ると爺様は座ったまま腕を組んで額にしわを寄せたまま天井を見つめていた。
いずれにしても許可ある早上がりは滅多にないので、ファイフェルには充分睡眠をとっておけよと伝え、俺はグレゴリー叔父の官舎へと向かった。自分の官舎……というよりは中級幹部向けの、前世時代におけるやや広めのマンションの一室に帰ったところで寝るだけなので、たまには家族の顔を見たくなっただけであって、決して夕食をご馳走になろうと思ったわけではないのだが……
「ヴィク兄ちゃんに私の士官学校受験について、お父さんやお母さんの説得を手伝ってほしいんだけど」
今年一二歳のイロナと九歳のラリサの即席家庭教師をした挙句、レーナ叔母さんには強制的に夕飯の席に付けさせられ、一五歳になったアントニナから夕食後『学校生活の面で』相談があると言われて、ノコノコとガレージの裏側についていったら、それが罠だった。
「……」
「一月の早期卒業は認めてくれなかった。軍籍に入ることをお母さんは絶対反対。お父さんも直接は言わないけれど反対してるんだ」
確かに原作でもユリアンが早期卒業制度の話をヤンにしてたような気がする。アントニナはユリアンとは違い家庭的にも財産的にも恵まれている。少なくとも将来を軍に担保しなければならないような状況ではない。ボロディン家は同盟開闢とは言わないまでも、長く続く軍人家系として世間ではそれなりに知られている。ボロディン家に生まれた男子の七割以上が軍人になっているし、女性の軍人も少なくない。そして戦死者・戦傷者・行方不明者もそれなりにいる。
「お母さんは自分だって軍人だったのに、僕には軍人になってはいけないって言うなんて、矛盾してておかしいと思うんだけど」
「う~ん」
「だからお願い。手を貸して」
別に仏教徒でもないアントニナが、手を合わせて拝んでくるのを見て、俺は一度雲一つなく輝くハイネセンの夜空を見上げた。ヤンがユリアンから軍人になりたいと最初に相談されたのは二九歳のころか。今の俺は二五歳だが、前世の年齢も含めれば五〇を超えている。独り身で子供が当然いないのはヤンも同じだが、アントニナからの相談に対するアドバイスではヘイゼルの瞳の一件を上げるまでもなく俺には向いていないように思える。つまるところ俺は精神的にこちらの世界の年齢以上に成長していないのかもしれない。
だがアントニナにとってみれば俺はこの一件においては縋れる唯一の家族だろう。レーナ叔母さんもいろいろ考えた上で反対していると推測できるが、詳しくその理由を話していないのかもしれない。贔屓目抜きにしてもアントニナは運動神経が抜群で頭もよく回る子だが、軍人となるには致命的な欠点もある。そこを言うのはやはり正確には『家族ではない』俺の仕事なのだろう。俺はアントニナをガレージに待たせ、一度母屋に戻ってレーナ叔母さんにアントニナと散歩に出かける旨伝えると、再びガレージに戻ってゴールデンブリッジ街の歩道を二人で歩き始めた。
「アントニナ、なんで軍人なんかになりたいんだ?」
無言で一〇数分歩いた後、俺は軽い口調でアントニナに言った。
「言うまでもなく軍人は国家公務員の殺し屋だ。いくら御大層な題目を述べたところで、やっていることは人殺し以外のなにものでもない。そして殺しにかかる以上、こちらが殺されることも当然ある」
「うん。でも僕はボロディン家の人間だし」
「親の稼業を継がなきゃいけないなんて法律はないさ。軍人家系なんて言い方を変えれば代々殺し屋の一族と名乗っているようなものさ。あまり褒められたものじゃないだろう?」
「……じゃあ、なんでヴィク兄ちゃんは軍人になったの?」
「どうしてもやらなくてはならないことがあった。なす為には政治家になるか、軍人になるか、官僚になるか、そのいずれかしか道はなかった。そして一番確実だったのが軍人だった」
自由惑星同盟を金髪の孺子の侵略から救う為には、孺子を確実に自分の手で殺せる軍人一択しかないのだが、敢えて方法論としてはほかにも道はある。だがそのどれもが不確実であり、スタートラインにつく前にゴールしてしまうシナリオしか思いつかなかった。
自分がこの世界の未来を知っているなどと、口が裂けても言えない。それはアントニナにですらもだ。現時点でほぼほぼ原作通りに物語は進んでいるが、確実に一一年後、自由惑星同盟が新銀河帝国に併呑されるかとは言い切れない。言い切れない故に、俺は軍人になるしかなかった。
「ヴィク兄ちゃんのやらなくてはならないことってなに?」
「それはアントニナにも言えない。だがその為には自分の自由を犠牲にすることを厭わない。そういうものさ」
「それは……うん。僕にもある」
アントニナは何となくではあるが自信げに頷いた。
「僕自身にも軍人になる目的というのはある。勿論、兄ちゃんには言えないけど」
「だがアントニナは明らかに性格が軍人向きじゃない。本音を言えば無理だ、と思えるくらいの致命的な欠点だ」
「なにがさ!」
急に歩みを止め、両拳を地面に伸ばし、俺を見上げるきめ細かい褐色の端正な顔には、今まで見たこともないような鋭い殺気と反抗心の籠ったグレーの瞳があり、俺を突き刺す。まさに飼い主に裏切られて野生化した犬のような瞳。その瞳に映る振り向いたままの俺の顔は、何の感情もない冷たいものだ。
「軍は組織で、軍人は組織の一部品として動く。たとえ納得できない事態があっても納得しなければならない。そうでなければ組織は十全にその能力を発揮することができず、結果として市民と国家に重大な損害をもたらすことになる」
「……」
「どのような組織でも大なり小なりそれはある。だが軍は人間の命が天秤にかかっている。故にどんな理不尽な命令であろうと、軍規に即している限りにおいては従わなくてはならない。わかるか?」
「……」
「仮に今の応答を軍でやってみろ。悪ければお前は抗命罪に問われ、問われればほぼ間違いなく軍から追放される。軍とはそういう理不尽極まりない組織なんだ」
「……」
「筋を通し納得がいかないことにはとことん噛みついてくる、アントニナの性格は人間としては誇れるべきものだ。だが軍という組織はアントニナの誇るべき性格を真っ向から否定し潰すだろう」
「……」
「士官学校入学試験を受けるのは自由だ。だが軍人になるというのは、少なくとも基本的人権が否定されることもあるということをはっきりと理解すべきだ。それを理解した上で、もう一度ゆっくりと考えてから結論を出せばいい。幸い願書の提出期限はまだ先だ。ただ、これだけは言っておくぞ、アントニナ」
「……」
「士官学校に合格できなかったら、軍への志願は止めるべきだ。士官ならまだしも、下士官や兵士はアントニナには務まらない」
殺気の半分が困惑に代わったアントニナの視線と、左肩越しにそれを見返す俺の視線が、両者の中間でぶつかる。火花が散るかと思えるほど鋭く、実時間では短い無言のやり取りは、俺のほうから切り上げた。いつもよりゆっくりと。半分の歩幅で歩きだす俺の後ろを、アントニナは一〇歩離れてついてくる。 家に着くまでずっと無言のまま行進は続き、俺は玄関でレーナ叔母さんにアントニナを引き渡した。叔母さんもアントニナの様子からなにか悟ったみたいではあったが、何も言わずに敬礼とお辞儀だけして別れた。
それから無人タクシーを呼ぶことなく俺はゴールデンブリッジの街路を歩き続けた。これでまたしばらく俺はこの家には帰れないだろうなぁと、頭を掻きながら。
後書き
2020.11.03 更新
第53話 揺籠期は終わった
前書き
散々な1年でしたが、とりあえず時間ができて、文字書きが
復活してよかったと思うしかありません。
明日はもう来年ですが。
宇宙歴七八九年 二月 ハイネセン
建物全体が騒がしくなる定例人事異動の季節がやってきた。しかしながら現在の宇宙艦隊司令部は第四次イゼルローン攻略戦とそれに付随する別口の作戦でてんやわんやの大騒ぎなので、人事も出動しない艦隊や辺境哨戒などで、さらに小規模なレベルで収まっていた。ただし、いつもの名簿はいつも通りに送られてくる。去年一年でさらに一〇五人の名前が赤く染まっていた。
そして事前の予定通り二月一日を持って第四四九〇編成部隊は、俺の作った素案を司令部全員で再添削して、部隊編制骨格以外は全く別物になってしまった戦闘序列が宇宙艦隊司令部の承認を受け、正式に『第四四高速機動集団』発足とあいなった。
それに伴い機動集団次席指揮官であるジョン=プロウライト准将と、機動集団第三部隊指揮官となったネリオ=バンフィ代将の幕僚オフィスも開設されることになり、我々第四四九〇編成部隊司令部は機動集団中央司令部となるに伴い、宇宙艦隊司令部オフィスタワー内での引越しが行われた。
今までは編成部隊故に幕僚全員が集まることのできるスペースがあるオフィスではなかったが、これを機に二回りほど大きなオフィスが割り当てられた。町の中小不動産会社のオフィスが、中堅機械メーカーのオフィスに進化したようなもので、軍属として各部隊の指揮官に顔を知られることになったブライトウェル嬢も、ひっきりなしに応接対応している。
二月三日に行われた集団結成式には司令部要員は勿論のこと、集団に所属する全艦艇の艦長も集合した。人数だけで三〇〇〇人。当然統合作戦本部地下の集会場に比べればささやかな規模ではあるが、モンティージャ中佐が『適当にパーツを組み合わせて作ってみた』と自称する第四四高速機動集団の軍徽章を大写しにしたスクリーンの前で一同が揃って撮った記念映像を見ると、軍事浪漫チズムとは無縁だと思っていた自分でも何となく高揚したモノを感じたことは否定できなかった。作戦が終了した時、映像に映っていた人々がどれだけ残っているかわからないにしても。
結成式が終わり解散となった後、多くの艦長達が個別に爺様やモンシャルマン参謀長に挨拶に押し寄せて来た。傍にいる故に大抵の艦長達は俺にはついでに握手するという形だったが、最後に残った二人の艦長が爺様から何か言い含められたのか、参謀長や中佐達をすっ飛ばして俺に向かってきた。一人は一九〇センチ近い長身痩身の白人中佐、もう一人は俺と同じくらいの体つきの黒人少佐。肌の色も体格も顔のつくりも全く異なる二人だが、その顔は一様に疲労と苦悩が刻み込まれていた。
「ヴィクトール=ボロディン少佐でありますか?」
俺の右手指先が額にたどり着くより数段早く、直立不動で寸分の隙もない敬礼をしてきた中佐はそう問いかけてきた。
「ええ、そうです。失礼ですが……」
「戦艦アラミノスの艦長を務めます、イェレ=フィンクと申します。こちらは嚮導巡航艦エル・セラト艦長のモディボ=ユタン少佐です」
「これは失礼しました、フィンク中佐、ユタン少佐」
改めて敬礼した後、俺は敢えて失礼を承知で二人に右手を差し伸べた。顔見知りでも同期でもない。年齢から言えば間違いなく一〇歳は年上であろう二人は俺の行動に戸惑い、顔を見合わせた後からそれぞれ手を握り返してくれた。
「ビュコック少将閣下から伺いました。少佐のご判断で第八七〇九哨戒隊を解散させなかったと。ありがとうございます」
「いえ、感謝されるほどのことでは」
「いいえ、少佐のおかげで我々は『戦って死ぬ』ことが許されたのです」
そう言うフィンク中佐の顔にはほんの僅かにではあったが明るさがあった。それはユタン少佐にもある。
「戦場で少将閣下に『助言』される際には、是非とも我々をお使いください。どこでも、『いかようにでも』働いてご覧にいれましょう」
「ブライトウェル嬢についても伺いました。ボロディン少佐のご配慮、感謝します」
それまで口を開かなかったユタン少佐の口ぶりは、まさに窮地にある姪っ子を心配する叔父さんそのものだった。たったそれだけだったが、言いたいことを言ってすっきりしたのか、二人はもう一度俺に敬礼するときれいに回れ右をして会議場から去っていく。俺は彼らの背中から視線を逸らすことができなかった。
命令上従わざるを得ない状況下で許されざる罪を背負わされた彼らを、世間の人は常に責め立ててきたのだろう。ほぼ間違いなくエル・ファシル駐留艦隊の家族はヤンの奇策によって救われた。第八七〇九哨戒隊の乗組員はきっと生きて家族に会えたに違いない。たとえそれが地獄であると分かっていても、だ。だがだからといって……
「そんな簡単に死なせてたまるものかよ」
俺は退出者でごった返し、既にどれだかわからなくなった二人の背中に向けて、呟くのだった。
◆
二月一五日。結成式から一〇日余りで書き上げた第四四高速機動集団の訓練計画を、俺は爺様に提出する。
たった二四〇〇隻。俺が査閲部にいた時、一個艦隊の訓練査閲を実施したものだが、「チェックする側」と「チェックされる側」の違いをしみじみと感じざるを得なかった。結成したばかりの部隊訓練に、かつて第三艦隊が提出した訓練計画をそのまま焼き直しても意味はないと考え、評点を下げて難易度も相当落とした計画書を提出したのだが、果たして爺様の評価は惨憺たるものだった。
「ジュニア。訓練がこれではまともな戦闘が出来ん。もうちょっと厳しくすべきではないかの」
パピルスも含めれば産まれてより六〇〇〇年。いまだに死に絶えない紙の訓練計画書を右手で叩いた上で、俺をどんぐりのように丸い目で睨みつけてくる。だがその視線は言葉通りに酷評しているというよりは、なんでこんな計画を作ったのか説明を求めるものであるとはっきりとわかった。俺の左横に立つモンシャルマン参謀長は計画書に視線を落としたまま首を傾げているだけで何も言わない。爺様の左後ろに立つファイフェルは『僕は何も言いません』と直立不動で主張している。頼りにならない後輩を一瞥した後、俺は自分用に添削していた計画書を開いて爺様に応えた。
「結成されたばかりの部隊ですので、まずはどれだけ動けるか、各部隊の指揮官がどれだけ部下を掌握しているかを確認する上で、このレベルが一番良いと考えました」
「しかしマーロヴィアの特務戦隊であれば、ウィスキーを呑みながらでもできそうなレベルじゃぞ?」
「私見を申し上げてもよろしいでしょうか?」
「かまわん」
「どのような組織であれ、新たに結成するにあたり最も重要なものを小官は『相互確認』であると考えます」
誰が上司で、誰が同僚で、誰が部下か。どのような考えを持ち、どの程度のことができるのか。組織として集団行動を行う際、特殊な例を除けばそれを知ることで、個々が自らの立ち位置をはっきりと理解することができる。
おそらく俺が計画した訓練計画であれば、ほぼすべての艦が目標を達成することができるだろう。余程のつむじ曲がりでない限り、自らの立ち位置の確認と成功体験は人間の心に安定をもたらす。その積み重ねがより高度な目標を達成する糧になる。
原作における同盟末期、ザーニアル、マリネッティと言った中堅指揮官が率いていた分艦隊が暴走したのも、指揮官の優劣以前に普段から意思疎通の全くない警備艦隊や巡察艦隊を掻き集めた上、まともな訓練をせずに戦場へ放り込んだからに他ならない。
原作云々抜きにして大体そんなことを爺様に話すと、爺様は首を傾げ『どうしたものかな』とモンシャルマン参謀長に視線を送ると、参謀長は軽く咳払いをしてから俺に言った。
「君が上官の用兵術を解釈して訓練計画を立てたのは理解するが、逆にこの程度のレベルであると馬鹿にされたと各指揮官たちが不満を持つのではないか?」
「はい。参謀長のご懸念通りであると、小官も考えます」
「敢えてそこに踏み込むというのだね?」
「査閲部に一年ほど居りましたが、どれほど公平に評価したつもりでも、不満を持たない指揮官は一人としておりませんでした。このドリルにした目的は大きく分けて二つ。一つは『成功体験を獲得すること』もう一つは『艦隊火力統制の基礎を徹底的に身に染み込ませること』です」
「……まるで小学校教師の言うセリフだな」
「申し訳ありません。実際に初等教育要綱を参考にいたしました」
「ジュニアの究極の目的は『基礎機動運用時間の短縮』じゃな?」
「はい」
爺様は一言で簡潔に纏めてくれた。イゼルローン攻略の付属作戦ということで少なくとも敵戦力がこちらよりも大幅に多い場合は、撤退を視野に入れてもいいという心理的余裕がある。なれば司令官の指揮能力を確実にこなせる戦力を整備し、その上で各層の指揮官達が不満を持ち、より高度に挑戦しようとする意欲を持たせなくてはならない。納得した上で作成した訓練計画だ。俺は睨みつける爺様の瞳をまっすぐに見返した。
「よかろう。訓練の基準はこれで行く」
爺様の決断に、俺は敬礼ではなく頭を下げて応えた。爺様がいずれ第五艦隊司令官となる時、この第四四高速機動集団が基幹部隊となるかはわからない。だがそうなってもおかしくないように整備すべきなのだ。
「それと貴官が提出していた有給休暇の件じゃが、作戦案が間に合うようであるなら許可する。だいぶジュニアには甘いかもしれんが、他の若い連中と羽を伸ばしてくるといい」
「ありがとうございます」
「なに、当日はファイフェルに代わりをやらせるからの」
腕を組んでウンウンと頷く爺様と、無表情の顔と対照的な含み笑いの目のモンシャルマン参謀長と……爺様から見えていないことをいいことにムチャクチャ渋い顔をしているファイフェルに対して、俺は完璧な敬礼で応えるのだった。
そして上司からの承認が得られれば、あとは量が多いだけのルーチンワークだ。フィッシャー師匠直伝の訓練査閲マニュアル(無断作成)という『チート』があるから、抑えるべき査閲側のチェック点と手続きに問題はない。これを第四四高速機動集団の各組織レベルに落とし込んでいく。ほぼ均等に割り振ったので、独立部隊三、戦隊は一五、小隊は八〇、分隊は四〇〇弱。第三艦隊の規模に比べればはるかに小さい。それでもフィッシャー班の実施した査閲規模の半分になり、一〇人でやっていた仕事を一人でこなさねばならなくなった。
徹夜につぐ徹夜。並行してモンシャルマン参謀長と共にエル・ファシル解放作戦の作戦骨子を検討する必要もあり、モンティージャ・カステル両中佐と共に宇宙艦隊司令部のオフィスから何度も朝焼けを見たことか。司令部の一番の下っ端はファイフェルだが、彼は爺様の副官でもあるので爺様が司令部を下がれば彼も帰宅する。必然的に、俺が徹夜組の夜食や軽食の準備をすることになる。
何度目かの徹夜明けの朝。司令部のキッチン冷蔵庫に残して置いた艦隊乗組員用戦闘糧食(放出品)を朝食代わりに温めつつ髭を剃っていると、軍属姿のブライトウェル嬢が両手に大きな袋を抱えてキッチンに入ってきた。こちらはヨレヨレのシャツに皺の寄ったスラックス。一方の彼女はショーケースから出てきたと言わんばかりにぴっしりとアイロンのかかった上下に身を包んでいる。
「……やぁ、おはよう」
「……おはようございます。ボロディン少佐殿」
なんとも気まずい遭遇に、気の利いた言葉を口に出すことはできない。だがこのキッチンは彼女の戦場であり、少なくとも主が帰ってきた以上、俺が暢気に髭を剃っていい場所ではない。電動剃刀とタオルを片手にキッチンから出ようとすると、背中から声をかけられた。
「少佐殿。少佐殿は何故そこまで熱心にお仕事をされるんですか?」
キッチンが本来の意図で使われるよう動き始めた音に交わり、かけられたその声には非難というより不満がこめられていた。そしてこの質問を浴びるのは三度目。一人は獄中にありもう一人は遠きマーロヴィアにあるが、いずれも歴戦の軍人からだった。
「何度か同じような質問を受けたことがあるけれど、それほど熱心に働いているように見えるかな?」
「はい」
手際よく給湯と食材洗浄をこなしつつ、ブライトウェル嬢は顔をこちらに向けずに応えた。
「卑怯者の娘の私が言うのも可笑しいですが、少佐殿の働きぶりは狂気すら孕んでいるように見えます」
「狂気……」
「父も……そうあの父もそうでした。ケリムでもハイネセンでも、遠征や星域哨戒以外でも家に帰って来ないことがありました。官舎で書類を処理していてことも一度や二度ではありません。私や母を顧みない、というわけではないのはわかっていましたが」
「……」
「でも父はああいう卑怯な真似をしました。市民を守るべき軍人が、民間人を見捨てて……少佐、少佐もそうなのですか? そして罪滅ぼしのつもりで私を」
「断じて違う」
俺は思わずキッチン入口の三方枠を思いっきり平手で叩いて大声で言った。その声に彼女の体はびくりと緊張し、驚愕と恐怖が半々のはじめて見せる表情で俺を見つめる。そのダークグレーの瞳には怒りに震える俺の顔がきっと映っていることだろう。
「君に言うのは酷な話かもしれないが、聞いてくれるか?」
そういう俺に彼女は水栓を止めて体をこちらに向けると、小さく無言で頷いた。それを了承と判断した俺は、小さく腹の底から息を吐いてから彼女の視線を受け止めるように見つめて言った。
「リンチ少将閣下は民主主義国家の軍人として果たさなければならない義務を怠った。仮に選択肢が『死』しかないかもしれないとしても、だ」
「……」
「それは軍人としての罪であり、非難に値する閣下の罪だ。だが軍組織の根幹たる命令服従の原則に従っただけの閣下の部下と、ただ閣下の家族というだけで世間から非難されることなど断じてあってはならない。それはこの国が自由と民主主義と法治主義の下にある原則どうこうだけでなく、俺自身の心がそれを許せないからだ。まず君を庇うように見える俺の行動は、罪滅ぼしなどという『善意』ではなくただ単に俺自身の信念に従っているだけに過ぎない」
軍は国家の持つ武器であり、武器である以上、その使用には慎重を期さなければならない。つまり一度下された命令は確実に実行されるべきだ。リンチの部下に瑕疵があるとすれば、それはリンチの作戦に異議を唱えなかったこと、その命令が軍憲章に反することを指摘しなかったことだ。だが一戦艦の艦長や乗組員にどうしてそれが出来ようか。まして軍作戦と全く関係のない彼女や彼女の母に、いったいどんな非難に値する罪などあろうか。
「自分の考えた作戦なり下した命令が、多くの将兵の生死を分け、その家族の心に重荷をかける事を考えれば、どれだけ考えを尽くしても考え過ぎるということはなく、それを任務とする一介の参謀の労苦などそれに比べれば些細なことに過ぎない」
どんな作戦でも犠牲者は少なからず出る。敗北すればそれは大きくなる。戦争がゲームなら、かかっているチップは人命だ。それは数字であるが、その数字には積み重ねてきた過去と家族がある。戦略目標を達成するための犠牲をいかに減らすか。彼女がいうように狂気に見えようとも、軍の命令上位者は前線だろうが後方だろうが常にそれを考えているべきなのだ。
「リンチ少将閣下もそれは理解していた。少なくともケリム星域第七一警備艦隊司令官の時は。だが理解していても、人は危機に陥った時、自らの生存本能に思考を引き摺られ理解していることを忘れてしまう。一般市民ならそれでもいいだろう。だが少なくとも市民を守るために武力を行使する立場の自由惑星同盟軍の軍人はそうあるべきではない」
俺がそこまで言いきり口を閉ざしてブライトウェル嬢を見ると、嬢もまた口を一文字にして俺を見つめている。その瞳はこの司令部で初めて会った時のような冷たい厭世感漂うものではなかった。かつてケリムで戦う時に見せたリンチの、戦意と自らの信念に誇りを持っていた時の、熱い情熱的な瞳だった。
「君には俺が狂人に見えることがあるかもしれないし、事実他の軍人から見れば狂人そのものかもしれないが、まぁそういう信念の持ち主だと理解してほしい」
「理解しました」
彼女は歴戦の下士官のように自信に溢れた、若造の士官を叱咤するように敬礼した後、さらに俺に言った。
「ですので、今後ボロディン少佐殿が徹夜される際は夕刻までに私まで必ずご連絡ください」
「え? なんで?」
俺が全く関係ない返答に戸惑っていると、電子レンジがチーンと鳴り、温め中の戦闘糧食が自動的にスライドしてきて、キッチンにハンバーグの匂いを漂わせる。その音に一度ブライトウェル嬢は視線を動かした後、俺に向き直っていった。
「兵員二四万名の命を預かる少佐殿の平時の朝食が戦闘糧食などというのは、司令部軍属としての任務を十全に果たしていないことになりますので」
そう言うとかなり熱くなった戦闘糧食を彼女は俺に差し出した。その顔はケリムの司令官官舎で会った時の彼女の笑顔そのものだった。
後書き
2020.12.31 更新
第54話 友人
前書き
正月休みぐらいしか、書く時間はないので必死に進めます。
仕事が始まったら、寝る作業しかできそうにないので。
宇宙歴七八九年 二月二五日 ハイネセン ホテル・オークフォレスト
上司に内容を知られている有給休暇というのは、転生前も転生後も全く嬉しくないものだが、とにかく仕事を休めるというのはいいと思うくらいには疲れているのも前世と変わらない。
キャゼルヌの、恐らくは第四次イゼルローン攻略戦に向かう多くの、それに比べてエル・ファシル攻略戦に向かうほんの僅かな親しい知人達に休暇を与えるという配慮に、本当は喜んで応えなければならないのだが、ボロディン家に届いた一枚の招待状によってそれは赦されなかった。
「じゃあ、今日はイロナをよろしくお願いね。ヴィク」
そう言うレーナ叔母さんの横には、一二歳になったイロナが濃紺のワンピースに白いブラウスといういでたちで立っていた。ボロディン家の遺伝体質なのか、背丈は間違いなく一六〇センチを超えている。ただ『随所に』メリハリの付いているアントニナとは違って、清楚なワンピースが実によく似合うスタイルなのだが……
「ヴィク兄さん。これ、アントニナ姉さんとラリサからです」
無人タクシーの助手席に座ったイロナが、手持ちのハンドバッグから折りたたまれた一枚の紙を差し出した。掌サイズの小さな紙にはびっしりと要求品目が書き込まれている。一読しただけで俺の一ケ月分の給与が飛びそうになったので、はぁ~と溜息をつくと、イロナが左手の人差し指を口に当ててクスリと笑った。
「姉さん、相当いじけてますよ。ただでさえ受験勉強でストレスが溜まっているのに、私一人だけ結婚式に招待されるって話聞いちゃって」
「受験勉強か。やっぱりアントニナは士官学校を受けるつもりなのか?」
「落ちたら軍志望はきっぱり止めるって、お父さんとお母さんに宣言しましたから」
「それでレーナ叔母さんは納得したのかな」
「しぶしぶ、といった感じでした。姉さんの学力なら受かったも同然ですし」
「だろうな」
当然同級であるフレデリカも士官学校を受験する。それはヤンに再び出会い、ヤンの役に立ちたいという希望からだった。ではアントニナは何の為にか。思い上がるなら俺の為ということになるが、どうもそれだけではないように思える。
「アントニナがどの学科を受験するか聞いているか?」
「情報分析科と法務研究科と空戦技術科の併願だそうです」
「空戦技術科は止しておいた方がいいと思うがなぁ」
「お父さんも同じことを言ってました。やっぱり『危ない』んですね?」
「まぁ……そうだな」
何年も苦労してスパルタニアン搭乗員資格を取得できたとしても、母艦が吹き飛べば出撃すらできずに戦死してしまう。偵察型を除けば航続力が短いから母艦に帰れず彷徨う亡霊となることもしばしば。消耗の激しいゆえに搭乗員の平均寿命が艦隊乗組員のそれより大幅に短いのも事実で、グレゴリー叔父はそれを心配しているのだろうが……実のところ三歳年上に九無主義の色男がいるというのが、俺の不安要素だ。まぁ、あの男が相手にするのは大人の女であって女の子ではないんだろうが。
そんなことを思いつつある意味三姉妹で一番大人なイロナと三年分積もった家族の会話をしているうちに、無人タクシーはホテルの近くに停車する。そこには当然のように、俺の高級副官が待っていた。
「おう、ヴィク。遅かっ……妹さんまでご一緒とは聞いてないぞ」
「言ってないからな」
澄まして応えると、ウィッティは俺の肩に右腕を廻し、イロナに背を向けて呟くように言った。
「あのなぁ。こういう大切なことはだ、事前に親友には話しておくべきだろうが」
「イロナはウィッティの好みか?」
「実に好みだが、そういうことじゃない。普通、年頃の親友の妹さんが来るとなれば、プレゼントの一つや二つは用意しておかなきゃいけないんだ。そういう事前の配慮ができないからお前、女の子にモテないんだぞ?」
「……それとこれとは関係ないだろう」
「関係あるんだよ」
「じゃあ、後で買い物に付き合え。アントニナとラリサの分は俺とお前で折半だ」
「まったく、頼りにならないアル中のお義兄様だn……」
言い終える前に俺はウィッティの脇腹に右拳を強く叩き込むと、そのまま肩を引き摺りながら会場へと引っ立てる。そのまま恐らくはオルタンスさんの友人であろう受付の若い女性に招待状を見せると、俺とウィッティとを品定めするような視線で見つめ……後ろに控えて咳払いをしたイロナの姿を見て一気に無表情になった。
ホテルの中庭を貸し切った会場内に入ると、やはりというか白い軍の礼服が多かった。その殆どはキャゼルヌの同期かその前後の年齢が中心だが、その中にも複数の高官が含まれており、オルタンスさんが高官の令嬢ではないことを残念がっている……まさに原作文章通りの光景だった。
その中でなるべく目立たないようにこっそりと端の方に立っている、黒い髪と黒い目、中肉中背の若い少佐の姿を、俺とウィッティとイロナは見つける。近寄ってくる俺らをまさに哨戒レーダーのごとく感知した若い少佐は、横に控えるこれまたよく見覚えのある鉄灰色の髪をした士官候補生と並んで俺に敬礼した。
「同じ少佐とはいえ、昇進したのはそっちが先なんだから、先に手を下ろせよヤン」
「そんなおっかないこと出来るわけないじゃないですか、ボロディン先輩」
「俺はまだ大尉なんだ。悪いな、ウェンリー」
「ウィッティ先輩も冗談が過ぎますよ。勘弁してください」
お互い苦笑しながらほぼ同時に手を下ろすと、ヤンが簡単にアッテンボローをウィッティに紹介し、お互い握手する。そして俺の背中に隠れようとしていたイロナを、俺はヤンとアッテンボローの前に引っ張り出した。
「え、まさかこの黒髪の美人さんがあの時の肩車したイロナちゃん? マジで?」
イロナを指差しながら近づくアッテンボローに、俺はすかさず右腕でイロナを手前に引き寄せると、返す左腕を伸ばし人差し指で強くアッテンボローの額をはじく。「アイタァァ」と悲鳴を上げて額に手を当て、芝生に蹲るアッテンボローを横目に、ヤンは呆れ顔で肩を竦めるとイロナに右手を伸ばした。
「三年ぶりですね、お久しぶりです。ミス=ボロディン」
「お久しぶりです。ヤン少佐。エル=ファシルでのご活躍、びっくりしました」
「別に大したことをしたわけじゃないんですけどねぇ」
「エル=ファシルに行ったフレデリカ先輩の命を助けてくれたんです。本当にありがとうございました」
握手の後、腰を九〇度に曲げ深く頭を下げるイロナに代わって、フレデリカとイロナの関係を俺が簡単に説明すると、ヤンの顔から困惑と迷惑の成分が少しずつ抜けていくのが分かった。
「英雄と言われるのは性に合わないか」
アッテンボローの歯が浮くような賛辞と、それを牽制するかのようなウィッティのイロナに対するフォローを眺めつつ、俺はぼんやりとした表情で横に立つヤンに囁くように言った。掻い摘んで聞くにエル=ファシルから戻り、ブルース=アッシュビーの謀殺説を調査し、惑星エコニアの捕虜収容所の参事官をたった二週間務めていた。その間にアルフレット=ローザスとクリストフ=フォン=ケーフェンヒラーを見送って、現在は第八艦隊司令部作戦課に勤務している。
原作通りの人生を送っているヤンに改めて聞くまでもないとは思うが、俺は敢えて口にした。そしてその返答もまた予想通りだった。
「英雄なんてものは酒場にはいっぱいいて歯医者の治療台にはいない程度のものでしょう?」
「俺もそう思う。だが他人がどう言おうと、お前はよくやった」
「運が良かっただけです」
「そうだな。そうかもしれない。だが運を掴みきるために最大限努力はしただろう? エル=ファシルで」
「そうですね……そういう意味でボロディン先輩には感謝してます」
「なんでまた」
「『好き嫌いで逃げることなく、なるべく手を抜かずに努力せよ』 おかげさまで一生分の勤勉さをあの地で使い果たしましたよ」
別に俺がそんなことを言わなくても、きっとお前は充分職務を果たしただろうと言おうとしたが、肩を竦めるヤンを見て俺は口を閉ざした。そのタイミングを見計らっていたのか、結婚式の主役の一人が俺とヤンのところにやってくる。最初にケーフェンヒラーが残した資料がB級重要事項に指定されたこと、ヤンの名前で出せば公表できることを話した。その内容について知っていても知らないふりをするのは苦労したが、すぐにキャゼルヌはヤンから俺に視線を移して言った。
「年齢から言えば次はお前さんの番だと思うが、その前に蹴躓くなよ。お前さんは奇妙なところで不器用だからな。俺にできることがあれば遠慮なく言ってくれ。ちゃんとカステルには秘密にしておく」
「ありがとうございます」
「あんな可愛い妹さんを泣かせるのは忍びないからな。まったく従兄に似ずいい子じゃないか。娘を持つならああいう子がいいな」
「そう仰っていただけると、義兄冥利に尽きるというものです」
「お前が育てたわけじゃなかろう。なにを偉そうに」
そう言ってパシンと俺の頭を叩くと、キャゼルヌはイロナやウィッティ・アッテンボローと話しているオルタンスさんたちの方へと去っていった。横で聞いていたヤンは、話の内容から俺が何処かに出征することに感づいたようだったが、形にして口に出すことはなかった。ただ一言。敬礼ではなく、俺に手を差し伸べて言った。
「『永遠ならざる平和』の為に」
俺はヤンの手を無言で握りしめるのだった。
◆
結婚式翌日も普段通り仕事は始まり、二回の徹夜と、何度かの激論の末、二月二九日。何とか参謀長の合格点を貰ったエル=ファシル星系奪還作戦の骨子と戦略評価を爺様に提出した。司令官公室で印刷されたそれを、一枚一枚慎重に読み進める爺様を前に、モンシャルマン参謀長もファイフェルも、勿論俺も直立不動の姿勢。二時間かけて読み終えた爺様は、大きく溜息をついた。
「まぁ、良かろう。少なくともジュニアの記している通り、負けがたい作戦ではある」
「ありがとうございます」
「ただ儂はともかく、この作戦案も戦略評価も慎重に過ぎると宇宙艦隊司令部だけでなく、協力する独立艦隊の指揮官あたりが文句をつけてくるのは間違いあるまい。そのあたりの『配慮』は考えておけよ?」
「承知しました」
「それと貴官が提出した第四四機動集団の訓練計画についてじゃが、統合作戦本部査閲部に一応承認された。返答が遅れたのはどうやら査閲部の方で訓練宙域の確保が遅れたからのようでな」
爺様はそう言うと机の上に置いてある通告書を座ったままファイフェルに手渡し、ファイフェルが俺に手渡した。ピラ一枚の通告書だが、統合作戦本部査閲部長ヴィンセント中将のサインがしっかり入っている。
四年と半年前。俺がお世話になった頃の査閲部の部長はクレブス中将、統計課長はハンシェル准将だった。二人ともいい歳した叩き上げの古強者だったから、もう定年で退任されたのかもしれない。一瞬だけ思い出に意識を飛ばしたが、通知書に書かれている文面を読み進めうちに首を傾げざるを得なかった。
「シュパーラ星域管区エレシュキガル演習宙域?」
俺の思わず出た言葉に合わせるかのように、爺様が獅子の喉鳴りのような咳払いをした。明らかな不満と怒りの前兆だが、もし俺が爺様の立場だったとしてもきっと同じような反応をすることだろう。
かつて訓練査閲したロフォーテン星域管区キベロン訓練宙域とは比べ物にならないほどハイネセンから遠い。補給・休養施設は訓練宙域というのだから恐らくあるのだろうが、ハイネセンとフェザーンを結ぶ中央航路との接続星域がランテマリオ星域で、さらに間にはマル・アデッタ星域を挟んでいる。記憶が確かなら航路距離でハイネセンから一七〇〇光年は離れているはずだ。訓練宙域に到着するのに一六日だから往復で三二日。エル・ファシル星系までは一五日の行程で状況開始が四月一五日であるとするならば、仮に今すぐ進発したとしても現地で訓練する時間はない。この程度のことを査閲部の訓練調整担当部署が知らないわけがないから、この通知書が言外に言っていることはただ一つだ。
「『いってこい』ですか」
「提出された訓練時間が長すぎるというのが、奴らの言い分じゃ。その代わり査閲担当官はジャムシードで分離、訓練の総合評価は現地簡易評価で代用すると言っておる」
「第四次イゼルローン攻略作戦の準備はそれほどまでに困難をきたしているのですか?」
「大男総身に知恵が何とやらだ」
複数の艦隊を動員するであろうイゼルローン攻略戦の事前準備に遅れが生じる可能性は高い。その為、大規模訓練を行うことが可能なキベロン訓練宙域が抑えられた。他の制式艦隊にも定期訓練がある以上、カッシナ、マスジット、パラス、ヴィットリアといった利便性のある程度きいた訓練宙域も予定が埋まっているのかもしれない。だからと言って訓練と実戦が一連の流れになるというのは、戦況によほど余裕がない場合に限られる。そう第七次イゼルローン攻略戦のような。
「野良訓練は……補給の手配が付かないのでしょうな」
参謀長の言う通り、指定宙域外での訓練には、訓練中事故の補償や補給・修理品の補充などの保証が付かない。まして民間航路近くで実弾演習などやって民間船舶を撃沈しようものなら、物理的に胸に穴が空く。マーロヴィアで特務戦隊を訓練できたのも、民間船どころか海賊船すら近寄らないド辺境で、しかもたった五隻だったからだ。第四四機動集団だけで二四五四隻、他の独立艦隊を含めると五〇〇〇隻近いの軍艦が砲撃演習を行ったら、機密云々どころではない。
「大至急カステル中佐に計画修正をお願いしませんと。ジャムシード星域内のいずれかの星域に補給艦と工作艦を手配して『野戦築城』する必要があります」
「私は他の独立艦隊に状況を説明し、第四四機動集団ともども順次進発するよう各所と調整しよう」
「泥縄じゃが、まぁこういうことは長い経験上珍しくもなかった。どこの誰でも不満があるようなら儂に直接言うよう、対応してくれ」
爺様の指示に、俺は敬礼してすぐさま司令官公室を飛び出すと、モンティージャ中佐とカステル中佐を司令部に呼び戻し、状況を伝えた。短距離選手のように滑り込んできたモンティージャ中佐は話を聞いて丸い目を糸のように細くしたし、カステル中佐はせっかくセットした髪を右手で搔き毟った挙句、間違いなく聞こえる範囲にいるブライトウェル嬢も真っ青になるような下品な呪詛を吐いた。それでも彼らは呆然とすることなく口と手を動かしはじめる。取りあえず仕事である作戦立案が一段落した俺は、訓練計画の見直しとともに一番忙しくなったカステル中佐の手伝いもする。キャゼルヌが『手際がいい』と評した通り、間違いなくこの日の司令部の主役はカステル中佐だった。
移動する手間を惜しみ、爺様の名前で独立艦隊の補給参謀達を各個に呼び出して状況を伝え、監禁するかのように第四四高速機動集団司令部に押し留めると、そこから各部隊へ連絡させつつ自分の仕事を手伝うチームを作り上げる。訓練宙域への補給物資の事前輸送や航路確認を関連各所と調整する。部隊所属の補給艦を最優先で進発させる手続きなど、流れるように仕事を進めていくが、二〇時を少し回った段階でカステル中佐の手が端末の前で文字通り止まった。
「ダメだ。ジャムシード星域での野戦築城用に手配できる補給艦と工作艦が一隻もない。俺の権限で依頼できる範囲は全部差し押さえられてる」
「他の星域の余剰艦を廻すことはできないんですか?」
「どこかのアホが再編成で手近の奴は掻き集めたらしい。これはイゼルローンの手前の何処かに大規模な前線基地を作るつもりだな」
補給参謀達がカステル中佐を囲んでああでもないこうでもないと討議しているが、一向に結論が出ない。
「……補給艦と工作艦が不足しているんですか?」
「ボロディン少佐。これは補給参謀の仕事だ。口をはさむな」
気の荒い独立艦隊の補給参謀の一人が俺を睨みつけたが、カステル中佐は意に介することなく俺に言った。
「最終補給用の給糧艦と貨物弾薬補給艦、それに艦艇の各ユニット交換可能な工作母艦。キベロンやハイネセンに戻れれば補給廠もドックもあるから本来不要なものなんだが……」
「必要隻数はどのくらいなんです?」
「戦闘艦艇五〇〇〇隻の半員数補給と軽度補修分だ。訓練で艦艇のどこにも傷が付かず故障もないっていうなら工作母艦は必要ないが、初めて集団行動する寄せ集めの機動集団なんだ。絶対故障は発生する。部隊随伴の工作艦だけでは処理しきれないし、シュパーラ星域管区の数少ないドックを使うわけにもいかない」
「そうですか……」
だいたい主攻がイゼルローンならこっちの作戦日程を後ろに一週間ずらせれば何とかなるのにな、と他の補給参謀が呟くのをしり目に、俺は喧々諤々している司令部事務室から離れ、主が帰った従卒控室に入る。私物が一切ない原状そのままの控室の扉を閉めて、俺は携帯端末を引き出しドラ●もんを呼び出した。
「新婚家庭の夜に電話してきたんだ。それなりの覚悟はしているんだろうな?」
携帯端末の画面に映るキャゼルヌは口ほどにも怒っていないように見えた。何しろ一コールで出てきてしかも制服なのだから、いくら背景がリビングでも帰宅したばかりというところだろう。後ろでオルタンスさんが調理している音も聞こえる。
「で、早速お願い事だな? 何だ、言ってみろ」
「戦闘艦艇五〇〇〇隻の半員数分補給と軽度補修可能な工作母艦を、四月一日までにジャムシード星域に調達していただきたいのですが?」
「そんな細かいご注文書を作ったのはカステルだな。奴の手に届く範囲は『あっち』に差し押さえられて首が回らない。そんなところだろう」
「おっしゃる通りです。後方勤務部やカステル中佐の前任の戦略輸送艦隊に頼むわけにもいかないので」
「お安い御用だ、とは言わないが、まぁそんなに難しい話じゃないな。送ってくれた業務用冷蔵庫分でチャラにしてやる。いつまでだ?」
「即答です」
「……訓練宙域がとんでもないところになったんだな。本来なら査閲部の責任だぞ、それは」
「査閲部も頑張って調整しているみたいですが『あっち』優先みたいです」
「よし、このまま奴と直接話をさせてくれ」
キャゼルヌはそう言うと画面の中で緩めたスカーフを締めなおして言った。
「しばらくカステルに冷たくされるかもしれんが、奴もそれは嫉妬と自覚しているだろうから許してやってくれ」
果たしてこの問題はあっさりと解決した。俺の端末画面を挟んで、キャゼルヌとカステル中佐は一瞬睨みあったが、キャゼルヌの『注文は受けたので、この件は任せてほしい。消費物資の会計処理は先輩(カステルのことだ)に任せます』の言葉に『新婚家庭の夜にすまない。頼んだ』の返事で終わったのだ。そして通話が終わった後、画面を切って端末を俺の胸に押し付けて言った。
「アイツと知り合いだっていうなら先に言え。まったく。取り越し苦労をさせやがって」
そういうカステルの顔も言葉ほどに怒っているようにも見えなかった。
後書き
2021.01.02 更新(行程距離変更)
2021.01.03 修正(エレキシュガル→エレシュキガル)
第55話 出動
前書き
正月攻勢です。
宇宙歴七八九年 三月一〇日 ハイネセン 第一軍事宇宙港
泥縄式に計画を前倒しする羽目になり、訓練から休暇も挟まず即実践という慌ただしい出動に、第四四高速機動集団に限らず作戦参加する将兵の不満は目に見えて高い。そして対外的には新編成部隊の合同訓練ということになっていた為、防衛出動のような軍楽隊も紙吹雪も用意されなかった。が、最低限将兵の家族との別れは済ませられるよう、無茶を言っている代わりに宇宙艦隊司令部と統合作戦本部が力を合わせて手配してくれたようだった。
そして俺にはグレゴリー叔父一家が揃って見送りに来てくれた。グレゴリー叔父は少将、第一艦隊副司令官の装いで。レーナ叔母さんと三姉妹は全員フォーマル。宇宙港の滑走路に設置されたフェンスを挟んで、全員と顔を合わせるのは本当に久しぶりだった。勿論、これが最後になるかもしれないが。
「まぁ参謀として近くで見てきたヴィクトールはわかるだろうが、ビュコック少将は平時でも頼りになるが、より戦場で頼りになる人だ」
グレゴリー叔父は真剣な顔つきで俺に言った。
「戦場についたら、ビュコック少将の指揮をよく見ておくんだ。それが必ずヴィクトールの為になる。あの人の積み重ねてきた、実績に裏付けされた指揮に匹敵するものは、同盟軍を探してもそうそうないからな」
「貴方。そんなことより……」
レーナ叔母さんがグレゴリー叔父を窘めるように口をはさむが、グレゴリー叔父は肩を竦めてまったく気にしていないようだった。
「ビュコック少将と同じ艦に乗るというだけで生死の心配は必要ない。あの人が戦場で死ぬようなことがあるとしたら、それこそ自由惑星同盟が滅亡するぐらいの危機だろうさ」
ここで俺はどんな返事をすればいいのだろう。グレゴリー叔父の予言の通り、一一年後、アレキサンドル=ビュコック元帥が、自由惑星同盟軍『最後の』宇宙艦隊を率いてマル・アデッタで消えるという未来の可能性を知っている身としては。
「兄ちゃん、とにかく無事に。無事に帰って来てね」
アントニナは今にも泣きそうな顔して手を合わせている。
「ヴィク兄さん。武運長久をお祈りします」
イロナもとかく感情を表に出さないよう努力しているようで、赤白い顔が小さく震えている。
「ヴィク兄ちゃん。エル=ファシルの特産品っていう林檎のお土産、よろしくね!」
……三姉妹では間違いなくラリサが一番軍人に向いているのだろう。
「絶対生きて帰ってくるんですよ。じゃないと私、エレーナになんて言って詫びたらいいか……」
もう完全に泣き出して背を向けているレーナ叔母さんと、それを抱くグレゴリー叔父に俺が敬礼すると、グレゴリー叔父も敬礼で応える。ボロディンという名の家に転生して二五年。海賊達と比較するまでもない、前世を含めて初めての『戦場に出る恐怖』を俺はようやく感じることができたが……
「ボロディン少佐殿、出発のお時間です」
俺の背後五メートル辺りから掛けられた声に振り向くと、一分の隙もない敬礼姿で立っているブライトウェル……兵長待遇軍属が立っていた。司令部の従卒である以上、司令部が戦場に出るのであれば軍属とはいえそれに同行する義務がある。だがアントニナと同い年の彼女を戦場に出すべきかどうか。実のところ司令部の面々がいろいろな抜け道を考えて止めさせようとしたにもかかわらず、彼女の意志は従軍を『切望』するであり、結局爺様としてもその意思を拒否することはできなかった。そして彼女は自分の貯金の半分を残る母親に、もう半分を食材の購入に使い果たしてここにいる。
「わかった。すぐ行く」
俺が振り返って彼女に敬礼すると、逆に俺の背中から聞きなれた叫び声を浴びせられた。
「ちょっとヴィク兄ちゃん! 誰、その女!」
「聞いてません! 説明を求めます!」
真っ赤な怒り顔でフェンスを越えようとするアントニナと、そのベルトを掴みながらもこちらに視線を向けるイロナ。その横で笑っているラリサと、事態に呆然としているレーナ叔母さん。ブライトウェル嬢がどういう素性か知っているグレゴリー叔父が、ボロディン家の女性陣に見えないように『早く行け』と太腿の横で手振りしている。俺がそれに従って小さく背中越しに右手を振ると、どうやら待っていたらしいブライトウェル嬢がはじめて見せる意地悪そうな視線を向けて言った。
「ここで少佐殿の右手に小官の左手を重ねたら、どうなりますでしょうか?」
「ボロディン家に俺が帰れなくなるからそれは絶対に止めてくれ」
「では、そのように」
そう言ってブライトウェル嬢が俺の右腕に体を寄せようとしてきたので慌てて右手で彼女の左肩を抑えると、さらに背後の(というかアントニナとイロナの)声が大きくなり、それに流されるように事態を見ていた周囲の笑い声が重なり、出征の見送りがなんとも締まらないドタバタコメディの有様になってしまった。
そして司令部のシャトルに乗るまでそう大して距離はなかったにもかかわらず、シャトルに向かう第四四機動集団の将兵達からは、俺とブライトウェル嬢に向けて好奇とからかいと微妙な嫉妬の視線が浴びせられた。が、その顔からは不思議と不満が消えていたようにも見えたのだった。
◆
そんな見送りから一三日後、第四四高速機動集団と独立部隊は各個ランテマリオ星域からマル・アデッタ星域に進入し、主恒星系たるマル・アデッタ星系の外縁部にて集結を果たした。恒星風とエネルギー流が無秩序に荒れ狂う、巨大な三重の小惑星帯がある実に不安定な星系。この手前で集結しなければ、寄せ集めの出来合い集団などでは迷子が続出することになるのが疑いないからだ。
最終的に集結したのは、宇宙戦部隊として一個機動集団と四個独立部隊、戦闘序列順に以下の通り。
第四四高速機動集団 アレクサンドル=ビュコック少将 以下 二四五四隻(内戦闘艦艇二一〇八隻)
第三四九独立機動部隊 ネイサン=アップルトン准将 以下 六七七隻(内戦闘艦艇 六二〇隻)
第三五一独立機動部隊 クレート=モリエート准将 以下 六四九隻(内戦闘艦艇 六〇九隻)
第四〇九広域巡察部隊 ルーシャン=ダウンズ准将 以下 五五二隻(内戦闘艦艇 五三〇隻)
第五四四独立機動部隊 セリオ=メンディエタ准将 以下 五七七隻(内戦闘艦艇 五四一隻)
地上戦部隊として二個歩兵師団と二個大気圏戦隊が戦闘序列順で以下の通り。
第七七降下猟兵師団 オレール=ディディエ少将(先任)以下 兵員七五〇〇名
第三二装甲機動歩兵師団 ミン=シェンハイ少将 以下 兵員七四〇〇名
付属第四五九大気圏戦隊および第四六〇大気圏戦隊
これに加えて後方支援部隊として工兵連隊が一つ。通信管制大隊が一つ。病院船戦隊(五隻)が付随する。
宇宙艦艇数 四九八七隻。戦闘宇宙艦艇 四四〇八隻。陸戦要員も含めた総兵員五七万四〇〇〇名。
そんな各部隊の指揮官達がそれぞれの参謀を引き連れ、爺様の旗艦である戦艦エル・トレメンドの大会議室に集まったのは一三時三〇分の昼食後のことだった。
名前を見て、写真も見て殆ど確信はしていたが、あの剛毅な紅い髭が生えていないので年齢よりかなり若く見える彼を何となく見つめていると、その視線に気が付いたのか参謀を席に置いたまま、彼は俺に近づいてきた。慌てて俺も近づいていき敬礼すると、彼はめんどくさそうに答礼し、すぐに口を開いた。
「第四四の次席参謀ボロディン少佐だったな。こうやってお話するのは初めてだが、第三八九のアップルトンだ。ビュコック閣下から聞き分けの無い孺子だと伺っている。これからよろしく頼むよ」
なんてことを言ってるんだと、思わず他の指揮官達と話している爺様に睨んだが、それすら意に介せずアップルトンは微笑を浮かべて言った。
「先程から私を見ていたようだが、何か言いたいことでもあるのかな? そういう性癖があるとは閣下から伺ってはいないが」
「第四四機動集団が先任部隊としての任務を果たせなくなった時に、部隊指揮をお願いすることになる方はどのような方かなと考えておりまして。特に深い意味はございません」
「縁起でもない。そうなったら貴官もこの世にいないということになるぞ?」
「そうならないよう、任務に精励いたします」
「やはり私は髭を生やした方がいいと思うかね?」
「ぜひそうすべきだと思います」
突然の奇襲的質問に俺が思わず条件反射的に応えると、「そうかぁ!」と異様に喜んで俺の両肩をバンバンと叩いて小躍りして自分の席へと戻っていく。席で待っていた参謀達にどうやら俺が言ったことを吹聴しているのか、参謀達の呆れた視線がアップルトン自身だけでなく俺にも飛んでくる。付き合いきれんと俺が雛壇にある自分の席に向かうとそのタイミングで地上軍の幕僚達が会議室に入ってきたため、会場は一瞬緊張に包まれる。が、それも一瞬で、すぐに何事もなかったように各々会話を切り上げて、席へと戻っていく。
宇宙戦部隊と地上戦部隊の見えない心の壁。それは宇宙艦隊司令長官と地上軍総監が本来は同格であるにもかかわらず、圧倒的に宇宙艦隊司令長官の方が軍内における権威が上であるということから始まっている。
これはある意味やむを得ないのも事実だ。星間国家同士の戦争である以上、星域の、星系の宙域支配権を争奪することが中心であり、惑星の軌道上を制圧することが出来れば、地上戦ですら軌道上からの極低周波ミサイルの絨毯爆撃で悉く地上構造物を粉砕することで終結させることができる。
それが容易にできない要塞や前進基地などの対軌道防御施設がある場所であり、あるいは有人惑星などの民間人がいて軌道上からの攻撃が極めて困難な場所こそが、地上戦の主戦場となる。宇宙戦部隊が星域に進入し、星系の制宙権を確保することがまず先決となり、それが終わってからでないと地上戦部隊の出番はない。何しろいくら人間がいても、人間単体では超光速移動はできないのだから。
故に「御膳立てしなければ何もしないごく潰し」という悪口と「まともに棒も振れない軍人モドキ」という悪口は、自由惑星同盟軍の組織が確立して以来、綿々と受け継がれるものだった。もっとも面と向かって言い合うことはあまりない。少なくとも重力の支配権の或るところで、地上戦部隊将兵に拳で勝つことはなかなかに難しいからだ。
今回の作戦でも作戦の主眼はエル=ファシル星系の制宙権を帝国から奪取することが主目標であり、民間人がエル=ファシルの英雄によって悉く後方に送り出された以上、現在惑星エル=ファシルの住人は帝国側が連れてきた人間しかいない。地上戦部隊のお仕事は軌道砲撃で打ち漏らした帝国軍地上部隊の掃討と、もしかしたら在留しているかもしれない帝国方民間人の『解放』だ。その事もわかっているだけに地上軍司令部も僅か二個師団、それも歩兵中心の師団を送り込んできている。むしろ大気圏戦隊や工兵連隊を準備してくれるだけ、この作戦に対して『悪意は抱いていない』という証左かもしれない。
そんな地上軍の面々が席に座り、会議室の全ての準備が整うと作戦全体の参謀長を兼務するモンシャルマン参謀長が司会者として会議の口火を切った。
「既に諸氏も了解射ていると思うが、この場に集結した我々は本年四月一五日を期して帝国に奪取されたエル=ファシル星系の奪還を行うことになる。編制されたばかりの部隊も多い。事前訓練はそのまま実戦に繋がる重要なものだ。諸氏の精励を期待する」
続いて査閲部から派遣されてきたナージー=アズハル=アル・アイン中佐が自己紹介と訓練宙域の概要説明を、モンティージャ中佐が現時点におけるエル=ファシル星域および帝国軍の動向を、カステル中佐が補給箇所の説明を進め、最後に俺が訓練内容の説明に指名された。会議室の照明が落とされ、第四四高速機動集団司令部と他の司令部の間にある三次元投影機を使って説明する。だが説明を進めていくに従って、暗闇から疑問というか呆れたような溜息や鼻で笑うような嘲笑が聞こえてくる。まぁそれは当然だろう。内容としては士官学校五年生が練習艦隊で実施するような基礎レベルのものばかりだからだ。
説明が終わり、照明が復旧すると、個々の幕僚の顔がはっきりと見渡せた。どの顔にも『親の七光りの少佐殿が作る訓練計画は所詮このレベルか』といった嘲笑が浮かんでいる。だがその中でアップルトンだけが相当深刻な表情で俺を見ていた。モンシャルマン参謀長が質問を受け付けると、即座に手を挙げたのもアップルトンだった。
「ボロディン少佐に質問したい」
席から立ち上がったアップルトンは、周辺の幕僚達の視線を集めつつ、俺を見据えてはっきりと言った。
「この訓練内容でエル=ファシル星系攻略が可能と、貴官は考えているのか?」
そう、その質問が欲しかったのだ。俺も対抗するように立ち上がってニッコリと作り笑いを浮かべてそれに応えた。
「この程度の訓練で満点が取れないような部隊であるならば、不可能だと言わざるを得ませんね」
事前に内容を知っている第四四高速機動集団司令部と査閲班を除いた、全ての会議参加者の憎悪の視線が一気に俺に集中した瞬間だった。
後書き
2021.01.03 更新 誤字修正
第56話 冥界訓練便り、そして
前書き
正月攻勢その2です。
宇宙歴七八九年 三月二四日 シュパーラ星域エレシュキガル星系訓練宙域
充分に血圧が十分に上がったエル=ファシル星系攻略部隊は再度隊列を整え、シュパーラ星域に進入。主星系エレシュキガルに到着し、岩石型で不毛の砂漠が広がる第三惑星フブルの軌道上にある演習宙域へと到着した。
辺境も辺境。水が地殻下にしか存在しない砂漠の惑星ではあるが、一応人間が耐えうる重力があるという点で軍の通信管制・辺境警備拠点として最低限の機能は有している。演習宙域は広さと安定性だけで言えばキベロン訓練宙域にすら勝る。第三惑星と第四惑星の惑星軌道間に膨大な小惑星帯があるので、標的は幾らでも存在する。利便性や補給に極めて大きな難点があるが、ある意味では全く逆に利点となる『缶詰』演習宙域だ。
先遣で派遣されていた工作艦と演習宙域管理部が半月かけて必死に集めてくれた標的(小惑星)の数を見て、俺は管理部の担当者に殆ど土下座するくらいの勢いで感謝した。工作艦が牽引できる小惑星の数は大きさにもよるが、少なくとも一〇〇〇〇個近い数を揃えるには、寝る暇などなかったことだろう。ちなみにその管理部担当者の名前はセルジョ=マスカーニ中佐と言ったが、こちらも顎鬚が生えていなかった。
作戦開始日も差し迫っているので、荷解きもそこそこに部隊は訓練を開始した。小戦隊規模での移動と停止、砲撃と防御、戦列の形成と解体、集合と離散。流石に辺境の警備艦隊とは練度が違うところを見せてくれる。初日はまず八時間。すぐに訓練評価が行われたが、満点を出した分隊は残念ながら一つもなかった。二日目も満点が出ず、同じく三日目も同じ訓練を実施すると指示を出すと、さすがに抗議の連絡が飛んできた。訓練を評価する査閲部はあくまでも評価を各指揮官達に説明するだけで、その訓練内容やスケジュールを管理することはない。勿論、適切な助言をすることは当然あるが、評点平均が満点の八五パーセントを超えていれば基本的に厳しいことを言うことはない。故にその抗議は査閲部経由で、演習計画者である俺のところに回ってくる。
「こんな基礎訓練にいったいどれだけの時間を掛けるというんだ! 作戦開始時期が迫っているというのに、意味のないことに時間を費やすべきではない」
ある独立戦隊に所属する巡航艦戦隊指揮官(大佐)が、第四四高速機動集団司令部で俺の胸倉に掴みかからんばかりに怒鳴り込んできた。
「期日は差し迫っている! 我々は戦う為に訓練しているのであって、貴官のお遊びに付き合っている暇などないのだ」
「で、満点は取られたんですか?」
顔と階級から彼の率いる巡航艦戦隊の成績が、評点比数で下から数えて三番目ぐらい。だいたい七八パーセント位であることを思い出してから俺は応えた。
「少なくとも満点が出るまでは次のステップに進むことはできません」
「そんなことをしていたらいつまで経っても訓練は進まない」
「意味があるから訓練は実施するのです。意味のない訓練など行いません。基礎が確実にできない部隊がいくら高度な戦術訓練したところで、烏合の衆は烏合の衆です」
「貴様ぁ!」
「やめんか!!」
大佐の左手が俺の胸倉を包み、右拳が肩より高くなった瞬間、司令部に叱責が飛ぶ。当然、その声の主は爺様だった。
「ボロディン少佐、貴官の言いようは歴戦の指揮官である上官に対して節度ある物言いではない。すぐに大佐に謝罪せよ」
爺様の激怒(のように見える)に、大佐は俺の胸から手を離したので、俺は厭味ったらしくジャケットを整えると大佐に対して深く腰を折って頭を下げる。それを見たのか、爺様は腰に手を廻して大佐に言う。
「大佐。この生意気な孺子は口が悪くての。頭は悪くないがつい滑ったことを言う。どうか許してやってくれ」
「は、はぁ」
「歴戦の貴官に言うのは釈迦に説法だとは思うが、基礎訓練とは文字通り他の訓練の礎となるものなんじゃ。そこのところを貴官から貴官の部下達によくよく説いてやってほしい」
歴戦と言えばこの艦隊の中で爺様に勝る戦歴を持つ軍人はいない。その爺様に『歴戦の』と言われては引き下がらないわけにもいかない。大佐は俺をひと睨みしただけで、爺様に敬礼すると司令部を出ていく。大佐の姿が扉の向こうに消えてから三〇秒後。爺様は音を立てて司令官用のシートに腰を下ろした。
「で、ジュニア。この三文芝居にはもういい加減飽きたんじゃが、いつまで続くんじゃ?」
通算一〇回目となる討ち入りに心底から呆れていると言わんばかりの爺様は俺に舌を出しながら問うた。三回目迄、演技とわかっててもハラハラしていたファイフェルは、今では出ていくと同時に宇宙艦隊司令部からのデータを取り纏め始めているし、四回目で耳が慣れたブライトウェル嬢は爺様の為にハーブティーを淹れて給湯室で待機していた。
「小戦隊移動砲撃訓練で、満点の部隊が出るまでです」
「あの大佐の言ではないが、本当にこの訓練だけで予定の一〇日を使い切ることにならんかね?」
「最悪そうなることも想定しておりますが、正直なところこのレベルで今日まで満点を出す部隊が一つも出ないとは思ってもいませんでした」
「動かない的に向かって、一定運動しながら砲撃しているのに、どうして外れるのか、か」
例えば小戦隊戦列基礎訓練などは、搭載している人工知能に操艦の全てを任せてしまえば、人間に分かるような誤差など生じさせることなく満点を叩き出すことができる。勿論人工知能に操艦を任せるなどという非人道的な上級指揮官などいないので、あくまでもマニュアル、あくまでも人の手による操艦が行われるし、誤差は出てくる。満点が出ることは時差なしのテレパシーが使える人間が、複数で操艦しない限りまずありえない。
一方で小戦隊集合砲撃訓練はそうはいかない。人工知能に火力管制を任せればそれこそ一瞬で『人工知能が発狂して』砲撃できなくなるか、味方撃ちをしてしまう。近接防御のような明確な範囲を決めて対応するという限定即応を求められる分野は人工知能の得意分野だが、それ以外の分野では圧倒的にマニュアルの方が運用に易い。その中でも爺様などは『砲撃の神様』とも言える腕の持ち主だった。
そんなマニュアルな世界である砲撃にあって、一番の基礎訓練は艦を静止させての対静止目標砲撃。その次が一定運動下における対静止目標砲撃になる。相手は動かないがこちらは動く。ただし一定の決められたルールに従った等速運動だ。各砲座の管制装置を艦の運動制御に連動させ、後は動かない目標に照準を合わせて引き金を引くだけ。複雑な機動を含む砲撃回避運動もなければ、別部隊が射線に入ってくることもない。電磁波やエネルギー潮流も重力特異点もない安定した訓練宙域にもかかわらず……何故か外れる。
「原因はあるじゃろう。人間よりも機械の故障じゃな。連動照準装置のズレが一番考えやすい。後は砲身にあるビーム収束装置の芯ズレというのも多い」
他にも原因があるだろうが、潰すべき箇所は潰すべきだろう。そこにこそこの訓練の意味がある。より高度により複雑な動きが出来たとしても、自分の持つ武器が信用に足るモノでなければ何の意味もない。そこに気が付いている指揮官達はここに怒鳴り込む時間を惜しみ、指揮下の、特に標的を外した艦の砲撃設備の再チェックや艦長・副長レベルでの自主検討会を開いて翌日の訓練に備えている。堪らないのは査閲部のメンバーだろう。怒りの矛先は回避できても仕事量は増えるばかりなのだから。
だから五日目の訓練終了時刻間際。速報値であっても集合砲撃訓練で満点が出たという話が全部隊に流れた時、ほとんどの将兵が安堵した。これで次に進めるだろう。その英雄的な結果を出してくれた部隊はどの部隊だと調べ、結果を見て多くの将兵はなんとも言えない悔しさをにじませた。
その部隊の名は第四四高速機動集団所属の第八七〇九哨戒隊というのだった。
◆
六日目の朝。第八七〇九哨戒隊が満点を出したという結果が査閲部から正式に全部隊に送られると、各部隊の訓練に対する意気込みが明らかに変わった。確かに同哨戒隊の規模は小戦隊というより、その下の組織単位である隊に過ぎない。だが司令部直属麾下の独立した戦隊として運用されており、艦の種類も戦艦から駆逐艦までと幅が広い。有効射程も異なるが、訓練評価の場合は艦種に関係なく統一されている以上、不公平と声を挙げるわけにはいかない。
まして第八七〇九哨戒隊はエル=ファシルから民間人を捨てて逃げだした奴らで、その恥知らずの生き残りを一つの部隊に纏めただけに過ぎない。辺境警備を主任務として訓練の充足もままならなかった奴らが見事な成績を上げているのに、ひるがえって自分達はいったい何をしているのか、と。
故に次に司令部から提示された小戦隊集中砲撃訓練、そして小戦隊移動集中砲撃訓練の内容に文句を言ってくる指揮官達はもう一人もいなくなった。どうやったら上手くいくか、本来それだけでは困るのだが内容の意義よりも結果の良化を求め、自分達で考え解決方法を探ろうとしてくれる。
だがそのせいで今度負荷がかかったのは訓練宙域管理部だった。小戦隊といえば哨戒隊や特別編成の隊を除いて一〇〇隻以上の艦艇が所属する。その主砲が全力で一点の目標に火力を集中する。結果は言うまでもない。直径五キロの小惑星はみるみるうちに削られて、消しゴムのように最後はボロボロになってしまう。その度に別の標的を引っ張って来なければならず、「少しは加減してください」という言外の抗議を俺はマスカーニ中佐から受ける羽目になった。
そんな感じで要領を得たのか八日目の昼過ぎ。第三四九独立機動部隊麾下の第四三八七巡航艦戦隊が、移動集中砲撃訓練で満点を叩き出した。全小戦隊の評価比数も九〇パーセントを超えている。
そしてその夜。査閲部が必死に評価作業を行って、訓練宙域管理部が次の訓練目標である可動目標砲撃訓練の準備をしている最中。統合作戦本部より爺様当てに超光速通信が入った。司令部の誰もが起きていたので大して問題はなかったが、伝えられた内容にカステル中佐が思わず下劣極まりない雑言を吐いて、ブライトウェル嬢に白い目で見られていた。
「作戦期日の延期命令。五日遅れて四月二〇日状況開始か」
イゼルローン攻略戦の準備が遅れに遅れていることを考えれば、予想できなかった話ではない。戦略的にエル=ファシル星系攻略とイゼルローン攻略戦の比重は前者より後者の方が大きいし、動員される兵力も物資の量も桁違いだ。それでもたった五日の遅れというのであれば、作戦より実行段階での問題発生ということだろう。
こちらとしてはイゼルローン攻略部隊の位置だけ理解してれば問題はない。訓練と休養に数日を確保できることを考えれば歓迎すべき話だ。もちろん、カステル中佐の血圧には気を付ける必要があるだろう。結局訓練の予定と補給物資の再配布を含めた計画の組みなおしを司令部は徹夜で行うことになった。
それから九日目から予備日を含めた一一日目まで、みっちりと砲撃訓練を行った部隊は、四月三日をして正式に『エル=ファシル星系攻略部隊』としての認証を宇宙艦隊司令部より交付され、訓練宙域からジャムシード星域カッファ星系へと移動を開始する。そこにはキャゼルヌが手配してくれた補給艦と物資、工作艦が待ち構えていた。
「いったいどこからアイツはあれだけの船と物資を用意できるんだ……」
変更につぐ変更で神経をすり減らしたカステル中佐の視線の先は、当然旗艦エル・トレメンドの戦闘艦橋真正面にあるメインスクリーンに映った、二〇〇〇隻近い補給艦と工作艦の群れだった。
カステル中佐の権限で動かせられる部隊の殆どがイゼルローン攻略部隊に取られていることを考えれば、その権限を超越したところから持ってきたとしか思えない。俺も『魔法の壷』の中身を知りたいと思い、艦橋オペレーターの一人に敵味方識別信号で確認してもらうと、果たしてそれは第八艦隊の後方部隊であった。統合作戦本部査閲部の演習予定を検索すれば、果たして第八艦隊はリューカス星域ヴィットリア訓練宙域にて統合機動訓練が計画しており、先乗りしていた後方部隊が、再度の補給物資補充と要員休養の為「一時的に」ジャムシード星域まで戻って来ていたらしい。俺の報告にカステル中佐は小さく舌打ちした。
「先乗り休養の為に後方支援部隊を片道七日かかる星域まで後退させるなんて、冗談にしてはいささかきつい話だが、それに我々が助けられたのも事実だ。ありがたく受けておこう」
正規艦隊の統合機動訓練となればエネルギーの消費こそ激しいが、レーザー水爆や機雷と言った実弾の消耗はそれほどでもない。食糧や生活物資は長期にわたるものでなければ、戦闘艦艇の貯蔵庫で賄える。まして正規艦隊の後方部隊だ。半個艦隊程度のエル=ファシル攻略部隊の要求を満たすには十分な能力があるし、法的にも横流しではない。『融通』というレベルだろう。故にキャゼルヌはカステル中佐に『会計処理』と言ったわけだ。ただ相手は第八艦隊。司令官は当然あの黒い腹黒親父。後で何かしら礼をしなければ、後でどんな仕打ちが待っているかわかったものではない。
第八艦隊と自前の工作艦部隊の奮闘で、訓練と移動時に受けた部隊の損傷個所の修理が終わったのは、四月一〇日。後方部隊以外はまるまる四八時間の休養を得て、士気を回復したエル=ファシル攻略部隊はジャムシード星域を離れる。ここから一気にシヴァ星域を経由してエルゴン星域に進撃。エルゴン星域ウォフマナフ星系の前進補給基地にて最終の航行燃料補給を受ける。
そして機関部に異常をきたした巡航艦一隻とその護衛に残った駆逐艦一隻をエルゴン星域に残し、第四四高速機動集団と攻略部隊は帝国軍との交戦宙域となったエル=ファシル星域へと侵入を果たした。
宇宙歴七八九年 四月二〇日〇八〇〇時 戦艦エル・トレメンド座乗のアレクサンデル=ビュコック少将より、エル=ファシル攻略作戦の状況開始命令が隷下全部隊に発令された。
後書き
2021.01.04 更新
第57話 エル=ファシル星域会戦 その1
前書き
正月攻勢末期です。
出来れば近々に続きをあげれればいいなと思います。
宇宙歴七八九年 四月二〇日 エル=ファシル星域 エル=ファシル星系
爺様の作戦発令とほぼ同時に、エル=ファシル攻略部隊は跳躍宙点に浮遊していた帝国側の偵察衛星を咄嗟砲撃で撃破し、部隊毎に速やかに星域内航行へと移行した。作戦の主眼は一〇ケ月前に帝国側に奪われたエル=ファシル星系の奪還。同時進行中のイゼルローン攻略戦の戦略的攻勢を活用し、防備が手薄になるであろう辺境部を電撃的に奪い返すことにある。
攻略に際し基準となる戦略評価は、防衛しているであろう帝国艦隊の排除が作戦第一段階。惑星エル=ファシルの地上占領が第二段階。想定される帝国軍の再来攻を撃退し、最低でも一ヶ月の戦線維持をするのが第三段階となる。
既にエル=ファシル星域にある他の有人星系エストレマドゥラの駐留部隊より巡航艦分隊による隠密偵察が数度行われ、フェザーンから得た情報からの推測では四〇〇〇隻程度の部隊が駐留していると推測された。事実一〇日前に行われた偵察時の観測データでは、星系内部に約三〇〇〇隻程度の重力異常が確認されている。軍事常識的に考えれば二七〇〇隻前後の戦闘艦艇と三〇〇隻弱の補助艦艇を有しているとみるべきだろう。
エル=ファシルを除く他の三つの星系に居住可能惑星が存在せず、かつ同盟領であった時にも軍事的な施設は通信中継衛星と索敵衛星のみであったことを考えれば、帝国軍も防衛主眼をエル=ファシル星系に絞っているとみて間違いない。勿論一〇日前の話であるから、後方星域からの増援の可能性も否定はできない。
しかし占領したばかりで敵に近く防衛設備の確立が困難なこと、同盟領への攻勢策源地であるイゼルローンから距離があり大規模な補給線の確立が困難なことを考えれば、三〇〇〇隻という数字は帝国軍が配置しうる最大限の規模と言っていい。
その上、イゼルローン自体にほぼ同時期に同盟軍が大規模侵攻を仕掛けることを考えれば、よほど大規模な辺境巡回作戦が帝国側で展開されない限り、四四〇〇隻という実に微妙な戦力でも攻略は可能であると同盟軍首脳部は判断したわけである。
いずれにしても過去の情報においては同盟側が戦略優勢を確保しているが、必要なのは現時点での敵勢力情報だ。その為には当然偵察を実施しなければならない。そして幸いというか戦術的に意図したわけではない理由で、第四四高速機動集団にはエル=ファシル星系に最も詳しい哨戒隊が在籍している。事前の計画通り爺様は第八七〇九哨戒隊に隠密偵察を命じ、二〇隻は一〇ケ月前に見捨てた故郷へと散らばっていった。
だが爺様は彼らから送られてくる情報を止まって待ち受けるような気の長い人ではない。各部隊の戦列が整ったこと、各部隊に跳躍後の重大な損害(別箇所への跳躍による行方不明)がなかったことを確認すると、第四四高速機動集団を先頭とした単縦列陣形を麾下全部隊に命じ、警戒速度でひたすら一直線に惑星エル=ファシルへと向かうことを指示した。
なにしろ貴重な有人居住星系であるゆえに同盟軍は豊富な航路データと地理データを有しており、自軍規模の戦力を一撃で蒸発させることができる戦力が伏兵として配置できる箇所がないこともわかっているし、各部隊の指揮官も作戦会議の場で周知している。だがわかっていてもここまで即決できるかどうかは、指揮官の経験と気質だろう。
原作でも爺様は本質的には戦術家であって戦略家ではないと評されていたが、戦略家ではないとは言わないまでも一流の判断力を持つ戦術家で間違いはなかった。警戒航行速度で一八時間後、敵勢力の情報が第八七〇九哨戒隊所属の嚮導巡航艦エル=セラトよりもたらされる。
「発見せる敵は総数三三〇〇隻前後。惑星エル=ファシル衛星軌道上に三部隊に分かれて集結中。戦艦二五〇ないし三〇〇隻、巡航艦七〇〇ないし八〇〇隻、駆逐艦一八〇〇隻ないし一九〇〇隻。宇宙母艦は現時点で確認できず。残余は補助艦艇……とのことです」
ファイフェルが戦艦エル・トレメンドの司令艦橋に集まった俺を含む第四四高速機動集団の幕僚達に報告する。
「以後エル・セラトからの通信はありません」
「思った以上の索敵成果じゃな。会戦が終わったら彼らにウィスキーの一杯でも奢ってやりたいものじゃ」
爺様が司令官席で顎を撫でながら感嘆すると、モンティージャ中佐が人差し指を自分のこめかみに当てながらファイフェルに聞いた。
「通信状況を知りたい。特にデータ通信に紛れ込んでいる雑音とタイムラグ。それに切れるタイミングだ」
「すぐにオペレーターに確認させます」
ファイフェルが司令官席のコンソールを操作しオペレーターと連絡を取っている間、俺はモンティージャ中佐に視線を向けると中佐は俺に諭すような視線を向けてから言った。
「通信中に地理環境以上のジャミングが入っているならば、敵はすでに臨戦態勢とみていい。入っていなければいまだ集結途上の可能性を考えるべきだろう。タイムラグは巡航艦の移動状況。切れるタイミングは……まぁ君の想像に任せるよ」
それはこれ以降、エル・セラトから情報が得られるかどうか、という判断を下すものであろう。最悪は通信中発見されての撃沈だ。敵に此方の意図を再確認させ準備されるばかりか、以後の情報が入らない。哨戒隊の他艦が触接をする可能性はあるが、司令部からの指示もなく自主的に索敵範囲を変更するのは別の危険をもたらす為、今回哨戒隊にその許可は出していない。だが果たして、戻ってきたファイフェルの報告は首を傾げるものだった。
「通信文に想定以上のエラーなし。また正常な手順で通信が切れたそうです」
「タイムラグは?」
「それもないそうです。オペレーターによれば艦が静止している状況からの送信と推定される、そうです」
「……かえって不気味だな」
攻略部隊が星系に存在していることは、外縁部跳躍宙点で観測衛星が撃破されたことで十分認識しているだろう。にも拘わらず仮に部隊を集結させるにしても、敵の索敵艦を触接できる距離に招き込み、妨害もせずにいるというのはどう考えても常識外だ。むしろエル・セラトが帝国軍に拿捕され、その通信機器を利用して偽情報を送り込んできていることすら疑わせる。
「まぁいいじゃろう。ここはエル・セラトにとっては遊び慣れた庭のようなものじゃし、帝国軍にとってみれば一〇ヶ月前に拾ったばかりのお化け屋敷じゃ」
「……よろしいので?」
言外に罠の可能性、追加の索敵艦派遣の有無を確認するモンシャルマン参謀長に、爺様は小さく頷いて善処不要と伝えると、俺を見て言った。
「敵艦隊迄の距離はどれほどじゃ?」
「このままなにもなければ六時間後です」
既に敵艦隊と戦うことを第一目標とし、把握している敵戦力が事前の情報とほとんど差異がない以上、爺様が必要としている情報は『時間』であろう。果たしてその通りであって、俺の答えに爺様は満足げに頷いた。
「部隊最後尾のアップルトンに、部隊後方半球範囲の索敵を命じよう。巡航艦小隊を一つばかり割いてくれと伝えてくれ。それ以外の麾下全部隊の将兵に一時間半の二交代で休養をとらせろ。人生最後になるかもしれんのじゃから、みんなせいぜい美味いものを食べるんじゃぞ」
「それでは当司令部が随分と虫がいい話になりますな」
思わず俺は爺様に軽口を叩くと、爺様はギロッと大きな目で俺を一度睨んだ後、ファイフェルを手招きして言った。
「ブライトウェル嬢ちゃんに、嬢ちゃんの分も含めて六人分の食事を用意するよう伝えてくれんかの。たしかジャンバラヤと言ったかな。嬢ちゃんの得意料理」
「? 失礼ながら閣下、七人分では?」
糞真面目に応えたファイフェルに、爺様はウィンクして応えた
「ココに一匹、口賢しい鼠を置いておくからそれでいいんじゃよ。参謀長、鼠の餌には何がいいかの?」
「まぁ普通はパンとチーズでしょうが、初陣の鼠ならパセリで十分でしょう」
そういうモンシャルマン参謀長の顔はすでに緩んでいた。
「だそうじゃ。ボロディン少佐。他の哨戒艦から連絡が届いたら、居眠りなどしとらんですぐに会議室に連絡するんじゃぞ。わかったな?」
そう言うと爺様は笑いながら司令席から立ち上がりポンポンと俺の肩を叩くと、もう肩を揺らして笑いを隠さない参謀長や中佐達を引き連れ司令艦橋後方のエレベータへと消えていった。
二時間後。このままほっておけば後で俺から報復されることに感づいたファイフェルが、士官食堂のトレーに少量のジャンバラヤと山盛りのバターロールとチーズとポテトサラダを乗せて持ってきてくれたのは余談である。
◆
日を跨いで四月二一日〇三〇〇時。エル=ファシル攻略部隊は、全艦に第二級臨戦態勢を通達する。それと同時に、単縦陣から横隊陣へと陣形を変更した。中央に第四四高速機動集団。右翼にアップルトン准将の第三四九独立機動部隊とダウンズ准将の第四〇九広域巡察部隊。左翼にモリエート准将の第三五一独立機動部隊とメンディエタ准将の第五四四独立部隊。それぞれが横に長い長方体の陣形を上下に形成している。ただし中央の第四四高速機動集団のみ円錐陣を三つ、それも中央部隊をやや後方に下げて、配置している。
一方でエル=ファシルを『防衛』する帝国側にも動きはあった。
流石に同盟軍接近は理解したようで、今更ながらに四方八方に強行偵察艇を発進させて索敵に勤めていたが、その一部が第八七〇九哨戒隊の各艦と触接した。しかし強行偵察艇はその速度と機動性と小型さが持ち味であり、哨戒隊の各艦とは艦自体の戦闘能力に大きな差がある。哨戒機能をパッシブのみにして待ち構えていた彼らは、単独航行する強行偵察艇をハエのように叩き落としていった。
その被害の大きさに驚いたのかどうかはわからないが、彼らは方形陣を形成し防御態勢を整えるとともに、増援の要請を行っているように思われた。内容までは不明だが超光速通信の飛躍的な増大が各所より報告されていることからもそれを疑う余地はない。
故に爺様が選択すべきはただ一つ。艦隊を急進させて数的優位の内に帝国軍を心理的に追い込み壊滅させることである。そして爺様はその通りにした。〇四一五時、既に双方の艦隊がお互いの戦力をお互いの探知装置で確認する距離に至り、惑星エル=ファシルの惑星軌道上、同盟時代D三宙域と呼ばれた宙域にて砲火が交わされた。
「撃て!」
爺様の老人とは思えぬ鋭い指示の下、最初に戦艦エル・トレメンドが砲門を開き、次に直属部隊、第四四高速機動集団、そして攻略部隊全艦と順次ビームを吐き出していく。一方で帝国艦隊もただ撃たれっぱなしでいるわけではない。彼らの砲門もこちらを指向しており、エネルギーの刃でこちらを嚙み千切ろうと反撃してくる。
ケリムやマーロヴィアで海賊を相手にしていた時とは文字通り桁違いのエネルギーが宙域に充満し、幸運にも命中しなかったビームによってそれが不安定性を増していく。そしてそこにエネルギー中和磁場を突き抜け、さらには物理装甲を引き裂き核融合炉に達した瞬間、不運な艦は秒よりも短い短命の恒星を化す。その恒星が生み出す一瞬の高エネルギーが引き金となり、本来は真空で伝播することのないはずの宇宙空間に振動をもたらす。
戦艦エル・トレメンドのメインスクリーンには敵と味方が生み出す無数の恒星が煌めいている。その度にメインスクリーンの左上に映し出されている数字が大きくなっていく。最初はゆっくりと、次第にはやく。双方の砲門が開いてからまだ三〇分が経過していないのに、既に五〇隻もの戦闘艦が乗員と共に消滅している。重防御の戦艦も、軽快な駆逐艦も関係ない。まさに生と死を分けるは「神のみぞ知る」神聖な場所。
俺が半ばぼんやりとその光の舞台を見つめていたが、カツンという縞鋼板を軍靴が叩く音で我に返った。それはファイフェルが無意識のうちに体幹を崩し、右足を慌てて下げたゆえに発した音だったがその瞬間に、俺の脊髄の中を冷水のような冷たい電流が駆け抜けたように感じた。
今自分が立っているのは戦場にある戦艦の司令艦橋であって、テレビが置いてあるリビングでも、動画サイトのページを開いたPCの前でもない。ヘッドホン越しに聞いていたビームの音もミサイルの爆発音もないが、比較にならないほど眩しい白色光と艦の機関と衝撃波による振動が、この体に直接響いてくる。現実であると骨の髄から理解できる。
もし並走していた巡航艦を貫いた中性子ビームがこの艦を直撃すればどうなるか。ラップのように艦橋構造物に串刺しされるか、それともホーランドのように青白い光の中で消滅するか、はたまた灼熱の熱風によって丸焼きにされるか、腸をまき散らして大量出血するか、漆黒の真空中へと吸い出されるのか。一度経験したはずの『死』への恐怖が、見えない霧となって俺の体を包み込む。
これが戦場。前世でも地球上の何処かで繰り広げられていた命と命のやり取り。視線を下に向ければ、啓いた両手が僅かに震えている。膝は震えていないが、果たして自分はまっすぐ立っているのか自信が持てない。視線を横に向ければ蒼白な顔色のファイフェルと、厳しい眼付きのモンシャルマン参謀長。そして司令官席に深く腰掛け、両手を机の上で組んで敢然と戦場を睥睨するアレクサンデル=ビュコック。
「そうだった」
なぜ俺がこの世界に転生したかはわからない。いくら努力したところで原作通りの結果が自由惑星同盟に待ち受けているかもしれない。だが今はそんなことを考えるのではなく、今何をすべきかを考えるべきだ。原作の知識を持つ、宇宙歴七八四年士官学校首席卒業者にして第四四高速機動集団次席参謀たる自分が、戦艦エル・トレメンドの司令艦橋で果たすべきことはなにか。
俺は震える両手で自分の両頬を二度叩いた。そしてこの司令艦橋で自分に与えられた席に向かい、端末を開く。次席参謀という『無駄飯喰らい』に課される給与分の職務とは何か。各部隊から上げられる定期報告、損害状況、陣形、戦闘宙域の空間情報、そして順次更新される帝国軍の情報を開き、知識として整理し、読み解くこと。
端末に向かっていたのはどのくらいだったか。一〇分だろうか、一時間だろうか。現在の状況をおおよそ把握できたと思い、顔を上げてメインスクリーンを見上げた時だった。
「ジュニア! 彼我の戦況についてどう見る。意見を言ってみたまえ」
声の先にはまだ若干灰色が残っている『おっかない親父さん』が、厳しく鋭い目つきで手招きしている姿があるのだった。
後書き
2021.01.04 更新
第58話 エル=ファシル星域会戦 その2
前書き
ギリギリ10日に間に合いました。
宇宙歴七八九年 四月二一日 〇五〇〇時 エル=ファシル星域エル=ファシル星系
爺様のご指名に、俺は一度だけ自分の両手に視線を落とし、その手が震えていないことを確認すると、立ち上がって爺様の傍まで近寄った。
「どのレベルにおける戦況についてご下問でしょうか?」
「うん? うむ、そうじゃな。まずは両軍の戦闘宙域全体を俯瞰して、これからの戦局を推測したまえ」
爺様は一度だけ視線を俺から離してメインスクリーンを一瞥した後、そう俺に問うた。いきなりの大問題であるが、これについてはそう難しい話ではない。モンシャルマン参謀長に専用の三次元投影機の使用許可を了承してもらい、俺は爺様の質問に答えた。
「開戦よりほぼ一時間が経過しており、現状双方とも正面砲戦に専念しております。味方は横隊からやや鶴翼の陣形。敵は台形錐の陣形を形成しております。双方の戦力は四四〇〇隻対三〇〇〇隻。両軍の砲戦参加面積においてほぼ二対一でありますので、この状態を維持していても味方の優勢は確保されます」
彼我に戦力差がある以上、帝国軍は攻勢よりも防御を優先する。その為にはより効率的に戦う必要がある。しかし同盟軍が急戦を選択し、また偵察艇が広範囲にわたって撃破されたことから、帝国軍指揮官は同盟軍に予備戦力が豊富に存在する可能性を考慮し、積極的に行動するよりもより堅実に防御することを選択した。エル=ファシル星系には、マル・アデッタにある小惑星帯内回廊のような数的不利を補う地理的条件もなく、増援が来るまでの時間稼ぎの為には重防御の陣形を取らなければならないからだ。
勿論帝国軍は撤退も視野に入れていたはずだ。だがそれも爺様の急戦選択により後背からの半包囲追撃を被る可能性を考えたのだろう。あるいは同盟軍にある程度の被害を与え、戦力再編の為一時後退するタイミングを見計らって急速後退、そのまま後方へと撤退するという構想があるかもしれない。いずれにしろ同盟軍は数的優位による攻勢の手段として、帝国軍は防御と敵被害拡大を目的として、お互い正面砲戦を選択した。そして数的優位故に同盟軍の方が帝国軍より砲戦参加する艦艇が多くなるのは自明の理だ。
今まで同盟と帝国の間で繰り広げられた数多の会戦をデータ化し、縦軸に被害状況、横軸を時間軸とすると、ワンサイドなどの特異な場合を除き、おおよそ近似的な曲線が描き出すことができる。開戦当初はまだ双方ともに元気なので被害も急拡大するが、経過とともにその火力は減衰し被害は提言していく。しかしさらに時間が経過し双方の戦力比に差が生じると、不利な側に戦力崩壊が起こり、有利な側による追撃などによる被害拡大などが起こる。それをわざわざ近似関数にしてくれた過去の秀才達のおかげで、現在の状況が継続した場合の戦況推測が可能となっている。勿論帝国側もそういう秀才はいる。
ゆえに戦線がこの状態を維持した場合、帝国軍が仮に玉砕するまで戦闘を続けたとすると、同盟軍は約二〇時間後に約二〇〇〇隻の残存艦艇を有している、と計算できる。だが帝国軍も当然その程度のことは理解している……はずだ。
「ゆえに敵はそう遠くないうちに、帝国軍は何らかの戦術的な行動変化を起こすものと推測されます」
俺がそう掻い摘んで説明すると、モンシャルマン参謀長は「ほぅ」と感嘆したような声を上げ、ファイフェルはなにか珍獣でも見るかのような視線を俺に向け、爺様は腕を組んで小さく頷いた。司令部のそんな沈黙は、ものの数秒で爺様によって打ち破られる。
「では、貴官が敵の指揮官であるとして、今後どのような行動をするか?」
「小官でしたら数時間後と言わず即座に『紡錘陣形を形成し敵陣中央突破』を試みます」
「なるほど。それが正解じゃろうな」
爺様はそう頷くが、俺の答えに納得していないのは明らかだ。学校を卒業したまともな士官ならば誰でも出せる答えであるのに、現実の敵は中央突破を試みることなく漫然とした防御態勢のまま正面砲戦を続けているのは何故か。
「敵が急進的な行動をとらない理由はいくつか考えられます」
「言ってみたまえ」
正面を見たまま微動だにしない爺様ではなくモンシャルマン参謀長が俺に聞いてきた。俺はそれに対し、一度自分の背中側に座って情報解析を行っているモンティージャ中佐に視線を送った後で説明する。
「一つめは既に大規模な増援部隊が救援に向かっている。二つめはこの星系を死守せよという命令が上層部より出ている。三つめはあまり申し上げたくないですが……帝国側の部隊にその能力が備わっていない為、であります」
大規模な増援部隊が既に後方の星系を進発しているのであれば、自己の戦力を短時間で喪失するような積極的な行動は控えようとするだろう。今のところ通信封止を解除し各跳躍宙点の監視へと分散した第八七〇九哨戒隊からの緊急連絡はないので、かなり時間に余裕のある話だ。フェザーンからの情報(という名の駐在武官の分析)が正しいのであれば、あと八〇〇隻ないし一〇〇〇隻の戦力が他に存在するかもしれないが、たとえ存在しても戦力としては既に時間的に意味がない。
帝国側の上層部が死守を命じているのは充分ありうる。せっかく一〇ケ月前に獲得した居住可能な有人惑星だ。しかも最前線である。ここに大規模な根拠地ができれば、『辺境の叛徒共』の領域を制圧するのに極めて有用となることは疑いない。そう考えて資材と設営部隊が届くまで、配置可能な警備艦隊には死守をせよという命令は人道性云々を別にすれば正しい。命令が死守である以上、数的不利な状況で冒険的な攻勢は控えるというのは理解できる。
第三の理由。これは理屈ではなく推測になるが、同盟軍がこの星系に進入してからの帝国側の軍事行動が、あまりにも『とろくてお粗末』なのだ。偵察している第八七〇九哨戒隊の一隻も発見できない。逆に強行偵察艇を出すタイミングが遅すぎる。三つに分かれていた艦隊を一つにまとめて(そんな情報すら哨戒隊に観測されている)おきながら、少しでも有利になるよう戦場を選択することなく、根拠地から殆ど移動もせずに正面砲戦をダラダラと続けている。はっきり言えば真面目に戦争をやるつもりがないとしか思えない。
推測であっても確信できる理由は帝国軍の戦列の分析結果を見た時だ。有力な戦艦、すなわち敵の旗艦ないし上級指揮官が座乗しているであろう艦艇の位置をピックアップしていた時、なぜかその周辺に宙雷艇やミサイル艦が雑然と並んでいたことを確認した。まさにキフォイザー星域会戦のリッテンハイム軍そのものの光景。かろうじて前衛と思われる一〇〇〇隻の部隊戦列は戦理に則っており、現在同盟軍と戦っているのも彼らだ。実際に砲火を交えている相手とはいえ、この前衛部隊の指揮官には同情を禁じ得ない。
「では帝国側の事情が貴官の言う通りであるとして、我々がなすべきことはなにかね?」
「攻勢強化であると、考えます」
「具体的には?」
「両翼を伸ばし、敵を半包囲から全包囲へと追い込みます。まともに戦っている前衛部隊はそれを阻止するようアクションを取るでしょう。一つは中央突破。あるいは陣形展開による包囲阻止。いずれを選択しても、我々第四四高速機動集団が形成している三つの円錐陣を急速前進させ、この前衛部隊を『串刺し』にいたします」
「その戦術における利点はなんじゃ?」
メインスクリーンから視線を逸らさず、モンシャルマン参謀長との会話に爺様は割り込んでくる。その口調は俺に対する質問というよりは、考えていたことに対する傍証の確認といったものだ。
「貴官はこのままでも戦局は有利に運ぶであろうと判断した。それを破棄して積極策を支持する根拠も示した。じゃが利点は示しておらんぞ?」
「敵の事実上の主戦力である前衛部隊を壊滅させることにより、組織戦闘時間の大幅な短縮が見込まれます。味方の被害、惑星攻略戦と補給の時間をより多く獲得できます」
「じゃがその場合、敵の中央・後衛部隊はどうする?」
「どうすると言われましても、両翼包囲下により殲滅は可能かと思われますが……」
「ジュニアの言っている前提条件に間違いはない。即席の攻勢作戦も上出来じゃ。儂の目から見ても敵の前衛と中央・後衛の連携は極めてお粗末。しかし儂のみるところ包囲しようという素振りを見せれば、逆に前衛部隊が遅滞戦術を行い、その隙に中央・後衛部隊が撤退していく可能性が高いの」
「……それは軍事組織の常識ではなく、別の論理が理由でしょうか?」
「そういうことじゃ。長いだけで大したことのない経験からじゃが、こういう職業軍人らしくない部隊というのは後始末が面倒での。おとなしく撤退してくれればいいんじゃが、大抵は組織だって撤退することはないんじゃ」
職業軍人ではない貴族が指揮する部隊であれば、撤退というより逃散という形になるだろう。それだって両翼の包囲が間に合えば逃がしはしない……はずだが、我々は高速機動集団と独立部隊の即席連合部隊。訓練も砲撃に集中し、部隊移動訓練はそれほど時間を掛けていない。爺様は練度を火力統制で補う思考の持ち主ゆえに、艦隊機動には過剰な期待をしていないのだろう。狂信的艦隊機動戦原理主義過激派である俺としてはそれでいいのかと思うが、参謀の役目は自分のドクトリンを上官に主張することではなくその見識でフォローすることだ。そして味方が付いていけないような作戦を立てるのは恥ずべきことだろう。
そして帝国軍の中央・後衛部隊が『組織だって』撤退しないというのは、脱落艦が多数出るということ。それは三重の意味で危険をもたらす。一つはゲリラ戦による星系掌握妨害。もう一つは宇宙海賊化による星系治安の悪化。最後に偵察艦化による諜報活動の活発化。そのうち今回はゲリラ戦と諜報活動は気にすることはない。両方とも粘り強い指揮官がいない限りただの標的だ。問題は最後の宇宙海賊化。貴族の坊ちゃんが海賊になるのではない。指揮統制の崩壊による海賊化だ。しかも『制式軍艦』をもって。間違いなく鎮圧には膨大な時間と火力を必要とすることになる。誰だよ。爺様が戦略家ではなく戦術家なんて言ったのは……そういえば俺か。
ともかくそれを防ぐには敵中央・後衛部隊の組織を崩壊させずに完全包囲に持込み、降伏か殲滅を狙うしかない。となると、ただ両翼を伸ばしても機動力不足と前衛による妨害によって包囲網は未完成に終わりかねない。ではどうやって? ダラダラと戦闘を続けていればこちらの被害も軽視しえないものになるが……
「独立部隊毎の戦闘指揮能力にはある程度期待してもいいのではないでしょうか」
爺様にモンシャルマン参謀長が何気なくそう進言する。爺様もそれに鷹揚に頷くが……これは俺に対する参謀長の誘い水だ。ただの包囲網ではダメ。もっと広範囲に、しかも稼働砲門数が多くなるよう効率的に。
「司令官閣下。漁網を広げるには二隅ではなく四隅で。しかも素早く、ということではいかがでしょうか?」
「しかししっかり包まないと魚は逃げてしまうぞ?」
「網の底を深くすれば、いかがでしょう?」
「うん? ……ふむ、ジュニア。やはり網の底は丸い方がいいかの?」
「本来はそうするべきでしょうが、今は」
「二度手間じゃからの。よかろう。貴官の意見を採用する。折り返しのタイミングは儂が判断しよう。三〇分あれば、計算できるな?」
「ありがとうございます。一五分いただければ」
「よし、ジュニアすぐに取り掛かれ」
爺様の指示に、俺はすぐ自分の席にかぶりつくと、端末を起動させて艦隊運動シミュレーターに自分の『勘』と『狙い』を打ち込んでいく。前衛部隊だけでなく敵の中央・後衛部隊を前に吸い出す為に必要な後退距離。それに伴い反撃時に突撃しやすくする為、直属の分艦隊に指示すべき効率的な後退ルート。さらに四つの隷下独立部隊の後退と逆進のルート。爺様が決める反撃のタイミングに各独立部隊が動きやすいよう、旗艦エル・トレメンドを中核座標とした軌道をそれぞれに算出。それに合わせて第八七〇九哨戒隊に与える別任務と後方部隊の避難経路と半包囲からの追撃戦の戦闘評価を乗せて、一四分と三五秒。指と視力の限界点で、それを作り上げ、まずはモンシャルマン参謀長、そして爺様に提出する。
「よくやったジュニア。これでよい」
爺様は出来上がったばかりのシミュレーションを見て即断した。
「すぐに各部隊の指揮官に伝達せよ。前進と後退、それに『折り返し』のタイミングは、旗艦エル・トレメンドよりの信号とする」
「は、了解しました」
爺様の手からシミュレーションのデータが入ったメモリを受け取ると、ファイフェルが司令部専属のオペレーターへと駆け出していく。モンシャルマン参謀長は現時点の被害状況と戦況の再確認。モンティージャ中佐は敵を困惑させるための偽装『後退』命令の作成と発信。カステル中佐は戦闘後に推測される敵味方の被害状況と捕虜の管理について、俺に向かって小さく眉を潜めた視線を送った後に各部署へと指示を出す。
一気に動き出した第四四高速機動集団司令部に、俺は大きく溜息をついた後で、司令艦橋の装甲壁に背中を預けた。サブスクリーンの一つが参謀長の指示によって擬似的な戦況投影シミュレーションとなり、前世でよく見た赤と青の立方体による俯瞰図に代わる。爺様の司令が各部隊に伝わったのか、赤い鶴翼はゆっくりとバラけるように後退し、青い台形錐はそれに合わせて前進を開始する。
そして爺様は俺のシミュレーションよりも巧妙に前進と後退を指示する。敵が罠かなと考え前進速度を落とせば、幾つかの小戦隊に銘じてその鼻先へ砲火を集中させて挑発しつつ前進し、敵がそれを潰そうと前進してくれば、第四四高速機動集団全体を後退させる。絶妙な往復指示を繰り返していくうちに、第四四高速機動集団と他の四つの独立部隊の距離はじわじわと離れていく。それに合わせて帝国軍の艦列は台形錐から複数の突出をもつ奇妙な長方体へと変化した。それは頭が大きく尾っぽが小さい、オタマジャクシというよりはオオサンショウウオのような形になり……〇七〇六時、爺様は全部隊に総反撃の指示を下した。
その動きは擬似的なシミュレーションではまさに予想したものそのものであったが、実際にメインスクリーンに映し出されたビームの閃光と帝国艦隊に沸き起こる白色の恒星の数は圧倒的だった。四つの独立部隊は後退を止め、帝国艦隊の側面を削り取るように砲撃しながら高速で前進。第四四高速機動集団は三本の錐となって砲火を真正面に向けつつ傲然と前進。その輝きはいつか前世の自然科学番組で見たシンカイウリクラゲのように見える。
「すごい」
俺が背中を預けている壁の右斜め後ろ、エレベータの出入口付近から小さな感嘆の声が聞こえた。振り向くとそこにはブライトウェル嬢が、お盆の上に六個の紙コップを乗せたまま立っている。俺の視線に気が付いたのか、盆の耳を両手にしたまま、若干引き攣った笑顔で応えた。
「これが少佐の立てた作戦の結果なんですね」
「違う」
「え、ですが……」
「司令官の戦闘指揮が作り上げたんだ。作戦以上の戦果を。つくづく思い知らされた」
爺様が俺の作戦に付け加えたのは前進と後退の指示だけではない。こちらの意図を敵に悟られさせず、さらに敵を喜ばせるように引きずり込み、一網打尽にしてしまう。調理方法通り料理ができるなら、料理店に人間のコックはいらない。料理を料理足らしめているのは、人間の腕なのだ。実質初陣の俺には、これから積み重ねていかねばならないものだ。
「俺もまだまだ勉強が必要だなぁ」
俺がそう言ってお盆の上から紙コップの一つを取ると、一気にその中身を呷った。だがそこに入っていたのはアツアツのコーヒーであって……
「少佐!」
思いっきりむせた俺は、ブライトウェル嬢に背中を叩かれ……司令部全員から呆れ半分面白半分の視線の集中砲火を浴びるのだった。
後書き
2021.01.10 更新
第59話 エル=ファシル星域会戦 その3
前書き
戦車(主にRAMⅡとM10RBFM)に乗ったり、女の子になったライスシャワーにうっとりして
擦れた転生同盟軍人の話がなかなか進まなかったことをお詫び申し上げます。
次回はたぶん二週間ぐらいかかりそうです。
宇宙歴七八九年 四月二一日 一三〇〇時 エル=ファシル星域エル=ファシル星系
完勝、だった。他に表す言葉がないというくらいの完勝だった。
反転攻勢を開始した〇七〇八時からものの三〇分も経たずに、敵前衛部隊は第四四高速機動集団の突撃によって戦線崩壊。崩壊直前に帝国軍の戦艦が一隻撃沈しているので、恐らくは指揮官の戦死によるものだろう。
しかし前衛部隊は逃げ散ると思いきや、ここから一〇〇隻単位の小集団に分かれて抵抗を続ける。本来なら前方なり上下方向に自主的に逃走を図ろうとするのだろうが、前にはほとんど損失の無い第四四高速機動集団が、上下には爺様に引きずり出された中央部隊の集団とそれを抑え込む独立部隊の射線が待ち構えていた。結果、彼らが欲する戦闘可能空間も逃走ルートもすべてが『味方』にふさがれ、第四四高速機動集団の集中砲火の最優先標的となって、絶望的な抵抗の後に消滅していった。
一方で帝国軍中央部隊と後衛部隊は、急激な戦況の変化についていくことができないまま、各個小隊ないし単艦での防御に追い込まれる。そのおかげで独立部隊の逆進撃を許し、その切先が後衛部隊の最後列に達した〇九二五時、各独立部隊は戦艦エル・トレメンドの進撃想定軸に向かって転換九〇度回頭した。
主砲が艦首に装備されている以上、艦首を敵に向けることで最大の火力を叩きつけることは常識で、この時すべての独立部隊艦艇の主砲が帝国艦隊を指向しており、当然躊躇なく砲門を開いた。後で集計したところによれば砲門稼働率は七七パーセントに達し、合計一万二〇〇〇本のエネルギービームが全周方向から叩きつけられた。
逃げようにも後方を遮断され、前方からは三本の円錐陣が傲然と突っ込んでくる。部隊を見捨て単独行で包囲網から抜け出そうとする艦は、優先的に独立部隊の集中砲火の的になった。それでも何とか逃げ延びようと、外周の味方の損害を無視し包囲網内部で反転した帝国艦約一〇〇〇隻は、第四四高速機動集団とは反対方向へと突き進む。そこには各独立部隊の先頭集団が待ち構えていたが、敢えて爺様は包囲網を解くように指示を下す。
開いた穴はそれほど大きくはないが、抵抗のない空間に向かって帝国艦隊は我先へと無秩序に殺到し……十分に照準を合わせていた独立部隊の十字砲火によって宇宙から消滅することになる。後背を第四四高速機動集団の突撃砲火が、前方を独立部隊の十字砲火が、それぞれ待ち構えていることを知った帝国艦隊は、脱出に成功したほんの一〇数隻を除き、破壊された戦友の亡骸に囲まれながら降伏を選択した。
そして生き残ったほんの一〇数隻も、ひたすらアスターテ星域へとつながる最も近い跳躍宙点を目指して突き進み……待ち構えていた第八七〇九哨戒隊の集中砲火によって全て破壊された。その報告が戦艦アラミノスのイェレ=フィンク艦長よりもたらされ、それをもって爺様はエル=ファシル攻略作戦の第一段階終了を宣言した。
戦闘参加した同盟軍の兵力五二万四三〇〇名、同戦闘参加艦艇四四〇六隻。うち戦死者は二万二五〇〇名余、喪失戦闘艦艇三一八隻。一方で帝国軍は未だモンティージャ中佐達が集計している最中であるが、戦闘参加艦艇三三〇〇隻余のうち、降伏した残存艦艇が三九七隻。逃走した艦艇がほぼないことを考えれば、喪失率八八パーセント。そこから推定される戦死者数は三五万五五〇〇名余。第六次イゼルローン攻略戦で帝国軍が被った損害とほぼ同数になる。
勝利、それも完勝したというのに、俺は素直には喜べない。味方に被害が出ることはわかっていたが、マーロヴィアの草刈りの時とは文字通り桁が四つも違うのは尋常でなく胃を痛める。それに三五万以上の帝国軍の戦死者。単純にあの『ヴェルダンの戦い』がたった四時間で繰り広げられたのだ。一二〇〇時、ほぼ勝敗が決している状況下で配布された戦闘糧食に、俺はまだ手を付けることができないでいる。
そんな中でも、攻略作戦は次の段階へと進む。
「艦隊決戦の完勝、実にお見事でした。降下陸戦に関して、閣下の名誉を一片たりとも傷つけぬよう陸戦部隊指揮官として全力を尽くすことをお約束いたします」
武骨な、まさに歴戦のレンジャーという表現以外にしようのないディディエ少将の、宙陸の所属を超えた賞賛と自らの能力に自信を持っている言葉遣いに、応対した爺様も悪い気をしなかったようで……
「もし対地攻撃の援護が必要なら可能な限り融通するが、何かあるかね、ディディエ少将」
「既に降下母艦と無人偵察衛星でおおよその地表状況は把握しております。今のところ、宇宙艦隊に攻撃お願いするような対空・対軌道攻撃施設は確認されておりません。まず連絡将校一人で十分かと」
ディディエ少将の返答に、爺様は一度ぐるりと司令部の要員を見回すと、咳払いをして言った。
「小生意気な孺子でもいいかね?」
「作戦会議で啖呵切った若い少佐殿ですな。よろしいので?」
「何事も勉強じゃからな。陸戦の何たるかをじっくり見分させてやってくれんかの」
「っははははは。了解しました。降下母艦アルジュナで、少佐をお待ちしております。では」
戦闘に出る前というのに、まったくの余裕の表情を浮かべ大声で笑うディディエ少将の敬礼姿が画面から消えると、爺様は俺に向かって言った。
「そういうわけじゃ。戦後処理で貴官が担当する仕事はそれほど多くない。ファイフェルに任せて、地上で羽を伸ばしてくるといいぞ」
「羽を伸ばすと言われましても、地上戦はこれから行われるものと考えますが?」
「一番面倒なのは地上戦終了後の後始末じゃ。マーロヴィアの時に冴えを見せた、民政への引継ぎ準備は全て貴官に任せる」
それはあまりにも仕事量が多すぎないか。俺は思わず助けを求め、司令部の面々に視線を向けるとみな肩を竦めて苦笑いだ。同志愛の欠片もない。それでも今後のこともある、精いっぱい抵抗しなければ。
「戦後処理指導となりますと、やはり地位・権限が高いものが行うべきではないでしょうか?」
「わたしは戦力の再編成と星系宙域掌握で本当は手が足りないくらいなんだ。申し訳ないな、少佐」
「惑星地上の情報について、小官は作戦情報以外何も知りません」
「心配しなくていいよ、少佐。君の端末にできうる限りの情報を送る。それに特別に情報部が持つ自走式中型三次元端末を貸し出すから、それを使って地上で頑張ってくれ」
「……恐らく残留資産集計もあるかと」
「空間戦闘終了後、一番忙しい部署は補給部だと君は知らないのか? 地上戦が終わり次第、手を貸してやる。だから今は君が一人で行きたまえ」
「……」
「小官は司令官閣下の副官ですから流石にお手伝いはできません」
「あの……」
「地上戦に司令部従卒を連れていくつもりはないよ。ここで司令部のオジサン達の面倒を見てあげてくれ」
付いてきそうなブライトウェル嬢に、司令部に対する皮肉を交えて応じると、俺は溜息をついた。地上軍将兵に対し俺は特に複雑な感情は抱いていないが、爺様が与えてきた任務は連絡将校の職権を些か超えている。せめて後方を担当できる人間が最低でも数名必要だ。
「期限は、どのくらいでしょうか?」
「まずありえないことと思うが、帝国艦隊がエル=ファシル星系に再侵略を試みることがあれば、すぐに呼び戻す。それまでは作戦第三段階終了までとする。まず一箇月じゃな」
艦隊戦闘が星系に進入してから約四〇時間。戦闘時間だけで言えば僅か一〇時間。それに比べればなんと長いことか。だたし俺が戦略研究科出身でキャリアとして艦隊司令官を目指す以上、陸戦を現場で学べる機会は恐らくもうないと考えれば、これも爺様の親心なのだろう。
「微力を尽くします。ただし、民生の引継ぎ準備と言いましても、その職権区分を地上軍側とする必要があります。本来は全戦闘終了後にするものですので、その前の調査ということでよろしいでしょうか?」
「よろしい。貴官としての最善を尽くしたまえ」
爺様の承認に俺は敬礼で応えると、早速モンティージャ中佐が俺を艦内にある情報解析室に連れていき、そこで自走式の分析端末を譲り受けた。ヤマトのアナライザーのようなコメディ基調の次走マシンを期待していたが、言ってみれば移動する中型トランク以外のなにものでもなかった。ただし性能は将兵に基準配備される携帯端末など足元にも及ばない。
「これが一個あれば野戦司令部ができるんじゃないんですか?」
膨大なデータ保存量、短距離超光速通信設備、確率的な解析能力、無人機等への情報アクセス権、自走可能で蛮人の乱用に耐えられる堅牢性。使う人間次第だろうが、まさに参謀イラズだ。譲り受けた時、思わず出た俺の嘆息に、モンティージャ中佐は皮肉っぽい顔をして肩を竦めて言った。
「こいつに使われるか、それともこいつを使いこなすか。それが情報参謀の適正区分、という奴だね」
「なるほど」
「それとこれが敵の手に渡るような場合には速やかに自爆するようになってる。どんな時も五〇〇メートル以上離れたところに置かないでくれよ。いいお値段するからね」
「五〇〇メートル、ですか?」
「基本的に、コイツは君の『ストーカー』だ。特殊なモード設定をしない限り、一〇メートル以内をついて回る」
「……美女のアンドロイドとか、外見の変更を検討されたことは?」
「……多少型落ちするが、こいつの民生品バージョンもないわけじゃない。だがお値段は巡航艦一隻分じゃ足りないな。そんな貴重品をわざわざ『二足歩行』にする必要はなかろう?」
巡航艦一隻で何人の愛人を抱えることができるか。まぁアホな真似はしないでおこうと俺は腹の中にしまい込んで、中佐から分析端末を受け取った。その上で使用方法の簡単なレクチャーを受け自室で簡単に生活用品を纏めて、戦艦エル・トレメンドのシャトルハッチに向かう。確かに中佐の言う通り俺の後ろを自走端末は犬のように付いてくる。司令部からの見送りはいないが、ハッチではブライトウェル嬢が待っていた。
「連れてはいかないぞ、ブライトウェル兵長」
「承知しております。今の小官ではどう考えても、自走端末より役に立ちそうにないので」
これを、とブライトウェル嬢は俺の手を握ると、右手に小さな容器を握らせた。見ればロザラム・ウィスキーの小瓶だった。ブライトウェル嬢は一五歳、当然酒が酒保で手に入れられる歳ではないが……
「父の因縁です。出征の時はどうやら母が預けていたようです。生きて帰って飲む用だと……きっと一〇個月前は、単身赴任だったので忘れていたんだと思います」
「そういえば、リンチ閣下はあまりお酒を飲まない人だった」
ケリムでも酒ではなくあの糞忌々しいアーモンドチョコレートを手放さなかった。リンチと言えば酒浸りなイメージしかなかったが、それは捕虜生活の中で虚無と悪意と悲観に溺れた結果なのかもしれない。
「俺は酒好きだから飲んでしまうかもなぁ」
「度数が強いので一気呑みは止した方がいいでしょう」
つい数時間前の因縁を持ち出すブライトウェル嬢に、俺は何も言わず軽く拳骨を握って彼女の頭を叩くと、そのまま背を向けてシャトルに乗り込むのだった。
◆
到着した降下母艦アルジュナのシャトルハッチには、地上軍の将校たちが待ち構えていた。上は少将から下は中尉まで。二つの師団司令部が勢揃いと言ったところ。中には直接の面識はなかったが俺の同期がいたようで、「まさか学年首席とこんな場所でお会いできるとは思ってもみませんでしたよ」と変な感心をされてしまったものだ。
連絡士官となれば、地上戦部隊司令部にいて常に宇宙艦隊との連絡を取り合いつつ、地上戦の状況を攻略部隊司令部に報告し続けるのが仕事だ。攻略部隊司令官はビュコックの爺様であり、地上戦部隊の先任指揮官のディディエ少将はその指揮下で地上戦を統括する以上、当然作戦進行状況の報告は爺様に対して行われる。すなわち今回の任務は正常な作戦指揮が行われているか、正しい報告が行われているかどうかの『お目付け役』に近い。
明らかに識見外の人間の闖入、しかも司令部内では針の筵の中になることを爺様もわかっているだけに、俺に対して別任務である『戦後処理事前調査』を加えた。陸戦の戦闘指揮に口をはさむ必要などないほど忙しくさせてしまえば、地上戦部隊側の俺に対する隔意もそれほど大きくなることはないだろうという心遣いかもしれない。ありがたいとは思うが、自走端末が必要なほど忙しくなる仕事を与えるのはどうなんだろう。
そして早速とはいえ、降下母艦アルジュナで俺には地上戦部隊側の連絡士官と『共同生活』することになる。いわゆる『お目付け役のお目付け役』で、あちら側も連絡士官業務は兼任。所属は第三二装甲機動歩兵師団で、地上戦司令部内統括予備参謀。いわゆる師団より派遣された無任所司令部要員で、前線で所属を跨ぐような戦闘部隊が必要とされた時、応急的に指揮する為前線派遣される経験と識見と調整能力に富んだ中・下級指揮官、なのだが……
「まずまともな戦闘状況なら、私など無駄飯喰らいというわけです。気楽なものですよ」
分厚い肩を竦めて自嘲するのは、三二歳という年齢の割に老けて見えるダニエル=サントス=ジャワフ少佐だった。原作ではヤンが同盟政府に拘束された時、まんまとシェーンコップとアッテンボローに逃げられたわけだが、話してみれば無能とは程遠い人物だと分かる。そりゃあ帝国軍の監視下で弱体化した都市型戦闘『中隊』二個と、白兵戦特化の薔薇の騎士『連隊』では質でも数でも勝負にはならないのは、自明の理だ。
降下母艦の中で忙しく出撃準備に勤しむ将兵を他所に、今のところは暇な部署な俺とジャワフ少佐はのんびりと士官食堂の隅っこでお茶を飲んでいたが、やはりこの世界に来た以上、陸戦の専門家には聞いてみたい質問があった。
「薔薇の騎士連隊、ですか? ほう、やはり宇宙戦部隊でも彼らの評判は高いのですな」
大柄ゆえに握る紙コップがお猪口にも見えるジャワフ少佐は、中に入っている温くなったコーヒーの半分を喉に流し込むと、なにかを思い出すかのように数秒躊躇ったのち、俺に応えた。
「高火力高機動軽装で都市型戦闘を主体とする小官とは違い、彼らは白兵戦。戦闘装甲服を着てトマホークを振るうのが仕事です。たしか編成は七四六年。帝国からの亡命者の子弟で編成された部隊で、類まれな白兵戦能力を有しております。ですがボロディン少佐が知りたいのはそう言うことではないのでしょうな」
「ええ、まぁ」
「一言でいえば『いけ好かない気障な同盟軍人モドキ』です」
「……おぉ」
左眉だけ小さく動かしたジャワフ少佐の、太い唇から発せられた短い評価というより悪口は、原作を知る俺としては強烈なものだった。どうしたってヤン一党。薔薇の騎士連隊のカッコよさ・気風に贔屓になりがちな視点ではなく、その正反対からの見方には驚かされる。だがその舌鋒の鋭さに比して、ジャワフ少佐の顔は憎悪というよりは敬して遠するといった感じだった。
「人は産まれを選べませんからな。問題はその産まれを我々も彼らもお互いに気にしすぎる点でしょう。ただ孤立しやすい土壌ゆえに、花はしょっちゅう色が変わる」
「……気障、というのは?」
「誰が付けたか考えたか小官はわかりませんが、『薔薇の騎士』。名は体を現す、というのでしょうな。自分達は『騎士』であり『軍人』ではない。そういう気風が充満しています。今の副連隊長リューネブルク中佐が特にそうです」
「お知り合いで?」
「白兵戦戦技大会で会ったことがあります。一度対しましたが、二〇秒で気絶しました。勿論小官が、ですが」
「……」
「その強さこそが彼らの心の支えでもあるのでしょう。一人の武人としては尊敬できますが、敗者に対する配慮、規則と友軍に対する信頼の欠如、有能無能以前の国家と国民に対する意識、そういう面では彼らは同盟軍人ではない。小官はそう思います」
おそらくはこれこそが薔薇の騎士連隊の苦悩の根源かもしれない。苦難の末帝国から亡命してきて、新天地では冷たい視線にさらされ、すっかり擦り切れて大人になった。ジャワフ少佐はそういう背景も理解しているし、隊の創設意義がプロバカンダであることも理解し、単純に亡命者だからと言って嫌っているわけでもない。恐らくは相当『まとも』な部類の軍人だ。そういったまともな軍人にすら敬遠されるゆえに、歴代の連隊長の半数が見知らぬ故国へと向かわせた。シェーンコップの言い草ではないが、あわれなものだと思う。
俺がぼんやりとそう考えていると、ドタドタと士官食堂を駆け出していく陸戦士官たちをよそに、ジャワフ少佐が悪戯そうな視線を交えて、俺に言った。
「もしかしてボロディン少佐は陸戦の、白兵戦訓練はお好きですかな。幸いこんなですから、ジムに空きが出来そうですが」
「陸戦の専門家を前に、白兵戦が得意ですなどとは口が裂けても言えませんよ」
「少佐は学年首席と伺っておりますが?」
「陸戦はあくまで机上です」
「では机上から実践へのステップアップはいかがですかな? 例の事前調査の件、小官もお手伝いいたします」
なんだよコイツ、色違いのパトリチェフかよ、と思いながら俺は少佐のお誘いをどう断ろうかと必死に頭を巡らせるのだった。
後書き
2021.01.18 更新
第60話 エル=ファシル星域会戦 その4
前書き
筆が進まなかった理由は、だいたいライスシャワーとミホノブルボンのせいです。
冗談はともかく、時間と気力のリソースが足りないので、なかなか進みません。
好きなウマ娘は、サクラスターオーとメリーナイスです。
出ていない? ははははは、そんなご冗談を。
宇宙歴七八九年 四月二三日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系
惑星エル=ファシルに対する地上攻略戦が開始された。
この世界が星間国家である以上、遠征軍は宇宙を渡ってやってくる。ゆえに『海岸線上陸』ならぬ『軌道降下』が最初に行われる。宇宙母艦をベースに改造された降下母艦には、対地攻撃用強襲艇・突入装甲降下艇・輸送艇・軌道展開型大気圏内戦闘機・無人自走軌道監視衛星が、地上戦兵器や兵員と共に搭載されている。
すでに展開済の無人軌道監視衛星から送られてきたデータと、帝国軍侵攻以前の地上データは突き合せられ、帝国側の陣地形成状況はある程度把握されている。最優先確認目標は対軌道防御基地。ここは宇宙空間上から対地ミサイルで潰さない限り兵士や兵器を満載した降下艇や輸送艇は地上に降りる前に軌道上で塵になってしまうのだが、これに関してはディディエ少将が爺様に上申したように現時点では確認されていない。
さらに本来なら軌道上に展開し宇宙艦船の侵入を阻止する防衛衛星が展開しているはずだが、帝国軍はそれを配備していなかった。前線占領地とは思えないほどに無防備としか言いようがない。理由はともかく同盟軍にとっては幸運なことで、攻略作戦は次の段階へと進む。
衛星軌道管制センター。一〇ヶ月前には『エル=ファシル宇宙港航法管制センター』と呼ばれていたもので、現時点では逃げ遅れた帝国軍輸送艦が数隻周辺に投錨されているだけである。ここを占拠することで衛星軌道上からの地上展開に飛躍的な効率アップが望めるし、もし帝国軍が残っていれば逆に地上展開を妨害される恐れもある。
今後の作戦の都合上ここは『なるべく傷つけずに』占拠したい。つまりは白兵戦部隊による強襲である。ちなみにケリムで味わったブラックバートの置き土産のようなことは、陸戦部隊にとってみれば常識らしく、数度の降伏勧告後、降下母艦に搭載された僅かな対艦装備である中性子ミサイルで輸送艦を吹き飛ばしてしまった。その後、強襲揚陸艦により管制センターに突入。センター内は無人で機器もほとんど手つかずのまま残されており、同センターの占拠に陸戦部隊はあっさりと成功。
ここで地上戦部隊司令部は管制センター内部に通信管制大隊の一部を展開させ、機器の再利用や損害状況の把握に努める。俺もジャワフ少佐と共に管制センター内部に入るが、これは地上戦部隊司令部の宇宙戦部隊に対する仕事してますよアピールと、管制システムの復旧に宇宙戦部隊から人員を派遣して欲しいという、本来の連絡士官業務を果たしてほしいというおねだりの合わせ技だ。
そんなことはお安い御用なので、早速自走端末を展開して旗艦『エル・トレメンド』に超光速通信回線を開き、モンティージャ中佐におねだりをする。あっさりと地上戦部隊が管制センターを占拠したことに爺様達は驚きそして呆れたが、直属戦隊に所属する戦艦数隻から通信オペレーターを供出させ、一時的に通信管制大隊指揮下へ転属させることを約束してくれた。
その報告を俺は地上戦部隊司令部にすると、司令部の面々は「おぉ~」と何故か感動してくれた。管制センターに残って戦艦のオペレーター達と機能復旧に努めることになる年配の大尉にこっそり理由を聞くと、「大抵の宇宙戦部隊司令部は管制センターそのものを奪いに来ますよ。なのに作戦期間中だけでも我々に預けてくれるんですから、ビュコック司令官は戦の道理というかご配慮ができる方とわかるんですよ」と教えてくれた。これが軍内セクション対立というのか、聞くだけで実に面倒な話だ。
一方で、モンティージャ中佐からも注文があり、自走端末を遠隔操作するので三時間ほどそこにいてほしいという話だった。詳しい内容は教えてくれなかったが、恐らくは自走端末を介して帝国側が残した管制センターの情報を抜き取ろうということだろう。管制センター内なら動き回っていいとのことなので、俺はお目付け役のジャワフ少佐と一緒に、行く当てもなくあちこちを見て回った。
「しかし、ヤン=ウェンリーという男は恐ろしいですな」
周囲に誰もいないことを確認したジャワフ少佐は、俺にそう小声で囁いた。俺が無言で視線を送って続きを促すと、太い唇がゆっくりと活動する。
「民間人三〇〇万人の脱出を成功させたことは勿論、陸戦部隊・治安警察・行政府の所属を超えて脱出の指揮を執ったことです。その力量は二二歳の中尉とは到底思えません」
「士官学校でもなかなかつかみどころのない後輩でしたよ」
おそらくはその三者の責任回避も含んだ宇宙戦部隊への脱出計画委託をヤンが一身に背負わされた結果と推測できるが、それを言うことなく当たり障りのないことを応えると、ジャワフ少佐も大きな肩を竦め、いつの間に見つけたのか、小さく折り畳まれた紙のメモを差し出した。俺がそれを開いて口に出して読んでみる。
「『もしこれを同盟人が見つけたら、ハイネセンポリスの家族の下に届けてほしい。ヤンとかいう軍の若造が、俺達を指揮してハイネンセンへ脱出させると言ってるが到底無理だ。帝国軍に囲まれ、リンチの野郎は俺達を見捨てて逃げた。軍は自分達のことしか考えない奴ばかり。俺は宇宙の塵になっているだろう。だから代わりに軍に向かって声を上げてくれ。家族のみんなを愛している。父さん、母さん、すまない。早いうちに戻ってジュリーと結婚するつもりだったが、かないそうにない。ジュリーによろしく伝えてくれ。エル=ファシル宇宙港管制センター 第二管制区次席オペレーター ヴィリアム=エルヴェスタム上級管制士』」
あ、これは見つかったら相当ヤバい『黒歴史』だと即座に判断し、俺は即座にジャケットの内ポケットにしまい込んだ。作戦終了後にエルヴェスタム氏にこっそり連絡し、とりあえずは二人しか知らない旨を伝えなくてはならない。俺の一連の行動にジャワフ少佐も口を押えて笑いを堪えつつ、自分も勿論黙っていると手振りで応えてくれた。
「針の筵だったでしょうな。二二歳、しかも実戦経験の殆どない中尉についていける人間などそうそうおらんでしょう」
「でしょうねぇ」
「英雄的な働きですが、自ら報道には出ない姿勢に好感が持てますな。一度の成功を誇張し、会う度に勲章を見せびらかす輩が多い中では貴重な存在ですよ」
「そういうお知り合いが?」
「陸戦部隊にも山ほど居りますよ。討ち取った装甲擲弾兵のマスクを自宅の壁に貼り付けているような低次元の、悪趣味な奴らがね」
それは先日リューネブルクを批判した口調よりもさらにキツイものだった。それがジャワフ少佐の本心かどうかはわからないが、少なくとも宇宙戦部隊から派遣された暇な連絡士官と三時間のお散歩に付き合ってくれるくらいの器量はあると分かっただけでも良しとしたい。
果たして二時間三〇分後。モンティージャ中佐から情報収集終了の連絡を受け、改めて俺とジャワフ少佐は管制センター内に臨時開設された地上戦司令部の隅に移動し、作戦の進行状況を耳に挟みつつ、エル=ファシルに残された旧行政府・旧軍・民間の資産データを自走端末から吸い出していく。
今のところエル=ファシルの中央都市より二〇〇〇キロほど離れた荒野に前進司令部を建設するという方針で、その周囲の上空・軌道の制宙権を確保するよう対地攻撃用強襲艇や軌道展開型大気圏内戦闘機が次々と降下母艦から発進している。帝国側の防御設備が各都市の内部にどうやら設営されているようで、俺が考えるにかなり面倒なことになりそうだった。
「予想通り都市型戦闘師団の主戦場となりますが、ジャワフ少佐から見てもこの状況は厳しいですか」
作戦司令部にあって軍事作戦の立案をやっている俺がする質問ではないように思えるが、地上での作戦は、地上戦部隊司令部が担当しているので、俺の責任範囲外だ。ジャワフ少佐も統括予備参謀である以上本来であればもっと主体的に軍事作戦に関わるべきなのだが、連絡士官業務に専念せよと指示でも出ているのか、管制センターに設置された仮設メインスクリーンを見つめながら、暢気に珈琲を飲んでいる。はっきり暇なので、俺は質問したわけだが、ジャワフ少佐は小さく肩を竦めると、忙しそうに指示を出している同僚達を尻目に俺に囁くように言った。
「実際に都市内で戦闘になってしまえば厳しいですが、敵の地上戦部隊指揮官は間抜けのようで無力化自体は楽勝でしょう」
「楽勝?」
「惑星エル=ファシルには、人口一〇万人以上抱えていた都市は三つ」
ジャワフ少佐は、俺の自走分析端末を指差す。機能としてつけられている小型の三次元投影機を動かせということだろう。俺はその通り端末の上に惑星エル=ファシルのメルカトル図を浮かべると、ジャワフ少佐は、その三つの都市の色を赤く変える。
「理由はわかりませんが無人偵察によると、その三つの都市に戦力を分散配置しております。それぞれの都市にだいたい一個師団程度。あと、第二大陸の中核都市にも二個大隊程度」
「各個撃破が可能、ということですか?」
「この宇宙港のある中央都市に、絨毯爆撃を喰らわせた上で包囲網を形成。都市外縁に対地・対空・対地下センサーを張り巡らしたうえで、強力な電磁妨害を行います。後は空中騎兵と装甲戦闘車の二個大隊を張り付けて『試合終了』です」
「あまり都市機能を破壊するのは、民政復興において好ましくはないのですが、仰る通りですね」
「本来なら森とか深海とか、地形的に防御が容易で隠蔽しやすい環境に中核司令部を置きます。四ヶ月もあったのですから、普通なら地上測量により要衝を確認し、必要とされる防備基地を構築し、二重三重の連絡線を構築するべきなのですがそれが全くない。まるでピクニックに来たら山賊に襲われて、それぞれ別のコテージに立て籠ってる学生集団のようなものですよ」
そう。それは艦隊戦が始まってからなんとなく感じていた違和感。命懸けの侵攻作戦でありながらも、どこか緊張感の欠ける戦場の雰囲気。敵の指揮官か、それとも敵の質か。味方に比してあまりにも劣る任務遂行能力。
「敵の指揮官は軍事の素人と考えてもいいかもしれない、と?」
「ボロディン少佐は宇宙戦闘がご専門でしょう。先の艦隊決戦を振り返っていかがです?」
「上級指揮官クラスは確かに問題があると思いましたね。だた……中級指揮官クラス、あるいはその下のレベルではさほど差がないと感じました」
少なくとも艦隊決戦が始まった段階での、前衛艦隊の動きは戦理に則っていた。まともに消耗戦となればこちらも統一運動訓練の不足している臨時編成の艦隊だ。被害もこの程度では済まなかっただろう。簡単にそのあたりを説明すると、ジャワフ少佐の顔から暢気さが消え、右眉だけ僅かにスッと引き攣りあがった。左眉が連動しないあたり、この人も参謀特有の顔面操作法を覚えているのかもしれない。
「……傾聴に値するご意見ですな」
「陸戦と宇宙戦では、所属も常識も次元も異なりますが参考になりますか?」
「勿論です。ディディエ少将閣下に意見具申すべき内容ですよ」
そういうとジャワフ少佐は、管制センターの最も忙しそうな一角にスタスタと近づき、何人かと話した後で俺に向かって手招きした。階級はともかく戦歴を考えれば彼の方が先任なので、俺はそれに応じて近づいていくとモーゼの海割れよろしく陸戦参謀達が左右に分かれ……布張りのコンバットチェアにどっかりと腰を下ろすディディエ少将までの道ができた。
「ボロディン少佐。ジャワフから話は聞いた」
ジャケットの上からでもわかる少将の太い左腕が、ギシギシと肘掛けに悲鳴を挙げさせている。ひ弱な宇宙軍士官など葦を刈り取るように吹っ飛ばせそうなエネルギーが、御年五五歳と聞く少将の体格から溢れている。
「どうやら骨のある敵がいるということだが、兵力配置・防備計画いずれを見ても素人そのものだ。その理由を貴官は説明できるか?」
儀礼など面倒だというより、効率を重視する性格なのか。脳筋では少将は務まらないのはわかるが、意外にもせっかちな人なのかもしれない。爺様と異属同類な気配がするので、俺も殴られる前にさっさと応えることにした。
「上級指揮官と中級・下級指揮官では、指揮権限範囲が異なります」
「で?」
「エル=ファシルが攻略された際、住民は限られた動産のみ抱えて脱出いたしました。クレジット化された現金や持ち運びの容易な貴金属はともかく、社会インフラ・工業生産プラント・各種資源は残されたままです」
「屍肉漁りか?」
「エル=ファシル星域はイゼルローンから空間距離があり、将来的に恒久基地を建設する条件が整っていても同盟の勢力圏があまりにも近すぎます。望外の戦果に対し、将来戦略の準備が整っていなかった。そこにインフラがある程度と整っている都市があり、資源が残されているとしたらまずは回収を試みるでしょう」
「……で?」
「上級指揮官が貴族階級のそれもあまり軍事に関わってこなかった人間であることが想定されます。彼らの実戦指揮能力は職業軍人のそれよりも低い。前線である程度の規模の軍事組織を運用する為には、『助言顧問』か『考えて動く手足』が必要です」
「頭と体は別だと」
「……はい」
少将の比喩表現にいささか問題があるとはいえ、理解はしてくれている返答だった。助言顧問の存在はカストロプ侯爵領侵攻時の双璧がそうだったし、帝国軍の至る所で中堅に平民や下級貴族出身の有能な職業軍人が、そうでない上官を支えていた。
制宙権が失われ、大気圏内制空権も失われつつあるのに、降伏もせずかと言って積極的あるいは冒険的な攻勢を行わないのは、権限の範囲で最善を尽くそうとする表れとみていいだろう。もっとも帝国軍の増援が来るまで戦線を維持することしか、彼らには選択肢がないのだが。
「作戦司令部の意向としては、インフラ設備の破壊は極力少ない方が望ましいか?」
しばらく沈黙してからの少将の発言は、周囲にいる陸戦幕僚達の意表を突いたようで、自然とその視線は俺に集中する。これが中性子ビームなら、俺は瞬時に宇宙の塵になるくらいに。だが司令部より民生引継ぎの情報収集も任務としている俺としては、なるべく破壊せずにいてもらえれば積算業務も、後々の復興経費も浮くのでありがたい話だ。
「もし可能であれば、そうしていただけるとのちのち色々と助かります」
「貴官は帝国語が達者か?」
「……日常会話程度は」
「フェザーン駐在武官経験者が何を言うか。ジャワフから聞いているだろうが、我々の作戦の基本は都市ごとの各個撃破だ。だが防備を固めた敵をすり潰すより、引きずり出して処理する方が、手間がかからず楽だ。そこで宇宙艦隊に協力を求めたい」
一体どういうことか。訳が分からないが、どうやら俺が陸戦の分野でも扱き使われるといいうのは間違いなさそうで、思わず振り向いた先にいるジャワフ少佐を見ると、おどけた表情で大きな肩をこれでもかといわんばかりに竦めているのだった。
後書き
2021.06.11 更新
第61話 エル=ファシル星域会戦 その5
前書き
文章では1年ぶり。絵では3ヶ月ぶりでしょうか。お久しぶりです。
ウマ娘の絵を描いたり、文章を書いたりで結構浮気してすみません。だって、
酒好き不幸体質、運もほどほどなジュニアより、サクラスターオーの方がかわいいじゃありませんか。
でも皆さん、サクラスターオーのウマ娘はいないって、いつもおっしゃるんですよね。
メリーさんもマティさんも、ウチのチームでいつもシチーと笑顔で走ってますよ?
(→もしかしなくてもウイニングポスト9/2021)
宇宙歴七八九年 四月二六日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系
これはもう連絡士官の仕事というより、陸戦参謀の仕事ではないだろうか。のんびりと珈琲を飲みながら陸戦参謀達の後ろ姿を眺めていた一〇時間前が、えらく遠く懐かしく感じられる。
ディディエ少将が協力要請という名で出してきた作戦は、単純に言えば帝国軍の救出作戦を偽装して、都市部に引っ込んでいる帝国軍陸戦部隊を、野戦可能な原野に釣り出し纏めて始末するというモノだ。既に帝国軍の宇宙艦隊が壊滅していることは、地上にいる帝国軍も理解している。衛星軌道上管制センターも奪われ、中継衛星も破壊されたことで、超光速通信も地上施設からの直接送信している状態だ。送信情報量は著しく少なく、受信はまともにできる状態ではない。
いわばエル=ファシルの地上にいる帝国軍は目と耳を失ったほぼ孤立状態。情報戦を仕掛けるには十分な条件が揃っているが、逆に言えば中途半端な作戦では容易に見抜かれる。見抜かれたら以降の行動は力押しが主体となり、犠牲も損害も大きくなる。
そして帝国軍をだます為には宇宙艦隊の協力が必要となる。通信では傍受の恐れがあるので、俺はジャワフ少佐を連れて直接旗艦エル・トレメンドに戻り、少佐も交えて司令部に地上軍の意向を説明する。
「すっかり地上軍の水になれたようじゃな、ジュニア。ん?」
傍にジャワフ少佐がいるというのに、皮肉たっぷりに爺様は俺に水を向けてくる。このエル=ファシル攻略部隊においては今のところセクション対立は起こっていないが、地上戦においてほぼ優位を確保しつつあることを宇宙艦隊側は十分認識しているし、それを承知の上で協力要請してくる地上軍司令部には爺様も皮肉の一つも言いたくなるのだろう。
まぁジャワフ少佐ではなく俺に向けて言っているということは、『協力することはやぶさかではないが、それなりの結果は求めるし、宇宙軍が犠牲を払うような作戦なら宇宙軍が指揮をとるぞ』と言外に地上軍側へ伝えるよう俺とジャワフ少佐に言い含めているわけだ。爺様は単なる短気直情な皮肉屋軍人ではない。
「詳細については貴官らに詰めてもらうが、具体的にはどれだけの規模の兵力を必要とするのかね?」
宇宙艦隊の姿勢をジャワフ少佐に伝達したと認識したモンシャルマン参謀長は、軽く空咳を入れた後で俺に問いかけた。
「残念ながら戦場整理はまだ終わっていない。会戦が終わってまだ三六時間だ。動かせる戦力はさほど多くないと思ってほしい」
「小官としたしましては宇宙艦隊の全兵力を動員したいのですが」
「……どうしてもかね?」
「どうしてもです」
「……司令官閣下、いかがでしょうか?」
真正面からぶつかった俺とモンシャルマン参謀長の視線は、先に参謀長の方から外され、爺様に向けられる。その視線に気が付いた爺様は黙って目を瞑ると腕を組んだまま椅子の背を大きく揺らした。
これは爺様の長考の兆しだ。心の中では結論は出ているが、それに対するリスクを計算している。ジャワフ少佐を加えた第四四高速機動集団司令部が、じっと爺様の口が開くのを待つこと約三分。どんぐりのような爺様の目が音を立てたかように見開いた。
「ジュニア」
「ハッ」
「儂はタダで仕事をするつもりはないぞ」
「星系防衛戦闘の実地演習として最適の舞台であると考えます」
「何隻必要じゃ?」
「大気圏降下が可能なレベルの帝国巡航艦を三〇隻。残存する自力航行可能な戦闘艦艇は全て自動操縦状態にして頂きたく存じます」
俺の答えに爺様は無言で視線を動かすと、眉間に皺を寄せ渋い顔のカステル中佐が応える。
「……帝国軍約四万人の命がかかってますからな。演習経費はともかく、キベロンまで引っ張っていく船の数が減るなら補給部としては結構なことです」
それに応えるように爺様は、今度は視線を反対側に動かす。その先には人の悪い苦笑を浮かべたモンティージャ中佐がいる。
「ボロディン少佐の敵味方を超えた人道的な優しさに、小官は感動を堪えきれません。四〇隻分の帝国語に堪能な乗組員の編成一切は小官にお任せを」
そして爺様は俺の横に立つジャワフ少佐に、鋭い視線を向けて言った。
「ジャワフ少佐、そういうことじゃ。貴官にも存分に働いてもらいたい」
「ありがとうございます。陸戦司令部総員に代わり、御礼申し上げます」
「ジュニア」
「ハッ」
「儂らに襲い掛かってくる不逞な『帝国軍救援部隊』の先任指揮官は誰が良い?」
拿捕し手元にあって動かせる帝国軍艦艇は三〇〇隻に満たない。帝国軍がエル・ファシルの地上部隊を救助すると見せかけるためには、それなりの戦力を動員するように見せなくてはいけないが、単純に数が足りない。演習における『敵役』として惑星エル・ファシルの識別探知内で行動できるだけの戦力、その指揮官には爺様に匹敵するであろう戦術能力のある指揮官が必要だ。それができるのは……
「第三四九独立機動部隊のネイサン=アップルトン准将閣下にお願いいたしたく存じます」
◆
「つまり私は帝国軍の救出部隊指揮官として、実働の帝国艦隊を送り込むに際して味方と砲火を交えるふりをしろ、ということかね?」
戦艦「カンバーランド」の司令艦橋で、未熟でありつつも突き抜けた見解を述べる学生に、面白いことを言うなぁ~と感心半分呆れ半分といった教授の表情で、アップルトン准将は再度確かめるように俺に言った。
「そこまで帝国軍に寛大である必要はないと私は思う。降伏勧告後に極低周波ミサイルの三ダースばかり地表に撃ち込めばすっきり解決すると思うが、ボロディン少佐。どうだろうか?」
面倒くさいというわけではなく、ちゃんと根拠立てて陸戦のお手伝いをすることに不満の意思を隠さない第三四九独立機動部隊の参謀達を納得させろということだろう。アムリッツアで僅かに画面に映った淡い栗毛色の髪をした先任参謀……まだ髭は生えていないフルマー中佐はどうやら陸戦士官に含みがあるのか、鉄面皮で口を開くことなく眼球だけでジャワフ少佐を睨んでいる。だが何とか納得してもらう為にも、舌下の徒になるしかない。俺は空咳をしてから、アップルトン准将に言った。
「エル・ファシル星系は失われて既に一〇ヶ月になります」
「無論、承知している」
「エル・ファシル星系の総所得は統計のある昨年度で三〇四四億ディナールになります」
金の問題ではない、とは流石にここにいる誰も言わない。もしアップルトン准将の言うように極低周波ミサイルを撃ち込めば、帝国軍は掃滅できるかもしれないが同時に残されるインフラ設備も失う。復興させるためにもただでさえ厳しい国家予算からやり繰りしなければならない。その程度の計算ができない参謀など、この世界のどこにもいない。
もしインフラ設備がそれなりの状態で保持できるのであれば、ハイネセンに避難しているエル・ファシルの住人が戻れば直ぐにでも経済活動が再開できる。それにより税収が上がる。〇から一を作るより、一から三を作る方がはるかに楽なのはいつの世も変わらない。
「……既に我々は制宙権を確保している。地上戦も腰を据えて行えばいいのではないか?」
地上戦部隊が宇宙艦隊を使って楽をしようとしているのは気に食わない、というフルマー中佐の裏言葉を俺は十分すぎるほど理解できる。危ない橋をなんで宇宙艦隊だけが渡らねばならないのか。地上軍も相応に仕事を果たせというわけだ。だが、それに俺は同意できない。
「地上軍将兵とて人間です」
「……当然だ」
「戦闘すれば犠牲者は出ます」
「それは……貴官の言う通りだが」
「戦闘しなければ死なずにすみます」
「……ボロディン少佐は、平和主義者なのかね?」
軽い嫌味のつもりでフルマー中佐は言ったのだろう。階級が高い故に口を滑らしたのかもしれない。だが許容範囲以上の仕事を押し付けられている俺の血圧を上げるには十分な挑発だ。一〇秒ほど目を閉じてから、俺は中佐の眼を、湿度を充分に含めてから睨みつけて言った。
「勿論平和主義者です。ついでに申し上げれば人道主義者でもあり、それを誇りとしております」
「な!?」
「君の負けだよ、フルマー中佐。相手が悪かったな」
喧嘩腰になりそうなフルマー中佐をあっさりと一言でアップルトン准将は抑えると、准将は口だけの笑みを浮かべて俺に言った。
「エル・ファシルに巣食う帝国軍人すら救おうというのだから、君のお人好しさにはほとほと頭が下がるよ」
「恐縮です」
「では君の作戦案の詳細を提示してもらおう。詰めるところは多くありそうだからね」
まだまだ無精髭といったレベルの顎を撫でながら、未来の第八艦隊司令官はそう言うのだった。
◆
四月二八日二二〇〇時。ネイサン=アップルトン准将率いる第三四九独立機動部隊五九八隻(内戦闘艦艇 五四八隻)は、本隊と離れて一時的に星系外縁部へと離脱を開始した。これに加え第四四高速機動集団より分派した第八七〇九哨戒隊二〇隻、および拿捕した帝国軍艦艇の内で一応の運航が可能な三〇九隻が、艦隊より選抜された帝国語の堪能な搭乗員と共に同行する。地上軍からも所属する全ての白兵戦部隊(二個大隊)が派遣され、この時点を持って俺の連絡将校としての任務は一時的に解消された。
また同時にセリオ=メンディエタ准将率いる第五四四独立機動部隊のうち三〇三隻が、損傷艦艇三〇八隻および捕虜となった帝国艦隊の乗組員を連れて、後方エルゴン星域ウォフマナフ前進基地へ向かうこととなる。同行艦が多いのは運行要員をこの作戦に搾り取られた為、第五四四独立機動部隊は十全な戦闘運用ができなくなってしまったからだ。所属する残りの二〇〇隻には僚艦から兵員を充足し、第四四高速機動集団の第四部隊として運用される。メンディエタ准将は先程の艦隊戦で残念ながら僅差で損害率がビリだったので、残念ながらババを引いた形だ。
現時点におけるエル・ファシル星系に駐留する同盟軍『防衛』戦力は
第四四高速機動集団 アレクサンドル=ビュコック少将 以下 二四七〇隻(内戦闘艦艇二二〇八隻)
第三五一独立機動部隊 クレート=モリエート准将 以下 六〇一隻(内戦闘艦艇 五七七隻)
第四〇九広域巡察部隊 ルーシャン=ダウンズ准将 以下 五一一隻(内戦闘艦艇 四九九隻)
となる。
また地上軍は一部の偵察隊を惑星エル・ファシルに降下するにとどめ、戦力の大半を軌道上と軌道航法センターにのこすこととした。
翌二九日〇六〇〇時。作戦『エル・ファシルの霧』は司令官アレクサンドル=ビュコックによって発動された。
後書き
2022.05.05 投稿
第62話 エル=ファシル星域会戦 その6
前書き
陸戦モードは本当に苦手です。
艦隊戦は好きなんですが。
宇宙歴七八九年 五月二日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系外縁部
外縁部に到着した『帝国軍救出部隊(仮)』は隣接する星系との跳躍宙域、同盟支配時代からゲート八八と呼ばれる宙域に集結した。
作戦『エル・ファシルの霧』は同盟に制宙権を奪回された帝国軍が、エル・ファシル星域に残存する帝国軍地上戦力を回収しにくると考え、それに同盟軍防衛部隊がどのように対処すべきかという演習を、そのまま作戦に転用したものだ。帝国艦隊側の部隊が上手い具合に地上軍を回収出来たら、それを丸ごと拿捕する。宇宙空間上に浮かぶ捕虜収容所を作ろうというモノ。
問題点は幾つもあるが、一番の問題はやはりエル=ファシルの都市に籠っている帝国軍をどうやって引きずり出すかだ。軍事的な手段を回避するための作戦だから、通信による謀略以外に方法はない。より緻密で成功率の高い『脱出作戦』を立案する必要がある。
艦隊行動においてはフルマー中佐をはじめとした第五四四独立機動部隊の参謀面々が、地上戦と捕虜収容のテクニカルな部分はジャワフ少佐と数人の陸戦将校が、俺(とディディエ少将)の考え方に沿って行動基準を組み立ててくれた。マーロヴィア同様、自分よりも戦歴のある上級者が、仮とはいえ自分の下についている居心地の悪さは何とも言えない。
そしてさらに俺の居心地を悪くしているのは、作戦会議の場では常に俺の左後背に立ち、エル=ファシル星系の地理情報についてのアドバイスをくれるイェレ=フィンク中佐の存在だ。第四四高速機動集団結成式の時に比べて数段顔色が良くなっている。例によってフルマー中佐達から陰口を叩かれているようにも見えるが、まったく気にしていないどころか、鼻で笑っている状況だ。ちなみに右後背にはモンティージャ中佐から預かった自走端末がいる。
その心理的な変貌に、失礼を承知で第八七〇九哨戒隊の艦長総勢二〇名全員を戦艦カンバーランドの小さな会議室に集めたのだが、大なり小なり彼らの表情は明るい。こちらが心配して問えば……
「ようやくボロディン少佐の為に力を振るえる時が来たのです。それも自分達の庭であるエル=ファシルで。それがみんなうれしくてたまらないのです」
そう言ったのは哨戒隊司令代行も兼務するイェレ=フィンク中佐で、
「エレシュキガル星系で我々は今まで経験したことないほどに訓練を重ねました。訓練でも実戦でも部隊として出来る最高の成果が出て、部下たちは士気を取り戻しつつあります。それに司令部からウィスキーが当艦に一ダースほど届きましたし」
そう言うのはモディボ=ユタン少佐。コーヒーを飲む姿がいかにも地球時代の黒人刑事そっくりだが、他の艦長達から『お前だけズルい』の非難を受けて気恥ずかしそうにしている。
彼らの態度に、俺は身の毛がよだった。ヤンに対するシェーンコップの忠誠心とも違う。俺が死ねと言えば喜んで死んでくれそうな雰囲気。士気が高いのは喜ばしいとかすっ飛ばして、悪酔いしそうなほどに気味が悪い。一種の興奮状態にあるというんだろうが、他の部隊からの孤立が一層増し、より狂信的な感じがする。
これは各個で弾除け扱いされることを危惧し、哨戒隊としてあえて一纏めにして運用することを提言した俺の責任だろうか。エル=ファシルでの戦いはこの詐欺のような地上攻略戦の結果を問わず、帝国軍の反撃がない限り成功裏に終わる可能性は高い。では終わった後は? 彼らの『罪なき罪』は許されるのか。
しかし取りあえずのところ今はそれを考える時ではない。彼らの元エル=ファシル防衛艦隊の知識と技量を使わねばならない時だ。謀略の一歩として同盟軍が巨大な茶番を演じていると感づかれることのないよう、極力低出力に絞った超光速通信が惑星エル=ファシルに届く範囲まで、帝国軍の通信器具を持っていく必要がある。帝国軍の哨戒網はザルだったが、見事に惑星に接近して哨戒任務を果たした嚮導巡航艦エル・セラトがその任に相応しいのは明らかだ。
まず帝国軍との通信が成立するのが前提だが、そこからは二段階に分けて救出作戦を実施する。これには本格的に拿捕した帝国軍巡航艦を使う必要がある。
救出第一陣は帝国語が堪能な白色ないし淡白色人種で乗員を選抜した巡航艦四隻。艦長はフィンク中佐をはじめとした第八七〇九哨戒隊のうちの白色人種四名が務める。まったくもってろくでもない話だが、帝国軍には有色人種の士官はほとんどいない。これでまず地上軍から貴族上層部および貴族階級の士官たちを分離する。
第二陣は同じく帝国語に堪能な艦長クラスの選抜要員とユタン少佐を除く第八七〇九哨戒隊の面々(フィンク中佐ら四名も艦を乗り換えて同行)が、ホワイトスキンを被って戦艦四隻を含む三〇隻の帝国軍艦艇に乗り込む。これが四万名の帝国軍将兵を救出する部隊となる。それに加えて無人遠隔自動制御された帝国軍艦艇二七五隻が同行する。
この無人艦隊の指揮も含めた、救出作戦の全体を指揮するのが、フェザーンで生まれ五歳まで育ち、法衣貴族の息子で帝国騎士でもある『ジークフリート=フォン=ボーデヴィヒ准将』こと俺である。よくある名前を組み合わせて作っただけで、何となく俗な名前ですねと言っても、司令部の人間は誰一人として反応しなかった。
そして本来の所属元から離れて、俺に同行している数人の情報将校(勿論偽名だろうし、顔も変えているんだろうけど)の一人が少し年上の女性で、俺のヘアメイクから何から担当してくれたのだが、一通り出来上がった自分は全くの別人だった。
「街中で出会ったら何となく撃ち殺したくなるような顔に仕上げてみました」
その女性士官の言う通り、スマートスキンで僅かに頬骨を大きくして、眉をかなり抜いて、髪はヴィッグで顎下までのセミロング。目付きの悪い、いかにも門閥貴族の手下でございますという形に、俺は大きく溜息をついた。帝国語と貴族仕草についても、アニメに登場している青年貴族たちの真似しつつトレーニングを積んだのだが……
「若干のフェザーン訛り以外は間違いありません。くれぐれもその姿でハイネセンを出歩かないでくださいね。間違いなく撃ち殺します」
と評価されるありさまだった。一応、アップルトン准将や参謀達にもこの姿を披露したが、やはり反応は同じ。特にアップルトン准将は俺の頬を三度ばかり軽く叩いてくれたりもした。
そんななんちゃって帝国貴族になった俺は制服こそ同盟軍少佐だが、そのままの顔で作戦会議や打ち合わせに出るものだから、戦艦カンバーランドで事情を知らない将兵に遭遇するたびにフィンク中佐が俺をかばい喧嘩寸前まで発展し、ついには艦長の名前で艦内にお触れが出る始末。それからは出会う度に『坊ちゃん少佐』と呼ばれることになった。
いずれにせよその間にも準備は進む。嚮導巡航艦エル・セラトの予備通信室には、貴族士官が使っていたと思われる損傷した帝国軍巡航艦から移設された通信室が組み込まれ、鹵獲した帝国軍戦艦トレンデルベルクの通信室下には同盟軍の演習用シミュレーターが組み込まれた。有人となる三四隻には白兵戦部隊が分乗し、作戦開始と同時に一目には付かないスペースやミサイル格納庫に隠れる。
そして五月七日。最終的な打ち合わせを終えた俺は、戦艦カンバーランドから嚮導巡航艦エル・セラトに移乗した。
◆
八二時間後、嚮導巡航艦エル・セラトは惑星エル=ファシルよりも外の軌道にある、便宜上エル=ファシルⅤと呼ばれる大規模ガス惑星の表層内部に船体を浮遊固定し、パッシブ態勢に入った。残留する本隊所属の哨戒部隊警戒網に引っ掛かった感じすらない。
「密輸業者が使うルートの一つです。超長距離索敵に使われる重力波変異計測は、この惑星の自転速度の影響で台風や陰になる部分の値が複雑に変動する為、役に立ちません。重点的に艦を動かしてこまめに巡視しなければならない場所ですが……ビュコック提督もそこまでは気がまわってないのでしょう」
ユタン少佐は大きく溜息をついて言った。
「このルートは星系外部から侵入する時には有効な手段ですが、惑星エル=ファシルから出る時は、逆にⅤからの重力波差異を反射で検知できるので、まったく使えません。私とこの船は帝国軍に追い回された挙句、かろうじてここに逃げ込めたのは幸いでした」
他の艦は追撃中に撃破されるか捕らえられるかしたらしく、所属する巡航隊では、エル・セラトだけが唯一生き残った。それもエル=ファシルⅤの重力に引きずり込まれるような『死んだふり』で、辛うじてということだから、追撃は苛烈を極めたのだろう。同じ場所に隠れている乗員たちの気持ちは察するに余りあるが、斟酌する暇はない。
艦位が安定したとユタン少佐は判断すると、曳航式の超光速通信ブイを打ち上げる。鹵獲した艦で消去されていなかった帝国軍の周波数変異に固定されたそれは、惑星エル=ファシルから盛んに発信されている救援要請を明瞭に傍受できた。
「敵地上軍の司令官は大出力による発信で、アスターテまで届くと考えているのだろうか?」
場合によっては届くかもしれないが、一〇ケ月前に占領したばかりの箇所では、中継増幅衛星の配備は進んでいないだろう。現に幾つかのゲートにあった幾つかの中継衛星は第八七〇九哨戒隊によって粉砕されている。内容もあまり変わらない。『一万隻以上の大艦隊に惑星が包囲されている。軌道兵器もない。至急救援求む』の繰り返しだ。
「実のところ一万隻どころか三〇〇〇隻をようやく越せる程度しかいないわけだが」
「それだけビュコック提督の戦いぶりが圧倒的だったという事でしょう」
「しかしおかげででアスターテやパランティアなどからの増援はなくなった」
そんな大兵力のいるところに、基本防衛戦力である前進部隊を送り込むなど自殺行為。しかも第四次イゼルローン要塞攻略戦の情報はおそらく帝国側に届いているだろうから、前進部隊の目はダゴンやティアマトと言った同盟軍の進撃ルートに向いている。統合作戦本部の戦略眼通りで、謀略するにはまことに都合がいい状況。あまりにも都合が良すぎて、メアリー・スーかと思ってしまうくらい。
「ケース➀で行きましょう。ユタン少佐。私は通信室に籠ります。想定外があれば無声表示で」
「承知しました。本隊・別動隊への暗号発信後、当艦も巡航艦ゲーアデン三三号に電子偽装します」
舞台は整った。マーロヴィアからずっと舌下の徒に成り下がっているように思えるが、今の俺は実戦指揮ができる立場でもなければ、その能力もない。今は為すべきことを為すべきだ。ユタン少佐の配慮でもらった個室で、俺は着慣れた同盟軍のジャケットを脱ぎ捨て、ピッチリとした帝国軍准将の軍服に袖を通す。机脇の姿見で、異常がないこと、ウイッグのズレがないことを確認し、改めて襟を締める。同盟軍で閣下呼ばわりされる前に、帝国軍の閣下になるというのも、実に俺らしいのかもしれない。
その姿で個室を出ると、何人かの乗組員とすれ違う。ユタン少佐もお触れを出してくれている上に、過剰に美化して宣伝しているらしく、乗組員の殆どが俺に好意的ではあった。が、やはり帝国軍准将の制服に対するインパクトは大きいようだった。彼ら乗組員の奇異の視線とおっかなびっくりの敬礼に応えつつ、俺は予備通信室に一人で立ち入る。
シナリオは幾つも考えた。艦隊・地上軍双方の情報将校達も考えてくれた。山積みになっている資料と、接触端末、キーボード。そして真っ暗な帝国軍巡航艦搭載型の超光速通信画面。キコキコと音を立てながらついてきた自走端末に、帝国軍から押収した赤い毛足の長い絨毯をかけると、俺は超光速通信装置電源を入れる。
エル=ファシルで敵国の軍人を救うという任務をすると、ヤンが聞いたらなんて言うだろうか。俺の口が自然にゆがむのを覚えるのだった。
後書き
2022.05.08 更新
第63話 【別視点】前線の宙(そら) その1
前書き
結局4回書き直しの上、ジュニアに地上戦はできないとの天啓が下りましたので、
地上にいる、とある不運な帝国軍准将の視点でお送りいたします。
いや憂国騎士団の1個分隊(7∼8人)ぐらいなら潰せると思うんですが、
ジュニアがトマホークを振るうのはホント無理がありました。
宇宙歴七八九年 五月七日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系 惑星エル=ファシル
味方から通信文が来た。私は司令部からの連絡を受け、市中における防衛閲覧を切り上げ、司令部として利用している叛乱軍の行政府統領公邸に、装甲機動車を飛ばした。
一〇ヶ月前。私の元の所属である帝国軍第八艦隊は、ダゴン星域にて有力な叛乱軍の機動部隊と接触し残念ながら敗北した。我々の司令官はフェルトハイム伯爵中将閣下といい、門閥貴族の一派であるブラウンシュバイク公に連なる人物で、歳もまだ三〇代。士官学校では優秀な成績を修めて卒業したというが、艦隊司令官となるにはまだ若いのではないかと評価されており、その評価が最悪の形で現れたわけだ。
私はその時第八艦隊の参謀部に身を置く将校であったが、専門は陸戦だ。艦隊戦において司令官から何か意見を求められることはなかった。ただ陸戦士官とはいえ一応は士官学校を卒業した身である。フェルトハイム中将が、少佐や中佐にとどまっていた自分の友人達を無理やり昇格させ、お目付け役で付いてきた年配の参謀長を腐し、手前勝手な艦隊戦闘指揮を執った挙句、叛乱軍にコテンパに伸されたのは実のところ気分が良かった。
艦隊戦では敗れたが、部下達は後方の強襲揚陸艦や輸送艦にいたおかげで殆ど損害はない。年配の参謀長が敗戦の罪を被ることになるにせよ、フェルトハイム中将も閑職に回されることだろう。私の今後は部隊解散後に陸戦総監部に戻るか、別の艦隊の陸戦部隊として登用されるか。だが、事態はそううまくはいかなかった。
我々第八艦隊がダゴン星域で苦戦している頃、近隣のアスターテ星域の前進部隊の一つが強行偵察の為、叛乱軍の勢力圏であるエル=ファシル星域に進攻した。それはあくまでも威力偵察で、一〇〇〇隻単位の小集団が叛乱軍の戦闘能力を推し量るためのものだったが、叛乱軍の指揮官がよほどのヘマを打ったのか、前進部隊が一方的な勝利を挙げたのだった。
ただし、前進部隊はあくまでも前進部隊。有人惑星を有する星系を占領する任務などない。艦隊戦力もさることながら、陸戦戦力などあろうはずがない。戦果の拡大を求める前進部隊の指揮官は、アスターテ星域にある前線司令部に増援を求め、それがイゼルローンから派遣される前にフェルトハイム中将が横取りしたのだ。
何ことはない。自分の敗戦を糊塗し、勝利を盗み取ろうという行動だ。職業軍人としてこういう行動は決して褒められるものではないが、門閥貴族の常識では異なる。残存する艦隊戦力を再編成し、ほとんど無傷の陸戦戦力を動員して、エル=ファシル星系を『叛乱軍の魔手から解放』する行動に出た。そしてその行動は半分の成功と半分の失敗によって報われる。
それまで叛乱軍の指揮官は余程愚かなのだろうと考えていた。引見した敵の指揮官は、一〇分の一以下の僅かな兵力で逃走を図った挙句に手酷く失敗し、ひどく落ち込んでいた表情をしていた。実際に部隊を指揮した参謀長がいうには本来抵抗するだけでも無駄なこと、戦争ではなく狩猟のようなものだと嘯いていた。
状況が地上戦になれば、私の仕事だ。敵の艦隊は既に逃散しているが、念のために入念な地上索敵を行い、僅かばかりの防衛衛星と郊外にある軌道砲基地を吹き飛ばして強襲降下を行った。ワルキューレにも協力してもらい、都市上空から索敵したところ生体反応はなく、地上戦力で調べてもそれは同じであった。
住民は事前に避難していたのであろう都市の無血占領。しかも地上生活が可能な有人惑星を。同じ最前線でも極寒のカプチェランカとは比べ物にならない。フェルトハイム中将らは自分の功績に有頂天だ。ここが最前線基地となれば、イゼルローンに匹敵する司令部が創設され、叛乱勢力の制圧の大いなる助力となる。私ですらそう思った。
だがその喜びは二週間もせずして崩壊した。
非難した住民は事前避難などしておらず、敵の指揮官を囮としてまんまと逃げおおせていた。レーダーで探知されていた大規模な隕石群こそ避難船団であったことがフェザーンを通じて本国に知らされると、宇宙空間戦闘指揮の不始末を取らされ、参謀長は更迭された。
次に第八艦隊自体に撤退が命じられた。表向きは司令官の栄転と休養と再編成だが、これもまた事実上の更迭だ。ダゴンでの敗戦、それに横紙破りな功績泥棒が問題視され、寄り親であるブラウンシュバイク候も軍部との関係を悪化させたくないと考え、数週間もめた末に統帥本部への栄転という形で伯爵の更迭に同意した。その際、エル=ファシルに残された動産の大半が陸戦部隊以外の将兵によって略奪されている。
最後に居住可能なエル=ファシル星系を誰が管理するかで問題が発生した。しばらくは軍の管理ということになるだろうが、誰の『所領』になるかだ。最前線で危険も大きいが貴重な居住可能星系だ。イゼルローンからも遠いので防衛任務は困難をきたすが、後々星系の所有権を主張したい門閥貴族が自派の兵を送り込むよう圧力をかけた。そして三つの都市があることから、宇宙艦隊と中央都市は軍の統括部隊が、他の二つが外戚となったブラウンシュバイク・リッテンハイム両派から送り込まれることになった。最悪に近い時間の無駄遣いだ。
結果として私の部隊は中央都市の統括官の指揮下に入ることになる。だが最初の統括官はそれなりに仕事ができる男であった。が、直ぐにイゼルローンに戻され、次に送られてきたのはリッテンハイム候派の艦隊指揮官と、ブラウンシュバイク公派の統括官だった。
彼らはここが最前線だと理解していたか疑わしい。艦隊は哨戒任務をしないし、地上部隊は自分の指揮下を除けば僅かな略奪品探しと意味のない破壊行為しかしない。植民者が送り込まれてくるどころか、補給部隊の遅れすらあった。軌道砲や防衛衛星の配備など申請してもなしのつぶて。敵が来たらひとたまりもない。
そして現実はその時の予想通りになった。防衛艦隊は侵攻してきた叛乱軍によって半日と経たずに壊滅。惑星は叛乱軍の艦隊によって厳重に封鎖され、これ見よがしに行われる都市周辺への集中爆撃、それに各都市の中継点に偵察と思しき地上戦力も送り込まれてきている。地上戦力は基幹都市ごとに分かれているが、この時ばかりは中央都市に指揮官達が集まり、例によって罵り合って物別れに終わっていた。
それが今日。五月七日になって、救援要請に対する返信が届いたことで、再び指揮官達が中央都市に集まることになった。
「遅いぞ、レッペンシュテット准将」
各都市の陸戦指揮官および三人の統括官、今会議室に入った私を含めて六人の一応の先任者である中央都市統括官のシェーニンゲン子爵少将待遇統括官が私を叱責する。他の都市から飛行機で来ている四人より遅いというのは、恐らくは統括官の意図があって連絡を後らしたのだろう。二〇代の子供のような相手の児戯に怒っても仕方がない。私は無言で頭を下げてから席に座ると、子爵は他の四人に向かって言った。
「宇宙艦隊司令部から救援を送ってくれることになった。未だ文章による一方的な通告ではあるが、一〇〇〇隻程度の部隊を送り込んでくれる」
「たった一〇〇〇隻ですと? 一万隻の間違いではないのか?」
「一〇〇〇隻だ。昔日ドイゼルバッハ少将の艦隊が壊滅してくれたおかげで、それ以上の戦力は送れないらしい」
そう答えたのは東部都市の統括官であるハイデンブルク子爵。リッテンハイム候爵の遠縁と自称しているが、本当のところは与力の一人というところ。ブラウンシュバイク公爵派のシェーニンゲン子爵と爵位では同じなだけに、とかく対立気性がある。そこまで理解していれば私としては問題ない。ちなみにドイゼルバッハ少将はリッテンハイム候派だ。
「だが一〇〇〇隻ではこの惑星を包囲する忌々しい叛乱軍共を蹴散らすことすらできないのではないか?」
ある意味正しい指摘、それ以外ない常識を披露したのはミュルハイム男爵。もう一つの都市の統括官で、ブラウンシュバイク公爵派。一応、シェーニンゲン子爵との仲は悪くない。だが悪くないだけであって、同じ青年貴族であるから、ライバル心もある。
「確かに卿の言う通りだが、私はここにいる者だけに伝えなければいけない事実もある」
「ほう……実は一万隻以上の艦隊が救援してくるというのかな?」
「イゼルローン要塞が、叛乱軍によって攻撃されているのだ」
「なんだと!」
音を立ててハイデンブルク子爵は立ち上がった。それが意味することを、正確に理解できるだけの頭が子爵にあるというのは、私にとっても意外なことではあるが。が、同時に私は呆れざるを得なかった。イゼルローンが攻撃されている状況下では、救援戦力としては全く意味のない『たった』一〇〇〇隻であっても、エル=ファシル星系に送り込んでくる理由が想像できる故に。
「一〇〇〇隻なら陽動には事足りますな」
そしてその理由を口に出してしまうのが、ハイデンブルク子爵指揮下のボンガルト大佐だ。帝国騎士でまともに士官学校も出ている。私としては同僚になるが、上官となる若い貴族達へのゴマすりは些か鼻につく男だ。目先は効くので、そういう判断もできるのだろう。
「その通りだ。大佐。ここにいる全員だけの話とするが、貴族位、爵位を持つ士官と関係者をそれぞれリストにしてあげておいてほしい、ハイデンブルク子爵」
「……わかった」
「突入してくるのは四隻の巡航艦となる。乗り切れるのはせいぜい二〇〇〇人前後だろう」
「三等分でよろしいですな?」
「勿論だ、ミュルハイム男爵。各都市七〇〇人までとする。決行日は帝国標準時間四日後の五月一一日午前三時。夜陰に紛れ各都市にあるシャトルで、この中央都市南方四〇〇キロ先に広がる平原に集合せよ」
「「承知した」」
二人の統括官と二人の地上戦部隊指揮官はそれぞれ敬礼して会議室から出ていく。結局ミュルハイム男爵の地上戦指揮官であるバウラー大佐は口を開くことはなかった。彼も帝国騎士だから、恐らく脱出するのだろう。彼らの足音が完全に消えた後で、シェーニンゲン子爵はつまらなさそうな視線を私に向けた。
「聞いていたように、我々はこの地から一時離れる。我々が救援戦力をもって引き返してくるまで、卿にはこの占領地の維持を命じる」
つまりは捨石だ。一〇〇〇隻という時点で予想はしていたが、ここまで露骨に言われると怒りを通り越して呆れてしまう。
「故郷にある卿の家族に不自由はさせぬ。それはシェーニンゲン子爵の名において約束しよう」
「過分なご配慮、感謝申し上げます。ですがお願いしたいことが一つございます」
「なんだ?」
「他の都市に残ることになる地上戦部隊の指揮系統についてです。ボンガルト、バウラー両大佐から指揮権を譲られておりません。正式な文章を残していただけるよう、閣下より両統括官殿に依頼をしていただきたく存じます」
「なぜ先程の席でそれを進言しなかった?」
「部下の指揮権を他者に譲るというのを、第三者の目前で行わざるを得ないというのは軍人として降伏に等しい恥辱です」
「なるほどな。卿なりに気を利かせたというわけか、よかろう。そちらは手配する。卿はシャトルの準備を万全にせよ」
疑念が張れたのか、子爵はフンと強く鼻息を飛ばし足音高く会議室を出ていく。それは意気軒昂な逃走以外のなにものでもない。私の家族に言及する程度は、門閥貴族の彼なりに善意と羞恥心はあるのだろう。だからと言って、私や残された部下が救われるわけでもない。
「巡航艦四隻か。ささやかなものだ」
私は彼らと同じように会議室を出ると、屋上まで出て空を見上げる。青い空だ。故郷のヴェスターラントもそうだった。ここは叛乱軍の都市故にオフィスビルと集合住宅だらけだが、少し郊外に出れば故郷と同じような広大な小麦畑が広がる。そして見たこともないような巨大な農業マシンがあり、同盟語さえ読めればすぐにでも家族を連れて農作業に勤しみたくなる。子供頃はあれ程嫌だった農作業も、今になると強烈に恋しい。
しばらく会ってはいないが同い年の妻も、一六歳の息子と一〇歳の娘は元気だろうか。息子は私と同じ軍人になりたいと言っていたが、止めておけと今なら言える。イゼルローンがある限り、故郷がこの地のように戦火に焼かれることもないだろう。それがどれだけ幸せなことか。息子に会う機会があればクドクドといてやりたいが、そうやらそれは叶いそうにもない。
私はこの地にきてから再び始めた紫煙を、大きく青い空へと吐き出した。
後書き
2022.05.15 更新
2022.05.22 ブラウンシュバイク・リッテンハイムの爵位ミス修正
第64話 【別視点】前線の宙(そら) その2
前書き
日に日に語彙力と作文能力が低下していくのを自覚しております。
陸戦は本当にこう盛り上がらないのは、筆者があんまり慣れてないからだと思います。
この二次創作の基盤の一つがボーステックの銀河英雄伝説Ⅳexと言うのもあってか、
陸戦のシチュエーションがカプチェランカかヴァンフリートⅣ-2しかないっていうのも
あるのかもしれません(想像力の低下)
はやくサクラスターオーに会いに行きたいです。
宇宙歴七八九年 五月一一日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系 惑星エル=ファシル
一〇日の夜が来た。
二三〇〇時。既に部隊は消灯と夜間配置についているが、その中で中央空港よりかなり外れた箇所に向かって出発する車列がある。装甲車両は前後二両のみ。歩哨隊には叛乱軍前哨基地への強行偵察と説明されている。あんな装備で大丈夫かと、この夜の警備を担当する中佐の一人が私に質問したが、私は首を振って問題ないと答えている。
私は今、四日前同様に空を眺めている。星空には大きな変化がある。兵士達も気が付いたようで、時折士官を通じて質問が飛んでくる。はっきりと天体観測の邪魔であった叛乱軍の艦影が、この数日間で軌道上からさっぱりと消えているのだ。
『増援が来ているのではないか?』と期待が籠った声。だが私の部下達はある程度理解している。宇宙空間を攻撃する術のない地上部隊を封鎖するのには大規模な艦隊は必要ないし、奴らはいつでも好きな時に攻撃を仕掛けることができるのに、我々が立て籠もる市街地には攻撃を仕掛けてこない。それは奴らの作った街を壊したくない故に。統括官達が連れてきた将兵はともかく、私の部下達は十分すぎるほど理解している。
「レッペンシュテット閣下!」
副官の一人が慌てた表情で、屋上で空を見上げる私に駆け寄ってきた。まだ若い。私と同じ平民出身で統括官と同い年の大尉だ。
「空間観測班からの報告です。この都市南部に向けて大気圏突入する艦影あり。数四」
「艦影? 叛乱軍の突入降下艇か?」
統括官達を逃がすための巡航艦があっさりと見つかったのは仕方がない。全長六〇〇メートル近い。そんなものが大気圏に降下すれば、赤い尾を引くのだから誰の目にもわかる。だがしばらくはごまかし続けなければならない。最低限あと五時間。
「申し訳ございません。夜間の為、はっきりとは。ただ、東と西の両基地からはワルキューレが発進するとのことです」
「そういえば今夜は前哨基地への強行偵察が大隊規模で行われるんだったか」
「左様です。閣下、当基地も援護にワルキューレを出しましょうか?」
「いや、大隊に帰還通信を送るだけでいい。このままでは敵弾に飛び込むようなものだ。ワルキューレも対空ミサイルも出さなくていい。距離が近すぎて、むしろ同士討ちを招きかねない」
「承知いたしました、閣下。各隊に伝達いたします」
敬礼し駆け出していく大尉を他所に、私は南の空へ向ける。もう肉眼でもはっきりとわかる。真っ赤な火球が四つ。狂いなく見事なロッテを二つ組んでこちらへと向かってくる。一〇〇〇隻の陽動部隊が協力したとはいえ、かくも見事に惑星へ強行突入できるとは相当な腕の持ち主達だ。望むべくはその数が一〇倍であれば、多少無理はしても地上軍将兵を全員収容できただろうに。
「『制宙権がない場所での地上軍は蟻同然』か」
第八艦隊の参謀になった若造の一人がそう言っていたのを私は思い出した。私への嘲りを含めてのことだろうが、真実は真実だ。せめて軌道砲があれば話は違っていただろう。
〇一〇〇時。再び副官が屋上で横になっていた私を起こしに来た。
「東西のワルキューレ部隊、全て撃墜された模様です。不明の飛翔体はこの基地より三〇〇キロ南の平原に降下し、設営作業に入っている可能性が高い、とのことです。閣下、すでに司令部要員全員起床のうえ、司令室に集まっておりますが」
「わかった。叛乱軍どもは無粋な輩だな。どうせ攻めてくるなら昼間にすればよかろうに」
「……まったくです」
一呼吸おいて大尉は応えると、背筋を伸ばし、私の前に立って司令室へと導く。市街への爆撃がないおかげで私の司令室は屋上直下の層だ。副官が司令室の扉を開けると、そこには第八艦隊以来ずっと付き従ってきた私の部下達が不敵な顔を並べて、私を見ている。
「叛乱軍はようやく気概を見せてきたぞ」
私の言葉に、部下達はお互いを見やり、無言で頷き合う。
「今夜の突入は小手調べだ。東と西のワルキューレが叩き落とされたというから、大気圏内戦闘艇も発進している可能性が高い。だがたかだか四隻だ。経験上、これらに搭載できる戦力は多く見積もっても一個連隊規模でしかない」
「こちらには本土から持ってきた長距離砲があります。三〇〇キロなど指呼の距離です。そのくらいは叛乱軍でも知っているでしょう。閣下のお見立て通り、これは奴らの示威行動かと」
参謀の一人が応える。
「考えるに奴らの意図は可能な限りワルキューレを潰して制空権を掌握すること、こちら側の砲撃応戦能力を調査すること、でしょうな。夜間偵察に出て行った部隊は統括官の連れてきた部隊でしたか? 運が悪かったですな」
「仮にも味方だ。そう悪く言うものでもない。だがまずはコマンド潜入の可能性がある。夜通しで悪いが市街外周に設置したセンサー網をチェックしろ。朝が明けたら、ワルキューレを出して降下した場所を偵察。どうせ夜明け前には奴ら宇宙に逃げているだろうがな」
夜が明ければきっとそれどころではない。東西の基地に取り残された将兵が事実確認の為に、この中央都市に連絡してくるだろうから。
「副官。私はここで少し横になる。何かあったら知らせてくれ」
◆
〇八〇〇時。七時間前に集まった同じメンバーが、こんどは夜とは正反対の表情で顔を並べている。
「東と西の各部隊から、連絡がありました。統括官及び複数の軍士官が、昨夜の内に逃走したそうです」
メンバーを代表してなのか、それともババを引いたのか、副官が直立不動で私に報告する。
「今朝発進したワルキューレからの報告も入りました。着陸したのは叛乱軍の突入降下艇などではなく、我が軍の巡航艦だった模様です」
「……ワルキューレがそう判断した理由はなんだ?」
私は三〇秒ほど目を閉じた後、問い返した。
「足跡でも残っていたのか?」
「はい。我が軍の巡航艦が使用する地上固定用のアンカーと形状が一致しました」
「つまり、昨夜出て行った統括官の部隊は、そのまま味方の巡航艦に収容されて本国に逃げ帰ったと?」
「はい。ここにいる参謀全員はそう判断しております」
「つまり、我々は取り残されてバカを見たと?」
「大変申し上げにくいことながら……東西両都市に取り残された地上軍の指揮官達からは、レッペンシュテット閣下への指揮権移譲手続書が残されていたとのことです」
なるほど、どうやら子爵はそのあたり馬鹿正直にしっかりと『証拠』を残して言ってくれたわけだ。私は何となく腹の底から可笑しさを覚え、自然と笑わざるを得なかった。その笑いに、部下達の顔には困惑が広がり、さらにそれがよりおかしく思えてならない。だが鍛えた部下は私を軍医に見せるような真似はせず、笑いが収まるまで微動だにしなかった。
「では卿ら。取り残された我々がなすべきことは何かな?」
笑いで出た涙をぬぐいつつ、私は参謀の面々に問いかける。
「我々は敵中で孤立している。補給線も通信線も既に絶たれている。巡航艦四隻が来てくれたおかげで、叛乱軍の攻撃は厳しく、空間・軌道包囲はより一層厳しくなるだろう。降伏するかね?」
私の問いかけに、参謀達は応えない。彼らも分かっているのだ。捕虜になった叛乱軍将兵の取り扱いの酷さと、叛乱軍に降伏した将兵の家族に対する国家の仕打ちを。それが我が身だけでなく、家族にまで降りかかってくると考えれば、容易に降伏などとは言えない。
故に子爵たち貴族士官は容易に前線から逃亡できる。一時的な転進などという話は、たいていがそんなオチだ。帝国を支配する貴族階級。彼らに能力を売って利権にありつこうとする平民。そんな平民の一人である私は、今回たまたま売られる側になったというだけだ。
「降伏はできないと、考えます」
やはり昨夜進言した参謀の一人が、一歩前に出て言った。
「ただ望みというか、細い希望は残されていると小官は考えます」
我々に残されているのは意地だけではないか。不毛な持久戦を頭の中で構築していた私にとって、参謀の一言は意外だった。
「ほう、言ってみたまえ」
「はっ。統括官共の所業は帝国政府としても帝国軍人としても許せるものではありません。奴らの……失礼、彼らにとって我々の存在自体が弱みであります。故に彼らとしては、我々がここで全滅して死んでくれることが望みであると考えます」
「……続けたまえ」
「ですが少なくとも彼らが仮に帝国に帰投できたとして、彼らは政府や軍上層部に『救援』を要請せざるを得ません。でなければ軍法に則り彼らは逃亡罪で銃殺されるからです。貴族の方々に対する法規はだいぶ緩いようですが、それだけに形式だけは整える必要があります。これが一つです」
「他には?」
「巡航艦と統括官達はどうやって連絡を取っていたのでしょうか。現時点でも叛乱軍の妨害は極めて強く、恐らくは中継衛星も撃破されていることでしょう。ですが巡航艦は来た。我が軍の索敵・潜伏任務を帯びた艦が、この星系に残っていること疑いありません」
「なるほど」
「そして叛乱軍の地上降下作戦は奇妙に鈍いままです。昨夜の逃走劇が小手調べと誤解されるほどに。余程彼らはこの都市を壊したくないのでしょう。つまり籠っているだけで、我々は増援を待つ時間を稼げるのではないかと」
参謀の言葉に他の参謀達の顔色も良くなっていく。確かに物事は道理に則っている。が、いずれも希望的な観測に過ぎない……だが
「参謀。卿は土いじりができるかね?」
「は?」
「私はヴェスターラントの自作農出身でね。一応一通り小麦の作り方は知っている。卿はどうだ?」
「申し訳ございません。小官はオーディンの経理役人の子でして……」
「卿の言うことが正しいとすれば、かなりの長期にわたっての持久戦となる。補給など望むべくもないから、武器も食料も自分達で作らねばならない。この地には幸い農耕器具も畑もあるが……まずは扱えるように叛乱軍の言葉を学ばねばなるまいよ」
「は、はい」
参謀の言の通り僅かな希望。それが伝染したのか、他の参謀達も顔色を元に戻しつつある。その中でただ一人、副官だけが私に対して不思議な視線を向けていた。それが気になったので参謀達に東西の基地にいる部隊の中央への回収と、逃走劇で空いてしまった職責の補充、動揺している全部隊への思考拘束の為の一時的な戦闘準備を指示し追い出すと、副官とこの部屋で二人っきりになってから問うた。
「何か言いたそうだったが、もう参謀達はいない。遠慮することはない。言ってみたまえ」
「閣下。レッペンシュテット閣下。もしかして統括官達が逃げ出すのを、事前にご存じだったのではないですか?」
「どうしてそう思った?」
「冗談があまりお好きではない閣下が、昨夜から今朝に限って何度か口に出しておいででした」
「卿が考えているほどに私は戦場ではまじめな男ではないよ」
「四日前に、幕僚会議が開かれておりました。その場でシェーニンゲン統括官から伺ったのではないですか?」
その事実と私の言動だけで推論できるだけの知性が副官にはある。私は椅子に深く座りなおすと、若い副官に向き合って言った。
「そのことについて、私は卿に何ら回答するつもりはない」
「……」
「一つだけ言えるとすれば……自分の部下に死んでほしいと願う指揮官など、この世の中にそれほど多くはいない。そういう事だ」
「閣下」
「副官。この話はこれで終わりだ。余計な口は開かぬように」
私が厳重な口止めを副官に命じると、何故か副官は感動したような視線を向けて私に敬礼する。実戦経験の乏しい彼のことだ。どれだけ私が彼を欺いているのか、真実を知れば私など唾棄すべき存在だと理解できるだろう。神がいるというならば、私は救わなくて構わないのでどうか彼らを救ってほしい。そう切に祈らざるを得ない。
そんな哀れな願いが通じたのか、ムキになった叛乱軍の爆撃や上空示威飛行などを見せつけられた四日間のあとに福音が届いた。超光速通信という形で。
後書き
2022.05.22 更新
第65話 提督、万歳!
前書き
そろそろストックが尽きそうです。
小説は勢いなんだと思わざるを得ません。
決してJacsonとかAchillesとかRamに乗って、T-34-85Mとか、O-iとか、SPGとか撃ってません。
ジークJacson、くたばれŠkoda T-25
宇宙歴七八九年 五月一五日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系
第一段階はものの見事に成功した。四隻の巡航艦の指揮を執ったイェレ=フィンク中佐が奇妙に残念がる程に、あっさりと帝国軍の首脳部は同盟軍の手に落ちた。それなりの食事に混ぜ込んだ睡眠薬が効いて、殆どぐっすりとお休み状態で拘束されている。各艦で数人ほど薬に抵抗した者がいたらしいが、ブラスターと装甲戦闘服では勝負にならなかった。おそらくは情報将校だったのだろう、自白剤を打つまでもなく全員亡くなった。
起きていた時にフィンク中佐が確認したところによると、わざわざ増援が来たことを確認させるために、爺様とアップルトン准将が惑星エル=ファシルよりさほど遠くはなれていない障害物の少ない宙域で、大規模な擬似戦闘までやってのけたというのに、奴らはそれすら観測してなかったらしい。
通信封鎖しているのでエル・セラトからの観測結果でしかないが、擬似戦闘の勝敗はどうやら爺様の圧倒的な勝利だったようだ。そりゃぁ三対一で爺様に勝てるような用兵家なんて、金髪の孺子かアスターテの英雄ぐらいなものだろう。
「さてさて次は地上に残る帝国軍だが……」
今度はそう簡単には騙されてはくれないだろう。俺の顔を見て貴族で准将だと知ったとたんに態度が変わった第一陣の連中とは違い、爆撃や示威行動を見せても市街から一歩も出てこない根性の座った奴らだ。その上、巡航艦が脱出した翌日には各都市から部隊の大移動が始まり、中央都市周辺の耕作地にも不穏な動きがみられる。長期戦に備えた自給体制の構築だ。シナリオや教練は同盟軍でも一応実施されているが、最前線で畑を作る状況などまずもってあり得ないから、だいたいおざなりにされている。それを奴らは本気でやろうとしている。
彼らに接触するのは、『逃げ出した連中から情報を獲得し、改めて救出作戦を立案実施する』タイミング。すなわち改めて帝国軍側に統一された指揮編制が成立したと確認できる状況になった時。俺は覚悟を決めて超光速通信を起動させると、そこには俺と同い年ほどの若い帝国軍大尉が現れた。画面の中の彼は、こちらが准将であると分かると驚き、なぜか狂喜して画面の外に出ていく。そして数分待たされた挙句、次に画面に現れたのは年配の准将だった。
「お初にお目にかかる。フォルカー=レッペンシュテット准将です。現在、遠征軍地上部隊の指揮をとっております。」
「私はジークフリート=フォン=ボーデヴィヒ准将だ」
どう見ても百戦錬磨の陸戦指揮官。誰が見てもゴリゴリのレンジャー上がりのようなディディエ少将とは正反対の、糞真面目で筋肉系理論派の機甲指揮官と言った面持ち。ディディエ少将がゴリラなら、こちらはキツネだ。いかにも手ごわい相手に、俺は『嫌々仕事をする青年貴族の准将』を演じなくてはならない。胃がギュッと閉まるのを感じるが、表情に出すのは尊敬すべき敵に対する身分的な蔑視だ。
「どうやらまだ死んではいないようだな。息災で結構なことだ」
「はっ」
レッペンシュテット准将の眉がピクピクと動いているのがはっきりわかる。拳が届かない画面越しでよかった。
「で、取り残された間抜けはどのくらいいる?」
「……救出していただけるのですか? 巡航艦四隻に詰め込める量ではございませんぞ」
「そんなことはわかっている。私は貴官に『数』を聞いているのだ」
できる限りの軽蔑を込めて俺はレッペンシュテット准将に言ってやったが、それがよほどに意外だったのか、画面の中の彼は明らかに表情から怒りを消して、しばらく顎に手を当ててから応えた。
「現時点で把握しているのは四万一〇七五名です。軍属も含めて」
「ということは……地上戦闘は殆ど行われていないということか?」
わざとらしく資料を読むふりで視線を下に落としつつ言うと、周辺視野に入った彼は大きく頷いた。
「四月二三日に叛乱軍がこの地に進攻してきて以来、戦闘らしい戦闘は地上では起こっておりません。ですが市街外周は徹底的に爆撃され、制宙・制空両方とも失われております」
「シェーニンゲン子爵を助けるために、アルレスハイムとヴァンフリートからわざわざ一〇〇〇隻も割いたのだ。被害も少なからず出ている。おかげさまでイゼルローン駐留艦隊司令官のメリングハウゼン上級大将閣下は痛くお怒りだ」
「……それではやはり」
「残留者全員で自殺でもしてくれるのか。そうしてくれれば面倒が社会秩序維持局に移るだけで、私としては大歓迎だ。これ以上損害も出さずに済む」
「失礼だが、ボーデヴィヒ准将。確認したいが貴官が救出作戦の指揮をとられたのか?」
「それ以外に聞こえたのなら、貴様はずいぶんと耳が遠いようだな」
「いえ。こういっては何ですが意外に思えまして……」
そうだろう。見るからに門閥貴族出身の青年貴族士官の俺が、前線で孤立する部隊の救出に動くなどありえないはずだ。だからこそシナリオが生きる。思い切り不遜で不愉快な表情をわざと浮かべて、俺はそれに応えた。
「私はさる高貴な方からの命令を受けている」
それが誰だかは言わない。だが、その一言でレッペンシュテット准将は悟ってくれたようだった。自分達を救出することで利益を享受する勢力。少なくとも統括官とかいう間抜けがいる門閥貴族ではない誰かの指示でボーデヴィヒ准将は動いている、と。ゴールデンバウム王朝銀河帝国にてそれに該当する人物は一人しかいない。
「道理であれほど見事な強襲降下ができるわけだ」
「……納得がいったのなら、話を進める。想定では二万人程度を考えていたが、その倍となれば話は変わる。用意できたのは戦艦八隻を含む三〇〇隻だ。だが全部を地上降下させることは出来ない」
大気圏降下中の艦艇は攻撃も防御もできない。ある程度の犠牲を覚悟の上で、警戒中の叛乱(同盟)軍を蹴散らして時間と空間を稼ぐ必要がある。何しろ一度一〇〇〇隻もの『陽動』艦隊が動いているのだ。
「陽動艦隊が徒になりましたな」
「アレを用意したのはブラウン……いや何でもない」
「聞かなかったことにいたします。他ならぬ、高貴な方の為に」
苦笑するレッペンシュテット准将に、僅かながらも胸が痛む。情報将校には精神的に向いていないとバグダッシュは言っていたが、アイツの人物鑑識眼もなかなかと言わざるを得ない。
「時刻は四日後。二〇日午後一〇時より降下を開始。場所は前回と同じ平原だ。降下する艦艇は戦艦四隻、巡航艦二六隻。降下配置は圧縮通信で送る。地上投錨待機が許されるのは二一日〇一〇〇時より二時間。武器弾薬装備一切は持ち込まずともよい。個人装備のブラスターもいらん」
「装備品の敵地放棄はあとで問題になりませんか?」
「二万人を死体にしてくれるなら、装備品も積み込んでもよいぞ」
「もう三〇隻着陸降下させることは出来ませんか」
「地上軍の装備如きの為に、宇宙艦隊がこれ以上犠牲になってもいいと貴様はいうのか?」
「……承知しました」
「よろしい。速やかに準備を進めよ」
俺はそう言い切ると超光速通信の電源を落とした。真っ暗になる画面の先にいたレッペンシュテット准将はどう考えるだろうか。余計なことをしゃべったつもりはないが、心配ではある。帝国軍の軍服の上から胃を摩ると、不意に端末が振動した。ユタン少佐からの連絡だろう。
「『援軍到着。現在二三隻』、か」
俺は大きく溜息をついて、帝国用の超光速通信室を出るのだった。
◆
五月一九日一〇〇〇時。鹵獲戦艦トレンデルベルクに移乗した俺は、エル=ファシルⅤの惑星内に隠れている全ての帝国艦艇に出動を命じた。艦艇三〇五隻の内、有人艦艇は三一隻。探知妨害装置を作動させつつわき目も振らず一気に惑星エル=ファシルに向かって最適航路を突き進む。
二時間後、航路途中で無人艦三〇隻を分離。搭載している囮を発射し、三〇〇〇隻の艦隊を出現させる。これらは索敵に出てきた味方部隊に撃破されるまで、自動制御でゆっくりと前進を続ける。これで少なくとも独立部隊の一つを足止めできる。
すでにアップルトン准将もビュコック爺さんへのリターンマッチに動いているだろうから、防衛艦隊の主力である第四四高速機動集団はこちらに回ってはこない。第四四高速機動集団の致命的な欠点は、編成されたばかりの艦隊で練度が不足していることではない。基礎的な砲撃能力だけとってみれば、エレシュキガルで猛訓練を行った甲斐もあって決して正規艦隊に劣るものではない。訓練されていない部分。すなわち艦隊機動能力において不足が生じている。
アップルトン准将の第三四九独立機動部隊は、数において劣る。故に第四四高速機動集団は一気に第三八九独立機動集団をぶちのめしてからエル=ファシルに急行するか、ぶちのめすことなく一気にエル=ファシルに向かうかの選択をする必要がある。本来『高速機動集団』としての演習を十分に行い、その名の通りの高速機動能力を獲得していれば、俺達の二四〇隻が惑星エル=ファシルに突入する寸前に防御陣を形成することができ、その突入を阻止することができる計算だ。
だが現実的に戦艦トレンデルベルクのレーダーが感知した位置から、惑星エル=ファシルまでは二四時間以上かかる想定。アップルトン准将も後尾について牽制追撃を行うからそれよりさらに遅れる。クレート=モリエート准将の第三五一独立機動部隊と、ルーシャン=ダウンズ准将の第四〇九広域巡察部隊は、それぞれ五五〇隻程度の戦力だ。そのうちの一つが突然現れた三〇〇〇隻の帝国艦隊の反応に対応せざるを得ない。するとどちらかが惑星エル=ファシルの防備を任される。
つまり一対二で不利ではあるが、ガチガチに四〇〇〇隻近くで惑星エル=ファシルを固めている状況よりは、はるかに優位な態勢で『救出作戦』は実施される。降下作戦は同じく鹵獲戦艦グランボウに移乗したフィンク中佐が指揮を執る。その時間を稼ぐために、無人艦隊を率いて俺は戦うことになる。
「前方の艦隊は第三五一独立機動部隊と判明」
現戦艦トレンデルベルクの艦長を務める、元巡航艦ボアール九三号のサンテソン少佐が、副長席から声を上げる。彼は本来、フィンク中佐の指揮下で降下作戦に従事するはずが『ホワイトスキンを被ってまで仕事するのは嫌だ』と駄々をこねた為、仕事を副長に委ねてトレンデルベルクに押しかけてきたのだった。フィンク中佐に命令を徹底させようと一度話したが、「恐らく彼は『閣下』のお役に立ちます。私からも推挙いたします」と無下に断られた。
この人もエル=ファシルからの逃亡者のはずなのだが、精神構造がタフなのか、四五歳独身・天涯孤独という無敵の強みか、頭の螺子が飛んでいるのか、イマイチよくわからない。
「『提督』、次のご指示を」
「モリエート准将から『挑戦信号』は届いてますか?」
「届いてますよ。『孺子、ぶちのめしてやる』って付箋付きです」
口調も言動も独特だが、恐らくはそう言うことで自分の精神を維持しているのかもしれない。ともかくモリエート准将が、帝国艦隊と『まやかしの戦闘』をすることは確認できた。後は派手に、三〇隻が浮き上がってくるまで戦ってやるのみだ。降下して既に三時間。フィンク中佐からも帝国軍地上部隊の収容は順調との連絡が来ている。
「再度確認する。指揮下全艦、全攻撃モードをイエロー(対抗演習)」
「イエロー、確認良し」
「艦統制シミュレーター」
「正常に作動しております」
「敵味方識別信号」
「当艦グリーン(味方)、他艦イエロー(可動戦闘標的)」
選抜されたオペレーター達は、帝国語で俺の指示に応える。実のところ爺様には無理を言ってこの艦に追加で三〇人もの航法オペレーターを乗せてもらった。これは俺がいちいち艦艇の戦闘操作をするのが無理な為、オペレーター一人で八隻を運用する戦隊指揮官になってもらい、より現実的な艦隊運用を期待しているためだ。
ちなみにオペレーターを引き抜かれた先である第五四四独立機動部隊のメンディエタ准将からは『無様な負け方だけはしてくれるな』と念押しされているらしく、オペレーター諸士の士気は妙に高い。
「『敵』は台形陣を形成。惑星エル=ファシル公転軸N方向、当艦隊より方位〇時三〇分」
「距離六・二光秒、速度0.003光速。第二戦闘速度で接近」
「有効射程迄あと二〇秒、やりますか『提督』」
サンテソン少佐の呼びかけに、俺は黙って艦橋内部を見回した。前の所有者が貴族であったらしく、同盟標準の無粋な雛壇艦橋とは違って、小広く落ち着いた夜景サロンのような空間だ。座っている艦長席も本革製でしっとりとした座り心地。そしてここには殺人ワイヤーはないが……繊細な装飾が施された見事な柱が並んでいる。
黙っている俺にサンテソン少佐の丸い瞳が向けられている。俺の目では確認できないが、他のオペレーター達のも同様だろう。この世界にきて、『戦隊』の指揮はマーロヴィアでとったが、『艦隊』の指揮を執るのは初めてだ。それが何の因果か、あんなに毛嫌いしていた帝国軍の軍服に身を包んで、無人とはいえ帝国艦隊の指揮を執ることになろうとは。
「よかろう」
俺は艦長席から立ち上がると、創られた帝国騎士、ジークフリート=フォン=ボーデヴィヒ准将になり切って、彼らの視線に応えた。
「我に逆らう叛徒共に、正義の鉄槌を喰らわせろ。皇帝陛下万歳! 帝国万歳! 砲撃はじめ!」
「「帝国万歳!」」
俺もサンテソン少佐も、そしてオペレーター達も、人生でもう二度と叫ぶことのない呼応に、僅かな戸惑いを覚えつつも笑い声をあげるのだった。
後書き
2022.05.27 更新
第66話 用意周到 本末転倒
前書き
もうストックが尽きそうです。
アルテミスの首飾りはやはり真球じゃないとなぁ、と思います。
ローレルのコミカライズ、楽しみですね。(現実逃避
宇宙歴七八九年 五月一五日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系
『戦局』が不利であるのは初めからわかっていた話だ。なにしろこちらは演習モードで、相手は実戦モード。こちらの砲撃が命中しても小動ぎもしないが、相手の砲撃はマジ実弾なので木っ端微塵になる。
それでも第三五一独立機動部隊の演習判定装置は正常に作動しているようで、こちらの砲撃が命中した艦は戦闘行動を中止して戦闘宙域から離脱していく。相手が攻めで、こちらは受けだが、今のところ被害はほぼ同レベルで推移している。
我々『帝国軍救出部隊先遣隊』がこの『まやかしの会戦』で優位なのは、砲撃と移動が全自動で、マニュアルのようなバグがないこと。集中砲火を命じれば寸分の狂いなく砲撃してくれるので、標的位置に艦があれば、撃沈判定に持ち込める。あくまでも戦隊レベルであるが戦列の組み換えも、接触や過剰回避なく殆どノーミスでやってくれる。当然のことながら士気崩壊による戦線離脱などもない。
ただし、これは逆にマニュアルがないために失敗するところもある。オペレーターの目標設定が間違っていれば砲撃は空振りだし、撃沈した僚艦を回避することなく移動して接触誘爆してしまう。
いずれにせよ、俺は喉がかれんばかりに、オペレーターに対して指示を出し続けた。三〇人のオペレーターが率いる二四〇隻は全て巡航艦で、残りの戦艦四隻は戦艦トレンデルベルクを含めてサンテソン少佐が指揮する。俺は三〇人を三つに分け中央と両翼部隊とし、各戦隊単位(つまりオペレーター毎に)で一艦を目標とした集中砲火を徹底させた。それぞれの標的はオペレーターの自由に任せているが、モリエート准将が時折こちらの戦線を分断しようと三〇隻から五〇隻の巡航艦戦隊を多方面から断続的に圧迫投入してくるので、その時だけは俺が目標を指示している。
爺様のように旗艦の艦隊司令官席にどっかりと座り、大局を見て麾下の上・中級指揮官に指示を出すのが、本来の艦隊司令官のあるべき姿なのだろう。しかしこの無人艦隊には上・中級指揮官がいない。オペレーターも艦艇運用シミュレーターを使いつつ必死になっているが、一人で八人の艦長と一人の巡航艦戦隊指揮官の役割を担っているのだから、おのずと限界がある。その上、オペレーターのまとめ役になる上級指揮官がいない。士官学校の艦隊戦闘訓練では人工知能が勝手に数字で判断していたが、残念ながらこちらは現実世界だ。
「巡航艦AB-5号撃沈しました。AB戦隊残り五隻です」
「巡航艦Y-7号撃沈しました。Y戦隊残り四隻です。すみません」
オペレーターの報告は右後ろにいる自走端末が集計してくれ、環境の右上に数字と光点で表してくれる。ご丁寧に損失率が分かるよう二四四個の光点が撃沈される度に減っていくシステムだ。
「『提督』。損耗率が三割を超えそうですが」
サンテソン少佐の提言通り、今もって撃沈した艦艇は八〇隻を超えた。第三五一独立機動部隊の損害は六五隻。現時点では一六四対五一二。三時間にわたって戦線崩壊は防げているが、これだけ戦力差が出れば、もうモリエート准将は遠慮しないだろう。その予想通り、台形陣はゆっくりと左右に広がり始めた。
「救出部隊の状況はどうだ?」
予定通りに行けば、もう地上から離脱してくれているはずだ。そして事前に話していたことをフィンク中佐が覚えていれば、とりうる戦法が変わる。
「現在位置不明。一時間前に離脱信号は受信しています」
「そうか」
部下を信じる。少なくともイェレ=フィンク中佐は俺の部下ではないが、中佐はここまで爺様やエル=ファシル奪回作戦においてその期待を裏切ったことはない。今までの軍事経歴で、俺にはドールトン准尉のような臨時配置か、バグダッシュ大尉のような同階級の先任が殆どで、はっきりと直属の部下と言い切れる人間はいなかった。だが今、地上から帝国兵を満載して離脱を試みているのは、第八七〇九哨戒隊の面々だ。エル=ファシルの英雄の光に押し込まれた深い影に押し込まれた、罪なき罪人。
「信じよう」
俺は決断した。
「両翼後退。そのまま中央部隊の後方に入り、陣形を細円錐陣形へ。戦艦戦隊、円錐最前列へ」
俺の命令に、サンテソン少佐とオペレーター達が次々と指示を出す。シミュレーターに映る第三五一独立機動部隊の陣形が、明白に半包囲体制へと移行していく。こちらは後退、相手は前進。
「主砲短距離砲切り替え。全艦機関最大戦速。敵中央部へ向けて突撃せよ!」
戦局は一気に変わる。それまでの攻勢と防御の立場が反転し、第三五一独立機動部隊の両翼は慌ててこちらの後背に回り込もうとし、中央部隊は防御を固め始める。苛烈な砲撃が浴びせかかってくるが、こちらの突進を回避するために砲撃せず進路を開ける艦もある。
ほんのわずかな瞬間、第三五一独立機動部隊の旗艦である戦艦アローランドの姿が左舷に見えたような気がしたが、それは気のせいだろう。緊急加速中の艦から外部を見たところで、人間の動体視力では到底とらえることなどできようはずもない。
「中央突破成功。やりますな、『提督』」
「この艦は撃たれないと分かってますからね。大胆にもなりますよ……と言っても逃げだせたのは、一二〇隻程度ですか」
俺はディスプレイの上に映る数字に舌打ちする。数的不利を戦術で覆すのは、やはり天才でしか為せないことなのか。それとも為せるからこそ天才と呼ばれるんだろうか。大きく溜息をつくと、俺は指揮官席に腰を下ろした。本革の柔らかさが体にしみわたっていく。
「第三五一独立機動部隊は反転追撃してきません」
「戦艦アローランドから当艦に向けて光パルス通信です。『危ないじゃないか、バカやろう』以上です」
「機動部隊の方に被害がないか確認。それとグランボウの位置はまだ特定できないか?」
「……艦位特定しました。当艦の後方、四時の方角。仰角マイナス四五度。距離一八.七光秒」
「予想より少し遅れたようだな。よろしい。これより合流する。艦隊進路変更二時。仰角マイナス二〇度。その旨、グランボウへ伝達」
「了解」
信じた通りの結果にはなった。ただ想定よりも三〇分以上は遅い位置に中佐達は居た。乗り込みに時間がかかったのか、それとも別の理由があったのか。はっきりとは分からない。だが合流すればわかるだろうが、あと一時間はかかりそうだ。
「サンテソン少佐。三〇分交代で休養をとってくれ。私もここで休養をとります」
「……どうやらそうはいかないみたいですぜ。グランボウから通信です。『提督』宛に直接お目にかかってお礼を申し上げたいと、帝国軍の准将が言ってるそうです」
「レッペンシュテット准将か。今のグランボウの位置からシャトルを飛ばして、ここまでどのくらいで着く?」
「シャトルなら三〇分でしょう。どうします?」
「一〇分ずつ小休止に変更しよう。歓待するとグランボウに伝えてくれ」
あぁこれは面倒なことになりそうだなと、数日前に画面越しで会った狐のような陸戦士官を思い出して俺は溜息をついた。
◆
果たしてきっかり三〇分後。レッペンシュテット准将とその副官が戦艦グランボウのシャトルに乗って、トレンデルベルクにやってきた。本来であればこちらの方が若いのだからシャトルハッチまで出向くのが道理だが、フィンク中佐からも他の艦長達からも帝国軍将兵の拘束を伝える信号が来てないので、まだお芝居を継続する場面だ。
それに加えもし万が一陸戦のプロとまともに拳で戦うようなことになったとしたら、こちら側に勝ち目がないのは明白なので、トレンデルベルクに搭乗している一〇人の白兵戦隊員全員を艦長席へつながる裏廊下に隠しておく。
しばらくして艦橋に入ってきた実物のレッペンシュテット准将は一目見ただけでタダモノではないとわかった。身長は俺と同じくらいだが、胸の厚さは二〇パーセント増し。ピッチリとした帝国軍軍服がこれほど似合うのは、体幹が優れている故か。無理がないのに状態がぶれないからだろう。顎も腕も締まっていて、素手の殴り合いでは絶対に勝てそうにない。
俺はわざとらしく先に敬礼するレッペンシュテット准将を視線に収めてからゆっくりと嫌々ながらに指揮官席から立ちあがり、彼に向かって敬礼した。
「救援感謝いたします。ボーデヴィヒ准将」
「命令だからな。レッペンシュテット准将。聞けば私に会って礼を言いたいということだが、どういう事だ」
「端的に申し上げますと、確かめたいことがありまして」
そういうとコツコツと足音を鳴らしつつ、俺に近づいてくる。その姿はまるで獲物を見つけた狼のように見える。獲物は当然俺だ。一応准将も副官も銃は携帯していない。だが地上軍の士官は肉体が兵器だ。生身の准将が、装甲服を纏った白兵戦隊員一〇人に勝てるはずはない……のに、なぜか負ける未来しか想像できない。
「ボーデヴィヒ准将」
「なにかね」
ほとんど至近。腕が襟元に伸びれば、間違いなく一瞬で俺を昇天できる距離にまで近づいた准将は、俺に手を縦に差し出した。俺の視線がその手に向かい、次に准将の顔に向いた時、准将の顔には奇妙な、ほっとしたような笑顔があった。そして差し出した右手ではなく左手で俺の右手首をがっちりと掴むと、強制的に握手をさせられる。解こうにも万力に固められたような力強さでびくともしない。
「……お芝居はもう止してもらって結構ですぞ。卿が同盟軍のどなたかは存じ上げないが、小官は卿に礼を申し上げに伺ったのです。本心から」
「礼、だと?」
「ええ、ようやく小官も納得ができましたので」
そう准将は言うと手を放してくれた。手を見れば准将の指の後が真っ赤になって残っている。
「改めて申告します。帝国軍エル=ファシル星系遠征部隊陸戦部司令のフォルカー=レッペンシュテット准将です。卿のご尊名を賜りたい」
俺から少し離れてする准将の敬礼には一分の隙もない。これは嘘は言えないなと思いつつ視線を横にすると、サンテソン少佐が航海長席から、他のオペレーター達もそれぞれの席からブラスターを准将と副官に向けているのが見える。なのに准将も副官もまるで意に介していない。銃を向けられ、こちらを同盟軍の人間だと分かっているにもかかわらずだ。それはつまり……
「……小官の名前をお教えするのは結構なのですが」
「が?」
「まずは当艦の空気清浄システムを最大可動させてからでよろしいでしょうか? でなければとても怖くて小官は閣下とお話しする自信がありません」
「……そういえば最近装甲服を着ていなかったもので、発生装置のことをすっかり忘れておりました」
ハハハハハッと笑いながら、准将は両手を軍服のポケットに手を突っ込むと、裏地を引っ張り出すのだった。
それからはこちらが想定していたシナリオを一〇時間以上すっ飛ばしてしまうことになる。
予定ではフィンク中佐の部隊と合流し、星系外縁部へ向けて逃走。三〇隻の囮部隊を撃破してきた第四〇九広域巡察部隊か、一時的に第四四高速機動集団に組み込まれた第五四四独立機動部隊分遣隊二〇〇隻と、俺の率いる帝国軍救援部隊残存部隊が擬似交戦。殆ど輸送艦と化している三〇隻を逃す為に、俺と救援艦隊は輸送艦の楯となって『玉砕』。さらに逃走を続ける中佐の部隊は、第四四高速機動集団に包囲され降伏する。降伏しない場合は、隠れている白兵戦部隊とガスで強制的に無力化する予定だった。
救援艦隊が玉砕することで帝国軍将兵の心を折り、三〇隻対三〇〇〇隻で完全包囲することで抵抗の気力を失わせる。そういうシナリオだったのだが、レッペンシュテット准将が早々に降伏と投降を決断し、三〇隻に分乗した帝国軍将兵に事態の説明を行ったので、それが全部無駄になった。
フィンク中佐によると准将の放送を聞いた後で抵抗しようとした将兵もいないわけではなかったらしいが、圧倒的多数の賛同者による封じ込めと寿司詰め状態の艦内環境のおかげで、殆ど鎮圧できたとのこと。
「これは期待した通りの結果かね?」
レッペンシュテット准将とその副官と共に、シャトルで旗艦エル・トレメンドに移乗した俺は、司令官公室で准将からの降伏を受けた後の爺様から、皮肉の一撃を受ける羽目になった。
結果としてディディエ少将以下の地上軍は、一兵も損ねることなく、しかも殆ど無傷で惑星エル・ファシルを奪回することに成功した。一方で爺様の宇宙艦隊は、偽装艦隊やら敵役やら、囮の準備に実弾演習までやらされた。
こちらも将兵に損害はなかったものの、あくまでも功績は作戦指揮官のディディエ少将。自分の部下であるはずの俺がそれに一応貢献したということになるから、爺様も軽く皮肉の一つも言いたくなったのだろう。別に本気で怒っているわけではない。はぁ、まぁ、と俺が苦笑して頭を掻けば、爺様も仕方のない奴めと言わんばかりに口をへの字にして肩を竦める。
「で、貴官がお芝居をしている間に、また地上軍側から変な要請が来ているわけじゃが、ジュニア。これも貴官の入れ知恵ではないだろうな?」
そう言って爺様がピラピラと机の上で揺らす紙は、レッペンシュテット准将を引き取りに来たジャワフ少佐がついでのように爺様に手渡したもの。ファイフェルを中継して俺に手渡された書類には、ディディエ少将名義でミサイル兵器を取り外した残存する帝国軍艦艇を一六隻、大気圏突入が可能なものを地上軍に譲渡して欲しいと書いてある。
「……一体何に使うんでしょうか」
「なんじゃ、ジュニアも聞いてないのか?」
「はい。地上における捕虜収容所として使う、くらいしか考えられませんが」
だとしても一六隻は多すぎる。巨大な航行用エンジンも艦砲も重力装置も収容所には不要だから、取り外してしまえばかなりのスペースが利用できるはずだ。無駄に航行能力と戦闘能力を残して置けば、一度降伏した帝国軍の中にも『余計なこと』を考える輩も出てくる。
そんなことぐらいはディディエ少将もジャワフ少佐も分かっているだろう。爺様もファイフェルも、勿論俺もそう考えているから余計に疑問が生じる。
「譲渡する以上、廃材処分費は負担しない。それが条件だとディディエに伝えてくれんかの」
「承知いたしました」
「ジュニアはしばらく連絡士官業務と戦後処理事前調査の継続じゃ。事前調査はカステルの手が空き次第、任務交代。連絡士官業務も『ホンモノ』がエル=ファシルに戻ってきたら呼び戻す」
「はい。ですがそのカステル中佐ですが、エル・トレメンド内でお姿が見えないのはどうしてでしょうか?」
モンシャルマン参謀長はわざわざシャトルデッキまで迎えに来てくれた(レッペンシュテット准将の出迎えもあるんだろうけど)し、モンティージャ中佐も自動端末からデータを吸い上げるタイミングで会うことができた。ブライトウェル嬢には感謝を述べつつロザラム・ウィスキーのボトルを返すと、何か言いたげな表情をしていた。なのにいの一番に捕虜四万名増えたことを早速なんとか言いそうなカストル中佐の姿が見えないのはおかしい。
「どうやら剽悍極まりない帝国軍救援部隊によって、星系じゅうに遺棄艦船と囮魚雷とジャマーが撒かれたらしくてな。戦艦アローランドに移乗して、その回収・処理の指揮を第三五一とやってもらっておる」
爺様はそう言うといたずら小僧のように笑いながら片目をつぶって言った。
「補給参謀から逃げるのは指揮官として恥だが、精神衛生上の役に立つぞ『ボーデヴィヒ准将』」
追っかけてくるのがカステル中佐ではなぁと、俺は胸の内で溜息をつかざるを得なかった。
後書き
2022.06.03 更新
2022.06.25 文字修正
第67話 燃やされるモノ
前書き
ストックはこれで終わり
どうやってハイネセンに帰ろうか。
宇宙歴七八九年 五月一九日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系 惑星エル=ファシル地上
俺の立場は作戦前の四月二三日まで戻った。惑星エル=ファシルにいる帝国軍が敵対勢力から捕虜になっただけで、配置も何もかもが変わっていない、はずだった。
「どうです、ボロディン少佐。地上軍の野戦築城ってなかなかのものでしょう?」
「……」
してやったり、といった表情のジャワフ少佐と、テラフォーミング後の植生が未発達の山脈中腹に突如現れた、『帝国ブルーで染められた地上要塞』を上空から突入装甲降下艇から見て呆然とする俺。
霧作戦の前に、地上軍司令部が帝国軍の配置を再確認する為と言って、地上観測衛星から送られてくるデータとエル=ファシル行政府の地籍データを突き合わしていたのと、ジャワフ少佐が見識後学の為と帝国軍の戦艦と巡航艦のデータを欲しいと言っていたのはこの為だったのか。
俺が宇宙でレッペンシュテット准将に睨まれている頃、エル=ファシル軌道上空から退避していた対地攻撃用強襲艇や軌道展開型大気圏内戦闘機が、再突入して山脈中腹に精密爆撃を行い、四隻の戦艦と一二隻の巡航艦を環状に大地へ『埋め込む』穴を掘っていたのだ。勿論地上軍では戦艦や巡航艦の大気圏降下や精密着陸など無理なので、フィンク中佐達も協力したんだろう。俺に黙って。
「半径一二〇〇メートルの環状地上要塞。通称『ボーデヴィヒ要塞』です。四隅は戦艦、間を三隻の巡航艦で埋めてます。大気圏内なので主砲は使えませんが、舷側砲は使用可能。中央部の半径三〇〇メートルの空間にはワルキューレの発着場を設置します」
「まずはそのネーミングからどうにかなりませんか。ジャワフ少佐」
「地上軍でも捕虜の間でも絶賛されてますよ。孤立無援の地上軍を救いに、僅かな艦隊を率いて優勢な同盟軍に戦いを挑んだ英雄の名前だそうです」
「ディディエ少将とか、絶対楽しんでますよね」
「まぁ燃やすために作ってますからなぁ」
ジャワフ少佐の言葉に俺は驚いて首を廻して彼の顔を見たが、同時に納得もした。作戦を指導し四万人の捕虜を無傷で手に入れたとはいえ、宇宙軍に協力を仰いだのは間違いない事実だ。今後の人事考査において功績泥棒と後で揶揄される可能性もある。
それに捕虜の『帝国に対する』アリバイ作りという理由もある。状況を了解の上、覚悟して降伏したレッペンシュテット准将はともかく、帝国は捕虜になった将兵の家族を干すようなことすらする母国に対して『エル=ファシルの地上軍も抵抗したが、多勢に無勢で敗北した』とフェザーンを通じて宣伝したいというディディエ少将の優しさがあるのかもしれない。まさに勝者の余裕というべきか。
即席要塞の中央に到着した降下艇から地上に降りた俺は、改めてそのデカさに目を見張った。みんなこちらに向けて艦尾を向けているが、埋まっていない部分だけでも巡航艦は八〇メートル以上。戦艦なら一四〇メートルの高さがある。金属と有機化合物で作り上げられた二〇階建てないし三〇階建てのビルの壁がぐるっと周囲を覆っているようなものだ。これが宇宙空間ではスパルタニアンの一斉射でこれが燃え尽きると考えると、実に不思議で違和感がある。
「おお、来たか」
城壁を構成する戦艦の一つ、戦艦マスバッハの艦橋に入れば地上戦部隊の司令部が勢ぞろいしていた。だが俺とジャワフ少佐が艦橋に入っても、最初に気が付いたのがディディエ少将と、第三二装甲機動歩兵師団のミン=シェンハイ少将、それになぜここにいるのか訳が分からないレッペンシュテット准将の上級者三人で、ほかの中級・下級指揮官達は野戦用の折り畳み机を三〇個ばかり連結させ、無造作に図面を開き、数人の帝国軍人も交えて激論を交わしている。こちらに気が付いてはいるんだろうが、敬礼する様子もない。
「どうだね。宇宙軍から見たボーデヴィヒ要塞は」
ディディエ少将がゴリラで、レッペンシュテット准将がキツネなら、この人は血統上のご先祖様から考えてパンダだなと思わせるミン=シェンハイ少将のワクワクした問いかけに、俺は正直に応えた。
「軍艦をこういうふうに使われるとは考えておりませんでしたので実に驚きましたが、ネーミングライツとか頂けるのでしょうか」
「差し上げたいのはやまやまだが、金銭的な余裕はなくてね。そこの誰も座りたがらない艦長席のソファなら、持って行ってくれて構わないよ」
本国の好事家ならきっといい値段で売れると思うよ、と嬉しそうに少し大きめの腹を叩きながらミン少将は言うと、視線だけでレッペンシュテット准将に何かを促した。それに准将は無言で頷き応じると、准将は俺とジャワフ少佐に、少し外の空気を吸いたいので付き合って欲しいと言って、艦橋から外装最上甲板まで連れだした。
「改めて卿には礼を言いたいと思ってね」
隣接する巡航艦との鋭角二〇度くらいの隙間に掘られた掩体壕へ、同盟軍の手で帝国軍の装甲戦闘車が押し込まれていくのを眺めながら、レッペンシュテット准将は言った。
「お礼と申されましても、小官は結果として閣下を騙したわけですが」
「最初から半々で疑っていたよ。帝国軍は平民出身の将校や兵を救う為に大規模救援作戦を計画することはまずない。卿がシェーニンゲン子爵らを連れ出した段階で、我々はもう捨石だったんだ」
四万人にも及ぶ地上戦力を『捨石』にできるという非人道性。しかし宇宙空間での戦いでは約三〇〇〇隻、三五万人の命が失われていることを考えれば、『この世界』においては四万人程度捨石にしても特に問題ではないということ。この世界に産まれて恐らくたぶん死ぬまで、俺はこの現実を『常識』として受け入れることは出来そうにない。
「そこまでご覚悟されていながら、何故」
「最初から宇宙空間に出た時点で巡航艦を乗っ取ってやろうとは思っていたから、卿に最低限の装備を携帯することを願ったわけだが、断られてね。しかもなかなか堂に入った青年貴族ぶりだったから、本当に皇太子殿下がご下命を下されたのかもしれないと逡巡してしまった」
「……」
「だが私が乗った巡航艦の艦長……フィンクス中佐と言ったかな。彼の卿に対する絶対的な忠誠心が、私には疑問だった。温和で良識的な領主貴族も、それに忠誠を誓う累代家臣もいないわけではないが、卿の絶妙なバカ殿ぶりを見るとね」
そこで階級差を見せつけて巡航艦の艦橋へ、自分一人で作戦に口を挟まないという条件で立ち入り、戦況を確認して驚いた。救出作戦自体が偽装であろうと確信していたとはいえ、星系外縁部での陽動戦闘、内惑星軌道上で作成された偽装艦隊の動き、そして巡航艦艦橋のメインスクリーンに映る『救出艦隊』側の不利とはいえ整然とかつ戦理に則った戦いぶり……
「こうなると余程手練れの臨時参謀が付いているとしか思えなかった。近衛の艦隊は少数だがそれなりに腕の立つ船乗りが居るのは聞いていたからね。だが卿の傍には、参謀も副官すらもいなかった。そして私が卿と握手をした時、艦長やオペレーター達の殺意が上がったのが分かったから確信した」
「あの場で小官を殺そうとかお考えにはならなかったのですか?」
ゼッフル粒子発生装置さえあれば、あの時の准将ならば艦橋を制圧することができたんじゃないか。戦闘装甲服を着ていた一〇人も、俺の合図がなければ出ることは出来ない。
「あるいは小官を人質にとって、司令部と交渉するとか」
「卿を人質に取ったところで、部下達の安全は保障されない。卿を殺せたとしても私が無傷であるとは言いきれないし、そうなれば巡航艦ごと私の部下は燃やされる。エル=ファシルの地上を離れた時点で、我々の未来は決まっていた」
「……」
「卿は部下を出世とかの私欲で殺すような男ではない。それどころか窮地にある敵の命すら救おうと考える男だ。そういう結論に至って、抵抗は無意味と判断した」
ハハハハと乾いた笑いを准将は見せた後で、大きく溜息をついた。
「おかしなものだ。この星域で最も帝国軍将兵の命を大事にしていたのが、私を含めた帝国軍上級指揮官ではなく叛乱ぐ……同盟軍の中級幹部だったということが」
「はぁ……」
「卿は帝国に産まれなくて良かったな。例え門閥貴族の家に産まれたとしても、長生きはできまい」
それは、そうだろう。俺はレッペンシュテット准将にいろんな意味で同意した。俺が身分制の無いそれなりに平和な時代を生きていた転生者であることなど准将は知る由もない。それに若干のイレギュラーがあるにせよ物語はそれなりに順調に進んでいる故に、一〇年後、ゴールデンバウム王朝が滅びるかもしれないなどと准将も考えられないに違いない。
だからこそ物語のファンの転生者としては、聞いてみたいこともある。
「閣下は平民のご出身と伺いましたが、現在の――ゴールデンバウム王朝についてはどう、思われますか?」
准将の引き締まった身が、僅かにこわばったように見える。表情はそれほど変わらないが、努めて平静になろうという意思が、思慮深かった准将の瞳の奥で震えている。
沈黙は秒の単位だったろうが、一時間にも感じられる雰囲気を先に破ったのは、やはり准将だった。
「私は軍部と故郷以外に帝国を知らない。王朝の是非を語るなど、やはり私には過ぎたことだよ」
五世紀にわたる寡頭政治が、平民層の政治思考能力を薄くしたり放棄させたりしているということではない。どっかの誰かみたいな特別な人間でのない限りこれが普通だ。例え捕虜となって帝国の支配層から抜けたとしても発言は慎重に。准将の言葉の裏に俺はそれを感じ取った。沈黙で応える俺に対して、准将はキツネというイメージ通りの冷たさと皮肉っぽさと後悔を綯交ぜにした笑みを浮かべて言った。
「不満がないとは言わんが、それを卿や貴国に利用されたくはないのでね。もう一つだけ階級が上がれば、功労年金も出て故郷の畑をもう少しばかり広げることができたところを、卿の奸計でふいにしてしまった私の怨嗟を甘んじて受けてもらいたい」
「……それは甘んじてお受けいたします。ちなみに故郷の畑では、何をお作りになっているんです?」
その質問に准将の表情は豊かな方に一変したが、俺は流れで質問したことを、猛烈に後悔することになった。
「製パン用の硬質小麦が中心だな。他にもイロイロ作っているが、やはりヴェスターラントと言えば辺境のパン籠と呼ばれている場所だからな」
それからどうやって装甲降下艇の席に戻ったか、俺にははっきりとした記憶がなかった。気が付いた時には隣に座っていたジャワフ少佐曰く、ごく普通に准将と敬礼を交わし握手していましたよと、逆に不審がられた。これは記憶がないなどとは言わない方がいいと思い、黙って窓から見える『ボーデヴィヒ要塞』を見下ろした。
准将達はこれから捕虜交換が行われるまで、故郷から切り離されて敵地で暮らすことになる。エコニアのように捕虜の待遇には政府もそれなりに気を使っている。脱走とか叛乱とかしなければ、まず命は保障されるだろう。『要塞が燃やされる』ことで『集団としての彼ら』は勇敢に戦い戦死した、となる。帝国側がわざわざ捕虜になった場所を調査することがない限り、家族にも掣肘が及ばないようにしたつもりだ。
だが仮に一〇年後。いや、あの金髪の孺子が軍内部の実権を握った九年後の捕虜大規模交換時に、故郷が燃やされるとなれば、どうだろうか……
「……なんて酷いピクニックだったのか」
どんどんと小さくなっていく要塞の姿を見ながら俺がそう呟くと、ジャワフ少佐も体を俺の方に傾けて同じように窓から要塞を見て応えた。
「確かにピクニックならもう少し真面目にやった方がいいかもしれませんが、けが人もなくキャンプファイヤーで終われそうですから、まずまずではないですかね」
嫌味というよりは適当な相槌と言った感じで、そうジャワフ少佐は肩を竦めるのだった。
◆
ボーデヴィヒ要塞への武装配備が終了した五月二五日〇九〇〇時。俺とジャワフ少佐は、要塞から五〇〇キロばかり離れた渓谷の一つエル=カフェタルに作られた、地上軍野戦総司令部に身を置いていた。
実を言うと空いた時間で司令部を作るのを手伝おうと思ったのだが、戦闘服を着た地上軍の将兵がテキパキと作業している中では、部外者がいても邪魔なだけと判断して、爺様とディディエ少将の双方に許可をとって、もう一つの任務であるエル=ファシル各都市へ被害状況確認の為、俺はジャワフ少佐と共に車上視察(ドライブ)や空中偵察(遊覧飛行)に同乗していた。
三都市とも上空から一見すると被害はまるでない。比較的高層の建物の屋上や、住居地域の中でやや開けた場所に対空陣地がそれなりに隠蔽設置されたり、幹線道路の一部を意図的に破壊して対装甲車両用の歩兵陣地があるところを見れば、レッペンシュテット准将がここに立て籠ったままだと苦戦しそうだったなと、改めて認識せざるを得なかった。
インフラと言えば、都市機能を維持する基本的な設備の使用はしていたようで、核融合発電所も浄水場も言葉に悪戦苦闘しつつ工兵隊らしき部隊によって維持管理されていたようだ。もっとも需要側である住居地域や商業地域はものの見事に荒らされていたので、あんまり意味はないのだが。
「市街に死体がなかったのが幸いですね」
「そうですな。あれは視野に入るだけで本当に気が滅入ります」
迷彩色の投影パネルやら、視野に入るだけで両手両足の指より多い通信機器の間を、地上軍の将校達が忙し洋に動き回るのを、俺とジャワフ少佐は部外者と言わんばかりに、相変わらず紙コップで珈琲を飲みながらパイプ椅子に座って後ろの方から眺めていた。
「ボロディン少佐は敵兵の死体を見たことはありますかな?」
「前の任地で。討伐中の宇宙海賊でしたけど」
「あぁ、それは良かった」
「良かった?」
「そう気を悪くせんでください。宇宙軍の、特に後方勤務出身の比較的年齢が若い将兵は、死体を見るだけで動けなくなるのです」
俺の口調がキツイものだとすぐにわかったのだろう。ジャワフ少佐は恐縮そうに奇妙に細く整えられた眉を伏せて応えた。
「かくいう私もそうでした。今でも忘れもしません。地上軍少尉として第五四装甲機動歩兵師団隷下の装甲戦闘車小隊で副小隊長兼車長の時でした」
初の実戦はパランティア星域ケルコボルタ星系第七惑星上での対基地地上戦。自分の所属する小隊が帝国軍の同類を吹き飛ばし、一気に前哨基地に殴り込みをかけた。
「基地内部には既に装甲部隊も擲弾兵もなく、対車両兵器を持った軽歩兵ばかり。小隊長車がミサイルでやられたので臨時に指揮を執ることになり、私はいまだミサイルを構える軽歩兵に対し急進しての同軸荷電粒子ビーム・バルカン砲による掃射を指示しました。一瞬でしたよ。一〇人近い敵軽歩兵がミンチになったのは」
「……」
「それからすぐに中隊長から有視による基地内偵察を命じられ、装甲戦闘車から這い出てみましたが、目の前のミンチを見たら体が硬直して動けなくなりました。結局若い少尉のはじめての実戦に気を利かせた先任軍曹が、任務を代行してくれました」
「私もそうなると?」
「非人道的で誠に身勝手な言い分になりますが、少佐という地位は地上軍においてはかなりの権力を持ちえます。故に兵士達は自分に死ねと命じる相手のことを常に観察してます。死体を見た『ぐらい』で硬直するような上級士官など、彼らにとっては軽蔑対象です」
これは今回の地上軍主体の作戦で、宇宙軍の俺が敵味方双方を極力殺さないよう計画したことに対する地上軍側の奇妙な不信感と隔意が産まれつつあるということを、ジャワフ少佐がそれとなく伝えてきているということか。眉を潜めてジャワフ少佐を見ると、少佐の表情には呆れが浮かんでいた。
「地上軍が宇宙軍をあまり評価していないのはそういう救いがたいところなのです。私も地上軍の将校ですが、同輩のそういう点だけはどうにも好きになれません。あまり大きな声では言えませんがね」
そういう一歩引いた冷静さと、宇宙軍に対する隔意の無さが、彼を連絡士官にしたのであろう。後方勤務が長かったと思われるロックウェル大将が、アッテンボローとシェーンコップを捕縛するのに彼を用いたのも、能力もさることながらそういう憲兵でもなければ野戦軍でもない、柔軟な精神構造が任務に必要だと判断したからだと。シェーンコップのような誰の目にも明らかにわかる異端者ではないが、この人もまた地上軍では異端者なのだ。
「ジャワフ少佐は、宇宙軍の戦闘を、戦闘宙域内でご覧になったことは?」
俺は、ぼんやりと要塞に向かって進軍する地上軍の動きを映すパネルを見ながら、呟くように言った。同じようにジャワフ少佐もこちらを見ることなくパネルに視線を向けたまま答える。
「残念ながら後方待機の輸送艦か降下母艦からしか見たことがありません」
「要塞に使われてる帝国軍の巡航艦、一隻当たりだいたい一五〇人から二〇〇人くらい人が乗ってます。それが一条の中性子ビームで、一介の光点になります」
「……そうですな」
「どうせ地獄行きには違いないですが、少しくらい審判の神にご寛恕してもらいたいので、できる限りできる場所で努力する。私はそう考えてるだけです」
俺がそう言い切ると、少佐は俺の顔をマジマジと三〇秒ほど見てから、表情を消して再び視線をパネル方向に向けて言った。
「ボロディン少佐はあまり軍人には向いてませんな。ですが尊敬に値する軍人にはなれるでしょう。所属は違いますが期待してますよ」
状況を開始せよ、というディディエ少将の命令を耳にしつつ、俺は少佐の言葉に小さく肩を竦めるのだった。
後書き
2022.06.10 更新
2022.06.12 修正
第68話 おかわり
前書き
まぁ、同じような話をグダグダ書いているようですみません。
ホントすみません。
イゼルローン攻略部隊が遅いのがいけないんです。
そしてブライトウェル嬢もJrに勝るとも劣らぬマヌケぶり。
宇宙歴七八九年 五月二八日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系 惑星エル=ファシル地上
『ご覧ください! 敵の要塞は我が軍の攻撃によって爆発炎上し、我々は侵略者の邪悪な意図を挫くのに成功ししました! エル=ファシルはまさに今、帝国軍の魔の手から解放されたのです!』
火炎を吐いて絶賛崩壊中のボーデヴィヒ要塞を背景に絶叫する広報担当下士官の映像を横目に、第四四高速機動集団司令部の面々は、少しばかり白けた表情でブライトウェル嬢が淹れたコーヒーを傾けていた。
「キャンプファイヤーとしては、史上最高額でしょうな」
三次元投影機を挟んで向かい側に座るカステル中佐が、かなりの量のミルクが入ったカップをかき混ぜながらつぶやくように言った。
「ボロディン少佐。アレの後始末、本当に地上軍がやってくれるんだろうな?」
「ジャワフ少佐は確約しております。その代わり捕虜の移送についてはご協力願いたいと」
「そちらは目途がついている。輸送艦が少ないので第三五一独立機動部隊が引き取って、エルゴン星域軍管区まで運ぶことになっている。代わりに再編成を終えた第五四四独立機動部隊が、第一一戦略輸送艦隊の分遣隊と一緒にエル=ファシルに戻ってくる」
「え? 戦略輸送艦隊が分遣隊を?」
戦略輸送艦隊は複数艦隊規模の移動時や各星域管区の主補給基地への物資輸送などを主任務とする。特徴的なのはその中心艦艇である巨大輸送艦だ。全長二四八〇メートル。総じて(帝国軍と比べて)小型の同盟軍の中でも異様なまでにデカい。積載量は膨大でその戦略性は極めて高価値なものだが、艦艇としては装甲も自衛装備も戦闘艦とは比べ物にならなく、機動性などないに等しい。
そんな動く的のような巨大輸送艦で構成される戦略輸送艦隊が、エル=ファシルに分遣隊を差し向けてくるのはいささか拙速だ。いずれエル=ファシルに星域管区司令部が再建されるであろうけれど、星域管区下にある幾つかの無人星系は戦力が激減したといはいえ、未だ帝国軍の支配領域もある。
エル=ファシル奪還作戦の現状であれば、本来機動性の高い中型輸送艦や輸送力はあって損害コスパの良い無人球形コンテナ船、あるいは民間チャーターの輸送船がその任につくはずなのだが。俺が小さく首を傾げるとカステル中佐は眉間に皺を寄せて解説してくれた。
「……どこかのバカが二月末、大規模な前線基地を作るつもりで、手を付けられるところ全てに手を出していただろう」
「……余ったんですね」
「『あっち』の後方主任参謀はトーシロだな。作戦の進行が前後するボロボロな不運もあるだろうが、なまじ規模がデカいだけに始末に負えない」
キャゼルヌが評価するほどに優秀なカステル中佐が、苦虫を噛むのも無理はない。戦地にあって通信状況が万全ではないはずのエル=ファシルではあるが、いろいろな幸運もあって電撃的に星系制圧に成功した為、後方との連絡線は今のところ充分に確保されている。
一方でイゼルローン攻略作戦側は、準備期間が想定より長かったこと、複数の艦隊が出動することで情報が漏洩し帝国軍側が防備を整えていること、故に作戦の進行状況が遅れていることなどから、補給順序がめちゃくちゃになり、後方の大規模輸送艦部隊がエルゴン星域で足止めされてしまっている。
時間に余裕のある作戦であれば、ダゴン星域を足掛かりにアスターテ星域とヴァンフリート星域を制圧し、パランティア星域に威嚇戦力を並べた上で、ティアマト・ヴァンフリート両星域に根拠地を築いて腰を据えてイゼルローンを攻略すればいい。
だがシトレ・ロボス両中将の頭角もあってか、イゼルローン攻略作戦を指揮する現宇宙艦隊司令長官アクバル=リーブロンド元帥の改選に向けた焦りがそうしたのか、司令部は辛うじて支配圏優位を保っているティアマト星域から一気にイゼルローンへ強行突破する作戦を立てた。ティアマト星域の各星系における地上戦は相当激しく、空間戦闘は小戦力による強行偵察や補給線妨害程度でほとんどない。逆にアスターテ星域を策源地として補給路破壊が行われているらしく、ダゴン星域にまともな前線基地を作ることができていない。
故に機動性の優れた中型輸送艦部隊は重宝し、まったくない戦略輸送艦隊の一部は暇になった。前任が戦略輸送艦隊であったカステル中佐にイゼルローン攻略部隊側の泣きが入ったのかもしれないが。
「それでも主力はイゼルローン星域までは到達できるだろう。攻略が成功するかどうかは分からないが」
モンシャルマン参謀長は、ブライトウェル嬢が作ったガーリックトマトのラスクをポリポリ齧りながら言った。だがここで、呟いた参謀長本人も、片手間に端末を弄っていたモンティージャ中佐も、隠すことなく書類処理をしているカステル中佐も、目を瞑って舟を漕ぎそうになった爺様も、その横でブライトウェル嬢にお代わりを貰っていたファイフェルですら手が止まった
「あっ、あの……」
一瞬で白けつつも長閑だった司令部の空気が変貌したのを感じ、グラスポットを持ったままのブライトウェル嬢の視線が司令部全員に動き、最終的には俺に行きついた。それを感じ取った爺様が『嬢ちゃんに説明してやれ』と言わんばかりの視線を無言で俺に寄越す。
「まずグラスポットを置いてくれ、ブライトウェル」
そのままだと中身がファイフェルの手を赤く染めるようなヤバい傾きだったので指示すると、ブライトウェル嬢はワゴンにグラスポットを戻し、両手を腿に重ね直立不動の姿勢をとった。父親譲りの野趣溢れる鋭い視線が俺に向けられる。
「エル=ファシル星域攻略作戦は、定を大きく下回る期日と損害の無さで作戦目的の第二段階を達成した。若干の星系が未だ帝国軍の手にあるが、少なくとも一〇〇隻を超えるような部隊を維持できるような基地がある星系はない。星域内掃討作戦はまず補給と休養の後実施される、我々は『高をくくっていた』」
しかし主攻方面である第四次イゼルローン攻略作戦の進捗は思わしくない。諸々の要因はあるが、主要因である補給妨害の除去を考えれば、攻略部隊の後方を扼するアスターテ星域駐留の帝国艦隊に対する予防攻勢がどうやら必要になる。
本来であればアスターテ星域の帝国戦力は、助攻であるエル=ファシル星域へ向かうと想定していた。事前にドーリア星域の駐留部隊が牽制を行っていたとはいえ、エル=ファシルに駐留する三〇〇〇隻以上の駐留部隊を『見殺し』にするとは考えづらいからだ。
しかし二四時間もせずしてエル=ファシル星系に駐留する帝国艦隊は壊滅した。『一万隻を超える大艦隊による攻勢』という救援要請が発せられた段階で、アスターテ星域駐留の帝国艦隊首脳部はエル=ファシル星系に同盟軍の大兵力がいると判断し、再々奪回を諦めたと思われる。
故に詐術のような『エル=ファシルの霧』作戦が実施可能だったわけだが、同時にアスターテの現帝国戦力に『イゼルローン攻略部隊への妨害』という戦略方向性を確立させてしまった。
「君は覚えているかな。リンチ司令官が率いていた頃のエル=ファシル防衛艦隊の艦艇数はどのくらいだった?」
「……一〇〇〇隻前後、だったと思います。官舎で父がそう話していた記憶があります」
「今、このエル=ファシル星系に同盟軍戦闘艦艇は何隻いる?」
「正確にはわかりませんが、四〇〇〇隻前後かと」
「そこに正規艦隊の補給を行えるような巨大輸送艦が後方から分派されてきた。これは本来イゼルローン攻略作戦の為に確保されていた部隊だ」
「……つまり私達がエル=ファシル星系だけでなく、アスターテ星域まで攻略せよと命じられる、という事でしょうか?」
「確実ではなく可能性が高いというだけ。規模は攻略ではなく牽制程度になるだろう。上手く行き過ぎた故に得たくもない苦労を背負うことになってしまった、ということだろうね」
泥縄という言葉よりひどい話だ。もしかしたらイゼルローン攻略部隊の参謀達は、こちらの作戦が『上手く行き過ぎた』ことを相当恨んでいるかもしれない。筋違いもいいところだ。
「エル=ファシル星域にある帝国軍の残存戦力掃討日程を進める必要があります。第八七〇九哨戒隊は乗員の移乗が終了次第、索敵哨戒に出動させましょう。苦労をかける事になりますが、彼ら以上の適任はいない」
モンシャルマン参謀長はナプキンで丁寧に口を拭きながら言った。
「アスターテ星域の地理情報と現勢力情報を早急に入手する必要があります。ドーリア星域管区に問い合わせる必要もあるでしょう。司令官閣下、巡航艦小戦隊を複数、アスターテ星域へ向けて偵察哨戒に出すことを具申いたします」
マグカップにあった残りの珈琲を一気飲みして、モンティージャ中佐が言った。
「掃討作戦の補給計画については万全を期しますが、アスターテ星域への戦闘哨戒については、補給物資の到着を待ってからの行動となります。当部隊だけでなく、他の独立部隊も絡みますので、まず早急に作戦規模をご検討いただきたい」
まだ残っている珈琲入りミルクを混ぜながら、爺様に視線を向けてカステル中佐は言った。
「ジュニア。儂は現在の作戦進行状況を鑑み、貴官の連絡将校任務は終了したと判断する」
そして三人の参謀達からの視線を集めた爺様の視線は、俺に向けられている。
「エル=ファシル星系の索敵哨戒・掃討作戦の立案指揮はモンシャルマンに任せ、貴官はアスターテ星域における戦闘哨戒作戦の大筋を纏めておくように。期日は……カステル中佐どうじゃ?」
「一週間。到着する物資のリストは、早急に報告させます」
「というわけだ。ジュニア。とり越し苦労になるやもしれんが、各部隊幕僚・参謀を集めた合同参謀会議の前までに立案せよ。まず素案を四日でやれ」
「承知いたしました」
異議のある命令ではない。実戦指揮官でない参謀の役割とは、指揮官の判断リソースを増やす為、無駄になろうとも順序立てて考えて考えて考え抜くことにある。
「よし。では各々仕事をしようかの」
そう言うと、爺様は腰を上げる。俺達はそれより早くそれぞれの席から立ち上がり敬礼すると、爺様はゆっくりと答礼した。年齢を思わせぬ背筋のピシッとした爺様の答礼に、一〇年後のチェン少将に支えられた爺様の丸い背中を思い起さずにはいられなかった。
そして参謀全員が会議室を出る時、再び席に着いた爺様のそばに、ブライトウェル嬢が立っていたのが周辺視野の片隅に入った。その時は各自の容器の片づけだろうと思っていたのだが……
「申告します。ビュコック司令官閣下より、ファイフェル中尉に代わってボロディン少佐のお手伝いをするよう、拝命いたしました」
十数分後、職務用として司令部用会議室を使って構わないという命令と共に、ブライトウェル嬢が踵を高く鳴らし、寸分の隙もない敬礼を俺に見せるのだった。
◆
頭を抱える余裕があるわけではないが、極めて不本意な雑音と言うのは音量が小さくても耳に入りやすい。老練で先の戦いでも味方を完勝に導いた自分達の司令部が、若い未成年の女性軍属を会議室で長時間拘束監禁しているという噂は、俺が自分の個室と司令部用会議室の往復の間の僅かな歩行時間ですら聞こえてくる。
誰が流したというわけでもない。普段なら司令部艦橋、司令官個室、給糧室、通信室、情報分析室などを忙しく動き回っている赤毛の美少女が、課業開始時間のかなり前に会議室へ出頭し、それから数えるほどしか部屋を出ることなく、深夜日付が変わるギリギリのところで疲れた顔をして女性用兵員室に戻ってくるのを見れば、怪しむのは当然だ。
そして課業時間の殆どを司令部会議室で過ごしているのが、若い作戦参謀の少佐殿とくれば話の方向はおのずと二つに集約されるはずのだが……
「同室の女性兵長から、セクハラ・パワハラには黙っていてはダメよ、と言われました」
拘束三日目。疲れているはずなのに、まったく辛くなさそうな、不思議な表情でブライトウェル嬢は、無精髭の生えている俺に言った。
「給糧室の運用長も、司令部通信オペレーターの准尉殿も、何か少佐に対して勘違いされているみたいで……」
「あぁ……悪いね……」
そうだろうなぁと、俺は右手を右目に伏し当てて溜息をついた。噂で憲兵が飛んでくるような事態ではないとは思うが、エル=ファシル星系における空間戦闘の大部分がすでに終了し、偽装工作の演習すら終わって話題も乏しく、乗組員の緊張感がほぐれているというのだろうか。それ自体が悪い話ではないのだが、噂の中心になるようなのは勘弁してほしい。
それに戦場の恋とかそういう方向ならともかく、どうにも俺がブライトウェル嬢に『パワハラかます悪役』という形で纏まっているらしい。艦内の女性将兵につらく当たったことなどないどころか接点すら乏しいのにそうなるのは、恐らくはエレキシュガル星系における事前演習で、虎の威を借りる狐よろしく傍若無人に振舞ったのが遠因だろう。まぁ現実はそんな生易しいものではない。
アスターテ星域内の各星系の詳細、ドーリア星域管区司令部が収集している情報、ダゴン星域における被害状況、それにエル=ファシル星域の支配圏確認。ケリム星域でドールトン准尉と一緒に仕事をした時に比べて、仕事量は単純に四倍。補佐役というべきブライトウェル嬢はあくまで軍属の従卒であって、参謀教育どころか軍人としての教育も殆ど受けていない。
初日は彼女に資料の取り出し方や三次元投影装置の使い方を仕込み、つたないながらも一通り使いこなせるようにしてからは、ひたすらそれを使っての資料集積と俺の口頭指示による文書作成を行わせている。確かに見る者によってはパワハラそのものだ。だが、ブライトウェル嬢は不満どころか嬉々としてこの作業に従事している。
もしかしたら彼女が俺に好意を持って尽くしてくれているということだろうが、それは些か思い上がりも甚だしい。どうでもいいが面倒な空気の中、だいたいの構想がまとまった三日目の夕刻。温めた戦闘糧食を持ってきたブライトウェル嬢が、唐突に俺に告げた。
「この作戦が終了し戦死することがなければ、自分は正式に軍人になろうと思っています」
アントニナと同じ学年で、つい四ケ月前に同じような事態に遭遇した俺は、口元まで運んだ珈琲をかろうじて噴き出すことなく、ゆっくりとコップごと会議室の机の上に戻すと、天井に向かって大きく息を吐いてからブライトウェル嬢を見つめた。
高級軍人の娘でありながら、トラバース法にもかかりそうな人生。ちょうどアントニナとユリアンの中間と言った身の上か。彼女を軍属としたのは統合作戦本部人事部の意図で、軍人になることを彼女に強制したわけではない。するようには仕向けているが。
「ブライトウェル兵長、なんで正式な軍人になりたいんだ?」
アントニナの時と同様、軽い口調で言うと、疲労感の隠せていないブライトウェル嬢の顔が引き締まる。
「君もだいたい察しているだろうが、君が軍属であるのは、君自身の保護を兼ねている。また軍属であれば戦場に出る義務はないし、不参加申請もできる。それを捨ててまで正式な軍人になる理由はなんだ?」
「私の父は軍人でした。しかし民主主義国家の軍人として、もっとも恥ずべき行動をしでかしました」
そういう彼女の両手はきつく握られる。
「少佐はそれが私の背負うべき罪ではないと言っていただけました。少佐のご信念とお心遣いに正直、私は気持ちが震えました。ですが私個人としてそれに甘えることも、自分の体に流れる血の半分が不名誉の下にあることも、潔しとはしておりません」
「ブライトウェル兵長」
「私は、ジェイニー=B=リンチ、です。私はその名前から逃げたくありません」
それはまんま統合作戦本部人事部、いや軍全体を覆う悪しき精神主義・軍事マッチョイズム・伝統保守の精神汚染に他ならない。彼女がそれに染まったわけではないのは、一番近いところにいたからわかる。少なくとも彼女がリンチの娘だと知っている司令部において、彼女に『軍人になって父の不名誉を濯げ』とかアホなことを言う人間はいないはずだ。
では司令部以外の誰かが、彼女にそう吹き込んだのか。同室の女性兵員か、それとも補給部の人間か……いや、まさか……
「イェレ=フィンク中佐とモディボ=ユタン少佐か?」
「違います!」
「ブライトウェル兵長」
「違います! 私個人の考えです!」
首から下は直立不動、しかし声を上げ首だけは激しく左右に揺らして否定する。だがその行動は、俺の考えを肯定しているも同然だった。これはもう後で二人にはハッキリと釘を刺さなければならない。自己犠牲は美徳であるかもしれないが、それを他人に強要するのは害悪であると。
俺は席から腰を上げ、彼女の正面に立つと彼女の両肩に両手を乗せた。一八〇センチの俺と、一七〇センチと一六歳の少女としてはやや背の高い彼女。しかし背は高くとも心も体もまだ子供だ。しかも一度、世間から拒絶された経験を持つ。現に俺の両手は、彼女の肩の震えを感じている。
「フィンク中佐が君に何を言ったか、君に問うつもりはない」
フィンク中佐にしてもユタン少佐にしても、『お前の親父のせいで俺達は逃亡者の汚名を着せられたんだ』などと責め立てるようなことを言うような、ある意味ではまっとうな神経の持ち主ではない。むしろヤン達と一緒に脱出した自分の家族から責め立てられても、同様に世間から卑怯者の娘と白い目で見られる彼女を、保護者として守ろうとしている。そしてはっきりと部外者であるレッペンシュテット准将にですら感じるほどの『過剰な忠誠心』を俺に向けている。
「だが君の人生は君自身のものだ。少なくとも君以外の誰のものでもない。だから君が軍人になろうという意思を俺は否定するつもりはない」
「……」
「勘違いだったら嘲ってくれて構わないが、君が軍人になることで『私』に対して何らかの義理を果たそうというのであれば、それは明確に拒絶する」
自分でも随分と思いあがったことを言っているなと思ったが、拒絶という言葉を聞いた瞬間、彼女の体に緊張が走ったのがわかった。俺に裏切られたと思ったかもしれない。だがこれでもう中佐達が彼女に何を言ったかは、はっきりとわかる。だからこそ彼女が軍人になるというのであれば、理解してもらわねばならない。
「前にハイネセンの司令部で君に言ったことを覚えているか?」
「……父の、ことでしょうか」
「そうだ。その時、俺は君に言ったはずだ。自由惑星同盟の軍人は国家と民主主義の精神によって立つ市民を守るために武力を行使する存在であると」
「……はい」
「個人への忠誠心ゆえに戦うのは民主主義国家の軍人ではなくただの私兵に過ぎない。民主主義の思想と精神と制度に対する忠誠の為に、戦うべきなんだ。軍人の本質は人殺しだ。個人への忠誠の為に振るうのであればそれはマフィアの手先の殺し屋と何ら変わらない」
これはヤンがユリアンに常に抱いていた矛盾だろう。良いか悪いかはともかく、ヤン・ファミリーは大なり小なりヤンに対する感情と忠誠心によって固められていたと言っていい。ヤンに対して忠誠より友情の比重が大きかったのは、恐らくはキャゼルヌぐらいだろう。『ファミリー』とはよく言ったものだ。
人に感情がある以上、人は人に従うのであって理念に従うわけではない。それはわかる。わかるが……
「以前言ったように、君がリンチ少将閣下の家族であるからと言ってその罪を背負う必要はない。同じ意味でそれを庇っているように見える俺や司令部の行動に対する義理も背負う必要はない。君や中佐達の好意はうれしいが、俺も司令部も君達に忠誠や自己犠牲も求めて行動したわけではないんだ。どうか、それを分かって欲しい」
「はい……」
「それと軍人になると言っても、君に下士官や兵士は無理だろう」
「……そうでしょうか」
「君に原因があるわけではない」
一瞬、彼女の表情がアントニナとダブったが、彼女はすぐに表情を消した。感情と行動を年齢不相応に制御できるブライトウェル嬢は、アントニナよりも遥かに軍人としての適性がある。間違いなく優秀な下士官にも、優秀な兵士にもなれるだろう。彼女の父親が『アーサー=リンチ』でなければ。
「軍隊とは命令と服従によって成立する。そうでなければ公的機関としての暴力組織の秩序が保てないのだが、構成するのは人間で、人間には感情があり、軍隊はその感情に多大な負荷を負わせ、人格を容易に歪ませる」
温厚でよき夫よき父よき息子である将兵が、戦地において強姦・暴行・略奪の化身となるのは、いつの世も変わらない。殺し殺される戦場だけではなく、後背地においても命令と服従は、人の心を傲慢に狂暴にそして卑屈にしてしまう。
軍人として優秀で、しかも均整の取れた体格と美貌の持ち主である彼女は、直ぐに組織内でも注目を浴びることになるだろう。それは彼女の立場を強化するかもしれないが、同時に嫉妬を招く。そして早晩、伏せられた彼女の父親の名前に行きつくことだろう。
「残念ながら我が軍には四〇〇〇万もの人間がいて、ろくでもない奴もそれなりに存在する。君の父親の話を持ち出し、君に理不尽な要求を突きつけるような輩だ。七人前の昼食を作れ、なんてレベルではない。時には地位をちらつかせて暴行すら容認するだろう。だが少なくとも士官になれば、君に暴行を働こうとする人間の数の桁は一つ減る」
「……」
「だから君が軍人を志望するのであれば、士官になることを勧める。専科学校を経由する必要はない。君ならば普通に士官学校を受験すべきだと思う。出来る事なら俺も手伝ってあげたいが、済まない……」
「……なんでしょうか?」
長々と柄にもない説教で困惑と焦燥と疲労に押しつぶされつつも、父親そっくりのダークグレーの瞳はしっかりと俺の平凡な顔に向けられている。俺は一度唇を噛み締め、それから壁に飾られている時計を確認し、再び彼女を真正面から見下ろして言った。
「今日は六月一日なんだ……」
なお数次にわたる自由惑星同盟軍士官学校の最終受験願書提出日は、五月三一日である……魔術師は本当に運がよかったんだなと、最後の気力が抜けて床に崩れ落ちそうになった、線の細いブライトウェル嬢の体を両腕で支えつつ俺は噛み締めるのだった。
後書き
2022.06.18 更新
第69話 足踏みの原因
前書き
ちょっと長くなり過ぎましたが、こうしないと次に進めません。
もう一人の不遇な後輩君が登場します。前線? ここが前線です。
宇宙歴七八九年 六月 三日 エル=ファシル星域エル=ファシル星系 戦艦エル・トレメンド
司令官、参謀長、補給参謀、司令官付き副官、旗艦副長・警備主任・軍医長・同看護班長・司令部付通信オペレーター・その他戦艦エル・トレメンド乗艦の女性軍人の皆さまからの、叱責の集中砲火を受けた作戦参謀は、辛うじて期限内にアスターテ星域に対する戦闘哨戒作戦の素案を、爺様に提出することができた。
「嬢ちゃんはもう少し体を鍛えた方がいいの」
提出翌日、改めて作戦素案の説明に上がった俺を直立不動で立たせたまま、司令官公室で爺様は今まで聞いたことのないような優しい好々爺の声で、恐縮してトレーを持つブライトウェル嬢に諭した。
「勉強も必要じゃが、まずは体力じゃ。そこに突っ立ってる作戦参謀には体力オバケの友人が大勢いるらしいから、紹介してもらうといい。どうせ地上で暇しているじゃろうからな」
確かに地上軍は暇だろうが、それこそ『軟弱な宇宙軍の従卒少女を鍛えるなんてばかばかしい』と思ってるだろうから、頼めるのはジャワフ少佐ぐらいだろう。たしかに地上戦が終わった後の連絡士官なんて相当暇だろうから、戦艦エル=トレメンドに来てもらってもいいかもしれない。頭の中でぼんやりとディディエ少将にどう説明しようかと考えていると、トントンと爺様が机を指で叩いて俺を呼んだ。
「ジュニア。貴官が提出した素案を読むには読んだ」
今度は打って変わって、いつものおっかないオッサンの声だ。怒っているという感じではない。むしろ理解はできるが、どう質問したらいいか分からないといった感じだ。まぁ、それはそうだろう。
「実施の可否はともかく、アスターテ星域への戦闘哨戒はエル=ファシル星域の宇宙戦力を、ほとんどカラにしてまで行なわなければならない作戦とは思えんが」
「お答えいたします。アスターテ星域へ出た偵察哨戒の結果が出揃っていませんので、敵勢力の規模も配置も現時点では不明でありますが、ダゴン星域への補給線破壊活動の頻度及び投入戦力から考えて、どれほど大きくても五〇〇〇隻を超える戦力が配置されているとは考えにくいと思われます」
アスターテ星域には二〇余の星系があるが、以前から行われているドーリア星域防衛艦隊からの偵察から、一個艦隊規模の補給や修繕を行えるような可住星系も補給基地も確認されていない。
イゼルローン攻略作戦に対する補給線への妨害活動は、二〇〇隻ないし三〇〇隻程度の巡航戦隊が三日から五日おきに場所を変えて襲撃してくる。ダゴン星域からアスターテ星域まではおよそ三日の行程で、それぞれの星系間移動に三日、襲撃タイムラグに三日かかると考えれば、およそ一五日(半月)を一行程とした襲撃スケジュールを組んでいる。隊毎に補給と休養を考えるとその四倍の一二〇〇隻程度の戦力を、襲撃に割り当てていると推測される。
これはエル=ファシル星系を攻撃した一〇ケ月前のアスターテ星域帝国軍前進部隊の数とほぼ一致する。つまりこれだけの戦力を遊撃に出せるだけの戦力が、アスターテ星域にあると考える。ならば、まずその三倍。三六〇〇隻程度が星域に駐留していると考えるのが常識だ。
そしてアスターテ星域の後背にはアルレスハイム星域があり、そこには帝国側の有人可住星系が存在する。民間人がいるかまでは不明だが、可住惑星の無いアスターテ星域の駐留部隊は、そこを補給・休養基地とする推測に不自然さはない。
人間の肉体と精神の構造上、どんなに厳しく鍛えた軍人であっても半年以上宇宙空間に拘束されるというのは厳しい。マーロヴィア星域で海賊狩りしていた時は、勝利の興奮がかろうじて疲労を覆い隠していた。プライベート空間の狭い軍艦で、代わり映えのしない乗員と暮らすストレスは半端ない。ジムやミニシアターのような設備が艦内にあったとしても、蓄積された精神の疲労は集中力の低下を招く。
そしてエル=ファシル星系に同盟の大戦力がいると勘違いして、アスターテ星域の帝国軍が基本を守勢とし、ダゴン星系への嫌がらせに勤しんでいるのは、ウチの司令部の共通認識だ。
故に『敵戦力が不明な以上、持てる最大戦力を投入する』と『エル=ファシル星系をカラにする』は両立できる。まず当初第四四高速機動集団と二個独立部隊、あわせて三六〇〇隻をひとつの星系に集中投入する。エル=ファシル星系の防衛は後方補給線の維持も併せて、一個独立部隊に任せる。補給と後退を兼ね、一〇日おきに一個独立戦隊分の戦力を、エル=ファシルとアスターテ間で動かす。
忙しい話になるだろうが、アスターテ星域の帝国軍はこの三六〇〇隻の同盟軍前進部隊を一気に覆滅するだけの戦力がない限り、ダゴン星域への妨害行動は停止せざるを得なくなる。仮にアルレスハイム星域にそれだけの戦力があったとしても、現在一隻でも機動戦力が必要なのは後方のアルテナ星域(イゼルローン)なので、アスターテ星域への追加投入は不可能。藪蛇となってエル=ファシル星系から『同盟の援軍』が出てきては、『アスターテ星域が同盟の手に落ちる』危惧すらある。
期間はイゼルローン攻略部隊が再編成して要塞前面にたどり着くまでの一ケ月。第四四高速機動集団も三個分艦隊に分かれて運用する。ただし司令部のある戦艦エル・トレメンドと直衛艦分隊だけはその一ヶ月間前線に留まることになる。
「すでに五〇の偵察哨戒部隊をアスターテ星域に送り込んでいるとモンティージャ中佐から伺っております。敵の耳目は充分にこちらに向きつつあると考えてよいかと」
「理には適っているが、損得を無視してアスターテ星域の前進部隊が逆にエル=ファシル星域に進攻してくるリスクはどうかね」
爺様の右前に立つモンシャルマン参謀長が、俺に問う。穴を見つけて攻めるというより、リスクに対する相互認識に齟齬がないかの確認だろう。
「当初一週間を除き、エル=ファシル星系には独立部隊一個の戦力が常駐します。二〇〇隻程度の嫌がらせは一蹴です。一〇〇〇隻規模の戦力を投入したとしても、第八七〇九哨戒隊が各跳躍宙域に網を広げていますので即時確認・撤退は可能です。またそれだけの規模の戦力を迂回進撃させるならば、ドーリア星域防衛艦隊の哨戒艦も気が付きます」
「では貴官が実施に際して考慮すべき問題点は?」
「作戦開始前に敵戦力の正確な把握が必要です。補給体制が整ってあれば空間自体は広いので、ゆうに二万隻以上を展開することができます。それだけの戦力を前線配置するほど今の帝国軍に余裕はないはずですし、情報部も見逃すはずはないと思いますが、現実が空想を超えることはよくあります」
「貴官の意見に同意する。ビュコック司令官、いかがでしょうか?」
モンシャルマン参謀長が爺様を振り向くと、爺様も『まぁ、よかろう』と言った雰囲気で頷いた。
「まだ正式に命令は下っていないが、いつでも動けるように各独立部隊や分艦隊の参謀と検討を進めておくように。儂の名前を使って構わん」
「承知しました。ありがとうございます」
「特にイゼルローン方面が敗北した時の、撤収方法については重点を置いて検討せよ。我々は戦術目標を既に完遂している。おまけのような戦で、将兵を無駄死にさせるな」
「はっ」
そう言って作戦素案に爺様がサインをすると、俺に手振りをして近づくよう仕草する。前にこの仕草をした時には、爺様の鉄拳が俺の頭頂部に飛来したので、俺は僅かに体を後退させたが、爺様は見逃すことなくもう一度力強く手振りする。
仕方なく爺様の拳の有効射程範囲にまで体を寄せると、爺様の力強い右手がガッチリと俺の左肩を掴んだ。
「ジュニア。儂は嬢ちゃんにジュニアの手伝いをするように言っただけであって、超過勤務をさせるつもりはなかったんじゃが?」
「……は、はい」
「嬢ちゃんは有能な士官ではなく、年端もいかない軍属であるのはジュニアも分かっておるんじゃろうな?」
「それは勿論」
「軍教育を殆ど受けとらん一六歳の少女に、二〇代の参謀士官並の仕事をさせるのは、上位者としての労務管理がなってないということじゃぞ?」
「えっ?」
いつも俺に無茶振りな課題を出す爺様がそれを言う? とか思った瞬間、爺様の鉄拳が天頂部に飛来した。今回は左拳なのでマーロヴィアの時よりは威力は小さかったが、俺の片膝を床につけさせるには十分な威力だった。右目を閉じで歯を食いしばりながら顔を上げると、厳しい表情の爺様、感情をあえて消してますと主張している参謀長、そして微妙に笑みが浮かんでいるようにも見えるファイフェル……
「嬢ちゃんは士官学校の受験を希望しているそうじゃな。まぁ今日は六月三日なんじゃが」
「はい、司令官閣下」
右手を頭に当てながら立ち上がると、爺様は頷いて言った。
「合否に問題はなかろう。何しろ優秀な『家庭教師』が付くんじゃからな」
「は?」
「ジュニア。ハイネセンに戻るまででいい、余裕のある時に嬢ちゃんの勉強を手伝ってやれ。これは命令ではないが、そのくらいしても罰は当たらんぞ?」
「……承知いたしました」
他の受験生と比べての贔屓とか不平等とかそう言うのはどうなんだろうとか思ったが、亜麻色の髪を持つ少年がイゼルローンの不良分子(最高の教師陣)によって鍛えられていたことを思い出して諦めた。まぁあの教師陣に比べれば、格が数段落ちるのは受け入れてもらうしかないが。
直立不動で爺様に敬礼すると、爺様もそれに応える。だが俺の周辺視野にファイフェルが含み笑いを浮かべているのが入った。眼球だけ動かして俺がファイフェルを睨みつけると、得たりと言った表情でモンシャルマン参謀長が口を開いた。
「たしか当司令部に有能な若手士官は一人だけではないと思いましたが、司令官閣下」
「そうじゃな。ファイフェル。お前は週二で面倒を見ろ。どうやらジュニアは艦内で危険人物とみられているようじゃから、フォローするのは頼りになる年下の役目じゃろうて」
あ、ということは司令部通信オペレーターさんが爺様に直訴でもしたんだなと、口がぱっくりと開いたファイフェルを見て、俺は溜息をつくのだった。
◆
翌日、移動中の独立部隊には通信で、残りの二つと第四四高速機動集団の二つの分艦隊の参謀達に、補給状況とアスターテへの戦闘哨戒の可能性を作戦素案に添え、二日後までに総評してくれるよう打診した。どの部隊の幕僚部も暇していたのか、あくまでも素案だと前置きしているのに散々赤ペンで採点した返信を寄越してきた。相手は参謀経歴のある人達だし、こちらは素人に毛が生えたくらいの参謀だから仕方ないなと思っていたが、総じて作戦根幹である『総入り』に関して明確に反対している人はいなかった。
「それは作戦の道理がボロディン少佐の言う通りだからだ。些か言動が過激で、粘着質なきらいはあるが」
一番反対するであろうと考えていた第三四九独立機動部隊のフルマー中佐に、司令部間超光速通信で理由を聞くと、中佐は肩を竦めながらそう答えた。
「貴官は歳の割に慎重に過ぎるところがあるが、言っていることが一々尤もなので、言われる側としてはピリピリ来るんだよ。司令部にいるからわからんかもしれないが、特に年配の、それも退役に近い中級指揮官達の不満は大きいぞ。貴官はもう少し人の扱い方を覚えた方がいい」
確かにフルマー中佐の言う通りだろうとは思う。中級指揮官からすればポッと出の若い士官などに作戦・演習指導されるのは、自分のキャリアを否定されているようなものだ。キャリアとノンキャリアの理不尽な壁についてはいつの時代も変わらない。ヤンのように不敗と奇跡の伝説を作り出せる才能があればそれも克服できるだろうが、今生の俺は少しばかり『未来らしきものを知っている』だけの凡人にすぎない。
フルマー中佐は確か三〇代半ば。出世のスピードとしては遅くはない。俺はたまたまの敵運の良さと縁故・引き合いのおかげで二五歳の少佐。このままいけばアップルトン提督の参謀長として、アムリッツアで戦うことになる彼にとって、俺はまだまだ爺様の陰に隠れている生意気な孺子に過ぎない。
「ご指導ありがとうございます、中佐。今後も精進いたします」
「まぁあれだけ華麗な包囲殲滅戦と、詐術のような地上攻略戦を見せられてはね。つくづく机上の理論では士官学校の首席に勝てるわけがないと思ったよ」
「はぁ……」
「今回は敵の弱さと脆さに運があったかもしれないが、そういう運を掴むのも才能の一つだ。偉そうなことを言わせてもらえれば、貴官はそういうものを大事にするんだな」
そういうとフルマー中佐側から超光速通信は切られた。俺は灰色になった画面に映る、今世の自分の顔を改めて見つめる。前世の東アジア人丸出しののっぺりした顔とは全く違う。だが中身は死んだ時から大して進歩していない。
「一所懸命、か」
俺は一つ溜息をつくと、超光速通信室の扉を閉じ、ファイフェル先生の居る司令部会議室へと戻るのだった。
◆
六月七日。
第八七〇九哨戒隊がエル=ファシル星域内の帝国側支配領域各星系に潜伏しつつ収集した、残存帝国艦隊の情報がほぼ纏まった。当初の予想通り、星域内に残っている戦闘艦艇は一〇〇隻に満たず、各個哨戒隊以下の規模で構成されていることを確認したため、爺様とモンシャルマン参謀長は各星系掃討作戦の実施を独立部隊に指示した。第四四高速機動集団も次席指揮官であるジョン=プロウライト准将と、機動集団第三部隊指揮官となったネリオ=バンフィ代将が、それぞれ部隊を率いて、星系制圧へと向かうことになる。
同日、第一一戦略輸送艦隊臨時A四二〇八輸送隊が、護衛を兼ねた第五四四独立機動部隊とともに、惑星エル=ファシル軌道上に到着。巨大輸送艦三二隻に満載された物資は、これから捕虜と共に後退する第三五一独立機動部隊や地上戦部隊も含めたエル=ファシル星系攻略部隊の活動力を回復するのに十分すぎるほどの量がある。物資整理によって空になる巨大輸送艦は九隻で、この九隻は捕虜と警備兵役となる第三二装甲機動歩兵師団隷下の二個歩兵連隊を積んでエルゴン星系に後退することになる。
そして臨時の分艦隊には封印指令書を有した士官が同乗していた。
「宇宙艦隊司令部イゼルローン攻略部隊幕僚部のテッド=ニコルスキー中尉であります。宇宙艦隊司令長官よりビュコック司令官宛に書面を預かっております」
俺と同じ西スラブ系の中肉中背で参謀の赤と白斜めのバッジを付けた青年士官が、第四四高速機動集団司令部全員の面前で、直接爺様に書簡を渡した。爺様は指紋認証で封を切ると、たっぷり時間を掛けて一読後、まるでスーパーのレシートのようにモンシャルマン参謀長に手渡した。
その何気ない動作にニコルスキーの瞳孔は一瞬ひらいた。モンシャルマン参謀長からモンティージャ中佐、モンティージャ中佐からカステル中佐、カステル中佐から俺、そして俺からファイフェルと、自分が命懸けで持ってきた『軍事機密』が手軽に順繰りと廻されたのを見て、口を閉じたままどうしたものかといった感じで視線を彷徨わせている。
「確かに確認した。あ~、ニコルスキー中尉。長官は何か貴官に言付を頼んではおらんかったかね?」
そんな青年士官の複雑なプライドと困惑を見透かしたように、ファイフェルから戻ってきた封印指令書をこともなげに未決の箱に放り込んだ爺様の問いに、ニコルスキー中尉は改めて背筋を伸ばして応えた。
「ハッ。『物資補給が済み次第、可能な限り速やかに実行されたし』とのことであります」
「まぁ、そんなところじゃろうな」
「え?」
「中尉。貴官はこれからどうする。捕虜と一緒にエルゴン周りで帰るのか?」
「いえ、『第四四高速機動集団と行動を共にし、作戦遂行について尽力せよ』と指示を受けております」
「それはそれはご苦労なことじゃな」
爺様の強烈な皮肉を全身に浴びたニコルスキー中尉の顔は、完全に引き攣っていた。爺様が気難しい年配将校であることは事前にイゼルローン攻略部隊司令部から聞かされているだろうし、同司令部はエル=ファシル攻略部隊が『ずるをしている』と評価しているだろうから、中尉としては敵地のような場所に残ってイゼルローン攻略部隊の助力になるよう尽くさなければならない。確かに爺様の言う通り『ご苦労なこと』だ。
俺の記憶が確かならばニコルスキー中尉は戦略研究科で二つ年下、ファイフェルの一つ上のはずだ。ファイフェルに視線を送ると、瞼で『何とか助けてやってくれませんか』と言っている。モンティージャ中佐は口をへの字にして肩を竦めているし、カステル中佐は完璧に無表情。参謀長の額には僅かな怒りが浮かんでいる。ここはもう俺の出番と言うことか。
「ビュコック司令官閣下」
「おぉ、ジュニア。頼まれてくれるか?」
「いろいろ小官もかの司令部には言いたいこともありますが」
「よかろう。貴官に任せる。儂らはまず足元を固めなくてはならんからな」
既にアスターテへの戦闘哨戒作戦を立案しているにもかかわらず、『長官の言うことなど聞いてられるか』と言わんばかりの爺様の言葉に、ニコルスキーは目に見えて気力を失っている。爺様が手振りで一同の解散を指示すると、俺は彼の肩を二度叩くと司令官公室から会議室に連れて行った。
「まぁ、かけたまえ。中尉」
ブライトウェル嬢が持ってきたピカピカに磨かれた珈琲カップと紙コップの対比を前に、ニコルスキーを会議室の席の一つに座らせた。勿論ニコルスキーの前にあるのは紙コップだ。従卒ですらこの塩対応をすることに、もうニコルスキーの心はズタズタだろう。グラスポットで珈琲を入れたブライトウェル嬢がそのまま俺の後ろに立っていることすら不審に思っていない。
「ニコルスキー中尉はファイフェルの一つ上だったと思うが、俺の記憶違いだったかな?」
「えぇそうです。彼とは面識があります。あ、勿論、小官はボロディン少佐のことを存じ上げております。第七八〇期生の卒業式の胴上げは記憶に残るものでした」
「じゃあヤンやラップ、ワイドボーンとも顔見知りだな?」
「彼らは強烈過ぎて……いえ、すみません」
「わかるさ。アイツら先輩を先輩と思っていないところがあるからな」
そういうと幾らかニコルスキーにも顔色が戻ってくる。だいたい爺様達も人が悪い。端から俺に押し付けるつもりなのだから、あんまり虐めてやるなとも思うのは歳が近い方への親近感からだろう。
「ニコルスキー中尉。貴官の任務について、当司令部がどう思っているかは、貴官が経験した通りだ」
「……はい」
「それを認識してもらった上で聞きたいんだが、イゼルローン攻略部隊の状況はいったいどうなっているんだ? 少佐として出過ぎたこととわかっているが、司令部はまともにイゼルローンを攻略しようと考えているのか?」
「それは! 流石に言い過ぎではないですか?」
「遅々として進まない日程、訓練宙域の変更、物資の過剰な差し押さえ、挙句の果てに追加で『進撃命令』。そちらが主攻方面だからといって泥縄に物事を進めるのはどうなんだ?」
帰ってきたのは沈黙だ。こちらにある程度の正論があり、自分達が無茶をしているというのも分かっているのだろう。彼もまた攻略部隊の幕僚ではあるが、まだ二三歳の中尉にできることなどほとんどない。問われるべきは司令官であるリーブロンド元帥の器量と幕僚上層部の作戦指導力だろう。助攻方面の参謀にすらまともに反論できないくらい悲惨な状況とみていい。
ただエル=ファシル攻略部隊の力を借りるために送り込んできたのが二三歳の中尉と言うのは、攻略部隊司令部がこちらをどれだけ軽く見ているかということの証左だ。本来であれば副参謀長クラスが来て、爺様に頭を下げるくらいしなければならない。寄せ集めの集団であることは間違いないが、モンシャルマン参謀長が静かにキレているのも当然のことだ。
「ここで聞いたことは誰にも話さない。彼女にも緘口させる」
俺がそう言うと、ようやくニコルスキーは俺の後ろに、出会った頃と同じツンドラなブライトウェル嬢が立っていることに気が付いたようだった。
「教えてくれ。ニコルスキー。イゼルローン攻略部隊の司令部はどんな状況だ?」
「……悲惨です。特に攻略作戦指導部と地上軍司令部は、もはや敵同士に近いです」
ニコルスキーの話はだいたい司令部の推測をなぞるようなものだった。スケジュールの遅れから帝国軍は防御態勢をがっちり固め、イゼルローン前面に艦隊を展開する為に必要な前線基地を作る為、地上軍は帝国軍の防備の固いカプチェランカやラーム、アンシャルといった星系の惑星に送り込まれている。
しかしアスターテからの補給線圧迫により巨大輸送艦の展開ができず、中型輸送艦による細い輸送線によって戦線が支えられている。物資も、数だけはいっぱいいる艦隊の方に吸い取られ、地上軍に渡るものも少なく将兵の血を惑星表面にひたすら染み込ませる作業ばかりしている。
攻略部隊に付属している地上軍司令は、イゼルローン要塞攻略の為の兵力がこのままでは失われると判断し事態の早急な改善を求めた。しかしイゼルローン要塞攻略の為にはやはり大規模な艦隊戦力が必要なことから、攻略司令部はその要請にお茶を濁すような戦力での増援を行い、挙句の果てにはアスターテからの妨害部隊によってその増援すら破壊される事態に至った。
「長官はもはや前進基地造設を止め、一気にイゼルローン要塞前面へ艦隊を展開しようとなされておいでです。艦隊決戦によってイゼルローン駐留艦隊を撃破する。その事を地上軍司令に伝えてしまったのがとどめになったみたいです」
善意で考えるならば長官は地上で血を流した将兵達の命を軽んじる意図ではなく、艦隊決戦に全てを賭け策源地を踏みつぶして地上軍のこれまでの労苦に報いたいと思っていたのだろう。が、実際に血を流している側からしたら、いまさら何を言うんだということだ。
そういうギクシャクを解消するのが総参謀長や副参謀長といった幕僚上層部だろうが、カステル中佐が散々コケにするように、個々の調整能力が低いということかもしれない。それだけシトレ・ロボスと言った中堅層に優秀な面子が吸い取られているというところだろう。彼らからしたら叩き上げであるビュコック爺さんは、むしろ都合のいい予備兵力に見えたのかもしれない。
「アスターテ星域には約三〇〇〇隻が展開していると、当司令部では考えております。エル=ファシル攻略部隊とドーリア星域防衛艦隊が合わさって前線展開できる戦力はほぼ同数。とにかくダゴン星域に妨害部隊が出てこないようにしてほしいというお考えです」
「エル=ファシル攻略の戦況報告はイゼルローン攻略司令部にはちゃんと伝わっているのか?」
「おりますが……あまりお信じにはなっていらっしゃらないようです。特に総参謀長は」
「貴官の目で見てはどうだ? ウチがウソ言っているように見えるか?」
「士気旺盛の四〇〇〇隻、まったく損害の無い二個師団。羨ましすぎて涙が出そうです」
「そういうわけで、こういうモノを作る時間もあるわけだ」
そう言って俺はブライトウェル嬢に指で指示して三次元投影機を起動させると、俺とブライトウェル嬢作、独立部隊参謀集団編曲の戦闘哨戒作戦案をニコルスキーに見せつけた。突然起動した投影機にニコルスキーは驚いたが、内容を読み進めていくうちに、その度合いはさらに大きくなる。そして最後まで見終わると、大きく溜息をついてから俺に力の抜けた乾いた顔を向けて言った。
「時間でも物資でも知性でもなんでも、余裕って大事ですね」
「黙ってて悪かったな」
「いや、当司令部にエル=ファシル攻略部隊司令部の皆様が怒っているのは当然です。こちらこそご迷惑をおかけします」
「直ぐに動けないということはわかってくれるな?」
「理解しました。ですが、ここまで作戦案が独立部隊間で共有されているのであれば、掃討作戦からアスターテ星域へは分進進撃も可能なのではないでしょうか?」
それは俺も考えなかったわけでもない。時間の節約にもなるし、節約できれば死ぬ兵士も減る。だが分進進撃とアスターテという二つの言葉はどうしても相性がいいとは思えなかったのだ。
「それを決めるのは現在実施中の偵察哨戒の結果だろうが、いずれにしてもエル=ファシル星域内で全体最終補給を行うべきだと考える。そこのところを詰める作業を、貴官にも手伝ってもらいたい」
「喜んでやらせていただきます。それこそ小官の任務であり、戦略研究科出身者の本懐であります」
そういうとニコルスキーは立ち上がって俺に敬礼する。俺もそれに合わせて答礼するが、手を下ろした時、ニコルスキーが小さく首を傾げてから聞いてきた。
「ところでこの作戦立案に寄与したというジェイニー=ブライトウェルという方はいったいどういう人物です? 階級がないようですから軍属の方だと思うのですが……」
言い終わる前に俺は振り向くことなく、左親指を立てて後ろに立つブライトウェル嬢を指差すと、今度こそニコルスキーの顎が外れたようにも見えるのだった。
後書き
2022.06.25 更新
2022.07.03 ニコルスキーの階級の訂正(大尉→中尉統一)
第70話 アスベルン星系遭遇戦 その1
前書き
ストックなしからの執筆ではやはりギリギリでした。なんか本当にすみません。
砲火寸前で話が終わってます。
次の次でハイネセンに帰れそうですね。
宇宙歴七八九年 六月二〇日 アスターテ星域アスベルン星系 戦艦エル・トレメンド
エル=ファシル星域の帝国軍残存部隊に対する掃討作戦は、順調というよりは帝国軍の撤退に合わせた一方的な結果に終了した。
元々六〇〇隻前後の各独立部隊と、最大でも三〇隻、糾合してようやく一〇〇隻前後の残存部隊では勝負にならないのは当然で、深追いした独立部隊の一部に損害が出たらしく、いつになくモンシャルマン参謀長が冷たい表情をしていた。
六月一五日、損傷した艦が護衛艦と共にエル=ファシル星系に帰還したことを確認した爺様は、正式にアスターテ星域への戦闘哨戒作戦を隷下全部隊に指示した。エル=ファシル星域を空っぽにすることについては、地上軍から流石に疑問視があり、後方へ捕虜達と共に後退した第五四四独立機動部隊から一〇五隻が、司令官セリオ=メンディエタ准将指揮下で巨大輸送艦一二隻と共にエル=ファシル星系に残ることになった。もっとも星系防衛戦力としてはほぼ空っぽも同然ではある。
結果としてアスターテ星域に対して動員される戦力は、以下の通り。
第四四高速機動集団 アレクサンドル=ビュコック少将 以下 二四四九隻(内戦闘艦艇二一八七隻)
第三四九独立機動部隊 ネイサン=アップルトン准将 以下 六七〇隻(内戦闘艦艇 六一四隻)
第三五一独立機動部隊 クレート=モリエート准将 以下 五八八隻(内戦闘艦艇 五六四隻)
第四〇九広域巡察部隊 ルーシャン=ダウンズ准将 以下 五〇九隻(内戦闘艦艇 四九七隻)
宇宙艦艇数 四二〇六隻。戦闘艦艇 三八六二隻。総兵員四八万九〇〇〇名。またこれに分派されてきた巨大輸送艦一〇隻が同行する。
陸戦部隊のほぼ全てをエル=ファシルに残し、アスターテ星域各星系への占領攻撃は行わない。というよりもエル=ファシル星域との接続星系であるアスベルン星系へ、この四〇〇〇隻で一気に殴り込みをかけて宙域支配を試みるだけのことだ。
これはモンティージャ中佐による偵察哨戒の結果でもあるが、アスターテ星域に残存する帝国軍の総兵力はおよそ二五〇〇隻と見込まれること。後方になるヴァンフリート星系の部隊との交代を考えても三〇〇〇隻を超えることはまずないが、全ての戦力が糾合すれば十分に戦闘哨戒作戦部隊へ打撃を与えることができることを考え、あくまでも戦力は宇宙戦部隊に集中して運用することを選択した。勿論、アスターテ星域にまともに占領できるような惑星が存在しないのも理由である。
二〇日、エル=ファシル星系を出発した第四四高速機動集団本隊は、進路上で独立部隊とそれぞれ合流。接続星系であるエル=ポルベニル星系に集結した全部隊は、そこで補給と軽度の補修を行い、二度の長距離跳躍の後、二六日。アスターテ星域アスベルン星系外縁部にその戦力を全面展開するに至った。
「居ますね」
「居るね」
「ほぼ全軍ですか」
「ふん。ご苦労なことだ」
俺とモンティージャ中佐とニコルスキー中尉とカステル中佐は、旗艦エル=トレメンドの司令艦橋の一角にある、先乗りしている偵察哨戒部隊から送られてきたデータが映し出されたモニターを見て呟いた。
作戦指示を受けてから二〇日以上。それより前から偵察哨戒は行われていたから、エル=ファシル星域かダゴン星域のどちらかからアスターテ星域を狙っているとは帝国側も理解していただろう。それでもダゴン星域側との接続星域ではなく、こちら側に戦力を集結させたのは賭けに勝ったというか、それとも偵察哨戒を逆手に取られたのか。
こっそり俺はモンティージャ中佐を見ると、中佐もこちらを見て肩を竦めている。あくまでもダゴン星系に対する妨害への牽制が目的だから、特に偵察哨戒部隊に対して隠密行動を徹底させてはいなかったということだろう。
「帝国艦隊、約二五〇〇隻が第一惑星軌道上に集結中」
「偵察中の巡航艦アカユカン四五号より、〇九二〇時待機通信。同部隊の移動を確認したと連絡あり。推定方向、当部隊現在宙域」
「第七跳躍ポイントを偵察中の巡航艦マタモロス一一号より、当該跳躍宙域に異常なし。帝国側通信衛星の所在を確認」
「巡航艦ハリージャス二号、生存信号ありません。撃沈したものと考えられます」
怒涛の如く流れ込んでくる情報に、オペレーター達も次々と反応して声を上げる。既に司令部要員はその内容を目で確認しているが、後日の航海日誌や戦闘詳報、軍法会議の資料としての音声データの為にオペレーター達は敢えて声に出している。委細もれなく報告するのが仕事だが、優れた情報分析科の士官に指揮されたオペレーターは事の重要度を的確に判断して順序良く報告してくれる。
「敢えてこちらに向かって移動してくるとは。であれば、なぜ跳躍宙域の周辺に偵察衛星や哨戒艦を撒いていなかったのでしょうか?」
一番の問題点。戦力的に不利な状況にあるはずの帝国艦隊が、敢えて優勢な我々に向かって移動を開始しているという情報。我々が把握していない、戦力差を覆すだけの戦略要素が、現在この星系の何処かに張り巡らされているのか。モンシャルマン参謀長は爺様に問いかけると、爺様は軽く右手で自分の顎を撫でて言った。
「儂らの出口が分かっていれば、哨戒艦一隻が指向性の高い重力波探知機を作動させていればいいだけじゃろう。博打と喧嘩の売り方が、なかなかに上手じゃな」
これは爺様にとって最高に近い褒め言葉だろう。準備よく星系に戦力を集結させ、戦力の無駄遣いをしない。戦力的劣勢側の防衛艦隊として間違いのない行動だ。この防衛艦隊の指揮官は、エル=ファシルを守っていた貴族連中とは明らかに質が異なる。むろん上等な方に。
「戦力差を認識し、必要十分な体制を整えておきながら、敢えて挑戦的な行動をとろうという意図じゃが……ジュニア、貴官はどう考える?」
爺様がこちらを見ずに手招きするので、俺は他の三人から離れて三段しかない階段を上り、ファイフェルの隣、正面を向く爺様の右隣に立って応えた。
「勝てる勝算があるというよりは、我々をこの星系から追い出せる算段があり、その一環として部隊を前進させている、と小官は考えます」
「追い出せる算段? 具体的にはなんじゃ?」
「一番考えうるのが数的優位です。ハリージャス二号の喪失方向から増援が来る、と考えるのが普通です」
「我々が二五〇〇隻と侮って接近し、砲戦距離に達した段階で増援が現れる。挟撃の危険性を考え、我々はエル=ファシルに撤退する。そう仕向けたい、と考えているということか?」
「さようです。参謀長」
「では我々はこの跳躍宙域に留まるべきかね?」
爺様を挟んで、モンシャルマン参謀長のいつになく鋭い眼差しが俺に向けられる。『そう仕向けたい』ということは、参謀長も送られてくる増援が『本物』かどうか疑っていることは明らかだ。だがこんなある意味では愚かな質問を俺に投げかけてくるということは、順序だてて爺様に決断を促すよう意見を提示しろと言うことだろう。モンシャルマン参謀長の親心に心の中で頭を下げて、俺は爺様に言った。
「アスターテ星域の帝国軍の最優先事項は、ダゴン星域におけるイゼルローン攻略部隊への妨害活動の継続です」
俺はファイフェルに頼んで、爺様の座る司令官席の前に付けられた小さなモニターに、アスターテ星域と周辺五星域の簡易的な航路図を映してもらった。
「我々にどれだけの兵力であろうとも、結果的にこのアスベルン星系内に戦うことなく留まっているだけであれば、彼らは別戦力によって妨害活動を継続することになります。今までと比べて過酷な勤務になるでしょうが」
こちらの戦力を正確に把握しているであろう防衛艦隊が、戦力不利でも接近してくるのはそこに『何らかの意図がある』とこちらに思わせるためだ。それは参謀長の言うように『別星系からの援軍の可能性』。
こちらが跳躍可能宙域で消極的に防備を固めているならば良し。積極策をとったとしても時間を稼ぎつつ、こちらの後背に戦力を展開して撤退に追い込みたい。だが時間を稼ぐにも一方的に敗北するような戦力差ではダメだと考えた。仮に一万隻の同盟軍がエル=ファシルに攻め込んでいたとして、アスターテに分派可能な戦力をその半数の五〇〇〇隻と見込んで、星域にある戦力の八割強、二五〇〇隻を防衛に集結させた。これはいわゆる見せ金だ。
防衛の為には最低でも残りの二五〇〇隻をどこからか調達しなければならないだろうが、大兵力のあるイゼルローンは同盟軍が急進する恐れのある以上、それだけの戦力を割くことは出来ない。考えうるのはアルレスハイム・パランティア・ヴァンフリートといった星系からの戦力抽出だ。しかしこれらすべてを動員したとしても五〇〇〇隻には恐らく達しない。となれば見せ金の下に分厚い印刷用紙を用意する必要がある。
ハリージャス二号が消息を絶った跳躍可能宙域は、パランティア星域へつながる。我々が敵艦隊への進路を維持するのであれば、右後背四時の方向。そこに五〇〇〇隻を超える艦隊を出現させれば、その正誤がはっきりしないうちは撤退を考えざるを得ない。
我々が司令部から与えられた任務はアスターテ星域の帝国戦力を、この星系かダゴン星域から離れた星系に釘付けにすること。イゼルローン攻略部隊は三個艦隊。既に偵察哨戒で二〇日近く稼いでいる。すぐにダゴンから巨大輸送艦を動かせたとしてもイゼルローン片道六日。補給と休養を入れてあと一〇日間は、ダゴンに帝国艦隊を送り込ませないような状況を構築しなければならない。
「ジュニアはもはや戦わずして撤退することは考えておらんのじゃな?」
「はい」
「質の悪いイカサマは力でねじ伏せるべきだ、と言うんじゃな?」
「足の遅いオバケを侮ってはいけませんが、必要以上に恐れる必要はありません」
「予備兵力は必要か?」
「アップルトン准将の第三四九独立機動部隊を推挙いたします」
「損害見込みは?」
「最大で一三〇〇隻と見込んでおります」
「それはさすがに儂を侮りすぎじゃぞ、若造めが」
座ったままの爺様の右拳が俺の脇腹を直撃する。別に爺様の用兵術を侮辱したつもりはなく、偵察哨戒において想定された五〇〇隻程度の交代部隊が存在した場合における損害計算だ。爺様の想定よりも敢えて過剰に言ったのは事実だが、短気で頑固な爺様に対して効果はバツグンだ。
「急戦速攻じゃ。お化けが背後霊になる前に叩き潰す」
爺様の力強い声が、戦艦エル=トレメンドの司令艦橋に轟く。モンシャルマン参謀長の纏う空気がより鋭敏になり、ファイフェルの顔に緊張感が走る。声を聴いたモンティージャ中佐とカステル中佐、それにニコルスキーがウィングから走り寄り、俺の後ろや左右に並ぶ。
「モンシャルマン。陣形はどうする」
「立方横隊。第三四九を一列下げ、左翼は第三五一、右翼を第四〇九とし、正面決戦といたしましょう」
モンシャルマン参謀長が歳に似合わず手早くキーボードを操作し、俺の映した航路図を消して模擬陣形を映し出す。爺様はそれと敵艦隊の情報が映っている画面を見比べて、数秒もせず頷いた。
「あえて横隊にするのは、敵の出方に合わせる為じゃな。良かろう。モンティージャは何かあるか?」
熟達した用兵家の自信と誇りに溢れた視線が横に動き、俺の右隣に立つモンティージャ中佐を射すくめる。中佐もいつものような軽快な表情ではなく、感情なく目を細めその視線に真正面から応える。
「現在の五〇隻の偵察広域展開はこのまま維持していただきたい。いまは三〇〇の拳より五〇の目の方が、はるかに重要かと」
「よろしい。ただし、この星系よりエル=ファシル側に展開している偵察隊は、この星系に集結させろ。『付け馬』にする」
「心得ました」
爺様の即断即決に、ほんの一瞬だけモンティージャ中佐の唇が歪んだ。それが何を意味するかは分からないが、少なくともエル=ファシルの時に比べて中佐の殺気は明らかに高い。そして今度は爺様の視線が、俺を飛び越えて左隣に立つカステル中佐に向かう。
「カステル。補給参謀として意見はあるか?」
「通常三会戦分のエネルギーとミサイルはありますが、いずれも巨大輸送艦にあります。分離か同行かご指示いただきたく」
一応『預かり物』の部隊をどうするか。武装はあっても機動力皆無の艦だ。同行させれば戦闘部隊の運動速度が低下する。分離させれば敵の別働戦力に捕捉された途端に容易く撃滅させられる。護衛艦を付けるだけの戦力の余裕は艦隊にはない。だが爺様は機動力よりも火力統制を優先するドクトリンに生きているから、答えは簡単だ。
「同行じゃ。敵の有効射程ギリギリまで、第四四に寄せさせろ」
「承知いたしました」
自分の仕事は十分承知している。そちらの確認がしたかっただけだ、といわんばかりに馬鹿丁寧にカステル中佐は爺様に敬礼する。爺様はそれに小さくめんどくさそうに答礼すると、視線を左に動かした。
「ボロディン」
その声はいつもの爺様の、何かと厳しくも家族のような甘さのあるおっかない親父さまの声ではなかった。峻厳であり、俺が産まれる前から戦場で修羅場をくぐってきた老軍人の声だ。
「何時間で正面の敵を打ち破ればよい。貴官の希望を述べよ」
「……可能であれば三時間で」
その数字はハリージャス二号の喪失した方向にある跳躍宙点に、今まさに帝国軍の増援部隊が到着したという仮定に基づき、我が軍が主戦場に向かう時間と方向転換及び戦列再編成・簡易補給にかかる時間を加え、さらに予備として一時間足したものを、増援部隊が戦場に到着する時間から引いた『次会戦までにある時間的余裕』だ。
実際にはこれから正面の敵艦隊の動きによって大きく変わるだろう。もし自分が敵の指揮官であった場合、それ以上の時間を同盟軍に負担させれば、背後霊を同盟軍にはっきりと認識させ、心理的にも有利となる。俺も司令部も背後霊に実体はないと確信してはいるが、他の部隊は違う。統合訓練をこなしていない寄せ集めの連合部隊が後ろを見ないで戦うのは、正直荷が重いし危険だ。
そこで背後霊をぶちのめす為に、敢えて俺はアップルトン准将の第三四九独立機動部隊を予備兵力に指名したわけだが、三時間で敵の正面戦力を粉砕する為には、彼らの力なくしては計算上不可能だ。爺様も俺もそれは分かっている。
「よろしい。三時間じゃな?」
「はい。三時間です」
俺がそう応えると、爺様は下唇を噛んで、目を閉じる。きっと爺様の頭の中ではビームとミサイルが飛び交い、早送りの戦場風景が映し出されているのだろう。邪魔をすることはない。豊富な実戦経験というソフトウェアは、どんな計算機にも勝るとも劣らないものだ。老将の沈黙は二分ばかりになり、モンシャルマン参謀長の頭部が僅かに爺様方向に傾いたタイミングで、目が開かれた。
「ボロディン少佐。意見具申の際に貴官がいちいち儂に敬礼する義務を免除する。気が付いたことがあれば、直ぐに儂に言え」
「心得ました」
「士官学校首席卒業者に、用兵とはいかなるものか、教育してやろう」
そういうと、まだしっかりしている爺様の足腰が、勢いよくその体を椅子から持ち上げた。背筋がピシッと伸び、その両目はメインスクリーンに映る恒星アスベルンと、映っているだろうが画素数で移り切れていない敵艦隊に向けられている。
「ファイフェル! 指揮下各部隊旗艦に圧縮通信通達。『急戦速攻、立方横隊、左より三五一、四四三、四四一、四四二、四〇九。二段目中央三四九、目標敵艦隊航路正面。第三戦速』以上送れ」
「ハッ!」
コイツの直立不動の敬礼はマーロヴィア以来ではないだろうか。『初めてのまともな実戦』を前に、ファイフェルの全身は緊張している。実質俺も同じなんだが、こちらは一度死んだことのある身だ。死に対する免疫が若干ではあるが多い。そしてマイクを通して艦内に発せられたファイフェルの復唱に、司令艦橋と吹き抜けでつながっている戦闘艦橋からざわめきが起きる。
帝国軍との『本気の殴り合い』が始まる。首だけ後ろに回せば、右舷側ウィングでブライトウェル嬢が何も持たず、ただ顔色を真っ青にして立っている。
彼女をなんとしてもハイネセンにいる母親の下に返さねばならないなと思いつつ、俺は彼女に何も声をかけることなく、自分に与えられた席へと向かって行くのだった。
後書き
2022.07.03 更新
第71話 アスベルン星系遭遇戦 その2
前書き
大腸内視鏡検査は結果良好でした。胃カメラよりも気持ち悪くなかったです。
人に靴下を履かせてもらうという経験は、おそらく幼児期以来ではなかったでしょうか。
でも取りあえず丸一日、なんにもする気になれませんでした。
そしていつもの倍以上の長さですみません。
次回なんとかハイネセンに帰れそうですね。
宇宙歴七八九年 六月二〇日一九〇〇時 アスターテ星域アスベルン星系 戦艦エル・トレメンド
星系外縁部に跳躍してからは交互に休養をとりつつも、部隊の最大巡航速度(ちなみに一番トロイのは巨大輸送艦)で外縁部から敵艦隊の居る恒星アスベルンのハビタブルゾーンへ向けて驀進していた。艦隊の動きを擬人化するならば、他所のシマに入り込んだチンピラが、シマを守る三下に眼を付けられたので駆け出してぶん殴りに行くような感じだ。
そしてそんなエル=ファシル攻略部隊(チンピラ)の動きに、アスターテ防衛艦隊(三下)は増援部隊(背後霊)との連携をとる為、会敵時間を後ろに引き延ばすそうと航路を一〇時から一一時の方角へ変更した。それに対しモンシャルマン参謀長は艦隊全艦にコンマ〇五だけ『主舵』に固定するよう爺様に提案した。左耳に入った言葉に、俺はすぐ航路計算をしてみたが、その実に老獪な航路策定に思わず司令艦橋の天井を見上げた。
パルサーとか中性子星とかは別として、大きさ強さに万差があるとはいえ、どんな恒星でも常に太陽風は吹き上げている。参謀長の提案した操舵はその太陽風を船体左舷方向から受ける形になり、最初は航行速度に対して負荷がかかるが、時間が経つにつれ恒星と船体の角度は大きくなり、有効射程接触予想時間には完全に『追い風』になる。
敵艦隊がこのままの進路と速度を維持するのであれば、七時間後には敵艦隊の左舷後方『八時半』に喰いつくことができる。そして我々の後背にいるであろう増援部隊(背後霊)の現在の想定航路は、その時点での敵艦隊の位置とほぼ合致する。つまり敵は我々の目前で無理やり合流させられるというシチュエーションだ。
もし増援部隊があくまでも我々の背後に回り込むことを目的とするのであれば、大幅な進路変更をせざるを得ず、その進路は艦隊外周に散らばっている偵察用スパルタニアンの精密レーダー範囲内であり、つまりは背後霊の正体がある程度バレる。
まるで地球時代の帆船のような動き。宇宙船が太陽風などを頼りにする時代ではなく、核融合炉と高出力エンジンと重力制御によって自在に動けるようになったこの時代では、宇宙ヨットなどの娯楽でしか使われないようなテクニック。爺様だけでなくモンシャルマン参謀長もやはり老巧の人だ。
これで敵艦隊は再び進路を変更せざるを得ない。あくまでも挟撃に拘るなら再び進路をこちらに向けるだろう。観測距離のタイムラグを除いた進路変更の時間を計れば、敵艦隊の索敵能力が分かるし、その動きによって艦隊機動の能力もおおよそ判断できる。言わずもなが、モンティージャ中佐は哨戒部隊に時間計測の指示を出している。
二二〇〇時。敵艦隊が再び進路を変更した。こちら側の進路を再計算したのだろう、三時間後にはこちらの真正面有効射程内に同じような立方横隊陣を形成するような強引な直進航路を進んでいる。背後霊の姿はまだ確認されていない。
「司令官閣下」
「三〇分二交代でタンクベット睡眠をとらせろ。飲酒は許可せん」
声をかけて立ち上がったタイミングでの爺様の返事に、俺は敬礼することなく食事で席を外しているファイフェルに代わって当直のオペレーターに指示を出す。オペレーターはすぐに各部隊旗艦へ通信を飛ばし、同時に戦艦エル=トレメンドの戦闘艦橋にも伝える。
「すみません。ボロディン先輩」
艦内放送を聞いて慌てて戻ってきたファイフェルの謝罪に、俺は軽く肩を叩いて言った。
「ブライトウェル嬢に言ってお前以外の幕僚全員と司令艦橋オペレーター達の分の珈琲を艦橋まで持ってこさせてくれ。嬢も休ませてやりたいが、こういう時はむしろ動いていた方がいいだろ」
「それ、パワハラじゃないですか?」
「お前も手伝うんだよ、当たり前だろうが。戻ってくるまで副官の仕事は代行してやるから、とっとと行け」
「それもパワハラのような気がするんですか……」
不承不承と言った体だが、敬礼はしっかりとしてすぐに来た方向へとファイフェルは駆け戻っていく。俺が代わりに爺様の横に立つべく足を踏み出すと、ニコルスキーが口に手を当て苦笑していたのが目に入る。
「何か可笑しいか?」
「いえ。でも何となくわかったような気がするんです」
「何がだ?」
「ボロディン少佐が士官学校の卒業式で胴上げされた理由です」
ニコルスキーの声は戦闘を前にしているのか、妙に浮ついているように見える。眉を潜めて睨みつけると、奴は肩を竦めてそれ以上は何も言わなかった。
◆
六月二一日〇〇〇〇時
双方の戦力は相対し、互いの意思が戦闘であるとはっきりとわかる距離まで接近した段階で、爺様は麾下全艦に第一級臨戦態勢を指示した。
敵の防衛艦隊の総数は二五〇〇隻には届かないが、こちらとまったく相対するような立方横隊陣を形成している。当然のことながら前衛に巡航艦、その脇を駆逐艦、僧帽筋のようにガッチリと中央を固めた戦艦と、まったく戦理に則った配置を整えており、中央部が一五〇〇隻、両サイドが五〇〇隻程度の集団と、やや中央に厚みを持たせている。それとは別に敵陣後方に二〇〇隻程度の集団があるが、これは予備兵力というよりは補給と修理などの支援部隊と考えられる。
敵の別動隊に関してはまだ発見できていない。恐らく偵察用スパルタニアンの活動範囲外をさらに大きく迂回して、我が軍の後背に回り込もうと考えていると推定されるが、かなり広めの索敵網を敷いているにもかかわらず引っ掛からないところを見ると、時間的余裕は五時間程度あるとみていい。
その推測が正しければその五時間で前面の敵を打ち破れば、星系全体での戦いも終わる。帝国軍としてはその五時間粘りきれれば、増援が来て戦局の混乱を作り出し勝利する可能性を見出せる。
こちらの士気は旺盛だ。モンシャルマン参謀長の提言通り、左翼に第三五一独立機動部隊、中央に第四四高速機動集団、右翼に第四〇九広域巡察部隊、そして中央後方には第三四九独立機動部隊が控える。燃料も武器整備も弾薬も十分に各艦に搭載され、休養も取れている。
問題点があるとすれば、右翼第四〇九広域巡察部隊の兵力が左翼に比して少ないこと。元々広域巡察部隊は独立機動部隊と殆ど任務を同じとするが、より高速で高機動性・偵察能力に優れた部隊で、当然戦艦は配備されているが、宇宙母艦は配備されていない。故に真正面からの殴り合いとなった場合には、独立機動部隊よりも継戦能力に劣るといえる。特に接近戦はあまり得意としない。こういう戦いならば予備兵力としてその機動力を十全に生かすべきかもしれない。
だが今回は予備兵力として独立機動部隊で最大戦力の第三四九独立機動部隊が控える。もし右翼が圧迫されるようならば、即座にその後背に回り込んで合計一一〇〇隻強の打撃部隊を構成でき、撥ね返すだけでなく逆にぶちのめすこともできるだろう。前世でジェット戦闘機は意図的に安定性を低くしていると聞いたことがあるが、それと同じことだ。用兵の自由度を高めるためのモンシャルマン参謀長の提言に、爺様が即座に『出方に合わせる』と反応したのも、それを理解しているからだ。
いずれにしても敵と味方の戦力比は、戦闘艦艇だけで約二五〇〇隻対三八六二隻。同一の陣形で相対している以上は、その火力比は一対二.七。予備兵力分を差し引いても一対一.九。方程式に当てはめれば、帝国軍が玉砕するまでに一六時間だが、そんなに悠長に戦いをして損害を出し続ける必要もない。何しろ三時間でケリをつける想定だ。
「敵中央部までの距離六・五光秒」
「敵布陣は銀河基準面に対し水平方向。当艦隊進路方向〇〇一〇時より〇.〇〇九光速で接近」
「機動集団基準有効射程迄、あと五分」
オペレーター達の報告と共に、各種の情報が怒涛の如く俺の座席前にある端末に流れ込んでくる。より詳細な敵の戦力分布、主要な敵艦と思しき大型艦の種別、敵部隊の戦列の組み方。五分という時間があっという間に過ぎていく。
「撃て!」
息を飲む司令艦橋の中で、爺様の声だけが響き渡る。すぐにファイフェルが復唱、それをオペレーターがさらに復唱し、直衛戦隊から第四四高速機動集団、両翼の独立機動部隊へと伝播する。声に遅れること三秒。戦艦エル=トレメンドの主砲が八本の光条を正面に投げつける。それに従って他艦も主砲を煌めかせる。
だが当然敵も黙っていない。こちらよりも本数は少なくとも、的確に砲撃を返してくる。エル=ファシルでの前衛艦隊は一〇〇〇隻程度であったが、今度は二五〇〇隻弱が横隊一列でこちらとがっぷり四つになって応射してくる。不幸にもその光を浴びた、地上で見た時はあんなにも巨大であった宇宙巡航艦も一瞬の光点となって、宇宙の闇に消えていく。最初は片手の指で数えられたそれは、すぐに端末画面上の数字で解釈するしかなくなる。
「ジュニア!」
「ハッ!」
「頭の一五分を貴官にくれてやる。各敵部隊の強弱・練度を推定して、儂に報告せよ」
「承知しました!」
恐らく士官学校でもやったことのない速さで起立、しなくてもよいといわれた敬礼を〇.五秒でこなし、再着席して端末に向かう。敵の戦力は数字だ。これはレーダーと重力波で殆ど詳細に把握できる。艦の大小も同様だ。既に情報分析システムが人間の数億倍の速度で検算し、ほぼリアルタイムでの配置をデータ化してくれる。
戦列はどうか。これも開戦前に確認した通り戦理に則している。戦力も五〇〇隻、一五〇〇隻、五〇〇隻と立方横隊陣の基本とした戦力配置をしている。これだけでは『敵部隊は常識的に戦う』という事しかわからない。
爺様の指示は『敵の強弱と練度を推定せよ』だ。それは砲撃精度・同密度・水雷戦闘能力・戦列運動能力などの各部隊に対する能力評価だ。つまりそれは士官学校を卒業して最初に配属された場所で、フィッシャー中佐に叩き込まれた『査閲』評価そのものだ。
こちらの部隊は烏合の衆である。しかし敵もまた同じ。部隊単位での戦闘能力はそれなりにあっても、集団としての能力はガッチリと艦隊戦列訓練を行う正規艦隊とは比べ物にならない。可動標的としてはややイージーと見るべきだろう。そして機動能力はこちらの砲撃に対する回避……被害でおおよそ推定できる。
爺様は一五分という時間をくれたが、この時間は味方の被害と同価値だ。長くなれば長くなるほど、失われる艦も人も多くなる。失ったら二度と戻らない人と艦だ。
恐らくエル=ファシルの時と同じか、それ以上の速度で俺は指と眼球を動かして、七分二〇秒後。帝国軍の平参謀になったつもりで、爺様の右脇、ファイフェルの隣に歩み寄った。
「早かったな。どうじゃ?」
「敵右翼部隊はほぼ精鋭の一集団で、中央は四つの部隊の混合。左翼は二部隊の混合と推定できます」
「その理由を、説明できるかね?」
爺様の向こうに立つモンシャルマン参謀長が、いつになく鋭い視線で俺を射抜くが、俺は勿論と返した。
まず敵の右翼。すなわちこちらの左翼(第三五一独立機動部隊五六六隻)と対峙している部隊の行動には明確な統一性がある。僅か三分ではあったが、五〇〇隻の部隊が二五〇隻程度の二集団に分かれ、それが交互に前進と後退を繰り返しながら、砲火を浴びせている。
これが左右に分かれての前後運動と言うのなら運動として難しいわけではないのだが、さらに五〇隻ごとに分かれてチェスの盤面のように配置されていた。つまりは面火力を均一にする為、さらに前進後退による突出部への集中砲火回避もかねての部隊運動だ。こんな運動をするには常に同一部隊としての活動と訓練をしてなければ無理としか言えない。現実として第三五一は戦力の絶対数において一割多いにもかかわらず、被害数も一割半多いという歓迎せざる結果がある。
敵の中央部隊。これは四つの四〇〇隻前後の部隊の混成集団だ。相対する第四四高速機動集団同様、横一列に部隊を並べている形をとっている。しかし部隊の中央に旗艦があるというわけではなく、戦闘指示とそれに対する艦艇の動きから、向かって右から二番目の集団が他の部隊の先任として指揮していると推定される。
火力も常識的な前方への面投射を行っている。が、右翼部隊と接している三五〇隻の集団はやや反応が鈍い。これは先任部隊との距離が単純に離れているからだろう。つまりは一五〇〇隻といっても、統一集団で行動することにはあまり慣れてないのかもしれない……これは星域内の巡視を主眼とする、いわゆる『前線の星域防衛艦隊』の通常編制部隊にありがちな問題だ。
そして敵の左翼。こちらは正直精鋭とはいいがたい。二三〇隻と二八〇隻の部隊が左右に並んで、こちらの右翼(第四〇九広域巡察部隊)と対峙しているわけだが、本来戦力的に不利なはずの第四〇九側がむしろ相手を軽くいなしているといった状況だ。左翼部隊として統一された指揮をとっているわけではなく、左右に分かれ交互にワンツーパンチを浴びせにかかっているのだが、第四〇九側が部隊の重心を左右に動かして、これを巧みに躱している。
第四〇九広域巡察部隊の指揮官ルーシャン=ダウンズ准将はやや歳のいった人だ。その部隊の特性上、小集団での機動力にはそれなりに実績がある。数的にも質的にも不利であること、敵の攻撃が単純であることを早々に見抜いて、被害軽減に重点を置いた戦い方をしている。これは推定だが、敵の左翼部隊はダゴン星域への妨害活動に参画していた部隊だろう。個々の部隊としての運動に関してはさほど問題点はないが、どちらかが上位に立って指揮しているとは到底思えない。
「以上のことから、敵左翼部隊の抵抗力は小さく、逆に右翼部隊は練度も高く侮りがたいと思われます」
「そこまで敵の状況を推測できるなら、三時間で踏みつぶすだけの手は考えているじゃろうな?」
「一応は」
ようやく爺様の視線がメインスクリーンから俺の顔に移動する。その顔には『考えていなければ見捨てる』と書いてあるのは明白すぎるほどだ。爺様が顎を小さく上げたので俺は再び舌を動かす。
「即座に予備全兵力を右翼のさらに外側より、敵後方へ向けて投入します」
主眼が速戦速攻である以上、より能動的に兵力を動かすべきで、敵の弱い箇所に対し集中的に戦力を投入するのは用兵の基本。それを逆手に取る用兵家も数多くいるが、現在相対している敵は我々同様の烏合の衆でしかない。その上、敵の予備兵力になりうる戦力は、我々の後方に位置しているだろう。つまり現時点における戦局の急変に対応・投入できる位置にはいない。
であれば、最強の予備兵力を残す必要はない。敵の左翼部隊は二部隊の連合であるとすれば、片方が第四〇九に、もう片方が投入される第三四九に対処するだろう。正面火力が一対二以上。小勢力である以上、戦力崩壊はかなり早くなる。
同時に第四四高速機動集団第三部隊に、敵左翼部隊の右側面へ中性子ミサイルの波状攻撃を行う。ミサイル攻撃は瞬時の火力は大きいが、継続性に乏しい。だが光子砲のように大きく艦首を動かさずに、広角に攻撃できる利点がある。そして今回は何も攻撃を継続させる必要はない。強烈な左フックで敵左翼部隊の一翼を棒立ちにさせ、その隙に第四〇九が機動力に物を言わせ、敵左翼の中央を突破、左舷回頭しつつ敵中央部隊の左側後方に出て砲撃を行う。これに第三四九が呼応し前進して敵左翼戦線を崩壊させる。
これで四〇〇〇対二〇〇〇。さらに敵中央部隊は三五〇〇対一五〇〇で半包囲される形となる。しばらく第三五一には敵の右翼部隊を支えてもらう必要があるが、一時間半で左翼の戦線が崩壊すれば、敵は陣形を再編して半包囲を免れようとするか抵抗を諦めるだろう。敵が撤退した段階で、改めて後ろから寄ってくる背後霊に対処する。
俺としては冒険的ではないごく普通の作戦案を提示した。そのつもりであったが、爺様は薄く無精ひげの生えた顎を分厚い手でなでながら、些か不満そうにモニターを眺めた後、俺に言った。
「右翼は精鋭。弱いのは左翼。中央部隊は四つに分かれておる。それで間違いないな?」
「ありません」
「予備兵力を右翼からの投入し、敵左翼から戦線崩壊を狙うのも間違いではない。じゃが貴官のやり方では敵の右翼部隊の始末が最後となる。相対する第三五一の損害も無視しきれぬものになるし、敵の予備戦力がこの戦線に到着する段階で、敵に抵抗力が残存しているのはあまり良いとは言えん」
「しかし敵右翼部隊はなかなかにしぶとい敵と考えられます」
「ジュニアは美味しいものを最後まで残しておく派じゃろう。それが悪いとは言わんが、急戦速攻の場合はそれでは不味い」
そういうと爺様は席を立ち、肩を廻し、首を左右に動かす。突然の柔軟体操のような動きに俺もファイフェルも唖然としたが、長い付き合いであろうモンシャルマン参謀長は平然と司令官席の横にある参謀長席に座り、今さっきの俺の姿を見ているように端末を弾き出す。その画面に映っているのは砲撃指示シミュレーション……砲術長が使うような代物だ。
「モンシャルマン。敵右翼部隊と中央部隊の中間ポイント」
「砲撃。方位〇九三〇、仰角〇.八、距離〇.〇〇五光秒」
「ジュニア」
「は、はい」
「翻訳してファイフェルに指示せよ」
「翻訳……」
爺様の指示は帝国語に翻訳しろ、ということではない。モンシャルマン参謀長の回答はあくまで『砲撃シミュレーション』の座標だ……それはつまり
「右翼第三五一へ。ポイント、Xマイナス四.八五、Yプラス〇.一二、Zプラス〇.〇〇四に集中砲火、斉射三連」
「……戦艦アローランドへ砲撃指示通信。ポイント、Xマイナス四.八五、Yプラス一.二、Zプラス〇.〇〇四に集中砲火、斉射三連せよ」
俺の回答を、ファイフェルがマイクで司令部オペレーターへ、そして第三五一独立機動部隊旗艦である戦艦アローランドへ。三〇秒後、第三五一独立機動部隊全艦からの砲撃が三回、中央部隊との境界中間宙点に向かって光が伸び……敵右翼部隊の左翼の十数隻を纏めて吹き飛ばした。
「敵中央部隊の右翼第Ⅰ部隊の鼻面中央点」
「ミサイル、方位一〇三五、仰角〇、距離〇.〇〇二」
「……第四四-二へ、ポイントXマイナス二.三八、Yプラス一.一、Zプラマイ〇。中性子ミサイル一斉射、着発」
「戦艦マラヴィスカへ攻撃指示通信、ポイントXマイナス二.三八、Yプラス一.一、Zプラマイ〇へ、全艦中性子ミサイル一斉射、宙点着発、撃ち方はじめ」
今度は第四四高速機動集団左翼、ジョン=プロウライト准将の第二部隊から、正面敵中央部隊の右翼に位置する一番動きの遅い小部隊の真正面に中性子ミサイルが叩きつけられる。目標宙点に到着した中性子ミサイルは艦に当たらなくとも自爆するので、その衝撃破片とエネルギーが小部隊の前衛を揺るがし戦列が乱れる。
「同ポイントより奥一、四四-一、集中砲撃」
「砲撃。方位一一〇三、仰角〇、距離〇.〇〇二五」
「直卒部隊、ポイントXマイナス二.三八、Yプラス一.三、Zプラマイ〇。集中砲火。斉射三連」
「四四高速機動集団第一部隊全艦へ攻撃指示。ポイントXマイナス二.三八、Yプラス一.三、Zプラマイ〇に集中砲火。斉射三連せよ」
さらに直卒部隊が傷口を広げるために前衛とその後ろの戦列に向けて砲撃。これで敵の右翼部隊と中央部隊の間に楔状の隙間ができた。
「司令官閣下」
「プロウライトに突っ込ませろ。第四〇九、右後退。後ろへ二」
「四四-二、ポイントXマイナス一.五、Yプラス〇.三、Zプラマイ〇。戦闘前進、陣形左斜陣へ。四〇九、ポイントXプラス四.三、Yマイナス〇.二、Zプラマイ〇。後進微速、陣形右斜陣」
楔に空いた隙間にプロウライト准将の第二部隊が乗り込みさらに傷口を広げる。それに応じるように第四〇九広域巡察部隊が右後方へ向けて後進し、空いた空間にフラストレーションが溜まっている敵の左翼部隊の右側の部隊が躍り込む。それによって……
「四四-三。敵左翼右側面」
「ミサイル波状。方位〇二一五、仰角〇.〇五、距離〇.〇〇四光秒」
「四四-三、ポイントXプラス一.八五、Yプラス〇.九、Zプラマイ〇。中性子ミサイル波状三連。着発なし」
最初に俺が進言した第四四高速機動集団第三部隊による中性子ミサイルの波状攻撃が、前進することで長く伸びた敵左翼部隊の右側面から後方の艦艇をえぐり取った。そして第四〇九は右後退している為、もともといた空間の左半分がぽっかりと開いていて……
「第三四九、突撃せよ」
戦闘参加していなかった予備兵力であるアップルトン准将の第三四九独立機動部隊が、満を持してその隙間に向かって紡錘陣形を構成しつつ突入する。中性子ミサイルの波状攻撃と突撃砲火によって敵左翼部隊の右半分は一瞬にして壊滅した。そしてアップルトン准将はエル=トレメンドからの命令を待つまでもなく、敵中央部隊の後方へと躍進する。
「四四-一、微速前進二。四四-二左へ」
これによって敵部隊は三つに分断され、左翼では五〇〇対一二〇〇で正面砲戦、中央では一五〇〇対一九〇〇の半包囲戦、右翼では第四〇九が前進に転じ二五〇対五〇〇で半月陣形の相対戦となった。敵は三つに分断された上に相互の連携が取れるような態勢になく、逆にこちら側は全ての戦線が連結している。指の間に小さなビー玉を挟んでいるような陣形だ。こうなれば時間を追うごとに彼我の戦力被害格差は大きくなるだけ……試合終了だ。
予備兵力を右翼から迂回させ、左翼端部を支点とした半包囲をもくろんだ俺の作戦構想に比べ、戦闘当初に敵戦闘力の重心点に火力をぶつける爺様の戦闘指揮は、ダイナミックで敵に与える心理的衝撃も巨大なものになる。第三四九の移動距離を短く、かつ効率的に投入したのは見事で、兵力優勢下での急戦速攻を望むのであれば、被害は少し多くなっても『分断し、各個撃破せよ』の基本を貫けと、爺様は教えてくれる。
だが問題点もないわけではない。時間制限と戦力構成に問題がある故に、司令部からの攻撃座標指示を各部隊へ一つ一つ出さなければならないということだ。これはもうどうしようもないことだが、仮にここに居るのが第四四高速機動集団ではなく、ロボスの第三艦隊だったらどうだったろうか。恐らく爺様の命令をいちいち翻訳する必要性はなく、各部隊が滞りなく滑らかに動き、華麗に各個撃破してくれるだろう。
今回は敵戦力も同様の攻勢であったため、爺様の火力集中指揮で機動力を補完するというドクトリンは上手く嵌った。しかし爺様がそういうドクトリンを採用せざるを得ないという戦略的な軍事環境が、爺様が部隊指揮をとってからずっと続いているとすれば、同盟の戦力練度は基本的には『動く砲台』でしかなく、あくまでも指揮官の特異的な才能に左右されるということなのだろうか。
それではいけない。こういう臨時的な作戦を組まなくてはならない場合はともかく、各機動艦隊には十分な訓練が必要だ。それこそエレシュキガルで行ったような訓練を最低半年。問題はそれを許容するだけの国力が、同盟から失われているということだろう。帝国軍の侵略、数度にわたるイゼルローン攻略戦。アムリッツアでトドメを刺される遥か前から。
もはや消化試合となり、各部隊が目標としている敵部隊の各個撃破に努める戦況下、爺様がヤレヤレといった表情で席に座るのを横目にしつつ、解決するにはあまりにも大きすぎる戦略課題に暗澹たる気持ちに陥った。
そして六月二一日〇三〇〇時。
最後まで抵抗していた敵右翼部隊が三〇〇隻以下まで打ち減らされ、抗戦を断念し星系外へと撤退に移った段階で、我が軍の後方に五〇〇〇隻以上の帝国艦隊を確認することになる。
時機を逸したという言葉以外が思いつかない段階での出現に、同盟軍は一斉回頭してこの五〇〇〇隻にむかって堂々とした横隊陣を組んで真正面から立ち向かった。勿論この五〇〇〇隻が張子の虎であることは、各部隊の上級指揮官も承知の上の事だったが、勝利による高揚感によって将兵の恐怖は覆い隠され、艦隊戦のダブルヘッダーも問題はない雰囲気であった。
しかし敵もまた思い切りが良く、『数』としてはまだ三五〇〇隻の戦力を有している同盟軍を見て、あっさりと囮を置き去りにして来た道を撤退していった。その数たったの三〇〇隻。
「まぁ、どうせここに長居することはないじゃろうがな」
有効索敵範囲内に敵部隊が存在せず、逃げる敵部隊に対して付け馬を送り出し、各部隊に被害状況報告と再編成を指示し、一息ついた上での爺様のそんな呟きが、何故か俺の耳にずっと残るのだった。
かくしてアスターテ星域アスベルン星系での一連の戦闘は終了する。
戦闘参加した同盟軍の兵力四八万九〇〇〇名、同戦闘参加艦艇三八六二隻。うち戦死者は四万四八〇〇名余、完全喪失戦闘艦艇五七八隻。帝国軍の戦闘参加艦艇二五〇〇隻余のうち逃走を確認できた艦艇が五六〇隻。中破等で機動力を喪失し降伏に至った艦艇が二三三隻。
戦闘しなかった三〇〇隻を含めると、星域には未だ一〇〇〇隻近い戦力が残存することになる。が、同時に同盟軍にも戦闘可能艦艇が三〇〇〇隻以上残存する上に、ドーリア星域からの増援が望める状況となった為、その戦力優勢は同盟側に大きく傾き、もはやダゴン星域への帝国軍の有効な攻撃は不可能となった。
二日後にはドーリア星域からの増援一〇五〇隻が、アスベルン星系に隣接するカフライヤ星系に進入。さらにそこから分遣隊がでて、六月二六日にはダゴン星域との超光速通信が確保されるに至る。
そして六月二八日に、その通信ルートを使って第四四高速機動集団にもたらされた最初の情報は、第四次イゼルローン攻略戦の完全なる失敗の報であった。
後書き
2022.07.13 更新
2022.07.20 私的誤字・言い回し修正
第72話 ある小作戦の終了
前書き
遅くなりました。
一回テンポがズレると、書き直すタイミングが掴めなくてズルズルと完成が延びるのは
仕様だと思います。やはり執筆はノリが重要だと思いました。
しかしこれでエル=ファシル攻略戦は終わりました。なんとか。
宇宙歴七八九年 六月二八日一三〇〇時 アスターテ星域アスベルン星系 戦艦エル・トレメンド
予定通りの凶報という言葉がチラチラと頭がよぎるが、現状況はそれ以外の言葉が思い浮かばない。
詳細な報告はまだだったが、第二・第五・第六の三つの艦隊と、ほぼ半個艦隊分の小集団戦力を糾合した、第四次イゼルローン攻略戦は、殆ど一方的に打ちのめされ失敗したことは確かだ。残存戦力は約半数。後に俺達がいるこのアスターテで、金髪の孺子にしてやられる程度の被害とみていい。
出征した兵士達には悪いが、知人の殆どが否定的な結果を予測していた為、ある程度心構えができていた故に個人的にはショックは少ない。だが八月の人事異動において更新されるであろう士官学校同期名簿の名前の色が、数多く赤く染まっているであろうことは想像に難くない。同期の年齢は二五歳から三〇歳。階級はだいたい中尉か大尉か少佐。専攻で一番人数の多い戦術研究科ならば駆逐艦の艦長か、はたまた戦艦の運用長か。冥界の門をくぐった顔見知りが何人もいるだろう。転生しているかどうかは分からないが。
とにかくエル=ファシル奪還作戦と、追加されたアスターテ方面襲撃戦を勝利した第四四高速機動集団と、同行した四つの独立機動部隊の差配を、爺様は戦略と戦術の両面からしなくてはならなくなった。何しろエル=ファシル攻略戦の上級司令部は宇宙艦隊司令部になるが、その総帥たる宇宙艦隊司令長官がイゼルローン攻略戦の指揮を執って、そして負けている。
「選択肢は二つしかない。撤退か、防衛か、だ」
戦艦エル・トレメンド艦内の司令部小会議室に集まった各独立部隊の指揮官と参謀長、および第四四高速機動集団第二・第三部隊の指揮官と参謀長、そして高速機動集団司令部要員とニコルスキーの合わせて一六名を前に、モンシャルマン参謀長は短く言い切った。
「司令長官からの命令はまだだが、まずここにいる全員の認識を一致させておきたい。現有戦力でのアスターテ星域、あるいはアスベルン星系の永続占領維持はほぼ不可能と考えるが、どうか?」
「モンシャルマン参謀長に同意する。此処には拠点となりうる基地も、それを建設できる小惑星も、建設する資材もない」
即座にそう返したアップルトンに、他部隊の司令達も賛同した。常識的に考えれば当然のことだ。だが時として上級司令部は常識を超える指令を出すし、広く見れば政治的な問題点もある。
特に大兵力を動員して大敗した宇宙艦隊司令部が、何らかの成功をもってその敗北を糊塗しようとするのは容易に想像できる。エル=ファシル星系の奪還、無血占領、ひいては星域支配圏奪還の成功では到底不足だ。何しろ作戦指導・実施したのは爺様であり、イゼルローン攻略戦部隊の関与は帝国軍の視線誘導ぐらいで、実働戦力においては何ら寄与していない。
その上イゼルローンに辿り着くために攻略部隊をアスターテ星域まで前進させ、さらに一戦交えさせている。貸し借りという点においては、エル=ファシル攻略部隊の貸し出し超過と言っていい。そうなるとイゼルローン攻略戦部隊には、新たな軍事的な功績を作る場所が必要となる……
「長官はアスターテに来ますかな」
第四〇九広域巡察部隊司令のルーシャン=ダウンズ准将が真っ白な無精ひげを摩りながら言えば、爺様は腕を組んだまま黙って頷き……俺に向かって小さく顎をしゃくった。
「アルテナ星系からこのアスベルン星系までは、ティアマト・ダゴンの両星域を通過しなければなりません。勿論ヴァンフリート星域を突っ切ってくることも考えられますが、ティアマトに地上軍を置き去りにすることは考えにくい上、ヴァンフリート星域の帝国軍戦力が不明な以上、安全なルートをとると思われます」
仮に三.五個艦隊の半数が喪失したとして、残存する艦艇は二万隻弱。うち戦闘可能艦艇は一万六〇〇〇隻前後とするならば、ダゴン星域の支配圏優勢確立の為に五〇〇〇隻を割いたとして約一万隻を動員することが可能だ。ただしアスベルン星系に到着するにはどんなに早くても七日はかかる。
またアスベルン星系に隣接するカフライヤ星系に駐留中のドーリア星域防衛艦隊の任務交代も含まれる。元々星域防衛任務を主眼とする艦隊を前線投入すること自体が異常なのだから、これは早急に解消される。それぞれに対する補給も必要だから、まず一〇日は見込まれるだろう。
そしてここにイゼルローン駐留艦隊と、ヴァンフリート星域に駐留している帝国艦隊と、昨日打ち破った敵の残存部隊がこのアスターテに来襲する可能性がある。だがイゼルローン駐留艦隊は一万五〇〇〇隻の全てが出動してくるとは考えにくいし、アスターテに駐留していた帝国軍部隊は、付け馬から一〇〇〇隻未満と報告が来ている。
「ゆえにアスターテ星域の全星系の支配権を獲得するのは不可能でしょうが、優勢確保は出来ると思われます」
「……問題はヴァンフリート星域にどれだけの敵戦力が駐留しているか、ということか」
「おっしゃる通りです」
アップルトン准将の呟きと俺の返答に、小会議室の空気は深く澱む。駐留戦力が一万隻以上であれば、これ幸いとアスターテにいる叛徒共を撃滅せんと出動してくるだろう。三〇〇〇隻程度ならアスターテの残存戦力を吸収して航路妨害を仕掛けてくる。いずれにしても最初に迷惑をこうむるのは、アスターテに現在駐留している我々だ。
「長官より次の命令があるまで、儂らはこの星系で待機する。往復七日を目途として、各隊は索敵戦力を拡散させ敵戦力把握に努めよ。交戦は退路を切り開く以外、これを禁じる。もし確認した敵戦力が著しく過大であれば、司令部に問うことなく儂独自の判断でエル=ファシルに撤退する」
「ハッ!」
「各隊はいつでも撤退できるよう準備だけは整えておくように。何しろ巨大輸送艦が一二隻もおるから、飯はたらふく食っていいが、足が止まらないよう鍛えておけ」
その結論に、各隊の指揮官・参謀長は席を立って爺様に敬礼する。爺様も席を立ちそれに答礼すると、会議は解散となった。だが面倒なことになったなという気持ちもありながら、彼らの表情にはまだまだ余裕がある。仮に一万隻の『増援』があったにしても、アスターテ星域全部の占領は難しいが、少なくとも自分達はこの戦いで『負けなかった』のだ。
会議が終わり、俺も司令艦橋にある自分の席に戻ろうと会議室を出ようとした時、爺様に呼び止められて小会議室に残った。席を立った指揮官達の微妙な余裕と諦観が、まだ室内に残っているようにも思える。三〇人も入れば混雑するような会議室も、たった二人では奇妙に広く感じる。
「ジュニア。今回もご苦労じゃった」
立って話を聞こうとした俺に、着席するよう促すと爺様は席に深く腰を落ち着け、大きく溜息をついた後そう言った。それは何か、言いにくいことを言いたそうな仕草だった。
「モンシャルマンの指示をここまで翻訳できた士官を、儂は今まで見たことはない。アントンでもここまで上手くは出来んかったじゃろう」
「……父のことでしょうか」
転生したこの世界における父親。シトレの右腕と呼ばれた勇将で、グリーンヒルも荒々しいと評価していた父。同じシトレ派ともいうべき爺様と知己があるのは当然だろうが……
「この先のパランティアじゃったな。儂もシトレ少将指揮下で、その戦場におった」
パランティア星域。星系はケルコボルタ。一五年前、シドニー=シトレ少将に率いられた第二八高速機動集団は、辺境航路を回ってファイアザード星域からパランティア星域へ侵入を果たした。目的はアスターテ星域の支配権獲得を目論む同盟軍主力部隊の助攻として、である。
シトレ自身も、そしてその指揮下にいた中級指揮官も手練れ揃い。父アントンは次席指揮官として第二部隊を率いていた。爺様は先任の大佐として基幹部隊麾下の巡航艦戦隊一二〇隻を率いていた。ケルコボルタでは事前の情報以上の戦力が待ち構えており、戦線は一進一退。とにかく時間を稼ぐことが目的であった以上、そう簡単に撤退するわけにもいかない。
数的に不利な以上、第二八高速機動集団はジリジリと押し込められていく。爺様は前衛の一部隊として右に左にと動き回りつつ、その統制された火力を存分に見せつけた。これは爺様からこの機動集団の編制を指示された際に、参考として見たシミュレーションにもあった。
だが爺様はその時は今よりもう少し機動的に戦力を動かしていた。シトレの指示で左翼第三部隊の救援に移動した際だった。爺様が移動した際に空いた穴は、後衛の部隊から戦力抽出された臨時編成の部隊がカバーするはずだったが、この出足が遅れた。そこを帝国軍は見逃さずに圧迫する。
シトレは即座に事態を悟り基幹部隊の逆側を前進させて、圧迫を撥ね返そうとする。しかし戦力的に差がある以上、戦線における被害の拡大と損耗に対する回復力は段違いだ。しかもこれが発端として混戦から近接戦に移った場合、撤退における被害の増大は免れない。
敵との離隔をとる必要がある。その為には強力な一撃が必要……シトレの指示を待つまでもなく、アントン率いる右翼第二部隊は陣形をさらに伸ばし、長距離砲による前線へ横からの砲撃圧迫を加えた。それによってできた隙に第二八高速機動集団基幹部隊は一時後退し、陣形を再編する時間を得た。だが伸びきった右翼第二部隊は後退させるタイミングを逸してしまった。
結果として右翼第二部隊に帝国軍は火力を集中させ、分断し、各個撃破に移る。その渦中で戦艦ブールカが撃沈した。戦闘詳報にアクセスできる身分になってからは何度も見た情報だった。
「ジュニアが儂の用兵に、少し不満があるのはわかる」
爺様の用兵の基本が機動力ではなく火力を優先するようになるのは、練度を補う点もさることながら、自分に求められている任務と、戦局全体にもたらす影響と、部隊の練度と、損害の効率を比較した結果に過ぎない。査閲部時にフィッシャー中佐に出会って機動戦術教の狂信者となっている俺としては、もっとやりようがあると思いつつも、麾下戦力がそれについていくだけの反応力がないことも分かっているつもりだった。それを顔にも言葉にも出したつもりはないが、爺様は理解していた。
「儂ももう少し兵を動かせればとは思う。だがな、ジュニア。焦るな。指揮官たる者は焦ってはいかん」
「……小官は焦っていますでしょうか?」
「貴官が何に焦っているかは、儂には正直わからん」
太い首を左右に振りつつ、爺様は目をつぶったまま続けた。
「ただジュニアもアントン同様に少し先が見えて、そして先が見えるゆえに、時として状況に煽られているように見える」
たぶん父アントンと俺とでは、見えている先というのがおそらく違うとは思う。再来年に金髪と赤毛が幼年学校を卒業し前線に出てきて、七年後には無謀な遠征を試みて、一〇年後には国家そのものが消滅しているなんて、例え爺様相手でも話すわけにはいかない。だが正直帝国領侵攻前には、同盟の戦略に関与できるだけの地位が欲しいという願いに変わりはない。
それが巡り巡って俺の行動に焦りを生じさせているのか。表情筋を動かすことなく爺様の顔を見つつも、頭の中を考えが堂々巡りしている。
「儂の長いだけで大して実績のあるわけでもない経験から言わせてもらえればだ。少なくとも今ジュニアは焦る必要はない。第四四高速機動集団は出来たばかりの部隊じゃ。部下もそして自分も、じっくりと時間を掛けて育てていく時期がある」
「はい」
「アントンも生きておれば今頃は艦隊司令官になっておったろうし、シトレ中将は来期宇宙艦隊司令長官改選で推薦されておっただろう。あのパランティアで、自分の手足の長さを間違えていなければな」
「……」
それは爺様の、無数にある後悔のうちの一つなのだろう。俺に目から見ても大器というべきシトレが、士官学校校長職を通常任期よりも長く勤めていたのも、ポストが空くというより艦隊指揮官としての才覚を疑われていた可能性もあったのかもしれない。
「この戦いが終われば、第四四高速機動集団は少し時間を貰えるじゃろう。じゃが儂は容赦せん。徹底的に鍛え上げるぞ。艦隊も、兵も、貴官もな」
ドンと音を立てて固く握られた爺様の拳が机に振り下ろされた。淹れなおされたコーヒーカップが音を立てて小さく踊ったのを、俺は黙って見つめるほかなかった。
◆
そしてこれも予想通りというか。三日後、宇宙艦隊司令長官リーブロンド元帥の名前で、爺様宛に七月一〇日までアスベルン星系を、現有戦力を持って防衛せよとの指令が下る。帝国軍先行部隊と思われる部隊が隣接するローデヴァルト星系に出現したのは、それから五日後の七月四日。数はおよそ一〇〇〇隻。帝国軍部隊に積極的な意思があれば、明後日にはアスベルン星系に突入してくるだろう。
同盟軍というよりリーブロンド元帥は、残存艦艇のうち七五〇〇隻をアスターテに投入すると決めた。幾つかの星系に一〇〇隻程度の哨戒部隊を配置しつつ、アスベルン星系に七〇〇〇隻を一時的に駐留させる方針だ。エル=ファシル攻略部隊と合わせれば一万隻弱になる。到着は七月一〇日の予定。つまり最低三日間は帝国軍と対峙する可能性があった。
果たして帝国軍は七月六日。最短でアスベルン星系に侵入してきた。予期していたエル=ファシル攻略部隊も戦闘態勢を整えたが、帝国軍側もこちらが三〇〇〇隻以上と理解するや、星系間跳躍宙域周辺をうろつくだけにとどめた。恒星を挟んでの長距離のにらみ合いは、七月『一一日』にリーブロンド元帥直接指揮の七〇五五隻が星系に到着したことで、帝国軍の撤退によって解消された。
「クソですね。ぶっ飛ばしてやろうかと思いました」
リーブロンド元帥の乗艦である戦艦アイアースを、爺様と参謀長と帰還するニコルスキーの合わせて四人で訪れたファイフェルはエル・トレメンドに帰還早々、司令部個室でブライトウェル嬢に数学を指導している俺へ、言葉を荒げてぶちまけた。めったにないファイフェルの悪態に、俺以上にブライトウェル嬢が驚いている。
「なんか言われたのか?」
俺が『生徒』の淹れた珈琲を傾けつつ聞くと、嬢を挟んで反対側に座ったファイフェルは椅子をわざときしませるように音を立てて座った。ちなみに今は不在だが、その席はカステル中佐の席だ。
「ひたすら嫌味とマウンティングの連続でしたよ。なんだったらマーロヴィアの時のロックウェル少将の方がはるかにマシです」
「そいつはご苦労だったな」
双方の指揮官の経歴、一連の作戦行動の結果。あまりにも対照的な現実に、嫌味を言わなければメンタルが保てないような状況なのだろう。中学生ならともかく、それが宇宙の半分を統治する国家の宇宙艦隊司令長官とその幕僚とか笑うに笑えない。
「ニコルスキー先輩の申し訳なさそうな顔が、未だに頭から離れませんよ」
はぁ~と大きく溜息をつくファイフェルに、俺は何も答えなかった。
もう来季の宇宙艦隊司令長官改選でリーブロンド元帥の目はない。イゼルローン攻略戦の大敗は勿論影響しているが、地上軍側との拗れや後方運用の失敗など、回避できるはずの失敗を積み重ね過ぎた。
エル=ファシルの奪還も爺様あってのことだ。本来任務でもないアスターテの支配圏優勢まで助攻部隊に背負わせたわけだから、元帥の作戦指導に問題があると、軍上層部もはっきりと認識するだろう。下っ端とはいえニコルスキーも幕僚の一員として、その経歴にケチが付くことになる。
「ハイネセンに帰ったら、ひと騒動ありそうだな。誰が宇宙艦隊司令長官になるか、さっぱり分からん」
「そうですよね。ウチの艦隊も巻き込まれなければいいんですけどね」
「そうだな」
ここには男二人と女の子一人しかいない。第三の男の声に振り向くと、そこには薄型端末を脇に挟んだカステル中佐が、いつの間にか立っていた。
「ちゅ、中佐」
「楽にしてていいぞ、ファイフェル中尉」
まったく表情と違うセリフを吐いて、カステル中佐はファイフェルが慌てて立った後の自分の席にゆっくりと腰を掛ける。
「イゼルローン攻略部隊の補給担当者と話をしたが、奴ら艦隊付属の後方部隊しか連れてきていない。後はみんなダゴンから『直帰』させやがった」
「じゃあ考えていたより早く帰れそうですね」
巨大輸送艦をハイネセンへ直帰させるということは、アスターテでの長期戦は考えてはいないということだろう。エル=ファシル星域は奪還したばかりで補給基地はないし、ドーリア星域にあるのは防衛艦隊分の備蓄しかない。もう一度ダゴン星域に戻ることはないだろうし、ましてや帝国軍の勢力圏であるパランティア星域を突破して前線補給基地のあるファイアザード星域に向かうなんてことはありえない。艦隊の補給物資が尽きる前に、撤退するだろう。そう考えて俺が言うと、カステル中佐は軽く鼻息をして嘲笑した。
「アイツら、こちらに余裕があるか聞いてきたぞ」
「本当ですか?」
「本当さ。作戦日数も艦艇数も数えられないバカなんだろうよ。だから負けるんだな」
確かにこちらには余裕はある。一二隻もの巨大輸送艦は、四〇〇〇隻に満たないエル=ファシル攻略部隊の腹を満たすのには十分だ。だがそれに二倍する戦力を支えられるかと言えば、それはNOだ。もし長期戦を計画するなら必要なものは燃料・食糧・兵器だけではない。
「エル=ファシルに前進基地造設分の資材を廻せれば、話は違っていたんでしょうけどね」
「宇宙港がまるまる使えるからな。事前に連絡をくれれば説明してやったのに、『なんで教えてくれなかった』と逆ギレだ。もしかしたら今頃、巨大輸送艦がエルゴン星域を迂回して戻ってくるかもな」
そんなことは出来やしない、とカステル中佐は吐き捨てた。統合作戦本部も泥縄な作戦をダラダラ継続させるのは意味がないと考えるだろうし、中央政府も国防委員会もこれ以上『イゼルローンで』戦力を失わせて支持率を下げるようなことは望んでいない。
「本部長と司令長官が喧嘩して、一週間というところですか」
「そんなところだな、ボロディン少佐……そういえば貴官、数学は得意か?」
「得意という程、得意ではありませんが」
作戦立案は殆ど手仕舞いだからもしかして後始末の手伝いをさせるのか。そう思ったのが顔に出てしまったのだろう、カステル中佐はニヤリと笑うと、ブライトウェル嬢が解いている問題集の一か所を軽く二度指で叩いて言った。
「ここ、解き方を間違えてるぞ。ボロディン『先生』」
◆
宇宙歴七八九年七月一九日。戦艦アイアースより全軍撤退の司令が下った。アスターテ星域には軍事偵察衛星とドーリア星系からの哨戒のみが残ることになった。
エル=ファシル星域には第五四四独立機動部隊が、新規に編成されたエル=ファシル星域防衛艦隊の到着まで残留することになる。防衛艦隊の司令官と戦力は、エル=ファシル星系攻略作戦開始以前より決定しており、既に戦力化されているので、帰還までの時間はそれほどかからないだろう。
エル=ファシルに降り立った地上軍は、しばらくそのまま残留して戦場整理することになる。まさかの無血占領だったが、その代償として建造した『ボーデヴィヒ要塞』の後始末がある。大気圏内なので解体して埋め戻すまで一月はかかる。ついでだからとその間に宇宙港やインフラ設備だけでなく個人住宅に至るまで整備するとのことだ。これでは戦争しに来たのか掃除しに来たのかわからないと、ブライトウェル嬢の体力強化指導に来ていたジャワフ少佐は大きな肩を竦めていた。
エル=ファシル星系攻略部隊の戦いはこれで終わることになる。ハイネセンに戻れば『勝利』式典が開催されるだろうが、連合部隊は解散されその名の通り個々の独立部隊へと戻ることになる。独立部隊がそのまま正規艦隊の補充として吸収されてしまうこともある。
最終的にエル=ファシル攻略部隊がハイネセンに帰投したのは七月三〇日。三月一〇日にハイネセンを出撃した時、艦艇数四九八九隻、戦闘宇宙艦艇四四一〇隻、陸戦要員も含めた総兵員五七万四〇〇〇名だった部隊は、残留している第五四四独立機動部隊や地上軍を含めて艦艇数四〇七八隻、宇宙戦闘艦艇三五〇二隻。総兵員五〇万七七〇〇名での帰還となった。艦艇喪失率一八.二パーセント。兵員喪失率一一.五パーセント。星系の強襲的な奪還作戦に加え、アスターテ星域への侵攻もこなしてこの損害の低さは奇跡に近い、という統合作戦本部の評価を俺はぼんやりと聞き流していた。
シャトルからハイネセン第一宇宙港のエプロンに降り立った時、生暖かい風が吹きつけてきた。ここを出撃した時は初春の三月。都合四ケ月半も宇宙にいたことになる。降り立つ兵士達も勝利したとはいえ、長期にわたる作戦による疲労は大きい。それでもダレスバッグや雑嚢を持つ彼らは胸を張って、滑走路脇に設置された出迎えスペースにいる家族や友人や恋人に生還の報告をしている。
だが司令部は簡単に解散とはいかない。統合作戦本部次長が出迎えに来ていて、簡単なレセプションも行われる。それから統合作戦本部まで車で連れていかれ、今度は本部長に作戦終了を報告する。その他細々とした手続きやら何やらで、宇宙艦隊司令部内にある第四四高速機動集団のオフィスに戻り、今後のスケジュールの打ち合わせが終わった時には日付が変わっていた。
ファイフェルを除けば一番下っ端の俺が、疲労困憊のまま最後にオフィスの施錠をしたあと、司令部地下にある二四時間営業運転しているリニアのホームで、二〇人ばかりの士官に囲まれた時には正直MPを呼ぼうと思った。だがその二〇人が全員第四四高速機動集団の、それも第八七〇九哨戒隊の艦長達であると分かれば、それも不要だった。
「ボロディン少佐……ブライトウェル嬢のこと、申し訳ございませんでした」
その二〇人の中で、ひと際青白い顔をしているイェレ=フィンク中佐が、敬礼するまでもなく腰を折って、俺に頭を下げた。それに合わせるようにユタン少佐やサンテソン少佐も俺に向かって最敬礼する。深夜とはいえ人通りのないわけでもない宇宙艦隊司令部のリニアホームだ。異様な光景に幾つもの視線が、こちらに突き刺さる。
「……彼女から聞いたんですか、フィンク中佐?」
「はい」
「小官に謝罪など不要ですが、その前に皆さんは彼女に謝罪しましたか?」
「はい……」
「まさかとは思いますが、嬢が一六歳の少女とわかってて、この二〇人で囲ったりはしなかったでしょうね?」
「小官一人が話しました」
「何考えているんですか。仮に話したのが中佐一人でも、彼女は十分怖かったと思いますよ」
俺が語気を荒げると、フィンク中佐達は項垂れた。以前の父親の部下とはいえ、大人の軍人一個小隊で囲むなど、配慮が欠けているとしか言いようがない。
それでも彼女は臆することなく、フィンク中佐に言い返した。恐らく俺の受け売りだったにしても、反撃された中佐達は自分達が彼女相手に何をしているのか理解したのだろう。自分達を追い詰めている空気に、自分達自身がいつの間にか酔っていたということに。
「中佐。今更言うまでもありませんが、彼女は彼女自身で人生を決めました。エル=ファシルの優しい叔父さん達がやるべきなのは、どうこうしろと指導するのではなく、彼女が困った時にそっと支えてあげることじゃないですか?」
「おっしゃる通りです」
「それと第四四高速機動集団司令部は、第八七〇九哨戒隊が作戦戦局に寄与したこと極めて大と考えており、部隊感状を司令部では出すつもりです」
偵察・哨戒・工作・戦闘と、エル=ファシルの地理感のある彼らを司令部は散々扱き使い、彼らは過不足なくそして損害なくこれに応えた。部隊感状を出したいと言った俺に、司令部全員が賛成してくれた。
それで彼らの『罪なき罪』が世間から許されることはないだろう。ヤン=ウェンリーが脚光を浴びるたびに、エル=ファシルは蒸し返され、彼らを傷つける。この作戦終了後に哨戒隊を解散させ、各艦別々の場所に配置すれば、耳目を集めることもなく風化していく……そう考えないでもなかったが、そうなれば各艦があるいは各員がそれぞれの場所で孤立し、潰されるだろう。
故に『脛に瑕を持つが、腕は確かな一部隊』として戦ってもらった方が、彼らの軍隊における今後の精神衛生上いいと判断した。ビュコックの爺さんもそれが良かろうと、自分が彼らの上級指揮官である内はそう扱うと約束までしてくれた。
「ですから胸を張ってください。世間がなんと言おうとも第四四高速機動集団司令部とビュコック司令は、第八七〇九哨戒隊を『命の楯』としてではなく『偵察哨戒の精鋭』として頼りにしています」
俺に対する個人的な忠誠心は不要と、言外に言ったつもりだが理解してくれただろうか。膝をついて泣き崩れるユタン少佐も、顔を上げて涙を堪えているフィンク中佐も。
そんなむさくるしい二〇人の男達に、俺は一度敬礼するとブライトウェル嬢のようにキッチリとした回れ右をして、リニアの搭乗口へと向かった。ちょうど都合よく出発するリニアに体を滑り込ませると、空席が目立つ車内で、俺はコンパートメントの一つを占領して目を瞑った。
とにかく今回、彼らを無駄に死なせず良かったと、思いつつ。
後書き
2022.07.20 更新
2022.07.21 セリフ修正
2022.07.24 セリフ再修正
第73話 派閥と家族
前書き
いつもご愛読ありがとうございます。
最近、感染が拡大しています。
幸い私は平熱平常通常運転ですが、皆さまもご自愛ください。
今回の文量は先週の半分くらいです。
従兄妹って結婚できるとは思うんですが、この世界の場合はどうなんでしょう?
宇宙歴七八九年八月一日 テルヌーゼン市
間に合ったからよかった、というべきなのか。今後の精神衛生のことを考えて、この微妙すぎる空気から逃げ出すべきだったのか。
月月火水木金金の爺様が、昨日の昼にいきなり『ジュニア、明日から三日間ほど休んでよい』とアルカイックスマイルで仏のようなことを言った時点で、何かあると勘繰るべきだった。そして一〇分後に、映話でレーナ叔母さんの浮かない笑顔を見て、逃れられない運命を悟った。
早朝のハイネセン市ゴールデンブリッジ街一二番地。久しぶりというか、殆ど着たことがないスーツに身を包み、グレゴリー叔父一家を迎えに上がった。家族全員が乗れるような大型の無人タクシーを手配し、ハイネセン第二空港まで。そこからテルヌーゼン市へ数時間のフライト。
「少佐にもなって従卒みたいなことをやらせて悪いな、ヴィクトール」
テルヌーゼンの空港について、四年前にお世話になった軍人系のホテルに腰を落ち着かせた後、俺はグレゴリー叔父にホテル内部にあるクラブラウンジに誘われた。照明が抑えられ、落ち着いたピアノの生演奏が流れるクラブラウンジの四人席で、グレゴリー叔父はウィスキーのロックを小さく俺に掲げて言った。
「ビュコック司令の下では、早々三日も連続では休めませんから逆に助かりました」
「あの人は相変わらずだな。ところで少しは用兵の何たるかを学ぶことができたかね」
「蛸の足の吸盤の一つくらいは掴めたかもしれません」
「そう思っているうちは、まだまだだな」
はははっと、苦笑するグレゴリー叔父だが、レーナ叔母さんほどではないが浮かない顔をしている。勿論理由は分かっているし、それを言葉に出すほど野暮でもない。それを察して俺も着慣れないスーツで来たが、この季節に軍人系ホテルにスーツで来るというのは軍関係者ではないと自己主張しているようなものだ。クラブラウンジの大半の客が濃緑のジャケットか純白の礼服を纏っているので、グレゴリー叔父と俺はかなり浮いている。
「いい機会だからヴィクトールには話しておこうと思ってね」
グラスをテーブルの上に置いたグレゴリー叔父はそう言うと、俺が知りようのない生まれる前の話を切り出した。ボロディン家の先祖は長征一万光年に参加した最初の一六万人の一人で、司法関係の職についていたが例によって社会秩序維持局と揉めて農奴階級に落とされたクチだったそうだ。
「だからレーナはアントニナに司法警察か弁護士になってもらいたかったようなんだ。あの性格だから弁護士向きだとは思ったんだが、本人が頑として軍に入ると言った。誰かが余計なことを言ったおかげで、専攻は全部合格だよ。結局、情報分析科を選択したと連絡が来た」
「……グリーンヒル少将閣下のご息女と同じですね」
「あぁ、よりにもよってね。グリーンヒル少将には例の件で借りがあるから、面倒なことになる……そうそう、そのグリーンヒル少将だが来月には中将になる。第四艦隊司令官だ」
「叔父さんも、ですか?」
「察しがいいが、残念ながら私のほうは昇進なしだ。第四七高速機動集団司令に内定した」
「……」
グレゴリー叔父が話しておこうと言って、転出の話をするということは別の意味もある。出世階段を順調に上っている叔父が、功績を立てられる前線の実働部隊指揮官になるということは、戦死する可能性もあるということだ。素直に「おめでとうございます」と俺が言えなかった引っ掛かりはそれだった。
グレゴリー叔父が第一二艦隊司令官になるのはいつ頃か、原作にも書いてないので分からない。ヴァンフリート星域会戦が七九四年三月だったような気がするから、それまでには昇進しているだろう。俺がいることで歴史がどう変わっているかはわからないし、何も変わっていないのかもしれない。というかここだけは変わらないでいてほしい。
もし原作とは違って帝国領大侵攻前にグレゴリー叔父が戦死するようなことがあったらどうするか。そしてもののついでに俺まで戦死すればどうなるか。ボロディン家のY遺伝子の存続などどうでもいい話だが、レーナ叔母さんやアントニナ達の生活は? 一応俺の遺族年金はボロディン家に入ることになっているから、レーナ叔母さんが弁護士資格を再取得すれば女性四人、何とか食べていけるかもしれないが……
「まだエル=ファシル攻略戦の論功行賞は出てませんから、しばらく『アレクお爺さん』のところで修行することになりそうです。私は大丈夫ですよ、叔父さん」
「……そのあたりをアントニナも分かってくれるといいんだがなぁ」
アレクお爺さんはないだろうと、苦笑しつつグレゴリー叔父がグラスを傾ける。アントニナは女性なので仮に選抜徴兵に引っ掛かったとしても基本的には実働部隊に配属されることはない。しかし士官となれば話は変わってくる。情報分析科卒の全ての士官が前線に出るわけではないが、法的に何ら制限があるわけではない。当然戦死のリスクはある。
「ヴィクトール」
「なんです。叔父さん」
「軍の人事は来月大きく変わるが、二・三年後にはもっと大きく変わっているだろう」
「長官職だけでなく本部長職も、ですか?」
「そうだ。シドニー=シトレとラザール=ロボス。向き不向きからいえばシトレ中将が本部長で、ロボス中将が長官となるだろう。いずれな」
軍上層部の引退によって派閥争いはそれまでよりさらに深刻性を増す。誰がどう見てもシトレ派と言わざるを得ないボロディン家は、巻き込まれる云々以前の問題だ。幸い現時点では軍官僚・軍政分野に根を伸ばしつつある『国防委員長』派も含めて軍内部は三すくみであって、どこかが突出しているわけではない。
派閥の影響力拡張の為に、そして出世の為に出征の積極性は高まる。本来それを押さえつけるべき政治家側の軍政派も、その指導者が主戦論者である以上、より軍事活動は活発になるだろう。そして軍政派には実戦両派にはない軍需産業からの手厚い支援がある。何しろ指導者が軍人ではなく政治家だ。
実戦両派にも友好的な政治家は当然いるが、シトレの『朝寝坊な幼馴染』のようなタイプが多い。清廉で調整能力があり、且つ実務に優れた政治家だが、天性の扇動利権政治家を相手にするには分が悪い。政治家の権力基盤はあくまでも国民であり、選挙の票だ。軍関係の政治家ということで極力清廉に努めようという志は好ましいものだが、人の心に撃ち込まれる『模擬弾』と財布に撃ち込まれる『実弾』を前には、残念ながら大きな力とはなりえない。
グレゴリー叔父ももう知っていることだろうが、俺が第四四高速機動集団の次席幕僚になるまで時間がかかったのは、キャゼルヌの証言を待つまでもなくトリューニヒトが原因だ。ここまで叔父の口から奴の名前は出ていないからこそ、叔父は俺に言いたいのだろう。
「近いうちに次席幕僚として、第八艦隊にお礼を言いに行かないといけません。なにしろエル=ファシル星系奪還作戦で、第八艦隊には補給の面で随分とお世話になりましたので」
もう既に爺様が直接何らかの形でお礼を言っているとは思うが、フェザーン以来の一つのけじめということで俺があの腹黒い親父に会いに行くのは、軍人として間違った行動ではない。それがどういう意味ととるかは、見る人の目次第だ。
俺の言葉に、グレゴリー叔父のやや太めの右眉が小さく動いた後、ほんの僅か唇をウィスキーで湿らせ、珍しく人の悪そうな笑顔を見せて言った。
「真っ白いペンキを詰めた家屋破壊弾はいるかい? 私の分も含めて二発位なら、きっと彼も許してくれると思うんだ」
「それよりも漂白剤の入ったウィスキーがいいと思います。叔父さん、どこか売ってるところご存じないですか?」
血の気の荒さはボロディン家の遺伝子といってたのは、確かフレデリカ嬢の父親だったか。俺は幼少期における家庭環境だろうと応えたつもりだったが、グレゴリー叔父とアントニナを見てるとそうとも言えないんじゃないかなと思い始めていた。
◆
翌日。同盟軍士官学校入校式。
既にアントニナら一年生は六日前には入校しており、今日の入校式の準備だけでなく軍人としての一歩を踏み出しているわけだが、あのアントニナのことだから早々に上級生とぶつかったのではないかと不安ばかりが募る。自分は見られる側だったが、父兄側としての見る側の参加は初めてだ。
眼下にキッチリと席を並べて座る士官候補生たちと、壇上で弁を振るう士官学校校長と来賓たち。周囲に座る父兄の表情は百人十色。涙ぐんでいる人もいれば、満足げにしている人もいる。背景も人それぞれだろう。
だが長い祝辞が終わり、午餐会会場へ移動してからは雰囲気が変わる。いわゆるシャバとのお別れの場だ。別に今生の別れというわけではないのだが、五日間とはいえ士官学校の生活に慣れていない候補生たちが、いっぱいいっぱいの表情で父兄に相対している。ヤンのように天涯孤独な候補生もいるが、ボロディン家は一家総勢五人で席を占領しているのもなかなか異様な光景だ。
そして果たしてアントニナはというと、俺がエル=ファシルに出動する前に腰まで伸ばしていた見事なストレートの金髪を、耳脇で奇麗に切り揃えていた。顔も身のこなしも子供から大人へ。正義感溢れるヤンチャな少女は、鋭気溢れる女性士官候補生となっていた。
「見違えたものだが……」
グレゴリー叔父の小さな呟きを俺は聞き逃さなかったが、俺も同感だった。たった五日間だ。俺の場合は約半年ぶりではあるが、羽化したと言っていいほどの変化を見せてくれる。
「アントニナ、士官学校の生活はどう?」
「大丈夫です、お母さん。専攻の同期とは仲がいいですし、先輩達もみんないい人達ばかりです」
元司法士官であるレーナ叔母さんが心配そうに尋ねるが、アントニナは冷静に言葉を選んでそれに応える。だが明らかに無理をしているようにも見えた。それが分かるのか、レーナ叔母さんの顔は暗い。それを理解しているのか、あるいはそうしろと誰かに言われたのか、アントニナは落ち着いた口調で話し続ける。
「情報分析科での席次は一三番でした。それほど悪い成績ではないと思いますが、上には上がいます」
「フレデリカ姉さんとは一緒の専攻なんですよね?」
「ええ、寮での部屋は違うけれど、よく話すわ。旧知の彼女がいると、何かと心強いわね」
姉の口調と雰囲気の変化に、イロナは明らかに戸惑っている。不味くもなければ美味くもない料理に手が伸びていない。
軍隊が軍隊たるには、まず個性の除去から始める……軍への進路についていろいろと柄にもない説教や話をアントニナにはしてきたつもりだが、猫を被るどころか黄金仮面になれとまでは言ったつもりはない。あるいは、校長が変わり校風が一新されてしまったのかもしれないが……
「アントニナ」
「ヴィクトール兄さん。なにか?」
「周囲はお前の父親がグレゴリー=ボロディン少将だと知っているか?」
少し大きめの声で言うと、両隣の家族の目がぎょっとしてボロディン一家に向けられる。特に右サイド側にいる家族で、中佐の軍服を着ている中年の父親らしき男の表情は、驚きと恐怖と困惑満たされている。
だが俺を見るアントニナの表情もまた変わる。こんなところで父親の威光を振りかざすようなことを言うなんて迷惑だ、と言わんばかりに。
「たぶん。明日からみんな知ってくれると思いますが」
「そして俺は故アントン=ボロディン中将の息子で、グレゴリー=ボロディン少将の養子で、現役の少佐だ」
「ええ、そうです」
「俺の経験から言わせてもらえれば、将官の子息子女だからと言って何かと配慮されてると勘違いする奴が、先輩同期に関わらず士官学校にはいっぱいいる」
俺の場合、それが原因でウィレム坊やに目を付けられた。幸い同じ家庭環境にある気のいいウィッティが同室で、校長がシトレだったから実に風通しのいい士官学校生活を送れた。そういう意味では運が良かったのかもしれないが……
「ムカつく奴は何処の社会にもいる。理不尽な命令はいくらでもある」
「……」
「前に話したよな。どんな理不尽な命令にも『軍紀に則している限り』従わなければならないと」
「はい」
「じゃあ、後は簡単な話だ。『同盟軍士官学校校則』と『同盟軍基本法』と……『同盟憲章』を勉強しておけばいい。フレデリカ=グリーンヒルは記憶力がいいって話を聞いている。彼女も今のお前同様、バリバリに猫を被っているだろうから二人でじっくり話し合って、これからの士官学校での生活について、自分で考えてみろ」
「……はい」
「今度は平手打ちなしだぞ。分かってるな?」
「わかってます」
本当に俺の言いたいことが分かっているかは分からない。だが先程よりは頬の筋肉が緩み、フォークの動きも滑らかになっている。性格はかなり違うが、同性の幼馴染で精神的には大人な彼女の存在は、アントニナの精神にとってはプラスに十分働くはずだ。
「兄さん」
「なんだ」
少し落ち着いたアントニナが、午餐会を終えて分かれる寸前、ベレーを直しながら俺に問うた。顔は先程よりはずいぶんまともになったが、目は全然笑っていない。
「宇宙港にいた赤毛の女はいったい誰?」
「……は?」
一瞬、ドミニクの顔が頭に思い浮かんだが、アントニナが宇宙港で会ったという赤毛の女は一人しかいない。だがその身の上をこの場で明らかにすることはどうにも気が引けた。チラッとグレゴリー叔父の顔を見ると、渋い顔をしている。レーナ叔母さんは何とも言えない顔をしているし、イロナはジッと、ラリサは興味津々でこちらを見ている。
「……ここでは秘密だ。たぶん、来年、わかると思う」
「来年!?」
アントニナの両手がスーツの両上襟に伸び、俺の上半身をグラグラと力強く揺らす。その行動に周囲の目が一気に俺達に集中する。
「どういう事! 聞いてない!」
「だってそりゃあ、触れ回るような話じゃないし……」
「兄ちゃんのバカ! 知らない!」
アントニナの両腕がグンと伸ばされ、俺は盛大に後ろに転げると、アントニナはいかり肩でズンズンと力強い足取りで食堂出口へと去っていく。途中でフレデリカらしき女性士官候補生がアントニナの肩に腕を廻し……振り向きざまに見えた顔は明らかにフレデリカだったが、俺に軽蔑するような視線を向けていた。
「まったく……」
ついてもいないズボンの埃をわざとらしく叩いて立ち上がると、今度は目の前にイロナが立っていた。
「……イロナ?」
「詳しく、説明してくれますね。ヴィク兄さん」
妹の笑顔がこんなに怖いものだとは、俺は転生前を含めた生涯で初めて思い知ったのだった。
後書き
2022.07.24 更新
第74話 休暇はあらず
前書き
つぶやきに嘘こいてしまいました。すみません。
なんかうまい具合に腹黒い親父がペラペラと頭の中でしゃべってくれました。
話は全然進んでません。省略するところを省略しきれていないのかも。
あと下手なイラストをギャラリーにUPしました。
しばらくしたら消えてるかもしれません。
宇宙歴七八九年八月 バーラト星系 ハイネセン
イロナとラリサに散々お土産を買わされた挙句、ブライトウェル嬢の話を詳しくイロナに説明し、テルヌーゼンでグレゴリー叔父一家と一泊過ごして翌朝、直ぐにテルヌーゼンを発して、俺は一人ハイネセンの職場へと戻った。
第四四高速機動集団は現在部隊再編制中ということで、いわゆる中堅幹部以下は宇宙ドックに入ってしまった乗艦をぼんやりと地上から望遠鏡で見たりなどのんびりしているが、司令部はそうはいかない。特に一番忙しかったのは補給・後方参謀であるカステル中佐。損失・補給・廃兵の集計に、修理・補充・ドックの手配と、目が回るような忙しさに直属の部下だけでなく、戻ってきた俺、司令官室で一息ついていたファイフェル、そしてブライトウェル嬢まで散々に扱き使った。
軍部の最高幹部である宇宙艦隊司令長官人事はまだ固まり切っていない。予定されていた人事はともかく、人望があると言ってもシトレやロボスがいきなり昇進して要職に就くのは無理な話であり、艦隊司令官の中で最先任の第一艦隊司令官のロドニー=サイラーズ中将が昇進して就任するか、統合作戦本部次長のジルベール=ド=ロカンクール大将が横滑りで就任するか、といったところで止まっている。
ちなみに俺はサイラーズ中将とは個人的に面識がある。グレゴリー叔父の直上であり、ケリム星域で『ブラックバート』の侵食を許した第七一警備艦隊の代わりに治安回復の指揮を執った人だ。果断に戦闘指揮を執れるようなタイプではなく、帝国軍との戦闘での実績に目立ったところないので、司令長官としては能力的にどうかといった声もあるが、人格円満で地味だが根気のいる治安維持戦には定評があり、『お巡りお爺さん』という、好意的にも嘲笑的にも使われるような綽名がある。
一方でロカンクール大将の方は士官学校次席卒業で参謀畑を順調に昇進し、第七艦隊司令官として戦闘指揮も執っていて指揮官としての実績もまずまずだ。だが基本的には軍官僚としての性格の方が強い。整理された頭脳から導き出される判断力は高く評価されているが、部下を支配しようとする独裁者気質がありとかく人望がない。原作で言うドーソンのような神経質な性格でもないのだが、能力に性格がついていっていないから、能力にも実績にも問題ない彼を積極的に擁立しよう動きは鈍い。ちなみに綽名は『没落老舗の高級剃刀』
人望のサイラーズ中将(大将)か、能力のロカンクール大将か。シトレ派もロボス派も積極的ではないにしても大多数がサイラーズ中将を推している。もしサイラーズ中将が司令長官に就任した場合、第一艦隊は壊滅したわけでもないのに司令官と副司令官を失うというとんでもない事態に陥るが、ロカンクール大将が就任した場合は、艦隊司令官のメンバーがごっそり入れ替わって軍内部が大混乱になる可能性がある。
『国防委員長』派や統合作戦本部もロカンクール大将を積極的には推していない。それほどまでに人望がないのだ。どうせ三年後にはシトレかロボスのどちらかになると、彼らも理解しているからだろう。
「まぁ私はサイラーズ中将になって欲しいと思っているし、そうなると思っている」
ハイネセン市の繁華街の一角。繁華街にありながらも少し入り組んだ、目立たない場所にあるレストラン『楢の家』。その名の通りに壁も床もテーブルも椅子も全てに楢材を使っている。磨き上げられた美しい木目の床は、素朴なようで品があり、室内も落ち着きと温かみがあって実に居心地がいい……正面に座っているのが、『腹黒い親父』でなければ。
「ケリムで散々世話になったのだから、君も少しぐらい手助けしても罰は当たらんと思うがね」
「……高速機動集団次席幕僚の少佐如きに、できることなどないと思いますが」
「できないじゃなくて、できることを自分で考えて動くべきではないのかね?」
「部下が猟官活動まがいなことをしてるなんて知ったら、ビュコック閣下に見捨てられます。小官はまだまだビュコック閣下から学ぶことがいっぱいあるんです、謹んで『ごめん被ります』」
「もう少し野心があると思ったが、貴官には失望した」
「ワイン片手に笑いながらそう仰られましてもまったく説得力がありません。シトレ中将閣下」
目の前に並べられた店の名にふさわしい豚ハラミのガーリックソテーに、俺はちょっとだけ手を付けただけで胃がもたれてくる。一方で目の前の腹黒親父が平然とした表情でワインを片手に平らげていくので、余計にムカついてくる。
だいたい中将・第八艦隊司令官たる(というより派閥領袖が)人間が、同じ派閥のぺーぺーとサシでディナーするというのはどういうことだ。お礼をといってアポを取った時、いきなりこの店を指定してきたのはシトレだし、つまりは客を含めた店にいる人間に、コイツは俺が目にかけてる奴だと触れ回っているようなものだ。この店のプライバシーポリシーには興味はないが、人の口に戸は立てられない。俺がシトレ派の人間だというのが周知の事実であったとしてもだ。
「長官職については、とりあえずは横に置こう。ヴィクトール」
コンッと音を立てて中身が飲み干されたワイングラスがブラウン・オークのテーブルに置かれる。長身でなおかつ姿勢がいいから、シトレの体がテーブルから生えてきてた大木のような錯覚に陥る。軍人としての迫力以上に、人間の器の差を見せつけているようにも思える。多くの軍人は、このシトレの迫力と有能さに圧倒されながらも、その気さくさと深い配慮のギャップに心酔してしまうのかもしれない。
「エル=ファシルではよくやってくれた。艦隊戦だけではない。地上戦を殆ど行わず惑星奪回に成功したのは、貴官のアドバイスがあったからこそだ。ビュコック少将もモンシャルマン参謀長も、君のことを高く評価しているし、頼りにもしている」
「いえ、運が良かっただけです」
「ヤンと同じことを言う。あぁ、そうか。彼の場合も『エル=ファシル』だったな」
口では冗談を言っているが、シトレの顔は先程とは違って全然笑っていない。
「彼にとっては甚だ不本意で不愉快だろうが、『エル=ファシルの英雄』の名前と彼の軍における異質の才幹は、軍にとって貴重にしてもはや欠くべからざる存在だ」
「ええ、小官もそう思います」
「君が優秀な軍人であることは理解している。優れた用兵家としていずれはロボスに匹敵するような指揮官になるだろう……だがビュコック少将も言っていたが、君の精神的骨格は軍人ではない。本質的に政治家なのだ」
シトレの過剰な評価はともかく、その観察眼については評価せざるを得ない。
当然のことながら、彼は俺が過去からの転生者であることなど知る由もない。過剰に同盟びいきな原作のファンであり、同盟びいきのファンが陥りやすい、民主主義政体に対する信仰心と、戦争と原作における政治的な最大の悪役に対する嫌悪感が、行動となって表れているのがシトレの目に留まったのだろう。
「以前にも言ったが、用兵家としての君の才幹より、政治家としての君の素質の方がはるかにこの国では貴重だと私は考えている」
「ヤンが統合作戦本部長、私が最高評議会議長ですか?」
「君がヤンより『軍人としての才幹に劣っている』と言われたことに怒るかね?」
「いいえ」
怒るわけがない。ヤンは紛れもなく天才だ。『もしかしたらありえるかもしれない未来らしきもの』を知っている俗人の一人に過ぎない俺では、到底勝負になるはずがない。
「それ以上に私は政治家には向いていません。性格的に海千山千の相手に権謀術策などできはしません」
「君が向いていないと言ってる軍人ですら、君はこの上なく上手くやっているのだ。政治家だってきっとうまくこなせるだろう」
「校長……この席の話は他の誰かに話すことはないということでよろしいでしょうか?」
「録音録画等はしていないから安心したまえ。出来れば声量は少なめにな」
「ありがとうございます」
俺は小さく頷きながら周囲に一度視線を廻してから言った。
「校長は、校長が政治家にあって欲しいと思う『資質』と、政治家として生きていく技術である『能力』と、政治家として動き続ける為の『目的』をはっきりと分けて理解されていないのだと、私は勝手に考えています」
政治家としての『資質』と言うのは被選挙権とかそういう事ではなく、清廉さや社会奉仕の意識のことだ。シトレとしては、シトレ自身の考える理想の政治家としての資質が俺に備わっていると思うからこそ、盛んに嗾けるのだろう。だが資質とはナマモノで、時が経つにつれて経年劣化していくものだ。俺個人としてはそんな資質など端からありはしないと思っているが、少なくとも前世において清廉潔白と呼ばれた政治家や独裁者が、時を経るごとに老醜を見せていく例は枚挙に暇がない。俺自身がそうなることを否定できる要素などどこにもない。
政治家として生きていく『能力』は生存能力のことだ。ぶっちゃければどんなに節度を曲げようとも、どんなに見苦しくても、生き残るためには何でもやるという行動力だ。裏切りに足の引っ張り合い。もちろん軍だって当然あることだ。だが少なくとも後ろから砲撃した奴は軍法会議にかけられるが、政治家では逆にそれが優れた能力とみなされることがある。そんな能力は俺にはないし、いくら鍛えたところで正面突破以外の戦術をとることは出来ないだろう。
そして政治家として動き続ける為の『目的』だ。シトレに言うことはないが、俺が軍人になる理由の最大の要因はここ何十年かの平和で豊かな世界の成立だ。その為には回廊の向こうで孵化しつつある金髪と赤毛をどうにかして始末しなければならないが、あまりにも厳しい時間制限がある。当然シトレは知らないことだし、それこそ現時点では誇大妄想ではあるだろうが、『ありうるかもしれない未来』に殆ど沿って歴史が動いている以上、可能性は極めて高いだろう。
「思い上がりの戯言と思って聞いていただきたいのですが、校長は私に『素質』があるから、後は何とでもなるとお考えになっているとしか思えません」
「そうかもしれん。だが、『素質』というよりは『資格』といった方がいいかもしれんが、そういう政治家にあるべき規範を逸脱しているのが、今の自由惑星同盟の政治ではないかね?」
「では伺いますが、その規範を決めているのは誰ですか?」
「……自由惑星同盟市民、といいたいわけかね」
「もっと過激で失礼なことを申し上げますが、ヨブ=トリューニヒト氏の頭角は市民が欲した故に起こったことです。彼自身を利権政治家とか扇動政治家とか批判するのは簡単なことですが、彼自身は民主政治の制度によって支えられているのです。彼自身がどんなに空虚な存在であったとしても」
逆に言えばヨブ=トリューニヒト氏の頭角は、自由惑星同盟が『平和』な証拠なのかもしれない。毎年のように帝国軍と戦い、膨大な犠牲者と経済的損失を負いつつも、戦闘は辺境で行われているだけで、中核星域で痛い目に遭わなければ分からないというのは言いたくないが、ある意味では事実なのかもしれない。
「それでは我々は国家滅亡の路をひたすらに進んでいると言わざるを得ないのではないかね?」
「一四〇年も国家間全面戦争をしているんです。滅びないと考えている方がおかしいと思いますが」
「考えない方がおかしい、か……しかし結局行きつく先は『イゼルローン』というわけだな」
そう。俺のようにチートしているわけでもなく、回答に行きつくシトレも相当に政治的な思考ができる男だ。唯一(ではないんだが)の軍事的チョークポイントに築かれた永久要塞。同盟への軍事的侵攻の策源地であり、ここを落とさなければ、同盟に平和はこない。そう錯覚させるに十分な色気を持つ虚空の美女。
「絶世の美女とはいえ、四度求婚してもフラれてばかりなんですから、いい加減に新しい女を見つけた方がいいと、私などは思いますが」
「……新しい女、とは?」
「これは受け売りですが、父の後妻に憧れていた息子が、後妻の幼い姪を引き取って理想の女性に育てて妻にするという昔話があります」
「現実にはあんまり感心しない話だが……それを軍が主導せよと?」
「アーレ=ハイネセンは男性なんですから、あんまり華美な首飾りなんかもらっても嬉しくないでしょう」
「新しい首飾りを強請るような愛人を、財布の厳しい男が許すかね」
「つい最近七〇万人ほど道路の舗装材に使われましたが、そちらはいいんですか?」
俺の比喩が過激で刺激的だったことは、机の上で固く握られているシトレの両拳を見るまでもない。
無人の戦闘衛星と七〇万人が乗っていた一万六〇〇〇隻の宇宙艦隊。遺族年金・一時金・艦艇の補充・補充した艦艇の乗組員の徴兵・それによる労働者人口の減少と国民総所得の減少。どう考えたって前者の方が国家に対する負荷は小さいに決まっている。出来れば首飾りなんてケチなことを言わず禿鷹の二羽も用意して、二つの穴を塞いでしまえばいいのだが、ダゴンの呪いはシトレですら逃れることができないのかもしれない。
結局原作でもシトレは第五次イゼルローン攻略に赴き、あと半歩というところで失敗する。やはりイゼルローン要塞を『奪い取る』ことを目的とすればどうしたってそうなる。俺の挑発というか提案を、第五次の時まで覚えていてもらいたいとは思うが、その時は大将であっても統合作戦本部長ではなかったはずだから、難しいかもしれない。
俺が黙ってシトレのグラスにワインを注ぐと、その音に気が付いたシトレが目を開けて俺をじっと見ている。心が落ち着いてきたのか、頬を膨らませながら大きく溜息をつくと、諦めたように注ぎきったワイングラスを手に取った。
「君は歯に衣着せぬ発言をするが、正直あまり感心しないな。キャゼルヌの悪いところだけ見習う必要はないと思うんだが」
「さぁどうでしょう」
「そのキャゼルヌはとうとう今年結婚したが、君はどうだ。予定はあるかね?」
「さぁ、どうでしょうか」
それ以外に応えようがないなと思いつつ、いろいろと口を回せたおかげかようやく胃が落ち着いてきたので、ソテーの欠片を口の中に放り込んだところで、シトレが一口ワインを含ませるとあらぬ方向を見て呟くように言った。
「第四四高速機動集団司令部にはいろいろと評判の赤毛の美少女がいるとクブルスリーが言っていたが、彼女がその理想の女性候補かね。たしか君の好みは……」
「ほっそりした顔に赤茶色の長いウェーブで、肌がきめ細かくそれなりに均整の取れた体の持ち主ですね。声が綺麗で、ちょっと拗ね気味で、頭が悪くなければいう事なしです」
「そうだったかな?」
「そうですよ」
「いつまでも過去を引きずるのは良くないから、新しい女性との出会いを見つけるのもいいと、私などは思うんだがね。これは余計なお世話だとも思うが」
嫌な返し方をされ、俺は返す言葉もなくワインクーラーから店一番と評判の白ワインを手に取ると、手酌で乱暴に注ぎ込むのだった。
◆
八月一〇日。ようやく国防委員会と最高評議会の承認が下り、ロドニー=サイラーズ『大将』が宇宙艦隊司令長官に就任した。まずは軍内部の人心安定と、外部からの批判を柔軟に受け止める時間的猶予を確保することが最優先であるということかもしれない。
すでに執行されたもの以外で人事異動が振るわれたのは第四次イゼルローン攻略に参加した部隊のもので、それも艦隊司令官の更迭というような大規模なものではなく、部隊再編までの一時待命といった先送りがほとんどだった。個々のの戦闘では功績を上げているわけだから当然と言えば当然だし、事実上の長官更迭で責任は全部退役元帥に負ってもらうことで、軍内部は一息ついた形だ。作戦指導した幕僚上層部もクビにしてしまえと俺も思わんでもないが、そこまで踏み込まないということだろう。
そしてようやくというかエル=ファシル奪回作戦に参加した部隊にも論功行賞が行われた。第四四高速機動集団司令部内では、第三部隊指揮官ネリオ=バンフィ大佐(代将)が正式に准将になったのと、ファイフェルがそれまでの功績を加味されて『職責そのまま』で大尉になっただけだった。爺様には昇進の代わりに自由戦士一等勲章と国防功労勲章が授与されることになる。奇跡に近いという評価も、一気に爺様を中将に昇進させるには不足というか、もう少し時間とポストが空くのを待ってから、といったところだろうか。
俺も昇進はなかったが国防従軍記章を授与された。流石に勲章の入っていた小箱を石鹼入れにするつもりはなかったが、失くすと後が面倒なのでクリーニングから戻ってきた礼服のカバーに放り込んでおいた。どうせつけるのは礼服を着る時だけだし、略章も普段からつける義務もないわけだから一緒。同じ記章を授与され昇進もなかった他の司令部の三人はというと、モンシャルマン参謀長は「妻(奥さん)に預けた」、モンティージャ中佐は「情報部のロッカーに放り込んだ」、カステル中佐は「メダルマニアの甥に預けた」という。揃いも揃って名誉欲というか見栄っ張りでないことが分かって、何となくホッとした気分だ。
ブライトウェル嬢は兵長待遇から伍長待遇になった。給与が増えただけで特に変わることなく、いつものように司令部要員に珈琲を淹れ、カステル中佐の指導下で料理を作り、ファイフェルと俺の下で受験勉強している。待機時間中にこっそりとキッチンでダンベル運動しているのを俺は見たが、誰にも言ってはいない。
第八七〇九哨戒隊の面々も昇進はなかった。ただ所属するミサイル艦と駆逐艦が、全て巡航艦にクラスアップすることになった。これではもはや哨戒隊ではなく巡航隊というべきであって、本来なら指揮官であるイェレ=フィンク中佐を大佐に昇進すべきなのだが、未だ罪なき罪は許されないということだろうし、本人達も何故か哨戒隊のままでよかったと喜んでいる。
独立部隊の方ではネイサン=アップルトン准将とクレート=モリエート准将がそれぞれ少将に昇進と国防従軍記章が、他の二人には国防功労勲章が与えられた。勲章に差をつけているのは、昇進の有無の調整を込めているのかもしれない。
地上軍の方は大規模に移動があったとジャワフ少佐から私信があった。彼自身昇進はしなかったが、ディディエ少将は中将に昇進し、星域管区司令官に相当する地位に就いたそうだ。またミン=シェンハイ少将も中将に昇進し、ダゴンやティアマトで失われた地上軍の再編成に駆り出されているらしい。彼らの部下も、エル=ファシル駐留の地上戦部隊が現地に到着したことを受けて順次ハイネセンに帰投している。
第四四高速機動集団隷下部隊の艦長クラスも、それぞれ人事部の持つ功績値によって昇進したり昇給したりしなかったりで悲喜こもごもといったところだが、結局二〇〇人ほどの戦隊指揮官と艦長が部隊を離れることになった。代わりに副長や航海長が内部昇進したり、外部から入ってきたりした。兵員の入れ替えはだいたい三割といったところ。
損傷が激しく動きはするが戦闘行動ができない艦は正式に廃棄が決まり、永遠に失われてしまった分も含めて新造艦と別部隊からの転籍による補充とによって、第四四高速機動集団は再編成されることになった。この戦いで戦場にて失われた艦艇は四一二隻。失われた将兵は四万二三〇名。約半年前の集団結成式に参加した約三〇〇〇名のうち艦長・戦隊指揮官だけで四二一人が冥界の門をくぐった。これが『勝ち戦』とはあまりにも苦い。
そして新しい艦と艦長達が揃い、部隊編制を終えた八月二八日。休暇を終えて部隊に戻ってきた将兵達はまったく変わっていない司令部にケツを叩かれながら、再び宇宙へと乗り出すことになる。
目的地はロフォーテン星域キベロン星系。同盟軍最大の演習宙域がある場所であり、今度は演習査閲を受ける側として赴くことになった。
第四七高速機動集団と一緒に、である。
後書き
2022.07.31 更新
第75話 演習 その1
前書き
ちょっと時間が遅れてしまってすみません。
やっぱり戦闘(演習だけど)描写が長くなってしまいました。
宇宙歴七八九年九月 リオ・ヴェルデ星域からロフォーテン星域
昇進・昇給があろうとなかろうと、休暇を終えて帰ってきた人間と、休暇なしで訓練計画を立案させられた人間とには、士気と体力に差があるのは仕方のないことだと思う。
九月三日。旗艦エル・トレメンドの大会議室に集団司令部と第四四高速機動集団の各隊・各戦隊指揮官と第二・第三部隊司令部、それに査閲部からエルヴィン=メールロー中佐率いる一チーム三〇人全員が集まると、参謀長の挨拶も査閲部による訓練宙域説明もそこそこに、俺は訓練内容の説明を彼らの前で説明する。殆どエレシュキガル星系で実施した訓練の焼き直しと割り増しといったところ。
エル=ファシルとアスターテで戦って生き残った指揮官達は、エレシュキガル星系での濃密な反復訓練が無駄ではないことを知っている。見知ったどの顔にも「メンドクサイがしょうがねぇ」としか書いてない。一方で別部隊から移動してきた指揮官達は「本当にこんな訓練でいいのか」と困惑を隠せない。査閲部の面々はナージー=アズハル=アル・アイン中佐から事前に話を聞いていたのか、もうこれが第四四高速機動集団のセオリーだと認識しているようで、手持無沙汰にしている。
ただ今回、エレシュキガルでの訓練と違うのは、ほぼ同規模の第四七高速機動集団が同じ宙域で訓練を実施することだ。実施時期が侵攻作戦直前で、規模では格下であった独立機動部隊との共同訓練とはかなり意味が異なる。
同盟軍は最前線の哨戒隊はともかくとして、四六時中帝国軍と戦闘しているわけではない。一〇〇隻単位以上の戦力が戦うのは、大抵どちらかが戦略攻勢をかける前兆から収束まで。戦略攻勢をかけるのは一年に一回あるかないかだ。ただ一度火が付いた攻勢が長期にわたって戦線を作り上げることはままあるので、常時戦闘しているようにも見える。
そして高速機動集団という制式艦隊以外では最大級の機動戦力を有する部隊が、同盟軍の中でどういう位置づけかというと、エル=ファシル奪還のような制式艦隊を動員するまでもない規模での戦闘や、大規模会戦における司令部予備戦力といったところだ。それはつまり『ある程度の戦略的な視野と、機動戦力の独立運用能力』を司令官に求めるものであって、規模が違っても制式艦隊司令官に求められるものとほぼ同値である。
つまりこの演習はただ単に第四四高速機動集団の再編成と再戦力化という意味だけではない。ぶっちゃけて言えば、アレクサンドル=ビュコックとグレゴリー=ボロディンのどちらが、制式艦隊指揮官として優れているかと評価する場でもある。マウンティングというわけでもないだろうが、今後の昇進の評価項目の一つとして使われることは間違いない。
「今回の訓練は小官もなかなか微妙な立場なのですが、小官は第四四高速機動集団の次席参謀であることを、皆さん頭に入れておいてください」
前置きなくそう言って締めると、年配の指揮官を中心に苦笑が漏れる。メールロー中佐の眉がピクリと動いたのは間違いない。その後ろにいる査閲官達の顔に緊張が走るが、それも一瞬で終わり、演習事前会議は終了する。指揮官達が席を立ち爺様や参謀長達と雑談を交わす中、メールロー中佐に耳打ちされた一人の少佐が、明らかに俺を標的として近づいてきた。深い皺と思慮深そうな瞳。叩き上げか専科学校出身のベテランであろう初老の少佐は、俺より先に敬礼すると手を差し出してきた。
「ヴィクトール=ボロディン少佐ですね。メールロー査閲チームで次席を務めます、ケイシー=マロンと申します」
「ヴィクトール=ボロディンです。マロン少佐、はじめまして。今回はよろしくお願いします」
「あぁ実を言いますと、はじめましてではないんですよ。ボロディン少佐とは四年前にお会いしているんです。マクニール少佐がお辞めになられる時に、ちょうど査閲部に転属になりまして」
「あ、そうでしたか。これはとんだ失礼を……」
「ボロディン少佐は統計課でしたから覚えていらっしゃらないのも無理ないですよ。小官は航路保全課の大尉でしたから」
ははっと笑いながらマロン少佐は短く切り揃えた髪を掻く。正直その屈託のない顔に見覚えはない。何しろ上がってくる報告書の集計が主任務の統計課と、訓練査閲以外でも常に船に乗って航路状況を把握する航路保全課では同じ査閲部でもほとんどすれ違いといっていい。マクニール少佐のご子息は航路保安局の警備艇乗務員だから、その縁での顔見知りということだろう。
「で、少佐?」
「まぁ、いろいろご苦労はあるとは思いますが、くれぐれも『不眠症』にはなられないようお気を付けください。とメールロー中佐からの伝言です」
中佐が何を言いたいのか、ピンときた俺は一度他の査閲官達と話しているメールロー中佐を見た後、マロン少佐に頭を下げる。
「ご配慮ありがとうございます。しかし、よろしいのですか?」
「……えぇフィッシャー中佐の愛弟子には釈迦に説法でしょうが、『ハンデ』も過ぎると正当な評価ができませんからね。あからさまでなければ、結構です」
ちょっと驚いて瞳孔が少し開いたマロン少佐だったが、もっともビュコック司令官は充分ご存知でしょうけれどと、すぐ表情を隠して肩を竦めながら笑って言った。
あからさま、とあえて釘を刺しに来たということは、例えば『今から第八七〇九哨戒隊を既に提出された訓練から外すようなことはしないで欲しい、そこまで露骨に対応されては、流石に正当な評価どころかカンニングを疑われてしまう。それは査察チームとしても望んでいるわけではないですよ』と言いたいのだろう。
指揮官や査閲部の面々が大会議室を出て、改めて司令部会議室に集まった第四四高速機動集団司令部は、俺とマロン少佐の話を聞いて溜息をついたり舌打ちしたりと諦めの感情を見せた。
「グレゴリー=ボロディン少将に寄せ集めとはいえ、先の一手を譲るのはあまり気分のいい話ではないですな。状況によってはワンサイドで終わってしまう可能性がある」
眉間に皺を寄せながら珈琲をかき混ぜるモンシャルマン参謀長の顔は冴えない。集団としての実戦経験を積んでいるとはいえ、三割の要員転出をしている以上、新編制の部隊と何ら変わらない。特にエレシュキガルでは時間不足で艦隊機動訓練を行うことができなかった。全くの新戦力である第四七高速機動集団とは確かに能力差があるとはいえ、攻撃選択権まで譲る程では正直ないと俺も思う。
「釘は刺された以上、訓練は予定通りやるべきじゃろうが……ジュニア、対応できるか?」
『やれ』ではない。『できるか?』と爺様が聞いてきたことに、俺は軽く衝撃を覚えた。これまでもそしてこれからも、仕事量は半端ではない。準備の二週間でブライトウェル嬢が三人分のサンドイッチと共に出勤してくるのは両手の指ほどもあった。特に各部隊指揮官の経歴と戦力から、部隊機動力の限界点を探る集団内評価表の作成には手を焼いていたが、提出された評価表にすら辛口評を忘れなかった爺様が、疑問形で仕事を任せに来るとは考えられなかった。
あるいは、とも思う。爺様はグレゴリー叔父と俺の関係に遠慮してくれたのかもしれない。仮に俺が手を抜くようなことがあったとしても、モンシャルマン参謀長は即座に見抜けるし、俺自身が仕事の手を抜かないことには爺様も一定の評価を下している。だが手抜かりなく『第四七高速機動集団からの奇襲』対策を作成し、グレゴリー叔父がコテンパに敗北するようなことにでもなれば、叔父の出世は遅れる可能性だけでなく、家庭環境にも影響が出るのではないかと。
爺様だってボロディン家がそんな軟な家庭だとは思ってはいないだろう。だが爺様にしろグレゴリー叔父にしろ、誰もがシトレ派と認める軍人だ。同規模の戦闘指揮官を競い合わせて兵の練度を上げるというのはどのような分野でもあることだが、第四四と第四七を意図的に組ませたのは、『誰か』の、何らかの意図があるということかもしれない。
「万事お任せください、と申し上げるほどの自信はありませんが」
だがそれでも、だ。
「叔父の向う脛を蹴り上げるくらいはできると思いますので、是非ともやらせてください」
その回答に何故ブライトウェル嬢が小さくガッツポーズをしたのはよくわからなかった。
◆
訓練開始から二〇日目の九月二三日。
例によって『誰かが一〇〇点出るまで次の課題には進まない』訓練を知らないご新規様の討ち入りを受けつつ、部隊運用訓練でトラブルが続いて、指揮官同士の調停を行わなければならず、参謀長も俺もしばらくそれにつきっきりだった。なにしろ陣形を変えるタイミングで、小戦隊同士の戦列が重なることがあり、ぶつかりそうになった双方が相手方に謝罪を求めて、何故か司令部に怒鳴り込んでくるのである。
それでもかろうじてゆっくりとはいえ戦隊規模での移動と基礎陣形の組みなおしができるようになっており、いよいよ明日からは部隊規模での陣形変更訓練を開始するということで、今日一日は全休となる予定だった。
ただ全休日とはいえ訓練宙域内に停泊していても、宇宙船である以上誰かは留守番をしなければならない。それに補給業務も必要だ。燃料やエネルギーに関しては一日の訓練終了後に満タンにされるが、食料などは一週間に一度のペースで補給される。幸いキベロン訓練宙域は同盟屈指の支援設備があり、演習宙域管理部の給糧艦も手練れ揃いで、一五〇〇時にはほぼ全ての艦が搬入を終えたところだった。
これで後は明日〇六〇〇時の点呼まで訓練関連業務はないなと、戦艦エル・トレメンドの司令艦橋にある自席で、留守番よろしくのんびりと一人成績評価表の入力を行っていた時だった。突然、司令部専用のエレベータから真っ赤な腕章を付けた数名の士官が現れ、俺以外誰もいない司令艦橋に視線を廻し……俺の姿を確認したメールロー中佐が、視線を送ってくる。
「中佐。これは一体?」
彼は俺の問いに答えることなく、小さく右手を上げて俺を制し、自分の左手首についている端末時計に視線を下ろして一分後。吹き抜けで繋がっている戦艦エル・トレメンドの戦闘艦橋から、戦闘警戒警報が鳴り響いた。人を不快にさせるブザーの長音の繰り返し。俺と同じく留守役だった数人のオペレーターが、文字通り椅子から跳ねて紙コップの中身を盛大に床に零している。俺は戦闘艦橋から中佐に視線を戻したが、中佐の表情は全く変わらない。これはつまり……
「戦闘艦橋! 艦内緊急放送! 『緊急戦闘態勢・機関緊急始動・総員配置につけ』」
俺は自分でも信じられないほどの駈足で、爺様の席にある司令官専用マイクをとって叫んだ。
「第四四高速機動集団、全艦にも複数回路通信。『各艦機関緊急始動・戦闘戦術コンピューターC八回路を開け』以上!」
一瞬だけ中佐の視線が俺に向けられたが、それもすぐに中佐の横に立つ大尉に移動して何か指示を出している。だがそんなことを気にしている暇はない。戦闘艦橋から大声で『了解!』との返答があり、俺は爺様の端末に暗証番号を打ち込んで無理やり起動させる。
艦の外周レーダー情報の受信と艦隊指揮統制プログラムの起動。各指揮官座乗艦との多重連携回路の開放。長距離索敵レーダーの起動と、他艦からのレーダー情報を結合解析させる索敵コンピューターの戦時移行手続き。他にも戦闘態勢に必要な手続きを進めている間に、続々と司令部の要員が階段を自分の足で登って、司令艦橋へと流れ込んでくる。
最初に入ってきたのはモンティージャ中佐で、ジャケットを左腕に巻き付け野生動物のような俊敏さで司令艦橋に飛び込んでくると、俺とメールロー中佐達を見て小さく悪態をつき自分の席の端末を起動する。それで俺が索敵関係のコンピューターを起動させていることを理解したモンティージャ中佐は、何も言わずに俺に向けて小さくサムズアップした。
次に入ってきたモンシャルマン参謀長は、やはりメールロー中佐達を無言で一瞥すると、俺を手招きし状況の説明を求めた。戦闘警戒警報の発令から、次席参謀の権限で戦闘準備を機動集団全艦下命したことを確認すると、俺の肩を二度叩いて、準備を進めるよう改めて命じた。
三番目には爺様とファイフェルが同時だった。というより副官であるファイフェルが、司令部個室で休んでいた爺様を連れて来たということだろうが、爺様の服装はキッチリしているのに、ファイフェルのジャケットはボタンがズレていて中の青いシャツがその隙間から飛び出している。爺様がメールロー中佐達には目もくれずモンシャルマン参謀長のところに歩み寄る間に、俺はファイフェルに向かってジャケットを指差すしぐさをすると、奴もすぐに気が付いて手早く服装を整えにかかる。
最後に来たのはカステル中佐とブライトウェル嬢で、カステル中佐は親の仇を見るような視線でメールロー中佐を睨みつけた後、自席に腰を下ろした。ブライトウェル嬢はここまでくる間にカステル中佐から話を聞いていたのか、何も言わず従卒席に座ることなく直立不動の姿勢を保っている。
司令部の幹部が全て到着したのを確認したメールロー中佐が三〇八秒と呟いた後、爺様のところまで行って、非礼をわびた上で査閲官権限による強制配置訓練を開始した旨を通告した。爺様はそれに対して特に恨めかしいことを言うことなくそれを了解したが、事態はその一五秒後にオペレーター達からの報告で急変する。
「後衛駆逐艦ボストーク七七号より入電。部隊主軸〇七四五時の方向、距離六・七光秒より不明艦船群急速接近」
「当該艦船群より、敵味方識別信号の応答ありません」
「数、およそ二五〇〇。フォーメーションBを形成。速力大。この速度で行きますと標準艦砲の有効射程まで約五分!」
「当該艦船群より『挑戦信号』を受信!」
同盟の、それも前線より遠く離れ厳重に管理されている訓練宙域に、二五〇〇隻にも及ぶ戦闘艦艇が同規模の部隊に対して『挑戦信号』を発するということは、内乱でもない限り可能性は一つしかない。俺を含めた司令部要員の視線がメールロー中佐に集中すると、中佐はにこやかに頷いた。
「標準九月二三日一六〇〇時。統合作戦本部査閲部長クラーコフ中将承認第〇九三三五号、対艦隊戦闘訓練の実施を宣告します」
艦橋に掲げられている時計は一五五五時。オペレーターの返答から『仮想敵』は一六〇〇時ピッタリに第四四高速機動集団の左側背最後尾に砲火を届かせる位置に到着できる。これはあまりにも大きなハンデだ。『誰』が指揮しているのか今のところ分からないが、あまりにも可愛げがなく、隙がない。
「教練対艦戦闘用意!」
爺様はバンッと机を叩くと立ち上がって叫ぶ。マイクなしでも階下のオペレーター席に届きそうな声だが、モンシャルマン参謀長かファイフェルがいいタイミングでスイッチを入れたらしく、逆に戦闘艦橋側から爺様の声が響いてくる。
「麾下全艦、第二戦速。前進方位〇二一五時。隊列は戦隊単位。速度調合時より形成。急げよ」
「第四四高速機動集団全艦、第二戦速。前進方位〇二一五時。速度達し次第、戦隊単位にて戦列を再形成せよ。至急」
ファイフェルの復唱がオペレーターに繋がり、司令部オペレーターが麾下部隊旗艦へ、部隊旗艦から戦隊旗艦そして各艦へと伝達される。この戦艦エル・トレメンドも微振動した後、急速に速度を上げ前進を開始。その間も『仮想敵』は速度を維持しつつ、集団の後方へと接近してくる。
「全艦、速度を第一戦速に変更せよ。訓練戦闘の兵装再チェックを急げ」
指令と共に、殆どバラバラに逃げ出した体の第四四高速機動集団は、さらに前後へバラけて行く。加速力のある巡航艦や駆逐艦が自然と前に、戦艦や宇宙母艦それに支援艦が後ろにと艦の配置は一時的に不均衡となるが、後方の仮想敵との距離は時間を追うごとに大きくなる。
そして艦の乗組員たちも攻撃モードと識別信号と指差確認している。査閲官が訓練実施を明言した以上、間違って実弾を発砲して撃沈などしてはえらいことだ。攻撃指揮官である副長の怒鳴り声が、司令艦橋にまで届いている。
「モンティージャ、どのくらいじゃ」
「六分三〇秒です。気が付かなければ」
「後ろにいる男はそんなに甘い男ではない。すぐに気が付くじゃろう」
言われるまでもなく、こちら側の増速に気が付いた後方の仮想敵も、合わせるように速度を上げてくる。それに合わせて艦隊シミュレーションの赤と青の四方形の隙間も少しずつ縮まっている。後方へ向けて砲撃可能な砲門を有しているのは駆逐艦と宇宙母艦だけで、他の艦は艦尾方向に砲撃の死角がある以上、このままでは追いかけっこになるだけだ。それは仮想敵側も望むところではないだろう。俺が席を立つと、直ぐに爺様が手招きしてくる。
「C八回路にはどういう指示を入れておった?」
「後背からの奇襲を想定した逃走指示です。戦闘指示は特に入力しておりません」
俺の答えに、納得たように爺様が深く頷いた。
「なるほど、じゃから各艦が思ったより落ち着いて行動しておるわけじゃな。儂が考えていたより、戦列形成に手間取っておらん」
それまで前を向いているというだけでバラバラであった各隊は、僚艦同士が連絡を取り、少しずつではあったが戦列が形成されて行っている。まだ同じ艦艇で構成される隊レベルではあったが、秩序は間違いなく回復傾向にある。仮想敵も最大戦速による追撃は陣形が乱れると考えているのか、第一戦速以上を出して追撃はしてこない。
「しかしこのまま鬼ごっこでは訓練にならん。どう戦うかの?」
「用兵術の基本では、後背に敵を負った場合、速やかに前進して小集団毎に分散し、砲火の集中を避けつつ各個反転。相互連携しつつ集合し、敵と正対する。となっております」
「仮想敵の指揮官は熟練した用兵家じゃ。そんな余裕など到底与えてはくれんじゃろう」
もし教科書通りに行動すれば、仮想敵は陣形が乱れても最大加速し、小集団毎に各個撃破してくる。何しろ追撃されている中で反転迎撃するということは、足を止めることとほぼ同義だ。アスターテのムーア中将やエルラッハ少将の例を挙げるまでもなく、容易く撃破されるだろう。
かと言って金髪の孺子のように全速前進して敵の後背に出るというのもほぼ不可能だ。消耗戦うんぬんより、肝心の兵力がそれについていけるだけの能力がない上に、仮想敵の攻撃方向を一つに絞ってしまう欠点がある。それこそムーア中将のいう通り、仮想敵の後背に辿り着く前に味方の後衛が壊滅してしまう。味方の後衛とはすなわち集団主力である戦艦や宇宙母艦だ。共食いの蛇になった時の火力不足を招きかねない。
勝機があるとすれば、相互の指揮官の能力はともかく、指揮下戦力の練度に差があるということだ。例えば部隊毎の動きについて……
「何か面白い手が思いついたようじゃな、ジュニア」
どうやら顔に出ていたらしい。爺様とモンシャルマン参謀長は皮肉っぽく、ファイフェルは気味悪そうに俺を見ている。一歩間違えれば全滅も間違いない話だが、今回の相手は金髪の孺子でも疾風ウォルフでもない。
「本来机上の空論ですが、実例がなかったわけではありません。閣下に恥をかかせることになるかもしれませんが、これまでの忠勤に免じてお許しいただければ、と」
「儂は貴官の主君ではなく上官じゃ。そして上官とは……」
爺様はしたり顔で、きれいに髭の剃られた顎を撫でつつ言った。
「採用した部下の提案についての責任を負う立場の者のことを言うんじゃ」
◆
それから二〇分。爺様と参謀長がひたすら付かず離れずで稼いだ時間を使って、俺は作戦行動指針をひたすら端末に打ち込んでいく。部隊毎の戦闘指揮は部隊指揮官であるプロウライト准将とバンフィ准将にある程度任せるしかないが、少なくとも編成されてより実戦二回。大過なく戦えている以上、そこは信じるしかない。取りあえず俺が入力すべきは各部隊のとるべき進路と行動のタイミング。あとは今回重点的に鍛えた艦隊運用術を生かしてもらうしかない。
あとは仮想敵の進撃速度と行動予測。基幹部隊との連絡線の確保。戦況変化における戦闘序列の確認。後方部隊の退避・再合流ルート。すべてにおける戦闘評価。それらをすべて入力の上、爺様と参謀長の前でシミュレーションを使って説明する。
「大胆な構想だ。確かに前例はあるが、果たして味方が付いてこれるかどうかは……」
モンシャルマン参謀長は何度かシミュレーションの時系列を戻しながら動きを確認しつつ、そう応える。
「なぁに、失敗しても構わん。このままじりじりと尻に火を付けられているよりはマシじゃて」
そういうと爺様はファイフェルを呼んで、各旗艦へ作戦案のデータ送信を指示する。これは実戦ではないが、戦闘訓練とは全ての後始末も含めてのことになる。モンティージャ中佐もカステル中佐も、実戦ではどうなるかを想定した上で、それぞれの指示を部下に出していく。
一〇分後。戦艦エル・トレメンドのサブスクリーンに映る戦況投影シミュレーションには、第四四高速機動集団が予定通りの行動をとっているのがはっきりと映っていた。赤で示される味方は三つに分裂し、両翼の部隊はそれぞれ左右に大きく進路を変更している。追撃してくる青の仮想敵は陣形を変えずに一定速度で、直進する部隊を追撃している。当然その直進している部隊と言うのは、俺達がいる集団司令部直卒部隊である。
「戦艦ラトゥーン、撃沈判定出ました。戦列から離脱いたします」
「巡航艦レイトン一二号も撃沈判定です」
次々と上がる報告はどれも味方の損害ばかり。直卒部隊七二四隻は、その三.五倍の戦力に全速力で追撃されている。
仮想敵の指揮官は、分裂した第四四高速機動集団を各個撃破する為、まずは進路上に残っている直卒部隊を殲滅すべく、戦列が乱れるのも覚悟の上で最大戦速で接近し、火力を叩きつけてくる。それに対し、爺様は各艦の間隔を広げて砲火の集中を避けつつ、仮想機雷を散布して追撃の足を鈍らせようとしている。今のところ被害の相対は一対四で、こちらが圧倒的に不利ではあるが……
「第二部隊、ポイントXに到着。反転攻撃開始との連絡あり」
「第三部隊より通信。ポイントYに到着、これより仮想敵右側面に攻撃を開始するとのこと」
左右に分かれた両部隊は第一戦速で仮想敵の側面射程を避けつつ逆進し、その両後背に出る寸前で急速反転を行った。仮想敵の指揮官としては残念なことに、部隊の戦列は乱れておりその両側面の防御は薄くなっている。その薄くなった側面に対し、第二・第三部隊は容赦なく砲火を浴びせる。一五〇年前のダゴン星域会戦の再現、というわけではない。三方からの包囲陣ではなく、二方からの追撃という形だが、両部隊とも思う存分火力を叩きつけ、仮想敵の後衛を削り取っている。
そこで仮想敵の指揮官は事態打開の為、大胆な手段に出る。第四四高速機動集団司令部直卒部隊に対する追撃を中止し、その矛先を右翼方向に振り向けたのだ。仮想敵の先頭集団は、直卒部隊と第三部隊の中間宙域に向けて進路を変更し、全速力で第三部隊の右側面へとなだれ込み、第三部隊に対して三対一の半包囲体制を敷こうと試みた。
だがそれは結果として直卒部隊への攻撃が中止されることとなり、爺様は即座に現宙点での反転迎撃を指示する。それも逃走の先頭に立っていた巡航隊からの規則正しい順次反転により、混乱することなく陣形の反転は一〇分で完了。そのまま左翼方向へ移動しながら、仮想敵の左前側面を削り取る。それを確認した第二部隊は攻撃重心点を直卒部隊同様に左翼方向へと平行移動させた。第三部隊も半包囲の意図を察知し、陣形を左翼方向に広げつつ九時の方向へ後進する。
仮想敵部隊がさらに第三部隊を追撃しようと繞回運動を続けても、それに合わせるように三つの部隊が移動して、常に攻撃目標点を仮想敵部隊の重心と一致させている。シミュレーションでは青く太いCの形をした蛇が時計回りに回りながら、赤い蛙の一つを飲み込もうと追っかけるも追いつかず、その背中を三つの蛙がしたたかに叩きのめす状況を映し出している。
もはや消耗戦であり、圧倒的に第四四高速機動集団が優勢な状況だ。味方に比して仮想敵の損害は著しく過大になっていて、あと数時間もすれば計算上では仮想敵に残存艦艇は居なくなる……安心したのも束の間、仮想敵の戦力の一部が、蛇の背中から分離し、直卒部隊への突撃を試みる。僅か二〇〇隻程度ではあったが、その動きは鋭く、火力は強烈だった。
「砲撃じゃ、急速接近中の敵の鼻面を叩きのめせ!」
「砲撃。方位〇〇三〇、仰角〇.三、距離〇.〇〇一八」
「直卒部隊、ポイントXプラス〇.一一、Yプラス二.五、Zプラス一.二。集中砲火、斉射三連!」
爺様の怒声と、参謀長の冷静な指示。それに俺が計算式を加えて、ファイフェルが指示を復唱する。直卒部隊の十分すぎるほどに弱められた演習モードの砲撃が、突入してくる敵部隊に叩きつけられ、次々と戦列から離れていくが、士気旺盛なのかそれとも破れかぶれなのか、その勢いに衰えが見られない。
「敵艦接近! 艦番から見て、戦艦コンコーディア!」
「主砲斉射! 目標至近!」
旗艦エル・トレメンドの艦長の声と共に、主砲が煌めきコンコーディアに命中する。普通なら爆発四散するような至近距離の砲撃だが、コンコーディアは外部塗装の一部を焦がしただけで、艦首付近に白旗を上げて進路を外れていく。喜ぶのも束の間、コンコーディアの艦尾の影からさらに戦艦が姿を現す。そこはエル・トレメンドの主砲の死角だった。
「いかん! 進路変更〇二五〇、俯角二〇度、急速前進!」
しかしその戦艦の主砲の照準はエル・トレメンドの前にいた位置にキッチリと合わせられており、多少の軌道変更などでは避けきれないのは疑いない。エル・トレメンドの艦橋メインスクリーン左側面に映る四連装二基の主砲に光が灯った瞬間、敵艦とエル・トレメンドの間にいきなり味方の戦艦が割り込んでくる。艦首にはっきりと映える艦番は三〇七-G……司令艦橋後方から小さな悲鳴が上がる。
「アラミノスが!」
「後方の味方より砲撃! 敵戦艦撃沈判定の模様! ……これは!」
オペレーターの報告と共に、メールロー中佐が部下の端末を確認して、現時点での演習の終了を宣告した。戦艦コシチェイの撃沈。すなわち仮想敵……グレゴリー=ボロディン少将の乗艦が撃沈したことによる対艦隊戦闘訓練の、それが決着だった。
後書き
2022.08.08 更新
第76話 演習 その2
前書き
遅くなりました。
台風の影響で会社に缶詰めした影響で、一日遅れはほぼ無理。
盆明けで忙しくなってきたところに、実家で空調機のドレンが詰まったと夜中に呼び出しと
なかなかハードな感じです。
次の日曜日のUPは、シトレ中将が統本にどれだけ運動できるかだと思います。
宇宙歴七八九年九月二四日 ロフォーテン星域キベロン演習宙域
『敵』旗艦撃沈による訓練終了がメールロー中佐より宣告されて三〇分後。戦艦エル・トレメンドと戦艦コシチェイは並列錨泊し、両艦から与圧ハッチが延び接舷作業が行われている。その様子を俺とモンティージャ中佐は、司令部会議室のスクリーンで眺めていた。
「わざわざ接舷する必要がありますかねぇ……」
「叔父さんが自分を叩きのめしてくれた可愛い甥っ子に会いに来たいんだろう。双方の『撃沈艦』があちこちに散らばっていて、再集結するには余裕があるからな」
俺以外誰もいないことをいいことに、モンティージャ中佐はカステル中佐の椅子を移動させ、そのシートの上に足を乗せて寛いでいる。当のカステル中佐は突然の対抗演習の後始末の為、演習宙域管理部と調整すべく出払っているので、しばらくは戻ってこない。
今回の対艦隊戦闘訓練は査閲部が主催・計画して行ったもので、その結果集計と総評は当然査閲部の面々が担当することになる。彼らがその集計作業をしている間は、参加部隊は再集結と休養をとることができる。幸いというか、まぁ優位な態勢で状況が終了したので、爺様は留守番時間分の休憩時間を俺にくれたわけだ。
「ハイネセンに戻れば、いつでも会えるんですから何もここで会わなくてもいいような」
「ジュニアスクールの保護者参観みたいなものか。ご愁傷さまだ」
「結果が結果ですからね……あんまりいい気分にはなれませんよ」
そう結果。第四四高速機動集団は第四七高速機動集団に圧勝した。ほぼ同数の相手に射程ぎりぎりの後背から襲われたにもかかわらず、第四四の喪失判定は三割に達しない。一方で第四七は五割弱を失っている。これが双方均質の戦力であるというならば、ビュコック爺さんは用兵巧者として讃えられる。一方でグレゴリー叔父は二度と司令艦橋には立ち入ることができなくなるだろう。本来被害は、敵味方逆であるはずなのだ。
だが俺や爺様達が想像した以上に、戦力質に差がありすぎたのかもしれない。結成以前はそれなりの部隊で活躍していたであろう艦もいただろうが、グレゴリー叔父の指揮に隊として応えるにはまだまだ全然足りなかった。そのあたりどう査閲部が評価するかは分からないが、それほどグレゴリー叔父に辛辣な評価はしないはずだ。
まぁグレゴリー叔父は三ケ月くらい訓練に勤しむことになるだろうが、逆に言えば第四四の練度は高く維持されていると評価されて、ハイネセン帰投後短い休養の後に即前線投入ということも考えられる。椅子のリクライニングを大きく反らして、天井に向かって溜息を大きく一つ吐くと、そのタイミングでノックがされた。モンティージャ中佐が場の先任として『入れ』と告げると、そこにはブライトウェル嬢が立っていた。
「失礼します。ボロディン少佐。ビュコック司令官閣下がお呼びです。司令官公室迄ご出頭ください」
「わかった。中佐、どうやらさっそく四者面談のようです」
「ボロディン少佐」
カステル中佐の椅子に両足を延ばしたままのモンティージャ中佐は、軽い声で部屋を出ていこうとする俺の背中から声をかけてくる。
「バグダッシュの奴も言ってたが、俺の目から見ても君は矛盾の塊で、正直不気味にすぎる。だが少なくともグレゴリー=ボロディンに対して恥じることは何もない。今の第四四高速機動集団の基礎を作ったのは、他の誰でもない君だ。背を丸めるな。胸を張れ。胸を張って勝ったと言ってこい」
フランクな顔つき、営内とは言えない格好だが、座ったまま敬礼する中佐の目は糸のように細く、まったく笑っていなかった。
◆
「おお、ジュニア。休んでいる時に悪いの」
四人掛けのソファの出迎え側に座っていた爺様の声に、客側に座っていた二人……グレゴリー叔父とコナリー准将は、敬礼する俺に座ったまま小さく答礼してきた。本来なら訪問先の士官が敬礼していたら立ち上がって答礼するべきだろうし、爺様も叔父達の非礼を責めるべきなんだろうが、そうしないということは公式の場ではなく私的な会合という意思なのだろう。
何しろこの部屋にモンシャルマン参謀長もファイフェルもいないから、これはかなり内輪の話ということになる。爺様が自分の隣の空いている席をポンポンと叩いているのがなによりの証左だ。
「コナリー准将閣下、ご無沙汰しております」
「御曹司に軍艦の中で閣下と呼ばれる日が来るとは感慨深いですなぁ。ついこの間、アントン先輩のご自宅でチキンフライパーティやっていたはずなのに」
ようやく見慣れる位に伸びてきたキューバ髭を撫でつつ、コナリー参謀長はボロディン家を訪れる時の笑顔で応えてくれた。やっぱり子供の頃から自分を見知っている相手はいろいろとやりにくいが、血縁ではないにしても親しい先達に会うのは悪い気分ではない。
「さて取りあえず『身内』だけとなったわけじゃが、グレゴリー。シトレ中将から何か話があるのかの?」
「年明け早々、できれば一二月に再出兵し、ダゴンの星域支配圏を優勢に確立したい、とのことです」
コンコンとティースプーンでソーサーを叩きつつ、グレゴリー叔父は爺様の問いにあっさりと答えた。俺が思わず目の前のコナリー准将に視線を向けると、准将も軽く二度頷き返してくる。
というか腹黒親父め、一体何を考えている。三個艦隊も動員したイゼルローン攻略が失敗に終わったばかりのタイミングで、すぐさま出兵を企図するというのはあまり常識的ではない。だいたい国防委員会も最高評議会も、統合作戦本部ですら認めるとは思えない。
取りあえずは頭の中に航路図を描きつつ、一度思考を整理するために、携帯端末でブライトウェル嬢を呼び出した。公室の扉に現れたブライトウェル嬢が三四秒後にブルーベリージャムの瓶とスプーン、それにナッツを入れる小鉢を四枚持ってきたのを見て、三将官達は微笑と苦笑と困り顔の三重奏を見せる。
「戦略的な目的はエル=ファシル星域再入植に対する保全です」
グレゴリー叔父は早速ブルーベリージャムを小鉢に移し、そこから掬って口に運んでいる。
「エル=ファシルに一個艦隊規模の大戦力を置くことも検討されましたが、バーラトに人口三〇〇万のエル=ファシル『村』を作った手前、インフラのリソースが不足しております」
「ダゴン星域の支配権が確立しようとする動きをすれば、帝国軍がエル=ファシルに視線を向けることは少なくなる、という事か」
爺様は腕を組み、不満顔。リーブロンド元帥のイゼルローン要塞攻略が上手くいかなかったというのも、補給路の確立に足を引っ張られてのことだ。失われた資源は、三〇〇万人の生活再建に比べるまでもない。
だが先日シトレに会った時にこの話がなかったというのも少し妙だ。話のレベルからシトレならシンパの息子の俺を通じて爺様に伝えようとすることくらいは、問題ないはずだ。嚙み合わない話の歯車に、俺はブルーベリージャムを舌に乗せ……砂糖とビタミンCによって繋げられた糸に歯噛みした。
「小官のせいですか、もしかして?」
「……そう話を飛ばし過ぎるな、ヴィクトール。正確にはビュコック閣下とヴィクトールを甘く見た私の責任だ」
グレゴリー叔父はそう言いつつ、家では子供の教育によくないと言ってめったに見せない、スプーンを口に咥えたまま天井を見上げた姿で応えた。
戦略的大敗。しかしエル=ファシルの奪回には成功した。これを防衛する部隊の編成は済んでいる。帝国軍が再度エル=ファシルを攻略しようと大軍を動かす状況は確かに考えにくい。だがダゴン星域、特にカプチェランカに帝国軍が根を張られては厄介なことになる。取ったり取られたりを繰り返している惑星で、防衛維持が天体地理的に難しい場所ではある。仮に同盟軍が機動戦力を使って奪取を試みても、第四次イゼルローン攻略戦で被害をまずそれなりに受けているであろう駐留艦隊は出てはこない。つまり大規模な艦隊戦闘はあまり想定されない。
そこを踏まえたうえで、シトレは自分の第八艦隊とシンパの第四四・第四七両高速機動集団を出動させようと考えていた。第四四は実戦経験がある上、ビュコック少将の実績を考えればもう中将になってもおかしくないので、大規模艦隊戦闘が行われない遠征に参加したことで中将へ昇進させることができる。
第四七は完全新編制の部隊で、指揮官は四二歳の少壮の少将。既に少将に昇進して六年。前線でも後方でも実績を上げているが、高速機動集団レベルの戦力を直率しての武勲はない。誰の目にも中将としてやっていくだけの将器をもっているから、本当に足りないのは目に見えた武勲だけだ。大規模艦隊戦闘が行われない遠征でまずは部隊として初陣し、あと一・二度前線参加すれば間違いなく武勲を上げるだろう。そしてグレゴリー叔父も中将へ昇進できる。
以上のシナリオ通り進めば、シトレは被害を自軍にほとんど出すことなく近いうちにビュコック・ボロディンの両『中将』を率いることができる。その機会としてのダゴン星域攻略。戦略的にはエル=ファシル星域再入植環境を整えることで、出兵の道義・理論としては間違いではない。だがかなり恣意的で軍内政治的な行動だ。付き合わされる兵士のことを考えれば、褒められた話ではない。間違いではなくてもどうかと俺は個人的には思う。
そこまで考えた上で第四四と第四七は同じ場所での訓練を行うことになった。しかも第四七に大きなハンデを付けた対抗演習も行わせることも含めて、だ。第四四の動員はほぼ決まっていて、その第四四に第四七がそれなりに一撃を喰らわせるだけの能力=前線戦闘においてまず味方を撃たない能力はあることを証明させたかった。
だが第四四は想定以上の対応能力を見せ、第四七は想定以上の大敗北を喫した。ハンデを付けてもこれなら、『ちょっと前線で戦うには時間が必要ではないか』と誰もが思うだろう。とても近々にダゴン星域に連れていくには難しいのではないか、と。
「そちらの査閲チームのリーダー、メールロー中佐は統合作戦本部勤務が長い人だ。悪い人物ではないし、シトレ閣下に含むところがあるわけではない。含むところがあるわけではないが……ロカンクール『少将』の副官を務めていたことがあったらしい」
グレゴリー叔父がどこから手に入れたかだいたい想像がつく話を漏らす。
「開始五分前に我々が第四四の左後背射撃位置に付けた段階で、ビュコック閣下に中佐が与えたヒントは道義レベルを超えていないと確証できる。私は自分の手腕に驕っていた。逆に言えば第四四高速機動集団を侮っていた。それに足を掬われた」
申し訳なかった。とグレゴリー叔父は爺様に頭を下げた。コナリー准将も同様だ。
「……まぁ、ジュニアに何か旨いものをご馳走してやるんじゃな。シトレ閣下には儂からちょっと言っておく」
事前にその旨を爺様に話していればどうだったか。それで爺様が対抗演習の手を抜いただろうか? それはないだろう。むしろ爺様はこういうところで手を抜くようなことをさせない。ダゴンへの遠征も理としてはわかるが、シトレの焦りにも見えるような工作も爺様の好むところではない。わかるから爺様にシトレは話さなかったのだろう。そうやってでも軍内部で出世していかなければならないのはわかるにしても。
そしてメールロー中佐も全てを知っていたわけではないだろうが、嫌がらせが上手くいったとほくそ笑んでいるのだろうか。それともちょっと大きくなり過ぎたと判断するだろうか? だがもう一人、此処には登場人物がいるはずだ。
「ちなみにサブリーダーのマロン少佐の経歴はご存知ですか?」
「……ちょっと待ってくれ。ジェフ」
「少々お待ちを……あぁ、しまった。こっちかもしれない」
なんでコナリー准将の端末が軍個人の経歴を洗えるかと言えば、査閲部のメンバーは基本的に部隊査閲する立場上、それなりの経歴がありますよと保証書のように誇示することがある。勿論軍が極秘とする任務に就いている場合は白塗りされるが、これだけの経歴の人ならば叱責されても仕方ないと納得させる必要があるからだ。
「マロン『大尉』の前任は第三艦隊旗艦部隊所属、戦艦ピウケネスの航法主任です。偶然で穿った見方をしてはいけませんが」
ロボス中将が感づいたのか、それともマロン少佐自身の考えか。今更というところだし、問い詰めるなんてまったく意味のないことだ。
「世の中、物事が順調に上手くいくことなど、そうそうないものじゃ」
爺様はジャムを紅茶に入れてかき混ぜつつ、そう呟いた。
「儂の過去の経験によればね……」
それから第四四高速機動集団と第四七高速機動集団は、一〇月一二日の訓練終了日まで対抗演習をすることはなかった。第四四高速機動集団は盛大に航行用燃料を消費し、三桁単位で航法・操舵関係者を過労と心労に追い込みつつも、最終段階では集団としての陣形変更をそれなりにスムーズに行えるまで成長していた。
一日の完全休養の後、一〇月一四日。メールロー中佐の査閲チームから訓練について簡易評価を受けた。結果としては『制式艦隊と比肩しても劣らない』という高速機動集団としては最上級の評価となった。これが高速機動集団に今後どう影響するかは今のところは分からないが、とにかく大きな事故もなく訓練は終了し、報告書と今後の課題を書き上げつつ集団は一〇月一九日にハイネセンへ帰投した。
◆
ハイネセンに帰投して、統合作戦本部と宇宙艦隊司令部への報告を済ませると、第四四高速機動集団には一ケ月の休養が与えられることになった。訓練前に大規模な修繕作業は終了しているとはいえ、宇宙空間で小惑星やデブリ相手に戦ってきた艦艇達の肌は荒れているし、心臓に障害が出ている船もある。将兵も大半がエル=ファシル奪回作戦前から長期にわたって宇宙空間におり、演習によって部隊再編成も済んだこと、同盟末期のように戦力の危機的状況下にないことからも、第四四高速機動集団に長期の休養があっても良いと必要と判断された。
穿った見方をすれば、シトレの計算は自分の足自身によって掬われたわけで、次に戦線投入するにしても他の部隊に任されることになるし、その余裕があるということだろう。ロボスだってもう八年近く中将を経験しているし、次の宇宙艦隊司令長官はほぼ確定ということで、しばらく第四四高速機動集団は冷や飯を食うかもしれない。
それで帝国領侵攻前にそれを阻止したり干渉できるだけの権限を、俺が持っているかと考えると……非常に難しいかもしれない。爺様は第五艦隊司令官になるかまでは分からないが、中将への昇進は間違いない。軍歴から言っても功績から言っても、むしろ中将にならない方が問題ある。そして爺様のことだから扱き使える便利屋参謀である俺を手放す考えはたぶんないだろう。そのくらいの仕事はしてきた自負はあるつもりだが、ということは仮に第五艦隊司令官になった場合、俺は良くて副参謀長……准将というところだろう。
フォークのようにロボス閥ではないし、政治家にすり寄ってゴマすりしたいわけでもない。これまでの経歴からすれば、俺は統合作戦本部内勤のエリートとしては見られない。そもそも後方勤務で出世できるのはスペシャリストだから、どれにも中途半端な俺は、何処に行っても役に立つことはないだろう。結局はシトレという樹の、ビュコックという枝の、小さな葉っぱでしかないという事か。
埒もないことを単身者用士官宿舎でグルグルと考えているのは健康に悪い。前世、仕事に行き詰まって、鬱状態になった時、少ない友人や親の勧めで小旅行に出かけたことがある。それで仕事が解決できたわけではなかったが、気分転換になったのは事実だ。それに士官学校に入った一六以来、旅行は士官学校のあるテルヌーゼンへの惑星内小旅行位なものだ。二週間程度と考えていた休暇がその倍となったので、俺は爺様に長期休暇を願った。
「まぁ、少し働かせすぎたのも確かじゃしな」
貴官のいない間はファイフェルに任せようとの台詞と共に、申請書はファイフェルを通じて戻ってきた。妙に申請書の両端が歪んでいたのは、きっと気のせいだろう。モンシャルマン参謀長も久しぶりに家族サービスに勤しむ上、モンティージャ中佐も長期休暇を申請しているので、司令部には爺様とカステル中佐とブライトウェル嬢が残ることになる。司令部に残るといっても事実上は留守番や電話番といったところだ。かくいう俺も、爺様とファイフェルが休暇に入る二週間後から、参謀長と司令部に詰めることになる。
そして空いた二週間。俺はボロディン家に不義理して一人旅に出ることにした。一緒にハイネセンに戻ってきたグレゴリー叔父も、レーナ叔母さんもイロナもラリサも、快くとは言い切れないが送り出してくれた。流石に宇宙船事故などがある恒星間旅行は難しいと考え、惑星ハイネセン内の観光地を総浚いして……ハイネセンポリスとは惑星内核を挟んで正反対の、南半球。やや亜熱帯地域に属するサームローイヨートにある、海岸のリゾートホテルを選んだ。
一〇月でこれから初夏を迎える季節。学生や若いカップルなどは学期中なので殆どいない。オフシーズンというべきだが、海に入れないほど寒くもない。露店は半数近くが閉まっていて、まさにオフシーズンの観光地という雰囲気が充満している。リゾートホテルにもプールやスパなどの施設が充実しているから、ホテルから出なくても何も不自由はないのだが、気晴らしが目的なのでフェザーンで買った私服で、ブラブラと市街地というには少し寂しい道を歩いていた。
俺は自分が不幸体質であるとは思ってはいない。思っていないはずだったが、何となく歌声に惹かれて入ったオープンテラスタイプのシーフードレストランを出たところで、この人に会うとは思ってもいなかった。
若い水商売を思わせる艶のある金髪の女性と一緒に居た、四〇代後半か五〇代の男。肩幅はあるし恰幅もあるが、何か人の目を気にしているように目に自信が存在しない。一見しただけで愛人との不倫旅行であると自己主張している雰囲気。そして案の定、その纏う『弱気』と『金』の臭いに引き寄せられたチンピラモドキに囲まれている。
「どうかしましたか?」
こういう事態に会った時は速やかに警察に通報すれば面倒がなくて済むのかもしれない。だが囲まれているのがその人であるなら、さっさと救ってあげた方が面倒がなくて済むと、俺は判断した。俺の声かけに、その人は地獄に救い主が現れたように気色を取り戻し、三人組のチンピラモドキは余計な邪魔すんなと俺を睨みつけてくる。そのうち一人はナイフを俺に向けた。
「そんなナイフじゃ、人は刺せないよ。見逃してあげるから早くおうちに帰りなさい」
我ながらそれなりの煽り文句がスラスラと出てきて、自分でもおかしく笑いそうになったが、それがさらに劇的な付与効果となったのか、チンピラモドキは顔を歪ませ奇声を上げて、俺にナイフを翳して突っ込んでくる。それなりの気迫に見えるが、エル=ファシルでブライトウェル嬢のトレーニングついでに立ち会った、ジャワフ少佐とは比較にもならない。少佐でそうなんだから薔薇の騎士の色男なんていったいどんな人外なんだって思う。
前世でこういう場面に出会うことはなかったものの、おそらく当事者として遭っていたら、そそくさと逃げていたに違いない。一度死んだことがあるからか、それとも海賊や帝国軍と戦って抗体がついてしまったのか。不思議と怖いという感覚がしない。突っ込んできたナイフを半身で躱して、付けた反動で右膝を腹にのめり込ませ、腰が曲がった状態で静止したチンピラモドキの後頭部に組んだ両手を振り下ろすと、潰れた蛙のように気を失って地面に這い蹲った。
潰れた相手を助けることなく、他の二人は俺が視線を向けると逃げ去っていく。追うのも馬鹿らしいので、携帯端末で警察を呼ぶことにすると、その人は汗を拭きつつ俺に近寄ってきた。
「どうやら私は君に助けられたようだね。ありがとう」
俺の右手をその人は両手で包み込むようにして上下に振る。あぁ、やっぱりこの時代も、政治家の握手の仕方は変わらない。
「この不心得者について警察が君に何か困ったことを言うようなら私が話そう。名前は明かせないが、こう見えても私はそれなりの地位にいる者でね」
そんな地位にいる人が、こんなところで女性連れで何しているんですかと、喉まで出かかったが、口では『ありがとうございます』と答える。
「出来れば君の名前を教えてくれると嬉しい」
「自由惑星同盟軍宇宙艦隊所属、第四四高速機動集団、次席参謀のヴィクトール=ボロディン少佐です」
俺が応えると、その人の顔は衝撃と恐怖と困惑で一気に引き攣った。それはそうだろう。何しろこの人は代議員で、『国防族』で、トリューニヒトの子分の一人で、トリューニヒト自身からも信任厚い同志と思われていない三流の政治業者である、ウォルター=アイランズその人なのだから。
後書き
2022.08.18 更新
第77話 手紙
前書き
いつもお世話になっております。
正直、こんなメンタリーでこの先やっていけるんかジュニア、と自分で突っ込みを入れたくなりました。
ジュニアはある一面において徹底的にあの子に教育されています。
宇宙歴七八九年一〇月二二日 バーラト星系惑星ハイネセン サームローイヨート
チンピラモドキをのした後、俺は普通に到着した警察に任意同行を求められ、監視カメラとチンピラモドキの前科と俺の身分証の結果、あっさりと無罪放免となり、夜明け前には警察の車でホテルに戻ることができた。
しっかりとした睡眠をとることは当然出来なかったので、黒札をドアノブにかけてそのままベッドに横になると、次に起きた時には、昼も半ば過ぎた時間だった。レストランでランチを食べるのも億劫なので、シャワーでひと汗かくと、ドア下にレターが挟まっていた。
一応司令部には宿泊地を連絡してはいるが、こんな形で呼び出しをかけるはずがない。ホテル側の配慮とも考えるが、前世の場末のホテルのような売春宿の紹介でもないだろうし、炭疽菌テロなんて喰らうほどのご身分ではないから、手に取ってみると普通にディナーのお誘いだった。
「……ヘラルド=ペニンシュラ氏、ね」
もう少し捻りを利かせることは出来んのかな、とフェザーンで偽名を使った俺としては思わんでもない。が、タダ飯にありつけると思えば、それほど悪いとも思えない。政党助成金か公費かリベートか献金か、元手はかかってないとは思うから、彼としても気安いのだろう。指定されたレストランはホテル内にあるそれなりに格式のあるものでお安くはないが、元々が亜熱帯のリゾートホテルだ。ラフな格好をしても問題はない。
一応格式としての軍服は用意してあるが、公式のディナーとは先方も望んではいないのは間違いないので、私服でかまわないだろう。一応手櫛と無精髭を剃って、指定された時間の一分後にレストランの入口に辿り着けるよう時間を潰していく。
「よく来てくれた、少佐」
レストランのウェイターに案内された先は個室で、おそらくこのレストランで最高の格式のある部屋だろう。風通しのいい木格子の仕切りが巧みに配置され、開けている雰囲気にも関わらず周囲とは隔絶されたテーブル席。そこに薄黄色のサマージャケットを着た、『ペニンシュラ』氏が待っていた。
「お招きありがとうございます。ペニンシュラ『さん』」
「いやいや。恩人に報いるにこのくらいしかできないことを許してほしい。ここがハイネセンであればもっといいところを紹介できるんだがね」
「いえ、小官にはここでも十分すぎるほどです」
「そうかね。そう言ってくれると嬉しいが」
まぁ愛人と一緒にバカンスしているところを襲われて怪我でもしようものなら、いいマスコミのネタだからな。この時期のアイランズは、まだ銀の壷をかの人物に送ってはいないだろうし、閥の中でも大して高い位置にいるとは思えないから、すっぱ抜かれたらあっさり切り捨てられる立場と推測できる。つまりこれは口止め料ということだろう。ここはハイネセンに比べれば暑いが、空笑いしつつ頻繁に額をハンカチで拭くほどの暑さではではない。
「その、少佐。少佐に頼める筋の話ではないのだがね」
「ペニンシュラさんがここでお綺麗な方と一緒だったことは、このTボーンステーキが口を塞いでくれますから大丈夫ですよ」
だいたいそんなネタで今のアイランズを脅したところで、現時点では大したことは出来ない。もしかしたら出世もさせてくれるかもしれないが、今は爺様の下で用兵を学ぶべき時だ。階級だけ上がって何もできないでは、それこそ俺の転生人生にとって意味がない。薔薇の騎士の色男に珈琲をぶっかけられる羽目になるのは勘弁だ。
俺の返事に、アイランズは一度俺をまじまじと見つめた後、見るからに安堵して大きく息を吐いてから、手を付けていなかった自分のステーキへと手を伸ばし、ビールを喉に流し込んでいる。見るからに小物政治家の態度を見て、俺は彼の後ろにいるかの人物のことを考える。
恐らくはこの招待自体、アイランズだけの考えだけではなくかの人も噛んでいる。アイランズ自身も口止めの必要性は十分理解しているだろうが、代議員が選挙区の有権者でもない一介の少佐に対してするには、彼の腰は低すぎるほどに低い。俺が昇進や何か脅迫的なことをすれば、自分の不利益を承知の上で応えるつもりぐらいだ。
金銭や品物を要求するようなら、リベートや賄賂を駆使して調達するだろうし、昇進ならば国防委員会を通じて取り計らうことだろう。金銭や地位によって軍人を自派に取り込もうとするのが、かの人の常套手段だ。まぁ今回は本当に偶然だが、そういう偶然を確実に掴み、絡めとろうとする鋭さこそ油断できない。
「それでだね、少佐。君は軍人として、これから何をしたいか是非とも聞きたくてね」
具体的な要求がない時は、そう聞いてこいと言われたのだろう。最後に出てきた珈琲を前に、アイランズは俺から視線を外しつつ聞いてきた。脅迫の継続だけは本人も阻止したいだろうし、後日に過大な要求をされれば恩人とやらに迷惑も掛かる。俺を敵として排除するか、味方として取り込むか……その判断を下したい。
恐らくは録音録画されている。現在のアイランズに気の利いた返しができるとは、かの人も考えてはいまい。さしずめサマージャケットのボタンが妖しいとは思うが、その先に誰がいるかとわかれば、まったく怖いものでもない。
「そうですね。軍人としては政治家であるペニンシュラ先生がこれから何をしたいかを、是非ともいま伺いたいですね」
問いに対して問いで返すのは礼儀に反するとは思うが、俺は今かの人と話すつもりはない。一〇年後に突如守護天使が勤労意欲に目覚め、そして燃え尽きる一人の三流政治家と話がしたいのだ。眼に見えて狼狽えたアイランズを真正面から見据えて、俺は言った。
「どうです。ペニンシュラ先生? 先生は代議員の最高峰である最高評議会議長になられたら、何をなされたいですか?」
「……き、君は」
「先生は国防委員会に所属されておいでなのですから、この国の国防態勢に大変ご関心がおありと存じます。軍人として、たいへん心強く思う次第です。いずれ国防委員長になられた際には、その識見を存分に生かしていただければと存じますが……まずは『今の』先生のお気持ちを伺いたいですね」
そんなものはない、とは言えまい。軍事企業からリベートを受け取るしか能がない男とマスコミに評されていた男だが、転生者の魂でも憑依しない限り、ああも見事に覚醒することは出来ないはずだ。俺という実例がある以上そういう可能性を否定はできないが、少なくともある程度の軍事的識見と知識がなければ、スピーカーとしての仕事すら果たせない。幾らスピーカーとはいえ雑音しか出さないようでは、ネグロポンティの後釜にはなれないのだ。
「……気づかれていたのならば仕方ないが」
「え、いや、そこからですか?」
「あぁ、まぁ、そうか。士官学校の首席卒業者ならば、直ぐに私のことくらいは調べるか……」
ハハハと乾いた笑いを浮かべるアイランズだったが、珈琲を一口啜ると、力なく肩を落とした。
「で、どうするね?」
「どうする、とは?」
「私の行動を告発するかね? シトレ中将あたりが喜びそうな話だと思うが」
「なんで先生を告発する必要があるんです? こんなに美味しいTボーンステーキを頂いたのに」
肩を竦める俺を、目を見開いてアイランズは見つめてくる。別に男に見つめられるのはうれしくもなんともないが、灰色の瞳にある大きな安堵以外の、小さな野心の火があることに俺は僅かに感じ入った。袖口のボタンを弄る彼に、俺は小さく頷くことで話を促す。
「君が評価するほどに、私は軍に対して強く識見があるわけではない。軍にも筋がある、親が経営する鉱山会社のお荷物次男坊に過ぎん。会社を継ぐほどに経営的才能がないから政治家になったようなものだ」
改めて淹れなおされた珈琲をかき混ぜながら、アイランズは懺悔のように話し続けた。
「自分が三流の政治業者であることは、自分が一番よく知っている。国家の大戦略を自分で構築するほどの才能などありはしない。だが大戦略を構築できる人は知っているし、その人の役には立ちたいと考えてはいるが」
その人こそトリューニヒトであろう。彼に従い、彼の支持者になることが、彼の半生の全てだった。美辞麗句の扇動政治家の手下の、二流利権屋に過ぎない彼だが、覚醒前もその後も、恩と義理について筋を通している。最初から精神が捻じ曲がっている男ではない。
「その人とはトリューニヒト閣下のことですか?」
「……その通りだ。トリューニヒト閣下は帝国を打倒する為の国防態勢を構築すべく、同盟市民の自発的な奮起を呼び起こそうとしておられる。確かに私はふがいない子分の一人に過ぎないが、閣下の目標はすなわち、同盟の帝国に対する勝利だ」
「帝国に対する、勝利」
「さよう。民主国家である我々が、銀河帝国の専制的全体主義を打倒し、勝利することだ」
それは原作でも散々にあの男が喋っていたことだ。聞く人の耳を酔わせ熱狂させ、魅了する言葉と笑顔。帝国を倒すという、自由惑星同盟という国家に『彼が勝手に』課した使命。俺に原作の知識がなくこの時代に転生していたとしたら、それに酔わされなかったと言い切れない。もしかしたらアイランズのようななっていたのかもしれない。
だがトリューニヒトは空虚な雄弁を駆使する二流の扇動政治家に過ぎない。俺との因縁だけで言えば、マーロヴィアの草刈りで、口先だけの功績泥棒までやってくれた。なにもせず、なにもなさず、最後にただひとりで果実を味わう男。その空虚さは自身の生存のみに目的が据えられている。ユリアンが戦慄した『新銀河帝国に立憲体制をしく』という目的も、結局のところ自己権力の拡大を伴った本人の目的である自己保身から産まれたものだ。だからこそ、改めてアイランズには問わなければならない。
「その勝利とは『何』です?」
「何、とは?」
首を傾げ、眉を潜めるアイランズに、俺ははっきりと告げた。
「何をもって、帝国に対する勝利とするのですか、ということです。帝都オーディンに進撃し、皇帝に城下の盟を誓わせることですか?」
「それができれば、それに越したことはないが……」
「先生もお分かりいただけるように、そんなことは逆立ちしても出来ません。そもそも国力が違いすぎます」
国力の基本である人口だけとって見ても帝国が二五〇億で、同盟が一三〇億。若年層が中心となる将兵の補充余力は単純に三倍近くになる。全体主義的な国家であり、市場統制すら可能である以上、軍事力の差は桁違いと言っていい。
ただ国力に劣る同盟が、辛うじて国家としての生存が成り立っているというのは、フェザーンの三鼎並立政策がフォローしている上に、帝国側の硬直した貴族社会と非効率な軍事政策のおかげでもある。それも七六〇年マフィアのおかげで徐々に帝国軍も体質改善されつつあり、これから同盟側の自爆と金髪の孺子の進撃によって、同盟軍とそれを支えるべき経済が崩壊するのだ。
「では君は何をもって、勝利と考えているのかね?」
「本来それを考え、市民に提示し選挙を経るのが政治家の仕事です。軍人はその勝利条件を達成する上で助言を行い、軍事上とるべき必要な戦略を構築し、戦術を持って目標を達成するのが仕事です」
「それは、君。軍事の専門家としていささか無責任な言い方ではないかね?」
「先生。軍人が国家戦略目標を勝手に立てて自律的に行動するとなれば、間違いなく何の役にも立たない口先だけの政治家の皆さんの首にはロープがかかりますよ。『物理的』に」
おそらくトリューニヒトはそれを同盟国内の政治家の中で一番よく理解していた。だからこそ自己保身の為に、シトレやロボスといった重鎮達のミスを主戦論で促進し、彼らを弱体化させ、あるいは篭絡して軍内部にシンパを大規模に構成して行った。
救国軍事会議の例だけを見て、軍人には経済的な視野が狭いと判断するのは間違いだ。民間企業はだしの財務理論と複雑な物流組織を構成できるようなキャゼルヌは別格としても、国家経済の重要性を理解していない軍人などほとんどいない。それこそシトレもロボスもグリーンヒルも理解しているが、程度の差こそあれ、軍とはヒエラルキー武力組織である以上、別の理論と心情がそれを覆い隠してしまう。
「市民の代表者である政治家が具体的な戦略目標を立てていただき、官僚組織である軍人はそれに対して武力を持って応えるのが筋です。国家経済が許す範囲での軍事行動によってそれが達成されないというのであれば、別の方法を考えることも必要でしょう」
「例えば、それは巷の平和主義者達が言うような帝国との講和も方法かね?」
アイランズの挑戦的な言葉遣いは、肯定すれば収音マイクの向こうにいるかの人によって首を飛ばすぞと、言っているも同然だ。だが今のトリューニヒトには俺を一時的に辺境に飛ばすことは出来るかもしれないが、退役させるだけの力はない。
「そうですね。個人的な意見と限って言えば、ゴールデンバウム王朝銀河帝国が、アルテナ星域よりこちら側の主権を自由惑星同盟政府に対して公式に認め、交渉において軍事的オプションを放棄するというのであれば、講和してもいいんじゃないですか?」
「……」
「それを今の銀河帝国が認めると思いますか、先生?」
こんなことを馬鹿正直に事細かく、選挙民の代表である代議士である彼に説明しなければならないのは正直辛すぎる。シトレがトリューニヒトを嫌うのも、そういう戦略論を抜きにした政治を利権獲得活動の場とし、それによる自己権威の拡大を行っているからに他ならない。シトレの本心は『頼むからもっと勉強してくれ』だろう。俺も全く同じ思いだ。
だがそれを直言居士に口に出すほど、俺はアイランズに含むところがあるわけでもない。利権あさりで倫理的に問題のある男であっても、それを自覚できているだけまだ『マシ』な男なのだ。
「先生。小官はまだ二五歳の若造に過ぎません。少佐という過分な地位を頂いているのも、ひとえに上官と戦場に恵まれたからに他なりません」
俺はフィッシャー中佐直伝の顔面操作術で『ささやかな笑顔』を作りつつ、アイランズに言った。
「小官もいずれ一流にはなりたいとは思いますが、それには時間と研鑽が必要でしょう。先生が三流の政治業者というなら、小官も同じ三流の軍人ですよ」
先は長いですが一歩一歩進んでいきましょうよ、と長期治療に臨む患者に対するような言い方でいうと、そういうものかねと、不承不承といった表情でアイランズはコーヒーを啜るのだった。
◆
休暇五日目となる翌日、アイランズは昼過ぎに一人でハイネセンに戻るということで、ランチを一緒に食べて分かれると、俺もいい加減一人での砂浜遊びに飽きてきたので、国立公園に指定されている森林地帯や、放牧地をブラブラと回りながら、四日がかりでハイネセンに戻ってきた。
グレゴリー叔父の官舎に立ち寄ってイロナやラリサに、放牧地で買った大きな競走馬のぬいぐるみや使用済みの蹄鉄をプレゼントして一泊後、単身者用の士官官舎に戻ると、案の定山のような手紙と通信文が届いていた。
ほとんどが俺の長期休暇を後で知った友人知人の恨み辛み(特にウィッティの恨み節は酷かった)だったが、一つだけ気になる手紙があった。正確には知人でも友人でもないが俺が知っている相手で、連絡先の番号だけが書いてあった。『どうせアンタは捕まらないでしょうけど』、と余計なことも書いてある。
連絡先に電話すると、相手はハイネセンの第四民間宇宙港の展望デッキを指定してきた。時刻は今官舎を出てギリギリ間に合うか間に合わないかという時間。俺はボロの私腹を纏って官舎を飛び出し、無人タクシーと超高速リニアを乗り継いで、予定の四分前に展望デッキに辿り着いた。
民間商船の貨物取扱港である第四民間宇宙港の屋上は広いが、大半がターミナル用の設備機器で覆われており、展望デッキと言っても小さな売店と自販機、それに傘の付いたガーデンテーブルが並べられているだけであり、目的の人物はそのうちの一つに、いかにもつまらなさそうな表情で座っていた。
「ミセス・ラヴィッシュ?」
俺がそう問いかけると、鋭い目つきが金髪の向こうから俺を突き刺してくる。じっと数秒、俺を睨んだ金髪ポニーテールの彼女は、どうやら本物のようね、と小声で毒づいた。
「ヴィクトール=ボロディン『少佐』で良いのかしら。第四四高速機動集団の次席参謀とやらの」
「えぇ、で、貴女がミリアム=R=ラヴィッシュさん、ということで良いんですね?」
「そうよ。独立商船ランカスター号の船務長補佐をしているわ」
握手するまでもなく、彼女は細い手を自分と対面の席に向ける。座れということだろう。俺は遠慮なくガタつき音のする椅子を引いて座ると、彼女はテーブルの上に置いた小さなバッグの中に手を伸ばし、中から一枚の封書を取り出した。
「貴方宛の手紙。先方は返事を期待しているから、なるべく早く読んで、返事を書いて。船がハイネセンにいる間は私が返事を受け取るけど、あと三日もすればフェザーンに帰るから、機会を逃したら次は三ヶ月後くらいになるわ」
明らかに年下。確かまだ二〇歳にもなってないはず、の彼女は、座ったまま人差し指と中指で挟んだ手紙を、腕を伸ばして俺に差し出した。立ち上がることすら億劫なのかと、かなりムカつきもしたが、少なくともこの女性を殴れば気は晴れても、ヤンに絶縁されるかもしれない。腰を上げて受け取った白い封筒には、筆記体でヴィクトール=ボロディンへとしか書いておらず、裏面には差出人の名前も書いていない。
「ここで読んでも?」
「あなたの好きにしたら? 私は夫が来るまでしか、此処にはいないけど」
鼻で笑うというより、どうでもいいという表情で彼女は、俺から携帯端末へと視線を落とす。本当に手紙の配送人ということで、やりたくもない仕事をさせられたということか。俺は改めて封筒を見ると、蓋の糊はほんの端っこに僅かしかついておらず、指をそっと入れるだけでピンッと開いた。中には便箋一枚だけ。キッチリとアイロンされた二つ折りを開く。
「……」
開いた瞬間に漂うライラックの香り。二年前と変わらないその香りに、便箋を持つ俺の手の震えが収まらない。それほど大きくない便箋には、たった一文しか書かれていないが、その文字一つ一つが愛おしい。俺はこんなにも感傷的になれるのか……自分の感情の激しい挙動に、なにより俺自身が一番驚いている。
「……私は元同盟人で、親族が軍人だった関係で軍人と会う機会は多かったけれど、あなたみたいに変なメンタリーの軍人は初めて見たわ」
まるで一〇代の少女と変わらないじゃない、と自分のことを棚上げして呆れ気味に続ける。
「差し出した人と私はホントに偶然出会ったけれど、とっても大人で、同性としても尊敬できる人だった。どうしてあなたみたいな人を好きになったのかは、とても理解できないけれど」
偶然の産物だ、と言えばそれまでだ。小娘に理解して欲しいとも思わない。何しろ俺自身が理解できないのだから。
「……返事は三日後までなら、受け取ってくれるのか。ミセス・ラヴィッシュ」
「そうね。出港直前でも困るし、税関手続きもあるから、明後日の同じ時間ここに持ってきてくれれば、あの人に届けてあげるわ。タダで」
「それは助かる」
俺はサマージャケットの胸ポケットに封筒ごと仕舞うと、小さく彼女に頭を下げて席を立つ。彼女はきれいに整えられた眉を一瞬吊り上げるが、直ぐに興味をなくしたように表情を消した。さぞかし奇異な男と思っただろう。俺自身もそう思う。
だがこの手紙の危険性は、おそらく彼女が考えているよりもはるかに高い。メールや超光速通信ではないだけの理由がある。
『Vへ 二酸化炭素がなくても、アスチルベの花は咲くわ Dより』
本当にローザス提督の孫娘を巻き込んでいいのか。雲一つない青空を見上げながら、遥か四〇〇〇光年先の彼女にそう問い質したくなるのだった。
後書き
2022.08.22 更新
2023.08.13 誤字修正
第78話 作戦と事業
前書き
いつも拙作をお読みいただきありがとうございます。
なんか書いているうちに、変な方向へと流れて逝ってしまうのは、上手くプロットが構成できて
いないのが原因です。迷走してます。
帰還事業について本来、ここまで踏み込むつもりはありませんでした。
少し短くてつまらないかもしれませんが、よろしくお付き合いのほどを。
宇宙歴七八九年一一月 バーラト星系惑星ハイネセン
二日間それなりに考え込んでいたが、結局気の利いた文章など俺に書けるはずもなく、
『アガパンサスの鉢は、もう少し大きい方がいいかもしれない。それと水やりの回数は慎重に』
と何の捻りもない文章を量販の便箋に書き込み、フェザーンの頃から着ているシャツの一番上のボタンと一緒に封筒に放り込んで、第四宇宙港にいる小生意気な幼妻に手渡した。
「……軍服姿だと、どんな人もなんとなく軍人に見えるから不思議ね」
ヤンと面識があることは原作でもわかっていたし、七三〇年マフィアの親族だから高級軍人に対する免疫も十分すぎるほどにあるだろう。確かに私服を着ている時は、若干体つきの良いモテない三流大学の陰キャにしか見えないだろうが。
「……ちなみにその手紙は何処で彼女に手渡すことになっている?」
自走型の持参コップ式自販機からホットコーヒーを二つ買い、一つを彼女の前に置いて俺は彼女に問うた。大手運送会社の傘下ということではなく、独自に会社を作り持ち船一本で商売をしているのが独立商船企業だ。すでに大きな賞を獲得し、フェザーンでそれなりに名声を獲得しつつあるドミニクと、中小というか零細に近い独立商船の船務長補佐が、遠くの『元カレ』宛にとはいえ『ヤバい手紙』の配送を請け負えるほどの仲になれるという確率はそれほど大きくないはずだ。そしていくら金を積まれても独立商人が、口で言うほどフェザーン当局を敵に回すことなどできはしない。
ドミニクが、この世界におけるドミニクが、ルビンスキーの愛人になるとしても可笑しい話ではない。事実、俺は奴に負けてマーロヴィアに飛ばされた。あの黒狐がドミニクに触手を伸ばしたところで、俺は防げるわけでもないし、ドミニクも計算してそれに乗ることもあるだろう。そういう趣味とは無縁なので、腰の上にまで乗っていると考えると奥歯をすり減らす気分になるが、それもまた自業自得。
この手紙の『所属』。全てはドミニクと彼女がどこで知り合ったかだ。懐かしい叔父さんの店でというなら、かなりグレーに近い。間違いなく奴の目と手が届いている。俺のメールホルダーに飛び込みでボルテックがブラックバートの話を放り込んでくるくらいの諜報能力だ。手紙の性質から考えても見逃すはずはない。叔父さんの店でさらに人を介してとなれば、もう真っ黒だろう。だが俺の質問に対して、この幼妻は一度目を丸くした後で、皮肉っぽい視線を俺に向けた。
「やっぱり聞いてきたわね。あの人も手紙の受け渡しの時には絶対聞いてくるって、言っていたわ」
「あぁ……そう……」
表情に出したつもりはないが、俺は紙コップに口を付けて、舌打ちを誤魔化した。その仕草に今度は笑みを浮かべる。
「コップを持つ時に小指だけが浮く。痛いところを突かれて話を誤魔化そうとする時、左の唇が少しだけ動く。らしいわ『シスコンで口から先に生まれた男』は」
「ほう」
「『五五フェザーンマルクの腕時計はまだちゃんと動いている』って実際に填めてる腕時計を見せてくれて……私、新婚のはずなのに」
勘弁してほしいわ、と言わんばかりにミリアムは右手を自分の額に当てる。
「公開はしていないけど、うちの会社、彼女から直接投資を受けているの。そういう意味では彼女はオーナーになるのかしら。当然出資者に対しては収支報告をしなくてはいけない。特に忙しい大口の出資者には、自宅でも楽屋でも自走車の中でも……歳が近いから私が選ばれただけど、あながち損ではなかったわ」
そしてミリアム以外の中小零細、特に小口特殊運輸・情報通信・惑星開発技術・農産共同体といった分野に、ドミニクは歌手や女優として稼いだギャラを悉くつぎ込んでいる。同盟側だけでなく帝国側で商売する企業にも満遍なく。そして本当に小さい、フェザーンの大企業に比べればささやかな『企業懇親連合』の取りまとめ役のようなことをしている、らしい。
「いつの間にかいろいろなことを彼女の前で話すようになって、私が結婚するという時に、手紙を頼まれたの。怖かったら焼き捨ててもいいと言ってね。だからこの手紙がただのラブレターではないことは、私も承知しているわ」
「……」
「もっともあなたを見ていると、どうかと思わないでもないけれど」
「そうだな」
フェザーン当局すら敵に回し、人知れず辺境で船ごと沈められる可能性すらあるのだが、それは手紙の内容をある程度絞ることで対処するしかないだろう。ドミニクの意図とは外れるかもしれないし、それでもう手紙が届かなくなることもあるだろうが、それはそれで仕方ない。
「ミセス・ラヴィッシュ」
「ミリアムでいいわ、なに?」
「同盟軍人が親族ということは、軍事公報の取り扱いは知っている、ということでいいか?」
「えぇ……わかったわ」
声色が変わったということは理解したということだろう。
「手続きはあなたの方でしてくれないと困るのだけど。私はすでにフェザーン人だし、あなたの親族でも婚約者でもないのだから」
「わかった。済ませておく。それと」
「まだ、なにか?」
不快とも面倒とも言えない、ただ言葉の端に徒労を感じさせる彼女の声に、俺は真正面から彼女を見据えて応えた。
「ドミニクを頼む。頼めた義理ではないが、これからも見捨てずに優しく付き合ってほしい」
俺の答えに、ミリアムは鼻で笑うと小さく頬を緩めて言った。
「同じ言葉を五〇〇〇光年も跨いで聞かされる身にもなって欲しいわね」
◆
想定外の事態があったものの結局残りの三日間を、ウィッティや他の時間がとれた同期生達と夜な夜な飲み歩き、昼過ぎまで寝続けるという自堕落で非生産的な日常で潰した。既に士官学校を卒業してから五年と半年。『同窓会名簿』の名前が次々と赤くなっていく現実に、みな溜息と愚痴と酒の量が加速度的に多くなっている。
アイツは嫌いだったが死んでいい奴じゃなかった、とか、アイツ結婚して二週間後の出撃で死んじまった、しかも若奥さん身重なんだぜ、と、ろくでもない話ばかり。二五歳とはちょうど結婚適齢期が始まるのは前世から相当時間が経ったこの世界でも変わらない。同期の女性士官が産休や一時休を取り始めるのも、統計上否定しえない事実だ。だから集まる面子は浮いた話がない奴らばかり。
そんな感じに全く休めたような休めてないような日々は一一月八日に終わり、俺は再び第四四高速機動集団司令部に出勤すると、いつも通りの面々がいつも通りに出勤していた。ただしファイフェルだけ顔に隠せないウキウキ感がある。
「そういうわけで貴官らには宿題じゃ」
これから休暇に入る爺様は、居残り組となるモンシャルマン参謀長とモンティージャ中佐と俺に、ファイフェルを通じてペーパーを配った。数分後に再びファイフェルの手元に戻ったそれには、やはりろくでもないことが書いてあった。
「読んでの通りじゃ。来年二月を期して、帝国前面星域における軍事活動に当部隊が参加することになった。出動するのはシトレ中将の第八艦隊と儂ら第四四高速機動集団。それに第三五三・第三五九・第三六一独立機動部隊と第四一二広域巡察部隊。総計一万七〇〇〇といったところじゃ」
主要戦略目標は、ダゴン星域における同盟勢力圏優勢の確保と、エル・ファシル住民帰還事業の援護。戦術目標は惑星カプチェランカの全土制圧、同周辺星系からの敵戦力の掃討、ティアマト星域へ繋がる各星系への哨戒網構築、エル・ファシル星域外縁部およびアスターテ星域における敵戦力の充足状況の確認である。
「……獣道を踏み均すのは我々の仕事になりそうですな」
モンシャルマン参謀長は溜息を吐きつつ首を振る。第四七高速機動集団が四つの独立機動部隊に変わったというところで、特に『作戦立案者の意図』が変わったわけではないだろう。最初からババ引きだったのは変わらないというところか。
しかしエル・ファシルを奪回した第四四高速機動集団が再びエル・ファシルの住民を護衛して当地に赴くというのは、政府が雰囲気づくりを企図しているものだとは理解できる。今度はしっかりと護りますよアピールは、政権支持率に直結する。恐らくはこの作戦全般における表の顔となるのは住民帰還事業になるだろう。それは第四四高速機動集団が対外的な注目を集める『盾』となる。
逆に遠征軍主力となる第八艦隊は目立たず他の四個独立部隊を率いてエルゴン星域からダゴン星域へ直行する。これによってダゴンだけでなくアスターテにいる敵哨戒隊の目を引き付け、その隙にエル=ファシルまで進出した地理案内の明るい第四四高速機動集団がアスターテ経由でダゴンまで、跳躍宙域にある偵察衛星や残っている小規模の哨戒隊を蹴散らかしつつ進撃する。分進進撃を戦略的に行うといったところだ。
作戦指揮は遠征軍主力である第八艦隊のシトレ中将が執り、同艦隊司令部が主導的に作戦立案を行うことになるが、軍事常識から考えてもこちらの想定以上の作戦を提示してくるとは思えない。作戦は機密を要し、帝国軍の大規模な機動部隊の出動は避けなければならない。偽装的な訓練や、対外情報工作も必要となるだろう。逆に言えば帰還事業関連以外のこちらの準備も悟られないように行わなければならない。
もし第四七高速機動集団が参加するとすれば、『前回のリベンジ』という視点を加えた訓練出動することができるが、それは叶わない。代わりに独立機動部隊が複数参加することになる為、作戦指導に関わる人間が増大することになり、情報統制も困難になるだろう。まぁ、その仕事をするのは第八艦隊司令部がすることで、我々は必要な情報を集積しつつ、考えうる限り作戦行動を想定し、それに対処する準備を整えておくことだ。物資の調達に関しては、訓練終了と共に充足は済ませてあるので、作戦行動計画に合わせる分のみで十分だ。
「儂らが休暇から戻ってくる頃には、ダゴン星域に到着するまでの行動計画草案ができていると、儂は信じておる。第八艦隊司令官からも、同艦隊幕僚部と協力を密にしてほしいという事じゃ。ジュニア。そう嫌そうな顔をするな」
表情には全く出していないつもりだったが、爺様は瞳だけこちらに向けて言う。つまりはシトレとの連絡調整はお前がしろと言っているのも同じことではある。
「儂らの不在時はモンシャルマンが集団司令代行、モンティージャが参謀長代理として対応する旨、麾下部隊指揮官には伝えてある。大事でもない限りは、貴官らで適時対処せよ。報告は後でよい」
「承知いたしました」
モンシャルマン参謀長が改めて頭を下げると、爺様も頷いてそれに応えた。これで二週間。前回のエル=ファシル攻略作戦同様の司令部缶詰ウィークが始まるわけだ。ところが……爺様は体を変えて改めて俺を見つめる。行動計画の立案は面倒で疲れる仕事だが、経験もあることだし大きな問題はないはずだ。見ればファイフェルのニンマリとした笑顔が、何となく悪い予感を誘う。そしてそれは正解だった。
「ジュニアは行動計画とは別に、エル=ファシル帰還事業団との業務調整も行え。事業団は地域社会開発委員会の傘下、特殊法人となる。船舶調達補助やらいろいろ言ってくるじゃろうから、『適切に善処』すること」
「えっ?」
「マーロヴィアで鍛えた行政との調整能力を存分に発揮せよ。モンシャルマンもモンティージャも、早々に暇ではなくなるのだからな」
「それはエル=ファシルの英雄が所属する第八艦隊司令部に任せた方がよろしいかと小官は愚考いたしますが」
「まさしく愚考じゃが、無理だと承知の上で粘り腰を見せるその態度は、儂は嫌いではないぞ」
ポンポンと軽く俺の肩を叩く爺様の、それはそれは怖い笑顔に、俺は頷かざるを得なかったと同時に、いつかファイフェルを書類地獄に叩きこんでやろうと決意するのだった。
しかし決意したところで何も物事は進まない。取りあえず幕僚事務室に戻ってニコニコ顔でデスクを整理しているファイフェルの太腿に一発蹴りを入れた後、これまた机上の書類を纏めているカステル中佐に軽く話しかけた。
「中佐、こういう場合、政府と軍が双方で船を出し合うことはあり得ますか?」
「ない。政府が船を出すなら軍が費用を出す。軍が船を出すなら政府が費用を調達する。エル=ファシルの場合は緊急避難法による民間船徴用条項が適用されていたはずだ。でないと、あとで揉める」
その辺は法務士官に聞いておいた方がいい、とカステル中佐は中身のほとんどなくなった鞄を机の上に置いて言った。
「それと一応頭に入れておいた方がいいのは、地域社会開発委員会は最高評議会の委員会でも予算配分が少ないので、属僚もドケチ揃いだということだ。予算を軍が持ち逃げしていると考えている風土がある。特殊法人である事業団の予算は中央政府の別枠持ちのはずだが、一ディナールでも浮かせようというのは、財務官僚に限らず誰もが考えていることだ」
ということはあらかじめ相手の財布の中身を知っておいてから話を進めるべきだろう。こちらでも算定してからアポイントを取った方がよさそうだし、使える者は無駄飯ぐらいでも使うべきだ。勿論、本人は嫌だろうが。
「ご指導ありがとうございます。ちなみに中佐は、休暇はどうされるんです?」
「これでも結婚しているんだ。家族サービスくらいする」
「「え?」」
俺と、聞き耳を立てていたファイフェルが同時に声を上げると、モンティージャ中佐は咳き込むように笑う。しかし、一応この世界に長く残っている伝統としての左手薬指の拘束具がカステル中佐にはない。
「ボードを叩く邪魔になる。だからしてないだけだ」
めんどくさそうにそう応えると、その拘束具のない左手に鞄を持ち、軽く右手で敬礼すると部屋から出ていく。残された独身三人のうち、若い俺とファイフェルがモンティージャ中佐を見ると、部屋の扉が閉まってから数分後、大声で中佐は笑って言った。
「言いたいことは、そういうことじゃないんだよな。わかるぜ、二人とも」
その笑い声は重なるごとに大きく、ブライトウェル嬢が珈琲を四つもって入室してくるまで続いたのだった。
そして翌日。席が半分空席になった司令部だったが、いつものようにブライトウェル嬢が出勤して、いつものように珈琲を出して掃除しているのに、俺は呆然としていた。
「貯金もありませんし、特に母と二人、何処へ行く当てもないので休暇は取り消しました」
それに作戦行動前に司令部従卒が一人もいなくなったら業務に支障が出るでしょうと、もはや自分の砦を守るような態度で、彼女は言った。そして長期休暇をとって主が不在となった副官用デスクを占領し受験勉強に励んでいる。モンシャルマン参謀長もモンティージャ中佐も程度の差こそあれ、まぁ本人が望んでいるならこちらも助かると、それを黙認している。
だが今回は俺としては彼女の受験勉強を見ることも、彼女を使って作戦行動を立案することもできる時間がない。少なくともここと、第八艦隊司令部と、地域社会開発委員会を巡り回ることになる。軍事作戦に関してはモンシャルマン参謀長もモンティージャ中佐もいることなので、まずは帰還事業について詰めることにした。
帰還事業とひとこと言っても、内容は多岐に渡る。
エル=ファシルから避難した約三〇〇万人の避難民から帰還民への帰属変更。いわゆる国家が全ての面倒を見る状況から、各人各家庭そして各企業の預貯金口座を開放して、経済活動を再開させる段階への移行を法的に進めること。これは既に中央政府がハイネセンに避難民が到着した時点から計画が進んでいる。
次にエル=ファシルへの帰還を希望する住民の旅客運航事業。船舶を調達し、それを運航すること。これは特別法人の管轄となる。特別法人と名はついているが、実際は元エル=ファシル地域政府の中核者で構成されたいわゆる『亡命政府』だ。エル=ファシルに戻ることなく別の星への移住を求める住民もいることから、彼らの数的管理や個々の移住先での助成事業も行わなければならない。そしてそれは時々刻々と変わる。
最後に復興事業。破壊されたエル=ファシルの地域経済を立て直さなければならない。大規模な地上戦が都市部では行われなかったので、派遣地上軍及び捕虜達によって戦場整理は終了し、インフラも最低限以上の復旧を果たしている。ただし農地や工場といった民間事業所の復興は当然進んでいない。産業助成や大規模公共事業と、世帯経済の復興の両面から財務・経済・開発官僚主体で計画が進められている。
これらの事業を統合して帰還事業としているが、亡命政府である特別法人、中央政府各省庁から集められた官僚達、いわゆる住民グループと呼ばれる避難民の連合互助組織、そしてそれら三者の『上』に立っているとは名ばかりの地域社会開発委員会が、互いの面子と法的立場を背景に糸を引き合いながら物事を進めている。ここに軍として加わることは、俺としては断じて拒否したい。
軍はエル=ファシルでヘマを打った。防衛司令官は敗れた上に、守るべき住民を見捨てて逃げ出した。かろうじてその悪名を一人の英雄が救ったわけだが、英雄を作り喧伝しなければならないほどに、軍は強く批判されていた。その軍が帰還事業に関わるような話となると、色々と面倒ごとを『責任をとれ』と言わんばかりに押し付けてくる可能性が高い。
爺様は帰還事業における軍の関与についてあくまでも『帰還船団の護衛』のみ行うよう俺に指示している。戦場整理も軽度のインフラ整備も一応は済ませてある。宇宙港も使用可能な状況なのだから、もうこれ以上軍が口をはさむようなことはすべきではない。統合作戦本部も宇宙艦隊司令部も勿論そう思っているからこそ、この帰還事業においてはハイネセンにおける『仮設都市』の建設やそのインフラ維持にのみ関与していたにすぎない。
だから俺は(事実上は作戦行動における移動ではあるが)帰還船団の護衛計画だけでなく、帰還船団の船舶調達補助、軍事航路優先運航権・同運航計画、帰還船団に対する軍燃料の無償貸与まで考えて計画し、幾つかの関連部署への連絡やリーガルチェックを行った上で、第八艦隊司令部にアポイントを取った。既にダゴン星域における作戦立案に入っている司令部の幕僚達の反応は悪かったが、俺が求めていることがそちらの作戦立案にあまり関係ないと分かったのですんなりと了解が取れた。
「そういうわけで、ヤン。面倒だし引きずり出されるのは嫌なのは承知しているが、どうか協力して欲しい」
珈琲と紅茶が置かれた白い合板のテーブルを挟んで、俺は呆れた顔をして目の前に座る、英雄様に頭を下げるのだった。
後書き
2022.08.28 更新
2022.08.29 文主語修正
第79話 第四一回帰還事業団統括会議
前書き
いつも拙作をお読みいただきありがとうございます。
まぁちょっと出木杉というか、本来官僚がこうでは問題あるんじゃないかとか、
現実的にありえないとか、思わないでもないです。
結局、筆者の知識と筆力不足・劣化です。温くお願いします。
宇宙歴七八九年一一月八日 バーラト星系惑星ハイネセン
ヤン自身、こういう事が面倒というか辟易しているのは分かっている。俺の目的が、エル=ファシルの英雄として帰還した時の邪気の大群と大差ないことも。だがヤンは第八艦隊司令部を訪れた俺を、イエロー・ジャーナリズムや増殖した親族とは別として応対してくれたのは、士官学校以来の親交を鑑みてのことだろう。原作通りであれば、切って捨てられても可笑しくはない。
「……で、先輩は四者の説得の材料として私に何を喋れと言うんです?」
はぁ、と画面越しによく見た呆れたような無気力な溜息を、まさか転生した自分が浴びる羽目になるとは思わなかったが、これも自業自得だし業務の一環だ。
「別に喋らなくてもいい。喋るのは俺の仕事だ。なんなら一度挨拶したらマスクしてても構わない」
「はぁ……え?」
「俺が望んでいるのは四者それぞれが、帰還事業におけるそれぞれの自己の目的と行動を再認識し、誇りと秩序をもって行動してもらう、ということだ」
勿論、第四四高速機動集団の『護衛という名の部隊移動』を隠す為でもあるが……現状、一貫した指揮統制のない状況の帰還事業を交通整理しなければならない。船頭多くして船山を越え『ない』といった現状なのだ。
事実上の亡命行政府である特別法人は、自分達が帰還するエル=ファシルの代表者であるという意識を持っている。ハイネセンのエル=ファシル『村』の代表も彼らであった。実のところ彼ら行政府元高官の一部がリンチ少将と一緒に逃げ出していて全員未帰還であることから、ある意味ではヤンと立場が似ている。故に中央政府から派遣された官僚達はもっと自分達の(意図する方向に)フォローをすべきであって、自分達こそが事業主体であると言ってはばからない。ただし内部での意見対立があるので、一概に纏まっている集団とも言いにくい。
それに対し中央省庁から派遣された官僚達は、事業におけるいわゆる臨時雇い公務員で、エル=ファシル避難民を受け入れ、軍が設営した避難村の経営を行っている。特別法人が要求することに対する財源や資源の調達やフォローが中心であるが、自分達が一切合切とりしきらなければ、特別法人は何もできない無能集団指導部だと、わざわざ口に出しはしないが明確な態度で示している。ただあくまで臨時雇いであるので、他に業務を抱えている官僚も多く、意見の取り纏めに苦労しているというところだ。
住民グループはその名の通り住民内で自主的に作られているグループだ。特別法人に対してミクロな住民の難事を吸い上げて改善を要求し、逆に配給資源の分配や末端業務を代行し、住民の生活を限りなく円滑にしようとしている。ただ旧市町村行政組織グループと、旧行政府議会政党組織グループと、職能集団グループと……とにかく数が多すぎてどうしようもない。因縁付けのヤクザのような集団が居るのも確かだ。だが数は当然ながら一番多い。
取りまとめ役であるはずの地域社会開発委員会はあまりやる気がない。財源も権限も基本的にはトンネルだ。亡命行政府を連邦政府の下部組織にするわけにはいかない(地方自治の原則)為の方便として委員会がつかわれているに過ぎない。
エル=ファシルの脱出時、ヤンはある意味では強権を振りかざした。惑星緊急事態法に基づくとはいえ、軍による行政府と住民の統制を行ったわけだ。勿論帝国軍の侵攻という非常事態下にあって、しかも防衛戦力が逃亡する状況。誰もが誰かに責任を押し付けたいという気持ちが、ヤンに向けて非難や批判の集中砲火を浴びせつつも、その指示には従って協力もした。
だが現在、エル=ファシル行政府も住民も安全なハイネセンにあり、生活の一切を中央政府が面倒見てくれている。生活に安全と余裕がある状況下で、統制などできようはずもない。それぞれが自己の利益の最大化を図るのは自然の流れだ。付けられた予算と今後付けられるであろう予算に対する背中からの食指が、あらゆるところから動き出している。エル=ファシル失陥から既に一年が過ぎ、奪回もなしえているにもかかわらず、帰還事業は遅々として進んでいない。
「近寄りたくもない混沌じゃないですか。そんなところに脛に瑕を持つ軍がノコノコと顔を出せば、ろくなことにならないのは子供でも分かる話でしょう?」
「そういうことはそんな微妙な時期に、エル・ファシル住民帰還事業の援護を名目に加えた出兵を行う艦隊司令官に是非言ってやってくれないか?」
「……」
「それとも第八艦隊がエル=ファシルからダゴンに打通してくれるか? 第四四高速機動集団としては大歓迎だ。是非ともそうしてくれ。代わりにカプチェランカの帝国軍基地も吹っ飛ばしてやるよ。惑星ごと熱核兵器で木っ端微塵にしてもいいならな」
言葉悪くヤンに当たっても仕方ないことだが、実際のところ奪回した第四四高速機動集団より、英雄のいる第八艦隊のほうが凱旋航行にはふさわしいと帰還事業の人間は考えるだろう。別に第八艦隊でなくとも、同行者にヤンが居れば喜んで協力する。そこまで分かっているだけに俺に出汁に使われ、一年前の狂騒が再び起こると、ヤンも警戒している。
だが今回は軍事的な面からも第八艦隊はエルゴン星域からの突入が求められる。参謀長を初めとして両手に余る参謀集団の中の一人であるとしても、ヤンを人身御供とするのをシトレは嫌がるだろう。だが現実にシトレによって迷惑をこうむる羽目になっているのは、第四四高速機動集団の、具体的には俺だ。
「よし。ヤン。約束しよう」
ヤンと俺の口論が、部隊同士の対立となり、ひいてはシトレと爺様の間の対立になることは避けたい。シトレは俺がヤンを巻き込んで対応したことに怒るだろうが、だったら出兵をロボスにでも任せればいいとはねのける覚悟で応じるしかない。
「この作戦においてお前をエル=ファシルに連れて行くようなことは、俺が職を賭して阻止する。作戦におけるお前へのマスコミの取材も一切断る。サインを数枚書いてくれるくらいでいい。その上で俺に手を貸してくれ」
「出来ますか? そんなこと」
「別に断ってもいい。お前に無理強いしているのは分かっている。俺だってやりたくない。そもそも元凶はそちらの上司だ。責任取れと殴り込んでもいい。そう言えばここは第八艦隊司令部か」
「作戦において帰還事業団の存在は無視してもいいと思います。あくまでも星域の安定性を確保するために出動するという名目であれば、帝国軍もある程度誤魔化せますし、世間は納得するのではないですか?」
「もしそうなら第四四高速機動集団はこの作戦だけでなく、以降においてもエル=ファシルに駐留することになり、それは前線配備戦力の恒常的な増大を招く」
強力な大部隊を前線配備することは一義的には悪いことではない。侵略にも海賊にも対応する手数が多い方がいいに決まっている。だが部隊を前線配備するということは、後方支援施設を設営する必要が出てくる。駐留させるとなれば将兵家族の居住施設などの後背施設も作らなければならない。
なぜ同盟軍がハイネセンに大規模な機動戦力を一極集中配備しているか。他にも理由がないわけではないが、一番なのは資材・資金・経済規模で後背地を維持する能力があるのがハイネセンしかないということだ。マーロヴィアに巨大な管区防衛司令部があったのは、将来的な辺境開拓において重要な拠点となりうると一〇〇年前の社会情勢が許してくれたからであり、エル=ファシルに大部隊駐留が認められるなら、ドーリア・エルゴン・ファイアザードといった他の星域の各有人星系も手を上げるだろう。はっきり言ってキリがないし、金が続かない。
そして最大の難点は戦力分散だ。それこそイゼルローンのような空間的制約と防衛力と支援施設がある場所でもない限り、艦隊規模の戦力を張り付けることはどうしたって不可能だ。そうなれば侵略戦力の規模が容易に上回る。兵は無駄に死ぬことになる。
「帝国軍を過度に刺激することなく、エル=ファシルに戦力を動かす理由としての護衛任務だ。護衛する船団のいない護衛任務に高速集団規模の戦力が動いたら、あとで軍会計検査局がなんて言うかわかるか?」
方便としては通じるかもしれないが、横領可能性案件としてカステル中佐あたりが引っ張られることになるだろう。幸いというか同盟末期のような事後承諾や譲渡契約書みたいな話が通じるほどには落ちぶれていない。
「喋るのは俺に任せろ。口先だけはどうやら買ってもらえているらしいからな」
「ホントに約束できます?」
「出来なかったら職を賭すと言った以上、退役するさ。年金は貰えないし、もしかしたら借金を背負うことになるかもしれないが、マーロヴィアに行って鉱山労働者になるさ」
「全然罰になってませんよね、それ」
年金の為に軍人になったと言って憚らないヤンには効果がないのかもしれないが、どうやら俺の覚悟は分かってくれたらしい。先程とは違った諦観のこもった溜息をついた後、紅茶を傾ける。俺もそれに応じるように珈琲に口を付けた。沈黙は数分。先に口を開いたのはヤンだった。
「先輩はいつも買う必要のない苦労まで買って出ますが、それは一体どうしてなんです?」
士官学校の時と同様だ。その表情は柔らかいが、口調は鋭い。だから答えもあの時と同じだ。
「『平和』の為だ。そして俺は今、高速機動集団の次席参謀という職責にある」
小会議室の、汚れ一つないぼんやりとした全天照明を、椅子を傾け、顎を上げて見つめる。
「ヤンがどう考えているか知らないが、俺は参謀という仕事はひたすら『考える』仕事だと思っている。自分が提案した作戦なり命令が、多くの将兵の生死を分け、その家族の心に重荷を負わせることになるとするならば、どれだけ考えを尽くしても考え過ぎということはない。俺自身天才でない以上、最適解を即答できる能力はない」
目の前の天才はそうではない。原作でも散々語られているが、情報分析能力もさることながら、時として閃く知能の冴えは尋常ではない。前世でも現世でも知能は人並みの俺が最適解に達するには、事前に埋めていくべき穴を一つずつ潰していくことでしか成しえない。
ヤンがごく潰しとか無駄飯ぐらいと言われるのは、軍に対する忠誠心の無さや戦争に対する忌避感ゆえの積極性の無さが、はっきりと態度に出てしまうところだ。それも個性だと俺は思うし、それを補って余りある用兵家としての才能がヤンにあることを、俺は『知っている』。そして俺は小心者で、自分にそんな才能がないことも十分承知している。ゆえに
「与えられた任務を確実に果たす為には、そのような些細なことにも全力を尽くす。見つかった穴は確実に塞いでおかなければ、おちおち道も歩けない。小心者ゆえの苦労性だよ」
「苦労は人に任せようとか、穴は避ければいいとか、私なんかは思うんですがねぇ」
小さく肩を竦めると、ヤンは俺の要望を汲むと約束し、紅茶のお代わりをとりに行くのだった。
◆
エル=ファシルの英雄という爆弾の威力は、こちらの想定通りかそれ以上の働きをしてくれた。
そもそも論としてはじめは軍も統合作戦本部から大佐クラスの人間を送り込んではいたが、避難施設の完工以降は出席していない。他者からの非難と過大な要求に嫌気がさし、もう口は出さないから金も出さんよと言わんばかりに連絡官として中尉が一人、発言することなく黙って資料と議事録を回収する為だけに参加しているのが現状だ。
そこに横紙破りで参加することになる俺は、まずは統合作戦本部『施設部』に在籍するその大佐に話を付けた。帰還事業に対する護衛任務を担当することになるので今後、第四四高速機動集団も会議に参加させてほしいと願うと、あっさり了承された。ヤンが同行することは勿論話していない。どうせ嫌みか非難しか言わず、苦労しかかからないが後で結果を報告してくれればいいと、いかにもめんどくさそうにその大佐は手払いで応えてくれた。
そして当日。俺が地域社会開発委員会の席にヤンと一緒に訪問したことで、委員会ビルの小会議室はパニックに陥った。第四四高速機動集団ほか一名としか記載しなかったから不意打ちも同然だが、同行することになった施設部建築資材課運用係の老中尉、デニス=ザーレシャーク氏の心労は大変なものだったろう。
「英雄がいらっしゃるとなれば、こんな会議室ではなくもっと大きな場所をご用意いたしましたのに」
ニコニコ顔で応対するのは特別法人代表のソゾン=シェストフ氏。大柄で恰幅もいい人物で、元エル=ファシル行政府の副首相を務めていた。それなりにリーダーシップがあると言われているらしいが、ヤン曰く『脱出計画の事前打ち合わせで会ったことがない』らしい。体格同様、鷹揚な性格に見えるが、目には狡猾さと計算高さがある。ちなみに会議の場を提供しているのはあくまで地域社会開発委員会であって、彼ではない。
「軍部の方からのご提案と伺ったのですが、まさかエル=ファシルの英雄がいらっしゃるとは。軍部もそろそろ本腰を入れていただけると考えてよろしいのでしょうか?」
そう言ってヤンではなく俺を睨んできたのは、中央派遣官僚団の一応代表になるクロード・モンテイユ氏。財務委員会事務局総合政策課係長補佐を務めている。事業団の規模に比して些か職級が低いのが気になるが、こちらも少佐が来ているのだから大して変わらない。スマートな顔つきにキッチリと油で纏められたヘアスタイル。そして特徴的なカモメ眉に、根性の座った鋭いグレーの目は見覚えがあるどころではない。
「お久しぶりですなぁ。ヤン……少佐でよろしかったんですな。軍の階級章はいまいちわかりにくくて」
ヤンも「はぁ、どうも。お久しぶりです」と遠慮がちに頭を掻きながら応える相手は、まだまだ若くて顔に張りのあるフランチェシク=ロムスキー医師。彼はエル=ファシルの脱出行に際しても民間協力者の一員であったし、その代表的な立場で随分と積極的にヤンに協力した、らしい。ヤンが言うことを信じないわけでもないが、本当に協力したのか原作を知る俺としてはイマイチ信用おけない。ただその実績は参加者の中でも高く、本人が性格上真面目なのか会議を一度も欠席せず、有象無象の住民グループの代表の中でも異彩を放っていると、ザーレシャーク中尉は話している。
「……では、全員集まったようなので、会議を開会したいと思います」
この会議室の中で、一番やる気のない声で議事進行を始めたのが、地域社会開発委員会の副委員長であるロイヤル=サンフォード代議員……だった。後退した白髪頭に眠そうな目はそのもので、この会議に対する熱意は全く感じられない。原作でも『政界の力学がもたらす低級なゲームの末、漁夫の利益を得たと評されている』が、その評価は正しい。地域社会開発委員会の最高評議会における順列はあまり高くないし、この歳で副委員長ということは、まさに老境に差し掛かりつつある代議員がそれまでの議員生活を鑑みた功績としての名誉職に近い。ここから一〇年後に最高評議会議長になると言うのは、普通は想像しえない異例の出世だ。
それでも議長としての職責について理解がないわけではなく、淡々と言葉を続けていく。
「今日の議題は軍部より提出されました、エル=ファシル星系への住民の帰還運航および船団護衛計画についての可否についてです」
「議長!」
俺が手を上げるまでもなく、最初に声に出して手を上げたのはモンテイユ氏だった。俺の手が肩まで上がっていたのだが、僅差と見たのか、顔見知りだからなのか、サンフォード氏はモンテイユ氏を指名した。
「参加されているボロディン少佐にお伺いしたい。これまで軍部の方々はこの帰還事業に関して、あまり積極的にはご参加されなかった。今回急遽参加された意図をご説明いただきたい」
今までの軍部の不作為と職場放棄は一体どういうことかと、まずは問い質したいところだろう。面子を見る限りにおいては実務を担っていたであろう財務官僚としては、新たな闖入者ともいうべき俺の存在は不愉快であり、可能であれば排除したいと考えているのかもしれない。
「え~軍部の代表はヴィクトール=ボロディン少佐、でいいのかな?」
一度原稿に視線を落とした後、その眠たそうな目を俺に向けてきたので、俺はにこやかな微笑みを作って頷き返すと、改めてサンフォード氏は俺を指名した。
「ご指名を頂いたのでお答えいたします。軍部といたしましてはこれまでエル=ファシル星系の奪回自体に力を尽くしてまいりました。作戦は成功のうちに完了し、既に戦場整理も完了しつつありますので、参加させていただいた次第です」
「作戦完了については八月に報告は受けている。少佐は宇宙暮らしが長いからご存じないかもしれないが、現在は一一月だ。既に三ケ月経過している」
「そうですね。そろそろハイネセンポリスのあちらこちらで落葉が見られるようになって、季節を感じられるようになりましたね」
まぁ嫌みの一つも言いたくなるのはわかるが、こちらも『次の作戦の為です』と応えるつもりは毛頭ない。一応は国防委員会まで作戦は打診されているはずだが、対外的な発表はずっと後になるだろう。まともに応対しない俺に少し感情的になったのか、モンテイユ氏は立ち上がってカモメ眉を吊り上げ俺をギロリと睨みつける。
「あまりにも遅すぎるとは考えないのか?」
「いいえ。まったく」
「もしそうであれば貴官の正気を疑わざるを得ない。軍部はエル=ファシルで民間人を見捨てて逃亡した。そこにおられるヤン少佐のおかげで住民はかろうじて脱出できたが、ハイネセンに避難施設を作って以降、施設運用一つとっても非協力的な態度は看過しえない」
「そうですね」
「そうですね……それだけかね?」
「ええ」
「では貴官は一体、何のために会議に参加しているのか?」
「冒頭で議長が仰られた通りです。住民のエル=ファシルへの帰還についての運航およびそれに伴う護衛の件で、ご説明に上がった次第ですが?」
まぁモンテイユ氏から見れば、避難日数が一日伸びるごとに、とんでもない額の費用が基金から抜けていくのだから、財務官僚として神経質になるのも無理はない。それまでの軍部の行動に問題がないわけでもないから彼を責めようとは思わないが、言わなければならないことはある。なに言ってんだコイツはという視線が、俺に向けて集中するのを確認してから、改めて俺が手を上げる。サンフォード氏は空気に飲まれているのかぼんやりしているが、俺が二度ばかり手を振ると、寝起きのように体を震わして、俺を指名した。
「小官の所属する第四四高速機動集団は、三月一〇日より七月三〇日まで、エル=ファシル星域を中心に帝国軍と戦闘を繰り返しておりました。モンテイユ氏もおそらく映像を見てご存知かと思われますが、地上でも激戦が繰り広げられておりました」
宇宙艦隊だけでも七万人以上の被害を出した戦いだ。地上戦の優しい噓はともかく、少なくともリンチがしでかした『失陥』についての軍の責任は果たしたと言っていい。
「エル=ファシル星域における帝国軍の存在をほぼ掃滅することは出来ましたが、戦場整理に手間取ったのは事実です。それだけの『激戦』であったのです。まず、それを皆様にはご認識ただきたい」
俺はつい最近までその戦場で戦ってきたんだぞアピールは、俺が一番嫌う遣り口だがまず聞く耳を持たせるためには仕方がない。
「地上軍の多大なる協力によって、既に重要インフラの補修・整備も進んでおります。民間宇宙港も衛星軌道管制センターも発電所や水道施設に至るまで、『軍』が、準備を整えつつあります」
「そ、それは……本当なのかね?」
シェストフ氏の顔色が明らかに変わる。それはそうだろう。戦場整理とはいっても都市は破壊され、インフラの復旧などそんな短期で見込めるはずがないという前提で、重工・建機関連企業へ入札の口利きを彼はしているのだから。まぁ住居関連の復旧までには至ってないから、企業側も丸損というわけでもないだろう。賄賂の額に見合うかどうかは別として。
「ええ。事実です。地上軍の方々のエル=ファシル星系への奉仕の精神は極めて尊いと小官は考えます」
「その連絡は帰還事業団には届いてない。軍部は我々に報告していないのではないか?」
「統合作戦本部には報告済みなのですが? お聞きになっていらっしゃらなかったのは実に残念です」
避難施設の運営や官僚としての別の業務と兼務していて忙しいのは承知の上だし、報告自体も『軍事機密』でもあるから取得が難しいのはわかるが、そういうところを見逃しているから俺のようなマヌケにスキを突かれるのだと、挑発的にモンテイユ氏に視線を向けた。氏も自分達の不作為が分かったのか、後ろに座っている恐らく担当の他省庁からの派遣官僚達に厳しい視線を向けている。
「勿論、ハイネセンでの避難生活支援や、避難民の就労、転籍手続きなどで皆様がお忙しいのは、小官も承知しております。故に、今回小官は、第四四高速機動集団の『エル=ファシル奪回作戦』の最終段階として、エル=ファシルへの帰還についての計画を立案した次第です。ご説明申し上げたいので、この部屋の三次元投影装置を使用したいのですが?」
俺から視線を向けられたサンフォード議長は、隣に座る委員会に事務官に話しかけ、その事務官から伝言ゲームで若い職員の一人が俺に駆け寄ってきて、端末との接続をしてくれた。まだ部屋が明るいため、薄っすらとしか映ってないが、内容表示には間違いがないのでその職員に室内の照明を落とすよう願うと、再び職員は駆けだして事務官に問い合わせている。頷いているから恐らく問題はないだろう。俺は席に腰を下ろしたタイミングで照明が落ちたので、ヤンとザーレシャーク中尉に一言二言告げて、手紙を託した。
「では、ご説明申し上げます」
背中でゴソゴソと動く気配を他所に、俺は会議室の中央にはっきりと表示された帰還計画について説明する。エル=ファシルまで帰還民を運ぶ船団の船舶調達から始まり、その行程における軍事航路の使用、帰還船団に対する軍燃料の無償貸与、周辺星系の治安状況まで。だいたい三〇分ぐらい喋っただろうか。シーンとした空気の中での発表に、俺は前世の大学での卒論発表を思い出さずにはいられない。照明が戻った後で、俺を見る視線の異様さは全く違うが。
「ぐ、軍はそこまで計画していて、何故、我々に話を通さないのか」
数分の沈黙の後に、最初にキレたのはシェストフ氏だ。まぁ帰還について一切合切の利権関係は彼が握っているのは分かっている。もしかしたら重工関係だけでなく、星間運輸関連企業にも話をもっていっていたのかもしれない。
「軍の身勝手な態度は目に余る。貴官らは我々をなんだと思っているのだ」
怒っているというよりは、答えは分かっていても言わざるを得ないといった抗議をするのはモンテイユ氏だ。
「いや、素晴らしい。是非とも早急に実行をお願いしたい」
手を叩いて手放しでほめるのはロムスキー医師だ。まぁ、この人は単純に早く故郷に帰れるということに喜んでいるだけだろう。もちろんサンフォード氏は、事態についていけずぼんやりとしていて判断に困っているという感じだ。
それから他の列席者からもやいのやいのと声が上がるが、俺は机の上にある珈琲に口を付けて聞き流している。五分もしただろうか、喧騒はゆっくりと収まっていき、次に困惑の空気が会議に充満する。
「あの、ボロディン少佐」
その空気を察してか、サンフォード氏の隣に座っている事務官が俺に問いかけた。勿論聞きたいことは分かっている。
「その、ヤン少佐は、どちらに行かれたのですか? お姿が見えないようですが……」
「あぁ彼は第八艦隊の作戦参謀ですので、たぶん司令部に帰ったのだと思いますよ?」
「か、帰った?」
「えぇ、彼も忙しいところをわざわざ来てくれました。きっと彼なりにエル=ファシルのことが心配だったのだと思いますよ。でももしかしたら失望しているかもしれませんね」
俺は自分の発言が間違っていると分かっていながらも、精いっぱい口を歪ませて奴らに言った。
「まったく身動きしない帰還事業団という団体にね」
後書き
2022.09.04 更新
2022.09.25 文脈修正
第80話 怪物、登場
前書き
少し間が空いてすみません。
仕事やなんやで、三連休はものの見事に潰れ、台風後も故障だなんだで振り回されました。
本編にいよいよ奴の出番です。
宇宙歴七八九年一一月一二日 バーラト星系惑星ハイネセン
十分に血圧が上がったところで、『エル=ファシルの英雄』が自分達に失望しているという爆弾は、その正否を問うべき相手の退出によって、炸裂せざるを得なかった。
ヤン自身がメディアを通じて委員会へのイメージを吹聴するような男でないのは分かっている。が、此処に列席しているメンバーはそのメディアに露出しているヤンの姿を嫌というほど見ている。本人にその気がなくても、軍と親しい放送局が動き出すかもしれない。そういう疑心暗鬼がメンバーの間で渦巻いているのは、人が悪いとはいえ滑稽に見えてしまう。
「改めてボロディン少佐に伺いたい」
その中でも直ぐに立ち直ったのは、やはりモンテイユ氏だった。
「軍はこの帰還運航計画について、当初から検討していたという解釈で良いのだろうか?」
「モンテイユ係長補佐。それは主語が正確ではないと思いますが?」
「失礼した。訂正する。貴官と第四四高速機動集団は、軍上層部の命令として当初からこの護衛計画を立案していたと解釈してよいのだろうか?」
「いいえ」
「では先程の奪還作戦の『最終段階』であるという貴官の発言は、私の聞き違いだろうか?」
「いいえ」
「貴官の発言は矛盾しているように思うがどうだろうか?」
そう、実に官僚的な問い直し。官僚の真髄たる道義と権限と責任と過程。機械のように情を交えることなく、淡々と物事を順序だてて解決するのは得意だが、無用な責任を被って枠の外で行動することは不得意であるが故に、細かいところを潰していく。責任回避というより、それが秩序だと理解している故のことだ。
軍も本来そうであるべきだ。特に政治に関与することはなく、与えられた権限の中で任務をこなすというのが同盟軍基本法にも定められている通り。だがお互いがお互いにその範囲を守ろうとし、そして誰も批判を恐れてリーダーシップをとろうとしない為に、会議は繰り返され別方面からの圧力にさらされ物事は進まない。そういう隙を見逃さないで地位と権限を拡大していったのが、あの怪物だ。
とりあえずは能力的に物事を動かせるのは、この中ではモンテイユ氏しかいない。一応は官僚方トップとなる彼のことは名簿リストに名前を確認した後で、マーロヴィアの女王様に連絡を取ってその性格と能力を確認している。前職ではモンテイユ氏よりも上位者であった女王様曰く『物事を構築するという創造性にはやや乏しいが、筋から外れたことを嫌う硬骨漢で財務官僚の中では実務能力もまとも。妙なところで小心でセクハラはしないし筋金入りの愛妻家だから、そのうちジャムシードあたりに落下傘するタイプ』とのこと。
であればサンフォードを神輿にして彼を実務中心にすれば、委員会は機械的にかつ機能的に動かすことができるだろう。その為には政治や他の雑音を排除してあげる必要がある。おそらくヤンほどではないにしても、そういう政治家との距離の取り方や交渉の仕方が彼は得意ではない。だから冬薔薇になるまで中堅以下の地位にしかいられなかったのかもしれないが。
故に俺はここで慣れない挑発行動に打って出る必要があるだろう。たぶん彼も何を言われるかは分かっている。
「それに本当にお答えしてもいいですか? 議事録に残りますよ?」
俺が視線でいいですね?と彼に問うと、申し訳ないといった視線が帰ってくる。それはあくまで視線だけで、表情は全く逆に理不尽な怒りに溢れている。
「……聞かなければなるまい」
「皆さんの不作為を取り戻す手段をどう法的に落とし込むかという方便以外のなにものでもありません。係長補佐。貴方は小官に対し、『三ヵ月間何をしていた』と詰問されたが、それはそのままそっくりお返しする話ではないですか?」
彼自身に罪の一端はあるものの、彼の権限ではどうしようもないところでもある。利権主義の副首相は自分の利益しか考えていないし、ロムスキー氏はあくまで住民代表であって実行機関ではない。最も悪いというか、一番どうしようもないのは、自分が音頭をとってやる仕事とは全く思っていないと言わんばかりにあくびをしているサンフォードだろう。俺の視線がサンフォードに一瞬向かったのを、正対するモンテイユ氏もつられて議長席に視線を向け、小さく下唇を噛んでいる。
本来ならサンフォードが特殊法人の議事指導者として、このタイミングで俺とモンテイユ氏の間を取り持ち、根本的に軍の関与を受け入れるか受け入れないのか、まずこの議事に参加する人間に主議題として問う必要がある。さらに具体的に軍の提案に対して特殊法人側がなすべきことをモンテイユ氏に問わなければならないのに、それすらしない。
空気が読めないのか、それとも分かってて行動しないのか。恐らくは自分の功績や政治生命には全く関係ないことだから、手頃な昼寝の時間とでも思っているというところだろう。エル=ファシルと彼の選挙地盤とは全くかけ離れた場所だ。やりたい奴に任せればそれなりになる……そういう放任主義なのかもしれないが、それならそれで十分だ。
「少佐。貴官は我々に不作為があるというが、我々はあくまでも特別法人であり正式な常設行政組織ではない。まして軍のように自己完結性を有する組織でもない。船を一つとっても星間運輸企業と長期契約しなければ満足に運用することは出来ないのだ」
サンフォードにこの場での指導の意思がないということが分かったのか、モンテイユ氏はプラン2と言わんばかりに、根源論から一気に具体的な方法論へと話を飛ばす。喧嘩腰に討論しつつ、俺と二人で具体案を組み上げようという議論の『即興出来レース』だ。勿論、俺はそれに乗る。
「だから何です? もし貴方方にその実行力がないというのであれば、軍隊にしっかりと条件を付けて依頼すればいいだけの話ではないですか。エル=ファシルに住民を帰還させたい。その為には船が必要だ。だが特別法人では船を揃えるだけでも手一杯であるから、どうにか軍の方でも船を用立てして欲しい。その金は特別法人の基金から用意すると」
「基金の運用はともかく、帰還事業の予算執行手続きには特殊法人の承認が必要だ。苦難の中にある避難住民をさらに今度は軍輸送船でモノのように運ぶなどできるはずはない。貴官は一般市民と軍人の体力や精神力が同等とでも思っているのか?」
「であれば官公側で船舶の調達を行うべきでしょう。戦火冷めやらぬ前線に船を出したくないという企業に対しては、軍が完全に護衛すると説得すればいい。その為にも軍に協力を求める位の、配慮は貴方方にはないのですか?」
「軍はこれまでこの協力会議に連絡官のみしか派遣していない。失礼ながら『施設課』の中尉殿にその権限は与えられていないだろう」
「だからこそ特殊法人側で意見を纏め、軍に協力を仰ぐ必要があったのでは? 特殊法人の総意として、帰還事業における軍の関与を求めるという『正式な文書』が地域社会開発委員会から統合作戦本部に提出されれば、軍はきちんと要員を派遣し帰還運航計画を立案できますよ?」
俺とモンテイユ氏の語気を荒げた論争に、会議室はシーンと静まり返った。副首相の息のかかった星間運輸企業との金額のすり合わせや、それに伴う特殊法人内での統一された意見の作成の遅れ、やる気のない軍と地域社会開発委員会の不作為、それぞれ問題点を上げたつもりだが、分かってくれただろうか。
モンテイユ氏とその後ろに居座る官僚達は、明らかに目の色が変わった。一介の少佐に侮辱されたというより、一介の少佐がここまで政治側に喧嘩を売って来てくれたのに、政治家や企業の圧力を恐れて動いてこないでは、文官エリートとしてのプライドにかかわると感じたからだろう。即座に端末を開いて作業をしている奴もいる。
特殊法人代表部の方は呆然としている。即興出来レースとは認識できない鈍さは、元エル=ファシル行政府の人間とは思えないくらいだ。エル=ファシルから逃れてきて一年半。安全な後背でのどうでもいい利権争奪に、鋭敏な神経が失われているとしか思えない。
住民代表達はここでは傍観者だ。意見も言うし要求もするだろうが、とにかく帰れればいいという受益者視点なので、方法論に口を挟むことはしない。また俺達の方も、後から出てくるだろう細かい要求に応えるのはその時になってからでいいと思っている。
地域社会開発委員会の事務官達も官僚だから、俺とモンテイユ氏の議論がサンフォードの存在を無視しているとは分かっている。分かっている故にもう口を挟むのは止めようと諦めてもいた。それほどまでにサンフォードに対する期待というか上司に対する忠誠が彼らには存在していない。
「話を元に戻したい。ボロディン少佐。第四四高速機動集団の立案した帰還運航計画について、今後当委員会が関与していくということでいいか?」
「関与に対するレベルにもよります。とかく軍用航路を優先的に使うことを望まれるのであれば、運行計画スケジュールに対する関与は固くお断りいたします」
「少佐が考える帰還時期を教えていただきたい」
「七九〇年一月中には希望される全住民をエル=ファシルの地上にお届けしましょう」
「……残り一ケ月半か」
おぉ、という住民代表席の歓声がそれに続く。顔を上げた官僚団の俺への視線は『お前、絶対何か全く別のこと企んでいるだろ』という疑念と苦虫が混ざり合っている。だがその疑念をここで口に出すのはもう遅すぎる。モンテイユ氏も察したのか、カモメ眉の片翼が綺麗に吊り上がった。
「確かに避難住民のことを考えると、時期は早い方がいい。我々も可能な限り協力し努力しようと思う」
「よろしくお願いいたします」
「ま、待ってくれ!」
俺とモンテイユ氏で話を切り上げようとしたタイミングで、シェストフ氏が席を立って声を上げる。ようやく気が戻ったのか。その顔には怒り以上に焦燥が見える。
「そう勝手に実務側で日程まで決められては困る。住民にも今の生活がある。それを突然、勝手に一ケ月後に帰還すると決めれば、住民自身の現在の生活に混乱が生じることになる」
本当は星間運輸企業に求めたリベートを上乗せした輸送船団のチャーター代の折り合いや、建機メーカーの手配についての時間的な余裕が欲しい。特に建機メーカーや今後のエル=ファシル再開発における入札について、ハイネセンで打合せする時間が欲しいというところか。だがそれが実務者達の足を引っ張ることになっているのだから、暴虐無人な軍人としてここはなるべくきれいに躱したいところだ。
「と、副首相閣下は仰っておりますが、住民代表の皆さんはいかがお考えで?」
にこやかな好青年将校スマイルで住民代表席を見れば、ロムスキー氏は言わずもながと肩をすくめて応えてくれる。
「エル=ファシルに早く帰れるというのであれば、我々としては望むところです。我々はもう一年半以上も、隔離施設のような避難住宅で暮らしています。ハイネセンや他の惑星へ移住する人も多くなってきましたが、故郷に帰れるめどがついたのであれば、皆、一日でも早くと望むことでしょう」
三〇〇万人にも及ぶ避難住民をいきなりハイネセンポリスに入れるわけにはいかない。それだけの規模の民間の宿泊施設を借り上げるなど不可能だ。その為、負い目の合った軍が総力を挙げて郊外に建設した避難住民の為の町は、はっきり言えば超大型の駐屯地のようなもの。用材は軍用の集合兵舎で、道路も基本的には無舗装だ。初期の委員会で簡易舗装まで予算が付けられたが、本来民間人が恒久的に生活できるような施設ではない。
しかも職業の問題もある。公務員や教職・医療・建築といった、どの星でも一定の需要があり、避難民の生活に直接必要な職業はともかく、エル=ファシルを根拠地とした農・鉱工業・不動産・商業関係者は、ハイネセンで早々簡単には職業を得ることができない。特殊法人からの給付金だけが生活費という人もいる。
マーロヴィアを例に挙げるまでもなく、辺境星域が定期的に移住者を募集していることを知り、応募して故郷への帰還を諦めた人も多い。ハイネセンに残っているのは、エル=ファシルが同盟軍に奪還されたことを知り、故郷へ帰ることを切実に希望している人達だ。一日でも早く、という思いはここにいるどの集団よりも強い。そういう空気を読み切れないほどに、副首相はハイネセン呆けをしてしまっている。
「だ、そうです。副首相閣下」
俺が改めてシェストフ氏に視線を向けると、氏は顔を震わせて俺を見る。まるで怪物を見るような、嫌悪と恐怖の入り混じった視線だ。そんな視線を向けられるほど、悪いことをした覚えはないが……気まずい沈黙が再び会議室を覆いそうになった時、まったく場違いな拍手が地域社会開発委員会の席から聞こえてくる。この会議室にいる誰もが、その拍手をする人物に視線を向けた。勿論俺も。
その拍手をしている男は、端正な顔に人好きするような笑みを浮かべた舞台俳優のような、本物の怪物だった。
◆
なんでお前がここにいる。
俺はこの世界に来て初めて肉眼で見る、生のヨブ=トリューニヒトから視線を逸らすことができない。別にマークしているつもりはなかったが、事前に配布された会議の出席メンバーにも、事業団の構成メンバーにも当然奴の名前はなかった。
だいたい元々奴は国防委員で、直接的には事業団と関係はない。まして同じ与党でもサンフォードの派閥の代議員でもない。奴がこの会議に出てきて得られるといえば、それこそ星間運輸企業関連での口利きのネタを手に入れる程度だろう。それだって本来は特殊法人(つまり旧行政府)のシマであって、いくら企業とパイプがあろうとも、そうやすやすとは口を挟めないはずだ。
だが奴は現実に、地域社会開発委員会側の席にいる。俺が帰還運航計画について説明が終わった段階で姿はなかったから、トイレや何やらで中座しているメンバーと入れ違いで入ってきたことは間違いない。なんの為に来たのか、さっぱりわからない。だが奴の空気を読む能力の高さは極めつけだ。拍手するタイミングといい、場を一瞬にして自分の舞台にしてしまった。
「いや、素晴らしい。ボロディン少佐。国防委員の一人として、国家と市民の為に戦地でも後方でも労を惜しまない君の、国家に対する献身には本当に頭が下がる思いだ。ありがとう」
全方位の視線を受けたトリューニヒトはスッと席を立つと、小さく額にかかる髪を払うような手振りを見せながら、俺にむかって頭を下げる。俺の目から見て度が過ぎる仕草だが、直接的ではないにしても上役であることに違いはないので、こちらも視線を逸らすことなく小さく頭を下げて応える。それをまさに人好きする笑顔で受けると、今度は周囲に視線を送る。魅了の魔術でも含まれているのか、それだけで参加者の何人かの意気が上がったような感じだ。
「軍部としてはこれまでエル=ファシル奪回作戦やイゼルローンの後始末があった為、積極的に事業団に協力できなかったこと、国防委員として皆さんに深く謝罪したい。だが少佐がここまで述べた通り、国防委員会はその総力を挙げて皆さんのこれまでの労苦に報いるつもりです。どうかご安心頂きたい」
お前がこれまでエル=ファシルの為に何をやったよ。『泥棒の舌』と評したのはモンシャルマン参謀長だったか。猛烈に業腹だが、ここで怒りを表しても何の意味もない。俺は表情を消し、顔を動かすことなく視線だけ動かしてモンテイユ氏を見ると、『聞いてねぇぞ、てめぇ』と言わんばかりに、眉間に皺を寄せている。この場ではもう誤解を解くことは出来ないので、小さく首を振るだけにとどめた。
「シェストフ副首相閣下。中央政府の一員として、閣下のご心配する事項については万全を期すよう手配いたします。必ずや住民の皆さんのご迷惑にならないよう軍部も行政も取り計らうつもりです。決して悪いようには致しません」
手配するだけであって、実際にやるのはモンテイユ氏や俺だ。トリューニヒトとしては実務者側が動きやすいようシェストフ氏を牽制したつもりだろうが、取り計らう『つもり』であるので、責任を負うつもりがないのは明らかだ。だが聞いている副首相としては、トリューニヒトが『悪いようにはしない』と保証してくれたようなもの。なにについての保証かまでは、考えるまでもないことだろう。案の定、大きく溜息をつき安堵した表情を浮かべてシェストフ氏は腰を下ろした。
「どうでしょう。サンフォード副委員長。ボロディン少佐の計画を土台にしつつ、事業団実務者側の方で計画を進捗させてみては?」
流石にトリューニヒトの存在を無視することは出来ないのか、眠そうな眼を開いて奴を見ると、う~んと首を捻って数秒。逆の方向に首を捻ってまた数秒。良いでしょうと、口を開いたのは三〇秒以上たってからだった。
「では……え~本日の議題である、エル=ファシル星系への住民の帰還運航および船団護衛計画についての可否についてですが、一応これを承認するということで、よろしいですかな」
異議なし、という消極的な成分の多い声で会議は閉じられた。ヤレヤレといった感じで参加者が席を立ち、それぞれ雑談に移る。俺は尻に帆を上げてとっとと逃げ出したかったが、それはそれは見事な笑顔を浮かべつつ奴が俺に近づいてきているがはっきりわかったので、諦めてザーレシャーク中尉に議事録の回収をお願いして、待ち構えた。
「ボロディン少佐……」
トリューニヒトの端正な笑顔を間近に、俺は正直に恐怖を覚えた。ディディエ少将のような剛直さも、レッペンシュテット准将の鋭鋒ある気迫でもない。スライムのように粘々とした気色の悪い、毒々しい生命力の化身というべき存在に。
「ボロディン少佐。エル=ファシル攻略戦の時の貴官の活躍は国防委員会でも評判だった。その上、帰還計画でにも尽力してくれている。まさに『エル=ファシルの英雄』というべきかな?」
「いえ、小官は上官の指示に従い、任務に忠実に向き合っただけです」
お前の美辞麗句に乗せられて舞い上がる程、俺は軽くないよと言外に言ったつもりだが、トリューニヒトは意に介すことなく俺の垂れている右手を、その両手で包み込むように握りしめた。
「それでこそ自由惑星同盟軍人の鏡というものだよ。少佐。君のような軍人がいることに、国防委員として実に心強く思っているとも。それともう一人の英雄がここに来ていると聞いたんだが、彼はもう帰ってしまったのかな?」
「ええ、心配でわざわざ第八艦隊を抜け出してくれていたみたいで申し訳なく思ってます。私はどうやら出来の悪い先輩のようで」
「この場で言うのもなんだけれどね、少佐」
力を抜くような感じで腕を引き、トリューニヒトは体を近づけ声を潜めて、俺に囁いてくる。
「本当のエル=ファシルの英雄と言うのは、彼のことではなく君のような人物のことを言うのだと、私は常々思っているんだ」
それはまさに悪魔の囁きだろう。巨大な功績を上げた年下との競争心を煽りつつ、プライドをくすぐるような殺し文句。いわゆる後に国防委員長派と呼ばれる軍人達も、こうやって口説かれたのかもしれない。本人の持つ実績や能力以上の甘言で、相手を篭絡していくのはどんな人間でもやることかもしれないが、トリューニヒトのそれはある意味で芸術的に思える。
「いろいろな人からも君の話を聞くんだが、どの人も『労を惜しまない勤勉で実に優秀な人物』とみな絶賛するものだから、私は正直なところ疑っていたんだけどね」
「それはお耳汚しでした」
「いやしかし、実際に君に会ってみて、まんざら噂も馬鹿にしたものでないと思うようになったよ。特にアイランズ君が、君のことを手放しで評価していたから、今日は会えて本当に良かった」
「アイランズさん、ですか?」
「アイランズ君がどうかしたのかね?」
「失礼。トリューニヒト先生。実を言いますと小官は、アイランズという人物に会ったことはないのですが」
俺の返答に、トリューニヒトの耳がピクリと動いたのを見逃さなかった。コンマ数秒にも満たない、ほんの僅かな空気の流れの変化の後、トリューニヒトは苦笑して握手を解くと、わざとらしく首を捻って顎に手を当てる。
「もしかしたら私の記憶違いだったかもしれないね。何しろ私に会いたいという人が何故か多くて、まったく困ったものだよ。そう、アイランズ君ね。君にもいつか紹介しよう。彼はTボーンステーキが好きらしくてね。実に味にうるさい男なんだ」
「ありがとうございます。ですが小官は牛ステーキももちろん好きですが、どちらかというと豚のソテーの方が好きでして」
「おやおや、その歳で節約志向かい? まだまだ胃袋が強いんだからもっと美食を味わった方がいいと思うよ。歳をとってからだと、それもできなくなるからね」
そういうとトリューニヒトは俺の上腕を二度ばかり叩いた。俺が改めて敬礼すると、奴はにっこりと、年配女性を狂わせそうな笑顔を見せて言った。
「ヴィクトール=ボロディン少佐。君にはこれからも期待しているよ」
人の数が少し減って明るくなった室内で、そう言う奴の口元に見える白い歯が、いかにもとばかりに輝いていた。
後書き
2022.09.22 更新
第81話 準備はいいか
前書き
お疲れ様です。
まだまだダゴンに行けそうにありませんが、準備はしっかりとしなくてはいけません。
Jrほどではないにしても、三連休なんてなかったですよ。
宇宙歴七八九年一一月 ハイネセン
あれから特に怪物からの接触はなかったものの、司令部にいるタイミングでモンテイユ氏からバンバンと映話がかかってくるようになり、年下の奥さんの愚痴やら何やらがいつの間にか入ってきて、それに加えて爺様からの宿題の行動計画草案作成や、第八艦隊との調整もあってほとんど官舎には戻っていなかった。
一応形になった草案を、一日がかりでモンシャルマン参謀長とモンティージャ中佐と再チェックして、俺が清書し終えたのが今日の午前三時。
「儂は余計な仕事は増やすなと言ったつもりだったんじゃがな」
本来の宿題であるダゴン星域までの行動計画と、エル=ファシル帰還事業支援計画の両方を見比べつつ、休暇から戻ってきた爺様はその両方にサインした。主力である第八艦隊と複数の独立部隊がダゴン星域に侵入するのが来年の二月一〇日と決定。それより前に我々もエル=ファシル星域よりアスターテ星域へと侵攻を開始する。それに伴って全てのスケジュールが逆算で定められていく。
帰還するエル=ファシルの住民を運ぶのは軍用船ではなく民間船となったので、少なくとも一月一五日までにはハイネセンを出立しなければならない。しかも船舶手配の遅れから、帰還船団は大きく三つに集団を分けることになった。比較的船腹に余裕のある貨物船は直ぐに手配できたので先行し、余裕のない貨客船や旅客船は後回しとなる。
当面の食糧などの消耗必需品や大型機材を運搬する為に、第一〇戦略輸送艦隊が派遣されることになった。帰還事業団側の計画ではこれも民間貨物船で補う予定であったが、どうやら輸送量に比して船舶数が多すぎるという点から、契約額の問題で軍用輸送船が使われることになったという。俺の当初の計画では全部軍用船で考えていたので、認められて良かったというべきだろう。五〇〇隻の集団に同じ形の船が『三〇隻追加で増えた』ところで、誰も疑問には思わない。
「よくもまぁ面倒な仕事を増やしてくれたものだ」
復帰早々、カステル中佐は文句を言ってくる。だがその表情は、前回のエル=ファシルの時に比べてば、まだまだ余裕があった。
「貴官が後方士官としてどうにか半人前であるというのが分かったし、お客さん相手は貴官がしてくれるというのならば、面倒ごとは想定の半分で済む。後方士官で一番のストレスは『クレーマー処理』だからな」
「誉められたと思っていいんです?」
「前回のイゼルローン攻略部隊に、貴官が後方部のトップに立てば、少なくとも俺達はアスターテにまで足を延ばすことにはならなかっただろうよ」
六〇点。とそれに付け加えながら、カステル中佐は帰還事業支援計画草案を俺に返した。取りあえずは落第点ではないということだろう。はぁ、と溜息をつくと改めて草案に目を落とした。
現時点においてエル=ファシルへの帰還を希望する住民は二五五万七〇〇〇名。ハイネセンに避難した時は三〇〇万人を超えていたから、四五万人近くが帰還を諦めたということだ。そのうち半数以上が辺境星域に散らばったらしく、マーロヴィアには想定より一万人も多い四万人もの移住希望者がいて、植民当初以来の好景気に沸いているという。他にもカッシナ・マスジット・アクタイオンといった農業主体の星系や、カスティリオーネ・プルシャ=スークタといった鉱業星系にも多くの移住者があり、図らずも人口減少に喘いでいた辺境星域の再活性化が見込まれるとのことだった。
しかし逆に言えばエル=ファシルの産業分野から労働力が消えてしまったわけで、いわゆる『戦後復興景気』というあまり好ましくもない好景気も、最初から躓いてしまう格好になった。フォローとして最初に進発する巨大輸送艦には、戦闘工兵隊からの払い下げ重機や陸戦部隊が使用する簡易的な人造蛋白プラントや水耕プラントも積載しているが、どれだけ効果があるかはわからない。取りあえずは電気と水道という生活に直結する中核インフラが無事で本当に良かった。
軍事作戦の方もまた、悩みの種は多い。当然帝国軍もエル=ファシルが同盟に奪還され、イゼルローンで勝利をしたとはいえアスターテにかなりの間、同盟軍の駐留を許してしまった。軍としての面子にかけて防備を強化していると考えていいだろう。
だが幸いアスターテ星域には艦隊を長期駐留させられるだけの根拠地となる惑星が全くない。前回の戦いで配備されていたのが二五〇〇隻と考えると、やはり同数規模の敵は配備可能ということだろう。しかし今度は同行する独立部隊はない。故に獣道を切り開くような電撃的な場荒らし作戦という形になる。間違っても正面決戦などで時間を費やす必要はないが、エル=ファシル星域やドーリア星域へのちょっかい出しを牽制する程度には、帝国軍に被害を与える必要がある。
その為、モンシャルマン参謀長は極めて投機的な作戦を立案した。前回の戦いでモンティージャ中佐が送り出した『付け馬』部隊が偵察哨戒した、ヴァンフリート星域に近い星系を最大巡航速度で通過していくというもので、戦略目的であるエル=ファシル星域との接触域からの帝国軍の引き離しと、戦術目的であるエル・ファシル星域外縁部およびアスターテ星域における敵戦力の充足状況の確認を同時にこなしつつ、可能ならアスターテ星域とヴァンフリート星域の接続点にある帝国軍の施設を破壊するという野心満点な計画だ。
二月四日にエル=ファシル星系を出動し、エル=ポルベニル星系からアスターテ星域アスベルン星系へと突入。戦闘行動がないと仮定すれば、一二日間で四つの星系を踏破し、ダゴン星域トルネンブラ星系へと突き抜ける。カプチェランカで主力部隊と合流するのは最短で二月二二日。
この作戦に必要となる最重要物資が燃料であるのは明白だ。食糧や生活必需品は二〇日間程度で底をつくことはないが、今回必要とされるのは足の速さだ。最大巡航速度となれば、通常の倍近い燃料を消費することになる。さらに戦闘行動が加われば、その量は飛躍的に増大する。その為、完全勢力圏とは言い難いエル=ポルベニル星系まで巨大輸送艦が同行し、同地で航行しながら第四四高速機動集団全艦に燃料を補給することになる。
行動計画草案を作った一人であるモンティージャ中佐の顔からは、いつも陽気なラテン人さは影を潜め、時折隠れて胃薬を飲んでいる。もし行動計画が洩れでもすれば、たかだか二五〇〇隻程度の高速機動集団などひとたまりもない戦力がイゼルローンから出てくるだろうし、アスターテ星域各星系情報に齟齬があれば、部隊にかかる日数が増大し、燃料切れで孤立することになりかねない。肩にかかる重圧は途轍もないものだ。
「いい気味だな」とは、いつもモンティージャ中佐に揶揄われる側のカステル中佐の談だが、そういう中佐も補給参謀としてやることは多い。特に機動集団全艦が一星系内で短時間にFASを行うには部隊各艦の能力が不足しているとして、帰還船団を護衛中に訓練を行うよう進言し、自ら計画も立てている。燃料の手配も配分も、彼の差配一つにかかっている以上、責任は重大だ。
俺とファイフェルは交代交代で第八艦隊との連絡業務をこなしつつ、爺様やモンシャルマン参謀長と、アスターテ星域における部隊行動のシミュレーションを作戦開始日まで繰り返し行うことになる。作戦を中止せざるを得ない場合の逃走ルートを初めとして、考えうる全てのパターンを条文化して纏める。作戦評価基準も作成し、万が一司令部全滅となった場合でも部隊が動けるよう、第二・第三部隊の司令部も交えて、討議を続けることになった。
◆
一二月一〇日。
ハイネセン出動一ケ月前。第四四高速機動集団の新戦闘序列と作戦行動計画書を持ち、第四四高速機動集団司令部全員で第八艦隊旗艦ヘクトルを訪問。そこで会議室を借り、本隊側の独立部隊各指揮官幕僚と顔を合わせる。同じ宇宙艦隊司令部にオフィスを持っているので、既にすれ違いで顔を合わせていた幕僚達もいたが、一同揃っての顔合わせは初めてだ。
集結したのは、宇宙戦部隊として一個制式艦隊と一個高速機動集団、四個独立機動部隊の幕僚。戦闘序列順に。
第八艦隊 シドニー=シトレ中将 以下一万二四三三隻(内戦闘艦艇一万一二〇六隻)
第四四高速機動集団 アレクサンドル=ビュコック少将 以下 二五〇七隻(内戦闘艦艇二二〇六隻)
第三五三独立機動部隊 ドゥルーブ=シン准将 以下 六六七隻(内戦闘艦艇 六一三隻)
第三五九独立機動部隊 ブルーノ=パストーレ准将 以下 六七一隻(内戦闘艦艇 六二三隻)
第三六一独立機動部隊 ウォーレン=ムーア准将 以下 六五〇隻(内戦闘艦艇 六〇九隻)
第四一二広域巡察部隊 ピラット=パーイアン准将 以下 五九六隻(内戦闘艦艇 五四二隻)
地上戦部隊として一個機甲師団、三個歩兵師団と五個大気圏戦隊が参加するが、動員規模が大きい為、上級司令部として第五軍団司令部が作られることになった。戦闘序列順で以下の通り。
第五軍団 オレール=ディディエ中将 以下 司令部要員・直属装甲大隊 五〇七名
第三機甲師団 ヤルモ=キュマライネン少将(先任)以下 兵員 五四九〇名
第七七降下猟兵師団 アルノシュト=ハラマ少将 以下 兵員 七五〇〇名
第二二装甲機動歩兵師団 モン=チンハオ少将 以下 兵員 七八〇〇名
第二九装甲機動歩兵師団 ジュスト=ラギエ少将 以下 兵員 七五〇〇名
付属第四三一・四三三・四三四・四三六・四九〇大気圏戦隊
後方支援部隊として工兵連隊が三つ。通信管制大隊が一つ。両用艦艇戦隊(七〇隻)・五個病院船戦隊(二五隻)および地上軍所属の輸送艦艇が付随する。
宇宙艦艇数一万七九八四隻。戦闘宇宙艦艇一万五七九九隻。陸戦要員も含めた総兵員二一五万七五〇〇名。
陸戦要員を除けば、だいたいバーミリオン星域会戦におけるヤン艦隊よりちょっと大きい規模となる。そう考えると同盟末期の惨状に頭を抱えたくなるし、カプチェランカの攻略にこの戦力を動員できるという『勿体なさ』も感じざるを得ない。
独立部隊指揮官のうち、二人は原作でもよ~く知っている奴だ。肌艶は若干若作りだが、スカした面長のイタリアンなパストーレと、ゴリラ面で上がり眉のムーアは見間違えようがない。主力部隊に所属することになる連中だから、第四四高速機動集団と一緒に戦うのはダゴン星域に入ってからだろうが、無茶苦茶気分が悪い。
いっそのことムーアだけでも……とか考えたくはなる。だがムーアの指揮下にある六五〇隻に搭乗する将兵には何の罪もあるわけでもないし、原作通りに七年後、ムーアが第六艦隊司令官になっているとも限らないんだから、現時点でそうムキになることもないだろう……
だがいいこともある。地上戦の総指揮をするのは昇進したディディエ中将で、その指揮下には旧知の第七七降下猟兵師団がいる。そしてディディエ中将の司令部には、ジャワフ少佐もいる。例によって地上軍側の幕僚が会議室に姿を現した時に出現する微妙な空気の中、俺は爺様に一言断ってから彼らに近づいていくと、ジャワフ少佐が一瞬驚いた顔を見せた後で、苦笑して肩をすくめて手招きしてくれた。
「相変わらず空気が読めないようで何よりです。ボロディン少佐」
「空気を読んだから来たつもりですよ、ジャワフ少佐」
お互いに敬礼もせず含み笑いを浮かべてがっちりと握手すると、ジャワフ少佐は首を軽く動かして俺をディディエ中将の前に誘った。
「おう、ボロディン少佐か。なんだ。まだ中佐になってなかったのか」
陸戦将校の分厚い筋肉の砦の中で、真ん中に立っている中将が一番ゴツイというのも中々面白い光景だが、中将は答礼の後にジャワフ少佐の一.二五倍の握力で俺の手を握って言った。
「あの小娘は元気か? ちゃんと陸戦科を受験するよう言い含めておいたが、願書は出しただろうな?」
「その節は中将やジャワフ少佐には大変お世話になりまして……」
俺がブライトウェル嬢の体力増強を依頼したのは、例によってジャワフ少佐だったのだが、どうやらハイネセンに戻ってからも嬢の面倒を見てくれていたらしく、たまたま今回の作戦の指揮官になるということで同じくハイネセンに戻っていたディディエ中将と地上軍関連の企業が経営するジムで遭遇し、それはそれはご丁寧に嬢を指導したらしい。
その翌日にヒョコヒョコと歩きに不自由していたブライトウェル嬢に気が付いた俺が嬢を問い詰め、ジャワフ少佐に抗議し、相手がディディエ中将だと分かって、激怒した爺様が署名入りで抗議文を中将宛に送りつけたのだった。それに対する正式な返答はなかったが、代わりに第四四高速機動集団司令部に二〇種類の味のプロテインが二キロずつと、刃先をゴムにした新品のトレーニング用トマホークが一本送られてきたのだった。
「俺の小手に手が届いたあの小娘は宇宙軍には勿体ない。だいたい親のせいで冷や飯を喰らわせるような陰険な宇宙軍より、公明正大な実力主義のウチ(陸戦総監部)の方が居心地いいに決まってる」
「本人の希望を聞いてみないことには、なんとも申し上げようがありません」
「妹を獣に攫われた情けない兄のような顔をするな。それでも『英雄ボーデヴィヒ』か」
宇宙軍の幕僚達に聞こえるような声量で言うディディエ中将も相当人が悪いのだが、これも儀式の一つだと分かってくれているだけありがたい。俺が目配せで合図すると、中将はグッと顎を引いて目に殺気をみなぎらせる。そして今度は逆に俺がディディエ中将と副官を、爺様と第四四高速機動集団司令部のテリトリーに連れていく。
爺様とはエル=ファシルでのお互いの活躍を讃える、いかにも空々しい会話が繰り広げられるが、その会話の途中から腹黒い親父が乱入してくる。会話は中断され、大多数の宇宙軍と少数の地上軍の幕僚達の視線が、長身の宇宙軍中将と筋肉質の地上軍中将に集中する。
「ボロディン少佐を中佐に昇進させない『ケチ』な宇宙軍に協力するのは業腹だが、これも命令のうちだ。今回はよろしく頼む。シトレ中将」
「『ウチ』のドラ息子をいたくお気に入りいただけたようで何よりだ。前回いろいろ迷惑をかけたが、こちらこそよろしく頼む。ディディエ中将」
ミシミシと音が聞こえてきそうな固い握手が二人の間で交わされる。先の第四次イゼルローン攻略戦で、作戦指導の不始末から地上軍に要らぬ犠牲を出したことに対する、これが手打ちだった。ヤクザのような話だが、宇宙艦隊司令部も地上軍司令部も、麾下戦力間にわだかまりが残るにしても最小限にしたいという思惑もある。
故にシドニー=シトレが提出した今回の作戦に、地上軍もエル=ファシルで宇宙軍とある程度の協力関係を築けたディディエ中将を軍団司令官として送り込んできた。編制名簿が出た時点で、俺が手打ちの道化役をやらざるを得ないと理解せざるを得なかったが、両中将にここまでネタにされると後が面倒な気がしないでもない。
宇宙戦部隊のトップと地上戦部隊のトップがケジメをつけたので、出席者は三々五々それぞれに与えられた席に戻っていく。今回の作戦の指導部は第八艦隊の為、第八艦隊の幕僚達が議事進行を進めていく。第四四高速機動集団は、この場では宇宙戦部隊のナンバー二になるので会議場内でも比較的前の方に席が与えられているので、議事進行する第八艦隊の幕僚達の顔もはっきりとわかる。
艦隊副司令官ングウェニア少将、参謀長ラスールザーデ少将、副参謀長マリネスク准将……末席で目立たないように書類を読んで(いるふりをしてい)るヤンの姿もある。この世界の実父であるアントン=ボロディンが生きていたらと考えずにはいられないし、独立部隊でなく予定通り第四七高速機動集団が参加していたら……シトレを支えるのはボロディン家であると言わしめただろう。
そう感慨にふけっているうちに、マリネスク准将より作戦の骨子と戦略目標、個々の戦術目標に戦果評価、そして作戦を中断するべき状況説明が、理路整然と事細かく語られる。幕僚達がそういう性格なのかまでは分からないが、現場での流れに沿うよりも事前に準備を整えてから動くというのは、前線というよりやや後方の組織にありがちだ。なるほど、グレゴリー叔父がシトレとロボスを比して、統合作戦本部長向きだと評したのも頷ける。
「最終目標は四月一五日まで惑星カプチェランカに我が軍の完全勢力圏を形成・維持することにある」
以降予算承認が下り次第、交代で第四・第一〇両艦隊が前線に出張ってくることになっている。こうなればイゼルローンから駐留艦隊全艦一万五〇〇〇隻が出動してきても、数的優位を確保することができる。
必要となるのは電撃的な行動だ。エル=ファシル星域よりアスターテ星域に侵入する第四四高速機動集団は、星域内各星系を哨戒している小規模な哨戒隊と遭遇戦闘となる。それによって帝国軍の視点は一時的にアスターテ星域に拘束され、イゼルローンの駐留艦隊の一部もヴァンフリート星域へと進出すると思われる。
彼らがダゴン星域に向かうには、アスターテ星域を動き回る第四四高速機動集団を燃料不足のまま追撃するか、一度イゼルローンから補給部隊を送ってもらってから行動するかの選択を迫られる。その選択に迷っている間に、一万五〇〇〇隻余の主力部隊がカプチェランカの制宙優位を確保し、地上部隊が地上を制圧する間、それを確保する。
「始まってしまえば忙しい話になるが、カプチェランカで苦闘する地上軍の為にも、諸君らの奮戦を期待したい。問題や懸念があるようなら言って欲しい。遠慮はいらない。なるべく早いうちに詰めておこう」
シトレの締めの言葉に、会議前に作戦案を理解している各部隊の幕僚達からは息が漏れる。イゼルローン攻略が失敗に終わってからまだ一年が経過していない。帝国側もこの前の攻略戦でいくらか戦力を失ったのか、遠征のような積極的な行動は控えている。それにカプチェランカの制宙優位が確保されれば、今後の辺境星域前面における戦局は同盟優位に動く。だが……
「第四四の次席幕僚のボロディンであります。帝国軍に近々の出動計画等はあるか、司令部の方では確認されておりますでしょうか?」
俺は手を上げ、マリネスク准将に指名されてから立ち上がって聞いた。モンティージャ中佐も相当慎重に調べているが、もし帝国側に大規模な出兵計画があれば、全てがおじゃんになる話だ。ここまでの説明でそれはないという前提で動いていることは分かっているが、本当にそれでいいのかという確認が必要だ。案の定、独立部隊の幕僚達からは苦笑が漏れる。その前提だから動くんだというのことも分からないで、コイツは次席幕僚をやっているのかという嘲笑だ。
「フェザーンの駐在武官部や情報部で確認している。帝国軍に作戦期間内における大規模出動計画の傾向は察知されていないし、今年の徴兵に関しても例年規模であると報告を受けている」
二度ばかり咳払いをした後で、一度シトレに視線を送ったマリネスクはそう応えた。つまらない質問はするなと言いたいのだろうが、もし計算外の増援があれば、最初に一撃を喰らうのは間違いなく第四四高速機動集団なのだ。
「もう一点。目標達成時における第四艦隊と第一〇艦隊の追加出動は確実ということでよろしいのでしょうか?」
これについても同じように嘲笑が漏れる。先程よりもそれは大きい。作戦が成功すれば戦果拡大の為に増援戦力が出るのは『当たり前』で、失敗すれば出ない。戦局によって流動的で、確実などとは言えないというのも理解できる。それは自明だからこそ作戦を立てているのだから、くだらない質問だと言われればそうだ。
「問題はない。統合作戦本部も、宇宙艦隊司令部も出動を約束している」
溜息交じりで応えるマリネスクに、俺は「ありがとうございます」と最敬礼で応えた。視線を再び前に戻すと、珍しくヤンが俺の方を真剣に見ているのが視野に入った。同様にシトレの顔もそれほど優れていないところ見ると、『言質を取られた』ことに気が付いたようだった。
以降、部隊の航路などの方法論へと討議は移っていく中で、俺がホッと溜息をつくと、横に座るモンシャルマン参謀長が、小声で「よくやった」と囁いた。振り向けば後ろに座るモンティージャ中佐とカステル中佐も、声には出さないが、小さく頷いて賛同している。
先のエル=ファシル再奪取時、奪取自体で失われた戦力よりも、アスターテ星域まで足を延ばしてから失われた戦力の方が多かった。爺様の臨機応変な実戦の機微を頼りにするのは結構だが、第四四高速機動集団はまたしても『助攻』の立場にある以上、それで割を喰われるのは勘弁して欲しい。
それから会議は一時間もかからず終わり解散となった。三々五々、旧知の相手に挨拶しに行く参加者の中で、俺はそそくさと用を済ませるフリで会議室から出ていくと、廊下に頼りになりすぎる後輩が待ち構えていた。
「まるで悪徳弁護士か総会屋みたいなことやってくれますね」
戦艦ヘクトルはアキレウス級大型戦艦であり、しかも艦隊旗艦設備を有しているから、第八艦隊の参謀の一人であるヤンにも個室が与えられている。(ちなみに戦艦エル=トレメンドは標準型戦艦なので、俺にはない。モンティージャ中佐と相部屋だ)少しばかり荷物が散乱している個室で、何故かピート香が僅かに漂う紅茶を片手に、俺はヤンから苦言を呈された。
「作戦目標を達しても増援が来ない、と考える理由が先輩にはあるんです?」
「カプチェランカで勝ち過ぎた場合にはあり得ると考えている。通常ならばこれだけの艦隊を動かした場合、次の制式艦隊による前線哨戒(パトロール)がダゴン星域に到達するのは六月過ぎ。数も一個艦隊だ。イゼルローンの敗戦もある。十分すぎる戦果を見てわざわざ予算を組んで繰り上げる必要もない、と国防委員会が勝手に考える可能性は高い」
「帝国軍の増援を気にされていたのは、我が軍の増援より前に帝国軍が遠征規模の戦力を送り込んでくると考えたから、ですか」
「そうだ」
地上戦であれば戦果の拡大の為、すかさず第二列が前面に出てくる。しかし宇宙艦隊はその規模から動員にはいたく金がかかる。その上、複数の艦隊が通常とは異なる動きをすれば、外部に察知されやすくなる。第四四高速機動集団がわざわざエル=ファシルの帰還船団護衛任務を請け負ったのも、情報漏洩を防ぐためだ。
「相変わらず先輩の視点の付け方は軍人とは思えませんね」
「軍人は向いてないと、どこかの誰かがしょっちゅう吹聴しているようだからな。ところでお願いしていた件、できたか?」
「出来てますよ」
ヤンは肩を竦めて本が山積みになっているデスクの上から、折り畳まれた一枚の紙を差し出した。
「ちなみにこの秘密を知っている人は何人いるんですか?」
「三人だ。俺と陸戦士官のジャワフ少佐とお前」
「情報部顔負けですね。可哀そうに」
溜息交じりにそう言うと、ヤンは中身がほとんどなくなった紙コップを掲げるのだった。
後書き
2022.09.25 更新
2022.09.25 誤字修正
2023.02.05 誤字修正
第82話 参謀の美しくないおしごと
前書き
久しぶりに更新しますが、正直、この話は今やるべきなのかどうか迷っています。
原作未登場人物の構築は易いのですが、やはり話も軽くなります。
そして短めです。
宇宙歴七八九年一二月二〇日
第四四高速機動集団の作戦立案は順調に進んでいる。モンティージャ中佐は時々姿を消すし、カステル中佐はFASや補給物資の調達・運用について麾下部隊の補給担当者と司令部で激論を交わしているが、純軍事的な分野では大きな問題はない。
一方で帰還民船団の方は問題だらけだ。官僚側の準備はともかく、帰還民自身の問題が大きい。エル=ファシルの現在の状況が次々と情報で送られており、『それほど被害の無いのなら、やっぱりエル=ファシルに帰ろうかしら』と方針転換する元エル=ファシル市民の数が増えてきて、特殊法人側での処理が追い付いていない。
元役人も上澄みや耳聡の連中がリンチ司令官と帝国への片道旅行へと行ってしまった上、転職者が多く、さらには代表のソゾン=シェストフ氏の人望の無さと指導力の欠如が大きなネックとなっていた。
「で、俺に会いたいっていうのは、あんたか?」
癖のある黒髪を後頭部で縛った、無精ひげとシラケた気配と三白眼さえなければそれなりに美男子と言えるような青年と、俺はハイネセンポリス郊外にある集合住宅の一部屋で相対していた。
「ロムスキーさんから連絡は受けてるけどよ……軍側の代表者が、一介の失業者の俺に何の用だよ」
乱雑に店屋物の包装紙やビール缶が置かれている机を挟んで、頬杖をつく青年の言葉には無数の棘がある。何しろ軍は、彼から一時的とはいえ職業を奪ったのだから、好意のありようがない。
「エル=ファシルでは軍が申し訳ないことをしました。エルヴェスタムさん」
「まぁな。だが結果としてヤン=ウェンリーに命を救われたわけだから、貸し借りはナシのつもりだぜ」
「エルヴェスタムさんはエル=ファシルでも相当腕の良い航宙管制官とロムスキーさんから伺ってます。お若いながらに、人望の厚い人物だと」
「ロムスキーさんの話はともかく、人望厚いはねぇだろ。俺がハイネセンポリス出身だからって帰還民グループから排除されたんだぜ。ま、こっちとしてはせいせいしたけどな」
「しかしエル=ファシルの住民の為に力を尽くしていたことは事実でしょう」
「無駄な努力ってやつさ」
ハンッと鼻を鳴らし、エルヴェスタム氏は肩を竦める。歳は二九歳で俺より年上。二一歳から二年間の兵役の間に二級管制士の資格を取り、退役後航路保安局に就職。三年で一級・上級の資格試験に一発合格して星域中核星系であるエル=ファシルに赴任した。経歴だけ見れば星系航宙管制のスペシャリストで、航路保安局に復帰すればすぐにでも係長クラスは固い。
だが彼は持ち前の熱血漢というか、責任感というのか。ハイネセンに避難したエル=ファシル住民の為にハイネセン出身の元エル=ファシル勤務者を組織し、募金活動をはじめとした支援活動に身を投じてきた。管制官だけあって船を動かすのと同じくらいに人を動かすのも慣れたもので、たちまち特殊法人内でも一角を占める立場に立った。
が、それが度を過ぎたのか、『本物の』エル=ファシル住民であるシェストフ氏ら特殊法人幹部に疎まれ、しかも何故か航路保安局にも圧力がかかり、仕事を止めるか支援活動を止めるかという選択肢を迫られ、結局離職。そして無職になった彼にジュリーは別れを告げ、心が折れた彼は支援活動にも別れを告げた。
愚痴るモンテイユ氏から彼の存在を知り、類まれな偶然に感謝しつつもこれを利用しようとする俺は、さしずめ神様に感謝する小悪魔というところなのだろう。そういうわけでヤンに小道具を用意させてもらったわけで……
「エルヴェスタムさん。もう一度、エル=ファシルの為に力を貸してくれませんか?」
俺は真正面から彼にそう告げた。さらに細くなった三白眼が、俺を射すくめる。
「……軍の仕事はごめんだぜ。部下は殴るものだと思っている連中の下でなんか働けねぇよ」
「いいえ。特殊法人でです」
「それこそ問題外だ。俺がエル=ファシル人じゃないってだけで、排除しにかかる連中の為にどうして働く必要がある」
「現在、エル=ファシル航宙管制区は軍が統括しております。現時点では惑星自体が軍事基地のようなものですからそれは仕方ないんですが、来年の一月中旬から末にかけて軍民協力してエル=ファシルへの帰還事業が開始されます」
「思ったより早えな。連中のことだからあと一年位うだうだしているかと思っていた。で、もう一度エル=ファシルのオペレーター席に座れと?」
「ええ。最初は軍嘱託職員……少佐待遇の軍属、という身分になりますが、『統括管制官席』にお座りいただきたいと」
軍の管制官が無能だから交代してほしいというわけではない。軍から民への移行をスムーズにさせる上で、早めに民間人に乗り込んで欲しいという点と、三〇隻ほどの巨大輸送艦を含めた艦隊の動きを『誤魔化す』ことの出来る有能な協力者が必要な点だ。実のところ個人的にはもっと悪辣なことを彼には頼みたいのだが、いまはそれで十分。
「前の統括はどうするんだよ。あいつもハイネセン出身だが、軍が航路保安局に圧力かけて辞めさせるのか?」
「一年前に航路保安局エル=ファシル宇宙港管制センターは解散されてますからね。新編成される時に『事前知識の豊富さ』と『軍の強い推薦』は実に有効に働くんです」
「断っても問題はねぇよな?」
「ありません。取りあえずはエル=ファシルへの帰還事業終了までの期間、軍属としての雇用という形ですが、ご希望されるなら航路保全局の別任地への復職も、軍への転職も、いずれに対しても『軍が』口利きいたします」
正確には軍ではなく第四四高速機動集団司令部が、ではあるがそのあたりは何とでもなる。彼にとってはそれほどリスクがある話ではない。リスクの取りようを、彼自身で決められると錯覚してくれる程度には。
「それと元勤務者の方で、一緒に働ける方も声をかけてあげてください。流石に統括職はエルヴェスタムさんでないと無理ですが、復職に関してお手伝いは出来ると思います」
「支援グループは解散したし、今でも本局に残ってる奴らは、別のところに転属になった。ハイネセンで別の職業についている奴もいるが……仕事を辞めてまでエル=ファシルの為に働こうって奴はいないだろ」
「見ている人は見てますよ。ロムスキー氏もエルヴェスタムさんを見込んで、いろいろお話を持ってきているでしょう?」
これはロムスキー氏本人からの情報。氏は氏なりに恐らくは善意から、エルヴェスタム氏の性格を十分理解している。有能な人材であることは誰の目にも明らかなのに、良くも悪くも行動に対する性格の影響が大きいことも承知の上だろう。
「ロムスキーさんには、あくまでも俺はハイネセン人だって言ってるんだけどな」
「人は生まれた場所ではなく、何をなしたかで評価されるんですから、戯言は耳栓でもして聞き流せばいいんです」
「ボロディン少佐って言ったか? アンタ、俺より年下のくせに言うじゃねぇか」
実際は実年齢プラス三〇年弱なんだという必要はないが、エルヴェスダム氏の俺を見る目には明らかに侮りが含まれている。『俺の苦労も知らねぇで』、といったところだろうか。だが俺も大した戦歴でもないが、これでも一応戦火の中を潜り抜けてきたという自負はある。
「人生は一度きりです。少なくとも私の同期はもう一五パーセントはこの世にいません」
「……きったはったの戦場にいるからって、民間人に偉そうにするのは軍人の良くねぇところだぜ」
「死んだ彼らが、彼ら自身の持つ能力を生かし切って死んだとは言い切れません。残念ながらね」
「俺を高く評価しているつもりなんだろうが、性格が向いてないことぐらいは分かっているつもりだぜ?」
「ジェシーさんは男を見る目はあったかもしれませんが、漢を見る目はなかったと思いますよ」
ガツンとエルヴェスダム氏の両拳が机に振り下ろされ、ビール缶や使い捨てのプラプレートが小躍りする。俺を見る目には、怒りが溢れているようにも見えるが、その陰に後悔や怯懦、そして自己正当性が見え隠れしている。眉間の皺もピクピク動いているが、昔の彼女を嘲笑されたという怒りが原動力でないことは明らかだ。
そういうわけで、俺は胸ポケットから『切り札』を出す。
「もし一歩踏み出すのに臆しているのであれば、ヴィクトール=ボロディンに脅されたからだと思えばよろしい」
俺が差し出した紙を勢いよく右手でもぎ取り、乱暴に開いて文面を見て……顔色がせわしなく変化した。脅迫状としては大した威力があるわけではないが、書いてあるサインの名前が尋常ではない。
「なるべく証拠とかは形に残さないようにしておく方がいいとは思いますけどね」
「……くそくらえだぜ。まったく」
ポイと紙を机に放り投げ、エルヴェスダム氏はぼさぼさの髪を掻きむしると、盛大に舌打ちした。
「絶対死ぬと思ってたし、帝国軍の奴らが見つけて笑い話にでもすると思ってたんだけどな」
はぁ~という溜息のあと、氏は席を立ち、冷蔵庫からビール缶を取り出し、一気にその中身を呷る。あっという間に中身のなくなった缶を片手で握りつぶす。軟な素材とはいえ、中々の握力に俺は些か驚いたが、縦から潰せる人達を両手の指の数以上知っているだけに怖いとは思わなかった。
「いいだろう。脅迫に乗ってやるよ」
「ありがとうございます」
椅子に座りなおしたエルヴェスダム氏が腕を組んでそう応えると、俺は逆に立ち上がって氏に敬礼した。元航路保安局員の癖なのか、氏も同じように敬礼しそうになったが、手が肩の高さまで届いたところで舌打ちして、手を下ろし、俺に出ていくよう手を振る。
俺もそれに従いボロアパートの玄関まで出たが、一つ思い出して氏に言った。
「ちなみにソレ、捨てないほうがいいですよ。あと六・七年もすれば、相当価値が上がると思いますから」
「分かってるさ」
吐き捨てるような声が、見えない扉の向こうから聞こえてくる。
「だいたい売れるわけねぇだろ、こんなもん」
その声に俺は苦笑を隠せず、ゆっくりと扉を閉めるのだった。
◆
一二月三一日
世間は新年を迎えるそわそわした雰囲気の中で、第四四高速機動集団司令部の侵攻への準備は猛スピードで進んでいる。エル=ファシル帰還船団が三梯団に分かれることは既に決まっているので、護衛艦隊として旗艦部隊(ビュコック直卒)および第二(ジョン=プロウライト准将) と第三(ネリオ=バンフィ准将)が、それぞれ分担することになる。
特殊法人の方はそれにも増して忙しさがあるかと思えばそうでもない。それまでバラバラな職能代表の寄せ集めだった住民代表団が『エル=ファシル住民評議会』という名前で統合され、フランチェシク=ロムスキー氏がその代表となって実務担当の中央派遣官僚集団と直接交渉を行い始めたからだ。ソゾン=シェストフ氏をはじめとする特別法人代表部は元政治家と元地方官僚の二つに分割され、地方官僚側が住民評議会の組織部として組み込まれた。
シェストフ氏にとってみればクーデターを喰らったようなものだが、氏をはじめとした元政治家や住民評議会の組織下に入りたくない地方官僚はハイネセンに残ることを選択したらしく、以降統括会議に姿を現していない。どうやら地域社会開発委員会が彼らに対し顧問・参事官職を提示したとモンテイユ氏から聞いた。どう考えてもサンフォード氏の仕業とも思えないので、怪物が地域社会開発委員会の官僚に手を廻したというところだろう。声だけは大きい二〇数人程度の賄いなど奴にとっては小指を動かすようなもので、ロムスキー氏とエル=ファシル住民に恩と引き換えの票とエル=ファシル星域の議席が得られれば容易いことだ。
船舶の手配から住民の乗降割り振りに関しては、ロムスキー氏の特別顧問となったエルヴェスダム氏が一手に引き受けている。膨大な情報処理が必要であり軋轢もあるが、キレた彼のこちらが見ても引きそうになる程の熱量でこれを粉砕し整理していく姿を見れば、彼は管制官が天職なんだと理解せざるを得ない。
モンテイユ氏からは会う度に第四四高速機動集団の本来の目的を問われる。いずれ分かることだが機密解除になるまでは俺の口からは話すことはない。それに怒りそうになるモンテイユ氏をエルヴェスダム氏がなだめ、零れる恐妻の愚痴を、『結婚できるだけありがたいと思え』の一言で封殺する一連の劇を何度見たことか。
そんなこんなの年末ではあるが、一応新年当日は法定休日になっており、月月火水木金金の第四四高速機動集団司令部も『最後になるかもしれない』休みを部下にはとらせた方がいいという配慮で、その前日である今日と明日は全休日となった。
だが司令部には当然外部からの容赦ない連絡は来るので留守番が必要になり……俺がひとりぼっちで誰もいなくなった司令部オフィスに詰めることになった。なんならブライトウェル嬢も残りたがったようだが、上は爺様から下はファイフェルまで全会一致で、母親の下に帰宅しガッチリ四八時間休むよう命じられ、カステル中佐に文字通り背中を押されて無人タクシーに放り込まれていた。
しかし来客というものは、ないと思ったタイミングで来るものだ。本来ならブライトウェル嬢が受け答えするヴィジホンが鳴り、嫌々俺が出るとそこには懐かしい人が映っていた。すぐに扉を開けて招き入れると、おそらくこの世界に来て一番に尊敬する『師』は、四年半前と変わらぬ紳士ぶりだった。
「あちらこちらでかなり活躍していると、シトレ中将閣下から聞いているよ」
俺が下手に淹れたPXの安物紅茶を以前と変わらぬ穏やかな表情で、階級章の星が一つ増えたフィッシャー大佐は悠然とティーカップを傾けた。士官学校を出てすぐに何故か査閲部に配属され、その査閲部の直上の上司として仕事だけでなく艦隊運用についての手ほどきをしてくれた『師』が、留守になっているであろうこんな年末の年越しのタイミングで来るのか。フィッシャー大佐はその裏をあっさりとばらしてくれる。
「大佐もお休みであったでしょうに、シトレ中将閣下もお人が悪い」
「いやいや、私も貴官に会いたかったから丁度良い機会だった。幸い今は宇宙艦隊司令部でも内勤だからね。来月には出征する貴官と比べるまでもないよ」
「ですが、大佐にはご家族があおりですし……ところで出征に関してはシトレ中将閣下が?」
「今、私が務めているところが総参謀長直轄だからね。嫌でも作戦原案が回ってくるし、そのチェックに最近忙しくてね……」
そういうフィッシャー大佐はらしくもないわざとらしい咳を二つしたあとで、軍用鞄から大きめの画面端末を取り出す。
「……え、もしかして」
嫌な予感が俺の背中をウゾウゾとはいずり回る。
「モンシャルマン准将閣下は戦艦の副長・攻撃指揮官を長く経験された人で、冷静かつ的確な砲撃指示においては右に出る者はいないと評判だった方だ。ビュコック少将閣下は誰もが認める歴戦の指揮官。モンティージャ中佐に関しては知己がないので存じ上げないが、それなりの情報将校なのだと思う」
画面端末が起動し、なかなかお値段が高いと噂のある三次元投影アタッチメントが小さなうなり声を上げて、画面上に星系航路図を映しだす。もう一箇月以上見慣れた図面だ。そしてそこには赤い三角形が二つ……
「つまり今回の第四四高速機動集団の航法・行動計画の根幹を設計した人物の『元教師』としては、『元生徒』が七五点で満足するような次元にいては些か腹に据えかねるのでね」
トントンとタッチペンで机を叩くフィッシャー大佐の目は、キベロン演習宙域で見せた冷静な査閲官そのもの。艦隊機動戦原理主義過激派の俺としては、年越し新春早々師直々の添削というご褒美のような懲罰のような長い夜に、喜んでいいのか悲しんでいいのか分からなかった。
後書き
2023.01.29 投稿
2023.02.05 誤字修正
第83話 サインとサイン
前書き
取りあえず正月休みに書き溜めた分だけ追加します。
本格的な戦闘は、次の次くらい。
宇宙歴七九〇年 一月一〇日 ハイネセン 第一軍事宇宙港
フィッシャー先生の年越し補講後、修正を入れた行動計画案がモンシャルマン参謀長から爺様を通して宇宙艦隊司令部と第八艦隊司令部に送られ、それぞれから最終承認を得て五日。若干の計画変更はあっても第四四高速機動集団旗艦部隊は『エル=ファシル帰還船団第一陣』の護衛として、予定日通り出発することになった。
世間の注目も報道陣も、民間宇宙港の方へ集中している。軍事宇宙港の出発ロビーのモニターには、疲れを見せつつも意気揚々と顔を上げて荷物を背負いシャトルへと乗り込んでいく帰還民たちの姿が映し出されている。
「第一陣九八万人とはいえ、一八〇余隻の民間貨客船と二〇〇隻の巨大輸送艦を、八〇〇隻近い軍艦が護衛するのは過剰というしかないだろうがな」
去年の三月同様、俺を見送りに来てくれたグレゴリー叔父は呟くように言った。本来であればグレゴリー叔父の第四七高速機動集団も『再訓練』を名目に出動する予定であったが、それは以前の訓練結果から流れて見送り側にいる。同じようにレーナ叔母さんは今にも泣きだしそうな顔をしているし、イロナも祈るような眼でこちらを見ている。ラリサはその二人を尻目に
「去年、ヴィク兄ちゃんお土産忘れたでしょ。別に林檎じゃなくてもいいから、エル=ファシルのお土産送ってね!」
と去年よりも幼さが抜けた笑顔で手を振っている。やはり肝っ玉というか、ある意味腹の座ったラリサが姉妹では一番軍人に向いているだろう。ラリサに小さく手を振ってそれに応えると、そのラリサの横に立っているイロナの、俺に向ける視線が急に険しいものに変わっていた。正確には俺の左後ろあたりを睨みつけるような感じで……
「ボロディン少佐、そろそろ」
振り返ればそこには、昨年同様に一部の隙の無い敬礼姿のブライトウェル伍長待遇軍属が立っていた。しかしひょろっとした背の高い少女だった去年とは違い、顔からは完全に幼さが駆逐され、ジャワフ少佐らに日々鍛えられた体つきは一回り大きくなっている。今回もまた自分の貯金の半分を母親に、もう半分を食材購入費に充てており、見せてくれた彼女の通帳の中身は見事にゼロだった。
そしてイロナに睨まれているのに気が付いた彼女は、整った眉をほんの僅かに動かしただけで、お手本のような回れ右をイロナに見せつけた。俺が改めて一家に敬礼し彼女の後を追うと、果たしてブライトウェル嬢は首を前に傾けて苦笑していた。
「……何がおかしい?」
滅多に笑うことのないブライトウェル嬢の微笑みに、俺は気味悪くなって問うと、左手で涙を拭いながら嬢はそれに応えた。
「ボロディン家のお嬢様から、あぁもはっきりと敵意を見せつけられるとなんだかおかしくって……声の大きい活発そうなお姉さんの方は、今日はご不在なんですか?」
「アントニナは貴官と同い年で、フレデリカ=グリーンヒル嬢と一緒に去年士官学校情報分析科に入学した。だから今日は来ていない」
「あぁ、そうなんですね……」
ブライトウェル嬢の口調が一気にツンドラ方向に変化したのを、ウィッティをして鈍いと言われ続ける俺でも流石に理解できた。一六歳とは思えない狼のような剣呑さ。人には見えない舌が彼女の上唇を這っているように感じるのは、きっと気のせいではないだろう。
「どうやら今年の八月から楽しい日々が、私を待ち構えているような気がします」
「……随分と自信たっぷりだな。もう合格した気でいるのか?」
あえてその剣呑さを諫めるつもりで挑発的に俺がそう問うと、嬢は一度俺の顔を見て足を止めた後、小さく肩を竦めてから応えた。
「第四四高速機動集団の充実した家庭教師陣のご指導は、世間一般の予備校とはレベルが違いますし……これで落ちたら死ぬくらいの覚悟で勉強してますので」
「そこまで覚悟することか?」
「どんなに事を尽くしても完全はないのは少佐殿がいつも仰っている通りですが、その覚悟がないと私のような怠け者は現状に甘んじてしまいそうなので」
「どの学科を受験する?」
「戦略研究科と陸戦技術科と情報分析科です」
「それは……」
それは女性が受験する学科としてはやや異端な選択だ。情報分析科は上級オペレーターや航路管制や、原作のフレデリカ同様に上級幹部の副官といった職種もあるので女性の志願者も合格者も多い。女性の軍人と言ったら、まず情報分析科か、後方支援科か、法務研究科か、というのが定番だ。
陸戦技術科は地上軍の幹部士官の養成が主であって、女性の合格者は毎年片手の指以下と言っていい。四〇〇〇人以上入学する同盟軍士官学校でも陸戦技術科は定員四五〇名。もうなくなってしまった戦史研究科と、戦略研究科に次いで募集人数が少ない。特に体力カリキュラムが激烈で、三年次までは共通科目もありなんとか乗り切れても、四年次以降の実習・演習で脱落し、転科するか退校する候補生がかなりいる。
戦略研究科は卒業した自分が言うのもなんだが保守的で古典的な集団だ。地球時代から一〇〇〇年は経過しているにもかかわらずずっと変わらない男性エリート中心主義。性差などないと言いながら自由惑星同盟軍創立以来、統合作戦本部長・宇宙艦隊司令長官・制式艦隊司令官に女性が着任したことはない。後方勤務本部長や統合作戦本部下内勤の各部長クラスにはそこそこいるのにもかかわらず、戦闘部隊指揮官で『大将』になった女性は、『名誉ある英雄』だけだ。
そして士官学校の受験システムにも問題がある。
筆記試験内容は全学科共通。筆記試験の点数に応じて入学席次が決められる。三つまで併願は可能で、席次上位者の希望順に各学科が埋められていく。上級幹部への近道である戦略研究科を第一志望にする人間が多い故に席次は早々に埋まっていき、第二志望である戦術研究科など別の学科に流れていくことになる。そして席次が上から埋まっていって三つの志願学科のいずれにも入れない場合は、士官学校教育部が志願者の傾向を見て割り振りすることになる。
正直に彼女の学力は一〇年前の俺と大差がない様にも思えるから、戦略研究科にもかろうじて合格できるのではないかとは思うのだが、確実とは到底言えない。仮に戦略研究科に合格したとしても、彼女が一体何者になりたいのか、俺には全く想像できない。
その上で第二志望が陸戦技術科だった場合、筆記試験とは別に基礎体力試験が課される。ジャワフ少佐やディディエ中将に鍛えられているのでこれも問題ない、と思いたいが体力自慢の同期ですら、『完全実力主義』という壁にぶち当たって相当に消耗して、俺にこっそり泣き言を漏らしたくらいだ。少佐や中将に義理立てしたということかもしれないが、義理立てで将来を決めているなら何が何でも阻止しないといけない。
結局、女性軍人としては無難なカリキュラムの情報分析科が、嬢にとっては一番しっくりくる学科だと思うが、一学年上に同い年のアントニナとフレデリカ=グリーンヒルがいるというのが最大の難点だ……
「後方支援科や法務研究科は選択肢になかったのか?」
「ないわけではありませんでしたが、三つしか志願できない以上、選択肢は限られます」
「……圧力があるなら正直に言えよ?」
「ディディエ中将閣下はお優しい方です」
別にディディエ中将からと言ったわけではないのだが、本当のところ圧力があったのかなかったのか、ブライトウェル嬢の答えではわからない。ただフィンク中佐達のような軍艦乗りになりたいというわけではない、ということしか俺の乏しい頭では分からないのだが……
◆
エル=ファシル星系迄の帰還船団の航海は順調そのもの。航行速度が不揃いな貨客船と軍艦の集合体とはいえ、軍事航路を優先的に航行している上に、恒星フレアや流星群といった障害については事前に調査済みであるし、幸いにも突発的な天災・人災にも遭遇していない。航法コンピューターの抜き打ち検査を行っても問題はなく、航路管制センターからも「良き航海を祈る」としか言ってこない。人災の最たる宇宙海賊も、八〇〇隻の軍艦が護衛する船団に喧嘩を売ってくるほど命知らずではない。
FASの訓練も順調だ。敢えて燃料を半員数にして出動し、エル=ファシル星系に到着するまで各艦が都合三度訓練を実施した。ミスがあっても全て取り返しがつくものであって、カステル中佐も珍しく上機嫌。時折船団側から、高速集団内で頻繁に行われるFAS訓練に対して「軍艦側の補給系統に何か問題があるのではないか?」と懸念と問い合わせが来るが、それを笑っていなしている。
ジャムシード星域カッファ星系で二四時間、エルゴン星域シャンプール星系で二四時間。民間船側の応急修理と補給と休養の後、帰還船団は一隻もかけることなく一月二七日。エル=ファシル星域エル=ファシル星系へと到着を果たした。ヤン=ウェンリーと共にこの星系を脱出してから一八箇月。三分の一以下とはいえ、エル=ファシル住民の一年半に及ぶ避難生活は終わりを告げた。
「またここに来るとは、二箇月前まで思いもしなかったぜ」
エル=ファシル宇宙港航法管制センターで、軍側との引継ぎを前日に控えたエルヴェスタム『管制士長』が、艦隊側からの立ち合いとして同席した俺を、センターの下層展望室に誘った。
三〇〇万人の住民がいた頃、この展望室は眼下に惑星エル=ファシルを展望できるスポットとして、それなりに賑わっていたという。特に日曜・祝祭日となれば若い家族連れやカップルで溢れていて、彼ら相手に商売するレストランや売店も多くあったそうだ。勿論最低限の要員しかいない現在は店も開いていないし、人影すらない。
そんな場所に俺を連れてきたということは、誰にも聞かれたくない何か言いたいことがあるんだろうと思って視線で話を促すと、エルヴェスダム氏は頭を掻きながら言った。
「軍事作戦を進めているんだろ? 帰還船団を隠れ蓑にして」
「ええ、まぁそうです」
「第四四高速機動集団だけじゃねぇ、もっと大規模な兵力を動員する軍事作戦だ。イゼルローン要塞攻略は去年失敗に終わっているから、そこまで行くわけじゃねぇだろうが」
「そうですね」
「脅迫されている俺の仕事は、第四四高速機動集団の艦艇データを宇宙港航法管制センター内で一時的に星系内にいるように偽装することと……ほかに何をすればいいんだ?」
「三〇隻ほど停泊しつつも積み荷を降ろさないまま離脱する巨大輸送艦を見逃してもらうこと、ですね」
不正と言えば不正だ。軍がこのまま航法管制センターを管理しておけば、『適当に』処理できる話だが、軍属から航路局に戻ることになるエルヴェスダム氏がやれば犯罪になる。勿論作戦終了次第、内容は公表されず『不起訴処分』にはなるだろうが、露見すれば一時的とはいえ氏が汚名を被ることになる。
「なんだ、その程度か。そっちが自航式のジャマーとその管制権を俺に用意してくれれば、大したことじゃない。俺が統制官であるうちなら、まず半年は誤魔化せる……それほど長期的な作戦か?」
「いえ、四月中旬には勝敗がついているでしょう」
それを意外に早いと思ったのか、エルヴェスダム氏は三白眼を丸くして俺を見つめる。一応今の彼の身分は軍属で、機密保持という点からはあまり好ましくはないが、民生部門の通信手段が限られている現状で彼が露骨に作戦情報を帝国軍に漏らすことはもはや不可能だ。もし漏らしたとしてもすでにダゴン攻略本隊はシヴァ星域に達しており、帝国軍が本国より増援を呼んだとしても時間的に間に合わない。
「……いつも思うんだが、職業軍人というか、士官というのはどうしてそんなに命知らずなんだ?」
「と、言いますと?」
「四月中旬といえばあと三箇月もない。死ぬかもしれないって言うのに、どうしてそう平然としていられる」
「別に平然としてはいないと思いますが?」
旗艦エル・トレメンドの艦内でも、ストレスで胃薬を手放せない士官や逆に過食症になる士官だっている。死に対しては誰だって臆病になるものだ。一度死んだことのある俺が言うのもなんだが。
「俺が言いたいのは、アンタやヤン=ウェンリーみたいな奴のことだ」
そういうとエルヴェスダム氏は大きく溜息をついた後、三重窓の縁に腰かけ軍のシャトルが降下し始めた惑星エル=ファシルを見下ろした。
「ヤン=ウェンリーはきっと覚えちゃいないだろうが、俺はリンチの野郎が逃げ出す前に一度会っている。その時に奴は、俺に防衛艦隊の陣容を聞いてきたんだ。簡単にレーダーとトランスポンダーの情報を渡してやっただけだが、受け取った奴の顔色は全く変わってなかった」
時折その言葉に舌打ちが混じる。
「まるで逃げ出すのは了解済みといった表情だ。四〇〇〇隻近い帝国軍が星系内を遊弋していて、逃げ出す船団は海賊撃退程度の軽武装しか積んでない客船が数隻で他は非武装って有様なのに、なんで平然としていられる」
「ヤン=ウェンリーはそれなりに肝が据わっている男ですからね。すべて計算づくでしょう。だから彼は『英雄』なんです」
実際のところ、そんなことを考える暇もないほどにヤンの脳味噌はフル回転していたと言ったところだろう。英雄と呼ばれることを忌み嫌うヤンではあろうが。
「『英雄』ね。なりたいとも思わんが」
「なりたくてなるものではないですからね」
「アンタはどうなんだ? 『英雄』になりたいのか?」
「なりたいと思った途端に、死神とお友達になれますよ。ごめん被りますね」
「……よくわからんな。じゃあなんでアンタは熱心に軍務以外にも尽くすんだ? モンテイユ氏もロムスキーさんもアンタの献身には一目も二目も置いている。出世欲や名誉欲が目的でなくて、そうしてそこまでする?」
それは究極的には一〇年後、自由惑星同盟が金髪の孺子に滅ぼされない為。その為の出世も目的の一つではある。だが……
「エルヴェスダムさんと同じですよ。英雄になりたくてエル=ファシルの支援活動をしていたわけじゃないんでしょ?」
「流石に命を天秤にかけて、人を殺してまで支援活動をしようとは思わねぇよ」
「そこは職業の違いと思っていただければ」
「訳が分からねぇな。本当に職業軍人って奴は」
首を振るエルヴェスダム氏を、俺は微笑みの仮面で見据える。本来であれば彼のような反応がまっとうな人間のあるべき姿だろう。だが残念なことに人の命がかなりお安くなっているこの時代においては、かなり異端ではある。
もっともイゼルローン回廊の向こうには、姉を皇帝に奪われる理不尽に立ち向かう為に、数千万人の犠牲者を出して宇宙を奪おうとまでするとんでもない奴もいるが、それに比べればはるかにマシだ。マシだと思いたい。
「ボロディン少佐。頼みがある」
そういうとエルヴェスダム氏はジャケットの胸ポケットから、少し縒れた例の手紙を取り出し開いて俺に手渡す。
「これにアンタのサインも追加してくれ」
「それで価値が上がるとは思えないですが?」
「価値のあるなしは他人ではなく、俺が決めるからいいんだよ。来月にはこの世からいなくなるかもしれない奴の証ってのを、貰っておくのも悪くないと思ってな」
ホレホレと目の前で揺らす例の手紙を俺は受け取り、ヤンの隣にある狭いスペースに自分の名前を書き加えて返した。
「縁起でもないことを言いますね」
俺が溜息交じりにそう応えると、エルヴェスダム氏はしてやったりといった表情で俺に言った。
「だいたい縁起を担ぐような玉じゃないだろ、アンタは」
後書き
2023.01.29 投稿
第84話 死地へと送り込む
前書き
本当に中途半端な休みしかないので、書き進むことができないのが残念です。
たぶん次は戦闘でしょうが、おそらく別視点です。
宇宙歴七九〇年 二月 エル=ファシル星域エル=ファシル星系より
後続の船団も順調にエル=ファシル星系に到着し、第四四高速機動集団の陣容は整った。
エルヴェスダム氏より依頼のあった自航式ジャマーの手配は、カステル中佐から機動集団各艦に向けて『三発ずつ』供出するよう指示が出された。護衛任務が終了した第四四高速機動集団は『一時的なエル=ファシル星域防衛と帰還に伴いその周辺星系での海賊掃討』任務に携わると公表されているので、それを外部に偽装する為のジャマーというわけだが、エルヴェスダム氏から送られてきた作戦書について、機動集団で最もエル=ファシル星系に詳しい二人の艦長は内容を聞いて唸り声を上げた。
自航式ジャマーには当然ワープ機能はないし、小型の宇宙機雷を改造したものだから航続力に乏しい。それで半年も誤魔化せると言っているのだから、どんな計画かと思ったら重力と太陽風とエネルギー流を利用するというモノだった。各部隊が移動しながら放出することで運動エネルギー自体は与えられるが、そのままでは明後日の方向に飛んで行ってしまう。星系内に散らばることなく留まりつつ、最低限の燃料消費で星系を周回するという離れ業だ。流石はエルヴェスダム氏と思ったのだが……
「これは麻薬密輸組織がよくやる『潮目流し』です。星系外部から侵入し、エル=ファシルⅤに隠れた密輸業者の船は、禁止薬物などの商品を制御機能付きのコンテナに詰め込み、このルートで放出します」
ユタン少佐は右手を目に当てながら、首を振って呆れている。
「コンテナは発見しにくく、レーダー透過装置まで搭載している奴もありますので、これらを捕まえるには不自然な動きをする回収側の船の動きを把握する必要があります」
コンテナの重量とジャマーの重量の違いを計算すれば、あとは以前の取り締まり記録や自身が見た回収船の動きを加算することで、『航路』を弾きだすことができる。まさに地勢に詳しい管制官らしい作戦だが、密輸組織の追跡調査も行ってきた元エル=ファシル防衛艦隊の面々から見れば、よくもまぁ古傷を抉るような話を、といったところだろう。
二月四日一二〇〇時。これ見よがしに管制センター周辺で燃料補給を行った第四四高速機動集団は、海賊掃討作戦の為に、星系外縁部へ向けて出動。星系内最大戦速をもって第五惑星軌道上へ向けて進出。
同日二三〇〇時、エル=ファシルⅤの惑星軌道上にて、各艦が自航式ジャマーを放出。放出後はエル=ファシルⅤの影に隠れるように部隊毎の単縦陣を形成し、一路星系外縁部の彗星雲へ進む。
五日〇六〇〇時、二度の進路変更の後に偵察衛星が配備されていない跳躍宙点に到着。既に進発待機していた第九戦略輸送艦隊臨時A四二五五輸送隊と合流。同隊の巨大輸送艦三二隻をハンバーガーのように挟み込む陣形を形成。各艦損傷の無いことを確認した爺様は、正式に隷下全部隊全艦に対し、アスターテ星域からダゴン星域へ抜ける強襲打通作戦を指示した。
九日一四〇〇時、一二回の長距離跳躍と三〇数度にわたる短距離跳躍ののち、アスターテ星域との接続星域であるエル=ポルベニル星系に到着。通常航行速度を維持したまま、各艦は巨大輸送艦から燃料の最終補給を開始。バンズがパティを何度も圧迫するような動きで、巨大輸送艦の両舷側に数隻ずつへばりつくその姿は、大洋でクジラにへばりつくコバンザメとしか形容しようがない姿だ。その作業途中でドーリア星域から進発している哨戒隊より、『アスターテ星域よりドーリア星域へ向けて、帝国軍が盛んに強行偵察を仕掛けている』との報告が入る。
予定通りであれば、現時点で第八艦隊を主力とするダゴン星域攻略部隊はエルゴン星域とダゴン星域の接続宙域に侵入しつつあるはずだ。はてさてこの活発化の原因をどう見るか。
「ジャムシード星域に帝国側の諜報員がいるのは間違いありませんね。そこで第八艦隊以下一万隻五〇〇〇隻以上の主力部隊が侵入してくれば、何らかの警報が出るはずです。一般的な抗体反応でしょう」
情報漏洩を真っ先に疑われるであろうモンティージャ中佐は、視線の集中砲火を受けながらも、胃薬を手放せずにいた先週とは打って変わっていつもの陽気なカリビアンの剽軽な表情で応えた。
「だがそれならば、これからエル=ファシル星域へ向けても同じように強行偵察してもおかしくはないのではないか?」
強行偵察隊はせいぜい数隻の巡航艦で構成されるとはいえ、そんな危険な宙域での補給活動、護衛が付くとはいえ浮かぶ標的である巨大輸送艦が帰路で遭遇戦になるということだってありうる。そんな心配からカステル中佐は問うと、話を向けられたモンティージャ中佐は軽く手を振って応える。
「エル=ファシル星系防衛艦隊は藪蛇が怖いので『代替わり』してから積極的な偵察行動をしておりません。ジャムシードの帝国側諜報員がよほどのマヌケでない限り、あれだけ放映されたエル=ファシル帰還船団の動きは間違いなく察知しています。当然我々の護衛部隊も計算に入っているでしょうが、八〇〇隻ずつ分化して移動してますから、普通に『偽装誘引を兼ねての海賊掃討作戦しての動き』と考えるのが自然でしょう」
それら全てがエル=ファシル星域に補充された、と考えるよりも、一つないし二つの部隊がドーリア星域に増援として加わったと考える。仮に一六〇〇隻の増援が加われば、ドーリア星域の防衛艦隊の数は三六〇〇隻を超える。
民間人が帰還し、これから惑星復興しようという状況下のエル=ファシル星系を巻き込んでの軍事行動というのは、帝国側諜報員の視点からしても『非常識』と判断する。故に偵察行動は戦力的・政治情勢的に安定して軍事活動も活発なドーリア星域からの侵入を警戒したのだ、と。とすれば、
「やはり主力部隊の目標がダゴン星域であることは、ある程度見抜かれている。ということでしょうか?」
俺の疑問に、モンティージャ中佐は『それは俺の責任範疇外』と言わんばかりに肩を竦めて応えるし、爺様と言えば『そのくらいはシトレ(中将)も覚悟の上じゃろう』と冷めた顔をしている。帝国軍の主力部隊であるイゼルローン駐留艦隊一万五〇〇〇隻は、総力をもってティアマト星域を突破してダゴン星域に向かうことだろう。第四四高速機動集団の打通作戦の難易度は下がったとみていい。
「全て想定の範囲内じゃな」
爺様が司令席で腕組みをしたまま頷くと、補給終了後ただちに出発との指示をする。高速集団に随伴する中型補給艦が最後に巨大輸送艦から離れ、再び速度を上げて二度の長距離跳躍の後、一〇日〇九〇〇時、八箇月前に到着した場所に同じように出現し、跳躍宙点から慌てて逃げ出していく二一隻の帝国軍哨戒隊と遭遇した。跳躍宙点のルート哨戒の部隊だろうが、前衛部隊が咄嗟砲撃によって戦艦一隻と巡航艦三隻を撃破し、追撃によってさらに戦艦一隻を大破鹵獲、巡航艦二隻を撃破したが、残りの一四隻は取り逃がしてしまった。こちらも砲撃を受けた巡航艦一隻が小破し、戦闘能力喪失ということでエル=ファシルに送り返されることになる。
「後先考えない短距離跳躍に未来をゆだねた、彼らに幸運あれ」
光り輝く円盤の中に我先と逃げ込んでいく帝国軍駆逐艦の艦尾に向けて、モンシャルマン参謀長は呟くように吐き捨てた。彼らが跳躍前に司令部へ緊急通信を発しているのは間違いない。星域侵入早々、発見されたところでもう引き返すわけにはいかない。追撃は中止され隊列を再度整えると、一目散に隣接するトリエラストラ星系への跳躍宙点へと突き進む。
一二日にはトリエラストラ星系、一四日にはウリガット星系、一五日にはユールユール星系に侵入。やはり同じように少数の哨戒部隊だけしかおらず、これを砲撃によって蹴散らしながら突き進み、周辺を警戒しつつ第二戦速を維持したまま各艦一度の燃料補給を行い予定より一日遅れの一七日、ダゴン星域トルネンブラ星系との接続星系であるアトラハシーズ星系に到着した。跳躍宙点に敵戦力は確認されなかったが……
「指向重力波探知、逆探により発信源を確認。帝国艦隊らしきもの第二惑星軌道上に集結している模様。反応極めて大」
観測オペレーターの声に、司令部要員はそれぞれの席を立ち、爺様の座る司令官席を囲むように集まった。
敵地打通突破の都合上、事前に偵察部隊を先行させることはせず、集団で一斉に星系に入ってから想定航路先に高速艦艇を展開して強行偵察をするという荒っぽい偵察方法で我々はここまで潜り抜けてきた。しかしどうやら相手もそれを見越してきたようだ。
「これはどうにも一戦交えなければならんようじゃな」
敵戦力を無視してトルネンブラ星系への跳躍宙点に向かうことも考えられたが、跳躍宙点に到着する前に後背からの攻撃を受けることは間違いない。元からのアスターテ星域防衛艦隊、ダゴン星域からの戦力分派、ヴァンフリート星域からの増援も想定される。
そもそもとして、本隊がカプチェランカを攻略するのを助けるのが目的の強行軍だ。戦うことは充分に計算してはいたが、まとまった戦力をこの戦域に集結させた帝国軍の指揮官は少なくとも近隣星域レベルで俯瞰的かつ冷静に対応できる人物とみるべきだ。もっとも昨年のアスベルン星系遭遇戦でも数と質に差がなければ、苦戦は免れなかったわけだし、今度は立場が逆になる。
即座に爺様はモンティージャ中佐に強行偵察艇による艦隊全周への偵察哨戒を、カステル中佐に部隊の資源備蓄状況の再確認を、モンシャルマン参謀長に第二警戒速度での移動と陣形再編を指示した後、俺を呼び止めて問うた。
「何か言いたそうじゃが、今のうちに言っておいた方がいいのではないかの?」
「正面の敵艦隊の数にもよりますが、今のうちに偽装艦隊を出しておいた方がいいのではないと」
集結中の敵が一万隻を超えるような大軍であれば、真っすぐ近づいて戦うのは自殺行為だ。五〇〇〇隻でもほぼ同義だろう。帝国軍が事前に作戦を察知し数万隻を動員していない限り、帝国軍の戦力を本隊が攻略の間、アスターテ星域に引き付けるというダゴン星域攻略戦への当部隊の任務は果たせたと言っていいし、極度の戦力差がある場合は撤退の許可も出ている。
ただ第四四高速機動集団がアスターテ星域に侵入した時点において、帝国軍のドーリア星域への強行偵察が行われていた。防衛艦隊全戦力がこのアトラハシーズ星系に到着するには七日ではギリギリ。(同盟軍が認識している範囲では)まともな補給基地のないアスターテ星域だ。集結できたとしても燃料の補給や強行偵察で負った損傷修理には時間がかかる。
事前の情報分析で得ているアスターテ星域の防衛艦隊総数は二〇〇〇隻ないし三〇〇〇隻。指揮官は最近交代があったらしく不明。まともな指揮官ならば後方に増援を要請するはずだし、ジャムシード星域に大規模な同盟軍の存在を察知した段階でイゼルローンからも救援が出るだろう。
となると、ヴァンフリート星域からの航路に敵艦隊が出現する可能性が高い。勿論帝国軍が同盟軍本隊のいるカプチェランカの防衛を無視してトルネンブラ星系との跳躍宙点に出現する可能性もあるが、可能性は極めて低い。ならば偽装艦隊を出して増援部隊の注意を引き付け、味方本隊から離隔した方がいいのではないか、と。
たっぷり三分。俺の説明を目を閉じて聞いていた爺様は、組んでいた腕を解きモンシャルマン参謀長を呼び寄せ、改めて力のある鋭い目で俺を見て言った。
「この星系に現有する敵戦力が我々の同数以下と想定してじゃ、偽装艦隊を二つ出すのはどうじゃ?」
「一方はヴァンフリート方面への跳躍宙点に向けてとは思いますが、もう一方はどちらに?」
「トルネンブラ星系への跳躍宙点への最短航路じゃ」
モンシャルマン参謀長が爺様の回答に喉を鳴らす。単純な二択を敵部隊に示し、敵を能動化させこちらの意図的に動かす案だ。偽装艦隊側に引っ掛かれば、本隊は安全距離をとって第二惑星軌道上を通過して跳躍宙点へと向かえる。敵艦隊が迷って部隊を二つに分ければ、数的優位を確保できる。妙案ではあるが……
「敵が第二惑星軌道上から動かなかった場合はいかがいたします?」
「我々の同数以下であることが前提じゃ。多少の戦力差であれば力で中央突破する。我々よりはるかに多い場合は、判明時点で転進。ユールユール星系に撤退する」
「そうなると当集団の目標はカプチェランカでの合流からユールユール星系における遅滞戦闘行動、となりますが……」
「……ビュコック閣下」
「なんじゃジュニア?」
「偽装艦隊を二つ出すのであれば、当集団を二つに分けてはいかがでしょうか?」
増援の見込みのない戦域で、部隊をさらに二つに分けるのは兵力集中運用の原則に反する。下手をすれば各個撃破される。その危険性はあるが、敵が多数の場合には逃げ切れる可能性がより高くなる。
「二分するというと、どのようにかね?」
『バカなことを言うな』と頭ごなしに否定されてもおかしくないにもかかわらず、モンシャルマン参謀長は咳払いをした後、俺に向かって問うた。それだけとってもウチの司令部が人格的にも知性的にも健全であると安心できる。ど真ん中に短気で頑固な爺様はいても、だ。
そんな眉を潜める爺様に許可をとり、司令官席のモニターにアトラハシーズ星系の星図を表示して、俺は説明する。
「当集団を旗艦部隊とそれ以外の部隊の二つに分け、それぞれがデコイを出し双方とも二四〇〇隻の一集団となるように偽装いたします……
旗艦部隊は第二惑星軌道を避ける自然曲線をなぞりつつトルネンブラ星系への跳躍宙点への航路を、それ以外の部隊は第二惑星軌道上の敵艦隊への直線航路をとる。
相互の連絡距離が最長になるのは一一時間後。それまでには爺様の言う通り敵艦隊は何らかの行動を示すだろう。旗艦部隊の進攻を阻止するか、それとも現状を維持し第二・三部隊の正面攻撃を迎撃するか、兵を二分してそれぞれ対処するか。
敵兵力が過大である場合は速やかにユールユール星系方面へ離脱する。敵が三〇〇〇隻程度の場合は、時間差が付くことになるが戦闘を選択する。
敵が第二惑星軌道上で迎撃する場合は、旗艦部隊がその右側面から後背に回り込む。旗艦部隊の進路に立ちはだかるよう動く場合は、第二・三部隊が左側背に回り込み、半包囲態勢をとる。敵が急戦速攻で旗艦部隊を攻撃に向かってきたら第二・三部隊はその背後を突く。
敵がグレゴリー叔父のようなまともな指揮官であれば、包囲される前に進路を変更する。その為、意図的にトルネンブラ星系への跳躍宙点とは反対側に逃げられるよう包囲網に意図的に穴をあける。敵はその方向へ急速前進し砲射程外で反転、包囲網の裏側に回り込もうとするだろうが……
「我々は敵の回避行動に合わせその後背を砲撃しつつ、タイミングを計って恒星アトラハシーズの方向へ急速前進します。そこで恒星を使ったスイングバイにより加速を得て、恒星風にも乗って跳躍宙点へと向かいます」
「時間ロスはどのくらいじゃ?」
「戦闘終了後部隊再編成する時間を含めればマイナス一時間です。改めて最短航路を最大巡航速度で進むより、早く跳躍宙点に到着できます」
「なんじゃ、最初から誰かの入れ知恵で計算しておったか」
フンと爺様は鼻息を吐くと、進路シミュレーションを見ながら顎を撫で、しばらくの沈黙の後、今度は冷めた何かを悟らせるような視線を俺に向ける。
「各個撃破されるリスクをとってまで一集団となって正面決戦を挑まないのは、敵が少数の場合に遅滞戦術をとり、ヴァンフリートからの増援を待たれるのを阻止する為じゃな?」
「はい」
「ではヴァンフリート星域方面への偽装艦隊を作り出す任務は、どの部隊に命じるか?」
それは聞かれたくない質問であったが、答えざるを得ない。本隊が戦わないのであれば、事前にプログラムした航路を進ませることもできるが、本隊が敵と戦う以上、ヤンが第四次ティアマト星域会戦で見せたように、敵増援部隊が敵本隊の交戦を確認し進路を変更したタイミングで、背後に回り込んで偽装艦隊を作り出すよう仕向けたい。その為には少なくとも有人艦による制御が必要だ。
火力の援護もなしに隠密裏に数十倍以上の敵艦隊の背後へ回り込む必要がある。必然的に任務部隊は少数とならざるを得ない。そして状況が露見すれば、圧倒的戦力差によって磨り潰される。
仮に逃げ切れたとしても……燃料が満腹としてもユールユール星系への跳躍宙点を通ってエル=ファシル星系に向かうにはギリギリだ。ドーリア星域方面には哨戒戦力がウヨウヨしている。到底逃げ切れるとは思えない。第四四高速機動集団本隊への合流が叶うかと言えば……もろにその姿を敵に晒すことになって追撃を受けるだけのことだ。つまり生還は極めて困難で……
「……第八七〇九哨戒隊がその任に適していると小官は、考えます」
壁に折り畳まれた従卒席のあたりから、息を吞む僅かな音がしたことを、俺は聞き逃すことは出来なかった。
◆
慌ただしく作戦が構築されていく間、俺はあえてシャトルでフィンク中佐とユタン少佐を旗艦エル・トレメンドへと呼び寄せた。想定される現在の戦況図、自軍のこれからの行動と推測される敵の反応を聞いただけで、俺が与えられる任務を口に出す前に、二人は察したようだった。
「ありがとうございます。ボロディン少佐」
司令官公室。しかし持ち主である爺様も、参謀長も、副官もいない。ようやく耳に届くくらい僅かな空調の音と、俺の右後ろに立っている従卒が淹れた珈琲の匂いが静かに漂う中で、フィンク中佐は俺の向かいのソファに座りながら深く頭を下げて礼を言う。
「第八七〇九哨戒隊がこれまで鍛えた能力の全てを挙げて、見事任務を果たして御覧に入れましょう。そうビュコック司令官閣下にお伝えいただけますでしょうか」
「それは勿論です。ですが、お礼を言われるようなことでは……」
俺はアンタ方に『八割ぐらいの可能性で死ね』というに等しいことを言っているんだぞと、言外に言ったつもりだったが、言われた側の顔色は死地に赴く悲壮感の欠片もないものだった。
「何をおっしゃいますか。ボロディン少佐は第四四高速機動集団に数多といる巡航隊や哨戒隊の中から、我々を特に選んで集団の命運を委ねて頂けたわけです。その栄誉、これに過ぎたるはありません」
「しかし……」
「我々はこれまで偵察哨戒とは何たるかを常に考えて訓練し、鍛えておりました。その実力を存分に発揮できるとなれば、文句を言うなど烏滸がましいと言わざるを得ません」
フィンク中佐もユタン少佐も司令部から与えられたこの任務で死ぬ。確実ではないが、そうなる可能性は高い。こちらの戦術的意図を理解した上での了承。エル=ファシルで、そしてアトラハシーズで。結局のところ、情を逆手にとって、俺は彼らを都合のいい『弾除け』扱いしているのではないか。
「第八七〇九哨戒隊の燃料タンクと酸素タンクは全て満杯にします。カステル補給参謀が最優先で手配をかけてますので、帰艦後、支援部隊方向へ配置移動を願います」
澱のようなものが一秒ごとに腹にたまっていくのを感じつつ、俺は二人から目を逸らすことなく説明を続ける。それで何かが救われるわけでもないのに。
「陽動作戦終了後、第八七〇九哨戒隊は第四四高速機動集団の編制より外されます。ビュコック司令官閣下より、先任指揮官独自の判断により戦線離脱を許可するとのご命令です」
胸ポケットに収めていた命令書をフィンク中佐に手渡す。フィンク中佐の指紋照合によって封が切られ、中佐は中身を読み、読み終わった後はユタン少佐に手渡す。
「命令書、確かに受領。了解いたしました」
「陽動作戦に特段必要な物資がございましたら小官かカステル中佐にご連絡ください。可能な限り便宜を図るようにいたします」
「承知いたしました……今のところ燃料や酸素以外で必要とする物資はありませんが、幾つか各艦より補給艦に私物を預けると思いますので、保管管理をお願いいたします」
「了解いたしました」
それは残念ながらエルヴェスダム氏の手紙のような笑い話になるとは到底思えない代物だろう……
「フィンク中佐、ユタン少佐」
だからこそ司令部命令ではなく俺の独断で、言っておくべきことがある。正式な命令ではなく、記録にも残さないような形で。爺様も参謀長も恐らくそれを察して席を外してくれたのだ。
「はっ」
「『小官は』この陽動作戦の主目的を、あくまでも敵増援部隊の誘引と考えております。故に手段は問いません。第八七〇九哨戒隊の考えられる最善の手段をお取りください。状況に応じて艦を放棄しても構いません。責任は小官がとります」
「……承知いたしました」
これ以上の伝達事項がないのに、必要以上に彼らを引き止めておくわけにはいかない。作戦開始時間も迫っている。だがソファから腰を上げたくない気持ちが喉までせりあがってくるが、先にフィンク中佐とユタン少佐が腰を上げてしまった。軍規範通りの敬礼と答礼の作法の応酬。
「……あ、そうでした」
このまま何事もなく公室を出ると思われた寸前、フィンク中佐は突然回れ右をすると、俺といまだトレーを持ったままのブライトウェル嬢に向かって言った。
「司令部従卒殿は今年士官学校を受験されるとか。合格をお祈りいたしております。では」
そういって改めて敬礼するフィンク中佐とユタン少佐には一部の隙もない。ブライトウェル嬢の敬礼を待つまでもなく、二人は回れ右をして公室を出ていく。
俺とブライトウェル嬢は無言のまま、目の前でとじられた青丹色の扉をしばらく見ていたが、先に口を開いたのは、ブライトウェル嬢だった。
「士官とは誰かの生死を決断しなければならない。そういう役職なのですね」
残された珈琲カップを片付けながら、ブライトウェル嬢はしみじみと呟く。士官学校での教育で嫌というほど学ばされ、戦場においては日常茶飯事。今回のように殆ど生還の可能性が低い命令は稀であったとしても、敵砲火の届く範囲に将兵を送り込むわけだから大して変わらない。
当然のことながら自らも敵砲火の只中にあるわけで、俺だって死ぬ可能性がないわけではない。だが決死の覚悟で戦うことと、必死に戦うことは違うのは、前世の好きだったアニメのセリフだ。
特攻に近い作戦を命じた側の人間が、戦場でその指揮を執るのも責任とリーダシップのありようの一つだろう。ヤンがユリシーズに乗っていたのは、ラインハルトに借りを返すつもりとは言っているが、査問会でも言っている通り他人にどうしろこうしろ命じる前に自分で実行しろということを体現していたのだろう。
であれば、この陽動作戦を立案したのは事実上俺であり、その指揮も本来俺が取るべきものなのかもしれない……だが希望したところで、爺様は承認してくれないだろう。無駄飯喰らいと言われたマーロヴィア防衛部の時とは違い、艦隊の次席参謀にはやるべき仕事がそれなりにある。
「士官学校受験を止めるなら、今のうちだぞ」
誰かを犠牲にして作戦を成功させる。エル=ファシルで民間人を見捨てて逃走したリンチ少将を父に持つ彼女にとって、それは酷な任務となるだろう。特に戦略研究科を希望する彼女にとっては。だが、俺の言葉に一瞬呆然とし、その次に怒気を現し、最後は微笑を浮かべるという面相で応じた。
「お気遣いありがとうございます。ボロディン少佐」
笑顔が怖いと思ったことは一度や二度ではない。ボロディン家は特に女性が多く、しかもプライドが高くて気が強い(ちょっとばかりメンドクサイ)人ばかりだったから遭遇機会もそれなりにあった。が、その中でも今回のブライトウェル嬢の笑顔はとびぬけて危険性が高い。普段から感情をあまり大きく見せない彼女だからこそ、余計に怖い。
「ですが既に士官学校入試事務局には願書を提出済みですので、問題ありません」
一瞬だけ司令官公室と繋がっているミニキッチンにブライトウェル嬢の視線が動いたのは間違いない。そこは爺様用の接客セットや救急ツールなどが仕舞われているが、それに加えてディディエ中将からの物騒な贈り物(二本目・実刃付)も隠されている。
少なくともさっきの俺のセリフは、彼女の『優しいエル=ファシルの叔父さん達』を死地に追いやる男が言うべき言葉ではなかったなと、胸の奥底で深く自省するのだった。
後書き
2023.02.05 投稿
第85話 アトラハシーズ星系会戦 その1
前書き
遅くなりましてすみません。
呟きにも書きましたが、前話を別視点で書こうとして二回書き直しまして、いったん心が折れました。
これほど書けないとは自分でも思いませんでした。
その別視点の方、登場です。イケメンチート共が前線に出てくる前には出したかったので。
社台解禁みたいのようですが、僕の愛している『原作』は新コミカライズで登場するかどうかというところですね。題名から期待してはいますが。
年度代表馬で、既に同馬主の馬も複数出ているのに……
宇宙歴七九〇年 二月一七日 アスターテ星域アトラハシーズ星系
〇三〇〇時。偽装艦隊の準備が整い第四四高速機動集団は進撃を開始する。三〇分前に第八七〇九哨戒隊はヴァンフリート星域方面への跳躍宙点へ向けて艦隊を離脱している。一度方針が決まれば、事態の動きは速い。
既に作戦は第二・第三両部隊にも伝達済みで、敵部隊の戦力が判明し数的不利が確認され次第、司令部からの暗号通信によって作戦の中止、および星系からの強行離脱を指示済みだ。敵に偽装艦隊の内情を把握させるのを遅らせる為にもある程度の無線封止状況下にせざるを得ない為、通信は指向性の高いビーム通信を使用することになる。通信量は最低限にならざるを得ない。状況によっては両部隊指揮官独自の判断力に期待することになる。
先発した偵察隊から敵戦力の情報は届いていない。第四四高速機動集団に所属している強行偵察型スパルタニアンの数は限られている上、星系内は広大だ。妨害もあるだろうし、敵が第Ⅱ惑星の衛星軌道上に留まっていた場合、搭載されるパッシブセンサーの有効範囲内に収められる位置まではこれより五時間はかかる。
爺様は偽装艦隊の放出と別働部隊の運用に異常がないことを確認した〇四〇〇時。麾下全艦将兵に二交代で二時間ずつ休息をとらせた。情報が入るまでは心配してももはや無意味であるし、戦いが始まれば恐らくは不眠不休となる。この時ばかりは俺もタンクベッド睡眠をとった。戦場で見る夢は悪夢だけだろうが、背に腹は代えられない。
最初に敵の情報が入ったのは〇九〇五時。敵戦力は約二〇〇〇隻。第二惑星の衛星軌道上より第三惑星軌道に向かって移動を開始していた。以降の通信は途絶えたが、情報が確かならば敵の指揮官はこちらの部隊が本物と考え、その頭を押さえるべく行動を起こした、と思われる。つまり、こちらの動きについても同様に敵に知られていると見ていい。
推定される敵戦力との会敵予想時刻は一二三〇時。会敵位置は第二惑星軌道と第三惑星軌道のほぼ中間。第二惑星軌道上に到達しつつある別動隊がこのスパルタニアンの報告を受信していれば、事前の打ち合わせ通りに動いてくれる……はずだ。
第二報は一〇〇三時。最初に報告してきたものとは別のスパルタニアンからで、より詳細な敵戦力のデータがもたらされた。
「敵の総数は一五〇〇隻ないし一六〇〇隻。戦艦一八〇ないし二〇〇。巡航艦七〇〇ないし八〇〇。駆逐艦四〇〇ないし五〇〇。宇宙母艦五〇隻弱。ほか補助艦艇が一〇〇隻程度とのことです」
ファイフェルの報告に、俺を含めた戦艦エル=トレメンドの司令艦橋に集まった第四四高速機動集団司令部の顔色は悪い。まずもって初手に数的不利なのは分かっていたが、敵の艦艇構成がとても前線哨戒を主任務とする防衛艦隊とは思えない……まるで制式艦隊の、それも旗艦直轄部隊のような中核重装部隊編成。だいたい宇宙母艦が五〇隻も集中運用されているなど悪夢に近い。
「制式艦隊が解散して、中核部隊をそのまま前線に配置転換した、ということか」
モンシャルマン参謀長は喉を鳴らしつつそう言った。確かにそうともとれる編成だ。有人星系の警備部隊のようなきめ細やかな哨戒よりも、接敵することが目的の星域防衛艦隊。本来であれば機動性よりも容積制圧火力に特化している宇宙母艦はお呼びではない。
そして同盟軍の宇宙母艦と違って、帝国軍の宇宙母艦は通常戦艦より個艦戦闘能力においても重武装である。通常戦艦ですら同盟軍に勝る艦載機搭載量がある故に配備重要度は低く、制式艦隊同士の会戦でも滅多にお目にかかれるものでもない激レア艦ではあるが、別に遭遇したからと言ってうれしくもなんともない。
こちらの戦力は八〇九隻。戦艦一〇六、巡航艦三四五、駆逐艦二七七、宇宙母艦五、補給・支援艦七六。単純な数的比率は一対二であっても、砲戦参加面積は一対三、艦載機搭載量だけで言えば一対八。まともに真正面からぶつかれば、壊滅まで持って三時間というところ。
これはやはり一団で行動すべきであったか。今更ながらに自らの浅知恵を後悔しつつも、仮に二四〇〇隻が一団で行動したとしても、やはり総火力においては殆ど互角で意味はなかったと判断せざるを得ない。その上、現場に一六〇〇隻しかいないということは、事前情報よりも少ないということだから、敵にも別動隊がいるのも間違いない。やはり想定通り遅滞戦術をとられた挙句、後背からの奇襲を受けることになる。
敵がこちらをその射程下に収めるにはまだ僅かだが時間はある。逃げ出せないこともないが、逃げたら逃げたで味方別働隊を見捨てることになる。別動隊は数では互角であっても、艦艇構成は本隊とさほど変わらない。
「情報参謀」
決断を迫られていると理解している爺様は、唇を噛み締めているモンティージャ中佐を呼び寄せた。
「敵艦隊の部隊構成を別動隊に伝達できるか?」
「可能ではありますが、この距離ですと発信源を特定され、場合によっては解読される恐れがあります」
「そんなものは今更じゃ。敵は既に儂らの存在を把握している」
腕を組み、深く司令官席に腰を下ろしている爺様は、中佐の諫言を鼻で笑い飛ばした。
「ジュニアのおかげで辛うじて勝ち筋が見えておるのに、余計な心配せんでもよい。通信が送れるなら、速やかに『交戦予定時刻繰り上げ。一二〇〇時』と発信せよ」
それは一体どういうことか。勝ち筋どころか負け筋を作った俺にとっては、爺様が皮肉を言っているようにも聞こえるが、自信満々の爺様の顔を見るにそうとも思えない。それにそういう通信を出せば、別動隊は航行速度を上げると共に予定ルートを早いうちに変更することになり、挟撃体制をとりやすくはなる。だが同時に敵の攻勢を誘うようなものではないだろうか?
「敵がこちらを少数と見ていないと、閣下はお考えですか?」
同じような疑問を持ったモンシャルマン参謀長が問うと、果たして爺様は鷹揚に頷いた。
「もし儂が敵の指揮官で、こちらが八〇〇隻程度の弱小部隊であると初めから分かっておったら、急戦速攻を選択する。じゃが最初に観測した二四〇〇隻という数字に囚われておるからこそ、根拠地から出動するのが遅かったのじゃ。時間が経ち儂らの実戦力が分かれば容赦はせんじゃろうが、それが分かるのは敵艦の索敵範囲に入ってからになる」
「では……」
「ジュニア。別動隊の行動可能な航行速度を想定すると、予定会敵位置に到着する時間はどのくらいじゃ?」
爺様からの質問に、一度だけモンシャルマン参謀長に視線を送る。参謀長の頷きに、俺は三次元投影機を起動し、計算する。各艦ともデコイを引っ張っての移動である故に、出せる速度は限界がある。
「第三戦速まで引き上げて一二二〇時と思われます」
「では会敵位置をどれだけ前に動かせば、別動隊を一二〇〇時に敵の左側背へ回り込ませることができる?」
「……一〇時三〇分、距離六.八光秒前にズラせば」
「一一三〇時に儂らがその敵の正面、六.二光秒の位置に向かう航路は?」
「……一時四四分、第二警戒速度まで落としていただければ」
「よし。麾下全艦に通達。進路一時四四分、第二警戒速度」
爺様の命令をファイフェルが復唱し、光パルス短距離通信によって第一部隊全艦に伝達される。会敵予定時刻が修正され一一三〇時となり、残りは一時間弱。別動隊が俺の予想通り動いてくれれば、『耐える時間』は三〇分となる。圧倒的優勢な敵を正面に対して三〇分をどう耐えるか。俺は自分の席に戻り、艦隊運動シミュレーターを稼働させる。敵が自身の索敵範囲にこちらを収めるのは一一一五時前後。そこで偽装艦隊は完全に露見する。
この本隊が敵に対してかろうじて優勢な点は戦艦の数だ。勿論絶対数においては少ないが、比率から言えばほぼ同じ。巡航艦の有効射程より長い距離での砲戦となれば、砲火力差はかろうじて一対二以下。付かず離れずを許してくれるような敵だといいが、宇宙母艦を有している以上、帝国軍は是が非でも絶対優位な近接戦闘に持ち込んでくるだろう。そうさせないためには……
「閣下。機雷を前方に散布してはいかがでしょうか?」
散布範囲にもよるが八〇〇隻余が放つ機雷の量はたかが知れているが、そこに機雷があるというだけで掃射の必要が生まれ、帝国軍の接近戦への意思が低下するのではないか。
「今はダメじゃ。前方投射が低加速である以上、双方の戦力認識下での防御効果は薄い。その上、機雷の存在自体が味方の砲撃行動を阻害する。撒くならこちらが後退するタイミングじゃな」
言下一閃、爺様はあっさりと俺の進言を却下する。確かに原作のマル・アデッタ星域会戦では回廊内に事前に機雷を配置していた。進撃行動中の艦隊の行動としては消極的過ぎるし、それで敵がこちらの防御心理から、自己の数的優位を認識して速攻に出られる可能性もある。
よりダイナミックに、機雷源を敷設して敵の正面攻撃を避けつつ、驍回運動により敵側面を突く疾風のような戦術行動を期待するには……時間もさることながら部隊の練度がまだまだと言わざるを得ない。
一一一八時。
もはや偵察艦艇ではなく、各艦の搭載する探知装置で認識できる位置まで第四四高速機動集団第一部隊は帝国艦隊に接近した。爺様は既に第一級臨戦態勢を指示している。
「先に発見せる敵は、星系標準水平面に沿って台形陣を形成。数一五四〇」
「現在の敵の方位、当艦隊進路方向〇〇二五時。敵中央部までの距離七・五光秒」
「機動集団基準有効射程迄、あと二〇分」
司令艦橋所属のオペレーターの報告が続々と上がってくるにつれ、俺の胃からも胃酸が上がってくるように思える。初陣はケリムでの海賊戦、それからマーロヴィア、エル=ファシル、アスベルンと戦ってきた。いずれも戦力的には優勢な立場だったが、今度は圧倒的に不利な立場だ。
「敵戦力、巡航艦戦隊が前衛を形成。その後方に戦艦と思しき主力部隊を確認」
「後衛に宇宙母艦群を確認。その周囲に駆逐艦戦隊を確認」
帝国軍の指揮官は極めて常識的な陣形を形成している。打撃艦艇を前衛・中央に、母艦群は護衛を付けて中央後方に。正面砲戦により直進し一撃でこちらの前衛を粉砕、接近戦に持ち込んで勝負をつけるということだろう。隊列に隙らしい隙が全く無い。分隊単位ですら定規で計ったような戦列、上下左右どの方向に対しても、攻撃・防御・支援が可能な態勢をとっている。戦力的な不均衡・不均一性もない。まるで教科書のように重厚な台形陣だ。
「敵中央部に識別可能な艦艇を確認。現在データ照合中……」
既に望遠目視ですら可能な距離だ。自動で敵艦を確認・照合するシステムが作動していて、データベースで照合できるような『名のある艦』があったという事か。通常戦艦でも指揮官が座乗指揮する艦艇のデータについてはフェザーンでもよく収集することがあったが、特に帝国側は指揮官に貴族が多いせいか、自己顕示欲の表れか巨大で武骨ながら派手な艦艇が多い。
「艦形照合。敵陣重心点付近に位置する識別可能艦艇は、戦艦ネルトリンゲンと判明」
オペレーターの報告と共に、俺の端末画面上で回転する帝国軍戦艦の姿は、標準戦艦を縦に伸ばした、横から見たら銃身の太い拳銃のようだった。
◆
戦艦ネルトリンゲンがここにいる。
帝国軍の将官は、大将に昇進すると専用の旗艦が皇帝より下賜される。そして下賜された艦の所有権は帝国軍であっても、本人の同意なしに取り上げられることはない。つまりはこの時期において、戦場で一番会ってはいけない帝国軍の将帥が正面にいることになる。
「司令官閣下!」
俺は自分の席を立ち、できる限りの速度で爺様の傍に駆け寄った。目と口で三つの円を作るブライトウェル嬢や、緊張で体が半分硬直しているファイフェルを他所に、俺は爺様の左隣に立つと、正面メインスクリーンを指差して叫んだ。
「直ちにスパルタニアンの全機発進準備をお命じください!」
「……そんなに近くで叫ばんでも、儂ぁ、まだ耳は遠くないぞ」
わざとらしく爺様は自身の左耳を手で叩いた後、そのまま腕を伸ばして俺の右肩をがっちりと掴み、小さくそして力強く前後に揺らす。俺を見るその顔には余裕の笑みが浮かんでいる。
「まず息を一度入れよ。その後で手短に理由を説明せい」
俺の右肩に食い込むような手に力が込められたのが、ジャケット越しにもわかる。言われた通り、俺は一呼吸した後、爺様の端末にシミュレーション画像を映し出して説明する。
「戦艦ネルトリンゲンがいるということは、敵の指揮官は恐らくはウィリバルト=ヨアヒム=フォン=メルカッツ『中将』と思われます……」
メルカッツ自身の歴戦の宿将であり、データでは確か『まだ』中将。五〇歳だったと思うが堅実で隙が無く、常に理にかなう戦術をとる。それは目の前に映る戦列・陣形を見るだけではっきりとわかる。エル=ファシルで去年ぶつかった奴らとは比較にもならない。その上で敵戦力は、その重厚さから想定するに、彼の子飼いとも言える部隊である可能性が極めて高い。
彼の得意とするところは、理にかなった砲撃運動戦もさることながら、宙雷艇のような小型戦闘艇の集中運用による近接撹乱戦。ということは、宇宙母艦と『思われる』艦艇にはワルキューレだけではなく、宙雷艇が搭載されている可能性が極めて高い。
「以上のことからこちらが少数と判断した敵将は、戦艦や巡航艦による正面砲戦を選択しつつ、我々の左右いずれか、あるいはその両方から宙雷艇による近接戦闘を挑んでくるものと思われます」
宙雷艇母艦は一隻につき三〇隻程度を搭載しているだろうから、最大で一五〇〇隻以上の宙雷艇となる。それに戦艦や巡航艦が搭載しているワルキューレが直衛に加われば、近接打撃力は途轍もないものになる。
対抗するには数的不利を承知でスパルタニアンを先手で発進させ、宙雷艇の接近襲撃を防がなければならない。少なくとも味方の部隊が、敵部隊の後方に到着するまでは。
「参謀長。儂らに必要なのは時間じゃな」
俺の進言を聞き終えた爺様は、俺と席を挟んで反対側に立つモンシャルマン参謀長を見上げて言った。
「左様です。しかしあの手練れのメルカッツに加えて宙雷艇となると、些か稼ぐのに苦労しそうですが」
「なぁに、この程度の不利で尻尾を撒いたとなったら、あとでジュニアに『ウチの司令官は歳喰っただけの役立たず』と陰口を叩かれるじゃろうて」
爺様は席から立ち上がり、逆にモンシャルマン参謀長へ席に戻るように指図すると、俺の肩を二度ばかり叩いた。
「負けない戦い方とはいかなるものか、若造共に教育してやろう。ファイフェル!」
「ハッ!!」
困惑と恐怖の中にいたファイフェルが、爺様の声に文字通り反射的に背筋を伸ばす。
「艦隊全艦、急速停止。制動後、後進一杯。陣形を維持しつつ敵との離隔距離をとれ」
「ハッ! 艦隊全艦、現宙点急制動停止。後進一杯! 陣形変更なし離隔とれ」
ファイフェルの声が司令部オペレーターを通じ、第一部隊各艦に伝わる。訓練が生きたのか五分も経たずに全ての艦が後進を開始する。だがそれに合わせるかのように、帝国艦隊は速度を上げて接近してくる。
「各艦デコイの操縦のみを切れ。同時に機雷を前方無制動射出。各艦三発」
「全デコイ操縦制御カット。麾下全艦機雷前方無制動射出せよ。各艦三発」
これで各艦に追従していたデコイが制御を失い、部隊の前方へと投げ出されるような形となる。それに加えて各艦が機雷を無制動で射出する。無制動ということは投射したタイミングでの運動エネルギーと同一という事であるから、制御を失い等速で後進しているデコイとタイムラグで開いた僅かな空間を挟んでほぼ同一の動きをしている。
デコイは制御を失っているとはいえ、重力波や熱源は艦と同等のモノを発しているから、帝国側のレーダーから見れば一六〇〇隻と八〇〇隻の部隊に分離した、ように見えるだろう。既に光学上で我々が八〇〇隻程度の小集団であることはバレているから、帝国側は恐れることなく進路を変更せずに突き進んでくる。
「のうジュニア。もし頬を殴られるとしたら、どちらが良いか?」
まったく関係ないような爺様の問いかけに、俺は爺様に一度視線を向けた後、その向こうにいるモンシャルマン参謀長に向け……右正面に映る爺様用の端末画面を見て、答えた。
「左頬です」
「まぁそうじゃろうな。陣形を変更する。モンシャルマン、左後進しつつ密集隊形」
「移動。方位〇四三〇、仰角〇、速度そのまま。陣形、密集」
「全艦後進。ポイントXマイナス六.三三、Y・Zプラマイゼロ、速度そのまま。陣形変更、フォーメーションC」
これで左翼後進しつつ、第四四高速機動集団はゆっくりとではあるが球形密集陣に変更される。長方形の粘土を左手に持って、右手でギュッと押しつぶすようなイメージだ。帝国軍右翼への砲撃密度は高くなるが、右翼は空っぽになる。
ここで帝国軍の左翼部隊が急進でもしてくれれば、一斉射撃でその鼻面を叩きのめせそうだが、帝国軍はそうしない。陣形を左斜陣形に変更しつつも前進を続ける。その上で敵の後衛から、小さいが一〇〇〇隻以上の重力反応が新たに現れる。間違いなく宙雷艇だ。通常の戦闘艦よりも優れた速力と短時間だが濃密な近接火力によって、我々の左翼から襲い掛かり、本隊と挟撃体制をとろうとしてくるだろうが……
「スパルタニアン順次発進。目標左翼」
「スパルタニアン各飛行隊。準備出来次第、順次発進。左翼防空戦闘上空待機。目標、宙雷艇」
こちらはスパルタニアンでお出迎えする。対艦攻撃力では宙雷艇には及ばないが、機動性では優れている。数的にはほぼ互角。半数は取り逃がすかもしれない。残りはあくまでも艦艇舷側にある短距離砲によって撃破するしかない。主砲目標はあくまでも接近する敵艦隊本隊だ。
「敵艦隊、機雷源に接触」
オペレーターからの報告の六秒後。小さな光点が複数、帝国軍の左翼に現れる。デコイであると認識して途中まで悠々と進んできた帝国艦は、デコイの出力するエネルギーに隠れた機雷を見逃し、不運な数艦が接触。爆発が他の機雷を誘引し、帝国軍の脚が一時的に止まる。
「艦隊左翼移動。二」
「移動。方位〇六一五、仰角マイナス〇.二、距離〇.五光秒」
「艦隊。ポイントXマイナス六.一一、Yマイナス一.二三、Zプラマイ〇に〇.五光秒移動。左舷砲戦準備」
脚が止まった敵本隊から距離をとりつつ、宙雷艇群に艦隊側面を見せる。既にスパルタニアンは敵の艦砲射撃前に発進しており、旗艦エル=トレメンドのメインスクリーンにも数機映っている。
「射程内に入り次第、掃除じゃ」
「砲撃。方位〇八三〇、仰角プラス〇.四、距離〇.〇〇〇九」
「全艦左翼舷側中・近接砲戦。ポイントXマイナス二.四五、Yプラス〇.〇九、Zプラス〇.六五。射程目標確認次第、掃射」
主砲よりも射程の短い舷側砲の砲門が開き、接近しつつある宙雷艇のいる方向へと光の刃が伸びていく。ビームの出力を絞り、追尾目標が消えるまで繰り返される掃射の光の壁に宙雷艇群は突っ込んでくる。命中撃沈した宙雷艇もあるが、基本的には空間領域に比して宙雷艇は小さい。数パーセントの損害を出しつつも奴らは果敢に突っ込んでくる。
「全艦近接戦闘。全兵装開け(オールウェポンズフリー)」
爺様の声に、ファイフェルが復唱し、それに呼応するかのように勇躍してスパルタニアンが機動戦闘を開始する。密集隊形とは言えそれなりに距離の離れた位置にある各艦の隙間を縫うようにスパルタニアン達が、密集陣形内に侵入してきた宙雷艇を追っかけまわす。
それを躱しつつ宙雷艇側も、これと目標を決めるや数隻の集団となって、艦艇にレールガンや多弾頭ミサイルを撃ち込んでくる。エル=トレメンドの右舷前方を進んでいた戦艦が、接近してきた一隻を撃破したものの他の四隻からの集中砲撃を受け、一瞬緑の外装に無数の穴が開いたように見えた後、船体が真っ二つに分かれ光球となってエル=トレメンドを大きく揺さぶり、右側スクリーンを一時的に白化させる。
「戦艦モレンシー撃沈! 戦艦リーランド大破、航行不能」
オペレーターの報告は適宜行われるが、もはや巡航艦や駆逐艦の被害は数字でしかない。だが珍しくというか初めて俺は爺様の舌打ちを聞いた。
「一航過で大物ばかり狙って来よる。全く可愛げがない……モンティージャ、交戦まであと何分じゃ!」
「五分です。きれいに機雷を掃射してきました」
シミュレーションを見てみれば、機雷源を突破した敵本隊が進路を左に変更しつつ、斜陣形のままこちらに接近しているのが分かる。数隻ほど失われているだろうが、数的には現状未だはるかに優勢だ。宙雷艇部隊が反復攻撃をせず、敵左翼の外回りに後衛へと逃げ込んでいくのを見て、爺様は声を上げた。
「長距離砲戦用意じゃ。敵の左鼻面を叩け」
「砲撃。方位一一〇五、仰角プラス〇.一、距離〇.〇〇七光秒」
「部隊主軸変更、包囲〇二二五時。水平角変更なし。長距離砲撃用意、ポイントXプラマイ〇、Yプラス〇.〇四、Zプラス〇.二三に狙点固定、発砲は旗艦に合わせ。以後各艦交互射撃継続」
復唱が繰り返され、戦艦エル=トレメンドの長辺主軸が一気に右方向に動き、メインスクリーン中央に敵艦隊の光点が映し出される。スクリーン下の戦闘艦橋は、艦長が砲術長と砲手に指示を出している声が響いている。
「狙点固定! 主砲砲撃準備よし!」
「撃て(ファイヤー)!」
オペレーターの報告を待つ時間を惜しむかのように、爺様が即座に命令を下す。戦艦エル=トレメンドの主砲門が二門ずつ順々に開き、それに従って直属戦隊から順次砲火が開く。巡航艦の有効射程よりやや遠いが、狙点を指示しているから、ある程度は集中砲火のような状況になっているはずだ。オペレーターからも数隻撃破報告が上がる。
しかし僅かな優勢も束の間。こちらの砲火を乗り越えてきた帝国軍の左翼から順に砲撃が始まる。こちらは球形密集陣を敷いているので、防御力においては先ず優れてはいる。だが帝国軍の砲撃は単純にこちらの倍であり、その砲火は戦理に則している。砲撃と防御の切り替えタイミングの隙を突かれて血祭りにあげられ、球形陣は表層部分側から削り取られていく。その度に内側から増援を送り込んで穴を塞ぐが、それは自然と球形陣の縮小につながっていく。
「ジュニア。どうじゃ?」
忙しく細かい部隊の補充指示をしていた爺様が、珍しく声を抑えて俺を見て問う。俺を見る爺様の瞳に衰えはなく、とめどない闘志に溢れてはいる。時間制限があるとはいえ、消耗戦は不愉快だということだろう。俺は時計を見て、さらに司令官用の端末を操作し、ある程度の目途を付けた。こちらが左後退で移動した分の時間ロスはあるが……
「あと一〇分ほどで、敵将が判断してくれるでしょう」
俺の返答が意外だったのか、太い眉を少し吊り上げた後、少しばかり髭の生えた顎に手を当て、天井を見た後で、悪戯っぽい顔つきになって再び俺に問うた。
「敵の脇腹に拳を入れてやりたいんじゃが、どうじゃ?」
それは第二・第三部隊の戦線到着と共に部隊の一部を抽出して、別方向からの攻撃を仕掛けようということか。そうなれば三方向からの砲撃となり、より効率的に敵戦力を撃破できるようになる。だが敵将メルカッツも恐らくはこちらが少数であることを認識した上で別動隊がいると判断し、まずは宙雷艇で第一部隊の背骨と拳となる戦艦を狙ったのだ。
「既にこちらの戦闘可能艦艇数は六〇〇隻を切っています。初手に戦艦を狙われましたので……」
「手柄を部下に譲るのも上官の器量じゃな。わかった。儂らはこのまま大人しくしてよう」
はぁぁ、と大きなため息をついた爺様は、司令官席にどっかりと腰を下ろし、腕を組む。部隊の消耗は激しい。だがそれでも各艦は連携し、戦列を崩さず防御に努め、軽々に突出したりしない。
そして一二〇七時。第一部隊の奮闘は報われる。
「敵艦戦列に異常発生。右翼と後衛の一部が後退し、変針しつつあり」
「方位〇一二九時、距離一六光秒に艦艇重力反応らしきものあり。数、およそ八〇〇」
「敵味方識別信号受信。プロウライト准将の第二部隊です……助かったぁ」
気分を口に出すな、という副長の叱責が吹き抜け越しに聞こえてくるが、まぁそれは御愛嬌だ。艦橋内部の緊張感が少し緩むのは仕方ない。仕方ないが……何故か引っかかる。その違和感が分からなかったが、眉を潜めた俺の顔にモンティージャ中佐は気が付き、モンティージャ中佐からカステル中佐に、カステル中佐からモンシャルマン参謀長に、参謀長から爺様に伝播し……
「第三部隊(バンフィ)は、どこ行ったんじゃ?」
首を傾げて司令部全員が気付いた疑問を、爺様は口にするのだった。
後書き
2023.02.23 更新
2023.03.05 語彙修正
第86話 アトラハシーズ星系会戦 その2
前書き
いつも遅くなってすみません。
一連の戦いについてはだいたい構想できているので、あとはシーン執筆というところでだいたい詰まっている感じです。
このあたり、執筆当初はずいぶんヒョイヒョイ書いていたと思うんですが、歳をとるごとに劣っていきますね。
過去の小説家は、本当に凄いと思います。
宇宙歴七九〇年 二月一七日 アスターテ星域アトラハシーズ星系
挟撃体制は出来ているが、味方の残り三分の一が見当たらない。
全方向に召喚通信を飛ばしてもいいし、何なら第二部隊に状況報告させてもいい。だがそれは逆探知されて、第三部隊を危機に陥れる可能性を秘めている。通信を送るなら第二部隊が光パルス通信程度の近距離になってから、問い合わせる方が賢明だ。
しかし味方の残存艦は既に六〇〇隻を切っていて、第二部隊七九六隻が仮に加わったとしても数においては互角以下。敵の損害は一〇〇隻に達しているか、していない。メルカッツは原作の内ではこの時期において、帝国軍におけるもっとも優れた指揮官だ。冷静に状況を把握して戦列を整え直し、まず第一部隊を、次に第二部隊を、と各個撃破してくると考えるべきだろう。
ただそう考えるまでに至る時間は、金髪に比べれば長くなると思う。戦術行動に対する積極性において、イケメンチート共に比べれば慎重。考える時間を与えない為にも、攻撃を強化してメルカッツを防御心理に追い込むべきだ。爺様もそれを理解して球形陣から方形陣へと変更し、後退から一転前進へと向かう。
だがメルカッツもタダモノではない。こちらが攻勢を強めると見るや、各個撃破を選択せず陣形を再編しつつ第一・第二部隊の重心対角線から外れるように左舷後退を開始する。敢えてこちらを合流させて纏めて正面から打ち破ろうという考えか、それはつまり……
「数的・艦質に頼り、遅滞戦術によって増援を待っていると考えられます」
モンシャルマン参謀長の進言に、爺様は返答することなく無言で頷く。我々の目的は確かに敵部隊の誘引で、ダゴン星域における数的有利を確保することにある。ここで時間をかけて帝国軍の足止めを計りつつ、ここまでの道のりを逆走してエル=ファシルに逃げ帰ることは、事前の打ち合わせでも想定されているし『罪にはならない』
それに当たり前だが時間が経てば経つほどエネルギーや物資に不足をきたすことになる。逃げると判断するならば、第三部隊とは戦場で合流せず、このまま第二部隊と共に跳躍宙域まで引き下がるのも手ではある。参謀長はそう言外に問いかけたわけだ。
「いや、バンフィはそれなりに戦える男じゃ。もう少し様子を見る。このまま攻勢を続けよ」
だが爺様はこういう人だ。勿論メルカッツを前にして数的不利な状況下で、まともに撤退ができるかと言えばそれは難しい。あるいは第三部隊が既に別動隊と接触し、こちらの数的優位を作るためにどこかで踏みとどまっているとすれば、易々と見捨てるわけにはいかない。つまりはひたすら優勢な配置状況をもって攻勢をかけ続けるしかない。
俺は爺様の横を離れて、右舷側にあるカステル中佐の席に向かう。爺様の判断と、俺の動きを察したカステル中佐は、同時に開いている三つの端末の一つに集中し、キーボードを想像以上の速度で叩いた。俺がカステル中佐の傍につくまでに一〇秒もかかっていないはずだが、俺が顔を寄せたタイミングで印字されたペーパーを差し出す。
「今のペースだと、『戦闘可能時間』はもって八時間だ。それ以上になるとエル=ポルベニルで立ち往生する羽目になる」
八時間は長いようでけっして長くはない。さらに攻勢強化とはいえ、現時点ではまだ総力戦状態ではないから、出力全開の状況下になれば、継戦時間はより短くなる。
「エル=ファシルから補給艦を出してもらうのは可能でしょうか?」
「エル=ファシルは燃料製造工場がまだ本格稼働していないから備蓄が乏しい。ドーリア星域方面に逃げてもいいが、そっちの跳躍宙域の方向に敵がいるんだろ? これが補給側としての意見だ。司令官に判断を仰いでくれ」
取りあえずカステル中佐のペーパーと状況説明を爺様と参謀長に伝えると、二人の先達は唸り声を上げた。爺様達の考えているタイムアップよりも早かったという事か。
「部隊合流して総力戦に移行。敵に強力な一撃を与え、そのままダゴン星域方面に移動……逃走する。しかなさそうですが」
「シャトルを出してプロウライトに話を聞く手もあるが……恐らく捕捉されるな」
「敵のほうが戦闘艇の数が多く、制宙権は自陣近辺でしか維持できていない状況です。それにここからですと距離があります」
「第三部隊には離脱後通信を送る」
結局このままの態勢をズルズルと続けていても何の解決にもならず、時間と物資そしてなにより人命をいたずらに失うことになる。爺様が決断を下し、モンシャルマン参謀長と俺とファイフェルに鋭い視線を飛ばした瞬間だった。
「敵部隊の後背七.三光秒に新たなる艦艇群検知! 数、およそ二五〇〇!」
オペレーターの大声が戦闘艦橋だけでなく司令艦橋にも響き渡る。爺様は六四歳とは思えぬ鋭い身のこなしでメインスクリーンに向き直り、席に座っていたモンティージャ中佐は顔面蒼白で両手をデスクに叩きつけて立ち上がり、カステル中佐は頬杖をつき視線をメインスクリーンに向けたまま悪態をつく。モンシャルマン参謀長の目は糸鋸の刃のように細くなり、ファイフェルは銅像のように血の気を失って呆然としている。
空気が一気に氷点下まで落ちたような雰囲気に、俺は逆に戸惑った。確かに敵の増援かと思わないでもなかったが、メルカッツほどの敵将が今更二五〇〇隻の増援を得られるのであれば、イゼルローン回廊や障害物が多いヴァンフリートのような宙域でもないのにわざわざ自陣の後背に呼び寄せるようなことはしない。ひっそりと時間をかけて驍回させ、こちらの後背に布陣させるはずだ。
つまり初めから俺は原作やアニメでおなじみの、メルカッツ提督の戦闘指揮能力に絶大な信頼を寄せていたのだろう。だいたいあの二五〇〇隻が帝国軍だとして第三部隊を打ち破ってきたというのであれば、それほど離れているわけでもないのだから容易に光学的に観測できる。以前誰かに楽観主義者と鼻で笑われたことを思い出しつつ、直立不動でメインスクリーンではなく、何故か俺を見つめているブライトウェル嬢に言った。
「ブライトウェル伍長。こんなタイミングで悪いが、紅茶を淹れてきてくれ。ほんの少し『芳香剤』を入れて」
「……了解いたしました」
ちょっとだけ瞳が開いた後、久しぶりに見る一六歳の女の子らしい笑顔と完璧すぎる敬礼を見せ、嬢は回れ右で階段を駆け降りていく。その後ろ姿をのほほんと見送ったあと艦橋の方を振り返れば、呆れた五人の一〇の瞳が俺を射すくめる。
「ボロディン少佐、紅茶など飲んでいる暇など……」
最初に口火を切ったのは、嬢とも料理で交流のあるカステル中佐だったが、その途中で再び戦闘艦橋の方から索敵オペレーターの声が響き渡る。
「識別信号受信!! 第三部隊です!! 第三部隊が、敵の後背を砲撃しております!!」
よっしゃー! という副長の声と、司令艦橋の高さまで飛び上がってきた軍用ベレーの姿に、爺様はやれやれと溜息をついて俺を手招きで呼び寄せると、囁くように言った。
「遅刻したバンフィには少しキツめのお仕置きが必要だと思うんじゃが、どうかの?」
「五稜の星を一つ、差し上げればよろしいのではないでしょうか?」
タイミングとしてはちょっと遅いが、それはたぶん第二部隊の分のデコイも引っ張っていたからだ。交戦時間繰り上げという通信だけで、『三方向からの個別進撃』を構想できる。与えられた権限の中で別動隊指揮官としては十分すぎる判断能力と指揮統率能力を見せたと俺は思う。
「そうじゃなぁ……」
呆れたと言わんばかりの口調で爺様は応え首を傾けると、その視線の先には僅かなピート臭を漂わせる紅茶を淹れてきたブライトウェル嬢が立っているのだった。
◆
当然、二五〇〇隻の出現に驚いたのはこちら側だけではない。
しかし最初はそれを味方の増援とでも思ったのだろうか。確かに最初に現れた二四〇〇隻という数字に囚われたのだと思う。既に第一部隊・第二部隊と合わせて一六〇〇隻を把握した帝国側は恐らく、 『残りは八〇〇隻、均等に部隊を分けてきたな』と考えた。
現実のところそれは正しいのだが、そこに二五〇〇隻の部隊が現れたからドーリアないしダゴン方面からの意図しれぬ増援、と帝国側も考えたのかもしれない。それで初動が遅れた。第三部隊は必要以上にゆっくりと近づき、光学で十分に照準を合わせて砲撃を開始し、三斉射で帝国艦隊の後衛駆逐艦と宇宙母艦か宙雷艇母艦を合わせて五〇隻ほど血祭りにあげた。
だがやはりメルカッツは有能な指揮官だった。
一時的な部隊の混乱を抑え、秩序を回復すると、陣形を三角錐形に変更する。どっかの誰かみたいに反転して応戦するような真似はしない。後背や両側面から砲撃を受け被害を出しながらも、一気に右斜め方向へと部隊主軸を変更し突進する。当然その方向にいるのは……
「敵艦隊! 当部隊に急速接近!!」
「敵宙雷艇、単座式戦闘艇(ワルキューレ)の発進を確認!!」
「マジかよ……」
オペレーターの報告に、紙コップに入っていた紅茶に舌鼓を打っていたモンティージャ中佐は、呆れたように呻いた。
過去の戦訓は当然理解しているだろうから三方から包囲される状況下において、絢爛たる一五〇年前のダゴン星域会戦のように防御心理に陥って消極的な球形密集陣を形成することはないにせよ、穴だらけの三包囲ゆえに各部隊の間に開いている空間を目指して逃走を図るものと思われた。
そうなるだろうと考え、逃走を図る方向を(現状から比較的転針しやすい第一・第二部隊の中間と推定して)やや大きめに開き、第三部隊を底とする半包囲陣を形成し、ほどほど追撃しようとまで第四四高速機動集団司令部考えていた。その準備に咥えコップで俺はカーソルをバシバシ打っていたのだが、当てが完全に外れた。帝国軍は真正面から砲撃され、さらに後背両端から自軍以上の戦力に砲撃されることを覚悟の上で、一番数が少ない第一部隊を葬り去ろうと戦いを挑んでくる。
「……いや戦理に則っておるな」
せめて一太刀といった自暴自棄に見えなくもないが、爺様は顎を撫でながら呟いた。
「第二・第三部隊に長距離砲を使わせないようにしつつ、無理やり近接戦闘に持ち込んで儂らを潰し、改めて増援部隊と合流して再戦を挑む腹積もりじゃろう」
このままだと後背に回った第二・第三部隊が長距離砲戦を挑むなら第一部隊を巻き添えにしてしまう。中距離砲戦距離まで接近すれば、宙雷艇やワルキューレでぶちのめすぞということだ。
「まともに戦うのは無理じゃな」
第一部隊の運命は戦うことが決まっている。左旋回しようが右旋回しようが側面を突かれるし、正面からぶつかれば圧倒的な近接戦闘能力差で磨り潰されてしまう。隙があればそこを圧迫しつつ、敵の攻撃主軸線を躱すように部隊を移動させることが理想だが手数が足りない。
「フォーメーションⅮはどうでしょうか?」
要塞対要塞で、ヤンが寡兵を率いてイゼルローンに帰還する際、数的有利なケンプとミュラーを円筒形の陣形によって包み込み、多方面からの砲火を浴びせていた。有効な作戦だと思うが、ここは回廊ではなく障害物の無い宙域であり、突破した敵が再包囲する危険性もある。
「ダメだ。数が足りない」
あっさりと爺様を挟んで向かいに立っているモンシャルマン参謀長は首を振って応える。
「現在の戦闘可能艦艇数からフォーメーションⅮを構成すると、一片当たり一〇〇隻を切ってしまう。これでは敵の宙雷艇に各個撃破してくださいと言っているようなものだ」
「留まって戦う必要はありません。ひたすら敵側面を逆進し、味方第二・第三部隊の両端か後ろに回り込めばよろしいかと」
「それでもだ。近接火力が手薄になり、複数の片が粉砕されて大きな被害を出してしまう」
「しかし参謀長。このまま後退しつつ砲撃というのでは、被害は増すばかりです」
消耗戦はここにいる誰もが望まない。敵は中央突破によるこちらの組織抵抗の破壊を望んでいる。アスターテ星域会戦のように中央突破戦術を逆手にとった分裂逆進ができればいいが、生憎俺はヤンではないし、ここにいるのは第二艦隊でもない。というかどうしてヤンはあの三方包囲の失敗前という状況で、事前に分裂逆進をプログラムできるんだって話だ。それに第一、今から戦術プログラミングを作成する時間的余裕はない。手間はかかるが戦隊毎に旗艦から移動指示を出す方法だ。
「司令官閣下。それでは小官は、部隊の二分裂逆進を進言いたします」
俺の進言に、爺様は黙って一度メインスクリーンを見上げ、次に参謀長に視線を送る。参謀長の顔は厳しいが、それの進言に賛同しているようにも見える。そして改めて俺の方に顔を向けて問うた。
「具体的にはどうする?」
「後退しながら現在の方形陣から、半戦隊単位の一列横隊陣に変更いたします……」
現在五戦隊で構成されている第一部隊を一〇個の半戦隊に編成し、敵の進撃方向に対して垂直に並べる。これは戦隊毎に副司令がいるのでさほど難しくない。
次に左右両端に位置することになる半戦隊を〇時方向へ直進させる。その横の半戦隊は移動した半戦隊の真後ろの位置まで横移動した後、追従する。
中央付近の半戦隊が一番長い間敵の砲火にさらされることになるので被害は大きくなるが、横隊陣に並ぶ各半戦隊は常に敵艦隊の先頭集団に狙点を固定することで、集中砲火の効果が望める。敵艦隊を挟んで二列縦隊になったら、最大戦速で第二・第三部隊の両翼へ一目散に突き進む。
「第二・第三部隊は合流し敵部隊の六時方向に長方陣を形成。我々の機動に合わせて敵陣と距離をとりつつ後方への長距離砲撃。敵の進撃速度に合わせて適宜前進を行うよう指示すれば、戦果拡大が期待できます」
「彼らにはあくまでも長距離砲撃に徹せよというんじゃな?」
「はい。敵を殲滅させるのではなく逃走を促すのが目的ですので」
「よかろう。貴官の意見を採用する」
即断即決で爺様は各部隊に半戦隊単位の部隊編制と横隊を指示すると、約一〇分。敵との距離が中距離砲戦距離から近距離砲戦距離にまで縮まった一二四三時。被害をそれなりに出しつつも、辛うじて横隊が完成する。
「砲撃じゃ。敵の正面中央前衛に砲火を集中せよ」
両端の部隊が最大戦速による逆進を始めたタイミングで、爺様は新たに砲撃指示を出す。同時に第一部隊は左右に分かれながら、半戦隊単位での横行を開始する。コップの底に空いた穴が順次拡大していくようなシミュレーションではあるが、それをぼんやりと眺めている余裕はない。
各半戦隊は指示に対して忠実に動いていて、行動はこちらの想定通りとも言えるが、敵艦隊もその規則的な動きを察知して、移動する半戦隊の間に向けて砲火を集中してくる。各半戦隊の往き脚を不揃いにして渋滞状態を作り上げ、少しでもこちらの戦力を砲撃射程に収めて殲滅しようとしてくる。
口で言うのは簡単だ。だが前方両サイドと後背から砲撃を受け、前衛中央と後衛中央に損害を出しつつも、統制砲撃を切らさない。この帝国艦隊の練度の高さは尋常ではない。
こちらも半戦隊の動きの鈍化に、爺様から強烈な叱咤が送られる。時間と共に砲撃面に立つ艦艇数は順次減っていくのだから、脚を止めたら殲滅されるだけだ。それに是が非でも近距離戦闘範囲に敵を迎え入れてはならない。
そして一三二九時。ようやく旗艦エル=トレメンドが右翼三時方向へと移動を開始するが、敵の砲火が一気に艦周囲へと襲い掛かってくる。もはや有効な戦果を挙げることができないと判断したのか帝国艦隊は、最大戦速と思われる速度でこちらに接近してくる。複数の敵艦の砲撃がエル=トレメンドのエネルギー中和磁場と衝突し、強烈な閃光が艦橋全体を包み込む。
その数秒後に今度は左舷前方に位置して旗艦の護衛を行っていた巡航艦ラービグ八九号が、敵の巡航艦の砲撃によって爆散する。船体内部の核融合エネルギーが奔流となってとなってエル=トレメンドの中和磁場を強烈に叩きのめす。
度重なる被弾に薄くなっていた中和磁場はあっさりと破壊されエル=トレメンドの船体は一気に右後方へと押し込まれた。艦内はあらゆる方向に揺さぶられ……爺様の横でマイクを握っていた俺の肉体も司令艦橋の床から浮き上がり、中央エレベーターが格納されている壁に背中から叩きつけられる。
一瞬の衝撃に息が止まる。痛さは感じない。骨が折れたとかそういう感じもない。計器類から発せられる光が一瞬落ち、外部を映すメインスクリーンのみの明るさだけが艦橋を包み込む中、俺は顔を上げると一瞬スクリーン左側を青白いビームが六本通過していくのが見えた。
もしラービク八九号が撃沈せず、エル=トレメンドが当初の位置にいたら……そう考えると、背中に冷や汗が流れ……ようやく左肩に痛みが現れ、時間の流れが元に戻ったように感じる。
俺は大きく二度深呼吸し、左肩を廻しつつ、計器類が再起動した司令艦橋を見回した。座っていた爺様とモンティージャ中佐とカステル中佐には特段異常はみられない。モンシャルマン参謀長は爺様の椅子に瞬時に捕まっていたようで、あっさりと立ち上がり戦闘艦橋と連絡を取り合っている。ファイフェルはその横でこけてはいるが、意識ははっきりしているようで、自分の席に向かって体を動かし始めている。ブライトウェル嬢は……
「ブライトウェル伍長!」
彼女は俺のすぐ右横で、床に両膝をつき、右手で灰色のジャケットの胸の部分を掴み呼吸を荒げ、焦点が合っていない瞳は大きく開いている。パニック障害か過呼吸に近い症状だ。意識はあるが俺の呼びかけに反応しない。
俺は一度爺様に視線を送ると、爺様は何も言わず左手の指を三本上げただけで、すぐに指示を出すべく参謀長へと向き直る。それを『三分間待ってやる』と俺は勝手に解釈して、ブライトウェル嬢の前に膝をついて、彼女の両頬を両手で挟み込んだ。
「ブライトウェル嬢。俺が、分かるか?」
単語ごとに区切ってゆっくりと話すと、二〇〇ミリを切った近距離にあるブライトウェル嬢の顔に意識が戻ってきたようで、俺の両手に顔を上下する僅かな振動が伝わってくる。
「よし。息を、するぞ」
俺は両手を円にして嬢の頬から口を包み込む位置に移動する。両手の奥にブライトウェル嬢の申し訳程度に化粧された少し薄めの唇がのぞくが、その健康美について今はどうでもいい。
「五秒、息を、鼻で、吸え」
それに合わせて鼻をすするように、嬢は息を吸う。
「一〇秒、息を、口から、吐け」
今度は口を小さく開きゆっくりと息を吐く。嬢の淡く生暖かい吐息が俺の両手を撫でるが、それも、今は、どうでもいい。
「もう一度だ。五秒、息を、鼻から、吸え」
大きく開いていた眼は閉じ、先程とは違ってよりスムーズに、鼻へと艦橋の電子臭に富んだ空気が流れ込んでいく。
「一〇秒、息を、口から、吐け」
さっきまで緊張で固まっていた嬢の両肩から力が抜け、再び生暖かい息が吐き出される。吐き終わると、ゆっくりとダークグレーの瞳が開いていく。先程とは違う、明らかに現在の状況を把握した目付きだ。俺が彼女の口周りから手を離すと、「あ」と声が出たが、直ぐに口はきつく閉じられる。
「よし、今の呼吸をあと一〇回繰り返せ。繰り返し終わったら、医務室まで行って、消炎鎮痛剤のスプレーを持ってきてくれ」
「……了解いたしました」
敬礼しようとして腕の上がらない嬢は、跪いたままそう応える。後ろから聞こえる呼吸音を尻目に俺が立ち上がって痛みの残る左肩を廻すと、艦橋右翼にあるカステル中佐の視線が俺に向けられているのが分かった。いつものように眉間に皺が寄っている。俺が慌てて中佐の傍によると、中佐の顔にはハッキリと呆れてものが言えないと書いてあるのが分かった。
「何か問題がありますか? カステル中佐」
「補給の問題は大したことはない。もう敵は逃げ腰だ」
中佐の端末に映っているシミュレーションの図式を見れば、俺にもわかる。敵は砲撃を中止し、エル=トレメンドが右舷移動している横を砲撃もせず通過していく。同志撃ちを警戒して第二・第三部隊も砲撃を中止しているため、戦場は静寂に包まれている。それでもメインスクリーンに映る宙雷艇母艦が、エル=トレメンドの真横を通過しながら舷側格納庫に宙雷艇を格納しているすがたをみるのは、不気味以外のなにものでもない。
「敵の残存戦力は分かりますか?」
「一二〇〇は切っている。こちらも二〇〇〇隻を切っているから、被害レベルではほぼ同数だな」
「……無傷の一六〇〇隻を後背にするくらいなら逃げる、ということですね。撃たれたくないから、強引に急接近して来た、と」
「ここで近接戦闘しようものなら、共倒れになると分かっているようだ。こちらもまるで人質だが、これ以上死ななくていいというのなら大歓迎だがな」
そういうと、カステル中佐は大きく溜息をついて立ち上がると、俺の痛む左肩を叩いて言った。
「ボロディン中佐。貴官、あまり女性にモテないだろ」
俺はその問いに上官反攻罪と取られかねないくらいに唇を尖らせて、無言で敬礼して中佐の下から離れた。
二月一七日一三五五時。ビュコック司令官は遭遇した帝国艦隊との交戦の終了を宣告した。一時間の救助と警戒索敵を指示し、その終了後、恒星アトラハシーズに向けて進路をとる。ダゴン星域へ向けての跳躍宙域に向けての直接航路ではなく、恒星スイングバイを利用して赴く航路だ。
辛うじての、引き分けに近い勝利に沸く俺達だったが、ダゴン星域を巡る戦いはまだ半分も消化していなかったことに、気が付いていなかった。
後書き
2023.03.05 更新
ヴィクトール=ボロディン (CV:宮本充/ロジャー=スミス)
アントニナ=ボロディン (CV:富永みーな/泉野明)
イロナ=ボロディン (CV:皆口裕子/土萠ほたる)
ラリサ=ボロディン (CV:こおろぎさとみ/田中美沙)
ジェイニー=ブライトウェル=リンチ (CV:島本須美/ナウシカ)
ミタイナカンジデソウゾウシテマス。
第87話 アトラハシーズ星系会戦 その3
前書き
だいぶ遅くなりました。
結構地獄のようなトラブルが続いて、家に帰ったら普通にTwitter廃人みたいになってました。
会戦は進んでいません。たぶん次回にはダゴン星域に行けるんじゃないかと思います。
スターブロッサム、始まりましたね。
ローレルは勿論好きな競走馬なんですが、スターブロッサムでガラスの脚というのに
愛しのあの星の気配が全くないのが、実にもどかしすぎますね。
宇宙歴七九〇年 二月一七日 アスターテ星域アトラハシーズ星系
一七〇〇時。戦闘の後始末を終えて、恒星アトラハシーズに向けて進路をとった。交戦時間は短かったものの、有力な敵との戦いに将兵の精神的な消耗は大きい。特に敵の攻撃を引き受ける形になった第一部隊の消耗は激しく、数少ない支援艦や病院船では足りず第二・第三部隊の戦艦にまで重傷者を移乗させ治療にあたることになった。
そしてこれも当然と言えば当然だが、三桁に及ぶ捕虜の獲得もあった。艦対艦の至近戦闘が最終的には行われなかったが故に、機関が大破し漂流した艦艇や脱出ポットで緊急脱出した帝国軍将兵の生存率は高い。重傷者も勿論いるが、緊急脱出できるだけの体力と精神力を有している以上、意識ははっきりしている捕虜は多い。そして彼らからの情報採取をモンティージャ中佐は行っていたわけだが……
「現在この星系には、三つの帝国軍勢力が存在するとの捕虜の証言です」
「三つ、とはどういうことだ?」
モンシャルマン参謀長の疑問は、第四四高速機動集団司令部小会議室に集まったモンティージャ中佐以外の全員の疑問だ。そして中央に設置された三次元投影機の薄明かりの中で、実際に操作している中佐の顔に一切の感情が浮かんでいないのは誰の目にも明らかだった。
「先程会敵したメルカッツ中将の艦隊約一六〇〇隻、これはアスターテ星域防衛艦隊の中核戦力です。我々の進撃に合わせて艦隊駐留地のアスターテ星系より移動してきたものです」
抑揚に乏しい、普段では考えられない声色の中佐がハンドリモコンを弄ると、アトラハシーズ星系の第Ⅱ惑星に向けてアスターテ星系から動く青色の三角錐が現れる。
「アスターテ星域よりドーリア星域に向けて偵察を行っている偵察分隊が三〇ほど。合わせて九〇〇隻。これは証言の通りであれば現時点で我々の通り過ぎてきたユールユール星系に集結中」
今度はアトラハシーズ星系に隣接したユールユール星系にやや小さめの青い球体が現れる。
「ヴァンフリート星系にて補給と修理を行っていた『アスターテ星域防衛艦隊第二・第三任務部隊』が合わせて一八〇〇隻。本日〇五〇〇時にはヴァンフリート星域への跳躍宙域に到着済みとのこと」
拡大されたアトラハシーズ星系外縁部にある跳躍宙点に三角錐が二つ現れる。これは予想通りとまではいかないが、メルカッツの動きからは充分想定される程度の戦力だ。これでアスターテ星域防衛艦隊が、メルカッツ指揮下で四五〇〇隻程度の戦力となる。事前の予想の五割増し。大規模な補給基地のない前線の防衛戦力としてはやや過剰だが、ダゴン・ドーリア・エル=ファシルと複数の戦線を抱えている前線であれば、考えられないレベルではない。
「これに加えて、イゼルローン星域より要塞駐留分艦隊が出動。数は約三〇〇〇隻。指揮官はローラント=アイヒス=フォン=バウムガルテン中将。本日〇八〇〇時に先の任務部隊の現れた跳躍宙域に到着予定とのことです」
これは予想外の戦力だ。確かにイゼルローンの駐留戦力を誘引し、もってダゴン星域カプチェランカ星系の攻略に寄与するのは戦略的目標の一つではあるが、我々がエル=ファシル星系より出動するよりも早くにイゼルローンを出港しない限り、アトラハシーズ星系に到着することは出来ない。
「……捕虜が我々を混乱させるために苦し紛れの空想を出した可能性はどうだ?」
「異種艦艇の、それも複数の佐官クラスが同じ証言をしております。捕虜間での示し合わせという可能性は極めて微小。事前に敵司令部が、士気向上の為にバラまいた偽情報ということも考えられますが」
「先の戦いで、敵中核部隊の戦闘行動は明らかに増援を前提とした戦いじゃった。イゼルローンからの増援の可否はともかく、そのような情報を敵司令部が正式に部下に流したことは確かじゃな」
捕虜にとられることを前提に偽情報を部下に植え込むというのはなかなかできることではない。もし増援が来なかった場合、司令部に対する将兵の信頼を低下させることになる。リューゲン星系でのウランフのように、戦局によっては自分自身でも信じていないようなことを部下に信じ込ませなければならないが、今回は援軍が事実であると見ていい。
「申し訳ない。これほどまでとは」
アスターテ星域防衛勢力の推定ミス、イゼルローンからの増援の動き。いずれにしても情報部の事前調査とは異なる点が多い。状況的にはどう考えてもモンティージャ中佐の責任ではない。しかし幾らジャムシード星域に諜報員がいたとしても、まるで第四四高速機動集団をアトラハシーズ星系で『袋の鼠にする』ような戦力配置をされたことにモンティージャ中佐は謝罪した。
「儂は情報部を神様とは思っておらんから、謝罪せんでよい。第八艦隊や統合作戦本部の情報部もそうそうバカではない……まぁ質の悪い偶然ということにしておこう」
爺様は司令席で少し伸びた無精髭を撫でながら、ボヤくようにそれに応えた。
「問題はどうやってダゴンに向かうかじゃ。このままの進路で進むとなれば、跳躍宙域で挟撃に遭う可能性があるじゃろう」
「ダゴンに向かわれますか?」
モンシャルマン参謀長の口調は質問というよりは確認といったものだった。爺様とは長年の付き合いだから、爺様の腹はある程度読めているという事か。爺様はそれに無言の頷きで答える。
「で、カステル。どうじゃ?」
「先の戦いで艦隊のエネルギーとデコイに多くの消耗が出ております。ダゴン星域カプチェランカ星系に向かう当初想定ルートを進む場合、可能交戦時間はまず一二時間と見ていただきたい」
「星間物質の取り込みも計算の上かね?」
「はい。恒星に近い航路を進みますので取り込みはそれなりに可能でしょうが、到底期待できる量ではありません」
カステル中佐は参謀長に応えると、小会議室中央の三次元投影機を操作して艦隊の補給情報を表示していく。あれほどの激戦にもかかわらず補給艦や支援艦に被害は出ていない幸運があるものの、エネルギー残量は艦隊平均で四〇パーセントをようやく超えるか超えないか。兵装に関しては六〇パーセント以上残っているだけに、これまでの快速航海のいい面と悪い面がはっきりと表れた形だ。
「これは総量を均したあくまでも平均値です。ダゴン星域に向かうには戦闘艦同士でのFASが必要となります。艦の選定と補給量調整は補給部で進めておりますが、作業も含めて五時間は頂きたい」
十分に訓練してきたとはいえ、敵がウヨウヨしている宙域で五時間も戦闘艦同士が各所で並走するというのは途轍もない危険性がある。パッシブによる索敵に留めている以上、その範囲は極めて狭い。敵を発見したら、即戦闘態勢とならざるを得ない。
「ダゴン星域に入ってからFASをしてはどうです?」
珍しくファイフェルが口を挟んでくる。確かに言う通り安全宙域まで到達してから実施するのが一番いいのだが……
「戦闘可能で無傷に近い貴重な戦艦二隻、駆逐艦二八隻をみすみす敵地に置き去りにしていいというならな」
カステル中佐の返答は実に冷淡だった。その名の通り辺境警備の主力にもなる巡航艦の航続力は極めて長い。しかし帝国軍よりも二回り以上小さい戦艦や、戦闘速度と瞬時火力に特化している駆逐艦の航続力はそれほどでもない。ダゴン星域まで現在の燃料だけでは持たないとなれば、当然破棄せざるを得なくなる。貧乏くさい話であるが、残存戦闘可能艦艇が二〇〇〇隻を切っている第四四高速機動集団として、戦える三〇隻の破棄は認めがたい。
「しかし索敵網を広げるのは危険でしょう」
時間を正確に測るために索敵網を広げれば、帰って敵の注意を引きかねない。さらに索敵艦は片道切符になる。ファイフェルは暗にそれを示したわけだが、ここにいる誰もがそれは理解している。せめてイゼルローンからの増援部隊の存在の可否。望みうるならその進路。それさえわかれば。
沈黙の帳が下りる中、不意にファイフェルの携帯端末が音を立てる。会議中に集団司令官付き副官の端末がコールされるということは、敵襲かそれに準じる異常事態か。司令官の判断を求めるような事態が発生したということだ。
「司令副官、ファイフェルだ」
通信相手が下士官なので、尉官で最上位のファイフェルは実に偉そうに応えたが、年齢が年齢なので声もまだ迫力がない。上官が舐められたらおしまいだと、まだ距離感が掴めず必要以上につっぱって見えるファイフェルの仕草に小会議室の面子は苦笑を堪えきれなかったが、ファイフェルの顔色が次第に驚きに変わっていくのを認識せざるを得なかった。
「……かなりの速度を出している友軍艦艇と思われる集団が、当集団の進路二時方向仰角マイナス一〇度、距離一六光秒付近に現れたとのことです。進路は恒星アトラハシーズに向けているとのこと。数は四」
「二時の方向じゃと?」
爺様の太い眉が吊り上がり、視線は三次元投影機に映し出されるアトラハシーズ星系図に向けられる。艦隊現在地点より指示された方向へ俺がラインを伸ばすと、実に微妙な位置。しかし友軍艦艇となると事情を聴く必要がある。敵に拿捕されていた場合は『処理』しなければならない。一同揃って会議室から艦橋へ移動すると、艦長が敬礼して待っていた。
「不明艦艇群は速度を落としつつ、右舷方向に寄り添う形で接近しております」
「通信はどうじゃ?」
「無線封止状況です。光パルス通信が通じる距離まではまだ時間がかかります」
「艦形は?」
「七七四年CⅣ型戦艦一、七七九年B九九型嚮導巡航艦一、七七〇年製造で形式不明の標準巡航艦二です」
「……のう艦長。それだけのデータがあって敵味方が分からんかったのか?」
「小官は確実を期したいと、思いましたので」
初老の艦長は爺様の軽口に対して口をへの字に曲げつつも肩を竦めて応える。爺様が言う通り、そこまでのデータが揃っていれば彼らが何者かなど容易に想像できる。
「パルス通信ができる時点になったら、戦艦アラミノスのフィンク艦長をシャトルでエル=トレメンドに呼び出せ。じっくり口頭試問にかけてやろう」
そういうと爺様が溜息交じりに司令官席に腰を下ろした。フィンク艦長が強いられて行動している可能性もある。(特に彼のせいではない)失態続きのモンティージャ中佐は渋い顔をしているし、ブライトウェル嬢は喜色満面。俺としても彼らが生還して合流できたのであれば喜ばしい。だが……送り出した時、第八七〇九哨戒隊には二〇隻も所属していたのだ。それがたったの四隻。損失率八〇パーセント。
「いったいどんな顔をすればいいんだ」
先に照準を付けつつ陸戦隊を送り込むべきだと主張するモンティージャ中佐を他所に、俺は少し離れたところでジャケットのポケットの中から腹を摩るのだった。
◆
果たして戦艦アラミノスに送り込んだ陸戦隊からの報告は問題ないとのこと。ついてはその説明に、シャトルでエル=トレメンドにやってきたフィンク中佐の笑顔と言ったら、飼い主に久しぶりに出会ったコギー犬もかくやと言わんばかりのものだった。なにしろ爺様や参謀長への敬礼もそこそこに、俺の手を取り何度も揺さぶるのは尋常ではない。
「少佐のおかげで第八七〇九哨戒隊は、一人として欠くことなく本隊に合流できました」
「はぁ?」
まったく理解できなかった俺は思わず中佐を唖然として見つめると、中佐は矢継ぎ早に説明してくれた。
「艦を捨てても責任を問わないと言って頂いたことで、自爆させる艦の乗組員を説得できました。十分すぎる酸素と燃料を供給していただいたことで、喪失予定艦一六隻の乗組員一九八七名が四隻に分乗しても快適に過ごせました」
ようやく解放してくれた手で、中佐は小さく後頭部を掻きながら、満面の笑みを浮かべている。
「作業としては楽な仕事ではありませんでしたが、事前に少佐から伺っていた予想を上回るような事態がなくて気は楽でした。よその参謀に同じことを命じられていれば、第八七〇九哨戒隊には少なからぬ被害は出ているでしょうし、おそらく合流は出来なかったでしょう」
「しかし、現時点で我々は三つの勢力に星系内で包囲されている段階ですが」
「それは別口の三〇〇〇隻の件ですな。どうかご安心を」
トントンと右手人差し指でこめかみを叩くと、自分と俺を冷ややかな目で見つめるモンティージャ中佐を一瞥した後で、フィンク中佐は応えた。
「奴らの想定航路も我々は掴んでおります。八七〇九は一応偵察哨戒を職業としているつもりですぞ」
果たしてフィンク中佐の説明は理路整然として、さらにはご都合主義もいいところだった。
アスターテ防衛任務艦隊の増援は、捕虜の供述通りの時間に跳躍宙点を通過した後、メルカッツ率いる本隊と合流すべく移動を開始していたが、どうやらメルカッツ本隊からの連絡を受け一〇〇〇時に進路変更。一一〇〇時に第八七〇六哨戒隊が先に触接。いったんデコイの発振を停止した後で、一一三〇時に増援部隊の左後背に取りつくように移動して再び発振する。
突如左後背に二四〇〇隻の出現を見た増援部隊は順次回頭し、無人艦とデコイを散々追い回し始めた。その間に乗員移乗を済ませた四隻はデコイの発振の影に隠れつつ早々に戦闘宙域を離脱。
それから二時間後。俺達と同じように恒星スイングバイを利用した高速離脱に賭けた四隻は、一三〇〇時に所属不明の三〇〇〇隻と遭遇する。慎重に、あくまでもパッシブに徹して一時間追跡すると、ヴァンフリート星域への跳躍宙点からダゴン宙域への跳躍宙点への通常航路を巡航速度で一直線に向かっていることを確認。以降は光学連動で観測しつつ、恒星アトラハシーズに向かっていたところで、第四四高速機動集団本隊を索敵範囲内に捕らえたということ。
「我々が把握した三〇〇〇隻の集団は、予定通りであれば現在右舷より本隊正面を横断するよう移動していると思われます」
メルカッツ本隊の逃走進路と増援の一八〇〇隻が合流を最優先したとすると、推定で二二〇〇時に我々の右舷後方で合流すると思われる。巡航速度での時間的距離は六時間。当然その間にもイゼルローンからの部隊も進んでいるが、大胆に哨戒機を飛ばさない限り、我々を視界に収めることは出来ない。
「敵が哨戒網を広げないという前提での綱渡りだが、このままの進路で変わりがなければ我々には六時間の余裕がある」
モンシャルマン参謀長は航路図を指差した後で、全員に向き直って言った。
「補給部は全艦に最大限の補給を行う。それ以外の要員は三交代二時間ずつで休息をとらせる。然る後、スイングバイを利して最大加速。明朝〇一〇〇時をもって敵イゼルローン駐留艦隊別動隊の左後背より接近、中央突破。敵が混乱している隙を突き、速度を維持したまま自然曲線航路を持ってダゴン星域への跳躍宙域に向かう」
「イゼルローンからの増援部隊が観測時点より進路を変更した場合は遭遇戦闘となり、メルカッツ艦隊との挟撃になる可能性があると思われますが?」
第八七〇九哨戒隊がイゼルローン駐留艦隊の索敵網に引っ掛かっていた場合、追跡することによってこちらの位置が判明し、それがメルカッツに伝えられればそういう選択肢をとる可能性があるだろう。前方に三〇〇〇隻、後方に三〇〇〇隻。三対一の挟撃戦となれば圧倒的に不利だ。
「後背のメルカッツ艦隊が分進合撃を選択しない限り、同時挟撃は出来ない。我々の目的がダゴン星域への打通と認識しているのであれば、イゼルローン駐留艦隊を早急にダゴン星域との跳躍宙点へと向かわせるだろう。星系内で追っかけまわすより、確実に我々を捕捉できる」
敵の進路に先回りして膠着状態を作り、その後背から挟撃する。帝国軍としては理想的な作戦構想だ。ただしそれに対して我々は、幾つもの幸運と恒星アトラハシーズを利用して六時間以上早く行動する。あえて反対意見を言った俺だが、参謀長の意見に頷いて賛同すると、視線は自然と爺様へと集中する。
「参謀長の案を是とする」
爺様は居並ぶ全員に鋭い視線を送った後、深く頷いて決断した。
「小細工抜きの一撃離脱じゃ。各員は交代で休息をとりつつ、準備を整えよ。以上じゃ」
爺様の最終指示に、全員が敬礼で応える。決断された以上、各員は為すべきことを為すだけだ。
一番忙しくなるカステル中佐は司令艦橋にある自席に補給部の部下達とエル=トレメンドの補給部員を集め、各戦隊単位での物資調整を行っている。補給部員には女性も多く、普段は嬢を除いて男だらけの司令艦橋を女性将兵が出たり入ったり、インカムを付けて連絡したりと普段の数倍姦しい。
一方でモンティージャ中佐は姿を消している。捕虜からさらに情報を搾り取ろうとしているのか、それとも何か別の目的があるのか、居場所すら教えてくれなかった。
結局俺は爺様と参謀長とファイフェルが一緒に飯を食べに行ってしまったので、ぼんやりと一人、司令艦橋の自席に座って留守番しつつ現有戦力の把握と、作戦上の洗い出しと航路の再チェック、戦闘機動運用プログラムの入力をしている。忙しそうに駆け出していく補給部員達から時折呪いのような視線を浴びせられるが、こっちもそれなりに忙しい仕事なので勘弁してほしい。
現時点での第四四高速機動集団の戦力は補給・後方支援艦を除いて二〇〇〇隻を切っている。特に旗艦第一部隊は残存戦闘可能艦艇が五〇二隻。開戦前が七三三隻だから、戦闘不能艦艇四二隻を含めたとしても損耗率は二五.八パーセント。特に初っ端に狙われた戦艦の被害は大きく、戦える船は僅かに六四隻。開戦前が一〇六隻。航行可能な三隻を含めたとしても損耗率三六.七パーセントにもなる。
ただし第二・第三部隊にはほとんど被害は出ていない。確かに均せば損耗率は一〇.七パーセントになる。メルカッツとまともに真正面から戦ったとしたら、増援に挟撃されて被害はこれでは済まなかった、かもしれない。それでも最低二万二〇〇〇人以上の命が失われたわけだ。その中には恐らく俺の知っている同期もいるだろう。戦闘の興奮からの一息、ようやく俺の背中に重いモノが感じられてくる。
「命に値する出兵の理由か」
迎撃戦、というのはわかる。ヤンが攻めなければいいと言うイゼルローン攻略というのも、恒久的侵略策源地の奪取という意味もある。そして物事には順序があり、星系の小さな星の取り合いにも意味があるのも分かっている、つもりだ。
シトレ・ロボス体制になってから、数度イゼルローン攻略戦が企図された。これは両者の手腕によって周辺星域の制圧が上手くいったからだと思う。しかし彼らが指導的立場に立つまでに流された血は、膨大であっただろう。
それは結局、俺にしても同じことだ。とにかく帝国領侵攻を阻止する為に、七九六年八月前までにそれなりの地位につく為には、同じように膨大な味方の血を流さなければならない可能性が極めて高い。敵の血もまた同様だ。仮に命の消費に慣れたとしても、決して数字ではないと忘れてはならないだろう。
「ペニンシュラさんと二人でディナーをしたいな」
本来なら双方の国家経済力を賭けたチキンレースなど止めて、とっとと平和条約を結んで講和しろと一〇〇〇年前の地球の日本に暮らしていた俺は思わんでもない。だが、双方の国家存立の面子と、過去一五〇年に累積された損害に対する報復心が、それを許すとは到底思えない。
それを覆す方法は二つ。どちらかが圧倒的な力によってもう一方を制圧するか、『同盟がそれなりの戦力を維持しつつ』虚空の美女を口説き落としたタイミングで講和条約を帝国に提示するしかない。
軍が講和の為の条件を作り上げ、政治家がそれを行使し、帝国に同盟の存在を容認させる。利権政治家でありながら、一応は危機的な状況下とはいえ自力でそこまでたどり着いたアイランズと、『イゼルローン陥落後』についていろいろ話をしておくのは悪い話ではないだろう。それでシトレが気を悪くするのは承知の上だが。
「ボロディン少佐」
そんなろくでもないことを考えつつコツコツと仕事を進めていると、いつの間にか珈琲をもったブライトウェル嬢が、俺の後ろに立っていた。
「あぁ、ありがとう」
礼を言って椅子に座ったまま、紙コップに入った珈琲を取ろうとすると、彼女は俺の手を躱すようにコップを引き上げた。児戯みたいならしくない行動に、俺は首を傾げ嬢の顔を見上げると、果たして整った顔は初対面の時のようなツンドラであった。
「えっと? どうした、ブライトウェル伍長?」
「ペニンシュラさんとは、一体どなたのことでしょうか?」
「あ、あぁ」
口に出していたとは思っていなかった俺は、小さく舌打ちしてから嬢に言った。
「ちょっとばかり秘密にしてほしい相手なんだ。爺様達にも口外しないでくれると助かる」
「……承知いたしました」
そう言うと、彼女は俺の机に紙コップを置いてから、バカ丁寧に敬礼してから司令部用のエレベータへと消えていった。
紙コップに入っていた珈琲がかなり冷めていたことに気が付いた俺が、口を大きく開けて戦艦アラミノスの艦底部が映る天井を見上げたのは、それから三〇秒後のことだった。
後書き
2023.04.19 更新
2023.10.09 戦死者数変更
第88話 アトラハシーズ星系会戦 その4
前書き
いつもの通り、遅筆になって申し訳ございません。
GWは全部仕事でした。マジで1日も休んでません。
今日も仕事でしたが、なんか強烈な頭痛に襲われてノーシン呑んでから編集しております。
なので誤字はいっぱいだと思いますので、お気づきの点がありましたら感想欄にお願いします。
文章が下手になったなぁと、第1章を読んで思う、今日この頃です。
宇宙歴七九〇年 二月一八日 アスターテ星域 アトラハシーズ星系
戦闘要員が交代で休息をとる中、補給・船務要員と航法要員が必死になって恒星アトラハシーズ軌道上でFASを行い、全ての艦の補給充足率が約四〇パーセントに均されたのはカステル中佐の予想した通り、五時間後の一八日〇〇〇〇時であった。
補給作業中、爺様と参謀長は、実質戦闘能力の三割を失った第一部隊の再編成を行っている。特に被害の大きかった戦艦部隊では、集団司令部と分隊の間をつなぐ隊司令に戦死者が相次ぎ、緊急措置として、数人の少佐艦長を大佐に戦地臨時任官している。戦場ではよくあることとはいえ、中級幹部の喪失は部隊運用の面で影響が大きい。
それでもかろうじて戦列を整え、恒星アトラハシーズに接近し、パワードスイングバイに備えることができた。スイングバイは天体に近づくほど加速効果は大きく、且つ軌道を大きく曲げられる。イゼルローンから来た増援艦隊の左後背位置を確保するにはどうすればいいか、俺はファイフェルを扱き使いつつ幾つものシミュレーションを行い、航路を算定した。増援艦隊がフィンク中佐の観測した速度より遅ければ、我々は敵の左前方に飛び出してしまうし、逆に速ければ攻撃範囲を逸脱してしまうだけでなく挟撃される恐れがある。
さらには必要以上の加速もできない。敵艦隊に一撃を与える以上、戦闘宙域には無数の破片がばらまかれることになる。シールドや弾幕で対処できる小さいものならばまだしも、破壊された艦艇の残骸と衝突すればただでは済まない。破片への対応距離を考慮しつつ、各艦の間隔と艦の機動性を天秤にかけた最大速度を算定する必要がある。そして機動性の最も乏しい艦は艦隊随伴型工作艦だ。故に工作艦の『最大巡航速度』を基準として部隊行動を策定することになる。
俺としては最大限尽くしたつもりなので、あとは運に委ねるしかない。結局一度も休息をとることなく、俺は次席参謀席から動くことなく、恒星アトラハシーズを左画面いっぱいに見ながらスイングバイ航路を進む第四四高速機動集団の戦列を眺めた。
「いい部隊だと思う」
いつの間にか艦橋に戻ってきたモンティージャ中佐は、背後に立って俺にだけ聞こえるような小さな声でそう呟いた。
「指揮官は百戦錬磨。参謀長は知性と経験と信頼に厚く、副官は日増しに要領が良くなっている。補給参謀は口は悪いが、能力は折り紙付き。部隊各艦も司令部の命令に対し信頼を寄せ、能力を向上させている」
「そうですね」
「だが司令官は兵卒からの叩き上げ。参謀長は専科学校出身。副官は司令官以外の上官に仕えたことはなく、補給参謀は良くも悪くもプロフェッショナル。直衛には脛に傷を持つ分隊もある」
「何が仰りたいのですか?」
アトラハシーズ星系に入ってからというもの、モンティージャ中佐の行動は実にらしくないものばかり。こういう僅かなりとも闇を感じさせるような会話などなかったはずだ。そういうときは直接直球で聞くに限る。俺の反撃に、モンティージャ中佐の目が糸のように細くなった。
「こういう部隊にいると過剰に出世が遅れるし、扱き使われて命の危険も高い。それでも貴官はいいのか?」
「モンティージャ中佐から出世という言葉が出てくるのは意外ですね」
「シトレだろうとロボスだろうと、宇宙艦隊司令部はビュコック『中将』を定年まで使い潰す気だ。七年後。貴官が三二歳の時、よくて准将になっているかどうか」
「かもしれませんね」
「貴官が戦闘指揮官を目指すにしろ内勤幹部を目指すにしろ、この戦いが終わったら転属願を出した方がいい。大した忠告ではないが気に留めといてくれ」
ポンと俺の方を叩くと、モンティージャ中佐は俺の隣の席に座る。単なる親切心か、それとも何かの罠か。情報部の人間にマークされるほどには悪いことをしているつもりはないが、ケリムとマーロヴィアで情報将校の奥深さを味わっているだけに、軽々には判断できない。
だがそんなことを気に留めるまでもなく、戦いは目の前に迫ってくる。〇二〇五時。第四四高速機動集団は帝国軍増援艦隊を、前方索敵範囲に収めることに運よくかろうじて成功した。
「敵艦隊中央部、当艦隊の進行軸に対し〇〇二五時、仰角五.四度、距離六.七光秒に確認」
「敵は右舷より左舷に向けて鋭角四四度をもって進行中。速力は帝国軍基準巡航速度」
「艦艇数二七〇〇隻ないし二八〇〇隻。台形陣を形成」
「現在の速力差を鑑み、機動集団基準有効射程まで三〇分」
相対していれば六.七光秒という距離は有効射程距離まで一〇分もかからない。だが敵味方双方がほぼ同じ方向を向いている以上、有効射程までの時間は双方の速度差だけが要因となる。
「挑戦信号を発しますか?」
オペレーターたちの報告に、モンシャルマン参謀長が腰を曲げて司令席に座る爺様に問いかけた。
三〇分という時間は、熟達した戦闘集団であれば反転して陣形を整える時間としてはまずまずというところ。それがわからないモンシャルマン参謀長ではないので、挑戦信号を打つことによってこちらが敵であると認識させ、敢えて敵を反転させ、その隙に距離を一気に縮めて一撃離脱。敵が再反転して追撃に移る前に、戦闘宙域を離脱するという考えだろう。さらに敵が熟達していない部隊であれば、有効射程時点で反転機動中となりこちらとしてはやりたい放題となる。
だが挑戦信号を打った段階でこちらが敵と明確に認識されるわけで、敵司令部に十分な思考時間を与えることになる。既にメルカッツの部隊とは連絡を取っているはずで、反転以外の戦術をとる可能性は極めて高くなる。
問いかけられてからしばらく爺様は目をつむっていたが、ゆっくりと目を開けると小さく首を振って、参謀長に応えた。
「有効射程に入ってから挑戦信号を発せ。せっかく好位置にいる以上、余計な知恵と時間を敵に与える必要はない。進路を維持。このまま接近」
「では、予定通り中距離戦闘で」
今度の問いかけには、爺様は大きく頷いた。
「スパルタニアンの運転手達は先の戦いで苦労を掛けたからお休みじゃ。カステル! 機雷の残量はどのくらいじゃ?」
「戦闘艦艇の充足率は五〇パーセント。約八万発です」
「ジュニア! 恒星アトラハシーズの恒星風はそれほど強くはなかったな?」
「はい」
フィッシャー先生の予習通りであるが、スイングバイに対する恒星風の影響はほとんど無視してよいレベルだ。それを踏まえた機雷戦闘を爺様は考えているわけで……
「会戦終了後、全艦全弾機雷を投射し機雷原を構築する。範囲と方法はジュニアに任せる。ただし最低三〇分以上はおもてなしができるようにせよ」
「了解しました」
敵が一撃離脱を受けた後、どういった機動を見せるか。流石に同一方向に逃げるような真似はしないと思われるので、敵の出方をある程度は想定しておかねばならない。俺に対する教育目的もあるのだろうが、これがなかなかに面倒なことだ。
「敵艦隊より誰何信号あり」
距離三.三光秒。有効射程まで二〇分を切った段階で、敵はこちらに所属を問う通信を打ってきた。当然こちらはが通信妨害状態を装って無視する。
「遅いな」
嘲笑に近い声でモンティージャ中佐が呟いた。確かに遅いが、こちらを味方と勘違いしていた可能性を考えれば、まだ有効射程範囲前に誰何信号を発せただけましだ。進行方向に敵がいるという状況でないからというのもあるだろうが、七年後このアスターテ星域で有効射程に入るまで後背にいる一大戦力が、敵だと気が付かない制式艦隊もあったのだ。
もしかしたら原作に書かれていないだけで、俺の想像を超えるような探知妨害があって気が付かなかったというのもあり得るだろう。だが少なくとも現時点では原作アニメにおける第六艦隊より柔軟な思考力と行動力がある敵だとみていい。
「敵艦隊、速度を上昇。会敵予想時刻修正 〇二四〇。プラス〇〇〇五」
「艦種確認。戦艦二八〇ないし三〇〇、巡航艦一二〇〇ないし一三〇〇、駆逐艦約一〇〇〇、宇宙母艦一〇ないし一五。ほか補助艦艇らしきもの三〇〇」
「ジャミングを開始します。以降、通信距離は低下します」
数的には不利ではある。敵の戦闘艦艇は最大見積で二六一五隻。こちらは一九七〇隻。だが敵も要塞であるイゼルローンから出てきた部隊にしては戦艦が少なく、駆逐艦が多い。そして宇宙母艦がかなり少ない。もちろんメルカッツの直轄艦隊が重装備すぎるのであって、こちらが標準的な艦隊編成であるとは言えるのかもしれない。
「集団基準有効射程まで残り一〇分」
「総員、第一級臨戦態勢に移行。最大射程一分前に挑戦信号を発せよ」
敵も速度を上げて逃走を図ろうとするが、パワースイングバイによって十分に加速された第44高速機動集団の速度に追い付くには時間も出力も足りない。そのうち僅かながら敵艦隊の陣形が乱れる。艦種の違いによって加速度に差がある故なのだが……
「まるで五ケ月前の我々を見ているようですな」
モンシャルマン参謀長の顔には微妙な笑みが浮かんでいる。あの時は追っかけられる側だった。今度は追っかける側になる。
「各艦に作戦と状況を徹底させよ。進路維持による一撃離脱。損害を受け速度を維持できない艦は自沈処分。乗員はシャトルにて後衛の戦艦ないし輸送艦に移乗」
参謀長の訓示がファイフェルを通じて各艦に伝えられる。作戦の根幹は速力だ。功を求めて蹂躙戦をする余裕はない。
「最大射程まであと一分。挑戦信号、発します」
帝国・同盟共通の信号の一つ。もはや今更だが「これから戦うぞ」という意思を敵ではなく味方に示す意味もある。圧倒的とまでは言えないが優位な状況での『中指立て』に、司令艦橋下にある戦闘艦橋の士気は目に見えて向上する。
「敵艦隊中央部、有効射程に入りました」
「撃て!(ファイヤー)」
爺様の手が振り下ろされ、旗艦エル=トレメンドが斉射を開始すると、直属戦隊から旗艦部隊、第二・第三部隊と順次砲火が開く。陣形は単円錐陣。一団となり全ての艦が進行方向への砲撃が可能になるよう配置されている。前方への圧倒的な火力投射量と攻撃速度を有する陣形だが、各艦が規定値以上の射角を取って砲撃してしまうと『味方のケツを蹴り上げてしまう』危険もある。
御託も巧緻も必要ない。次席参謀の意見具申の幕などない。ただひたすらに前へ、前へ。限られた射角内に収めた敵に対し、主砲を叩きつけるのみ。
円錐陣の頂角は第三部隊旗艦戦艦部隊一一三隻。もっとも損害の少ないバンフィ准将の戦艦部隊が、五個分隊二五隻で楔を作りそれを縦列に形成し、敵艦隊左翼後衛の駆逐艦と輸送艦を吹き飛ばしつつ、敵の中核部隊へと躍り込んでいく。三連どころではない継続的な斉射で砲身が危険温度に達した艦は一度速度を落とし、後ろに並んでいる別の戦艦分隊の楔と交代する。一巡したら今度はプロウライト准将の第二部隊戦艦部隊が前に出る。
その両翼、円錐陣の斜め側面には巡航艦部隊が斜陣形を形成している。こちらは鋸の歯のように敵陣を切り広げる役目だ。やはり分隊単位でリニアモーターカーの磁極変異のごとく斉射と砲身冷却を交互に繰り返しながらひたすらに前進を続ける。
円錐陣中央後部には輸送艦・工作艦と宇宙母艦。それに護衛の駆逐艦がアボカドの種のようにがっちりとした球形陣を作る。先頭集団から脱落した艦の乗員を集める役目もある。火力投射よりもそちらが優先される。
そして最後衛は第一部隊六五隻の戦艦と三隻の巡航艦が務める。戦艦エル=トレメンドも例外なく円錐の底辺に沿って配置されており、巡航艦によって切り開かれた敵陣をさらに拡大させる役目と乗員の回収ともう一つ。勇敢にも円錐底面に潜り込もうとする帝国艦艇を蹴散らす役目があった。
つまり最後衛ではあるが同時に最前衛である。エル=トレメンドは進行軸に対して上方頂点に位置していたから、「足元の僅かな俯角部分を除いて」すべての方角に味方がいない。集団旗艦がこんな位置にいていいのかと思わないでもないが、位置を決めたのは司令官である爺様だ。戦局が把握しやすい箇所と言えばこれ以上の場所はない。ないが、あまりにも危険に過ぎる。
巡航艦に撃破された敵艦の残骸の漂流。時折思い出したかのような散発的な砲撃があり気が抜けない。撃破された輸送艦の残骸に隠れていた身軽な駆逐艦が、エル=トレメンドの左舷前上方から突然現れた時はさすがに身の毛がよだったが、左舷下方に控えていた戦艦アラミノスが咄嗟砲撃で吹き飛ばしてくれて事なきを得た。
砲撃開始から三時間後。第四四高速機動集団は敵艦隊の左後背から突入し、右側中央部への突破に成功する。こちらが敵艦隊の覆滅を望まず進路を堅持したこと、帝国軍が既定の進路を逸脱しつつ左舷へ進路を変更したことで、帝国軍に与えた被害は想定値の七割、約一〇〇〇隻程度と思われた。こちらの被害は三〇隻に達していない。ワンサイドではあるが、敵艦隊は戦列を乱しつつも、それなりの秩序を保って行動している。
「ジュニア! 出番じゃ。仕事をせい」
想定より敵の被害が少ないことにイラついているのか、爺様の声は固くて厳しい。確かにもう少しやりようはあったかもしれないが、三〇〇〇隻以上のメルカッツ艦隊の位置が不明な以上、戦果より時間の方が優先される。とりあえずは目前で悶えている帝国艦隊が、立ち直ってもまともに追撃できないようにしなければならない。
俺の想定よりも帝国軍は秩序を維持しているが、航路を逸脱した方向が左舷であることは想定通りだ。爺様の命令を受領した俺は、司令部回線を使って戦術回路D-四を開くよう指示する。戦闘中ずっと入力し続けたプランがそこにはある。
爺様がマル・アデッタで狭い回廊に熱反応型の自動機雷を時差付けて段差配置していたことを参考としつつ、より能動的に機雷を誘導するプログラムを組んだ。恒星アトラハシーズは安定的な表層流をもつ恒星であり、太陽風は観測される限りではほぼ一定ゆえに機雷を敷設しても、突発的なフレアでもない限り機雷の設置範囲は大きくずれることはない。
機雷用のセンサーはいずれも偵察衛星や軍艦に搭載されているような長射程・高性能な物ではないが一通りは揃っているから、組み合わせ次第では強力な哨戒網も築ける。あとは味方の陣形と速度、敵の進路を想定して、綺麗に機雷原を構築できるよう投射するだけだ。例えば迂回するにしても遠回りになるように。
転生する以前の生活スタイル故なのか、どうやら地味で細かい作業に関しては適性があるらしい。低出力の電磁投射器具によって放出されていく機雷の航跡を眺めつつ、俺は思った。原作を仮に知っていたとして、どれだけの人がヤンやラインハルトのように生きられるだろうか。
投射から三〇分後。未だに陣形再編でもたついている敵艦隊を三重に半包囲する形で機雷原が構築されたことを確認すると、機雷のセンサー網を作動させる。少なくとも三〇分という時間は敵失で稼げた。あとどれくらい稼げるだろうか。二〇〇発につき一発だけ炸薬を抜いた偵察衛星モドキの哨戒網をじっと眺めていると、混乱する敵艦隊のさらに後方に重力波の異常が僅かに感知された。
「はぁ?」
俺の声は思っていたより大きかったらしい。捕虜が届くまで司令部の中で暇をしているモンティージャ中佐が、珈琲を片手に背中越しに俺の端末画面を見て……「んん?」っと、やはり同じような声を上げる。
「中佐、これ、もしかして」
「哨戒網の制御を俺に回してくれ。たぶん貴官の予想は合っていると思う」
餅は餅屋。俺から制御を譲り受けた中佐は、俺の数倍の速度でキーボードを叩き、三分後に俺を呼び寄せた。
「この重力波の異常が敵艦隊なのは間違いないだろう。この星系に我々以外の友軍は存在しないのだから。だがこの速度はおかしい」
恒星重力波の変異、機雷からの通信波異常、第四四高速機動集団の移動状況による受信偏差諸々の誤差を省いたとしても、集団としての速度が速すぎる。
「巡航艦単独編制の強行偵察分隊だと思うか?」
「いえ。違うと思います」
こちらの総数、行動意図を承知した上で、イゼルローンから来た敵艦隊が第四四高速機動集団に後背奇襲されたことを、メルカッツは既に理解しているはずだ。であれば強行偵察を行いながら慎重に前進することは、第四四高速機動集団の逃亡を招くこと。全戦力をもって救援・追撃に向かうはずだ。しかしそれを理解した上でも速すぎる。どういう手品かはわからないが。
「メルカッツの本隊、および第八七〇九哨戒隊が遭遇したアスターテ星域防衛艦隊への増援部隊は合流し、我々を戦闘集団としては異常な速度で追撃しています。敷設した機雷原は迂回されるでしょう」
それまでの観測データを一揃えして、爺様と参謀長にそう言って提出すると、二人は揃って溜息をついた。
「……跳躍宙点で追いつかれる可能性は?」
「半々です。我々が星系間長距離跳躍の準備に手間取れば、跳躍宙域手前で砲撃有効射程に収められます」
「手間を取らずに行けたとして、跳躍宙点での時間的余裕は?」
「一〇分ありません」
こめかみに青筋を浮かべているモンシャルマン参謀長の鋭い眼差しが、エックス線探知機のように直立不動の俺の体を射抜いてくる。一方で爺様は口を開くことなく半目で、メインスクリーンに映し出されている航路図を見ている。沈黙が一分を超えそうになった時、爺様はカステル中佐を呼びつけた。
「カステル。工作艦の速度を上げることは可能か?」
「可能ではありますが、衝突回避行動に無理が生じます。波及事故になった場合、乗員ごと見捨てることになりかねません」
そのくらい分かっているだろうとまでは言わなかったが、カステル中佐の言葉にあまり熱意がないのも確かだった。だが爺様はそれを咎めず、今度は俺に視線を送ってくる。
「この星系は比較的安定しており、小惑星帯や彗星群はほとんどない。そうじゃな、ジュニア?」
「はい。正確には彗星群はありますが極めて小規模で、当集団の進路上には確認されておりません」
「よし。では陣形を変更じゃ。工作艦と輸送艦を、集団の先頭に出せ」
爺様の何気ない一言に、幕僚一同で顔を見合わせた。一番足の遅い工作艦を先頭に出して、回避行動を最小限にしつつ速度を上げさせるという事か。部隊行動としては非常識極まりない案だ。工作艦は所詮支援艦艇であって、戦闘艦艇並みの高性能なレーダーは装備されていない。工作艦の巡航速度が遅い故に回避行動に余裕が持てる為、レーダーもそれに合わせた物しか積んでいないわけだが……
「工作艦を集団中央に、戦艦を両翼に並べて長距離索敵と前面偏差掃射を行うという形でよろしいでしょうか?」
「分かっておるなら、すぐに陣形案を作成せんか」
「……承知いたしました」
そもそも星系内を工作艦の最大巡航速度で移動・戦闘している時点で異常なのだ。最大『巡航』速度が最大『戦闘』速度になったところで大して変わらない。工作艦の燃料消費に問題が出そうなので、カステル中佐に一度視線を向けると分かってると言わんばかりに左手を小さく振る。工作艦と補給艦が先頭に立つのだから、FASしやすい様に交互にならべさせればいいだろう。
二〇分かけて陣形案を作成し、参謀長と爺様の承認を受け各艦がゆっくりと陣形を変え終わったのが、〇六〇〇時。工作艦へのFASは殆ど限界速度のため、機械操縦に切り替えて行われた。その為に時間を喰われて〇八四五時。ようやく部隊速度を上げることに成功する。
しかしその間も後方から着々とメルカッツ艦隊は距離を詰めてきている。イゼルローンからの増援艦隊は追撃を諦めたらしく、背後から追ってくる艦艇は二〇〇〇隻程度。それでも同盟軍における戦艦の最大戦速を維持している。
「かろうじて逃げ込める、のか?」
障害物が殆どない跳躍宙点で長距離跳躍に必要な時間は約一時間。爺様が全艦に直接電文で長距離跳躍の手順を再度確認せよと指示を出しているので、手間取ることはないだろう。予定であれば一二〇〇時には跳躍宙点に飛び込み、一三〇〇時には全艦の跳躍を終えられる。その時点でメルカッツ艦隊は帝国軍戦艦の最大射程より時間距離で五分の差がある。
そういう計算を司令部から敢えて発信し、戦艦エル=トレメンドの戦闘艦橋も第二級臨戦態勢を維持しつつ交代で休息に入って三〇分経った一〇五五時。当番観測オペレーターの叫びが、戦闘艦橋だけでなく司令艦橋まで届いた。
「後背の敵艦隊、さらに増速しています!」
観測された速度は戦闘集団行動速度としてはありえない。帝国軍宇宙母艦の最大戦闘速度すら超えている。敵艦隊から脱落艦が出ているのも観測されているが、集団としての陣形はそれなりに維持されている。
「……つまり輸送艦や工作艦、近接戦闘するつもりなどないから宇宙母艦すら捨てて、追っかけてきておるというわけじゃったか」
爺様の独白が、司令部を重くする。再計算すれば、第四四高速機動集団とメルカッツ艦隊は殆ど時差なく跳躍宙点に飛び込むことになる。
「せめて機雷があれば……」
ファイフェルの口から僅かに零れる呟きも理解できる。なりふり構わない追撃だ。もしこの状況下で機雷回避できるような練度だとしたら、疾風ウォルフどころではないだろう。
だいたい敵の数は既にこちらとほぼ同数かむしろ少なくなってはいるが、現時点で反転迎撃できるような時間的にもエネルギー的にも余裕はない。何とか敵の脚を鈍らせる方法はないか……
「……レーザー水爆は」
ほんの小さな声。しかも司令部で役職についている士官ではない。だがここ一年、任務以外の無茶な手伝いをさせられ、常に司令部と一緒に行動して小規模遭遇戦闘も含めれば一〇回以上も実戦の場に立った彼女の声に、俺とカステル中佐は反応した。
「ボロディン少佐。レーザー水爆は後ろには撃てない、わけではないよな?」
「VLS投射ですから可能です。ただし自己誘導となりますので命中精度は低下するというだけです」
しかし現状は命中精度を考える必要はない。というより推進すら切って投射装置から自艦に当たらないように押し出すだけでいい。下手に推進装置を生かせば、メルカッツなら囮を発射して誘導し、容易に回避するだろう。
幸いと言うか、破れかぶれの偶然だが、動きのとろい工作艦と輸送艦は集団の先頭にいる。両翼端に第二第三部隊の戦艦部隊、最後衛はこのエル=トレメンドの所属する第一部隊の戦艦部隊だから、レーザー水爆を無誘導投射されても後に味方艦は居ないので衝突する可能性はない。
「司令官閣下」
俺は爺様の傍に駆け寄って、頭に思い浮かんだ構想を練らずにそのまま口に出した。各艦間隔の拡張と整列、レーザー水爆の無誘導・無推進投射…… 実際は二分もなかっただろう。喋っている俺としては一〇分以上に感じられた俺の進言を爺様はじっと俺の顔を見ながら耳を傾け、聞き終わると席を立ち左手で俺の肩を揺すった後でファイフェルを呼びつける。
「ファイフェル、戦闘艦橋にデコイとレーザー水爆の残弾を報告させよ」
ものの数秒。ファイフェルはマーロヴィアの頃に比べてはるかにこなれた手つきで連絡を取る。
「デコイは四発、レーザー水爆の残弾一六発だそうです」
「戦艦全部であわせてだいたい五〇〇〇発というところじゃな。些か心もとないが、できる限り引き付けてから放出するしかなかろう」
ウンウンと二度ばかり頷くと、一度モンシャルマン参謀長に無言で視線を送る。参謀長もそれに対して一度だけ頷いて応じると、爺様は俺に命じた。
「ジュニア、分単位の敵味方の速度・相対距離のシミュレーションを作れ。放出のタイミングは儂が指示する」
「承知いたしました」
直ぐに自分の席に戻り、艦隊運用シミュレーションを使って言われた通りのモノを作る。すでに何度も検証したアトラハシーズ星系の航路図を基盤に、第四四高速機動集団のこれからの航路と観測されたメルカッツ艦隊の動きからの推定航路を入力し、それを模擬化する。小さな三つの突起を持つ赤い矢印を、青い紡錘が追いかけるようなシミュレーションを見て、爺様は満足そうに頷いた。
「ファイフェル。機動集団全戦艦に伝達。残存するレーザー水爆を三分おきに四発ずつ、進路同軸にて、無推進・無誘導にて投射せよ。投射のタイミングはエル=トレメンドより指示する」
「ハッ! 麾下全戦艦へ。残存レーザー水爆を三分おきに四発、投射方向は〇六〇〇。無推進・無誘導で投射。投射タイミングは旗艦信号に合わせ」
ファイフェルの声がマイクを通して戦闘艦橋に響くと、「はぁああ?」という水雷長の声が聞こえてくる。それはそうだ。レーザー水爆を無推進で、さらに命中精度を極限まで下げるような無誘導でしかも真後ろに投射しろなんて命令、ベテランの水雷長でも受けたことはないだろう。
そう考えると何となく可笑しくなって俺の頬も緩んでくる。さてメルカッツがどう反応するか。デコイを撃っても反応しない、置き石同然のレーザー水爆に。掃射か、回避か。いずれにしても脚は遅くなる。
一一一五時。爺様はレーザー水爆の投射を指示する。跳躍宙点まで一時間を切り、相対距離はメルカッツ艦隊の戦艦の最大射程距離まであと二〇分という絶妙なタイミングだ。レーザー水爆とメルカッツ艦隊の触接まで一五分。帝国軍の砲手達は大混乱だろう。目標を敵艦からレーザー水爆に変更となれば、いきなり長距離砲戦から近距離砲戦にレンジを切り替えなくてはならない。
一一三〇時。案の定、メルカッツ艦隊は近距離砲戦による掃射を選択した。その前にデコイの発射が確認されているから、定石通りの対応をしたのだろう。最大戦速の状況下で近距離砲戦を行うという、出力が低いとはいえ一歩間違えれば僚艦を撃ってしまう状況だ。追撃速度はガクンと落ちる。その間に第四四高速機動集団は距離を広げ予定通り跳躍宙域に入り、先頭の工作艦と補給艦から順に、前面に浮かびあがった純白の跳躍フィールドへと飛びこんでいく。
一三〇三時。最後衛に位置していたエル=トレメンドも跳躍航行へと移行する。メインスクリーン正面一杯に映る白い円盤に飛び込む直前まで、俺は後方に無数の光点となって現れたメルカッツ艦隊を見つめていた。
「あばよ、とっつぁん」
俺のセリフは何故かしっかりとブライトウェル嬢に聞かれていたらしく、あとであれはどういう意味ですか?と問われて説明に苦慮したのは、失敗と成功と苦難に溢れたアトラハシーズ星系会戦の最後の難関だった。
後書き
2023.05.10 更新
2023.05.11 光子魚雷→レーザー水爆 伴い文面一部改
2023.05.31 指摘誤字修正
2023.08.13 指摘誤字修正
承認欲求の塊なので時々エゴサーチかけるんですが、やっぱり暁は見てくれる人が少ない感じです。
最初からお世話になっているサイトなので、多少不都合があっても投稿は続けるつもりですが、
もしかしたらご新規様開拓も必要なのかもしれません。
第89話 自称後見人
前書き
ようやく書き上げました。ホントいつも申し訳ございません。
仕事の強弱が不定期であることが一番なんですが、やはり長編になればなるほど過去との整合性を
チェックが多くなっていき、書いているうちに見直したりしてどうにも筆が進みません。
今回は戦闘はありません。10000字をだいたい目指しているんですが、どうもクドクドと書くように
なってしまうのが劣化でしょうね。
宇宙歴七九〇年 二月一九日 ダゴン星域 アシュドット星系
第四四高速機動集団はかろうじてメルカッツ艦隊の追撃を逃れたわけだが、問題は山積だ。
まず燃料が尽きかけている。二度の会戦と逃走劇で想定を上回る燃料が消費され、巡航速度でカプチェランカ星系に向かうので精いっぱい。早急に補給の必要がある。
次に兵器がない。燃料がないのでエネルギー兵器の使用は節約せざるを得ない。機雷は全て撃ち尽くした。レーザー水爆も中性子ミサイルも、相当な数を消費した。補給艦に確保されている分を戦闘艦艇に分配しても充足率は二〇パーセントを僅かに超える程度。一会戦分といったところだ。
最後に兵員の疲労が激しい。特に最大戦速で舵を握っていた航法要員達の神経は殆ど擦り切れ寸前だ。集団は経済速度にまで落とされ、よほどのことがない限り舵を握ることのない戦闘士官が代わりに配置について、航法士官はタンクベッドへ物理的に担ぎ込まれた。
それでも第四四高速機動集団の士気は高い。エル=ファシル星系からアシュドット星系までの長距離を走り抜け、さらに二つの戦いで優勢を確保している。損害もないわけではないが、今は興奮の方が勝っているのだろう。交代でタンクベッド睡眠をとり、疲労が抜けた将兵は先を争うように食欲を満たすべく艦内食堂に突撃する。飲酒も許可され、ベッドに戻る途中の廊下でぶっ倒れている若い兵がいるようなありさまだ。
一方司令部はほどほどに忙しい。三交代で二時間毎の休憩を取った後は、戦後処理と次の戦いに向けた準備を進めている。カプチェランカ星系の友軍とは超光速通信の連結が図られ、相互の状況も確認されている。第八艦隊と付属部隊は順調にカプチェランカ星系の制宙権を確保し、地上軍がカプチェランカⅣに降下して制圧を試みている段階だという。しかしアトラハシーズ星系で三〇〇〇隻のイゼルローン駐留艦隊と遭遇している以上、近日中には艦隊決戦となる可能性が極めて高い。
第四四高速機動集団の補給不足に対しては、第四一二広域巡察部隊より一個巡航艦戦隊を護衛戦力として抽出し、第八艦隊付属の巨大輸送船一〇隻と共に分派するので、中途星系にて合流し補給せよとの指示が下った。半ば敵地というダゴン星域で随分とのんびりしたことをするとは思うが、カプチェランカ到着早々戦闘となる可能性が高いことを考えれば致し方ない。
「まぁダゴン星域内を帝国軍が分進進撃する可能性は極めて低いだろうな」
アシュドット星系の跳躍宙点に設置した無人偵察衛星から、帝国艦隊出現の報告が来ないのでじりじりしているモンティージャ中佐は、結局司令部会議室でガムを噛みながらブライトウェル嬢の勉強を見ていた。情報将校という生き物はだいたい多芸なのだが、モンティージャ中佐は自然科学系それも地学が得意なのは意外だった。
「何しろ俺達がダゴン星域に入ったことは帝国軍もご承知のことだろう。去年自分達がイゼルローン攻略部隊相手にやった補給線襲撃を、今度は自分達にやられるわけにはいかないと考えているだろうし」
「カプチェランカ星系より帝国側のハルパス星系に集結後、艦隊決戦を挑んでくるのはまず常道として、その数ですよね」
「第八艦隊自身が事前に情報を漏らしている可能は低いから、政治ルートか後方ルートかフェザーンか。ジャムシードで感づかれたとして、我々が主力と合流する二月二四日以降になっても帝国艦隊がカプチェランカに現れていなければ、少し考える必要があるだろう」
ジャムシード星域で第八艦隊の挙動を感づかれて、その目的をダゴン星域と推定しても帝国軍は容易にはイゼルローン駐留艦隊を動かすことは出来ない。一万五〇〇〇隻という数は駐留戦力としては大きいが、第八艦隊と付属部隊を合わせた数にほぼ互角。イゼルローンを空にするわけにもいかない故に、本土からの増援部隊が主力となる……これは出撃前の作戦会議で出された結論だ。二月二四日は第八艦隊がジャムシード星系を離れてから二五日目。経験則から帝国軍が本土より遠征軍を送り込む最短の日数となる。間違いなく一万七〇〇〇隻を超える戦力が来るだろう。本来なら来寇はもう一〇日は遅くなるはずだったが。
「予算承認、順調にいけばいいんですがね」
「二月はちょうど年度のど真ん中だからな。宇宙艦隊司令部は事前準備をしてくれているだろうが、上手くいかなきゃ予備費出動になる」
「そうなると統合作戦本部長がいい顔しないでしょうね」
「流石にこれ以上シトレ中将にデカい面させるのは、お好みではないようだからな」
現統合作戦本部長ジルベール=アルべ元帥は来年で本部長改選となる。この戦いは宇宙艦隊司令長官がサイラーズ大将に変わって以降初めての艦隊規模での出征。成功すれば当然シトレの功績だが、同時に作戦を推したサイラーズ大将の功績になる。シトレが大将に昇進するかどうかは微妙なところだが、仮に昇進したとしてポストの問題が出てくる。サイラーズ大将に残されたポストは統合作戦本部長しかない。そうなるとアルべ元帥は必然的に次の改選時に勇退を余儀なくされる可能性が出てくる。
しかも正式に国防委員会と財務委員会の承認を通さない予備費出動は『事後承諾』となる上、両委員会において統合作戦本部長か次長が後日状況説明をする必要がある。余計な面倒ごとを押し付けられ、さらに自分のポストを危うくするような話など面白いはずがない。次長となると、宇宙艦隊司令官職をサイラーズ大将と争ったロカンクール大将が出張ってくる。
その点を作戦会議で俺は質したわけで、シトレも重々承知してしっかり根回しはしているのだろう。朝寝坊の幼馴染が財務委員にいるのは大きいとは思うが、作戦を承認した統合作戦本部長がへそを曲げるようなことはなるべく避けたい。そのあたりも含めて国防委員会にもちゃんと根回しした方がいいとは思うが、国防委員会に所属する怪物とシトレは、俺の処遇なども含めてもはや武装中立といっていい間柄だ。
「一番都合がいいのは、敵が近々でのカプチェランカ奪回を諦め、六月以降に出征してくるパターンだな」
そうなれば迎撃作戦となる為、予算の通りは早い。事前予算で六月にはダゴン星域のパトロールに一個艦隊があてがわれている。しかもその時には第四四高速機動集団はハイネセンに帰還している。半年せずして再出動しているのだから、三ヶ月程度の休暇を与えられても問題はない。
「そうなれば地上軍の制圧期間も大きく取れますからね。かつ十分な防御態勢も取れるでしょうし」
「その時は改めて地上軍への口利きをボロディン少佐にお願いすることになるだろうな」
「口利き、ですか?」
モンティージャ中佐が俺にそんなことを求めてくるというのも珍しい。だいたい機動集団のペーペー参謀が、地上軍にどんな口利きができるというのか? 俺が首をかしげると、中佐は興奮したチンパンジーのように目を輝かせてブライトウェル嬢の開いている教科書を指で叩いて言った。
「カプチェランカってな、惑星自体が金属鉱山みたいな星なんだ。分厚い氷の層はあるし、人間共の都合でろくな地質調査が行われていない。どうやったらこんなヘンテコな地質構造の惑星ができるのか、是非とも地上に降りて見たくてね。地層図も地質断面図も作りたいな。ボーリング機材も大気圏内航空機も地上軍なら持っているだろうし」
本当に好きなことになると、人間って急に早口になるんだよなぁ。俺は、中佐の豹変に引き攣り笑いを浮かべるブライトウェル嬢を横目に、そう思うのだった。
◆
二月二四日〇六〇〇時。
途中シドン星系にて補給船団と合流した第四四高速機動集団は、無事にカプチェランカ星系に到着した。三日間で後方からの追撃もなく、将兵の肉体的疲労は一応回復している。惑星カプチェランカ周辺宙域は味方艦ばかりで、今のところ敵影はない。
「どうやら息災でなによりだな」
「それはこちらのセリフですよ。ボロディン先輩」
「ヤン、俺は皮肉を言ってるつもりなんだが?」
「十分承知してますよ。パンチ力が足りません。キャゼルヌ先輩の域にはまだまだ」
第四四高速機動集団の合流により、作戦指揮官シトレ中将の命令で第八艦隊旗艦ヘクトルの会議室に作戦麾下全部隊の指揮官幕僚が集められた。第四四高速機動集団が集積したアスターテにおける帝国軍の行動の確認と、今後の作戦遂行における各艦隊の行動確認というところだ。
そこで当然第四四高速機動集団のエル=ファシル星系からカプチェランカ星系迄の行動を説明することになったわけだが、案の定、第八艦隊や付属艦隊の参謀達からは『四四は運が良かったな』という僅かばかりの嘲笑を含んだ評価が述べられた。実際運の要素は大きかったから、短気な爺様も意外と血の気の荒い参謀長も声に出してキレることはなかったが、握りこぶしの血管がピクピクしているのは見逃せない。
取りあえずは取っ組み合いになることなく「艦隊戦力が来たら、事前の打ち合わせ通りに対応する」という結論に達し、会議は散開。そして俺は会議室の端っこでヤンに捕まったというわけだ。
「ハイネセンの様子は第八艦隊司令部に入ってきているのか?」
「一応は。ただ駐在武官から新たな帝国軍の動向は未だ確認されていないという情報も入ってきました」
紙コップの珈琲を嫌そうに傾けながら、ヤンはつまらなさそうに呟いた。
「先輩はフェザーンにいらっしゃいましたよね? これ、どう思います?」
「二万隻は固いな」
イゼルローンから三〇〇〇隻の増援をダゴン星域と接するアトラハシーズ星系に送り込み、アスターテ星域防衛にメルカッツと四五〇〇隻を配備したのだ。第八艦隊の目的がカプチェランカとはっきりした以上、イゼルローン要塞駐留艦隊の残り一万二〇〇〇隻と帝国辺境駐留の即応戦力が加わり、新規にオーディンから戦力を出動させずとも二万隻程度の遠征軍は編成できる。
むしろフェザーン駐在部が帝国軍の動向を察知しえないという方が問題だ。駐在部が無能というわけではない。俺にとってのドミニクのような、フェザーン人の同盟側協力者は大勢いる。それに物資や船舶の移動、株価の変動、新規国債の発注状況など、軍事活動のベンチマークとなるデータの取得や分析といった基礎的な能力に欠ける駐在武官がいるとは思えない。帝国側が遠征してくる場合はそういった情報も派手に流れるが、逆に迎撃作戦となると掴みにくいのも確かだが。
アスターテ星域にメルカッツ麾下の重戦力を用意し、さらにイゼルローンから増援がでていたことを考えれば、同盟軍の前進作戦についてのある程度の情報は、事前にかつ意図的に帝国側にもたらされていた可能性が高い。その上で未だに帝国軍がまるで手をこまねいているような状況であると言わんばかりの情報が来るということは、何者かが情報に介在していると見るべきだ。
イゼルローンを空にできるかは分からない。が、こちらがイゼルローンを攻略しないことを知っていれば話は別だ。三個艦隊動員して失敗した要塞攻略を、たかだか増強された一個艦隊でイゼルローン要塞を攻略するとは、誰も考えないだろう。まして『半個』艦隊でなんて……まだまだ若いヤンの横顔を見つつ、俺は思った。
「三万隻は超えない、と見ても?」
「いいと思う。それほどの規模だと指揮官は大将では済まくなる」
元帥・上級大将クラスが動くとなれば、流石にフェザーンの駐在武官も感づく。定期的な駐留艦隊要員の交代はあるにせよ、仮に一個艦隊分丸ごと代わるにしても両方を指揮するには、普通は上位者が必要になる。ラインハルトが要塞到着早々レグニッツアに攻撃命令を下されたのも、要塞にミュッケンベルガーがいたからだ。
だいたい同格の要塞防御指揮官と駐留艦隊指揮官で喧嘩するなんて、原作の方がおかしいんじゃないかと思っていたが、捕虜や亡命者によると事実らしい。面子とかいろいろあるのかもしれないが……
「最悪は同格の大将が一個艦隊と共に増援戦力として来るパターンだ。仮にこれを一万五〇〇〇隻として、最大で三万五〇〇〇隻。それ以上はない」
「一番あり得るのはマリネスク副参謀長のおっしゃる通り、近隣の防衛艦隊をかき集めるパターンだと」
「自分のところの上司を信じてないのか?」
「第四四高速機動集団の類まれな戦功を、運がいいの一言で言い切る程度には信じています」
「なるほどね」
学閥から疎外されている。士官学校を出ていないことをモートンやカールセンほどではないにしても、コンプレックスにしていると言っても過言ではない爺様だ。シトレもロボスもグリーンヒルも数目おく爺様ゆえに、彼ら派閥の領袖の下についている中堅、特に三〇代前半から四〇代半ばの高級幕僚にとってみれば眼の上のたん瘤、頑固なジジイ、と思うのだろう。
それを嫉妬というのは簡単だ。だが爺様はそういう中堅幕僚達に対しても気を廻している。短気で頑固な爺様という外面は、結局のところ組織に使いつぶされる兵士達の意地の発露もさることながら、そうであっても組織を維持しなければならいという爺様なりの思いやりでもある。それを高級幕僚側も分かってくれればいいのだが、恐らくは無理だ。ただモンティージャ中佐は別部隊の情報将校という俯瞰的な視点から、それに気が付いている。
「第四七高速機動集団ならば」
指揮官としてだけでなく組織運用上におけるグレゴリー叔父の存在感。四〇代前半で少将。爺様ともシトレとも信頼関係があり、年齢的にも高級幕僚達と同じ。第一二艦隊がどうしてそんな窮地に陥ったかまではわからないが、旗艦ペルーン以下八隻になるまで戦い続ける(そして自決しなければ全滅するまで戦っただろう)だけの部下からの信望の厚さ。
爺様とシトレが話す横で、笑顔を浮かべつつ白い眼を浮かべているマリネスク准将や、明らかに距離を置いている各独立部隊の指揮官達を眺めて、俺は思った。アムリッツアでウランフとボロディン(グレゴリー叔父)の死を惜しんだ爺様は、当面の戦局における有能な指揮官の喪失というよりも、それ以降の同盟軍再建における組織的指導者の喪失について惜しんだのではないだろうか。
「ウィッティ先輩から聞いてましたが、ボロディン先輩は本当に突然意識飛ばされるんですね」
トントンと右肩を指で叩かれ、首を振れば若作りのヤンが苦笑を浮かべている。前世の頃の、銀河英雄伝説を読み始めた頃の多感な俺だったらどう思っただろう。地球教徒に気を付けてくださいとか言ったのだろうか。
「いや想像力に豊かなだけだよ。そういえばヤン、ラップ達とはちゃんとつるんでいるのか?」
「いますよ。あ、もちろんワイドボーンにも声をかけてますが、以前はともかく最近頑なに拒んでますね」
「本当に面倒だな、英雄って奴は」
「まったくです。なりたくてなったわけではないんですが」
ワイドボーンのヤン・コンプレックスはもしかしたらエル=ファシルのせいで強化されているかもしれないが、とりあえずラップはまだ病気にはなっていない。防ぎきれるかは分からないが、病気がなければ今頃は……とアッテンボローが言っていたはずだ。あの会議室の真ん中あたりで笑っている『顔だけゴリラ』には勿体ない。
「ハイネセンに戻ったら、ちょっとマルコム君の精神的成長を促すとしようか。ヤン。協力してくれるな?」
「いいですよ。ラップと、時間が合えばアッテンボローも連れてきます」
「割り勘でいいな?」
「何言ってるんですか?」
わりと真面目な表情で瞬時に聞き返してくるヤンに、俺も返す言葉がなかった。
◆
二月二六日 一〇四五時
地上軍からカプチェランカの攻略について、地表のほぼ三分の二を制圧しあと二週間あれば制圧可能で、以降は掃討戦になるとの連絡が届いたタイミングだった。
「敵は第一および第二跳躍宙点よりほぼ同時刻に出現。ティアマト星域側第一跳躍宙点より一万七〇〇〇隻。アスターテ星域側第二跳躍宙点には六〇〇〇隻、とのことです」
第八艦隊旗艦ヘクトルからの公式通信を受け取ったファイフェルの説明に、司令部の面々は眉を潜める。合計すれば二万三〇〇〇隻。第八艦隊司令部の公式想定よりも二割以上多い。
「第一〇艦隊はすでにシヴァ星域ズィヴィエ星系まで進出しておりますが、このカプチェランカ星系まで早くても七日はかかります。また第四艦隊は即応待機ですので、現時点ではハイネセンを出ておりません」
そう。ヤンと話した後にハイネセンの宇宙艦隊司令部から届いた知らせが、これ。結局、国防委員会は未だ帝国軍との交戦の無い状況から一個艦隊の出動のみ認め、残りの一個艦隊を戦況に応じて投入するという話になったのだ。
統合作戦本部と宇宙艦隊司令部は流石にバカではないので、敵の迎撃想定日を逆算して事前に第一〇艦隊だけは動かしてくれていたのだが、結果的にそれを政治側に逆手に取られた形となった。そしてその結果、三割増しの敵艦隊と戦うことになる。
三割というとそれほどの差ではないように思えるが、五五〇〇隻差となると最低でも攻め口が一つ以上増える。アスターテ星域会戦時の第四艦隊と金髪の孺子の戦力差が七〇〇〇隻と考えると、到底愉快ではない結末が見えてくる。
「星系内で各個撃破をするには、些か長居をし過ぎましたな」
モンシャルマン参謀長の口調は冷たい。周辺星系への分散偵察を行っていたにせよ、本隊は二月上旬からカプチェランカ星系に留まっており、その戦力については敵も十分に把握している。それ故に数的優位を確保してから星系内に侵入してきたと見るべきだ。
各個撃破するとしても、アスターテ方面から侵入してきた六〇〇〇隻に対しては優位でも、ティアマト方面から侵入してきた一万七〇〇〇隻に対しては不利だ。そしておそらくアスターテ方面から侵入してきた敵は、第四四高速機動集団が戦ってきた相手だろう。星系内機動戦による各個撃破の危険性は、つい先日味わったばかりだ。すぐさま一万七〇〇〇隻の本隊と思える部隊への合流を果たすべく機動するとみていい。それに残念ながら艦隊が駐留する惑星カプチェランカの現在公転軌道位置は、各跳躍宙点とは恒星を挟んで反対側。合流を阻害する行動は時間的に不可能だ。
現時点での戦力構成を考えれば、両翼いずれかに第四四高速機動集団と独立部隊の連合部隊で、中央に第八艦隊となる。少数側が部隊を分けて分散進撃するほどシトレも耄碌はしていないだろう。となれば、惑星カプチェランカ衛星軌道上での戦闘となる。敵艦隊が惑星カプチェランカに到着するまでのひとまずは一二時間、時間的な余裕がある。
「また、作戦司令部より第四四高速機動集団は惑星標準水平面に対し、A象限X10-Y50-Z50の宙域へ哨戒戦力を出し索敵を実施せよ、とのことです」
ファイフェルの持ってきた通信文に目を落としていた爺様は案の定、口をへの字に曲げで顔を向きもせずにモンシャルマン参謀長に手渡した。手に取った参謀長があきれ顔で溜息をつきながら小さく首を振る。
「これはマリネスク副参謀長閣下のボロディン少佐に対する意趣返しのつもりですかな?」
「ケツの穴が小さいエリートなど、存在価値が疑わるな。のう、ジュニア」
「精進いたします」
勿論第八艦隊からもティアマト星域への跳躍宙点があるA象限(XYZ軸+)への哨戒戦力は出るのだろうが、ただでさえ長距離航海と艦隊戦やってきて数を失っている付属部隊に、哨戒戦力を抽出せよというのは悪意以外考えられない。周辺視野で無表情で立つブライトウェル嬢を確認しつつ、俺は司令部直属の宇宙母艦と連絡を取ってスパルタニアンを出動させる。
同時に爺様は集団全艦に三時間三交代三ワッチの休息を取らせた。すぐに戦闘になる可能性はなく、敵戦力の方が多く機動戦を司令部が指示することは常識的にありえず、増援が到着するのは七日後。戦い始めればほとんど休息はとれない。カプチェランカに到着してから補給と補修は継続的に行われているから、取り立てて急ぐ必要はない。
「最初の留守番はカステルとジュニアに任せる。索敵情報は適時伝えよ。報告の判断はジュニアに任せる。儂もしばらく横になりたいんでな」
細かいことは伝えんでもよいと言わんばかりに、爺様はスタスタと艦橋背後のエレベータへと向かっていく。それにファイフェルと参謀長が付いていき、モンティージャ中佐は階段で戦闘艦橋へと降りて行った。結果的に司令艦橋にはカステル中佐とブライトウェル嬢が残されたわけだが……
「俺は戦闘に備えて在庫確認をしておくから、参謀長席には貴官が座っていてくれ」
と、捨て台詞を吐いて早々に自分の仕事に没頭し始めるカステル中佐を他所に、俺は言われたとおり参謀長席に座ることになった。といっても何もすることがない。戦闘計画は今頃第八艦隊司令部がゴリゴリに詰めているだろうし、それに口を挟もうなんて気には到底なれない。
ただすることもなく参謀長席に座っているのも気が引けたので、第四四高速機動集団の現有戦力を参謀長の端末を使って再チェックしていたところで、ブライトウェル嬢がトレーに軽食を詰めて持ってきてくれた。士官食堂のバイキングやカロリー重視の戦闘糧食ではなく、箱入りのハンバーガーと炭酸飲料のセット。赤地にMのプリントがされたポテトがあったら完璧な、そう完璧なマッ●バリュー。別に俺だけというわけではなく、カステル中佐のデスクの上にも同じものが置かれている。
「なにもそこまで気を使わなくてもいいぞ」
礼を言ってハンバーガーを口に運ぼうとしたが、ブライトウェル嬢が俺の座る参謀長席の左わきで、無言で直立不動しているのに気が付いた。
「ブライトウェル伍長。六時間もしたら爺様達も起きてくるし、しばらく敵襲は想定されない。休めるうちに休んでおいた方がいい」
「はい。少佐。三時間後には休ませていただきます」
「次の戦いは間違いなく長期戦だ。最低でも二〇時間は眠れないと思った方がいい。悪いことは言わないから、少しでも横になって寝ておきなさい」
「……少佐」
返事を聞くまでもなく俺がハンバーガーにかぶりつくと、ブライトウェル嬢は何か言いたそうにしてはいたが、一分後には敬礼してエレベータへと消えていった。それからしばらくして、いい感じに胃に血が下りて、清醒と癲倒が半々くらいになっているところに、トレーを持ったカステル中佐が皮肉っぽい声をかけてくる。
「流石に気が付いていないわけじゃないだろう?」
「……何にです?」
言いたいことはわかるが、答えたくありませんという気持ちを存分に込めて応えたつもりだが、カステル中佐はまったく気にしない。
「ブライトウェル嬢の貴官に対する好意だよ。言わせるな、恥ずかしい」
「言ってて恥ずかしいと思うなら、言わなければよろしいのでは?」
「それはアレックスの薫陶か? 命が惜しかったら、そういう口は上官に向かってきかない方が身のためだぞ」
「中佐がキャゼルヌ先輩の先輩であるのはよく存じているつもりです」
中佐が階級にモノを言わせてパワハラかけるような人間でないことは分かっている。でなければ編制時にはブライトウェル嬢に対してあれだけ警戒していた中佐が、まるで親戚の兄貴分か後見役みたいな行動をとるわけがない。口は悪いし、融通の利かないところもあるが、補給のプロであり基本的には善人でもある。
「ブライトウェル嬢はまだ一六歳ですよ。普通ならハイスクールで青春している年齢です。たまたま歳の近い先輩に憧れているにすぎません」
それだけではない、とは分かっているつもりだ。カステル中佐も軍人で既婚者だから、俺の回答が敢えて的を外しているのも分かっている。彼女の将来を恩義と好意の両面から軍に縛り付けるという悪徳。だが仮に彼女が軍を辞めてハイスクールに復学したとしても、常にエル=ファシルの輝きに怯えて生きることになる。
「捨てられた子犬を拾ったら、最後まで面倒は見るべきだと俺は思うがな」
「軍属でいた方が彼女の為にもいいとお考えですか?」
「正直、俺はそう思っている」
そういうとカステル中佐は、持っていた自分のトレーをモンティージャ中佐の机の上に置き、腕を組んで正面メインスクリーンを見つめて言った。
「士官学校は大なり小なり野心のある人間が集まる場所だ。命懸けの出世レースで、相手を蹴落とす練習をする場所と言っていい。リンチの娘というのは大きすぎるハンデだ」
「しかし下士官や兵になるに比べれば、はるかにマシでしょう?」
「ビュコック閣下の従卒であれば、どんなバカでも二の足を踏むさ。違うか?」
それは確かにそうだろう。小説通りならば一〇年後のマル=アデッタまで、爺様は同盟軍の一線級指揮官として戦い続け、生き残る。その従卒であれば確かに彼女は安全であるかもしれない。それまでに『いいところの坊ちゃん軍人』と結婚でもして、軍の保護下のままに生きることもできる。
「それで後見人殿からみて、小官はご息女の結婚相手として合格ですか?」
「階級と能力と家柄はな。だが性格がダメだ。臆病者は軍人としては良い素質だが、家庭人としては最悪に近い」
「そうでしょうね」
「……即答する貴官の性根の悪さに敬服するよ。礼にお前の分のトレーも片付けてやる」
当然皮肉だろうが、カステル中佐は断りもなしに俺のトレーを手に持って、何事もなかったかのようにさっさとエレベータの奥へと消えていく。
ブライトウェル嬢が士官学校を受験するのは、多分に影響を受けたにせよ結果的には彼女自身が決めたことだ。それが正しいか、正しくないか。例え正しくないと考えていても、相手の意思を尊重しつつ心配して口を挟んでくる中佐の、人の好いおせっかいさはキャゼルヌによく似ているなと、誰もいなくなってしまった司令艦橋で参謀長席をリクライニングしつつ思うのだった。
後書き
2023.05.31 更新
マルコス=モンティージャ (CV:菊池正美)
ギー=カステル (CV:茶風林)
第90話 カプチェランカ星系会戦 その1
前書き
6月いっぱい副鼻腔炎からの高熱と体調不良に陥り、ほとんど自宅警備Twitter廃人化してました。
家族も肺炎で入院して、もうどうにもならない状況でした……
文面が荒すぎて、大筋を変えることはないでしょうが、恐らく書き直します。
今もそれほど元気なわけではありませんが、仕事に復帰はしております。
はやく第10艦隊来てくれませんかね。
宇宙歴七九〇年 二月二六日 二三〇〇時 ダゴン星域 カプチェランカ星系
カプチェランカ星系に侵入を果たした帝国軍艦隊に対する、同盟軍遠征部隊先任である第八艦隊司令部から送られてきた作戦行動案は第四四高速機動集団司令部が予想した通り、惑星カプチェランカの衛星軌道上で迎撃するという極めてシンプルなものだった。
機動迎撃するには敵に比して味方の数が少ないこと。二箇所の跳躍宙点から現れた帝国艦隊のうち、数の少ないアスターテ星域方面から現れた部隊が、ティアマト星域方面から現れた部隊の進路に寄り添うような形で合流を果たしたこと。以降の偵察行動より合流した敵が、ほぼ一直線に惑星カプチェランカへと押し寄せていることなど、下手に動いて乱戦状態になるよりもじっくり腰を据えて第一〇艦隊が到着するまで戦い続けるほうが、勝算が高いと司令部は見たのだろう。
陣形の指示は立方横隊。中央に第八艦隊、左翼に第四四高速機動集団、右翼に第三五三・第三五九・第三六一独立部隊と第四一二広域巡察部隊が配置される。アスベルン星系で第四四高速機動集団が帝国艦隊と相対した時と同様に、陣形がシンプルなので用兵の自由度は高い。
一方で接近する帝国艦隊の行動は刻々と報告されている。一九〇〇時にはこちらの存在を明確に把握し、陣形を再編すべく進撃速度を落とした。構成された陣形はこちらと全く同じ立方横隊。中央に約一五〇〇〇隻、右翼に約三五〇〇隻、左翼に約二五〇〇隻。後方に一五〇〇隻ほどの集団が三つに分かれて存在しているのは、各部隊の支援部隊と考えられる。
こうなると本当にアスベルン星系における遭遇戦と、規模は違えどもまったく同じような状況だ。そして立場はあの時とは逆である。敵と味方の戦力比は戦闘艦艇だけで一七三〇〇隻対二一五〇〇隻。火力比は一対一.五六。同一陣形のままで真正面から削り合いをするとなれば、同盟軍が全滅するまでにだいたい七五時間程度と推定される。金髪の孺子なら創造性の欠片もない戦いとでも言うだろうか。
カプチェランカから同盟軍を引き剥がしたい帝国軍としては積極攻勢に出るだろうし、こちらも遅滞戦術を取るから虚々実々の駆け引きとなる。シトレの用兵家としての手腕が問われるだけでなく、各部隊現場指揮官の柔軟な対応力も求められる。
そして左翼二五〇〇隻の敵陣重心点付近に戦艦ネルトリンゲンが確認されている。中央部隊はイゼルローン要塞駐留艦隊と思われるが、そうなると第四四高速機動集団の正面にいる右翼三五〇〇隻の出所は一体どこからだろうか。やはりマリネスク副参謀長の言う通り、ティアマト・ヴァンフリート・アルレスハイムといったイゼルローン回廊より同盟側にある帝国支配星域に配置された防衛艦隊を再編成したものか。その割には部隊構成と行動に秩序と統一性が見受けられる。
「正面の敵右翼部隊までの距離、八・七光秒。機動集団基準有効射程まで約一〇分」
「敵右翼部隊は単一台形陣を形成。敵中央部隊とほぼ並行して移動中」
「敵右翼部隊の総数は三六〇〇隻ないし三七〇〇隻。戦艦三五〇ないし三七〇、巡航艦一六〇〇ないし一七〇〇、駆逐艦約一二〇〇、宇宙母艦一五。台形陣後方に補助艦艇らしきもの四〇〇」
編成を見る限りメルカッツの重装部隊ほどではないにしても、やはり制式艦隊の中核戦力そのもの。各部隊・各戦隊の戦列もアトラハシーズ星系でのメルカッツ直轄艦隊ほどではないにしても、まずは一線級の部隊であると言えるだけ整っているから、急ごしらえの連合部隊とは思えない。
「敵右翼部隊中央部に識別可能な戦艦を確認……戦艦オスターホーフェン。マルセル=フォン=ヴァルテンベルク中将の乗艦と思われます」
ヴァルテンベルク……イゼルローン要塞駐留艦隊司令官で、第五次イゼルローン攻防戦において巻き添え砲撃を受けた指揮官だ。あの時は確か『大将』だったはずだが、今はまだ中将なのか? イゼルローン要塞における帝国軍指揮官の赴任期間は平均で三年と考えれば……中将で赴任して、大将に現地昇進と考えるのは些か無理があるので、昇進情報が連絡として遅れたのか。それともただ単にイゼルローンに赴任してきたタイミングという事か。
そうだとして、敵の中央部隊にはアトラハシーズ星系で遭遇したローラント=アイヒス=フォン=バウムガルテン中将の艦隊もいることから、イゼルローン駐留機動艦隊と思われる。となれば、イゼルローン駐留艦隊の規模が一万八〇〇〇隻を超えることになる。結論としては……
「イゼルローンに交代赴任する予定であったヴァルテンベルク艦隊は、ダゴン星域への同盟軍の侵犯により、急遽そのまま戦列に加えられた、といったところか」
「それが一番矛盾しない結論だろうな」
口に出た空想に、隣に座っていたモンティージャ中佐も同意してくる。
「交代戦力となれば、時期さえ間違わなければ取り立ててフェザーンの駐在武官達もそれほど警戒はしないだろう……そうか、君も経験者だったな」
「あとは昨年のイゼルローン攻防戦の損失補填と重なった可能性ですね」
「メルカッツが最前線の星域防衛に駆り出されていたということは、イゼルローンでの部隊補充と訓練が終わるまで、重戦力で前線を維持して欲しいという意図か。そこにどこからか同盟軍の辺境部攻略作戦情報が帝国側に流れた」
「……アトラハシーズ星系での戦い、事前に情報が漏れていたとお考えですか?」
「まず間違いない。軍外組織からフェザーン経由だな。アスターテかダゴンかはっきりとわからないので、やや大きめの戦力をメルカッツに預けた、というところだろう。証拠はないがね」
珍しく表情に出して悪態をつくモンティージャ中佐を横目に、俺はメインスクリーンに映る光点を見つめた。第四四高速機動集団の残存戦力は戦闘艦艇だけで一九七八隻。正面の三二〇〇隻の六割程度の戦力しかない。戦闘能力に余程の差がない限り、まともに撃ち合うのは時間と兵力の浪費というもの。それくらいはこの戦いを指揮することになるシトレをはじめとした第八艦隊司令部も理解していると信じたい。
「正面の敵右翼部隊までの距離、六.八光秒。機動集団基準有効射程まで三分!」
「集団全艦、長距離砲戦用意。目標正面敵右翼部隊。交互射撃」
モンシャルマン参謀長のいつもよりやや低い声が、戦艦エル・トレメンドの吹き抜けに木霊する。雛壇の下になる戦闘艦橋からは、副長と各班長の最終確認が行われる声が聞こえてくる。砲門開放よし、長距離砲撃照準システム正常確認よし、レーザー水爆発射準備よし、敵味方識別信号システム正常確認よし、エネルギー中和磁場正常稼働中、スパルタニアン発進待機態勢確認……
「第八艦隊司令部より砲撃司令あり!」
ブザーと共に若い通信オペレーターの声が響く。それから一呼吸おいて、爺様の砲撃命令が下される。
「撃て!(ファイヤー)」
相変わらず老人とは思えぬ迫力と圧力を持つ声に、ビビりながらもファイフェルが復唱し、戦艦エル・トレメンドはメインスクリーン真正面に二本のビームを数秒おきに吐き出す。続いて直衛戦艦部隊、第二・第三の旗艦部隊、麾下の巡航艦・駆逐艦達も砲撃を開始する。だが戦艦エル・トレメンドの交互射撃が二巡目に入るタイミングで、敵右翼部隊の砲火が第四四高速機動集団に襲い掛かってくる。
可視光として見えないエネルギー中和磁場と敵の砲火が激突し、火花と煌めきをスクリーン一杯に映し出す。戦艦エル・トレメンドが集団の重心位置にある以上、敵右翼部隊もそれなりに『気を使って』砲撃しているという感じだ。周辺にいる直衛の駆逐艦が浴びせられた砲撃による膨大なエネルギーに中和磁場を破られ、一瞬何事もなかったように直進したものの、数秒後に純白の光点となって煌めいて消える。
戦艦エル・トレメンドは第一部隊中央戦闘集団の前七列中央に位置している。その位置まで濃密な砲撃が届くということは、砲撃面火力でかなりの差があると言わざるを得ない。つまりは敵の集団戦闘能力は極めて常識的で、このまま何もせず手をこまねいていれば数の差でジリ貧になる。
「ボロディン少佐」
爺様の左隣に立つモンシャルマン参謀長が、厳しい目つきで俺を手招きする。七割の冷静さと二割の怒りと一割の焦りを混ぜたような参謀長の声色に、俺はすぐさま席を立って爺様の傍に向かう。爺様はいつものようにメインスクリーンをじっと無言で見つめている。ファイフェルも同じように直立不動でスクリーンを見ているが、横目でチラチラとこちらを見ているのは、周辺視野でわかる。
「第八艦隊司令部からは当面戦線を維持することを指示されているが、交互砲撃一巡目で直衛艦に被害が出るほどの火力差だ。少し手を入れないと些か困ったことになりかねない」
「増援の要請は難しいでしょうか?」
参謀長に問いかける俺自身、それは無理だと分かっている。正面にほぼ同数の敵戦力を抱えている以上、開戦早々の予備戦力前線投入は、以降の戦況を考えてもあり得ない話だ。参謀長も俺がそれを分かって問いかけていると理解しているので、口では応えず僅かに頭を右に傾けた仕草で応じる。故に俺も小さく肩を竦めるだけで応えた。
「敵の戦闘能力が当集団と同程度という事であれば、砲撃参加面積が同じなら当然、隻数が密度差になります。そこを崩すとしたら、散開陣形にして面積を広くとるしかありません」
「陣形の不用意な拡大は、敵に突破の機会を与えるようなものでしかない。我々が突破されれば、第八艦隊は帳面左翼の二方向から挟撃されることになる」
「敵右翼部隊の行動は実に慎重です。一気呵成に攻勢に出てもなんらおかしくないだけの戦力差があるのに、腰を据えて砲撃戦にのみ集中しています」
原作でヴァルテンベルクの性格は特に記載されていなかった。イゼルローン駐留艦隊司令官として艦隊を指揮し四倍の同盟軍と戦って、要塞があるとはいえ一撃で粉砕されたわけではないのだから、貴族ではあっても無能な指揮官ではないし、怯懦な性格をしているとも思えない。
もし俺が帝国軍全体の指揮官であるならば、両翼いずれかを前進させ半包囲するというプランで、それぞれの部隊を動かす。右翼のヴァルテンベルクか、左翼のメルカッツか。俺であればヴァルテンベルクを急進させて第四四高速機動集団を撃砕し、同盟軍全体が左に傾いたタイミングで中央と左翼を前進させる。メルカッツは近接戦闘指揮において絶対的な強さある以上、ヴァルテンベルクを槌、メルカッツを金床としたほうが有効だ。作戦時間も短くて済むし、カプチェランカの地上で絶望的な状況下で戦う陸戦部隊の助けになるし、イゼルローン要塞を空白にする時間も減る。
であるならば、この腰を据えたヴァルテンベルクの動きは、突撃前に第四四高速機動集団の抵抗力を減衰させる準備砲撃のようなものと考えられる。勿論、帝国軍の司令部が全く別の作戦を考案している可能性はあるだろうが、ただ漫然と同盟軍が損耗して撤退するまでこのまま砲撃を続けるというのは、時間とエネルギーの浪費であることは帝国軍首脳部も理解している、はずだ。
ここまで簡単にモンシャルマン参謀長に俺の考えを伝えると、参謀長も賛同するように小さく何度か頷く。
「突撃前の準備砲撃とすれば、こちらが付き合って撃ち減らされる意味はない。閣下、いかがでしょうか?」
モンシャルマン参謀長の問いかけに、爺様は一度だけ鼻を鳴らすと、目の前の画面に映し出される集団の被害状況と戦況シミュレーションを見比べてから思考に入った。第八艦隊司令部は戦力比から敵の出方に合わせて動こうという、どちらかというと消極的な戦闘指揮をしている。これは爺様の性格からして忍耐を必要とする状況だが、逆に積極的に動いてシトレの戦術構想を崩してしまうのも避けたいと考えているのかもしれない。
俺はこれまでの実戦において作戦における最上級司令部に所属する幕僚であって、別の司令部の麾下に入ったことはなかった。作戦立案において勤勉さを求められても服従を求められることは、直属の上司以外にはなかったと言っていい。しかもリンチにしても爺様にしても、それなりに理解力のある上司であっただけに、相当に恵まれた立場であったのは間違いない。いきなりムーアみたいな奴が上官だったら、俺の転生人生は前世以上に真っ黒だったろう。
しかも直属の上司以外に上層部のある戦いは初めてだ。上級司令部が構想している作戦に対して麾下部隊が独断で動くようなことは、結局バーミリオン星域会戦のトゥルナイゼンのように戦術レベルでの戦線崩壊を招きかねない。だが司令部の構想を維持しつつ戦力とテリトリーを維持せよというのは、中間司令部の悲哀というべきだろう。
「ジュニアは散開陣形をとれ、と言いたいのじゃな?」
問いかけからまるまる二分。少し離れたところにいた巡航艦が爆散し、エル=トレメンドの艦橋内部に閃光と微振動を引き起こしたタイミングで、爺様は口を開いた。
「散開陣形を取れば被害は低減できるが、貴官も想定するように帝国軍の積極攻勢を招くことになるじゃろう。現時点でこちらから敢えて敵の攻勢を誘引する必要性があるのか?」
「このままの状況があと六時間続けば、正面敵右翼部隊との戦力比は一対二を超えます。その時点で敵右翼部隊が積極攻勢に出れば、阻止することは困難です」
「余裕があるうちに敵の勇み足を誘え、そう言いたいんじゃな?」
「はい」
「第八艦隊から一〇〇〇隻程度の増援があれば、その勇み足を払って、さらに踏みつけることは可能か?」
爺様の言葉に、俺は思わず爺様の顔を凝視してしまった。爺様も俺の方にまるで一〇代の悪戯小僧のような不敵な笑みを浮かべている。つまり爺様も『後の先』を考えていたわけだ。現時点で第八艦隊が増援を出してくれるはずがないが、『敵が積極攻勢に出て第四四高速機動集団の陣形が乱れ、敵右翼部隊に突破される可能性を阻止する』為に、『第八艦隊が防御的措置を取らざるを得ないように敵を誘導しろ』、と爺様は言いたいのだろう。
「ジュニア、一五分でやれ。モンシャルマン、ジュニアの作戦案をチェック次第、集団全艦を散開陣形に変更。上下に広げるんじゃ」
「「了解しました」」
砲門が開いてそれほど時間が経っていない現時点で、これから一五分失われる可能性のある戦力は一五ないし二〇隻。艦種にもよるが一七〇〇人から三〇〇〇人の命が失われるだろう。砂時計の砂粒はダイヤモンドより貴重だと言ったのはシェーンコップで、エメラルドと言ったのはブルームハルトだったか。本来言いたい意味も分かるが比喩表現として、今の俺にとってはたかが宝石と人の命では比較するのも烏滸がましい。
作戦参謀として敵の作戦構想を知りたい為に、敢えて被害を出し続けるというのは理解できる。だが理解できるだけであって、今回のような付属部隊の立場であっても事前に対処できるようにしておくべきではないか。そう考えるとアスターテ星域会戦でのヤンの冴えに、凡人の俺は視聴者や読者としてではなく一軍人として改めて驚かざるを得ない。
ともかく爺様の構想としては、敵を第四四高速機動集団と第八艦隊の隙間に引きずり込むことだ。上下に散開せよということは、高速機動集団としてはあくまでも三分隊を維持して行動させろという意味がある。すると集団右翼に位置する第三部隊(バンフィ)を底として、右を第八艦隊左翼の第四分隊(一二四〇隻)、左を集団第一(ビュコック)・第二(プロウライト)で固めるU字陣形となるように動かせと言うことだろう。
単純なU字陣を構成するだけならばそれほど難しい計算はいらない。だが今までの被害が少ないとはいえ、バンフィ准将の第三部隊は僅かに七〇〇隻強。一方で敵右翼部隊は三二〇〇隻弱。普通ならコップの底が抜けてしまう。可能な限り第三部隊への敵の砲撃面積を減らしつつ、敵が喜んで突撃してくるような形に持っていくには、半包囲の形に知恵を使う必要がある。
並列散開陣形から半包囲までの構想から、第八艦隊第四部隊が最小限の回頭で効率的な砲撃ができる位置へ誘引する為の、第四四高速機動集団各部隊の動きとそれに伴う損害想定を三次元シミュレーションに落とし込むまでに一二分三〇秒。画面を見つつひたすらキーボードを叩いている最中、何となくではあったが俺の右脇にフィッシャー師匠がぼんやりと立っているような感覚があった。
まだ師匠は神様になったわけではないから、こういう場合は生霊というのか。俺が打ち込む作業一つ一つに師匠の視線が向けられ、時折指を画面に向けて『それは良手ではない』と忠告する声が聞こえてくる。その指摘が部隊の将来移動空間の余裕の無さであったり、可能であっても部隊練度レベルを超える移動距離であったりといちいちもっともだったので、狂信的艦隊機動戦原理主義過激派である俺もついに『本物の狂信者』になったと自覚せざるを得ない。
出来上がったシミュレーションを爺様と参謀長とファイフェルの前で説明する。我ながらに過激な案だとは思うし、巻き込まれる第八艦隊第四部隊はいい迷惑だろうが、勝算は十分にある。
「いいじゃろう。まるで別の誰かが作ったような行動案じゃが、儂らができる限界をよく見極めておる」
見終わった爺様は、顎を撫でながら小さく数度頷き、一度天井を見た後、俺の肩を二度ばかり叩いて言った。
「ジュニア。一応言っておくが、師に忠実すぎる弟子は師を超えることは出来ん。今はこれでも十分じゃが、一〇年後にはこれを超えてなければならんぞ?」
「司令官閣下。もしよろしければ、一〇〇点満点の回答を教えていただければ……」
「甘えるな。それくらい自分で考えんか」
肩を叩いていた爺様の右手が急に収縮し、即座に俺の左側頭部を襲う。思わず首を右に傾けて躱そうとするが、結局躱し切れず右頭頂部を削るように掠めた。だが床に落ちた軍用ベレーを取ってくれるであろう末席のファイフェルは、既にデータの入ったメモリを持ってオペレーター席に向かって走っていたし、モンシャルマン参謀長は自席に戻って各部隊の指揮官と直接通信していたし、カステル中佐はシミュレーションに記載された損害係数を修正しながら後方部隊と連絡を取り合っている。
結局、俺の後ろで作戦説明を聞いていたモンティージャ中佐が苦笑しながら、軍用ベレーを拾い上げ痛みの残る俺の頭の上に乗せると、何も言わず二度ばかり背中を軽く叩いてくる。俺は自席に戻っていく中佐に礼を述べつつ、全身に溜まり切った重圧を全て外に出すようにゆっくりと、かつ静かに息を吐いた。
俺の目の前で第四四高速機動集団はゆっくりとシミュレーション通りに動いてくれている。上下に拡張された三部隊は、敵右翼部隊の前衛に対して多角度で砲火を集中させる。敵右翼部隊は一時的に前進を止め、こちらと同様に上下に陣形を拡張させ集中砲火を避けようとするが、今度はこちらは各部隊を上下二つに分け、上下に伸びていく敵陣両先端辺に向けて砲火を浴びせた。
敵右翼部隊の前衛は上下に伸ばすことに躊躇し、逆に有効射程の関係で砲火の届かない中衛と後衛は損害なく広げることに成功した為、自然と正面から見ると長方体であっても断面は楔のようになっていた。第四四高速機動集団が手の上に乗る豆腐なら、その横断面を滑って切ろうとする包丁のような形だ。多少の損害を被ろうと、このまま突き進むだけで第四四高速集団を容易に分断することができる。
そして敵将ヴァルテンベルクは当然の如く前進を選択した。むしろ前進しなければおかしいという状況だ。それに対し第四四高速機動集団は中長距離砲戦から近距離砲雷撃戦へと転換する。ただし発射するのはレーザー水爆だけではない。集団全艦が電磁投射機能を最大出力にし、各艦の搭載する宇宙機雷の半分を集団正面左翼方向へと叩き出した。
先に発射した一万八〇〇〇発のレーザー水爆に対して囮を発射した敵右翼部隊に、一〇万発の機雷に対する手当ては遅れた。機雷達は妨害を受けることなく第四四高速機動集団の左半分、正確には中央から左翼にかけて天頂方向から見ると三角柱のような機雷原を構築することに成功する。そして敵右翼部隊は横隊陣のまま、機雷原にまともに突っ込んだ。
敵右翼部隊の右翼にかなりの数の光点が現れ、左右の戦列にズレが現れる。前方に妨害の無い左翼は通常速度で前進し、右翼は機雷を掃射しながらゆっくりと前進するから、陣形は自然と機雷原と点対象のような三角形に変化していく。いわゆる左斜陣形だ。
それに対して第四四高速機動集団は『前進』を開始する。ただし第一(中央・ビュコック)と第二(左翼・プロウライト)は散開陣形のまま、第三(右翼・バンフィ)はゆっくりと密集陣形に変化させつつだ。。機雷原の妨害のない敵部隊の左翼先頭、つまり楔型の先端に向けてバンフィ准将は火力を集中させ出鼻を挫く。一方で機雷原にぶつかった敵部隊の中央と右翼に対し、爺様とプロウライト准将は低出力投射で残りの半分の機雷を六時の方向にバラまきつつ個別に目標を指示して敵艦の各個撃破を目論む。
しかし根本的に数的に不利な状況に変わりはない。最初に作られた機雷原も機動集団から見て中央部は薄く左翼が厚いのだから、敵の中央部隊は早々に掃射を終えて機雷原を乗り越えてくる。その火力は正面で粘っているバンフィ准将の第三部隊へと浴びせられる。右翼が機雷原の突破に手間取っているとはいえ、敵部隊の中央と左翼を合わせれば二〇〇〇隻を超す。七〇〇隻程度の第三部隊はたまらず全速で『後進』する。
左翼を切先として機雷原の突破に成功した敵右翼部隊は、左斜陣形のまま第三部隊を追撃し、そのまま元の高速機動集団と第八艦隊の境界面へとなだれ込んでいく。この時点で第八艦隊司令部から第四四高速機動集団司令部に後退して密集陣形に再編せよとの指示が飛ぶが、爺様は意図的にそれを無視した。故に敵右翼部隊はさらに前進し、第八艦隊左翼に位置する第四部隊の左側面へと入り込んで、突破して第八艦隊の後背に回り込んでの半包囲しようとするが……包囲網に引きずり込まれたのは彼らの方だった。
第八艦隊第四部隊は速度に合わせて左舷回頭。左脇腹を晒している敵右翼部隊を強かに叩きのめす。悶える隙にバンフィ准将は後進を止め、円錐陣を構成し再度前進を開始。そして爺様の第一部隊は前進しつつ上から、プロウライト准将の第二部隊は後進しつつ下から、後で構築した機雷原を迂回し、上下から敵部隊を挟撃する。これで『第八艦隊第四部隊を底にした』縦の逆レの字に近いU字陣形(正面に第三部隊と機雷原があるので正確には四角錐)による半包囲が完成した。
「敵の指揮官は勇猛だが、いまいち視野が狭いな」
一方的になりつつある戦局を見つめながら、モンシャルマン参謀長は肩を竦めて呟いた。こちらの予想通り、最初から右翼部隊を主軸とした攻撃計画を練っていて、第四四高速機動集団の脆そうな陣形を見て、容易に喰い破れると考えていたのだろう。あまりにもあっさりと引っ掛かってくれて、基本構想を組んだ俺としては冗談じゃないかと思えてくる。
それに爺様やプロウライト准将、何よりバンフィ准将と第三部隊の奮闘と分単位での戦闘指揮は見事だった。特に散開陣形から密集陣形へ変更する際に生じる火力バランスの変化を、実に滑らかに統制していた。火力統制に艦隊戦闘の重きを置く爺様にとっては、もはや欠くべからざる人材だ。
最初に砲火を開いてから六時間。敵右翼部隊は先頭集団を殆ど廃棄していく勢いで後退していく。メインスクリーンに映る敵の光点も時間を追うごとに少なくなっていくのが目に見えてわかる。爺様は追撃をせず再び各部隊へ、方形陣への再編と補給及び応急修理を命じた。そのタイミングだった。
「司令官閣下」
副官席にある司令部直通の超光速通信画面を弄っていたファイフェルが、不愉快と困惑を綯交ぜにした表情を浮かべながら、司令官席でブライトウェル嬢が淹れたばかりの珈琲を傾ける爺様に告げた。
「第八艦隊司令部より通信。『第四四高速機動集団は速やかに前進し、敵右翼部隊を殲滅せよ』とのことです」
それは一瞬だった。爺様と珈琲を持ってきたブライトウェル嬢を囲むように立っていた第四四高速機動集団の司令幹部の、緊張しつつも一息入れる穏やか空気が、まるで極地のような寒気と暴風雪へと変化した。またもついていけてないブライトウェル嬢は、その包囲下で困惑し……何時ぞやと同じように俺の方へ戸惑う子犬のような視線を向ける。まぁ何も言わずに紙コップを司令官用デスクに置く爺様や、顔の部位に変化はないのに米神の血管だけが浮き上がっている参謀長、一気に飲み干して紙コップを握りつぶし眉間に皺を寄せたモンティージャ中佐、コップを平衡に保ちながらも大声で四文字F語を吐き捨てるカステル中佐に、彼女が問いかけられるわけがないのだが。
「多少小細工をしたとは言え、未だに我々は敵右翼部隊に対して数的不利だ。カステル中佐?」
答える俺からの視線に、口をへの字にしながらもカステル中佐は、左手だけで器用に携帯端末を操作しながら言った。
「簡易集計だけで一〇九隻撃沈、九三隻大破戦闘不能。中破を除いてまともに戦えるのは一七〇〇隻以下だ」
「敵の残存兵力はどのくらいです? モンティージャ中佐」
「重力波探知で観測しただけだが、動けるのはまだ二四〇〇隻以上いる」
モンティージャ中佐はそう言うと大きく鼻息を吐くことで怒りを抑えようとしている。爺様とモンシャルマン参謀長は何も言わずに珈琲を啜っているし、ファイフェルも興味深しげにこちらを見ているので、俺はブライトウェル嬢に話を続ける。
「さて、ブライトウェル兵長。我々は持てる機雷の全てと、レーザー水爆の四斉射分を失っている。そして撤退する敵艦隊と我々の間には、小細工で撒いたかなり肉厚な機雷原が中央から左翼方向に残存している。ここで第八艦隊司令部の指示通りに我々が追撃に移行したとして、我々はどのルートを取って敵を追撃すべきか」
機雷原の全くない右から追撃を仕掛ければ、敵中央主力部隊の砲火と機雷原に挟まれた狭い宙域を密集隊形で進むことになり敵の集中砲火を浴びることになる。まさに自殺行為だ。
機雷原のさらに左を迂回しながら追撃を仕掛ければ、今度こそ援護なしで一七〇〇対二四〇〇の真っ向勝負となる。開戦最初に比べればいくらかマシだが、補給にも増援を受けるにも距離が長くなり、戦力差がそのまま勝敗になりかねない。
機雷は自分達で敷設したものなので敵味方識別装置も有しているから、機雷原をそのまま乗り越えていくという方法もある。だがいくら敵味方識別装置が付いているとは言っても物理的な障害物には違いない。部隊としての機動性を大きく損ねながら前進するというのは、防御する側の敵にとって格好の的となる。
部隊を二つに分け機雷原を上下から迂回するという手もあるが、それは最悪の手だ。敵右翼部隊は上下どちらかの部隊へ急進するだろう。八五〇対二四〇〇ならば、四時間かからずに壊滅して敵にまったく損害を与えることができず、敵右翼部隊の我が軍左翼進攻を招くことになる。アルテナ星域におけるミッターマイヤーの恩師への『お礼参り』の通りだ。残りの八五〇隻がどう動こうと、艦隊戦闘においてもはや何の意味もない。
「故にここは我々が積極的に動く必要がない。敵右翼部隊に次の行動を躊躇させるだけの打撃は与えた。それでも数的不利な我々は現在位置で待機し、後退した敵右翼部隊の動きを観察しつつ、状況によっては第八艦隊の増援を行えるよう準備を整えておくのが、まず基本だろうね」
そんな基本すら理解せず、戦果拡大を目的として追撃指示するような第八艦隊司令部は、本当にこの戦いに勝ちたいのか。全体としても数的不利なのは変わりがないわけなのだから、第一〇艦隊が到着する一六八時間をどうやって損害を少なく消費するかを、戦局の変化を見極めつつ冷静に判断してから指示しろと言いたい。
シトレ自身がこの命令を下したとすれば、艦隊指揮官としてはあまりいい部類ではないと判断せざるを得ない。だがこれまでの経験からとてもそうは思えないので、恐らくは参謀長か副参謀長かが威力偵察の意味を含めて提案したというところだろうか。それでもOKを出したのはシトレということだが……
「後退した右翼部隊に対して急進近接並行追撃を仕掛けるというのは難しかったのでしょうか?」
頷きながら俺の話を聞いていたブライトウェル嬢からの問いに、爺様以外の幹部の視線が俺に集中する。さっきまで怒気を滾らせていたモンティージャ中佐の顔は、いつも通りの瀟洒で剽軽なものに戻っている。カステル中佐は我関せずと顔を背けつつも眼だけはこちらを向いているし、珈琲を飲みほしたモンシャルマン参謀長の血管も平常位置に戻っている。
「出来ないことはなかった。戦果拡大を目論むならば、それも一つの手だと思う」
第五次イゼルローン攻略戦で、シトレが見せた積極的な攻勢。要塞砲を使用できなくする為の急進並行追撃は、あわや要塞陥落という状況まで帝国軍を追い詰めることに成功する。追い詰められた指揮官こそ、現在帝国軍右翼部隊を指揮するヴァルテンベルクだ。
「だが並行追撃は追撃を仕掛ける方が仕掛けられる側より、圧倒的に数的優位にあることが前提だ。近接戦闘とは一対一のドックファイトを集団規模で行っているだけに過ぎない。数がそのまま力の差になる戦い方だ」
まず現状として全体でも局所でも数的に不利なこと、同盟軍と帝国軍では搭載される単座式戦闘艇の数で差があること、追撃を行うには第四四高速機動集団の疲労度は高いこと、そして適切なタイミングで第八艦隊から増援が来るとは到底思えないこと……
もしメルカッツの率いるような重火力艦隊であったなら、艦艇数の差を単座式戦闘艇や雷撃艇によって埋めることができるので、また話は違ってくる。だが長駆遠征の上、二回の会戦をこなして艦艇にも兵員にも疲労が蓄積されてる、正規艦隊より軽編制の高速機動集団にはとうてい無理な話だ。
「儂はどうでもいい命令でささやかな休息を邪魔されるのが一番嫌いじゃ」
ここまで一言もしゃべらなかった爺様が、欠伸交じりで言った。
「まだ何か言ってきたら、ジュニア、貴官が説教してやれ。数的不利でありながら差し引き七〇〇隻以上の損害を敵に与えているのに、同数の皆様方はなに手をこまねいているのですか、とでも言ってやれば、少しは自覚するじゃろう」
そんな喧嘩の売り方は爺様しかできませんよ、と応えるほどに空気の読めないわけではない俺は、了解しましたと答えるだけに留めるのだった。
後書き
2023.07.11 更新
第91話 カプチェランカ星系会戦 その2
前書き
お久しぶりです。
叔母が亡くなり、会社ではトラブル続き。いい加減ストレスマックスで到底書く気になれませんでした。
なんというか。少しでも陽気になれればいいんですが、ひたすらTwitterとWoTに溺れる日々でした。
誤字修正は後日ゆっくりとやるつもりです。
宇宙歴七九〇年 二月二七日 〇九〇〇時 ダゴン星域 カプチェランカ星系
第八艦隊司令部から送られてくる定型通りの前進命令に対し、部隊再編中と修理補給中を言い訳に二回スルーしたところで、第四四高速機動集団司令部要員の旗艦ヘクトルへの招集命令が届いた。
「誰でもいいから来いというのだから、ジュニア行ってきてくれるかの?」
爺様にそう命じられて、ガラガラのシャトルに乗って二〇分。敵中央部隊の砲撃も一時的に落ちつき、旗艦ヘクトル周辺までは及んでいない。過剰とも思えるが、わざわざエル=トレメンド搭載のスパルタニアンが二機、直衛についてくれたおかげでぐっすりと昼寝をさせてもらった。
接舷しエアロックが接続され、シャトルの副操縦士が扉を開けると、そこは戦艦ヘクトルのシャトル乗降場。通常戦艦の数倍の人間が乗り込む巨大戦艦なだけあってかなり広いが、今は戦闘配置ということもあって人影は管制要員だけでほとんどいない。ただ一人出迎えだろうが、若い少佐がこちらを見て頭を掻きながら手を振っているのが分かる。
「お呼びと伺い、第四四高速機動集団作戦参謀ヴィクトール=ボロディン少佐、ただいま参上いたしました」
「ちょっとやめてくださいよ、ボロディン先輩」
俺がつま先からてっぺんまで完璧な敬礼をすると、ヤンは心底嫌そうな顔つきで答礼してから、苦笑して俺に右拳を伸ばしてきたので、左拳でそれに応じた。
「部隊再編制でお忙しいところ、ご足労をおかけして申し訳ございません」
「小康状態だから大丈夫さ。わざわざ直掩機までついてきてくれたから、シャトルで昼寝をさせてもらったよ」
「それは羨ましい。私も帰りに同乗させてもらえますか?」
「おいおい、いったいどうした?」
普段の軽口の応酬という割には、ヤンの声に張りがない。元々戦場でやる気のある態度を見せるということがないのは承知の上だが、ここまで無気力なヤンの姿を見ると些か心配になってくる。ヤンを高く評価し、かつ話の分かるシトレの麾下に居ながら一体どういうことか。シャトル乗降場から恐らくは司令部会議室へ向かう廊下で、周囲に人影がないことを確認してから、俺は小声で呟いた。
「それでキレているのは、参謀長と副参謀長のどっちだ?」
「副参謀長です。第四四高速機動集団は命令違反を繰り返し、せっかくの勝機を掴もうとせず、敢闘意欲に欠けていると」
「お前はどう思う?」
「これまでのところ勲功第一の麾下部隊に、随分と寝ぼけたこと言っているな、と」
ヤンの表情を見る限り彼自身は別として、第八艦隊司令部の空気は第四四高速機動集団に対して厳しい視線を向けているのは確かなのだろう。しかし正式に命令違反で軍法会議を開催するほどではなく、また戦闘状態が続いている以上第四四高速機動集団に戦線離脱やサボタージュされては自分達が困ると言ったところか。いや……それだけではない。
「つまりこれは査問会みたいなものだな」
「査問会 ?」
「呼べば俺が出てくるのを承知の上で、甘んじて『お叱り』を受けろ、ということだろうよ」
もしも爺様やモンシャルマン参謀長が招集に応じたらどうなるか。爺様ならマリネスク副参謀長をどこであろうと面前で頭ごなしにこっぴどく叱りつけるだろうし、参謀長ならガリガリに理詰めで追い詰めて吊し上げることだろう。そうしなければ、これまでの高速機動集団の戦闘行動に対する正統性を棄損することになってしまう。
そしてそれは有力な戦闘指揮官であるアレクサンドル=ビュコックとその一党が、シドニー=シトレから離反するということに繋がる。第八艦隊司令部もその点を十分に考慮して呼び出す相手をあえて指定しなかった。爺様もそれを理解した上で、彼らに配慮して俺に命じた。同派閥のグレゴリー=ボロディンの甥であれば、それほど強く叱りつけることもないだろうと踏んで。
つまりは呼び出した側も呼び出された側も理解した上での出来レースなのだが、第八艦隊司令部として第四四高速機動集団の『命令違反』に、ひとつ釘を刺しておかねばならない、といったところか。ついでにマリネスク参謀長も俺に対してマウントでもとりたいのかもしれない。まったくとんだ貧乏くじだ。
はぁぁぁ、と溜息をつくと、ヤンも肩を竦めて応じてくる。今の俺にとって必要なのは忍耐だ。いろいろ言ってくるだろうが、なるべく当たり障りのないように応対しなければなるまい。そう胸に刻みつつエレベータを三度乗り継いで、辿り着いたのは旗艦ヘクトルの司令艦橋だった。
戦艦エル=トレメンドの司令艦橋と構造的には似ているが、両翼に伸びる幕僚席は長く二段になっており、席の数は人数に応じて三倍以上。横幅に広いのでメインスクリーンの大きさも段違い。流石はアイアース級戦艦だ。設備に金が掛かっている。
その司令艦橋の中央で、腹の中も肌も黒い長身の中将はジャケットの上からも分かる太い腕を組み、メインスクリーンに映る敵艦隊を見つめている。その周囲には三人。中年で中肉中背ロマンスグレーは、ラスールザーデ参謀長。三〇代前半のひょろ長いインド系は、司令官付副官のヴィハーン大尉。そして俺が来たことにいち早く気が付いた副参謀長マリネスク准将は、赤土色の瞳で俺を睨みつけてくる。
「第四四高速機動集団次席作戦参謀、ヴィクトール=ボロディン少佐。お呼びとのことで司令部を代表し、まかり越しました」
力を入れず自然な感じで、しかもケチのつけようのない一三〇点の敬礼で俺が告げると、シトレは半身になって軽い感じで答礼してくる。しかしその顔はハイネセンの料理店で見せた陽気な親父面ではなく、戦場における冷静沈着な艦隊指揮官のそれだった。
「忙しいところよく来てくれた、ボロディン少佐。途中で道に迷わなかったかね?」
なんのことはない軽口だが、額面通りとってはいけないと思わせる口ぶりだ。それでいて話のとっかかりを求めるものでもある。イエス・ノーの端的な返事ではない、微妙な回答をシトレは欲している。
「ヘクトルまでは順調でしたが、ヘクトルの中でちょっと迷いまして」
小さな笑みを浮かべて回答すると、俺を見るシトレの目の色が少し変わり、右の口先が小さく動く。よく意図を察した、と言わんばかりに。
「そうだろう。エル=トレメンドとは違って、この船は私同様にいささか図体が大きいからな」
ハハハハッと明らかに上っ面ではあるが、声に出して笑うシトレに、表情に特徴のないラスールザーデ参謀長も怒気溢れるマリネスク准将も、一瞬気が削がれたように見える。『第八艦隊は図体がでかくて機敏に動けないが、第四四高速機動集団は小さく小回りが利いてよく動いてくれている』とシトレが言外に言っているのだから。
つまりこの出来レースの召還はシトレとしては本意ではなく、副参謀長にも一定の道理があるので適切に流してくれと言うことだろう。上官の意図を察したマリネスク副参謀長としては、あまり強く出ては不味いと思ったのか睨む力を弱めつつ、軽く咳払いしてから俺に口を開いた。
「貴官を召喚したのは他でもない。開戦からこれまでの、第四四高速機動集団の行動意図を聞きたいからだ」
当初予定では正面砲戦を継続しつつ、第一〇艦隊が到着するまで、敵の出方に合わせてなるべく遅滞的な行動をとるよう命じていたにも関わらず、何故敵の右翼部隊を挑発し、大規模な機雷戦を仕掛け、味方を巻き込むような行動をとったのか。また逆に混乱する敵部隊に対する追撃の手をなぜ緩めたのか。
「何らかの理由があってと考えるが、それはどういう理由か。説明してもらいたい」
言葉は丁寧だが、釈明しろと言っていることに変わりはない。俺は少佐で、副参謀長は准将と地位に差があるとはいえ、確かにこの問答では爺様やモンシャルマン参謀長が相手だったらとんでもないことになる。俺は腹の奥底で溜息を押し殺しつつ、頭の中で言葉を選んでから口を開いた。
「当集団の行動意図につきましては、事前会議における方針に沿っていると、小官も第四四高速機動集団司令部も考えておりますが……」
明白すぎる反対意見に、当然の如くマリネスク副参謀長は噛みついてくる。
「上級司令部としてはとてもそうは考えられない。少なくとも会戦冒頭において、第四四高速機動集団が積極攻勢に出る必要はないはずだが?」
「仰られることもご尤もです。ですが正面の敵に対して、我々の戦力は六割と数的に不利。敵にイニシアティブをとられないよう、こちらから積極的に行動せざるを得ませんでした」
爺様なら『冒頭に数的に不利な配置をした上で、手足を縛られたまま打ち減らされろ、などという命令はごめん被る』とか言うだろうが、流石にそれは不味いと俺も分かっている。
「敵の砲火は苛烈であり、少なくとも左翼戦線を維持する為には、散開か密集のどちらかの陣形を選択する必要がありました。密集陣形を取れば敵に行動可能空間を提供することになりますので、散開陣形を選択したのは間違いではないと考えます」
「散開陣形で積極攻勢をかければ、かえって敵の猛攻を誘い、我が軍が崩壊するような事態を招くとは考えなかったのか?」
「精鋭の第八艦隊であれば、多少我が部隊の防御行動が前後しても、全体の崩壊はないと考えておりました」
「阿諛ならば不要。今回は第四部隊が冷静に対処してくれたからよいようなもので、希望的で一方的な考え方で部隊を動かすのは危険だと思わないのか?」
阿諛の意図がなかったと言えば嘘になる。だが『希望的で一方的な考え方』というのは言い過ぎだ。上級司令部の言う通りに兵を動かして、漫然と被害を出すだけの中級指揮官など存在することすら許されるものではない。そこまで突っ込んでくるなんてこれって出来レースのはずじゃなかったのかと戸惑った俺に、マリネスク副参謀長は嵩に懸かって問い詰めてくる。
「上級司令部は常に戦場全体を俯瞰して命令を出している。中級司令部が独自の判断で行動することは、戦局全体の不用意な混乱を招き、ひいては戦略的な敗北を招くと貴官は考えないのか?」
それはお前らの視野が狭いだけでなく艦隊統率能力に問題があるからだろ、と言えればどれだけ楽か。シトレがさっき仄めかしたことをもう忘れたのか。それともこれも含めて出来レースであるというのか。口を閉じたまま、周辺視野でマリネスク副参謀長の向こうにいるシトレを確認すると、『それは少し筋違いではないか』と若干困惑しているようにも見える。ということは、これは副参謀長の勇み足か……
シトレとロボス。双方とも将器であって、のちに統合作戦本部長と宇宙艦隊司令長官になるわけだが、両者の人格に明確な差があってもシトレ派がロボス派を圧倒できないのは、マリネスク副参謀長に見られる幕僚集団の杓子定規な高級官僚的思考が、爺様のような実戦部隊指揮官達に受け入れられていないからなのではないだろうか。シトレはそれを幕僚達に認識させる為、爺様やモンシャルマン参謀長のようなベテランではなく、あえて同類に近くさらに若輩の俺に諫言させようとしているのではないか。
ならばもう我慢する必要はないだろう。思い上がりと言われようと、ヴィクトール=ボロディン原作・ルイ=モンシャルマン編曲・アレクサンドル=ビュコック指揮のコンサート序曲に対し、これ以上的外れな批判をされて黙っているのは、戦死したオケに対する不義だ。
「まったく思いません。中級指揮官は目まぐるしく変化する局地的な戦況に対応する為、軍法によって臨機応変に対応する権限を持っております。ただ指示待ちして無為無策のまま、指揮兵力を打ち減らされることを許容するのは、中級指揮官として無能であると言わざるを得ません」
「な……」
「我々は第一〇艦隊が到着するまで、戦線と戦力を維持しなければならない。それが事前会議にて決定した方針であります。開戦より既に八時間、真正面からの砲戦を墨守していたとすれば、当集団は既に兵力の三分の一以上を失い、敵にさらなる積極的意思があれば戦線はとっくに崩壊していたでしょう。副参謀長閣下は、それでも良しと仰られるのですか?」
結果論で物事の良し悪しを判断するのは間違いだ。上級司令部の命令に従わないことは、軍という暴力組織において秩序を乱す行為であることも、だ。だがそこまで命令に従えと強く言うのであれば、最初から『戦線を維持せよ』という抽象的な命令を出さず、随時細部にわたる行動指示を出すべきなのだ。
「貴官が言うのは結果論でしかない。敵右翼部隊に積極的意思があれば、第八艦隊の予備兵力から増援を出していた」
「どれくらいですか?」
「どれくらいだと?」
「被害関数通りとして、開戦六時間後。第四四高速機動集団が一三〇〇隻、敵右翼部隊が二八〇〇隻という状況下になった時に敵右翼部隊が前進を開始したとして、第八艦隊からどれほどの増援を出していただけましたか?」
「二〇〇〇隻は出す。第四部隊と、司令部直属の独立部隊を出す」
「その時点で第八艦隊正面に対峙する敵中央部隊と第八艦隊の戦力差は一万四〇〇〇隻対一万隻。そこからどうやって二〇〇〇隻を抽出できるのですか?」
一万隻から二〇〇〇隻を抽出すれば、中央正面対峙戦力は一万四〇〇〇隻対八〇〇〇隻。もしかしなくても中央部隊の戦線崩壊は時間の問題となる。それが分かるだけに、マリネスク副参謀長はおし黙った。ラスールザーデ参謀長は最初から口を挟んでこなかったが、納得しているようにも見える。重い沈黙が司令艦橋中央部に圧し掛かりかけた時、シトレがようやく口を開いた。
「ボロディン少佐。第四四高速機動集団のこれまでの行動については十分理解できた。これからも臨機応変の奮戦も期待していると、ビュコック司令に伝えてほしい」
「ハッ!」
「それと可能であればスパルタニアンでも構わないので、『敵の行動についての逐次連絡』をヘクトルに寄越してほしい。中央部にいる我々も数的不利な状況下にある。忙しくて細かいところになかなか目の行き届かないところもあるかと思うのでね」
それはシトレから俺に対する試合終了のゴング。命令違反云々について第四四高速機動集団にお咎めはなし。だが独自に行動する際は、事後報告でもいいからなるべく早く作戦案を上級司令部に出してくれ、という要望だ。お互いの面子を守りつつ、今後の状況に対応できるような命令を出す。やはりシトレの仲裁役としての才能は高い。
マリネスク副参謀長も軍人として無能とは思えない。開戦前の事前準備では作戦から後方支援まで理路整然と組み立てていた。しかし事前準備と異なる状況下で、戦況を見ながら即応行動することが得意ではないのだろう。特に戦力的に不利になったこと、第四艦隊が予算承認されず追加戦力が半減したことなど、想定していないことが重なり、事前会議で俺が言質を取るような真似をしたから余計な火が付いたんだと思おう。
「了解いたしました。第八艦隊のご健闘をお祈りいたします」
「貴官も老練な用兵術をしっかりとその目に焼き付けたまえ。期待している」
あえて周囲にも聞こえるような大きな声で言うシトレのショーマンぶり。子飼いの部下同士を競わせるやり方。決して悪い方法ではないが、要らぬ嫉妬を買うのは勘弁だ。長居は無用。袖口に申し訳なさそうな表情をしたヤンが待っていたが、視線で見送りを断り、一人でシャトル乗降場に向う。
驚異的な昇進速度で元帥まで上り詰めたヤンが、最も長く在職した階級というのが少佐というのは、第八艦隊幕僚部に問題があったからなのではないか。前線における砲撃密度が来る時よりもさらに低下した中、窓の向こうでゆっくりと傾斜していく戦艦ヘクトルの姿を眺めつつ、俺は思うのだった。
◆
戦艦エル=トレメンドに戻ると、帝国軍は戦列を維持したまま全面的な後退を開始し始めていた。
「おお、戻ったか。ご苦労じゃったな」
司令艦橋に入った俺の姿を見た爺様は、椅子に座ったまま俺を手招きする。爺様も出来レースは承知の上だったのだろうが、俺の顔に少しばかり不愉快さが浮かんでいるのが分かったのか、苦笑しつつ小さく数度頷いている。モンシャルマン参謀長に視線を向ければ肩を竦めているし、ファイフェルの顔には『ご愁傷さまでした』と書いてあった。
「見ての通りだ。敵が後退している」
「逃亡でもなく、壊走でもなく、後退ですね」
「その通りだ」
司令官席のミニモニターに映るシミュレーションを見る限り、目前の敵は幾つかの部隊に分かれ、ことさら隙を見せてはいるが、どう考えても罠としか思えない。インカム片手に声を荒げるカステル中佐を横目に、モンシャルマン参謀長がシミュレーションを指差す。
「僚軍のどの部隊も敵に強力な一撃を与えてはいない。しいて言えば当部隊だが、局所的にも全体的にも、数的不利な状況は変わっていない」
それでも帝国軍は後退している。彼らにも補給や修理が必要ではあるだろうが、攻め続けて同盟軍に消耗を強いても間違いではないのに後退している。つまりは仕切り直しと判断した可能性が高い。現時点での戦略目標は惑星カプチェランカ周辺の制宙権確保。第一〇艦隊が到着するまでの時間が被害なしで稼げるなら望外だ。
「ではカステル中佐の血圧が下がるまで我々は待機ですね」
思わず口から出てしまった俺のジョークに、爺様も参謀長もファイフェルも一斉にカステル中佐を見つめ、視線を感じた中佐が怪訝な顔で見返してくるので、四人とも慌てて視線を逸らして含み笑いを漏らす。司令部首脳の動きに不審を抱いたカステル中佐が席を立った瞬間、索敵オペレーターの声が戦艦エル=トレメンドの空気を切り裂いた。
「味方右翼部隊が前進を開始! 後退する敵左翼部隊に攻勢を仕掛けています!」
馬鹿な!と声を上げたのは爺様か参謀長か。確認するまでもなく俺は自分の席に駆け込んで、シミュレーションを時系列で確認すると、確かに帝国軍の後退にタイミングを合わせるように、長距離砲戦距離を維持しつつ味方右翼部隊が前進を開始しているのが分かる。
味方右翼部隊は四つの独立部隊による混成集団。最先任になるドゥルーブ=シン准将が臨時の部隊指揮官を務めているが、部隊には同じ階級が四人もいる以上、統制に苦労しているはずだ。それでも部隊を二つのグループに分け、敵の後退に合わせて交互に前進させ、敵砲火の集中を避けつつ攻勢にでる手腕を見る限り、『中級指揮官としての』戦闘指揮能力は充分あるのだろう。
数だけ見れば双方の戦力はほぼ互角。しかし敵左翼部隊はあのメルカッツ率いる重装部隊。火力、特に近接戦闘能力では格段の差がある。それを承知しているからこそ長距離砲戦距離を維持しているのだろうが、そもそも現時点で何故攻勢にでる必要があるのか。
しかも右翼部隊だけが前進する形になれば、主力である第八艦隊との間に空間支配圏の隙間が生じる。敵中央部隊の戦力の方が第八艦隊より多い以上、そこに予備兵力を叩き込まれて分断、各個撃破される可能性がある以上、第八艦隊も戦力を移動させ隙間を埋めようとするだろう。右斜陣形になるだろうか。そうなると陣形が伸びて反対方向になるこちら側がより手薄になる。
「前進準備じゃ」
同盟軍全体が右前方に引き摺られていく以上、現在位置を維持しているだけでは孤軍となりかねない。爺様は苦虫を嚙み潰し、命令を下した。敵の急進も考えられる上、前方には敷設した機雷原がある。
「部隊並行横隊陣を組め」
機雷原と右翼部隊の重心点を弾き出し、その二点を結ぶ線に合わせて麾下三部隊を横に並べる。右翼部隊が前進すればするほど右斜陣形となる形だが、部隊単位での運用が簡単で敵本営との距離もあることから、敵の咄嗟の行動に対応しやすい。
一連の計算を終えて参謀長に各部隊の移動指示案を提出し、一読された後、ファイフェルによってプロウライト・バンフィ両部隊へと伝えられる。改めて敬礼して自分の席に戻ろうとする俺を爺様は引き止めた。
「右翼部隊の攻勢・前進は明らかに無謀じゃが、敵も後退を止めない。ジュニアは敵の意図をどう見る?」
爺様の質問に振り返り、メインスクリーンの端っこに映る敵と味方の相対状況を確認し、爺様の横に立つモンシャルマン参謀長の頷きを経てから応えた。
「敵の後退が星系全体を見た戦略的な要因か、惑星カプチェランカ周辺宙域に限定した要因かで、判断が異なります」
「ではまず前者の場合は?」
「休息時間の確保です」
中央のイゼルローン駐留艦隊はともかく、両翼のヴァルテンベルク・メルカッツ両部隊は、シトレのカプチェランカ攻略に応じて緊急的に集められた部隊と考えられる。ヴァルテンベルクは恐らくはオーディンからの長駆行軍の末、メルカッツは第四四高速機動集団と数度にわたる交戦後。イゼルローン要塞から補給物資は新たに届いているだろうが、時間的な休息はイゼルローン駐留艦隊に比して少ない。一度仕切り直したい、と考えてもなんらおかしくない。
「……では後者の場合は?」
「惑星カプチェランカ周辺宙域からの離隔と、反撃空間の確保です」
背後に惑星カプチェランカを背負う形で布陣している同盟軍を引きずり出し、陣形を乱した上で、強力な一撃により一片を粉砕し、同盟軍全体の継戦能力を崩壊させる。最初はヴァルテンベルクが第四四高速機動集団に仕掛けたが失敗した。であれば次はメルカッツが仕掛けてくるのではないか。
「味方右翼部隊は交互射撃による長距離砲戦に徹している。宙雷艇による近接戦闘を挑むにしては距離が開いているが、それでも仕掛けてくると?」
モンシャルマン参謀長が首を傾げながら俺に問いかける。確かに長距離砲戦距離を維持して後退する必要はないし、急速前進して飛び込むには時間的にも遠い。しかし味方右翼部隊の後方には空間が開きつつある。
「敵に増援部隊がいたらどうでしょうか?」
「……味方右翼部隊の後背を突き、挟撃するということか? しかし跳躍宙点へ長距離偵察に出ている第八艦隊の各小戦隊からは何の連絡もない」
いくら咄嗟砲撃があったとしても、周辺警戒を強めている二〇隻以上の哨戒隊を、通信を発する間もなく一瞬で撃破することは不可能だ。となれば跳躍宙点から新たな敵艦隊が到着した可能性は極めて低い。となると……
「司令官閣下。至急哨戒隊を出して、後退中のヴァルテンベルク艦隊の動きを確認させたいのですが?」
「儂らが前進を躊躇している間に戦力を抽出し、敵左翼部隊を増強していると、ジュニアは考えるんじゃな?」
「はい」
「よかろう。第八七〇九哨戒隊に隠密偵察を命じる」
「閣下、第八七〇九哨戒隊の戦力は現在たったの四隻ですが……」
「この場合は数が少ない方がよい。数が多いと注意を引きかねん」
確かに二五隻定数の巡航艦小戦隊よりは警戒されないだろうが、たった四隻では下手すればワルキューレの一個中隊を出すだけで撃破されてしまう可能性がある。それにアトラハシーズ星系では、第八七〇九哨戒隊に死ねと言ってもおかしくない任務を課した。別の司令部直属の巡航艦分隊に割り振った方がいいのではないか。俺が返答を躊躇したのを爺様は見逃してはくれない。
「ジュニア、分かっているな?」
現時点でもっとも有力で適合した偵察戦力を個人的感情で外すなということ。そんなことは分かっているが、二度も三度も彼らを追い込む必要があるのかという気持ちもある。了解しましたと俺は応え、自分の席に戻って超光速通信機器を起動させる。
どうか生き残ってくれ、と声には出さずに。
後書き
2023.08.13 更新
2023.09.20 微修正
C103にサークル参加に値する作品ですかねぇ、これ。
(今のところオリジナルウマ娘かコレかで悩んでる)
第92話 カプチェランカ星系会戦 その3
前書き
ご無沙汰しております。
取りあえず前回のあとがきに書いた通り、C103(冬コミ)にサークル参加を申し込みました。
話の流れはほとんど変えず、縦書きB5で本を作ろうと考えています。
まず明日明後日には受付確認が届いて、11月に当落が決まるはずです。
たぶん落ちると思いますが、一応いつでも製本できるようにデータ修正を進めますので、
今までよりさらに更新速度が遅くなるでしょう。申し訳ございません。
文脈はあまり変えませんが、若干修正は入れるつもりです。
ほぼ半年ぶりにカバー用の絵を描いてます。新しいソフト(CLIP STUDIO)も買いました。
ちなみに伊達と酔狂ですので、製作費はD線上です。
宇宙歴七九〇年 二月二七日 一六〇〇時 ダゴン星域 カプチェランカ星系
第八七〇九哨戒隊を偵察に出してから一時間。こちらは特に有効な一撃を放っていないにもかかわらず、敵は未だに後退を続けている。
砲撃戦が行われているのは現時点で右翼部隊だけだ。勿論砲撃射程に敵を捕らえているのが右翼部隊だけであるというのもあるが、敵の右翼部隊の後退が著しく、第四四高速機動集団が前進しても最大射程より遠くにあって、現時点では攻撃しようがない。
急速前進すれば有効射程内に収めることができるが、それでは第八艦隊との連携が取れず、孤立する恐れがある。既に第四四高速機動集団は自分達が敷設した機雷原を超越している。背後に回り込まれない利点はあるが、同時に撤退もまた難しい。
「敵の行動はあまりに不可解すぎる」
ある程度距離が近づいてからでないと敵の実戦力は分からない。丁度アトラハシーズで俺達がメルカッツ相手にデコイで誤魔化したように。それを調べる為に第八七〇九哨戒隊を送り出したわけだが、隠密哨戒中とあってこちらから誰何するわけにはいかない。
戦意がないというのであれば、早々に順次反転して後退していけばいいのに、戦列はしっかりと維持されている。第八艦隊司令部からも慎重に攻撃せよと命令が出ている。ダラダラと続く軽いワンサイドジャブの打ち合いに、将兵に限らず俺もストレスが溜まっている。
「戦艦アラミノスより、圧縮通信が届きました」
戦艦エル=トレメンドのオペレーターの声が艦橋中に響き、ファイフェルが司令艦橋から駆け出して、オペレーターから直接データを受け取った。
「観測できた敵右翼部隊戦力は総数二七〇〇隻。うち三〇〇隻は分離して後方待機している支援艦艇群、残りの二四〇〇隻が戦闘集団と思われ、六時三〇分の方角へ後進している、とのことです」
ファイフェルが爺様の端末を利用しながら、映し出された報告書を口に出して説明する。
「通信状況はどうだ?」
モンティージャ中佐の指摘に、ファイフェルは小さく頷いてから応える。
「想定上のタイムエラーはなく、データに『異物』は紛れ込んではいない、とのことです。発信された方向は当集団より一一時四〇分、俯角四五度三〇分。なお発信以降の第八七〇九哨戒隊の位置は不明」
俺がそれに合わせて三次元投影機を作動させてその方角を示す。
「これはなかなか面白いところに隠れたのう」
顎を撫でながら感嘆する爺様に、司令部全員が同意する。
『敵に見つからないように動いて、敵を探る』隠密索敵において、一番危険なのは移動経路だ。幾らレーダー透過装置があると言っても、馬鹿正直に真正面から行けば重力波探知と光変異観測でバレてしまう。かと言って集団の左翼側面から自然曲線航路を使えば移動に時間がかかる上、探知できる艦艇の位置が重層的になって敵右翼部隊の右半分に絞られてしまう。
どうやってその位置に達したかはフィンク中佐達が生還した時に聞いてみたいが、発信した位置であれば敵右翼部隊に限らず、敵艦隊全体を満遍なく視野に収めることができる。それでいて天頂方向ではなく天底方向にいるので、敵の死角も多くて隠れやすい。実にセンスのある位置だ。勿論バレたらただでは済まない位置でもある。
「追記があります。敵中央部隊の支援艦艇群一〇〇〇隻と思われる集団の光変異率がやや小さい。偽装の可能性あり、とのことです」
「具体的には?」
「そこまでは記載されておりません」
モンシャルマン参謀長の問いに、ファイフェルは困ったような顔で応える。あくまで送られてきたデータを説明しているだけだ。フィンク中佐としてはあくまで見たものを報告しているだけで、司令部に注意を促し、判断の材料にしてほしいとのことだろう。だが敵中央部隊の支援艦艇群が仮にデコイによる偽装部隊だったとして、それにどういう意味があるのか?
「仮にデコイだとして、実際の輸送艦や工作艦は何処に行ったか」
「……すでに交戦域を離脱した可能性もあると?」
「ボロディン少佐、重力波観測による敵陣形の変異を時系列で表示してみてくれ」
モンシャルマン参謀長の指示通り、俺はデータを集めて三次元投影機に入力していく。砲火が開いてからの双方の動きを、探知している範囲でシミュレーションする。やはり後方に位置していた支援艦艇の一部が、ヴァルテンベルク艦隊の後退に合わせ一時的に前進して合流。その数時間後に再分離して後退し、定位置に留まる部隊とイゼルローン方面への跳躍宙点方向へ移動する部隊に分かれ、探知範囲から消えた。少し離れたところに立っているブライトウェル嬢を含めた七対一四個の瞳が、三次元投影機の中で繰り返し移動する支援艦艇群の動きを追い続けている。
「会戦の隙間におけるごく常識的な補給・修理活動のように思えるが?」
シミュレーションが三度繰り返された後、眉間に皺を寄せつつカステル中佐は呟くように言う。一時的な戦線収縮に合わせて輸送艦が各艦に補給し、工作艦が戦闘不能な艦艇を引き摺って後方へ下がる。自力航行可能な損傷艦艇は戦域を離脱し、味方の後退を待つかイゼルローンなりの後方の基地へと後送されていく。帝国軍全体が後退している以上、何ら不思議ではない行動だが……
「一〇〇〇隻ないし一五〇〇隻近い数の艦艇を一度に後送させるほどの痛撃を、我々は帝国軍に与えたのでしょうか?」
再分離する前までに前線から後退した艦艇数は三〇〇〇隻近い。分離後残った艦艇が仮に後方支援艦艇として事前に観測されたそれらは約一五〇〇隻。つまり後送され探知範囲から消えた艦艇は一五〇〇隻近くになる。この数は実に微妙。
会戦が始まってから一〇時間以上続いた砲撃戦。大なり小なり損傷した艦艇もあるだろう。だが戦闘行動に支障がない程度の損傷ならば、まずは自艦の応急班で対応する。わざわざ後送したりはしない。
「偽装後退による別動隊の再編成と考えてよいと思われます。至急、上級司令部に前進攻撃の停止と索敵範囲の拡大、惑星カプチェランカ衛星軌道上での陣形再編を進言すべきと、小官は具申します」
「ジュニアはその別動隊が、我が軍の右翼部隊後方ないし側面に出現し、挟撃体制を取る、そう言うんじゃな?」
「はい」
「よかろう。早急に上申書を作成し、提出せよ。儂が署名する」
上申書に署名するということは、ある意味では功績を横取りすることだ。それでも俺の名前では採用されないかもしれないが、爺様の名前であれば嫌だろうが第八艦隊司令部も聞く耳を持ってくれるかもしれない。状況は一刻を争う。爺様もそれを理解して、敢えて無理を言っているのだろう。
俺が上申書のテンプレから、現実と状況報告と上申内容をできうる限り簡潔に纏め爺様に提出したのは五分後。それをモンシャルマン参謀長が黙読二分。最後に爺様が三〇秒で斜め読みし、端末画面にペンでサインを書き込んだ。ファイフェルはその端末を預かり、暗号変換にかけた上で戦艦ヘクトルの司令部へと直接送信する。
「モンシャルマン」
横目でファイフェルの行動を睨みつつ、爺様は聞く者の体を震わせるような迫力のある声で参謀長に命じる。
「戦列を組み替える。円錐陣形じゃ」
「円錐、でありますか?」
参謀長の疑念も俺は当然と思った。明らかに前進・攻撃用の陣形で、紡錘陣形に比べれば局所火力と突破力に乏しいが、方向転換と機動性においては勝る。アトラハシーズ星系で帝国軍の後背をえぐり取る戦いで、第四四高速機動集団は経験済みだが、敵は前方遥か彼方にいる上、たった今第八艦隊司令部に上申した内容は別働隊による右側背への攻撃を危惧するものだ。
むしろこのまま集団を部隊毎に右斜に並べ、敵別動隊が同盟軍右側背に現れたタイミングで九〇度右舷回頭、第八艦隊の後背を直進して別動隊の鼻面を叩くのがベターではないか?
爺様と参謀長の会話に無理やり割り込むような形でそう進言すると、爺様は右手を上げつつ小さく首を振って否定する。
「ジュニア。シトレ中将は優れた戦略家であり軍政家ではあるが、基本的に戦術家ではない。勿論、並の戦術家よりは上じゃが、不利な状況をあえて流すような無神経な真似は出来ん人じゃ」
「……敵が我が軍右翼部隊を挟撃してきた時、第八艦隊の後方予備戦力が即応する、という事でしょうか?」
「儂らが具申した内容に対応するだけの力が自分達にある、と考えればそうするじゃろう。ジュニアも見てきた通り第八艦隊司令部は、上官のイエスマンではなく、自分達の学んできた戦術理論を元に状況を分析し、対処する為の案を導き出すことのできるエリートで構成されておる」
それは決して悪い司令部ではない。むしろ優秀な司令部と言っていい。だが状況が自分達の学んできた理論を超える事態になった時、思考が硬直するきらいがある。集団として理屈倒れのシュターデンみたいな雰囲気は確かにあった。独断専行した(ように見えた)第四四高速機動集団司令部から俺を召喚して詰問したのがいい例だ。
「でしたら尚更、彼らのコントロールから外れるような状況になった場合に備えて、我々も対応すべきではないでしょうか?」
「それもジュニアの言う通りじゃが、こういう場合は味方右翼部隊の戦力構成を考えてから、『後の後の先』を考えるのが正解じゃな」
爺様の言葉に、俺は頭の中で右翼部隊の戦力構成を各司令の顔と共に思い浮かべる。四つの独立部隊の集合体で、先任である第三五三独立機動部隊のドゥルーブ=シン准将が指揮を執っている。そして後退する敵に対して部隊を二分して交互躍進攻撃を行っている……
「……まさか右翼部隊が二つに部隊を割って、前方と側面の双方に対処しようと動くとお考えですか?」
そんなことは常識的にありえない。数的にほぼ互角の、戦力的には圧倒的に格上のメルカッツ艦隊と味方右翼部隊がまともに戦えているのは、右翼部隊自身の敢闘もさることながら、メルカッツ側が長距離砲撃戦のみで対処して近接戦闘を挑んできていないことにある。
後退と合わせてそれをメルカッツの戦意不足と勘違いして追撃しているというのであれば、流石に近視眼に過ぎるが、もしそう考えているならば別動隊を『殿の横槍』と考えて、部隊を二つに割って対応しようと考えてもおかしくない。つまり爺様が考えていることは……
「……前進強襲・右旋回戦闘」
「正解じゃ」
鼻で笑うような爺様の態度に、俺は暗澹たる気持ちにさせられた。モートンにしても、カールセンにしても、ケリム警備艦隊のエジリ大佐にしても、そして爺様にしても、同盟軍のエリートに対する反骨精神がもはや不信というレベルに達している。
実戦経験の機微と戦術理論が現実上で対立した時、司令部がどう判断するか。理論を強く主張する参謀チームを統括し、実戦経験豊富な中級指揮官を熟練した指揮で動かすことができる優秀な戦術家であるラザール=ロボスが、宇宙艦隊司令長官になるのはある意味当然だ。なんでそれほどの男がフォークの専横を許したのか、まったく理解しがたい。
シトレがこれからの経歴で宇宙艦隊司令長官になれるかどうかは分からないが、統合作戦本部長になれたのは爺様の評価の通りだということ。爺様がシトレ閥にいるというのは、長年の知人であり比較的マシなエリートで、人格的に優れているからなのだろう。戦術指揮官としては、爺様はそれほどシトレを評価していない。
そして俺は何の因果か士官学校首席卒業者だ。爺様達叩き上げから見れば、エリート中のエリートというところだろう。先のエル=ファシル奪回戦では散々中級指揮官達のヘイトを稼いだ。俺も順調にいけ好かないエリートの道を歩んでいるのだろうか。
「ジュニア」
いつの間にか意識を飛ばしていたのか、爺様は俺の正面に立ち両肩に年季の入った手を置いて俺を揺すっている。陣形変更の命令はモンシャルマン参謀長がファイフェルを通じて出しているようで、周辺視野の端っこにいる。モンティージャ中佐もカステル中佐も、自分の席で自分の職責を全うしている。恐らく一〇秒かそこいらだろうが、作戦中に意識を飛ばすなど士官として言語道断の所業だ。だが意外なことに爺様の表情には、先程の気迫や怒りというモノが全くない。
「シニアやクブルスリーから聞いておったが、ジュニアにはなかなか不思議な悪癖があるのう。傍から見ると普通にしているように見えるから、余計に怖いんじゃが」
「申し訳ありません」
俺が慌てて腰を直角に曲げ頭を下げると、爺様はまさに好々爺らしい笑みを浮かべて、よいよいと手を振っている。
「儂が余計なことを言ったからじゃ。気にせんでよい。じゃが貴官が一部隊を率いる時には、それなりに気の利いた副官を用意した方がいいじゃろうな」
そういう爺様の悪戯っぽい視線は、俺の顔ではなく肩口を超えていた。振り向くと七歩ほど離れた先に、アイスコーヒーを二つお盆の上に乗せているブライトウェル嬢の姿があるのだった。
◆
それから三〇分後。第四四高速機動集団がそれほど時間をかけずに陣形を円錐に変更完了した後、ようやくヘクトルから具申に対する返信が来た。
「『一考に値する意見なれども、現状の陣形と戦力で対処は可能』以上です」
呆れてものが言えないと言わんばかりのファイフェルの口調に、爺様は何もしゃべらずに司令席でメインスクリーンを見つめている。敵が後退を続けている戦況に変わりはない。だが既に戦域は惑星カプチェランカの衛星軌道からはずいぶんと離れてしまった。
重ねて意見具申しますか、とファイフェルが俺に向けて無言で視線を送ってくるが、俺は首を振る。もう爺様は織り込み済みだ。言質を取った、責任は第八艦隊司令部にとってもらう。数分の沈黙の後、爺様はモンティージャ中佐を呼んだ。
「第八七〇九哨戒隊に暗号通信できるか?」
「可能です。ですがなるべく短文でお願いします」
「『戦線離脱許可・可能なら左翼方向より離脱せよ』で発信せよ」
「……了解しました」
イェレ=フィンク中佐に含むところというよりは、第八七〇九哨戒隊に対して思うところのあるのか。モンティージャ中佐の返答が遅れたのは明らかだった。戦線離脱許可ということは、命令統制から外れて独自に行動しても良いということ。しかし第八七〇九哨戒隊のことだからまともに戦線離脱せず、索敵任務を継続するだろう。第四四高速機動集団のさらに左から奇襲をかけられる可能性を、事前に察知する為に。
「第三五三独立機動部隊より全部隊に緊急電! 右翼方向に新たな敵勢力出現。数およそ二〇〇〇!」
「索敵情報を戦艦バラガートより受信。第三五三位置より〇四一一時、距離七.三光秒、俯角一一.五度」
エル=トレメンドのオペレーター達が声を上げる。緊急電なので、全ての艦にバラガートからの情報が届く。エル=トレメンドからの位置に換算すると三時〇五分、距離八.八光秒、俯角一〇.四度。ほぼ真横になる。本来なら第四四高速機動集団は一斉に右舷回頭して前進、第八艦隊の予備戦力である第五部隊一二〇〇隻と合流してこれに対処するのだが……
「第三五九独立機動部隊と第三六一独立機動部隊が、戦線から後退しています!!」
「旗艦ヘクトルより第八艦隊第五部隊に迎撃指示が出た模様です」
「味方右翼部隊で通信量増大。錯綜を起こしています」
戦闘艦橋にいるオペレーター達の声が、司令艦橋に設置されているスピーカーではなく、直接聞こえてくる程までに大きくなっている。モンシャルマン参謀長が直ぐにモンティージャ中佐に無言の視線を送ると、中佐は返答せず自分のインカムを鷲掴みして、まるで鼻歌を歌うような軽快な声でオペレーター達に話かける。
「慌てるな。まずは新たな敵を発見した時からの、味方部隊の動きのみを観測し、シミュレーション化して司令部に報告せよ。通信や命令の報告は、当部隊宛のもの以外は報告しなくていい」
一瞬シーンと静まり返ったエル=トレメンドの艦橋は、堰を切ったようにコンソールを叩く音のみが響き、三〇秒後には司令部の三次元投影機に、味方部隊と横槍を入れてきた敵部隊の制宙範囲が時系列で浮かび上がる。
それを見るかぎり、第三五九と第三六一両独立機動部隊の、戦列後退からの右舷回頭行動は見事に統制されており、横槍を入れてきた敵別動隊の前にガッチリと壁を作り上げることに成功した。現時点で両部隊の数は合わせて一二〇〇隻に達してはいないが、両部隊の後方にこれまた転舵した第五部隊一二〇〇隻が並び、敵よりやや多い戦力で並行陣を形成し、別動隊の味方後背への侵入を阻止している。
事前に第八艦隊司令部へ意見具申をしているとはいえ、その情報が彼らの手元に届いているとは時間的に考えられず、敵の出現と共に独自の判断で後退・反転回頭を判断し、間一髪とはいえ巧みに戦列を組みなおし、別動隊に逆撃の砲火を浴びせている。これだけ見ればパストーレもムーアも、六〇〇隻前後の独立部隊の指揮官としての力量は、まずもって一流と言えるだろう。
だが局地戦における独立機動部隊指揮官として一流であっても、交戦星域全体を見渡す必要がある制式艦隊司令官としては失格だ。対峙していた敵戦力が半減したことを、老練なメルカッツが見逃すはずがない。別動隊の足が止まったタイミングを見計い、漫然とした後退から傲然とした前進へと動きを変えた。しかも僅かに左斜陣形を形成し、対峙する部隊と別動隊を抑えた部隊の薄い間隙を圧迫しようとする。
それに対峙せざるを得なくなった第三五三独立機動部隊と第四一二広域巡察部隊は、本来ならば密集隊形を作り上げ防御を固めたいところなのに、第三五九と第三六一が抜けた穴に潜り込まれるのを阻止する為、いずれ第八艦隊から後詰が来ることを信じて中途半端に陣形を広げざるを得ない。だがそれこそがメルカッツの望んでいたことだ。敢えて受信量を絞っているので情報は入ってこないが、光学的観測だけでも両部隊の陣形内部に煌めく輝きの数は著しく増加している。
「おそらく右翼戦域において宙雷艇とワルキューレによる近接戦闘が展開されていると思われます。このままですと右翼を起点として、同盟軍全部隊が半包囲されるのは時間の問題かと」
俺はメインスクリーンの右端に映し出された標準時刻を見た後、爺様に言った。
「ヘクトルに再度、意見具申なされますか?」
別動隊が後方に現れるまでの間に、俺は二通りの具申案を準備した。一つは常識的に一斉右舷回頭し第八艦隊の後背をすり抜けて、第三五三と第四一二の後詰にむかうか第五分艦隊の右側面から前進し別動隊の左側面を攻撃する案。
もう一つは爺様の望み通り、全速前進し半包囲を試みようとする帝国軍右翼部隊の機先を制し、あるいは突破して帝国軍本隊後方に躍進する案。爺様もセコセコと自席で端末を弾いていた俺の姿を見ているわけだから、察してはいるだろう。
「儂は勝ち筋が見えている戦いで、負けないことに努めるのは苦手な性質でな」
僅かに生えた無精ひげを撫でつつ、爺様は鼻息荒くはっきりと口にした。
「ヘクトルには『仕事しろ。我々もこのように仕事をする』と添付の上、攻撃案のみ送れ」
まるで上官に向かって中指を立てるような返答。経歴はどうあれ、この戦場における最先任士官はシトレである。そんな返答をすれば、あとでどんな処分が下されるか分かったものではない。だが意志の硬さ(頑固)と即断即決(短気)では折り紙付きの爺様だ。本気も本気だろう。爺様の肩越しにある、長い付き合いのモンシャルマン参謀長の顔は平常通り。一方でファイフェルの顔色には微妙な諦観が含まれている。
「強襲戦闘じゃ」
爺様は未だ衰えを見せぬ矍鑠とした動きで司令官席から立ち上がり命令を下す。爺様の意思はパストーレやむ―アらが後退する前に示されている。命令が下ってから自分の行動を考えはじめるような幕僚は、既に第四四高速機動集団司令部にはいない。モンシャルマン参謀長は陣形再編案を提示し、モンティージャ中佐は妨害下における索敵・通信手段の再確認と強行偵察スパルタニアンの発進許可の上申、カステル中佐は爺様にエネルギーと兵器残量の要約を提示する。俺はカステル中佐の後に、爺様へ航行計画を提出する。
「メルカッツ相手にできんかった左フックで、ようやく敵を吹き飛ばせるのう」
俺の航行案を見て、爺様は獰猛な狼のように、にやりと不敵に笑う。
「何発でKOできると思うか?」
「残念ながら右が使い物にならないので、ボディを何度か叩く必要があるでしょう」
「ミサイルの残量は一〇斉射分じゃそうだ。大事に使わんとな」
自席に戻っていくカステル中佐の背中を一瞥した後、小さくウィンクする。
「ジュニア、すぐに忙しくなるぞ。『同時通訳』はしっかりな」
果たしてモンシャルマン参謀長は席に座って、眉間を両手人差し指で揉んでいるのが分かる。アスベルン星系での戦い同様の戦闘指示ポジションだ。
「ファイフェル! 指揮下各部隊旗艦に伝達。『急戦速攻。陣形このまま。目標進路一一時三〇分。第二戦速』」
「ハッ!」
爺様達に比べればまだまだひよっこだが、アスベルン星系の時に比べてだいぶ戦場での落ち着きを手に入れたファイフェルが、少し離れたところにあるマイクを手に取り復唱する。声に緊張感と若さがあるが、原作アニメで何度も聞いた声そのまま。
視線を僅かに右に逸らせば、従卒の定位置である右舷側ウィングに、直立不動の姿勢でブライトウェル嬢が立っている。たった八ケ月前には真っ青な顔で棒立ちだった少女は、見えない敵を探すかのように、メインスクリーンを真正面から睨みつけている。
この戦いで同盟軍が勝利を得るか否かは、正直なところ五分と五分。第四四高速機動集団の攻撃が成功し、敵の右翼部隊と本隊の脚が止まれば、第八艦隊ならば敵中央部隊と左翼部隊の接続点を圧迫し、分断することを企図するだろう。流石にその程度の判断力はシトレにはあるはずだ。
そして完全に分断することは戦力不足で出来ないだろうが、各個撃破の危険性をメルカッツと別動隊に悟らせることは出来る。第一〇艦隊の増援は間に合わなくても、戦局不利を悟ってカプチェランカ周辺宙域より一時的に後退することは充分に考えられる。それをひっくり返す帝国軍の新たなる増援が存在するとしたら、カプチェランカ攻略作戦失敗の責任は実戦部隊には存在しない。
前進命令が出て動き始めてから三〇分後。先行艦艇の重力波感知で敵左翼部隊の動きが入ってくる。彼らは後退から前進に移行し、陣形を凸陣形に変更。進路を左に変えつつ、第八艦隊の左翼部隊へ向けて進撃を開始しているとのこと。第四四高速機動集団の現在の位置からは右舷二時三〇分の方角、俯角三.三度、距離一〇.二光秒、ほぼ並行して逆進撃をしている形になる。
「敵の右側後に喰らいつけ!」
「進路変更。方位〇一三〇、仰角〇.三、主舵〇.九七」
「進路変更、集団主軸、方位一時三〇分、仰角三度。進路固定後、主舵固定一四度。速度そのまま」
「集団全艦、一斉進路変更。集団主軸、方位一時三〇分、仰角三度。自律位置確保後、主舵固定一四度。第二戦速を維持せよ!」
爺様からモンシャルマン参謀長、そして俺からファイフェル、ファイフェルがオペレーターへ。それが各部隊旗艦から各戦隊、各隊、各分隊と伝わり、円錐陣は一瞬その形を崩しながらも、右旋回を開始する。右旋回だから当然集団左翼に位置する艦は内側の艦より速度を上げて動かなければならない。集団結成当初ではバラバラになっていたかもしれない艦隊運動も、度重なる訓練と実戦によって鍛えられた部隊は何とかこなしていく。
二月二七日二一〇〇時。第四四高速機動集団は敵右翼部隊のほぼ右側面に捉えることに成功する。本来なら敵の重心点から見て四時三〇分の方角に攻撃主軸を収められるはずだったが、敵右翼部隊は距離六.二光秒まで接近した段階でこちらの動きを察知したのか、進撃速度を下げて対応しようと試みていた。
しかし察知していた時点で、何故か第八艦隊左翼に位置する第四部隊が急速前進を開始しており、その最大射程内に敵右翼部隊は収められていた。
この状況下で敵右翼部隊は判断に逡巡した。速度を上げて前進すれば前後挟撃される。速度をさらに落として右旋回して第四四高速機動集団に対峙すれば第四部隊の側面攻撃を受ける。右方向に転針し第四四高速機動集団と第四分艦隊の中間宙域を抜けて同盟軍本隊後方に躍り出れば、孤立して逆包囲追撃を受ける。急速後退すればやはり第四四高速機動集団と第四部隊が合流し、孤立戦闘を余儀なくされる。
まともな選択肢がない中でヴァルテンベルクが選択したのは、速度をさらに落とし右舷回頭し、左側面に比較的少数の第八艦隊第四部隊の攻撃を受けつつも、まずは第四四高速機動集団の攻撃を受けとめ、中央のイゼルローン駐留艦隊から増援を受けて反撃に出るという消極案だった。
「やれやれ。これは第八艦隊第四部隊には、何か奢ってやらねばなるまいて」
強行突破を考えていた爺様は右耳を掻きつつ、苦笑いを浮かべた。最初にヴァルテンベルクを引き摺り込んで袋叩きした時も、特にこちらから指示を受けるまでもなく左舷回頭して対応してくれた。今回も第四四高速機動集団の逆進撃に合わせて急速前進し援護してくれている。こちらが作戦案を喧嘩腰に叩きつけて行動しているのだから、第八艦隊司令部からは特段指示が出ているとも思えないので、これも部隊司令の独自の判断だろう。
いずれにしてもヴァルテンベルク率いる敵右翼艦隊は、二方向からの攻撃にさらされることになる。後退しながら回頭しつつ、二方向からの砲撃に対応するというのは、誰がやろうとしても困難な事業だ。運用を指示できるフィッシャー師匠のような参謀が仮にいたとしても、アッテンボローのような別働戦力として粘り強く抗戦を指揮できる副指揮官がいなければ、統制をとることは相当難しい。
そしてヴァルテンベルクには見る限り、どうやらそのような存在は居ないようだった。隣接する巡航艦戦隊同士が互いに後退しようとして交錯し、回避しようとそれぞれが転舵した先は、戦艦戦隊が防御火力を展開しようとした射線範囲だった。船体真横から戦艦の砲撃を受けて巡航艦が無事でいられるわけがない。シャチの群れに追っかけまわされるイワシの群れのように、あちらに逃げこちらに逃げと動き回るので、別の戦隊の戦列も乱れる。
爺様はその動きを見逃さず、モンシャルマン参謀長に砲撃を指示する。戦艦基準の砲撃指示を俺が集団砲撃指示に翻訳し、ファイフェルがそれを集団各艦に伝える。爺様と参謀長の的確な砲撃指示と集団各艦の統制の取れた砲撃によって、第四四高速機動集団は円錐陣形を維持しながら、かつてのマーチ=ジャスパーの如くチーズをナイフで切るように帝国軍右翼部隊は分断された。
分断されたうち第八艦隊第四部隊と第四四高速機動集団に挟まれた側の一片は組織的な抵抗能力を失い、個艦単位で散り散りになって戦線を離脱していく。もう一片の側には旗艦である戦艦オスターホーフェンの所在が確認されていた。その数は一二〇〇隻に達しない。彼らは秩序を維持しつつも、戦意を喪失し後退している。
この時点で同盟軍と帝国軍、どちらが勝っているかなど誰も分かりようがなかった。戦艦エル=トレメンドのオペレーター達が纏めてくれたデータを整理しても、天頂方向から見れば右横に引き延ばされたMの字の真ん中から左の部分が鈍角に折れ曲がっているような、なんと形容していいか分からない前線模様になっている。通信・連絡線はぐちゃぐちゃで、同盟軍から見て右翼方向は押しに押されて崩壊寸前だが、左翼方向はほぼ一方的に蹂躙している。
幸い蹂躙側にいる第四四高速機動集団としては、掃討戦をすることなく、進路を維持して帝国軍中央部隊の右側面を攻撃に掛かる。だが前方に広がる中央部隊の後衛を見て集団司令部は唖然とした。
「なんでこれほどの数の支援艦艇がこんなところにいるんだ……」
カステル中佐がメインスクリーンに映る、まさに慌てふためいて「後方に」逃げ出していく帝国軍輸送艦と工作艦を目にして零した。本来なら戦闘宙域外、第四四高速機動集団の左舷一〇時一〇分の方角にある一団が、後方支援集団であるのが常識だ。モンティージャ中佐が慌ててその集団に対して光学測定を行うと、そこには何の姿もない。映像に映らないほど小さく、それでいて重力波や熱源をまき散らしている……第八七〇九哨戒隊が観測したとおり帝国軍が撒いたデコイ群だろう。
つまりは偽装後退した二〇〇〇隻以上の帝国艦隊にこれらの支援艦艇は含まれておらず、同盟軍側の索敵を誤魔化す為に、戦闘艦隊として部隊後衛に戦列参加していたわけだ。戦列を厚く見せて、第八艦隊司令部が右翼への増援を躊躇する位に。あえてデコイまで仕込んで。
「……向こうも観測しているだろうが、一応第八艦隊司令部にこの状況を説明しておいてくれ」
騙されたというよりは、呆れてものが言えない爺様をよそに、モンシャルマン参謀長は俺にそう命じた。簡単な報告書と観測データを添付して、旗艦ヘクトルに送るよう通信オペレーターに頼むと、ほとんど時間差なくそのオペレーターがヘクトルからの通信文を手渡した。
「第四四高速機動集団は、左舷一一時の方向に進撃しつつ、展開して敵を半包囲し掃討せよ。以上です」
通信文を受け取ったのが俺であるので、面倒なのでファイフェルではなく俺が直接司令部で報告すると、爺様もモンシャルマン参謀長も、モンティージャ中佐もカステル中佐も、それどころかファイフェルまで、一斉に溜息をついた。
「ま、このまま直進するのも、一一時の方向に向かうのも、砲撃目標が右に多少ズレるくらいじゃから別に構わんのじゃがな……」
「しかし半包囲ということは、第八艦隊の主力も前に出るということになりますが」
モンシャルマン参謀長の反問通り、我々は二〇〇〇隻未満の戦力である以上、単独で敵中央部隊を半包囲することなど物理的に無理なので、第八艦隊と合同でということだろうが、その第八艦隊にそんな戦力の余裕が到底あるとは思えない。第四部隊が想像以上の活躍をしているとはいえ、第三五三独立機動部隊と第四一二広域巡察部隊はほぼ壊滅状態。そちらのフォローの方が第八艦隊には求められているはずだ。
「好意的に考えれば、敵主力の後背に我々が動くことで敵全体の戦意を低下させ、もって敵を撤退に追い込む、ということですが」
「そういう期待を持つのは構わないが、なされるかどうかは敵に聞いてもらうしかないな」
辛辣な表情で辛辣なセリフをモンシャルマン参謀長は吐く。敵中央部隊の戦力が有効な戦闘力を維持している間は、敵の撤退など考えられない。半包囲態勢を敷くために現在の陣形を変更する時間をかけるくらいなら、このまま直進して敵中央部隊に致命的な一撃を与えた方が、より早く決着がつくのではないか。だいたい不用意な陣形拡大は、敵に対し付け込む隙を与えることになると言って第四四高速機動集団を批判していたのは彼らで、そもそも付け込んだ敵を倒せるだけの手当てがあるのか?
「ジュニア!」
口をへの字に曲げた爺様が、荒々しい声で俺を呼ぶ。
「第八艦隊司令部は、本当に『一一時の方向に進撃し』、と命じておるんじゃな?」
「ええ、はい」
最終的にファイフェルの右手の内に収まったペーパーを取り戻してからと、文面を確認する。一字一句間違えていない。
「それが如何いたしましたか?」
「一一時〇〇分とは書いておらんじゃろうな?」
「書いておりませんが」
確かにそうは書いてない。書いてはいないが……
「……流石に強弁に過ぎませんか?」
「三〇分だろうが五九分だろうが、一一時の方角に間違いはなかろうて。のう、参謀長?」
「ボロディン少佐も書いてないと確認していることですし、それでよろしいかと」
「いや、ですが……」
「敵の中央部隊主軸を直接攻撃し、もって継続戦闘能力を奪う。ジュニア、進路を出せ!」
命令となれば仕方がない。俺も爺様の指示の方が正しいと思うが、これはほとんど司令無視だろう。爺様が独立部隊の指揮官だった頃の戦績シミュレーションを思い出しつつ、敵旗艦と後衛予備兵力の中間地点を目標として、現在の陣形のまま無理なく途中で進路変更ができるルートを提示する。
「一一時三八分五五秒か……よかろう。麾下全艦にこの航路を通達せよ。第二戦速じゃ」
爺様から渡された計算書を持ってマイクに向かって駆けだしていくファイフェルを他所に、俺は座っている爺様から手招きされた。これは俺の出した針路が爺様の本意とは若干ズレているのは分かっている。このパターンで二度爺様の鉄拳を浴びている俺としてはあんまり近寄りたくはなかったが、睨みつける視線に自然と足を前へと動かさざるを得ない。だが傍まで寄ると、爺様は座ったまま左腕を伸ばして、力強く俺の右肩を掴んで引き寄せた。
「ジュニア。儂が責任をとるんじゃから、それほど気を利かせんでもよいのじゃぞ?」
「しかし……」
「じゃが気を利かせてくれたことは感謝せねばな。士官学校の首席様はご存知かもしれんが、儂のとっておきのコツを教えて進ぜよう」
そういう爺様の顔は、かつて査閲部で色々と言葉を交わした古強者達と全く同じものだった。俺が中腰になって顔を向けると、爺様はメインスクリーンの端っこに映る第四四高速機動集団と正面に展開している敵中央部隊のシミュレーション図を指差した。
「ジュニア、格闘技は何が得意じゃ?」
「なにが得意というわけではありませんが、士官学校では徒手戦闘術を習いました」
「ならある程度わかるな。艦隊決戦時、儂は相対する敵を一人の人間として認識しておる」
「人間?」
「頭部が旗艦と中核部隊。首が主軸戦艦部隊。腰骨が宇宙母艦。背骨や肋骨、それに関節が連絡線に位置する前衛戦艦部隊。殴る腕や蹴る足の筋肉が巡航艦部隊。指が駆逐艦や戦闘艇。まぁ大まかに言えばそんな感じじゃ」
「人間を破壊するように戦うと」
「顎先に一撃喰らわせれば人間は倒れる。じゃがそう簡単にはいかん。ジャブを打ち、ボディを叩き、フェイントを見せ、ローキックで崩し……隙が見えたところでKOを狙うが、まぁ大抵は判定勝負じゃな」
「数の大小は、階級」
「そうじゃ。逃げるにしても、大ケガしないように立ちまわって逃げねばならん」
フライ級とヘビー級じゃまともに戦ったら勝負にならない。移動速度、距離間隔、攻撃の質……なるほど爺様の攻撃指示は、リング上の老練な格闘家の戦い方そのままだ。逆に言えば負けない戦いというのも、同じ基準で考えて指示をしている。
だからこそ今の第八艦隊司令部が出す『戦術シミュレーションの逆回し』みたいな指示をまどろっこしく感じるのだろう。意図は理解するが、もっといい『倒し方』はあるんだぞと。やはり爺様は柔軟な思考力と広い視野を持っていても、本質は戦術家(喧嘩屋)なのだ。
恐らく、いや統合作戦本部と宇宙艦隊司令部の人事評価部門がマトモであれば、一連の戦いでの評価と前回のエル=ファシル奪回の功績で、爺様は第五艦隊司令官になるかまではわからないが中将に昇進するだろう。俺ももしかしたら中佐に昇進するかもしれない。そして原作では爺様とモンシャルマン参謀長のコンビは、宇宙歴七九四年のヴァンフリート星域会戦まで継続する。となるとやはり俺は爺様の機嫌をよほど損ねない限り、最大で『第五艦隊作戦参謀/准将』あたりになる、かもしれない。
それで果たしてあの帝国領侵攻を事前に阻止できるだけの実力と権限を持つことができるのだろうか。それこそフォークを暗殺でもしなければダメなんじゃないか……前進を開始し、意気上がる第四四高速機動集団の前衛部隊が帝国軍中央部隊の右脇腹に突っ込んでいく姿を眺めつつ、俺は小さく溜息をつくのだった。
後書き
2023.09.20 更新
第93話 カプチェランカ星系会戦 その4
前書き
いつもの遅筆で申し訳ございません。
ようやくカプチェランカから帰れそうな感じです。長かった。
C103の方は全く進んでいません。表紙の下絵を描いたぐらいです。間に合うかわかりません。
たぶん落選だと思いますが、上手くいけばいいなと思います。
Jacksonに乗っていると、マジでT-34-85Mがウザいです。
あと自走砲ポジにいる重戦車は、味方でも殺していいようにしてください。
宇宙歴七九〇年 二月二八日 〇一〇〇時 ダゴン星域 カプチェランカ星系
戦局は大きく、より過激に動きつつある。
第四四高速機動集団に右脇腹を突かれた帝国軍中央部隊は後方支援艦艇の逃散も加わって継続戦闘能力を失いつつある一方、第三五三独立機動部隊と第四一二広域巡察部隊はメルカッツ艦隊の近接戦闘によりほぼ壊滅した。
メルカッツ艦隊は両部隊が維持していた宙域を制圧。第八艦隊と、別動隊と対峙している第三五九・第三六一両独立機動部隊の間隙に火力投射を行い、各個撃破を狙いつつある。
現時点でどちらが優勢であるかははっきりしない。双方が太極図をより複雑化したような動きになりつつあるのは確かだ。数で言えばやや帝国軍側が優勢だが、増援の面から考えれば第一〇艦隊の到着が見込める同盟軍が有利と見えないこともない。何しろ帝国軍はイゼルローン要塞駐留艦隊の次期交代部隊(と想定される)ヴァルテンベルク艦隊も戦線に投入している。これ以上の増援は他の星域の防衛戦力を抽出することになり、戦略的にもイゼルローン回廊出口周辺宙域の安全を確保できなくなると、帝国軍が考えてもおかしくはない。
同盟軍としては負けない戦いをして第一〇艦隊の到着まで耐えられればいい。そう踏んで第四四高速機動集団に敵中央部隊の背後に廻って包囲させようと第八艦隊司令部は命じたのだろうが、現時点で第四四高速機動集団の残存戦闘可能艦艇数は一五五六隻。半包囲するように陣形を広げたらあまりにも薄くなりすぎ、敵の予備戦力により容易に防御・突破され戦局はより泥沼化する。
「艦砲の有効射程距離がもう少し長ければ」
砲撃指示の合間に思わず零れたであろうモンシャルマン参謀長の独り言を、俺は聞き逃すことができなかった。敵中央部隊の総数は未だ一万隻を超えている。幾ら右側面を突いているとはいえ、ヴァルテンベルク艦隊とは数においても占有空間の広さにおいても比較しようがない。適切に砲撃をしても、数によって穴埋めされてしまう。入れ食い状態と言えばいいが、参謀長の零したように有効射程がもう少し長ければ、その増援先に、または予備戦力の移動ルートに火力を集中させ、もって敵戦力の分断を容易にすることが可能だ。
長い腕や足でアウトレンジできるのは先制的優勢を確保するに利するが、インファイトになった時は逆にそれが不利になる。特に同盟軍の艦艇は基本的に迎撃ドクトリン下の生産性に重きを置いており、帝国軍に比して船体は小型で、核融合炉も燃料タンクも小さい。一概に宇宙空間戦闘においてそれが不利であるわけではないが、余裕がないのも確かだ。
「閣下」
このままずるずると消耗戦のチキンレースになるか、と溜息をつきそうになったところで、今さっきまで席を外していたモンティージャ中佐が爺様に駆け寄ってきた。
「第八艦隊第四部隊の参謀長より、当司令部あてに秘匿通信が届いております。如何なさいますか?」
その言葉に俺は、爺様を囲んで立っているモンシャルマン参謀長とファイフェルに視線を送る。秘匿通信とは尋常な話ではない。ぶっちゃければ現時点で第八艦隊司令部に聞かせられない話をしたいということだろうが、戦地における軍事通信である以上、記録には残る。この場合指揮系統を無視した話になるので、はなはだ都合が悪い。以心伝心で動いてくれた第八艦隊第四部隊が、敵の傍受にも晒される可能性のある超光速通信で話がしたいというのは、どういう事か。
「参謀長か……」
爺様が一度モンシャルマン参謀長に視線を送るが、なにかを悟って動こうとする参謀長を手振りで抑えると、司令官席のモニターに直接接続するよう、モンティージャ中佐に指示した。中佐が自席に戻って数秒後、爺様専用のモニターの片隅に、鹿毛の角刈りで眉が細く碧眼の、顎が角ばった中年士官が現れた。
「第八艦隊第四部隊参謀のライオネル=モートンであります」
やや嗄れてはいるが、経験と自信に満ちた声と共に、画面に映るモートンは爺様に向かって敬礼する。まだ目尻に皺はそれほどよってはいないが、間違いなくその顔は『次の』第八艦隊で副司令官だったモートンそのまま。爺様やカールセン同様、士官学校を出てはいないが、沈着で忍耐力に定評のある指揮官……だったはずだ。第四部隊の的確な連動や、機敏な移動と砲撃指示の根源はもしかしたらこの人の助言があったからかもしれない。
だがそれだけに秘匿通信であえて上級司令部を飛び越して第四四高速機動集団に通信を打ってくる理由はなんだろうか?
「第四四のビュコックじゃ」
爺様も不信を抱いており、答礼はゆっくりで何を言いたいのか推し量るようにモニターに向かって厳しい視線を送っている。
「左か、上か、下か」
何がという主語もない爺様の問いに、画面の中のモートンは小さく細い眉を動かしただけで、まったく表情を変えずに答える。
「下でお願いいたします。」
「よろしい、分かった」
それだけ応えると、爺様は敬礼をするまでもなく、あっさりと通信を切った。防諜を考えてのことだろうが、あまりにも短いやり取りに唖然とせざるを得ない。だがモンシャルマン参謀長はすぐに心得たようで、俺に何気ない視線を向ける。
「ボロディン少佐、どうやらこの戦場では『通信の乱れ』が激しいようだ。いいね?」
「……了解いたしました」
「それと少しだけ当集団の陣形を右方向に広げたい。可能な限り早く」
つまり現在第四四高速機動集団の右舷後方に位置している第八艦隊第四部隊が、第八艦隊の戦列を離れて戦闘宙域水平面に対して下方に移動して敵中央艦隊を攻撃するということだろう。有効な攻撃手段であることは間違いないが、第八艦隊司令部の構想が半包囲である以上、そんなことすれば明確な司令無視。まだ第四四高速機動集団は第八艦隊の麾下部隊ではないので色々言い訳ができるが、第四部隊はそうはいかない。失敗すれば指揮官は更迭間違いないだろう。
それを心得た上で、指揮官ではなく参謀長が秘匿通信を送ってきたということだ。しかも前哨戦において、こちらの行動に呼応するように動いてくれたことを貸しにして、言外に協力しろと言ってきた。第四四高速機動集団としては断ることは出来ない。仮に協力せず失敗した場合、秘匿通信を第八艦隊司令部に上げるぞという小さな脅迫を含めて。実に嫌らしい話だ。
「参謀長閣下」
「この件に関してはビュコック提督も私も、今の君には答えないよ。ただ、まぁ……君が艦隊司令官職に就いた時には、ある程度覚悟しておくことだね」
あのシトレに艦隊指揮官としての統率力がないというわけではない。だが戦理に適っていない命令が下った時に、麾下部隊が司令部に不満を抱き、勝手に動くような可能性は常にあるということなのか。到底認められないような話だが、爺様やモートンといった叩き上げの指揮官達にとっては、それが当然なのだろうか。あるいは同盟軍はそうやってエリートたちの墓穴を埋めてきたということなのだろうか……
余計な詮索はともかく、今は陣形再編が優先だろう。第四部隊が降下砲撃に出る以上、第八艦隊との間に火力の隙間ができてしまう。これを埋めるには陣形を右方向に広げて、隙間に向かえないようにすることだ。現在の円錐陣における底面を広げ、頂角を拡大しつつ、母線を底面中心からやや右方向に移動させる。火力の面積密度を減らさない為に、円錐の高さを小さく(扁平に)する必要もある。麾下部隊を移動させ、戦闘を継続しつつ。
制式艦隊ならば専門の運用士官がいるだろうし、そういう訓練もするかもしれない。だがようやくフォーメーション変更を滑らかにできるようになったばかりの、損害のある高速機動集団にはかなり難しい話だ。特に母線軸にあるべき旗艦が移動することになるから、計算の難易度はかなり高いものになる。
モンシャルマン参謀長の砲撃指示を翻訳する余裕は俺にはない。リアルタイムで支配宙域が変わる中、麾下各戦隊をどう配置し、その位置に向かってどう動かすか。ファイフェルが苦労しながら任務を肩代わりしてくれている間、運用シミュレーションをひたすら叩き続ける。ヤンがその艦隊指揮において一体どれだけ『ズル』をしているのか。
恨み言をこぼしながら格闘すること一五分。形になったシミュレーションを参謀長に提出し、爺様に手渡され、即座に承認されて、第四四高速機動集団はそれなりにスムーズに陣形の変更を行う。その動きを目ざとく察知した第四部隊は、第八艦隊の砲火戦列から離脱。一気に戦域水平面を前進降下し、まるでロー・ヨー・ヨーのような軌道で帝国軍中央部隊の『下腹部』に噛みつきに行く。爺様の言い方ならば「左サイドボディから左ローキック」というところか。
これで帝国軍中央部隊は、正面から第八艦隊主力から圧を受け、右側面より第四四高速機動集団に抉り込まれ、右後方を下から第八艦隊第四部隊に刺される形になった。もはや中央部隊の右翼集団は組織的な抵抗をできる状態になく、旗艦集団と思しき部隊は右舷回頭しつつ後進を開始している。左翼集団も回頭して第八艦隊との距離を取り始めている。第四部隊の離脱当初は錯綜していた味方の通信回路も、現状追認といった形で落ち着きを取り戻している。
ただし帝国軍でもメルカッツ艦隊だけが元気に前線で戦っている。第三五三独立機動部隊と第四一二広域巡察部隊が居た宙域から前進し、第八艦隊本隊と第三五九・第三六一両独立機動部隊との間に完全に割り込んでいる。そのまま直進ののち右旋回すれば第八艦隊の後衛や支援部隊を攻撃範囲に収めることができるだろうが……
「まぁ、左旋回するじゃろうな」
爺様のぼやきの通り、メルカッツ艦隊は左旋回し、帝国軍別動隊と対峙している第三五九・第三六一両独立機動部隊と第八艦隊第五部隊の後方を掠めるように突き進んでいく。同盟軍の右翼集団を孤立させるように見せて、主力である第八艦隊の注意を引きつつ、分散して撤退を試みるということだろう。
仮にメルカッツが目先の功績を狙って第八艦隊の後方を襲ったとしても、帝国軍中央部隊を第四四高速機動集団と第八艦隊第四部隊に任せた第八艦隊主力が両端部より順次回頭し、半包囲することもできる。同盟軍右翼集団も呼応すれば半包囲どころか三/四包囲になる。
「敵艦隊は撤退戦に移りつつあります」
二月二八日 一〇〇〇時。モンシャルマン参謀長が言う通り、帝国軍は大きく三つに部隊を分けて戦域を離脱しつつある。帝国軍中央部隊は輸送艦も工作艦もいない状況下で継続戦闘能力を失い後衛部隊から順次回頭、メルカッツ艦隊は同盟軍から見て右後背四時三〇分の方角へ直進、第八艦隊第五部隊と対峙していた帝国軍別動隊もそれに続く。
第四四高速機動集団に最初に撃破されたヴァルテンベルク艦隊の残存部隊は、早々に戦域を離脱した。これは戦域離脱を許可したはずの第八七〇九哨戒隊が案の定任務を続行しており、本隊が勝利に傾きつつあることを確認してから、随時その位置を連絡してきている。
現戦域での勝利はほぼ確定。だが現時点での戦力はまだ五分と五分。戦闘が開始されてから三五時間。中途下火になった時間も含め、同盟軍全体としての陣形もかなり複雑になっており、次の戦闘に備える意味でも一度休息を入れるべき時だろう。
「第八艦隊司令部より入電。追撃中止。全艦隊集結・現宙域の残敵を掃討しつつ、陣形を整えよ、とのことです」
通信文を持ったままファイフェルがそう告げる。既に第四四高速移動集団は、帝国軍中央部隊が最初に布陣した宙域を突破し、第八艦隊第四部隊がその左翼に並行布陣している。爺様はファイフェルの報告に口に出しては何も言わなかったが、小さく左手を上げてそれに応えると、爺様の傍に立つモンシャルマン参謀長が小さく咳払いをしてから言った。
「機動集団全艦戦闘停止。現在位置で停止の後、命令系統の再編を行う。戦隊毎に状況を報告させ、それに合わせてそれぞれ仕事をしよう。諸君、何か意見はあるかね?」
俺もモンティージャ中佐もカステル中佐もファイフェルも、これからやることは心得ている。幸いにして勝ち戦ではあるし、支援部隊に大きな損害はなく物資にも余裕はある。だが結局のところこの中では明らかにダントツで仕事量の多いカステル中佐が手を上げた。
「よろしければ次席参謀と司令官付従卒を、一時的に補給部署へご配置願いたい」
「だ、そうだが、ボロディン少佐?」
モンシャルマン参謀長が視線だけこちらに向けて言う。カステル中佐としては猫の手も借りたいところだろうが……
「協力したいのはやまやまなのですが、部隊再編成と集団戦闘詳報の集約がありますので、それが終わってからでよければ」
これらはまず三時間以上はかかる仕事だ。到底、カステル中佐の仕事を手伝う余裕などない。しかし俺を見るカステル中佐の顔に奇妙な笑みが浮かんでいるのはどういうことだろうか。
「ではブライトウェル伍長は借りていいな?」
「ブライトウェル伍長は小官の部下ではなく、司令官直属だと思われますが?」
俺の部下じゃなくて、断りなら爺様に言え、そう言ったつもりだがカステル中佐は俺ではなく後ろに首を廻して応えた。
「だ、そうだ。ブライトウェル伍長」
その視線の先には、主人に散歩を断られた犬のようにションボリとした表情でたたずんでいる、ブライトウェル嬢がいるのだった。
◆
二月二八日 一四〇〇時。第四四高速機動集団の部隊の再編はほぼ終了した。
現時点における第四四高速機動集団の所属残存艦艇数は一九一九隻。そのうち戦闘艦艇は一六三〇隻で、即時戦闘可能艦艇は一五四八隻と集計された。応急修理で再び戦闘可能になると推定される艦艇も含めれば一五八九隻となる。
輸送艦や工作艦を含め、エル=ファシル星系からの損失率は二三.四パーセント、戦死者三万九〇〇〇人余、負傷者は二万五〇〇〇名余、死傷率は二六.五パーセント。やはりアトラハシーズ星系でメルカッツに、乗員の多い戦艦を狙われたことが将兵の戦死者数を押し上げた。病院船がフル稼働して負傷者の治療に当たっているが、肉体的には健常であっても精神的には無理な将兵もいることから、一五八九隻が完全に戦闘能力を維持できているかどうかは不安が残る。
一方で他の部隊の状況も芳しくはない。
第三五三独立機動部隊と第四一二広域巡察部隊は、それぞれ残存艦は五〇隻に満たないほどに打ち減らされた。第三五三独立機動部隊旗艦である戦艦バラガートの撃沈は確認され、司令のドゥルーブ=シン准将の戦死は確認された。第四一二広域巡察部隊司令のピラット=パーイアン准将は命こそ失わずに済んだが、旗艦に直撃弾を受け、司令艦橋ががれきの山となり、出血多量の重体で戦闘指揮を執ることは到底不可能な状況。結局両部隊は統合し、一個戦隊として再編し第八艦隊に編入される。
第三五九独立機動部隊と第三六一独立機動部隊はそれぞれ三割ほどの損害を出しているが、パストーレもムーアもそれぞれ健在で、一応の組織戦闘能力を有している。ドゥルーブ=シン准将が戦死したことにより、右翼部隊の最先任指揮官がパストーレになったのは皮肉な結果だ。
第八艦隊は残存艦艇が一〇三〇八隻、損失率は一七.一パーセントと比較すれば一番損失率が少ない。だが母数が大きいとはいえ二一二五隻もの艦艇を完全喪失しているのだから、手放しで喜べるはずもない。
ハイネセンを出動した時点からの艦隊戦における損失率は、地上戦部隊の艦艇も含めた総体として二三.七パーセント。現時点での戦死者数は三六万人に達する。
一方で各部隊より集積された戦闘詳報の集計も第八艦隊司令部では終了したようで、速報値とはいえ敵艦隊の損失は七〇〇〇隻をゆうに超え、総体としての損失率は三五パーセントに達するだろうという事だった。単純に報告に上がった数字を積み上げただけでなく、戦闘終了後の重力波観測などを含めたものであるので、話半分と言った誤差はないと思われる。
全体から見ればカプチェランカ星系会戦は同盟軍の勝利で終わったと言っていい。推定される帝国軍の残存艦艇数は、同盟軍の残存艦艇数とそれほどの差異はない。帝国軍はイゼルローン要塞駐留艦隊を動員しており、これ以上の損害を被ればイゼルローン要塞自体の防衛に障害が出るので再び戦うというのは戦略的には無意味だ。恐らくは遠巻きに同盟軍と包囲されたカプチェランカを眺めつつ、同盟軍の援軍を確認した後、イゼルローン要塞へと撤退することだろう。
艦隊戦だけで両軍合わせて一万隻以上。推定で一〇〇万人の命が失われた。地上軍でもそれなりに損害が出ているはずで、これから戦死者数はもっと増えることだろう。まったくもってうれしくない未来だ。
「第一〇艦隊の星系到着は、早くても五日だな」
全艦隊が隊列を整え、惑星カプチェランカへと針路をとった中、モンティージャ中佐はスパルタニアン搭乗員用と同じロイヤルゼリーと小麦蛋白の混合チューブを口にしながら話しかけてきた。胃に優しく疲労回復にも実に効率のいい食品としていろいろなフレーバーで民生品も販売されているのだが、その手軽さゆえに簡単に太ると評判の『メタボメーカー』と言われている。
「とりあえず勝ちは得られた。シトレ中将も、そのシンパも一安心といったところだろう」
その口調には剽軽で人受けのよさそうな顔とは全く正反対の、皮肉のスパイスがべっとりと塗られている。
「そのシンパの一人と言われている小官に、言える中佐もなかなか大したものですね」
「貴官がシトレ中将の熱烈なシンパだとは到底思えないからな」
そういうと座っている俺の左肩に手を置き、モンティージャ中佐は顔を近づけ、声を潜める。
「一〇〇万人だ」
「……ええ」
「平和主義者で人道主義者の君としては、この戦いの戦略的な意義を理解しつつも、シトレ中将の襟の星の数が一つ増える対価にしてはいささか大きすぎると思ってるだろう?」
明らかに挑発的な言葉遣い。顔見知りの情報将校でなく民間人に、街角のバーで同じようなことを言われたら、俺は果たして怒りを抑えられるだろうか。理不尽な怒りであることは承知の上で、俺は何も言わずに間近にあるモンティージャ中佐の糸のように細い目を睨みつける。口から下がっているチューブが全く雰囲気を中和しないほどに中佐の顔は冷たい。恐らく一〇秒に満たない時間だったが、三〇分以上に感じられる沈黙と緊張は、中佐の方から切られた。
「いい顔だ。俺はそういう顔をする貴官は嫌いじゃない」
「中佐」
「あぁ、恋愛的って意味じゃないぞ。誤解するな。残念ながら俺は貴官の向ける愛には応えられない」
中佐の目が糸からドングリに変わったが、纏う雰囲気はほとんど変わらない。手を振りながら立ち去ろうとする中佐に、俺は声をかける。
「中佐、一つだけ質問をしてもいいですか?」
「さぁて。応えられるかどうかは保証しないが」
「中佐がイェレ=フィンク中佐や第八七〇九哨戒隊の面々を、必要以上に警戒しているのは何故です?」
一瞬、中佐の右眉が吊り上がったが、それもすぐに元の位置に戻ると、小さく鼻息を吐いて笑みを浮かべたが、口から出てきた言葉は辛辣だった。
「あれは薬にならない毒だ」
「は?」
「制御のきかない過大な忠誠心は、忠誠の対象を害する危険性が高い。ある日突然、命じられてもいないのに主人の競争相手の首を獲ってきました、などということもありうる」
「……それはブライトウェル嬢にも言えることでは?」
「銃で貴官が狙われた時、嬢ならば身を挺して貴官を守る。八七〇九の連中は周囲で銃を手に持つ全ての人間に危害を加える。敵味方関係なくな」
それは結局のところ俺自身を害することに繋がる。エル=ファシル奪回戦後に言外に言ったつもりだったが、第八七〇九哨戒隊の俺に対する忠誠心は、中佐の警戒を呼び起こすのに十分だったのだろう。いやむしろ俺の心配というよりは、軍隊の中に私兵組織が存在するという危険性に。
「小官に転属を薦めているのは、そちらが本音ですか」
「いや、こっちは本音じゃない。一因ではあるがビュコック司令が上官でいる限り、奴らは早々に暴走はしない」
「では一体?」
「『あの』バグダッシュが進んでバックアップしたいって、情報将校としてどこか螺子がすっ飛んだようなことを言わせる相手が、三〇代半ばで准将なんて地位で終わって欲しくはないんでね」
いったいバグダッシュは情報部内部ですらどんな目で見られているんだ。マーロヴィアの俺の執務室にワインクーラーを設置して、飲み屋使いしていたバグダッシュの顔を思い浮かべた俺が溜息をつくと、モンティージャ中佐はいつものような軽薄な笑みを浮かべて肩を叩くのだった。
◆
三月五日。ほぼ予定通り、第一〇艦隊がカプチェランカ星系に進入を果たした。完全に合流するまであと一日、星系内航行しなければならないが、艦艇数一三〇五〇隻、兵員一四五万余。文字通り傷一つない戦力の到着は、味方の士気を十分に高めた。星系外縁部に集結していた帝国艦隊の一部の撤退も確認され、ほぼ星系全体の制宙権は確保されたと言っていい。
地上軍の進行状況も順調だった。吹雪がひたすら続く劣悪な気象条件故に、宇宙空間や対地攻撃艇による上空からの攻撃の効率は悪いが、完全な制宙権下にあることで気象衛星と地上探知衛星の組み合わせによる索敵とマッピングが実施され、ディディエ中将は発見された帝国軍の前線基地を各個撃破している。
一度だけ、地上軍のジャワフ少佐と連絡を取り、俺はモンティージャ中佐とブライトウェル嬢と一緒に、惑星カプチェランカに脚を下ろした。
未だ戦闘中ということで中佐が望んでいたような地形測量や地質調査などは出来なかったが、天然資源採掘プラントで働く民間人を『戦時捕虜』として捕えており、その回収は第四四高速機動集団が第八艦隊から任されたとあって、以降戦艦エル=トレメンドで中佐はウキウキで民間人に『尋問』している。
さらにSサイズの戦闘装甲服を着た女性軍属など、(特殊趣味な映像を除いて)めったにお目に掛かれないとあって、オタサーの姫ならぬ陸戦部隊の姫扱いになったブライトウェル嬢が、熟練兵達にけしかけられた新兵相手のワンサイドタッグマッチでほぼ全てに勝ってしまい、表敬訪問先のディディエ中将に怖い顔で両肩を何度も叩かれていた。
そして三月一八日。先発した第三五九・第三六一独立機動部隊に続き、第四四高速機動集団はカプチェランカ星系を後にする。予定より半月ばかり早いが、戦闘が優位に終了したこともあって第四艦隊出動の臨時予算承認が下り、被害の大きい部隊から撤収することとなった。
一〇〇万将兵の命と引き換えに、極寒の惑星をかろうじて同盟軍が手に入れただけの戦いが終わった。
後書き
2023.10.09 更新
第94話 愛情と友情
前書き
だいぶご無沙汰しております。本を作ってました。
色々なところで発信してますが、コミックマーケット103(冬)に本作でサークル参加することに
なりました。詳しくはつぶやきをご覧ください。
で、今話は実は次の話と合わせて出すつもりだったのですが、キリが悪すぎる&合わせると
16000字を超えるということで、流石に分離しました。
なので、ちょっと中途半端でパワー不足だと思いますが、ご勘弁願います。
宇宙歴七九〇年 四月一〇日 バーラト星系 惑星ハイネセン
出発する時は冬の真っ只中だったハイネセンも、すっかり春の陽気に包まれていた。
激戦に次ぐ激戦。ほぼ全て戦力的に不利な状況下での連戦を潜り抜けて、被害は部隊の約四分の一。これだけの戦いをすれば普通は部隊の半数も帰還できないと考えられるだけに、宇宙港に帰還する第四四高速機動集団の将兵達の顔には疲労感の中にも僅かばかりではあるが明るさがある。
だが司令部の面々が安穏としているわけではない。ハイネセン第二宇宙港に帰着早々、爺様とファイフェルが宇宙艦隊司令部に引っ張られたからだ。出迎えが憲兵ではなく宇宙艦隊司令長官付高級副官であったから即拘束・軍法会議というわけではないだろうが、第四四高速機動集団の司令無視に近い戦闘行動があっただけに予断を許さない。
「まぁその辺はシトレ中将が戻れば話が早いだろうが、くれぐれも行動と言動には気をつけてくれ」
宇宙港のラウンジで解散前にそう警句したモンシャルマン参謀長の顔色は悪くはなかった。参謀長の経験からすれば大したことではないというところだろうが、シトレがハイネセンに戻るまでにはまだ時間がある。
それにこの戦いで一応『勝利』したシトレには信望が集まるだろうが、同時に競争者もより先鋭化する。ライバルであるロボス、この戦いで地位を追われる時期が早まるかもしれないジルベール=アルべ統合作戦本部長、虎視眈々と要職を狙っているロカンクール統合作戦本部次長、そして軍内部に強力な軍閥の登場を恐れる国防委員会……他にも同志のフリをしている奴もいるだろう。彼らの牙が爺様に向かうとも限らない。
すれ違う誰もが振り返るであろう栗毛の美人の奥さんが迎えに来たカステル中佐と、意味深なサムズアップを見せた後に霧のように人込みの中へと消えていったモンティージャ中佐と別れた俺は、ヤンとラップを待っていたジェシカが座っていた例の滝のベンチに腰を下ろした。
周辺は帰還兵とそれを出迎える家族友人恋人などなど……参謀徽章を付けているとはいえ、何処にでもいるような青年将校がベンチに座っていても気にするような人はいない。大佐以上の将校は時折チラッと視線を送ってくることもあるが、俺が一人無表情でいるのを見て声をかけてくることはない。ただ一人、奥さんと五人のお子さんに出迎えられた第三部隊司令のネリオ=バンフィ准将だけ、離れた場所から笑みを浮かべて軽く手を振ってくれたので、俺も座ったまま小さく答礼して応えるだけだった。
戦場で散った三万九〇〇〇余の戦死者の家族はここにはいない。カステル中佐や後方支援部が纏めた戦死者リストに基づいて、家族や申請者には『軍事公報』が既に送られている。両親、家族や恋人を含めれば一〇万人は下らない。その声なき怨嗟が、煌びやかな高い照明の奥にある空を映す、ガラスの天井の向こうに張り付いてこちらから見ているように思える。
「こちらにおいででしたか」
アントニナは士官学校で、イロナとラリサは学校でいない。歓楽街以外で若い女性に声をかけられる予定はなかったので顔を上げると、そこには笑顔を浮かべるブライトウェル嬢と嬢によく似た壮年の女性が立っていた。顔にはだいぶ苦労が刻まれているが見覚えはある。ケリム星系にいた時には何度もお世話になった。
「アイリーンさん」
「お久しぶりです。ボロディンち……少佐」
「『中尉』でいいですよ、ご無沙汰しております」
敢えて敬礼せずベンチから立って、俺はブライトウェル嬢の母親であるアイリーンさんと握手する。まだ五〇代にはなっていないはずなのに、手にも皺が寄り、血管が浮き上がっている。
エル=ファシルの英雄が誕生して既に二〇カ月。未だにヤンの名前は世間を騒がせているが、リンチ少将の名前はようやく闇の中へと消えつつある。エル=ファシル星系への帰還事業もカプチェランカ星系会戦の勝利の裏に隠れる形となり、ブライトウェル親子に纏わりついていたイエロー・ジャーナリズムの影はもうない。だがアイリーンさんの顔には陰りが見える。
「娘がこの度の出征で少佐には大変お世話になったようで……ご迷惑をおかけして申し訳なく」
「そんなことはありません。逆にご息女には司令部要員全員がお世話になりました。ご息女のアイデアが部隊を救ったこともあります。こちらこそお礼を申し上げたいくらいです」
まるで中学校の進路を巡る三者面談。内容もおそらく同じ。だがアイリーンさんからこの場では口にはできない。あまりにも戦勝の雰囲気が周囲に漂っているがゆえに。
「『特別な配慮』などする必要もなく、ご息女の学力と体力と精神力は、士官学校入学に十分値するものです」
「……ええ、よく、出来た娘だと思いますが」
「士官学校に入学した後、ご息女はきっと苦労されると思います。その点、お母様としてもご懸念・ご心配される通りだと思います」
カステル中佐の言う通り、ただでさえ出世レースの前哨戦みたいな士官学校。ビュコックの爺様とディディエ中将以外、有力な後援者のいない彼女がリンチの娘というだけで『公敵』としてイジメの標的となることは十分考えられる。特に士官学校はハイスクールとは違い、かなり閉鎖的な環境だ。イジメはより陰険で苛烈になるかもしれない。だが……
「ご息女は他の大多数の候補生とは違い、既に一〇数度に及ぶ実戦を経験しております。陸戦部隊上級士官の手ほどきを受けており、素手でも半個分隊(四・五人)は叩きのめせるでしょう。それ以上の候補生がご息女に暴行を加えるような真似をするのなら、第四四高速機動集団と第五軍団が容赦しません」
「……」
「小官としてもご息女が軍人とは別の、もっと平穏な生き方を選択したほうが良いと思わないでもないですが、どうか彼女の人生の選択を真っ向否定なさるのだけはお止めください」
アイリーンさんにしてみれば、夫だけでなく一人娘まで軍に奪われることになる。俺が軽い頭をいくら下げたところで、アイリーンさんが納得するようなものではない。ましてや原作通りに未来が進むとなれば、ブライトウェル母子の人生には『とてつもない暗雲』が、これでも足りないかと言わんばかりに待ち構えている。その時に嬢が軍に所属していたほうが……せめて爺様かヤンか俺の直属の部下であれば、何とか潜り抜けられるはずだ。
「ブライトウェル伍長」
俺は不安と困惑の文字が顔に浮かんでいるブライトウェル嬢に向き直った。
「第四四高速機動集団司令部は、着任以来の貴官の、多大なる貢献に感謝している。ありがとう」
敬礼ではなく最敬礼で。俺はブライトウェル嬢に対する。
「貴官がこれからの人生で艱難辛苦にある時、貴官が助けを呼べば必ず司令部の誰かが救いに行く」
実際どうなるかはわからない。爺様は理由不明で総司令部に呼ばれているし、部隊が解散すれば空手形だ。
「貴官は一人の軍人として何ら恥じるところはない。第四四高速機動集団司令部の一員としての誇りを胸に、自ら正しいと思う道を堂々と生きてほしい。これは小官だけではなく、司令部全員が願っている」
言い終えた後で二人を見ると、目に涙が浮かんでいる。別に泣かすつもりはなかっただけに、こちらが困惑する。今度はアイリーンさんの方から手が伸び、俺の両手をがっちりと握りしめる。
「ありがとうございます。ありがとうございます……」
俺に向かって頭を下げながら、ただひたすらそう言うアイリーンさん。ほんの僅かな肯定と空手形になりそうな援助。ブライトウェル母子がこれまで世間から浴びせられた全く正統性に欠ける批判や中傷の大きさが分かろうというもの。
あの時、軍も嬢を軍属にして暗黙の保護下に置いて、報道などからの直接的な中傷を浴びせられないようにするのが精一杯だった。急転するエル=ファシルの状況にまともな救援部隊を出せなかったという弱みもある。国家と組織の防衛の為にも必要以上にヤンを英雄として祭り上げ、逆にリンチを貶めなければならなかった。
数分もそうしていただろうか、ブライトウェル嬢がアイリーンさんを促し、俺の両手はようやく解放された。
「じゃあ、ブライトウェル伍長。三日後にまた司令部で。それまでゆっくり休んでくれ」
「はい。ボロディン少佐も……」
今度は敬礼で応えると、母子はこちらを伺いながらも人込みの中へと去っていく。二人の背中が見えなくなるまで見送ると、改めてベンチに腰を下ろし天井を見上げる。
ブライトウェル嬢が士官学校に無事合格したとして、卒業するのは宇宙歴七九五年七月。ちょうどレグニッツア上空戦や第四次ティアマト星域会戦の頃になる。実戦部隊に配備されるのは(志願さえしなければ)さらにその一年後。帝国領侵攻の直前だろう。
やはり俺にとっての『タイムリミット』は帝国領侵攻になる。最善はとにかくそれまでにあの金髪の孺子を殺すか捕らえる。原作通りに未来が進み、俺が爺様の艦隊にこれからもお世話になるとした場合、そのチャンスは恐らく三度。第五次イゼルローン攻略戦とヴァンフリート星域会戦と第三次ティアマト星域会戦。
そのうち第五次イゼルローン攻略戦時は駆逐艦エルムラントⅡ号の艦長だった。並行追撃時の乱戦の中で、小さな一駆逐艦を捕捉撃破するのはほぼ不可能。やはりヴァンフリートⅣ-Ⅱでもたもたしてるグリンメルスハウゼン艦隊を地上撃破するか、ウィレム坊や(ホーランド)を何とか口説き落としてまともに戦わせるしかない。
いろいろ予想できて出来そうにない未来に、憂鬱の溜息を一つ吐く。原作通り未来が進んでいるというのなら、俺がここまで成し遂げてきたことは全て、ただ原作に書かれていなかったことだけだというのか。
「そんなに上ばかり向いていると、涙が乾くぞ」
久しぶりに聞く同室戦友の声に肩を叩かれ、口を開けたまま首を傾ける。左襟の階級章は大尉のまま。
「はっ、泣いてなんかいねーし」
「お持ち帰りしようとしたら、親が出てきたのはさすがに不運だったな」
「『ウィッティ』」
「すまん。冗談だ、ヴィク。だからそうおっかない気配を出すな」
俺の声色が急に変わったのが分かったのだろうが、ウィッティは肩を小さく竦めると俺の隣に腰を下ろす。冗談を平気で言える仲ではあるが、今回の冗談は質が悪い。それが分かっているのか、座った後で小さく頭を下げてくる。詫びのつもりなのか、ポケットからガムを取り出してきた。それがアントニナの好きなブランドの商品だというのはわかるので、黙って一枚受け取る。
「ところで今回も活躍だったそうじゃないか。次は中佐だな。同期の出世頭だ」
「三万九〇〇〇余の犠牲を出した上でな。その上、ビュコックの爺様は着いて早々、宇宙艦隊司令部に呼び出しだ」
作戦の成果は恐らくクブルスリー少将あたりから耳にしていたのだろうから、呼び出し理由に考えられる司令無視の話を軽くすると、ウィッティは一瞬俺の顔を見て驚いた後、笑顔になって左腕を肩に回してくる。
「あぁ、それは良いニュースだ。ヴィクが心配するようなことはない」
「良いニュース?」
「おそらくビュコック少将閣下は、近く中将に昇進なされる。間違いなく空席になっている第五艦隊の司令官職に着任されるだろう。サイラーズ長官を長官室でぶん殴るような不祥事がなければね」
前回の第四次イゼルローン攻略戦に参加した三つの制式艦隊のうち、第五艦隊が最も損害が大きかった。艦隊司令部に犠牲はなかったが、麾下部隊の半数が消滅し、残りの半数も戦闘に耐えうる状況にない。残存艦艇は参加した他の艦隊に吸収されるか独立部隊となり、実働戦力としての艦隊は解散した。
司令官は職責維持のままの待命の後、宇宙艦隊司令部から統合作戦本部へと移動となった。勇退(引責辞任)した宇宙艦隊司令長官リーブロンド元帥の子飼いの部下だったことで、いわゆる『バックを失った』形になり、艦隊司令官職を維持するには本人の実戦能力も政治力も周囲の評価では不足だったのかもしれない。
そしてシトレがこの戦いでカプチェランカ星系の占領に成功し、想定外である不利な艦隊戦でも勝利した。爺様はアトラハシーズ星系とカプチェランカ星系の両方でその勝利に大きく貢献し、その艦隊戦指揮能力と戦略眼を改めて周囲に見せつける結果となった。シトレの大将昇進はほぼ間違いなく、その発言力は宇宙艦隊司令部でより大きくなったことで、爺様を制式艦隊の指揮官として推薦する空気(雰囲気)が出来た。シトレの『計算通り』に。
「まぁ統合作戦本部側も結果として前回のエル=ファシル奪回戦でビュコック閣下を昇進させなかったという弱みもある。第五艦隊のポストが空いたことと、シトレ『大将』の強い推薦を見て、サイラーズ大将も同意したんだろうな」
それはまだ大尉のウィッティが知るには、あまりにも広くて深い事情だ。それはつまり……
「……クブルスリー少将閣下が昇進して、という話もあったんだろう?」
俺の呟きに、ウィッティは口に含んでいたガムを飲み込んでしまった。胸を叩いて吐き出そうにももう食道を通り過ぎたのだろう、大きく溜息をついた後で額に右手を当てた。三分ほど俺とウィッティの間には沈黙が流れたが、先に小さく声を吐き出してからウィッティが口を開いた。
「あぁ、そうだよ。だが残念なことにクブルスリー少将閣下は、近年帝国軍との直接戦闘で功績を上げていない。元々内勤や警備艦隊で『堅実に』実績を上げてこられた方だから、それは仕方がないんだがなぁ」
名前が挙がっているということは、クブルスリーの軍内における評価が『堅実』なだけの軍人でないことは間違いない。能力もさることながら部下に対して驕ることない性格は、フォークに対してですら誠実に道理を諭すほどで、部下達の信望は厚いだろう。結果としてそれが暗殺未遂を招いてしまうことになるのだが、言うまでもなく相当に『出来た人』だ。
尊敬する上司が実績不足を理由に制式艦隊司令官になれなかったことは残念だったろうが、その出し抜いた相手が同室戦友の直上だということにウィッティも複雑な気持ちなのかもしれない。それでも笑顔ができるのだから、ウィッティの器量も大きい。
「だが俺が今回少佐になれなかったのは、どうやらヴィク、お前のせいらしいな?」
だが急に俺の左肩に回されたウィッティの左手に力が籠る。嫌みのない笑顔の中に、ちょっとばかり危険なものが混ざっている。
「いや、今回の戦勝はビュコック司令の戦闘指揮の賜物だよ。俺のような未熟なヒラ参謀は、ただただ付いていくのが精いっぱいで……」
「戦略部って部署はな、統合作戦本部の中でも宇宙艦隊司令部の内勤とは比較的話す機会が多い部署でな……特に第四四高速機動集団のアトラハシーズ星系における艦隊運用には目を見張るものがあって、クブルスリー少将閣下も色々と資料を集められて……フィッシャー大佐殿に行きついてね」
「……」
「大佐殿は、愛弟子のことを大変高くお褒めであらせられたぞ?」
そう言うウィッティの右手に握られている携帯端末の画面には、とある高級レストランの軍人限定予約割引チケットが表示されていた。
後書き
2023.12.17 文章前後の関係により修正再投稿。
第95話 大河手前の落とし穴
前書き
明けましておめでとうございます。
本年もボロディンJr奮戦記をよろしくお願い申し上げます。
能登の地震が心配です。幸い筆者は東京で無事ですが、皆様はいかがでしょうか。
何かできることがあればいいのですが、今はプロに任せる時だと思ってもおります。
宇宙歴七九〇年 四月一三日 バーラト星系 惑星ハイネセン
ウィッティに誘拐された高級レストランには、何とか仕事を抜け出してきた同期数名が手ぐすね引いて待ち構えていた。みな俺の生還を祝いつつも、その言葉の最後に高級ウィスキーのグラスを注文し、その返杯を俺は断ることもできず、一方的なタッグマッチになってあえなく撃沈。官舎の玄関に置き去りにされる羽目になった。俺が風邪をひかないよう、わざわざ砂漠迷彩柄の野戦用防寒シートを用意してくれていたのは、恐らく最初からそうするつもりだったのだろう。
完全に二日酔いの状況で翌日。グレゴリー叔父の官舎に生還の挨拶に行くと、レーナ叔母さんには涙ぐまれつつも呆れられ、イロナには薬を無理やり飲まされ、またも土産を忘れたことに怒っているラリサに腕を引かれて、グレゴリー叔父のベッドに押し込まれた。結局グレゴリー叔父が帰ってきた夜半までぐっすりと寝ることになり、翌朝ようやくまともに話ができるという悲惨な状況だった。
そして帰還三日目、グレゴリー叔父の家から第四四高速機動集団司令部に出勤することになった俺は、オフィスのある宇宙艦隊司令部に辿り着くまでに、何度も生還を祝福する声掛けと名刺攻めを受けることになった。
「君も名刺のファイルは要るか?」
今なら安くしておくぞ、と上機嫌で艶々肌なカステル中佐が気持ちのいい笑顔で俺に言う。ちなみにカステル中佐のデスクの上にも一〇〇枚近い名刺が、何かのルールに従ってキッチリと並べて置かれている。
「聞いたこともない同期が、いきなり親しげな顔で急に声をかけてくるのは、ホント心臓に悪いよな」
そう言って対面に座る無精髭のままのモンティージャ中佐は、名刺入れやポケットから机の上にバラバラとかなりの数の名刺を無造作にばらまく。
「噂話は早い。それが正しいか間違っているか、当の本人でも分からないのに。兵は拙速を貴ぶという事かな」
参謀長席で一枚一枚確認しつつ、平積みしていくモンシャルマン参謀長の顔は、いつになく冷たい。
まざまざと見せつけられる猟官運動。制式艦隊となればポストは山ほどある。それを埋めるにはどんな人間でも、今までの知己だけでは到底足りない。特に叩き上げの爺様の同年代はほぼ退役している。統合作戦本部人事部や宇宙艦隊司令部編制部などが動かせる独立部隊などの資料を揃えてくれたりはするが、その中でも僅かな知己を作るために現在の司令部要員に声をかけてくる。
「美味しい公共案件への飛び込み営業と考えれば、まぁこんなものじゃないですか?」
俺がそう言うと、三人の奇異な視線が俺に集中する。確かにここにいる人達は軍以外の仕事はしていない人達だ。前世の日本社会における営業活動を思い出せば、規制が緩ければこうなるよなとわかるが、そうではない。
「それだけ司令官閣下の名声が軍内には轟いてるので、立身出世の期待が持てるという意味で、ですよ?」
前世云々抜きにして、さりげなく話を合わせるように俺がその視線に応える。
「……それは司令官の為人をよくご存じないからだろうな」
名刺のタワーをマスキングテープでぐるぐる巻きにして火炎ダストボックスに放り込んだモンシャルマン参謀長が溜息交じりに言う。
「艦隊司令官になるという『噂』程度で猟官活動するような人物を閣下は重用しない。扱き使われている君達ならわかるだろう?」
ハイともイイエとも答えにくい質問で返すモンシャルマン参謀長だったが、俺が返事に困っていると、含み笑いを浮かべた。
「だいたい司令官閣下が制式艦隊司令官になったとして、ここにいる全員がそのまま艦隊幕僚にスライドするとは限らないのだからね」
それは道理だろうが、爺様は面倒なことがお嫌いだ。ほぼ間違いなくスライドさせられる。単純に第四四高速機動集団を編成する時の五倍以上の戦力計算を行わなくてはならない。部隊編制にかかる日数は、一ケ月と見るべきだろう。また徹夜徹夜の日々が始まると考えると憂鬱になったが、溜息をつくまでもなく幕僚事務室の扉が外から開かれた。
「司令官閣下が入室されます」
扉の脇に立ったブライトウェル嬢の声に、俺を含めた幕僚四人は一斉に席から立ち上がり敬礼する。先に爺様が、あとからファイフェルが入室しブライトウェル嬢が扉を閉めると、爺様が答礼して普段滅多に使うことのない司令官用のデスクにどっかりと腰を下ろした。
「全員を司令官公室に呼ぼうと思ったが、やはり面倒なのでな。こちらで話す。今更だが公式発表されるまでは他言無用じゃ」
そういう爺様の声はいつもの意気軒昂とは真逆の諦観で満ち溢れている。
「一昨日、サイラーズ宇宙艦隊司令長官より小官に対し第五艦隊司令官職に就くよう内示があった。また昨日アルべ統合作戦本部長より第五艦隊の編制準備を速やかに行うよう指示があった。国防委員会による艦隊編制の承認はまだじゃが、いずれにしろ第四四高速機動集団は解散ということになる」
ギロッとした爺様の睨みが、幕僚全員に注がれる。
「幕僚諸君においては、ひとまずは第四四高速機動集団の解隊に向けて準備をするように。ついでに昇進にも備えておくこと。儂が面倒なことが嫌いなのは十分承知しているじゃろうから、『マトモな』友人知人をリストアップしておけ」
それは間違いなく再編成される第五艦隊の幕僚を選抜しておけということだろう。さっそく名刺の出番なのだろうが、爺様が釘を刺す以上、それなりの人間を選ばなければいけない。本当なら首席副官にウィッティを推挙したいところだが、本人はきっと拒否するだろう。残念ながら。
また再編成において充当される戦力の中核が第四四高速機動集団になることはもはや疑いないが、他にも『前』第五艦隊所属部隊などが統合作戦本部や宇宙艦隊司令部から提示されるだろうから、その切り貼りも前回の比ではない煩雑さがある。その部隊指揮官の数も人間関係の複雑さも。
だが同時にやりがいも大きい。艦隊戦闘における勝敗だけが制式艦隊の全てではない。その存在自体が国家戦略の重要な一片。その一挙手一投足が、国家の盛衰に関わってくる。それに作戦参謀として関与できるというのは、恐ろしくもありまた嬉しくもある。ようやく金髪の孺子の陶器人形のような美しい首根っこに手を伸ばす権利を得られた、というべきか。
よっこらせっと、わざとらしく声を立てて爺様が席を立つと、スタスタと司令官公室に繋がる扉を開けて出て行くので幕僚全員は、慌てて爺様を追っかけていくファイフェルを含めて敬礼で見送ったが、爺様は振り向くことなく扉の向こうへと消えていく。
「……らしくないな」
視線だけで爺様を見送ったモンシャルマン参謀長の呟きが耳に残る。俺はモンシャルマン参謀長ほど爺様と長い付き合いがあるわけではない。俺の疑問の視線に気が付いたのか、参謀長は僅かに肩を竦めて応えた。
「こういう時の司令官閣下はスパッと『仕事しろ』と言って終わりなんだが、ああもグチグチ言うもの珍しい。艦隊編成でなにか面倒な条件でも付けられたかな」
確かにヤンが第一三艦隊司令官に任じられた時、イゼルローン要塞攻略戦とセットだった。爺様の第五艦隊が原作に登場するのは二年後の第五次イゼルローン攻防戦。だがそれまでに帝国軍と戦うことはないという理由はない。現にこれまで原作にない戦いを俺は戦ってきた。
「しかし、エル=ファシル、アスベルン、アトラハシーズ、カプチェランカとここ一年でビュコック司令官閣下は四度も会戦しておられます。作戦行動回数で言えば二回ですが、いずれも長期間戦闘です。それに加えて制式艦隊が編制され実働編成に至るには、最低でも半年は必要になります」
今は九年後の同盟末期のような危機的な戦力不足でもない。制式艦隊がまともに運用できるようになる為には、本来それくらいの時間でも足りない。戦場に事欠かないのは確かだが、爺様が出来合いの艦隊を率いて戦いに赴かなければならないような状況は、今のところないはずだ。
「情報部も新艦隊編成については聞いてはいるが、出征の話はさすがにないぜ」
「後方本部も戦略輸送艦隊も特に急ぎの用事はないようだ。あるとしたらカプチェランカへの第三梯団だろうが、そうだとしても半年以上先の話だろう」
モンティージャ中佐もカステル中佐もそれに同意する。となれば参謀長の勘違い、ということになるのだが長年の勘というモノはそう軽視できるモノではない。耳聡のキャゼルヌに聞くか、統合作戦本部にいる同期・後輩に当たるか、そうぼんやりと考えていると司令官公室の扉が開きファイフェルが飛び出してきた。
「ヴィクトール=ボロディン少佐、ビュコック司令官閣下がお呼びです。お一人で」
「わかった」
それはモンシャルマン参謀長が付いてきたら困る話ということだ。何も言わない参謀長の眉間に深い皺が寄っているのを見るに、あまりいい話ではないというのは充分に推測できる。扉の外端で見送るファイフェルに軽く敬礼して司令官公室の中に入ると、爺様は自分のデスクではなく応接のソファに座っていた。
「まぁ、立ってないで座れ」
爺様は俺を手招きした後、自分の前の席を指し示す。俺がそれに従いソファに腰を下ろすと、恐らくファイフェルが淹れたであろう温くなった珈琲を傾けた。二口三口。皿に戻ってから三〇秒。ようやく爺様は口を開く。
「本来ならば儂はジュニアを第〇五一九編制部隊の作戦参謀兼運用参謀に任じるつもりじゃった。じゃがサイラーズもアルべも、名指しで貴官を第〇五一九編制部隊から外すよう儂に命じてきおった」
方や大将、方や元帥を呼び捨てにする爺様の気圧は言葉が進むにしたがってどんどんと下がっていく。
「儂はジュニアを幕僚から外すようなら、第五艦隊を率いるつもりはないと二人には言った。それでも二人とも言いにくい態度じゃったが、どうやら別口の差出口があったようでな」
「……国防委員会、ですか?」
宇宙艦隊司令長官も統合作戦本部長も言いにくくなる相手と言ったら、やはり『そこ』しかない。第四四高速機動集団編成時にも俺について口を挟んできた。あの時は押し切れた。しかし今回は押し切れない事情があるのか……
「第四四のカプチェランカにおける行動を、シトレも宇宙艦隊司令部も問題にはしていなかったが、国防委員会としては問題と判断したらしい。命令違反の原因である貴官を幕僚に任じるならば、第五艦隊の編成予算承認を今期予算内では下ろさないとまで言ってきおった」
「場合によっては軍法会議も辞さないと」
「別に貴官だけではない。命令を出したのは儂じゃから、儂も同類じゃ。じゃが宇宙艦隊司令部も統合作戦本部も、軍法会議の開催については断固拒否することで一致しておる」
明らかな言いがかりでも隙は隙。その隙に付け込み、予算を人質に取って、法に拠って保障されている軍司令官の有する任用権を犯そうとしている。
もし今季予算内で第五艦隊の新編成が認められないのであれば、シトレが幾ら運動したところで編成開始時期は来期……つまり今年の九月開始となる。軍法会議が開催されるようなことになれば、艦隊司令官職の選任は振り出しに戻され、新艦隊編成の計画そのものが躓くことになる可能性だってある。それは司令長官も本部長もシトレも爺様も望むところではない……
「シトレ中将がハイネセンに戻ってくるまで、この話をペンディングにすることは出来ないのでしょうか?」
「それは儂も考えた。サイラーズは同意してくれたが、アルベが反対した」
「そうですか……そうでしょうね」
シトレが大将に昇進するのがどうやら確実で要職も望める以上、玉突きで勇退させられることになるのは軍のトップである統合作戦本部長のアルベ元帥だ。シトレには昇進とシンパの艦隊司令官が増えることで妥協してもらい、要職への昇進については人事権のある国防委員会の方に媚びを売って阻止したい。なるほど地位の安定にとってはその選択がいいに決まっている。
「儂としては貴官の人事についての判断に『国防連絡調整会議』を開いても構わんとは思っておる」
「それは流石に止めておいた方がよろしいのではないでしょうか」
国防委員会(スーツ)と軍部(制服)で意見の相違があることはいつものことだが、担当者同士あるいはシェルパ同士そしてトップ同士で調整が付かないくらいにこじれた場合、双方が法務官僚・法務士官を立てて話し合うのが連絡調整会議だ。会議と名前はついているが実質は裁判所による調停に近い。やはり結論が出るまでに時間はかかる。
第四四高速機動集団の命令違反スレスレの戦闘行動は、国防委員会側としては徹底的に突っつける穴になる。特にシトレ(とヤン)は臨機応変と気にはしていないだろうが、マリネスク副参謀長を初めとして第八艦隊の幕僚には、第四四高速機動集団の行動を快く思っていない人間も多い。
ロボス派もこの場合は味方になってくれない。シトレの『シンパ艦隊』が増えることを快く思うはずがない。自分の『シンパ艦隊』が増える時も同じように干渉されるかもしれないが、事前に『今回は特別』と国防委員会側から含まれれば、手助けは控えようとするだろう。
統合作戦本部も宇宙艦隊司令部も、イゼルローンからカプチェランカと艦隊規模の戦を連続して行っている。損害は大きく、早いうちに艦隊の補充・整備を行いたい。予算が下りないとなれば大事だ。帝国側からの侵攻でもない限り、来期まで攻勢発起をするつもりは当然ない。
さらには軍後方勤務には国防委員会の影響力が大きい。法務士官が集まる法務部もその一つだ。彼らだって負ける可能性が高い調停なんてしたくないに決まってる。
つまり現時点で軍部は一丸となって国防委員会側に対応することができない。見事な各個撃破戦術だ。
それにしても国防委員会(恐らくはトリューニヒト)の俺に対する異様なまでの執着は一体何なんだ。一個制式艦隊の編成予算と引き換えにするほどの価値が俺にあるとは到底思えない。シトレ派に対する嫌がらせ、制服組に対する影響力の誇示というにしても、やはり編成予算と引き換えでは度が過ぎる。
「ジュニアがいずれ統合作戦本部や国防委員会に赴任することになるにしても、今少し現場を知るべきだと儂は考えておるし、その考えが間違っているとも思わん」
腕を組んだまま目を閉じ、小さく首を傾ける爺様の眉間には深い皺がよっている。
「軍政・後方勤務の経験をせず重要性を理解できぬまま軍の高位に辿り着くことは、軍事組織の健全性から言っても間違いじゃ。それは分かる。が、階級が低い時期に現場を離れてしまうと、どうしても将兵の犠牲を数字でしか捉えることのできない上級士官が出来てしまう」
一個艦隊だけで一四〇万人にも及ぶ将兵。国家戦略の視点から見れば犠牲は数字。一〇〇や一〇〇〇といった数字だけ見れば、誰かの台詞のようにちっぽけなものにしか見えない。だが軍事行動において、その数字は人命そのもの。
「国防委員会も統合作戦本部人事部も、貴官の左遷や更迭を考えているわけではないようじゃ」
「……」
「貴官のキャリアが傷つくような扱いを人事部がするならば、容赦はせんとサイラーズには話してある。サイラーズも儂には言わなかったが、貴官にはそれなりの職責が与えられることは保障した」
それがシトレ派としての爺様の妥協点だったのだろう。シトレが仮にハイネセンに戻っていたら、第五艦隊再編の目途すらつかなくなっていた可能性が高い。篤実な宇宙艦隊司令長官であるサイラーズ大将の苦肉の策が分かるだけに、爺様も最終的には了解したということだ。ということは、俺にできることはもうない。
「司令官閣下とご一緒できるのは、第四四高速機動集団の解隊式までとなりますね」
「シトレも運動するじゃろうから、まずは半年じゃな。第五艦隊もそのくらいになれば出動ローテーションに入ることになるじゃろうて」
それまでは『我慢せいよ』ということだろう。取りあえずは一ケ月。第四四高速機動集団の解隊残務処理と、ブライトウェル嬢の家庭教師に努めることになる。
「どんな場所にあろうとも、実戦の勘を鈍らせるな。儂からジュニアに言えることといったらそのくらいじゃな」
そういうと爺様は先に立ち上がり、俺に手を伸ばしてくる。年季の入った手はごつく、人差し指の一部が盛り上がっている。その手を握る俺の手はトマホークのお陰で一部は厚くはなっているが、苦労知らずと若さでツルツルとしている。
おそらく俺が爺様のように戦場で引き金を引く仕事に就くことはないだろう。だが爺様の名を辱めることのないようこれからのキャリアで示していかねばならない。
「あぁ、それとな、ジュニア」
爺様は手を握ったまま、イジワル孺子のような目で俺を見つめて言った。
「儂は貴官の艦隊戦闘・運用センスについては高く評価しているつもりじゃが、女性との付き合い方のセンスについては全く評価しておらん」
「……は、はぁ」
「仕事はサボって構わんから、せめて午餐会には出てやるんじゃぞ? わかったな?」
そりゃあ、確かにその時には爺様の部下ではないからなぁ……と、圧のかかっている右手の痛みを堪えるのだった。
◆
宇宙歴七九〇年 五月一三日 第四四高速機動集団は解隊されることになった。
解隊と言っても将兵の大半が第〇五一九編制部隊に移籍となるので、消滅するわけではないが編制上の部隊と司令部は抹消されることになる。統合作戦本部長公室において、爺様の手から隊旗がアルベ本部長に返却され、代わりに同席している人事部長から司令部要員全員に対して国防従軍記章が与えられた。
爺様の略綬の上には星がいくつ乗っているのか分からないくらいだが、俺はこれが二個目なので小さい銀の五稜星が一つつくことになる。礼服必須の式典とかには付けなければならないんだが、外れやすくてその上小さいから、めんどくさい事この上ない。
また従軍記章の付与と共に、昇進の辞令が下る。爺様は中将に、モンシャルマン参謀長は少将に、モンティージャ中佐とカステル中佐は大佐に、ファイフェルは少佐に昇進することになった。特にファイフェルは恐らく同期の中でもかなり早い方だろう。もっとも原作通りであるのならば、ここから五年以上彼は昇進できないのだが。
そして俺も少佐から中佐に昇進することになった。ただし爺様達とは違い、その場では新任地が呼ばれることはなかった。つまりは待命指示。このまま二年塩漬けで予備役編入というのもあるかもしれない。仮にそうなるとすれば、第五次あるいは第六次イゼルローン攻防戦で喪失した艦艇の補充要員として現役復帰か、それとも第一一艦隊再編成時の補充要員か。いずれにしても予備役の応召義務が解除される年齢よりも先に、金髪の孺子がハイネセンにやってくる。
半年。爺様は半年我慢せよと言っていたが、正直わかったものじゃない。左遷ではないという条件であったとしても、統合作戦本部の内勤で軍人のキャリアを終える可能性だってある。戦死しないことで人生の勝利と言えないこともない。だが何の因果かこの世界に産まれて何もなすことなく、最後にジーク・カイザーと叫ぶだけで終わるなどごめん被る。
じわじわと日が経つごとに心を圧迫してくる現実に、俺は爺様達との食事会をあえて断って統合作戦本部から歩いて帰ることを選んだ。日はまだ高いが市街地までは距離がある。舗装された道をあの日のジェシカと同じように、影を引きずりながら足を進める。本部の中の密なる喧騒とは正反対の、静寂と開放に溢れた世界。確かにこれならジェシカも、マスクを被った鼻歌のヘタクソな連中の足音に気が付くだろう。まして俺を追っかけてくるような自動車の音ならば猶更だ。
「き、君は、はぁはぁ、その、意外と孤独主義者なのかね?」
国防委員会のナンバーを付けた自動運転車が、俺の左脇を猛スピードで通過したと思ったら、いきなり急停車。扉が開くと中から『ペニンシュラ』氏が転がり落ちるように出てきた。別に走ってきたのは車であって、お前じゃないだろうとは口には出さず、いつものように好青年将校スマイルに無念さのエキスを加える。
「先生。功績を上げ昇進しても、生死を共にした司令部から一人だけ外されて、次の任地もなく待命指示、というのはマトモな軍人としては結構ショッキングなことなんですよ?」
まぁヤンならこれ幸いと歴史書の山に埋もれるだろうけど、アイツは元々『マトモな軍人』ではない。俺だって好きで戦争やっているわけではないが、誰にも話せない目標を達成する為には軍人になるしかなかった。
「それより『ペニンシュラ』先生。いったいどうなされたんです?」
国防委員会に所属している評議会議員が、国防委員会所有の車に乗って統合作戦本部に来るのは別に問題ではない。だがまだ国防委員会でもまだ見習いのアイランズが、待命指示を受けいじけてトボトボ帰る俺を呼び止めにかかったというのは、あまりいい未来を予想できそうにない。促されて自動運転車の後部座席に乗り込むと、アイランズは肩を二度ばかり大きく動かして深呼吸する。
「君を待っていたんだよ! 全く。ホイホイプラプラと自分勝手に何処に行くんだね! ビュコック中将に聞けば、『儂は知らん、おまえさん方のほうがよほどご存じじゃろう』とか言いおるし、部下共も顔をつき合わせるだけでまるで役に立たん! まったく軍人共は不親切極まりない!」
上から目線で早口でまくしたてるアイランズに対して爺様達が親切にする義理は何もないし、爺様にすれば余計な差出口で作戦参謀予定者を引き抜いた張本人は国防委員会じゃろうと、皮肉たっぷりに言い聞かせたんだろう。実にありありとその光景が思い浮かぶので、俺が含み笑いを漏らすとアイランズは眉間に皺を寄せる。
「君、何か私はおかしいことを言ったかね?」
「いや、先生。どんな状況だったか想像できまして……それより、私もその不親切な軍人の一人でもあるんですが」
「君は別格だ。任務に忠実で労を惜しまず、私みたいな政治家でも必ず立ててくれる」
流石にその『よいしょ』は無理がある。トリューニヒトのスマートで自然な煽てには到底及ばない。逆に言えばあっさりと本音を俺のような若輩に漏らすあたり、マヌケかもしれないが素直な一面があるのかもしれない。
「先生をお待たせして申し訳ございませんでしたが、私もやはり『戦争屋』ですので、前線を離れるということに関して、正直言ってあまりいい気持ちにはなれないのです」
「君が『戦争屋』? 冗談を言っては困る」
車がゆっくりと走り出し、景色が後ろへと流れていく中でアイランズは腕を組んだまま言う。
「君がマーロヴィアのパルッキ経済産業長官に提出した小惑星鉱山帯を利用した半官半民のセクター案について、地域社会開発委員会はベタ褒めだったぞ。その上、エル=ファシル住民帰還事業でも政・官・軍の連携を取り持った君のリーダーシップは、私の知人の間でもよく知られている話だ」
三流利権政治家と自称するにしては、信じられないことに俺のことをよく調べている。勿論怪物に言い含まれてのことだろうが、軍人の、特にヤンが軍事的名声を背景に政界に進出し、自分達の権力の牙城を失うことを恐れてベラベラと外国人のブレツェリに愚痴っていたアイランズと、隣にいるアイランズが同じ人間には思えない。
「先生」
だからこそ、確認しておかねばならない。
「先生はブルース=アッシュビー元帥が第二次ティアマト星域会戦の前に放言した内容について、どうお考えですか?」
果たしてアイランズの反応は激烈だった。眠そうな瞳が大きく開き、俺の顔の毛穴の全てを覗き込まんと言わんばかりに、睨みつけてくる。
「巨大な武勲を背景として高級軍人が政治家に転出するのは好ましくない。軍人が命を張って帝国軍と戦っていることには心の底から感謝しているが、武力組織を背景として政治権力を得ようというのは、独裁の芽となる」
軍籍を外れ選挙を経たとしても、軍内部に強力なシンパを抱える元軍事指導者の政界転進は拒否したい。それが合法であっても自分達の権力を失うような事態になるようなら非合法にしたい。流石にブレツェリの明け透けな回答には不快を感じたアイランズだったが、やはり心の底には真実の欠片があった。
そうなると俺が国防委員会によって爺様の幕僚から外された理由もだいたい想像できる。爺様が政治家になるような人間ではないのは明らかだが、シトレやロボスは違う。シトレ派の若手で士官学校首席卒業者。マーロヴィアで行政企画立案能力にも、エル=ファシルで行政間調整能力にも、政治工作にそれなりに使えそうな士官を、有力な仮想敵派閥の下に置いておきたくはない。最低でも派閥から引き剥がす、出来れば自分の子飼いにしておきたい……あまりにも俺に対して過大評価とは思うが、そう考えればこんな横槍人事にも納得できる。
今回のカプチェランカの戦いで第四艦隊の出動を国防委員会が躊躇したのも、シトレを敗北させたいといった意図があった可能性がある。モンティージャ大佐の言うように後方からの情報流出は充分にありうることだ。そうやって上手に軍内部の派閥の牙を適度に抜きながら、武勲と昇進とを駆使して自分の子飼いになるよう仕向けていく。
もしアスターテ星域会戦で同盟軍が大勝利を収めていたらシトレの引退は早まり、ロボスも早晩その後を追うことになっただろう。金髪の孺子によってトリューニヒトは大きく計算を狂わされたに違いない。手柄を立てさせたい三人の提督(パエッタは生き残ったが重傷)を失い、よりにもよって自分を嫌悪するバリバリのシトレ派というべきヤンの出世を招いてしまったのだから。
「ボロディン君! ボロディン君!」
いつの間にやらまた妄想の翼を伸ばしていたようで、心配そうな表情のアイランズが俺の左肩を揺すってくる。
「君には突発性難聴の気でもあるのかね? もしそうならいい病院を知っているが」
「突発性……難聴?」
「私が話しかけても、ずっと前を見て顔色一つ変えず平然としていたではないかね。無視しているというより、まったく聞こえていないといった感じだったぞ?」
なるほど。ウィッティやヤンそれに爺様は、俺がどういう人間かある程度知っているから、何か別のことを考えているんだと理解してくれるのだろうが、まだ会って日も浅いアイランズからしてみればまだ察しきれないというところか。
「ありがとうございます。是非ご紹介いただけるとありがたいです。先生のご紹介なら安心できますからね」
「そ、そうかね?」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。それで私にお話しというのは?」
「そう、そうだった」
左手の掌を右こぶしで叩き、その後で右手を開いて小さく振るアイランズに、それは「よし、わかった」じゃないんだ、と余計なことを思いつつ顔を向けると、アイランズは何故か得意げな表情をして言った。
「是非とも君の新しい任地を一刻も早く伝えてあげたくてね。どこだと思うかね?」
「……そうですね」
まともに答えるべきか、それとも適度に外すべきか、あるいはとてつもないOBを飛ばすか。袖口に録音機がありそうだと考えると、選ぶのは難しい。
「おそらくは国防委員会の片隅にはおいていただけるのではないかとは思うのですが……」
「んんん、惜しいな。だが片隅ではない」
首を左右に小さく振り、やや太めの右手人差し指がメトロノームのように振れる。
「国防委員会付属、国防政策局戦略企画参事補佐官だ」
ぶっちゃけて言えば、薔薇の騎士の色男に珈琲をぶっかけられる役、ということだろう。顔で笑顔を見せつつも、胃が急激にもたれるのを感じるのだった。
後書き
2024.01.02 更新
改めてコミックマーケット103にて本をお手に取っていただけた皆様に感謝申し上げます。
残念なことにとらのあなに送り込んだ5冊は映ってません(昼過ぎに残部希少までは確認済み)
増刷するかどうかは検討中ですが、次のコミケに出られるようならば、➀も増刷します。
第96話 狐の新しい職場
前書き
お世話になっております。
C103では想定以上の御贔屓を頂き、誠にありがとうございます。
これからも遅々としか進みませんが、よろしくお願いいたします。
微妙な性表現がありますのでご注意ください。(本番ではありません)
宇宙歴七九〇年 五月 バーラト星系 惑星ハイネセン
新しい任地について正式に交付されたのは、まったく根回しにもなってないアイランズの話から一〇日後。ハイネセン・セントラル内の国防委員会本部ビル内に幾つかある小さなレセプションルームの一つでであった。
現国防委員長のマチアス=ロジュロ氏から、統合作戦本部人事部と同じデザインで色違いの任命証を手渡され、ブラウンのボブカットの若い女性秘書によって、左胸にCの文字をあしらった徽章が付けられる。そして握手。右手を両手で包み込む、政治家特有のやり方で。
列席者の中にあって軍服を着ているのは四人。一人が首席補佐官であるロビン=エングルフィールド大佐。残りの三人が俺と同じ補佐官で中佐。そのうちの一人が俺の前任者となるヨゼフ=ピラート中佐となる。
「随分と若い君が後継と聞いて、私も些か驚いているのだよ」
僅か一〇分もかからず終わった一連の儀式の後で、ピラート中佐は、明後日には俺のオフィスとなる部屋で皮肉をぶつけてくる。整髪料で艶々だが、些かボリュームに欠ける髪。緊張感なくたるんだ頬に、澱んだ瞳。四〇歳と聞いていたが、五〇歳半ばと言ってもおかしくないくらいに老けていて、そして覇気が感じられない。
オフィスの模様も、軍艦内の画一的なオフィスでもなければ、宇宙艦隊司令部内の機能的なデザインでもない。銀行の重役室のような、シック(棒)な飾りつけにゴージャス(棒)な什器。ピカピカに磨き込まれた壷やゴルフセット、俺の月給でも足りなさそうな金ぴかの額縁と、何の意味があるかさっぱりわからない抽象画。ここが軍人の職場とは到底思えない。
「さっさと済ませよう。引っ越しの準備があるんでね」
ピラート中佐は牛革のソファにどっかりと座ると、対面に座る俺に向かって薄いファイルを放り投げてくる。低いテーブルを乾いた音を立てて滑ってきたファイルを開くと、国防委員会内部組織図と国防政策局オフィスの間取り(避難経路付)だけしか書いてない。ご丁寧に組織図の一か所だけマーカーで色が塗られている。
「これだけ、ですか?」
流石にたまらず俺が顔を上げると、ピラート中佐は何も言わずフンと強めの鼻息をついてから、軽蔑の視線を向けてくる。フェザーンの駐在武官をやっていた時以外ほぼ実戦部隊にいた俺にとって、正直次の任務は極めて難解だ。まず何をするのか分からない。わからないからこそ引継ぎが必要だと思ったのだが、ファイルには任務について何も書かれていない……つまり
「承知いたしました。口頭での引継ぎをお願いいたします」
「首席卒業者のくせに頭の回転はあまり良くないようだな」
「経験不足で配慮が足りず、申し訳ございません」
座ったまま首を垂れると、頭頂部の向こうから厭味ったらしい鼻息の圧を感じる。舌打ちしたい気分だが、これは確かに俺が甘かった。そもそも軍令(統合作戦本部)と実働(宇宙艦隊司令部や星域管区司令部)とは違い、軍政(国防委員会)は軍の組織ではない。故に統合作戦本部も宇宙艦隊司令部もその構成員がほぼ軍人で占められているが、国防委員会は軍人の方がはるかに少ない。故に事前に話を聞けるような相手もいない。……財務委員会ならば結構いるんだが。
それにアイランズが嬉々として伝えてくる……そんな任務がまさか情報部や公安警察のような文字を残せない繊細な任務だとは思ってもみなかった。こんな学生サークルの引継ぎ資料にすら劣るファイル、統合作戦本部内の部局なら査察部に提出するだけで任務軽視の証拠になって監察処分対象だ。
「何しろ実働部隊からの転属ですので、そのあたりの機微に疎く」
「実働あがりの士官は大抵ビームやミサイルを撃つだけが軍人の仕事だと思っている連中だ。頭が軽いのは元から承知しているが、回転が悪いのではどうにもならんぞ」
ぬしゃあ儂に喧嘩ぁ売る気か、と微笑の仮面を浮かべながら胸の奥底で奥襟をつかんでボコボコにしつつ中佐を観察すると、果たして中佐は俺ではなくどうやら隣接する部屋との通用扉を、先程の軽蔑の視線が生暖かい眼差しに思えるくらいに冷え切った目付きで見つめている。ファイルにある間取りからすれば、その扉の先には『補佐官補』が控えているオフィスだ。俺が中佐と同じようにその扉に視線を向けると、中佐は先程と同じように鼻を鳴らす。
「扉の向こうにいる正義漢面した補佐官補共は、君とは違い後方勤務あがりだが、頭が固い上に融通が利かないときた」
「はぁ……」
「クソの役にも立たない奴だ。建前と信念だけでは個々の仕事は進まないと、理解できないわけでもあるまいに」
「……その、仕事についてですが」
このままだとひたすら見たことのない補佐官補の愚痴を聞かされそうなので話を戻すと、中佐は口のへの字に曲げ腕を組む。気分を害したのは間違いないだろうが、口頭で伝達すると肯定した手前、言わないわけにはいかないという感じか。
「国防委員会に所属する政治家のケツ持ちと太鼓持ちだ。ゴルフと酒と女の扱いが上手ければなおいいが、それは追々覚えていけばいい」
「……は?」
今、中佐はなんと言った? ケツ持ち? 太鼓持ち?
「政権内野党や野党議員への質問取りレク。国防政策局長や国防委員会所属議員への各種フォロー。関係者の皆様の接待に、軍事関連企業間の利益分配調整。まぁ、そんなところだ。首席も同僚もいることだから全て君一人でやる必要もないが、パトロンの議員や企業は君が見つけるんだな」
質問取りレクはわかる。一言で軍と言っても膨大な組織の集合体であり、国防委員会でスムーズな審議を実現する為には、質問内容を確認し、当該箇所へ回答文を作成してもらったり、細かい数値の算出をしてもらったりしなければならない。場合によっては参考人として要員にお願いして委員会に出席してもらわねばならないから、その調整役として質問側と回答側の間を取り持つ必要がある。
文民統制の通り、当然のことながら国防政策局長は軍人ではない軍官僚であり、いわゆるキャリア組。国防委員会の実働組織の長だ。俺の処遇を巡って口を挟んできたのは(教唆した本人であろう)トリューニヒトではなく彼ら。軍政分野の中核組織でありその権限は実に強大だ。だが結局のところ『机上の戦略論』以上の軍事知識を持っているわけではない。そこをフォローしつつ統合作戦本部側との意見調整を行うのは、板挟みな立場が面倒とはいえ理解できる。
残り二つはグレーな仕事だ。一〇〇歩譲って接待はまだ理解できなくもない。評議会議員やその関係者に限らず、より軍のことをより理解してもらう広報活動として普段行けないような基地や演習に招待したり、英雄と言われるような軍人達とのパーティーを開いて招待するというのは。
だが軍事関連企業の利益分配調整は憲兵に手錠をかけられるレベルの話だ。原作でもアイランズに限らず評議会議員が軍事関連企業からのリベートを受けているが、その調整までしろというのはいかにも。はっきり言えば官製談合の取り持ち。中佐という階級にしてはちょっとお値段以上の『事務用什器やスポーツ健康用品』も、そのリベートの一部を流用しているのか、それとも企業から提供されたものか。その両方かだろう。確かに引継ぎファイルに書けるような代物ではない。
「君も潔癖症の類か。まぁ、そのうち分かるようになる」
どうやら顔に出ていたのか、ピラート中佐は俺の顔を見ながら鼻で笑って言った。
「もうこの国はマトモに戦争などできやしないということをね」
そんな引継ぎが行われてから二日後。ピラート中佐の引っ越しが終わってすっかり空っぽになったオフィスに入った俺は、早速『スタッフ』を呼び出した。
「ご着任、ご苦労様であります」
オールバックにセットされたチャコールブランの髪。やや太めで鋭いの上がり眉。眉間に寄った皺。自らの信念は譲らないという意志のある力強い瞳に、中音域でも低めの声。
「戦略企画室参事補佐官補のダドリー=エベンス少佐であります。お会いできて光栄です」
ビシッとした敬礼が逆に皮肉にしか見えない。言葉とは正反対の表情。今度は政治家のコネを使ってきた年下の孺子が俺の上官か、と言わんばかり。それが七年後に発生する軍事クーデターの幹部の男であり……
「同じく戦略企画室参事補佐官補のカルロス=ベイ少佐であります。これからよろしくお願いいたします」
同じように隙のない敬礼だが、こちらは柔らかい(ように見える)表情。転生した今の俺と同じ髪型で金髪。声もグレゴリー叔父によく似ていて、ケツ顎でなければ実兄かと思えるような容姿。しかし瞳は明らかに俺を値踏みしている。それが七年後に発生する軍事クーデターの幹部の一人であり、二重スパイでもあった男。
「補佐官付秘書官を務めますチェン=チュンイェンですわ。軍籍はございませんが、大尉待遇軍属になります。お気軽にチェンとお呼びください、中佐」
膝上二〇センチまでしかない黒タイトスカートと第二ボタンまで外れた白シャツに、大きな胸が到底収まり切らないサイズのジャケット。お辞儀をすると隙間からピンク色の何かが見える。何処か転生前に画面の向こうでよく『観た』ような秘書姿。ピラート中佐の秘書官も務めており、引き続き俺のスケジュール『等』の面倒を見てくれるらしい、長い黒髪と細く小さいややタレ目の童顔アジア系の女性。
「ヴィクトール=ボロディン中佐です。本日より戦略企画室参事補佐官を拝命いたしました」
右も左も分からない任地であるだけに、とにかく前任のスタッフに残ってもらうしかなかったのだが、もう見通しが暗黒一直線の人事。エベンスにしてもベイにしても、まだ三〇代前半だと思われるので専門分野では有能だとはわかる。あくまでも先入観は禁物だが、原作における彼らの行いを思い浮かべる限り、好意的になる要素が乏しい。
その上、ピラート中佐との引継ぎの際にも、彼らは俺と顔を合せなかった。中佐と彼らの間に精神的な距離があったことは間違いない。ピラート中佐が言っていたように、エベンスには自らの信念と正義に溺れるような雰囲気がある。ベイは内心はともかく表面的には中佐に好意を持っていたとは思えない。
より問題なのはチェン秘書官。事前に俺の権限で確認できる範囲での履歴は確認して不都合がないのはわかっていたが、見た目だけでも胡散臭いことこの上ない。こういう言い方は良くないことは分かっているが、ピラート中佐に対しても同様の態度だったとしたら、腹に一物抱えているとしか思えない。
「予算成立前の交代人事で、皆さんにはご迷惑をおかけしますがよろしくご協力を願います」
「「はっ」」
改めて交わされる敬礼とお辞儀。だが差し当たって急ぎの用事のないエベンスとベイは退室し、チェン秘書官は部屋に残る。
「珈琲をお淹れいたしましょうか? ボロディン中佐」
「ええ、お願いします。良ければ秘書官ご自身の分も」
一瞬だけ細い眉がピクッと動くが、すぐ何事もなかったように俺に微笑みかける。若い未婚男性なら『誤解』してしまいそうな微笑みだ。
「承知いたしましたわ」
セクシーさ溢れる歩き方で併設キッチンに消えていくチェン秘書官を見送り、俺は唯一ピラート中佐が残していってくれたソファに腰を移す。
具体的な仕事の内容も量も決められてはいない。質問取りレクも恐らくは繁忙期と閑散期の差が激しい。ピラート中佐の言っていた任務の中で主となるのは、やはり接待や官製談合の方だろう。前世でゴルフはやったこともないし、接待もしたことがない。フェザーンで駐在武官をしていた頃は、市中散策とドミニクの店、それに内勤が中心だった。弁務官事務所主催のパーティーには参加したが、あれも接待というよりは情報交換会に近いものがあった。なるほど追々覚えていかねばならないことが多い。
コツンという音を立てて、磨き上げられたカップがコーヒーテーブルに置かれる。戦艦エル=トレメンドでブライトウェル嬢が淹れてくれていた官給品とは桁違いに香りが伸びてくる。これもピラート中佐が残していってくれたのかなと思ったが、次のカップが俺のカップの横に置かれたのに気が付いて右に首を廻すと、憂いと母性に溢れた顔のチェン秘書官が俺の右横に腰を下ろしてきた。
「は?」
「あら?」
こちらは困惑。そちらは慮外。しなだれてくるチェン秘書官の胸のブラックホールは明らかに広くなっている。が、それはあくまで周辺視野に留めておき、俺は何とか表情筋を動かしいつもの好青年将校スマイルで前の席を指し示すと、チェン秘書官は何事もなかったようにゆっくりと腰を上げ、もみあげにかかった絹糸のような黒髪をたくし上げて、俺の正面に移動した。
「ボロディン中佐は真面目でいらっしゃいますのね」
細い足を組むと短いタイトスカートの裾が少しずつ上がっていくが、そちらにも今のところ興味はない。二六歳で中佐というのは確かに早い出世ではあろうが、こうも明け透けに色仕掛けをされるほど俺は重要人物に見られているのだろうか。おそらく見られているんだろう。実態はともかく第五艦隊編成予算と引き換えに引き抜いた逸材として。
「ですが真面目が過ぎますと、足元を掬われることもありますわよ。特にこちらの世界では」
「こちらの世界、ですか?」
「えぇ。ここはビームもミサイルもトマホークも襲っては来ませんけれど」
確かに今、アンタ自身が襲いかかってきたもんね、とは口には出さなかったが、コーヒーカップの淵の向こうにみえるチェン秘書官の顔はともかく小さな瞳に、先程迄の甘い香りは一切浮かんでいない。
「特に前科のある家庭にイレ込むのは、あまりお勧めいたしませんわ」
「……チェン秘書官」
それはこちらの世界にいる人間にとってみれば真理なのだろう。だがチェン秘書官の立ち位置がよくわからないが、少なくとも俺と同一ではないということははっきりした。彼女自身の『身体検査』はワインを代償にプロにお願いするとして、まずは言っておかねばならない。この場は誤魔化してもいいが、どうせ早晩バレる話だ。
「本人が罪を犯したわけでもないのに、罪人の家族であるというだけで前科があるという言い方は実に不快だ。貴女は別に撤回しなくてもいいし、意志に反して否定する必要もないが、少なくとも私は好意的にはとらない」
「……」
「貴女も善意でそう言っていると思うが、民主主義とか法治主義とかそういった原理原則・建前の話じゃなく私のちっぽけな、だが譲れない信念だ」
そういった信念がこちらの世界では不利益に働くのは想像に難くない。軍も政府も自らの組織維持の為にヤンを持ちあげリンチを貶めた。品性の低下した報道機関がそれに乗っかり、面白半分にアイリーンさんやブライトウェル嬢をスケープゴートにし、それを大衆が見て愉しむ。大衆に支えられている政府はその趣向に反することはしにくい。
「こちらの世界の機微など全く知らないから、貴女から教わることも多くあるし頼りにもしているが、私の本質は『平和主義者の戦争屋』だと理解しておいてもらいたい」
先に言っておけば、少なくともバカではない彼女ならわかるだろう。それで俺の秘書官という職務にこれからどう向き合うかは彼女の自由だ。時に狡知に言葉を選ぶ必要は理解しているが、直言こそが必要な場面もある。今は間違いなくその時だろう。
「『平和主義者の戦争屋』とは、知性の乏しいわたくしには到底理解できない代物ですが、中佐のご信念に関しては少し理解できたと思います。ですが……」
チェン秘書官はコーヒーカップを皿に戻すと、小さな唇の上に残ってもいない珈琲を右手小指の先で拭うように動かしながら、俺に向かって流し目を送りつつ言った。
「フェザーンの小娘よりわたくしの方が中佐のお役に立てることは、これからじっくりと教えて差し上げますわ」
僅かに開いた両唇の隙間から、スプリットタンがこちらを覗いていたのは見間違いではなかった。
◆
「やれやれ。中佐もホドホド、奇妙な運命の神様に魅入られてるんですな」
ハイネセン市でも中心部から少し離れた商業地区の一角。高級でもなければ場末でもない。二〇代から三〇代の若年労働者でも、些か財布には痛いがなんとか支払うことができると評判の中堅レストラン『ドン・マルコス』。ワインというか酒全般に一家言ある旧知の情報将校は、俺の注文の対価としてその店の特上フルコースを要求してきた。
「アナタが何かを為さんと動く時、周囲がみんな引き摺られ、実力以上の事を成し遂げてしまう。それで余計なものまで引っ張ってきて、予想した未来の斜め上に事態が進行してしまう」
まずは一献と言わんばかりに、俺のグラスにワインを注ぐバグダッシュの顔は、いつものようなニヒルさに混じって若干の歓喜の成分が混じっていた。フルコースについては俺の払いだが、ワインについては今回専門の自分が払うと言っていただけに……
「賭け事にでもなってるんですか?」
「胴元はモンティージャ大佐で、情報部では今のところカーチェント大佐の一人勝ちでして。実のところ私もおかげさまでちょっとは勝っているんですが、今期中に中佐昇進、国防委員会転属までは流石に予想できませんでしたぞ」
「カーチェント大佐はどう予想してました?」
「中佐昇進確実、実戦部隊から統合作戦本部広報部に転属、と言ったところですな」
曇り一つないワイングラスの中をゆらゆらと赤ワインが揺れている。ドジョウ髭が以前より長くなったバグダッシュは、人の人生を舌に乗せながら、この店一番の赤ワインを堪能している。
彼もまたエベンス達と同じように七年後のクーデターに参画する士官の一人だが、主義主張なんてものは生きるための方便と言い切った男だ。個人的には軽蔑の表情を隠さない現時点でのエベンスに比べれば、掌は反す為にあるとまでは信じていない程度に信用できる。だからこそ、幾つかの注文をしたわけで。
「で、どうです? 酔ってしまう前に、お伺いしておきたいんですが」
「お願いですから中佐が少佐にそんな丁寧語なんぞ使わんでくださいよ。慣れてないからホント気持ち悪いですぞ?」
眉間に皺を寄せながら顔を引きつらせつつ、それでいてどこか楽しんでいるバグダッシュは、サマージャケットの内ポケットから五センチ四方の箱を取り出して俺のグラスの隣に置いた。
「ベースは民生と共通の規格ですからな。基本的な使い方も同じです。色は自分で塗ってください」
「ありがとうございます」
「どう使おうとも中佐のご自由ですがね。くれぐれも迷惑防止条例とか軽犯罪の証拠は残さんようにしてくださいよ。言わずともわかっとるとは思いますが」
俺に向かって指した人差し指をグルグルと回すバグダッシュに俺は肩を竦めると、一度ふたを開け中身を確認し、すぐジャケットにしまい込む。そうしている間も、バグダッシュはテイスティングに勤しんでいたが、視線だけは俺の左右背後を警戒している。俺もバグダッシュの背面を何気なく一望した後、小さく頷いて促した。
「あの童顔(ベビーフェイス)ですが、情欲溢れる若いヴィクトールさんに申し上げるのは大変心苦しいのですが、おさわりはお止めになった方がいいでしょうな」
「セクハラになりますから端から触るつもりは毛頭ありませんがね。たぶんサイズはCかDだと思うんですが、もしかしたらFあるかもって……」
「見た目は結構おっきいって聞きましたがね。実はCの七〇なんですなぁ、これが」
「七〇……ええぇ……ホントにぃ?」
ニッっと右の唇が上がり、バグダッシュの瞳に小さな光が宿る。明らかに変わった口調に合わせるように、おれも腕を組んでわざとらしく喉を鳴らして応える。
「お父さんは元警察官僚に近い人らしいですからね。ただ噂じゃ結構遠いところのご出身とか」
「遠いところ……それは……なるほど……」
「あくまでも噂ですよ? そっちにお友達が結構いるって噂です」
「今度、赤毛の友達に聞いてみようかな」
「止めておいた方がいいでしょうよ。だいたいヴィクトールさんのお友達はまだ大学生じゃないですか。たぶん世代が違うから話が合いませんよ」
俺が首を傾げると、してやったりと言った表情でバグダッシュは、親指以外の右手の指を上げ、左手の掌を俺に向かって広げている。
……そりゃあ、ピラート中佐の秘書官も務めていたからある程度は歳上だとは思っていたが、それだけ歳が違えば『小娘』呼ばわりは当然か。俺と同い年か年下に見えて、ギリギリ親子と言ってもおかしくない。人類科学は一〇〇〇年かけて、ようやくとある男子高校生の家庭事情に追いついたのだと確信した。
「確かにおっきいなぁとは思ってたけどCとは思えないなぁ……」
「話を伺ってちょっと調べてみて、そりゃあ私も驚きましたがね……でももっと驚いたのはヴィクトールさんが、まだあの大学生とお付き合いしてるってことですよ。長距離恋愛は消滅する可能性が極めて高いって統計で出ているのに」
呆れてモノが言えないというより、どうやって連絡とっているんだと感心するような顔つきでこちらを見ているので肩を竦めて誤魔化すと、『まぁ人の手の内に口を挟むと、あとで自分の首を絞めますからな』とバグダッシュは溜息交じりに嘯いた。
「しかし二六歳で中佐なんですから、引く手あまたでしょ。少しは叔父さんを見習ったらどうです?」
「グレゴリー叔父?」
中佐と言ったことで『たとえ話』は終わったとホッとしつつ、この場で出てくるとは思えない人の名前に、豚の肩ロースのステーキに伸びた手を止める。
「レーナ叔母さんの話ですか?」
「私は直接知りませんが、年配の人達の間ではグレゴリー=ボロディン中佐とシドニー=シトレ准将の嫁取り合戦はそりゃあもう熾烈だったそうで」
「……叔父さんが土下座したっていう噂は聞いたことありますけど」
「二人とも紳士ですからな。殴り合ったり中傷したりなんてしなかったそうですが、周りがどちらかを応援するのを躊躇うぐらいだったそうですよ。ま、歳上よりは同期ということで決着がついたらしいですが」
上官をツマミに飲む酒は美味しいというが、片方は血の繋がった親族の俺としてはちょっとばかりいたたまれない。グレゴリー叔父とレーナ叔母さんがくっつかねば、アントニナもイロナもラリサもこの世にいないと考えると、叔父さんよくやった!と言いたい気分ではある。それにこれは単純な酒席の笑い話ではない。
バグダッシュは俺のことを買ってくれている。情報部の恐らく先輩のモンティージャ大佐やカーチェント大佐に、俺のことを吹聴するリスクを背負ってまで。その彼が俺とドミニクの間について、警告を発している。特に童顔(の秘書官)がC(中央情報局)の七〇(第七(国外諜報)部)の人間で、遠いところ(フェザーン)にお友達(エージェントか繋がりのある人間)がいるのだから、プライベートで足を掬われないよう気を付けろ。下手すると大学生(ドミニク)は潰されるぞ、と。
「そう言えば、第四艦隊司令官グリーンヒル中将閣下の娘さんと中佐の一番上の妹さんは、士官学校の同期でしたな」
「妹曰く、才媛らしいですよ」
バグダッシュの口からグリーンヒルとフレデリカが飛び出してくる。それだけで警戒するべき話だ。話に合わせるようにアントニナを『クッション』にしてみたが、バグダッシュはちょっと怒っているようにも見える。つまりはとうに直接グリーンヒル本人から俺の話を聞いているということだろう。
原作でフレデリカが言うように、バグダッシュは政治体制に対する不満をグリーンヒルに直接言いに行けるような男だ。元上官か、あるいは何らかの縁か。かなり深い関係があることは間違いない。
俺が実戦部隊から外されて現在の任務に就いたことがどう影響するかはわからない。ただ原作通りに帝国領侵攻に失敗し、グリーンヒル主導によるクーデターが発生した時点で、俺が生存し軍籍から離れていないと仮定した場合、バグダッシュは間違いなく俺をクーデター派に引きずり込むつもりだろう。あるいは軍籍でなくとも……グリーンヒルの娘婿という立場があれば……
「……妹も同級生をお義姉さんとは呼びたくないでしょうし」
「中佐。私は一人の人間としてもエル=ファシルの英雄よりマーロヴィアの狐のほうを買っているんですがね」
もう止めてくれ、と喉まで出かかった。俺はただ未来の歴史らしき物語を知っているだけの凡人だ。普通の出世速度よりも早く今の階級に到達してしまったが、あの魔術師と対抗するつもりなどさらさらない。フレデリカを巡って争うなど、俺も恐らくヤンもやる気がない。ましてクーデターに組することなど、一方的な感情ではあるが『天地がひっくり返ってもあり得ない』
「上官の娘を娶るというのは気後れしますね。どうにも性に合わないですよ」
あえて本筋がわからないフリをしてそう応えると、果たしてバグダッシュの顔は一瞬険しく、そして次にソッポを向いて呆れた口調で言った。
「たしか今度士官学校を受験される『赤毛の美女』も『上官の娘』じゃなかったですかねぇ」
その上、直の上官だったなと俺は思い出し、なにも応えずワインを傾けるのだった。
後書き
2024.1.09 更新
チェン=チュンイェン(CV:ほんとは本多知恵子なんだけど梨羽侑里)
ヨゼフ=ピラート (CV:八奈見乗児(ゲルラッハ子爵)
かなぁ……
2024.1.09 バグダッシュの階級変更 大尉→少佐
第97話 見えて見えないもの
前書き
いつもより遅くなりました。すみません。
呟きに書いた通り、著者まさかの突発性難聴です。耳鳴りとめまいとで耳鼻科に駆け込んで、
検査後あっさりと診察されました。思わず笑いそうになりました。言霊(フラグ)は怖いですね。
で、でもこの話はフラグになって欲しくはありません。冗談じゃ済みそうにないんで。
宇宙暦七九〇年 六月 バーラト星系 惑星ハイネセン
澄み渡る青空。南風二メートル。
青々と茂った芝生は心地よい初夏の風に揺られ、大地の息吹を思わせる。左右に並ぶ木々には小鳥が集い、濁りのない池では、魚がのんびりと泳いでいる。
そんなゆったりハイキングに出かけたくなるような丘陵地。だが今、俺の肩に掛かっているのは、チョコレートやドリンクの入ったリュックなどではなく、番号とアルファベットが刻まれた、金属ヘッドが付いた棒一一本。
「君は初心者だからね。このセットはまぁまぁ良い選択だと思う」
着任して五日。早速アイランズ氏から、氏の同僚である評議会議員や氏の実家である金属鉱業系の企業の方々と一緒に『歓迎ゴルフ大会』を開くから是非とも来るようにとのお誘い(命令)があった。ちなみにコースの費用は戦略企画室の研修予算から出ている。
一応エベンスとベイの二人もこの『研修』に誘ったが、二人とも仕事を理由に断った。特にエベンスは礼儀正しくゴミを見るような目であったので、ピラート中佐の言う通りなのは間違いない。軍の良識派というくくりの中でも、より清教徒的なところがあるのだろう。もしかしたらそのあたりが捕虜虐殺の容疑のあるアラルコンとの不仲であった理由なのかもしれない。
そしてチェン秘書官はというと、普通に朝五時には俺の官舎(と言っても引っ越したばかりの独身士官用二LDKマンション)に迎えに来て、車内で出席者の説明をしてくれている。襟と袖に赤のラインが入った白の上、で黒の革ベルト、ラインの色と同じスポーツスカートの姿は、童顔の女子プロかとばかりに堂に入った姿だが、今日はプレーしない。
プレーするのは評議会議員のウォルター=アイランズと、ジャスティン=ネグロポンティ、あとは大手企業の上級幹部の皆様も合わせた八人。いずれも俺より前から顔なじみの面々らしく、お互いのハンデもある程度分かっているといった風情。
「きみ↑が↓ボロディン中佐か。国防委員会参事のネグロ↑ポンティだ」
査問会の時と同じような口調で上から目線のネグロポンティ氏は、真っ赤な半袖ポロシャツとネイビーのパンツ姿。黒い髪と暑苦しい顔つきはムカつくほどに原作通りだが、口元に特徴的な髭はないので、実際に若いのだが少しばかり精悍に見える。
「アイランズ君が高く評価しているというから、どんな人物かと思ったらとんだ若造じゃないかね。君、どうやって中佐にまで昇進したのかね」
どんなに嫌な奴とでもまずは笑顔で握手できることが、対等な議論の上に成り立つ民主主義国家における政治家の器の大きさと、前世の誰かが言っていたような気がする。取りあえずこの程度の厭味にいちいち反応していたら、今後胃袋がいくつあっても足りない。鉄壁の笑顔で小さく会釈をしたあと、わざとらしく思い出すように俺は応える。
「ケリムとマーロヴィアとエル=ファシルとアスターテとドーリアで少々。司令部付でしたので、上官と運に恵まれたおかげです」
たいした軍歴ではないですがそれなりに実戦は重ねておりますよ、をオブラート三重重ねで言ったつもりだったが、どうにもネグロポンティ氏には通じていないようで、その視線には侮蔑が隠しきれていない。アイランズから話を聞いているということは、少なくともトリューニヒトの意を酌んで俺がここにいることは分かっているはず。
つまりは嫉妬。士官学校以来ずっと親の七光りだの校長の贔屓だの、散々浴びせられてきたからこの程度のことは気にはしていないが、今回スルーするとしても相手がなかなか問題だ。
現時点でネグロポンティはトリューニヒト派の評議会議員の一人に過ぎないが、原作ではトリューニヒトの次に国防委員長になる男。操り人形ではあるにせよ、着実に国政内で勢力を伸ばしつつあるトリューニヒト派の中ではそれなりの立場にある。スピーカーであるとしても、雑音しか出せないような男ではない。それがこの程度の器量とは、アイランズと比較しても考えづらいのだが。
「しょ、紹介しよう、ボロディン中佐」
微妙な空気を察したアイランズが、俺とネグロポンティの間に割って入り肩に手を廻しながらさりげなくネグロポンティと距離を取らせつつ、参加者に俺を紹介していく。ネグロポンティから喧嘩を売ってきたとはいえ、本来ならそういう気遣いをしなければならないのは俺の方だし、アイランズに配慮させたのでは仕事をしていないようなものだ。心の中で自虐しつつ、口には出さずアイランズに目配せすると、アイランズも何も言わず軽く二度俺の肩を叩く。
「私の兄のハワードだ。ビリーズ&アイランズ・マテリアルの専務をしている」
「よろしく、中佐」
「よろしく、アイランズ専務」
「はははっ。ハワードでいいですぞ。ウォルターと区別できんでしょう。私もそちらの方がやりやすい」
にっこりと笑いながら手を差し出すハワード氏は、目元に若干の皺があるのと髪の色が少し薄いだけでアイランズと瓜二つだが、実業家だけあって目が鋭い。明らかに商売人の目だ。
「ウチの弟が君に迷惑をかけてないかね。特に口にできないようなこととかで」
「兄さん、勘弁してくれよ」
サームローイヨートの一件だけでなく、他にも恐らく色々とあるんだろうなと、ハワード氏の『困った奴め』と言った表情が物語っている。
「いえいえ。アイランズ先生には良くお引き立ていただいております」
俺が握手をしながらそう応えると、ちょっと驚いた眼で俺を見て、次いでアイランズに心底意外だといわんばかりに
「随分と偉くなったもんだな、ウォルター。まるで本当に仕事しているみたいじゃないか」
「仕事しているんだよ、兄さん」
これ『も』一応仕事なんだよな、と苦笑しつつ俺はハワード氏の隣にいる人物を見る。たしか原作には登場していない。髪はグレー。六〇代……いやもしかしたら七〇代かもしれない、肌は僅かに赤みがあるアフリカ系。目尻や額に深い皺が寄りながらも、背筋は真っすぐだし目には活力がある男性。
「こちらはサンタクルス・ライン社のジョズエ=ラジョエリナ顧問だ。以前は同社の統括安全運航本部長をなさっていた」
アイランズ(ウォルターの方)が得意満面で紹介する。そりゃそうだろう。同盟最大級の恒星間輸送企業、その統括安全運航本部長となればただダイヤグラムを組むだけじゃない。船舶の手配・運航宙域のリスク管理・系列関連企業経営・競合他社との船腹量の割り振りなどなど、恒星間輸送本業の一切を統括指揮する人間だ。まさに同盟の恒星間物流の心臓そのもの。
軍で言えば宇宙艦隊総参謀長に戦略輸送艦隊司令官と統合作戦本部戦略部部長と査閲部の一部の権限を加えたようなもの。そんな権力を持つ地位など存在しないが、最低でも大将は固い。一応評議会議員で国防委員会の戦略参事であるアイランズなら、格は相当落ちるが話はさせてもらえるかもしれないが、二六歳のペーペー中佐がゴルフクラブ片手に簡単に口をきいていい相手ではない。
チェン秘書官から事前に聞いた時、こんなコンペになんて人間連れてくんだよ、と喉まで出かかった。相対し思わず額に伸びそうになった右手を下ろすが、ラジョエリナ氏は手を伸ばし片手でガッチリと握りしめてくる。一瞬爺様を思い浮かべたが、握力は爺様のランクより上。ディディエ中将クラスだ。
「ラジョエリナだ。今は捨扶持を貰ってるだけの口うるさい隠居老人だよ。君の名前はサンタクルス・ラインに限らず、多くの船乗りから耳にしておる」
「それは、お耳汚しでした」
「『ブラックバート』をとっ捕まえただけでも、君はあらゆる恒星間輸送企業から企業年金を受け取る権利がある。軍の仕事が嫌になったら、いつでも私に声をかけてくれ。私に図れる便宜なら何でも聞こう」
それは過大評価というべきだし、公式にはブラックバートを捕まえたのは検察庁とマーロヴィア軍管区だ。彼らをやや過激な方法で誘い込んだとはいえ、実戦指揮はカールセン中佐が、工作はバグダッシュが執っていた。俺はいわゆる口舌の徒に過ぎない。なのに白紙の小切手を手渡すようなことを言う。
「あれはアレクサンドル=ビュコック中将閣下の功績です。私はその指揮下にいただけに過ぎません」
そこまで手厚くしてもらう権利は俺にはない……そう言ったつもりだったが、ラジョエリナ氏は苦笑しながらも両手を肩の上に広げて首を振る。
「今やただデカいだけになったサンタクルス・ラインとはいえ、一応それなりに情報収集ぐらいはできるのだよ。勿論、ビュコック中将の功績は大きいが、作戦指揮を執ったのは君と情報参謀のバグダッシュ君だったと聞いておる」
情報将校の名前が世間に轟くのはあまりいいことではない。バグダッシュには悪いことをしたかもしれない。
「正直言えば、私はそれほどゴルフの腕は良い方ではない。まぁ老い先短いが、これから少しはトレーニングしてもいいかもしれないな」
これからも『よろしく』という挨拶か。周辺視野に入っているアイランズの顔には満面の笑みが浮かんでいる。
つまりアイランズが国防委員会で俺が補佐官職にある限り、ラジョエリナ氏を通じてサンタクルス・ライン社が関与してくれる。キャゼルヌからトリューニヒトの後援企業として恒星間輸送企業が付いていることは聞いていたが、そのラインが俺とラジョエリナ氏によってさらに強化される。つまりは出汁にされたわけだが、これも『仕事』なのだろう。
その上でラジョエリナ氏は実際に作戦指揮を執ったのが検察庁ではなく軍部であることを、自分達は知っていると伝えてきた。アイランズはあえてスルーしているが、対外的には検察庁が音頭を取りトリューニヒトがコーディネートしたというふうに取られている以上、卑下はしててもサンタクルス・ライン社の情報収集能力は通り一遍ではなく、トリューニヒトの口車にただ乗せられているわけではないぞ、といいたいのか。
他にもアイランズは俺に食料品大手、電気機器製造業、医薬品工業の重役を紹介していくが、ネグロポンティも含めてラジョエリナ氏の存在感は別格。誰も彼も俺に対して会話はしても、氏の方に注意が向いているのが丸わかりだ。
ハイネセンは一〇億人の人口を抱える一大消費地であり、潜在的な生産能力はあっても現時点では消費物資を、恒星間輸送に頼っているところが多い。一惑星が七〇億人を抱えていた時代を知る俺としては畸形にもほどが過ぎると思ったが、地球と全く同一条件の天然惑星は存在しないという自然的な制約と、過剰生産による値崩れと言った経済的な制約、そして星間国家というあまりにも巨大な版図を維持する為の繋がりの条件としての政治的な制約が、そうさせているのだろう。
そしてその血流を担っているのが恒星間輸送企業であり、その中で最大級のサンタクルス・ライン社を軽視することなど到底できない。以前から政界とは十分に癒着して来たであろうけど、彼らが支持するというだけでトリューニヒト派が増勢するというのは無理からぬことかもしれない。
「ボロディン中佐は全くの初心者だろうから六〇でいいだろう。それでチーム分けだが……」
「私は中佐と回らせてもらいたいが、いいかな?」
ネグロポンティの仕切りに、ラジョエリナ氏が小さく手を上げて口を挟んでくる。ネグロポンティとしては氏と『いろいろ』お話ししたいと思っていただろうが、今後のことを考えてアイランズが(俺をダシにして)連れてきた氏の機嫌を損ねるような真似もしたくない。グヌヌヌという声が聞こえてきそうな感じだが、表情筋が微妙に震えるだけで、結構ですと了解した。
「よろしいのですか?」
アイランズチームとなった俺は、一番ホールでティショットを打とうとするアイランズに顔を向けながら、横に立つラジョエリナ氏に問いかけると、果たして氏は軽く鼻で笑った。
「私はただネグロポンティ氏の作業時間効率を考えてあげただけだよ」
『開かない財布に時間を費やすのはもったいないだろう』を、皮肉たっぷりに運送屋が言うとこうなるのかと、俺は妙に感心した。背格好はまるで違うが、雰囲気はシトレの腹黒親父によく似ている。シャカーンといういい響きに合わせて拍手をすると、氏は苦笑する。
「伸びた背筋がなければ君を軍人と見るには難があるな。以前は大企業のサラリーマンだった、中小企業の跡継ぎ若専務にしか見えん」
「思い上がりの身の程知らずに見えます?」
「いきなり上司が消えて異業種に放り込まれ、はてさてどうしたものかと戸惑っているように見える」
「まったくその通りですからね」
君の番だぞ!というアイランズの声に、俺は笑いに背を震わせながらチェン秘書官からドライバーとボールを受け取りティーグラウンドに向かう。
第一ホール、四一九ヤード、パー四。幅広でほぼ一直線のフェアウェイだが、ティーグラウンドより一五〇ヤードと二五〇ヤード、それにグリーン手前五〇ヤードにそれぞれ小さいバンカー。普通にドライバーで第一・第二バンカーの間まで運べればいいが、グリーン手前が少し狭くなって二打目に苦労する可能性がある。
二日前の一〇時間打ちっ放しを思い出せ。取りあえず真っすぐは飛ぶようになったんだ。ティーグランドで小さく舞っている木っ端など気にする必要はない。イエス、アイアム・モンキー……
カシューンンンンン、と音を立ててボールは一直線に、打ちっ放しでも出せなかった最高の弾道を描きながら……砂の中へと消えていった。
◆
わざとやったわけでもないのに、バンカー、池ポチャ、数多のOB……積み上げられたオーバーの数は参加者ダントツトップ七二に、俺の心はズタズタ。
特に一四番ショートホール、一六九ヤード、パー三で七番ウッドを選んだチェン秘書官は間違ってはいないが、間違っていた俺は勢いよくボールを旗の真横にぶち当てた。当然、物理法則に則りボールは林の中へと消えていく。スピンなんか知ったことないとばかりの中弾道で……
「ゴルフってカップにボールを入れるスポーツだったと思うんですが」
『肉と魚』という、身も蓋もない店名のトルコ風料理店。いわゆる大衆食堂であるが、味は水準を越え、何にも増して量が尋常でない。気位や時間よりも、食欲と味覚を満足させたい人向けで知られた店で、ハイネセンだけで五店舗が展開している。ちょっとチップを払えば特定の席の予約も、特別料理も出してくれる……そんな店のやや奥のボックス席で、ハイネセンに帰還してようやく後始末が終わった第八艦隊作戦参謀の一人が、ボサボサ髪の上下ジャージ姿の呆れ顔でチャイを傾けながら呟いた。
「先輩の名前が発表された艦隊幕僚リストになかったものですから、先輩・同期の間ではちょっとした騒ぎになってますよ。またなんか上層部に嫌われそうな余計なことしたんじゃないかって。ですが心配無用でしたね」
士官学校の時に比べて少しだけ苦労が顔に出始めた第九艦隊第二分艦隊参謀のアメリカン優等生が、ちょっと名の知れたブランドものの長袖ポロシャツ姿で、ビールとシシ・ケバブを両手に持ち笑い声を上げる。
「しかしボロディン先輩を当局内勤とは。こう言っては何ですが、上層部の連中は一体何を考えているのか……」
明らかに眉間に皺が寄っている統合作戦本部戦略一課の金髪がビシッと決まったエリートが、入店早々ネクタイと第一ボタンを外し、ブランド物の真っ白なYシャツ姿でイラつきの雰囲気を隠すことなく、ミディエ・ドルマを口にほうばりながら呟く。
「でもご出世されたことに変わりはないんでしょう? おめでとうございます『悪魔王子』殿下」
紅一点。クラシカルなブラウスとデニムという、なんか凝ったようでシンプルなコーデ姿の音楽学生は、ほっそりとした手を合わせて、俺に微笑みかける。だがどう見てもその顔は、歳上の知人に対するというより同級生へのそれに近い。
店が店だけに、周囲には軍服を着た明らかな軍人がいるにもかかわらず、このテーブルだけは講師のクチでまだ大学残っている一人を加えた研究室のOB会のような、どこか社会離れしたような雰囲気に、俺はラクを片手に今更ながら弛緩していた。
六人掛けのテーブルで、俺が奥真ん中、左にワイドボーン、手前中央にジェシカ、ジェシカの右・通路側にラップ、左・壁側にヤン。俺の右にはアッテンボローが来る予定だったらしいが、今日は都合が合わず荷物置きになっている。それでも銀英伝の同盟ファンなら、こういう席で気兼ねなく彼らと話せるというのは幸せというほかない。
原作通りなら四年半後、第六次イゼルローン要塞攻略戦でワイドボーンが、六年後にアスターテ星域会戦でラップが、七年後にスタジアムの虐殺でジェシカが亡くなってしまうかもしれない。比較的安全な現代日本に暮らしていた俺としては、それはなんとしても阻止したいという気持ちが自然に腹の内から湧き上がってくる。
「このまま明日にでも戦争が終わるって言うなら大歓迎なんだがなぁ……」
胃に流れ落ちるラクの刺激に思わず零すと、
「それは心の底から賛成ですねぇ……」
溜息交じりにピデを手に取り齧りつくヤンが応えるが、
「そんなことあり得るわけないだろう。帝国の連中は、何時でも我々を滅ぼそうとしている。戦争が終わるのは奴らが滅びるか、我々が滅びているか、そのどちらかだ」
もう遠慮はいらないとばかりに、一人で勝手に注文したキョフテにフォークを刺しつつ、舌鋒鋭くワイドボーンが応える。その姿にラップは肩を竦めて視線を逸らしているし、(現時点で)政治も軍事も専門外なジェシカも苦笑いを浮かべている。
「じゃあ、ワイドボーン。どうやったらこの戦争は終わらせることができると思う?」
コイツの真っ白なYシャツに撥ねたトマトソースが付いたのを確認した俺が挑発気味に話を振ると、ワイドボーンは口先まで届いていたキョフテを皿に戻してから応えてくる。
「イゼルローンです。イゼルローンを陥落させることで、帝国軍は回廊より同盟側の領域における軍事作戦を展開することは出来なくなります」
「イゼルローン要塞は難攻不落だ。これまでに挑戦四回、いずれも失敗している。ついこの前も七〇万人もの犠牲者を出した。動員する戦力がどれだけ大きかろうと、あの要塞は陥落させることは出来ない」
「しかしボロディン先輩。策源地を叩かない限り、戦争は終わりませんが?」
「ではこのままダラダラと三年に一回程度のペースで、一〇〇万人近い犠牲を出すイベントを続けるのかい? もちろんイゼルローンに正面展開ができるよう周辺星域を無力化する軍事行動を含めてだ」
「……そこまでおっしゃるなら先輩のお考えを聞きたいですね」
ここまでヤンに向かっていたワイドボーンの鋭気が俺に進路変更される。コイツの挑発的な視線を浴びるのは久しぶりだが、職場で向けられるエベンスのシラケたモノや、チェン秘書官の妖しげなモノに比べれば、嫌味であってもハッキリすっきりしてはるかに心地がいい。別にマゾというわけではないが。
「あまりにもイゼルローン要塞が難攻不落ゆえに、我々同盟軍はその戦略的意義を軍事要塞としての価値にのみ注視しすぎている。同盟帝国両領域のチョークポイントという絶妙の位置にあるという点も含めてだ」
「そうです。ですから、我々は要塞を陥落させる必要が……」
「なぜイゼルローン要塞を『陥落』させる必要があるんだ?」
「え? ですが……」
「策源地を無力化するのは、何も策源地『本体』を無力化するのとは同値ではない。その戦略的価値を失わせることでも達成できる。我々は帝国軍と戦っているのであって何もイゼルローンと戦争をしているんじゃない」
イゼルローン要塞自身はほぼ永久要塞。普通の地上軍の基地とは違い、補給線を断ったところで無力化は出来ない。だが、基本的に要塞自体の持っている戦闘能力は、あくまでもアルテナ星系の一部領域だけに過ぎない。駐留艦隊と要塞守備隊、機動戦力と根拠火力のコンビネーションが回廊の制宙権を構築し、戦争の一つの形態として、同盟に対する軍事投射能力を作り上げているに過ぎない。
「イゼルローン回廊出口の制宙権を長期間安定的に確保すること。これが『戦争を終わらせる』という問いに対する、俺の回答だ」
制宙権を安定的に確保できる状況下であれば、穴から出てくる帝国艦隊(モグラ)を叩き続けるだけでいい。軍事生産基地能力のあるイゼルローンがある以上、帝国軍の補給線は短いが、回廊の出口は扇状地のような空間であるから、出てくる帝国軍側としては自在な兵力展開を行うことは難しい。
シトレに話したこととほぼ同じだが、長期間安定的に確保している間に、イゼルローンとほぼ同値か、それ以上の要塞を回廊開口中央部に設置出来れば、あとは定期的な機雷敷設と航行妨害設備の配置で回廊を封鎖することができる。
「しかしどうやって、長期間制宙権を安定的に確保するんです? それこそイゼルローンから駐留機動艦隊が毎日妨害に来ませんか?」
俺の回答に考え込み始めたワイドボーンを他所に、興味深そうな表情でラップが聞いてくる。
「妨害を撃退するだけの大兵力を前面展開するには、交代を含めても中央の制式艦隊の数では足りません。戦線維持の為には巨大な補給線も必要です。現在ある戦略輸送艦隊をフル動員したって無理ですよ」
「同盟軍基本法に制宙権を確保する為には、艦隊を使わなければならないなんて条文があるわけじゃないさ」
俺がラクのグラスを掲げると、ラップは首を傾げるが、ヤンは「あ」と思いついたように声を上げる。恐らくヤンの頭の中で惑星ハイネセンの軌道上を巡る半永久的に動く全自動軍事衛星の姿が浮かんでいることだろう。
まぁ今ある一二個だけ持っていくなんてケチな事は言わず、要塞規模の戦略拠点を構築するまでは首飾りを二〇〇個でも三〇〇個でも量産して、回廊出口に敷設する。岩や氷にぶちのめされるようなことがあっては面倒なので、若干の機動性の向上を付与する。漏れ出てきそうな帝国艦隊だけは、艦隊で削り取っていかねばならないだろうが、展開する戦力はずっと少なくて済む。
移動要塞があるのならばもっと話は早いが、機動防衛ドクトリンに縛られている今の同盟の技術力ではおそらくそれが限界。原作のヤン艦隊の連中は危険視しつつも、戦略的には評価していなかったが、俺は可能ならシャフトを事前に誘拐するか買収するかして、同盟に亡命させられないかと思うくらい評価している。
要塞に要塞をぶつけてぶっ壊し、新しい要塞を持ってくるなんてコストがぶっ飛んだ発想を生み出すまでもなく、恒星間航行能力を持つ永久要塞の価値は、設営箇所での建造時間という要塞最大の欠点を見事に帳消しにし、一瞬で星系規模の空間を制圧することができる。
「……先輩の方法論はあまりに突飛で実現性に疑問がありますが、仰ることは理解できます。しかしそれだけのハードウェアに対する投資について、軍首脳部も同盟政府も了承するとは思えませんが」
何しろアルテミスの首飾りには首都防衛という名目で、軍事予算とは別の分野からも予算が投じられている。一個艦隊は優に揃えられる額で、開発費もさることながらそのメンテナンス費も大きい。どうやって帝国の大貴族がフェザーンの利益を乗せた分の代金を用意できたのか、聞いてみたい気もするくらいに膨大だ。
「ワイドボーン。このまま毎年三〇万人以上の軍人と一万隻近い艦艇を損失し続けるのと、無人の軍事衛星を破産覚悟で投げ続けるのと、どちらが『経済的に』まともだ?」
「金額的には艦艇を損失し続けている方が安いとは思いますが……いえ、違います、先輩が仰りたいのはそういう事ではない……」
「技術的に出来ないことではなければ、幾らでも考える余地はある。ひたすら考えるのは我々参謀将校としての使命だろう。その上で、我々軍人は戦争の勝ち負け以上に、この国家が生き残ることを考えなければならないんじゃないか?」
それを考えるのは政治家の仕事だ。そう言ってしまえば簡単だが、政治家は政治のプロであって軍事戦略のプロではない。その上で軍事は国家の存続の為に存在し、国家経済に従属することを政治家だけでなく軍人も理解するようになること。この点において、俺は間違いなくジョアン=レベロやホワン=ルイと同じ立場だ。
ワイドボーンが恐らく俺の言いたいことをたぶん理解してくれた、と思うのは早計かもしれない。彼がどういうキャリアでワーツ分艦隊の参謀長になったかは分からないが、何もなさず前線で金髪の孺子の餌食にする必要はない……もう内勤になった俺が、ワイドボーンを部下にできるとも思えないし、もしかしたら上官になるかもしれないが、何とかフォローできるようにありたい。
「ここにいる人達、みんな軍人なのに軍人らしく見えないですけど……」
ワイドボーンもラップも、それにヤンですら俺に対して鋭い視線を向ける微妙な雰囲気の中で、ジェシカがトルコワインを手に取りながら俺に向かって首を傾げて言った。
「素人の私でもボロディンさんがまるで政治家のように見えるのは、どうしてなんでしょうね?」
『あぁ~そりゃなぁ~』といった緊張感からの開放が、溜息と共に目の前の同期三人の間に流れたのは、誰がどう見ても間違いなかった。だが言われた側の俺としては逆に胃が重くなる。
つまるところ、俺の究極の目的は俺がこの世界にあるうちに、自由惑星同盟が滅ぼされないこと。その為には何としても金髪の孺子の銀河統一という野心を踏みつぶさなければならない。しかも限られた期間の内で達成するには軍事力でしかそれは解決できない。だが……そうでなくとも今の地位と権限の許す範囲を超えて、より政治に干渉するような行動することができれば、もしかしたら可能なのだろうか。
「ボロディン先輩、酔ってるんですか?」
トントンと、隣に座るワイドボーンが肘鉄で俺の左脇を突く。俺が酔ってないと口には出さず首を小さく振って応えると、でしょうね、と小さく溜息をついて言った。
「ウィッティ先輩もヤンも言ってますが、突然前触れもなくぼんやりするのは軍人としては良くない癖ですね」
「……やっぱ、そう思うか?」
「まるで動力源が止まった人形のように見えるのが不気味です。突発性難聴の検査はされたんですか?」
「別の人からも勧められたんでね。異常はなかったよ」
耳に機械を当て、さらには血液検査も含めて散々調べたが、お酒の飲み過ぎには注意してくださいという余計な診断がついた以外は、特に問題はなかった。自分でも悪癖だとは思うが、薬や習慣で治るようなものでもないので俺はもう諦めた。
「まぁ、戦場にあってもこれまで特に不自由なく仕事で来てたからな。死ぬまでこの癖とは付き合うよ。それより、お前達の方がどうなんだ? ちゃんと健康診断は受けているのか?」
「一応は。ヤン達は知りませんが」
ワイドボーンの冷たい視線がラップとヤンに向かうと、二人とも肩を竦めるように視線を逸らす。軍規としての健康診断は軍務に圧迫されて正直おざなりだし、地球時代よりも (生体移植技術などの)外科的な治療技術は格段に進歩しているので、戦地における戦傷治療に比べ平時は規則正しい生活に従っていることから、日常健康に対する軍人の関心はかなり低下している。
「ヤン、それにラップ。悪いことは言わない。ハイネセンにいるうちに健康診断とは別に精密検査受けとけよ。活力に溢れて無敵のような若い奴でも、変異性劇症膠原病なんてわけわからない病気に罹って、高熱と発汗でマトモな治療もできず体が内側からボロボロになってあっさり燃え尽きて死んじまうなんて話もあるらしいんだ」
「は、はぁ……」
「戦闘で死ぬのは、軍人としてはまぁ職業病のようなものだから半ば仕方ないとしても、その前に直せる病気で死んじまうのは流石に勿体ないだろ。一つしか命はないんだから、大事にしてくれ」
お互いに顔を見合わせるヤンとラップを他所に、俺は真正面に座るジェシカに向かって言った。
「民間人の貴女に頼むのは本当に申し訳ないのだが、このクソガキ二人の尻を叩いてやってくれないか。先輩のいうことに従わないし、小賢しくて生意気なんだが、どうでもいいことで失くすにはあまりに惜しい奴らなんだ」
俺がそう言って小さく頭を下げると、この中では一番の年下であるはずのジェシカの顔に、母親のような慈しみが込められた笑みが浮かぶ。
「まぁ……そのあたりはお任せください。ちゃんと早々に『躾けて』おきますわ」
その答えに情けない顔でヤンとラップは肩を落として黙り込み、ワイドボーンは何故か得意げな視線を二人に浴びせる。別に偉いわけでもないのに、なんでお前はそんなに偉そうなんだと、俺は隣にいて思わずにはいられなかったが。
それから数日後。今まで見たこともない真っ青な表情をしたヤンと、今にも倒れて崩れおちそうなジェシカの双方からお礼のヴィジホンを受けて、ようやく原作を思い出して自己嫌悪に陥ったのは、余談である。
後書き
2024.02.13 更新
第98話 人と人
前書き
いつものように遅くて申し訳ございません。
2週間の投薬治療は終わりましたが、高音域の一部がまだ戻っていないようで、もう2週間追加で治療を行うことになりました。(ステロイド剤は終了です)
そう言いながらもWoTで、自陣からピクリとも動かない重戦車の代わりに、前線で戦い続ける駆逐戦車乗りをやってます。
O-iの代わりに前線に出るJacksonっておかしいと思いません?
宇宙暦七九〇年 七月 バーラト星系 惑星ハイネセン
俺の今回の職務は、今までと違って仕事の波があまりに不規則過ぎ、正直上手くやっているのかどうかさっぱりわからない。
昨日はゴルフや宴会かと思えば、次の日は国防委員会審議事項の検討会議。そこで上がった問題点に対する統合作戦本部の部局への手配を済ませたと思えば、部局で聞いた来期軍艦建造の船腹量に対して与党政治家も交えた民間企業への割り振りの検討(いわゆる官製談合)と、表も裏も光も影も。ありとあらゆる方面に広がる調整に首を挟まなければならない。
特に九月末までは新予算会計年度に対する財務委員会への折衝が頻繁におこなわれる、らしい。表に出せる業務についてはエベンスやベイ達が難なくこなしていて、一方ほぼド素人の俺はほとんど手首にワッパが半分掛かっているような仕事に勤しんでいる。だがどの世界のどの時代でも予算成立期限寸前まで『銭闘』するのは変わらないようで、普段『コネ入社』扱いの俺も、朝から晩まで国防委員会所属議員のオフィスから統合作戦本部の調達部局まで走り回る。
いつもなら憑いてくるチェン秘書官には、業務効率も考えて俺の執務室でアポ取りとスケジュール管理に専念してもらっている。どちらが主でどちらが従だか分からないような状況だが、この仕事の流れが全然掴み切れない以上、そうしなければ仕事が滞ってしまう。誰と誰の仲が良くて、仲が悪いか。そういう『Cの七〇』仕込みの情報が、付箋のように情報に付けられているのは実に助かる。
望外なのはこの世界に産まれてからずっとシトレ派と言われながらも、現時点ではトリューニヒトの息のかかっている政治将校?のような身分のお陰で、行政府や軍部局のどの部署に赴いても頭ごなしに門前払いされることはないし、とりあえずは話も可否に関わらず聞いてくれることだ。
「なんでって? そりゃあ、君が実に軍人らしからぬ軍人だからだよ。お若いボロディン君」
本日最後の業務。来季の徴兵規模についての最終調整で、深夜、統合作戦本部計画部長(中将)・同人事部動員課長(少将)・後方勤務本部調達部長(少将)のお偉方三人とその補佐官合計八名を人的資源委員会にご案内したわけだが、そこの次席は業務が全部終わって彼らと一緒に帰ろうとする俺を、夜食で引き止めてそう言った。
「特に中堅以下の官僚の間では、君に対する評判がすこぶる高い。あまりにも高すぎるから、レベロの奴なんか早々に実戦部隊に戻せって幼馴染に会う度に注文つけるくらいさ。まぁどんな組織でも移動して一ヶ月も経たないうちに再移動させるなんて、そんなアホなことできるわけがないんだがね」
皮肉っぽい笑い声で小柄な現人的資源委員会常任幹部のオッサンは、誕生してから一五〇〇年以上経過しているにもかかわらず、容器と保存性以外変わらぬインスタントヌードルを啜っている。ちなみにオッサンの食べているヌードルの味は塩バター味ではない。
「しかしなんで軍人らしからぬ軍人だと、官僚の皆さんの評価が高くなるんです?」
マーロヴィアやエル=ファシルで文官官僚にも多くの知己を得たが、両方とも俺一人のやった仕事ではない。マーロヴィアで言えばパルッキ女史、エル=ファシルならクロード=モンテイユ氏が中心で、俺もそれなりに仕事はしたつもりだが、彼らに比べればずっと軍のフォローも大きく、かつ任務も主体的ではなかった。
そんな俺の疑問にもっさりとした七三になりつつあるオッサン……ホワン=ルイ議員は、カップに残っているスープを喉に流し込み、口を手で拭ってから、は~っと腹の底から呆れたように息を吐いた。
「君は鏡で自分の顔を見たことがあるかい?」
「それは、はい。毎日」
「その鏡に映る青年は、日夜暴虐非道なる帝国の奴らと戦う、勇気と力に溢れた、タフで剛直な正義の味方の権化のような軍人に見えるかい?」
「見えません」
そういうのはウィレム坊や(ホーランド)の得意とする分野だ。あいつなら軍服の下にSのマークの入ったスーツを着てても違和感はない。
「人徳がありそうで、見るからに包容力と器量に溢れた、市民にとって実に頼りがいのある軍人かい?」
「いいえ」
それは明らかにシトレだろう。たとえトリューニヒトであろうとも、頼りがいのある軍人という評価を否定することは出来ない。
「知性に溢れ、どんな不利な戦場にあっても勝利をつかみ取ることのできる、冷静沈着な軍人かい?」
「絶対、違いますね」
まぁ脳細胞の中身が覚醒している時のヤンがそうだろうなぁとは思うが、少なくとも俺ではない。
「だろうね。私もそう思う。良いところ上級星域……う~ん、そうだな。ケリムあたりの行政府の政策企画局で、利害関係が面倒な資料を作っては、議員にダメだしされて徹夜ばかりしている小役人に見えるよ」
「ちょっと具体的に過ぎません?」
それは惨憺たる評価というよりも、前世の俺(民間企業だったが)相応の評価だったので、頭を垂れて中華風味ヌードルの液面を見つつ苦笑するしかない。
「でもね。前線に辺境にと死線を潜り抜けてきた軍人が、戦場に出たこともないヒョロヒョロ行政官にそんな評価をされたら、机を叩いてブチギレて、頬をぶっ叩くぐらいのことはしかねないんだよ」
俺は思わず顔を上げてホワン=ルイの顔をまじまじと見る。そこには先程まで人好きするニコニコ顔を浮かべていた温和なオッサンではなく、真剣な目をした一人の政治家がいた。
「軍人さんがこの国を守ってくれる事には敬意を表するさ。そりゃあ当然だよ。だからと言って暴力を背景に、なんでも物事が通ると思うのは流石に傲慢ってことなんだ」
「……小官には、『傲慢』が感じられないと?」
「君は文官側に対し、武力をちらつかせるようなことを一切しない。どんな相手でも丁寧に理詰めで話してくるところなんか、まるで『官僚そのもの』で実に話しやすい。今日だって中将に、少将二人に、佐官が山ほど……どれだけの威圧を私達文官が感じていたことか。軍人の君にはなかなかわかりづらいとは思うがね」
どこの国のいつの時代も、軍と官の仲は悪い。特に戦時下や戦雲漂う時代において、軍人の存在感と発言力は強大だ。前線で命を張っている立場の人間に対して、羞恥心のある銃後の人間はどうしたって気後れしてしまう。
リン=パオ、ユースフ=トパロウルが戦った“古き良き時代”より一五〇年。戦争が常態化し、国民の生命に対する価値観を低下させ、思考を硬直化させ、国家として歪であることを容認してしまっている。
「ホワン=ルイ先生。人的資源に関する専門知識を有する政治家としてお伺いしたいのですが、よろしいですか?」
「なにかね? 応えられる質問だったら良いんだけどね」
これは賭けだ。同盟滅亡まで権力中枢の近くにありながらも一歩引いた立場に居続けた、ホワン=ルイという一人の政治家に問うても答えてはもらえないかもしれない。だがヤンの査問会にも参加できるような、ある意味では『融通の利く』政治家と腹を割って話せる機会は、これから先、そうないだろう。
「これから数年毎に一〇〇万人以上の将兵を喪失するのと、毎年国家財政における軍事予算が七割を超えるのと、どちらかを選択しなければならないとしたら、どちらを選択されます?」
俺の質問にホワン=ルイは一瞬だが体が硬直したように震えた後、まじまじと俺の顔を見つめる。一〇秒か二〇秒か。それほど長い間ではなかったが、空気が重くなったのは間違いない。だがホワン=ルイは一度目を閉じ、下唇を軽く噛みながら小さく頷くと、先に口を開いた。
「究極の選択だね。政権側にいる政治家としては実に即答しがたい」
「理解しています。大変無礼な質問であることも」
俺が回答を世間に言いふらすような人間でないという保証はどこにもない。俺にそうするつもりは毛頭ないが、トリューニヒトに密告すると警戒するのも当然だろう。だが覚悟が決まったというよりは諦めたといった表情で、ホワン=ルイは肩を竦めておどけるような表情を見せる。
「まぁ……いろいろな人の君の評判を聞くに、君は後者の意見を選択するのだろうね。レベロが聞いたら君を狂人と評するのは間違いない。他人事ながら保証してもいいくらいさ」
「そうなんですか?」
まだ直接レベロ本人に会ったことはないが、やはり歯に衣を着せぬような舌鋒の持ち主らしい。まぁ、俺の質問もかなり失礼なものだから、お互いさまというところか。
「だけど私個人としても人的資源委員としても君と同意見さ。今さっきの徴兵規模調整交渉を無にするような言い草だが、もはや国家の、同盟の人的資源余力は限界を超えつつある」
「社会機構全体が軍を支えるどころか、国家を支えることができなくなりつつある。そういう事ですね?」
原作でホワン=ルイ本人やレベロが言ってたセリフだ。そのままパクリで申し訳ないが、ホワン=ルイは実に興味深そうな表情を浮かべて俺に応えてくる。
「なるほどね。シトレ大将が君を早期に軍から引き離して、政治家にするようレベロに働きかけるのも分かる気がするね。戦略思考回路がまったくもって前線勤務の軍人じゃない。なのに艦隊参謀としても優秀だ。実に面白い」
「面白い、ですか?」
「君の前任者……ええと、たしかヨゼフ=ピラート中佐だったかな? 彼も君と同じような結論に達してたよ。まぁ彼は後方支援科出身で、資材調達畑が長かったと言っていた。君とは正反対で、前線での武勲など全くなかったが、長らく後方の現場を見てきてそう思ったんだろうね」
まるで覇気のない。実働部隊を軽蔑すらしていた、汚職軍官僚のテンプレのようなピラート中佐の捨て台詞が、俺の頭の中ではっきりと再現される。
今の俺の仕事の一つである行政側と軍部の意見調整の場をコーディネートする場面で、前線勤務が全くない三〇歳後半から四〇歳の中佐というのは、相当軽く見られていたに違いない。意見を言う軍側は中佐の調整を無視して図に乗り、逆に行政側は中佐のことを全くあてにしない。結果として中佐の仕事に対する熱意が低下するのも理解できる。
しかも出身が資材調達となれば、軍需物資を生産する多くの民間企業と密接に関わる分野だ。過度の徴兵による生産人口の量と質その両方の低下と、納入される製品自体の品質低下や輸送能力の低下を目の当たりにして、国家としてまともに戦争ができる状況ではなくなりつつあると判断した。
そういった視点を持つピラート中佐にとってみれば、エネルギーや兵器そして将兵を消耗しながら武勲を求めて投機的な冒険にのめり込む実働部隊の人間など、心底唾棄すべき存在としか思えないだろう。ましてそんな実働部隊の人間が、ただただ前線での武勲がないことで中佐を軽視するとなれば、ああいう態度になるのも当然だ。
その上で戦争を継続しつつも低下しつつある軍需関連企業の能力を維持する為に、公的資金の投入や行政的なフォローが必要であること。その為には政治家にも働いてもらわねばならず、潤滑油として本来は必要のないはずの『手数料』も作り上げなくてはならない。そういった残念な現実を無視して、部下なのに教条的に腐敗した政治家と軍官僚として自分を軽蔑してくるエベンス少佐など、中佐にしてみれば本当にクソの役にも立たないといったところだろう。
彼自身はきっと望まなかっただろうが、もっとピラート中佐と深く話をすべきだった。前線の武勲なしに三〇代後半で中佐という地位にあるというのは、政治的なコネがあったかもしれないにしろ通常の前線勤務将校の昇進スピードと何ら変わらない。俺みたいにズルをせず、ホワン=ルイに国家としての継戦能力の低下を主張できる思考力と度胸。ピラート中佐の次の職場が確かトリプラ星域軍管区だったことを考えると、今更ながら後悔しか浮かばない。そして……
「つまりは小官の背中に見え隠れするシトレ大将の影とトリューニヒト氏の影、僅かな武勲を持っていることで、交渉が実にスムーズになり行政側の皆様は実に心地が良いと。そういうわけですね」
「ま、そういうことだね。ピラート中佐には悪いが、君に代わってくれて我々は本当に助かっているんだ。私もトリューニヒト氏の頬にキスしたいくらいさ。君にとってみれば不運で不満かもしれないが、珍しく良い人事をしてくれたってね」
もう一個食べても問題ないよね、と言って席を立つホワン=ルイのおどけた表情に、俺は苦笑を隠すことは出来なかった。
◆
ホワン=ルイとの夜食会から二週間後。俺はチェン秘書官に無理を言ってスケジュールを空けさせた八月一日。単身ハイネセンポリスからテルヌーゼン市へと向かった。
一〇日前。アイリーンさんからブライトウェル嬢が士官学校に合格した旨、連絡があった。受験した全ての学科に合格し、嬢は最終的に戦略研究科を選択したそうだ。入学席次は四六番/四六七七名中。戦略研究科志願者内では三七番/三九〇名中。入学時の俺よりもはるかに成績は良かったものだから、アイリーンさんからの連絡が来てから二〇分も経たないうちに、第五艦隊司令部を代表してモンティージャ大佐から『万難を排しても午餐会に出席するように』との司令官通告と『現第五艦隊司令部で最も優秀な人材が、士官学校で心おきなく学業に励めるよう対処せよ』との指示を受ける羽目になった。
だから早朝テルヌーゼン空港の到着ロビーの出会いの広場で、ピカピカのセレモニースーツを纏って俺を待ち構えていたアントニナが、その理由を聞かされて過去最悪の機嫌になっていたのは、決して俺のせいではない。
「んなわけないでしょ」
俺支払いの無人タクシーの中で、アントニナはふくれっ面で俺を指差し、睨みつけてくる。
「ヴィク兄ちゃんもさ、士官候補生だったんだからわかるでしょ? 二年生は新入生式典の準備やなんやかんやで忙しいのに、兄ちゃんが休みをとれっていうからわざわざ優しい三年生と夜警交代を条件に代わってもらったんだよ? それがなんでよりにもよって『午餐会』に出なきゃならないの?」
体のいいさらし者じゃないと、ちょっとだけ伸びた艶のある金髪を振り回し怒るアントニナに、俺はただひたすら平謝りするしかない。
本来ならモンティージャ大佐でもカステル大佐でも、なんならモンシャルマン少将でもよかった。だが親族がアイリーンさんだけのブライトウェル嬢としては、そちらの二人だと色々と誤解される恐れがある。
母子家庭・父子家庭の新候補生がいないわけでもないが、リンチの娘という『傷』に付け込む輩がいないとも限らない。午餐会でアイリーンさんだけでは対処できない事態も想定されるから、その場では俺が国防委員会所属徽章と中佐の階級章で黙らせる。
そして士官学校内部では現役将官の娘であるアントニナに『保護者』となってもらう。アントニナは情報分析科でブライトウェル嬢は戦略研究科と、学科は違うから正直どこまで守れるかは分からない。だが正義感の強さでは折り紙付きのアントニナ(現役少将の娘)と、その親友で嬢とも面識のあるフレデリカ(現役中将の娘)の二人がカバーすれば、ある程度は安全が確保できる。はずだ。もっとも女性士官候補生のいじめなど、相手が新兵とはいえ、前線でのエリミネーションマッチで一個分隊(一〇人)ぶちのめしたブライトウェル嬢にとってみれば、何ら恐れるものではないだろうが。
「フレデリカの同級生で知人なんでしょ? だったらフレデリカに任せればいいじゃない。なんで僕がやらなきゃいけないんだよ」
「アントニナ、お前、またグリーンヒル候補生と喧嘩しているのか?」
「空戦戦技と射撃技術では負けてない」
つまりはそれ以外では負けているわけで、これまた機嫌の時期を間違えたかもしれない。もっともフレデリカ=グリーンヒルの卒業席次は『次席』だから、勝つ為には『首席』しかないわけだ。俺でもできたんだから、アントニナもできないわけはないと思うが。
「ともかく学科が違うから僕はまだ会ったことはないけど、そのリンチ少将の娘さんが不当な虐めとかに遭っていたら、フォローすればいいんだね?」
「士官学校内部で、俺が信頼して頼めるのはアントニナしかいないからな」
「タダではやらないよ?」
「……正直やりたくはないが、ヤン=ウェンリーのサイン色紙二枚でどうだ?」
急に世知辛くなったアントニナにむけて俺が指を二本立てると、アントニナは顎に指をあててしばらく考え込んだ後、まだ幼い頃よく見せたいたずらっ子な視線を向けて応えた。
「……一枚はフレデリカ宛だね。そっちには『フレデリカさん、士官学校でも頑張ってください』と追記しておいて、たぶん興奮して鼻血を出すと思う。僕の分にはヤン少佐のサインに加えてヴィク兄ちゃんのサインと、兄ちゃんの知る人の中で一番偉いと思う人のサインを併記した色紙が欲しい」
「偉い人って、そんなのお前、一番はグレゴリー叔父さんに決まってるだろ」
「父さんじゃない人で」
「じゃあ、ビュコック司令官閣下でいいか?」
「ビュコックお爺さんのサインは、ジュニアスクールの時にお父さんが貰ってきてくれた」
「あとはシトレの腹黒親父ぐらいしか……」
「シトレおじさんは毎年新年の時に送ってきてくれるよ?」
「なんてマメなことしやがるんだ、あの腹黒親父……」
そういうマメな心遣いが、厚い信望の要因の一つではあるのだろう。だがそうなるともう後はサイラーズ宇宙艦隊司令長官か、アルベ統合作戦本部長しか考えられない。伝手が無いわけではないが、アントニナに相応しいかどうかわからないし喜んでもらえるとも思えないし、もしかしたら主要な軍人に限ればグレゴリー叔父から貰ってきているかもしれない。
「わかった。その三人以外でなんとか考えてみる」
「せいぜい期待してるよ、ヴィク兄ちゃん」
口に手を当ててクスクス笑うアントニナは、顔こそすっかり大人になりつつあるが、本性は昔と変わらない陽気で優しく、お茶目で正義感の強い妹のままだった。と、この時までは思っていたのだが……
「あん時の赤毛の女……」
「……ご無沙汰しております。アントニナ=ボロディン候補生殿」
綺麗に整えられた両眉の間に深い皺を寄せて歯ぎしりしながらブライトウェル嬢を睨みつけるアントニナと、絶対零度の表情で一三〇点満点の完璧な敬礼をアントニナに向けるブライトウェル嬢。二人を見るアイリーンさんはオロオロしているし、両隣の家族もこちらのただならぬ雰囲気にこちらへチラチラと視線を向けてくる。
「ちょっとどういうこと? ヴィク兄さん、聞いてないんですけど?」
「だってそりゃあ、言ったらアントニナは嫌だって言いそうだし……」
「嫌に決まってるでしょ」
「では、命令だ。アントニナ=ボロディン候補生」
「なんでっ……、了解しました、ヴィクトール=ボロディン中佐」
フィッシャー師匠直伝の無表情と冷めた視線でアントニナを見据えると、苦虫を嚙み潰しつつアントニナはゆっくりと敬礼する。入校して一年、まだ個性の剥奪までは至っていないが、軍人へとの道を着実に進んでいる。これがアントニナにとって良いことなのかどうかは分からない。
「小官といたしましても、わざわざ妹さんのお手を煩わせるようなことは、遠慮したいとは思っておりますが」
「遠慮する必要はない。これは『命令』だ」
「ですが……」
フォローについて手配してくれるのはありがたいが、明らかに嫌がっているアントニナの様子を見て、少しだけ瞳に心配が浮かび上がったブライトウェル嬢に、俺は敢えて突き放すような口調で言った。
「私も第五艦隊司令官アレクサンドル=ビュコック中将閣下と、第五軍団司令官オレール=ディディエ中将閣下のご命令を受けて、アントニナ=ボロディン候補生に指示をしている」
爺様とディディエ中将の名前を聞いて、恐らくはブライトウェル嬢と同じ戦略研究科の新入生と思われる右隣の家族、特に大佐の階級章を付けた父親の顔色が変わり、息子の新入生に耳打ちしている。叩き上げでついには艦隊司令官まで上り詰めた歴戦の老提督と、降下猟兵にその人ありと言われる軍団司令官の名前、それにその二人の意を受けた『ボロディン』という名前の軍人兄妹になにかヤバいものを感じたのかもしれない。虎の威を借りるような真似だが、これで候補生内の口コミによってブライトウェル嬢への不当な干渉が減れば儲けものだ。
そんな隣の家族を無視して俺はブライトウェル嬢を手招きすると、アントニナと握手するよう手振りで指示をする。いつになく細く危険なアントニナの鋭い眼差しと、身長ではアントニナより五センチばかり高いブライトウェル嬢の上から目線の衝突は一〇秒近くにも及び、両者とも明らかに嫌々と言った風情で手を伸ばし握手する。
「……これから四年間、お世話になります。アントニナ=ボロディン二回生殿」
「……えぇ、貴女の士官学校への入校を歓迎するわ、ジェイニー=ブライトウェル一回生」
無表情のはずのブライトウェル嬢の右手の甲の血管が何故か浮かび上がり、アントニナの右唇と右米神が微妙に震えているのは見なかったことにしたい。運動神経は同世代では間違いなくトップクラスのアントニナだが、こういった勝負ではいささか分が悪い。
「よし、仲良くなったところで昼食にしよう。せっかくの料理が冷めてしまう」
俺が作り笑顔でそう言って手を叩いた後アイリーンさんの椅子を引くと、アントニナもブライトウェル嬢もアイリーンさんも、それに隣の大佐ですら……随分とシラケた視線を俺に向ける。
まぁありえない話だろうが、水と油のこの二人が同じ職場で働くようなことがあれば、周囲の人間の胃壁はともかく、随分と活力に富んだ職場になるんじゃないかなと、並んで座って、無言で同じように皿のステーキを口に運ぶ二人を見ながら、俺は勝手にそう思うのだった。
後書き
2024.03.06 更新
100話まであと1話?
第99話 格の違い
前書き
お世話になっております。
難聴は治ってません。というかちゃんと聞こえてはいますし、日常生活に問題はないのですが、
今度は低音域に異常があるそうです。まだ薬は飲んでます。
少しくどい文章になってしまいました。こういう暗喩の話とかはあんまり得意じゃないんで。
速く実戦部隊に戻りたいですね。
オルクセン王国史、超お勧めです。
宇宙暦七九〇年 八月末 バーラト星系 惑星ハイネセン
結局レンタル衣装を返却しに行ったアントニナに、同期宛のお土産を散々買わされ、老後の貯えとか考えたくないレベルにまで預金高が減りつつあるが、そんなことを考える余裕もないほどまでに俺は仕事に追われていた。
予算審議は最終段階を迎え、与野党の各派閥領袖で国防予算に関わらない評議会議員へのレクも始まり、首都在住の軍人でありながらほとんど議員会館に詰めているような日が続く。チェン補佐官のスケジュールであれば本来八時出勤一九時退勤になるはずなのだが、ドタキャンに即アポにとだいたいは議員側の都合で狂わされ、日付を跨ぐ前に官舎に帰ることはない。
一度、宿舎の前に止まったままの無人タクシーで前後不覚で寝てしまい、故障を疑った公共交通システム公社のメンテナンス要員と事件の可能性を考えた交通警察によって夜明け前に叩き起こされるという醜態も晒してしまった。
「君には色々と慣れない仕事で苦労をかけて、済まないと思っているんだ」
明後日開かれるの評議会議員総会での予算承認にどうにか目途が立ち、あとは政治家達がちゃんと賛成票のボタンを押してくれればいいところまで来た日の深夜。無人タクシーの呼び出しをかける寸前に、俺がレイバーン議員会館五四〇九号室に呼び出され、我が世の春のようなキラキラした笑顔をした怪物に迎えられた。
「国防予算は、大きな波乱に見舞われることがなく議会を通過する見通しがたった。勿論全ての要求が通ったわけではないが、軍令・実働部隊も満足してくれる額で落ち着いた。ここ数年来では一番スムーズな決着だった。君のお陰だ。本当に感謝しているよ」
国旗と、選挙区のコミュニティ旗と、軍旗が並ぶさほど大きくもない評議会議員オフィスの中の応接室。染みも皺もないピッとしたテーブルクロスの上に並べられた、チキンフライと鶏チャーシューと、リンゴとショウガのホットスムージー。それぞれ二人前の、合わせて四人前。いずれの容器にも議員食堂のマークが入っている。
「先生には余計なお気を使わせてしまったようで、どうにも申し訳ございません」
俺はとっとと帰って寝たいんだよ、と言ったつもりだが恐らく通じていない。通じていてもこの怪物は表情筋一つ動かすことなくスルーするだろうとは思うが、出されている料理からトリューニヒトが、俺にいくらかは配慮していることが伺える。
「なに。このくらいのこと、気にすることはないよ。君の労に比べれば、ささやかなものさ」
せっかく用意したんだから食べて(ついでに話もして)くれるよね、ということか。元から会食を断れるような相手ではないし、直上ではないが一応補佐すべき相手(国防委員会参事)であることは間違いない。座りたまえと言わんばかりに差し出された手に従い、俺は怪物の前の席を引く。
もし、もし、ここでこの怪物を討伐すればどうなるだろうか。視界の片隅に入った樹脂製のナイフが、俺の頭の中に向けて、ドミニクばりの魅惑の声色で甘く囁いてくる。『今なら邪魔するSPもいない。国家を枯死させる寄生木をここで伐採し、腐敗と汚職に塗れた国家体制をあなたの力で立て直して』と。
品の良いスーツに包まれた身体つきを見る限り恐らく……トリューニヒト自身が持つ戦闘能力はさほどでもない。元警察として最低限の訓練は受けているだろうが、現場を長く離れていてこちらは現役の軍人。第四四高速機動集団に配属されてからは、戦闘時や外せない用事がある時以外の早朝、自室での陸戦戦闘術訓練を欠かしていない。ジャワフ中佐やブライトウェル嬢との、訓練というにはちょっと『ハード』なものもあった。『適度な長さと刃と強度のある棒』があれば、戦場に出たことのない口笛の下手なマスクマンなら一個分隊は潰せる。確かにこれは絶好の機会だが……
怪物が前にいるにもかかわらず、思わず俺は頭を垂れて含み笑いを漏らしてしまう。何のことはない。民主主義の譲れない信念とか普段から偉ぶっておきながら、これでは救国軍事会議の奴らとまるで大差がない。しかもブライトウェル嬢の一件に限らず、一方的な妄想による私刑など俺が一番嫌いなものではないか。それでもそんな想像をしてしまうのは、原作を通じての怪物に対する嫌悪に引き摺られているのか。ケリムの頃からまったく成長していない自分に対して皮肉な笑いしか出てこない。
だいたいここでトリューニヒトを殺したところで、『ルドルフにできたことが俺にできないと思うか』とか赤毛のノッポに零す金髪の孺子が来寇しないわけがないし、俺はただの評議会議員暗殺犯として世間を追われるだけ。国内における軍との威信は失墜し、軍人に対する信頼は低下するだろうし、粛軍に合わせてだいぶ小粒になった第二のトリューニヒトが現れるだけのことだ。つまりは害悪だけで何の意味もないし、トリューニヒトと心中なんてそこまで前世で悪いことをした覚えはない。
「大丈夫かね? 中佐」
「はい、大丈夫です……」
俺は笑いを喉の奥に押し込むように咳き込みつつ、右手を小さく上げてトリューニヒトに応え椅子に腰を下ろすと、三度ばかり深呼吸をしてから、怪訝な表情を見せる怪物に相対した。
「先生。すみません。ご心配をおかけしました」
「もしかしてなにかアレルギーがあるのかね? そうだとしたら申し訳ない。こちらの落ち度だ。直ぐに別のものを用意させるよ?」
「いえ、そうではなく。ここにある夜食が全部自分の好きな食べ物ばかりでして、どうして先生がご存じなのかと、驚いた次第でして……」
「予算の忙しいこの時期。夜食となるといつもこれを選ぶんだよ。全くの偶然なんだが、中佐の好みであったのは良かった」
俺がチキンフライ好きであることを事前に調べていておきながら、さも偶然であると言う。堅苦しい思想信条や学歴などではなく、もっと身近なところで相手との共通項を持とうとする仕草。
穿った見方と言えばそれまで。だが同じチキンフライであっても、フェザーンに赴任した時のけばけばしい接待とは一線を画す遣り口。バックである教団と長老会議での争いを実力で勝ち上がったルビンスキーと、常に選挙という大衆の支持を必要とするトリューニヒトの、これが違いだろう。
「インスタントヌードルの風味や塩分も、私は悪くないとは思うんだが、やはりそればっかりと言うの体には悪いしね」
「もしかしてトリューニヒト先生は豚骨ヌードルがお嫌いなのですか?」
「勿論、嫌いではないよ。味は濃厚で疲労回復と胃の満足感の両方を満たせる。だけど正直、毎日食べたいとは思わないね。動脈硬化や高血圧になるリスクが高い」
フフフッと含み笑いをしつつ、人好きする笑顔を浮かべたトリューニヒトは、鶏チャーシューにフォークを突き刺して俺を見ながら笑みを浮かべる。
「その点、鶏肉料理は低カロリーで高たんぱく。また素材としてもどのような料理にも合わせることができる」
「なにしろ屋根の上にもいますから」
「何事においても頂上にいるというのは悪いことではないと思うよ。自然と視野は広くなるからね。うん。しっかり味付けされているのにさっぱりしているこのチャーシューは、いつ食べてもいいね」
「同感です」
自分に向けられた皮肉と受け取ったか、それとも俺の自虐と受け取ったか。食事中の暗喩に詰まったり、感情を波立たせることなく、さらりとかわせるところは只者ではない。俺も何事もなかったようにチキンフライに手を伸ばして口に運ぶ。胡椒の絡みと生姜の辛味、しっとりとした衣と変わらぬ味は心を落ち着かせる。
「ボロディン君。あぁ、食べながらでいいよ。ちょっと聞きたいんだがね」
二個目のチキンフライに手を伸ばそうとした時、スムージーを傾けていたトリューニヒトが問いかけてくる。
「アイランズ君から聞いたんだが、軍人が国家戦略目標を自律的に立てて行動しようとすれば、政治家の首に荒縄のネックレスがかかるだろうという事なんだが、本当にそう思うかね?」
アイランズから聞いたというより、袖口に付けられたボタンを通じて、実際に聞いたのだろう。否定しても良かったが意味もないし事実であるので、俺は失礼を承知でそのままチキンフライを口に運びながら首だけで頷く。俺の様子にトリューニヒトはおどけた表情で肩を竦めた。
「言ってることは結構物騒な話だと思うけど、君は随分と落ち着いているね」
「軍事独裁政権という代物は長い歴史の中で幾つもありました。まだ政治家と軍人という区分がはっきりと定義されていない時代は別として、幾つかの奇跡のような例外を除けば現実が証明しています」
チキンフライでベタベタになった手を布巾で拭い、ついでに紙ナプキンで口を拭う。誰かが『脂で口が滑らかになったと見える』なんて言ってたような気がするが、おそらくトリューニヒトも俺を見てそう思っているだろう。
「軍は命令と服従で成り立つ組織です。それは行政府も変わりません。ですが官僚はペンで戦いますが、軍人は暴力で戦います。特にこのような戦時下にある場合、国防を理由として市民の私権制限を行うことに対する心の敷居はかなり低くなりがちです」
実際のところ軍事独裁政権でないにも関わらず、口笛の下手なマスクマンを使って、平然と対立組織に対して私刑を行っていたのは目の前の男だ。ああいう私兵組織を抱えていた基本的な理由は、実力組織である軍の自分に対する暴力に対応する為だろう。
「本来民主主義国家において勝利条件を設定するのは、選挙によって市民から負託を受けた政治家の仕事です。軍人はその勝利条件を達成する上で助言を行い、軍事上とるべき必要な戦略を構築し、戦術を持って目標を達成するのが仕事です。政治家の仕事まで軍人がやらねばならないとしたら、政治家は無為徒食の輩として扱われます」
軍事独裁政権下で民主政治家が生き延びるには、市民からの負託を政権が預かったと正当化するお札としての役割ぐらいだ。
「そして余裕のない人間は、特に必要のない不自由な『物資』にかける金があるなら、別の物に金を使います」
言い終えた俺が飲むスムージーの喉を通る音すら聞こえるほどに静まり返るトリューニヒトの応接室。いつの間にかトリューニヒトの顔には余裕はなくなり、口以上に物を言う魅了の魔力を持つ目は薄い瞼で閉じられている。テーブルの上で組まれた両手は小さく前後に揺れていて、その振動が彼のスムージーの水面を規則正しく揺らしている。
危険な発言を繰り返す目の前の士官をどう処分しようか、そう考えているのか。だが次にトリューニヒトの目が見開いた時に口から出た言葉は意外なものだった。
「イゼルローン要塞を攻略できれば、銀河帝国との講和は可能と、君は考えるかね?」
現時点でも主戦派の領袖と言われる男から出る言葉ではない。だが現時点でトリューニヒトが帝国との講和を考えていたかどうかまでは原作には記されていない。もちろん、単に俺がアイランズに話した講和条件を思い出して、質問してきているだけに過ぎないかもしれない。
ただこういう話ができるという『状況証拠らしきもの』はある。
獅子帝が死の淵にある際、ユリアンが自身と同様の銀河帝国に立憲体制を構築するという構想を、トリューニヒトが描いていたというドミニクの証言。また同盟降伏後、わが身可愛さから帝国の臣下になることを申し出ている。自らを忌み嫌う敵対者であっても、また自分が不利な状況であっても、交渉することを躊躇わない。節操なしと言われれば実際その通りだが、少なくともウィンザー夫人のような『政治の理論を知らない政治家』ではない。
一番の問題はフェザーンだ。原作通り事態が進むとは限らないにしても、地理的な条件とルビンスキーの存在は変わらない。彼らの生存理念は敵対する二勢力の中間にあってこそであって、二勢力が『講和』して直接交易を始めてしまえば、フェザーン回廊の存在価値は著しく低下する。
フェザーンの歴代指導部はその政治的地位と回廊の存在価値を安定させるため、帝国・同盟双方への政治工作を行ってきた。原作がこの世界での現実になるかは分からないが、少なくとも地元の女に手を出した駐在武官を辺境星区に島流しにかけることができる相手だ。既に選挙民としての地球教を利用してフェザーンがトリューニヒトを操っている、と考えてもおかしくはない。
故にフェザーンとトリューニヒトが現時点で命令型の主従関係なのか、それとも対等な協力関係なのか。それでこの質問に対する危険度は大きく変わる。
トリューニヒトがどのような野心を持とうと主従関係であるのであれば、俺の考えはフェザーンにとって存在を揺るがしかねないと判断されるだろう。直接の暗殺は流石にないだろうが、また人事に干渉して年平均戦死率二〇パーセントの前線哨戒隊に飛ばされるくらいのことはありうる。
一方で対等な協力関係というのであれば、イゼルローン回廊の出口においては緊張を維持しつつも直接大規模戦闘を起こさないような『冷戦状態』を成立させることで、フェザーンの存在価値を棄損することなくほどほどの平和を実現できる。
冷戦を成立させる為には、敢えてイゼルローン要塞を攻略する必要はない。両勢力がフェザーンの調整するバランスを保って併存するには、イゼルローン要塞と言う錘はやや大きい。持ち主が変わるだけで大きく天秤は振られる。今は帝国の皿の上に乗っているが、『双方の』皿の上に載っていた方が安定はむしろ取りやすい。
戦争による両国の疲弊の上に、人類生存域の宗教的な統治を目論む地球教の思惑について、トリューニヒトもルビンスキーも利用するだけ利用してやろうというスタンスだった。トリューニヒトはキュンメル事件の情報を憲兵隊にリークしたし、ルビンスキーは自分の上に支配者がいること自体を嫌う。
大規模会戦が減少し、帝国・同盟双方の政情が安定すれば人口が増大へと傾き、経済規模自体が拡大する。そうなればフェザーンは商売のパイを増やすことができる。一極支配にあって独占的な権益を確保するほうが得と考えるかもしれないが、政治的・軍事的覇権を持つ者の心持一つで吹っ飛ぶような代物だ。だいたい覇権の持ち主が他者に独占的な権益を与えるわけがない。分割し統治せよ、は世の真理だ。
で、あればこれはチャンスと捉えるべきだ。
「可能ですが、なにもイゼルローン要塞を攻略せずとも回廊出口を軍事的に封鎖すれば、銀河帝国との『緊張感ある共存』は可能です」
俺は一介の中佐に過ぎないし、同盟生存の為にはどうしたって厄災である金髪の孺子と赤毛のノッポをぶっ殺さないといけないとは思うが、奴らが軍事上層部に現れる前に『ゴールデンバウム王朝』銀河帝国と共存ができるのであれば、二人が生きていても問題はないかもしれない。
そして権力亡者であり利己主義の塊でもあるトリューニヒトが、建国の父アーレ=ハイネセンに次ぐ政治的英雄になろうとも、一五〇年にわたる戦争を引き分け状態で比較的長期間維持できるのであれば構わないだろう。
「必要なのは、イゼルローン回廊入口の制宙権の確保、膨大な軍事建築資材と予算、そして同盟国内・帝国・フェザーンの三者と冷静にかつタフに交渉する覚悟です」
ゴールデンバウム王朝銀河帝国に対して手を差し伸べる必要などない。彼らの国是上、叛徒共の存在を公式に国家として認めることなど許されない。それはそれでいい。政治的には同盟と対立していた方が、フェザーン回廊の存在価値を維持できるし、フェザーンとしても帝国と同盟の平和的な講和に怯える必要がなくなる。軍事的にはイゼルローン回廊同盟側出口付近に、首飾りのビーズをぎっちり詰め込んで、数的優位をある程度制約できる殺戮システムを構築することで、同盟の純軍事的な損害を効率的に低減できる。
自由惑星同盟国内に向けて、あえて帝国との共存をぶち上げる必要はない。虚空の美女に性懲りもなく会いに行って、手酷いローキックを貰ってスゴスゴと帰ってくることを繰り返すのを止めるだけでいい。イゼルローン回廊出口の制宙権を確保する為には機動戦力は当分の間は必要だし、膨大な数のビーズを作るのにも予算はいるから、トリューニヒトは別に主戦派としての主張を翻す必要もない。ネズミが入ってくる穴を塞いでやれば、米櫃のコメを増やす力はまだ同盟にはある。人口比で不利な同盟は国家生存の為に産業効率を可能な限り高めてきた。ビーズ購入ローンの返済には時間はかかるだろうが、出来ないわけではない。『今ならば』
フェザーンに対しては、政治的には現状維持を、経済的には大規模支出をプランとして提示すればいい。まずビーズ購入ローンという大きな商機は純経済的に見逃せない。フェザーンにとって帝国と同盟の『講和』は断じて防がなければならないが、『緊張感ある共存』については認めるだろう。国家間戦争が一時停止することによる国家経済力の拡大は、フェザーン商人にとってはいいことずくめだ。建国のいきさつから地球教と手を切ることはそう簡単ではないだろうが、戦争の一時停止による人心と物資供給の安定は、サイオキシン麻薬に裏打ちされた狂信的な宗教に付け入るスキを与えない。
もちろん自動攻撃衛星の消耗戦なんて面倒なことをせず、まともにイゼルローン要塞を陥落させてから同じように帝国側と緊張感ある共存を作り上げることは、出来ないわけではないだろう。だが今度は、同盟国内に帝国領侵攻のストップをかける労力がとてつもなく大きくなってしまう。
帝国大侵攻を招いたのは原作時における政治状況によるものだけではない。あまりにも華麗なイゼルローン奪取の興奮によって、それまでに積み重ねられた損害に対する回顧より、純粋に帝国を軍事的にも政治的にも侮る楽観が上回ってしまった。逆に積み重ねられた恨み辛みをこの機会に晴らしてやろうという復讐心に対するハードルが大幅に低下した。
それが第五次・第六次イゼルローン攻略戦とアスターテ星域会戦によって、大幅な軍事的かつ国家経済的なリソースの低下が発生した後で起こったものだから、もう目も当てられない。イゼルローン要塞陥落のタイミングは、同盟にとって最悪であった。
無人タクシーの中で「私も甘かったよ」なんてシトレが寝ぼけたことを言っているのは、正直可笑しい話だ。統合作戦本部がイゼルローン攻略後のことを全く考えていないとは思えない。個人的な好き嫌いで政権中枢対するレクチャーを怠っていたとは、今のシトレの辣腕ぶりを見ている限り考えづらい。
仮にシトレが大々的に攻守転換ドクトリンなりを、職を賭して世間に発表したとしても帝国領侵攻は恐らくは止まらなかった。シトレとロボスの出世レースの最後の攻防もあったし、トリューニヒト自身が失敗の先の自己権力の拡大を目論んでシトレと手を握ることはないだろう。
未来はどうなるか分からない。だが何もしなければシトレによる第五次、ロボスによる第六次のイゼルローン攻略が行われる。怪物の威を借りれば金は猛烈に失うが、人的損害を減らすことは可能なはずだ。ならばフォークと同じようなことをする行動に対する生理的嫌悪感に蓋をするくらいなんとでもない。怪物が悪魔になって手が付けられなくなる可能性はあるが……その時は俺自身が、奴が人間であると証明するしかない。
目の前のトリューニヒトは俺の答え以降一切口を開くことなく、あの蛙のような目で俺を見ている。年齢は三五歳か三六歳のはずなのに、まるで人生に諦観したような老人のような瞳の暗さだ。ただ左手の人差し指だけが規則正しくテーブルを音もたてずに叩いている。
恐らく頭の中で計算しているのだろう。俺の提案についてと俺自身の処遇についてと、自身にとって有害か無害かについて。今の自分の立場と、諸方面との関係を含めて見極めようというところか。
たっぷり五分。人差し指の音なきノックが唐突に終わると、トリューニヒトの瞳には極彩色の輝きが戻っていた。
「……来期予算が議会を通過してからも、詳しく話を聞かせてくれるね? ボロディン中佐」
残っていた最後のチキンフライを手に取ったトリューニヒトの笑顔は、実に毒々しくて到底お近づきにはなりたくないものだった。
◆
自分の仕事のお陰と言われると、気恥ずかしさ以上に言葉の裏を勘繰りたくなるが、予定通りに来期予算は議会を通過して成立した。国防委員会ビルの内部各所もホッと一息といった雰囲気に包まれており、それはやはり国防委員会の一部署である国防政策局戦略企画部参事補佐官室も同じであるはずなのだが……
「ボロディン中佐への面会希望者が後を絶たなくて大変ですわ」
チェン秘書官はそう笑みを浮かべながら、先程まで来客が飲んでいたコーヒーカップを片しに給湯室へと消えていく。あまりにも多い来客に俺はコーヒーだと間違いなくカフェイン中毒になると思って、チェン秘書官に全部カモミールティーそれも少量で出すように指示をしたのだが、二日後にはアルーシャ産の一級ティーバック二〇袋入りが五〇パック、しかもご丁寧にジャーマン種とローマン種が差出人不明で別々に届けられた。勿論、真新しい来客用ティーカップ一揃えも一緒に送られてきている。
これは賄賂になるのだろうか。俺は軍民外部の、特に軍需関連企業からの来客には最初に口利きは一切しないし、こちらはお願いするばかりで優先的な便宜は図れませんよ、と言っている。大抵の人達はポカンとし、またそのうちの半分以上の人が困惑したまま帰っていくのだが、残りの半分は『ええ、ええ、心得ておりますよ』といったしたり顔で帰っていくのだ。
そして一方的に送られてくる品物については、テンプレの礼とお断りのポストにサインを書いて付けて差出人にそのまま送り返しているのだが、今度は差出人なしで送られてくるようになってしまった。
こういった場合、どう対処すべきなのか。マトモに同期の現役法務士官に聞けば重箱の隅をつつかれて、俺の手首に手錠がかけられるのは分かっているので、ご機嫌伺いに実家に戻った時レーナ叔母さんに聞くと、
「本来は商品全部破棄すべきだけど、拾得物扱いというのが慣例ね。事情を話して建物の管理監に預けた方がいいわ。誰が何を持ってきたかが分からない上に、ヴィクが誰にも便宜を図らなければ、今の同盟の刑法では贈賄が成立しないし。面会者から受け取るとしてもお茶菓子とかその程度ね。高級品や現金はダメよ。その場で拒否ね」
誰にも便宜を図るどころか、こちらはバリバリ官製談合の繋ぎ役をやっているご身分だ。確かにやっているのは受注調整であって、特定の誰かに便宜を図っているわけじゃない……と主張するのは流石に無理がある。収賄よりも先に、官製談合防止法や公契約関係競売等妨害罪に問われるのは間違いない。
「それでボロディン中佐。もしお時間がよろしければ、エベンス少佐が中佐にお目通りを願っているのですが」
新しいカモミールティーの匂いを纏わせながら、サイドの黒髪が俺の頬に掛かりそうなくらい顔を近づけて、チェン秘書官は囁く。その態度や話し方以上に、言っている内容も異常だ。直下の部下がわざわざ秘書官を通じて面会を求めてくるとは。
「ピラート中佐は、在勤中部下との面会はわざわざ秘書官を通じて行え、と命じていたのですか?」
普通なら隣接する補佐官補のオフィスから直接補佐官にヴィジホンをかけてアポ確認するだけだし、特に忙しくないと言われるこの時期で来客なしの在室確認できるのであればノック三回で済む話のはずだ。
だが俺の不審な視線を浴びたはずのチェン秘書官は、妖艶な笑みだけを浮かべるだけで何も言わず、肯定も否定もしない。前任者の不利になるようなことは言わないということなのか。それとも『別の意味』か。
「……他に本日の面会者はいないのであればお通ししてください」
「かしこまりました」
軍人ではなく軍属民間人なので、敬礼ではなくお辞儀で。履歴書では三二歳の、深い谷間の闇が『答え』でないことを祈りたい。その彼女が秘書席のヴィジホンで呼び出して正確に六〇秒後。皺ひとつない制服に身を包んだダドリー=エベンス少佐が、渋い顔を浮かべつつもピシッとした直立不動の姿勢で、俺の前に立っていた。
「お時間いただきありがとうございます。ボロディン中佐。ダドリー=エベンス。参上いたしました」
一応職務・階級で立場が上の俺は、自分の執務席(ピラート中佐の使っていたの物とは別の、軍汎用品)から立ち上がることなくエベンスに敬礼したのだが、それが気に食わなかったのか敬礼前と後で眉間の皺の数が違っている。年下の上司はそんなに嫌かと、上官反抗罪を振りかざしてやっても良かったが、そんなことで目くじらを立てるようではナメられる以前に上司としての器量が疑われる。
「お話があると秘書官から聞きました。ですがまずその前に、これからは直接アポイントを私に取ってくれて構いません。私は本部長でも長官でもないのに、少佐もいちいち面倒でしょう?」
話の分かる上司風に応えたつもりだが、エベンスの表情に軟化する様子は全くない。一度だけエベンスの瞳がチェン秘書官に向けて動いたが、顔はこちらを向いたままだ。そんな見え透いた懐柔など不要だとでも言いたいのか。承知しました、と小さく頭を下げるだけ留めている。
「それでお話とは?」
「はっ。ピラート中佐についてであります」
「ピラート中佐の?」
エベンスの口から出た意外な人物の名前に、俺は首を傾げざるを得ない。確かにエベンスにとって前の上官であっただろうが、今は俺が上官だ。もし前任者をなんらかしらの罪で告発するとしても、それは俺ではなく憲兵隊に直接すべきだろう。
「中佐がなにか?」
「前任の上官ではありますが、どうやら引継ぎにつきまして誤解があるように思えましたので、お伺いに上がりました」
「はぁ?」
思わず俺の口があんぐりと開く。確かにピラート中佐の引継ぎはとうてい引継ぎとは言えない代物だった。だがそれは文章として残すにはあまりにも危険な代物であり、補佐官の臨機応変で柔軟な対応が必要な職務であるからだ。単語として羅列すれば僅かなものだが、その内容はあまりに深く複雑で、現時点の俺だって全てを把握しきれてはいない。
そして補佐官補であるエベンスが、ピラート中佐の仕事ぶりに不満があったのは、あからさまな軽蔑の態度でよくわかる。中佐は一見すればゴルフに接待にと腐敗した軍士官のテンプレのような人物だが、実際は後方支援の現状からの戦略的な視野と深い知識を持つエキスパートだ。中佐自身のひねくれた性格もあるだろうが、自身の常識に捕らわれて相手を一方的に理解しようとしなかったのは、エベンス達も同じではないのか。もちろん俺を含めての話ではあるのだが……
「……誤解と言うのは聞き捨てならない」
腹の底で時がたつごとに沸々と湧き上がってくる怒りに蓋をして、俺は両肘を机上に置き、両手を組み、その手で口元を隠しながらエベンスを上目遣いで努めて冷静に、感情を込めず睨みつける。
「確かに私はまだこの職について日も浅く、ピラート中佐のように手際よく振舞うことは出来ない。だが私なりに職務に精励し、貴官らの補助もあって少なくとも業務に支障をきたした覚えはない」
「……」
「貴官が引継ぎに誤解があるというのであればどういう点か。明確に、かつ簡潔に、説明してもらいたい」
聞く耳は持つから上官の行動に不満があるのならば、いちいち前任者の名前を上げることなく言ってみろ、俺がそう言ったのが分かっただろうか。右も左も分からぬ年下の上官に、正義の説教をブチかまそうと思っていたのかもしれないが、一応俺の仕事ぶりはホワン=ルイからトリューニヒトまでそれなりに評価してくれている。
「……軍人は政治家といたずらに接触すべきではありません。彼らの、権力を私物化するような政治家の代弁者となるような真似は慎むべきです」
「私の任務は政治家の代弁者ではない。行政活動において軍事的知識を必要とする政治家のフォローを行っているに過ぎない」
「ゴルフや会食に行かれることも、行政活動におけるフォロー活動と仰るのか」
「当然だ。性格も分からない見ず知らずの相手と、いきなりチームを組んでいい仕事ができるわけがない」
「我々軍人はそれが可能ですぞ」
「厳格な行動規範があって命令と服従によって成立する軍務と、対等な相手と交渉し物事を一から作り上げていく政治とを同一に考えるべきではない」
そんなことも分からないのか、とまでは言うつもりはない。エベンスのこれまでのキャリアを否定するつもりはないし、腐敗した政治家に対する純粋な憤りも分かる。正義漢なのだろうが、あまりに視野が狭い。
「我が国は市民に選ばれた政治家と、優秀な官僚によって政府が作られ、国家として運営されている。手続きは煩雑だし非効率かもしれないが、それは民主主義国家として支払うべきコストだ」
「そんなことではいつまで経っても、帝国を打倒することにはかないませんぞ」
「帝国が我々を自主独立した民主主義国家として、存在を承認し存続を認めるなら、別に倒す必要はない」
俺の返事にエベンスの瞳が一度大きく開き、次いで明らかに上官反逆罪に問われてもおかしくないような嘲笑面で俺を見下ろしてくる。
「どうやらボロディン中佐は平和主義者のようですな」
腰抜けめ、とほとんど言っているような舌鋒。挑発のつもりにしては度が過ぎているし、怒ってぶん殴ってもいいが拳が痛くなるだけで何の意味もない。確かにこれが救国軍事会議の主参謀であるなら、トリューニヒトは怖くもなんともなかっただろう。まるで役者が違う。
だからこそ、あまりやりたくはなかったが、コイツにはやるしかないと思った。俺はエベンスの履歴書を頭の中で見直すと、その嘲笑を鼻で笑ってやった。
「平和主義者の何がおかしいのか、私にはさっぱりわからないね。やはり戦場を遠く長く離れると、血の匂いも命の価値も建国の理念も、みんな忘れてしまうものなのかな」
前線から帰ってきたばかりの俺にその手の挑発は悪手だったなと、無言で執務室を出て行くエベンスを視線だけで見送りながら思うのだった。
後書き
2024.03.31 更新
次の100話の後に、閑話で特別編を何か書きます。
第100話 半端者
前書き
いつもありがとうございます。
ついに100話になりました。
読み直してみて以前の方がパワフルに書けていて、筆力の低下が著しいことを痛感せざるを得ませんでした。書き直しも考えてます。
ちょっと説明回というか、石黒版アニメに対する筆者の勝手な想像が入っています。
正確ではありませんので、その辺は読み飛ばしてもらっても構いません。
一応次回(と次々回?)、特別話を書こうかなと思っています。
筆者は英雄になりました。(歯医者の治療台に座った)
宇宙暦七九〇年 九月 バーラト星系 惑星ハイネセン
喧嘩別れのような話し合い以降、エベンスとは業務上必要最低限の会話しかしないようになった。まぁ、これは仕方がない。先に挑発してきたのはエベンスの方だし、何か仕掛けてくれば状況に応じて対処する、でいいだろう。業務にも支障をきたしているわけでもない。
と、いうより現時点ではマトモな業務がない。普通は予算折衝が終わったらすぐに新年度の予算に向けてまた仕事を始めるのだが、そっちの仕事はパッタリなくなってしまった。それでいて面会者に接待にゴルフに会食は継続的にあるので、時間に妙な隙間ができて逆に迷ってしまう。
こういう時にピラート中佐はどうしていたのか。胸が開いた画面の向こうに出てくるようなものから、第一ボタンまでキッチリと封がされ、僅かにフリルの付いた清楚系に装いが変わったチェン秘書官に聞くのは正直躊躇われた。『休憩』すればいいといっても微妙すぎて聞けるわけがない。ちなみに国防委員会本部ビルにはシャワー室も仮眠室も簡易ベッドも完備されている。
「有給休暇のご申請ですか? もちろん私のほうで手続きは可能ですわ」
……一応上官である首席補佐官ロビン=エングルフィールド大佐に申請を出さなければならないのだが、大佐も外出が多い人だ。当然のように専属の秘書官がいて、そういう申請は秘書官同士のやり取りで事が済むらしい。
「スケジュールの調整はお任せくださいね。今ですと……押し込めれば四日程度はひねり出せると思いますわ」
むんっと両握り拳を豊満な胸の前で握る仕草と無邪気さすら感じさせる微笑みは、とてもアラフィフの情報機関工作員とは思えない。大人の色艶を減らしつつ、デキるキレイ系成分を増やしつつあるのは、俺を『殺し』にかかっている疑いもある。それが本人の意思なのか、それともCの七〇の指示なのかまでは分からないが。
「四日でしたら、三泊でちょっとしたご旅行ができますわね。ご希望の観光地とかございますか? それとも中佐はグルメの方がお好みですか?」
「ハイネセン第一軌道造兵廠を見学しようと思っているんですが」
「そうですか。造兵廠を……造兵廠ですか? 衛星軌道リゾートではなく?」
「そのつもりですが?」
当然のように答える俺に、チェン秘書官は呆れましたと言わんばかりに、肩を落として大きな溜息を吐く。あまりにもあからさま過ぎて、演技と思えないくらいに。
「大気圏の妨害もなく銀河の全てが見渡せる全球型ナイトプールは、地上では到底味わえない最高のレジャーと言われております。特にユーフォニア・HD傘下のホテル・ミローディアスの全球型低重力ナイトプールは、同盟最高のホスピタリティと合わせて、極上の休暇を楽しむことができますわ」
「もう銀河の星を見るのは飽きたよ……」
前世の俺だったら、間違いなく喜んで行っただろう。しかしこちらの世界に転生して士官学校からこのかた宇宙戦闘艦の艦橋にこの身を詰めてもう何年になるか。満点の星空を見て美しいと思うより、まだ仕事中かよと思うようになってきた。司令艦橋でリクライニングして寝る余裕なんて、時間的にも精神的にも立場的にもない。
ちなみに艦橋に誰もいないと思って手を伸ばして星を掴もうなんて真似していたら、ブライトウェル嬢がすっとんできて『コーヒーでよろしいですか?』と言われただけだった。
ましてそんな満天の星空の艦橋で低重力なんて状況は、どう考えても戦闘中における重力制御装置の故障を疑うような事案だ。艦の僅かな動きでペチャンコになるかもしれないと想像するだけでとても落ち着けない。
しかし地上勤務のチェン秘書官みたいな民間人には、やはり宇宙空間は興味深い場所なのかもしれない。チェン秘書官の瞳はいつもより妖しく輝いている。
「今なら同盟最高の女性スタッフが二四時間体制で、中佐を心の底からお寛ぎいただけるようおもてなしいたしますよ?」
「いやいや大丈夫です。自分で工廠併設の宿泊船を予約しますよ。チェンさんには予算の時、だいぶご苦労をおかけしましたからせっかくです。ゆっくり休んでください。で、有休はいつからとれそうですか?」
情報機関の女性と二四時間一緒に休暇など、一体どんな罰ゲームだよと固くお断りしたが、オープンファイルタイプの端末を開く一瞬だけ、チェン秘書官の顔が夜叉に見えたのは気のせいだろうか……
「それでは一〇日後から四日間はいかがでしょうか?」
「結構です。その旨をエングルフィールド大佐とエベンス・ベイ両少佐にお伝えください。少佐達も特に急ぎの用がなければ適時休暇を取るようにと」
「承知いたしましたわ。中佐」
いつものように笑顔を浮かべつつも、小さく頷く程度に変わったチェン秘書官のお辞儀に、俺は危うさを感じていなければなかった。たった数ヶ月。自分の仕事に集中して、手配や手続きもろもろをチェン秘書官に任せっぱなしだったツケは、一〇日後に支払わされることになる。
「まさか君のほうからミローディアスに私を招待してくれるとは思わなかったよ」
予定通りハイネセン第一軍事宇宙港に向かった俺が、軌道軍事ターミナルまでのシャトル便に乗ろうとゲートを潜ろうとして、チケットの無効で止められた。制服を着ている俺が中佐と分かって丁寧な口調で受け答えしてくれた係員の曹長曰く、四日前にシャトルのチケットのキャンセルが『俺のオフィス端末』からされていたということ。
やった犯人は一人しか考えられないので、即座にチェン秘書官に空港備え付けのヴィジホンで連絡したら、平身低頭の体で謝罪され、既に代わりのシャトルとチケットを用意しているのでハイネセン第二民間宇宙港に行ってほしいと言われ、携帯端末に送られてきたチケットを見た民間宇宙港の係員の顔は真っ青になってファーストクラスラウンジの『裏』に俺を連れて行き……そこにはペニンシュラ氏が待っていたのだった。
「しかも委員長クラスじゃないと手配できないVIPルームが使えるとは、君もなかなかやるな」
「ははははは」
「スーツで来るように君の秘書官君が言っていたのが不思議だったが、これならば仕方ない。到底サマージャケットで来られるような場所ではないからな」
チェン秘書官の行動に正直俺は業腹なのだが、アイランズが気持ちよく手放しで『俺の手配』を褒める以上、この場で違いますと言っても、アイランズが気を悪くするだけであんまり意味がない。
「おそらくこれっきりになるとは思いますが……」
「そりゃあ、そうだろう。君。私だって身の程は知っている。正直、このとおり足が竦んでいるんだよ」
僅かに貧乏ゆすりしている足を指差すアイランズの顔は、笑いながらも微妙に引き攣っている。確かに普通の業務個室にソファと赤い絨毯が敷いてあるだけの軍用宇宙港のVIPルームとは、内装の素材といいデザインといい装飾アートの品の良さといい、まるで格が違う。これでさらにそれなりの経験のあるアイランズですら招待を喜ぶホテル・ミローディアスの予約まで取ったチェン秘書官の気合の入れようは一体何なのか。訳が分からない。
もちろんシャトルの席はファーストクラス。ビジネスクラスやエコノミークラスの乗客に見えないように最後に乗り、民間軌道ターミナルでは最初に降りると、こちらのVIPルームでいつも通りの装いのチェン秘書官が待っていた。
「チェン秘書官。これはどういうことだ」
ニコニコ顔で珈琲を飲んでいるアイランズをよそに、俺はチェン秘書官を廊下に連れ出して問い詰めると、彼女は普段通りの笑顔で答える。
「いまさら済んでしまったことをとやかく言っても仕方ありませんわ。起こってしまったことは最大限利用なされるべきです」
お前の親戚、もしかして回廊の向こう側にいるんじゃねぇの、と思わず口から零れそうになる。だが済んだこととか言えるような話ではない。シャトルに乗っている間に携帯端末で調べたミローディアスの一番安いクラスの宿泊費ですら、俺の月給の三分の一は消し飛んでしまう。
アイランズにシングルルームみたいな部屋を案内するとは思えないので、俺の月給がすっ飛ぶ額どころではない金が動いている。そんな予算が国防委員会参事部にあったかどうかもさることながら、それだけの金をチェン秘書官はどこから引っ張ってこれるのか……
「ラジョエリナ氏か?」
「サンタクルス・ライン社はユーフォニア・HDと持ち合いしてますものね」
答えになっていないが、顔は正解ではないと言っている。とすると他のコネクションなのか、面会者の誰かなのか。俺自身の能力ではおそらく追い詰められないところからだろう。
「詮索はこれ以上するつもりはない。だが、少なくとも上官の有給休暇日の行動に関して、勝手に干渉するのはこれっきりにしてもらいたい」
「もちろんです。出過ぎた真似をいたしました。以後気をつけます」
目にはうっすらと涙が浮かび、身長差から俺を見上げる形になるチェン秘書官の顔は、一見すれば心の底から謝罪しているようにも見える。いきなりこの顔を見せられたらわからない。だが彼女が本気で反省とか謝罪とかをしようとする気がないのは明らか。
冷静に冷静にと脳が身体へ呼びかけるが、俺の体は本能的にチェン秘書官に向けて小さく一歩ずつ前へと動き出す。最初の一歩の時。うるんだ瞳の奥にはまだ余裕があった。だが二歩・三歩と進むにつれ、それが消えていくのがはっきりとわかる。彼女の瞳に映る俺の顔は明らかに人殺しのそれに近い。
チェン秘書官がバグダッシュの言う通りアラフィフのCの七〇ならば、海千山千の経験をしてきた凄腕だろうから、ペーペーの中佐如きの脅しなど屁でもないだろう。操り人形が急に反抗してきた。せいぜいそのくらいの感覚だとは思う。
勝手な想像だが、味方が一人もいなかったピラート中佐にしてみれば『唯一の』部下であり、チェン秘書官にしても敵だらけの中佐は実に都合のいい相手だった。多くの便宜を図ることで中佐の弱みを握り、時には任務を隠れ蓑にして好き勝手に中央情報局が国防委員会に対して何らかの工作をしていたとも考えられる。
そちらには目をつぶり、俺は俺の目的を果たすべく有能な秘書官としての彼女を使えばいい。そう考えないでもないが、無駄で無意味だとわかっていても、面従腹背のこの女狐に一言言ってやらないと気が済まない。傷一つない壁と俺の左上肢の幅にチェン補佐官を追い込み、口を開いたその時だった。
「ボロディン君、ちょっといいかね……あ、あぁ、いや、すまなかった。お取込み中だったようだな」
VIPルームからひょっこり顔を出してきたアイランズが、俺とチェン秘書官の『壁ドン』状況を見て、前世の家政婦のように顔色を変えてルームへと戻っていく。
明らかに殺気立っていた段階でのとぼけた闖入者に、穴が開いた風船のように気が抜けた俺は、壁に背をつけたままのチェン秘書官から距離を取った。乱れてもいない制服を引き延ばし、襟マフラーの形を整える。
「……アイランズ先生に感謝するんだな」
「えぇ……大変申し訳ございませんでした」
今度は腰を直角に曲げるお辞儀で応える。先ほどに比べれば、遥かに謝罪の気持ちが籠っているように見えた。戻ってきた顔には先程までの甘さは感じられない。
「ただこれは言い訳ではございますが……中佐ご自身が造兵廠と交渉しても、案内役は中尉か大尉。見学できる範囲は限られてしまう可能性がありました。アイランズ議員が同行することで、造兵廠側も態度も変わると考え、勝手をいたしました」
そんなことはアイランズの登場した時点で分かっている。国防委員会参与が造兵廠に来るというのは、公的ではなくとも視察と受け取られ、造兵廠側も余計な腹を探られたくないから対応には慎重を期す。おそらくは造兵廠の責任者か副責任者か参事官が対応することになる。彼らにとってみればいい迷惑だ。
そしてただ造兵廠の見学だけでは出てこないであろうアイランズを引っ張り出すために、餌としてVIP待遇とミローディアスを手配した。俺に対する善意でとれば単純な話だが、俺に何も言わずに事を進めるのは別の意図があったのかもしれないが。
「配慮してくれたことには感謝するが、俺の有休に評議会議員を巻き込むようなことは慎んでくれ」
「はい」
恐縮するようなチェン秘書官の声を背中に、俺は表情を戻してVIPルームに戻ったが、待っていたのはアイランズの意味深なニヤケ顔であった。車は新車よりも中古車の方がいいだの、夫婦円満の秘訣は家計のやりくりだの、アイランズでなかったら顔をぶっ飛ばしてやるような雑談を延々と聞かされ続け、造兵廠から迎えに来た恰幅のいい若髭の大佐が後光を放つ天使に見えた。
「お待たせして申し訳ない。ハイネセン第一軌道造兵廠第一造船部主任のジェフリー=バウンスゴール大佐です」
声も姿も人を落ち着かせるような深さがある。胸に輝くYの徽章は技術士官の証。即座に起立して敬礼する俺に、堅苦しさとは無縁のゆっくりとした敬礼で答えるその姿だけで、人格が慮れる。アイランズ相手に卑屈にならず、かといって隔意があるわけでもない。その自然体な立ち居振る舞いに、俺はそれまでのイライラが何処かに吹き飛ぶようだった。
アイランズもそう感じたようで、いつもなら軍人相手に意気高々な態度をとるにもかかわらず、スッとソファから立ち上がると、右手をバウンスゴール大佐に差し出した。
「国防委員会のアイランズだ。今日と明日、よろしく頼むよ」
「勿論です。ご期待に沿えるかは分かりませんが、精一杯務めさせていただきます」
さぁどうぞ、とアイランズの横に立ちながら出口を促す動きも実に自然。恐らく初対面であろうに、まるで一〇年来の友人のように応対する。シャトルまでの会話も自然で、明らかにド素人のアイランズに対しても知識をひけらかすような真似は一切せず、簡単な雑談から造兵廠に興味を持ってくれたことへの感謝を含めつつ、造兵廠の仕組みや組織の説明を的確に言葉短く説明していく。二人の後ろで聞き耳を立てているだけの俺でも、いつの間にかこれから遊園地に向かう小学生のような気分になっていく。
軍のシャトルに移乗して二時間の間も、窓側に座らせたアイランズが退屈しないよう造兵廠関連だけでなく、窓から見える軌道上にある軍事施設を次々と平易な言葉で語る姿は、まるで超一流のバスガイドだ。
「あれはアルテミスの首飾りの一一番衛星になりますね。先月定期メンテナンスが終わったばかりですから、流体金属も綺麗ですな」
シートの背もたれの向こうで話すバウンスゴール大佐の言葉に、アイランズの後ろに座る俺も首を傾けて窓の外を見る。恐らくは数十キロは離れているであろうが、キラキラと星空を反射させつつ三日月を描いている。
「流体金属が綺麗、とは?」
実家が金属工業なだけあって、アイランズはすぐに反応した。
「アルテミスの首飾りは微小ながらも重力を持った『衛星』になります。すると衛星軌道上のデブリを引き寄せてしまうんですよ。厳密に観測管理されている人工デブリとは違って、隕石の破片やガスなどの天然由来のものも引き付けてしまうのです」
あれ? じゃあカストロプ公爵領にある『従妹たち』はどうなるんだ。確か小惑星帯の中に仕込んであったはずだが……
「大佐。であるとすると、小惑星帯の中にアルテミスの首飾りを設置するのは大変なことになるのでは?」
「ボロディン中佐の言う通りです。付近に大きな小惑星や密度の高い小惑星帯や惑星環があれば、せっかくの全球体構造なのにわざわざ火線の死角を作ってしまいますから意味がありません。岩石密度の低い惑星環もダメですね。数ミリの氷や岩石の粒なら集塵機のように吸い取ってしまいます。メンテで良い事なしですよ」
流体金属層に異物が入り込むと、内部から飛び出してくる兵器層(砲塔やミサイル発射口)の障害となりうる。イゼルローン要塞のようにでかいモノであれば、対流式の半自動的なクリーナーを設置できるだろうが、小さいアルテミスの首飾りは兵装側に内部容積を獲られていて小規模なものしか付けられず、時折『詰まって』しまうらしい。
逆に比重が流体金属より軽いモノであれば表面に浮き上がり、センサーやレーダーの障害になるとのこと。正直どれだけ汚れるか俺にはまったくわからないが、カストロプ公爵はどれだけメンテに金を使ったのか、想像するだけでバカバカしくなってくるし、公爵の立場につけ込んでそういう商品を売りつけたフェザーン商人(この場合は自治政府か?) の悪辣さには虫唾が走る。
もしイゼルローン回廊の出口に大量設置した場合はどうなるのか。移動能力を付けた上で戦列歩兵よろしく、順繰りに膨大な数のメンテナンスをしていかねばならないということになるのだろうか。その費用もまた膨大なものになると考えると、やはり設置宙域の選定が重要になってくる。
「そろそろ到着ですね。下の銀色の箱が複数繋がっているのが、軌道造兵廠の造船ドックになります」
それはアルテミスの首飾りよりも低い軌道に位置して、箱型というよりも肋骨構造の筒のような形状をしていて、内部では時折火花が散っているようで、青白い光チラチラと光っては消えを繰り返している。シャトルはゆっくりと旋回しつつドックへと近づいていくが、接近するにしたがってその巨大さが嫌でもわかる。
この第一軌道造兵廠の造船ドックは、数多ある軍用ドックの中でも特別だ。容積だけで言えばこれより大きなドックは幾つもあるが、アイアース級大型戦艦を建造しているのはココだけ。五つ並んだ船渠は、定期検査で使用される一つと、ローテーション任務から帰還した後の補修や改修に使用される二つ、そして新造用の二つで構成されている。アイアース級の建造に必要な期間は約一年。費用や資材等で支障がなければ、都合半年に一隻新造されることになる。
船渠外周を一周してからドックの管理棟に移乗すると、そこは軍事施設でありながらも軍服ではなく作業服や簡易宇宙服を纏った造船マン達の占領地だった。バウンスゴール大佐や俺達を見てマトモに敬礼する人間はほとんどいないが、誰も彼も大佐を見て軽く指を米神に当てたり小さく頷いたりと何らかしら軽く挨拶していく。バウンスゴール大佐も、忙しそうにしている彼ら彼女らに声をかけることはせず、小さく手を振って応えるのみ。
「この雰囲気はいいですね」
アイアース級の艦橋そのものを利用した第五船渠管理棟の頂上(つまり司令艦橋部分)で、アイランズが目の前で建造されているアイアース級の艤装に目を奪われている時、俺がバウンスゴール大佐の後ろから囁くと、大佐は褒められた子供のようなニコニコ顔で振り返った。
「軍事施設らしからぬ砕けた感じで、実のところあまり好かれない人も多いんですが、ボロディン中佐はやはりボロディン少将のご子息でしたね」
「グレゴリー叔父……あ、いや少将閣下の?」
「叔父さんのお陰ですよ。もう七年も前ですかね」
七年前。大佐が技術少佐としてここに配属された時、フライトⅡとなっていたアイアース級の建造が、部材納品の遅れや用兵側からの注文による工数の増大で想定上に遅れ、管理者も工員も精神的に追い詰められていた。造兵廠内の統制は乱れ、それが過度の綱紀粛正を招いてしまい、さらに雰囲気が悪くなるという悪循環の繰り返し。スケジュールの遅れを取り戻すべく無茶をして、死亡事故も起きてしまった。
事故をきっかけに統合作戦本部は管理する施設部上層部の入れ替えを決断し、グレゴリー叔父は新任の施設部次長として造兵施設の統制回復に送り込まれた。
グレゴリー叔父は着任早々、軍管理者・軍属・協力業者・工員・関係者全員をここに集めて、今後一切施設内のおいては一切の敬礼と暴力を廃止すると告示した。強硬に反対したベテラン主事を三日で更迭して管理側の統制を手中に収めると、圧倒的多数の工員からは諸手をあげて歓迎された。
「そして次は少将のご家族がここに来られたことですね。あれで一気に船渠の雰囲気が変わりました。確か少将の一番下のお嬢さんだったと思いますが、当時建造中だったリオ・グランテの主任工程管理者をひっ捕まえて、自動溶接マシンの運転台に乗り込んでリオ・グランテの外殻構造を現場まで見に行きましたからね」
「ラリサだったかぁ……」
興味があることがあればとことん突き進む。知識欲の権化のような末妹の行動に右手を目に当てた俺に対し、バウンスゴール大佐は含み笑いで応える。
「あれからここで働く人間の家族ならば年二回、事前に申し込みをすれば誰でも見学OK。一応の『身体検査』と、場内での禁止事項はいっぱいありますが、家族が見学に来た作業員は公休扱いにすることで、『仲間』に恥をかかせるなって連帯感が生まれて士気も上がり、工程管理もずっとやりやすくなりましたよ」
もっともおかげさまで私の仕事にツアーガイドも加わってしまいましたがね、と頭を搔きながら苦笑するバウンスゴール大佐を見て、俺は心の中でグレゴリー叔父に感謝した。
本来ペーペー中佐の俺に、バウンスゴール大佐が丁寧語を使うことはない。もちろん大佐自身の温厚な性格もさることながら、俺の後ろにいるグレゴリー叔父に対する敬意と感謝があるからこそ丁寧に応対してくれている。
俺は一体どれだけ恵まれているのだろうか。そして恵まれた環境をどれだけ活かしきれているのか。与えられた政治力にしても人脈にしても、同盟存続の為にどれだけ使いこなしているのか。どれをとっても全く自信がない。
「あの艦はもう名前が決まったいるのかね?」
バウンスゴール大佐に問うアイランズの声に、俺は顔を上げてメインスクリーンに映る建造中のアイアース級戦艦を見つめる。センサー・通信構造体が後方上に突き出した、アイアース級としては特異な艦橋仕様。通常の正面主砲ブロックだけでなく船体下方にも主砲ブロックがあり、総主砲門数は六四門。横から見ると背中が涼しく、巨大戦艦としてはアンバランスな印象がぬぐえない。次世代旗艦用大型戦艦の試作艦として建造されながらも中途半端な能力で以後量産されることなく、やはり道具は使い手次第という代表例となってしまった艦……
「現在はA一三〇-F五-BX一ですが、いずれFBB-三一『アガートラム』と呼ばれることになるでしょう」
ところどころ深紅の耐熱塗料素地が見える新品の黄唐茶色の船体が、見ているお前も同類だと自虐的な笑みを浮かべているようにしか思えなかった。
後書き
2024.4.21 更新
結局、ボロディン中将のアクリルスタンドは売っても作ってもくれないし、バラ売りもしてくれなさそうなので、おとなしく30%OFFに釣られて買う予定です。
足りないのはグレゴリー叔父(ボロディン)・ニコルスキー・カールセン・コクラン・S・M・A
閑話3 きれいな戦慄 【第100話記念】
前書き
お疲れ様です。
前回第100話の前書きに書きました通り、特別編として閑話をお送りいたします。
ジョークとパロディが混ざっている上に、三人称の文章はかなり久しぶりに書いたので、ところどころおかしいところがあると思いますが、
わが征くは薔薇の大海のようなお心でスールしていただければ幸いです。
実際このネタ、リアルタイム(16年前!)でニコ動で観て相当ショックを受けました。
どう考えたらこんな凄いクロス動画ができるんだと、驚いたものです。
実はサブタイトルもそっちにしようか迷ったのですが、流石にダメだろうと思い、こっちにしました。
「おはよう」
「おはよう」
女性らしからぬ低い声の朝の挨拶が、未だ夜霧の晴れない暗い曙空にこだまする。
ミネルヴァ様のお庭に集う乙女たちは、今日も泣いたり笑ったり出来そうにもない無表情で、学生舎の前に整列する。
教練と学習で鍛えられた心身を包むのは、薄緑色の制服。
スラックスの裾は乱さないように、制服上着の袖を翻さないように、規則正しく足並み揃えて歩くのがここでのたしなみ。
もちろん遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない候補生など存在していようはずもない。
だいたいそんなことしたら、総員腕立て用意の声が待っている。
自由惑星同盟軍士官学校第一女子学生舎 通称『薔薇舎(メゾン・ド・ラ・ローズ)』
宇宙暦五六〇年創立のこの学生舎は、それまで国勢拡大のために国防任務に就くことが許されなかった女性の参画を目的につくられたという、幾つかある女子寮の中でも最も伝統ある学生舎である。
テルヌーゼン市内。地上戦演習場の面影を若干残している緑多いこの地区で、軍神に見守られ、一般教養から軍事教練まで一貫した教育を受けるメスゴリラ達の園。
時代は移り変わり、二〇〇年以上経った今日でさえ、五年間棲み続ければ、『ある意味では』温室育ちの純粋培養メスゴリラが箱入りで出荷される、という仕組みが未だ残っている貴重な場所である。
彼女――、ジェイニー=ブライトウェルもそんな平凡なメスゴリラの一人だった……はずだった。
「第〇三〇〇区隊、ブライトウェル一回生! 分隊より外れ!」
入校より二ヶ月が経過したある日。他の学生舎ではとうに時代遅れとして廃止されている、士官学校キャンパスに向かうまでの課業行進の途中で、ブライトウェルは背後から呼び止められた。
課業行進中に名乗らぬ相手から声をかけられたところで、本来歩みを止める必要はない。だがその鋭く響く声が旧知の上級生のものだったので、ブライトウェルは言われた通り僚友区隊の行進から外れ、無言で駈足にて来た道を戻っていく。慌てず騒がず、スラックスに皺など寄せぬよう、それでいて可能な限り早く。
そして相手の顔を真っすぐ捕え、腕を伸ばした長さまで近づいたら、直立不動。背筋を伸ばし、顎を引き、学生鞄を地面に置いて、右肘を地面に水平、右手は伸ばして蟀谷に。入校前の入舎式以降、一週間で徹底的に鍛えられる、基本動作。
「はい。ブライトウェル一回生、参りました」
「休め」
「はい」
何の用か、と問い返すことはしない。上級生から問われるまでは、必要以上に口を開いてはいけない。容儀点検は済ませたばかりでありながら、しかめ面で直立不動の自分の周りをジロジロ見ながら一周したとしても、だ。
「……ブライトウェル一回生。貴官に聞きたいことがある」
「なんでありましょうか。ボロディン二回生殿」
「先日、戦略研究科内で『候補生同士の喧嘩』があったと、舎長に連絡があった。身に覚えはあるか?」
「ありません」
ブライトウェルは自分を見上げる上級生を『見下ろして』応えた。その澱みない即答に、上級生のきれいに整った細い眉の間に深い皺が寄った。
情報分析科二回生、アントニナ=ボロディン。学籍番号八九I〇九八九AB。通称『クレオパトラ』。
金髪碧眼に褐色肌という特異な容姿の持ち主というだけでなく、士官学校フライングボール部(男子)のエースアタッカーという抜群の運動神経の持ち主でもある。だが通称の基になったのは、そのすらっとした鼻梁にやや大きめの瞳という、美女と謳われた古代女王に等しいと言われる美貌からだけではない。
士官学校の数多にある学生舎の中でも極めつけに厳しい気風を保持する薔薇舎にあって二回生の総班長を務めながらも、道理の通らないことに対しては礼儀正しく規則に則りつつ上級生に噛みついていくという正義感の持ち主故に、上級生やOG達から「間違いなく四回生の時には舎長になれる器だが、古き伝統もまた彼女によって廃されるだろう」と嘆かせた器量からだ。
そして軍属から候補生になったブライトウェルにとっては、時として同い年の姉のようでもあり義妹でもあるような人だった。
「……私に嘘をついても、なんの意味もないぞ」
「『嘘は』ついておりません」
「では貴様を名指しで送り届けられてきた診察書類の束と、所属寮長名義の抗議文は一体なんだ?」
「小官にはわかりかねます」
そんな彼女が金糸のような髪を逆なでながら、ブライトウェルを睨みつけている。その横を慣れない規則と罵声で圧し潰されつつある一回生達は怯えつつ、二回生以上の上級生達は生暖かい眼差しで、課業行進していく。
「重傷者一名、軽傷者二名。重傷者は左膝関節内骨折。軽傷者も打身に捻挫に各所打撲だと」
「そうですか」
なんだ大したことなかったなと、ブライトウェルはいろいろな意味で思ったが、目の前の先輩の額には青筋が浮いているのを見て、それ以上の口答えは無用と判断し、心持ち殊勝なふりをした。
「そんな心にもない謝罪の表情をしても無駄だぞ」
だが当のアントニナはそんなことはオミトオシ。さらに一歩、ブライトウェルに近づくと、丁度ブライトウェルの鼻の端あたりにアントニナの長いまつげが届きそうになる。夏空を思わせる突き抜けるような力強さを含んだ碧色の瞳は、女のブライトウェルですら美しいと思わずにはいられない。その瞳がじっと自分の瞳を見つめている。僅かな時間であったはずなのに一時間にも二時間にも感じられる圧力が、その瞳にはある。
「ビュコック中将閣下とディディエ中将閣下と私の兄に誓って、筋の通っていないことはしていないと貴様は言えるか?」
化粧が一切されていないはずなのに瑞々しい桃色を浮かべる口から出た言葉に、ブライトウェルは背筋に高圧電流が流れたような痺れを感じた。それは一年と半年前。第四四高速機動集団司令部のキッチンで、先輩の従兄上にかけられた言葉以来か。
「言えます」
人生が五四〇度変わったあの日以降。自分が生きる道を守ってくれた大恩ある老提督と、節を曲げずに生きるための術を教えてくれた英雄将軍と、自分がこれからも生きる意味自体を作ってくれた大切な人。他にも多くの心よき人たちの助力があってこそ、自分は天地の間に存在しても良いことをブライトウェルは『知った』。
時に方便をつかなければならいことが将来あるにしろ、先の三人の名を汚すような真似はしない。それはブライトウェルにとって唯一といっていい人生の誓いだ。
「誓って、言えます」
「……いいだろう。だが詳細について舎長には貴様の口から説明してもらうぞ。夕食後に、じっくりな」
そう言うとアントニナ先輩は右手人差し指でブライトウェルの額を小突いた。児戯のような仕草だが、想像以上の力の入れ具合で、ブライトウェルの顎は思わず上を向く。だがそうでなくともブライトウェルは天を仰ぎたくなった。舎長への説明と舎長からの訓示は、肉体言語による会話になることが容易に推測できるが故に。
……ちなみに現在の薔薇舎舎長の名前はマリー=フォレストと言い、通称は『サマーガール』。身長一八八センチ、体重八五キロ。長い歴史を持つ薔薇舎でも史上唯一の『陸戦技術科候補生』であり、自他ともに認める本物のメスゴリラだった。
◆
舎則で許される最大速度での速歩で薔薇舎敷地を抜け、人目のある公道ではゆっくりと、士官学校本敷地内は駆け足で走り抜け、ブライトウェルが一時限の講義室に入ったのは、一限講義一分前だった。
遅刻ではないが、講義室の扉を開ければほぼ全員が着席していた。エリート揃いの戦略研究科だけあって、行動にすらプライドがある人間も多い。一番遅れて入室してきたブライトウェルに対して、軽蔑の視線すら送ってくる者すらいる。
こんな人間達の中で五年も暮らして来て、しかも最終学年で首席を獲っておきながら、どうしてあれほどまでに優しくてくだけた人が出来たんだろうと、ブライトウェルは入学以来不思議に思っていた。特に現在空席となっている三つの席に座っていたはずの同期生共の顔を思い出せば、ほとんど奇跡なのではないかと思えてくる。
そしてその想いが最高潮に達したのは、開始時間ピッタリに講義室に入ってきた講師の、いつ見ても不愉快そうな顔がいつにも増して不愉快そうだったからだった。
「班長候補生。イーモン=エイミス候補生、リュック=ブレーズ候補生、アナトル=カヴェ候補生の欠席理由は既に教官内で共有されているので、報告は不要である」
起立・敬礼の後、班長が欠席者の報告をしようとしたのを、講師は制して先に口を開いた。
「事故は想像してもないところでも起こりうる。諸君らも十分気を付けて学生生活を全うしてもらいたい。特にジェイニー=ブライトウェル=リンチ候補生」
さして広くもない講義室で唯一の女性であるブライトウェルに視線を向けて講師は告げる。三人の欠席理由を理解しての名指しであることは誰の目にも明らか。声には出さないが、講師が敢えて既に離婚して籍から外れているブライトウェルの父親の名前を口に出したことに、数人が含み笑いを浮かべている。
それでもブライトウェルは自分の選んだ道が間違っているとは思えなかった。私は間違っているが世間はもっと間違っているなんて言うつもりもない。人は自分が正しいと思うことを言うのは当たり前のことだ。だからこそ、校舎の裏側に呼び出して『格闘戦の基礎訓練』と抜かした同期生共を無力化したこと自体に間違いはないと思っているし、それでこうやってあてこすられるのは癪に障る。
講師の態度はすぐに生徒に伝播する。講義で指名されることはほぼない。戦略研究科の上級生の中にはブライトウェルが女というだけで無視をする者もいる。それがさらに同期生達の心を駆り立てる。コイツはバカにしてもいい奴だ、イジメてもいい奴だと。
それに乗って暴行しようとした奴らを早速病院送りにしてやったブライトウェルとしては、自分が第四四高速機動集団や第五艦隊でどれだけ守られていたのか身に染みて理解できたし、どれだけ出来た人たちに囲まれていたのか、人運が良かったのか、痛感せざるを得なかった。
二限が終わり昼食になっても、ブライトウェルは孤独だった。戦略研究科の同期生の誰もが昼食に誘おうとしない。ブライトウェルにとって士官学校構内唯一の安らぎは同室戦友や薔薇舎の同期生と会えるこの時間なのだが、今日に限っては講義の遅れか何かで、待ち合わせの時間に来ない。代わりに、食堂の中央よりやや端っこ一回生のスペースでありながら交流スペースに極めて近い場所に座っていたブライトウェルに会いに来たのは、顔も知らない上級生だった。
「ジェイニー=ブライトウェル=リンチ一回生だな?」
襟についている学年章は三回生。胸に書かれている名前はルング。背の高さは一八〇センチ位。赤黒い顔に筋骨隆々の身体。だがブライトウェルにとっては恩師の一人であるジャワフ少佐よりも『半』まわりは小さい。顔見知りではないが、こちらを名指しで問うている以上、食事の手を止め、起立敬礼するのは規則だ。
「はい。左様です。ルング三回生殿」
「ルピヤ=パトリック=ルングだ。第二学生舎の総務をしている」
そう言うと、ルングはブライトウェルが座っていた席に腰を下ろした。上級生が「座れ」というまでは座れない。階級と先任順序を骨の髄に染み渡らせるための士官学校の『規則』。しかし後輩を立たせておくのであれば話は手短に、長くなるようならすぐに座らせるのが士官候補生の『マナー』だ。
しかしルングは太い腕を組み、ブライトウェルに冷たい視線を送ったまま何も言わない。ブライトウェルとしても、友人知人でもない相手からこういう態度を取られることは、困惑以上に軽蔑を覚える。極力無表情でルングの両目を見据えつつ何も応えずにいると、周囲のテーブルからの警戒を感じたのかルングは強く一つ鼻息を吐いて言った。
「昨日、ウチの寮の一回生を可愛がってくれたみたいだな?」
「は?」
ブライトウェルは一瞬ルングがなにを言っているのかわからなかったが、数秒後に今日欠席している同期生の顔を思い出して納得した。手下がやられたから、若頭が出てきたということだろう。抗議文は寮長が出してきたということだろうから、直接本人に警告を出すのはその下の総務の仕事ということか。ロクデナシの後輩を持つと大変だなぁ、という同情心がブライトウェルの胸の中に沸きあがり、それは自然と微笑となった。
「『格闘戦の基礎訓練』ならいたしましたが、可愛がったつもりはございません」
そう言って手出ししてきたので、その通りに相手してやったんですよ、とブライトウェルは応えたつもりだったが、ルングの反応は派手に音を立てての机に対する殴打だった。
「貴様、格闘戦と言いながら武器を使っただろう」
「え?」
「三人はそう言っている。当然だな。そうでもなければ士官学校入校したばかりの女子候補生が、一回り以上大きい男子候補生を病院送りにできるわけがない」
目を血走らせ声を荒げるルングに、ブライトウェルは呆然とした。このデカブツは何を言っているんだろうか、全く理解できない。一人で状況を決めつけて、一人で勝手に怒っている。真実ブライトウェルが武器を使ったというのであればルングの言いようも分かるが、使った武器は拳と肘と脛だけだ。
「小官は武器など使っておりません。当の三名がそのようにルング三回生殿に言ったというのであれば、わが身可愛さに虚偽の報告をしたとしか思えません」
「貴様! 言い訳するか!」
「言い訳などしません。一方の証言のみ信じ、ご自身で見てもいない事実を決めつけることが、ルング三回生殿の正義なのですか?」
「貴様!」
ルングが勢いよく席を立ちあがり、右拳を握り締め、大きく振りかぶってブライトウェルの左側頭部へ振り下ろそうとする。そんな動きは散々ディディエ中将御用達のジムで見慣れていたので、ブライトウェルは瞬時に右半身として右手でルングのパンチを左に外受けしつつ、左掌底でルングの顎を打ちぬこうとした。
しかしルングのパンチ自体がブライトウェルの左後ろから伸びてきた第三者の腕によって阻止されたので、外受は空を切り、掌底はルングの左耳横をすり抜ける。
「ねぇ、ブライトウェル。戦略研究科っていうのは大人しく席について食事もできない子供(ガキ)の集まりなのかい?」
ルングの右腕をがっちりと左手で掴んでいる、ルングよりさらに一回り大きい影が、一七七センチあるブライトウェルを見下ろしている。迷彩柄の候補生服の、大きく盛り上がった胸に輝くAの徽章と『フォレスト』の刺繍。入舎式で遠目に見た『サマーガール』が、目の前で太陽のような明るい笑顔を浮かべていた。
「フォ、フォレスト四回生!」
明らかに指が右腕に食い込み始めているルングが悲鳴交じりに声を上げると、明らかにわざとらしく目を丸くしてフォレストはルングの方を見つめる。
「おやおや! 戦略研究科のお偉い方は、あたしの名前を知ってくださってるんだね。嬉しいねぇ。これは一生の誇りってもんさ」
そう言いながらもさらに握力を上げてルングの右腕を締め上げる。歯を食いしばり苦悶の表情を浮かべるルングに対し、フォレストは笑顔のまま顔をルングに近づけた。
「アンタのところの寮生が、舎(ウチ)のブライトウェルに伸されたっていうのは聞いてるよ。ご丁寧に診断書まで添付してくれたからね。でも舎生に対する注意は、舎長のアタシの仕事だよ」
「だが、そいつは武器を……」
「もしブライトウェルが武器を使ってたら骨折じゃあ済まないよ。たぶん、一生歩けなくなるね」
「……そんなわけ」
「なんなら証明してやってもいいさ。簡単だよ」
グイと左腕を伸ばして腕から手を離すと、ルングは食堂の床に音を立てて腰から転げ落ちる。あまりにも大きな音と大女の立ち居振る舞いに、食堂中の視線が二人に集中した。
「陸戦技術科から訓練用の装甲戦闘服とトマホークと『ステージ』を今日の課業後に貸し出してあげるから、第二学生寮に居る『戦略研究科の』腕扱きを用意しな。四回生だろうと五回生だろうと戦略研究科なら誰でも構わないよ」
「な……」
「もちろん相手するのはブライトウェル一人さ。どうだい?」
その言葉にルングの視線がフォレストとブライトウェルの間を数度往復したあと、周囲から浴びせられる興味深い視線に気が付き、慌てて立ち上がって「了解しました」とフォレストに敬礼してから、食堂から大股歩きで出て行った。その後ろ姿を鼻で笑いながら見ていたフォレストは、事態の急変と顛末に頭を抱えるブライトウェルの肩に手を廻した。
「分かっているだろうけど、負けたら半年、薔薇舎のトイレ掃除やらせるからね。自信のほどは?」
それが冗談ではないことは、右肩に食い込むフォレストの右手の握力でブライトウェルは理解した。恐らくは送られてきた同期生共の診断書から、自分に陸戦経験があることをフォレストは承知した上での問いかけたのだろうと。
「前線配備の陸戦部隊新兵と、第二学生寮の戦略研究科の腕扱きでは、どちらが上手でしょうか?」
「判断が難しいところだね。訓練量と実戦経験を比較しても、それほど差はないとは思うけどね」
「じゃあ、大丈夫だと思います」
エル=ファシル奪回作戦以降、戦闘時や訓練などの繁忙時以外で、ディディエ中将やジャワフ少佐から与えられた訓練メニューを欠かしたことはない。カプチェランカでは新兵相手のワンサイドタッグマッチを勝ち抜いた。それに大切な人は素手で半個分隊ならば十分叩きのめせると言ってくれた。その経験と信頼が自信に繋がる。
「第四四高速機動集団と第五軍団の名誉にかけて、『ステージ』に上がった奴らを叩きのめしてごらんにいれますよ。『サマーガール』先輩」
◆
「アンタが今も息をしているだけで、もう胸がいっぱいいっぱいだわ……」
士官学校の敷地の中でもやや外れにある陸戦技術科の校舎の中に複数ある、装甲戦闘服用の戦技訓練施設通称『ステージ』の一つで、女性専用に誂えた装甲戦闘服に身を包んだブライトウェルを前にして、アントニナは肩を落とした。
舎長から事態を聞いたのが三限後の休憩時間。五限終了後までにフレデリカを含めた女子同期生やつながりのある女子運動部の面々、それに薔薇舎の一回生に連絡してかき集めて(相手方がウソを吹聴しないよう証人としての)応援団を作り、はるばるここまで連れてきた。彼女たちの大半が情報分析科や後方支援科や法務研究科であり、まずもって陸戦技術科の敷地に入ることはカリキュラムにおける最低限の訓練以外ではないから、みんなほとんど物見遊山のノリだ。
「まぁ、フォレスト四回生が色々用意してくれているから、結果以外は心配しなくてもいいと思うけど?」
元々は同級生でもあるフレデリカはアントニナの横で、『ステージ』の設備に張り付いているフォレストやその同期と思われる陸戦技術科の候補生たちの姿を見て呟いた。
『ステージ』はあくまでも訓練設備であり、ある程度の気象・重力条件を疑似環境として作ることができる。だからこそ『戦闘訓練中』に自陣に優位になるような変更をさせないよう、フォレストの同期達がぎっちりと筋肉の壁で制御装置の周りを固めている。
その上、圧倒的に女子率の高いセコンドギャラリーの登場に、ほぼ男しかいない陸戦技術科のボランティアの士気は異様に高まった。どこからともなく足場材を集めてきて、ステージの周りにスタンドを組み上げて茶菓子まで振舞っている。何しろ陸戦技術科の『姫』であるフォレストの舎の後輩が、いけ好かないエリート臭漂う戦略研究科の男を相手に戦うとあって、四回生から一回生までノリノリだ。
そしてそれは戦略研究科側にとってみれば、完全なアウェー状態。まさかこれほどの大事になるとは考えてなかったからセコンドもギャラリーも三〇人ほどしかおらず、肩身を狭くしている。さらに言えば……
「第二学生寮に居る情報分析科から、ジェイニーの相手の詳細が届いてるわ」
フレデリカはそう言うとブライトウェルの前で、両開きタイプの端末を起動させる。画面には、作りが極めてゴツイ白人候補生の顔とその候補生の成績が映し出されている。明らかに職員関係者限定の機密情報。それが第二学生寮に居る情報分析科からフレデリカの手に届いているということだけで、相手の立場や状況については三人とも理解していた。
「アントニオ=テラサス=マンサネラ三回生。戦略研究科。身長一八九センチ・体重九七キロ。陸戦戦技評価はA-四。意外と高評価ね。ジェイニー、貴女はまだだったかしら?」
「まだですね。来月中間考査があります」
「……まぁ、大怪我だけはしないでね。じゃないと、兄さんに面目が立たないから」
自分の評価がA-三だったことを思い出したアントニナは、大きく溜息をついた。舎長からはそう分は悪くないと聞いてはいたが、同時に過度に痛めつけられるようなことがあったら助けに行けとも指示されている。幾ら色紙の代価とはいえ、装甲服もつけずに突っ込んで助けにいくことはアントニナでも自信がない。だが目の前のブライトウェルはまるで気にすることなく二本の打撃訓練用トマホークを両手でもてあそんでいる。
「随分と自信がおありのようね。ブライトウェル一回生」
アントニナの声に厭味の成分が混じっていることは言った当本人も分かっていたが、ブライトウェルはまったく気にすることなく、左手に持っていたトマホークをアントニナに返して応えた。
「戦艦リオ・グランデに乗ったつもりで見ててください」
「……ごめん。私はアイアース級に乗ったことないから、その例えじゃわからないんだけど」
「……すみません。ですが素晴らしく広くて、船体も安定してていいですよ。一度乗ったらもう普通の戦艦には乗りたくないって思うくらいに」
それじゃあ行ってきますと、右手に持ったトマホークを肩にかけ、左手にヘルメットを持ちブライトウェルは背を翻してステージの中央に向かっていく。その如何にもこなれた、それでいて凛とした後ろ姿を見つめながらアントニナもフレデリカも頬に手を当て小さく溜息をついた。『頼まれて彼女の面倒を見ることになったけど、本当に必要なのか』と思いつつ。
後ろでそんなふうに同い年の先輩に呆れられているとも知らず、ブライトウェルはステージの中央で、相手とレフリー役のフォレストと向き合った。聞いた通り、相手は頭一つ大きく、体の厚みもブライトウェルより三廻りは大きい。
だがディディエ中将よりも大きいにもかかわらず、体から噴き出す迫力には天地の開きがある。少しでも無駄に動けば体中が切り刻まれてしまうような、中将の暴風雪のような威圧感に比べれば、春の野原にふりそそぐやわらかい日差しのように生温い。
「何がおかしい?」
思わず零れた笑みを挑発と受け止めたのか、マンサネラ三回生が太い眉を吊り上げる。
「お前がケガをさせたあの一回生たちと同じだとでも思ったか?」
「まさかそこまで失礼なことは考えておりません」
あんな奴らの為に出張ってこなければならない貴方のご苦労には頭が下がります、と言ったら火に油を注ぐことになるのは目に見えているので、それ以上口を開かず視線をフォレストに向ける。
「勝敗は降伏するか戦闘不能の判定が下るかアタシが止めるまで。それまで一ラウンド三分間。休憩を挟みながら『戦技訓練』を行う。使用武器は訓練用トマホークと装甲戦闘服のみ。戦闘用ナイフもダメ。他に武器を持っているなら今出しな」
フォレストが両手を伸ばして双方に差し出すが、ブライトウェルもマンサネラも首を振る。
「次、お互いの訓練用トマホークを出しな。交換だ」
双方の手から訓練用トマホークが離されて、再びお互いの手に戻る。一応ブライトウェルもマンサネラから渡された訓練用トマホークに目を向ける。傷はついているが重さも太さもブライトウェルが持っていたものと全く変わらない。マンサネラも同じように確認したのか、二人の四つの瞳がフォレストに向けられる。
「双方、不満なしだね。じゃあヘルメット被って、握手しな。一応『同じ学科』の先輩後輩なんだろう?」
だがブライトウェルもマンサネラも握手するつもりは毛頭ない様子を見て、情けないねぇ、とフォレストは肩を竦めて零した。改めて双方がトマホークを構えたのを見て、フォレストは後ろ脚で二人から離れると右手をゆっくりと振り上げ、素早く振り降ろす。
先手を取ったのはマンサネラだった。有り余る筋力に任せて、上下左右からトマホークを振り降ろしブライトウェルを圧し潰そうとする。仮設スタンドにいる女子候補生からは悲鳴が上がるが、その周りにいる陸戦技術科の候補生からは呆れと軽蔑の声が漏れる。
マンサネラは前進し、ブライトウェルは後退している。一見すれば圧倒的にブライトウェルの劣勢に見えるが、マンサネラの重い一撃は、全て体幹で躱されたりトマホークによって打ち逸らされたりして、その威力を全く発揮していない。
しかもブライトウェルは真っすぐではなく僅かに右斜めに後退しているので、円を描くような形になりステージの端に追い詰められることもない。
見る者が見れば、二人の力量差は明らかだ。しかしブライトウェルは一切反撃せず、攻撃をひたすら受け流している。三分が経過し最初のラウンドが終わったあと、アントニナやフレデリカの待つセカンドに向かおうとするブライトウェルを、フォレストは呼び止め、小声で囁いた。
「アンタ、このまま無気力試合を続けるなら、負けにするよ?」
「無気力に見えますか?」
「周りにいる陸戦技術科候補生の顔を見なよ。みんな戦技訓練を見に来たんであって、猿回しを見に来たんじゃないんだ」
「ですがフォレスト四回生殿、あんまり早く試合が終わってしまいますと……」
「あっちが納得しないっていうのかい? だったらエリミネーションマッチにしてあげるから、とっとと始末しな」
ドンとフォレストに背中を押され、足をもつれさせながらセコンドに戻りヘルメットを取ると、ブライトウェルは心配そうに見るアントニナから『メタボメーカー』チューブを受け取り一気に口の中に流し込んだ。
「ちょっと、大丈夫?」
「足りません」
「は?」
フレデリカがすかさずもう一本の栄養チューブを差し出したが、ブライトウェルは手を振ってそれを断り、アントニナの首に掛かっているタオルをもぎ取って額の汗を拭きながら笑みを浮かべて言った。
「声援が足りないので勝てません。アントニナ先輩、ちょっとスタンドを盛り上げてくださいませんか? お願いします」
「声援って……アンタ」
「あとこれからエリミネーションマッチになりますので、冷えたタオルと水がもっと欲しいです」
「一応用意はしてあるけど……エリミネーションマッチって、何?」
フレデリカの問いに、対角線上の向こうに集まっている『同学科』のセコンドを見て、ブライトウェルは応えた。
「向こうは三三人います。一人三〇秒以下で始末するのでだいたい一五分。最短五ラウンドってところなんで、水とタオルそれぞれ一〇本ずつお願いします」
「はい? ちょっと、ジェイニー!」
フレデリカに応えることなく再びブライトウェルはヘルメットを被りトマホークを持ってステージの中央に戻ると、ヘルメットのシェードを開いて勝ち気満々のマンサネラをよそに、無言でトマホークを構えた。興を削がれたと言わんばかりにマンサネラが首を振ると、スタンドから歓声が沸き上がる。
「分かっていると思うけど、アンタ宛じゃないからね。マンサネラ三回生」
フォレストの一言に舌打ちを隠さずマンサネラはシェードを下ろしトマホークを構え、合図とともに第一ラウンド同様に襲いかかった。手も足も出ずにいる生意気なブライトウェルをこのラウンドで仕留める、そう思って上段に振りかぶった瞬間。マンサネラは腹部に強い衝撃を受けた。
思わず前のめりに倒れ込むのを、トマホークを杖代わりにして堪えるつもりが、そのトマホーク自体に味わったこともない強烈な一撃が加えられ、マンサネラはそのままステージの床に膝をついてしまう。トマホークの行き先を探そうと首を廻したタイミングで、今度は背骨が折れたような強撃がマンサネラを床に叩きつぶした。
「それまで」
マンサネラの後ろ首に当てられたブライトウェルのトマホークの柄に手を乗せ、フォレストが宣告する。
「腹部損傷、脊椎断絶、頸部切断。即死だよ。マンサネラ三回生」
「あ、うぁ……」
「あ~強撃サンドイッチ喰らっちゃったもんね。そりゃ喋れないか。わかったわかった」
フォレストが右腕を上げて肩の上で廻すと、陸戦技術科の候補生が担架を持ってきて、うめき声を上げるマンサネラの巨体を乗せてステージから降ろしていく。
「勝者、ジェイニー=ブライトウェル一回生!」
ブライトウェルの右腕をぐいと引っ張り上げたフォレストの大声に、スタンドの黄色い歓声が一気に湧き上がる。それに合わせるように陸戦技術科から拍手と野太い喚声が上がった。
一方でマンサネラ側のセコンドに集まっていた戦略研究科の一団は、目の前で見せられた瞬時の出来事についていけず呆然としていた。真横を担架で運ばれるマンサネラの巨体を見てようやく負けたことに気が付くくらいの者もいる。
「さて、戦略研究科の候補生諸君」
フォレストはセコンドの位置で動けなくなっている彼らの前まで移動して言った。
「せっかくの機会だ。君達も戦技訓練を受けてみてはどうかな?」
「いや、我々はこれで失礼する」
一番の腕扱きのつもりで連れてきたマンサネラが一瞬で撃破された。ブライトウェルが尋常ならざる陸戦技術を持っていることを知った以上、長居は無用。一団の指揮官というべきルングが手を上げて断ったが、その前に一団の周りには筋肉の壁が出来ていた。
「どういうつもりですか。フォレスト四回生殿」
「どういうつもり?」
顔色の変わったルングの問いに、フォレストは首を小さく横に傾けてると、笑顔で答えた。
「第五軍団ディディエ中将閣下の『王女殿下(プリンセス)』に対し、あらぬ疑いと言われなき侮辱を与えた馬鹿共に、陸戦とはいかなるものか教えて差し上げようというつもりだよ。ルング三回生殿」
「彼女の疑いは晴れた。こちらとしても改めて三名について再調査するつもりです」
「その前に王女殿下に自らの非礼を詫びたらどうかね」
「……これは戦略研究科内での話です。陸戦技術科の関与するところでは」
「安心したまえ、蛮族諸君。言葉の通じない君達の分の『正装』はちゃんとこちらで用意してある」
フォレストが右手で合図すると、筋肉の壁の一部が開き、大型のトランクが人数分、ルング達の前に並べられる。ガチャガチャと蓋が開かれれば、そこにはクリーム色の装甲板とワイヤーと耐火耐熱断熱素材でできた『タキシード(装甲戦闘服)』が収まっていた。
「さぁ諸君、着替えたまえ。『王女殿下(プリンセス)』は『舞踏会の間(ステージ)』にて諸君の到着を、首を長くして待っておられるぞ?」
そう言うフォレストの顔は満面の笑みであったが、丸いゴリラのような眼だけは笑っていなかった。
◆
翌日。
ブライトウェルがしっかりと第一時限の開始五分前に講義室の扉を開けて入った時、室内にいた候補生全員の視線が集中砲火となって浴びせられた。そのいずれもが恐怖と敬遠のモノであることは、ブライトウェルにはわかっていたが、そんなことで優越感に浸るつもりは全くない。
薔薇舎の規則通り、顔が映るくらいまで磨き上げられた革靴の立てる規則正しい響きだけが、部屋の中にこだまする。指定された席に腰を下ろすと、再びざわめきが息を吹き返す。そのいずれもが自分に棘を向けているようにブライトウェルには思えたが、ただ一つ。自分の隣から浴びせられる視線には敵意を感じなかったので顔を傾けると、いつも見る幼顔の候補生が緊張した面持ちでこちらを見ていた。
「なにか御用ですか? ベニート=ブレツェリ候補生」
「ぶ、ブライトウェル候補生。あ、そ、その……」
緊張と恐怖を混合して顔に張り付けたブレツェリは、目を一度きつく閉じて数秒経ってから、口を開いた。
「昨日の課業後のことなんだけどさ、もしかしてあの場所にこの分隊の班長も、いた?」
「……あぁ、そういえばいました、ね」
たしか二八番目か二九番目に現れて、こちらが構えるともうトマホークを持つ両手が震えていたのがわかったので、手早く右小手で叩き落としてから右回し蹴りで左膝を折り、そのまま半身回転しながら背後に回り込んで背中のど真ん中に一撃を打ち込んだのがそうだったとブライトウェルは思いだした。一応自足歩行は出来ていたから、それほど重傷ではないはずだ。
「それがどうかしましたか?」
「あ、ごめん。僕は第六学生寮なんで詳細は聞いていないんだけど、一応この分隊では次席なんで…… 彼が欠席なら僕が号令をかけなくちゃいけなくてね」
「……それは、それは、ご愁傷様です」
ここにも残念な犠牲者がいたか、と、とびきりの笑顔でブレツェリに応えると、ブレツェリの顔から緊張が消え恐怖一色に染められた。
「どうかしました?」
「あ、そ、そう、そうなんだ……」
深く肩を落とすブレツェリの肩に手を伸ばそうとした時、講義開始時間のベルが鳴り響き、いつものように講師が時間ピッタリに講義室に入ってきた。
「起立・敬礼!」
一瞬で感情の切り替えを済ませたブレツェリが殆ど自動機械のように立ち上がると、講義室全体が緊張に包まれる。無言で答礼する講師の顔は、昨日の三倍増しどころではないくらいに苦々しいものだった。
「次席候補生。現在欠席してる八名の事故報告は不要である。昨日も話したが事故は想像してもないところでも起こりうる。諸君らも十分気を付けて学生生活を全うしてもらいたい。以上」
それだけ言うとさっさと講義に移ってしまう。ブライトウェルに対する意図的な無視であることには違いない。だが都合三六名の候補生が返り討ちで欠席に追いこまれたという不都合で不愉快な現実に加え、陸戦技術科の教官群から何らかの『釘』が刺されたことはおそらく事実だろう。ブライトウェルとしては、日常から当て擦りがなくなっただけでも十分だった。
むしろブライトウェルにとって不都合になったのは、唯一心休まる昼食の時間だった。
「ジェイニー王女殿下(プリンセス・ジェイニー)、昨日のエリミネーションマッチは実にお見事でした。陸上戦技研究会はプリンセス用にロッカーもトマホークも用意していますよ」
「プリンセス。今度、女子器械体操部に見学参加していただけない? まだ部活を決めていないのでしょう? あの見事な体幹を生かすのは、器械体操をおいて他にないわ!」
「エリミネーションマッチを勝ち抜いた、女子として並外れたスタミナは陸上競技こそ生きるよ、プリンセス。是非とも陸上部に入部してほしい」
「……モテモテじゃない。ぷりんせす・じぇいにー」
「……アントニナ先輩が、女子運動部に一斉号令をかけたからじゃないですか」
『クレオパトラ』の保護下にあるということで、てっきりフライングボール部に入るものと思っていた運動部の幹部面々が、あのエリミネーションマッチを見て、「何としても即戦力が欲しい」と強烈な勧誘攻勢をブライトウェルに仕掛け始めたのだ。時限の間の僅かな休みも遠慮なくかけてくる攻勢に、ブライトウェルは食堂で逃げ回るように動いて、ようやくアントニナの下に辿り着き食事を取ることができた。
「今まで部活を決めていなかったアンタが悪い。大人しくどこかの部活を選べばいいじゃない。アンタならどの運動部に入っても、それなりのモノにはなるし」
「フライングボール部に入れとは仰られないんですか?」
「アンタ経験ないでしょ? いくら運動神経が良くても空間識がないと入ってから苦労するし、チームプレーができるようになるまでにまず一年はかかるわ。そんなの時間が勿体ないじゃない」
「……そんな合理的な理由があったんですね」
「……アンタ、前から思っていたけど、アタシのこと微妙にバカにしてない?」
「とんでもない。アントニナ先輩には感謝してもしきれません」
実際アントニナとフレデリカ以外、士官学校でブライトウェルには心を許せる味方はいない。正直言えば、フレデリカすら本心を許せる相手かと言えば、彼女の父親の立場を考えると一〇〇パーセントとは言い切れない。
自分があの父の娘と知りながらも、自らの信念に従って周囲の敵意をものともせずに庇い続けるあの人が、絶対的な信頼を寄せている従妹であるアントニナの存在は、ブライトウェルにとってみれば何物にも代えられない宝物だ。
結果的に腕力とトマホークで解決したにせよ、言い逃れができないように下準備をし、事前に舎長に状況を説明し、少しでも有利になるように陰ながら動いてくれた。
「今回のこと、本当にありがとうございました。いずれ何らかしらの形でお返しします」
改めて席から立って深く最敬礼するブライトウェルに、アントニナはいつも自分の兄が自分にしてくれたようにブライトウェルの頭に手を伸ばすと、少しだけ癖のある赤い髪を優しく掻くように梳いた。
「そうね、出来ればちゃんと形のあるものでお願いしたいわね。ジェイニー王女殿下(プリンセス・ジェイニー)」
「……あの、そこはできればジェイニー王太子妃殿下(クラウン・プリンセス・ジェイニー)と」
「おい。どうやら死にたいようだな、貴様ぁ……」
梳く手を止め、ガッチリと赤毛を左手で握り締めると、そう言ってアントニナは綺麗に揃った歯を剥いて、顔をブライトウェルに引き寄せるのだった。
後書き
2024.05.03 更新
最初メスゴリラはジャガー●田にしようと思ったんですが、やっぱりこっちにしました。
第101話 憂国 その1
前書き
お疲れ様です。
前回GWの前に書いていたせいで意外と楽しく書かせていただきましたが、今回はGWの末端で書いていたせいで、実に出来が悪くなっております。ダメですね。心情が現れるようでは。
Jr.の自己矛盾性と肝っ玉の小ささが、書いていて正直きつかったです。
本当は全部書き直したいくらいなのですが、次のステージに行くためにはどうしても必要だったので。
宇宙暦七九〇年一〇月から バーラト星系 惑星ハイネセン
造船ドックの見学を終えた後、ホテル・ミローディアスに戻ると、オールドバーラウンジ『アクア』での接待でベロベロになったアイランズに頼んで、『外泊証明書』にサインをさせた。俺の後ろでチェン秘書官が僅かに首を傾げていたが個人的なことだ。多少文字が曲がっているが構わない。
翌日、二日酔いが酷いアイランズはミローディアスに残るということで、俺は一人でバウンスゴール大佐と他のドックや兵器工廠の方を回ることとなった。ただホテル専用のシャトル発着ラウンジで、どこかで見覚えのある艶のある若い金髪の女性とすれ違ったので、アイランズの体調は気にしないことにした。
「仕方ありませんなぁ」
俺が最敬礼でアイランズの不参加を告げると、バウンスゴール大佐は頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
「まぁこれはこれで、ボロディン中佐と個人的に三ランク上のお話しが出来そうなので、こちらとしても願ったりかなったりですよ」
「三ランク上?」
「昨日のアガートラム、戦闘士官の立場から見て、貴官はどう思った?」
大佐の口調が急に軍の平常に戻ったので、俺も観光客モードから通常モードに更新する。どう思った、とは実にファジーな質問だ。軍人とはいえ優れた技術者でもある大佐が、技術者ではないとはいえ一応の軍人である俺にそんな抽象的な質問をするというのはおかしい。
「お聞きになりたいのは個艦の運用についてでしょうか? それとも別のことでしょうか?」
「流石、首席殿。技術者の性分をよく分かっておられる」
意外とがっちりとした体格のバウンスゴール大佐は、シャトルのシートに深く腰を押し込みつつ、腕を組んで天井を見上げて呟くように言った。
「もう限界なのだ。現在のアイアース級の機関余力は」
その言葉の裏に込められる苦難は察して余りある。
巨大戦艦といえども、艦隊戦における戦力としての意味は本当にささやかなものでしかないのだが、用兵側としては搭載できる可能な限りの火力を艦に配備したいと考えている。それは国力で劣る同盟軍の宿命であり、大口径・強力な主砲を少数配備するよりも、威力・射程はとにかく面を制圧する為に各艦の主砲門数を多くしたい。艦隊戦における必要火力は点ではなく面である、というのはロボスの言うとおり、同盟軍の基本スタンスだ。
全長一〇〇〇メートル弱、全幅七二メートル弱、全高三六〇メートル弱のアイアース級は既に二〇隻前後が建造され、適時改修・改造も行われてきているが、プラットフォームの拡張余地はもう限界にきている。砲火力の増強にしてもシールドの強靭化にしても、搭載できる核融合炉の飛躍的な容積出力比向上がない限り意味がないのだが、この新型艦船用核融合炉の開発が遅れに遅れている。
アガートラムししろ、クリシュナにしろ、シヴァにしろ、限られた収納空間と機関出力の中でどうやったら火力を強化できるか模索した結果、あぁもヘンテコリンな形にならざるを得なかった。
船体を大きくして今より搭載できる核融合炉を多くすればいいというのは簡単だが、今度はどうやって整備するんだという話になる。プラットフォームの大幅な改変は、建造・整備の為の設備を一から作り上げる必要があるから、かなりの問題がある。
全長は縮んでも横と縦にズンと大きくなったトリグラフが次世代旗艦用大型戦艦としての開発に成功しながら、たった一隻しか建造されなかった、あるいは建造されても配備されなかったのは、そういう整備性の問題でお金の限界があったのであろうというのは容易に想定できる。二回イゼルローン攻略に失敗し、アスターテでは金髪の孺子にボコボコにされ、帝国領侵攻で遠征軍の七割を失い、とどめを刺されたのは人的資源だけではない。
「大佐は賭け事が強いほうですか?」
故に大佐が俺に問いかけてきた理由は分かる。答えは二つ。新型核融合炉の研究促進のための予算付けか、次世代旗艦用大型戦艦(トリグラフ級)建造用ドックの建設予算付けか。研究開発予算は限られている上に、艦船関連の予算は中でも金額が大きく動く分野であるので、大佐の言い分だけを聞くわけにはいかないし論理づけもしっかりしなければならないが、どちらにしても大佐の考えを頭の片隅には入れておくべきだろう。
「……一技術者としてはどうかとは思うが、管理職としてこの件に関しては輝かしい革新的成功よりも、堅実な技術進捗を望まざるを得ない。ボロディン中佐、どうかよろしくお力添えを願いたい」
そう言うと、大佐は軍用ジャンパーの胸から高耐久型の携帯端末を取り出して、俺に機密書類を映して見せてくれた。そこにはアイアース級よりも横にデカい宇宙母艦用の大出力核融合炉を主機関とした、三つの頭を持ち天空と地上と地下の全てを支配する、スラブの大神の姿があった。
それからバウンスゴール大佐とマン・ツー・マンで軌道上にある複数の兵器廠を巡った。標準型巡航艦を建造する第二軌道造兵廠では、バウンスゴール大佐と同じ立場の管理官から、部品メーカーからの恒常的な納品遅れや精度不適合品の納入が頻発し、それを取り除いたり再加工したりする余計な手間がかかって生産効率が低下していることを滾々と説かれた。
レーザー水爆ミサイルを製造する兵器廠では、逆に生産ラインからの熟練整備員の前線基地への配備について涙ながらに抗議された。ここの全自動製造ラインは一時間当たり一万二〇〇〇発を製造できる能力を持つが、それはあくまでも完全にラインが機能する時に発揮できるスコアだ。工作機械自体の経年劣化だけでなく、整備員の能力低下によるメンテナンス不良が原因でラインの製造力・加工精度が低下し、定期検査以外での製造ラインの停止が何度かあって、製造能力を十全に発揮できていないとのこと。
「耳が痛い話ばかりして申し訳ない」
帰りのシャトルの中で、ハッキリとした口調でバウンスゴール大佐は俺に謝罪した。聞く相手がアイランズだった場合、もう少しソフトな言いようになることは推測できる。失政を推測させるような話ばかりして下手に機嫌を損ねては、せっかく来てもらったのに聞く耳を持たなくなってしまう可能性があるからだ。
だから御伴一人だけになったので、各担当者とも口調に遠慮がなくなった。予算不足による技術開発の遅れ、サプライヤーの製造技術能力の低下、熟練労働者の前線抽出による運用能力の低下。国家事業としての軍事生産分野にすら不都合が現れてきている。民生分野の不都合は恐らくもっと多いだろう。俺のようにズルするわけでもなく、こうやって誰か言われなくとも状況をハッキリと把握していた、ピラート中佐の観察力は専門とはいえやはり尋常ではない。
「いいえ、皆さんの本音がハッキリ聞けて、逆に良かったです」
いずれにしても一朝一夕で解決できる話ではない。生命の大消費活動である戦争がある限り、状況が好転することはなかなか難しいだろう。内政努力だけで何とかなるとは到底思えない。せめてイゼルローン攻略を中止し、回廊封鎖により帝国軍の侵略を阻止できうる状況が出来れば、一縷の望みはある。
その為に首飾りのビーズを回廊出口に敷き詰めることを俺は考えていたわけだが、日常的に主力として建造・製造されている艦艇・兵器ですらこのありさまだ。首飾りの量産という命題について予算もさることながら、より技術的な問題の方が大きい可能性も出てきた。
「来年度予算について、恐らく総額概算は近々に出るでしょう。折衝は三ヶ月後くらいから始まると思います。予算案の修正については統合作戦本部から提出されるので、バウンスゴール大佐や皆さんのご希望に添えるかどうかは分かりません。ですが国防委員会参事部として、補佐官全体でこれらの問題は共有するつもりです」
「統本(統合作戦本部)の一課(戦略部)連中は、自分達の給与と作戦経費のことばかり頭にあるから、それだけでも助かるよ」
「ははは……」
チェン秘書官が余計なことする前の見学申請の段階で俺の『身体検査』はしているはずだから、一課には戦略研究科の俺の先輩や後輩がうじょうじょいることを知っている。知っててそう言うのだから、バウンスゴール大佐も意外と人が悪い。自然と頬が引きつっていくような感覚を覚えるが、師匠直伝の補正機能を使って何とか笑顔に戻していく。
「二日間ありがとうございました。もし参考人質疑になりましたら、よろしくお願いします」
「それはこちらとしても望むところ。是非にも」
敬礼ではなく握手で。それがここでの流儀ならば、それに従う。そうやってミローディアスのシャトル発着ラウンジでバウンスゴール大佐と別れると、出口でチェン秘書官がいつもの白黒スタイルで待っていた。
「いかがでしたか。『ツアー』の方は?」
朝に同伴拒否したのを根に持っているのか、少しばかり棘がある口調だがそれは演技だろう。そうやすやすと来れないこのホテルに金髪を呼べるのは彼女しかいない。はじめから金髪には話を通し、アイランズを『ツアー』から一時離席させるのも計画の一つだったのだろう。トリューニヒトの使える『カード』を一枚増やす為の。
「実に有意義だった。有給休暇を使っても惜しくはなかった。ところでアイランズ先生は今、お忙しいかな?」
「そのようですわ。夕刻にはご一緒できるとは思われますが」
「お忙しいようだったら、『視察報告』は地上に戻ってからにするとお伝えしてくれ」
「承知いたしました……ところで、なにか良い事でもございましたか?」
チェン秘書官がそう言うからには、おそらく俺は無意識のうちに笑っていたのかもしれない。そう考えれば、有給休暇を潰された感じではあるが、結果としては良かったのだろう。この任務に就いてからずっと、道路標識どおりに歩いてきたような気がする。それで間違いではなかったし、軍部・官僚・政治家の円滑化を推進できたのは間違いないが、やはりどことなく気が抜けていたのかもしれない。
「たぶん。良い事だったのだろうと思う。地上に降りたら、ちょっと忙しくなるだろうね」
そう俺が応えた後、チェン秘書官がちょっとだけ不満そうな顔を見せたのが、俺にとっては痛快だった。
◆
それから俺はほんの少しだけ仕事のやり方を変えることにした。
民間の面会者については今まで通り目的や希望を掬い取って、関連する軍組織や国防委員会部局に対してアポを取ることは変わらないが、相手にこちらの階級とか職責とか意識させず、ただの二六・七の若造と意識させ、キャバ嬢のように会話は趣味の話を交えてゆっくりと、私も板挟みで大変なんですよと同志愛を囁きつつ面会者が抱えている公私両方の不満を聞き出し、心がほぐれたところで相手の仕事の中で自慢したいことを好きなだけ喋らせるようにした。
官僚や軍人に対しては仕事においてはスタンスを変えず理詰めで話をするが、その話の前後で軍内部の経験について少しだけ話を零すようにした。武勲譚のような勇ましいものではなく、爺様の拳骨の痛さとか、ブライトウェル嬢の珈琲の味とか、参謀の多彩な趣味(カステル大佐の料理やモンティージャ大佐の地質研究)とか。実戦経験のない官僚達は軍人もごく普通の人間なんだと理解してくれるし、軍人側は同じような経験をしてきているから「俺んところではねぇ」と思わず零してくれて、色々と口が軽くなってくる。
政治家に対してはそうやって集まってきた小ネタを取捨選択して質問取りレクや接待などの場で披露しつつ、そんな面白いネタを持っている彼らがちょっと困っているんですよねと、問題点をシンプルになるべく短い言葉で簡単に説明するようにした。その場で問題が解決することはまずないが、あとから「あれなんだっけ」と連絡が来て、改めてレクをする状況を作り出せるようにした。
一ケ月もそんなことをしていると、この仕事についてから集中線のように広がっていた人脈が、ただの線だけではなく面や立体へと進化していく。
なにしろ俺を挟んで利害対立していた者同士が、宴席や俺の執務室で酒や肴を持ち寄って勝手にあぁだこうだと議論し始めるようになったのだ。一番偉い連中はエングルフィールド大佐のオフィスに行くが、実際に原稿を書いたり調整したりする実務者は、俺のオフィスで管を巻いているなんてことがしばしば。そんな彼らが微妙に酔った段階で、ほんの少しずつ毒を混ぜるように『同盟ってもしかして足腰が弱まってますかね』みたいな話を囁いていく。
瞬時に反応したのは経済・財務関係の中堅から下級官僚達で、俺が何を言いたいのか直接探ろうと色々と資料を勝手に持ち寄ってくるようになった。上級官僚達もその動きに気付いているみたいだったが、国防委員会の考え方を知る意味でも見て見ぬふりをしているようだった。
軍関係者では特に人的資源と造兵関連の管理実務者達が、俺がどういう考えの持ち主か軍内部で探りを入れ始めた。第五・第八艦隊司令部や査閲部・情報部などの旧職や知人のいる部局、直接会ったバウンスゴール大佐などに聞いてまわってようで、モンティージャ大佐が「進取果敢・温厚篤実・海闊天空・英邁闊達な人物だと言っておいたぞ」と爆笑しながら教えてくれた。
政治家や民間人には特にそう言う囁きはしていないが、「なんか最近やたらとボロディン君のことを嗅ぎまわっている軍人や行政職員がいるけど大丈夫かね?」と心配して教えてくれるようになった。何しろ法に反することはこの一件については、「職場における飲酒」以外にはない。
そうやって官僚が持ち寄ってくれた資料、探りを入れに来る軍の中堅管理実務者の愚痴、実際に経済活動を行っている民間企業の中堅幹部の噂話、その他いろいろな人々からの話や情報を纏めながら、二ヶ月。表も裏も通常通りの仕事をしながら、暇な時間を見てはレポートを書き進めた。内容は一般に公開されている統計資料を基礎資料として、今後イゼルローン攻略を数年おきに『失敗』しつつ宇宙艦隊による機動縦深防御ドクトリンを継続する場合と、自説であるイゼルローン回廊出口付近に重層防衛ラインを構築する場合での国家経済力と軍事力のシミュレーション比較について。
本来ならばこういうレポートの作成は統合作戦本部戦略一課の仕事であり、また実際所属課員によって各種毎年のように作成されているが、何故か大半がイゼルローン攻略戦の必要性を補強するものばかり。これは最初から宇宙艦隊司令部と統合作戦本部がタッグを組んで、艦隊戦力強化の為の予算取りの補強資料として作成しているのが理由だ。
俺のレポートはそんな軍主流のドクトリンに対して真っ向喧嘩を売るものであり、膨れ上がる国防予算の半分を起債によって賄うような内容から言って素人が見ても『夢物語』と一笑に付されるような代物だ。だが少なくとも原作でヤンがイゼルローン要塞をペテンで陥落させるまでの五年間に失われた、最低でも五個艦隊六万隻に及ぶ艦艇と約七〇〇万人の労働生産人口と比較すれば、起債による国家財政不健全化の方がはるかにマシだと俺は思う。まして帝国領侵攻で三倍満になるような事態は絶対に避けなければならない。
レポートを作成している最中、チェン秘書官は特に何も干渉らしいことは仕掛けてこなかった。俺が何らかのレポートを作成していることは恐らく察しているだろうし、俺の気が付かない方法で未完成の内容を調べている可能性はある。私的な文章と考えているのか、それとも彼女の『ボス』があえて見逃すように指示しているのか。それは分からない。
ただこのレポートを怪物に提出すれば、喧嘩を売られた形になる戦略一課は間違いなく俺に敵意を持つ。身の程知らずの夢想家として人事に干渉して左遷くらいは平気でする。宇宙艦隊司令部も支持するだろう。シトレの腹黒親父もビュコック爺様も、現時点ではそれを覆すだけの力を持っていない。二人に言えば『絶対に提出するな』と言うのは容易に推測できる。言葉だけならともかく現物として提出すれば、俺が怪物に「擦り寄った」と考えてもおかしくない。
しかしそれでも機動縦深防御ドクトリンとイゼルローン攻略の継続による国家へのリスクついて、政治側の人間が現時点で明白に認識しておかねば、同盟の国家としての衰弱死は免れない。元々人口において一.八倍の差がある帝国と戦っているのに、戦争における損害が同数であれば、先にノックアウトするのは自明の理だ。せめて二倍近い損害を与えなければ、勝利はおろか引き分けにすら持ち込めない。
誰かに相談したいが、誰にも相談できない。自分で勝手に作っておきながら、結局持て余しているレポートを前に苦悶する愚かさ。いっそのこと何事もなかったように廃棄すべきではないかと思わないでもない。人間関係が原作のシナリオとは僅かに異なる位で、大きな流れは変わっていない。レポートを怪物に提出したところでなにも変わらず、ただ自分の首を縄に潜らせるだけではないのか……
来季予算審議に向け財務委員会側からの税収想定提示が終わり、さらにはダゴン星域に帝国軍が侵略してきて惑星カプチェランカが戦闘状態になったり、その迎撃の緊急予算に対する各所への根回しで追っかけまわされたりして、さらに半月経過した年明け一月中旬。俺は怪物の別荘に招待された。
「新年休みボケを解消する意味で、本格的な予算審議が始まる前に一度、ここの澄んだ空気と冷気で頭を冷やすのが私のルーティンでね」
惑星ハイネセンの北半球。積雪はそれほどではないが、それなりに冷えるシェムソスン渓谷の中腹。市街地ともスキー場ともさほど離れていないが、周辺にいくつかある別荘の住人と周辺警備を兼ねる管理人以外の人通りのない場所。一〇メートル四方のリビングは適切な温度管理下にあり、南壁面のガラスウォールからは真っ白な衣をまとった雄大な山嶺を一望できる。
「今年の国防予算審議はかつてなく議論が活発になるだろう。ダゴンに入ってきた無粋な帝国軍さえいなければと思わずにはいられないね」
ややすぼまった吞口のテイスティンググラスにウィスキーを注ぎ、その一方を俺に差し出すトリューニヒトの目は顔ほどには笑っていない。トリューニヒトは政治家であり腹芸をこなすのは仕事のようなものだが、わざわざ予算審議が本格化する寸前に、嫌いな男を自分の別荘に招待するようなマゾではないはずだ。
俺がグラスを受け取ると、トリューニヒトはグラスを小さく掲げて見せる。俺もそれに応じてグラスに口を寄せるとフローラルな、おそらくはラベンダーの香りが鼻の奥に流れ込んできた。もっとスモーキーなものを予想していたので意外だったが、舌先だけ含むと、らしくない花の蜜のような甘い感覚に驚いた。
「驚いたようだね。私も初めてこれを口にした時は、本当にウィスキーかどうか疑ったものだよ」
トリューニヒトがそう言いながら、酒のCMのようにゆっくりと少しずつ傾ける。俺も同じようにすると、口の中では甘みが広がるのに、喉の奥は大火事の如く燃え盛る。酒側からの強烈なリアクションに思わず小さく咳き込むと、トリューニヒトは笑いを隠さなかった。
「はははっ。そこまできてこそ、この酒の醍醐味だよ中佐。実は『初見殺し』という異名があるんだ、このウィスキーは」
「今度、後輩に試させてもらいます。トリューニヒト先生」
「ぜひそうしてくれ。これは気の合う相手じゃなければ到底許されない『イタズラ』だからね」
君のことは私の気の合う相手だと思っているよ、ということ。少なくとも害意あっての行動ではない。だが爬虫類を思わせるトリューニヒトの瞳には、まだ何か言いたいことがあるように思える。先に俺がソファに囲まれたチーズやサラミのパーティーオードブルのあるセンターテーブルに視線を送ると、わかったわかったと言わんばかりに肩を竦めてソファを俺に勧めた。
「トリューニヒト先生。本日のお招き、なにかお話があってのことでしょうか?」
改めて注がれたウィスキーを前に、俺はトリューニヒトに問う。ただ単に気分で酒の相手をさせたくて、俺を呼んだのではないのは、この別荘にトリューニヒトの家族が誰一人来ていないことでも明らかだ。
「そうだね。君がここ最近、悩んでいるようだといろいろな人から聞いてね。差し出がましいと思うかもしれないが、私で力になれることはないかなと思ってね」
私にできることなど大したことではないなどと謙遜するが、明らかに俺に対して『自白』を強要しているようなものだ。バグダッシュの言う通り、女狐の正式な飼い主はC(中央情報局)七〇(国外諜報部)で、目の前の元警察官僚も一枚嚙んでいる。『物的証拠』も手にしているかもしれないが、この場合捜査令状もなく抜き取った証拠品は、当人が認めない限り証拠能力はない。
「先生には謝ってばかりですが、余計なご心配をおかけして申し訳ございません」
「君が知崇礼卑だということはよく知っているとも。だからこそ癖の強い政治家も、頭でっかちな官僚達も、みんな君のことを心配してくれるんだよ」
「皆さんの心広いご配慮に、非才の身としては常々恐れ多いと思っております」
じっとトリューニヒトの目を見ながら、俺は応える。トリューニヒトの目も俺の目を見ている。自白を拒否する被疑者を見る刑事の目だ。前世で警察にこういう形でお世話になったことはなかったが、実際に浴びせられると本当に気味が悪い。だがここは警察署ではなく別荘で、トリューニヒト以外の刑事がいる様子もない。
「君は一体何を恐れている?」
左肘を肘掛けにのせ、組んだ右足の太腿を右手人差し指の先で叩きながら、トリューニヒトは口を開いた。
「砲火溢れる戦場すら恐れぬ君が、一体何を恐れているのかね?」
「人の見えない部分を少し知っただけで『世の中の全てを知っている』と勘違いしそうになる傲慢をです」
「それを知っているだけで十分ではないかね」
「は?」
「君の表面的に現れる行動も思考自体も軍人のそれではないが、肝心なところではやはり軍人だね。地位・権限・命令・行動。超えるべきところと越えてはいけないところの線引きが実に現実的で、かつ巧妙だ」
シトレから始まり、多くの人から『軍人らしくない』『政治家みたいだ』とさんざん言われてきたが、そういう評価は初めてだ。驚きはしたがコイツの前で表情に出すわけにはいかない。グッと唇を噛み締め、トリューニヒトを真正面から見据える。俺の表情に気付いたのか、トリューニヒトは小さく鼻で笑う。
「だからこそ私は君に最初からこう言わなければならなかったんだね。『国防委員会理事として命じる。貴官の作成したレポート一切を私に提出したまえ。国防委員会機密文書として処理する』、と」
「……」
「防衛ドクトリンの変更は、あくまでも政治側が主導していかねばならない。軍人による国家軍事戦略立案独占を、軍人である君自身が一番危惧していた」
国防委員会にあっても軍事の経験も知識も乏しい議員(アイランズ)と親交を深め、官僚達の軍人に対する精神的な距離感の解消に努め、特に日の当たらない後方勤務の軍人に政治への関心を意図的に高めさせ、独自の『サロン』で現在同盟が抱える問題の共有を図り、最終的にはボトムアップにより国防政策局長を巻き込んでのドクトリン変更の機運を盛り上げようとした……
「半年前に私の前であれだけの啖呵を切っておきながら、同じ内容を実際の書面として残すのは避ける。根拠となるような資料を作ったのが、結局は軍人であったという物的証拠を残しては後々不味いという配慮だろう」
「小官の保身から故とはお考えにならないのですか?」
「保身を第一に考えるような軍人であるなら、私とこうやって会うことは避けただろうね」
そんなの元から断れないではないか、とは言えない。どうしても嫌ならばシトレなりビュコック爺様なり、あるいはボロディン家の名前を使って断ることはできた。この怪物と仲良くしたいなどと今でも思っていないが、一つの契機であると考えていたこともまた確かだ。抱える自己矛盾に、自分自身の存在自体が疎ましくなってくる。
「少し時間をいただきたいと思います」
とにかく考える時間が欲しい。考えたところでレポートの存在にトリューニヒトが気付いている以上、今更どうしようもないのだが、落ち着いて状況を再認識する必要がある。
「いいとも。ゆっくり考えたまえ」
俺の回答にトリューニヒトは、例のウィスキーが入ったテイスティンググラスを掲げ、いつもの舞台俳優を思わせるキラキラ笑顔を見せて言った。
「ただし時間がそれほどないことは、君も十分承知していると思うがね」
後書き
2024.05.08 更新
2024.05.13 誤字修正
難聴もそうですが、胃も痛いです。GWが終わってたった2日なのに。
第102話 憂国 その2
前書き
お疲れ様です。
ちょっと内容が内容だけに書いていて息が詰まって仕方ありません。
なんとか早く乗り切って、どこでもいいから戦艦に乗り込みたいところです。
宇宙暦七九一年 二月 ハイネセンポリス
そのままトリューニヒトの別荘に泊まることなくハイネセンに戻った俺は、いつもの通り出勤し、いつものように仕事をこなしていた。同盟中央政府全体が加速度的に忙しくなる中、去年同様に俺も各省庁・議員会館・評議会議事堂を駆けまわりつつも、時として接待に宴席にゴルフ場にと動きまわる日々が続く。
毎朝官舎の洗面台で見る顔は、日を追うごとに人相が悪くなっていく。食欲は低下し、飲酒量は多くなった。爺様の下で戦争していた時のいつ死ぬかわからない緊張感より、なぜかずっと体にかかる負担が大きくなっている自覚がある。他人に余計な気遣いをさせないよう化粧して出勤するなんて、下っ端技術職だった前世には到底考えもしなかったことだ。
「少しお休みを取られてはいかがでしょうか?」
面会予定の隙間の時間。チェン秘書官は、心の底から上司の体調を心配しているといった上目遣いでそう言うが、レポートの存在をトリューニヒトに密告したのがこの女狐以外には考えられない以上、言葉通りに受け取ることは到底できない。職場で作成していたのだから、一概に文句の言える筋合いでもない。だいたいそのきっかけとなるツアーは、チェン秘書官が俺の有給休暇を潰して実施されてたのだが……
「まだ若いですから今週末の日曜日にぐっすり寝れば大丈夫です。チェン秘書官こそ、私の仕事に合わせて働いているんですから、お疲れでしょう」
お前が余計な事したからだよと含めて、俺が応えると、
「あら、ボロディン中佐? 確かに私は中佐よりも歳上ですが、世間一般ではまだまだお嬢ちゃんと言われる年齢なんですけれど?」
A四ボードを胸にきつく抱え、二〇代前半位の童顔に『ぷんすか』といった表情を作って、『腰を振ることなく』キッチンへと去っていく。そんな公称三三歳(実年齢四六歳)の白々しさ満点の抗議と行動に、俺は肩を竦めて苦笑せざるを得ない。
こんな到底マトモでない仕事内容と人間関係の中で、ピラート中佐はいったいどういう気分で働いていたのだろうか。俺みたいにアホなレポートを作ったりせず、ただ流されるままにあったのだろうか。かつてピラート中佐が抽象画を飾っていた壁に視線を向けて大きく溜息を吐くと、キッチンから戻ってきたチェン秘書官が、先程の『心配する表情』に『真剣なまなざし』を加えて、いつものカモミールティーを机の上に置いて言った。
「ボロディン中佐。少し真剣なお話しなのですが、よろしいでしょうか?」
「なんでしょう?」
チェン秘書官のこういう言葉遣いは初めてなので、俺もリクライニングを戻して、童顔と真正面から向き合うと、チェン秘書官は眼球だけ動かして二人しかいない部屋の左右を見た後、声を潜めて言った。
「今は法秩序委員会に勤めている秘書仲間から聞いたの話なのですが、ハイネセン市中において違法薬物の頒布が、ここ最近相次いで確認されているとのことです」
「違法薬物?」
「サイオキシン麻薬です」
は、と声にならない声が、俺の喉を通り抜ける。特定の天然産物に依存することのない化学合成麻薬であり、原作でも強烈な快楽と引き換えに催奇性と催幻覚性が著しいと語られている。その摘発に当たっては帝国と同盟がひそかに協力したと言われる位の代物。
そしてそれは地球教の資金源であり、隷属的で狂信的な信者を産み出す為の道具でもある。他にもバーゼル退役中将のように軍隊内で密売して巨利をむさぼっている者もいる。
「……私がそれを使うと?」
もう溜息しか出ない。確かに『宿題』の存在が俺に必要以上の重圧を与えているのは確かだが、それで麻薬のしかもサイオキシンを使うまで落ちぶれたつもりはない。実のところキルヒアイスがホフマン警視に見せられた写真がいかなるものか、転生して自己の意識確立をしても疑われない四歳だったかの頃にこっそり調べてみて、エレーナ母さんに気づかれるまで失禁したことが分からなかった位の衝撃を受けた。あれ以来、麻薬頒布する奴は殺すべしと思っているし、自分が使うなんて考えは毛頭ない。
ただアレは無味無臭。拒絶反応が出た信者が出るまで、ポプランですら気が付かなかった。
「入ってません! 失礼ですわよ、中佐!」
ティーカップのハンドルの上で奇妙な踊りを踊る俺の右手の指を見て、チェン秘書官は文字通り顔色を変えて怒鳴った。確かにこの半年間、腹が膨れるくらい飲んできてもテーブルを投擲するような拒絶反応も出ていないし、今更入っていたことに気が付いたとしても、もう手遅れだ。
「とにかく薬物には十分お気を付けください。売人というのはどこに潜んでいるか分かりません。優しい言葉で人の心を絡めとり、薬で人の全てを支配します」
ここにも近親亜種が潜んでいるような気もするがな、とはもちろん口には出さない。チェン秘書官の上司は俺であり、トリューニヒトであり、中央情報局国外諜報部だ。誰が真の上司かわからないが、チェン秘書官が俺にサイオキシン麻薬の頒布状況を吹き込む理由はなんだろうか。ただ単に俺の体調や精神状態を心配しているだけとは到底思えない。
それに原作におけるサイオキシン麻薬の一番の使い手は地球教徒だった。帝国領侵攻が失敗に終わった後、総大主教がルビンスキーに釘を刺していた時に言っていた、『両陣営に潜んでいた地球回帰の精神運動の惹起』。その尖兵が動き始めているということなのだろうか。
「法秩序委員会の見解とか捜査状況とかの話は?」
「さすがにそこまでは……」
「まぁ、そうでしょうね」
チェン秘書官の秘書仲間も思わず口が滑ったというところか。もしこんなところから捜査情報が洩れる程度なら、地球教徒もさぞかし仕事がしやすいだろう。従順な信徒を増やし集票組織としての力とつけ、クーデター時にはトリューニヒトの身柄を守るなど実働部隊として……
「……まさか」
いつからトリューニヒトと地球教徒が協力関係になったのか。原作は『お互いを利用し合う関係』としか書いておらず、具体的な時期まではわからない。
ただ総大主教がルビンスキーに言っていた、帝国・同盟の権力・武力の収斂化。帝国は金髪の孺子に、同盟はトリューニヒトに。その上で信仰によって精神面から支配する。社会の不安定性を維持するには帝国と同盟は対立状態になくてはならず、平和共存しようとしたマンフレート二世も、自主的な行動をとろうとした『現』フェザーン自治領主ワレンコフも手にかけたと言っている。
俺が提出しようか迷っているレポートは、冷戦状態という緊張感のある平和共存を作り上げるものだ。その主幹は、戦争をイゼルローン回廊内部に押し込み、専守防衛体制を作り上げ、同盟国内の国家経済力を回復させることにある。総大主教と地球教徒にとってはあまり都合のよろしい話ではない。
国防態勢が再編成され同盟市民の精神的安定が先か、それとも配備の遅れから結局は原作通り社会不安の道を辿るか。戦略研究予算獲得から首飾りの製造までのことも考えれば、五年のうちに防衛ラインの整備に取り掛かれるかどうかはギリギリか……
トリューニヒトはそれを見越して俺に遅いと言ったのだろうか。すでに自分は地球教徒と手を結び、誠実な協力者として同盟を崩壊させるシナリオは進んでいると。だが現時点で地球教徒とトリューニヒトが手を結んだという明確な証拠はないし、サイオキシン麻薬の頒布と地球教徒の関係を認識あるいは妄想している人間は、ズルをしている俺以外は当事者だけと考えていいはず。
「どうせ言っても『ダメ』ということかな」
「なにか、仰いましたか?」
「いや、なんでもありません。疲れている時は独り言が多くなりますのでね」
軽く咳払いをしつつ、再びリクライニングして無機質な天井を見上げる。ほぼ内容を知っているトリューニヒトにレポートを提出する意味は、物的証拠と答え合わせ以外にはない。地球教徒と手を組んでいるとしたら、俺はとうに要注意人物か暗殺対象になっている。もっとも俺はあまりに小物過ぎて暗殺するまでもないとは思うが。
「チェン秘書官。レイバーン議員会館五四〇九室に、近々でアポイントを取ってくれ」
「承知いたしましたわ、中佐」
そう言って深く頭を下げるチェン秘書官の顔を見ることはできなかったが、その声色がいつもより少しだけ音程が高かったのは、決して間違いではないように思えるのだった。
◆
結局その日のうちに俺はトリューニヒトの議員会館執務室に行って、データファイルを手渡すだけで終わった。
正確にはチェン秘書官が連絡して三〇分も経たないうちにトリューニヒトから直接俺のオフィスにヴィジホンで、今日は同じ与党でも別の派閥の幹部連といろいろ話があって帰庁がおそくなるので、執務室にいる若い秘書にファイルを渡しておいてほしいと連絡があった。
「確かにお預かりいたしました」
深い知性を感じさせる瞳とモンテイユ氏並のカモメ眉のアンバランスにも驚かされたが、それよりも若くて張りのある顔つきにもかかわらず、声が実に深いローバリトンなのには驚いた。俺より少しだけ背は高く、チェン秘書官と同じ豊かな黒髪を奇麗にスリックバックスタイルに纏めているので、一見するとスポーツ系俳優にも見えるが、深みのある藍色の濃い瞳がただの青年ではないと思わせる。
「ヴィクトール=ボロディン中佐のお噂は、トリューニヒト先生から常々伺っております」
「あ、そうですか」
「あ、あぁ、すみません。私としたことが。大変失礼を。自己紹介がまだでした」
笑顔を浮かべる好青年は頭を右前に傾け、セットした髪を撫でつけた後で、ピシッとアイロンの掛かった俺でも知っているブランドのスーツから名刺を取り出した。
「ハワード=ヴィリアーズと申します。先々月よりトリューニヒト先生の私設秘書を務めております」
「こちらこそ失礼いたしました。国防政策局戦略企画参事補佐官のヴィクトール=ボロディンです」
議員秘書の名刺と軍人の名刺は共に味もそっけもない定型。しかもお互いに手慣れた作業なのに、お互い年齢が近そうということで何となく可笑しさが溢れて、お互い苦笑が漏れる。
「先生は国防委員会理事ですので、軍人の方々にも多く会うのですが、あまりに多すぎまして正直覚えきれませんで。名刺交換もほんの一瞬ですから、まだ顔と名前が一致しないどころではないのですよ」
大変失礼しましたと、ソファに座ってから改めてヴィリアーズ氏は頭を下げた。
「ちょっとした縁故があって先生のところでお世話になることになりましたが、ハイネセンは人が多すぎまして来たばかりなのにもう故郷が恋しく思っております」
「失礼ですが、ご出身はどちらで?」
「ポレヴィトです。商船はいっぱい通りますが、みんな燃料補給で立ち寄るだけです。燃料生産と応急的な船舶補修以外の産業に乏しく、なかなか豊かになれない辺境星域ですよ……」
そう言うと、ヴィリアーズ氏は、はぁ、と肩を落として深い溜息を吐く。
「商船を狙う宇宙海賊も山ほどいます。ですが警備艦隊の数は少ない。主星系であるルジアーナには艦隊の根拠地があるのでまだマシですが、二次航路・三次航路の安全率は目を覆わんばかりです……あ、そう言えばボロディン中佐は、以前ケリムとマーロヴィアで警備艦隊にお勤めだったとか」
「ええ、まぁ」
「もし機会がありましたら、改めてお話をお伺いさせていただきたいです。『マーロヴィアの狐』と名高い手腕を是非とも」
「さすがに過大評価ですよ。それは」
耳にしただけで思わず口を付けたふりをした珈琲を吹き出しそうになる。バグダッシュから聞いた俺に対する異名は、もうこんなところまで伝播しているのか。俺がマーロヴィアでやったことは大筋の作戦立案だけであって、星系内の海賊討伐は爺様が、情報工作はバグダッシュが、実働戦闘指揮はカールセンがやったことだ。それにパルッキ女史が行政側で踏ん張っていたからこそ、治安回復はなったと言っていい。
「報告書については統合作戦本部の資料室に収められていると思います。トリューニヒト先生の関係者であれば、もしかしたら閲覧可能なのではないですか?」
「せっかく作戦立案の当事者と直接お話しできる距離にあるのに、わざわざ閲覧申請を出して血液採取までされてその上で数か月待たされた上で、都合のいい事しか書いてない報告書を読むなんてどうかしていると思いませんか?」
「正規の手続きとはそういうものだと思いますよ」
「仰る通りですが、中央政府のそういった無意味な形式主義が、ハイネセンと地方の意思疎通の劣化を招いているのではないですかな?」
「海賊討伐という機密に関わる情報について、小官の口が正規の手続きに劣ると思われるのは心外ですな」
知り合ったばかりの、どんな人間かすらわからない議員私設秘書に、ペラペラと軍事機密を話せるわけがない。今すぐぶんコイツを殴ってファイルを取り戻そうと思わないでもないが、ファイルをコイツに渡せと言ったのはほかならぬトリューニヒトだ。奴の防諜に対する無神経さは救いがたいが、その批判はそのまま指示に従ったバカな俺にも帰ってくる。
こいつがここでファイルを開くようなら力づくで奪い返す。いくら時間がかかってもトリューニヒトに直接渡すのを見届けなければならない。足を組み、腕を組み、ジッと無言でヴィリアーズ氏を睨みつける。睨みつけられたのが分かったのか、ヴィリアーズ氏も眉間に皺を寄せ、こちらから視線を逸らさない。
だが睨み合いは一〇分も経たず、唐突にトリューニヒト自身が執務室に帰ってきたことで終る。
「わざわざ私のことなど待っていなくても良かったのだが、どうかしたのかね?」
雨が降っていたのか少し湿気たコートをハンガーにかけながら、トリューニヒトは微笑を浮かべて言った。
「ヴィリアーズ君とあぁも睨み合っているのは尋常ではないが、もしかして君達の間には私の知らない怨恨でもあるのかね? だとしたらセッティングした私のミスだが」
「いえ。ヴィリアーズ氏と小官は、今日が初対面です」
確かに初対面ではあるが、『知らない』相手ではない。先程まで豊かな頭髪と若さと気軽さに気を取られて、別人だと勘違いしていただけだ。どうか別人であってほしいと別の意味では思うが、思い返せば返すほど同一人物としか思えない。
「ではどうしてかね? 温厚篤実と評判の君らしくもない行動だと思わないかね?」
「レポートの提出が遅くなったことはお詫び申し上げます。またレポートの内容が、時機を逸してしまった可能性が高いことも併せてお詫び申し上げます」
俺が深く頭を下げて最敬礼すると、執務席に深く腰掛けたトリューニヒトは呆れたと言わんばかりに深く溜息をつく。
「……しかしそれとヴィリアーズ君とどのような関係があるのかね?」
「踏み込んだことをお聞きいたしますが、ヴィリアーズ氏の機密接触資格レベルは、通常の議員私設秘書と同様と考えてよろしいのでしょうか?」
「勿論だとも。彼は私の指示なく君のレポートを開くような真似は絶対しないだろうし、君も当然プロテクトはかけているんだろう?」
「世の事象に絶対という言葉はありません。プロテクトとて時間と手間をかければ解除することもできるでしょう。彼がとびきり優秀な人物であるとは理解できますが、軽々しく知人でもない軍人に対し機密情報を話させるようと仕向ける人物は、信用に値しません」
まして内容は海賊討伐に関わる。話した内容が海賊組織に流れれば、今後の討伐行動に支障が出るのは疑いない。知人だろうがそうでなかろうが、海賊と通じていようがいまいが関係なく、無資格者が話させようと仕向けること自体が問題だ。反権ジャーナリストだってその辺は弁えている。
「なにもヴィリアーズ氏が海賊のスパイであるとか、そう申しているわけではなりません」
実際は別の組織のスパイであるが、既にトリューニヒトの私設秘書として働いている以上、公平中立な証拠がない限り、主張しても誹謗中傷と取られるだけだ。即座にブラスターで蜂の巣にしてやりたい気分だが、ド田舎の検察長官とはわけが違うし、原作における未来ではともかく、現時点で銃殺に値する罪を犯していると証明されたわけでもない。それに下手をしなくとも外交問題になりかねない。
「ただ小官にとって現在のヴィリアーズ氏は、『ハイ、どうぞ』と重要書類を預けるほど信用できる人物ではないということです」
「……なるほど」
頬杖をかき、左手人差し指がコンコンと規則正しく音を立てる。トリューニヒトが長考する時の癖だ。ヴィリアーズ氏と俺を天秤にかけているのかまでは分からないが、少なくとも自己の生存にはどちらを優先するかくらいは考えているだろう。優先するとしたらたぶん俺ではない。五分もそうしていただろうか、人差し指は動きを止め、両手が組まれて俺を正面から見据える。
「ヴィリアーズ君はポレヴィトで家庭的には恵まれない幼少期を送っていてね」
それは両父親が軍の高官であり、少なくともこの世界では家族愛に恵まれて育った俺に対する当てつけだろうか。トリューニヒトは思い出話のようにゆっくりと抑揚なく話し続ける。
「ほとんど児童養護施設で暮らしていたと言ってもいい。それでも勉学に励み、働きながらもポレヴィトの通信制大学を首席で卒業した。故郷ポレヴィトに対する深い愛情が故に、辺境海賊の討伐で成功実績のある君に縋りつく思いがあったのだと思うよ」
「そうかもしれません。ですが……」
俺がそれに反論しようとすると、トリューニヒトはすぐに左掌を俺に向けて、俺の言葉を塞ぐ。
「君の言いたいことも分かる。軽々しく君が口を開くなどと思われては、私としても迷惑だ。彼にはしっかりと私から釘を刺しておくよ」
「……」
「君も言う通り、彼はとびきり優秀な青年だ。官僚になればたちまち頭角を現すだろう。彼はポレヴィト選出の同盟評議会議員を目指しているが、まだ若くて付き合い方では未熟なところもある。そこを指導するのもまた、先達である我々の任務だと思うのだがね」
家庭的に恵まれない地方から出てきた野心溢れる優秀な若者に、政治のイロハを優れた中央の先達が指導する。実に美しい話だ。一〇代向けの小説であれば、さしずめ俺は主人公に上から目線でイチャモンをつけるいけ好かない坊ちゃんエリートと言ったところか。物語中盤に打倒される、口先だけの使えない先輩みたいな。
そして大ボスであるトリューニヒトは、俺とヴィリアーズ氏の両方を子飼いとしたい、というのか。政治のヴィリアーズ、軍事のボロディン。なるほどそういうふうに俺が解釈してくれると思っているのかもしれない。だがトリューニヒトの執務室を出る時ヴィリアーズ氏とすれ違ったが、一瞬だけ見えた奴の俺を見る目にはそんな殊勝さなど欠片も感じられないほどに、毒々しい元素が含まれていた。
ヴィリアーズという名前は確か英語だ。同盟は銀河連邦の正統な後継者として標準語を使っているが、その基本となる言語もまた英語だ。だから奴がここハイネセンでヴィリアーズと名乗っているのは決して間違いではない。
奴の名前は、その元になったフランス語であろうから。
◆
「今日の君はだいぶ上の空だな」
雲量三といったごくごく普通の空。ハイネセンから超音速大気圏内航空機で二時間。亜熱帯に位置するビューダーオ・カントリークラブの第四ホールから第五ホールへ全自動カートでの移動中。横に座っているペアを組むラジョエリナ氏が、バンカーに落として這い出すのに砂だらけになっている俺を見て、俺に聞こえるくらいの小さな声で囁いた。
「いつものようながむしゃらさがない。今日一日とにかく無難にこなそうという雰囲気が漂っているぞ」
接待される側からそんな指摘をされるというのは大失態だ。自分としてはいつもと変わらないプレーと会話だったつもりだが、百戦錬磨の元統括安全運航本部長はとうにお見通しだったらしい。本部長のスコアもいつもの通り酷いありさまだが、今日の俺はそれを上回る。
「大変申し訳ございません。やはりわかってしまいますよね」
仕事が忙しいとか、対処不能な問題があるとか、いきなりそういう返事はNGだ。どんな正当な理由があろうとも、全て言い訳になってしまい、相手の気を悪くしてしまう。まずは謝罪。ついで事実の承認。否定的な言葉を使わずに、理由を相手に質問させるように誘導する。
「なにか悩み事でもあるのかね。君が頭を抱えなきゃならん程の話となると、結構大事とは思うが」
「そんな大事ではないのですよ。問題点はだいたいわかっているのですが、もう少し上手い解決法がないかと考えて悩んでいるところでして」
相手に必要以上の警戒を抱かせないよう、状況はコントロールできていると説明し、現在は解決に向けた段階にあると納得させる。そして、相手に全く同じ状況になった場合を考えさせる。
「ラジョエリナさんとしては、こう、もうちょっと上手い方法はないかなと悩んでいる時、どういう風に気分転換されます?」
「んんん?」
「運航本部長をされていた頃は、色々と大変なこともおありだったと思いますが、行き詰ったような時、どのように気分転換されてました?」
「気分転換か……」
かなり太い腕を組み空に浮かぶ雲をしばらく眺めていたラジョエリナ氏は、カートが止まると黙ってドライバーとボールとティーをむんずと掴んで、ティーグランドへと向かう。俺も同じものを持ってその後についていく。
第五ホール・五四二ヤード・パー五。コース七割方のところに森で囲まれた強烈なクランクがあり、第一打で距離を稼ぎ、二打目か三打目に一度きざみをいれなければいけない。森を直接超えるのであれば、二打目に相当な角度と飛距離が必要となる。だがラジョエリナ氏は容赦なく真っすぐに森の手前へと第一打をもっていった。
「ボロディン中佐はどんな趣味がある?」
「趣味? ですか?」
「私は模型が趣味だ。自社の中型高速貨客船(スーパーライナー)シリーズの二〇〇〇分の一模型を自分で作ったり、集めたりしている。中央航路だけでなく辺境航路用毎のカラーリング、それに放射線汚れや熱焼けなんかをウェザリングで表現すると実に楽しい」
「は、はぁ」
ゴルフバックを引き摺りフェアウェイをのっしのっしと歩く、明らかに肉体派のラジョエリナ氏が三〇センチ前後の模型を見てニヤニヤしている姿は、想像するだけでもなかなかにシュールだ。
「だが本当に気分が滅入っている時は手を付けない。妻とも仲良くしないし、家族旅行にも行かない。普段と全く別の自分を作り、街に繰り出して酒を浴びるほど飲み、女と遊び、犯罪にならない程度の不道徳の限りを尽くす」
「……」
「サンタクルス・ライン社統括安全運航本部長のジョズエ=ラジョエリナではなく、かなりスケベなフリーランス航宙士ラージェイ爺となって、知り合いがとてもいそうにない別大陸の酒場に行くのさ。その為に最低三日は休む」
おかげで妻には全く頭が上がらない老後になっているがね、とグレーの髪を掻きながら苦笑する。
「別の自分ですか。想像もできません」
「似たような職業で、全く正反対の人格を構成すればいいんだが、中佐がそれをやると間違いなく警察のお世話になりそうだな。中佐は第二種恒星間航宙士の資格は持っているな?」
「一応は」
軍艦を動かす上では必須の資格で、士官学校の艦運用教程を受け、単位取得試験に合格すれば取得できる。もちろんペーパーではあるが、退役しても剥奪されることはなく四等航宙士として就職することが可能だ。
「ならラージェイ爺の紹介だと言えばいい」
そう言うと、ピカピカのゴルフスコアカードに何か書き込むと、それを破いて俺に手渡した。
「これはムカつく宇宙海賊をぶちのめしてくれた勇敢な後輩航宙士仲間へのプレゼントだからな。決して賄賂ではないぞ」
いやいやどう考えても賄賂でしょうが、と喉まで出かかったが、ガハハハッっと大口開けて笑う『ラージェイ爺』を前にして、ペーパー航宙士としては何も言うことができなかった。
後書き
2024.05.13 更新
ハワード=ヴィリアーズ CV:銀河万丈
とすると
ヴィクトール=ボロディン CV:大塚周夫
になるのかなぁ。
第103話 憂国 その3
前書き
いつもありがとうございます。
何となくもやもやするような、『ここすき』が全くつきそうにない暗い話ばかりですみません。
あと2話か3話ぐらいでなんとか目途が立ちそうです。
たぶん。
宇宙暦七九一年 三月 ハイネセンポリスから
人事異動の二月が過ぎて、連絡のなかった俺は現職に留まることになった。爺さまは半年待てとは言ってくれたが、こればっかりは人事部の仕事だ。現時点で来期予算審議は進んでいるし、レポートの件もあればヴィリアーズ氏の件もある。トリューニヒトも暫く俺を手放すつもりはないということだろう。
またこの時期は宇宙暦七九二年二月時点での同窓名簿速報も発せられる。正式なものは毎年八月に発表されるが、任官拒否六七名を含めた卒業生四五三六名の内、八九六名が赤字に変わっていた。任務に関係ない事故死や病死も勿論あるが、既に一九.七パーセントの死亡率。灰色の行方不明も含めると生存が確認できない人数は四桁に達してしまった。
二六歳から二七歳。幼い子供を残して死んだ同期もいる。両親ともに軍人(つまり士官学校同期の結婚)で両方とも亡くなり、軍人子女福祉戦時特例法の適用となった子もいる。こんなのアリかよと、教えてくれたウィッティ自身がベソをかいていた。ちなみに士官学校同期に七歳の子供がいる奴は、今のところ確認されていない。
「来年には大佐になられるのかしら? 無事息災で結構な事ね」
貨物用のシャトルが飛び交うハイネセン第四民間宇宙港の屋上展望デッキ。久しぶりに会う彼女は、いつもの通りつまらなさそうな表情で、軍服を着た俺に厭味を飛ばしてくる。俺が小さく肩を竦めて、ボロさの変わらない白い椅子に腰を下ろすと、いつものように実に嫌なタイミングでハンドバックから封書を取り出し『座ったまま』俺に差し出す。
四半期に一回届くラブレター。だが今回はいつものように便箋一枚に揶揄が込められた一文が添えられているものではない。封筒自身にしっかりとした重さがあり、いつものように糊を弾くと濃厚なライラックの香りと共に複数枚の便箋が現れる。二つ折りではなく三つ折りで、揶揄を抜きにしたそれなりの量の文章が、便箋の裏に回した指に感じられるほど高い筆圧で書き込まれていた。
「できれば返事は早くほしい、と言ってらしたわ。船も準備出来次第、出港する予定。今のところ二日後の午後には、ハイネセンの周回軌道から離脱したいと考えている」
「……今日の夜はどうなんだ?」
「夜にこんな寒い屋上で待つのはごめんだわ」
問答無用とばかりに二一歳の人妻は席を立つと、肩に掛けるハンドバックの中から、ホテルの名刺と見開き式の金属板を取り出した。
見開きの内側に掘り込みのあるこの金属板は、おそらくレーダー透過機能のある細工品だ。当然市販品ではない。手紙を挟みこんで閉じどこかにある(恐らくリモコン)スイッチを押せば、重力波計測と触覚以外では引っ掛からなくなる。機内持ち込みの手荷物検査だとバレる可能性はあるが、積荷や船体を加工して詰め込めばいい。ただ麻薬や非合法商品を運ぶ用に使われやすいので、正確には非合法品ではないが航路保安局も麻薬取締局も、所持者は被疑者というくらい神経質になっている。マーロヴィアで初めて現物を見た時、ちょっと感動した代物だ。
名刺に書いてあるホテルの名前にも聞き覚えはある。ハイネセンではミドルクラスのホテルで、中産階級がちょっと贅沢してもいいかなというコンセプトだった筈。確か軍人系ではない。書かれている住所はメープルヒルにかなり近いところ。
「夫は朝早いし、夜も早いの。来るなら二〇時前には来る事ね」
そう言うと彼女は規則正しくパンプスがカツカツと音を立てて引き止める間もなく立ち去っていく。その活動的な後ろ姿は、身長は別としてアントニナに似ていなくもない。若い二年目航宙士夫婦の『地上での夜』にお邪魔をするのはキャゼルヌ家だけにしておきたいので、早々に背後に壁がある席へと移動して改めて便箋を開いた。
今まで見たこともない時節の挨拶と強めの筆圧はドミニクらしくない。しかも一部が箇条書きで、量も多い。とても本人が書いたとは思えないような代物だ。しかし繊細で強弱のハッキリしている字体は明らかにドミニクのもの。筆圧が均等ではないから間違いなく手書き(アナログ)。それにミリアムは手紙を常にドミニクから『直接手渡し』で受け取っている。
一見しただけで矛盾する要素がある手紙。他に特徴的な透かしや隠し文字などは見当たらないので、いつも使用している便箋とペンを使って、ドミニクに書くよう別の誰かが指示をした、と考えるべきだろうか。ドミニクと俺の間に第三者が介在する可能性があるという事実に不快感と嫉妬を覚えつつ、文面を読み進め……最後の一文を読んで、慌てて周囲に誰もいないことを確認せざるを得なかった。
「……ダニイル=イヴァノヴィッチ=ワレンコフ、か」
現フェザーン自治領主。どこにでもいる温和そうな、少しやせ気味のロシア系壮年男性という外皮を纏った、百戦錬磨の外交巧者。強烈な個性の持ち主であるルビンスキーとは一見正反対のように見えて、中身は大して変わらないという矛盾の塊だ。原作ではルビンスキーの先代で、フェザーンの執政における地球教のコントロールを嫌い暗殺されたことが、ルビンスキーの独白に現れているだけ。ルビンスキーがフェザーン自治領主になったのは三六歳……逆算すれば『今年』ワレンコフは暗殺される。
そのワレンコフが態々、三年半前に俺との仲を引き裂いたドミニクに代筆させてまで俺にこれを寄越した。しかもミリアムの船に早急に返答するよう言い含めてまでいる。それだけでも実に不愉快な話だ。
しかし手紙の内容は俺がトリューニヒトに去年予算成立の折、議員会館で話した内容の再確認と、それに対する同盟軍内部とくに戦略部からのリアクションの想定を問うもの。勝手に『Bファイル』などという名称を付け、ご丁寧にフェザーン(自治政府)がこのドクトリンに対して出資可能な額と、建造可能な自動攻撃衛星の数にメンテナンス費用まで想定していただいている。
つまりはトリューニヒトとワレンコフの間にはどこかで繋がりがあり、俺の口から滑った話が伝わった。国家としてのフェザーンとしては、別に帝国と同盟が対立していれば熱戦だろうが冷戦だろうが関係はないし、巨額の投資チャンスと、人口増による市場拡大は実に魅力的だから出来れば状況を進めたい。ただ組織としてのフェザーンとしては、銀河の世情がそれなりに安定してしまっては『創業以来の大株主』の目的が達せられないという矛盾がある。
その矛盾をいかに解決するか。いろいろ考えたのであろうが結局ワレンコフは、八〇〇年待った怨霊達を説得するより調伏を狙ったと考えられる。そしてワレンコフの離反的な動きに勘づいた怨霊は、異端な教義を吹き込もうとしている相手は誰か調査し、同盟の若手有力政治家であるトリューニヒトに行きつき、その膝元に監視役として悪霊を送り込んだ。気の長い怨霊のくせに、行動力とアンテナは実に鋭い。
ということは、Bファイル(笑)自体が悪霊の手にあるわけだから、俺がこの手紙にどう答えようと距離と時差で敗北した可能性が高い。結局は返事を渋った俺の罪だ。
この件についてのトリューニヒトのスタンスははっきりとは分からない。しかし地球教徒側としては同盟をコントロールする為には実に良い手駒だと思っているだろう。俺がトリューニヒトの忠実な賢い犬であるなら見逃してくれるかもしれないが、先だってのヴィリアーズ氏の目付きを見る限りそれは難しそうだ。
またこれで女狐の主人が誰だかハッキリとわかった。ダブル・トリプルどころかクワトロスパイなんて、一体どんな神経をしてたら耐えられるというのか。今のところは敵ではないか、あるいは敵の敵は味方という点だけは安心できるが、共同戦線を敷いてもここから逆転ホームランを打つにはあまりにも遅く手数も足りない。しかし暗殺を防げるかどうかは分からないにしても、今打てる出来る限りの手は打つべきだ……ドミニクやミリアム達の為にも。
映話で女狐の所在を確認し昼過ぎに変装して会うことを伝え、リニアを乗り継ぎ駆け足で官舎に戻りドミニク宛の手紙を書く。一応ワレンコフに問われた内容の返事も書くが、それとは別に遠慮一切なしに一文で。たとえルビンスキーに寝取られるような未来であったとしても、ドミニクもミリアム達もここで死んで貰いたくはない。
午後三時。官舎近くの公共トイレで髪を掻きほぐし、付け顎髭にサングラスに薄汚れたボロといった底辺青年労働者の装いに着替え、手紙を着替えた軍服のジャケットと一緒にクロスバッグに入れる。幾つかの路線を乗り継いで向かう先はコーンウェル公園の川縁にあるベンチの一つ。俺はミハイロフの店ではないスタンドでビールを買い、ベンチに腰を下ろす。
「……お隣よろしいかしら? ミスター・レーシィ」
買ったビールを傾け、固いベンチの背に首を預けて空をぼんやり眺め黄昏ていると、左肩の上からチェン秘書官の声が聞こえてくる。口を開けたまま首を傾けてみれば、赤丹色のウェーヴのヴィッグを付け、厚化粧した如何にも『出勤前』のいでたちをしたチェン秘書官が、肩に小さなピンク色のミニバックを掛けて立っていた。
「ここはパブリックの公園だ。どうぞお好きに。ミス・ホアシォ(化蛇)」
俺の回答におほほほほと右手を口元に当て、品がありそうで全くない笑い声を上げて、変装したチェン秘書官は俺の隣に座る。ベンチに座る肉体底辺労働者と安スナックのホステスのペアを見て、こいつらが国防政策局戦略企画参事補佐官とその秘書官と見抜けるのは、監視カメラで宿舎から追跡している暇人ぐらいなものだろう。俺もチェン秘書官も、あえて視線も合わせず、他人のふりで少しずつ落ちてきた陽光を反射する川の輝きを見つめる。
「なかなか分かりませんでしたわ。素人さんにしては堂に入ってますわよ」
「そのいでたちも中々だ。意識して見なければ貴女とは思えない。ただその髪の色はどうにも気に入らないが」
「あら。お好きだと思っていたんですけれど、お気に召しませんでしたかしら?」
「好きだから、気に召さないんだ」
「よかったですわ。間違ってなくて」
バッグから出した香水のスプレーを自分の顔に吹きかけるチェン秘書官に、俺は顔を向けることなく舌打ちをする。少ない休日に呼び出した訳だから嫌味の一つや二つは当然だろうが、当て擦りのやり方が実にキツイ。
「お話しがあると、伺いましたが」
「貴女の忠誠を誓うボスについて、一応ね」
「私のボスは中佐ですわよ?」
嘲笑というよりは、分かっていてもそれが誰だか分からないだろうと高をくくったような口ぶりだったが、俺は気にせずビールを飲み、水紋を眺めつつ話し続ける。
「今年中に暗殺される可能性がある。即座に身辺警護を厚くするよう伝えてくれ」
俺が言い終えるよりも前にベキッという鈍い音と共に、フローラルの香りがベンチ周辺に濃厚に漂う。透明性の高い硬質プラ容器であろうが、握っていた右手から香水と共に赤いものが流れ出ていたので、俺は何も言わずクロスバッグのポケットからタオルハンカチを取り出して左手で差し出す。
「……期日・方法は?」
タオルハンカチを右手に当てるチェン秘書官の声は、いつもの妖艶でもなければポヤポヤしたものでもない、殺し屋のような凄みのある低い声に変わっていた。間にクロスバッグを挟んでいるとはいえ、殺気という以外に言葉が見つからない気配が、俺の左半身に纏わりついてくる。
「地球の怨霊共はどうやってあの人を殺すつもりだ?」
「そこまではわからない」
「チッ、ただの勘かよ」
「少なくとも貴女を通さず、俺に例の話について連絡してきた」
「ハッ、赤毛の小娘か」
さらに俺が手紙を出そうとすれば、首を廻し『バカか』と言わんばかりの視線で仕舞うように視線で促してくる。確かに渡されたところで彼女にはその真偽を確認しようがないし、内容は百も承知のことだろう。
そして血が止まったのか、ミニバックから色物のハンカチを取り出し、口と左手で器用に短冊状にして包帯のようにタオルハンカチの周りを縛っていく。痛みの確認なのだろう右手を閉じたり開いたりしながら、チェン秘書官は大きく溜息をついた。
「あの人も意外と抜けている」
「長期休暇をとってもいいんだぞ」
彼女にとってワレンコフは『あの人』というほどに忠誠を捧げている相手のだろう。ただの組織の上司というよりもさらにずっと深い信頼関係があるのかもしれない。だったら四五〇〇光年離れた場所で若造の秘書官として情報収集に勤しむよりも、より『やりよう』がある筈だ。そう言ったつもりだったが、あるいはそれを理解したのか、少しだけ哀愁の成分が含まれた諦めの顔をしてチェン秘書官は応えた。
「あの若造がトリューニヒトの傍に来た時点で警告は出している。今更、私一人が護衛に増えたところで危険が去るわけではない」
絶望的なまでの距離。自分の連絡経路が既に地球教に傍受されているとしてもどれだか分からない。しかも自分を通さずに俺へ連絡を取ろうとしたというある意味では信頼の欠如が、彼女にとって一番堪えているのかもしれない。
「それに命の危険があるのは貴様も同じだ。まさかそこまで分からないほどマヌケではあるまい」
「俺はいい。少なくとも俺が怨霊共に殺されたら、犯人を絞め殺してやろうとしてくれる親類知人はそれなりにいる」
グレゴリー叔父さん、シトレの腹黒親父、ビュコック爺様、おそらくウィッティとバグダッシュ、それにアントニナとブライトウェル嬢。時々の地位や立場もあるだろうけど、少なくとも俺がこれまで生きてきた中で、彼らが地球教に対し報復を躊躇するほどの悪行を俺は積んでいない。遺書を残しておけば、いきなり市中で狙撃されたとしても、草の根を分けて犯人を捜してくれるだろう。殺せるものなら殺してみろ、それは八〇〇年の捲土重来を全て焼け野原にしてやるぞと自信をもって言える。
「信頼できる盾は一枚でも多くあるべきだ。その最後の一枚が凶弾を防ぐことだってある」
もしヤン=ウェンリーがあの三人に加えてユリアンを連れていたらどうだったか。あるいはフレデリカやマシュンゴ、ポプランを連れていたら……結果は変わらなかったかもしれないが、変わっていた可能性の方が高い。ヤンは睡眠薬など飲まず夜中までユリアンとこれからの戦略談義で盛り上がってただろうし、ユリアンのブラスターが『最期の』地球教徒の額をぶち抜いてシェーンコップの到着までヤンを守り切っただろう。
俺とドミニクの間を引き裂いたのは恐らくルビンスキーであろうが、他国の駐在武官の人事に警告したのはフェザーン自治政府であり、その当時も最高責任者はワレンコフだ。それを知っていてドミニクを使って俺に連絡を取っているのだから、偶然であるとはいえ人間として好意的になる要素はあまりない。
だとしても地球教の幹部達が考えている未来と、俺が望んでいる未来は全く以て異なる。サイオキシン麻薬を信者達に平然と使うような奴らと同じ次元に居たいとは思わない。もっと単純に言えばルビンスキーよりはワレンコフの方がマシだ。もう間に合わないかもしれないし、引き金になって暗殺が早まる可能性もあるが、それだとしても……
「……とつぜん申し訳ありませ~ん、中佐ぁ。私ぃ、今日ぉ、料理しててぇ~包丁で手を切ってしまったみたいなんですぅ。明日は病院に寄ってからぁ~出勤してもぉ~いいですかぁ?」
「……あぁ、そりゃあ、大変だね。いいよいいよ。なんなら明日一日ゆっくり休んでいいよ。使ってない有給休暇をドンドン消費してくれないと、僕が総務部からいろいろ言われちゃうからね」
「えへ。ありがとうございますぅ~中佐って優しい~んですね☆」
“きらーん”とか本当に言いそうな笑顔で二〇代前半のホステスが、腰を折り上目遣いで首を傾け小さく敬礼するのを見て、俺もやる気なさそうに手を振って応えた。
ここに留まって悪霊共の情報収集をしながら暗殺阻止の援護射撃をするのか、即座に船に乗ってフェザーンに向かうのか。決断するのは彼女だ。時間に余裕がないのも確かだが、短慮に走るよりははるかにいい。直ぐにフェザーンに発てる船のアテは勿論あるが、途中で襲われる可能性を考えれば、彼女に勧めない方がいいだろう。バイバーイと小さく手を振って去っていくチェン秘書官の姿を見送りつつ、着替えてホテルに向かう準備をするためベンチから腰を上げた。
それにしても人格の切り替えの速さもさることながら、外見二〇代前半、公称三三歳(実年齢四六歳)のギャル語にはとてつもない破壊力があるのだと、ボロの積層装甲下で総毛立っている自分の両腕を摩りながら思い知ったのだった。
◆
ホテルで無事に手紙をミリアムに手渡した後、イケメンの旦那も含めボランティアを続けるのは極めて危険な状況であると話したにもかかわらず、まったく意に介さない若夫婦と別れて二日後。いつものように出勤すると、いつものようにチェン秘書官も出勤していた。脇目で右手を見てみたが、人工皮膚なのか僅かに盛り上がってはいるものの、まったく不自由なく資料を纏め、面会者を誘導し、お茶を入れてくれている。
「ボロディン中佐。昨日は私事で急なお休みをいただき、誠に申し訳ございませんでした」
面会と書類提出が一段落し、隣室の部下二人の気配がなくなったタイミング。超一流企業の社長秘書と言っても差し支えない清楚と品格の見事な結晶というべきお辞儀に、つい昨日中身を知った俺は一瞬顔が引き攣ったが、軽く咳払いをして心を立て直してチェン秘書官に向き合った。
「いや、こちらも『所用』で休みの日に迷惑をかけた。代休というわけではないが、もう少し長く休んでも良かったのだが」
「これからが『本番』なのですから、中佐も私も早々休むわけにはいきませんわ」
えい・えい・むんと腕を絞るような真似はせず淡々と答えるのは余裕のなさの表れか。もっともそれが正常なのであって、今まではナメられていたのかもしれないが。
「中佐。それも踏まえまして、まだ日程的に余裕があるうちにお決めいただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「なんです?」
「中佐個人宛に取材依頼書が届いております」
思わず口に運んでいたジャスミンティーを吹き出しそうになる。前世の俺はごく普通の社畜で取材を受けるようなことは一度もなく、今世では士官学校卒業成績優秀者のお決まり取材以外は受けたことがない。マーロヴィアでは海賊対策もあって司令部に対する取材は一切お断りであったし、エル=ファシル奪回作戦では爺様やモンシャルマン参謀長が応対していて俺はどちらかというとコーディネート側だった。
「些か問題のある人物ではありますが、特定の団体が背後にいるわけではなさそうです」
相手の身体検査は済んでいますよ、ということ。つまり受け答えさえ間違えなければ大して問題が起きるとは思えない相手である、とすれば軍の広報誌かなと高をくくってチェン秘書官が手渡した取材依頼書に目を通して……自然と唇の右端が吊り上がった。
「……誰が紹介したか、少し問い詰める必要がありそうだな」
「私ではありませんが、お知り合いでしたか?」
「士官学校の後輩の父親だ。それなりに名の通ったジャーナリストとして知られている、と聞いたことがある」
「反軍的思想の持ち主のようです。それでも取材を受けられますか?」
あまりお勧めしませんと言った口調ではあったが、俺としては望むところの相手だ。揚げ足を取られることもあるかもしれないが、最近とかく周辺に増えてきた魑魅魍魎の類ではない、筈だ。あんまり遅らせて予算審議の邪魔になったり、『後輩』が父親から愚痴られたりするのは忍びない。
「受けましょう。既に決まっている予定を優先の上で調整してください」
「かしこまりました」
それから四日後の夕刻。俺のオフィスに鉄灰色の髪を持つ壮年男性が、人好きするような、それでいて眼だけはこちらを品定めするような顔つきで現れた。
「どうも。取材を快くお受けいただきありがとうございます。ウィークリー・ニュータイズのパトリック=アッテンボローです」
そう言って差し出された手を俺が無意識に取ると、アッテンボロー氏は一瞬体を硬直させ、ちょっと驚いたように握手した手と俺の顔を見比べる。
「どうかしましたか?」
お互い応接のソファに座り、チェン秘書官が淹れた珈琲とジャスミンティーの芳香が漂う中で俺が問うと、アッテンボロー氏は皮肉そうな笑みを浮かべてつつ肩を竦めた。
「いや、失礼。軍の高官の方に対して、いきなり握手はどうかなと思ってたんですが、あっさりとしていただいたのでちょっと驚いているんですよ」
「軍の高官なんて。小官は何処にでもいる一中佐に過ぎません」
「中佐と言えば戦艦の艦長か、巡航艦分隊の先任指揮艦長でしょう。部下だけでざっと一〇〇人から五〇〇人。民間で言えばちょっとした会社の社長ですよ?」
世間知らずだな、と言わんばかりの口調。まぁ、数え二七歳の若造で、軍以外の世界を知らないとなれば、普通はそうなのかもしれないし、いままでアッテンボロー氏が相手にしてきた高級軍人達もそうだったのだろう。たかが民間会社の社長と一緒にするな、とか馬鹿な勘違いをして怒った奴が以前居たのかもしれない。
が、生憎前世の記憶のある俺からするととてもそんな気にはなれないし、現時点で部下は三人でうち二人は勝手に仕事しているし、もう一人は手に負えない化蛇だから、数多くの部下を持っているというイメージがどうしても沸かないのだが。
「軍にお詳しいんですね」
とりあえずそんな内心は隠しておいて、人当たりのいい優しい青年将校の微笑みを浮かべつつ応えると、アッテンボロー氏は苦笑を浮かべて頭を掻く。
「私も徴兵は経験していますが、その辺の実情に詳しいのは、妻の父が軍人で、息子も軍人をしているからでして」
「ダスティ君は実に優秀な軍人ですよ。恐らく三〇歳になる頃には、閣下と呼ばれていると思います」
「……ご存知でしたか。あぁ、いや、愚息のことをですが」
「間に一人入ってますが、直接話したこともありますよ。『軍人じゃなくてジャーナリストになりたかった』って言ってたのをよく覚えてます」
実際は欠片すらも言ってはいないのだが、これくらいのイジワルはダスティ君(笑)も許してくれるはずだ。だいいち嘘は言ってはいない。
「アイツ、本当にそんなことを言ってたんですか? よりにもよって軍人貴族のお坊ちゃま……失礼」
「仰る通り軍人貴族のお坊ちゃまで、士官学校時代には『悪魔王子』と呼ばれてましたよ」
キッチンのある方からカチンと陶器を弾く音が聞こえてきたので、慌てて被せるように大きめの笑い声をあげる。わざわざ報復に化蛇を呼び込む必要はないし、俺のことをバカにしたというよりもアッテンボロー氏の今までの経験から作られた俺に対する先入観が零れ落ちただけだろう。怒ったところで、気が晴れるような話でもない。
だが言った方のアッテンボロー氏の顔は、半分恐縮と半分悔恨。表情を作っている感じがしないわけでもないが、状況は意図したものではないとは推測できる。俺はこれを理由に取材を断ることすらできるのだから、氏の立場からすると不利になったと言えるので、その悔恨ということだろう。ダスティ君の名前で口が滑ったというわけだ。
出会う機会を作ってくれてありがとうと、俺はヤンに対して胸の内で感謝しつつ、空前の好機を前にさらに踏み込んでおきたいわけで。
「それにダスティ君には、ウチの妹の面倒を見てもらいましたよ。士官学校へ立ち寄った時と、キャゼルヌ先輩の結婚式の時でしたか。実に好青年ぶりで、気難しい妹も随分と懐いていたと思います」
「は? え? ちょっと、それは初耳なんですが……ちなみに妹さんはお幾つで?」
「イロナは今年で一四だったと思います」
「な゛……」
自分が軍人である妻の父親と一〇〇度の口論と三回の殴り合いと特殊前借契約でようやく結婚できたというのに、自分の息子はいつの間にか高官(グレゴリー叔父)の娘とあっさり仲良くなっている。しかも兄公認で、八歳違いという。そんな誤解が氏の脳裏で渦巻き、勝手に苦悶しているのを傍目で見るのは実に悪魔的に楽しい。
「その、いや大変申し訳ないことを……」
「お世話になったのはこちらですから、パトリックさんが謝られるようなことではないですよ」
「はぁ……」
世代もかなり違うし、赴任先でも重なっているところがないのに、アイツ何で知りあいなんだよクソッ、という文字が浮かんでいる氏の顔をティーカップ越しに眺める。まぁここ最近人間とは思えない人達と心温まる交流をしてきたので、そんな普通のオッサンの反応にほっとした気になってくる。
「さて、それで取材依頼書の件なのですが……三年前のマーロヴィアにおける治安回復作戦について伺いたいとか」
「ええ、そうです」
ようやく本題に入ってくれるかと、安心して溜息をついて応じるアッテンボロー氏に、俺は敢えて首を傾げて言った。
「こう言っては何ですがパトリックさん。今更ド辺境の治安回復作戦を知りたい理由って何です?」
「正直言えば、方便です」
「方便?」
「最初は国防委員会理事のトリューニヒト氏について『いろいろと興味が湧き』、関係者周りを取材していたのですが、まぁガードが固いこと固いこと。で、調べられる範囲で公文書を初めとしたトリューニヒト氏の関連する事業や関与した話を虱潰しに当たったんです」
それまでもその端正で計算しつくされた所作や、聞く者の心を高ぶらせる滑らかで情緒あふれる弁舌で頭角を現し、与党内における派閥の一角を構成する力を見せてきたが、ここ最近一気に羽振りが良くなっているのが目についた。派閥の一角から有力派閥の頭領として伸し上がってきた背景に何があるのか。そのタイミングはどのあたりか……
「それがマーロヴィアの治安回復作戦を成功させたあたりからです。トリューニヒト氏本人の政界におけるタフな力量は注目されるところでしたが、マーロヴィア以降は『トリューニヒト派』という次元にランクアップしている」
「なるほど」
ぶっちゃけ星間運輸業界のバックアップが本格化し、それにつられて公共事業に関わる他の産業もトリューニヒトへの支援を始めたからだ……が、それを氏に言う必要はない。
「マーロヴィアの治安回復作戦……確かコードは『草刈り』でしたか。ちゃんと軍公文書館に申請したのに、出てきた書類は墨塗りの機密だらけ。まぁ海賊相手ですからな、情報の出し渋りがあるのは仕方ありません」
「で、小官に聞きに来たと?」
「私は軍人ではありません。作戦の内容を事細かに見ても良し悪しなど理解できません。ですが以降のマーロヴィア星域の経済規模拡大は、ここ数年では特異な数値を出している」
「経済産業長官のイレネ=パルッキ女史は、まさに女傑というべき人物ですよ」
「『辺境流刑地の女王様』ですな。実際にお会いしてきましたよ」
「ほう。わざわざ五〇〇〇光年も?」
「なにしろジャーナリストというのは好奇心の塊が人間の恰好をしているような者でして……で、女王様に拝謁して経済発展の要因を率直に伺いましたら、絵図を作ったのは管区司令だったビュコック提督ではなく、管区次席参謀だった中佐であると仰いましてね」
女史は意外と煽られ耐性がない人だったから、パトリック氏の挑発に上手い具合乗せられて喋ってしまったのかもしれない。頭キレキレ心カリカリの、薄い胸をしたパルッキ女史を思い浮かべると自然に頬が緩む。だが言い終えたパトリック氏の目はそれまでにないほど真剣なものに変わっていた。
「それでボロディン中佐。『女王様の懐刀』だったあなたにお伺いしたい」
「なんでしょう」
恐らく面倒な質問であろうとは想定できるが、どう答えるにしろちゃんと手続きをしてきた以上、こちらも真剣に応対しなければならない。ティーカップを皿に戻してパトリック氏の目を正面から見据えると、氏は一度唾を飲み込んでから口を開いた。
「トリューニヒト氏は実際のところ、マーロヴィアでどれほどのことを成し遂げられたんです?」
氏の口から出た問いは、やはり面倒で、色々な意味で答えにくいものだった。
後書き
2024.05.27 更新
パトリック・アッテンボロー CV:谷山紀章
第104話 憂国 その4
前書き
遅くなりまして申し訳ございません。
原稿準備で結構時間を費やしました。挿絵を描くのは本当に大変です。
最近のJr.は欲求不満が危険水位に達してますね。
どの口で平和主義者というのか、と書きながら考えてしまいます。
宇宙暦七九一年 三月 ハイネセンポリスから
「トリューニヒト氏は実際のところ、マーロヴィアでどれほどのことを成し遂げられたんです?」
パトリック=アッテンボロー氏の口から出てきた質問は、回答するのに実に面倒で、色々と答えにくいものだった。
単純にトリューニヒト氏が成した(と状況的に思われる)事をつらつらと話しても構わない。奴自身、やったことはあくまでも口利きだけであって、物的証拠を残すようなことはしていないので、パトリック氏は裏取りができないのだろう。ただ検察長官への逮捕状について国防小委員会・憲兵審査会から中央法務局に情報がジャンプするという『同一人格での経路(本人の内心)』については、機密保持法令上問題があると言える。
しかしそれだって、憲兵審査会で『明らかな証拠があるにも関わらず権限がない為、逮捕できない悪がいる』という現実を聞いた国防委員会理事が、『正義を実現する為に旧職場へ相談した』という美談にできる。逮捕代行を依頼したのは中央法務局で、実行したのはマーロヴィアにいる司令部付属憲兵隊だから、トリューニヒト自身の『手の上』に逮捕状があったことはない。
責任を伴わない功績盗人であるが、実際には口をきいて予定よりスムーズに事が運んだのも確かなのだ。あえて舌に麻酔をかけてベタ褒めしてやってもいいが、わざわざマーロヴィアまで行って現地取材する反軍的な名物記者に通用するとは思えない。
であれば、具体的な内容はあえて話さずにトリューニヒトの果たした役割を説明した方がいいかもしれない。ちょうど先週エルヴェスダム氏から、えらくもったいぶった文書と一緒にエル=ファシル名産の果物が届いていたはずだ。
「パトリックさんは、リンゴはお好きですか?」
「リンゴ、ですか? ええ、もちろん。大きい奴も小さい奴も嫌いではありませんが……」
トリューニヒトの話をしているのに、いきなり何言ってんだコイツ、と言った表情でパトリック氏が眉を顰める。珈琲の入れ替えに来たチェン秘書官は何も言わずにキッチンに戻っていったので、恐らくは『理解』してくれるだろう。
「もしかしたらご存知かもしれませんが、リンゴは苗木を植えた年から五年はマトモな果実は出来ません。果実ができるのは結果開始年齢と言うんですが、他の果実よりリンゴは少しばかり遅いんです」
「はぁ……」
「新しく苗木を植えるには土づくりから始めなくてはならず、これがまた大変です。植えた苗木も病気に弱く、土壌消毒は必ず行わなければなりません。剪定も重要です。とにかく手がかかります」
「それで?」
「我々大都市の消費者はそんなことも知らず、店舗や宅配でリンゴと相対します。それまでに生産者から集荷され、物流組織に乗り、卸売や仲卸業者などを通っているのですが、我々が出会うのはスーパーに居る口の上手い販売員だけです」
「……」
「しかしいくら口の上手い販売員とはいっても、流石に虫食いや腐敗したリンゴを最高級品とは言えない。大手スーパーとしては生産者に改善を要求したいが、生産者には改善する方法は知っていても実施するだけの資本がない。肥料を買い、消毒剤を買い、人や機械を入れ、それでも実際に成果になるには時間がかかります」
マーロヴィアはそれまで忘れ去られた辺境の果樹園。市場からあまりにも遠すぎ、輸送経路は荒れ放題で果樹の品質は低下する一方。行政府としては時間がかかってもいいから生産力を回復させたい。その為、経験豊富な老農夫(ビュコック准将)が技術指導で派遣されたが、老農夫一人では剪定(内部粛軍)や苗木選別(護衛船団)は出来ても、大規模な開拓資金や免許資格の必要な消毒剤の散布(民間内通者の逮捕)や農業機械の購入(作戦資材の調達)までは出来なかった。
そこで販売員の元締めも兼ねるスーパーの営業宣伝部長が、伝手(ロックウェル少将)を使って道路改善にアスファルト(機雷)や道路施工業者(コクラン大尉)を用意し、老農夫が持っていない資格を必要とする消毒剤の購入許可(逮捕状)を得て生産者に手渡した。生産者(マーロヴィア星域軍管区・行政府)の業務改善は進み、望外の大きな果実(ブラックバート)がスーパーに送られてきたので、販売員は広告チラシにデカデカと載せたわけだ。だがスーパーにリンゴを買いに来た人の耳には、卓越した広告マンの売り文句しか残らない。
「……しかし時間がかかるどころか、マーロヴィアの治安回復はほぼ一年半で成し遂げられた。女王様は懐刀の縦横無尽な活躍こそ褒め称えても、『帝都におられる軍務尚書』については褒めるどころかクソ貶しにしてましたよ?」
「女王様は販売価格の設定や生産量の調整についてはお詳しいのですが、何分鍬持って土いじりはされたことはないでしょうからね」
パルッキ女史には怒鳴られまくった記憶しかないが、まぁ、それは良いとして。
「それにやはりどこも人手不足なのですよ。軍務尚書としても頭が痛い事でしょう」
そんな俺の何気ないつもりで吐いた言葉に対し、目に火が灯ったようにパトリック氏の顔色が変わった。それまで的の外れた例話に唖然としていた四〇男のものから、敏腕な記者のものへと。
「中佐は現在の同盟の軍事力が不足していると、考えていらっしゃる?」
その短い言葉の端々から、パトリック氏が過剰な徴兵による労働生産人口の減少をはじめとした、現在の軍偏重の同盟経済に敵意を持っていることが分かる。ただでさえ圧迫されているのに、目の前の若い軍人はまだ足りないと宣う。このボンボンは不都合な経済の現状も知らないで、と言った怒りすら表情に浮かんでいる。
だがそれはあくまで同盟のマトモな市民としての視点だ。国力比では一.二倍(四八/四〇)であっても、根本的な人口比では約二倍(二五〇億/一三〇億)。金髪の孺子に限らずとも『マトモな』執政官が帝国に登場すれば、人口比はそのまま国力比となる。
軍事分野において兵器の質や生産性も軍事力においては重要な要素ではあるが、将兵となる人間の数の暴力は圧倒的だ。そんな不利な状況下で現在の同盟の国境防衛が成り立っているのは、シトレやロボスといった有能な前線指揮官と、機動戦力の制式艦隊偏重配備のおかげと言っていい。現実としてマーロヴィアなど帝国からの直接的な軍事圧迫のない辺境では、管区領域に到底足りない数の警備艦艇しか配備されていない。
そのことはわざわざ現地に行ったパトリック氏なら理解しているはずだ。理解した上で質問しているということは、現在の同盟のドクトリンである機動防御とその結果としての制式艦隊偏重配備に対して疑義を抱いているということ。将兵の命のぶつけ合いの結果は、最終的に命の数の大小で決まる。心情的には俺とパトリック氏は同志に近い。だが今の俺はそれを記者のパトリック氏に言える立場にはない。
「その通りです。パトリックさん」
「高級士官である中佐殿は市井の経済状況をご覧になったことはないのですかな?」
「全てを把握することは無理ですね。神様ではないので」
挑発に対して挑発で返した俺に、パトリック氏は血が頭に上ったのか文字通りにソファから立ち上がったが、それよりはるかに危険な冷たい顔つきのチェン秘書官が、皮をむいたリンゴの小皿を持ってこちらを睨んでいたので、おとなしく席に戻った。
「仰りたいことは分かります。同盟の人的資源余力が限界を超えつつあり、社会機構全体が軍を支えるどころか、もしかしたら国家を支えることすら叶わなくなりつつあるのではないか、と」
「……そこまで知ってて、なお中佐は軍事力が足りないとお考えになる?」
一瞬の沈黙の後で、慌てて小さなフォークでリンゴを口に運びながら、パトリック氏は俺を見つめつつ問いかける。その顔には先程までの怒りが若干残ってはいたが、だいぶ落ち着いたものになっている。
「純軍事的に言えば、完全充足の一二個制式艦隊・三三個警備艦隊・一〇〇個巡視艦隊。乗員のいない戦略予備艦艇も含めて宇宙戦闘艦艇六〇万隻、陸戦部隊・後方勤務も含め軍人総計七〇〇〇万人というのが目標でしょう」
「それは夢物語だと、中佐は分かっていて仰ってますな」
パトリック氏の声には嘲笑というよりは、組織にいる中佐の立場ならそう言わなければならならないのだろうなという憐憫が含まれている。だが実際のところ、アスターテ星域会戦直前には完全充足(第一一艦隊再編成中なので)まではいかなくても一二個制式艦隊は編成できていた。
原作におけるそこからの凋落は見るも無残だが、第五次・第六次イゼルローン攻略戦、ヴァンフリート星域会戦、第三次・第四次ティアマト星域会戦、それ以外にも数多の戦いが繰り広げられた中で失われた戦力があったとしてもだ。その為に国力にどれだけ負担がかかっていたか、軍官僚や行政官がどれだけ苦心惨憺したのか、いざそういう立場に立ってみれば想像を絶する。
「決して夢物語ではないですよ。イゼルローンから五年ぐらい帝国軍が出てこなければ、何とかなる数です」
「それこそ夢物語ではないですか。帝国軍は我々を叛徒と呼び、全銀河の統一と安寧を名目に、同盟に対して侵略行為を止めようとしない。中佐はどうやってそれを五年間阻止することができるとおっしゃるんです?」
「まず毎年六〇〇〇億ディナールほど軍事予算を上乗せすることですね。しかし急激な増税は無理なので、六兆ディナールを三〇年償還の固定金利分割債として発行したらどうかなと」
本当はもうちょっと。出来れば一〇兆ディナールくらいは欲しいが、国家予算が三兆四〇〇〇億ディナールの現時点においてその三倍の額だ。そこまでするとデフォルトを恐れてフェザーンも購買意欲を失いそうなので、ワレンコフが伝えてきた額の二倍でどうかなと言ってはみたが、聞いていたパトリック氏の顎とフォークに刺さっていたリンゴは見事に落ちていた。
「……札束で顔を叩けば子供も老人も兵士になるとお思いで?」
落っこちたリンゴを拾いつつ、出てもいない汗を手で拭いながらパトリック氏は問う。そんなことを俺が考えているとは思ってはいないが、一応確認ということだろう。だがここから先を話すには、パトリック氏に確認が必要だろう。
「パトリックさん。このことを記事にして公表することはまずお考えにならない方がいいでしょう」
「記者の言論を封じるおつもりですか」
「膨大な金の動く話です。私が話すこと自体が証券取引法違反になる可能性が高い。記事にしようがしまいが、パトリックさんやパトリックさんの知人が関連株を買えば、私はまず生きて社会に出ることは出来なくなるでしょう」
「それは、また……」
「マニアが情報誌に自分の空想を寄稿するのと、現役のしかも政府組織に所属する軍人が大戦略の変更を記者に話すのとでは訳が違います」
シトレにしろトリューニヒトにしろ、大戦略を弄れる立場にある人間だから当然そのあたりは心得ている。ヤンやラップ、ワイドボーンはあくまで戦略談義の一環だと理解している。ワレンコフに伝えたのはおそらくトリューニヒトなのでそこは俺の責任ではない。やり方を話していないホワン=ルイについては、まぁ問題にしなくてもいいだろう。そしてパトリック氏は現在の国防委員会の『サロン』仲間ではない。
「……わかりました。記事にはしませんし、伺いもしません。どうせ私には中佐の話される内容の優劣可否などわかるわけがない」
いつの間にかチェン秘書官が剥いてくれたリンゴが半分以下になっていたが、容赦なくパトリック氏は残りのリンゴにフォークを刺していく。
「なので一つ、教えていただきたい。これは今後記者として判断の材料にしたいと思っていることです」
「答えられる質問であれば、答えます」
「ありがとうございます。この先、中佐が軍人としてどのような未来を欲していますか?」
この質問を受けることになるのは、士官学校のヤン以来何度目だろうか。最終目的は変わっていないが、これまでの俺の経歴は目的を達する方向から随分と離れていっているように思える。
『Bファイル』の提出を俺が逡巡したことによって恐らくワレンコフは暗殺され、トリューニヒトは地球教と協力関係を構築する。この話をしていたサロン仲間の官僚達も、政治側の圧力で出世できず影響力を発揮できないかもしれない。ホワン=ルイには詳細を話していないが、レベロと同じ派閥である以上、過剰な軍事出費に対しては躊躇することだろう。
シトレに対しての吹込みも、原作で彼が統合作戦本部長になった後も、相変わらずイゼルローン攻略に固執していることから、金銭と人間の命のバランスは俺ほどには傾いてはいないし、彼を取り巻く軍内政治状況がそれを許さないだろう。軍事費の増大については、レベロの幼馴染という点からもあまりいい顔はしない。ヤン達が大戦略を弄れるような立場に立った頃には同盟の経済はガタガタで、金髪の孺子一味にいいようにやられている。
自分で拒否しておいてなんだが、やはり大衆側からのアクションが必要なのだろうか。専守防衛ドクトリンを民衆側から発起させるような、思想闘争を仕掛けるべきなのか。その火花をパトリック氏に託すべきなのか。Bファイルのような失敗は繰り返さない為にも、拙速に行動すべきかもしれないが、あまりにも不確定要素が多すぎて、ただズルをしているだけの俺の乏しい判断力では結論が出せない。
「中佐?」
また軽く意識を飛ばしていたのか、いつの間にか蒼い顔をしたパトリック氏が立ち上がって右手を俺の眼前で振っていた。
「あぁ、ありがとうございます。パトリックさん」
「本当、大丈夫ですか、中佐。急に時間が止まったみたいに固まってましたよ」
「いやぁ、ちょっと考え事してました。すみません」
「……戦闘指揮する軍人とはとても思えませんなぁ」
呆れ顔で再びソファに腰を下ろすパトリック氏に、俺は頭を掻いて誤魔化した。記事にされるにしても、癖と書かれるのは流石に不味い。何事もなかったようにジャスミンティーを手に取り一口つけると、改めて温和な好青年モードの笑顔を浮かべてパトリック氏に向き合う。
「それで未来の話ですが……私の希望は『平和』です。結婚して生まれた子供が、仮に徴兵されても戦死せずに一生を終える。そのくらいの長さの平和が望みですね」
やはりというか。予想通り俺の回答にパトリック氏の目が点となった。
「……平和? 軍人の貴方が?」
「軍人が平和を望んじゃ可笑しいですか?」
「いえ、そうではありませんが、もっとこう、普通に帝国に対する勝利とか、おっしゃるかと思いまして」
「私はそれほど勇ましい人間ではありませんよ。『平和主義者の戦争屋』、そんなところです」
「中佐が平和主義者? とてもそうは思えませんなぁ」
同盟に産まれた時から刷り込まれるような専制主義への抵抗と民主主義の擁護。建国神話から始まる反帝国的な教育内容。いいか悪いかは別として、数的に圧倒的優位に立ち武力を以って征服を目論む銀河帝国に対し、平和は武力を以ってでしか獲得できないという自由惑星同盟という植民国家維持の為に行わるある意味での洗脳。
パトリック氏もその教育を受けてきている上で反軍的思想を持っているのは、ひとえに組織である軍と構成員である軍人の度を越した暴虐無人さに対する嫌悪であろうことは想像に難くない。
ヤンがそうではないというのは、恐らく幼少期における教育の賜物だろう。父親の交易船で暮らし、学校で教師に教わったり、学友と交流することが殆どなかった。映像学習は当然していただろうけど、身近にいた精神的な教師は、変わり者の父親だけだった。
「私としては帝国と講和して戦争がなくなればいいなとは、いつも思ってますよ?」
「……もしかして中佐は本気で帝国との講和を望んでいらっしゃる?」
「個人的な意見ですが、帝国が同盟に対しイゼルローン回廊からこちら側の主権を公認し、交渉において軍事的オプションを放棄するというのであれば、講和という選択肢も『あり』だと思いますよ」
だからこそこちらの世界に来ていろいろな人にこのことを話すと、(ヤンのようなごく少数の例外を除いて)意外というか、『コイツ、頭おかしいんじゃないか』みたいな表情をする。勿論、パトリック氏も少数の例外ではなかった。
「そんなこと、到底帝国は認めんでしょうな……」
「なので、認めるよう私もいろいろと努力しているという次第です」
にっこりと笑みを浮かべつつ、手が止まったパトリック氏に代わってリンゴをフォークで摘み取る。エルヴェスダム氏の言う通りまだまだ道半ばの味だが、解放からまだ一年で農産品の輸出ができるまでになった帰還民達の努力の味がする。そんな俺の動きをパトリック氏は腕を組み首を傾げながら黙って見ていたが、フォークが五個目に取りかかろうとしたところで、ようやく口を開いた。
「先程お金の話が出ましたが、中佐は金で平和が買えるとはお考えでいらっしゃいますか?」
「買えると思いますよ。勿論現金や貴金属といった資源を、彼らに直接手渡すという意味ではないですが」
挑発というよりは確認のつもりだろうけれど、かなりアホな質問だったので俺も皮肉たっぷりの口調で答えたが、パトリック氏はウンウンと納得したように頷いて言った。
「やはり中佐は平和主義者ではないですな」
戦争屋ってところは否定しないのが実にパトリック氏らしいところではあるが、俺に対して平和主義者という冠があまりお気に召さないのかもしれない。
「私は自分のことを平和主義者と思っておりますが?」
「……なるほど。中佐はどうやら誤解しておられるようだ」
そう言うとパトリック氏は携帯端末を取り出して幾つかのサイトにアクセスすると、取材用のメモ用紙に書き込んで俺に差し出した。読んでみればハイネセンポリスから少し離れた、市街地内にあるマンモス私立大学のサテライトキャンパスと思われる住所とグエン・キム・ホア平和総合研究会という名前に、開催予定の講演・勉強会の日時が書かれていた。
「巷で言う『平和主義者』とはどういうものか。そこに行けばきっと中佐殿もお判りいただけると思いますよ」
そういうパトリック氏の顔は、何故か苦虫をかみ砕いたかのような渋い顔をしているのだった。
◆
その四日後。俺は仕事を無理に定時で上げて、パトリック氏が紹介してくれた平和総合研究会の講演・勉強会に赴いていた。
流石に軍服で平和主義者の会合に赴くのは憚られると思ったので、いつものようにトイレで付け顎髭のボサボサ髪をした底辺青年労働者の装いに着替えた。念のためボタンを一つだけ新品に付け替え、クロスバックを肩にかけてメトロを乗り継ぎ、サテライトキャンパスのあるパインウッド・ヴィレッジ街を歩く。
時間は夜半。仕事帰りのビジネスマンは足早に帰路へ向かい、同じ私立大学の学生と思しき若人達は徒党を組んで笑い声を上げながら飲食店街へと向かっていく。住人達の生活レベルを見てちょっと衣装を間違えたかなとは思ったが、奇異にみられるほどではないので、表通りを避けて裏通りを縫うようにしてサテライトキャンパスに向かう。
目的のサテライトキャンパスは表通りから二つ奥に入った箇所にある一三階建てのビル。入口受付では小綺麗な女子学生達が、勉強会に来た聴衆にパンフとキャンディ・ジュースなどを配っている。開場したばかりなのか、まだ受付に列が形成されていたのでその後ろに並び数分後、列の前の人同様にペンで『ビクトル=ボルノー』と記名すると、俺に対した黒髪の女子学生が胡散臭そうな視線を向けてきた。
「あの、おじさん。もしかして並ぶ列を間違えてませんか?」
目元も二重でぱっちりして、『しっかりと』ナチュラルな化粧をしている女子学生は、何か意を決したような表情を浮かべてそう言った。確かに前世も入れればとうに中年の後半に達してはいるのだが、青年労働者想定の仮装のつもりだったので、オジサンと言われて俺は咄嗟に自分のことを言われているとは思えず、左右を見渡すと白い視線が俺に集中しているのが分かった。
「おじさんて、もしかして俺のこと?」
自分のことを指差して問うと、黒髪の女子学生は小動物のように少し怯えた表情で小さく何度も首を上下する。するといきなり後ろから「おい」と声を掛けられ、右肩を掴まれた。首だけ振り向けば、デニムのサマージャケットに身を包んだ若い男が俺を睨みつけていた。
「ここは炊き出しの場所じゃなくて、講演会の列なんだよオッサン。女の子に迷惑かけんじゃねぇよ」
言葉はチャラいが、品の良さそうな金持ちのボンボンといった感じ。この私立大学はいわゆる上流階級の御用達というわけではないから、小金持ちといったところか。しかし見様見真似とはいえホームレスと間違われるくらい変装の出来がいいと思えば、自然と笑みが浮かんでくる。情報部や中央情報局の『モノホン』に比べれば大したことはないだが。
「なに笑ってんだよ。とっととどけよ」
俺が鼻で笑ったことが気に障ったのか、右肩を掴むボンボンの手に力が込められた。なので俺は教科書通り、左手でボンボンの右手を押さえつけつつ、時計回りに体を廻しつつ右腕をボンボンの右腕の下から上へと吊り上げ、俺の右手首がボンボンの右肩より高い位置になったら逆に右腕を引きつつ体を押し込み、左手でボンボンの右肩関節をキメて身体を瞬時に道路に圧し潰す。ボンボンの背中に乗せた左膝に、空気が押しつぶされるような振動が伝わってくる。
「ここはグエン・キム・ホア平和総合研究会の講演会なんだろう?」
右手でボンボンの右手首を時計回しにギリギリと捩りながら、俺はボンボンに言った。
「俺は 物乞いに 来たんじゃなくて 礼儀正しく 講演会を 聞きに 来たんだよ、坊や」
語節ごとに区切りながら丁寧に優しく言いながらも捩り続ける俺に、膝下のボンボンは情けない悲鳴を上げ続けるが、容赦をするつもりはまったくない。
「それともこの講演会は、容姿だけで入場者を選別するような、了見の狭い差別主義者の集まりなのかい?」
俺がそう言って周囲を見渡すと、潮が引くように円形状に後ずさりしていく。その老若男女どの顔にも怯えたような表情が浮かんでいるが、その中から一人、しっかりとした足取りで飴色の髪をした中年の男性が歩み出てきた。整えられた太い眉と翡翠色の瞳には強い意志が見受けられる。
「君の言いたいことは分かるが、暴力はいけない。彼を放したまえ」
俺を見据えるその紳士の言葉にも怯えは一切ない。
「列を乱すことなく並んでいたのに、いきなり言いがかりをつけられて、後ろから肩を掴まれてたのです。これは『正当防衛』ですよ」
「それは流石に無理があるとは思うが……」
笑顔で手首を締め上げ続けるボロ姿の俺と悲鳴を上げ続けるボンボンを見比べて、だいたい状況が想定できたのか、紳士は困ったような諦めたような表情を浮かべ溜息を一つつくと、受付にいる女子学生に顔を向けて言った。
「君達の懸念も理解するが、この青年勤労者の言うのも一理ある。講演会に来てくれている人に対しては、もっと丁寧に対応するべきだったね」
「え、は、はい。ソーンダイク先生」
女子学生の口から洩れた名前に、俺は改めて紳士の顔を見つめる。皺は少なく肌に張りはあるが、その顔は確かにテルヌーゼン選挙区補欠選挙における反戦市民連合の候補者そのもの。まじまじと向けられる俺の視線に、ソーンダイク氏は改めて俺に向かって頭を下げた。
「失礼な態度を取ったこと、その青年に代わって謝罪しよう。ボルノー君、すまなかった」
「わかりました。受け入れます」
そう言ってボンボンの右手を開放する俺に、ソーンダイク氏の眉が一度だけピクリと動いたのは間違いない。俺がオッサンでもなければ、只のホームレスでもないことに気が付いたし、受付に赴いた一瞬で受付帳に書かれた俺の名前を読み込んだのは、やはり只者ではない。
そして恐らく俺の受け答えと行動で、俺の職業は大体察したのだろう。会場内には他にも席が空いているにもかかわらず、一番後ろの席に座った俺の右隣に後からきたソーンダイク氏は腰を下ろした。
「改めて自己紹介したい。ジェームズ=ソーンダイクです。弁護士をしています」
クリーム色のサマースーツの内ポケットから、氏は名刺を差し出した。名前と弁護士籍番号、アドレスだけしか書いていないが、それだけに威圧感のある名刺だ。
「ビクトル=ボルノー。しがない日雇いの肉体労働者です。名刺なんかもってませんよ」
「偽名の名刺をいただいても、正直置き場所に困るから構わないとも」
今までもこういった集まりに、軍や公安警察などのスパイが入り込んできたのだろう。その声には皮肉より諦観の成分が多い。別に俺はスパイをするつもりはさらさらないし、ただ実名で言質を取られたくないだけの偽名だから、皮肉られても痛くもかゆくもない。
「ソーンダイクさんの席はあちら側なんじゃないんですか?」
定刻になり席が半分程度埋まったところで俺が人の集まっている演台の方を指差すと、ソーンダイク氏は目を瞑り小さく首を振る。
「私は息子を三人、第二次イゼルローン攻略戦で失っていてね。以来この運動に身を投じてはいるが、最近限界も感じてきていてね」
温和だが戦争を心から憎んでいると評したのはジェシカだったが、第二次イゼルローン攻略戦は俺が士官学校に入学するより前の話だ。少なくとも一〇年以上は運動に参加しているはず。しかも代議員候補となるのだから、それなりの立場にあるというべきだろう。そんな彼が演台に立つどころか、スパイでもない一見参加の軍人にべったりと着いて、周りに聞こえない程度の小声で囁いているというのはどういうことか。
「息子達の命を奪った戦争は今でも憎い。その戦争を食い物にしている奴らはもっと憎い。政治家も軍人も自分達の利益と立身出世を考え、戦争を煽っていると思っていた。それは是正すべきであると」
「……」
「だが私が運動の運営に関わり始めた頃から、息子達の同期や同僚が時々事務所に顔を出すようになってきて、息子達との思い出話をすることが多くなった。勿論、それが軍の差金なのは分かっているが、ただ戦争反対と唱えるだけではダメだということも理解するようになってきた」
その同期達が『本物』かどうかは別として、軍情報部の差金は間違いない。反戦組織の中核となりうるであろう人物の思想の方向性を地道な干渉で、その思想を構成員とズラしていき、最終的には組織自体の分裂を誘発させるもの。組織が大きくなるほどに背骨はしっかりとしなければならないが、椎体の一つを僅かにずらすだけで脊柱管は狭窄し、人間はマトモに動くことは出来なくなる。
「現実路線、というのかな。ジョアン=レベロのような与党連合内の中道左派との意見交換会を開いてみてはと提案したが、あそこにいる反戦市民連合幹部からあまりいい顔をされなくてね。昔の活動のお陰でこうやって講演会に顔だけは出せるが、今では演壇に立たせてもらえない」
拍手と共に演壇に立った四〇代前半の男に、視線で俺を誘導ながらソーンダイク氏は続けた。
「固い意志というのは悪いことではないが、今まで通りに教条的に訴えるだけでは戦争で親類縁者を失った人々の心にすら、声は届かなくなる……彼らでは到底、ヨブ=トリューニヒトには太刀打ちできないだろう」
トリューニヒトの本当の恐ろしさはそういうところではないのだが、それをここでソーンダイク氏にいうつもりは俺にはない。だが表面的に見ても舞台俳優の如く戦争を賛美し、犠牲者を巧言で悼み、残された遺族を手厚く持ち上げるトリューニヒトと、戦争を利用した政官軍財の癒着を鋭く批判し、帝国との戦争を止めるべきだと言う『だけ』の反戦市民連合とでは大衆の心へ訴える力が桁違いだ。
それに加えてトリューニヒトは大きな財布を手に入れた。権威と金の力を背景に、奴の手は軍だけでなくあらゆる箇所へと伸びている。一五〇年にもわたる戦争で疲弊した国力では、国防はより効率的にならざるを得ず、官製談合など『せざるを得ない』状況下にあって、その歯車を潤滑に動かせるコーディネーターとしての奴の腕前はまさに賞賛に値する。
「以前はこのくらいの会場であれば席は埋まり、立見客すらいてその熱気は空調が効いていないんじゃないかと思うほどだったが、今ではご覧の通り半分すら埋められないありさまだ。そしてより問題なのは、その状況に彼らは安住しているということだよ」
「一昨年、第四次イゼルローン攻略戦で七〇万人を失う大敗北を喫しましたが?」
「その代わりエル=ファシルがほぼ無傷で奪回されたことで、人々の戦争に対する嫌悪感はさほど変わりはなかった。むしろ反戦派への支持はより低下したよ。政府広報の腕前は賞賛に値するね」
ソーンダイク氏の皮肉に、思わず俺は声には出さずに溜息をついた。その作戦における次席参謀を務めていたのは俺であり、戦争を利用した業界癒着のケツ持ちをしているのも俺だ。そう考えると、俺は今更だが反戦派に迷惑をかけていたことになるし、トリューニヒトが俺に対して必要以上に厚遇するのも少し理解できる。
「……『肉体労働者』の君に皮肉を言うのは大人げなかった。済まない」
俺が溜息をついたことを、どうやら別の意味に誤解してくれたソーンダイク氏は謝罪してくれたが、敢えて誤解を解こうとは当然思わない。
「我々の、いや私の努力不足なんだろうな。平和主義者という言葉は今や、『侵略という現実を見ようとしない、政府を当てこするだけの夢想家』という程度の意味しか持たなくなってしまった」
声を上げて政府の腐敗を糾弾し時折湧き上がる支持者から拍手にポーズをとって応える弁士に、冷たい視線を向けながらソーンダイク氏は嘯いた。
「トリューニヒト氏の登場以降、かなりの数の遺族会が我々に対する支持を止めてしまった。和平を主張するなら具体的にどのような方法があるのかと問われれば、言葉に詰まるのは我々だ。専門家である軍も戦争反対を謳う我々に知識で協力はしてはくれない。足りない知識で言えば言うほどボロが出るから、こういう現実になる」
シンパとなるような軍人もいることだろうが、元から数は少なかっただろう。国防大戦略を掌るレベルの軍人は要職が、それ以下の中堅将校は出世が気になって寄り付かないし、下士官や兵士も自分達の功績を高らかに謳いあげるトリューニヒトの登場によって足が遠のいた。
そしてトリューニヒトはそこまで見抜いた上で、和平派や反戦市民連合に俺を使わせないよう国防委員会に囲い込んでいる。さらに『Bファイル』の存在は国防委員会機密文書として扱われている以上、その内容をソーンダイク氏に話すわけにはいかない。
アスターテで大敗北を喫し、イゼルローンで奇跡を起こした後のテルヌーゼン選挙区補欠選挙で、ヤンが赴くまで選挙戦を優位に戦っていたソーンダイク氏の、政治家としてのポテンシャルはそれなりにあると思われる。だが反戦市民連合の置かれた状況を冷静に分析できる知性があっても、基本的に戦争を憎む温和な善人であって職業政治家ではない。そのあたりはエル=ファシルの医師であるロムスキー氏と同じだろう。そして主義主張も立場行動もまるで正反対のアイランズ氏とも。
ボンヤリとそんなことを考えていると、ようやく一人目の弁士が演説を終え、少ないながらも拍手と歓声が沸き上がる。オペラ歌手もかくやといった怪物の演説に比べれば抑揚に乏しく、声量とパフォーマンスで盛り上げてると言った感じで、内容が全く頭の中に残っていない。確かにこれでは勝負にならないだろう。思わず出た欠伸に、ソーンダイク氏も小さく肩を竦めていた。
次に登壇した弁士はブラウンの髪をした若い女性。この会場の大学の講師らしい。遠目に見てもなかなか整った顔をしていて、前の方に座っている先程のボンボンや女子学生達が気勢を上げている。講演会というよりはアイドルのステージだなと思っていると、それとは別に騒ぎ声が会場の出入口の方から聞こえてきた。
既に時刻は二一時を回っている。迷子になった酔っ払いが冷やかしにでも来たのかなと思って生暖かい視線をむけると、かなりの数の男達が周りを威圧するような動きをしながら会場に入ってくるのが分かる。
確かに彼らは酔っ払いだった。ただし酒ではなく、自らの信じる正義と暴力に酔っている奴ら。
「我々は真に国を愛する憂国騎士団だ!! 我々は君達を弾劾する!!」
鉄色の戦闘服に身を包んだ骸骨マスクメンの、品性も欠片もない音量だけが大きい前口上が、文字通り聴客の乏しい会場を揺るがすのだった。
後書き
2024.07.15 更新
C104 参加決定いたしました。1日目(8/11)東W17-b(市蔵文庫)になります。
2巻の入稿・印刷もほぼ終了いたしました。1巻の増刷も含めて持参予定です。
宜しくお願いいたします。
第105話 憂国 その5
前書き
いつもお世話になっております。
恐らくこの憂国ではいろいろな意味で一番『具合の悪い』話になると思います。
書いていて、ここを潜り抜けないといけないと分かっているんですが、Jr.自身の未熟さと自己矛盾の発露を、上手く表現できないあるいは書ききれないもどかしさで、正直苦しかったです。あと1話で終りますので、ご了承ください。
それと暑い日が続いています。皆様もご健康にご留意されますよう。
宇宙暦七九一年 三月 ハイネセンポリス
「我々は真に国を愛する憂国騎士団だ!! 我々は君達グエン・キム・ホア平和総合研究会を弾劾する!!」
鉄色の戦闘服に身を包んだ骸骨マスクメンの、品性も欠片もない音量だけが大きい前口上が、文字通り聴客の乏しい会場を揺るがす。大学の講義にも使用されるので、音響効果はバツグンだ。演壇に立ったばかりの女性弁士は耳を塞いでいるし、ボンボン達も気味悪そうな表情で、憂国騎士団の方を見つめている。
静まり返る会場のほぼ中心。演壇と出入口の中間点までゆっくりと降りてきた憂国騎士団のリーダーと思しき男は、団扇のようなトラメガを左手に持ち右腕を伸ばして女性弁士を指差した。
「君達はこの国難ある時に、自由惑星同盟市民としてあってしかるべき国家への献身を怠り、自己正当化の為に国益に反する主張をして人心を惑わせ、国家の団結を乱そうとしている!!」
国家への献身を今もって怠ってるのは誰で、自己正当化の為に国難を振りかざし、団結の美名の下に威圧で異論排除しようとしているのはお前らじゃねーのか、と呆れてモノが言えなかったし実際に言わかったのだが、女性弁士は演壇の下に蹲って耳を塞いでいるだけだし、反戦市民連合の幹部らしい先程の男性弁士は同志らしい年配の男達と内緒話をしているだけで何も反論しない。
「これらはまさしく売国奴の所業であり、我々憂国騎士団にとって制裁・粛清に値する行為である!!」
でかい鏡があるなら見せてやりたいが、今こいつらよりも問題なのは研究会側の幹部達だ。突如乱入してきた狂人達を前にパニックに陥っているのかもしれないが、(無駄だとは思うが)治安警察に連絡するなり、(たぶん別の団員が隠れているだろうけど)非常口に誘導するなどして、聴客の安全を確保するよう努力したらどうだと思ったが、宣戦布告してから一〇秒経っても彼らには動く気配がまったくない。
憂国騎士団の背後にいる怪物の存在を考えれば、あえてここで俺がその役目を買って出る必要はない。憂国騎士団の注意は弁士や熱心に会場前方で話を聞いていた聴客達に集中しているので、出入口に最も近い最後列の優位を生かし、出口を塞いでいる一人を無力化して、この場をトンズラするのがお利口さんだ。
だが憂国騎士団全員の右腰には例の棒状スタンガンがある。法的にはおそらくアウト(非殺傷兵器の無許可携帯)の代物。会場に入ってきた団員の数は二〇。俺を含めた聴客の数からいって団員一人あたり五人ブチのめせれば、俺を含めて研究会側は全滅。そしてシトレの幼馴染が言っていたように、近くで遠巻きにしている治安警察によって逮捕されるだろう。研究会側が、騒乱罪の名目で。
思想的に相容れない相手だとしても、これから想定される惨劇から目を逸らして身の安全だけを確保することは、同盟市民の生命と財産を守るべき軍人の為すべきことではない。人生の正解とは程遠いが、俺の良心がそれでは耐えられない。本来は海賊や帝国軍を対象とした、同盟軍基本法下服務規程における市民の緊急保護要領を法的根拠にするしかないだろう。それで躾のなってない犬の飼い主がそれで納得してくれるか未知数だが。
大きく溜息をついてから首と肩を廻し、携帯端末で化蛇に緊急コールを入れ、左胸ポケのボタンを再確認し、クロスバックから身分証を取り出して尻ポケットに入れる為に俺が腰を浮かせると、突然横から右肩を押さえつけられた。
「一般聴客で軍人のボルノー君に迷惑をかけるわけにはいかない。これは私の仕事だろう」
肩を押したソーンダイク氏はそう言って席を立つと、クリーム色のスーツの両襟を両手で伸ばし、堂々とした歩みで前席へと向かっていく。それは弁護士としていろいろな修羅場を潜ってきている証拠かもしれないが、マフィアと違って弁護士バッチを付けていたところでまったく気にしない狂犬共だ。緊急コールにさらに位置情報を追加で送信して、俺は慌ててソーンダイク氏の後ろについていく。
そんなソーンダイク氏と俺の動きに、まずは前方席に座っていた聴客達が地獄で仏を見たような表情を浮かべ、次に研究会の幹部達がやや苦々しい表情を浮かべて、その視線に釣られるように最後に騎士団の連中が気づき、三者とも黙ってこちらを見つめてくる。
まるで全方位集中砲火を浴びせられているようだが、ソーンダイク氏は平然と聴客と憂国騎士団の間まで移動し、中央通路でリーダーに向き合った。俺はそんなソーンダイク氏より二歩左後ろの位置に立つ。
真正面に対峙することによって、憂国騎士団の面々の敵意もまたソーンダイク氏に集中するが、リーダーのマスクの奥にある暗い瞳だけは俺の顔に向いている。つまりは制裁粛清行動の障害になりうる『護衛官の位置』を理解しているということ。頭の中身が狂犬とはいえ、リーダーを務める理由はそういうところか。
「私は弁護士のジェームズ=ソーンダイクだ」
そんなリーダーの視線に気づいているのかいないのか、ソーンダイク氏は両手を腰に回して胸を張って言った。
「君達がなにを求めてここに来ているのかは知らないが、意見を述べたいのであればまずは席に着き、弁士の演説を聞いた後で司会者の指名を待つべきだろう。少なくともいきなり立ち入ってきて、拡声器で妨害する必要はないはずだ」
まさしく正論であって、そんなことは百も承知の上でこいつらはスタンガンを持ってきている。ここは地上であって宇宙空間ではないが、会場には窓が殆どなく、固定された座席の間にある中央通路は男が三人並ぶのが精いっぱいの幅。舞台はレダⅡのシャトル搭乗ゲートによく似ている。ちなみに出演者も一方は同じ『劇団』だ。だからこそソーンダイク氏をロムスキー氏と同じ目に合わせるのは、原作を知る者としては些か癪に障る。
ソーンダイク氏とリーダーの間に漂う張り詰めた緊張の沈黙。だがリーダーの右足が音もたてず二度床を叩いた時、俺の左前に位置する団員の身体に力が入っていくのがわかった。
リーダーがソーンダイク氏に反論する素振りで、何気なく体を反時計回りで団扇型拡声器を後ろにいる団員の一人に手渡すよう振り向いた時だった。左半身になったリーダーの右隙間を抜けて、団員が棒状スタンガンを振り上げて俺に突っ込んでくる。そしてほぼ同時にリーダーが、団扇を受け取った団員のスタンガンを抜いてソーンダイク氏に襲い掛かってきた。
同時攻撃によって護衛(俺)の混乱を招くつもりだったのだろう。だが『護衛官の仕事』は身を挺しても護衛対象を守ること。俺は左斜めに(つまりはソーンダイク氏に向かって)踏み出して突っ込んできた団員の攻撃を躱しつつ、右腕でソーンダイク氏の襟首を引っ掴んで真後ろに引き摺り倒す。その反動を回転運動に変え、左腕を左側頭部に当て防御すると、背中をリーダー側に向けて衝撃に備える。ほぼ予想通りそのコンマ五秒ぐらい後で、俺の左肩甲骨上部にスタンガンが直撃した。
「くぁwせdrftgyふじこlp」
軍服ではないので当然防電処置はされていない。背中の神経をはいずり回るような電撃と、棒自体の物理的衝撃が合わさって、俺はたまらず声を上げて両膝を突く。その背中にもう一撃、恐らくは躱した団員からのが浴びせられる。ついで左脇から嫌な気配を感じたので、足を捥がれた芋虫のように床を転がると、俺の腹に向かってきたリーダーの蹴り上げを何とか躱すことができたが、遥か頭上から舌打ちが聞こえてくる。
「ボルノー君!」
俺に引き摺り倒されていたソーンダイク氏が、よちよち歩きで床を進んで、床に仰向けで荒い息をする俺の傍に寄ってくる。触った手から俺の身体にまだ痺れが残っていると分かったのか、想像よりはるかに大きな声でソーンダイク氏は、一様に恐怖に囚われている若い聴客達に向かって叫んだ。
「救急車だ! 早く連絡を!」
「ソーンダイク先生」
「ボルノー君はそのままでいたまえ!」
「大丈夫。もう、大丈夫です」
ゆっくりと、まるで舌なめずりする蛇のように近寄ってくる憂国騎士団の足音を床面から聞きつつ、俺はソーンダイク氏の左肩を頼りに立ち上がりながら、フラグを確認する。
「正当防衛条件、これで成立しますよね?」
「ボルノー君!」
「ゾーンダイク先生!」
襟首をつかんで顔を近づけてからの俺の叫び声に、ソーンダイク氏の視線が宙を泳ぐ。だが次の瞬時には弁護士モードになったのか、それとも俺がこれからなにをしようとしているのか分かったのか、声を上げる。
「た、確かに急迫不正の侵害と防衛の意志は認められるが!」
「後は必要性と相当性ですかね!」
とどめを刺すべくスタンガンを振り上げ突っ込んできた団員に対し、俺は右半身になって躱しつつ反動をつけて右拳を団員の左顎先にぶち当てる。マスクは吹き飛び、団員は糸が切れた操り人形のように音を立てて床に崩れ落ちた。同時にスタンガンも高い音を立てて床を撥ねる。
「さて。憂国騎士団の諸君」
凝った首を廻す音と共に、頭の中でひたすらドヴォルザーク交響曲六番第三楽章がリフレインされる。今の俺には脳味噌も良識の欠片もないが、戦闘力数は間違いなく五三万。会場の通路は宇宙艦隊司令部地下駐車場のように広くはないから、二人以上で同時に襲いかかられる恐れもない。
「君達に与えられる合法的な未来は二つ。ソーンダイク先生の言う通り着席し議事進行に従って礼儀正しく意見を述べるか、これ以上何もせず速やかにこの会場から出ること」
会場の出入口を指差すが、釣られて真後ろに視線を動かすような団員はいない。リーダーを初めとしてなにも言わずに俺を睨みつけたまま。仕草も意志も単純明快で、現在の職場での慣れない暗喩や無能さゆえの錯誤に心が疲れた俺としては、すっきり晴れやかで快感すら覚える。
「もし聞き入れず君達が、再び武力行使を選択するというのであれば致し方ない。適切な手加減は出来そうにないが、それでも良ければ『教育』してやろう」
出入口を指差していた人差し指をしまい、腕を時計回りで捻り手の甲を向け、その隣の指先を垂直に天井へ向ける。事前の取り決めも暗号も必要ない、言葉の通じない相手にもハッキリと意思が伝わる古(いにしえ)からの『挑戦信号』。もちろん効果はバツグンだ。
リーダーの左後ろにいた団員が下卑た叫び声を上げてスタンガンを突き出しながらに突っ込んできたので、クロスカウンターよろしく前屈みになってから、右拳に体重をのせて左脇腹に叩き込む。
屈んでいる状態になっている俺に対し、リーダーはスタンガンを再び振り下ろしてくるが、それを背中に躱しつつ、↓↘→でリーダーの下顎を真下から思いっきりカチ上げる。
その後ろに並んでいる団員がリーダーを躱しながら狭く横二列で突っ込んできたので、左の団員に向けてはKO状態のリーダーの腹のど真ん中にヤクザキックをぶち込んで押し戻し、振り向きざまにリーダーの手から捥ぎ取ったスタンガンを右の団員の左後頭部に力いっぱい叩き込む。リーダーの身体に覆いかぶさられて身動きの取れない左の団員の肩を露出させてスタンガンを皮膚に跡が付くくらいに押し当てて、最大出力で電撃を喰らわせる。
通路ではなく左右に並ぶ机の上を歩いて覆いかぶさってきた奴には、右足を掴んで無理やり飛び出した側とは反対側の机の角とキスをさせてやる。
次々と襲い掛かってくる団員から時折軽い一撃喰らいながらも、俺は出入口方向へと通路を進みながら団員共を無力化していく。いつの間にか痛みは消え、身体と拳と脚が一つ一つ考えるまでもなく自然に動き、暴力となって存分に発揮されている。
まるで夢心地の中。出入口扉前で相対した団員の一人がいきなり俺に背を向けて逃げ出そうとしたので、右手で後襟首を引っ掴んで引き寄せ、左腕を首に回して後ろから右腕を絞めて捻り上げる。
「どうした。どうした。女子供は殴り倒せても、大人の男はてんでダメか。ああん?」
マスクの奥で何か慈悲を乞うているように聞こえるが、俺は全く聞こえないふりで締め上げ続ける。
「お前らの飼い主が誰か、俺はよぅく知っているからな。せいぜい捨てられることに怯えて、首を竦めて暮らせ」
飼い主という言葉に団員は首だけで振り向こうとするが、その後頭部にヘッドバットを喰らわせたうえで右肩の関節を外すと、情けない悲鳴を上げて気絶する。その身体から力が抜けていることを確認してから、うつ伏せにして両腕を後ろに回し、マスクを取って頭巾をひも状にして両腕を縛り上げる。
もう俺に立ち向かってくる姿はない。出入口扉から通路を見れば呻き声を上げる団員達で埋め尽くされ、その先には唖然とした表情のソーンダイク氏と、何故か興奮気味にこちらを見ている幹部と聴客達がいる。団員は他にもう少しいたはずだったが、逃げ散ったのかそれとも増援を呼びに行ったのか分からない。
興奮が自然と収まり、心拍が落ちて、同時に背中の痛みも戻ってくるが、呻いている団員が逃げ出さないとも限らない。今度は演壇方向に向かって、団員達のマスクを一人一人剝ぎ取り、同じように頭巾で拘束していく。抵抗しようとした奴はスタンガンで再度無力化し、肩を外すのも忘れない。
「このままで、済むと思うなよ。孺子」
紫色の頭巾をしていたリーダーが俺の膝下でそう言うので、何も応えることなく露出した後髪を引っ掴むと、何度も床に叩きつけた。たぶん鼻が折れた音がしたが気にしない。額も切れて顔中血だらけになり息絶え絶えになったのを見てから、リーダーに顔を寄せる。
「飼い主を道連れにしたいってんなら、幾らでも相手になってやるよ。躾のなってないお嬢ちゃんたち(レディース)」
そうやって最後に一撃、横腹に蹴りを打ち込んでやると、リーダーは蛙のような呻き声を上げて床でのたうち回る。その横に立ち上がって、換気音だけが響く少し暗い照明の下で、大きく両手を伸ばし、最後まで奥に溜まり込んだ闘争心を肺から追い出した。凝りを解すため首を廻しながら見渡すと、先程まで興奮気味に見ていた聴客の顔は、今度は恐怖で引き攣っている。
「ぼ、ボルノー君」
そんな中でやはり最初に声をかけてきたのは、ソーンダイク氏だった。
「大丈夫かね? その……」
「治安警察への通報は済んでますか? ソーンダイク先生」
「それは……たぶん済んでいると思うが」
見渡す視線に誰も応えないので、ソーンダイク氏は深く溜息をつくと、改めてポケットから自分の携帯端末を取り出して通報した。だが数秒遅れで繋がった治安警察の通信指令センターと話をする氏の、その横をすり抜けるように中年の男が俺の前に立ちはだかると、笑顔を浮かべて血に濡れた俺の手を取った。例によって両手で包み込むような握手。
「ビクトル=ボルノー君、というのかね。私はグエン・キム・ホア平和総合研究会のマヌエル=マクレガンだ」
最初に演壇に立った男。恐らくはソーンダイク氏を干した側の人間だろう。あまり好意的になる要素はないが、挨拶は挨拶だ。俺は世間一般で失礼に取られない程度の無表情で小さく目礼する。
「君の助力に感謝するよ。君は強いね。どうかね。講演会の後で食事でも」
未だ『暴徒』が回収されず、聴客が見ている前で勧誘し、自分の仲間か手下に取り込もうという仕草。あまりにも露骨でセンスがない。だいたい簡易武装した集団を相手にできる人間など、陸戦訓練を受けた軍人以外にはありえない。それに気が付かないのもどうかと思うし、名前も今日知ったばかりの一見参加者をいきなり食事に誘うなど、危機意識もなければ上から目線の思い上がりも甚だしい。
もしトリューニヒトが今の彼の立場であれば、まず治安警察への通報と聴客へのアナウンスは別として、ハンカチを出して俺の手を拭き、身体に異常がないか問う。そして危機に際して、協力して動こうとしなかった自分の非を俺に深く謝罪する。ついでこの騒動の後始末について(負うつもりはなくとも)責任は私達が全て請け負うと言うだろう。その上で治安警察等によって俺が不当に扱われるようなことがあれば必ず手助けすると言って、連絡先を書いた名刺を渡す。その名刺の裏に『是非、お礼に一度お食事でも』と書いて……
いいか悪いかはともかく、そういった相手に『配慮』ができない人間が幹部を務めている状況は、政治組織としては致命的だ。延々と一五〇年も戦い続けて、近親者に戦死・戦傷した人間がいない人間を探す方が大変なはずなのに、和平を求める人間が少数派なのは、受け皿となるべき党派の惨憺たる政治センスのなさも要因の一つだろう。相手がそういう方面では抜群のセンスを持つ怪物とはいえ、学生サークルのお遊びの延長のような状況なのは同盟の健全な政治バランスを確保する上でもいただけない。
現時点でトリューニヒトと憂国騎士団の関係は主従と言うべきなのかまでは分からない。ただソーンダイク氏を爆殺するような政治テロを、トリューニヒト自身は事前に知っていれば許さないだろう。この襲撃も同様に『リードが外れた飼い犬』の暴走というべきだろうが、『襲撃しなければ今後不利になる』というレベルの権威は今の反戦市民連合にはない。ということは『弱小すぎて潰しても誰も気にしない』からいい機会だと思ったということか。
思想的には恐らく俺と彼らでは全く違う。だがこのまま潰されていいわけではない。俺がここで何かしなくても、ソーンダイク氏なら自ら危機感を持って党派を建て直す行動に出るだろうが、それを手助けするのは決して悪いことではないはずだ。
「メシなんかいらねぇよ。どうせ俺のような男の口にはあわねぇし」
軽く力を入れて握手を振りほどきつつ、変装した『底辺労働者』らしい口調で言って、意図的にマクレガン氏を押しのけて、通報の終ったソーンダイク氏に近づて頭を下げる。
「すみません。ソーンダイク先生。さっきは引き摺り倒しちまって」
「何を言うんだね。君こそ大丈夫なのかい。私の代わりに二撃も受けてしまっただろう」
そう言ってソーンダイク氏は俺の両腕を両手で掴む。演技ではなく即座にそうしたのは、政治センスよりも自身の人の善さからなのだろうが、この際の比較対象はマクレガン氏だ。
「先生こそあんなチンピラ達を前に堂々と立ち向かわれたじゃないですか。腕にちっと自信がある俺ですら少しビビってたってのに、口火を切れる先生の度胸は大したもんだ」
「……いや私は弁護士だから、ちょっとした脅しには慣れていただけだよ。あんな問答無用でスタンガンを振るってくるような奴らと知ってたら、私だって……」
「それでも仲間を守る為に体張ったわけでしょ、しかも自分からは暴力をふるわないように両手を後ろに回して。すげぇよ」
俺の野卑で率直なホメ言葉に、聴客の敬意が自然とソーンダイク氏に集まっていく。それをすぐさま感じとったのか、マクレガン氏が俺とソーンダイク氏の間に割り込んでくる。だがもう遅い。
「ソーンダイクさん。ご迷惑をおかけした。もうこんなですから、今日の講演会はこれまでと……」
「うっせえぞ。俺がソーンダイク先生と話しているところに割り込んでくるんじゃねぇよ」
マクレガン氏の胸を敢えて倒れない程度の力を込めて、平手で強く押す。あまり鍛えていないのか、マクレガン氏は想定より長い距離をヨタヨタと体感を崩す。
「自分の仲間達を守ろうとしない腰抜けは黙ってろ」
「な!?」
「平和主義者だから腕力は使わないって言うなら、せめて客の安全を確保するように行動しろよ。ソーンダイク先生ほどの器量も度胸もねぇんだから、せいぜい自分ができることに無いアタマを使え」
俺の面罵にマクレガン氏の顔は真っ赤になるが、俺の呆れた視線と自分のスーツについた血糊、それに周囲から浴びせられる冷たい視線に後ずさりする。そこには氏の仲間であるはずの幹部達もいたが、彼らから『もうコイツをフォローする価値はない』といった感じの視線を浴びせられ、そのまま壁伝いに非常口から会場外へと出て行く。その動きを追っていたソーンダイク氏以外、ここにいるもう誰もが気にしない。
随分と冷たい奴らだと思う。特に幹部達はマクレガン氏と同類だが、最初に動かなかったというだけで危機を回避した。ソーンダイク氏が彼ら幹部の意識を改められるかは分からないが、少なくとも今回の事で氏の存在を軽視することはできないだろう。あとは氏の熱意次第で、これ以上のお手伝いは不要だ。
背中に氏への賞賛を聞きつつ、俺は冷めた目で通路に横たわる憂国騎士団の面々を見る。自分の暴虐性がハッキリとした現実としてそこに存在する。なにが平和主義者か、とんだ暴力主義者ではないか、ともう一人の俺が冷静に指摘する。
ではどうすればよかったのか。奴らのスタンガンを受けて床にのされていればいいのか。飼い主の名前を出して奴らを引き下がらせればよかったのか……暴力に身を委ねたのは軽々なのは充分に分かっているのだが。
今更ながらにひたすら自身の無能さと臆病さと二面性に対する嫌悪で、煮えたぎる鍋のように頭の中が熱くなる。血糊が残る拳に自然と力が籠り、米神に血が集まっていくのも分かる。鏡を見れば夜叉が映っているだろう。こんな顔は見られたくはないので、そっと集団から離れようと洗面所のある扉の方へ向かった時だった。
「ハイネセン治安警察だ! 全員その場で動くな!」
クリーム色の制服に白い制帽を被った正義のミカタ達が、声と警棒を振りかざしながら会場に乱入してくる。だが入ってきて、中の『惨状』を見た警官たちの顔に、困惑が溢れている。自然と彼らの視線は上級者へと集中したのを見て、俺はもう笑いが堪えられなかった。想定していた『加害者』と『被害者』が文字通りだったのだから。
「貴様! 何がおかしい! おい!」
指揮官が、静まり返る会場の中で一人笑う俺を指揮杖で指示し、その指示に従って二人の警官が挟み込むようにして両腕を拘束する。別に引き摺られていくつもりはなかったので、両隣の警官たちとわざとらしく三人四足をしながら指揮官の前に赴いた。
「これはどういうことだ!」
「どういうことだ、と言われましても見た通りですよ……警部補殿」
「なに!」
憂国騎士団の面々よりはるかに遅いパンチが、俺の左頬を目掛けて繰り出されてくる。避けるつもりは当然ない。結果が想定外でイラついているのか。警部補殿がバカすぎてさらに冷静でないのは、俺にとっては実にありがたい。ありがたすぎてさらに笑いが堪えきれない。
「貴様! まだ笑うか!」
今度は右頬。遅いなりに力が入ったパンチで、口の中が鉄臭くなるのがわかる。視線が下がったので次は腹だろうから、もういいだろう。
「警察職員の職務倫理規定違反だ。公務執行に際し、無抵抗の拘束者に対する暴行は、これを固く禁じられている」
「な……」
「また準現行犯として拘束する事由として、『笑った』という事実のみ提示している。この国は笑っただけで、抵抗し公務執行妨害となるとは、どういう規則で貴官は行動しているのか?」
「……」
指揮官の顔色が赤から青へと変わっていく。どう見ても底辺労働者の相手が、堂々と倫理規定に沿って自分を弾劾してきている事実と、もしかしたら潜入捜査員(どうぞく)を不用意に拘束しさらに暴行してしまったのではないかという恐怖。実際今の俺は間違いなく準現行犯(身体および被服に犯罪の顕著な痕跡がある)なのだが、それを頭の鈍い指揮官に教えてやる必要は全くない。
「貴官が誰の命令を受けて小隊を率いてきたかは知らんが、任務の邪魔をするというのであれば、こちらとしても相応の考えがある」
「……いや、その」
「この通路に横たわっている『道化師』共が乱入し、民間人に暴行を加えようとした。彼らの手には人数分の非殺傷兵器がある。騒乱罪と暴行罪と武器集合罪の現行犯だ。残念なことに証拠も撮影されている。それは『本来の意図ではなかったのだが』」
俺のハッタリに指揮官の瞳が揺れる。つまり自分が潜入捜査員に暴行を加えたことすら記録に残っているということを理解したのだろう。俺がシラケた目で首を左右に振れば、両腕を拘束している警官の腕の力も弱くなっていく。
「貴官は速やかにこれら『道化師』共を拘束し、その意図を聴取すべきだろう。貴官の上官に対しては、組織として正式に抗議させてもらう。覚悟しておくんだな」
今度こそ肩を落とした指揮官は、俺が顎でしゃくると、部下達に命じて拘束されている憂国騎士団の面々を引き上げさせた。しっかりとみな肩が外されているので、腕を持ちあげるたびに会場内に悲鳴が上がる。一〇分もしないうちに、二組の道化師達は会場から姿を消した。
「……ボルノー君」
「あぁ、ソーンダイク先生」
おそらく俺の拘束に対し、弁護士として法に則って抗議しようとしていたソーンダイク氏の顔には、何と言ったらいいのかわからないとしか書いていない。なので、左胸のボタンを軽く押してから、俺はいつもの好青年将校スマイルを浮かべて言った。
「彼らは勝手に勘違いして引き上げたんです。先生がお気になさることはないですよ」
「しかし彼らはトリューニヒト氏のしへ……」
「『我々』は同盟軍基本法と入隊宣誓と自己の良心に従って行動するのですよ」
俺が唇に指を当て上目遣いでソーンダイク氏に応えると、申し訳ないとありがとうの二分の一カクテルのお辞儀を俺に向けた。俺がやったのは単なる詐欺で、そこまで感謝されるいわれはないのだが、気恥ずかしさで頭を掻くと、聴客の中から一人の若い女性が飛び出してきた。それは受付に居た女子学生だった。
「あ、あの!」
その女子学生の手には真っ白いハンカチが握られている。
「先程は失礼なこと言ってすみませんでした。これ、使ってください!」
頭を深く下げながら差し出された白いハンカチを取る俺の両手には、血糊がハッキリとこびりついていたので、「ありがとう」と応えて遠慮なく受け取り、手を拭う。それで『汚れ』が落ちるわけではないのだが、先程までの獣性も興奮も自虐も諦観も、少しずつ落ちついていく。
目立たない程度まで拭き取られた手を見つつ、ハンカチを女子学生に返そうとした時だった。ソーンダイク氏もその女子学生も、何なら集まっている聴衆全員の視線が俺の背中方向に集中していた。規則正しくかつ力強いヒールが床を叩く音だけが聞こえてくる。
そしてその音は、俺の真後ろで止まる。
「中佐。一体どういうことですか、これは?」
何の感情もこもっていないカミソリのように冷たい詰問。振り向けば、そこには黒の上下に白いブラウス。化粧は薄めで、誰もが振り向く『出来るイイ女』のテンプレ。
「まぁ、大したことじゃないよ」
残念ながら間に合わなかった魔法淑女を前にして、俺はハンカチをポッケに突っ込みながら、肩を竦める。
「今来たばかりで申し訳ないけど、これから一緒にドライブに行きたいんだが、いいかな?」
「どちらまで?」
明らかに不機嫌といったオーラを醸し出すチェン秘書官に俺は言った。
「躾のなっていない飼い犬の、飼い主のところへさ」
無用な怨恨を背負っただけかもしれないが、それでも不当に傷つけられる人間が今この瞬間だけでも減ったことは、後悔したくはないと俺は思った。
後書き
2024.07.23 更新
第106話 憂国 その6
前書き
大変遅くなりまして申し訳ございません。
なんとかようやく書き上げました。もう諧謔とか暗喩とか、ヨブ君のセリフとか書きたくないですね。
筆者の能力不足で、こういう結末となりました。5回書き直してこれです。申し訳ありません。
これで憂国は終わりになります。まぁまだ予算通過まではハイネセンにJr.は拘束されるわけですが、次の戦場は決まりました。
宇宙暦七九一年 三月 ハイネセンポリス
「ところで中佐の仰る躾のなっていない飼い犬の飼い主とはどなたの事ですか?」
一度公共タクシーで公共公園に向かい軍服に改めて着替えた後、今度は軍政務官用地上車を呼んで道端で待っていたチェン秘書官が、俺の真正面に立って問うた。その眼力はいつになく座っていて、あの時のような殺気とは異なる怒りと迷惑加減に溢れている。
「ヨブ=トリューニヒト先生のことだけど?」
比喩も暗喩も認めなさそうな雰囲気だったので俺も簡明直截に応えると、チェン秘書官の瞳が点になり細く整えられた眉の右片方だけが吊り上がる。恐らくは彼女の二番目のご主人様の名前だと思ってたので、その反応も納得できるし、そう俺が思っていることも理解しているだろう。
もしかして飼い犬とは憂国騎士団ではなく自分のことを言っているのか、という疑念に対する不愉快さが籠っているのは明らかだ。彼女の本当のご主人様は四五〇〇光年先の自治領主なので、こんな『田舎の若頭』の飼い犬呼ばわりなど、正直言って耐えられないに違いない。
以前の彼女であれば、鈍い俺にすら勘づかれるような表情などしなかったはずだ。自治領主が狙われている、その現実が彼女からそういった余裕を失わせているのは間違いない。
「……今から国防委員会理事閣下にアポイントを取るのは、些か」
今度は明らかに『造った』不承不承という表情で、チェン秘書官は右手首に下がる端末に視線を落とす。恐らく二二〇〇時は回っている。こんな時間に与党の重鎮であるトリューニヒトにアポを取るのは、将来的にどうなんだという意味も込められているが、憂国騎士団をぶちのめした今の俺にとってみれば大した意味はない。
問いに対して言葉ではなく好青年将校スマイルで応じると、チェン秘書官はパッドで威圧感マシマシの肩を窄めてから手首の端末で連絡を取り始めた。連絡先は流石に悪霊氏ではないようで、チェン秘書官の強めの口調に戸惑っているようだったが、すぐにトリューニヒトの居場所を教えてくれた。
「どうやらトリューニヒト先生は、まだ議員会館でお仕事されているようですわ」
「議員先生が勤務熱心なのは、国家としては歓迎すべきことだと思うね」
「ご承知のことで?」
「まさか自分が当事者になるとは思いもしなかったけどね」
有力理事とはいえ、まだ国防委員長でもないトリューニヒトにとって、私兵である憂国騎士団の『成果』をどこかで待っていることは充分に想像できる。マスコミへの影響力はパトリック氏に尻尾を掴ませない程度までに浸透しているが、確実と言い切れるわけでもない。何かあったら即対応できるように動きのとりやすい場所で、ジッと吉報を待っていることだろう。
「行こう。こちらからアポを取っておいて、あんまりお待たせしては申し訳ない」
できれば憂国騎士団の現状が耳に入る前の方が後よりもいい。会場で暴れた底辺青年労働者のビクトル=ボルノーが俺だと分かるのは、奴のオフィスであるべきだ。あの後始末が下手な治安警察の小隊長殿が、監視カメラを使って俺を追い詰めにかかるまでには、少し余裕はありそうだとしても。
「……先生が諫言を受け入れてくださると、お思いですか中佐?」
「相手が受け入れようが受け入れまいが、するのが諫言というものだと思うよ」
憂国騎士団、ひいては地球教徒と手を切れと口で言うのは簡単だ。だがヨブ=トリューニヒトには当然のことながら政治的目標があり、その目標を達する上で合法・非合法問わずに動ける『駒』としての価値が奴らにはある。その価値以上のメリットを提示しない限り、手を切ることは当然ない。それは道義とか仁義とか正義とか、彼が普段から口にしている言葉のような薄っぺらいものではない。
「到着までにどのくらいかかる?」
「三〇分弱です」
音もなく走り出した地上車の後部座席で、隣に座ったチェン秘書官が車のサイドボックスから消毒用のウェットティッシュを取り出し、俺の手を丁寧に拭いていく。あの女子学生からもらったハンカチでは落とせなかった手の皺に詰まって固まった血糊が、ティッシュに赤い線を描く。左手が終わったら今度は右手。指先の爪から手首まで。その動きは貴重品を磨くように丁寧で、どことなく官能的ですらある。
「中佐は私の事をお聞きにはならないんですね」
俺の手を取りながら、その皺の一本一本に血糊が残っていないか見つめているチェン秘書官が、自虐的な憂いと寂しさが籠った声で零した。
「ピラート中佐もその前の補佐官も、皆、なんとか私の背景を探ろうとしておりましたのに、ボロディン中佐は全くなさらない。それなのに私のことをよくご存じで」
「そういう筋に強い友人がいるからね。餅は餅屋に任せた方がいい」
自分で調べたところでせいぜいトリューニヒトくらいまで。おそらくC七〇にすら手が届かないだろう。本人に直接聞く『危険性』は十分承知している。ピラート中佐には理解してくれる味方が周囲にいなかった。その前の補佐官はどうだか知らないが、妖艶な色気と図抜けた胆力そして整理され機転の利く頭脳を持つ美女に、夢中になっていた可能性はある。
まぁあれだけアケスケな色仕掛けもあったものでもないが、二六・七で未婚のボンボン中佐であれば引っ掛かると思われたかもしれない。舐められたと思うが、そう思われるだけの要素は俺には十二分にある。
「実は私。フェザーンに居た頃に、四人ほど娘か息子がおりましたの」
だがそんな微妙な懐かしさをブッ飛ばすような爆弾が、いきなり小さな唇の隙間から零れ落ちた。瞬時に俺は首を軸回転させて、未だに手を撫でるように触り続けるチェン秘書官を見つめ直す。だが彼女の視線は俺の顔ではなく、握られた手に落ちている。
「私自身も実のところ両親がどんな人間か知らないのですが……中佐は『人間牧場』という言葉はご存知で?」
「人間……牧場……」
考えるだけでおぞましい言葉だ。俺の前世でもホラー漫画だったか、特撮映画だったかにあった気がする。何らかの目的の為に人間から基本的人権を奪い、家畜として飼育される場所。ただし銀英伝の本編にも外伝にもそんな記述は一切ない。
遺伝子操作によって帝国内部では食人の気質を持つ有角犬が生産されていた事実はある。それに加えてフェザーンには銀河系の誰もが知っている『標語』がある。しかし現実にそんなことがありうるのか……
「最初の記憶にあるのは『乳母』と呼ばれる老婦人の下で、同い年位の女の子達だけでなに不自由なく山奥の寮のようなところで暮らしてましたわ。時々、お友達が消えていくのが不思議でしたけど、病院併設の孤児院ということで乳母曰く『いい養父母に』貰われていったそうです」
その同級生の中で黒髪だったのはチェン少女ただ一人。人形のように整った幼顔で、一六歳に迎えた『卒園式』でも一二歳に満たないような容姿だったという。しかしそれまで二〇回以上に及んだ『里親面談(セリ)』が全て破談に終わり、チェン少女は同級生の中でも特に選りすぐりの美少女数人と一緒に病院のような建物に連れて行かれ……生き地獄のような日々を送ることになる。
「食事にも教育にも大変配慮されてましたけど、『運動』はそれほどでもなかったですわ。ただ秋から冬にかけてだんだんとお腹周りが大きくなり、春には手術台に横になるという生活(スケジュール)でした」
体力があったのか、はたまた運が良かったのか。チェン少女は四人目まで体調に問題はなかった。しかし一緒に連れてこられた同級生達は毎年繰り返される『生産活動』に、歳を追うごとに精神と体調を崩していく。ちなみにその建物には同級生以外にも年上の女性が暮らしていて、こちらは『隔年組』と言われていたらしい。
「幸い私が二〇の時に、手入れがありまして。その指揮を執っていらしたのが、今の自治領主閣下というわけです」
話している間ずっと、俺の手はチェン秘書官に握られている。あまりの告白内容に、大して中身の入っていない頭が重くなり、背もたれの上辺に引っ掛かって声の出ない口が車の天井に向かって開く。
作り話にしては突飛にすぎる。フェザーン警察に諮ったところで、無言の苦笑しか返ってこないだろう。だが本性を見せないチェン秘書官のワレンコフに対する愛情にも似た絶大な忠誠心の背景とすれば納得できる話だ。
そして彼女が二〇歳の時に産んだ子供は、おそらく俺と同い年。妖艶でもなければ殺気だったものでもない。今までに見たこともない深い愛情を湛える優し気な眼差しが、重なり弄ばれ続ける俺の右手と自分の左手に注がれる。
「……道徳のない経済は犯罪、か」
「あら、お信じになられるのですか? こんな荒唐無稽な、三文ホラーとしても出来の悪い話を?」
「嘘であればいいと痛烈に思うよ。少なくとも産んだ子供の性別すら知らない母親は、この世に存在しないってことだからね」
「……」
胸糞な法螺話に騙されたという怒りより、そんな悪徳が存在しなかったという安堵の方がよっぽど大きい。だが現実は非情なのだろう。以前の彼女の決断を無にするようだが、仮に将来的に間違いであったとしても、言う必要があると俺は判断した。
「チェン=チュンイェン秘書官。貴女に長期出張を命ずる。明日出勤後、速やかに荷造りに入って欲しい。軍艦搭乗のチケットは私が用意する」
「……どちら迄でしょうか?」
ようやくチェン秘書官の視線が、俺のとぼけた顔に向けられる。答えは分かっていると言った顔つきだ。
「フェザーン自治領まで。自治領主閣下へ返信送付の依頼だ」
彼女が今までの忠誠心を破棄して俺の依頼を断り、トリューニヒトの飼い犬になったとしてもかまわない。それもまた彼女の人生の選択の一つ。だが手遅れだったとしても俺としては、彼女は今ワレンコフの傍にあるべきだと思う。片道約三〇日。軍艦を上手く乗り継げばもう少し早くたどり着ける。
「……往復六〇日も職場を不在にしてもよろしいのですか?」
「構わない。予算審議が凶悪化するのは六月以降だ。それまでは『仕事量を減らしても』問題はない」
ハイネセンで悪霊を監視するのも一つの手段であろうが、そんな超弩級の背景を聞かされれば、もはや無意味で、そして無粋だ。
「定期便の数も少ない。もう少し『時間はかかってもいい』から、必ず自治領主閣下ご自身にお会いして手渡して貰いたい」
「もうお返事はご用意されているのですか?」
既に赤毛の小娘(ドミニク)宛に送っているのであれば意味がないだろうという諦めが含まれた視線に、俺は右手をほどいてズボンの右ポケットから、キャゼルヌ先輩からカルヴァドスの返礼として譲られた本革の手帳を取り出して、一言だけ書き込んで引きちぎってチェン秘書官の左手に握らせた。
「それを頼む。必ず君が直接、手渡してくれ」
「承知しました」
小さな紙の切れ端を開いて目を通すと、チェン秘書官はきれいに折り畳みなおしてから、ブラウスの内ポケットに仕舞う。
「他になにか、お言付はありますか?」
「『頭髪のない狐には十分気を付けろ』」
「……承知いたしましたわ」
そう言うと再びチェン秘書官の左手が俺の右手に重ねられ、俺の右肩には僅かな重みが感じられるのだった。
◆
入構の手続きを済ませ、一緒に付いてこようとするチェン秘書官を無理やり車の中に押し留め、廊下に開かれているレイバーン議員会館五四〇九号室のドアをノックすると、予想通り耳に入れば殺意を急上昇させる声が俺を出迎えた。
「お待ちしておりました。どうぞ、ボロディン中佐殿」
例によってウィスキーを傾けた後の、あの独特な嫌らしい笑みが向けられている。視線は嘲笑を含み、顔には愚弄の文字が浮ぶ。一応席から立っているということは、まだこの場所では身内以外には正体を隠しておきたいという証左なのかもしれないが、現在ヨブ=トリューニヒトの優先リストでは自分の方が立場は上だと言っているに等しい。
だが同時に俺は納得もしている。もし憂国騎士団が俺によって一部壊滅した状況をコイツが把握しておれば、その態度には警戒と敵意の成分がもっと含まれているはずだ。それがないということは、『Bファイル』についての結論が出て、フェザーン自治領主の命数が尽きたということかもしれない。ある程度想定していたが、チェン秘書官をここに連れて来なくて正解だった。
師匠直伝の、目にも顔にも感情を出さず相手に心を読ませない無言の略礼で俺が応えると、流石に異常さに気が付いたのかカモメ眉の上辺に皺が寄る。だが引き止めることはできない。何しろ「どうぞ」といった本人だ。俺は遠慮なくトリューニヒトが居るであろう応接室の扉をノックし、中から「入りたまえ」の声に従って扉を開き、中に入ってから扉を閉じて背後の粘着質な視線を遮断する。
「予算審議が本格化する前だというのに、君の職務に対する熱意には感服するよ」
以前同様にチキンフライと、リンゴと生姜のホットスムージーが並べられたテーブルを前に、怪物は座ったまま笑顔を浮かべて、右腕を伸ばして対面に座るよう促してくる。俺はキッチリと敬礼してから、遠慮なく椅子を引いて腰を下ろした。
「流石に三〇分では食堂もチャーシューは用意できなかったみたいなんだ。悪かったね」
「いつもながらに先生の、小官に対するご厚情には感謝に堪えません」
怪物と相対して、この程度の嫌味の打ち合いは軽いものだ。『戦果』を待ちわびていたついでであろうから、トリューニヒトとしては深夜の訪問であっても、それほど気が発つ話でもない。
「ただどうしてもこの時に、先生にはお話ししなければならないことがありまして」
「緊急性を要する事態、ということかね?」
「はい」
「拝聴しよう。ほかならぬ『エル=ファシルの英雄』の話だ」
国防委員会も統合作戦本部も、近々で積極的な軍事行動を起こすことは考えてない。それを承知の上で、俺が告げ口のようなことをしてくることに疑念を抱きつつも、聞く価値はあると判断したのだろう。右手を小さく翻すその仕草は実に自然で、言葉にも微妙な阿諛を織り交ぜる。先程まで一緒にいた素人集団では到底マネできない洗練された話芸だ。
「トリューニヒト先生は我が同盟における数多の政治家の中でも、異なるセクションを的確に繋ぎ合わせるコミュニケーション能力と、時節をお掴みになる判断力と、大衆を惹起させる魅力において比類なき存在です。遅くとも三年を待たずして国防委員長に、五年内には最高評議会議長となられます」
原作では国防委員長になる時期は書かれていない。ただ惑星レグニッツア上空戦時点で国防委員長であるのだから、それより就任が早いのは間違いない。まぁ五年後議長になるのは、その時の最高評議会メンバーが『それなり』の面子だったからなわけだが。
「おやおや……ボロディン中佐、ちょっと勘弁してくれないかね」
言ってる俺でも歯が浮きそうになる言葉に、降参降参といった崩れた表情で、頭を後ろに引きつつ右掌を俺に向けて小さく振る。いかにも照れ隠しといった仕草なのに、左手は机の端に置かれたままピクリとも動いていない。
「いずれはそういう地位に就きたいとは思っているが、今の私は言葉が上手いだけの若造に過ぎないよ。与党にも議会にも、強固な支持基盤を有した百戦錬磨の老獪が揃っている。もしかしたらお試しで委員長職に就任させてもらえるかもしれないが、五年で最高評議会議長は流石に無理だと思うね」
「時節とは常に一定の蹴上げが続くわけではありません。時として長すぎる踊り場があり、踏板に穴が開いていたりしています」
「たしかに。それは君の言う通りだね」
「ですが先生は、時に二段飛ばし三段飛ばしで、階段を上ってこられました。踊り場にある時でも、常に高みを見据えて、労を惜しまず機会を掴み、それを生かしておいでです」
マーロヴィアというド辺境の治安回復作戦に、責任や損害を負わない立場を利用して口利きして、宣伝で功績の大半を持っていく。エル=ファシルへの帰還協議会にヤンが出席することを掴むや、メンバーでもないのに顔つなぎに現れ、会議の流れを舌先三寸で自分の意図したように動かして見せた。
どれも成功する可能性は低く、成功しても目立たない功績であっても、塵積っていけば大きくなる。実はこれは彼が手掛けた、あれも彼が手掛けたという評判は積もり積もって名声となり、強固な支持基盤を作り上げる。実際にリスクを負う立場の人間にとってみれば憎々しい限りだが、まったく逆の意味で彼が手掛けたということで目立たない功績が世に広く知られることにもなっている。
「故に先生ご自身につきましては、小官として何一つ申し上げることはないのですが……」
「が?」
「『犬のリード』はしっかりとしたものをお買い上げいただきたいと、思う次第であります」
俺の言葉に、トリューニヒトの左手の人差し指がピクリと動く。表情筋は全く変わらず苦笑いを浮かべているが、僅かに開いた瞳が言い終えた後、音を上げてホットスムージーを啜る俺の顔に向けられているのが分かる。俺が言っていることがどういうことか、正直測りかねているようにも思える。であれば、直球っぽいスライダーを投げ込んでやるべきだろう。
「実は先生。小官も今夜ここに来るまでに、野犬の集団に襲われまして」
「野犬……それはいけないね、ボロディン君。大事なかったかい?」
「正直申し上げて背中がまだちょっと痛いのですが、人の友として調教された猟犬とは違って、見境なしに襲い掛かるだけの畜生に過ぎません。特に問題なく『処理』いたしました」
「……」
「後から来た治安警察の方にも駆除にご協力いただきました。今後の社会不安を考えますと、現場周辺での定期的な巡回と、マスコミによる注意喚起が必要と思われます」
「……」
「もし諸般のデータがご入用でしたら『ご用意』出来ますが、いかがでしょう?」
これが脅迫なのはトリューニヒトも当然分かっている。俺が反戦市民連合のメンバーだとはつゆにも思ってはいないだろうが、襲撃に巻き込まれたことは理解しただろう。トリューニヒトの浮かべる笑みは一切変わらず、右手人差し指が蟀谷に当たっている。流石に怪物。声を上げて逆ギレするようなタマではない。
「……しかしこの国は自由の国だ。野犬が出るからと言って通行の自由を阻害するようなことはできないし、治安警察も他の重犯罪への対処に忙しい。国家の財政難は君のよく知るところだろうとは思うが?」
「幸い小官は軍人でして、銃器を使わずとも自分の身はそれなりに守れるつもりです。ですが一般市民はそうではありません」
襲撃に際し、いきなり爆弾や家屋破壊弾を利用する奴らに対して銃器がどれほど役に立つかは不明だが、対立する二つの思想政治集団の私兵集団が法的に制約されなければ、武装のエスカレーションは歴史の証明するところだ。
原作ではいわゆる左翼側の団体にそう言った武装集団の存在は記載されていない。恐らくソーンダイク氏のリーダーシップもあることだろうが、スタジアムの虐殺が発生した時、なぜか火炎瓶を用意している奴らが居た。ガソリンや灯油といった引火物資をなぜそんなに早く調達できたのかはわからないが、徴兵による軍事知識の市民内における一般化があることは間違いない。
「国家経済を支える善良な市民が、いつ襲われるか不安におびえるような社会になる前に、手は打っておくべきだと思われます」
「『善良な市民』が、自己防衛を名目に法を犯して武装するとは思えないが?」
「治安警察ご出身の先生には釈迦に説法とは存じますが、古来の農政家が残した言葉があります」
「ほう?」
「経済なき道徳は寝言であるが、道徳なき経済は犯罪である、と」
反戦市民連合の根幹に戦争忌避がある以上、余程ソーンダイク氏が現実路線への転換を推進しない限り、言っていることは『寝言』に過ぎない。経済と軍事は主従の関係であって言葉の通りではないが、『寝言』にいちいち反応して武装集団を送り込むような過剰反応はするな、とは伝わるだろう。
もちろんトリューニヒトとてまだ民主主義国家の一政治家であり、政権内で絶対的な勢力を構築するまでには至っていないわけだから、競争相手は早いうちに潰すという意識があってもおかしくはない。だが現時点で直接的に武力を用いるのは政治家としても悪手だ。トリューニヒトが分からないはずがない。それでも踏み切ったということは憂国騎士団自体の手綱が取れていない、と見るべきか。
「なるほど。それも正論だ」
テーブルの上で手を組み、他人を魅了する笑みを浮かべ、トリューニヒトは俺を見つめて言う。
「君は優秀な軍人であり、政治分野にも広い視野と知性を持っているのは理解している」
「それは?」
「私の前職が警察官僚だということは君もご存知のことだとは思うが、出身セクションが公安とまでは知らないだろう。君の馴染みの軍情報部員に聞けば、もしかしたら教えてくれるかもしれないね」
「公安」
「反戦市民連合の前身は平和市民連合協議会と言ってね。ありとあらゆる左派の政治団体が加盟した緩い連合組織だったんだ」
知識としては俺も知っている。協議会が選挙において同盟中央政権に指がかかったことは何度もあったが、その度に協議会から脱落や離反が起こり、あと一歩というところで逃してきた。
それは純粋に内部での党派対立などもあったのだろうが、裏で中央情報局、軍情報部、そしてトリューニヒトのいた同盟警察庁公安部が、色々と工作してきたところもあるだろう。実際に反戦市民連合はソーンダイク氏を半ば追放寸前の状態にしていたし、政治団体としてはほぼ崩壊寸前だった。
「評議会議員を巻き込んだ上で軍内部にシンパを作り、帝国との無条件講和を求めて軍事クーデター寸前だったこともある。勿論その事実は未来永劫公表されることはないだろうが、善良な市民の誰もが持つ平和に対する欲望につけ込んで、帝国側が工作を仕掛けてきたことは一度や二度の話ではないんだよ」
そして今夜。旧職時の仇敵に最期のとどめを刺すべく、憂国騎士団を差し向けたということだろう。それを何も知らない俺は、正義感に絆されて阻止した挙句、その復活に手を貸したというわけだ。さてこの状況を歴史はどう判断するか。他人事なら実に興味深いが、一方の当事者が自分というのは困ったものだ。だが当事者だからこそ言えることもある。
「畑に生える雑草を必要以上に強力な農薬で取り除くのは、畑自体の地力を損ないます。今後もより長く品質の高い収穫物を得たいのであれば、継続的で地味な草取りこそ必要かと私は考えます」
「君の言うのも尤もだ。だがね。相手はミントも裸足で逃げ出すくらい強力な雑草だ。竹と言ってもいい。人の見えない地面の下で、畑を林に変える機会をうかがっている。現時点で地表には姿を現してはいないがね」
「地下茎は元となる竹林から流れてきます。まずはそちらの手入れからするべきでしょう」
「ところが竹もそれなりに有用な資源でもある。ハッキリと分断するには、残念ながら距離が近すぎるんだ」
「狭義の意味では竹と笹は区別されますが、基本的には同じ種です。急成長する竹ばかりに目が行って、笹が実を付けていることはご存知ではないですか?」
「ネズミが増える。そう言いたいのはわかるよ。彼らが病原菌をバラまく可能性があるのもね。だが同じ齧歯類でもハムスターなら問題ない。それにハムスターが居ると、ネズミは家に寄りつかなくなるよ」
フェザーンからくる凶悪な地球教徒をハムスター扱いとは恐れ入るが、『飼いならせる』理由が何処かにはあるのだろう。だがチェン秘書官が俺に囁いたサイオキシン麻薬の頒布の事実。正しいか間違っているかは、旧職に縁が深い怪物ならば当然理解している。
原作では同盟国内におけるサイオキシン麻薬の流布についての記述は、地球教本部やオーディンなどの支部それにカイザーリング艦隊など話題に事欠かない帝国と比べて少ない。警察とマスコミの支配を自己の政治生命維持に費やしていた怪物だが、地球教徒を利用はしても麻薬の頒布は行わせない程度の分別はあるということか。
それに帝国の憲兵隊のようなある意味超法規的な武装集団のいない同盟にあって、警察畑の怪物が、麻薬の撲滅のために帝国の治安組織とすら手を組んだことを知らないわけがない。
「小官はサイオキシン麻薬を頒布したり、無理やり使って人を従わせるような人間を、人間とは思っておりません。犬畜生にも劣ると思っております」
「当然だね。この国においてそんな蛮行は決して許してはならない」
一〇〇点満点の回答のように聞こえるが、帝国やフェザーンではどうでもいいと言っているに等しい。あくまでも同盟国内で地球教徒が繫茂しようが、自分の立場や国内治安を揺るがすような行動をとらないのであれば黙認するし、その行動指針を逆手にとって利用してやろうとも思っている。正直溜息しか出てこない。感情を消した俺の三白眼と、魅了の魔力を持つ人の良さそうな怪物の眼差しが、料理の上で衝突する。俺も奴も、スムージー以外には手を付けてはいない。
だが視線の衝突は一〇秒も持たずに、扉のノックで破られる。いかにも途中で席を離れて悪いねと言った笑みを浮かべたトリューニヒトは立ち上がって扉を開くと、そこには先程までの余裕を失った悪霊殿が立っていた。
一言二言。内容までは聞こえないが、少し非難を含んだ口調で悪霊が怪物に何かを告げている。ようやく「結果」が届いたのだろう。治安警察の小隊長殿の肝っ玉が小さいのか、それとも純粋に能力に不足していたのか。だいぶ時間に余裕があったのは幸いだった。
言わせるだけ言わせた後、軽く二回、悪霊の肩を叩いた怪物は、扉を閉めるとすぐには席に戻らず、書斎棚の下のところから明らかに隠しているといったウィスキーのボトルを取り出し、グラスも二つ出して両方に注いだ。そして俺が手を伸ばすより早く自分のグラスを手に取ると、それほど多くない中身を一気に喉へと送り込んだ。
「最低でも一ケ月、だそうだ」
トリューニヒトがそう口を開いたのは、きっかり三分以上経過してからだった。
「いったいどんな魔法を使ったんだろうね。青年労働者は」
「稲妻でも走ったのか、嵐の必殺技でも使ったのかもしれません」
「もしそれが本当ならば、その青年労働者は超人だね」
アルコール濃度の高い溜息とともに乾いた笑いが、トリューニヒトの口から洩れる。
「軍人とは本当に恐ろしい。いかにも人畜無害といった人間に見えて、ジャケットの下には猛禽が潜んでいる」
軍人に対する恐怖感はホワン=ルイも語っていた通り。国内で唯一の合法的な暴力組織であり、構成する人間それぞれに心がある。いくら法律や軍規が行動を拘束しようとも、人は自らの信念によって動く。そういった手段と信念を持つ人間が、制度を乗り越え肥大化し、国家の中の国家となることは民主制国家の悪夢であることは十分理解できる。
トリューニヒトが国防委員長になって以降、人事権を行使してクブルスリーやビュコック爺様の足元に自らの息のかかった人物を送り込んでいったのも、ある意味では軍閥化への恐怖の裏返しなのは原作でも述べられている通りだ。
シトレに対するトリューニヒトの隔意も、『シトレ閥』と軍内部で公然と囁かれている事への裏返しだろう。逆にシトレのトリューニヒトへの隔意は、軍事ロマンチズムに基づく正しい民主主義国家のあり方との乖離ゆえに。双方の信念とが双方間の交流の無さが、双方が軍政・軍令の最高責任者であるタイミングで、あの致命的な遠征を招いたわけだ。
「トリューニヒト先生」
俺は目の前ですっかり味が飛んでいそうなウィスキーグラスに左手を伸ばして言った。
「今の私が先生に言うのは脅迫以外の何者でもないですが、私は政治家としての先生の実力はこの国でも随一であると信じております」
「信じるのは君の自由だとも」
合わせ鏡のように右手でグラスを傾けるトリューニヒトの声はいつもよりも固い。
「しかしね……」
「憂国騎士団を切り捨てろとか、そういう身の程知らずの事は申し上げません。これまでのご縁というのもあるでしょう。ですが、せめて使い方を誤らないように願います」
「……」
「今回はあまりの偶然でしたが、この国の五年後を担われる先生が、このようなことで足元を掬われることがあってはなりません」
俺はグラスを置いて席を立ち、座ったままのトリューニヒトに向けて深く頭を下げた。
「民主主義国家の最高権力者の手は、なるべく綺麗であるべきです。如何なる色の血でも汚してはなりません」
頭頂部からギッという、椅子を傾ける音がする。頭を上げてみれば怪物は目を瞑り、両手を腹の上で組んで首を仰け反らせている。返答次第では俺が持っているデータを軍情報部とマスコミに流し、ようやく拡大基調にあるトリューニヒト中心の国防会派を潰しにかかるかもしれないと考えているのだろうか。
「……君は本当に政治家になるつもりはないのかね?」
二分ばかりの沈黙の後で、トリューニヒトは目を閉じたまま問いかける。勿論俺の回答は決まっている。
「二言はありません」
「君のこれまでの経歴と能力からすれば、流石にブルース=アッシュビーとは言わなくても、ウォリス=ウォーリックよりは政治家としてうまく立ち回れるはずだ。それでも?」
「私の夢は軍にあるうちに帝国との戦争が終わるか小康状態となり、自分より年下の赤毛の美女と結婚し、あくせく働かずとも二人と子供二人位で食っていけるようになることです」
それが最高ではあるが、目的は生存中の同盟という国家の存続と再生。原作通りに話が進むのであれば、金髪の孺子の首を獲るか、宇宙暦八〇一年七月二七日まで銀河の半分が民主主義国家である状況を作り上げることだ。
だが蛙のような目が開いて俺を見つめるトリューニヒトの顔は、つい先程とは全く違って興味津々と言った感じだった。俺にも少なからず欲望があり、清教徒的な軍国主義者ではないとハッキリ理解したからだろう。
「引く手数多といわれる君が結婚しないのは、やはり約束した人でもいるからなのかね?」
「そんなデマを飛ばす下種は誰です?」
ラージェイ爺のチケットを使う機会がない程度の忙しさでそんな出会いなどないし、戦争のおかげでフェザーンに飛んでいくことができない。そして職場に美しい化蛇が棲み付いて身の回りの世話をしているという話があって、引く手数多どころか砂漠状態だ。思わず握られた拳に気が付いたトリューニヒトが、お茶目さと下品さの絶妙な間隔を抜くような芸術的なウィンクを見せる。
「おっと、それは言えないね。言ったらまたぞろ君の仮面の下から猛禽が出てくるだろう?」
「ペニンシュラ氏ですか?」
「残念ながら違うね。これは本当だよ?」
苦笑を浮かべながら手を振ると、トリューニヒトは俺に向かって今一度席に座るよう軽く指図する。俺がそれに従って腰を下ろす間に、空になった二つのウィスキーグラスを再充填した。しかしすぐグラスを取ることなく、机の上で手を組み右手人差し指だけ突き出して眉間に当てつつ、俺を見つめながら言った。
「政治家にならないというのであれば、君にはしばらく前線に出てもらいたい。早急に武勲を上げるには、正規艦隊に居ては何かと不都合だろう」
「小官の希望としては第五艦隊に戻れるのでしたら、どの部署であろうと不平はありません」
「君があの老提督を深く敬愛しているのは分かる。だが私としては『君個人の』武勲をなるべく早く立てて欲しいのだ」
それはモンティージャ大佐が言っていたことと同じだ。第五艦隊に戻ろうとすれば、恐らく爺様は散々嫌味や愚痴を言いながらも司令部に俺の席を作ってくれるだろう。だがそれでは第五艦隊の出動ローテ以外で武勲を上げる機会はなく、あの大侵攻の時点でも准将がせいぜいだ。幕僚としてスピード出世するには、人が恥をかいた時に手柄を立てつつ、艦隊が致命的な危機に陥った時に魔術を披露するしかない。
流石にそんな奇跡をトリューニヒトが想像できるわけではない。ので俺個人の武勲をということから、中佐の身分でそれが叶うのは、最前線付近にある辺境管区配備の哨戒隊指揮官しかない。戦艦一分隊、巡航艦二分隊、駆逐艦二分隊、支援艦一分隊で定数は三五隻。兵員は四五〇〇人から五〇〇〇人。先任旗艦艦長を兼務することになる。だが実際は隊司令の仕事に専従し、旗艦は最先任副長(少佐)が指揮を執る。中佐としては最小クラスとはいえ、一国一城の主という身分だ。
しかし基準赴任期間は二年。新編制で哨戒隊がマトモに定数を編成されることはまずない。そして配備される管区にもよるが、赴任期間における致死率は二五%を超える。損害率ではなく致死率だ。文字通り四隻に一隻は生きて帰れない。
これは本来の意味は飼い犬を虐めた報復か。それとも悪霊の派遣先からの圧力から庇う為か。だが取りあえず俺を軍上層部で使える駒として確保しておきたいという意思は分かる。
しかし現職では前線に出ることはまずないので出世は遅くなる。正規艦隊に幕僚職で入れても同じ。下手をすれば現在は第八艦隊司令官のシトレが干渉してきて搔っ攫われる恐れがあるが、哨戒隊ならば所属は宇宙艦隊司令部ではなく統合作戦本部星域管区隷下となるので、統本に圧力をかけておけばいい。まぁ二年の赴任期間のうちに戦死したら、運が無かったと諦めるつもりだろう。実にトリューニヒトらしい他責主義だ。
「君が私を高く評価してくれていると同様に、私も君を高く評価しているんだよ」
正直トリューニヒトの軍人に対する評価など、パストーレやムーアの例を見るまでもなく信用ならない。だが大侵攻を阻止するだけの権威を作る為には、救いがたい暗黙のルールとはいえ目に見える個人の武勲が必要だ。後方勤務で政治家や実業家を動かして阻止しようとしても、中佐のままではできることに限りがあるし、武勲なしでは五年間で大佐になれれば御の字だ。他人の命を出世の種に使う嫌悪に堪えつつも、これは引き受けざるを得ない。
「今期の予算はいかがいたしましょうか?」
「勿論、キッチリと八月まで仕事をしてもらうよ。途中で仕事を放り出されては、私も官僚のみんなから突き上げられて、些か困るからね」
そう言うとトリューニヒトは中身の入ったウィスキーグラスを俺の方へ向けて持ちあげて言った。
「近い将来の正規艦隊司令官殿、そして未来の統合作戦本部長閣下に」
言っている言葉はお世辞であっても、お世辞に感じさせない見事な抑揚に、俺は腹の底で舌を出しつつもグラスを上げてそれに応えるのだった。
後書き
2024.08.29 投稿
C104に平蔵文庫(平八郎名義)は再びサークル参加する機会に恵まれました。
酷暑の中で当サークル迄足をお運びいただいた皆様に感謝申し上げます。
まさか自分が皆様から差し入れを頂いたり、感想を便箋で頂いたりするとは思ってもいませんでした。(まだお返事できずにすみません。ごめんなさい)
完全に自己満足な拙い二次創作であるにも関わらず、ここまでしていただけるとは作者冥利に尽きます。
改めて御礼申し上げます。
次回は冬コミ(C105)を想定しております。当選すれば③のツンデレお嬢のエルファシル戦記は出す予定です。表紙のヒロインもろバレですね。④のダゴン星域会戦は出せると思いますが、筆者の挿絵の能力次第です。
酷暑と豪雨が続き、大変な時代になってしまいましたが、今後も『ボロディンJr奮戦記』をよろしく御贔屓くださいますよう、お願い申し上げます。
第107話 まっとうな軍人
前書き
お世話になっております。
憂国が終わったので、早速次の戦場に行きたいところだったのですが、
どうしてもやっておかねばならない閑話みたいな話があったので投稿いたします。
実につまらないです。読み飛ばしてもらっても、話の大筋からは大して問題ではないと思います。
Jr.とオネーギン氏は、元になった名前から考えると、『大の仲良し』でもおかしくないんですがね。
宇宙暦七九一年 四月 ハイネセンポリス
案の定というか、予想通りだったが、チェン秘書官の抜けた穴は大きかった。
この仕事に就いてだいたい八ケ月。おおよそ仕事の流れは分かっていた。しかし手配する場所や品物についての手続きはチェン秘書官に任せっぱなしだった為、そっち方面の業務については些か手間取ってしまった。チェン秘書官が既に手配していた分を優先し、新規のアポイントを半分以下に減らしてこなしていくしか方法はない。
もちろん補充の秘書官に頼むという考えもあったが、俺の独断でフェザーンに派遣してしまった以上、代行要員の手配優先度は低くなるのは道理。それにこういった任務を知る人間は少ない方が良いから敢えて代行要員は頼まず、チェン秘書官の残していった業務端末に悪戦苦闘しつつ、自らジャスミンティーを淹れて来客を迎える羽目になっていた。
「いや、なんだ。これ。自白剤とか、睡眠薬とか入ってないよな」
早朝掃除したばかりのソファに深く腰を落とし、やはり残していったクッキーを口に放り込みながら、『マトモな方の』カモメ眉は俺に言う。
「そんなに不味いですか? モンテイユさん」
そう応えつつ、俺も自分の淹れたジャスミンティーを口に運んで、氏の言う通り薬品のような苦みが、口の中全体に広がって眉をしかめざるを得なかった。
「あ~確かにこれは少し沸かし過ぎたかもしれない」
「迂闊に人を雇えないというのは分かるが、せめてこういうところは誰かに任せた方が良いんじゃないか?」
「二ケ月の短期じゃ、そうやすやすと口の堅い人は来てくれないんですよ」
「万事用意周到な君が代行者の手配ができなかったってことは、あの美人秘書官殿のご家族の事態は余程切迫していたんだな。間に合うといいが」
「そうですね……」
一応対外的には、ハイネセンより三八〇〇光年離れたパラトループ星域にあるプルシャ=スークタ星系に住んでいるチェン秘書官の母親が突発性劇症膠原病に罹患し、どんなに長く持っても一ヶ月ということで、急ぎで一時休暇を取ったということになっている。
所謂主要航路から外れているパラトループ星域へ行くには、ランテマリオ星域から辺境星域を巡回してフェザーンに入る定期民間貨客船に乗るか、定期便で一気にフェザーンまで行ってからパラトループ星域への直行便に乗るかの二択だ。そして国家の統合状態としては大変残念なことに、前者よりもはるかに後者の方が、係る日数は少なく便数も多い。故にチェン秘書官がフェザーンに向かうのは、『当然』の選択だ。
「まぁ一応彼女も軍属ですから、ポレヴィト行きの軍定期便に最優先で乗ってもらいましたよ……できれば開発中の高速巡航艦があれば、彼女はもっと安心できたんでしょうけどね」
自分の淹れたジャスミンティーを我慢しながら飲みながらポツリとつぶやくと、モンテイユ氏は小さく笑みを浮かべつつ鼻を鳴らしながら、顔の中にいるカモメの右翼を大きく吊り上げて応える。
「それで途端にアポが取りにくくなったと噂の君が、係長になったばかりの私を呼び寄せたってわけだな? 君は私に何をして欲しいんだ?」
「知恵を貸してほしい。上手く丸められたら未確定だが秘匿情報を出す」
「非合法な話だったら乗らないぞ」
「資金不足に喘ぐとある中小企業がある」
それが現在、国防技術本部隷下艦船開発部と共同で高速巡航艦を開発中である造船会社であることは、モンテイユ氏もすぐに理解してくれる。
「現在開発中の『製品』を製造するに際して、資金が足りずどうしても必要な資材が手に入らない。提供する資材会社側としては素材技術を提供して欲しいのであれば、相応の額を支払ってもらいたいという」
「その資材会社の請求額が幾らか聞いてもいいか?」
「二〇〇億ディナール」
「その『製品』の開発費は?」
「一〇億ディナール」
「もうそれは財務委員会の出番ではないな。治安警察の領分だろう」
「ところがそうでもない」
その資材会社が造船会社に独占販売を提案してきた宇宙戦闘艦用の装甲材は、まさに画期的なものだった。独自の方向性結晶構造を持つ特殊合金であるらしく、従来の装甲材より比重はあるが、装甲厚比対エネルギー防御力にも物理的防御力にも優れている。どうやら延性は従来品よりもさらに乏しいので、艦船の装甲として使用するのであれば、直線・平面の多い艦船になる。
そしてその中小企業(造船会社)は、新装甲材に相応しい見事な艦船デザインを作り上げた。艦首より船体中央部まで、今までの同盟軍艦船においては巨大輸送艦でしか採用されていない四角錘のような傾斜を持っている。中央部はその陰に隠れるように引き締まり、そこから艦尾にかけて艦首から続く傾斜線の内側に入るよう整えられた推進部を有する。
真横から見ると槍の穂先のような、同盟軍にそれまでなかった優美さすら備える絶世の美女の艶姿(イメージ映像)を、大型の立体映像端末でモンテイユ氏に披露すると、氏はまるで初めてヌードを目にした思春期初頭の少年のような感じで舐め廻すように凝視する。三分近く経って、ようやくモンテイユ氏は顔を上げて俺に視線を送って言った。
「君の目から見て、この製品は使えると思うか?」
「量産性が確保されることが最低条件だが、想定されるカタログデータの八割でも達成できれば、既存の競合他社製品(帝国軍標準型巡航艦)に後れを取ることはない」
傾斜化による船体の長大化を逆手に取った戦艦並の長射程主砲の搭載、特殊素材傾斜装甲自体の防御力・船腹増大により可能となった既存核融合炉タンデム搭載による防御シールドの強化と速力の向上・完全閉鎖式艦載機格納庫による低防御部の減少・直線部品多用による製造効率化及び補修能率の向上、内部構造効率化による艦艇運用員の低減……戦闘能力・生産性・生存性、どれを取っても既存の巡航艦をはるかに上回る。
だが同じデザインでも既存の装甲材を使用すればその優位性は格段に落ちる。一回り大きくなった船体は被弾面積を大きくするだけでなく、旋回性能も低下することになる。近接格闘戦に持ち込まれれば、特殊素材の装甲材がない限り、小回りの利く既存の巡航艦の方がかなり優位だ。
「……確実に長く売れる製品の基幹となる技術なのだから言い値で買え、というわけか」
「既製品の生産ラインをそのまま新製品に転換できるとしたら、資材の販売も含めれば、だいたい五〇年で元が取れる」
「つまり一世代ギリギリの数字か。その資材会社の営業部長は只者じゃない」
「しかし大手ですら一度に支払える額でもない」
「買収か子会社化を企んでるだろう。提供素材を利用しなければ(制式採用の)保証がない。保証がない限り支払える額ではない。乗り掛かった舟を途中で降りれない企業に逃げ道はない」
スッパリと言い切るモンテイユ氏の回答に、俺は自分の考えが間違っていないことに安堵した。同時にその資材会社の背後が誰だか、おぼろげに見えてくる。同盟軍とのパイプの太い大手ではなく、あえて艦船開発能力に確かな技術力を持つ中小企業に話を持ち込んだ。
もし大手造船会社に対して同じように話を持ち込めば、敏腕顧問弁護士と百戦錬磨の調達部がお出迎えして、逆に傘下に収められてしまうこともあるだろうし、交渉次第によってはそれなりの額を提示されて終わりだ。だが大金だけではなく、軍と開発取引ができる企業という顔も欲しているのであれば話は変わってくる。
よくある話だと言われればそうかもしれない。軍ではなく民間であれば日常茶飯事だろう。銀行や投資会社が旗を振って業界の再編を促すことは、前世でもよくあった話だ。ただ今回は国防に直接関わる分野だ。政治家や官僚が介入してたとしてもおかしくない……それ故にこの話をバウンスゴール大佐は装備開発部隷下の艦船開発プロジェクト部の部員を連れて、俺に持ってきたのだろう。
「君としてはこの買収なり子会社化なりは阻止したい。そう考えているのか?」
「可能ならば。ここで開発がストップすることは、今後死ななくても良かった将兵が死ぬことになる、かもしれない」
生存性の向上した新型高速巡航艦の登場は早ければ早いほどいい。企業買収などによって開発部門が別会社に吸収されるようなことになれば、下手をすれば吸収側の企業審査から始めることになる。相手が同業大手であればそういう手間はないだろうが、今回仕掛けてきているのは資材会社だ。庇を貸して母屋を乗っ取るつもりと考えれば、その遣り口は真っ当な資材会社とは到底思えない。そこまで考えれば、これは『国内』問題ではない。つまりは乗っ取り以外の別の目的もありうる。
「……まず政治案件でないことを確認する必要があるんじゃないか?」
「勿論。まぁ仮に政治案件でも、何とかしなければならない話さ」
もし政治案件だとしても二〇〇億ディナールというのはあまりに大きすぎる額だ。大侵攻の当初予算が二〇〇〇億ディナール、国防予算が一兆九七〇〇億ディナール。その何パーセントかは分からないが、政治家のポケットに入れるにはあまりに額が大きすぎる。
仮に仲介手数料が一パーセントだとしてもバレれば、トリューニヒトであってもただでは済まない。ましてや民間企業ではなく国防企業だ。より直接的に安全保障の問題になる。そこまで危ない橋を、現時点のトリューニヒトが渡るとは思えない……いや、一応確認すべきだろう。国外問題であれば、それなりの目溢し料を手にしている可能性もある。
「随分君も強気だな。トリューニヒト氏と蜜月関係という噂はやはり本当か」
「言い触らしている奴をこの部屋に引き摺って来てくれたら恩に着るよ」
右手を開いたり閉じたりして笑顔を見せると、モンテイユ氏は引き攣り笑いを浮かべる。今のところ憂国騎士団の一件は公表もされてなければ、噂話にもなってない。一人の『肉体青年労働者』に一個小隊が無力化されたなどと知られれば、体のいい恥さらしだ。死んでも喋らないだろうし、関わった治安警察のへぼ隊長や病院関係者に『箝口令』をしくだろう。おかげで今も温厚で話の分かる青年政治将校という評判に変わりはない。
「で、穏便な解決策ですけれど、どうです? 何かいい案はありませんか?」
自分で淹れた不味いジャスミンティーをおかわりしつつ俺が問うと、モンテイユ氏は深くソファに腰を沈めて腕を組んて応える。
「まずその資材会社の資産実態調査を行う。あまりにも高額な取引額の提示だ。一から生産設備を構築すると言ってもその三分の一でもお釣りがくるのに、得た資金を何に使うのか資材会社の目的を知るべきだろう」
ブラフにしても高額だ。造船大手が資材会社をダミーにして、高速巡航艦の開発データを奪い取りに来た、という微妙な可能性も無いわけではない。資材会社の株の所有者を当たれば、そのあたりの背景が確認できる。身の程知らずの政治業者がいれば、そこで淘汰もできる。
「大幅に減額できれば、後は増資だ。中小とはいえ将来有望な造船会社であることを公表し、資金を市場から集める。くれぐれも高速巡航艦の『制式採用』という言葉は使うなよ」
「やはりここは正面突破しかないか」
「そのくらい君でも理解できるだろう。もしかして中央政府からの増資とかも考えたのか?」
眉をしかめるモンテイユ氏に、俺は二度ばかり頷いた。
「資材会社へは財務委員会から抜き打ち社内査察の実施、造船会社へは軍部から財務監察要員の派遣し、国防予備費からの緊急借款を行って一時的な国有化という手もあるかなと」
「我々財務委員会を鉄砲玉にして、軍部から用心棒を派遣するか。それだと統合作戦本部と財務委員会に通す必要があるだろう……パルッキ先輩も地域開発委員会の同期も言っていたが、君は軍や政治権力の市場介入についての敷居が随分と低いな」
「自由で開かれた市場経済が救えない人間を救うのが、国家権力の役割だと思っているからね」
「考え方は正しいが、拡大解釈だけはしてくれるなよ。君はともかく、大抵の軍人は自分の日常を経済に当てはめて考えるきらいがある」
確かに原作でそれをやってくれた男が隣の部屋にいる。はぁ、と一つ溜息をつくと、この後俺がやらなければならないことをざっと頭の中にリストアップする。まずはトリューニヒト、次にラージェイ爺、そして造船会社、最後に資材会社。足りない時間を縫って行うスケジュール調整に、思わずチェン秘書官がもう一人欲しいと思ってしまう。
「……事が上手く運んだら教えてくれる秘匿情報については期待している。私からも企画課長にこの状況について進言する。参考となる資料と経緯のレジュメを作ってくれるならば、なるべく早く用意して送って欲しい。こういう場合、財務委員会側の査察官は言い出しっぺが担当することになるからな」
だいたい話の流れが決まって、誰も補充しない最後の一枚になったクッキーにお互いがどうぞどうぞし、結局手に取ったモンテイユ氏が口に運ぶと、ソファから腰を上げそのついでとばかりにジャスミンティーの残っているポットの蓋を開けて言った。
「君の秘書官だが、口の堅いのがご入用なら財務委員会から廻してもいいぞ? パルッキ先輩がいなくなってから、中堅以下の若い女性総合職の士気が目に見えて落ちていて、我々としても少し困っているんだ」
「ご配慮ありがたいが、お断りするよ」
今年八月には最前線に赴くことは言う必要もないが、そんな短い期間であろうと予算審議で少しでもキャリアを積まなければならない若手官僚に、不良軍人の下に入って慣れない仕事してもらうのは心苦しい。
「手を出してパルッキ女史に密告でもされたら、今度はマーロヴィアで機雷掃除をする羽目になってしまう」
「パルッキ先輩がそんな生易しいはずないだろう……」
軽い冗談で応えたつもりだったが、モンテイユ氏はシラケた顔つきでやや薄目のビジネスバッグを片手に、何故か肩を落とし哀愁漂う声色で呟いた。
「パルッキ先輩の可愛がっていた後輩に手を出した翌朝。誰も出勤していないはずの職場の自分の机の上に、結婚情報誌と旅行雑誌と共済組合の家族向け医療保険・生命保険のパンフレットが並べられてるんだ。婚姻届抜きで……」
もう春になり暖かい日が差し込み、空調も送風に変わっているにもかかわらず、吹雪のような凍える冷風が俺の執務室を吹き抜けたのは、気のせいではなかった。
◆
翌日、遠い処に住むお友達とこういう話をして『商売』していませんかとトリューニヒトに尋ねると、「それは惜しいことをした」と返ってきた。冗談だか本気だかわからない回答であったが、造船会社を救うことと、資材会社にお灸を据えることにはとりあえず同意してくれた。ただし今後のこともあるので「あまりやりすぎないように」との釘も刺されたが仕方ない。
その後で連絡したラージェイ爺は、出資に関しての取り纏めに同意してくれた。想定される資材会社の背後についてあえて俺の妄想と断ってから話すと俄然やる気を出したみたいで、一〇歳は若返ったように視線が鋭くなり、小さな居酒屋から俺でも知っているような大企業のOB達に連絡を取り始めた。ひと稼ぎを考えているのは間違いないが、少なくとも国内で金は回るだけマシだ。その代わりこの時点で俺は、明らかな犯罪者となったわけだが。
ついでなのでラージェイ爺には積極的に動いてくれたお礼として、俺もサンタクルス・ライン社の株式名義を今一度洗い直すことをおススメした。どんな小さい投資会社でも念入りに。明確な証拠など何もないが、洗い直すだけなら通常の業務の内だから別に何の問題もない。
それからラージェイ爺が推定したお財布と現状の交渉状況のつり合いの確認に造船会社……ハイネセンポリスから五〇〇〇キロ離れた別大陸にある、サウスリバー・シップビルダーズ(SRSB)の「ハイネセン本社」を訪れた。待っていた社長重役一同は俺を、諸手を上げて出迎え、最終的な落としどころについて確認する。最悪は会社が大手傘下となる可能性だが、子会社として一定の独立性を維持できるよう取り計らうことを告げると、社長は泣きながら俺の両手を握った。
これらの準備を終えて再びハイネセンポリスに戻った俺は、資材会社に一件についての処理について連絡を取った。会社に直接乗り込んでやっても良かったが、軍人が現場に直接乗り込んでトラブルが起きるのはなるべく避けたい。向こうもそう考えたのか、あるいは別の考えがあるのか。勤務時間外の夜遅くハイネセンポリスから少し離れた歓楽街の一角にある、高級クラブで会いたいとの返事が来た。
一応の危険性も考え、バグダッシュにこれまでの時系列を簡単なレポートにして送っておき、失敗した時の後始末(遺言状)を一方的にメールで送った後、俺は髪をオールバックに纏め、濃紺のタートルネックとグレーの上下に身を包み、指定された高級クラブへと足を運んだ。
「ようこそおいでになられました。さぁ、どうぞ」
扉を開けると、深紅に染め上げられ光輝く正絹のパーティードレスに身を包んだ、茶色の入った真っすぐな赤毛の映える眉目整った美女が俺を出迎える。
落ち着いた間接照明。繊細でありながら深みのある木工細工と鏡の組み合わされた壁。複雑な唐草模様の入ったソファ。ソファと色違いで同じデザインできめの細かい絨毯。客は少なく、同様にホステスの数も少ないが、その分距離もあって他所の人間に話し声が聞かれることもない。
「お連れ様はもう少しお時間がかかると伺っておりますが……」
下品さはなく自然な流し目。触れない距離に寄った肩。濃厚な、深みを感じるラベンダーの香り。初めて会う相手であっても、傍にいるだけで満足感を味わうことができる最高級のホステス。見た限り歳は俺と同い年ぐらいだろう。若さと艶さが釣り合っている。
だがビリーズ&アイランズ・マテリアルよりも売り上げが少ないにも関わらず、これほどのホステスが在籍するクラブを即座に用意できる資材会社というのもなかなか笑える冗談だ。もしアイランズがこの店に来たら、専務のハワードさんにねだるかもしれないが、俺は一応身の程は知っているつもりだ。
何も応えずぼんやりとした表情で座る俺に、赤毛のホステスはより距離を詰めて顔を覗き込んでくる。こういうところは初めてで、緊張しているのかしらといった余裕の笑みを浮かべているが、俺が視線を合わせずに髪のひと房を手に取ったのを見て、首を傾げる。
「赤毛の髪はお好きですか? お客様」
「本物ならね」
地毛は赤ではなく黒に近い栗毛だろう。随分と慌てて染めたのか、手に取った中に地毛の色と染めた色が交互になっている髪が数本あった。
「上品な貴女は地毛が一番似合ってるよ。それに深紅のパーティードレスより、少し明るい茶色に黒の模様が入ったブラウスの方がいい。そちらの方がずっと映えるし好みだね」
彼女自身ではなく彼女を『そういう姿』にさせた奴の、俺に対する舐め切った対応にブチ切れ寸前だが、怒りを命令されただけの彼女に向けるわけにもいかない。表情筋を操作して師匠直伝の「困ったね」といった苦笑を浮かべると、彼女の顔には一瞬驚愕が浮かんだが、すぐに収めて「お酒をご用意しますね」と言って少し離れて座ってウェイターに合図を送る。
そしてウェイターはシャンパンだけでなく、一人の男を連れて席にやってきた。
「いやぁ、こちらがお呼び立てしたのに、お待たせしてしまって申し訳ない」
くすんだ金髪。太い眉に下がった目尻。やや張り出した頬骨とそれに引き摺られるような皺の寄った頬に割れた顎。いかにも苦労人といった顔つきの男が、茶色の中折れハットを取りながら挨拶してくる。
「初めまして、ヴィクトール=ボロディン中佐。プレヴノン・MM社の、エヴグラーフ=オネーギンです」
「どうもエヴグラーフ=オネーギンさん。こちらこそお時間をいただきありがとうございます」
挨拶は大事。力任せに握りつぶしてやりたくなるのを抑えて、ソファから立ち上がり笑顔で握手する。オネーギンの手はざらついていて、ところどころにタコがあるのは、格闘技術のある人間の証拠。それもそのはず原作通りなら七年後に帝都オーディンでランズベルク伯やシューマッハ大佐と共に、金髪の孺子のお目こぼしがあったとはいえ陽動工作も含めて、ニコラス=ボルテックの部下として幼帝誘拐に成功した男。
偶然とはいえ、せめて変装ぐらいしてこないのかと思わないでもないが、俺の名前を知っていて『赤毛のホステス』を用意しているわけだから、世間知らずの青年将校にもう一度手痛い教訓を味合わせてやろうと、高をくくっていると見ていいだろう。
「まぁまぁ、いきなりご用件の話に進むのはなんです。一杯、如何です?」
「いいですね。ピンクのラベルというと、ロゼ・シャンパンですか?」
「えぇ、えぇ。ノンブランドですが八年物のロゼですよ。力強くて芳醇で、これがなかなか」
向かい合う俺とオネーギン氏の間に座る赤毛のホステスが、グラスにシャンパンを注ぐ。蓋は開けたばかりで、グラスは三つともきれいに磨かれていて薬が塗られている気配はない。なので俺は遠慮なく手を伸ばしてホステスの分のグラスを取ると、当然の如くホステスの手は止まり、オネーギン氏の右頬は引き攣った。
「どうしました?」
何事もなかったように俺がグラスを手に持ちながら首を傾けると、ホステスは俺のグラスを手に取って乾杯の音頭を取る。確かにオネーギン氏の言う通り、力強くて芳醇な味が、口の中を滑らかに動き回る。他愛もない季節話を五分。グラスが空になった時点で、ホステスは小さく頭を下げてボックス席から離れて行く。
真っすぐ歩きながらバックヤードへと消えていくホステスの後姿を見送った後、オネーギン氏は早速俺に視線を向ける。先程までの苦労人の叔父さんという目付きではない。やくざ者の一歩手前のような、前世の俺だったらちびって逃げ出したくなるような顔だ。
「国防委員会におられる中佐殿が新素材の件でお出ましになるとは、こちらとしては考えておりませんでしてね」
言葉は丁寧だが、コネ昇進の若造はすっこんでろと顔に書いてある。なので俺は右も左も分からないフリで、表情筋を動かし笑顔を浮かべて応じる。
「そうでしょうね。私もまさか出張ることになるとは思ってもいませんでした。こういう仕事って大抵面倒なんですよね。お互いに」
「……これは『民間企業間の一般的な商取引』です。正直申し上げて軍人さんが干渉(お手伝い)されるようなお話ではないかと」
「その商取引の内容が軍艦艇設計資格を有する造船会社に、宇宙戦闘艦艇用の新装甲材を持ちかけた後で法外な額を請求したという話ですからね。無視するわけにはいかないわけですよ」
「法外な額かどうかは見解の相違ですが、弊社の装甲材の採用を決断したのはあちら様なのですよ?」
「ゼロの数の書き間違いを指摘するのは、まず当然だと思うんですがね」
その装甲材の価格を軍への納入価格に転嫁した場合、初期ロットで既存の巡航艦の一〇倍近い価格になってしまう。量産契約が済めばより低減できるだろうが、今の情勢では価格が提示された段階で選考外だ。
勝手な推測だが現時点で既に試験運用可能な試作艦艇が出来ているのに、原作でタイプネームの一桁番号が実戦配備されたのが七年後というのは、書かれていない設計上の大問題がない限り、調達価格の問題だろう。大侵攻の後始末でただでさえ金がない上に、まず数が重要という時期に高級品を敢えて建造するのはためらわれる。
オネーギン氏としては最初から継続的に装甲材を『自社』から購入してもらおうとは考えてはいない。なにしろ軍艦の装甲材だ。膨大な生産量が求められるから他社にOEM生産してもらうのは当然で、技術料を買い叩かれるのは困るのは理解できる。吹っ掛けてくるのはある意味当然だが、敢えて資本力に劣る中小企業であるSRSBに話を持ち掛けたという点が、実に氏の上司の思惑を考えると嫌らしい。
顔による脅しも効果がないと分かったのかオネーギン氏は大きく溜息をつくと、前のめりの姿勢を崩してソファの背に深く腰掛け直し、呆れたと言わんばかりに足を組んで右腕を軽く振り上げる。
「具体的に私たちに何をお望みなんです、中佐」
賄賂でもキックバックでも欲しいのか、と目が語っている。確かに要求するタイミングとしては絶好だろうが、残念ながら俺はそういう人間ではない。
「特には何も。ただ市場価格に見合った、良識的な範囲での金額をご提示いただければいいだけです」
俺の言葉にオネーギン氏の右眉が吊り上がる。それが計算されたものかどうかは分からないが、交渉時に見せていい仕草ではない。工作員としてはどちらかと言えば武断的な分野を扱う人物なのだろう。かなり大きな『シノギ』だと思うが他に人材はいなかったのか。あるいは別に責任者がいて、俺が出てきたから彼が対応しているのか。
「弊社がこの装甲材を開発するのに支払った投資額を回収するのは、良識的にも決して間違ったものではないと思いますがね?」
「ええ、そうですね。プレヴノン・MM社の研究結果としてでしたら、お支払するのは間違いないですね」
「この装甲材は画期的なものです。硬度・エネルギー防御力、いずれをとっても従来の装甲材を上回ります。既存の艦艇に使用しても十分に有用なはずです」
「理解しておりますよ。私も一応軍人の端くれですからね」
「であれば、価値に対する正当な報酬があってしかるべきではないですか?」
筋道は通しているし、要求は正当だろうと言わんばかりに両手を広げるが、いかにも空々しく見える。
「勿論です。素材の開発者には、当然それに見合う額をお支払うべきでしょう」
俺はにっこりと笑みを浮かべると、手酌でシャンパンを自分のグラスに継ぎ足してから言った。
「帝国マルクで」
「……どういうことですかな?」
一度顔を引き攣らせてからでは、その言葉には何の意味もない。時間をかけてゆっくりグラスを傾けて、シャンパンを舌でしっかりと味わう。しかしどうやら選手交代とはならないらしい。オネーギン氏は席を立つことなく、グラスにも手を付けることなく、俺を見続けている。炭酸が少し腹に持たれてきたので、溜息で誤魔化しつつ、俺は肩を竦めた。
「残念ながらプレヴノン・MM社の研究規模では、この素材の開発は無理です」
「……それは当社に対する侮辱ですか?」
「戦闘艦艇の装甲材は、民間船舶と素材が同じでも構成が異なります。プレヴノン・MM社は民間船舶の需要視する面防御構成の専門家でしょうけど、軍艦に使われる集中荷重防御構成の研究施設はないでしょう?」
「それを作ったんですよ。大金叩いて、人材も集めて」
「あまり我が軍の情報部を舐めないでもらいたいですね。流石に貴方のご友人には及ばないでしょうが、そのくらいは調べられます」
「しかし研究施設を建てて、研究したのは事実です」
「ではその研究施設に、非合法物資集合罪に基づいた強制捜査を行ってもよろしいですか?」
「それは法の恣意的運用ですぞ。連邦裁判所に訴えていい話だ」
怒鳴り声を上げて立ち上がるオネーギン氏を見て、俺は苦笑を隠し切れなかった。同じようなやり取りを四五〇〇光年先で三年半前にしたことが、もう一〇年も昔のことのように思えてくる。そして怒鳴り声を上げて席を立つ氏と、苦笑を隠し切れない俺という、店にとって大迷惑な態度をとっているのに他のボックス席の客は迷惑そうな顔を誰一人していない。これは今頃大慌てのバグダッシュにいい『土産』が出来た。
「本当に、そちらを選択するんですね?」
苦笑を収めて、目の前のサラミの一つを口に含んだ後、突っ立ったままのオネーギン氏をシラケた目で見つめる。
「当然、証言台には立っていただけるんでしょう。結構ですとも。ついでなので、帝国技術開発部のどなたかもお呼びしてもいいですね」
「……」
「『問屋』なんですから、扱う商品をしっかりと学んでから来てください。我々軍人は装甲材を最後の頼りに、命懸けて戦っているんです。少しでも性能の良い装甲材を求めて、開発本部をはじめとして多くの金属素材会社が研究を続けている。それを業界トップ一〇にも入らない零細が、開発拠点を作って一年ソコソコで産み出したなんて、奇跡を信じるわけがない。いやもしかしたらそんな奇跡もあるかもしれないが、まぁ『身の程を知れ』」
敢えて上げた俺の嘲笑に、立ったままのオネーギン氏の左腕が俺の襟首に向けて伸びてくる。反対の右拳が握られていたので、俺はソファから立ち上がり左腕で伸びてきた氏の左腕を掴んで引き込むと、身体を反時計回りに回して右の手刀で左肩の関節をキメて、氏を低いテーブルに押し倒した。
だが同時にそれまで談笑していたはずのボックスの客やウェイターそして先程のホステスまでが、俺に向けてブラスターの銃口を突きつけてくる。
「おやおや。軍人に銃口を向けるのは、流石にいただけない」
オネーギン氏の左腕を畳んで肩をキメつつ、撃てば氏も巻き添えになるようにテーブルから引っ立てて、俺は銃口を向ける奴らに聞こえるような声で言った。ガッチリ左腕が決まっているので、俺と氏の間にほとんど隙間はないから、後ろから撃っても貫通して氏にもダメージが入る姿勢だ。
「のこのこ虎穴に入り込んで強がりは止せ、若造」
腱が切れないギリギリぐらいの強さで絞っているので、オネーギン氏の声もそぞろだが、俺は遠慮せずに後ろから彼の耳元で囁いた。
「私がここに来ることは、当然トリューニヒト氏も軍情報部も知ってますよ? それとも私の口からもう一度同じ言葉を聞きたいですか?」
「ト、トリューニヒト氏なら話は早い。私は彼に言って君を飛ばさせることもできるんだぞ?」
「かつてルビンスキー高等参事官殿が駐在武官長に干渉して、私をマーロヴィアに飛ばしたように?」
「……そうだ」
「『身の程を知れ』拝金主義者。辺境だろうと最前線だろうと、行けと言われればどこへでも行くのが軍人だ」
「……」
「それにもしかして帝国戦艦の大出力砲相手に戦ってきた私に、手のひらに収まる程度の豆鉄砲の脅しが通じると思ってます? ねぇ『グラズノフ』さん」
ヒュッという気管を空気が通る感触が、氏の背中を通して左腕に伝わってくる。抵抗する力が途端に弱まり、氏が小さく首を振ると、銃口を向けていた客やウェイターが銃口を下ろして全員バックヤードへと消えていく。最後まで銃を向けていたホステスもバックヤードに消えて行ったのを確認した俺は、氏の拘束を解いた。
「幾らだ」
店内見渡す限り誰もいなくなった中、乱暴な手つきでネクタイを解くと、氏はシャンパンを二杯一気に飲み干して言った。
「幾ら出せば、いいんだ?」
「だから出さなくていいですよ。先程も言った通り、私は『まっとうな』軍人です」
「ならば、何を……」
口止め料と言いたいところだろうが、もう今更の話だと分かったのか、グラズノフはセットしたくすんだ金髪を乱暴に掻く。任務の失敗を悟ったというところだろう。バックヤードに消えて行った人間は、早速『後片付け』に入っているに違いない。
だが「やりすぎるな」という指示もあるし、肝心の装甲材の技術は獲得しなければならない。
「幾らで『仕入れ』たんです?」
「……それは」
問屋に仕入れ値を聞くのは本来ルール違反だろうが、マトモな問屋でないのだから構わないだろう。
「流石に上級大将とか大将クラスの人間ではないでしょう。そうですね、技術中将でしょうか。であれば多く見積もって一〇〇〇万帝国マルクくらいですか?」
フェザーンに居た時、帝国人の商人がその位の額を言ってドミニクを口説いていたことを思い出す。たしかドミニクを田舎の別邸に囲って愛人にしようとしていた中年のオッサンだ。あれから物価の変動はそれほどないだろうから、まず間違いはない。だがグラズノフの顔は奇妙に歪んだ後で、吐き捨てるように言う。
「一億帝国マルクだ」
今度は俺の顔が引き攣る。想定の一〇倍。別邸どころか広大な敷地付きの豪邸が買える。
「……駐在武官に頼んで密告してもらってもいいんですよ?」
「一億帝国マルクだ」
仕入れ値を吊り上げる為に嘘を言っているなら潰すぞと言っても、グラズノフは言い張る。情報漏洩者が確実にあのハゲ工学博士とは言えないが、技術(指向性ゼッフル粒子は充分戦略を変える兵器だが)よりも政治力で伸し上がったと考えれば、本人の欲望以上に地位の維持には金が掛かっているのかもしれない。
「……さらに地位が上がったらそれどころでは済まなくなりますよ。それでいいんですか?」
「余計なお世話だ」
心底嫌そうな顔をしていうグラズノフに、俺は小さく頭を下げで苦笑を誤魔化すと、残されたシャンパンのボトルからグラズノフと俺の両方のグラスに残りを注ぐ。その動きをグラズノフは席を立たずに見ていたので、俺は自分のグラスを手に取って掲げて言った。
「請求額を二億ディナールに修正してください」
「それでは採算が取れない。社の研究施設も……」
ほぼ諦めていても抵抗しようとする声に、俺は左手をかざしてグラズノフを制する。
「投資ファンドを組みます。その資金を使って新装甲材製造プラントを新会社としてプレヴノン・MM社から独立させてください。SRSBが筆頭になって出資しますが、それ以外に三〇億ディナール、こちらで用意します」
「は?」
「それだけあれば試験用製造プラントどころか量産製造プラントも建築できるでしょう。そこからプレヴノン・MM社には、販売量に応じた特許料をお支払いします。もちろん期限付きで法的に認められる程度ではありますが」
プレヴノン・MM社がSRSBを傘下に収めて、同盟の軍艦技術を帝国に売り渡そうという考えが最初にあっただろうが、それを認めるつもりは毛頭ない。故に新会社設立と、その新会社がSRSBの協力会社になることは譲らない。
プレヴノン・MM社に渡ったペナント料は、グラズノフを通じてフェザーンに向かうだろう。販売量に応じた常識的な特許料である以上、生産・納入量が多くなればなるほど収益が上がるのは当たり前の話。
フェザーンとしては損切という選択肢もあるが、本来求めていた利益を得る為には投資ファンドに出資し、生産設備増強の『手伝い』をする必要がある。特許の期限は五〇年。
だがサンプルを手にした以上、同盟軍開発本部もその製造方法解明に力を注ぐから、一〇年以内で『自国開発技術』として生産体制を整えられるだろう。そうなればフェザーンには一銭の金も入らない。
フェザーンが独自に資本を出してダミー会社を作って製造販売することもできるが、その場合は軍事物資納入資格の為に徹底的な査察が行われる。それは文字通り時間と金の無駄だ。
ただ原作通りであればあと一〇年もすれば、金髪の孺子が銀河統一して自由惑星同盟という国家自体が滅び去っているのでどうでもいいことになっているかもしれないが、そこまでグラズノフに言ってやる筋合いはない。
「行儀よくお付き合いできれば、その次の世代の装甲材が出るまでに七〇億ディナールは儲かりますよ?」
「三五年かけてだろう……おそらく」
三五年後にお互い国があるといいですね、と喉まで出かかったが、俺は何も言わず笑顔で首を横に傾けると、グラズノフは舌打ちをする。
「その絵図はちゃんと形になるんでしょうな?」
「それはオネーギン氏が請求額のゼロを二つ消していただければ、間違いなく」
「わかりました。早急にSRSB社様に訂正した書類をお持ちに上がります。中佐には事前にご連絡いたします」
そう言ってソファから立ち上がったグラズノフに、俺も立ち上がって手を伸ばすと、心底嫌そうな目付きで俺の右手と顔を見比べてから、その手を取った。
「ちなみにその新会社から幾らキックバックを貰うつもりですかな?」
来た時と同じ苦労人の笑顔を浮かべつつ、ギチギチと爺様以上ディディエ中将以下の『親密心』が込められた握手をしながら、グラズノフは俺に向かって聞いてくる。
「何度も繰り返すようで申し訳ないのですが、私は『まっとうな』軍人ですよ?」
俺も腕の血管が浮き上がる位の親密心で握り返しつつ、理想的高級青年士官の笑顔を浮かべて応えると、笑顔を浮かべたままのグラズノフの蟀谷がピクピクと動いてから返してきた。
「いきなり三〇億ディナールもの大金を動かせる軍人は、決して『まっとうな』軍人ではないんですよ。金にはうるさい私の故郷でも、ね」
後書き
2024.09.08 投稿
第108話 凶報
前書き
お世話になっております。
そういうわけです。
宇宙暦七九一年 五月 ハイネセンポリス
投資ファンドによる新会社の設立と、その新会社がSRSBの傘下に入ったことは、同盟経済のごくごく一部に嵐を巻き起こした。何しろファンド総額がSRSBの時価総額の三倍以上。SRSBが今最も注力しているのが何であって、新会社が元は資材会社の開発部門であることを十分に承知している造船大手各社は総毛立った。
新型高速巡航艦計画は本来次期標準型巡航艦計画とは別物であって、軍の戦術的要求を満たす試験部隊用、あるいは既存艦を改造して作られる嚮導巡航艦に代わる新しい艦種の試験計画と思い込んでいた大手各社の首脳部は、ファンドに集まった三三億ディナールというとんでもない額を見て、自社の開発計画をこのまま進めるか中断するかの決断を迫られた。
彼らの誰もがインサイダー取引であろうと理解していたが、この大波に乗り遅れてはならないことも分かっていた。業界中堅のSRSBには次々と、大手各社の経営管理者や金庫番・開発主任が乗り込んできて土下座してまで『スパルタ王妃』計画を確認し、何故SRSBが首謀して無謀な投資ファンドを募ったのか同業者として十分すぎるほどに理解して、投資ファンドへの自社からの出資と、それに伴う『まだ制式採用されていない』新型高速巡航艦のOEM生産契約を結んだ。
「アナタが何かを為さんと動く時、周囲がみんな引き摺られ実力以上の事を成し遂げ、余計なものまで引っ張ってきて、予想した未来の斜め上に事態が進行してしまうのは、重々承知していたつもりなんですがね? ちょっと今回は酷過ぎやしませんかね?」
心温まる交流の跡が残る右手を見ながら店から出て来た俺が、人気のない路地裏で無人タクシーを呼んで待っていた時、蟀谷に青筋浮かべたバグダッシュに叩きつけんばかりの勢いで壁に押し付けられ『ドン』された。殺気バリバリの色男に俺は必死に成果を話したので、その怒りは呆れに代わったが、それから三週間が経って事態の進行がハッキリと形になり始めた今日。いつものレストラン『ドン・マルコス』のいつもの特上フルコースを前に、バグダッシュはワインを手酌で飲みながら恨み節を零している。
「直後に種明かしをされたウチ(軍情報部)も大混乱ですけどね。S(中央検察庁)はインサイダーでマル対(捜査対象)をギチギチ締め上げてやろうとしたら、『後ろ』から『ちょっと待って』されて欲求不満が溜まってます。まぁ、これは予想されていたんですがね」
「がね?」
「一番ヤバいのはC(中央情報局)ですよ。ウチと彼らとは普段は仲良しなんですが、今度の一件で真正面から土下座して協力して欲しいって言って来ましたよ。頭を踏んづけようとした足が思わず止まる位には、ウチの上(層部)も彼らに同情しています」
普段どれだけ『仲良し』なのかよくわかったような気がするが、俺が要らぬところから恨みを買ったことは間違いない。流石にフェザーンの触手が伸びていることを知った軍情報部が、一応は『タダで』国益を守ったことになる俺を彼らに売るようなことはしないと思うが、それも薄氷だ。
注視すべき中央情報局にはフェザーンのスパイが居た。十分承知の上で国防委員会に潜り込ませて『使っていた』とは思いたいが、今回の件でどうなのか分からなくなった。何しろ中央情報局自体は国家安全保障に関する情報を収集分析することを任務としており、今回の件で本来だったらフェザーンの『シノギ』を事前に察知して阻止すべきだったのに、結果的には企業と軍部だけで解決してしまった。
盗聴器だったはずのチェン秘書官が機能していなかったこと。さらには姿をくらましていたことで、国外諜報を任務とする第七部の面子は丸つぶれ。中央情報局自身が国内企業から信頼されていないという現実もさることながら、政府内でも相当肩身が狭くなった。それで殺気立っているのか。例の高級クラブが三日後には火事になったという話も耳にした。死者・負傷者が出てないのが幸いだが……
「……あの童顔の姿が消えていたことで、アンタも相当疑われています。ただCに居る連中はみんな苦労人ばかりなので、アンタのことはヨブさんお気に入りの世間知らずの男妾としか見てませんが」
「それもあながち間違っていない」
別邸や深夜の議員事務所には何度も呼ばれていたし、予算審議ではヨブ氏と協力して関係各所と折衝して来たから、氏の手先だと思われても仕方ない。顔も量産廉価品優男だし、普段から言葉遣いには気を付けているから、エベンスのようなイメージを軍人に対して持っている人間からしてみれば、俺が男妾に見えてもおかしくない。納得して怒りもしないのを見て、バグダッシュは小さく鼻息を吐いてから皮肉っぽく肩を竦めた。
「ここ最近仮面を被った色男達が、街中に姿を現していないことに気が付かない程度の連中です。ま、アンタの中身に辿り着くには、あと一〇年くらいはかかるでしょうよ」
「良い画、取れてた?」
「アマチュアアクションムービーとして配信したら、なかなかイイ感じに『お小遣い』が手に入りそうですな。公開前に検閲が入ってしまうのは残念な限りです」
いい気味だぜと言わんばかりの気持ちのいい笑顔でグラスの中身を一気に飲み干し、口を尖らせて軽く息を吐きながらワインの香りに浸る。だがそれも数秒。音を立ててグラスをテーブルに置くと、バグダッシュはホテルシャングリラ襲撃前にシェーンコップ相手に話していた時と同じような、これまで俺に見せた事のない真剣な目付きで口を開く。
「『童顔』の行く先を教えてください。まさか親が病気になったから故郷に帰るって話、本気で信じたわけじゃないですよね?」
「そのつもりだけど?」
「C-七は行方を血眼になって探しています。近いうちにアナタのオフィスにも訪れるでしょう。居場所をご存知なら軍が先回りして保護することもできます」
何故そこまで今回のシノギ『程度で』そこまでC-七が怒り狂っているのか。バグダッシュの言う通りなら、近々訪れる人達がきっと教えてくれると思うが……
「悪いけど『知ったことか』だね」
個人的には俺が書き上げた『Bファイル』がワレンコフへの暗殺の引き金になった可能性が高いだけに、チェン秘書官の命を懸けた行動を、直接の敵ではない軍情報部であっても縛らせたくはない。仮に保護したとしても、チェン秘書官になんら恩義のあるわけでもない軍情報部だ。中央情報局との取引材料に使わないとも限らない。
「チェンさん、このままだと殺されますよ。アンタそれでホントに良いんですか?」
シミ一つない白いテーブルクロスに皺が寄り、音も立てず料理の位置が僅かにずれ、怒りと失望がないまぜになった瞳が俺を射すくめる。原作のアニメーションでも見たことのない、暑苦しいまでの情熱が籠った表情だ。まだ『若い』からなのか、それともこれも挑発の表情なのか、俺の乏しい脳味噌では分からない。
「彼女は覚悟の上だよ」
俺が視線を向けることなく、ワイングラスを置いてナバハスに手を出したのを見て、バグダッシュも口を割らないと見たのか、同じようにナイフとフォークを取ってナバハスに取りかかる。歯ごたえの良い、濃厚な旨味が口の中に広がるのを感じながら、ワインを口に送り込むのを繰り返しているうちに、バグダッシュの顔から情熱が消えて冷静さが戻ってきた。
「……つまり人の良いアンタは、私や情報部が知らないヤバそうなネタを知っていて、あの女狐に好きなようにやらせてるっていうわけですな」
「まぁね」
軍情報部も可能性ぐらいは検討しているだろうが、今年中にフェザーン自治領主が暗殺されるかもしれないなどという戯言を言ったところで、バグダッシュ自身は容易には信じないだろう。しかし少なくともチェン秘書官は、いつもの余裕をなくすくらい可能性が高いと思っている。
「……ということは、『結論』はすぐに出そうなんですな」
「さぁね」
明確な時期は分からない。とりこし苦労の可能性だってある。それならそれでいい。残り半年。ワレンコフの命運がチェン秘書官によって救われるのであれば重畳。俺ののらりくらりとした対応に、バグダッシュは小さく鼻で笑うと、少しだけ余所見をしてから口を歪ませつつウィンクしてくる。
「秘書官がいなくて随分お困りって聞いてますよ? どうです。ウチにイキのイイ若いのがいるんですが?」
「……流石に情報部の選り抜きはご遠慮したいかな」
「勇気と忠誠と格闘戦において比類なきブルネットの女の子でも?」
「能力の前に、誰に対する忠誠かの方が重要じゃない?」
「C-七の態度、どう思います?」
「アンタの話を信じる限りにおいては、控えめに言って『糞喰らえバーカ』だね」
「フフフフフフフッ」
毒の無さそうな含み笑いをしつつバグダッシュは肩を竦める。モンテイユ氏もそうだが一応は短期派遣となるにもかかわらず、俺の手元に人を送り込もうとするのか。しかも若い女性に限っているところに腹が立つ。俺が口をへの字に曲げているのを見て、さらにひとしきり笑うと、バグダッシュは降参といった表情を浮かべてグラスを掲げる。
「わかりました。秘書官を送り込む代わりと言ってはなんですが、今回の件の迷惑料として、何か私にネタくださいませんかね?」
俺をスパイするつもりだとゲロしながら無心してくるその態度は、主義主張は生きるための方便と言い切る男らしい。だからこそ中央情報局の件を教えてくれた対価を支払わなければ、バグダッシュは俺から少し距離を取ることになるかもしれない。俺はグラスに残っている赤を飲み干してから溜息をついて応えた。
「モンテイユ氏のことは?」
「アンタと言葉通りの意味で仲の良い堅物の財務官でしょう? 彼がどうしたんです」
「彼には昨日話したばかりだから、一日遅れになるんだけど」
「結構ですよ。予算と税金に関係のないことでは、財務委員会の神経伝達速度が遅いのはよく知ってますからね」
濃厚なナバハスに飽きたのか、さっぱりしたボケロネスを摘まみ始めたバグダッシュは、皮肉そうな口ぶりで言う。
「それでも財務官殿に関わりがあるってことは、お金に関することなんですな」
「資源系投資会社のユニバース・ファイナンス社、知ってる?」
「いや、知りませんが……で、そいつはアンタが『気に入らない奴』ですか?」
「調べた後でどう処分するかは、そちらにお任せするよ」
「OK。調べてみましょう。ですがまぁ……想像するにまたC(中央情報局)の人達から嫌がられそうな話になりそうですな」
それはそれで愉快痛快ですがね、と人の悪い笑みを浮かべてバグダッシュは小さくグラスを掲げるのだった。
◆
宴席から三日後。予想通り中央情報局の担当者と名乗るものからアポイントの依頼があり、俺は快く受けることにした。国防委員会のオフィスに中央情報局の人間を入れること自体あまり好ましいとも思えないが、『公式には』何もやましいことがあるわけでもない。
それでも一応は防諜として部屋のあらゆるところに監視カメラと録音装置を仕掛けることは忘れない。ソファに座れば見えるように、妨害防御のないタイプを設置するのがコツだ。
「中央情報局作戦本部二課のジョン=エルトンさんと、七課第三班のヒュー=ピースさんですか」
相対してソファに座る、俺から見て右手のニコニコ顔の壮年がジョン=エルトン氏。名刺に書いてある職責は諜報課課長。分かりやすく言えば同盟国内におけるスパイ狩りの元締めだが、パリッとしたスーツを着ていてもどこにでもいる中小企業の営業課長にしか見えない。
一方左手で俺に向けて軽蔑と警戒の視線を向けている三〇代半ばのすっきりと出来るエリート臭を漂わせる男がヒュー=ピース氏。職責から言えばフェザーンや帝国の内情を探るスパイ。班長ということは工作員の纏め役というところ。
「予算審議が厳しくなる時節に、お邪魔して申し訳ないです。ボロディン中佐」
ソファに座りつつ深く頭を下げるエルトン氏と、不承不承で小さく目礼するピース氏の対象は、良い警官と悪い警官のテクニックだろう。それに乗る必要はなく、いつも通り師匠譲りの穏やかな笑顔に、ほんの僅かな焦りを込めて応える。
「いえいえ。確かに忙しいですが、中央情報局の方からたってのお願いとのこと。いつでも言って頂ければ」
「そうおっしゃられると、こちらとしても気が楽になります」
はぁあああ、と右手で頭を掻きながら溜息をつきつつ、エルトン氏は目の前のカモミールティーに視線を落としながら指をさす。実にその動きが自然で、気味が悪いくらいだ。
「これはもしかして、中佐自らお淹れになっていらっしゃるので?」
「えぇ、そうです」
先に口を付けて味わえば、教科書通りのすっきりとした味わいが溢れる。
「本来ならば秘書官が淹れてくれるのですが、生憎家族が重病だということで、ちょっと席を外しているんですよ。味が悪くて申し訳ない」
「とんでもない! 全然問題ないですよ。なんならウチの嫁さんに教えていただきたいくらいです」
ややオーバーな手振り。これで安っぽくてよれよれのレインコートを着ていたら、サスペンス・テレビ映画の名警部(補)みたいな感じだ。恐らく嫁さんという存在に出会うことがないのも同じだろう。いきなり本題を軽く小突いてくるというのも同様に嫌らしい。
「あぁ……実に落ち着きますね。私もこういうオフィスでのんびりと茶道楽をしたいものです」
「そうですねぇ。時間があれば、私もエルトンさんと全く同じ思いですよ。ほんと軍の仕事なんてろくでもない」
「士官学校、それも戦略研究科でしかも首席で卒業された中佐でもそうなんですか? 辺境でも前線でも銃後でも見事な武勲を上げていなさるのに。いやぁ心の同志というものは、意外なところに在るものですなぁ」
「なかなかお互いにうまくいかないものですねぇ」
はははっと俺とエルトン氏の笑いがソファのテーブルの上で重なるが、ピース氏の表情も仕草も全く変わらない。これはこれで気味が悪いが、まったくの世間話風のおだてに含めてお前の経歴など早々に洗っているぞと言ってくるエルトン氏に比べればマシだ。
「それで……緊急のご用件とは?」
「ウーという人物に関することなんですがね。ウー=キーシャオ」
「ウー=キーシャオ(武妃紗麻)?」
初めて聞く名前だが、恐らくそれが中央情報局におけるチェン秘書官の名前だろう。だが馬鹿正直に此方から答える必要はない。
「初耳です。名前の響きからしてE式の方のように思えますが」
「はい。おっしゃる通りです。きっと中佐の前でその名前を口にすることはなかったでしょう。中佐の秘書官を勤めているチェン=チュンイェンの、それが別名です」
「別名?」
「はい。他にもいくつか名前を持っておりますが、まぁ名前などいくらでも書き換えられますからね。問題なのは彼女の本性です」
そう言ってとエルトン氏は仏頂面しているピース氏を肘で促すと、ピース氏はビジネスバッグの中から三次元投影機を内蔵した折り畳み式の端末を取り出し、テーブルの前に広げる。全画面式のそれの数か所を、ピアノを弾くように指で叩くと、一人の女性の胸像が画面から浮き上がる。切れ長の一重の目、小さな鼻と口、頬横で切り揃えられた黒い髪と大きめの胸。チェン秘書官の変装(お化粧)前と言われれば納得できる姿だ。
「この女は一〇年前、亡命者の家族と偽りこの国に潜入した帝国の諜報員だ」
ようやく口を開いたと思ったら、あまりにも直接的なピース氏の物言いに呆れたが、思わず視線を逸らして見たエルトン氏も、その言い方に困ったといった顔をしながらも肯定するように小さく頷いている。それで俺が納得したと思ったのか、ピース氏は責め立てるように言葉を続ける。
「容姿が幼く見えることを利用し、年齢を偽って我が国の公務員となり、優秀な事務職員としての皮を被って各組織内部に食い込み我が国の機密情報を収集し、フェザーンを通じて帝国に流し込んでいた」
そんなことは百も承知……と言っては流石に不味いのは分かるが、いきなり帝国の諜報員というのは無理がある。彼女の本当の主を通じて帝国に流出した可能性はあるだろうが、バグダッシュの情報が正しければチェン秘書官はピース氏と同所属の人間だ。その彼女が今更諜報員だというのは虫が良すぎる……
「お言葉ですがピースさん。チェン秘書官が仮にそのウー=キーシャオだとして、いきなり帝国の諜報員というのはいささか信じられません。少なくとも人種的にありえないのではないですか?」
「人種など関係ない。使い捨ての駒であれば猶更だ」
「使い捨ての駒扱いというのであれば、相応の見返りが必要でしょう。有色人種でしかも亡命者であれば、帝国に戻って安定した生活など送れるわけがないから同盟国内に留まざるを得ない。そうなると見返りとして金銭が提供されたとして、使用するのは同盟国内となります。そうなると裏切らないように監視されながら、となるわけですが」
仮に敵地に在って膨大な報酬を抱え込んだとして、ずっと『使い捨ての駒』として帝国の為に献身するなどありえない。家族が人質に取られているというケースもあるだろうが、そうなれば裏切らないように監視役の人間が必要だ。チェン秘書官が帝国の諜報員と言うならば、それこそお前(ピース氏)が帝国の監視役と疑われてもおかしくないぞ、と俺が言ったのが分かったのか、ピース氏の顔はさらに険しくなる。
「亡命者が帝国に逆亡命すれば厚遇される。それはつい先頃、軍自らが証明したではないか。よりにもよって高級士官がやってのけている」
「勇名天地に轟く薔薇の騎士連隊連隊長と、冴えない国防委員会参事補佐官の秘書では帝国にとっての宣伝価値が全く違うでしょう。ましてやリューネブルク大佐は生まれながらの帝国貴族といった容姿をもつ偉丈夫。そのウー=キーシャオとやらは、到底門閥貴族の深窓令嬢には見えませんが」
「容姿ではなく能力と結果が評価されてのことだ」
「能力が評価されるというのであれば、秘書官に居続けた理由はなんです? 国防委員会付属国防政策局戦略企画参事補佐官と名前は立派でも、内情は単なる国防委員会参事の使い走りでしかない。それこそ中央情報局国外情報部に所属していた方が、余程機密情報にありつけるのではないですか?」
「流石にそれはご自身のお立場を過小評価しすぎですぞ、ボロディン中佐」
席を立ちそうになったピース氏の右肩を瞬時に左手で押さえつける早業を見せつつ、エルトン氏は俺に顔だけの笑顔を見せて言う。
「補佐官殿は政治家から官僚、軍人、軍関係企業の上層・中堅幹部と顔を繋ぐことができます。その中で中佐が誰と会っていたのか、なにを話したのか。その情報だけでも十分すぎる価値があるのです」
「打ったボールがスライスしてどうしようもないといった話ででもですか?」
「言った相手が『鋼鉄の心臓』と謳われた、名うての元統括安全運航本部長なら尚更です」
はぁぁ、と深い溜息を吐きながらエルトン氏は、小さく首を横に振る。
「貴方が顔つなぎした相手に、ウーはいつでもアポイントを取ることができる。やる気になれば貴方の名前を騙ることで、相手から金も情報も引き出すことができるのです」
それが今回の新装甲材騒動に繋がるということだろう。三〇億ディナールも動く取引の音頭を取ったであろうラージェイ爺に、要らぬことを吹き込んだのは俺の名を騙ったチェン秘書官で、事前にその話を上司である第七課ないし中央情報局本体にしなかったことを怒っていると見ていい。そういう点では今回はタイミングがあまりにも悪すぎた。
つまりそれ『だけ』で怒っているというわけではない。事態の前後で姿をくらましているということで、チェン秘書官が中央情報局の統制を離れ、勤務中に得た情報を持ってフェザーンに逃亡した(ように見えた)ことが問題なのだろう。中央情報局も清廉潔白な組織ではない。あくどいこともさぞかしやっている。
帝国のスパイだと俺に言ったのは、フェザーンのスパイと言ったところで軍人はピンと来ないと考えたから、かもしれない。軍情報部はフェザーンとのチャンネルを閉ざすことは極力避けたいと考えている。それに隠すまでもなく俺はフェザーン駐在武官としてものの見事に失敗している男だ。より『わかりやすく』チェン秘書官を敵と認識してもらうように言っているだけだろう。
「私は軍人です。見ての通り若輩で過分な地位にありますが、こういう機微にはとんと疎くチェン秘書官が頼りというところもありました。だから中央情報局の方にお伺いさせていただきたいのですが……」
「なんでしょう?」
「皆様は何をお望みなんです? 欲しいものがあったらハッキリと仰っていただかないと、愚鈍な私にはわかりません」
チェン秘書官の身柄を帝国のスパイとして『拘束』したいのであれば、明白な証拠をチェン秘書官の(一応)管理者である俺に提示しなければならない。フェザーンとの通信記録の内容と入金記録でも残っていれば満貫だが、その通信が『どこから』なされたかによって話は変わる。
おバカな俺の手元で得た情報を、もし中央情報局を通じて送っていたとすれば、チェン秘書官は『中央情報局のスパイ』として国防委員会内で活動していたことを公式に認める話になる上、中央情報局の情報漏洩も認めなくてはならない。つまり自分達が傷つかないようにするには、一切合切を秘密にした上で、チェン秘書官を密かに始末する必要がある。
「帝国のスパイであるウーの、現在の居場所をご存知でしたら、教えていただきたい」
そう俺に『お願い』するしかない。正式な要請となれば書面が必要になる上に、証拠も添付する必要があるから時間がかかる上、恥を晒すことになる。内々に処理することが至上命題だ。であれば、チェン秘書官にとっては最悪のタイミングで休暇を出してしまった俺としては、もう少し馬鹿なふりをして時間を稼ぐ必要がある。
「彼女から上がった休暇申請書には、彼女の故郷であるパラトループ星域プルシャ・スークタ星系と書かれておりますが?」
「……まさかそれを本気で信じているんですか?」
「履歴書に書いてある通りでしたからなにも問題はないかと思いますし、往復二ヶ月ならなんとか予算審議の事前調整時期に間に合いますから」
「亡命者とその家族は本籍地を変更することができます。プルシャ・スークタ星系惑星プラクリティは、亡命者の便宜上の本籍地として使われている場所なんです。もしかして中佐はご存じないんですか?」
「そんな裏事情など、私にはどうでもいい話です。私はチェン秘書官を信頼しております」
もちろん知ってても知らんぷりでにっこりと笑って応える俺に、エルトン氏は眉を顰め、ピース氏はこれほどのバカは見たこともないといった表情で俺を見つめている。
「それでも彼女が『帝国のスパイ』であると仰るのであれば、物的証拠と逮捕状をお持ちください。そうでなければ私は信頼する部下の為に、あなた方を名誉棄損で訴えなければならない」
「中佐。これは真剣なお話しなのです。中佐がこれまで頼りにされてきた秘書官の事を信じたいというお気持ちは充分理解できますが、現実はそう甘い話ではないのです」
「ですからその『現実』をご提示いただきたいと申し上げているのです。エルトンさん」
聞き分けのない孺子をどうにかして説得しようとする伯父さんのようなエルトン氏の、何とも困った表情は傍から見ていて面白かったが、笑うわけにもいかない。その必死さからもチェン秘書官が、今も見事に中央情報局の網を出し抜いていることは分かる。そうなると中央情報局としては軍部が身柄を保護していると考えざるを得ないし、軍情報部に土下座しても教えてくれないとなれば、一番隙が大きそうな俺にアタックをかけるのは仕方ない。
まるでコントだしここで離席を促せば諦めてくれないかなと思ったが、あの刑事ばりにしつこそうなエルトン氏の事だからまた来るだろうなと、諦めつつゆっくりと腰を上げた時だった。
「世間知らずで男にも女スパイにも尻の毛を抜かれるような奴に何言っても無駄です。エルトン課長。むしろこいつもスパイと思った方がいい」
出てもいない汗をかくエルトン氏の横から、前世も含めてこれまで聞いたこともない嘲りが籠った言葉が、俺の耳に流れ込んでくる。瞬時に頭の中を流れる血液が沸騰したが、これも良い警官と悪い警官の変異系だろうと理解して、顔の表情筋を苦心して動かし笑顔を作り上げると、ピース氏を可能な限りほほえましさを視線に込めて、俺は口を開き……
「黙れ下種」
穏やかな音程に乗って出てきた言葉は、頭の中で考えていた台詞とは程遠い俺の深層心理そのものだった。瞬時に脳味噌の半分がヤバいと警告を発しているが、俺の口は止まらない。
「貴様はなんら証拠を提示することもなく俺の部下をスパイと断じた上に、その職務に対してまで侮辱を与えようというのか。貴様の狭い了見と薄汚い性根と発想の卑しさには反吐が出る。我々軍人が前線で命を張って戦っている後で、スパイごっこにうつつを抜かし、人の足を引っ張るしか脳のなさそうな馬鹿面は見るに堪えない」
「……」
「今すぐ俺の神聖なオフィスから出て行け。それとも自分の足で出て行くのは嫌か?」
自然に出てしまった言葉だったが、言われたピース氏の顔と両手は小刻みに震えている。親愛なる内国安全保障局長と違うのは、いかにも女性にモテそうなスマートな体格ぐらいだろう。同じように上位者であるエルトン氏に救いを求める視線を向けるが、僅か数秒前と違ってエルトン氏の表情は実に冷淡なものだった。ただ何も言葉を発することなく、顎で俺のオフィスの出口を指し示すだけ。
「……あの若造についてはこちらで確実に処分させてもらう。が、それとは別に貴官への謝罪も込めてここだけの話をさせていただきたい」
顔面蒼白、足を引きずり、肩を落としたピース氏が扉の向こうに消えてからたっぷり二分後。諦観と謝罪のない混ざった表情を浮かべてエルトン氏がゆっくりと口を開く。
「ウー=キーシャオの出身はフェザーンで四四歳。三回顔を変えているが、中央情報局国外諜報部の潜入工作員として二〇年勤務している」
「そうですか」
「……驚かれないということは、とうに貴官はご存知ということか。なるほど配転二年目の公安刑事上がりでは勝負にならんな」
自嘲ともとれる笑いを浮かべると、俺のオフィスの四隅に『飾られている』カメラを見つめて続ける。
「これまで彼女が収集した情報はあまりにも大きく、深い。そして一度として我々の期待を裏切ったことはない。幾度となく昇進の機会があったにもかかわらず、それを拒んできた。代わりに給与を求めてきたので、それに応じて支払っている。O-八(少将)ぐらいだろう。危険手当も含めれば私の二倍かな」
「……」
「その彼女が我々に何も連絡せず姿をくらまし、それからしばらくしてフェザーンと我が国の国防企業と投資ファンドの三者間でとてつもない額の取引が発生した……我々の懸念していることは、賢明な貴官なら理解してくれると思う」
銭ゲバの熟練女スパイが、大金に目がくらんで取引を仲介し、逃亡した。単純なだけに余計ありそうだと思わせる話だ。だが仮に逃亡を試みたとしても、中央情報局の網であれば捕まえられる。そう思っていたが一向に引っ掛からない。
「我々としては彼女と連絡が取れれば十分なのだ。盛大に顔に泥を塗られる羽目にはなったが、軍案件のインサイダー取引であるにもかかわらず軍情報部はいつも以上に惚けてるし、政治案件だとしても中央検察庁はだいぶ不満そうだが一様に口を噤む。これだけ見れば少なくとも私個人は、彼女が我々を裏切ったとは思っていない」
実際のところは最初の最初から裏切っていたわけだが、それをエルトン氏に言ってやる義理はない。俺が何も喋らないと見た氏は、スーツの内ポケットから一枚名刺を取り出した。それは最初に提示された中央情報局の名刺ではなく、機器メンテナンス会社の営業職の名刺だった。
「彼女から連絡があったらそこに連絡してほしい。貴官の迷惑になることは決して……」
言い終える寸前だった。俺の腰についていた携帯端末が、不愉快な緊急コールを響かせる。隣室にはまだベイが居るが、そちらから同じ音が聞こえない上にノックがされない以上、軍から発せられたコールではないと分かる。つまりは『俺のよく知る相手が何らかの助けを求めている』という話。
俺が手でエルトン氏に謝罪すると、氏も何も言わず小さく頷いて目を瞑って、ジャスミンティーの残りを口に運ぶ。それでも細目でこちらを見ているだろうから、携帯端末の背中を両手で隠しながら表示された文章を黙読すること三度……電源を切って、再び腰のフォルダーに戻した。
「顔色がだいぶよろしくないようだが……何かお身内で大変な事でも?」
目を開いたエルトン氏がそういうくらいだから、俺の顔色の変化は相当だったのだろう。自分でも脳味噌から音を立てて血が落ちていくのが分かったくらいだ。なにか察したのか、エルトン氏は申し訳なさそうな表情でソファから立ち、扉の方へ向かっていく。
「では、私はこれで」
扉の前で小さくお辞儀したエルトン氏に、俺は意を決して告げた。
「あぁ……エルトンさん。チェン秘書官の事ですが」
「え、あ。なにか?」
まさか本当にそのコールだったのか、と本気で驚いた表情を浮かべて俺を見る。しかしこれまで何も喋らなかった若造が、ここに来て急にゲロするわけがない……そう頭の中で瞬時に結論を出し、そして俺の表情を見て……
「……まさか」
「えぇ、そうです。たぶんですが」
俺は引き攣った顔のエルトン氏ではなく、主のいなくなったオフィス付帯のミニキッチンの方を見て言った。
「勇敢なるチェン=チュンイェンは、つい今さっき、この世を去ったと思われます」
後書き
2024.09.24 更新
ジョン=エルトン:CV小池朝雄
第109話 遺していくもの
前書き
お疲れ様です。
とりあえず仕事を押し付ける先は見つかりました。
ようやく次の話でJr.は宙に行けそうですね。
……行けるのかな?
宇宙暦七九一年 六月より ハイネセンポリス
「指導者が備えるべき風貌を完全に有する親愛なる上司にして、砂糖を煮詰めて頭のてっぺんから身体中に流し込んで凍らせたような、甘ちゃん坊やの中佐殿へ。この手紙をご覧になっているということは、ほぼ間違いなく私はこの世に居ないので、中佐から罰を受けることはできません。悪しからず」
初っ端からしてぶっ飛んでるその映像データを開いたのはこれが何度目だろうか。短い死亡通知が届いて三〇分後に、今度は軍情報部から本物の緊急コールが飛び込んできた為、その対処に奔走させられて二四時間後に届いた厳重にプロテクトされたかなり長い『手紙』について、その時はしばらくまともに聞くことができなかった。
フェザーン自治領主爆殺事件、と短い名前だけに深刻な事件は、銀河のあらゆるところに衝撃を与えた。帝国、同盟、そしてフェザーン。この世界に三つしかない『国家』の首長の、それも戦争に『加担していない』人間が、会食後のホテルのロビーから装甲付送迎地上車に乗り移る僅かな間を計って爆殺されるなど、到底考えられない話だからだ。
死者五名、重体三名、重軽傷者二二名。死者には軍用高性能爆弾を胸ポケットに入れて突っ込んできた犯人も含まれる。流石に核兵器ではなかったが、ホテルの出入口はバラバラになった死体と、何故生きているか分からない位まで破壊された人間と、偶然周りにいて吹き飛ばされた人間の流血で辺り一面血塗れ状態。爆発のあった場所と規模に比して死者が少なかったのは、自治領主が事前に見送り不要と言っていたからだと言われているが、定かではない。とにかくフェザーン創立以来四人しかいない終身制自治領主の、当然ながら初めての暗殺だった。
「自治領主の傍に黒髪の女性の死体があったら、どんな名前であったとしても私だと思って間違いはありません。私にとって名前などいつでも変更できる軍艦の識別信号よりも軽いものです。恐らくフェザーンの無縁墓地に葬られることでしょう。日頃おっしゃっていたような平和など、中佐が生きている間には到底無理でしょうが、出来れば永代供養料を支払っていただけるといつでも会えると思いますので、お知り合いの皆様にお願いして、お支払いのほどよろしくお願いします」
最初にそんな言葉が来るということ自体、チェン秘書官の精神状態を疑う話だが、これまで見たこともないような笑みを浮かべていることからして、恐らくは自治領主に再会し最も身近な秘書兼護衛として再雇用されてちょっと『おかしく』なっていたのだろう。それで愛する自治領主と一緒に亡くなったとなれば、それは彼女にとって本望だった、のかもしれないが。
「ただあと三つ中佐にお願いしたいことがあり、お手を煩わせるようで申し訳ないのですが、これまでの忠節に免じて何卒お願いしたく存じます……
一つ目は自治領主閣下の暗殺を首謀したのは地球教の幹部であることを忘れずに覚えていただくこと。今後、中佐が成功を収めることがあれば、必ずや地球教が接触してくるでしょう。彼らはこれぞと見込んだ人物を支援し、手中に収めようとします。あの悪霊の若造に目を付けられている以上、どんな形であれ中佐の未来に地球教が関与してくるのは想像に難くありませんが、どうぞ受け入れることのないように。サイオキシン麻薬中毒患者の中佐など、虫けら以下の役立たずです。
二つ目は中央情報局第二課課長のジョン=エルトン氏に私の死をご報告ください。彼はスパイマスターとしてもそれなりに優秀ですが、私とは同期で入局した間柄で付き合いも長く、局内でもそれなりに顔の利く男です。たぶん悲しんでくれるとは思いますが、あまり期待はしていません。私は最初から局を裏切っていましたが、彼と、二〇年間遂ぞ会うことができなかった彼の奥様を裏切ったことはありませんので、たぶん話せば何か中佐のお役に立つことがあるかもしれません。
三つ目は機会を見て私の知らない子供達を探していただきたいのです。産んだだけで育ての一切しなかったロクデナシの母親ですが、死を前にするとやはりどんな子供だったのかと、何故か思い至るようになるものらしいです。私のDNAデータはミニキッチン左の一番下の棚の裏の二重底に隠してあります。数に限りがありますので、大切に使ってください。私がこれまで自腹で調べた資料も一緒にマイクロデータで詰め込んであります。プロテクトキーは中佐の一番大切な赤毛女の名前と生年月日の逆入力です。設定入力時に本気で反吐が出そうでしたが、仕方ありません。
四つ目はどうか御身を大事にしてください。まずもって部下よりも前に出て自分の命を張るのは、貴方の軍人としての信念なのでしょうが、傍から見ている側としては心配で仕方ありません。もう一人の赤毛の女の子に限らず、貴方が今まで成してきたことで救われた人間の数は相当なものです。それもまた貴方の信念の賜物でもあり、私も恐らくは救われた一人なのだと思います。どうか中佐が私に会いに来られるその時まで、それを忘れることなく御身を大事になさってください……
あぁ、三つではなく四つでしたね。やり直し……するのも面倒なので今日はこのままで。それでは何事につけても察しの悪い、私の五番目の息子へ。三人目の母より」
立体画面の中で二〇代半ばの女性SPに化けていたチェン秘書官が、首を僅かに傾けつつ小さく手を振り、そこで唐突に手紙は終わる。そして最初に戻って再生が始まる。その投影機の横には空になった酒瓶が規則正しく並んでいる。並べられるのはこの部屋の唯一の住人である俺以外には考えられないのに、その並びがどうにも煩わしく思える。
「死んだ後に平等に扱わないのは間違いだ。死者は任務の為に死んだという一点において平等であるのだから、か」
まだ子供の頃。あれはこちらの世界の実父であるアントンの葬儀の後だったか、グレゴリー叔父が俺にそんなことを言っていたような気がする。自分にとって重要な部下か、そうでない部下か。友人であるかそうでないか。確かそんな話だったはずだ。だがもし死んだのがチェン秘書官ではなくエベンスやベイだったらどうだったか……俺は右手の中に納まる、やや大きめで飾り一つない真鍮製のロケットペンダントを開けたり閉めたりして思う。
言われた通りの場所にあったそのペンダントの中には、それほど長くない黒髪が二〇本と、五ミリ四方のマイクロデータメモリが収まっていた。金髪の孺子が事あるごとに胸元に下がっているそいつを弄っていたが、今こうやって手元にあると、自分はあれ程のセンチメンタリストではないと思っていたが、その気持ちが何となくわかってくるのが不思議だ。
「しかしどうしたらいいんだ。こんな宿題……」
……正直三番目以外の宿題は大したことがない。機会さえあれば喜んで悪霊はこの世から退散させてやるつもりだし、エルトン氏には既に伝達済み。最後の宿題はこの世界に生まれてからとうに覚悟している。
ペンダントに入っていたマイクロデータメモリの中身は最大容量に比してそれほど多くはなかった。内容の七割方はフェザーン高等警察の極秘資料である『人間牧場』事件の概要。歓迎パーティーでユリアンがフェザーン人に言われたように、甲斐性に応じて綺麗な女の子が『買える』という現実を示していた。『生産拠点』を抑えたので組織の概要はだいたい掴めているが、『販売』は複数の仲介を挟んでいる為、行方が分かってる『生産品』は事業に協力していた病院に残された当歳児しかない。
チェン秘書官が自ら調べた範囲でも、四人の子供は未だ闇の中。一番下の子は生後三ケ月だったはずで、当然自分の足で動けるわけがないのだが、病院に残されていた当歳児全てと親子関係は認められなかった。さらに上の三人の子供も行方が分からない。チェン秘書官は孤児院から合法非合法関係なく洗いざらい遺伝データをかき集めたが、調査開始が遅かったこともあり親子関係が適合する子供は見つからなかった。
出世して自治領主になったワレンコフもかなり協力したが、事件から時間が経過していること、到底外部に公表できない事件であること、高等警察の要員には限りがあること、販売ルートが国外(特に帝国側)にも及んでいたこと、そして長老会議の中に『寝た子を起こすような真似はするな』といったジョークとしても最悪な意見があったこと、からチェン秘書官は苦戦した。
フェザーンで公務員となり、その容姿と優秀さから潜入工作員となったチェン秘書官は、最初帝国側への潜入を希望したが、人種の壁はあまりにも厚すぎた。『特殊趣味』の門閥貴族の愛人になることも辞さなかったが、嫉妬かどうかは分からないが、ワレンコフによって同盟側に送り込まれることになった。そしてトリューニヒトと知己を得ている。
彼女を特別扱いすることはできない。近いうちに俺は最前線に立ち、最低でも二〇〇〇人以上の部下を抱えることになる。その将兵一人一人は人間で、悩みのない人間などいない。俺の指揮によって彼らの命が失われたとして、彼らの残した遺言をこなさなければならない義務はないし、逆に言えば請け負ってはならない。そもそもこの映像だって真実を話しているとは誰も保証してくれるわけでもない。だがそれでも……
「黙って知らんぷりできるような人間ではない、とレディ・チェンに見込まれたわけだ。俺は」
勝手に寄せられた期待に応える義務などないが、短い期間とはいえこれまでチェン秘書官に随分と助け(弄ばれ)られてきた俺だ。予定された赴任時期は今年の九月。予算成立・現任務の引継ぎ・新部隊の訓練と予定が詰まっている以上、動けるときに動かなければならない。時間を確認し、強制的に体内のアルコールを抜く薬(苦い)を呑み、吊るしのサマージャケットに身を包んで、自動タクシーを呼び……
「……これって『丸投げ』って言うと思うんだけど、もしかして貴方の辞書では違うのかしら?」
午後九時。メープルヒル市街中心より二キロほど離れた、市外縁部に在るホテルグランドフォークス〇六九のラウンジ。顔に超絶不愉快ですと書いてある若妻は、隣に人の良さそうな旦那さんを座らせ、俺に向かって皮肉を浴びせてくる。
「髪の毛数本とマイクロデータだけで、フェザーン籍に登録されている可能性すら乏しい人間を探せって、無茶ぶりもいいところよ。駐在武官をやっていたんだから、フェザーン人の探偵の知り合いはいくらでもいるでしょ?」
「フェザーンではシャーデン・デ・ラボンデ(ラベンダーの木庭)しか信頼できなかった」
「昔の女に甘えるの、大人の男として控えめに言って『クズ』だと思うわ」
そう言う若妻から眩しい笑顔を向けられたラヴィッシュ氏は、だいぶ困った顔をしている。心酔する株主のヤバい依頼を、ロハ(タダ)で請け負っているモノ好きな妻も、大概だと思っているのかもしれない。俺と自分の妻の間の空気を察し、恐らくはドミニクとの関係も考慮に入れつつ、優しさの籠ったやや低い声でラヴィッシュ氏は俺に言った。
「私達夫婦はドミニクオーナーからのお仕事として、メッセンジャーを請け負っております」
言葉は優しいが、事の軽重に関係なくお前の仕事はタダではやらないぞ、という意味がしっかりと含まれているのは分かる。ミリアムは元が同盟人で、意志あらば損得抜きで動くことに躊躇はないが、ラヴィッシュ氏は間違いなく『フェザーン人』だ。
「しかもフェザーンは今、自治領主が暗殺されるという事態に直面しております。帰路の安全性を考えますと大切な証拠の品をお預かりするのは……」
「次の自治領主の名前」
「……お受けいたしましょう。時間制限なしでよろしければ」
スッと、ラヴィッシュ氏の優しい夫の目がフェザーン商人の目付きへと変わる。唖然とする若妻をよそに、俺はペンで紙ナプキンに黒狐の名前を書く。
「事態は流動的で正解ではない可能性はあります。それに二週間後には誰もが知る話ですが」
「人の知らないことを一秒でも早く知ることがどれだけ貴重か。中佐は充分ご存知でしょうに」
「ドミニクはあの男のことが嫌いかと」
「私も大嫌いです。国家を率いるだけのパワフルさを持ち合わせた男だとは思いますが、あの男は奥様とではなく奥様の財布と結婚した男です」
それがラヴィッシュ氏の本音かどうかは分からないが、氏のイケメンな顔に憤怒の成分が含まれている。親でも国でも売り払う人々にしては意外だ。顔面の操作ができる男なのかもしれないが、俺の不審さを感じとったのか、氏は怒りを力づくで表情から消し、太腿の上で手を組んで応えた。
「私の同級生はあの男に捨てられました。絶世の美人ではありませんでしたが、実にフェザーン人らしくない、温厚で暖かい心の持ち主でした。そして若くしてあの男との間にできた子供を残して亡くなりました」
俺の喉を唾が落ちる。子供が誰であるかが容易に想像できる上に、表には容易に出せない黒狐のスキャンダルを異国人である俺に話している。聞き耳を立てている黒狐の手先が居れば、ラヴィッシュ氏もミリアムも、そして独立商船ランカスター号も危うい。
「私達同級生もまだ貧しく、ようやく各所で見習いになったばかり。それでも彼女のことをバカにするものも多くいました。愛より実利を取るのは当たり前……確かにそうかもしれませんが、恨み言一つ言わずに一人で子供を育てる彼女の姿を見れば、それがどれだけ空虚かわかるというものです」
そんなだから三〇過ぎても独立商船の機関長にしかなれないんでしょうね、とラヴィッシュ氏は自嘲気味に肩を竦める。原作では才走ったところはなく美男子でもないという話だったはずだが、普通にイケメンだし篤実だし、氏がローザス提督をして孫娘を託すに足りると見込んだ男に間違いはない。そもそもミリアムの審美眼のレベルが高すぎるのかもしれないが。
「そういうわけで私は、ミリアムからのお願いだけでなく、ドミニクオーナーと中佐の一件も含めると協力的にならざるを得ないわけです」
「あの男と対するのは危険かと思われますが」
「承知しておりますとも。ですがあの男でもこの国は独立商人の集合体であり、それぞれは独立・自由の精神を宿しているということを、変えることはできないのです」
だが原作では七年半後には金髪の孺子に手玉に取られた形になったとはいえフェザーンを滅ぼした男であり、あの地球教を手玉に取り、死ぬまで陰謀を企て続けた男だ。独立商会を一つ潰すなどわけない。勿論氏も商会もドミニクも、真正面から敵対するような愚かな真似はしないだろう。だがそれであっても、ミリアムも含めてリスクを取ってくれるのだから感謝しかない。
「どうかよろしくお願いします。それと次回お会いするのは早くても八月以降となるでしょうが、恐らくその頃、私は前線勤務になっていると思われますので、こういう形でお会いできるのは二年ほど難しくなるかもしれません」
俺の言った最前線と二年という言葉に、流石に高官の孫娘であったミリアムは、すかさず眉を上げて反応する。
「あら。哨戒隊の指揮官か、国境哨戒をする星域管区司令部の参謀にでもなるのかしら? なにか今のお仕事で不始末でも?」
「ミリアム。君ね……」
右手をミリアムの左肩に、左手を額に当て、目を瞑りながら俯くラヴィッシュ氏の呆れ声に、俺は苦笑を隠せない。俺と二人で会う時は歳不相応に大人びた態度を取るミリアムも、ラヴィッシュ氏と一緒だと歳相応の若い女の子になってしまうらしい。ヤンと会っていた時もそんな感じだったはずだから、包容力というか器量の大きい相手の傍ではそうなるのかもしれない。
「赴任先はまだわかりません。ですが恐らく哨戒隊司令となるでしょう。そうなると四分の一になる可能性は否定できません。その時は新しい依頼も含めて今までのお約束通り、関係の処分をお願いします」
俺が死んだ後、ミリアム(とラヴィッシュ氏)に依頼しているドミニクとの連絡業務は、全てドミニクの指示に従って処理すること。全てなかったことにするのがドミニクにとって一番いいことだ。子供探しもそれでおしまいにすれば、地獄でチェン秘書官に怒られるのは俺だ。もっとも転生してこの世界に居る俺としては、地獄というのがあまり信じられなくなってきてはいるが。
「それは心配する必要はなさそうね」
俺の心情を察したのかどうかは分からないが、ミリアムは小さく鼻息をついた後で、呟くように言った。
「貴方、どうやら運だけはブルース=アッシュビーよりありそうだもの」
ミリアムのアッシュビー観を原作で知っている身としては、それがあまり肯定的な意味ではないと分かるだけに、何とも微妙な気分にならざるを得なかった。
◆
独立商船ランカスター号を見送った後、国防予算審議は忙しさを増し、去年同様、俺は官舎に戻る方が少ないような日々を送る状態になった。昨年とは違いチェン秘書官はいないので、各所のアポイント業務も全て自分で引き受けなければならない。仕事のやり方やポイントについては去年の経験が生きているので戸惑いは少ないが、交通整理に時間を取られて、業務の絶対量は去年の七割から八割というところ。
残りの三割について、エベンスやベイに割り振れる案件については任せることにした。特に軍本体に対する案件についてはエベンスに、国防委員会内部についてはベイに割り振り、彼らは本気で迷惑そうな顔をしつつも仕事はやり遂げた。性格や性根に問題があるとはいえ、優秀な人材であることに違いはないことを証明した形になった。
それでも国防委員会ビルの職員用シャワー室と、オフィスのあるフロアの共用廊下で意識を失っているところを発見され診察室に運ばれたこともあり、意識を回復した後で同い年ぐらいの当直医と『仕事と健康』について激論を交わすことになった。
「チェン秘書官についてだけどね」
昨年同様、評議会議員総会の二日前の夜。俺はレイバーン議員会館五四〇九号室に呼び出され、議員オフィスの応接室に設けられたディナー(四人前)を前にして、とても世間にお見せすることができない不愉快そうな顔つきで、鶏チャーシューを口に運びながら、席に着くなり怪物は俺に零した。
「どうやらフェザーンで行方をくらましたことが分かったよ。中央情報局二課と七課の連中が、わざわざここまで来てご丁寧に説明してくれた」
治安警察公安部出身のトリューニヒトとしては、中央情報局は昔の商売敵である上に、国防委員会の中にスパイが居たことを『丁寧に』説明されたことが気に入らないのは分かる。そんなことは百も承知で使っていたんだと言うわけにもいかず、いつものようなキラキラした笑顔でしらばっくれていたのだろう。国防委員会内部の綱紀と防諜についても何か言われたのかもしれない。
「君の管理責任についても聴取する必要があると言ってきた。なかなか笑える話じゃないかね。前任者から引き継いだだけの秘書官が、帝国のスパイだなんてどうやって君が分かるという話だ」
「まったくです」
「秘書官が虚偽の申告をして持ち場を離れて、直接的に迷惑を被っていた君に対して疑念を持つなんて、実に無能なC(中央情報局)の連中の考えそうなことだ」
「先生のおっしゃる通りですが、チェンは一応私の部下だったことに変わりはありません。先生にはご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございません」
「君が謝る必要はないよ。失礼なのは彼らだ。むしろ国家保安の為に、私としてはCの中身こそ洗浄した方が良いと思う」
登場人物全員が白々しい。俺はフェザーン自治領主のスパイと理解した上で、彼女をフェザーンに送り返した。中央情報局は最初から国防委員会内部を探るためにチェンを送り込んでいた。トリューニヒトは(恐らく承知の上で)そんなチェンを使って俺から『Bファイル』を探し出していた。さらにトリューニヒトはフェザーンの黒幕というべき地球教の手先とわかってて、悪霊を自分の秘書として使っている。
顔はトリューニヒトに向けたまま、視線だけオフィスと事務スペースを区切る扉に視線を向けると、トリューニヒトの瞳も同様に扉に向く。今夜、悪霊の姿はこのオフィスにはなかった。どこで羽を伸ばしているのか知らないが、盗聴器くらいは当然仕掛けているだろう。
「あぁ今夜は君のライバルはお休みだよ。半身を失ったにもかかわらず奮闘する君のおかげで、来年度の国防予算審議は昨年同様実にスムーズな決着を見た。特に政庁内部で所用もなさそうなので、彼には先に私の畑に行って、草取りを手伝ってもらっている」
俺が『アイツもスパイではないか』と懸念していると思ったのだろうか。余計な心配をかけて申し訳ないといった表情でトリューニヒトは肩を竦める。実際懸念どころか大義名分と機会があれば、即座に蜂の巣にしたやりたいのだがそこまで言う必要はない。
これまでの実績宣伝と培われた人脈金脈から、トリューニヒトが自身の選挙区で負けるとは到底思えない。むしろアイランズやネグロポンティといった手下達の選挙の応援に行く必要がある。あの悪霊に留守にする選挙区の草取り(維持管理)を任されてるとすれば厄介な話だ。草取りどころか草撒きになりかねない。
「出過ぎたことをお伺いしますが、ヴィリアーズ氏は本当にポレヴィト星域選挙区からの出馬を考えているのですか?」
「ちっとも出過ぎてはいないとも。ライバルの将来が気にかかるのは至極当然のことだ」
トリューニヒトは二度頷くと、チャーシューからリンゴとショウガのホットスムージーへと手を伸ばす。
「彼の能力はともかく現在の実績だけでは、いきなり評議会議員選挙に打って出るのは流石に難しい。再来年初頭に任期満了に伴うポレヴィト星域議会議員選挙がある。そこで一期務めてもらった後、高齢になった前任者の禅譲という形で評議会議員選挙に出てもらう考えだ」
もしトリューニヒトの言う通りであれば、奴は地球教本部での出世ではなく潜伏者として同盟内部に残るということになる。宇宙暦七九七年の選挙で評議会議員になるとなれば、地球教の大主教であった原作とは大きく異なることになる。それが同盟の未来にとって良い事とは到底思えないが、良くも悪くも奴は自己中心的な野心家のリアリストだ。地球教の教義に対する信奉など『欠片もない』という点では信頼が置ける。
「彼も君のことを随分と気にしているようでね。期が変わったら君が、第三辺境星域管区の機動哨戒隊に赴任することになることは話してある」
「え?」
「彼は喜んでもいたし、残念がってもいたよ。辺境の治安が回復することは望ましいが、ポレヴィト星域は第三辺境星域管区ではないから、『マーロヴィアの狐』の腕前はポレヴィトでは発揮されないと」
それは『辺境の哨戒隊なら帝国軍や宇宙海賊あるいは部下の叛乱を装って俺を殺せる』だろうが、『自分の手で殺せないことが残念だ』と思っているの間違いだろう。自意識過剰なのかもしれないが、少なくとも奴は地球教幹部であり、俺がトリューニヒトに帝国との講和を示唆するようなレポートを提出していることを知り、それを良しとした自治領主が暗殺されたのだ。地球教が自分達の構想の邪魔となりかねない俺を、予防的に殺すことを躊躇うことなどない。
待ち構えている暗雲が帝国軍のものだけではないという現実に俺は溜息しか出ないが、この場で出すことは許されないことも分かっている。トリューニヒト自身、地球教の事を知った上で奴を雇っているのだし、サイオキシン麻薬の頒布については今のところ小規模に抑制されているというところを見れば、現時点では対等な関係と見るべきだ。つまりそれはトリューニヒトにとっての俺の価値を棄損するようなことは慎まねばならないということ。
「そうですか。喜んでいましたか、彼は」
「ただ実際のところ、君が私の下を離れるというのは、人材面としては痛い」
それは自業自得だし、断じてお前の下に居たつもりはないが、チャーシューを突き刺していたフォークを器用に指の間で廻すトリューニヒトが、滅多に外では見せない溜息をつくので、俺は黙って鶏チャーシューに手を伸ばす。
「特に君の後任人事について、統合作戦本部人事部と国防委員会人事部が珍しく喧嘩してね。どちらも推薦者を出したくないから、押し付け合っているんだ」
「それはなんでまた……」
「誰を推薦しても君ほどの能力を発揮できるわけがないと分かっているからだよ。もし後任が業務を滞らせれば、推薦者の責任を問われてしまうからね」
俺の場合はトリューニヒトの一存で現場から一本釣りされただけ。俺の背中に見え隠れするシトレとトリューニヒトの影に勝手に相手がビビってくれただけだ。人の良いモンテイユ氏や他の同年代の中堅官僚達が、遊び仲間の体で仲良くしてくれた面もあってたおかげで、各所の交渉がスムーズに進んでいるだけに過ぎない。
外部に関してもラージェイ爺さんや、ハワード=アイランズ氏といった百戦錬磨の老獪達が、大した恩義でもないのに借りを返すつもりで、若くて未熟な俺を指導してくれただけだ。ピラート中佐の能力を備え、その上で適度な前線勤務実績があれば、機微さえ間違わなければ難しい仕事ではない。膨大な仕事を上手い具合に調整できる有能な秘書官が居れば、より仕事は楽になる。
「そういうわけで君の後任について、仕事に詳しい君が推薦してもらえると、私としては実に安心できるんだが」
そしてこれが今日、俺を呼んだ本題だろう。自分で責任を取ることなく、他者に責任を押し付けつつ、成功すれば自分の功績とする。勿論後任が失敗すれば、俺の責任だ。トリューニヒトが椅子の脇に最初から準備していたであろう一〇枚ほどの履歴書を俺に寄越してくる。
「……どなたも私より前線でも後方でも実績がある方ばかりですね」
全員が中佐で、三二歳から五四歳。士官学校出と専科学校出は半々。機動集団補給参謀、星域管区備品課長、後方勤務本部本部長付、等々、責任ある部署に勤めていた人物ばかりだ。恐らく誰がなっても能力的に問題はない。だがトリューニヒトは、この中の誰がなってもご不満のようだ。
「そこに居ない人物でも構わないよ。君の知り合いで、これぞという人物が居れば推挙して欲しい」
そう言ってトリューニヒトはスムージーに手を伸ばす。だが俺の知り合いなどたかが知れている。先輩・同期・後輩とどの顔を思い浮かべてみても、目の前の怪物を毛嫌いするマトモな人間ばかりだ。もしかしたらウィッティなら務まるかもしれないが、アイツをクブルスリー提督の元から引き離したくはない。
だが一人。俺の知り合いの中で何とかなりそうな人間はいる。現時点では階級不足だが、原作上でもトリューニヒトと繋がりがあった。犬のように仕えることもできる精神性の持ち主だ。
「誰かいい人物でもいたかね?」
俺の表情の変化をすかさず読み取ったのか、蠅を目の前にした蛙のような表情を浮かべている。その前で履歴書を奇麗に揃えてテーブルの上に置いてから、俺は口を開く。
「能力的には問題ありません。手順も機微も理解している人物です。ですが階級が不足しております」
「現階級は?」
「少佐です」
「なら問題ない。大佐になるのは少し遅くなるかもしれないが、一階級なら私が何とかしよう」
そう言って本当に何とかしてしまうのがこの怪物なので、その辺は問題ない。ただ原作での知己がここで繋がったと考えると、結局は原作とは動かすことのできない未来そのままなのかもしれない。俺のやっていることなど、文庫本に数行付け加えるだけの程度なのか。回答を促す怪物の瞳を見返しつつ、俺は応えた。
「戦略企画室参事補佐官補のカルロス=ベイを、小官の後任としてトリューニヒト先生に推挙いたします」
俺の回答に一瞬だけ目を点にした後、怪物はスムージーを飲みながら、満足げに頷くのだった。
後書き
2024.09.30 更新
コール=ラヴィッシュ:CV小野武彦
【設定資料】登場人物紹介
前書き
いつもお世話になっております。
表題の件、次話に半分書いたところでどうにもこうにも進まなくなったので、お寄せいただいた
感想の中に、オリキャラが分からない(多くて)というご提案がありましたので、
それならばと、簡単な登場人物紹介を作ってみました。……全然簡単じゃなかったです。
冒頭のボロディン一家以外は、登場話順に記載しているつもりです。
◇の『大区分』は、以前と今後の夏と冬に予定している区分けです。
●……名前……(区分・所属陣営・登場話)CV:○○○○ で書いてあります。
先頭記号は●が本作オリジナルのキャラクターで、○が原作に出るキャラクターです。
原作キャラでも、声が当てられていないキャラクターは勝手な想像か無記載です。
原作キャラの声は、基本的に石黒版・旧版です。
オリジナルキャラでCVが書いてあるのは、著者の勝手な想像ですので、気にしないでください。
台詞がなかったキャラは、話に今後どれだけ関わるかで記載したりしなかったりしています。
名前がないキャラ、あるいは今後名前が出るキャラは、登場時の役で書いています。
もしこのキャラはこの声が良いんじゃないかというご感想、お待ちしてます。
登場人物一覧
◆ボロディン一家
●ヴィクトール=ボロディン(オリ・同盟・第1話) CV:宮本充
本作のポンコツジュニア。三〇代で線路から落ちて転生。父アントン=ボロディン、母エレーナ=ボロディンの間に産まれる。七八四年士官学校首席卒業(戦略研究科)。大抵のことは八五点でこなすことができるが、女性関係の機微はてんでダメ。愛称は『ヴィック』『ヴィク』 異名は『ジュニア(惣領息子)』『悪魔王子(高官の息子)』『マーロヴィアの狐(海賊殺し)』
薄い金髪。量産廉価品の顔。特に目立った容姿はしていない。ただ愚直な努力を惜しまないところと、信念に忠実なところで歳下からの信望は厚い。敵も多いが味方も多い。平和主義者の戦争屋を自称している。
●アントン=ボロディン(オリ・同盟・第1話) CV:乃村健次
ジュニアの実父。宇宙暦七七四年五月、パランティア星域にて戦死。原作のボロディン中将の実兄。
●エレーナ=ボロディン(オリ・同盟・第1話) CV:川上とも子
ジュニアの実母。宇宙暦七七二年八月、暴走無人トラックと衝突、事故死。
○グレゴリー=ボロディン(原作・同盟・第1話) CV:池田勝
原作のボロディン中将。ジュニアにとっては叔父(最も尊敬する人)になる。熟練した用兵家であり、後方でも有能な統括者でもある。
●レーナ=ボロディン(オリ・同盟・第1話) CV:戸田恵子
原作のボロディン中将の妻。ミクロネシア系の美女で元司法士官。この人を巡ってグレゴリー=ボロディンとシドニー=シトレは恋敵となり、巡り巡ってジュニアを『シトレ派』にしてしまった。何事もハッキリ言うタイプだが、血のつながらないジュニアも含めて子供たちへの愛は深い。
●アントニナ=ボロディン(オリ・同盟・第2話/第8話) CV:富永みーな
原作のボロディン中将の娘。三姉妹の長女。金髪碧眼褐色肌長身という特異な容姿を持つ美少女(美女と言え)。ジュニアをしてシスコンにし、本人は強烈なブラコン。従兄妹は一応結婚できる。運動神経は同世代内でも抜群で、ハイネセンのフライング・ボールのジュニア級(男子)で金メダルを持っている。強烈な正義感の持ち主であり、父母をして「弁護士の方が向いている」と言われている。フレデリカ=グリーンヒルの同級生にして「同期生」士官学校での異名は『クレオパトラ』
●イロナ=ボロディン(オリ・同盟・第12話) CV:皆口裕子
原作のボロディン中将の娘。三姉妹の次女。漆黒の縮れ髪と黒瞳、透き通るような白肌の長身美少女。姉妹の中で一人毛並みが違うことと、才気煥発の姉と天才肌の妹との能力差にコンプレックスを感じているが、それを努力で乗り越えようと頑張っている。意外とジットリ系。ヤンやアッテンボローと言った天才系にも臆さない。フレデリカ=グリーンヒルの妹分。
●ラリサ=ボロディン(オリ・同盟・第12話) CV:こおろぎさとみ
原作のボロディン中将の娘。三姉妹の三女。金髪碧眼白肌。天才肌で、興味を持ったことに対する集中力と行動力は三姉妹でも随一。(リオ=グランデの姉を自称)
◆登場人物(登場話順)
◇『英雄のいる世界』
○シドニー=シトレ(原作・同盟・第2話) CV:内海賢二
レーナ夫人を巡って若い頃にボロディン中将と恋の争いで敗北。ジュニアの実父アントンの上官であり、その戦死の要因だったことからジュニアのことを実の息子のように『贔屓』している。戦闘指揮官としても優秀で人格者でもあるが、本質は軍政家。ジュニアには早く軍を辞めて政治家になって欲しいと、事あるごとに言っている。ちなみに『腹黒親父』とジュニアから陰で言われていることはもう知っている。
○ウィレム=ホーランド(原作・同盟・第3話) CV:堀川仁
ジュニアの1期上の先輩になる。七八三年士官学校首席卒業。金髪の偉丈夫で只の脳筋ではない。しかし肝心な器が小さく、どちらかと言うと上司上官の受けがいい。そして筋道通して逆らってくるジュニアに対して嫌悪感を隠さない。
○フョードル=ウィッティ(原作・同盟・第3話) CV:風早祐介
ジュニアの同期親友にして同室戦友にして高級副官(他称)。両親は死別し、軍高官の養子になっている。気性大らかで何事にも機転が利くかけがえのない悪友だが、ジュニアの従妹達を巡っていつも殴られてばかりいる。
○アレックス=キャゼルヌ(原作・同盟・第3話) CV:キートン山田
ジュニア3期上。士官学校におけるジュニアとウィッティの『保護者』。原作通りの面倒見のいい毒舌家。ヤンと同じようにジュニアの事も気にかけていて、困った時の『ドラ●もん』のように手助けしてくれる。ただし有料。
○ヤン=ウェンリー(原作・同盟・第7話) CV:富山敬・郷田ほづみ
『原作の主人公』。本作においてはジュニアの後輩になる。士官学校ではジュニアがヤンの『保護者』となった。ジュニアがちょっとだけやる気スイッチを押してしまったため、割を喰った同級生が生まれてしまった。士官学校の卒業席次が原作よりもちょっと上昇しているが、原作通り『エル=ファシルの英雄』になっている。
ジュニアに対しては「気安く話せる先輩」といったスタンスで、信頼関係がある。
○フレデリカ=グリーンヒル(原作・同盟・第8話) CV:榊原良子
ハイネセン第2空港のリニアホームで、胸を抑えた母親を救ってくれたジュニアに対して、歪んだ感情を抱いている。ジュニアに使嗾されたアントニナとの喧嘩でさらに関係は悪化。ヤンとはエル=ファシルで親交を得てから、原作以上に狂信的になっている。アントニナとは同級生であり同期生。
○ジェシカ=エドワーズ(原作・同盟・第10話) CV:小山茉美
原作通り事務監の娘として、ヤンやラップとつるんで(引き綱を引いて)いる。ヤン達が士官学校を卒業して、音楽学生を続けていてもそれは変わらない。歳上にも臆さない精神性も変わらず、ジュニアにも軽く毒舌を吐く。
○ジャン=ロベール=ラップ(原作・同盟・第10話) CV:田中秀幸
士官候補生。原作通りヤンの友人。将器を持つ男としてヤンと、コテンパにされたワイドボーンとの間を取り持てる。コミュニケーションオバケ。原作より早く病気を発見できたことが、彼にとって良かったのかどうか……
○マルコム=ワイドボーン(原作・同盟・第10話) CV:関智一
士官候補生。『原作主人公のライバル』。10年来の天才であることには変わりないが、戦術シミュレーションでヤンに原作以上にコテンパにされた、ジュニアによって割喰ってしまった原作登場人物。だがコテンパに伸されたことで蒙が啓いたのか、少しだけ精神に柔軟性を得た……得過ぎてジュニアに膝カックンするくらい角が取れてしまった。ヤンとは「性格(ソリ)が合わない」と言っているが、はてさて。
○ジェフ=コナリー(原作・同盟・第13話) CV:笹岡繁蔵
中佐→准将・第四七高速機動集団参謀長。グレゴリー叔父の片腕。ジュニアと幼い頃から面識のある、いわゆる『他所の叔父さん』。ジュニアの好みをよく知っている。
○エドウィン=フィッシャー(原作・同盟・第13話) CV:鈴木泰明
少佐・査閲部統計課。原作通り艦隊運用の名人だが、ジュニアとはシトレの歪んだ贔屓のせいで、査閲部で上司部下の関係となり、以降、濃密な師弟関係が続いている。ジュニアを『狂信的艦隊機動戦原理主義過激派』にしてしまった教祖。表情筋の重要性を教え、以降ジュニアの重要な武器となっている。
●クレブス(オリ・同盟・第13話)
中将・査閲部長。シトレの歪んだ贔屓の犠牲者の一人。実戦経験のないジュニアの着任に戸惑っていたが、素直さと勤勉さには一定の評価を下していた。
●ハンシェル(オリ・同盟・第13話)
准将・統計課長。クレブス中将の部下であり、フィッシャーの上司。やはりシトレの歪んだ贔屓の犠牲者の一人だが、ジュニアの能力を高く評価していた。叩き上げの老士官。
●マクニール(オリ・同盟・第14話)
査閲部統計課係長・少佐。定年間際の叩き上げ砲術士官。人生の大半を砲座と戦闘艦橋で過ごしてきた査閲官で、勘やコツの重要性をジュニアに教えてくれた。『酔いどれマクニール』と言われ、ビュコックの知人。
○オスマン(原作・同盟・第15話)
中佐・査閲部査閲課。査閲チーム主席として第3艦隊の査閲を担当していた。原作では後日、ビュコックの部下となる。
○ドワイド=グリーンヒル(原作・同盟・第15話) CV:政宗一成
少将・第3艦隊参謀長。ジュニアとは艦隊訓練査閲で出会うが、それ以上にフレデリカの父としてジュニアに対している。軍の良識派としての名声もあり、原作を知るジュニアはあまり好意的にはなれない相手。だがジュニアの実父とは面識があり、ジュニアのことをグレゴリー=ボロディンの養子ではなく、アントン=ボロディンの息子として見ている数少ない人物の一人。
○ラザール=ロボス(原作・同盟・第16話) CV:大木民夫
中将・第3艦隊司令官。出会いが原作開始前というのもあるが、訓練内容に文句を言ってきた若輩のジュニアに対し、整然とした理論と実戦経験をもとに丁寧に答える器量を持っている。ビュコックをしてシトレよりも用兵家としての才は上であると言わしめた覇気は健在。
○アーサー=リンチ(原作・同盟・第19話) CV:広瀬正志
准将・ケリム第七一警備艦隊司令官として、ジュニアの上司となった。少壮気鋭の指揮官であり、やや独善的で視野が狭いところもあるが、それも彼の義侠心から。しかし結局、海賊ブラックバートを追い詰め損ね、トリプラ星域に左遷された後、『エル=ファシルの恥知らず』となる。だが同時にジュニアにとってかけがえのない一翼を生み出すことになった。
●エジリ(オリ・同盟・第19話)
大佐・ケリム第七一警備艦隊参謀長。五〇代後半のくたびれた老士官。若い頃は駆逐艦分隊を率いてイゼルローン要塞に肉薄する勇猛さを持ち合わせていたが、将官の壁に突き当たってしまった。ジュニアの勤務熱心さを高く評価している。そしてかつての上司の求めに応じて、海賊ブラックバートのスパイとして警備艦隊や軍動向を伝えていた。
●オブラック(オリ・同盟・第19話)
中佐・ケリム第七一警備艦隊後方参謀。茶色の髪をした色男で、リンチの同期。副官であるにもかかわらず、参謀としての才を見せるジュニアに嫉妬と隔意を抱いていている。警備艦隊解散後は辺境の補給基地へ左遷となった。
●カーチェント(オリ・同盟・第19話)
中佐・ケリム第七一警備艦隊情報参謀。鉄灰色の髪をした情報将校。能ある鷹は爪を隠す。リンチの同期だが、オブラックとは逆の意味で、リンチは彼を見誤っていた。警備艦隊解散後、再編された部隊の参謀長となっている。また情報部部員内でのジュニアの出世レース賭博で大儲けしている。
○イブリン=ドールトン(原作・同盟・第22話)
准尉・ケリム第七一警備艦隊旗艦航法予備下士官としてジュニアと出会う。海賊追撃の作戦立案でジュニアと協力するが、結局のところ逃走を許すことになる。帰還後、ジュニアとトラブルになるが、幹部候補生学校に推薦入学する。以後中尉まで昇進し……
○テリー=ブロンズ(原作・同盟・第26話) CV:水野鉄雄
准将・情報部第9課課長。カーチェント・バグダッシュらの上司。ケリムで功績を上げたジュニアをフェザーンに送り込み、フェザーンで失敗してマーロヴィアに飛ばされたジュニアにバグダッシュを送り込んだ、ある意味で原作にいないジュニアに振り回され続けている。気さくで筋肉質で皮肉が分かる男だが……
○ダスティ=アッテンボロー(原作・同盟・第28話) CV:井上和彦
士官学校候補生。イロナの雨宿りで、士官学校にてヤンを介してジュニアと面識を持つ。陽気で瀟洒な軍人らしくないところは変わらない。後にジュニアが父親に余計なことを吹き込まれて痛い目に合う。
○オルタンス=キャゼルヌ(原作・同盟・第28話) CV:松尾佳子
原作通りの白い魔女としてキャゼルヌ家に君臨している。雨宿りでイロナと面識を持ち、またジュニアの件で軽口をたたく毒舌家の夫を窘めている。ジュニアの頭の上がらない女性の一人(そもそも頭が上がる女性がいないが)
○ニコラス=ボルテック(原作・フェザーン・第29話) CV:仁内建之
フェザーン自治政府対外交渉部の一員として、駐在武官として赴任してきたジュニアを出迎える。海賊ブラックバートの情報をジュニアに流したり、今後色々とジュニアに絡んでくる、事になるかもしれない。
●アグバヤニ(オリ・同盟・第30話)
大佐・フェザーン駐在武官長としてジュニアの上司となる。ミクロネシア系の年配男性。陰気で尊大で狭量だが小心で、ルビンスキーに嫉妬しつつも、ジュニアに対するフェザーン側の左遷依頼を請け負った。
○アドリアン=ルビンスキー(原作・フェザーン・第30話) CV:小林清志
フェザーン高等参事官としてジュニアと出会う。恐らくはフェザーンで一番に、ジュニアを『危険人物』とみなした男。そして第5代自治領主となった。
○ドミニク=サン=ピエール(原作・フェザーン・第30話) CV:平野文
ジュニアによって原作より大きく乖離してしまった、小さなスナックの歌姫。ジュニアとお互いの心の半分を分けあっている。遠く四五〇〇光年離れていても、たとえ国が異なっていても、その愛は変わらない。
◇『マーロヴィアの草刈り』
○アレクサンドル=ビュコック(原作・同盟・第34話) CV:富田耕生
准将・マーロヴィア星域管区司令官としてジュニアの上司となる。ジュニアを徹底的に叩き直した頑固親父。少将・第四四高速機動集団司令、中将・第5艦隊司令官となる。ジュニアを高く評価しており、恐らくは未来を託す相手と見ている。
○ルイ=モンシャルマン(原作・同盟・第34話) CV:牧宮弘
大佐・マーロヴィア星域管区参謀長。ビュコックの片腕で信頼が厚い。第四四高速機動集団・第五艦隊でも参謀長を勤める。
○イザーク=ファイフェル(原作・同盟・第34話) CV:梅津秀行
少尉・マーロヴィア星域管区司令官付副官。ビュコックのマーロヴィア着任からずっと副官を続けている。ジュニアとは年齢が近く、兄弟のように信頼関係がある。
●ヴェルトルト=トルリアーニ(オリ・同盟・第39話)
マーロヴィア星域検察長官。中央から赴任して二〇年、マーロヴィアで昇進を続けた。結果として、海賊と後ろで繋がっていて、ジュニアとバグダッシュによって拘束された。
●イレネ=パルッキ(オリ・同盟・第37話)
マーロヴィア星域経済産業長官。前職が中央政府財務委員会で、薄い胸に手を差し込んだ上司を後ろ回し蹴りで壁に叩きつけた為、左遷されてきた。整理された頭脳の持ち主であり、的確な指示を下せる女性。
○バグダッシュ(原作・同盟・第38話) CV:神谷明
大尉・原作から最も乖離したキャラ。キレキレの情報将校。マーロヴィアの海賊制圧戦でジュニアと共闘してからは、ジュニアの右腕(便利屋)のような仕事を嬉々としていやっている節がある。ジュニアの政治家特性をシトレ同様に高く評価しており、早く退役して政治家になって欲しいと思っている。
○オーブリー=コクラン(原作・同盟・第38話) CV:麦人
大尉・マーロヴィア星域管区に臨時の後方幕僚として派遣されてきた。生真面目で筋道を通す人物だが、機転と要領の良さも持ち合わせている。
○ラルフ=カールセン(原作・同盟・第39話) CV:新井量大
中佐・マーロヴィア星域管区駐留艦隊・嚮導巡航艦艦長としてジュニアと出会う。マーロヴィア海賊制圧戦で特務分隊を先任艦長として指揮。その際、元上官が率いる海賊ブラックバートを拘束することになる。ジュニアと出会うことで、エリートさん達に対する意地が少しだけ減少している。
●カール=ブルゼン(オリ・同盟・第40話)
少佐・マーロヴィア星域管区駐留艦隊・巡航艦ミゲー34号艦長。元亡命者。操艦センスはマーロヴィア随一。
●マルソー(オリ・同盟・第40話)
少佐・マーロヴィア星域管区駐留艦隊・巡航艦サルードー15号艦長。後方勤務出身の変わり種
●ゴートン(オリ・同盟・第40話)
少佐・マーロヴィア星域管区駐留艦隊・巡航艦ミゲー77号艦長。暴れ牛の異名のある、勇猛果敢な艦長。
●リヴェット(オリ・同盟・第40話)
少佐・マーロヴィア星域管区駐留艦隊・巡航艦ユルグ6号艦長。特務分隊最年長。
●ラフハー88号艦長(オリ・同盟・第42話)
元大尉・海賊ブラックバートの一員。同艦拿捕と共に拘束された。
●ロバート=バーソンズ(オリ・同盟・第43話)
海賊ブラックバートの頭領。元同盟軍准将で、イゼルローン要塞ができる前までは帝国領迄進出し、不正規戦を指揮していた。要塞構築後、不正規戦の価値が低下し、また叩き上げであることから准将以上に昇進することが出来ず、退役。軍傷病兵の生活後援を行っていたが、行政の財政難から支援が細り、最終的には海賊行為によって後援資金を集めていた。多くのシンパが軍内に残存している。ラルフ=カールセンの元上司でもある。営倉でジュニアに不正規戦を教授している。
●カッパー(オリ・同盟・第46話)
マーロヴィア治安警察の警部補。トルリアーニ検察長官拘束時の道案内時に、当のトルリアーニからの射撃を浴びる。マッチョSWAT
○ヨブ=トリューニヒト(原作・同盟・第47話) CV:石塚運昇
原作通りの怪物。ジュニアをどうにか『手に入れよう』としている。
○フランチェシク=ロムスキー(原作・同盟・閑話1) CV:仲村秀生
エル=ファシル総合中央病院の救急救命医。原作通りエル=ファシル脱出の際の、民間人側の取り纏め役となる。またエル=ファシル帰還事業でも住民代表となり、交渉の席に立つ。
●ジェイニー=ブライトウェル(=リンチ)(オリ・同盟・第50話) CV:島本須美or生駒治美
兵長待遇軍属・アーサー=リンチの一人娘。エル=ファシル以後、人生が540°かわり、身辺保護の為、軍属として第四四高速機動集団司令付従卒となった。周囲がなんと言おうと、信念に基づいて自分を庇い続けるジュニアに対し、絶対の信頼を捧げている。赤毛の長身美女でエル=ファシル奪回戦以降、陸戦技術と勉学で、士官学校に優秀な成績で入学することになる。運動神経も良いが、男性顔負けの膂力も持つ。士官学校での異名は『プリンセス・ジェイニー』
●マルコス=モンティージャ(オリ・同盟・第51話) CV:菊池正美
中佐・第四四高速機動集団情報参謀。小柄で浅黒いスペイン系の情報将校。人懐っこい外皮の下には、冷徹な情報将校と好奇心旺盛な地質学者の二人が隠れている。ジュニアに対し、軍人として別角度からの視点を提供する。ジュニア出世レース賭博の胴元。
●ギー=カステル(オリ・同盟・第51話) CV:茶風林
中佐・第四四高速機動集団補給参謀。フランス系の血を色濃く残す彫が深く整った容姿と長身の持ち主。キャゼルヌをして融通は利かないが優秀な人物と言わしめる補給将校で、口は悪く悪態も平然とつくが、面倒見がいい料理好き。誰もが振り向くような美人の奥さんがいる。
●ジョン=プロウライト(オリ・同盟・第51話)
准将・第四四高速機動集団第2部隊指揮官。次席指揮官。
○クブルスリー(原作・同盟・第52話) CV:田中信夫
少将・統合作戦本部戦略部課長。ウィッティの上司。ビュコックに伝言を送る。
●ネリオ=バンフィ(オリ・同盟・第53話)
准将・第四四高速機動集団第3部隊指揮官。第3指揮官。根性の座った砲撃と戦術的に大胆な部隊移動を、僅かな指示で実現できる指揮官。五人の子持ちお父さん。
●イェレ=フィンク(オリ・同盟・第53話)
中佐・第四四高速機動集団・第8709哨戒隊先任艦長。『エル=ファシル』から民間人を見捨てて逃げ出した部隊に所属していた戦艦アラミノス艦長。ブライトウェル嬢同様、何を言われようと庇い続け、絶好の死に場所を与えつつも助けようと配慮するジュニアに、絶対の忠誠心を捧げている。長身の白人男性。
●モディボ=ユタン(オリ・同盟・第53話)
少佐・第四四高速機動集団・第8709哨戒隊所属・嚮導巡航艦エル・セラト艦長。フィンク同様、民間人を見捨てて逃げ出した部隊に所属していた。『ブライトウェル嬢の優しい叔父さん』中肉中背の黒人男性。
◇『エル=ファシル』
○ネイサン=アップルトン(原作・同盟・第55話) CV:石森達幸
准将・第三四九独立機動部隊司令。ジュニアに顎髭のあるなしをいきなり聞いてくる人だが、用兵は大胆にして性急。隙を見逃さず、指示を出さずとも的確に判断を下せる。
●オレール=ディディエ(オリ・同盟・第55話)
少将・第七七降下猟兵師団師団長→中将・第五軍団長。降下猟兵にその人ありと謳われる陸戦将校。エル=ファシル奪回戦で陸戦ではほぼ無血開城を成し遂げて以降、ジュニア(とブライトウェル嬢)と交流を持つようになった。しなやかで分厚い筋肉の持ち主であり、姿に似合わず柔軟な思考を有している。『ブライトウェルの父君』
○セルジョ=マスカーニ(原作・同盟・第56話) CV:立木文彦
少佐・シュパーラ星域・エレシュキガル星系演習宙域管理部担当。加減のない訓練に付き合わされて、攻略部隊に抗議する。
○ダニエル=サントス=ジャワフ(原作・同盟・第59話) CV:仲野裕
少佐・第32装甲機動歩兵師団・地上戦司令部内統括予備参謀。連絡将校として『エル=ファシル奪回戦』でジュニアと共闘する。歳よりも老けて見える黒人男性だが、経験と識見と調整能力に富み、宇宙戦将校に対する隔意もない陸戦将校としては異色の人物。『色違いのパトリチェフ』
○フルマー(オリ・同盟・第62話)
少佐・第三四九独立機動部隊先任参謀。淡い栗毛の髪をした人物。ジュニアに「道理をネチネチ言うと、歳上の部下は付いてこない」と諭す。実はアニメ(石黒版)で名無しではありますが顔は出ています。#アムリッツア星域会戦
●ジークフリート=フォン=ボーデヴィヒ(オリ・帝国?・第62話)
准将。謎の人物でも何でもなく、ジュニアの仮装。帝室近衛艦隊小戦隊指揮官。
●レッペンシュテット(オリ・帝国・第63話)
エル=ファシル駐留陸戦部隊先任指揮官。准将。上層部がジュニアの策に乗せられて逃げ出したエル=ファシルを防衛し、最終的にジュニアの策に乗ることを理解した上で降伏した。ヴェスターラント出身。
●シェーニンゲン子爵(オリ・帝国・第63話)
エル=ファシル中央都市統括官。ジュニアの策に乗せられ、エル=ファシルから脱出したところを捕らえられる。ブラウンシュバイク公爵派。
●ハイデンブルク子爵(オリ・帝国・第63話)
エル=ファシル東部都市統括官。ジュニアの策に乗せられ、エル=ファシルから脱出したところを捕らえられる。リッテンハイム侯爵派。
●ミュルハイム男爵(オリ・帝国・第63話)
エル=ファシル西部都市統括官。ジュニアの策に乗せられ、エル=ファシルから脱出したところを捕らえられる。
●ボンガルト(オリ・帝国・第63話)
大佐。エル=ファシル東部都市陸戦部隊指揮官。
●バウラー(オリ・帝国・第63話)
大佐。エル=ファシル西部都市陸戦部隊指揮官。
●サンテソン(オリ・同盟・第65話)
少佐・第四四高速機動集団・第8709哨戒隊所属・巡航艦ボアール93号艦長。精神構造がタフな四五歳独身・天涯孤独。拿捕戦艦トレンデルベルクの艦長を勤める。少し頭の螺子が飛んでいる。
●クレート=モリエート(オリ・同盟・第65話)
准将・第三五一独立機動部隊司令。ちょっとばかり口が悪いが、人が良く、勇猛果敢な指揮官。
●ミン=シェンハイ(オリ・同盟・第67話)
少将・第32装甲機動歩兵師団師団長。エル=ファシル奪回作戦地上軍次席指揮官。地上に帝国軍の艦船を敷き詰めて『ボーデヴィヒ要塞』を作り上げた。
○テッドーニコルスキー(原作・同盟・第69話)
中尉・第4次イゼルローン攻略部隊幕僚部。エル=ファシル奪回部隊に追加任務を届けた時にジュニアと面識を持つ。ジュニアより2期後輩。
●ルーシャン=ダウンズ(オリ・同盟・第71話)
准将・第四〇九広域巡察部隊司令。年配の男性で、小集団での機動戦に実績のある人物。
●ロドニー=サイラーズ(オリ・同盟・第74話)
中将・第一艦隊司令官→大将・宇宙艦隊司令長官 人格円満で帝国軍の戦闘実績では目立ったところはないが、地味だが根気のいる治安維持戦に定評がある。軍部の大半の推薦を得て、宇宙艦隊司令長官に就任した『お巡りお爺さん』
●ジルベール=ド=ロカンクール(オリ・同盟・第74話)
大将・統合作戦本部次長。宇宙艦隊司令長官候補であったが、支持が集まらず現職留任。『没落老舗の高級剃刀』のあだ名がある。
●ナージー=アズハル=アル・アイン(オリ・同盟・第75話)
中佐・演習査閲統括官。キベロン演習宙域での第四四・第四七高速機動集団の演習を統括した。
●メールロー(オリ・同盟・第75話)
中佐・演習次席査閲官。キベロン演習宙域での第四四・第四七高速機動集団の演習を査閲する。
○ケイシー=マロン(原作・同盟・第75話)
少佐・メールロー査閲チームの次席。元査閲部航路安全課。ジュニアに演習について忠告する。
○ウォルター=アイランズ(原作・同盟・第76話) CV:田中康郎
別荘地サームローイヨートでチンピラに絡まれているところをジュニアに救われ、それをネタに恐喝『してこない』ジュニアに恩義と親交を感じて付き合い始める。国防委員会参事。
○ミリアム(=ローザス)=ラヴィッシュ(原作・同盟・第77話) CV:かかずゆみ
独立商船ランカスター号の専務長補佐。アルフレッド=ローザス提督の孫娘。ランカスター号の機関長と結婚後、フェザーン国籍になる。そこでオーナーとなったドミニクと知り合い、メッセンジャーを受け持つ。
◇『五稜星の対価』
●ソゾン=シェストフ(オリ・同盟・第79話)
元エル=ファシル行政府副首相。エル=ファシル帰還事業団・特別法人代表。
○クロード=モンテイユ(原作・同盟・第79話) CV:阿南健治
財務委員会事務局総合政策課係長補佐。エル=ファシル帰還事業団・中央派遣官僚団代表。スマートな顔つきにキッチリと纏まられたヘアスタイル。特徴的なカモメ眉を持つ肝の据わった財務官僚。ジュニアと帰還事業で面識を持ち、以後交流を続ける。正しい意味でのお友達。
○ロイヤル=サンフォード(原作・同盟・第79話) CV:阪脩
地域社会開発委員会副委員長。帰還事業団の総代表だが、熱意が全くない。
●ザーレシャーク(オリ・同盟・第79話)
大尉。帰還事業団統括会議派遣武官。初老の士官。
●ングウェニア(オリ・同盟・第81話)
少将・第八艦隊副司令官。
●ラスールザーデ(オリ・同盟・第81話)
少将・第八艦隊参謀長。
○マリネスク(原作・同盟・第81話)
准将・第八艦隊副参謀長。理論派の作戦参謀。理路整然とした状況判断力があるが、杓子定規的なところがある。事前の作戦会議での質問および、第四四高速機動集団の動きを命令不服従とみなして、ジュニアを問い詰める。
○ブルーノ=パストーレ(原作・同盟・第81話) CV:佐藤正治
第三五九独立機動部隊司令。カプチェランカ星系攻略戦に参加。
○ウォーレン=ムーア(原作・同盟・第81話) CV:平野正人
第三六一独立機動部隊司令。カプチェランカ星系攻略戦に参加。
●ヴィリアム=エルヴェスタム(オリ・同盟・第60話/第82話)
元エル=ファシル宇宙港管制センター第二管制区次席オペレーター。エル=ファシル脱出後、婚約者に捨てられ、航路保安局を辞めて帰還事業に参加し、追放された。改めてその星系航宙管制能力を『別の意味で』使いたいジュニアが、『黒歴史で脅迫』して引きずり込んだ。男の中の漢。
○ウィリバルト=ヨアヒム=フォン=メルカッツ(原作・帝国・第85話) CV:納谷悟朗
アトラハシーズ星系にて第四四高速機動集団と交戦。冷静沈着かつ大胆な戦闘指揮で第一部隊を追い込みにかかり、包囲殲滅の危機を近接戦闘で切り抜け、星系から逃げ出す第四四高速機動集団を追撃する。
●ローラント=アイヒス=フォン=バウムガルテン(オリ・帝国・第86話)
中将・アトラハシーズ星系に進入したイゼルローン駐留艦隊分艦隊司令。第四四高速機動集団の後背急襲を受ける。
●ジルベール=アルべ(オリ・同盟・第89話)
元帥・統合作戦本部長。
○マルセル=フォン=ヴァルテンベルク(原作・帝国・第90話)
中将・カプチェランカ星系会戦に参加。第四四高速機動集団に強襲攻撃を仕掛けるも、逆襲される。
●ドゥルーブ=シン(オリ・同盟・第91話)
准将・第三五三独立機動部隊司令・カプチェランカ星系攻略戦に参加。戦死。
●ピラット=パーイアン(オリ・同盟・第91話)
准将・第四一二広域巡察部隊司令・カプチェランカ星系攻略戦に参加。戦死。
○ライオネル=モートン(原作・同盟・第93話) CV:大木正司
大佐・第八艦隊第四部隊参謀。
●アイリーン=ブライトウェル(=リンチ)(オリ・同盟・第94話)
アーサー=リンチの元妻。ジェイニー=ブライトウェルの母。心労で年よりも老けて見える。
◇『憂国』
●ヨゼフ=ピラート(オリ・同盟・第96話) CV:八奈見乗児
中佐・ジュニアの前任の国防政策局企画参事補佐官。実年齢よりはるかに老いた容姿の汚職軍人だが、後方調達本部出身で戦略的に国家の行く末を見極められるほどの明晰な頭脳を持っている。ただ実戦経験が皆無の為、政府・軍部間で交渉を行う補佐官としては軽視され、諦観してしまった。
○ダドリー=エベンス(原作・同盟・第96話) CV:池水通洋
少佐・ジュニアの部下になる参事補佐官補の一人。硬直した正義漢で、前任のピラート中佐から忌み嫌われていた。ジュニアもその硬直した思考に嫌悪感を覚えている。
○カルロス=ベイ(原作・同盟・第96話) CV:池田勝(なんでや)
少佐・ジュニアの部下になる参事補佐官補の一人。
●チェン=チュンイェン/ウー=キーシャオ(オリ・同盟・第96話) CV:本多知恵子or梨羽侑里
補佐官付秘書官。大尉待遇軍属。長い黒髪と細く小さいやや垂れ目の童顔アジア系女性。外見二〇代前半、公称三三歳、実年齢四六歳の『化蛇』。ジュニアの秘書官として働いてはいるが、その実、トリューニヒト、中央情報局第7課、そしてフェザーン自治領主直属という3組織(個人)のスパイを勤めあげている。フェザーンの『人間牧場』出身。複雑な心理の持ち主だが、後事をジュニアに託し、自らの愛する男の為に命を懸けた。
○ネグロポンティ(原作・同盟・第97話) CV:穂積隆信
トリューニヒト派の政治家。トリューニヒトに評価されるジュニアに対し、嫉妬している節がある。
●ハワード=アイランズ(オリ・同盟・第97話)
ウォルター=アイランズの実兄。金属精錬・加工会社ビリーズ&アイランズ・マテリアルの専務。
●ジョズエ=ラジョエリナ(オリ・同盟・第97話)
元サンタクルス・ライン社統括安全運航本部長。現同社顧問。同社の本業である恒星間輸送業の一切を統括指揮する立場だった。口うるさい隠居老人を自称するが、ジュニアを評価し、儲けも含めてその仕事を手助けしてくれる。
○ホワン=ルイ(原作・同盟・第98話) CV:肝付兼太
人的資源委員会理事。徴兵に関する調停に同席したジュニアを評する。
○ジェフリー=バウンスゴール(原作・同盟・第100話) CV:山賀教弘
大佐・ハイネセン第1軌道造兵廠第1造船部主任。工廠見学に来たジュニアとアイランズのガイドを務める。
●ルピア=パトリック=ルング(オリ・同盟・閑話3)
戦略研究科の士官候補生。第二学生舎総務。ブライトウェルが武器を使って学生舎の後輩をいたぶったと思い込む。
●マリー=フォレスト(オリ・同盟・閑話3) CV:大森ゆかり(プロレスラー)
『陸戦技術科の』女性士官候補生。アントニナとブライトウェルのいる女子第一学生舎『薔薇舎』の舎長。身長一八八センチ、体重八五キロの、自他共に認めるメスゴリラ。異名は『サマー・ガール』
●アントニオ=テラサス=マンサネラ(オリ・同盟・閑話3)
戦略研究科の士官候補生。陸戦戦技評価A3を持つ。ブライトウェルとの『ステージ』で第二R、開始五秒でTKO。
●ベニート=ブレツェリ(オリ・同盟・閑話3)
戦略研究科の士官候補生。分隊次席。超光速通信敷設艦部隊に父方の叔父さんがいる。叔父同様に目先が利いている。幼顔。
○ハワード=ヴィリアーズ/ド・ヴィリエ(原作・地球・第102話) CV:銀河万丈
『登場時点では』トリューニヒトの私設秘書。深い知性を感じさせる瞳とカモメ眉、若くて張りがあるのにローバリトンな声。豊かな黒髪を奇麗にスリックバックスタイルにまとめている……
○ダニイル=イヴァノヴィッチ=ワレンコフ(原作・フェザーン・第103話)
第四代フェザーン自治領主。ある経路でジュニアの作成した『Bファイル』を入手し、地球教と手を切る方向に戦略を切り替えようとした途端に暗殺される。
○パトリック=アッテンボロー(原作・同盟・第103話) CV:井上和彦
ウィークリー・ニュータイスの記者。ダスティの実父。ジュニアに取材に来る。
○ジェームズ=ソーンダイク(原作・同盟・第一〇四話) CV:丸山詠二
弁護士。グエン・キム・ホア平和総合研究会の外部顧問。
○憂国騎士団団長(原作・同盟・第105話)
紫頭巾。ジュニアとのステゴロで、肩を抜かれ、鼻を折り、顔中血だらけになる。
●マヌエル=マクレガン(オリ・同盟・第105話)
大学講師。グエン・キム・ホア平和総合研究会の主任理事。センスなしの扇動家。
●治安警察小隊小隊長(オリ・同盟・第105話)
THE・役立たず。憂国騎士団とトリューニヒトの両方と繋がっているが、保身で報告を上げるのが遅かった。
●地毛が黒に近い栗毛のホステス(オリ・フェザーン・第107話)
オネーギン(グラズノフ)の手配した高級クラブでホステス(役)をしている。
○エヴグラーフ=オネーギン/グラズノフ(原作・フェザーン・第107話) CV:西村知道
プレヴノン・MM社の外部営業部長。フェザーンのスパイとして同盟に潜伏中。新装甲素材問題でジュニアと接触し、『熱烈な握手』を交わす。
●ジョン=エルトン(偽名)(オリ・同盟・第108話) CV:小池朝雄
中央情報局第2課(防諜)課長。チェンとは二〇年来の付き合い。くたびれたレインコートを着ると、とある警部補によく似ているらしい。
●ヒュー=ピース(偽名)(オリ・同盟・第108話)
中央情報局第7課(国外諜報)第三班班長。チェンの『一応の』上司に当たる。能力は雲泥の差だが、愛すべき内国安全保障局長の同族。
●コール=ラヴィッシュ(オリ・フェザーン・第109話) CV:小野武彦
フェザーン独立商船ランカスター号の機関長。ミリアムの夫で、フェザーン人らしからぬ人の良さ。黒狐の子供を産んだ元愛人の知人。
後書き
2024.10.15 更新(今後順次追加・修正予定)
第110話 第一〇二四哨戒隊 その1
前書き
ご無沙汰しております。
ダメです。今回は本当にダメでした。次の話も繋げようと思ったら、書いてて実につまらなくなってしまったので、前半だけUPします。
次の文章が出来たら、繋げて再UPしたいです。
宇宙暦七九一年 九月より ハイネセンポリス
八月が人事異動の季節であることは間違いなく、軍に限らず役所の方でも各所で異動が発表されるのだが、俺の人事が公表されると、ありとあらゆるところから『統合作戦本部人事課』に抗議が行ったらしい。
特に財務委員会と人的資源委員会からの抗議は相当なものだったらしく、統合作戦本部人事部長からトリューニヒト自身に『援軍の要請』が行われたと、ピカピカの中佐の階級章を付けたカルロス=ベイがにこやかな笑顔を浮かべて引継ぎの時に教えてくれた。
一方で同じタイミングでエベンスも中佐に昇進し、統合作戦本部法務部への異動となった。士官学校時は法務研究科だったらしいので、そのキャリアに相応しい部署に行ったということになるだろう。だがこれで一年前に作られた戦略企画室参事補佐ボロディン分室のメンバーは見事に散り散りになった。
そして俺は巨大な統合作戦本部ビルの地下二三階にある、四〇人程度が入れる程度の小会議室の端っこで一人、一〇分前に貰った書類を前にお茶している。
「第一〇二四哨戒隊、ね」
小なりとも独立部隊指揮官。ジャケットの胸につけるは、軍旗をあしらった指揮官徽章。黄丹色のミニスカーフは将官になってから付けることになっているので、今は付いていない。
嬉しくないと言えば嘘になる。部隊指揮官としては一番下であっても、攻撃指示を部下に直接下せるのだ。前世で子供の頃にテレビ画面を見ながら、「撃て(ファイヤー)!」と言っていた夢が、小なりとはいえ現実となった。
だが同時にその対価として、不都合な現実と足元に絡みつく暗雲がこれからの俺を待ち受けている。
そもそも『哨戒隊』とは、辺境星域管区と呼ばれるイゼルローン回廊出口からフェザーン回廊出口に渡る、総数五〇〇にも及ぶ恒星系を統合した軍管区内において、防衛・哨戒・海賊討伐・船団護衛・掃宙などあらゆる任務に、独立した行動が可能な一番小さい戦闘集団という位置づけになる。ちなみに制式艦隊や機動集団に付随する哨戒隊は、編制規模では同じだが任務は艦隊の哨戒任務が中心で、ここまで任務は多様ではない。
配属戦力は大きくないが、バランスは良い。戦艦一分隊、巡航艦三分隊、駆逐艦二分隊、支援艦一分隊。一分隊は五隻で成り立つので、定数は三五隻。宇宙空間戦闘の基本となる巡航艦が戦力の半数を占め、より強力な火力と防御力を持つ戦艦を部隊の主軸とし、即応近接防御や分散哨戒が可能な機動力を有する駆逐艦が付随する。支援艦分隊には中・小型の補給艦と工作艦が配備され、長期間にわたる多種の任務に堪えられるようにもなっている。
だがそれはあくまで規定通りに定数が配備された場合だ。現実は全くもって甘くない。
まず定数通りに配備されることはない。だいたいが部隊の解散などで生じた未配備の余剰戦力を殆ど自動的に切り貼りして、とりあえず分隊の形に揃えたモノを規定割に合わせて再結合させた編成が大半だ。流石に三隻以下で分隊を組むことはないが、四隻で編成されるのはザラ。実際、第一〇二四哨戒隊の総戦力は三〇隻。巡航艦分隊と駆逐艦分隊の全てが、定数より一隻少ない四隻で編成されている。
次に艦の質の問題。『未配備の余剰戦力』が編成の基本になるので、ピカピカの新造艦が配備されることはあまりない。長距離哨戒任務もあるので機関まわりのオーバーホールは新編成時において念入りになされているが、艦齢一〇年から二〇年の艦が多い。歴戦の闘士艦と言えば聞こえはいいが、中古艦艇であることに変わりはない。
そして乗員の質の問題。定数同様に『未配備の余剰戦力』という言葉は、第四四高速機動集団に配備された第八七〇九哨戒隊のように、戦力の過去に『何か不都合』があった場合に多く生じるものだ。制式艦隊や各独立部隊、警備艦隊や星間巡視隊から零れ落ちた乗組員の転属も多く、さらに昇進するに値する功績があってもポストの問題で身の置き場のない中堅幹部と、基礎訓練を終えたばかりの新兵がごちゃまぜで、質が良いとはお世辞にも言えない。
色々問題だらけでもとにかく一隊として編成するのは、哨戒隊の主任務が定期的なパトロールにおける遭遇によって、侵略を試みる帝国軍を現場で最初に確認し、触接を続けることにあるからだ。広大な辺境領域を調査する為にはとにかく『数』が必要となる。
侵略してくる帝国軍制式艦隊は容易に万の単位であるから、まともにやり合えば一〇分もかからずに蒸発させられる。だが蒸発させられる僅かな間に、可能な限り多くの情報を後方へと送り出さねばならない。軍内部で哨戒隊を意味する隠語は『カナリア』だ。
もちろん帝国軍の大規模戦力がひっきりなしに行われることはないし、何の兆候もなしにイゼルローン回廊から出てくることもない。だからいきなり『ジ・エンド』というパターンは少ないのだが、帝国軍も無能ではないので、同じような小戦力を使って常日頃から強行偵察や索敵妨害・偽装工作を仕掛けてくるから、哨戒隊同士の戦いが頻繁に発生する。
基準となる赴任期間は二年。ハイネセンで部隊が編成され、各辺境星域管区に赴き任務に就くことになる。そして赴任期間満了時にはハイネセンへと帰投するのだが、それまでの平均致死率は二五%を超える。『致死率』でそうだから、死なないまでに体が破壊された者、心を破壊された者の数も含めるとあまり考えたくない話だ。
さらに俺だけに限って言えば、あの悪霊が間違いなく邪魔をしてくる。奴の自称であるとはいえ、トリューニヒトをして選挙区を任せられると言わしめるような地元がポレヴィト星域であり、第一〇二四哨戒隊の根拠地となるシャンダルーア星域とは離れているが、ハイネセンよりもはるかに近く法の目は荒い。継続する戦闘によるストレス負荷は高く、士気の低い軍隊には麻薬を流し込みやすい。そして中毒者を使って指揮官を襲わせるのは奴らの十八番だ。
そう考えると常に部隊のクリーニングを行わなければならないというわけだが、任務に時間的な余裕はない。二年の『お勤め』を生き延び前線から戻ってくる哨戒隊もある。その穴を埋める必要があるし、彼らの帰りを待っている人達が大勢いることに変わりはない。
「おう、待たせたな。汚職と美食とゴルフに溺れし不詳の後輩よ」
そんなことをつらつら考えていると、元々この会議室を予約するよう俺に指示していた張本人が、チャイムも鳴らさず会議室にとぼけた顔をして入ってくる。去年昇進して階級は大佐だから当然先に俺は起立・敬礼すると、尻尾のある悪魔もめんどくさそうに額に右手を当てるだけで応えた。
だが視線は俺ではなく、俺の座っていた机の上にある紅茶に向かっていたので、回れ右して新しく二杯の紙コップに紅茶を淹れて前に置くと、皮肉と毒舌の練達者は急にらしくなくしんみりとしている。
「珈琲の方がよかったですか?」
「……いや、これでいいさ。マシンで淹れた紅茶でも、紅茶は紅茶だ」
そう言うと悪魔……キャゼルヌは紙コップの中身半分を一気に喉へと流し込む。口につける前の一瞬、手が止まったのは間違いないが、俺は気づかぬふりで自分のコップに口を付ける。
「さて、とりあえず防人になったお前さんを、こんなところに呼び出した訳はいろいろあるが、まぁその前にだ」
ンんと、らしくなく咳払いすると座っている俺の額を指差してキャゼルヌは続ける。
「たまにはシトレ提督のところにも顔を出せ。お前さんの国防委員会での仕事ぶりは、耳が聞こえるお偉方の間ではなかなかの評判でな。お前さんの話を聞きに、シトレ提督のところに『いろいろな人』が来るんだよ」
これは忠告と言うよりは伝言と言うべきだろう。後方勤務でトリューニヒトの『子飼い』のような動きをしている俺は、元々はシトレの『秘蔵っ子』とも言われていたわけで。シトレに媚びを売りたい奴、自分を売り込みたい奴、それにトリューニヒトとシトレの関係を探りたい奴など、腹に一物抱えている人間が俺をダシにイロイロ探索していると言いたいのだろう。
そのような状況下であっても、シトレは俺が全面的にトリューニヒトの子飼いになっていないと分かっているので、キャゼルヌを通じて挨拶に来いと言っているのだ。自分から名指しで呼び出せばトリューニヒトとの溝がさらに深くなると分かるだけに、ワンクッションを置きたいのだろう。
「『楢の家』のガーリックソテーもご無沙汰ですから、都合がついたら赴任前には必ず食べに行きますよ」
「あの店の白ワインは『予約制』だからな。事前に店に連絡しておけよ」
よくわかったと言わんばかりの、キャゼルヌの皮肉が籠った表情に、俺は肩を竦めて応える。
「ちなみにどんな人がシトレ提督のところに来るんです?」
「大抵はおせっかい焼きと功名餓鬼と言ったところらしいが、大物だとロボス提督も来たそうだ」
「ロボス提督が?」
意外といえば意外だ。次期要職候補の二人で、誰もが知るライバル関係にある。それに二人を比較して器量に乏しいと言われているロボスの方からシトレを訪ねるというのも、だ。
「ああ。応接したマリネスクの奴、お前さんの話題がロボス提督の口から出たことに、レモンを生で齧ったような顔をして零してたぞ。『スーツ(政治家)の下で隠れて動くネズミに何ができる』ってな」
「まぁ……そうでしょうねぇ……」
因縁、という程ではないが、カプチェランカ星系会戦においてマリネスク准将とは、散々心温まる交流に明け暮れた。マリネスク准将はシトレの部下として、俺は爺様の部下として、それぞれの立場に立って主張しただけだと思っているから、俺としては彼に個人的な恨みは抱いていない。キャゼルヌに悪態を零したのは、筋違いの嫉妬だろう。特段怒る気にもなれない。
「それでロボス提督はなんと仰ってました?」
「『あの薄金髪の孺子の得物は何かな』と意味深な言い方だった、そうだ」
「『薄金髪の孺子』ね……ははっ」
確かに今の俺はグレゴリー叔父より、やや色素が薄い髪の色をしている。恐らくは両親双方が東スラブ系の金髪で、特に母エレーナが髪も肌も色の薄い人だった。その血を受け継いでいるから確かに『薄金髪』なんだが……面と向かって言われると、色々な意味でムカつく言葉だ。脳味噌の中身は『薄い』では済まない差はあるが、苦笑いしか出てこない。
「で、だ。シトレ提督がそれに何と応えたか? お前さん、分かるか?」
小悪魔のような笑みを浮かべるキャゼルヌを前に、俺は数秒目を瞑って考えてから応えた。
「『トマホーク(戦斧)ではなく、レイピア(刺突剣)ではないか』、みたいな言葉だったのでは?」
ロボスが問うたのは、ペン(後方士官)と剣(戦闘士官)という区分けではなく、純粋に用兵術についてだろう。俺が集中砲火と狂信的艦隊機動戦原理主義過激派であることは、二人とも理解しているからあてずっぽうの回答だったが、キャゼルヌの反応は劇的だった。アニメでも見たことのない、気色悪い怪物でも見たような視線を俺に向けてくる。
「……トリューニヒトは盗聴器を各艦隊司令部に紛れ込ませているいうのは本当か?」
「まさか……え? うそ、本当に?」
「正確には『トマホークではなく、ランス(騎乗槍)ではないか』だそうだが……薄気味悪いことこの上ない。今度、俺のオフィスも少し『洗う』必要があるな……」
クソッと悪態をつくキャゼルヌを見て、改めてトリューニヒトが軍内で評価が二分されていること、そして二派の溝が日々追うごとに深くなっていることを痛感させられる。後方勤務の人間を中心に、トリューニヒトに媚びへつらう人間が増える理由をよく知っているはずのキャゼルヌですらこの有様だ。
その溝の深さを認識すれば「ロボスがシトレの下を訪れた」と「その場で俺の話が出た」と言う二つの事実は、まったく別の意味を持つ。原作でもシトレとロボスがライバル関係にあることは記述されている。派閥の領袖としてお互いを評価しつつも、やや敬遠していると言った関係だったはずだ。実働部隊側が一丸となって国防委員会と対峙するようなことは考えにくいが、軍内部で急拡大するトリューニヒトの影響力を二人が相当警戒していると考えるべきだろう。
そしてロボスの口から俺の名前が出たということは……
「潤滑油の仕事っていうのは正直、戦争よりメンドクサイんですがね」
軍政と軍令と実働の三本柱を、対立させることなく円滑に回すいずれにも組しない仲介者の役割を、俺に託そうとシトレとロボスは考えているのだろう。正直そこまでロボスに期待されているとは思わないが、どちら付かずの面倒な『蝙蝠』の役割を、シトレ派の孺子に押し付けられればよしと位は思っているはずだ。
「そこまでわかってて、なんで機動哨戒隊を志願したんだ? 実戦部隊への異動希望だったら、第五(ビュコック)でも第四七(ボロディン)でも、なんなら第三(ロボス)でもよかったじゃないか」
第八(シトレ)と言わないのはキャゼルヌの配慮だろう。別に俺自身が哨戒隊を志願した覚えはないのだが、そこはトリューニヒトがプリズムのように話を曲げて統合作戦本部に伝えたのか。トリューニヒトとの話をキャゼルヌにしても良かったが、流石にそれは守秘義務云々を超えた話だ。
「出世したいから、ではダメですか?」
「四分の三の確率に賭けてまで、敬愛するトリューニヒト氏に尻尾を振らなければならない理由が、お前さんにあるのか?」
「尻尾を振るというか、自分の為ですよ」
出世するというよりも(遠隔操作でトリューニヒトが)動かせる権限を出来る限り早く拡大させたい。犬として国防委員会内で飼っているだけでは、いずれ武勲は薄まり実働側からは見向きされなくなる。絢爛たるダゴン星域会戦以降、同盟軍そして同盟国内に深く根を張る『武勲第一主義』は、たとえトリューニヒトであっても無視できない。
キャゼルヌのように誰にでもわかるような有能さを見せない限り、後方勤務が主体で武勲を上げない軍人はピラート中佐のように軽視される。そう言った不遇を纏めて取り込むトリューニヒトの手腕を、キャゼルヌは理解している。
そこでトリューニヒトは「実戦でもそこそこ実績を残せるであろう」便利な俺を出世させて、軍の中核に送り込んで『植民地総督』にしようとしている。実戦部隊の指揮能力をそこそこ有し、後方勤務もそこそここなせる、スペシャリストではなくユーリティーな軍人として。
「まぁ、いいさ。誰にも話せないことなど、世の中には幾らでもある」
想像はしただろうが理解したかは分からない顔でキャゼルヌはそう応える。本来シトレ派にあって、後方勤務の現状をよく知るキャゼルヌがその役割を担ってもいいはずだが、やはり突出した能力と筋の一本通った信念と反骨精神旺盛で毒舌家という面で、軍上層部だけでなくトリューニヒトら政治家の側からも敬遠されているのだろう。自己主張しても排除されない突出した有能さというのは羨ましいが、そんな才能のない俺には到底マネできない。
「仰る通りです。シャルロットちゃん、可愛いですもんね」
「お前、今後ウチ出禁な。酒を持ってきても二度とウチの敷居を跨がせないからな。覚悟しとけよ」
話題の転換の必要性から軽口を言ったつもりだったがどうやら琴線に触れたみたいで、右眉を上げて指差すキャゼルヌに俺は肩を竦めるしかない。
結局、キャゼルヌが結婚してから官舎に夜襲を仕掛ける機会がなかったため、昨年シャルロット=フィリス嬢は見事に誕生した。ウィッティから連絡を受けてオムツ一〇ダースを郵送で、ブランドメーカーのベビーパウダーとコットンウェア&タオルのセットをイロナとラリサに託して、それぞれキャゼルヌ家に送り込んだ。
そして二人がキャゼルヌ宅で見たのは、普段のキャゼルヌからは想像できない親バカぶりだったそうで……イロナは少なからず衝撃を受けたと留守電に報告が返ってきた。
「なにお前さんも結婚して、親になって見ればすぐにわかるさ」
空になった紙コップの把手に指を入れて廻しているキャゼルヌの顔は、只の親の顔ではない。
「真面目な話、来月には前線にいるお前さんに言うのもなんだがな。お前さんは早いうちに結婚すべきと思う。正直言って、お前さんの勤務実態や滅私奉公ぶりを噂で耳にするに、自分の命の価値も分からず、自己保身も考えず、ただただ生き急いでるとしか思えん」
「もちろん結婚は考えたことはありますよ。出来なかっただけで」
「赤毛のフェザーン女だろう。いつまで初恋を引き摺っているつもりだ」
「引き摺ってちゃ悪いですか?」
俺の目が細くなったのを見たのか、それ以上に声から僅かに漏れた殺気を感じたのか、それとも俺の右手にいた紙コップが断末魔を上げたのを耳にしたからなのか、キャゼルヌはしまったといった表情を一瞬浮かべたが、数秒目を逸らしただけで元に戻る。
「戦争が終わらない限り、お前さんの希望は叶わない。それは流石に分かっているんだろう」
「理解はしてますよ。納得してないだけですから」
今でも文通してますよ、などと言ったらキャゼルヌは笑うだろうか。それとも呆れるだろうか。だがこれもまた『話せないこと』だ。
「そういう変なところで馬鹿なのは一体誰に似たんだろうな……まぁいい。俺の言ったことを嫌がらず、少しはその薄金髪の頭の片隅に入れておいてくれ。それと、これはお望みの品だ」
そう言ってキャゼルヌはテーブルの上に置いた薄い本革のサイドバックを開けると、中から一枚の履歴書を取り出して俺に差し出した。
「唯一人の司令部要員に、優秀な若手士官という贅沢なご希望を伺ったからな。それなりの人間を見繕ってみた」
自信満々と言った表情で差し出される履歴書に俺は目を通し……名前と写真だけ見てすぐに押し返した。
「チェンジで」
「……は?」
「チェンジで」
今一度キャゼルヌの顔に向け履歴書を押し返すと、落ち着けと言わんばかりに右掌を俺に向けてくる。
「彼女の何が不満だ。専科学校卒で実戦経験があり、輸送艦の航海長も務めている。航法士官としての能力に優れ、なによりお前さんと面識がある。知人のいない辺境勤務におけるお前さんの副官としてうってつけだろうが」
キャゼルヌが言うのも尤もだ。問題だらけな職場であっても、僅かであれ面識がある人間が居れば安心感が違う。その上で実務能力があれば言う事なし。履歴書を見るまでもなく俺は彼女の『能力』についてはあまり問題にしていない。むしろ信用できる。だからこそ……
「どういう面識か、彼女本人に直接聞いた上でそう言っているんですか?」
「面識の内容まではプライベートに関わるから聞いていない。だがカーチェント准将の推薦状を持っていて、准将にも直接再確認しているし、本人も勤務を希望している」
「私が上官になることは、ちゃんと伝えてあるんですか?」
「当然だろう。たいそう喜んでいたよ。まさかあれが演技だっていうのか……」
俺から押し返された履歴書を手に持ちながら、キャゼルヌは唖然とした表情を浮かべている。どういった面接状況だったかは分からない。だが現実として俺が彼女に対して好意的になる理由も、彼女が俺に対して好意的になる理由も、存在はしないように思える。
撓んだ履歴書から覗く、イブリン=ドールトン『中尉』の同い年とは思えぬ若さのある端正な顔を見ながら、カーチェントの奴がまた何か余計なことを企んでいるのではないかと、俺は考えざるを得なかった。
後書き
2024.10.23 更新
全然書けなくなりました……
2024.11.06 5000の恒星系→500の恒星系
第111話 第一〇二四哨戒隊 その2
前書き
結局、こんな感じになってしまいました。頭がグシャグシャです。
次回は辺境にすっ飛びます。
宇宙暦七九一年 九月より ハイネセンポリス
それから二日後。やはりチェンジは利かない(当たり前だ)とのことで、真にやむを得ずイブリン=ドールトン中尉の着任を了承し、全艦長及び旗艦副長の全員を集めて顔合わせを行った。
「隊司令、入室されます」
先に会議室の扉を開け少し脇に逸れてからドールトンが、踵を合わせた直立不動の姿勢で声を上げる。それに合わせるかのように、会議室の喧騒も収まり全員が起立する。俺がドールトンの目の前を掠めるように室内に入ると、一斉に俺に向かって敬礼してくる。
ざっと見て欠員はないし、容儀に乱れはない。いずれも履歴書通りの顔つきをしている。俺が上座から答礼してから着席すると、合わせるように無言で一斉に着席する。ただし旗艦副長と副官のドールトンの二人は、司令部要員として俺の両脇の席に座る。
「この度、第一〇二四哨戒隊隊司令兼同隊旗艦戦艦ディスターバンス艦長を拝命したヴィクトール=ボロディン中佐だ。これからよろしく頼む」
そう言い切ってからしばらく面々の顔を見る。俺を含めた艦長三〇人のうち、女性は五人で、俺より年齢の若い艦長は三人。専科学校出身と兵卒叩き上げが半数以上を占める。当然ながら俺よりも前線での経験を積んでいる人間が多い。
「ただ俺の悪い癖でこういう会議では話は長くなることが多い。なので他所の連中が居ない限り、こういう場では気楽にしてくれて結構だ。短い足を組んでもいいし、頬杖をかいてもいい。なんならドリンクバーで飲み物を取って来てもいい」
年配の艦長達は戸惑ったような視線をお互いに交わす。若い艦長達も首を傾げているが、一人だけ何度も何度も納得したように頷いている。履歴書を頭の中でめくれば、彼は士官学校同期で戦術研究科出身の巡航艦艦長だった。
「ちなみに俺の副官イブリン=ドールトン中尉は、残念ながら貴官らのウェイトレスにはなれない。コレは俺と旗艦副長専用だ。悪いが各自セルフサービスで頼む」
行ってくれと俺が座ったまま右手で会議室後方にあるドリンクバーを指し示すと、とりあえず行くかという感じで三々五々席を立ち、列を作って飲み物を獲りに行く。
「ドールトン、俺には珈琲を頼む。副長は?」
俺を挟んでドールトンとは反対側に座る、会議室で唯一髭面をした三〇代の少佐に俺が顔を向けると、あ゛~と訛り声を上げつつ無精髭を擦りながら天井を見つめ「じゃあ、小官もそれで」と応える。ドールトンが無言で小さく頭を下げて、ドリンクバーの列の最後尾につくのを見てから、副長が体を寄せてきて囁く。
「もちっと厳しくやってもいいと思いますが、ホントにこんな緩くていいんですかい?」
「気取ったところで、化けの皮が剝がれればどうせ同じさ。面従腹背されるより気負わず言うだけ言って、すっきりしてくれた方がやりやすい」
「士官学校首席卒っていうからもっと杓子定規でパリッとしてると思ったのになぁ……ここずっと調子崩されっぱなしだわぁ……」
ちょっとぞんざいな口調の入った旗艦副長……ダニエル=ビューフォート少佐は、海賊のような顔を歪めつつ肩を竦める。
事前に統合作戦本部の喫茶店に呼び出した時、『なんだよ、このクソ生意気な若造』と言わんばかりの態度だったが、親愛度チェック(握手)で少しは納得してくれたらしい。俺は隊司令の仕事に専念するから、よほどのことがない限り操艦は任せると言うと、いかにも不承不承の表情ではあったが、黒い瞳には僅かに歓喜が浮かんでいた。
以降、口は悪いがとりあえず俺の指示に協力的に従ってくれているし、代わりに艦の準備を進めてくれている。名前だけで言えば大親征時に補給線へのゲリラ戦を実施して、黒色槍騎兵の進撃を一時的でも遅らせた准将と同じだが、アニメでもゲームでもその顔を拝むことはなかったので、本人かどうかは分からない。
「どうぞ」
一方でコツンと珈琲の入った紙コップを置くドールトン中尉の顔は、仮面のように無表情だ。着任してまだ数日だが、今のところ俺の命令に反するようなこともなければ、仕事上のミスもない。情報分析科出身の副官が多い中、異色の航海科出身としては十分すぎるほど有能なのだが、彼女の腹積もりがまったく分からない。志願の辺境勤務、俺の部下になることを喜んでいたとは到底思えない、あまりにドライでビジネスな関係……
「司令」
ドールトンが席に腰を下ろすと、ビューフォートが軽く肘で俺を小突く。艦長達は飲料を手に全員席についているし、何人かは言った通り足を組んでリラックスしている。俺が一口珈琲を口に含んでから立ち上がると、その全員の視線が俺に集中した。いずれも緊張と好奇心と諦観の入り混じった視線だ。
「まずは自己紹介だ。艦と顔と名前が一致していないと、お互い迂闊に罵倒もお悔やみも言えなくなるだろう?」
ハハハッと乾いた笑いが会議室の中に沸き起こる。
「第一分隊から番艦順に立って話してくれ。艦名と自分の名前、階級は言わなくてもいい。それと好きな酒だ。禁酒家だったらソフトドリンクでもいい。ただ個人的にはお奨めはしたくない」
理由が分かるベテラン勢を中心に含み笑いが漏れるが、若い艦長達は何言ってんだコイツと言った表情だ。明らかに二派に分断された艦長達だが、最初の一人……第一分隊二番艦艦長の初老の中佐が立ち上がると、ざわめきは自然と収まっていった。
「一分隊二番、戦艦インプレグナブル艦長のファルクナーです。好きな酒はカッシナのピュアモルトですな」
ちょっと普通過ぎないか? と誰かの声がしたが、ファルクナー中佐が微笑んで肩を竦めて応えた言葉で、若い艦長達の顔色は明らかに変わる。
「『おくり酒』ならこれくらいが丁度いいだろう?」
「確かに」
俺の横でビューフォートが、俺がやっと聞き取れるくらいの小声で呟く。『おくり酒』とは僚艦が撃沈した時、生き残った他艦乗員が手向ける酒のこと。まだ飲酒に関しての規則が緩い時代、特に部隊間に強い結束力が求められた、長期遠征任務に就いていた小部隊で語り継がれる因習だ。僚艦の艦名と識別コードが打ち込まれたドックタグを下げた『未開封キープボトル』の並びはいつ見ても壮観だったと、マーロヴィアの営倉にいたバーソンズ元准将は懐かしそうに話していた。
なお各艦に配備される酒の代金は『隊司令』か『最先任艦長』が支払うのがルールで、これはは絢爛たるダゴン星域会戦後にリン・パオが首都星に送った祝杯のシャンパン二〇万ダースが変質していたものと思われる。
ちなみに現在の制式艦隊ではこの因習は廃れていて(一万三〇〇〇本もの酒を全ての艦の酒保にはおけないから当然だ)、個人的なレベルでの献杯に留まっている。爺様もモンシャルマン参謀長も間違いなくこの因習は知ったいただろうが、第四四高速機動集団ではやらなかった。
「一分隊三番、戦艦アーケイディア艦長のジョン=ガーリエンスです。好きな酒はハイライフ社のドラフト・ライトなんですが……」
それは低所得者層向け格安ビールの定番。もちろん瓶詰めが無いわけではないが、キープボトルとして並べるにはあまりにも場違いで、俺もビューフォートも他の艦長達も笑いを隠せなくなっている。
「一分隊四番、戦艦グアダコルテ艦長のロマナ=スリフコヴァーですわ。好きなお酒はアクタイオン・アスコナのアガベ・エクストラ・アネホ一八五〇。ボロディン司令、ちゃんとご用意してくださいね」
第一分隊唯一の女性艦長。俺より一回り年上のスリフコヴァー中佐の自己紹介で、会議室は笑いが止まらない。格安ビールから最高級テキーラ。値段だけで三〇〇倍を超えるし、それを三〇本用意しなければならない俺の財布は間違いなく火の車だ。俺の頭の中にラージェイ爺の顔が浮かばずにはいられない。
「一分隊五番、戦艦ハストルバル艦長のアル=シェブルです。私は酒が飲めないのでバラ水でお願いしたいが、部下達には別の良いものを用意してくれるとありがたい」
そうかといえば宇宙に出てもそういう戒律を厳格に守る人もいる。会議室の笑いは収まるが、アル=シェブル少佐を小馬鹿にするような態度を取る人間はいない。
これだけ見ればここにいる艦長達の『質』はわかる。よくいる捻くれた『DummyBoy』達 ではない。もしかしたら『誰か』が差配してくれたのかもしれないが、今は取りあえず運が良かったと言うべきだろう。ならば、と俺はアル=シェブル艦長に話を振る。
「了解した。正直バラ水を買ったことがないから、良いメーカーがあったら教えてくれ。紹介料はなしで頼むよ」
「天国に紹介料は不要ですからご安心を」
左胸の艦長章に手を当てて軽くお辞儀しながら、上目遣いで俺を見るアル=シェブルの顔には笑みが浮かんでいる。この艦長は『アタリ』だ。俺は眉を歪ませて、皮肉っぽく続けた。
「まさかとは思うけどアル=シェブル艦長。戦艦の艦長が死んだら天国に行けると思っていらっしゃる?」
「ボロディン中佐がこれから我々を連れて行く場所は地獄でしょうから、それ以外のどこもおそらくは天国と呼ばれることでしょう」
新編成の部隊において重要なのは、死を軽視するのではなくまた過剰に恐れることでもなく、ただ胸を張って立ち向かうぞという言葉を、部下の口から無理なく言わせるような雰囲気を作ること……少数の戦闘集団の背骨となる戦艦の艦長が言えば、巡航艦や駆逐艦の艦長達もその気になってくる。これもまたバーソンズ老がマーロヴィアの営倉で常々言っていたことだ。
「七分隊一番、駆逐艦母艦(AD)アルテラ一一号艦長のユミ=シツカワです。特に好きな酒はありません」
だが巡航艦や駆逐艦という戦闘艦の艦長達の威勢のいい自己紹介の後。支援艦分隊の先頭となった黒髪で小柄の女性艦長は、俺に対して敵意に近い視線を向けて言う。
「支援艦乗組員は戦って死ぬことになんら価値を見出してはおりません。何しろ自衛以外の……自衛と言えるほどの武装すらないのですから、戦いようがないので」
先程までの会議室の高揚した雰囲気が一気に冷却される。空気が読めない奴め、と言った悪意すら他の艦長達から湧き上がっている。だが彼女のいうことも当然の理だし、後に続く補給艦や給兵艦・工作艦の艦長達も、先任の彼女と大なり小なり同じような雰囲気を纏っている。
常時護衛艦艇を貼り付けておくことができる独立機動部隊や高速機動集団とは違い、数の少ない哨戒隊ではほぼ全ての戦闘艦艇が戦闘行動に従事することになる。つまり支援艦は見捨てられたり、置き去りにされたり、分隊退避航行中の奇襲等を受ける確率は高くなる。故に支援艦の損害比率は、戦闘艦のそれより高い。
「シツカワ艦長の自己紹介はちょうどよかった。俺から幾つか言わせてくれ」
俺が口を挟むと、艦長達全員の視線が俺に向けられる。この若造指揮官は、叛逆とも取れる意見に対して、どう答えるのか。
「辺境星域管区の戦況にもよるが、基本的に俺の戦術方針は『不利になれば逃げることに躊躇はしない』だ」
哨戒隊の第一目的は帝国艦隊の動向を現地で把握すること。機動哨戒隊は『カナリア』であることを軍上層部は十分理解しているから、会敵した敵全てに立ち向かえなどという非人道的な命令を下すことはなく、前進・後退の裁量はある程度隊司令に委ねられている。
その為に俺は任務においては移動と索敵に念を入れるが、戦闘はさほど重要視しない。発見できればとにかく何が何でも生き延びることを優先する。
だからと言って無分別な任務放棄・敵前逃亡が許されているわけでもない。それを許せば戦時の統制が取れなくなり、平時でも脱走が起きかねない。それが想像できるだけに、司令の臆病風のせいで功績を上げるチャンスを奪うつもりかと、現に複数の艦長達、特に若い士官学校卒の艦長達の顔には不満が浮かんでいる。
「したがってやむを得ず戦う時は、上級司令部から戦域維持の指示がない限り、極力短期決戦を目指す。具体的に言えば、二四時間以内で勝負がつかないような戦いは回避する方向で指揮する。故に各艦には激しく厳しい運用を求めることになるし、訓練は過酷なものになるだろう。それは第七分隊であろうと変わらない。『死んだ方がマシだ』という程度は覚悟してくれ」
俺の言葉に会議室の空気がさらに重くなったのが明らかにわかる。話の分かる司令だと思っていたら当てが外れた、という思いか。失望と諦観が雲となって天井に現れてきた中で、中列辺りに座っていた一人の艦長が手を上げた。毬栗頭にやや大きい碧い眼。席から立てば意外と身長は低く、胴周りが太い。
「五分隊二番スノウウィンド一〇二号のテンプルトンです。司令に質問、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「死んだ方がマシだと思わせるような訓練をするということですが、具体的にその結果としてどのような戦術の達成を目標とされているのですか?」
勝利に固執するあまり、麾下の艦艇に出来もしないようなこと求めるような指揮官なら、サボタージュも厭わない…… これまで艦長経験のない若造に隊司令など務まるのか。そういう根源的な不安を呼び覚ますような質問に、俺は笑顔で答える。
「各分隊が第一戦速で移動しながら一点集中砲撃し、分隊有効射程八〇パーセントの距離にいる敵艦を、三斉射内で確実に撃沈できるようにするのが、最低限の目標だ」
ううん、という呻きが各所から洩れる。編成されたばかりの分隊にとってみれば高すぎる目標で、達成は困難ではある。だが全く不可能というレベルでもない。
「休暇時間と俺が『一切訓練なし』と決めた時間以外は、全て訓練が行われると考えて行動してほしい。実際マーロヴィアに駐留していた巡航艦分隊は、僅か二週間のうちにこの目標を達成している」
「……」
「この哨戒隊より旧式艦の、ド辺境の駐留部隊ですら達成可能だったのだ。まさかハイネセンで手厚い整備を受けている君達にできないとは言わせない」
「……どのような訓練プランをお考えか。もしよければお教えいただきたい」
俺の挑発的な物言いにテンプルトン艦長が太い眉を寄せながら問う。そこまで大口叩くなら当然準備しているんだろうなという彼らの懸念は当然だが、そう言われることは百も承知の上で俺は準備している。伊達に査閲部とマーロヴィア軍管区司令部と第四四高速機動集団で鍛えられてきたわけではない。
「いいとも。ドールトン、照明を消してくれ」
俺の指図にドールトンが席を立って会議室の照明を消し、俺と艦長達の間に在る三次元投影機を起動させる。俺は鞄からやや大きめの画面端末を取り出し、投影機に接続して訓練プランを映し出した。
固定静止目標・移動目標への射撃訓練、航行補給訓練、隊列組換・陣形変更訓練等々。編制当初に予定している訓練宙域での規定訓練以外に、任地移動中の期間も目一杯利用する。項目だけで一〇〇を超えるその内容に、暗闇の中にある艦長達の顔は渋くなる。
「訓練は何事においても分隊単位で評価する。故に分隊各艦は互いを兄弟か家族と思って、一丸となって訓練に励んでほしい。そしていずれかの分隊が目標を完全達成するまで同じ訓練を続ける。平均が九〇点を超えなくても同様だ。出来るまで同じ訓練をひたすら繰り返す」
「それじゃあ訓練は、いつまで経っても終わりませんよ」
暗闇の中の不規則発言で、誰が言ったのかは分からない。だがそれは艦長達の偽らざる本音だろう。だからこそ俺は、より挑発的な口調で艦長達に応える。
「『死んだ方がマシ』だと言ったはずだ。出来なければ、生き残れない。敵は貴官らのレベルには合わせてはくれないのだから」
照明の明るさが戻った会議室の沈黙は重い。だがそれを気にすることはない。
「訓練に際し、俺から注意する点は二つ。一つは上官が目標を達成出来なかった部下に対し、暴力による私的制裁を加えることを禁止する。事実関係を確認の上、速やかに降等処分とする。上官が俺に報告を隠した場合も同様だ。もう一つは私的制裁でなく指導として手が出てしまった場合。本来その場合でも降等処分だが、部下に万全の治療を施した上で理由を説明し、必ず謝罪の上、上官に報告すること。処分については俺が判断する」
この辺りはヤンのイゼルローンにおける新兵指導と同じだ。暴力による支配は、暴力を生業とする軍ならではの悪癖だが、暴力による怨恨は平時の円滑な軍務の阻害という以上に、危機になった時の秩序崩壊の要因になりやすい。
「俺は基本的に私生活にとやかく言うつもりはない。二つだけ。指示された任務に際し、やむを得ない理由を除いて軍務を怠ることと、公的私的問わず禁止薬物を使用すること。これらを行った際は、即座に不名誉除隊とする。未報告も同様だ」
飲酒も公共ギャンブルも、身を滅ぼさない程度なら構わない。敵といつ遭遇するか分からない長期哨戒任務だ。息抜きは当然必要だろう。だがそれで軍務を怠れば、報いは命によって償われる。一人のミスが艦と哨戒隊と、最悪は辺境星域全体の問題になりかねない。
薬物はカイザーリンクの例を挙げるまでもなく、容易に部隊の秩序を崩壊させる。度を越えた大金の遣り繰り、身体・運動能力の劣化、依存症、精神錯乱。何一つ良いことがない。ついでに言えば、せめて自分の職権範囲内では悪霊の動きを封じ込めておきたい。
「俺からは以上だ。話は長くなったが、七分隊の自己紹介が途中だったね。それじゃあ、二番艦から再開してくれ」
にっこりと笑顔で促す俺に、第七分隊二番補給艦(AOE)ディーパク五〇号艦長の顔は、「今このタイミングで俺に振るか、普通?」といった困惑とツッコミで満ち溢れているのだった。
◆
「ヴィンセント査閲部長から聞いたぞ、ヴィクトール。キベロンではだいぶ派手にやらかしたようじゃないか」
あの会議室から一ヶ月。新編制部隊に施される最初の集団訓練からハイネセンに戻ってきた俺が、レストラン『楢の木』で食事をしていると、『偶然』よく見知った黒人大将閣下が店に入ってきて、何故か俺の座るテーブルの向かいに座り、悠然と白ワインを片手に、ステーキ二人前を前にして満面の笑顔でそう宣いやがった。
「一哨戒隊が二週間の訓練期間で破壊した稼働標的の数は過去最高で、消費した燃料も一個戦隊(一五〇隻相当)分とか。ついでに訓練中に処分された士官下士官合わせて二五名というのも、過去最多らしいな」
「お褒め頂き、恐縮の至りです」
正直言えば溜息しか出てこない。訓練内容に不満が無いわけではないが、とりあえず移動中は出来ない砲撃訓練に関しては全て終えることができた。
ただしその結果黒い腹黒親父の言うように、一哨戒隊が通常使用する訓練資材の優に五倍を消費した為、訓練宙域管理部部長に俺は名指しで呼びつけられ散々どやされた。訓練結果を巡っては士官と下士官と兵の間でトラブルが頻発。それを漏れなく報告して来た各艦艦長とは連日連夜の言い争い。
下級幹部による私的制裁も初日三件報告され、俺が例外なく即座に降等処分・ハイネセンへ強制送還にすると、手足を捥がれては不味いと思った各艦艦長は、すぐに暴力禁止指示を徹底するようになった。密告を奨励するわけではないが、兵卒が直接俺に連絡できる手段がある以上、隠し事はできない。虚偽の報告も当然あったが、軍医による診察等で当然バレるわけで、虚偽報告者も漏れなく降等処分ないし減俸(二等兵はそれ以上降等できない)処分とした。
以降はそちらのトラブルに悩まされることはなくなったが、訓練結果が出ないイライラからか、今度は艦長達の査閲報告会議の空気は実に悪くなった。全ての訓練に付き合わされた挙句、会議に列席せざるを得ない査閲官達から、俺に「もういいんじゃないですか、これだけ出来れば……」と逆に泣き言を言われる始末で。
「あまり部下に厳しくし過ぎると、後で痛い目にあうことになる。ま、言うまでもないことだと思うがね」
「勿論です」
俺も隊司令ではあるが、同時に第一分隊の指揮官であり、さらに言えば旗艦である戦艦ディスターバンスの艦長でもある。第一分隊のふがいない結果は全て俺の責任だから、他の分隊からのキツイ指摘は甘んじて受けなければならない。共通の悩みがあるおかげで、ビューフォート副長との仲は極めて良好だ。
それでも猛訓練の結果、同時に編制された二〇の哨戒隊の中で、第一〇二四哨戒隊が最も精強な部隊になったことは間違いないことだろう。俺が本当に求めるレベルにはまだまだ達してはいないが、俺がヘマをしない限り、同数の敵と相対して一方的な敗北になることはまず考えられない。俺は上級幹部から一兵士に至るまで散々に恨まれているが、そんなことは彼らが命を失うことに比べれば大したことではない。
「あと必要なのは成功体験だけだと思います。それでみんな理解してくれるでしょう」
「いきなり万の艦隊に遭遇して、蒸発することもあるのにかね?」
「一隻でも逃げ切れれば勝ちです。それが哨戒隊の存在意義ですから」
「成算があるようだな」
「秘密です」
俺が豚ハラミのソテーを切り刻んで口に運ぶと、シトレも一度大きな両肩を竦めてから厚切りのステーキを処理にかかる。二口、三口と口に放り込みつつ、二人とも無言でワインを傾け続ける。
俺にとってシトレは三人目の父親といっていい。前世も入れれば四人目だ。シトレ自身、結婚はしているが子供はいない。部下であった父を指揮下で失った負い目もある。必要以上に俺のことを、シトレは事あるごとに贔屓してきた。そんな俺が機動哨戒隊を『志願した』ということが、気が気でないのかもしれない。
「今更というわけではないが、哨戒隊の任期が終了したら軍を辞めるつもりはないか?」
士官学校校長の頃から一〇年間、ずっと言われ続けたこと。自分でも前線指揮官というよりは、後方勤務の方が向いているのではないかと思わないでもない。だが俺がこの世界に転生してからの最低限の目標は、宇宙暦八〇一年七月二七日まで同盟を存続させることだ。その前でも可能なら機会を逃すことなく、金髪の孺子と赤毛のノッポを始末しなければならない。
「繰り返すようで申し訳ないのですが、二年後に小官が仮に軍を辞めて政治家に転身したところで、政府内部で力を発揮するどころか、地方議会議員にすらなれませんよ。まずもって地盤がありません」
「地盤は君が尊敬して止まないヨブ=トリューニヒト氏が用意してくれるとも」
そんなところはトリューニヒトを信用しているのかと、俺は呆れた目でシトレを見るが、シトレはいつになく真剣な表情を浮かべている。
「選挙資金は三三億ディナールを片手間のように用意できる『年配のお友達』に頼めばいい。たとえその一〇〇〇分の一でも、圧倒的な資金力と言えるだろう」
「もしそうだとしても、『大佐で卒業』ではダメなのです。シトレ大将閣下」
同盟が人口の絶対数において帝国を凌駕することは出来ない。その上で同盟を叛徒とみなす帝国の侵略に対抗しつつも辛うじて四八対四〇の国力比を維持できるのは、フェザーンの干渉があるにしろ生産性において優位に立っているからに他ならない。
その優位は優秀な生産基盤と中堅技術層によって現在まで支えられているが、度重なるイゼルローン攻略戦の失敗、アスターテ星域会戦での大敗北、そして帝国領侵攻という、あと残り僅か四年で二五〇〇万人の軍人を失うことで完全に崩壊する。
二年後、大佐で軍役を終えて評議会議員選(出馬できれば悪霊と同期となるが)に当選するとしても、残り二年で大侵攻を政治側から阻止することはほぼ不可能だ。少なくとも一〇歳年上で現在評議会二期目のコーネリア=ウィンザーを抑え込めることすら出来ない。怪物の威を借りたとしても、結果として与党派閥内抗争を巻き起こすだけで、大侵攻を阻止することは難しい。
であるならば、機動哨戒隊で功績を上げ早めに大佐に昇進、いずれかの正規艦隊(できれば第五艦隊の)巡航艦戦隊で功績を上げて准将。そこで国防委員会の上級軍事参事官に戻れれば、辛うじて大侵攻前に、サンフォード議長の秘書に持ち込まれる作戦計画を軍政側から握りつぶすことができる、かもしれない。
特に前線で功績を立てた『将官』というステータスは想像以上に大きい。フォークがサンフォード議長の秘書に大侵攻作戦計画を持ち込めたのも、二六歳の若さでありながら『准将』だったからだ。本人自身が艦長あるいは前線指揮官として武勲を上げたかは正直わからないが、ロボスの参謀として功績を上げてきたのは間違いない。勿論後ろに控えるロボスの影に、議長側が遠慮した可能性は十分あるが……
「ベタ金にならなければ、とても評議会議員選挙で当選できません。それに出馬するとなれば仰る通り偉大なるトリューニヒト氏の与党閥しか選択肢がない以上、大将閣下のご迷惑になるだけではないですか?」
「君は豺狼当路を許すような男ではないと、私は信じているがね」
「私にも私なりの信念というものがありますが、同時にどのような恩であれ、恩を仇で返すような人間と思われるのは心外です」
「トリューニヒト氏を教会に連れてゆるしの秘跡をさせられるのは、君ぐらいしかないだろうに」
「ご存知かとは思いますが、それは人間にのみ通用するお話しです」
「……んん。やはり君はキャゼルヌの薫陶篤い後輩のようだな。温和な表情で辛辣な台詞を吐く」
太い唇を小さく歪ませながら、小さく鼻で笑うシトレに、俺は表情を変えることなく腹の底で深く溜息をつくしかなかった。
残念なことに現実として原作通りに物事は進んでしまっている。第五軍団がカプチェランカから撤退した途端に、交代した軍団が帝国軍の強襲に遭いほぼ半減し東半球を奪回されてしまった。
さらには新たに二つの制式艦隊を編成・増強する予算が付けられた。現在同盟には制式艦隊は一〇個でロストナンバーはないので、これが第一一・第一二艦隊になるのは充分想定できる。防衛力強化と迎撃ローテーション運用に余力を持たせることが目的だが、来年中にグレゴリー叔父が第一二艦隊司令官に推挙されるのはほぼ間違いない。そして……
「おそらくは来年。私はイゼルローン要塞を攻略することになるだろう」
俺から視線を外しつつ、周囲を伺いながら、体に似合わぬ小さな声でシトレは言った。
「少なくとも三個艦隊以上の戦力を用意し、万全の態勢を整えて攻略に臨むつもりだ。前の宇宙艦隊司令長官の轍は踏みたくないからね……準備段階において前線展開する哨戒隊にはいろいろ苦労を掛けることになるが、よろしく頼む」
攻略ルートの威力偵察。欺瞞・陽動作戦。前衛艦隊の誘導。補給ルートの哨戒。補給船団の護衛。通常の哨戒業務以外の仕事が増える。それに伴って哨戒隊も帝国軍との触接が通常より多くなるのは当然のことだ。
「訓練についてきた部下達は皆優秀です。いずれ閣下がイゼルローン回廊入口に達する時に御用があれば、当哨戒隊にご連絡いただければできる限りのことはいたします」
「それとこれは全く私事の頼みなのだが、聞いてもらえるかね。ヴィクトール?」
出来ることと出来ないことはありますよと含んでの回答だったが、シトレは理解したのか疑わしいような笑顔を浮かべてグラスを上げると、そう言うのだった。
後書き
2024.11.03 更新
ダニエル=ビューフォート CV:山崎たくみ
イブリン=ドールトン CV:吉田理保子
第112話 辺塞到着
前書き
お疲れ様です。
ようやく辺境に到着しました。出撃は次話になりますね。
オリキャラがいっぱい出てきますので、ご注意ください。
宇宙暦七九一年 一〇月 シャンダルーア星域アルエリス星系
ハイネセンよりエル=ファシル攻略作戦時に使用した演習宙域のあるエレキシュガル星系を超え、辺境航路を進むこと二二日と一三時間。第一〇二四哨戒隊は全艦無事に、駐留基地となるシャンダルーア星域アルエリス星系内にある第五四補給基地に到着した。
いうまでもなくド辺境にして最前線。前方に展開するのはフォルセティ星域とファイアザード星域。さらに奥には帝国軍が根拠地を築いていると思われるパランティア星域がある。今世における父アントン=ボロディンが戦死したのもパランティアで、ダゴン、アスターテと並ぶ、帝国との古戦場の一つでもある。
俺の率いる第一〇二四哨戒隊は、それら三つの星域と後方となるルンビーニ星域を合わせた四つの星域・二八〇余の星系を哨戒管理範囲とする、第三辺境星域管区の所属となる。他にもイゼルローン方面の正面となるダゴン・ティアマト・アスターテ・ヴァンフリート星域は第一、フェザーンに接しているパラトループ星域は第二の管轄となっていて、それぞれの集団に少将の司令官が当てられている。三つの集団司令部を纏める辺境星域総管区司令官という官職はなく、全て統合作戦本部長の直轄となる。
ちなみに第二辺境星域管区がパラトループ星域のみの管轄になのは、フェザーン回廊を通って帝国軍が侵入してきた場合の事を想定していた時代の名残と、パラトループ星域の後方が第三辺境星域管区司令部のあるルンビーニ星域だということからだそうだ。もう一つフェザーン回廊に接する同盟領のポレヴィト星域は、ハイネセンとフェザーンを結ぶ中央航路が通っている関係で人口もそれなりに多く、既に単独の星域管区司令部が存在している。
ともあれ三つある辺境星域管区ではあるが、根拠地がエルゴン・ドーリア・エル=ファシルといったそれなりに安定した有人惑星を有する第一辺境星域管区とは違い、第三辺境星域管区はかろうじて人間が住んでいるといったレベルでしかない。第一〇二四哨戒隊が駐留することになる第五四補給基地は、そんなルンビーニ星域のさらに先。浮遊惑星改造型『基地』であって、イゼルローン要塞のように多数の民間人が居住できるようなスペースなどない。「社会資本? なにそれ、美味しいの?」レベルで、一応行政府があるだけマーロヴィアの方が民間経済は発展していると言っていい。
もちろん星域管区内には二八〇も星系があるので、中にはカプチェランカのような貴重な鉱産物を算出する惑星も、風光明媚?な特徴ある変光星も、さらには僅かなテラフォーミングで居住可能なレベルの惑星もあるという話だが、帝国軍の危険が大きすぎる上、ハイネセンなどの中核星域との絶望的なまでの距離の為、資本を投下しての開発は行われていない。むしろフェザーンの方がはるかに近いが、フェザーン商人もまた投資に対しては及び腰だ。
いずれにしてもここは最前線。補給基地より先にある同盟の設備は無人の偵察衛星のみ。訪れる客は同族か、同族異種。ここから出て行くには二年の期日を生き残るか、運よく死なない程度に戦傷するか、脱走するか、戦死するか。確かにここはアル=シェブル艦長の言うように戦う者にとっては地獄に極めて近い場所だが、そうでない者にとってはそうとは限らない……
最初から、悪い予感がなかったわけではない。任務拝命を喜んでいたこと。なのに部隊編制以来、任務に怠りないものの、俺とはあまりにビジネスでドライな関係であること。ビューフォート副長をはじめとした戦艦ディスターバンスの乗組員とも交流が薄い事、など。
艦の仕切りをビューフォート副長に任せ、接続されたタラップを通って第五四補給基地のターミナルに脚を下ろした時のこと。出迎えに来た基地参事官に着任の挨拶と、交代で帰還する前任の哨戒隊司令の予定を聞く時だった。俺の右後ろにいたドールトンから嘆息が上がり、それに対して基地参事官は俺への敬礼より先に笑顔を浮かべて小さく手を上げる。なるほどそういうことかと、俺は納得せざるを得なかった。
そいつは六年前から階級は変わらず、容姿もさほど変わっていない。いかにも女受けするようないけ好かない笑みを浮かべている。顔と口先だけは一人前で、俺がこれまで見知った後方参謀の中では、おそらく最も器量と能力に乏しい奴……
「久しぶりだな。ボロディン“中尉”」
「どうも、ご無沙汰しております。オブラック中佐“殿”」
一応相手が先任だから先に敬礼はしたが、誰もいないところであれば間違いなくブッ飛ばしている物言いをするミシェル=オブラックの顔を見て、俺はこれから二年間にわたる赴任期間に、些か面倒な問題がさらに積み重なったと思わざるを得なかった。
それでも任務なのかそれともドールトンの手前か、オブラックは俺とドールトンを補給基地司令のところまで案内はしてくれる。ただランドカーで五分、そこからエレベーターを二度乗り継いでいる間すらも、二人は俺の目の前で思い出話に花を咲かせている。着任早々に隊司令が暴行で謹慎というのは避けたかったので、何も言わずずっと二人の背中をシラケた目で眺めていた。が、やはり文字通り一歩下がった視線というのは、物事を俯瞰的に観察するのに適しているらしい。
ランドカーは明らかに点検していないと思わせるくらいに異常な走行音を立てている。共用スペースの清掃は複数のゴミ箱が溢れるくらい行き届いていない。司令スペースまでにすれ違った将兵の数は少なかったが、俺達への敬礼もおざなりで、服装も薄汚れている者が多い。それが容儀よりも任務を優先するような粗野な連中だからかと言えばそうではなく、いずれも無反応というか諦観に近い表情を浮かべていて、士気は明らかに低い。
そうかと言えば司令部スペース内の床は機械清掃のおかげかまったく汚れていない。その上、明らかに私物と思われる品物が廊下に置かれている。そして何故か司令部スペースと他の区画の境界に、拳銃ではなく抜き身の小銃を持った衛兵が立っている。そんな異様な空間を歩くこと二分。ようやく俺は補給基地司令に会うことができた。
「この度、第一〇二四哨戒隊司令を拝命いたしました、ヴィクトール=ボロディン中佐です」
「よろしく。第五四補給基地司令のガネッシュ=ラジープ=レッディ准将だ」
身長は俺と同じくらいだが、胴回りの恰幅がいいインド系。定年のことを考えれば、年齢は限界ギリギリの六〇代だろうか。額に寄る皺の多さは爺様の比ではない。いかにも好々爺といった笑顔を浮かべているが、俺を見る瞳はこちらを値踏みするようでいて、その奥には猜疑心がちらついている。
そんな彼の年齢以上にしわがれた手を笑顔で握りつつ、周辺視野に入る部屋の内装を確認する。なんら変哲もない、ごくごく普通の司令官個室。なのになぜか違和感がぬぐえない。ピラート中佐の執務室のように『イロイロな』モノがあるわけでもないし、床も壁も天井も実に綺麗だ……むしろ綺麗すぎる。
「君の直接の上官は、ルンビーニ星域にいる管区司令官閣下ということになるだろうが、我々の間でも友好を育むことは決して悪いことではあるまい」
「閣下の仰る通りです。哨戒隊の任務達成は、給糧・給兵・整備いずれも補給基地の支えがあってこそです。是非ともこれからよろしくお付き合いいただければと」
「ははは。そうかね。船乗りの方からそう言ってくれると、心が洗われるようだ」
上機嫌で握手を上下させながら言うレッディ准将の言葉に、さらに俺の腹の中の不信感は増幅していく。
哨戒隊はレッディ准将の言う通り補給基地の隷下部隊ではなく、第三辺境星域管区司令部直属の部隊であって、基地を根拠地にしているのはあくまでも「間借」という形だ。哨戒隊のスケジュールに関して、補給基地側からの干渉は出来ない。
これは第三辺境星域管区内にある四つの補給基地と、一二〇近い哨戒隊との運用による。哨戒隊は決められた補給基地に係留地を持つが、あまりにも広大な哨戒範囲をカバーする為に、複数の補給基地で補給や整備を受けられるようにした方が何かと便利だからだ。
もし哨戒隊が補給基地に隷属する形となると、哨戒範囲を四つに区分けすることになり『縦割りの弊害』が生まれ、範囲を超えた追跡ということが出来なくなる。哨戒範囲の巡回をさらに数を減らした哨戒隊で巡視するよりは、全体を常に七〇近い哨戒隊で範囲をカバーした方が、移動時間分の遊兵が少なくなる。
故に哨戒隊と補給基地は宿屋と旅行者のような関係だ。「あちらこちらで遊び歩いて怪我して帰ってきた他所の人間の入院費用をなんでウチが出さなきゃならない」という声と、「命も張らず、戦うわけでもなく、疲労困憊で戻ってきたら要らぬ小言をネチネチ言う恥知らず共」という声の、宿命の対立と言っていい。
だがそんなどこにでもある対立も、お互いに戦えるだけの気力があればこそだ。俺が僅かに見た限り、この補給基地にはその気力すら感じられない。
「駐留哨戒隊の先任指揮官であるムワイ=ギシンジ大佐は、現在任務に就いている。五日後には帰投予定とのことだ。哨戒隊の任務に関しては、貴官の前任のローレンソン中佐に聞くといい。今ならたぶん第三整備ドックにいるはずだ」
准将の握手が解かれた後、オブラックはそう言って俺に遠回しの退席を促してくる。まるで痴呆が始まったホーム入居者と口の悪い介護士だなと、准将に失礼なことを思いつつ俺は二人に敬礼して退席する。ドールトンも同じように二人に敬礼するが、後ろ髪を引かれるような雰囲気が体から漂っているのは一目瞭然だった。
そして端末に従ってオブラックに言われた通り第三整備ドックに赴くと、展望室に設置された薄汚れたラウンドチェアに仙骨座りになって、満身創痍の戦艦を眺めている初老の中佐がいた。声をかければ、首だけ廻し、小さく敬礼してくる。
「交代の隊司令どのか。ようこそ地獄へ」
席を立つわけでもなく、抑揚のない語り口。まるで悪魔か何かに精気を吸い取られてしまったような無気力さが中佐を包んでいる。顔の肌は薄く、瞼は重く、口に締まりがない。だが俺の顔をしばらく見た後で、小さく細い眉を上げてた。
「若いな。幾つだ?」
「二七になります。ローレンソン中佐は?」
「五〇だ。先月でな」
溜息交じりにそう応える中佐は、再び戦艦へと視線を戻す。俺も何も言わず、座っている中佐の右脇に立って目の前の戦艦を眺めた。右舷艦首から艦中央にかけて長い傷があり、焼け爛れた衝撃吸収材がそこからはみ出し、一部内壁が露出している。艦首主砲塔の右舷上に複数の大きなへこみがあり、そこから伸びる引っ掻き傷のような跡が何本も伸びて、舷側レーザー砲数か所を巻き添えにしている。
「よく生きて帰ってこれた、と言いたげだな」
まさにそれ以外の感想が出てこない惨状だ。長い傷は間違いなく艦砲の直撃。あともう少し艦の中心軸に寄っていたら、内壁を貫通し艦の与圧内部にエネルギー流が侵入し、核融合炉が誘爆、間違いなく轟沈だろう。
「敵駆逐艦の至近砲撃だ。右舷スラスター全開で躱したつもりだったが一発貰った。お返しで奴らの船体半分を吹き飛ばしてやったんだが、なぜか爆発しないでそのまま慣性則で右舷衝突をかましてくれた」
「右舷乗組員は……」
「艦首右舷側砲要員はほぼ死んだ。吸い出されたか、潰されたか、焼かれたか。いずれにしろ苦しんで死んだ」
そう言うとローレンソン中佐は目を瞑り、笠木に後頭部を預け、深く溜息をつく。
「交代前最後の哨戒任務だった。ハイネセンで編成された三三隻のうち、二五隻が健在だった。それが今はたった七隻だ」
それは死亡フラグとか、思っていても到底言えるわけがない。もし俺達が一ケ月早く着任していれば、失われた一八隻の乗組員は生きて帰れたかもしれない。だが密度はともかく訓練は規定日数通りであり、ここまでの運航にロスはなかった。本当に運が悪いとしか言いようがない。
「第一三〇八哨戒隊、総戦死者・行方不明者数三二五三名。兵員損失率八〇.三パーセント。全滅せず、帰還で来た哨戒隊の中でも、これはワーストに近い。全て私の責任だ」
「……」
「せっかくドックまで来てもらったのに悪いが、今日は勘弁してくれ。明後日には資料を揃えて、君の艦にお邪魔させてもらう。君の艦(ふね)は?」
「戦艦ディスターバンス。Aバース八八に係留しております」
「了解した。明後日には必ず伺おう。それと着いて早々こんな話を、君に引き継ぐのは実に悲しい事なのだが……」
ゆっくりと立ち上がり、肘掛けに掛けていた軍用ベレーを手に取ってかぶり直したローレンソン中佐は、俺ではなくかなり離れたところに立っているドールトンに視線を向けて言った。
「この補給基地にいる間、婦人兵は必ず三人以上の団体で行動するか、男性士官と一緒に行動することを強く薦める。もちろん補給基地の要員全てではないが、どうやら軍人の皮を被った小鬼共が、この基地には潜伏しているようなのでね」
確かに新任の隊司令の最初の引継ぎ内容がそれでは悲しいよなと、引き攣った顔で敬礼するドールトンを横目に見ながら、思うのだった。
◆
そして到着早々にそんな警報を出したおかげかわからないが、着任一週間で第一〇二四哨戒隊の婦人兵に犠牲者は出ていない。だが女性に限らず哨戒隊の将兵の誰もが、第五四補給基地に違和感を覚えていた。
まずもって雰囲気がおかしい。前線司令部にありがちな暴力性の発露がないのは幸いだが、逆にスラム街のようにジメジメとしてカビが生えてきそうな陰湿な空気がある。どの共用酒保もそれぞれの艦や所属先ごとにまとまっていて、マフィアのように互いを敬遠している。
特に哨戒隊乗組員と補給基地要員の間の精神的な溝は深い。その溝が下級兵士の間であるならば、まだわからないでもない。だが指揮・人事権を有し、対立を掣肘すべき士官の間ですらそれは顕著に表れている。
「この補給基地の連中は、腰抜けと役立たずの吹き溜まりさ」
ドールトンの出した珈琲をがぶ飲みし、戦艦ディスターバンスの司令会議室に我が物顔で座る、駐留哨戒隊先任指揮官であるムワイ=ギシンジ大佐は、そう唾を飛ばしながら吐き捨てた。
「基地司令は耄碌爺。副司令は精神をやられたとかでルンビーニの軍病院に入院中。参事官はどうしようもない女たらし。補給廠の補佐官達は揃いも揃って渋チンだ。マトモなのはドック長ぐらいなもんよ」
俺の横に立つドールトンの、後ろに回した両手が強く握られていることなど知る由もない。もしかしたら次に出されるおかわりの珈琲には、雑巾のしぼり汁が含まれるのではないかと俺は気が気ではないが、二メートル近い身長とそれに見合った筋肉の鎧を纏う大佐なら、きっと胃袋もそれに見合っているだろうと信じるしかない。
「一〇年前。俺が一介の駆逐艦艦長としてきた時はこんなではなかった。六年前、第五二補給基地に配属された時も、ここはまだマトモだった。あの女たらしは居たが、まだ上官がマトモだったからな。三回目の辺境勤務で先任になってアイツの上官になっててよかったぜ。あれは下半身以外、本当に役に立たねぇ」
確かに大佐はこう言ってはなんだがモテるような顔つきではないが、そこまでオブラックを目の敵にする必要があるのか。口を開く度にドールトンのヘイトがどんどん溜まっていくのを横で感じつつ、俺は珈琲の残りを少しずつ傾けながら、ギシンジ大佐を見つめる。
第五四補給基地を係留地とする哨戒隊は総勢二八個。その最先任である大佐であれば、基地司令に対してもモノを言えるはずだ。一個哨戒隊には約四〇〇〇人が乗り組んでおり、だいたい半数の哨戒隊が任務に就いているとはいえ、少なくとも五万六〇〇〇人の乗組員が補給基地に駐留している。整備兵を含めて三万六〇〇〇人しかいない補給基地側により強く出られるにもかかわらず、こうやって部下の艦で愚痴をこぼすしかないのはどういうわけだろうか。
補給基地側の武器は、艦船整備と補給の二面だ。小規模な修繕以上はドックのある補給基地でしかできない。彼らの機嫌を損ねて整備に手を抜かれたら事だ。それにミサイルも撃てば当然なくなるものだから補充は必要で、唯一製造できる艦船用燃料以外の戦闘物資の大半はルンビーニからの輸送に頼っている。その補給物資の管理を任されている補佐官達の匙加減一つで、物資が得られないとなれば確かに問題だ。
「おいおい奴らの使い方は分かるようになる。ところでローレンソンから哨戒範囲と手順の話は聞いているか?」
「一応、一通りは」
他の四つの補給基地に所属する哨戒隊と順番交互に、割り振られた巡回ルートをほぼ四週間かけて一回りして二週間休む。この二週間の休みは半舷休息になるが、巡回ルートを三回こなした次の二週間は船をドック入りしての全舷休息となる。これら全て合わせて一八周間で一ローテとなり、二年一〇四週間のうちで五回ないし六回、繰り返すことになる。つまり任期中の出撃回数は計算上、一八回。
ただしそれはあくまで何事も起きないという理想的な一年が送れた場合の計算。哨戒ルートは当然帝国の哨戒ルートとも重なっていて、遭遇戦となれば被害は出る。大概は同規模の哨戒隊が相手とは言え、ローレンソン中佐の第一三〇八哨戒隊のように部隊の過半を失うような不利な状況も発生する。そうなるとローテに穴が開くことになり、半舷休暇の切り上げが行われることになる。そのあたりの管理は第三辺境管区司令部が差配する。
さらに言えば、エル=ファシル奪回戦のような規模の戦いが辺境領域で発生すれば、隠密偵察に駆り出される。アスターテ星域会戦のように事前にフェザーンからの情報が入るような艦隊規模の戦闘が予想される場合も同様だ。そしてイゼルローン要塞攻略のように辺境領域奥地で複数規模の決戦が行われる場合、さらに主攻略部隊の補給路を支える為にほぼ全ての哨戒隊が、戦略輸送艦隊の護衛に駆り出される。
「近々での艦隊決戦はないって話だ。取りあえず、お前の隊は予定通り四日後。Bコースで回ってくれ。俺の勘では、恐らく敵とは遭遇しないだろう」
「勘でありますか? それまでの遭遇統計から導かれる統計とかではなく?」
「おうよ。勘って言うのもなかなか馬鹿にしたものじゃねぇぞ?」
積み重ねた経験と僅かな気配察知の両方から導き出される勘はバカにできるモノではない。特に大佐は都合五年、この第三辺境星域管区に勤務している。信じるわけでも頼りにするわけでもないが、オブラックよりはまともにコミュニケーションを取ろうとしているのは間違いないだろう。
「大佐にそう言ってもらえると、少しだけ安心できますね」
「ローレンソンはマトモな奴だったからな。代わりのお前が早々くたばっては俺が困る。なにか問題があれば俺に言え。出来る範囲で協力する。それと……」
椅子から立ち上がって一度、俺の背後にいるドールトンに視線を向けた後、大佐は手振りして近寄った俺の肩に手を廻すと顔を寄せて囁いた。
「あの副官。アレ、お前の女か?」
一瞬、回りそうになる首を、僅かに首を傾げるだけにとどめる。一体どうしてそんなことを聞くのか。口には出さず視線だけで大佐に問うと、大佐は右唇を小さく吊り上げて応えた。
「俺がお前と話している間、ずっと俺を睨んでいやがった。生意気な小娘だが美人だし、そういう女は嫌いじゃねぇ」
「……後で厳しく、躾けておきます」
「そうしとけ。俺以外もあんな目を向けてるようだと、ここじゃ長生き出来ねぇからな」
そう言うと、ドンと強く俺の左胸を大佐は拳で叩く。痛いことは痛いが、尾を引くような痛さではない。ちゃんと加減している挨拶だとわかる。能力的には未知数だが、致死率二〇パーセントの任務をここまで2回半こなしていると考えれば、大佐は全くの無能とも思えない。
背を向けて手を振りながら大佐が会議室を立ち去ったあとで、少しだけ未来に希望が持てる要素が見つかって安堵して席に座り直すと、それはそれは怖い顔をしたドールトンが正面に立って、俺に向けて冷たい視線を放っている。
「ドールトン中尉」
「私は 隊司令の 女などでは ありませんが?」
文節ごとに区切って応えるドールトンの怒りは半端ないが、俺としては後日淹れられる珈琲以外に怖いものはないので、座ったまま天井に向かって一つ大きく溜息をついた後、紙コップを片付ける手を止めさせ、指でテーブルを挟んだ向かいの席に座るよう指図する。
とりあえずは何も言わずその指図通りドールトンが席についたので、一度自分を落ち着かせるよう目を瞑って深呼吸する。彼女に話さなければならない話は多いが、まずはこれからだろう。
「中尉。大佐に対し貴官が『俺の女』のように匂わせたのは理由がある」
どんな理由だよと、上官反抗罪に相当する表情でドールトンは睨んでくるが、八重歯を剥き出しにしてキレているアントニナや、無表情でトマホークを握っているブライトウェル嬢に比べれば、春の微風同然に温い。
「ああ言っておかなければ、この基地で貴官の安全は保てないからだ……副官の任務には基地司令や各隊司令間の連絡業務もあるだろう?」
着任早々の今は、俺が顔合わせも兼ねて一緒に動いているが、忙しくなる今後はそうも言ってられない。
だいたい憲兵は一体何をしているんだと言いたいくらいの治安の悪さだが、憲兵隊の指揮者は入院中の副司令なので、今は基地全体の秩序回復より、基地司令部の維持・防衛に主軸を置いているように見える。年齢より若く見える美人の女性士官が、もし単身で共用スペースを歩いているのならば、不埒な小鬼の格好の標的になりかねない。
それくらいは流石にドールトンも分かっているようなので、唇以外整った顔の怒りは少しだけ軽減される。
「大佐は駐留する機動哨戒隊の先任だ。彼の口から哨戒隊全体に伝わることで、より早く貴官の安全は確保されるのはわかるだろう?」
「しかしそうだとしても、『隊司令の女』などという言い方はないと思います。セクハラだと思いませんか?」
「では『オブラック中佐の女』と言った方が良かったかな?」
「!! しかし、それは……」
「わかってくれて何よりだ……少しでも安全の確率を高めるのであれば、警戒する相手は基地要員だけにした方が良いだろう」
本来であればナンバー三である参事官のオブラックが、副司令に代わって憲兵隊を指揮して基地内部の秩序回復に勤めなければならないはず。越権行為を恐れるならば、管区司令部に許可を取ればいい。この高級軍人としての積極性と責任感のなさが、『マジ』なのか『わざと』なのかわからないが、不作為であることは確かなのだ。
「俺は貴官にオブラック中佐と付き合うなとか言うつもりはない。この副官任務を志願したというのが、ここで勤務するオブラック中佐が目的だったとしても、特段何とも思わない」
「……」
「ただ第一〇二四哨戒隊隊司令付副官としての任務を、着実に果たしてくれる事だけ、俺は貴官に臨んでいる。その為にはまず貴官の身の安全が、とにかく一番、重要なんだ」
「……」
「だから言うまでもないと思うが、『隊司令の女なのか?』と見知らぬ誰かに問われたら笑って誤魔化せばいい。邪な意思を持つ相手なら、それで十分手控えるはずだ」
「ですが、それでは……それでは、隊司令にもご迷惑がかかるのではありませんか?」
心配半分・迷惑半分と言った表情で、ドールトンは殊勝なことを言う。想像以上に内心が表情に出る副官に俺としては別な意味で心配になってくるが、確かに言う通り、事実ではないにしても『副官を愛人にする隊司令』というのは十分なスキャンダルになりうる。クーデターを鎮圧した救国の英雄ですら、問題にされるのだから、辺境勤務の中佐如きであれば致命傷になりかねない。
この補給基地の治安回復は急務だ。この件についてはギシンジ大佐も当てにはならない。そして今の俺には、手を付ける余裕はない。むしろ中佐を拘束できる権限のある監察官が中央から送られてくれるのならば僥倖だ。ムライみたいな人であれば、デマに惑わされることもなく、補給基地内の大掃除を手伝ってくれるかもしれない。
「大切な部下の安全の為に悪評を引き受けることなど、大して苦じゃないさ。もっとも、あんまり長いことになると困るけどね」
俺がなんとか表情筋を駆使して、優し気な笑顔を浮かべてそう応えると、ドールトンの目は点になり口も半開きになった。それから数秒もせずに意識は回復したみたいだが、今度は視線が左に右に不規則に振れ、表情に落ち着きがなくなっている。
「ドールトン中尉?」
そんな挙動不審が三〇秒も続いたので声をかけると、ドールトンは文字通り伸びていた背筋を震わせながら椅子から立ち上がった。
「あ、えっと……その……ボロディン中佐?」
「なにかな?」
「わた……小官は、その中佐の大切な部下、なんでしょうか?」
「当然だろう」
正直言えばハイネセンで即チェンジしたかったのだが、一度部下になった以上はどんな人間であろうと俺にとっては大切な部下だ。問題があれば更迭もするし教育もするが、今のところドールトンには副官任務として問題もなければ、別段教育する余地も今のところはない。ここまでの航海で航法士官としての才も十分確認できたし、今更ハイネセンから同レベルの新しい副官を呼ぶのは時間の浪費だ。
だが言われたドールトンの表情はおかしい。身長は俺の方がかろうじて高いくらいなのに、立っていながら首を前に垂らし、上目遣いで俺を見ている。
「その、ボロディン中佐のご厚意は大変嬉しいのですが……やっぱり……」
僅かに頬を染めて組んだ両手の親指をクルクルと回転させているので、何かやはりドールトンを誤解させてしまったのは間違いない。なので俺は目を閉じて優しい笑みを浮かべて、はっきりと
「ドールトン中尉は私の好みじゃないから、本当に押し倒されるとか心配しなくてもい……」
いんだよ……と言い終える前に、左頬を衝撃が襲い、俺は椅子から体勢を崩して床に倒れ込む。いきなりなにが起こったか分からず本能のまま呻き声を上げ、倒れたまま顔を上げると、既に会議室にドールトン中尉の姿はなく、扉は開け放たれている。
しばらく頬を擦りつつ、この日何度目になるか分からない溜息をついて立ち上がると、開いた扉から余所見をしながらビューフォートが端末を持って入ってきた。
「今、そこで泣きながら走って行くドールトン中尉を見ましたが、なんかありましたかい?」
「あぁ……まぁ、ちょっとね」
残っていたギシンジ大佐と俺の分の紙コップをテーブルの端に寄せながら俺が顛末を話すと、端末を置いてマシンで珈琲を淹れていたビューフォートは、『バカじゃねぇの、お前ら』と俺の耳にようやく届くくらいの小声で吐き捨てた。
「で?」
上官侮辱罪を適用するにはあまりにも自分が情けないのが分かっていたので、差し出した珈琲を右手で受け取ってから聞くと、カッコつけんなと言わんばかりの小馬鹿にした視線を向けながらビューフォートは俺に応えた。
「ドックは他部署と違ってマトモですな。航海中に確認できた左舷姿勢制御スラスター一二番の交換も、すぐにやってくれた。模擬テストも異常なし。他の航行前テストも順調に進んでいる」
「あとでドック長に礼を言っておく。他の部署は?」
「補給廠担当官がケチなのはどこもかしこも変わらないが、誘導兵器の在庫がヤバいらしい。隊司令に会ったら『なんで補給船団を連れてこなかったんだ』と抗議してくれとのことだ。いま、言ったぜ」
そんな抗議は俺ではなく管区司令部か統括補給本部に言ってくれと言いたいが、言った結果が無しの礫というのが実情だろう。
「すると中性子ミサイルも機雷もしばらくは七分隊頼みか」
「後は帰り道に他所の補給基地に寄って補充するかでしょうが、ま、管区の他の補給基地も大概変わらんでしょうな」
どうしたって補給は制式艦隊の方が優先される。それからより中央に近い警備艦隊、巡視艦隊。星系内に独自の兵器廠を持つ星域ならば余裕はあるだろうが、このシャンダルーア星域にはない。ルンビーニ星域に小規模な工廠があるが、生産品を巡って各補給基地同士で争いが起こっていることは想像に難くない。仮に余裕があっても他補給基地駐留の哨戒隊には、おそらく気安く譲ってはくれない。
「艦内の士気はどうだ? 俺の見る限り、さほど問題はなさそうだが」
「来たばかりですからね。隊司令の腕前次第でこれから上がるか下がるか、見物ですよ」
肩を竦めてまるで他人事のように応えるビューフォートに、俺は呆れた。
「俺の指揮が貴官の想像以上にヘボだったら、死ぬのは貴官だぞ?」
「おや。操艦に関しては小官に、ほぼ一任してくれるんじゃないんですかい?」
俺が許可するまでもなく勝手にさっきまでドールトンが座っていた席に脚を組んで座ると、ビューフォートは不敵な笑みを浮かべつつ、紙コップを俺に向けて掲げて言った。
「小官が操艦する限り、絶対に艦(ふね)は沈みませんよ。命を賭けてもいいですぜ?」
そりゃあ沈む時は命を失うんだから、そもそも賭けになってないだろうと、俺は左頬の痛みを噛み締めつつ、喉の奥にしまい込むのだった。
後書き
2024.11.06 更新
当落次第で、次回以降の投稿は変化いたします。
第113話 はじめての哨戒(おつかい)
前書き
ご無沙汰して申し訳ございません。
年末からずっと、家庭の事情(入院)、仕事の事情と、もうストレスマッハな状態でとても納得いく文章が書ける状態ではございませんでした。
だからと言ってこの話に納得しているわけではないのですが、とりあえず再始動ということで書き上げました。
新キャラばかり出てどうしようもないです。
宇宙暦七九一年 一〇月二二日 シャンダルーア星域より第三辺境星域管区
第一〇二四哨戒隊司令部(現在員二名)の心温まる交流の後、隊は予定通りBルートによる前線哨戒任務に出動した。
Bルートは一三ある第五四補給基地配属の哨戒隊に分け与えられた哨戒航路の一つで、ギシンジ大佐の言うように帝国軍哨戒隊との接触機会が比較的少ないとされている。星域管区に所属する全ての星系を支配率・遭遇率・交戦率・交戦規模・過去の大規模会戦との時系列など、星域管区に所属する全ての哨戒隊の鉄と血で積み重ねられてきた統計が、それを物語っていた。
ちなみにどの哨戒航路を通っても基本的には四つの星域を渡り歩くことになる。シャンダルーアからフォルセティ、ファイアザード、パランティアとより帝国軍の哨戒網に近づき、来た道とは別の航路でシャンダルーアに帰還する。そして他の補給基地に配属されている哨戒隊とは途中何度かルートが交錯するので、情報交換も同時に現地で行われることが多い。
特に基地へと帰還する哨戒隊の情報は、どんなものでも鮮度が高く極めて貴重だ。何処の偵察衛星が破壊されていた、逆に帝国軍の偵察衛星を破壊した、艦艇の残骸が漂流している、残置重力波に異常が確認された等々。どんな情報でも近々の行動予想には欠かせないし、部隊の生存に関わってくる。
例えば味方の宙域固定式無人偵察衛星が破壊されていた場合。設置した衛星は特別に命令が出てない限り意図的に破壊することはないので、帝国軍の仕業だと推測できる。どこに味方の偵察衛星が配備されているかは事前に分かっているから、どのような規則性をもって破壊されているかで帝国軍の行動ルートが推測できる。
ただ当然のことながら、帝国軍も逆手にとって同盟軍を誘引しようという意図もあるだろう。防備は薄いと見せかけて支配権を獲得しようと突出して来た同盟軍部隊を、一斉に取り囲んで袋叩きにしようといった虚々実々の駆け引きが、広大なこの辺境星域管区では常時繰り広げられている。
「懲役二年の刑務所にようこそ、新入り(ニューカマー)」
出動して三日後。シャンダルーア星域からフォルセティ星域へと星域区分が変わるミクトランテクトリ星系の跳躍宙域で、入れ違いでフォルセティ星域側から跳躍して来た哨戒隊の指揮官から通信が入った。
実のところ跳躍宙域における重力波の異常を感知したので、跳躍してくる艦艇ありとして第一〇二四哨戒隊全艦に第一級臨戦態勢を取らせていた。まだ帝国軍の出現確率が低い星域とはいえ、跳躍直後の咄嗟砲撃の可能性を考えて跳躍宙域を囲むような半円陣形で宙域中心部に全艦砲指向していたのだが、相手の指揮官はそれを「新人の過剰反応」と思ってよほど慌てたのだろう。直ぐに識別信号を発して俺に通話を要求して来たわけだ。
「第一二九九のマリネッティだ。第五一補給基地に配属されている。これからよろしく」
「第一〇二四のボロディンです。第五四補給基地に配属しております。よろしくお願いします」
メインスクリーンではなく司令艦橋にある司令用の通信画面の中で、特徴的な鷲鼻の中佐がいかにも面倒くさいといった表情を浮かべて敬礼している。癖のある赤毛は別な意味で懐かしさを感じるが、こちらは男性。その容姿と名前の一致から言えば、おそらく原作で同盟末期ランテマリオ星域会戦とマル・アデッタ星域会戦で、戦艦ロスタムに座乗した本人に間違いない。
彼の名前が初めて原作に出てきたのは要塞対要塞だったはず。査問会から帰還するヤンの護衛に准将として六五〇隻を率いて参加していた。中央の部隊ではなく地方警備を行っていて、一応の火力と装甲を有していたというのだから、どこかの星域所属の警備艦隊司令あたりだったのだろう。その後も同盟軍の惨憺たる状況下にあって、部隊を率い奮闘していた。
「警戒するのは分かるが、ここはまだ味方の領域だ。あまり神経質になると、部下の神経が焼き切れることになるぞ」
「なるほど。そういうものですか」
支配圏が完全に確立していない領域において、敵味方識別信号を確認できない哨戒隊規模の跳躍反応を発見したら即応態勢をとる。自分でも過剰反応ではあると思うが、部下に対して初っ端から手を抜いていいとは言えないし、正しいか間違っているは別としてマリネッティも新入りに対する親切のつもりで言ってくれているのも分かる。
「まぁ無理はしないようやっていくつもりです」
「そうした方が良い。指揮官も兵士も休めるうちに休んでおかねば、いざという時に判断を誤る原因になる」
「ご指導、ありがとうございます。ところで前線の状況はいかがです?」
見込みでミスをするよりは取り越し苦労の方がいいとは思うが、信頼関係が構築されてるわけでもない相手に正論パンチを繰り出すのも意味はないと思い話を転換すると、マリネッティは丸い顎に手を当てつつ太い眉を寄せながら小さく首を振った。
「ぐちゃぐちゃだな。どうやら第八艦隊が奪ったカプチェランカを再奪回しようと帝国軍も気合を入れているみたいで、哨戒ラインも大きく前後に変動している」
「カプチェランカ近域のパトロールは第一辺境星域管区の領分ですが、第三辺境星域管区(こちら)にも流れてきますか?」
「余程脇腹を刺されるのが嫌のようで、打撃戦隊は確認されないがかなりの数の哨戒隊がパランティア星域から向こう側で分散展開している。今回俺の隊は触接五回、戦闘二回で、三隻喰われた。中破は三、損傷八」
周辺視野でレーダー画面を確認すると、第一二九九哨戒隊の残存艦艇数は三〇隻。約一割を一度の行程で失ったことになる。結果だけを単純に見れば、かなり激しめの戦闘を行ったと推測できる。
ただ哨戒隊を文字通り殲滅可能な一〇〇隻前後の戦力で編成される打撃戦隊が確認されていないということは、第三辺境星域管区に対しては攻勢よりも離隔防御を行っていると考えていい。打撃戦隊による掃討よりも哨戒隊を大量展開して、マリネッティの言う通り「脇腹を刺されたくない」よう対応していると推測できる。そうなると問題は……
「敵哨戒隊の士気はいかがでしたか?」
「先に遭遇・戦闘した敵哨戒隊の積極性が異様に高かった。こちらより少ない二八隻で、七隻は確実に仕留めたのに戦うのを辞めなかった。一〇隻目でようやく逃散してくれたが、こちらが弱った直後のタイミングでもう一戦だ」
「……それはまた」
ご愁傷様です、とは言い切れない話。哨戒隊の士気の高さは帝国だろうが同盟だろうが大して変わらない。自分達は「カナリア」だと分かっている。ただ大作戦の序盤となれば中央からの兵員の増援や戦闘物資の支援も見込めるので、より積極的に行動するようになる。それもまたお互い様だ。
しかし最初の交戦相手の指揮官は戦闘狂なのか余程頭がおかしいのか。それとも二つの哨戒隊がバディを組んで、一方が損害覚悟で同盟軍の哨戒隊を削りに来ているのか。そうだとしたら帝国軍の意図が自軍の哨戒隊を磨り潰してでも宙域に潜り込まれたくないという話になる。
「中央でなにかこのあたりを戦場とする大規模会戦があると、貴官は耳にはしているか?」
帝国軍が一星域に分厚い哨戒網を築いているとなれば、逆に同盟軍がパランティアに対して大規模作戦を計画し、その兆候を掴む為の威力偵察、あるいは逆に大規模作戦に先立つ隠密哨戒への妨害を考えてある程度の損失を覚悟する積極的な行動をとっているのではないか。辺境の部隊に何も連絡せず……とそうマリネッティが危惧するのも無理はない。中央の動向に対してもまた、情報には新鮮さが必要だということだろう。
実を言えば原作通り同盟軍中央で、第五次イゼルローン要塞攻略戦が計画されていることを、俺はシトレか聞いている。だがそれは来年の、しかも半年以上先の話だ。作戦前準備行動として威力偵察の命令が下ってもおかしくはない時期ではあるが、第三辺境星域管区の指揮上層部からはなんの話もない。
命令が出ていない以上、中央が辺境に『あえて犠牲を引き受けてもらう』という考えがあるのかもしれない。引き受ける側としてはたまったものではないが、それも戦略的な駆け引きの一つとも言える。地位と任地が生存性を大きく左右するのは、前世地球時代と大して変わりはない。
「統合作戦本部戦略部は三六五日二四時間、日夜関係なく作戦案を提出しているみたいですが、何らかしらの作戦が通ったという噂は聞いてはおりません」
しっかり顔面を操作して応えると、マリネッティも期待していなかったと言わんばかりに、口をへの字にして肩を竦める。
「ま、そんなところだろうな。権力エリートにとって主方面ではない哨戒隊などカナリア同然だ」
つい先日まで国防委員会の権力エリートの末端にいた俺としては心の中にある顔が引き攣る。だが幸いにしてマリネッティは俺の内心を察することなく、疲れた顔つきに憐れむような視線が浮かべている。
「貴官の先の長い人生、いつかいい時が来ることもあるだろう」
「は、はぁ……」
「とりあえず腐らずに二年間、この辺境領域で生き残るんだな。そうすればいつかは運も開けるだろう。では」
軽い敬礼が交わされ、画面からマリネッティの姿が消える。俺は溜息を一つつくと、能面がデフォルトになったドールトンに戦列を二分する旨各分隊に指示するよう伝え、指揮官席に深く座り直した。
彼が基地に戻ってからもし俺の経歴を探るようなことになれば、次に会う時なんて言うだろうか。『トリューニヒトと喧嘩して辺境に流された元権力エリート』として小馬鹿にしてくるかもしれない。だがそれはそれで運命と思うしかないだろう。
お互いの健闘を祈る定型文が艦首の信号灯で交わされる中、会話が終わったのを見計らったように、いつものめんどくさそうな表情を浮かべつつ、ビューフォートが俺の座る指揮官席の横に寄ってきた。司令艦橋に戻ってきたドールトンに、指を三本上げて珈琲を持ってこいと無言で指図するビューフォートの顔は険しい。
「第一二九九からなにかいい話はありましたか?」
「無いね。悪いネタばかりだ」
「でしょうな」
言われるまでもなく第一二九九哨戒隊の損害状況をモニターで観測していたのだろう。俺がマリネッティとの間で交わしたパランティア星域の状況と第一二九九哨戒隊の戦闘行動について軽く説明すると、案の定ビューフォートの眉間の皺がさらに深くなり、ブラウンの瞳には今までに見たこともない警戒感が浮かぶ。
「歴戦の副長でもおかしいと思うか?」
「お若い隊司令殿もそう思いますか?」
なにがおかしいのか言ってみろよ、と言わんばかりにビューフォートは顎をしゃくるので、俺は丸いヘッドレストに後頭部を押し付け斜め上目遣いでビューフォートに応える。
「第一二九九が最初に交戦した敵哨戒隊の戦闘行動がどうも引っ掛かる」
「同感です」
顔つきは険しいままだが、ビューフォートの目には合格という文字が浮かんでいるように見える。
マリネッティが言うことが正しければ、最初の敵は命令であるのかどうかは分からないが、戦力的に不利な状況下で戦い続けたにも関わらず一〇隻目で急に戦線崩壊。パランティア星域における哨戒隊の分布密度が高い状況があって、態勢不利にもかかわらず戦う選択をしたならば、基本的に増援を待つ遅滞戦術をとるのが常識であろうに、積極攻勢の挙句に逃散と言うチグハグさ。
そしてその直後にもう一度戦闘があって第一二九九哨戒隊は少なからぬ損害を受けている。そのことを考えれば、最初に会敵した部隊が遅滞戦術をとり、次の部隊が到着するまで戦線を維持していれば、第一二九九哨戒隊は今頃書類上の存在になっていただろう。
「たまたま敵の指揮官がド素人で、旗艦撃沈によって戦線崩壊したという可能性はどうだ?」
実績や才幹によってではなく、出身身分によっても左右される帝国軍の人事において、ド素人が指揮官になる可能性は十分にありうる。巻き込まれた将兵にとってはいい迷惑だが、哨戒隊の指揮官が功を焦って第一二九九哨戒隊に積極攻勢をかけて自爆した、という話はありえなくもない。
「ありえなくはないですがね。そんなド素人が指揮を執っている哨戒隊なら、旗艦以外の艦艇が会敵早々戦線離脱するでしょうよ。あるいは『不運な砲撃』が起こるかもしれない。辺境の哨戒隊にまで督戦隊など居らんでしょうから」
「にもかかわらず、異様なほどの積極性の高さ、か」
「他にもいろいろ帝国軍にもご事情はおありでしょうが」
「暴走の原因が軍の常識とは別にある可能性」
「……あんまり考えたくないですな」
原因が帝国軍指揮官の無能さではない……よりもっと深刻な辺境交戦領域全体にわたる事情。交戦辺境領域という分厚いストレスが覆う宙域で、生死の恐怖と常に隣り合わせにあって正常で常識的な行動をとる困難さ。それは敵味方関係のない問題。第五四補給基地内部の『空気の悪さ』を考えると、イヤな要因が頭の中をよぎる。
「手っ取り早く帝国軍の捕虜(サンプル)が欲しいところだな」
「そうですな。それで答え合わせもできるでしょう」
空調の気流に沿うように珈琲の香りが漂ってきたので、ついでに味方のサンプルも必要になるでしょうな、とは流石にビューフォートも口には出さなかった。
◆
そんな危機感を抱きつつ、幸運にも会敵することなく辺境航路を進むこと八日。第一〇二四哨戒隊はランダムに陣形変更訓練と砲撃訓練を行いながら前進し、帝国軍との遭遇可能性が高いパランティア星域に属するケルコボルタ星系への最終跳躍へと移行した。
マリネッティの情報からも帝国軍の哨戒隊が跳躍宙域で網を張っている可能性が高いので、跳躍前に対艦戦闘合戦準備を命じ、敵発見時の咄嗟砲撃について各分隊に再確認を指示する。
帝国軍の出現確率が低くともこれまで跳躍の度に繰り返し実施してきた手順だが、戦艦ディスターバンスの艦内に油断は生じていないように見える。大口を叩くだけあって、副長としてのビューフォートの指揮統制は行き届いていて、オオカミ少年効果もなく乗組員の行動の規律は十分維持されている。
「跳躍終了。現界します」
航海長の報告と共に、僅かな衝撃と振動。スクリーンが埋め尽くす白い光から、漆黒の宇宙空間へ。虹色の輪が艦首方向から艦を包み込むように艦尾へと流れ、満点の星空がスクリーンに広がる。
だがその美しさを堪能できるわけもなく、階下にあるオペレーター席からは慌ただしく報告が次々と沸き上がってくる。
「分隊全艦より識別信号を受信。合わせて第二・第三・第四分隊各艦の識別信号も受信。第二・第三分隊各艦は、左右四分円に展開を開始」
「第一分隊各艦、当艦と並列前進を開始しました。第四分隊、両翼半分隊の展開を完了」
「後方跳躍宙域より現界反応確認。数一三。第五・第六・第七分隊……各艦の識別信号を受信」
「至近距離索敵に人工物感知なし。続けて全周中距離探知に移行します」
「咄嗟砲撃脅威、確認できません。対艦戦闘・即応態勢継続中」
「……〇九〇四時。第一〇二四哨戒隊全艦、第三三二四五跳躍宙域での現界を正常に完了いたしました」
ドールトンの報告に俺は軽く敬礼で答える。
「戦艦ディスターバンス、人員機材異常なし。砲撃射程内周囲に脅威なし。砲撃体制は『即応』より『準備』に変更。中距離探知から前方鋭角長距離重力波索敵を開始いたします」
ビューフォートも「艦長席」から立ち上がって敬礼し報告してくる。ほとんど艦運用についてはビューフォートに任せっきりにしているので当然と言えば当然だが、副長席にいるよりもイキイキしていることを表情には出さないが、目付きの鋭さは隠しきれない。天職というべきだろう。専科学校砲術専攻から一三年、三〇代前半で少佐・戦艦副長になったのだから、十分すぎるほど優秀だ。二〇代後半で中佐になっているシェーンコップが異常なだけで。
「いると思うか、少佐?」
「できれば正面から現れて欲しいですな。それが一番めんどくさくなくていいです」
いるのは当たり前だろうと言わんばかりに、肩を竦めてビューフォートは応える。
「とりあえず『開けたらパンチ』はありません、隊司令、次のご指示を」
「一〇分後にアクティブは停止。パッシブは継続。針路そのまま」
「〇九一五時にアクティブ探知停止、パッシブ継続、針路そのまま。了解、隊司令(アイ・サー)」
左手を上げて応えるビューフォートに俺も右手を上げて応じると、メインスクリーンの一角に現在の哨戒隊全艦のレーダーレンジを重ね合わせた画面が映し出される。戦艦の長距離砲撃有効射程の数倍の距離があり、とりあえずはどの方角から来ても対応できるだけの時間は稼げる。
だがそれはアクティブの観測を行っているからで、パッシブに切り替わればその範囲は著しく狭くなる。辺境警備の哨戒隊の任務としての理想は敵に見つからないように敵を見つける隠密哨戒だが、広大な哨戒範囲にあってはある程度自分の身を曝け出しても敵を見つける必要がある。
かといって各種アクティブレーダーをひたすら展開しながら動き回れば、複数の敵哨戒隊を引き付けることになり針路上で待ち伏せされる可能性が高まる。小惑星帯や異常重力帯などの周辺環境や勢力情勢に合わせた索敵方法の使い分けが、辺境哨戒任務におけるもっとも重要な点と言われるところだ。
だからこそ余計にマリネッティが遭遇した最初の敵の行動は、異常としか言いようがない。
「ドールトン」
「はい。隊司令」
「予定航路を再確認する。データを」
スッと大型の軍用端末が司令席に座った俺の前に差し出される。
このケルコボルタ星系は、F四V型の恒星ケルコボルタαとG五V型の恒星ケルコボルタβの二つの恒星を持つ二連星系で、大きなαのまわりを五〇万年かけてゆっくりとβが公転している。主惑星は一つ。恒星αより四AUほど離れたところを公転している巨大なガス惑星Abで、本来ならケルコボルタγになるはずだったと思われる。
その惑星ケルコボルタAbには輪が三本と衛星が一二個存在し、いずれも岩石型衛星だが大きさが最大でも直径三キロほどで、人間が居住するには些か難しい環境だ。何しろF型恒星は強烈な紫外線を放出するし、常に巨大なガス惑星からの重力変異を受ける。何しろ太陽が二つもあるので仮に衛星の一つに居住するのであれば、完全に外部の環境から隔絶された構造にしなければならないだろう。
そんな人類にとって生活圏を構成するのに極めて困難な恒星系であっても、それなりに利用価値はある。誰も住もうとしないので、遠慮なく『命のやり取り』ができるという点だ。
特にこの星系は自由惑星同盟と銀河帝国の国境地帯にあり、イゼルローン要塞のあるアルテナ星系とほどほどの距離で、同盟側有人星系よりは遠く離れていることから戦闘が繰り返し行われてきた。ただここ数年は同盟側優勢で、この星系での大規模戦闘は行われていない。
複雑な重力と放射線の影響で航行不能領域もあることで、艦隊規模の戦闘が可能な場所もある程度限定されている。そして戦う場所が限定されるというのは、逆に言えば隠れる場所も特定されるという意味も持つ。
「恒星αの重力圏にて砲撃演習を行う。それまでの間、緊急訓練は行わない。各艦に砲撃演習まで『安心して』警戒を厳とするよう伝達。特に航路上の障害物、重力異常点については伏兵の可能性がある。予定航路を現在の序列のまま第二警戒速度で航行。第二・第三分隊にはパッシブで宙域簡易測量するよう伝えてくれ」
「敵地ど真ん中で砲撃演習ですか?」
なんでそんなバカなことをすると言わんばかりのドールトンの声に、俺は顔を向けることなくタッチパネルを操作しながら予定航路を確認する。既に一〇回は見直している航路だが、航法出身のドールトンらしく俺の設定した航路に対する注意点を独自に書き込んでいる。
それだけ見ても彼女が優秀な航法士官であると分かるのだが、やはり航法士官にありがちな「司令官の気まぐれで予定を途中で変更されること」に対する不愉快感を隠し切れないところは、隊司令付副官としてはまだまだだ。
「そうだ。一種の示威行動だが、哨戒隊将兵の緊張をほぐすにはちょうどいいと思う。それとここに副長と砲雷長と水雷長を呼んでくれ。はい、復唱」
「ハッ。哨戒隊全艦に通信。恒星αで砲撃演習、それまで緊急訓練なし、航路変更なしで第二警戒速度、警戒を厳とする。第二・第三分隊はパッシブ観測航行」
「よろしい」
含み笑いをしつつ軍用端末をドールトンに返すと、彼女の顔は出港時よりは感情が現れていた。まぁ航法士官としての俺について、多少評価しているということなのだろう。注意点の端っこに『ムカつくくらい効率的』と書き残して消し忘れている位には。
そしてドールトンが軍用端末を胸に抱えたまま艦長席に向かいビューフォートに俺の命令を伝えると、ビューフォートは「はぁ!?」と声を上げた後、マイクではなく身を乗り出して地声で、階下にいる砲雷長・水雷長を呼びだすのが目に入った。それから三〇秒もかからず、二人のむさくるしい男と一人の若い女性士官が、司令席に座る俺を囲むように立つ。
「どうせ遭遇戦となれば砲撃するんです。なんで砲撃『演習』をわざわざ『ここ』でやる必要あるんです?」
ドールトンと全く同じような反応に俺は苦笑を隠せなかったが、歴戦の男はそれで鼻白むようなタマではない。
「砲撃訓練なら、砲手達の指に肉刺ができるほどやってきたつもりですが、まだやりますか?」
そういうのは砲雷長のモフェット大尉。俺より丁度一〇歳年上で、ビューフォート同様に専科学校の出身者。棍棒のような腕とゴツイ顔の作りに鋭い眼光の持ち主で、街中で見たら明らかに反社と言わざるを得ない容姿をしている。それでいながら部下の面倒見はいいので陰で『親分(ボス)』と呼ばれているらしい。
「砲撃訓練でしたら砲術長をお呼びすべきではないですか?」
ワタシ関係ありませんよねと言わんばかりに呆れた声で応えるのは水雷長のシルヴィ=レーヌ中尉。士官学校を出て三年目の若手。小柄な体型と実戦経験が少ないことをかなり気にしているようで、片意地を張って部下に厳しく当たりすぎ、士官室の片隅でモフェット大尉やビューフォートに叱られている姿を時折見かける。ちなみに居室がドールトンの隣なので、俺に対する態度も似たり寄ったり。
「単なる気まぐれだ。付き合ってもらうぞ」
「間違いなく敵に発見されますが、本当にいいんですね?」
ビューフォートの睨むような上目遣いに、俺は軽く頷く。
「構わない。ここは戦場で演習場ではないが、演習と実戦は常に同一線上にあると理解してもらえばいい」
「……隊司令がそう仰るなら、小官に異存はございません。状況がどうであろうと訓練は積めば積むほど良いものですから」
モフェット大尉は納得と諦めの両方をいかつい顔に浮かべて賛意を示すが、
「砲撃訓練に中性子ミサイルも機雷もあまり関係ないように思えるのですが?」
部下に対する暴力厳禁を指示した故か、レーヌ中尉は上官反逆罪スレスレの細い眼差しを俺に向ける。ある意味では十分すぎるほど信頼されているなと、俺は心の底から安堵して笑顔を浮かべると、その笑顔がよほど不気味だったのか、レーヌ中尉は顔を引き攣らせて一歩後ろずさんだ。
「貴官には砲撃訓練とは別に、私からいくつか頼みごとがある」
「え、いや、その……」
「そうか。やはり兵士達の言うように君は『運が良かった』ということか」
履歴書で確認した戦術研究科卒業席次三三番/一〇四四名中、総合席次三七六番/四四五五名中という成績は、間違いなく彼女のプライドの根源だ。少なくとも卒業三年目で哨戒隊に赴任するような成績ではない。なにか本人の素質に問題があるのか、それとも履歴書に記載できないような問題を起こしたからか。もしかしたらこれも先端の尖った黒い尻尾を潜めている奴の仕業か。
そして彼女は計算通り、プライドを十分すぎるほど刺激されたようで……
「やればいいんですよね! やってやりますよ。何でも言ってください!」
ちょっとチョロすぎるだろお前、とビューフォートとモフェットからシラケた視線を向けられていることに気が付かないくらい視野が狭くなったレーヌ中尉は、強く握った拳を自身の薄い胸に叩きつけて、そう俺に応えるのだった。
後書き
2025.03.21 更新
第114話 はじめての戦闘(おしごと)
前書き
投稿が遅くなりました。次回はもうちょっと早くなると思います。
(繋げて投稿しようとしたら、いつの間にか15000字超えたので分離)
色々ストレスが溜まって、色々な解消法を試しているところですが、時間も金もないので、
出勤前に深夜録画のアニメを早送りで見るくらいしかないです。
薬屋もおっさん剣聖もシングレも売り子さんも良いですね。
特に悠木碧さんの演技が素晴らしい。(平家物語は必見)
ちなみに恐れ多いですが、悠木さんに相応しいボロディンJr.の登場人物って誰になりすかね?
宇宙暦七九一年 一〇月二二日 パランティア星域ケルコボルタ星系
ケルコボルタ星系に侵入して六時間。現在のところ第一〇二四哨戒隊は触接も会敵もせず、予定航路を順調に進んでいた。
砲撃訓練は一二時間後。恒星ケルコボルタαの重力圏で、惑星ケルコボルタAbの現在位置との直線上にある宙域で行うことは、各艦に短距離光パルス通信で伝達している。敵哨戒隊からの探知も接触もないので、戦艦ディスターバンスの戦闘艦橋は三交代制に移行しており、緊張感がありつつもややのんびりとした空気が流れつつあったが……
「出来ました。ご確認をお願いいたします……」
身長一五六センチのレーヌ中尉が息絶え絶えと言った表情で、両手で軍用端末を司令席に座る俺に差し出した。それを片手で受け取る俺の姿は、まさにジュニアハイスクールの女子生徒が提出した補修課題を添削する、イジワルな新卒教諭そのもの。俺を右横三メートル離れたところで見ているドールトンの視線は実に冷たい。
レーヌ中尉に俺が出した課題は三つ。三〇発の標的デコイの運用プログラムと、一〇〇発の中性子ミサイルの長距離自律制御・軌道計算と、爆雷敷設制御の調整案。いずれも難易度は高く、さらには時間制限があって、レーヌ中尉の頭の中は間違いなくパニック状態だっただろう。
最初に提出された提案書は、まさに計算機に数字を入力しただけのものだったので、『君はデータの運送係なのか』とだけ言って突き返した。
二度目の提案書は最初の提案よりもマシにはなったが、周辺宙域の重力・電磁異常を全く想定していないというトンデモ案だったので、『ここはキベロン演習宙域ではない』と言って突き返した。
三度目の提案書はある程度形にはなっていたが、いずれも兵器の推進剤を限界まで使い切るという余裕のない案だったので、『白面の書生だな』と言って突き返した。
四度目の提案書を出した時はほとんど涙が目に浮かんでいたが、やはり推進剤に余裕がない提案だったので、ハッキリと『これだけやって分からないなら、誰かに頼んだほうがいいか?』と言って突き返した。
そして五度目の今回。上官・部下関係なく多くの人間が、彼女に手を貸しているのがハッキリと分かる提案書だった。発見しただけではデコイと分からせないよう周辺宙域に合わせた重力・熱源出力制御、推進剤を使わずに最大加速し、最終的に自己誘導可能な最高限界速度と十分な推進剤を維持することが出来る中性子ミサイルの射出軌道、そして『無駄のない』機雷原を構築する為の発射制御。四度目とは見違えるほどの完成度だった。
「勉強になったか?」
全部読み終えたあとで、俺がそれだけ言って軍用端末をレーヌ中尉に返すと、中尉は心底安堵した表情を浮かべて頷いた。彼女の下士官や兵士達に対する態度も、かなり改善されたとビューフォートが言っていた。その代わり『俺の部下を勝手に自分の幕僚として育てないでいただきたい』と苦言も呈されたが。
「あらゆる意味で勉強になりました。ありがとうございます。中佐」
「そう言ってくれて嬉しいよ。ついでにドールトンに、俺が部下に優しい、とても良き上官だと納得させてくれるとありがたい」
俺が胸ポケットからメモリカードを差し出すと、レーヌ中尉は首を傾けつつそのメモリを自分の軍用端末に差し込み、流れるように一読して、自身の肺活量を試すように大きく溜息をついた。
「小官の口からはお見事としか申し上げられません。隊司令」
「もっと手放しで褒めてくれてもいいんだぞ? レーヌ中尉」
「ドールトン中尉。この通りボロディン隊司令は、部下の、特に女性の部下に対する言葉遣いが絶望的ではありますが、脳味噌の中身は間違いなく一級品です」
だがレーナ中尉は俺の言葉をまるっと無視し、体をドールトンに向け、シニカルな笑みを浮かべて続けた。
「性格も決して悪い方ではありません。伝え方が婉曲過ぎて、なかなか正直に受け止めるのが難しいのですが、受け取り方ひとつでどうにでもなります」
「それは分かっているわ、レーヌ中尉。でも言葉は人に心を伝える道具であって、言葉を選ぶデリカシーとかそういうモノに欠ける人間は、幾ら脳味噌の中身が優秀でも『どうか』と思うの」
「仰ることにはまったくもって同意しますが、ドールトン中尉『も』もう少し素直になられた方がよろしいと、小官は愚考する次第であります」
「残念ながら、そこは見解の相違ね。レーヌ中尉」
女性としてはかなり長身の部類になるドールトンと、入隊限界ギリギリのレーヌ中尉とでは頭一つ半以上異なるが、笑顔で睨みあう二人に威の優劣はない。二人の間から漏れ出てくるエネルギー流に、俺は艦長席にいる頼れる副長に向けて救援の視線を送ったが、にべもなく無視された。
「貴官の提案を是とする。あとは分隊ごとの細かい修正を加えて再提出してくれ。時間は一時間後。確認・修正次第、作戦案として了承する」
「承知しました」
俺に敬礼した後もすれ違いで睨み合う二人だったが、レーヌ中尉が司令艦橋から戦闘艦橋へと降りて姿が見えなくなると、今まで離れていたドールトンが副官の定位置である司令席の右隣りに立った。
「随分とお優しいですこと」
皮肉の成分がたっぷりと含まれた言葉が、右頭上から浴びせられるが苦笑しか浮かばない。昨日までは俺に対する共同戦線を敷いていたであろう二人の、一方が裏切ったと思って口が滑ったのだろう。加えて年下同階級の相手に『隊司令の女』と当てこすられたのが、余計癪に障ったのかもしれない。
「副官をレーヌ中尉と交代してもよろしいのですが?」
「レーヌ中尉の専攻は戦術・水雷で、この艦の水雷長だ。どうして彼女を副官にすることが出来る?」
「士官学校を優秀な成績で卒業したのであれば、大抵のことは何でもできるのではありませんか?」
これを嫉妬と一言で断じるのは難しい。専科学校から実戦実務を経て士官候補生学校に推薦された上がり士官のドールトンと、士官学校を優秀な成績で卒業したものの実戦経験は皆無に近いレーヌ中尉。年齢で言えばドールトンが四歳年上になるが、中尉としての先任は卒業一年で昇進したレーヌ中尉になる。
双方の学科カリキュラムも異なる。将来、軍の上級幹部となることが求められる為、長期間広範囲にわたる学習を行う士官学校と、第一線の下士官を速やかに養成する為専門分野教育に特化した専科学校、そして足りない下級幹部を補充する為に上級下士官を再教育する幹部候補生養成所の違い。
恐らくレーヌ中尉は(権限は別として)命じれば、副官任務をこなすことが出来る。だがドールトンが代わりに水雷長任務をこなせるかと言えば、現時点ではほぼ無理だ。仮に交代させるとしたら先任の水雷士を一時的に水雷長に昇進させ、ドールトンには戦艦ディスターバンスの予備航法士官をやってもらうしかない。
ドールトンの実戦経験がもっと豊富であれば、レーヌ中尉の言葉など気にもしなかっただろう。二人のこれまでのキャリアの違いと双方の年齢差のなさが、『共通の敵(オレ)』を失って溝となって現れた。
いずれにしても俺はドールトンを副官から解任するつもりは(今のところ)ないし、彼女の航法士官としての力量を高く評価している。それに今回の『砲撃演習』ではその知識が特に必要とされる。それを承知の上で挑発しているのかもしれないが、今は掣肘どうこうするつもりもない。
「別にレーヌ中尉も、私の好みではないよ」
司令席を軽くリクライニングし、左頬杖をついて俺は見上げながらそう応えると、ドールトンは一瞬だけ細い左眉が上がり、ついで何事もなかったかのような能面で正面のスクリーンを下目使いで見やるのだった。
◆
一〇月二三日〇三〇〇時、数度の高強度アクティブ探知と四時間交代の休息を終え、第一〇二四哨戒隊は予定通り指定した恒星ケルコボルタα重力圏内の宙域に到着する。ここまで妨害もなければ敵対勢力の探知もない。ただ航路近辺にある異常重力場に幾つかの破壊された艦艇群や探知不透過宙域が幾つか存在したが、あえて詳細調査をせずにやってきた。
『演習』の目的は、哨戒隊左舷に位置する恒星ケルコボルタαを利用した、高重力圏内における各分隊統制射撃能力の向上。光子砲も中性子ビームも亜光速で飛翔するとはいえ、通常空間では重力のくびきから逃れることは出来ない。
重力的に不安定な宙域での戦闘訓練は実戦前には必須であること、哨戒隊の戦術として異常重力下における伏撃という技能を獲得する必要があること、伏撃においては少ない砲撃回数で効力を上げる必要から各艦の砲術スタッフの力量向上が求められること等々、言い訳がましく各艦の艦長にオープン回線で伝達する。
だが演習に先駆けて各艦一発のデコイと四発の中性子ミサイルを司令部指示の目標に従って発射せよとの指示に、事前に戦艦ディスターバンスに集まった第一分隊各艦艦長と各分隊指揮官達は、揃って溜息をついた。『砲撃演習で』補給の乏しい誘導実弾を無駄にばらまくようなことを司令部が指示するわけがない。
幸い目的を明らかにしない作戦内容に対して参加者から異論・反対意見は出なかったが、シャトルに乗って帰艦する前にシツカワ中佐が渋い顔をして、
「中央艦隊のバカ参謀のように、ミサイルが補給艦の胎の中で自己増殖できるものとお思いになりませんよう」
と捨て台詞を吐いたのが印象に残った。独航艦になる前のアルテラ一一号の前配属先が、爺様の前の第五艦隊だったことを考えると、エル=ファシルでの一件から俺も思わず溜息をつきたくなる。
「対艦戦闘用意」
教練の頭言葉がない俺の命令に、一度ドールトンが唾を飲みこむ音が聞こえる。模擬弾や演習モードの砲撃ではなく、実弾を使うこと。実弾演習はこれまで何度も行ってきたが、敵が潜伏する可能性が高い宙域では行っていなかったこと。間違いなく遭遇戦になることを理解して、息が一瞬詰まったのだろう。
「一〇二四、対艦戦闘用意! 長距離砲雷撃戦。初弾デコイおよび中性子ミサイル攻撃。各艦、旗艦事前指示の目標!」
警鐘の音と共にドールトンのやや高めの声がマイクに乗って、戦艦ディスターバンスの艦橋内に響き渡る。リンクしている第一〇二四哨戒隊各艦艦橋もおそらく同様だろう。
「デコイ一発。未出力・弱推進投射。目標指示、方位二時三〇分、俯角一八度四三分。中性子ミサイル四発。VLS一番から四番。最大加速(フルパワー)発射。目標指示、方位一一時二七分、仰角三〇度五四分。発射後手順に準じ、艦内より再装填」
自分が計算した目標を口に出しつつ、レーヌ中尉が部下に指示を出す。
「デコイ推進発射、中性子ミサイル発射、用意よし」
レーヌ中尉の指示が各兵装を担当する下士官・兵に伝わり、彼らの入力にミスがないことを確認したモフェット大尉の、聴く者を落ち着かせるような声がそれに応える。
その声に合わせて司令席から艦長席を見れば、演習でも見たことのないビューフォートの鋭い眼差しが俺に向けられている。今の彼は副長でありながら『艦長』でもある。副長と艦長の間で交わされるルーチンは、彼の心の中で行われている。
そして彼が俺に求めているモノは一つだ。
「撃て(ファイヤー)」
想像していたものも落ち着いた、というよりも冷めた声が喉を通り抜ける。まだ敵が見えていない状況というのもあるのだろうか。仁王立ちになって過剰な手振りも叫声を上げることもない。これがこの世界に転生して初めての戦闘開始指示と考えると、なんとも可笑しく思える。
「撃てぇ(ファイヤー)!」
「撃て(ファイヤー)!」
小さすぎる手振りに慌てたドールトンの前のめりな声と、間髪入れず被せられるビューフォートの声。ドールトンにとっても初めての戦闘指示だが、ビューフォートにとっては過去に何度も発し慣れた指示。その声に呼応するようにモフェット大尉、レーヌ中尉、そして各兵装担当下士官の声が続き、最初にデコイが、続いて中性子ミサイルが発射され、あっという間に闇夜へと吸い込まれていく。デコイは外惑星方向へ、中性子ミサイルは恒星ケルコボルタα方向へ。
「砲撃を開始せよ」
「一〇二四、長距離砲戦用意。分隊各個砲撃。旗艦指示の目標、各艦諸元調整」
前座が終わり、『予定通り』砲撃演習に移行する。砲撃指示は全てマニュアル。俺が後から指示する立体的な目標に対し、分隊単位での砲撃が行われる。ここは演習宙域ではないし、演習用の標的も用意されていない。成果観測も査閲官ではなく、実戦と同様に観測オペレーターが行う。
俺の指示する立体目標は、ビームが届くまでの時間を逆算した上で敵艦が回避することが出来るスペースだ。勿論、いきなり艦首を上げて全速上昇するような奇想天外な機動ではなく、ごく常識的な避弾機動を想定したものだが、哨戒隊各分隊の初弾砲撃は、ケルコボルタαの重力に囚われて目標を大きく外す。
「ヴァーヴラ! てめぇ、どこに目を付けて諸元入力してるんだ!」
立体目標から三〇キロは離れた場所を砲撃した、この戦艦ディスターバンスの砲術長に、案の定ビューフォートの雷が落ちる。本来管理するモフェット大尉を飛び越しての罵声。だが艦長席に座るビューフォートと砲雷長席に座るモフェット大尉では、砲術長までの距離が異なる。俺からは見えないが恐らく戦闘艦橋でモフェット大尉がヴァーヴラ中尉をフォローしているだろう。叱咤役と激励役の分業は、物理的な距離によってより効果をもたらす。
そして調整を終え第二斉射は目標の端を掠め、第三斉射で目標の中心を貫いた。第一分隊各艦も、第三斉射ないし第四斉射で目標を射抜いていく。他の分隊もほとんど同様の力量を見せているので、分隊全艦が指定目標を射抜いたら、新たに次の目標を指示していく。
ひたすらそれを繰り返して、二時間後。期待通り、真正面から怪しい光体が現れた。
「緊急!所属不明艦艇、急速接近。当部隊の進行軸に対し〇〇一四時、俯角一.八度。距離九.三光秒!」
索敵オペレーターの絶叫に近い声に、戦闘艦橋の室温が一気に上がったように感じる。緊張による人間の体温上昇はあるだろうが、人間に比して遥かに容積の大きい戦闘艦橋の室温がその程度で上がるはずもない。なのに俺の肌は実感している。
「慌てるな。まだ余裕はある」
だがいきなり噴出した興奮も、艦長席に座るビューフォートの声で沈静化する。俺を一瞥したのは、俺が直接オペレーターに指示するかどうかの確認だろう。俺が司令席に座ったまま、何も言わずに右手を小さく蟀谷の横で振ると、ビューフォートも軽く数度頷く。
「方角は分かった。数、艦種、時間的距離を、正確に、隊司令殿に報告しろ」
ビューフォートの文節を区切った指示に、戦闘艦橋の索敵オペレーター達から了解の声が上がり、その声にドールトンが俺の座る司令席のスピーカーの音量を調整する。
「所属不明艦艇は、帝国軍基準第二戦速相当の速度で接近。時間距離で一四分後には有効射程距離に入ります」
「数は三二。反応の大きさから、戦艦三、巡航艦二〇、駆逐艦六、輸送艦三。平面陣を構成」
「敵味方識別信号に応答なし。いえ……挑戦信号、受信しました。所属不明艦艇群は帝国軍と断定されます」
上がった報告に合わせて、画像処理されたシミュレーション図が俺の目の前の画面に映し出される。戦艦と駆逐艦は中央で横隊、巡航艦は五隻ずつ十字に四つで四方。輸送艦は後方。正面に対し駆逐艦以外の全艦が砲門を開けるが、まな板のような形で前後の陣容は薄い。
つまり指向出来る火力を最大限にし、受動的な防御陣形になるよう仕向け、包み込んでしまおうという考えだ。単純な陣形だが、正面火力と敵に合わせた対応の取りやすい陣形でもある。だが……
「随分と舐められたものだ。こちらが初陣と知っているのかな?」
戦闘艦艇の数は二五対二九。戦艦はこちらが多く、巡航艦は向こうが多い。こちらは駆逐艦を支援分隊の護衛に当てている位置にあるから、初手の正面火力では不利だが、全体の火力としてはほぼ互角か、戦艦の数から考えればむしろこちらの方が有利だ。
最初からそのつもりはなかったが、急進して中央突破することは容易だ。逆に言えばあまりに容易に可能なので、敵がそれを誘っている可能性もある。しかしそれならば敵も別働戦力を用意しているはずで、それは俺の考えていた位置とは真逆になるし、あまり意味がない。
「隊司令。ご指示を」
ドールトンが少し緊張した声で俺を促す。彼女も戦闘経験はあるだろうが、命運を握っている相手が頼りない俺であることと、有効射程までの残り時間が気になっているのだろう。しかし判断は急を要することに間違いはない。
「挑戦信号を打ち返せ。分隊各個砲撃・旗艦指示目標変わらず。フォーメーションB―四。砲雷撃戦用意」
「フォーメーションB、ですか?」
「復唱」
「……はっ、一〇二四、戦闘指示変わらず、フォーメーションB―四」
ドールトンの指示が発光信号となり、第一〇二四哨戒隊は速やかに陣形を密集陣形に変更する。数が全く足りないので球体というよりは半球体という形で、戦艦分隊を前面とし、側面に巡航艦分隊がつく。半球体内部には駆逐艦分隊と支援艦分隊が収まって、有効射程に入る五分前、フォーメーションは成立する。これまでの猛訓練は充分に発揮された。
「分隊第一より第四は目標敵中央部、戦艦三隻に対し照準を合わせ。第一分隊は中央、第二・第四が左、第三・が右。第五・第六は射程内に収めてから敵駆逐艦を牽制射撃。各艦、砲撃と防御の手順を間違えるなよ」
四隅の巡航艦分隊に対して初手は無視する。有効射程で初弾に直撃弾が出たら、それはもう運が悪いとしか言えない。ラッキーヒットは防ぎようがない。だが通常の防御に関して手を抜くことは許さない。
「諸元入力、修正照準、準備よし!」
「エネルギー中和磁場、準備よし」
ヴァーヴラ中尉とモフェット大尉の声がスピーカーから流れてくる。その声に緊張はあっても、怯懦はない。
「司令合図で偏差射撃三連。しかるのち最大戦速で正面突進。目標撃破まで中距離砲撃継続。突進開始三分後に第一分隊各艦デコイ四発投射。目標正面。最大加速投射。敵陣を通過したら各艦機雷投射。事前設定通り」
「前方および後方電磁投射管、装填完了。デコイ・機雷戦、準備よし」
「機関緊急始動回路、準備よし。いつでもご指示を」
レーヌ中尉の声は若さと戦意に溢れている。一方で年配の航海長ルシェンテス大尉の声は、戦闘前とは思えないほどに凪いでいる。
「戦艦有効射程まであと一分。秒読み始めます。五九、五八、五七……」
索敵オペレーターの秒読みに合わせて心拍数が上がるかと思って、左手首に指を当ててみたがそんなこともない。この戦闘で死ぬ可能性だって十分にありうるのに、何故か不思議と落ち着いている。爺様やグレゴリー叔父もそうだったのだろうか。生き残れたら指揮官としての初陣はどうだったか聞いてみたい。
「砲撃用意」
「砲撃用意!」
俺が残り二〇秒で小さく右手を振り上げると、ドールトンも合わせて復唱する。周辺視野でチラッと仰ぎ見れば、厚めの唇を小さく噛んでいるのが分かる。メインスクリーンの右上の数字が二桁から一桁となり……
「戦艦有効射程、入りました!」
「撃て(ファイヤー)」
「撃て(ファイヤー)!!」
俺が軽く右手を振り下ろすとともに、ドールトンの叫びが艦橋に響き、メインスクリーンに八本の青白いビーム航跡が映し出される。それが三度。二度目と三度目の間に、戦艦ディスターバンスの両舷を六本のビームが抜けて行く。
砲撃用のエネルギーを充填する時間を稼ぐエネルギー中和磁場が展開される前に砲撃が抜け、さらには挟差された。敵も有効射程ギリギリから砲撃してきたのは間違いない。それで挟差されたという事は、敵もこちらの先頭に照準を合わせていたのだろうが……
「敵戦艦一、大破確認!」
事前に砲撃演習で、宙域の重力状況を把握している戦艦五隻の集中砲火と正面から相対したのは、流石に敵の失策だろう。巡航艦の砲撃有効射程まではあと三〇秒。残りの敵戦艦は二隻。俺は哨戒隊全艦に最大戦速での突進を命じつつ、第一分隊に第四分隊へ割り当てた戦艦への砲撃を指示する。
艦首を覆っていたエネルギー中和磁場が再び開放され、五隻の戦艦から再び四〇本の光の槍が三度発せられる。発せられた後また中和磁場が展開されるが、そこに敵巡航艦からの砲撃が襲いかかる。だが特に統制されたわけでもない、しかも有効射程より遠い処から放たれエネルギーを失った砲撃は、あっさりと中和磁場によって吸収される。
「敵戦艦さらに一隻撃沈!」
「第二から第四、砲撃を開始!」
「デコイ、発射管一番から四番。正面投射、推進出力最大、発射」
艦首の根元からデコイが上部から二発、下部から二発発射され、敵方向へ向かっていく。その間も第一〇二四哨戒隊は最大加速しつつ敵に接近する為、相対距離は一気に縮まっていく。敵はいきなり戦艦二隻を喪ったことに狼狽しているようで、砲撃は半球中央部向けて各艦が散発的に正面砲撃をくりかえしていることに留まっている。
「敵駆逐艦より小型高速目標、多数分離……全てデコイに向かっていきます。脅威なし」
「はっはぁ! ざまぁみろぉ!」
明らかにレーヌ中尉の声だと分かるが、次に小さな衝撃音と悲鳴が聞こえたので、恐らくモフェット大尉に殴られたのだろう。部下に対する暴力を禁止はしたが、これは戦闘中の統制上致し方ない……だろう。
「砲撃を中距離砲撃から近距離に順次転換 目標敵駆逐艦。各個分隊射撃継続」
「了解。次の砲撃から射程を短くするぞ。砲雷長。加速しつつ標的が小さくなる。油断するな」
「了解。副長」
言わずもながと、モフェット大尉の声がビューフォートに返ってくる。ほとんど同時に、先程より太くなったビームがより短い間隔で放たれる。近距離戦となれば中和磁場を展開する時間ですら、相互のポジションが変化することになるので、集束率を上げて貫通力を上げるより、多少集束率を下げてでも手数を増やすことに重点が置かれる。
「敵戦艦一、駆逐艦二、撃沈。他駆逐艦、逃走に移りつつあり」
「第二分隊、四番ステーレン一四号被弾。舷側損傷、戦闘能力異常なし」
「第四分隊、二番ブルゴス四一号被弾。通信機器破損。戦闘能力低下」
「第一分隊、戦艦アーケイディア被弾。右舷装甲板損傷。舷側砲門一部使用不能」
敵との距離がさらに縮まるにつれ、流石に被弾報告が多くなってくるが、撃沈や航行不能の艦艇はまだない。同盟だろと帝国だろうと、軍艦の構造上、正面に主砲が設置されている以上、射角には限界がある。
有効的に砲火を浴びせるには、船体の向きを変えなければならない。特段有能な指揮官でなくとも、四方から取り囲むように一斉に動けば、砲火をこちらの重心点に集中させることも可能だ。
だが今の敵はまともな統制が行われていない。戦艦は序盤に撃沈され、駆逐艦はミサイル射撃の出先を挫かれ逃げまどい、反撃できずに一方的に巡航艦に狩られている。その為、中央部は無抵抗状態となり、第一〇二四哨戒隊が抵抗なく突き進む空間が開いていた。
砲火が開かれ二時間。第一〇二四哨戒隊は敵戦列に到達。予定通り機雷を艦尾から投射する。最大戦速で駆け抜けているので、戦速とほぼ同じ速度で反対方向に、かつ放射状に投射する。これによって相対速度がほぼゼロになり、僅かな燃料消費で、丁度敵が展開する範囲一杯に機雷がまき散らされた。
「第一から第五。転換一八〇度、一斉回頭。第六と第七はそのまま直進。敵支援艦を包囲」
敵の後方に喪失艦なしで到達し、戦列を維持したまま俺は回頭を指示する。進路軸を維持しつつ、艦重心点を支点として、コマのようにクルっと回る機動だが、当然のことながら回頭中に戦闘行動は出来ない。どでっぱらを敵にさらすことになるので、アスターテの第六艦隊のように格好の標的となるわけだが、それはあくまで敵方の指揮統制が取れている状況であればこそ。
またも戦闘艦橋から黄色い歓声とそれに対する骨太の怒声が聞こえてきたが、これはまぁ許してやってもいいんじゃないかと思う。敵は後ろに回った我々に対処するため十字隊列を開放し順次回頭しようとして、レーヌ中尉の力作の中へまともに突っ込むことになった。
そしてデコイや操艦で機雷を上手い具合に回避して転換出来た艦艇から優先的に、戦列をバッチリそろえた第一〇二四哨戒隊は各個分隊集中砲火で料理していく。
「完勝、ですね」
溜息混じりの声で、ドールトンは呟く。各艦の鍛え抜かれた砲戦技術と事前に準備したレーヌ中尉の機雷戦によって、味方は一度だけフォーメーションを変えて突っ込んだだけで、中央突破・背面展開に成功した。それが隊司令の俺による華麗な戦闘指揮の結果ではなく、ほとんど敵の自滅に近い結果としてもたらされたことに、もしかして不満があるのか。
「いや、まだ半分だよ」
分隊各個集中砲火から、戦列を開放して射程外へと逃げる敵の巡航艦の動きを観つつ、俺は応える。敵がわざわざ正面から現れ、中央突破される可能性を考えず陣形を広げていたのは、包囲殲滅を意図していたのは間違いない。そして防御心理に陥って半球陣形になった我々を、戦力としてほぼ互角の自分達だけで始末しようとは思っていなかったはずだ。
「緊急! 新たな所属不明艦艇、前方より急速接近。当部隊の進行軸に対し一一三三時、俯角五.七度。距離一〇.三光秒」
「帝国軍基準最大戦速で接近中。哨戒隊有効射程まで一八分」
「数、二二。戦艦四ないし五。巡航艦一七ないし一八。小型艦感知できず」
「挑戦信号を継続発信しています。新手の帝国艦隊です」
次々と上がる報告に、先程まで高揚していた戦闘艦橋の空気が、急速に冷却して萎んでいくように感じられる。そんなに気分を表に出さなくてもいいのではないかと思わないでもなかったが、事実上初陣の俺が指揮官では、第四四高速機動集団レベルの『太々しさ』を部下に期待してはいけないだろう。
一度だけ艦長席のビューフォートに視線を送ると、睨んでいるというより『だから先に言っておいた方が良いって言ったろ』という非難めいた顔をしている。決して面倒だからというわけではなく、将兵が長丁場だと考えて攻撃が鈍化することを警戒したつもりだったが、緒戦が予想以上に快勝したので、余計に落差が大きかったようだ。
「ドールトン。マイクを」
「全艦放送でよろしいですか?」
問いに無言で小さく頷くと、コンソールでモードを切り替え、掌に収まる小さなワイヤレスマイクをドールトンは俺に差し出す。
「隊司令のボロディンだ。戦いながら聞いてくれ」
話している俺の声がそのまま戦艦ディスターバンスの戦闘艦橋内に響き渡る。辛うじて声に震えはない。
「実はうっかり言うのを忘れていたが、今日の試合はダブルヘッダーだ。だが司令部では計算済みの話なので、安心して目前の戦闘に専念してくれ」
「クソメンドクサイですが、了解です! 隊司令!」
数秒の沈黙の後で、レーヌ中尉の大声が戦闘艦橋から上がってくる。スイッチを押しっぱなしにしているので、レーヌ中尉の声や艦橋のざわめきは間違いなく他の艦にも伝わっただろう。レーヌ中尉がいの一番に反応してくれたのは、自分が『砲撃演習前』に何をやったか分かっているからだ。
「新たな敵が有効射程に入るまでは、敵巡航艦の掃討を継続せよ」
それだけ言って俺はマイクを切りドールトンに返すが、受け取ったドールトンの顔には奇異と感心の両方が、奇妙に混在して浮かんでいる。
「隊司令は敵の増援を確信されておられたのですか?」
「索敵障害の多い敵地ど真ん中で、静止状態で砲撃演習する初陣集団だからね。我々は」
確信というよりは意図的に誘導した。どうせ見つかるなら不意打ちを受けるより、引き寄せた方が戦いやすいのは当然で。
それに任務に則った航路は、同じ任務に就いている敵も十分想定している。待ち伏せなどができる箇所を捜索するのも、哨戒隊の重要な任務の一つ。それを怠ったばかりか、さらに目立つ恒星重力圏内でバカみたいに砲撃演習を行う『素人集団』を、見逃してやる義理は敵にはない。この際、敵が『まとも』であってよかった。
だが俺の回答に対して、ドールトンはメインスクリーンを眺めつつ、小さく首を傾げて変なことを言った。
「隊司令。正直私は、この部隊の為に何かお役に立てているのでしょうか?」
そう言うドールトンの表情は、思い詰め悩んでといったものではなく冷静で、単純に自分の存在意義が分からないといったものだった。
後書き
2025.04.13 更新
第115話 はじめての戦闘(おしごと)2
前書き
先週日曜日に仕事が入って、遅れてすみません。
昨日、銀座のクラブに行ってきました。
そこでほんの少しばかり立ち話をさせていただいて楽しかったです。
まさかこの拙作が捕捉されているとは思いもよりませんでした。
あと拙作に関わる戦艦も2隻、入手しました。
ちなみに欲しかった艦は、金型はあっても製造中止だそうです。無念。
その後で初めてイゼルローン要塞に立ち寄り、第13艦隊旗艦を食べました。
なかなかおいしかったです。
そんなGWのおひとり様な初日でございました。
宇宙暦七九一年 一〇月二三日 パランティア星域ケルコボルタ星系
「隊司令。私はお役に立てているのでしょうか?」
そう言うドールトンの表情は、思い詰め悩んでといったものではなく冷静で、単純に自分の存在意義が分からないといったものだった。
艦の戦闘指揮はビューフォートやモフェット大尉が、個々の戦術ではヴァーヴラ中尉やレーヌ中尉が。特にここまではレーヌ中尉の功績は極めて大。これまでの戦果も『これからの』戦果も。
「役に立つも何もここで戦えるのは、貴官が詳細にチェックしてくれた航路想定データのおかげだ」
事前に指示された哨戒ルートの星系を通るのであれば、星系内における航路については哨戒隊各司令部に自在に決定する権限がある。故に司令部には航法にそれなりの見識と力量が必要で、艦長兼任の隊司令は通常であれば、艦と分隊と哨戒隊全体の指揮があるので、残りの副官が航路想定に明るいほど哨戒隊は効率よく運用されることになる。
勿論副官が航路想定に明るくなければ、隊司令座乗艦の航海長に任務を分けても(本人の任務量過大には目を瞑って)権限上の問題はない。レーヌ中尉に作戦案の一部を委ねることが出来るのも、隊司令と旗艦艦長が同一人物である利点の一つ。レーヌ中尉には別の意図もあって作戦案を作成させたわけだが、そもそもドールトンの見識と力量が、この宙域での『砲撃演習』を決断させたのは間違いない事実だ。演習宙域が設定できなければ、作戦自体が成り立たない。
今まで航法予備士官や航海長をやってきたドールトンにとって、おそらく司令部副官という業務は『指を動かして戦闘に役に立っている』感覚が少ない仕事なのだ。旗艦の中で唯一の司令部要員である自分だけが、戦いから取り残されている。自分の専門分野である航法において命令を受けて航路想定を行ったが、それも命令を出した気に食わない上司一人で事足りると、もしかしたら思っているのかもしれない。
だが戦争は一人ではできない。将来的に艦艇乗組員の数を可能な限り減らしていくべきだと俺は考えるが、作戦の意志を決める司令部において、複数の異なる視点を有する各分野の専門家は絶対に必要だ。
原作においてヤンは基本的に戦略と戦術の構想力において比類なき存在。彼が集めた幕僚にはそれ以外の分野の専門家が揃っている。そんなキラ星の幕僚達の中でムライの存在は逆に異端を思わせる。彼は緻密で整理された理論と確かな判断力を持ち処理能力にも優れているが同時に、ヤン艦隊の良識と秩序を一身に背負わされているものの、特に「専門」とする分野はない。
俺の勝手な想像だがムライがいなくても、またムライではない他の誰が参謀長になっても、ヤン艦隊の戦闘能力はそれほど落ちることはないだろう。ムライ本人が独白したようにヤンは他人がどう考えているか、それを知って作戦の参考にするために幕僚に迎え入れた。
ヤンの人事の妙とは、ムライ自身が誰にも言われることなく自らに求められているモノを理解し、自ら行動できる人物であったことを見抜いていた事だ。そこまでの自覚を現在のドールトンに求めるのは、難しいことかもしれないが。
「今でも十二分に役に立っているが、もしもっと役に立ちたいと君が考えるなら、航法以外の分野にも興味を持ってもいいんじゃないか」
「航法、以外ですか?」
「幹部候補生養成所で一通り戦闘士官教育は受けたと思うけど、砲術と水雷と部隊運用を再履修してもいいと思う」
前世であれば戦艦を含む三〇隻と言えば大艦隊。両手両足の数の司令部要員がいたはずなのに、艦隊規模が一万隻でようやく一個艦隊と言われるようなこの世界では、司令部要員は隊司令(旗艦艦長兼任)と副官の二人だけ。演習のように時間的な余裕のある場合はともかく、戦闘時において俺一人で目配りできる範囲は限られている。
「哨戒隊司令部には参謀が一人もいない。君に苦労をかけることになると思うが、司令部で私に意見を言えるのは君しかいないんだ」
副官レベルカンストのフレデリカと比べるのは間違いだろうが、ドールトンが戦闘指揮分野での知識を蓄積させ理解することによって、俺の指揮の『次を読む』ことが出来るようになるはずだ。次が読めれば、自分が何を為せばよいか理解することが出来る。命令の前に準備と心構えが出来れば、物事は大抵スムーズに事が進む。
「考える時間は山ほどある。この巡回が終わった後にじっくり考えてみてくれ。だが取りあえず今は目前の敵だ」
「……はい」
僅か数分。その間にも新手は近づいて来ている。数は二二隻なのは変わらない。前方に味方がいるせいで速度をやや落としているが、挑戦信号は継続的に発信されている。戦闘は不可避だ。
「戦艦有効射程、入ります!」
「哨戒隊全艦、敵を指向しつつ右舷円周並列移動。ポイントⅩプラス三.八、Yプラマイ〇、Zプラス八.七」
「全艦、右舷円周並列移動。目標宙点、ポイントⅩプラス三.八、Yプラマイ〇、Zプラス八.七!」
敵を円の中心とし、砲門を指向しつつゆっくりと右斜め上へと上がっていく部隊機動。敵側から見れば陣形を変えず、味方敗残戦力を盾に攻撃を左に逸らすつもりに見えるはずだ。そうなれば攻撃側としては艦首を左に振り、艦首主砲を運用しやすいよう正対せざるを得ない。
「敵艦、右舷回頭。さらに接近!!」
「前面の敵に高エネルギー反応確認!」
「全艦一斉後進。第一分隊、目標敵中央右の戦艦。無力化まで斉射継続。第二から第四は有効射程に入り次第、残りの戦艦へ各個分隊砲撃」
有効射程外からの砲撃によってこちらを牽制し、主導権を握ろうとする帝国軍の意図は、強行一戦して同盟軍を後退させ、距離が開いた隙に敗退した味方を収容・後退することだ。であればこちらとしてはそれに乗ったフリをすればいい。
「中性子ミサイル発射用意。目標新たな敵前面中央・自己誘導・宙点着発。発射弾数八発」
「了解。中性子ミサイル発射準備。発射弾数八発。目標ポイントⅩ・Yプラマイゼロ・Zプラス一〇.二。発射管一番から八番、装填よし。移動目標座標の、継続入力開始します」
ドールトンの復唱前に発せられたレーヌ中尉の応答に、一瞬ドールトンの纏う空気がピリッと静電気を発したように思える。恐らくドールトンの頭の中で、座標位置が再計算され問題がないことが分かったのか、俺に視線だけで『どうしますか』と聞いてきたので、俺も小さく頷いて了承する。その上でさらにもう一手打つ必要がある。
「第五分隊は本隊より分離。移動目標ポイントⅩマイナス九.七、Yプラス五.五、Zプラス〇.九。到着次第、敵を砲雷撃せよ。指揮権分離委譲」
これで帰還命令が俺から発せられない限り、第五分隊は編制から外れることになる。自由行動ではないが、分隊指揮権は分隊旗艦であるミサイル艦ノーズワーズ二一三号艦長のオドゥオール少佐に全て委ねられた。アフリカ系黒人の血を色濃く残す長身の偉丈夫で、極端に口数が少ないので誤解されやすいが、水雷畑一筋三〇年の古強者だ。『行く手にあるもの』を見れば、自分が何をしなければならないか、即時判断できるだろう。
「主砲、照準よし。本艦は砲戦を開始します」
ビューフォートの宣告と共に、メインスクリーンの中央部に八本の光の矢が現れる。ほぼ一秒と間を置かず、居並ぶ第一分隊全艦からも砲撃が開始される。
「各分隊旗艦より了解信号あり。第五分隊、戦線離脱します」
通信オペレーターの報告にサブスクリーンへ視線を送れば、第五分隊四隻が最大後進速度で後退してのち、左舷回頭して増速し、一気に近距離レーダーの索敵範囲から急速に離脱していく。その第五分隊の動きに対して、敵は分派などの対処はせず、あくまでも我々本隊との正面決戦に拘るようだ。
敵の砲撃は第一〇二四哨戒隊全体に満遍なく浴びせられるのに対し、こちらは分隊単位での集中砲火を徹底させている。砲撃精度の差はすぐに表れ、敵戦艦二隻がすぐに落伍し、残りの戦艦を防御しようと敵巡航艦分隊が複数密集して戦艦の前に出て、エネルギー中和磁場を展開し『壁』を作り始めた。
その壁を一枚ずつ剝ぎ取るように、我々は全艦の砲火をこれと定めた一隻に全艦で集中させる。一隻の巡航艦の発生する中和磁場に五隻の戦艦と二〇隻の巡航艦の砲撃が集中して無事でいられるわけがない。
「ドールトン。第五分隊が指定座標に到着するまでに、あとどのくらい時間がかかる?」
砲戦開始三〇分。新手の敵の足も止まり、戦闘は今のところこちらが優勢ではあるが、最初に遭遇した部隊の残存戦力が再編成を終え合流し、現時点で数の上では一七対三二とほぼ二倍の戦力差。これから時間を追うごとに敵の士気は向上し、後退・撤収より攻撃・殲滅に目標を変更するだろう。こちらは戦艦アーケイディアをはじめとした数隻の艦が被弾し、戦闘不能にはなっていないものの、疲労と消耗で部隊戦闘能力は確実に低下している。
「特段の支障がない限り、あと七七分前後と思われます」
端末を弾くことなくドールトンはよどみなく応えてくる。コイツ、もう計算していたな、と俺が視線を上げると、ドールトンは下目使いでそれに応じる。若干得意げに見えなくもないが、まぁそのくらいは許してやってもいい。
「砲雷長にレーヌ中尉を司令艦橋に上げるよう指示してくれ。任務は直下の水雷士長に代行させよ」
「了解」
ドールトンの復唱から二〇秒経たず。息を切らしたレーヌ中尉は司令艦橋に上がってきて、俺とドールトンに敬礼する。女性二人の間に軽く視線の火花が散ったように見えたが、俺は敢えて無視して司令席を左に回すとレーヌに指示を出す。
「再起動は三五分後。投げた『石』の再起動と最終軌道修正を、空いている情報参謀席でやってくれ」
「お任せください、隊司令! 敵のケ●の穴ど真ん中にぶち込んでやりますよ!」
「若い女の子が●ツの穴とか素面で言っちゃうの、ちょっとどうかなぁ……」
「興奮すると口が悪くなるのは、どうやらレーヌ家の遺伝のようであります!」
固く握られた握りこぶしを、まな板のような胸に強く叩きつけ、レーヌ中尉は挑戦的な上目遣いで俺とドールトンを見つめ応え、俺が席に着くよう手振りで促すと勢い良く敬礼して参謀席へと駆け出していく。どこかの中学か高校の運動部のマスコットガールみたいな後姿に、今度は司令席を右に回してドールトンを見上げると、毒気を抜かれた表情で肩を竦めている。
「……士官学校を優秀な成績で卒業したにもかかわらず辺境方面に流されたのは、もしかして『アレ』が原因なんじゃありません?」
「……家訓ではなく遺伝だって言うんだからまだ救われるよ」
「家訓だったら相当問題のある家庭環境です。学区のカウンセリング課か、児童相談所に通報すべき案件です」
もしかしたら帝国にはそういう組織はなかったのか、あるいは一家ごと匙を投げられてたか。それほど大きくない情報参謀席に小さな体を収めて、意気揚々カーソルを打ちまくる『鉄灰色』のショートヘアなレーヌ中尉を見て、猪(どっち)も記者(どっち)か、と思わざるを得なかった。
それから一時間ほどダラダラと砲撃戦が続き、敵は数を減らしつつも砲火に次第に勢いが出てきた。敵の戦艦は重度に損傷したのか、それとも指揮系統を維持したいのか、最前線には出てきていない。もっぱら砲撃は巡航艦に頼っているようで、こちらはゆっくりと後退しつつ戦艦の有効射程の長さを生かして、フェンシングのような戦いに終始している。
万が一の後退機動に備え、戦艦アーケイディアは同じく被弾損傷したステーレン一四号、ブルゴス四一号、それに第三分隊のスタージス六五号の三隻と共に、戦線を離脱させ、敵支援艦拿捕に向かった第六・第七分隊へ向かわせた。これで一三対三〇。戦線に参加している戦艦の有無を込めても、戦力としては二倍差を超えた。
戦線離脱した部隊を確認したのか、敵の戦意は明らかに向上している。陣形を球形密集からゆっくりと円錐突撃陣に。混成部隊故に動きは鈍いが、その行動は明らかだ。このままでいけば攻守逆転して第一〇二四哨戒隊は分断される可能性があるが……
「第五分隊より超光速通信。『攻撃開始・ゴミだらけ』、以上」
通信オペレーターの報告に、俺は自然と笑みがこぼれる。第五分隊先任オドゥオール少佐の遠慮ない短い通信文を聞いて、レーヌ中尉の小動物のような顔中にみるみる不機嫌の文字が増えていく。
それでも任務とわかっているので、レーヌ中尉はデコイ網に対し再計算と再起動信号を送る。索敵オペレーターもデコイの起動を確認し、第五分隊が全力攻撃を開始したことを報告してくる。
位置は戦艦ディスターバンスから見て一〇四四時、仰角一〇度。敵から見れば右舷上方有効射程内に、三〇隻規模の同盟軍哨戒隊が突然現れた形になる。しかもミサイル艦がミサイルを斉射した為、正面の敵は完全に哨戒隊規模の待ち伏せと誤解した。
「敵艦二隻大破!」
「本隊、中性子ミサイル発射せよ」
「発射管一番から八番。事前入力目標、推進出力最大、斉射!」
ドドンッという音と振動と共に、全ての艦首発射管から中性子ミサイルが放たれ、敵円錐陣の先端に向かって突進していく。これに対し敵はデコイでの対処で後れを取る。右側面からの奇襲に対応すべく、既にデコイを発射したばかりだ。再装填するとしても正面に我々本隊を見ている以上、発射管を迎撃にのみに割けないのは道理。
故に敵は正面からのミサイル攻撃に対し、砲撃による対処を行うしかない。しかし円錐先端部に艦艇が少ないのは自明の理で。集中的に浴びせられるミサイルを迎撃するにはあまりにも手数が足りず、先端部にいた巡航艦が数隻、一瞬のうちに撃沈してしまう。
「敵地で砲撃演習するマヌケな同盟軍哨戒隊」を挟撃するつもりが、まんまと誘い込まれて「挟撃」されたことに、敵の司令部は混乱している。先に後方にいた戦艦が、次いで円錐の底面近くにいた巡航艦分隊が、急ブレーキをかけたように速度を落とし、右四五度回頭を試みる。後進一杯での撤退ではなく右舷回頭して『両』部隊に対する防御。つまりそれは、現在位置で停止したも同然の話で……
「うすのろ野郎! くたばっちまえ!」
レーヌ中尉の艦橋中に響き渡るF語の叫びと共に、開戦当初、恒星ケルコボルタαの自転方向とは反対向きに最大加速で投射された中性子ミサイルが、巨大な重力に進路を捻じ曲げられ、制御可能なギリギリの速度で真後ろ下方から彼らに襲い掛かった。
敵部隊の中央部に現れた複数の爆発閃光を見ながら、レーヌ中尉は情報参謀席から立ち上がって、中指を立てた両腕を高く掲げ、小さな体を大きく伸ばして何度もF語を叫び続ける。掣肘するモフェット大尉は一つ階が下の戦闘艦橋にいるので、やりたい放題。流石に見ていられないので艦長席のビューフォートに視線を送ると、呆れ顔で右腕を前に伸ばし、人差し指で下の戦闘艦橋を指差している。
「……しばらくすれば、みんな落ち着くんじゃないでしょうか」
司令艦橋の高さまで飛んできた軍用ベレーの群れを見て、俺の横にいたドールトンは溜息交じりにそう呟くのだった。
◆
敵部隊は秩序ある後退から秩序なき壊乱へと陥っている。マヌケのフリをした有力な敵、挟撃位置に現れた新手、そして後方からのミサイル攻撃。全て合わせて『誘引による三方向からの包囲』と認識したのだろう。敵は組織的抵抗を諦め、手近の艦艇同士が小集団となって、個々に戦闘宙域を離脱していく。
「一〇二四、掃討戦に移行。微速前進。部隊再集結命令。目標、現在の敵中央重心点」
これ以上の戦闘はあまり意味がない。逆に組織的ではない動きによって、こちらが各個撃破の痛撃を受ける可能性がある。分散した第五分隊と拿捕に向かった第六・第七分隊、それに損傷した戦艦アーケイディアらに再集結を俺は命じた。
「アルテラ一一より、敵小型輸送艦一、小型工作艦一の拿捕に成功。現在曳航中。人員機材、損害なし。護衛の増援の要請あり」
「ノーズワーズ二一三より、デコイ回収の指示あれば実行可能とのこと」
「アーケイディアより、再集結せず一旦このまま第七分隊に向かうとのこと。優先修理権を要請しています」
ほぼ倍の敵と遭遇し各個撃破に成功。損傷した艦はあるが撃沈した艦はない。前線配備したてで指揮官が初陣の部隊としては、これ以上ない最上の出だしだ。それに士気の崩壊した敵が再編成を終え、戻ってくるにはそこそこ時間はある。
「アーケイディアのガーリエンス艦長に損傷艦の取り纏め指示。臨時第八分隊とし、艦長が分隊指揮せよ。第六・第七分隊と合流、護衛任務を兼ねつつ帰投。第八分隊の優先修理権は了解。ただし修理は巡航艦を優先で、アーケイディアは最後。巡航艦の順番はシツカワ中佐に任せる」
重傷のアーケイディアには悪いが、戦艦の長距離砲は脅しとして有効だ。敵の戦艦は大きく損傷しており、支援分隊の護衛に損傷しているとはいえ戦闘可能な戦艦が一隻いれば、敵も残存部隊も攻撃には二の足を踏む。
「第五分隊は一時間以内で回収可能なデコイのみ回収すること。それ以上は不要。自爆させること」
キャッチャークレーンなどの装備がある工作艇を持たないミサイル艦や駆逐艦では、内火艇を出して宇宙服を着た兵員が手でデコイを回収することになるので時間がかかる。第五分隊は時間的距離で二時間ほどの位置にいるから、あんまりのんびりしていると分裂した敵が第五分隊を襲いかねない。一時間以内と言えば、『手の届く範囲』での回収であるとオドゥオール少佐ならわかってくれるだろう。
「第一分隊全艦、艦載機発進。散開し周辺索敵を開始せよ」
戦艦の艦載機搭載定数は九機。第一分隊全部で四五機分の機材はあるが、移動中のアーケイディアを含めてパイロットは一八人しかいない。リスクも考えて各艦四ないし五人での運用だ。全機出せば取りあえず戦闘宙域の全球二〇光秒の範囲は索敵できる。稼げる距離的時間は約三〇分。
「ビューフォート」
俺が声をかけると、ベレー帽を脱いで頭を掻きながら、溜息交じりで俺の座る司令席の傍に寄ってきた。言いたいことは分かってますよと言わんばかりの疲れた表情で、軽く右手の指を額に当てる敬礼で応えてくる。
「『サンプル回収』ですな。了解ですがウチ(ディスターバンス)だけじゃ手が足りないんで、一分隊全部動員してください。統括指揮は当艦の警備主任でよろしいでしょうか?」
「『成分』データの方をまず優先してくれ」
「了解。医務長にも話を通しておきます。救助作業信号を発しますが、いいですね?」
「構わない。もし殴ってきたら、ご両親に代わってお仕置きしてやる」
「頼みますよ」
電波を発する以上、敵にも筒抜けになるぞという確認だろうが、救助作業信号を無視して襲い掛かってくるならば、サンプル品がミンチになるだけのことだ。一応の常識として戦闘の勝者側が敗者側の漂流者を救助する間は、攻撃しないという不文律がある。それで敵の正常性も確認できる。
「『サンプル』とは帝国軍の漂流者の事ですか?」
手を振りながら艦長席に戻っていくビューフォートの後ろ姿を見つつ、ドールトンは首を傾げながら俺に聞いてくる。俺の常識を疑っているというよりも、確認を込めて何故そういう言い方をするのかという疑問だろう。
「少し知りたいことがあってね」
「帝国軍哨戒隊のツーマンセル行動についてですか?」
「まぁ、そうだね」
「仮に佐官クラスの捕虜がいたとして、そのことを我々に話すでしょうか?」
確かにそれもある。マトモな帝国軍士官なら話すことはないだろう。それでもマリネッティ中佐の第一二九九哨戒隊が受けた被害はバカに出来ない。敵に合わせこちらもツーマンセルを採用するか、それとも打撃戦隊(哨戒隊狩り専門部隊)を投入するか。何らかの帝国側の情報を得られれば、第三辺境星域管区司令部が判断するだろう。
そしてそれ以上に俺が知りたいことは、まだドールトンには話せない。副官に隠し事をする必要はない……がどうしてもこの件に関しては、なぜか必要以上の情報をドールトンと共有したいと思えない。今のところドールトンが『そういう』奴らと繋がっている可能性など全くないにもかかわらず、だ。
「ま、試してみないことには何もわからないさ、ドールトン中尉。軍規に反して拷問して吐かせるつもりもない。帰路の時間もたっぷりある」
もしアレの中毒患者ならば、『なにもしないこと』こそが強烈な『拷問』になるのだから問題はない。輸血確認の為の血液検査は、共通の軍法で認められている。そこから身体検査、拿捕輸送艦の積荷と調べて行けるだろう。少なくとも警備主任マーフォバー大尉も医務長モイミール医務大尉も、ビューフォートのメガネには適っている『心得た奴』だ。ベラベラ喋ることはないだろう。
「それとドールトン中尉。悪いがひとつ別件でお願いしたいことがある」
戦闘中ずっと座っていた司令官席から俺が立ち上がるのを見て、ドールトンはよろめくように一歩後ろに下がった。なにかレーヌ中尉と同じような目に遭うのか、といった恐れが顔に浮かんでいる。色恋沙汰という恐怖でないのは、少しは信用されているのか、それとも呆れられているのかは分からないが。
「ど、どのようなお願い、でしょうか?」
「なに大したお願いじゃない」
俺は軍用ジャケットのポケットから、依頼された内容の書かれた紙を取り出して、ドールトンに手渡した。
「当艦が静止・投錨した位置から、この紙に書かれた銀河標準座標がどちら向きか、戦闘座標で算出してくれるとありがたい」
銀河標準座標は、旗艦を中心とする戦闘座標でもなければ恒星を中心とする星系個別の直交座標でもない、銀河水準面に対しての絶対的な座標位置になる。恒星は銀河系中心部を原点として公転しているのでその座標は刻々変わるわけだが、恒星の観測データ(データ採取も哨戒隊や巡視艦隊の任務であるけど)によって大まかには把握されている。
ただ計算が面倒なことが多いので、星系個別の直交座標を銀河水準面と最初から同値にする場合が殆どだ。過去の正確な宙点とは全く異なることになるが、超光速による恒星間航行技術が確立したこの世界においては天文学的な意味以外ない。航法の専門家であるドールトンにとってみれば、計算するのは大して難しい話ではない。
「了解しました。結果は直ぐにお持ちしましょうか?」
「時間は足りるか?」
「一〇分もあれば計算できます」
「では哨戒隊再集結後、各部署の任務が全て終わった段階。航路復帰直前あたりに教えてくれ」
「了解しました」
ドールトンが敬礼して、レーヌ中尉が座る情報参謀席の隣の航法参謀席に座るのを見て、俺は改めて司令席に腰を下ろすと、思いっきりリクライニングして戦艦ディスターバンスの艦橋天井を見上げる。時折内火艇や作業艇の姿が紛れ込むが、それ以外は第四分隊の巡航艦二隻の下腹部と幾つかの星が見えるだけだ。
「これが指揮官としての初陣だと言うのに……」
ケリムの第七一警備艦隊でも、マーロヴィアの特務戦隊でも、第四四高速機動集団でも、部隊を動かす参謀として働いたが、指揮官としての責任を持ったわけではない。各艦から戦死者の報告は上がってきてはいない。完全勝利と言ってもいいのに、なぜか心の中は高揚感よりも安堵感、安堵感よりも罪悪感が大きい。
ヤンがいつも戦闘終了後、勝利を祝う場面でも胃のあたりを抑えていたのは、こういう事だったのかもしれない。俺の右手も左腹の上に移動してジャケットの表面を掻いている。敵味方関係なく、この戦いに身を投じた将兵の生死についての責任は、全て俺と帝国側の指揮官が負うものだ。
「勝利してもあまり嬉しくないというのは、俺は戦闘指揮官に向いていないという事なのかなぁ」
誰にも聞こえていない位小さな声で呟くと俺は瞼を閉じる。瞼が再び開いたのはそれから三時間後。ドールトンに肩を揺すられたからだった。
「第五・第六・第七分隊全艦、合流完了したしました。平行長方体陣の形成も完了しております」
部下達が働いているのに寝るとは随分と暢気なものね、と呆れた顔のドールトンは直立不動で俺を見下ろしながら報告を続ける。
「工作艦を必要とする損傷艦は、戦艦アーケイディアと第三分隊巡航艦スタージス六五号のみ。戦死者の報告なし。重傷者三六名、軽傷者多数。帝国軍の捕虜は確認できる限りでの回収を終了。重体一二名、重軽傷者一三四名を含む、計四〇三名になります」
「かなりの数だな。捕虜の各艦への配分は?」
「アーケイディア以外の第一分隊各艦に一〇〇人ずつです。乗組員数の三〇パーセントを超えているので、マーフォバー大尉より全艦に分散配分するか、『拾った宝箱』に詰め込むか、『重要サンプル以外破棄』するか、ご検討していただきたいとのことです」
「シツカワ中佐はなんと言ってる?」
「『拾う時間がなかった』にしてはどうか、と」
マーフォバー大尉が捕虜虐殺を勧めるわけがない。シツカワ中佐としてはただ物資を消費するだけの捕虜など、補給計画の邪魔でしかない。二人とも敵の補給艦と工作艦を拿捕したのだから、詰め込んで送り返せという事だろう。精神がまともな部下で本当に良かったが、戦地での捕虜開放については軍規上問題もある。
「捕虜の扱いについてはモイミール医務大尉の報告を聞いてからにする。『先生』は何か言ってなかったか?」
「『肉料理(シュバイネハクセ)に忙しいので、カルテ作成にはあと四時間は欲しい』と、一時間前に仰ってました」
過去の戦傷で片目が義眼になっている老軍医の言葉に、俺は苦笑を隠せない。見た目は長髪白髪のおっかないマッドサイエンティストそのものだが、健全で強固な医道精神を持つ極めてまともな軍医だ。専門は外科でも脳神経外科らしいので、余計に怖がられているところはあるけれど。
「ではカルテが揃うまで捕虜の問題は棚上げだ。全艦通信。『一〇二四、針路復帰』」
「了解いたしました。それと例の方角ですが、現在位置より〇九〇七時、俯角四五.九度になります」
「俯角四五.九度……」
マイクを取って指示を復唱するドールトンを横目に、俺は自分の左足を見つめる。ドールトンの顔を見る限りなんのことかたぶん分かってはいない。もし意味を調べた上で敢えて無視してくれるというのなら、その配慮に感謝したいが……
「ビューフォート! 戦艦ディスターバンス、マイナス四六度、ロー(ローイング)」
「アイ・サー。航海長、マイナス四六度、ロー!」
人工重力のおかげで、メインスクリーンに映る艦艇が左から右に動いていくのに、足元は子揺るぎもしない。司令席から立ち上がり、司令艦橋の左舷ウィングへと足を進める。ドールトンが首を廻して付いてこようとするが、俺は手でそれを制した。ウィングから見える左舷スクリーンには、第四分隊の巡航艦ブルコス四二号の右舷上面が僅かに映っているだけ。後は僅かばかりの星々のみ。
腹黒親父に言われるまで気が付かないなんて、俺は本当にどうしようもない奴だと自戒しつつ、踵を揃え背筋を伸ばし、目を正眼として肘を高く掲げ、何もない空間に向けて敬礼する。
果たして見ていてくれたかは分からないが、少しは成長の足跡を披露出来たのではないかと想いを込めて。
後書き
2025.05.04 更新
モフェット大尉(砲雷長) CV:小川真司
シルヴィ=レーヌ中尉(水雷長) CV:井口裕香
ヴァーヴラ中尉(砲術長) CV:林 一夫
マーフォバー大尉(警備主任) CV:山崎たくみ
モイミール医務大尉(医務長) CV:天本英世
オドゥオール少佐 CV:仲木隆司
第116話 辺境病
前書き
いつもありがとうございます。
前回銀座のクラブでの銀英伝公式ポータル出張グッズ販売に行って、公式さんといろいろ
お話しさせていただきました件ですが、その件をお便りにしたところ、『公式さんと語ろう』
(ニコニコ・137回)で紹介していただきました。
宇宙暦七九一年 一〇月二五日 パランティア星域ケルコボルタ星系より
第一〇二四哨戒隊が航路復帰して三時間。時間通り真っ白な医務士官服に身を包んだモイミール医務長と警備主任のマーフォバー大尉が、それぞれ報告書を持って司令艦橋に上がってきた。
「捕虜の生体状況は一通り確認した。重体者一二名は患者本人が選択しない限り、まず命に問題は無かろう」
筋の通った鷲鼻にギョロっとした目付き、肩まで届く白髪交じりの長髪。一九〇センチを超える長身だが、肌は白く肉付きが薄いので、白髪の骸骨が動いているように見える。
「他の負傷者も順次処置を行っている。問題はスペースだ。捕虜だからと言って重傷者を狭い貨物室や営倉に放り込んでいるのは、医療・精神の両衛生上から言ってもよろしくない。どうにか改善は出来んのか?」
「先生の仰ることもわかりますが、捕虜という立場上、彼らに対し厳重な管理は必要です」
苦虫を噛み締めたような渋い表情でモイミール医務長に、マーフォバー大尉が応じる。三〇代前半中欧系の、太く長いもみあげと左眼の上下から伸びる戦傷が良く映える偉丈夫で、肩から吊るすタイプの腕章に描かれたMPの文字をより輝いて見える。
「ですが小官としても捕虜の管理については問題があると考えます。隊司令にはご確認の上、速やかなご判断をいただきたく」
「二人の意見は理解しているつもりだ」
両者ともとっとと捕虜を各艦に分散するなり輸送艦に詰め込むなりして対応しろと言っているのは分かっている。しかし報告の内容次第ではどうにもならないかもしれないことも確かだ。
「先生。血液検査の方はどうでした?」
「三八人。約九パーセントだ」
「はぁ?」
思わず口を開けたマヌケな表情のままマーフォバーに視線を移すと、首と顎が筋肉で結びついている大尉は厳しい目つきで頷いて応えてくる。
「検出者は特定の艦に集中しています。把握しているのは三隻。戦艦ツェルニッツ、巡航艦ベルネッケⅢ、巡航艦ビフーゼンⅦ。いずれも初手にぶつかった哨戒隊の艦です」
「階級は?」
「上級幹部から二等兵までです」
つまり汚染は将兵の個別ないし艦単位の連帯組織というレベルではなく、哨戒隊単位という事だろうか。マリネッティの第一二九九哨戒隊を攻撃した時と同じように、基本をツーマンセルとし先制攻撃する側の哨戒隊を麻薬汚染させ、彼らを犠牲に同盟側哨戒隊を磨り潰すというかなり非人道的な戦術構想なのか。
帝国と同盟では明らかに国力の差がある。特に人口比はほぼ二対一。専制国家末期の軍隊らしく、将兵に対する損耗を厭わない戦術を取ることは充分に考えうる話だ。
「後手にぶつかった哨戒隊にはいなかった、でいいか?」
「残念ながらそちらは爆沈した艦が多く、捕虜自体が少ないというのが正しいです。全体では九パーセントですが、哨戒隊ごとに分けると初手側は一五パーセントを超えます」
「そうなるともはや軍隊としての機能は維持できんじゃろう。まず命令系統がまともに機能しなくなる」
医師として嘆かわしい事だと首を左右に振るモイミール医務長と、警備主任の立場上相当ヤバい辺境の現実に苦悩するマーフォバー大尉の、両対称な容姿はいっそ見事なほど。しかし、これで迂闊に捕虜を見なかったことすることもできなくなったのは明らかだ。
「鹵獲した艦の艦長を尋問すべきだと思う。二人の考えを聞きたい」
「当然じゃろうな。艦の中身に、私は大変興味がある」
「医務長に同意します。すでに離脱症状が出ている者も数名おります。一分隊で管理していない拿捕艦の乗組員にも再度『調査』が必要と考えます」
大きさから言えば両艦とも一〇〇人未満であろうが、哨戒隊単位で薬物汚染が広がっているとすれば、薬物の管理を各艦で行うより後方で一纏めにして管理していると考えるべきだろう。二隻を拿捕したシツカワ中佐から特段の報告がない以上、乗組員は『清浄』なのだろうがそれはそれで悪辣極まりない話だ。
「第六のサイニャーソン中佐と第七のシツカワ中佐の面子をつぶすようで悪いが、本隊から乗込隊を送り込んでもう一度輸送艦と工作艦の中身を精査する」
第七分隊は後方支援艦の分隊なので、鹵獲した相手へ武力で乗り込むだけの陸戦要員はいない。護衛についていた第六分隊も嚮導駆逐艦一隻と駆逐艦三隻で編成されていて、やはり陸戦要員はほとんどいない。元々退避行動をしている彼らに無理を言って拿捕を命じた手前、調査に不足があったからといって責めるわけにはいかない。
「マーフォバー大尉、一分隊から選抜で隊を編成してくれ。全員装甲戦闘服を着用。指揮は貴官に任せる。モイミール先生は検査薬と拘束着と自白剤の手配を」
「自白剤を使うのは正直感心せんが、相手が薬物犯罪となれば致し方なし、なんじゃろうな」
医師としては生死にかかわる自白剤の使用は到底認められない。が、相手がこの世界で一番危険な薬物犯罪である以上、容赦するわけにはいかないのも事実。不承不承といった体で頷くモイミール医務長と、拳を握り締めて計量前の格闘家のように頷くマーフォバー大尉はやはり対照的だ……これで俺の後ろでずっと黙って立っているドールトンに白のカラマニョールを着せ、後ろに黒く塗った装甲戦闘服を並べたら、ここは怪人組織の巣しか見えない。別に俺は赤いマントを着ているわけではないが。
「よし、では仕事にとりかかろう。七分隊と鹵獲艦は一分隊との並走位置まで前進。鹵獲艦に対しては六分隊が二隻ずつ接舷。乗込隊はシャトルで六分隊の艦より鹵獲艦に乗船。圧縮通信で指示を出せ」
「了解いたしました」
結局『仲間はずれ』には出来なかったドールトンがほぼ無表情で敬礼して、ビューフォートが座っている艦長席へと駆け出していく。その後ろ姿を見ながら、俺は残った怪人組織幹部二人に言った。
「証拠品の管理も二人に任せるが、味方を騙すくらい慎重に行え。コンマ以下でも証拠品が減っていたら、哨戒隊全員の身体検査を行う覚悟で頼む」
だが俺がそう言った後、敬礼する二人の顔に微妙な雰囲気が漂っていた。彼らが司令艦橋を降りて、代わりに戻ってきたドールトンにそれを聞くと、少しだけ肩を竦めた上目遣いで応える。
「失礼ながら今の隊司令の顔は、何処から見てもマフィアの若ボスにしか見えません……」
部下の薬物に対する軍規の徹底のはずが、組織のブツを横流しする奴がいたらケジメつけろ、と解釈されたことに深い溜息をつかざるを得なかったが、その五時間後、戦艦ディスターバンスの小会議室に最敬礼する二人の中佐を迎える羽目になるとは思いもよらなかった。
「大変申し訳……ございませんでした」
東南アジア系のサイニャーソン中佐と、懐かしい極東アジア系のシツカワ中佐の、二人の小柄な体型がより小さくなっているように見える。部屋には二人以外の各分隊指揮官、戦艦インプレグナブルのファルクナー艦長、ビューフォート、モイミール医務長、マーフォバー大尉、そしてドールトンと揃いも揃って高身長なので、唯一座っている俺以外が二人を包み込む壁のようになっているので、吊し上げの査問会議に見えてくるのは仕方ない。
「いや二人にそこまで謝ってもらうことはないよ……」
確かに落ち度と言えば落ち度だが、マンパワーの不足に加え、目的をもって探し出すことがなければ、『ブツ』を見つけることは不可能だろう。輸送艦・工作艦それぞれに搭載された外装塗料大型缶(未開封)の中に浮かんでいるなんてベタな隠し場所だが、そもそも開けて見なければ分からないから拿捕時に確認することなどできない。
しかも予想通りというかなんというか、輸送艦と工作艦の乗組員の誰もがその事実を知らなかったという。流石に保管・管理していた両艦長は知っていなければおかしいはずだと、取調室で事実に困惑する艦長達にしびれを切らしてマーフォバー大尉が自白剤を打ち込んだが、得られた結果は戦艦ディスターバンスの入院患者が二人増えただけだった。
「中毒になっている捕虜の証言では、各艦の機関部や船務部の人間が薬物を取り仕切っていたということですが……」
哨戒隊規模での薬物汚染でありながら、統括管理する人間が居ないという不思議さ。かなりの量の薬物に対して、動いた金の規模の小ささ。取り仕切っていた者とされる人物が戦死(機関部は意外と死にやすい)している為に全容が掴み切れない。マーフォバー大尉の米神には血管が浮かび上がっている。
「輸送艦・工作艦の乗組員全員に対する、自白剤を使用しての取り調べを行いたい、と小官は考えます」
「それは無茶だ。うそ発見器でも反応がなかったのに、無理に使用して本当に死者が出たらどうする」
当然のようにモイミール医務長が反発する。
「何らかの根拠を持っての使用ならともかく、根拠もなく生死に関わる薬剤の使用は捕虜殺害・虐待に相当する。君は隊司令に汚名を着せたいのか?」
「しかし現実にサイオキシン麻薬が存在しております。それこそ打撃戦隊の乗組員全てを廃人にするくらいの量です。それを辺境の一哨戒隊が保有している時点で、おかしいと思いませんか?」
少数の兵が自分達の間で使用する分を所持している、あるいは小組織の売人が介在して辺境からも金を巻き上げているというのであればまだわかる。しかし量が尋常ではなく、それでいて管理者がいないという。取り纏め役が戦死したというのならわかるが、薬だけ残して死ぬような危険性のある場所にいるのは、あまり納得できる話ではない。
「いずれにしてもこれは帝国軍の話です。我々としてはこの事実を記録として残し、今後戦局に与える影響を含めて検討すればよろしいのではないかと思いますが」
第二分隊司令兼嚮導巡航艦ヴァールーバ一〇二艦長カンナスコルビ中佐がそう提案する。一分隊が全艦撃沈した場合、一〇二四哨戒隊は彼が指揮を執ることになる。北欧系の大柄な体格と、短く切り揃えたブラウンの頭髪は一見すれば陸戦要員を思わせるが、中身はバリバリの巡航艦乗り(船乗り)だ。
「いや事はそう単純じゃない。需要に見合わない量を誰も管理していないわけがない。金にすれば相当なものをただの積み間違いというのは流石におかしいだろう」
カンナスコルビ中佐の隣に立つ第三分隊司令兼嚮導巡航艦シェリダン九八艦長チェ=シウ中佐が反論する。ことさら痩せて見えるが、それは余分な脂肪が体に付いていない引き締まった筋肉質のアジア系で背も高い。先任順がカンナスコルビ中佐の次になるが、それを本人も強く意識しているらしく、それが部下にも伝播して第二・第三分隊の対抗意識は、他のどの分隊よりも強い。
「じゃあこの辺境に取引先がいるとでも? いくら命知らずの宇宙海賊や麻薬取引業者とはいえ、両軍軍艦がウヨウヨいるこのド辺境にわざわざ出てくるわけがないと思うがな」
チェ=シウ中佐の向かいに立つ第四分隊司令兼嚮導巡航艦ヴァールーバ一〇九艦長パストル=フラビオ=テジェス=サマニエゴ中佐が肩を竦めて応じる。顔や肌にラテンの血が強く出ている美丈夫で、髪は見事なブロンドで頭の後ろで一纏めしている。正確には容儀違反になるが、毎日髪と髭の手入れをすることを条件に認めたので、俺に対して微妙に恩義を感じているらしい。
「同盟軍だろう」
そして言葉少なげに一番言いにくいことを、オドゥオール中佐(第五分隊司令)は言ってのける。この場にいる誰もがうっすらと感じていたこと。明らかに辺境最前線の要地における緊張感とは別物の、第五四補給基地将兵の秩序のなさと士気の不安定性。暗い倉庫のカビのような陰湿さ。士官学校卒であろうと、専科学校卒であろうと、叩き上げであろうと、ドールトン以外は一つの組織の長として鋭敏なアンテナを有している。
軍規によれば戦闘部隊が交戦中に敵の支援艦を拿捕した場合、その管理はまず最先任戦闘部隊指揮官の統制下となる。指揮官より命じられた輜重官(大抵は補給参謀相当)が、拿捕した艦艇の本体・資材・物資を調査・集計し、より上層部隊からの指示がない限り部隊根拠地に至るまで保持する義務がある。また現場で消費する場合は緊急時の必要に迫られた場合のみで、それもまた集計する必要がある。
勿論そんな余裕はないと現地で廃棄処理される場合もある。拿捕した艦の回航要員が足りない場合は、シャトルや内火艇に捕虜を移してから艦を撃沈する。その権限も先任指揮官に与えられているが、やはり記録は残さなければならない。だが戦闘が連続する上に、司令部に余剰人員がいない辺境星域において、そういった記録や集計はおざなりにされることがしばしばだ。
もし仮に同盟軍が帝国製サイオキシン麻薬の顧客であるとした場合、帝国側が得る利益とは一体何か。『運搬業者』が軍隊なのだから、反社会的戦力が欲する武器・弾薬という筋はない。当然のことながら同盟の通貨が使用できる環境ではない。
有用な鉱産資源というのもなかなか難しい。第三辺境方面管区内に有望な鉱山惑星は無いわけではないが、安定生産できるようなプラントを設営できる『治安環境』にはない。勿論赴任したての我々が知らない、秘密の鉱山等があるのかもしれないが。
「取引材料として考えられるのは軍事機密情報だろう。第三辺境方面は主攻ルートではないが、イゼルローンへの大規模攻勢を主力制式艦隊が行うに際し、援護攻勢をかけるルートではある。それにアルレスハイム星域を突破出来れば、イゼルローン回廊の出口に辿り着ける」
俺の左横に立つ次席指揮官兼戦艦インプレグナブル艦長のファルクナー中佐が、話の先を読んで応える。中佐の言うように、逆に言うと辺境にある同盟軍にはそれぐらいしか取引材料になるものはない。三〇隻前後の哨戒隊にとってみれば、六〇〇隻前後の独立部隊も二〇〇〇隻を超える高速機動集団も、死亡フラグ以外の何者でもない。
「両軍辺境哨戒隊間で『握り』を行っている可能性がありますな。それを薬物が仲介している。安全と利益。双方に抱える共通の秘密」
伸びた無精ひげをひと撫でしながらビューフォートが皮肉っぽい笑いを浮かべる。同盟軍に限らず、帝国軍でも辺境の哨戒隊の役目は『カナリア』だ。お互いの大規模攻勢について、中央に黙って事前に仲間内の間だけで情報を交換し、被害を減らそうと画策する。その上で双方の通謀がバレないように薬物という特一級の縛りをかけておく。
帝国軍の内情までは把握できないが、サイオキシン麻薬は化学合成によって製造される合成麻薬であるので、原材料と製造機械とエネルギー源さえあればどこでもできる。それこそ辺境のどこででも、だ。ただし哨戒領域内に固定された工場を造るのは難しい。考えられるのは大型工作母艦か哨戒領域より少し後方の領域……
「この状況を知る全員に対し、箝口令を敷く」
俺は強烈な悪寒を背中に感じつつ、席から立ち上がって居並ぶ哨戒隊幹部達に告げた。
「他の哨戒隊および補給基地関係者に状況を聞かれた場合、『帝国軍内では薬物汚染の可能性がある』以上のことを話してはならない。それは『捕虜の感染症確認の為の血液検査』で判明した」
薬物汚染された捕虜を獲得した以上、そこは誤魔化すことは出来ない。どうもそうらしい、だけであるならばどこでも『ありうる』話で済む。
「マーフォバー大尉。乗込隊には特に厳重に箝口令を敷くこと。完全独立のカメラで薬物を確保したところまでの映像と『防水袋に包まれた袋』は一つを証拠として保存すること。保管も貴官に任せる。報告書の提出は私の一存による」
「箝口令と証拠保存、了解いたしました」
音を立てて踵を合わせ、マーフォバー大尉は俺にキッチリとした敬礼を返す。
「モイミール医務長。薬物依存の捕虜の血液等から、薬物の種類の識別は哨戒隊内で可能か?」
「薬物がサイオキシン麻薬であることに間違いないが、隊司令が知りたいのは不純物解析の方じゃな? 純度にもよるが可能かもしれん。輸送艦内にある分析機を貸してもらいたい」
顎に右手を当て小さく頷くモイミール医務長の言葉に、全員の視線が小柄な中佐に集中する。
「シツカワ中佐」
「承知いたしました。速やかに用意し、ディスターバンスに搬入いたします」
「それと拿捕した帝国軍輸送艦の兵器類・『未開封の外装塗料大型缶』も含めた軍事資材はすべて破棄する。工作艦より工作班を選抜し、奪取したレーザー水爆の連鎖自爆による破壊処分を行うこと。空いたスペースに捕虜を詰め込む。生活物資・食料品はそのままでいい。マーフォバーは乗込隊ごと輸送艦に乗り込み、シツカワ中佐指揮下で捕虜の管理を行うこと」
「拿捕輸送艦への処置、了解いたしました」
シツカワ中佐は敬礼ではなく最敬礼で俺に応える。
「第一分隊の各艦は、捕虜を拿捕輸送艦へ移送。その際各艦より衛生兵資格者を五名、船務要員五名を選抜し、マーフォバー大尉指揮下で捕虜管理を生活・医療面より補助せよ」
「了解です。腕っぷしの強い奴から順に集めてやりましょう」
皺の寄った顔を少しだけ緩めて、ファルクナー中佐が応える。
「分隊各指揮官はこの件について、各艦艦長には帝国軍捕虜に薬物依存者がいたことのみ話すこと。薬物が拿捕艦で大量に発見・確保、また破棄された話は一切不要だ」
「承知しました、隊司令」
カンナスコルビ中佐が代表して応じると、他の五人の中佐もそれに合わせて俺に目礼する。取りあえず今ここで打てる手はこれくらいだろう。後は第五四補給基地に戻るまでに決めるか、着いてから判断すればいい。そう思い、居並ぶ一同をもう一度見回す。ドールトンの顔は真っ青だし、ビューフォートもいつになく真剣な目付きだ。分隊指揮官達もそれぞれの顔に緊張が浮かんでいる。ただしいずれの視線の先にも俺がいて、次の言葉を待っている。俺は溜息を大きく一つ吐いてから、師匠譲りの顔面操作で笑顔を浮かべて彼らに告げた。
「私はしばらく『自分の戦闘指揮能力に自惚れるバカ』になる。誰に聞かれてもそう応えるように。いいね?」
ドールトンを除く一同の顔が皮肉っぽい笑い声と共にほころぶのだった。
◆
ケルコボルタ星系より第五四補給基地までの復路は、往路に比べると安全だった。一度ならず帝国軍哨戒隊をその哨戒範囲内に捉えることはあったが、接近してくるまでもなくまた挑戦信号も打ってもこないので、お互いにスルーする形で通り過ぎていく。
また将兵の士気は高い。途中の星系で何度か陣形変更訓練やFASを行ったが、俺としても満足できる動きを見せており、厳しい訓練が先の勝利に繋がったことの理解が浸透しているように見える。
そんなこんなで一一月一二日。第一〇二四哨戒隊はほぼ予定通り、一隻も欠けることなく逆に二隻増やして第五四補給基地に帰投した。補給基地のドックに入るほどの重損傷艦は、舷側砲を喪失した戦艦アーケイディアだけ。それも構造体への損傷がないことから応急処置部分の交換のみ入渠四日という連絡がドック部から帰ってきた。
「お前さんが先月着任した若造の隊司令かい。出動前に会えず悪かったな。ドック長のサトミだ」
第三辺境星域管区司令部に一部抹消した報告書を送信後、戦艦アーケイディアが入渠している第一整備ドックの展望室で船体補修に勤しむ姿を見ていたところを、俺はドック長に捕まり執務室へと引きずり込まれた。機材や工具それに論文雑誌が並ぶ執務室というよりは工科大学の教授研究室のような雰囲気で、頭が薄い間違いなく前世の俺やシツカワ中佐と同じ極東アジア系の初老の技術大佐が、人の良さそうな笑顔を浮かべ、太い指で手首を掴んで無理やり握手してくる。
「Bコースを行っていきなり敵と遭遇とはなかなかツイてないな。ここ数年敵との遭遇回数はあっても、交戦件数は少ないコースだったんだが」
座りなさいと、腰が引けてる出席数の足りない学生に諭すような学科教授のように、俺の両肩に手を置いてくたびれたソファに押し付ける。現場上がりの技術士官らしい力強い圧しに、俺も肩を丸めざるを得ない。
「まぁ、それで一隻も失うことなく、拿捕艦二隻に捕虜四〇〇人以上とは豪運だ。で、お前さんは士官学校の首席卒だって?」
オブラックか、それともギシンジ大佐から聞いたのか。名前さえ知っていれば、大佐ほどの高級士官なら士官学校卒業名簿を当たれるから自分で調べたのか。いずれにしても人の良い笑顔の中心にある両目に、僅かに宿る猜疑の色はごまかしようがない。
「えぇ、まぁ。名簿をご覧いただければ」
お前が疑っているのは分かってるぞと、俺も薄ら笑顔で応じる。
「指揮官として初めての指揮で、これだけの大勝を得られたのはまさしく運が良かったと言えるでしょう。ただそれは部下が小官の指揮に過不足なく従ってくれたおかげであるとも思っております」
「実に教科書通りの回答だな。なるほど貴官が士官学校首席卒業は疑いようもない。いや失礼した」
ハハハッと鼻で笑いながらサトミ大佐は、前世でよく見た電気ポットから急須にお湯を注ぐ。緑茶のふくよかな香りが、俺の嗅覚をやわらかく刺激する。この世界に転生してからほとんど嗅ぐことのなかった懐かしい匂い。
「ほう、この香りをご存知のようだな。流石、交流関係も広いと見える」
俺の分の茶碗を目の前に置きながら、サトミ大佐は相対したソファに腰を下ろす。
「タフテ・ジャムシード産の玉露だ。これを味わうと他の緑茶は、ただの緑色の飲み物に過ぎないな」
「なるほど」
ハイネセンではマイナーな商品だがスーパーでも購入できる。だが見るからに特級品の『それ』が目の前にある。誘導弾をはじめとする軍事物資ですら輸送が滞りがちな辺境の補給基地にあるのはなかなか興味深い。嵩張るものではないので、食料品などの生活物資や郵便物と共に軍事郵便で運ばれてきたのだろうが、明らかにイイ値段がつく商品だ。もし私物として軍委託の星間輸送会社など利用しようものなら上乗せされる輸送費も半端ない。
「年老いた辺境の技術士官の戯言と思って聞いてくれるか?」
年老いたというにはまだ早い。壮年というべきサトミ大佐は一度湯飲みを傾ける。
「この辺境ではな、敵は教科書通りには動いてくれん。制式艦隊のようなまともな敵はまずおらん」
それは規模によって見える景色が違うという事だろうか。アスベルン星系でもアトラハシーズ星系でも帝国軍の艦隊は充分にまともな訓練を受けていた。特に第四四高速機動集団をアトラハシーズ星系で待ち構えていたのは銀河で五指に入る用兵家であり、その指揮下の部隊は三方から包囲されようと戦列を乱すことのない、重厚で規律の整った精鋭だった。
「味方の犠牲など厭いもせん。遭難救援信号を発信ながら、伏兵を忍ばせるなど可愛いものだ。捕虜交換と偽ってゼッフル粒子を詰め込んだ輸送艦を送り込んできたことすらある」
「……なるほど」
だがそれは規律の問題だ。交戦規定に反する行動であるならば、『それなり』に対処すればいいこと。遭遇する前に教えてくれたのは、士官学校のお坊ちゃまに対するサトミ大佐の親切心と思いたいが、マーロヴィアでその類の話は嫌というほどブラックバートの頭領から聞かされている。
「ちなみにこの管区では捕虜交換が頻繁に行われているのでしょうか?」
二〇〇万人といった大規模なものでないことは理解できる。それでも捕虜交換となると手続きが相当面倒なはずだ。敵地での戦傷病死も含めて、捕虜のリストを作るだけでも大変だろう。そもそも誰が管掌しているのかすら定かでない。一概的には捕虜を得た哨戒隊の上位組織である第三辺境星域管区司令部になるだろう。それほど積極的に行動する司令部とも思えないが……
「結構頻繁に行われておるよ。哨戒隊は行って戦う度に捕虜は得てくる。勿論勝ち負けは半々だから、こちらから捕虜になる者も当然おる。そしてお互い辺境警備の基地は手狭だ。早いうちに交換した方が面倒なくていい」
「しかし捕虜交換は上位組織の専権事項でしょう。こちら側でも捕虜のリストの作成が必要です」
「そのあたりの面倒事は参事官のオブラックがやっておる。だいたい一〇〇〇人位になれば、拿捕した非武装艦艇に詰めて送り返す感じだな」
「オブラックが?」
そもそも補給基地内部の統制すらまともに取れない(あるいはわざととってない)参事官がそんな面倒事を請け負っているのはいささかおかしい。労力の面からも、能力の面からも、権限の面からも。だいたい第七一警備艦隊では皮肉ばかり言うだけで、実務は部下に投げっぱなしに近い処があった。
それに一〇〇〇人の捕虜がいれば、一〇〇〇人分の名前、階級、所属部隊、捕虜になった期日、兵科、出身星系、戦傷病死の状況を纏めなければならない。捕虜を得た哨戒隊の報告をそのまま鵜呑みにして、ただリストを作成しているだけというならば、仕事をしていないのと同じだ。捕虜と面談し、報告された内容に矛盾がないことを確認し、特に重要な機密を持っていると思われる捕虜については別途後送し、帰還希望の有無を確認する。
それだけ見てもどれだけ部下がいるか分からない補給基地参事官に出来る事とも思えない。エコニア捕虜収容所の参事官だったヤンの部下といえば従卒のチャン・タオ一等兵だけで、協力者としてパトリチェフ大尉がいた。パトリチェフに匹敵するような有能な部下が、オブラックの下にいるのだろうか。もしそうならばこの補給基地の惨状と大きく矛盾する。
俺が疑念をもって腕を組んで眉を顰めたのを見て、最初は含み笑いを浮かべていたサトミ大佐は、次第に肩を揺らして部屋中に響き渡るような笑い声をあげた。
「なるほどオブラックがお前さんを『運とコネがあるだけのボンボン』と言っておったが、お前さんの方でも『無能非才の女誑し』と、そう思っていたというわけか。なるほど、なるほど、ハハハッ」
音を立てて、太い太腿を包んでいるスラックスを叩き、腹を抱えて笑う姿は、居酒屋にいる壮年のおっさんそのものだ。
「オブラックの言うように、お前さんが『ただのボンボン』だとは、私は到底思わんよ。運とコネだけでは士官学校首席にはなれんし、コネだけではその若さで先任中佐には到底なれん。だが同時にな、オブラックもただの『無能非才の女誑し』というわけでもない」
「それはまぁ、そうでしょうが」
補給基地の現在の惨状が証拠ではないかと思うが、俺の知らないオブラックの数年をサトミ大佐は知っているのだから、一概に否定はできない。
「お前さんは前職でっ、どう思ったかは知らんが、あぁ見えてオブラックはっ、人を使うのが実に上手い」
まだ可笑しさがぶり返してきたのか、ところどころで痞えながらサトミ大佐は応えるが、流石に辛くなってきたらしく、数度の深呼吸で息を整え、残りの玉露を飲み干して気持ちの落ち着きを取り戻した。
「どこが自分にとって重要なポイントかを見抜き、関係する人が欲しがるものを見抜き、言葉巧みに自らの仲間や部下として引き込んで、その能力を自分のモノとして使っていく。その手口はなかなかのものだぞ?」
サトミ大佐の言葉に俺は背筋に嫌なモノを感じた。つい最近まで同属の中でも究極の生命体の近くにいただけに、オブラックが卑小に見えていただけなのかもしれない。しかしサトミ大佐の言うとおりであるならば、この補給基地における不作為はどう説明できると言うのか。
「ただ自分の利益にならない相手には実に無関心だ。特に性別はオブラックにとって極めて重要なファクターになる。そういう意味では貴官が女性でなくて本当に良かったな。もしそうなら今頃、彼ご自慢のベッドルームで横になっていたかもしれん」
想像するだけに気色悪い話だが、頷ける話でもある。ケリムの時も女性を近くに侍らかしていた。ドールトンもその一人であったし、今でも狙っている可能性は十分にある。それは性欲的な目的もあるだろうが、それとは別にドールトンの持つ能力と情報を欲している可能性が高いということか。
同属の怪物との違いは、自分の利益にならない相手すら『利益を生み出すように』操ろうとするか否かだろう。これは根本的な能力のボリュームの差だ。そのあたりは自分の能力の限界というものをオブラックは自覚しているのかもしれない。そして自身の欲望が性欲的なものに片寄っているのも恐らく自覚している。原因は何かわからないし、理解したいとも思わないが、それを武器として最大限利用している。
だからこそギシンジ大佐のようなマッチョで自分の能力に自信を持っている男性は明らかに好みではないし、俺のような『運とコネを持っている』自分より若い同階級の男性士官など敵同然に見えているのだろう。第一〇二四哨戒隊にはそれなりに女性の高級士官がいる。特にドールトンは旧知だ。自意識過剰かもしれないが、俺を貶める為に遮二無二手を伸ばしてくる可能性は十二分にある。
「大変面白いお話を伺えました。ありがとうございます。サトミ大佐」
「少しは蒙が啓けたかね? ボロディン中佐」
「えぇ、そうですね。人付き合いの難しさというのは、場所それぞれであると改めて認識できました。良い勉強になりました」
「そうかね。まぁ技術的なモノ以外で士官学校首席に何か教えられたものがあるとすれば、私の経験もなかなか捨てたものではないというものだ。ここにはいつでも足を運んでくれると嬉しいがね」
俺が席を立つと、サトミ大佐も席を立って手を伸ばしてくるので、年配の老士官に深い敬意を表する好青年士官の笑顔を浮かべ、その手をしっかりと握りしめた。
周辺視野の隅にある本棚の一冊。とある化学合成に関係する分野の論文冊子の背表紙に俺が気づいていないと、はっきり認識させる為に。
後書き
2025.05.18 更新
サトミ=ハジメ大佐 CV:坂下光一郎
第117話 名誉
前書き
いつもお世話になっております。
中々次の出撃迄話を持って行くのは難しいと思った次第です。
意外と辺境編は、憂国編の倍くらいになるかもしれません。
辺境編は現在の想定では2部構成なんですが、いいところで巻いていかないと
Jr.が中将になれないままになりかねないです。
もうGQuuuuuuXにはこりごりです。今回も寝る前になんてもの見せやがるんだ。
(シツカワ中佐のイメージがもうシイコ=スガイにしか思えなくなって)
宇宙暦七九一年 一一月一七日 シャンダルーア星域アルエリス星系 第五四補給基地
最初の出動から帰還して五日後。第三辺境星域管区司令部より、次の哨戒作戦行動指示が出た。指示されたのはEコースと呼ばれ、Bコースに比べれば帝国軍との遭遇確率は高いものの、比較的平穏な領域と言われている。
一応見るに値する軍用航路図は情報として補給基地にも確保されているので、麾下各艦長に出動予定日時と生活物資の積込と艦艇の最終整備確認を指示してから、哨戒コースの計画立案している時だった。
「ボロディン中佐はいるか?」
ノックもせずギシンジ大佐が俺の執務室の扉を勝手に開けて入ってくる。部下とのコミュニケーション強化という事で、俺が在室中は艦長室に鍵をあえてかけてはいないのだが、普通はマナーとしてまずはノックをするか、扉横のヴィジホンで官姓名をドールトンに告げてから入ってくるはずだ。たとえ上位者であっても。
だが珈琲を片手に眺めていた航路図の、机上三次元投影アタッチメント越しに見えるギシンジ大佐の顔は、一月前に見た野卑だが鷹揚な先任指揮官とは異なり、厳しい目つきと僅かな殺気を纏っていた。予定通りであれば大佐の第一〇九八哨戒隊は本日基地帰還予定だったから、帰港したその足でここに来たという事か。
「どうされました、ギシンジ大佐」
相手は先任で大佐である以上、無礼ではあるにせよ応対の必要はある。俺が勧めるまでもなく勝手に手前の応接ソファに腰を下ろしたギシンジ大佐を横目に、ドールトンに珈琲の追加を頼むと執務机を回って大佐の目の前に座るが、大佐は腕を組んで目を瞑ったまま何も応えない。
九〇秒後、ドールトンがまったくの無表情で応接テーブルの上に並べてから、俺に視線を向けたので右手を上げて退室を促すと、ドールトンは小さく目礼してお盆を持ったまま、扉の向こうへと消えて行く。
「……あの小生意気な副官は消えたか?」
ドールトンの足音が消えてからきっかり一分後。眼を瞑ったままギシンジ大佐が聞いてきたので「いなくなりました」と応じると、大きく息を吐いてから眼を見開き俺の艦長室を見回す。
「ここに盗聴器とかそういう類のものはないな?」
「大佐。ここも一応、艦長室ですよ?」
もしかしたらハイネセンで情報部のお友達が勝手につけているかもしれないが、艦長室に盗聴器を付けることは軍規で禁止されている。作戦行動指揮を行う艦橋や、保安上の観点から艦内のいたるところに音声記録型の監視カメラが取り付けられているが、艦長室は艦長の生活スペースとも重なっているので設置されてはいない。
勿論執務スペースで作戦立案の為に録音する時は、必ず同席者の了解を取ることが必要だ。ちなみに盗聴器ではなく『特殊なボタン』ならばクローゼットの中にあるが、今のところ稼働していないので嘘は言っていない。
しかし大佐は俺が苦笑しながらそれを指摘しても、疑っているようでゆっくりと首を廻しながら俺以外に誰もいない部屋を見回し続ける。
「……もしかして哨戒任務からお戻りになったばかりなので『溜まって』らっしゃるんですか?」
あんまりにもしつこいので俺が下世話な言葉で応えると、果たしてギシンジ大佐は一瞬顔に怒気を漲らせ腰を浮かせたが、俺が全く気にすることなく珈琲を傾けているのを見て、喉奥から息を小さく吐き出して再び腰を下ろす。
「いや、すまねぇな。帰還したばかりだから少し気が発ってた」
「それは別に気にはしておりませんが、こちらに来られたのは何か辺境で問題があったのですか?」
「一戦で四隻喰われた。戦艦も一隻やられてな」
「奇襲ですか? それとも打撃戦隊が?」
「奇襲だ。挑戦信号なしで撃ってきやがった」
ようやく落ち着いてきたのか、小さく舌打ちした後、珈琲に手を伸ばす。結果に納得していない上に珈琲の苦みが加わったのか、大佐の表情は実に渋い。
しかし俺が出動する前まで大佐の第一〇九八哨戒隊は二九隻。そのうち戦艦は四隻だったはず。損失艦に支援艦艇が含まれているかは分からないが、一度の戦いの損失としてはかなり大きい。
その上、挑戦信号なしで攻撃を仕掛けてきたというのは、あまりいい情報ではない。挑戦信号はあくまで相互のほぼ確立された『ルール』とはいえ、信号を打たなくても帝国軍が攻撃してはいけない理由はないのだから、大佐も少し油断していたのかもしれないが。
「幾つか聞きたいんだが、まずお前、パランティア星域内で砲撃演習か何かやったか?」
「ええ、実施しました。ケルコボルタ星系、恒星αの表層宙域で」
帝国軍の(薬物中毒)哨戒隊が釣られて出てきたのは、偶然というより必然というべきだろうが、俺の何気ない回答に大佐の眉間に深い皺が寄り、目付きはさらに厳しくなる。
「どうしてそんなアホなことをした?」
「アホなこと、とは?」
「敵地で砲撃演習行うのは挑発行為と受け取られる。当然帝国軍はその挑発行為に対する報復を企図する」
「……」
「帝国辺境総監部の連中はヘボが多いが、血の気も多い。そして何より数が多い。現況そのヘボさのおかげでどうにか互角に立ち回れているが、奴らが物量戦に本腰を入れたら辺境哨戒網はすぐに崩壊するぞ」
なんでそんなことが分からない、という呆れも含んだ強い言葉遣いに、俺は心の中で首を傾げる。言ってる事はおおむね正論だが、俺がケルコボルタで砲撃演習を行う前から帝国軍はツーマンセルによる攻撃を仕掛けてきている。既に物量戦を挑んでいると言ってもおかしくない現実と明らかに矛盾している。
「それで第一〇二四哨戒隊はどれだけの損害が出た?」
「戦艦一、巡航艦一中破。巡航艦二小破。重傷者三六名。撃沈艦・戦死者、ともにありません」
「……は?」
太い右眉が跳ね上がり、口が左斜めにひしゃげる大佐の顔を、目の前で笑うわけにもいかない。俺は腹筋に力を入れて、ゆっくりもう一度繰り返すと喉奥から唸り声を上げる。
「余程、ヘボな奴らだったという事か。で、戦果はいかほどだ?」
「戦艦六撃沈、一大破、巡航艦八撃沈、四大破。駆逐艦三撃沈。大破した艦は全て曳航不能でしたので撃沈処分いたしました。それと小型輸送艦一、小型工作艦一を拿捕しております。捕虜四〇三名。輸送艦・工作艦の乗員を含めますと六一六名となります」
「……辺境でも戦果の偽装は、軍法会議にかけられるのは分かっているな?」
「勿論です。確認用のガンデータもありますので、問題はないかと」
自分でも信じられない成果ではある。大佐に言われるまでもなく、偽装を疑われるに十分な戦果だ。戦果報告には当然証拠も必要で、各砲手のガンデータと索敵レーダー・重力波データなど関係する一切が添付される。相打ち全滅以外であれば、健在艦のデータでも代用できることになっている。
それ故に戦果の偽装についてはほぼ不可能に近い。むしろ撃沈した証拠がないため戦果報告を諦める場合もあり、上級司令部はそれも加味して麾下部隊の功績値を弾き出す。恐らく今回の功績値は相当ヤバい数字になっているだろう。いきなり全艦長を一階級昇進とは行かないだろうが、艦長のうち何人かは昇進ラインを超えてくる可能性がある。
だが辺境星域管区司令部としてはおいそれと階級を上げるわけにもいかない現実がある。戦艦の艦長は大佐まで、巡航艦・駆逐艦の艦長は中佐までと決まっている。とはいえ哨戒隊の序列編制を現場で変えるわけにもいかないから、一時昇給か勲章を出すしかないだろう。過去には危険手当や功績値調整などで、准将よりも給与を貰っていた中佐がいたという話だから、今回も司令部は相当悩んだ末に統合作戦本部へお伺いを立てるかもしれない。
大佐にとっておそらく一番不愉快なのは、俺が大佐に昇進しかねないことだ。先任中佐というのは中佐である哨戒隊隊司令の役職上のもので、隊司令職を解任されればただの中佐に戻るだけ。
ただし先任というだけに他の中佐よりも所有する功績値は高く、より大佐になりやすい。そうなれば辺境での軍歴が合わせて五年以上、第五四補給基地駐留哨戒隊の先任指揮官である自分と同格の人間が、一度の出撃でいきなり生まれるのは、自分の地位を脅かされかねないと思っただろう。
「……で、拿捕した小型輸送艦の中身はどうした?」
「捕虜が多すぎましたので、必要となる生活物資以外の物資を規定に則り破棄いたしました」
「破棄した……そうか」
もうどうなってもいいかと言わんばかりに、太い首をソファの笠木の部分に持たれかけた大佐は、軽く額に一度手を当てた後で、溜息交じりに応えた。
「中央にいた士官学校の首席殿には分からんかもしれんが、規格に合わない兵器といえども改造次第で使用することが出来る。特に誘導弾の炸薬部分と爆発機構は使いまわしが可能だ」
「しかし誘導制御も発射管口径も全くあっていないと思いますが?」
少なくとも電子的・量子的制御については帝国よりも同盟の方が技術的には優れている。撃ちだしたらどこに飛んでいくか分からない誘導弾など危なくてとても使えない。特に弾頭は三〇〇メートル近い艦艇を吹っ飛ばす威力があるのだから、炸薬制御など特に慎重さが要求される。
「確かに褒められた話ではないが、ドック長はそのあたりの経験が豊富だ。今のところ遅発も誤発もない。補給線の細いこの補給基地にいる哨戒隊がまともに動けているのは、ドック長の腕のおかげといっていい。機会があれば、なるべく持ち帰るようにしてくれ。それが俺達哨戒隊の生存に繋がる」
鹵獲兵器の再利用が出来れば、継戦能力の向上につながる。それもまた正論。だがそれも未開封の外装塗料大型缶の中身を知っていなければ、の話だ。何も知らずに運び屋をするつもりはさらさらない。
「承知しました。今後は可能な限り戦闘兵器の鹵獲するよう努力します」
俺の返事に、ひとまず今日はこのくらいにしておいてやるかと、大佐が席を立ったタイミングで俺の執務机の上にある呼び出し音が鳴った。扉の外にいるドールトンか、はたまた別の人間か。残りの珈琲を一気に呷った大佐をよそに俺がコールを取ると、それは意外な人物だった。
「お忙しいところ申し訳ございません。隊司令」
扉ですれ違った大佐が訪問者の顔を見て、ニヤニヤと嫌らしい笑顔を浮かべていたが気にすることなく、俺は彼女を部屋の中に迎え入れた。
「補給物資と拿捕艦と捕虜の取り扱いにつきまして、些かご相談をさせていただきたく」
そこにはどことなく憂いと迷いが混ざった、小柄な黒髪の中佐が隙のない敬礼をして立っているのだった。
■
「艦内でもかなり噂になってますぜ。隊司令とシツカワ中佐の『ただならぬ』関係について」
二回目の出動を三日前にした一一月二三日の夜。既に課業終了のラッパも鳴り終わった中、ビューフォートがウィスキーの瓶を片手に艦長室に入ってくると、勝手にオフィスキッチンから紙コップを二つ取り出し、中身を注ぎながらそう言った。
「褐色高身長の独身副官に飽きて、黄色低身長の子持ち中佐に乗り換えようとしている色男だそうですよ」
「どこの隊司令だ、そいつは?」
「ハハハッ。戦艦ディスターバンスに隊司令は一人しかいないじゃないですか」
鼻で笑いながらも紙コップを持つ手が全く揺れないビューフォートから、琥珀色の液体が入った紙コップを受け取り小さく掲げると、ビューフォートもそれに倣って返してくる。
「幹部連中は問題ありません。ただマーフォバーが隊司令のご指示を仰ぎたいと、俺に言ってきました。それで今夜、こうしてまかり越したわけでして」
「下士官、兵の反応はどういう感じ?」
「もともと目立つ容姿の副官殿ですからねぇ。冗談半分、賭博対象として見ているのが四分の一、本気が四分の一ってところです。二〇代前半以下の若い男性下士官や兵あたりがちょっと問題ですな」
専科学校から幹部候補生学校を潜り抜けた褐色長身美女のドールトンは、彼らから見れば憧れに近い存在だ。自分達と同じ出身でありながら、哨戒隊副官に任ぜられているという成功例。本人もそういう憧れについては敏感に感じ取っているらしく、彼らと士官下士官の枠を超えて交流しているのは、艦内巡回中、持ち場で敬礼する彼らへドールトンが気さくに話しかけている事からも承知していた。
軍の勢いの中核というべき彼らにしてみれば、初戦で見事な指揮(笑)を執った隊司令の『女』だから、話は出来ても手出しは出来ない憧れの高嶺の花だった。それが連日、隊司令は副官を連れずに外出し、補給基地内を七分隊司令と連れ立って歩いているという事実。現場を見たという『他艦の乗組員』からの話に、彼らの僅かな希望が加わって、『若い情熱』に燃え上がっているらしい。
「ちなみに女性下士官や兵はどうだ?」
「そちらは全く問題ありません。どうやらレーヌ中尉が自主的に力づくで抑え込んでいるみたいですな。狂犬が狂信者になるのは危険だとは思いますが、前回の出動以来、中尉は人が変わったように根性が座ってきましてね」
「一応、ドールトンには理由を話してあるんだが」
「当事者しか知らない誰にも言えない話なんで、あんまり意味ないですよ。本人がそれで納得しても、周囲は勝手に判断します。かくいう私も詳しく話は聞いていないんですがね?」
言ってなかったからな、と返事をするにはビューフォートの顔は真剣にすぎた。話しておく相手としては微妙な相手で、因縁に巻き込むことに抵抗を覚えるが、噂話として流れているという事は仕掛けてきている証拠でもある。
「俺とここのオブラック参事官とはいささか因縁があるのは知っているか?」
「以前の任地が同じだったことは伺ってますがね。六年で階級が追いつかれたって話でしょ? まぁ戦闘職と後方職では昇進速度は違いますが、器の小さい漁色家なんて、ほんと『労働力生産』以外何の役に立つか」
「ドールトンも同じ任地だった。そしておそらくオブラックとも関係があった」
「なるほど。そりゃあ島流しされたプレイボーイなら確かに見逃せないお話しですな。それでドールトンを再獲得する為に噂話を流していると」
「ついでに単身赴任シンママのシツカワ中佐もな」
「ハンパねぇ。脳味噌ピンクとはよく言ったものですぜ」
今年三五歳のシツカワ中佐には一〇歳になる娘がいて、今は義理の両親の下に預けられている。旦那は士官学校戦術研究科の同期で、三年前に名誉の戦死を遂げていた。子供の教育も考え第四次イゼルローン攻略戦後、後方勤務への転属を上申して返ってきた返事が独航艦から辺境勤務とは、なかなか非人道的な人事と言わざるを得ない。
勿論中佐は士官学校を出て既に一〇年以上勤務しているので、軍を辞めようと思えば自主的に辞められる。ただ勤続年数から恩給はかなり少なく、しかも旦那の戦死慰労一時金は義実家の事業の借金返済に充てられたらしく(これで義実家との関係はかなり険悪化したらしい、当然だ)、絶縁してこれから成長する子供と二人で生きていくには全く足りない。
中佐としては当然再就職を考えなければならないが、中佐の給与に匹敵する就職先は退役軍人省であってもなかなか見つけることが出来ない。一番給与がいいのは恒星間輸送企業の輸送船船長だが、軍幹部の経験がある若い船長は大抵軍のチャーター便に回されることが多く、ほとんど現在の職とやってることが変わらない上に、指揮する船は軍輸送艦より軽武装で、しかも軍所属ではないので見捨てられやすいと『噂されて』いる。
そういった背景を上手い具合に調べ上げ、(計画された)偶発的接触と(内心を隠した)言葉巧みな親切心を見せて、オブラックはシツカワ中佐に接近してきた。シツカワ中佐が小柄で容姿の整った美人(トランジスタグラマー)であることも多分にあるだろうが、奴の目的はそれだけではない。
「『潮目流し』という言葉は知っているか?」
エル=ファシルでエルヴェスダム氏からやり方を聞いていたが、ビューフォートは言葉を聞いた瞬間に、鋭い舌打ちを放った。
オブラック本人からではないが多額の現金と引き換えに、シツカワ中佐は後日搭載する物資の一部を航行中に放擲するよう依頼を受けた。
ケルコボルタでの出来事を知る中佐は当然その場で拒否したので話は立ち消えになったらしいが、以降補給基地補佐官の一部から書類の不備等で軽い嫌がらせを受けていた。なので俺がシツカワ中佐に同行し、補佐官と直接面談して一つ一つ指摘し返すという嫌がらせで仕返しをやっていたというわけだ。
それに対する反撃として、事実に尾ひれを付けた噂話で『敵』を分断しにかかったというわけだ。情報戦の基本戦術と言っていいが、『味方』から仕掛けられるというのは甚だ不本意だ。
「……隊司令、これはもう中央から監査官を呼んだ方が、話が早いんじゃないですかい?」
細かいことを言わずとも状況を理解したビューフォートが俺にそう諫言する。それは確かに考えた。ムライであれば、『三人』の口座なり物資の出入りなりを事前に調査し、早々に調査書を作り上げて一斉捕縛することが出来るだろう。
しかしエコニアの場合ははっきりと『捕虜の騒乱』という大義名分があった。実態はともかく武力叛乱だから上級司令部も真剣に対応した。しかしこの第三辺境星域管区の士気は低い上に辺境の一補給基地の、明確な証拠のない薬物犯罪に対して真摯に対応できるか未知数だ。むしろ上級司令部も累犯である可能性が高い。
「だがオブラックは現在『副司令官のいない補給基地の』参事官だぞ?」
「畜生、最悪だ。そういうわけですか」
補給基地内の犯罪に対する捜査を行うのは監査部だが、その長は副司令官で現在ルンビーニにて入院療養中。代行はその次の先任である参事官になる。司令部しか守らない衛兵の状況から見ても、捜査に協力してくれるとは到底思えない。全員がグルと考えれば、相当の覚悟と実力で対応しなければならない。
結局当てになるのは自分と自分の部下のみ。バグダッシュやカーチェント准将を動かすにしても証拠を確保する必要はある。シツカワ中佐に騙された振りをしろというのは簡単だが、直接オブラックから依頼されたわけではない以上、しっぽ切りで終わる可能性が高い。そこまで見越した上で、こちらの内部を混乱させる為に、噂話を流してきたのだろう。
怪物に頼るというのも手だが、やはり越権行為であることは間違いない。軍内部の閥のバランスを崩し、奴の軍に対する発言力を必要以上に強化してしまう可能性がある。そしてもう一つの組織が関与している可能性を考えれば、怪物は到底当てにはならない。
「とりあえず半舷中の若い男連中については、少し考える必要がある」
「知恵が足りないのに、体力が無駄に余っているからですよ。なんなら体力訓練を増やしますか?」
「いや、ただの訓練じゃ意味がない……」
知恵が足りないという言葉は流石に強すぎるが、マイナスなことを考える余裕は与えないに限る。しかし隊編成時に宣言したように、部下の私生活には関与するつもりもない。適度に体力を使い、ある程度法に則って、適度に射幸性のある娯楽はないか。マーロヴィアで懲役九九九年を喰らっている『教授』の教えを頭の中でリフレインする。
「……医薬品の追加注文が必要かもしれないな」
戦艦エル・トレメンドの司令官室とほぼ同じ造りのオフィスキッチンを見つめながら、俺の口から自然とそんな言葉が零れ落ちるのだった。
■
一一月二六日。第一〇二四哨戒隊は補給と休養を終え、二回目の出動に赴く。予想通り中性子ミサイルやレーザー水爆、機雷といった誘導弾の補充はほとんど行われなかったが、核融合燃料はフル充填され、船体の補修も完全に終えられていて、将兵全体の士気は高い。
だが例の噂はまだ燻り続けている。戦艦ディスターバンスの中だけではなく第一〇二四哨戒隊全体に流布している状況は見逃せない。出動前の全艦長招集会議において、噂が事実ではないことと、噂の発生要因である補給基地補佐官とのイザコザを『潮目流し』の内容を抜きにして説明した。
職務上ケチで傲慢にならざるを得ない補佐官達の態度に、ホトホト嫌悪感を抱き始めていた大半の艦長はそれで納得し、当事者であるシツカワ中佐に対して同情的であった。そして噂の鎮静化に協力することを誓ってくれたが、同時に俺がその席で発表した話には、賛否両論だった。
「侵入してきた敵と戦う為の白兵戦訓練というのであれば理解できますが、懸賞金とストレス解消の為の白兵戦『競技会』というのは何とも……」
艦長達がシャトルでそれぞれの艦に戻って行った後、戦闘艦橋に集まった戦艦ディスターバンスの幹部で反対したのは、やはりMPの役も兼ねているマーフォバー大尉だった。さすがに立場上、公然と娯楽・賭博行為を認めるわけにはいかない。
「面白い。是非やりたまえ。いくら大きいとはいえ、艦内から出ることが出来ないことで蓄積されるストレスの解消は将兵の精神安定につながるし、艦が撃沈したら使いようのない消炎鎮痛剤の消費にもつながる。それに私も久しぶりに同盟人に対して本物の骨折治療をしてみたいしな」
一方で大きく口を開いて笑う長髪の骸骨のようなモイミール医務長は大賛成だ。素直に自分の欲望を縁起の悪い表現で言うものだから、最近戦艦ディスターバンスの若い兵士から『死神』と陰で呼ばれるようになった。
「個人の体力がモノを言う白兵戦は身体構造から言って明らかに女性が不利です。戦場で男女の区別はないと考えますが、『特別訓練』では配慮していただきたいものです」
出発して早々になんでこんな下らないことをしようとしているのか、と呆れ顔を隠さず溜息交じりで応えるドールトンに……
「おやおや、自信がないんですか?」
履歴書では陸戦技能A-三という意外な好評価である小柄なレーヌ中尉が挑戦的な上目遣いで応じるので、A-一であるドールトンの細い眉と少し厚めの唇が僅かにゆがむ。
「女性陣は射撃競技だな。ブラスターのお手入れは普段のお化粧並みにしっかりしとけよ」
そんな空気を悟ったビューフォートが口を挟むが、場を余計にシラケさせるだけで何の役にも立ってない。微妙な雰囲気に、一番年長のモフェット砲雷長が二度ばかり咳払いをしてから口を開いた。
「男性でも明らかに白兵戦技を不得意とする者がいます。そちらはどうされるんですか?」
強制参加の運動会を嫌う人間が居るのは当たり前。いくら体力勝負の軍隊とはいえ、宇宙戦闘において白兵戦などめったに起きない以上、戦技が不得意な者もいる。首より下が必要ないヤンなんか特にそうだ。しかし軍隊という組織は、集団行動を必要以上に重んじる組織だ。それは武力組織としては当然ではあるが、必要以上の帰属意識が害悪を招くことは歴史が証明している。
「できれば射撃競技に出てもらう。あとは小銃の分解結合レースと、三次元チェスかな。自分の時間を削られるのが嫌な将兵もいるだろうから、いずれの分野であっても参加は強制しない。それに通信・索敵・航法のメンバーは今回の参加は見送りだ」
哨戒行動中であるし一応名義上白兵戦訓練なので、怪我でもして仕事に差し障りが出て一番困るのは索敵オペレーターだ。本選はシャトルを使わずに艦の移動ができる補給基地に帰ってからという条件があるにしても、各艦内における予選は行動中に行われる。それぞれの分野の訓練とは全く別物である以上、無理はさせられない。
「まぁ彼らに隊司令を何の罰則もなく訓練用トマホークで殴れる権利が与えられないのは申し訳ないとは思うが」
だが俺の何も考えないで放った軽い一言が、何故かこの場の空気を一変させてしまった。幹部達のお互いがお互いを見る戸惑い。誰が口を開いていいのか分からないといった中で、俺の考えを知っているビューフォート以外の視線がやはりモフェット砲雷長に集中する。
「その。隊司令も白兵戦『競技会』に参加されるのですか?」
期待された以上問わざるを得ない、と言った表情を浮かべたモフェット砲雷長に、俺は首を傾げてから応える。
「さすがに言い出しっぺが参加しないわけにはいかないだろう。古代帝国の皇帝のようにふんぞり返って、酒杯を片手に剣闘士見物するのも悪くはないが」
「しかし兵士と戦って、もし隊司令の名誉が傷つくようなことがあれば……」
命令とか規則とか地位とかではなく、動物的な序列を認識することで兵士が上官に対して反抗的になるのではないか。そしてそれが組織秩序の崩壊につながらないか。モフェット砲雷長の心配は充分に理解できる。だが……
「腕一本で私に打ち勝つことのできる部下を持ったことこそ、私にとって最大の名誉だ。安心して自分の命を委ねられる部下がいるというのは、指揮官にとって自分の勝利以上に嬉しく、この上もなく頼もしい」
それは単純に個人的戦闘能力に限った話ではない。一つの戦域を委ねられる指揮官、戦略的思考能力を持つ幕僚、各部門における卓越した専門知識を有する参謀、指揮乗艦を沈めない艦長、卓抜した指揮技術を持つ各戦闘部署指揮官、その命令に応える能力を持つ下士官や兵。
人間、全ての事を一人でこなすことは出来ない。安心して各部署を任せられる部下を抱えられることこそ、指揮官として至高の名誉だ。だからこそ、それらを失ってまで世間で言われるような勝利の栄誉を得ることに、俺はあまりうれしさを感じない。
「……隊司令は艦内予選から参加されるのですな?」
俺の回答に、最初に応えたのはマーフォバー大尉だった。
「地位にあかしてシード権を行使してもいいだろうけど、それじゃあ参加する若い連中が納得しないだろう?」
「私も納得しません」
「は? マーフォバー大尉?」
「身体構造から性別で参加を区分するのは、やはり男女平等の精神に反すると思います!」
「レーヌ中尉?」
「わた……いえ、小官も久しぶりにトマホークを握ってみたくなりました」
「いやいや、モフェット大尉……」
「大丈夫だ。隊司令。仮に脳天に一撃喰らって脳内出血になっても問題はない。切れた脳内血管の縫合は、脳腫瘍摘出の次に私の得意分野でな」
「装甲戦闘服のヘルメットの上から訓練用トマホークで叩いて脳内出血って、もうそれは殺しに来ているのでは……」
先程と打って変わって何故かやる気になり始めた幹部達を前に薄気味悪さを感じ、俺の左右にいてにやにやと笑っているだけで何も言わないビューフォートと、全く表情が変わらないドールトンに視線を配る。何か言いたくなるが、聞きたいことは一つしかない。
「ねぇ、俺って、そんなに艦内で嫌われているの?」
俺が二人に向き直って問うと、ビューフォートは吹き出すのを堪えるように口を押されて肩を震わせ、ドールトンは満天の星が映る天井を一度見上げた後、肩を落として呆れた口ぶりで言った。
「ご存じなかったのですか? 恐らく隊司令は第一〇二四哨戒隊で一番の『嫌われ者』ですよ」
後書き
2025.5.28 更新
どうやらイゼルローン・フォートレスが閉店になるようです。私はまだ新兵ですが、
もう一度は行こうと思ってます。