ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~
第1話 転生
前書き
当サイトには初めての投稿となりますので、ミスが見つかり次第順次改編更新すると思います。
はたから見ればほんの一瞬の事だったんだろう。
スマートフォンに目を落とし、ブラウザホームの今日の運勢を確認して、ついでに銀河英雄伝説の二次創作小説の更新情報を探し、お目当ての作品が更新されてなかった故に軽く舌打ちしたのだが、その時背後からどう見ても眼が逝っちゃった男が大声を上げつつ涎を垂らして体当たりしてきたのだ。
俺がホームの端に立って、次の電車を列の先頭で待っていたのも運命なのかもしれない。
ぶつかってきた「狂気」としか書いてない男の顔と、軌道に落ちていく俺を呆然した表情で眺めているくたびれた中年の顔が、俺の見た最期の景色だった。なんでそこは黒髪ボブでストレートな眉目整った美少女ハーレムじゃねぇんだよと、どうでもいい事を考えつつ俺は軌道に落ちる衝撃に備え、体に力を込めた。
そして次の瞬間、光に包まれた。
何が起こったのか、俺にはさっぱりわからなかった。だがあまりの眩しさに瞼を閉じ、数秒置いてからゆっくりと片方ずつ瞼を開くと目の前に巨大な顔があった。
俺は叫ばずにはいられなかった。だが声を上げようにも口からは「オギャー、オギャー」としか出てこない。一体どうなったんだ俺は? 言葉を忘れちまったのか? それとも例の壁の中に住む人類の生き残りの話の読みすぎで、空想と現実の区別がつかなくなってパニくっているのか? いやパニくっているのは間違いないんだが。
そうこうしているうちに、俺の体はその巨人に持ち上げられた。しかも抱えるようにだ。少なくとも身長一七〇センチ体重七〇キロのごく標準的な三〇代日本人男性である俺を、だ。俺は暴れた。もうこれは間違いなく“喰われる”んじゃないか。巨人は女性っぽい。しかも優しそうな顔をしている。だけどアイツは確か楽しんで人を殺してたよな……そこまで考えて俺は必死に手足を動かして抵抗したが、その時になってようやく俺の体に何がおこっているのか理解できた。
俺の手が、見るからに小さく……そう赤ん坊のように小さくなっていた事に。
意識、というのは言語を解さなくても分かるものだが、やはり幼い頭脳では限界がある。三〇分でも意識を保とうと努力すると、体全体が疲労感に包まれる。そして強烈な空腹感も…… だが腹が減ったとは言えない。かろうじて聞き分けた言葉は英語に近いが、英語ではない。「あいむあんぐりー」と言ってみたが、怪訝な顔で首をかしげられるだけだ。結局は泣き叫んで食事を要求するしかない。食事と言っても、まぁ授乳なんだが。
きっと輪廻転生する際には同じように前世の記憶を持っているに違いない。だが、この授乳という奴でその記憶というのは吹っ飛んでしまうのだろう。
まぁそれはともかく。俺は理想的な食っちゃ寝の生活を楽しんでいた。が、いつものようにこちらの世界の母親?に抱かれつつ女性の乳房の感触を楽しんでいた時、そのお楽しみの部屋に闖入者があった。
こちらに産まれて以来であった事のない姿をした男だった。襟元にアイボリーのスカーフを押しこんだ暗緑色のジャンパー。スカーフと同じ色のスラックスに黒い短靴。そして濃い琥珀色の髪に載せられている白い五綾星を染め抜いた、やはり暗緑色のベレー帽。そう、それはいつも画面の向こうにあって、黒と銀のピチピチした悪趣味軍服とは対照的にシンプルで機能的な自由惑星同盟軍軍服を着た男だった。
俺が銀河英雄伝説の世界に生まれ変わった事を確実に認識したのはそれから数年してようやく同盟公用語を何とか一人で読み書きできるようになってからだ。望外の出来事かもしれない。前の世界で中学生だった頃、図書館で何度も借りて読みなおしていたし、レンタルビデオ屋でほぼ毎週なけなしのお小遣いを使って借りて見ていた。アニメ版の台詞は大抵リフレイン出来る。勿論PCがそれなりの価格に落ち着いてきた頃にはゲームもやり尽くした。もはや銀河英雄伝説は俺の前世において人生に欠くことのできない書籍の一つだった。もちろんそのせいでいろいろ身を持ち崩して、三〇過ぎても結婚できずにいた事はまぁ、どうでもいい事だ。
ただし望外の事態とはいえ、もしかしたら赤ん坊の時に見たあの父親は日常的にコスプレしている男かもしれないし、英語が母体となっている言語だとはわかっていたから恒星を二つ持つ星系と無敵の女性提督がいる世界かもしれない。とにかく母親が目を離している隙をみて、携帯型端末を弄りニュースや画像に手当たり次第アクセスして確証をもった。七三〇年マフィアの面々はアニメに出てきたような姿をしていたし、伝説的な英雄リン=パオ、ユースフ=トパロウルの写真も山ほど出てくる。そして母エレーナ=ボロディンが俺に最初に読み聞かせた話は「長征一万光年」であり、同盟軍士官である父アントン=ボロディンがくれたおもちゃは同盟軍戦艦を模したぬいぐるみだった。
確証をもった後、俺はじっとしていられなかった。カレンダーを確認すれば宇宙暦七六七年。俺は現在三歳だから、三二年後には自由惑星同盟があのいけすかない金髪の孺子に崩壊させられることになる。そして自由惑星同盟は基本的に徴兵制を維持しており、俺は運がいいのか悪いのか再び男に産まれてしまった。しかもよりにもよって「ボロディン」という名前の軍人の家に。
もちろん父親が軍人だからといって軍人を志す必要も義務もない。俺が徴兵年齢に達するのは一五年後。兵役は基本的に二年だからエル・ファシルの戦いが始まる七八八年よりも前に退役して社会復帰できるはずだ。兵役中に戦死さえしなければ。
だが幸か不幸か第二の人生を銀河英雄伝説の、しかも建前であるにせよなんにせよ前世日本と同じ民主主義政体を持つ同盟側に産まれたのだ。心情的にも俺は同盟軍に入って手助けしてやりたい。決してイケメンチート軍団たる帝国軍の向う脛を蹴り飛ばしてやりたいってわけでは……多分にあるかもしれないが。
とにかくただ漫然と軍に入って職業軍人をしているだけではあのイケメンチート軍団に勝てるわけがない。頭の中に残っている銀河英雄伝説のストーリーを活用する為にも、同盟軍内においてある程度の実力や権限を持っていなければ意味はない。せめて同盟と同盟軍に対する致命的な一撃となる帝国領侵攻を阻止するなり被害を軽減しなければ。逆算すれば二九年後。俺が三二歳の時だ。その時までに何とか将官位になっていれば……
「どうした、ヴィクトール?」
机を挟んで反対側に座っていたこちらの世界の父が、俺の顔を怪訝な表情で見つめている。原作ではボロディン提督としか記載されていないからこの父が第一二艦隊司令官とは限らないのだが、今は二六歳の同盟軍少佐で第三艦隊に所属する小さな戦隊の参謀をしているらしい。順調に昇進している事は間違いないらしく、官舎近所に住む他の軍人家族からも期待の若手と言われている。もちろんあの微妙な口髭はまだなかった。
「お父さん。僕は軍人になる。艦隊司令官になって、お父さんと一緒に帝国軍と戦う」
「ほう、そいつは頼もしい」
そう言うと父アントン=ボロディンは俺の小さな頭を机越しに大きな手で掻き毟った。前世とは全く異なる琥珀に近い俺のようやく伸び始めた髪がガシガシと音を立てる。
「だがな、艦隊司令官になるのは大変だぞ? しっかり勉強して、士官学校に入って、さらに優秀な成績をとらなきゃ艦隊どころか一隻の軍艦すら任せてもらえないかもしれない」
「なら頑張る」
「よく言った。それでこそこのアントン=ボロディンの息子だ」
さらに強く俺の髪を掻き毟る。その父の手を俺の横に座る母がやんわりとほどくと、すこし影のある笑みを浮かべながら父に言った。
「あなた。決して無理をなさらないでください。前線に立って戦って武勲を立てるより、生きて帰って来てくれることの方が、この子にとっても幸せなのですから……」
「心配するな、エレーナ」
そう答えると父は母に向けて俺も驚くほど鋭い眼差しで応えた。
「今の上司のシドニーは俺の同期だが、これまであいつと組んで負けた事がない。勇敢だが無謀な事は命じない良い指揮官だ。大丈夫、安心しろ」
「ですが……」
「俺が出征中に困った事があったら、弟に相談しろ。俺に似ず万事に慎重な奴だが、それだけに信頼に値する」
父の言葉に母が唇を噛みしめるように頷く。原作通り父がボロディン提督であるなら、あと二九年は生きている。だがここで原作がそうだからと言って両親が安心したり喜んだりするはずがない。せめて今はこの二人の子供であるべきだ……
「大丈夫、お父さんは絶対艦隊司令官になるよ」
俺は子供らしく無邪気な口調で言うと、父は怪訝な顔をすることなく笑顔で再び俺の頭を掻き毟るのだった。
だが俺の無邪気な予言はあっさりと覆される。
宇宙暦七七二年八月一四日。こちらの世界の母エレーナが交通事故死。
原因は暴走した無人トラックとの衝突。体の太った交通警官が特に遺族でもないのに憤って説明してくれた。なんでも間違った情報を物資流通センターのオペレーターが入力したらしい。その為、無人タクシーとトラックのそれぞれが機能不全を起こしたらしく、たまたまボルシチ用の野菜を買いに出かけていた母がそれに巻き込まれてしまったというわけだ。
前世は幸いなのか両親は俺が死ぬまでピンピンしていたから(つまりは前世両親に対して親不孝をしたわけだが)、親の葬儀に出るというのは凄く不思議な感覚を味わった。
こちらの世界の父アントンは出征中で家を留守にしていたから、葬儀は叔父のグレゴリー=ボロディンが取り仕切ってくれた。子供の目から見ても勇猛果敢で剛毅な父と比べて、七歳年下のこの叔父は同じ同盟軍軍人でありながら貴族か学者を思わせるような落ち着いた容姿と性格をしている。軍服を纏っていても醸し出す雰囲気が“紳士”なのだ。ちなみに今二六歳で中佐と言うから父よりも出世が早い。
「ヴィクトール」
聞くだけで人の心を落ち着かせる奥行きのあるアルトの声が、地中へと埋められる母の棺を眺める俺の背中からかけられる。
「アントン兄さんが出征中の間は、私の家に来てくれないかな」
「でも、家を守るのは母さんと僕の仕事です」
「勿論そうだ。だが八歳の子供が一日二日ならともかく、これからずっと一人で官舎に住むのは危険なことだ」
そう言うとグレゴリー叔父はポンと俺の肩に手を置いた。それだけで安心を感じる。
「アントン兄さんが出征中の時だけでいい。私の家に泊まりなさい。私にとっても君は家族なんだから」
三週間後、出征から帰ってきた父アントンとグレゴリー叔父との間で家族会議が開かれ、グレゴリー叔父の言うとおりになった。両親の祖父母はことごとく鬼籍に入っていたし、それ以外に選択肢がなかったのも確かだ。
「ヴィクトールがウチに来てくれるなんて!!」
そういいながら子供の俺を抱き上げて頬ずりするのは、グレゴリー叔父の奥さんのレーナ=ビクティス=ボロディン。つまり俺の義理の叔母さん。元自由惑星同盟軍中尉で、あの真摯なグレゴリー叔父が土下座してまで口説いたというだけあってスタイル抜群の南方系美女。バリバリ北欧系で俺から見ても控えめだった母とは正反対に陽気で気さくで……
「アントン義兄さんにはずっと出征していてもらいたいわね」
「おい、レーナ」
そして大変遠慮のない人だった。横で見ていたグレゴリー叔父がさすがに突っ込みを入れて、父に頭を下げている。父は苦笑せざるを得なかった。
そして二年後。引っ越したり戻ったりの変則的な生活にも慣れ、レーナ叔母さんのお腹が大きくなってきた宇宙歴七七四年五月三〇日。
父アントン=ボロディン准将 パランティア星域にて名誉の戦死。二階級特進で中将となる。
後書き
2014.09.21 話タイトル修正
2014.09.22 最終行修正 第一次パランティア星域会戦→パランティア星域
2014.09.23 46行目修正 宇宙標準語→同盟公用語
2014.09.27 タイトル半角修正
第2話 別れと出会い
前書き
昨夜に引き続き更新いたします。
今まで書いてきた二次創作とは全く異なる書き方ですので、不慣れゆえに読みにくいところがあろう
かと思われますが、ご了承ください。
まだ主人公は戦場に立てません。
宇宙暦七七四年七月一七日 ハイネセンポリス ヴェルドーラ市郊外軍第七官舎 ボロディン宅
まさかそういうオチだとは思わなかった。
人の生き死には、人間では計り知れない運命の神に委ねられている部分が多いとはいえ、一〇歳にして両親を亡くしてしまうとは考えてもいなかった。オチなんて言葉が出てくる時点で、今の俺はどうかしているのかもしれない。
それに第一、自分の父親の名前がボロディンだからと言って、ボロディン提督だと決めつけていた自分の方がおかしいんだ。大体ボロディンなんて名前、地球時代の東欧・ロシアにはそれこそ掃いて捨てるほどいる。今いる世界が原作通りに進んでいると考えるのも、考えれば滑稽な事だ。
ともかく俺が一〇歳で戦災孤児になってしまった事は間違いない。このままだとトラバース法に基づいてどこかの軍人の養子になるか、養護院に入って気まぐれな引き取り手が現れるかの二者択一だったのだが……
「アントンは私の部下だ。その死については、指揮官である私にも責任がある。彼が残した子供を育てたいと考えるのは間違いではあるまい。それに貴官の奥方は近々出産されるだろう。家庭的にも大変な時期ではないか?」
「シトレ閣下はそうおっしゃるが、であれば閣下は今まで死なせた部下の孤児をすべて引き取れるのですか? 直接ではないにしても私とヴィクトールの間には同じ血が流れている。いわば家族だ。閣下のご厚意には感謝するが、この件に関しては断固として譲れない」
俺を境に、右手には身長二メートルをなんなんとする長身の黒人少将が、左手には中肉中背で温厚にして注目の若手と評されるロシア系大佐が、互いに喪章をつけたまま主の居なくなった官舎のリビングで互いに向かってガンを飛ばしあっていた。
一体なんなのよ。この状況。
別に俺には美人局の素養はないし、顔だってそれこそ平凡そのものだ。ジュニアスクールの成績は前世の記憶があるから一応クラスヘッドはキープしているが、運動能力は中の上か上の下と言ったところで目立っていいわけじゃない。クラスには俺よりモテる奴はそれこそ多い。グレゴリー叔父は今までのつき合いがあるし、シドニー=シトレ少将……まぁその容姿や顔つきからしたら未来の統合作戦本部長は間違いないなんだろうけど、稚児趣味があるとは原作にはなかったはずだ。
「シトレ閣下のご厚意は夫ともども感謝に堪えませんし、亡くなった義兄も義妹も閣下のお気持ちにたいへん感謝していると思います」
俺がどうでもいい事で頭を悩ませていると、いつの間にか背後に立っていたレーナ叔母さんが俺の両肩に手を載せて引き寄せながらシトレに相対して言った。
「軍事子女福祉戦時特例法の規定によれば、第三親等までの親族が不在あるいは経済的・福祉的に子女の養育に適さない場合を前提としております。ヴィクトールの場合、第二親等の祖父母はすでに鬼籍に入っておりますが、叔父である夫グレゴリーは健在です。そして我がボロディン家はヴィクトールが幼少の頃から馴染みがあり、経済的にもいささか自信がございます」
「それは……わかってる。だがレー……ボロディン夫人」
「つまり法的にも道義的にもそして経済的にもなんら問題はないという事で、よろしいですね、シドニー=シトレ少将閣下?」
「あ、あぁ……」
おい未来の統合作戦本部長、なんでそこでレーナ叔母さんから目を逸らす。それに今、叔母さんの事を名前で呼ぼうとしただろ!!
「よかった。さすがは閣下でいらっしゃいます」
俺の両肩に置かれた手に力が込められたあとの、その声には勝者の余裕というかなんというか、完全に上から目線な声だった。翻って見れば、長身の黒人少将閣下はすっかり肩を落としており、思いのほか小さく見えた。
「……では、ヴィクトールは私が預かるという事でよろしいですな?」
「……致し方あるまい。一〇年来の天才法務士官と言われた女性に私ごときが勝てるわけがないだろう」
明らかに悔し紛れに近い声ではあったが、シトレ少将は溜め息交じりで応えると、俺に向かって背を伸ばし完璧な敬礼をした上で立ち去って行った。
その少将を玄関まで見送ったグレゴリー叔父がリビングに戻ってくると、ぼんやりとしている俺をソファに呼び寄せた。すでに目の前には温くなった紅茶が苺ジャムと一緒に物悲しげに置かれている。
「シトレ少将にも困ったものだ」
苦笑と溜息とを混ぜ込んだ言い方でグレゴリー叔父は呟くと、いつものようにジャムをスプーンですくい口に運んで紅茶を口に運んだ。
「少将にとってアントン兄は欠くべからざる一翼であったのはわかるが、あぁも気落ちされるとこちらが迷惑する」
「叔父さん」
「シトレ少将には十分な野心があるし、それを支えるだけの軍事的才能も器量もある。これまでも多くの戦友を失ってきたし、より多くの部下を失ってきたはずだが、やはり兄は別格だったという事かな。だがその犠牲を惜しんでいるあたりは、まだまだ甘い」
「軍人同士に友情がある事はいけないのですか?」
俺が生意気にもそう問いかけると、グレゴリー叔父は一瞬驚いて俺を見つめ、それから小さく首を振って応えた。
「友情の有無が問題じゃない。ただ戦場であれば部下に対して「死ね」と命じるに等しい事態も発生する。その時失われるのが“大切な部下”か、それとも“大切じゃない”部下なのか」
「友情に差を付けるな、という事ですか?」
俺の先読みに対して、今度こそグレコリー叔父の顔は驚愕に変化して俺を見つめたまま沈黙した。
そんな驚いた眼で見るなよ。こちらは前世で三〇年以上生きてきたわけで、三二歳のシトレ少将も二八歳のグレゴリー叔父も年下と言えば年下だ。
「……時々だが、ヴィクトールと話していると何故か普通に大人と話しているような気がするよ」
「すみません、生意気でした」
「いや、責めているんじゃないよ」
叔父は俺の頭に手を伸ばすとくしゃくしゃと掻き毟り始めた。
「ヴィクトールは軍人になるつもりだとアントン兄から聞いていたから言うわけではないが、部下に対して友情の差を付ける事があっても構わない、と私は思っている。性格も能力も異なる人間だし、すべて平等に扱うとなれば、それでは軍の機能を十全に果たすことはできないし、大体人間でなくなるだろう。だけど死んだ後に平等に扱わないのは間違いだ。死者は任務の為に死んだという一点において平等であるのだから」
「……」
「だから“ヴィクトールを”養子に欲しいという少将の気持ちが純粋な誠意から来ているのはわかるけど、彼の為にも何としても阻止しなくてはいけない。そういうことだよ」
俺はグレゴリー叔父の言葉を頭の中で反芻しながら、沈黙した。
軍人になって、自由惑星同盟を滅亡から救う。それはこちらの世界に転生してからの目的だった。艦隊を率い、原作を知っているというある意味でチートを駆使して、優位に戦いを進める。それが尊いことなのか、または正しい事なのかは正直俺にはわからない。だが軍人になって一兵でも指揮をするという事は、部下の命運と部下の家族の命運を預かるということだ。それが父親の戦死という事実を持って、今になってようやく身に染みて感じられる。
前世日本で銀河英雄伝説のゲームをしている時、些細なミスで数千隻の艦艇を失う事もあった。あの時はすぐに借りは返せると軽く考えていた節がある。同盟軍の駆逐艦一隻には士官・下士官あわせて一六四名が乗り組んでいる。その一隻が吹っ飛べば一六四名の人生がそこで途絶えることになる。もしその中に自分の親しい友人がいたとしたら、そして友人に孤児が残されたとしたら、おそらく今の俺はシトレ少将と同じ事をするだろう。
だが多数の艦船を麾下とする提督であるならば、その行動は正しくない。どんな戦闘においても犠牲はゼロではない。完全勝利という事もないわけではないだろうが、滅多にあることではない。正面艦隊決戦となれば犠牲者の数は万の単位だ。残された孤児の数をすべて救う事など一人の人間に出来ることではない。
つまりこれから俺のやろうとしている事は、そういう事なのだ。戦争の犠牲者は数字ではないが、数字でもあるということを。
そこまで考えを巡らしていた時、突然甲高い音がリビングに響き渡った。思索の海から現世に意識を取り戻した俺は、ソファから立ち上がると音のした方向へと視線を向ける。そこには割れたグラスと、お腹を抱えて蹲るレーナ叔母の姿があった。
「レーナ!!」
「叔母さん!!」
俺とグレゴリー叔父は慌ててレーナ叔母さんに駆け寄ったが、理由が怪我ではない事は一目瞭然であった。
「い、イタタタタタ」
「お、おいレーナ……」
グレゴリー叔父も何が理由かはわかっているんだろうけれど、当事者としては“初めての経験”だろうから軽くパニくっている。
傍から見ていると、あれほど哲学的な事を言っていた叔父が、妊婦の妻の出産でこれほど慌てているのは面白い。が、面白がっている場合でもない。
とにかく俺は叔母の傍に付いているよう叔父に言うと、埋め込み式ソリヴィジョンの電源を入れ、救急車を呼び出した。叔母の状況を手短に伝えると、画面の向こう側に映る応対用の仮想人格は小さく頭を下げ、救急車の到着時間と搬入先を伝えて消える。代わりに画面には妊婦に対する応急処置についてのマニュアルと、救急車の到着時間までのタイムウォッチが現れた。
後日、
「二八歳の大人より一〇歳の坊やの方がよっぽど頼りになるとは残念だねぇ」
とレーナ叔母さんが言ったとか言わなかったとか。
宇宙暦七七四年七月一八日 グレゴリー=ボロディンに長女誕生。アントニナと名付けられる。
後書き
2014.09.22更新
第3話 士官学校
前書き
なかなか上手く視点変更が書ききれません。
とりあえず原作登場人物を2名とオリキャラ(名前だけ)を登場させてみました。
宇宙暦七八〇年一一月一〇日 テルヌーゼン市
父の死からいろいろあったが、正式に俺はグレゴリー叔父の被保護者となった。まぁグレゴリー叔父も軍人で、民法上の手続きによる養子とはいえ、現実はトラバース法の状態と大して変わりはない。
だがトラバース法であれば、一五歳までの養育期間中は政府から養育費が支給される。それに遺児が軍人か軍事関連の職業に就くのであれば養育費の免除がある。逆にいえば本人が期間終了後軍事関連以外の職業に就くとなれば、養育費は国庫に返還しなければならない。
俺は士官学校への入学を希望していたし、当然その事実はグレゴリー叔父もレーナ叔母さんも知っていたはずなのだが、二人はあえてトラバース法ではなく民法上の扶養手続きを取ったのだ。特にアントニナを産んだばかりのレーナ叔母さんが、トラバース法の適用に断固として反対したらしい。
「冷静に考えるとね。ヴィク(養子になってからレーナ叔母さんは俺をこう呼ぶようになった)が一五歳になった時、アントニナはジュニアスクールに入学するでしょ? いっぺんに養育費を返還するのは家計上苦しいのよ」
そうアントニナを横に寝かせていたレーナ叔母さんは言っていたが、全く筋が通っていない事くらい俺には分かっていた。国に俺の将来を縛らせたくない。俺を軍人にはしたくない。という親心は十分すぎるほど理解できる。
結局、一五歳の時に俺は士官学校の入学志望届を出した。既に准将に昇進していたグレゴリー叔父も、六歳のアントニナと三歳のイロナと乳飲み子のラリサ(なんでみんな妹ばかりなのよ)を連れたレーナ叔母さんも反対しなかった。若干寂しそうな顔をしていたのは見間違いではない、と思う。
ともかく俺は宇宙歴七八〇年に自由惑星同盟軍士官学校に入学することを許された。入学時の席次は三七八番/四五六七名。戦略研究科志願者内では一四五番/三八八名中。というか、この入学試験が半端なく難しい。
一五歳で卒業するミドルスクールの学力を基準にしているというのは真っ赤な嘘だと、ヴェルドーラ市立ミドルスクールの最優秀卒業者である俺は断言できた。普通にユニバースクラスの問題が並んでいる。まさかここで第二の人生躓くわけにはいかないと必死に勉強してもこの席次。前世の基準でいえば中学三年生に、三田の医学部を受験させて満点を獲れという感じ。一応四年制大学を卒業している身としても、社会人を一五年近くやっていて記憶が完全に飛んでいた俺には、久しぶりの受験勉強は身に染みた。
「そのくらい出来て当然じゃないのか。ヴィクトール」
というのが、宇宙歴七六四年戦略研究科入学席次一二番/四二七五名中の叔父のありがたいお言葉であり、
「だから法務研究科か後方支援科か戦史研究科にしておけばよかったのよ」
というのが、宇宙歴七六五年法務研究科入学席次三三番/四四七七名中の叔母のありがたいお言葉である。……宇宙船暮らしでろくに勉強してなさそうな魔術師の脳みその良さを思い知らされた気がする。
ともかく俺は士官学校の初年生として、実家と大して距離の離れていないテルヌーゼン市で集団生活を送っており……
「貴様ら、よくその程度の知力と体力でこの栄えある自由惑星同盟軍士官学校におめおめ来れたものだな。もう一度鍛えなおしてやる。グランドをあと一〇周。俺に続け!!」
そういって再び走り出す、少し伸ばせばなかなかに見ごたえがあろう金髪をきっちり角刈りした、胸筋ムキムキランニングな二年生に付いていくこと三〇分。もはや一人で立つことすらできない俺達初年生は、同室の仲間と互いに肩を貸し、足を引きずりながら部屋へと戻っていく。
「ランニングとはいえ、さすがに“ウィレム坊や”が出てくるとキツいな、ヴィク」
俺と肩を組んだまま、二段ベッドの下へ仰向けで倒れこんだ同室の戦友(バディ)は、荒い息遣いで目を閉じて言った。俺も今は『あぁ』としか答えられない。
だいたいあの“ウィレム坊や”の存在は異常だ。現役合格で士官学校の二年生なのだから、数え年一六歳の俺達より一つ年上なだけなのに、体つきは二〇過ぎのレスラーと言っても過言ではない。それでもただの脳筋であればまだ可愛げがあるに、学年主席だという。そして当然のように戦略研究科に所属しているから、直下の学年である俺達は徹底的にしごかれる。三年四年の上級生も、戦術シミュレーションや射撃実技等で後れを取っているせいか、形式なりとも“ウィレム坊や”が敬意をもって接している以上、あまり口を挟んでこない。第三次ティアマト星域会戦で、自分の年齢以上の軍歴を持つビュコック提督にああも慇懃無礼な態度が取れるというのも、士官学校におけるこういう経験が原因なんじゃないだろうか。なお最上級生は現在絶賛訓練航海中で不在。帰還は三か月後。それまでは“ウィレム坊や”の天下だろう。
「ところでヴィク、今、何時だ」
「一八三七時だ。フョードル=ウィッティ候補生殿。飯に行くなら一人で行け。ついでに哀れな同室戦友に冷たい経口補給水を持ってきてくれると感謝してやる」
「ヴィクが俺に感謝してくれたことなんかあったか?」
「口に出した記憶はないが、心の内では毎日感謝している」
「あほぬかせ」
同室戦友のフョードルの悪態を聞き流しつつ、ようやく息が整った俺はベッドの端に半身を起こし、大きく息を吐いた。士官学校に入学して数日のうちに、同室戦友となった彼ウィッティは、原作ではクブルスリー本部長の高級副官でクーデターの最初の一撃であるアンドリュー=フォークの狙撃事件を未然に防げなかった奴だ。入学早々、特徴的な髪型をした原作登場人物に出会って俺は驚いたものだが、次の週には“ウィレム坊や”に遭遇したので、もう驚くことは諦めていた。まだ会った事はないが後方支援科四年生にはアレックス=キャゼルヌの名前も確認した。
これからの同盟、それも軍事的な意味に絞ってのみ考えれば、俺の年齢を境にして上下五年の世代の士官という存在は極めて貴重だ。帝国領侵攻時には三七歳から二七歳。いずれにしても働き盛りで軍の中核となる存在になっているはずだ。もしかしたら好き嫌い関係なく彼らと積極的に交流し、金髪の孺子による侵攻を阻止できるだけの戦略と戦力と叶うのであれば国力を構築することが、転生者として同盟に産まれた俺のめざすものではないか?
勿論わざわざ金髪の孺子が元帥や宰相になるまで待ってやる必要もない。同盟軍が金髪の孺子をその砲火の下に捕らえた事は幾度としてあった。その機会を逃さず仕留めればいい。ついでに一緒にいる赤毛のイケメンも仕留める事が出来れば、自由惑星同盟は少なくとも近々で滅亡などという事は回避できる、と思う。
「おい、ヴィク!!」
突然体を揺さぶられ、俺は慌てて眼を瞬いてから小さく首を振ると、目の前にウィッティの顔があった。
「お前、時々そういう風に突然意識を飛ばすことがあるが、それは一体どういう病気なんだ? もしかしてオカルト的な『なにか』なのか?」
「いや、単に空想好きって奴だ。むしろ非常に想像力が逞しいと言って欲しいね」
「……士官候補生として、それがいい事とは思えないが、お前、今のうちに夕飯を食べないと拙いんじゃないか? 今晩は当直巡回だろ」
俺はウィッティの言葉に、一度目を閉じて今日の予定表を思い浮かべる。一八三〇時、第五限終了。一九〇〇時から二〇三〇時までが希望者の自習時間。その間の二〇〇〇時から士官学校内の閉門及び巡回業務がある。たしかにウィッティの言うとおりだ。
「おっしゃる通りだ。我が高級副官殿」
「おい!! いつから俺はお前の高級副官になったんだよ」
ウィッティが容赦なく俺のちょっと短めに切りそろえられた琥珀色の頭を叩く。確かに痛いが、後に引きずるような強さではない。彼の気遣いに感謝しつつ、俺は“ランニングで”痛む体を起こすと彼と共に食堂へと向かった。
だがこのタイミングで食堂に行ったのは明らかなミスだった。
かなり広い食堂ではあるが、雑然としているわけでもない。四隅がそれぞれの学年ごとに占有され、食堂の中心あたりが学年間の交流スペースになっている。学年を跨いでの部活動や同好会活動の打ち合わせなども行われているわけで、上級生と下級生の『美しき』上下関係もそこかしらで見受けられるわけで……
「おい、そこの初年生二人。第二分隊のヴィクトール=ボロディンとフョードル=ウィッティだったな」
こっちに来い、と言わんばかりに大きな声と手招きで俺達を呼び寄せるのはやはり“ウィレム坊や”だった。
「「ご用でしょうか、ホーランド候補生殿!!」」
「用があるから呼んだんだ。そこに座れ」
「「はっ」」
バカ丁寧に敬礼する俺達を一睨みすると、自分の取り巻きの一部にずれるよう顎で指図する。同期生相手にその扱いはどうかとは思うが、怒るのも怒らないのも取り巻きA・Bの心の持ち方一つだし、下級生の俺が斟酌する話ではない。遠慮なく俺とウィッティが空いた席に座ると、ドンと太い腕で安造りのテーブルを叩いた。
「貴様達には聞いておきたいと思った。特に第二分隊でもお前達は目立つ二人だからな」
「は」
「二人とも父君が将官だというのは聞いている。そこで聞きたいのだが……」
「失礼ですが、それは違います」
「どう違うのだ?」
話を止められ明らかに不愉快な表情になったホーランドに対し、俺は遠慮なく答えた。
「私の父もウィッティ候補生の父も既に戦死しています。私の場合は叔父に引き取られましたが、ウィッティ候補生はトラバース法によりアル=アシェリク准将閣下のお世話になっていたのです。故に父親が将官であるというのは不正確です」
それが俺とウィッティの共通点。高級軍人であった父親が戦死したことと、扶養先も高級軍人の家庭であること。その事実を知っている教官達は、俺達に対して他の候補生とは時折ではあるが、若干違った態度で接することがある。
ゆえに一般家庭から努力で這い上がってきたと思っている奴や、同じ養子先でも佐官・尉官の家庭に送り込まれた奴から俺達二人はあまり好かれていない。特に平凡そのものの俺達がエリート揃いの戦略研究科に在籍しているのは『何らかの意図』が働いているのではないか、と勘ぐる奴すらいる。逆に取り巻きになって、卒業後の配属先に配慮してもらおうと考える奴もいた。そういう奴らに対して俺達二人は明確に隔意を持って接してきた為、最近ではごく普通の同期生すら必要以上に俺達に接近することがなくなってきている。
だが、この自分の能力に過剰なほど自信を持っている上級生ですらも、そういう奴らと同じように考えているのかと思うと俺は軽く失望せざるを得なかった。
「……わかった。不正確だったのは認めよう。だが俺が聞きたいのはそういうことではない」
逆らって来た事に対する不満よりも、俺の呆れたと言わんばかりの視線に自身を軽く見られた事に屈辱を感じたであろうホーランドは、小さく舌打ちしてからそう応えた。
「貴様達は子供の頃から軍事教育を受けてきたと思うが、戦争に勝つためには何が必要かも教わって来ていると思う。受け売りでも構わん。是非教えてもらいたい」
俺はホーランドがそう言うことすら信じられず一瞬呆然とした。左横に座るウィッティも同じように困惑している。だが数秒して頭に血が回り始めた俺は今更ながら納得した。この自信満々な“ウィレム坊や”は俺達に教えを請うているのではなく、俺達の後にいる将官に教えを乞うているのだと。
そう考えると、俺はやはり可笑しくなった。“ウィレム坊や”もせこい野心を抱えているのだ。それに対して、今更ながら軽蔑だの何だのと余計なことを考える必要はない。グレゴリー叔父の名前だけ借りて、言えるだけ言ってみよう。それで今後……第三次ティアマト星域会戦までに影響を与え、原作では失われてしまった第一一艦隊の将兵が少しでも救われるのであれば。
「戦争に確実に勝つ方法はただ一つ。敵に比して一〇倍となる圧倒的多数の戦力と、正確で適切に運用可能な情報処理機能、および確実に途切れることのない後方支援体制を確立し、それを運用できるだけの国家経済力を整備することです」
悪いな。不敗の魔術師さん。台詞を貸してもらうぜ。
後書き
2014.09.24 更新
2014.09.24 士官学校の入学定員数を変更
2014.10.25 アントニア→アントニナ(3ヶ所)修正
第4話 士官学校 その2
前書き
ゆっくりじっくり士官学校編です。
自分としては“ウィレム坊や”が無能な提督だとはとても思えないんですがね。
ただ中将になったまでの経験とかが、彼の能力を偏ったモノにしてしまったのかと。
宇宙暦七八〇年 テルヌーゼン市
「戦争に確実に勝つ方法はただ一つ。敵に比して一〇倍となる圧倒的多数の戦力と、正確で適切に運用可能な情報処理機能、および確実に途切れることのない後方支援体制を確立し、それを運用できるだけの国家経済力を整備することです」
原作ではトリューニヒト国防委員長にあの魔術師が言った台詞だ。確かあの時は五倍だったか? トリューニヒトを鼻白ませる為に、わざと過大なことを言っていたというイメージだ。
前世地球上で繰り返された戦争を思い返すならば、『戦争に勝つ』にはこれだけの前提条件でも不足だ。少数戦力が多数戦力を撃破したことは幾度としてある。とくに非対称戦などにおいては『戦闘に勝っても戦争で負ける』ことはよくある。
結果として巨大な軍事力を、無理なくセオリー通りに運用できる国家経済力があれば、『戦争に勝つ』ことは出来なくても『戦争に負けない』ことは出来る。前世で明治日本が強大な帝政ロシアに勝利したというのは、講和によって相対的に勝利したように見えるだけであって、クレムリンに日章旗を揚げたわけではない。もしロシア国内で革命が起こらなければ、豊富な帝政ロシア陸軍により満州の日本軍は蹂躙されていた可能性もある。外交や謀略戦の重要性は言うまでもないことだが、こと同盟と帝国とフェザーン自治領しかないこの世界には、イギリスやアメリカに匹敵する戦略を揺るがす事の出来る戦力を有した第三国が存在しない。
そして現状の同盟が帝国の侵略に対抗できるのは、ひとえに国家体制・技術力などを含めた両国の総合国力に致命的な差がないことにある。原作を知っている俺は、そこで『とある自治領の黒狐』を思い浮かべたが、この場でそれを言ったところであまり意味はないし、どうせ説明しきれない。
「……貴様、俺をバカにしていっているのか?」
俺に注がれる“ウィレム坊や”の視線は明らかに危険な水位に達していた。トリューニヒトは政治家で、しかも表情を平然と取り繕うことの出来る主演男優であるから、魔術師は問題なかった。目の前の“ウィレム坊や”は士官候補生で、しかも自分の能力に過剰な自信を持っている奴だ。瞬時に拳が飛んでこなかったのは、俺の背中にグレゴリー叔父を見たからだろう。
「だいたい一〇倍の戦力などどうやって整える。貴様は一〇倍の戦力がなければ、我々は帝国軍に勝てないとでもいうのか!!」
「ホーランド候補生殿。これは自分があくまでも『戦争に勝つためには何が必要か』という候補生殿の問いに対し、養父や学んだ知識から導き出した自分なりの答えに過ぎません」
いつ飛んで来るか分からない拳に正直怯えつつ、俺ははっきりと“ウィレム坊や”の両眼を見据えて答えた。こういう場合、相手に答えを言わせてそれとなくぼやかしつつ、丁度いい引き際を見計らうのが、前世で社会人だった俺が学んだ本当にどうでもいい処世術だ。
「ですから、もしホーランド候補生殿に別のご意見があるのでしたら、是非とも後学のためにお聞かせ願いたいと自分は考えます」
そこまで俺が言うと、俺達のテーブルを中心に半径数メートルの視線が、“ウィレム坊や”に集中する。まともな答えがないとは言わせないという雰囲気が若干ながら漂いはじめる。特に“ウィレム坊や”にいいようにされている三年生・四年生にその傾向が強い。だったら人任せにしないで自分達で掣肘しろと言いたいところなんだが。
その微妙な雰囲気を感じ取ったのか、“ウィレム坊や”は明らかに必要もない咳払いを一つ入れてから答える。
「まずは現在の艦隊編成を火力と機動力に優れたものに順次切り替え、個々の艦隊戦において帝国に比し優位に立てるよう整備する。帝国は第二次ティアマト星域会戦での敗北以降、回廊に要塞を建設し、この要塞を根拠地とした戦力の逐次投射による離隔と突進遠征を行っている。その意図が数的優位を基本とした消耗戦である以上、要塞を攻略・奪取することにより帝国の戦略そのものを崩壊させ、同盟軍による帝国領侵攻が可能となる」
「なるほど」
一見正しいように見える意見だ。帝国軍の戦略意図に関してはほぼ間違っていない。現在のそして将来の同盟軍上層部も同じような見識を持っているのだろう。故にイゼルローン回廊で数多の同盟軍の将兵が屍を晒したのだが。
「しかし、イゼルローン要塞の要塞主砲と要塞外壁の防御力、それに駐留艦隊の機動戦力は軽視できません。ホーランド候補生殿はどうやって攻略しようとお考えですか?」
「圧倒的な火力だ」
してやったりという笑顔で“ウィレム坊や”は俺に答えた。
「ビーム攻撃であの要塞が揺るがないことは知っている。だが機動力に優れた大火力部隊を要塞主砲の死角に送り込めば、要塞自体を直接攻撃できる」
ヌフフフフという例の気持ち悪い声を上げて満足そうなホーランドに向かって、俺はわざと神妙な表情を浮かべて沈黙した。俺の態度を見た取り巻きA・Bは満足そうだし、周囲で聞き耳を立てていた三年生・四年生からは明らかに失望の雰囲気が漂っている。
ここで引き下がっても、俺は別に問題ない。周囲からさらに隔意をもたれるか、それともホーランドの取り巻きとして扱われるか、所詮は他者の視点であって俺が斟酌すべき話ではない。ただホーランドの言っていることが戦略ではなく戦術レベルであることと、過剰な攻撃力重視・補給軽視の問題点を指摘しておかねば、将来貴重な将兵が失われることになりかねない。それだけはどうしても俺の心が許せない。俺は一度小さく腹から息を吐いて“ウィレム坊や”を真正面から睨み付けてから言った。
「大火力部隊を持ってイゼルローン要塞を直接攻撃する。結構なことです。ですが実現するには多くの問題点があります」
俺のあからさまな反抗的態度に、“ウィレム坊や”もすぐに気がついて気持ち悪い声を止め、両拳を握りしめている。右横ではウィッティが心配そうに俺を見つつも、僅かに椅子から腰を上げ重心を俺寄りにしている。俺が殴られそうになったら、俺を突き飛ばして身代わりになるつもりなんだろう。まったく困った同室戦友だ。
「まず大火力部隊を要塞近辺にまで送り込ませねばなりません。要塞主砲の有効射程も出力も艦砲のそれとは比較にならず、要塞駐留艦隊もいる以上、接近することだけでも困難が伴います」
「次に要塞を直接攻撃できるだけの兵器となると、艦砲などではなくレーザー水爆ミサイルの艦隊規模発射しかありません。しかも数度にわたってです。レーザー水爆は有効射程が短いだけでなく、実体弾なので充分な補給がなければたちまち火力不足に陥る事になります」
「さらに直接攻撃を行う部隊を要塞駐留艦隊から防御する艦隊も必要になります。直接的にも間接的にも。当然ながら要塞駐留艦隊の規模よりも大きくなければなりません。場合によっては三個、いや五個艦隊を動員することになるでしょう。彼らに十全な戦闘能力を持たせるには、大規模な後方支援体制を用意せねばなりません」
「ついでに申し上げるならば、仮に要塞攻撃が失敗した場合、失われる戦力も膨大になります。それを補いつつ、国防体制を維持するのは現在の同盟の国力では困難です」
ここまで言い切って、俺は一度大きく呼吸した。目の前の“ウィレム坊や”は顔を真っ赤にして俺を睨み続けている。
はっきりいえば俺の答えには幾らでも反論のしようがある。的に察知されず接近するなら妨害電波などの支援方法もあるし、原作通りミサイル攻撃専用の艦艇を用意したうえで、囮としての大兵力も動員可能だ。だが最後の一点だけは反論のしようがない。もっともあの要塞を陥落させた方法は全く違うのだが。
「ゆえに、大規模な戦力を維持・運用できるだけの充分な国力を整備することが、戦争勝利の方法であると自分は考えております」
この言葉が止めとなった。“ウィレム坊や”は何も言うことなく赤い顔のまま『フン』と鼻息を吐くと、取り巻きを連れて大股でカフェを出て行く。ホーランドが椅子から立ち上がった時、正直殴られると思った俺は全身に力を込めたし、ウィッティも腰を浮かせたが、立ち去っていく姿を見て俺達は崩れるように椅子へ腰を落とした。
「……お前が殴られずにすんで良かったよ。ヴィク」
「……正直俺は、アイツが殴りかかってくると思ったんだけど」
「いやいや“ウィレム坊や”も少なからず教訓を得てくれたようで何よりだ」
お互いの情けない顔を見て溜息をつく俺とウィッティだったが、肩を落とし背中が丸まっている頭上から浴びせられた暢気な声に、俺達は疲れた首を振り上げた。
そこには随分と若作りな悪魔の尻尾を持つ要塞事務監が立っていた。
相手は四年生。こちらは初年生。先任順序は軍隊の鉄則だ。俺達は疲れた身体を今一度椅子から立ち上がらせ敬礼する。キャゼルヌも面倒くさそうに答礼すると
「あれほど補給・補給言うからてっきり後方支援科だと思ったんだが、戦略研究科とは思わなかった。これでしばらく“ウィレム坊や”も大人しくなるだろう」
あまりにも他人行儀な言い方なので、俺はカチンと来て言い返した。
「こういっては身も蓋もありませんが、彼の増長を押さえることが上級生の仕事では?」
「確かに身も蓋もない言い方だが、アイツはあれでちゃんと上級生に対しては礼節を保っている。目の前の誰かさんのような言葉遣いはしないのさ」
と、怒らずそして悪びれず答えるものだから、結局俺もウィッティもお互いの顔を見合わせずにはいられなかった。
この事件というか遭遇戦以降、キャゼルヌが卒業するまで俺達二人は彼の『暗黙の保護下』みたいな扱いを受ける羽目になる。しかも『あの』ホーランドを口で撃退したということで、それまでホーランドに遠慮していた戦略研究科『以外』の候補生が何かと気を遣ってくれるようになった。特に秀才揃いで男性比率の高い戦略研究科ではなく、女性比率のかなり高い情報分析科や半々の後方支援科などからお誘いがくるものだから、俺達二人の戦略研究科での立場がたいへんいろいろな意味で『微妙』になってしまった。
もっとも前世日本でモテ期のなかった俺としては、たちまち女性との付き合い方に不慣れな面を露呈してしまい、『なんていうか、顔も性格も家柄も悪くないんだけど恋人にするにはちょっと』みたいな扱いになってしまった。むしろそういう面ではウィッティが調子に乗っていたと思う。
そしてホーランドなどは『あいつ等は口先だけの軟弱者だ。実戦になれば後方支援ぐらいしか役に立たない』などと陰口をたたいているらしい。お陰で直上の二年生からは圧力を伴った視線を感じる事がしばしばだ。だが『保護者が将官だから贔屓されている』と言わないところは、さすがにエリート連中だと思ったが。
ともかく暗黙の保護下で、俺はウィッティとそれなりに努力し、二年進級時には戦略研究科内でも上位の成績を収めることが出来た。同科上級生からのストレスを、上手い具合に発散できたと思う。
正直言えば、自分が銀河英雄伝説の世界にいることを満喫していたのかもしれない。体力はホーランドのイジメ寸前とも言うべき『追加』訓練でゆっくりとではあったが充実していったし、あの魔術師がいやがっていた「戦闘艇操縦実技」や「射撃実技」も、前世では経験できなかったことだったから興味を持って取り組めた。「戦史」「戦略論概説」「戦術分析演習」もそれなりにというか、ぶっちゃけ『ヤンに負けたくない』という無謀というべき意地で高得点を確保してきた。
ただ「戦略戦術シミュレーション」の成績が、戦略研究科としてあまりにも芳しくなかったのだ。
後書き
2014.09.24 更新
2014.09.24 言い回し修正
第5話 士官学校 その3
前書き
数多くのPV、本当にありがとうございます。
正直、これほど反響があるとは思っていませんでした。
ですがちっとも話が進みません。主人公最初の挫折です。
宇宙歴七八一年 テルヌーゼン市 士官学校二年生
「戦略戦術シミュレーション」の成績が、あまり芳しくない。
それは将来、艦隊を指揮する立場となるべき人材として期待されている戦略研究科の候補生として、かなりマイナスと評価される事実だ。もちろん戦略研究科の卒業生が、全員艦隊を指揮するわけではない。だが星間国家の実力組織として最大のものが宇宙艦隊であることは疑いようのないことで、シミュレーションは実力組織をいかに効率よく運用できるかという指標でもある。もともと戦史研究を志望していた不敗の魔術師は、一〇年来の天才をシミュレーションで破ることにより出世の足がかりを手にした。
いくら他の科目成績が良かったとしても、才能あるいは適正がないということで、艦隊を指揮する立場には立てない。「戦略戦術シミュレーション」六五点という成績を前に俺はかなり焦っていた。
艦隊を指揮する立場に立てないにしても、三一年後の同盟崩壊を救う手だてがないわけではない。だが自由惑星同盟という星間国家の生存条件として、あの金髪の孺子を仕留めることは絶対条件だ。情報部の工作員として帝国に侵入し暗殺するというのも手ではあるだろう。地球教徒やテロ組織を活用する手もあるだろう。だが『赤毛ののっぽさん』や『やたらと口の堅い猫』が周囲を固めているところに突入して首尾良く殺せるとはとても思えないし、他人任せは不確定要素が多すぎる。だいいち、俺は陸戦で一対一となっても孺子に勝つ自信はない。
俺が確実に金髪の孺子を殺す為には『ハーメルンⅡ』『エルムラントⅡ』『ヘーシュリッヒ・エンチェン』『タンホイザー』『ブリュンヒルト』のいずれか、あるいは全てを“戦場”で撃沈するしかない。あるいはヴァンフリート四-二を惑星ごと吹っ飛ばすかだ。その為にはどうしても実力としての宇宙艦隊、あるいは宇宙戦闘艦の指揮権が必要だ。
そして首尾良く孺子を殺す事が出来たとしても、不敗の魔術師によるイゼルローン攻略が成立し、帝国領侵攻が議会に提出され討議に移った時、実働戦力を有していない、あるいは指揮したことのない高級軍人の言葉に耳を傾けてくれる人はそう多くないだろう。艦隊指揮官としての実績のあるなしは、後方でも大きなファクターだ。
「おい、ヴィク。知っているか?」
俺が教官から渡された「戦略戦術シミュレーション」の成績表と睨み合っていると、士官学校生活一年間ですっかり要領を覚えたウィッティが、端末片手に暢気な声で俺の背中を突っついた。
「こんど校長が交代するらしいぜ」
「ふ~ん。誰から聞いた?」
「キャゼルヌ先輩だ。今の校長は年度末で定年になる。それで本部から新鋭の中将を呼ぶって話だ」
「つまりポストが空くまでの『腰掛け校長』か」
「ま、そういうことだ。あまり真剣に仕事してくれるとは思えないな」
溜息をつくウィッティに、俺は肩を竦めて応じた。
士官学校の校長は、基本的に同盟軍中将を持ってあてることが軍憲章には記されている。後方にあって優秀な士官を育てるという任務は、軍にとって最重要任務と言っても過言ではない。だが実際のところ優秀な高級軍人というのは実務・実戦で必要とされており、戦局に大きな影響を与える事のない(そう考えていること自体が間違いなんだが)後方の教育職は軽んぜられる傾向がある。出世コースから外れた退役まで六年程度の老中将か、あるいは次期重要ポストが空くのを待つ若手の中将が当てられる。士官学校校長の在任期間は平均すれば四年だが、老中将は退役まで在任し、期待の若手は一・二年で転出していくので、実際に四年間在任する校長は殆どいない。
ただこの時、俺の思考は「戦略戦術シミュレーション」の成績に集中していた為、新年度になるまで士官学校の校長については忘却の奥底にしまい込まれていた。
大講堂の中央演壇に、あの長身黒人『中将』閣下が登壇するまで。
そうだった、と今更後悔してももう遅い。三年後には魔術師が、五年後には自称革命家が入学してくるのだから、シドニー=シトレが校長となるのは間近であったのは間違いない。ただウィッティの『腰掛け校長』という言葉に惑わされただけなのだ。宇宙歴七八五年に校長職であったといっても、その年に『着任』する必要はないわけで。
「そう嫌そうな顔をする必要があるのかね。ボロディン候補生」
巨大な書斎机に白い布がぴっちりと掛けられた本革ソファ。壁一面に並べられたトロフィーや報償盾。そして歴代の校長の写真が天井近くにばっちりと並んでいる。士官候補生がこの部屋に入ることが許されるのは、成績上位者の表彰を受ける時と、落第や譴責の通告を受ける時の二通りしかない。だから俺は呼ばれた時、ばっちりと七年前の出来事を思い出した。
一体なんなのよ。この状況。
「……校長閣下。自分はなぜ呼び出されたか、よく分からないのでありますが」
「校長が校長室に士官候補生を呼んではいけないという規則はないはずだが?」
「正当な理由があるのであれば、お教えいただきたく存じます」
「亡き戦友の息子の顔を見たかった、ではいかんかね?」
予想通りの返答に俺は失礼を承知で大きく溜息をついた。公私の区別が付いていないなどと杓子定規にいったところで、この校長にはさして効果はないのは分かっている。
「こんな顔でよろしければ写真でも撮ってください。ですが、校長室に呼ばれるというのはこれっきりにしていただきたく存じます。全候補生に贔屓されたと思われますので」
「そう思われても大して気に留めないくせによく言う。だが私が君を呼んだのは、別に理由がある」
そう言われては、俺としても背筋を伸ばして聞くしかない。亡き父の上官であり、良き先達者である彼との間には、一〇の階級が横たわっている。だが、少なくとも認めたくはないが尊敬する彼の言葉を聞いて、俺は体温が急激に降下したのを感じざるを得なかった。
「君は軍人に向いていない。私は出来るだけ早いうちに君が退学届を出すことを期待している」
言葉にするといささかテンプレ的ながら、俺はどうやって自分の部屋に戻ってきたか分からなかった。ただ本当に、意識を自覚したのはウィッティに頬をペシペシと叩かれてからだった。
「いきなり新校長に呼ばれたから、どんなとんでもないイタズラをしたかと思ったが、大丈夫か? 顔、真っ青だぞ?」
「あ、あぁ……」
「どうしたんだ。退学しろとでも言われたのか?」
「あぁ」
「……はぁ!?」
ウィッティの顔はいっそ見応えがあった。あの面長な顔に目と口で丸が三つ出来たのだ。だがその顔を近づけて俺の肩を揺すられると、マジでビビる。この顔ならあのオフレッサーにも勝てるんじゃないか。ガッチリと俺の肩を掴むウィッティの指が、まるで針金のように感じられる。
「一体どういう理由で? ヴィクは全科目平均で八五点を越えているだろ。確か二年進級時成績は……」
「一九番/四五五〇名中。戦略研究科で一三番/三八八名中」
「少なくとも俺よりは上だ。ヴィクの成績が退学に値するなら、同時に士官学校の生徒を四五三一名も退学させなくてはならない。そんなアホな話があるか」
俺の肩を掴んでいた両手を放し、部屋から出て行こうとするウィッティの後から襟首を掴んだ。
「校長室へ行くつもりだろ、ウィッティ。止めてくれ」
「分かってて止める理由はなんだ、ヴィク。お前の正統な権利を侵害されているんだぞ?」
「校長は『退学届を出すことを期待している』と言っただけだ。『出せ』と命じたわけじゃない」
俺はヴィクだけでなく自分にも言い聞かせるように言った。そうしなければ、俺自身ウィッティの手を離したくなってしまう。
「俺には軍人になるべき重要な何かが欠けていると、校長は言っているんだ。それを見つけ、校長が言った言葉が正しいか自分で判断するまでは、反論も抗議もする意味がない」
そこまで言い切ると、さすがにウィッティも立ち止まり、俺を見下ろして言った。何を言うのかもだいたい想像がつく。
「校長の言っていることが正しかったら退学するつもりか?」
「するわけがない。俺には軍人になってやらなければならない事がある。必要であるなら改善するし、必要でないなら改善しない。校長に抗議するかしないかは、俺がその時に決める」
図らずも第二の人生を銀河英雄伝説の世界で過ごすことになった。こちらの世界の父親は帝国軍によって倒された。恨む、という気持ちは残念ながら浮かんでこない。我ながら『親不孝』だとは思うが、軍人となり自由惑星同盟を滅亡から救いたいという気持ちのほうが強い。
だから『軍人に向いていない』からといって『退学届をだす』つもりはない。
だがなぜシトレは俺が『軍人に向いていない』と判断したか。それを知ることは決して損ではないと、俺は思った。
後書き
2014.09.26 更新
第6話 士官学校 その4
前書き
ようやく主人公は士官学校2年生です。
多分次は時間がちょっとジャンプします。
宇宙歴七八一年 テルヌーゼン市 士官学校二年生
軍人に向いていないと告げられてから三ヶ月。
俺の士官学校生活は初年生とほとんど変わりなく過ごしている。後輩という者ができて先に敬礼する回数こそ減ったが、まだ上級生の方が圧倒的に多い。そして相変わらず「戦略戦術シミュレーション」の成績は良くない。
さすがにこのままではよくないと、評価の高い同級生や上級生の結果を何度も見なおした。腹は立ったがここ数年では最優秀という“ウィレム坊や”の戦いも、だ。
だが何度見返しても、自分との比較を繰り返しても彼らの戦い方が自分よりも優れているとは思えなかった。むしろ何故自分の成績がこれほどまでに低く扱われているのかが理解できない。
「戦略戦術シミュレーション」はその名の通り、仮想的な宇宙空間の中で、与えられた戦力・資源を用いて戦略的・あるいは戦術的目標を達成させるゲームのようなものだ。宇宙艦隊を率いて戦略目標を撃破するシナリオが最も多いが、他にも物資輸送、星域占拠、空間制圧等の戦術シナリオもある。幾つかの戦略・条件が重なり合った中で、複数の勝利条件をどれだけ満たしていくか。それが評価の可否となる。早い話が前世に繰り返し行っていたゲームのより精度の上がったバージョンで、よりリアルに、より厳しくクリア条件が設定されているものだ。
前世で銀河英雄伝説のゲームはかなりやり込んだ。完勝することだってあった。だがそれは戦略的条件が極めて安易に設定されていたことを、今の俺はよく理解できる。失敗しても基地に戻れば補給が出来、艦艇や兵員の補充も可能だった前世のゲームとは違い、「戦略戦術シミュレーション」では、失われた艦艇・兵員の補充は戦略条件で認められているもの以外は一切ない。
故に実働戦力の戦略保存こそ優先されるべきであり、戦略最優先目標を達成するために不必要な戦闘は出来うる限り回避する。敵艦隊の撃滅を目的としている場合、交戦時は徹底的に防御を優先し、敵艦隊の全滅撃破ではなく、敵部隊の実力結束点の破壊と敵旗艦撃破に打撃力を集中する。逆に戦略輸送が最優先目標とされる場合は、実働戦力を牽制に利用し、確実に全ての物資を送り届ける。それが俺の考え方だ。
結果として俺は与えられた最優先戦略目標を「確実に」達成している。しかも損害は軽微だ。その代わり付帯目的ともいえる追加勝利条件を達成したことは、偶然を除いてあまりない。ゆえに評価として満点を取ったことは一度もなく、落第点を取ったことも一度もないというのは理解できる。
“ウィレム坊や”は戦略輸送を最優先目標としているシナリオで、数隻の輸送艦や数百隻の護衛艦を失いつつも、襲撃してくる敵艦隊を華麗な戦術で完全撃破する。見ていても興奮するような鮮やかな勝利だったが、最優先目標である戦略輸送には僅かであっても失敗しているのだ。数隻の巨大輸送艦に搭載されていたであろう物資が輸送先に届かなかったことで今後の戦略を左右することもあるだろうし、数百の護衛艦には一万人以上の将兵が乗り組んでいる。それを失っているにも関わらず、何故満点+追加評価点なのかが理解できない。「戦略戦術シミュレーション」は『ゲームのようなもの』ではあっても『ゲーム』ではないはずなのに。
思い悩んだ末に俺は「戦略戦術シミュレーション」の主任教官に質問をぶつけた。戦略最優先目標の達成に僅かであっても失敗しているにもかかわらず満点+追加点を与えるのは、いかなる理由なのか……
「実際の戦場において、戦略最優先目標を完璧に果たすことは不可能だ。日々システムを更新しているが、現実には、シミュレーションでは補いきれない不確定要素も数多く存在する」
主任教官は、俺が“ウィレム坊や”と一悶着あったことを既に知っており、またグレゴリー叔父の養子である事も知っている為か、頭ごなしではなく聞き分けのない子供を諭すような口調で答えた。
「故に戦略最優先目標には『ある程度の損害』が発生することは織り込み済みなのだ。そして実戦においては想像もしていなかった危険な事態というのも発生する。この場合は『敵艦隊の奇襲』だ。それを最小限の犠牲を持って排除し、なおかつ戦略最優先目標を達成したのだから、満点であり追加点を与えることになったのだよ」
「物資を搭載した輸送艦を失うことも、数百隻の護衛艦艇を失うことも『想定される損害』であるのですか?」
「さよう。……なるほど君は確かにこのシミュレーションでは一隻の輸送艦も失っていないし、護衛艦艇も三〇隻しか失っていない。戦略最優先目標は達しているが、君は敵艦隊からは逃走している。君がこの命令を出した上官だとして、今後この宙域に戦略輸送を行わせるに際し、敵艦隊の奇襲の懸念を持たざるを得ないだろう」
「はい」
「その危険性を一度に排除したと考えれば、ホーランド候補生の評価は正しいものだと考えないかね?」
主任教官の問いかけに、俺は何も言うことが出来なかった。
最優先目標に被害が想定されているというのは分からないでもない。宇宙船技術がほぼ完成されたと言っていい状況下ではあるが、想定外やメンテナンス不足などによる事故は発生している。
敵艦隊が戦略輸送のルートに存在しているという伏線設定も、また分からないまでもない。情報部が想像以上にヘボで役立たずで、輸送ルートに一個艦隊規模の戦力がいる可能性を本部に伝えない可能性もなきにしもあらずだ。もちろん知らせておいて同数戦力を護衛として送り出す司令部もどうかしていると思うが、前提条件についてとやかく言う必要はない。
だが複数命令を与えて、それを達成させることで評価を加算していくやり方は明らかに間違いだ。まず最優先目標を達成するという使命をおざなりにしてしまう可能性がある。たとえばホーランドを襲撃した敵艦隊は、あくまでも戦略シミュレーション上で構成された仮想人格に率いられた艦隊だ。動きも緩慢で、ゲームなら平均的モブ敵キャラとも言うべき存在だ。もし敵艦隊が金髪の孺子に率いられていたら、あるいは色目違いの女たらしや体操選手や黒猪だったら? 俺だったら戦うことなく早々に逃走を選択するだろう。あるいは輸送艦を後方に待避させる時間稼ぎの為に、撤退を前提とした防御戦を挑むかもしれない。
つまりは『被害が出ることが前提』という考え方が、俺にはなかった。多少の被害があっても目標を達成し、なおかつ不確定要素を排除できることが『最上』ということだ。たとえその被害が『自分のもっとも信頼する部下の戦死』であったとしても。
前世であれば、確実に取れる契約を取ってくるだけでなく、他にも何件かの営業成績を上げるというのは十分評価に値しただろう。勇み足をして確実に取れる契約すら失ったとして、会社から罰を受けたとしても命まで取られるわけではない。だが戦場ではミスをすれば容赦なく命を奪っていく。
そういう現実に、俺が耐えられない。シトレはそう考えて『軍人には向いていない』と言ったのだろうか?
自分の手の届かない範囲での戦略前提条件により、目標を達成させるために損害が出る、ということに耐えられないだろうと。
もしそうだとしたら、俺を舐めるにも程がある。なにしろこちらは『一度死んだ』身だ。怖いのはチョコレートの中に狡猾に隠されたアーモンドだけであって、新たな人生の目標である『同盟の生存と自身の生存』を達成する為には、『多少の被害』など恐れない。もっともなるべくその規模を小さくしたいとは思うが。
結論が出た限り、シトレにはそれなりに返事をしなければならない。事務監に校長のアポイントを取ってもらい、俺は再び校長室でシトレと向き合い、その事を話した。だが今度もシトレの返事は同じだった。
「君は明らかに軍人向きではない。トラバース法の制約がないのだから、今からでも飛び級で一般大学へ進学して、官僚でも政治家でも目指すべきだと私は考える。若干危険な面も見受けられるがまずは許容範囲だ。君にはその分野での才能と能力がある」
一度溜息をついた後のシトレの言葉の節々に、若干なりとも苦渋が込められていることが俺には分かった。
「これは私個人の意見だ。君の人生だから君が決めることであって、私が本来とやかく言うべきことではないのも確かだ。だが軍という組織は、君の貴重な才能と能力を潰す可能性の方が極めて高い。敵の砲火が先かもしれんが。……まぁ軍組織の中で高位にいる私がこう言うのもおかしな話だがね」
「……自分は軍人ではなく政治家向きだと、仰られるのですか? おべんちゃらを駆使できるほどこの口は達者ではありませんが」
「おべんちゃらを言うだけが政治家の適正ではない。君には国家戦略レベルの視野があり、自由惑星同盟と民主主義という制度を守るという最優先目標を見失うことのない意志があり、目標に向かって努力するという才能があり、士官学校校長に真っ向喧嘩を売るだけの度胸があり、そして人が死ぬという戦争という社会現象を必要と知りつつも心底嫌っている。そういう人間が簡単に戦争で死なれては国家にとっての大きな損失だ」
そこまで言って、シトレはその長身を椅子から持ち上げ、俺の目の前まで歩み寄ると真っ正面に立つ。前世では一七〇センチだった俺の身長は、一六〇センチを若干越えたばかりであったから、二メートルのシトレが目の前に立つと、完全に仰ぎ見る形になる。
「君が一般大学に進学し、官僚で実績を備え、政治家として最高位になるにはあと三〇年は必要かもしれない。だが、その三〇年後から同盟が帝国とほぼ同レベルか若干上回る国力を手に入れる道を歩みはじめる」
「それは買いかぶりすぎです。校長」
「そう買いかぶりでもないさ。もし君が二人いるなら、一人は軍人として統合作戦本部長、もう一人が最高評議会議長となってもらい、二人で同盟を切り盛りしてもらいたいものだ。もっとも私は君の指揮下では戦いたくないから、その頃には故郷で養蜂でもしているがね」
ここで俺が原作の知識を披露できたらどれだけ気が楽になっただろう。一八年後に同盟は帝国に無条件降伏。一九年後には滅亡すると。滅亡から逃れるためには金髪の孺子を確実に倒さねばならないことを。
だがここで「私は別世界から転生してきた人間で、これから未来はこうなります」などと言えば、正気を疑われる事は間違いない。シトレの俺に対する評価は地に落ちるし、下手をすれば放校処分だ。
またたとえ政治家に転身したとしても、ジェシカ=エドワーズと同じように議員になることは出来ない。まず彼女と俺とは明確に政治スタンスが異なる。与党政治家としての道を進んだとしても、帝国領侵攻前に最高評議会の席に座ることは不可能だろう。分厚い評議会議員候補が俺の前に並んでいる。トリューニヒトのケツを舐めるというのであれば、もしかしたら可能性もあるだろうが。
「自分は軍人の道を進みたいと思います」
俺の言葉に、シトレは心底残念そうな表情を見せた後、俺の両肩に大きな手を乗せて言った。
「それも君の意志だ。尊重しよう。アントンも妙なところで頑固なところがあったが、やはり君は彼の血を引いているな」
「ありがとうございます」
「では今日これから、私と君は士官学校の校長と一候補生だ。分かったな?」
「承知しました。シトレ校長閣下」
俺は久しぶりに気合いの入れた敬礼を、シトレに向かってするのだった。
後書き
2014.09.27 更新
第7話 魔術師 入学
前書き
多くのPVありがとうございます。
前話より少し飛んで4年生となった主人公が、大した人生経験もないのに
偉そうに魔術師に人生訓をたれる話です。
宇宙暦七八三年 テルヌーゼン市 士官学校
士官学校に入学して三年が過ぎ、いよいよ四年生となる。先に敬礼する相手は間違いなく少数派になった。それだけで自分が小心者だと自覚しつつも、偉くなったようで少し胸を張りたくなる。“ウィレム坊や”が最上級生になり、実習航海やなんやで士官学校にいる時間は減るから、俺としても今年一年は伸び伸び学校生活を送れるようになるだろう。
しかしシトレの校長としての手腕は贔屓目抜きにしても実に見事だった。
欠点のない秀才よりも異色の個性を伸ばすところに教育の重点を置いている事により、「一芸に秀でているものの全体としての成績はそれほどではない」といった中の下とか下の上位の成績の候補生のやる気を一気に向上させた。それは彼らの別教科への学習意欲をも向上させ、かつ秀才達の尻に火を付けるような形となって、士官学校全体の向学心は間違いなく上昇した。
その上で校内におけるいかなる体罰の厳禁と、年間休日と校外学習を増加させることで、密閉式に近い士官学校の溜まり澱んだ雰囲気が少しずつではあるが改善してきた。校外学習と言っても軍事関連企業が中心で、俺としては後方支援の根幹となる基礎国力と戦災関係の企業や支援施設などを巡るべきだとは思うが、主戦派で占められている国防委員会は士気が落ちると懸念して承認しないのかもしれない。
旧弊打破という意味でも、士官学校の風通しはかなり良くなった。それを不満に思う者もいないわけではないだろうが、新入生にとってみれば朗報だろう。なにしろ今年はかの魔術師が入学する。原作通りあの軍人らしからぬ軍人が育つ校風は整っていた。
まぁ入学してくる魔術師はともかく。俺は四年生の総合席次でようやく一桁に達した。座学も実技もこれまで以上に努力した。努力した分が報われるというのは、恵まれている状況というべきか。
そして評価基準が自分とは明確に異なる「戦略戦術シミュレーション」については、少しだけ考え方を変えてアプローチしてみようと考えた。戦略最優先目標を阻止する為に相手はどういう手を打ってくるかという方向に、である。
早い話が以前とは全く逆の視点でシミュレーションに臨むという事だ。損害を顧みず自分をぶち殺すには自分ならどうするか。強行突入・進撃包囲・伏兵・誘導・機雷戦・通信妨害など、考えつく限りの方策を作り、その中で空域や戦略条件下ではどのシナリオが一番被害が大きくなるか選択、それに対応できる作戦を立案し、万が一の為の戦略予備も計画した上で事に臨む。
この変化で、俺は二年・三年と僅かではあったが成績を上昇させることができた。対仮想人格戦の場合の成績は全くと言っていいほど変わらなかったが、対有人戦(つまり候補生同士)の成績はある程度向上した。対戦する相手が誰だかわかっている場合は、ほぼ勝利を手にすることが出来るようになった。対戦相手は当然俺に向かって「勝つために」挑んでくるのだから、相手の癖や性格がわかれば、勝利への道はかなり近くなる。なるほど「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というのはよく言ったものだと心の底から感心できた。
もっともその過程において、進んで人を罠に貶めることに慣れていくドス黒い不愉快さと、その影にちらつく毒々しくも甘美な味を知ってしまったわけで。毎朝鏡を見る時、自分の頭に羊の角が生えてないか、確認するようになってしまったのだが。
それはともかく、変な偶然というものはあるもの。それとも入学四年目にしてようやく弟子入りした小悪魔に大悪魔が褒美を与えてくれたのか、それとも俺をこの世界へと転生させた何者かの超常的な力が働いたのか。俺は入学式から二ヶ月もせずして魔術師に出会ってしまった。
その日はたまたまウィッティが俺とは別の訓練を受けている関係で、部屋に戻っても一人しかいない状況になり、ぼんやりと自室自習するならと次の対戦に備え、地球時代の戦史や公文書記録を読んでみるかと俺は校内の図書ブースへ向かっていた。
既に五限目が始まっており、図書ブースには学課のない候補生がある程度の間隔を取って、各々勉学に励んでいるようだった。俺も同じように周囲がそこそこ空いている席を探していたのだが、その中でも一番奥の辺りに位置する読書席で、どう見ても勉強ではなくボンヤリと映画鑑賞しているような雰囲気で座席にもたれかかっている魔術師の卵を見つけてしまった。両足を上げて座席で胡坐をかいて画面を見ている姿は、多少若作りとはいえヒューベリオンの司令艦橋にいたあの姿とまったく同じだった。
「ヤン=ウェンリー提督……」
俺は近寄ってその姿を見て、思わず呟いてしまった。そりゃそうだ。原作アニメを見ていた人間なら、誰だって無条件でそう呟きたくなるに違いない。
「はぁ? ……」
胡坐をかいたまま、こちらを見上げるヤンの顔が、半分寝ぼけた表情から『ヤッチマッター』という表情に変化するのを見て、俺は苦笑を堪え切れなかった。そしてヤンは、俺が怒るよりも苦笑している事に安堵を感じたのか、気恥かしそうに例の収まりの悪い髪を右手で二・三度掻いた後、座席から立ち上がって敬礼した。
「大変失礼いたしました。戦史研究科初年生のヤン=ウェンリーです」
「戦略研究科四年生のヴィクトール=ボロディンd……だ」
俺が『です』と言いたくなったことも無理ない事だと、内心で皮肉を感じざるを得ない。あの金髪の孺子に比類するこの時代の主人公を前にして、今の俺はただの年齢順序とはいえ『先輩』なのだ。強烈な違和感が身体中を這い廻るのを、俺は感じた。
俺が何も言えず、妙な感動に震えているのをヤンは困ったように見つめていたが、思い出したように「あ」と口に出して俺に言った。
「『戦略研究科の悪魔王子』のお噂は常に耳にしています。特に「戦略戦術シミュレーション」の対候補生戦における戦いぶりは、戦史研究科でも有名です」
「……それは今まで聞いた事がない異名だが、褒められていると思っていいのだろうか?」
悪魔と言われて思わず俺は右手で側頭部を撫でてみたが、今のところ角が生えた様子はない。俺の児戯のような仕草に、ヤンも苦笑を隠せないらしい。口を手で押さえて体を震わせている一六歳のヤン=ウェンリーというのもなかなか見ていて面白い。
「ボロディン先輩が他の候補生と会話する目的は、相手の弱みに探りを入れることであって、それが「戦略戦術シミュレーション」での勝利に通じているらしい、そうです……これはあくまでも噂ですが」
図書ブースで長々と会話するのもまずいと思い、俺はヤンをカフェに誘った。どうやら授業がない(本当かどうかはわからないが)らしいヤンは素直に付いてきたが、先ほどの『悪魔王子』について聞くと紙コップ入りの紅茶を傾けながらそう答えた。
「相手の癖や性格を知ろうとして会話している事は否定しない。だが『悪魔王子』とはどうしてだ?」
顔も容姿もごく平凡なロシア系で、この世界で俺の事を『カッコイイ』と呼んでくれたのは、唯一義妹のアントニナだけという経歴なのに、『王子』というのは強烈な違和感だ。
「……お気を悪くすると思いますが」
「わかった。亡父が准将で、養父も准将だからだな。では『悪魔』とは」
「それは先輩のあまりにも苛烈で容赦ない対艦隊戦闘指揮がそう言わせていると思います」
俺はヤンの答えに首をかしげた。
確かに『敵艦隊撃滅』を最優先目標とするシミュレーションにおいて、艦隊を攻撃する手を緩めたことは一度もない。だが対有人戦では特殊な例を除き戦力差のない一対一の勝負になる。容赦なく戦うのは対戦相手によっては通信妨害下でこちらの側腹を急襲してくる場合であり、その時にはバーミリオンで奇しくもヤンがラインハルトを追い詰めたように、陣形をC字に変更して一気に回頭し包囲戦へと移行するという場合ぐらいだ。意図して苛烈に戦うこともない。敵旗艦および分艦隊旗艦を撃破すれば勝敗は決する。長時間味方を戦線に置いていらぬ犠牲を払わせてまで敵を殲滅する意味などないし、俺はそういう指示をシミュレーションで出したことはない……敵が金髪の孺子でない限り、実践することはないだろう。
「苛烈で容赦ない戦いぶりと言われるのはいささか心外なんだが」
「……私は用兵というものにあまり興味を持っていないので、これは友人の受け売りなのですが」
戦略研究科の俺に対し、初年生が四年生に『用兵学に興味がない』と告げるのは、いかにヤンであっても勇気がいったのだろう。一旦俺から視線を逸らしてから話し続けた。
「まず補給部隊を粉砕。あるいはそう見せかけつつ、次に敵の主力部隊を集中砲火により個別分断し、たちまち旗艦周辺を丸裸にして撃破する。相手が奇妙な位置に旗艦を置いたとしても、まるで『最初から知っているかのように』攻撃し、短時間のうちに撃滅する。全ての事象を知る『悪魔』のようだ……そうです」
「別に最初から知っているわけではないんだが」
俺は自分の無神経な行動で、転生者であるという事実が意図せず漏れてしまったかと内心びくびくしながら、一言ずつ答えた。
「戦場において敵の全てを相手にする必要はない、と俺は思っている。補給艦を真っ先に狙うのは、相手の戦闘可能な継続時間を短くし、撤退に追い込みたいというせこい考え方から出ているにすぎない」
「……」
「極端なことを言うと戦わずして最重要目標を達成するのが一番望ましい。シミュレーションはあくまでも仮想的なものだが、戦闘艦一隻に百人以上の将兵が搭乗している。目標を達成するのに犠牲が出るのはやむを得ない場合が殆どだが、犠牲は極力減らしたいし、俺自身も死にたくない。つまりそういうことなんだ」
俺がそこまで言い切ると、ヤンは黙ったままじっと俺の顔を見つめていた。ヤンには同盟の生存のために、必要不可欠な人材だ。とりあえずは二年生になった時、一〇年来の天才を打ち破ってもらわなくてはならない。
こんなご教授など本来不要なのだろうが、言わずにおれない転生者の度し難い性なのかもしれないが。
「遠い昔、『戦わずして勝つことが最上』と言っていた希代な兵法家がいたそうです」
「たしか孫子だな。そのうち戦史科目でテストに出るぞ」
「それは……ありがたいですね。進級に自信が持てそうです」
俺の即答に、ヤンは笑みを浮かべ、紙コップの底に残る紅茶を惜しみつつ、肩を竦めて応えた。
「私は歴史を学びたかったのですが、運がいいのか悪いのか、母は幼い時に、父親はつい最近事故でなくなりまして」
それは知っている……とは俺は言えない。ただ「そうか」と頷くしかない。
「いささか資金的に苦しい中、タダで歴史を学べるところはないかと探した結果が、ココでした。私自身、自分のやれる範囲での仕事をしたら後はのんびりと暮らしたいと思っているんです」
「……それは怠け根性だな」
俺はしばらくの沈黙の後に、応えざるを得なかった。意外と諦観をない交ぜにした苦笑を、ヤンは俺に向けている。話の分かる先輩だと思っていた俺に、軽く失望しているのかもしれない。
「たった三歳しか年上でない俺が偉そうに人生論を言うのもなんだが、興味がないことと才能がないことは一致しない。興味がないことでも将来興味が湧くこともある。今ある自分が全てである、と判断するのは人生を怠けていると俺は思うよ」
「はぁ……」
「かくいう俺も、校長閣下に『軍人に向いてない』と二年前に言われたクチだ。いろいろあって今も軍人を目指すことに迷いはないが、時折考え込むこともある。あ、これは秘密だぞ。友人にも言うなよ」
「言いませんよ。そんなおっかないこと」
「つまり人生何があるか分からない。自分にあんまりタガをはめるな。自発的に苦労を買って出たわけではないのはよく分かるが、士官学校に入ったのは何かの縁だ。縁のある場所でじっくり考えてみるのも悪くはないんじゃないか?」
俺の説法になっていない説法に、ヤンは首をかしげていたがとりあえず納得したようだった。
「とりあえずは頑張ってみたいとは思います」
「俺で良ければいつでも話しかけてきてくれ。地球時代の歴史には俺も興味があるし、たまには下級生とこうやって腹を割って話すのも悪くない」
「それは戦略戦術シミュレーションの事前偵察として、ですか?」
「違うな。ただ俺はいろいろな人を知りたい。この時代の人間を肌で感じたい。たまたま俺が話した相手が、何故か『偶然』戦略戦術シミュレーションの対戦相手になっただけなんだ。まぁ『偶然』というのは怖いな」
「ええ、『怖い』ですねぇ」
頭を掻きながら苦笑するヤンは、やはり画面の向こうにいた不敗の魔術師そっくりだった。
後書き
2014.09.27 更新
2014.09.28 文脈一部修正
ネタバレ:「戦略戦術シミュレーション」は基本的に同学年間でしか対戦しません。
ボロディンJrごときが、不敗の魔術師に勝てるとは思えないんですがね。
第8話 休暇
前書き
いつも数多くの閲覧ありがとうございます。
今回は一応本編ですが、少し雰囲気が違う感じになります。
義妹の登場を楽しみにしていた読者の皆様、お待たせしました。
宇宙暦七八三年 テルヌーゼンより オークリッジ
同盟軍士官学校四年生というのは、非常に微妙で、実に美味しい地位である。
現役合格なら最後の一〇代。軍人としては下士官上位の兵曹長待遇(半給だが)。最上級生である五年生が実地演習や航海実習で留守がちな故に、士官学校内では最上級生のように振る舞える。
士官学校は基本的に寮生活であり、週一休暇(初年生は外出すら認められないが)はあっても、外泊は特別な例を除いて認められていない。軍隊は乗艦勤務が多いから、休暇が少ないのも候補生の頃から慣れさせるという意味もある。
だが四年生には夏休みがあるのだ。特別な例というわけではなく、夏期に三日間も。
初年生の頃から外泊できず、せいぜい夜間脱柵して安くて量があり、それなりの味があるスタンドで食欲を満たす程度でストレスを発散していた候補生達は、ここぞとばかりに休暇を楽しむことになる。
テルヌーゼンから遠い故郷のある候補生は、軍から特別に配給されるチケットで家族を呼び寄せたり、候補生同士で近場の避暑地へ小旅行(含むナンパorデート)に出たりする。もちろん寮に残っても別段問題はないが、殆どの候補生は外の空気を吸いたくて外泊を選択する。
かくいう俺も外泊を選択したが、グレゴリー叔父の官舎はテルヌーゼン市から飛行機で目と鼻の先のハイネセンポリスにある。グレゴリー叔父もレーナ叔母さんも当然のことながら元士官学校候補生であるから、外泊可能な休暇期間があることを知っており、一ヶ月前にレーナ叔母さんから、脅迫状に近いビデオレターが届いていた。
なお同室戦友のウィッティの養父であるアル=アシェリク准将の官舎もハイネセンポリスにあるが、こちらは奴も含めて家族水入らずで別荘地に赴くとのこと。
「義妹さんをプールへ連れて行く機会があったら、是非三次元ビジョンで撮……」
と言った同室戦友を、俺はハイネセンポリス第二空港の到着ロビーで、人目をはばからずぶっ飛ばしてからターミナルビルを出た。ただしゲート側に並ぶ無人タクシー乗り場ではなく、地下の市街方面連絡鉄道の改札口に向かう。
無人タクシーは家まで直行してくれるが、公共サービスとはいえ、寮生活の士官学校で無人タクシーを使う機会などあるわけがない。故に士官学校の学生証(同盟市民カードに等しい)では乗ることが出来ず、なけなしの財布から現金で精算しなければならない。正直面倒くさいし、なにより俺は無人タクシーが大嫌いだった。
もっとも鉄道もあまり好きではない。が、前世では実用化されていない高速地下リニアは無人タクシーより安上がりであるし、なにより乗り継ぎとかが面倒でも市街地まで速く到着できる。惑星ハイネセンの大気圏内旅客航空を主に扱う第二空港利用客の大半は一般中所得者層なので、鉄道を利用する客は非常に多い。いまも三分置きに、ハイネセンポリス方面や近郊の衛星都市への列車が慌ただしく発車していく。
大きなトランクを押す家族連れ、太った年配の旅行者、黒いスーツにビジネスバッグといった前世が懐かしくなる姿もある中で、俺は座りたいが為にしばらく列車を待つという、相変わらずせこい考えでホームに設置されたベンチに腰掛けていた。リニアに乗り込んでいく人の群れを見送りつつ、空港内のキヨスクで買ったパンを囓っていると、一つ席を挟んだ右隣に座っていた顔色の薄い三〇代後半くらいの女性がいきなり胸を押さえて苦しみだした。
突然のことで俺も一瞬何が何だか分からなかった。というか、なにかのドッキリ番組かと思うくらいのタイミングだった。思わずどこかで撮影しているのかと思って俺は辺りを見回したが、視界にはいるのは忙しそうに列車に乗り組む乗客ばかりだ。誰も女性の異変に気がついていない。
あるいは気がついていても無視しているのか……経済的にもやや斜陽な同盟にあって、ここは中心からやや外れているとはいってもハイネセンのはずだ。近年経済も治安も悪化していると言われる辺境領域ではない。それとも時間に追われ、面倒には関わりたくないということか。となると、時間に余裕があって、家に帰るだけの俺が対処するしかない。
「大丈夫ですか?」
俺は出来うる限り最高に『穏やか』な口調で女性に話しかけると、きつく閉じていた両目のうち左目が僅かに開いて俺を見つめる。黄みがかった薄茶色の瞳には力が感じられない。
「だいじょう、ぶ、です」
どう見ても大丈夫ではないのに、そう言葉を続ける。俺はあまり容姿に自信がある方ではないが、少なくとも前世のように心配して若い女性に声を掛けただけで痴漢扱いされるほどではない……はずだ、きっと。しかも士官候補生の制服を着ている。身元もばっちりだ。少なくとも周囲から痴漢呼ばわりはされないだろう。
「大丈夫なわけないでしょう。これから医務室に連れて行きます。身体を持ち上げるので力を抜いてください」
俺は女性の右脇に左肩を入れ、女性の身体をベンチから持ち上げると、今度はゆっくりと腰を曲げて女性の膝裏に右腕を差し込む。いわゆる『お姫様だっこ』の状態だ。女性の身体は見るからに痩せていたが、意外と重い。
「荷物は何処です?」
俺の問いに、女性は小さく首を振る。それを『ない』と判断した俺は、腰に力を込めて歯を食いしばって立ち上がる。太腿と背中に負荷がかかるが、“ウィレム坊や”の“砂袋体操”に比べれば大したものではない。
すぐに周囲に目を走らせ、階上の改札口へと向かう。久しぶりの負荷に足はきつかったが、徐々に慣れてくると、スムーズに足が出てくる。だがその足に後から衝撃が走った。
「イテェェェ!!」
「お母さんを何処に連れて行くつもりだ!! この痴漢野郎!!」
この場でもっとも聞きたくなかった言葉が俺の背中から聞こえてくる。首だけ振り返って少し視線を落とすと、若干ウェーブのかかった金褐色の髪の少女が、少し大きめのショルダーバックを肩に掛けて立っている。苦しんでいる女性を腕に抱える士官候補生と、それを睨み付ける美少女の図と叫び声には、さすがに行き往く人の足も止まるらしい。一瞬の沈黙が周囲を漂う。
「黙れ小娘!! 前に立ってさっさと道を空けるか、荷物を持って付いてこい!!」
こういう空気の時は、周囲の人間に『事件』ではなく『内輪もめ』と認識させて、余計な干渉をさせないようし向けること。前世で二度ばかり同じような場面で職質にあった俺の、ささやかな小知恵だ。
「おふくろさんが苦しんでるんだ、早くしろ!!」
まさか怒鳴られると思っていなかった美少女は、しばらく呆然とした後、周囲が急激に無関心へと変化していくのを感じ取り、再び俺を見上げ唇を噛みしめている。俺は母親と同じ色の瞳を見返すことなく、母親を抱えたまま歩き始めた。エスカレーターを歩き上りしている間、一度振り返ると美少女は黙ったまま俺の後に付いてくる。
改札口まで来て駅員に医務室の場所を聞くと、逆に部屋の中に導かれ、俺はそのまま女性を駅長室のソファに横たえることになった。美少女が横たわった母親の側に駆け寄るのを見て、俺は溜息を一つつくと、駅員に医師の手配を頼んだ。
「あ、一応ですが、名前をお願いします。規則なんで」
『モノ盗んでいませんよね?』と確認するような前世そのままの駅員の態度に、俺は無言で差し出された紙に自分の名前を書いて叩きつけると駅員室を出た。構内は相変わらず乗降客でごった返している。
「……ま、どうせ急ぐ道でもない」
“労多くして益少なし”か、と俺は自嘲すると、人混みに混じり込んで、ハイネセンポリス行きのリニアへ乗り込んだ。
グレゴリー叔父の家があるオークリッジの軍官舎街に着いたのは、それから二時間後。リニアを二度乗り換え、最寄り駅から二〇分ほど歩いてからだった。
一車線の道路に面し、やや広めの敷地には芝生が敷き詰められ、平屋のガレージに二階建ての母屋がある。家屋の素材は当然木ではないが、ぱっと見ではそれが分からないようにデザインされている。前世のアメリカ地方都市に多く見られる町並みを見て、俺はホッとした。ウサギ小屋と評される日本の建て売り住宅も郷愁を誘うが、こちらの世界に生まれてこのかた、寮を除いてずっと官舎暮らしだ。死んだ両親とも、今いる義理の両親とも。
「あ、ヴィク兄ちゃん」
家の前の、幅の広い歩道に設置された消防用の散水栓の上で、腰掛けていたアントニナが俺を見つけて手を振っている。レーナ叔母さんの薄茶色の肌と鮮やかな黒い瞳にやや厚めの唇、グレゴリー叔父や俺と似た琥珀を薄めた、真っ直ぐな金髪を肩口で綺麗に揃えている俺の自慢の義妹。久しぶりに自分の目で見る九歳の妹は、背もグンと大きくなり、スマートな身体を薄手のピンクのキャミソールとホットパンツで包んだその容姿は、年齢以上に大人びて見える。
「遅かったね。寄り道しちゃダメじゃない」
「アントニナ、お前、いつもそんな格好をしてるのか?」
「兄ちゃん何処、見て言ってるのかな? 大声で叫んでもいいんだよ?」
「それは今日、第二空港のホームで経験済みだ。二度はゴメンだな」
溜息混じりに俺は候補生制服のポッケから、PXで買ったチューインガムを放ってやると、アントニナは器用にも人差し指と中指で挟んで取った。
「他になんかないの?」
「貧乏軍隊の、さらに未成年ばかりの士官学校のPXに、お前は何を期待してるんだ?」
「『アルンハイム』とか」
「未成年者は飲酒厳禁だ」
散水栓の上に器用に立ったアントニナに向けて、ついでとばかりに俺は候補生用のジャケットを放り投げた。それをアントニナは“空中で一回転して”から掴んで地面に着地する。五歳の頃から器械体操をしていたはずだが、ここまで成長しているとは聞いていなかった。
「ねぇ!! 見た!? 驚いた!?」
「そりゃ驚いたがお前、曲芸師にでもなるのか?」
「ううん。フライングボールの選手になる。先月ようやくリトルリーグに入ったんだ」
「……ま、何してもいいけどな」
一瞬だけ亜麻色の髪の完璧超人面が俺の頭の中を横切ったが、それを振り払うように一見すると少年にも見えなくもない義妹の頭の上に左手を置いて掻きむしってやる。
「怪我だけはすんなよ。フライングボールは結構危険なスポーツだからな」
「上級生より上手な僕が、そんなヘマするわけないじゃん」
「そう言う油断が禁物なんだ」
俺がそう言うと、アントニナは俺の左手からすり抜けて、母屋の玄関を空けてくれた。まったく良くできた義妹だと思う。玄関で靴裏を自動消毒してから入ると、リビングではエプロンをしたレーナ叔母さんが夕食の準備をしていた。その横で次女のイロナは書き取りの練習をしており、真似するように三女のラリサが緑のクレヨンで絵を描いていた。横に長い長方形で、後ろが太く、紅いラインがあって所々に節があるから、たぶん軍艦だろう。しかも旗艦クラスの。
「おかえり、ヴィク。遅かったじゃない」
相変わらず引き締まった体つきのレーナ叔母さんは笑顔で迎えてくれる。
「ヴィク兄ちゃん。お帰りなさい」
書き取りを続けている六歳のイロナは、視線だけ俺に向けて見るからに面倒くさそうに応える。
「ヴィクにいちゃん、しぇんかん」
まだ描き途中なのに俺に向かって絵を掲げる三歳のラリサ。近寄ってその絵を手に取ると、艦首の番号が白で〇五〇一と描かれている……どうしてこの子が“リオ・グランデ”を描けるんだろうか?
「叔母さん。最近、宇宙ドックに行った?」
「グレゴリーが統合作戦本部施設部次長になった関係で、特別に見せてもらったのよ。ラリサはどうやら就役したてのその艦をいたく気に入ったみたいでねぇ。絵を描くとなるとその艦ばかり描くんだよ」
「そう、ですか」
機密とかその辺りどうなんだと思いつつも、俺は“リオ・グランデ”の未来を、家族の将来を重ね合わせて考えてしまう。
原作で同盟が帝国に滅ぼされるのは、宇宙歴八〇〇年だから一七年後。俺は三六歳。アントニナは二六歳。イロナは二三歳。ラリサは二〇歳。去年竣工し、今年就役した“リオ・グランデ”は彼女達の妹のような艦だ。そして“彼女”は同盟軍最後の宇宙艦隊司令長官アレクサンドル=ビュコック元帥の墓標となった。
自由惑星同盟は選抜徴兵制を敷いている。だが女性は志願制で、前線での勤務も奨励されてはいない。まず今のままなら義妹達が軍人を職業に選ぶとは考えられない。レーナ叔母さんが強烈に反対するだろうから。
だが先月レーナ叔母さんから送ってもらったビデオレターの最後に映ったグレゴリー叔父の顔は、若作りであり、特徴的な髭もなかったが、俺の前世の記憶にある同盟軍第一二艦隊司令官にそっくりだった。もちろん実父アントンのように戦死してしまう可能性もあるだろうが、内勤数年で少将、そして中将へと昇進するのであれば、もう疑う余地はない。
もし、俺がこのまま軍人としてのキャリアをスタートさせたとして、原作通り帝国領侵攻作戦が発動するまで何も出来なかったとしたら……尊敬する叔父は、帝国領ボルソルン星域で限界まで戦い、自決するだろう。
充分に円熟した用兵家と評され、俺をこの歳まで育ててくれた温厚で責任感の強い紳士である叔父のことだから、旗艦“ペルーン”以下八隻まで戦ったというのは、ルッツの奇襲による玉砕の結果ではなく、第一二艦隊を撤退させる時間稼ぎの為に、殿をした結果ではないかと思う。
そんな叔父を戦火で失った時、義妹達はどう思うだろうか? まして産まれ育った同盟が滅びるとなったら?
俺はどんな手を使ってでも、それだけは阻止しなければならない。
「あら、お帰りなさい、グレゴリー。ヴィクももう帰ってきてるわよ」
レーナ叔母さんの声に、俺は玄関を振り返り、そこに一ヶ月前にはなかった微妙な髭の生えているグレゴリー叔父の顔を見て、俺は固くそう誓わざるを得なかった。
後書き
2014.09.28 更新
2014.09.29 リオ・グランテ→リオ・グランデ と一部文脈修正
2014.10.01 爺さんの名前を修正
第9話 斜め上
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
仕事の疲労と、三回書き直しで一日飛ばしました。
期待していた方には申し訳ありません。
士官学校に帰寮しての一幕です。ヤンとJrの微妙な距離感が出てるといいなぁ。
宇宙暦七八三年 テルヌーゼン
三日間の夏休みをハイネセンで過ごした俺は、来た道をそのまま逆に士官学校へと戻ってきた。
アントニナにはフライングボールの練習場に連れて行かれ空中ですっこけるという赤っ恥を掻かせられ、イロナには勉強の邪魔ですと一言いわれて敬遠され、ラリサには一日中軍艦の絵を描かせられたあげく肩車をさせられた。相変わらず親近感のあるアントニナとラリサはともかく、イロナとの距離が急激に広がったようで、俺はそれが心配だった。
母親であるレーナ叔母さんより真っ黒でウェーヴのきつい髪とグレゴリー叔父のスラブ系の赤白い肌というイロナは、その容姿から姉妹の中で少し浮いているのかもしれない。と、いうより本人が浮くことを望んでいるようにも見える。レーナ叔母さん曰く、それも少女の成長期に見られる一現象だと言っていたが、果たして本当にそうだろうか。
……まぁとにかく。同室戦友の望みなどかなえてやる義理はないが、とりあえず家族の写真を撮ることは出来た。当然ばっちりグレゴリー叔父の顔も映っている。それが邪な欲望を抱く同室戦友の悪落ちを阻止してくれるに違いない。どうでもいいことだと思いつつ、大きな溜息を吐くと、俺と同じように帰還した候補生第四学年の一群の中へ紛れ込んでいく。
「……まぁ、家族の写真というのはうらやましいというか、なんというか」
俺とウィッティがカフェでその写真を巡って応酬しているのを見たヤンが、いつものようにのんびりとした顔つきで寄ってくると、ぼっそりとそう呟いた。ヤンが天涯孤独(エル・ファシルの脱出の後に分かる程度の遠縁はいるらしいが)の身であることはウィッティも知っており、若干気まずそうに俺を見てくる。俺もヤンが寄ってくるとは最初から思っていなかったわけだから、『スマンな』と視線でヤンに応えた。ヤンもそれが分かったようで、逆に無言で小さく頭を下げて応える。
「そういえば、ウェンリー。お前今度『あの』ワイドボーンと戦略戦術シミュレーションで対戦するんだってな」
話題の転換の必要性を感じ、ウィッティがそう話を振る。相変わらずE式がしっくりと来ないウィッティはヤンをいつも名前で呼ぶので、しばらくの間はヤンも訂正していたが、最近は諦めたようで完全にスルーしている。
「一〇年来の天才の胸を借りるつもりで頑張りますよ。機関工学の成績、今回かなり悪かったので、少しは挽回しなくてはいけませんからね」
「相変わらずダメなのか、「機関工学」?」
「ええ、まぁ。私にはこちらの方面の才能はないようでして……」
ウィッティのノリに、ヤンも苦笑を浮かべつつ応える。原作では全く接点のなかった二人が、目の前でリラックスして話しているのを見ていて、俺は一体どれだけ原作の世界を引っ掻き回しているのか、今更ながら不安を覚える。
それと同時になんとなくヤンの、一線を引いて常に傍観者でいようとする態度が、どうにも最近気になって仕方ない。もちろん本人が軍人になる意志を持って士官学校に入って来たわけではないことは十分に承知している。それをことさら否定しようとは思わないが、逆に言い訳にされてしまっているようにも思えるのだ。
肉体的な要素が必要な分野を除いて、ヤンに才能がないわけがない。将来の不敗ぶりもさることながら、あれだけ難しい入学試験に、いくら上位からほど遠いとはいえ、宇宙船暮らしで基本自学自習だけで合格するのだ。塾にも行かず効率よく勉強できる能力に継続できる努力は、ほかの欲求に目を逸らしがちな少年時代にあって、大した物だと言える。なぜその努力が機械工学に向かないか……興味のないことには可能な限り手を抜いているのだろう。落第さえしなければいいと考えているのは間違いない。
「機関工学は正しい計算式から正しい答えが出る学問だ。才能あるなしは正直関係ないだろう」
俺の少し強い声での呟きに、ウィッティもヤンも俺に視線を動かす。
「ヤン。君はただの好き嫌いを、才能という言葉で逃げてないか?」
図らずもテーブル上は沈黙に包まれる。今度は俺とウィッティの視線がヤンに向かい、ヤンの視線は手元の紙コップの底に注がれたままだ。
「好き嫌いも含めて、才能なんじゃないかと、私は思うんですが」
「才能とは生まれつき物事を巧みにこなせる能力の事だ。負の才能という言葉はない。才能が必要なのは開発部門だけであって、運用部門には必要ない。そこに必要なのは努力だ」
「……」
「得意・苦手はわかる。俺だって「帝国公用語」と「仮想人格相手の戦略戦術シミュレーション」が苦手だ。だがだからといって努力だけは惜しんだことはないぞ」
俺の言葉に、ヤンは相変わらずこちらに視線を向けることなく、残り少ない紅茶が生き延びている紙コップの底を見つめている。沈黙はおそらく数分だったろうが、俺に取ってみれば三〇分近い時間が過ぎたように思えた。
先に破ったのはヤンだった。
「伺いたいことがあります。勿論、ご不快ご不満であればお答えいただかなくても結構です」
俺に向かってそう言うヤンの視線は、原作ではクーデター鎮圧寸前の、エベンス大佐との会話時の鋭さだった。
「ボロディン先輩が努力を惜しまない人だというのは分かります。苦手科目についても人一倍苦労しているのは、ここ数ヶ月お付き合いさせていただいてよく分かっているつもりです。『興味がないからといって才能がないとは限らない』という言葉は、今でもはっきりと覚えています」
記憶力に自信がないとか、ハイネセンで道に迷うとか、原作では言っていたような気がするが、俺はヤンの真剣な態度に、正直飲まれていてそれどころではない。一度区切って、残り少ない紅茶を喉に流し込んだヤンは、俺にはっきりとした口調で問いかけた。
「人には向き不向きがあることを承知した上で、何故そこまで努力されるんですか? 名誉欲ですか? 出世欲ですか? それとも“ボロディンという家名に対する義務感”ですか?」
その台詞は一三年後に、俺と同い年の「不良中年」がお前に聞く質問だ……と言うことは出来ない。原作云々ではなく、ヤンの心の底に漂っていてなかなか表層に出てこない鋭い本音の矛先が、俺の喉を勝手に締め付けてくるからだ。原作におけるエベンス大佐のことを俺は今でも大嫌いだが、あの対話でどれだけ苦しんだかは分かるような気がする。そして結局、自分の信じたいと思う信念に殉じるように死を選択したことも。
だからこそ俺は本音で応えるしかない。その結果ヤンにどう思われようと、中途半端など許されることではないことを、俺は理解できる。
「名誉欲はある。出世もしたい。漆黒の艶やかで癖の全くない髪に、端麗で眉目整った、やや小柄な美女にモテたいとも思う。つまるところ俺は俗人が抱くであろうありとあらゆる欲望に貪欲だ、と自覚している」
俺の口は俺の腹の中から出てくる言葉を勝手に紡いでいく。そして俺自身がその異変に高揚しつつある。
「ボロディンという家名に対する義務感も当然だ。俺を産んだ実の両親、そして育ててくれた叔父夫婦。彼らが何処へ行っても『ヴィクは我々の自慢の息子だ』と誇れるようにありたいと思う。だが一番の、俺の最優先の欲望は……『平和』だ」
「……『平和』ですか?」
意図せず緊迫から急激に開放されてしまったと言わんばかりの、唖然とした表情でヤンは聞き返してくる。
「帝国と戦う事をほぼ義務づけられている軍人になることに精練する目的が、どうして平和なんです?」
俺は頷いた後、目の前に置かれたボールペンを右手の指の間で廻しながら応えた。
「俺の家、というか叔父の家には九歳を筆頭に三人の義妹がいる。みんな俺の自慢の義妹だ。今のところ軍人になる気配はないが、国家の存亡がかかるとなれば志願するかもしれない。俺は彼女達から志願する自由を奪うつもりはないが、戦場に立たせるつもりもない。その前にあの要塞を陥落させる。」
「……仮にイゼルローン要塞を陥落させたところで平和になりますか?」
「それは正直分からない。だが攻撃選択権を帝国から奪うことが出来れば、少なくとも可能性はある。選択権のない今の状況ではそれすらも望めない」
そしてその時までに、食器の名前をしている癖に役立たずな准将を、掣肘出来るような地位にいなければならない。あるいはあの作戦を立案する段階で、口を挟めるだけの権威と実力が。
「……その平和が恒久平和になりますか?」
「歴史に造詣の深いヤンなら分かるはずだ。人類歴史上に恒久平和などありはしない」
「……ですね」
「つまるところ、俺は僅かな期間の平和しか望んでいない。だがな、ヤン。お前さんが戦史編纂室の研究員で一生を終えるくらいの期間くらいはあると思うんだがな」
俺の言葉は終わったが、聞き終えたヤンは、下を向いて大きく溜息をついた。その姿からは先ほどまであった殺気に近い気配は全く感じられない。
「校長閣下が先輩に『軍人に向いていない』と言われた理由が分かるような気がします」
「なにしろ口先から産まれたらしいからな」
「義妹さんは美人なんですか? それこそご自分の命を賭けるまでに」
「美人に決まっているだろうが!!」
机を叩いて立ち上がる俺の正統な激怒に、それまでずっと黙っていたウィッティも、そして言ったヤンも、笑いを隠しきれていなかった。ウィッティなんかは腹を抱えて笑っている。お陰で周囲の視線がかなり痛い。俺が不承不承で腰を下ろすと、ヤンは指で笑い涙を拭きながら応える。
「先輩と話していると、自分が何となく虚しく見えてくるから、ちょっとばかり嫌なんですよね」
「そうか?」
「とにかく面白いお話は伺いました。私には私なりの主義主張もあるので譲れない部分もあります。が、これからはなるべく手を抜かずに頑張ってみますよ。『永遠ならざる平和』の為に」
ヤンはそう言うと席を立ち、俺に向かって敬礼する。久しぶりに見る整った敬礼だ。立ち去ろうと回れ右するヤンの背中に、俺は声を掛けた。
「とりあえずは明日、ワイドボーンに負けるなよ」
「負けるわけないじゃないですか」
それに対してヤンは人の悪い笑顔で応えた。
「大変不本意ですが、私はどうやら『悪魔王子』の一番弟子らしいですからね」
そしてヤンは翌日、原作通りワイドボーンに戦略戦術シミュレーションで勝利した。
ただしワイドボーンの補給線を一点集中で撃破するところまでは原作と同じだったのだが、そこから様々な戦術を駆使して挑んできたワイドボーンの主力艦隊を、犠牲らしい犠牲を出さずほぼ一方的に撃破したそうだ。教官達の衝撃は相当なモノらしく、ヤンを戦略研究科に転科させたらどうかという話もあるらしい。俺は授業の関係上リアルタイムで見ることは出来なかったが、見ていたウィッティが言うには
「『悪魔王子』の弟子なんて可愛いものじゃない。あれは『悪魔提督』だ」
……俺はなにか間違ったことをしたのだろうか。一抹の不安を抱かずにはいられなかった。
後書き
2014.10.01 更新
第10話 10年来の天才
前書き
本日は会社がお休みなので、少し早めにUPします。
Jrは四年生の中盤から後半。原作登場人物も次々と登場します。
主に魔術師の当て馬であるタイトルの人なのですが。
宇宙暦七八四年初頭 テルヌーゼン
ワイドボーン事件以降、俺はヤンの紹介でジャン=ロベール=ラップと知り合い、さらに何故かそこから事務監の娘のジェシカ=エドワーズを紹介された。
ラップは原作通りの典型的なアメリカン優等生で、初年生の中でも人望が厚いことを実感せずにはいられない。結果としてヤンに手も足も出ず、“一〇年来の天才”から“普通の優等生”へと転落してしまったワイドボーンとも平然と会話できるコミュ力は、前世でいささかコミュ障気味だった俺としてはうらやましい限りだ。
そしてジェシカ。確かに『すれ違う男の半分が振り向く美しさ』というだけあって美人で、ヤンやラップと結構つるんでいるというのも原作通り。だがどうやらヤンやラップから俺の変な噂を聞いていたらしく……
「“悪魔王子”と伺っていたんですけど、ちっとも悪魔らしくないんですね」
と、宣った。さっそくウィッティと一緒に、ヤンとラップにヘッドロックによる制裁を加えたが、初対面でしかも士官学校の有力支配者である四年生相手に、そういうことをいきなり言えるというのはどういう心臓をしているんだか。婚約者のラップを失った衝撃もあるだろうが、トリューニヒトを、しかも六万人の遺族と軍人が揃う慰霊祭の場で痛烈に面罵するのも分かるような気がする。だが、後でそっと近寄ってきて、ヤンやラップに聞こえないくらいの小さな声で
「……ヤンのやる気スイッチを入れて下さってありがとうございます」
と囁いたのには驚いた。
考えてみれば幼い頃に母親を亡くし、壺磨きと歴史に没頭するという、偏った少年時代を過ごしていたヤンにとっては、ジェシカは母親に近い意味での初恋を抱く相手であったろう。そしてジェシカもそれを意識しつつ、やもすれば世捨て人になりそうなヤンを、それとなくラップと一緒にフォローしていたに違いない。そう考えると、女性は実際の年齢以上に成熟しやすいものだと実感せずにはいられなかった。
いずれにしても、ヤンやラップ(実のところヤンは全く貢献できていないが)を通じて、俺は初年生の知己を順調に増やしていくことができた。だいたいはラップを介しての一・二分の立ち話や紅茶の一杯を奢る程度だったが、ワイドボーンだけは別格だった。
ヤンに敗北してから一月後、奴はラップを介することなく俺とウィッティがアントニナの魅力について語り合っているカフェのテーブルに近寄ってくると、いきなり深く頭を下げてきた。
「お手数とは思いますが、どうか小官に「戦略戦術シミュレーション」をご教授してくださいませんでしょうか?」
両手をきつく握りしめ、顔を強ばらせ、背筋が硬くなっているワイドボーンの姿は、“屈辱”とでも題した彫刻そのものだった。四年生の俺にも頭を下げるのはプライドが許さないかと一瞬だが階級を意識したが、むしろヤンにコテンパにのされた原因が俺であり、ヤンを上回るためにはヤンの師匠(笑)と思われている俺に話を聞くべきと言う境地にようやく達したからなのだろう。原作通り「奴は逃げ回っていた」といきり立って叫ぶわけにもいかず、相当鬱屈していたに違いない。元々それなりに整っていた顔つきも、若干頬がこけて色あせている。
そんな状況でウィッティは沈黙を守りつつ、面白そうに俺とワイドボーンを見比べている。俺の高級副官殿はどうして肝心なときになると沈黙するのか……俺は小さく溜息をついた後、ワイドボーンを睨み付けて言った。
「俺は教師じゃない。担当教官に頼むべきじゃないのか?」
「聞きました。ですが『学生を個別指導して贔屓するわけにはいかない』と断られました」
「正論だ。俺からも言うことはない」
「ですがボロディン候補生殿はヤン候補生に……」
「なぁウィッティ、俺はヤンの奴に「戦略戦術シミュレーション」の指導をしたことあったか?」
「俺の覚えている限りでは『ない』」
ウィッティの返事に、「そんな……」と言わんばかりの表情を、ワイドボーンは浮かべている。当然だ、あの不敗の魔術師に俺が用兵学を教えるなんて、勘違いも程々にしろと思う。いろいろな意味で。
「ワイドボーン。つまりは“そういうこと”だ」
俺の宣告に、ワイドボーンは立ったまま震えていた。はっきりとお前はヤン一人に負けたのだと言われて、残り少ないプライドを削り取られているのだろう。他の教科に関してはヤンを遙かに上回っているのだし、それほどヤンを強く意識することもないと思う。だが自分に対する周囲の評価があの一敗で大きく変化したことに耐えられないのだ。そう考えると小心な日本人だった俺としては、ワイドボーンをいささか哀れに感じてしまう。
「……ワイドボーン候補生、君は俺より遙かに優秀だと思う」
そのまま食器と同じように身体硬直の上に、床へぶっ倒れることは勘弁だったので、椅子に座らせてしばらく落ち着かせてから俺は言った。
「俺はかろうじて成績上位者にいる平凡な一学生に過ぎない。だから不得意科目のない君が羨ましく思える」
「ですが」
「ヤンはある意味で“天才”だ。仮に俺とヤンが「戦略戦術シミュレーション」の正面決戦シナリオでぶつかったとすれば、君と同じようにほぼ一方的に敗れるだろう。というか勝利する自信がない」
「……」
「変なプライドを持たず、少しぼんやりしながら結果を見てみれば、なにか違ったものが見えてくるんじゃないか?」
そう言い切ると、ワイドボーンは俺の顔を見ながら口で「ぼんやり……ぼんやり……」と独り言を言っている。見るからに不気味だったが、自分にそうやって言い聞かせているんだろう。あんまり突っ込んでやるのもかわいそうなので、俺はウィッティに視線を送ってたちあがると、座ったままのワイドボーンの肩に手を置いてやった。
「あぁ読書なんかいいぞ。“退屈な”過去の戦史なんか読み漁ってみると、意外と気持ちよく眠れるもんだ」
これは余計なお節介だったかもしれないな、と思いつつ俺はワイドボーンを置き去りにして、ウィッティとその場を去った。カフェの出口から一度だけ振り返って見ると、ワイドボーンは席に一人座ったままだ。
「随分と優しいな、お前は」
ウィッティが俺に軽く肘を当てると、俺は頭を掻いてごまかした。
ワイドボーンは第六次イゼルローン攻防戦の序盤で、金髪の孺子の狩猟の餌食となった。だがその時点で、二七歳で大佐だった。ヤンも大佐だ。エル・ファシルのハンデがなく、不敗の魔術師と同じ地位にいる。しかもヤンのように本営の幕僚ではなく部隊の参謀長として、だ。そうしてそんな奴が無能なものか。金髪の孺子が規格外なのであって、優秀な軍事指揮官になる素質はある。ヤンに負けただけで潰れるとは思わないが、少しぐらいフォローしたっていいだろう……
「俺が優しいってこと知らなかったとは、高級副官失格だぞウィッティ」
「だから俺がいつからお前の高級副官になったんだよ」
二度目の肘鉄は、完璧に俺の鳩尾にクリティカルしたのだった。
以来、ワイドボーンは一人で図書ブースに長時間籠もっている姿が見受けられた。さすがにヤンの隣に座るということはなかったが、夏から秋、秋から冬にかけて、ワイドボーンの読書席の座り方が最初はキッチリ背筋を伸ばしていたものがいつの間にか猫背になり、年明け頃にはデスクに足を載せていた。そこまで見習う必要はないだろうが。
だがそうやって暢気に四年生をやっていてもいずれ終わりはやってくる。
学年末試験でヤンの席次は少しだけ上がった。落第スレスレが平均点ソコソコといったところまでに上昇している。だが「射撃実技」や「戦闘艇操縦実技」は普通にダメな成績だった。
「肉体的欠点です。これは“努力”じゃ無理ですよ」
別に成績を見せに来なくてもいいのに、ヤンはそう言って“悪い点数だけ”俺に見せに来る。入れ違いにワイドボーンもやってくるが、二人は軽く敬礼するだけで言葉を交わさない。
「相変わらず仲が悪いのか」
「性格が合わないんですよ。彼とは」
すっかり口調の角が取れてしまったワイドボーンも、俺に成績表を見せる。別に俺は親でも教師でもなんでもないのに、何故か親しい下級生はこぞって俺に席次表を見せに来る。
「お前は首席だっているのは分かっているから見せに来なくてもいい」
「そういう先輩は七番ですか。残念でしたね。やはり「帝国公用語」と「対仮想人格戦」の成績ですか」
「努力はしているぞ」
「分かっております。八五点と八二点というのは、決して悪い成績ではないですよ」
肩を竦めるワイドボーンというのは原作では絶対に見ることはない絵面だろうなと、俺は妙なことに感心しつつワイドボーンを眺めていると、その本人が顔を寄せてきて小声で話しかけてきた。
「そういえば来月卒業式ですが、“ウィレム=ホーランド”なる五年生から、パーティーのお誘いがあったんですが、いかがしましょうか?」
「……なんのパーティーだか知らないが、俺の手元にはそんなお誘いは届いていないがね」
俺は小さく舌打ちしてそれに応えた。パーティーというのは大なり小なり候補生だったら開く自由はある。だいたい週一休暇の前日夜とかに、親しい友人やクラブ活動の内輪で開くことが多い。校外との交流があるクラブや、クラブOB(士官の多数はみな“士官学校OB”なんだが)主催となると、外のホテルやレストランで開かれることもある。そこで将来有望な士官候補生を紹介(or捕獲)したい側と、若い女性の関心や有力者の支援を得たいと思う士官候補生側の需要と供給が成り立つのだ。学校としても風紀が乱れる心配から、そう多くの回数を開くわけにもいかないが、規則に則っているならば社交教育の一環になるだろうと黙認している。
だが最上級生で、実習や演習でなかなか学校構内にいない“ウィレム坊や”が、直接面識のない学年首席のワイドボーンを誘っているというのは、何となく目的が透けて見える。
「では、欠席した方がよろしいですか?」
「それはお前の勝手だ。お前が決めろよ。行って見聞を広めて来るもよし、図書ブースで昼寝するもよし」
「先輩は“ウィレム坊や”の事をお嫌いだと、ウィッティ先輩から聞いていますが?」
「嫌いだ。向こうも俺の事を目の敵にしている」
俺ははっきりとワイドボーンに言ってやった。
「だがお前は誘われたんだ。行って“ウィレム坊や”の顔を見てこい。ついでに話をして来ればいい。相手も学年首席だ。なにか参考になるようなネタもあるかもしれない」
ここまで角の取れたワイドボーンが、ホーランドの閥形成パーティーに行って、そのまま取り込まれてしまう可能性はある。それを惜しいとは思うが、本人が俺にこういう事で許可を求めるような真似をしていることが、ワイドボーンにとって決して良いことではないはずだ。指揮官の性格としては、独善的な決断をすることの方が優柔不断で上司の顔色を伺ってから決断するよりも、まだマシな事が多い。
「そうですね。じゃあ行ってきます。会場はレストランのようですから美味しそうな夕飯にありつけそうですし」
「ワイドボーン」
俺は心配性だと思うが、一言いっておかずにはいられなかった。
「俺の目から見てもウィレム=ホーランドという男は極めて優秀だ。敢闘精神にあふれ、決断も早いし、決断した後の行動力は賞賛に値する。常に自信と誇りを持ち、指揮官としての能力は俺より数段上だろう」
嫌いだといった奴を高く評価する俺の態度に、ワイドボーンは首をかしげている。
「だが視野が非常に狭い。そして身の丈を越える、過剰なほどの自信を抱いている。それでいながら、心の奥底の器は小さい。そういう人間は部下に服従のみ求め、意見をいたく嫌う。自分の考えと異なる者を認めたがらない」
「……」
「だから言うまでもないことだが“気をつけろ”。俺が奴に殴られなかったのは、士官学校規則があり、なおかつ俺の両父親が将官だからだ……わかったな?」
「……わかりました。気をつけます」
話しているうちに、過去の自分の事を言われていると気がついたワイドボーンは、真剣な眼差しで俺に頷いた。ヤンとは違って賢い奴だから、“ウィレム坊や”と衝突することはないだろう。俺が手振りで“帰れ”というと、ワイドボーンは敬礼して俺の視界から下がっていく。それを眺めつつ、俺は大きく溜息をついた。
正直いうと、俺もあらゆる方面からパーティーのお誘いがある。
なにしろ亡父が准将、養父も現役准将で期待の若手。俺自身、無謀な努力でなんとか学年で一桁の席次。だからグレゴリー叔父に近づきたい奴、“ボロディン家”に入り込みたい奴、俺を取り込んで勢力強化したい奴……見せる笑顔とは正反対の黒い一物をみな腹に抱えている。
顔だけ笑って、その供応に預っていればいいのだろうが、俺自身はともかく、グレゴリー叔父やボロディン家に迷惑がかかるような事態は絶対に避けなくてはいけない。だから小心者の俺としては校内で開催されるパーティー、それも研究会の打ち上げみたいなものにしか今まで参加していない。
だがこれから軍人としてのキャリアを進めるに従い、俺も給与のうちとしてそういうパーティーに参加せざるを得なくなる。相手もOBや地元有力者だけでなく、場合には国家の指導層になる場合もあるだろう。欲望と権威の渦巻く中、言葉の白刃の上で俺は果たして上手にダンスを踊れるかどうか……ワイドボーンに説教出来るほどの自信は正直なく、将来に憂鬱さを感じるのだった。
なお、それから数日後。ワイドボーンは俺のところにやってきた。
「あのレストランの生ハムは最高ですね。素材は一流、腕は二流というところですか」
「……ホーランドと話してこなかったのか?」
「話しましたよ。数と火力と機動力こそ戦争を勝利に導く原点だと彼は言ってました。私が「そうですか、なるほど」と答えたら、結構怖い笑顔を浮かべて太い手で私の肩を陽気に何度も叩いてくれました。お陰様で今朝から筋肉痛です」
肩を回しつつ応えるワイドボーンに、俺は溜息をつかざるを得なかった。
後書き
2014.10.01 更新
第11話 卒業
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
明日は仕事上UPできる保証がないと判断し、本日中に2話上げることにしました。
ついにJrが士官学校を卒業することになります。
宇宙暦七八四年から七八五年 テルヌーゼン
ついこの前、“ウィレム坊や”の卒業式を見送ったと思ったら、いつの間にか自分の卒業式が目の前にちらつく時期になっていた。
正直何を言っているか分からなかったが、催眠術とか超スピードとかそんなチャチなものでもなんでもなく、士官学校五年生は、遠方航海・戦闘実習・野外(地上)演習・空間(宇宙空間)作業演習・操艦操縦実技演習などなど、嵐のように実技実践演習が組み込まれている。士官学校での座学講義などはほとんどないと言っていい。今頃、俺達の下の学年が四年生として威張り散らしていることだろう。
そしてこの実習は、正直言ってキツイものだ。
座学やシミュレーションで学び蓄えた知識やテクニックを、旧式とはいえ実際の艦艇や戦闘艇、戦闘装甲車を利用して発揮しなければならない。特に宇宙空間での各種実習・演習においては、ハイネセンの訓練宙域ではなく、候補生を大きく四つの集団に分割し、そのうち二組が別々の練習艦隊に乗り込んで約三ヶ月半かけて、同盟の各星系にある訓練宙域を巡っての実施となっている。
これはハイネセンの訓練宙域での砲撃演習の困難さや、戦闘艇の大規模発艦による民間航路への悪影響(早い話迷子になって迷い込んで衝突とか)、遠征や迎撃任務における艦隊内での長期間集団生活への適合審査、同盟重要星系での実地学習などの問題からこのような形式に落ち着いている。
練習艦隊は練習用に改造された戦艦と宇宙母艦と巡航艦、それに輸送艦・工作艦・病院船合わせて一〇〇隻の小集団である。それぞれの練習艦隊は、スケジュールに従って運行されるが、艦隊上層部以外は別の練習艦隊が何処にいるのか把握していない。そして、練習艦隊同士が遭遇(勿論上層部が端から計画したものではあるが)した場合は、即疑似交戦となる。それが標準時で朝だろうと夜中だろうと訓練中だろうと関係ない。
俺とウィッティの乗船した第二練習艦隊所属の練習戦艦“旧ベロボーグ”には、俺達を含めて士官候補生五〇人程、専科学校の艦船運用科員や機関運用科員がそれぞれ三〇人程ずつ乗り合わせている。もちろん正規の乗組員も規定数同乗している。みなそれぞれ現役の士官・下士官・兵ばかりだ。
士官候補生は当然彼ら現役乗組員から評価されるが、同時に専科学校の修了候補生からも評価される。その重圧に耐えることも、当然評価のうちに入る。卒業後、即実戦部隊に配備される者もいるのだから、それまでにリーダーシップも実技も、多数の下士官・兵の上に立つだけの実力を見せなければならない。見せられなければ、後方勤務に優先して回され、数年のうちに閑職から退役という厳しい道が待っている。戦死しないから勝ち組とするか、負け犬と思うかは人それぞれだが、少なくとも出世とは無縁のキャリアだ。
その中でも例外はある。戦略研究科は体質的な問題(ワープ酔いが激しいなど)か精神的な問題(強度のホームシックなど)がない限りは、基本的に閑職ロードはない。だから現役兵・専科修了生以外に、他の科の士官候補生からも厳しい視線が向けられる。「甘えを見せるようなら(精神的に)追い込むぞ」というような。
針の筵のような環境下、成績を落とす戦略研究科の候補生が多い中で、俺とウィッティはどうにか乗船前の成績を維持できていた。陸戦実習や後方勤務実習などを終えて、ハイネセンの士官学校寮に帰還したのは雪がちらつき始める一一月下旬。卒業まで後数ヶ月残すのみ。学年最終考査を残して、俺は二年生となっているヤンから相談を受ける羽目になる。
「本年度末を持って、戦史研究科が廃止される、という決定がなされました」
ヤンの顔にはいつものような余裕がなく、言葉の節々に意志の強さが籠もっている。
そうか、そのイベントがあったかと、俺は心の中で舌打ちしつつ、紙コップの中の烏龍茶を一気に飲み干した。
「……それで同期の戦史研究科の連中がザワザワしていたのか」
あえて直接応えることなく、俺は言葉の回り道をしたが、原作では教官にすらこの件では噛みついたヤンに、この程度のごまかしは通用しない。
「私は戦史を研究したくて士官学校に入学したのです。学生を募集しておいて、卒業前に学部を廃止するのはおかしいと思いませんか?」
「……確かにお前さんの言うとおりだな。もちろんお前さんの研究したいのは“戦史”ではなくて“歴史”なんだろうが」
「戦史研究科の廃止に、ボロディン先輩は反対だと考えてよろしいですね?」
「個人的には、な。だが士官候補生、あるいは軍人として言うなら反対も賛成もしない」
「そのお答えは少しばかりズルくはありませんか?」
ヤンの珍しい挑発的な言葉遣いに一瞬頭に血が上ったが、俺は一旦目を閉じ、腹から小さく息を吐いて心を静め、心拍が落ち着いた段階で、若干興奮気味のヤンを見つめ直して口を開いた。
「ヤン=ウェンリー候補生。君の言いたいことは、自分も正しいと思う。結果として軍全体が歴史研究を軽視すると判断されかねない決定は、軍人としての自分も了承しかねるところはある」
「……」
「だがな。我々は軍人だ。軍人とは軍隊の組織要素であり、軍という組織は運用上、上意下達は絶対だ。それが守られなければ軍隊は組織として形を失い、ただの夜盗と変わらぬ暴力集団になりかねない」
「上層部が下した判断が、どんなにおかしなものでも、ですか?」
「おかしな判断を下した人間は、いずれにせよ処罰される。フェアとかフェアじゃないとかはこの際関係ない。“軍人は命令に従う”まずこれが大前提だ」
そこまで俺が言うと、ヤンはいまだに納得しがたいといった表情で、鼻息を漏らす。
「軍上層部が戦史研究科の廃止を決定したのなら、軍人である君はそれに従わなければならない。感情を抜きにしてそれは分かるな?」
「……はい」
「ここは戦場ではなく、士官学校であり教育機関だ。生死を一刻一秒で争う場ではなく、候補生に教養と能力を与える場所に他ならない。その教育機関が特定の科目を軽視するような判断を決定するのは問題ではないか、と『上申』するのは、軍組織上における命令違反には値しないと思う」
「……なるほど」
しばらくの沈黙の後、ヤンは苦笑していた。
「『上申』するのは問題ではない。ということですね?」
「時と場所と事案によるが、な。一度下された決定には従え。その上で来年・再来年と上申することは、間違いではないし、軍法上も問題ないだろう」
「よく分かりました。では反対の署名は……頂けませんね」
「挑発する相手を間違えるからそうなる。普段から言葉遣いには気をつけろよ」
俺が組んだ手の上に顎を載せ、目を細めて応えたのを見て、ヤンは済みませんでしたと素直に頭を下げた。
「ちなみに、どの科に転属することになった?」
「戦略研究科です。教官から秀才揃いの学科に転属出来るのは滅多にないことだと言われましたよ」
ここも原作通りか。俺は溜息をもらすと組んだ手を解き、背を椅子に深く押し込んだ。
「俺の後輩になるんだったら少しくらいは喜べよ」
「大変不本意です。もうすこし心優しい先輩を持ちたいと思いましたが」
俺は無言で空になった紙コップを握りつぶすと、ヤンに向かって放り投げた。空気抵抗が大きかったのかそれほどの速さは出なかったが、ヤンの運動神経の鈍さのお陰で綺麗に額に命中する。その仕打ちにヤンは抗議することなく苦笑しつつ、潰された紙コップをポッケにしまい込んで敬礼すると、俺の前から立ち去った。
ヤンの姿が完全にカフェから見えなくなると、俺はもう一度深く溜息をつかざるを得なかった。
おそらくシトレはヤンやラップの抗議行動に関して、表面的な罰を与えるだけに止めるだろう。原作を思い出すまでもなく、シトレはそういう行動を高く評価する教育者の面がある。ヤンの素質もワイドボーンの一件以来、シトレの注視するところだろう。ワイドボーンも含めて、ここまでは原作の流れを大きく破壊してはいないはずだ。
ヤンがエル・ファシルで英雄的な行動をして以後順当に昇進し、第七次イゼルローン攻防戦で要塞を奪取してくれるところまで進んでくれればひとまずは重畳。ヤンの総合席次が原作よりも三〇〇ほど上昇しているが、統合作戦本部に囲い込まれるような超エリートになるにはかなり不足だし、おそらく卒業時に提出する希望配属先に戦史編纂室とか平然と書いてしまうだろうから、その希望は間違いなく通るだろう。
そしてイゼルローン要塞陥落前に、戦線でウロチョロしている金髪の孺子を殺すことが出来れば、ひとまず平和の前提条件は成立する。
あとは帝国領侵攻のようなアホな作戦案を握りつぶし、出来ればフェザーン回廊の出口にもイゼルローン規模の要塞を建築し、両回廊を結ぶ辺境航路を開拓することで、固定・機動両戦略防御が構築できれば、自由惑星同盟の「軍事的引きこもりの平和」が成立する。
そうなればグレゴリー叔父も戦死することはないし、帝国との休戦なり和平なりが成立して軍縮へと話が進めば、可愛い義妹達が戦場に出ることもない。俺はきっと黒髪の美女といい仲になって、世界中の農場からアーモンドを消滅させる運動に従事できるだろう。
そうなるためにも俺は軍人としてそれなりに出世の努力をしなくてはならない。そういうわけで最終考査まで俺はウィッティとかなり突き詰めて勉強したと思う。去年の“ウィレム坊や”のような突出した成績優良者は同期にはいないので、少しくらいは総合席次が上がっていると思いたい。
だが最終考査終了後の休日後、最終席次発表(つまり卒業式)の前日夜、シトレ校長より直々の映像通信を受けた時は、『また余計な事言うんじゃないのか、この親父は……』位にしか思っていなかったのだが……
「君はいい意味でも、悪い意味でも、私の期待に応えてくれない困った人物であることは、アントンの子供として産まれたときから承知している」
俺の部屋に設置されている通信画面の向こうで、シトレは歓喜の表情と言っていい顔つきで、変な言葉を続ける。同室戦友はシトレの顔を見た瞬間に、早々に二段ベッドの上に隠れ、こっそりとこちらを伺っている。
「性格がます軍人向きではないし、頑固という点では折り紙付きのボロディン家で育っている。いずれ聞き分けのない上官と衝突し、敵に対して余計な同情心を見せ、失った部下の為に心を消耗し、最終的には空想上の女性といい仲になって、病院の中で一生を終えるような気がしてならない」
黙って聞いていても、随分な言われようだと思うが、既に校長と一学生という立場であると宣告されたはずだ。
それなのに、この黒人の親父は親しげに長々と俺の悪口を言い続けている。
「つまり君が今日という日まで退学届を出さなかったというのは、私としても大いに不満であるし、同盟政府にとって大変な損失であると私は考えている。こうなってしまった以上、私としては貴官が、早期に退役して政界に転じて貰うことを節に祈るしかない」
「あまりにもひどい言いようじゃないですか、校長閣下」
「そうかね?」
「それと約束です。士官学校にいる間も、軍人である間も、校長と一学生の節度は守ると」
「今は友人達の息子にお祝いを述べているだけに過ぎないが」
「校長として卒業式での祝辞を述べられるだけで充分です。通信切りますよ」
「あぁ、切る前に言い忘れた事がある。明日、卒業生の答辞をよろしく頼む。ではまた明日、会場で」
通信はシトレの方から切られた。
だがあの黒人親父、最後になんと言った? 答辞?
「やったな、ヴィク!! 七八〇年生、首席卒業だ!! おめでとう!!」
いつの間にか二段ベッドから降りてきたウィッティが笑顔で俺に向かって拳を差し出している。それが俺に対する祝いの表現である事は間違いない。俺もうれしくないわけではない。間違いないのだが……
「答辞の原稿なんて作ってないぞ……あのクソ校長(おやじ)め!!」
後書き
2014.10.01 更新
2014.10.02 若干文面更新
第12話 ささやかな家族の夜
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
卒業式後の小話っぽい話をお送りします。
結構難産でした。キレが悪くてJr着任は次話に持ち越しです。
宇宙歴七八四年 八月 ハイネセン
夢だと思った。というか思いたかった。
あのくそ親父(=シトレ中将)が卒業式前日に答辞指名をするという奇襲に出た為、俺は慌てて端末を開いて、ウィッティと原稿を徹夜で作成した。ユニバース卒業式テンプレ集と過去の士官学校卒業式の動画を見比べて、適当に文面を繕ったようなものだが、とりあえず形になったのでよしとしたい。
当日の式の流れは一卒業生として把握していたので、さほど問題ではなかった。だがまさか答辞を読むとは思っていなかったので、名前を呼ばれて起立して、演壇前まで歩いている時、顔の筋肉はほとんど硬直していた。後でレーナ叔母さんに映像を見せてもらったが、お世辞にも凛々しいという言葉は使えない。
つっかえることなく答辞を読んでいる最中も、正面のクソ親父は士官学校の校長らしい厳めしい顔つきをしている癖に、俺を見るあの大きな目は俺の緊張している姿をあざ笑っているように見える。あの時ほどその黒い面にクリームケーキをお見舞いしてやりたいと思ったことはなかった。
答辞を無事終え演壇から降りるときには、木製の階段を踏み外しそうになって、正面第一列に並んでいた同期卒業生からは失笑が漏れたし、校長に対する卒業生一斉敬礼の号令の声はひっくり返り、立ち上がって帽子を投げた時には緊張して帽子は手から離れずその反動で尻餅をつく有様……すっこけた俺をウィッティが起こしてくれたがそれこそ罠で、あっという間に俺は同期の連中に取り囲まれると短靴で次々と蹴りを入れられ、再び引き上げられたと思ったら胴上げ一〇回。そして俺は再び床に腰を打ち付ける羽目になった。俺は前世、プロ野球チームの優勝監督が歓喜の中で、どんな身体的苦痛を味わっていたのかをその身をもって感じた。
「卒業式で首席総代が胴上げされるなんて、おそらく士官学校開設してから初めての事なんじゃないか?」
式典が終わり、ヤンやラップそれにワイドボーンといった顔見知りの下級生から次々と祝福という名の肉体的苦痛(膝カックンをしたワイドボーンはいつか絞める)を味わった後、ウィッティ(一四番/四五一一名中)と卒業証書を交換して会場で別れ、テルヌーゼン市内にある軍人系ホテルのレストランでようやく腰を落ちつけた俺に、グレゴリー叔父は肩を竦めて言った。
「あれを見れただけでも、テルヌーゼンまで来た価値はあったわね」
ドレス姿で実年齢(機密事項)より遙かに若く見えるレーナ叔母さんがそれに続く。そういえばグレゴリー叔父も今日は軍服ではなく上品なスーツだった。一見しただけでは軍人にはとても見えない。列席した他の卒業生の家族達に配慮してのことだと思うが、そういう気遣いがさすがだと思ってしまう。
「え、あれって当たり前の事じゃないの?」
成長期よろしくテーブル席の春巻きを口に入れたまま問いかけるにはアントニナ。その横で黙々と歳不相応な上品ぶりで箸を動かすイロナに、レーナ叔母さんの隣で悪戦苦闘しているラリサ。三姉妹それぞれが着飾って食事をする風景は新鮮だった。行儀の悪いアントニナにレーナ叔母さんからお叱りが入るのはいつもの通りなのだが。
「士官学校卒業後は、個人の功績と武勲次第で席次に関係なく出世することは出来る。だが士官学校首席卒業となれば、同じ功績を得たとしても同期の誰よりも上位に立つことができる。言うなれば同期全員がヴィクトールの下に立つことになるわけだ」
「ふ~ん?」
「……アントニナ、お前は学業も運動神経もいいが、成績発表で一番になったことはないだろう?」
これは納得してないなと、俺とグレゴリー叔父は視線で話すと、グレゴリー叔父はかみ砕いてアントニナに説明する。そう、アントニナは自分が納得できない事があった場合、説明された理由を理解できないと、トコトン不機嫌になる若干悪い癖がある。
「そりゃあ、そうだよ……」
「仮に今後アントニナはその一番になった子と同じ成績を取れたとする。そんな場合でも一番になった子には絶対服従だ」
「え~、やだ~」
両手に箸を握ってドンとテーブルを叩くアントニナの少し延びた金髪に、今度はレーナ叔母さんの平手が飛ぶ。
「う~」
「アントニナは絶対服従することになるその子の事を好きになれるかい?」
「……多分無理」
「だがヴィクトールは歓迎されたんだ。その絶対服従せざるを得ない相手から。凄い事だと思わないか?」
「ヴィク兄ちゃんが凄いことは前からわかってるもん」
前世には存在すらなかった義妹の、心を蕩かさせるこの即答に、俺はこの世界に転生できたことを心底感謝した。神様がいるなら這い蹲って御礼申し上げたい。叔父の言うことも分かるし、俺は同期から寄せられた好意に少なからず感激していたが、義妹の真摯な信頼には勝てないのだ。
グレゴリー叔父はそんな俺とアントニナを見て小さく溜息をついている。レーナ叔母さんは苦笑している。イロナはシュウマイに取りかかるようだ。ラリサは首をかしげたままこちらを見ている。
「で、任地は決まったのかな?」
話題の転換の必要性を感じたグレゴリー叔父は、小さく肩を落とした後、俺に言った。
「首席卒をいきなり最前線に持って行くことはないだろうが、遠い場所となるとな……」
「校長閣下からお聞きになっていないのですか?」
「教えてくれなかった。あの方はどうも“ボロディン家”をよく思っていらっしゃらないようだ」
グレゴリー叔父の珍しく皮肉っぽい冗談に、俺は苦笑した。やはり少し酒が入っているようだ。おかしいな。ロシア系の叔父は、遺伝的にはウワバミだと思うのだが。
「統合作戦本部、査閲部統計処理課です」
俺の言葉に、グレゴリー叔父の焦茶の瞳は酔いから冷め、急激に細くなった。
「誰の差し金だか非常に疑いたくなる赴任先だな。士官学校を卒業したばかりのヒヨッコ少尉に、百戦錬磨の部隊査閲をやらせようというのは……」
そう。最初に赴任する任地が記入されている卒業証書を手にとった時、俺は自分の目を疑った。
統合作戦本部下の査閲部といえば、国内において戦闘以外で軍を管理運用する部門だ。戦場で武勲を上げることはない。だが同盟国内宇宙航路で重大事故が発生した場合の救難や現場統制、防衛部から申請された補給艦隊を護衛する部隊の手配、そしてこれが査閲の本分であるが、国内全ての部隊に対する装備点検・訓練における全ての手配と指導および評価を行う部署だ。
ぶっちゃけ部隊風紀・法務を担当するのが憲兵司令部で、それ以外の全てをチェックするのが査閲部になる。実戦部隊の棚や襖に指を這わせ、「おたくの部隊指導・訓練はまったくろくでもないですな」と言うのが仕事だ。はっきり言って嫌われ者である。戦いの場にも出ないクセに偉そうに実戦(笑)指導する恥知らずなどと陰口をたたかれる職域だ。
だから査閲部に在籍している者の大半が実戦経験者で揃えられている。それも下士官・兵卒から苦労して這い上がった猛者士官ばかりだ。名を聞いただけで戦場を思い浮かべられる英雄的人物も多い。それくらいの者でないと、査閲を受けた側の不満が押さえきれない場合もあるのだ。
そんな鬼ばかりで地獄同然の職場に、士官学校首席卒業(実戦経験なし)を放り込む。今の人事部長が誰だか知らないが、手配した人間ははっきり言ってバカなのか、それとも『誰かの強い推薦があったので』やむを得ず配置したのか。グレゴリー叔父の言うとおり、こんな初歩的な手配ミスを犯すほど人事部は劣化していないはずだから……
「士官学校校長室に白いペンキを詰めた家屋破壊弾を撃ち込んでやろうか……」
「グレゴリー、悪口は程々にしなさい。子供達にうつるから」
「だがな……」
「いいじゃないですか。ヴィクトールが統合作戦本部に勤めるんだから、オークリッジから通えるんですし」
レーナ叔母さんは、結局オイスターソースを口の周りにベッタリつけたラリサの口を拭きながら応えた。
「ましてヴィクが戦場に出なくてすむのですから、シトレ中将には感謝しないと……」
叔母さんの心からの言葉に、俺は悄然とせざるを得なかった。グレゴリー叔父も反論することなく唇を小さく噛み、目を閉じている。
俺の実父アントンもグレゴリー叔父も、戦略研究科を優秀な成績で卒業し、戦場では武勲を、内勤では堅実に功績を上げて、かなり早く出世街道を進んできた。功績を挙げるということは、それなりの危険を伴うものだ。グレゴリー叔父はまだ三七歳なのに既に六〇近い戦地に赴いていたし、父アントンは戦場で露と消えた。
直近の部下であった父の戦死に責任感を感じているシトレも、俺を実の息子のように育ててくれるグレゴリー叔父も、俺に戦場で安易に戦死して欲しくないという気持ちがあるのは間違いない。シトレは直接告げたし、グレゴリー叔父もレーナ叔母さんに反論しないところを見れば、そうなのだろう。そして両者とも、俺に対してそれとは全く逆の期待を抱いているのも確かだ。
かくいう俺も目的があって出世することを望んでいる。だからといってこの場で「早く戦場に立って武勲を上げて恩返しがしたいです」と返事できるほど、俺は脳天気でも無神経でもない。
まるで進むべき一本道のゴールに向かって、心を斟酌されることなく急かされ続けるようなものだ。原作の知識がある事を煩わしいと、こういうときこそよく思う。
「職場でいじめられない程度に、職務に精錬するつもりです」
俺はそう応えざるを得なかった。
「それに同室戦友のウィッティも近くの戦略部にいることですし。ご心配には及びません」
「あぁ、アル=アシェリク准将閣下のご子息だな。彼は気持ちのいい青年だ。閣下も後方勤務本部にお勤めだし、どちらかというと人をフォローするのに向いているから、安心だ」
「なにしろ私の高級副官ですからね」
「なるほど……彼はきっとそういう役職が向いていると思うよ」
原作ではクブルスリー大将の高級副官で、食器による暗殺未遂事件を阻止できなかった。それから彼は原作に登場していない。少なくとも統合作戦本部長の高級副官を務められる人間だ。ビュコック元帥の幕僚になっていても可笑しくない。上司を傷つけられた事を、事前に阻止出来なかったことを、悔やんでも悔やみきれなかっただろう。友人としても、戦友としても頼りになる奴と、この世界に来て知っただけにあまりにも惜しい。
グレゴリー叔父が第一二艦隊司令官に任命された時は、彼に副官になってもらおう。
そう心のメモに記帳して、俺はようやくレーナ叔母さんに許された飲酒を楽しむことにした。
後書き
2014.10.04 更新
2014.10.05 補弼→任命
第13話 査閲部 着任
前書き
いつも多くのPVありがとうございます。
半日遅れ(土曜日の仕事が深夜まで)の更新になります。
Jrはいよいよキャリアをスタート。そこである伝説と出会うとは思わずに。
七八四年九月 ハイネセン 統合作戦本部
士官学校を卒業してからの一ヶ月が過ぎた。実を言えばこの一ヶ月は、士官学校卒業生のうち辺境に赴任する者達の移動時間を考慮したものではあったが、元から有人居住惑星のない場所に士官候補生を送り込む事などないわけで、移動に必要な時間以外は『卒業休暇』となる。
ちなみに俺の任地はハイネセンポリス中心部より一〇〇キロ離れた統合作戦本部査閲部。事実上、任地へ赴く距離は〇。よって、一ヶ月まるまる休暇として使えるはずだったが、結果として義妹達の世話や、引っ越しの手伝いで何かと忙しく、骨の髄から休みを取れたのはせいぜい二日ぐらいだった。
そう、ボロディン家は八月、オークリッジの慣れ親しんだ官舎から引っ越すことになったのだ。引っ越すと言っても直線距離でせいぜい二〇キロ先にある『ゴールデンブリッジ』街一二番地。その街の名が示す意味はグレゴリー叔父の少将への昇進だった。職務も統合作戦本部施設部次長から、宇宙艦隊司令部第一艦隊副司令官へ変わった。
同盟軍第一艦隊といえば首都警備・国内治安・そして伝統ある海賊討伐と星系間航路治安維持を主任務とする部隊だ。栄光あるナンバーフリートではあるが、実情は一〇〇〇隻程度の機動集団と一〇〇隻前後の戦隊の大混成部隊である。それも当然で、主戦闘任務が海賊討伐である以上、一万隻以上の戦力はいささか過剰なのだ。
よって第一艦隊が全軍で出動するということは滅多にない。ゆえに艦隊の次席指揮官というのは全く意味のない閑職のように見えるが、それもまた違う。定番の作戦では機動集団一つに複数の戦隊が同行するので、上層となる指揮・参謀集団が別個に必要となるのだ。さらに各星系方面司令部との調整もあり、宇宙艦隊の面子という面でも少将クラスの人間が必要不可欠になる。しかも用兵と指揮と人格に一定以上の評価がある人物が。温厚な紳士であり、軍政・軍令に忠実で、能力も充分(むしろ過剰気味だが)、人望もあって調整能力も高いグレゴリー叔父は充分に資格があった。
グレゴリー叔父の昇進が決まって役職も決まると、引っ越したばかりの官舎には来客が有象無象に押しかけてきた。クソ親父(=シトレ中将)はどうでもいいとして、かつての部下でハイネセン近郊に在住している人はみんな来たんじゃないかと思えるくらいだ。特にジェフ=コナリー大佐は、例の細い顔に黒いカストロ髭の容姿で、「ジュニアも首席卒業で査閲部に赴任が決まられたとか。おめでとうございます」と宣い、何処で聞きつけたのか俺の好物のチキンフライを山ほど持ってきてくれた。もっとも大半をアントニナとラリサに食べられてしまったが。
そういうわけで叔父昇進祝いのミニパーティーがぶっ続けで開かれ、初めて統合作戦本部の査閲部に登庁した時は緊張感からではなく、単純な食べ過ぎが原因の胃もたれを感じていた。
胃をさすりつつ、俺はハイネセンポリスからの軍中枢区画行き直通リニアに乗り、地上五五階の巨大な外観ではなく、中枢とも言える地下四〇階のホームで降りる。扉が開き、例の濃緑色のジャケットが一斉にホームへと降りる様は壮観だったが、その中でもポツポツと何処へ行ったらいいか分からない、といったおのぼりさんが見受けられる。……そのほとんどが新着任の同期生だった。“事前に調べてこいよ”とも思うが、二〇両編成に詰め込まれた四〇〇〇人近い降車客を前に圧倒されたのだろう。
その人混みをかき分けるように、俺は地下六五階にある査閲部統計課へと向かう。いざとなったら立て籠もれるよう複雑に入り組んだ通路を抜け、幾つかのセキュリティーゲートをくぐり抜けると、その場所はあった。鬼査閲官のたむろす地獄のようなドンヨリとした空間かと思いきや、地下なのに天井は高く、床は中彩色の鼠色で壁と天井は押さえられた温白色で、非常に落ち着いたオフィスだった。受付のようなものはなく、映像の出ない前世では使い慣れたオフィス電話が一台、入口付近の小さなテーブルに置かれている。思い出すかのように外来受付番号をプッシュする。
「査閲部統計課です」
電話に出てきた女性の声は、必要以上の言葉は喋りません、と自己主張していた。
「ご用件を」
「本日、貴課に着任いたしましたヴィクトール=ボロディン少尉であります」
「承知しました。その場でお待ちを」
そう言っただけで女性は電話を切る。少なくとも電話口の女性がコールセンターの指導を受けたことがないのは確かだろう。俺は今後の職場環境のクールさを想像し小さく溜息をついていると、オフィスの向こう側から俺に向かってゆっくり近づいてくる、白みがかったグレーの髪と同じ色の小さな髭の、やや痩せた長身の中年男性が見える。
俺は今、生きている伝説を見ているのか……呆然として立ちつくし、緊張から唾が音を立てて喉奥を落ちていく。
『生きた航路図』『ヤンの片足』『艦隊運用の名人』……彼、エドウィン=フィッシャーがいなければヤン艦隊は迷子になるし、ヤンの奇策を実行することは出来なかっただろう。彼がいたからこそヤン艦隊は不敗神話を保ち続けられたのだ。だが何故、その彼が統合作戦本部の、しかも嫌われ者の査閲部にいるのだろうか。
「お待たせしましたかな」
まさに紳士そのもの。グレゴリー叔父の上を行くフィッシャー『中佐』の穏やかな問いかけに、俺はイイエとしか応えられない。俺の緊張を新任ゆえと理解したフィッシャーは「そうでしょう」と小さく囁いてから頷く。
「査閲部長のクレブス中将閣下と、統計課のハンシェル准将が、君の到着を待っているよ」
「それは……申し訳ありませんでした」
俺は鳴らすくらい強く踵を合わせ、背筋を伸ばしてフィッシャーに敬礼した。上司より遅い登庁など、軍隊組織に限らず本来許されることではない。それくらいは分かっているつもりで定時の二時間前に登庁したわけだが、それを上司達は上回るのだ。
「気にしないことだよ。そして失敗しても、決して顔には出さないように」
答礼の際もフィッシャーの顔は穏やかで落ち着いている。それが逆に俺は恐ろしい。ユリアンが「地味が軍服を着て物陰に黙って立っているような」人物だと評価していたが、それはただの外面だけだ。彼の実力と強さはその皮膚と脳みその裏側に隠されている。
査閲部長室をフィッシャーがノックし、扉が開かれた後も、俺はただただ無言でついて行くしかない。
それほど広くない査閲部長のオフィスには、やはり二人の中年男性将官が立っていた。席に座っている太った中将がクレブス中将で、立って腕を組んでいるのがハンシェル准将だろう。二人とも俺を静かな目で見つめている。俺が礼法授業を一つ一つ思い出しながら、気合いを入れて敬礼すると、二人の将官も答礼を返してくる。二人とも完璧な敬礼でありながら、ちっとも身体が強ばって見えない。
「〇六一二時に登庁ならまず合格だ」
俺に対するクレブス中将の最初の言葉がそれで、
「あと三〇分は早く来てもらわんとな」
と応えたのがハンシェル准将だった。二人とも原作には登場しない。クレブス中将は定年間近から見て専科学校出身の士官だし、ハンシェル准将は兵卒からの叩き上げだろう。言葉に遠慮がない。
「査閲官は常に他者から監視されていると言っても過言ではない職務だ。必要以上に厳しくする必要はないが、つけいる隙を与える必要はない」
「は!! よろしくご指導願います」
「うむ」
クレブス中将は小さく頷くと、手を組んで俺を見上げた。
「正直言うとな、少尉。この査察部に士官学校を卒業したばかりの少尉が着任したことに我々も戸惑っている」
「はっ……」
「人事部にも一度確認したが、間違いはないとのことだ。だが実戦経験のない貴官に、訓練評価やその統計が出来るはずもないし、我々としても期待していない。しばらくはフィッシャー中佐に同行してもらう。いいな」
「承知しました」
「……なるほど、素直であるのはよい素質だ。査閲官としての適性はともかく、な」
そう言うと中将は立ち上がり、ハンシェル准将から受け取った辞令と階級章を俺に手渡した。
「士官学校首席卒の貴官のキャリアが、この場から始まったと誇れるよう、職務に精励することを望む」
「はっ」
俺の手に少し厚みを感じる辞令と、クリップ付けされた少尉の襟章が渡され、フィッシャー中佐が襟章を取ると、俺のジャケットの右襟に取り付けた。これで儀式は終わりだ。俺は二人の将官に敬礼し、フィッシャー中佐と共に執務室を出る。
「クレブス中将閣下の言葉を繰り返すようだが、少尉にいきなり仕事をせよと言われても無理だと思う」
『まぁ、かけたまえ』とフィッシャー中佐はオフィス内で俺を座らせると、小さく溜息をついて言った。周囲にいるのはほとんどが年配者ばかりで、女性は異様なほど少ない。フィッシャー中佐と俺が話していても、全く気に留めることなく、自分達の仕事に集中している。
「よってまずは私が査閲した結果の入力と、過去入力分の解説と学習、査閲に同行しての実践を進めていきたいと思う。いいかな?」
「よろしくお願いいたします」
「首席卒ということで、肩身の狭い気分を味わうかもしれない。そういう時は相手の仕事の様子を見て、自分の意見を、直接ぶつけて見てもいい。下積みで苦労の多かった者もいるし、査閲官としての実績もある。君にあたりちらしたり、君を殴ったりするような愚かな者はいないはずだ。少なくとも君の軍歴より少ない者は、この場所にはいないからね」
もしかして最後の下りはジョークだったのだろうか。俺はフィッシャー中佐の穏やかな顔を伺ってみたが、そこから察することは出来なかった。
後書き
2014.10.05 更新
2014.10.05 台詞一部修正
第14話 愛されし者
前書き
いつも閲覧いただきありがとうございます。
ようやく自分の立場をほんの少しだけ理解出来たJrです。
明日はUPが微妙です。
宇宙歴七八四年八月 統合作戦本部 査閲部 統計処理課
初登庁の日は瞬く間に時間が過ぎていった。まず基本的な業務の流れの説明をフィッシャー中佐から受け、昼休みには統計処理課の他の課員に自己紹介をし、その後は報告書の種類についてのおおざっぱな説明を受けた。
携帯端末を利用してのメモは二〇〇枚近くになり、掌サイズの紙メモ帳だったら持ち運びすら困難になりそうな量だった。これだけの量を全て把握している査閲部統計処理課の要員は一体どういう頭をしているのかと感心する。むしろ頭ではなく身体で把握しているのではないかと……経験という血肉で。
出仕一週間の間にフィッシャー中佐から紹介された課員は、所属している査閲官全てではなかったが、やはりというか殆どが専科学校あるいは一兵卒からのたたき上げ士官ばかりだ。少なくとも軍歴が二〇年を下回る人がいない。むしろ今年四四歳のフィッシャー中佐の方が若造なのだ。それはつまり……
「坊主が産まれたころは戦艦ボノビビのC第五砲塔の砲座に座っていたなぁ」
とか
「坊が一回半人生をやり直して来る前に、儂は殴られながらスパルタニアンをいじっていたのか……」
という話が、平然と出てくる。言うまでもなく「坊」とか「坊主」とかは俺のことだ。この場にもしヤンがいたら、意外と喜ぶんじゃないだろうか。
「しかし、坊はなんだって士官学校首席卒なのに、この“爺捨て穴”に放り込まれたんだ?」
オフィスの端に簡単に作られている小さな休憩室でそうあけすけに聞いてくるのは、統計課で最年長のマクニール少佐。一八歳で徴兵され、一兵卒から這い上がってきた。人生の大半を砲座と戦闘艦橋で暮らしてきた人物で、来年の二月で六〇歳の定年を迎える。すでに回される仕事もほとんどなく、時間(ヒマ)を見ては研修中の俺とフィッシャー中佐に話しかけてきてくれる。前世の六〇代よりも遙かに元気そうで、やはり平均生涯年齢九〇歳という未来は伊達ではないなと痛感せざるを得ない。もう孫も成人し、警察組織である航路保安局の警備艇に乗り込んでいるらしい。
「ここは出世とは無縁の場所だぞ。誰か有力な政治家子弟の嫉みでも買ったか?」
「それは……よく分かりません」
同期に政治家の子弟がいなかったわけではない。ただ嫉みを買うほど付き合いがあったわけではないし、父親も軍の人事に関与できるほど有力者でもない。仮にそうだとしても、あのクソ親父(=シトレ中将)が排除するだろう。というかこの人事は明らかにクソ親父の仕業だ。
だが何故、クソ親父は横槍を入れてまで俺をココに配属させたか。
戦死しては父アントンに申し訳がない……だけではあるまい。それなら後方勤務本部へ配属すれば済むことだ。あっちは女の子だらけで、いい仲になり損ねた同期もいっぱい配属されているのに、いらぬ事をしてくれる。
「まぁ……宇宙艦隊参謀本部にはちょっとソリの合わない一期上の先輩がいるので、それを配慮してくれたのかもしれません」
「だが首席卒の坊なら統合作戦本部長も宇宙艦隊司令長官も夢ではないのに、初っ端から査閲部だからなぁ……下手したら中将まで行けないかもしれないぞ」
「それはないと思うよ、マクニール少佐」
俺の隣に座って、悠然と紅茶を飲んでいたフィッシャー中佐が珍しく口を挟んできた。俺とマクニール少佐が話している時は滅多に口を開かず、いつものように穏やかな表情で話を聞いているだけなのだが……
「ボロディン少尉は第一艦隊副司令官ボロディン少将閣下のご子息だ」
いきなり投下された爆弾発言に、マクニール少佐もフィッシャー中佐を見、そして俺を見る。俺が諦めて頷くのを見てから「おやまぁ」と呆れた口調で呟いた。というか俺も驚いた。何故今更それを言うのかと。
「……ん~そうなると、ますますワケがわからんなぁ」
「あの、マクニール少佐……」
「なんだい、坊主」
「自分を戦死させたくなくて養父が人事に干渉した、とはお考えにならないんですか?」
小心者の俺がおっかなびっくり問うと、逆にマクニール少佐の方が目を丸くして驚いたようだった。
「坊主は自分の親父さんがそんなにも恥知らずな男だと思っているのか?」
「いえ、そうは思いませんが……」
「グレゴリー=ボロディン少将閣下はいずれ中将、大将になる人だ。そんな人が軍人となった自分の息子の命惜しさに不義を望むわけがない。息子の栄光ある将来も、自分のこれまで築いた名声も失うことになる」
グレゴリー叔父はマクニール少佐の言うとおりだろう。だが元凶は違えど、俺と同じような勘ぐりをする奴は多くいるに違いない。幸い、マクニール少佐はそういう勘ぐりはしなかった。「いい人」だとは思う。だが前世もそうだが、いい人は総じて世間に少ない。
「だからこそよく分からん。クレブス中将は人事部に掛け合った上で、配置を了承したらしいが……」
溜息混じりのマクニール少佐の言葉が、その日の夜まで俺の頭の中に残っていた。
それからさらに一週間が過ぎ、ようやく俺はフィッシャー中佐の手助けを得ず、情報の入力や訓練考課表の統計作成が出来るようになった。ちょくちょく添削は入るものの、形となった考課表を手に取り、俺はようやく給与分の仕事ぐらいは出来るようになったかと喜んだ。未だテンプレ集を手放せないのだが、それなりにホッとしたのも事実だ。フィッシャー中佐と共に本部ビル三〇階の食堂で昼食を取っている時、そのせいで油断していたのか、俺は中佐につい聞いてしまった。
「艦隊運用というものは、やはり訓練でしか鍛えられないものなのですか?」
原作における『艦隊運用の名人』はどうやってその運用法を学んだのか。確かに士官学校には艦隊運用術・用兵理論等の学科はある。しかし実際に艦隊を動かすとなると、これがなかなか上手くいかない。フィッシャー中佐に教えられながら作成した考課表を見てもそれは明らかだ。
再編成されたばかりの部隊だと、艦のカタログデータの半分以下の速度でしか集団行動が出来ない。出来るようになる為に訓練をしているのだから当然といえば当然なのだが、艦隊運用というものが指揮官や幕僚集団、艦長などの腕に左右されるのであれば、教科書にはないコツのようなモノがあるのかもしれない。
そのコツがいつかは役立つかもしれない、と参考までにその道の『名人』に聞いてみたのだが、俺に問われたフィッシャー中佐はというと、口元にサンドイッチを運んだままの姿で固まってしまっていた。
「中佐?」
「……二週間か。これを早いと見るか、遅いと見るかは判断が難しいところだ」
数秒後、ようやく筋肉に信号が行ったフィッシャー中佐は、サンドイッチを皿に戻し、紅茶カップを手にとって一口傾けてからそう呟いた。
「いや、済まない。でもどうして少尉はそう考えたのかな?」
「あ、いや……それは……」
俺は自分の考え方を一応述べた。『コツ』という言葉に、フィッシャー中佐は小さく眉を動かし苦笑したが、それ以外ではずっと黙ったままだった。彼が口を開いたのは、たっぷり一分経過してからのことだった。
「さすが、と少尉には言いたいところだが、艦隊運用に特別な『コツ』というものは存在しない」
フィッシャー中佐の声は、いつもよりも深くそして低い。俺は思わず背筋に力を入れざるを得ない。
「艦隊運用を上達させるのに必要な要素は大きく分けて三つあると私は思っている。適切で素早い空間把握と、部隊を構成する艦艇性能の理解、艦艇を統率する下級指揮官あるいは艦長の力量の把握だ……それに加えてある程度の作戦構築能力と、下級指揮官同士の相互理解と、適切で効率的な燃料の管理術があれば、よりスムーズな運用が可能になる」
艦艇が戦列を組み直して別の陣形を形成するに際して、動く先の空間に余裕があるか、空間に障害物がないかを把握するのはまず当然のことである。個艦性能以上の運動を求めるのは、特殊な外的要因がない限り意味のないこと。土俵が整えばあとは下級指揮官や艦長が、上級指揮官の指示に適切な行動で応えればよい。上級指揮官に作戦構築能力があれば部隊移動の時間や空間に余裕が産まれるし、下級指揮官同士の相互理解があれば交叉する移動経路となっても衝突せずスムーズに動ける。さらに燃料を効率的に管理することが出来れば、より長時間広範囲にわたる運用が可能となるだろう。
「もっとも、私も本に書けるほど艦隊運用に自信をもっているわけではない。ただ今までの航法・航海士官としての実戦経験や『訓練査閲官としての経験』から、こうなのではないか、と考えて言っているだけに過ぎないのだが」
フィッシャー中佐の最後の言葉に、俺は自分の瞳孔が大きく開いたことを実感せずにはいられなかった。
士官学校首席卒の俺を、出世コースの基本である戦略部や防衛部、宇宙艦隊司令部の参謀本部などではなく、嫌われ者で猛者の集まりである査閲部に、あのクソ親父(=しつこいようだがシトレ中将)が横槍を入れてまで放り込んだ理由が、ようやく理解できた。
あのクソ親父は、俺の出世など幾ら遅れても構わないと思っている。むしろ早々に退役しろと思っているのは本人も言っているからそうなのだろう。だがどうせ時間がかかってもいいなら、彼らのような実戦経験豊富な勇者達から、その貴重な経験を学び、そして査閲官として経験を積んでこい、功績を挙げる機会と相殺で、と言外に言っているのだ。しかも戦場に出ることなく!!
「フィッシャー中佐」
俺は、最後の確認がしたくて、失礼な質問を中佐に投げかけた。
「中佐の、査閲官になる前の任地はいずれでしょうか?」
「……四年前。第二艦隊第一分艦隊の航法・運用担当士官だった」
中佐の答えははっきりとしていた。
「私は今まで君ほど『彼』に愛された新任士官を見たことがないよ」
そういうとフィッシャー中佐は再び紅茶カップに口をつけた。その穏やかな顔に、若干の気恥ずかしさ浮かんでいたのも間違いないのだった。
後書き
2014.10.05 更新
2020.09.23 誤字修正
第15話 嫌いな奴
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
少し遅くなりました。第15話をお送りします。
珍しく?Jrが陰気で尊大な奴になっています。(実を言うと作者もJrと同じく良識派の彼が嫌いです)
宇宙歴七八四年一一月 統合作戦本部 査閲部 統計課
俺が統計課に配属になってから三ヶ月が過ぎた。
フィッシャー中佐の告白以降、俺は中佐だけでなく暇を持て余しているマクニール少佐や、他のかなり年配でそろそろ退役かという位の査閲官や事務の人と積極的に話すようになった。若い(といっても四〇代なんだが)査閲官は仕事をバリバリこなしているので、声をかけづらいというのもあるが、老勇者達は話しかけてくる俺に、快くいろいろな経験談や自慢のコツを教えてくれる。
「砲撃、ってのはだ、坊。こういっちゃ悪いが、画面を見て引き金を引ける奴なら、それこそジュニアスクールのガキだって出来る仕事なんだ」
特にその中でも最もよく話すマクニール少佐は、少しでも酒が入ると自慢の理論を話し始める。
「だが、名砲手ってのはそうそういねぇ。俺の顔見知りにアレクサンドル=ビュコックってのがいるが、コイツはまた凄かった」
フィッシャー中佐は既に帰宅の途につき、俺は少佐に連れられて下級士官用のバーに絶賛連れ込まれ中なのだが、その席で原作における超大物の名前が酔っぱらった少佐の口から出てきたのにはさすがに驚き、俺は飲み慣れないウィスキーを吹き出した。
「おいおい、坊主、大丈夫か?」
「なんとか……で、そのビュコック……さんは、どう凄かったんですか?」
「とにかく度胸が良くて正確な砲撃ができる。本人は運がいいからだと謙遜していたが、一瞬しか映らない敵の先制砲火を、砲手画面で瞬時に確認してから応撃するんだ。これはそうそう出来る事じゃない」
その身振り手振りがいちいち珍妙なマクニール少佐だったが、赤ら顔でも目は真剣だった。
「速く正確に射撃をする。これは俺達査閲官の評価項目のなかでも特に重要だ。だがな、敵より先に砲撃するというのは、場合によってはあんまり良いことじゃない」
「敵に自分の位置を先に知らせることになる、からですか?」
「そうだ!! よく分かったな坊主。さすが首席卒は頭の回転が違う」
そういうとマクニール少佐は俺の酔った頭を、長年の砲撃指導で少し曲がった指でゴリゴリとひっかいた。もっとも俺の返事は原作にあった、ヤン艦隊の熟練兵・教官の叱咤をそのまま口に出しただけなのだが、その事はあえて言うまい。
原作の知識があるというのは、確かにこういったところで役には立つ。だが結局、マフィアとかダゴンの英雄の場面を別として、宇宙歴七八四年現在からエル・ファシルの戦いのある七八八年までの五年間は、歴史上の出来事など殆どわからない。正直、金髪が赤毛と仲良くなっただの、孺子の姉が後宮に連れて行かれただの帝国側のこの時期における原作知識はあんまり役に立たない。
それよりも肝心なときまでに出世できているか、実権をにぎっているか、そちらの方が心配になってくる。
最終的な目標は「同盟の引きこもり型防衛体制の確立」だ。その為には対帝国での戦力比をアスターテ星域会戦以前くらいに維持しなくてはならない。となるとやはり帝国領侵攻前に宇宙艦隊司令部で艦隊を統率しているか、統合作戦本部で軍事戦略に関与できる位置ぐらいにいなければならない。階級でいえば中将。あるいは将官であって、シトレかロボスの高級幕僚になることだ。
だがシトレは俺に将来軍人として大成して欲しいとは思っていても、相当の時間がかかってもいいと思っているようだし、ロボスとは面識がない。中将になるとしても、帝国領侵攻は七九六年八月。約一二年で八階級を上らなくてはいけない。一階級あたり一年半。少尉から中尉へは一年だから良いとしても、相当のスピードが必要だろう。なにしろあのグレゴリー叔父が今年少将になったのだし、フィッシャーは現在中佐。七九六年時点でグレゴリー叔父が中将、フィッシャーは准将だから、実戦に参加しない場合は一階級昇格するのには五年必要と考えるべきなのか。クソ親父(=シトレ中将)の親心が次第に憎たらしくなってくる。
「おい、坊主。どうした、大丈夫か?」
久しぶりに意識を別次元に飛ばしていた俺の面前で、マクニール少佐が手を振っている。
「これっぽっちで酔っちまったのかよ。将来の統合作戦本部長殿は案外酒に弱いんだな」
「まだ小官は二一ですよ?」
「俺が二一だったときは、徹夜飲みなんか当たり前だったぞ。もっとも飲まなきゃやってられなかったがね」
「……はぁ」
「明後日からいよいよ現場入りだものな。フィッシャー中佐が付いているとはいえ、初めて実戦部隊の白い目を浴びに行くんだから、緊張していてもおかしくない。よし。今日のところはこれでお開きにしてやる」
そういうとマクニール少佐は腕を伸ばして大あくびをするのだった。
翌々日。俺はフィッシャー中佐と共に、ハイネセン軍用宇宙港からシャトルに乗って、訓練中の艦隊へ査閲に赴いた。と、言ってもハイネセンのあるバーラト星系ではなく、複数の正規艦隊が同時に訓練できるほどの空間を持ち、補給と休養の望める有人惑星が近くに存在する、ロフォーテン星系管区内のキベロン演習宙域までである。
既に査閲対象の艦隊は移動を開始しており、俺達査閲官は三〇人ばかりのチームを作って、連絡用の巡航艦で追っかけていくのだが、この巡航艦の中で査閲官専用スペースとなった士官食堂の一角で、俺達は書類や端末を並べつつ、深刻な表情で顔を見合わせていた。
「我々の査察対象はいうまでもなくラザール=ロボス中将閣下の第三艦隊だ……」
今回の査閲チームの首席であるオスマン大佐が、軽く舌打ちしてからそう吐き捨てた。
「言うまでもなくロボス中将は気鋭の戦術指導能力をもつ指揮官だ。貴官らにあっては査察評価を、より慎重に行って欲しい……」
そう。俺の初めての査閲先はよりにもよってロボスの率いる艦隊だった。
事前に渡された資料によれば、ラザール=ロボス中将は現在四五歳。中将に昇進してから二年が経過し、あと数年で間違いなく大将に昇進すると言われている。オスマン大佐が言うように、優れた戦術指揮能力を持ち前線でも後方でも優れた業績を挙げてきた。精力的に幕僚グループを纏め上げる力量は当世一との評判だった。
もっとも第六次イゼルローン攻防戦以降、食器の専横を許し帝国領侵攻で大損害を出した、プライドだけデカイ中年デブしか知らない俺としてはにわかに信じがたい。それはともかく、ロボスの内外における評判が高いことから、査閲側がうかつな事をしでかして宇宙艦隊司令部と統合作戦本部間でトラブルの種になるような事は避けたい……オスマン大佐の言外の気持ちを、査閲官達はみな承知していた。
そんな緊張した俺達査閲官は、巡航艦からシャトルに、シャトルから戦艦アイアースへと移乗すると、案内に出てきた幕僚に連れられて、すぐさま戦闘艦橋へと通された。査閲首席のオスマン大佐と次席のフィッシャー中佐が、戦闘艦橋の一番高い指揮官階層に向かい、一番下っ端の俺は、同じ尉官らと一緒に一番下層のオペレーター階層から、巨大な差段艦橋を仰ぎ見ていた。
「……殺人ワイヤーに自壊雛壇か」
「なにか言ったかね?」
原作そのままの、艦隊旗艦の指揮中枢部としてあるまじき非安全性に心底がっかりしていると、俺は背後から声をかけられた。シャトルから降りてここまで、案内役の幕僚以外に査閲官へ声をかけた者は一人もおらず、丁重な無視か、意図的な無視か、汚物でも見るような斜視以外浴びてこなかった俺達に声をかけるのはどんな物好きかと、俺は振り向いてその声の主を確認すると、不思議そうな、珍獣を見るような視線で中年寸前の男が俺を見ていた。そしてその周囲で査閲官達が直立不動で敬礼しているのが分かった。
「随分若い査閲官だね。君は……」
「し、少将閣下」
階級章を見て俺は慌てて敬礼すると、その少将も悠然と答礼する。何処にでも良そうな、それでいてどこかで見た事のある少将だ。褐色の髪に、肉付きの薄い頬。グレゴリー叔父やフィッシャー中佐程ではないにしても、穏やかな雰囲気を纏っている。いつだったか似たような顔の作りを見たような気がするが……
「ボロディン少尉!! こちらはグリーンヒル少将閣下だぞ!! さっさと申告せんか!!」
(かなり年配の)同僚の言葉に、俺は体中に電流が走ったのを感じた。
ドワイド=グリーンヒル。的確かつ堅実で整理された判断を下せる軍内部でも評判の良識派。軍人としては異様に気配りができ、バランス感覚に富んでいるが故に、二〇年来のライバルであるシトレ・ロボス両者の補佐役を務めることができた。軍人というよりむしろ政治家向きなんじゃないかと、クソ親父ならずとも俺は考えることもある。
俺にはこの人がなんで軍人やっているのかよく分からない。有能な『人物』であるのは認める。だが結局この人は多くの会戦でロボスを補佐していながら勝った例がほとんどない。幾ら優秀だからと言っても、軍人になって六年程度の食器(=ナイフの反対)を上司として掣肘せず、専横すら許している。あまつさえ若手将校達の暴走を押さえる為にクーデターの親玉になるなど正気の沙汰ではない。どう考えても民主主義国家における優秀な『軍人』ではない。その良識とやらを十全に発揮したければ、とっとと軍服をスーツに替えてヨブ=トリューニヒトと対峙すべきなのだ。もっとも良識だけでトリューニヒトに勝てるわけがないが、レベロよりはマシだろう。この人の不作為で、一体どれだけの同盟軍将兵と軍属が無駄に屍を晒したことか。
正直、俺はこの人が大嫌いだ。この世界では原作と異なるかもしれないが、『食器』よりも。
「大変失礼いたしました。小官はヴィクトール=ボロディン少尉であります。グリーンヒル少将閣下」
フィッシャー中佐の薫陶よろしく、俺は感情を顔に出さず、努めて冷静に自己申告した。
「ほぅ……君が亡きアントン=ボロディン中将のご子息か」
「はい。少将閣下は父をご存じでありますか?」
普段から『グレゴリー叔父のご子息』と呼ばれることはあっても、『アントンの息子』と呼ばれることはない。もう一〇年以上昔に亡くなったこちらの世界の実父を、昨日のように覚えている人は今ではグレゴリー叔父とレーナ叔母さんとクソ親父だけだろう。だがこの人は何故だ? 俺が視線だけで問いかけると、グリーンヒルは小さく微笑んだ。
「彼がシトレ少将指揮下で分戦隊を率いて最期の戦いとなったパランティア星域で、私は別の艦隊で幕僚を務めていた。士官学校でも三期上で、同期の間でも勇敢で正義感あふれる事で有名だった。何度かシトレ中将を挟んで会話したこともある。丁度、君が産まれたときだったかな。彼はたいへん喜んでいたよ」
「そうですか……父は軍の話を家では殆どいたしませんでしたので、閣下のお話を伺えて嬉しく思います」
「こんな話で良ければ、いつでも我が家に来てくれたまえ。彼のご子息なら家族揃っていつでも歓迎しよう。あぁ、今こういう話をしてはダメだな。貴官は今回の査閲の担当者だった」
今更思い出したと言わんばかりに、少しオーバーな身振りでグリーンヒルは肩を竦めると、俺の横をすり抜けるときに軽く二度ばかり肩を叩いて行った。
誰がアンタの家になんか行くものか。行ったところで悪い予感しかしないしな。
俺は笑顔でオペレーター達に挨拶しているグリーンヒルの背中から視線を逸らし、拳をきつく握りしめるのだった。
後書き
2014.10.08 更新
第16話 査閲と
前書き
更新を二日空けてしまいました。暖かいお返事本当にありがとうございます。
演習開始からデブじゃない中将、そして中佐の心遣いをお届けします。
たぶん次回にはJrは中尉に昇進している、のかなぁ……
宇宙歴七八四年一一月 キベロン演習宙域 査閲部 統計課
オスマン査閲集団の査閲下におけるロボス第三艦隊の演習がついに開始された。
まずは各小戦隊の砲撃・移動訓練が、ついで単座式戦闘艇の近接戦闘訓練が、訓練誘導弾を利用した雷撃戦訓練が開始される。おおよそ一〇〇隻前後の集団、あるいは一〇〇〇機前後の戦闘艇が次々と標的を撃破していく。
俺や年配の尉官達はそれら各小戦隊から上がってくるデータと、標的の撃破状況のデータの双方を比較し、その撃破率、撃破時間、評価点を叩きだしていく。ここまでのところ対静止標的・対可動標的共に他の正規艦隊や独立部隊よりも評価点が高い。
「さすがロボス中将の第三艦隊だ。同盟一の精鋭の名は伊達ではない」
同僚の一人が査閲中に思わず漏らした言葉だったが、俺もそれには同感だった。単純な撃破率であれば文句なしに最強といっても良いだろう。ただ俺の心の中にはグリーヒルに対する反感以上に、なにやら言葉にするには難しい、何となくモヤモヤする得体の知れない違和感があった。
三日かけての演習第一段階の戦隊別訓練が終わると、演習対象の第三艦隊乗組員には休養が与えられる。だが、査閲官にはそれはない。第三艦隊の総隻数は一三〇六〇隻。旗艦を含めた分艦隊が五つ。戦隊は二八。小戦隊にいたっては一五〇以上ある。それら一つ一つの戦隊ごとに評価点を出し、コメントがあれば書き込んでいく必要があるからだ。三〇人以上の査閲官が参加しているとは言っても、一戦隊を一人の査察官だけで評価するわけにはいかない。俺はフィッシャー中佐が率いる一〇人チームの一人として、評価会議に参加している。
「第七七九戦艦小戦隊、対静止標的撃破率八八%。対可動標的撃破率三五%。まず一五八点。小戦隊各艦延べ移動距離は五.四光秒……少し長い。マイナス九点」
ようやく一〇人が座れる会議室で、中央の三次元投影機を動かしつつ、一つ一つの演習科目に対する評価点を足したり引いたりしている。フィッシャー中佐が一つの小戦隊の評価を終えると、チームの一人一人に意見を求め、必要と判断できるコメントを俺に指示して入力させ、報告書を作り上げていく。午前八時から午後九時まで。食事すら司令部の従卒に運ばせて、ひたすらそれの繰り返しだ。その間、ずっと喋りっぱなしのフィッシャー中佐に、俺はたまらず昼食の時に聞いてみた。
「中佐、よく喉が嗄れませんね」
「少尉。これには『コツ』がある」
やはりサンドイッチに紅茶という英国スタイルは変える気がないらしいフィッシャー中佐は、三杯目の紅茶を傾けた後に、俺にこっそりと囁いた。
「大声を出さないこと、喉の少し口よりの処から声を出すこと、読み上げるときだけは目を細めてぼやくようにすること。この三つだ。それでも演習最終日は蜂蜜とオレンジが欲しくなる」
「父と叔父は、ジャム口に含んでから紅茶を飲みますが?」
「どうやらボロディン家のお茶会は私にとって鬼門のようだ」
そう言ってお互い苦笑した後、中佐は俺に向かってやや真剣な目で言った。
「意見がある時には遠慮する必要はない。君は新任の少尉であることは会議室にいる誰もが知っているし、みな百戦錬磨の紳士だ。間違うことで学ぶことも多いはずだ」
「ありがとうございます。ですが……そうすると会議時間が長くなってしまうのでは?」
「切り上げるタイミングは私が心得ているよ。それよりも君は会議中、ずっと何かを言いたげだった。それが私には気になるんだが……」
「小官自身でも、それが分からないのです。言いたいことはあるのですが……言葉に出来ず」
「そうか……それなら仕方がない。分かったらいつでも発言してくれ」
そこまで言われると、俺も考えなくてはいけない。翌日から再び演習は始まった。演習第二段階は戦隊単位での演習だ。今までの小戦隊とは隻数も異なるだけでなく、上級指揮官が複数の小戦隊を指揮する。故に査閲対象の階級も上昇するので、下手な評価を下せば容赦なくチームの会議室に怒鳴り込んでくることもある。
幸いにして我らがフィッシャー中佐のチームには来なかったものの、もう一人の中佐の処には幕僚を連れた指揮官が評価に対する説明を求めて訪れたらしい。その際グリーンヒル少将が間に入って仲裁したという話を聞き、違和感の原因がはっきりしなかったこともあって、俺は暗澹たる気分になった。
再び休みを一日おいて演習第三段階。今度は複数の戦隊が集まって編成される分艦隊規模の演習が始まる。
それまで評価対象が小さく細かかったものが一気に大きくなり、標的も空間規模になる。それに伴い標的の撃破ではなく、宙域への投射射線量で評価が決まる。これまで艦隊といえば練習艦隊規模しか経験のない俺としては、二〇〇〇隻の艦艇が指揮官の命令によって移動・砲撃する有様に、素直に感動していた。おそらくユリアンも初めて艦橋に立った時、同じ思いをしたに違いない。演習図面も個艦単位ではなく勢力範囲表示になる。
「あ」
演習第三段階の一日目の夜、俺は思い出したようにベッドから飛び起きた。演習の華麗さに俺は子供のように魅入っていたが、今更ながら肝心なことに気がついた。何故複数艦による単一目標に対する集中砲火などの意図した集中砲火訓練を行っていないのか? それは各艦艦長同士のチームプレーであって演習する必要がないということなのだろうか……単純に艦対艦の火力では、巡航艦は戦艦に勝てない。それが戦隊規模、分艦隊規模、艦隊規模となればその火力の差は著しくなる。
だが集中砲火となれば話は変わってくる。実体弾でも同様だが、低威力の火力でも同じところに何度も当てていればいずれ装甲を打ち破る事が出来る。低威力の巡航艦主砲でも、三隻以上集まれば戦艦のエネルギー中和磁場も撃ち抜ける。基本的に中性子ビームや光子砲のベクトルは実体弾のように反発するのではなく、合成される。だからこそ金髪の孺子は戦艦エピメテウス以下第一一艦隊の旗艦中心部を崩壊できたし、ヤン=ウェンリーは過度に保護された要塞の航行エンジンを撃破することができた。
俺が翌日その事をフィッシャー中佐に告げると、中佐は口ひげに手を当てしばらく考えてから応えた。
「集中砲火戦術に関する訓練も当然計画している。しかし、それだけでは貴官は不足だと?」
「確かに計画されていますが、全艦隊、あるいは分艦隊全艦による一点集中砲撃訓練と、同時併行しての陣形変更訓練は計画されていません」
「それはそうだが……貴官の求めているのは実戦演習というよりも、むしろ式典で行われるような砲撃ショーのようなものではないか?」
「どんな堅艦も複数艦からの集中砲火には耐えられません。それと同じように、艦隊規模での一点集中砲火が可能であれば、敵艦隊を細いながらも分断することが可能なのではないでしょうか?」
「……グリーンヒル参謀長と検討してみよう。今から演習項目を変更するとなるとかなり大がかりな事になる」
参謀長の名前が中佐の口から出て来たところで、俺は一瞬この提案を引っ込めようと思った。結果的に採用されればロボス-グリーンヒル両巨頭率いる第三艦隊の攻撃力を向上させることになりかねない。いや、向上させることは悪いことではないし、第三艦隊の精強化が進むのは同盟にとって悪いことではない。
だが、根本的に俺はロボスもグリーンヒルも嫌いだ。ロボスと対立するくそ親父ももちろん嫌いだが、こちらの世界の実父の件や、俺に対する捻くれた温情もあることから、グリーンヒルに比べればはるかにマシだ。ぶっちゃけ俺は『シトレ派』と言っても過言ではない……多分に認めたくはないが。
そして案の定、俺は演習第三段階最終日の夜、フィッシャー中佐と共に、グリーンヒルに呼び出された。
行き先は戦艦アイアースの司令官公室。当然待っているのは、グリーンヒルだけではない。
「君がボロディン少尉か」
グリーンヒルを左隣に立たせ、司令官専用の席に座っているのは、小柄ではあったが顔には精気があふれ、眠たそうだが鋭い眼差しと太い眉を持つ……若いラザール=ロボス中将だった。
「士官学校を卒業したばかりと参謀長から聞いた。何故君が査閲官をしているのかね?」
「それは閣下……」
俺が口を開こうとすると、フィッシャー中佐が俺の膝前に手を出して制する仕草をすると、代わりに一歩踏み出してロボスに応えた。
「ボロディン少尉には確かに実戦経験はありません。ですが彼の士官学校における成績と、士官学校校長の強い推薦を鑑み、人事部は彼を査閲部に配属するよう辞令を交付いたしました」
文句があるならアンタのライバルであるシトレに言え、というフィッシャー中佐の返答に、ロボスの顔は誰にでも分かるような不快の表情が浮かんだ。
「小官も彼の上官として、彼の任務に対する真摯で献身的な行動には、充分評価に値するものと考えます」
「彼の士官学校の席次は?」
「首席であります」
中佐の返答に、ロボスの顔はさらにゆがんだ。もしかしてこいつ学歴コンプレックスか? さすがにロボスも首席と返答されては成績から俺を批判することは出来ないらしい。いや、こうなると卒業間近に追い込み学習した苦労の甲斐はあった。マジで苦労したが。
「……参謀長より、少尉からの提案があったことを聞いた。本来なら少尉からの提案などいちいち勘案する話ではないが、一応聞かせてもらおう。どうして一点集中砲火を演習科目に入れる必要があるのかね?」
苦々しい、本当に苦々しいというのはこういう表情の事かと俺はロボスの顔を見て思った。だがロボスと俺との間には八つの階級があり、いかなる形とはいえ上官には違いないので、感情を出すことなく俺はフィッシャー中佐に話した内容をそのままロボスに伝えた。言い終わった後もしばらくロボスは腕を組んだまま目を閉じていたが、次に目を開いた時にはグリーンヒルに演習第四段階の計画表と投影機を持ってこさせていた。
「貴官の言いたいことは分かった。が一点集中砲火が戦術的に有効かどうかは不確かだ」
明後日からの演習予定図を元に、俺が投影機を使って説明した後で、ロボスは鼻息荒く応えた。
「集中砲火が効果的であることは疑ってはおらん。それを一点に集中する理由が乏しい。個艦単位での近接戦闘、相互連携においては有効だろうが艦隊・分艦隊規模では逆に効果が薄くなる」
司令官席に座りながらも三次元投影機を指さし説明する精悍なロボス、というあまりにも原作イメージとは異なる言葉の切れ味に、俺は正直この時驚いた。そして一体この後どんな出来事があって、ああも無惨に晩節を汚すことになったのか、人ごとならず興味が浮かぶ。
「特に艦隊単位での一点集中砲火は威力も大きかろう。その代わり一度目標を外せば、一斉射分のエネルギーと時間を敵に与えることになる。何しろ戦闘宙域は広大だ。一万隻分の砲火が一点に集中したところで、撃破できる艦艇数はたかがしれている」
「ですが……」
「貴官の意見を全て否定しようとは思わんよ。巡航艦三隻で敵戦艦一隻を血祭りに上げられるのであれば、有効的なのは考えてみれば当たり前の話なのだからな。だが残念ながら貴官には艦隊戦闘の経験がない。そして第三艦隊はナンバーフリートであって、数隻単位の辺境の警備部隊ではない。艦隊戦闘に必要とされる火力は『点』ではなく『面』なのだ」
「……」
「シトレ中将が期待するだけの俊英だ。貴官もはやく出世して艦隊戦闘の場に出てくれば分かる。いや早く出てきてもらおう。実際の戦闘を見て、見聞を広げ、より建設的な意見を寄せてもらいたい。なにしろ中将に意見を言える少尉などそうそうおらんからな。中佐、少尉。ご苦労だった」
それが面会終了の合図であることは疑いようもなかった。
「……申し訳ありませんでした」
俺はアイアースの廊下を歩きながら、先を進むフィッシャー中佐に謝罪せざるを得なかった。この件で俺の上申を取り上げたフィッシャー中佐も、ロボスやグリーンヒルから睨まれることになる。フィッシャー中佐もグリーンヒルとさほど年齢は変わらないから、その差はほぼ絶望的になるだろう。下手をしたらアスターテまでに第四艦隊へ配属されることがないかもしれない。
「別段謝られるような話ではないよ少尉」
立ち止まって振り向いたフィッシャー中佐の顔は、俺が考えていたよりもずっと陽気だった。
「あのロボス中将の苦虫を噛んだ顔を拝めたのだ。これはなかなかお目にかかれない光景だった」
「しかし」
「私も長い間艦隊勤務をこなしてきたが、こういうリスクを取ろうとは考えた事がなかった。安全運転というのかな。任務は果たすが、リスクを取って責任を負ってまで何かを得ようとはあまり考えたことはなかった」
これが原因か、と俺はフィッシャー中佐の穏やかな笑顔を見て納得した。
エドウィン=フィッシャーという艦隊戦闘において欠くべからざる才幹の持ち主が、初老になってようやく准将であったというのが疑問だったのだ。ヤンの右足と呼ばれた程の名人が、いくら戦闘指揮が『どうにか水準』とはいっても、もっと高い階級にいても良いはず。だが彼はその穏やかで真面目な性格が徒となったか、あるいは正直に臆病だったのか、不必要なリスクを負うことを躊躇していたのだろう。故に出世は遅く、ヤンという『有能な怠け者上司』に巡り会えたことでようやく大きく羽ばたいたのだ。
「査閲部にもそろそろ飽きてきたところだ。次の人事で私は何処に飛ばされるか分からないが……複数の艦艇を率いることになったら、貴官の『一点集中砲火』戦術を使わせてもらうよ。それで、相殺だ。いいね?」
「ですが……」
「貴官がこれから出世して、艦隊を率いてもらう時には幕僚の一人にしてもらえればもっと良いが……シトレ中将の言うとおり、貴官の性格ではなかなか出世できないかもしれないな」
苦笑するフィッシャー中佐の顔を、俺はまともに見ることは出来なかった。
俺はあまりにも恵まれている。父アントン、グレゴリー叔父、シトレのクソ親父にフィッシャー中佐。みな俺に対して愛情を持って接してくれる。それに応えるべき俺は迷惑をかけている。
それが今の俺にはとても辛かった。
後書き
2014.10.11 更新
第17話 いろいろな嵐
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
やっぱり今回もJrは中尉に昇進できません。ボロディン家に緑が丘という嵐が吹きます。
Jrはシスコンですかね、やっぱり。
宇宙歴七八五年二月~八月
キベロン訓練宙域における第三艦隊の演習は査閲部からも好評のうちに終了した。
最終評価報告はハイネセンに戻ってから提出される事になる。現場で出来ない作業や、他の演習との比較統計などの作業も、ハイネセンで行われることになるだろう。それでも一ヶ月程度か。七八五年の新年はあまり良い気分で迎えられそうにはなかった。
「まぁ、坊主。失敗って言うのは誰にでもある。人死にならずによかったじゃねぇか」
ハイネセンに戻るなり、軍人生活残り一ヶ月となったマクニール少佐に連れられていつものバーに行くと、少佐はそう言っていた。軍隊生活四二年。前線勤務も後方勤務も俺の人生の二倍(前世分も入れれば実は同じなんだが)経験した古強者は、どうやら戦死せずに退役できるようだ。
「ただなぁ……正直俺の年金だけでかみさんと二人で年金生活というのは難しいかもしれねぇなぁ。貯金もそれほどあるわけでもねぇし」
後一五年ぐらいして戦争で負けたらさらに削られますよ、とは言えない。そうならないように頑張っているつもりだが、初手から躓いてしまった感がある。
「いずれにしても、戦争はこれまで一三〇年以上続いているんだ。坊が退役するまでになくなっているとは考えにくい。だいたい坊は首席卒なんだ。出世の機会なんか何処にでも転がっているさ」
少々落ち込んでいる俺を慰めるように、少佐は俺の肩に手を回して言う。酒の臭いに加齢臭が加わっても、これはこれで仕方ない。前世での接待を思えば、何てことでもない。
「退職金も出るから、とりあえずしばらくはかみさんと旅行に出て、それから官庁系のアルバイトを探すかな。あ~俺を女子大の教授にでも雇ってくれないかな。バロンみたいに」
「若い愛人が麻薬中毒になっても知りませんよ?」
「男だったら、それくらい本望なんじゃねぇか少尉!?」
冗談か本気か分からないような、少佐の気迫あふれる返答に、俺は引きつり笑いを浮かべることぐらいしかできなかった。
基本的に同盟軍は二月と八月に大規模な人事を行うことになっている。八月は主に新兵や新任士官・下士官の入隊による編成関連の人事が主であり、二月はその対月として功績を挙げた者や退役者の整理などが主となる。特に大きな戦役に参加したり、大きな功績を挙げたりしない限りはこの時期に昇進・賞罰が決定する。また士官学校卒業生の場合、公報として『同窓名簿』が各個人の端末へと送られる。
ただ昨年任官したての少尉は、取り立てて降格に値する処分がない限り、ほぼ間違いなく次の年の八月に中尉へと昇進する。いわゆる自動昇進だ。そして少尉では配属されることのなかった辺境・前線勤務が始まる。おそらくロボス中将の不興を買った俺は、下手をすれば軍役終了(=金髪の孺子によるゲームオーバー)まで辺境巡りの可能性がある。シトレもそうそう人事に干渉は出来ないだろうし、グレゴリー叔父はああ見えてかなり潔癖なところがあるから呼び戻すという期待はできない。
故に俺は査閲部で仕事を真面目にこなしつつも、時折老勇者達の経験談を聞きまくっている。マクニール少佐には砲術、フィッシャー中佐からは艦隊運用技術、他にも誘導弾・地上戦・後方支援・物資調達・野戦築城などなどなど、ここにいるのはその道で苦労して食ってきた人ばかりだ。中には気むずかしく偏屈な……むしろそんな人ばかりなんだが、丁寧に教えを請うてみるとフィッシャー中佐の言うとおり、野卑だが紳士だった。
二月。周囲の好意で、夫人を職場に呼んでの花束贈呈に、さすがのマクニール少佐も目を赤く腫らしていた。
「こいつがボロディン少尉だ。如才ない孺子だが、いつか必ず統合作戦本部長になる。俺が保障する」
夫人に俺を紹介する時、少佐がそう言ったことが気恥ずかしかったが、夫人の穏やかな笑みと深いお辞儀に、敬礼する手が震えたのは言うまでもない。他にも数人が査閲部を最期に退役することになり、その日の査閲部は殆ど仕事にならなかった。が、翌日から別所より転属されてきた人達への教育やらなんやらで、あっという間に日常へと戻っていく。
フィッシャー中佐は二月の人事で異動はなかった。中佐には悪いが、俺としてはそれが一番嬉しい。本人も苦笑していたが、まんざらでもない様子で教えてくれる内容が段々と濃く、マニアックになってくる。そういったことを休日、自宅で寛いでいるグレゴリー叔父に話すと。
「……シトレ中将の贔屓も程々にしてもらわないとなぁ」
と、背後で料理をしているレーナ叔母さんには聞こえない声で呟いていた。
そんなこんなで仕事に聴講にと忙しくも楽しく平和な日々を俺は送っていたが、嵐は突然やってきた。
六月一八日。久しぶりの休日。グレゴリー叔父が遠征で出張中。フィッシャー中佐は夫人とお出かけ、他の同僚もそれぞれ少ない休みを満喫している為、聴講もなくぼんやりと数少ない私服に着替え、レーナ叔母さんの舵を手伝いつつ、末妹のラリサの勉強を手伝っていた。
午後一時。五歳とは思えぬラリサの、数学に対する貪欲な学習意欲にタジタジになりながら、レーナ叔母さんと作ったサラダ、ボルシチ、水餃子に紅茶と昼食を準備していく。グレゴリー叔父が海賊討伐遠征で不在、アントニナは朝から行方不明、イロナはジュニアスクールの合宿で不在。なのに、コースが五人分用意されているのに俺は不審に思ってレーナ叔母さんに尋ねた。
「あぁ、それはね。アントニナの友達が今日、こっちに遊びに来るのよ。何でもその子のお父さんも軍人さんで、しかもグレゴリーと同じ少将だそうよ。それで転校早々アントニナが意気投合しちゃったらしくてね。それからというもの時々向こうの家に行ったり、遊びに来たりするのよ」
キッチンから聞こえてくるレーナ叔母さんの声は軽く浮かれている。
「ウェーヴのかかった金褐色の髪とヘイゼルの瞳の調和が取れた凄い美少女でね。ほらアントニナは肌が私にて薄茶色にストレートのブロンドでしょ? だから一緒にいると色違いの対称が取れていて、見てるだけでうっとりするわよ」
「へぇ……アントニナの同級生なんだ」
なんだろうか……すごく嫌な胸騒ぎがする。
「そう。でもちょっと大人びているかしら。お母さんが少し病気がちで、入退院しているらしいの。それが原因かもしれないわね。あ、それと頭は凄く良いわよ。一度覚えたことは忘れないみたいで、学校の成績もトップみたい。イロナは随分と尊敬しているわ」
「ふ~ん……叔母さん。俺、昼食終わったら外でていいかな?」
もはや俺の心の警告灯は真っ赤に染まり、サイレンがガンガンと鳴り響いている。冗談ではない。父親が少将? 金褐色の髪? ヘイゼルの瞳? 母親が病気がち? 記憶力抜群? 満貫じゃないか!!
「それはいいけど……せっかくだからその子とじっくり話していきなさいよ。あんまり低年齢の子に興味を持ってしまうのはどうかと思うけど、その歳にもなって浮いた話一つ聞かないなんて、軍人だとしてもどうかと思うわよ?」
「いやいや。仕事が忙しくて、そんなヒマありません」
「時間は作るものですよ。まったく。そんなんじゃ私、エレーナに顔向け出来ないじゃない」
「は、ははは」
頭を掻いてごまかすしかなかった。だが、嵐はすぐそこまでやってきていた。
「ただいま、お母さん!!」
「おじゃまします」
「お帰りなさい。手を洗ってきてね。すぐ昼ご飯にするから」
「「は~い」」
アントニナの突き抜けるような明るい声の後にある、張りはあるのにそこはかとなく威圧感のある声が続く。正直、その声まで似て欲しくはなかった。顔を覆いたいぐらいだ。
「ヴィク兄ちゃん、おはよ」
「お、おう。朝早かったのか?」
「フライングボールの朝練もあってさ。あ、ヴィク兄ちゃんは初めてだっけ?」
「な、にが?」
「この子。フレデリカ=グリーンヒルって言うの。フレデリカ、この人がいつも僕の言ってるヴィクトール兄ちゃん」
俺の顔を見て、その子……後の不敗の魔術師の副官にして妻(ただし一一歳の)の顔も引き攣っている。確かにその顔には見覚えがある。あの時、空港地下のホームで痴漢野郎呼ばわりしたあの美少女。向こうもこちらがあの時の『痴漢野郎』だと分かって引き攣っているようだった。
「……初めてお目にかかります。ドワイド=グリーンヒルの娘で、フレデリカと申します。ヴィクトール少尉のお話は、妹さんからも父からも伺っております」
「……いつも妹がお世話になっています。グリーンヒル少将閣下にはつい最近小官もお世話になりました」
つまりあの時のことは『なかったことにしろ』と言いたいワケか。そして余計なことを言ったら少将に言いつけるぞ、と。
レーナ叔母さんの言葉でもないが、なんと大人びたことだ。天真爛漫なアントニナと比べるまでもないし、どちらが俺の好みかと言えば、それも言うまでもない。そして彼女に罪があるわけではないが、彼女の存在の後には、あのグリーンヒルがいる。娘の出会いと憧れを、上手い具合に利用してヤン=ウェンリーを取り込もうとした。娘の幸せも当然考えてのことだろうが、前世地球でもよくある閨閥構築にはいろいろな意味でお近づきになりたくない。
帝国領侵攻でシトレとロボスは責任を取って引責辞任した。だがグリーンヒルは査閲部長に(現在査閲部にいる俺としてはかなり腹の立つ話だが)左遷されただけで、軍に残留することが出来た。
元帥のいないあの時の同盟で大将の地位にあったのはクブルスリー、ビュコック、ドーソン、ヤンそしてグリーンヒルの五名。
仮にクーデターを起こさなかったとしても、ビュコックは老齢でそれほど長く宇宙艦隊司令長官を務めることは出来ない。ドーソンは事務職としては優秀な人材かもしれないが、小心で神経質で人望が薄い。クブルスリーはいずれ本部長になると噂された人物であるが、グリーンヒルのほうが『先任』だ。そしてヤンは有能な軍事指揮官で卓越した戦略家だが、若すぎるほど若い。
つまりグリーンヒルは『いつでも要職に戻れる』環境にあった。ブロンズ中将など後方・情報系の将校にも、ルグランジュ中将のような実働部隊にも人望がある。ビュコックが軍を去った後、ドーソンがボロを出せば、グリーンヒルに復職の可能性すらあるわけだ。しかも今後三〇年は同盟軍の大黒柱になるであろうヤンは娘婿。
俺が転生したこの世界が、原作通りに物事が進むかどうかははっきりしない。だが俺が何も干渉しなければそうなる可能性は高い。あれだけの被害を出して失敗した作戦の参謀長が、辞任あるいは予備役にならないというのは、どう考えてもおかしい。そして復職の可能性すら残している。どうしてそんな奴に近づきたいと思うか。
昼食の場で、アントニナと笑顔で話しながら、こちらを丁重に敬遠するフレデリカの綺麗な横顔を一瞥して、俺は横に座るラリサの質問に耳を傾けつつ思った。
結局、俺はフレデリカが家にいる間、彼女と俺はなんら感情の挟む会話をすることはなかった。一度嵌ったら飽きるまでトコトンのめり込むラリサの性格にはこの時ばかりは感謝しきれない。夕刻になって無人タクシーを呼び、グリーンヒルの官舎への行き先登録をすませると、ボロディン家は総出でフレデリカを見送った。
フレデリカの乗った無人タクシーの姿が見えなくなるまで手を振っていたアントニナは、ようやく手を下ろすと、大きく一つ溜息をついてから俺を見上げて言った。
「ねぇ、ヴィク兄ちゃん。フレデリカのこと、どう思う?」
「どう思うって……どういうことだ?」
「ん~なんていうか……」
言いにくそうにしているアントニナの視線が玄関先に向いているのを見て、俺はレーナ叔母さんに視線でアントニナのことを示す。叔母さんはすぐに察してラリサと一緒に家の中へと戻っていってくれた。その動きにアントニナは『ありがと』と呟いた後、いつも定番の散水栓に腰を下ろして続けた。
「フレデリカ、美人でしょ」
「お前ほどじゃないと思うが」
「お世辞でもありがと。だけど学校でちょっと浮いてるんだ、あの子」
お世辞のつもりは一切なかったが、若干影のある顔で、長く細い足をプラプラしているアントニナを見れば少しばかり真面目な話だとわかる。だが正直前世でコミュ障だった俺に、小学生の学内生活相談をされても、まともな答えを出すことは出来ない。
「……少し大人びているな。確かに」
「うん。それで女の子グループから敬遠されてるし、男の子グループからも距離を置かれてる。今のところ僕が一緒にいるから何とかなってるけど……」
「お母さんが病気がちだからな。背負うものが両親健在の子達とは違う。しかも父親があのグリーンヒル少将だ。その当たりを知ってあえて近寄らない子もいるだろう」
「第三艦隊でお父さんを亡くした子もクラスにはいるんだよ……」
「……そういうこともあるだろう。グレゴリー叔父さんだってかなりの数の味方を『殺している』。だからといってアントニナ、お前がクラスで浮いているワケじゃないだろう?」
「でも……」
「あの子は学校では『大人しい』のか?」
俺の問いに、アントニナは小さく頷いた。
「そうか、自分を抑えている処があるワケか……だったらアントニナ、その分厚そうな猫の皮剥いでやれ」
「は?」
「父親の職業で喧嘩するなんてジュニアスクールじゃよくあることだろ。ハイスクールにまでなってやっているようじゃ心的成長を疑うが。徹底的にやれ。大いに喧嘩して殴り合え。ただし絶対に陰湿にはやるなよ。それこそ教師が仲裁に入るくらい派手に暴れろ」
「ちょ、わけわからないよ!!」
「お前の本音を彼女に直接ぶつければいい。挑発する機会を逃すな。そしてお前から先に手を出せ。彼女が大声を上げてクラス中に本音をぶちまけるようにな」
俺の過激な案に、アントニナはしばらく呆然と俺を見つめていた。夕日が沈みかけ、その最期の輝きがアントニナのブロンドを紅茶色に染め上げる。やはりお世辞抜きに俺の義妹は美人だ。その美人が数分してようやく納得してから笑みを浮かべた。
「ヴィク兄ちゃんは過激だね。失敗するかもしれないのに」
「義妹が一番大事だ。正直相手がどうなろうと知ったことじゃない。俺の乏しい脳みそはこれぐらいしか解決策がない。あの小娘がお前の顔に拳を打ち込めるとは思えないけどな」
「ふっふふふ。そうだね」
アントニナはそういうと散水栓から腰を上げ、大きく背伸びした。フライングボールクラブに入って既にレギュラーとなっているだけあって、キッチリと鍛えられつつある一一歳の肉体は、彼女ナシ歴二二年目(前世を入れれば五〇年以上)の心を揺り動かすには充分だった。
「あ、また鼻の下延びてるよ。まったく困った兄ちゃんだ」
「うるさいな。俺はロリコンじゃない」
「ロリコンでもいいよ。ヴィク兄ちゃんなら」
そう言うと、アントニナは鼻歌交じりにスキップしながら母屋の玄関へと走り去っていく。
いくら前世で妹がいなかったとはいえ、一〇歳も年下の子供に、手玉に取られるようでは、俺も転生したところで大して成長してないな、と俺は自嘲せざるを得なかった。
後書き
2014.10.12 更新
第18話 嵐の後始末
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
とりあえずJrを次の任地へ送り込まなければ、いつまで経っても緑が丘の呪いが解けないと思い
投稿いたします。若干短いです。
宇宙歴七八五年 八月 統合作戦本部
正直申し上げまして、嵐はまったく収まっていませんでした。
アントニナは俺の余計な……間違ったかもしれない……いやたぶん間違った意見を鵜呑みにし、翌日早々フレデリカに喧嘩を売った。最初はいつものように挨拶から始まり、次にフレデリカの被った分厚い猫の皮を鋭く指摘し、席から立ち上がったところを先制平手打ち。結局、教師が仲裁に入るまで三ラウンド八分三五秒。アントニナのTKO勝利……と折角綺麗な顔に大きなくまと絆創膏を貼り、ストレートのブロンドをぼさぼさにしてしまったアントニナ本人が拳を挙げ、これまでも見てきた晴れ晴れとした笑顔で証言した。
当然のことながら先に手を出したこと、挑発したことにグレゴリー叔父はカンカン。アントニナを激烈に叱りつけたのだが、殊勝に黙って聞いていたアントニナの行動にかえって不審を抱いて聞き、その理由を聞いて深く肩を落としたそうである。誰に入れ知恵されたのかというグレゴリー叔父の追求には、頑として応えなかったのは……さすが幼くても『女は度胸だわ』と感心せざるを得なかった。
だから薄々と俺の入れ知恵だと分かっていたグレゴリー叔父から、妹達の見えないガレージで一撃貰ったのは仕方ないと諦めている。ていうか一撃で済んで良かったと心底思った。
そして現在。小官ことヴィクトール=ボロディン少尉は、傷だらけの勝者?である義妹であるアントニナを連れて、ハイネセンで評判のケーキ店で逸品を購入し、メイプルヒル(グリーンヒルのクセに!!)にあるグリーンヒル少将宅を訪れたわけで。
「……なるほど。理由は伺った」
ボロディン家とはまた趣の異なった広めのリビングで、俺とアントニナは腕を組んでいるグリーンヒルを前にしていた。俺の見るからに現在のグリーンヒルは少将ではなく、大切な娘を殴られたただの父親であった。
「だが拳を挙げさせたのはいささか野蛮であるとは思わなかったのかね?」
「正直、示唆した自分もそう思います」
「……結果として良ければ、それまでの過程はどうでもいいと、君は思うか」
「思いませんが、他に方法が思いつきませんでした」
「なんという浅知恵だ。軍人である君が、教育者にでもなったつもりかね?」
悪いですがその台詞、黒いクソ親父(=シトレ中将)にも言ってやってくれませんかね、と内心で思いつつも、俺はソファから立ち上がり、深くグリーンヒルに頭を下げた。グリーンヒルは腹に据えかねているようだった(それは当然だ)が、グリーンヒルの横に座っていた夫人が、俺の顔を見て小さく溜息をついてから口を開いた。
「もしかして二・三年前、私がハイネセン第二空港の地下駅で発作を起こした時、助けていただいた士官候補生の方じゃありませんか? 確か、ヴィクトールさん」
「……はい」
「やっぱり……あの時はお礼もお詫びもせずごめんなさい。私の事を運ぼうとしたホームで、フレデリカが貴方のことひどく罵ったあげく、腿を蹴り上げたでしょう?」
「九歳の少女の蹴り上げなど、痛くも痒くもありません。それよりご無事でなによりでした」
俺が夫人に応えると、まったく初耳だという壮年と少女が驚きの表情を浮かべている。俺もフレデリカがボロディン家に来た瞬間にそれは分かっていたが、あえてフレデリカが遠回しに拒絶したことから黙っていたわけで。グリーンヒルは唖然としているし、アントニナは『どうして教えてくれなかったのか』と完全にむくれている。
「……それとこれとは別だと、分かっているかね?」
「はい」
むくれるアントニナを連れて、グリーンヒル夫人がケーキと一緒に二階へと上がっていくのをよそに、俺とグリーンヒルはソファで対峙していた。
「……君は本当に怖い物知らずだな。亡きアントン=ボロディン中将もそうだったが、ボロディン家の血はそうにも荒々しいものなのかね?」
「小官は血液や遺伝を根拠とした性格というものは信じておりません。性格構築はまずもって幼少期における教育環境によるものだと思っております」
「なるほど。実に現実的な発想だ。娘の頬とひっかき傷の保障として聞きたいが、君に怖いものはあるのか?」
「チョコレートの中に巧みに隠されたアーモンドと、ボロディン家の平和な未来です」
俺の正直な返答に、グリーンヒルは一瞬目を丸くした後、膝を叩いて含み笑いを浮かべている。
「君の前では艦隊司令官も艦隊参謀長も怖くない存在と言うことか。出世欲とか名誉欲とかは、君にとってはたいしたことがないものだと?」
「出世も名誉も俗人としての欲求は持っています。ですが家族の平和と自由と安全、それを支える国家の安全に比べればたいしたことはありません」
「国家の安全……君は政治家かそれとも統合作戦本部長にでもなったつもりなのかね?」
俺はこのグリーンヒルの質問に、猛烈に腹を立てた。目の前で良い香りのする四客のティーカップを底浚いして床に叩き落とし、石作りの上品なテーブルの上に足を載せて踏みつけたいくらいに……だが小心者の俺は、フィッシャー中佐直伝の表情管理をフル活用して、どうにか心を落ち着かせると、とびきりの笑顔で応えることしかできない。
「勿論です。常に高く広い視野で考えることが戦略研究科出身の軍人の、生涯の任務ではないでしょうか?」
「……君は本気でそう思っているのか?」
数分の沈黙の後、グリーンヒルは紅茶を二杯飲んだ後に、そう応えた。今手にある三杯目を持つ手は、俺にも分かるくらい震えている。
「はい。本気です」
「道理で怖い物知らずなわけだ。立っている場所が違うわけだからな。なるほどシトレ中将閣下が、人事に干渉してでも手元に置いておきたい気持ちも分かる気がする」
カップの中身を一気に飲み干した後、どうにか落ち着いた様子で、グリーンヒルはソーサーに戻し足を組み直す。
「ここでの話は他言無用に願いたい。誓えるかね?」
「誓います」
どうせろくでもないことを言うのは間違いない。俺はそう思ってあっさりと応えた。そしてやはりグリーンヒルの口から出た質問は、やはりろくでもないものだった。別な意味で。
「君は近年における現在の政治の腐敗と経済・社会の弱体化に関してどう対処すべきと考える?」
俺はあえてその質問に答えることを拒絶した。その質問に対する答えは既に用意してある。だがこの答えを今グリーンヒルにするには、あまりにも俺の地位は低すぎ、権力も実力もない。この会話を録音し、後日俺を攻撃・処刑するための証拠にする可能性だってあり得る。少なくともその質問に答えるほど、俺はグリーンヒルという人間を信用してはいない。だいたい一介の少尉にする質問ではない。
あるいは、と思う。グリーンヒルはこういった『お前だけが頼りだ』みたいな甘い囁きで、多くの軍人を籠絡してきたのではないかと勘ぐってしまう。それは原作でも前線で実働部隊を指揮すると言うよりも、参謀や各部局でキャリアを積み上げてきた彼に許された、あるいは前線指揮官としての功績に乏しい彼にできる唯一の人誑しの術なのかもしれない。
グリーンヒル夫人を仲介して、フレデリカとの完全な手打ちを終えたアントニナと共に、ゴールデンブリッジの官舎へと戻る間そんなことばかり考えていたので、すっかりアントニナのご機嫌は悪くなってしまった。百貨店やアイスクリームスタンドで散々散財させられて、さらに山のようになったお土産を官舎まで運ばされて、ようやくアントニナは落ち着いてくれた。さらには七月の休暇には費用すべて俺持ちで、家族全員とフレデリカを郊外のコテージへ連れて行く約束までさせられた。さすがにそれは俺の給与では不可能なので、やむを得ず、『真にやむを得ず』俺は高級副官(ウィッティ)も巻き添えにせざるを得なかった。ウィッティが二つ返事で了承したので、よからぬ気配を感じた俺は当日必要時以外は奴に目隠しさせておいた。
そんなさんざんな六月と七月を過ごし、俺はようやく士官学校卒業より二回目の八月を迎えることになる。
この時期は統合作戦本部に限らず、あらゆる部局・部隊がざわめきの坩堝に落とし込まれる。昇進する者、配置転換される者、昇給する者、逆に左遷される者。軍に新たに加入する者達を含め、多くの軍人軍属のこれから半年ないし一年、あるいは数年先の未来が決められる。
自動的に中尉へと昇進することになる俺ら士官学校卒二年目は、いよいよ実働部隊への配属が解禁される。戦場・戦火の中へと向かうことになる。今年度の同窓名簿で名前が赤字になったのは、休暇中の交通事故で亡くなった一人だけ。七八〇年生、任官拒否六七名も含めた卒業生四五三六名のうち、今あるのは四五三五名。これからは加速度的に赤字の名前が増えていくだろう。次が自分でないとは限らない。
自分の執務机の電源を投入し、携帯端末を填め込む。机上に現われた投影画面には複数箇所からの仕事のメール以外に、最優先事項と親展のマークがつけられたメールが表示されていた。本日一六三〇時に人事部第一三分室に出頭せよとしか書かれていない。それは中尉への昇進と、新しい任地の通告に他ならない。俺はフィッシャー中佐にその事実を淡々と告げると、中佐はゆっくりと頷き黙って軽く肩を叩いてくれた。統計課長のハンシェル准将は今更ながら「貴官がいることで査閲部も以前に比べてずいぶんと活気が増していたんだがな」と言ってくれたし、クレブス中将は「そうかご苦労」の一言だったが年季の入った力強い握手をしてくれた。査閲部の老勇者達はみな俺を思い思いに俺との別れを惜しんでくれた。
一六三〇時。俺と同じ統合作戦本部に初任することになった七八〇年生一〇数人が、人事部第一三分室の前に集まっていた。俺が到着すると、顔を知っているせいか皆俺に向かって敬礼してくる。先任順序とはいえ同期が、軍隊のしきたりに染まりつつある事を、俺は答礼しつつ感じざるを得なかった。
一六三三時。俺の名前が呼ばれ、分室内の応接室に入ると、人事部の壮年中佐が補佐役の若い女性兵曹長と並んで俺を迎える。形式だった挨拶に続いて、中佐の手から辞令が交付され、兵曹長の手で少尉の階級章が外され新たに中尉の階級章がジャケットの左襟につけられる。ものの一・二分の儀式だが、これが地獄への門へ進む必要な儀式なのだ。
俺は辞令を開いて、先ほど中佐から告げられた次の赴任先を確認する。
宇宙艦隊司令部所属 ケリム星域方面司令部傘下 第七一星間警備艦隊司令官付副官。
フレデリカのようにいきなり正規艦隊の艦隊司令官付副官ではないにせよ、士官学校首席卒の中尉としてはまずまずの赴任先だ。しかも事実上、上官は警備艦隊司令官と参謀数名のみということ。
ケリム星域といえばハイネセンのあるバーラト星域の隣接星域であり、緊急的な事態がない限り帝国軍との戦闘はないといっていい、いわゆる安全圏。
ただしケリム星域はバーラト星域に次ぐ同盟有数の巨大な経済圏を有している。星間警備艦隊の主任務である交易路の防衛や星系間航路のパトロールは、同盟の経済自体を防衛していると言っても過言ではない……またシトレのクソ親父が武勲を立てさせない程度に学習してこいとの干渉でもしたのかと思い、第七一警備艦隊司令官の名前を確認したところで、俺は久しぶりに足が震えるくらい愕然とした。
顔写真には生気に満ちた壮年寸前の男が映っている。その下に階級と名前が記されていた。
アーサー=リンチ准将。
それが次の任地における、俺の仕えるべき司令官の名前だった。
後書き
2014.10.13 更新
第19話 器量
前書き
とりあえず明日は台風の後始末が大変そうなので、今日中に上げてしまいます。
ジュニアはいよいよハイネセンとは別の任地に赴きます。よりにもよって上司はあの男。
実は筆者は原作ほどあの男は嫌いではありません。
※自由惑星同盟の版図に関して原作を一部改編し、銀英伝ⅣEXのマップを若干参考にしています。
故に今後も空間距離で幾つか原作と異なる設定が出てくることをご了承下さい。
さすがにイゼルローンがハイネセンの隣とか、そんなぶっ飛んだ設定はしませんけど。
宇宙歴七八五年八月~一〇月
俺の新任地となったケリム星域はバーラト星域より八八〇光年の位置にある有人星域であり、互いに巨大な経済圏を構成していることから、両星域間の交通の便は極めて良い事で知られている。
ハイネセン中央宇宙港から出発する旅客便の数はサンタクルス・ライン社の二〇便/日をはじめとして、相当な数に上る。またフェザーン方面とイゼルローン方面への分岐点にあたるジャムシード星域とも隣接していて、その地理的経済効果はかなり大きい。
前世の例えで言えば、バーラト星域が首都圏、ケリム星域が中京圏、ジャムシード星域は近畿圏といったところか。
バーラト星域ハイネセンより、ケリム星域主星系イジェクオンまでは二回の長距離ワープと四回の短距離ワープ、それと通常航行で約五日間。俺の乗るサンタクルス・ライン〇七七六便は定刻通り惑星イジェクオンの静止軌道上に到着。そこから大気圏突入用のシャトルに移乗し、降下。俺はイジェクオンの旅客用宇宙港に降り立った。
このイジェクオン星系はただケリム星域の主星系というだけではない。この星系からは複数の辺境星区へと分岐する航路が存在する。特に原作で登場する恒星系のうちでもクーデターで最初に蜂起した第四辺境星区の中心地であるネプティス星系への直接航路も存在する。先ほどの例で言えば、バーラト=ケリム=ジャムシードが東海道、ケリム星域イジェクオン星系は名古屋、ネプティスは岐阜あるいは津・四日市と言ったところだろう。
守るべき最優先の航路は当然バーラト星域方面。次にジャムシード星域方面となるが、他にも大小様々な航路があるわけで、この星域の警備艦隊が守らなければならない宙域は膨大な数になる。その為、それなりの規模の戦力が配置されている。
だがここで問題がある。星域を防衛する艦隊である星系警備艦隊(ガーズ)と星間巡視隊(パトロール)の職域区分の問題だ。両者とも軍艦が配備されている事には違いないのだが、星系警備艦隊は総数こそ少ないが戦艦や宇宙母艦を中心とする重装部隊で、星間巡視隊は多数の巡航艦や駆逐艦で構成される軽快部隊である。警備艦隊は基本的に単一星系の警邏・防衛、巡視艦隊が星系・星域間の警邏防衛と大まかに活動範囲が決められているわけだが、星系内から出てこないノロマで動きのトロい警備艦隊、あっちにフラフラこっちにフラフラ肝心なときに火力不足で役に立たない巡視艦隊、と両者の仲はすこぶる悪い。
だったら最初からそんな面倒な区分をなくしてしまえと俺は正直思うわけだが、それこそド辺境でもない限り両者は並立している。はっきり言えばポストの数と警邏効率の問題だ。両者を統一すれば、統合部隊の指揮官ポストが増えてしまう。それが統合作戦本部防衛部の下部組織なのか、宇宙艦隊司令部の下部組織なのかでまた一悶着するだろう。火力が充実していても出足の遅い戦艦に辺境航路の警邏など無意味だし、戦闘艇による細かい警邏を必要とする星系内を駆逐艦で代行すれば、一体何隻増やせばいいのか見当がつかない。とりあえず過去の同盟軍人がそれなりに考えて、苦心してこういう形になってしまったと今は考えるしかないだろう。
さて俺の仕えるべきリンチ准将は、第七一警備艦隊の司令官だ。戦艦八九隻、宇宙母艦一〇隻、巡航艦二三一隻、駆逐艦一五五隻の計四八五隻、兵員約六万を率いている。少壮気鋭で活力に富み、同僚となる二人の巡視艦隊指揮官より統率・用兵の面で優れており、上部組織であるケリム星域防衛司令部からも、編成上の上部組織である宇宙艦隊司令部からも信頼が厚く、数年のうちに『少将』『星域防衛司令官』に昇進すると噂されている。
エル・ファシル星域で油断から致命的なミスを犯し、民間人を見捨てて逃亡したという、民主主義国家の軍事指揮官としてあるまじき行動。さらには金髪の孺子の提案に乗って、クーデターを示唆するという大罪。人間も一皮剥ければ、どこまでも卑劣になれるという見本とも言うべき男の、それが『現在の』評価だ。
「なにか、仰いましたか?」
惑星イジェクオンの郊外にある星域防衛司令部内で、俺を案内している女性兵曹長が振り向いて聞いてきた。さすがに同僚も同期も友人もいないここで意識を飛ばすのはマズい。日本人的笑みを浮かべて、俺はベレー帽の位置を直すふりで兵曹長の問いをごまかした。
「こちらです。どうぞ」
兵曹長が敬礼し、廊下の向こうに消えて行くのを確認してから、俺は一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、司令官公室のベルチャイムを押す。ジーっというベル音と共に、拡声部から「入れ」と強い口調での命令が聞こえてくる。気合いの入った、自信にあふれる男の声だ。俺は扉を開けて中に入る。
「中尉、よく来てくれた」
司令官公室にいたその男……アーサー=リンチ准将は、仕事の手を止め、席から立ち上がり歓迎するように両腕を広げて俺を迎え入れた。机の上は書類や資料が散乱しており、コーヒーの空き缶と不吉な形をしたチョコレートが無造作に寄せられている。
「申告します。この度、第七一警備艦隊司令官付副官を拝命いたしました、ヴィクトール=ボロディン中尉であります」
「おう、ご苦労。第七一警備艦隊司令官のリンチだ。これからよろしく頼む」
俺の敬礼に一瞬戸惑ったリンチは、慌てて髪を梳かしてから答礼する。同じ髭面でも原作のように精神的にくたびれた感じではない。肌は仕事疲れだろうか少し張りがなかったが、目にも口調にも鋭気が含まれている。
「グリーンヒル先輩からな、期待の俊英と寄越してくれると聞いて、到着を楽しみにしていたのだ」
……俺をここに寄越した人間の名前を、リンチ准将閣下は問われるまでもなく明かしてくれたことに、俺は天に感謝ではなく恨みを言いたくなった。自白してくれたリンチは、親しげに俺の肩を抱くと、自分の机の上を指さして言った。
「見てくれ。主に俺と貴官の前任者のお陰でこの有様だ。差し迫って、机の上の整理から俺を補佐してくれ」
「は、はぁ……」
「恥ずかしながら、俺は実戦での指揮にはそれなりに自信があるつもりだが、こういう細かいことは苦手でな」
だったらエル・ファシルで敵を撃退した後に反転離脱して後背攻撃なんか受けるなよと言いたかったが、命令は命令だ。とりあえず同じ大きさの書類を纏め、机の端に積み上げた後、備え付けの給湯室から雑巾を持ってきて机を拭き、空き缶を捨て、不吉な形をしたチョコレートを容赦なくゴミ箱に叩き込む。チョコレートの動きに『あぁ……』とかリンチは呻いていたが、聞かなかったことにした。綺麗になった端末机に、先ほど積み上げた書類の表紙を斜め読みして大まかに分類し、さらに日付順に積み直して机の右半分に並べておく。ここまでで一〇分。さらに給湯室の整理をしてコーヒーを入れるのに五分。ようやく俺が見てもなんとか格好がつく司令官室になった。
「いや、助かった」
司令官席にゆったりと座って俺の入れたコーヒーを傾けつつリンチは、かなりイラついている俺にさらにイラつくような台詞をのたまいやがった。
「……申し訳ありませんが、この司令部には従卒はいないのですか?」
「それが先週から産休に入ってしまってなぁ……男なんだが産休を取るとかいいおって。まぁ今のところ海賊も外縁流星群も大人しいから、ゆっくり女房孝行してこいよ、と言ってしまってこのザマだ」
ベレー帽を脱いで頭を掻くリンチは笑いながら続けた。
「後方の、安全圏に位置する当艦隊司令部の要員は僅かでな。あくまでも我々は実働部隊だから、こういった雑事に皆おっくうで……後方勤務スタッフも基本的に地上勤務だから、残業してはくれんのだ」
「……はぁ」
「今、首席参謀は軌道上のドックに行っている。夕刻には地上に戻ってくるから、その時スタッフを紹介しよう……えぇと呼び出し番号は……」
「この番号ですか?」
「おぉ、そうだ。すまん、すまん」
がはははと笑うリンチに、俺は笑みを浮かべつつ心のなかで不信感を募らせた。ドーソンのように神経質な男ではない。むしろ大らかな性格だ。怠け者准将といったところだろうが、少壮気鋭といわれる以上、ただの怠け者ではないはずだ。一応デスクワークでもの功績を挙げているはずだが、もしかしてこの方面はダメなのか。
疑問がわずかに氷解したのは、やはり全てのスタッフが揃ってからだった。星域防衛司令部人事部に辞令を提出し、もはや半分棺桶に足を突っ込んでいるような定年寸前の司令官に挨拶し、他の巡視艦隊司令官にも一応挨拶して夕刻警備艦隊司令部に戻ってきてみると、司令官公室には三人の男が待っていた。一人は年配で、もう二人はリンチと同い年位だろうか。大佐と中佐が二人。
「紹介しよう。首席参謀のエジリ大佐に後方参謀のオブラック中佐、それに情報参謀にカーチェント中佐だ」
すっかり髭を剃ったリンチは、その容姿だけでも『少壮気鋭』と主張している。それに引き替え、紹介された三人からは一見しただけでも全く覇気というものが感じられない。
首席参謀のエジリ大佐は五〇代後半。もうこの年齢での将官昇進は無理だろう、という言葉が服を着て歩いているような男だ。士官学校卒業ではなく専科学校卒業ということだから、若い頃は有能だったに違いない。だが白髪交じりで頬が薄い今の彼にはその面影すら残っていない。
後方参謀のオブラック中佐と情報参謀のカーチェント中佐はリンチと同い年で、士官学校でも同期だったとか。オブラック中佐は茶色の、カーチェント中佐は鉄灰色の髪の持ち主で、いずれも中肉中背。それほど目立った容姿をしているわけでもないが、俺を見るオブラック中佐の黒い瞳は落ち着きがなく、カーチェント中佐はリンチと俺を比較するように視線を動かしている。
これはマズイ。俺は本能的に思えた。
司令官からしか覇気が感じられなく、主要な幹部にはそれが感じられない。司令官の同期という部下は明らかに挙動不審だ。一見しただけで他人を評価するのは愚かなことかもしれないが、幹部達は司令官のイエスマンとしか思えない。そうなると艦隊首脳部の実力は司令官の双肩のみにかかってしまう。とてつもなく優秀な司令官であっても、所詮は一個の人間に過ぎない。やれることには限界があるし、視野にも限界が出てくる。
ヤン=ウェンリーは指揮官としての資質と参謀の才能を兼備する希有な人間とムライは評していた。俺も心底そう思うし、とても敵わないと思うところだ。が、ムライがその後でユリアンに自白しているように、本来参謀を必要としないであろうヤンはムライを求め、ムライは上司から求められた意義を理解し、司令官にことさら常識論を諫言する役目をうけおったのだ。そしてヤンは一度としてそれを煩わしいとは思っていなかっただろう。
金髪の孺子にも赤毛ののっぽがいた。麾下には覇気に富んだ(富みすぎた奴もいたが)若い指揮官がキラ星のごとく。政略的な分野ではドライアイスの剣とミネルバ嬢ちゃんがいた。シュトライトのように用兵分野ではないにしても諫言する男も控えている。少なくとも金髪の孺子には、若干容量が少ないにしろ諫言を受け入れるだけの器量があった。
リンチがヤン=ウェンリーや金髪の孺子に勝る軍事指揮官かどうか。それは実際にその指揮ぶりを見てみなければ分からない。分からないが、双方の幕僚を見比べるだけで、その器量に対して猛烈に不安が募る。
自分自身でも突拍子もないことだとは思う。頼むから杞憂であって欲しい。俺は心底そう思わずにはいられなかった。
後書き
2014.10.13 更新
2014.10.14 前書き 文章一部修正
2021.01.02 行程距離修正(7日→5日)
第20話 胃痛
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
Jrの胃痛ショーをお送りします。あんまり台詞がありません。
おばちゃんとか参謀とか見覚えのない名前は、みんなオリキャラです。
宇宙暦七八五年一一月 ケリム星域イジェクオン星系
だいたい悪い予感というのは当たるというのが、世の中の常識というかなんというか。誰かの言い草ではないが、困ったものだ。
副官業務を始めて二週間。早くも第七一警備艦隊というより星域防衛司令部最大の弱点が、俺の目前に現れた。
同盟随一の主要航路に位置するだけあって、その航路の重要性が広く理解され、軍に限らず警察戦力も多数配備されている故に、中央航路の安全性はよく保たれているといっていい。ケリム星域における宇宙海賊の襲撃や遭難事故の数は、バーラト、ジャムシードに次いで航行数比被害率が少ない。
これは良いデータのように思われるが、それはあくまでケリム星域内の各星系における数値だ。ケリム星域を一歩出れば、そこは修羅の世界に近い。一次航路(つまりイジェクオン星系から次の星系まで)の安全性は完全に確保されているが、そこから先の二次・三次航路となると海賊の襲撃が加速度的に増えていく。ネプティス星系までは確保されてもその周辺は護衛なしでの航行は危険そのものだ。
アーサー=リンチは優れた軍事指揮官であることは、いちばん近くで見てきただけでよく分かる。少壮気鋭の噂は決して誇張ではない。原作におけるヤン=ウェンリーや金髪の孺子とまではさすがに言わないが、精力的な指揮、適切な艦艇運用能力、剛性のある精神力、能力に裏打ちされた自信のある態度。いずれをとっても警備艦隊の指揮官としては申し分ない。
だが、その自信がいささか過剰気味な処が見受けられる。そしてそれはケリム星域防衛司令部に悲劇をもたらしている。第七一警備艦隊の実力は、ひとえにリンチ一人の才覚に支えられていると言ってよく、補佐すべき幕僚スタッフは俺の見る限り自己の職責こそ全うしているが、あくまでも第七一警備艦隊の幕僚スタッフとして、である。彼らはリンチの能力に充分な信頼をよせているが、リンチのやもすれば職権範囲外への干渉に関しては非協力的だ……それ自体が間違っているわけではないが、スタッフとしてリンチを諫めないのはどうかと思う。
リンチは第七一警備艦隊だけでなくケリム星域防衛司令部への干渉を止めない。軍律上問題があるのは当然の事なのだが、俺としてはリンチ一人を責めることは難しいとも思えてしまう。つまり……ケリム星域防衛司令部全体にエネルギーを感じないのだ。リンチの干渉には『俺がやらなかったら、この星域はいったいどうなる!』といった彼の軍人としての義務感が見え隠れする。
そしてそういったリンチの行動に、防衛司令部隷下の巡視艦隊は不快感を隠せていない。リンチの自信のある態度も傲慢不遜にしか見えない。それは「お前らの不作為が原因だ」と会う度に言ってやりたくなるし、リンチも雰囲気を充分すぎるほど理解しており、巡視艦隊や防衛司令部の指揮官・幕僚スタッフを軽蔑すらしている。そしてリンチが第七一警備艦隊を率いて治安維持任務を着実に実行していけばいくほど、両者のすきま風は強くなっていく。
これはリンチと他の同僚の相互不理解と不信感、上層部とくに棺桶に足を半分突っ込んだような防衛司令官のベレモン少将の統率力のなさが、時間が経つにつれ増幅・拡大していった結果だ。リンチにもう少し他者を許容する寛容というか器量があれば、少し話は変わっていたかもしれないが、帝国との前線が遠い上に海賊には戦艦クラスの大型艦も優れた軍事指揮官もいない故の緊張感のなさが、彼を必要以上に強情にさせているのかもしれない。
このような状況は好ましくない。もし許されるのなら、グレゴリー叔父に超光速通信を入れて第一艦隊にお出ましを願い、ついでに査閲部長と憲兵司令部と人事部長にも通信を入れて、中央の介入をお願いするだろう。だがそれは越権行為というだけでなく、軍律・軍秩序を乱す行為である。そもそも自分の無能を宣伝するようなもので、俺としてもいささか不満がある。ならば副官として出来ることを順序よくやっていくしかない。帝国軍という不確定要素がない以上、時間には若干の余裕があるはずだ。もっとも俺の人生のほうには、それほど余裕があるわけではないんだが……
とにかくせっかく数がいても、有効に運用できなければ宝の持ち腐れ。二人の巡視艦隊司令官の副官と腹を割って話してみて……PXへ胃薬を買いに行く羽目になった。そりゃ、アンタ達専科学校出身で中尉になった方々から見れば、士官学校の首席卒業者など煙ったいことこの上ないでしょうよ。しかもリンチがことある毎に頼りになる士官学校首席卒の俊英とか宣伝してくれれば、いじめてやろうとか思うのも無理ないとは思いますがね。だからといって端から「各々の職責を全うすることが重要なのではないかね?」と大上段に袈裟斬りはないでしょうが。
「だからそんなことやっても無駄なのだ」
俺の動きを、嫌いな巡視艦隊司令官から嫌みたらしく指摘されたリンチは、不吉きわまりないチョコレートを口に放り込みつつ、鼻息荒く俺に言った。あの中のアーモンドを噛み砕く、身の毛もよだつ音が俺の意気をさらに消沈させる。
「奴らが馬鹿とは言わんよ。それなりに武勲を挙げているからこそ、その地位にいることぐらいは分かってる。だから俺や貴官のような士官学校卒に対してすぐ『軍のイロハも知らんクセに』とか僻みがはいる。俺の提案に対してとにかく反対したくなる。根本的に提案の善し悪しではなく、提案者の好き嫌いで判断するんだ。そんな奴らをまともに相手しようとか、まともにしようとか、考えるだけ時間と労力の無駄だ」
「しかし、第七一警備艦隊の戦力だけでは、現在のケリム星域外縁および三次航路の安全維持は不可能です」
「不可能じゃないさ。俺の艦隊だ。装備も練度も海賊共とは格が違うし、なにより海賊には俺に匹敵する指揮官はいない」
「それはそうですが、数は力です。このままではケリム星域外縁部の治安悪化が先か、第七一警備艦隊の過労死が先か、となってしまいます」
「この程度の作戦任務で過労死するような奴らなど、どうせものの役には立たない。貴官の前任者もそうだったが、数日徹夜したぐらいで、音を上げるような奴は大抵口先だけだ。それより中尉、D星区の海賊出没統計資料は出来たか?」
リンチの退庁後、睡眠時間を削って作成した資料を俺が差し出すと、片手でページをめくりながら、再びあのチョコレートを口に放り込み、バリボリと音を立てて噛み砕く。殆ど呼んでいるのかと思うような速読でリンチが資料を読み終えると満足そうに頷いた。
「やはり貴官は頼りになる。参謀を持つなら貴官のように努力を惜しまない人材が相応しい」
「エジリ大佐は、実績も経験も充分おありの方ですが……」
「エジリは頭が固い上に、自分の仕事を型にはめている。だから星域全体の視野というものがない。俺の艦隊における仕事はそつなくこなすから飼っているだけで、時期が来れば中央から誰か連れてくるつもりさ」
「……オブラック中佐とカーチェント中佐は?」
「後方参謀は艦隊の燃料と武器の補充に支障がなければいい。情報参謀はとりあえず統計処理が出来ればそれで充分だし、貴官もいるから業務に支障はない。あいつ等は士官学校の頃一緒だったからな。それなりにこちらも力量を心得て仕事している。もっとも俺の仕事を手伝える成績じゃなかったが」
俺の出した資料を基に、第七一警備艦隊を近々出動させるということになり、俺は珍しくリンチから定時での退社が許された。それをありがたく俺は受けると、リンチの言葉を胸くそ悪く思いながら、三日ぶりに帰る宿舎への途中にあるPXに寄っていつものように胃薬を買う。
「坊や、幾ら薬効成分が弱いといっても、こういう薬を常用するのは良くないよ」
年季の入った、薬剤師の資格を持つPXの販売員のおばちゃん……マルセル上等兵軍属が、いつものように胃薬を袋に入れながら言った。
「リンチ准将のところで鍛えられているんだろうけど、あの人は自分にも容赦ないけど、部下にも容赦ないからねぇ……奥さんも娘さんもいるというのに、ろくに家へ帰らないから」
「はぁ……」
「今は良いけど、いつか大きな失敗するんじゃないかって、あたしゃ心配でねぇ……優秀なひとだから余計心配なんだよ」
この人のいいおばちゃんに、エル・ファシルの悲劇を予測できるとは思えないが、リンチにそう予感させるものがあるのも確かだ。
「准将閣下はマルセルさんの目から見ても優秀な方ですか? その、副官としてこういう質問をするのは大変恥ずかしいのですが」
「そりゃあ、そうだよ。准将が来てからというものイジェクオン近辺で海賊が出たって話は聞かなくなったし」
「前の司令官はそれほどひどかったんですか?」
「なにしろ星間輸送会社から賄賂を貰っていたって事で、ハイネセンから憲兵が飛んできて連れて行かれちゃったくらいだからねぇ……老後が心配だったんだろうけど」
つまり前任者の不始末を放置していたような星域司令部に対し、中央から派遣されてきたエリートのリンチは、最初から不信感を持っていたのだろう。前任者が捕縛されて意気消沈していた星域管区の人間も、そんなリンチの態度を苦々しく思っていたに違いない。実績が上げられない無能ならまだ彼らも救われただろうが、リンチは運が悪いことに優秀だった……
「リンチさんはケリムに来てもう二年。先月の人事異動でも動かなかったから、来年には昇進して別の処にいるのかもしれないねぇ……」
坊やも身体に気をつけて頑張るんだよ、と結局最後は激励になってしまったが、おばちゃんの好意をありがたく受けて、俺は宿舎の自分の部屋に戻った。
ワンルームに備え付けの端末机。ユニットバス、折りたたみ式のベッドを一応備え、制服と私服一着以外何もない部屋で、俺はインスタントラーメンを啜りながら、ぼんやりと端末画面に映るリンチ准将の公開されている履歴を見つめながら考えた。
リンチは現在三八歳。グレゴリー叔父の一つ年上になる。士官学校戦略研究科を卒業。席次は一八八番/三七六六名中。戦略研究科では七五番/三六九名中。戦略研究科の卒業生よろしく、統合作戦本部や宇宙艦隊司令部でデスクワーク、前線では参謀とそれなりに戦績を重ねている。二九歳で中佐となり、駆逐艦小戦隊の指揮を執ってから、部隊指揮を主にし、幾つかのナンバーフリートを渡り歩きつつ昇進し、ケリム星域へとたどり着いた。まず軍人としては順調というかスムーズに出世しているといっていいだろう。
だが部隊指揮官として最高位である宇宙艦隊司令長官にたどり着けるような人材かというと無理がある。グレゴリー叔父なら、ケリム星域に配属された場合、既設部隊の指揮官達と衝突などせず交流を深め、実働部隊の相互連携を構築してしまうだろう。グレゴリー叔父はそれが出来るから第一艦隊副司令官で少将、リンチは地方の警備艦隊司令官で准将。二年もこういう環境にあれば、とっとと功績を挙げてナンバーフリートに復帰したいと思っているに違いない。それが彼を必要以上に焦らせている。
エル・ファシルの悲劇は、彼のそういった焦りと驕りが重なった結果だろう。少将に昇進して星区防衛司令官になっても、エル・ファシルという辺境では出世の本流から取り残される。そこに海賊とは戦意も装備も桁違いの帝国艦隊が侵攻してくる。近年の実戦経験が海賊討伐で、戦闘指揮もそちらに慣れっこになっていたから……帝国艦隊の再反転追撃など、思いつきもしなかったに違いない。
リンチに足りないのは心の余裕。一五年後の同盟崩壊という原作の歴史を知っている分、俺もリンチを笑えない。このままリンチの副官を続けたとして、数年後リンチはエル・ファシルの防衛司令官になっている。俺がリンチの副官として同行することになるとしたら……エル・ファシルの奇跡はおきず、ヤン=ウェンリーという奇才は世に出ることはない。若干席次の上がったヤンがエル・ファシルに配属されるかは未知数だが、仮に俺がヤンの代わりに脱出の指揮を執り、イゼルローンを攻略して『ミラクル・ヴィック』『魔術師・ヴィック』など呼ばれたとしても、正直金髪の孺子に勝てる自信は全くない。その時、ヤンが艦隊の指揮官となっている可能性はほぼゼロだ。自称革命家も部隊指揮出来ているとは思えない。
そう考えるとまた胃が痛みを訴え始める。俺はインスタントラーメンをかき込むと、PXで買った胃薬を飲み、早々に横になった。
今は遠くの未来よりも一夜の睡眠がほしい心境だ……っていったのは誰だったか。思い出すのがおっくうになるほど疲れるというのは本当にありえるんだなと俺は思い、目を閉じた。
後書き
2014.10.15 更新
2014.10.15 誤字修正
第21話 初陣 その1
前書き
いつも多くの閲覧ありがとうございます。
いよいよJrは戦場に向かいます。
相手が帝国軍ではないですが、初陣は初陣ですよね。
宇宙暦七八五年一二月 ケリム星域イジェクオン星系
年末なんだけど戦場で新年を祝うわけにもいかず(この辺は正直ヤン艦隊が羨ましい)、俺を乗せたリンチ准将以下第七一警備艦隊は、惑星イジェクオンの軌道上を離れ、一路ネプティス星系への進路を取って航行している。だが警備艦隊全艦がこれに従っているわけではない。
まず本来の任務とも言うべき星系内パトロールの為、二隻の戦艦と一〇隻単位の巡航艦ないし駆逐艦で構成される小戦隊が、イジェクオン星系内を八つのブロックに分けてそれぞれ巡回している。それに加え、増援用の予備兵力やドック入りしている艦艇も合わせると、艦隊のおよそ八割が別行動を取っている。
現在リンチ准将の直接指揮下にあるのは、戦艦二五隻、宇宙母艦一〇隻、巡航艦四八隻、駆逐艦二四隻の計一〇七隻だ。兵員約二万。その目的は、ネプティス星系近隣のD区画と呼ばれる宙域に根拠地を持つと推測される宇宙海賊集団『ブラックバート』の根拠地破壊、掃討ないし捕縛であった。
彼ら『ブラックバート』団は、基本的に商船及び貨物船を中心に襲撃を行っている。旅客船を襲うことはしない。また襲撃した宇宙船について、乗員あるいは同乗旅客には一切手をつけない。宇宙船は奪っていく場合と奪わない場合がある。人質をとっての身代金要求はしない。宝石や貴金属を有している場合は容赦なく奪い取っていくが、現金には手を出さない。彼らの主たる獲物は各種工業用金属、液体水素燃料、植物プラント、重機材、そして食料品……貴重ではあるが、転売するにもあまり価値があるとは言えない商品ばかりを狙うという宇宙海賊としてはやや特殊な部類に入る。
人質をとって身代金を奪ったあげく人質を殺す、あるいは船ごと奪い、生きたまま人質を宇宙空間に放り出す、といった凶悪な宇宙海賊もいる中で、その存在は際だっている。さらに異なるのは、他の宇宙海賊が単独艦ないし少数の編成であるのに対し、一〇隻以上の集団を編成している点だ。中央に近いこの星域においては尋常な規模ではない。襲撃を受けて帰ってきた商船乗組員によると、その中に旧式戦艦も単座式戦闘艇も目撃されたというし、巡視艦隊のパトロール部隊も数度撃退されている。
「元軍人が指揮を取っている可能性が極めて高いと思われますが」
「そうだな。戦艦もいるようなら巡視艦隊のパトロール連中では歯が立つまい。まぁ俺が出ていって、潰してやるしかあるまいよ」
旗艦である戦艦“ババディガン”の戦闘艦橋で、リンチは鼻で俺の警句を笑った。確かに笑えるだけの準備をリンチはしている。目撃証言も多い『ブラックバート』団の編成・戦力・得意とする戦術・奪われた物資の量と傾向・出現あるいは襲撃位置などなど。俺も手伝ったとはいえ膨大な量の情報を統計的に処理し、現在までに襲撃されていない宙域で複数の艦艇を整備・隠匿できる宙域を幾つかに絞って、一つ一つ虱潰しに潰していくという方法だ。手伝っている俺としても、堅実で成功の見込みが大きいと思えてくる。
「空振りしたら、また次の星区に向かう、というわけですか」
「移動する宇宙船にぶっ続けで乗っていられるような、長征世代のような奴じゃなければな」
「たしかに」
人間の生理機能として、重力のない場所での長期間生活が健康に与える影響が大きいことは、前世でも周知の事実だ。この時代の重力制御と慣性制御の整った宇宙船であれば、そういった悪影響は減るのは当然だ。だが、亜空間跳躍航法はどうにもならなかった。ヤンが幼い頃からいわゆる『ワープ酔い』で発熱したこと、妊婦の母体と胎児に悪影響が出ることも含め、亜空間跳躍航法が人体に与えるストレスは無視できないものだった。
長征一万光年は五四年にわたる長期の宇宙船航行であった。それも帝国の追撃と危険空間航海というハンデを背負って。当然造物主の悪意もあろうが、ストレスから来る事故により失われた命も多いだろう。当初四〇万人で出発した脱出者は、一六万人余まで減少している。
宇宙海賊は別に自殺志願者でもなんでもなく、不法に利益を貪る集団である以上、ある程度重力を有する小惑星規模の補給基地ないし、休養のための根拠地がなければおかしいという話になる。戦艦クラスの艦艇を整備するには、それなりの設備が必要になるし、転売するならば保管用の宇宙船等を係留する場所も必要だ。
「虱潰しをするためにわざわざ数少ない宇宙母艦を全部連れてきたんだ。員数不足とはいってもな」
「……パイロット不足は本気でどうにかしたいところですが」
「みんなナンバーフリートに持って行かれるんだ。こんな警備艦隊で充足率四〇%というだけでもまだマシさ」
大規模な小惑星帯を有するD星区の捜索には、やはり小回りのきくスパルタニアンは欠かせない。それを多数搭載する宇宙母艦は、今回の作戦でもっとも重要な艦艇だ。だがリンチの言うとおり、同盟軍は常にパイロット不足。士官学校や専科学校の専攻者は勿論のこと、各部隊内でも希望者を募る『部隊内選考』もある。それだけしてかき集めたパイロットも、訓練で半数以下に絞られ、帝国軍との戦闘ではドックファイトだけでなく母艦ごと吹っ飛ばされて、あっという間に失われてしまう。ゆえに補充は正規艦隊が優先され、地方艦隊は後回しにされる。だから充足率四〇%というのは奇跡に近い。これもリンチがかなり強引に引っ張り、かつ慎重に運用してきた苦心の結果だ。わずか四〇〇機とはいえども、それを全部投入するリンチの意気は高い。
「成功するさ。その為に俺はここまで準備してきたんだ」
D星区にワープアウトした後、リンチが独り言を呟くのを俺は聞き逃す事は出来なかった。一〇一隻とはいえ、艦隊は艦隊だ。残念ながら士官学校の時の練習艦隊と同レベルの陣形構築ではあったものの、一時間かからず部隊を整然と運行する一つの集団へと変化させた。各小戦隊や独立小隊の指揮官から布陣完了の連絡が、旗艦“ババディガン”へと伝えられ、俺は全部チェックの上リンチに報告する。
「第七一警備艦隊第一任務部隊、全艦配置完了しました」
「よし、D-〇一ポイントより一〇ポイントまで捜索を開始する。各艦予定通り作戦行動を開始せよ。スパルタニアン、全機発進」
リンチの命令を俺が復唱し、それを“ババディガン”のオペレーターがさらに復唱する。各艦へ指示が行き渡るまでに数分。巡航艦は六隻一組で八集団。四集団で二列横隊を組む。それぞれに宇宙母艦が一隻ずつ同行し、スパルタニアンが直衛と探索の二班に分かれて集団から発進する。それぞれが分散しても各個撃破されないよう、リンチ直卒の戦艦部隊と宇宙母艦二隻が二列の中間に位置し、即応用の駆逐艦小戦隊が六隻四集団で、直卒集団の周囲を囲んでいる。この陣形で小惑星帯を上部からスパルタニアンと各艦のセンサーで掃除機のように探索していく。いわゆる二重ローラー作戦だ。
「すぐに発見できるとは思えませんので、司令は先に休養されてはいかがですか?」
もし発見できるようなら跳躍直後の全周回センサーで発見されているだろうと、俺は暗にリンチに諭した。一瞬、俺をリンチは睨み付けたが、数分間無言で腕を組んで画面を見た後で頷いた。
「俺が休んでいる間は、誰が部隊を統括する?」
「それは当然、首席参謀のエジリ大佐にお願いすべきです」
「オブラックとカーチェントは?」
「後方参謀殿と情報参謀殿にはそれぞれにお仕事があります。何かあれば、小官が起こしに参ります」
「……よかろう。エジリ大佐!!」
リンチの鋭気の籠もった声に、左翼の参謀席で腕を組みじっとババディガンのメインパネルを見ていたエジリ大佐が、顔をこちらに向けゆっくりと立ち上がり、リンチに敬礼する。
「お呼びでしょうか、リンチ准将閣下」
「俺は先にタンクベッドで休む。貴官は俺の代わりに今から四時間、指揮を代行して貰う。二交代三ワッチでいこう。それでいいか?」
「承知しました」
「ボロディン中尉を艦橋に残しておく。敵襲、敵基地発見の場合はすぐに知らせろ。人工物発見の場合は適時判断せよ。判断は大佐、それと中尉に任せる」
「「はっ」」
俺とエジリ大佐が敬礼すると、リンチも面倒くさそうに答礼してから艦橋後方のエレベーターへと向かっていく。リンチの姿が見えなくなったところで、俺は改めて指揮官席に座ったエジリ大佐を見た。
壮年のアジア系。それも前世よく見かけた日本人特有の容姿を色濃く残している五〇代後半の男。もし二〇年前、この世界に渡ってこなかったら、俺も彼のような容姿になって今も会社に通っていたに違いない(リストラされていなければ)。もちろん大佐といえば、中小企業の社長並みの権限と部下がいる。首席参謀の彼には部下は従卒だけだが、前世の俺よりは社会的な地位は上になるか。しかし、今の彼は上官にあまり協力的でない部下の一人だ。
「……私の顔に、何かついているかね?」
俺の視線に気がついたのか、エジリ大佐は首だけ俺のほうを向けて問うてくる。まさか懐かしい顔ですので、とは言えないので、爆弾を込めて別の話題を振ってみる。
「失礼ですがエジリ大佐は、こういう作戦はお嫌いですか?」
俺の問いに、エジリ大佐は勢いよく振り向き、ぎょっとした視線で俺を見つめる。これほど失礼な質問に、叱責ではなく驚愕で応える処を見るに、彼の士気が低いのは間違いない。一瞬の沈黙の後、俺から視線を再びメインパネルに移してから、大佐は応えた。
「……なるほど。私は君の目には『やる気のない首席参謀』に見えるのかね?」
「エジリ大佐とこういう話をするのは初めてですので……知人に全くやる気のなさそうな立ち振る舞いをしつつも結果を残す者がおりますから、大佐もそう言う『スタイル』なのかと」
「いや、私は君の言うとおり、見た目通りのやる気のない首席参謀だ」
それを馬鹿正直に言ってどうするよ、と俺は心底呆れたがエジリ大佐の声は随分と悟りきった感じであるので、あえてそこに踏み込もうとはしなかった。俺が黙っていると、大佐はゆっくりと言葉を続けていく。
「私も君くらいの年だったか。専科学校を卒業して三年かな。下士官昇進試験を受けて兵曹長になった。その時は未来に対し夢も希望も溢れていた。今のリンチ准将のように、ただがむしゃらに突き進んでいた。二四歳で幹部候補生養成所に入り、翌年少尉任官した。砲術長や船務長、駆逐艦の艦長と順調に昇進していったが、専科学校出身者の限界に当ってね……」
それはつまり幾ら功績を挙げても、士官学校卒業者を優先する人事システム。幕僚経験のない者には将官への道は『事実上』閉ざされている。アレクサンデル=ビュコックやライオネル=モートン、ラルフ=カールセンのような例外は知られていても、あくまでも例外だからこそ、その名が際だつ。おそらく俺がこの間までお世話になった査閲部長のクレブス中将もそうだろうが、あの人はデスクワーク側の人間だ。
「なんとか五〇歳で大佐までは昇進できた。士官学校の下位卒業生とほぼ同じだ。だがそれは武勲を挙げたから、ではなく軍内派閥で上手く立ち回ったからに過ぎない。ある人からそう教わってから、私はもう自分の職責を全うすることだけを考えるようになったよ。リンチ准将には悪いが、あと二年の任期を平穏無事に過ごしたい。それだけだ」
「……人事考査にはとても聞かせられないお話だと思いますが、何故そんなことを小官に話してくれるのですか?」
「士官学校首席卒業者なら、つまらない爺の戯れ言などをいちいち人事に告げ口してせこい功績稼ぎするとは思えないからだよ……というより、君自身あまりリンチ准将を快く思っていないように見えたからかな」
「そのつもりは全くありませんが?」
「……慎重というのは悪くない。特に口は災いの元だ。私も気をつけるとしよう」
そう応えると、エジリ大佐は沈黙の徒になってしまった。俺も閉じた貝を開こうとは思わなかった。無理矢理こじ開けて、こちらが余計なことを喋っても仕方ない。口は災いの元と当のエジリ大佐も言っている。
それから四時間、エジリ大佐が指揮官代理の間、艦隊は一度ならず人工物反応を確認したものの、スパルタニアンから送られた映像を見るに一〇〇年以上昔に航行中の艦艇から放擲された廃棄物であるので、リンチを起こすことはなかった。念のためエジリ大佐に艦隊を一時停止させ、詳細な検索に取りかかるよう俺は進言したが、大佐は首を振ってパッシブセンサーによる捜索だけで終わらせた。
いずれにしても大目的である根拠地には当然何らかの防御装置が働いていることだろう。エル・ファシルのようにその思考を逆手にとってレーダー透過装置を切っている場合も考えられるが、根拠地は動くことが出来ない。そしてそういう基地のたぐいは根本的に金属の固まりである。磁気センサーやアクティブレーダー、重力変動探査装置なども利用できる。なにしろ小惑星帯と艦隊の距離は、エル・ファシルの脱出時における帝国軍哨戒艇と脱出隊の距離に比べはるかに近距離なのだ。
結果として星区侵入してから三六時間後。俺達はついに小惑星帯に巨大な重力変動点を確認した。そこには複数の艦艇と思われるエネルギー反応も確認できた。リンチは既に起床し、艦橋に入っている。
「……この星区において鉱石掘削活動などの民間商業活動の申請はない。そうだな? ボロディン中尉」
「はい」
「軍部で極秘工作活動を行っているという話もない。あるとしたら作戦申請時に確認できる。そうだな?」
「はい」
「では簡単な引き算だ。艦隊全艦、攻撃準備。目標、海賊基地」
「艦隊全艦、攻撃準備。目標、海賊基地」
俺の復唱をオペレーターがさらに復唱する。その声は三六時間前とは比べものにならないくらい緊張しているのは、艦橋最上部の俺からもよく分かった。俺とエジリ大佐、それにオブラック中佐とカーチェント中佐の視線がリンチに集中する。リンチの喉を唾が落ちていくのが、一番側にいる俺にはよく分かる。
「攻撃を開始せよ(プレイボール)!!」
自らの弱さを隠そうとする陽気で皮肉っぽい声とともに、リンチの右腕は振り下ろされた。
後書き
2014.10.16 更新
2014.10.16 リンチ直卒艦隊の編成を修正
第22話 初陣 その2
前書き
いつも閲覧いただきありがとうございます。
ストックというか、初期構想から少しずつ外れていっているところがあるので、
手直し手直し進めていきたいと思います。リアルも冬はかき入れ時ですので。
ちょっと長めでリンチの味が薄い話になってます。
宇宙暦七八五年一二月 ケリム星域ネプティス星系外縁D星区
リンチの指揮の下、D星区における第七一警備艦隊による宇宙海賊の根拠地への攻撃が開始された。
帝国の前進基地とは異なり、海賊の根拠地というものは軍用艦艇による重層防御も、根拠地自体の防御能力(防御火力・装甲含めて)も薄いというのが常識だ。
艦艇の小規模補修用のドックと係留宙点、転売に備えて戦利品を保存する倉庫あるいは空間、乗組員の為の簡単な休養施設と近隣惑星へ向かう為の小型艇用の桟橋、艦艇用の燃料・エネルギー貯蔵施設などなど。宇宙海賊が必要とする施設は多いが、あまり目立った施設を建てればすぐに討伐軍が派遣されるので、おのずと小規模なものになる。
仮に強力な防御火力を備え付けたところで、討伐艦隊の火力の前にはあまり意味をなさない。それこそアルテミスの首飾りや、トールハンマーのようなレベルでもない限り。
まずは定石通り、駆逐艦と巡航艦による重層球形方位陣を形成した上で、根拠地に向けて通信文を送る。
「我々はケリム星域第七一警備艦隊である。根拠地に潜む宇宙海賊に告ぐ。降伏せよ。しからざれば攻撃する」
降伏したところで、宇宙海賊の処罰は情状酌量の余地がない限り、懲役二〇年以上死刑までと決まっているので、当然無視される。こちらも無視される事は織り込み済み(リンチは降伏すること自体望んでいない)であり、リンチは返答期限が切れるとすぐさま行動を起こす。
ゆっくりと包囲網を狭めつつ、後方より戦艦と宇宙母艦より根拠地に向けて長距離砲による対地予備攻撃を開始する。すでに観測の結果から、根拠地の形状が比較的大きめの小惑星をくり抜いたダヤン・ハーン基地同様の円筒型と判明しているので、その砲撃は遠慮がない。海賊側からの反撃もなく、光子砲は小惑星の両面を焼きつくしていく。
「頃合いだ、スパルタニアンを出せ」
制宙権(一度言ってみたかった)を確保し、海賊側の伏兵の除去と強行偵察を同時進行で行うスパルタニアンが宇宙母艦から切り離される。付近哨戒に三個中隊、根拠地上空制圧に二個中隊、強行突入に二個中隊が派遣される。強行突入の二個中隊が中隊毎に円筒の上下出口から突入を開始すると、異変が起きた。
「おおっ」
根拠地の一方の出口から、スパルタニアンを排除するような加速で、海賊船が一〇数隻飛び出してきた。衝突こそ免れたものの、数機が加速とエネルギー中和装置を浴びて制御不能になり、小惑星に激突する。
「今更脱出か? 間抜けな奴らめ」
一瞬の衝撃から立ち直ったリンチが、逃走方向に配備している巡航艦と駆逐艦にレーザー水爆による攻撃を命令した後、直属の戦艦部隊を追撃に向かわせる。同時に反対方向の巡航艦と駆逐艦あわせて四隻に、根拠地への攻撃および上陸・接収の指示を出す。
「司令官閣下、上陸・接収は後でもできます、まずは部隊の半数で包囲網を維持すべきです。とにかく四隻では少なすぎます」
俺は思わずリンチにそう言った。リンチの指示が間違っているとは思えないが、戦力差を十分理解した上で今更脱出を試みる相手であれば、少なくとも追撃戦力を減らす為に『置き土産』を残していく可能性が高い。脱出する海賊集団ばかりに目を向けては、いらぬ犠牲を払う事になる。それに脱出した船が『ブラックバート』団の全てである保障などありはしない。逃走した一〇数隻のほうが囮の可能性もある。
だが俺の諫言をリンチは首を振って否定した。
「奴らは全力で逃げに移っている。一〇数隻となれば奴らのほぼ全戦力だ。見ろ、逃走する敵艦の内に報告のあった戦艦がいる」
「脱出した艦艇は一〇数隻です。掃滅するのに部隊の半数五〇隻でも十分お釣りがきます。それより根拠地に不用意に近づいて損害をこうむる方が危険です」
「数の少ない海賊が、わざわざその数を割って逃走を図るわけがない。貴官も言っていたではないか、『ブラックバート』の頭領は元軍人の可能性があると」
「だからこそです。一〇数隻とはいえ、我々は彼らの正確な数を知っているわけではありません」
「貴重な戦艦を犠牲にしてまでか?」
「その通りです」
リンチは俺を一旦睨んだ後、数秒して決断した。
「戦艦四隻で援護砲撃を行いつつ、第三・第四巡航艦分隊は根拠地に接近・上陸せよ。他の艦は脱走する海賊艦を追撃!」
限りなく一方的な折衷案か、と俺は溜息を押し殺してその命令をオペレーターに伝えた。
戦艦を含む海賊艦がこの根拠地に潜んでいたという事は、根拠地発見を主目的としていた俺達の予想になかったわけではないが望外の事態だった。それが俺達の攻撃が開始されるまで、根拠地の内部に潜んでいたということ。それ自体がおかしい。常に多数の艦艇で襲撃を行う海賊の指揮官としては手落ちにすぎるし、こちらが根拠地を発見できないと考えているのであれば、間抜けにも程がある。
だが相手の愚かさを期待するというのは、軍人としては最もあってはならない態度だ。俺はいったん司令艦橋を離れて、索敵オペレーターの階層まで降りて、観戦中の暇そうな准尉の階級章を付けた背が高くてアントニナに似た褐色肌の若い女性下士官を一人捕まえて聞いた。
「この艦に次元航跡追跡装置はあるか?」
「えぇありますが……ですが偵察専門の艦艇とは違ってそれほど出力があるわけではないですよ。普通の戦艦や巡航艦と変わりません」
唇のやや厚めの、かなり若い、まだ一〇代の航海科の准尉は俺を見るなり敬礼して応えた。どこかで見たことがあるような気がするが、まぁ気のせいだろう。
「この星区全体をカバーするのに必要な艦艇数はどのくらいだ?」
「のべ数でしたら……まず一〇〇〇隻くらいは必要ですね」
カチカチと自分の席に戻って軽くカーソルを叩いた准尉の返答に、俺は大きく溜息をついた。その溜息が意外だったのか、彼女は細い顎に指をあて、艦橋の天井をしばらく見上げた後、「ちょっと待って下さいね」と言った後、再びカーソルを叩きはじめ、一分もせずして小さなペーパーにプリントアウトした。
「副官殿の権限で出来そうな方法と言ったら、多分これくらいでしょうか」
「えっ?」
ほっそりとしたきめ細やかな手から渡されたペーパーから、俺はしばらく目を離せなかった。ペーパーには小惑星帯周辺で観測可能な範囲とそれに必要な艦艇数を記してある。巡航艦三個分隊(三〇隻)を一週間つかって何とか計測できるプランだ。かなり大雑把であるし、リンチが俺の私的な意見の為に巡航艦の三個分隊を派出してくれるとは思えないが、実現不可能ではないレベルのプランでもある。
「あ、ありがとう。これは助かる……えっと」
「イブリン=ドールトン准尉です。戦艦ババディガンの航法予備下士官を務めています。ボロディン中尉殿」
「えっ?」
「どうかしました?」
俺が驚いた声を上げたせいで、彼女……イブリン=ドールトン准尉が小首をかしげて俺を見つめる。確かにポプランが原作で言っていたように唇が薄ければ完璧、といっていい。彼女の名前を聞いたら『不倫』の一言しかすぐには思い出せないが、たしか捕虜交換の際にハイネセンへ帰還する船団の航法士官を務めていたはずだ……あれが七九七年だからえっと……
「幾つなんだっけ」
「……二一歳ですが、なにか?」
俺の思考が思わず口先に漏れ、先ほどの好意的な態度が一転。彼女は一気に白けた視線を俺に向ける。それで俺はすぐさま自分の失点を悟った。
「い、いやその。一七・八歳かな、と思って……」
「えぇ。いつも見た目より若く見えるって言われますが、なにか?」
フォローどころかさらに墓穴を掘ってしまったらしい。俺は早々に敬礼して、ドールトン准尉の返礼を待つまでもなく、司令艦橋へと走って戻った。
「おやおや、士官学校首席卒の期待の若手は、そちらの方も手が早いらしい」
司令艦橋の最後の上り階段ですれ違いざま、なかなか怖い表情をした後方参謀のオブラック中佐に皮肉られた。相手にされませんでしたよ、と軽く返すと、三〇代後半にしては若く見える整った顔つきの中佐は“フフン”と鼻先で嘲笑って、俺とは逆に階下へと降りていく。怒りよりも呆れの方が多い内心はともかく、その背中に一応敬礼してからリンチの傍へ戻った。
「まだ戦闘は終わってないぞ」
リンチもまた俺とドールトン准尉の動きを見ていたらしく、視線を向けた早々に俺に皮肉を飛ばしてくるが、その顔はオブラックとは異なり「仕方ない奴め」といった雰囲気だった。
「貴官が居ない間に三隻沈めた。海賊の戦艦が逃走の最後尾についている。どうやら盾になるようだな」
「やはり元軍事経験者でしょうか」
「だろうな。味方の撤退を助ける為に最後尾につく、というのは誇りを持つ軍事指揮官ならば常識だ」
その常識をアンタは近い将来破ることになるだろうね。と心の中では思いつつも、俺は表情に出すことなくメインパネルに映る戦闘の状況を見つめる。八〇隻近い艦艇が、残り七隻目がけて砲撃を集中させる、極めてワンサイドな戦闘だ。追撃側が砲撃精度を上げるため、火力を制限してはいるが、全艦撃沈もそう遠いことではない。しかも彼らの逃走方向に配置されていた巡航艦や駆逐艦は、追撃艦からの砲火に巻き込まれないよう、ゆっくりと彼らに向けて逃走ルートを開きつつ、後進旋回して逃走ルートの中心軸に主砲を向けつつある。その動きはゆっくりではあったが、非常に理に適っているものだった。やはりリンチの軍事指揮官としての、あるいは訓練教官としての能力は高いと認めざるを得ない。
しばらく追撃風景を見つめていた俺だったが、残りが五隻になったところで不思議に思った。海賊艦は俺の見ている数分間だけだが、進路を全く変更していない。ついに海賊側の戦艦が撃沈して、戦艦ババディガンの艦橋は歓声に包まれたが、俺は逆に不審感が増大した。
「司令官閣下。逃走集団が無人艦の可能性はありませんか?」
「宇宙海賊にとって、命以上に貴重な戦闘艦艇を無人にする理由があるか?」
質問に質問で返され、俺は一瞬胃袋の中で嫌な思いが渦巻いたが、それを吐き出すことなく応えた。
「命は一つしかありません。戦艦は確かに貴重ですが、代わりとなる艦はあります。むしろ小官としては、根拠地攻撃を行っている部隊の安全が気にかかります」
「あまり話を飛ばすな。無人艦の理由は?」
「逃走進路が直線的です。回避行動も機械的で、人為性を感じません」
リンチは俺の返答に、腕を組んで画面を見たまま黙った。さらに一隻撃沈したところで、俺に顔を向けて言った。
「海賊の首魁はここにはいなかった、ということか?」
「その判断は出来かねます。根拠地に『置き土産』が置かれているかどうか、で判断できるかもしれません」
「『置き土産』?」
「『ブラックバート』団は液体水素燃料を略奪することが多い集団です。配下艦艇の数が多いとはいえ、タンカーの搭載量はかなりの量になります。艦艇の腹を満たすには十分です。それを一ヶ所にまとめ、着火させれば」
「水素の爆発温度ぐらいで艦艇の装甲がどうなるとも思えんが?」
「略奪したタンカー内部で保管されているのであれば、タンカー自体が爆弾になります。しかも敵の根拠地は円筒型です。内部へおびき寄せて一気に破壊する『置き土産』です」
「至急、別働隊に連絡をとれ!! 接近一時中止、距離を取って包囲待機するように!!」
「了解しました」
リンチの命令は緊急通信で別動隊に飛ばされ、別働隊は行動を停止して、根拠地から距離をとる。その間に追撃部隊は最後の一隻を撃破したが、俺は勿論のことリンチも浮かれていない。
「『置き土産』については理解したが、このまま遠巻きに包囲していたところで意味はないぞ」
別動隊の先任指揮官から遠回しの抗議を受けたリンチは、バディガンのメインスクリーンに映る根拠地の姿を見て、俺につぶやいた。
「強襲上陸して内部を調査するか、それともいっそ爆破するか」
「円筒中心軸に合わせて、戦艦の長距離砲による一点集中砲撃で、内部の艦艇だけを吹き飛ばせませんか?」
「……そういう奇妙な芸が出来るとは思えんが、どうせ調査したところで根拠地は処理するところだ。訓練がてらにやってみるか」
リンチの半ばやる気のなさそうな返事と指示の下、二〇隻の戦艦がのったりゆったりと密集陣形を形成し、慎重な軸線調整の後に、その全艦が斉射を行う。砲撃まで一時間以上もかかっているわけだから、この部隊が実戦で一点集中砲撃などできないだろうが、今回は上手くいったらしく、太く青白いビームがほぼ正確に円筒内部を貫いた。望遠映像では分かりにくいが、両開口部から爆炎が上がったのは間違いなかった。そしてその数秒後、根拠地が文字通り粉々に吹き飛んだ。その破片で砲撃した戦艦の装甲に傷がつくくらい大きいもので、かなり離れていたババディガンすら爆発の余波による微細振動を感じたほどだった。
「……中尉、これから気がついたら遠慮なく意見をいいたまえ」
二〇隻程度の戦艦の集中砲撃で元が岩石型小惑星の頑丈な根拠地が粉々になるわけがない。明らかに内部に爆発物が仕掛けられていた証拠だろう。その爆発物も液体水素だけはなく、ゼッフル粒子も含まれていただろう。もし上陸を試みていたら、皆吹き飛ばされていた……その恐怖に震えているリンチの言葉に、俺は感謝する事もなかったが、少しは人の意見を聞けるようになったリンチに、俺は言った。
「海賊の首魁はこの星区にはいなかったと思われますが、爆破スイッチを押す担当の海賊の一部がどこかに潜んでいる可能性は高いと思われます。この星区の調査と並行して、次元航跡追尾装置による調査も行ってはいかがでしょうか?」
「小惑星帯に別の根拠地が残っている可能性がある。任務もあるしあまり数は割けんぞ」
「巡航艦分隊を二つ、それとドールトン准尉をお貸し願いませんか?」
「……よかろう。やってみてくれ。ドールトン准尉に関しては艦長の領分だ。俺からもそうしろと言っていたと伝えれば何とかなるだろう」
「ありがとうございます」
俺はリンチに敬礼すると、参謀席とは反対に位置する艦長席へと歩みを進める。ババディガンの艦長は特に俺に対して含みがあるわけではないからいいとして、問題はドールトン准尉のほうだ。
命令とはいえドールトン准尉が素直に協力してくれるかどうか、そちらのほうがこの作戦の成否よりも困難なように、俺は思えて仕方なかった。
後書き
2014.10.18 更新
2014.10.18 ドールトンの容姿を追記
第23話 初陣 その3
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
初陣と言うよりは捜査に近い話になりつつあります。
自分で書いていて、リンチはさすがにここまでバカじゃないよなぁ……と反省してます。
宇宙暦七八五年一二月 ケリム星域ネプティス星系外縁D星区
就業時間外に同い歳の女の子(しかも美人)と部屋で二人っきり。ですが空気は甘甘生クリームどころか、ツンドラもかくやと言わんばかりに底冷えしております。
「……と、言うわけで貴官に航法、プラン構築の面で協力してもらいたい」
「了解しました。中尉殿」
完璧な、ほぼ完璧なと言っていい敬礼で応えるドールトン准尉の顔は、何というか能面(唇厚いし、褐色だけど)から優しさ成分を抜いたような感じだ。感情がない。考えれば恐ろしい話だ。壁に掛けた喋る能面相手に夜仕事をする恐怖は……でもこのままではそれが現実となる。
実を言えば部下を持つ苦労、というものを俺は前世を含めて持っていない。せいぜい同列者の中の先任という程度で、士官学校を含めて、上下関係で先輩・後輩という関係はあっても、上司・部下という関係はなかった。リーダーシップ研修で上司と部下、その組織構造、運用などを学んでいても、さて実践となるとなかなか難しい。まぁ自分がトップに立てるような器ではないのはよく心得ているが。
とはいってもこの航跡追跡計画を立案するためには彼女の、航法下士官としての能力は不可欠だ。二階級とはいえ階級で服従させる方法もあるが、それはリンチがやっていることとまったく同じで芸はない。時間が限られている今、俺が出来る方法といえばはっきりと自分の気持ちを説明することぐらいしかない。
「准尉が俺に対して含むところがあるというのはわかる。なにしろ俺は女性の扱いには不慣れだし、デリカシーがないとよく義妹に言われている。だからまぁいろいろ地雷を踏んでしまったり、フォローが下手だというのは勘弁して欲しい」
「……」
「ただ仕事をするなら俺はなるべく気持ちよく仕事をしたい、と思っている。そう言う意味でも俺は准尉の協力を求めたい」
「大変失礼な質問をいたしますがよろしいでしょうか?」
相変わらずの無表情で聞いてくるドールトンに、俺は紙コップの中の烏龍茶を傾けつつ頷いた。まるで俺の心の奥底をさらけ出す羽目になったときのヤンと、ドールトンの姿が被る。それを承認と受け取ったのか、ドールトンはコホン、としなくても良さそうな咳払いをした後、かなり大きめの胸を張って言った。
「……中尉殿はもしかして童貞ですか?」
俺が口に含んだ烏龍茶を盛大に吹き出したことを誰が咎められようか。あまりの勢いで鼻からも出てきたことも分かってくれると思う。同志諸君(誰だよ)なら!! 幸い横向きに座っていたからドールトンの褐色の肌にかかることはなかったが……牛乳だったらどうだったかとか、余計なことは考えていない。そんな余裕はない。
かなり苦しく咳き込んで床に蹲る俺を、ドールトンは長身を生かしてそれはそれは怖い笑みを浮かべて見下ろしている。咳が収まっても助けようともしない。
ようやく二度ばかり深呼吸して俺が腰を上げると、ドールトンは一度部屋を出てから、紙タオルを束で持ってきて机の上だけ拭く。つまり床は俺が拭けということかよと口には出さず、黙々と俺は床を拭く。束の半分を消費してなんとか原状復旧が終わると、改めて俺は准尉に協力を求めると、了解しましたと含み笑いを浮かべつつ、俺の差し出した手を握ろうとして……
「せめて消毒ぐらいはして欲しいのですが」
と、この女(アマ)は明確にそれを拒絶した。
とにかく手打ちを終えた俺とドールトンは、先に手を消毒した後で実質的な話に移った。
まずは俺がリンチから借り受ける事になる二〇隻の巡航艦で、どこまで星系内の次元航跡を解析できるかと言うこと。次元航跡とはぶっちゃけ水面上の航跡と同じようなモノだから時間が経てば消えてなくなってしまう。それでも数日、大型艦なら一週間くらいはなんとか観測できる。第七一警備艦隊の星区内侵入でかなりかき乱されているだろうから、結構な処理時間が必要になるが、これで数日来の海賊艦の挙動がわかるはずだ。だがドールトンの言ったとおり星区全体の観測にはかなりの数の艦艇を必要とする。そこでドールトンの協力が必要となる。
D星区は無人星系であることは誰もが承知しているし、有用な鉱石も産出せず、居住に有望な惑星も存在しない。かなり大きな有人星系であるネプティスの側にあっても、近隣に有人星系が少ないことから滅多なことでは輸送船はこの星系を通過しない。ただしゼロではない。かなりの遠回りにはなるが、幾つかの有人星系へ向かえる航路がある。それこそ海賊の裏を掻くようにあえてこの星系を抜けようとする逞しい(無謀とも言う)商人もいて、意外とその試みは成功している。
「海賊が自分の根拠地星系で襲撃を行うとは考えにくい、そういうことですね?」
「襲撃されれば、当然軍なり警察なりの捜査が行われるからね。その時根拠地が発見されれば、海賊側としては大損だから」
それを見越して、リンチと俺はこの星系に根拠地があるのではないかと推測していた。その読みは当ったわけだから、リンチも無能ではない。先に偵察艦を出して航跡調査をさせなかったのも、海賊側の油断を誘うためだったのだが、それは今裏目に出ている。巡航艦二〇隻では明らかに手不足だが……
「近隣の星系からこの星系に跳躍してくる航跡を辿る。その最短コースをリストアップする。現在進行中の小惑星帯掃討作戦とのデータと重ね合わせ、不審な航跡があればそれを残す。複数艦艇が跳躍可能な宙点をリストに出す為に、小官の知識を使うというわけですね」
「二〇隻では出来ることが限られているからね」
戦艦も含め一〇隻以上の艦艇を運用する海賊だ。その運航には細心の注意を払うだろう。しかも製造管理の厳しく難しいゼッフル粒子(やはり根拠地跡から検出された)を扱う奴らだ。かなりの頻度でこの星系と別の星系を行き来していたはず。安定した宙点を選択し、しかも根拠地のある小惑星帯に向かっている航跡を探り出し、その方向を確認する。だから航法知識があるドールトンの知識が必要となる。
まずは海賊が使いそうな跳躍宙点を取捨選択、次にそこへ巡航艦を半分隊(五隻)派遣し、周辺の次元航跡を調査。そして海賊が使用したであろう航路の確認と、『別の根拠地』と考えられる星系の把握。それに巡航艦分隊の調査航路の設定。それがドールトンに俺が指示した仕事だ。巡航艦への命令は俺がリンチを通して行う。副官業務は交代要員がいないので、俺は仕事の合間を見てドールトンの分析結果を確認し、さらに巡航艦へ指令を出す。ちなみにドールトンは予備下士官なので、艦長にこの職務への専従を許可して貰った。
ドールトンが宙点を選択し、巡航艦分隊の調査航路を作成するのに三時間。巡航艦へ指示し、四個半分隊がそれぞれに散って調査するのに二四時間。幾つかの分隊から興味を引く情報が届き、それをドールトンが分析し、次の調査航路を産出するのにまた三時間。巡航艦分隊は殆ど立ち止まることなく外縁部の宙点を調査し続け、ドールトンも四つの分隊の調査航路を同時に計画しながら、俺に状況を報告。俺も副官業務の合間を縫って計算と分析を行って……リンチの許可から四九時間後。俺とドールトンは自分達が出した結論を見て、結論が導く重大な問題に直面することになった。
「当艦隊がこのD星区に到着した約一八時間前に、根拠地近辺には複数の航跡が確認されました。その航跡はネプティス星系との跳躍宙点を起点としています。その三時間後。四隻程度の大型艦が根拠地を出航。アレスⅣ星系との跳躍宙点へ向かい、そこで次元航跡は途絶えました。おそらくアレスⅣ星系にパルスワープで向かったものと推測されます。以後、この星区での次元航跡は当艦隊と破壊された根拠地の破片以外、確認できません」
「……」
リンチ、エジリ、オブラック、カーチェント、そして俺が集まる第七一警備艦隊司令部(戦艦ババディガン内小会議室)で俺が言った言葉に、沈黙した四人の顔はそれぞれだった。
「これから導き出される結論は……」
「言わんでもわかっとる。こちらの情報が事前に漏れていたな」
「そんな!!」
リンチの歯ぎしりの含まれた結論に、情報参謀のカーチェントは顔を蒼白にして席から立ち上がる。
「この作戦に関しては、防衛司令部でも司令官ベレモン少将と防衛区参謀のパトラック大佐しかご存じないはずです。第七一警備艦隊でも……ここに派遣された部隊でも『スパルタニアンによる制空訓練』として集められており、作戦情報開示ですらネプティス星系を離れてからなのです!!」
「だが、現実にはネプティスから海賊に向けて通報艦が発進し、海賊は我々の到着以前に大型艦で逃げおおせた」
エジリの声ははっきり部外者と言わんばかりで、いっそ清々しいものだった。
「我々がこの星系でうろうろしている内に、海賊はアレスⅣ星系へとまんまと逃げおおせたわけだ……おそらく我々が撃破した一五隻の海賊艦はすべて無人艦、と考えるべきだろう。根拠地の爆発もすべて自動制御だ」
「俺達は海賊艦を血祭りに上げ、根拠地を粉砕して、任務は成功とイジェクオンに凱旋する……そして間をおかずに『ブラックバート』が再び活動する。俺達は体のいい笑いものになるわけだ」
リンチは思いっきり右拳で簡素な作りの机をぶったたく。派手な振動と共に、並べられたコーヒーカップがカチャカチャと擦れた音を立てる。
「司令部共め。ベレモンかパトラックか、それとも両方か知らないが、この俺をコケにしやがって!!」
「……ですが本当に星区司令部から情報が漏れたのでしょうか?」
机の振動が収まった段階で、顔だけは冷静な(頬の一部がぴくぴくしているが)オブラックが余計な口を挟む。
「たまたま偶然ということもあるでしょう。司令部が早々情報を外部に、しかも海賊に漏らすなど……」
「そ、そうです。リンチ司令。仮にも海賊討伐は星区防衛司令部の主任務の一つです。その司令部が反逆罪を犯すような事をするでしょうか」
「理由など知るか。憲兵に二人を締め上げさせれば分かるだろう」
少しだけ息を吹き返したカーチェントに、リンチは吐き捨てるように言った。コケにされた、あるいはされかけたことに腹が据えかねているのは一目瞭然だ。目からは火が出そうな感じだ。だが口から出てきた言葉は、それどころではなかった。
「第七一警備艦隊所属全艦に、惑星イジェクオンの上空制圧と宙域封鎖を命じる」
リンチの言葉に、会議室の空気は凍り付いた。無関心を装っていたエジリですら、リンチに驚愕の表情を見せている。誰もリンチに対して口を開くことが出来ない。それはそうだ。
「……それでは第七一警備艦隊が星区司令部に叛乱を企てる形になってしまいますが?」
誰も話さないので、俺はリンチに確認した。リンチは俺を一度睨んだ後で視線を逸らしてから応える。
「致し方あるまい。仮に軍法会議なっても、目的が二人の拘束ならば正当性を主張できるだろう」
「できないと、小官は考えます」
「なぜだ?」
リンチの疑問に、俺は正直応えることすら面倒に思えた。こんな事すら分からないのかと失望どころの話ではない。頭に血が上って冷静になれないのはわかる。ここにいる人間が言いふらすような胆力を持っていないと解っていても、容易に口に出すようでは処置なしだ。艦隊警務部に通報して拘束してやりたい気分は山々だが、従犯として巻き込まれるのは勘弁だから丁寧に答えるしかない。
「まず司令部の二人が情報を漏らしたかどうかが、状況証拠である点です。憲兵もそれでは二人を拘束することに躊躇するでしょう。司令部の二人が逃走する可能性を考えたが故に閣下が当艦隊を使って宙域封鎖を命じたのはわかります。ですが……」
イジェクオンの宙域を封鎖するとなれば、それは同盟の大動脈をぶった切ることになる。経済的損失は軍の保障とかいう言葉が通じるレベルではない。星区司令部に対する叛乱というレベルではなく、第七一警備部隊は同盟の公敵として討伐の対象になるだろう。これがまず一次的に正当性を主張できない一点。
第二に司令部の二人のいずれかであるにしろ彼らが海賊に情報を漏らした理由。脅迫・収賄などであれば、憲兵は容易に証拠を掴んでいる。なにしろケリムはバーラトの隣の星区。ド辺境ならともかく、憲兵の練度・規律は充分維持されているだろう。それでも掴めないということは、そういう事実はないと判断できる。
第三に理由がいずれにしろ、ケリムという重要星区の最上クラスの軍人が海賊とつながっていたという事実自体が公表するには危険であること。余波はケリムにとどまることはない。大なり小なり辺境区でも同じ事があるだろう。軍部の社会に対する威信失墜を公表することになり、それは任命責任者である統合作戦本部も望んではいない。下手したら軍上層部だけでなく政権そのものが吹っ飛ぶ。
「以上のことから、もう我々が直接行動するということは出来ないレベルであると、小官は考えます」
「……では、このまま黙って間抜けを演じろということか、ボロディン中尉」
「いいえ、やるべき事は多くあります。間抜けを演じるのも一つですが、『ブラックバート』の背景をもっと深く捜査すべきです。憲兵を頼ることなく、出来る限りの情報を収集すべきです。そうすることで……カーチェント中佐の無罪が立証されます」
「俺の無罪だと!!」
リンチには逆らえないがさすがに新米の俺には容赦しないらしい。それはそうだろう。彼自身が海賊とつながっているとは(間抜けすぎて)とても思えない。だが司令部の二人が情報を漏らしたのでないとすれば、必然的に情報が漏れたのは第七一警備艦隊から、となりその情報管理を担当するのはカーチェントだからだ。彼自身の罪ではないにしても、彼の管理が甘かったという事になるのだ。俺の隣で怒りの視線を向けるカーチェントを、俺は丁重に無視したが、代わりにエジリが咳払いの後俺を問いただした。
「……憲兵に頼ってはならない理由は、一体何故だね? 彼らの権限を持って司令部に禁足を命じることもできるだろう。無言の圧迫にもなる」
「エジリ大佐。それは『司令部の二人』が関与していた場合はそれが成り立ちますが、こと民間人……たぶん州議員クラスの人間に対しては逆の効果を持つことになります」
同盟の憲兵はあくまで軍内の警察組織だ。帝国のように地上戦部隊を使って一応は民間人である地球教徒を追っかけ回すような事は出来ない。民間人が犯人であれば、国家警察あるいは州警察が対処することになる。憲兵が民間人を脅した、となれば野党が政権に簡単に噛みついてくるだろう。
「情報を漏らした犯人は民間人だと、貴官はいうのか?」
「正確には星区司令部か第七一警備艦隊か、今回の海賊討伐作戦を事前に知り得た人間の側にいる民間人です」
「……だから直接行動は出来ない。相手の油断を誘うためにも、しばらく我々は間抜けを演じている必要がある。そういうことか」
「はい、リンチ閣下。その通りです」
あくまで第七一警備艦隊がちゃんと防諜体制を整えていることが前提だが、とまでは俺はリンチにはいわなかった。もはやケリム星区のどの戦力にも疑念は生じている。第七一警備艦隊に限らず、他の巡視艦隊も、だ。こと政治的な判断すら必要な状況下であるならば、もはや頼るべき武力はただ一つしかない。
「第一艦隊をケリムに呼び寄せるべきです。だがそれまでに犯人の目星だけは、我々第七一警備艦隊でつけなくてはなりません。例え状況証拠だけであっても」
「ふん。結局父親を頼りにするワケか。なさけないな」
斜め前に座るオブラックの厭味に俺は唇を噛み、拳を握って我慢したが、次の瞬間そのオブラックが衝撃と共に椅子から転げ落ちたのにはさすがに驚いた。
「いや、失礼」
右拳を撫でながら、正面に座るエジリが笑顔で応えた。
「最近、めっきり歳をとったせいで右肩の調子が良くなくてな。おやオブラック中佐。大丈夫かね?」
そういえばエジリは大佐だったよなと、俺はどうでもいいことをその時思い出していた。オブラックの発言が礼を失しているとはいっても鉄拳制裁はいかんと思うんだ……でも正直、俺は気分が良かったが。
後書き
2014.10.19 更新
2014.10.21 文面一部修正
第24話 初陣 その4
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
なかなか捜査が終りません。孤立無援なJrは今日もカーソルを叩き続けます。
宇宙暦七八六年一月 ケリム星域イジェクオン星系 第七一警備艦隊係留地
新年を迎えたところで、俺の気分が晴れるわけでもなんでもない。
結局D星区では粉々になった根拠地以外の海賊拠点は発見できず、第七一警備艦隊はすごすごと係留地のイジェクオン星系へと帰還する事になった。もっとも司令部以外は、あの『ブラックバート』の根拠地を撃破した事を純粋に喜んでいたし、幸いにも味方に一隻も被害がなかったことから(意図せずして)リンチへの部下の信頼はかなり高くなっていた。
ゆえに一部を除く第七一警備艦隊の将兵は、半舷休暇を使って惑星イジェクオンへと降り立ち、思い思いに新年を楽しんでいる。たった一人、戦艦ババディガンの個室で書類と複数の端末を弄り、『ブラックバート』関連の資料を集めている俺は別に僻んでいない。断じて僻んでいない。
望んでもいない事態に憂慮と怒気を漲らせていたリンチも、部下達から『さすがは名指揮官』と呼ばれれば少しばかり気が晴れたようで、星区司令部への報告の際も落ち着いていた。俗物め、と横で見ていた俺は心の中で舌を出していた。が、奥さんや娘さんと再会した時の顔が普通によき父親だったので、俺も俗物らしく微笑ましく見つめていたのだが。
俺が許せないのは二つ。一つはカーチェントが地上に戻って、以来まったく俺の手伝いをしようとしないことだ。正月早々仕事しろとは言わないが、アンタ機密漏洩罪の容疑者の自覚あるのと言ってやりたい。
もう一つは後方参謀のオブラック。エジリ大佐から右裏拳を受けて顔を腫らしての情けない帰還だったのに、地上について搭乗口を出た途端、きゃあきゃあと女の子達が寄ってきたのだ。そして女の子達に顔の腫れを心配され、その原因をエジリ大佐ではなく俺になすりつけやがった。リンチに同道して地上に降り立った俺は、早速悪役野郎に祭り上げられてしまったのだ。そこまではいい。
「ボロディン中尉は童貞な紳士だと思っていましたが、かくも暴力的な方とは思いませんでした」
そう言って、ドールトン准尉まで遠回しに俺への協力を拒否してきやがった。何かを頼もうとしても、やれ休暇だ、やれ任務だと言い訳に走っている。ドールトンの協力なくして海賊の事実を掴むことは出来なかったことには感謝しているが、ここまで変貌してしまっては、もはや協力は得られないと判断せざるをえない。というより、いま彼女の説得に時間をかけている余裕はない。
今ではただ一人、エジリ大佐だけが協力的だ。一次的な資料の収集や分析は俺でも出来るが、この星区内部の人間関係などの資料には記載されていない情報に関しては、大佐の経験と知識が頼りになる。A代議士は海賊と繋がりがあると噂されている商社から多額の献金を受けている等々……単なるうわさ話から、どこからそんな情報を手に入れてくるのかというような機密まで持ってくる。その顔も、遠征前のやる気のないものとは正反対で、一〇歳は若返ったと思えるほど生き生きしている。
エジリ大佐の覚醒はとにかく、分析だけは俺が一人でやらざるを得ない。俺自身の新年のお祝いは、叔父の家に直接メールカードを送るだけだ。グレゴリー叔父に一枚だけ。それで叔父なら分かってくれるだろう。だが情報を得てから戦力規模を算出し、出動態勢を整え、憲兵・査閲各部との調整を終えて出動するのは、基礎情報を手に入れてから大体二週間は必要だろう。その前に作戦立案と統合作戦本部および国防委員会の出動許可を得る必要があるから、まず四週間というところか。
四週間。おおよそ一ヶ月で『ブラックバート』の概要とその背後関係を洗わなければならない。しかも誰の手も借りずに、副官業務をこなしつつだ。これはなかなかハードな仕事になる。
「君はなぜ、そこまで熱心に追求できるのかね?」
一〇年来のD星区近辺における民間開発プロジェクトについての情報を持ってきた、エジリ大佐の質問に俺はやや困惑した。
「なぜ、と仰られましても……宇宙海賊は正統な経済活動を、武力を持って侵犯する犯罪集団であり、その追及・撃滅は同盟軍人としての主任務の一つであると考えますが?」
「いや、そういう根拠を聞いているんじゃない。なぜ君はこの事案をそれほどまでに追求したがるのか、という君の正直な気持ちに私は興味がある」
「そうですねぇ……」
別段この任務が俺の勤労意欲を刺激しているわけではない。元々軍人になった目的が「引きこもり平和主義」を達成するための実力と権力を持つための手段であって、人(金髪の孺子は除く)を殺したり、傷つけたりしたいが為に軍人になったわけではない。結果としてそうなるとは分かっていても。
だがいずれにしろ、どのような地位・職場であっても、職責にあっては出来る限りの努力を惜しまないというのが、士官学校以来の自分に課した目標であり義務でもある。天才でも秀才でもない、原作知識を持っているだけの普通の人間である俺ができる、それが唯一の出世できる道だ。
「努力出来るときにしないで後悔するのはちょっと性にあいませんし、早く出世したいですからね」
「ほう……出世か。なるほど」
俺の少し省いた答えに、エジリ大佐は少し溜息混じりで、なるほどなるほどと小さく頷いている。その動きはベコ人形にも似ているが、宇宙歴七八六年のこの世界にはベコ人形は残念ながらない。
「仮に君は出世してそれなりの地位を得たとして、君は一体何を望んでいるのかね?」
「『平和』です。それも期限付きの」
「『平和』、か……ふふっ若いなぁ……羨ましいくらい魂が若い」
エジリの喉奥で押しつぶしたような笑いに、俺はカーソルを叩く手を止めて、椅子ごとエジリに向き直った。それを見てエジリも少し離れた位置に丸椅子を持ってきて腰を下ろす。
「軍人として君が出世して、世界が平和になると思っているのかね」
いわゆる老軍人が若い士官を相手に世間の厳しさを教えてやろう……とでも考えているのだろうか。俺はその質問に口を開かず、視線だけでエジリを促す。それに気がついたエジリは「ふぅむ」と喉を鳴らすと、残り少ないグレーの髪を掻きながら、まぶたを細めて俺を見る。
「軍人として出世したところで、やることは“効率よく敵を殺す”仕事に従事するだけだ。例え正規艦隊司令官になろうと、統合作戦本部長になろうと。後方勤務本部長だって、人殺しの手伝いをしていることにかわりはないのだがね」
「仰るとおり軍人の仕事とは人間の罪悪である人間を殺すことです。ですから軍人の仕事がなくなるよう、あるいはごく少なくなるよう社会を作り上げる必要があります。つまり『戦争を止める』んです」
「戦争を止める? そんなことが出来るとでも?」
「出来ると思いますし、その為にどんな小さな事からでも努力していきたいのです」
この老軍人と俺との間に横たわるのは、戦略論と戦術論のすれ違いと殆ど同じだろう。老人が産まれる前から同盟と帝国は戦争してきた。その戦争状態が『経験上』今後も続くと考えている。一〇数年後に帝国の、一人の野心家によって宇宙が統一されるなど考えられるわけがないし、口に出せば夢想以外のなにものでもない。たまたま原作の知識として俺はそれを知っているだけだし、それ以外に平和で豊か(貧乏だったけど)な世界で暮らしていた記憶もある。前世の地球では多種多様な国家があり、なにより世界中で戦争しつつも、それなりに平和だったという『経験』がある。
「君が同盟軍を率いれば、帝国との戦争に勝てる自信があるのかね?」
「いいえ、ありません」
「正直だな……なのに戦争を止めることが出来ると?」
「出来ると思います。あの要塞を落とすことが出来れば」
「あの要塞……イゼルローン要塞を、落とすというのかね?」
「ええ」
俺の返答に、エジリは苦笑し……膝を叩き……その笑い声は次第に大きなものになっていく。俺はエジリの態度をあざ笑うことも怒ることも出来ない。原作でイゼルローンは七回目にしてようやくその所有者を替えることが出来た。それまでに六回。『イゼルローン回廊は屍を持って舗装されたり』と言われるくらいの犠牲者を出してきたのだ。今、何次かまではわからないがエジリの態度を見る限り、これまでにも要塞攻略は不可能だと思わせるだけの犠牲を払ってきたのだろう。
「なるほど。君は本当に愉快だな。まるで軍上層部の楽天主義そのものだ。正直エリートとはその位ではないと勤まらないということかもしれん」
「大佐殿はそうはお考えにならないのですか?」
「残念ながら私はそこまで楽天的にはなれんよ。なにしろイゼルローン回廊には二回。戦艦の砲手として、また駆逐艦の艦長として、あの要塞に接近したからな」
腕を組み笑顔を浮かべて、エジリは再びベコ人形になる。
「君は雷神の槌(トールハンマー)を知っているかね? あの恐るべき要塞砲。いや知識としては君もご存じだろうが、実際にその目でその威力を見なければ分からんよ。一瞬にして僚艦一〇〇〇隻以上が消滅する恐怖。こちらの砲撃が全く効果を挙げない要塞表面の流体金属……とても落とせるとは思えんな」
「……」
「あの要塞は難攻不落だ。近づかないに超したことはない。つまり我々には戦略的選択権がないのだよ、帝国軍は攻めてくる。我々はそれを迎え撃つ。帝国軍が止めない限り、戦争を止めることなど出来はしない。無用な犠牲を増やしたくなければ、その位は理解して欲しい処なんだがな」
そう言ってエジリは席を立つと、俺の肩を二度ばかり軽く叩いた。
「夢を見るのは悪い事じゃないが、現実を無視するのは良くないことだ。君がそれなりに真面目で、有能な人材であることは僅かな期間だけ見てきただけでも分かる。だからせめて無用な犠牲を出すような軍事指揮官にはなって貰いたくないね。そして早いうちに夢から覚めて貰いたいものだ。年老いてから夢破れた哀れな例を幾つも見てきた私の、たいしたことのない助言だがね」
部屋を出て行くエジリの姿が、扉の向こうに消えた後、俺は再び端末画面に向き直った。
現在の軍指導者も、将来の指導者も、おそらくエジリの言うようにある意味では楽天的な人間であるかもしれない。自らも戦列に加わるとはいえ、トールハンマーの前に六度も兵力を展開したのだから。だが同時にエジリが言ったとおり、イゼルローン要塞が難攻不落であることを同盟側に理解させた上で、帝国は攻撃選択権を行使している。故に彼は戦争は終わらないと考えてしまう。
あの要塞を落とすことが平和への道であるとは限らない。それはヤン=ウェンリーのいうとおりでもある。イゼルローン要塞を攻略せず帝国の侵略を防ぐ方法なら、イゼルローン回廊出口付近に要塞と機雷による封鎖網を築けばいいだけのことだ。ただし、建築中にイゼルローンから出てくる帝国艦隊の妨害がなければという前提で。だがそれすらもガイエスブルクのような移動要塞という戦術でクリアできるだろう。
問題は同盟にそれだけの技術がないことだ。防衛衛星クラスの自動要塞は作れても、ダゴン星域会戦以来の機動縦深防御戦略思想が、その分野での技術進展を遅らせている。そうダゴン星域会戦。一四〇年前のあまりに絢爛たる勝利が、同盟の軍事技術と軍事戦略を一つの方向に固定してしまったのだろう。
だが、今更それを悔やんでいるわけにはいかない。技術は時間を重ねる毎に進歩する。ガイエスブルクが移動要塞になるのも一一年以上先の話だ。いま俺がしなければならないのは将来の戦略構築ではなく、目の前の海賊集団とその後背にいるであろう密告者の捜索だ。
そういえば、エジリはヒントになるようなことを言っていたような気がする。年老いて夢破れた『哀れな』例……元軍事指揮官を思わせる戦闘・襲撃指揮、戦艦すら使い捨てできる海賊らしくない発想、根拠地に爆弾を仕掛けて鎮圧艦隊を罠にかけるような抜け目のなさ……
調べなくてはいけないことがまたまた増えたようで、俺は正直嫌になるが少なくとも見えなかった灯が見えてきたような気がする。そして再び俺はカーソルをカチカチと叩き始めるのだった。
後書き
2014.10.21 更新
第25話 初陣 その5
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
とりあえず今回と、あと一回でJrの苦い初陣は終りそうです。
宇宙暦七八六年一月 ケリム星域イジェクオン星系 第七一警備艦隊係留地
グレゴリー叔父からの返事がきた。
出来得る限りの支援を約束するが、第一艦隊自身が事前に予定されていた訓練の為、すでにロフォーテン星域へ進発している。今すぐ訓練を中止して部隊をケリム星域に向かわせるには不確定要素が多く難しい。他の艦隊あるいは独立部隊を派遣するのは可能だが、事態を承知しない部隊が星系内を引っ掻き廻してしまうよりは、しばらく時間をかけてでも捜査を進展させておいてから第一艦隊を投入した方がいいのではないか……
兵は拙速を尊ぶ。それに反する事になるが、この際はやむを得ない……たかだか一中尉の不確かな情報だけで、第一艦隊をすぐさま動員できるわけがない。しかるべき手順を踏まなければならないことはわかっていたが、なんとも歯がみする連絡だった。
協力者はエジリ大佐一人の状況で、俺はリンチの世話をしつつ、集めた情報を一つ一つ洗い出している。『ブラックバート』団として名が知られる以前に、海賊達はどのような行動をしたか。以降、どのように戦力を増強していったか。他の海賊達のデータを排除し、純粋に『ブラックバート』団のみと考えると、見えてくる筋がある。
その名前が知られる以前の彼らは、建築資材・機材を目標として略奪に励んでいた。名前が知られてからは、食料品も狙い始める。だが名前が知られていると言っても、中央には響かない程度に……
ちなみに略奪した商品から考えられる『常時扶養可能な』人間の数はおよそ二万人。艦艇数で行けば二〇〇隻近い。だがケリム星域内で認識されている海賊全てを集めても、それだけの数にはならない。海賊が略奪品を転売すると決めつけるから、我々は惑わされる。転売する為ではなく、消費する為、あるいは生きていく為にそれらが必要だから略奪したのだろう。
俺以前にもその結論に達した人間はいたらしい。人口二万人で小惑星上に建設可能な人工居住区となるとそうとう目立つ。なおその前任者は一〇年前に星区内の全星系における比較的大型の小惑星を徹底的に調べ上げたそうだが、権限不足から調査に割ける艦艇が少なく、D星区にあった根拠地も見落としたようだ。ちなみにその人物は半年足らずで別の任地に赴いている。名前はフレデリック=ドーソン中尉……どこかで聞いたような名だが、聞かなかった事にしたい。
「!!」
空になった烏龍茶のペットボトルを俺は全力でダストシュートに叩きこんだ。原作で神経質で小役人タイプと言われるくらいなら、頼むからもっと深く細かく調査してくれ!! 俺と同じ中尉という事は、経歴も同じように士官学校を出てまだ日も浅いという事だろうから精一杯背伸びして精一杯迷惑をかけたに違いないんだろう。推測するにその性格が徒となって、担当する軍艦乗り達をうんざりさせた挙句、お返しとばかりに手抜き調査をされたとしか思えない。それに加えて誰も協力してくれる奴がいなかっただろう。
「……もっともエジリ大佐以外、誰も協力してくれないのは俺も同じか」
と、いうことは今後の人生もこうなのか、何か俺が悪いことでもしたのだろうかと、俺は不安を感じざるを得ない。しかしドーソンは僅か半年で任地を移動するか……余程周囲と溶け込めなかったのか、それとも更迭されるほど無能だった……ワケがない。
「フレデリック=ドーソンの履歴書……はさすがに任地選任者以外の部外閲覧禁止か。ただその後に大尉昇進して、異動先は宇宙艦隊司令部参謀本部付作戦四課課員、ね」
半年の任期で一階級昇進するというのは、余程の功績を挙げたことに他ならない。もちろんドーソンがこのケリムに赴任する前に既に充分な功績を挙げていて、たまたま半年後に昇進したという可能性も否定できない。異動先が宇宙艦隊司令部なのも偶然かもしれない。
しかし誰かの推挙があれば、人事もそれまでの功績やその人の能力を鑑みて、昇進のタイミングを前にずらしたりすることはある。その代わり、次の昇進のタイミングは間違いなく遅くなることで釣り合いをとっているのだが、もしかしてドーソンの昇進には『誰か』の推挙……それも海賊と繋がりのある人間で、政治権力を持っている者がいたのか。
政治権力を持った者。軍内部人事にも口がきける大物。ケリム星域でそれだけの実力者となると、ケリム星域全体の地方自治権を持つケリム共和政府の首相か、行政担当参事官、あるいは州議会議長や各有人星系の主席行政担当官。『ブラックバート』が名乗りを上げる前から相応の地位にある者は……いない。首相や州議会議長は選挙で選ばれるし、参事官は首相のブレーンから選ばれることが多い。主席行政官は基本的に官僚だが、行政官クラスまで昇進すると、一ヶ所に長期間赴任することは出来なくなる。赴任先の有人星系との繋がりが深くなり、癒着が産まれる懸念があるからだ。
これはやはり星域司令部かあるいは第七一警備艦隊司令部の周辺を疑うべきか。しかし、リンチもカーチェントもオブラックもまだ三八歳だ。一〇年前といえば二八歳。その歳では『ブラックバート』と関係を持つことは出来ないし、ケリムに赴任してまだ日も浅い。周辺にスパイがいるか、の確認は必要だろう。……そこまで来ると、俺の労力では調査しきれない。憲兵に協力を求めるのが筋だが、エジリ大佐に答えたように民間人への聴取権限は令状と警察の同行が必要になり、その隙に海賊の協力者は逃げてしまうだろう。ここはエジリ大佐に頼むしかないか……エジリ大佐?
後数年で退役する老軍人。イゼルローン攻略戦に二回立ち、雷神の槌を二度目撃し生還した勇者。幕僚経験がないばかりに、地方艦隊を巡りここケリムで大佐に昇進。そして将官への昇進は絶たれている。星区内の人間関係に精通していて(つまり人脈が広い可能性が高い)、作戦行動などの機密にすらアクセスする権利がある。いつもは覇気もなく、艦隊の首席参謀としての日常業務を淡々とこなすだけなのに、この調査に対しては非常に協力的だ。
第一艦隊を動員しようと言ったとき、オブラックが俺をあざ笑ったのを拳で制裁したのは、俺が信頼を寄せるようにする為の劇ではないか? 彼の持ってくる情報を、俺は選別こそしているが最初から否定したことはない。つまりとっておきの情報とやらに毒を混ぜることも数を増やすことも出来る。
頼りないかもしれない。だが原作に出てこないからと俺が先入観で彼を軽蔑しているのは間違いだし、彼は士官学校の成績はどうあれ情報の専門家だ。俺はすぐに地上にいる彼と連絡を取り、地上へと急ぐ。半分居眠りしていたシャトルのパイロットに、後でウィスキーを贈ると約束して臨時宇宙港まで降りてもらい、無人タクシーに乗り込む。彼の家は任務の都合上、宇宙港からはそう遠くない場所にある。
「こんな時間に失礼だと思わないのか、中尉」
玄関に出てきたカーチェント中佐は、ボサボサ頭を掻きながらパジャマ姿で(誰かに似ているが、彼とは違ってカーチェントには奥さんがいる)俺を睨み付けた。だが、もう俺は怯むわけにも、今までの非協力に怒るわけにもいかない。俺は精一杯の謝罪をして、カーチェントに頭を下げた。
「小官の力だけでは『例の問題』を解決できません。是非とも中佐のお力をお貸し願いたいのです」
「……まぁ、とりあえず入りたまえ。ここは寒いんだ」
暖房はとっくに切れている寒いリビングで、俺は手みやげに持ってきたウィスキーのミニボトルをカーチェントに差し出すと、「情報将校に物を贈るなんて、君は本当に首席か?」と呆れられた。呆れつつも、暖房のスイッチを入れてから、いそいそとミネラルウォーターを出すところはらしいと言えばらしいのか。
「……ま、遅かれ早かれ中尉が僕の処に来るのは分かっていたんだが」
水割りを傾けつつ、カーチェントはパジャマ姿でソファに深く腰を落としてあっさりと言った。
「エジリ大佐のことを聞きに来るんじゃないかと思っていたんだけど、違うかな?」
「……そうです。申し訳ありません」
完全に俺の目的も思考もカーチェントには見抜かれていた。呆然となるよりも先に、俺の口からは謝罪の言葉が出てくる。
「いや。こっちも悪いと言えば悪い。士官学校を出て二年目の若造が、ケリムに派遣されてきたことで、余計な事を考えていたんだ」
「余計な事、ですか?」
「グリーンヒル少将のお声掛かりで、首席卒とはいえいきなり艦隊司令官付副官へ着任だ。少将は情報部にも在籍されていたから、何らかの繋ぎを僕に入れてくれると思ったんだが……着任三ヶ月、いっこうになくてね。正直、こちらがタイミングを逸してしまったかと」
「は、は、は……」
「あれほど無能ぶっていたのに、なんにもアクションがないから逆にこっちが戸惑った。かといって迂闊にこちらから話しかけるわけにもいかないし。でも考えてみれば当たり前だ。君は艦隊指揮官候補として送り込まれたワケで、情報将校として送り込まれたワケじゃない」
「……はぁ」
「リンチ准将の目をくぐりながら、『ブラックバート』の情報を集める演技に、君も騙されてくれたことでこちらも準備はどうにか出来ている。エジリは君の行動に油断して余計な策を企てているし、第一艦隊の到着が遅くなることもエジリは察したことだろう」
俺は「あ」と思わず口に出して立ち上がった。
「じゃあ、第一艦隊はもう……」
「この新年三日ですでに事態を把握して、移動を開始している。リオ=ヴェルデ星域で反転し、既にバーラト星域外縁部に戻っているだろう。今回の作戦で『ブラックバート』の全組織を壊滅させるのは不可能かもしれないが、ケリム星域における活動は壊滅寸前まで持って行けるだろう」
「世間知らず、物知らずは小官の方だったというわけですね」
「悲観することはないさ。君のD星区における艦隊幕僚としての行動は、僕の目から見ても満点以上だ。あの根拠地に『置き土産』を仕組んでいることは想像がついていたけど、ああいう方法で犠牲者なく解決出来るとは思っていなかった。その上、君は情報参謀の力を借りずに、情報漏洩の事実を突き止めた。あれは僕にとっても冷や汗ものだったよ。エジリに感づかれたかと思った」
再び椅子に腰を下ろした時、もう俺は何も言うことが出来なかった。全てはカーチェント中佐の、そして同盟軍情報部と第一艦隊の掌の上で、必死に踊っていただけに過ぎなかったのだ。リンチもエジリも、そしてこの俺も。苦い教訓と言うよりも、己の卑小さ、尊大さを痛感せざるを得ない。原作知識があることで、普通の男の俺は人より若干遠くが見えていると思いこみ、相手を見下し、その全てを理解していると信じていた。
俺は前世で三〇年ほど生きてきて、一体何を学んできたのか。小説の世界に転生して、予言者のように振る舞い、順調すぎる人生を送ってきたことで自ずと尊大になり、うぬぼれ、人を登場人物としか認識できなかったのだ。悔しいというより自分に呆れて物が言えない。穴を掘って埋まっていたい。
「えらそうに言わせてもらえば、若いうちに世間が広いことを理解しておくことは、良いことだと思うけどね。じゃあ明日もがんばってくれたまえ。ボロディン中尉殿」
カーチェントの激励と宣告は、俺の心に重く重くのし掛かったのだった。
後書き
2014.10.22 更新
第26話 初陣 その6
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
これでようやくJrの初陣が終りました。そして次の戦場も……
宇宙暦七八六年一月下旬 ケリム星域イジェクオン星系 第七一警備艦隊係留地
カーチェント中佐との会話から一週間後。ケリム星域に向けてバーラト方面から第一艦隊一万三五五七隻が、ジャムシード方面から三個巡視艦隊一八四四隻が、それぞれ侵入を果たす。第一艦隊は両星域の境界宙域で分艦隊および戦隊単位(一六個)に分かれると、おそらくは事前に調査していた有人・無人星系を捜索・掃討していく。主力となる旗艦分艦隊はイジェクオン星系に、そしてグレゴリー叔父が率いる第一分艦隊は一路ケリム星域でもかなり辺境に位置する有人星系アグルシャプへと向かっている。
同盟政府からケリム共和政府首相のみに伝達されたこれら一連の軍事行動に、統合作戦本部から何も聞かされていなかったケリム防衛区司令部も、当然我々第七一警備艦隊も何ら対処することが出来なかった。ただし、防衛区司令部管轄下の憲兵隊のみが秩序だって行動した。
『ボロディン中尉、“明日”はよろしく』
カーチェント中佐から侵攻前夜に因果を含んだ短い通信を受けていた俺は、当日もそれまでと変わることなくリンチの副官業務に従事し、夕刻からエジリ大佐と共に海賊調査を行っている。海賊の襲撃行動パターンについてエジリ大佐と討論している二〇〇〇時。通告もなしに俺とエジリ大佐のいる部屋の扉が『外から』開かれた。ついで慌ただしく部屋に入ってくる複数の人影。先頭に立つ中佐の階級章をつけた憲兵を除いて、他の全員が防護ヘルメットと赤い腕章をした武装憲兵達であり、その銃口のいずれもが俺とエジリ大佐に突きつけられている。俺もエジリ大佐も椅子から立ち上がって手を挙げるしかなかった。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい!!」
見覚えがないのでハイネセンの憲兵本部から直接派遣されてきたであろう憲兵中佐の後から、『慌てた表情』のカーチェント中佐がそれに続いて入ってくる。
「一体どういう事ですか!! エジリ大佐とボロディン中尉が何をしたと!? 正当な罪状なく拘束するおつもりですか!!」
「我々憲兵隊は本部命令によって行動している。干渉は不要に願いたい」
憲兵中佐はカーチェント中佐を一顧だにせず、俺とエジリ大佐を細い目で見つめて中佐に答える。
「エジリ大佐およびボロディン中尉。貴官等を同盟軍基本法における機密保護条項および収賄に関する軍事犯罪条項に基づいて拘束する」
「出頭命令ではなく、拘束するのであれば当然令状を持っているであろうな」
そう応えるエジリ大佐の態度は、俺の目から見ても海賊と通じている人間には思えないほど堂々としていた。それに対し憲兵中佐も無表情でジャケットから紙を取り出し、刑事ドラマさながらに令状をエジリ大佐の前で開く。それを手に取ることなく、エジリ大佐は大きく溜息をついてから俺を見て、そしてカーチェント中佐を見て、再び溜息をつく。
「ボロディン中尉は一切関与していない。拘束するならば私一人で充分ではないか?」
「命令です。異存がおありなら、軍法会議の場で」
憲兵中佐は冷徹にエジリ大佐に応じると、武装憲兵を顎で指示し俺と大佐の両腕を後に廻し、手錠をかける。
え、手錠? ナンデ? ナンデオレマデ、テジョウナンデ?
一瞬カーチェント中佐が俺に目配せをしたのは間違いない。だが現実は俺の両脇には武装憲兵がいて、しょっ引かれている。すれ違う戦艦ババディガンの乗組員が驚愕の目で引っ立てられる俺達を見ている。シャトルの発着所で、ラブロック中佐とドールトン准尉の姿を見たような気がするが確認はできない。不思議なのは俺と俺を拘束する憲兵四名は、エジリ大佐や憲兵中佐の乗るシャトルとは別のシャトルになったことだ。
シャトルに乗り込んですぐ俺は手錠を外された。手錠を外した武装憲兵に視線だけで「良いのか?」と確認すると、軍曹の彼は無言で手錠をポケットにしまい込み、シートを指し示してから敬礼してシャトルの先頭方向へと行ってしまった。手持ち無沙汰で俺がシャトルのシートの間に立っていると、武装憲兵が去っていった方向から一人の軍人が歩いてきた。准将の階級章をつけている四〇代前半の男だった。
「災難だったな、ボロディン中尉」
敬礼が交わされた後、収まりの悪い明るいブラウンの髪を持つ准将は笑顔で俺の前のシートに座ると、俺にその隣に座るよう指し示した。俺がその横に座ると、身体を傾けて左手を差し出してくる。
「君には嫌な思いをさせたが、こうでもしないと事の真相を話せそうにないと思ったからな。小官はテリー=ブロンズ。統合作戦本部情報部で第九課課長をしている。カーチェントの上司だと思ってくれればいい」
「は、はぁ」
気軽に手を差し出してくる原作登場人物に、俺は手惑いつつもその手を取る。ブロンズ准将の手は情報将校にしてはガッチリとしていた。しばらくするとシャトル発進のアナウンスが流れたので、俺もブロンズも黙ってシートベルトを掛ける。シャトルが振動と共に戦艦ババディガンのハッチから微加速で射出されて数分後、窓の遮光カバーが外された。ブロンズ越しに戦艦ババディガンの船体がゆっくりと傾いていく姿が見えてくる。
「さてどこから話そうかな」
准将とは思えない気さくさでブロンズは顎を撫でながら、シートを傾けて天井を見ながら言った。
「まずは『ブラックバート』団の正体だな。彼らは中途退役した同盟軍将兵で、エジリと同様専科学校から這い上がった古強者だ。指揮官はロバート=バーソンズ。最終階級は准将」
彼、バーソンズ准将は少数艦艇による特殊戦……すなわち敵地におけるゲリラ戦の専門家で、ティアマト、ヴァンフリート・アルレスハイムといった星域で、敵補給線の寸断や情報収集を任務とし、その方面で充分な功績を挙げていた。
ただ将官への昇進で、もはや悪弊と言っても過言ではない士官学校生優位の不文律により、准将に昇進した時にはもう次の昇進は不可能な位の年齢だった。結果、准将で退役した時、彼自身不満を抱えていたようだが、海賊集団の親玉になるほどではなかったらしい。
鬱屈とした日々の中で、彼を海賊の親玉に走らせたのが、退役兵、とりわけ捕虜になったり、重度の障害を負って退役せざるを得なかった者達の、悲惨な境遇を目にしたからだ。帰還捕虜は厳しい帝国内矯正区での生活で荒んでいたし、障害者は擬似生体の購入や精神病院への通院等で貧困にあえいでいた。
彼は直ちに故郷のケリム行政府に退役者の待遇改善を訴えたが、財政難で行政府は応えられなかった。さらに同盟政府にも訴えたが……行政府どころではない深刻な財政問題で苦しむ政府は首を縦に振ることが出来ない。彼は考えられる限りの事を試みた。財団の設立や各企業への支援要請、最後には政治家への立候補など。だが退役兵はただでさえ年金をもらっているのに、さらに支援しろというのは虫が良いと企業には断られ、当選もできなかった。
結果として彼は手段を暴力的なものへと変化させていった。実戦で鍛えられたゲリラ戦の指揮能力を存分に生かし、標的艦として廃棄処分予定だった艦船の一部を奪い、財団設立の際に得た繋がりで同志を集めて、商船への攻撃を開始する。
その一方で、得た財貨でケリム星域の最辺境アグルシャプ星系に土地を少しずつ購入し、そこに重度障害者や戦闘行為には参加しない退役兵をやはり少しずつ集め出した。現地行政府の役人もうすうす気がついてはいたが、事実上黙認していた。むしろケリム行政政府に感づかれないようと手助けすらしていた。ケリム行政府にしても投入される税金の方が税収より遙かに大きい辺境星系の事など気にも留めなかった。なにしろケリム行政議会に議員を送り込めるほどの人口がなかったからだ。
「あとは君の推察通りだろう。エジリ大佐のような軍内のシンパを通じて、機密を入手し船団勢力を維持していけばいい」
「……エジリ大佐はどうやって『ブラックバート』との連絡を取っていたのでしょうか。第七一警備艦隊はネプティスを出航後、完全無線封止を実施していました。艦艇間の光パルス以外、一切の通信が出来ませんが」
「その時点で本人が連絡を取る必要はない。事前に動きがあることを伝えておけば、後は戦艦ババディガンがネプティスに入港する、それを知るだけで海賊に警報が出る」
ブロンズは含み笑いを浮かべて俺に応えた。
「軍の退役者には多くの技術者がいる。艦隊の乗組員が多い以上、艦船運用関連技術者は当然多い。彼らのうちまだ若く健全で充分に働ける者の過半が宇宙港などに再就職している。管制・整備・補給・航路掃宙など隠れようと思えば何処でもいい。ただこういった公共業務は年齢による制限がある。だから下請け企業などに潜り込んでいる。一番疑いが濃いのは航路掃宙業者だな。業務は危険で手当も少なく、独自に船を運用できる」
ゲリラ戦に精通している指揮官ゆえに、正規軍や捜査機関の弱点もよく心得ている。その上財団設立の際の苦難から、行政府や企業の盲点も心得ている。
「だから君のように妙なところで切れて、地元や軍内部とのしがらみが薄い若い副官の存在は、彼らにとって悪夢に近かっただろうな。情報分析科や艦船運用科のような専門分野ではなく『戦略研究科』という何処に特性があるか分からない、どの分野にもまんべんなく優秀な人材というのは」
「自分はそんな優秀な人間では……」
「やる気のないエジリ大佐が君に近づいたのも、それが理由だし、証明だ」
「……」
「いま士官学校で教官をしているフィリップ=ドーソンという大佐がいる。そいつも君同様、中尉昇進後すぐにケリム防衛区に配属された。やはり君のように『ブラックバート』の動きを察知して、いろいろと調査した。なかなか読み応えのある調査書だったが、運悪くアグルシャプ星系の行政官の目にとまってしまった」
そしてその行政官は、あらゆる政治権力を使ってドーソンをケリムから遠ざけた。しかも昇進させてまで。
「君も事件発覚がなくあと一ヶ月この地にいたら、大尉昇進は間違いなかったな。惜しいことをした」
腕を組んで腹を押さえながら笑うブロンズだったが、俺はとても笑えなかった。俺がエジリ大佐に出世も目標の内だと言ったこと。彼はそれを聞いてどんな気持ちだっただろうか。
「今回の摘発劇で、どれだけの人が処分されるんでしょうか?」
俺の問いに、ブロンズは笑い声を止めて、俺の顔を一度見た後、腕を組んだままシャトルの天井を見上げた。数分の沈黙の後で、ブロンズは先ほどとは打って変わった重い声でゆっくりと応える。
「君の叔父さんがロバート=バーソンズを捕らえられるか、どうかだな。捕らえられたら死刑になる人間は一人で済む。事件もある程度まで公表され、同盟政府もケリム行政府も支持率を気にして、寛大な処置をするだろう。だが捕らえられなかった場合は、エジリ大佐をはじめとして、かなりの人間の首にロープが掛かる、かもしれない」
「……事件を公表できないから、ですか」
「それもあるが『義賊』などという存在を、同盟政府は認めない。自らの不作為を証明する保身からだけでない。暴力による同盟政府への反逆を認めることになるからだ」
ブロンズの顔は渋い。
「今回の問題は政府の統治権に対する挑戦だ。政府としても全面的に引くわけにはいかないし、軍部も首謀者が元軍人であり、廃品とはいえ戦艦を奪われたという失態もある。良くも悪くも彼一人の組織といってもいい『ブラックバート』を潰したという結果が求められているんだ」
ゲリラ戦に識見のある相手が逃走している以上、例え第一艦隊や独立巡視艦隊を動員したとしても、捕縛することはかなり難しいだろう。動かない星系内根拠地に関しては徹底的に洗い出されるだろうが、ロバート=バーソンズ一人を逃せば、また別の場所で彼は同じ事をする。むしろもっと過激になるかもしれない。
「だから私としては彼が自首してくれることを望んでいる。軍部も情状酌量を政府に依願することも出来る。そうなれば最小の犠牲で結末をむかえられるからな」
ブロンズのそんな独白に、僅かな政府に対する批判の粒子が含まれていることは、俺にも理解できた。だが彼が幾ら政府に批判的だからといって、弱者救済を否定するクーデターになぜ参加したのかまでは、俺には察する事は出来なかった。
そうしてブロンズ准将とのシャトル内の会話を終えた俺は、地上に到着すると今度は手錠なしでシャトルから降り、ケリム星区憲兵本部へと向かうことになる。ブロンズ准将はそれには同行しない。ブロンズ准将の姿が万が一ケリム星区憲兵本部で目撃されては、カーチェント中佐やおそらく別の巡視艦隊に潜んでいる情報将校の活動に問題が出るからだろう。シャトルはブロンズ准将を乗せたまま、再び射出場へと移動していった。
それから三日。俺は憲兵本部で寝泊まりする事になる。幸いにして留置所ではなかったが、二日連続会議室で憲兵の調査官と取り調べに近い意見交換をしたときは、さすがに胃が痛くなった。エジリ大佐とは結局会えずじまいで、解放された俺を迎えに来てくれたのは、リンチ一人だった。
「結果として俺がエジリを見誤っていたし、見抜くことは出来なかった。指揮官としては失格だな」
無人タクシーの中で、リンチは呟くように俺に言った。
「それに海賊の調査の為、エジリが貴官に協力……まぁ監視か誘導かは分からないが、近づけたことで貴官にも迷惑を掛けた。済まなかった」
「いえ、これはもうどうしようもありません」
リンチがもう少し柔軟であったとしても、神なき身である以上、エジリ大佐の行動を察知できるとは思えない。むしろカーチェント中佐を変なふうに巻き込むことになり、話は余計ややこしく、解決までに相当な時間がかかっていた可能性もある。
「……第七一警備艦隊司令部は解散することになると宇宙艦隊司令部から内々で連絡があった。戦艦ババディガンや他の艦長クラスにも禁足が命じられた。今回の事件に一定の目処がつき次第、多くの者が別の任地に赴くことになるだろう」
「そうですか……残念です」
「丁度二月で人事異動の時期には重なるが、八月までには新司令部を発足させたいとの事だ。つまりそれまでに部隊の引き継ぎや、残務・資料整理を行えということだろう。結局、貴官とは一度しか作戦行動を共に出来ず、資料整理ばかりやらせることになってしまったな」
別に資料整理は嫌いじゃないんだが、そういってくれるということは、それなりにリンチも俺のことを気にしてくれているということなのだと思う。
「また明日から仕事を頼む。その前に今夜はウチに寄ってくれ。妻と娘が貴官の為に結構な量のジャンバラヤを作って待っている。貴官に来てもらわないと、全部俺が処分する事になるから、悪いが手伝ってくれると助かる」
気恥ずかしそうに言うリンチに俺は承知しましたと応えざるを得なかった。
結果として俺はそれから半年間、第七一警備艦隊に所属し、残務処理を行った。第七一警備艦隊や他の巡視艦隊が惑星イジェクオン上空で軌道係留されている間は、星域警備を第一艦隊第二分艦隊が担当した。俺がグレゴリー叔父の養子と知っている分艦隊司令官からは何度も呼び出しを受けるはめになる。
リンチは俺より一ヶ月早く、別の任地へ赴くことになった。行き先はトリプラ星域方面所属の偵察戦隊司令官。今と殆ど同じ業務だが、有人星域ではあってもケリムとは比較にならない辺境地域だ。階級が降格ではないから、昇進見送りということだろう。第七一警備艦隊からも一〇〇隻前後がこれに同行することになる。
カーチェント中佐はリンチと入れ替わりに来た准将の幕僚にそのままスライドした。一応俺の残務処理も手伝ってくれるが、事実上の首席幕僚扱いとなり俺がケリムを離れた後で、大佐に昇進したとのこと。
オブラック中佐は事件発覚後、一ヶ月も経たずに第五四補給基地参事官として司令部を離れた。同盟には八四ヶ所の補給基地があるが、そのなかでもこの基地は事実上の無人星域(民間経済活動が皆無)で辺境警備の独立戦隊と補給船以外は滅多に訪れないシャンダルーア星域内にある。降格はしなかったが、事実上の左遷に等しい。
エジリ大佐の裁判は始まった。証拠の少なさから最初は起訴すらできるかどうかと言ったところだったが、第一艦隊と憲兵隊、国家警察の共同捜査で、次々と『ブラックバート』関係者が拘束されていくにつれ、今度は自分が主犯であると逆に主張し始めた。主犯がロバート=バーソンズだと分かっている検察側と、政府と戦って名を上げたい弁護側との駆け引きが続いている。ちなみに軍法会議の方は既に第1級通謀罪が確定している。なおその線から『ブラックバート』の海賊船は三〇隻近くいたことが判明し、グレゴリー叔父がその大半を撃沈ないし捕縛したものの、肝心のロバート=バーソンズは網にはかからず、未だ逃亡を続けている。
ドールトン准尉はオブラック中佐の左遷にショックを受けていたようだが、四月に第三幹部候補生養成学校から推薦入学許可書が届いたことで、学校のあるジャムシード星域へと移っていった。推薦書を出したのはリンチと俺だ。後で非協力的になったとはいえ、最初は戦艦の航法予備士官業務をこなしながら手伝ってくれたわけで、その功績には報いる必要がある、と考えたからだ。我ながらいささか人が良すぎるとは思ったが、リンチが強く賛成してくれたことで、どうにかなった。
そして俺は宇宙歴七八六年七月一七日、後継の副官に業務を引き継ぎ、ケリム星域を離れバーラト星系に戻る準備をするよう人事部より命令を受けた。一週間後、端末通信ではなく、軍事郵便でご丁寧に『軍機』のスタンプが押された手紙をカーチェント中佐から直接手渡され、指紋照合で封を切って中身を読んで、俺は溜息をついた。
「ヴィクトール=ボロディン中尉を大尉に昇進のうえ、フェザーン駐在弁務官事務所づき武官に任命する。宇宙歴七八六年九月一〇日までに現地に着任せよ」
断ってください、こんな命令!! なんて言う相手がいるわけもなく、俺はいそいそとハイネセンへ、そしてフェザーンへ向かう準備を進めるのだった。
後書き
2014.10.22 更新
第27話 雨宿り その1
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
一年ぶりにハイネセンに帰還して家庭問題に悩むJrです。
たぶん、タイトルは近いうちに変更するかも
宇宙歴七八六年8月 バーラト星系 ハイネセンポリス
士官学校を卒業して二度目の八月。俺は一年ぶりにハイネセンの地を踏んだ。
だが次の任地はフェザーンだ。まず統合作戦本部人事部に顔を出さなくてはならない。原作のユリアン同様、フェザーン駐在武官の任免は人事部長の直接管掌するところであるから、人事部長のアポイントを取らなくてはならない。中尉昇進の時のように小さな分室で課長(中佐)より辞令を渡されるのではなく、中将の執務室で直接手渡されるのだ。昇進業務が中心の課長ではなく、他に業務のある部長のアポイントは非常に取りにくい。なんで赴任側が命令側のアポとらなきゃいけないのか、いまいち分からないがそれが規則なら仕方ない。
ハイネセンからフェザーンまでの旅程は約五〇〇〇光年。旅客船で三六日、貨物船で四〇日、軍の高速巡航艦でも三〇日はかかる。当然の事ながら駐在武官の運送しかも大尉ごときに、高速巡航艦が用意されることはないので、必然と旅客船を使う羽目になる。必要経費で支払われるとはいえ、これまた旅費が高い。貨客船であればまだ若干安いんだが、これほど長距離になると大型貨物船の余剰船室でもそれなりに値が張るし不定期だ。
一番安く行く方法は軍の定期便(基地間定期連絡船)を乗り継いで行く方法だが、ジャムシード星域まではまだ何とかなっても、その先のランテマリオ・ポレヴィトといった星域への便となると非常に少ない。さらにポレヴィト-フェザーン間は特別な許可がない限り、軍用船舶の侵入は許されていない……誰が決めたか知らないが。
つまりフェザーン行きの旅客船のダイヤを見つつ、ある程度の余裕を見てハイネセンを旅立たなければならない。と、なると当然ハイネセンでの滞在時間は短くなるわけだ。
「アントニナ。お前、学校はどうしたんだ?」
荷物といえば将校用の鞄ひとつな俺が、ハイネセン第三宇宙港(軍民共用)に到着した時、到着ロビーの噴水前から、さも当然とばかりに手を振るアントニナの姿を見て、俺としては心配を隠せない。グレゴリー叔父もレーナ叔母さんも、学校をサボって向かえに来ることを許すとは思えないのだが……
「お母さんが迎えに行きなさいって。ジュニアスクールの試験も終わったし、選択授業は別にいつでも受けられるから学業は問題なし」
「……まぁ、それならいいが」
一年前に同じ宇宙港の搭乗ゲート越しに見た姿よりも五センチ以上は大きくなっているアントニナを見て俺は溜息をついた。既に一六〇センチはあるだろうか。相変わらずの薄着で、胸は身長ほど発育していないようだが、腕もホットパンツから伸びる腿にもうっすらと筋肉がついているから、一見した限りではもう一二歳には思えない。
「兄ちゃん、どこ見てるのかな? フレデリカみたいに叫んで蹴りを入れてもいいんだよ?」
悪戯っぽい表情にも少しだけ妖しいものが含まれているのは気のせいだろうか。気のせいだと思いたい。だからあえて俺は話題を転換した。
「そのフレデリカちゃんとはそれからどうなんだ? 仲良くしているか?」
「『フレデリカちゃん』? 兄ちゃん、フレデリカとそんなに仲良かったっけ?」
俺の鞄を肩に掛けたまま、その鞄越しにアントニナは俺を流し目で睨んでくる。怖い。かなり怖い。
「……いや、グリーンヒル閣下のこともあるから」
「前回の中間テストでフレデリカ、僕の一つ上の順位だった。だから今いちばん仲が悪い」
「で、アントニナ。お前の順位は?」
「二位なんだよ!! も~!!」
俺の鞄ごと両腕を上げて叫ぶ姿に、到着口のあらゆる方向からアントニナへと視線が集中する。どう見ても若い軍人が、年端もいかない(といってもティーンエイジャー)少女に荷物を持たせて怒らせている……空港に司法警察風紀班がいるとは思えないが、肩身が狭いどころではない。俺は鞄をアントニナから取り戻すと、あえて大嫌いな無人タクシーへと早々に乗り込んだ。
「そういえばお父さんが言ってたけど、ヴィク兄ちゃんケリムで功績を挙げたんだって?」
当然のように俺の隣に座ったアントニナは、顔を近づけると俺にそう問うた。肩口で切り揃えられていた金髪は一年で少し伸び、タクシー内の空調によって僅かに掛けられたコロンか何かの匂いが、俺の鼻孔を微妙に刺激する。いかん、いかん。
「あぁ……たいしたしたものじゃないけどな」
実際そうなので、俺がアントニナと反対側で頬杖をつくと、アントニナは腕を頭の後ろで組んで身体をシートに押しつけた。
「じゃあ……しばらくはハイネセンで勤務になるの?」
「いや、ちょっと遠くに行く。フェザーンだ」
「フェザーン!! ナンデ!!」
助手席シートから立ち上がって、盛大に無人タクシーの円い天井に頭をぶつけ、アントニナが直頭部を抱えてシートに蹲った。その動きに俺は苦笑を隠せない。本当にこれでフライングボールの選手なのか。
「任務なんだよ。帝国軍との戦場じゃないだけ、まだマシってもんだ」
そういうと、俺はいつものようにアントニナの頭の上に左手を置いて掻きむしってやる。
ハイネセンへの旅中、人事部公報として端末に届いた同窓名簿を見た。七八四年卒業(七八〇年生)四五三六名のうち、一四名の名前が赤字に変わっていた。病死した一名をのぞいて半数以上が辺境巡視艦隊に配備されて帝国軍との戦闘での名誉の戦死、残りの半数が地上戦による戦死と事故死で分けられている。中尉になってこれからという時に無慈悲な砲火で散華した同期達に、俺は船室で一人冥福を祈ることしかできなかった。それに比べて俺はなんと恵まれていることか。戦場とはいっても一方的な海賊との戦闘。それも一度きり。そして次の任地はフェザーン。戦いはある。敵もいる。だが砲火はない。
「せっかく帰ってきたのに、僕さびしいよ」
「そう言ってくれる家族がいる俺は恵まれているな。なにしろ我が家には美人が揃っている」
俺の言葉に、アントニナはプライスレスな笑顔で応えてくれたのだった。
家で待っていてくれたのは、やはりレーナ叔母さんとラリサだった。例によってイロナはグリーンヒル宅へ行ってまだもどってきていないらしい。これはもう完全に避けられていると考えていいだろう。六歳になったラリサは、今度は帝国公用語にも興味を持ち始めたらしく、俺が手を挙げると『Ja, willkommen!!』と敬礼して応えてくれた……今夜は帝国公用語の集中砲火を浴びることになると察して、俺の顔は引き攣った。
「せっかく帰ってきたというのに、グレゴリーが訓練で出動なんて……ついてないわ」
夕飯を終えて、台所で一緒に後片付けをしていると、レーナ叔母さんは溜息混じりに呟いた。
「ケリムではお手柄だったと、グレゴリーは言っていたわよ。でも次はフェザーンなんて……」
「仕方ありません。命令に従うのが軍人ですから」
ボルシチの入っていた椀を洗いつつ、俺はそう応えるしかない。ケリムでは完全にすれ違いだった。意識してグレゴリー叔父もイジェクオン星系に寄ろうとはしなかったようだ。わざわざ不便なネプティス星系に艦隊を停泊させていたのだから……
「大尉に昇進することになりました。お祝いはフェザーンから帰ってきてからでもいいですよ」
「そうね。フェザーンは戦場じゃないんだから、大丈夫よね」
レーナ叔母さんの顔は笑いと悲しみの中間といって良かった。心配してくれる家族の存在。俺には本当にもったいないのかもしれない。
「……イロナは大丈夫よ。別に貴方に含むところがあるワケじゃないの」
洗い物が一段落し、三姉妹が眠りの園へと撤退していった後、リビングで叔母さんはそう俺に言った。
「アントニナとラリサを強く意識しすぎているのよ。アントニナは貴方に遠慮なく近づくし、ラリサはこういうと親馬鹿かもしれないけれど本当に頭がいいの。わかるでしょ?」
目の前に並ぶウォッカの影響ではなく、俺もレーナ叔母さんの意見と全く同じだった。
「イロナは努力家で、何事にも真面目に取り組むわ。でも運動神経や積極性ではアントニナには敵わないし、頭の良さでは年下のラリサに追いつかれそうになっている。焦りがどうしても内に籠ってしまう。いい子だから口には出さないし、家ではいつも大人しくしているわ。貴方が来たときにだけそれを外にぶつけて、貴方に甘えているのよ」
「……イロナとはそのことは?」
「一度だけ話したわ。イロナも分かっているのよ。でも……」
そう言うとレーナ叔母さんは一度だけウォッカに口をつけた。いつも陽気で気さくで遠慮のない叔母さんも、伏し目がちに言いにくそうにしている。イロナが俺を直接標的にする理由がないことは俺も分かっているし、出来のいい姉と妹に挟まれると、何かと辛いというのも分からないわけでもない。
だがこのままイロナの事をレーナ叔母さんに任せていいという話でもない。アントニナやラリサと直接このことを話せるようになるまでには、相当時間がかかることは目に見えている。従兄とはいえ養子である俺にしか、当たることができないのだ。賢く真面目であっても、まだ九歳なのだから。
「……イロナを明日からしばらく連れ出しいいですか?」
俺の応えに、レーナ叔母さんは本当に済まなさそうに、小さく頷いたのだった。
翌日、朝から俺はイロナを連れて家を出た。アントニナは声を上げて、ラリサも六歳なりの不満顔で抗議したが俺は明後日には戻って来ることと、明明後日以降はちゃんと付き合ってやる事を条件に、二人を引き下がらせた。肝心のイロナも無表情だったが、特に抗議することなく黙々と旅装を整えると、俺と一緒に無人タクシーに乗り込む。その無人タクシーがハイネセン第二空港(大気圏内航空)に到着したことに、イロナは少しばかり驚いていたようだったが、何も言わずに俺の後をついてきた。数時間のフライトを終えて降り立ったのは、懐かしのテルヌーゼン市だ。
「イロナ、少しそこで待ってな」
自転の関係上、既に夕方に近いテルヌーゼンの空港ロビーから、俺はあるところに電話する。六コール後に出てきた事務員に上司を呼ぶよう依頼するとたっぷり一〇秒後、画面に六四分けのブラウンの髪を持った少佐殿が現われた。
「俺を呼び出すとは随分と偉くなったものだな。え、『悪魔王子』」
「四日後には大尉に昇進の予定ですので、そこはご寛恕願いたいと思います。キャゼルヌ少佐殿」
「で、テルヌーゼンまで来て、俺になんの用事だ。酒の催促か?」
「近いです。ご迷惑をおかけしますが、今夜私ともう一人、先輩のお宅でお世話になっていいですか?」
「……なんだ、お前。いつ俺がオルタンスと同居しているって……ヤンか? それともワイドボーンか?」
あいつらぁ……と額に手を当てながら苦虫を噛むキャゼルヌは、俺が肯定も否定もしなかったので、高く舌打ちする。
「まぁどちらでもいい。だがお前さんと一緒に来るのは誰だ? 暑苦しい男を二人も泊めるほど、俺の心は広くないぞ?」
「宿はちゃんと取りましたから、先輩の甘い生活の邪魔はしませんよ。私の妹です」
「未成年者略取で通報していいか?」
「家族ですから時間の無駄になると思いますが?」
「真面目に返すな。本当にお前はユーモアがない奴だな。いつまでたってもそれじゃ女に好かれないぞ?」
「……妹がいれば充分ですよ」
「いじけるな。まったく歯ごたえのない奴め。オルタンスには俺から言っておくから、お前は妹さんと一緒に士官学校に来い。俺の仕事が終わるまでそこで待ってろ」
そういうとキャゼルヌは通話を切った。真っ黒な画面に向けて俺が苦笑して受話器を置くと、不審な目つきでイロナが俺を見上げている。ウェーブのきつい黒髪が、傾き始めた日差しに照らされて、鮮やかに光沢を放っている。目つきさえ戻れば充分美少女なのだが……
「ま、とりあえず行くとしようかイロナ。我が青春の学舎へ」
俺の照れ隠しの言葉に首をかしげつつも、イロナはちゃんと俺の後についてくるのだった。
後書き
2014.10.25 更新
2014.10.25 誤字修正中
第28話 雨宿り その2
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
こういう人の内面を主題とする文章は実は凄く苦手です。
近いうちに27話も合わせて大規模に書き直すかも。(Jrがあまりにも情けないので)
宇宙歴七八六年八月 バーラト星系 テルヌーゼン
二年前に卒業した同盟軍士官学校は、変わらぬ姿のままで健在だった。そろそろ課業も終わり、卒業間近の五年生を除く多くの候補生達が、門限までのわずかな一時を柵外で過ごそうと通用門からぞろぞろと出てくる。その流れに逆行する青年将校と少女の姿はやはり目立つのかそれとも異様なのか、俺とイロナに対する視線はまさに集中砲火そのものだった。
門の入口にある守衛室で入構の手続きをとった後、手を引きながらイロナに構内を案内する。広大なグラウンド、いくつかの校舎、体育館、無重力演習場、図書館、厚生会館、科学実験棟などなど……卒業式が行われた講堂以外の初めて見る風景にイロナは無表情だったが、その眼が好奇心に輝いているのはわかる。
事務局次長のキャゼルヌの終業時間はおそらく一九〇〇時ぐらいだろうか。それまでには事務局近くにいなければならない。構内の広さからハイキングと言っても過言ではないが、イロナの足でも事務局まで戻れる程度の距離で、俺達は歩きつづける。
しばらくグラウンドを包み囲む雑木林の間を歩いていると、太い楡の木に背を預け、綺麗に(候補生達によって)刈られた芝生の上に腰を下ろしている、見憶えある黒髪の青年が目に入った。おそらくジェシカから貰ったのであろうハンカチを無造作に芝生に敷いて、その上に本を何冊も重ねつつ、一冊ずつぼんやりとした眼差しで読みふけっている。
「ヤン=ウェンリー候補生!!」
俺が声をかけてやると、ヤンは気だるげに首を俺とイロナに向け、俺を視覚にはっきりと捕らえると、ゆっくりと立ち上がり腰を叩きつつ、俺達に寄って来た。相変わらず収まりの悪い髪を掻きつつ、のほほんとした表情で挨拶するその姿は、体つきが多少引き締まったとはいえ昔とあまり変わらない。
「お久しぶりです。ボロディン……中尉ですよね。それと……」
「義妹のイロナだ。イロナ、階級章すら判読できないコイツが俺の三つ下のヤン=ウェンリー候補生だ。こう見えても士官学校きっての用兵の天才で歴史通なんだぞ」
「……イロナ=ボロディンです」
オズオズとイロナが顔を上げながらヤンに手を差し出すと、ヤンは一度俺に視線を送りつつ、その手を握って応えた。
「ヤン=ウェンリーです。ミス=ボロディン。お兄さんとはこの士官学校で僅かな期間ご一緒させていただきましたが、相当いじめられました」
「あのなぁ……」
「それはすみませんでした。兄に代わってお詫び申し上げます」
そしてヤンの冗談に、生真面目に返事をするイロナ……一瞬あっけにとられるヤンは、再び俺とイロナを見比べて笑いをこらえている。おそらくロクでもないことを考えているのは間違いない。俺は容赦なくヤンの額にデコピンを一撃喰らわせる。
「ちょっと待って下さい。紹介したい後輩がいるんです」
俺がイロナと小旅行している事、今夜キャゼルヌ宅へお邪魔する事を告げると、ヤンは額をさすりながら携帯端末を操作する。通話先が出たのか、用件もそこそこに相手にこの木陰に来るよう命じている。
「おやおや『無駄飯喰らい』のヤンもずいぶんと偉くなったもんだな」
「『悪魔王子』の居ない士官学校ですから気楽なものですよ。シトレ校長閣下にはお会いになりましたか?」
「『黒いくそ親父』に会うつもりはないよ」
わざわざイロナを連れての旅行なのに、なんでわざわざあのくそ親父に会わなけりゃいけないのだ。だがシトレという人名に生真面目なイロナは敏感に反応して、ヤンに「シトレ叔父さんの事ですか?」と余計な事を聞いてしまう。イロナの反応に、ヤンは瞬時にその意味を理解し、小さく何度か頷いた。
「あぁ、そうでした。ボロディン先輩の実家には、校長は顔を見せにいらっしゃるんですよね」
「そういうことだ」
「ですが今回は会っておいた方がいいと思いますよ。校長、今期中の退任がほぼ決まったそうですから」
それはつまり次の任地が決まったという事だろう。そして俺が二年生の時から足掛け六年の校長勤務の終わりであり、中将として八年目が終わるという事は……ついに正規艦隊司令官のポストが空いたという事だ。それはフェザーンに赴任する俺にとって、今後一年以上は間違いなく会えない、あるいはシトレが戦死したら二度と会えないということと同じ。
「まぁ時間があれば会ってみるとするさ。最悪、映像メールでもいい事だしな」
「あいかわらず根に持ってますねぇ……分かる気はしますが。あぁ来た、来た。アッテンボロー、こっちこっち」
親しい友人を呼ぶかのようにヤンが手招きした方向から、息を切らして一人の『そばかす』が駆け寄ってくる。もつれた毛糸のような鉄灰色の髪をもつ中肉中背の青年革命家にして奇術師、無類の毒舌家。
「はぁはぁ……いったいなんです。ヤン先輩?」
「アッテンボロー、こちらが『私が心から尊敬してやまないといつも公言している』ヴィクトール=ボロディン中尉殿と、その妹君だ」
ヤンの言葉に、とにかく俺に形だけでも敬礼しておこうと慌てて小さく手を額に当てただけのアッテンボローは、もう一度俺を振り返り、イロナを見て……踵を合わせて再度、今度は背筋を伸ばして敬礼する。
「七八五年生のダスティ=アッテンボロー二回生であります!! ヤン先輩が『シスコンで、口先から生まれた軍人に全く向いていない、それでいて変なところで鋭い嗅覚を発揮する悪魔のようだと常々吹聴している』ヴィクトール=ボロディン先輩と、その美しい妹さんにお会いできて光栄です!!」
俺はすぐさまヤンの頭めがけてチョップをくり出し、見事にヤンの前頭中央部に命中させる。四年生になっても相変わらずの運動神経のようだ。「クハッ」とヤンが小さな苦悶の声を上げるが、俺はほっておいてアッテンボローに敬礼を返した。アッテンボローがイロナと握手している間、今度は首まで傾けて痛がるヤンの肩をひき寄せると、囁くように問うた。
「ところでワイドボーンとは相変わらずか?」
「別に彼を嫌っているわけじゃないですよ。性格が合わないだけで……ただ最近は随分苦労しているみたいで、ちょっとは気にしています」
ヤン曰く……一年生からずっと学年首席を維持していて、俺やウィッティが卒業してから教官が何人も変わり、『一〇年来の秀才』と再び評価されるようになった。本人はそう言われることが一番迷惑らしく、図書ブースでぼんやり本を読んでいても、後輩がウヨウヨと集まってきてはいろいろ言ってくるらしい。特に一年生のアンドリュー=フォーク候補生に付きまとわれているとの事。
「アイツは陰気で尊大で、それでいて卑屈で独善的な実に嫌な奴ですよ。あの野郎、この間も有害図書撲滅委員会とかいう品性もセンスも欠片のない自主委員会を作って、人が苦労して集めた本を焼きやがりましたからね」
いつの間にかイロナと仲良くなったのか、(イロナがいたく恥ずかしがっているにもかかわらず)肩車したアッテンボローが話の輪に加わってくる。
「ワイドボーン先輩が気の毒ですよ。ヤン先輩に戦略戦術シミュレーションで一回も勝ててない事を『ほかの分野では引き離している』とか言っていつも同情する仕草を繰り返すんです。言われる度に古傷を抉られるワイドボーン先輩の気持ちぐらい、子分を自称するなら察しろと言いたいですね」
「あれからずっとワイドボーンに負けてないのか? ヤン」
「『悪魔王子の一番弟子』として『弟弟子』負けてやる義理などないので」
しれっと応えるヤンに、はぁ~と俺は溜息をついた。兄弟弟子を自称するなら少しくらい仲良くしろよと言いたいが、そこは譲りたくない一線なのだろう……とりあえずイロナをアッテンボローの肩から下ろしてやってから、俺は言った。
「ワイドボーンには近いうちに俺の方からフォローを入れておくさ。ヤンもアッテンボローも、アイツが苦労しているようだったら手助けしてやってほしい。『誰に頼まれた』と言われたら、遠慮なく俺の名前を出していいからな」
「わかりました。『殿下』がそうおっしゃるのでしたら」
ヤンがそう言うと片足を引いて中世風のお辞儀をしたので、俺は容赦なく左前の足の甲を蹴り飛ばしてやった。
それからキャゼルヌからの連絡が来るまで、イロナを含めて四人でいろいろな事を話しあった。アッテンボロー家が姉三人弟一人に対して、ボロディン家は義兄一人妹三人とまったく逆な事を耳にして、アッテンボローが「俺もボロディン家に産まれたかったなぁ……」とかしみじみと心情のこもった返答をしてイロナを困らせたり、ヤンがやたら饒舌にラップとジェシカの交際状況を説明したりと、時間を忘れるように語りあった。
後日、別の場所で再会したアッテンボローから、「あの時のボロディン先輩はちっとも偉く見えませんでしたよ。なんていうかジュニアスクールの先輩みたいで。もっとも今でもたいして偉くは見えませんがね」と大変失礼なことを言われたのはどうでもいいことかもしれない。
そうしているうちに日は沈み、門限の関係でヤンとアッテンボローが名残惜しそうに寮舎へと帰ると、再び俺とイロナは薄暗い士官学校の中をゆっくりと歩き始めた。
「ヴィク兄さんはこういうところに通っていたんですね」
足下だけを照らす街灯に沿って、イロナは歩きながら俺の背中に言い放った。
「後輩の人達がみんな兄さんに親しげで……いいなぁ……私もここに通いたい」
「イロナ」
俺は足を止めて振り返る。イロナには軍人なんかなってほしくない……そう言おうとしたが、再び口をつぐまざるを得なかった。イロナは歩きながら泣いていた。
「わた、わたしが強情で……」
分かっている。薄茶色の肌に切り揃えた見事な金髪で、母親譲りの陽気さと誰にでも気さくで頭も良く、運動神経も抜群で活動的な、学校の中心的存在であるアントニナと同じ学校に通うという辛さ。遺伝の神様の悪戯か、黒髪に白い肌という姉とはまさに正反対の容姿に産まれ、同級生からも教師からも常に姉と比較され続けるという拷問に近い学校生活。『賢姉愚妹』とか『本当にボロディン家の娘なのか』とか言われないためにも、ひたすらストイックに勉学に運動にと励み続ける日々……
たしかに強情かもしれない。しかし『他人がなんと言おうと聞き流せばいいことだ』と、イロナにアドバイスすることがどれだけ非情なことか。言い逃れをすることが出来ない生真面目さの中で、唯一のはけ口が『直接血の繋がっていない義兄』の俺だけしかいない。その俺も年が離れている上に、士官学校に地方赴任でなかなか家に居付かない。故にアントニナのライバルであるフレデリカに近づいていったのだろう。俺に隔意があるというのも近づきやすかったに違いない。それが余計自分を浮かせる原因となると本能的に分かっていても。
結局、俺は泣き続けるイロナと肩を並べて歩くことしかできなかった。そしてとうに仕事を終えて、事務局の前で俺達を待っていたキャゼルヌもまた同じだった。真ん中に九歳の少女を挟んで二二歳と二五歳の男が並んで歩くという、軍服を着ていなければ即通報の光景をあたりに見せびらかしながら、キャゼルヌの借家に向うことになる。
「なんですか。男二人してだらしない!!」
そのままの状態でキャゼルヌ宅に到着した俺達に、いまだ結婚はしていないものの、既に婚約はして充分に旦那を尻に敷いているオルタンスさんは盛大に怒声を浴びせた。俺もキャゼルヌも項垂れて応えるしかない。少なくとも二〇になったばかりの彼女の方が、遙かにイロナの気持ちを理解していた。だらしない男達は直ちにリビングから追い出される羽目になる。
「まさかお前さんが義妹さんのことで悩んでいるとはさすがの俺も考えになかった」
ブランデーを注いだグラスを傾けつつ、狭いソファで足を組んだキャゼルヌは、俺にも一つ寄越してくれた。
「もっとも分かっていたとしても、なんら対策が取れないというのはかわらないのだがね」
「こういうとき、男はだらしなくていけない」
「全くだ。酒を傾けるぐらいしか能がない……それで今度の人事、お前さんはフェザーン行きだそうだな」
ヤンにもワイドボーンにも話していない次の赴任先をキャゼルヌに言い当てられ、俺はさすがに驚いたが、すぐにその漏洩先の顔を思い出して舌打ちせざるを得なかった。
「……あのクソ親父。どうしてこうもペラペラ喋る」
「目下、次の次の統合作戦本部長と言われるシドニー=シトレ中将を『クソ親父』よばわりできるのはお前さんぐらいだろう。そのシトレ中将閣下は次期第八艦隊司令官に内定しているが、その副官にお前さんの名前が挙がっていたんだ」
「あぁ~副官ですか……人事部がNOを突きつけたんでしょうね」
リンチに続いて、シトレの副官をする。副官の任用権は軍司令官にあることは同盟軍基本法によって保障されている。司令官がこういう副官が欲しい、といえば人事部は経歴・実績・能力・そして『色』を見て、適当な人材を推薦する。勿論、司令官から直接『コイツ』と指名することも出来るが、人事部がそれを認めない場合もある。特に今回はそうだろう。
軍政を担当する国防委員会が一番恐れているのは、幕僚以下が司令官のシンパで構成され軍閥化することだ。ヤンが査問会に呼ばれたことも、ユリアンやメルカッツをイゼルローンから引き離したことも、根源はそこにある。
ましてボロディン家という将官家系で、幼少の頃から顔見知りである相手を副官にしたいと言えば、シトレの黒い腹に余計色がついて見えたに違いない。士官学校卒業と同時に査閲部への配属などで人事部も『そろそろシトレ中将も自重して欲しい』と思ったことだろう。
「だが今回、お前さんを欲しがったのは情報部だ。お前さん、ケリムでなんかやらかしただろ? 第一艦隊の緊急出撃といい、大規模な海賊討伐といい、第七一警備艦隊解散といい、ケリムでは大鉈が振るわれたしな」
「私は何もしませんでしたよ」
「詳しくは聞かんさ。だが妹さんのこともある。フェザーンでは充分に自重しろよ。同盟の駐在武官が何人も奴らの甘い囁きに手玉にとられた。出来の悪い兄貴でも、無くしたら気の毒だしな」
「四日後、人事部に出頭すると大尉に昇進することになりますが」
「そうか、それはよかったな」
効果的な反撃になっていないことは明らかだったので、俺は無言でグラスの残りを乾かすのだった。
後書き
2014.10.25 更新
2014.10.26 ヤンの台詞におけるJrの階級を修正
第29話 フェザーン到着
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
いよいよJrはフェザーンに到着します。まずはジャブでお出迎えです。
宇宙歴七八六年九月 バーラト星系よりフェザーン
結果としてキャゼルヌ宅に一泊する事になった俺とイロナは、キャゼルヌの出勤にあわせて家を出て直接空港へと向かうことになった。
イロナはその気持ちを存分にオルタンスさんに話し尽くし、オルタンスさんもずっと聞き役で接していたらしい。ただ最後に、「人生は一度きりなのだから、苦しんだまま生きるよりは思いのまま生きる方が、ずっと幸せになれるわよ」とだけ言ったそうだ。二度目の人生を送っている俺としては何とも複雑な気分だが、イロナがそれで納得して、昨日よりはずっと晴れ晴れとした表情を見せているのだから、オルタンスさんには感謝の気持ちしか言えない。
どうにか陽気の一部を取り戻したイロナを連れてハイネセンに戻ると、アントニナとラリサが手ぐすね引いて待っていた。今度は二人前のアイスクリームとチョコケーキを奢らされ、今年の冬物をそれぞれ二着も買わされるという去年の倍額以上の散財をする羽目となった。しばらくハイネセンには戻らない方がいいんじゃないかと思わせるほどに。
それでもきゃあきゃあと笑顔を浮かべる家族の姿を見れば、散財も悪くないと思う。イロナも距離感に戸惑いながらその輪に加わり、ようやく家族の団欒が戻ってきたように俺には思えた。だがその団欒に長く浸かることは俺には許されない。
三日後、統合作戦本部人事部にアポイントを取った時間は午前一一時。人事部長エルサルド中将に面会できたのは午前一一時四九分。そして執務室を出たのは午前一一時五三分だった。ユリアンのように俺がヤン閥で、人事部長が七割トリューニヒト閥のリバモア中将というわけでもない。というよりエルサルド中将とは、俺は今日まで面識はなかったはずだ。
「君がシトレ閥だからさ」
俺の疑問に苦笑してそう教えてくれたのは、エルサルド中将の執務室の前で一緒になり、執務室でも一緒で、ここ情報部九課課長室でも一緒のブロンズ准将だった。
「エルサルデ中将はシトレ中将の七歳年上だが、中将昇進ではシトレ中将の方が先任だ。それに君の最初の任地である査閲部への推挙の件もあって、二人の仲はあまり良くない。たいした稚気じゃないから、まぁ許してやってくれ」
「はぁ……」
やはり俺は『シトレ閥』と思われているんだろうか。確かにシトレのクソ親父には迷惑も被ったが、恩義もある。俺を自分の副官にしようと工作したことで、エルサルド中将も確信したのだろう。だが『シトレ閥』とか他人に言われると、どうにも腹の虫が治まらない感じだ。
「私が君を情報部に連れてきたのは、フェザーン駐在武官の任務についての簡単な説明をする為だ。フェザーン星域の位置を君は知っているかね?」
「……えぇ、まぁ」
「結構。この程度のおちょくりで腹を立てるような士官では、駐在武官などとても勤まらないからな」
二度ばかり拍手するとブロンズ准将はウンウンと頷く。これもテストだったのかと思うと、小心者の俺の胃が小さく悲鳴を上げる。
軍民関係なくあらゆる情報を集め、分析し、場合によっては工作し、戦争遂行の一翼を担う情報部は真に魔窟というべき場所だ。統合作戦本部ビル地下七七階という異様な位置もそれを際だたせる。艦隊も有効な情報がなければその威力を発揮できない。だが時に政府の意向を重視し、機関を運用して世論を掻き惑わしたり、野党の指導者などへの妨害工作を行ったり……と好ましくない任務もあるらしい。あくまでも『噂』であるが。
「フェザーンは建前でも『帝国の一自治領』にすぎない。だから同盟は『弁務官』を置く。『大使』では国交関係があると帝国に誤解されるからな。帝国がその暴虐ぶりを発揮すれば、フェザーンなど卵の殻を踏みつぶすより簡単に崩壊する……と思うだろう」
ブロンズ准将の言うとおり、一〇数年後には金髪の孺子がボルテックと結託(あるいは利用)し、帝国軍を大挙としてフェザーン回廊へ投入。自治領を軍事占領している。その危険性をこの時代でも情報部は理解しているにもかかわらず、何故神々の黄昏の時に同盟政府の動きが鈍かったのだろうか。疑問は尽きないが、ブロンズ准将は話を続ける。
「フェザーン自治領に帝国が軍事侵攻しない理由は幾つかあるが、一番の理由は帝国貴族内部の対立だな。貴族は多かれ少なかれフェザーンと金銭面で結びついている。帝国政府も国債を買ってもらっている。フェザーンに不利益な行動を起こそうとすれば、それに対抗する貴族を示唆して妨害させる。弱者の戦術、というべきだな」
もちろん同盟軍もフェザーン侵攻作戦を企図したことは何度もある。だが国防委員会の予算承認が通過したことは一度もない。政治家の内情すら時に捜査する情報部だが、この件に関してだけは時の統合作戦本部から指示があっても、適当にお茶を濁している。なぜか?
「外交というのを帝国も同盟も忘れて久しい。特に砲火のない戦争を戦争と呼ばない節が両国には見られる。フェザーンはそれをよく知っている。表も裏も。だから情報部としてはフェザーンの存在を棄損するのは認められない。帝国の情報を安易に得られるチャンネルの損失は同盟にとって死活問題に近い」
「フェザーンが帝国・同盟双方に情報と経済力を駆使し、歴史を動かしている、と考えてよろしいのでしょうか?」
原作でもフェザーンの為政当局の苦心については詳しく書かれている。俺はジャブのつもりでそう言ってみたが、ブロンズ准将の驚きようといったらなかった。
「歴史、という言葉は私には思いつかなかったが、彼らの生存戦略は君の言うとおりだ。そして我が同盟は帝国よりも国力が劣るが故に、その戦略に乗らざるを得ないのが実情なんだ」
だから帝国の情報を現地で収集・分析する駐在武官という任務は重大なものになる。帝国軍の侵攻を事前に察知することで効果的に戦力を運用し、迎撃することが出来る。もし誤った情報が流れれば……原作通り同盟は滅びる。
「そういうわけで大尉には、フェザーン側のチャンネルを閉ざすような短慮だけはしてもらいたくない。腹も立つことはいっぱいあるだろう。だがそこも戦場だと理解して慎重に行動して欲しい。パーティーだのゴルフだの誘惑はいっぱいある。役得だと思ってくれて構わないが、料理にも酒にも女性にも毒が含まれていることだけは忘れないでほしい」
「承知しました」
「特に君は将来を嘱望されている士官だ。それほど長い派遣にはならないだろうが、充分に気をつけて行ってきてくれ。余計な心配だとは思うがね」
そういうとブロンズ准将は敬礼せず、俺に情報将校とは思えないゴツイ右手を差し出した。俺もその手をガッチリと握りしめた……
それが三七日前の出来事。フェザーン船籍の旅客船に乗って、俺は今、フェザーンに到着した。
宇宙港に到着し到着手続きロビーに向かうとすぐに宇宙港の警備員が俺の元に駆け寄ってくる。軍服を着ているから余計目立っているのは分かるが、あまりにも一直線に向かってくるので驚いた。が、特別者専用の軌道エレベーターに案内され、その場に待っているフェザーン側当局者と顔を合わせ、名前を聞いてさらに驚いた。
「ニコラス=ボルテックと申します。フェザーン自治政府対外交渉部に勤めております」
「ヴィクトール=ボロディン大尉です。在フェザーン同盟弁務官事務所つき駐在武官を拝命しました」
今後ともよろしくお願いします、という儀礼的なお辞儀と敬礼の会話を終えると、個室内に入ってきた女性のアテンダントによって机の上に烏龍茶とチキンフライとポテトが次々と並べられていく。しかも香辛料の違いによって四種類も。
「……」
これがフェザーンの流儀か、と俺はにこやかなボルテックと暖かいチキンを見比べた。その視線に気がついたのか、ボルテックは先にチキンの一つを手に取ると、俺に断ることなくかぶりついた。なんというか人のいい小役人が、時間に余裕が出来たので遅い昼食をとろうかといった風情だ。もっとも言いたいことは『毒は入ってませんよ』であろうけども。
「なかなか美味しいですよ、これ。いや、役得でした」
「そうですか?」
「これは帝国でもそれと知れた軍鶏でして。私の薄給ではとても口には出来ないんですよ。さ、どうぞ。遠慮なさらず」
烏龍茶を飲みながら勧めるボルテックを見て、俺も一つ手にとって口に運ぶ。確かに旨い。脂も皮も香辛料も、同盟のスタンドで売っている物とは桁違いに……値段も桁違いだろうが。俺が別の香辛料のチキンを食べ終えると、再びアテンダントが現われ、俺とボルテックの前に冷たいおしぼりと、レモンスカッシュを置いていく。
「ボロディン大尉はお若いながらも中々慎重でいらっしゃる。ケリムでも随分とご苦労をされたようで」
「いや、それほどでも……」
ズゾーッと音を立ててレモンスカッシュを飲む、三〇代半ばのボルテックはどう見ても小役人だ。だがその口から出てくる言葉は、俺の胃を刺激するのに充分な物ばかり。気分が悪いので俺もレモンスカッシュを飲み、また別の種類のチキンフライに手を伸ばすと、ボルテックもポテトを手にとって口に運ぶ。
「あ~満腹でした」
机の上の料理と飲み物が全て空になり、アテンダントがそれらを全て片付けると、ボルテックは腹をさすりながら言った。
「あ、お代は結構ですよ。これはあくまでも自治政府から大尉に対するお礼ですから」
「お礼、ですか?」
別に軍人になる前もなった後もフェザーンに対してなんら便宜を図った事はないし、これからも払うつもりはない。確かにこのチキンフライは値が張るだろうが、これで買収できると思ったら大間違いだ。しかしフェザーンの意図はそんなことではないだろう。
俺が改めてボルテックに問いただすと、ボルテックはウンウンと小さく頷いて応えた。
「ケリム星域で大尉は『ブラックバート』団をほぼ壊滅に追いやっていただけました。ネプティスの近くにある彼らの基地を撃滅してくれたことで、我らフェザーンの貿易船には充分な安全がもたらされたのです。この程度のお礼ではむしろ申し訳ないと思うくらいですよ」
「あれはリンチ准将の指揮で行われた作戦です。しかもケリム星域の掃討作戦は第一艦隊が主力で、私は何も手伝っていない。供応を受ける資格はないかと思いますが?」
「ご謙遜を。大尉は『埋伏の毒』を見つけ出して拘束したではないですか」
エジリ大佐のことか、と俺は心の奥底で呟いた。拘束したのは俺ではない……俺の視線に気がついたのかは分からないが、ボルテックは鶏の脂で口が滑らかになったのか話を続ける。
「海賊にもいろいろ種類がありますが、『ブラックバート』団のような組織だった準軍事規模となるとそう多くはありません。大抵は港に密偵を潜らせておくのが精一杯の小さな組織ばかりです。同盟国内で我々フェザーンは武力を振るわけにはいきません。しかも『ブラックバート』団は規模も大きく巧妙で狡猾です。それを撃破してくださった。今後、同盟国内の他の海賊も恐れをなしてその活動を収縮させるでしょう。フェザーンとしては願ったり叶ったりなのです」
「なるほど」
最近、ほんとうにパトリチェフみたいになっているなと思いつつ、そう応えるしかない。
「……ですが、首領は」
「分かっています。ロバート=バーソンズを取り逃がした、ことですな。ですがご安心いただきたい」
ボルテックの目はそれまでより僅かだが細くなる。
「彼の動きの一部ではありますが、フェザーンは幾つかの情報を掴んでいます。この情報については今後私から大尉に直接お渡しするつもりです」
「それはありがとうございます。フェザーン自治政府のご協力に感謝いたします」
あんたから直接情報を受け取るわけではなく、あくまでも同盟政府とフェザーン自治政府の連絡業務としてしか受け取らないよ、という俺の言外の言葉に、頷き掛けたボルテックの首は一瞬だけ止まったが、結局ふたたびベコ人形のようになった。
「いやぁ大変有意義な昼食でした」
地上に降りついた軌道エレベーターの扉が開くと、ボルテックは最初に見せたにこやかな笑顔に戻っていた。
「出来れば大尉とは長くお付き合いしたいものですが、そうもいきますまい。本国には大尉を待っていらっしゃる方が大勢いらっしゃいますでしょうしねぇ。大尉でしたら『行ってくれるな』と泣いてくれた女性もおおぜいいらっしゃるんでしょう?」
「義妹はたしかに女性ですけど、少し若すぎますね」
宇宙港の搭乗口で見送るアントニナとイロナとラリサの手を振る姿を思い出し、俺はそう正直に応えてやったが、ボルテックは冗談だと思ったようだ。小さく首をかしげて腕を組むと、ボルテックは羨ましそうな視線を俺に向けてくる。
「義理の妹さん、ですか。なるほど。ですが大尉、フェザーンの女性もなかなかのものですぞ。大尉くらい将来有望な方ならよりどりみどりでしょう。若いというのは本当に羨ましい限りですよ」
「は、ははははは」
前世で二・三人との付き合いがあったとはいえ、こちらの世界では良いところまで行くにもかかわらず、誰一人落とすことが出来なかった俺としては、ボルテックの言葉には乾いた笑いでしか応えることができなかった。
後書き
2014.10.26 更新
第30話 フェザーンの夜
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
ジャブの次はフックとアッパーでしょうか。
宇宙歴七八六年一〇月 フェザーン
この年の自由惑星同盟フェザーン駐在弁務官事務所の首席駐在武官はアグバヤニ大佐といい、かなりの年配で、歳相応に太っている男だった。褐色の肌はレーナ叔母さんと遠い先祖が同じであることを示してはいたが、性格は正反対だった。
初対面で着任の挨拶をする俺を見る目には明らかに隔意があったし、表面からにじみ出る陰気で尊大で狭量な性格は、俺以外の駐在武官からも敬遠されている。彼がこの重要な任地に赴任できた理由も、政治家との深い繋がりがあるからであって、自身の積み上げた功績ゆえではないことも知れ渡っている。知らないのは当の本人だけではないか、というのはとても笑えない冗談だ。
そうとはいえ、新任駐在武官である俺がフェザーンに着任した以上、形式として歓迎パーティーを開催しないわけにはいかない。長年の慣例であり主賓の質はともかく、わざわざ中止して、フェザーン上流階級との貴重な情報交換の場を失う必要も、同盟の悪化する財政状況を喧伝する必要もない。場所はホテル・バタビア。たしかユリアンもこのホテルではなかったかと記憶を辿ってみたが、さすがにホテルの名前までは俺も覚えきれていない。
主賓として招かれた以上、俺は笑顔を浮かべてフェザーンの紳士淑女を相手に会話とダンスに勤しまなければならない。所持している一張羅の白の軍用礼装を身に纏い、パーティー会場の中央で檻の中にいる動物よろしく、招待客の皆様に愛嬌を振りまくことに専念する。空腹に耐えることといつでも笑顔でいることさえできれば、特段難しい作業ではない。
特段意味をもたない上っ面だけの会話、ご機嫌取り、売り込みに自慢に冗談……パーティーが開かれて二時間経ってもなかなか途切れない来客の挨拶に、俺はそろそろ顔の筋肉が引き攣り、胃袋が不服を訴え始めた頃、俺とアグバヤニ大佐の前に異形の男が現われた。まだ若い。だがその姿を見て俺と大佐の周りにいた招待客は、ゆっくりとかつ敬意を欠かすことなく離れていく。
「アグバヤニ大佐」
「やぁ、ルビンスキーさん。ようこそいらっしゃった」
「丁度時間が空きましてな。ならば若い大尉を冷やかそうかと参上した次第」
肌は浅黒い。目も口も鼻も眉もみなそれぞれ作りがデカい。それにもまして身体がデカい。ハゲだが。現在一七七センチの俺が顎を上げて顔を見るのだから、おそらくは一九〇センチ以上だろう。精気みなぎる体躯を薄紫色のタートルネックと上品な浅葱色のスーツで覆うことで、周囲に威圧感ではなく自然と敬意を向けるような雰囲気を醸し出している。傲慢な台詞もこの体躯と服装のセンスで、柔剛両面から相手に認めさせてしまう。
アドリアン=ルビンスキー。フェザーンの黒狐と言われるが、外見だけならどう見ても「黒熊」だ。
「貴官がヴィクトール=ボロディン大尉殿ですな。自治政府高等参事官のアドリアン=ルビンスキーです。よろしく」
差し出される手は大きく、そして肉厚だ。軽く握っているのだろうが、こちらとしては万力に挟まれたかのような締め付けに感じる。
「よろしく。高等参事官殿」
「ルビンスキーで結構ですぞ。なにしろ役職で呼ばれては自分かどうか分からないものですからな」
この傲慢さが当たり前のように聞こえてくるのだから、コイツは本当に恐ろしい。ルビンスキーが三六歳で自治領主となったのは、和平派の前自治領主ワレンコフが地球教のコントロールから逃れようとして事実上処刑されたからだが、まずもってそれなりの実力が伴わなくては長老会議での立候補すら出来ないのだ。転生して、これからの未来が少しは分かるとはいえ、小心者の凡人である俺にとってルビンスキーを見ると、いずれどんな形であれ相対することに恐怖を覚える。
「大尉は随分とお疲れのようだ。無理もない。五〇〇〇光年も旅してこられて、すぐにパーティーですからな。こういう世界に慣れていない若者にとってみれば、もはや拷問に近い」
三〇代前半のルビンスキーの毒舌というか、皮肉はスパイスが効き過ぎている。当てこすられた感じのアグバヤニ大佐の肥満した顔も、時折ではあるがピクピクと痙攣している。まだ若い自治政府の要人を、年配である大佐が表だった場所で怒るわけにもいかない。自分自身への評判だけでなく、同盟とフェザーンの関係悪化を招きかねないからだが、大佐にとってどちらが重要かは俺は分からない。
それを見越した上でこういうトゲの生えた言葉を投げかけてくるわけだから、ルビンスキーも人が悪い……いや、人が悪いのは分かっているんだが、原作ではこれほど直接的に言うような男ではなかったはずだ。むしろ、こういうどぎつさは彼の息子であるルパートの方が強かっ。ということは、この時点ではルビンスキーも才幹と若さの釣り合いがまだ取れていないということかも知れない。
「いえ、大佐のフォローのお陰で、小官はパーティーを楽しんでおります。高等参事官殿」
若さなら負けるつもりはないし、ここで怯んでいるようでは後々で軽く見られる。もちろん軽く見られた方が俺としてはありがたいのだが、尊敬せざるとはいえ大佐は俺の上司であり、フェザーンにおける同盟軍の事実上の代表でもある。別に恩を受けたわけでも関心を買おうとも思わないが、ささやかな愛国心を見せるくらいはいいだろう。
「チキンフライ以外にも、フェザーンに料理があることを改めて教えていただけましたし。何事もよい人生経験だと思います」
「ふふっ。なるほど」
俺の挑発にも黒狐は乗ってこなかった。むしろ怒りを見せるどころか、楽しんでいるかのようにも見える。しかし異相とはいえ絵になる男だ。グラスを傾ける仕草一つとっても隙がない。
「いや、失礼。大尉はなかなか面白い方のようだ。月並みのようですが、これからもよろしくお付き合いを」
そう言うとルビンスキーは上目遣いで小さく頭を下げると身体を翻して、出口の方へ向かっていこうとするが、数秒立ち止まった後、首を廻して俺に視線を向けて言い放った。
「そうですな。今度時間が出来たら、大尉にはエビをご馳走して差し上げますよ。では失礼」
「いや、良かった。ホッとしたぞ、君」
ルビンスキーが上機嫌で俺の前から去っていったのを見て、アグバヤニ大佐は顔の脂肪を揺らしながら喜んでいたが、俺はとてもそんな気にはなれない。
「若手でも実力派というあのルビンスキーに一泡吹かせたようなものだ。私は彼のことが嫌いだが、彼から食事に誘われるというのも滅多にあることではない。彼が言っていた『エビ』とは一体何の事だかわからないが、とにかく大尉、お手柄だぞ」
「……はぁ、そうですね。緊張しました」
緊張したのも事実だが、あの野郎の捨て台詞だけはどうにも勘弁ならない。ルビンスキーの知識の深さと広さを見せつけられた、あるいは地球との結びつきを思い知らされたが、よりにもよってロシア系の血を引く俺に『エビ』か。俺が日本人の転生者であることはさすがにルビンスキーでも知らないだろうから、純粋にこちらの世界における血統から挑発したのだろう。左手に持つコップを割らなくて本当に良かった。
その後、ルビンスキーが俺達の前から去ったことで周囲の訪問客もそろそろお開きかと感じ取ったようで、次々と俺と大佐の前に来ては挨拶をし、出口へと向かっていく。それでも予定時間通りに終わったということは、ルビンスキー自身も時間を見計らってきたということだろう。どこまでも気に入らない夜だった。
翌日、改めて俺は弁務官事務所で自己紹介し、駐在武官の上司・同僚・部下(といっても俺の部下ではないが)の紹介を受けオフィスの見学を終えると、レクリエーション終了とばかりにフェザーンの市街に足を伸ばした。
もちろんユリアンについていったマシュンゴのような部下がいるわけでもなく、同期生は当然いるわけが無い。ゆえに俺は一人ところどころ解れたVネックと擦り切れたジーンズの上下で、ノタノタと繁華街を歩いていく。時折ブランドモールの柱やエスカレーターの鏡面部で自分の姿を見るが、乞食とまでは言えないが、貧乏人には見えるだろう。同盟弁務官事務所から尾行でもしない限り、俺を同盟軍大尉とは認識できないはずだ。もっともアントニナが今の俺を見たら憤慨するに違いないが。
しばらくは表の繁華街をそうやってブラブラしていたが、特に買いたい物もほしい物もない俺としては、衣料品店に入って情報収集するよりは、夜の繁華街で酒を飲んで美味しい物を食べて情報収集したいわけで……裏道を数本抜けて、時折意地悪く後を振り向いたり、急に角を曲がったりしながら、小さな路地裏へと足を踏み入れた。
その路地裏は、裏通りという割にはそれほど汚れているわけでもなく(もともとフェザーンは清潔な街だが)、七割の整然と三割の雑然とが絶妙に混ざった、言うなれば『良い感じに退廃的な』飲食街だった。街の飾り付けはやや帝国風を思わせる擬似木材と石材のコントラスト。照明も前世でいうクラシカルなデザインで統一されている。その街中を若い女性の滑らかで張りのある歌声が、大きくもなく小さくもなく耳障りよく流れている。
歌声に引っ張られるように俺が歩みを進めると、歌声の発生源は地下だった。人が肩をすりあわせてようやくすれ違うことの出来るくらいの狭い階段を下り、本物の胡桃材で作られた扉をゆっくりと開く。そこは照明が適度に落とされた小さなスナックだった。それほど広くはない。カウンター席が幾つかと、ボックスソファーが幾つか。そして低く抑えられた小さなステージ。
「いらっしゃい」
バースペースの奥にいたバーテンダーが俺に声を掛ける。店内の客は俺の侵入など気にすることなく、ステージで歌う若い女性に視線を向けている。とりあえず俺は誰も座っていないカウンター席の一つに座って、バーテンダーにウィスキーを注文すると、他の客同様にステージを見つめる。
歌う女性は若い。二〇歳には達していないだろう。まだ身体の線は細いが、ピッタリとした深紅のナイトドレスが身体の曲線をより強調している。スリットは深く、肩口も大きく開いていてより扇情的だ。男の客達の視線は殆ど胸やスリットの奥へと向いている。歌手はその視線に気がついているのは明らかだが、その歌声に雑念は全く感じられない。強くしなやかに延びる豊かな声は、狭い店内で反響し、俺の胸すら揺さぶる。帝国公用語であるのをこれほど残念に思ったことはない。
歌が終わり、店内は拍手の渦に包まれ、女性はゆっくりとお辞儀をする。胸の谷間が見えそうなくらい深く……おそらくはそれを狙っているのだろう。にやけ下がったボックスソファーの男達に愛嬌を振りまき、時に酌をしていく。そして今度はボックスソファーに座っていた別の女性がステージに立ち歌い始める。先ほどとはうってかわってリズミカルな曲だ。再び男達の視線がステージへと向けられる。だが声量といい声質といい、先ほどの女性に比べたら素人の俺にですら分かるほどの差がある。
聞くまでもないなと思い、バーテンダーが入れてくれたグラスを手に取り一口すすると、俺の横に座る影があった。深紅のナイトドレスに赤茶色の長い髪。ほっそりとした顎の左に小さなほくろ。
「お客さんはこの店は初めてね」
若い女性はバーテンダーから渡された烏龍茶のグラスを俺に掲げる。
「わたしはドミニク。これからもどうぞご贔屓に」
後書き
2014.10.28 更新
第31話 神に従う赤い子羊
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
本日はお休みなので、昨日上げられなかった分をまず上げさせて貰います。
宇宙歴七八六年一〇月~ フェザーン
フラフラと裏通りを歩いて偶然立ち寄った店のはずなのに、そこにはしっかりと狐の網が張り巡らされていたでござる。
悪運と言うべきなのか。そう言わざるを得ない運の悪さ。間違いなく偶然のはずだ。誘導されたわけでも、追っかけられたわけでもない。なのに、黒狐の情人があの店にいた。豊満で妖艶な肉体も、世の中を達観したような眼差しでもなかったので別人だと思っていた(あるいは思いたかった)わけだが、ドミニク=サン=ピエールと名乗っている以上、本人なんだろう。もう二度と近づくまいとは思っていたが、俺は再びこの店を訪れている。
「いらっしゃい」
胡桃材の扉を開けると、いつものように年配のバーテンダーが出迎える。弁務官事務所内での勤務という名の統計処理作業を終えて、尾行を巻きながらの訪問だから時刻は二〇時を過ぎている。店の営業時間は午前二時までだが、ドミニクは火曜日と木曜日と金曜日、しかも二二時で上がってしまう。本人に聞いて地雷を踏むようなことは遠慮したいので、フェザーンの労働法を調べて、それが意味することを事前に確認しておいた。それから導き出される結論は、ドミニクには黒狐の魔手が『まだ』延びていないということ。
「叔父さんから聞いているわ。私が店に来ない時にはいらっしゃらないんですってね」
二曲目を歌い終えたドミニクが、今夜は光沢のある紫のドレスに細い金鎖のネックレスという、『そういう衣装は後二〇年くらいしてからのほうがいい』といった姿で、俺の隣の席に座る。彼女の叔父さんとやらには心当たりがないので聞いてみれば、ドミニクは細い手でバーテンダーを指し示す。
「この店にいらっしゃってからもう一月も経つというのに、ご存じじゃなかったのは驚きね」
「ここには歌を聴き、酒を飲みに来ているのだから、知らなくも別にいいんじゃないか?」
「あら、じゃあ私の歌を聴きに来てくれていると期待して良いのかしら?」
「酒だけが目的なら、週に一回がいいところだよ」
それが全てではないが、事実であるので俺は正直に応える。毎日飲み歩くほど給与をもらっているわけでもなく、当然ながら『同盟弁務官事務所駐在部』の領収書をきれるような店でもない。高級でも場末でもない、その微妙な位置にある酒場で、ドミニクの歌声とそれを目当てにしている中間所得層ないし中小企業の幹部といった客層の話に耳を傾けるということが目的なのだから。だが黙々と酒を出すバーテンダーの動きまでは正直俺の目は回っていなかった。
「せっかく五〇〇〇光年離れた同盟から来ているというのに、こんな場末の飲み屋の小娘の歌声が聴きたいなんて、貴方も随分と物好きなのね」
ドミニクの言葉に、俺は一瞬下腹に力を込める。叔父であるバーテンダーは場末と呼ばれて少し不愉快そうだが、半ば諦めてもいるようだ。さすがに俺から同盟出身者だとは話していないし、他にも特段自分が同盟出身者ではないと思うよういろいろと気をつけているはずだが……やはり後で黒狐とつながっているのか。ここで席を立てば余計怪しまれると思い、軽くスルーしてみる。
「物好きなのは否定しないよ」
「貴方の帝国公用語、変なところにアクセントがあるからバレバレ。きっとお国の言語教師が下手だったのね。もっとも帝国のド田舎からくるオノボリさんに比べれば、遙かにスマートで聞きやすいけど」
そう笑いながら、ドミニクはいつものように烏龍茶を傾ける。原作でルビンスキーやルパートと一緒に搭乗するときは必ずと言っていいほどウィスキーとロックアイスが並んでいた。フェザーンの青少年健全育成法にも一六歳未満の飲酒はこれを認めないとある。そして彼女の態や店の規模・品格・備品から言っても、今の彼女が宝石店やクラブの経営者で、貨物船のオーナーとは思えない。
「貴方が来てくれるお陰でようやくダンス教室の月謝が払えるの。これからもご贔屓してくれるとありがたいわ」
「ウチの上司のことだから、来月にはどこにいるのか分からないよ」
「本当にウソが下手ね。航海士のような専門職なら、一月もフェザーンの地上に縛り付けておくなんて、そんな馬鹿な会社があるわけ無いでしょうに」
俺を見るドミニクの流し目に、危険な物が僅かだが含まれているのは分かる。時折アントニナも同じような目をする。それは決まって『そんなことも分からないほど僕(ちなみにアントニナは僕っ子だ)が馬鹿だと思うのか』と怒っている時だ。俺があえてそれに言葉で応えず、肩を竦めて手を開くと、小さく鼻息をつくドミニクの顔には僅かながら優越感が浮かんでいる。頭がいいと自覚している証拠かも知れない。
「……じゃあ、俺はなんだと?」
「最初は同盟弁務官事務所の駐在武官かとは思ったわ。けれど貴方って若すぎるし、軍人にはとても向いてなさそうだし、何よりウソが下手すぎる。それにあの人達は必要以上に見栄を張って、こういう場所にはこないの。別のクラブで痛い目に遭ったからよく覚えているわ」
いきなり直球ど真ん中で当てられて、俺の背中にはかなりの量の冷や汗が伝ったが、運良くドミニクは自分で否定してくれた。意外に迷っているのか、グラスから滴る水滴が包む手を伝うくらいになってから続けた。
「同盟系中小商社の研修社員、というところかしら。そうね。会社の幹部、それも最近昇進したばかりの人の息子さんで、近い将来会社経営に参画させたいと親心を持っている。それにかなり上級の幹部からの受けもいい。だけどまだ若いし経験が不足しているから、まずは外の世界を見てこいとばかりにフェザーンに放り出された。そんなところね」
……中小商社を同盟軍に変えればそのままその通りというべきだ。言葉に裏なく、正直に分析したというのであれば、ルビンスキーがその利発さ故に情人にしたという話も信じられる。しかし……シトレのクソ親父がいつも俺に言っている『軍人に向いていない』というのが、こんな時に役に立つというのも、なんだか癪にさわる。
「会社の名前は聞かないでほしいね」
「贔屓のお客さんを困らせるわけがないでしょう? しかも私の夢に投資してくれる確かな金蔓に」
「正直だなぁ……しかし、君の夢ってなんだ?」
ドミニクの夢。少なくともルビンスキーの情人になることではないだろう。ただの情人ならルパートの母親のように捨てられるのがオチだ。夢と聞かれてドミニクは一瞬驚いた表情を俺に見せた後、自嘲気味に応える。
「歌手よ。女優にもなりたいけれど、今は歌手」
「君は美人だし、オーディションを受ければすんなり通るんじゃないのか?」
「私くらいの美人なんてこのフェザーンには『一束幾ら』でいるわよ。歌もダンスも同じ。オーディションでは良いところまでは行くけれど、なかなか最後までは行けないわ……覚悟がないからかしらね」
「覚悟?」
ドミニクからとても聞くような言葉ではないので俺が問い返すと、ドミニクは困ったような表情を浮かべる。答えたくないというよりは、答えにくいという感じか。
「芸能事務所とかに所属する事よ……そしていろいろな人の『相手』をすること。『相手』をするなら、ステージでも何でも用意するって人は結構いるわ」
『相手』という意味は言葉通りではないことはわかる。女性として譲れない一線だということも。ただここはフェザーンで、『国でも親でも売り払え……ただし出来るだけ高く』が格言となる場所だ。故にドミニクも『覚悟』という言葉を使ったのだろう……ルビンスキーの魔手が届いていないことに、俺は心底ホッとした。
「私は戦う限りは勝ちたい。でも守りたい物もある。だからクラブやいろいろな処を廻って、気のいいパトロンを見つけようと思ったけれど……やっぱり甘いのね、私」
「一五歳の女の子ならば、それくらいが普通じゃないか?」
「貴方、ご家族はいて?」
ドミニクの突然の問いかけに、俺は戸惑った。何故そう言う質問がでてくるのか、瞬時には分からない。だが俺が答えるまでもなく、ドミニクは言葉を続ける。
「私には叔父さんしかいないわ。技師だった父は宇宙船の事故で死亡。音楽教師だった母は病気で。兄弟はいないし、残った血縁の叔母さんも一昨年亡くなった。音楽をやりたくてもお金がない。血の繋がらない叔父さんにそこまで甘えるわけにはいかない。お金が全てのフェザーンで、私の財産といえばこの身体と声だけ」
「……」
「声を売り物にするなら、身体は絶対に売りたくない……ただそれだけ」
あと四年でルビンスキーに見初められ、情人の一人となって一財産築き、ルパートを騙し、ルビンスキーの側で多くの陰謀を見つめてきた女性の、それが一五歳での意地だった。
「俺が気前のいいパトロンでなくて悪かったね」
俺はしばらくの沈黙の後、そう応えるしかなかった。学校に戻れと言うのも、覚悟を決めろと言うのも簡単だ。だが学校に行けと言うのは今までの努力も、将来の夢も諦めろと言っているのに等しい。覚悟を決めろと言うのは彼女を今まで支えてきた精神への侮辱だろう。
「……最初から期待していないからいいわよ。おかしなものね……フェザーン人の私より、フェザーンの事を理解している同盟の人なんて」
そう言うとドミニクはすっかり氷の溶けた烏龍茶を一気に飲み干すと、顔だけ俺に向けていった。
「こういうの、本当はルール違反なんだけど、貴方の名前を伺ってもいいかしら?」
「……ビクトル=ボルノー。ビクトルでもボルノーでも、どちらで呼んでも構わない」
情報部で勝手につけてくれた(というよりブロンズ准将の簡単なアドバイスで作った)偽名を俺は口にした。前世を含めて、偽名を名乗るのは初めてで、緊張していないと言えばウソになる。それを感じ取ったわけではないだろうが、ドミニクは一度目を細めた後、俺が今まで飲んでいたグラスに手を伸ばし、残り少なくなっていたウィスキーを一気に呷ると、空になったグラスを俺の目の前で掲げて言った。
「ビクトルさんの速いご出世を、私は心待ちにしているわ」
それからも俺は毎週火曜・木曜・金曜と変わらずドミニクのいる店に通い続けた。さほど高い店ではないとはいえ何度も通うわけだから、出ていく額も結構なものになる。それまで外食で済ませていた昼食も弁当にし、それなりに生活費を削ってどうにか月収支を黒字に持っていくことができた。時折俺を食事に誘ってくれる同僚もいたが、預金額を想像してから乗ったり断ったりをしている。それゆえか『ボロディン少将の家は倹約なのか』と変な噂すら立ってしまった。ゴメン、グレゴリー叔父。
そしてフェザーン当局から帝国軍の情報が入り、弁務官事務所での確認調査などで残業や泊まり込みがない限り、いつものように二〇時にはカウンター席の一つを占めて、ドミニクの歌と狭いスナックの室内を漂う来客の噂話に耳を傾ける。酔客に絡まれたときには笑顔で対処し、二ヶ月もすると常連として認識され、特にドミニク以外話しかけてくる人はいなくなった。時折女性が話しかけてくることもあったが、しばらくすると俺を挟んで反対側の席にドミニクが座るので、みな気まずそうに去っていく。
「若い男性がこの店に来ること自体、珍しいことだから彼女達も『機会』を逃したくないの。わかるでしょう?」
ドミニクは苦笑して俺にそう応えた。
「彼女達、ビクトルのことを『ヴィクトール要塞』と呼んでいるわ。カウンターに座ったらトイレ以外に動こうとしないし、幾らモーションの砲撃を仕掛けても小揺るぎもしないって。どんな『主砲』をお持ちなのか味わってみたいとも、言っていたわよ」
「幸いなのか不幸にしてなのか、一度も使ったことがないよ。実際あるのかすら、自分でも正直自信がない」
「あら、お国にはそういう人はいらっしゃらないの?」
「同僚に言わせると『シスコンで口から先に生まれた男』だからモテないんだそうだ」
俺がそう応えると、ドミニクはしばらく首をかしげたまま俺を見つめている。まだ右目まで赤茶色の髪は届いていないが、艶やかな髪が落ち着いた照明に照らされて、悩ましげにきらめいている。本人は卑下するが、充分に美人だと思う。俺に僅かだが好意を持ってくれていることもわかる。だが例え九割九分ルビンスキーに繋がっていないとは分かっていても、デートに誘ったりするのはどうにも気が引けた。
「……さしあたって、私も妹のように思われているという事かしら?」
「三人もいればもう義妹は充分だよ。新年のプレゼントをどうしようか、今から頭が痛いんだ」
「妹さん、お幾つ?」
「来年度で上から一三歳・一〇歳・七歳」
「可愛い盛りね。画像とかお持ち?」
俺が軍服姿のグレゴリー叔父や軍官舎の写っていない三人の集合写真を選んでドミニクに見せると、あら、と意外そうな声を上げた。
「みんな美人だけど、真ん中の妹さんだけ毛並みがちがうのね」
「いや、全員血の繋がった妹だよ。家族の中で血が繋がっていないのは俺だけだし」
「……ビクトル、養子なの? それで養われ先の義理の妹さんに、新年のプレゼントを贈るわけ? 貴方、ちょっと人が良すぎない?」
「いやこの歳まで養ってもらったんだから、むしろ当然じゃないか?」
と前世日本人らしく答えると、ドミニクは心底呆れたといった表情を浮かべている。フェザーンの家族愛がそれほど薄いとは思えないが、家族が血の繋がっていない年老いた叔父一人ということが影響しているのかも知れない。しばらくすると、『よし』と少し気合いが入った声でドミニクは呟くと、俺に身体ごと向き直って言った。
「今週の日曜日。良かったら、私と義妹さんのプレゼントを買いにご一緒できないかしら?」
句読点の位置が間違っている事を祈りつつ、覚悟を決めて俺はドミニクの申し出を了承することにするのだった。
後書き
2014.10.29 更新
第32話 羽化後の雨
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
取り合えずJrに、人生の節目が訪れます。
Jrが魔法使いになると予想された方、申し訳ありません。
宇宙歴七八六年一一月~ フェザーン
前世とは違い、クリスマスという独身男性をいい意味でも悪い意味でも苦しませる儀式はこの世界にはない。それは大変大変素晴らしいことだが、代わりに新年パーティーは存在する。同盟でも帝国でもここフェザーンでも宇宙歴(帝国は帝国歴とか言ってるが)を基本としているから、この人類世界でほぼ同日に行われているのは間違いない。誕生日を聞けば一〇月産まれが多いというのも、認めがたいが事実である。
ハイネセンの実家では家族そろってのパーティーが普通だった。まだ実父アントンが生きていた時はグレゴリー叔父一家が家を訪れてくれた。近年ではカストロ髭のコナリー大佐夫妻やウィッティとウィッティの保護者だったアル=アシェリク准将ご夫妻、そして去年からフレデリカ=グリーンヒルが、妹達への土産を持ってグレゴリー家にやって来る。
それはともかく。俺は今フェザーンにあって、何の因果かドミニクと一緒に妹達へのプレゼントを探すという、この世界に転生してから想像もしてなかったような状況下にある。フェザーンの中心街から少し離れた場所にあるショッピングモールが立ち並ぶ街の駅前で、いつものホロボロ姿でドミニクを待っていたら……
「貴方がモテない理由がよく分かったわ」
やや厚手の上着にフロントスリットの黒いスカートを身に纏っているドミニクが、俺の姿を見て開口一番にそう言い放つと、容赦なく腕をとって俺を男物のカジュアルスペースへと引きずり込み、勝手に次々と服を選んでは俺の持つ籠に放り込んでいく。
「これとこれに着替えて来なさい。いますぐ!」
現金で四〇〇フェザーンマルクも支払わされただけでなく、更衣室で強制的に着替えさせられる。歳下の、本来だったら少女と言っていい相手にいいようにされ、店員は苦笑を隠しきれていない。悪いがドミニクの姿をどう見ても御年一五歳とは思えないのだが。
「どうにか見るに堪える姿になったようね」
着替え終わった俺を見て、ドミニクは俺の顎に右手を伸ばしクイクイと俺の首を廻すと、大きく溜息をついた。
「義妹さん達へのプレゼントだけど、まさか傘とかおもちゃとか文房具とか考えてないでしょうね?」
「……だって義妹だし」
「義妹さんはそれで怒ったことはある?」
「ないよ。程度の差はあれ、みんな喜んでくれた」
「……貴方のセンスのなさが、どういう陰謀の上に成り立っているのかよく理解できたわ」
ウチの可愛い義妹達が俺に対して一体どういう陰謀を企てているのか。ドミニクが陰謀という言葉を言ったことで、一瞬ピクリとした俺だが対象が異なるので理解できない。俺が戸惑っていると、ドミニクは心底呆れた表情で、今度はフェザーンのみで販売するというブランド時計店へと引きずり込む。
俺の想像する値段とは全く違う。五〇フェザーンマルクより安いものは見当たらない。おもちゃでもそれなりに値が張るのはあったけれど、為替レートから考えても四〇フェザーンマルクを超えたものを買った覚えはない。
「ちょ、ちょっとドミニク……」
「ビクトル、妹さん以外の女の子にプレゼントを贈ったことはないんでしょう?」
「そ、そんなことは」
前世を含めればある。あるにはあるが、贈られたときの相手の微妙な表情を思い出し、暗澹たる気分に陥る。
「じゃあ黙ってみてなさい。上の妹さんは褐色肌に金髪だから……これ。真ん中の妹さんは白い肌に黒髪だからこれと。一番下の妹さんは、もう少し可愛いデザインがいいでしょうね。じゃあ、これ。あ、あとこれも」
二八〇マルクに二三〇マルクに一九〇マルクに五五マルク……せしめて七五五フェザーンマルク也。
「なんで四つ?」
「最後の腕時計、別のデザインにしてもいいのよ。その代わり五〇〇フェザーンマルクになるけど?」
一瞬ではあるが、原作でよく見たあの迫力ある目つきを見せつけられ、俺は両手を挙げざるを得ない。それでも五五フェザーンマルクの品で抑えてくれたのは、ドミニクの好意だろう。店員の残念とも微笑ましいとも取れる表情に、財布から大枚を出す俺としては、もうどうにでもしてくれといった気分だった。ご自宅まで配送しますか、という問いには即座に俺は頷き、ドミニクが五五マルクの腕時計を早速腕にはめている隙に、グレゴリー叔父の自宅住所を記入する。ただし配送料は三八〇フェザーンマルク也……
「女の子へのプレゼントを買うときはもう少しお金を持ってくるものよ」
全くの浪費の後、テラス式のカフェでドミニクは綺麗な長い足を見せつけるように組んで、俺に言った。為替レートで行けば、今日ここまでの出費は月給の半分にほぼ等しいのだが。
「腕時計の代わりに、次の火曜日のお代は半額にしてあげるわ」
恩着せがましいというよりは、折角ついた贔屓の客へのサービスという感じでドミニクが言うものだから、余計に腹がグルグルとする。深く息を吐くつもりでモールのメインストリートを眺めると、若い少女のグループがジェラートを片手に、お喋りしながら歩いているのが目に入った。ジュニアスクールくらいだろうか。年齢だけで言えばドミニクと同じぐらいだ。俺の視線に気づいたのか、ドミニクも少女の一団に視線を向ける。
「ああいう姿を見て、私が傷つくとでも思っているの? ビクトル」
「いいや。あちらに行こうと思えば、今からでも方法があることを、君は知っているはずだ」
「……そうね。実の親がいないのは貴方も同じだったわね」
しばらく俺とドミニクは視線を合わすことなく、メインストリートの人の流れを見つめた。幼い子供を肩車した父親と乳母車を押す母親。周囲にハートをまき散らす二〇代のカップル。笑い声と喧噪をまき散らす一〇代の男女グループ。目つきの悪い少年は買い物袋を下げて一人ぼっち。
「ビクトル。私、これから行きたいところがあるけれど、一緒に来ない?」
「構わないが、あまり遠いのは」
「場所は中央市街よ。帰り道になるわ」
そう言い放つとドミニクは席を立ち上がり、すたすたとメインストリートへと歩みを進める。俺もその後についていこうとするが、その行く手をウェイターが遮る。俺が若いウェイターを睨み付けると、その手にはオーダー表が握られていた。
移動中、ドミニクはずっと黙ったままだった。何かに怒っている……わけでもない。怒っているならば一緒に行きたいところがあるなどと言わないだろう。フェザーン生まれの彼女なら、俺の尾行を巻くことなど容易なはずだ。リニアから降りたときも、舗装された道を歩いているときも、ひたすら無言。日曜日なので当然人通りは多かったが、中央官庁や行政府が林立する地区に入ると途端にその数は減る……
フェザーン自治政府警察本部、航路局、少し離れたところに自治領主府、財務当局、フェザーン準備銀行、超光速通信管制センター……ただひたすら『仮想敵』の施設が俺の視界を抜けていく。余計に呼吸が荒くなる。そして、ドミニクの歩みは全く止まらないが、もうここまで来ればドミニクが向かいたい場所というのは想像がつく。華美ではないが、だからといって実用一点張りでもない重厚な造りをした建物。自由惑星同盟フェザーン駐在弁務官事務所。
その正門から五〇メートルくらいの場所でドミニクは立ち止まる。おそらく、いや間違いなく、俺とドミニクの姿は赤外線監視システムで捉えられていることだろう。俺が一人で映っている分には問題ない。何しろ日曜日を除くほぼ毎日、この建物に通い詰めているのだから。だが、ドミニクは……
「行きましょう」
ドミニクはそういうと狭い路地へと身を翻す。その動きは素早く、ついていくのも精一杯。ただ路地に入った時に僅かに感じた尾行の気配は、あっという間に消えていく。一〇分程度の運動の後、たどり着いたのはいつも来るドミニクの店。地下に降り、鍵を開けて入ると、当然ながら人の気配はない。
「どこにでも座って。今日が休日だってみんな知っているから誰も来ないわ」
俺がいつものカウンター席に座ると、いつもなら叔父が立っているカウンターにドミニクは入り、下の棚から深紅のリキュールを取り出した。並べられたグラスを二つとって、俺の前に並べてリキュールを注ぐ。俺の分を注ぎ終わると、ドミニクは断るまでもなく一気に自分の分を飲み干した。吐きだした血のように薄い唇に残った赤いリキュールを右手で拭うと、カウンターテーブルに両手をつき、俺の顔に自分の顔を寄せ付ける。据わった薄い空色の瞳の中に、俺のとぼけた顔が映る。
「さて、ビクトル」
酒に酔っているというより酔わされているという口調で、ドミニクは俺に囁くように言った。
「私は貴方に『覚悟』を見せたわ。次は貴方の本当の名前、教えていただけないかしら?」
「ヴィクトール。ヴィクトール=ボロディン」
もはやウソを答える必要はない。例えドミニクが黒狐に飼われている可能性があっても、弁務官事務所のカメラにその身を晒した以上、勤務熱心な同僚諸君がドミニクのことを独自に調査するだろう。俺に近づいた怪しいフェザーン人として、フェザーン当局に照会を求める可能性もあるが、そこまで馬鹿ではないと思いたい。
そして同盟弁務官事務所周辺に潜んでいるフェザーン側の監視網もドミニクを捕らえた可能性は高い。フェザーン人の同盟側工作員として、今後の警戒対象にされるだろう。だがそれを帝国に情報として売るかどうかは微妙なところだ。
「年齢は二三。階級は大尉。自由惑星同盟フェザーン駐在弁務官事務所つき駐在武官」
「第一艦隊副司令官の甥で、宇宙歴七八四年士官学校首席卒業者。少しばかり間抜けで、生真面目で、女心に疎い、どうしようもない人」
そう言い放つと、ドミニクはきめ細やかな両手を俺の両頬に当て、自分の唇を俺の唇に押しつけるのだった。この後、何があったかは言わない。ただ宿舎に戻ったのが深夜だったことは付け加えておく。
それからドミニクの店で収集される情報は増加することになる。他の女性が歌っている時、今までは俺がじっと聞き耳を立てているだけだったが、今度はドミニクが直接接客することで客から少しずつ情報を抜き出してくれる。国家の存亡を揺るがすような情報など、中小企業の幹部や接待客、中間所得層が持っているわけなどないが、電子新聞に載らないような些細な情報が少しずつ漏れてくる。宇宙船の材料を生産する帝国内の鉱山で、労働者の一部が減っているとか、帝国側の商人が紙パルプの買い付けを始めているとか、帝国の誰それという若手貴族が軍拡を求めているとか。
逆にドミニクが俺に話を聞くこともある。同盟内部の政治情報、軍事情報、経済情報……当然ながら駐在武官としてリーク出来る情報と出来ない情報の区分けがあるから、それに合わせたレベルでドミニクに伝える。ドミニクに伝えた情報は市中に出回ってはいないが、同盟と取引のある商人にある程度の金額を払えば得られるようなレベルのものばかりだ。それでも店に来ればタダで聞けるわけだから、必然とドミニクに対する客の口も軽くなる。
これじゃまるで『ヒモ』だなとカウンターに座って、ボックスソファーの賑やかな笑い声を聞きつつ俺は自嘲せざるを得なかった。お客も少しずつ増え、狭い店は満席になることもある。働く女性も増えたことで、ドミニクも勤務日数を週二日に減らしてお客の数を調整している。年が明けて二月、三月。帝国軍の遠征を察知し、フェザーン商人の動きと、漏れ聞こえてくる調達物資の量からその動員規模を計算し、その数値が五月の辺境部における交戦でほぼ正確だったことが判明し、アグバヤニ大佐からまさかのお褒めの言葉を頂くことにもなった。
ドミニクのプライベートも順調だった。勤務日数が減り、かつ収入が増えたことで歌やダンスのレッスンに割ける時間が増え、オーディションで落選しても審査員の評価はかなり高くなり、七月のオーディションではほぼ間違いなく歌手デビューすることが出来るだろうという話になっているようだ。誰のお陰か細かった身体も女ぶりを増し、元々大きかった胸と腰との釣り合いが取れてきて、理想的な曲線美を描くようになってきている。
「貴方に会えただけで、これほど変わるとは思わなかったわ」
七月初旬の金曜日。接客の合間を縫って俺の隣に座ったドミニクは、艶を増した笑顔で囁いた。もともと頭にもスタイルにも声にも才能はあって、たまたま一五歳から一六歳という時期に会えただけで、俺が彼女に何かしたわけでもなんでもない。そう思うと内心忸怩たる想いが渦巻く。微妙な空気を感じ取ったのか、ドミニクは何も言わずに俺の背中をポンと叩くと、再びボックスソファーへと戻っていく。そのタイミングだった。
胡桃材の扉につけられた鈴が鳴り、来客を告げる。いつものようにカウンターに詰めているドミニクの叔父さんがそれに応える。
「いらっしゃい」
「ほう、噂通りなかなか良い店だな。席は空いているかね?」
重々しい響を持つ、強い男のみが持つことを許される声。聞き覚えはある。時折開かれるパーティーで遠巻きに。直接聞いたのはもう一年近く前のこと。そして俺の隣の席は、ちょうど空いたばかりだ。
「隣に座らせていただこうかな。ご主人、ウィスキーをストレートで二杯。彼に一つ渡してくれ。私の奢りだ」
大きく重厚な身体が、貧弱なカウンター席に小さな悲鳴を上げさせる。そしてその男は俺に大きな顔を向けた。
「久しぶりだな。ボロディン大尉。フェザーンでの暮らしが充実しているようでなによりだ」
そう言うと、アドリアン=ルビンスキーは俺に向かってグラスを掲げるのだった。
後書き
2014.10.30 更新
第33話 決められた天秤
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
これでフェザーン編はオシマイです。
宇宙歴七八七年七月~ フェザーン
男という生き物には「格」がある。
人格、風格、体格……いろいろあるが、結局は分野別の序列付けだ。誰は誰より●格が上である、そういう使い方が一般的だ。
そして今、俺の隣に座る巨漢にしてフェザーン自治政府高等参事官アドリアン=ルビンスキー。
並んでフェザーン人が評せば、一〇〇人が一〇〇人して俺よりルビンスキーの方が、格が上だと言うだろう。地位にしても、資産にしても、体つきにしても、そして人間としても。年齢は三二歳。俺より九歳年上のはずだ。だが身に纏う覇気は年齢以上の差を感じさせる。
「どうした。大尉。飲まないのか? 毒など入ってはいないぞ」
「この店の品物に毒が入っているとしたら、とうに死んでいます。高等参事官殿」
「おやおや、一〇ヶ月前のことを忘れたのかな。『ヴィクトール』」
ルビンスキーの声は聞くだけで人の腹を振動させる。薄手のカットソーにサマージャケットの姿は、いつもより威圧感をまき散らしている。幸いボックスソファーの方に背を向けているので、気がついている者はいないようだが、トイレに立つため脇を抜けた中年の商人が顔をチラ見してギョッとしたので、この店から客がいなくなるのは時間の問題だ。
「高等参事官殿をお名前で呼ぶのはさすがに恐れ多いですから、それは勘弁していただきたいですね」
ウィスキーで喉を灼いたお陰か、かろうじて俺の舌は心臓の鼓動と比例せずに済んだ。
「それにしてもこのような場末の酒場に足をお運びになるとは驚きです」
「運ぶとも。足を運ぶ手間より利益になるのならば」
さも当然という口調。ルビンスキーは最初にグラスを掲げてからずっと、グラスの中の氷を見下ろしている。
「ここでは火曜日と金曜日、酒を飲むだけで同盟の話が聞けるらしい。しかも囁くのは歌の上手い赤茶色の美女と聞く。彼女がどういう伝手で同盟の情報を手に入れるかは知らないがな」
俺を横にしてルビンスキーはそう呟く。ドミニクの情報源が俺と知ってこの店に来たのは言うまでもない。だからこそ奴に、正直に応えてやる必要はない。
「この店の酒は逸品揃いですよ」
「ほう。君は彼女が逸品ではない、と言うのかな。大したものだ」
絶妙な返しに俺は奥歯で歯ぎしりすることしか出来ない。そしてどうやらボックスソファーにルビンスキーの来店は伝染したようで、こちらを伺うような視線と気配が次々と俺の背中に突き刺さる。ドミニクがその気配をすかさず感じ取って、自然な動きでステージへと上り歌い始めるが、来客の緊張感をほぐすには至っていない。
そして三〇分もしないうちに店内は俺とルビンスキー、そしてドミニクとドミニクの叔父を残して空っぽになった。トイレに立つふりをして、ドミニクが俺に心配そうな視線を向けるが、俺は『近寄るな』と眉をしかめる事で合図すると、ボックスソファーの片付けに戻っていく。
「愛とか恋は幻想の代物だと、君は知っているか?」
ルビンスキーの奇襲に、俺は首を意識的にゆっくりと回し、大きな顔を睨み付ける。ルビンスキーは俺の視線などまるで気にしない。ゆっくりとグラスを傾けてウィスキーを太い喉へと流し込んでいる。明らかに俺の返答を待つ態度だ。応えてやらねば、聞き耳を立てているドミニクもドミニクの叔父も失望するだろう。
「幻想という言葉は実に高等参事官らしいお言葉です。閣下は愛も恋も信じた事がないのですか?」
「信じるという言葉も幻想だな」
「……閣下は悲観主義者でいらっしゃるのですか?」
「君ほど楽観主義者でないことは確かだな」
そう言うとルビンスキーは鼻で笑う
「仮に君の言う愛が現実にあるとして、君は彼女を幸せに出来るのかね?」
それは言われるまでもなく、俺がドミニクと『そういう』関係になってからずっと考えていたこと。だがルビンスキーは容赦しない。
「まず彼女の幸せというものを考えてみよう。彼女には両親がない。心優しい叔父さんはいるが、年老いて将来が心配だ。とりあえず来月にはデビューも決まった。歌手としての一歩を踏み出せる。踏み出すことは出来るだろう。さて、売れるかな?」
俺が顔色を変えなかったのを誉めてほしいと、今ほど思ったことはない。ルビンスキーがこの店に訪れた時からおおよそ予想していたとはいえ、この男の声で聞かされると改めて胃が縮んでいく。
「……フェザーンの遣り口は十分承知の上ですよ」
「君が彼女を連れて同盟に帰ったとしよう。フェザーンの美しく聡明な女性をボロディン家は歓迎するだろう。だが統合作戦本部はどう思うかな? 果たしてグレゴリー=ボロディン少将を中将に昇進して良いものだろうか」
「子供の罪が親に伝染するほど、同盟の法体制が揺らいでいると思っておいでなら、勘違いも程々に」
「法が揺らいでいるとは考えてないさ。揺らいでいるのは常に人間の方なのだからな」
「……」
それが真実であることは承知している。法は健全でも恣意的な運用はある。グレゴリー叔父がいくら有能で、誠実な軍人であろうと敵はいる。軍の出世レースは常に過酷だ。
そしてドミニクは俺と一緒に同盟弁務官事務所のカメラに写っている。優秀な同僚がその内偵を進めているのは間違いない。この店の事ももう承知しているだろう。ただこの店に俺も顔を出していること、そして先の会戦で有効な情報を提供できたことで、この店とドミニクの存在は同盟に利するものとして考えている。ドミニクがフェザーンを捨てて同盟の人間となっても直接危害を加えられる恐れはほとんど無い。
だがフェザーンで情報工作を担っていた人間が、同盟の軍人の家族となることを軍部や情報機関は深く警戒するだろう。しばらくは監視の目がつく。そしてグレゴリー叔父の競争相手にとって見れば、小さいながらもスキャンダルの種になる。花を咲かせるかは分からないが、可能性は充分すぎるほどに。
そして連れて帰った俺はどうなるか。士官学校首席卒業。二年で大尉。速い出世であることは否定しない。だが原作通りなら帝国領への侵攻まではあと九年。それまでに戦略を左右できる地位にまで昇進できるか……まず無理だろう。そうなると同盟を救うには金髪の孺子を早々に殺すしか選択肢がない。
いいや、すぐに連れて帰る必要はない。勿論『愛は不滅だ』とは言わない。置き去りにされたとドミニクが考え、心変わりする事もあるだろう。前世でも遠距離恋愛の成立が困難な事は承知の上だ。だが俺が昇進し、帝国領侵攻を阻止できれば……いつでもドミニクを同盟領に呼べる。俺が希望を僅かなりとも取り戻したタイミングだった。
「そうだ、これも君には言っておかなければならないな。昨夜のことだが、ボルテック対外交渉官がアグバヤニ大佐と会ったそうだ。君のことも話題に上ったそうだぞ」
そう言いながら、何の話題かまでは言及しない。ボルテックに問えば、それは同盟弁務官事務所駐在武官の間で情報の齟齬が生じていることを公にするようなものだ。逆にアグバヤニ大佐に問えば、既に俺とドミニクの関係を知っているであろう大佐は俺に疑念を持ち、何らかの行動をとることだろう。泰然自若として無視する。それしかないが……やはり大佐は黙っていないだろう。
「守るものが多いというのも大変だな」
それはルビンスキーの勝利宣言だった。俺が自らの身の程知らずと無謀さと愚かさを痛感し、背を丸めて両拳をカウンターテーブルに押しつけるのを見て、ルビンスキーは再び鼻で小さく笑うと席を立って店を出て行こうとする。
「ルビンスキー」
俺は自分の腹の中から勝手にわき出る感情に身を任せた。
「今の俺には才能も実力も覇気もないが、時期を待つという事は知っている。あんたはいつか自分の身の丈以上の欲望に溺れるだろう。気をつけるんだな」
「……なるほど。心しておこう」
胡桃材の扉の前で足を止めて首だけ振り返ると、ルビンスキーはそれだけ言い放ってこんどこそ出て行った。
扉がゆっくりと閉まり、鈴の音が収まってから、ドミニクは俺の処に駆け寄ってきた。背中越しでも泣いているのははっきり分かる。ルビンスキーの言葉の全てを聞いていたのだろう。言葉に出さなくても、彼女には次にどういう事態が待っているかは理解できている。今あるのは手持ちぶさたというより、ルビンスキーの脅迫を真っ向から受ける形になったドミニクの叔父の、逃げともいうべき食器を洗う音だけだった。
……それからの状況変化は、こちらが呆れるほどに素早いものだった。
ルビンスキーと会った次の日には、アグバヤニ大佐から呼び出しを受けて、ドミニクとの関係を説明させられた。一通り事実を説明すると大佐は最初こそ頷いていたが、フェザーン自治政府から『好ましからざる行動』と指摘されたことを俺に告げた。
「その女性との関係が悪いとは言わん。君の倫理観に、私は口を出すつもりはない。ただ君がその女性を利用し、同盟に有為な情報を入手した功績はともかく、フェザーン当局はあまり快く思ってはいないようだ」
いちいち大佐の言うことはもっともでもあり、同時に俺の神経を逆なでさせるものであり、自分の馬鹿さを痛感させるものでもあるので、俺は大佐に何も応えなかった。それが逆に大佐を困惑させたのか、しなくてもいい咳払いをしてから、大佐は書類を開いて俺に告げた。
「駐在弁務官からも君の行動を問題だと言ってきている……残念だが君には転属してもらうことになる。統合作戦本部人事部も事態を憂慮し、一週間後を目処に転属先を連絡するそうだ。それまでは駐在武官宿舎での謹慎を命じる」
「承知しました」
他の駐在武官も似たようなことをやっているのに、自分だけ処分されるのはおかしいではないか、と抗議するまでもなくあっさりと俺が応えたもので、大佐はいぶかしげに俺を数秒見ていたが、結局追い払うような手振りで、俺に退出を命じた。
宿舎での謹慎となれば当然ドミニクの店に行くことは出来ない。荷物と資料を整理し、朝昼晩と食堂で食事をし、ただ時間が過ぎるのを待つ。同僚もあえて遠巻きにして近寄ってこない。彼らとて俺と同じような傷を持っている。ただ相手はドミニクのような女性ではなく、もっと欲の皮の突っ張った男であり、『そういう』関係ではないというだけで。
一週間後、再び大佐に呼び出されると、執務室で俺は辞令を受けた。同盟軍の徽章を頂点に印刷したピラピラの辞令書に記載されていた俺の次の赴任先は、マーロヴィア星域防衛司令部付幕僚。宇宙歴七八七年八月三〇日までに赴任せよとの指示だった。
マーロヴィア星域はハイネセンから四五〇〇光年。フェザーンからは約六〇〇〇光年。自由惑星同盟きってのド辺境で、ハイネセンからでも余裕で一月以上の旅程になる。それを八月三〇日と断ってまで書いてあるということは、『ハイネセンに寄るな』と言っているに等しい。フェザーンからはポレヴィト・ランテマリオ・ガンダルヴァ・トリプラ・ライガールと少ない定期便を綱渡りしていくことになるだろう。しっかりとチケットが用意されているのは、フェザーン側の配慮かも知れない。
そのチケットに従い軌道エレベーターで宇宙港まで上り、フェザーン船籍の旅客船に乗り込む前のこと。ふと壁一面に映された映像に目を奪われた。赤茶色の長い髪は繰り返されるフラッシュによって輝きを放ち、きめ細やかな肌はより美しく瑞々しく写されている。腕には大きなトロフィーを抱え、マイクを向けられ笑顔と泣き顔の中間というべき表現しにくい顔をしている。
「三度目の挑戦での頂点、ドミニクさん。今のお気持ちをお聞かせ下さい!」
アナウンサーの質問に、画面の中のドミニクはなんと応えて良いか分からないといった表情を浮かべた後、「嬉しいです」と応えた。
「では、今のお気持ちをどなたに伝えたいですか?」
その質問に俺の足は止まり、画面を見つめる。繰り返されるフラッシュの光に目を細めつつ、ドミニクの顔を見つめる。
「……今まで応援してくださった、多くの人達に感謝したいです。とっても」
そして俺はその言葉を背に、辺境への搭乗口へと歩みを進めるのだった。
後書き
2014.11.01 更新
第34話 頑固爺とドラ息子
前書き
いつも閲覧ありがとうございます。
ド辺境で爺様と共に一旗揚げようとJrは頑張ります。(まだ導入部分)
皆さんのご期待に応えられるような作品をお送り出来るよう頑張ります。
宇宙暦七八七年八月三〇日より マーロヴィア星域 メスラム星系
旅程五三日。その間に海賊の襲撃を受けること三回(逃走・交戦離脱・逃走)。武装輸送船リリガル四四号に乗った俺は、ようやくマーロヴィア星域の中核である惑星メスラムの軌道上に到着した。
俺の新任地となるこの星域を説明するならば、ド辺境の一言で済む。星域管区に含まれる星系の数は一六を数えるが、有人なのはその内の四つ。メスラム星系はその中でも人口の多い星系であるが、総人口は一五万。星域全体でも二〇万に達しない。前世で言えば東京都の特別区位か。惑星メスラムはヤンが赴任した惑星エコニアとほぼ同レベルで、主な産業は液体水素燃料製造と農業、それに宇宙船装甲用材に使われる金属の小惑星鉱山群がある。
本来なら小惑星鉱山で働く鉱山労働者をはじめとした鉱工業の発達が望め、しかも惑星メスラムは岩石型惑星であり、液体としての水が存在でき、しかも呼吸可能・屋外活動可能な大気圏と、地球標準重力の一・二倍の重力を有していて自転周期は二七時間と、これ以上の天然惑星は本来望むべきではないと言うべき環境なのだ。その星系が何故発展しなかったのか。
理由の一つはハイネセンからフェザーンにかけての同盟中央航路からあまりにも距離があること。同様の鉱山で中央航路により近い箇所は数多く、特に市場への距離は絶望的で、価格・輸送時間・生産量で勝負にならない。
次に恒星の出力が小さいこと。地球よりやや大きい惑星メスラムの大地に降り注ぐエネルギー量は少ない。自転軸の関係もあるが、両極地が極めて広く惑星全体が寒い。カプチェランカのような極寒ではないにしても、雨が降るより雪が降る季節の方が長い。ゆえに植物は耐寒性の強いものか、工場や人工環境(居住ドームみたいなもの)内でしか生育しない。
また鉱山が小惑星帯にあること。鉱山労働者は惑星上に居住地を持ちつつも小惑星まで行って作業に従事する事になる。すべてを小惑星帯で行う事は可能で、実際操業している企業は「鉱山船」と呼ばれる移動式のプラントを用いている。だから惑星上がそれほど発展させる必要性がない。自然重力下における休暇と娯楽の簡単な施設があればそれで十分なのだ。
そして最大の要因は宇宙海賊だ。プラントも精製金属も、宇宙海賊にとってみれば垂涎の資材である。各星域管区を統括指揮する統合作戦本部防衛部の資料だけで二〇以上の海賊が確認されている。常駐しているわけではないだろうが、広大な公転距離を持つ濃密な小惑星帯に潜まれては、確認が難しい。
同盟政府も同盟軍も宇宙海賊の討伐には力を入れているが、経済的な面から中央航路を優先する。艦艇も兵員も有限である以上、それは仕方のない。だが広大な星域管区版図を有するマーロヴィア星域に配備されている艦艇が、僅か二三九隻というのはいくらなんでも少なすぎる。一星系の防衛戦力ではない。一星域の全戦力(戦闘艦艇のみ)で二三九隻。戦艦はたったの五隻。巡航艦が一三五隻に駆逐艦が一〇四隻。当然ながら宇宙母艦は配備されていない。巡察艦隊と警備艦隊の区別もあるわけもない。兵員数は一万四〇〇〇人弱。定員充足率六〇パーセント以下……惑星住人の一〇人に一人が軍人である。シャレではなく、軍事基地も産業の一つなのだ。まぁ三六〇〇人しかいないエコニアに比べれば、軍艦があるだけまだマシかもしれない。
そして俺の転属に合わせこの星域の防衛司令部の顔触れも幾人か変更されることになった。正確に言えば、防衛司令部の顔触れが情報参謀と後方参謀を除いて交代するので、大尉の一人くらい捩じ込めるスペースがあったというだけ。当然司令部付き幕僚などという役職に前任者はいない。新任司令官の名前はまだ知らされていないが、結果として一番乗りする形になった俺は、前任の司令官、首席参謀、情報参謀、後方参謀、副官からヒアリングし、一応の星域状況を把握する事が出来た。もはや誰が司令官に来ようと現状を良くすることはできないというのが五人の一致した意見であり、俺もおおよそ同意できた。つまりそれが示す意味は、もう中央に戻ることはできないということ。暗澹たる気分に包まれつつも、交代する各人と引き継ぎ資料を作成し、個人的にも星域関連資料を作成して、新しい司令部の着任を待った。
「で、最初に到着した貴官が、オマケに付いてきたという御曹司か」
司令官用の執務席に座った老人は、俺を一瞥してから、まずは一撃とばかり毒舌を打ち込んでくる。
まだ若干黒いものが残ってはいるが、大部分が白髪に覆われた頭部。眉も髭もモサモサして、額には長年の苦労を忍ばせる皺が多数刻みこまれている。だが歳を感じさせない、瞼の奥に輝く瞳には力がみなぎっていた。短気で頑固な人物と言われる。後の第五艦隊司令官にして、ラリサお気に入りの戦艦リオ・グランデを墓標とした、同盟軍最後の宇宙艦隊司令長官……
「さようです。ビュコック准将閣下」
「『さようです』か。あ~士官学校七八〇期生首席卒業。査閲部で一年、ケリムで一年、フェザーンで一年。現在二三歳で大尉。なるほど」
頑固オヤジことアレクサンドル=ビュコック准将は、俺の経歴書と俺の顔を交互に見ながら頬づえをつき、つまらなさそうな口調で言った。
「大尉。わしが大尉に昇進したのは三五を過ぎてからになってからなんじゃよ。軍歴二〇年を前にしてようやく駆逐艦を任されてな」
「存じております」
「……わしの経歴を、何故貴官は知っているのかね?」
明かに不愉快だといった表情でビュコックの爺さんは俺を睨み上げる。確かに爺さんから見れば不愉快な事だろう。二等兵からの叩き上げ、現在は六一歳だから四二年目というところだ。こちらの世界での俺の人生の二倍半、軍歴だけなら二倍弱。そんな彼から見れば、俺など苦労知らずの御曹司だ。
「本を一冊書いたとはいえ、わしはそれほど有名人だと、ついぞ聞いた事はないがな」
「査閲部に在籍した折、マクニール少佐と知己を得ました。少佐は小官に砲術の話をされる際には、必ずと言っていいほど閣下のお名前を出されました。“同盟軍でも最高の砲手の一人だ”と」
「マクニール……あぁ、“酔いどれマクニール”か……ほう」
視線の質が不愉快から疑念まで変化した。そして俺の経歴書を未決の箱に放り込むと、手を組んで皺の寄った顎を乗せて俺を見上げる。
「彼の掲げる砲術理論……理論というものではないな、『コツ』を言ってみたまえ」
「おおまかには『相手より先に撃つより、早く正確に撃ち返せ』と『むやみやたらと射点・射線を変化させるな』の二点です」
マクニール少佐が退役するまで、査閲部で俺と膝を突き合わせて話した事は基本的にその二点に収束される。他にもいろいろな『コツ』は教わったが、それらのほとんどが引き金を緩くするといった分野であって、ビュコックの爺さんが聞きたい事はそういうことではないだろう。本当に俺が自分の知るマクニール少佐と知己を得ているのか、疑っていたということか。
そういうとビュコックの爺様は未決の箱から決済の箱に俺の経歴書を移す。そして俺に顔を寄せるように手招きした。俺がそれに従って前進し爺様に顔を寄せると、爺様は老人とは思えぬ動きで席から立ち上がり、固い右拳が俺の頭めがけて振り下ろす。誰がビュコック提督のそんな動きを予想する!?
「イタァァァ!!」
「この馬鹿息子が!!」
頭蓋骨が割れたかと思うくらいの痛さで思わず床に蹲る俺を、爺様は容赦なく叱咤する。
「シトレ中将はフェザーンに配属させた張本人を探しに情報部まで怒鳴り込んだというのに!! それだけ期待されているにも関わらず、軽率な行動でこんな辺境に流されおって、反省せい、反省!!」
最初から俺の事など全て知った上での演技だったわけで、俺はものの見事に爺様に騙されたわけだ。そしておそらくこの人事もクソ親父(シトレ中将)がまたも干渉した結果だろう。本当は感謝したい気持ちで一杯だが、この痛撃はそのお叱り分ということなのか。左手を頭に当て、涙ながらに俺がかろうじて立ちあがると、爺様はドンと先ほど俺の頭に振り下ろした拳を執務机に叩きつけた。
「あのマクニールが一緒に酒を飲んだほどの男なら見どころは十分ある。まず貴官にはケリムで見せた実力をこの辺境で見せてもらうぞ。後から来る連中を交えてな」
そう言うと爺様はどっかりと音を立てて席に座りなおす。
「さぁ、ジュニア。マーロヴィアの大掃除じゃ!!」
爺様の年齢不相応な覇気の溢れる声に、俺の背筋は自然にピンと伸びるのだった。
その翌日。交代となる星域管区参謀長と司令副官が軍の連絡船で到着した。参謀長はルイ=モンシャルマン大佐。司令官付き副官はイザーク=ファイフェル少尉。いずれも原作の登場人物であり、第五艦隊の幕僚幹部だ。いずれも原作より若干若作りであり、ファイフェル少尉など士官学校卒業したばかり。それでいきなり初任地がなんでこんな『修羅場』なのかと恐怖と困惑で落ち着きがない……無理からぬ事だとは思うが。
一方で残留組も改めてビュコック爺様に挨拶する。情報参謀はウォリス=リングトン中佐。西欧系の三〇代前半で、士官学校情報分析科卒。艦隊情報参謀も兼任している。後方参謀はグエン=サン=チ少佐。五〇代後半で、軍補給専科学校卒。やはり艦隊後方参謀も兼任している。そして俺も転属という形なので、前任者はいないが残留組として扱われるらしい。つまりビュコック爺様が呼び寄せた(ファイフェル少尉は人事部の機械抽選の結果だろう)のが交代組。それ以外は残留組だ。
もう年配の、准将に昇進していなければとっくに退役している歳のビュコック爺様が、あえて新任の司令官としてこのド辺境に赴任したということは、爺様の言うとおり「大掃除」の為に選ばれたということだろう。准将の定年は六五歳なので、治安回復には四年はかかると統合作戦本部防衛部は考えていると見ていい。
内々に治安回復の命令を受けたビュコック爺様は、司令部要員を全員交代させる権限があったにしても、情報参謀と後方参謀はあえて残したのは、どんな人材にしろ現状の問題点を把握するには、当の本人から聞いておくべきとの考え方からだろう。俺の存在は正直計算外だったのだろうが。
「この星域がド辺境じゃということは承知しておる。じゃからといって海賊の跳梁跋扈を許しておくわけにはいかんのだ。各人にはそれぞれ職務に精励し、治安改善の手助けをしてもらいたい。以上じゃ」
ビュコック爺様の簡単な訓辞が終わり、それぞれの執務へと戻っていく中で、俺は再びファイフェル少尉に呼ばれて爺様の処へと引き返した。やはり同じように呼び戻されたのか、モンシャルマン大佐も爺様の執務室で待っていた。
「転属してからヒマだったジュニアの目から見ての感想で構わない。現有戦力で海賊共を制圧することは可能かね?」
モンシャルマン大佐の実務家を思わせる重みのある声での問いに、俺は一呼吸置いてから応えた。
「現有戦力が全て信頼に値するというのであれば、可能であると考えます」
「つまりは内通者がいると考えていいわけだね?」
「さようです」
「リングトン中佐とチ少佐は、海賊討伐に際し、信頼に値する幕僚と思うかね?」
「小官が転属したのはつい数日前ですので、彼らが信頼できるかは正直分かりかねます」
「君が海賊討伐の総指揮を担うとして、最も必要とされる事項を一つあげるとすれば何かね?」
「行政側の助力と緊密な連携です」
海賊と戦って勝つのはそれほど難しい話ではない。ケリム星域の『ブラックバート』のように元軍人で、戦艦すら運用する大がかりな組織は別として、軍艦と海賊船では武装にも練度にも格段の差がある。だが海賊は小規模故の身軽さで潜伏・移動・攻撃を行う為、勝つことは可能でも制圧することは困難だ。
彼ら海賊を制圧するには武力だけではだめだ。海賊になる理由は人それぞれだが、その一つとして経済的困窮が上げられるのは間違いない。違法な商取引、掠奪、人身取引などに手を染めるのも、貧しさゆえにという処もある。貧しさから脱却できる合法的な手段があるのならば、命を天秤に掛けるような海賊行為を行うのは、反政府組織か犯罪組織かのいずれかである。そして星系の経済を指導するのは軍部ではなく行政府である。
そこまで俺が説明するまでもなく、モンシャルマン大佐は無言で頷くと、爺様と一言二言話す。爺様は厳しい目つきでそれを聞いていたが、三〇秒もしないうちに大佐に小さく手を掲げて話を止め、椅子から立ち上がった。
「ジュニア。貴官がケリムで『ブラックバート』を壊滅寸前まで追い込んだのは、わしも聞いておる」
初対面の時、この話はしているのであえていうのは、モンシャルマン大佐とファイフェル少尉に聞かせるためだろう。俺が頷くと、爺様はさらに続けた。だが次の言葉は考えていなかった。
「その実績を鑑み、貴官に海賊討伐の全ての作戦立案を命じる」
「……作戦立案の権限は司令官と参謀長のみに与えられる権限であると考えますが」
それを考えるのは、統合作戦本部から命じられた爺様達の仕事でしょう、と俺は含みを持たせて応えたが、爺様達は一度視線を合わせた後で俺に応える。
「わしと参謀長は、現有戦力の把握で手一杯じゃ。同時に作戦を考える余裕なぞない」
さすがにそれは明確なウソだと、俺にも士官学校を卒業したばかりのファイフェル少尉にも分かる。
「ゆえに参謀長より、貴官に作戦立案を命じる。指揮権限は司令官準拠とし、戦力は星域管区の戦力のみとして作戦を立案せよ。期限は二週間以内だ」
「……ですが」
「いいかね、ジュニア」
爺様の声のトーンが、人の背中を引き締めるような、やや危険なゾーンへと入っている。
「広大とはいえ辺境の軍管区に、『次席幕僚』などという余剰人員を飼っておく余裕はないのじゃよ。給与を振り込んで欲しかったら、それなりの仕事をしてもらわんといかんのでな」
「微力をつくします」
そう言わざるを得ないような雰囲気の中で、俺は直立不動の姿勢で敬礼する。その姿を見て、爺様は「うむ」と頷いてから、モンシャルマン大佐に視線を向ける。爺様からの無言の命令を受けた大佐がさらに続けた。
「作戦に必要な物資に関してある程度の相談には乗る。情報で不足する部分があるのであれば、参謀長と同等のアクセス権限を貴官に付与する。リングトン中佐とチ少佐には、貴官にアクセス権限が与えられたことのみ、参謀長である小官から伝達しておく」
「承知しました」
それは作戦事項を現時点では二人に話すな、ということだろう。いずれは解除される事だろうが、爺様とモンシャルマン大佐がこれから二人の『身体検査』を行うと言っているのと全く同じだ。
「作戦立案に際し、補佐が欲しいのであれば勤務時間外のファイフェル少尉を遠慮無く使って構わん。行政府と接触する場合は司令官の命令であると突っぱねてよい。その当たりの匙加減は貴官に任せる。フェザーンで折角痛い目に遭ってきたんじゃから、その『経験』は充分に活用するんじゃぞ」
最後に爺様が余計なことを言ってくれた。あのクソ親父(シトレ中将)から聞いたんだろう。どうして余計なことまで吹き込むかな、あの黒狸。
とにかく作戦立案権限をほとんどフリーハンドで与えられたことは望外とも言うべき状況だ。当然、俺が落第点の作戦を立てたとしても、二週間という限られた時間ならば、改めて司令部で作戦が立てられると爺様と大佐は考えているのだろう。故にそれなりのものを仕上げなければ、爺様や大佐の信頼を失うし、ひいてはこうやってフォローしてくれたクソ親父の面目にも関わる。
課題は重いが、もうチャンスはないだろう。その覚悟で臨むしかないと俺は心の中で呟いた。
後書き
2014.11.02 更新
第35話 できること
前書き
6年ぶりにご無沙汰しております。平 八郎です。
つぶやきにも書きましたが、「マーロヴィアの草刈り」をとにかく終わらせるつもりです。
一日一話で行くか、まとめて一気に公開かは、後で考えます。
宇宙暦七八七年九月から マーロヴィア星域 メスラム星系
さてマーロヴィア星域管区の海賊討伐作戦をビュコック爺様から任されたといっても、どこから手をつけるべきか。
司令官権限で、使用可能な戦力は二三九隻の所属艦艇のみ。たったそれだけの戦力で一六個の星系(メスラム星系が一番多いだろうが)に潜む海賊を見つけ出し撃破しなくてはならない。普通に必要とされる艦艇数の桁の数が一つ違う。
過去の情報によればマーロヴィア星域では、広大な管轄宙域に多くの海賊集団が点在している。拠点位置が確認出来ないのだから、個々の規模は大きくないと考えていい。しかしどの組織も軍内部か行政府内、あるいは宇宙港関係者に内通者がいるらしく情報が事前に漏れているようで、出動がたいてい空振りに終わっている。
軍内部の綱紀粛正に関しては、ビュコックの爺様やモンシャルマン大佐が部隊の掌握と同時に洗い出しを行っている。どこまで出来るかは分からないが、とりあえずは全ての艦が運用できるという仮定に立つしかない。
海賊を武力で撃破する手段は大まかに二つ。
一つは根拠地を探し出し撃破すること。膨大な時間と正誤判別の手間がかかり、成否は運用する艦艇の数に左右される。だが根拠地となっている鉱山船や小惑星にはワープ機能はなく、発見さえ出来れば撃破は容易だ。根拠地を潰せば、機動戦力はメンテナンスを行う場所を失う。人も宇宙船は手入れが必要であり、結果として海賊を撃破する事が可能となる。もっとも組織が複数の根拠地を有している場合はあまり意味がない。
もう一つは囮を利用した機動戦力の撃破。より能動的に情報を活用し、囮の艦艇を利用して海賊船をおびき出す戦術だ。手間はかからず少数の戦力でも実施可能だが、事前に作戦情報が漏れれば空振りに終わる。何度も実施したところで成功するとは限らないし、複数の艦艇を有する組織であれば、根絶には至らない。ただ成功すれば、海賊の襲撃手段が直接的に奪われるので、長期にわたってある程度の安全が確保できる。
つまり『家を焼く』か『足を切る』かの違いだ。宇宙戦闘兵器や空間航行能力および空間索敵能力の向上により細かな戦術は変化しているものの、対海賊戦略はもはや『伝統』の域に達しつつある。運用する軍人は組織として知識を蓄え、後継に受け継がれている分、宇宙海賊に対して圧倒的に優位に立っている。ただしそれも戦力が充分揃っていればの話。
結局のところ、戦力不足という壁がこのマーロヴィア星域では立ちはだかる。ケリムの時には第七一警備艦隊だけで四八五隻。ここは星域管区所属艦艇全部合わせても二三九隻。一六個の星系にある跳躍宙点各所に艦艇を派遣し次元航跡を調査するだけで、手元には一隻も残らない。同時並行で探査する必要性もないが、星域内を移動するだけでも数日の時間を必要とする。マーロヴィア星域の海賊船は確認されているもので大きくてもせいぜい巡航艦くらいだから、次元航跡の大きさは小さく数日もすれば消えてしまう。根拠地を明確に把握できないのは、今までの軍指導部が無能だったわけではない。
過去の管区防衛司令部も数度にわたり中央に戦力の増強を依頼していた。しかし中央航路から遠く離れたド辺境に大戦力を駐屯させるよりも、制式艦隊や中央航路星域の巡視艦隊に配備する方が重要視される。艦艇だけなら配備は出来るだろう。二万隻以上を一度に失ったイゼルローン攻略やアスターテ星域会戦、アムリッツァ星域会戦以降の惨憺たる敗北が続いている時期ならともかく、戦力に余裕があるはずの現時点でもマーロヴィア星域に艦艇が配備されない理由はただ一つ……「動かす人が足りない」のだ。
幾ら素晴らしい軍艦を建造しても、運用する人間がいなければただの金属と有機化合物の箱。総人口一三〇億人といわれる自由惑星同盟で五〇〇〇万人という数字は、継続維持可能な軍人の数的限界に近い。当然五〇〇〇万人全員が戦闘艦艇要員ではない。後方支援部隊があり、地上戦部隊があり、指揮・運用組織がある。軍艦の省力化は自由惑星同盟軍成立以来常に求められているが、それでも限界は存在する。充足率六割というマーロヴィア星域防衛艦隊は、空間戦闘が継続可能なギリギリの数といっていい。
「せめて一〇〇〇隻あれば、話は違ってくるんだがなぁ」
大尉の階級で執務個室が与えられているというだけで本来は破格の扱いだが、ここでは単に司令部の部屋が余っているだけだ。自然環境の良さからこの惑星が、将来辺境開拓において重要な拠点となると考えた一〇〇年前の統合作戦本部が作っただけあって、管区防衛司令部の建物は無駄にデカイ。各艦の艦長にも個室が与えられているというのに、施設の七割以上が未だ閉鎖されている。充分な人員を配置し、通信などの設備を再構築すれば、数個艦隊の戦力を指揮統制することすら出来るだろう。だが現在はたったの二三九隻。
しばらく自分の考えをメモにとり、それを破く作業を繰り返す。いつの間にか時計は二〇〇〇時を指していた。勤務時間は基本的に〇八〇〇時から一八〇〇時。次席参謀という考えることが仕事のような者に残業手当は出ないので、気晴らしまがいに俺はファイフェルに電話する。
「……あぁ、すみません」
画面の向こうのファイフェルは、俺の顔を見てもどこかぼんやりした様子で、幼さの残る顔には疲労が浮かんでいる。原作では第五艦隊の高級副官で少佐からの登場だったが、現在は士官学校を出たばかりの少尉。いきなり星域防衛司令官の副官に任じられ、その労苦は大きいのだろう。まして上官があの爺様ときては。
「どのようなご用件でしょうか。ビュコック司令官閣下との直接通話をご希望ですか?」
「……ファイフェル少尉、随分疲れているんじゃないか?」
「大丈夫です。若いですから。で、ご用件はなんでしょう?」
「ビュコック司令官閣下に繋いでくれ」
「はい。お待ち下さい」
数秒遅れで通信画面にビュコック爺さんが現われる。こちらはファイフェルとは対照的に元気いっぱいといった感じだ。
「おぉ、ジュニア。残業手当が出ないというのに、遅くまで仕事ごくろうじゃな」
「ありがとうございます閣下」
爺様にとって軽いジャブなのだろうが、言われた側は結構な打撃を感じる。一兵卒からの叩き上げの爺様は、若い士官学校出身者が嫌いだから皮肉っているのではないのはわかっているんだが、士官学校を出たばかりのファイフェルがそう誤解しても不思議はない。何しろ副官として四六時中、爺様からプレッシャーを浴び続けるのだから。
「で、対海賊の作戦案は纏まったのかね?」
あからさまとは言わないまでも、隠し味の唐辛子のように刺激的な圧力を加えつつ、爺様は俺に尋ねてくる。別に逆らおうと思っているわけではないが、能面素面で受け流せるほど俺の心臓は強くない。
「多方面から検討しておりますが、糸口すらつかめておりません」
「なるほど、ジュニアは正直じゃな」
腕を組んで司令官席に深く腰掛ける爺様の目には、充分に危険な色が含まれていた。だが俺が話したいことが全く別次元の事であると察した爺様は、ものの数秒であっさりとその色を消し去る。
「なにか儂に要求でもあるのかね? シトレ中将とは違って、儂には出来る事と出来ない事があるがの」
「ファイフェル少尉に休養を頂けませんか?」
本音を言えばファイフェルを一日俺に貸し出して欲しいのだが、あの顔を見ると仕事の話は別にして呑みに誘ってやりたくなる。
「近頃の若いのは身体が弱くていかんな」
俺の意図を察して爺様のギョロッとした瞳は、近くに座っているファイフェルに向けられたのだろう。画面の向こうからガタガタッと何かが床を擦った音が聞こえてくる。
「よかろう。三日以内に彼に全日休暇を取らせる。それでよいかの?」
「ハッ。ありがとうございます」
わずか三日でマーロヴィア星域防衛司令部内でも『おっかない爺さん』と認識されつつあるビュコック爺さんは、俺の敬礼に面倒くさそうに応えると、通信画面は爺様の方から切られた。
そしてファイフェルの休暇は俺が申請してからそれから三日後。あらかじめ爺様から含まれたのだろう。ファイフェルはしっかりと軍服に身を包み、俺の執務室に『出頭』してきた。
「大尉をお手伝いするよう、閣下より命じられて参りました」
到着した時よりも数段引き締まったファイフェルの敬礼に俺は席を立って応えてやると、壁に立てかけておいたパイプ椅子を二つ開いて、その一方にファイフェルを無理矢理座らせた。その対面に俺も座る。
「休みの日に悪いな」
「いえ、命令ですから」
背筋を伸ばし、緊張した面持ちで応えるファイフェルを見て、俺はこれ見よがしに足を組んで背を伸ばし大きく欠伸をする。俺の動きに一瞬唖然とするファイフェルに向けて、俺は軍用ジャケットのポケットからウィスキーのミニチュアボトルを放った。運動神経はさすがにヤンよりいいのか、面前ギリギリでファイフェルはボトルを捕らえる。
「まぁ飲めよ。休みなんだから気にすんな」
「よろしいのでしょうか。その……」
「休みの日に酒を飲んじゃいけないとは同盟軍基本法には書いてない。安心しろ。それとも下戸か?」
実のところ軍施設内での飲酒はご法度なのだが、もう一本のミニチュアボトルを俺は取り出して、一気に中身をあおる。前世ではあまり酒を、特に強いウィスキーをこうやって飲むことなどなかった俺だが、気分の問題だ。俺の動きを呆然として見送ったファイフェルだったが、プハァと俺が酒臭い息を吐くと諦めたように蓋を廻して、ボトルの三分の一くらいをあおり呑んだ。
「あの爺さん。(士官)学校出てないから、小官のこと僻んでるんすかね」
さすがにそのまま司令部で酒盛りするわけにもいかない(某要塞司令部の風紀はいったいどうなっているんだ……)ので、着替えて市街のパブに入ると、先ほどまでの丁寧な口調はどこへやら、本性というか本音をファイフェルは盛大にぶちまける。
「そりゃあドーソン教官みたいな上官じゃないってのは認めます。認めますけどね、頑固で皮肉っぽいところはどうにかなりませんかね」
「そうだなぁ……」
ファイフェルの愚痴も分かる。だがビュコック爺さんが士官学校を卒業したばかりのファイフェルに含むところがあるわけがない。幸いにして俺は査閲部でマクニール少佐や多くの老勇者達と俺は面識を持った。気むずかしくて偏屈な人ばかりだったが、普通に付き合っていて悪意に満ちた皮肉を言われたためしはほとんど無い。ビュコック爺さんに偏屈なところがあるのは原作でもよく知っているが、基本的な精神構造は好々爺のはずだ。ただ単にファイフェルから漂うエリート臭が気に入らない……というだけかも知れない。
「なぁ、ファイフェル。少し肩の力を抜いてみたらどうだ?」
俺は目の据わったファイフェルの肩を揺すって言った。
「確かに爺さんはここの司令官で、歴戦の勇者だ。だからといって必要以上に意識する必要はないと思う」
「小官が片意地を張っているっておっしゃるんれすか?」
「必要以上に緊張しているのは確かさ。なれなれしくする必要もないが、親戚のちょっと偉い爺さんぐらいの距離感でいいと思う」
俺の言葉に、ファイフェルはいぶかしげに俺を見る。その視線は見つめると睨み付けるの中間ぐらいだ。
「……そいつは将官の家系に産まれた大尉殿の経験からですかね?」
「そうだ。幸い俺の死んだ親父も、叔父さんも、叔父さんの知り合いもみんな将官だったからな」
ファイフェルの酒に舌を取られた厭味に拳で返してやっても良かったが、ようやく外殻がほぐれた相手に浴びせていいモノではない。僅かな期間であってもファイフェルが性根の悪い人間ではないとわかっている。それが証拠に、察したファイフェルの顔はみるみる蒼くなっていく。
「……すみません。トイレ行ってきます」
口に手を押さえて席を立つこと五分。ファイフェルは真っ白い顔で席に戻ってきた。
「申し訳ありません。口が過ぎました」
「気にするな。俺も気にしてない。卒業していきなりの副官業務で苦労しているのは分かっている」
「……ありがとうございます」
俺が用意していた烏龍茶に口をつけ、ファイフェルはしばらく肩を落としていたが、猫背になりながらポツポツと呟きはじめる。
「仕事に自信が持てないんです」
「……」
「自分では精一杯やっているつもりなんですが、ビュコック閣下の態度を見ているとどうにも不足しているところがあるようにしか思えてならないんです」
歴戦の勇者を前にして、糞真面目な新卒の少尉が「出来ません」とは言えないのだろう。普通に前世で言う五月病なのかもしれない。恐らく爺様は気がついているのだろうが、手を差し伸べないというのはあえてファイフェルの力量を見極めたい意図があるように見える。
「爺さんは、手落ちくらい覚悟しているだろうよ。精一杯やるのもいいが、出来ることと出来ないことははっきりさせた方がいい……な」
ファイフェルにそこまで言って俺は目が覚めた。出来ることと出来ないこと。艦艇二三八隻で出来る限界から、作戦を立案すればいい。警戒する宙域が艦艇数に比して広すぎるなら『狭くして』やればいい。人間が足りないなら人間以外のものを使えばいい。敵が多すぎるなら纏めてから減らしてしまえばいい。実施するのに労を惜しむべきではないし、時間はかかるが艦隊を動員できなくても『小道具』の調達は何とかできるはずだ……
「ボロディン大尉?」
「ファイフェル。爺様との間に隙を作るな。あの爺様は本音を率直に言う相手を決して粗略にはしない。精一杯仕事をして倒れそうになったら、爺様は必ず手を差し伸べてくれる。爺様を信じろ。あの爺様は命を預けるに値する指揮官だ」
俺はそう言うとファイフェルに財布を放り投げた。多分三〇〇ディナールぐらい入っているはずだ。ファイフェルの酒量と肝臓の性能なら、あと二回呑んでも充分お釣りが来るだろう。
「え、あ、あの?」
「せっかくの休みだ。骨の髄から寛いでくれ。あ、中身はともかく財布は後でちゃんと返してくれよ」
席を立ち俺は個室にファイフェルを残し、店を飛び出した。なんか店員が声を上げようとしていたが、一目散に無人タクシーに乗り込んで、管区防衛司令部へと向かう。無人タクシーの中で、必要とする物資と情報と法律そして連絡すべき相手を端末にリストアップし、すべて記憶させる。
「問題になることは間違いないから、辞表の書き方もダウンロードしておくか」
舞い戻ってきた誰もいない狭い自分の執務室で、俺は独り言をつぶやくと苦笑しつつ、キーボードに指を滑らせるのだった。
後書き
2020.05.22 第1稿 以降誤字修正予定
第36話 鎌研ぎ
前書き
酒を飲んで目が覚めるJrは順調にアル中への道を進んでいるように思えます。
キレたアル中は、大抵危険分子という部類になります。
宇宙暦七八七年一〇月 マーロヴィア星域 メスラム星系
ファイフェルに酒を奢った翌々日の夕刻、どうにか形になった作戦紀要を印刷し、部隊編制も含めた作戦案を携帯端末に纏めた俺は、疲れきっているものの瞳に奇妙な陽気さを抱えつつあるファイフェルに連絡をとり、ビュコック爺様に作戦案の作成終了と報告のアポイントを取った。
「おぉ、ジュニア。待ちかねたぞ」
数分もかからず出頭せよとの連絡が端末に戻り、俺は駆け足で司令官室へ赴くと、皮肉を多分に含んだ笑みを浮かべた爺様が俺をわざわざ立ち上がって出迎えてくれた。
「一週間たっても目処が立たないと言われた時には、流石に温厚な儂もどうしようかと思っておったが、形になったようでなによりじゃ」
はよう説明せんかといわんばかりに手招きする爺様に、俺は敬礼した後司令官室を見渡すと、中にはモンシャルマン大佐とファイフェル少尉はいるが、リングトン中佐とグエン少佐の姿はない。
「……彼らには残念ながら聞く耳が与えられないようだ」
俺の視線に気がついたモンシャルマン大佐は、声は小さいがはっきりとそう言った。つまりそれは『身体検査』において二人が『不合格』であったという事だ。
「近日中に報告書が出来る。村の掃除も勿論大切だが、部屋の掃除のほうが先だ」
「……残念です」
俺の返答にモンシャルマン大佐は「そうか」と答えると、無言で爺様に視線を向け、爺様もそれに無言で頷く。
早々に出てきてしまった問題に、俺は心の中で溜め息をつきつつも、ファイフェル少尉に三次元投影機の準備を頼んでから、爺様とモンシャルマン大佐に紀要を手渡した。無言で受け取った二人の老練な軍人達は、読み進めていくにつれ、その表情が険しくなっていく。
「……なるほど、ジュニアがあまり軍人に向いていないとシトレ中将が言うのもよく分かる」
俺が作戦案の詳細を説明した後、紀要を未決の箱に入れた爺様は、濃緑色のジャケットに隠された太い腕を組み、目を閉じたまま椅子にふんぞり返って言った。
「戦力が足りないのは十分承知しておる。それを補う為に無人の兵器を運用するのも理解できる。じゃがこの作戦は一歩間違えば、民間経済活動への軍の妨害活動と捕らえかねない。軍隊は戦場以外で与えられた以上の権限や権力を振るうべきではない、と儂は思っておる」
「法律も幾つか意図的に解釈する形になりますな。法務が外部報道機関に説明するのも苦労がいる」
「まぁ、マーロヴィアなどという辺境の事なぞ中央の報道機関は気にもせんじゃろうがな。じゃがこの作戦案は情報部と後方部となにより行政府の協力が基幹となるものじゃ。法的にも、実力的にもな。ジュニアに罪があるわけではないが、このド田舎ではその三者が頼りにならんというか、まぁだいたいが汚染されておるのでなぁ」
リングトン中佐もグエン少佐も残留組であり、爺様達の到着より前には一応俺の上官であったわけで。僅かな期間とはいえ一緒に仕事をしていた人物に、作戦案を聞かせられないほどの罪があったとは思わなかった。俺はつくづく人を見る目がないと、自省せざるを得ない。
「情報参謀にしろ後方参謀にしろ、人については統合作戦本部からいずれ派遣されるじゃろうが……この作戦案を実施するには、行政府側の協力者も含めて人選が重要になるじゃろうな……さて、どうするかの?」
爺様は困ったような表情を浮かべつつ俺に視線を向ける。俺に両方の指揮を執れるかと聞くような視線に、俺は唇をかみしめた。
作戦を実施するに当たり、モンシャルマン大佐の言うとおり意図的に法律を解釈することが必要であり、海賊集団への直接的な情報工作活動が必要であり、膨大な数量になる『小道具』の調達も必要だ。民間経済活動の障害となるような指示もあり、とても俺一人でこなせる仕事量ではないから情報・後方分野における専門家も必要不可欠。俺はフェザーンで情報工作の困難さを身に染みて理解していたし、後方しかも補給・調達関係の知識はあっても経験は全くない。マーロヴィア星域管区に所属している情報課員や後方課員を統率指揮することは可能であっても、作戦を成功させる為には幅広い知識ではなく経験に裏付けされた信用が必要なのだ。
正規の情報参謀と後方参謀を汚職で失う事になるマーロヴィア星域管区内部で、臨時昇進による管理階級の抽出はさらに困難だろう。戦力が低下している状況下での運用を行ってもらう爺様と、マーロヴィア軍部の再建を担当となる大佐に、これ以上の負担をかけるわけにはいかない。
「……情報・後方作戦指揮者の獲得方法は二つあると考えます」
方法を選んではいられない俺としては、決断せざるを得なかった。
「統合作戦本部と後方勤務本部に改めて助力を願い出る方法が一つ。もう一つは……国防委員会に直接上申する方法です」
統合作戦本部はマーロヴィア星域管区の治安改善に激烈な興味があるわけではない。あるのなら宇宙艦隊司令部に命じて第一艦隊をこそ派遣するだろう。それだけの熱意があるとは思えないが、爺様を派遣したというのは『とりあえず改善の要あり』とまでは認識していると見るべきだ。俺が窓口にと考えているブロンズ准将にとってこの上なく迷惑な話だろうが、期間限定でも代理の情報参謀の派遣を拒むまではしないと思う。
後方勤務本部に関しては、甚だ不明だ。おそらく尻尾の生えている先輩は士官学校の事務監から統合作戦本部の参事官に移籍しているだろうが、今の時点ですぐに頼りになるとは思えない。後方勤務本部にいる同期を頼るのも手だが、顔見知りは大半が中尉だから人事権とは無縁だ。それに本部も「今までの担当者に問題があるので人を派遣してほしい」と言って、はいそうですかと優秀な人材を派遣してくれるだろうか……答えはNoだろう。
国防委員会に人事を上申する方法。これは悪手だ。仮にマーロヴィア行政府の人間を挟んだにしても、軍の組織体系と規律を掻き乱す行動に他ならない。行政府としても自身の統治能力を中央から疑われる(すでに疑われているにしても)行動はこれ以上したくはないし、現地軍部にしてほしいとは到底思わないはずだ。何でも使える手は使わなくてはならないとは思うが、事は政治と軍の関係という巨大な問題にまで発展してしまう。
「儂は、統合作戦本部長と戦略第一部長にこの作戦案を提出し、改めて助力を仰ぐつもりじゃ」
俺の返答に、爺様はたっぷり二分後に力を込めてそう答えた。爺様の軍人としての決断だし、聞いた俺も腹の底からホッとした。
「モンシャルマンにも伝手はあるし、ジュニアにもそれなりの伝手はあるじゃろう。行政府には当然働いてもらうが、現時点では我々は我々の職権の許す範囲で仕事をする。それでよいな?」
「承知しました」
「よし、ではそれぞれの仕事にとりかかろう。戦の九割は準備で費やされるものじゃからな」
爺様のその言葉が合図となり、俺は敬礼して司令官室を後にすると、纏めた作戦案を暗号化した上でマーロヴィア星域の情報参謀が更迭されることを匂わせつつ、ブロンズ准将へと送信したのだった。
そして二日もかからずして、ブロンズ准将は俺に超光速通信による直接通話を求めてきた。
◆
「……君の作戦案は読ませてもらった」
司令部専用超光速通信装置の画面に映る収まりの悪い明るいブラウンの髪を持つ准将は、画面の目の前で直立不動の姿勢を崩さない俺を、文字通り苦虫を嚙み潰した表情で見つめている。
「同盟憲章と地方行政法と同盟軍基本法の幾つかに抵触する可能性がある……あぁ君が言いたいことは分かっているとも。我々情報部がそれらの法律に関して、時々非常に疎くなる事があるのは事実だが……」
「法律を犯すような作戦案ではないと、小官は考えておりますが……」
白々しさ満点の俺の返事に、今度こそブロンズ准将の眉間に皺がよった。
「有人星系の小惑星帯を実弾機雷で封鎖することが『解釈の違い』で済むのかね?」
「星系鉱区の合法操業指定範囲外にて実施いたしますので、演習宙域に指定しても法律上の問題はありません」
「『臨時』演習の期間が、三年以上になるというのはいささか言葉の使い方に問題があるのではないか?」
「掃宙訓練は積めば積むほどよいと、かつて査閲部で学びました」
「帝国軍の脅威がない状況下で、民間航路の軍事統制を行うのは宇宙航海法の航行の自由及び統制条項規約に違反しないのかね?」
「商船の襲撃遭遇率を見る限り、当星域は帝国軍の軍事的圧迫のある国境星域より遥かに危険です。マーロヴィア行政府がこの方式に反対するのであれば、その根拠を示してもらいます」
「……たとえ無人星系の、それも一部とはいえ小惑星帯を、ゼッフル粒子で吹っ飛ばすのは『自然環境保護法』に反しないかね?」
「星域開拓以来、この星域で『正確な測量』が行われなかったのはとてもとても残念なことです」
そこまで言い切ると、ブロンズ准将は肩を落として大きく溜息をついた。
「……若者の捨て身というものをいささか過小評価していたな」
「合法的で一番簡単な方法は、第一艦隊に出動してもらうか、三〇〇〇隻程度の遊撃分艦隊を派遣していただくことなのですが」
「出来れば私もそうしたい。ただそうなると他の星域も手を挙げて第一艦隊が過労死するか、前線で実働可能な制式艦隊が同盟軍から消滅する。その上、海賊がいなくなるのは一時的なもので、艦隊が帰還すれば海賊もまた再発するだろう。消費期限の切れた機雷とゼッフル粒子と通信需品関連だけで話が済むなら、そちらの方がよっぽど安上がりだ」
ブロンズ准将はそう言うと、俺から視線を外し顎に手を当てて何かを考えていたようだが、しばらくして腰から端末を取り出し操作した後、再び俺に視線を向けた。
「私としては君の立案した作戦が、マーロヴィア星域管区作戦司令部だけで実施するのは現実的に困難なものであると推測する。ウォリス=リングトン中佐の件もある。マーロヴィア星域管区司令部情報参謀の交代要員については情報部で速やかに手配しよう」
「ありがとうございます」
「貴官の作戦立案能力に関しても私はある程度信頼しているが、フェザーンでの一件がある。情報部隊の指揮官が貴官ということでは、情報部長も容易にはご賛同していただけないだろう。部長のご賛同が得られなければ、統合作戦本部長も国防委員会もこの作戦を納得しまい」
「地域交通委員会などの最高評議会他メンバーや、野党の批判対応もあります」
「ハイネセンは我々に任せてもらおう。私は貴官にいささか借りがあるし、シトレ中将に将来干されるような事は避けたいからな」
皮肉と微笑みの中間のような顔でブロンズ准将は肩をすくめた後で、「そうだ、アイツがいたな」と妙なことを呟くと、小さく鼻息を吐いてから俺に言った。
「扱いにくいが腕の立つ部下が一人いる。貴官より五歳ほど年上だが、階級は同じ大尉だ」
それはこの作戦を実施するに当たっての応急的な情報要員ということだ。正式に中佐を派遣するとなれば、人事部に掛け合って情報参謀としての辞令を発しなければならない。人事異動が終わったばかりの一〇月に手すきの佐官など情報部にはいない。だから自分の権限で動かせる尉官の部下をひとまず動かす。五歳年長で大尉(つまり二八歳)という事は、昇進の機会を逃している冷や飯食いか、専科学校出身者という事だ。腕が立つということは情報戦の最前線で戦って将校推薦を受けた相当の強者だろう……
「この作戦が貴官の立案である事はその部下に伝えておく。ただし君には作戦指揮の責任も負ってもらうぞ」
「承知しました……できれば後方参謀も一人お貸し頂けると助かるのですが」
「そちらは後方勤務本部から通達が来るだろう。これから私が各部部長会議に諮るから、すぐに管区司令部へ連絡がいくはずだ」
「度重なるご支援、感謝いたします」
「なに、シドニー=シトレの五代ぐらい後の統合作戦本部長に恩を売れたと思えばお安い御用だ。もっとも馬鹿がつくほど正直な君に情報部長の職責は無理だと思うがね」
そう言うと、超光速通信はブロンズ准将の方から切られた。俺は信号の切れた画面に敬礼しつつ、溜息をついた。
情報戦という正濁双方を操らねばならない分野に身を置くブロンズ准将が、なぜ今後一〇年で中将に昇進して後に、厨二病のような救国軍事会議に身をゆだねる事になったのだろうか? 正義感という素地はわかる。だがそれだけでトリューニヒトという男の内面を嫌悪したからなのだろうか。まだ俺はヨブ=トリューニヒトという男には巡り合えていないが、情報部のエキスパートが忌み嫌う口舌の徒は、フェザーンの黒狐をも上回る毒々しさなのだろうか。
一方、後方勤務本部からの返答は申請したビュコックの爺様の方に直接届いていた。その結果を聞くようファイフェルを通じて司令官室に呼び出されてみれば、果たして爺様の気圧はかなり低いものだった。
「交代は当面見込めない、とのことです」
目を閉じて腕を組み半ば眠っているような、不貞腐れた爺様の代わりに、ファイフェルが俺に囁いた。
「後方勤務本部長閣下がおっしゃるには、「人事異動を行ったばかりなので本部には当面余剰人員などいない。管区内か隣接するライガール星域管区かガンダルヴァ星域管区かトリプラ星域管区から貴官が都合をつけろ」でした」
「マーロヴィアとまではいわなくとも、全部辺境の星域管区ばかりか。その中でも大きいのはガンダルヴァ星域管区だが……確か辺境中核指定を受けている星域だから、星域司令官は通常通りだと少将になるな……」
「はい。例の機雷の件もありましたので、すぐに星域司令官のロックウェル少将閣下に通信を入れたのですが」
「……が?」
「後方勤務本部長閣下と殆ど同じ返答でした……」
ファイフェルは下唇を噛みしめながら、左手で胃の辺りを摩っている。
原作通りのロックウェルであれば、性格はともかくとして後方勤務のスペシャリストであり、能力の面から言って十分有能な指揮官だ。ただ帝国軍との前線で切った張ったしてきた爺様と、後方勤務のエリート士官では歩んできたキャリアが全く違う。この二人に熱い友情が産まれていた可能性は限りなくゼロだ。今のファイフェルの言葉からすれば、兵卒上りの准将である爺様に対し、エリート少将として『相応な』態度をとったのだろう。
「ジュニア‼」
ファイフェルの囁きが終わったのを見計らったように、爺様は俺を呼びつけ報告するよう無言で顎をしゃくった。改めて敬礼してブロンズ准将との会話を報告すると、まるで蒸気機関車の加減弁ように荒い鼻息で答えた。
「予想通りの長期戦じゃな」
「状況開始より終了まで最低でも三年を見込んでおります。進められるところから進めていくという形しかありません」
「貴官に焦りはないな?」
「こういう病気は根治に時間がかかると思いますし、体力が整わない段階で手術を急いでも、あまり良い結果は出ないと考えます」
「……そうじゃのう」
そういうと爺様は腹の上で手を組むと、落ち着かせるように二度ばかり深呼吸をしてから、改めて俺とファイフェルを見つめて言った。
「儂はこう見えて若い頃はヤンチャでな。士官学校出身者など何するものかと、いろいろと焦っておったものじゃ」
もしかしてここは笑うところだろうかと考えたが、ファイフェルのなんとも言えない視線を感じて、俺はフィッシャー中佐直伝の顔面操作術で完璧にスルーした。それで理解したのか、ファイフェルも同じように無表情で爺様の話に耳を傾ける。
「特に戦場を長年うろうろしていたから、こういうことに儂は若干疎い。いずれにしても、儂も少し血が上っていたようじゃ。ここはジュニアを見習って、少し自重でもしようかの」
……若いのはすぐにいい気になるからな、と言っていたのは果たして誰だったか。俺は胸の内で首をかしげながらも、爺様の話に耳を傾けるのだった。
後書き
2020.05.22 事前投稿
第37話 官僚
前書き
ブロンズ准将の鹿毛頭が禿げたらJrの責任だと思います。
ヒロイン……ではたぶんないんじゃないのかな。きっと。
宇宙暦七八七年一〇月下旬 マーロヴィア星域 メスラム星系
取りあえず助っ人が来るまでは、作戦実行までの下準備に勤しむしかない。
通常哨戒任務の報告書と過去の報告書を照らし合わせて海賊の根拠地を類推したり、星域の現在の経済状況と作戦による影響、運行する主要星間輸送会社の内情確認等々、リンチの指導下で散々徹夜したことを思い出しながら作戦の修正を続けた。
「この部屋で作業するのは気分転換に丁度いいんです」
ビーフジャーキーを嚙みつつ行儀悪く椅子に半分胡坐をかきながら、ファイフェルは俺に言った。このド辺境星域にファイフェルの同期卒業生はいない。もしかしたら同い年の専科学校の卒業者はいるかもしれないが、一日の大半を司令部に詰めているファイフェルと出会う機会はまずない。
だからというわけではないが、ファイフェルは副官業務が終わると俺の執務室(極小)に、酒とつまみを持ってきては作戦案の手伝いに来る。それだけだと体に悪いからと俺が野菜ジュースや栄養補助食品も用意してやるのだが、買うのは司令部内のPXなので補給部を中心に『わけの分からない噂』で盛り上がっているらしい。呆れてしまうが、統括する上官が収賄容疑で拘束され意気消沈している女性の多い補給部が、そのネタで盛り上がっているならしばらくほっておこうと考えている。
「軍の人事は軍で解決できますが、やっぱり行政府側の協力者についてはどうしようもないですね」
「民間人にモンシャルマン大佐の軍隊式身体検査を受けさせるわけにもいかないしなぁ」
「『包装紙方式』しかないんですかね」
相手が海賊である場合でも、軍管理星域(大半が帝国との国境付近の戦闘領域)以外での軍事行動は、管轄行政府と警察組織へ作戦を伝達する必要がある。現在マーロヴィア星域には『対海賊作戦』が恒常状態となっており、今更作戦内容を伝達する義務はないのだが、俺の立案した作戦案では、護送船団方式など行政府側の管轄事項にも関与することになる。ファイフェルの言う『包装紙方式』は既存の『対海賊作戦』の表紙は変えずに中身だけ別のものにするというやり口だ。前例がないわけではないが、あまり褒められた手ではない。
「そうするにしても信頼できる行政府の役人。しかも上位者告訴権を有しているレベルでの協力者は必要だな」
ハイネセンから四五〇〇光年。同盟きってのド辺境星域。公選中央議会代議員は既定最小限の一名。行政長官と三名しかいない地方評議会議員のみが公選で選ばれ、他の長官職は現地採用と中央からの派遣官僚で半々。信頼できるできない以前に、協力対象の数が少ない。海賊組織も中央に比べれば貧乏な組織だから、それなりに人選を絞って取引するだろう。
「現地採用者と公選者を対象外とするなら、協力者は検察長官か経済産業長官となるんだろうが……」
検察長官のヴェルトルト=トルリアーニ氏は六〇代後半の男性。マーロヴィア星域に検察補佐官として中央から派遣されて二〇年。この地で管理官・参事官・次長と昇進した人物だ。その二〇年で傘下の警察組織が検挙した海賊はわずかに三。軍や警察内部に海賊の協力者がいて、戦力不足故の結果と見るべきか。当の本人にも海賊の触手が伸びてる可能性は高いが、それでも地方治安維持の経験と膨大な星系情報を持つ捜査のプロフェッショナルに違いはない。
経済産業長官のイレネ=パルッキ女史は三〇代前半の女性。前職が財政委員会事務局主税課課長補佐付係長という輝かしいキャリア中央官僚。ハイネセンで何かやらかしたらしく、半年前に着任したばかり。本職である財政・税務をめぐって現地採用の財務長官であるマイケル=トラジェット氏と激烈な対立関係にあり、酒場でも噂になるほど自治政府内で浮いた存在になっている。だがそれはキャリア官僚らしい整理された頭脳と的確な指示で、他所に口を挟めるほど経済産業局を能率的な組織にした結果ともいえる。
「多少の情報漏洩を含めて経験豊富な検察長官か、海賊の手は伸びてないと思われるが経験不足な経済産業長官か」
「筋から言えば検察長官なんですが」
「そうなんだよな」
ただ今回の対海賊作戦は、『家を焼く』と『足を切る』の両方を同時に行う作戦だ。僅かな情報漏洩があっても海賊の一掃はできるかもしれない。だが掃討することはできない。そして最終目標は海賊を掃討することだけではない。
「作戦だけでなく、今後のこともある。もう一人の方に会ってみるよ。作戦の細かいところまで説明するのは、新任の情報将校が来てからだな」
「噂通りでなければいいですけどね。美人だそうですし」
「それは厭味か? 何だったら代わってやってもいいぞ、ファイフェル」
「ビュコック閣下の面倒を見なければなりませんから、謹んでご遠慮申し上げます」
「老人介護は大変だな。だが若いうちに苦労するのはいいことだ」
「口止め料はタフテ・ジャムシードのコーン・ウィスキーでお願いします」
すっかり酒の味を占めたファイフェルは、そう言って空になったショットグラスを俺に向かってかざすのだった。
◆
パルッキ女史のアポイントは二日後。余程暇なのか、すぐにでも庁舎に来いと言わんばかりの喰いつき具合だった。中央でバリバリやっていたキャリア官僚にとってみれば、人口二〇万以下の極小自治体における業務などさして難しくはない仕事なのだろう。まして経済はどん底、産業と言われるほどものすらない無駄に広いド辺境だ。手持無沙汰だったのかもしれない。
マーロヴィア星域管区司令庁舎と比較にならないほど小さな二〇階建てビルの一室。マーロヴィア経済産業庁舎の長官公室で、女史は待っていた。
「前々から貴官とはお話したいと思っていたのよ」
渡りに船だったわ、と言って長すぎる足を組んでコーヒーを飲む姿は、ファッションモデルですと自称してもあながち間違いではない。長身で丸顔。ぱっちりとした二重瞼に濃い群青色の瞳。頭の後ろできつく纏めたブラウンの髪がブロンドだったら、金髪の孺子女バージョンというべきか。姉君と明確に違うのは憂いる表情とか瞳の色とかではなく……典型的『ファッションモデル』なスタイルということ。
「大尉、視線が胸に向かっているわよ。貧相で悪かったわね」
「いえ、むしろそちらの方がスラっとしててかっこいいですよ」
「ありがとう。でもそれセクハラだから、今後は気を付けてね」
女性は男性の視線に敏感というが、おそらくは彼女にとってはお決まりのネタなのだろう。耐えるとか過剰に反応するいうより、鼻で笑い飛ばすというスタイルなのか。地球時代から綿々と生存するセクハラ親父議員も、逆に鼻白むに違いない。
「さてお遊びはこれまでとして、ボロディン大尉。本日のご来訪の要件をお伺いしたいのだけど」
「星域における治安維持について、現在司令部で新案を検討しているのですが、特に経済産業分野においてご協力を願う件についてです」
「マーロヴィア経済産業庁が軍の作戦に協力できることなんてないとは思うけど?」
「管区軍司令部は今後当星域を通過するすべての商船について、可能な限り軍艦による護衛船団下に組み込めるかどうか検討しております」
俺の返答に、それまで笑みすら浮かべていたパルッキ女史の顔が急激に変化していく。まずは目から、そして顔から、およそ感情という感情が消えていく。恐らく彼女の目に映る俺の顔も同じようにドライに変化しているだろう。官僚と軍人。立場職責は異なれども、お互いにリアリズム教の下僕だ。頭の中で整理しているのか、数分間壁に掛けられた小さなスミレの絵を見つめた後、俺に鋭い視線を向けて言った。
「……無茶な要求ね。軍が産業の基幹たる商船航路を統制しようということかしら?」
「統制するつもりはありません。軍艦による護衛を付けることで、より安全な運航を保証することが目的です」
「護衛を付けない商船の安全は保障しない。そう言外に運航側の萎縮を求めているのだから、統制以外の何物でもないわ」
パルッキ女史の言うのはまさに正論だ。ブロンズ准将も言っていたように、護衛船団は直接航路封鎖するような民間航路の軍事統制ではないとはいえ、宇宙航海法の航行の自由及び統制条項に抵触する恐れがある。
ただし原作における救国軍事会議がハイネセンで実施した経済統制とは異なり、護衛船団下に入るよう強制するものではない。また通信統制も実施しない。
そして前提条件として正反対なのが、ハイネセンは一惑星だけで一〇億人居住し生産よりも消費がはるかに大きい星系であるのに対して、メスラムはたった一五万人。基幹産業が宇宙船装甲用材と液体水素燃料製造と農業で、総量としての規模は小さいが、消費よりも生産がはるかに多い。
ありえない話であるが、仮にマーロヴィア星域が同盟から切り離され経済封鎖をかけられたとしても、餓死者を出すことなく星域の経済を独自に回すことができる。恒星間航行も高度先端医療もない太陽系時代に戻り、カロリー維持だけの貧しい前近代的生活に耐えることができるのであれば。
「長官の御懸念ももっともですが、現在管区の有する艦艇数で、同盟領域最悪と言われる運航被害率を改善するには、護衛船団を編成するが最も効率が良いと小官は結論に達しました」
「それは軍の都合でしょう。あなたがしなければならないのは、速やかに統合作戦本部防衛部に艦艇の増援を要請することであって、星域経済産業庁に護衛船団を強制することではないはずです」
「星域開闢以来の星域統計とここ一〇年の星域輸出入・商船運航記録をもとに、『時刻表』を作ってみました」
経済産業庁自身が公開しているデータと軍の有するデータからファイフェルと俺で組んだ、現在の経済規模を維持できるだけの商船をなるべく時間のロスなく運航できる護衛船団のダイヤグラムを、ソファの向かいに座る女史の手元に置いた。船団のうち二割が海賊に襲われるという安全率も見ている。
わずか数枚のレポートではあるが受け取った女史は、まるで出来の悪い生徒の宿題をチェックするような女教師のようにじっくりと読み進める。カチカチという秒針の音だけが公室内に響く。五分後に秘書官の一人が様子を窺いにノックして入ってきたが、女史のひと睨みと本日の業務はすべて明日に切り上げるという命令で退散してしまう。
たっぷり二〇分後。女史はレポートを机の上に置いて、目頭を押さえて深く溜息をついた。
「なんでこういう話が経済産業庁や行政府政策立案局ではなく、よりにもよって軍部から出るのかしら……ほんと辺境の、ド田舎役人共の不作為には腹が立つわ」
おそらく護衛船団という考え方は、女史が赴任する以前の両当局も計画立案していたことだろう。だが海賊に繋がっている人間が居そうな軍管区あるいは庁に、協力を求めるというリスクを考えていたに違いない。これは相互不信というべきであって、俺としては女史の言うように以前の両当局者を非難することはできない。そのあたりを察しきれないところに、女史と辺境の田舎役人の間に意思疎通や感情的な反目が感じられる。だが今はそれを女史に言う必要はない。
「ご苦労されているようですね」
「あなたみたいに部下で大して苦労もしてない若造に何が分かるというのよ。知ったかぶりするんじゃない!」
バンバンと女史が低いテーブルを叩くと、女史と俺のコーヒーカップが音を立てて小躍りした。先ほどまでの官僚的な口調はどこへやら。ヒステリー一歩手前のキレ具合だ。バリバリのキャリア中央官僚が、こんなド辺境に流された要因はどうやらその辺りにあるのかな、などと余計なことを考えつつ女史が落ち着くのを待ってから話を切り出した。
「これはあくまでも軍部からの提案です。経済産業庁にて詳細をご検討いただき、近々に軍管区司令部と連名にてマーロヴィア民主評議会と行政長官連絡会議に諮っていただければと」
「軍人にしてはよくできてるとは思うけど、幾つか要素計算を間違えているわね。この起算は帝国軍を相手にしたものでしょう。国内民生の範囲ではもう少し弾力性を持たせないと時間ロスが大きくなるわ」
「その辺りのフォローもお願いいたします。それとですが……」
「まだあるの? こんどはなに?」
「まだ計画段階なのですが、近々にメスラム星系の小惑星帯において、大規模な機雷掃宙訓練を実施したいと考えておりまして」
「馬鹿じゃないの! あんたたち軍部は!」
せっかくセットされた頭を掻きむしってソファから立ち上がった女史の叫声は、先程の比ではなかった。
後書き
2020.05.22 事前投稿
第38話 オーバースペック
前書き
パルッキ女史は会社の近くをよく通る外国人のモデルさんがモデルです。
もちろん話したことはありません。
タイトル通りの人物登場です。
宇宙暦七八七年一一月 マーロヴィア星域 メスラム星系
経済産業庁のパルッキ女史に護衛船団を提案してから半月後。マーロヴィア星域管区司令部及び所属部隊の身体検査がほぼ終了した。
艦艇乗組員のうち、およそ一パーセントが海賊や非社会的組織と金銭的あるいは物理的な繋がりがあり、三パーセント近くが横領等の犯罪に手を染めていた。比率として多いか少ないかはともかく、モンシャルマン大佐と大佐の選んだ憲兵隊だけで全てを成し遂げたわけだから、流石というしかない。
だが結果として艦隊戦力の一割(汚職関連には士官より下士官や兵の方が多かった)が即座に戦力として運用することができない状況になった。配置転換や艦艇の一時運用停止などして凌いではいるものの、実際のところパトロール任務を実施するだけで限界一杯。護衛船団を形成すればそれすらもおぼつかなくなる。即座に作戦を実行するわけではないので、海賊掃討作戦に影響はないものの、早いうちに事態を解消する必要がある。
『情報部からの助っ人(兼ブロンズ准将からのお目付け役)』が到着した時のマーロヴィア星域は、まさにそんな状況下であった。
「突然マーロヴィアなんて田舎で仕事しろなんて、小官は何も悪い事をしたつもりはなかったんですがねぇ」
やはり重力が違うと体が重いですなぁと、とぼけたアルトボイスを俺に浴びせながら、横を歩く二八歳の顔を俺は覗き見た。例のドジョウ髭は生えていないが、髪はポマードでしっかりと仕上がったオールバック。飄々とした表情はアニメで見た本人そのものだ。
「ここまで来てくれた事は感謝しております。バグダッシュ大尉殿」
「『殿』はいりませんよ。確かに小官の方が先任ですが、同じ大尉じゃないですか」
そう言うと、オールバックから一本だけ反り返った髪の毛を親指と人差し指で挟み込みながら、視線を上げてさらにとぼけたように肩を揺らす。
「士官学校では先輩後輩は大きな階段でしたが、ここで小官の作戦指揮権限者はボロディン大尉です。五歳位の年齢差で怯んでいては、今後が思いやられますな」
「……バグダッシュ大尉は士官学校を出ていらっしゃる?」
「勿論。ボロディン大尉が入学した年には少尉に任官していましたぞ。つまらん上官を殴ったり、その愛人を寝とったり、企業の倉庫の中身を失敬したり、まぁいろいろやってきましたがね」
「……それ本当ですか?」
「さぁ、どうでしょうかね?」
鼻で笑いながら、バグダッシュは空港のロビーを抜けて無人タクシーを止めると、さっさと乗り込んでいく。形式だけとはいえ、年少同階級の指揮下に入るという事を心理的に嫌がる人は多い。が、バグダッシュがそうでないのは正直ほっとした。もっとも狂信的ヤン原理主義過激派状態のユリアンや、ヤン=ウェンリーファンクラブ会員No3のシェーンコップ相手に、ヤンを餌にして腹芸をこなせるような精神性の持ち主なのだから、ヘマして辺境に流された高級士官の息子なぞ歯牙にもかけない存在であろうけど。
そんなバグダッシュは無人タクシーに乗り込んでからというもの、ずっと自分の端末をタッチペンで操っている。時折フフンと鼻で笑うような仕草を見せていたのでそっと横目でカンニングしてみると、風俗関係のホームページを検索していた。一瞬何考えてるんだコイツと思ったが、風俗関係でも開いているページはある特定の分野に絞られていた……つまり『盗撮・盗聴』分野に。情けないことだが俺は星域管区司令部に到着するまで、一切口を開く事が出来なかった。
「まぁ、素人さんなりには合格ですな」
黙ったまま司令部にある俺の個室に入ってバグダッシュは、俺に断るまでもなくパイプ椅子を二つとり、一つに腰掛け、もう一つに長い左足を放り出して言い放った。
「個室防諜も一応できているし、大尉の端末に侵入するのにはちょっと骨が折れました。この辺の海賊の情報屋程度を相手にするなら、まずは十分防御できるレベルです」
「……自分の端末に侵入、ですか?」
「暗証を彼女の誕生日と愛称にするというのは、いささか男として未練がましいとは思いますがねぇ」
腰にある自分の携帯端末に手を当て絶句する俺にかまうことなく、バグダッシュは自分のカバンからもう一つの端末(当然民生品のオリジナル)を取り出して三次元投影機に接続すると、部屋の照明を消すよう天井を指差す。俺が照明を落とすと、ここ数週間見続けたマーロヴィア星域全域の航宙画像が立体図で現れた。
「ボロディン大尉の作戦案は長い長い航海の間に読ませてもらいましたよ。飴と鞭を使って小さい海賊を磨り潰しながら、偽装海賊による襲撃によって意図的に海賊集団を幾つかの大集団へと集約させ、対立を煽りつつ、小惑星帯ごと封じ込めて討伐するというのは、実に偽善的で悪魔的で非人道的な作戦ですなぁ」
「それって褒められていると思っていいんですかね?」
「絶賛したつもりですよ? ここに旨いワインがあればより感動的に手放しで賞賛するんですが」
そういいながらバグダッシュは俺に断りもなくジャケットから鈍い輝きを放つスキットルを取り出して一口呷った。
「だが残念なことに手足が足りないから状況終了まで三年なんて時間をかけることになるんです。小官も大いに手伝いますし、どうせ海賊共は『まとめて蒸し焼き』にするんですから、ここまで時間をかけて実行する必要はないんじゃないですかねぇ」
バグダッシュの口調は軽薄そのもので、聞いている俺ですら軽い『アドバイス』かと思えるようなものだ。だが時間をかけることこそ今回の目的の一つであり、その目的が何であるかについて、俺は爺様にもすべては説明していない。だがバグダッシュの、顔はともかく目の奥底に、光るものがあることを見逃すことはなかった。
「……数は力です。魚を捕らえる網の目は細かいほうがいいし、餌も多いほどいいでしょう」
「この作戦の実行責任者はビュコック准将閣下で、立案者はボロディン大尉です。私は情報戦の指揮代行と作戦へのアドバイスが今回の仕事ですからな」
右唇がちょっとだけ動いたような気がしたが、俺はあえてスルーした。それが気に障ったのかどうかはわからないが、もう一度スキットルを呷ると今度ははっきりと呟いた。
「公然と酒を飲んでもいい職場というのは、そうそうないものですからな。ちょっと腰を据えても悪くないでしょう。小官もできる限りご協力いたしますよ」
爺様とバグダッシュの顔合わせはものの数分で済んだ。それは特に感動を呼ぶものでもなければ、冷たいものでもなかった。正式な情報参謀ではないにしても情報将校として時間の許す限り早く到着した相手に皮肉をぶつけるほど爺様は皮肉屋ではないし、バグダッシュも年配の上官相手に全く不可のない応対に終始していたので、まさに『ザ・形式』というような感じであった。それでも海賊掃討計画において、特に後方支援が重要となるというところに話が及ぶと、流石に爺様の顔も険しくなったようだった。
その風向きが変わってきたのは、もう一人の助っ人がマーロヴィア星域に派遣されてきてからであった。
宇宙歴七八七年一一月二九日。爺様と二人で無駄にデカい管区司令庁舎内の、照明の八割が消えてもなおまだ床を照らすスペースに余りある食堂で昼飯を食べている時。司令室でモンシャルマン大佐と留守番をしていたはずのファイフェルが、血相を変えて飛び込んできたのだ。
「どうしたのかね? ジュニアの大切にしているウィスキーのミニボトルでも盗み飲みしまったのかの?」
「い、いえ。そうではなく」
「それともバグダッシュ大尉の大切なワイングラスを割ってしまったか?」
「ち、ちがいます」
「なら慌てんでいい。落ち着いて報告せんか」
爺様があきれた表情でろくでもないことを言いながらも、ファイフェルが差し出した通信文の印字紙を、曲った人差し指がある右手で受け取ると、斜め読みした後で俺に差し出した。俺もその通信文を読んで、爺様と全く同じように小さく感嘆した。ようやくマーロヴィア星域管区に代理ではあるが、ガンダルヴァ星域管区から補給責任者が赴任するらしい。
「後方勤務本部からロックウェル少将への押し付けが上手くいったようじゃな」
「赴任してくるのはオーブリー=コクラン大尉……ですか」
「前任が補給基地の需品課長となると、『縁の下の力持ち』と言ったところじゃろうな。補給基地すらない我がマーロヴィア星域管区には少し勿体ない気もするが、管区内にある補給基地とはいえ直接の麾下ではないからロックウェル少将も渋々承認したというところじゃろう」
コーヒーを傾けながらファイフェルを叱りつけている爺様の想像はほぼ正解に近いと俺でなくとも思うだろう。だが原作を知る俺としてはコクラン大尉の能力は、勿体ないどころか完全にオーバースペックだとしか考えられない。爺様とロックウェルの現在の関係からも、ツンデレのような真似をするとは考えにくい。この奇妙な人事が意図するところを想像し、ある男の影を感じ取った。それはあまりにも神経質で、原作厨の俺のたくましすぎる妄想ともいえるが、分かりそうな人物に確認せずにはいられなかった。
「この人事に横やりを入れたのはヨブ=トリューニヒト氏ですか?」
俺の個室をカウンターバーかワインセラーとしか思っていないであろう、赤ワインのボトルを翳してラベルを見ているバグダッシュに、俺は椅子に座ったまま天井を見上げ何気なく聞いた。それに対するバグダッシュの反応は視線を向けていなかったのでわからなかったが、ほんの僅かな時間ではあったが空気が気体から固体へと相転移したのは間違いなかった。再び空気が気体に戻った後で、先に口を開いたのはバグダッシュの方だった。
「……ブロンズ准将閣下も惑わされるわけですなぁ」
「では、やはり?」
「ボロディン大尉がご自分で直接国防委員会やトリューニヒト議員に作戦案を送りつけていないのは確認済みなんですがねぇ……どうしてわかったんです? 後学の為に聞いておきたいんですが」
それは原作を知っているからね……と言うわけにもいかないのでとりあえず自分の考えたシナリオを説明する。
ロックウェル少将の『根負け』ともとれる人事。専科学校出身者らしいプロフェッショナルな後方勤務要員を、成功しても評価のされにくい辺境の治安維持作戦への派遣すること。爺様とロックウェル少将のあからさまな仲の悪さを考えれば、軍とは別の力学が働いたと考えるべき。(原作からとは言わないが)ロックウェル少将とヨブ=トリューニヒト国防委員の間で何らかの取引がと……そこまで説明すると、バグダッシュは『もういいです』と言わんばかりに両手を俺の方に向けて翳した。
「やはり高官のご子息の視点というのは違うものなんですなぁ……あぁ、お気を悪くせんでください」
「もう慣れてますよ。で、実際は?」
「治安維持活動も含めすべからく軍事行動は、全て国防委員会に報告することになっているのは軍基本法から言っても当たり前なんですが、辺境の、それもマーロヴィア星域管区なんてド辺境の治安回復作戦なんて、はっきり言って国防委員会の方々のご興味をそそるようなものではないんです」
興味はないし、第一艦隊を動かすわけでもない。国防の主敵はあくまで帝国軍であるし、他に治安に問題を抱えている重要星域は山ほどある。マーロヴィア星域管区内メスラム星系出身の代議員ですら、陳情の効果は薄いと考え積極的に軍部へ働きかけようとはしていなかった。それ以外にも仕事はあるし、代議員が国防委員ではない為に機密の点から作戦案に直接触れていなかったからというのもあった。そこをトリューニヒトに突かれたのだ。
「ご存知のように元々警察官僚だったご経歴から、議員は治安維持政策に大変ご熱心なようで。政治家としてはまだまだ若いですが如才な男です。ロックウェル少将に限らず軍の若手有望と言われる将官や高級佐官にもいろいろとお声をかけているようですし。そのせいで昨日ブロンズ閣下にお叱りを受けましたよ。「ちゃんと監視していたのか」ってね。不可抗力だとわかったら閣下、苦虫を噛んでましたが」
バグダッシュが誰を監視していたかは置いといて、この干渉が作戦に与える影響はどうなるか、俺はバグダッシュの興味ありげな視線をかわしつつ、とぼけ気味に考えてみた。
トリューニヒトがバックについたことは、『小道具』の手配の困難さが減ったと考えていいだろう。そしてトリューニヒト自身が作戦案に干渉してくる可能性がないことも。作戦案を見れば警察官僚だった経験から、法的に若干問題があっても実現性が高いと推測できる。功績はフォローした自分にも転がり込むし、仮に失敗しても軍の責任で彼が傷つくわけではない。この作戦は彼の望む最もリスクの低い投資先になったという事だ。『小道具』の手配には金と時間と労力が必要だが、彼自身が支払うわけではない。軍からの作戦提出である以上、作戦成功に尽力せざるを得ないブロンズ准将の苦い顔が目に浮かぶ。
「厄介なのは作戦が終わった後なのかもしれませんね」
「そうなりますなぁ……」
俺とバグダッシュはそう呟くとそれぞれの作業に戻っていった。
コクラン大尉がガンダルヴァ星域管区から到着したのは、それから一五日後。年の瀬が迫る一二月のことだった。爺様とモンシャルマン大佐とファイフェルに挨拶ののち、星域管区補給本部(施設稼働率一割未満)の一室に自分のオフィスを確保すると、前任者更迭で滞っていた細かい決済をわずか一〇日で済ませてしまった。
在籍していた補給本部の要員達ですら唖然とするスピード決済で、不安に思った何人かがいつも敬遠している俺のところにまで来て告げ口する始末。俺も見学がてらに仕事の様子を眺めてみるが、三つの端末を並べて殆どの事項を分かっているパズルのように始末していく。懸案事項と思われるものも数ヶ所にヴィジホンをかけ、部下を呼んで確認・報告させる。すべてが滞りなく進んでいく有様を見て、『同盟軍を実際に支えているのは戦果学校や叩き上げの士官だ』と、かつて査閲部の面々を思い浮かべざるを得なかった。
そして一九日目の一二月二〇日。その余裕で事務処理をしていたコクラン大尉が、真っ青な顔で俺に面会を求めてきたのだった。
「その、ガンダルヴァではこれほどの物資を必要とする作戦とは聞いていなかったものですから……」
出てもいない汗を拭きながら、若作りではあるものの生真面目な役人顔のコクラン大尉は、俺にそう言った。
「国防委員会の了承印と統合作戦本部の了承印がありますので、各補給基地に連絡して物資を差し押さえることは可能です。ですが輸送する船舶及びマーロヴィア星域管区内における保管場所についてご考慮いただけたらと」
「無理は承知しています……というより、今回の作戦案の詳細をコクラン大尉はご存知なかったのですか?」
「ロックウェル少将閣下はただ星域管区の補給参謀の一時的な代行と治安維持作戦の手伝いをしてこいと言われただけで……」
それはトリューニヒトとロックウェルの間に、作戦に対する若干の温度差があるという事だろう。両者とも傍観者には違いないが、立場が微妙に異なるということ。もう一点は作戦案の機密に関して、今のところ維持されていると見ていいということ。コクラン大尉が海賊集団と繋がりがあるとは到底思えないので、俺は作戦の進行状況について軽く説明すると、大尉は腕を組んで「う~ん」と唸った。
「よく、作戦案が通りましたね……と言うべきでしょうか。軍艦を海賊船に偽装させて軍の補給船団を襲撃したり、有人鉱山のある小惑星帯に機雷やゼッフル粒子発生装置を仕組んだり、交通障害にしかならない通信機搭載機雷を跳躍宙域近辺に設置したりとなんて、普通に無茶な話ですよ」
「責任は星域管区司令部と自分がとります。で、輸送船と工作艦の手配は可能ですか?」
「偽装海賊船は管区司令部から出していただくとしても……やはり少し時間を頂きたいです。工作艦はともかく、作戦の機密性から民間輸送船はチャーター出来ないうえ、長期に渡って予備の少ない軍用輸送艦を拘束するわけですから……いや待てそうか、あの船を使えば……」
渋かったコクラン大尉の顔に、児戯を思わせる色が含まれたのを、俺は見逃さなかった。
「コクラン大尉?」
「輸送船に関してですが……とりあえず物を包んで運べて、最低限の恒星間航行速度が出せれば『デザイン』や『型式』に関しては特に問わない、ですね?」
「ゼッフル粒子関連の資材を運ぶ船以外は」
「それなら心当たりがあります。もしかしたら作戦に若干の味付けができるかと思います」
「ウィスキーのミニボトルが必要ですか?」
「『タダで頂ける』のでしたら、頂きましょう」
コクラン大尉が笑顔で応えると、俺はフェザーンから持ってきた帝国産ウィスキーのミニボトルを一つ、コクラン大尉に手渡すのだった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
2020.05.27 ゼッフル粒子の部分について修正
第39話 猛将の根源
前書き
メアリー・スー一直線ですが、五年前は猛将とJrだけで「草刈り」をやろうと書いてました。
絶対無理です。
宇宙暦七八八年一月 マーロヴィア星域 メスラム星系
新年。
今年もまた職場での新年を迎える事になった。去年はフェザーンだったわけで、そう考えると随分と遠くに来てしまった感がある。周囲にいるのはペテン師の片割れと自称小心者の小役人となれば。だがこの二人が加わった事で、マーロヴィア星域管区治安回復作戦の準備は飛躍的なまでの速度で進んでいる。
パルッキ女史による護衛船団運行表の修正と軍管区所属艦艇の手配が済んだところ、メスラム自治政府公報には今後の星系運航業務に関して軍の決めた日程で、可能な限り護衛船団を編成するという経済産業臨時条例が掲載された。このことで行政府内、特に経済産業委員会と財務・検察委員会の間では激論が交わされたという。
新年早々にも関わらず星域管区司令部にも検察長官のトルリアーニ氏が乗り込んできた。あまりにも重大な決定に関して検察に何も伝達しなかったことをクドクドと爺様に話していたが、爺様は最後まで聞いた後で、
「規則の作成に関して、軍の代表者はボロディン大尉であるので、彼に聞くように」
と俺に放り投げてきた。トルリアーニ氏の嫉妬と嫌悪と軽蔑が混ざった恨み深い視線を受けて、俺は大きく溜息をついてから、傍にわざと置いておいたマーロヴィア星域内で販売されるタブロイド紙を手に取って、トルリアーニ氏に見せた。
『軍に投降した海賊組織の情報によると、検察とくに航路警備隊内部に深刻な内通組織があるとのこと』
『軍は管区司令官交代に伴い綱紀粛正を実施した結果、その戦力を減衰させたものの、海賊討伐に対する作戦能力は向上した』
『ただ減衰させた戦力によって管区全域をパトロールするのは困難であり、今後はマーロヴィア経済の生命線である航路維持を中心として戦力を再編する模様』
どうやら記事の内容を事前に知らなかったトルリアーニ氏の顔色は赤くなったり青くなったり忙しかったが、これ以上司令官公室に居座られても困るので、俺は視線で爺様とモンシャルマン大佐とファイフェルに合図してから氏に告げた。
「軍は身を切りました。次は検察の番です。検察長官閣下のお力を軍は期待しております」
その言葉にトルリアーニ氏の顔が奇妙にゆがんだ。墓穴を掘ってしまった中年官僚の悲哀をまざまざと見せつけた感じだ。氏自身が海賊に関与していたかどうかまではわからない。だが彼の部下に海賊とつながる者がいた可能性はあるし、氏もそれを認識しているのだろう。認識しているがゆえにマッチポンプのようなバグダッシュのタブロイド紙に対する工作にあっさりと引っ掛かった。
来た時とは正反対に肩を落として星域管区司令部を後にするトルリアーニ氏を見送ったあと、俺はバグダッシュとコクランを呼び集めた。
「なにしろ検察長官自身がクロですからな」
もはや司令部要員のささやかなバーとなり果てていた俺の執務室で、お気に入りのワイングラスを傾けるバグダッシュは、いきなり爆弾を投下した。
「潔く海賊方につくか、手を切って正道に戻るか。どちらの道を選んでも、検察長官の人生は今日からいばらの道というわけです」
「もう証拠を集められたんですか、さすが情報部ですな」
冷蔵庫からオレンジジュースを出すコクランが、三割の呆れと一割の皮肉を交えた感嘆で応えた。聞いていなかった俺も、スキットルに入れたスコッチを少しだけ喉に流し込んだ。
「物的証拠でないと拘束はできませんよ?」
「そんなもの検察長官閣下の顔色で十分じゃないですかねぇ」
「おい」
流石に顔色が変わって立ち上がったコクランだが、俺は手で制して言った。
「軍は惑星メスラムの地上における治安維持活動には『表立って』動くことはできない。そこは分かっているんですよね。バグダッシュ大尉?」
俺の言葉に、コクランは無言でバグダッシュを細い目で睨みつけた。バグダッシュはといえばいつものニヒルな微笑で受け流している。
コクランは自称『小役人』で戦闘指揮を執ったことはない典型的な後方勤務士官ではあるが、その中でも彼の生真面目さは際立っている。労を惜しまず、整然と筋の通った手腕で物事を解決してきたからこそ『あの』対応ができたのだろう。故に正義を通すのに罪がなければ作ればいいじゃない、と平然と口にするようなバグダッシュとは精神的な骨格がまるで異なる。
現状この二人が感情的に対立したり、足の引っ張り合いをする可能性はない。二人ともその道の専門家(プロフェッショナル)であり、年下の左遷大尉の作戦であっても、手を抜かずに協力してくれることには感謝しかない。
だがそれはあくまでも二人の内心という脆く不確実なものに立っている。仮にこの二人のいずれかがソッポを向けば、俺は胸ポケットにある辞表を爺様に提出するしかない。そしてこの二人以外に、俺には彼らと同等以上の信頼と作戦への献身を求めなくてはならない相手がいる。
「……まぁ検察長官閣下は、作戦後に司直に委ねますよ。おっとこれはジョークではないですぞ」
「ちっとも面白くないよ」とコクランが呟いたことを俺が無視したのを見て、バグダッシュは続ける。
「海賊たちは四つぐらいの集団になりそうですな。一番大きい集団で一〇隻ないし一三隻程度の戦力でしょう。巡航艦の五隻もあれば鎧袖一触ですな」
広域分散し警備の薄い船を襲撃することこそが海賊の長所であり、纏まって行動するのはその最大の長所を打ち消す愚策だ。護衛船団を組んだことで、所属艦が一~二隻程度の弱小海賊は手出しができなくなる。バグダッシュが情報屋から聞き出したデータと過去の星域軍管区のデータを突き合せれば、今後の海賊再編の想定は可能だ。
「輸送船への改修は順調に進んでいるようです」
ロフォーテン星域管区キベロン宙域にある訓練宙域に標的として集約していた船舶を無理やり輸送船に改装しようというアイデアで、あっという間にコクランは二〇〇隻近い『仮装輸送船』を確保してしまった。元々標的艦として無人操縦できるよう改装されていたわけで、後はカーゴスペースをもっともらしく取り付ければいい。その点、帝国軍が破損遺棄した輸送船は非常に重宝した。形が形なので、穴を防ぐだけで相当な量の物資を運搬可能だからだ。
「輸送船の回航及び偽装海賊艦への参加者の人選も済みました」
これは俺。モンシャルマン大佐によって粛軍された部隊の中から、二〇名前後の艦長を選び出してさらにそこから五名五隻に絞った『特務小戦隊』を選抜。残りの一五隻でローテーションを組み、キベロン宙域からマーロヴィア星域管区に隣接するライガール星域管区へ仮装輸送船を回航させることになる。もともと一度ないし二度使えればいいという前提だから、メスラム星系まで到着すれば、後は物資の移動や配置以外では燃料を抜いて軌道上で放置すればいい。
肝心の物資集積指揮は基本的にライガール星域管区マグ・トゥンド星系でコクラン大尉が行う。俺と特務小戦隊はライガール星域から出た後、ガンダルヴァ星域の無人星系に潜んで以降は行方をくらます。マーロヴィア星域管区防衛艦隊は、行政府の勧告通り民間船運航の護衛艦抽出の為、一部星系へのパトロール回数を大幅に減らす事になる。そしてパトロールの居なくなった星系には当然……
「鉱山会社への勧告文書はもう作成されたんでしたね」
「いまからパルッキ女史の鞭で尻を叩かれる鉱山会社の面々の顔が目に浮かびますなぁ」
特に海賊からリベートを貰っている関係者は、事態を把握した時には顔が青ざめている事だろう。だが命あるを感謝してもらわねばならない。目星は付いているから、復讐を企図するようならそれなりに対処するつもりだ。ご褒美と思うかどうかは個人の趣向。
「ところで、偽装海賊の名前。もう決めたんですか?」
何気ないバグダッシュの一言。コクラン大尉は興味本位に俺を見ているが、バグダッシュはもう感づいてはいるだろう。
「『ブラックバート』でいこうと思います」
「世の中、面白くていいですなぁ」
そう言うと、新年何度目か分からない乾杯を、バグダッシュはするのだった。
◆
それから数日かけて物資調達の順序および護衛戦隊の手順を再確認した上で、コクランと回航要員は護衛戦隊と共にライガール星域管区へと出発していく。また俺も『ブラックバート』となる臨時分隊指揮官や艦長達と顔を合わせ、細かく打ち合わせをすることになった。
「よもや自分が作戦とはいえ、自国内で海賊行動をする事になろうとは思っていなかったな……」
嚮導巡航艦(通常の巡航艦に通信機器を無理やり増設した型)『ウエスカ』の小会議室で、艦長兼臨時分隊指揮官である髭もじゃの威丈夫は、太い腕を組み心底呆れたという表情で、俺と作戦案を交互に見ていた。
「この作戦案をビュコック准将閣下もモンシャルマン大佐も承認したのは間違いないんだな?」
「その通りです。カールセン中佐」
最初にモンシャルマン大佐から預かった信頼できる艦の名簿を見た時、何故この人がここにいるのかはよくわからなかった。が、俺がカールセン中佐から吹きつける物理力を伴う威圧感に抗いながら応えると、カールセン中佐は大きく鼻を鳴らし、不満の表情を隠すことなく紙の作戦案をテーブルの上に放り投げた。
まだモジャ髭がかろうじて黒いカールセン中佐は、その最期において参謀らしき士官に士官学校を出ていないこと、エリートに対する意地だけで戦ってきたこと、こんな時代でなければ到底艦隊司令官になれなかったことを独白している。中将にもなって、それも旗艦『ディオメデス』の撃沈寸前にそんなことを言うのだから、この人の士官学校出のエリートに対する反感は、ビュコックの爺様以上の筋金入りだろう。
そして俺はそれなりに努力したとはいえ、結果として現場でヘマして辺境に流された士官学校首席卒業者以外の何物でもない。カールセン中佐が俺に好意を持つ一片の理由すらない。そして今、俺は不本意ながらも彼が最も嫌悪するであろう台詞を吐かねばならないのだ。
「今回の作戦において戦闘指揮・運航に関しては中佐にお願い致しますが、臨時戦隊の、ことに部隊運用に関しては、小官に従っていただきます」
あぁ今この瞬間、俺はカールセン中佐にとってみれば完全に度し難い世間知らずの悪役エリート若造なんだろうなと、心の中で溜め息をついた。
俺だってこんな事は言いたくないが、俺はこの作戦立案者であり同時に責任者でもある。おそらく、いや間違いなく『非情』『残虐』『卑劣』と批判を受ける決断をしなくてはいけない場面が必ず来る。その時先任士官であるカールセン中佐に責任を負わせるのは、甘っちょろいし筋違いと批判されるかもしれないが、俺の良心が許せない。作戦自体が失敗に終われば、俺の軍におけるキャリアは間違いなく終了する。だが成功しても批判されるであろう状況下において、カールセン中佐のキャリアを傷つけるわけにはいかない……一〇年後の同盟軍にとって、ラルフ=カールセンという指揮官の存在は巨大戦艦より貴重なものなのだ。
だがそれを俺の目の前で、顔を真っ赤にし、血を噴き出さんばかりに拳を固く握り締めているカールセン中佐に言っても無駄だし、理解されるようなものではない。バグダッシュ、コクランの二人が加わったおかげで、作戦運用に大きく弾みがついて、状況終了までの期日は計算上かなり短くなったとはいえ、俺自身は荊の上で作戦遂行する事になるだろうと痛感せざるを得なかった。
そして宇宙暦七八八年二月一四日。全ての準備が整い、爺様の執務室にマーロヴィア星域管区司令部要員が集まり、作戦名『草刈り』の状況開始が爺様の口から宣告される。すでにコクランはライガール星域管区に、バグダッシュはすでに階級章と制服を官舎において行方をくらましており、ここには最初の四人しかいない。
「兵卒上がりの年上の上官の操縦方法を、存分に学んでくるがいいぞ」
カールセン中佐の上申を何度も受けた爺様は、俺の敬礼に面倒くさそうに応じた後、そう言った。
「ジュニアの命令は儂の命令じゃと口酸っぱく言っておいたからの。カールセンの血圧は十分すぎるほど上がっておるだろうて」
「……主力部隊の運用と機雷の改造・敷設に関しては、我々に任せてもらおう。ブラックバートに襲撃される船団についても準備は整えておく。一応、問題ないとは思うが行き違いの場合、三重の暗号で交信する事になるが、貴官の方の最終返答符号はどうする?」
陽気に笑っている爺様をよそに、モンシャルマン大佐は真剣な表情で俺に言った。
正規軍と偽装海賊が八百長を演じるとはいえ、傍から見て演技とわかるようなようでは不味い。特に護衛船団に随行する民間船の乗員乗客にばれないよう、その襲撃は真剣なものになる。事前にどの護衛船団を襲うかはある程度決まっているのだが、状況によってはアドリブもかますことになる。
その為の誰何符号も用意してあるが、護衛船団側から発信された符号に対しての返答符号が必要になる。返答符号がなければ、護衛艦艇は本物の海賊として容赦なく反撃することになる。軍用通信を盗聴するレベルの海賊になれば、返答符号を必死に考えようとするだろうし、バグダッシュも盛んに偽情報を流している。
俺が大佐からファイフェルに視線を動かすと、ファイフェルはすぐに自分のポケットから紙のメモ帳を取り出し、ペンをインクモードで起動する。
「末尾一の日はアントニナ。二の日はイロナ。三の日はラリサ。四の日はドミニク。五の日はレーナ。六の日はカーテローゼ。七の日はフレデリカ。八の日はアンネローゼ。九の日はヒルダ。〇の日はマリーカ。で」
「……まぁ、なんというか。ボロディン大尉らしいというか」
「それほどプライベートが充実しておったのじゃったら、もう少しこき使ってやるんじゃったわい」
「フェザーン駐在武官というのは相当役得があるんですね」
三人が三人をして、何となく白けたような呆れたような口調で答えたので、俺は無言で肩をすくめた。まぁ実際役得といえば役得であったわけだし、それが原因でこんな辺境に流されたわけだが。
「誰も想像しない符号だろうから、各護衛船団の指揮官にのみ伝えておこう」
数回咳払いしてからモンシャルマン大佐はそういうと、俺に向けて手を差し出した。
「こちらの事はすべて任せて、存分に仕事をしてくれ。貴官の代わりはファイフェル少尉がやってくれるだろう」
「少尉のことも宜しく面倒を見てやってください」
「二人ともファイフェルに甘いのう」
爺様はわざといじけたような口ぶりで顎をさすりながら応えると、その鋭い眼が俺を真正面から見据えた。
「ジュニアも気をつけるんじゃぞ。言うまでもないが、貴官は白刃の橋を渡っておるんじゃからな?」
「承知しております」
「本物は手ごわいぞ。儂が保証する」
その本物が何を指しているのか、爺様がはっきり理解していると承知した上で改めて背筋の整った敬礼を俺はするのだった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第40話 訓練
前書き
血圧を上げるというのは、肉体的に大変危険な行為です。
上司の血圧を上げるのは、経済的に大変危険な行為です。
そして今回の話はかなり長い割に進みが遅いので、読者の皆様の血圧が上がるかもしれません。
宇宙暦七八八年二月 マーロヴィア星域 ラマシュトゥ星系
メスラム星域を離れて一五日後。
ライガール星域でコクラン大尉と再会し、予備の燃料と光子魚雷などの消耗兵器、巡航艦五隻の生活必需品四か月分を搭載した稼働状態の良い帝国軍小型輸送艦と合流する。
補給終了後は予定通りマーロヴィア星域に向けて進路をとるが、主要航路ではなく、寂れて航路情報も乏しい星系を幾つか渡り、現時点でマーロヴィア星域の最辺境となっているラマシュトゥ星系に特務戦隊は潜伏した。
この星系は事実上、自由惑星同盟の版図における最も辺境の星系だ。これまで通過してきた星系以外との航路情報はなく、星域管区のパトロールですら半年に一回。資源らしい資源もない。小さく弱々しい赤色矮星の周りを、幾つかのガス惑星が公転しているだけ。これまで海賊の目撃情報すらない。念の為にと跳躍点宙域近辺の次元航跡を調査したが、見事にまっさらだった。
「こんな星系にいったい何の用があるというのだ?」
比較的大きめだが名前もラマシュトゥ-Ⅳ-3としかつけられていない岩石型衛星の赤道付近に投錨した嚮導巡航艦ウエスカの狭い戦闘艦橋で、カールセン中佐は俺を睨みつけながら言った。くだらないことを言ったら縊り殺すといわんばかりの視線だが、ひるんでいても仕方がない。軽く咳ばらいをした後で、俺はできる限り軽い口調で答えた。
「訓練です。砲撃と戦隊機動を主に実施します」
「……評価は貴官がするのか?」
実戦経験のほとんどない若造が何を言うかと、顔に書いてある。カールセン中佐にとってみればそれは当然だ。長年軍務についていて、先任艦長として部下だけでなく同僚すら教育してきた立場だ。そのキャリアを貶しているも同然の発言だろうが、ここはのんでもらわねばならない。単艦の海賊ならまだしも、草刈りの為にわざわざマーロヴィアの海賊は集団化させている。それを一隻残らず撃破するには、正確な砲撃と的確な戦隊機動が必要とされる。
「小官は査閲官業務に経験があります。予備の燃料も十分ありますので、時間の許す限り実施しましょう。僚艦の艦長をウエスカに集合させてください」
「……命令だからな。致し方なかろう」
苦り切った表情を隠すことなく、カールセン中佐は副官と航海長を呼び、自艦と僚艦への指示を下した。その命令毎に副長や航海長の非好意的な視線が、俺の背中に刺さっているのは痛いほどわかった。
それから一二時間後に、特務分隊の訓練は開始される。
今回同行する五隻の巡航艦はモンシャルマン大佐の粛軍をクリアした上で、艦長の経歴・戦歴・実績を洗いざらい調べたうえで選んだ艦ばかりだ。爺様の手元に残してきた戦艦を除けばマーロヴィア星域管区内の精鋭中の精鋭と言っていい。
だが現実には基本的な五隻単縦陣から一斉回頭による単横陣への組み換えすら上手くこなすことができない。対静止標的撃破率は五〇パーセントを切っていて、対可動標的撃破率など一〇パーセント以下だ。ロボス中将率いる第三艦隊と比較してはいけないと分かっていたが、充足率六割とはいえ帝国軍と戦い続ける制式艦隊と辺境の警備部隊ではかくも実力差があるのかと痛感させられる。
これが一〇数年後のランテマリオ星域会戦で、混成艦隊の前衛部隊が司令部からの統制を逸脱した狂乱を演じた挙句、手痛い反撃を受けて以後の攻勢を失うに至った遠因の一つだろう。日常的な警備活動を少数の艦艇で実施せざるを得ない環境下では、まともな集団訓練などする時間はない。リンチと共に働いたケリム星域のような経済的に重要な星系ならば艦艇の数に余裕があるのでまだしも……三日ぶっ通しで実施した訓練の結果が悪いという事は、再びウエスカに集まった艦長達もどうやら十分理解はしているのだが。
「艦長達はこの訓練の意味を知りたがっている」
蓄積された疲労と、結果に対する慙愧と、ミスを指摘する小生意気な若造への不満で、顔色がさえない艦長達を代表してカールセン中佐が俺に問うた。
「我々の目的はマーロヴィアに巣食う宇宙海賊の掃討にあるはず。海賊が集団化したとはいえ、その統制は脆く攻撃力は制式艦艇に比べて貧弱だ。このまま訓練を継続するよりも、速やかに戦隊を航路防衛や星系内捜索活動に戻すなり、偽装海賊としての活動を始める方が効率的だと考えるが、どうか?」
ストレスが限界点に達しようとしているのは十分理解している。部下からの突き上げは相当なものだろう。実戦経験のほとんどないエリート崩れの若造の道楽になんで付き合わねばならないのか。彼らにおもねることは簡単だし、拒絶することも簡単だが、それでは目的を果たすだけの実力を得ることはできない。彼らが彼らのキャリアが示す実力を一二〇パーセント発揮できるようにしなければ、本物を倒すことはできない。
査閲部に在籍していた時に話を聞いた年配の勇者達は、既に出世の望みがないことを受け入れていた。目の前の彼らはそうではない。年上の上官を命令ではあっても指揮する為には、彼らを納得させるだけの理由と統率力を示さなくてはならないのだ。俺は下腹部に力を込めて大きく息を吐くと、こちらを見つめるカールセン中佐をはじめとした艦長達の顔を一望する。いずれも五〇歳を超えているであろう、疲労がなくとも皺が顔に寄る年齢になった下級佐官達だ。その中で一番手前に座る、カールセン中佐を俺は正面から見据えた。
「海賊の掃討も確かに目的の一つですが、それだけではありません。最大の目的は、このマーロヴィア星域管区の再活性化であります」
その言葉に、艦長達の顔に戸惑いが浮かぶ。
「その最大の障害となるのがブラックバート……ロバート=パーソンズ元准将に率いられた恐るべき海賊集団の撃滅が、この特務分隊に課された最大の任務であります」
◆
「……“あの方”を叩くというのか」
嚮導巡航艦ウエスカの会議室の沈黙を最初に破ったのは、やはりカールセン中佐だった。
「ブラックバートは一昨年、ケリム星域管区で第一艦隊に撃破されたはずではないか?」
次に俺に聞いてきたのは巡航艦ミゲー三四号艦長のカール=ブルゼン少佐。幼少時に帝国から亡命してきた人物で、二等兵の頃からの経験に裏打ちされた操艦の腕とセンスは、マーロヴィア星域管区でも随一と評判の人物だ。
「仮に逃亡したとしてもケリム星域からわざわざマーロヴィア星域まで逃亡するだろうか? 経済的なことを考えれば商船の運航量の多いフェザーン方面へ行くのが普通ではないか?」
これは巡航艦サルード一一五号艦長のマルソー少佐。後方勤務から実戦部隊に移籍した変わり種だが、海賊を単艦で長時間追跡し撃破するといった辛抱強い指揮ができる人で、五人の中では俺に対するわだかまりが最も少ないように見える。
「大体、ブラックバートがこの近辺で発見されたのなら、他管区の部隊が黙ってねぇだろう」
呆れ顔で両手を天井に振り上げたのが巡航艦ミゲー七七号艦長のゴートン少佐。『暴れ牛』の異名があるように勇猛果敢な艦の指揮をするらしいが、上官に何度か手を挙げたらしく譴責処分の数も多い。当然、俺に対しては反感しかもっていないように見える。
「……ブラックバートの統率力は尋常ではない。エル・ファシル星域管区に在籍していた時、私の所属していた駆逐艦分隊は彼らにいいように翻弄された」
腕を組んで苦虫を噛みながら答えるのが巡航艦ユルグ六号艦長のリヴェット少佐。この中では一番年長で、帝国軍との戦闘も海賊との戦闘も多くこなしてきた。戦闘数に比して撃破艦艇は少ないが、損害もほとんどない。
いずれの艦長もブラックバートという名前を無視できないのは一目瞭然だった。それだけに海賊ブラックバートの名は有効であると、俺は確信して、彼らの問いに一つ一つ答えた。
「まず本物のブラックバートは完全に撃破されたわけではありません。残念ながらケリム星域管区第七一警備艦隊の副官をしていた小官が、不本意ながら保証せざるを得ません」
経済的なことを考えたとしても、十分に武装した警備部隊がうろつくフェザーン航路で、根拠地を失い弱体化したブラックバートが襲撃を行うのはあまりにもリスクが高い。エル・ファシルやドーリアといった星域管区は現在帝国軍と接触している故に、民間船舶の運航は制限されているか十分な護衛がついている。そしてブラックバートは旧式・廃棄予定だったとはいえ同盟軍の戦闘艦を有している故に発見されても特別任務という事で誤魔化しがきく。そして
「彼らがマーロヴィア星域にくる理由の最大のものは、偽物のブラックバートが現れる……つまり我々が彼の名前を騙って軍の護衛船団を襲うからです」
「バーソンズ閣下を倒す事が、どうしてこのマーロヴィア星域管区を活性化することにつながるのか。儂には理解できん。ボロディン大尉、説明してもらいたい」
カールセン中佐は大きく首を振って大きな声で俺を問い詰める。納得できない説明であれば、色々な意味で容赦するつもりはないのだろう。作戦への不服従か、最悪艦ごと逃亡しようかという勢いだ。
だがカールセン中佐がそうなるのも無理はない。徴兵され、専科学校そして幹部候補学校に推薦入学し、卒業後数年で駆逐艦の艦長となった時の上官がロバート=バーソンズ大佐(当時)なのだ。確実な戦果だけでも帝国軍の戦艦一隻を大破、巡航艦三隻に駆逐艦六隻を撃沈という大武勲を持つ中佐が、マーロヴィア星域管区の巡航艦先任艦長などをしている最大の理由は兵卒上りだから、ではない。ロバート=バーソンズの有能な部下だったという経歴が重なっているからなのだ。
潜在的なシンパと見られ、それでいて操艦も戦闘指揮にも優れている故に艦長の職から外すことも躊躇われ、士官学校出身者でないこともあって辺境に流された。制式艦隊に所属させればその情報をブラックバートに流しかねない。海賊に身をやつすにしてもどこか遠くで、中央航路よりはるかに遠いところでやってほしい……そういう軍内部のエゴや保身から、中佐はマーロヴィア星域管区に配属されたわけだ。
経歴をモンシャルマン大佐より付託された参謀長権限を使って読んで、俺は納得できたし中佐のエリート嫌いの根っこがとんでもないところにあって驚いたものだった。それを承知の上でブラックバートを名乗り偽装海賊作戦を組み立て、実働部隊の先任艦長に中佐を選んだ俺は、もう悪魔に魂を売ったも同然だ。
「バーソンズ元准将は宇宙海賊の中でも特異な人物です。リヴェット少佐の仰るように、並々ならぬ統率力を持ち、いまだに多くのシンパを軍内外に抱えていると思われます」
シンパという言葉に、机の上で握られたカールセン中佐の両拳に力が込められたが、無視して俺は続けた。
「彼は海賊行為を行う目的は私腹を肥やすことではありません。それは十分承知しています。だからといって彼の海賊行為を許すわけにはいかないのです。カールセン中佐ならお分かりいただけると思います」
「……あぁ」
「彼の希望を、いささか形を変えた上で達成できる条件がこの星域……具体的にはメスラム星系に整っています。必要とされる資本はブラックバート以外の海賊組織を掃討することで得られる形になります」
宇宙海賊の巣食う小惑星帯には機雷とゼッフル粒子による重層的な空間封鎖が実施される。堅気の鉱山会社には一時的な損失が出るが、このマーロヴィア星域にもともと堅気な会社自体が存在しない。大なり小なり海賊とつながりはあるから、取り潰しにかかる補償額など第一艦隊を動員・常駐する額に比べればまだましだ。それに行政府直轄あるいは半官半民となった鉱山会社に『新しい労働力』が軍から提供され、その製品は優先的に軍が買い取ることになる。そして幸いに爆発することのなかった機雷を処理するにも人手は必要。その為に事前実施される更地作業が若干過激であることは否定しない。
つまりロバート=バーソンズが海賊行為で資本を作り、ケリム星域で実施していた活動を、行政が直轄して行うという事だ。パクリも甚だしいが、今度は非合法ではない。しかし実施するためにはブラックバートという義賊の存在は完全に抹殺されなければならない。自らの不作為を忘却させ、行動を正当化し、彼らのやってきたことを否定すること為に必要な儀式なのだ。
そしてケリム星域で敗退・逃亡したブラックバートは数を減らしているとはいえ、恐らくは元准将の指揮下でも最精鋭で構成されているであろう。海賊を偽装した上で、彼らに勝つ為には部隊にそれなりの練度が必要になる。
「バーソンズ元准将をこの星域に引きずり出す為には、大きな餌とともに、彼の軍内外に残る名声を必要以上に貶める必要があります。その実働戦力として我々が行動するのです。そして、汚名をそそぐために出てきた彼を葬るだけの力を我々は持たなくてはならない」
そこまで言ってから俺はカールセン中佐に視線を向けた。すでに彼の眼は深紅に染まり、俺を絞殺せんばかりに睨みつけてはいるが、その瞳の奥に僅かな恐怖が見え隠れしている。軍内で自分を育てた恩人を自分が撃つという恐怖と、純粋に歴戦の用兵巧者と戦うという恐怖。ゲリラ戦を得意とする元准将に、今の戦力・練度では到底勝ち目はないとわかっている目だ。
「……ここで偽物のブラックバートが暴れていると、元准将が耳にするまでにはそれなりの時間が必要でしょう。一ヶ月から二ヶ月は余裕があります。補給は軍の輸送船団から略奪できます。一個巡航艦分隊がフォーメーション訓練する準備は整っております」
俺の断言に、カールセン中佐をはじめとした五人の艦長はみな沈黙で応えた。出てもいない汗を拭き、腕をきつく組み、額に手を当て、首元のスカーフを緩める。数分ののち最初に口を開いたのは、やはりカールセン中佐だった。
「それで我々が……あの方に勝てると、貴官は言うのか?」
「あの方ではなく、バーソンズ元准将です、カールセン中佐」
本人を直接知らない強みで、俺は笑顔を浮かべて中佐に応じた。
「勝てる勝てないの問題ではなく、勝たなくてはいけない、です。まず勝たなくてはあらゆる意味で我々は生き残れないことをご理解ください」
その会話以降、カールセン中佐ら艦長達の態度は大きな変化を見せた。俺に対する感情は敵意と隔意と不本意のままで変わらなかったが、訓練に対する熱の入れ方は明らかに強くなった。嚮導巡航艦ウエスカの戦闘艦橋でカールセン中佐の激しい叱咤が飛ばない時間はなく、副長や航海長が砲撃・操舵などの各部署の中間責任者を会議室に呼び出して厳しく叱責することもいつものことになった。
そしてその会議には必ず俺も同席するようにしている。上司の叱責の敵意の矛先を、部下ではなく俺に向けるようにするための小細工だった。おかげさまで俺はこの特務分隊でどの階級からも満遍なく嫌われている存在となった。特に各艦の中尉や特務少尉といった中間責任者からは、『会議室でネチネチと細かいことを指摘してくる嫌味な首席大尉殿』という評価で固まった。
常に端末を手に、会議室と戦闘艦橋を行ったり来たりして、人の粗を探している。叱られている様を見ながらも端末をいじり、なぜそのように砲撃や機動をしたのか理由を事細かく質問してくる。戦場に出たこともないくせに、一人前に人の批判をしてくる等々。査閲部にいた頃の数倍の濃度で向けられる敵意に、俺はほとほと呆れつつも、開かれる会議の回数に比例して、分隊の練度が大きく上昇していることに満足していた。
そしてラマシュトゥ星系に到着し、訓練を開始して三週間後の三月一日。集中的な訓練の成果がはっきりと表れ、なんとか第三艦隊の末席分隊と言っても差し支えないレベルまで分隊の練度が達したのを見計らったかのように、マーロヴィア星域の何処かに居るバグダッシュから超光速通信が届いた。
「お坊ちゃまのご成長ぶりはいかがですかな?」
明らかにマーロヴィア星域軍管区司令部ではない、場末というかスラムの中にあるアジトのような雰囲気を背景に、私服姿のバグダッシュは何時ものような軽薄な口調で俺に言った。
「もう少しで一月になりますから、そろそろご機嫌を伺おうと思いまして」
「順調ですよ。立ち歩きくらいはできるようになりました」
「まだハイキングをするのは無理ということですかな?」
「まっすぐ歩けるようになったら、こちらからご連絡いたします」
「ご隠居様もそろそろシビレを切らしておりますからね、では」
お互い敬礼するまでもなく、あっという間にバグダッシュのほうから通信は切られると、同時に圧縮された作戦の進捗状況報告書が俺の端末に直接流れ込んできた。簡潔にしかも整然と内容が纏められた報告書で、それだけ見てもバグダッシュの有能さを十分認識できたが、内容を読み進めていくうちにその大胆さに呆れるといったほうがいいように思えた。
まず偽名を使って物資の横流しを餌に幾つかの弱小海賊組織に接触して、海賊の勢力分布を既存の情報と照らし合わせていく。そこで確認された海賊組織を大まかに四つに分類したうえで、司令部から星域政府に通告された機雷訓練宙域の情報にレベル差をつけて漏洩させた。
当然、海賊同士での情報交換は頻繁だから、それを突き合わせて状況照合を行うだろう。それを見越して、弱小海賊の幾つかを減刑処分を餌に降伏させた。驚いた他の海賊組織は慌てて組織の引き締めを図る。そこでバグダッシュが意図的に流し込んだ偽の作戦情報に粗があることに気が付き、幾つかの情報屋が海賊自身の手によって潰された。
海賊組織は自身の安全を守るため、比較的親交のあるいくつかの集団に纏まることを余儀なくされた。異なる集団同士の間では緊張感が高まっており、後は火をつけるだけの状況になっている。
文章にすれば簡単に見えるが、現実にハリネズミのようにアンテナを張り巡らしている海賊と簡単に接触し、まるでゲームをするかのように相手を操ってしまう手腕はとてもマネできない。星域開拓以来、宇宙海賊に悩まされ常に主導権を奪われていたマーロヴィアが、たった一人の情報将校によって手玉に取られようとしている。
「つまりマーロヴィアはバグダッシュ一人を派遣するほどの価値もない、ということなのか?」
俺は嚮導巡航艦ウエスカにある自分の個室で、バグダッシュの報告書を片手に溜息をつかざるを得なかった。
自由惑星同盟が国家として成立し、ダゴン星域会戦で帝国と接触するまでの間、多くの星域と星系がその支配下に入った。産めよ増やせよ拡大せよで領域を拡大したものの、まずは初期投資人口の不足で、ついで資本の選択集中で、そして帝国との戦争で、みるみるうちにその価値を低下していったのだろう。
メスラム星系に分不相応ともいえる巨大な星域軍管区司令部があるのも、いずれはここを根拠地にさらなる支配領域拡大を、と臨んだのだろう。が、一五〇年にわたる長い戦争が辺境への投資意欲を低下させた。それが海賊の目に留まりカビのように星域を蝕んでいった。
ビュコック爺さんをこのド辺境に送り込んだのも、統合作戦本部が准将の定年までの四年間で成果を上げてくれれば儲けものぐらいの考えだったのかもしれない。原作の初登場時点でビュコックは中将として第五艦隊司令官まで昇進しているわけだから、このマーロヴィアでもそれなりに実績を上げたに違いない。そこで、俺は背筋が寒くなった。
はたして俺は転生してこれまで、なにか状況を変化させているのだろうか?
原作に登場しないキャラとしてこの世界に生を受け、士官学校では多くの原作キャラと出会い、多少なりとも運命を変更させたのだろうか? 自由惑星同盟の引きこもり防衛など果たせることなく、結局は原作通り天才ラインハルト=フォン=ローエングラムによって蹂躙させられてしまうだけなのではないか。大きな歴史のうねりの中で、凡夫一人ができることなどたかが知れている……
バグダッシュの報告書と共に、マーロヴィア星域メスラムにある情報集積センターから転送されてきた、俺個人宛の通信文を見ながら、そう思った。
それはアーサー=リンチ個人から。気さくな挨拶に加えて二月の人事異動における少将への昇進と、エル=ファシル星域防衛司令官への転属の連絡が記されていた。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第41話 マーロヴィアの草刈り
前書き
情報は時に一個艦隊の武力に勝るというのは間違いありません。
Jrがどんなに頑張ったとしても、バグダッシュの1/4くらいしか仕事できないでしょう。
宇宙暦七八八年三月 マーロヴィア星域 ラマシュトゥ星系
機は熟した。
はっきりとそう言い切れるほど自信があるわけではないが、特務分隊は少なくとも俺の必要と考えるレベルの練度を獲得し、草刈り作戦を実施するにあたりまずは大きな障害がなくなったと俺は判断した。分隊基礎運動訓練から始まり、全艦による一点集中砲撃訓練まで、ラマシュトゥ星系に到着してより都合三八日。ほぼ休みなく訓練を実施した甲斐があった。
嚮導巡航艦ウエスカの会議室に集まった艦長達の顔には、疲労感が大半を占めてはいたものの、達成感があったのを俺は見逃さなかった。
「いよいよ、今日から我々は海賊集団ブラックバートとなるわけだ」
「この国に亡命してからかなりの時間がたつが、まさか本気で海賊をする日が来るとは思わなかった」
「部下と御曹司の板挟みに、小官の忍耐も限界に近かったが、ようやく解放されるか」
「あぁ、やっと、だな」
各艦の艦長達はそう言いながら肩を竦めたり、コーヒーを飲んだりしていたが、カールセン中佐だけは腕を組んで、じっと目をつぶったままだった。彼に声をかけられる雰囲気ではないのは明らかであり、集まった他の艦長達も、あえてカールセン中佐に声をかけようとはしなかった。
「作戦をご説明いたします」
俺が必要もなく小さめに喉を鳴らすと、会議室の照明を落として、中央にある三次元ディスプレイを起動させる。艦長達も口を閉じてディスプレイに映し出されるマーロヴィア星域の星域航海図を注視した。
「まず我々の現在位置は、このラマシュトゥ星系」
ディスプレイの白い点の一つが赤く染められる。そこから延びる細い線がゆっくりと俺の指示通りに赤く染まっていく。目標点は最初が本拠地であるメスラム星系。通常であれば約一〇日の行程ではあるが、あえて通常航路を逸脱し、ライガール星域やタッシリ星域からの民間ルートを挟み込むように、偽装商船や輸送船を『襲撃』しながらメスラム星系へと近づいていく。
メスラム星系に侵入後は、老朽化して廃棄処分された鉱石採掘プラント(バグダッシュを通じて地権者から買収済)に根拠地を置き、海賊狩りを実施する。自らをブラックバートと触れ回わり、集団化した他の海賊組織の縄張りを荒らしまわる。
接触してくる海賊組織もあるだろうが、裁判などの手続きを一切せず容赦なく撃破する。軍管区司令部とは完全に通信を切り、あくまでも私掠船として行動する為、味方のパトロールと衝突する可能性もゼロではない。発見された場合は擬似交戦の上、逃走を選択する。
特務分隊が海賊と『私闘』を繰り広げている間、軍管区所属の艦艇は海賊が潜伏する可能性の高い小惑星帯に、掃宙訓練と称して実弾機雷とゼッフル粒子発生装置を設置していく。実弾の幾つかは炸薬部を除き、時限航跡監視記録装置を搭載した事実上のスパイ衛星として活用する。そこで得られたデータは軍管区司令部で処理し、次の機雷敷設ポイントを決定する。ポイントはバグダッシュを通じて、俺個人に連絡される。
また非情な海賊を演出する為、気密すらできていない自動操縦の老朽標的艦に通信機を仕込み、それを撃破するというマッチポンプを実施して、本家ブラックバートの名を失墜させる。かつてブラックバートの名を騙った宇宙海賊が数週間もしないうちに沈黙したのは、面子を潰された本家が出張ってきたからだろう。こちらは海賊の情報網も利用して悪名を轟かせるわけだから、それだけプライドの高い集団であれば、さほど時間をかけずに出てくるのは間違いない。できればブラックバートに砲撃有効射程の長い戦艦がいないことを祈るのみだ。
「以降、作戦終了まで船体をすべて黒に塗装します。何か質問がございますか?」
「降伏して裁判を希望する海賊も、容赦する必要はないのか?」
巡航艦サルード艦長のマルソー少佐が手を上げて問いかけてきた。辛抱強い指揮官であるという評判通り、俺のような若造が指揮する訓練でも表立って批判はしてこなかったが、流石に裁判なしで仮借なく攻撃するのは同盟軍基本法に抵触するのではないか、と言外に言っているのは間違いなかった。
「動力を停止し、無抵抗で船を捨てて出てくるというのであれば命だけは助けますが、それ以上の温情を海賊に与える必要はありません」
「偽装艦と民間船の区別はどうする? そこまで強硬にやる以上間違って撃沈しました、という言い訳は通じないぜ」
ゴートン少佐が皮肉ぶって肩を竦めて言った。
「すでにマーロヴィア星域を航行する民間船舶に対して、航行計画票の事前提出を求められております。隣接するライガール・タッシリ領星域には、マーロヴィア星域へ航行する船舶すべてに対し護衛船団運行指示が出されておりますので、それ以外の独航船舶には、『航路外へ誘導し、強行接舷による内部査察』を実施いたします」
「……それは誘拐とどう意味が違うんだ?」
「護衛船団を組みたくないほど急ぎで運ばなければならない荷物であれば、事前に軍か行政府に連絡があると思われます。連絡なしに独航する船があるとしたら大変興味がありますね。果たして何を積んでいるか、ここが帝国戦力圏内で、さらに三〇年前だったらと思う次第です」
俺の返答に、室内にいる艦長達は呆れ顔で俺を見つめた。三〇年前まで同盟軍は帝国勢力圏内での私掠戦術が、非公式ではあるが公認されていたのは事実だ。ダゴンの殲滅戦で勝利を得ていたとはいえ、同盟政府は帝国の国力とは比較にならないほど小さいことを意識していたし、事実であったから敵の補給線を圧迫する目的で帝国領内における商船への略奪行為を実施していたのだ。
もちろん現在でもバーゾンズ元准将のように特殊戦を実施しているが、それほど大規模には実施していない。理由は単純。イゼルローン要塞の建造だ。建造に際してそれまでも厳重な警戒網が敷かれていたイゼルローン回廊の出口付近は蟻の出入りする隙間の無いほどにまで強化され、物理的な突破が困難になってしまった。
今も昔も統合作戦本部は不正規戦をあまり重要視してはいなかったが、高いリスクを払ってまで実施する意味がないと判断し、以後帝国本土における私掠戦は中止された。もちろん、裏には巻き添えを喰らっていたであろうフェザーンからの圧力があったに違いない。
「もっともらしく海賊行為をするのが今回の作戦には必要です。盛大にやりましょう」
それから一月半の間。特務分隊はブラックバートとしてマーロヴィア星域を暴れまわることになる。後日ファイフェルが纏めてくれた軍の報告書からいくつか抜粋すれば……
三月一三日 クビュ星系において単独航行中の商船『レキシントン三二号』を襲撃。救援信号を発信する商船に強行接舷。搭載されていた食料品や生活物資を強奪。乗組員(※無人)を残し、通信回線を開いたまま撃沈するという残虐行為が行われる。
三月一八日 グアンナ星系外縁部において単独航行中の鉱石運搬船を襲撃。複数の巡航艦クラスの海賊船と駆逐艦クラスの海賊船が遭遇。駆逐艦クラスの海賊船と鉱石運搬船が共に撃沈する。通報を受けた巡航艦ミスリル一三九号が急行し残りの海賊船を追撃するも振り切られる。
三月二三日 クビュ星系において護衛船団『A-〇三』が海賊船団と遭遇。巡航艦クラス五隻からなる大集団に、護衛艦五隻が迎撃。砲撃戦となるも双方に損害なし。ただし、護衛艦の一隻が海賊船団の内部通信を傍受。文中に『ブラックバート』の記載を確認。
三月二八日 ソボナ星系において所属不明の砲撃戦が行われていると付近を航行中の護衛船団『C-七七』より通報。近隣をパトロール中の駆逐艦ヴィクトリア七六六号が急行。周辺宙域にて無数の艦船破壊片を確認。駆逐艦にして七隻相当のもので、すべて民間船改造のものと判明。しかし護送船団ルートからかなり外れていることから、捜査は難航。
四月三日 クビュ星系にて護衛艦一隻を伴う軍小型輸送船レヴォニア一〇八八号が海賊集団に襲撃され、護衛艦が撃破された上、輸送船搭載物資を強奪される。この際に海賊船側より『ブラックバート』である旨の通信が発せられる。
四月七日 ソボナ星系において護送船団『W-〇九』が巡航艦クラス五隻からなる海賊船団と遭遇。護衛艦隊が撃退に成功。損害なし。
四月九日 軍の護衛を断った民間船団が、七隻の海賊船団に襲撃される。緊急通信を受けた駆逐艦オーベンス三四号が急行すると、海賊船同士での戦闘を確認。一方がもう一方を圧倒し、オーベンス三四号を確認すると逃走。撃破された海賊船団は、現場に残された遺留物及び数名の生存者の証言により、撃破された海賊は大手組織のバナボラ・グループと判明。
四月一四日 アブレシオン星系にて単独航行中の民間船が海賊船団に襲撃。緊急通信を受けた第三パトロール小隊が急行したところ、当該船舶の無事を確認する。しかし発見時、航行動力は切られた上で乗員はすべて船内にて昏睡状態で拘束され、搭載品は無事であったがその中から大量のサイオキシン麻薬が発見される。
四月一八日 メスラム星系小惑星帯のD鉱区にて大規模破壊事故発生。鉱石プラント船は付近の小惑星帯ごと完全に破壊され、内部に多数の死亡者を確認。付近を遊弋していた脱出ポットの中に生存者若干名あり。彼らは以前他星域で誘拐された被害者の模様。彼らの証言から、この鉱石プラントが海賊の根拠地であったと判明する。
四月二二日 ヨルバ星系にて単独航行中の商船が海賊船団に捕捉される。第二パトロール小隊が到着するも、その目前で商船を爆破し、船団は逃走。商船内に生存者なし。
四月三〇日 メスラム星系にて海賊集団ツカシューレ・グループが、星域軍管区司令部に降伏する旨連絡。同グループの本拠地である小惑星帯Q鉱区に演習用機雷とゼッフル粒子が散布されたことにより脱出が不可能になった為とのこと……
◆
「……そういうわけで、ご隠居様は近頃のお坊ちゃまの成長を大変喜んでおられますな」
画面の向こう側のバグダッシュは、無精ひげに手を当てつつ上目遣いで俺に言った。
「ただ片言しか話せないことが残念だと仰ってました。それと若旦那に転送したお手紙は安全ですから、すぐに中身確認しておいてください」
「……ちょっと待って。アンタなに勝手に人のメールフォルダの中身を確認してんの?」
「それが執事の仕事でございますから」
「……いつから主人のメールフォルダを開くのが執事の仕事になったんですかね?」
「申しあげておきましたからね。必ずご開封してくださいよ。でないと、若奥様に嫌われますよ」
傍受したところで海賊討伐を実施している軍関係者の相互通話とも思えない会話は、いつものようにバグダッシュの方から切られた。俺は端末を開いて内容を確認すると、奇妙な宛先からのメールが届いているのが分かった。『マルブランク芸能プロダクション』……聞いたこともないし、俺に関係があるとも思えない。だが、あのバグダッシュがあそこまで言うのだからと判断し開封すると、画面に映る自分の瞳孔が急激に変化していくのが分かった。
帝国語でプロダクション社長の名前はニコラウス=ボルテマン。件名は「現在同盟で活動している所属歌手の、今後のスケジュールについて」 そして内容は「ガンダルヴァ星域管区にて四月二九日、期待の大型新人ユニット『ロイヤル・フォーチュン・一二』がステージ。満員観客の拍手喝采を浴びた。次回公演はトリプラ星域管区で五月上旬を予定」だった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第42話 ブラックバート その1
前書き
草刈りという題名をつけたかっただけなんて、今更言えるわけもない。
ようやくフラグ回収です。
宇宙歴七八八年五月一日 マーロヴィア星域 ソボナ星系外縁部
ついにきた。
三月から一月半の内に、商船(大半が偽装艦)二五隻を襲撃、海賊船一八隻撃沈、海賊根拠地大小三か所を蒸し焼きにした偽物の残虐行為を正すべく、本家が出陣してきた。
ガンダルヴァ星域管区内で発生した海賊情報を軍のネットワークで確認すれば、フェザーンのタンカーと金属資材運搬船の船団が襲撃され、両船とも乗組員を脱出ポッドに押し込んだ挙句、船ごと強奪されたとのこと。生存乗組員によれば、最初五隻程度の改造海賊船が強襲接舷してきたところ、同盟軍の七六〇年型標準巡航艦二隻がこれを撃退。コンボイに取り残された海賊を確保するという目的で巡航艦が接舷し……そのまま乗っ取られたとのこと。
星域管区司令官のロックウェル少将はこの事件にカンカンになって、隷下の巡視艦隊だけでなく星系警備艦隊も通常哨戒圏を無視した星域探索に投入した……ざまぁみろ、と思ってしまうのはやはり原作にとらわれているからなのか。取りあえずは上官に対する忠誠心の表れということにしておきたい。
ニコラウス=ボルテマン……間違いなくボルテックのことだと思うが、ユニット名の後ろに付けた数字は、現在活動可能なブラックバートの戦力と見ていいだろう。フェザーンの意図は、「左遷解除の口利きしてやるから、ブラックバートを始末しろ」ということだ。ボルテックの情報をすべて信じるわけにもいかないが、四月二九日にガンダルヴァ星域管区を出てトリプラ星域管区経由ということは、最短で五月一五日にはマーロヴィア星域管区に侵入してくることになる。
すでに襲撃の形でコクラン大尉から十分な補給物資を得ているとはいえ、三月上旬から海賊行動に入っている乗組員の疲労はかなり蓄積されている。なれない海賊行動がだんだんと板につき、海賊船との戦闘での勝利に高揚しているとはいえ、その影響は無視できない。
一度、特務分隊をメスラムに戻すべきか、そう考えないでもなかった。だがそうすると機密保持の面から問題が出てくる。メスラム星系における海賊の恭順と討伐は順調に進んではいるが、データに残っているマーロヴィア星域管区内の海賊の一五パーセントが未処理の状況だ。特務分隊を原隊復帰するには尚早というべきだし、ブラックバートの情報収集の網に引っ掛かるようなことはすべきではないだろう。それよりも確実にブラックバートを処置するほうが重要だ。
「トリプラ星域管区への跳躍宙点を有するアブレシオン星系で待ち受けます」
おそらく、というよりも間違いなく彼らは我々偽物のブラックバートを狙いに来る。そして保有する戦力が複数の巡航艦クラスであることも見抜いているだろう。そうなれば彼らは持てる戦力全てをつぎ込んでくると考えられる。つまり一二隻ないし一四隻。
「それだけの艦艇数なら、複数の集団に分かれて侵入するんじゃないのか?」
「否定できませんが、偽ブラックバートがバナボラ・グループの海賊船団を撃破したことを知っているとなれば、各個撃破の危険性を考え戦力の一斉投入を図る、というのが元軍人の思考ではないでしょうか」
「しかし、一団となって侵入してくるというのもまた、考えにくい話だが」
「現在、マーロヴィア星域管区への航路運行において、船団方式をとるよう隣接星域管区へ指示が出ています。ガンダルヴァ星域管区で、商船改造型の武装艦を囮とし、旧式とはいえ制式の軍艦を使って海賊行動を行ったことから、彼らはその方式で偽ブラックバートを釣りだそう、と考えていると思われます。問題は……」
「何隻の軍艦がいるかということだな」
カールセン中佐が、目を閉じたまま答えてくれた。
標準巡航艦が二隻だけ、ということであれば彼らは全戦力で護衛船団を偽装するだろう。一〇隻前後の輸送船を護衛するのに二隻の巡航艦が付く、というのは小規模船団としては極めて常識的な編成だからだ。だが他にも軍艦がいた場合……特に旧式であっても戦艦がいた場合、戦力的に多様なシナリオを創ることができる。
こちらにとって有利な点は、ブラックバートが護衛船団を偽装したとしても、それが本物ではないということが分かるということ。個艦性能においては相手よりも整備運用面で優勢であること。そして特務分隊の総数をブラックバートが完全には把握していないということ。
「まずはトリプラ星域側から出発する護衛船団のスケジュールを完全に把握しましょう。そのどれかの便に偽装して、侵入を果たす可能性が極めて高いと思われます」
次にそれを迎え撃つ作戦。ブラックバートには最低二隻の標準巡航艦がいる。これを分隊全艦で撃破し、残りの武装艦は各個に撃破する。もし戦艦が同行していた場合は、最優先で集中砲火を浴びせる。だがブラックバートの偽装した護衛船団に五隻の巡航艦が集団で接近すれば、当然彼らも警戒するだろう。それであるならば、「パトロール中の巡航艦一隻が船団に遭遇した」というシナリオで動いたほうが自然だ。
ほかにも多様なシナリオが考えられるが、それはアブレシオン星系に到着するまでの間にウエスカの戦術コンピューターに放り込んでおけばいい。ここまで話し、俺は集まっていた艦長達にアブレシオン星系への進路変更と、各種兵装の整備と塗装の変更を指示して会議を解散させた。部屋を出てシャトルへと向かう艦長達をよそに、カールセン中佐だけは椅子に座りなおしていた。俺は余計なこととは思いつつも、机上の資料をまとめる手を止めた。
「中佐、いろいろ思うところはあろうかとは存じますが……」
「……あぁ、わかっているとも」
小さく手を上げてそう応えるカールセン中佐の顔に、訓練の時のような覇気がないのは確かだった。俺は備え付けのドリンクサーバーでホットコーヒーを二つ煎れ、一つをカールセン中佐の前に置いた。それを見て、カールセン中佐は小さく視線を俺に移した後、何も言わず一口啜った。
「ボロディン大尉、君は何故そこまで熱心に任務に取り組むことができる?」
数分の沈黙の後にカールセン中佐は、呟くようにそう俺に問うた。つい最近、場所も相手も違うが、まったく同じ経験をしているだけに、今回は困惑しなかった。
「まったく同じ質問を、小官はケリム星系警備艦隊に在籍中、首席参謀だったエジリ大佐から受けたことがあります」
「そうか、エジリ大佐もか……大佐は確か二年前にケリム星系で逮捕されたのだったな」
そういうとカールセン中佐は、会議室の天井をぼんやりとした眼差しで見上げながら言った。
「貴官が警備艦隊にいた頃、大佐にどういう感想を持ったかは知らないが、大佐が駆逐艦分隊の先任艦長だった時のことは今でも思い浮かぶ。第2次イゼルローン要塞攻略戦でたった五隻の小さな駆逐艦達が、敵の砲火を巧みに掻い潜って、中性子ミサイルの一斉射撃を戦艦に叩き込んだのだ」
「……そうですか」
それだけの猛将が、ケリムで醒めてしまったのか。士官学校優位の不文律という壁にぶち当たり、同様な立場で苦難にあるバーソンズ元准将へ『夢』を託したのだろうか。俺が一抹の不安を覚えてカールセン中佐を見つめると、珍しく、というか面識を持ってから初めてカールセン中佐の笑みを見た。
「そう心配するな、大尉。儂はちゃんとブラックバートと戦う。裏切ったりはせんよ……でなければ、バーソンズ閣下に仕えていた仲間達の立場を、ビュコック閣下や、ひいては同盟軍全体の下士官・兵の勇名をさらに悪くしてしまいかねないからな」
そう言うとカールセン中佐は荒々しくコーヒーを飲み干し、大きく足音を立てて会議室から出ていくのだった。
◆
それから一三日かけ、特務分隊は予定通りアブレシオン星系に到着。分隊で唯一、制式塗装に戻したウエスカと残りの四隻がここで分離する。すでに各艦艦長には作戦案を通告してあり、変更がある場合は適時ウエスカから戦術コンピューター回路の番号を通知することになる。
一方でウエスカは単艦でアブレシオン星系にある跳躍宙点へと進み、その前方六光秒付近に停止する。通常のパトロール手順通り、跳躍質量反応と次元航跡解析と分隊以外からも招集して定数をそろえた三機のスパルタニアンを発進させての三通りによる全周警戒を実施する。
事前にマーロヴィア星域管区司令部より、トリプラ星域管区より駆逐艦二隻に護衛された計一三隻の護送船団が移動中との連絡を受けている。予定通りで行けば本物の護送船団は一九日に前方の跳躍宙点に出現する。それまでじっくり四日間、この周囲に網を張っている計画だった。
もしブラックバートが未知の跳躍宙点からマーロヴィア星域管区に侵入した場合は、偽装商船を再び撃破しながらの挑発行動を続けることになる。そうなると流石に一回はメスラム星系に戻ることになるだろう。そうならないことを祈りつつ、二日が過ぎた五月一五日。こちらの最速の予測で、奴らは現れた。
「前方跳躍宙点に重力ひずみを複数確認。数は一〇ないし一五」
「計測値から見て各個は質量二〇万トンから三〇〇万トン程度と思われます」
観測オペレーターの報告と共にウエスカの狭い戦闘艦橋は一気に緊張感に包まれる。複数の光学・量子センサーが作動し、画面処理が行われ、跳躍宙点に現れた異変がメインスクリーンに投影される。何もない宇宙空間からポツリポツリと小さな光の円盤が現れ、その中央から物体が現れる。全長二〇〇メートル前後、全幅四五メートル前後、全高四〇メートル前後。自由惑星同盟軍の制式塗装で包まれたそれは、明らかに『制式の』駆逐艦であった。さらにその後ろから商船らしい二回り大きな船が複数隻出現する。
「現時点における正面勢力を報告せよ」
跳躍宙点での動きが終わり、わずかな時空震を浴びたあとで、俺は沈黙するオペレーターに命じる。俺の横ではカールセン中佐が無言で腕を組んでいた。
「駆逐艦二隻は最前に並列、商船らしき船団は跳躍宙点より〇.四光秒の位置において並行二列縦隊を形成しております。商船の数は九隻」
「敵味方識別信号を受信しました。向かって右舷の駆逐艦が七六〇年型のラフハー八八号、左舷が七七〇年型のサラヤン一七号」
「間違いなく敵だ」
艦籍をデータベースで照合するよう命じようとした寸前に、カールセン中佐は吐き捨てるように呟くと、目を細めて小さく鼻息をついた。なんでそんなすぐにわかるんだという俺の視線に気が付いたのか、カールセン中佐は不快感を隠さずに俺に言った。
「かつて自分が乗っていて、大破して戦地で廃棄処分されたはずの駆逐艦とその僚艦が目の前にある。これほど不愉快なこともないな。名前を付けた奴の顔が見たくなってきた」
「あぁ……それは……」
それは間違いなく、そしてかなり運がいいのだろう。戦艦や宇宙母艦でもない限り、一度でも廃艦処分となった艦の名前は、新造艦には使われないというのが原則。恐らく艦籍データベースでも廃艦処分と出るだろう。だが艦籍データベースの更新は複雑な手続きが必要で、戦闘中行方不明の艦艇などでデータ処理が遅れたりした場合、データは放置されることもある。
「ラフハー八八号より通信です。こちらの艦籍と任務について問うてきてますが?」
指示通りこちらは敵味方識別信号を出していないので、駆逐艦は不安を覚えて問うてきたのだろう。オペレーターの一人が心配そうにこちらを見ると、俺はカールセン中佐に言った。中佐が以前乗っていた駆逐艦の名前を使っている『ブラックバート』である以上、カールセン中佐の顔は知られている可能性が高い。
「カールセン中佐、ここは自分にまかせていただけませんか?」
「よかろう」
頷いてカールセン中佐がカメラに映らないよう戦闘艦橋の右端に移動する。それを確認してから俺は受信画面に正対した。画面には模範的同盟軍人ともいうべき少佐の階級章を付けた中年の男性が映っている。俺が敬礼すると、相手も答礼するがそれもそこそこに詰問口調で問うてきた。
「貴官がそちらの巡航艦の艦長か? 官姓名を申告せよ。」
「申し訳ありません、少佐。小官はビクトル=ボルノー大尉と申します。巡航艦『ニールスⅢ』の副長代行を務めております」
「何故、識別信号を出さない。辺境の、それも星域管区境界において識別信号を出さないとなれば、海賊と誤認される可能性すらある。軍機違反であり、不用意に部下を危険にさらす危険な行為である。正当な理由はあるのか?」
「はい。先日、当艦は恒星アブレシオンからの強力な太陽風と磁気嵐を受け、航行機関部と長距離通信アンテナに重大な電子的損傷を受けております。幸い搭載艇の緊急通信回路により近隣哨戒中の僚艦に救援を要請しており、当艦は現宙域において待機中であります」
「……そうか、それは災難だったな」
正規軍に対して軍規と組織論の両面からこうも堂々と演技ができるというというのは、この少佐もかつて軍での、それもこういう経験が豊富な退役者ということだ。だが救援要請という言葉に、この少佐は一瞬言葉を詰まらせた。
「僚艦の到着はいつ頃になると連絡があったか?」
「一二時間後とのことでした。ご存知の通り、マーロヴィア星域管区は配備艦が少ないので、時間通り到着するかはわかりません。難儀しそうです」
「艦長はどうなされた。不在のようだが?」
「艦長は機関に明るく、機関中心部で陣頭指揮をなさっておいでです。航海長は各部航法装置の再点検の為、現在艦橋を不在にしております」
わざとらしく心細い演技でそう答えると、画面の少佐は顎に手を当てると、しばらく沈黙していた。だがその手に半分隠された細い唇が、小さく笑みを浮かべているのは間違いなかった。
「もしよければ、当艦から応急班を送ることが可能だが、どうか?」
「お申し出、感謝いたします。少佐。ですがそちらの船団のスケジュールのほうは、いかがなのでしょうか? ただでさえ少ない護衛戦力が半分になってしまっては……」
「それは問題ない。実は船団後方よりマーロヴィア星域管区に新たに配備される戦艦が一隻と巡航艦が二隻続航している。あと五時間もすれば合流できる。もし修理が長引くようなら船団の護衛は巡航艦が担当してくれる。当艦の応急班で修理不能であるなら、戦艦が曳航してくれるだろう」
「ありがとうございます。すぐに艦長に連絡いたします」
「資材の運搬上、シャトルでは困難が予想される。接舷させてもらうがよいか?」
「承知いたしました。お待ちしております」
お互いに敬礼して画面が消えると、狭い戦闘艦橋ではオペレーターや、不在扱いにされた航海長達が今にも吹き出しそうに肩を震わせていた。
「よく素面でスラスラと嘘がつけるものだな」
艦長席に戻ってきたカールセン中佐が呆れた口調で俺に言った。
「接舷したいというのは、奴らこのウエスカを乗っ取るつもりか」
「若造だと思って組みやすしと、思ったのでしょう。あの少佐は装甲服でご馳走して差し上げたいと思いますが、問題は戦艦と巡航艦です」
「嚮導巡航艦を乗っ取るつもりなら、駆逐艦からはかなりの数の要員を送り込んでくるだろうから、接舷状態を維持し、戦艦と巡航艦の油断を誘いつつ、撃破の機会をうかがう形になるな」
巡航艦一隻で戦艦と巡航艦二隻は相手にできない。商船と自称するのも海賊の武装船に違いはなく、残りの駆逐艦一隻も計算に入れなくてはならない。だが規模は予想の範囲内ではある。
「各艦にツーマンセル戦術を指示しましょう。当艦近辺に遊弋したタイミングで前方を航行中の『護衛船団』を襲撃してもらいます。急襲すれば駆逐艦一隻と改造武装船九隻です。状況が許せば跳躍宙点付近に機雷を撒きましょう」
「……それは後で一基残らず回収しないと、完全に軍規違反になるな」
カールセン中佐はつまらなさそうな口調で言ったが、その言葉に反してその目には闘争心があふれていた。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第43話 ブラックバート その2
前書き
やはり戦闘シーンというのは難しいですね。
どうしても説明口調になってしまいます。
宇宙歴七八八年五月一四日 マーロヴィア星域 アブレシオン星系跳躍宙点
今のところ、順調に事態は推移している。
駆逐艦一隻を先頭に、九隻の商船がウエスカの鼻先を、隊列を整えて進んでいく。オペレーターの一人に、移動中の海賊船の撮影と分析に専念してもらい、俺はカールセン中佐と副長と航海長の四人で、接近してくる駆逐艦の逆攻略を計画する。接舷距離までは現在の速度でおよそ一時間。
逆突入作戦では警備部を中核として航法・機関の班以外から四〇名を抽出して、臨時の陸戦隊を編成する。指揮は副長。嚮導巡航艦の定員は一〇〇名だが、マーロヴィア星域管区の実情から現在は八八名。搭載している装甲服は四〇着。駆逐艦の定員は七〇名で、海賊が員数通り乗船しているとは思えないが、最悪を考えてすべての装甲服を臨時陸戦隊に配備する。
通信封鎖をしている他の四隻には「一時間後」と「22」だけを発信した。彼らがそれに従って戦術コンピューターを開いてくれれば、こちらがラフハー八八号を相手している間に、海賊状態でツーマンセルによる船団攻撃を実施してくれるだろう。数的に一〇対四で不利ではあるが最初に駆逐艦を撃破すれば、他の商船改造の海賊に想像を絶するような新兵器でもない限り、火力・防御力・装甲の面から比較してもそれほど難しい相手ではない。
「戦艦と巡航艦が出てくるまでは、何とか船団を制圧しておきたいところです。制圧した後、それを悟られないようにするのもまた難しいですが」
「奴らも今頃、このウエスカを乗っ取る旨、戦艦には連絡しているだろう。そこは貴官のよく回る舌に期待している」
出会った当初の牛刀でこちらを叩き切ろうといわんばかりのものに比べれば、カミソリで肌を剃るついでに少しばかり傷つけてやろうという感じにまで軟化したカールセン中佐の嫌味に、俺は肩を竦めるだけで言葉に出さず応えた。
そうこうしているうちに、ラフハー八八号はウエスカの右舷に停止した。全長三七〇メートルの巡航艦と二〇八メートルの駆逐艦では大きさが二回り違う。艦橋に戻ってきたウエスカの航海長とラフハー八八号の航海長が通信を取り合い、ウエスカのカーゴハッチ付近にラフハー八八号の艦首側面が張り付くような形になる。ゆっくりと慎重に接舷し、双方の重力錨が接合される。これで両方は一体化した。
「奴らがウエスカに乗り込んできたタイミングで通信妨害をかけろ。カーゴの気圧は十分だな?」
問題なしというオペレーターの返事にカールセン中佐が頷いた瞬間、ウエスカとラフハー八八号は微振動を起こす。ブラックバートの工作班ならぬ切り込み隊が、ウエスカのハッチを外側から解放したのだ。重力を切っているカーゴ内部に蓄えられた通常の数倍にまで高められた空気が、一体化したことで一気にラフハー八八側に吹き込み、入り込もうとした海賊側の切り込み隊の生体位置反応が、一気に乱れる。その数は二〇。
「陸戦隊切り込め。目標は予定通り機関室と環境制御機械室」
カーゴの重力を戻し、装甲服を付けた臨時陸戦隊がラフハー八八号側へと突入、壁に打ち付けられて目を廻しているブラックバートの切り込み隊をトマホークで次々と無力化していく。ヘルメットカメラ越しに見れば装甲服を着ているのは一〇名。残りの一〇名は武装していたが普通の地上戦闘服であったようで、気圧の変動に耐えられず息をしているようには見えない。
死体をカメラ越しで見るのは、この草刈り作戦を実施して以降何度かあった。それが海賊の死体であれ、片手の指に満たない味方の死体であれ。前世では葬儀の時か海外紛争や事故の報道の時ぐらいしか見ることのないそれに、俺は慣れたとはいえ免疫を完全には獲得しきれていない。それでもここまで作戦指揮官として目をそらさぬようにしてきた。
ケリムでブラックバートと対峙した際も当然戦死者は出ていた。だがそれは墜落したスパルタニアンの搭乗員や被弾した艦の乗組員であり、この目で直接遺体を見たわけではない。そして基本的に責任はリンチが負っていた。
だが今回はすべて俺の責任だ。「犠牲が出るのはやむを得ない」と言葉として言うのは簡単だが、死体を見る機会が増えるにしたがって、喉を通らなくなっていく。こんなことで将来一〇〇万、二〇〇万と死なせる立場に立った時、俺は耐えられるのか。恐らく時間とともに耐えられるようになるんだろう。死体が数字とただの光点にしか見えなくなって。
「機関室制圧完了。我が方の損害は負傷三名。いずれも軽傷」
「環境制御機械室制圧完了。損害なし。これより睡眠ガスを流し込みます」
副長ともう一人の突入班班長からの報告を聞いて、俺は背中をそらして大きく息を吐いた。カールセンも同様に大きな溜息をつく。彼ほどの歴戦の勇者でもそうなのか、俺が視線を向けたことを敏感に感じ取ったのか、カールセン中佐は自嘲したように口を曲げていた。
「貴官とは違って、儂は、死体を見ることにそれほど慣れてはおらんでな」
「小官も別に慣れているわけではありませんが?」
「副長と警備班長のヘッドカメラに映るトマホークで倒された海賊の死体から目をそらしていなかった。顔色一つ変えずにな」
「自分では血の気は引いていると思うのですが」
「陸戦総監部に二〇年勤務していたような顔色をしていたぞ」
俺はそっと腰から携帯端末を取り出してカメラに映る自分の顔を見た。確かにカールセン中佐の言うように、顔色は悪くない。だがおよそ感情というモノが感じられない能面のようにも見える。俺の児戯のような仕草を見ていたようで、小さく鼻息を吐くと視線をウエスカの正面スクリーンに向けたまま、俺の耳に入るギリギリの小さな声で呟いた。
「貴官のような人物が上官であったら、儂の生き方も少しは違っていたかもしれんな」
それがどういう意味か、俺はカールセン中佐にあえて問うような真似はしなかった。一時間後、勝手知ったる同盟軍標準駆逐艦内部の制圧は完了し、生きている海賊は全員拘束の上、薬物で眠らせた。装甲服を脱いだ副長は艦の制御を手中に収めることに成功したと報告してきた。
その間も別動隊の方では刻々と状況が進行している。
臨時に別動隊先任指揮官となったミゲー三四号のブルゼン少佐はサルード一一五号のマルソー少佐と、ミゲー七七号のゴートン少佐はユルグ六号のリヴェット少佐とコンビを組み、ブラックバートの扮した護衛船団へと攻撃を仕掛ける。
まずミゲー三四号が船団の正面に立つサラヤン一七号に向けて、念のために「今日は何の日」と誰何信号を撃つ。当然サラヤン一七号側は何のことかさっぱりわからない。サラヤン一七号の艦長が強烈にブルゼン少佐を糾弾している間、船団は平行二列縦隊から密集上下二列横隊へとゆっくり陣形を変えていく。
割符なしと判断したブルゼン少佐は、航路左右の浮遊小惑星に隠れていたミゲー七七号とユルグ六号に横隊の上下へ全力射撃と突入を命じると、ミゲー三四号の艦尾に追従していたサルード一一五号を切り離し、両艦でサラヤン一七号へと襲い掛かる。
左右からの襲撃で武装商船は戦列を組んでミゲー三四号を撃つどころではなく、サラヤン一七号は二隻の巡航艦の集中砲火で宇宙の塵となり果てた。嚮導役の駆逐艦を失った武装商船は最早烏合の衆でしかない。それぞれに反撃と逃走の道を模索しようとするが、戦闘能力が格段に違う巡航艦が常に二対一で追い込み漁のように襲い掛かると、二時間かからず降伏した一隻を除いてすべて撃沈された。
ラフハー八八号に接舷されてから都合四時間。ラフハー八八号の艦長が言っていたことが正しければ、残りの戦艦と巡航艦二隻の一行が到着するのは一時間後。戦艦を巡航艦三隻分の戦力と考えれば、既存戦力比はほぼ互角。ウエスカの副長にラフハー八八号の指揮を執ってもらう手もあるが、その手はむしろウエスカの戦闘能力を低下させることにしかならない。
一時間という制限時間で、ブラックバートを打ち破る作戦を立てるのはほぼ不可能だが、事前に想定している戦闘計画から近いものを引き出すことは可能だ。通信封鎖を解除し、ウエスカ以外の艦長とラフハー八八号にいるウエスカの副長を通信画面に呼び出す。
「ここでブラックバートを撃破します。逃走を許すわけにはいかないので、跳躍宙点側に二隻、ウエスカ側に二隻で分散配置します。挟撃戦です」
「ボロディン大尉、降伏した武装商船はどうする? 降伏した奴らは拘束して、可能な限り冷凍睡眠状態にしているがこのまま放置するのか?」
ブルゼン少佐が画面の中で手を挙げて俺に質問を投げかける。挟撃戦となれば少佐の言う通り監視・保護に戦力は割けない。
「するしかありません。燃料を放出して航行動力機関を破壊してください。万が一、目が覚めて船を乗っ取られるのも迷惑ですし」
「それは下手したら遭難することになるが……まぁ、それも仕方ないか」
「ラフハー八八号はどうしますか? 接舷したままですとウエスカの戦闘能力を大きく損なうことになりますが……」
副長の質問に、カールセン中佐の視線も当然のように俺に向けられる。この作戦の主立案者は俺だが、艦の指揮官は言うまでもなく中佐だ。下手なことを言ったら許さんぞという気配がする。
「このままです。ラフハー八八号がウエスカに乗っ取りを仕掛けたことは、ブラックバート本隊には既に伝わっています。通信妨害をかけられていることも承知しているでしょう」
「それで?」
「武装商船が攻撃されたことも承知しているとみれば、バーソンズ准将の思考として状況不利と見て逃走も視野に入るでしょう。ですが視界に入ったラフハー八八号を見捨てて逃走することはできません」
「彼が逃げないと確証を持って言えるか?」
「彼我の戦力を准将がはっきりと認識しているのであれば間違いなく……」
戦艦一隻と巡航艦三隻とでは、戦力的にほぼ対等。巡航艦の主砲で戦艦のエネルギー中和磁場を打ち抜くのは容易ではないし、機動力以外、すなわち有効射程も砲門数も防御力も明らかに戦艦の方が上。相手が巡航艦クラスの大きさの『海賊船』であれば鎧袖一触だ。
こちらが正規軍である可能性も考えてはいるだろう。その場合、自分達が出てきた方向……トリプラ星域管区に連絡が飛び厳重な警戒が敷かれると判断する。つまり自分は追い込まれた鼠になったと認識するわけだ。それでも引き返すことを選択するとしても、一度はこちらの跳躍宙点に出現して再度長距離跳躍を試みなければならない。咄嗟に無差別跳躍を行うこともできるだろうが、部下の生存を目的として海賊行為をする准将にそれはできない。
そして彼の年齢も問題だ。計算で行けば今年で八〇歳になる。戦病死以外での平均寿命が一二〇歳のこの世界で、元気な八〇歳というのは普通だ。だが根拠地も戦えない部下や傷痍兵の住処も失い、逃走して新たに一から構築するにはやはり遅すぎる。彼あってのブラックバートであり、彼が仮に後継者を指名していたとしても、彼ほどのカリスマは得られないだろう。優秀な艦長……そう、カールセン中佐のような人物でもいない限り。
「確証を持って申し上げます」
これは賭けだ。自分の命だけでなく、特務小戦隊全員の命が懸かっている。しかし分が悪い賭けではない。戦艦がブラックバートにいることを前提に、特務小戦隊は一点集中砲火とツーマンセル訓練をゲップが出るほどやってきたのだ。
「ここでブラックバートを完全に叩き潰します。可能であれば准将を捕らえます。故に戦艦への攻撃は航行動力部を中心に、巡航艦二隻に対しては容赦せず」
「よかろう」
カールセン中佐の深い頷きと共に口に出た重い了承の言葉に、五人の少佐はそれぞれ頷き、各々のなさねばならぬことを果たす為、画面から消える。戦闘宙域となるであろう空間の把握。適切な砲撃を行うための位置取り。連続射撃に備えた砲身の再チェック。戦闘速度へいつでも上げられるよう機関の回路確認に燃料の残量チェック。
戦闘に際して当たり前のことかもしれない。だがその当たり前のことが、つい数ヶ月前この辺境ではできていなかったのだ。自分が変えた、と思うのは流石に驕りが過ぎる。だが僅かなりとも貢献できたことは誇りに思おう。これから先はどうなるかわからないが。
「跳躍宙点に重力歪が発生……数は三。誤計測でなければ、戦艦一隻、巡航艦二隻と思われます」
ウエスカの観測オペレーターの声は興奮して大きいものでもなければ、逆に委縮して小さいものでもない。的確な報告、そして適度な緊張感。
「総員、第一級臨戦態勢を取れ」
カールセン中佐の瞳は、メインスクリーンに映し出された、三つの光点へと注がれていた。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第44話 ブラックバート その3
前書き
戦争はいやですね。始めるのも収めるのもメンドクサイ。
宇宙歴七八八年五月一五日 マーロヴィア星域 アブレシオン星系跳躍宙点
さぁ、勝負の時が来た。
ブラックバート側は測定通り戦艦一隻と巡航艦二隻。戦艦を中心として左右に巡航艦を従えている。
こちら側はウエスカとラフハー八八号は接舷したままで、その周辺を威嚇するようにゴートン少佐のミゲー七七号とリヴェット少佐のユルグ六号が遊弋する。ブルゼン少佐のミゲー三四号とマルソー少佐のサルード一一五号は、跳躍宙点よりさらに星系外縁部にて探知妨害かけつつ側背攻撃の態勢を整える。
攻撃配置を選択できる分、こちら側が優勢であることは間違いない。跳躍後、バーソンズ准将は速やかに状況を確認するだろう。ラフハー八八号はウエスカと接舷している。ラフハー八八号が乗っ取りを仕掛けて、逆に敗北したと確信するのにそれほど時間はかからないはずだ。だがそれが遅ければ遅いほどいい。
ミゲー七七号とユルグ六号が射線を戦艦に向ける。戦艦は即座に反応し、射程の長さに物を言わせて砲撃を開始する。呼応するかのように、巡航艦が一隻距離を詰めてくる。もう一隻は戦艦の後方へ位置取りを変更する。
「側背攻撃は見抜かれているな」
「ええ、こちら側が巡航艦四隻以上ということを、認識しているのは間違いなさそうですね」
ラフハー八八号の通信回線へ何度もアクセスが試みられていることは、移乗した航法士官から連絡はあった。それでもバーソンズ准将がラフハー八八号を見捨てる選択をしない。ミゲー七七号とユルグ六号に対する砲撃指示は、明らかにウエスカとラフハー八八号を盾にさせまいというものだ。勇猛なゴートン少佐も隙あらば反撃を試みているようだが、リヴェット少佐の牽制砲撃支援を受けても思うように効果を上げられない。
そうしているうちにブラックバート側の巡航艦がウエスカの有効射程内に侵入してくる。ラフハー八八号とは反対側に強行接舷を仕掛けようという意図は明らか。艦名はムンカル三号。艦籍データベースによればトリプラ星系警備艦隊に所属する艦のはずだ。
「全力射撃用意。合図あるまで砲門は開くな。敵との距離五〇万キロで重力錨開放。同時に艦を前方下方へ垂直降下。艦首を水平面上方へ向け、接近する巡航艦の艦底部を砲撃三連。ボロディン大尉、付け加えることは?」
「相手はこちらに強行接舷を試みております。軸線に誤差がありますので連射を行うのであれば、偏差をご考慮ください。それと射撃終了後は留まっての戦果確認はせず速やかに移動を」
「副長、聞こえたな。貴官の腕に特務小戦隊の命運がかかってる。頼むぞ」
砲雷長を兼務する副長の、了解の回答にカールセン中佐は頷き、スクリーンに映るムンカル三号の艦首を見つめる。すでに彼我の距離は巡航艦の有効射程より短い。ここでムンカル三号が砲撃を行えば、死んだふり状態のウエスカが展開する微弱な中和磁場では被害を防ぎきれない。最悪、一瞬であの世逝き。俺は一度死んだ身ではあるが、他の乗員はそうではない。制御された空調下で出る汗もないのに襟元のスカーフを緩めたり、コンソールに備え付けられた衝撃防御用の把手を何度も触ったりしている。
「……距離三光秒を切りました。測距をキロ単位に変更します」
「敵艦、速度を落としました。等減速運動の模様」
「敵艦の砲門、光学で開放を確認」
「……大尉、五〇万キロで斉射三連して、標的をギリギリ外した場合の評価点は幾つだ?」
「この場合、標的は減速移動中ですが、こちらは機動後射撃になります。有効射程の半分以下ですから、当然減点対象です。標的との距離も換算して三五点くらいでしょうか」
「この状況下で訓練査閲ができるのだから、貴官の腹の座り具合は尋常ではないな。」
カールセン中佐の呆れた声に、俺は何も応えず深呼吸した。七〇万キロ、六五万キロ、六〇万キロ……
「五〇万キロです!」
「錨(アンカーアウェイ)開放、機関始動、砲門開け!」
重力錨の強制切り離しによりウエスカ全体に振動が伝わる。それと同時に艦全体が下方へ急加速したため、ほんの一瞬人工重力にズレが生じる。人間が認知できる間ではないが、体をブレさせるには十分だ。俺もカールセン中佐も体幹でそれを躱す。一方でメインスクリーンから見える星空は急速に変わっていくから可笑しな気分になる。
「狙点固定!」
「撃て!(ファイヤー)」
スクリーンに六本の青白いビームが三回煌めく。その後、速やかに戦艦へ向けて艦首を翻す。急加速と高機動の繰り返しの後、観測機器を担当する測距オペレーターが巡航艦に砲撃が複数命中し、完全破壊に成功したと報告が上がる。一瞬、艦橋で歓声が上がるがそれも束の間。至近を八本のビームが通過する。運良く外れてくれたが、戦艦の全力射撃だ。当たればひとたまりもない。
ウエスカは直ぐに中和磁場の出力を上げつつ、ミゲー七七号とユルグ六号との合流に向かう。タイミングを合わせてミゲー三四号とサルード一一五号が、後背防御の巡航艦へ攻撃を仕掛ける。これで数的優勢を確保したが、ブラックバート側は巡航艦を前に出し、こちら側へ突撃してきた。包囲される前に、数が多い方の戦力を少しでも減らして突破を試みるつもりだ。
「戦理にはかなっている。だが、そうはいかない」
俺の独り言に気が付いたわけでもないが、巡航艦が有効射程に入る前には、ウエスカを中心とした平行横隊を完成させており、その全艦が戦艦に照準を合わせている。そしてカールセン中佐の手が振り下ろされた。
「撃て(ファイヤー)」
気負うわけでもなく、やる気がないわけでもない。落ち着いた砲撃指示に、三艦合計一八本のビームが巡航艦を素通りし、戦艦に向かっていく。収束比が甘かったのか、メインスクリーンに映る戦艦の前面で中和磁場と複数のビームが衝突し……中和磁場を貫いた二本が戦艦の左舷側の表面装甲を薄く二〇〇メートルばかり削り取った。
「誤差距離修正。第二射用意」
戦艦が再び中和磁場を張り直し、さらに接近してくる。再びカールセン中佐の手が上がった時、測距オペレーターの一人が声を上げた。
「戦艦及び巡航艦より通信! 『我降伏す、寛大な処置を求む』 両艦とも減速し、艦首部に降伏信号旗を上げております!」
衝撃というべきか。カールセン中佐の手は肩より上で止まった。艦橋要員の半数の視線が中佐に向けられている。そして中佐の視線は俺に向けられている。撃つべきか、撃つべきではないか。偽装降伏なのか、それとも本気で降伏する気があるのか……戦況、相互の戦力、指揮官の性格。俺は決断した。
「降伏を認めます。航行機関を停止するよう当該艦へ指示を。それとウエスカ以外の艦は、それぞれ二隻で両艦の拿捕をお願いします。ラフハー八八号の状況を参考にして、接舷・拿捕に際しては十分警戒するように、と」
「よかろう。各艦に伝えよう」
「それと副長にはお手数ですが何名かお連れ頂いて、ラフハー八八号に移乗していただき、漂流している武装商船の回収と曳航をお願いいたします」
「わかった。副長、聞いたな。ウエスカのシャトルを使え」
副長が砲雷長席から立ち上がり、中佐と俺に敬礼してから艦橋を出ていくと、中佐は大きく溜息をついてからずっと座っていなかった艦長席に深く腰を下ろした。
それから何分沈黙があっただろうか。目を閉じ、ジャケットの上からでもわかる太い腕を組み、微動だにしない中佐を俺は見ていた。いま中佐の中にあるのは回顧か、それとも懐古か。いずれにしても中佐に声をかけるほど、俺は空気が読めないわけではない。重い空気を破ったのは、ウエスカの通信オペレーターだった。それはミゲー三四号からで、降伏したバーソンズ元准将がこちらの指揮官との会話を望んでいるというモノだった。
◆
「……ブラックバートの指揮官はボロディン大尉だ」
通信オペレーターが報告を持ってきてから三分後。ようやく口を開いたカールセン中佐はそう言って席から立ち上がった。
「頼んでいいか?」
「よろしいのですか?」
「あぁ……」
それはかつての上司と対面するのが怖いということなのか。ブロンズ准将から譲ってもらったバーソンズ元准将の経歴や性格などのレポートを見るに、上官には忠誠、同僚には友好、部下には寛大、任務に忠実と実に模範的軍人らしい軍人であった。海賊に身をやつした理由も、結局は彼自身の人間的な生真面目さ故だったとブロンズ准将は語っていたし、俺もそう思っている。
中佐も本当はわかっているのだろう。だがエジリ大佐同様、元准将関係者として軍内部から白い目で見られてきた現実、そして長いこと海賊活動していた故に変貌したかもしれない元上官の現在を想像し、恐れ、逃げたかったのかもしれない。俺は再度、中佐と視線を交わした。中佐はしばらく俺を見ていたが、数秒で目を閉じて頷くと、戦闘艦橋の端へと移動する。オペレーターに予備席の方へ通信を回すよう伝えると、俺はその予備席の前に立った。
画面が一度乱れた後、数秒してラフハー三四号の個別通信室で後ろに銃を構えた兵士を伴った、准将の制服に身を包んだ一人の老人が映った。顔はわかっていたが、資料に映っていたものより幾分歳をとっているように見えた。原作のムライ中将の髪をごま塩にして、さらに頬を削り取って、目を切れ長にしたらこんな感じだろうか。貧相に見えるがその視線には、長い経験と実績に裏付けられた重みがあった。本来海賊の頭目に対してすることではないのかもしれないが、俺は自然と踵をそろえ、先に彼に向って敬礼した。
「ロバート=バーソンズ元准将閣下でいらっしゃいますね。小官はヴィクトール=ボロディン大尉であります」
俺の敬礼に対し、スクリーンに映るバーソンズ元准将は、一度眉をしかめた後、おそらく現役の頃と同様の、きっちりとした答礼で応えた。
「ロバート=バーソンズだ。大尉が最近マーロヴィアで暴れまわっている『ブラックバート』とやらの指揮官と考えていいか?」
「はい、任務指揮官とご認識いただいて結構です」
「選り抜きの巡航艦を五隻も率いているわけだから今更海賊とも思わないが、正式な軍籍は有しているのか?」
「はい」
襲撃された側とした側。元准将で現在海賊の老将と、現在海賊モドキで現役大尉の俺。何となくおかしなやり取りに思えたので、俺が小さく笑みを浮かべると、バーソンズ元准将も痩せた頬を緩ませて、小さく肩をすくめた。
「こんな若造にしてやられたと悔しがるべきだろうが、ここまでしてやられると悔しいとは思えなくなるな。ウッド提督でもここまで上手くいくこともあるまい」
「過分なご評価、恐縮です」
「かつて小官が帝国領内で行ってきた襲撃手順も幾つか参考にしていたようだな。特許料を取りたいものだが、そうもいくまいて。代わりと言ってはなんだが、小官の命と引き換えに、部下の生命の安全を保障してくれるか?」
冗談のような口調だが、元准将の瞳は笑っていない。まだ何か隠し持っているのかもしれないが、こちらとしてもこれ以上の殺戮は考えていないし、俺もしたくない。
「小官としてはそのつもりでおります、閣下。ですがそれは閣下が余計なことをご計画なさらず、また部下の方々に反抗や逃亡の意志がない事が条件になります」
「余計なこと、か。確かにそうだな。このおいぼれの心臓の横に高性能爆薬を仕掛けることは」
爆薬と聞いて思わず銃を構える画面奥の兵士にむかって、俺は手を挙げてそれを制した。もし事実であればミゲー三四号はいまごろ大惨事で、その混乱で戦艦も逃げおおせただろう。それをしなかったということは、降伏の意思はあるということ。もっとも通話が終わり次第、元准将は手術台に乗ることになるだろうが。
「止まった心臓を動かせる程度まで爆薬を減らすよう、医師には伝えておきます」
「ハハハッ。若いのに小気味がいい。大したものだ……貴官、ヴィクトール=ボロディン大尉と言ったか?」
「はい」
「同姓同名でなければ、ネプティスⅮの根拠地を吹っ飛ばしてくれたリンチ准将の新任の副官、だったな。エジリが言っていた。如才ないが士官学校首席らしくない好青年で、近いうちに頭角を現すだろうと……どういうヘマをした? こんなド田舎で海賊狩りをさせるほど同盟軍は人材豊富だとは聞いてないが」
そう言ってニヤニヤと笑う元准将は、同盟領内を股に掛ける海賊の親玉というより、在郷軍人会の顔役のように見えた。もっとも元准将は海賊になる前はそういう立場だったのだが。
「それは軍機になりますので、申し上げられません」
「私怨も多分に含んでおるが、貴官をマーロヴィアなんぞで燻ぶらせるようなアホ人事をした奴を知りたいな。単純に一人の退役軍人として納得がいかん」
「歴戦の閣下のご評価は、小官には過分にすぎます」
「かつて部下にラルフ=カールセンという奴がおってな……才気渙発とは言わないが、巡航艦乗りとして抜群の胆力と根性と機転と気風を有した男じゃった」
俺は思わず艦橋の端に移動したカールセン中佐に顔を向けようとして、止めた。気持ちよく話している元准将の邪魔はしてはいけないだろう。
「このおいぼれと付き合いがあった故に、どこか遠くで腐っているかもしれん。だが腐らせるにはあまりに惜しい船乗りなんじゃ。大尉。貴官が出世して正式に戦隊指揮官になるようなことがあったら、そいつを探し出して部下にしてやってくれ。他にも紹介したい部下は大勢いるが、コイツはとびきりなんじゃ」
それは知っている。実力は疑いない。今、ここにカールセン中佐がいると、元准将に伝えたい。喉まで出かかったがそれを飲み込む。
「もし、そういう機会がございましたら、准将のおっしゃる通りにしたいと思います」
「頼んだぞ、大尉。それとそちらの巡航艦の艦長にもよろしく伝えてくれ。『いい腕だった。だが降下即応砲撃は敵に対して不用意に腹を曝け出す。大胆不敵もいいが、今後も使う船と時と場所を真剣に見極めてから使え』とな」
「えっ?」
通信は元准将の方から切られた。再度繋げようと思ったが、会話が終了したと分かって近づいてくる中佐の姿が目に入ったためその手を止めた。その顔は妙に晴れ晴れとしている。俺が准将の話と中佐への伝言を告げると、小さく何度も頷いた。
「あの方ならば最初の挙動で、ウエスカが俺の操艦だとお分かりいただけただろう。途中で浴びた戦艦の砲撃が外れたのは、おそらくわざと外したのだと思う。まだまだ対艦戦闘で俺は、あの方の域には達していない」
「では今回の戦いは、元准将が手抜きされたとお考えですか?」
「いやあの一斉射だけだ。あの一斉射以外には明確に殺意があった」
「では何故、准将は降伏なさったんでしょうか」
明確に手抜き、勝利は譲られたものと中佐に言われ、俺は腹が立った。運よく勝利し生き残ったことを素直に喜ぶべきだと頭では分かっているが、腹の虫がおさまらない。体の若さに精神が引きずられているのか。俺の理不尽な怒りをぶつけられたカールセン中佐だったが、顔には笑みが浮かんですらいる。それは知己を得て数か月経って初めて見た中佐の屈託のない笑顔だった。
「貴官でもそういう顔ができるのだな、と思うと可笑しくてな」
「小官とて人間です。感情はあります」
「手抜きとは言い方がまずかった。わざと外したのは、俺の存在を確認する為だろう。アドリブを求められる状況下の艦運用において、その操艦には指揮官の抜けきれぬ癖というモノがある」
「査閲部に在籍していた時、伺ったことがあります」
「あそこにいる名手達は到達している次元が違う。恐らくは降下即応砲撃を見て疑問に思い、砲撃回避の初手にJターンを使うかどうか判断するために一斉射したのだ」
で、あればもう一つの疑問が浮かぶ。
「では元准将は相手がカールセン中佐だから降伏したと?」
「それはあの方の内心だが、察するにそれはない。戦艦への集中砲火を見て、逃走は叶わないと判断したからだ。つまり部隊訓練を含めた貴官の作戦指導に対して、あの方は負けを認めたのだ」
愉快に笑いながら士官学校出のエリートの俺の肩を叩くカールセンという、原作アニメではまず見られなかった代物に驚きを覚えつつも、胸の奥で安堵した。
元准将が昔と変わっていなかったことを、カールセン中佐が心底から喜んでいるということに。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第45話 マーロヴィアの後始末
前書き
フラグ回収終わり。
宇宙暦七八八年六月 マーロヴィア星域 メスラム星系
“成果は期待以上。結果は上々。帰投せよ。”
簡単な文面ではあったが、マーロヴィア星域管区司令部からの直接命令が届いた。ブラックバートを撃破した後も、軍輸送船団より『略奪』しながら海賊や独航船舶を追っかけまわしていたが、やはりというかブラックバート撃破以降は明らかにその数を減らしている。
メスラム星系に巣食う海賊の大半が、小惑星帯で機雷とゼッフル粒子に拘束させられるか消滅させられ、彼らの機動戦力は俺達や護衛船団の護衛艦に撃破された。そこでブラックバートが星域内で撃破されたという情報。バグダッシュが偽装した情報屋ルートで拘束されたバーソンズ元准将の映像が星系、星域、星域外へと流され、まだ僅かに生き残っていた海賊で船を持っているものは星域外へと逃げ出した。最近拘束した海賊達の証言でそれも立証されている。
偽ブラックバートの戦力はいまだ健在。中央の部隊ですら討伐に失敗していた本家ブラックバート拘束成功という勝利の興奮で、兵士たちの疲労は覆い隠されてはいる。しかし地上を離れることほぼ半年。交代で休息をとっているとはいえ、長期にわたる緊張の連続は肉体的にではなく精神的なダメージとして蓄積されている。中央の制式艦隊ほど人員に余裕があるわけではない。今後はゆっくりとだがミスは出てくるだろう。
それに本家が拘束されたことで、最近マーロヴィアで凶悪に暴れていたブラックバートは『本物』なのか、という疑問が情報屋界隈で流れているらしい。ブラックバートの名前を使った作戦は、もう潮時であろうと爺様達は判断した。特務小戦隊の面々もそれに同意し作戦を中断、作戦に従事した全ての将兵に作戦内容の機密保持宣誓書へサインをさせた後、本星メスラムへ二週間かけて帰投した。
「ひとまずは、ご苦労じゃった」
すでに送ってある報告書を読んでいるであろうビュコック爺様は、椅子から立ち上がるとまずはカールセン中佐の、そして俺の両肩を二度ずつ叩いて言った。
「厳しい作戦であったことは、作戦立案当初からわかっていたことじゃて。結果として星系内の海賊一掃と有力海賊を捕縛できたわけじゃから、大成功と判断できよう」
「は、ありがとうございます」
「カールセン。ご苦労じゃったな。後はわしらに任せろ。思うところはあるじゃろうが、今はゆっくり休め。ウエスカや他の艦も二週間はドック入りが必要じゃな」
「いえ、ウエスカに損害はありませんので二週間も……」
「航行機関部と長距離通信アンテナの損傷はかなり大きかったとラフハー八八号から聞いている。こんな辺境じゃから修理にも時間がかかる。今まで暇こいておったドック要員を鞭打っても、そのくらいはかかるじゃろうて」
「……ありがとうございます。閣下」
カールセン中佐が敬礼をして司令官公室から出ていくと、ビュコック爺様の顔付きは部下の苦労をねぎらう好々爺のそれから、老練で冷厳な辺境管区司令官へと変貌した。
「さて、ジュニア。わかっておるじゃろうが、貴官の仕事はここからが本番じゃ」
俺達が偽装海賊で暴れまわっていた頃、爺様たちは根拠地メスラム星系にあって小惑星帯に潜む宇宙海賊を蒸し焼きにし、慎重に情報操作して護衛船団計画を練り、動かせる数が著しく少なくなった艦艇でどうにかこうにか星域内のパトロールを必要最小限とはいえ実施していたわけで、その労苦は偽装海賊作戦を半年以上実施していた俺達と何ら遜色ない。爺様の横に立つファイフェルなど今にも死にそうな青白い顔をしている。
だが爺様の言う通り、本当の仕事はこれからだ。
偽装海賊を使っての討伐作戦と機雷とゼッフル粒子を使っての蒸し焼き作戦で、マーロヴィア星域内の海賊組織は認知されている組織の大半を撃破ないし投降させた。だがそれは全てではない。逃げ出した生き残りはしばらくすれば戻ってくるだろうし、星域外からの流入もあるだろう。駆除作業はこれからも続く。
同時に捕虜となった海賊に対する民事更生プログラムを着実に実行しなくてはならない。作戦の承認により、軍中央の支援は一応確約されてはいるが、『海賊捕虜収容所』としてメスラムを発足させる上で、その原資を全て軍が負担するのは些か虫が良すぎるし、現実的ではない。その為にマーロヴィア星域行政府経済産業庁の協力は取り付けたが、絶対的な資本力不足から中央政府の協力も必須となる。パルッキ女史だけで中央政府を説得できない場合は、当然作戦立案者が説明に行かねばならない。つまり俺だ。
「バーソンズがとっ捕まったことで、首都の防衛部連中はさぞ枕を高くしておることじゃろうて……いずれジュニアには一度ハイネセンに行って、その後頭部を蹴り上げてもらわねばならんじゃろうな」
「覚悟はしております。レンタルしているバグダッシュ大尉とコクラン大尉を返却する前に、星域管区の管理システムも固めねばなりませんし」
「まぁ交代メンバーにはあまり期待しておらんから、そちらは儂とモンシャルマンで進めておくとしよう。ジュニアには行政府側との折衝に当たってもらおうかの」
「民生分野に関しては行政府経済産業長官のパルッキ女史が指揮官であると思いますが」
「儂の主義には反するが、憲兵隊の二個小隊を貴官とバグダッシュに付ける。孤立無援のお姫様を救いに行くのは王子様の仕事じゃろう」
「地上での警察権はあくまで治安警察……ですが」
「どこをどうめぐったのかは知らんが、ハイネセンの中央法務局から統合作戦本部防衛部を経由して儂宛に怪しげな書類が届いての。今はバグダッシュに預けておる」
それは元警察官僚の国防委員様から届いた『印籠』だ。バグダッシュから情報部、情報部から防衛部会、防衛部会から国防小委員会・憲兵審議会、そしてそこから何故か中央法務局にジャンプして、来た道を折り返してきた。口利きだけなら大した労力でもない。後で面子やら区割りやらが問題になるかもしれないが、そこは口先から生まれた巧言令色の権化だ。あくまで口を利いただけで『直接的な利益を得たわけではない』し、『正義を実現する為に手を貸した』だけなのだ。
間違いなく。そう間違いなくこの草刈りと種蒔きが終わった後、俺は例の国防委員様にお会いすることになるだろう。彼自身が俺の能力をどう評価しているかはわからない。だが現時点において、俺は彼にとって利用価値がある人間であろうとは思う。職業軍人一家の御曹司。シトレ中将の秘蔵っ子。士官学校首席卒業者。フェザーンでの失態も既に耳にしているだろう。硬軟両手を使い分けて俺を軍内部における飼い犬にしたいと考えているのは、このマーロヴィアの草刈りに対する彼の一方的なボランティアでも明らかだ。
社会にとっての悪性がん細胞、信じてもいない正論を吐く人間、どんな時も傷つかない男。原作における同盟側の最大の悪役。まだ実力も何もない時点で黒狐とご面識を頂いて、次に寄生木と出会うというのは前世の俺はどんな悪いことをしたのだろうかと思い返したが、家屋に発生する特定の昆虫類に対する虐殺行為以外、大してないはずだ。
「……自分の家と道路を清掃し終えたのに、今度は隣家の倉庫掃除の手伝いもしなくてはいけないとはツイてないです」
「私もそこまで面倒を見なくてはならないのかとは思わないでもないが、不愉快であっても法的根拠がある以上これも仕事なのだ。何しろここはハイネセンから四五〇〇光年離れているのでね」
モンシャルマン大佐の検察当局に対する嫌味を含んだ返答に俺も頷いたが、これも軍外で孤軍奮闘していたパルッキ女史の助けになるならと思わないでもなかった。
「連邦警察からの委任拘束令状があるとはいえ、憲兵隊が民間人それも行政府高官を拘束するというのは実に外聞が悪い。くれぐれも行動は慎重にな」
「了解しました」
「すでに宇宙港内部の監視も実施している。貴官から連絡があり次第、検問を設置する。正直そこまでしたくはなかったのだが……」
憲兵隊の規模が小さいとはいえ宇宙港に検問を設置するとなれば、クーデターと疑われても仕方がない。いくら中央から遠く離れているとはいっても、民間施設における検問を警察ではなく軍が行うことへのアレルギーは当然ある。一般に星域軍管区が海賊討伐作戦を大規模に実施していることは公表されているが、だからといって自分達に不都合が及ぶことを容認しているわけではない。
小惑星鉱区の操業認証の取り消し。護衛船団という事実上の航路統制。小惑星帯で何故か頻発する(ゼッフル粒子)大火災。航路で暴れまくる暴虐不遜なブラックバート(偽物)とその首謀者(本物)の逮捕。大手海賊集団の降伏など、メスラム星系を波立たせるニュースは事欠かない。海賊に半ば支配されていたようなド田舎の民心は大きく揺れ動いている。
救われる点はド辺境であるが故に報道機関の存在が極めて少ないことだ。ローカルなメディアはあるが、基本的には星域内というより星系内でしか活動しないレベル。ハイネセンにいるような、政府に対する反骨溢れる独立系ジャーナリストであれば、マーロヴィア星域軍管区司令部の傲慢さはたちまち紙面の標的となっただろう。だれも見向きもしない、ニュースのネタにすらならないド辺境の強みだ。
だがそれも時間の問題。ロバート=バーソンズ元准将の逮捕は、数日中に中央法務局・国防委員会・憲兵隊本部・統合作戦本部防衛部および法務部の連名で正式に公表される。その場でマーロヴィア行政府要人の逮捕も発表されるだろう。そうなればジャーナリストの二個小隊ぐらいの来訪は覚悟する必要がある。彼らが来訪するまでの一~二週間で、掃除を終えなくてはならない。どうしたって批判されるだろう。だが結果の良し悪しで、批判の大きさは変化する。
「一週間で片づけましょう。またしばらくバグダッシュ大尉をお借りします」
「今までだってほとんど司令部に顔を出しておらん奴じゃから、好きに扱き使うといいぞ。せっかくの無料レンタル品なんじゃからな」
まったく面倒なことじゃなと、まだまだ皺のよりが深くない顎を撫でながら、爺様はそういうのだった。
◆
そうして司令部での打ち合わせを終え、実質八ヶ月ぶりに戻った自分の執務室の扉を開けると、そこにはさも当然と言った表情のバグダッシュがパイプ椅子に座ってワインのラベルを眺めていた。俺が白けた眼で狭い部屋の中を見回すと、腰高ぐらいのワインセラーがいつの間にか壁脇に鎮座している。
「……バグダッシュ大尉」
「おぉ、お久しぶりですな、ボロディン大尉。実働部隊の引率お疲れ様でした」
「えぇ、バグダッシュ大尉がいかに偉大な存在であるか、十分すぎるほど認識できましたよ」
「なんだか気持ち悪い褒めかたですな。これは小官のワインですからいくら煽てても差し上げませんぞ」
「しばらく酒はNGです。憲兵隊を率いて長官の頸を取りに行くんですよね?」
検察長官の頸を取る前に、業務時間内の飲酒で自分が捕まったらどうするんだと言ったつもりだが、ワインセラーがあるのは俺の執務室(笑なので、この場合、捕まるのは俺になるわけか。非難を諦めて自分の椅子に座ると、バグダッシュはジャケットの胸ポケットから白い封筒と記憶媒体を取り出して俺に手渡した。封筒の中身は中央法務局から憲兵隊本部に出された委任拘束令状。記憶媒体の方は降伏した海賊から搾り取った行政府内の金銭授受についての証言調書だった。
「ケリムでも痛感しましたが、情報部の方々の有能さはまるで魔法使いのようでホントに頼りになるというか……コレ、造り物じゃないですよね?」
「造り物でここまでリアルにできれば、情報部員として超一流といえるんですがねぇ」
「結果としてバグダッシュ大尉はお一人でマーロヴィアに巣食う海賊を手玉に取ったわけですが、後学の為に伺いたいんですが、テクニックはともかく情報部員として必要な才覚って何です?」
「冷静さと度胸ですよ。それも大して難しいことじゃない」
バグダッシュは鼻で笑うと、パイプ椅子を逆にして座り、背もたれに肘を当てて意地悪そうに言った。
「相手にするのは所詮人間で、異世界のバケモノじゃない。人間である以上、欲があり、感情がある。金も異性も名誉も、つまるところ形を変えた欲でね。物を取引する貨幣と同様に、欲を取引するのは情報なんだ」
「ただ情報はベクトルであって、金銭のように数値だけじゃない」
「おっしゃる通り。ベクトルから方向性を取り除くのが冷静さ。好きな方向に無理やり動かすのが度胸ってわけだ」
「そうなるとブロンズ准将の言われる通り、自分には無理ですか」
「いや素質はある。単純に性格が向いてないだけですよ。人生経験が少なくて隙だらけってのもありますが、一番問題なのはあまりに欲がないということですかな」
「欲がない? そんなことはないと思いますが?」
「一見すると生活苦とか経験したことのないお坊ちゃま特有の青臭い無欲さに見えるんです。そういう世間知らずは『正義』とか『道義』とか調子のいい言葉でいくらでも操れる」
こちらから話を振っただけだったが、バグダッシュはどこからともなく出したコルク抜きを、左手の指の間をグルグルと回しながら饒舌に話し続ける。
「貴方は違う。事に当たって必要とあれば法を踏み越えることも躊躇わない。かと言って良心や善意や遵法精神のないサイコパスでもない。今は上官がいて、命令があり、任務がある。そういった拘束が無くなった時、あなた自身が何をしたいのか、正直なところ分からなくてね」
「……」
「ただ今回、ご一緒して分かったことが一つだけありますよ」
「……それは?」
「貴方が私の上官になった時は結構楽しいだろうな、ってことです。適度に難易度があって好きなように仕事ができて、勤務中に酒が飲める職場って、そうそうないですからな」
バグダッシュの手にはいつの間にかワインボトルがあり、今まさにキュポンと音を立てて栓が抜かれたのだった。
後書き
2020.05.22 事前投稿
第46話 隣地の草刈り
前書き
ルドルフはいったいいつ頃から独裁者への道を望んだんでしょうか。
恐らくは准将になったあたりではないかと、思うんですがね。
宇宙暦七八八年六月 マーロヴィア星域 メスラム星系惑星メスラム
ワインを片手にシナリオを創り、翌日部下についた兵卒上がりの年配憲兵少尉にそれを説明して各種手配を済ませた六月一五日。俺は一個小隊と共に経済産業庁に、バグダッシュはやはり一個小隊を率いて星系首相府に向かった。俺は上位者告訴権の署名獲得、バグダッシュは国家警察より委託を受けた憲兵による民間人逮捕承諾署名の獲得だ。俺達がそれぞれの省庁に入ったと同時に、メスラム唯一の宇宙港はモンシャルマン大佐率いる軍憲兵の管轄下に入る。
「委託令状があるとはいえ任意の署名ですから、無理はなさらずともいいとは思いますが」
「小官は顔同様、スマートな交渉術を得意としておりましてね。星系首相も快くサインしていただけますよ」
どこがスマートなのか問い質したいところではあったが時間もない。さほど広くもない中央官庁街で、普段より軽装備とはいえ憲兵を後ろに連ねながら歩けばかなり目立つ。好奇より不安の方が多い視線を四方から浴びながら、俺は経済産業庁へと足を踏み入れた。
事前に署名を貰う相手にはアポを取ってはいたが、何も知らない受付嬢は憲兵の提示する令状を見て蒼白になり、警備員が駆け付けまた警備員に令状を提示して……三分経たずして、俺達は長官室に通される。
「ホント、軍は強引な手口を使うのね。貴方も半年以上姿を見せなかったけど、どうやらご活躍だったようでなによりだわ」
直接の知己を得て作戦が開始され八ヶ月。パルッキ女史のブロンドには明らかにそれとわかる白いものが混ざり、分厚い化粧の下は荒れてそうで、目には疲労が浮かんでいる。軍とは違い、彼女にはハイネセンからの援護射撃も、頼れる上司も部下も存在しない。暴虐ともいえる軍の海賊狩りや護衛船団による統制、何故か小惑星帯のあちらこちらで発生する天体異常現象に、さして大きくもないとはいえマーロヴィアの政界財界から集中砲火を浴びたのだ。書は心を現すというが、俺が開いた上位者告訴権委任状にするサインも結構乱雑だ。
「これで軍主導の作戦はおしまいね?」
「ええ、後は『新労働力を活用した地域振興計画』の実行となります。今後も我々軍は長官閣下にご協力を惜しみません」
「今後『も』? 今まで軍が私に協力をしてくれたことがあって?」
フンッと荒く鼻息をつくと、パルッキ女史は俺に向かって委任状を放り投げる。
「このド田舎星域から海賊が居なくなったのはいいわ。新しい産業の為の労働力を確保してくれたことは、道義や人道に目をつぶれば純経済的に悪くない話ね。問題はそれを指揮するのが私ということよ」
「流刑植民地の女王様というお仕事はお嫌いですか?」
「代わってほしけりゃ、代わってあげるわよ」
「……そうですね」
量が多くて面倒ばかりな仕事であることは間違いない。バーソンズ元准将の作ったシステムを焼き直し、公金を使って手柄を乗っ取った計画で彼女を巻き込んだのは軍であり、事実俺だ。そして彼女自身幸いなことに、この計画の人道的な欠陥を理解している。
責任を取るという言い方は多分に誤解を招く。だがアレを彼女に紹介することは、劇薬には違いないにしても彼女の労苦を少しは軽減できる効果はあるはずだ。それで彼女が派閥に飲み込まれるとしたらそれはそれで仕方がないが、アレが政府首班になるまでには今少し時間が必要のはず。もっとも憲兵の視線のある現時点で口にする必要はない。
「ひと段落したら、ウィスキーの一杯でも奢ります」
「一〇も年下の男にお酒を奢ってもらうほど女はやめてないわ。せめてボトルと言いなさい」
小さな舌打ちと共に漏れた『もう少し年上だと思ったのに』という言葉を丁重に無視して、俺は敬礼して彼女の執務室を後にする。予定通りというか、経済産業庁舎を出た段階で憲兵の一人が連絡を受け、宇宙港の検問開始が告げられる。
現時点で星域外に逃亡するには、自分で宇宙船を作る以外に方法はなくなった。この星には宇宙船を建造するに十分な伝説の天然資源は山ほどある。時間を掛ければ検問だけでは済まなくなるだろう。それは今までの苦労が全て水の泡になることだ。そう思うと自然と駆け足になり、俺が駆け足になれば憲兵達も駆け足となる。
そして星域治安検察庁庁舎の前で、バグダッシュはただ一人で待っていた。
「ボロディン大尉でしたら、ちゃんと引き連れてきてくれると思ってましたよ」
「……バグダッシュ大尉の小隊は『配置』についたわけですね」
「念のためってやつです。証拠隠滅が無理な時点で、検察長官の生き残る道が一つしかないのは間違いないんですが、人間追い込まれるととんでもないことをしでかしますからね」
それじゃあいきますか、とバグダッシュは表情同様の剽軽さで検察庁庁舎へと入っていく。果たして自動ドアが開くと、そこには武装した治安警察部隊の二個小隊が銃をこちらに構えて並んでいた。大急ぎで武装したのか装備はバラバラ。なのに顔は全員引き攣っている。
憲兵隊が宇宙港に検問を作り、星系首相官邸と経済産業庁にも部隊を向けた。何も知らなければクーデターそのもので、大概のクーデターの最初の標的は治安維持組織であり、組織のトップは検察庁だ。軍が海賊狩りと称して経済産業庁と組んで、星域の実権を不法な手段で握ろうとしている。そう見えてもおかしくない。
さてどうします? と含んだ視線を俺に向けるバグダッシュに、俺は小さく溜息をつくと二歩前に出て治安警察部隊の面々を無言で睨みつけた。面々の視線と銃口は一斉に俺を指向する。一本ならともなく、複数が煌めいたら俺の二度目の人生はここで終わり。三度目があるかもわからないし、残念だとは思うが何故か恐怖を感じない。
一度後ろを振り向いて憲兵隊を見ると、こちらは誰も拳銃に手をかけていない。標準装備である小銃すら持たず、無言で手を後ろに回して直立不動。治安維持部隊との対比は一層明らかだ。俺は小さく息を吸い込んだ後、治安警察部隊の面々にフィッシャー中佐直伝の無害な笑顔を向けて言った。
「お仕事ご苦労様です。小官はマーロヴィア星域軍管区司令部次席参謀のボロディン大尉と申します。こちらは情報参謀のバグダッシュ大尉。我々は憲兵隊と共に検察長官ヴェルトルト=トルリアーニ氏の逮捕に伺いました。氏は在勤でいらっしゃいますか?」
笑顔で放たれる言葉の意味を理解するに数秒。治安警察部隊の面々は互いに顔を見合わせ、それが自然と一人に集中する。年配の隊員。袖を見ると四本のラインがあるから勤続二〇年以上というところか。その隊員が小銃を肩に掛け、一歩前に出て俺と対峙する。
「地上における警察権はマーロヴィア検察庁の掌握するところだ。憲兵隊、まして星域管区の軍人ごときがでしゃばるな」
生意気な孺子め、と言わんばかりに俺を睨みつける。アメリカンドラマによくいる、少し皺が寄り始めたマッチョベテランSWATそのまま。何となく懐かしいものに出会ったみたいで、俺は自然と微笑ましさを感じた。それが気に障ったのか、血管が浮かび上がったゴツイ顔を俺に寄せてくる。
「何がおかしい。それともビビッて声が出ないのか?」
「いえいえ。これほど歓迎していただけるとは思ってもいませんでしたので。失礼ですが指揮官でいらっしゃる? お名前と階級をお伺いしたい」
「カッパーだ。階級は警部補」
スッと視線をマッチョの胸に向けると、申告通りの名前が縫い付けられている。バグダッシュに視線を向けると、彼は首を振った。残念ながらリストにない人物らしい。
「ではカッパー小隊長。速やかに我々を検察長官の前に導くか、それとも長官をここまで引きずってくるか、どちらかをお願いしたい」
「なに寝ぼけたことを言っているっっっ」
「耳が遠いようだからもう一度言うぞ、カッパー小隊長。速やかに我々を検察長官の前に連れていくか、長官をここまで引きずってくるか。どちらか選べと言ってるんだ」
「貴様!!」
「治安警察だったら拳で喧嘩売る前に、令状と法的根拠を相手に問え。その程度の脳味噌しかないから、海賊にいいようにやられるんだ。歳食っててもその程度のことが分からないのか?」
これで殴ってくるようだったら、それはそれで結構。一時退散はするが、次は装甲車と装甲服とトマホークでお迎えに上がるつもりだ。丁寧に軋轢なくこちらから令状を見せることも考えたが、根本的に海賊と裏でつながってる奴と繋がってはいないが不作為を決めてる奴しかいない警察の、それも現場に直接刺激を与え、本来の任務を思い出してもらわねばならない。そうでないと彼らは今後、女王様の働きアリにすらなれない。
カッパー小隊長は歯ぎしりしたが、硬く握りしめられた拳を俺に向けることはなかった。彼が一歩退いたのを見て、胸ポケットにしまっていた逮捕状とパルッキ女史のサインが入った上位者告訴権証明書、それにバグダッシュから預かった星系首相のサイン入り民間人逮捕承諾書を全て提示する。これらは全て、『お前らが無能だから軍と憲兵隊に任せるんだぞ』と言っているに等しいもの。果たしてカッパー小隊長の顔は、最初は赤く、次に青く、そして白くなった。
果たして肩を落としたカッパー小隊長を先頭に、俺達は長官公室に向かう。狭い領域とはいえ治安の番人という立場の本拠地に、軍と憲兵隊の侵入を許す。よりにもよって公文書によって事態は法的に保障されて、なおかつ治安維持機構のトップが逮捕されるという。行き交う職員はみな、カッパー小隊長同様に意気消沈している。運が悪かったとは思うが、本来なら彼らも軍が海賊掃討に動いた段階で自ら行動すべきだったとも思う。
「ここです」
カッパー小隊長が指し示す先に長官室はある。ごく普通の執務室を思わせる木扉だ。勝手に開けて入れと言わんばかりのカッパー小隊長に、俺はあえて皮肉を込めて応えた。
「常軌を逸した長官が銃を構えて、我々が扉を開けたと同時に発砲の恐れがある。小隊長、悪いが部下の貴官が扉を開けてもらいたい」
俺のいい様にバグダッシュは右唇を吊り上げて笑うと、カッパー小隊長は心底ムカついたと言わんばかりの表情で扉を開けた次の瞬間、閃光と共にノブを持ったまま床に倒れた。即座に俺もバグダッシュも、勿論憲兵隊も床に腰を落としたり、壁を背に張り付いたりしたが、目の前で胸から血を流しながら声もなく口を開け閉めするカッパー小隊長から目を逸らせなかった。付いてきた憲兵隊のうち二人を割いて、小隊長を現場から下がらせると、俺は大きく溜息をついて、腰からブラスターを引き抜き、エネルギーカプセルを確認する。
「……ボロディン大尉は預言者かなにかですか?」
「皮肉ですか、バグダッシュ大尉」
「本気でそう思うようになりそうですよ。今回の任務でコレが一番のビックリです。で、どうします?」
「警告して降伏すれば良し。反応なければ突入します。憲兵隊、記録保持と援護射撃を」
そっと携帯端末をカメラモードにして室内を探る。内部にバリケードはない。恐らくはソファの背に隠れて扉に照準を合わせて狙い撃ちというところだろう。撃たれて死ぬ可能性はあるが、初撃を躱し切れば後は憲兵隊が突入して数の暴力で押し込める。とそこまで考えたところで、自分がナチュラルに人を殺そうと動いたことに気が付いた。
前世ではしがないサラリーマンだった。実銃を撃つのはこちらの世界に転生して、ジュニアスクールでの銃の扱い方講座が最初。当然ながら自分の手で人を撃ち殺すかもしれない状況というのも初めて。射撃の訓練成績は悪くはなかったが、ケリムでの海賊討伐戦以降、俺は人殺しとしてのステップを着実に踏んでいる。
「検察長官トルリアーニ。貴方には海賊への情報漏洩、それに伴う収賄の容疑と……治安維持要員カッパー小隊長殺人未遂容疑が懸かっている。速やかに武器を捨てて投降せよ。でなければ生死問わず拘束する」
やや大きめの声で告げると、中からヒッっという悲鳴が聞こえてくる。それも男性の声だ。彼の秘書は女性だから彼で間違いない。
「トルリアーニ、聞こえてるな。武器を扉に向けて捨て投降しろ。殺人まで加われば、貴方の量刑は死刑以外無くなる。一つしかない命を大事にしろ」
二度目の人生を銀英伝の中で生きている俺としては、言ってる傍からおかしなセリフだが、テンプレみたいな立てこもり犯への勧告だから仕方がない。しかし俺が告げてから一〇秒経ち、三〇秒経ち、一分経っても反応がない。迷っているのか、それとも戦う気でいるのか。検察官として現場に立つことはなかったかもしれないが、少なくとも立てこもり犯に対する警察の行動を彼は理解しているはずだ。時間を掛ければことが大きくなり、それは事態収拾に対しても負荷となる。
「突入します。いいですね」
小声で憲兵隊小隊長に告げると、小隊長は無言で頷く。俺は中腰になり小隊長はその後ろに立ち、バグダッシュは反対側で中腰に、その背後に憲兵隊員が並ぶ。カメラで見た時に確認したが、扉に対して右奥に執務机、その手前にソファがあるから、まずは視線と射線を俺に向けさせるため、部屋の隅にまっすぐ突入する必要がある。声には出さず、口唇だけでカウントを始めると、バグダッシュと憲兵隊員の動きが止まる。太腿に力を入れ、脇を閉じ、ブラスターの銃口を地面に向ける。五……四……三……
俺は明るい室内にダッシュで飛び込む。その背後から銃声が響く。トルリアーニの悲鳴が上がらないから天井に向けて撃っているのだろう。ガラスや照明や陶器が割れる音が続き、俺は扉の対面の壁にぶつかった後、ブラスターを構えたが、トルリアーニの姿はない。すぐに動く向きを変えソファに手をかけ横っ飛びする。果たしてそこには中年太りしたトルリアーニが銃を両手で握りしめたまま体を丸めてうずくまっていた。俺はその両手首を思いっきり左手で握りしめ床に押し付けると、ブラスターの安全装置をオンにし右手でもぎ取り、部屋の隅に向かって投げた。そのタイミングでバグダッシュがソファに飛び込んできて、無傷でトルリアーニを抑え込む俺を見ると、ブラスターを下ろし大きく溜息をついた。
◆
「士官学校首席卒業者っていうのはみんな大尉みたいなんですかね」
小さくヒッヒッと悲鳴か息継ぎかわからない声を上げつつ連行されていくトルリアーニを見送ったあと、主のいなくなった執務室の端末を叩きながら内部を漁りつつ、バグダッシュは俺に言った。なにを言いたいのかよくわからないが、応じないわけにはいかない。
「一つ上の首席卒業者は、ウィレム=ホーランドっていうんですが」
「……あぁ、理解しました。ボロディン大尉のほうが異端なんですな」
鼻歌交じりでカチカチと端末を叩きながら、バグダッシュはとんでもないことを言う。
「人づてに聞いたことがありますが、ホーランド大尉は典型的な軍事指揮官で参謀としても優秀ならしいですな。まぁそれ以上でもそれ以下でもないですが」
「それでも十分では?」
「アナタと比べるまでもない。立ってる視点の高さも広さもまるで違う。大人と子供ですよ」
情報部員は監禁しても起きている限り油断できない。そう言ったのは誰だったか。バグダッシュの言う俺とホーランドに対する評価。戦略研究科卒業生としてそうあるべきだと数年前グリーンヒルに告げたことを、もしかしてバグダッシュは知っているのだろうか。俺が黙って書棚にあるファイルをぱらぱらとめくっていると、クックッとせき込むような笑いでバグダッシュは続ける。
「不思議な人だ。子供っぽいところもあるし、抜けてるところも多い。なのに事があれば隙なく無駄なく躊躇なく行動できる。如何にも模範的軍人な外面なのに、飲酒を咎めようとしない。首都からこれほど離れた場所で、直接の知人でもないトリューニヒトの長い手を見抜いたのは最早驚異だ。それでいて才走るところもなければ、功名餓鬼でもない」
「最近の大尉は随分と多弁ですね」
「多弁になりますとも。これでも人を見る目はあると思ってますが、これほどまでに矛盾を抱え込んだ人と今まで一緒に仕事したことがなくてね。この任務が終われば次いつこうやってお話しできる機会があるかわかりませんからな」
多弁でありながら端末の上を動く指の動きに乱れはない。五分ほどでケリが付いたのか、バグダッシュは私物の端末を起動させ、トルリアーニの端末のすぐそばに置くと、検察長官用の本革張りリクライニングを大きく傾けて天井を見上げた。
「ボロディン大尉、軍人なんかやめて政治家になったらどうです?」
「なんです、いきなり?」
「軍人としても優秀だ。それは間違いない。アナタが指揮する部隊……いや艦隊はきっと宇宙にその名を轟かすでしょう。だがアナタが艦隊を指揮できるようになるまでには恐らくあと二〇年はかかる。今の情勢だとそれまでに帝国軍との戦闘で戦死する可能性が極めて高い」
「……かもしれませんね」
「今すぐは流石に無理ですが、アナタの能力からすれば前線で無理しなくても三〇代半ばで准将にはなれそうだ。その時点で退役し、政治家として登壇するんです。情報将校として私ができる限りバックアップしますよ」
「大尉はどうしてそこまで私を評価するんです? まぁ軍人に向いてないと言われたことはありますが」
「でしょうね。いい鑑識眼をしてますよ。シトレ中将閣下は」
「……仮に政治家になったとして、私が権力得て豹変し独裁者になるかもしれない。そうなれば海賊討伐で名を挙げ、少将で政治家に転向したルドルフ=フォン=ゴールデンバウムの再来だ。そうは考えないのですか?」
俺がマーロヴィアに来てからずっと抱き続けてきた疑問。クソ親父にしても爺様にしても、俺を軍人に向いてないと評価した人達が考えていないとしか思われない危険性。自由惑星同盟にルドルフが現れるという、五〇〇年の歴史の流れを逆転させることに。
だが俺の返事に、バグダッシュはキョトンとした表情で俺を見た後、まずは含み笑い、それが音になり、次第に大きくなって腹を抱えて笑い出した。
「アナタにルドルフの真似はできない。同時に今の同盟の汚職政治家のようになりようがない。両者に共通する幾つもの要素がアナタには徹底的に欠けている」
「それが欲ですか?」
「トルリアーニ如き小物の銃口が向いている先へ、瞬時に突入を決意できる生存欲の無さは病的ともいえる。死にたがりというわけでもないから、私には理解に苦しむし不思議でならない」
「……」
「仮にアナタが独裁者になったとしても……まぁ、その時の『お楽しみ』ということで」
そういうと要塞攻略戦を前に蕩児たち相手に見せた、気持ちいいまでのサムズアップをバグダッシュは俺に見せるのだった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
2020.06.03 カッパーの発言を修正
第47話 草刈りの終わり
前書き
少し短いです。
書いていて自分の筆力の低下を実感しました。豆腐メンタルなので、手心をお願いします。
宇宙暦七八八年八月 マーロヴィア星域 メスラム星系惑星メスラム
トルリアーニ逮捕以降の事後処理の速度はというと、型にはめたように圧倒的というべきものだった。
予定通りハイネセンにおいて軍と中央法務局連名によるマーロヴィア星域における治安維持活動が報道陣に公開される。計画立案から実行までほとんどが軍部と経済産業庁によるもので、中央法務局は捜査員すら派遣しなかったが、治安維持作戦の主導的立場として発表される。功績のただ乗りであるが、これについてはマーロヴィア軍管区司令部に大きな不満はない。
次にド辺境とはいえ星域行政府の高官、それも治安維持を担当するトップであるトルリアーニの逮捕が発表される。この星域で海賊が跳梁跋扈したのはトルリアーニが海賊と繋がりがあった為であり、辺境を軽視する治安維持機構全体の責任ではなくトルリアーニ個人の問題である、と強弁したのだ。一理ある話ではあるが、政府に批判的なマスコミやジャーナリストはこれを糾弾する。個人の問題であるにしても、行政官僚の腐敗は政権自体の問題であり、ひいては最高評議会の管理能力に疑念がある。そう批判された。
そして最後に宇宙海賊『ブラックバート』の首領であるロバート=バーソンズ元准将の逮捕と、その戦力の降伏が発表されると、記者発表の席は困惑と興奮で溢れかえったようだった。ケリムで歴戦の第一艦隊が総動員されたにもかかわらず逃してしまった名うての海賊の壊滅と逮捕。それもマーロヴィア星域管区という実働戦力にも行政府にも問題のある場所で成功したというのだから、まぁ驚くのも無理はない話だ。どうやってそれに成功したのか、質問が相次いだがそれに応えたのがよりにもよって若手の国防委員だった。
「中央法務局の皆さんの長年の捜査の蓄積と、老練な軍管区司令官の堅実で果断な指揮、それに経済産業庁長官をはじめとした勤勉で実直でそして何より正義を愛する行政府の諸氏が協力し合い、大きな腐敗と悪徳を打破することに成功したわけです。法務、軍部、行政の緊密な連携こそ国家の安全と市民の自由、そして自由経済を救ったのです」
まるで舞台俳優のように通る声で、そして長いセリフを短く感じさせるよう、大仰にはならないアクションで、軍作戦内容や微妙なところに届きそうな質問を的確にはぐらかしていく。巧みな話術というべきだ。背景も裏側もわからない人間が聞けば、まず間違いなく気分が高揚し、今回の作戦を、そして実行しそれに助力したであろう若手の国防委員を褒めたたえるだろう。そしてド辺境星域の治安に興味がある人間は圧倒的少数だし、背景を探りに行こうという気を失わせるに十分すぎるほどの絶対的な距離がある。
超光速通信で送られてきた記者会見映像を、半ば義務的に見ていた星域軍管区司令部の気圧は、当然ながら極限まで低下している。コクラン大尉もライガール星域管区から戻ってきて、バグダッシュと俺も加わって久々に司令部全員が集合したにもかかわらず。
「……いったいなんなんです、アレ」
映像が終わり真っ暗になったスクリーンを前にして、最初に不満の煙を漏らしたのはファイフェルだった。年長者たちには聞こえない声で、俺に囁いた。
「トリューニヒト国防委員でしたっけ。彼はこの作戦で何か仕事したんですか?」
「機雷の手配への口利き。コクラン大尉をここに配属させる口利き。中央法務局から憲兵隊へ業務委託させた口利き。まぁ実にフィクサーらしい仕事をした……らしい」
「……小官はトリューニヒト国防委員の口利きでここに来たつもりはないんですが」
俺の声が思いのほか大きかったのか、これにコクラン大尉が乗ってくる。まぁ彼はそう思うだろうし、勘繰られるのも迷惑な話だろう。爺様とモンシャルマン大佐の少し冷めた視線がこちらに向いているのを確認し、俺個人の想像と断ったうえで、昨年末バグダッシュに話したことを話した。そして程度の差こそあれ、露骨に不満の表情を浮かべる。
「投資先として儂は歳を取りすぎておると思うから、恐らくはジュニア目当てじゃろう」
両手の上に顎を乗せ、三白目になった爺様は、吐き捨てるように言った。
「まさに寄生虫じゃな。安全で快適な首都におって、危険は全て他人に押し付け、果実の上手いところだけをすべて持っていく」
「貴官の想像が正しければ、この治安維持作戦の評価を大きく上げたブラックバートの捕縛に彼はなんにも関与していない。失敗すれば他人のせい、成功すれば自分の功績か。あの弁舌は盗賊の舌だ。あの舌で自由だの民主主義の勝利だの言われると、気持ちが悪くなる」
モンシャルマン大佐も全く容赦がない。
「仮にまたガンダルヴァ星域管区に戻って仕事することになっても、あまりいい気分ではできそうにないですね」
散々機雷やら船舶やらゼッフル粒子やらの調達で苦心したコクラン大尉の心中は複雑そうだ。
「ですが、あれこそ今の政治なのでしょうな」
そんな中で空気を全く読まず、バグダッシュがボソッと呟いた。醒めた口調がより部屋の温度を低下させる。
法的な問題点を補正し、軍や機構の動きを潤滑化させる為に表に出さずに各所を調整する。それが政治の仕事だ。それは爺様も大佐も十分すぎるほど理解しているのだろうが、トリューニヒトのように露骨にさも自分が統括して指揮しましたと言わんばかりの態度が気に入らないのだろう。爺様の舌鋒は、当然のごとく俺に向く。
「ジュニア。後始末の方はどうじゃ?」
「刈り切った草は焼却炉に持っていきましたので、次は土を掘り起こす番です」
「よかろう。航路開削と掃宙訓練はやればやるほど上手くなるモノじゃからな」
そういうと爺様は、すっかりぬるくなったコーヒーを啜るのだった。
それからというもの俺は司令官代理という形でほぼ毎日、惑星メスラム上の司令部と収容所、惑星軌道上の廃船置き場と機雷をバラまいた小惑星鉱区を行ったり来たりという生活に落ち着いた。収容所で生き残った海賊の中から従順で比較的若い要員を選考し、廃船置き場に蓄積されているゼッフル粒子入りの廃船を引っ張り出し、星系間航行能力のないタグボートで小惑星鉱区まで押し出し、無人操縦で小惑星帯に突っ込ませる。
熱反応型の自動機雷は慣性航行状態では反応しないが、機関を始動するとその熱源を感知して作動する。それを利用してタグボートで初速を作り、適当なポイントに到達した時点で廃船の機関を始動させる。始動すれば機雷のもつ小さいが高出力の推進機が作動し廃船に勝手に突撃してくれる。そして廃船の内部にはゼッフル粒子が搭載されているので、機雷の爆発熱に煽られ膨大なエネルギーを発して誘爆し……その熱がさらに近くに敷設された機雷を誘引する。地球時代によく使われた自走式機雷処分用弾薬を廃船で置き換えたわけだ。
これで残った廃船分の機雷は処理できるが、爆破した後の後始末は掃宙艦と特務艦の出番となる。特務艦と言っても帝国の輸送艦を改造したもので、掃宙艦に先導されつつ爆破処理が完了した宙域に侵入し、航行に支障のある破片を掻き集める役目を帯びている。これには専門の航路開削用の機材が複数積み込まれており、民生用の航路開削船とほぼ同等の能力を有していているが、この手の機材はマニュアル操作なので、そこに戦傷者や降伏した海賊などを要員として配置する。
勿論破壊された廃船は資源として再回収される。小惑星で宇宙船用装甲用材を生産している鉱山船はいくつか残っているから、再び精錬されて用材となる。元々私企業だった鉱山・精錬企業も、海賊との癒着があったことを盾にマーロヴィア星域政府に「収用」という形で公的管理となり、生産された用材も軍が安値一括で購入し、マーロヴィア星域外への軍事輸送船団に資材を積み込み、リオヴェルデ・エリューセラ・タナトスといった辺境部にある軍直轄造兵廠へと送られる。
日本で言う第三セクターに近いが、現在の自由惑星同盟において財務委員会の圧力が強いのか、それとも軍事費の圧迫が強いのか、いわゆる国有企業は水素などの生活必需資源とインフラに限られている。行き過ぎた新自由主義とまでは言わなくても、国家が私企業の領域に立ち入って公金を利用して営利を得ることを民業圧迫として敬遠しているし、政府に批判的な勢力はそういう公金が注ぎ込まれる企業の汚職をよく槍玉に上げる。パルッキ女史が「植民地の女王様」を嫌がるのも、官僚の本能である自己権限の拡大をいらぬところから疑われたくないという側面もある。
そして将来的に……今のままでは難しいかもしれないが一〇年後、ラインハルト=フォン=ローエングラムによる「神々の黄昏」が始まった時、ランテマリオ星域の後方にあって十分に距離の離れたこのマーロヴィア星域に有力な軍事物資生産設備を有しておくことは悪いことではない。艦艇を自力生産できるほどの設備は難しくとも、艦船の補修や改造ないしミサイルなどの消耗兵器生産設備を構築することができれば、少しは勝率が上がろうというモノだ。そこには機雷の取り扱いに慣れた嘱託従業員もいる。
そう、機雷。地雷同様あればあったで民生の邪魔でしかないが、貧者の持てる数少ない戦略兵器でもある。ランテマリオの戦いでも回廊の戦いでも、いや帝国の内戦においてもその有効性は証明されている。それをより大胆に、攻勢防御として利用できないか? 指向性ゼッフル粒子があれば容易に開削されることだろうが、戦闘宙域を大きく制約することはできる。そして艦隊行動のチョークポイントとなる回廊はひとつではない。
想像の翼を広げて、地球が人類の中心地から離れて八〇〇年近く経っているのに、未だ机の上から絶滅していない紙にいたずら書きのようなメモを書いていると、鍵をかけていない俺の執務室の扉からファイフェルが飛び込んできた。いやに慌てているので収容所にぶち込んだ海賊たちが反乱を起こしたのか疑ったが、ファイフェルの顔には危機というより驚愕の方が多かったので、俺は一度だけ深呼吸をすると席に座ったままファイフェルに言った。
「どうした。パルッキ女史に言い寄られでもしたか?」
「そんな縁起でもないことを言わな……あぁ、すみません。少し慌ててました」
予定通り軍務一年で中尉に昇進し、軍隊生活に慣れ始めたのか軍用ベレーを被ることが少なくなったファイフェルは右手で小さく頭を掻くと、苦笑して応えた。
「先輩はエル・ファシル星域をご存知ですか?」
俺がファイフェルに何も応えることなく、無言で立ち上がり携帯端末を確認したのは、もし俺以外に転生者が居たら当然の行動だと思うだろう。
宇宙歴七八八年八月二八日。端末の画面にはそう記されていた。
後書き
2020.05.22 事前入稿
閑話1 エル・ファシルにて その1
前書き
ヤン視点の閑話になります。
正直、原作とさほど違わないというか、これを書くのはいいことなのか迷いました。
宇宙暦七八八年八月 エル・ファシル星域 エル・ファシル星系
「ひとつ狂うと全てが狂うものだな」
エル・ファシル星域駐留艦隊旗艦である戦艦グメイヤの司令艦橋の一角、幕僚グループの末席でヤンは胸中でつぶやいた。
当初アスターテ星域を哨戒警備中であったエル・ファシル星域駐留艦隊所属する二〇隻ばかりの哨戒隊が、運悪くほぼ同数の帝国軍哨戒部隊と不運にも遭遇。お互いが後方へ増援を呼び、あれよあれよという間にエル・ファシル駐留艦隊のほぼ全機動集団が出動する羽目になった。
帝国軍側も予期せぬ拡大であったのか、おそらくはアスターテ星域の哨戒部隊を全て糾合したのであろう一〇〇〇隻程度の戦闘集団を編成し交戦。お互いに二割程度の損害を出して終わった。二割という数字は決して小さくない数字であり、帝国軍の後退に合わせて戦域を離脱する判断を下した上官に、用兵上の判断ミスがあったとはヤンは思わなかった。
だが帝国軍は帰投すると見せかけて急速反転し、油断したエル・ファシル星域駐留艦隊の後背を襲撃した。最後尾に付けていた戦艦グメイヤの周囲には破壊された僚艦の生み出す爆発と閃光が溢れることになる。想定外の事態に慌てふためく司令部にあってヤンともう一人、管区司令兼任のリンチのみがある程度落ち着いていた。
「艦隊右舷回頭! 迎撃せよ、砲門開け!」
リンチの声は大きく、聞く者とそして言った者自身を落ち着かせようとしたものだろうとヤンは思った。だが、後に敵を背負いながらの一斉反転迎撃は、一時的に部隊全体の側腹部を敵にさらけ出すことになる。反転攻勢をかけるのであれば、すでにエル・ファシル方面への移動を開始している前衛部隊から順次反転し、ドーナツの輪を内側からひっくり返すように陣形を再編すべきではないか。ヤンは意を決し幕僚グループの末席から、上官のいる司令艦橋の最上部までできるだけの速度で駆け上がると、恐慌をきたしている他の参謀達の困惑の視線をよそに、リンチに向かって自分の考えを告げた。それに対してリンチは眉を顰めつつ、小さく首を振ってこたえた。
「貴官の言いたいことはわかるが、部隊全体が混乱している現状では細かい指示を必要とする艦隊機動は実施不可能だ」
「であれば、回頭を中止し全速で前進。時計回りで敵の後背をつくべきです」
「それまでに味方の大半がやられてしまう。敵の方が優位な状態に立っている以上、より短時間で敵に正面を向けられるよう動くべきだ」
「しかし」
「ここは士官学校のシミュレーション室ではない。下がれ」
リンチが議論を打ち切るように、視線を艦橋正面のスクリーンに視線を戻すのを見て、ヤンは何も言わず敬礼して自分の席に戻った。これ以上言っても司令官は聞く耳を持たないであろうし、ここで再度意見具申をして作戦が変更することにでもなれば、ヤンの目から見ても熟練した部隊ではないと分かる駐留艦隊ではさらに混乱してしまう。この際、司令官が冷静さと戦意を著しく欠いているわけではない事が分かっただけでも、幕僚としては満足しておくべきだ。最もその前にエル・ファシル星系まで自分が生きて戻れるかどうか。
戦艦グメイヤは被弾しつつも戦闘可能状態で反転を果たした時、後衛に配置されていた直属戦隊の過半数は失われ、他の指揮下部隊も四割以上の被害を出していた。それでもどうにか部隊全体が反転を果たし、攻撃する態勢を見せたため、すでに三割近い損害を出している帝国軍側も一方的で乱雑な砲撃を停止し、ゆっくりと時間をかけつつ後退に移った。
今度は慎重に部隊を再編制しつつエル・ファシル星系に帰投した残存部隊は三五〇隻、兵員八万五〇〇〇人を数えていた。損害が大きく部隊内における士気の低下も随所で見られるものの、それなりに秩序が維持されているという点で、行政府も民間もそして軍・艦隊要員自身も安堵していた。ただ敵の残存部隊も七〇〇隻を数え、こちらの倍以上。それだけの戦力でエル・ファシル攻撃を企図するとはまず考えられないが、早急に増援が必要であることは、ヤンに限らずエル・ファシルにある全ての人間が理解していた。
しかし、周辺星域の情勢はそれを許さなかった。
エル・ファシル星域と同様の同盟外縁部のダゴン星域において、ラザール=ロボス中将率いる同盟軍第三艦隊がほぼ同数規模の帝国軍に優勢な状況で勝利した。ただし帝国艦隊も壊滅したわけではなく、未だ五〇〇〇隻以上の戦闘可能艦艇を有しており、彼らは惨めな敗北を糊塗するためにも勝利を欲していた。彼らはイゼルローン要塞への帰路途中、エル・ファシルとアスターテの両星域をめぐる小競り合いで帝国側が優位になっている状況を確認すると、『駐留部隊からの増援要請を受けて』比較的損傷の少ない三五〇〇隻を艦隊より分離し、エル・ファシル星域を『叛乱軍の魔手から解放しよう』と図った。
それを感知したのはドーリア星域軍管区テルモピュライ星系の哨戒部隊であり、エルゴン星域軍管区を通じてエル・ファシル星域に連絡が着いた時には、エル・ファシル星域外縁部の跳躍宙点に無数の帝国軍艦影が姿を現していたのだった……
「ヤン中尉。エル・ファシル行政府から軍管区司令部に、民間人の脱出計画の立案と遂行の依頼があった」
「はぁ……」
「今、司令部が防衛計画にかかりっきりになっているのは貴官の目にも明らかだろう。皆、手がふさがっているんだ。新任でここに配属されたのは運が悪いとは思うが、貴官に民間人脱出計画の指揮を執ってもらう」
「……了解しました」
命令を持ってきたパーカスト大尉の言葉とは裏腹の、『面倒なことはごく潰しに任せればいい』といった表情に、ヤンは敬礼しながら心の底から溜息をついた。ツイてないといえばツイてない。が、襲い掛かってくる一〇倍以上の敵と戦うのは無謀以外の何物でもない。司令部の防衛計画がすぐに脱出計画に変更されるに違いないが、とりあえず早急に民間人脱出において船舶の手配などを纏めておくようにという内示と考え、ヤンはらしくもなく勤勉に行動を始めた。
エル・ファシル星系の人口は約三〇〇万人。エル・ファシル星域全体では五〇〇万人になる。幸い星域内の他の星系に帝国軍が向かったという情報は届いておらず、星域最大の要衝エル・ファシル星系に照準を合わせて帝国軍も戦力を集中しているのは司令部の分析からも間違いない。故にヤンとしてはエル・ファシル星系のみの脱出計画を練り、残りの星系に関しては事前に状況を伝え、各星系の駐留部隊に脱出計画を練ってもらうしかない。そこまでこちらが計画する権限はないと、ヤンは判断した。正直言えば一つの星系だけで手間取るのに、星域管区にある残り一〇個の星系にも同じことはしていられない。
まず三〇〇万人について行政府に住民人口等のデータを。次に現在エル・ファシル星系内に停泊している民間船舶―貨物船やタンカーなども含めて―の確認とその一時的な強制収用手続きを。そして脱出コースの検討。とても一人ではできる仕事量ではないので、軍港管理部や補給管理部から何人か融通してもらい、宇宙港の小会議室を借り、そこに行政府側の担当者及び航宙企業の運用部門担当者と共に計画を練る。
「食糧輸送船やタンカーにも住民を乗せるのですか?」
「持ち運びできる一人当たりの荷物重量が二〇キロではとても足りませんよ!」
「押し寄せている民衆が宇宙港だけでなく軍用宇宙港への立ち入り許可を求めています」
次々と下士官や兵士達がヤンに問題を押し付けてくる。誰かに助けを求めたくても、現在脱出計画の指揮官はヤン自身である。部下というより協力者のようなチームの各員に対応を任せるのもヤンの権限であり責任だった。
こうなったら出来ないことは出来る人に任せる。ただし責任は自分がとる。はっきりとそう割り切ったヤンは問題を全てチームの中の担当者と思しき人物たちに任せ、自分は彼らから集められる報告と、彼らが手に余ると判断した問題を解決することだけに集中した。それでも寄せられる問題は多い。特に民間人と軍人の間に発生するトラブルが特に。
さすがに計画のトップがこれから逃げるわけにはいかない。軍人や行政府役人達は、脱出計画自体の細部を詰めるために労力を割いているため、民間人の不安の解消というほとんど解決することができない問題に関与する暇はない。ヤンは脱出コースの検討書類だけ端末で持ちながら、宇宙港へと向かった。
「君が……脱出計画の責任者なのかね?」
「はぁ、まぁ……そうなります」
明らかに失望を禁じ得ない民間人側協力者達の顔つきを前に頭を掻きながらヤンは応えた。
「ですが、ご安心ください。船舶の調達は順調です。誰一人残すことなくエル・ファシルを脱出することはできるでしょう」
「……それは、本当かね?」
やや若さが残るが、知識と知性を感じさせる協力者の一人の医師がヤンに問うた。勿論ヤンには完全な自信があるわけではないし、成功の見込みなど逆に保証してもらいたいくらいだ。
だが、そんなことを言っても仕方がない。正面に立つ医師はともかく、他の協力者のヤンを見る目は厳しい。中尉という階級の低さから、軍が真剣に脱出計画に携わるつもりがないと勘繰られるのは無理ないことだが、非協力的になられては元も子もないのだ。裏打ちに値する実績がないのは……まぁどうしようもない。
「ええ。大丈夫です。ですから皆さんも落ち着いて鷹揚に整然と行動してください。もし不安に思っている人が近くにいたら、傍によって勇気づけてあげてください。困っている人が居たら手を差し伸べてあげてください。お願いします」
ヤンは深く頭を下げた。頭を下げて何とかなるなら、いくらでも下げよう。士官学校で話の分かる先輩が言っていたではないか。好き嫌いで逃げることなく、なるべく手を抜かずに努力せよと。気持ちが通じたわけでもないが、協力者たちは戸惑いの表情を浮かべ、お互いの顔を見合わせる。その中で最初に口を開いたのは、やはり若い医師だった。
「わかりました。ヤン中尉、でしたな。私達にできることがあれば遠慮なく言ってください」
「ありがとうございます。ドクター……」
「ロムスキーです。総合中央病院の救急センターに務めてます」
「よろしくお願いします。ロムスキー先生、他の医師の方と連絡は取れてますか?」
「なにぶん、この混乱状況です。今どこにいるかどうか……」
「これから宇宙港全体に放送を掛けます。ロビーの数か所に野戦病院を開設しますので医師の方にはご協力を頂きたいのです。移動にはカートを使って構いません。最優先です」
「わかりました。お任せいただきたい。中尉が脱出計画に専念できるよう、我々も軍の指示に従います」
ギュッとヤンの手を握るロムスキーの握力に、ヤンは一瞬たじろいたが痛がるわけにもいかない。そのロムスキー医師に促されたように他の協力者たちも次々と握手し、それぞれ若干の不安の表情を浮かべつつも協力を約束する。
彼ら協力者一団が離れた後、ヤンは宇宙港ロビーでのけんかの仲裁、大気圏外シャトルの運航計画の承認、軍事物資と行政府保管物資の放出についての手続き、及び民間病院の医療品物資統制を指示したのち、朝配給されたサンドイッチを持って一人ロビーの片隅にあるカウンターに向かった。袋を開くとかなり変形して中身がこぼれかかっているサンドイッチが、捕食者に対して不必要な虐待をしたことを無言で抗議していた。その一つを口に放り込むとヤンは民間宇宙港ターミナルロビーの高い天井を見上げる。
三〇〇〇隻対三五〇隻。まともに艦隊決戦を行うなど自殺行為以外のなにものでもない。増援と言っても、エル・ファシル星域内にあるのは他の有人星系の警備部隊で、あわせても三〇〇隻に満たない。大規模に纏まった戦力と言えば後方のエルゴン星域しかないだろう。それだって二〇〇〇隻前後だ。ダゴン星域で戦っている第三艦隊がすぐさま転進して来ない限り勝ち目はない。
にもかかわらず、リンチ司令官をはじめとした司令部は脱出計画についてヤンとこれまで一度も相談していないし、報告するよう促してきたことすらない。戦って勝てないのは誰でもわかっているのに何故か。その状況を納得できる結論にヤンは達し、少なくない衝撃からサンドイッチを喉に詰まらせた。
慌ててヤンは胸を叩き吐き出そうとするが、虐待に対するサンドイッチの恨みは深いらしく、適度に乾燥した薄い生地が喉に張り付いて余計苦しくなる。こんなところで中途半端に、しかもサンドイッチを喉に詰まらせて死ぬのか……小さな闇が見えた時、ヤンの目にコーヒーの入った紙コップが差し出された。慌ててそれを手に取り、一気に喉へ流し込む。コーヒーと共にサンドイッチが強制的に胃に流れ込んだことを感じると、肩を落として二度深呼吸し……不思議そうな目でこちらを見つめる少女を確認した。
「助かった。ありがとう。ミス……」
「グリーンヒル。フレデリカ=グリーンヒルです。フレデリカって呼んでください。中尉さん」
「……」
金褐色の美しい髪をした美少女に救われた気恥ずかしさから、ヤンは思わず紙コップを握りしめた。その行動にフレデリカと名乗った美少女の眉が一瞬寄ったが、それを認識するほど気持ちに余裕がなかったヤンは、思わず本音を漏らした。
「コーヒーは嫌いだから、紅茶にしてくれた方が良かった……」
「……」
「え、あ、ごめんごめん。助けてくれたのに失礼だった」
「いいんです。中尉さん。見てましたけど本当に忙しそうですもの。一生懸命お仕事されてるのはわかってますから。でも食事はゆっくり、ちゃんととってくださいね?」
「ありがとう。ミス=グリーンヒル」
「フレデリカ、です。また時間があったら持ってきてあげますね。中尉さんはアイスとホット、どっちがいいですか?」
「……ホットで」
ヤンは小鳥のように手を振って去っていくフレデリカの姿に、自分はそうじゃないと言い聞かせつつ、何となく背筋が寒くなるような感じを覚えた。彼女の命運も、自分の手の内にあるという恐ろしさを。それゆえに確認しなくてはならないことをヤンははっきりと認識できた。リンチ司令官とはそれほど長い付き合いでもなく、それほど親しい上官でもない。司令官と一幕僚。ただそれだけの関係ゆえに、リンチ司令官がどういう気持ちなのか。直接聞く以外に方法はないだろう。幸い理由はある。
脱出計画の概要をまとめ司令部に出頭したヤンは、忙しく動き回る司令部要員と、司令室の片隅に頭を寄せ合って話し合っているリンチ司令官以下の幕僚の姿を見た。スクリーンには数少ない偵察衛星や哨戒艦からの情報が映し出されている。確認されている帝国艦隊は四〇〇〇隻に達しているようだった。
「司令官閣下。民間人の脱出計画ができたので、ご覧いただきたいのですが?」
ヤンの報告に、幕僚の一人が視線を向ける。その動きによって気が付いたのか、リンチは首を廻してヤンを見た。
「何の用だ?」
「行政府より依頼されていた脱出計画ができましたので、ご覧いただきたいのですが?」
「わかった。後で目を通す。デスクにおいて置け」
リンチは何も置いていないデスクを指差す。興味がない、というより端から司令官の頭に民間人の脱出計画は入っていない。そう感じ取ったヤンはデスクの上に計画書を置いてリンチの背中に向けて敬礼する。答礼はもちろんない。だがヤンが振り返って司令室を出ようとした時、その背中からリンチが声をかけた。再びヤンが振り返ると、リンチは視線をヤンに向けることなく続けた。
「ヤン中尉。民間人は全員船に乗れるんだな?」
「はい、閣下。一人残らず」
「よし。ご苦労だった。ハイネセンまでの民間船の指揮も引き続き貴官に任せる。うまくやれ」
そういうと再びリンチは幕僚達と話し合いを続ける。もうないな、と判断したヤンは司令室を後にし、宇宙港に作った会議室へと戻った。
間違いなく、とまでは言い切れない。だが司令官の頭には脱出船団を護衛するつもりが毛頭ない、というのは理解できた。民間船団を逃がすために戦うか、それとも民間船団を囮にして自身が逃亡するか。それともただひたすら保身のために逃げ出すか。自由惑星同盟軍創設以来の輝かしい歴史の中にも、民間人を犠牲にした汚点がないわけではない。逃がすために戦うなら、脱出計画の発動時刻を問い質すなり指示するはずだ。ということは。
「最悪に近いが、最悪ではない」
ヤンは独白すると決断せざるを得なかった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
閑話2 エル・ファシルにて その2
前書き
前回の続きになります。
ヤン視点というのはJr視点とは全く違うので、相当悩みました。
宇宙暦七八八年八月 エル・ファシル星域 エル・ファシル星系
脱出計画について、実行する手段についてのめどは完全に立っている。必要なのは適切な脱出のタイミングだけだ。ヤンは一睡もせず民間宇宙港の小会議室でじっとある報告を待っていた。それが届いたのは夜が明けてすぐのことだった。
「間違いありません。昨夜から夜明け前にかけて補給廠より軍用宇宙港の貨物ターミナルへ、大規模に物資が移動しています」
警部補の階級章を付けた治安警察官の一人がヤンに耳打ちした。
「仰られた際にはまさかとは思いました。やはり軍司令部は我々を見捨てるようですね」
「私もいちおう、その軍司令部の一人なんだけどねぇ」
憤る警察官の言葉に、ヤンは頭を掻きながら応じた。どう答えていいかわからないといった表情の警察官をよそに、ヤンの頭の中はフル回転している。
軍司令部が民間人を見捨てると決めたのは間違いない。だが三五〇隻全てが一丸となって行動するか、それとも分散して逃げ出すか。それによって話は変わる。
脱出作戦の骨子は、護衛を放棄した艦隊を囮にして、太陽風に乗りレーダー透過装置を作動させず、隕石群を装って悠々と逃げ出すことだ。一丸となって逃げるのであれば、それに対して惑星を挟んで反対側から脱出すればいい。だが蜘蛛の子を散らすように逃げ出した場合はどうするか。不用意に帝国軍の索敵範囲の拡大を招き、船団への接近を許すことになりはしないか。
ヤンは警察官に軍司令部が脱出した場合は、民間人がパニックにならないよう、各船へ民間人乗船の誘導準備を整えることを指示して、一人管制塔へとむかった。管制塔では民間宇宙港の施設要員と管制官が缶詰になって準備を進めている。管制は惑星周辺の運航も含まれるので、軍の索敵設備を介せず、狭いとはいえ周辺宙域の状況把握が可能だ。
「軍艦の配備状況を教えてくれ」
ヤンからそう頼まれた管制官は、この糞忙しいと時に余計な仕事を増やした若造を怒鳴ろうと思ったが、いつになく真剣な表情のヤンの顔を見て、幾つかのレーダー情報をリンクさせ、簡単なホログラフを作り上げた。まだ識別装置が作動している状況なので、どこにどの艦がいるかはっきりとわかる。集団は九個。一番大きな集団は五〇隻程度で、その中心に戦艦グメイヤが確認できる。他の八つの集団には戦艦は配備されず、数も三〇隻前後。全体を見ればグメイヤのいる集団を中心とした球形陣にちかい。
「なるほど」
昨晩司令部で見た限り、帝国軍の布陣はこの惑星を目標としつつも、基本的には鶴翼の陣形をしていた。四〇〇〇隻とは実に微妙な数で、一惑星への攻撃戦力としては充分だが、惑星全体を覆いつくすような包囲を施せるほどの数ではない。後の先、というだろうか。同盟軍の動きに応じて戦力を運用するつもりだ。帝国軍の指揮官が誰だかはわからないが、極めて常識的な戦理に則っている。
それに対しリンチ司令が指示した陣形は集団毎の分散逃亡を企図しているのだろう。ある一定の距離までは集団で行動し、帝国軍に捕捉された時点で打ち上げ花火のように集団を分散させ、帝国軍の包囲網を機動力で食い破ろうという作戦だ。
作戦としては悪くない。四〇〇〇隻の帝国艦隊が分散した同盟艦隊を各個撃破するにしても、全てを捕捉・撃滅するのは難しいだろう。ヤンの直観では二つないし三つの集団は安全な後方へと逃げ切れる。戦艦や重装艦とそれ以外の艦艇が別集団というのも、移動速度を考慮に入れた判断だろう。そしてレーダー透過装置もなければ船速も不揃いな民間船舶は、この作戦の足を引っ張る最も邪魔な存在だ。
「ありがとう。よくわかった」
ヤンは管制官に礼を言うと、宇宙港のロビーへと戻る。日差しがゆっくりと差し込み、ロビーの床に腰を下ろし休んでいた人達が目を覚ます。緊張感から寝ていない人もいるが、最初の一夜が明けて狂騒はわずかなりとはいえ収まりを見せている。寝ている人を避けながらヤンは、滑走路が一望できるコーナーまで来て肩を預けた。眼下では民間人の荷物や食料物資を貨物シャトル積み込む作業が続いている。
「中尉さん」
ヤンが振り返ると、そこには両手に紙コップを持ったフレデリカ嬢が立っていた。
「ご注文通り、ホットティーです。どうぞ」
「あぁ、ありがとう。ミス・グリーンヒル」
「フレデリカでいいんですよ。中尉さん」
首をかしげる少女に、ヤンは苦笑して肩を竦めた。湯気を上げるホットティーは、宇宙港のキオスクで販売されている品ではあったが、いつもよりはるかに美味く感じられた。
「フレデリカさん、ご家族は?」
胃が温まり人心地ついたヤンは、自分の隣で同じように紅茶を飲む少女に問いかけた。明らかに生活苦とは無縁の、それでいて自己主張しない上品なジャケットとパンツルックから、ヤンはそれなりの地位にある人の家族だろうと推測してはいた。
「母の実家がここなんです。療養もかねて短期の里帰りだったんですけど」
「お母様は大丈夫なのかい?」
「ロムスキー先生がすぐに診察してくれて。今は大丈夫です。先生、中尉さんのこと褒めてらっしゃいました。危機的状況下にあるにもかかわらず民間人の医療体制を最優先で構築してくれた、若いのに頼りになる軍人さんですって」
「は、はははは……」
ロムスキー医師に特に配慮したわけではないが、結果としてフレデリカの母親を手助けしたことになり、ヤンは少し落ち着かなかった。それをごまかすようにヤンは、フレデリカに他の民間人の健康状態や食料の配給状況、心理状態などを次々と問いかけると、フレデリカも立て板に水を流すように整然としかも簡潔に応えた。ややパニック気味の行政官や、もとから軍自体に反発心のある治安警察、階級の低いヤンに対して若干反感を抱いている熟練下士官達よりも、その答えには説得力があり且つ現実的だった。
「中尉さん。恐らく民間人の皆さんは脱出計画について、いつ出発かということに一番関心を抱いていると思います」
フレデリカはヘイゼルの大きな瞳を、ヤンに向けてはっきりと言った。
「帝国軍は相当な戦力でこっちに向かってきているんですよね? 包囲されちゃうより前に脱出したほうがいいんじゃないかなと、思うんですけど」
「時期を待っているんだ。正直私にもわからないし、いつ出発するとも言い切れない」
わかってて質問するんだから、この子の肝っ玉は相当太いんだなぁ、と妙なことにヤンは感心しつつ応えた。
「だけどそう遠くないのは確かだよ」
「軍事機密なんですか?」
「うん。まぁそうだね。機密というよりは、条件が整うのを待っている。条件が整えば、すぐにでも出発するつもりなんだ」
手ごわいジャーナリストだなぁと笑みを浮かべると、フレデリカも笑顔で応える。なるほど年の少し離れた妹がいるというのは、こういう気持ちになるんだなとヤンは胸の内で理解した。だがそれもガラスを振動させるほどの爆音で一気に吹き飛んだ。ヤンのフレデリカの、そしてロビーにいる官民全ての視線が滑走路の向こうに見える軍用宇宙港の方へと視線を向けられる。そこには白い雲を引きながらまっしぐらに天空へと飛び立っていくシャトルの群れがあった。そのシャトルの胴体には、赤白青の横分割三色旗に五角形の軍章が書き込まれている。
「あれは……軍のシャトル……」
少なくない衝撃にフレデリカの声は震えていた。すぐに一人の少尉がヤンの下に駆け寄り、リンチと指揮下将兵の脱出を告げる。その声が聞こえたのか、ヤンはフレデリカの視線が自分に向けられたことを、目ではなく肌で感じ取った。予想よりも若干早いが、それだけリンチ司令官も焦っていたということだろう。ヤンはフレデリカの僅かに震える細い肩を二度叩き、自分でもできうる限りの陽気さを含めて言った。
「これで条件が整ったよ。じゃあ出発しようか、フレデリカ」
その後、血相を変えて集まってきた民間人協力者の一団に、ヤンは司令官を囮にしたことを告げ、速やかに手荷物のみ持って、割り振られた船への乗船を急がせた。その後も行政官集団や治安警察が次々とヤンを責め立てたが、それに対してもヤンは平然と対応した。それゆえか、乗船は予想よりもはるかにスムーズに進行し、六時間後には脱出船団への乗船が終了し、ヤンは旗艦に指定したサンタクルス・ライン社の七〇〇万トン級大型貨客船シースター・サファイアの艦橋に臨時の司令部を設けるに至った。船団総数七六六隻。エル・ファシル星系に投錨していた全ての民間船舶のうち、恒星間航行能力と与圧・与重力機能を有する全ての船が同行する。
「本当にレーダー透過装置を作動させなくてよいのですか?」
席をヤンに譲ったシースター・サファイアの船長が、頭の後ろで手を組みぼんやりとした表情で無人となった宇宙管制センターから送られてくる情報を眺めているヤンの傍で囁いた。サンタクルス・ライン社の辺境航路用としては最大の貨客船であるシースター・サファイアには、海賊対処用としての軽武装とレーダー透過装置が標準装備されている。
それゆえに万が一交戦となった場合ヤンはこの船を、他の船を逃がす時間を稼ぐ盾として使うつもりであった。その為に旗艦にしたわけだが、船長としてはせっかくの装備を使わずにいるのが不満のようだった。
「大丈夫ですよ。敵の目は司令官閣下の部隊に集中しています。レーダー透過装置を作動させてしまうと、この近くに潜んでいる帝国軍の哨戒艦に逆探知される可能性が極めて高いです」
「しかしこの船は私が言うのもなんですがかなり大きく、二万三〇〇〇人もの乗客が乗船されています。発見されてしまっては……」
他の船にはそういった装備はない。発見された時に自分達だけ作動させていれば、他の船を犠牲にしても逃げられるのではないか。船長の内心を読み取ったヤンは心底呆れ果てたが、人間の本性は動物である以上自己保身であり、自己犠牲ではないのだと自らに言い聞かせて、努めて冷静に応えた。
「どんなに偽装を凝らしても、いずれ帝国軍には発見されるでしょう。ですがその時にレーダー透過装置を稼働させては、自らが人工物であると主張してしまうことになります」
「はぁ……そういうものですか……」
「生き残るためです。その為に透過装置は作動させない。船長申し訳ないですが、部下の皆さんにもそれを徹底させてください」
「了解しました」
不承不承の体で敬礼する船長に、ヤンは小さく答礼した後、再び管制センターからの情報を見つめた。最大出力でレーダー透過装置を作動させている駐留艦隊は一時間前に出港しており、僅かにパッシブで確認できる進行方向もエルゴン星域管区への最短コースを取っているように見える。包囲網が完成される前に振り切ってしまおうというものだろう。跳躍可能な星系外縁部に到達すれば、逃げ切れる可能性は充分ある。
だがあまりにも直線的すぎる動きは、帝国軍の哨戒艦の注意をひくに十分だし、帝国軍が逃走阻止のために配置を変更するのも難しくないだろう。透過装置への過信とその利用に対する固定概念は帝国も同盟も関係ない。思い出せば、同期の首席に戦略シミュレーションで勝ち続けられたのも、彼の先入観を操作できたからではないか。最初の一勝は正面決戦に固執させ、次に補給線を必要以上に意識させ、そして自分と対戦するに際して受動的な心理状態へと追い込んだ。今回のような脱出作戦は二度とやりたくはないが、士官学校時代の経験と訓練は、充分に教訓として有効だった。
帝国の哨戒艦が同盟艦隊の移動を確認するのに一時間。その進行方向に対して兵力を移動する位置の指示を出し、陣形を崩して移動態勢に入るのに三〇分。艦隊同士がそれぞれの艦の持つ索敵範囲に相互を確認するようになるまでは約六時間。帝国軍の指揮官がよくいる艦隊決戦主義者であれば言うことはない。ヤンは決断した。
「出航しましょう。各船に航法コンピューターのシナリオC九回路を開くよう指示を。惑星エル・ファシル重力圏を出てからは、変針宙点まで各船航法測距以外での通信・発振を禁止」
命令はシースター・サファイアより脱出船全てに伝達され、船団は軍艦と比べてはるかにゆっくりとした速度で惑星エル・ファシルの衛星軌道上から移動を開始する。衛星軌道からまずは内惑星軌道へ、事前に天文台のデータで確認した周期運動する短周期彗星の軌道に乗って一路恒星へ向かう。そこで非周期彗星の軌道に変針後、最大船団速度まで加速した上での恒星を利用した加速スイングバイで、一気に外惑星軌道から跳躍可能な外縁部へといっさんに軌道上を突き進んだ。
船団は帝国軍の哨戒網に一度ならず引っ掛かった。だが内惑星軌道上においてはその軌道が理に則った彗星軌道であることと、レーダー透過装置など人為性を感じさせないことから自然の隕石団であると判断し、意図的に見逃した。加速スイングバイ後の外惑星軌道上では、不審に思っても既に軍艦では追跡不能なまでの速度に達しており、まず民間船が出せる速度ではないと判断して、追跡指示は撤回された。
そして外縁部に到着した脱出船団は恒星間跳躍へと移行し、若干通常から離れた航路を進み、同盟軍の安全勢力圏であるエルゴン星域へ向かうことになる。
エル・ファシル星系を出てからエルゴン星域に到達するまで、実際ヤンは何もすることがなかった。星系内に集中していた帝国艦隊の指揮官は、極めて常識的らしく星域内の他の星系に食指を伸ばすことをしなかった。恒星間跳躍航行を繰り返している状況下では、むしろ同盟領内の航路情報を有している宇宙海賊の方が危険だが、帝国軍との係争地域に好んで宇宙海賊が出てくるわけがない。
結果としてヤンは脱出成功に安堵した民間人達の掌返しに近い賞賛と歓待を受ける羽目になったが、それもヤンが迷惑そうに頭を掻くのを見たフレデリカと、その相談を受けたロムスキーら民間協力者の代表達によって下火となった。もはや決死の脱出というよりは集団移民という状況にまで雰囲気が落ち着いてしまった為、ヤンは艦橋に二四時間詰める必要もなくなり、フレデリカの入れた紅茶を飲みつつ、六時間おきに開かれる連絡会議に顔を出すだけになっていた。
むしろヤンに浴びせられる暴風雨は、エルゴン星域に脱出船団が到着してから始まった。
脱出船団がエル・ファシル星系を出発して五日と一一時間かけてエルゴン星域の境界星系であるナトゥラ星系に進入を果たした時、それを出迎えたのはU字陣を形成し砲撃態勢を整えたエルゴン星域の星間巡視隊の一つだった。帝国軍の侵攻を警戒し、外縁跳躍宙点の監視をしていた星間巡視隊が、未確認の八〇〇近い重力ひずみを確認すればその反応も無理はない。だが跳躍してきた船がすべて民間船であったことには戸惑った。あわただしく通信が交わされ、ヤンと巡視隊司令の間で情報交換がなされ、その双方に衝撃を与えた。
エルゴン星域には二日前、エル・ファシル星域駐留艦隊の一部が生還を果たしていた。数は三〇隻に満たず、そのいずれもが大なり小なり損傷を負っていた。エル・ファシル星系内で捕捉された駐留艦隊三五〇隻は、ほぼ全軍で待ち構えていた帝国軍の半包囲下に置かれ、分散離脱を試みほとんどで失敗した。
帝国軍の指揮官はリンチが脱出を企図していること、それが分散離脱であることを完全に把握しており、艦隊を一〇〇〇隻の主力部隊と三〇〇隻程度の小集団に編成し、分散離脱を仕掛けたタイミングで各個撃破と広範追撃戦を展開した。兵力の絶対数において一〇倍であるので、分散離脱は自然と逃散と変化し、各艦はそれぞれに生存の道を探らざるを得なくなった。
そうやって生還した艦の乗組員から民間脱出船団が惑星エル・ファシルからの脱出に「失敗」したこと、民間人の脱出は絶望的であることを告げられ、それから二日間軍艦以外の船がエル・ファシル星域から来なかったことから事実であると判断していた。脱出船団を指揮していたのが二一歳のうだつの上がらない中尉であることも事実を補強する理由として十分だった。
だが実際は脱出船団に一隻の脱落もなく、健康を悪くしていた高齢者数名が関連死した以外、死者を出すことなく無事に民間人の脱出は成功した。これから想定されるのは「保護すべき民間人を見捨てて軍隊が後方へ逃走した」という現実だった。報告は星間巡視隊からエルゴン星域軍管区司令部、そして統合作戦本部へともたらされ、軍首脳部はその不名誉極まる汚名を雪ぐにはどうすべきか頭を悩ませ、結果としてヤンを英雄として祭り上げる選択をしたのだった。
故にダゴン星域で勝利した第三艦隊を差し置いて、脱出船団は航路を最優先で進みハイネセンに到着。軍が総力を挙げて建設したほとんど街と言っていい仮設避難施設に民間人を上げ善据え膳で収容し、ヤンを「名誉ある同盟軍人」として持ち上げた。変則的な二階級特進、複数の名誉勲章、記者会見にインタビュー、政府や財界有力者との豪華なパーティーなど。名誉欲と虚栄心にキリの無い人間であれば天国のような、そんなものに無縁に近いヤンにとっては地獄のような二週間が続き……ヤンはとある上官の家へ夕食に招かれた。
「本当によくやってくれた。君のおかげで私は家族と再会できた。感謝している」
「はぁ……どうも」
メイプルヒルにある高級軍人用の官舎の一つでヤンは、自分を招いた上官……ドワイド=グリーンヒル少将に応えた。正確にはフレデリカとその母親から招待されたわけで、グリーンヒル少将自身に招かれたわけではないのだが、メイプルヒルという住所を聞いた時点で断るべきだったと内心で深く後悔していた。軍人の名前にあまり興味なさすぎる自分が一番悪いとは分かっていたが、それより頼りになる先輩達のうち、ハイネセンにいるキャゼルヌ中佐に相談すべきだったと。
だがヤンの内心を知ってか知らずか、グリーンヒルはいたって上機嫌だった。それはそうだろうなと、ヤンは察する。自分が出征している間、妻子が身を寄せていた故郷に帝国軍が侵攻したが、ほとんど奇跡的に脱出できた。自分の娘はその時の脱出指揮官を夕食に招待してほしいと、父親に珍しく強請るくらい良好な関係を築けている。直接ではないにしても軍人としては部下になるわけで、作り上げられた英雄とはいえこれからも私的な関係を維持できるとなれば、グリーンヒルの軍内における立場は補強されると言っていい。
それでもグリーンヒル夫人の料理は、散々味わされた高級ホテルのシェフの作品に比べ、はっきりと料理であると認識できるもので、ヤンとしては久しぶりの家庭の食事という感じで満足がいくものだった。お代わりなどすることなく一食分をじっくりと時間を掛けて平らげると、フレデリカの作ったというパンプディングをデザートに、グリーンヒルが先に切り出した。
「今回の脱出作戦。君は『司令官を囮にした』と公言しているが、これはどうしてだね?」
フレデリカが淹れた紅茶を片手に、グリーンヒルはヤンの目を見ながら言った。
「リンチ少将が君や民間人を見捨てて脱出したのは紛れもない事実だ。その不愉快な行動を利用したのも事実とはいえ、君が公言する必要はないのではないかな。何しろ私の妻子を含め三〇〇万人もの証人がいて、それぞれが報道や言伝でさかんに触れ回っているのだから」
「お答えします。それが事実であるからです」
グリーンヒルの言いたいことを察しつつ、ヤンは応えた。
「なにも私は犠牲なくエル・ファシルを脱出できたわけではありません。八万人近い駐留艦隊乗組員と三万人以上の後方要員を見捨てています」
「軍人が民間人を保護するために犠牲となるのは、民主主義国家の軍人として当然のことではないかね?」
「それが回避できる犠牲であるのならば、当然のことではありません」
少将を相手にこうも喧嘩を売るようなことを言ってもいいのだろうか、とヤンは思わないでもなかった。だが所詮少佐どまりの男という自他ともに認める自身の評価を考えれば、すでに少佐になっているのだからこれ以上の出世はそうそう見込めないし、望んでもいない。うまくすれば左遷され「戦史編纂室の編集員」にしてもらえるかもしれない。そう思うと自然とヤンは何となくだが元気が出てきた。しかし言われた側の衝撃は小さなものではなかった。カップをソーサーに戻し、パンプディングを二口ばかり口に運ぶと、グリーンヒルはヤンの顔をまじまじと見つめてから問うた。
「回避できる、ということは作戦によっては駐留艦隊も生還できた、ということかね?」
「ええ、まぁ」
「後学のためにぜひ教えてもらいたい。どういった作戦で駐留艦隊と民間船団双方を脱出させることができるのかね?」
「……すみません。これは小官の言い方が間違っておりました。駐留艦隊自体は犠牲になりますが、要員の生還は可能だ、という意味です」
「……駐留艦隊自体が犠牲となる、のか?」
「生還した駐留艦隊の要員の調書も取れているとは思いますが、リンチ司令官閣下の作戦は戦闘艦隊の脱出作戦としてはさほど間違っているとは思えませんでした」
それゆえに帝国軍の指揮官に行動を推測され、万全の迎撃態勢を整えることができた。帝国軍の最終目的はエル・ファシルの占領であろうが、その前に自軍の一〇分の一とはいえ駐留艦隊が出撃あるいは逃走するのを見逃すとは思えない。であれば、航続距離の長い戦艦と巡航艦の一〇隻ばかりを切り札として船団に同航させ、残り全てに幾つかの戦闘プログラムを事前に組んで無人で帝国軍に送り出せばよい。幸いというか、あらんかぎり掻き集めた故に船腹には余裕があった。三〇〇万人が三一一万人になっても問題はなかった。
「幕僚の一人として、リンチ司令官閣下にこの作戦を提案するべきでした。いくら民間人の脱出計画に傾注していたとはいえ、意見を出せなかったことは、自分が幕僚として問題であったと思います」
「そうか……いや貴官の言う通りかもしれないな……」
そういうとグリーンヒルはしばらく目を瞑った。
「実を言うと司令官のリンチ少将は私の知人でね……確かに細かいところに目が利くようなタイプではないが、勇敢で活力に富んだ指揮を執ることができる指揮官だったはずだ。それがなんで……」
「……」
「つまらない愚痴を言ったな……いや、ヤン少佐。今日は家族の我儘に付き合っていただいてありがとう」
手を伸ばすグリーンヒルの手を取り、ヤンは無言で握手した。家族としての感謝なのか、それとも別の意味が込められているのか。ヤンは正直判断しかねないまま、グリーンヒル夫人やフレデリカの見送りを受けて、グリーンヒル邸を後にした。
グリーンヒルが気を廻して手配してくれた無人タクシーの中で、ヤンは思った。軍の不名誉を覆い隠すために作られた英雄となり、どこに行くにもサイン攻め。品性の欠片もないイエロージャーナリズムと、聞いたこともない親族の出現。面倒なことこの上ない。英雄とはなんと因果な商売だろうか。せめてもの救いは、人を殺してではなく、人を救ったことが理由で得たものだから。
「しょせん英雄なんてどこにでもいるものさ。歯医者の治療台にはいない程度のものだろう」
ヤンはそう呟くとリクライニングを倒し、少佐となって引越しを余儀なくされた、広大で荷物の少ない官舎までの短い眠りにつくのだった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第48話 帰還
前書き
これでマーロヴィア編は終了になります。
次更新は一週間後で考えておりますが、執筆速度によっては大きく延びる可能性があります。
宇宙歴七八八年一一月 マーロヴィア星域メスラム星系
ひと段落。という表現が正しいのかはわからないが、「マーロヴィアの草刈り」における軍の戦場と後方での処理はほぼ終了した。
もはやルーチンワークと化した機雷処理事業と、経済産業庁主導の捕虜を活用した惑星メスラムの農鉱業セクター事業は、主にパルッキ女史の奮闘を持って順調に進んでいた。なにしろ世の中の関心はその九九%がエル・ファシルの英雄へと向けられており、ド辺境で細々と行っている軍官民三者による捕虜や収容者を使った共同事業など、当然見向きもされるものではなかったが、逆にそれが功を奏したといえる。
翻って経済産業庁以外のマーロヴィア行政府の混乱は尋常ではなかった。治安維持組織のトップが海賊と繋がっていた事実は、それ以前まで憶測にすぎなかったことが現実となっただけに過ぎないのだが、重い腰を上げた中央検察庁が特捜班一個中隊をわざわざ送り込み、行政府とその追認機関に過ぎない立法府の洗い上げを始めたからだ。これには当然のように軍管区憲兵隊が協力することになり、また当然のごとく爺様はその連絡官として俺を指名した。作戦が終わったにもかかわらず、忙しい日常は変わらない。
軍管区の戦力再整備は爺様とモンシャルマン大佐が進めていた。艦艇の補充はいっこうに進まないが、護衛船団方式の継続と作戦成功による航路の治安回復によって、そのシフトに余裕を持たせられるようになってきた。余裕があればそれを見逃す爺様ではない。カールセン中佐をはじめとした『偽ブラックバート』特務小戦隊を今度は教導部隊として、艦艇に対する再教育を担わせるようにした。中佐達はさんざん俺が痛めつけてきた鬱憤を晴らすかのように鍛えなおしているらしく、俺はしょっちゅう中佐に捕まり、猛獣の如き視線を浴びせられつつ成績評価を手伝わされている。
その中佐が捕らえたブラックバートの首領であるロバート=バーソンズ元准将は未だマーロヴィアの営倉に閉じ込められている。八〇代という年齢を考えて塩水マットレスベッドや家具類も用意された。実際のところはカールセン中佐に頼まれて俺が代理購入して差し入れしたものばかりなのだが、バーソンズ元准将はなぜか俺に恩義を感じたらしく、時折俺を小一時間拘束しては色々なことを教えてくれる。少数艦による奇襲戦のパターン、長期宇宙滞在における将兵のリラクゼーション方法、異常天体の戦術利用法などなど。任官したての頃、世話になった査閲部の日常が戻ってきたように思えた。
そんなこんなであっという間に二ヶ月が過ぎ、原作通りヤンが俺より早く少佐になって、エコニアの捕虜収容所で暴動があったという話がマーロヴィアに流れ着いたころ、軍管区司令部にハイネセンへの召喚命令が届いたのだった。
「悪いことをしておったのはジュニアとバグダッシュ大尉だけなんじゃが、司令部全員宛で召喚命令が来るとは思わなんだ」
爺様は相変わらず辛辣な皮肉っぽい冗談を舌に乗せて俺に飛ばしてくる。
「じゃが命令は命令じゃ。新司令部は来年の一月には発足させたいということで、仕事と並行して引継ぎの用意をせねばならん」
今は一一月で、ハイネセンからマーロヴィアまで一月以上はかかるから、早めに連絡してきたというのはわかる。だが今の司令部が編成されたのは一年と二ヵ月前。予定より早く「草刈り」は終わったが、「種蒔き」は始まったばかりだ。帝国軍によって司令部が壊滅したとか、特にひっ迫した外的要因がない限り、管区司令部は短くても二年の任期がある。司令官に任免権のある幕僚はその範疇ではないが、司令官である爺様までハイネセンに呼び戻されるのは、人事考課に関わった話であるとしか思えない。
爺様の言う通り「悪いこと」をしたと判断するのはあくまで統合作戦本部と国防委員会の人事考課部なので、「草刈り」作戦指揮官の最終責任者は爺様である以上、作戦が成功に終わったとしても問題があると判断されれば、当然ながら処罰される。
そういうことなのか、と何も言わず視線だけで爺様を見ると、意外とさばさばしている。
「予定より二年と半年早く帰れるわけじゃからな。女房孝行ができそうで何よりじゃわい」
「しかし、作戦自体に問題があったとすれば……」
「ジュニア。気にせんでいい。仮にそうだとしても作戦案にサインしたのは儂なんじゃからな」
年季の入った手で爺様は俺の肩を二度ばかり叩いた。軍歴四三年で鍛え上げられた爺様の剛直な精神が、掌を超えて俺に流れ込んできたような気がした。こういう器量を俺は爺様の歳になるまでに獲得できるかどうか。二度目の人生なのに、失敗ばかりしている俺としては些か自信がなかった。
とにかくどんな形であれマーロヴィアを去らなくてはならないとなれば、事業の補強と後始末を急がねばならない。作戦報告書の取り纏めだけでなく、小惑星帯に残る機雷処理のマニュアル、海賊捕虜名簿の再チェック、作戦後残余となった艦艇・物資のリスト作成など。だいたいコクラン大尉が主体となって、俺とバグダッシュが協力して残務処理を行うことになった。
一二月を迎え、新任の軍管区司令官であるリバモア准将と幕僚達が次々とマーロヴィア星域メスラム星系へと着任してきた。いずれの顔にも不満の文字が浮かんでいる。年齢から推測して一〇年後に統合作戦本部の要職である人事部長にまでなるエリート軍官僚にしてみれば、中央を遠く離れたド辺境での勤務などしたくもないだろう。そしてこの人事も恐らくは某氏の差し金であろうとは推測できる。一体どうして某氏にそこまで関与できる権限があるというのか。
そして業務引継ぎと言ってもリバモア准将には次席幕僚という名の無駄飯ぐらいはいなかったので、俺はファイフェルと交代で爺様の補佐と、モンシャルマン大佐の代理として後継参謀長に共同事業の引継ぎを行い、司令部が引継ぎで顔を出せない部署に挨拶をして回った。
「そう、ハイネセンに戻るのね」
トルリアーニ逮捕の頃に比べ、中央から何故か続々とノンキャリ官僚が送られてきて、ずっと血色がよくなったパルッキ女史は、初めて会った時のように長い足を組んでソファに座って俺を迎えた。
「昨日よりは今日、今日よりは明日、この星域が経済成長しているのは実感できている。まずは良しとすべきでしょう」
「旧司令部としては行政府、特に経済産業庁の皆様にご協力いただいき、大変感謝しております。司令部は全面的に変わりますが、今後ともご協力のほどよろしくお願いいたします」
「経済産業庁としてはとにかく駐留戦力を増強してほしいとは思っているけど、あなたの無謀無茶極まる掃討作戦で海賊が一掃されたことには感謝しているのよ」
「そう言っていただけると、心理的に助かります」
賄賂というわけではないが、フェザーンから大事に持ってきた帝国産ウィスキーのミニチュアボトルを机の上に置くと、女史は「確かにボトルとは言ったけど……」と細い指を額に当ててぼやくと、組んでいた足をほどいて俺の顔をじっと見つめてから言った。
「軍人であるあなたに聞くのはおかしいとは思うけど、これからマーロヴィア星域が経済発展をしていく上で、次のステップアップになる産業は何だと思う?」
「即効性を求めるなら軍事産業でしょう。安い人件費というのは労働集約産業としては大きな魅力です。ですがそういうお答えを望んではいらっしゃらない」
「あなたも分かって言ってるのでしょう? 分野が広いとはいえ単一行政組織を下地にした経済は強靭性を著しく損ねるものよ」
「ええ。ですので軍事関連施設で製造可能な民間からも必要とされる物資・製品に絞ればよいかと。宇宙船舶の整備・部品の製造や船舶自体の建造。あとは長期保存食糧製造からはじめて最終的には人造蛋白製造プラントのような大規模プラントの製造でしょう」
俺の回答に、女史の視線はより細く鋭くなる。軍事産業の誘致は確かに大きな魅力で、今後も『大いに』需要が見込める。初期投資も第三セクター方式で軍が補助するので一から始めるよりは楽と言えば楽だ。しかし、宇宙船ドック自体の建造には莫大な投資以上に付随する専門性の高い重工業が必要となる。人造食料プラントなどは知識と技術と労力と資材の最大集約製品と言っていい。そしてそのいずれもが今のマーロヴィアにはない。そんなことは俺も女史もわかっている。
「あくまでも農鉱産資源に立地せよと?」
数秒の沈黙の後に女史は応え、俺は頷いた。
「経済発展は伸展の余地の大きさに担保されると小官は考えております。マーロヴィアは中央航路から離れておりますが、それは同時に帝国軍の脅威からも遠く離れているとも言えます」
「海賊さえ対処できれば、十分安全圏というわけね。」
「マーロヴィア星域はまだ先に多くの未開拓宙域があります。一〇〇年前、辺境開拓重要拠点に指定されて以降、まったく開発されていません」
「先立つモノがなかったでしょう。今の一番の問題は人口で……そういうこと」
「強制は無理でしょうが、食料と産業の芽があれば移住してもいいと思う物好きが、一%くらいいるんじゃないかと思います」
「約三万人、ね。現在の食料生産能力から考えればもう少し余裕があるわ」
あとはしっかりと海賊の発生を阻止すること。除草剤を蒔くレベルで掃討したつもりだから、リバモア准将がよほどのヘマをしない限り、一年程度は治安に余裕がある。それに綱紀粛正が行われた治安組織も失点を取り戻すために躍起になるだろう。文明の発展を陰から支えてきた『役人』というプロフェッショナルの意地とプライドを見せてもらいたい。言外の視線に納得した表情を浮かべた女史は、ソファから立ち上がり俺に手を差し伸べた。俺も立ち上がってその細い手を握りしめる。
「あなた方のマーロヴィアに対する絶大な献身に敬意を」
「ありがとうございます。長官閣下にはこれからもご苦労が絶えないと思いますが、どうかご壮健で」
「これでもキャリア官僚の端くれ。失敗と労苦は、成功への礎だと学んでいるつもりよ」
「ちなみに、どんな失敗をされたんです? ハイネセンで」
「……胸と服の隙間に手を突っ込んだ上司を後ろ回し蹴りで壁に叩きつけただけよ。腰骨折るくらいにねっ!」
そういうと女史は俺の手を潰さんばかりに握りしめるのだった。
◆
宇宙歴七八九年の新年は、タッシリ星域パラス星系で爺様達と一緒に迎えることになった。ヤンがエコニアからハイネセンに戻る際、二〇日以上かかったのと同じエラーに巻き込まれたわけで、こればっかりはしょうがない。
それからロフォーテン星域でかろうじてハイネセン行きの軍事直行便を確保し、ハイネセンに到着したのは一月一四日のことだった。爺様、モンシャルマン大佐、バグダッシュとコクラン大尉、それにファイフェルと全員一緒で統合作戦本部防衛部へ帰任の挨拶をしたのだが、バグダッシュとコクラン大尉は帰任の報告もそこそこに情報部と後方支援本部へ、爺様は宇宙艦隊司令部へと案内されていった。俺を含めた残りの三人には待命が指示され、手持無沙汰になった俺達は統合作戦本部四五階にあるカフェのBOX席を一つ占拠して、数日後を目途に爺様やバグダッシュ達のスケジュールを確認の上、慰労会を開こうということを決めた。
「バグダッシュ大尉とコクラン大尉は「重要レンタル品」だからな、本店も早く返却してほしかったのはわかる。問題はビュコック司令の方だ」
残念ながら栗毛の三つ編みではなかったが、同じくらい若い女性の給仕が持ってきたコーヒーにクリームを入れ慎重にかき回すモンシャルマン大佐は、俺とファイフェルだけに聞こえるような低く小さい声でそう言った。
「人事異動の季節だから仕方ないが、前任が防衛司令官なのに待命期間もなく宇宙艦隊司令部に急ぎ呼ばれるというのはあまりいい傾向ではない」
「ですが査問とか、そういうわけではないのでしょう?」
ファイフェルの質問にモンシャルマン大佐は小さく頷いたが、その顔色はさえない。
「罰するというわけではない。これは私の勝手な推測ではあるがビュコック司令は独立部隊の指揮官に任命されると思う」
「准将で独立部隊となると、一〇〇〇隻以下。恐らく六〇〇ないし七〇〇隻前後の機動集団というところでしょうか?」
俺が査閲部時代の記憶を基に応えると、大佐も先程と同じように小さく頷く。
「で、あれば問題というわけではないとは思いませんが?」
「……ボロディン大尉らしくないな。この時期に独立機動集団を新編成するとしたら、その目的地はどこになる?」
「あぁ……なるほど」
「もしかしてエル・ファシル星域への即時投入なんですか?」
「そうだ。ファイフェル中尉。そしてだ、ビュコック司令が機動集団の指揮官になられた場合、その幕僚は?」
「まさか私達なんですか?」
ハイネセンに戻ると分かってからというもの、顔色が飛躍的に良くなっていたファイフェルの声は完全に震えている。士官学校を卒業してすぐにマーロヴィアというド辺境、そして短期で頑固で皮肉屋で癖の強い上司という罰ゲームに近い赴任先からようやく逃れたというのにまたなのかという絶望感……原作を知る俺としてはスーパー勝ち組だと思うし、ファイフェルにとってはかなり理想の上司ではないかと俺は思うのだが。
「ビュコック司令と私は結構長い付き合いでね。あの方は上司として硬軟織り交ぜて人の能力を存分に引き出し活用することができる人だ。バグダッシュ・コクラン両大尉は専門分野におけるプロフェッショナルだが、ボロディン大尉もファイフェル中尉も、私が過去知っている司令の補佐役の中では最上位の部類。自分が部隊指揮官になった時、二人が待命状態であれば扱き……いや活躍できる場を作ろうと考えるだろう」
大佐の舌が本音を滑らせたのは間違いない。ビュコックの爺様もめんどくさがり屋ではないだろうが、自分の権威が人事部にどれだけ通用するかということはわかっているだろうし、直近で能力を把握している部下を継続して確保したいのは、上官としては当然のことだ。
「人事部から横やりがなければ参謀長は私か、あるいはオスマンという大佐だろうと思う。そういうわけで、二人にはなるべくハイネセンから離れないでおいてもらいたい。あのお方が短気なのは、十分マーロヴィアで学んだと思うがね」
「「了解しました。モンシャルマン大佐」」
俺とファイフェルは席から立ち上がり、大佐に敬礼すると大佐も完璧な答礼してから、俺達に背を向けてカフェの出口へと向かっていった。
恐らくその独立部隊は功績を上げて順次拡大され、将来の第五艦隊の基幹部隊となる。いよいよ俺も本格的に帝国軍と血で血を洗う戦場へでることになるのだ。空港でこっそり同送名簿を確認した時、同期四五三六名のうち、三二五名の名前が赤字に変わっていた。俺が三二六番目になるとも限らない。二期下のファイフェルはどう思っているのだろう。俺がファイフェルの方へ顔を向けると、ファイフェルの方も同じように俺を見ていた。
「……今の大佐の様子ですと、またご一緒できそうですね。よろしくお願いします」
「あぁ、話の分かる後輩がいるというのは、結構やりやすくていい」
「老人介護どころかこちらがカウンセリングしてもらいたいくらい元気な司令官ですから困ったものです」
「俺の口止め料は些か値が張るぞ」
俺はそう言うと、ファイフェルの右手をきつくシバキ上げるのだった。
統合作戦本部地下の駅で右手をブラつかせながら左手で荷物を引きずるファイフェルと別れ、俺は地下高速リニアを一回乗り継ぎ、最寄駅から約一キロの街路を進んだ。地球時代と変わらない欅が道の両側に植えられ、落葉してはいるが大きく枝を伸ばしたその姿は圧倒的だった。少将以上の高級軍人の家族が住む『ゴールデンブリッジ』街一二番地。俺はフェザーン出立以来二年半ぶりに戻ってきた。
社会システムが健全に作動しているというべきか、それとも高級軍人には特別な配慮が与えられるのか、どちらかはわからないが、街路にはゴミが一つも落ちてはおらず、消火栓には錆一つない。そんな冬の夕焼けに長く影を伸ばしている街灯の根元に、アントニナは立っていた。
フェザーンに出立する前には肩口までしかなかったストレートの金髪は腰よりも下まで伸び、顔を構成する部位からは幼さが駆逐されている。グレゴリー叔父そっくりの温和なようで切れ味のある鋭い眼差し、レーナ叔母さん譲りの女性としては平均より高い身長。ダウンジャケットの上からでもわかるメリハリの付いた上半身に、ぴっちりとしたジーンズに包まれた引き締まった長い足は一五歳のものとは思えない。
「兄ちゃん。お帰り」
「あぁ、ただいまアントニナ。もしかしてずっと待っててくれたのか?」
「まさか。キャゼルヌ中佐から一時間前にヴィジホンで連絡があったんだよ。統合作戦本部で捕まえようとしたのにいつの間にかいなくなってたって。もしかしたら女連れかもしれないから気を付けろとか言ってた」
「あの野郎……」
「そんな器用な真似ができるなら、マーロヴィアに左遷されるようなヘマはしません、て、僕が答えたら中佐爆笑してたよ」
若作りの要塞事務監が、俺を指差して腹を抱えて笑う姿が脳裏をよぎり、思わずF語が口に出る。それを見てアントニナは、わざとらしく眉をしかめつつも頬を緩ませ、俺から若干距離を取った。
「フェザーンで振られたからって心が荒んじゃった兄ちゃんのそんな姿は見たくなかったなぁ~」
「振られたわけじゃない! ていうか、なんでそんな話までアントニナが知っているんだ?」
「シトレの叔父さんが教えてくれた」
「……」
「ムチャクチャ怒ってたよ。少し白くなってきた頭から湯気が出そうだった」
いつの間にか俺の手からトランクをもぎ取り、家に向かって押し始めたアントニナが、僅かに顔を傾け、すっかり大人びた女性の流し目で俺を見た。
「言っておくけど、母さんも僕もイロナもムチャクチャ怒ってるんだからね。そこのところはき違えないように」
「あぁ、分かってる。心配かけたな」
そういうといつものように俺は、トランクを挟んでアントニナの頭の上を掻きむしってやった。そこで右肘の高さがいつの間にか胸の位置になったことに気が付いて、俺はようやく家族の元に戻ってきたと認識することができたのだった。
後書き
2020.05.22 事前入稿
第49話 オルタンス邸
前書き
ほんの少しだけですが、減速運転で進めていきます。
オルタンス邸で1話使うとは。
宇宙歴七八九年一月一八日 ハイネセン星域 ハイネセンポリス イリジウム四番街区
軍人になって初めて受ける待命指示というのは、それまで月月火水木金金だったのもあってかなんとなく手持無沙汰な感じがして、正直あまり気分がよくない。
長期休暇であれば給与は全額保証され、勤務地(今の俺はハイネセンになる)から旅程三日の距離であれば、人事部に申告せずともよく、それ以上の距離でも申請して承認されれば旅行に行っても構わない。短期休暇の場合は勤務地に一日内、公定休日(週一)の場合は半日内の旅行が許可される。
しかし待命指示というのはいつでも命令を受けたら速やかに出頭することが義務とされるもの。しかも給与は八割支給という存外ケチ。そして待命が二年に及んだ場合は自動的に予備役編入となる。そうそう簡単には働かなくても食っていけるというご身分になることはできない。
モンシャルマン大佐の言う通りなら直ぐにでも爺様からの呼び出しがあるものと思っていたが、どうやらそうでもなく俺は三日ほど暇を持て余し、結局グレゴリー叔父の家に居候して、妹達の面倒を見ることになった。キャゼルヌから自身の官舎に夕刻呼び出しを受けたのは、実にそんな微妙なタイミングだった。
軍服に着替えデパートに立ち寄った後、指定された住所を無人タクシーに入力して乗り込むこと二〇分で到着。意外と近いのは統合作戦本部勤務中級幹部用の独立家屋型官舎だからだろう。将来を嘱望される佐官クラスの既婚者向け故に、補佐する相手(つまり将官)の傍に居を構えるのは効率的に悪いことではない。歩くと少し時間はかかるが、たしかこの近くにコナリー大佐の家もあったはずだ。
「よう。元気そうで何よりだ」
玄関のベルを鳴らして出てきたキャゼルヌは、ニヤニヤと変な笑みを浮かべながら俺と右手で握手し、左腕に抱えているブランデーの箱を見て言った。
「そういう気を廻すところは相変わらず如才ないな。六年物か?」
「五年物のカルヴァドスですよ。媚びを売るなら実力者に売りたいですからね」
「ハンッ、よく言う」
キャゼルヌはそう言うと、俺から受け取ったカルヴァドスの箱に書かれた銘柄を一瞥した後、手招きで俺を家の中に導いた。通い妻から正式な婚約者、来月にはキャゼルヌ夫人になるオルタンスさんのキャゼルヌ宅への侵略状況は極めて深刻で、フェザーンに行く前イロナとお邪魔した時(この時は独身者向けの借家だったけど)には男の家に隠れてます状態だったが、今ではもうキャゼルヌの方が『週末の異邦人』に見えるようになっていた。そしてその実力者は、以前はリビングだったが今度はダイニングで、ディナーの準備を整えていた。
「いらっしゃい、ボロディンさん。妹さんはお元気?」
「お久しぶりです。オルタンスさん。さっきまで家庭教師をしてまして。散々な目に遭いましたよ」
オルタンスさんに軽く敬礼すると、俺はテーブルの上に並べられ芳香を漂わせる料理へと視線を向ける。鶏肉とベーコンのワイン煮込みがメインで、ライスサラダにキャロットラぺ。そしてクッペが二つずつ。ボロディン家は両親の血統からロシア系とポリネシア系の料理が主体だが、オルタンスさんはフランス系のオーソドックスな洋食が得意なのかもしれない。
「ボロディン家のお料理に比べれば、まだまだかもしれませんけど」
「とんでもない。この不肖の後輩に、これほどの手料理をふるまっていただけるなんて、正直感動しております」
「そうだぞ、オルタンス。コイツはフェザーンで美女と美食に溺れて失敗して、辺境に流されたクチd……ッツ」
「まぁ! これ『クール・ド・レオパルド』じゃありませんこと。あなた、ちゃんとボロディンさんにお礼したんですの?」
「……気が利くな、不肖の後輩」
「いえいえ」
鼻で笑おうとしたキャゼルヌの背中を、カルヴァドスを抱えたオルタンスさんが小さく抓ったのを、俺は見逃さなかった。オルタンスさんが俺に気を使ってくれたこと、そして言いたいことが分かるだけに、キャゼルヌも不承不承俺に礼を言った。やはり精神性では五歳年上のキャゼルヌも二歳年上の俺も、オルタンスさんに頭が上がらない。
そしてオルタンスさん特製のコックオーヴァンは、しっかりとした煮込み具合と、とろみ付けが絶品だった。恐らく来週あたりヤンとアッテンボローがここに来て食べる雉肉のシチューの美味さが明確に予感できて、たぶんキャゼルヌがいろいろ配慮してその場にいないことが分かるだけに、残念でならなかった。
食後、ダイニングからリビングに移動し、俺とキャゼルヌにコーヒーが供され、オルタンスさんはキッチンへと引き返していった。皿を流れる水の音を確認してから、キャゼルヌは俺の方へと視線を移した。
「さっきは悪かったな」
「事実ですから仕方ありません」
俺が苦笑して肩を竦めると、キャゼルヌは罰が悪そうに小さく頭を下げ、コーヒーを一口してから、真剣な表情で俺に向き合った。
「マーロヴィアでの活躍は後方勤務本部にいる同期から聞いている。エル・ファシルの英雄騒ぎで最近ではほとんど話題になっていないが、査閲部と法務部と憲兵隊の連中が色めき立っているらしい」
「法務部ですか。厄介ですね」
法務部から今後襲い掛かってくるであろう注文内容に思いをはせていると、キャゼルヌは首をかしげて俺を見て言った。
「査閲部の方が厄介じゃないのか?」
「私の初任地は査閲部ですので、なんで色めき立っているかはだいたいわかります」
「なるほどな。ではお前さんの今後について国防委員会と宇宙艦隊司令部が喧嘩を始めたというのは知ってるか?」
国防委員会ということはトリューニヒトが関わっている可能性が高い。国防委員会は軍政、統合作戦本部は軍令、宇宙艦隊司令部は実働をそれぞれ取り仕切る組織だ。マーロヴィア以来唾を付けたがっているトリューニヒトが国防委員会参事部に引き抜こうとして、早急にエル・ファシルを取り戻すための独立機動集団を編成したい宇宙艦隊司令部および統合作戦本部戦略部とぶつかったということか。この場合、国防委員会側の大将がトリューニヒトで、宇宙艦隊司令部側の大将がシトレであるのは容易に想像がつくし、キャゼルヌに喋ったのも腹黒親父なんだろう。だが
「喧嘩をするほど、私の価値が高いとは思わないんですがね?」
「シトレ中将閣下のお気に入りであるのは誰の目にも明らかなはずだと思うが?」
「それにトリューニヒト氏が手を伸ばしてきた、ということでしょう?」
「なんだ、わかってるんじゃないか」
「問題は正面切って宇宙艦隊司令部と喧嘩するできるほど、現在のトリューニヒト氏に権力というか影響力があるのかということです」
「……なるほど、お前さんが問題にしているのはそこか」
キャゼルヌはようやく納得したという表情で、腕を組んで頷いていた。
マーロヴィアにコクラン大尉を派遣するに際し、ロックウェル少将を説得する程度ならまだわかる。物資調達の為に後方勤務本部を動かしたり、軍部と検察の間を取り持つような口利きをするのも、能動的でタフな元警察出身の、国防委員の行動としては十分理解できる。
だが軍の、それも恐らくはシトレを中心とする宇宙艦隊司令部の半分と、エル・ファシルを早期に奪回したい統合作戦本部が、タッグを組んで作ろうとしている独立機動集団の内部人事に口を挟めるほどの権力をトリューニヒトが手にしているとは思えない。二・三年後には最高評議会の閣僚の席を手に入れるだろうとはいえ。
「そうか。マーロヴィアみたいなド田舎では、奴の最近の増長ぶりというか、羽振りの良さは実感できないか」
キャゼルヌの口調はプライベートの中だから口が緩くなったのか、清々しいまでにトリューニヒトに対する軽蔑で満ちていた。
「マーロヴィアでお前さんたちがブラックバートの親玉を捕まえただろう? あれが不味かった。」
トリューニヒトの仕切る記者会見はマーロヴィアの司令部で見ていた。確かに物事の裏を知らずあれだけ見ればトリューニヒトが『主導ないし中核的なフィクサーとなって』バーゾンズ元准将を拘束した、と誤解してもおかしくはない。
「ブラックバートに煮え湯を飲まされた連中は軍民問わず山ほどいる。それこそお前さんの叔父さんも含めてな。特に星間物流企業だ。奴自身繋がりがある軍需関連と近いし、資本力と影響力は同盟でも抜きんでている。奴はその力を吸収し自分の為に利用しようとしているんだ」
「……」
「軍もマーロヴィアの治安に問題を抱えているのはわかっていて、老練なビュコック准将を送り込んだ。准将が切り開いた道を別の人材で舗装すれば、時間がかかっても治安回復は可能だと見込んでいた。早急な司令部内の綱紀粛正を見れば、軍の構想は間違いではなかったんだが……」
司令部内の汚職で空いてしまった穴を、軍は早急に埋めることができなかった。情報部のフォローもあって提出された「草刈り」作戦において、軍は奴に付け入る隙を与えてしまった。そしてブラックバートの撃滅という明らかな大戦果。治安組織の長が拘束されたということも、行政の不始末というより綱紀粛正が適切に働いたと理解され、それはあの滑らかな弁舌によってトリューニヒトの功績と誤解された。
「軍内部にも奴の尻馬に乗りたい奴が大勢いる。特に後方や支援、軍政といった、実戦部隊側から軽く見られていた分野の連中に多い。かくいう俺も後方勤務側の人間だから、連中の気持ちも分からんでもない」
「……」
「あとはエル・ファシルの一件だ。ヤンの行動はもちろん賞されるべきだが、それでも駐留軍が民間人を見捨てて逃亡したことは間違いない。実際のところ民間人の軍に対する信用度は低下している」
「民間人からの信用度は、民主国家における権力の基盤、ということですか」
「お前さんやヤンが悪いというわけではない。だが残念なことに一議員の跳梁跋扈を許すほど、軍の体面は傷がついているし、積極性と影響力は低下してしまった。それでまぁ、お前さんの今後にケチが付いたってわけだ」
軍が行動に積極的になる、というのはあまりいい傾向ではない。今回のことも、帝国との開戦以来、そしておそらくイゼルローン要塞の築城以降攻撃選択権が帝国側に握られ、対応するために組織を巨大化してきた同盟軍の、新陳代謝能力の低下が顕著になってきたということだろう。
そして事は軍部の問題だけではない。原作で同盟側登場人物の多くが危惧している、民主政治全体の活力が低下していることの証左でもある。
「それで私の待命期間が延びているわけですね」
「たぶん今回は押し切れるだろう。ビュコック司令官も少将に昇進されたし、トリューニヒトの厚顔を苦々しく思っている軍人は統合作戦本部にも宇宙艦隊司令部にも多い。なにしろエル・ファシルに恒久的軍事基地を築かれる前に対処の必要があるからな」
「それなんですが、エル・ファシルへの制式艦隊の出動は考えていないのですか?」
「数が足りないんだ」
「……そうですか」
キャゼルヌの口調が一瞬変わったのは、俺に言えないことを知っているからだろう。
現在同盟に艦艇一万三〇〇〇隻を基準とする制式艦隊は第一から第一〇までの一〇個艦隊が整備されている。今のところ欠番がないのは、ここ一・二年で艦隊が消滅するような大敗を喫したことがないおかげだ。そして現在この一〇個艦隊を、前線配備・移動・整備・休養・移動の五つのローテーションで運用している。だいたい二個艦隊でペアを組んで運用するパターンだ。
エル・ファシル星系の帝国軍支配が長期化すれば、キャゼルヌの言う通り恒久的軍事基地が建設され、帝国軍の前線はより同盟側に深く切り込んでくることになる。それは国家の安全保障としては危険な状態だ。本来なら速やかに奪回に動く必要がある。エル・ファシルを襲った帝国艦隊は約四〇〇〇隻と言われているから、前線配備の二個艦隊二万六〇〇〇隻を動かせれば、奪回はそれほど難しい話とも思えない。
敢えてビュコックを少将に昇進させ、独立機動集団を編成させて奪回に動くというのは、効率が悪いことこの上ない。第一三艦隊誕生時のような制式艦隊三個がいっぺんに壊滅してしまうような大惨事があったわけでもないのに、あえて二〇〇〇隻ないし三〇〇〇隻の部隊を新編成するのはどういう意味か。つまりは制式艦隊を複数投入せざるを得ない大規模な作戦が計画されているということ。フェザーンから帝国軍出師の噂がない以上、そんな大それた作戦が展開される目的地は一つしかない。
「ビュコック司令官以外に、エル・ファシルに投入される戦力は決まっているんですか?」
俺の質問が微妙なところに突っ込んでくるものでなかったのが意外だったのか、キャゼルヌはカップに口を付けたまま片眉を上げて俺を見つめる。
「おそらく決まっているだろう。直接は聞いていないが、複数の独立部隊が編成されるらしい」
「五つか、六つ」
「まぁ、そんなところだろうな」
基本的に独立部隊とは、宇宙艦隊司令部直属で准将を司令官とし、戦力としては一〇〇〇隻以下の小集団を指す。制式艦隊の解散や再編の為に書類上編成されるものから、耐用年数が近く損傷もあって部隊運用として困難な艦艇の終の棲家というモノまで、存在する理由も経歴も部隊によって様々だ。
エル・ファシル星系はともかく、複数の星系を傘下に収める星域全体を支配するには最低でも二万隻は必要というのが常識だ。帝国軍はエル・ファシル星系と、後方のアスターテ星域との連絡線は確保しているようだが、エル・ファシル星域全体の制圧には取り掛かっていないらしい。まだ同盟側の勢力圏内にあるエル・ファシル星域の諸星系からの強行偵察によって、約三〇〇〇隻の帝国艦隊がエル・ファシル星系に駐留していることがそれを証明している。
そうなると奪回には少なくとも五〇〇〇隻は必要と考えられる。爺様の機動集団が基軸部隊となり、幾つかの独立部隊を巻き込んで臨時の小艦隊を編成するわけになる。俺の役割は作戦参謀というよりは他の独立部隊との協調・統制に関することが主体になる、かもしれない。
俺がそこまで考えているうちに、オルタンスさんが部屋に入ってきて、俺とキャゼルヌのコーヒーを入れなおしてくれる。会話が途切れたタイミングを見計らってきてくれるとしたら、流石としか言いようがない。頭が勝手に糖分を渇望しているのか、オルタンスさんが部屋から見えなくなってから、俺の手はコーヒーシュガーへと伸びていく。
「あんまり砂糖を入れすぎると、肥満の原因になるぞ」
最初から腹の中同様、ブラックを飲み続けるキャゼルヌは、溜息をつきながら俺に言った。
「結婚するなりして、生活面を管理された方がいいかもしれんな。仕事熱心なのは知っているが、どうにも仕事関係以外の面には疎いように見える」
「来月でしたっけ、先輩の結婚式」
「話を逸らすな。真面目に聞け」
余計なおせっかいだと言っているキャゼルヌですら分かってはいるのだろうが、言う口ぶりも、顔つきも真剣だ。俺自身、自分の隙の多さについては指摘されるまでもなく理解している……つもりだ。
「お前さんにはどうにも自身の価値というモノを理解したうえで、敢えて目を逸らそうとする節があるな」
「高級軍人の息子で、士官学校首席卒業者ということですか?」
「お前。俺のことをバカにしてるのか?」
明らかにキャゼルヌの口調に危険なものが加わったので、俺は混ぜっ返すことはなく眉を寄せたキャゼルヌの顔を正面から見つめる。それでキャゼルヌは理解してくれたようで、新しいコーヒーに口を付ける。
「……そのつもりは毛頭ありませんよ」
「喧嘩を売る相手は気を付けて選べよ。保身に対する無関心さはトリューニヒトの例を挙げるまでもなく外部にいらぬ迷惑をもたらすことになる」
「まぁ、なるべき気を付けるようにします」
「その口調はヤンそっくりだな……いやヤンがお前に似ているのか」
そう言うとキャゼルヌは顔に手を当て、大きく溜息をつくのだった。
第50話 第四四九〇編成部隊
前書き
これでストックはなくなりました。
来週以降の更新はちょっと難しそうです。
宇宙歴七八九年一月二二日~ ハイネセン 宇宙艦隊司令部
キャゼルヌの新居を訪れた三日後の一月二二日。予想通り、統合作戦本部人事部第六分室への出頭を命じられ、俺は少佐への昇進と辞令を課長の一人から交付された。新たな配属先は『宇宙艦隊司令部隷下第四四九〇編成部隊司令部幕僚』である。そして既に司令官は着任し、宇宙艦隊司令部内の一室に司令部を構えているそうで……
「モテモテで結構なことじゃな、ジュニア」
マーロヴィア司令部の時よりも少しばかりグレードの上がったオフィスチェアに、爺様はドッカリと腰を下ろして俺にキツイ一撃を吹っ飛ばして来た。爺様の左には同じく昇進したモンシャルマン准将、右には残念ながら昇進しなかったファイフェルが立っている。俺がしっかりと踵をそろえて直立不動の敬礼をすると、爺様はいかにも面倒くさいといった表情で答礼する。
「政治屋どもめ。エル・ファシルを奪回しろとか、イゼルローンを攻略しろとか、言いたい放題のわりには邪魔ばかりしおる。ジュニアは骨休めできたか?」
「お陰様をもちまして。それと閣下。少将へのご昇進、おめでとうございます」
「なになに、ジュニアのおすそ分けってとこじゃ。ありがたいことに定年が三年さらに伸びてしまったわい」
「はははは……」
あっさりとイゼルローン攻略の話を暴露し皮肉をぶつける爺様に、俺は視線を動かしてモンシャルマン准将を見るとこちらは珍しく肩を竦めて苦笑していた。勿論ファイフェルの顔色はあまり良くない。
「我々は少佐の着任を待っていた。才気渙発・縦横無尽の作戦参謀がいなければ、どうにも話が進みそうになかったのでね」
「准将閣下まで……」
「閣下はよしてくれ少佐。言われると背中がかゆくなってどうにも心地が悪い。参謀長で頼む」
「承知しました」
「どうやらファイフェルも貴官の着任を、首を長くして待っていたようじゃからの。早速話を進めるとしようか」
軽い咳払いの後に爺様がそう言うと、短い返事と共にファイフェルの背筋がピンと伸び、運動信号伝達機能が壊れかけ始めた自動歩行人形のような動きで、部屋の照明を落とし、部屋の中央に設置されている三次元投影機を作動させる。動きがキビキビしているようで何となくテンポが遅いのは、俺が「不在にしていた」一週間の間に、俺に代わって資料を集めて分析などをして、相当爺様に絞られたからかもしれない。
本来副官と参謀を兼務するというのはよほど小さな組織でもない限りまずありえない。俺が三年前ケリムにいた頃、リンチの下で慣れていたというのもあるだろうが、ファイフェルにしてみればありえないと思う経験だっただろう。それが分かるだけに申し訳ないなと思うとともに、ずいぶんと爺様に期待されているんだなと感心した。ようやく調整が済んで、同盟全域とイゼルローン方面の航路図が投影されると、ファイフェルが俺をチラッと見たので、軽く頷いてやる。
「正式には二月一日を持って編成されることになる第四四九〇編成部隊は、艦艇約二四〇〇隻、兵員約二八万を規模とし、宇宙艦隊司令部より今後二週間内に機動集団としての部隊編制と戦闘序列の決定を行うようにとの命令を受けております」
部隊編制は文字通り宇宙艦隊司令部が、ビュコック爺様の指揮下に入れる為に掻き集めた幾つかの独立部隊や戦隊・小戦隊を、機動集団→独立部隊→戦隊→隊→分隊と各規模に整列させることだ。辺境警備の哨戒隊は別として、基本的には戦隊までが同一艦種で編成される。宇宙艦隊司令部から手渡されたそれぞれの部隊は規模も戦力も大抵はぐちゃぐちゃなので切った貼ったして、司令官が戦力として動かしやすいようにしなければならない。
戦闘序列は部隊編制が終わった段階で行われる隷下部隊の隷属関係を明確にすることだ。部隊指揮官が戦死した場合、次は誰が指揮権を引き継ぐかなどの取り決めも行われる。
いずれにしても司令部の戦術指揮能力と人事管理能力が問われる仕事で、ここで下手を打つと部隊としての能力を十全に発揮することができない。
そんな面倒なことは司令部ではなくどこかの部署に一括外注すればいいという発想もないわけではない。だが仮に司令部以外で編制された部隊が功績を上げた場合の功績について、あるいは敗北した時の責任の所在が不明確になる。功績処理において不確定要素が増えるのは、軍という組織の健全性を保つ上で非常に危険なことだ。だからこそ司令官には司令部の人事権がある。勿論統合作戦本部の人事部が介入することもあるが、司令官が能力において信頼できる幕僚を集め、入念に部隊編制を行えるようにしているのだ。
「部隊編制と戦闘序列が宇宙艦隊司令部の承認を受け次第、編成部隊は「第四四高速機動集団」となります。そして戦力化後一ヶ月を目途に、現在編制中の四つの独立部隊と共にエル・ファシル星系奪回に赴くことが指示されております。その中で当部隊は星系奪回作戦の基幹部隊として、他の独立部隊の最上位となります」
これはキャゼルヌ宅で予想していた通りの結果だ。四つの独立部隊と言えば約二五〇〇隻。これに地上軍や後方支援部隊が加わるから、ビュコックの爺様は『半個艦隊』を率いることになる。帝国軍の増派がない限り、約二倍の戦力比だ。原作末期の同盟では考えられないほどまともな作戦で、勝算は大いにあるといえる。
「現在、当司令部には情報・後方の参謀は配備されておりませんが、宇宙艦隊司令部より人員の充足は早急に手配すると打診されております。地上戦部隊に関しては陸戦総監部より装甲機動歩兵二個師団と大気圏内空中戦隊四個を派遣可能できると連絡を受けております。後方支援本部も工兵・通信・管制・医療の分野である程度の部隊を用意できる、とのことです」
ファイフェルがそこまで言い切ると、爺様がその後を引き継ぐ。
「そういうわけでジュニアには部隊編制をやってもらう。儂とモンシャルマンは独立部隊の指揮官達との顔合わせと戦力把握、それと宇宙艦隊司令部作戦課と統合作戦本部査閲部へ挨拶に行ってくる。五日で編成を終わらせること。戦闘序列は編成表を見て儂が決定する。ジュニアには判断資料としてモンシャルマンと同じ閲覧権限を与える。オフィスは隣の部屋じゃ。席はファイフェルが用意しておる」
「承知しました。では二八日午後に提出でよろしいでしょうか?」
「今日も入れるんじゃから、二七日の午後三時じゃ」
「……了解しました」
「一週間ズル休みしたんじゃから、それなりに働くんじゃぞ。わかったな?」
ドンと机を右拳で叩く爺様の、マーロヴィアから変わらぬブラックぶりに、心の中で苦笑せざるを得なかった。
◆
司令官公室のすぐ横にある司令部幕僚オフィスの広さは約八〇平米。そこにモンシャルマン准将と俺、それに未赴任の情報・後方参謀、ほかに四つの空席と副官のファイフェルの席がある。他に三次元投影機と小さな応接セットがあるので、前世中企業の総務オフィス(投影機があって書庫がない)を少し大きくしたような造りだ。
もっともモンシャルマン大佐は結構忙しく各所を回っているので、実際ここを使っているのは俺一人だけなのだが、広くなったとはいえ個別のオフィスを持っていたマーロヴィアの頃に比べると若干居心地が悪い。
そして俺にとっても最も居心地を悪くする要因は従卒の存在だ。仮にも二〇万将兵の司令部であるのだから、場末の不動産屋みたいに成績を上げられない若手の営業マンが、机に菓子をこぼして留守番しているような状態では流石にまずいのはわかる。宇宙艦隊司令部のタワーの中にあるオフィスとはいえ、機密と高官(笑)の巣窟である幕僚オフィスに外注のビル管理業者を易々と入れるわけにはいかない。故に各艦隊司令部には直属の従卒がいて、それら維持業務を担ってくれている。その為に幕僚オフィス内に狭いながらも従卒専用のスペースもある。必要な存在だとは分かっているが。
「コーヒーをお入れいたしましょうか、少佐殿」
なんでこの子がここにいるんだよと、出会ってから俺は何度自分に問いかけただろうか。彼女は従卒ではあるが、正式な軍人ではなく兵長待遇の軍属である。故に人事権は統合作戦本部人事部の管掌するところではあるが、この人事の意味が分からない。
「いや、紅茶にしてくれるかな。ミス・r……ブライトウェル」
「かしこまりました」
デザインは一緒だが、正式な軍人と色違いのジャケットをピシッと伸ばし、文句のつけようのない敬礼をして、踵を鳴らして回れ右で給湯室へと向かう赤毛の彼女、ジェイニー・ブライトウェル……旧姓リンチの後姿を、俺はまともに見ることができない。
ケリム星系第七一警備艦隊で副官をしていた時、ブラックバート掃討戦以前に二回、エジリ大佐逮捕後には一〇回ほどリンチ司令官の家に呼ばれて顔を合わせている。当時はまだ一一歳か一二歳で、ようやく母親と一緒に料理を作り始めたという歳だった。個人的にも妹らしきものが一人増えた(実はアントニナやフレデリカと同い年)くらいにしか思っていなかった。
リンチがトリプラ星系の偵察戦隊司令官に転属になった時、ハイネセンに戻っていった記憶がある。エル・ファシルの一件の時、彼女はどこにいたかまではわからない。だが少なくともエル・ファシルの一件で人生が五四〇°ぐらいは変わってしまったのは間違いない。星系防衛司令官のお嬢さんから民間人を見捨てた卑怯者の娘へ。大量にジャンバラヤを作って喜んでいた少女は、顔に大人ぶり以上の冷気と厭世感を漂わせた軍属に生まれかわっていた。
そんな彼女が淹れたPXで売ってる二流茶葉のダージリンを傾けつつ、俺は机に備え付けられた端末で、宇宙艦隊司令部から送られてきた二四五四隻分の艦長と艦自体のデータをざっと眺めていき、前部隊の戦歴も含めて簡単に頭の中で整理する。俺は士官学校を出てまだ四年。艦隊戦闘など経験したことのない一介の少佐にできることは、基本に則って編成を組むことだろう。爺様もそれ以上のことを望んではいるだろうが、期待はしていない。
指揮官はどのように兵力を運用するか。基準とすべきはビュコックの爺様の戦術構想だ。爺様がマーロヴィアに行く前の経歴は何度も漁ったことがある。二等兵として徴兵されて以降、艦隊規模の会戦だけで二九回参加。分隊指揮官としては数知れず、隊指揮官として五〇回、戦隊指揮官として一二回、任務部隊指揮官として五回指揮を執っている。
幸いというべきか、当然というべきか、爺様はまだ生きているのでその大半の戦闘報告書はデータとして残されている。近々は勿論任務部隊のもので、第四艦隊と第七艦隊でそれぞれ六〇〇隻程度の指揮を執っていた。五回とも艦隊規模の会戦であるので、部屋にブライトウェル嬢しかいないことをいいことに三次元投影装置でその会戦のシミュレートを見る。爺様の部隊だけ表示色を変え、その動きと戦果を指揮官からの命令と時系リンクさせてみると、なかなか面白いものが見れる。
誤解を招く言い方だが爺様は『時折上官の命令に忠実には従っていない』が『上官が望む結果を確実に得ている』。例えばあそこに行って火線を引いて敵の勢力侵犯を阻止せよ、という命令に、移動を殆どせずに三斉射しただけで敵部隊を追い散らし、その後で悠然と指示された座標に移動しているので、見る人間の立場と視野からしたら小憎たらしいことこの上ない。
これは扱いにくい部下だったんだろうなと、俺は当時の上官たちに同情した。逆に言えば鈍感で鷹揚な指揮官程、爺様は重宝されたかもしれない。上官の望む結果を推測し、敵の動きと戦列、自部隊の火力を冷静に把握して、より効率的で損害が少なくなるよう戦果をあげる。ほかの会戦も同じように早回しで見てみたがだいたい同じだ。指揮下の戦力も爺様の命令を忠実に過不足なく運用できているし、火力投射に関してみれば見事というしかない。だが第三艦隊の査閲時の部隊運用速度に比べると個々の艦艇の動きは相当遅い。敵の砲撃下で運用速度が遅くなるのは当然だが、それでも遅すぎる。
「爺様は練度を火力統制で補うという思考なんだな」
俺は査閲部時代の上官であるフィッシャー中佐開祖の、機動戦術教の狂信者であったので、各艦のあまりにもトロい動きにイラッとした。だが爺様の部隊は命令通り動かして移動中に損害を受けるよりは、自分の目を信じて火力統制をして着実に勢力圏を広げていく方を選んでいる。砲撃の名手という経歴が影響しているのか、ダイナミックではないが効率的に戦果を挙げることに徹している。
となれば求められる編成は大胆な機動戦術をとるようなものではなく、安定性と均一性の高いものであるべきだろう。俺が照明を戻して改めて自分の席に戻ると、再びリストに向き合う。今与えられている二四五四隻の中から、まず艦齢が四〇年を超しているものを別枠とする。その中で既存の独立部隊編制がある事実上の副司令官部隊七一六隻はそのままに、それ以外を規模ごとに並べ替える。そこから巡航艦を二個隊(五〇隻)ばかり抜き出して副司令官部隊に付け替え、残りの一五〇〇隻を二つに分ける。そのうちの一つを最先任艦長の大佐を代昇進させて率いさせ、残りを爺様直卒の部隊とする。
単純に同規模戦力を三つにする形だが、これであればピーキーな機動戦術は無理でも、満遍なく安定した火力投射と一定の艦隊運動を取ることができる。この場合の問題点は、代将(大佐だが准将クラスの戦力を扱うための一時的な昇進状態)に誰を指名するかだが、これは流石に爺様や参謀長と相談する必要があるだろう。
進むべき方針が決まった段階でリストを見つめなおしてみたが、その中に艦種が不揃いな二〇隻ばかりの奇妙な部隊があった。二〇隻といえば規模からすれば『隊』で、辺境の哨戒隊などを別とすれば通常は単一艦種で構成される。なのにこの部隊は戦艦が一隻、巡航艦三隻、ミサイル艦二隻、駆逐艦一四隻と独立した哨戒隊にしてはやや火力が控えめな構成。だがそれらに共通する前歴を見れば宇宙艦隊司令部の意図は明白で、流石に気分が悪くなった。
俺はその『第八七〇九哨戒隊』の艦データを一隻ずつ開いていく。戦艦アラミノス、嚮導巡航艦エル・セラト、巡航艦ボアール九三号……原作ではリンチの戦線逃亡後、エル・ファシル星域防衛艦隊のうち生き残った半数が自主的に退路を探り、残り半分の二〇〇隻がリンチと運命を共にした。詳しいところは軍機で検索できないが、リンチとは別の意味で『民主主義の軍隊として』許されざる存在ということか。
いつの間にか時間が過ぎ、時計を見ると一八時を回っていた。ハイネセンにおける定時ではあるが、次席参謀という無駄飯喰らいに定時は存在しない。しかし軍属には厳格に定時がある。重要な会議等でお茶出しが必要な時を除いて、彼らは軍の評判もかかった労働者だ。故に彼女が俺に敬礼して退出の挨拶をするのは、規則であり、礼儀である。礼儀ではあるが……
「ミス・ブライトウェル」
「……なんでしょう? ボロディン少佐殿」
一度敬礼して、回れ右した彼女は、もう半回転して俺に正対する。背筋が伸びたきれいなアイスダンスのような動きであったが、表情は真逆の氷河期そのものだ。
何か言わなくてはいけない。その一心で俺は声をかけたが、何を言おうか、気の利いたセリフすら思いつかない。時間が経つにつれ、氷河期にクレバスが寄り始めた顔を見て、俺は思いついたことをそのまま口にした。
「ジャンバラヤ」
「え?」
「明日でなくても構わないので、司令部の昼食を作ってくれないか? ケリムで食べたあのジャンバラヤ、実に美味かったんだ」
「……は?」
「司令部のキッチンは狭いから準備は大変かもしれないが、君に頼みたい。材料費が必要なら出すし、何なら俺が買ってくる」
「……はい?」
「とにかくこれは命令だ。俺の端末のアドレスと電話番号を教えておくから、夜までに材料の詳細を送ってくれ。爺様と参謀長と副官のファイフェルと俺だから四人分。文句言う奴がいたら俺が命じたと言ってくれ」
自分でも何言っているんだかよくわからないが、氷河期がプチ氷河期になったのはわかった。俺が小さなメモに番号とアドレスを書き込み、それを細い彼女の手に握りしめさせる。これはセクハラかなとも思ったが彼女が無表情で再び敬礼し、俺がそれに答礼し、彼女の姿が司令部から消えると、俺は大きく天井に向かって溜息をつくと自分の席に深く腰を落とした。
エル・ファシルは呪いだ。消し去るにはあまりに大きな汚点とそれをかき消す為に作られた英雄。英雄の放つ光が強ければ強い程、影もまた深くなる。これからヤンが脚光を浴びるたびにより強い呪いとなる。直接の責任がゼロではないにしても司令官の命令に従った第八七〇九哨戒隊、そして親の罪が何の責任もない子供に伝染することが、自由と民主主義と法治主義であるこの国ではあってはならない。
自分の権力で防げるものであるのなら防ぎたい。俺はそう思うとかろうじて頭に残っていた軍用ベレーを顔に移動させるのだった。
後書き
2020.06.18 投稿
2020.01.02 独立艦隊の数字を変更(5個→4個 4000隻→2500隻)
第51話 若気の驕り
前書き
連休中に少しだけ書き進めました。
ですが、どうにも戦闘まで話をテンポよく進めることができません。
ボロディン家の話やキャゼルヌの結婚式とかあるので、エル・ファシルが遠いです。
宇宙歴七八九年一月二七日~ ハイネセン 宇宙艦隊司令部
第四四機動集団司令部では賄いの昼食が出るらしい。
妙というか、変な噂が宇宙艦隊司令部の一部で流れている。もちろん根も葉もある話なので、否定するつもりもない。恐らく毎日米やスパイスを抱えて登庁するブライトウェル嬢が目撃され、爺様指揮下に入った独立部隊の下級指揮官達が爺様とご相伴して、そこから漏れていった可能性が高い。
軍人という職業は、基本的には頭を使う肉体労働者で、陸戦総監部のように日がな一日ずっと鎧をまとってトマホークを振るってるわけでもないが、当司令部を訪れる人間の胃袋は一般人の平均よりも大きいのは確かだ。しかも作るのはうら若い女の子とあって、噂を聞きつけ何のかんの口実を設けては、訪れてくる軍関係者がそこそこいる。
「……あの子、どこかで見覚えがあると思ったら、あのリンチの娘じゃないか」
関係者の中でも少しだけ耳聡な人物……例えば目の前にいる新任の情報参謀マルコス=モンティージャ中佐などは、トルティージャを俺のお代わり分も含めて平らげた後でこっそりと耳打ちしてくる。それに対する俺の返答もほとんど決まっている。
「ええ、仰る通り彼女はアーサー=リンチ少将の一人娘です。ですが何か問題でしょうか?」
「……いや問題ではないんだが……う~ん」
一八〇センチになった俺の、顎ぐらいの高さしかない浅黒い肌で小柄なモンティージャ中佐は、俺に同じ質問をぶつけてきた他の軍人達と同じような、なんとも言えないといった困惑の表情を浮かべる。彼女の作った昼飯を平らげてしまったという負い目もほんの少しはあるかもしれないが、大抵は別の心配だろう。だから俺の次の言葉も定型だ。
「モンティージャ中佐は、親の罪が子供に伝染するとお考えでいらっしゃいますか?」
俺の問いかけに、大抵の人は罰が悪そうな表情を見せて引き下がるか、頭を掻いてごまかす。それで打ち合わせ中にそっと出される食後のコーヒーを前に、彼女に「なかなか美味しかった」などとお世辞を言ってくれるのだが……
「もちろん。そう考えている」
一見すると『豊臣秀吉のテンプレか?』と言わんばかりの人懐こい外皮をしたラテン系青年の情報将校は、想像以上の答えを俺に返してきた。
「君はそう考えないのか……なるほど情報部でも噂になるわけだ」
「バグダッシュ大尉、からでしょうか?」
「いやブロンズ准将閣下からだよ。聡い君のことだから彼女がここに配属されたのも、新設部隊の設立目的もだいたいは想像しているだろう?」
俺が無言で頷くと、モンティージャ中佐の目つきが丸い物から糸のように細くなる。
「この種のウイルスは実にしぶとい。特に伝染範囲が広い場合はね。君は第四四機動集団内部に集団免疫を作ろうと画策しているようだが、汚染源に最も近い関係にある人物が最も汚染されているのは世の真理だ」
「彼女もそうなると?」
「一度でも住んでいる世界全体からの抗体反応を受ければ、人間の良心などたやすく粉砕される。ましてや一五歳、それも高級軍人の娘。発生源が近親であるがゆえに、精神の再建はたいてい即効性の高い『憎悪』でなされる」
それはあまりにも一方的な見方だ、とは言い切れない。犯罪者の家族が周囲からの圧力で崩壊し、その行き着く先が非合法な組織などという事例は、地球時代でも日常茶飯事だ。だからと言って一五歳の少女が市中に放り出されるよりはまだマシな軍内であっても、孤立状態にあっていいという話ではない。それこそ予防措置が必要であって、中佐が考えている予防措置が俺の考えとは全く違うというのはわかる。
「だが個人的には実に痛快で面白い。優しすぎて、隙だらけなのが難点だな」
そう言うと、モンティージャ中佐は目付きを糸からどんぐりへと戻した。今後も当然のように警戒するが、少なくとも軍外とは違って年齢相応の少女に対する程度にするという中佐の言外の回答に、俺は頷いてさらに突っ込んでみた。
「もし彼女が『闇落ち』みたいなことになったらどう対処されるんですか?」
「一度も銃を握ったことのない少女の制圧などわけないさ。それこそ情報部の伝統芸というやつだよ」
そう言うと中佐はバグダッシュとよく似た気持ちのいいサムズアップを俺に見えるのだった。
その一方でつまらない反応をしてくれたのが、補給参謀となったのがギー=カステル中佐で、四つ年上の二九歳。フランス系の血を色濃く残す彫りが深く整った容姿と長身の持ち主だ。
一学年下になるキャゼルヌ曰く『典型的な秀才で、問題がなければ中将。後方支援本部次長や本部下補給計画部部長くらいにはなれるだろう。与えられた職権範囲で対処できる問題は手際よく片すことができる。だがそれを超えた時の融通が利かない。まぁ彼の手に余るような事態などそうあるものでもないが』と珍しく苦々しい表情で言っていた。褒めるのが下手なわけでもないキャゼルヌがこうも言いにくいということは、何か問題があるのかと言えば、やはりその通りで。
「彼女に昼食を作らせている理由は何だね?」
初対面で一回り(この時代に干支はないんだが)以上は年下の少女が香辛料の薫り高いジャンバラヤを持ってきたところで、冷たい視線を俺に浴びせてくる。
「この部隊に配属される以前に、彼女とはいささか面識がありまして。その時ご馳走になった彼女の料理が実に美味でして」
「正確に答えたまえ。君も知っている通り、彼女はあのリンチの娘だ」
「はい中佐。仰る通りですが?」
「我が部隊に無用な誤解を避けるうえで、配慮する必要があるのではないかね?」
どこかで聞いたことのあるようなセリフではあったが、言っているカステル中佐がネグロポンティ氏と同属異系か知りたくなって、俺は魔術師のセリフをまるまるパクって応じた。
「我が自由の国では親の罪が子に伝染するとは過分にして知りませんでしたが?」
「そういうことを言っているわけではない」
「それ以外には聞こえませんが……」
「……彼女の存在、そして彼女に食事を作らせていること自体が評判になれば、司令部の風紀を乱す或いは乱れていると周囲に誤解されないかということだ」
「存在のことを言うのでしたら、彼女をこの司令部に配属させたのは統合作戦本部人事部軍属課ですので、そちらにお問い合わせください。司令部直属の軍属従卒任務として、『司令部の機能を十全に運用しうる為に、軍職権外での補助任務を全うする』ことが求められております。昼食を司令部内でとれるように差配したのは小官で、ビュコック司令官もご了解済みです」
虎の威を借りる技はマーロヴィアで散々鍛えられたので、中佐は俺に対して細く整った眉を吊り上げて俺を威圧しようとしても柳に風だ。
だいたい従卒が食事を作ったくらいで風紀を乱すなんて、昨今憲兵隊でも言わないような風紀委員みたいなセリフを言うとは、キャゼルヌが言う融通の利かなさ以上に、自己保身に対する意識が強そうに見える。ブライトウェル嬢に対する意識の持ちようも、モンティージャ中佐のように明確な考え方の上に立っているわけでもない。
ただ彼がどのような考え方にしても、年長の一軍人の自己保身から一五歳の少女に対してつらく当たるようなことは、例え世間が許しても第四四機動集団司令部と俺が許すわけにはいかない。とはいえ、彼が不安や不満を持って今後勤務されても困る。モンティージャ中佐が辛く当たることはしないだろうと分かるだけに、もう一人の中佐にもそうなってもらいたいと思って俺はあえて下手に出て別側面から攻勢をかけた。
「大変失礼ながら、カステル中佐は……もしかして香辛料が苦手でいらっしゃいますか?」
「……いや、そうではないが」
「確かに彼女のジャンバラヤは美味なのですが、やはり料理の都合上香辛料が強いのは致し方なく……どうでしょう、中佐。まだ一五歳の彼女の未来もお考えいただいて、ぜひ今後『も』彼女の料理を評価していただければ」
ブライトウェル嬢がまだ『未成年』という点を強調して、俺はあえて中佐に年長者の余裕を見せるよう促した。案の定というか、苦々しいというよりはバツが悪いと思ったのか、渋い顔をして「よかろう」と応えて言った。
「どうやら彼女は味付けというモノを調味料に頼る悪い癖があるようだ。それは矯正されなくてはならない。それには貴官も同意してくれるな?」
……どうやら中佐は本気で香辛料が苦手だったのかもしれない。それとも地球時代から続く血がなせる業なのだろうか。この三日後。司令部全員が揃っての昼食時、人数分の見事なトマトファルシが並べられたので、まずは良しとしたい。
勿論「トマトファルシはフランス料理ではなくてバスク料理なんですが」と俺は中佐に言うことはなかったが。
◆
そして宿題の期限である二七日午後。俺はモンシャルマン准将を通じて爺様に部隊編制の最終案を提出すると、一時間もせずしてファイフェルを通じて司令官公室に呼び出された。遅れて宿題を出して教官の前に引きずり出された生徒のような気分で立っていると、先生役の爺様の機嫌はかなり良かった。
「まぁ六五点というところじゃな。部隊構成を均等三分割した割には、部隊間の火力と機動力に差がない。合格点と言いたいところじゃが、ジュニアに聞きたい」
そう言うと爺様は俺が提出した編成表の紙の束をポンポンと叩いて言った。
「第八七〇九哨戒隊をそのまま旗艦司令部の直轄隊とした理由は何かね?」
やはりその質問か、と俺は胸の中で嘆息した。ある意図をもって構成される中途半端な哨戒隊を解体せず、そのまま直轄隊として運用することの意図を理解した上での質問だ。
「お答えします。第八七〇九哨戒隊の前任地と特殊な経歴を踏まえ直轄隊として運用した方が良いと考えた次第です」
「他の部隊に再配属されたら、各所で弾除け扱いされるとジュニアは考えるんじゃな?」
「ゆえに旗艦の傍に集団でいればまず問題ないと考えました」
「旗艦ごと吹き飛ばすアホウがおるやもしれんぞ?」
「尋常でない処分を覚悟の上で撃ってくるのですから、そうなったらさすがにお手上げです」
「ハハハハッ。よかろう。部隊構成はこのままでいく。細かいところの修正と代将の人事については、儂とモンシャルマンで手配しておこう」
爺様はそう言うと、編成表を決済済みの書箱に移して大きく溜息をつき、一呼吸置いた後で両手を組んでその上に顎を乗せると、俺に鋭い視線を向けて言った。
「出撃が決まった。四月一五日までには戦域にて状況を開始。一ケ月でエル・ファシル星系を奪回せよとのことじゃ。独立部隊の編成が終了次第、合同訓練を公表し、訓練終了後にエル・ファシル星系へと向かう」
「承知いたしました」
「各独立部隊との合同訓練は三月中旬を見込んでおる。回数にも時間にも余裕はない。第四四機動集団自身の訓練計画とその実施に関して、ジュニアは訓練計画を立案し、二月一五日までに儂へ提出せよ。それを参謀長が修正し査閲部に提出する。それと並行して……エル・ファシル星系奪還作戦の作戦骨子と戦略評価を纏めてもらいたい。情報閲覧権限は参謀長と同格。情報・補給参謀にもその旨は伝える。期限は三月一日までじゃ」
爺様の一言に、司令部公室の空気は一気に張り詰めた。黙って立っているファイフェルの、喉を唾が流れる音すら聞こえそうだった。『半個艦隊』による星系奪還作戦。独立部隊を含め五〇万近い将兵の生死を賭けた作戦の骨格と、作戦の成否の物差しとなる戦略評価を、採用の可否はともかく一介の少佐に計画させるということだ。そうなると別の疑問が浮かんでくる。
「機動集団次席指揮官であるジョン=プロウライト准将閣下のご意見はいかがなのでしょうか?」
「最終的には彼を含めた他の独立部隊の指揮官・参謀による合同会議で決定する。が、その前にジュニアには現在の第四四機動集団司令部としての意見骨子を作ってもらいたい」
爺様の口調は極めて峻厳だった。
「貴官の意見は意見じゃ。全てを採用しようなど儂は微塵も思っておらん。じゃがいずれにしても判断を下すのは儂であって、プロウライトではない。その事を肝に銘じろ」
当然の疑問であり、そして答えもわかっている質問だった。俺はうかつにも老虎の尻尾を踏んでしまった。職権を超えた前世日本の空気読みをしてしまったことを後悔し、俺は小さくした唇を噛んだが、それを爺様の鋭い視線は見逃してはくれなかった。
「そういう気配りをするなとは言わん。じゃがそれはモンシャルマンの仕事であって、貴官の仕事ではない」
「は、申し訳ございません」
「自分には出来ると思っているからそういう疑問を持ったんじゃろうが、一度も帝国軍と直接戦ったこともない小僧に、まともな作戦や評価が出来ると思っておるのか? 思い上がりも甚だしいぞ!」
ドンッと爺様の右拳が執務机に振り下ろされた。決済箱が振動で机の上で小さな驚きを見せる。怒られて当然のことで俺は爺様に何も答えられず直立不動のまま指一本動かせなかったし、なぜか爺様の左後ろに立つファイフェルの顔色は白を通り越して青くなっている。
僅かな空調の音だけが爺様の執務室に流れたのはどのくらいか。執務室の時計は俺の左側の壁にかかっているが、爺様の顔から視線を動かすことすらできないのでわからない。恐らく数分だったのだろうが、三〇分以上にも感じられた沈黙は、爺様の方から破られた。
「ジュニア、帝国軍は追っかければ逃げる海賊とは指揮も武装も何もかも次元が違う存在じゃ。それをしっかりとわきまえて作戦と戦略評価を作成せよ」
「は、肝に銘じます」
「ファイフェルの休日は貴官に預ける。それと軍属契約の許す範囲であの嬢ちゃんの残業時間も付ける。わかったな」
「承知いたしました。微力を尽くします」
俺がそう答えた後、士官学校に入学してから最高と思われる精度での敬礼を爺様にすると、爺様は面倒くさい表情で座ったまま敬礼すると、ハエでも追い払うかのような手ぶりで俺に出ていくように示し、席から立ち上がって俺に背中を向ける。
その背中に俺は最敬礼した後、顔を上げた時、目に入ったのは殆ど死後硬直のような有様のファイフェルの立ち姿だった。
後書き
次回投稿未定
第52話 軍と家族
前書き
久しぶりにウィッティ君とアントニナの登場回です。
軍事・戦闘描写は一切ありません。本当は箇条書きで書きたいくらいなのに。
宇宙歴七八九年 一月末 ハイネセン 宇宙艦隊司令部
爺様の執務室を出てすぐ隣の司令部幕僚オフィスの自分の席に戻った俺は、地球時代とそれほど変わらない座り心地の事務椅子に腰を落ち着かせると、椅子が許す最大のリクライニングにして天井を見上げた。
オフィス全体での三次元投影ができるよう、天井全体に張り詰められたスクリーンは艦橋に使われるものと同じ製品で、大きさが違うだけだ。今はただの照明としてぼんやりと温白色の明かりを映しているだけで、首を折って見上げる俺の目には、何も映らない。
爺様は原作でも言われているように愛想が悪く頑固で短気な人物なのは間違いないが、きちんと筋を通していれば普通の『おっかない親父さん』なのだ。そんなおっかない親父さんが、あぁも俺をこっぴどく叱ったのも、俺に驕りを見て取ったからだろう。俺にそのつもりはなかったが、マーロヴィア以降大きな失敗をせずに任務をこなしていた故に、いつの間にか見えない線を踏み越えていたわけだ。
自分が白刃の道を歩いていることを改めて思い出しつつ目を閉じていると、机上の呼び出しチャイムが鳴った。モンティージャ中佐もカステル中佐も席を外していることを知っている彼女が鳴らしている以上、俺に用事があるということだろう。応答のボタンを押すと机上に小さな画面が現れ、ブライトウェル嬢が敬礼しているのが映る。リクライニングを元に戻しその画面に向かって敬礼すると、手を下ろすのもそこそこに、彼女は口を開いた。
「少佐殿。少佐殿にご面会を求めている方がいらっしゃいましたが、いかがいたしますか?」
リクライニングから戻った俺の顔に何か異変を感じたのか、それともただ単に俺の態度が気に障ったのか、ブライトウェル嬢の眉間に僅かな皺が寄っていたが、俺は気にせず応える。
「面会希望者? 私に?」
「はい。統合作戦本部戦略部第四課のフョードル=ウィッティ大尉とお名前を窺っております」
アポなしなんで追い返しますか? と言わんばかりな氷河期な彼女の口調に、俺は力なく苦笑すると肩と首を落とした。
「士官学校の同期なんだ、ミス・ブライトウェル。通してあげてくれ。それにコーヒーを二つ」
「承知しました」
……それから数秒後、実物のブライトウェル嬢とともに、士官学校卒業時より少しだけ顔に苦労が出てきた懐かしい顔が司令部幕僚オフィスに入ってきた。ブライトウェル嬢が踵を鳴らしてキッチンへと消えていくのを見届けると、俺はウィッティと向き合って敬礼もそこそこに右手を伸ばした。それに対してウィッティは一瞬首を傾げた後、人の悪い笑顔を浮かべて俺の手をがっちりと握りしめ……
「お久しぶりであります。ヴィクトール=ボロディン少佐殿!」
ウィッティは実にわざとらしく肩を逸らせ、顎をしゃくり上げて、力を込めて俺に向かって声を投げつけた。
「マーロヴィアでのご活躍は統合作戦本部戦略部でも高く評判で、少佐殿のお噂はかねがね耳に親しんでおります!」
「やめて!」
「フェザーンでの一件についてもぜひ詳細をお伺いいたしたく、フョードル=ウィッティ大尉、本日まかり越しました!」
「いい加減、やめろよ!」
俺が気恥ずかしさからたまらず声を上げると、ウィッティは笑って手を放し、拳を握りしめて伸ばしてきたので、俺も同じように伸ばして拳をこつんと突き合せた。
「なんか相変わらず元気そうで何よりだ。我が高級副官殿」
「人事に行った同期から、お前がフェザーンからマーロヴィアに飛ばされたって話が流れて、同期みんな真っ青だったぜ。期の首席の本部長昇格が絶望的だから、うちらの代は冷や飯喰いになるかもってな」
「そいつは、皆に悪いことしたな……」
「それでもハイネセンに戻ってこれたんだからもう大丈夫さ。でもすぐに出るんだろ?」
「さぁな」
「作戦の出どころが統合作戦本部戦略部だから機密は気にしなくていい。もっとも戦略的には添え物扱いの作戦ではあるけどな」
チラッと横目でコーヒーを持ってきたブライトウェル嬢を見て小さく肩を竦め、応接の机の上に並べられる間だけ口を閉じ、彼女がキッチンに消えると皿ごと手に取って、コーヒーの芳香に鼻を向ける。
「あの子、噂じゃこの司令部で随分と大事にしてもらっているそうじゃないか」
「俺がケリムの第七七警備艦隊にいた三年前、彼女にはずいぶんと世話になったからね」
俺がそう答えると、ウィッティの眉間に小さく皺が寄る。
「ヴィクはホントに女を見る目がないな。フェザーンの一件も女がらみって聞いてるぞ」
「そんなことまで知りたがるとは戦略部も相当暇なんだな」
「まさか。相変わらず間抜けでお人よしかどうか確認しに来たんだよ。成長してないって言うべきかな?」
そう言うとウィッティは俺の目の前で一気にコーヒーを喉へと流し込んだ。その顔には七割の安堵と二割の好奇心と……一割の警戒感が浮かんでいる。おそらく戦略部の何処かが余計な心配をして、同室同期であるウィッティに探りに行かせた、というところだろうか。
「心配しなくていい。司令部内の士気は高い。そう心配性の人に伝えておいてくれ」
「わかった。出動は四月頭って聞いている。時間があればそれまでに同期連中集めて飯でも食べようや」
「時間ね。どこかに売ってないもんかな」
「わかる。わかるぞ、ヴィク。キャゼルヌ先輩の結婚式の招待状、お前のところにも来たか? なんで二月下旬にするかな。戦略部が糞忙しくなる時期を見計らってるとしか思えない」
「おそらく糞忙しくなるから、だ」
キャゼルヌは皮肉っぽいが優れた軍政家であり、その情報網も情報部ほどではないにしろ後方に張り巡らされている。俺がハイネセンに帰ってきた時点で正式に発表されたわけでもない(おそらく第四次)イゼルローン攻略戦とエル・ファシル奪還作戦の動員兵力を殆ど正確に推測しているのだから、準備期間として二月下旬が忙しくなるのは誰でもない後方勤務である彼が一番よく知っている。
そのタイミングで結婚式を入れるというのは、そうでもしなければ休暇が取れない人間が多いと分かっている故に、気を利かせたということだろう。二度と会えなくなるかもしれないわけだから……
「それより戦略部はどうなんだ、ウィッティ。貧乏司令部とは違って忙しくてもやりがいはあるんじゃないか?」
「士官学校と変わらないさ。先輩が上司になったってだけで、いい奴と気に入らない奴が半々だ」
肩を竦めるウィッティの顔には皮肉が浮かんでいる。
「幸いウィレム坊やとは違う部署だが、時々顔を見るくらいの距離にはいる。最近はいたくご機嫌斜めだ」
「『エル・ファシルの英雄』か」
視線で頷くウィッティに、俺は鼻で笑った。
ホーランドは首席、翻ってヤンは中の上から中。四つ年下の凡才と階級が並んだばかりか、軍内外の知名度で大きく差を付けられた。奴はブルース=アッシュビーの再来を目している以上、実戦部隊配備前のスタートラインで強力な年下のライバルにさぞかしヤキモキしていることだろう。
「奴は実戦部隊への異動でも考えているのかな?」
「出動予定の各艦隊の予備参謀か『機動集団の幕僚』の席ならねじ込められるらしいが、本人は上級司令部の幕僚か戦艦分隊の指揮官を望んでいるみたいでな」
「何をアホなことを」
「功績亡者も露骨すぎるものだから、一部から相当煙たがわれてる。優秀なのは間違いないし、ロボス中将の受けも悪くないから、今回は見送りだろう。出番があるなら『第五次』だな」
ウィッティの自嘲気味の返答に、俺は溜息をついた。今回の作戦における戦略部の意気込みとは裏腹に、ウィッティ自身の目算では相当に良くないらしい。直接的な言葉でないだけに、主進攻口ではないにしても出動する側の俺としては胃が重くなる。それを察したのか、ウィッティはカップを皿に戻してから、俺をまっすぐ見据えた。恐らく次に話す言葉が、ウィッティがこの司令部に来た本当の理由だ。
「ヴィク。悪いがそちらの作戦で『増援』は計算に入れないでくれ」
「アスターテから帝国軍が出てこないだけでまずは十分だ。そこまで気にしないでくれウィッティ」
「ビュコック少将閣下にも『力不足で申し訳ない』と伝えてほしい。これは俺の上司のクブルスリー少将閣下からだ」
情報分析にも定評がある戦略研究科の若手であるウィッティは、直接には言いづらい伝言を頼まれるほどにクブルスリーから信頼されている。故にクブルスリーが思ったより早く統合作戦本部長に就任した時、ウィッティを高級副官に任命したのだろう。フォークの凶刃さえ防げていれば、原作でも指折りのキャラになっていただろうが、それは今言うべきことではない。俺はしばらく無言で何も映っていない天井を見つめた後、少しばかりの諦めを含めてウィッティに言った。
「いい上官か? クブルスリー少将閣下は」
「そうだな。ヴィクが歳を取れば、ああいうふうになるんだろうなと考えるくらいには、いい上官だと思うよ」
俺の問いに、ウィッティは照れくさそうに肩を竦めて応えてくれた。
◆
ウィッティが司令部から作戦本部へ帰って行ったあと、殆ど入れ違いで戻ってきた爺様に俺はクブルスリー少将からの伝言を告げた。果たして爺様はオフィスチェアにどっかりと腰を下ろすと、司令官室内に響き渡るような大きな溜息をついて
「言い訳だけでも伝えてくれるんじゃから、まぁクブルスリーにしては上出来じゃな」
などと皮肉ぽく呟いた後、不在としている者も含め司令部全員に今日は早上がりするように、と命じた。司令官室から退出する際、こっそりと振り返ると爺様は座ったまま腕を組んで額にしわを寄せたまま天井を見つめていた。
いずれにしても許可ある早上がりは滅多にないので、ファイフェルには充分睡眠をとっておけよと伝え、俺はグレゴリー叔父の官舎へと向かった。自分の官舎……というよりは中級幹部向けの、前世時代におけるやや広めのマンションの一室に帰ったところで寝るだけなので、たまには家族の顔を見たくなっただけであって、決して夕食をご馳走になろうと思ったわけではないのだが……
「ヴィク兄ちゃんに私の士官学校受験について、お父さんやお母さんの説得を手伝ってほしいんだけど」
今年一二歳のイロナと九歳のラリサの即席家庭教師をした挙句、レーナ叔母さんには強制的に夕飯の席に付けさせられ、一五歳になったアントニナから夕食後『学校生活の面で』相談があると言われて、ノコノコとガレージの裏側についていったら、それが罠だった。
「……」
「一月の早期卒業は認めてくれなかった。軍籍に入ることをお母さんは絶対反対。お父さんも直接は言わないけれど反対してるんだ」
確かに原作でもユリアンが早期卒業制度の話をヤンにしてたような気がする。アントニナはユリアンとは違い家庭的にも財産的にも恵まれている。少なくとも将来を軍に担保しなければならないような状況ではない。ボロディン家は同盟開闢とは言わないまでも、長く続く軍人家系として世間ではそれなりに知られている。ボロディン家に生まれた男子の七割以上が軍人になっているし、女性の軍人も少なくない。そして戦死者・戦傷者・行方不明者もそれなりにいる。
「お母さんは自分だって軍人だったのに、僕には軍人になってはいけないって言うなんて、矛盾してておかしいと思うんだけど」
「う~ん」
「だからお願い。手を貸して」
別に仏教徒でもないアントニナが、手を合わせて拝んでくるのを見て、俺は一度雲一つなく輝くハイネセンの夜空を見上げた。ヤンがユリアンから軍人になりたいと最初に相談されたのは二九歳のころか。今の俺は二五歳だが、前世の年齢も含めれば五〇を超えている。独り身で子供が当然いないのはヤンも同じだが、アントニナからの相談に対するアドバイスではヘイゼルの瞳の一件を上げるまでもなく俺には向いていないように思える。つまるところ俺は精神的にこちらの世界の年齢以上に成長していないのかもしれない。
だがアントニナにとってみれば俺はこの一件においては縋れる唯一の家族だろう。レーナ叔母さんもいろいろ考えた上で反対していると推測できるが、詳しくその理由を話していないのかもしれない。贔屓目抜きにしてもアントニナは運動神経が抜群で頭もよく回る子だが、軍人となるには致命的な欠点もある。そこを言うのはやはり正確には『家族ではない』俺の仕事なのだろう。俺はアントニナをガレージに待たせ、一度母屋に戻ってレーナ叔母さんにアントニナと散歩に出かける旨伝えると、再びガレージに戻ってゴールデンブリッジ街の歩道を二人で歩き始めた。
「アントニナ、なんで軍人なんかになりたいんだ?」
無言で一〇数分歩いた後、俺は軽い口調でアントニナに言った。
「言うまでもなく軍人は国家公務員の殺し屋だ。いくら御大層な題目を述べたところで、やっていることは人殺し以外のなにものでもない。そして殺しにかかる以上、こちらが殺されることも当然ある」
「うん。でも僕はボロディン家の人間だし」
「親の稼業を継がなきゃいけないなんて法律はないさ。軍人家系なんて言い方を変えれば代々殺し屋の一族と名乗っているようなものさ。あまり褒められたものじゃないだろう?」
「……じゃあ、なんでヴィク兄ちゃんは軍人になったの?」
「どうしてもやらなくてはならないことがあった。なす為には政治家になるか、軍人になるか、官僚になるか、そのいずれかしか道はなかった。そして一番確実だったのが軍人だった」
自由惑星同盟を金髪の孺子の侵略から救う為には、孺子を確実に自分の手で殺せる軍人一択しかないのだが、敢えて方法論としてはほかにも道はある。だがそのどれもが不確実であり、スタートラインにつく前にゴールしてしまうシナリオしか思いつかなかった。
自分がこの世界の未来を知っているなどと、口が裂けても言えない。それはアントニナにですらもだ。現時点でほぼほぼ原作通りに物語は進んでいるが、確実に一一年後、自由惑星同盟が新銀河帝国に併呑されるかとは言い切れない。言い切れない故に、俺は軍人になるしかなかった。
「ヴィク兄ちゃんのやらなくてはならないことってなに?」
「それはアントニナにも言えない。だがその為には自分の自由を犠牲にすることを厭わない。そういうものさ」
「それは……うん。僕にもある」
アントニナは何となくではあるが自信げに頷いた。
「僕自身にも軍人になる目的というのはある。勿論、兄ちゃんには言えないけど」
「だがアントニナは明らかに性格が軍人向きじゃない。本音を言えば無理だ、と思えるくらいの致命的な欠点だ」
「なにがさ!」
急に歩みを止め、両拳を地面に伸ばし、俺を見上げるきめ細かい褐色の端正な顔には、今まで見たこともないような鋭い殺気と反抗心の籠ったグレーの瞳があり、俺を突き刺す。まさに飼い主に裏切られて野生化した犬のような瞳。その瞳に映る振り向いたままの俺の顔は、何の感情もない冷たいものだ。
「軍は組織で、軍人は組織の一部品として動く。たとえ納得できない事態があっても納得しなければならない。そうでなければ組織は十全にその能力を発揮することができず、結果として市民と国家に重大な損害をもたらすことになる」
「……」
「どのような組織でも大なり小なりそれはある。だが軍は人間の命が天秤にかかっている。故にどんな理不尽な命令であろうと、軍規に即している限りにおいては従わなくてはならない。わかるか?」
「……」
「仮に今の応答を軍でやってみろ。悪ければお前は抗命罪に問われ、問われればほぼ間違いなく軍から追放される。軍とはそういう理不尽極まりない組織なんだ」
「……」
「筋を通し納得がいかないことにはとことん噛みついてくる、アントニナの性格は人間としては誇れるべきものだ。だが軍という組織はアントニナの誇るべき性格を真っ向から否定し潰すだろう」
「……」
「士官学校入学試験を受けるのは自由だ。だが軍人になるというのは、少なくとも基本的人権が否定されることもあるということをはっきりと理解すべきだ。それを理解した上で、もう一度ゆっくりと考えてから結論を出せばいい。幸い願書の提出期限はまだ先だ。ただ、これだけは言っておくぞ、アントニナ」
「……」
「士官学校に合格できなかったら、軍への志願は止めるべきだ。士官ならまだしも、下士官や兵士はアントニナには務まらない」
殺気の半分が困惑に代わったアントニナの視線と、左肩越しにそれを見返す俺の視線が、両者の中間でぶつかる。火花が散るかと思えるほど鋭く、実時間では短い無言のやり取りは、俺のほうから切り上げた。いつもよりゆっくりと。半分の歩幅で歩きだす俺の後ろを、アントニナは一〇歩離れてついてくる。 家に着くまでずっと無言のまま行進は続き、俺は玄関でレーナ叔母さんにアントニナを引き渡した。叔母さんもアントニナの様子からなにか悟ったみたいではあったが、何も言わずに敬礼とお辞儀だけして別れた。
それから無人タクシーを呼ぶことなく俺はゴールデンブリッジの街路を歩き続けた。これでまたしばらく俺はこの家には帰れないだろうなぁと、頭を掻きながら。
後書き
2020.11.03 更新
第53話 揺籠期は終わった
前書き
散々な1年でしたが、とりあえず時間ができて、文字書きが
復活してよかったと思うしかありません。
明日はもう来年ですが。
宇宙歴七八九年 二月 ハイネセン
建物全体が騒がしくなる定例人事異動の季節がやってきた。しかしながら現在の宇宙艦隊司令部は第四次イゼルローン攻略戦とそれに付随する別口の作戦でてんやわんやの大騒ぎなので、人事も出動しない艦隊や辺境哨戒などで、さらに小規模なレベルで収まっていた。ただし、いつもの名簿はいつも通りに送られてくる。去年一年でさらに一〇五人の名前が赤く染まっていた。
そして事前の予定通り二月一日を持って第四四九〇編成部隊は、俺の作った素案を司令部全員で再添削して、部隊編制骨格以外は全く別物になってしまった戦闘序列が宇宙艦隊司令部の承認を受け、正式に『第四四高速機動集団』発足とあいなった。
それに伴い機動集団次席指揮官であるジョン=プロウライト准将と、機動集団第三部隊指揮官となったネリオ=バンフィ代将の幕僚オフィスも開設されることになり、我々第四四九〇編成部隊司令部は機動集団中央司令部となるに伴い、宇宙艦隊司令部オフィスタワー内での引越しが行われた。
今までは編成部隊故に幕僚全員が集まることのできるスペースがあるオフィスではなかったが、これを機に二回りほど大きなオフィスが割り当てられた。町の中小不動産会社のオフィスが、中堅機械メーカーのオフィスに進化したようなもので、軍属として各部隊の指揮官に顔を知られることになったブライトウェル嬢も、ひっきりなしに応接対応している。
二月三日に行われた集団結成式には司令部要員は勿論のこと、集団に所属する全艦艇の艦長も集合した。人数だけで三〇〇〇人。当然統合作戦本部地下の集会場に比べればささやかな規模ではあるが、モンティージャ中佐が『適当にパーツを組み合わせて作ってみた』と自称する第四四高速機動集団の軍徽章を大写しにしたスクリーンの前で一同が揃って撮った記念映像を見ると、軍事浪漫チズムとは無縁だと思っていた自分でも何となく高揚したモノを感じたことは否定できなかった。作戦が終了した時、映像に映っていた人々がどれだけ残っているかわからないにしても。
結成式が終わり解散となった後、多くの艦長達が個別に爺様やモンシャルマン参謀長に挨拶に押し寄せて来た。傍にいる故に大抵の艦長達は俺にはついでに握手するという形だったが、最後に残った二人の艦長が爺様から何か言い含められたのか、参謀長や中佐達をすっ飛ばして俺に向かってきた。一人は一九〇センチ近い長身痩身の白人中佐、もう一人は俺と同じくらいの体つきの黒人少佐。肌の色も体格も顔のつくりも全く異なる二人だが、その顔は一様に疲労と苦悩が刻み込まれていた。
「ヴィクトール=ボロディン少佐でありますか?」
俺の右手指先が額にたどり着くより数段早く、直立不動で寸分の隙もない敬礼をしてきた中佐はそう問いかけてきた。
「ええ、そうです。失礼ですが……」
「戦艦アラミノスの艦長を務めます、イェレ=フィンクと申します。こちらは嚮導巡航艦エル・セラト艦長のモディボ=ユタン少佐です」
「これは失礼しました、フィンク中佐、ユタン少佐」
改めて敬礼した後、俺は敢えて失礼を承知で二人に右手を差し伸べた。顔見知りでも同期でもない。年齢から言えば間違いなく一〇歳は年上であろう二人は俺の行動に戸惑い、顔を見合わせた後からそれぞれ手を握り返してくれた。
「ビュコック少将閣下から伺いました。少佐のご判断で第八七〇九哨戒隊を解散させなかったと。ありがとうございます」
「いえ、感謝されるほどのことでは」
「いいえ、少佐のおかげで我々は『戦って死ぬ』ことが許されたのです」
そう言うフィンク中佐の顔にはほんの僅かにではあったが明るさがあった。それはユタン少佐にもある。
「戦場で少将閣下に『助言』される際には、是非とも我々をお使いください。どこでも、『いかようにでも』働いてご覧にいれましょう」
「ブライトウェル嬢についても伺いました。ボロディン少佐のご配慮、感謝します」
それまで口を開かなかったユタン少佐の口ぶりは、まさに窮地にある姪っ子を心配する叔父さんそのものだった。たったそれだけだったが、言いたいことを言ってすっきりしたのか、二人はもう一度俺に敬礼するときれいに回れ右をして会議場から去っていく。俺は彼らの背中から視線を逸らすことができなかった。
命令上従わざるを得ない状況下で許されざる罪を背負わされた彼らを、世間の人は常に責め立ててきたのだろう。ほぼ間違いなくエル・ファシル駐留艦隊の家族はヤンの奇策によって救われた。第八七〇九哨戒隊の乗組員はきっと生きて家族に会えたに違いない。たとえそれが地獄であると分かっていても、だ。だがだからといって……
「そんな簡単に死なせてたまるものかよ」
俺は退出者でごった返し、既にどれだかわからなくなった二人の背中に向けて、呟くのだった。
◆
二月一五日。結成式から一〇日余りで書き上げた第四四高速機動集団の訓練計画を、俺は爺様に提出する。
たった二四〇〇隻。俺が査閲部にいた時、一個艦隊の訓練査閲を実施したものだが、「チェックする側」と「チェックされる側」の違いをしみじみと感じざるを得なかった。結成したばかりの部隊訓練に、かつて第三艦隊が提出した訓練計画をそのまま焼き直しても意味はないと考え、評点を下げて難易度も相当落とした計画書を提出したのだが、果たして爺様の評価は惨憺たるものだった。
「ジュニア。訓練がこれではまともな戦闘が出来ん。もうちょっと厳しくすべきではないかの」
パピルスも含めれば産まれてより六〇〇〇年。いまだに死に絶えない紙の訓練計画書を右手で叩いた上で、俺をどんぐりのように丸い目で睨みつけてくる。だがその視線は言葉通りに酷評しているというよりは、なんでこんな計画を作ったのか説明を求めるものであるとはっきりとわかった。俺の左横に立つモンシャルマン参謀長は計画書に視線を落としたまま首を傾げているだけで何も言わない。爺様の左後ろに立つファイフェルは『僕は何も言いません』と直立不動で主張している。頼りにならない後輩を一瞥した後、俺は自分用に添削していた計画書を開いて爺様に応えた。
「結成されたばかりの部隊ですので、まずはどれだけ動けるか、各部隊の指揮官がどれだけ部下を掌握しているかを確認する上で、このレベルが一番良いと考えました」
「しかしマーロヴィアの特務戦隊であれば、ウィスキーを呑みながらでもできそうなレベルじゃぞ?」
「私見を申し上げてもよろしいでしょうか?」
「かまわん」
「どのような組織であれ、新たに結成するにあたり最も重要なものを小官は『相互確認』であると考えます」
誰が上司で、誰が同僚で、誰が部下か。どのような考えを持ち、どの程度のことができるのか。組織として集団行動を行う際、特殊な例を除けばそれを知ることで、個々が自らの立ち位置をはっきりと理解することができる。
おそらく俺が計画した訓練計画であれば、ほぼすべての艦が目標を達成することができるだろう。余程のつむじ曲がりでない限り、自らの立ち位置の確認と成功体験は人間の心に安定をもたらす。その積み重ねがより高度な目標を達成する糧になる。
原作における同盟末期、ザーニアル、マリネッティと言った中堅指揮官が率いていた分艦隊が暴走したのも、指揮官の優劣以前に普段から意思疎通の全くない警備艦隊や巡察艦隊を掻き集めた上、まともな訓練をせずに戦場へ放り込んだからに他ならない。
原作云々抜きにして大体そんなことを爺様に話すと、爺様は首を傾げ『どうしたものかな』とモンシャルマン参謀長に視線を送ると、参謀長は軽く咳払いをしてから俺に言った。
「君が上官の用兵術を解釈して訓練計画を立てたのは理解するが、逆にこの程度のレベルであると馬鹿にされたと各指揮官たちが不満を持つのではないか?」
「はい。参謀長のご懸念通りであると、小官も考えます」
「敢えてそこに踏み込むというのだね?」
「査閲部に一年ほど居りましたが、どれほど公平に評価したつもりでも、不満を持たない指揮官は一人としておりませんでした。このドリルにした目的は大きく分けて二つ。一つは『成功体験を獲得すること』もう一つは『艦隊火力統制の基礎を徹底的に身に染み込ませること』です」
「……まるで小学校教師の言うセリフだな」
「申し訳ありません。実際に初等教育要綱を参考にいたしました」
「ジュニアの究極の目的は『基礎機動運用時間の短縮』じゃな?」
「はい」
爺様は一言で簡潔に纏めてくれた。イゼルローン攻略の付属作戦ということで少なくとも敵戦力がこちらよりも大幅に多い場合は、撤退を視野に入れてもいいという心理的余裕がある。なれば司令官の指揮能力を確実にこなせる戦力を整備し、その上で各層の指揮官達が不満を持ち、より高度に挑戦しようとする意欲を持たせなくてはならない。納得した上で作成した訓練計画だ。俺は睨みつける爺様の瞳をまっすぐに見返した。
「よかろう。訓練の基準はこれで行く」
爺様の決断に、俺は敬礼ではなく頭を下げて応えた。爺様がいずれ第五艦隊司令官となる時、この第四四高速機動集団が基幹部隊となるかはわからない。だがそうなってもおかしくないように整備すべきなのだ。
「それと貴官が提出していた有給休暇の件じゃが、作戦案が間に合うようであるなら許可する。だいぶジュニアには甘いかもしれんが、他の若い連中と羽を伸ばしてくるといい」
「ありがとうございます」
「なに、当日はファイフェルに代わりをやらせるからの」
腕を組んでウンウンと頷く爺様と、無表情の顔と対照的な含み笑いの目のモンシャルマン参謀長と……爺様から見えていないことをいいことにムチャクチャ渋い顔をしているファイフェルに対して、俺は完璧な敬礼で応えるのだった。
そして上司からの承認が得られれば、あとは量が多いだけのルーチンワークだ。フィッシャー師匠直伝の訓練査閲マニュアル(無断作成)という『チート』があるから、抑えるべき査閲側のチェック点と手続きに問題はない。これを第四四高速機動集団の各組織レベルに落とし込んでいく。ほぼ均等に割り振ったので、独立部隊三、戦隊は一五、小隊は八〇、分隊は四〇〇弱。第三艦隊の規模に比べればはるかに小さい。それでもフィッシャー班の実施した査閲規模の半分になり、一〇人でやっていた仕事を一人でこなさねばならなくなった。
徹夜につぐ徹夜。並行してモンシャルマン参謀長と共にエル・ファシル解放作戦の作戦骨子を検討する必要もあり、モンティージャ・カステル両中佐と共に宇宙艦隊司令部のオフィスから何度も朝焼けを見たことか。司令部の一番の下っ端はファイフェルだが、彼は爺様の副官でもあるので爺様が司令部を下がれば彼も帰宅する。必然的に、俺が徹夜組の夜食や軽食の準備をすることになる。
何度目かの徹夜明けの朝。司令部のキッチン冷蔵庫に残して置いた艦隊乗組員用戦闘糧食(放出品)を朝食代わりに温めつつ髭を剃っていると、軍属姿のブライトウェル嬢が両手に大きな袋を抱えてキッチンに入ってきた。こちらはヨレヨレのシャツに皺の寄ったスラックス。一方の彼女はショーケースから出てきたと言わんばかりにぴっしりとアイロンのかかった上下に身を包んでいる。
「……やぁ、おはよう」
「……おはようございます。ボロディン少佐殿」
なんとも気まずい遭遇に、気の利いた言葉を口に出すことはできない。だがこのキッチンは彼女の戦場であり、少なくとも主が帰ってきた以上、俺が暢気に髭を剃っていい場所ではない。電動剃刀とタオルを片手にキッチンから出ようとすると、背中から声をかけられた。
「少佐殿。少佐殿は何故そこまで熱心にお仕事をされるんですか?」
キッチンが本来の意図で使われるよう動き始めた音に交わり、かけられたその声には非難というより不満がこめられていた。そしてこの質問を浴びるのは三度目。一人は獄中にありもう一人は遠きマーロヴィアにあるが、いずれも歴戦の軍人からだった。
「何度か同じような質問を受けたことがあるけれど、それほど熱心に働いているように見えるかな?」
「はい」
手際よく給湯と食材洗浄をこなしつつ、ブライトウェル嬢は顔をこちらに向けずに応えた。
「卑怯者の娘の私が言うのも可笑しいですが、少佐殿の働きぶりは狂気すら孕んでいるように見えます」
「狂気……」
「父も……そうあの父もそうでした。ケリムでもハイネセンでも、遠征や星域哨戒以外でも家に帰って来ないことがありました。官舎で書類を処理していてことも一度や二度ではありません。私や母を顧みない、というわけではないのはわかっていましたが」
「……」
「でも父はああいう卑怯な真似をしました。市民を守るべき軍人が、民間人を見捨てて……少佐、少佐もそうなのですか? そして罪滅ぼしのつもりで私を」
「断じて違う」
俺は思わずキッチン入口の三方枠を思いっきり平手で叩いて大声で言った。その声に彼女の体はびくりと緊張し、驚愕と恐怖が半々のはじめて見せる表情で俺を見つめる。そのダークグレーの瞳には怒りに震える俺の顔がきっと映っていることだろう。
「君に言うのは酷な話かもしれないが、聞いてくれるか?」
そういう俺に彼女は水栓を止めて体をこちらに向けると、小さく無言で頷いた。それを了承と判断した俺は、小さく腹の底から息を吐いてから彼女の視線を受け止めるように見つめて言った。
「リンチ少将閣下は民主主義国家の軍人として果たさなければならない義務を怠った。仮に選択肢が『死』しかないかもしれないとしても、だ」
「……」
「それは軍人としての罪であり、非難に値する閣下の罪だ。だが軍組織の根幹たる命令服従の原則に従っただけの閣下の部下と、ただ閣下の家族というだけで世間から非難されることなど断じてあってはならない。それはこの国が自由と民主主義と法治主義の下にある原則どうこうだけでなく、俺自身の心がそれを許せないからだ。まず君を庇うように見える俺の行動は、罪滅ぼしなどという『善意』ではなくただ単に俺自身の信念に従っているだけに過ぎない」
軍は国家の持つ武器であり、武器である以上、その使用には慎重を期さなければならない。つまり一度下された命令は確実に実行されるべきだ。リンチの部下に瑕疵があるとすれば、それはリンチの作戦に異議を唱えなかったこと、その命令が軍憲章に反することを指摘しなかったことだ。だが一戦艦の艦長や乗組員にどうしてそれが出来ようか。まして軍作戦と全く関係のない彼女や彼女の母に、いったいどんな非難に値する罪などあろうか。
「自分の考えた作戦なり下した命令が、多くの将兵の生死を分け、その家族の心に重荷をかける事を考えれば、どれだけ考えを尽くしても考え過ぎるということはなく、それを任務とする一介の参謀の労苦などそれに比べれば些細なことに過ぎない」
どんな作戦でも犠牲者は少なからず出る。敗北すればそれは大きくなる。戦争がゲームなら、かかっているチップは人命だ。それは数字であるが、その数字には積み重ねてきた過去と家族がある。戦略目標を達成するための犠牲をいかに減らすか。彼女がいうように狂気に見えようとも、軍の命令上位者は前線だろうが後方だろうが常にそれを考えているべきなのだ。
「リンチ少将閣下もそれは理解していた。少なくともケリム星域第七一警備艦隊司令官の時は。だが理解していても、人は危機に陥った時、自らの生存本能に思考を引き摺られ理解していることを忘れてしまう。一般市民ならそれでもいいだろう。だが少なくとも市民を守るために武力を行使する立場の自由惑星同盟軍の軍人はそうあるべきではない」
俺がそこまで言いきり口を閉ざしてブライトウェル嬢を見ると、嬢もまた口を一文字にして俺を見つめている。その瞳はこの司令部で初めて会った時のような冷たい厭世感漂うものではなかった。かつてケリムで戦う時に見せたリンチの、戦意と自らの信念に誇りを持っていた時の、熱い情熱的な瞳だった。
「君には俺が狂人に見えることがあるかもしれないし、事実他の軍人から見れば狂人そのものかもしれないが、まぁそういう信念の持ち主だと理解してほしい」
「理解しました」
彼女は歴戦の下士官のように自信に溢れた、若造の士官を叱咤するように敬礼した後、さらに俺に言った。
「ですので、今後ボロディン少佐殿が徹夜される際は夕刻までに私まで必ずご連絡ください」
「え? なんで?」
俺が全く関係ない返答に戸惑っていると、電子レンジがチーンと鳴り、温め中の戦闘糧食が自動的にスライドしてきて、キッチンにハンバーグの匂いを漂わせる。その音に一度ブライトウェル嬢は視線を動かした後、俺に向き直っていった。
「兵員二四万名の命を預かる少佐殿の平時の朝食が戦闘糧食などというのは、司令部軍属としての任務を十全に果たしていないことになりますので」
そう言うとかなり熱くなった戦闘糧食を彼女は俺に差し出した。その顔はケリムの司令官官舎で会った時の彼女の笑顔そのものだった。
後書き
2020.12.31 更新
第54話 友人
前書き
正月休みぐらいしか、書く時間はないので必死に進めます。
仕事が始まったら、寝る作業しかできそうにないので。
宇宙歴七八九年 二月二五日 ハイネセン ホテル・オークフォレスト
上司に内容を知られている有給休暇というのは、転生前も転生後も全く嬉しくないものだが、とにかく仕事を休めるというのはいいと思うくらいには疲れているのも前世と変わらない。
キャゼルヌの、恐らくは第四次イゼルローン攻略戦に向かう多くの、それに比べてエル・ファシル攻略戦に向かうほんの僅かな親しい知人達に休暇を与えるという配慮に、本当は喜んで応えなければならないのだが、ボロディン家に届いた一枚の招待状によってそれは赦されなかった。
「じゃあ、今日はイロナをよろしくお願いね。ヴィク」
そう言うレーナ叔母さんの横には、一二歳になったイロナが濃紺のワンピースに白いブラウスといういでたちで立っていた。ボロディン家の遺伝体質なのか、背丈は間違いなく一六〇センチを超えている。ただ『随所に』メリハリの付いているアントニナとは違って、清楚なワンピースが実によく似合うスタイルなのだが……
「ヴィク兄さん。これ、アントニナ姉さんとラリサからです」
無人タクシーの助手席に座ったイロナが、手持ちのハンドバッグから折りたたまれた一枚の紙を差し出した。掌サイズの小さな紙にはびっしりと要求品目が書き込まれている。一読しただけで俺の一ケ月分の給与が飛びそうになったので、はぁ~と溜息をつくと、イロナが左手の人差し指を口に当ててクスリと笑った。
「姉さん、相当いじけてますよ。ただでさえ受験勉強でストレスが溜まっているのに、私一人だけ結婚式に招待されるって話聞いちゃって」
「受験勉強か。やっぱりアントニナは士官学校を受けるつもりなのか?」
「落ちたら軍志望はきっぱり止めるって、お父さんとお母さんに宣言しましたから」
「それでレーナ叔母さんは納得したのかな」
「しぶしぶ、といった感じでした。姉さんの学力なら受かったも同然ですし」
「だろうな」
当然同級であるフレデリカも士官学校を受験する。それはヤンに再び出会い、ヤンの役に立ちたいという希望からだった。ではアントニナは何の為にか。思い上がるなら俺の為ということになるが、どうもそれだけではないように思える。
「アントニナがどの学科を受験するか聞いているか?」
「情報分析科と法務研究科と空戦技術科の併願だそうです」
「空戦技術科は止しておいた方がいいと思うがなぁ」
「お父さんも同じことを言ってました。やっぱり『危ない』んですね?」
「まぁ……そうだな」
何年も苦労してスパルタニアン搭乗員資格を取得できたとしても、母艦が吹き飛べば出撃すらできずに戦死してしまう。偵察型を除けば航続力が短いから母艦に帰れず彷徨う亡霊となることもしばしば。消耗の激しいゆえに搭乗員の平均寿命が艦隊乗組員のそれより大幅に短いのも事実で、グレゴリー叔父はそれを心配しているのだろうが……実のところ三歳年上に九無主義の色男がいるというのが、俺の不安要素だ。まぁ、あの男が相手にするのは大人の女であって女の子ではないんだろうが。
そんなことを思いつつある意味三姉妹で一番大人なイロナと三年分積もった家族の会話をしているうちに、無人タクシーはホテルの近くに停車する。そこには当然のように、俺の高級副官が待っていた。
「おう、ヴィク。遅かっ……妹さんまでご一緒とは聞いてないぞ」
「言ってないからな」
澄まして応えると、ウィッティは俺の肩に右腕を廻し、イロナに背を向けて呟くように言った。
「あのなぁ。こういう大切なことはだ、事前に親友には話しておくべきだろうが」
「イロナはウィッティの好みか?」
「実に好みだが、そういうことじゃない。普通、年頃の親友の妹さんが来るとなれば、プレゼントの一つや二つは用意しておかなきゃいけないんだ。そういう事前の配慮ができないからお前、女の子にモテないんだぞ?」
「……それとこれとは関係ないだろう」
「関係あるんだよ」
「じゃあ、後で買い物に付き合え。アントニナとラリサの分は俺とお前で折半だ」
「まったく、頼りにならないアル中のお義兄様だn……」
言い終える前に俺はウィッティの脇腹に右拳を強く叩き込むと、そのまま肩を引き摺りながら会場へと引っ立てる。そのまま恐らくはオルタンスさんの友人であろう受付の若い女性に招待状を見せると、俺とウィッティとを品定めするような視線で見つめ……後ろに控えて咳払いをしたイロナの姿を見て一気に無表情になった。
ホテルの中庭を貸し切った会場内に入ると、やはりというか白い軍の礼服が多かった。その殆どはキャゼルヌの同期かその前後の年齢が中心だが、その中にも複数の高官が含まれており、オルタンスさんが高官の令嬢ではないことを残念がっている……まさに原作文章通りの光景だった。
その中でなるべく目立たないようにこっそりと端の方に立っている、黒い髪と黒い目、中肉中背の若い少佐の姿を、俺とウィッティとイロナは見つける。近寄ってくる俺らをまさに哨戒レーダーのごとく感知した若い少佐は、横に控えるこれまたよく見覚えのある鉄灰色の髪をした士官候補生と並んで俺に敬礼した。
「同じ少佐とはいえ、昇進したのはそっちが先なんだから、先に手を下ろせよヤン」
「そんなおっかないこと出来るわけないじゃないですか、ボロディン先輩」
「俺はまだ大尉なんだ。悪いな、ウェンリー」
「ウィッティ先輩も冗談が過ぎますよ。勘弁してください」
お互い苦笑しながらほぼ同時に手を下ろすと、ヤンが簡単にアッテンボローをウィッティに紹介し、お互い握手する。そして俺の背中に隠れようとしていたイロナを、俺はヤンとアッテンボローの前に引っ張り出した。
「え、まさかこの黒髪の美人さんがあの時の肩車したイロナちゃん? マジで?」
イロナを指差しながら近づくアッテンボローに、俺はすかさず右腕でイロナを手前に引き寄せると、返す左腕を伸ばし人差し指で強くアッテンボローの額をはじく。「アイタァァ」と悲鳴を上げて額に手を当て、芝生に蹲るアッテンボローを横目に、ヤンは呆れ顔で肩を竦めるとイロナに右手を伸ばした。
「三年ぶりですね、お久しぶりです。ミス=ボロディン」
「お久しぶりです。ヤン少佐。エル=ファシルでのご活躍、びっくりしました」
「別に大したことをしたわけじゃないんですけどねぇ」
「エル=ファシルに行ったフレデリカ先輩の命を助けてくれたんです。本当にありがとうございました」
握手の後、腰を九〇度に曲げ深く頭を下げるイロナに代わって、フレデリカとイロナの関係を俺が簡単に説明すると、ヤンの顔から困惑と迷惑の成分が少しずつ抜けていくのが分かった。
「英雄と言われるのは性に合わないか」
アッテンボローの歯が浮くような賛辞と、それを牽制するかのようなウィッティのイロナに対するフォローを眺めつつ、俺はぼんやりとした表情で横に立つヤンに囁くように言った。掻い摘んで聞くにエル=ファシルから戻り、ブルース=アッシュビーの謀殺説を調査し、惑星エコニアの捕虜収容所の参事官をたった二週間務めていた。その間にアルフレット=ローザスとクリストフ=フォン=ケーフェンヒラーを見送って、現在は第八艦隊司令部作戦課に勤務している。
原作通りの人生を送っているヤンに改めて聞くまでもないとは思うが、俺は敢えて口にした。そしてその返答もまた予想通りだった。
「英雄なんてものは酒場にはいっぱいいて歯医者の治療台にはいない程度のものでしょう?」
「俺もそう思う。だが他人がどう言おうと、お前はよくやった」
「運が良かっただけです」
「そうだな。そうかもしれない。だが運を掴みきるために最大限努力はしただろう? エル=ファシルで」
「そうですね……そういう意味でボロディン先輩には感謝してます」
「なんでまた」
「『好き嫌いで逃げることなく、なるべく手を抜かずに努力せよ』 おかげさまで一生分の勤勉さをあの地で使い果たしましたよ」
別に俺がそんなことを言わなくても、きっとお前は充分職務を果たしただろうと言おうとしたが、肩を竦めるヤンを見て俺は口を閉ざした。そのタイミングを見計らっていたのか、結婚式の主役の一人が俺とヤンのところにやってくる。最初にケーフェンヒラーが残した資料がB級重要事項に指定されたこと、ヤンの名前で出せば公表できることを話した。その内容について知っていても知らないふりをするのは苦労したが、すぐにキャゼルヌはヤンから俺に視線を移して言った。
「年齢から言えば次はお前さんの番だと思うが、その前に蹴躓くなよ。お前さんは奇妙なところで不器用だからな。俺にできることがあれば遠慮なく言ってくれ。ちゃんとカステルには秘密にしておく」
「ありがとうございます」
「あんな可愛い妹さんを泣かせるのは忍びないからな。まったく従兄に似ずいい子じゃないか。娘を持つならああいう子がいいな」
「そう仰っていただけると、義兄冥利に尽きるというものです」
「お前が育てたわけじゃなかろう。なにを偉そうに」
そう言ってパシンと俺の頭を叩くと、キャゼルヌはイロナやウィッティ・アッテンボローと話しているオルタンスさんたちの方へと去っていった。横で聞いていたヤンは、話の内容から俺が何処かに出征することに感づいたようだったが、形にして口に出すことはなかった。ただ一言。敬礼ではなく、俺に手を差し伸べて言った。
「『永遠ならざる平和』の為に」
俺はヤンの手を無言で握りしめるのだった。
◆
結婚式翌日も普段通り仕事は始まり、二回の徹夜と、何度かの激論の末、二月二九日。何とか参謀長の合格点を貰ったエル=ファシル星系奪還作戦の骨子と戦略評価を爺様に提出した。司令官公室で印刷されたそれを、一枚一枚慎重に読み進める爺様を前に、モンシャルマン参謀長もファイフェルも、勿論俺も直立不動の姿勢。二時間かけて読み終えた爺様は、大きく溜息をついた。
「まぁ、良かろう。少なくともジュニアの記している通り、負けがたい作戦ではある」
「ありがとうございます」
「ただ儂はともかく、この作戦案も戦略評価も慎重に過ぎると宇宙艦隊司令部だけでなく、協力する独立艦隊の指揮官あたりが文句をつけてくるのは間違いあるまい。そのあたりの『配慮』は考えておけよ?」
「承知しました」
「それと貴官が提出した第四四機動集団の訓練計画についてじゃが、統合作戦本部査閲部に一応承認された。返答が遅れたのはどうやら査閲部の方で訓練宙域の確保が遅れたからのようでな」
爺様はそう言うと机の上に置いてある通告書を座ったままファイフェルに手渡し、ファイフェルが俺に手渡した。ピラ一枚の通告書だが、統合作戦本部査閲部長ヴィンセント中将のサインがしっかり入っている。
四年と半年前。俺がお世話になった頃の査閲部の部長はクレブス中将、統計課長はハンシェル准将だった。二人ともいい歳した叩き上げの古強者だったから、もう定年で退任されたのかもしれない。一瞬だけ思い出に意識を飛ばしたが、通知書に書かれている文面を読み進めうちに首を傾げざるを得なかった。
「シュパーラ星域管区エレシュキガル演習宙域?」
俺の思わず出た言葉に合わせるかのように、爺様が獅子の喉鳴りのような咳払いをした。明らかな不満と怒りの前兆だが、もし俺が爺様の立場だったとしてもきっと同じような反応をすることだろう。
かつて訓練査閲したロフォーテン星域管区キベロン訓練宙域とは比べ物にならないほどハイネセンから遠い。補給・休養施設は訓練宙域というのだから恐らくあるのだろうが、ハイネセンとフェザーンを結ぶ中央航路との接続星域がランテマリオ星域で、さらに間にはマル・アデッタ星域を挟んでいる。記憶が確かなら航路距離でハイネセンから一七〇〇光年は離れているはずだ。訓練宙域に到着するのに一六日だから往復で三二日。エル・ファシル星系までは一五日の行程で状況開始が四月一五日であるとするならば、仮に今すぐ進発したとしても現地で訓練する時間はない。この程度のことを査閲部の訓練調整担当部署が知らないわけがないから、この通知書が言外に言っていることはただ一つだ。
「『いってこい』ですか」
「提出された訓練時間が長すぎるというのが、奴らの言い分じゃ。その代わり査閲担当官はジャムシードで分離、訓練の総合評価は現地簡易評価で代用すると言っておる」
「第四次イゼルローン攻略作戦の準備はそれほどまでに困難をきたしているのですか?」
「大男総身に知恵が何とやらだ」
複数の艦隊を動員するであろうイゼルローン攻略戦の事前準備に遅れが生じる可能性は高い。その為、大規模訓練を行うことが可能なキベロン訓練宙域が抑えられた。他の制式艦隊にも定期訓練がある以上、カッシナ、マスジット、パラス、ヴィットリアといった利便性のある程度きいた訓練宙域も予定が埋まっているのかもしれない。だからと言って訓練と実戦が一連の流れになるというのは、戦況によほど余裕がない場合に限られる。そう第七次イゼルローン攻略戦のような。
「野良訓練は……補給の手配が付かないのでしょうな」
参謀長の言う通り、指定宙域外での訓練には、訓練中事故の補償や補給・修理品の補充などの保証が付かない。まして民間航路近くで実弾演習などやって民間船舶を撃沈しようものなら、物理的に胸に穴が空く。マーロヴィアで特務戦隊を訓練できたのも、民間船どころか海賊船すら近寄らないド辺境で、しかもたった五隻だったからだ。第四四機動集団だけで二四五四隻、他の独立艦隊を含めると五〇〇〇隻近いの軍艦が砲撃演習を行ったら、機密云々どころではない。
「大至急カステル中佐に計画修正をお願いしませんと。ジャムシード星域内のいずれかの星域に補給艦と工作艦を手配して『野戦築城』する必要があります」
「私は他の独立艦隊に状況を説明し、第四四機動集団ともども順次進発するよう各所と調整しよう」
「泥縄じゃが、まぁこういうことは長い経験上珍しくもなかった。どこの誰でも不満があるようなら儂に直接言うよう、対応してくれ」
爺様の指示に、俺は敬礼してすぐさま司令官公室を飛び出すと、モンティージャ中佐とカステル中佐を司令部に呼び戻し、状況を伝えた。短距離選手のように滑り込んできたモンティージャ中佐は話を聞いて丸い目を糸のように細くしたし、カステル中佐はせっかくセットした髪を右手で搔き毟った挙句、間違いなく聞こえる範囲にいるブライトウェル嬢も真っ青になるような下品な呪詛を吐いた。それでも彼らは呆然とすることなく口と手を動かしはじめる。取りあえず仕事である作戦立案が一段落した俺は、訓練計画の見直しとともに一番忙しくなったカステル中佐の手伝いもする。キャゼルヌが『手際がいい』と評した通り、間違いなくこの日の司令部の主役はカステル中佐だった。
移動する手間を惜しみ、爺様の名前で独立艦隊の補給参謀達を各個に呼び出して状況を伝え、監禁するかのように第四四高速機動集団司令部に押し留めると、そこから各部隊へ連絡させつつ自分の仕事を手伝うチームを作り上げる。訓練宙域への補給物資の事前輸送や航路確認を関連各所と調整する。部隊所属の補給艦を最優先で進発させる手続きなど、流れるように仕事を進めていくが、二〇時を少し回った段階でカステル中佐の手が端末の前で文字通り止まった。
「ダメだ。ジャムシード星域での野戦築城用に手配できる補給艦と工作艦が一隻もない。俺の権限で依頼できる範囲は全部差し押さえられてる」
「他の星域の余剰艦を廻すことはできないんですか?」
「どこかのアホが再編成で手近の奴は掻き集めたらしい。これはイゼルローンの手前の何処かに大規模な前線基地を作るつもりだな」
補給参謀達がカステル中佐を囲んでああでもないこうでもないと討議しているが、一向に結論が出ない。
「……補給艦と工作艦が不足しているんですか?」
「ボロディン少佐。これは補給参謀の仕事だ。口をはさむな」
気の荒い独立艦隊の補給参謀の一人が俺を睨みつけたが、カステル中佐は意に介することなく俺に言った。
「最終補給用の給糧艦と貨物弾薬補給艦、それに艦艇の各ユニット交換可能な工作母艦。キベロンやハイネセンに戻れれば補給廠もドックもあるから本来不要なものなんだが……」
「必要隻数はどのくらいなんです?」
「戦闘艦艇五〇〇〇隻の半員数補給と軽度補修分だ。訓練で艦艇のどこにも傷が付かず故障もないっていうなら工作母艦は必要ないが、初めて集団行動する寄せ集めの機動集団なんだ。絶対故障は発生する。部隊随伴の工作艦だけでは処理しきれないし、シュパーラ星域管区の数少ないドックを使うわけにもいかない」
「そうですか……」
だいたい主攻がイゼルローンならこっちの作戦日程を後ろに一週間ずらせれば何とかなるのにな、と他の補給参謀が呟くのをしり目に、俺は喧々諤々している司令部事務室から離れ、主が帰った従卒控室に入る。私物が一切ない原状そのままの控室の扉を閉めて、俺は携帯端末を引き出しドラ●もんを呼び出した。
「新婚家庭の夜に電話してきたんだ。それなりの覚悟はしているんだろうな?」
携帯端末の画面に映るキャゼルヌは口ほどにも怒っていないように見えた。何しろ一コールで出てきてしかも制服なのだから、いくら背景がリビングでも帰宅したばかりというところだろう。後ろでオルタンスさんが調理している音も聞こえる。
「で、早速お願い事だな? 何だ、言ってみろ」
「戦闘艦艇五〇〇〇隻の半員数分補給と軽度補修可能な工作母艦を、四月一日までにジャムシード星域に調達していただきたいのですが?」
「そんな細かいご注文書を作ったのはカステルだな。奴の手に届く範囲は『あっち』に差し押さえられて首が回らない。そんなところだろう」
「おっしゃる通りです。後方勤務部やカステル中佐の前任の戦略輸送艦隊に頼むわけにもいかないので」
「お安い御用だ、とは言わないが、まぁそんなに難しい話じゃないな。送ってくれた業務用冷蔵庫分でチャラにしてやる。いつまでだ?」
「即答です」
「……訓練宙域がとんでもないところになったんだな。本来なら査閲部の責任だぞ、それは」
「査閲部も頑張って調整しているみたいですが『あっち』優先みたいです」
「よし、このまま奴と直接話をさせてくれ」
キャゼルヌはそう言うと画面の中で緩めたスカーフを締めなおして言った。
「しばらくカステルに冷たくされるかもしれんが、奴もそれは嫉妬と自覚しているだろうから許してやってくれ」
果たしてこの問題はあっさりと解決した。俺の端末画面を挟んで、キャゼルヌとカステル中佐は一瞬睨みあったが、キャゼルヌの『注文は受けたので、この件は任せてほしい。消費物資の会計処理は先輩(カステルのことだ)に任せます』の言葉に『新婚家庭の夜にすまない。頼んだ』の返事で終わったのだ。そして通話が終わった後、画面を切って端末を俺の胸に押し付けて言った。
「アイツと知り合いだっていうなら先に言え。まったく。取り越し苦労をさせやがって」
そういうカステルの顔も言葉ほどに怒っているようにも見えなかった。
後書き
2021.01.02 更新(行程距離変更)
2021.01.03 修正(エレキシュガル→エレシュキガル)
第55話 出動
前書き
正月攻勢です。
宇宙歴七八九年 三月一〇日 ハイネセン 第一軍事宇宙港
泥縄式に計画を前倒しする羽目になり、訓練から休暇も挟まず即実践という慌ただしい出動に、第四四高速機動集団に限らず作戦参加する将兵の不満は目に見えて高い。そして対外的には新編成部隊の合同訓練ということになっていた為、防衛出動のような軍楽隊も紙吹雪も用意されなかった。が、最低限将兵の家族との別れは済ませられるよう、無茶を言っている代わりに宇宙艦隊司令部と統合作戦本部が力を合わせて手配してくれたようだった。
そして俺にはグレゴリー叔父一家が揃って見送りに来てくれた。グレゴリー叔父は少将、第一艦隊副司令官の装いで。レーナ叔母さんと三姉妹は全員フォーマル。宇宙港の滑走路に設置されたフェンスを挟んで、全員と顔を合わせるのは本当に久しぶりだった。勿論、これが最後になるかもしれないが。
「まぁ参謀として近くで見てきたヴィクトールはわかるだろうが、ビュコック少将は平時でも頼りになるが、より戦場で頼りになる人だ」
グレゴリー叔父は真剣な顔つきで俺に言った。
「戦場についたら、ビュコック少将の指揮をよく見ておくんだ。それが必ずヴィクトールの為になる。あの人の積み重ねてきた、実績に裏付けされた指揮に匹敵するものは、同盟軍を探してもそうそうないからな」
「貴方。そんなことより……」
レーナ叔母さんがグレゴリー叔父を窘めるように口をはさむが、グレゴリー叔父は肩を竦めてまったく気にしていないようだった。
「ビュコック少将と同じ艦に乗るというだけで生死の心配は必要ない。あの人が戦場で死ぬようなことがあるとしたら、それこそ自由惑星同盟が滅亡するぐらいの危機だろうさ」
ここで俺はどんな返事をすればいいのだろう。グレゴリー叔父の予言の通り、一一年後、アレキサンドル=ビュコック元帥が、自由惑星同盟軍『最後の』宇宙艦隊を率いてマル・アデッタで消えるという未来の可能性を知っている身としては。
「兄ちゃん、とにかく無事に。無事に帰って来てね」
アントニナは今にも泣きそうな顔して手を合わせている。
「ヴィク兄さん。武運長久をお祈りします」
イロナもとかく感情を表に出さないよう努力しているようで、赤白い顔が小さく震えている。
「ヴィク兄ちゃん。エル=ファシルの特産品っていう林檎のお土産、よろしくね!」
……三姉妹では間違いなくラリサが一番軍人に向いているのだろう。
「絶対生きて帰ってくるんですよ。じゃないと私、エレーナになんて言って詫びたらいいか……」
もう完全に泣き出して背を向けているレーナ叔母さんと、それを抱くグレゴリー叔父に俺が敬礼すると、グレゴリー叔父も敬礼で応える。ボロディンという名の家に転生して二五年。海賊達と比較するまでもない、前世を含めて初めての『戦場に出る恐怖』を俺はようやく感じることができたが……
「ボロディン少佐殿、出発のお時間です」
俺の背後五メートル辺りから掛けられた声に振り向くと、一分の隙もない敬礼姿で立っているブライトウェル……兵長待遇軍属が立っていた。司令部の従卒である以上、司令部が戦場に出るのであれば軍属とはいえそれに同行する義務がある。だがアントニナと同い年の彼女を戦場に出すべきかどうか。実のところ司令部の面々がいろいろな抜け道を考えて止めさせようとしたにもかかわらず、彼女の意志は従軍を『切望』するであり、結局爺様としてもその意思を拒否することはできなかった。そして彼女は自分の貯金の半分を残る母親に、もう半分を食材の購入に使い果たしてここにいる。
「わかった。すぐ行く」
俺が振り返って彼女に敬礼すると、逆に俺の背中から聞きなれた叫び声を浴びせられた。
「ちょっとヴィク兄ちゃん! 誰、その女!」
「聞いてません! 説明を求めます!」
真っ赤な怒り顔でフェンスを越えようとするアントニナと、そのベルトを掴みながらもこちらに視線を向けるイロナ。その横で笑っているラリサと、事態に呆然としているレーナ叔母さん。ブライトウェル嬢がどういう素性か知っているグレゴリー叔父が、ボロディン家の女性陣に見えないように『早く行け』と太腿の横で手振りしている。俺がそれに従って小さく背中越しに右手を振ると、どうやら待っていたらしいブライトウェル嬢がはじめて見せる意地悪そうな視線を向けて言った。
「ここで少佐殿の右手に小官の左手を重ねたら、どうなりますでしょうか?」
「ボロディン家に俺が帰れなくなるからそれは絶対に止めてくれ」
「では、そのように」
そう言ってブライトウェル嬢が俺の右腕に体を寄せようとしてきたので慌てて右手で彼女の左肩を抑えると、さらに背後の(というかアントニナとイロナの)声が大きくなり、それに流されるように事態を見ていた周囲の笑い声が重なり、出征の見送りがなんとも締まらないドタバタコメディの有様になってしまった。
そして司令部のシャトルに乗るまでそう大して距離はなかったにもかかわらず、シャトルに向かう第四四機動集団の将兵達からは、俺とブライトウェル嬢に向けて好奇とからかいと微妙な嫉妬の視線が浴びせられた。が、その顔からは不思議と不満が消えていたようにも見えたのだった。
◆
そんな見送りから一三日後、第四四高速機動集団と独立部隊は各個ランテマリオ星域からマル・アデッタ星域に進入し、主恒星系たるマル・アデッタ星系の外縁部にて集結を果たした。恒星風とエネルギー流が無秩序に荒れ狂う、巨大な三重の小惑星帯がある実に不安定な星系。この手前で集結しなければ、寄せ集めの出来合い集団などでは迷子が続出することになるのが疑いないからだ。
最終的に集結したのは、宇宙戦部隊として一個機動集団と四個独立部隊、戦闘序列順に以下の通り。
第四四高速機動集団 アレクサンドル=ビュコック少将 以下 二四五四隻(内戦闘艦艇二一〇八隻)
第三四九独立機動部隊 ネイサン=アップルトン准将 以下 六七七隻(内戦闘艦艇 六二〇隻)
第三五一独立機動部隊 クレート=モリエート准将 以下 六四九隻(内戦闘艦艇 六〇九隻)
第四〇九広域巡察部隊 ルーシャン=ダウンズ准将 以下 五五二隻(内戦闘艦艇 五三〇隻)
第五四四独立機動部隊 セリオ=メンディエタ准将 以下 五七七隻(内戦闘艦艇 五四一隻)
地上戦部隊として二個歩兵師団と二個大気圏戦隊が戦闘序列順で以下の通り。
第七七降下猟兵師団 オレール=ディディエ少将(先任)以下 兵員七五〇〇名
第三二装甲機動歩兵師団 ミン=シェンハイ少将 以下 兵員七四〇〇名
付属第四五九大気圏戦隊および第四六〇大気圏戦隊
これに加えて後方支援部隊として工兵連隊が一つ。通信管制大隊が一つ。病院船戦隊(五隻)が付随する。
宇宙艦艇数 四九八七隻。戦闘宇宙艦艇 四四〇八隻。陸戦要員も含めた総兵員五七万四〇〇〇名。
そんな各部隊の指揮官達がそれぞれの参謀を引き連れ、爺様の旗艦である戦艦エル・トレメンドの大会議室に集まったのは一三時三〇分の昼食後のことだった。
名前を見て、写真も見て殆ど確信はしていたが、あの剛毅な紅い髭が生えていないので年齢よりかなり若く見える彼を何となく見つめていると、その視線に気が付いたのか参謀を席に置いたまま、彼は俺に近づいてきた。慌てて俺も近づいていき敬礼すると、彼はめんどくさそうに答礼し、すぐに口を開いた。
「第四四の次席参謀ボロディン少佐だったな。こうやってお話するのは初めてだが、第三八九のアップルトンだ。ビュコック閣下から聞き分けの無い孺子だと伺っている。これからよろしく頼むよ」
なんてことを言ってるんだと、思わず他の指揮官達と話している爺様に睨んだが、それすら意に介せずアップルトンは微笑を浮かべて言った。
「先程から私を見ていたようだが、何か言いたいことでもあるのかな? そういう性癖があるとは閣下から伺ってはいないが」
「第四四機動集団が先任部隊としての任務を果たせなくなった時に、部隊指揮をお願いすることになる方はどのような方かなと考えておりまして。特に深い意味はございません」
「縁起でもない。そうなったら貴官もこの世にいないということになるぞ?」
「そうならないよう、任務に精励いたします」
「やはり私は髭を生やした方がいいと思うかね?」
「ぜひそうすべきだと思います」
突然の奇襲的質問に俺が思わず条件反射的に応えると、「そうかぁ!」と異様に喜んで俺の両肩をバンバンと叩いて小躍りして自分の席へと戻っていく。席で待っていた参謀達にどうやら俺が言ったことを吹聴しているのか、参謀達の呆れた視線がアップルトン自身だけでなく俺にも飛んでくる。付き合いきれんと俺が雛壇にある自分の席に向かうとそのタイミングで地上軍の幕僚達が会議室に入ってきたため、会場は一瞬緊張に包まれる。が、それも一瞬で、すぐに何事もなかったように各々会話を切り上げて、席へと戻っていく。
宇宙戦部隊と地上戦部隊の見えない心の壁。それは宇宙艦隊司令長官と地上軍総監が本来は同格であるにもかかわらず、圧倒的に宇宙艦隊司令長官の方が軍内における権威が上であるということから始まっている。
これはある意味やむを得ないのも事実だ。星間国家同士の戦争である以上、星域の、星系の宙域支配権を争奪することが中心であり、惑星の軌道上を制圧することが出来れば、地上戦ですら軌道上からの極低周波ミサイルの絨毯爆撃で悉く地上構造物を粉砕することで終結させることができる。
それが容易にできない要塞や前進基地などの対軌道防御施設がある場所であり、あるいは有人惑星などの民間人がいて軌道上からの攻撃が極めて困難な場所こそが、地上戦の主戦場となる。宇宙戦部隊が星域に進入し、星系の制宙権を確保することがまず先決となり、それが終わってからでないと地上戦部隊の出番はない。何しろいくら人間がいても、人間単体では超光速移動はできないのだから。
故に「御膳立てしなければ何もしないごく潰し」という悪口と「まともに棒も振れない軍人モドキ」という悪口は、自由惑星同盟軍の組織が確立して以来、綿々と受け継がれるものだった。もっとも面と向かって言い合うことはあまりない。少なくとも重力の支配権の或るところで、地上戦部隊将兵に拳で勝つことはなかなかに難しいからだ。
今回の作戦でも作戦の主眼はエル=ファシル星系の制宙権を帝国から奪取することが主目標であり、民間人がエル=ファシルの英雄によって悉く後方に送り出された以上、現在惑星エル=ファシルの住人は帝国側が連れてきた人間しかいない。地上戦部隊のお仕事は軌道砲撃で打ち漏らした帝国軍地上部隊の掃討と、もしかしたら在留しているかもしれない帝国方民間人の『解放』だ。その事もわかっているだけに地上軍司令部も僅か二個師団、それも歩兵中心の師団を送り込んできている。むしろ大気圏戦隊や工兵連隊を準備してくれるだけ、この作戦に対して『悪意は抱いていない』という証左かもしれない。
そんな地上軍の面々が席に座り、会議室の全ての準備が整うと作戦全体の参謀長を兼務するモンシャルマン参謀長が司会者として会議の口火を切った。
「既に諸氏も了解射ていると思うが、この場に集結した我々は本年四月一五日を期して帝国に奪取されたエル=ファシル星系の奪還を行うことになる。編制されたばかりの部隊も多い。事前訓練はそのまま実戦に繋がる重要なものだ。諸氏の精励を期待する」
続いて査閲部から派遣されてきたナージー=アズハル=アル・アイン中佐が自己紹介と訓練宙域の概要説明を、モンティージャ中佐が現時点におけるエル=ファシル星域および帝国軍の動向を、カステル中佐が補給箇所の説明を進め、最後に俺が訓練内容の説明に指名された。会議室の照明が落とされ、第四四高速機動集団司令部と他の司令部の間にある三次元投影機を使って説明する。だが説明を進めていくに従って、暗闇から疑問というか呆れたような溜息や鼻で笑うような嘲笑が聞こえてくる。まぁそれは当然だろう。内容としては士官学校五年生が練習艦隊で実施するような基礎レベルのものばかりだからだ。
説明が終わり、照明が復旧すると、個々の幕僚の顔がはっきりと見渡せた。どの顔にも『親の七光りの少佐殿が作る訓練計画は所詮このレベルか』といった嘲笑が浮かんでいる。だがその中でアップルトンだけが相当深刻な表情で俺を見ていた。モンシャルマン参謀長が質問を受け付けると、即座に手を挙げたのもアップルトンだった。
「ボロディン少佐に質問したい」
席から立ち上がったアップルトンは、周辺の幕僚達の視線を集めつつ、俺を見据えてはっきりと言った。
「この訓練内容でエル=ファシル星系攻略が可能と、貴官は考えているのか?」
そう、その質問が欲しかったのだ。俺も対抗するように立ち上がってニッコリと作り笑いを浮かべてそれに応えた。
「この程度の訓練で満点が取れないような部隊であるならば、不可能だと言わざるを得ませんね」
事前に内容を知っている第四四高速機動集団司令部と査閲班を除いた、全ての会議参加者の憎悪の視線が一気に俺に集中した瞬間だった。
後書き
2021.01.03 更新 誤字修正
第56話 冥界訓練便り、そして
前書き
正月攻勢その2です。
宇宙歴七八九年 三月二四日 シュパーラ星域エレシュキガル星系訓練宙域
充分に血圧が十分に上がったエル=ファシル星系攻略部隊は再度隊列を整え、シュパーラ星域に進入。主星系エレシュキガルに到着し、岩石型で不毛の砂漠が広がる第三惑星フブルの軌道上にある演習宙域へと到着した。
辺境も辺境。水が地殻下にしか存在しない砂漠の惑星ではあるが、一応人間が耐えうる重力があるという点で軍の通信管制・辺境警備拠点として最低限の機能は有している。演習宙域は広さと安定性だけで言えばキベロン訓練宙域にすら勝る。第三惑星と第四惑星の惑星軌道間に膨大な小惑星帯があるので、標的は幾らでも存在する。利便性や補給に極めて大きな難点があるが、ある意味では全く逆に利点となる『缶詰』演習宙域だ。
先遣で派遣されていた工作艦と演習宙域管理部が半月かけて必死に集めてくれた標的(小惑星)の数を見て、俺は管理部の担当者に殆ど土下座するくらいの勢いで感謝した。工作艦が牽引できる小惑星の数は大きさにもよるが、少なくとも一〇〇〇〇個近い数を揃えるには、寝る暇などなかったことだろう。ちなみにその管理部担当者の名前はセルジョ=マスカーニ中佐と言ったが、こちらも顎鬚が生えていなかった。
作戦開始日も差し迫っているので、荷解きもそこそこに部隊は訓練を開始した。小戦隊規模での移動と停止、砲撃と防御、戦列の形成と解体、集合と離散。流石に辺境の警備艦隊とは練度が違うところを見せてくれる。初日はまず八時間。すぐに訓練評価が行われたが、満点を出した分隊は残念ながら一つもなかった。二日目も満点が出ず、同じく三日目も同じ訓練を実施すると指示を出すと、さすがに抗議の連絡が飛んできた。訓練を評価する査閲部はあくまでも評価を各指揮官達に説明するだけで、その訓練内容やスケジュールを管理することはない。勿論、適切な助言をすることは当然あるが、評点平均が満点の八五パーセントを超えていれば基本的に厳しいことを言うことはない。故にその抗議は査閲部経由で、演習計画者である俺のところに回ってくる。
「こんな基礎訓練にいったいどれだけの時間を掛けるというんだ! 作戦開始時期が迫っているというのに、意味のないことに時間を費やすべきではない」
ある独立戦隊に所属する巡航艦戦隊指揮官(大佐)が、第四四高速機動集団司令部で俺の胸倉に掴みかからんばかりに怒鳴り込んできた。
「期日は差し迫っている! 我々は戦う為に訓練しているのであって、貴官のお遊びに付き合っている暇などないのだ」
「で、満点は取られたんですか?」
顔と階級から彼の率いる巡航艦戦隊の成績が、評点比数で下から数えて三番目ぐらい。だいたい七八パーセント位であることを思い出してから俺は応えた。
「少なくとも満点が出るまでは次のステップに進むことはできません」
「そんなことをしていたらいつまで経っても訓練は進まない」
「意味があるから訓練は実施するのです。意味のない訓練など行いません。基礎が確実にできない部隊がいくら高度な戦術訓練したところで、烏合の衆は烏合の衆です」
「貴様ぁ!」
「やめんか!!」
大佐の左手が俺の胸倉を包み、右拳が肩より高くなった瞬間、司令部に叱責が飛ぶ。当然、その声の主は爺様だった。
「ボロディン少佐、貴官の言いようは歴戦の指揮官である上官に対して節度ある物言いではない。すぐに大佐に謝罪せよ」
爺様の激怒(のように見える)に、大佐は俺の胸から手を離したので、俺は厭味ったらしくジャケットを整えると大佐に対して深く腰を折って頭を下げる。それを見たのか、爺様は腰に手を廻して大佐に言う。
「大佐。この生意気な孺子は口が悪くての。頭は悪くないがつい滑ったことを言う。どうか許してやってくれ」
「は、はぁ」
「歴戦の貴官に言うのは釈迦に説法だとは思うが、基礎訓練とは文字通り他の訓練の礎となるものなんじゃ。そこのところを貴官から貴官の部下達によくよく説いてやってほしい」
歴戦と言えばこの艦隊の中で爺様に勝る戦歴を持つ軍人はいない。その爺様に『歴戦の』と言われては引き下がらないわけにもいかない。大佐は俺をひと睨みしただけで、爺様に敬礼すると司令部を出ていく。大佐の姿が扉の向こうに消えてから三〇秒後。爺様は音を立てて司令官用のシートに腰を下ろした。
「で、ジュニア。この三文芝居にはもういい加減飽きたんじゃが、いつまで続くんじゃ?」
通算一〇回目となる討ち入りに心底から呆れていると言わんばかりの爺様は俺に舌を出しながら問うた。三回目迄、演技とわかっててもハラハラしていたファイフェルは、今では出ていくと同時に宇宙艦隊司令部からのデータを取り纏め始めているし、四回目で耳が慣れたブライトウェル嬢は爺様の為にハーブティーを淹れて給湯室で待機していた。
「小戦隊移動砲撃訓練で、満点の部隊が出るまでです」
「あの大佐の言ではないが、本当にこの訓練だけで予定の一〇日を使い切ることにならんかね?」
「最悪そうなることも想定しておりますが、正直なところこのレベルで今日まで満点を出す部隊が一つも出ないとは思ってもいませんでした」
「動かない的に向かって、一定運動しながら砲撃しているのに、どうして外れるのか、か」
例えば小戦隊戦列基礎訓練などは、搭載している人工知能に操艦の全てを任せてしまえば、人間に分かるような誤差など生じさせることなく満点を叩き出すことができる。勿論人工知能に操艦を任せるなどという非人道的な上級指揮官などいないので、あくまでもマニュアル、あくまでも人の手による操艦が行われるし、誤差は出てくる。満点が出ることは時差なしのテレパシーが使える人間が、複数で操艦しない限りまずありえない。
一方で小戦隊集合砲撃訓練はそうはいかない。人工知能に火力管制を任せればそれこそ一瞬で『人工知能が発狂して』砲撃できなくなるか、味方撃ちをしてしまう。近接防御のような明確な範囲を決めて対応するという限定即応を求められる分野は人工知能の得意分野だが、それ以外の分野では圧倒的にマニュアルの方が運用に易い。その中でも爺様などは『砲撃の神様』とも言える腕の持ち主だった。
そんなマニュアルな世界である砲撃にあって、一番の基礎訓練は艦を静止させての対静止目標砲撃。その次が一定運動下における対静止目標砲撃になる。相手は動かないがこちらは動く。ただし一定の決められたルールに従った等速運動だ。各砲座の管制装置を艦の運動制御に連動させ、後は動かない目標に照準を合わせて引き金を引くだけ。複雑な機動を含む砲撃回避運動もなければ、別部隊が射線に入ってくることもない。電磁波やエネルギー潮流も重力特異点もない安定した訓練宙域にもかかわらず……何故か外れる。
「原因はあるじゃろう。人間よりも機械の故障じゃな。連動照準装置のズレが一番考えやすい。後は砲身にあるビーム収束装置の芯ズレというのも多い」
他にも原因があるだろうが、潰すべき箇所は潰すべきだろう。そこにこそこの訓練の意味がある。より高度により複雑な動きが出来たとしても、自分の持つ武器が信用に足るモノでなければ何の意味もない。そこに気が付いている指揮官達はここに怒鳴り込む時間を惜しみ、指揮下の、特に標的を外した艦の砲撃設備の再チェックや艦長・副長レベルでの自主検討会を開いて翌日の訓練に備えている。堪らないのは査閲部のメンバーだろう。怒りの矛先は回避できても仕事量は増えるばかりなのだから。
だから五日目の訓練終了時刻間際。速報値であっても集合砲撃訓練で満点が出たという話が全部隊に流れた時、ほとんどの将兵が安堵した。これで次に進めるだろう。その英雄的な結果を出してくれた部隊はどの部隊だと調べ、結果を見て多くの将兵はなんとも言えない悔しさをにじませた。
その部隊の名は第四四高速機動集団所属の第八七〇九哨戒隊というのだった。
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六日目の朝。第八七〇九哨戒隊が満点を出したという結果が査閲部から正式に全部隊に送られると、各部隊の訓練に対する意気込みが明らかに変わった。確かに同哨戒隊の規模は小戦隊というより、その下の組織単位である隊に過ぎない。だが司令部直属麾下の独立した戦隊として運用されており、艦の種類も戦艦から駆逐艦までと幅が広い。有効射程も異なるが、訓練評価の場合は艦種に関係なく統一されている以上、不公平と声を挙げるわけにはいかない。
まして第八七〇九哨戒隊はエル=ファシルから民間人を捨てて逃げだした奴らで、その恥知らずの生き残りを一つの部隊に纏めただけに過ぎない。辺境警備を主任務として訓練の充足もままならなかった奴らが見事な成績を上げているのに、ひるがえって自分達はいったい何をしているのか、と。
故に次に司令部から提示された小戦隊集中砲撃訓練、そして小戦隊移動集中砲撃訓練の内容に文句を言ってくる指揮官達はもう一人もいなくなった。どうやったら上手くいくか、本来それだけでは困るのだが内容の意義よりも結果の良化を求め、自分達で考え解決方法を探ろうとしてくれる。
だがそのせいで今度負荷がかかったのは訓練宙域管理部だった。小戦隊といえば哨戒隊や特別編成の隊を除いて一〇〇隻以上の艦艇が所属する。その主砲が全力で一点の目標に火力を集中する。結果は言うまでもない。直径五キロの小惑星はみるみるうちに削られて、消しゴムのように最後はボロボロになってしまう。その度に別の標的を引っ張って来なければならず、「少しは加減してください」という言外の抗議を俺はマスカーニ中佐から受ける羽目になった。
そんな感じで要領を得たのか八日目の昼過ぎ。第三四九独立機動部隊麾下の第四三八七巡航艦戦隊が、移動集中砲撃訓練で満点を叩き出した。全小戦隊の評価比数も九〇パーセントを超えている。
そしてその夜。査閲部が必死に評価作業を行って、訓練宙域管理部が次の訓練目標である可動目標砲撃訓練の準備をしている最中。統合作戦本部より爺様当てに超光速通信が入った。司令部の誰もが起きていたので大して問題はなかったが、伝えられた内容にカステル中佐が思わず下劣極まりない雑言を吐いて、ブライトウェル嬢に白い目で見られていた。
「作戦期日の延期命令。五日遅れて四月二〇日状況開始か」
イゼルローン攻略戦の準備が遅れに遅れていることを考えれば、予想できなかった話ではない。戦略的にエル=ファシル星系攻略とイゼルローン攻略戦の比重は前者より後者の方が大きいし、動員される兵力も物資の量も桁違いだ。それでもたった五日の遅れというのであれば、作戦より実行段階での問題発生ということだろう。
こちらとしてはイゼルローン攻略部隊の位置だけ理解してれば問題はない。訓練と休養に数日を確保できることを考えれば歓迎すべき話だ。もちろん、カステル中佐の血圧には気を付ける必要があるだろう。結局訓練の予定と補給物資の再配布を含めた計画の組みなおしを司令部は徹夜で行うことになった。
それから九日目から予備日を含めた一一日目まで、みっちりと砲撃訓練を行った部隊は、四月三日をして正式に『エル=ファシル星系攻略部隊』としての認証を宇宙艦隊司令部より交付され、訓練宙域からジャムシード星域カッファ星系へと移動を開始する。そこにはキャゼルヌが手配してくれた補給艦と物資、工作艦が待ち構えていた。
「いったいどこからアイツはあれだけの船と物資を用意できるんだ……」
変更につぐ変更で神経をすり減らしたカステル中佐の視線の先は、当然旗艦エル・トレメンドの戦闘艦橋真正面にあるメインスクリーンに映った、二〇〇〇隻近い補給艦と工作艦の群れだった。
カステル中佐の権限で動かせられる部隊の殆どがイゼルローン攻略部隊に取られていることを考えれば、その権限を超越したところから持ってきたとしか思えない。俺も『魔法の壷』の中身を知りたいと思い、艦橋オペレーターの一人に敵味方識別信号で確認してもらうと、果たしてそれは第八艦隊の後方部隊であった。統合作戦本部査閲部の演習予定を検索すれば、果たして第八艦隊はリューカス星域ヴィットリア訓練宙域にて統合機動訓練が計画しており、先乗りしていた後方部隊が、再度の補給物資補充と要員休養の為「一時的に」ジャムシード星域まで戻って来ていたらしい。俺の報告にカステル中佐は小さく舌打ちした。
「先乗り休養の為に後方支援部隊を片道七日かかる星域まで後退させるなんて、冗談にしてはいささかきつい話だが、それに我々が助けられたのも事実だ。ありがたく受けておこう」
正規艦隊の統合機動訓練となればエネルギーの消費こそ激しいが、レーザー水爆や機雷と言った実弾の消耗はそれほどでもない。食糧や生活物資は長期にわたるものでなければ、戦闘艦艇の貯蔵庫で賄える。まして正規艦隊の後方部隊だ。半個艦隊程度のエル=ファシル攻略部隊の要求を満たすには十分な能力があるし、法的にも横流しではない。『融通』というレベルだろう。故にキャゼルヌはカステル中佐に『会計処理』と言ったわけだ。ただ相手は第八艦隊。司令官は当然あの黒い腹黒親父。後で何かしら礼をしなければ、後でどんな仕打ちが待っているかわかったものではない。
第八艦隊と自前の工作艦部隊の奮闘で、訓練と移動時に受けた部隊の損傷個所の修理が終わったのは、四月一〇日。後方部隊以外はまるまる四八時間の休養を得て、士気を回復したエル=ファシル攻略部隊はジャムシード星域を離れる。ここから一気にシヴァ星域を経由してエルゴン星域に進撃。エルゴン星域ウォフマナフ星系の前進補給基地にて最終の航行燃料補給を受ける。
そして機関部に異常をきたした巡航艦一隻とその護衛に残った駆逐艦一隻をエルゴン星域に残し、第四四高速機動集団と攻略部隊は帝国軍との交戦宙域となったエル=ファシル星域へと侵入を果たした。
宇宙歴七八九年 四月二〇日〇八〇〇時 戦艦エル・トレメンド座乗のアレクサンデル=ビュコック少将より、エル=ファシル攻略作戦の状況開始命令が隷下全部隊に発令された。
後書き
2021.01.04 更新
第57話 エル=ファシル星域会戦 その1
前書き
正月攻勢末期です。
出来れば近々に続きをあげれればいいなと思います。
宇宙歴七八九年 四月二〇日 エル=ファシル星域 エル=ファシル星系
爺様の作戦発令とほぼ同時に、エル=ファシル攻略部隊は跳躍宙点に浮遊していた帝国側の偵察衛星を咄嗟砲撃で撃破し、部隊毎に速やかに星域内航行へと移行した。作戦の主眼は一〇ケ月前に帝国側に奪われたエル=ファシル星系の奪還。同時進行中のイゼルローン攻略戦の戦略的攻勢を活用し、防備が手薄になるであろ