乱世の確率事象改変


 

プロローグ

 一体何が起きたのか。

 自分の体がうまく動かない。いや、感覚すらない。

 けれども意識だけはやけにはっきりしている。

 どうすればいい。どうしようもない。そういえば何をしていたかも思い出せない。

「はいはーい!こんにちはー!元気ですかー?なわけないか、死んじゃったんですもんねー」
 耳障りな甲高い声が聞こえたと思ったら視界がはっきりとしてきた。
 目に映ったのは真っ白な世界の中に立っている、小柄な茶髪ショートヘアの女の子だった。
 ホットパンツにニーソ、上はタンクトップ。自己主張の無さすぎる胸から察するにJSくらいか。
 全くこの状況が理解できないがとりあえず言っておこう。
(niceニーソ。ぜひprprしたいな)
――と声を出したつもりだが声が出ない。
「初対面の華麗な少女を舐め回すような視線に変態的な思考回路。おまわりさんこっちです!あ、声を出す必要はありませーん。出せないと思いますけどねぇ」
 舌をだしておどける少女の愛くるしい仕草を見せられて、思考の暴走を止められようか、いや無理だ。
(大丈夫恐れないでいい。恥ずかしがらなくてもいいよ!怖くないからね!すぐおわるから!ちょっとだけ!1ペロだけでいいから――)
 瞬間ブラックアウトする視界。
(あ ?かん えがま まらな ん が)
「あまりに変態的な思考なので介入させてもらいました。もう!確かに私は絶世の美少女ですし、夢中になってしまうのは分かりますが、大事な話しなくちゃいけないので落ち着いて聞いてください!ちくしょう……何だってこんな変態に適性があるんですか、しかも私の担当とかついてないというか――」
 そのまま自分の世界に没頭していってしまう少女が、俺を元に戻して本題に入ってくれたのは、しばらくたってからだった。



 ひとしきり考えがまとまり落ち着いたのか真剣な表情に変わり、びしっと人差し指を立ててこちらを見て話し始める。どうやらテレパシーのようにこちらの考えは伝わっているらしい。
「では真面目に説明しますね。今回あなたにはとある『適性』があったので、別の世界に跳んでいただき世界を変えてきてもらいます」
 イミフである。いきなり何を言いだすのかこの少女は。
 世界を変えるとかどこのシスコン王の力持ちなのか。いやあれは壊すだったか。
(何の適正だよ。あれか?光が逆流する的なやつで10mくらいの大きさのロボット乗ってどっかの王子を水没させたらいいのか?それともシスコンの死神が穴に落ちるのを止めるのにブラコン少佐の部下になればいいのか?できれば吸血鬼様の椅子になりた―――)
「どちらも違います!あなたはナニカサレてませんしドSな吸血鬼の下僕さんにもなれません!」
残念だ。適性といえばどっちかの世界に行きたかったんだが。
(世界を変える……ねぇ。具体的に何をしたらいいのか全くもってよくわからんから詳しく頼む)
「いくつか課題がありましてそれを達成すればおのずと世界は変わります。いうなれば決められた流れをかき混ぜる要因になってもらうというわけです。」
(ちなみに行く世界は?)
「あなたの場合三国志ですね」
(……あのー……三国志の世界変えるって多分人とか殺さなくちゃいけないじゃん。髭のおっさんとか触覚つきの最強さんとかと戦えってか?)
「課題に含まれていればそうですね。ちなみに確定事項ですので確実にその世界には行ってもらいます」
 無茶振りも甚だしい。三国志は好きだしゲームもちょっとはやってたがそれをリアルでするってことは戦争の真っただ中に飛び込むことだろう。
(いやだ。人殺しなんか絶対いやだ!それにそんな化け物達と戦ったら一般人の俺なんか簡単に死ぬじゃん!無理無理、絶対無理!)
 きつく拒絶するが少女は事務的な表情を崩さずに続ける。
「確定事項ですので。最終的に世界を変える気がないと判断された場合は、上位意志の介入によってその世界自体も壊されます。その世界の生物全てが最も苦しむ形で……ね」
 にやりと三日月型に口角を上げてとんでもないことを言う。身体がないはずなのに寒気がした。他愛ない会話をしていたがこいつは自分をどうにでもできて、抗うことなどできない存在だと今更思いしらされた。
「ふふ……聞き分けがいいのは人間のいいところです。まあ気負いすぎずに気軽に行ってきてください。ちなみに特典として失った身体の復元、ある程度の身体強化と武器、その扱い方、あと言えませんが一度きりですが限定条件下で発動するある力が与えられます」
 理解などしたくない。できれば逃げ出したい。しかし死んでいる身としては従うしか選択肢は残されていない。
(……わかったよ。やるしかないみたいだし)
「よろしい。では最後にその世界ではあなたの氏は没収します。徐晃・公明と名乗ってください。あと真名は名前のまま秋斗(しゅうと)です」
……徐晃か。ん?
(ってちょっとまて!つまり俺に徐晃になれってこと!?)
「あくまで『名前は』ですよ。歴史をなぞろうが反逆しようがのたれ死のうがあなたの自由です。まあこれから行っていただく三国志は歴史とも少しだけ違うので好きに動いちゃってください」
(適当すぎだろおい。ってか真名ってなにさ)
「真名っていうのは勝手に呼んだりしたら殺されるようなものすごく大事なものですから気軽に教えちゃだめですよー。時間も押してますしここまで。では外史の世界に……いってらっしゃーい!」
(ちょ、おま、言葉とかどうすんだよ!しかもまだまだ聞きたいことがたくさん――――)
 強かに言い切って手を振る少女。自分の言葉を言い切る前に意識が遠くなる。

 回る。廻る。くるくる落ちていく。

 暗い昏い意識の底へ。



「ミッションスタート。このイレギュラーで変わる。いや……変えてみせます。旧管理者の……」




 †





 暖かい日差しが身体全体に差し込み、一筋の柔らかい風が頬を撫でる。
「あ――大丈――」
 何か声が聞こえるがもう少し寝かせてほしい。
 変な夢見てたんだからちゃんとしたいい夢が見たいんだ。
(あれ?俺死んだんじゃなかったっけ?あの時俺のバイクにトラックが横から――――)
 バッと勢いよく飛び起きた俺は辺りを確認しようとして
「あわわっ!」
 小さな魔女と出会った。
 

 

出会ったのは雛鳥


 何だこの状況は。
 通勤途中に事故に合ってしまい、死んだと思ったら何故か変な少女に意味の分からない説明を受ける夢をみて、起きたら魔女帽子を抱えた青髪ツインテの可愛い少女がこっちを見ていた。

 おおう、木陰に隠れてこっちを伺うなんて……お持ち帰りしたい! よし、家まで連れて……ここどこだよ。オーケイオーケイ。まずは確認、俺の名前から。
 姓は徐、名は晃、字は公明、真名は秋斗。あってるな。
 ……あってねーよ! 日本人だぞ俺! ……本名が思い出せん。意味がわからん。何だこれ。夢で言われた名前のまんまだぞ。
 ん?つまり夢は現実ってわけか?じゃあここは三国志の世界で今から俺徐晃さんよろしく斧を振り回して乱世を駆ける的な?
 よーし!来いよ髭神様!青龍刀なんか捨ててかかってこい!
 嘘ですすいません勘弁して――「あのっ!」

 暴走する思考に流されるまま現実逃避していたら幼女が涙目で話しかけてきた。
 俺そんなにこわいのかな。とりあえず謝っておこう。
「すまない。驚かせてしまったな」
「い、いえ」
 おずおずと答える少女はビビりまくっていた。
 やばい可愛い。じゃなくて、俺の足元をちらちら見てるが……なるほど。驚いた拍子に本を落としてしまったが、俺が怖くて取れなかったわけか。
 本を拾い木陰の彼女に渡してやる。
「はい。そんなに小さいのにこんなに難しい本を勉強してるなんて偉いな」
 本は『軍略!応用から難解まで。』だった。この時代の幼女ってすごい、なんて思いながらフレンドリーに頭を撫でてみる。小さな子の頭は撫でとくもんだ。
「っ!」
 本を渡すと恐る恐る受け取り、すぐにバッと走って逃げてしまった。
 今更気付いたが俺は変質者とか人攫いにしか見えないのではないだろうか。
「やっちまった……。いきなり頭撫でるとか俺のバカ。しかしまあ、もう会うこともないだろ。」
 そう誰に聞こえずとも一つ呟き、自分の現状把握に戻ることにした。

 †

 急遽水鏡先生から卒業試験を言い渡され、朱里ちゃんは先に私は三日後から試験を受けることになった
 私塾で勉強しようとも思っていたが、いまいち集中する事もできず、どうせならといつも本を読んでいる特等席でしようと思い行ってみると、そこには大きな男の人が寝ていた。
 旅人のようで荷物と、長い剣のようなものも身体の脇に置いてあった。
 少し観察しているとうなされていたので、声をかけてみたが起きなかった。
 めげずに声をかけ続けていると、いきなりその人が飛び起きてびっくりして木の陰に隠れた。
 驚いた拍子に本を落としてしまい、落ちた場所は男の人の足元で取りづらくて、勇気を出して声をかけてみたら凄く申し訳なさそうな顔をしながら謝ってきた。
 そのあと……いくら人より小さいからって、子ども扱いして頭まで撫でるなんて。
「失礼な人でしゅ……」
 零れた独り言に慌てて口を塞ぐ。
 ちょっと怒っているからか噛んでしまった。卒業したらまず噛み癖を治さないと。
 少し時間が経ってから戻ろう。旅人さんなら街を散策するだろうしもう会うこともないはず。

 †

 旅に入用なものは大概そろっていた。
 巾着袋を見るとこの時代のお金がたんまりと詰まっていた。これだけあればしばらくは何もしないでも過ごせるだろう事が分かる。
 その他にも寝袋や簡易の手鍋、小刀などなど。そして最後に武器を手に取り、自身の命を守るであろうそれの確認を行う。
「ふむ。武器はこれか。」
 長い、ホントに長い。刀のような剣のようなよくわからないもの。普通の人より大きな身体をしている自分の身長よりも長い。
 ふと思い立って鞘付きで一振り縦に振る。嘶く風切り音は尋常じゃなく、地の埃を巻き上げて一筋の風が真っ直ぐに流れて行った。
 あまりの異常さに目を丸くしてしまったが、どうにか持ち直し何度か軽く型や頭に思い浮かんだ技の動きなどを繰り返す事半刻。
 しばらく身体動かし、前までの身体能力と比べてみて遥かに違和感があるので確信に至る。
 夢のことは半信半疑だったが武器の使い方もわかり、身体も前より軽いので信じるしかなくなった。
 これで乱世の中で戦わなければならないことが確実になったという事を。
 あの白の世界で聞いた少女の言葉が頭をかすめる。
『最終的に世界を変える気がないと判断された場合は上位意志の介入によってその世界自体が殺されます。その世界の生物全てが最も苦しむ形で……ね。』
 ゾクリと一つ寒気がして鳥肌が立った。本能的な死への恐怖から来たのか、それともあの少女に対するモノなのかは分からないが、きっと両方だろう。
 つまり殺さなくてもいいし逃げ続けてもいいが、結局全部を殺しちまうしこの世界にいる俺も死ぬ。俺のせいでみんな死ぬ……
 悪い方向にしかいかない思考を振り切るために頭を振り、現状できることをして行こうと考えてみる。
 いかんいかん! ネガティブになろうが来るもんは来る。ならできることしねーとな!
 まずは――
「腹へったなぁ……」
 死んだと言っても一応甦ったからか普通の人間と同じように腹は減るらしい。腹ごしらえついでにこのあたりのことでも聞いておこう。



 適当なものを食べて店主や客と話していろいろとわかった事がある。

 ここは荊州の襄陽であり近くに有名な私塾があること。
 この辺りは州牧である劉表が少し贔屓にしているらしく、ある程度平和で賊もほとんどいない。
 しかし他の地域では飢饉や疫病、難民の増大、上層部への不満などにより最近特に賊が増えている。
 曹操が出世した。
 天の御使いが乱世を治世に、等々。

 荊州の有名な私塾といえば水鏡塾かな?運が良かったら諸葛亮とか鳳統とかに会えたりして。後の蜀の二大軍師とか見ておきたいもんだ。
 劉表が贔屓にするのは水鏡塾があるからだろう。優秀な人材はこの時代ではほんとに貴重だし。
 曹操に仕えるのもなぁ。世界を変えなきゃいけないのに正史通りいったら難しいんじゃないの?とか考えてしまうのは安直すぎるだろうか。
 でも怖いなあ。目ん玉むしゃむしゃするおっさんとか100万の軍勢とか作っちゃう人と戦うなんて。
 考えただけで恐ろしくなる。殺意を向けられることなどほとんどない日本で暮らしてたんだ。戦争なんか想像もできない。
 しかし天の御使いってなんだろう。胡散臭いっていうかなんていうかよくわからん。
 そういえば、この世界に来て驚いたのがまず服装だった。なんでスカートとかビキニとかキャミソールとかがあるんだよ! 阿蘇阿蘇ってなんだ!正史とちょっと違うどころか全く違うんですが!

 いろいろと考え事をしたり、性悪幼女の説明不足にいろいろ不満を並べて歩いていたらもとの広場に来てしまった。
 まあいいかと渦巻く思考を打ち切り、木陰で一休みしようと思い近づいていくと見たことのあるとんがり帽子が視界に映った。
「また魔女っ娘がいる……」
 お気に入りの場所なのかもしれない。
 もう暗くなりはじめてるのに大丈夫なのか? って寝てるじゃねーか。こんなに可愛いのによく攫われなかったなホント。
「おーい。お嬢ちゃん起きろ」
 おせっかいかもしれないが関わってしまったんだ、せめて起こして家に帰るようにいってやろう。危ないし。
「……んー……」
 起きねーな。ほっぺた伸ばしてみよう。さっき頭撫でて逃げられた? 知らん、起きないのが悪い。
「起きろー。手遅れになっても知らんぞー。」
 うひょー! のびるのびる。それとすげぇ柔らかい。幼女のほっぺってのはなんでこうもうまそうなのか、って言ったどっかの店長の言葉が少しだけわかる。
「あふぁふぁ……朱里ひゃんいたいよぅ…………っ!あわわぁ~~~~!!」
 起きた! 目があった! 時間が止まった! と思ったら猛スピードで逃げて行ってしまった。あれなら世界を狙える……と、本忘れて行ってるし。あわあわ言うのは口癖なのかね。
 ちょっと休憩したら宿でもさがすかなぁ。
 本は明日にでも渡そうと思い、盗まれたら悪いので持っていくことにした。

 †

 不覚でした。
 まさか寝てしまうとは。
 あの後、本屋さんに行って新しい本を買って戻ってみたら、予想通り旅人さんはいなかったのでゆっくり勉強していたはずでした。
 いつの間に意識が落ちたのか、それでも暗くなるまで気付かないなんて。悩みごとで夜寝れないのも原因かなぁ。
 しかも旅人さんは戻ってきていて、あろうことか寝ている私のほっぺたをのばしにのばして……もう!
 久しく激昂していたので寮に着くまで今日買った新しい本を忘れてきたことに気付くことは出来なかった。

 †

 失礼な事をしてしまった。
 まさか水鏡塾が元服した人限定だなんて、宿屋の人に話を聞かなかったらずっと勘違いしていただろう。あの見た目だ、苦労しただろうに。可愛い女の子を傷つけるとは紳士失格だな俺は。
 昨日の女の子に本を渡そうと同じ場所に行くと、あわあわと警戒しながら木の後ろから魔女っ娘がこちらを睨んでいた。か、可愛い……っといかんいかん、まずは計画通りにいこう。
 くるりと身体を反転させて来た道を引き返し、近くの出店で特上のゴマ団子とお茶を買って戻る。
「昨日はすまなかった。どうかお詫びと謝罪をさせてくれ」
 謝罪と同時に取り出したるは野宿用のゴザ。
 その上に本と団子とお茶を置きすばやく茶をいれて少し離れてみる。
 魔女っ娘はポカンと口を開けたまま俺とお茶セットを交互に見やり、こちらを警戒したままゴザに座ってくれた。
 どうやら少しは話を聞いてくれるようだな。
 ホッと胸を撫で下ろし少し離れて地面に脚をおろす。
「子ども扱いして悪かった。後の賢者にたいして無礼が過ぎた。本当に申し訳ない」
 そう言って正座して頭を下げる。いわゆるDOGEZAだ。紳士として重大な罪を犯してしまったからにはこれくらいしなければならない。心からの謝罪は伝わるだろうか。
「か、顔を上げてください!」

 †

 警戒していた。失礼で危険な人だと。
 私を見つけたとたんに引き返した時は目を疑った。やっぱり失礼な人だと。
 次に疑問だらけになった。
 何故か高そうなお団子を買ってきてお茶の用意をし始めた事に呆気にとられ、なんとなく流されて座ってしまった。
 最後に驚いた。余りに完成された綺麗な流れで敬うように謝られた。こんな謝罪の仕方は見たことがない。逆にこちらが申し訳なくなってしまってしまう。
「そういう訳にはいかないな。君のような可愛い女の子の心を傷つけるなんて許されることじゃあないよ」
 か、かかか可愛い!?
 さらりと恥ずかしがる様子も無く紡がれた言葉を聞いて自身の思考が追いつかず、いつもの口癖が無意識に零れ出る。
「あわわ……。」
 頬が熱くなり、顔が紅くなってるのがわかる。思考が上手くまとまらない。どうしたらいいのだろう。
 とりあえず落ち着かないと、朱里ちゃんと話し合って、あぁ今朱里ちゃんいない――

 †

 一刻ほどDOGEZAしたままいると彼女はなんとか許してくれた様子。しかし一刻の間に何回あわわと聞いたことか。
 とりあえずせっかく団子を買ったのでお茶会でもと誘ってみたのだが、お団子を食べる姿に悩殺されそうだった。
「ご、ごめんなしゃい」
 突然謝る魔女っ娘。だが噛み噛みである。なんなのこの子、俺を犯罪者にしてしまおうという性悪少女の罠なの? とっつきでハート撃ち抜いてくるんですけど。
 思考がさらに暴走し始める前にまともな言葉を口に出そう。
「君が謝ることはないよ。それなら俺も」
「いえ放置してしまったのはさすがに」
「いやすまなかった。ほんとに――」
 すると彼女は急に口に手をあてて上品に笑った。
「ふふっ。あっ、すみません。でも許したのに謝ってばかりなので少し可笑しくて。……あなたはいい人ですね。」
 天使がいた。俺はただ茫然とその芸術的な一ページに見惚れるしかなかった。
 この気持ち! まさしく愛だ!
 どこかの武士道さんが俺の頭の中で叫んだ気がした。
「……? どうかしましたか?」
「いや、君の笑った顔があまりに可愛くて見惚れちまってた」
 正直に白状すると魔女っ娘は俯いてしまった。しまったまた怒らせちまったか。
「あ、あまり人前でそういうのは……」
 おずおずと口を開いたがどうやらドン引きしてるっぽい。ぶっちゃけすぎたな、自重しよう。ここは話の流れを変えるべきか?
「そういえば名乗るのが遅れて申し訳ない。俺は姓は徐、名は晃、字は公明という。気ままな旅人だよ」
 うん。自分の名前なのに違和感しかないがまともに自己紹介出来たはず。
「わ、私は姓は鳳、名は統、字は士元と申します。水鏡塾の塾生をしていましゅ。あわわ、噛んじゃった」
 なん……だと……?
 開いた口が塞がらないとはこのことか。
 鳳統がこんな……謎の杖使ってぐるんぐるん回る鳳統がこんな見た目幼女だっただと!? 三国志マニアが聞いたら卒倒しちまうんじゃないかな。
「……あの噂に名高い鳳雛に出会えるとは」
「あわわ、私なんかまだまだでし。朱里ちゃんのほうがすごいですし」
 目の前の余りに異常で違和感しかない歴史上の人物に、どうにか胸中を悟られないように誤魔化すと聞いたこともない名前が飛び出したが、この世界には真名という概念があった事を思い出す。
 鳳統よりすごい水鏡塾の人ってもしかしてあれか。何人もの髭のナイスミドルを地の底に叩き込んだあいつか。つまりこのハニートラップは性悪少女の罠じゃなく孔明の罠だったのか。おのれ孔明。ってかちゃん付けってことはまさかもしかしなくても女の子なのか。
「あ、友達のことなんですけどしゅごいんです!朱里ちゃんは私より成績がよくて目標が高くて先生も悩むことを思いついたり、あとは――」
 よっぽどその子のことが好きなのか興奮気味に話し続ける。キマシタワーが立てられそうだ。
 しばらく頷いたり、相槌を打ったりして長々と彼女の親友の凄い所を聞いて、言葉が途切れた所に自身の思った事を挟み込む。
「鳳統ちゃんはその子のことが大好きなんだなぁ」
 すると鳳統ちゃんは黙ってしまった。何故泣きそうになる。俺、なんか地雷踏んだ?

 †

 少し朱里ちゃんについて話しすぎた。
 私の話が途切れた合間に徐晃さんが放った言葉が胸に刺さる。
 ジワリと湧き出る黒い感情は、瞬く間に自身の心を埋め尽くしていく。

 その感情の名は嫉妬。

  なんでだろう。悩んでたこと、今この人に話したほうがいいって思う。
 最初は変な人だと思ったけど話してみると優しくて、先生と話してるみたいな気持ちになってた。受け入れてもらえそうな。甘えてもいいんだろうか。会ったばかりの旅人さんなのに。
「……大好きな親友なんです。でもたまに暗い気持ちを向けてしまうんです。がんばっても追いつけなくて、私には目標がないけど確かな目標に向かって努力する朱里ちゃんが羨ましくて、先生に私より褒められてるのが妬ましくて、嫉妬……してるんだと思います」
 気付けば話し始めていた。徐晃さんは真剣な顔で黙って聞いてくれている。こんな汚い気持ちをもった私の話を。
 あ……ダメだ止まらない。
「朱里ちゃんがいなければって何度も思いました。その度に自分が嫌いになって、直そうと思ってもまた湧いてきて。変わろうと思っても変わらなくて、一緒の主に仕えてこの大陸を良くしようねって言ってくれた時も、また私は影に追いやられるって思ってしまって、一緒にいられるのが嬉しいのに嬉しく……なく……て」
 涙が出てきた。自己嫌悪と恥ずかしさと親友への罪悪感に。徐晃さんの顔が見れない。きっと失望してるだろう。きっと幻滅してるだろう。鳳雛といわれてても結局は醜くて器の小さいダメな子だって。
「君は優しい。それに強いな」
 ポンと私の頭に手を置き、優しい手つきで頭を撫でながらその人は話す。
「誰に話すでもなく自分の内で罪悪感と戦い、自分を変えようと努力する。それに自分の才に驕らず上に上がろうと努力し決して折れなかった」
「でも私は汚くて、醜い、最低なことを、考えて……」
 そう、親友に嫉妬するなんて普通じゃない。最低なことなんだ。
 しかし徐晃さんはしゃくりあげながら話す私の言葉に黙って首を振った。
「醜くなんてないさ。いいんだよ、人間なんだ。誰だって自分に無いものを持ってる人に嫉妬する。羨望もするだろう。引きずり下ろそうとするかもしれない。でも君は親友を貶めることよりも自分が変わることを選んだ。怖くて嫌いでも嫉妬する自分を受け入れて乗り越えようとしている。それは普通の人ができることじゃない。君は強くて、優しい、いい子なんだ。大丈夫、君は最低なんかじゃないよ。そんなにも親友の事を想い、頑張ってるんだから」
 優しく微笑んで言い聞かせるように紡がれた言葉は、親友を妬む私をも認めてくれていた。
「それに今は足りなくても努力すれば届くかもしれない。違うことなら勝てるかもしれない。月は触れないが、湖面の月は捕まえられるんだ。考え方なんか無数にある。嫉妬するのは全部試してからでも遅くはないと俺は思う」
 私の心に彼の言葉が染み込んでいく。そうか、自分の限界を自分で決めてしまったら終わりだ。
 胸の中にポッと小さな火が灯った。煌々と燃えるこの小さな決意の火は、これからもっと大きくしよう。
 優しく私の頭を撫でる手は、もういないお父さんのように暖かかった。

 †

 まだ少ししゃくりあげている鳳統ちゃんのために、すっかり冷めてしまったお茶を淹れなおして手渡す。
 ゆっくりと飲んで、ほうと息をつく顔は少しすっきりした感じに見えた。
「す、すみましぇん。いきなり泣き出してしまって」
「いいよ。俺も偉そうなこと言ってすまなかった」
「いえ。その……うれしかったです」
 ほにゃっと笑うその表情は先ほどまでの泣き顔とのギャップからか、非現実的な可愛さだった。
 本日二度目の天使の笑顔いただきましたー。俺この子一生守るわ。呂布だって倒してやるぜ。
「それであの……その……」
 もじもじして余計可愛いぞ。まだ攻撃を続けるというのか。俺の紳士ゲージがマッハなんだが。
 沸々と湧き上がるなでなでしたいという衝動をなんとか抑えつつ、彼女から続けられるであろう言葉を待った。
「わたしゅ……あわわ、わ、私の真名、雛里っていいましゅ」
 真名……ってこの世界では殺されるレベルで大事なものか。あの胡散臭い腹黒少女に説明された事柄を思い出し、しかしどうしていいか分からずに戸惑ってしまう。
「真名で呼んでください」
 真っ赤になりながらギュッと目を瞑ってそう言われた。真剣な声は緊張しているのかわずかにだが震えていた。
「……いいのか?」
 俺なんかに、とは言えない。それは多分聞いてはいけないことだから。
「お、お願いしましゅ……」
「……俺の真名は秋斗。受けてくれるか、雛里?」
 ならばと思い立ってこちらの真名も差し出す。この世界ではそうしたほうがいいような気がした。
「はい!秋斗さん!」
 雛里に太陽のような明るい笑顔が広がったところをみると正解だったようだ。
 ほっと胸を撫で下ろして大切なモノを預けてくれたんだという事を自身の心に刻み込む。

 それからは他愛のない会話をしばらく続けていたが、結構な時間話し込んでしまい、夕暮れの斜陽に気付き慌て始めた雛里を見送って楽しいお茶会は終わった。
 
 その日俺は初めてこの世界に馴染んだ気がした。 

 

理想を求める者


 魔女っ娘のような恰好をしたこの世界の鳳統である雛里と仲良くなってから数日。
 俺は現在、屋根付き馬車の荷台にて揺られている。目の前では二人の幼女(見た目だけ)が仲良く並んで本を読みながら談笑していた。
 読んでいる本は『政治の全て、清流から濁流までお手の物!』というタイトル。
 なんだよそれ。怖ぇよ。タイトルからして腹の真っ黒な人たちが書いたのわかるじゃねーか。どこに談笑する要素があるんだ。
 さすがの俺でもちょっと引きながら眺めてたら件の魔女っ娘と目が合う。
 瞬間、彼女は帽子で顔を隠し、あからさまに目を逸らされる。
 ……いつから仲良くなったと錯覚していた。
 おかしいな。目から汗が。
 悲哀の感情に落ち込みながら、馬車に乗り旅をすることになった今日の出来事を思い出し始める。



 雛里が卒業試験を終え、合格証明を貰ったとの報告を朝早くに出会った場所にて満面の笑みで伝えてくれた。
 彼女の報告くらいは聞いてから本格的に旅に出ようと考えており、何よりもせっかく仲良くなったのでおめでとうくらいは言いたかったから。
 雛里の試験期間は他の誰かと知り合いなわけでもないので、簡易何でも屋さんを開店して資金集めを行っていた。
 屋根の修理や爺さんの肩たたき、料理屋の皿洗い等々。
 二日ほど前に熊退治の仕事を依頼されてびっくりしたが報酬は多かったのでよし。それのおかげで旅の資金には十分すぎるほど貯まってしまったが。
 その時に熊退治を一緒に行った兵士から軍に入らないかと誘われたが断った。まあ、熊を一撃で倒してしまったので仕方のない事だと思う。
 数日の出来事を思い出しながら、とりあえず雛里の報告を聞き、少し話をしていると彼女の様子がおかしい。
「どうした?元気ないな」
 そう、瞳が少し翳っていて試験前と比べても元気がない。さらについ先ほどまでは天使の笑顔だったというのに。
「……住み慣れた街を離れるというのは寂しいものですね」
 雛里の言葉を聞いて落ちている感情の原因が理解できた。
 ああ、そうか。雛里ほど優秀な子が卒業するってことはどこかに士官しにいくわけだから当然そうなるよな。
 寂しい気持ちを隠す事なんかできないか。
 俺には彼女に掛ける言葉が一つとして思いつかず、ただ「そうだな」と返答する事しか出来なかった。
 それから雛里は暗い気持ちを誤魔化すように、この街に来た時の思いから行きつけの甘味処の話、他にもたくさんの思い出話を聞かせてくれた。
「秋斗さん。一つ無理を言ってのお願いがあるんです」
「……聞かせてくれ」
 思い出話が途切れた所で雛里がこちらを見つめて申し訳なさそうに提案を行う。
 お願い……なんだろう。全く予想がつかないんだが。
「私と友達の二人を幽州の劉備さんのところまで護衛してくれませんか?」



 そのお願いに対しての返答が今の状況。
 返事をするや否やすぐに荷物を取りに帰り、度々話に出てきた親友を連れてきて俺に紹介し、商人に話をつけてから昼過ぎに馬車に乗り込んだ。
 驚くような手際の良さである。
「はわわ、すみましぇん。いい、いきなりおちゅれしてしまったのに……こほん、詳しい説明もせず私達だけで話し込んでしまって……」
 さっきまでの出来事を思い出していたら、所々噛んで真っ赤になる諸葛亮ちゃんに話しかけられる。もしかしたらこの世界の軍師は全て噛み噛み幼女なのかもしれない。
 咳払いを一つして、どうにか噛まなくなったのかつらつらと今回の件の説明をしてくれたが、要約するとこうだ。

 今日しか幽州行きの馬車はなく次を待つとなるとひと月は開いてしまうこと。
 護衛をしてくれる人が欲しかったが旅用の資金しかないこと。
 雛里から俺の話を聞き、街で噂の熊退治の人と結びついたこと。
 勝手を言って申し訳ないということ。
 諸葛亮ちゃんも天使だということ。

 おっと、心の声が混ざったか。しかし本当に卑怯なほどロリコン殺しな二人で、この子たちがいたら世界中のロリコンは仲間にできることだろう。
 そういや雛里が目も合わせてくれないのは罪悪感か? 気にしなくていいのに。
「気にしなくていいよ、雛里も諸葛亮ちゃんも。それに俺もそろそろどこか違う所へ旅に出るつもりだったからちょうどいい。歩くより遥かにましだしな」
 雛里はやっと顔を上げてくれたが、何かに気付いたのか急にあわあわと呟きだし、真っ赤になりながら目をぐるぐる回して慌て始める。
(ひ、雛里ちゃん! 男の人に真名を預けたの!?)
 諸葛亮ちゃんが雛里に対して小声でなにやら尋ねているが声が小さすぎてこちらからは全く聞き取れない。
(し、秋斗さんは信頼できるし優しい人だから)
(真名も預かってるの!?)
 驚きながらひそひそと話し続ける。
 修学旅行のバスの中みたいだなと前に生きていた世界を懐かしみながら、一応男子禁制の会話かもしれないのと、少し馬車の商人と話すために二人の世界に入り始めた彼女達を置いて外に出る。
 緩やかに流れる風、ある程度規則的に伝わる振動、林道に入っているからか新緑の澄み渡った香りが心を落ち着かてくれる。
 こういうのいいなぁ。ゆったりと馬車の旅。電車や車は早いけどゆっくり落ち着くゆとりもないし。
「よう兄ちゃん。可愛い妹さん達の相手に疲れたのかい?」
「そんなところさ。そういえば商人さん、幽州って今どんな感じなんだ?」
「そうさなあ。うーん、最近物忘れが激しくていけねぇや。もうちょっとで思い出せそうなんだがなぁ……」
 にやにやと笑いながら言っても説得力ないぞ商売人め。
 心の中で毒づいて、出来る限り穏便に笑いながら懐からいくらか渡してやる。
「思い出したぜぇ! なんでも烏桓との関係が危うくなってるらしくてよ、下手したら戦になるかもって話が上がってるな」
「ふむ、糧食の動きは?」
 こちらが話が終わる度に聞き返すとつらつらと話してくれる。
 どうやらいい商人に当たったようだ。前情報は入れておいて損はない。
 ひとしきり有力な情報は聞いたのでお礼を言い、追加のお金と熊退治の報酬に貰った酒を渡す。
 兄ちゃん出世したら贔屓にしてくれよーと嬉しそうに言ってくれたので、顔と名前を頭の隅に叩き込んでおいた。
 それから中に戻ると体育座りでお互いに頭を預けながら手を繋いで眠る天使二人。ここにキマシタワーを建てよう。
 馬車に乗る前に買っておいた薄めの掛布団的なものをかけてあげて、俺は対面に座って目を閉じ、幽州に着いたら何をするか考えながらまどろむことにした。



 何日か旅を続けた俺たちは幽州は公孫賛が治める地までやってきた。
 旅の途中で仕事仲間なのか女の商人と合流し、二人はそちらに乗ったので対して関わり合うことも、話すことも無かった。
 もし、俺がこれまでどこを旅していたか、などと聞かれていたら答えられなかっただろうから好都合ではあったがさすがに男だけでは寂しかった。
 乗せてくれた商人たちに礼を言い、お金を払ってから分かれて街の様子を見やる。
 人々の表情は安穏としており、のんびりとした空気がそこかしこで漂っていた。うん、のどかだ。
 先に二人から聞いた話によると、この世界の劉備は客将として義勇軍を率いているらしい。
 三国志のビッグネームがすぐそばにいると思うと胸が熱くなるな。美少女名軍師も一緒にいるし。しかし黄巾の乱も始まっていない時期に諸葛亮と鳳統が入りにくるとか時系列が変だ。いや、徐晃がここにいる時点でおかしいか。
「り、劉備さんは最近賊の討伐から帰ってきたばかりなようでしゅ」
 近くの店に聞き込みに行っていた諸葛亮ちゃんと雛里が帰ってくる。聞き込みされた店の人も、よもやこの二人が名軍師とはおもうまい。
「りょーかい。基本拠点場所は聞いておいたよ。たまに公孫賛のところで練兵とかしているらしいが今回は運よくいるみたいだ。」
「劉備さんは義勇軍なので直接志願することができそうですね。」
 こちらも聞き込みをしておいた事柄を伝えると、ふんす、と気合十分に話す諸葛亮ちゃん。どうやら劉備にものすごく期待しているようだ。微笑ましい。
 さてさて、名残惜しいがもう大丈夫だろうし俺はここいらで、と考えて二人に別れを告げる事にした。
「よし、後は二人で行けそうだな。短い間だったが楽しい時間をありがとう。諸葛亮ちゃん。雛里」
「えっ……」
 俺が放った言葉に落胆の表情で雛里は茫然とこちらを見上げた。
 まさか雛里は俺が劉備のもとへ一緒に志願しにいくと思っていたのか? そんな悲しそうな顔しないでくれ。
 そんな様子を見てかすかさず諸葛亮ちゃんがフォローに入る。雛里のだったが。
「徐晃さん。約束は私たちが劉備さんに会うまで、だったはずです。雛里ちゃんとの約束……守らないんですか?」
 こぇぇぇぇぇ! 目のハイライト消えてるんですけど!
 あまりの恐ろしさにびびっていると雛里が服の袖を摘み、涙目でこちらを見やる。無理だ、この布陣……逃げられるわけがない。これが伏竜と鳳雛の力か。
「確かにそうだった。ごめんな雛里、諸葛亮ちゃん」
 おおう、劉備と会うことが確定しちまった。カリスマとか勢いにおされて軍に入っちゃいそうだから嫌なんだが。戦う覚悟とか決まってないし。
 それより諸葛亮ちゃんが普通に戻ってる。さっきのは一体なんだったんだ。
 疑問に首を傾げて思考を続け、袖を引かれながら俺は城への道を歩き始めた。

 †

 仲良くなったとは言っても秋斗さんは旅人。
 約束は劉備さんに会うまで。そこで引き止められなければきっと離れることになる。
 一緒にいてほしい。
 乱世に立つのが不安だからだろうか。
 また弱い自分を受け入れてほしいからだろうか。
 もう少しだけ甘えさせてほしい。一人で飛べるようになるまで。
 よければそれからも近くで見守っていてほしい。
 あぁ。お城についちゃった。がんばらないと。


 雛里ちゃんはきっと徐晃さんを兄みたいに慕ってるんだろう。
 恥ずかしがって出会いのきっかけは話してくれない。
 前はなんでも話してくれたのに。
 私は徐晃さんに嫉妬してる。その場所は私だけのモノだったのに。
 だから本当はさっきさよならを言うつもりでいた。
 悲しい顔をする雛里ちゃんを見たら言えなかった。むしろ徐晃さんに腹が立った。
 私は親友を泣かさないためにできることをしよう。
 それに熊を退治出来る程の力があるなら、きっと人もたくさん救えるはず。

 †

 城の前に到着して、門番に劉備義勇軍の参加希望ですと諸葛亮ちゃんが伝える。
 ちょっとまて、その言い方だと俺も参加希望だと思われるんですが。
 にこっと俺に笑いかける諸葛亮ちゃんだったが開いた瞳からは先ほどのようにハイライトが消えていた。ああ、これは孔明の罠なのか。
 どうやって回避しようかと考えていると巨乳のねーちゃんが出てきた。
 見た目は麗しく、凛とした瞳には芯の通った強い光を宿し、流れる黒髪は日光を反射してきらきらと輝いていた。
 うわ、髪の毛さっらさら。こんな綺麗な黒髪みたことねーや。
「義勇軍志望というのは……あなた方か?」
 訝しげな眼を向けて俺達を見やり、一言。
 そりゃ言い淀むだろうよ。見た目幼女二人侍らせた男が来たらな。あ、ここに来るまでの変な視線はそのせいか。よく捕まらなかったなぁ、俺。
「いえ、俺はこの子たちの護衛を依頼されました徐公明といいます。この二人が義勇軍志望ですよ」
 さらっと自分は違うと否定して保険をかけとく。見上げながら悲しそうな顔しないでくれ雛里よ。諸葛亮ちゃんの刺すような視線が痛いです。ねーちゃんは……怪しんでるな。うん、普通おかしいもんな。
「諸葛孔明と申します」
「鳳士元といいます」
 二人は自分の見た目をわかっているからか水鏡塾の卒業証明を見せながら自己紹介する。
 最初は訝しげであったねーちゃんは名前を聞くと驚いて、証明を見て確認すると丁寧に返答する。
「噂に聞く伏竜と鳳雛のお二人が我が主に会いに来ていただけるとは光栄です。私は劉玄徳様の家臣の関雲長と申します。我が主のもとへご案内致します」
 一礼をして背を向け先導する関羽……関羽?
 このねーちゃんが関羽だと!? 美しい髭はどうした! 髪が綺麗だから美髪公ですってか? ふざけんな! なんなんだこの世界は! 有名処みんな女の子なのかよ……
 頭を抱えたくなるような衝撃を受けてしばし関羽の後ろ姿を凝視してしまっていたが、雛里に袖をひっぱられながら城の中に入る。何故また掴んでいるんだ。
 英雄だらけの世界で不安と緊張と恐怖しかなく、これからのことをどうにか考えようとしたが、袖を掴む天使とハイライトの消えた瞳で微笑みながらこちらを見る悪魔のおかげで、なるようになるかーと思考放棄することしかできなかった。

 †

 僥倖だった。
 もはや軍の運営は私だけではまかないきれないほどになっていたから。
 様々な支援をしてくれている公孫賛様にはもう今以上の要求はできない。
 そこに志願しにきてくれた二人の賢者。やはり桃香さまは天に味方されておられるのだろう。
 しかし護衛の男。飄々としているが隙がない。身体の運びも武人のそれだ。かなりの力量だろう。
 男など大したことはないと思っていたが、存外いるものなのだな。
 だが……桃香様に不埒なことを少しでもしようものなら……
 ん? 随分士元殿に懐かれているのだな。孔明殿も棘はあるが嫌ってはいないようだ。二人とも愛らしいな。精霊のようだ。
 はっ! いかん、士元殿と孔明殿の対応からすると大丈夫だと思えるが気は張っておかなければ。
 しかし桃香様はうまくやってくれるだろうか。
「しばしお待ちを。桃香様! 志願者の方を連れてまいりました!」

 †

 関羽に促されて部屋に入った俺達を出迎えたのは桃色の髪をした、年齢は高校生くらいであろう胸の大きな女の子。
「遠い所をありがとうございます。私が義勇軍大将劉玄徳です」
 甘くて透き通った声が耳に響き、彼女に笑顔を向けられると、何が起こったのか全身が緊張してただその場に立ちすくむ。
 やわらかな笑顔に圧倒されるなんて初めての事だった。英雄の放つ覇気といえばいいのか、思わず膝をついてしまいそうになる。
 本物だな。一言喋っただけ、ただそれだけで空間を支配していた。
「しょ、諸葛孔明です」
「ほ、鳳士元といいましゅ」
 慌てて自己紹介する希代の軍師二人もその覇気に飲み込まれているのが分かる。
 自分の名前を紡ぐのでやっとなようで、声は震え、カチコチに身体が強張っていた。
「徐公明と申します。この子達の護衛を頼まれてここまで送らせていただきました」
「……」
 なんとか普段の拍子に敬語を取ってつけて自身も自己紹介を行ったが、劉備は何故か厳しい表情で押し黙ってしまった。俺たちは何か粗相をしてしまったのだろうか。
「桃香様? 如何しました?」
 関羽の問いかけにも無反応でこちらを見据え、部屋全体をピリピリと緊迫した空気が包む。
 一つ対応を間違えれば首が飛んでしまうのではないかというほどに。
「だめだぁ!やっぱり堅苦しすぎるのは無理だよ愛紗ちゃん!」
 突然素っ頓狂な声をあげた劉備は関羽に涙目で訴えかけ、俺達は先ほどの姿とのギャップにポカンとするしかなかった。
「桃香様!賢者二人がいらしてくれているのにあなたという人は……」
 わなわなと震え始める関羽は怒りのボルテージが徐々に上がって、その顔はみるみるうちに赤く染まっていく。やべー、正直すげー怖い。母親がマジ切れした感じだ。
「ご、ごごごめんなさーい!でもこんな可愛い子達の前で重い空気にしちゃうなんて耐えられないよー」
 しゅんと関羽に謝る劉備を見て場の雰囲気が和らいで、諸葛亮ちゃんと雛里もほっと一息ついて緊張がほぐれたみたいだった。
 これを天然でしているのか。バカというか器が広いというか……もはや完全に劉備のペースだな。
「ごめんね。長旅で疲れただろうからゆっくりくつろいでほしい。お菓子とお茶をどーぞ。」
 先ほどの覇気は何処へやら、にへらと笑い、棒立ちのままの俺たちを椅子に座るよう促してからお茶を勧める。まだ怒っている関羽も今回の主役は軍師候補二人であるためかしぶしぶといった感じで劉備の後ろに立った。
 俺も真似して二人の後ろに立ち、話を聞こう。
 え? いかにも護衛っぽくてかっこいいからだよ。



 それぞれの自己紹介が終わり、劉備様から義勇軍の今置かれている状況などの説明を聞いていた。
「今の私たちの現状はこんな感じかなー」
 危うい。この軍はぎりぎりだ。劉備様の話を聞いてこの軍の詳細がわかったけど、あと半月私たちが来るのが遅かったら兵士や民たちの不満が手遅れになっていただろう。
 でも打開策はある。雛里ちゃんも考えついたみたいだ。二人とも登用してもらえたらうまくいくだろう。
「危ういな。だが三つ抑えれば間に合うかな」
 突如聞こえた真後ろからのありえない呟きに驚く。
 この人は気付いていたのか。ぼそっと彼が紡いだ言葉が聞こえたのはきっと私たち二人だけ。雛里ちゃんも目を丸くしている。
 徐晃さんは三つと言った。きっと関羽さんも劉備様も二つまでは分かってる。でも三つ目は普通気づかない。いや、まだ気付けない。
 打開策は三つを抑えて成る。
 一つ目、兵が短期間に連続して入れ替わるために錬度の格差のある兵士による統率の乱れ。義勇軍はこの乱れた世と劉備様の仁徳で普通以上に志願してきているだろう。
 関羽さんと張飛さんの二枚看板がいたからこそ今までもったと言っていい。これは目的意識の統合とわざと格差をつけた練兵によって回避できる。
 もう一つは公孫賛さんとの関係の摩擦。支援に頼りすぎていることから打ち切られると潰れる。
 ぎりぎりの範囲の譲歩をしてもらっていることだろう。しかし支援を減らすよりも向こうの得を増やせば大体は解決される。私たちならしてみせる。
 最後は、これは先二つの根底にもなる広い問題。
 義勇軍志願兵の増加による全体的な村の働き手不足と税率の低下。
 今の世は義勇軍が立つことは珍しくない。故郷を守るためなのだから自然なこと。
 その後は? 兵士となる者、将となる者、帰らぬ人になった者、それを機に違う地に移る者等たくさん出る。
 そこから先はどうなるか。若い人の少なくなった村は併合するしかない。あぶれた人は? もし違う賊が攻めてきたら? 飢饉がおこったら?
 気付かないのも仕方ない。民の不満はじわじわと広がっていく毒と同じなのだから。
 さらに悪いことに今は民を救っているのだから為政者の人も責められないのだ。
 予測し、気付かせ、献策し、防ぐのが私たち軍師の仕事。
 では徐晃さんはなぜ気付けたのか。
 今はいい。それよりもあれを確認しておこう、劉備様に。いや……雛里ちゃんが聞くみたいだ。
「劉備様は……何をもってこの乱世にお立ちになりましたか?」
 そう尋ねた雛里ちゃんの問いかけに対する劉備様の答えを、私は期待の気持ちをなんとか抑えつつ待っていた。



 諸葛亮ちゃんも雛里も気付いていたか。見落としているだろう事を。さすがは希代の天才軍師だな。
 問題、課題は多いものの、軍が立ちいかないわけではないのだからあと一押しでこの二人は劉備についていくだろう。彼女達が聞いた噂通りなのかどうか、目的を確認するのが最終確認というわけか。
「私は……誰もが笑って暮らせる争いのない優しい国を作る。それが目標だよ。そのために犠牲になってしまう兵士さんもいる。でもその命を背負って私は暖かい国を作りたい」
 凛とした声と決して曲がらないという決意の籠った瞳。
 この世界の女の子は強い。きっとすでに死んでいく義勇兵を数多も見送ってきたのだろう、史実通りなら普通の娘としての道もあったはずだ、だがその理想は――
「私は愛紗ちゃんや鈴々ちゃんみたいに強くない。諸葛亮ちゃんや鳳統ちゃんみたいに頭もよくないんだ。でもね、一人じゃできないことも皆ですればできると思う。だからね、こんな私に、私の理想の実現のために、どうか力を貸してください!」
――いばらの道だ。理想には絶対に届かない。しかしそれでも追いかけ続けるのなら付いていく価値はあるだろう。
「私の真名は朱里といいます。あなたの理想を叶える為についていかせてください」
「真名は雛里といいます。私もあなたの末席に加えてください」
 関羽が軍に加ることを決めた二人にやさしく微笑んだ後、こちらをキリとした表情で見てから口を開く。
「徐晃殿。よろしければあなたも共にきて頂けませんか? あなたにはかなりの武の才が見受けられる。武で桃香様を支えるには、私と義妹だけではいささか心許ないのです」
 軍神関羽からそんなに褒められるとは思わなかった。嬉しいじゃないか。
 殺しをする覚悟など未だに出来ていないが、どうせどこかで行わなければいけないんだ。それならば早いうちがいいだろうし、もしかしたらここで――
 ただ、決めてもいいが示してほしいことと、引いておく線がある。
「劉備殿」
 関羽に一つ頷き劉備に向かい合い声をかける。
「は、はい。」
「その理想、何があろうと迷わず追いかけ続けられますか?」
 迷ったなら、一度でも躓くならその理想は叶わない。いや、その程度で叶える事など出来るわけが無い。
「実現してみせます。必ず」
 断言したな。いいだろう。迷うなよ? 俺は世界を変えるんだ。ならこの救えない、しかし尊い理想に賭けるのも手だ。
「俺は真名を秋斗といいます。その理想を貫き通す限り、俺はあなたの剣になりましょう」
「ありがとうございます。私の真名は桃香です。三人とも、これからよろしくお願いします」

 

 

軍神、燕人、昇竜、そして……

 初めての公孫賛軍との合同訓練を終えた俺は、練兵場に座り込んで一息ついていた。
 新しく入った兵たちは男である俺の言うことなど聞くかといった態度だったがために酷く心が落ち込む。
「なんだかなぁ」
 女性のほうが優位なこの世界では男の将は異端。
 それに見慣れた将が凄すぎて、見劣りもしてしまうのだろう。彼女らの噂はそこかしこで兵達に囁かれていて耳に残っていた。

 一人は軍神、実力もさることながら姿も美しい。
 ひとたび戦に出れば敵でさえも魅了してしまうその武はもはや芸術の域。

 一人は燕人、見た目こそ少女だがその武は軍神でさえ己より上と示すほど。
 戦において先陣を切り、軽々と敵を屠る様はまさに名を表す。

 最後は昇竜、軍神に勝るとも劣らない容姿をした美女。
 放つ槍は立ちはだかる敵を穿ち、戦場を舞う姿はさながら蝶のよう。

 それにくらべて俺。
 武骨でわけのわからない長い剣を使う見た目も普通(と思いたい)な男。
 戦場に出たこともなくいきなりやってきて上司だという。そいつに従えってか?
 そりゃ無理だ、申し訳ないけど。
 どこかの首つり男ロボットに乗った主任の嘲るような声が聞こえた気がした。
 やっぱりなぁ、と落胆しそのまま頭を抱える。
「お兄ちゃん落ち込んでいるのか?」
「あぁ、鈴々。自分の求心力の無さに呆れてね」
 件の燕人が俺を心配してか近寄ってきて軽く声を掛ける。
 赤い短髪にスカーフを首に巻いた少女の名は張飛。真名は鈴々。
 どこからそのような力を出しているのか分からないが、噂では岩をも粉砕するとのこと。
 真名の交換については、
『これからは理想の実現目指して戦を共にする仲間なんだから真名を預けて心に刻んでほしい』
 と桃香が言い、紹介された鈴々と共にこの世界の関羽、諸葛亮である二人の真名も預かった。
 関羽の真名は愛紗、諸葛亮ちゃんの真名は朱里と言った。
 ちなみに桃香は年上の俺から敬語で話されるのはむずがゆい、とのことで公式の場以外は呼び捨てにさせてもらっている。愛紗が猛烈に反発したが押し切られていたが。
 そのことからか未だに彼女は俺を睨んでくる。ほらまた睨んでる。
「秋斗殿」
「な、なにかな」
 つかつかと仏頂面で近づいて来て、キッとこちらを見やり、
「勝負しましょう」
 全く訳の分からない事を言い出した。確かに強化されてはいるし、兵相手の試合でも敵はいなかったが、さすがに軍神と勝負とか勘弁していただきたい。
「……なんで?」
「あなたの実力を測るために。それと私情です。安心してください、試合ですから無茶はしません」
 冷や汗が背中を伝い、引けた腰でビビりながら理由を尋ねたが返ってきたのはそんな答え。
 私情がメインじゃないんですかねぇ。試合じゃなかったら殺す、みたいに聞こえるんだが。
「やれやれ、徐晃殿は己より弱い兵相手なら戦えるが、自身より強い女に迫られると逃げるような意気地なしらしい」
「そうなのかー。お兄ちゃん、かっこわるいのだ」
 黙っていたら神経を逆なでするような声で趙雲が言い、続けて鈴々に落胆される。兵たちの前で言われたのでクスクスとそこかしこから笑い声が上がっていた。
 しかし臆病風に吹かれている俺はただ沈黙するしか出来なかった。愛紗の武を目の当たりにしていたからこそ。
「やはり男など……その程度なのでしょうな」
 心底下らない、と言いたげな冷やかな眼差しでこちらを一瞥してから踵を返してどこかへ歩いていく趙雲。彼女から放たれた言葉は、俺の心に苛立ちの波を立てるのに十分だった。
「いいだろう……そっちも全力でこいよ愛紗。それと倒したらお前だ鈴々。趙雲、お前はその後でも十分だ。まあどうせ、そのまま逃げるんだろうけどな」
 そう言って離れて武器を構える。ここまで侮辱されて黙ってられるか。
 趙雲はピタリと脚を止め、すっと目を細めてこちらを睨んだ。負けずと睨み返し、互いに向ける昏い感情と視線が交錯し合う。
 しかし一つ疑問が起こった。才色兼備な彼女が誰かを簡単に貶めるだろうか。俺に非があるんじゃないだろうか。
「やる気になって頂けたようで結構。しかし――」
 思考に潜り込む前に愛紗が武器を構え、そして、
「私に簡単に勝てる、心外ですね」
 怒気と闘気が綯い交ぜになって溢れ出し、あまりに圧倒的なプレッシャーに逃げ出したくなる。
だがしかし、俺も引くことなど出来やしない。
 覚悟を決めて神経を研ぎ澄ませてから愛紗に向けて駆けだして……己が武器を振り下ろした

 †

 大上段からの大振りから始まったこの戦いは、一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。
 偃月刀を振る、彼が身体を軽く捻って避ける、流れに任せて剣を薙いで来る、返す刃にて大きく弾く。
 正直ここまでとは思わなかった。しかも彼にはまだまだ余裕がある。
 互いの武器が大きく鳴いて、弾かれる二つの身体と開く距離。息を荒げることも無く、静かに、深く平常時と変わらない呼吸と共に秋斗殿に言葉を掛ける。
「なかなかやるではないですか」
 闘う中、徐々に力も速さも上げていっていた。彼の力を測るために。私とある程度戦えることを見せれば、兵達も彼を認めると思ったからこそ。
 だがこれは思わぬ収穫だった。本気になったところも見てみたい。闘ってみたい。
 武人としての本能か、赤く轟々と燃えたぎる炎が心を焦がし、もっと強く、もっと速くと囃し立てる。だがまだだ、自身が本気を出してしまえばすぐに終わってしまうかもしれない。それでは彼の力量を正確に測る事など出来やしない。
 そろそろもっと力を上げて……
 逸る心を抑え付けてもう一段階、強さを上げようとした所で、
「おい」
 突如彼は剣を下げてこちらを睨み一言。
「お前、本気だせよ。じゃなきゃ負けるぞ」
 そう言ってゆっくりと彼は左手を前に出し剣を水平に構えた。途端に己が脳髄から警鐘が鳴り響く。
 殺気とも呼べる圧倒的な闘気が彼から溢れ出し、私の身体を覆うように纏わりついた。


 大地を蹴る音は無く、しかし視界に見える彼が大きくなった。近づいて来たのだ、と思う頃には相手の武器を弾くには遅く、瞬時に、意識せずに本能のみで身体が横を向いた。
 彼が放ったのはただの突きだった。ただし間合いの外から、私の目でも捉えるのが難しいほど速く突撃して。
 ギリギリで躱した私の頭の中でカチリと音がして何かが切り替わる。渦巻いていた思考が投げ捨てられ、ただ相手を倒す方法のみを導き出し始めた。
 下から、彼の視界には入らないであろう場所から渾身の力を込めて偃月刀で斬り上げる。しかし鮮血が舞う事は無く、そこにはもう消えたように姿は無かった。
 円軌道を描いて移動した彼の姿を見切っていた私は、後ろからの先ほどまでの戦いよりも数段速く、力強い袈裟切りを身体を捻り柄で受け止め、互いの武器が甲高く鳴いた。
 その音を合図として支点をずらし、最速の石突を放つと彼の腕にあたった、だが同時に動いていたのか死角によって見えなかった脚に蹴りを喰らう。
 二人ともがその場から動かずに何合も打ち合うが、ここは互いに必殺の距離のはずだった。しかし決めることが出来ない。悉くを弾きあい、避けあい、ぶつかり合っている。
 相手はほぼ片腕で、重さが減っている。
 私は踏ん張れない、鋭さが落ちている。
 歯痒さからか自然と今放つことのできる一番強い一撃をぶつけ合って、その反動で身体が弾き飛び距離が大きく離れる。
 声一つ聴こえない静寂の中、互いに無言で目線を交わす。一瞬ここが戦場ではないかとの錯覚を覚えてしまった。
 私は笑った。楽しい。もっと続けよう。
 彼は笑った。同じ気持ちなのかもしれない。
 ならば続けようどちらかが倒れるまで――
「そこまでなのだ愛紗!」
「武器を降ろしてほしい、徐晃殿」

 †

 趙雲と鈴々が膠着状態に入った俺達の間に入り試合は終わった。
 試合が終わると見物していた俺の隊に配属される予定の義勇兵たちは一斉に地に膝をついて頭を垂れ、最前列の一人が口を開く。
「我らはあなたと共に戦いたい。その武に我らは従いたい」
 空気が張り裂けるような大声で、唸るように叫んだ身体の大きな男をただ見つめて漸く気付く。
 そうか、愛紗はこれを狙って試合をしかけてきたのか。
「これで俺たちは一つの隊となった。一人でも犠牲にならないよう、共に強くなろう」
 きっといい部隊にしてみせよう。一人でも多く生き残らせてみせよう。


 隊の者達も解散して行き、練兵場の出口に向かい歩き出そうとした頃に趙雲がゆっくりと近づいて来て俺に声を掛けた。
「数々の無礼な発言、申し訳ない」
 すっと小さく頭を下げてきて、顔を上げた時に瞳を覗き込むと先程までの昏い感情が嘘のよう。
 そこで試合前の思考に至り、彼女の心を予測して答えに行き着く。
 武人の拠って立つモノは自身の力と誇り。そして彼女はこれほどまでにあっさりと己の非を謝罪するような人物。
 彼女のような人が他人を貶めてまで示したかったモノは何か。
 それは愛紗の誇り。別々の客将という立場であるのに真名を許しあうほど互いを認め合っているからこそ、彼女には俺が、自身の借り物の武に誇りを持たない俺が許せなかったのか。
 ああ、これが武人。なら、例え借り物だとしても俺はそうならなければいけない。
「謝らないでほしい。びびってる俺を焚き付けてくれたんだし完全に俺が悪いだろ。こちらこそすまない。三人の誇りを傷つけて」
 これからはもっと心を強く持たなければいけないな。
 趙雲は頭を下げて紡いだ俺の言葉に、ほう、と感心するように息を漏らし、続けて何かを言おうとしたが、ふいにちょいちょいと俺の上着の裾が引っ張られたのを見てか口を閉ざす。
 その方を見やると鈴々がニカッと笑いかけてくる。
「鈴々もありがとな。それとごめん」
「闘ってるときのお兄ちゃんはかっこよかったのだ!」
 くしゃくしゃと頭を撫でて礼を言うと気にしてないというように元気な声で応え、にししと手を口に当てて楽しそうに笑う。
 しかし、それじゃ普段はかっこわるいってことになるんだが……
「徐晃殿、あなたの武と心に敬意を表し、真名を預けたい」
 いきなりの趙雲の発言に思わず目を見開いて彼女を見つめるが、真っ直ぐな視線に射抜かれてすぐに我に返る。
「あなたほどの人から真名を預けて貰えるとは……喜んで、俺の真名は秋斗」
「慎んでお受け致す。私の真名は星と申します。では秋斗殿、次は私と試合でも――」
 言いかけるが口を噤み、やれやれというように肩を一つ竦めて彼女は俺の後ろを指さした。
「秋斗殿」
 義勇軍の新兵達の振り分けもひとところ落ち着いたのか、真剣な顔をした愛紗がその場には立っていた。
「あなたは強い。これから将として、共によろしくお願いします」
 合わせた瞳には俺への期待という強い光が見とめられた。対してすっと手を差し出し、
「こちらこそよろしく頼む」
 言うと愛紗がふっと微笑みその手を強く握る。
 その手は、決意と信頼を込めた繋がりだった。


 その後、星と鈴々と愛紗と訓練をし、次の日は打撲と筋肉痛で歩くのさえ必死だったのはお察し。 

 

白馬長史の友達

 幽州に来てから少し経つが、公孫賛への大きな献策案は朱里と雛里を以ってしても未だ纏めきる事が出来ず、少しずつ確実なモノを小出しするのみになっていた。
 実のところ大方の理由は俺がたまに出す変な意見のせいであったが。
「そうだなぁ、例えば俺達の現状から出来る事と言えば代わりに賊討伐に行くくらいだが、効率的な仕事の進め方なんかを纏めてみたら案外いいかもしれない」
 そんな事を言ってしまい真面目な朱里はすぐに書簡に書き始めてしまったり。そして、もっとなにか無いですか!? と多くの意見を求めてくるのだ。
 何が朱里にそこまでさせてしまうのか、というと……言っては悪いが桃香のせいだろう。桃香の為に公孫賛との摩擦を減らす、確かにこれは三つの打開策の一つだが本来そこまで根を詰めてする事ではない。
 朱里は初めて桃香に出会ったあの日から初めての主に心酔している。いや、溺れてしまっている。
 綺麗で、美しくて、決して届きはしない遥か遠き理想に。なまじ頭が良いからか、それともただ世間知らずなだけなのか。
 対して雛里はどこか一歩引いた意見を言うのみで、大きく前に出て何かをしようとはしなかった。
 受動的といえるその態度は軍師としてはまだまだ未熟。軍師は自身で戦況を変えなければいけない能動的なモノであるため、最初から後手に回っていては軍師とは言えない。
 何よりも一番の問題と言えるのは、朱里に対する劣等感をまだ完全には克服できていない事。だからこそのあの態度だとは思うが、それでもまだマシになったというのだから驚くばかりである。
 そんなこんなで希代の天才軍師達の精神の成長はまだまだ伸び代が膨大ではあるが、未だ伏したる竜は首を上げられず、雛も巣立つには羽が小さく弱いということ。
 結局の所、俺にはどうする事もできないので、いつか来る戦に内心で怯えながらも、日々の訓練によって兵達と仲良くなりつつ毎日を送っていた。

 †

「まあ、そういう訳でな、未だに公孫賛殿に謁見さえ出来ずにいるんだが大丈夫だろうか……」
「クク、健気に頑張る少女というのはいいモノですなぁ。秋斗殿の主は劉備殿であり、彼女の私兵なのですからわざわざ謁見を行わなくてもよいのでは? それに余り気に病み過ぎるのも身体に毒というモノ」
 あの合同訓練から何故か毎日のように俺と二人で行動している星に日々の悩みを話すと、変態的に聞こえる発言をしてから俺の事を気遣ってくれた。
 もしかしたら星は女だがロリコンの気でもあるのかもしれない。
「そんな毒を追い払うためには……せっかくなので昨日言われた通りに行ってみるのも一興かと思いますが如何かな?」
 にやりと笑う彼女の考えはすぐに理解出来た。
 星は大の酒好きであり、昼であろうと夜であろうと隙あらば飲んだくれている。さすがに仕事をほっぽりだす事は無いがそれでも異常なほど。
 昨日も俺の仕事が早く終わったのを見て最近出来た新しい店に連れて行かれた。
 そのように毎日付き合わされて幽州に来るまでに貯めた金は、悲しい事に半分まで減っていたりする。
 ただおもしろい事があった。昨日行った店で星と口論になった時にある店の店主と仲良くなり、俺が知ってる日本の料理を教えたらタダでメシを食っていいと言われた。
 つまり彼女の言いたい事は、仕事も無いしタダ酒にありつきたい、という事。
「昨日の今日じゃさすがに悪いだろうよ」
「いやいや、こういうのは早い方が良いモノで、時機を見失っては店主の厚意を無駄にし、礼を失していると取られるでしょう」
 日々共に過ごしていて思ったが、ひらりひらりと自分の意見を通すために誘導する彼女は、会話の仕方は違えどもどこか俺と似たように感じる。
 本質的な部分で俺と同じなのかもしれない。
 素直になれず、回りくどく、自身の言いたい事、伝えたい事を誤魔化しながら飄々とした態度と曖昧な言葉で表現する彼女は、人への気遣いを忘れる事も無く、きちんとした自身の基準線を余程の事が無い限り踏み越えはしない。
 曖昧で誤魔化しを多く使う所が俺と星の似通った部分だとして、星の意思を汲み取るのが苦手な愛紗からは結構冷たい目で見られたりしている。
「しかしな、星。まだ昼も下がり始めたばかりだ。何があるか分からんだろうに」
「だからこそ、ですよ。先に行動しておけば面倒事を押し付けられる事もありますまい」
「一理あるが……ほら、うちには怖い怖い鬼がいるから」
 言うと彼女は目を丸くして、次に腹を抱えて大笑いしだした。
 俺達の頭に描かれる人物は一人の厳しい人。前に昼間から飲んでいたらこんこんと数時間にも渡り説教された。
「あはは! 確かにとばっちりを喰らうのも面倒ですな。愛紗は今日私達が共にいる事を知っておりますし、二度目ともなるとさすがに私も怒られる」
「だろう? なら今日は容赦してくれ。そうだな、公孫賛殿への献策が上手く行ったら祝いの席として使わせて貰うってのはどうだ?それなら気兼ねなく飲めるだろ」
「おお、それは名案。時機については天才と謳われる二人の少女の力量に期待ということで」
 ここらが落としどころととったのか星も納得し、タダ酒が飲めるので上機嫌になった。
 それから他愛ない会話を繰り返し、笑い合っていると俺達の元に朱里が近づいて来た。
「し、秋斗さん。献策する書簡が纏まったので明日、公孫賛様への謁見をお願いします。それと、申し訳ないのですが桃香様が公孫賛様にその事を伝えに行っておられますので代わりに今日の仕事をお願いしてもいいですか?」
「分かった。すぐに向かうから先に行っててくれ」
 俺の返答を聞いて朱里はすぐさま踵を返して桃香に与えられている執務室に向かう。
 見送ってから、星を見ると嬉しそうにこちらを見ていた。
「これほど早く決まるとは。これも天が我らに早期の酒宴を望んでいるという事でありましょう」
「クク、かもな。なら明日、公孫賛殿への献策が終わり次第二人で行こうか。明日の仕事は?」
「とりわけ急ぐような案件もありませぬ。急なモノがあっても代わりにしてくれる者がおりますし」
「……最後のは褒められた事ではないが、決まりだな。じゃあまた明日な」
「ええ、また明日、酒宴にて」

 仕事を押し付ける相手というのは誰なんだろうか、と考えながら星に別れを告げて、朱里に言われた仕事を終わらせに俺はその場を後にした。

 †

「私が公孫伯珪だ。お前が桃香のところから手伝いに来たという徐晃か?」
「は、徐公明と申します」
 執務がある程度片付き昼食を終えた頃、昨日桃香に言われていた一人の来客が現れた。
 その者の名は徐晃。大きな体躯にすらりと長い手足、しかし平凡というよりは普通というような顔をしていた。
 桃香が言っていたが大層優秀らしい。聞くところによると文官の仕事はほとんどなんでも出来て、さらに仕上げるのがかなり速いとか。武の腕も星が認めるほどと聞く。桃香ばかり羨ましいなぁ。
「それで? お前は何をしてくれるんだ?」
「? 桃香様より内容をお聞きになっていないのですか?」
 どういう事だ? それを伝えに来たんじゃないのか?
 徐晃の返答にしばし茫然としてしまうが気を確かに持ち、聞くことを変えてみる事にした。
「桃香には徐晃に手伝いをさせるからとしか聞かされていないが」
 徐晃は思いもよらなかったのか呆気にとられている。こいつも桃香の天然策略に嵌められた一人だったわけだ。どうせならギリギリの所まで使わせてもらう。
「お前が聞いていないのならば先の言が全てだろう。ではまず幽州の――」
「お待ちください、白蓮様」
 曖昧な条件を利用し、徐晃にこちら側の仕事を出来るだけ手伝ってもらえるようにしようと思ったが、隣に控える一人の少女から待ったが掛かる。
 何事かと思いその方を見てみると、燃える炎を幻視してしまうほどの怒気を纏っている私の腹心、関靖がこちらを見つめていた。
「どうした、牡丹?」
「私としましてはこいつに雑よごほん、何から何まで手伝いをさせる白蓮様の考えはもはや神の如き閃きだと思うのですが余りに曖昧で投げやりで阿呆でバカすぎる劉備の対応に対して何かしらの報ふごほん、対処をするのが先かと思う訳でしていえ決して違うのです白蓮様を否定しているわけではなくてむしろ崇めていまして命尽きるまでおそばにいたいわけでして素晴らしい所を一から順にならべたいくらいで「しつこい! 長い! 黙れ!」ありがとうございます!」
 真名で呼び掛けるとつらつらと、というよりは未だ私の元にて客将をしている星しか聞き取ることが出来ない速さで喋り倒し、こうなるといつまでもうるさいので三つの言葉で黙らせた。
 あぁ、なんで客人が来る今日に限ってこいつが隣にいるんだよ。
「短縮して、簡潔に述べろ」
「劉備、対処、先」
 言うが早く三つ単語を繋げて己が伝えたい事を説明し、それ以上は何も言わないように口に手を当てて押し黙った。
「ご苦労。だが桃香は私の友だ。それに逆に動いてもらいやすいし今回は目をつむるさ。……すまない徐晃。こいつには後でよく言っておくから容赦してくれ」
 余りに牡丹の行動と言動が鮮烈だった為か、ポカンとしている徐晃に言うと、
「え、えぇ。ありがとうございます?」
 混乱しているようで、何故か礼を言ってきた。こいつも早口すぎて聞き取れなかったのかもしれない。
「とりあえずここじゃなんだから、詳しい話は政務室で聞こう。ついて来てくれ」
 玉座から立ち上がり、牡丹に残りの政務をこなすように指示を出してから、徐晃と連れ立って謁見の間を後にした。




「こんなところでどうだろうか」
 途中でサボっていた星を捕まえ、政務室に行き徐晃と話を煮詰めること幾刻。
 提示された交換条件はあまりに素晴らしい策ばかりで、おそらく自身の負担が半分以下になる事が予想できた。さらに嬉しい事に徐晃本人をこちらの好きに動かして構わないらしい。
 繋ぎ役という特殊な立場からめんどくさい手続きを無視して細部を任せることができるので大助かりだ。
 二人の天才軍師に感謝しないとな。
「いいですね。これならお互いにとって最善でしょう。さすがは公孫賛様」
 さらに仕事の楽な進め方、胃に効く薬草、問題児のしつけ方まで入っていた。私にとってはもの凄く助かるモノだ。
 しかし後ろで震えて笑いを堪えている星が気になる。
「星、どうした?」
 私が言うと徐晃がにやりと笑う。
 それも一瞬で、急に真面目な顔になり星を見つめ口を開いた。
「星さん、私が話す度に笑うとは失礼にもほどがあるのでは? 私の話し方に問題があるとでも? いっそのことあなたへの話し方もずっとこのままで行きましょうか?」
 そんな徐晃の言葉に星は耐えきれなかったのか盛大に吹き出す。
 おい、唾が飛んだぞ。
「あははは! 秋斗殿! ひ、卑怯ではないか! そんな、ふふっ、堅苦しい……くくっ、喋り方で……話しかけるっ……なんて!」
 星の言葉でどうして可笑しかったのか納得が行った。
 どうやら普段とは全く違う徐晃の話し方がツボにはまっていたらしい。
「そ、そんなに違うのか?」
「……ふぅー。全然ちがいますな。腹を割った相手にはこう、兄貴風を吹かせようとするのですがへたれてしまうような」
 笑いも漸く落ち着いたのか一つ大きく息をついて呼吸を整えてから仕返しとばかりに徐晃をけなす星。にやりと笑ったその顔からは徐晃との仲の良さが見受けられた。
「ほう。そうなのか。最近心にゆとりがなかったんだ。ぜひお前たちの楽しい話を聞かせてくれ。私も久しく大声で笑いたい」
 気付けばそんな事を口走っていた。
 軽く冗談を言い合えるこいつらが羨ましかったから。思いつきだ。それを聞いてにやりと星が笑う。
「では秋斗殿、彼女もあそこに案内してもてなしては?」
「まあこれからも役に立ちそうだし俺は構わないが……」
 星の言葉に砕けた調子で話す徐晃は少し不安そうだったが了承の意を伝える。
 これが普段の徐晃か。なるほど、さっきのとは全然違うな。
「あそことは?」
「行けばわかりますよ」
 そう言われ、促されるままに息抜きがてら、牡丹にしばらく出ると伝えてからその場所に向かった。



「なん……だと……?」
 着いたところは超高級料理飯店『娘娘』。味は大陸でも片手で数える程美味いと言われており、しかしその値段は、腹を満たそうとするならば懐の温かい豪族でさえ滅多に来れないほど。こんなところで食事をしたら小遣いが消し飛ぶ。
「おい、本当にここか?」
「間違いなくここですな」
 バカな。私でも付き合いで数回しか入ったことがないぞ。
「大丈夫ですよ。秋斗殿に任せておけば」
 そう言って二人は店に入っていき、徐晃は何やら店員と話していた。
 すると奥から店主が現れる。
 ふと疑問に思ったのはその瞳が前に見たモノとは輝きが違った事。昏い色を湛えていたはずのその瞳は少年のように透き通っており、まさか別人かと思ってしまった。
「ようこそいらっしゃいました。太守様」
「久しぶりだな。その……」
「本日は徐晃様をお連れですのでお代は頂きません」
「はぁ!?」
 挨拶をしてから持ち合わせが少ない事を伝えようとすると、あまりに異常な情報を放たれ、驚愕の言葉が口を突いて出た。
 おかしいだろ! 絶対何か裏がある。
「おい……不正は……」
「そこまでです公孫賛様。とりあえず奥の個室へ行きましょう」
 言い切る前に徐晃に促され、店主はさっさと奥に戻ってしまった。
 奥の個室は店主のお気に入りしか入れないはず……何なんだ一体。



「つまり徐晃は店主に気に入られたわけか」
「はい、さすがに悪いと言ったのですが、そのくらいさせてくれと頼みこまれまして……」
「店長が言っておりましたが売り上げもうなぎ上りになるのが予想されるだろうとのこと。気にせずこの最上の料理達を堪能致しましょうぞ」
 聞くところによると、星とメンマの話で熱くなった時に作った料理をたまたまそこにいたこの店の店主が気に入り、作り方を教えてくれと頼みこみ、
 ついでにいろんな珍しい料理も教えると、店主は感動してこの店に来た時にはタダにしてくれるとのこと。
 確かに美味い。こんな美味いものは食べたことがない。
「この『はんばぁぐ』とかいうの、気に入ったぞ」
 肉団子を焼いたようなこの料理は、食べた瞬間に口全体にじわりと旨味が広がる。店主の腕もあるだろうが、異国の料理の数々にはこんなおいしいモノがあるのか。
 これが食べられただけでここに来た甲斐があるかもしれない。それにタダというのも懐が寒い私にも嬉しい。
「気に入って頂けたようで何より」
「あぁ、話し方戻していいぞ。今は私事だし、敬語もいらない」
 未だに敬語を続ける徐晃にどこか違和感を感じて、星と同じように話して欲しくて言ってみた。
 実際、さっきのを聞いたらもの凄くむずむずする。
「わかった。しかし喜んでもらえてよかった」
「では失礼して……。」
「おい、星。なんで酒を出してるんだ」
 徐晃の喋り方に違和感が無くなった事に納得していると、星がいきなり酒を出し始める。
 店に入った時はまだ夕方、確かにもう仕事はほとんど終わらせて来たがそれでもまずい。
「おや。これは私事なのでしょう? ならば語るのに酒はかかせますまい。ささっ、どうぞ」
 にやつきながら杯を私の前に置いて取り出した酒を満たしていく。
 私が言いだしたことだから今更撤回する事などできない。
「……仕方ない。いいか? ちょっとだけだからな!」
 仕事に差し支えないように少しだけ飲む事を決めて星に言うと、
「クク、相変わらず巻き込むのがうまいな」
「さぁ、なんのことやら」
 徐晃に痛い所を突かれたのかいつもの調子で誤魔化す星。
 どうやら私は嵌められたらしい。それに気付いて沸々と腹の底から怒りが湧きあがってきた。
 ええいままよとグイと杯を煽って……

 記憶はそこから綺麗さっぱりない。

 †

 どうにかうまく白蓮殿も嵌めることができた。タダ飯と美味い酒と楽しい時間。
 しかしまさか白蓮殿がここまで酒乱とは思わなかった。
 彼女は酔っぱらってからしばらくして眠りこけてしまい、帰り道の今、秋斗殿の背中で揺られている。
「うへへ~。星も秋斗もわらひのところではたらくんだぁ」
 幸せそうに蕩けた顔で語る言は、先ほどの酒宴で聞いた彼女の友達と共に働きたいという願い。
 しかしどんな夢をみているやら。
「わざわざ送っていただき申し訳ない。まさかここまでとは思いませなんだ」
「構わんさ。白蓮は軽いが、さすがに女の子に背負わせるわけにはいかんだろ」
 さらっと普段の飄々とした態度で嬉しいことを言う。
「しかしよかったのですかな?真名まで交換して、どこまで覚えているかわかりませんぞ。」
「いいさ。白蓮も辛かったんだろう。それに覚えてなきゃ教えてあげればいい。」
 違いない。今日ほどの白蓮殿の笑顔を私は終ぞ見たことがなかったのだから。それに子供の様に泣く姿も。


 太守という仕事の責任は重大で、良くも悪くも無い部下が一人以外は揃ってはいるが仕事も大きく減ることなど無く
さらに悪い事に友人である劉備殿が優秀な部下を連れて来た事によって自身の劣等感が刺激されて
 精神的に追い詰められていた白蓮殿は秋斗殿と私の中の良さを見てか大泣きした。

 お前達が羨ましい、私は普通が嫌だ、劉備殿のように多くの誰かに認められたい、と。

 ただ一人認めている、いや、心酔している部下を除けば誰からも普通だと言われる彼女は、認め合い、けなし合い、笑いあう私達の関係に羨望を抱いていた。
 秋斗殿はそれを聞いて一言、
「お前バカだろ」
 と酔っているのか敬称も使わずに言い放った。怒った白蓮殿に掴みかかられたが、
「自分がどれだけ凄いか分からないのか。太守なんて普通じゃ出来ないだろうが。この地が平穏に包まれているのは誰のおかげだ? 優秀な部下がいなくても、有名な親が居なくてものし上がったお前は誰よりも凄いんだよ!」
 ただ強く、その言葉は白蓮殿の胸を打ったようで、彼女はさらに大泣きした。
 私は彼のようには言えない。思っていても言えない。だから抱きしめて、頭を撫で、
「ふふ、真名を許しているのに認めていないわけが無いでしょう?」

 彼女に追い打ちを掛けた。


 先程の事を思い出しながら彼を見やる。暗がりを歩く彼はどこか楽しげで、共に歩いている私まで楽しくなってきた。
「秋斗殿。」
「ん?」
「いつまでかはわかりませぬ、ですがその時までは私と共に白蓮殿を支えましょうぞ」
 普段なら言わないような本心も、きっとそんな気分だから言えること。
 だがやはり少し照れる。似合わないな、酒が回っているのか身体が熱い。
「ああ。最低かもしれないが、せめてその時までは共に」
 そうだ。いつかは私も秋斗殿も出ていく。最低だろう。
 しかしその時が来るまでは、いやそれが終わっても、友でいたい。
「うへへ~。わらひたちはともだひだぁ~こころの……ともらぁ……」


 次の日、案の定記憶をなくしていたので、あったことを私と秋斗殿から包み隠さず聞いた白蓮殿は、少し記憶が戻ったのか、顔を真っ赤にして怒っていたがどこか楽しそうだった。













蛇足~酔っ払い白蓮さん~

 どうにか泣き止んだ白蓮殿は愛紗に説教を喰らう秋斗殿の話が気に入ったようで大爆笑していた。
「あははは! お前面白いな! 気に入ったぞ、私のになれ!」
「ぱ、白蓮殿、それはさすがに」
 急な彼女の告白に戸惑い、慌てて諌めるがこちらをちらと見ただけですぐにまた彼に話しかけた。
「あのバカも抑え込めそうだし、仕事とか手伝ってくれそうだ!」
「まあ確かにお人よしで流されやすいですな」
 バカとは牡丹のことだろうことは分かる。あれも頑張っているというのに報われないことだ。
 彼はそういう一面が大きい。面倒見が良く、誰に対しても優しく、頼みごとを断れない所がある。
「だろう? なぁ、星みたいに私のになれよぉ!」
「い、いえ、私は」
 甘ったるい声で赤い顔をしながら彼の肩を揺すり言う。
 しかし私はあなたのモノになった覚えはないが。
「……ちがうのか?」
「そんなどん底のような顔をしないでくだされ」
 私の言葉にピタリと揺するのを止め、ギギギと音が聴こえそうな動きで首を捻る。
 その表情は驚愕と落胆と絶望に染まっていた。
「……星が私の友じゃないって言う」
「そっちでしたか」
 彼に涙目ながらに擦り寄っての発言は、さすがの秋斗殿も動揺を隠せない様子。
 まさか友になれという事だとは思わなかったのだから仕方ないでしょうに。
「私の友じゃなかったんだ!」
「いえあなたとは確かに友ですよ。」
 このままではきっとまた泣き出すと分かったので急いで言うと、ぱぁっと表情が明るくなった。
「っ! そうだよな! だからお前も友になろう!」
「クク、お前達はおもしろいな。俺の真名は秋斗。これからよろしくな」
「秋斗殿、酔っておられるのか?」
 まさか真名まで預けるとは思わなかったので突っ込むと、ふるふると首を振って否定する。
「ふふ、真名は白蓮だ。星だけずるいもんな秋斗」
「何がずるいのです?」
「私たち二人を独り占めにしていた」
 聞き返すととんでもない事を言い出す。私が二人を独占していたなどと……まあ、確かに私は二人の新しい友を得た事で満たされていたが。
「ああ、白蓮。確かにそれはずるいな。きっと星は優越感に浸っていたことだろうよ」
「両手に華は秋斗殿でしょう」
「そうだな、よろこべ秋斗!」
 にやりと笑いこちらをけなしてきたので、私も笑い返していじわるを言ってみるとどうやら白蓮殿は味方に付いてくれるらしい。
「フフ、存外、いいものですな。このような時間も」
 彼に向かってそう言うととやれやれというように苦笑してから酒を飲み干した秋斗殿は、空いた杯に酒を満たしてから私達の分も注いでくれた。
「おい、星! もっと飲むぞ!」
「はいはい……」


 こうして楽しい酒宴の夜は深まって行く。

 

 

~幕間~ 竜との出来事


「ん~、終わったぁ」
 書簡を片付けて、両掌の指を重ねつつ大きく背伸びをすると、事務仕事の疲れが一緒にすっと抜けて行くように感じた。
「桃香様、お疲れ様です」
 自身の仕事をしながらもいろいろと至らぬ点、間違い等を正してくれていた朱里ちゃんは、私の仕事が終わったのを察してかお茶を持ってきてくれた。
「ありがとう。うぅ、頭が痛い」
「お疲れ様です。桃香様は私達が来た時と比べると大分と仕事を終えるのがお早くなりましたね」
 お菓子を出して机の上に置き、うーっと唸る私に雛里ちゃんが微笑んで褒めてくれる。
 二人がいろいろと教えてくれたから前よりも若干早くはなった。しかし、
「まだ全然だめ。朱里ちゃんや雛里ちゃんみたいにうまくいかないし」
 この二人の仕事の速さは私の三倍。いったいどうすればそんなことができるのか。
 涙目になりながら机に顎を乗せて、自身の頭の悪さの不満からか無意識に頬を膨らます。
「いえいえ、最初より格段に効率が上がっていますし。それに比べて秋斗さんは――」
「……秋斗さんがどうかしたの?」
 朗らかな表情だったはずが突然黒いものを纏って何かをぶつぶつと呟きだす朱里ちゃんには声を掛ける事ができず、代わりにわたわたと朱里ちゃんの様子に戸惑っている雛里ちゃんに尋ねる。
「あわわ、その……たまにサボっているときがありまして。重要な案件はすぐにこなしてくれるのですが、細かいものは後回しでギリギリ」
「そ、そうなの?真面目そうなのに。でも終わらせてるんだからいいんじゃないかな」
 武官であるのに文官仕事もこなす彼は単純に見積もっても私の二倍は働いていて、さらに白蓮ちゃんとの繋ぎ役もしているため正直どのくらい働いているのか想像もできない。それをサボりながらもこなしていることに自信を無くす。
「だめです! 急にいなくなられるとこちらも連携がずれてしまうのですから! それに非常事態が出ると他の仕事がつまってしまいます!前なんか――」
 急に話に入ってきたと思ったらまたぶつぶつと愚痴を言いはじめる朱里ちゃん。だいぶ不満がたまっているように見える。
「ねぇ、雛里ちゃん。サボってる時の秋斗さん捕まえて怒ったほうがいいよね」
「そうですね。このままでは朱里ちゃんが日に日に怖く……」
 そう言ってぶるっと震える仕草は子犬のようで可愛いなと思ったが、口から零れる前になんとか呑み込んだ。
 雛里ちゃんの言は分かる。確かにこれ以上溜め込むと鬼かなにかになってしまいそうだ。
「いいですね。サボりの現行犯で逮捕、拘束し連れて行く。お説教4刻、現行犯だから言い逃れはできない。ふふふ」
 光の鈍くなった瞳を湛え、笑いの抜け落ちた目で笑い続ける彼女の背後には、轟々と立ち上がる黒い煙が幻視され、ありもしない冷気に身体が震えあがった。
 やっぱり怖いよ朱里ちゃん。

 †

 次の日、仕事はそこそこに街に出ていく秋斗さんを見つける。堂々たる姿はまるで今日は休暇だと言わんばかりで、しかし与えた仕事量から簡単に推察できるが終わっているはずがない。
 桃香様に一言伝え、仕事を雛里ちゃんに任せてから後をつける。
 街道を真っ直ぐに進んで行く彼から二十歩程後ろのここならば気付かれる事もないだろう。必ず捕まえてみせる。
「おや? 物陰に隠れて覗き見とは趣味が悪い」
 物陰に隠れながら進んでいると不意にすぐ近くから声をかけられた。
「せ、星さん」
 最近真名を交換した星さんがそこには立っていて、
「気になるのなら堂々とついていけばよかろう」
 不思議そうに、いや、おもしろそうに問いかけてきた。
「いえ、あの人は仕事をサボって街にでているんです。遊んでいるところを現行犯で捕まえないと」
「……くっくっ。なるほど。それはいけませんな。しかるべき罰を与えなければ。私も手伝っても?」
 ほう、と一つ息をついてから悪戯を思いついた子供の様に笑い、同行を申し出てくれた。
「お願いします。もし逃げたら私じゃ追いつけませんし」
「引き受けよう。可愛い少女の頼みだ」
 心強い味方が出来て、これで必ず成功するだろうと思っていると、視界の端に彼が街道の角を曲がって行くのを確認した。追いかけないと。



 しばらく尾行すると彼はとある店に入って行った。
「もうお昼は食べたはずなのに。それに……」
 その店は幽州一有名な高級料理店。彼の給金じゃこんなところで食べるお金はないはずで、私達義勇軍の誰もが入る事もできない所のはず。私もいつか入ってみたかったお店。
「おやおや、このような所に入れるほど給金があるとは、私も義勇軍に移りたいものだ」
「そんなはずは……まさか軍のお金をごまかして……」
 ありえない。仮にも義勇軍の将がそんなことをするなんて。
「とりあえずここに立ち入れば現行犯で捕まえられるのでは?」
 そうだ。これなら証拠も確実に突きつけられる。問い詰めて、お説教と、お仕置きも追加しよう。
「はい。では入りましょう」
 何故か星さんはにやにやしているが、人の不幸は蜜の味ともいうしそんなに楽しいのだろうか。
 手に汗を握りながら店の門をくぐる、と同時に、
「尾行ごくろうさん」
「はわわ!」
 こらえきれず大声で笑いはじめる星さんと、呆れ顔で苦笑する秋斗さんに挟まれた。
 驚いて腰を抜かしてしまった私を連れて、奥の部屋で説明を聞くことになった。




「もう! こういうことはちゃんと報告してくだしゃい!」
 私は怒っている。
 噛んでしまったのはそのせい。最近噛むことが無くなってきたというのにまた出てしまった。
「本当にすまない」
 謝る彼の横で星さんは特製メンマをつまみながらにやけている。
「それにしてもあの時の朱里の驚きようといったら……」
 言われて自身が尻もちをついてしまった事を思い出して恥ずかしくなった。
 星さんはすべて知っていて黙っていたようで、私をからかっていただけだと聞かされてさらに怒りに心が染まった。
 今回の話を聞くと、
 星さんとメンマの話で熱くなった時に作った料理が、たまたまそこにいたこの店の店主が気に入り作り方を教えてくれと頼みこみ、ついでにいろんな珍しい料理も教えると、店主は感動してこの店に来た時にはタダにしてくれるらしい。
 そういえば『おむらいす』や『はんばぁぐ』とかの聞いたこともない料理が菜譜にある。
 仕事をサボっているのは、ここで村の長老達との相談や城では話せない話、商人との商談を行っているかららしい。
 先程も別室にて、私達を運んでくれた商人さんと交渉を行っていたようで、その間に星さんから全てを説明された。
「秋斗殿のしている事は義勇軍ではあまり影響はないかもしれないが、白蓮殿のところではかなり助かっている」
 幽州の治安や商業に関わってくるのだ。確かに義勇軍の将なので正式な手続き等の手間がかなりかかる。
 公孫賛様とのつなぎ役にもなっている秋斗さんだからこそできるという訳か。そういえば公孫賛様も秋斗さんによく相談していると聞く。
「だが、白蓮とここに来るたびに愚痴を聞かされる俺の身にもなってほしいな」
「察してくれ秋斗殿。あの方も疲れているのだ。わかるでしょう?」
 互いに苦笑し合って、楽しげに話す二人を見て納得がいった。
 星さんとは特別仲がいいとは思っていたがこういう秘密もあったのか。
「とにかく! 話はわかりました。確かにこれも仕事のうちです。ただ報告しなかったのはいただけません」
 この人のことだ。任された仕事のうちだからと、私たちに手間をかけさせないために一人でしていたのだろう。
「面目次第もございません」
 机に額をつけるように頭を下げる秋斗さんを見やって、
「よって、これからは時間が合えば私と雛里ちゃんも連れてくること」
 そんな事を言ってみた。
「ん?」
「私たちは軍師です。でもまだまだ足りない所があります。勉強にもなるでしょう。それに将となる秋斗さんにだけ任せてしまうわけにはいきません」
 この人は優しいけど、私たちは甘えすぎちゃだめだから。
「そういうことか、構わんよ。それとこれからはちゃんと報告して相談する。ごめんな」
 きっと今の言葉で伝えてないところまで察してくれたのだろう。優しく頭を撫でてくれる。
 心が暖かくなったが少し恥ずかしい気持ちも込み上げてくる。
「隣の美女には目もくれず幼子といちゃいちゃするとは……あの共に過ごした夜の熱い言葉は嘘だったのですかな?」
「ちょ、星!誤解されるような事を言うなよ!」
 よよよ、と泣き崩れる星さんに必死で弁解を行ってはいるが、慌てた様子からはどちらが真実かは判断しかねる。
 しかし星さんと二人きりで過ごしたのは確定、ならお酒を飲んでいただろうから間違いもあったかもしれない。
 やはりお仕置きが必要なようですね。
「朱里、いや朱里さん? 何故目からハイライトが消えているんですか?」
「ふふふ、大丈夫ですよ。少しのお説教と帰ってからお仕置きがあるだけですから」
 意味の分からない単語が聴こえたがそれは置いておく。それより雛里ちゃんにも詳細を伝えよう。
「oh……」


 それから私たちは少しだけおいしいものを食べて帰った。
 秋斗さんは帰った後、雛里ちゃんにも怒られていた。
 けど私たちに特製のお菓子を作ってくれたのでお仕置きは無し。
 桃香様や愛紗さん、鈴々ちゃんが羨ましがって大量に作ることになったが、疲れているはずなのに快く了承した秋斗さんは、やっぱり優しいんだなと思いました。 

 

改変者の胎動と鳳凰の鼓動

 
前書き
今回は書き方をわざと変えている箇所があります。 

 
振り下ろす刃。
 空を切り裂くそれは、通常の武器ならば命を刈り取ることなどたやすいであろう一撃は、軌道を読まれていたのか紙一重の所で避けられる。
 渾身の一撃を躱した男の予備動作で放たれるのは蹴り。脊髄反射的に振り上げた偃月刀の柄でぎりぎり弾き返し、その反動を利用して二撃目に移った。
 だが、あちらも同じこと。剣と偃月刀がぶつかり合い、同時に二つの武器が高く、乾いた音を上げる。

 今度はこちらから攻めると決め、腕を引き、全力で前に突きだす――
――が、伏せてよけられる。しかし甘い、それは囮。ぴたりと止めた刃を上に反して石突を放つ。
 手ごたえあり。腕に響く痺れは間違いなくそう伝えていた。しかし間一髪の所で柄で防がれていたようで、悔しくて無意識の内に小さく舌打ちを打った。

 何合かの打ち合いの後、衝撃で一旦距離が離れ、どちらもの間合いから少し外れた所で睨み合うこと幾分。
 次はどう攻めるか、どう来るか。筋肉の動き、呼吸、目線の一つまで意識を尖らせる。
 すべての動作がこれから攻める場所を、互いが行うであろう技を伝える。予測は想像の刃となり、共にその場で先を奪い合う。
 ポタリ……と地に汗が落ちるが、動く事などできず、目線一つ逸らすのも危険なことだった。
 これまで幾度となく試合を行い、互いに実力が拮抗していることはわかっている。

 どれだけの時を睨み合っていただろうか

 突然相手は静かに、緩慢な動きで武器を下げる。それはあからさまな誘いであった。
 だがあえてその誘いに乗る。
 一瞬だが、こちらが先だ。受けるならそのまま攻めきれる。

 受けると思った刹那、確かに手ごたえがした……はずだった。
 彼の姿が視界から消え、腹に衝撃がきて吹き飛ばされた。

 †

「それまで!」
 立ち合い人になってもらった星の透き通った声があがる。
 試合とは言っても、潰した武器だとしても怪我はするのだから本気で避けるし受けきらなければならない。
 しかし化け物じみた強化をされている俺と互角に闘える愛紗はやはりすごい。
 無心で戦っているがいつも試合が終わると恐怖と畏敬が込み上げてくる。
「立てるか?」
 近づき、手を差し伸べて言うと、
「少し痛みますが大丈夫です。今回は私の敗北ですね」
 その手を取って立ち上がってから、悔しいのか『今回は』に力を込めて負けを認める。何度も試合を行ってはいるが、こっちは残念なことに女の子相手に負け越している。
「いやはやいつ見ても貴殿らの試合は美しい。まるで極上の舞を見ているかのようですな」
 ゆっくりと一定のリズムで手を打ち合わせて拍手をし、饒舌に俺たちの試合の感想を語る星。
 彼女が言うには俺と愛紗の戦いは舞を踊っているように見えるらしいが、愛紗はさておき、俺の戦いなど泥臭いことこの上ないだろうに。
「綺麗だけどお兄ちゃんの動きはいつも嘘だらけでずるいのだ」
 むーっと不足気味に語る鈴々。
 読みがきかず、フェイクも直観と力ずくでねじ伏せるお前のほうがずるいよ鈴々……とは言わないでおく。


 義勇軍に所属して少し経つ。公孫賛軍との合同演習が終わるたびに四人で試合を行うようになった。
 実力を見極めるために、と愛紗と闘ったのが最初。そこからは鈴々や星が次々と。
 正直な話、まともに闘えるはずないと思っていた。訓練でも人を吹き飛ばしまくっている武神、燕人、昇龍となんて。
 しかし思いのほか闘えた自分に驚愕した。あまつさえ、勝つこともあるなんてな。ここだけはあの腹黒少女に感謝してもいい。戦場で簡単に死ぬこともないだろうから。
「秋斗殿、ここに一人、絶世の美女が暇を持て余しているのですが」
 槍をゆっくりとひきよせ妖艶に笑う星。彼女は普段こそ飄々としているがやはりその本質は武人であり、強い相手を見ると血が疼いて仕方ないとのこと。
 自分で美女とかいうなよ。まあ確かに凄く綺麗だけどな。一緒にいる時も、時折見せる少女のような笑みや、大人の女の色気に鼓動が跳ねる事が多々あるのも事実。
「すまないが、今日はこれから我らが軍師様よりお話があってだな。また今度にしてくれ」
 それは残念、と肩を竦める彼女とは合同演習の時しか闘えないから少し申し訳なく思う。
「では仕方ない。白蓮殿でもからかいに行くとしよう」
 楽しそうに言う星、だがさすがにやめてあげて欲しい。白蓮は心が楽になったとはいえ未だに悩みまくっているし。
とは思うが、別にいつもの事なので止めない。しかしそこではっと気づく。
 最終的に被害を受けるのは俺じゃないか。そう思い出し引き止めようとすると、
「星、今回はお前も一緒らしいが、何処へ行こうというのだ」
 そんな愛紗の厳しめな言葉に口を紡ぐ。
 誰が来るかまでは聞いてなかった。てっきり義勇軍のみだと思っていたが星も一緒なのか。
「なんと、からかう事すらお預けか……」
 おどけて言って俺たちに並んで歩き始めたが、俺は歩いてるうちに一人足りない事に気付いた。
 俺達のやりとりに暇になったようで、関靖を追いかけ回していた鈴々を呼び、俺たちは軍議室に向かった。

 †

 運がいい事に私たちが来てからは賊の襲撃も討伐命令もなかった。だがそれもここまで。
 今回、賊は二か所同時に発生報告があった。それほど数は多くないらしいのでこちらも二つ同時に叩くことになり、公孫賛様の軍からも星さんが応援に来てくれた。
 私と雛里ちゃんはそれぞれ分かれて軍師として着くことになるが、後は将だ。
 愛紗さんと秋斗さん、鈴々ちゃんと手助けに来てくれる星さん。
 はたしてどう分けるのが最善なのか。思考に潜っていると扉が開き、続々と頼れる将の四人が軍議室に入室してきた。
「で、では軍議をはじゅめましゅ、はわわ!」
 揃った所で声を上げたが、初めての軍議という事に緊張して噛んでしまった。恥ずかしい。



「――という訳で。今回の賊討伐は二面作戦をとります。後は将の組み合わせなのですが、何か意見等ありますか?」
「近いほうの賊を秋斗殿と星にいってもらうのはどうだろうか」
 まず愛紗さんが言う。確かに秋斗さんと星さんは仲もいいから戦場に行くまでに少しでも気が楽になるかもしれない。
「私としては近くのほうが助かるが、秋斗殿は何か希望は?」
「無い。というか軍を率いるのも賊討伐も初めてだから口出し出来んよ」
 そう、そこが一番の問題。私達二人と一緒で秋斗さんは未だに戦というモノを全く経験していない。
「ふむ、なら私は愛紗が秋斗殿と行くのがよいと思うが?」
「いえ、愛紗さんは桃香様といるべきでしゅ。万が一もないとは思いますが、何かあっては事ですし」
 星さんの提案に雛里ちゃんが反対意見を言う。愛紗さんは義勇軍の要だから出来るだけ桃香様と共にいて欲しい、ということ。
「じゃあ鈴々がお兄ちゃんと行く。用兵のお手本を見せてあげるのだ!」
 鈴々ちゃん……突撃、粉砕、勝利はお手本にならないと思う。
「それもいいが……星は公孫賛様の客将。遠出させるわけには。」
 あまり公孫賛様の直接の客将である星さんを長い期間縛り付けるわけにはいかないというのも難しい所。
 ここで纏めると二択になる。
 愛紗さんと秋斗さん、桃香様を組み合わせるか、それとも最初に愛紗さんが言ったようにするか。
「さ、最初の意見に戻りますが、桃香様、愛紗さん、鈴々ちゃんで遠方を、秋斗さん、星さんには近辺の賊にあたって貰いましょう。ただし、個人部隊以外は錬度の高い兵から順に秋斗さんの方に回すということでどうでしょうか?」
 兵の錬度まで計算にいれたならその方が最善かもしれない。さすがは雛里ちゃんだ。
 彼女の提案に全員が頷いてそれでいいと示した。
 軍師がどちらに向かうかは二人で既に決めているから問題ない。
「うん。いいんじゃないでしょうか。では軍師は桃香様のほうに私、秋斗さんのほうに雛里ちゃんで行きます」
「じゃあ決定だね。作戦はそれぞれの軍師と確認し合うように。終わり次第、兵と糧食を必要数整えて明朝出発。くれぐれも無茶しないようにね」
「御意」
 私達にとって初めての戦が幕を開ける。
 そこはどんなモノなのか、どのような空気なのか、想像すら出来ない。
 でもこれから進んで行くためには確実に経験しなければならないこと。
 私は恐怖が心を彩る中で色々と想像を膨らませながら、明日の出立の為の行動を開始した。

 †

 馬に乗り、隊の兵士達の先頭を進み、戦場へ向かう緊張をほぐそうと話しかけてもぎこちない秋斗殿に苦笑しながらいると、遥か先に黒煙が立ち上っているのが見えた。
 賊の拠点はまだまだ先のはずなのに
 その方角は近場にある村の真上、意味するところは最悪の事態だった。
「あれは……まさか……」
「賊でしょうな。まだ拠点は先のはずでしたが……」
「しかしここまで来ているのは確かなんだ。すぐに助けに行くぞ!」
 驚愕、そして焦りを前面に出した秋斗殿は馬を走らせようとするが、
「だ、だめでしゅ! 将による独断専行は軍を混乱させ、余計な被害が出ます!」
 急に大声を出した雛里に止められる。
 我らの軍は歩兵のみ、いくら敵よりもこちらの数が多いとはいえ将だけ、または一部隊だけ先行するなど愚の骨頂。
「秋斗殿、雛里の言う通りです。彼女は軍師、指示に従いましょう」
 彼は苦虫を噛み潰したような顔をして耐える。私も急く心を押さえつけて指示を待つ。
 辛いのだろう、雛里も泣きそうな顔で瞬時に思考を巡らせて作戦を話す。
「主力部隊を三つに分けます。一つは秋斗さんが率いて村の東から、星さんは西。残りは南。敵の拠点は北にあるはずなので、ある程度は逃がしてかまいませんが幾人かの兵士に追跡を指示してください。あと、わずかに時間差で攻めてください。秋斗さんは最初に、星さんは次に。背後からの強襲にも気を付けながら進んでください」
 雛里が言い終わるや否や二人で部隊の選別をし、兵の数を整える。
「よし。お前ら、最速で村の東側から突入する! 所詮は獣だ、人の言葉も解さんだろうよ! 賊を殲滅せよ!」
 上げた口上はでたらめ且つ疎かなモノで、兵にも若干の焦りを与えてしまっている。しかし速い、彼も相当焦っているのだろうことが分かる。
 秋斗殿が率いる隊が少し離れたころに私も声を上げる。
「生きている民は全て助けろ! これ以上哀しみを増やさぬためにお前たちの力を示せ、義勇軍の勇者達よ! 私に続け!」
 彼と同じく初陣である雛里も心配だが止まってもいられない。
 ここからの采配は伝令を出してくれるだろう。
 走り出す前に彼女の方を見やると、軍師としてのモノなのか目には強い光が宿っていた。



 槍を振る。向かってくる賊に無慈悲に、淡々と。
 突き抜けた槍は敵の後背に鮮血の華を咲かせ、大地を次々に赤く彩って行った。
 真横から飛び出してくる賊を穂先で切り裂き、崩れ落ちる身体を石突で突いて大量の敵が押し寄せる方向へ吹き飛ばす。
 その様子を見て恐れている賊にも、地を蹴って空中からの大振りで一気に屠る。
 村に入り込んだ賊は本当に厄介だ。建物の陰、屋根の上、家の中にまで潜んでいて、どこから出てくるかもわからないのだから。
「獣が! 貴様らには地獄すら生ぬるい!」
 沸々と憎悪の感情が湧きあがって来て思わず罵倒を叩きつけてしまう。
 村の女を犯していた賊が目に移り、背後から気付く前に突き抜く。女の身体に崩れ落ちるが引きはがし、蹴り飛ばしてから私を追いかける兵に後の事を任せた。
 子供を嬲っていた賊を見つけてもう一度足を踏み下ろす前に太腿から斬ってやった。醜い絶叫が上がるが喉を突き刺してそれを止める。
 民家から物を盗んできた賊が出て来たので頭を飛ばす。声を発する間もなく地に倒れ、手に抱えていたモノが甲高い金属音を虚しく響かせた。
 進む度に賊たちはたまにまとまって抵抗するが、それすら兵達が四方から囲みこみ殺しきる。
 進行、進軍、進撃。
 辺りを確認しながら村の道々を進んで行くがそこかしこに民が倒れ伏していた。
 無残、としかどんな時も表現しようがない。生きている民は少なく、幸せに溢れていたはずのモノは何一つとして無いのだから。
 生気を失った瞳でうずくまる子供や女、老人、男。ピクリとも動かない屍の数々。
 無限と湧いて出てくる怒りを獣達にぶつけ、進撃を続ける。
 どれだけ屠っても、斬っても、突いても、殺しても……やはり心は昏く、深く沈んで行き、晴れ渡る事などありはしない。
 幾分進んだ頃にやっと広い所に辿り着いた。ここが言われていた分岐点、中央だ。殲滅を最優先にしていたので少し手間取ってしまったか。

 ふいに大きな黒い影が踊っているのが見える。
 どうやら村の中央広場に先についた秋斗殿が戦っているようだ。
 彼も無事に辿り着いた事に安堵し、意識をそちらに向け……息を飲む。
 叩き潰された肉が大地に転がり、そこにあるのは血と肉片の残骸だらけ。いくらなんでも普通の戦場ではこのような事態になりはしない。
 剣閃が日輪の輝きに煌いたかと思うと三人同時に真っ二つになり、腰からズレて落ちた上半身の頭をさらに踏み砕いていた。
 敵が一人近づくが蹴りで吹き飛ばされ、動けなくなった賊は彼の兵幾人かの槍で突き殺される。
 次に放つ縦一閃で、人が真っ二つに割れた。
 その次の横一閃で、脚が数本民家の壁まで千切れ飛ぶ。
 これだけ死んでいるのに、殺されているというのに、愚かしい事に賊は彼に対して蜜を見つけた蟻のように群がっていく。
 その光景をただ眺めている私には目もくれずに。
 恐怖が逃げることを拒絶させているのだ、と瞬時に悟る。獣は死を恐れると敵に向かうという。虎は圧倒的な力の持ち主に対してその恐怖から牙を剥く。
 あるいは、彼の無慈悲な行い、あまりに暴力的な存在感から同じように殺されたくないという気持ちからか。
 慌てて離れた賊が大声で仲間を呼ぶも、愛紗との試合で見せる高速移動によってあっさりと近づかれて殺され、やってきた仲間もすぐさま叩き伏せられる。
 ああいう人ははじめての戦場では狂気に堕ちることがある。しかしあまりにおかしい。狂気に堕ちたならばどうして笑みを携えていないのか。
 殺しを行うモノは異常な空間に高揚し、強大な力を持つモノは無意識の内に敵の脆さから笑みを零してしまうモノだ。
 しかし彼の表情はただ無表情。ただ淡々と、つまらないモノを捨てるように、命を軽く切り刻んで、踏み潰していく。
「星、ここはいい。雛里のもとへ行け」
 ふいにかけられた声に秋斗殿の顔を見る。その目を見てしまった、合わせてしまった、覗いてしまった。
 あったのは昏い闇。吸い込まれそうなほどに昏く、深く、絶望しか見つける事のできない色。
 これはこのままではダメだ。しかしまだ私を認識できたなら大丈夫なのかもしれない。
 そう考えて一つ頷き、雛里のもとへ向かうことにした。


 どこを見渡しても賊はもういない。
 南は倍の兵で囲み、追い立てるように戦っていたから、賊は逃げて中央で『あれ』に殺されるか。
 先ほどの光景を思い出していると幾人かの兵の護衛と歩いてくる雛里を見つけた。
「星さん。状況は?」
 彼女の言葉にゾクリと背筋に悪寒が走る。なんだ? 何かが違う。
 違和感を感じ取ったがまだ思考に潜る事はせずに雛里に対して状況を伝える事にした。
「村の中央付近に敵が集中、秋斗殿が迎撃している」
「そうですか。うまくいきましたね。では星さんは北に向かいある程度賊を追撃して戻ってきてください。逃げた賊が向かう拠点への尾行に二、三人付けるのも忘れないでくださいね」
 これがあの雛里……か?
 心が凍りつくような冷たい声でつらつらと指示を並べ立てる彼女からは、いつもの様子からはあまりにかけ離れすぎていて別人に思えてしまった。
「伝令、中央にて戦闘している部隊は追撃無し。民の安全確保のため民家一つ一つを確認、終わり次第100を広場に残し、他は北側に待機してください」
 さらにテキパキと指示を出し続ける。
 これが軍師か、しかしあまりに――
「……雛里」
「私たちの部隊は殲滅を行いつつ民の安全を確保し、半分は私とともに北に、もう半分は――」
「雛里!」
 その姿が、声が、瞳が、あまりに哀しくて、大声を出して彼女の言葉を遮った。
「……星さん。作戦は継続中です。迅速に行動を」
「すぐ行く。だが一つだけ。広場のまとめは雛里がしたほうがいい。北側はそのまま私がまとめる」
 彼に、秋斗殿に……任せても大丈夫だろうか。
 いや、互いに必要だ。少しでも共通点があったほうがいい。初めての戦を行ったなら、二人ともが共感できるはずだろう。
「……わかりました。広場の指揮は私がします」
「ではいってきますぞ、軍師殿」
 出来る限り軽く言って私はその場を後にした。どうか二人とも壊れないで欲しいと願って。

 †




 人を殺した。
 人が死んだ。

 賊だった。獣だった。村は焼かれ、奪われ、犯され、叩き潰されていた。
 賊だった。獣だった。村は焼かれ、奪われ、犯され、叩き潰されていた。

 剣を振った。簡単なものだった。あっけなかった。軽かった。
 策をだした。簡単なものだった。うまくいった。早かった。

 俺の手で殺した。憎しみを込めていた。正義に酔っていた。
 私の命で殺した。憎しみを込めていた。正義をかざしてた。

 戦って死んだ。犠牲になった。さっきまで笑っていた。今は顔がなかった。
 戦って死んだ。犠牲になった。遠い所で、動かなくなった。

 地獄はここだ。悲鳴、怒号、血しぶき、断末魔、笑い声。
 地獄はここだ。悲鳴、怒号、血しぶき、断末魔、笑い声。

 一人殺すと真っ白になった。怒りだった。恐怖だった。哀しみだったそして……偽善だった。
 頭ははっきりとしていた。冷静だった。冷酷だった。残酷だった。そして……悲しかった。

 被害は少ない。だが死んだ。
 被害は少ない。だけど死んだ。

 兵力は三倍以上。勝利は当たり前だった。
 兵力は三倍以上。勝利は計算通りだった。

 自分が乖離したような感覚のまま報告を聞く。
 自分が戻ってきたような感覚の後報告を聞く。

 指示を出す。片づけをさせる。辺りを見渡す。
 指示を出す。片づけをさせる。辺りを見渡す。

 雛里が震えている。顔が青い。吐いた。目線が定まっていない。
 秋斗さんがいた。少し安心した。吐いてしまった。目線がぶれる。

 近付く。目を合わせる。涙が落ちる。抱きしめた。
 近寄る。目が合った。頬が冷たい。抱きしめられた。

 俺は生きている。雛里も生きている。
 私は生きている。秋斗さんも生きている。

 ぬくもりが伝わり、自分を認識する。
 ぬくもりが伝わり、自分を把握する。

 鼓動を感じる。小さな鼓動を。
 鼓動が聞こえる。大きな鼓動が。

 俺は確かに生きている。
 私は確かに生きている。

 誰かが囁く。オレは死んだ。
 心が呟く。私は殺した。

 誰かが怒鳴る。なんでお前は。
 心が喚く。仕方なかった。

 誰かが責める。お前のせいで。
 心が叫ぶ。私のせいで。

 そうか、これが英雄か。
 そうか、これが軍師か。

 俺は言う。その通りだ。人を殺した。
 私は思う。その通りだ。人を殺した。

 俺が死んだら、絶望を与えろ。
 私が死んだら、苦しみを与えて。

 俺は守る。この手に掴めるモノはありったけ。
 私は守る。頭が働くかぎりありったけ。

 だから怨め、憎め、蔑め、責めろ。
 だから怨んで、憎んで、蔑んで、責めて。

 お前らの想いも全て連れて行く。
 死んだ人の祈りも全て持って行く。

 お前らのようなモノを出さないために殺す。
 もう人が殺されない世のために命じる。

 許さなくていい。これは罪だ。
 許されなくていい。これは罰だ。

 ここが地獄なら、奪ってでも世界を変えてやる。
 ここが地獄でも、全てをかけて平穏を作る。





 広場に響く泣き声は、幼い少女のものだった。
 その子を抱きしめる男の瞳は、何一つ迷いがなかった。

 血だまりの中で二人は覚悟を決める
 互いの存在を確かめ合って安堵する
 乱世に迷うことなかれ
 乱世で止まることなかれ
 生きる生命を救うため
 死せる想いを掬うため
 もはや進むしか道はない

 †




 二人の様子をモニター越しに見る少女が一人。
「第一課題クリア。そうです、人殺しという究極の理不尽を行う事でこそバタフライエフェクトが起こせます。それに……ふふ、やっと本当の覚悟を決めましたか」
 言った後に、心底楽しそうに笑う。
 三日月型に開いた口は、男を嗤うか、少女を嘲笑うか、それとも……

 

 

帰り道、その男は

 賊の拠点を潰し、無事に初めての戦場を終えた私達は生存した兵数の確認と襲撃された村の簡易的な復興作業を終えて帰路についていた。
 結局、敵の拠点にはほとんど賊はおらず、未だに残っていた敵を殲滅し終えた頃に賊の頭領は村に居た事を知った。
 帰り道にて私はいつの間にか寝てしまっていたようで、起きた時には自身の乗っていたモノとは違う馬に乗っていた。ほんのりと背中が暖かく、それが人の温もりだと気付いた時に声を掛けられる。
「起きたか雛里」
 どうやら寝てしまって落ちそうな私が心配で乗せてくれたらしく、秋斗さんの優しい声が耳に響いた。
「こいつは賊の馬なんだがな、他の誰もが乗ろうとしても乗せようとしなかったが、どうしてか俺だけは乗せてくれるらしい」
 馬を止めてひょいと飛び降りた秋斗さんは私も降ろしその全体を見せてくれる。
 漆黒の艶やかな毛並み、額に白い三日月のような模様、そして大きい身体。まるで彼のようだと思ったが口には出さないでおいた。

「懐いてくれてるようだし相棒になって貰おうと思うんだが名前を決めかねているんだ。何がいいだろうな?」

 秋斗さんの話を理解しているのか、まるで黒馬は急かすように小さく嘶く。
「月光……」
 ポツリと、思わず呟いていた。夜の闇に輝く三日月を持っていたから。
「月光か、いいな、それでいこう。お前の名は月光だ。俺と一緒に輝こうな」
 微笑みながら嬉しそうにそう言って秋斗さんが撫でると小さく鳴き、私に大きな身体を擦り寄せる。
「あわわ……」
「ははっ、ありがとうっていいたいんじゃないかな」
 人懐っこいつぶらな瞳に見つめられて少し頭を撫でると、嬉しいのかふるふると震える。こんなに大きいのに可愛い。
 少し撫で続けてからまた二人で月光に乗り、隊から離れた後方にて帰路を進む。
 そういえば秋斗さんとは随分このようには話してなかった気がする。戦場の軍師と将としては話していたけど。

「もう、大丈夫か」

 静かに、感情の読み取れない声が耳を打つが
 私は何が、とは聞かない。

「はい」

 秋斗さんが私の帽子を取ってゆっくりと慈しむように頭を撫でる。
 優しい手つきで。いつかみたいに。

「気のいい奴が多かった」

 ぽつぽつと話し始める。それは自身が今日まで共に過ごした兵のこと。

「一緒に飯を食って笑ってたんだ、それがもういない」

 わかっています。もうその人は、私達の前に戻ってこない。

「村の、ある人に言われたよ。何故もっと早く来てくれなかった、と」

 その通りです。もっと早く来ていれば、一人でも多く助けられただろう。

「ある賊が言ってたよ。仕方なかったんだ、と」

 そして死なせた命もあるならば、

「助かった子供は、ありがとう、と、いってくれたんだ」

 助けた命もまたある。

 ふいに肩に雫が一つ落ち、私の服を小さく濡らした。頭を撫でる手は震えているようで、先程のように一定の速さでは無かった。

 その手を、私はきゅっと握る。

 今度は私の番。悩んでた時、戦場でも、温もりをくれたから、答えを見つけられた。

 泣く場所をくれたから、壊れなかった、歪まなかった。

 この人はきっとすでに答えを知っている。

 私が泣いてたから我慢してただけ。

 ただ気持ちを吐き出せなかっただけ。

「すまない」
 すっと優しく抱きしめられる。暖かい、あの時みたいに鼓動を感じた。

「大丈夫です」

 言い聞かせるように言ってから、抱きしめてくれている腕を撫で続ける。
 押し殺して響く嗚咽を受け止めて、私は少し満たされた気持ちになっていた。

 †

「ふむ、私はお邪魔虫……というわけか」
 後ろの、一頭だけ行軍を外れた大きな馬を見ながら呟く。
 戦場で雛里は壊れる寸前だったろう。あれは軍師の自分を作って守っていたのだと、戦を終えた頃に漸く気付いた。
 秋斗殿はうまくやってくれたらしいが、やはりというべきか結局自分も壊れそうだったとは。
 村の外で会った時は覚悟の籠った瞳に圧された。迷いを一切含まないその輝きはあまりに透き通っていて美しいとさえ感じた。
 その後、初戦場ではありえないくらいの冷静さでここまで進めてきた。
 感情の糸が切れても仕方ない。
 しかしどうせなら私のような大人の胸の中で泣けばいいではないか。
 少し、羨ましい。彼と同じ痛みを同じ時間に共有できているあの子が。私は何故戦場で譲った。
 悔しい思いと羨ましい気持ちが綯い交ぜになって自身の心を支配していたが、そこでふとどうしてそんなモノが湧いて出るのかを理解してしまった。
 あぁ、これが、これがそうなのか。
 まだ気付いてない振りをしよう。この居心地のいい関係に浸っていよう。
 
 いい気分だ。
 帰ったら酒に付き合ってもらおう。
 こんな辛い世の中でも、楽しいこともあるのだから。
 

 

雛は未だ気付かず


 昼時の、日輪が中天から少しばかりズレて輝いている時間。並んで歩く私達を見る人は微笑みながら口々に挨拶をしてくれる。
 初めての賊討伐が終わり、公孫賛様の治める地まで帰って来てから事後処理を終えての二日後。
 まだ帰って来ていない皆の分まで仕事を行いながらも、先程やっと一区切り着いた。


 今は秋斗さんと街にお出かけに来ている。それも驚くことに二人で。
 昨日急に街に行かないかと誘われたが、聞くところによると星さんからお使いを頼まれたらしい。
 でもどうして一緒に? と疑問に思い、頭を悩ませていると、
「それにしても今日は暖かくてよかった」
「しょ、しょうでしゅね!」
 何の脈絡も無く話しかけられ、返答を行うが何故か噛んでしまう。
 私はこの前の戦を終えて帰ってから、どこか変だった。
 秋斗さんと一緒にいたら、顔が赤くなったりしょっちゅう噛み噛みになってしまったり……それに何を話したらいいか 全く分からない。
「――――♪」
 横を覗き見ると秋斗さんは上機嫌な様子で、聴いたことも無い歌まで小さく口ずさんでいる。
 私もこんな風に自然体でいられたらなぁ……なんてことを考えるが、どうしても恥ずかしい気持ちが出てしまっていつもうまくいかない。
「お、地図によるとここだな。星にお使い頼まれた新しい甘味処。雛里、ついでに俺たちも食べていかないか?」
「は、はい」
 目的地に着いたようでその様相を見やると確かに見たことのないお店だった。
 甘いものを食べたら落ち着くかもしれない。
 一つ考えて私達はその店に足を踏み入れた。

 †

 正直緊張している。
 雛里と共に時間を過ごすのは久しぶりではあるがここまで緊張することでは無かったはずだ。
 あの戦の後、日が経つにつれてどう接していいか分からなくなった。
 弱い自分を見せてしまい、年下である彼女に頼ってしまい、恥ずかしい気持ちが多々あるのも事実。
 そんなことを星に相談すると、
「二人で出かけてみれば自然とわかるのでは?」
 と言われて勢いで誘ってはみたが――
「……」
「……」
 どうにも話す事がない。
 たまに話す程度の同級生と電車で二人っきりのような気まずい空間が、俺達の座る席の周りを支配していた。
 さっきは歩いてたから鼻歌と笑顔で誤魔化そうとしていたが、きっとバレてただろう。こっちをじっと見ていたし。
 いかんな、相手は見た目幼女だ。恐れるな。
「えっと」「あの」
「……」
「……」
 話す事を決め、口を開くと同時に二つの声が重なってしまった。
 タイミング悪すぎないか!? また気まずくなっちまったじゃねーか……
「お、おお、お先に、どうじょ」
 噛み噛みで赤くなりながらも必死に紡いだであろう言葉だったが、変なモノに変わってしまい少し笑いそうになった。
 童女はお前だ、とびきり可愛いをつけていい。
「……ありがとう。じゃあ先に、今日は昼から休みなのに付き合ってくれてありがとうな」
「い、いえ。私も……その……」
 返答を行おうとする雛里だったがもじもじと身を揺らせて、声が段々と小さく尻すぼみになっていった。
 そのあまりの可愛らしさに思考が暴走し始める。
 俺の紳士ゲージは強化したはずなのにもうすでに本丸まで陥落されそうなんだが。
「お待たせいたしました」
 店員さんナイス。ダンディな髭のあんたのおかげで自分を取り戻せたよ。
 酒ばかり気にしてで店員の対処などお構い無しな星の紹介してくれた店だが、結構いい仕事するじゃないか。
「とりあえず食べようか、美味そうだし」
「は、はい」
 とは言っても目の前に置かれた品に驚きを隠せなかった。
 おススメ頼んだらホットケーキが出てきた。この前あの店長に作り方とイメージを途中まで教えたが、それが完成してほかの店まで広まったのか? 確かにこの世界はふわふわの肉まんもあるから膨らし粉あっても不思議じゃないが。
 そういやさっきは緊張で確認してなかったがこの店の名前は……『娘仲』
 系列店かよ。漢字がいかがわしい店に見えるのは俺の心が汚いからだろうな。
 あの青いネズミねこのダミ声でこれはひどいと幻聴が聞こえる。
 そんな暴走思考に浸っていたら雛里がほうと息をついて一言。
「……おいしい」
 彼女が頼んだのは杏仁豆腐。
 そういや初めて見たときは杏仁豆腐が普通にあるこの世界に驚愕した。
 どうやって作っているのか見当もつかないし、デザートとして出るなんてこの時代では普通じゃない。
 またしても思考の海に放流されそうになる頭を振り、
「それはよかった。こっちもうまいな」
 俺の前のホットケーキを切り取って一口にほおばって、ゆっくりと味わってから感想を述べる。
 現代の記憶が甦ってきて少し泣きそうになったが。
「それは何がかかっているんですか? 蜂蜜とは違う香りが……」
 おぉ、知識欲からか今度は噛まなかったな雛里。
「こいつは楓蜜って言ってな。特定の楓の木から採れる樹液を煮詰めて作ったものだ」
 そう、メープルシロップである。比較的簡単に採れるしこの時代でもいけた。店長の腕があってこその話かもしれないが。
 じーっとホットケーキを見てる雛里はどことなくモノ欲しそうな眼差しに見えた。
「欲しいのか?」
「あ、いえ、ちがっ……はい」
 赤い顔で首を縦に振ったり横に振ったりを忙しく繰り返す。くいしんぼだと思われるのが嫌なんだろう。大体の女の子は甘いものが好きなんだから気にしなくていいのに。
「はい」
 小さく切り分けてシロップが綺麗にかかっている部分をはしで持ち上げ雛里の前にさし出す。手が汚れちゃいかんし蜜が服に着いたら申し訳ないから食べさせてやろう。
「えっ、あわわ……あ、あーん」
 おう、最初困ってたが食べてくれた。まさに親鳥の気分とはこういうモノか。
「ふわぁ……」
 咀嚼することなく口に入れた途端にぱぁっと表情がとろける。マナーは悪いが仕方ないことだろう。
 しかしやっぱり好みだったか。おいしいもんなホットケーキ。さすがは女の子、それに雛里も朱里もお菓子作りは得意らしいから店長に材料でも借りて一緒に作ってみたいな。
「気に入ったみたいだな。杏仁豆腐と交換するか?」
「っ! いいんでしゅか!?」
「お、おう」
 噛みながらのあまりの勢いに圧されるがこぼさないように慌てず交換する。まあ喜んでくれるならいいか。
 目の前にやってきた杏仁豆腐を蓮華で一つ掬い上げて口に運ぶ。
 ん、うまい。杏仁豆腐もいいな。
「あ、あわわぁ~!!」
 何故かホットケーキをもぐもぐしながら俺の挙動をじっと見てた雛里が突然騒ぎ出した。
「どうした!?」
 急いで呑み込んで雛里に聞くとわたわたと真っ赤な顔で手を振り、
「く、か、かんせ、かんせちゅ」
 ええいまどろっこしい! 何を伝えたいんだ! かんせ――
 そこで一つの行動に思い至る。
 やっちまった。こっちの世界だったらなんていうのか気になるなぁーあはは。
「ごめん。……うっかり」
「べ、べべべつにいいでしゅ」
 そういや食べさせた時点で間接キスしてたな、と気付いた。どうしようやばい、俺も恥ずかしい。
「……」
「……」
 そのまま無言になり、お互いに食事を続けるも変な空気が晴れることは無い。
 顔を合わせるのも、見るのも怖くなって俯いたまま食べきった。だが非常に気まずい。
「徐晃様」
 時を見計らったかのように店員さんが話しかけてくる。しかしなんで俺の名を知ってるんだ。
「何かな?」
「店長よりお代金はいりませんので後日感想と改良案を頼みます、とのことです」
 店長ここにいるの? それともマークされてるのか?
「あ、もう一つ。恋仲割引ということにしますので女性といらした場合手を繋いで店を出てほしい。とのことです」
 ……俺捕まった。多分店出た瞬間通報されるわ。店員さんにやにやするな。ダンディな髭のくせに。あ、こいつ付け髭つけた店長じゃねぇか!
「あわわわわ……」
 もはや震えまくってる雛里は目をぐるぐると回して思考が追いつかない様子。
 しかし可愛すぎる。店長、狙ってやったんならあんたを軍師として迎え入れたい。
「行こう雛里。ごちそうさまでしたちくしょうめ!」
「あわわ……あの、おいしかったです! ごちそうさまでした」
 二人でお礼を、俺の場合は少しの怒りを込めて言ってから立ち上った雛里の手を握り出口に向かう。すると後ろから雛里に声がかかる。
「軍師様ご武運を。またのご来店をおまちしております。」
 どういうことか分からんが店長、今度覚えておけよ?

 †

 不思議な状況になっていた。秋斗さんと手を繋いで街を歩いている。もの凄く恥ずかしい……けど同時に暖かい気持ちも心を満たす。
 きっとお店を出てから離すのを忘れてるんだろう。
 このままがいいなぁ、なんてことを考えていると、
「散々だ。結局星にお菓子買えなかったし。すまないな雛里、恥ずかしかっただろう?」
 怒り心頭といった様子で文句を言っていたが私に申し訳なさそうに謝ってきた。
「いえ。それに手を繋いでると安心します」
「あっ……嫌じゃないのか?」
 はっと気づいて手を放そうとしたが掌に力を少しこめ、きゅっと握りしめてそれを遮った。ちょっと照れてるようで可愛いく思える。
「ふふっ、嫌じゃないです。嬉しいですよ」
 可笑しくて笑いが漏れて、そこであることに気づく。
 私、普通に話せてる。
「そうか。うーん、じゃあこのまま街歩くか?」
「はい!」
「じゃあ本屋でも行くか」
 ただの会話がすごく楽しい。気分が高揚しているのか自然と脚が軽くなった。
「いいですね。いろんな本みたいでしゅ」
 うあ、噛んじゃった。
 でも俯かずに……秋斗さんと顔を見合わせて笑いあう。
 少し成長できた気がします。

 鼓動は速いけど。

 まだ少し恥ずかしいけど。

 もっとこの時間が続きますように。
 そう願いながら私はその日を目一杯に楽しんだ。








蛇足~店長日記~
 子龍様から聞いた通り、支店である甘味処『娘仲』に徐晃様がやってきた。
 何故子龍様ではなく軍師様を連れているのかは疑問ではありました。
 正直、子龍様と来るとばかり思っていたので内心焦りましたが、そこは冷静にこの変装道具を付け対応しました。
 徐晃様は私だと気付いていらっしゃらない。

 なるほど。

 軍師様はまだご自分のお気持ちにも気付いていらっしゃらない。
 なら私がひと肌ぬぎましょう。
 おぉ、会心の出来の料理を食べてそのように幸せそうな顔をしていただけるとは。
 これは余計に手を貸さなければ。
 徐晃様は鈍い。変態のくせに鈍い。
 ならこういうのはどうです?
 次いらした時は口づけですからね。
 軍師様頑張ってください。
 私としては子龍様にも頑張ってもらいたいのですが。
 おっと最後に結果を。

『ほっとけぇきは初恋の味』
 これでよし。
 

 

牡丹の花は白を望む

 
前書き
改訂に伴い追加した話です。 

 

 初の賊討伐も終わり、日々忙しく白蓮の手伝いをしている今日この頃。
 城の中を歩いていると何やら視線を感じる。しかし振り向いても何も見つけることが出来ず、不快感を拭えないまま、気にするなと自分に言い聞かせて警戒を怠らずに仕事を行いに自室に向かい始める。
「おい、牡丹。お前はこんな所で何をしているんだ?」
「ふみゃっ!? ぱ、ぱぱ、白蓮様!? いえ別にやましいことはしておりませんそうですはい白蓮様の綺麗なそれはもう美しいとしか言いようのないお肌のように綺麗なお城の中をうろつく黒い変なお邪魔虫を観察などしておりませんそうですまさしくあいつはあのかさかさしてて黒光りしている邪悪な虫のようなモノですから観察する価値もないんですそんな事よりまずは白蓮様のお顔を拝見させてくださいその天使が舞い降りたかと思うような美しくて気高くて凛としてて「うるさい! 仕事に! 戻れ!」ありがとうございます!」
 白蓮の声が聞こえたので振り向くと、まるで機関銃のように早口で捲し立てる関靖が居て、視線の原因はあいつかと気付いた。
 星ならばもっとうまく気配を消しているだろうし、白蓮なら問題なく話しかけてくるのだから。他の文官においては、進んで桃香の部下である俺に関わろうとする者などいない。
 口を両手で塞ぎとぼとぼと帰っていく関靖に対して苦い顔をしながら白蓮が近づいてくる。
「すまない、秋斗。牡丹のやつはお前の事が少し気に入らないみたいなんだ。桃香の関係者ってだけで毛嫌いしている所もあるだろうけどな」
「いや、気にしなくて構わないぞ。しかしなんでそんなに桃香が嫌いなんだ?」
 白蓮の説明にこちらの疑問を投げかけると複雑な表情になって力無く笑う。
「……桃香の全てが受け入れられない、とのことだ。生理的に受け付けないとも言っていた。何故かそれ以上多くを語ってくれはしないんだ」
 そんな言葉に自分の中である程度の予測が立った。
 白蓮を見る表情から察するに関靖は自身の主に憧れを抱いている。しかし邪魔する者が現れた。白蓮の過去を知り、友であるという者が。
 部下としては主の友に対して強く否定する事など出来るわけが無い。だから大きく言う事で曖昧にし、ぼかしているわけだ。あまりに大きすぎると怒りではなく呆れで終わらせることができるから。
 詳しく否定を言ってしまうと自身の主とも険悪になってしまうがために。
 気に入らない理由は、桃香自身がとびきり優秀では無いのに特別扱いを受けているからか、もしくはノーテンキな所を見てか。
 いや、もしかしたら彼女は桃香の『あの部分』が気に入らないのかもしれない。白蓮は友ということで甘く見ているから気付くことはないだろうし……しかし俺からは教えるわけにもいかない。
「そうか、なら無理に何かを言っても変わらないな。変えようとしないほうがいい事もあるしそのままでいい。俺は別に気にならないし、これはただの予想だが……多分そのうちあの子から何か言ってくれるだろうよ」
「牡丹からお前にか?」
「ああ、きっと耐えきれなくなる。これ以上は事が起こってからにしようか」
 なんでだ? と聞いてくるが苦笑して流しておいた。
 理由はとても簡単な事で、白蓮の遥か後方から恨めしそうにこちらを睨む関靖がいるからだった。



 そんなやり取りから数日後のとある日、とうとう事が起こった。
「お前、ちょっと話があるんで面貸しやがりなさい!」
 朝の白蓮との謁見が終わりすぐに、まさに怒り心頭、といった様子の関靖に呼び出された。
 しかし何かをした覚えは全くない。あるとすれば、昨日の夜に行われた街の長老達と白蓮との交流会が遅くまで続いたことくらい。
 今日は政務が少ないとの事で久方ぶりに遅くまで飲めると息巻いていた彼女に、交流会が終わってからも付き合い続け、帰ってきたのは丑三つ時をとうに過ぎていた。
 付いていった先は城の中庭だった。人気の無い所に来てから振り返り、わなわなと震える肩ときつく握りしめた拳からはどれだけ怒っているのかが読み取れる。
「たかが客分の私兵如きが美しい白蓮様を穢したんですか……」
 いきなり彼女が怒っている内容を言われて一瞬思考が停止したが、すぐに笑いが込み上げてきた。
「クク、あははは! そんなことか!」
「そんなこと!? なんて言い草で――」
「お前は勘違いしているようだが……いや、仕方ないか。確かに遅くまで連れ回したのは悪かった。だが簡単に証拠を示せるからそのような事は無かったとはっきり言えるぞ」
 俺の話を聞いてジトっとこちらを睨む。まだ信用しきってはいないということだ。
「今日の仕事が終わってから『娘娘』へ行って店主に俺達が店から出た時間とそこで行われていた事を確認するといい。白蓮が帰って来るまで起きて待ってたんだろ? 充分な証拠になるだろうよ」
「なっ、何故それを!?」
 関靖はビクリと身体を仰け反らせて分かりやすいことこの上ない驚愕のポーズをとる。
「普通、あの時間まで起きてる奴なんざいないだろ。事情を知らなくて、よっぽど白蓮の事を心配してる奴くらいなもんだ。安心しろよ、俺はお前の好きな人を取ったりしない。白蓮とは友達なだけだ」
 俺の言葉に顔を真っ赤にして俯く関靖だったが、ふいに中庭の地面に涙が零れ落ちる。
「うぅ……ひっく……本当、は分かって、んです……でもお前がっ……お前が来て、からっ……うわぁぁぁぁん!」
 何かを呟いてから急に大声で泣き出してしまった。
 俺は彼女のあまりの急変にただ慌てる事しか出来ずにおろおろしていると、
「おやおや、秋斗殿は女子に罪な事をしておられるのか」
 木陰から星がすっと出てきた。にやついている顔から理解したが、最初から俺達のやり取りを盗み聞きしていたんだろう。
 星はそのまま泣き続けている関靖に近づいていき、頭を撫で始める。
「なんか悪い事でも言ったんだろうか」
「別になにも間違った対応はしておりませぬ。ただ牡丹が耐えきれなくなったのですよ。この子は白蓮殿から認めて貰いたくて、構ってほしくて必死で努力して来た。それなのにあなたが来てからというもの、自分を見て貰える機会が極端に減り、あまつさえ、二人で夜遅くまで出かけたり、自分には見せてくれないような笑顔を向けられていたり……」
 つまり関靖は桃香の部下である俺では無くて、白蓮と友達である俺が気に入らなかったわけだ。
 確かに白蓮は関靖に冷たい。優秀で、勤勉だが、空回りしてしまう関靖は白蓮の前では暴走してしまいがちで、さらに悪い事に部下に対して自分を作ってしまっている白蓮では問題児と捉えてしまい評価がいつも上がらない。
 星に聞いたが、過保護な母親のように白蓮のためにと何から何まで世話しようとするらしく、日々疲れ果てている白蓮では受け止めきれていないらしい。
 これは個人間の問題で、俺や星が割り込んでいい事ではない。しかし――
「星、ちょっとこいつに協力してやれ」
「……報酬は?」
 泣いてる女の子を見捨てる事は俺の心にもよろしくない。
 対して星はまるで俺がそう言うと思っていたというようににやりと笑って対価を求める。
「……酒の席と……関靖の笑顔でいいだろ」
「……くっ、ハハ、あははは! まさか秋斗殿からそのようにすかした言葉を聞けるとは。よかろう、この趙子龍、全力で牡丹を助けまする」
 大仰に礼をする彼女を見ていると一つの事柄が頭を掠め、近づいて耳元で伝えたいことを囁く。
「上手く行ったら白蓮から目を離すな。見極めるのはまだ早い」
「……それはどういう――」
「さてな、まあ自身で出した答えが全てになるさ」
 離れながら誤魔化し、未だに泣く関靖と茫然と佇む星を置いて、自分の仕事に戻る事にした。



 明くる日、廊下で楽しそうに笑いあう三人を見つける。
 どうやら全て上手く行ったらしい。
 俺はその姿に自然と微笑みが零れ、ゆっくりと近づいて話しかけた。













蛇足~意地の張り合い~

「……」
「……」
 睨み合う両者は沈黙を貫いていた。
 午前中の仕事が片付き、秋斗殿と牡丹と共に食事に来たまでは良かったモノの、昨日の出来事からか互いに気まずい様子。
 じとっと睨む牡丹と涼しい目で見返す秋斗殿は運ばれてきた料理も全く口にせず。
「……なんなんですかこのバカ! なにか言いたい事でもあるんですか!」
「……いや? なにもないぞ」
 耐えきれなくなったのか牡丹が怒鳴るが、受け流して変わらず見返し続ける。
 しかしそれでは小ばかにしているようにも見えるのですが。
「うぅ……星ぃ~。こいつをなんとかしてくださいよ~」
 何故何も言わないのか、多分彼は牡丹がある言葉を言うのを待っているのだ。
 勘違いで貶めてしまったのだから言わなければならない。しかし彼にも随分と子供っぽい所があるようだ。
「牡丹よ、お前からまず言うべき言葉があるだろう?」
 促してやると悔しそうに顔を歪めて、俯いてしまった。
「……なさい」
 小さく、この場の誰にも聞こえないような声で言葉を机に放ったが、少しいじわるをしたくなって、
「聴こえんな」
 彼女を追い詰めた。
 するとバッと顔を上げ、その表情は泣き怒りに変わっていた。
「勘違いして悪かったです! ごめんなさい!」
 全く心の籠っていない謝罪を口にして、彼をまた睨みつけはじめた。
 よしよしというように頷いた秋斗殿はすっと頭を下げる。
「俺こそごめんな」
 短く言ったのは多くの意味を込めるためだろう。何にと明確に言わない所が彼らしい。
 そんな二人を見て耐えきれず吹き出してしまった。
「クク、お互い子供ではないか! 街の子供でも素直に謝るというのに、どちらが先かで意地を張り合うなど……あははは!」
「でもですね星、このバカは私を見下すような目で見て来たんですよ!?」
「お前が先に睨んだんだろうが!」
「はぁ!?」
「クク、まあまあ、互いに謝ったのですからまたさらに意地を張り合う事も無いでしょう」
 そう言うと二人ともが落ち着いたようで、まだ合わせる目は厳しいモノだったが食事を始める。
「そうだ、お前に真名を預けておく。これからは秋斗って呼んでいいよ」
 彼は白蓮殿に認めて貰った牡丹のことを自分も認めていると言いたいらしい。
「……私は牡丹です。そう呼ぶことを許してやります」
 対して牡丹は少し躊躇ったが真名を呼ぶことを許したあたり、自身も秋斗殿の事を認めたらしい。
 らしいのだが……

 そのまま食事を続け、他愛ない話を繰り返していたが、二人とも許したというのにいくら経っても真名で呼び合う事はなかった。

 

 

~幕間~ 白き蓮に休日を

 
前書き
幽州に居た時の話が少ないので追加です。
時系列は『牡丹の花は白を望む』の後です。
この話は一週間後に話数調整をして順番を変えます。 

 
 牡丹と真名交換をしてからしばらく。
 義勇軍による白蓮の労働負担は改善の一途を辿っていた。
 長老との会合にも牡丹や星がついて来る事が多くなり、彼女達と民の絆は驚くほど深くなっていった。
 以前ならば、警邏に出かけていたとしても挨拶をしてくれる程度の関係。しかし現在は誰しもから笑顔で話しかけられたり、店に寄ればおまけをくれる程。
 白蓮は相も変わらず忙しいが、それでも夜半を過ぎても終わらない仕事も無くなって、週に一日程度の休暇を……取ろうと思えば取れるくらいにはなっていた。あいつの真面目さは異常なくらいで、無理やり休ませなければ休まないからどうにかしないと……牡丹の心配が暴発してしまう。

 そういえば初の賊討伐で実感した事が一つあった。
 俺の身体能力と戦闘能力はあの腹黒から与えられたモノなのだが、戦場では自分が意識して戦っている事への理解が必要だった。
 知識として動し方が分かり、まるでこれまでに戦場を経験してきたかのように動くのも慣れてきた。
 しかし戦場に於いては多数対一が常であり、強制的に突きつけられる膨大な情報を処理する為に自分の思考能力も問われる。そこに発生する問題は思考と身体のズレ。兵からすれば微細なモノなのだが、星や愛紗から見ると違和感を覚えられるだろう。
 そこで身体と思考のズレを無くす為に毎日の練兵メニューに一つのモノを追加した。
 義勇軍の俺の部隊幾人と実践演習を行う事。兵達が将と相対した場合を想定しての訓練にもなるし、俺自身の力を把握して研ぎ澄まして行くのにも最適な方法だった。まあ、周倉なんかは俺に一対一で挑んでくるのだが。

――与えられた力で戦う事は必死で努力してきた奴等に対して失礼だ。でも……人が一人でも多く救えるなら、俺はうそつきのままでいい。

 兵達が必死に俺を倒そうと訓練を積む姿や、周倉を完膚なきまでに叩きのめす中、俺はあの時と同じように心を固めて行った。
 地獄を作るなら、一人でも多く救いたい。この世界を変えるなら、もう理不尽に死に行く人が出ない世界に変えてやりたい、と。
 そんなこんなで日に日にズレは改善され、兵達が一人でも多く死なないように効率的な戦場を作る為の連携攻撃を考える事も出来ていった。

 そんな折、白蓮から賊の討伐を命じられ、牡丹と共に混成軍で出立する事となった。
 月光の背に跨り進み続けるも、牡丹との会話は全くない。友達、というにはまだ少しだけ遠い。もう少しだけ距離が近づいて欲しいというのは俺のわがままだろう。
 さて、どうやって話しかけたモノか、と悩んでいる時に牡丹がジト目で睨みつけてきた。

「お前……馬の乗り方がなんか変ですね。月光だから問題なく乗れてるって感じです」

 突然の指摘に面喰う。
 俺の乗馬の仕方は何となく分かる程度。馬に乗った戦い方も知識にあったからその延長線上の産物である。
 さすがに白馬長史の片腕は騙せるはずもなかったようだ。

「馬の扱いは得意じゃないんだ。お前や白蓮みたいに格好よく乗りこなして、騎射まで正確に出来たらいいんだがなぁ……」

 牡丹はずっと幽州を守って来た白蓮の重臣。言うまでも無く馬の扱いは飛び抜けている。
 何度も見てきたかっこいいその姿に羨望を込めて言うと、牡丹は自慢げに顔をにやつかせてフンスと無い胸を張った。
 俺の策略だとも気付かずに。

「美しくて強くて可憐で素晴らしい白蓮様がかっこいいのは分かり切ってる事ですが……そうですね、私よりも圧倒的に格下だと自分でも認めたみたいですし……少しだけ指導してやってもいいですよ?」

 案の条、牡丹は俺をけなしながらも協力を買って出てくれた。
 普段はツンケンして口を開けば俺を罵倒するくせに、真っ直ぐに褒められると気が利く。牡丹はそんな奴だった。
 いつもならここで「お前に対しては嘘だバカ」と言って怒らせて楽しむ。本心を伝えるのは照れくさいのもあるから。
 しかし、今回ばかりはそうも言ってられない。これから乱世を乗り越えて行くのなら騎乗での戦闘は必須。牡丹に馬術を少しでも教わっておけば一人でも多くを救えるのだから。

「そうか! ならよろしく頼む!」

 素直に頭を下げると牡丹は一瞬固まり、すぐに不快げに顔を歪めた。

「……何企んでんですか。いつもなら私をバカにするくせに」

 彼女も頭が悪いわけではない。だから俺の反応を訝しむのは当然。しかし……優しい性根である事も知っている。

「一人でも多く人を助けるためにどうしても必要なんだ。だからお前に教えて欲しい。白蓮は……頼もうにも自分の部隊の調練をお前に任せているほど忙しいからな」

 言うと牡丹は瞳に少しだけ怒気を混ぜ込んだ。
 ただ、彼女が何を言いたいかも俺には分かっていた。

「人を殺してお前が変わったのは知ってます。偉大な白蓮様に仕える私が一つ教えてあげましょう。誰かを殺すくせに救いたいっていうお前は最悪のろくでなしです」

 牡丹が言いたいのは賊相手の事……では無く、桃香に対しての不満のカタチだ。俺に桃香を被せて非難しているということ。此処で防衛にだけ力を使わないなら、必ず上に上がる為に誰かを蹴落とさなければならない。それは獣に落ちた賊では無く、自分達と同じように何かを為したい人、及びその部下を殺すという事だ。
 白蓮の並々ならぬ努力や涙を隣で見続けてきた彼女が桃香を嫌う理由はその点が大きく、自覚の無い偽善者が許せないのだ。
 俺のしようとしている事は星も白蓮も知らない。もちろん牡丹もだ。だから桃香を嫌いな牡丹が俺に対してそう言ってしまうのは詮無きこと。

「そうさな、お前達三人と違って俺は此処から出て行くわけだから……そういう事になるな」

 一寸、牡丹は目を見開いて俺を見つめる。次いで苦々しげな表情に変わった。

「……少なくともお前だけは出て行く必要無いじゃないですか。義勇軍よりもこちらの方が厚待遇で過ごせますし、無益な殺生もありませんからアレに着いて行く必要は皆無です。思いましたがお前はアレと似ているようで相容れません。此処で幽州を良くしていく方が性に合ってます」

 次は俺が驚く番になった。そこまで観察眼のある奴だとは思わなかった為に。

「お前……なんで……」
「バカですかお前は。お忙しい白蓮様が少しでも楽に暮らせるようにと登用する人員を見てきた私が、お前如きを見抜けないと思ってたんですか?」

 思わず言葉が零れた俺に厳しい瞳を向けて言い返してきた。
 確かに牡丹は白蓮が政務で忙しいからと手が回らない案件を任されている為に不思議な事ではない。
 呆気にとられている俺を見つめて、彼女はため息を一つ落とした。

「はぁ……まあいいです。とりあえず、仕方がないので馬の扱いは教えてあげますよ。対価として白蓮様と私に店長が作るお菓子の試作品を十個献上して貰いますけどね」

 ツンとそっぽを向いた彼女はこれ以上何か言うつもりは無いらしく、口を真一文字に引き結んで馬を少しだけ離した。

――うん。確かにここでいつまでも平穏を守る為に過ごせる方がいい。でもな、桃香がこれからどういう風に成長していくかは決まった事柄じゃないから、俺は出て行くよ。ごめんな。

 心の中で牡丹の素直じゃない気遣いに謝って、俺達は無言のまま今回の賊討伐に向かっていった。


 †


 賊討伐が終わり、白蓮の待つ城へ向かう街中で牡丹は苛立っていた。
 討伐前に自身で言った言葉は本心。
 前までは秋斗が何処へ行こうと知ったこっちゃないと思っていたのだが、秋斗が桃香達とは違うと分かってしまうと、これからの白蓮の為に手放すのは惜しいと思ったからが大きな理由である。
 仕事の面でもある程度なんでもこなし、星と同じ武力を有し、白蓮の仕事負担も精神負担も減らす事が出来る彼は幽州発展には重要な存在だった。
 ただ……その男が残る事は無いとも確信していた。
 一つは劉備軍にして桃香色に染まらない異質な彼が、桃香に対して期待をかけているのが見て取れたから。
 一つは彼が初めての賊討伐の後、雛里の事を無意識の内に気に掛けている事から。これについては星も同様の見解を持っていた。
 そして最後に、彼が多くの誰かを救いたいと願ったから。
 大陸の疲弊した状況は牡丹とて理解している。本来は大陸を良くする為に桃香に着いて行こうとしていた所を考え直した星と散々話し合っていたから余計に。
 多くの人を救いたいという願いが星と同じならばよかった。しかし彼は違う。
『ただ単に多くを救いたい』のではなく、『現実的に多くを救いたい』のだ。
 星とて頭が良いのだから、幽州を出たら自分がするであろう事は分かっている。だが、彼はそれよりも違う所に進んで行くと牡丹は疑っていた。

――幽州を守る為にそれをするのはいいんです。でも大陸を救う為にそれをする事は……

 ぶるりと寒気が一つ。
 自身の考えが当たっていれば、彼にはこれから耐えようのない苦難が待っているというのに、劉備軍ならばたった一人でそれをしなければならないのだと予測して。
 斜め前で気楽そうに歩く秋斗を見据えて、憎らしげに牡丹は言い放った。

「一つだけ聞かせてください。お前は……アレの何に期待しているんですか?」

 牡丹には桃香の良さが全く分からなかった。
 幾分かの努力はしていても、かなり甘い採点をしても中級文官程度の能力しかなく、武の才は見当たらず。そんな彼女が耳に聞こえのいい言葉ばかりを口にする。
 毎日倒れそうになりながら政務に励んでいる白蓮を見てきた牡丹には、ほわわんとして周りからちやほやされ続ける桃香が憎くて仕方なかった。
 だから問うてみた。
 現実を見ながら劉備軍に居座ろうとしている秋斗がなんと言うか聞いて見たくて。明確な判断材料が欲しくて。

「あいつはただの女の子だ。本当にただの、な。お前に武の才も無くて、今のような経験も無い場合、誰かの為にと義勇軍を立てようと思うか? それも周りに担がれるでなく自分の意思でだ」
「……」

 振り向き、目を細めて話す秋斗に、牡丹は言葉を返す事が出来なかった。力も無く立つ事は出来ない。拠って立つ才能が少しでもあるからこそ、誰かの為にそれを使おうと思うのが牡丹の考えだった。

「現実ばっかり見てたら凍土のように冷たいのが世界だよ。才能のある奴の方が断然いいのは間違いない。でもな、才能の無い奴が何かしたらダメなんてのも間違いだ」

 反論をしようと口を開きかけた牡丹は、舌打ちを一つして口を噤んだ。
 自分の敬愛する主に突出した才能は無い。それでも努力したから、経験を積み上げて来たから今の地位と力がある。
 才能が無ければ上に立つ資格がない、等と言ってしまえば幽州の大きな部分を任せられている白蓮を少しでも否定する事になる。
 しかし煮え切らない。
 秋斗はその心を見透かしたようにふっと息を付いた。

「最初からなんでも出来る奴なんざいない。期待してるのはあいつの心。そして成長する伸び代だ。
 お前があいつを嫌う理由は大体想像がついてるけど……それはまだ先の話なんだよ。今は眼前の人に目を向ける時なんだ」
「でも、白蓮様は全部を持ってますよ?」

 口を尖らして牡丹が言うと、秋斗は小さく苦笑した。自分もそれは分かっているというように。

「あいつは本当に凄いからなぁ。白蓮だって女の子の道もあったはずなのに、それを無くしてまで苦労する事を選んだんだからさ」
「ですよね!? じゃあ此処にいればいいんです。簡単なことですよ白蓮様の元に劉備もお前も全員で残ればいいんですそうすれば白蓮様の負担も減りますし劉備もじっくり成長できます幽州の地も良くなるんですから一石二鳥いや三鳥ですもしかしたら烏丸の奴等が二度と攻めて来ないようにも出来るかもしれませんしそうなれば結構楽しい四人の時間も増やせますもちろんお前が何か耐える事もないでしょうし問題ありませんほらみてくださいどうですかこれだけいい所があるんですからもう残るしかない、ですよ!」

 白蓮の事を認めているならと、暴走に身を任せるまま牡丹は秋斗に詰め寄ったが、街中という事もありどうにか自身を制御して押し留め、そのまま人差し指を秋斗の目の前に立ててピタリと動きを止めた。
 牡丹はただ白蓮の為を想って秋斗を残らせようとしている……わけでは無い。自分を主に認めさせてくれたモノが作り出した日常は楽しくて、忙しいながらも平穏な世界を精一杯堪能出来ている。白蓮の為にも、そして自分の為にもその時間を失いたくないのだ。
 事実、牡丹は気に食わないながらも彼との関係に居心地の良さを感じていた。今まで見た事も無いがこういう形の友というのもあるのでは、などと星に言われて納得もしていた。
 ほぼ公孫軍と言われても不思議ではない程に溶け込んでいる彼が、桃香を説得して白蓮の傘下に居れる事が出来れば文官達の不満も少なくなるのも一つ。
 力強く、そうしろと訴えかけるように見つめ続ける牡丹。
 対して、先程からくるくると彼女の表情が変わる様子が可笑しくて、秋斗は抑え切れずに吹き出した。

「くっ、ははっ! お前、ほんっとに白蓮の事が大好きなんだなぁ」
「何言ってんですか! 当然です!」

 しばらく笑った後に、くるりと答えを待つ牡丹に背を向けて秋斗は歩き出した。

「ちょっと! 私の話聞いてなかったんですか!?」
「少しだけ聞けたな」
「なら、白蓮様の事を上に立てる人だと認めているなら残ればいいじゃないですか! アレらを残らせるのが無理でも一人で!」

 何も言わずにスタスタと歩く秋斗の歩みは何処か楽しげで、牡丹はさらに口を尖らせて怒鳴りながらもその後を追いかけた。

「答えろ! バカ!」

 グイと秋斗の服を掴んだ。それでも尚、秋斗は歩みを止める事は無かった。
 答えが返って来ないのは何故なのか、服を掴んで追随しながら牡丹は考えた。
 白蓮は努力を惜しまず、人徳も溢れんばかり、経験を積み上げて来たので実力が高いのは言うまでも無く、素晴らしい主君であるのは間違いない。現時点の桃香とは比べものにならない事は明確であった。
 だというのに、秋斗は此処に残らないという意味を込めてか答えを教えてくれない。それは何故か。牡丹が思い至った事は一つだった。

「帽子幼女がアレに着いて行くから、ですか?」
「ハズレ、雛里は関係ない。ってかなんで雛里が関係してくるんだよ」

 歩調を緩める事も無く呆れた声音で言い放たれ、牡丹は不機嫌になりながらも思考を巡らせていく。しかし、答えが出る事は無かった。
 城まで到着し、秋斗は漸く牡丹の方へと振り向く。

「俺はこの土地が好きだよ。白蓮が居て、星が居て、お前が居て、皆が楽しく平穏に暮らしてる。だから……俺は此処に留まってられない」

 牡丹はその瞳を覗き込む。
 澄んでいた。澄み切っていた。吸い込まれそうな程に黒く、キラキラと輝いていた。だから彼女は何も言えずに、その言葉だけを自身の頭で反芻し続けた。

「此処にいたら出来ない事があるんだよ。ごめんな」

 言うなり踵を返し、秋斗は城門へと向かっていった。
 呆然と彼を見ていた牡丹の顔は怒りに歪んで行く。曖昧に、ゆらゆらと、彼はいつも自身の全てを明かさない。それが牡丹をいつでも苛立たせる。

「このバカ! 後悔しても知りませんからね!」
「好きなんだから後悔なんざいつでもするだろうさ。それとこの話は俺とお前だけの秘密だぞー」

 秋斗はひらひらと手を振って城の中へと入って行った。
 牡丹はその場でギリと歯を噛みしめる。

「捻くれ者……馬術の鍛錬の時にその捻じれた心を踏みつけて正してやります」

 白蓮様の為に、と心の中で呟いて、彼女も今回の報告と戦後処理を行う為に、肩をいからせて城の中へと向かっていった。


 †



 牡丹が秋斗に馬術指導を行っていると聞いて、どうにか時間を作って星と共に見学に向かっていた。
 正直な所、秋斗の馬の乗り方は変だった。私も人の事を言えた義理ではないが、人馬一体とは程遠い。
 月光と名付けられた名馬だからこそ、秋斗の気持ちを読み取ってくれるから動けている程度。
 騎馬の練習場で普通の馬を扱わせてみれば、私の第三部隊の奴等にすら劣る動きしか出来ていなかった。

「そんなんじゃここから出て行けばすぐ死んじゃいますよ! 月光に乗れない時が来たらどうすんですか! お前は此処でもっと馬術を磨くべきです!」

 何周も何周も、馬を変えて秋斗は牡丹についていこうとしていた。
 その度に突き離され、罵声を浴びせ掛けられ、精神的にも肉体的にも叩き伏せられている。
 だが……秋斗は何も言わず、黙々と牡丹の背を追いかけ続けている。牡丹もその様子に、貶しながらも秋斗の馬術が改善されるよう適切な指摘を怒鳴っていた。
 ふいに、牡丹が後ろに向けて騎射を行った。矢じりが付いていたならば人を殺せる一矢。矢じりが無くとも目に当たれば失明は確実で、守られている他の部位でもある程度の痛みを受ける事になる。

――そこまでするのか……まあ、戦場で指揮官を狙う矢なんかは日常茶飯事だし、避ける練習にもなるから必要なことか。あの速度なら落ちても大きな怪我はしないしな。

 秋斗個人の実力を知っている為に、最悪の場合は馬から落ちて避けるだろうと思っていた。
 しかし何故か、秋斗の動きが少しだけ良くなった。剣を振り、馬上であるにも関わらず矢を切り払ったのだ。

「なんでっ! なんでお前はそんな難しい事が出来るくせに馬の扱いは下手なんですか! 訳が分かりません!」

 星と私は驚愕にあんぐりと口を開けはなって二人を目で追っていった。後に、口元を引き攣らせて星が言葉を零す。

「……戦うことだけは出来るように見えますな」
「ああ、なんか変だと思ったら違和感の原因はそれか」

 星の一言は私の疑問を大きく取り払った。
 秋斗は馬の扱いは下手でも、こと戦闘に関してだけ意識を尖らせられるようだった。馬上に於いても秋斗個人の戦闘能力だけは変わらない、ということ。
 自分に殺意や敵意を向けられると動きが良くなるのなら、きっとこれから戦を経験するに連れて伸びて行く事だろう。
 そこで私の心にもやが掛かった。

――秋斗を此処に留めておけたなら私が直接指導してやれるのに。

 ふるふると頭を振って思考を追い遣る。
 秋斗は桃香の部下であり、さらには幽州だけを守ろうとするような奴ではない事を理解している。私は此処を守れたらそれでいいから、誘ったとしても秋斗は残ってくれないだろう。
 野心、というには透き通りすぎている想いを持っているあいつは、何処か桃香に似ていると私は最近感じていた。
 大きく変わったのは初めての賊討伐の後。それ以降、前以上に積極的に私の仕事を手伝ってくれるようになり、私も頼る事が増えた。あいつはあの時から桃香みたいに人を助けたくて仕方ない奴になったんだ。

――曹操みたいに上層部の腐った部分を大きく変えられるようなら、上に上り詰めようという野心を持ったなら、大陸全てを救いたいと身に余る理想を持てたなら、あいつは此処に居てくれるんだろうか?

 自分がそのようになるとは想像も出来ず、やはり私はこの地を守りたいだけなんだと再確認して、あいつに残ってほしいというわがままを抑え込んだ。何より離れたくらいで壊れる絆では無くなった事を知っているから。
 隣をちらと見やると、星は少し寂しそうに秋斗を見続けていた。
 その感情は何時か此処を旅立つあいつに対しての淡いモノである事が想像に難くない。
 いつも一緒に、まるで私の正式な部下であるかのように二人は仕事を手伝ってくれて……そんな中で星は友達以上の心を持ってしまったんだろう。本質的に何処か似ている二人であるから余計に。

――別に着いて行ってもいいんだぞ。

 口から零れる寸前でその言葉を呑み込んだ。
 それは私から言う事では無い。言うとしてもきっと秋斗や桃香が出て行く時にしか言うべきではないだろう。
 星が納得するまで私の器を計ってくれたらいい。その上で何処へ行くか判断して決めてくれたらいい。だって……私が此処にいればいつでもこいつらは帰って来れるから。
 思考に潜っていると、秋斗と牡丹はゆっくりと馬の脚を緩めさせて私達の前まで来た。
 牡丹はなんでもないような顔をしているが、秋斗は疲労が色濃く出ていた。さすがにこれだけ長時間の馬上訓練は初めてだろうし仕方ないか。

「二人ともお疲れ」
「ああ! 白蓮様! 見てくれましたかこのバカの無様な姿を稀にちょっとだけいい動きするようですがそうですこいつはまだまだ此処で精進しなければいけないんですもっともっと私達と訓練を積まないとすぐにでも死んでしまうくらい脆いんです白蓮様の綺麗で美しいお手を煩わせるまでもありません私がこいつを踏み潰して身の程をわきまえさせて幽州に残らせますのでよろしければそれが出来たらご褒美にくんかくんかさせてくださいそれは勿論お風呂に入ってからいえいえ滅相もありません白蓮様と一緒に入るなんて恐れ多いその残り湯だけ頂きますそうすれば私のお肌も白蓮様のように美しく光り輝く白馬の如き白さに「そろそろ! 静かに! しろ!」あん! ありがとうございます!」

 また牡丹の暴走が始まったので怒鳴って黙らせると、いつものように口に手を当てて押し黙った。星は牡丹が話している内容が聞き取れたのか楽しそうに喉を鳴らし、次いで秋斗に話しかけた。

「前よりも幾分か動きがマシになりましたな。しかし牡丹……まだまだ秋斗殿を苛め足りないのではないか? 普段よりも優しく見えたぞ」

 既に普段通りに戻っていた星に言われると、牡丹は口を塞いだまま秋斗に対して感謝しろとでもいうように得意げな表情をして、まだ続けようとでも言うのかクイと馬の方に顔を振った。

「……さすがにこれ以上は尻の数が増えそうだから今日は終わりにしてくれ」

 手でさすりながら言う秋斗。私もそれには同意だから……せめて助け舟を出しておこうか。

「今日はこれくらいで勘弁してやれよ、二人とも。秋斗なら個人の訓練もこれから繰り返すだろうし、休息も訓練や仕事の内だぞ?」

 くつくつと苦笑する星は私がそう言うのを予測済みだったようだ。
 こうして私が止めるから、星も安心して冗談を言える……なんて自惚れてもいいかな。
 ただ、私の発言に目を鋭く光らせたのは秋斗と牡丹だった。

「分かった。なら仕事ばっかりしてる白蓮はこの後休め」
「このバカと星と私で白蓮様の仕事を終わらせますからそろそろ休んでください」

 茫然と二人を見やる。まさか私に休めと言ってくるとは思わなかったから。

「何言ってるんだ? 長引いた日でも夜半を超えるかどうかには仕事も終わってるし――」
「白蓮殿、今日は昼過ぎから休みとしてくだされ。むしろ明日も休みでいいかと」

 何故か星も真剣な表情に変わり、言い終わる前に遮られた。夜にちゃんと寝れてるんだから大丈夫なのに。早くに仕事が終わった時は秋斗達と二日酔いにならない程度に飲み歩いたりしてるから息抜きも十分なのに。まあ……桃香達が来てからここ二か月程は休日を覚えていないが。

「よし、なら城の文官全員に白蓮の仕事を割り振って休みを作ろうか」
「お前にしては中々いい案です。偶には張純にも徹夜させてやりましょう。部下に仕事を押し付けて、大体の日は夕食時にさっさと帰ってますからね」
「部隊長の練兵訓練にも最適……軍事関連も問題は無さそうだ」

 そのまま三人は私の事はお構いなしに話を進めて行った。
 気持ちはありがたいが、部下達に無理をさせるわけにはいかないので口を挟もうとすると、

「お前が休まないなら城の奴等を脅して全員で休暇を取るぞ」
「なっ」

 秋斗が私を脅迫してきた。さすがに城のモノ全員に休まれると仕事どころじゃなくなる。
 厳しい瞳で見つめてきた秋斗は、ビシリと私の口の前に人差し指を立てた。

「反対は却下だ。休むのも仕事の内なんだろ? それにな、毎日毎日働いてばかりだとお前を慕う部下も気兼ねなく休む事が出来ないし、お前自身の思考も凝り固まっちまうから……明日は頭空っぽにして自分の作ってきた街を一人で散歩でもしてみたらどうだ?」

 うんうんと頷く星と牡丹。
 さすがに自分の発言を持ち出され、仕事をし続ける事によって何が起こるか言われると否定する事も出来ず、納得するしかなかった。

「……明日……だけだからな」

 ほっと大きく安堵の吐息を漏らす牡丹を見て、秋斗達と知り合ってからある程度は張りつめなくなったと言っても、私はまだ周りが見えていなかったと気付かされた。
 牡丹が一番に私を心配してくれていて、秋斗と星はその気持ちを汲んだのだ。
 じわりと胸が暖かくなる。認めたと言っても、牡丹の事をもっと見てやらなくちゃダメだな。

「ありがと。でも明日休みなら今日の仕事を一緒に終わらせてもいいか? 明日の為に、私しか採決出来ない案件も分けておくからさ」

 せめてもの妥協点として示すと、牡丹も秋斗も苦笑しながら頷いてくれた。

「ならさっさと終わらせちまおう。とりあえず朱里……は居ないから雛里に明日は白蓮が休みな事を伝えて来るよ」
「では私と星は城の者達に残業を通達してきます」
「あまり机に向かうのは得意ではないが……四人でするならさぞ楽しい事でしょう」

 そのまま、散り散りになって行く皆を見つめて私はもう一度……

「ありがとう」

 誰に聞こえずとも呟いた。
 大陸が平和になったなら、優しいあいつらと一緒にこんな日々を繰り返していきたいと願いながら。
  
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

働きづめの白蓮さんを心配する三人のお話。
彼女達の結末を知っている身としては書きながら悲しくなりました。

来週は幽州√の続きを上げます。

ではまた 

 

長い乱世の入り口に


 義勇軍の運営を行ってきてしばらく経った。
 なんとか軌道に乗ってきたと思う。浮き上がっていた問題は改善案を実行し始めてから、もはやほぼ解決に向かっている。
 互いの軍の連携も問題は無く、混成でもいくつかの戦も経験してきた。

 初めての賊討伐の後、重圧で押しつぶされそうになっていた私を桃香様が優しく抱きしめてくれた。愛紗さんと鈴々ちゃんが暖かく包んでくれた。
 あのまま一人で抱え込んでいたなら、私は耐えきれず潰れていただろう。
 雛里ちゃんはどうなのか。
「どうしたの朱里ちゃん。」
 なんでもないよと言うと首を傾げて書簡作成に戻る。雛里ちゃんは私が帰ってからも前と同じに見えた。
 しかし少しだけ雰囲気が変わった気がした。なにか一本芯が通ったような。きっと何かあったのだろう。けど雛里ちゃんに直接聞くつもりにはなれなかった。
 変わったと言えば秋斗さんも変わった。何があったのか星さんに聞くと、
「覚悟を決めたのでしょうな」
 と一言だけ。それ以上は何も答えてくれず、何の覚悟かはわからないままだった。
 コンコンと扉が二回音を立てる。『のっく』というらしい。秋斗さんは不思議なことを知っていることがある。
「どうぞ」
 雛里ちゃんがぱあっと笑顔になる。最近はいつも秋斗さんが来るとこんな感じだった。
「失礼するよ。各村へ派遣する兵の名簿と白蓮からの内政改善策の相談の書類を持ってきた」
「お帰りなさい秋斗さん。今お茶をいれます」
 素早く簡易給湯室まで行こうとする雛里ちゃんだったが、
「いや、すぐに次の所に行かなければならないんだ」
「そう……でしゅか……」
 秋斗さんの返答に目に見えて落ち込んでいる。仕方ない、ここは私が、
「秋斗さん、相談が一つありますので時間を取れませんか?」
「……わかった。君、この書簡を関雲長に渡してくれ」
 懐から取り出した竹簡にさらさらと走り書きをして書簡と共に入口の兵士に渡す。
 これは『めも』と言うらしいのだが、口頭で伝えるよりも確かで確実なので最近みんなが使い始めている。鈴々ちゃんは別にして。
 彼が私と向かい合って座ると同時にコト、と机にお茶が三つ置かれる。
「ありがとう雛里」
「い、いえ」
 笑顔でお礼を言われて照れたのか帽子で顔を隠しながら私の隣に座る。照れてる雛里ちゃん可愛い。って違う違う。
「では本題に入ります。最近、出没が多発している黄色い布を頭に巻いた集団のことです」
 明日皆で話そうと思っていた議題だけど、先にこの人と一緒に練っておくのも悪くない。

 †

「――つまり、もはや暴動になる事は必至ということです」
 茶菓子をつまみ一息ついて二人から説明を聞いた。
「宗教のようなものらしいのですが詳細はわかりません。問題は規模です。各地に同じようなものがあり、事が起こった後に合流されるとやっかいなことに……」
 ついに始まったか。
 黄巾の乱。乱世の、三国志の始まりともいえる超特大規模の民の反乱。筆頭は張角。だが……
 この世界では元の世界の常識は通用しない。なんせ有力者はほとんどが女性だったりするのだから。それに時期が違う。黄巾は劉備が公孫賛のもとへ行く前だったはず。
 歴史の流れが違うならよけいな事はせずにその場その場で対処していくのが得策だろう。下手に歴史知識を出して自分たちが大惨事になったら目も当てられないのだから。
 くそっ!何が『三国志とちょっとだけ違う』だ、あの腹黒少女め。
 見ろ。俺の目の前にいる軍師達はこんなに可愛い。
 扇からビームも出さないし、ひげもじゃ仙人でもないぞ。
「秋斗さん?」
 いつもの如く思考が脱線してしまった。俺が物思いに耽っているのを不思議に思ったのか朱里が首を傾げて見つめてくる。
「む、すまない。ちょっと考え込んでしまった。二人は今の状況からどう動くつもりなんだ?」
「こちらから動くことはまだ必要ないかと。出来ることは各地の自警団同士の連携の強化の呼びかけと……」
「軍からの駐屯兵の派遣くらいでしょうか。幽州にはまだその集団は確認されていないので調べるのにも時間がかかりますし」
 質問を投げてみると交互に、簡潔に説明してくれる。それならばこちらの考えも伝えとくことにしよう。
「ふむ……確か今は豫洲あたりで頻繁に目撃例があがってるんだっけか。件の集団が宗教集団で教祖に追随してるようなら、その二つはまだ余裕で強化できる時間はあるかもな」
「どうしてですか?」
「あそこは厳しい人がいるからなぁ。その影響で少しだが民の不満も和らいでいるらしいし」
「陳留刺史、曹孟徳……ですか」
 その通り。なんでもお偉いさんに一発きついのをかましたらしいしな。豪族や他の政治屋からの反発もあるらしいが皆腰が引けてるともっぱらの噂だし。
 一回くらい会ってみたいもんだ。俺が、いや徐公明が仕えるはずだった人物に。
「秋斗さんは曹操さんのことをずいぶんと評価なさっているんですね」
「ん?あぁ、この前白蓮が曹操の事を話しながらすごく褒めててな。まあ、褒めた後落ち込んでたが。あいつは自分を低く見る癖を直さないと。頭もいいし可愛いし、太守なんだからもっと自信を持てばいいのにな」
 先日の白蓮の様子を思い出してつい苦笑が漏れる。
 比べて私は……と陰鬱としたオーラを撒き散らしていたからな。
「……」
 潜りかけた思考を打ち切って彼女達を見ると、何故か雛里が俺をじとっと睨んでいたので、
「ど、どうした?」
「なんでもないでしゅ!」
 聞いてみてもプイとそっぽを向かれる。何この子撫でたい。
「秋斗さん……」
 残念なものを見たかのような目で俺を見る朱里。背筋が凍るようだからやめてほしい。どうやら何か二人の気に障ったか。
「はぁ……。話を戻しますが私たちからの黄巾の輩への対処は明日、他の皆さんも含めて詳しく話し合いましょう」
「わかった」
「では秋斗さんから何かありませんか?ほら雛里ちゃん、機嫌直して」
 朱里が声をかけると、まだ少し睨んでいるがこちらは向いてくれた。
 そういや二人にはあれを話しておこう。
「今日聞いた話だしまだ正式に決まったわけではないが、幽州と烏丸で戦が起こるぞ」
「はわわ!」「あわわ!」
 久しぶりに聞いたがやはり『はわあわ』は胸にグッとくるな。
「二人ならわかるだろ?奴等は時機を計ってたんだ。内地の賊に手間を取られて手薄になるのをな」
「……公孫賛様もそのつもりでずっと用意していたんですね」
 すっと目に光を宿して聞いてくる。さすがに天才軍師と呼ばれるだけあって切り替えが速い。
「あぁ、桃香が義勇軍を立てたおかげでうまく牽制できてたようだが……」
「攻めてくるなら暴動が起こってからでしょう」
「最大の好機を逃してくるとは思えませんし」
 それぞれの頭の中では目まぐるしく今後の計算が為されているだろう。
 二人に話してよかった。きっとすでに先の先まで見通してるに違いない。
「まあとりあえず今は俺たちに出来ることをするしかないか」
 コクリと頷く二人。
 それから俺たちはいろいろな話をしつつ夕食まで過ごした。
 仕事を最後まで終わらせてなかった俺は夜遅くまで愛紗に説教されるはめになったが。


 †


「これより会議を行う。何か急を要する件はあるか」
 私の問いかけにすっと手をあげ、意味深な笑みを深めて立ち上がる美女、名は張純。
「件の黄巾の輩がついに揚州のとある街を襲撃したそうです」
 室内の皆が息を飲む。しかし張純は落ち着いた声で先を続けた。
「官軍が動いたのですが倍以上の人数を有する奴らに敗北したようです。報告を聞いた上層部は直ちに黄巾の輩を賊と認定、各地を治める有力者は此れを討伐せよ、とのことです」
 予想はされていたがやはり事実として起こったのを聞くと不快感が胸にこみ上げ、無意識に眉間に皺を寄せてしまう。
どうにか心を落ち着けて張純に一つ頷いて話し出す。
「ご苦労、張純。皆、知っていると思うが我らには黄巾の他にも烏丸という宿敵がいる」
 言ってから室内を見回すと皆、真剣な目で話の続きを待っている。様子をみるか。
「烏丸に加え黄巾とも戦闘、となるとこちらの状況も厳しいものとなる。そこで劉備義勇軍には我らの代わりに黄巾の討伐に向かって貰いたい。こちらの兵は烏丸のほうに集中したいからな。それに騎馬での戦いは私たちしかできないだろう。不足の兵力があれば言ってくれ。厳しいが、できる限りは捻出する」
「わかったよ! こっちは安心して。白蓮ちゃんは烏丸に集中してね」
 はきはきと言う彼女の瞳は明るい光を宿していて、任せても大丈夫だと心からそう思える。ありがとう桃香、心強い。
「しかし伯珪様、これは勅、我らも参加すべきでは……」
「未だに烏丸は動く気配がないのですし」
「そうですぞ。攻めて来ると言って準備したのに未だに来ないではないですか!」
「官位もあげる機会、逃すのももったいない」
「烏丸等恐るるに足らず!」
 しかし口々に騒ぎ出す部下達。こいつらは本当に……
 その様子を見てか、牡丹がガタッと椅子を勢いよく押して立ち上がり大きな声を上げた。私の代わりに言ってやってくれ。
「静粛に! 白蓮様が話す事を聞いてから一人ずつ話しましょう! すばらしい白蓮さまのお言葉が耳に入らない? それはおかしいですねきっと頭の中まで腐っているのでしょう私たちの耳は白蓮様の声を聞くためにあるのですからならば悪いのは頭です一回頭蓋を開いて洗うのはどうでしょうそのまま洗っていけば驚きの白さ脳髄はまるで白馬のようあぁ少しでも白蓮様のお肌のように白くなれるのならそれもいいかもしれませんではさっそく行いましょうすぐに今すぐ「お前が! 静かに! しろ!」ひゃん! ありがとうございます!」
 期待とは裏腹にいつもの如く暴走しだしたので怒鳴ってしまったが、恍惚の表情で感謝を述べ、口を塞ぐ牡丹。何がそんなに嬉しいんだ。
 結局私が言うしかないらしく、すっと胸を張って説明を始める。
「奴らは蛮族だが、狡猾だ。内地で大規模の賊が出たこの好機は逃さんだろう。それに客将とはいえ劉備義勇軍もここの軍だ。適材適所、そうだろう?」
 まだ納得しない様子なのでもう少し私の気持ちも話しておくことにする。
「私はこの地を蛮族から守れという勅も受けているんだ。そしてここは私の家だ。私の民達の家だ。だから私が守るんだ」
 しんと静まり返る部下達。牡丹が何故か泣いているが無視しておこう。
 少しの間をおいてやれやれというようにそれぞれが苦笑した後、
「まったく……親と同じで頑固者というか」
「これこそが伯珪様でしたな。くくっ」
「伯珪様一人では不安ですから私たちが手伝いましょう」
 どうにか納得してくれたようだった。うん。飛び抜けて優秀ではないが、本当にいい部下達だ。
「ありがとう。では会議を続ける。まず烏丸への対策兵数から――」




 会議が終わり、朱里ちゃんと雛里ちゃんに先に私達の執務室に行ってもらって、私は白蓮ちゃんのところへ話をしに向かう。
「やっぱりすごいなぁ、白蓮ちゃんは――」
 あんなに優しい人たちにたくさん好かれているんだもん、と続ける前に、
「桃香」
 途中で言葉を遮られた。どうしたのかと首を傾げてみたら彼女は真剣な面持ちで話し始める。
「お前達には世話になった。これだけ準備万端に烏丸と戦えるのは桃香達のおかげだ。ありがとう」
「え?まだ来るって決まったわけじゃ……」
「いや、必ず来るよ。あいつらのことは私が一番知っているから。他の太守や部下達は気付いてないが来る予兆のようなものがあるんだ」
「そうなんだ。うーん、どういたしまして?」
 どう答えていいか分からず、とりあえずお礼に対して返しておくと目を丸くしてから白蓮ちゃんは苦笑した。
「ふふ、桃香のそういうボケた所好きだぞ」
「ななな、なに言ってるの白蓮ちゃん!」
「気にするな。桃香、今から真剣な話をするからよく聞け」
 好意を伝えられ、恥ずかしくて慌てていると、他にも大事な話があるようだ。ゴクリと喉を一つ鳴らして思わず身構えたが、私は彼女が続けるのを待った。
「今日の会議で分かったと思うが、お前たちをいつまでもここに縛り付けているわけにはいかない。部下達も多分、お前たちへの嫉妬から騒いでいたしな。だから黄巾討伐で名をあげろ。そして、自分の家を作るんだ桃香。理想を叶えるんだろう?」
 そう厳しい口調だけど優しく諭してくれる。
 同時に、言われたことによって漸く気付く。
 私は甘えていただけだ。手伝っているとは言っても拠点を貸してもらい、ある程度の世話までしてもらっている。
 これまで部下の人たちからの苦言もあったかもしれない、いや確実にあったはず。
 私たちのように自由に行動できる義勇軍など、きっといないだろう。
 ずっと守ってくれていたんだ、と思うと途端に申し訳ない気持ちになる。
「白蓮ちゃん。私、友達だからって甘えすぎてた。ごめん」
「いいよ。私が望んだことだ。義勇軍の働きは私達にとっては大きなモノだったから気にしないでくれ。そして……友だからこそ今、背中を押させてくれ。私もここからさらに名をあげる。どちらがより有名で大きくなるか、競争だぞ桃香」
「うん。負けないよ!」
 笑いあって握手をし、白蓮ちゃんと別れた私は、この決意と出来事を大切な仲間達に話すために皆の所へ向かった。



 桃香が自室に帰ってすぐ、物陰から一人の女が現れた。彼女なりに気を遣い、時機を見計らっていたのだろうが盗み聞きとは頂けない。
 ただ、普段の彼女のように意味深に、いや、面白半分な様子では無く、こちらを見定めるかのように鋭い眼差しを携えていた。
「白蓮殿もなかなかやりますな」
「なかなかとはなんだ、なかなかとは」
 酷い言い草だ、と伝えるように一つ肩を竦めてみるが、星はくっくっと喉を鳴らして苦笑し、いつもの調子に戻る。
「褒めておるのです。そうふて腐れなさるな」
「はぁ、お前のは褒められてる気がしないんだよ」
「それは残念」
 星なりの気遣いなのは分かっている。私が落ち込んでいるのではないかと思ってこそ、彼女は軽く言葉を掛けてくれたのだから。
 だがこちらも言っておかなければならない事がある。
「星、お前もだぞ。私にばかり構ってないで自分の事もやれよ?」
「なんのことやら」
 真剣に言ってみても、相変わらず軽く誤魔化そうとする。私と秋斗にそれは効かないのがわかってるくせに。
「桃香はいいやつだ。志も高い。お前には烏丸との戦いは出てもらうしかないが、それが終わったら自分の望むようにしたらいい」
 逃げられる前に構わず続ける。
 わかっているさ。こいつは桃香のような子と共にいたほうがいい。私の器も測り終えただろう?
「あなたは本当に……お優しいことだ」
「ふふ、お前もな」
 また誤魔化した。いい友に恵まれたな、私は。この地で太守をしていてよかった。
「そうそう、秋斗もいることだしな」
 にやりと笑い私が先程の仕返しとばかりにそう言うと、思わぬ言葉に吹き出す星。ばれてないと思っていたのか? バカめ。
「冗談が過ぎますな白蓮殿、私は――」
「はいはい」
「はいはいではないでしょう!? あなたは誤解をしている!」
 いつもの冷静さはどこへやら必死に弁明しようとする星をからかいながら、こいつでも焦ることがあるんだなと思いながら私は仕事に戻った。
 もう私には心で繋がった友がいて、認め合う大切な腹心と、支えてくれる部下達がいる。大丈夫、きっと離れてもうまくいくさ。


 †


 桃香、朱里、雛里は会議、星と白蓮もだ。
 今は八つ時、俺と鈴々は団子屋の前にいる。警邏の間の少しの休憩というやつだ。
 愛紗? 今頃俺たちを探しているかもしれないな。急に警邏に出たから。
 流れる時間は心地いいモノだったが、もうすぐ起こるであろう事柄が頭を掠め、急に寂寥感が込み上げてきた。
 なんとなしに、隣でおいしそうに団子を貪っている鈴々に話しかけてみた。
「なぁ鈴々」
「どうしたのだ?」
「俺たちは多分次の大きい戦いが終わったら白蓮の所を離れると思う」
「そうなのか」
 短く、あっさりとした返答も、まさしく彼女らしいと思いつつ続ける。
「寂しくないか?」
「そりゃあ寂しいのだ」
「そっか」
 誰だって見慣れた街や仲のいい者と離れるのは寂しい事だ。
 雛里が水鏡塾から旅立つ時の気持ちが少し分かった気がした。
「お兄ちゃんは?」
「寂しいなぁ」
「そっか」
「でも進むしかない」
「うん! それにきっと他の所では新しい出会いもあるのだ!」
 そんな鈴々のポジティブさを羨ましく思ったが、自分も見習わなければと考えて落ち込んでいた思考を振り払う。
「そうだな! 鈴々は時々いいことを言うなぁ!」
「時々……むぅ、お兄ちゃんは失礼だなー!」
「はは、すまんな!」
「もういいのだ! とりあえずお兄ちゃんは元気出すのだ!」
「ありがとう、鈴々。そうだな、元気を出して――」
 ふいに視界の端に捉えたモノを理解し、残りの団子を手に取り走り出す。鈴々も楽しそうについてくる。
「――あれから逃げよう」
「了解なっのだー!」
 たまにはこんな風にサボって息を抜くのも悪くない。ちょっとだけだからさ。



 桃香からお呼びがあって今日の会議の事、俺たちのこれからの事を聞いた。桃香は朱里と雛里と共にある程度話し合ってくれたらしい。
 ある程度の原案が決まり、それを伝えるために愛紗は俺たちを追いかけてきた、と。
 悪いことをしたな。後で俺には長いお説教が待ってることだろう。
「白蓮は本当にいい奴だな」
「そうですね。いつかこの恩をしっかり返しましょう」
「倍返しなのだー!」
「いいね鈴々ちゃん。いつかそうしよう!」
 俺の言葉を皮切りに皆の間にゆるい雰囲気が流れはじめる。
「しかし、これから先の詳細ですが、私は少し納得しかねます。敵を選ぶなど」
 だが愛紗が厳しい表情で本筋にちゃんと戻してくれる。それに……本当に嫌な役を引き受けてくれる。
「はわわ。しかし私たちの予算と武装と糧食では敵と戦い続けるだけではすぐに限界を迎えてしまいます」
「義勇兵が増える可能性も考えて物資は敵から鹵獲、もしくはその地の豪族等からの支援、それらに頼りながら進んでいくのが一番だと思われます」
「とりあえず倒すじゃだめなんだなー」
「お腹がすいて動けなかったり、装備が足りな過ぎても被害が厳しいからね」
「名を上げるためには敗走する危険も避けなければいけませんし」
「卑怯かもしれませんが私たちはこの機に大きくなるしかないですから。慢心や油断は一番の敵でしょうし」
 愛紗の一言のおかげで皆、問題点にしっかり理解をおけるのだから。
「承知した。武しか示せるものがないが……って秋斗殿? 黙っていますが、どうしたのです?」
 不思議そうに皆のやり取りを見守っていた俺に声がかけられる。確認は済んだだろうからもういい頃合いだろう。張りつめすぎるなよ、愛紗。

「いやなに、愛紗は本当にいい女だなと思ってな」
 しばしの沈黙。
「な、いきなり何を言うのです秋斗殿! そういうのは星にでも言っておけばいいことで――」
「秋斗さんが愛紗ちゃんを口説いた……? 雛里ちゃんや朱里ちゃんじゃなくて?」
「? 今のでどうして愛紗はいい女なのだ?」
「……」
「……」
 あれ? 和やかに和気藹々! になるはずだったんだが。
 愛紗はこちらを見ず説教しはじめ、鈴々はわかってない。朱里は怖いし雛里は不機嫌になった。
 とりあえず桃香さんの勘違いに弁解を。
「桃香。俺は別にその二人を口説いたこともないが……」
「じゃあ愛紗ちゃんは口説いたんだぁ!」
 ひゃーと声を上げて紡がれた言葉にさすがに呆れてしまう。違う、間違っているぞ桃香。
「いやそんなつもりじゃ――」
「じゃあどのようなつもりなのですか秋斗殿!」
 ぬわー。一人説教の世界にいたのにこっちに戻ってきおった。
 なんとかその場を切り抜けるようと無駄に精神力を使った俺だった。



「――ということがあってだな」
 腹を抱えてバカ笑いしている星と、呆れてやれやれといった様子で果実水を飲む白蓮。
「くそっ。二人ともバカにしやがって。あの後何故か朱里に正座させられて、愛紗からは説教、桃香は妄想に入りだすし、鈴々は俺の足の裏をいじりだすしで大変だったんだぞ」
「で? 雛里は監視で付いてきたというわけですかな?」
 星は俺の隣の席ですやすやと腕を枕にして眠る天使を目で指し示す。雛里は途中まで起きていたが間違えて酒を飲んでしまい寝てしまった。
「あぁ、ところ構わず女の人を口説く秋斗さんは見張っておきましゅ、って言われてな。そんなことしてないんだが」
「ふふ、鳳統についてこられては潰れるほどは飲めないな秋斗」
「お前がいつも一番先に潰れるくせに」
「だから今日は酒じゃない」
 いや、どや顔で言われても。それ意味なくないか?
「秋斗殿、白蓮殿は潰れて記憶がなくなるのが寂しいので今日は飲まないらしい」
「な、星、黙ってろといっただろ!?」
「昼の意趣返し、ということで」
「何のことか気になるな。教えてくれ」
「「女同士の秘密だ(ですよ)」」
 俺だけ仲間はずれか……。
 いつもの場所でいつもの他愛ない会話。もうすぐはなればなれとは思えないほどの。
「しかし急遽集まったわけだがこれで最後になるのか」
 しゅんと俯いた白蓮が寂しそうに言う。
「この街では、そうなるでしょう」
 次は別の街にいるから。
「寂しくなりますね……」
 そう、この店長とも会えな――ちょっと待て。
「おい……」
「はい?」
 何故いる店長。二人ともぽかんとしてるじゃないか。
「どうして店長がいる?」
「通りざまに今日で最後と聞きましたので」
 さすがにタイミング良すぎじゃないか?
「少しお待ちください」
 そう言って厨房に消える店長。少しして、何やら酒の瓶を抱えて戻ってきた。
「このお酒、私が作った特別製でして。よろしければここで、このお酒でそれぞれの想いに祈りを送っていただきたいのです」
 ほうと息をつき、やりたそうな二人。
 この時代の人は結構誓いやら何やらに憧れる傾向があるんじゃないだろうか。
「いいのか?俺のせいでいろいろと店にも面倒をかけたのに」
「いいのです。おかげで各地に支店も立ちますし、それに私もあなた方に救われたので」
 前に聞いたが料理に悩んでいた時、もう客と付き合うのも嫌になっていたらしい。
 上客ばかりでは汚い話が多いのだろう。
「あなた方と関われて料理の楽しさを、そして人と食べる楽しさも思い出せました」
 濁りのない瞳で語る店長はどこか少年のように見えた。しかし内に秘める野心の炎がその中で轟々と燃えているのを隠そうともしない。
「やろうではありませんか」
「だな。別れる前にそれぞれの想いの成就を願いあうんだ」
「じゃあ店長はみててくれよ。立会人だ」
 杯に酒を満たし、明かりを消す。窓の外は煌く星と半月。中庭がおぼろげに照らされて、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
 暗いが見えない事も無い部屋の中で言葉を零す。
「さしずめ月下の願い、ですかな?」
「いや、夜天の願い、とかどうだろう。星が綺麗だ」
「いいな、それでいこう」
 名前を決めてから三人ともが杯を掲げる。

「我が愛する家を守ること」
「正義をもって弱きを助けること」
「この世界を変えること」

「「「どうかその願い、叶えられんことを」」」

 きっと、いや絶対叶うさ。


 灯りを点けると何故か泣いてる店長がいて、今までの礼を言い、彼も混ぜて酒宴を続ける。
 白蓮も我慢できなくなったのか酒を飲み始め、楽しい夜は更けていく。
 結局潰れた白蓮を星が、寝てる雛里を俺が連れて帰ることになった。




 乱世の入り口はもうすぐそこに
 

 

覇王との対面


 仕事の引き継ぎ、私物の整理、白蓮とのお別れを済ませた俺達は、慣れ親しんだ街から離れ黄巾討伐のため進軍を開始した。


「さて、敵を選んで戦うとはいったモノの」
 先に周囲に放った斥候からの情報ではなんと最初の敵は一万。対して、こちらの義勇兵はどうにか六千程度。
 どうしてこうなった。
 近くに見つかったので戦わなければ集まってくれた兵達が不審を抱く。だが兵法の基本は数だというのに明らかにこちらのほうが少ない。

「まさか最初からこんなのと戦うことになるとはねー」
 情報が入った時、桃香がほへーっとした感じで言った。正直、気が抜けるんだが。
「桃香様、少しは緊張感というものをですね……」
「あはは! お姉ちゃんはいつも通りノーテンキなのだ!」
 愛紗が咎めようとするも、無邪気な鈴々に割り込まれ、結局桃香のいつものゆるい空気に全てが呑まれてしまった。
 しかし仮にも戦場近くだぞ……まあいいか、兵も最初は数を聞いて圧倒されていたが、桃香達のいつも通りの雰囲気に少しはリラックス出来たようだ。
 そんな中、きゅっと胸の前で手を合わせ、意を決したように我らが軍師達が喋りだす。
「この辺りの黄巾の要所となる場所が近くにあったのは僥倖でした」
「それに一万程度で守るという事は他に進軍しているか、官軍等の対処にまわっているんだと思われます」
 なるほど。確かに一万で守るとなると官軍相手にはちと厳しいだろうな。しかし……話す二人に何か違和感が……まあいいか。
「でもどうやって数の差を埋めるの? 戦いは数だよ」
 援軍に送られてきたのが呂布一人、とかならそのセリフ使えそうだな。
「このあたりは最近の雨量低下と治水変更により干上がった川があるはずです。そこまでおびきだせれば……」
 桃香に作戦の理由を次々に説明する軍師二人。ほんとすごいな。桃香も愛紗もやはり感嘆している。
 俺も同じように二人の凄さを改めて確認していると、突然クイクイと服の裾が引かれる。鈴々が不足気味にこちらを見上げていた。
「お兄ちゃん、どういう事なのだ?」
「あぁ、敵が弱いけど多いんだ。ちょっと離れた所にある昔の川で楽にぶっとばせるってことだぞ、鈴々」
 どうやら理解出来ていなかったらしいので簡略して説明した。これでいいだろ。
「なるほどー! さすがお兄ちゃんの説明はわかりやすいのだ!」
 それを聞いてか軍師二人は残念なものを見る顔で俺と鈴々を見やる。待て、俺まで脳筋扱いするな。
「こほん、では作戦を説明します。愛紗さんと秋斗さんには先陣を切って頂きます。敵後陣がこちらにぶつかった際に反転、後に鈴々ちゃんの部隊と交代してください」
「じゃあ鈴々は後陣で殿として皆を守ればいいんだなー?」
「その通りだよ鈴々ちゃん。私が補佐に付くから頑張ろうね」
 朱里は鈴々の補佐、前も後ろも指示をだせるように……か。
「桃香様は本陣にて私と共に指示と兵達への伝令や鼓舞をおねがいします。各部隊への兵の追加割り振りも行いたいので」
「了解だよ! じゃあ作戦も決まったことだし、皆、行くよー!」
『御意』
 各隊の割り振りと配置を決定、こうして黄巾との初戦闘が幕を開ける。


 †


「秋斗殿、落ち着いておられるのですね」
 この人はこんなに大きな背中をしていたか。前を歩く彼の背をみてそう思う。
「ん?内心びびってるかもな、だが俺を慕ってくれている兵達の前だし、そうも言ってられんよ」
 口で軽口、顔には笑顔。兵達にも緊張をほどよくほぐさせている。
「ふふ、戦前にそれだけ軽口を叩けるのなら大丈夫でしょう」
「なんだ心配してくれたのか? ありがとうよ」
 嫌味とも取れる言い方をしてしまったが彼はこちらの本心を間違わなかった。
 本当にこの方は……。そういえば、幽州の賊討伐では一緒に戦ったことはなかったか。
「共闘は初めてですが、期待しています」
「軍神のそんな一言があれば負ける気はしないな」
 大きく褒められて少し照れる、だがこちらも素直に頼もしいと思う。
 その時、ついに斥候から報告が入った。
「敵陣、動きあり!」
「来たな。愛紗、いこうか」
「ええ。義勇軍の勇者たちよ! 作戦は説明した通りだ! 敵は多いが我らには勝利が約束されている! 全軍、迎撃態勢をとれ!」
 厳しい訓練に耐えた義勇兵も多くいる。人を救うためと立ち上がってくれた仲間達だ、信頼している。
「初戦場の人も、違う人も、平和のために集まってくれた。これがその第一歩だよ!」
 桃香様も本陣にて鼓舞しているようだ。
 ここよりは戦場。私たちは、主を守り、期待に応え、敵を屠るのみ。
 前を見やると砂塵と共に敵が……来た。
「声をあげろ!」
 瞬間、軍という生き物から雄叫びがあがる。殺気、怒気、恐怖、憎悪、あらゆる負の感情を叩きつけるように。内にある大切なモノを守るために。
「行くぞお前ら! 俺達に続け!」
 秋斗殿の掛け声と共に並んで飛び出す。戦端は開かれた。

 †

 また戻ってきた。
 戦場に。吐き気のする、この場所に。血が出る度に心が凍る。剣戟の音で頭が冷える。飛び散る臓物に吐き気を催す。向けられる刃が恐怖を与える。
 どれだけ斬っただろうか。まだ身体は軽く、思うように腕が振れるのは確かだ。
 戦場に於いては時間が延びるか短縮される。今回は前者の状況らしい。誰しも、嫌な事をしている時は、速く終われと願う心からか、時間が過ぎるのは酷く遅くなる。
 きっと心が擦り減っていっている。だからこんなに、生死のハザマにいるというのに、冷静に思考していられるんだ。
 少し、繰り返し向かってくる敵を殺し続けた頃、俺たちは槍となり敵の部隊を刺し広げた。
 目の前にいた賊を蹴り飛ばすと、前の敵の戦列がさらに乱れ、そこに無理やり突っ込んでいった。
 ありったけの力で周りの敵を屠る。力の差を見せつけ、追随する兵達の士気を上げるために。
 踊るようにステップを刻み、渾身の膂力を以って薙ぎ払い、吹き飛ばす。身体がギシリと軋んだがこれくらいしないと敵に恐怖は与えられない。
「見ろ、我らにはこのお方がいる、我らの御大将が!」
 いつも部隊で俺の後ろに付いて回る一人が大声でそんな事を言い、敵軍を押し広げ、見習うように兵達も空間を開け始めた。しかし御大将はまずいだろ。乗るべきなのか?
「秋斗殿! あまり無茶をしないで下さい!」
 進撃を続ける内、愛紗と戦端で合流した。姿を見ると返り血でそこかしこが赤く染まり、どれだけの敵を切り裂いてきたのか予想も出来ない。お前もずいぶんやったじゃないか。
「そういう愛紗はどうなんだ?」
「まだまだ余裕です」
「なら、もうちょっと無茶……しようか!」
 言うや二人で目の前の敵部隊を切り拓き血の半円を作る。いわば結界。黄巾の雑兵など入っただけで斬り捨てられる。
「私たちを起点に左右へ押し広げろ! 少しでも兵同士の負担を減らせ!」
 さすがは軍神、本物だ。俺に合わせてくれるから楽だし、それに効率が何倍にもなる。
「俺たちが付いてる! まだまだいけるな!?」
「「「応!」」」
 さて、しばらくは余裕だが、被害をどこまで抑え込めるか。時機は任せるぞ、雛里、朱里。

 †

「しゅ、しゅごいでしゅ」
 鈴々ちゃんと後陣に構えていた私は、戦場の先端で行われていることに目を見張る。
 あの二人が組むとここまですごいのか。
 敵は躍起になって二人の方へ向かうので広がりきらない。前線は愛紗さんと秋斗さんが鍛えた義勇兵だ。気をとられた敵を見逃すはずがない。
 数で勝っている敵は焦って余計判断を失い、引くという思考が頭から抜け始めるだろう。
 これは思ったよりも早くいけるかもしれない。それにしても……
「あぁ、やっぱり愛紗達は綺麗に戦うのだなー」
 鈴々ちゃんの言葉は正しい。そうなのだ。あれは舞っているよう。敵はその美しさに魅了され吸い寄せられているのかと錯覚する。
「このままだと押し切れそう――」
 その時、待ちに待った報告が入る。
「敵後陣、拠点から出て参りました!」



「あわわ、あまりに早い……」
 秋斗さんと愛紗さんは相性がいいようで、二人が組んだなら敵にとっては恐怖そのものだろう。
「雛里ちゃん、もういける……かな?」
 桃香様が言いたいのは後退の合図。でも……まだだ。
「まだです。伝令、敵後陣が二人の隊とぶつかった瞬間、一押しして反転、牽制しながら後陣の補佐」
 これでいい。相手がこちらを囲みきろうと動く直前に押し、引くことで間ができる。その間に反転後退をすれば被害は軽微になりこちらも動きやすい。
「もうすぐです」
 まだだ……。まだもう少し。あ、押し返した!


「「今です!!」」


 雛里ちゃんの隊も動き始めた。軍が一斉に形を変える。
 ここからは耐久。迅速に、出てきた相手に圧倒されて逃げだしたと嘘をつくのだ。
 徐々に圧されているふりで片足を泥沼に引きずり込む。逃げるモノを追う獣の思考は愉悦と狂気に支配されるものだから。
「手加減は難しいけど兵の皆を守ればいいのだ!」
 その通りだよ鈴々ちゃん。守りながら攻めるっていうのが正しいかもしれない。
「やっぱり朱里のおかげで動きやすいのだー!」
「何回も組んでるもんね! がんばろうね鈴々ちゃん!」
 秋斗さんと愛紗さんの隊が次々に後方へ下がっていく。こちらは少しずつ前に出る。
 しばらく時が経ち、ここが最後方に……なった!
「よう、朱里」
「秋斗さん!? 一度後方へ――」
「予定より敵の数が多いだろう? 愛紗と交互にこっちに出ようと思うんだがどうかな? てかもう愛紗は行ったが」
 戦場で判断してくれたのか。確かにそちらのほうがいい。
「お願いします! 桃香様の隊もきましたし今の所予想より被害は軽微、このまま状況を維持していきましょう」
「了解」
 そう返事をして鈴々ちゃんと共に兵を守る戦いをしにいく秋斗さん。鈴々ちゃんも動きが良くなる。
あとちょっとだ、私も頑張ろう。


 †


 目的の場所に着くころには敵の動きが明らかに単調になってきていた。
 焦れているのだろう、もはや敵は思考を完全に縛られている。
「どうした? 随分と動きが悪いじゃないか」
 戦闘が行われている殿を見やりながら楽しそうな声で言うが秋斗さんは目が笑っていない。
 その目は兵士たちを、賊に対してさえも殺してしまったことを哀しんでいる色。
 悩んでいるわけではなく、そういうものと割り切るわけでもなく、ただ渦巻いた事実が哀しいということ。
「雛里?」
 気付けば見つめてしまっていたようで、目が合い声をかけられた途端、鼓動が跳ねる。
「は、はい。もうしゅぐ反転して兵達のいれ変えをおこ、行いまし……あわわぁ……」
 焦って噛み噛みになってしまい、近くの兵達から笑いが起こった。
「くくっ、我らが軍師様は策が成功したため、いつも通りに戻られたぞ。お前ら! もうすぐ、ここを終わらせたら勝ちだ、最後の仕事といこうか!」
 恥ずかしい……でも兵士さんも硬さがとれて落ち着いたようだ。こういう心理状態の時には、どんな事でも一番の成果が出る。
 その時最前から合図があった。
「桃香様!」
 こくりと頷き桃香様が話す。
「皆!最後の戦いだよ!今までよく我慢したね。これより反転、間隔をあけて前線の兵を受け入れつつ反撃に入るよ!黄巾なんかぶっとばしてここら辺を平和にしよう!」
 兵達からこの時を待っていたと言わんばかりに雄叫びがあがる。
「さあいこうか、獣狩りだ。獣に堕ちた者に相応しい最期をくれてやれ! いくぞ!」
 秋斗さんは兵達の理性の枷をはずす。少しでも心の負担が減らせるようにと。
 去っていく背中はどこか小さくて、何故か胸が締め付けられた。



 哀しいことだ。
 立場が違う、境遇が違う、時期が違う、場所が違う。
 ただ少し違うだけで賊と義勇軍に分かれた者たち。傲慢な俺たちは命の取捨選択をする。
 これが戦争だ。ただの賊討伐とは違う。国を持って兵同士で殺し合いをさせるのも同じ事だろう。
 明確なモノではなくとも、何がしたいか、何を望んでいたか、それが確かにあったのだから。
 割り切ることなどできない。だが止まることなどもっと出来ない。
「秋斗殿!」「お兄ちゃん!」
「二人ともどうだ、調子は?」
 冷めた頭で思考にふけるうちに二人と合流できた。ここが最前。
「ばっちりなのだ!」
「問題ありません。私たちもそろそろ全力で戦っても?」
「構わんだろうさ。後は殲滅。兵達の犠牲を減らすために戦えばいい」
 せめて選択した中から一つでも多くの命を救おう。
「よーっし! もう我慢しなくていいのだな!? 突撃! 粉砕! 勝利なのだぁー!」
「わかりました。では、三人の力を見せつけてやりましょう」
 そう言われて三人で戦場を駆ける。


 本気を出した俺達義勇軍の前には、狭く囲まれた賊どもは為すすべもなかった。
 被害は軽微、敵は自軍より多かった。初戦にしては素晴らしい内容だろう。
 そうして劉備義勇軍は乱世の始まりに本当の産声をあげた。


 †


 敵の殲滅をした俺たちは賊の拠点に戻り、敗残兵がいないか確認する。
 どうやらいないようだ。しかしさすがは大規模の賊の戦略要所。物資の数がすごいな。
 朱里と雛里とともに物資の確認を行う。
「やはりここを重要拠点にしていたようですね。できれば今回の私達の戦が、賊討伐に来ている周りの諸侯の方の耳に入ればいいのですが」
 朱里が話すと、戦前の違和感が形になった。
「あぁ、違和感はこれか」
 不思議そうな顔で俺を見る二人。足が少し純粋な恐怖に震えていた。
「お前達狙っただろ。初戦にこの場所を」
「あわわ」
「……気付いてたんですか」
 驚き、俯く雛里と、知性の灯った瞳で聞き返す朱里。
「今確信しただけだ。最初はちょっとした違和感だけだったよ。だが出来すぎだろう。結果からの波状効果があまりに多様すぎる」
 これからの討伐への作戦拠点入手に、諸侯へのアピール、賊の補給断絶による弱体化、物資の確保、もっとあるだろう。
 初戦からこのような賊と戦える幸運などそうそうない。それに俺たちについてる軍師はあの諸葛亮と鳳統なのだ。狙ったと考えるほうが自然、いや考えないほうがおかしい。
「どっちが、いやどっちもか」
「やっぱり秋斗さんはすごいですね。他の方は気付かなかったのに」
 斥候を放つ方向も限定したんだろう。偶然を装うことで思考を縛り、戦闘を余儀なくさせる。兵達の気持ちが怯えないように。そこまで考えて、か。
「いんや。お前たちには勝てないな。さすがは朱里と雛里だ」
 そう言って二人の頭をぽんぽんと叩く。
「あわわ」「はわわ!」
 恐ろしいほどの才能だ。味方で本当によかった。
 俯く雛里と慌てる朱里に癒されながら確認作業を再開しようとしたが、
「報告! 我らが義勇軍の代表である劉備様にお目通りをしたいとおっしゃられるお方が現れました!」
 突然の来訪者によって中断せざるを得なくなった。

 †

「はじめまして、でいいわね。我が名は曹孟徳。此度の戦、見事だったわ」
 重要拠点を見つけて攻め入るはずが、誤算だった。先の報告では残っていた兵力は一万程度。拠点へ帰り際の賊を見つけてしまい潰さないわけにはいかなかった。その隙、いや好機といいましょう。そこをついてこの義勇軍が拠点を落としてしまったのだから。
「わわ、私は劉元徳です。この義勇軍の総大将をしています。今回の勝利は義勇軍の皆さんと仲間たちのおかげです」
 そう、あなたが噂に聞く『仁君』。なるほど、浮ついた雰囲気もあるがゆったりとした覇気を纏っている。王才は未だ成長途中というところか。
「ふふ、緊張しなくてもいいわ。この機を見てこの場に攻め入った思考、それに策を忠実に遂行し被害をこれほどまで軽微に抑えきる武、本当にいい義勇軍ね」
「ありがとうございます」
 関羽、張飛、徐晃、諸葛亮、鳳統。これらの英雄が一挙に集うなどまさに劉備の王才によるものだろう。
 確実にこれから表舞台に出てくる。その時私の好敵手となるほどの存在に成長しているのかどうか。
「劉備、一つあなたに聞きたいのだけれど」
「な、なんでしょうか?」
「あなたはこの乱世に、何のために立とうとしたのかしら?」
 確認しておきたい。この者の目指すものが何なのか。
「私は、この大陸を誰もが笑って暮らせる争いのない優しい国にしたいんです。そのために乱世に出てきました。そして理想の実現のためには誰にも負けたくないって思ってます」
 その理想、この先も持っていられるのか。今全てを判断しきることはできない、か。ふいに、後ろに控える男の雰囲気が少しだけ変わる。ほんの些細な違和感だったが……それもこれから判断していきましょう。
「……そう、それがあなたの理想。ならば劉備。黄巾の討伐のために今は私に力を貸しなさい。あなたたちだけで黄巾を殲滅しきれるわけではないでしょう。民達の犠牲を抑えるために、一刻も早く暴徒を鎮圧してしまうことこそが大事なのだから」
「……確かにその通りですね。よろしくお願いします。でも一つ聞かせてください。私たちにとっては利点ばかりですが、曹操さんにとって私たちに協力してくれる利点はなんですか?」
 へぇ、緩いばかりかと思えば、存外強かなのね。
「あなたはどう思うのかしら?」
「へ? うーん、どういうことでしょう」
「ふふ、あなたが考え、見つけた解が答えになるでしょう。この先を生き抜くためにも、いろいろなことを考えなさい、劉備」
 これは教育。自分の解を見つけ出すことが出来るかどうかの。初めから土台があったわけではないのなら、思考訓練を積まなければ成長などできはしない。
 なにより、自身で見つけてこそ、自身で捻り出してこそ初めて周りも生かす事が出来るのだから。
「では協力するということで決定ね。軍同士の連携や方策、必要な事柄は互いの軍師達に話し合わせなさい」
「わ、わかりました。あと曹操さん、協力してくれてありがとうございます」
 可愛げがあるわね。自分の手で好敵手を育てるというのも悪くない。願わくば、担がれる程度の存在で止まってくれるな。
「構わないわ。それじゃあ劉備。邪魔したわね。春蘭、秋蘭いくわよ」
「「御意」」
 乱世に楽しみが増えた。きっと私の覇道を彩る華となってくれることでしょう。
 たった一つ気がかりなのはあの男。義勇軍の中でどこかおかしい。まあいい、これからいくらでも見る時間があるのだから。



 曹操が去ると久しぶりに息を吸ったような感覚に陥る。
 あれが乱世の奸雄、曹孟徳か。
 他者を圧倒する覇気、広く深い知性、鋭い洞察、高い志、揺るがない心。
 一度だけ目が合ったが、まさに圧倒されたとはそのことだろう。なんとか耐えれはしたが、あの探るような目、少し気を付けないとな。
「凄い人だったなぁ、曹操さん」
 桃香はまだ曹操の気に当てられてかほけーっとしている。
「協力を申し出ていただけてよかったです。これで私たちが名を上げやすくなりました」
「手柄を横取りされるようなことはないのか?」
「な、ないとおもいましゅ。信賞必罰を謳われている方ですので」
「誇りをもったものを好み、才あるものを愛する方だと聞きますし」
 皆、口々に曹操について語る。なるほど、きっと俺たちの軍に目をかけてくれるだろう。
 それにしてもまさかこんなに早くに会えるとは思わなかった。案の条女の子だったがそこはもうつっこまないからな。
 しかし曹操の理想はどんなのだろう。桃香には理想を聞いてはいたが否定も肯定もしなかった。
 一度聞いてみたいものだ。出来れば直接。徐晃が仕えるはずだった人物なのだから。
「秋斗さん。どうでしたか? 会ってみて」
 雛里が尋ねてくる。この前の話を覚えていたのだろう。
「ああ、想像以上だった。彼女は間違いなく英雄で、この乱世の果てに相対することになるんじゃないかな」
 確実にそうなる。俺たちが大きくなる頃には、最大の敵になっているだろう。
 あの化け物と相対しなければいけないとは、随分とまあ無茶を言ってくれる。
「ちょっと待って、秋斗さん。あの人は――」
「『今は』味方だ桃香。彼女も言っていただろう? 今は協力して、と。これから先大陸が乱れるなら戦うことになる、と彼女も感じてたんだろうよ」
 そう言うと桃香は真剣な、叱るような目で俺を見て言う。
「戦うだけがすべてじゃないよ秋斗さん。他にも方法があるかもしれない。そんな可能性も、私は信じてみたいな」
 最後ににへら、と笑いかけてくる。そうだったな、こういう奴だからこそ俺は賭けてみてるんだった。
 愛紗も、朱里も、雛里も、鈴々でさえも感嘆しているようだ。
「……くく、敵わないな、桃香には」
 自身の本心を苦笑で誤魔化す。
 俺は妄信はしない。誰かは冷めてなければいけない。それでもやはり、引き込まれそうになるが。
「ええ!? 私なんかなんにもできないし皆の方が凄いし……」
 照れたのかぶつぶつと一人話し始める桃香に、
「桃香はすごいよ。皆もそれがわかってる。それに一人でできないことも皆でやればできる……だろう?」
「そうです桃香様、私たちもついています」
 俺と愛紗の言葉に賛同してコクコクと頷く軍師二人。
 桃香の凄さは分かりにくい。有名な親がいるわけでもなく、特殊な教育を受けたわけでもなく、私塾には通った事があったとしても、ただの普通の子が民の為にと独立勢力を築こうとするなんて出来やしないはずなのに。
 人を救いたいという純粋な願い、それが自身の欲ではなく心の底から来ているが為に人に好かれる。
 自己犠牲ともとれるそれの名は、仁の中でも慈愛の心。だがまだそれに自身でも気付いていないだろう。
 また、ここでは誰も気付いちゃいないが危うさが残っていたりもする。
 牡丹が嫌っていた理由もそれだけど。
「そうなのだ! お姉ちゃんはノーテンキに構えてればいいのだ!」
 お前もノーテンキだけどな鈴々、とは言わないでおこう。桃香の場合、成長してくれないと俺としては困るんだがな。
「ひどいなぁ……。でもありがとう。じゃあとりあえず、目の前の問題片しちゃおう!」
 威勢よく言いきる桃香。それを合図に皆動き始める。



 こうして俺たちの黄巾討伐は始まった。
 いつまでかかるかわからないが、一人でも多くの人を救うために。

 

 

~幕間~ 規律と責任


 黄巾の賊達を次々に壊滅させていた俺達、劉備義勇軍と曹操軍は物資の補給を行う為に、近くに打ち捨てられていた大きな廃城にてしばしの休息期間を設けていた。
 これはそんな日の一幕。



 合同訓練と称して夏候惇、夏侯淵と共に試合を行い、終わったと同時に倒れ込む。
 彼女たちはやはり経験が違うのか、一歩も二歩も先を行っていると感じられた。
「ふはは、情けないな徐晃。その程度では自分の主も守れまい」
 不敵に笑う夏候惇からの言は正しい。長い進軍も初めての事で、どうやら俺にも疲れがたまっているらしく、身体も思考も鈍ってしまっていた。
「そう言うな姉者。義勇軍としては素晴らしいと思う。だがやはり限界があるというモノだ」
 夏侯淵は、言葉を交わす事も多いので分かったが気遣いが出来る大人の女性だ。対して夏候惇は、戦場ではピカ一だが 普段はどこか可愛らしい子供の一面を見せる。
 姉妹間ではうまくバランスが取れているようで、一歩引いた夏侯淵が夏候惇を諌める場面もしばしば見受けられた。
「むぅ、確かに凪や真桜、沙和たちに比べると頑張っている方か」
「ん? 彼女達はお前さん達と違うのか?」
「ああ、あの三人も義勇軍上がりだ。お前達劉備義勇軍と出会う直前に私達の軍に華琳様が引き抜いた」
 両者から敬語は気持ち悪いからやめろと大層傷つく事を言われているので普通に聞き返すと夏侯淵が答えてくれた。
 二人が話すのは楽進、李典、于禁の三人の事だが、彼女達は俺よりも先にダウンして、各々の天幕に戻っていた。
「そろそろ私達の軍に慣れて貰いたいのだがな……」
「気合が足りんのだ。華琳様を守り、華琳様の為に戦うという気合が」
 子の成長を見守る親の瞳で話す夏侯淵と、根性論を説く夏候惇。しかしこの世界は本当におかしい事だらけだな。性格が逆だとまだ納得が行っただろう。
 少し落ち着いたので立ち上がって二人に話しかける。
「夏候惇殿が言う事も一理あるか。無茶をするのはいけないが、曹操軍にしては甘い所もあるしなぁ」
「どういうことだ?」
「それはな――」
 少し前の出来事を二人に話して聞かせる事にした。

 †

 近場の賊討伐も終わり、兵の確認などを行っていた。
 今回は曹操軍の楽進と共に行動していたので二人で指示をだしていると、俺の隊のほうで何やら兵達の中に騒がしい箇所があった。
「おい、どうした?」
「へい、それが……こいつが火事場泥棒をしやがったんです」
 見ると一人の兵が縛られていた。ケッと斜に構えた態度で反省の色も見えやしない。
 行動を続けるにつれて義勇軍志願もたまに出てくるのだが、この兵はそんなうちの一人。
 何事かとついて来ていた楽進にもその事実が知られてしまった。
 これでは曹操軍にも迷惑が掛かるだろう。
「その現場を近くで見ていた者はいるか?」
「俺です。こいつが嬉しそうに話して来たんで、ふんじばりました」
 聞くと一人の兵が手を上げて、その時の状況を簡単に説明した。
「分かった。じゃあ、お前がこいつを殺せ」
「なっ!」
 絶句。俺が放った言葉に誰しもが反応できず、言われた兵は顔をさーっと蒼く染め上げた。
「ま、待ってくれ! ちょっと魔が差しただけなんだ! 何も殺すことなんてないだ、おぐっ!」
 縛られたまま必死に反発するそいつの顎を蹴り上げて黙らせる。少し強く蹴ったから意識が朦朧としているようだ。
「何言ってんだお前? 欲に走った時点でお前は義勇軍じゃないんだよ。おいお前、選ばせてやる。賊に堕ちたこいつを殺すか、俺と戦わせて殺すか」
「ど、どうして俺が殺さないといけないんで?」
 俺と戦わせて殺すのは、曹操に対してのパフォーマンスだが。
 指さして言うと青ざめた顔のまま、兵が尋ねて来た。
「こいつはお前が見つけた賊だ。ならお前が責任を以って処理するべきだ。出来ないってんなら俺が責任を以って処理するが……お前には義勇軍を抜けて貰う」
「……徐晃殿、さすがにそれは厳しすぎだ」
「楽進殿。本気で言ってるのか、それ?」
 俺を諌めようと楽進が発言してきたが殺気を籠めて睨みつけて返答する。
「ここでこいつらに対しての対応を誤ったらお前達曹操軍の規律も疑われる。そうなればどうなるか予想くらいしてくれ」
 言うと彼女は苦い顔をして口を噤んだのでその後の結末が予測できたのだろうと分かる。
 曹操軍は規律の厳しさで有名、例え追随している義勇軍の俺達が破ったと聞いたなら……確実に支援も打ち切られるし、下手をすれば瓦解させられかねない。
 義勇軍だからと甘い事を許して貰えるわけがない相手なのだ。部下の不手際に対する責任の所在は隊の責任者である俺、もしくは桃香が示さなければならない。
「さて、どうする? 誰かを救いたいという想いがその程度ならば俺に想いを託して抜けて行け。お前達もだ。別の隊に行きたくなったとか、義勇軍を辞めたくなったなら好きにしろ。俺の隊に中途半端な奴はいらん」
 兵全体にどよめきが走る。だがただ一人、地に膝をついて俺に礼をとるモノがいる。
「俺は御大将と想いを繋ぐ為に戦ってんだ。御大将の対応が厳しいはず無い。俺達が戦うべきは賊に堕ちたモノであり、例えかつての味方でもそれは同じ事。どこまでも着いて行きます」
 その言葉を皮切りに次々と兵達が頭を下げる。その様子はまるで大きな波が起こったように見えた。
 蒼い顔をしていた兵も俺の前に片膝をついていた。
「さあ、選べ」
「俺が殺します。賊に対して容赦はしません」
 チャキリ、と腰から剣を抜き放ち、縛られている賊の前に行き、脳が揺れて言葉も発することが出来ないそいつの頸を……一太刀で斬り落とした。
 静まり返るその場に、震える身体で俺の前に膝をついて頭を垂れる。
「申し訳ありませんでした」
「何か問題があったか? お前は賊を殺しただけ。そして……俺の命に従っただけだ」
 兵の顔が安堵に染まる。俺の命に従っただけという事を確認して心の負担が減ったからだ。味方を殺すなんてのは通常の精神では出来はしない。俺だって自分で手を下さなかったからこそ、込み上げる吐き気を抑え付けられているのだから。
 横を向き、眉間に皺を寄せている楽進を見る。幸いこの現場を曹操軍で見たのは彼女のみ。だが曹操に対しては隠す事こそ愚かだろう。先手を打って置くべきだ。
「楽進殿、この不手際は曹操殿に報告してくれ。報告の仕方はあなたに任せる。責任の所在は全て隊の管理を怠った俺にある、とだけは伝えてくれ」
「……分かりました」
 冷たい瞳で告げ、楽進は自身の隊に戻って行った。
 それから俺は自身の隊に一つの規則を決める。
 上位命令、それを破ったなら極刑と処すモノを。反対出来るモノを幾人か任命すると、どうやら兵同士で不安などをうまく自浄してくれたようで反論も無く、驚くほど上手く行った。
 規律の厳しい曹操軍と共に行動してるのも大きかったのだろう。
 そうしてしばらくしてから隊を纏め直し、俺達は義勇軍本陣への帰路に着いた。

 †

「その話なら華琳様から少し聞いた。徐晃にはお咎めなしだとおっしゃられていたから驚いたが」
「下らない兵を作るのが悪いんだぞ徐晃。初めからもっとちゃんとしておけば良かったモノを」
 そんな感じで曹操に借りを作ってしまった。ただ、俺個人の借りとされていたのでまだマシではあった。
 実はこの話を知っているのは曹操、楽進、俺、夏侯淵、夏候惇、荀彧しかいないらしい。そして詳しく知っているのは曹操と当事者である二人だけ。
 俺の兵には戒厳令を敷いたので喋る事も無い。喋る前に他の隊員に殺されるだけだ。
 朱里と雛里には、俺がした対応の全ては言ってないがある程度伝え、兵の管理を厳しくするように指示しておいたので大丈夫。
「だがな姉者、もしかしたら私達の軍でも起こり得る事かもしれない。姉者の手が全てに回る訳じゃないだろう? それに時間が限られている時も難しいだろう」
「……確かにそうか。練度の違う兵は足を引っ張るし……何を起こすか分からん」
「うむ、凪もその後、華琳様に説明されていたからか、徐晃のした事もしっかりと理解したようだ」
 厳しい規律を守る曹操軍に当てられたわけではないが、甘さは時として自身を滅ぼす毒となる。
 楽進は正義感が強く、どこか甘く見がちな部分があった。しかしこれで彼女は成長するだろう。俺の目指すモノからは全く嬉しい事ではないが。
「すまなかったな。それとありがとう」
 謝ると、彼女たちは不思議そうな顔をした。
 俺のした事は彼女達からすれば当然で、間違ったことなど何もなかったのだと分かる。
「お前はこちらの軍に近いのだな。あの三人については、これからゆっくりと教えていくことにしよう」
 夏侯淵ならば安心だ。上手く誘導するに違いない。忠義の心については夏候惇を見ていたら勝手につくだろうな。
「秋蘭、私達はこいつみたいに捻くれてはいないぞ?」
「酷い言い草だな、夏候惇殿」
「はっはっはっ、事実だろう? ほら、休憩は終わりだ。二度とそのような兵が出ないように、私と戦え」
 無茶苦茶な論を押し付けて終わったはずの訓練を持ちかけてくる夏候惇に苦笑が漏れるが、思い出して少し不快な気持ちが湧いていたのも事実。
 もしかしたら気遣ってくれたのかもしれない、と淡い期待に心が軽くなり、暗くなるまで打ち合いに付き合って貰った。








蛇足~覇王の心境~

 凪から聞いた徐晃の対処は見事なモノだった。浮ついた義勇軍の心を引き締め、明確に越えてはいけない線を引きなおした。
 本来なら黙っていればいいはずだが、義勇軍を瓦解させる事もたやすい危うい賭けに出て、あの男は誠実に対応し全ての責は自分にあるとそこだけは守り抜いた。しかしそれは私がどういう人物かを見抜いているからこそ出来た事だ。
 幸いあの男は私が咎めなかった事で借りだと思っているだろう。迅速で厳しい対応を行ったことで私の軍の名も傷つくことも無く、凪の成長にも繋がったし、私の将全体への注意喚起にもなったので、こちらとしては得ばかりだというのに。その点も読んで借りを返しに来るのなら……おもしろい。
 徐晃は興味深い。
 劉備の元に居て、劉備の部下としてはだが、行ってはいけない対処をした。なのに兵からは不満も出なかった。それはまさしく異常な事だ。
 才色兼備な関羽が、曲がらないモノを内に秘める稀有な存在である彼女が一番欲しかったが……あの男の方が興味深くなった。

 もう少し観察してみましょう。

 もし手に入るのなら……
 
 

 
後書き

凪ちゃんはまだ華琳様の軍に所属したてなので甘い所が残っていたという設定です。
黄巾の時点で完成されているなんておかしいので。

曹操軍でさえ、呉√では兵の管理を疎かにした部分はありましたのでこんな感じになりました。 

 

~幕間~ いたずらと甘いモノと

 なんなのだこの状況は。
「秋斗さん助けて! 私一人じゃ抑えられないの!」
 桃香に抱きかかえられ目を回している朱里。
「徐晃、何をしに来たのかしら?」
 この状況の中俺を威圧する曹操。
「あわわ……」
 曹操に抱きかかえられて真っ赤になっている雛里。
「なんて羨ましい……」
 歯軋りしながら雛里を睨む猫耳フードの茶髪の女の子、荀彧。
 俺は会議で疲れているだろうからと差し入れに来たはずだったんだが。ここは百合の園か。
「失礼した。どうやらお邪魔なようだ」
 そう言ってすっと天幕から出ようとするが、
「秋斗さん待ってぇ~~!」
 桃香の叫び声が響いたので振り返ることにした。再度確認してもやはり状況は変わらない。
「……説明を頼む、桃香」
 この軍師会議(だったはずのモノ)の状況はなんなのか。
 最近、本隊の場所に近づくにつれ多く、そして長くなる会議に皆疲れているだろうと差し入れを思いついたのが今日。
「えーっと、男の人には言いにくいんだけど……」
「私が説明してあげましょう徐晃。詳しく、ね」
 いたずら好きの小悪魔のような笑みを浮かべて俺に言う。
 百合は対象外だから大丈夫。耐えるさ。

 †

「では、会議をはじめましゅ、はわわ!」
 この子は緊張しているのかいつも噛む。そこが愛らしいのだけれど。
「はぁ、諸葛亮。今日の司会はあなたなんだからしっかりしなさいよ」
 桂花はこの子達と知り合ってからお姉さん風をふかせるようになった。閨ではあんなに可愛いのに。
「す、すみましぇん」
「緊張することはないわ諸葛亮。あなたの才は桂花だって認めているもの。大きく構えていなさい」
 私が褒めた事で桂花が少し照れている。あとでたんといじめないと。
「は、はい。しょれでは会議を……はわわ」
 変わらずに噛んでしまい、結局先を続けられずに俯いてしまった。
 ダメな子ね。戦の前にそれではしまらない。ああ、いいことを思いついた。
「諸葛亮、少しこちらに来なさい」
 声を掛けると不思議そうにとてとてと近寄ってくる愛らしい姿。抱き上げて膝の上に乗せて抱きしめる。
「本当にダメな子。こうすれば緊張がほぐれるでしょう? あなたのそういう姿は愛らしいけれど、今は凛々しい軍師の姿が見たいわ」

 耳元で囁くと強張る身体、熱くなる体温、そして口からはわはわと漏らして慌てている。前にいる劉備と鳳統は私の突然の行動に茫然としていた。桂花は……妬いているのでしょうね、顔が真っ赤だわ。
「あら、余計緊張してしまったかしら?」
「はわわ、いけましぇん会議中にこんな……」
「なんならこのまま会議をしても構わないのだけれど……それとも私の事嫌い?」
 続けて囁き、耳に息を吹きかけてから軽く太ももを撫でつける。
「はわっ、しょ、しょれは」
 さらに息が荒くなる諸葛亮にゾクゾクと嗜虐心が刺激されてきた。やはり初物をいじめるのはたまらないわね。
「そ、そそ、曹操さん! いけません!」
 いつの間に近づいたのか諸葛亮をいじめることに集中しすぎてほっておいた劉備がばっと取り上げてくる。見ると諸葛亮は目を回してしまっていた。
「あら、嫉妬したのかしら劉備」
「してません!」
「桂花」
「はい、華琳様ぁ!」
 満面の笑みで近寄ってくる桂花だったが掌を向けて制する。
 いい返事ね桂花。でもまだダメよ。
「膝が寂しくなったわ。鳳統を連れてきてくれるかしら?」
「な!?」
「あわわ!」
「諸葛亮が目を回してしまったのだから落ち着くまで鳳統が司会をしてくれるのでしょう? あなたたち義勇軍側の献策を聞いてる間に諸葛亮は劉備が起こすでしょうし、それに鳳統は諸葛亮が出来なかったこともできるはずよ?」
 さらりと対抗心を煽ってみた。この子は諸葛亮に少し対抗心を持っているようだから。
 そう言うと桂花は打ちひしがれた顔でわたわたと慌てふためく鳳統を連れてきた。どうしたらいいのか分からず戸惑っていた鳳統を膝の上に優しく乗せる。劉備はまた茫然としていた。
「いい子ね。あなたも緊張しているようだからほぐさないと――」
「会議中に失礼するよ」

 †

「――と言うのが事のあらましよ」
 よくわかった。曹操が全面的に悪いじゃないか。朱里は犠牲になったのだ。
「で? 会議の邪魔をするに足る理由を説明しなさい」
 ギラリと目を光らせて邪魔するなというように強い口調で曹操が命じてきた。
 しかしこのまま続けるつもりか。それはまずいな。雛里も目を回しかねん。
「会議の差し入れを作って来たのですが。曹操殿、戯れを続けるのなら差し入れができませんね」
 そう言うとばっとこちらに向かってきた雛里。曹操は少し不機嫌になってしまった。
「雛里、お前も簡単に流されるな」
「あわわ、ごめんなさい」
 しゅんと謝る雛里になでなでしたくなるがどうにか我慢した。曹操の気持ちもわからんでもない。むしろ凄くわかる。だが一線を越えるのはいただけないな。
「そう。それは私の舌を満足させられるようなものなのかしら?」
「必ず。幽州の最高級でございますので」
 聞いた途端、雛里が顔を輝かせる。好きだもんなこれ。レシピと材料店長にちょっとだけ貰っておいてよかった。
 朱里が甘い匂いに誘われて起きたようで、うーんと目を擦りながら身体を起こし、
「はわわ! 秋斗さん、何故ここに!?」
 俺がここにいる事に仰天していた。
「会議の差し入れだ。大丈夫か、朱里? 桃香もご苦労様」
「うう、ホント辛かった……」
「まあこれ一緒に食べて元気出せよ」
 そう言って机の上に皿を並べてケーキを置き、シロップを垂らす。材料足りなくてプチパンケーキみたいになったが。
「へぇ、見たこともない甘味ね」
「ええ、幽州のとある店の限定商品なので」
 実はホットケーキは店での隠しメニューになっていたりする。店長が条件を設定していて、それを越えた人にしか食べさせないとか。
 星と雛里、牡丹くらいしか食べているのを見たことがないが。俺は味の確認と銘打って何度も食べているのは当然内緒だ。
「えぇ!? 私食べたことない!」
「私もです。雛里ちゃんは……あるみたいだね」
「あわわ……」
「華琳様! この男の作った物など危険です!」
「そう、桂花。ではあなたが一番に食べてみなさい」
 びくりとしてこちらを睨む荀彧。俺が何をした。ちくしょうめ、食べて驚け!
 曹操に言われては仕方なかったのか恐る恐る口に入れた――
「ふわぁ……」
 ――瞬間、顔が明るくなる。こいつ堕ちたな、ホットケーキの魔力に。
「桂花? 感想を述べなさい」
「っ! その……この世のものとは思えない……おいしさでした」
 店長の特殊材料は現代のホットケーキの数倍のおいしさを出せるからなぁ。
「……では私達も頂きましょう」
 そう言って行儀よく切り分け口に運ぶ。雛里はすでにもふもふと幸せそうに食べていた。
朱里も桃香も口に入れた。
「「「っ!!」」」
 その表情は驚愕、桃香と朱里も堕ちたな。曹操は最初こそ止まったが無言で食べ進めている。
 それから全員が食べ終わるのを待つこと幾分。
「ごちそうさま。徐晃?」
 何でしょうかね。ダメだしならどんとこいだ。店長みたく作れるわけがないので少しへたってしまったし……
「なんでしょう?」
「これの作り方を教えなさい」
「教えられません」
 そんな曹操の命令を即答、拒絶する。
「……何故かしら?」
「友の店の限定商品なので広まると被害がでますから」
「なら内密に作るだけならいい、と?」
「それでもできません」
「へぇ……」
 言葉と共に強烈な殺気が漏れてちくちくと肌を突き刺す。あまりの様子に朱里と雛里は震えてしまっていた。
「ちょっとあんた! 華琳様がおっしゃっているのに何よ!」
 口ではそう言っているが自分ももっと食べたいという期待の色が透けて見えているぞ荀彧。
「というか無理なんです」
「は?」
「作り方は分かります、しかし材料が特殊でして、それは友しか知りませんし教えてくれないでしょう」
 事実だ。あの店長しかこの膨らし粉の作り方は知らないし、他の材料についてもどうしたらここまでおいしくなるのか分からないのだから。
「その店の名は?」
「超高級料理飯店『娘娘』、の支店の『娘仲』です。」
 朱里と桃香がびっくりしている。支店でもかなり高いからなあそこは。曹操は店の名前を耳に挟んだ事があるのか一瞬目を見開き、すぐにすっと目を細めた。
「……わかった。それなら仕方ないわ。ではその蜜はどうかしら?」
 なんとメープルシロップだけ別物として扱ってきた。すぐに答えることが出来ずいると、曹操は勝ち誇った笑みでにやりと笑う。
 これは明らかに俺のミスだ。もう言い訳は通用しないだろう。
「……大量生産はできません」
「内密にすると約束しましょう」
 やはり、すでに確定させられていた。もはや教えるしかないらしい。
「誰にも教えることも見せることもしないと約束できるなら」
「いいでしょう。後で書簡にして渡しなさい」
「ではその代わりに、一つ」
「……言ってみなさい」
「もしあなたの街に友の店の支店ができたなら、支援して頂きたい」
 これくらいはいいだろう。それと、先日の件の借りも返せるはず。あれは過不足の無いモノだと夏侯淵達が証明してしまい、曹操にも報告が言っているだろう。なら俺の心一つで貸し借りの有無が成立する。
「……どの程度の?」
「本店店主が来ることが必ずあるでしょうからその時店主にホットケーキと伝えてください。後その店で一度食事していただければ。その後はあなた次第です」
「ふふ、おもしろい。受けましょう。それと……おもしろい余興をくれたようだから貸しは帳消しにしてあげるわ。あれはこちらとしても損はほとんど無い」
「ありがとうございます。では後程、先ほどのような戯れが行われなければ書簡にて注意書きと共にお渡しいたします。雛里も朱里も桃香も会議がんばれよ」
 さらっと言い切り、交渉をしだした俺たちに呆気にとられていた三人に声をかけその場を後にする。
 これであの店長も後々楽になるだろう。会議の百合百合しい熱も冷めたしな。
 曹操は貸しは無しとし、先手を打って器を示しに来たのか。食えない人だ。さらにこれ以上俺が返すかどうかも同時に試している。まあ、踏み倒すというより店長の存在だけで十分な返しになると後々気付くだろうから問題は無いが。

 その後、会議は滞りなく行えたと報告を聞いた俺は、安堵と共に書いていた楓蜜の書簡を兵に届けるよう指示してから、次の戦に備え寝るのだった。
 

 

小覇王と包囲網


 俺たちの進軍は順調だった。
 曹操軍からの支援は潤滑で、こちらの働きを何倍にも押し上げた。
 両軍の軍師の出す策は黄巾の弱点を悉く突き、曹操軍の勇猛な兵士達に感化された義勇兵はいつも以上の士気と気迫を持って戦った。
 曹操軍においては夏候惇、夏侯淵両将軍の指揮能力は絶大だった。屈強に訓練された兵士達をまるで手足のように扱い、怯え戸惑う黄巾の輩を破竹の勢いで崩していた。
 だが俺達義勇軍の将もただ圧倒されるだけでなく、盗める技術は盗み、日々研鑽されていった。ことさら愛紗の伸びはもの凄く、従っている義勇兵も引っ張られるように強化されていった。
 連戦連勝。
 いつしか俺たち劉備義勇軍は不敗の義勇軍として名が売れ、各諸侯の注目の的となる。実際は曹操軍との協力による恩恵と、勝てる相手を選んでの勝利なのだが。
 ただ不思議なことが起きた。俺たちの義勇軍は桃香の仁徳もあってか民に人気であり、それぞれの通り名が広がったのだ。

『軍神』関羽
『燕人』張飛
『伏竜』諸葛亮
『鳳雛』鳳統
『仁君』劉備
そして俺は『黒麒麟』徐晃

 なんでも大きな黒馬に黒い服に黒い髪、一本の角のような白く長い剣が由来らしい。
 自分に二つ名がつくなんてむずがゆいが、嬉しくもあった。
 そんな中、官軍と奮い立った諸侯等の働きによって日々弱体化されていく黄巾賊は、大一番の勝負に出た。
 大将軍何進の拠点への黄巾賊本隊による襲撃。もはや大きくなりすぎた黄巾賊本隊は、食糧の調達困難、進軍速度の低下などにより格好の的、そこで考えたのが大将軍の身柄確保による力の証明と交渉なのだろう。
 裏で何か繋がりがあったのかもしれない。宦官連中と何進の確執は有名だ。それに対して何進率いる官軍と早くに駆け付けた諸侯達は最初は善戦していた。しかし各地区からその報を受け続々と集結し肥大する黄巾賊に逃げ場を失うこととなった。
 俺達が着いた頃には、まだ持つが危うい状況だった。そうして集結した諸侯達と黄巾賊による一大決戦が幕を開けることとなる。

 †

「ではこれより軍議を行う。」
 曹操の言葉で皆の背筋が伸びる。共同で行う軍議はこれで最後になる。ぺこりと一礼してから荀彧が話はじめた。
「現在敵は何進大将軍の拠点に群がり全面を方位しております。各諸侯との連携はあまり期待できず、各々で撃破していくしかありません」
「何進大将軍との内応による挟撃は期待できますか?」
「難しいわ。びっしりと蟻のように張り付いた奴等のせいでどこもギリギリの兵力で守っているようだから」
「黄巾の補給路の封鎖は?」
「とっくに周りもやってるみたいね。でも集まってくる数が多いのと、負けてしまうバカ官軍のせいで最低限補給されてしまっている」
 そこで荀彧が立ち上がる。
「内応もなく、相手は限りがあるとはいえ増え続ける、連携もばらばら、ならすることは一つ」
 一旦言葉を切り、大きく深呼吸をしてから力強い瞳で俺達を見渡す。
「張角の早期撃破。頭を失った賊など霧散するのみ」
 まさしくその通りだ。だが、
「でも何進さんを助けないと……」
 そういうと思ったよ桃香。
 曹操も答えが分かりきっていたのかふっと笑みを零して静かに桃香を見やった。
「ならばあなたたちの軍はそのために動きなさい、劉備。ここより私たちは別行動をとる」
「しかし張角の居場所はわかっているのですか?」
 曹操の発言に愛紗が尋ねる。もっともだと思う。未だに敵の首魁の場所は割れていないのだから。
「すでに斥候からの情報で当たりがついているわ。ただ不確定なため他の諸侯に教えることはできない」
 さらりと話す荀彧。情報収集能力はさすがと言うべきか。それに俺たちにも教えないのは手柄は渡さないと暗に伝えているのだろう。
「そ、それでは私たちの軍は袁術さんの客将である孫策さんの軍と共闘することを勧めます」
「私もその案を推します。戦場で即席の連携をするには少数同士のほうがいいので。それにあの軍は精鋭揃いと聞いています」
 雛里と朱里が提案する。確かにほかの諸侯は数ばかりで合わせにくい。これが俺達にとっては最善の選択だろうな。
「わかった。……曹操さん、私たちはその方向でいってみます」
 桃香が返事をすると曹操は立ち上った。
「決まったようね。これで後は各軍の問題。お互い成功させましょう、劉備」
「はい! これまでありがとうございました曹操さん」
「では、また会いましょう。後の事は戦後に」
 そうして共同軍議は呆気なく終わった。曹操はここを野営地とし、張角の撃破に向かうようだ。俺たちは義勇軍を引き連れて孫策軍の野営地の近くに陣を組んだ。


 †


 ほかの軍と策を話し合っている暇はもうない。意見が分かれることもあるのだから。

 曹操さんと行ったのはこれまで共に戦ってきたからだ。別行動になるだろう事はわかっていた。優秀さを信じていたから。

 これからは私達が各軍の状況を見て判断するしかない。

 ここは手柄を奪い合う獣が集まっただけ。なら桃香様のために、出来る限り最大の功をこの軍に。





「義勇軍全軍、整列いたしました!」
 愛紗の報告で賊のいる方角を見ていた桃香が振り返る。
「了解だよ。義勇軍の皆! この戦には黄巾のほとんどが集まってる! 窮地にいる大将軍を助けて、黄巾をやっつけちゃおう!」
 湧きあがる声、士気は上々といったところか。
「行くぞ! 敵は組織力も曖昧な愚鈍な兵のみ! 私達義勇軍の力を見せつけよ! 全軍進撃!」

 進む、進む。黄巾は我らに気付く。
 大量の賊がこちらに向かう。
 策は……随時指示がとぶだろう。
 今はこの戦端を。


 漆黒の馬が駆け抜ける。軍神と燕人も馬で駆ける。
 三人はそれぞれの部隊を後ろに三方向へ単騎駆けを行う。
 兵は声を上げる。それぞれの将の二つ名を上げ、駆ける。
 後押しされた三つの影は力強く、動揺する敵に……激突した。
 千切れ飛ぶ肉、首、吹き出る鮮血。雑兵の如き兵は近づくこともできない。その噂は耳に入っているのだから。

 曰く、軍神の舞は首を対価に見よ
 曰く、燕人の跳躍に逃げ道は非ず
 曰く、黒麒麟の剣閃にて紅華を咲かせ

 幾多の仲間を屠って来たそれが自分に向けられ、賊達は恐慌状態に陥った。
 遅れて各部隊が突撃をかける。動揺し、驚愕し、恐怖に震える賊は三つ首の軍に平らげられていく。
 敵の戦列を馬の脚を止めずに蹂躙する三つの影は、いくつの命を喰らい続けるのか。



 敵の誤算は先陣と後陣の隙間を作ってしまったこと。先陣を抜けた彼らは、踵を返し、互いに交差するようにまた先陣を斬り開く。
 騎兵の敵を狙うのは簡単なことではない。戦場で、しかも前から兵が押し迫っている状況で、高速で突撃してくる馬への心理的恐怖から逃れることなどできはしないのだから。
 訓練の受けていない賊などは、恐怖で竦み、縛り付けられ、なすすべもなく蹂躙されるしかない。
 二つ名の利用は絶大だった。兵の士気があがり、敵に怯えを植え付け、同時に彼らの戦闘を大幅に助ける。
 もはや目の前の賊は烏合の衆。逃げる賊が足を引っ張り、互いの動きにまで影響が出る。
「魚麟陣形、敵中央に突貫、押し広げてください!」
 とりあえずは成功。しばらくは兵で対処できる。あの三人が戻ってきたら次の行動を。
 息を弾ませ中軍に戻ってきた三人は馬から降りる。
「お疲れ様でした」
「ああ、雛里。よくできた策だった」
 そう言って褒められる。秋斗さんの姿を見て心から何故か安堵の気持ちが湧いてきた。
「ああも見事に敵兵が崩れるとは」
「やっぱり雛里はすごいのだなー」
 しかしあんな凄い三人に褒められると照れる。
「あわわ、あ、ありがとうございましゅ」
 やはり恥ずかしくて、照れくさくて噛んでしまった。
 私は頭を使う事しかできないから、朱里ちゃんと一緒に策を出す。でも今回採用されたのは私の策。
「で、ここから我ら三人はどうすればいい?」
「前線にて敵先陣左翼を殲滅、です」
「わかりやすいのだー」
「烏合の衆と化した賊に細やかな策は必要ありません。先ほどの突撃から敵は三人に恐怖を抱いたので、もう一度姿を現せるだけでこちらからの攻撃は容易になる思います」
「逃げる賊は朱里と桃香様の部隊に任せればいいのか」
「はい。後方にも他の諸侯さんの部隊がありますのでそちらに流すようにしてもらっています。それと中央の孫策軍の方々も合わせるように先陣の殲滅に入ってくれているので終わり次第共に後陣を叩きます」
「了解した。では行こうか鈴々、秋斗殿」
 愛紗さんの言葉にコクリと頷き後に続く二人。なんて頼もしいんだろうこの三人は。
 将として本当に大きくなった。曹操さんとの共闘のおかげだろう。
 朱里ちゃん、私たちは軍師として成長できてるのかなぁ。

 †

 おもしろい事をする。
 たった三つの騎馬が戦場を駆ける。その後、敵左翼は総崩れになった。
 兵達が叫んでいた。あれが噂の――
「見事な、そして効果的な策だな」
 確かにその通り。でも策もそうだけどそれを遂行しきるあの三人も相当だ。ドクンと鼓動が跳ねて体温が高騰し、戦人の血が湧きたってきた。
 だめだ、抑えないと……気持ちを誤魔化すために隣で戦場を見つめている黒髪の美女にもう一つのしたい事を伝える。
「ねぇ、冥琳――」
「だめだ、雪蓮」
 言う前から止められては交渉も何もあったモノではない。
 口を尖らせて不満を露わにして、
「……まだ何も言ってないんだけど」
「どうせまたくだらない事を考えたんだろう? なら却下だ」
 言ってみても軽く流されて取り合ってはくれなかった。
「けちー」
「はぁ、わざわざこちらからちょっかいをかけなくとも、この戦の最中にあれらの力はいくらでも見られるだろう」
 その言葉にはっとした。こちらの考えていた事をいとも簡単に読み取ったから。さすがは冥琳。
「確かにそうね。んー、貸しを作る機会でもあればいいけど」
「なら祭殿に頼んでみたらどうだ?」
「これくらいの賊なら大したことないし……。まあいいわ。やめとく」
 そこまでする気がなくなった。多分このままでも大丈夫。
「どうして――それはあれか?」
「そ……勘よ。じゃあもうちょっと戦場で働いてくるわ」
「気を付けてな。大丈夫だと思うが」
 滾る血を抑えるために、愛するあなたのために。そして我らが悲願の一歩のために、ね。

 †

 前方の敵後陣からはまばらに賊がやってくる。やはり門を開きたいのかいまいちこちらに対処しきれていない。
 この西側を狙ったのは正解だった。敵先陣は薄く、統率も今までに比べて粗雑。後は俺達がいち早く敵を殲滅し、孫策軍と並んで門をあけるだけ。
 突撃力のある鈴々を先端に、俺と愛紗は左右を。気付けばいつの間にか陣は簡易鋒矢陣に変わっている。雛里と朱里の指示か、さすがだ。
 もうすぐ抜ける、と思ったその時、敵後陣が突如討伐軍側に向かい突撃してきた。
「急にみんなこっちに! 落ち着いて迎撃するのだ!」
「鈴々、秋斗殿。なにか変だ」
 相手の士気が上昇している。明らかにおかしい。
「伝令! 後方諸侯軍、黄巾賊本隊と思われる部隊と交戦開始! 敵将、張角を名乗っています!」
「なんだと!?」
「曹操殿はどうした!?」
 どういうことだ、これは。

「それが……他の所でも張角を自称するものが現れていまして、曹操軍は未だに他の張角と戦闘しているようです」
 

 

覇王と黒麒麟


 突如その報は入った。
 後方に黄巾と思われる集団出現、敵将張角。諸侯軍、後背からの賊の突撃により小破。前方黄巾賊、士気上昇、討伐軍側に突撃開始。
 まずい、と思った。後方の諸侯軍は数こそ多いが突然の奇襲により指揮系統が不安定なまま徐々にこちらに圧されている。
 義勇軍、孫策軍ともに敵後陣の突撃により圧されることはないが拮抗してしまった。本来なら城壁前に空間が開き、官軍との挟撃ができるはずだった。
 しかし追加で現れた賊と目の前の賊の異常な士気に圧され、さらに私達にある程度殲滅させるためか官軍は出てこない。
「そんな……ここで協力しないと被害が増える一方なのに」
 逆に噂が仇になったのもあるだろう。それに所詮は義勇軍、とも思われているはずだ。
 こうなっては対応を早くするに限る。
「朱里ちゃん、抜くしかないよ」
「うん。このままだと後ろの諸侯軍と混ざっちゃう。それに抜ききったら官軍の人達も動くかもしれない」
 無理やり抜ききると後ろは挟まれることになる。しかし軍同士が混ざってしまう方が今の状況では酷い。
「伝令、このまま直進、最速で敵陣を抜き、壁まで到達。その後偃月陣を敷き、賊と応対してください」
 近くの兵に最前への伝令を頼むと、全速力で兵は駆けて行った。
 間に合うかな。いや、間に合わせないと。



 軍師達からの伝令が届いた。無茶を言う、しかしそれを押し通さなければ道はないようだ。
「我らが血路を開く! 各兵、追随し道を開けよ! 案ずるな、士気が上がろうと賊に過ぎんのだから!」
 そう言って目の前の敵を薙ぎ払う。鈴々は先頭で次々と賊を屠っていく。秋斗殿は私の逆側を広げる。
 敵も怒涛の突撃だが奴等は未だに戦列がまとまっていない。後ろが整う前に速く、速く。
 不意に敵の圧力が少なくなった。
 見ると中央の孫策軍が鶴翼陣を敷き敵を集めてくれていた。そんな事をすればすぐに後背の諸侯軍と混ざってしまうはずだ。
 だが他の軍に構ってなどいられない。これを機にと私たちの軍は速度を上げ、迫りくる敵軍を突き刺していった。



 どうにか間に合ったようで義勇軍の先端が敵軍を貫いていく速度が速まった。
「貸し一つ、ね」
「無茶を言うな、お前も」
 将や大将はどうか知らんが向こうの軍師達は確実に借りだと思っているはず。
 ただでさえギリギリ兵力での駆け抜けだ。あのままでは義勇軍の被害は凄まじいものだったろう。
「いいじゃない。それに孫呉の軍の精強さを確認するいい機会でしょ。祭も暴れたりないみたいだったし」
 そう言ってペロリと舌を出す雪蓮。こいつの豪胆ぶりには呆れを通り越して尊敬すら感じる。
「まあ悪くないし、利の方が多いな。それにこちらの用兵も見せたかったから丁度いい」
 戦端を開いた義勇軍側の三騎駆けが頭を過ぎる。
 あのような策を見せられたのだ。私も対抗心が燃えるというもの。
「ふふ、悪い顔。そういう冥琳の顔も好きよ」
「戦場の言葉ではないな。しかし先ほど戦場に行ったはずがすぐに祭殿に丸投げするとはどういうつもりだ?」
「だってこれからちょっとあっちに行くもの」
 飄々と、楽しそうにそう言って劉備軍を指さす。
「向こうは城壁に沿って軍を敷くだろうからそのまま目の前の殲滅のお手伝い。ある程度片付いたら右翼に向かって一緒に突撃……ってね」
「結局お前がちょっかいをかけたいだけか」
 ペロリと舌を出す雪蓮を見て頭が重くなったがどうにか片手で支え、じとっと睨みつけてやる。
 本当にこいつは……まあ、しようと思っていたことの通りだが。あちらも上手く合わせてくれるだろう。
「うん。じゃあいってくるわね」
「ああ、こちらは任せろ」
 ちょっと出店に行ってくるような雪蓮を見送ってから指示を出し始める。
 さて、私の用兵は劉備軍の軍師達の眼鏡に叶うかどうか。



 俺たちの軍は孫策軍の陣形変化のおかげでどうにか抜けきることが出来た。
 中央よりの近づいてくる兵を斬り崩しながら陣形を整えさせる。
 遅れて追随して孫策軍も切り抜けてきた。
 やはり並の兵とは練度が違う。曹操軍に近い。しかし団結力は孫策軍が上に感じる。
 観察していると先頭の集団の中から一人抜け出てくる。
「あなた、劉備軍の将ね。よろしく」
 桃色の髪、褐色の肌、スレンダーな体躯。陽気な雰囲気で話しかけてくるが、とんでもない実力者なのはわかる。
「徐晃です。あなたは?」
「へぇ、あなたが黒麒麟。私は孫策よ」
 その名前は自身の記憶にある小覇王のモノ。しかしなんでそんな人がわざわざ先頭に――
「めんどくさいから一緒に切り抜けようって交渉しに来たのよ」
 顔に出ていたのだろうか、こちらの思っている事を読み取り、先に要件を話してくれる孫策。
「ありがたい申し出です」
 すぐに伝令を呼ぼうとしたが、
「ああ、私たちはこのまま左翼、中央の敵をあらかた片付けた後に右翼側に突撃をかける。乗るなら合わせて、ってうちの軍師が」
 にんまりと意地の悪い笑みを浮かべて一方的に話してきた。
 悪戯好きの猫のような人だ。星と気が合いそうだな。
「了解しました。軍師に伝えておきます」
「ふふ、それとその堅そうな言葉やめて、なんか笑いそうになっちゃうから。素じゃないんでしょ?」
 全く、どいつもこいつも敬語が気持ち悪いと言いやがる。
「わかった。申し出ありがとう、孫策殿」
「どういたしまして。じゃあそこらへんで戦ってるから。頼りにしてるわ劉備軍」
 そう言ってさっさと戦場に戻ってしまった。もの凄くフリーダムなお姉さまだな。
 一つ考えて呆気にとられていた思考を打ち切り、戦場に意識を向けて孫策の言っていたことを伝える為に、急ぎで伝令を向かわせた。



 これが孫策軍の用兵。こちらの一番してほしいことを的確に行って、尚且つ合わせてくれる。こんなに頼もしいことはない。
 ジリ貧だった私たちの軍は被害が甚大になるはずだったのに……借りを作ってしまった。
 きっとこの用兵を行っているのは噂に聞く周瑜さんだろう。
 的確で、迅速で、力強く、連携も抜群。
 見習おう、私も負けないように。誰にだって負けたくない。戦術だけは絶対に。
「朱里ちゃん。私は負けないよ」
 ぽつりと誰に言うでもなくつぶやく。これは決意の確認。あの時に、出会った時のあの人に言われたことを反芻する。
 もう嫉妬に焦がれることはない。もう過去の弱い自分はいなくなる。ここからはいつもの通りだ。ただ、がむしゃらに頑張るだけ。
 そうすれば一人でも多くの兵を救える。
 そうすれば皆も守ることが出来る。
 私も戦うことが出来るから。
 不意に初めて軍師になった日の記憶が蘇り、地獄のような光景が頭を駆け巡った。
 どうにかふるふると頭を振って落ちて行く思考を切り替える。

 いいや、地獄はここだ。
 私が作ってるんだ。これからも作っていくんだ。

 覚悟は明確な形となって私のするべきことを指し示す。
 なんでだろう。急にあの人に会いたくなった。あの人はいつもと同じに心に刻んでいるんだろう。哀しい目で、自分のしている事を確認しているんだろう。
 私もあんな目をしてるのかな。しているのかもしれない。隣に立つことは出来ないけど、後ろから支えています。私も同じだけ祈りを連れていきます。

「伝令です!」
「あわわ!」
 一人の兵に後ろからいきなり声をかけられてついいつもの口癖がでてしまった。
「官軍が城門から出撃する模様です。徐晃様から指示が欲しいとのことですが」
 戦況が有利になったのを見てか、官軍の人達もやっと重い腰を上げてくれたようだ。
「では、私たちの軍は右翼側を引き続き攻撃、官軍の方には本隊と戦闘中の諸侯軍の援護に回ってもらうよう伝えていただけますか」
「はっ!」
 私達はこのままのほうが行ける。今下手に官軍と共闘すると連携が乱れて被害が増えかねない。
 敵大将もいるのだから名誉挽回したい彼らはそちらを優先するだろう。
 それから私はさっきの彼への思考を振り切り戦場に意識を集中した。



「まだ油断はできんが……ある程度落ち着いたか。それにしてもなんてでたらめな」
 雪蓮と祭殿と義勇軍の将達に向けての感想が漏れ、思わず苦笑してしまった。あの五人は手を組んだ途端に圧倒的な力で士気高い賊達を屠って行った。
 将とは旗だ。それぞれの受け持つ部隊を奮い立たせ、導き、力を示すための。
 しかしあれらの武将はただの将とは一線を画す存在。
 その圧倒的武力は相対するものが同等の存在か、それを抑え切れるほどの物量の兵でしか釣り合わない。
 それが五人も、この狭い戦場で即席とはいえほぼ完璧な連携で敵に襲い掛かっているのだ。練度の低い農民あがりの黄巾賊など紙のよう。
 私とあちらの軍師はそれがわかっているからこその用兵を行った。
「ふふ、戦術に組み込むのも一苦労だがな」
 一人ごちる。戦場を見回すと敵の士気低下が目に見えて分かった。
 右翼の殲滅もあとわずか。官軍は手柄に釣られてのこのこと黄巾本隊に向かっていった。
 救出という手柄は私たちが貰った……まあ、義勇軍とで二分されるが。
 後は後詰として居残るのが得策だろう。無理はしなくていい。欲を言えば賊将の首でも欲しかったがそれくらい袁術にくれてやろう。
 首魁を討ち取ることで官軍の顔も立つだろうし。
 黄巾本隊に向かった官軍の事を考えているとふと疑問が生じた。
 それにしても敵本隊の制圧に時間がかかりすぎている。そこまでこの大陸は弱り切っているという事か。
「冥琳様」
 南の袁術軍に伝令に行かせた明命が帰ってきたようで、音も無く背後に現れ、声を掛けられた。
「どうした?」
「南側、戦況不利です。首魁張角と名乗る本隊の出現につき即時救援求む、と」
 唖然。明命の報告に自身の思考が一瞬真っ白になった。バカな、では官軍は何と戦っているというのか。
「また張角だと!? 宗教集団の教祖の名をこれほどまでに偽って……奴らはなんなのだ!」
「第一出現の張角を倒した曹操軍のほうへ斥候に向かった思春様と途中、情報を交換してきました。すでに張角は死んでいる、だそうです。曹操軍は夏侯淵が討ち取ったのは波才という賊将だったとのこと」
 淡々と続けて報告を行う部下の有能さに舌を巻きつつ思考を再開していく。
 既に死んだ教祖の存在を隠し、もはや抑えきれなくなった暴徒を落ち着かせ、突撃させるための苦肉の策、もしくは教祖の思想を引き継いだつもりでいるのか。
「ごくろうだった明命。すまないが戦場の雪蓮に伝令を頼む。内容は張角の死、南のバカのために偽張角の撃破に向かう、だ」
「御意」
 一つ返事をして目の前から煙のように消える明命。
 こちらにいらぬ被害を出させるつもりかあの女狐め。やりにくいことこの上ない。
 まだ我慢だ。我らの悲願のために。すまない、孫呉の兵たち。かならず達成するからな。



「あら、ごめんね徐晃。急用が入っちゃって、義勇軍にここの殲滅任せるわ」
 急な伝令を聞き孫策が片手を顔の前に立ててウインクしながら言った。しかしその伝令が女忍者なのにはつっこまんぞ。
「ああ、本当に助かった。ありがとう」
「お互い様よ。劉備にもよろしく言っておいて。それとあなた、よかったらだけどうちにこない? 義勇軍じゃもったいないわ」
 そんなにやりと笑っての急な勧誘に面喰らう。だがこちらも苦笑して、
「美人の誘いを断るのは申し訳ないんだが、俺にはここでやることがあるんでな」
「残念、他のと違って劉備に心酔してるわけじゃないからいけると思ったんだけどなー」
 答えるとあっけらかんとしながら口を尖らせつつ流し目を送ってくる。俺が断るのをわかっていたくせに。
「さあ、なんのことやら」
 名残惜しそうに見やる彼女に星の真似で誤魔化すと、
「ま、いいわ。そのうち一緒にお酒でも飲みましょう。それじゃあね」
 サバサバと言うが早くさっさと軍を連れて行ってしまった。
「……クク、戦場でする会話じゃあないな」
 彼女のあまりの破天荒さにしばし呆然としてしまったが、苦笑と共に呟いて気持ちを切り替える。
 さあ、あと少しだ。この哀しい賊達の乱に終わりを。




 西の偽張角が何進軍に、南の偽張角が袁術の将、紀霊に討たれ、各諸侯は殲滅戦に入った。
 全ての偽張角を倒すと黄巾の賊達の士気は見る間に下がり、もはやただただ駆逐されるだけだった。
 本物の張角はすでに死亡していた、と俺たちが追撃して倒した最後まで戦っていた黄巾の将は言った。
 全軍にそれが伝わると、まだ各地にちらほらと残党はいるが、ここに一応の黄巾の乱の終結が告げられる。
 各諸侯たちはそれぞれの領地の残党の対応のため戻っていく。
 大陸全体を脅かしたこの乱は、新たな波紋を広げることになる。



 †



「終わったねー」
「皆で掴んだ勝利なのだ」
「そうだな鈴々。これだけの諸侯が一同と会す機会などもうないだろうし」
「みんな、怪我はない?」
「鈴々は大丈夫なのだ」
「私も大した怪我はありません」
「私はないです。桃香様は――」
「うん。大丈夫だよ。……皆にあんまり怪我がなくてよかった」
「桃香様……。その、往来で抱きしめられると恥ずかしいのですが」
「無事で嬉しいんだよ」
「それよりお兄ちゃんと雛里はどこにいったのだー?」
「うーん。どこにいったんだろう」
「先ほど秋斗殿は少し歩く、と行ってどこかに行かれました」
「雛里ちゃんは秋斗さんを追いかけていきましたよ」
「秋斗さん、たまによくわからないからなぁ」
「たぶん、雛里ちゃんは秋斗さんが心配で付いていったんだと思います」
「雛里がついていたら安心ですね。聡い子ですから」
「仲良しさんだしね」

 陣を敷き、軍の管理を桂花に任せて官軍の拠点に入ってから、しばらく歩くと楽しそうに話す劉備軍の面々が見えてくる。
「勝利の余韻に浸っている、といったところかしら?」
 言いながら見回すと劉備達の表情は皆、安堵と安息に染まっている。
 大きな戦を越えて結束力が高まるのは自然なことだ。ましてや義勇軍、気苦労も絶えない事はず。こうして戦の後に無事を確かめ合い、笑いあえるのも強さの内なのだろう。
「そ、曹操さん!え、えと、この度は長い間お世話になりまして……」
「堅苦しい物言いは構わないわ。それにお互い様でしょう、我が軍の兵士達の被害も抑えられたのだから」
 そう、十分に利用はさせてもらった。行動をともにするにあたりこちらの軍師である桂花が諸葛亮や鳳統に感化されていい成長を遂げてくれたし、春蘭や秋蘭に続く他の将の面々も関羽や徐晃から学ぶこともあったようなのだから。
 それに内政や軍略においての他の視点からの意見を聞けたのも大きい。
「でも、ありがとうございます。本当に助かりました」
「その礼、受け取っておく。そういえば徐晃と鳳統はどうしたの?」
 しっかりと礼を言う劉備に関心しながら、この場に足りない二人の所在を聞く。私は徐晃に話したい事と、聞いておきたい事がある。
「それが……ふらっとどこかへ行ってしまって」
「そう。まあいいわ。ではまた会いましょう劉備。大将としてこれから大きくなりなさい」
 私の前に立ちはだかるほどに、とは続けない。
「はい!」
 力強く返事をする劉備を見てから踵を返し、その場を後にする。
 彼女達から見えなくなった所で何か言いたそうな秋蘭を見ると、
「華琳様。徐晃に何か? 先ほど城壁の上に登って行くのを見ましたが」
 報告を一つ。よく見つけてくれたわ。
「ありがとう秋蘭。では会いにいきましょう。あの男と二人で話がしたい」
「あ、あの男と二人でですか!? いけません! せめて私が護衛に――」
「春蘭、あなたの焼きもちは可愛くて好きよ。ただ今回は我慢して頂戴」
 慌てて止める春蘭だったが私の言葉を聞いて不足気味に俯く。その愛らしい仕草にこの場で愛でてあげたくなったがなんとか我慢した。
 黄巾の最中も観察してきたがあの男の真意がまるでわからない。だからこそ興味がある。
 それに……上手く行けば手に入るかもしれない。

 †

 激しい運動などあまりしないので息は荒くなったが、なんとか城壁の上に辿り着くと一つの黒い影が佇んでいるのが見えた。
 赤い夕陽に照らされた大きいけれど……どこか小さな背中がすごく寂しそうだった。
「雛里か?」
 皆と一緒にいるつもりだったが拠点の城壁の上に向かう秋斗さんを見つけ、不安な気持ちが溢れてきてついて来てしまった。
 気配を察知したのか振り返らずに聞かれる。
「はい。秋斗さん、どうかしましたか?」
 何かあったのか、と聞いても答えてくれないのはわかっていたので、私はそのまま近付き隣に並んだ。
 涼しい風と血の匂い。下に目を向け辺りを見渡すと夕暮れの斜陽の光に地面を彩る血の赤が同化していた。
 自分達の作った地獄がここにある。まるで壁が生死の分かれ目のようだった。

 真ん中にいる私達はどっちなんだろう。

 思考を続けるだけでしばらくの無言。どうしてか不意に秋斗さんがこのままどこかへ消えていってしまいそうな感覚がした。
 きゅっと胸が締め付けられて堪らなくなり手を繋ぐ。仄かな暖かさが心地いい。ここにちゃんといるのを確かめる事が出来た。
「雛里」
「はい」
 突然名前を呼ばれる。なんだろうか。
「お前のおかげで落ち着いた。ありがとう」
 秋斗さんはすうっと空に消えるように言葉を放ち、遠い目をして空を見上げはじめた。
 この人は優しい。本来ならそういうものと割り切って捨ててしまうものと向き合う。
 私はどうだろうか。きっとこの人と会わなかったら捨てていた。そして見て見ぬふりをしていただろう。こうして失わせてしまった命とちゃんと向き合わなかったかもしれない。
 今回はある意味正義をもった人達だったんだ。途中で歪んでしまった。何を望んでいたのかも理解してる。
 本当はそれぞれの笑顔があったはずの人達。それぞれの幸せのために動いた人達。
「やり方は違うが、かわりに俺達が世界を変えよう」
 私の心を読んだかのように彼は決意を口にした。

 それが未来を奪ってしまった私たちにできる唯一の事。

 †

「ここにいたのね徐晃……鳳統も一緒だったの」
 城壁を上がり、目に移ったのは二つの影。夕日に照らされた二人はひどく切なく、そして美しく見えた。
「あわわ、曹操さん」
 私を見つけ、可愛らしく徐晃の後ろに隠れる鳳統。……愛らしい……けれど今は我慢しましょう。
「邪魔してしまったかしら? 徐晃と二人で話がしたいのだけれど」
 そんな言葉を聞いて徐晃は振り向く。澄み切った顔はこれまで見た事があるモノとは違っていた。憂いに浸ったその表情からは深い一つの感情に支配されているのが見て取れた。
 この男はこんな顔もするのか。やはり興味深い。
 鳳統は手を放したが徐晃の影に隠れたまま離れようとしない。
「雛里、すまないが曹操殿と二人で話す。少しあの物陰の夏候惇殿の所に行ってくれ」
 言われるとしぶしぶといった感じで離れていく。春蘭、あとでお仕置きね。
 鳳統が離れるのを確認して、すっと剣を渡してくる徐晃。
「なんのつもりかしら?」
「夏候惇殿の安心のためです」
 剣を受け取り私の後ろに置く。確かにこれなら多少はあの子も落ち着くか。
「あなたに聞きたいことがあるのよ」
 そう言うといつものような徐晃に戻った。
「私のためにわざわざ足を運んでいただき申し訳ない。何でしょうか曹操殿?」
「気にしなくていい、単刀直入に言いましょう。あなたは劉備に心からの忠誠を誓っていないわね」
 ピシリと聞こえないはずの音が響いて空気が止まる。
 確信をもっていなければこんなことを私は言わない。無いとは思うが……もし忠誠を誓っていたら真っ先に否定するか、激怒していたはず。
 そしてやはり返答は無言。答えられるわけがない。仮にも主としているのだから。
「沈黙は肯定と受け取るわ。あなたはその剣を預けているだけ。それはなんのため?」
 この男は頭がいい。きっとその時も曖昧にぼかしたのだろう。普通ならただの卑怯者にしか思えないが、この男なりの理由があるなら聞いてみましょう。
「心にもないことで偽るのは許さない。あなたはすでに劉備のことを侮辱しているのだから。本心を話しなさい」
 逃げられるとは思ってないわよね。
「……なんのためにそれを聞くのですか?」
 なるべくこちらに自分を読ませない為か無感情な声で尋ねてくる。無駄なあがきを。
「純粋な興味からよ」
 さあ、あなたの底を、全てを見せなさい。
 すると徐晃はお手上げといったように両手を肩の高さまで上げ、口を開いた。
「……あなたは厳しい人だ。降参です。確かにその通りです」
「あなたの本心なのだから飾らないで聞かせなさい」
 そう、素の徐晃じゃないと意味がない。本心を話すのならば他人行儀では無く自然体で接してこそ人となりが分かるというモノ。ここは、言うならば言葉という刃を交わす戦場なのだから。
「……わかった。俺はあいつの理想が今の世だけじゃ絶対に届かないことを理解している」
 やはり。そうじゃないと関羽や諸葛亮のように心酔しているだろう。
「曹操殿、あなたと同じく、王の成長を待っているんだ。あなたは好敵手の為に、俺は世の平穏の為に」
 さすがに私の目的も見抜いていた事には少し驚いてしまったが目を細めて先を促す。
「桃香の理想は今の世じゃ無理だ。殺し合いで奪った命の関係者は、笑った世界にいられるわけがないんだから」
 家族も友人も恋人も、大切な者を殺されたなら怨まずにいられない。
 今は乱世、その理想は治世で唱えるなら少なくともまだ望みがあっただろう。
「いくら殺した兵士の命を背負おうとも、その家族に『平和になりました、だから笑ってください』などと誰が言えるのか」
 そんなことが言えるものは大馬鹿か異常者だ。
「あいつの理想は次の世代、その次の世代とずっと繋がなければ叶わないモノ。出来たならいつか遠い未来に叶うモノ」
「そこまでは考えていたのね、あなたも」
「ああ、だからまだ判断しかねている。これから先、戦乱の世を抜けていく上でその理想を持ち続けられるのかもわからないから。それに未だ賊ではない、同等の正義をかざす兵士を殺していない」
 確実に起こる未来の出来事。私とはいつか相対するのだから。そして乱世に於いてはそれを行わなければ理想を叶える事など出来はしない。
「だから命をかけられない。その理想を貫き、怨まれながらも奪い取った平穏を先の者たちに託すことの出来る人間か分かるまでは」
 仁徳を説きながらも人の命を奪う王。先に生きていく者のための優しい世界か。
 完成形はそれ。矛盾の上に遠い先を見る王。今の時代の人間に怨まれようとも先の未来を見据える王。後世がずっと平和ならばその始まりの王。
 だが……正直言って矛盾をしている時点で破綻している。
 矛盾した王など、誰が仰ごうと言うのか。信頼も信用もなく、いつかはその矛先は自分だと怯えることにならないか。笑顔だが拳を振り上げながら行われる交渉。そんなモノは不可能だ。
 その人物が乱世を鎮めたとしても、ひどく脆い治世になるだろう。
 矛盾するくらいなら最初から仁徳など説くべきではないのだ。
 規律と理で線を引き、明確な形で示すべきだ。それがどうしたと居直れるくらいでないと平穏など続かない。
 私は負けるわけにはいかない。そのような王にだけは。だが、だからこそ好敵手になり得る。私の覇道の正しさを確実に証明できる敵対者として相応しい。
 しかし……この男は大馬鹿者だ。その矛盾の危うさに気付いていない。いや、今は見れないのか。この男は死者への想いに囚われ過ぎている。今日ここに来ていたのがいい証拠だ。
 なんてもったいない。軍師ほどではないが優秀な頭脳、春蘭に匹敵する武力、王に物怖じしない胆力、先を見据えて王の成長を待つ忍耐。これほどの才がありながら、間違っている王の所にいるなど許されることではない。
 この男の忠誠を得ることが出来たら王としてどれほど幸せなのか、それすら劉備は気付いていないというのに。死者に礼を尽くし心に刻みつけるこの男は、余程のことがない限り裏切りはない。
 今、心酔はしていないが影響されはじめている。このままでは時間の問題かもしれない。ならば――
「徐晃、あなたが剣を返してもらう時はいつ?」
「……桃香が理想を一度でも迷ったならば。俺は今まで殺したものに唾することになるだろうな」
 そう、劉備を裏切るなら、理想のために死んだ兵の想いをも裏切ることになる。無駄死にさせた、と。だが劉備の迷いはそれほどまでに許せない事。
 その時この男は耐えられるのか? ただ一人矛盾を背負って、ぬるま湯ではなく氷の川に沈んでいるこの男は。
「私の所へ来なさい。そうしなければあなたはこの先確実に壊れる。あなたも分かっているのでしょう?」
 理解していなければ私とこのような話などするはずもない。先ほどの表情の意味も、心を砕いているからこそなってしまうモノだ。
 私の元でなら正しく扱うことができる。この男の本当のあり方は、見てきた限りでは私に近いのだから。
「それはできません。世界を変えるために賭けていますから。ありがたい申し出ですが」
 途端に剽軽ないつもの徐晃に戻り、大仰に手を巻いて礼の姿勢を取る。
 何故劉備にそこまでする。何故私の元に……あの目、覚悟の宿った目……今は、仕方ないか。
「ふふ、手間をとらせたわね。話してくれてありがとう、いい話が聞けた。また、会いましょう」
「こちらこそありがとうございました。また会いましょう、乱世で」
 いつか手に入れる、必ず私に忠誠を誓わせてあげる。その時まで責任感と重圧に押しつぶされず、耐えてみせなさい。
 徐晃の言葉を聞き、背を向けて歩き出すと鳳統が横を駆けて行った。
 残念ね。あなたの慕う徐晃は必ずここから出ていくわ。それまでにあなたも淡い理想から覚めればいいのだけれど。


 †


 曹操。本当ならお前と平穏を作りたかったよ。
 俺の言葉でどこまで考えた? 桃香の矛盾くらいか?
 そんなものは分かってるんだよ。
 俺にはあの腹黒少女の任務があるんだ。
 世界を変えるためには歴史通りじゃいかんだろう。
 劉備が史実で負けたなら、曹操がこの世界で負ければいい。
 そのくらい大きな変化がいるだろう。
 課題はいくつあるかわからない。
 そのために桃香には王になってもらわなくちゃ困る。
 王の論理は己が自分で確立しなきゃならない。
 待つさ。
 俺が世界を変えるために動くかぎり皆消えないんだから。
 重荷も期待も願いも祈りも覚悟も全部飲み込んでやる。
 桃香は理想の果てを分かるはずだ。それを抱いて死することもできるはずだ。
 ひっかかるのは黄巾の最中のあの言葉だが、そのうち真意が分かるだろう。

 雛里が拗ねている。頭を撫でたら少し機嫌を直してくれたか。
 まだまだ甘えたい盛りなんだろうか。


 ここ撚りは血みどろの乱世

 夢と野望蠢く戦乱の世

 生きて想いを紡ぐから

 これから先の奪う命よ

 残された救われない人達よ

 どうか俺を怨んでくれ

 

 

~幕間~ 別の大陸制覇を目指す者

 黄巾の乱を終えた私たちは本拠地にて忙しい日々を送っていた。
 昇進による支配域の拡大、それによる内政の負担の増加、抵抗する豪族への説得や介入等々、上げ始めればきりがない。
 どうにか愛しい部下達と協力して行っているがやはり文官が足りない。
 桂花は飛び切り優秀だが負担量はギリギリ。早急に手立てを打ちたいがこうも朝廷でのごたごたした噂を聞くと動くに動けない。
 なんとか明日は休みを取らせてあげられるが城にいたら勝手に仕事を始めてしまうだろう。何かいい休息の理由に使えそうなものはないか。
 そういえば最近新しい店が街にできたようだが一緒にいってみようか。なんでも出店で安価なものを民に、内部では高価な料理を権力者にふるまう店らしい。
 そう考え私は隣で可愛く眠る桂花の頬を撫でた。


「華琳様! ここですよ、噂のお店!」
 護衛も兼ねて料理の上手な流琉も勉強になると思って連れてきたけれど、一番はしゃいでいるわね。
「もう! 流琉、待ちなさい! そんなに急がなくても店は逃げないのよ!」
 口調は怒っているが、桂花もどこか楽しそうではある。
「ふふ、いいのよ桂花。元気なのはいいことなのだから」
「……華琳様がそうおっしゃるなら」
 可愛い子。街中なのがとても残念ね。
「この店か」
 入口に立っているだけで空腹を刺激する匂い。
 横の出店には民の行列。昼過ぎには毎回ほとんどの品が売り切れるらしい。
 その店の名は『娘娘・二号店(ついんて)
 何故二号と書いてついんてと読むのかは理解できない。
 というよりもこの店は徐晃の言っていた……
 桂花は店の名前を確認するとまたあの甘味が食べられるかもしれないと期待の眼差しを送っている。
「華琳様? 桂花さんどうかしたんですか?」
「少しこの店と訳ありなのよ。とりあえず入りましょうか」
 そう言って店の暖簾をくぐると、
「「「いらっしゃいませー!」」」
 元気のいい挨拶と共に給仕達が頭を下げるがそれぞれの異常さにまず目を見張った。
 何故給仕が皆、髪を二つに括っているのかしら?
「当店は初めてでございますね? って曹操様!? よよ、ようこそいらっしゃいました! 少々お待ちください!」
 私が何者か確認してすぐに奥に引っ込んでしまう給仕の一人。少しして奥から年齢の読み取りにくい男性が姿を現した。
「ようこそおいでくださいました。本店の店主をしている高順と申します」
 ぺこりと会釈をして柔らかい笑みを浮かべる。
「曹孟徳よ。本店店主、と言ったかしら?」
「はい。この店は開店直後なので給仕が慣れるまで指導をしております」
 しっかりと教育を行き届かせる心意気。好感が持てるわね。
「徐晃からあなたに『ほっとけぇき』と伝えるように言われているのだけれど」
 発した単語にピクッとわずかに反応し少し考え出す店主。
「……そうですか。仕方のない方ですね本当に。では奥へご案内いたします」
 呆れた顔をしていたがどこか楽しそうだった。私達は店主に案内されて一番奥の部屋に行った。
 皆が席に着き菜譜を見ようとすると店主が一つ咳払いをして注意を引き付けてから話し出した。
「曹操様、あなたの噂はかねがね聞いております。よろしければ私の料理を評価して頂きたいのですが」「へぇ……私の舌を満足させる自信があるみたいね」
「えぇ、そこの典韋様の料理の腕も耳に入っております」
 驚いて店主を見る流琉。そういえば流琉は街の料理屋で働いていたことがあったか。
「満足いただけなければお代は頂きません。これは私の意地のようなものです」
 桂花と流琉の二人はあまりの異常な発言に言葉も発せず目を丸くした。
 この店主、私に勝負を挑むというのか……おもしろい。
「では満足させることができたならこの店を大々的に宣伝しましょう」
 徐晃が言っていたのはこうなる事を予測してか。ならこの勝負次第では貸しは全て帳消しにしましょう。
「ありがとうございます。では、初めて聞く料理があると思いますので説明いたします」
 菜譜を開く。そこには聞いたこともないような料理の名前がいくつか並んでいた。
 おむらいす、はんばぁぐ、ぱすた等々
 店主がそれぞれの料理のおおまかな説明をする。
「女性の方にお勧めなのはおむらいすとぱすたです。ぱすたの方は特殊な麺を茹で、自分好みの味付けを選ぶもの。おむらいすの方はふわふわ卵のモノは天津飯に似ていますが、味は全く違います。通常のおむらいすは卵で特殊な炒飯を包み西紅柿を煮込んだタレをかけたモノです」
 つらつらと説明されたものを想像しながら皆が決める。
「わたしは普通のおむらいすが食べてみたいです」
「じゃあ私はふわふわのものを食べてみようかしら」
 ふむ……同じものというのも面白くない。
「なら私はぱすたにしましょうか。店主、味付けは任せるわ」
「承知いたしました。しばしお待ちを」
 店主は料理を作りに静かに下がって厨房に向かって行った。
 二人とも緊張しているのか表情が固い。まあ当然か。値段も書いていないのだから。
「ふふ、そんなに緊張していたら料理の味もわからないわよ」
 緊張をほぐすために声をかけてもみたがあまり効果がないようだ。



 しばらくして、耐えかねるというほど長い時間待たされることも無く、
「おまたせいたしました」
 食欲をそそる香りとともに料理が運ばれてくる。
「わぁ……」
「これは……」
「……」
 見た目も素晴らしい。食とは目、香、舌で楽しむ事をよくわかっている。
 共に運んで来た給仕までもが無意識に喉を鳴らしてしまっている。
「曹操様、ぱすた専用の食器がございますのでこちらをお使いください」
 三つ又の矛を小さくしたような食器と先が楕円形になった食器を渡され、食べ方の作法を説明してくれる。確かに麺は纏めたほうが食べやすい。
「どうぞ、温かいうちにお召し上がりください」
「「「いただきます」」」
 促され、皆が一口目を口に入れる。
「「「っ!!」」」
 あまりの美味しさからか三者三様に絶句してしまった。
 これは……おいしい。
 このあっさりとしながらも暖かくなる味。麺にほどよく絡んだタレの主は……貝からとったものか。
 茸から香る山の風味と貝から香る海の風味が見事に合わさっている。
 刻んであるこれは……大葉。薬味程度と侮れない。これは全てを引き立てつつ全てをまとめるいわば中心。
 そしてこの麺。ラーメンほど柔らかくないこの麺はぷちぷちとすっきりした食感と噛みごたえを与えてくれる。
 さらに口に残る感じもなく、すっと通る喉越し。
 全ての食材がいくつもの世界を魅せてくれる。
 ああ、これこそ食の素晴らしさよ。


「ごちそうさま」
「「ご、ごちそうさまでした」」
「皆様いかがでしょうか」
 店主は桂花と流琉の食べている時の挙動に満足したのか満面の笑みを浮かべている。
「そ、その! 言い表せないくらいおいしかったです!」
「え、ええ。ふわふわとした卵と胸の奥まで温まるようなタレがまるで……はぁ」
 桂花、だらしないわよ。
「そうね、私が今まで食べたことのない味だった」
 店主がピクリと反応する。分かっているわ、私の負けよ。
「ふふ、おいしかった。他の料理もぜひ食べてみたい」
「ありがとうございます!」
 そうね、あなたのような料理人は『おいしかった』とちゃんと言われたいのだから。
「こちらこそ。楽しい時間をありがとう」
「いえいえ、私はこれが生き甲斐ですので」
 そう言って店主は少年のような笑顔で告げる。
「店主、私の城で働かないかしら?」
「ありがたい申し出なのですが……私には料理で大陸を制覇するという野望がありますので」
 断られるのはわかっていた。だけどその野望、おもしろい男ね。さすがは徐晃の友、と言ったところか。
「そう、その野望が達成されること、この曹孟徳が保障しましょう」
「ふふ、必ずや。あなた様もご武運を。それと今回はお代を頂きません」
 驚愕している二人はほっておきましょうか。
「それはダメだわ。満足させて貰った私達には払う義務がある」
「いえ、これは私の個人的な矜持ですので」
「……代わりに何かできることは?」
「ありがとうございます。では皆様、私の事を店長と呼んでくださいませんか?」
 対価は何が望まれるのかと身構えても、ただ呼び方を指定してきただけ。不思議な男。
 もしや……これを見越して徐晃は貸し返済としたのか。この店長の存在は私の舌を満足させるに足る。そして宣伝の波状効果を利用すればこの店は豪族の懐柔に対しても使い勝手がいい。やはり徐晃は興味深い。
「いいでしょう。二人もそれでいいわね?」
 頷く二人、しかし桂花は他に何か聞きたそうだ。
「そ、その、ほっとけぇきは……」
 そういうことか。本当にこの子は仕方のない……
「ふむ、この店では作らないつもりだったのですが……いいでしょう。私がいる時だけになりますがお作りしましょう」
 途端に表情が晴れやかになる。
「いいのかしら店長?」
「構いませんよ。それにあの鈍感男をいじめるいい理由になりますから」
 きっと徐晃の事だろう。それにしても随分仲が良さそうね。
「軍師様、今回は材料がありませんのでまた今度になります。甘味の新作も用意しておきますのでよろしければまたお越しください」
 少し残念そうだったがすぐに表情が明るくなった桂花は今にも昇天しそうに見えるほど。
「典韋様もまた食べに来てください。私に言っていただけたら、甘味なら割引いたしますので」
「本当ですか!? ありがとうございます店長さん!」
 ふふ、二人とも嬉しそうで何よりだわ。
「色々と世話になったわね店長。またよろしく。ごちそうさま」
「ごちそうさまでした店長さん!」
「ご、ごちそうさま店長。また来さして貰うわ」
「ええ、皆さまご武運を。またのご来店をお待ちしております」
 そう言って私たちは店を後にした。
 桂花も十分な休暇になったことでしょう。
 私も久しぶりにゆったりと過ごすことが出来た。

 たまにはこういう日も悪くないなと思い私たちは城への帰路についたのだった。



蛇足~店長日記~
 噂の曹孟徳様が来店された。
 やっかいな言伝をもって。
 徐晃様、安易すぎです。
 しかし曹操様が私のこの二号店の発展に協力して頂けることになったのでよしとしましょう。
 あの方の舌は本物です。
 久しぶりに料理を作るのに緊張というものをしました。
 渾身の料理に最上級の舌を持つ相手からおいしいと言われた時の感動はすばらしいものです。
 この二号店もあの時のような幸せな店にしていきたいですね。
 それにしても荀彧様は恋しておられるのか。
 ほっとけぇきは女の子を応援するための甘味ですので今度出してあげましょう。
 今日はこんなところですかね。

 おっと忘れてました。
『海山ぱすたは自然の宝』
 これでよし。
 

 

焦がれる雛は


 黄巾の乱を終えた大陸は一時は平和になったと言えた。
 しかし各州での黄巾の残党たちによる被害は少なくなってきたモノの未だ後を絶たない。
 俺たち劉備義勇軍は黄巾の乱の終結と同時に漢王朝からその功績が評価され、桃香が平原の相を任されることとなった。
 白蓮や曹操の口添えによるところも大きかったんじゃないかと思う。
 そういえば白蓮の烏丸迎撃は驚くほど上手くいき、今代の頭目である丘力居を倒したとか。未だに安心はできないがしばらくは大人しくしていることだろう。
 内だけでなく外の防衛も行ったとして多大な功績を認められた白蓮は大きく出世した、との話も聞いた。
 一方、桃香を始め俺たちは初めての地域管理にてんてこまいであり、各地区の問題点や改善点を忙しく見直す日々であった。


 久しぶりに昼からの休みが取れたので街に遊びにきている。うん、のどかだ。
 忙しい日々の甲斐あってか、なんとか形にはなってきた。
 街の警備草案は俺が出したが驚くほど上手くいった。警察のシステムをちょっと参考にすると、
「こ、こんな方法が……。この案、私に煮詰めさせてくだしゃい!」
 と朱里がかなり張り切って考えて、何を言っても聞き取れないほど集中していたから。
 ぶつぶつと机に向かいながら何やら呟いていた朱里を思い出して苦笑が漏れ、それと同時に首から下げた一つの金属器がカラリと音を鳴らした。
 現代で言うホイッスルである。
 初めは竹を材料に作ってみたが中々大きな音が鳴り、何事かと新しく編成された徐晃隊の兵達にどやされた。
 元が竹だから安価であり、重量も軽く、持ち運びも容易いので使いやすい。警告の合図などで街の治安にも結構貢献しているようだ。何せ元が竹、各家にも防犯ブザー代わりに持ち始める者達が出たくらいだ。
 指示の簡略化にも便利だった。軍の練兵の時には音の大きな金属製のモノを使っている。首から下げているモノがまさしくそれ。
 行軍や集合などでも声を張り上げるより早く確実であるが……戦場では使わないつもりだったりする。
 そういえば笛を作る過程、遊びで小学生の時に図工で習った水笛を記憶を引きずり出しながら作り、簡単なものを子供たちに配って広めさせてみた。さすがにガラスで出来た水笛などは作れないのでもちろん竹だが。
 普通、半刻もしたら飽きるものなのだが、子供の発想力はもの凄い。集まって一曲作ったりしているのだから。
「徐晃様ぁ! これから皆で合わせて吹くから聴いててね!」
 楽しそうにはしゃぐ子供たちはどうやら練習していたらしい。俺が来たら聴かせるつもりだったそうな。
 最近精神的に疲れたような顔をしていた雛里も連れて来たが凄く興味深々の様子。俺ももちろん楽しみだ。
 街角にある子供たちの溜まり場にて、一列に並んだ彼らは瞳を輝かせ、緊張した面持ちでおずおずと笛を一斉に口に当てた。
 そして子供たちの演奏が始まる。
 始まりの音が流れ出すと同時にゆっくりと目を瞑り、可愛らしい子供たちの演奏に耳を傾けることにした。

 †

 凄いです。
 楽器である笛を警備や軍に活かすなんてどんな発想をしているんだろう。
 確かに銅鑼などは戦でも使われるが持ち運びが面倒だ。
 しかも高い音を出すこの笛は喧騒の中でも聞き取りやすいのは間違いない。それにその過程で子供たちの娯楽にも使えるものまで作ってしまうなんて。

 目の前の子どもたちはたどたどしくも立派な楽師になっていた。
 一生懸命な子供たちは秋斗さんに聴かせるために練習してきたんだろう事が分かる。
 流れ出る音色は一部の乱れも無く、それぞれが役割を補い合って一つの曲を紡ぎ切った。
 心に響く演奏というのはこういうモノをいうのかもしれない。じわりと暖かくなる胸を押さえ、ほうとため息をついてから手を合わせて拍手喝采を送る。
 気付けば街の人達も主賓である私達二人に気を使ってか、少し離れたそこかしこから拍手を送っていた。
「どうだった!?」
 子供たちのまとめ役の一人が近づいて来て秋斗さんに笑顔で聞く。
「いい演奏だった。宮廷でもこんな演奏は聴けないだろうな」
 笑顔でその子の頭を撫でてから皆に向かって言う。頭を撫でられた子は褒められて照れくさいのか、はにかんで俯いたがくしゃと笑顔をさらに深めた。
「あぁー! ずるい! 僕も撫でてよ!」
「じゃあ私はおんぶしてー」
「えぇー! じゃあ抱っこしてよー!」
 それを見てか皆、近寄ってきて口々に話す。先程の結束はどこへやらだ。
「お姉ちゃんも一緒にやってみる?」
 突然、一人の女の子が話しかけてきたので、
「あわわ、その、いいんでしゅか?」
 噛んでしまった。子供たちの前なのに……恥ずかしい。
「ふふ、お姉ちゃん面白いねー! やろうよ!」
 そう言って水笛を一つ手渡される。よく見ると可愛らしい絵柄が描かれていて、彼女の手作りなのだと分かった。
「雛里、水の量で音色が変わるから皆で合わせたほうが楽しいぞ。お前達、今度はこのお姉ちゃんも入れてやってみてくれないか?」
「「いいよー!」」
「じゃあ合いそうな音は……これくらいだな。これなら適当なところで鳴らしても大丈夫だからな」
 もう一度並んだ子供たちの列の一番端に促された。うぅ、出来るかな。
 戸惑っていると演奏が始まり、慌てながらも皆の音を乱さない時機を見計らって笛を奏でた。



 演奏は何故か上手くいった。観客の人の歓声と拍手を受け、高揚する胸を押さえながら、列を離れる。
「お姉ちゃんすごーい!」
「僕たちと完璧にあってたよ!」
「今度から一緒に練習しようよ!」
 口々に皆が褒めてくれる。恥ずかしかったけど、楽しい。でも――
「ご、ごめんなさい。次はいつになるか……」
 忙しくて一緒に練習はできない。
「凄くよかったぞ皆! だけど雛里も俺も忙しいからなぁ。また来た時は一緒に遊んでくれるか?」
 落ち込んで話す私を見てか秋斗さんが上手く繋げてくれた。
「わかった!」
「また来た時は一緒にしようね、お姉ちゃん!」
 優しい子達だ。彼女達を見て、私達はこの笑顔のために戦ってるんだと自覚する。
「ありがとう」
 お礼を言うと秋斗さんにまた集まり始める。こんなに好かれて、楽しそうな笑顔をみせて。
 こんな風に子供と笑いあってる姿が本当の秋斗さんなんだろうな、と思う。
 戦場で鬼神の如く戦う姿は仮のモノで、本来は優しくて暖かい――
「あ、お姉ちゃん徐晃様のこと見つめてる!」
「しかもすっげぇ優しい顔してたぜ!」
「徐晃様の事好きなんじゃない?」
「お姉ちゃん徐晃様の事好きなんだー!」
「あわわ!」
 思考に潜りながらじっと秋斗さんを見てしまっていたら不意に子供たちから奇襲をかけられる。顔が熱い、思考が回らない。
「こらこら、お前達あんまりからかうな。雛里が困ってるだろう?」
「えー、でも真名で呼び合ってるじゃん」
「じゃあ徐晃様もお姉ちゃんのことが好きなんだ!」

 ドクンと心臓が跳ねる。
 彼は……どうなんだろうか

「ん? 好きだぞ」

 さらに大きく心臓が音を放つ。うるさいくらいに耳に響き、手にじんわりと汗をかいてきた。
 この人は今なんて言った? 私のことが好き? 本当に?
 暖かい気持ちになり、気分が高揚して、思考の中で彼の事しか考えられなくなり、きゅうっと胸が締め付けられた。
「それにお前達のことも大好きだし」
 続けられた言葉に、なんだそういう事か、と高揚した気分が落ち込む。あれ?
「こうして皆で笑いあって遊んでる時間が大好きだしな!」
「あたしも好きー!」
「僕も好きだし!」
 秋斗さんが話すと口々に好意を伝え合う子供たち。
 聞きながらずるい、と思った。そして自然と――
「あわ、わ、私も、その……」
 自分もだと言おうとしたが尻すぼみになってしまった。どうしてだろう。子供たちと同じことができないなんて。
「お姉ちゃんちょっといい?」
 ちょいちょいと服の袖を引いて、まとめ役の一人が話しかけてきた。
「はい、な、なんでしょうか」
 何故かは分からないが頭が回らず敬語になってしまう。
「ふふ、お姉ちゃん徐晃様に恋してるでしょー」
「な、なな」
「あのねー、恋する乙女の目をしてるよー」
 彼女の話はしっかりと聞こえていたが、理解する事はできず答える事が出来ない。
「恋ってね、一緒にいると恥ずかしかったり、ドキドキしたり、暖かかったり、離れたくなかったり、その人の事ばかり考えちゃうんだって!」
 説明を聞いて思い至る。確かにそのようなことだと本では読んだ覚えもある。でもこれがそうなんだろうか。
「気付きにくいけど気付いたら早いんだよー」
「どうしてそれを――」
「私も徐晃様のこと好きだもん! だから負けないよー!」
 言いきると悪戯っぽくペロリと舌を出しておどけてから秋斗さんの方へ行ってしまった。
 茫然と見送りながら思考がゆっくりと回り出す。
 私は秋斗さんに恋している?
 自問に対して自分のこれまでを思い返してみた。
 思えば幽州の時からすでに目で追っていた。義勇軍に入る時は離れたくなかった。一緒にいると恥ずかしくて、暖かくて、秋斗さんのことばかり考えている。

 ああ、そうか。私は恋をしている。

 気付いたらすっと心が楽になった気がした。もう私は、ずっと前からそうだったんだ。
「お前達、今日はありがとうな。おかげで元気でたし仕事を頑張れそうだ。あとすまないが俺達はそろそろ行かないとダメなんだ」

 この暖かい人が

「えぇー! 次は蹴鞠したかったのにー。」
「許せ、また今度な。それとお前たちも早く帰らないとしまっちゃうおじさんが来るぞ」

 この優しい人が

「え!? わ、わかった! 絶対だよ!」
「ああ、約束だ」

 私は大好きなんだ

「雛里? 何ぼーっとしてるんだ。そろそろ行くぞ」
「ひゃ、ひゃい!」
 いつの間に近づいたのか、いきなり声をかけられて噛んでしまった。恥ずかしい。
「徐晃様またねー」
「お姉ちゃんもまたねー!」
 手を振り返して子供たちと別れ、私たちは二人きりで街道を歩き出した。
「少しは息抜きになったか?」
「はい、とても」
 彼の問いかけにも、先程気付いてしまった自分の気持ちから返答が短くなってしまい、その後の言葉が繋がらない。
「どうかしたか?」
「い、いえ」
「……クク、幽州でホットケーキ食う前みたいになってるぞ」
 可笑しそうに笑いながら言われて思い出す。確かにあの時みたいになっている。そういえばあの時は――
「ふふ、そうですね。……じ、じゃああの時は帰り道でこんな感じでした。」
 勇気を出して手を繋いでみた。自分でも驚くような大胆な行動をしてしまったため、鼓動が速くなり、顔が熱くなる。
「お、おう。そうだったな」
 今度は秋斗さんが恥ずかしがって顔を逸らし、言葉が少なくなった。

 そういえば秋斗さんは私の事をどう思っているんだろう。
 私と同じ気持ちなんだろうか。
 なんとも思ってないんだろうか。

 また、胸が締め付けられた。

 今はまだいい。
 もっと私の事を見てもらいたい。
 この人自身に私と同じ気持ちになってほしい。
 もっと私が努力して、こっちを向いてもらおう。
 それにこの人のことももっと知りたい。
 欲張りだろうか。

「秋斗さん」
「ん?」
「私、頑張りますから」
「……何をだ?」
「ふふ、今は内緒です」
「……気になるんだが?」
「それでも内緒です」
「そうか、いつか話してくれよ」
「はい、いつかは」
「楽しみにしてるよ」

 そんなやり取りを行って、笑い合って歩き続ける。

 やっと気付けたこの初めての気持ちを大事にしよう

 そして今はこの幸せな時間に酔っていよう

 進むのが少し怖いから

 この関係も好きだから

 その時までは



 その日、城の前で秋斗さんと手を繋いでいるのを朱里ちゃんに見られていたのに気付かなかった私は、夜遅くまで質問攻めに合うことになった。

 

 

雛は現実を知る


 忙しく平原を治めている俺たちだったがそのころ大陸は大変な状態になっていた。
 霊帝の死。
 黄巾の乱の最中から病床に伏していた霊帝が亡くなった事で都は混沌としていた。
 権力者達の派閥争いは激化し、宦官の中心である十常侍と軍人である何進が対立。
 霊帝の子供二人はその渦中に放り出されることとなった。
 何進は軍事力を笠に無理やり劉弁を即位させることに成功し一時は安定するかに見えた。
 しかしそれがおもしろくない十常侍連中も黙ってはおらず、何進の暗殺を強行した。
 だがその行き過ぎた行動に激怒した何進の部下であった将軍達は十常侍を強襲、数名を亡き者にする。
 それと同時に渦中でいち早く身の危険を察知していた十常侍筆頭張譲は前帝の子供二人を連れて洛陽から逃げた。
 張譲は地方の太守を任されていた董卓に助けを求め、その大軍勢を味方に引き入れ洛陽へ戻ったが董卓の裏切りに合いあっけなく命を落とすことになった。
 二人を手中に収めた董卓は幼い劉協を皇帝に即位させ、中央の政権をわが物としている。
 それに対抗するために他の地を治める各諸侯に檄文が飛ぶこととなったのであった。


 ついに反董卓連合……有名な虎牢関の戦い。あのゲームみたいに貂蝉とかはいるのかな。
 そういや董卓が政権をとるまでが歴史とちょっと違う。時機もあまりに速すぎる。やっぱり三国志はあてにならんじゃないか。
 物思いに耽っていると、檄文を読んだ桃香が口を開いた。
「袁紹さんからの檄文について皆の意見が聞きたいの。ちなみに私は参戦したいと思ってる。董卓っていう人は長安の人に重税を課して苦しめてるって言うし」
 いきなり主である桃香が参加を表明しては意見を聞いても変わらないんだが、とは言わないでおく。
「私も桃香様に賛成です。民達を救えるのならば、私たちは戦うべきでしょう」
「鈴々も! 悪い奴はぶっ飛ばさないといけないのだ!」
 口々に参加の意を唱える三人……さて、軍師二人は難しい顔をしているがどう答えるのか。
「どうしたのだ? 朱里と雛里は反対なのか?」
 不思議そうに、さも全員が意気投合して是を唱えると思っていたのか鈴々が二人に尋ねた。
「いえ、ただ檄文の内容が気になってしまって」
「確かに言っていることは正しいのですがあまりに出来すぎている気がして」
 その通り。正史ではもっと酷かったが、商人達から噂話を聞いてもそこまで酷い話は無い。そして檄文にはあまりに諸侯側の意見しかない。
「出来すぎている……とは?」
「諸侯側の見解のみしかわかっておらず、単純に董卓を倒そう、というのを鵜呑みにしてしまうのはよくないかと」
「多分、いえ確実にこれは諸侯の権力争い。帝を手中に収めた董卓さんへの嫉妬がほとんどの理由だと思います」
 二人の話に感嘆してほうとため息が一つ漏れ出た。さすが、軍師達はすごいな。
「むぅー、そんなに難しく考えなきゃいけない事なのかなぁ。圧政に苦しめられている人がいるってだけで十分な参加理由になると思うんだけど」
「もしかしたら違う……と言う訳か」
 さすがは桃香というべきか、やはり人の言葉を信じすぎている。それに対して愛紗は考えを深めたようで軍師の注意に思考を傾けた。
「秋斗さんはどう思いますか?」
 ずっと黙っていた俺に雛里が聞き、皆の視線が俺へと一斉に集まる。なら……お前達がどれくらいなのか試してみようか。
「どこまでが本当でどこまでが嘘なのかわからない情報に左右されて戦いたくはないな」
「だけど苦しんでいる民がいるかもしれないんだよ?」
「そうだな。だがこんなにごちゃごちゃ入り乱れた状況じゃあ誰が苦しめているかわからないんだがな」
「では参加すべきではない……と?」
 そこまでは言いきれない。何故なら――
「でも私たちのような弱小勢力は漢の崩壊が予見される今、先を見て動かなければいつか潰されてしまいます。」
 朱里が話す通り、立ち上げたばかりの俺達はそうしないとこの先、生き残れないだろう。乱世を抜けて行くのだとしたら余計に。
「俺が言いたいのは理想の実現のためにはどうするべきか、それを自分たちの状況から判断して、自覚して決めてほしいってことだな」
 思考のはざまで揺れてくれ、考えてくれ。自分たちの理想について。自分たちの目指すものについて。
 俺の話を聞いた皆は一様に考え始めたようだ。少ししてから桃香が顔を上げ、俺を強い目で見据えてから口を開いた。
「私は……私は参加したい。この情報がどんなに裏があったとしても、そこに苦しんでいる人がいる可能性があるなら、私は助けに行きたい」

 一瞬、頭の中が真っ白になった。しかしどうにか思考を続ける。
 これが桃香だったな。愛紗は――

「同感です。裏を読み過ぎて助けられなかった、などという事は許せません」

 そうか、やはりか。

「鈴々も困ってる人を助けたいのだ!」
 朱里と雛里も同意だというようにコクコクと頷いている。
「本当にいいんだな?」
 とりあえず、無駄だと分かってはいるが念を押してみると、不思議そうな目で朱里と雛里が見つめてきた。同時に強い瞳で三人が俺に頷いた。
「大丈夫だって秋斗さん! 準備万端整えておけば、どんなことが起こっても対応できるって! こんなに頼もしい仲間がいるんだし!」
 俺に向かって満面の笑みで桃香が言い、その通りとばかりに皆も一様に頷いた。
 そこじゃないんだよ。しかしそうか……気付かなかったのか。

 戦う以外に方法があるんじゃなかったのか?
 敵はどんなモノか分かっているのか?

 それらの言葉を口から出す前に飲み下し、
「分かった。お前たちの判断を信じるよ。俺も参加すべきとは思っていたからな。少し考えすぎてた」
 軽く笑いを顔に貼り付け、彼女達に話しかけた。
 話しながらも力が抜けそうになっていた。俺は今、ちゃんと笑えているのか?
「なんだ、結局お兄ちゃんも賛成だったのか」
「まあな、ただ、理想ばかり見るんじゃなく自分の足元も見ないとダメだから、誰かが考えさせることを言わないと。朱里や雛里が反対意見をいってたのはそれもあるんだろう?」
「はい。見えていない事象に注意を喚起するため、反対意見を言うのは軍師の仕事ですから」
「私たちも苦しんでる民達を助けたいです」
 お前たちでさえ気づかないんだ。桃香達が気付くわけはない。
「じゃあ決定だね! 私たちは反董卓連合に参加するってことで!」
「「「御意」」」
「了解なのだー!」
「……了解」
「じゃあさっそく準備にとりかかろう。兵士さんの糧食とかも計算しなきゃだし」
「それがですね桃香様……」
 言いよどむ朱里を見て他の問題が頭に浮かんだ。
「まだ赴任したてで軍資金等の都合により糧食が……その……連合参加には足りないんです」
「じゃあ持って行けるギリギリの糧食を計算して後は……たかるか」
 それしかないからやるしかないだろう。交換条件は手柄の譲渡か先陣か。名を上げるためだとしたら本末転倒だが……まあいい。
「うー……。少し恥ずかしいのだ」
「私もそれは些か気が引けます」
「格好を気にしてちゃ人は救えないよ」
「そうだね。それしかないんだから……。やろう皆!」
 頷く皆と同じように首を縦に振りながらも、俺は別の事を考えていた。
 雛里の視線に気付かないまま。

 †

 どこか変だ。違和感を感じる。
 桃香様は変わらない。愛紗さんも変わらない。朱里ちゃんも変わらない。鈴々ちゃんも変わらない。
 私も……いつも通りだ。
 秋斗さんだけが少し違う。
 どこかが違う。
 気付いてるのは私だけ。
 でも何が違うのかわからない。
 どうしてだろう。
 胸がざわめく。
 あの人は何を考えてるの?
 秋斗さんはなんて言った?
 思い出したらいい。
 理想の実現のため、理想ばかりじゃなく自分の足元も、理想……あ。

 思考の隅に追いやっていた現実が、私の目の前に姿を現した。

 まさか……そんなはずは――

 次は自分の言ったことを思い出す。さっきのやり取りをもう一度確認する。黄巾の時の桃香様の言葉が甦る。

 そして――自分の足元が崩れ去る。

 私たちの理想は……叶わない。

 †

 今日の準備が終わり、自室で一人考えに耽っていた。

 俺は待つしかない。
 彼女たちは自分たちが矛盾していることにまだ気付かなかった。
 妄信している者は別の正論を並べられると反発する。客観的に見ることも不可能になる。
 宗教などがいい例だ。黄巾も同じだった。
 最初は正義を掲げても、時間が経つと歪んでくる。
 理想だけが独り歩きを始め、追いつこうと必死になり、さらに周りが見えなくなる。
 だから現状の理解と自身の把握を求めた。
 直接言うと拒絶が起こり、何故理解しようとしないのかをこちらに説いて、取り込もうとしてくる。
 こういうものを変えるにはゆっくりと一つ一つ気付かせて理解させるか、非情な現実の袋小路に追い詰めて心を叩き伏せるしかない。
 俺が行っているのは前者。
 これは臣下の者達限定だが、桃香自身に妄信している場合は桃香自身が変わらなければまず不可能だろう。歪みを見つけても目に入らないものと認識してしまう。少しでも疑問を持ったのなら救いがあるが。
 桃香自身のように理想に妄信している場合はまだ気付きやすい。歪みを理解しながら目を逸らしてしまうから。
 まだ様子を見る。
 今回は正しかろうとそうじゃなかろうと普通の兵とぶつかることになるんだ。強制的に後者の状況になる。
 言い方は悪いが董卓軍には王の成長の生贄になってもらう。さすがに桃香も理想の穴と自身の矛盾した発言を自覚するだろう。
 話し合いすら行えない状況ではなかったのだから。兵も守るべき民であるのだから。
 もし気付かなかったら……
 いや、やめておこう。信じているさ。

 突然、コンコンとノックの音が響き、潜っていた思考から抜け出した。
「どうぞ」
「失礼します」
 入ってきたのは自軍の軍師の一人。雛里が一人でこんな時間に会いに来るとは珍しい。しかも様子が明らかにおかしかった。
「どうした? 元気がないな」
 表情が暗く、声に反応して上げた瞳には絶望が宿っている。お前はまさか――
「……私たちは愚か者ですか?」
 気付いたんだな。聡い子だ、全て理解しただろう。
「……」
 無言の返答を行うと彼女はぐぐっと眉を寄せ泣き顔に変わった。
「っ! 私たちは……道化ですか?」
 ああ、乱世に踊る道化だな。
 思っていても口には出さず、さらに無言で見つめ続ける。
「わ、私たちは……なんのために……」
 そこから先は言葉を続ける事が出来ないようだった。
「雛里、思考を止めるな。俺たちは所詮殺人者だ。自分の覚悟を思い出せ」
 少し厳しめに彼女に言い放つと目線が揺れ始め、何かに縋ろうと手が伸ばされた。その手をとって続ける。
「確認して、考えるんだ。お前はどうしたい?」
「……争いのない優しい世を、作りたい、です」
「そこが笑顔だけじゃなくても?」
 聞き返すとコクリと頷いた。その目には涙が溢れ初め、頬から床へと次々に落ちて行く。
「俺たちは繋ぐしかない。この先、何千年先にいつか笑顔溢れる世になるなら、その礎になるんだ」
 そっと胸に引き寄せると、しゃくりあげる声が響きだした。
「不安定だろうとそれを確かなものにするしかない。力で脅かそうと、叩き伏せようとだ。話し合えるならこんな世になっちゃいないんだ。話し合いで解決できるならそれまで奪った命の関係者は絶対に救われない」
 やっぱり卑怯者だな、俺は。
「桃香の理想はそういうものだ。あいつもそのうち気付くだろう。本当はどの王も手段や過程が違うだけで同じ目標を目指しているんだと。好き好んで争う悪は本当の王になれないのだから」
 言い終わると部屋に嗚咽だけが響く。何故こんな優しい子が戦わなければいけないのか。
「よく聞け雛里」
 胸の中で小さく頷いたのを確認し、続きを紡いだ。
「ここでは王の成長を見守り我慢するしかない。王は自ら気付かなければ確固たるものにならないからな。臣下は口出しすべきじゃない。俺みたいなのの影響も受けさせたくないから極力接触を避けてきた」
 一息おいて、さらに続ける。
「出ていくか、それとも今はまだここで待つか。この戦いが始まるまでに決めておけ。民でもある兵士を自分達の理想の贄にするのかどうか」
 最低ラインは言った。これ以上は自分で考えて貰う。気付いたとしても、また理想に溺れる事もあるのだから。
「秋斗さんは、桃香様を、信じているんですね」
 ゆっくりと言葉を紡ぐ雛里に、
「ああ。あいつの優しさは本物だろうから」
 俺の答えを言う。そう、ただ一途なだけ。人を純粋な優しさで惹きつけ、労り、暖かく励ます心はこの乱世では稀な存在だ。誰かの為にと乱世に立ち上がるなど、並大抵の人間では出来やしない。
「私も信じます。きっとあの方は気付きますから」
 もう大丈夫だな。
「そうか。……ごめんな雛里。それまでは辛いだろうが俺と共に矛盾を背負ってくれ」
「いいんです。秋斗さんと一緒なら……大丈夫ですから」
 俺は……最低な人間だ。本当は他の道に行く方が幸せなはずなのにひきずりこんでしまった。


 しばらく頭を撫でていたら眠ってしまった雛里を部屋に送り、俺は自室で夜の闇にさらに自問自答を繰り返すことにした。

 

 

集う諸侯とそれぞれの思惑


「どーもー。今回の参加ありがとうございますー。とりあえずこの書簡に代表者の名前と兵数の記入をお願いしますねー」
 反董卓連合に集った諸侯たちの駐屯地に着いた俺たちを袁紹軍の赤髪ゆるふわセミロングな将が出迎えてくれた。もの凄くフレンドリーに。
 風にふわふわと揺れる髪はまるで炎がたゆたっているかのよう。ぴょこぴょこと跳ねながらこちらに近付き、にへらと笑って桃香の手に書簡を張り付けたボードを手渡す。
「わ、わかりました」
「おっ! 噂の連戦連勝の劉備さんですかー! これは期待しちゃいますねー」
 桃香が書いた名前を見てからからと笑いながらはしゃぐその将に、皆は口をあんぐりと開けて茫然としてしまっていた。
「あたしは張コウ。袁紹様の所のしがない将でーす。皆さんよろしくねー」
 張コウはくるりと一回転して軽く自己紹介を行い、あまりの自由奔放さに驚きながらも口々に皆が自己紹介を返し始めた。
「劉元徳といいます」
「関雲長です」
「鈴々は張翼徳なのだ!」
「諸葛孔明といいます」
「ほ、鳳士元でし。あわわ……」
「徐公明です」
 俺の自己紹介の直後、何故か張コウがこちらをじっと見つめてきた。
「あなたが黒麒麟? へぇ、男って聞いたからもっと筋肉達磨想像してたんだけど案外普通なんだ」
 へーとかほーとか口にしながら上から下まで眺め、意外そうに俺の外見への感想を述べた。
 普通で悪いか。地味なのは俺も分かってるんだ。気にしてるんだよ。
 なんとか悪態を突いてしまいそうになるのを呑み込んで、目礼を一つと言葉を一つ返す。
「名を知って頂いて光栄です」
「うっわぁ……その話し方似合ってなさすぎ! やめたほうがいい! てかやめて! そのうち笑っちゃうから!」
 既にけらけらと笑っているくせによく言う。
 皆そんな事いいやがる。おい、お前らも笑いを堪えて頷くんじゃない。
 苛立ちが増したがそれもどうにか抑え込んでなるべくフレンドリーに、
「じゃあ普通に話すけど構わないのか?」
「いいんじゃない? あたし官位とか興味ないし。皆でゆるーくへらへらしてるほうがずっといいからね」
 返すとまさにへらへらと笑いながら張コウが言う。
 さらに、にやりと笑ってウインクを一つ。そこで気付く。気軽にしてくれと伝えているのだと。案外気のいい奴なのかもしれない。
「お言葉に甘えるよ。それとゆるくへらへらしてるほうがいいのには俺も同意だ。楽しい世の中のほうが好きだしな。あなたとは仲良くなれそうだ」
 そう言ってにやりと笑い返してみた。いたずら大好きな猫娘系っぽい。気が合いそうだ。俺を観察していた張コウはそれを見てさらに笑みを深めた。
「いいねぇ。あたし、あなたのことちょっと気に入っちゃった。男なのに雰囲気とかがっついてなくていいし、こんだけ女に囲まれても色恋沙汰とかなってなさそうなとこもいいじゃん」
 しかし先程からちくちくと的確に痛い所を突きやがる。どうせ俺はモテないさ。
「生憎、俺はかっこよくないしモテない――」
「そ、それよりわたしゅ達は何処に陣を構えたらいいのでしょうか!」
 滅多に出さないような声で雛里が割り込んで来た。
 皆もびっくりしてるじゃないか。そういやあんまりこういう話は苦手だっけか。
「……あー、なるほど。とりあえず劉備さんのとこはあの奥の空いてる所にしてくれますか? それと諸侯会議が陣が出来たちょっと後くらいに始まるから代表さんと軍師くらいは行ったほうがいいですね」
 何かに納得した後、つらつらと説明をしてくれる張コウに対して、桃香がぺこりとお辞儀をして礼を返した。
「わかりました。ありがとうございました張コウさん」
「いえいえー仕事なんで。あ、晃兄はその間あたしといろんな話しようよー」
 どうやら彼女の中では呼び方が決まってしまったらしく、にやにやしながら身体を寄せて言ってくるが何が楽しいのやら。
「美人さんからの誘いに申し訳ないんだが無理だ。俺たちも忙しいし個人的に挨拶しときたいとこもあるから」
「えー、けちー。ま、いっか。じゃあまたねー」
 言い切り、ふらふらと歩きながら違う場所に向かってしまった。
 嵐のような人だ。あれが張コウとは恐れ入る。
 自分の知識にある武将とのギャップが面白くて無意識に去っていく彼女の背中を見つめていると、何故か雛里は俺をじとっと睨んで来て、朱里は目からハイライトが消えていた。もの凄く怖いんですが。
「秋斗殿、多分、陣が出来次第か作成途中に軍師二人からお説教が待ってます。お覚悟を」
 諦めろというふうにポンと肩を叩いて話す愛紗。俺が何をしたというんだ。
 そして俺たちは言われた通りの場所に陣を構えた。正座した脚が痛い。


 †


「お~っほっほっほ! わたくしが今回の会議の司会者、名門袁家当主にして美しく可憐な袁本初ですわ!」
 陣を組み終わり、会議の場に到着すると私達が一番最後だったようで、急いで開いてる場所に座ると袁紹さんが高笑いをしつつ自己紹介を始めた。
 豪奢な金髪をくるくると何重にも、地に着きそうなほど巻いている彼女は、品がいいのか悪いのか全く分からなかった。
 しかし張コウさんといい袁紹軍はこんな人ばかりなんだろうか。少し頭痛がしてきた。
「進行役、袁紹軍軍師田豊。よろしく」
 物静かそうな、長い黒髪を少しだけ横で括った私くらいの身長の女の子が袁紹さんに続く。まともな人がいてよかった。というか進行役なら司会者の意味が……
「皆さんも自己紹介してよろしくってよ。まあわたくしほど美しく要点を抑えた自己紹介はできないでしょうけど」
 この連合は大丈夫なんだろうか。袁紹さんの言葉に不安が胸いっぱい広がり始めた。
 諸侯の皆さんの自己紹介を聞くと、有名な人ばかりだった。公孫賛様、袁術さん、西涼の馬騰さんの名代の馬超さん、曹操さん、孫策さん……等々。
 荀彧さんが田豊さんを一瞬悲しそうな目で見たのが気になったけどそれぞれの紹介はつつがなく終わった。
「では軍議をはじめますわ! まずは」
「本初。進行は私に任せて。あなたは優雅に静かに、華麗に皆の意見を聞いていてほしい」
「え、ええ。あなたがそういうのなら」
 田豊さんは司会らしく会議を進めようとした袁紹さんを一言で黙らせ、椅子に座るように促し、その様子を見てか曹操さんと 公孫賛様が感心している。
「まずは目的を確認し合う。目的は涼州の一太守だったけど都に来てから大暴走した董卓の討伐」
「董卓の詳しい情報は?」
「さあ。本人に関しては情報の秘匿が凄すぎて袁家でも細部までは調べつくせなかった」
「ならおいおい調べていくことにしましょう」
 袁家でも調べつくせないとはどのような人物なのか。情報が曖昧に過ぎるが、それは同時に敵の軍師が思いのほか手強いということを示している。
 情報の秘匿をしっかりと行える軍師であるのなら優秀、袁家相手に全く情報を漏らさないのは異常なほど切れ者なのだろう。
「次に道程。行軍順については各軍代表者に後でくじを引いて貰う」
「まあついてから戦闘用の配置換えすればいいしな」
「妾も賛成じゃ。七乃、道程について説明してたもれ」
「はーい。えっと、広い街道での行軍を行いますから、シ水関、虎牢関という大きな関での戦闘、もしくはその間の広い地での戦闘が予想されますねぇ」
 バッと地図を広げて差された二か所の関。難攻不落と言われる二大難所をどう切り抜けるかが一番の勝負所になるだろう。
「関所の将はどうなんですか?」
「シ水関に華雄と張遼、虎牢関に呂布。その三人が有名。細かい副将はそこまで気にしなくていい。ただこの情報は集結前の情報だから随時更新求む」
「私の所が調査しよう。機動力の高い騎馬が役に立つだろうし」
「じゃあシ水関の調査は公孫賛に任せるわ」
「後は――」
「元皓さん。私は先に決めなければいけない議題があると思うので皆に提示しますわ」
 袁紹さんがいきなり割り込み、田豊さんを遮って話し出す。せっかく順調に会議が進んでたのに黙ってる事に我慢が出来なくなってしまったんだろうか。
「……何?」
「即ち! この連合の総・大・将を決めることですわ! 家柄、地位、名声、財産などの事を考えた場合候補はおのずと絞られると思うのです。まあ……私は別にやりたいわけではないですけども」
「「「「「「……」」」」」」
 明らかにやりたい、というような表情で私達を見渡したが、さすがに諸侯達は呆れて沈黙してしまった。
 でもこれはこれで難しい一手になったかもしれない。諸侯達は膠着して動けなくなったのだから。
 責任の所在が明らかになってしまったらどんな無理難題を押し付けられるかたまったものではない。
 袁紹さんもやはり食えない人なのかも――
「え? 袁紹さんじゃダメなんですか?」
 茫然。真っ白になった思考のまま、口をあんぐりと開けて桃香様を見やる。
「そうね。私も麗羽でいいと思うわ」
「ああ、そうだな」
「それがいいと思うのじゃ」
 その間に機を得たとばかりに諸侯の方々が口々に賛同の意を示した。やっと思考が回り出したが、これは大変な事になってしまった。
(と、桃香様! このままでは不利な条件を飲まないといけなくなります! 何か策があるんですか!?)
(うーん……このまま膠着したら周りの諸侯さん達も戦前にピリピリして連携がうまくいかなくなっちゃうでしょ? そのほうが被害も増えるしダメだと思ったんだ。)
 綺麗な瞳に見つめられ、純粋な想いから来た発言であることに自身の心が揺れ動いた。
 この方は本当に……だがこのような方だからこそ私が才を振るう意味がある。
(では後は私に任せてください)
(ごめんね。ありがとう朱里ちゃん)
 私を信頼してくださっての事だったのかもしれない。ならそれに全力で答えよう。
「あなたは……劉備さん、でしたわね。あなたのおかげで責任の重大な総大将になってしまいましたわ。そのお礼としてシ水関先陣の誉を差し上げます。あなたの所の将は優秀だと聞きますし」
「ええっ!?」
 やはり無茶な事を押し付けられてしまった。
「本初。劉備軍だけじゃ全然足りない」
「なら白蓮さんも偵察ついでに先陣にお立ちなさいな。あなたたちは仲がよろしかったようですし。連携もうまくいくのではなくて?」
「なっ!」
「それでも足りない。歩兵を増やすべき」
 田豊さんの言葉を聞いた袁紹さんは事も無さげにふいと顔を逸らして、公孫賛様にも無理やり先陣を押し付けた。
 巻き込ませてしまったが公孫賛様の軍が参加してくれるのは嬉しい。ここで提案しよう。
「で、では先陣の条件として袁紹軍の勇士と兵糧を私たちの軍に貸していただけないでしょうか。していただければ袁紹軍の名も更に上がることでしょう」
「……数は?」
「一か月半と七千でどうでしょうか」
「却下。話にならない」
 ここからは下げて行くだけ。名門ならば、諸侯達の前で器の大きさがどれくらいか示すのも大切な事だろう。
「では一か月半と六千」
「無理」
「一か月半と五千」
「無駄」
「一か月分と五千」
 田豊さんは中々しぶとい、というより最低限示せる所をしっかりと見極めているのか。
 私達にはこれだけは最低限欲しい。しかしにやりと笑って告げられる。
「無意味」
 この人……そういう事か。公孫賛様を付けて貰った事で弱小である私達の軍はおまけ扱いになった。それを利用して多くを支援して貰わなければ戦えない意気地なしだと諸侯に見せているんだ。弱小であるにも関わらず名が知れ渡っている私達の評価を下げる為に。
 今の私達では後一度引き下がるのが限界。もしやそれすらも見越して彼女は笑ったのか。
「……一か月分と四千で」
「いいですわ。そのくらい懐の深い袁家が出して差し上げましょう。後、将も一人つけてあげますわ。感謝なさい劉備さん。お~っほっほっほ!」
「あ、ありがとうございます」
 袁紹さんが割り込んで、予定よりも少ないが兵と糧食を確保する事が出来た。でも悔しい、あの人はこちらの足元を見て楽しんでいたんだ。だがありがたい事に将も一人つけてくれることでこちらも少しは楽に戦える。後は戦場で足りない分を取り返してみせよう。
 顔を上げると田豊さんが冷たい目で袁紹さんを見ていた。袁紹さんは高笑いをしていて気付いてない。あの瞳は……憎しみだろうか。
「夕!」
 不意に荀彧さんが声を上げると、田豊さんの視線がそちらに移るとバツが悪そうに俯いてしまった。
「?……まあいいですわ。それと作戦ですが、雄々しく、勇ましく、華麗に進撃! これです!」
「「「「「「……」」」」」」
 あまりに曖昧でどうともとる事の出来る作戦とは言い難いモノを袁紹さんが提案して、連合としては初である会議が幕を下ろした。
 本当にこの連合は大丈夫なんだろうか。

 †

「秋斗殿。お久しぶりですな。黒麒麟の噂は幽州にも響いておりました」
「星も健勝そうでなによりだ。昇竜には届かんさ。あ、あとお前も久しぶり」
 白蓮達の陣に着き、兵達のまとめも終わったのか佇んでいる二人を見つけて声を掛けた。
 談笑していた彼女達の雰囲気からは、どこか以前とは違い、信頼の気持ちが強まっているように感じた。
「久しぶりにいらつく顔があると思ったら一言目にお前ですかそうですかまだあなたは素晴らしい白蓮様に仕える私の偉大さがわからないようなので懇切丁寧に教えて差し上げましょうまず朝起きたら白蓮様の掛け布をクンカクンカすることから始まり身を清めて白蓮様に挨拶そして白蓮様と出会えたことに半刻感謝の祈りをささげて「牡丹、静かに、しろ?」ふみゃっ! ごめんなさい!」
 長々と早口で捲し立てる牡丹に対して、星が耳元で何やら囁いて黙らせる。相変わらず騒がしいことだ。しかし遂に星でも黙らせられるようになったのか。
「秋斗殿、いい加減真名で呼んでやってはいかがです?」
「いやだ。こいつが先に呼ばない限り呼んでやらない」
 これはずっと前から継続している彼女との意地の張り合い。
「バカ! 呼べ! 先!」
 牡丹はこちらを睨みつけながら短く三行で怒鳴る。今にも飛びかかってきそうなので星が羽交い絞めにしてくれた。
「ほら、こういうところが憎たらしいからいやだ。こいつのことは嫌いじゃないしおもしろいし、むしろ好きだけど」
 軽くそう言うと怒ったのか顔を真っ赤にして星の腕の中で暴れ出す牡丹。そんな怒るなよ。
「……くっくっ、秋斗殿はいつもそんなだから牡丹も真名で呼べないのですよ」
「何がだ? 痛っ!」
「ばーかばーか!お前なんか馬に踏まれて縮んじまえばいいんです!」
 俺の脚にナイスローキックを喰らわせて星の腕をするりと抜け走り去り、牡丹は遠くでべーっと舌を出した。しかし何故蹴られなきゃならんのだ。
「あははは! やはりあなたがいると楽しい」
「……笑い事じゃないぞ星。凄く痛い」
「それは自業自得でしょう。秋斗殿は乙女心をもっと勉強しなされ。さすれば牡丹などコロリと言う事を聞いてしまうに違いない」
 全然わからん。モテたことがないんだから勉強するも何もないだろう。
 疑問が頭を支配するがどうにか振りきり、そういえばと思い出した事柄を星に尋ねてみる。
「それよりも、星は正式に白蓮のところに仕えたんだってな」
 星は烏丸討伐の後、白蓮に忠誠を立てたらしい。道すがら声を掛けて来た兵の一人が自慢げに教えてくれた。自分は昇竜の部隊になった、と。
「ええ、天下一を目指すのもいいがそれよりもあの方の家を守りたいと思いましてな。退屈はしませんし」
「そりゃあよかった。白蓮一人じゃ心配だからな」
 あいつは強いが寂しがり屋だから。星もそれが分かっているのか喉を小さく鳴らして苦笑し、
「違いない。あなたがいれば尚よかったのですが?」
「すまんが願いの為だ、容赦してくれ」
 ふう、とため息を尽きながら言われた事に少し申し訳ない気持ちになる。
「冗談ですよ。距離は離れていようとも、心は絆された友。そうでしょう?」
「クク、嬉しい事を言ってくれる。この戦が終わればまた酒でも飲みたいもんだ」
「いいですな。そういえば店長は今、曹操殿の所に支店を出したそうで」
 彼女の気遣いと、本心から紡がれたであろう嬉しい言葉に、胸がじんわりと暖かくなった。懐かしくなって酒の話をすると、いつもの宴会の場と関連付けたのか店長の話が飛び出した。
 曹操のとこか。思ったよりも早かったな。
「店の名前は?」
「娘娘ついんて、らしい。給仕が全員髪を二つに括っているとか」
 衝撃の事実を突きつけられて思わず吹き出してしまった。出会って間もない頃に他愛のない会話で教えたモノがそのように生かされたとは思わなくて。
 店長め、いくら自分の店だからって遊び過ぎだろうに。
「おお! 秋斗がいるじゃないか! 私も混ぜろよ!」
 どうやら会議が終わったのか白蓮が戻ってきた。はしゃぐ声は幽州に居た頃とちっとも変わらない。そしてこんな風に話しかけてくる時は友達としての対応を求めている時だけだ。
 ならばと思い立って、
「おかえり白蓮」
「おかえり白蓮殿」
「……なんか懐かしくて泣きそうになった」
 口にすると、彼女はそういいながら本当に瞳を潤ませてしまった。今すぐ泣きだしても不思議ではないほどに。
「相変わらずだなぁ白蓮は」
「ふふ、相変わらず可愛いでしょう?」
「からかうのはやめろよ星! お前はもっと私に敬意をもってだなぁ」
「おや? 今にも涙が落ちそうな方のどこに威厳が?」
「抜かせ、ばか」
 軽口でやり取りを行う彼女達はやはり楽しそうだった。前の戦で二人の仲がさらに深まったんだろう。
「あー、白蓮。すまんが俺も将なんでお前が戻って来たなら桃香達も戻っただろうしこれから自陣で軍議がある」
「そ、そうだな。こちらこそ引き止めてしまってすまない」
「いえいえ、私も楽しい時間が過ごせましたから」
 辛気臭くなりそうだったのでおどけてみせると二人が笑ってくれる。
「あはは、そうだ秋斗。私達と桃香の軍はシ水関で先陣になったぞ」
「前情報ありがとう。よろしく頼む。ではな二人とも。星、牡丹にもよろしく言っといてくれ」
「承知した。また後程。戦場で」
「またな秋斗!」
 そう言って二人から離れ俺は自陣へと戻って行った。白蓮達からはいつかのような喧騒が聞こえる。
 彼女達と言葉を交わした事によってか、戦の前にかなり気が楽になった。

 †

「明、ごめん。あなたを先陣に送ることになってしまった」
 会議が終わり、私の親友である田豊こと夕は帰ってくるなり今にも泣きそうな顔で謝ってきた。
 彼女は、自身で立てた予測の一つである、私が先陣に立つことを止められなかった事を悔やんでいる。
「いいよー。どうせ戦うんだし、劉備軍の人がいるからある程度は安全でしょ。それより夕は一人で大丈夫?」
 出来る限り軽く話して気にしていないと言外に伝える。
 私の事よりも、この子を本初と二人きりにはしたくないという気持ちの方が大きい。
「ん、大丈夫。今回あのクズは城にいるから狙われたりもしない。それに本初の憎悪も受け慣れてる」
「でも――」
「大丈夫。私は軍師の仕事をするだけ。明は戦場で無茶しないで?」
 彼女の心境は話の間中ずっと私への心配のみ。彼女は大切な数人以外はどうでもいい。私と同じ、同類だから。
「あたしなら余裕だよ。でも力を見せ過ぎず上に上がりすぎないようにしないとねー」
 全てから夕を守るために。私の大切なモノは彼女と……今は近くにいないもう一人だけ。
「……顔良と文醜にまた手柄を譲るの? 別に他の諸侯の将くらいなら巻き込んでもいいのに」
「いつも通りだよー。だってあいつらも活躍の機会くらい欲しいでしょ。まあ、この張コウ様は世渡り上手だから問題ないけどねー」
 悲痛な顔を笑顔にしたくておどけてみせた。心配性さんめ。
「夕だけはあたしが守るから安心して、後ろでどっしりと本初の間抜け面眺めてたらいいんだよ」
「ふふふ、それは見るに堪えない」
 自分の、忠誠を欠片も抱いていない主のそんな顔を想像してか、クスクスと笑う仕草があまりに可愛くて、思わず抱きしめてしまう。
「明、苦しい」
 きゅっと抱きしめた身体は小さくて簡単に折れてしまいそう、そのくせ自己主張の激しい胸は柔らかくて気持ちいい。
 温もりは変わらず、私が守りたいモノの存在をしっかりと確かめさせてくれる。
「……今は我慢してね。きっとあの人と一緒に連れ出してみせるから」
「……ありがとう。でもやっぱり無理しないで」
 大丈夫、あなたのためなら頑張れるから――とは言わなくても伝わっている。
 それに、夕の頭脳があれば何も心配はいらない。この子ほど頭がいい人間は未だに出会ったことが無いのだから。
「そういえば桂花がいた」
「あ、やっぱり来てたんだ。元気そうだった?」
 話に出たのはもう一人の大切。夕と私の共通の友達で……昏いモノに気付く前にこの地獄から先に出してあげられた人。
 あの子も強がりだから心配だったんだよね。
「大人の階段昇ったみたい」
「え? ……ああ、そゆこと。曹操軍は百合百合しかったもんねー」
 突然告げられた事実に驚愕し、思考が止まったがなんとか正確に理解できた。桂花が男に身体を許すなんてあるはずが無いのだから。
 今度会ったら三人でお茶会でもしたいな。もう無理だろうけど。
「気にしないでいいのに私に気を使ってた」
「桂花も優しいからね。夕と同じで」
 ホント相変わらずだ。まあ元気そうで何よりか。
「……それより明、男の匂いがする」
「あちゃー。ばれた? 噂の黒麒麟がいたからちょっと絡んでみたんだ」
 どんな嗅覚をしてるんだこの子は。少し擦り寄っただけなのに嗅ぎ取るなんて。
「何もされなかった?」
「全く。あいつは他の男どもと違って信頼出来そうだったよ」
「……そっか。明が言うなら安心。私も会ってみたい」
 珍しい、夕が自分から男と会ってみたいと望むとは。桂花ほどじゃないけど夕も男が嫌いなのに。私は隊のバカ共で慣れてるけどさ。
「じゃああたしらに協力してもらいに話しに行こうか」
「……ん」
 黒麒麟がいるなら劉備軍との連携は結構できそうだ。あの男は多分――

 †

 軍議の議題はシ水関への攻撃について。
「敵将の華雄さんは武に誇りを持った方だと聞きますのでそこを攻めてみようかと」
「挑発を行うということか?」
「はい。ただ乗ってくれるかどうか」
「安い挑発じゃ乗らないんじゃないか?」
 朱里の提案には賛同しかねる。正直、一軍を預かる将がその程度だとは思えない。まさかとは思うが猪じゃあるまいし……と考えたが鈴々を見ると何故か行ける気がしてしまった。
「それにもし引きずり出せたとしても私たちが受け止める事になるんじゃ……」
 不安そうに発言する桃香だったが朱里がビシリと指を立てた。
「大丈夫です。ひと当てしてから中軍に構える袁紹さんに流すつもりですから」
「えぇっ!? 兵糧や追加の兵士さんでかなりお世話になってるのに!?」
「そういうもんだ桃香。こういうのも作戦なんだよ。俺達だけが無理しなくていいんだ」
 世話になったからと言って俺達だけで全てと戦わなくてもいい。使えるモノは親でも使えというわけだ。問題は来る将が乗ってくれるかどうかだが。
「秋斗さんの言う通り、まだ私たちは弱小なので理想のためには耐える時です」
 朱里の言葉に雛里の表情が少し曇る。話を変えないといけないな。
「じゃあ軍の配置はどうする?」
「鈴々は前衛がいいのだ!」
「こら、鈴々。朱里と雛里の配置案を聞いてから意見しろ」
 愛紗、お前は鈴々のお母さんみたいだな、とは言わないでおいた。
「え、えと。私たちは左翼なので配置は左先端に鈴々ちゃん、右に愛紗さんでお願いしたいです。機を見て斜型陣に近い形に移り、後陣に秋斗さんを置いて中軍への流しに対応して貰おうと思います」
 つまり鈴々は前にいればいいだけ。一番激しい場所になるだろうが、中央側では無いからさすがに大丈夫ではあるか。
「一番戦闘が激しく長くなりますが、鈴々ちゃんの部隊は我が軍でも一番突破力に優れているので耐えきる事ができるでしょう」
「ただ、あまり突出しすぎると孤立してしまうので愛紗さんは状況に応じて動いてあげてください」
「任された」
「了解なのだ!」
 愛紗なら鈴々との連携もうまいしいいだろうし問題ない。
「さて、問題は挑発だが……」
「軍議中失礼致します。袁紹軍の軍師の方がお見えです」
「わかりました。お通ししてください」
 袁紹軍の軍師がわざわざ俺達の元へ会いに来るとは何事なのか。いろいろと考えが浮かんでは消えを繰り返していると、
「ちわー。もう軍議始まっちゃってるー?」
 軽い言葉とともに彼女たちは天幕に入ってきた。
「明、まず挨拶。急な訪問申し訳ない。私は袁紹軍軍師田豊。こっちは補充の将の張コウ。今回の先陣で行う事の詳細を聞きにきた」
「劉備軍の皆さん。そんな感じです。よろしくねー」
 底抜けに明るく緩い張コウと物静かでどこか機械的な田豊。二人の温度差が違い過ぎてそのギャップに茫然としてしまう。
 何故か朱里の表情が少し曇っていた。二人が苦手なんだろうか。
「わざわざご足労をかけさせてすみません。朱里ちゃん、説明してくれる?」
「は、はい。桃香様!」

 †

 あらましの説明は聞いた。
 挑発。明の十八番だ。どれだけの人間を怒りの波に溺れさせてきたか。
 人の感情を読み、するりとその隙間に忍び込む。何が一番いらつかせるのか。それを読み取るのが異常に上手い。
 必要な時にしかしないから目立たないけど。
「作戦はわかった。初めは劉備軍だけで挑発してほしい」
「どうしてですか?」
「敵の反応が見たい」
 劉備軍程度の挑発で動いてくれるなら万々歳だ。どうやら私の少ない言葉で諸葛亮は気付いたみたいだった。
「わかりました。では二、三日私達だけで行います」
「ん。多分成功する。明がいるし敵将が華雄だから」
 劉備軍の将の面々が疑問そうな顔をしているが何故か、とは諸葛亮に聞けばいい。明の事以外は彼女の頭で予測が出来ただろうから。
 この軍の情報は入ってる。
 頭は二つ、手が三つ。そこに劉備という思想がいる。私と明からしたら偽善の集団。
 ただの他人にそこまでする価値はないはずなのに。大事な範囲だけ守り続けたら自分の平和は訪れるのに。
 私にはよくわからない。劉備が、劉備に妄信する人たちが。
 けど……もっとよくわからないのがこの男。
 黒麒麟徐晃。妄信者だと思ったら明が懐いた。それはまさしく異常な事。
 だからこそ興味が湧いた。もっとしっかりと自分で確かめたいけど今は軍議を――
「一つ言っておく。中軍に私達が構えたのは手柄の横取りのため。だからあなたたちの作戦は私達にも有益」
 言いきる。別に隠す事でもない。そのつもりで諸侯は集まったのだから。
 警戒する関羽、驚く劉備、不機嫌になる張飛、一瞬驚きこちらの意図を考える軍師二人、徐晃は……私じゃなく周りを観察してる。何故?
「足並みを揃えるために言っただけ。互いの利益はわかっているはず」
 これで安心。ぬるま湯に浸かったままでも思考は縛れたはず。もう観察する事はない。徐晃以外はどんな人物かわかった。
「そんな……利益がどうとかで戦うんですか。犠牲を減らすためじゃなく」
 劉備が綺麗事を話し出した。それを聞いてか明がいらついてるのが背後からの気配で伝わってくる。
「あなたたちは犠牲が減る。私たちは犠牲の分手柄が手に入る。それだけ」
「それ……だけ……?」
 何も言わないように明を目で制しておく。でも、視界の端に映ったが徐晃はどうしてかすかに笑ったんだろう。
「申し訳ないけどここまで。軍議中にありがとう。私たちにも仕事が残ってる」
 そう言って立ち上がると
「ま、待って下さい!あなたたちは民のために立ち上がったんじゃ……」
 劉備が問いかけてくるが私は何も言わない。しかし明はにんまりと意地の悪い笑みを浮かべて口を開いた。それはあなたにとっては意地悪だろうけどいらぬおせっかいというやつだ。
「劉備さん。あたしも仕事あるんで一言だけ。『現実を見てね』そんじゃ」
 そして二人で天幕を後にした。私も少し意地悪してしまったからいいか。

 †

 二人が出て行った後の天幕を沈黙が支配していた。
 雛里は桃香に何か言いたそうだったが首を振ってやめておけと暗に伝える。
「すまないが少し外の空気を吸ってくる」
 俺は一言呟いて天幕を出た。夕方の風が頬を撫でて心地いい。
 桃香がこれから言うであろう答えなんか分かりきっている。

 あの人たちは間違ってる。

 そう、言うんだろう。だが全員に楔は入った。ああいう人間と直接会話できたのは大きい。この戦いの後が期待できそうだ。
 しかしあの二人。よくわからなくなったな。
「ん。やっぱり出てきた」
 不意に横から声をかけられた。その方を見ると田豊がゆっくりと歩いて近づいて来ていた。
「田豊……殿」
「いい。普通に話して」
 お言葉に甘えるとしよう。警戒をといてなるべく自然な様で彼女に話しかける。
「ありがとう。何故ここに? 張コウ殿は……」
 すっと腕を上げて無言で指を差す先には張コウの後姿。一定のリズムでかかとを片方の靴に軽く打ち付けているのは暇つぶしなんだろうか。
「私はあなたに聞きたい。あなたはどうして劉備軍にいる」
 じっと俺のことを見やる瞳は俺に全てを話せと言った日の曹操を思わせた。少し観察されただけでこちらのことが看破されたのか。
「……俺はここですることがあるんでね」
「……」
 誤魔化し、ぼかし、曖昧と誰にでも分かるように言うと彼女は思考に潜っているのか瞳の色が深まっていった。
「……あなたは私たちとほとんど同じ。だけどちょっと違う」
 小さく、囁くように紡いだ言葉の意味するモノは、はっきりとは分からなかったが興味を引かれた。
「聞かせてくれ」
「あなたは自分のためだけど自分のためじゃない」
 何が、とは聞かなくてももう分かった。そうか、俺に足りないのはそこだな。俺自身の戦う意味や理由。俺だけの願いはなんだろう。
 借り物でしかない俺では無く、作られた徐公明のすべきことでは無く、秋斗という人間が本当にしたい事はなんなのだろうか。
「……感謝するよ。俺は自分の理解が足りてなかったようだ」
「ん、いい。私はあなたが少し理解できた。全部じゃないのが不満」
「クク、人の全部など誰にもわかりゃしないさ」
 そう言って頭を撫でておくと、
「……」
 不思議そうに無言でこちらを見上げてくる。くりくりした瞳はどこか小動物を思わせて、そういえばうちの軍にも二人同じのが居たなと思い出す。しかし可愛いなぁ。
「可愛いなぁ」
 驚愕。既に真横に来ていた張コウがニコニコしながら呟いた。いつの間にこんなところまで近づいて来たんだ。
「夕って凄く可愛いでしょ? でもダメー。この子はあたしが撫でるんだから」
 手を大きく振り上げてバッテンを作り、その後に強引に手を降ろされ、何食わぬ顔で田豊の頭を楽しそうに撫でだした。
「張コウ」
 お前も何か用があるのか、と続ける前に、
「明でいいよ。夕が安心してるって事は似た者同士なんでしょ、あたしたち。なら真名で呼んでほしいな」
「私も夕でいい」
 遮られ、黙って撫でられていた田豊と共に真名を預けて来た。この子達独特の価値観があるんだろうか。
「……俺は秋斗。似てるけど違うだろうよ。俺は卑怯者なんでね」
「そういうことにしといてあげる」
 にやにやと笑いながら明が言うが、その表情はどうせ本心じゃないくせに、と伝えていた。
「んじゃああたしたちの目的達成したし、そろそろ帰るよ。またね秋兄」
「ん。じゃあね、秋兄」
「ああ。またな」
 勝手に真名での呼び方も決めてしまいさっさと歩いて行ってしまった。ずっと自分たちのペースを貫いた二人だったな。
 それにしても自分のため、か。考えたこともなかったな。
 そろそろ天幕に戻っても言い頃合いか。戻ろう。軍議の続きを行いに。



「あ、秋斗さん! おかえりなさい。私決めたんだ!」
 秋斗さんが天幕に入ってくるのを確認して、桃香様が決意に燃える瞳で彼に語る。
「あの人たちの考え方は間違ってる! 命は損得勘定していいものじゃないと思うの」
「……なら作戦を変えるか?」
 桃香様の理屈ならばそうなる。でも変えられない。
「……変えられないよ。悲しいけど。だって連合軍全体の被害は抑えられるんでしょ? じゃあそうするのが最善だと思う」
 結果を見ればそうだ。連合全体の被害は、私達の囮があるからこそ抑えられるのだから。
「ならせめて……いつかあの人達の哀しい考え方を変えてみせる!」
 桃香様は勘違いをしている。秋斗さんが何も分かっていないと思ってるんだ。
「ははは、桃香らしいな」
 秋斗さんはあの人達がどういう人かもわかってるのに。桃香様の答えもわかってたんだろう。だから動じない。対して皆は桃香様の考えに感嘆している。
 私はどうか。
 確かに素晴らしい考えだ。とても尊いものだろう。けど王としての考えではない。人の考えを否定するだけじゃだめなのに。
 自分だけが正しいわけじゃないんだ。人は皆同じじゃないし同じになれない。
 思想の押し付けは人の拒絶と変わらない。王なら余計それを理解してそういう人もいるんだと飲み込むべきなんだ。
 心の領域を守るのも大事。
 それに確かに命の取捨選択はひどいことだけど自分もそれをしていると自覚しなければならない。
 そうしたら考え方を変えるなんて発想は出てこなかったはず。
 これから気付いてくれるんだろうか。
「どうしたの雛里ちゃん?」
「なんでもないよ朱里ちゃん」
 不思議そうな顔で私を見つめる朱里ちゃんに嘘をつき、チクリと胸が痛む。
 ごめんね朱里ちゃん。
 親友だからこそ自分で気付いてほしい。
 この戦が終わったなら、皆が気付いてくれると信じてる。
 私はもう後戻りできない。
 でも、それでも進まないと何も変わらない。

 そうこうしている内に軍議が終わり、それぞれ与えられた天幕にて休息を取った。始まる戦に備えてそれぞれの夜は更けて行った。

 

 

彼は一人怨嗟を受ける

「劉備軍の挑発作戦はうまくいっていないようね」
 もうすでに三日目。劉備軍は毎日挑発を続けているが、未だ敵軍は関から動く様子も無く効果は表れていない。
「桂花はこの策、どう見る?」
 こちらを見ることもせずに自身の主から問いかけられ、こほんと一つ咳払いをして自分の思考を主に語る。
「守将が華雄一人の場合であったならある程度は有効だったと思われますが張遼もいる中で、となると厳しいかと。ただ――」
 言葉を区切ると、華琳様がちらと横目で私を見やり、さらに目を細めて先を促す。
「この策に張コウが絡んで来ますと成功の確率は格段に上がる事でしょう」
 あの子がいるなら話は別。私の親友の一人である明がいるのならば。
「張コウはあなたの友とは聞いたけれど、どのような人物なのかしら?」
「彼女は人の感情の機微に聡く、それを利用するのが上手いです。また人の目など意にも介しません。彼女にあるのは自分の目的のみです」
「その目的は……そうね、あなたが話したくなったら私に話しなさい」
 すみません華琳様。ここからはまだ言えないのです。私に……あの子と戦う覚悟が足りないから。
「申し訳ありません。」
「謝る必要はない。あなたは私の軍師。そうでしょう?」
 皆まで言わなくても分かるだろうと言外に伝えられる。
 そうすることで私をも労わってくださる。かつて私を助け出してくれた友達がくれた恩を踏み倒す覚悟が無い私は、まだ華琳様に甘えてしまっている。
 今の大陸の現状を理解し、袁家の状態と内部の情報を知り、そしてあの子を直接見たら……心が痛み、後悔の念が湧き出てしまっている。
 これを乗り越えろ、と華琳様は言っているのだ。自分で成長して軍師として並び立て、と。
「ありがとうございます」
 大丈夫、すぐに乗り越えてみせる。
 夕、それに明。私はこの方に付いていく。この厳しくも優しい本物の覇王に。

 †

「バカな奴らだ。いつまでも同じ事を繰り返しおって。私がそんな安い挑発に乗るか」
 砦の前に並び、口々に罵声の言葉を投げかけている将や兵を見下しながら、三日も同じ手を使い続ける敵に呆れが口を突いて出た。ただ、私がここまで冷静にいられるのは張遼が共にいてくれるのも大きいかもしれない。
「にしし、目にモノ見せてくれる! とか言うかと思てたんやけどなぁ」
 張遼はからかうようにこちらを見て、肩をぽんと一つ叩いてから言った。お前はたまに失礼なやつだな。
「あのお方を守るためだと出陣前に賈駆にも言われただろう? それならば私がいくら罵られようと知ったことではない」
 洛陽の都を出る時に我が軍の軍師から口を酸っぱくして懇々と諭された事を思い出し、そして儚げに微笑んで優しく見送ってくれた主の姿が目に浮かんだ。
 私はあのお方に出会って変われたのだ。以前の私なら、一日目ですでに飛び出していたことだろう。
「あんたはホンマええ将になったなぁ。こりゃあうちも負けてられへんな」
「ついで扱いでお前も罵られているというのに笑い飛ばす奴が良く言う」
 めったに私を褒めなかった張遼が突然褒めた事に驚いたが、それならばとこちらも褒め返す。
 張遼は共に仕事をする度に思うが本当に頼りになる奴だ。今回の挑発に対しても初めの頃に兵達がいきり立ち始めた時、私が口下手で伝えきれない事柄をうまく説明して落ち着かせてくれた。
 そのように自分には無い彼女のいい所に感心していたが、
「華雄に褒められるとか……気色悪いんやけど」
 まさにドン引き、といった身振りをして数歩私から遠のいた。
「貴様! 人が下手にでればぁ~!」
「あはは、なんでうちには怒るんや! けったいなやっちゃなぁ!」
 さすがに頭に血が上ったので怒鳴るとからからと笑いながら私を宥めてきた。戦から帰ったら覚えておけよ?
 苛立ちをそのままに張遼を睨みつけていると戦場を見ていた兵士が私達に声を掛ける。
「将軍! 敵兵、いつもと異なる動きあり! 陣中央から別の部隊が突出してきます!」
 声を聞いてすぐに城壁から少し身を乗り出して下を見ると、敵の中央から赤い髪を風に揺らす女に率いられたが近付いてくるのが確認できた。
「なんやあれ? 袁紹軍の将かいな」
「袁紹の? あの色は袁紹軍のモノなのか」
 混成軍という事もあり様々な鎧の色があったが、今日は緑の中に金色が少し混じっていた。やっとまともに攻城戦をする気になったのかもしれない。
 ある程度近づき、部隊最前から一人にやにやと薄ら笑いを浮かべてこちらを見上げる将は、目線を動かし何かを探しているように見えた。
 私と目が合うと一層に笑みを深めたが、目を少し瞑ってから真顔になり語りだした。
「華雄将軍。私は袁紹軍が将、張コウ。あなたのその武名、大陸に広く届いている。将軍が何故こんな所で縮こまっているのか私にはわかりかねる。あなたほどの方が何故正々堂々と戦えないのか。あなたが出て来たなら私たちの軍など粉微塵にしてしまえるはず」
 張コウと名乗った将の言葉にさすがの私も面喰う。何故あいつは私を褒めているのか。
「挑発する気あるんかいな。あれ」
 張遼は訝しげに張コウを見つめ、呆れの言葉をため息と共に零した。
 尚も張コウは続けようと口を開いたが……急に様子が変わる。
「そのため……あー、固っ苦しい! 華雄ちゃん。ご主人様に尻尾を振る華雄ちゃんはこの関で待てをかけられたんだねー。かわいそうにー、あはは!」
「なっ!」
 口調が砕け、先程までの凛とした声は見る影も無くなり、甘ったるい悪戯好きな少女の声でへらへらと笑いながら語り始めた。
「ごたごたの末に国を盗んで、権力を笠に着てやりたい放題やってるご主人様のいう事を聞いて、立派に関を守ってるんだ。偉いよね、忠犬華雄。ご主人様が悪者だとも知らずにさー」
 次は泣き真似をしながら張コウは言った。しかしどの口が言うのか……袁家の者なら分かっているはずだろう。
「落ち着け、華雄」
 ふいに張遼に手で制される。掌に若干の痛みを感じたので見ると、私の握りしめた拳から血が滴っていた。
「間違ってないならあたしに反論できるはずだよねー。それもできないなんて結局はご主人様が悪いって気付いてるんじゃないのー? あ、そっかぁ! それでも愛してほしいから見ない振りをしてるんだね! 犬の鏡だ! 素っ晴らしい!」
 ころころと表情を変え、しかし口角を吊り上げて心底楽しそうな様子。こんな下卑た奴が月様をバカにするか。
「それにしても董卓は卑怯者だね。後ろに隠れて自分ではなーんにもしない。民を助けることもせず、兵を助けることもせず、聞くだけ見てるだけ。いや臆病者か。ここに来てないってことは袁紹様と言葉を交わす勇気もなかったんでしょ? 自分が悪いから責められるのが怖かったんだ。うっわぁ、やっぱり臆病者もついちゃったー!」
 張コウはそのまま身体を丸めてげらげらと笑いだした。
 ここまでバカにするのか……何故あの優しい方の誇りが傷つけられなければならないのだ。
 私が言い返したいのを未だ我慢していると、笑いを堪えながら身体を起こし、大きく息をついてから再度語り出した。
「はぁー……おもしろ。袁紹様が会ったこともないのがいい証拠。結局は他人を利用して、隠れてうまい汁だけ吸って生きていくしかしないクズじゃん。いいんだよ、そんな主に仕えなくても。ねえ、華雄ちゃん」
 にやりと笑って告げられた言葉に私の堪忍袋の緒は遂に切れてしまった。
「貴様、言わせておけばぁ!」
「あれ? 人の言葉話せたんだ。ご主人様の悪いところを指摘されて必死の弁解? それとも間違いに気付いた?」
「董卓様はそんな方ではない!」
「今更必死に弁解しようとしても同じだよ。どうせ皆気付いちゃってるんだからさ。なんならあたしたちを倒して自分たちの間違った正義を証明してみたら? ほら、わざわざ倒しやすいように部隊も近づけてあげるから。それにちょっとだけ待ってあげるよ」
 侮辱の言葉が返って来て、張コウの部隊はゆっくりと関の手前まで近づいて来た。しかも部隊の兵ですら私たちが出てこないと高を括っているのか先程の張コウの言葉に笑いあっていた。
「張遼」
「我慢せい」
「無理だ」
「それでもや」
 隣に佇む同僚の方すら目を向けずに言うと、全て言い切る前に悉く否定された。もはや私は自身を抑える事が出来ない。
「月様をあれだけ侮辱されて……黙っていろというのか!」
「あれが挑発やってわかるやろうが! うちかて腸煮えくりかえっとるわ!」
 普段の飄々とした態度もなく、そこにいるのは必死で自分を抑えている将の姿。
「……すまん張遼。私は出るぞ」
「あかん。ここで出たらうちらが不利になる」
「なら誰が月様の誇りを守るのだ! 勝った後で弁解するのか!? あの方の想いが万人に伝わるのを待つのか!? 今ここで守らなければ意味がないだろうが!」
 言い放つと張遼は悲痛な面持ちをして俯いてしまった。それでも、きっとこいつは止めてくるだろうから構わず続ける。
「ここで月様の誇りを守らなければ私たちは勝っても勝ちきれない! なぁ、張遼! あの方が貶められて、それを見過ごして、何が臣か!」
「せやけど負けてしもたら月さえ守れへん!」
「だからお前がいる!」
 私の言葉を聞いた張遼が息を飲み、心底驚いた顔をした。張遼は頭が悪くないから、きっと私の言っている事の全てを理解しただろう。
「お前は虎牢関に引け。私は月様の誇りを守る、お前と呂布は月様自体を守る」
 そうすればいい。こいつが虎牢関にいればいいんだ。呂布と張遼がいればまだいけるだろう。
「華雄、お前――」
「皆まで言うな。これは私のわがままだ」
 そうだ、我が兵達をも犠牲にすることになる。私の為にいつも命を賭けてくれるバカ共を道連れにしてまで私の忠義を貫き通したいというわがままだ。
「私はバカなんだ。わかってくれ」
 私の瞳を見て心を感じ取ってくれたのか張遼は少し微笑み普段の調子に戻った。
「はは、華雄はホンマにバカやなぁ」
 すまない張遼、素直に言えずに心の中で謝るが、
「まあ、こんなバカほっとけへんうちも大馬鹿もんや」
 続けられた言葉に一寸思考が止まる。
「おい、張遼――」
「黙って聞き、うちらがすることは下策や。ただ確かに譲れへんもんの為に戦わなあかん時もある。打って出るで」
 お前まで戦うのは……ダメだ。そう言おうとしてもビシリと人差し指を私の顔の前に立てられ、口を閉じるしかなかった。
「ただし! あのクソ女ぁぶちのめしたらさっさと虎牢関に一緒に引き上げる。倒しきれんと旗色悪くなっても一緒や。追撃に対する殿はうち。うちの二つ名、知っとるやろ?」
「……すまん。もし私に何かあったらお前は一人ででも虎牢関に引いてくれ。それと、ありがとう張遼」
 張遼まで巻き込んでしまった事に後悔の念が湧いたが、同時に自分のわがままに付き合ってくれる友に感謝と歓喜の想いも溢れる。
 もし、万が一私が取り残された時はお前だけでも生きてくれ。戦場では何が起こるか分からないのだから。
「わかった。その時はほってでも引くで。後で恨むなや。しかし華雄、水臭いわぁ。全部守って洛陽で美味い酒おごってくれたらええねん」
「約束しよう。どんな店でも連れていってやる」
 そう言ってにやりと笑ってみる。張遼もにへらと笑い返す。
「おっしゃ、ほな行くで。うちらの怒り、全部ぶつけたろやないか」
「おう! 華雄隊! 出撃準備をしろ! 私たち董卓軍を相手にすることの恐怖、刻み込んでやれ!」
 言い切ると兵達から怒号があがる。この言葉を待っていたと言わんばかりに。
「張遼隊! 半数だけ華雄隊の援護を主に戦え! 残り半分は関で待機! 出る奴らはいつも通りうちについてこい!」
 本当に頼りになる。ありがとう張遼。
 待っていろ張コウ、貴様だけは私が血祭りにあげてやる。
 大きな覚悟と怒りを胸に、私達は誇りを守る戦いに身を投じに向かった。



 出てくるか。
 関が慌ただしい雰囲気に包まれ、怒りの気が溢れているようだった。
「朱里、お前の読み通りか?」
「読み通りです。公孫賛様の軍なら張遼さんの部隊に対応できるでしょう。伝令はすでに出しました」
「俺はどうすればいい?」
「秋斗さんは張コウさんが引いてきた部隊をある程度で切ってください。逆側から星さんの部隊が同じ事をしてくれますから交差し向かいの軍と合流後、秋斗さんは中軍側、星さんは関側の兵に対応をお願いします」
「張遼が華雄の救出に突撃してきたら?」
「そのための星さんと愛紗さんです」
 張遼対策も万全というわけか。抜け目がないことで。
 俺達の軍での挑発は将にのみ。兵達の怒りを溜めさせるため。ここで出てくるとすれば華雄のみだったろう。
 所詮は弱小軍の戯言よと少し冷静さを取り戻したところで事を起こした張本人である袁紹軍からの挑発。
 弱くなった火に油をぶち込んだ。再燃した怒りは燃え広がり伝播する。大きさをまざまざと見せつけられ、兵達も抑えきれなくなる。
 極めつけは董卓へのあの罵倒。忠義の厚い将は耐えられるものではない。
 この小さな軍師は人の心も、戦場がどうなるかも全て予測しているのだろうか。
「さすがは朱里、味方でよかった」
 言いながら、先程から小刻みに震えている朱里の頭を撫でる。緊張と恐怖が少しでも和らぐように。
「はわわ! い、戦中に何を……」
「震えてるぞ。子犬みたいで可愛いけどな。お前たちは安心して指示を出してくれ。戦い守るのは……俺たちの仕事だ」
「……は、はい」
「頼りにしている、軍師様。じゃあ行ってくる」
 朱里がいってらっしゃいと言うと同時に関の門が開きはじめた。
 ここからは殺し合い。俺達クズの仕事場だ。



 うまく乗ってくれたみたい。夕の言では張遼も出てくるだろうとのこと。
「相手は賊軍、ただしとびっきりの上モノだ! 気合いれてかかりな!」
 さあ、劉備軍と公孫賛軍はうまく合わせてくれるか。
 戦端は開かれ、猛り狂った兵たちの声、肉と金属のぶつかる音がそこかしこで聞こえ始める。一応新兵ではないがあまり耐えられるものじゃないだろう。
 真っ先に戦場の合間を抜けて突撃してきた敵兵が一人見え、近づいて来たその首を自分の武器である大鎌の一振りで斬り飛ばし、
「はは、残念。無様だねー」
 笑いながら吹き出す鮮血を身体に浴びないように首の無い死体を蹴り倒す。
 死体が地に倒れた瞬間、自軍の兵が空を飛ぶのが見え、自分の部隊が分かれて道を作った。
「張コウ~~~!」
 なかなか速いじゃんか。しかもそこそこ強いのか。
「さっすが忠犬! 速い速い!」
「貴様だけは私が殺す!」
 怖いなぁ。そんな怒らなくていいじゃん。あたしが怒らせたんだけどさ。
「ばーか。やってみな、雑魚が」
 接近同時の単純な戦斧での大振り、予測していたモノより速いが軽く避けきる事が出来た。ちょっと痛めつけないと文醜には荷が重いかな。
 斧が振り切られた場所の地面が爆ぜ、鈍い音を轟かせて土が飛び散った。
 眼前に迫る土くれを鎌の一振りで払いのけ、返しの刃で反撃に移る――だが斧を素早く引きつけながらの振り上げで軽くいなされた。この女、意外とめんどくさい。
「貴様には誇りがないのか!」
「んなもんない……よ!」
 戦ってる時に喋るなようざったい、と思いながらも口には出さず、返答と同時に巻き込むように鎌を大振りする。
 しかしそれも弾かれ、反発する力に腕がギシリと軋む。華雄はすっと目を細めて斧を掲げ、
「そうか! ならばただ首を置いていけ!」
 さっきまでとは段違いな速さでの一撃を放ってきた。
「ぐっ!」
 あまりの速度変化に回避が間に合わず、馬鹿力の一撃を受けてしまった。地を蹴って少しでも衝撃を受け流すと自然と距離が開く。
 前言撤回だ、文醜だけじゃ勝てない。本気で戦ってもいいがあたしがここで縛られ続けるのも厳しい。
 もうちょっと時間かけたかったけどまあいっか。とりあえず作戦通りに。
「あーあ。あんたなんかに構ってらんないや。んじゃね。張コウ隊引けー!」
 出来るだけ弱く見せての撤退。こちらは本気で崩れ始めてるから相手は罠にかかる。
 引き始めると両軍が助けるように押し返して、さらには敵軍に矢が放たれ追撃が鈍った。
「逃げるな張コウ!」
「やだ、逃げる」
 華雄の怒号に対して振り返りながら舌をだして最後の挑発をしておいた。
 追ってこい。隊をつれて、他を蹴散らして。夕、時機は任せるよ。



 鍛え上げたはずの精兵たちでさえ振りなどでは無く実力で圧されていた。これが賊相手ではない兵同士による戦か。
「怖気づくな! 我らは寡兵なれど鍛え抜かれた精兵!」
 言い放って最前へと飛び出し、挙って私に向かい来た敵兵を偃月刀の横なぎで一息に斬り飛ばす。
「見よ! 所詮は賊兵! なんのことはあらん! 正義は我らにあり!」
 そのまま奮い立たせるために先頭に立つことにし、戦いはじめてすぐに後ろの兵達から雄叫びが上がり、士気が上昇したのが分かった。
 これでしばらくは持たせる事が出来るだろう。
 張コウはうまくやってくれた。しかしあの挑発には嫌悪しか浮かばない。
 いくら挑発とはいえ人の主を楽しみながら平然と貶めるなど……これではこちらは下卑た賊と同じに見られるのではないか。私たちは民のために立ち上がったというのに。
 戦端を開いた将の事を不快に思いながらも考えていると、敵後方から紺碧の張の旗が公孫賛軍に突撃していくのが見えた。
 あちらの軍は異民族との戦を長く経験してきた真の精兵、騎馬の扱いに長けている張遼が抑えるのは当たり前か。
 怒りで門を開けたにしては冷静だ。さすがは神速の張遼か。
 両軍は今、傾いている。張コウ隊を中心にして。さらに徐々に後ろに下がっていたためもうすぐその先端は袁紹軍に付きそうなほど。
 張遼隊の突撃接触と同時にこちらも公孫賛軍も一気に押し返し、その後そのまま鈴々の隊と並ぶまで戦場を維持し続けなければいけない。
 合流後、徐々に下がり、張コウか秋斗殿が華雄を討ち取る。間に合わなければ袁紹軍になだれ込み押し付けるという朱里と雛里の策、信じている。
「最前、引けっ!」
 号令後、すぐさま自分の隊の兵による急な後退で、敵は反応が追いつかず両軍の間に空白が出来た。
「槍部隊、突撃! 前方一面押し返せっ! 右翼は突撃兵をいなして流せ! 後陣には徐晃隊がいる、恐れるな!」
 槍を構えた兵達が後退を行う兵の隙間を縫って突撃し敵兵を押し返し始める。このまま続けさせて最右翼は私が行き、押し上げてみせる。そして――



 愛紗の隊は押し上げながらの後退に徐々に成功していた。公孫賛軍の方を見ると――さすがは白蓮、張遼の部隊相手に押し返していた。
 挟み込むように敵を押し込む俺の隊に忙しく指示を出している中、明と先程一瞬だけ目線が交差した。記憶に残っている緩い顔では無く、厳しい表情と真剣な目は何を伝えようとしていたのか。
 そういえば朱里も恐ろしかったが田豊、夕も大概だ。明の兵に随時補充を送り、挙句の果てに本陣を押し上げている。混戦のごたごたで華雄を討ち取らせるつもりなのだろう。
 隊に指示を出し戦場を見回していると、華雄とその親衛隊が駆け抜けて行く姿を捉えた。少し華雄の周りの士気が高すぎるな。
「朱里の伝令はまだか」
 横合いを突撃する指示を今か今かと焦れる心を抑え付けてただ待っていた。
 今は華雄の兵を少しでも減らすべきか、とも思ったが独断は徐晃隊をも巻き込む事になるため他に何か出来る事は無いかと別の思考に潜り、少しして一つの名案が浮かんだ。
 それを伝える為、後ろに控える義勇軍時代から追随してきている男を呼ぶ。
「副長」
「はっ」
「練兵の時の突撃の合図は全員染みついているな?」
「あの地獄の突撃練習は恐怖とともに我が隊には刻み込まれております」
「ならいい」
 徐晃隊を組むにあたって行った一つの訓練、それが全ての兵に染みついているのなら使える小細工だ。
「徐晃隊什長全てに伝えろ、対岸と合流と共に『鳴らす』から耳を澄ませ、とな」
「御意」
 対して期待はしていないが攪乱くらいにはなるだろう。味方でさえ惑わす可能性があるので星にだけは伝えなければならないか。
 少し考えに耽っていると朱里の隊から旗を振った合図が届いた。振り返り、自身の隊に大声で指示を放つ。
「徐晃隊、此れより敵横合いに突撃を行う! 真横から敵を食い破れ! いつも通りだ、俺に続けぇ!」
 言うが早く先頭をきって敵軍目掛けて全力で食い込む。流されるままだった敵達の抵抗は激しくはなかったのでそのまま徐晃隊を後ろに貫いていった。
 華雄さえ分断してしまえばこちらの策は一段階成功。
「押し広げろ! 半分までくれば趙雲の部隊が助けてくれる!」
 ただ前の敵をなぎ倒していく。兵達は左右に少しずつ押し広げていくが敵兵もやっとこちらの狙いに気付いたのか一気に抵抗が上がった。
 練度の高い兵ばかりだ。賊とは明らかに違う。だがいきなりの突撃に敵は混乱もしているようだ。
 抵抗に耐えそのまましばらく敵部隊を切り開き続けると視界の端に純白の趙旗が見えた。
 予想よりも早い、星の突破力は公孫軍でさらに磨かれたか。
「秋斗殿、お久しぶりですなぁ」
 突如、一羽の蝶がひらりと舞い降り、返り血に汚れた顔で笑いながら言った。戦場に似合っているようで似つかわしくない妖艶なその姿はただ美しかった。
 見惚れそうな頭を振り切り、隊に突撃を続けるよう指示して少し立ち止まり口を開く。
「星、少ししたらこちらで合図をする。その時は振り向かず全力で逆側を押し込み続けろ」
 一瞬不思議な顔をしたがすぐに公孫賛軍の士官に伝えてくれた。
「戦場でいたずらですかな?」
「そんなところだ」
「では楽しみにしておりますよ」
 他愛ない、戦場でするモノではないいつものようなやり取りを交わし、俺達はそれぞれが敵軍を切り裂いていった。



 部隊を引き連れ、突撃を続けているといつのまにか中軍に位置していたはずの袁紹軍が上がってきていた。劉備軍を犠牲に乱戦に持ち込むつもりか。
「将軍! 後方、分断されはじめています!」
「なんだと!? くそ、もう少しだったと言うのに!」
 張コウの隊はじりじりと減らしたが周りからの援護のせいで奴まで辿り着けなかった。このまま囲まれるのはまずい。
「仕方ない。張コウは諦めるか。張遼との約束もあるからな。全軍反転! 囲まれる前に引けぇっ! 殿は私と共に耐えろ!」
 こうなるとせめて少しでも隊の被害は抑えておかねばならない。くそ、連合のくせにここまで連携が出来るのか。
 舌打ちをしながら向かい来る敵を屠り、徐々に下がり始めることが出来そうだと考えたその時、戦場にはあまりに不釣り合いな音が鳴り響いた。



 公孫賛の軍がここまで精強だとは思わなかった。これは自分の失敗だ。
 気を取られ過ぎて華雄隊が分断され始めているのに気付けなかった。いや、うまく意識から逸らされていた。公孫賛と関靖の阿吽の連携はそれほどまでに脅威だったのだから。
 やっとこちらの一番部隊を引き連れて抜ける事が出来たので華雄の突撃していった中央に駆けて行く。
 道を穿てばまだ間に合う。華雄も気付いているだろう。
 思考していると軌道上に兵が飛んで来るのが見え、反射的に偃月刀の一振りで吹き飛ばしてしまった。
「……お前、邪魔すんなや」
 飛んできた方を見やると立ち塞がるは後ろで括った長い黒髪を風に棚引かせる一人の美女。
「我が名は関雲長。張遼、ここは通さん」
 名乗りを聞いて目を見開く。何故関羽がここにいるのか。右翼側の足止めのために精強な兵を集中していたので来れないと思っていたのに。
 関羽から溢れ出る闘気に身体が疼き、強者を求める武の血が騒ぐ。しかし今は構っている暇がない。
「一騎打ちしたいとこやけどなぁ。愛すべきバカ助けやなあかんねん。どけやぁ!」
 騎乗からの最速の一撃を放ち、受け止めた関羽を勢いのまま弾き飛ばす。しかし圧し下がっては行ったが倒れることは無かった。これが軍神か。自分の体が歓喜に打ち震えるのが分かった。
 関羽はこちらに睨みを聞かせながら口を開いた。
「私にも引けない理由がある。後ろには、傷つけてはいけない主もいるからな」
「ええなぁ、関羽。最っ高や! ほんならうちは通さんでええ。兵は……別やけどな!」
 手を挙げ一番隊に合図すると同時に周りの兵が騎馬で突撃を行う。華雄救出の道を作るために。
「なっ! 将を置き去りにするのか!?」
 兵に斬りかかりかけた関羽に自分が向かい、振り下ろされた偃月刀にこちらも振り上げで対処を行う。
「あんたは黙ってうちと楽しもうや! お前ら! 華雄助けて来い! それまでにこいつ倒して楽な道作っといたる!」
 まだ全体の戦況は五分五分、ならやりきって逃げるのみ。これは自分の部隊を信頼してこその行動だ。
 気合を一つ入れ、軍神と呼ばれる美女と無言で相対し、お互いに斬りかかろうとしたその時――――戦場に甲高い音が響いたのが聴こえた。



 特製の笛の音が戦場に鳴り響くと同時に最前列が敵に槍を突きだす。
 音の方に一瞬気を取られた兵から突き殺される。
 もう一度鳴らすと最前の兵は皆が同じ動きで下がりながら道を開ける。
 後方に構えていた次列の兵が間を縫って突撃し戸惑っている敵に止めを刺す。
 もう一度、さらにもう一度と同じ動作を機械的に繰り返し続ける。
 参列による一定面への波状突撃。
 統率のとれたその動きにより敵は徐々に後ろに流されていく。
 徐晃隊の訓練では倒れるまで繰り返させた。身体に染みつかせるために。
 そして倒れても繰り返した。反撃を喰らって誰か倒れても同じ動きが出来るようにと。
 命令伝達の簡略化、行動の単純化。
 戦場では声が完全に届くとは限らない。
 ならば聞きなれた、戦場で鳴るはずのない音に反応させればいい。本来は訓練での統率の為にしか使うつもりは無かったが、思いついたまましてみたら上手く行ったようだ。
 しかし今回は範囲が狭いからこそできるだけだ。広かったなら音が届かず動きに乱れが生じてしまう。
 幾分か続けると相手が圧されて趙雲隊との間に大きな空間が出来た。これで張遼隊が突撃してきても対応しやすくなっただろう。
 そのまま合図を繰り返していると一人の敵が突出してくるのが視界に映り、普通の突撃の合図を一つ、長く鳴らした。
「そのまま押し込み続けろ! 中央、道を開けろ! 華雄が来た! 俺が行く!」



 なんなのだあれは。
 我が兵が簡単に押し込まれている。一部の乱れもない完璧な攻撃によって。
 この音を出しているのはあいつか。あれを止めねばこのまま流されてやられてしまう。
「私が奴を倒し血路を開く! 全軍、修羅になりて周りの敵を蹴散らせぇ!」
 言うが早く駆けると、黒い衣服を纏ったモノが男だと気付いた。劉備軍の将ならば黒麒麟徐晃か。
「そこを通してもらうぞ徐晃!」
 その男も私に気付いたのかこちらに向かい駆けだした。
 接敵後、戦斧を袈裟に全力で振り降ろす。もはや様子見などしない。時間がないのだから。
 奴は剣をゆらりと頭の上に掲げ、剣ごときで受けるつもりと見えた。そのまま叩き折ってやろうと思った瞬間――目の前から奴が消えた。
 視界の端、自身の真下に徐晃の姿を捉え、咄嗟に斧から片手を放して相手の突き上げられた拳を受け止めたが、引きずられるように身体が浮く。
 そのまま奴は流れるような動作で次の行動に移っていた。
 斧を無理やり引き上げ刀身でギリギリ蹴りを防御するが、浮いた身体は衝撃を緩和することが出来ずにそのまま吹き飛ばされた。
「猛将華雄。投降しろ。お前じゃ俺は抜けない」
 たった一度の交差でこちらに勝った気でいるのか、徐晃はすっと目を細め、剣先をこちらに突き付けて言い放った。
「抜かせ賊将。私には待っている友がいる。守らなければいけない主がいる。意地でも抜かせてもらう」
 不可思議な動きに合わせるほうが不味い。ここは反撃もさせないよう攻め続けなければ。



「やれやれ。戦場で笛の音を聴くとは思いませんでしたぞ」
 彼の合図は敵味方どちらの意識も持って行った。戦場で笛の音が鳴るなど誰が予想する事が出来ようか。
 聞いていたからこそ私は迅速に動けたのもあった。飛び出した私を合図に味方の行動が良くなり、混乱し始めた敵兵の隙を突いてさらに押し込む事ができた。
 そのまま続けていると敵後方に騎馬隊が見えたが、張遼の姿は見当たらなかった。ふふ、騎馬の相手など腐るほどしてきた私達だ。張遼がいないのならなんのことはない。
「騎馬が来るぞ! 烏丸との戦を思い出せ! 奴等を相手にするつもりで当たるのだ!」
 異民族の騎馬の怖さは嫌と言うほど身に染みている兵達だ。その対処法も。
 そうか、これあるを見てのこの配置か! 恐ろしきは伏竜の先見か。
 ここで戦線を維持し、華雄を討ち取る時間を稼ぐ。愛紗が張遼の相手をしてくれているのだろう。引き際を見極めなければここで全て終わってしまうぞ張遼よ。



 何合互いの武器をぶつけ合ったのか。敵の戦線を見ても未だに崩れる気配がなく、華雄は戻ってこない。こちらも守勢に入られて抜くこともできない。
 連合の即席とは思えない連携にしてやられた。関からも距離が離され続けている。
 そんな中、部隊の一人が血相を抱えて戻って来て、
「将軍! 趙雲隊の猛攻が激しく抜けません! このままでは総崩れになります!」
 絶望的な報告を一つ。戦前の華雄の言葉が甦り、自分は一つの覚悟を決めた。
「第一部隊の撤退を指示! 最速でや!」
 聞いた瞬間は戸惑っていたが、自分の表情を見てどうにか命令を聞いてくれた。
 きっと味方の将を見捨てたと詰られるだろう。しかしここで引かなければ董卓軍は連合に敗北が確定してしまう。それだけはダメだ。
 渾身の一撃を放ち関羽との距離を取り、彼女に言葉を放つ。
「関羽、しまいや。董卓軍は負けるわけにいかへんのや」
「……行くがいい。我が隊は追撃に参加しない。他者の主をあれほど貶めて追撃まで行う。それは私の武人としての誇りが許せない」
 一瞬呆気に取られたが、その眼は真実を語っていた。現に関羽の隊は動こうとする気配もない。敵ながらその誇り高い心に感心してしまう。
 連合は意地汚い獣ばかりだと思っていたが、戦の分かるモノも多少は混じっているようだ。
「にゃはは、ええなぁ。あんたの事気に入ったわ。ほんならまた再戦しようや。今度は正々堂々、武人として」
「ああ、また会おう張遼」
 関羽に背を向け駆ける。第一部隊が戻ってくるのも確認できたので未だ戦っていた部隊の元へ行き、指示を伝える。
「張遼隊撤退や! 残った部隊も追撃に意識を置きつつ撤退! 虎牢関まで引け!」
 華雄、すまん。地獄で先に待っててくれ。うちも月を守って……いつかそのうち行く。



 慢心は無く、焦りがあるか。しかしながらもその武、見事なものよ。
 幾重もの戦斧を躱しきり、彼女の力を奪うように細かい傷をつけ続ける。
 ずっと戦場を駆け回っていた華雄と先程分断策を行うために突撃を行っただけの俺では体力の差がありすぎて一騎打ちもあっけないモノだった。
 長期戦になればなるほどこちらは有利。張遼も愛紗と星が抑えてくれているので問題は無い。
 俺にとっては華雄を投降させる事が第一であり、殺すつもりが無いからこそ時間を掛けている。桃香の成長の為にはこいつを生かして捕まえたい。
「張遼は抜けない」
「黙れ」
 何回目になるか分からないほど振られた戦斧を避け、そのまま斬りつけてまた細かい傷を一筋入れる。
「お前の兵も全部死ぬ」
「黙れ!」
 更なる反撃の一撃が俺に向かい来るが、あまりに単純すぎる。
「お前の負けだ」
「黙れぇぇぇぇ!」
 膝を抜いて躱し下段、上段の蹴りを放つと、二撃ともまともに当たり華雄は吹き飛ばされた。
 だが――驚くことにまだ膝をつかない。
「貴様に何が分かる!」
 憤怒の形相でこちらを睨み、華雄は語り始めた。
「あの方はただ一人天子様のために魔窟洛陽に行くことを決意されたのだ! 争いのない世のために! 自分が利用されるとわかっていてだ!」
 必死の、震える声で叫ぶ華雄を見ると嘘をついているようには思えなかった。やはり……こちらに正義はなかったか。いや、勝った方が正義になる。それだけのことか。
「貴様らなど賊と変わらんではないか! あんな優しい方を己が欲のために食らいつくす獣だ!」
 華雄の語りの途中に聞こえた一つの言葉に思考が落ちた。世界が壊れないためにと動く俺が――賊だと?
「劉備の理想も聞いたぞ! 偽善ではないか! 偽善でこの大陸が救えるか!」
 続けられた言葉も俺の心を押しつぶすには十分だった。抑えきれず、自分の心が抗うも、肯定している自分に嫌気がさし思わず話し始めてしまった。
「その通りだ。だが平和になるなら例え偽善でも貫き通し、大陸を救って見せる」
 自分が零した言葉も矛盾で彩られていた。俺は……俺にすら嘘をついているのか。
「ふざけるな! 貴様らの作った平和などいらない! 綺麗事の先の世など、そんなものに入るくらいなら死んだほうがマシだ! 徐晃、お前は気付いていながら劉備の元で戦っていたのか! 人殺しの偽善者め! 私の兵を、月様の幸せをよくも!」
 抑えきれない重圧がのしかかり、心が悲鳴を上げ始め、殺したものの怨嗟の声が脳髄に溢れ返った。
 その渦に呑み込まれ、俺のあらゆる感情は、一つを除いて凍りついた。たった一つ残った感情は――殺意だった。
「もう黙れ敗北者。お前に俺の何が分かる? 自分だけが正しいと思うなら、そう思ったままここで死ね」
 言葉と同時に最速の突きで華雄の胸を貫いた。
「がっ!」
 華雄は斧を落とし、膝が折れかけたが、驚くことに胸を貫いている剣を掴んで倒れなかった。
 そのまま前進し、ずぶずぶと胸をより深く突き刺されながら俺に近付き、胸倉を掴みあげ睨みつけられる。その瞳は深い憎しみに染まっていた。
 すぐに猛将は天を仰ぎ魂の叫びをあげた。
「我は華雄! 月様の一の臣なり! その誇りを守り、ここで逝く!」
 すっと顔を下げてこちらを向いた華雄は不敵に笑っていた。
「さらばだ偽善者徐晃。未来永劫呪われろ。乱世のハザマでのたれ死ね」
 そう言ってから盛大に血を吹き出し、不敵な笑みを携えたままこと切れた。剣を抜き、誇り高い猛将を横にさせる。
「敵将華雄、劉備軍が将、徐公明が討ち取った!」
 俺の声を聞いて周りから鬨の声が上がり始めるが、残りの華雄隊が死兵となって襲い掛かって来た。
 身体は勝手に反応して、近づく敵を薙ぎ払い、弾き飛ばす。
 それでも死力を尽くして俺だけに群がろうとしたが、周りの兵に背後から突き殺されていった。まさに地獄と呼ぶに相応しい状況だった。
 兵達の華雄への忠義はそれほどまでに深く、熱いモノだったということ。
 もはや賊相手の殲滅と変わらない戦いを続けていると、明の隊が敵陣を穿ち、周りを開けてくれる。
「いやー、やったね秋兄。お手柄じゃん」
 軽い言葉を掛けられ、漸く気付く。お前が仕組んだんだな。華雄と俺がぶつかるように。
「そうだな。助かったよ明」
 自分でも驚くほど冷たい声が漏れ出た。これが本当に俺の声か?
「……へぇ、甘いねぇ。覚悟は立派だけど、割り切らないともたないよ?」
「そうだな。俺は甘かったらしい。思い知ったよ」
 俺から何かを感じ取ったのか曖昧な言葉を投げかけてくる明。
 思いついたまま返すと、それを聞いてクスクスと笑い、耳元に口を近づけて囁いてきた。
「何かを守りたいならやりきりな。偽善者」
 瞳を合わせてにやりと笑ってくる。
 俺も合わせて笑ってみた。
「やりきるさ。俺の目的のために」

 そのまま戦場が落ち着いていき、勝利の空気があたりを包む。生きている事に安堵した兵が喜び叫ぶ声が耳を打った。
 歓喜の声が増えて行くのを聞いてから、まだ俺を見ている明に背を向け自軍の本陣へと脚を向ける。

 未だに耳に残る華雄の怨嗟の声は俺の頭の中でずっと繰り返し反芻されていた。

 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

申し訳ないのですが華雄さんはこの事象では死んでしまいます。ごめんなさい。
ただ、彼女の死は後々主人公にも周りにも大きな影響を与えます。

別事象、例えば董卓軍√なら華雄さんは生き残れるかもしれませんが雛里√ではこういう結果に。

エンディングのためにキャラを死なせてしまうのはやはりどこか心苦しいです。



ではまた 

 

彼は知らぬ間に求められる

 
前書き
今回主人公主観無しなので後書きにて少し補足します。 

 
「おかえりなさい秋斗さん。お怪我はありませんでしたか!?」
 秋斗さんが本陣天幕に帰ってくると同時に雛里ちゃんが近寄って不安気に尋ねた。
「大事ないよ。心配かけたか?」
「……怪我がなくてよかったです」
 秋斗さんの返答に雛里ちゃんはほっと安堵の吐息を漏らして柔らかい微笑みを浮かべた。その事から彼女がどれだけ秋斗さんの事を想っているのかが伺えて、自然と私も笑みが零れた。
「おかえりなさい」
「おかえりなさい、秋斗殿」
「お兄ちゃん、おかえりなのだ!」
 皆も笑顔を携え、口々に出迎えの挨拶をして、秋斗さんも笑顔でただいまと答え私のほうに向いた。
「おかえりなさい。無事でよかった」
「ただいま桃香。今回の戦の報告をするよ」
 改まってどうしたんだろうか。伝令さんから今回の戦の報告は全て聞いているというのに。
「連合のシ水関攻略作戦は成功。敵将華雄は俺達が討ち取った。徐晃隊の被害も軽微だ。大きな手柄を得て初戦は終わった、ここでお前は連合の思惑をどう見る?」
 どういうことだろう。連合の人たちは皆、民を救うために立ち上がって――
「まだ連合の思惑は曖昧なまま、正義の所在は不明だがお前の意見が聞きたいんだ」
 張コウさんと田豊さんの言葉が甦り、少し胸のあたりがむかむかした。
「私は……まだ判断がつかない、ならはっきりするまで戦いたい」
「……了解。だが相応の覚悟はしておけよ。」
 この人の言う事はたまによくわからない。明確に言葉を紡がずぼかして言うことがある。そんな彼の返答に皆も何か考えているようだが誰も口を挟んでは来なかった。
「それはどういう――」
「桃香が考えて出した答えが全てになるだろう。すまないが俺は少し出る。今回の戦でも世話になったし白蓮の所にも行っておきたいんだ」
 またこの人は一人で行ってしまう。
 正直、前から彼の事が少し苦手だった。どこか私は、いや私達は避けられている。話しているときも心に一定の距離を保たれている気がする。どうしてこの人とは仲良くなれないんだろう。
「……秋斗さん、少しお話しませんか?」
 私がそう言うと皆が驚いた。彼がどこかへ行くのを止める事など今まで一度もしなかったのだから当然かもしれない。
 秋斗さんは背を向けて去ろうとしていたがその場で立ち止まる。
 この人が距離を保つ理由が知りたい。もしかしたら私が何かしているのかもしれない。
 静寂が場を包んでいたが、
「わかった」
 一つ返事の後、秋斗さんは振り向いて元の位置に戻ってくれた。
「お、お茶の用意をしましゅ!」
 それを見て雛里ちゃんが慌てて動き出し、朱里ちゃんと愛紗ちゃんが皆の椅子を用意してくれた。
 皆が座ってお茶が出るまで待っていたが――空気がひりつき、沈黙が痛く感じる。これまでこんな事は無かったのに。
 お待たせしました、と雛里ちゃんが皆の分のお茶を机の上に並べ、一様に口を潤して一息つく。
「……で、話とは?」
「へっ!? えーと……あはは」
 彼の問いかけに何をどう話していいか分からなくて苦笑が漏れ出る。そんな私に対して秋斗さんが少し呆れながら、
「桃香らしいな。俺から切り出そうか。どこか距離を感じるから理由を聞いてみたいってとこか?」
 考えていた事を言い当ててきた。
「……うん。私は秋斗さんともっと仲良くなりたいから」
 ぐっと心を強く持って本心を話す。正直に言った言葉はきっと届くはず。
「これ以上仲良くってのは……なんか告白されたみたいだな」
 真剣な言葉にいつもみたいに茶化して来る。この人にはここで引いちゃダメだ。
「茶化さないで話して欲しいです……私が何かしましたか?」
 構わずさらに切り込むと、愛紗ちゃんが横で驚いていた。その隣を見ると雛里ちゃんが悲しそうに顔を伏せる。どうして悲しそうに見えたんだろうか。
「……本当に強かなことだ。桃香は何もしちゃいないよ。ただ俺は少し人に対して距離をおいてしまう性質なんでな」
 この人はきっと誤魔化そうとしている。また曖昧にぼかす気なのではないだろうか。
「桃香、お前は本当に綺麗な心を持っている。だが踏み込みすぎるのはいけない。人によっては打ち解けるために時間が掛かる場合もあるんだ」
「でも、私たちは仲間で――」
「仲間だからとすべてを共有することはできないよ。人は皆それぞれ違う」
 柔らかいが拒絶の言葉。きっぱりと言い切った秋斗さんを見て愛紗ちゃんが真剣な顔で口を開くが、
「秋斗殿――」
「愛紗、それ以上は何も言うな」
 そちらを見もせずに放たれた言葉で止められる。朱里ちゃんと雛里ちゃんは二人の様子に少し怯えていた。
「お兄ちゃんは難しい事考えすぎなのだ」
 突如、ずっと黙っていた鈴々ちゃんが軽く言った。にゃははと笑いかけて空気が少し緩み、微笑んだ秋斗さんが続いて口を開く。
「そうだな鈴々。だけどな……俺が毎日愛紗の下着の色を聞くようなもんなんだぞ。ところで今日は何色なんだ?」
 瞬間、時間が止まったかに思えた。間をおいて顔を赤くした愛紗ちゃんの平手が飛び、秋斗さんは椅子を倒して吹き飛んでしまった。
「なな、何を言っているのです秋斗殿! 冗談でもそのような事は――」
 そうして真剣な空気はどこへやら、愛紗ちゃんのお説教が始まってしまった。
 この人はずるい。こうやって空気を変えて誤魔化してしまう。
「すまない愛紗! ほんの軽い冗談なんだ! 許してくれ!」
 秋斗さんが必死に謝るとまだわなわなと震えているが愛紗ちゃんは仕方ないですねと呟いてから口を噤み、いつもの私たちに戻ったと感じた。
「桃香、いつか話す。その時まで待ってくれ。俺は臆病なんだ」
 少し真面目な顔で私に話す。もう元の話はできそうになかったので渋々ではあるが彼に了解の意を示す。
「……わかりました。たださっきのはよくないよ秋斗さん」
 今はまだ諦めよう。この人も優しい人だから何か考えがあるんだろう。
 私ももっとよく考えてみよう。秋斗さんの事もちゃんと知っていこう。
「秋斗さん……私とも少しお話しましょうか」
 口は笑ってるのに目が笑ってない黒い気を纏った朱里ちゃんが秋斗さんにゆっくりと詰め寄ると、
「……に、逃げるに限るな。ちょっと雛里連れて行くぞ」
 そう言って秋斗さんを睨んでいた雛里ちゃんを抱えて急いで出て行ってしまった。
 今度は変な空気になってしまっている。
「お兄ちゃんはホントすけべなのだ」
 鈴々ちゃんの楽しそうな声が上がり、それを皮切りに朱里ちゃんと愛紗ちゃんはそれぞれ愚痴を呟きだした。
 そんな中、私はこれからどう仲良くなっていこうかと思考を巡らせるのだった。



 私は今怒っている。あの場から逃げるためとはいえあんな事を言うなんて。そんな人ではないのは分かっているがそれでももっと何か違う方法があったはずだ。
「すまない雛里、連れ出してしまって」
「……」
 謝ると同時に降ろされて秋斗さんと目が合うも、一瞬だけですぐに逸らされた。
 その目は少し悲しそうで、他にも何か昏い感情が渦巻いているのが見て取れた。そんな目で見られたら責めることもできない。
 そのまま歩き出した彼の後を追いかけて、並んで歩いていると一つの問いかけが放たれた。
「少しだけでも話したほうがよかったんだろうか」
「わかりません。でも私はまだ話すべきじゃないと思います」
 戦いの最中に私達から話すことじゃないから。話すにしても終わってから様子を見て少しずつ話すべきだろう。
「虎牢関も本拠地洛陽も残ってるしなぁ。ここで不和を出すわけにはいかないし」
 きっと秋斗さんも同じ考えであの場から逃げた。この話をさわりだけでもしてしまえば皆の結束など露と消えてしまい、その不和は軍全体を脅かす猛毒となり得る。
 弱小である私達はどうしても無茶を押し付けられやすく、戦場にて厳しい場所に配置されると不和を抱えたままでは誰かが欠けてしまうという致命的な損害が予想された。
 思考に潜っていたが彼の方をちらと覗き見ると落ち着いた空気でただ歩いていた。私も倣って戦の思考を止めてただ歩くことにした。
 涼やかな風が頬を撫で、二つに括った髪の先端が歩くのに合わせて揺れる。
 私は彼とのこういう時間が割と好きだ。
 先程、一瞬だけ見えた秋斗さんの瞳が思い出されて少し胸が苦しくなった。

 きっとこの人はまた何かを背負った。
 でも私は聞けない。聞いちゃだめだ。
 自分で答えがでている時は話さない人だから。
 私は支えになれていますか?
 こうして同じ事を共有するだけで支えになれますか?

 気を抜けば口走ってしまいそうになるのをどうにか我慢していると彼がこちらを見やり一言。
「どうした?」
「……無理、しないでくださいね」
 私は心配することしかできない。
 秋斗さんは私の言葉を聞いてふっと微笑んで、
「お前にはホント敵わないなぁ」
 優しい笑顔を見せてくれる。
「わ、私は秋斗さんに何も出来ていません」
「いや、たくさん支えて貰ってる。いつもありがとう雛里」
 彼の言葉は私の心を暖めるのに十分だった。嬉しい、この人を支える事ができて。
「わ、私も……たくさん助けられていましゅ。ありがとうございます」
「おやおや、秋斗殿はまた罪な事をしておられるのか」
 途中、噛んでしまったがちゃんと言えたので安心していると突然声をかけられ、振り向くと星さんが意地悪げな笑みを携えてゆっくりと近付いて来た。
「おお、星。戦では助かった。おかげで俺達の兵の被害も抑えられたよ」
「いえいえ、それはこちらも同じ事。持ちつ持たれつでしょう」
「ならよかった。白蓮にも礼を言いたいんだが陣にいるのか?」
「ああー……白蓮殿は今、少し袁紹と揉めているようで、今日は多分会えないのではないかと」
「そうか、牡丹は?」
「牡丹は白蓮殿の代わりに軍のまとめを」
「……お前は?」
「暇ですな」
「働け、ばか」
「くく、雛里とちちくりあっているあなたに言われる筋合いはないのでは?」
 二人の会話に聞き入っていると突如星さんがとんでもない事を言い出し、私の思考が止まった。
「おい、雛里を巻き込むな。困ってるだろ。確かにサボっている俺が言えた義理じゃないが」
「……あなたは一度牡丹に脳髄を洗ってもらうがよろしいかと」
「せ、星さん!」
「おや? 雛里も賛同してくれるか。名軍師の賛同も得られたので秋斗殿はお覚悟を。」
 クスクスと笑いながらからかうのを続ける。この人はホント相変わらずだ。
「違いましゅ! 秋斗さんと私はち、ちち、ちちくりあってなんかいません!」
 そう、そんなふしだらな事はしていない。星さんには私達がそんな関係に見えているのか。まだ……気持ちを伝えてもいないのに。
「あははは、冗談だ。雛里は本当に可愛い」
「あわわ……」
 星さんに急に抱きしめられ、思わずいつもの子供っぽい口癖が出てしまった。
「久しぶりにその口癖を聞いた。秋斗殿、雛里は私が貰っていきますが構わないでしょう?」
 どんどん話がおかしな方向へ向かっている。秋斗さんを見つめて助けを求めると、
「ダメだ。雛里は渡さん」
「……お熱いことで」
 真剣な表情で言い、それを聞いた星さんからゆっくりと解放された。
 そこでふいに疑問が浮かんだ。星さんは私の秋斗さんに対する気持ちに気付いてるんじゃないだろうか。それに星さん自身も――
「せ、星さん。少しお聞きしたい事が――」
「ふふ、秋斗殿。雛里のご所望は私のようだ。残念でしたなぁ」
 私の言葉を聞いてすぐにクスクスと笑いながら秋斗さんに言う。
 そんなつもりで言ったんじゃないのに。どういうつもりですか。
「……マジか。俺、こんな時どんな顔したらいいかわからないんだが」
 秋斗さんががっくりと項垂れた。ああ、どうしてこんな事に。
「笑えば、いいのでは? 安心しなされ、少し話をした後、雛里はちゃんと劉備軍にお送り致します故。女子の内緒話をどうしても聞きたいというのでしたら止めませんが」
「……まあ女の子同士の話に男はいらんわな。陣への送りは任せたぞ。雛里、俺は少し田豊と張コウに会ってくる」
 そう言ってすぐに秋斗さんは袁紹軍の陣のほうへ向かってしまった。
 二人でいってらっしゃいと見送り、星さんの様子を伺うと名残惜しそうに秋斗さんのほうを見ていた。星さんは秋斗さんの背中が見えなくなってから話はじめた。
「……雛里よ。話とはあの鈍感男のことであろう?」
 やっぱりこの人は鋭い。
「……そうです。もしかして星さんは秋斗さんのことが――」
「クク、あのような無自覚女たらしのどこがいいのか」
 苦笑しながらの酷い言い草にむっとして反論しようとしたが星さんは話し続ける。
「しかし惚れたもの負けとはよく言ったものでな。どうやら私も秋斗殿の術中に嵌ってしまったらしい。おお、どこかの軍師殿と同じようだ」
 素直に認めればいいのにわざと回りくどく言うあたりこの人らしい。
「なに、私は今の関係も気に入っているのでしばらくは何かを起こすつもりはない」
 私と同じ。でもいつかは行動を起こすということ。
「……星さんには負けません」
「それはこちらも同じ事。雛里は手ごわい好敵手だが……私が譲るとでも?」
 星さんは手強い。すでに心許せる友の関係になっているのだから。星さんといる時はいつも楽しそうで、少し嫉妬の気持ちが胸に湧く。
「しかしあの男のほうが手ごわいか。お互い大変な相手を想ってしまったものだな雛里よ」
 そう言って私に笑いかけてくれる。この人も優しい人。
 共に競い合って、結果がどうであれ恨みっこは無しだと言外に伝えてくれているんだ。
「ふふ、本当ですね。結局はあの人のお心次第ですから」
「違いない。さあ、疑問も解けただろう? 陣まで送ろうか」
「ありがとうございます。少しゆっくり歩きませんか? 星さんには秋斗さんがどう見えているのか教えてほしいです」
「ほう、それは素晴らしい案だ。黒麒麟殿の心の城壁を突破するための情報交換というわけか」
「私もある程度はお教えしますので」
「さすがは軍師。ではどこから話そうか」
 ゆっくりと二人で話しながら歩く。二人して同じ人を心に想いながら。
 戦の最中に話す事ではないけど、そんな話をしてか私の心は少し軽くなった。

 †

 目の前にいるこの女は同類。全てを犠牲にしても守りたいモノがある異端者。
「諸侯の邪魔をするのは大変だったんですよぉ? なのに結局華雄さんを劉備軍にとられちゃうなんて」
 間延びした声で語る七乃はずっと緩い雰囲気を崩さずこの調子だった。責めているのに責めていない。こういう可能性もあると考えていたんだろう。
「仕方ない事。華雄が思ったより強かっただけ。今、明の名を上げるわけにはいかない」
「ですよねー。まあ、こちらも孫策さんの名が上がるのを抑えられましたからいいですけど」
 口を尖らせながら言う彼女の真意は分かっている。
「……何か助けが欲しかったら言ってほしい」
「ああ、じゃあ次の戦で私達に先陣を任せてほしいですね」
 これはこちらの失態の埋め合わせ。孫策には同情するが。
「わかった。本初の説得は任せて」
「頼りにしてますよ?」
「ん、そういえば公路は?」
「利九ちゃんに任せてます。あの子も過保護ですから」
 紀霊もあなたにだけは言われたくはないだろうに、とは思うがさすがに口には出さない。
「なら安心。他に問題点とかある?」
「当面は大丈夫ですねぇ。今後の動きが夕ちゃんの予想通りに行くとしたら……ですけど」
 あの欲にまみれた上層部の考えることくらい分かる。
「問題ない。董卓は逃げるしかなくなる。洛陽の民には気の毒だけど」
「……腹黒ここに極まれり、ですね。よっ、この悪徳幼女」
「それ、褒めてない。それに私は背が低いだけで胸は大きいから幼女じゃない」
「ええー、こんなに可愛いのに……」
 しゅんとしながら頭を撫でられるが悪い気はしない。目を細めてしばらくそのままいたが止めないとずっと撫で続けそうなので彼女の手を頭からゆっくりと降ろす。
「そろそろ時間。公孫賛と揉めてる本初を止めないといけない」
「いけず、じゃあ一回抱きしめてもいいですか?」
「それはだめ」
「夕ちゃんのけちんぼ。……ではまた何かあったら来ますね」
 そそくさと用意して天幕を後にする七乃。同類とはいえ毎回気が抜けない。彼女はこちらさえも完全には信じていないのだから。正直、一番敵に回したくない相手だ。
「明、ありがと」
 そう言うと天幕の後ろ側から明がひょこっと顔を出した。
「気にしないで。それにしてもいつもいつもしつこいよ、あの褐色猫狂い」
 うざったそうにポリポリと頭を掻いて語ったのは周泰の事だろうと分かった。また性懲りも無く諜報に来てたのか。
「追い払えた?」
「お互いの実力分かってるからね。最近はあたしが見つけたら帰ってくよー」
 それは明がいなければ情報は簡単に抜けるという事だ。周泰の諜報能力はずば抜けていて、七乃に言われていなかったら気付かなかっただろう。
「七乃にも同情する」
「だねー。ん?」
 二人で頷き合っていると明が軽く身構えた。天幕の外に誰か来たらしい。
「田豊様。劉備軍が将、徐公明様がお見えになっております」
「通して」
「はっ」
 天幕の外で短く返事をして兵は去っていき、彼が何の為にここに尋ねて来たのか予測を立てていると、一つ挨拶をしてから入ってきた。
「失礼する」
「どうしたの?」
「此度の戦、助かった。礼を言いに来たんだ。ありがとう」
 それは追加兵の事か、華雄討伐のことか、それとも別の何かか。何に対してかを考えていると隣で明が感心している。私も秋兄を見てみるとどこか戦前と雰囲気が違ったのが分かった。
「秋兄はそっちになるんだ」
「あいにく俺は不器用なんでね。それに割り切ったらそれこそあいつに呪い殺されるだろうよ」
 あいつ? よくわからない。明に後で教えて貰おう。
 明はそのままどこか羨ましそうな瞳で秋兄を見ている。これは私たちが無くしたモノを持ってる人を見る目だ。
「秋兄、それだけならここに来た理由にはならない」
 私が言うと秋兄は少し驚いていた。あまり見くびらないでほしい。
「……すまない夕。では単刀直入に。呂布の情報を貰いたい」
 そういう事か。劉備軍は未だ充実した情報網がないから噂に左右されやすい。敵の情報は多い方がいいのは戦の常であり、弱小である彼らなら命を左右するモノだ。
「見返り――」
「見返りはいらないよな? 明」
 涼しい顔で重ねてきて、私は少しこの人を舐めていたと考えを改める。
「……そうだねー。さすがにあからさま過ぎたか。だけどあんな事出来るなんてわかんなかったし」
 確かにあの奇策は華雄の意識まで引き付けた。あれがなければ袁紹軍の被害はもっと増えていたし秋兄が止めなければ華雄部隊には逃げられていた。それくらい厳しい状況だった。
「わかった。呂布の情報は教える」
 ある程度までだけど、と心の中で舌を出してそのまま彼の求める情報を話す。
「飛将軍は黄巾三万をたった一人で追い返したのは事実。武力は華雄、張遼が二人で戦っても歯が立たない。呂布部隊は突撃が主戦だけど質が異常。曹操軍でも抜かれると思う」
 呂布の強さを崇拝し、付き従うほぼ死兵のような部隊と聞く。さらに戦場で呂布とともに駆ける軍師陳宮が理性を繋ぎ化け物染みた強さを誇っている。
 情報を聞いた秋兄は難しい顔をしてまだ何か聞きたそうだったが諦めたようだった。
「ありがとう。軍師からそれだけ聞ければ十分だ」
 この人はどこまで予想をつけたのか聞いてみたい。でもそろそろ時間だから行かないといけないのでその考えを抑え付けた。
「じゃあおしまい。私と明はこれから用事がある」
「忙しいのにすまないな」
「構わない。それとごめん」
 一応彼には明の仕事を押し付けた形になったので曖昧に謝っておく。
 でも伝わるかな? 私たちのために利用した事。
「気にするな。持ちつ持たれつだろ。それくらいが丁度いいさ。では失礼した、田豊殿、張コウ殿」
 にっと笑いかけ少し私の頭を撫でてから大仰に礼をして秋兄は天幕を出て行った。
 撫でられて嫌な気はしないけどどうしてか頬が熱くなっていた。
「秋兄は……多分女たらしだね」
 明の言葉にふるふると頭を振って気をしっかり持ち、私は明と共に袁紹と公孫賛の不毛な言い争いを止めに行くことにした。

 †

「ちっ、あの女狐め。今度は何を企んでいる」
 張勲を張っていた明命がまた張コウに邪魔されたとの報告を聞き、無意識に舌打ちが出て、勢いのまま毒づく。
 本当に厄介な事だ。袁家に対しての諜報活動を行えるのは明命か思春くらいだというのに張コウが関わり出すと必ず失敗する。
「ろくでもない事な気がするー。冥琳、お酒ー」
「ダメだ雪蓮」
「うー。だって暇なんだもん」
 椅子をふらふらと揺らしながら答え、まだ何があるか分からないのに酒を求めた雪蓮にぴしゃりと言うとむくれてしまった。
 我が軍は袁紹軍と袁術軍の動きに邪魔されてシ水関では働けなかったが、まだ酒を飲んでいい時間帯では無い。
「はぁ……急な来客が来たらどうするの」
 しかし自分で言ってはっとした。いつもなら構わず酒を飲んでいたはず。雪蓮がにやりと笑い、
「だから言うだけで飲んでないでしょ?」
 得意げに語った。本当にこいつは――
「孫策様、周瑜様! 曹操様がお見えになられました!」
「……通せ」
 雪蓮に少し説教をしようとしたら焦った伝令が駆けこんで来て来客の訪問を告げる。それを聞いて雪蓮がほらと言うように目を送ってきた。
 何が目的なのか。シ水関で手柄を挙げれなかったのは曹操も同じ。だが奴の目的は各諸侯の力の見極めが最低限のはず。
 兵力の無駄遣いをせず、最低の消費で実を取るためには私達に持ちかける話などないはずだ。
 思考に潜っていると曹操とその部下が天幕にやって来た。
「急な押しかけで申し訳ないわね、孫策」
「構わないわ。だけどこっちも忙しいの、単刀直入にお願い」
 よく言う。暇だ暇だと文句をいっていたくせに。
「……虎牢関での共同戦線の提案に来た。もちろん足手まといは抜きで」
 凛とした声で告げた曹操の提案に少し面喰うも、雪蓮がすっと目を細めて言葉を放った。
「どうしてそうしたいのか詳しく聞かせて貰おうかしら?」
「お互いに実があるから、でいいでしょう?」
 その程度分かるだろうという事か。そのまま重苦しい沈黙が場を包む。この場にいたのが雪蓮ではなく蓮華様なら呑まれていただろう。
 確かに我が軍は曹操軍の次に精強だろう。公孫賛の軍と馬超の軍は騎馬に偏っていて虎牢関では期待できない。
 しかし袁術軍や袁紹軍は数がいるために次の手柄のため動くはず。
 そうか。張勲が我らを当て馬にする……か。ここで袁家の手柄を増やさせるよりも我らと共に虎牢関を突破する方が曹操にとっては大きい。
 だがお互いの実……張遼だな。確かにあれは曹操好みの将と言えるだろう。人材収集が趣味の曹操の考えそうな事だ。
 噂の飛将軍を止められるのは将豊かな我らの軍のみか。
 最悪の場合抜かせて袁術軍に押し付ければいい。これならば貸しではなく対等の交渉になる。両者を相手取るのはこちらとしても骨が折れるのだから。
「雪蓮――」
「わかってるわ冥琳。いいでしょう、その提案受ける。ただし共同とは言ってもお互い干渉しあわない程度よ」
 私の考えを伝える前に読み取って雪蓮は曹操の提案を受諾した。さらに十分な牽制も行ってくれる。
「ええ、話が早くて助かるわ」
 しかしこれが曹操の片鱗か。大胆不敵にして、機に聡く、最善を導き出す。まさに乱世の申し子というに相応しい。
「こちらこそ。あ、曹操に一つ聞きたいことがあるんだけど」
 このまま何事も無く終わるかと思ったが何故か雪蓮はそんな事を言い出した。
「徐晃、知っているわよね?」
 またあの男の話か。黄巾が終わってからいたく気に入ったようだな。
 引き抜きたくて仕方ないんだろう。シ水関での戦いぶりを見ても確かにあれは劉備軍にはもったいない将だが……
「ええ、知っているわ」
「あなたはあの男をどう見る?」
 曹操の評価が知りたい、と言う事だろう。雪蓮は自身の評価だけでは決めきれないのか私に対しても曖昧な返答をするだけだったから。
「あれは劉備の手におえる男ではないわ。私は黄巾の時にあれを見誤っていた。あなたもあれが欲しいなら気をつけなさい孫策。あと……私はどちらでも楽しみだわ」
 最後ににやりと口角を吊り上げて曹操は笑った。
 しかしなんて楽しそうに語るのか。雪蓮も曹操の評価に納得したのか楽しそうに見えた。
「そう、あなたも気付いたのね曹操」
「ええ……共同戦線の受け入れ感謝する。次は戦場で会いましょう」
「じゃあまたね」
 そう言って曹操は部下を連れて出て行った。二人の覇王はあの男に何を見ているのだ。
「雪蓮、あなたには何が見えているの?」
「あの男の可能性よ。私も最初は気付かなかったけどね。まあ手に入らないなら殺さないとダメかもね」
 これ以上語る気はないのかどこからか出した酒を飲み始める。
 少し劉備軍に間者を増やしたほうがいいかもしれないな。



「華琳様、あの男に何を見ているのですか?」
 孫策軍の陣から離れて少しして秋蘭が静かに尋ねてくる。これは私と孫策しか気付き得ない事だから仕方ない。
「あの男は乱世を喰らって成長しているの。今はまだ自分でも気づいていないけれど」
 私は黄巾の時に気付かなかった。あの男の本当の姿に。
「どういう事ですか?」
 桂花が不思議そうにこちらに尋ねて来た。教えてあげてもいいのだけれど――
「今はまだどう転ぶかわからない。だから教えられないわ。それにあなたたちで考えて出したモノが答えになるでしょう」
 まだ見極める必要がある。
 私はどう転んでも嬉しいから構わないが。
 手に入るのか、宿敵の元にいるのか、あるいは――







 †

 それぞれの思惑が混ざり、連合一同はひと時の休息につく。
 その様子をモニターで見やる少女は心底嬉しそうに笑い、口から弾んだ独り言を漏らした。

「今回は手違いであそこに落ちたのにここまでかき回されているとは! この事象ならいけるかもしれませんねぇ! 改変までの課題はあと二つ!」

 はしゃぐ彼女の影は人ではなく九つの首を持つ鳥。しかし切り取られたのか三つ頭が無かった。
 羽を広げた鳥の影は少女に合わせてそれぞれの頭で笑い続けた。
  
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

主人公主観無しなので補足を少し。

主人公が桃香さんに戦の事をわざわざ報告したのは華雄さんの怨嗟の声に耐えられず、少しでもその想いに報いる為に無理やり気付かせようと画策したからです。
愛紗さんに対してきつくあたったのは彼の精神が不安定だったから、そしてこれ以上続けると逃げられなくなるのが予想出来たからです。
愛紗さんは何も悪くないのにとばっちりです。


私の実体験ですが、妄信者というのは全く話を理解しません。何が起ころうと都合のいいように自己解釈で済ませ、自己論理を押し付けてくるのです。影響された人たちも同じになります。
原作でも、華琳様が魏ルート全てを賭けても少ししか変わらなかったのが桃香さんなのでこうなりました。蜀ルートでも妥協しただけで分かり合ったわけではありませんのでやはり難しい。

こんな感じで進めていくのですが、これからも少しでも楽しんで読んで頂けたら嬉しいです。

ではまた
 

 

覇王の描く盤上に

 虎牢関。
 初めて見たとき俺達は遠くからでもわかる程の、そのあまりに大きく頑強な様相に圧倒された。
 おぉ、衝車がぁ。っていう袁紹の悲痛な叫びを思い出すな。
 そういえば呂布倒したら赤兎鐙獲れたっけか。この世界の呂布は三万を一人で追い返すと聞いたがどこぞの三国志ゲームも真っ青だろう。
 シ水関での戦の後、俺達の軍は最後尾で少し遅れて行軍していた。
 クジの結果なので文句はない。それに行軍中は最後尾で良かった事もある。
 虎牢関に着くまでに張遼による奇襲が何度かあったのだ。気付いた時には攻撃され、対応しようかと手間取っている間に去っていく。守りを固めていると絶対に現れず、少しでも油断を見せれば食いつかれた。
 神速の用兵は伊達ではなく、連合軍はその対応のため行軍を遅くすることを余儀なくされた。
 そしてやっと虎牢関についたのだが着いた頃にも虎牢関で一悶着あった。
「勝手に先行した諸侯達の軍なんですが、攻城戦に移る前に呂布隊と張遼隊の奇襲を受けて大打撃を負いました」
 俺達の大勝を見て功に焦った弱小諸侯達が独断で先行。結果は大敗。足並みを揃えることも無く、完全に足を引っ張りあっていた。
 諸侯達の被害が増えていく後ろで袁術軍、袁紹軍、曹操軍、孫策軍はまともに戦わず様子見をしていた。
 各軍の軍師達の判断だろう。噂の飛将軍の実力を知らない諸侯達を様子見に使ったってとこか。ちなみに公孫軍、馬超軍は後軍のため何もできず劉備軍はさらにその後ろのためお察し。
「次は曹操さんと孫策さんの軍が先陣に出るようです。中軍は袁術軍・袁紹軍から兵を出し合って……しかし私達も中軍参加に決まってしまいました」
 朱里が悔しそうに言う。また夕にうまく抑えられたのか? 弱小勢力の悲哀だな。
 一応呂布については夕のお墨付きの情報は少し入れたが戦う事がないならそれに越した事はない……ないんだが胸騒ぎがする。
 虎牢関から溢れ出る闘気とも呼べる威圧感がそうさせているのか。それとも俺の知ってる呂布の無茶苦茶さから起こる警鐘か。
「仕方ないさ朱里。俺たちはまだ弱小、参加を決めた時点で使われる事は目に見えていただろう?」
「それでも! ……あの人は苦手です。」
「はは、桃香に続いて朱里もゆ……田豊が苦手……か……」
 しまったと思った時には遅かった。隣の少女は恐ろしい笑顔で俺を見ている。
「秋斗さん? いつ、あの人と、何があって、真名を、許しあう関係に、なったんですか?」
 言葉を所々で区切って威圧しながら俺に聞いてくる。心底怖いんだが。
「……そんなことより次の戦いの」
「何があったんですか?」
「いや、次の戦いの」
「秋斗さん?」
 聞き出すまで話を進めないつもりかなのか悉く言葉を被せられ、もはや逃げ道は残されていないのだと覚悟を決めかけたその時、
「秋斗殿。兵と兵糧の確認は終わりましたか?そろそろ軍議を始めたいのですが」
 愛紗がもの凄くいいタイミングでやってきた。渡りに船とはまさにこの事。
「今終わった所だよ。副長に兵糧の数を伝えてからすぐに向かう。先に天幕で待っていてくれ」
 わかりましたと言って愛紗は去って行った。まあ副長にはもう伝えてあるが。
 朱里から凍えるような冷気が出ている。軍議がなきゃお説教確定だっただろう。
「……さすがにお説教で軍議遅らせちゃダメだよな」
「後で説明してくださいね」
 そこまで聞きたいのか。だがさすがに言えない。桃香の件もあるから朱里には特に。
「……ごめん。今回のはシ水関の天幕の時と同じで今はどうしても無理なんだ」
 いつもとは違い真剣に頼んでみると、
「……わかりました」
 朱里は驚くほど素直に、だがどこかショックを受けた顔をして振り返り歩き出した。特殊なケースだし説明しづらいのもある。真名を軽く見てるようにも思えるし、ごめんな。



 シ水関から私は変だ。
 今回の事はどうしても聞きたかった。この人との心の距離に気付いてしまったから。
 不安なんだ。
 この人がどこかに行ってしまいそうで。
 怖いんだ。
 私達と全く違う思考をしているこの人が。
 理解出来ないモノは恐ろしい。それが味方であっても。いや、味方だからこそ。
 だから少しでも知りたかった。
 私は雛里ちゃんとは違う意味でこの人に惹かれている。
 それは怖いもの見たさの感覚。
 この人の思考が理解できそうな田豊さんが羨ましい。
 知ってしまったら私はどうなるんだろう。
 雛里ちゃんみたいに恋に落ちるのか。
 わからないから知りたい。
 今は無理でも少しずつ教えて欲しいなぁ。
 雛里ちゃんはこの人の事をどこまで理解してるんだろうか。

 †

 虎牢関の攻めを担ってしばらく立つ。
 弱小諸侯達とは違うのが分かっているのか敵に出てくる気配が全く無い。
 いくら精強な曹操軍との共同とはいえ城攻めはそれなりに時間が掛かるし消耗も多い。
 さらにあの張遼の連続奇襲によって連合軍全体、そして私達孫策軍の兵糧にも一抹の不安が見えてきた。あの女狐が兵糧を貸し渋っているのも問題だが。
 しかし本当に曹操には驚かされる。
 こちらの情報網の確実さを見抜いて兵糧と情報の交換を持ち出して来るとは。
 それに城を攻めさせているのにも理由があるようだ。
 大陸随一の虎牢関に対しての城攻めはそのまま軍の経験になる。自分自身の経験を上げるために兵を犠牲にして いるのか。張遼が出てくるのが最善、出てこなくても良しという事。
 本当にどこまでも乱世を見ている。私たちはこの乱世を喰らう化け物といつか戦わなければいけないのだな。
「冥琳様!」
 未来での最大の壁になるであろう曹操の事を考えていると、虎牢関内部の細作に出していた明命が帰ってきたようで、少し肩で息をしながら私の天幕に飛び込んできた。
「お帰り明命。報告を聞こう」
呼吸が落ち着くのを待ち、ふうと一つ大きく息を吐いたのを見てから聞くと、彼女は表情を引き締めてから話しだした。
「呂布の感覚が鋭すぎてあまり近づけず、これといった情報は手に入りませんでした。ですが洛陽からの伝令が関に来たのを確認しました。」
「洛陽から?」
「はい。慌てていた様子でした」
「そうか、ご苦労だったな。ありがとう、しばらく休んでくれ」
「はっ!」
 洛陽からの一方的な伝令か。もしや何かあったか。
 予想されるのは内部の諍いだがそれならば今日明日の内に動きがあるな。
 対応のため虎牢関の防衛に当たっている将兵が減るかもしれない。減るのならば張遼か。
 陳宮と呂布がいれば虎牢関はしばらく耐えられる。しかし兵数が減る事によりそのうち破られるとして追撃を許しその後の洛陽での防御が厳しくなる。
 ならばどう出てくる?
 私ならばどうする?
 そうだな、あちらの手持ちの札ならばここで決めたい。
 これは呂布が動くな。曹操軍と連携を取るべきだ。
「あー、うざったい。これだから攻城戦は嫌なのよ」
 気怠そうに言いながら雪蓮が天幕に帰ってきた。我が主はどう判断するのか。
「お帰り雪蓮。明命から一つの報告があった。私の予想では敵本拠地内部に動きがあったと見るが」
「へぇ、ならそろそろ城攻めも終わらせられそうね」
「ああ、そこでお前の考えが聞きたい」
 癪だが勘込みでな。
「そうね、普通なら張遼を帰すだろうけど……ないわね」
「何故そう思う?」
「神速と天下無双。二つ使えば楽でしょう?」
「確かに楽だろうけど洛陽はどうするの?」
「夕方の動き次第だと思うわ」
 雪蓮がにやりと笑い、後に私と目を合わせ片目を閉じて言った。夕方の……そうか。そういうことか。
「曹操軍には?」
「伝えましょう。じゃないとさすがに厳しいわ」
「わかった。思春」
「はっ」
「曹操軍に伝令。洛陽内部に動きあり、明日まで警戒を強めるべし、と」
「御意」
 あの曹操軍の軍師ならば軽く予測を立てることだろう。
 明日までが山場か。

 †

「報告ご苦労。孫策に礼として虎牢関の一番は譲ると伝えなさい」
 孫策軍からの伝令を帰し桂花の方を見る。
「予想通りね、桂花」
 ぺこりと頭を下げ嬉しそうな笑顔で私を見やる。本当にいい成長を遂げている。
 日にちの予測が難しかったから情報の伝達が自分達より早く確実な孫策軍を使った。
 今回の発端から董卓が傀儡なのは目に見えていた。後ろにいるのは十常侍。
 十常侍は華雄が討ち取られ未だ戦況が五分五分とはいえ保険は掛けておきたいはず。
 有力な将が防衛に当たっている内に董卓の身柄を拘束し、自身の保身を狙う輩が必ず出てくる。
 董卓側はそれを抑え切れるならいいが主力がこちらにいるため筆頭軍師の賈駆は信頼の置ける者を戻さなければいけないと判断する。
 知恵もある有力な将は張遼。しかしここで戻せば戦況は一気に敗色に染まる。
 ならばどうするか。
 ここで大きく戦況を動かしておき、尚且つ張遼を戻す。
 そんなことが出来るのは奇策。手持ちの札から出来る事は限られてくる。
 一つ、時間が無いが神速と天下無双ならば出来うることがある。
 それは夜戦による奇襲。そして呂布に戦線を任せての洛陽までの後退。あの化け物がいるからこそこう来る。
 軍師陳宮は呂布に常に追随しているからか思考が戦術寄りだとの報告が上がっている。長い目での戦略などは賈駆が担っていたのだろうが今は現場の判断が効かない。ならばもはやそれしか手段が残されていないと思考が縛られてしまうだろう。
 これでこの戦の終わりへの道が見えた。読めている奇襲など恐ろしくはない。
 張遼は洛陽でじっくりと捕らえると決めている。洛陽の民の被害も減らすためにも張遼には一時帰還をさせないといけないのだから。洛陽では本人を春蘭、兵を桂花に抑えさせて神速の張遼を丸ごと手に入れる。
 今はこれ以上の被害を減らす事に専念すべきだ。手強い攻城戦の経験は手に入れたのだからもはや十分と言える。
 それに――この後の乱世のため袁紹軍と袁術軍に少し被害を受けてもらいたい。
 中軍には劉備軍の将達がいるから飛将軍自体は止められるだろうし、麗羽も生き残る事が出来るだろう。呂布は惜しい人材だがこちらで捕らえるとなるとさすがに被害が大きすぎる為、諦めるしかない。
 さて、後は敵にこちらが気付いていない振りをさせないといけないか。
「夏侯淵隊に城攻めを夕方まで少し激しくするよう伝えよ。それと陣の柵の確認を念入りにさせておきなさい」
「御意に」
 董卓には申し訳ないわね。董卓も時機が違えばもっと良い好敵手になりえただろうに。
 少しの判断の違いで乱世の贄となる……か。
 この乱世の終わりに果たして誰が立っているのか。
 いや、私の目の前に立っているものは誰になるのだろうか。

 願わくばより大きな乱世による、後の世のより大きな治世を。
 ふと気付けば私の口角は上がっていた。

 願わくば――この飢えた心にも充足を。


 

 

飛将軍来る


「霞、恋殿、準備は万端ですか?」
 問題がない事は確認済みだが一応二人ともに聞いてみる。
「ばっちしやで。昼の内に関のねずみも殺しきっといたし、隊の撤退準備も問題あらへん」
「後は、行くだけ」
「了解なのです! では予定通りに月が中天に昇った時に出撃するのです。それと霞、気に病み過ぎず戦うのですぞ」
 霞は華雄の事でもの凄く落ち込んでいた。虎牢関に着いた時、自責の念からか滅多に見せない涙を流し自分達にひたすら謝ってきた。
 自分達は霞を責められない。
 シ水関にいられなかった自分達にも責はあるのだから。
「……ありがとな、ねね。うちは月を守る。いや、うちらで月を守るで」
 そう言ってこちらににっと笑いかける霞の表情は晴れやかで、今はもう心が落ち着いたのだと分かった。
「皆で、守る」
「霞、恋殿……そうなのです、ねね達で……優しい月と、ひねくれ者の詠を守ってやるのです!」
 連合の思い通りになどさせてたまるか。欲に塗れた権力者達など皆、跳ね除けてやる。
「では作戦をもう一度確認するのです。恋殿の隊は孫策軍陣地に突撃、部隊はそのまま押し込ませますが恋殿と親衛隊の少数のみそのまま抜けさせ袁術軍を強襲。恋殿の突破力なら問題ないと思われます」
「……大丈夫。恋が道作る」
「お願いするのです。ただ恋殿、孫策軍突破の途中で将と遭遇しても戦わず敵兵のみに被害を増やしてくだされ。恋殿が負けるわけありませんが、今回は敵の数を減らす事に重きを置いて欲しいのです。特に袁家の軍は盛大に大破させてやるのですぞ。それと袁術軍に続き袁紹軍陣地もかき回した後、銅鑼の合図で曹操軍の後背を突きこちらに戻って来てくだされ」
「わかった」
 コクリと、小さく返事をしてから一つ頷く恋殿の姿はいつも通りで自身の心が尚、奮い立った。
 守るものがある飛将軍の武は誰も折れない。敵が万いようとも。だからこその少数での攪乱作戦。それに呂布親衛隊の上位も一介の兵士十人以上に匹敵する力を持っている。
「霞の部隊は曹操軍陣地に強襲をかけ、できる限り兵で攪乱するのです。抜くことは考えず、その場に縛り付けるだけで。ある程度戦ったらねねが合図を送るのでそのまま陳宮隊と入れ替わり、洛陽まで最速で下がるのです」
「了解や。けどねね、ほんまに大丈夫なんか?ねね一人で両軍の後軍の指揮するんはめっちゃ大変やで?」
「ふふふ、それくらいできないと恋殿の隣に並び立つ軍師として失格なのですよ。ねねが二人も守るのです」
 そう言うと恋殿が頭を撫でてくれた。霞はうんうんと頷いていつもの優しい笑顔で自分達を見ている。
「ねね、任せた。頼りにしてる」
「うちも任せた。ねねの想い、受け取ったで」
 暖かい気持ちが溢れてくる。愛する人と信頼する友に頼りにされる。これほど嬉しい事は無い。
「はいなのです! では二人とも、そろそろ部隊に向かいましょう。欲しか頭にない獣たちを、月の光を背に喰らい尽くすのです!」

 †

 夜襲を想定して陣をある程度空にし、後方に部隊を配置していた。
 空陣前の明かりで奴らが抜けてくるのが確認できた。
「本当に来おったわ。公瑾の言った通りになるとはの。先頭は……呂布か。化け物相手は一人では無理じゃのう。兵達よ! 呂布が来た! ありったけの矢で歓迎してやれ!」
 言いながら自分も愛弓に矢をつがえ、呂布に狙いを定めると、まだ遠くにいるのに何を感じ取ったのかこちらと目が合う。
 瞬間、身体に悪寒が走った。圧倒的な死の気配が足元から髪の毛の先まで纏わりつき、構えがぶれそうになったが気力で抑え込んだ。
「恐れるな! まだ遠い! 合図まで待て!」
 浮足立った兵達が矢を放ちそうになっていたので大声を上げて制する。しかし恐れるなとはよく言ったものだ。自分も同じだというのに。
「……三、二、一、放てぇ! 次、直射するぞ! 部隊構え……放て!」
 次々と放たれ、放物線を描く矢と真っ直ぐに力強く飛んでいく矢は呂布の部隊に吸い込まれ、敵の影をまばらに引き倒していく。
 ただ――誤算があった。
 先の矢の届くより早く呂布が単騎で突出してきたのだ。自分が放った矢は難なく躱され、兵の直射は全て長い得物によって弾かれている。そして単騎のみの突撃の速さは迎撃態勢が整う前にこちらの部隊に届くほど。
「いかん! 呂布は後ろに流すのだ!」
 叫ぶと同時に呂布が兵めがけて突っ込むのが見えた。
 兵の叫びは暴風にかき消され、馬上よりの一撃で兵が五人は吹き飛び、宙を舞う。
 鮮血が夜の月を彩り、続けて人が紙の如く弾き飛ばされていく。
「化け物が!」
 毒づきながら矢を構え呂布に向けて放つ。しかし意にも返さない様子で、振り返りもせず軽く振った方天画戟に弾かれた。そのままの動作で放たれた方天画戟の一振りによって鍛え上げた兵が幾人か千切れ飛んだ。
 その光景に背筋が凍り、弓を持つ腕にふつふつと泡が立ち始める。
「呂布よ! 天下無双が兵をただ惨殺して楽しいか!」
 感情を振り払うように大声で叫び、自身をも奮い立たせる。
 勝てるわけがないが少しでも意識を逸らさせたい。こちらに来たら逃げるが。あれとは一対一では数合と持たないだろう。
 だが呂布はこちらには見向きもせずそのまま突き進んで行った。次第に小さくなる影に戻ってこない事を確信し、安堵を覚えてしまっている自分に舌うちをしながら兵に指示を出した。
「呂布隊が来る! 迎撃しつつ緩やかに後退せよ!」
 あれは止められない。ならばどこまでも抜けて行け。初めから厄介事は袁術に押し付けるつもりなのだから。
 たった一人によって混乱を大きくされ、壊滅させられるわけにはいかない。
 今は少しでも兵同士での被害を減らさなければ。もう一つ恐ろしいのはこの混乱も公瑾の予測の範疇という事。
 確かに公瑾の言う通り、本気の混乱でなければあの女狐は騙せないだろう。
 そのために犠牲になる兵の無念を想いながら。今は自分が出来る事を。

 †

 夕食後の蜂蜜水を美羽様に出し、ゆっくりした時間を堪能していると動きがあった。
「七乃、妾の陣の前の方が騒がしいのは何故じゃ?」
「そうですねぇ、敵さんが攻めて来たんじゃないでしょうかぁ」
「ななな! 大丈夫なのかえ!?」
 手を口の前に持って行き、いかにも心の底から驚いて飛び上がった小さな主の姿に微笑みが零れる。
 慌てる美羽様も可愛い。話してよかった。
「大丈夫ですよぉ。夕ちゃんと話し合ってあの三人を借りておきましたからねぇ」
 対価は相応だったがなんとかなる。袁家上層部の目を誤魔化すのは骨が折れるが。
「……麗羽は嫌いじゃがあの三人と田豊は好きじゃ。無事帰って来てくれるのか?」
「あれらは守りに入ったほうが強いですからなんとか耐えるでしょう。それに田豊さんのことです。他にも対策をしているでしょう」
 目を伏せ、呟いてから私に涙目で訴えかける美羽様に、兵の被害を気にしているのか利九ちゃんが苦虫を噛み潰した顔をして説明する。
「なら安心じゃの! そういえば孫策もおるし」
 今思い出したのか。本当に孫策さんが苦手と見える。
「美羽様は安心してこの後陣のお馬さんの上で寛いでましょうねー。利九ちゃん、ちょっと」
 そう言って小さな主を馬に担ぎ上げ、利九ちゃんを少し離れた所に連れ出す。
「七乃様……私は今回の策、納得できません。やはり私も――」
「あなた一人が出て行って何ができるんですか? せっかく孫策さんと袁家の目を欺く為に新兵だけで先陣を組んでいるのに」
 立ち止まるとすぐに慌てた様子で口を開いた彼女の顔の前に人差し指を立てて言葉を遮り話す。
 この子にはしっかりと言い聞かせないといけない。
「しかし――」
「美羽様は何も知らないまま、綺麗なままで暮らさせてあげたいでしょう? あんなに優しい子にこの乱世は耐えられないんですから」
「……分かって……おります」
「なら私たちが背負うしかないんです。例え何を犠牲にしても」
 言うと彼女はギリと歯を噛みしめ口を噤んだ。
 まだ甘い。せっかく有能なのにもったいない。何が大切で、何を守りたいか不確定なままではいつか食い殺される。
 この子と私たちの不幸は袁家に関わった事。
 対して幸運は、逃げ出せるだけのギリギリの能力と同士を得られた事。
「大丈夫ですよー。きっとなんとかしますから」

 私の最大の幸運は美羽様に出会えた事。
 愛しいあの子を守る為に私は何にでもなろう。
 その先がたとえ自身の破滅しかなくても。

 †

「なぁ、雛里。今日の曹操の攻め、どこか変じゃなかったか?」
 共に装備の残数確認を行っている雛里に自分の感じた違和感を伝える。
「……秋斗さんもそう感じましたか」
「ああ、いつも通りなんだがどこか気概が違うというか……」
 やはり、といった感じでこちらを見上げて話す雛里の瞳には知性の光が灯っていた。
 そう、ここのところ毎日同じ攻めだったはずが夕方まで少しだけ士気が高かったように思う。
「もしかしたら何か今の現状を打開できるような情報が入ったのかもしれません。しかし今それを確かめる術が私たちにはないので……」
 俺たちの情報網の薄さは連合一だろう。
「今から曹操の陣まで聞きに行くってのはどうだ?」
「さすがに連日の攻城戦で疲弊しているでしょうし……それに曹操さんの性格上、何も対価を出さずに教えてくれるとは思いません」
 問いかけるが、雛里が返した答えの方が正しかったので自身の提案の浅はかさを自覚した。
 曹操がタダで情報を教えるような人なら桃香と気が合いそうだ。
「……うーん。しかしこの違和感が拭えないと寝れそうにないな」
「ちゃんと寝ないとだめですよ?唯でさえ長期の遠征でお疲れなのに」
「心配ありがとう雛里。そういえばお前も最近は軍議続きであまり寝れてないんだろ? 大丈夫か?」
 長い戦は疲れが溜まりやすい。寝ないと脳の働きも鈍るし心配だ。
「ふふ、秋斗さんも心配ありがとうございます。ある程度はちゃんと寝れてますから大丈夫ですよ」
 口に手を当てて上品に微笑んだ雛里に思わず見惚れてしまう。
 可愛いなぁ。ホントいい子だ。
「ならよかった。早く戦を終わらせて甘いものでも食べたいな」
 そう言って頭を軽く撫でてみる。
「あわわ……秋斗さんはどうしていつも頭を撫でるんでしゅか!」
「そりゃ可愛い子の頭は撫でたいからな」
 あわあわと慌てながらいつもの如く噛んでしまったのと、俺の返答に照れたのか帽子を下げて俯いてしまった。 こういうやりとりをしていると戦中なことも忘れられて心が楽になる。
 そのまましばらく二人で無言でいると外が騒がしくなってきた。
「何だ?」
 陣内のおかしな雰囲気に疑問を感じ、二人で幕の外に飛び出しあたりを確認すると、
「お兄ちゃん! 雛里! 董卓軍が夜襲を仕掛けてきたのだ!」
 こちらに急いで向かってきた鈴々が大声で告げる。
「なんだと!?」
「今は孫策軍と曹操軍が対応してる! 急いで戦う準備をするのだ! 愛紗は先に兵のまとめに動いてるから!」
「わかった! 雛里、行こう」
 雛里がコクリと頷いたのを確認してからそれぞれの持ち場に向かう。
 違和感はこれか。曹操はこの夜襲を読んでいたんだな。士気が高かったのは攻城戦を強く行い今日は兵の疲弊が大きくなっていると少しでも油断させるためか。
 わざと情報開示しなかった狙いはなんだ?
 いや、今はいい。来てしまったものに対応しなければ。
 俺たちの陣は曹操軍側の後ろ。簡単に抜かれる事はないだろう。それより袁紹軍よりに戦力を集中するべきかもしれない。
 胸騒ぎがする。最強の武が近いからかもしれない。ふいにシ水関での夕の言葉が甦る。
『曹操軍でも抜かれる』
 脳内で響くその言葉に若干の焦りを覚えながら俺は自分の部隊を整えに向かう。
 着くとすでに集合していた部隊に面喰らうも、愛紗が説明をしてくれる。
「秋斗殿、あなたの部隊は徐晃隊副長が整えてくれましたよ」
 副長は本当に頼りになる。義勇軍の時からずっと一緒に闘ってきた仲だしな。
「副長、ありがとう。じゃあ――」
「袁紹軍から伝令! 呂布への対応のため関羽、張飛、徐晃三将軍は少数部隊を率いて至急袁紹軍が陣前に移動されたし!」
 兵に指示を出そうとしたら急ぎの伝令が俺たちに告げた。
 拒否権はないだろう。使いっぱしりも楽じゃないな。

 †

 柵の強化は万全。神速が来るのを警戒していた将兵達の対応は完璧といえた。しかしやはり彼女も本物の武将。一筋縄ではいかない。
「ちぃっ! 読まれ取ったとしても対応速すぎやろ!」
 春蘭の部隊と秋蘭の部隊で張遼隊の主力は抑え込ませているが若干押し込まれている。
 二人の隊を相手にここまで押し込める用兵などそうはない。彼女の実力に感心しながらも隣に控える春蘭に指示を伝える。
「春蘭。張遼の意識を引き付けてきなさい。あなたならできるでしょう?」
「はっ!」
 あの子に引き付けさせて秋蘭で周りの対応を。
「凪、真桜は最右翼の援護に向かいなさい。出過ぎず、徐々に押し込まれて戦線をじわじわと下げること」
「「御意」」
 張遼が引くまで持たせるだけでいい。その後は陳宮率いる部隊の相手。凪達のいい経験になるでしょうね。そのため各隊には防御主体で指示を出してある。
「華琳様。呂布隊が孫策軍を蹂躙しています」
「そう、抜かれた先は袁術の陣。数だけは多いのだから時間稼ぎくらいにはなるでしょう」
 袁術にここで死なれては困るがあの張勲がいる。確実に何か手は打っている。
 孫策軍は味方にして使えているうちはいいが目の上のコブ。あらゆる手を尽くして内部事情を調べているはず。今回の事も情報が入っているだろう。
 だがひっかかる。何故もっと奥に下がっていないのか。そうか……わざと被害を受け孫策を安心させる気か。元が袁家の戦、袁紹軍も噛んでいるのか。麗羽は別としてあの田豊が手を組んでいないわけがない。
 まだあれらに退場されては困る。
 あの二人にはもっと働いてもらう。内部の腐った林檎の除去を私の代わりにさせなければ。
「桂花、あなたの予想を聞かせなさい」
「これから田豊の指示で劉備の将が動くと思われます。もし我が軍の後背に呂布が来た場合どうしますか?」
「その時は陳宮と合流させるための道を作りなさい。後に虎牢関に向かうであろう孫策にも再度痛手を与えてもらう」
 袁術の被害に見合う形で。一番乗りなど呂布の被害に比べれば安いものだ。
 後方に抜けさせず、洛陽までの追撃で力を削ぐほうがこれからのために何倍もいい。
 虎牢関を抜けた後は関がないので馬超と公孫賛がよく働いてくれるでだろう。
 こうすることによって洛陽に着いた時に我が軍が連合において被害が少ない部類に入り、且つ張遼と当たる確立が増える。
 張遼さえ手に入ればこちらにとっては最大の功なのだから問題ない。
 呂布が洛陽まで辿り着いたとしても隊が少数ならば簡単に押し付けられる。
 ふと見ると桂花が恐怖と歓喜の入り混じった眼で私を見つめている。私の思考の先を読んだのか。
「桂花、私の軍師ならば私の考えを全て看破してみせなさい。そうして初めて私の王佐足りえるのだから」
「はい! 生涯掛けましても必ず!」
 いい返事。できればこの子のために袁家の呪縛から田豊も救ってあげたい。
 それはまだ先になる、か。
 先に向かう思考を続けながら今の自軍の戦況にも目を向ける。
 予想より陳宮の用兵が上手い。もう少し時間が欲しい。
「沙和の部隊も出なさい。真桜と凪に合わせるように動き、一度押し返しても構わない。桂花、春蘭と秋蘭の部隊への指示は任せるわ。私は三人の補佐をする」
「「御意」」
 さあ、ここから今回の戦場という生き物はどう動くのか。

 †

「うっわ、あれ無理じゃない?」
 遠くで人影が飛ぶのを見て戦慄し、恐怖を悟られないように軽く言葉を吐く。
「何言ってんのさ張コウ。あたいたちが止めなきゃ誰が姫を守るのさ」
「文ちゃん、今回は袁術軍の補佐だよ」
「ばっか斗詩! ここでやっつけちまえば終わりじゃんか!」
 ため息混じりに諭す顔良を豪快に笑いながら根拠も無しに跳ね返す文醜。あんたがバカだよ。あれは無理、格が違いすぎるんだから。
「まあ時間さえ潰せばいいし三人で稼ごうか。ね、顔良」
「うぅ、正直不安しかないよちょこちゃん」
「二人とも気合が足りないぜ?」
「はいはい、どうせあたしはいつもやる気ないよー」
 不安しかないのは同意する。秋兄達が来るまで持つかも分からないのだから。かと言って二人を見殺しにだけは絶対にできない。
 この状況を読んであたしたちの袁術軍配置を夕に指示した七乃に怒りが湧く。
 七乃め、お前はどっちの味方なんだ。ああ、ただ公路の味方なだけだった。
「りょ、りょりょりょ呂布だぁぁぁ!」
 思考に潜っていると兵の絶叫が聞こえた。ついに袁術軍中軍まで到達したか。
 重たいモノがぶつかり合う音が間近に聞こえ、月明かりではっきりと見える空に人影が蝶のように舞っていく。
 そうして抜けてきた影から殺気がそのままぶつけられた。
「斗詩!」
 文醜が顔良の前に下から武器を振り上げ、重厚な金属同士の鳴る音が二つ聞こえた。
 顔良も武器を構えどうにか堪える事が出来たようだ。文醜の咄嗟の判断がなければ真っ二つだったかもしれない。
 あたしは少し止まった敵に向かって鎌を振りぬく。だが、赤い髪を二つ触覚のように立てた化け物はつまらなそうに最小の動作でそれを避けた。
 続けて死角から鎌を振り切った反動で鎖分銅を投げつけるも、
「……無駄」
 無感情で無慈悲なその声が聞こえたと思ったら片手で受け止められていた。
「でぇぇい!」
 文醜と顔良の左右からの同時攻撃を行った。
 対して呂布は片手に持った戟を音もなく振り、二つとも一度に弾いていた。弾かれた勢いで二人はもんどり打ちそうになったがどうにか立て直したようだ。
 鎖分銅をつまらなさ気に地面に投げこちらを見やる呂布。改めてそのデタラメな武力を確認して逃げ出したくなる。
 あたしは顔良と文醜と共に囲むように相手と距離を置いた。しかしこんな化け物相手に時間を稼げと言うのか。
「はじめましてー。あたしは張コウっていうんだ」
 会話のできない獣じゃないと信じて名乗りを上げてみる。時間が少しでも稼げるようにと。
「……はじめまして?」
 いきなり斬りかかって来たくせに一応名乗りはさせてくれるらしい。首を傾げて呂布から紡がれた一言にさっきまでとは打って変わって和やかな雰囲気になった。
 でもやばい、この子可愛い。夕と並べてギュってしたい。
「あたいは文醜」
「顔良です」
 口々に自己紹介し合うと、
「……呂奉先、よろしく」
 何故か行儀よくぺこりとお辞儀をされた。
「一応聞くけど三体一でもいい?」
「……どうぞ。たくさんいても無駄。お前達じゃ恋には勝てない」
 その通りだけどそれを言ったらダメだ。
「なんだとぉ!? あたい一人だって――」
「文ちゃんダメ!」
 よく止めた顔良。さすがに洒落にならない状況なんだからイノシシはよくない。
「呂布、ありがと。じゃあちょっとあたしたちに付き合ってねー」
「……来い」
 呂布は戦闘用に意識を切り替えたのか方天画戟を肩に担ぎ一言。それだけで辺り一面に死の気配が一気に溢れ出した。
 頼むから早く来て。さすがにこんな化け物相手は無茶だ。

 †

 袁紹軍の陣の前に着くと同時に袁術軍の方へ行けと指示を出された。
 呂布を止めろ、と。
 三人共を呼んだのは夕の判断だろう。事の重大さは伝わった。
 連合総大将の軍への単騎突撃。本来ならそんな無茶苦茶な事ができるわけがない。常軌を逸した存在がいない限りは。
 剣戟の音が戦場中に響いていたがその場は特に異常だった。
 鈴々も愛紗も異質な空気にいつもとは違うモノを感じているのか無言だった。三体一で全く歯が立っていないのだ。
 遊ばれているようにも見える。
 本気を出せばいつでも殺せるように見える。
 そして三人の攻撃をいなしながら周りの兵を殺している。デタラメにもほどがある。
 俺は走りながらまだ少し遠くの赤い髪の悪魔と目が合った。
 ドクンと心臓が跳ね、耳鳴りが高く鳴り響き、脳髄の奥から警鐘が鳴り続ける。

 逃げろ、今は死ねない

 強迫観念にも似たモノが込み上げてきて、反射的に身体が震える。この世界に来て初めて体感する本物の死の恐怖が心を襲ってきた。
 思考が巡り恐怖が心を捉えて離さない。
「秋斗殿、鈴々、覚悟を」
 突然の愛紗の言葉が耳に届きさざ波のように反芻された。
 覚悟を決めろ、生き抜く覚悟を。
 心を止めろ、恐怖の震えを。
 自分で自分を鼓舞し、落ち込む思考を無理やり前に向け、
「あれを止めよう」
 自分のすることを言葉にすると恐怖がほんの少しだけ薄らいだ。
「お前が呂布だな!?」
 愛紗はあらん限りの闘気をぶつけて言うと、呂布はこちらに意識を尖らせコクリと頷いた。
「我が名は関雲長! 平原の相、劉元徳が臣なり!」
「張翼徳、右に同じくなのだ!」
「……徐公明、尋常に勝負、とはできそうにないな」
 ヒーローモノの悪役みたいな登場だなんて考えながらさっきまで戦っていた三人に向け頷く。
 これ以上の被害を増やさないよう、自分達も死なないよう守り一辺倒で戦っていた三人はどこか安堵したようにその場から散った。呂布軍の兵が袁術軍に到達したためか。
 彼女らの体はそこかしこに傷があり疲労は見てとれるほど。いつも飄々としている明でさえ青ざめた顔になっていた。
「秋兄、ごめん。任せた」
 通り過ぎ様に明が呟く。無茶を言うな。
「呂布! 武人として卑怯かもしれんがお前相手ではそうも言ってられない! 三人で当たらせてもらう!」
 三人が完全にこの場から確認したのを見てから愛紗が叫ぶ。だがその通りだ。こちらとしても一人じゃ敵わないのだから。
「……お前」
 不意に俺を指さしての一言。
「……は?」
 いきなり呼びかけられて一瞬だけ思考停止してしまった。
「……華雄のカタキ」
 言葉が紡がれた途端、辺り一面をありえないほどのプレッシャーが襲った。
 飛将軍の本気の殺気に充てられて周りの兵が蜘蛛の子を散らすように逃げ出し始めた。愛紗と鈴々は腰を落としてすばやく迎撃態勢を取る。
 心に殺しきれなかった恐怖が再燃する。逃げたくなる心を抑え付け自分も迎撃態勢を取った。
 その時頭にノイズが走り、懐かしい白の世界が頭をよぎった。すると突然自分に纏わりついていた恐怖が霧散した。
 冷えた頭で華雄の最期を思い出す。自分が決めた覚悟も同時に。
「憎しみから俺を殺すのか?」
 無意識の内に口を突いて出たのは疑問だった。
「……恋は皆を守る。それが華雄のため。ただ――」
 そこかしこに飛ばされていた殺気は収束しはじめる。俺に向けて一つの槍のように。
「――お前は恋が殺したい」
 向けられる想いは純粋な憎悪。俺が受けてしかるべきモノ。
 瞳に映る昏い炎を真っ直ぐに見つめる。
「そうかい」
 ゆっくりと剣を上げ、構えを変え、
「すまないが、まだ死ねないな。先の世に想いを繋ぐために」
 一層強くなる気当たりに圧されそうになるが目を逸らさず耐え、
「三体一だが怨むなよ?」
 前までなら渦巻いていたはずの感情を凍らせ、ただこの場を生き残る為に思考を開始する。
「……誰がいても同じ。お前達はここで死ね」
 その言葉を皮切りに四人が同時に動き出した。


 

 

~幕間~ 月を守る者、月に照らされる者


 柔らかな午後の日差しに甘い匂い。それと楽しそうな笑い声。
 枕も使わず寝ていたから首が痛くなっているかもしれない。
 ゆっくりと目を開けるとそこには儚げな少女と仕事仲間が笑い合っていた。
 ねねはまだ自分に抱きついて眠っている。
「あ、起こしてしまいましたか。ごめんなさい」
 優しく耳に響くその声に自分は気にしてないと首を振る。
 ここで気付いた。自分はこの少女に膝枕されていることに。
「その……余りに気持ちよさそうに眠っておられたのですが、枕も無しには首が痛くなってしまうかと思って、私の膝を枕代わりにさせて頂いたのです……」
 彼女は両頬に手を当てながらもじもじと申し訳なさげに言う。
「……いい、あったかい」
 頬を膝にすり寄せ素直に感想を述べると彼女はこそばがりながらも嬉しそうに微笑んだ。
「ええなぁ……恋、うちも変わってほしい……」
「お前はだめだ張遼。どことなくいやらしい」
「なんやと華雄!? うちほど清純で清楚な乙女おらんやろ!?」
「服装を確認したらどうだ! この露出狂が!」
「お前も変わらんくせによう言うわ!」
「一緒にするな!」
 いつもの喧嘩が始まってしまった。
 でもこれは二人が優しくじゃれ合っている証。月が来てから二人は変わった。
 お互いが尊重し合い、衝突しても険悪な空気にならずにすぐ仲直りする。
「お二人とも、喧嘩はダメですよ。霞さんも後で少しだけなら」
 こんなふうに月が優しく止めてくれる時もある。
「だめ、ここは恋の」
 陽だまりの草の上に似た暖かいこの場所は自分だけのものにしたい。
「な、なんやて!? 恋、後生やから譲ってくれ」
「……やだ」
「そんな殺生なぁ……」
「はっはっは! 張遼も呂布にとられては手がだせんか! ……月様、それより呂布にお話があるのでしょう?」
「へぅ……そうでした」
 自分に話? なんだろうか。彼女は悲しそうな顔で戸惑いながらも言葉を口にする。
「恋さん……戦うのがお辛いのでしょう?」
 月は鋭い。皆が分からないことも気付いてくれる。二人は少し驚いたようで、目を見開いていた。
「……なんで?」
「その……戦った後に、哀しそうな瞳をされておられたので……」
 自分の気持ちを分かってくれている。
「恋にできるのは、戦う事だけ」
 そう、小くて弱い人たちをただ殺すことしかできない。でも理由を貰った。
 彼女は眉間に皺を寄せて目に涙を溜めている。
「……ごめんなさい。あなたのような優しい人を戦場に立たせてしまって」
 違う。自分は守りたいだけだ。
 大切な家族を。
 大事な仲間たちを。
「……月達は恋が守る。恋がそうしたいからする」
 守る為に戦う事を教えてくれたのは月。
 ただ言われた通りに殺すだけの日々に疲れていた自分に、戦う意味をくれた。
 そして敵にも同じような人がいると気付かせて、味方も守りたいものがあると教えてくれて、ちゃんと痛みを感じられる『人』にしてくれた。
 もう自分は言われたままに戦う人形じゃない。
「だから泣かないで。月が泣くと、恋も悲しい」
 頭をゆっくりと撫でると簡単に折れてしまいそうな少女は微笑んでくれた。
「私も、私にできる戦をします。どうかご無事で」
 小さく頷き彼女を安心させて、自分はゆっくりと目を閉じこの幸せな時間を堪能することにした。
 月は少しでも恋の痛みを和らげたくてこんなことを話してくれたんだろう。
 この優しくて、強くて、暖かい少女だけは誰にも傷つけさせない。

 †

 洛陽にて、霞からの急ぎの伝令に報告を聞いた。
「華雄将軍、シ水関にて戦死されました。敵将は劉備軍が将、徐晃。将軍は敵からの余りに過ぎた暴言に怒り、董卓様の誇りを守る為にシ水関から討ってでられ、敵の分離策にはまりそのまま一騎打ちにて」
「張遼将軍は止めなかったの!?」
「それが……あのようなっ! あのような暴言には張遼将軍も耐えられずっ……本来なら一当てして、虎牢関まで引き三将軍で対応をするつもりだったのですが……っ!」
 涙ながらに語る伝令は悔しさから拳を握りしめその先が紡げなかった。
「……わかったわ。報告ありがとう。あなたは下がって休んでいて」
 これでこちらの敗色が少し濃くなった。
 欲を優先する臆病な十常侍は動き出す。しばらくは抑えられるが持たないだろう。
 華雄が死んだ。自分も悲しい。けど軍師としての思考が心よりも優先される。
「誰かある!」
「はっ」
「虎牢関に伝令。至急張遼将軍、帰還されたし」
 早く呼んでおかないと月が捕らえられて生贄にされる。そのままこちらが勝ったとしても捕らえられている間にも言葉にするのも憚られるほどの辱めに合うだろう。それだけは避けなければ。
 今はねねの状況判断を信頼するしかない。
 霞と恋の二人とも帰って来て欲しいがそれでは勝ちの目が潰えてしまう。
 自分なら奇襲をかける。戦の戦況を傾かせるような。
 現場の状況はその場にいる軍師の判断に任せた方が的確なためこちらから口出しはできないが。
「詠ちゃん」
「月!? ……聞いてたのね」
「うん。華雄さんが……」
 涙で言葉が続かず崩れ落ちてしまう。
「ごめん、月。ボクの力が足りないばかりに」
「……詠ちゃんの、せいじゃない。私の……」
 そこで月の言葉は途切れて消えて行ってしまい、部屋に嗚咽だけが響く。
 自分の不甲斐無さと、欲に塗れた獣達への憎悪に自然と拳が握られた。
「月、よく聞いて。まだ負けじゃないけどこれから十常侍が動き出す。捕まらないようあなたを安全な所に避難させるわ。霞が帰ってき次第そいつらが動いていたら処理をしてもらう」
 捕らえようと動いたならこちらもやり返すだけだ。確実に動くのは分かりきっているが。
「……私は結局、守られる事しか、できないのかな」
 しゃくりあげながら呟かれた独り言を聞いて罪悪感が押し寄せる。
 本当なら涼州でゆっくり太守として国を守っているはずだったのに。
 この状況になってしまったのは自分の責任だ。
 予測が足りなくて、くだらない権力争いに巻き込ませてしまった。
 あそこで平和を作っていたはずなのに。
「月、部屋で休もう? 移動までに少しでも」
 ゆっくりと抱き上げて支えながら部屋に向かう。
 せめて親友であり、大好きなこの子を守り切りたい。
 そのために皆戦ってくれている。
 自分には他に何が出来るのだろうか。
 まだ五分五分のこの戦で。いや絶対になんとかしてみせる。
 ごめん、ねね、霞、恋、そっちは任せたわよ。
 ボクはここで出来る事をする。
 華雄、ごめん。月だけは何があっても守ってみせるから。

 †

 シ水関から帰ってきた霞は悔しさと助けられなかった華雄への罪悪感で泣いていた。
 ここは虎牢関執務室。他の兵は出払わせている。恋殿と自分しかいない。
「すまん……すまん、うちは……華雄を……」
 聞いた情報なら仕方ない。むしろその時機で帰る決断をした霞は褒められてしかるべき。
 自分達もその場に居れたなら無事だったかもしれない。
 しかし後の祭り。失われた命は帰ってこない。
 自分には掛ける言葉がなかった。
 恋殿が動いて霞をゆっくりと、しかし力強く抱きしめる。
「……霞、守ろう。華雄の分まで」
 うんうんと頷きながらもすまんと繰り返す。
 月に忠誠を誓ってから驚くほど仲が良くなった彼女の気持ちは自分達では汲みきれない。
 自分も後ろから霞に抱きつく。
 涙が出てきた。
 あの大きな、女のくせに男らしい笑い声が頭の中で反芻された。
 きっと今の自分達を見たら彼女は笑いとばす。
 いや、怒るかもしれない。
 腑抜けどもめ、そんな体で月様が守れるか、と。
 でも大切な友だった。
 自分たちの涙が止まらないほど大事になった人だった。
 せめて彼女の想いは繋げよう。
 月を守る。
 月の想いを守る。
 そのために戦い、勝つ事が自分たちにできる彼女への弔い。
 だから先に待っていてほしい。
 いつか自分が死んだら、胸を張って守り切ったと言うから。
 その時はいつもみたいに笑って迎えて。

 それから数刻泣き続け、落ち着いた頃に三人でそれぞれの覚悟を胸にこれからの事を話し合った。

 

 

人中と例外


 呂布の走行上、先頭に鈴々が踊りだした。凶暴な速さを以って唸りを上げる蛇矛は、その悪魔を粉砕せんと振り下ろされる。
 呂布はそれを片手で軽々と受けきり、瞬時に反撃に移る動作を見せた。
 それを見た愛紗がさせまいと横に飛び出し偃月刀で袈裟に斬りかかる。だが軽く身体を捻っただけで躱されてしまった。
 その先、そこ一点に読みを集中して放った自分の突きは敵の身体を貫くことが無く、代わりにと放たれた柄での脅威的な速さの一撃が襲い来るも、膝を抜いての前転でなんとか避けた。
 振りぬかれた画戟を二人も躱して飛びのき、次の追撃を警戒し呂布に目線を置く。
 呂布は少し気怠そうにゆらりと肩に武器を担ぎ、片手でちょいちょいとこちらを挑発した。
 たった一回の交差で相手との実力の途方の無さに愕然とする。
 これが呂布か。なるほど、確かに化け物だ。
 自分の後ろ向きな思考のくだらなさに小さく舌打ちをして再度の攻撃に移ることにした。
 次に行ったのは膝を抜いての縮地から剣での横薙ぎ。
 肉薄まで微動だにしなかった呂布は画戟をするりと下げて剣を受け止め、衝撃を受け流すように武器を回して斬りかかってきた。
 その動きに合わせるように地面を蹴り抜き回転し、振りおろしを避けながら回し蹴りを放つ。
 しかし、驚くべきことに呂布が振りおろし掛けたはずの戟は、突如軌道を変え俺の身体に向かい来る。
 咄嗟に膝を折り、身体ではなく画戟に狙いを変え鉄板入りのブーツで襲い来る武器を弾いた――
 ――瞬間、身体が吹き飛ばされる。飛ばされた時に大きな金属音が高く響いていた。
 ギシリと膝の間接が軋んだが気にせず受け身を取り、すぐに目を向けると鈴々が敵の画戟を受け、呂布相手に鍔競り合いを仕掛けていた。
 耐えてはいるがこのままじゃもたない。もっているうちにと二人に向かい、地を蹴って最高速で駆け寄る。
 愛紗もそれを見てとったのか呂布の横合いに高速の突きを三連放った。そしてこちらも合わせるように三連。
 三つの武器がぶつかり不快な耳鳴りを起こす不協和音が響く。三人が三様に武器を引きつけ身の安全を計った。
 呂布はというと鈴々と俺の脇を武器を引きずり、合わせて斬りかかることもなく、するりと抜けて出て行った先で、
「さっきのより強い。けど、恋より弱い」
 こちらを見やり一言。
 憎しみに目が曇ればまだやりやすいモノだが、さすがは人中の呂布。
 そんなものには左右されず、こと戦においては感情など意のままに操れるか。
 いや、今回は内に煌々と燃えたぎるようにして力に変えている、か。
「これほどとは……」
「こいつ……やばいのだ」
 二人は口々に焦りの言葉を吐いた。両方ともまだ無傷、しかし紙一重である。
 先ほどの三人との戦いの動きよりは速く強い。だが、やはり手を抜かれているように見えた。
「なぁ、呂布」
 ふっと息を吐くように言葉を流し、互いに目線を合わせる。
 無言でこちらを見る目には先ほどとは違い、憎悪以外の感情が見て取れた。
「お前はなんで本気を出さないんだ?」
 二人も気付いているようだった。しかし怒りの雰囲気は感じられない。
「……覚えておくため」
 ああ、そういう事か。
 こいつは少しでも認めた相手を、その全力の武を見ることで心に刻んでいるのか。
 憎悪の対象でも敬意を持って。
 誰も追いつくことの無い武を持つ彼女ならではのやり方。
 彼女はまさしく人中と言えた。
 愛紗も鈴々も普通なら手を抜かれているのかと怒っても不思議じゃないが、彼女の言葉足らずな説明の真意を理解し納得していた。
「お前……なんか変。どうして戦ってる?」
 俺に向けられたその言葉は普通戦場で放たれるモノではない。俺から何を感じ取ったのか。
「……少しでも守り、繋ぎたいから、かな」
 堕ちる人を、生きる命を、散りゆく想いを。
 先は言わずとも伝わったのか彼女は一つ頷いて話し出す。
「大丈夫。お前が死んでも恋が連れて行ってあげる」
 強い光を宿した瞳とともに紡がれたその言葉は心に染みわたり、俺は少し許された気がした。
「秋斗……殿……?」
「お兄ちゃん……どうして泣いているのだ!?」
 ポタリ、と一粒落ちる雫は俺の心から溢れ出た想いのカタチか。おかしいとは思うが、自身を殺そうとしている相手に感謝の念が湧き出てしまった。
「……クク、気にするな二人とも。呂布、感謝する。だが俺の、俺たちの為すべきことの為に、お前を倒すよ」
 言い放つと戸惑っていた二人も疑問を抑え付けて今の現状の打開のため気を引き締めた。
「ん、わかった。ここから恋も全力。……行く」
 そのまま殺気のみじゃない気があたりを包む。
 そしてただの暴力ではない真の武が俺たちに向けられた。

 †

 十分に袁術軍の被害は出せたと言える。まさか中軍に袁紹の将がいるとは思わなかったが。
 部隊を連れていなかったため、交流のある紀霊の所に行こうとしていたのだろう。
「いい具合ね、雪蓮」
「……そうね」
「どうした? いつになく歯切れが悪いじゃないか」
 疑問を口に出すがわかっている。このような返事をする時はいつも勘が働いている時だ。
「……そういう事か」
 ギリと歯を噛みしめ憎らしげに一つ呟く雪蓮。
「何がだ?」
「一杯喰わされたのよ。きっとこの被害も計算の内だわ」
 雪蓮に言われて思考を開始する。
 奴等の先陣と中軍の被害は甚大。呂布による混乱と見せかけ乱戦まで持ち込んだ。
 確実に袁術軍の戦力は削いでいる。こちらは敵を押し付けて最小限に被害をとどめている。
 我らの策は上手くいった。
 そこで違和感が顔を覗かせた。
 あの女狐相手に上手くいった。いや行き過ぎている。
「じゃあこれは――」
「そ、またあいつの掌の上ってわけ。被害を受けているのは新兵ばかりよ」
 雪蓮はいら立ちからか剣を鞘から抜き差しして気を宥めながら言いきった。
 三人の将は呂布個人に対する袁術本人の防衛のため。先陣でなく中軍に、それも将のみがいたのはこちらの情報が洩れていないと思わせるため。
「……ならもう茶番を続ける意味はないな」
「こっちもこのままじゃ被害が増える一方だもんね。サクッと押し込んだほうがいいかも」
 そうするにしても孫策軍のおかげで持ち直した、と周りには思われない。そろそろ袁紹軍の将がこちらまで来るはずだ。混乱を共に収めたとしてもそいつらの名が上がる。
 悔しさで唇を噛みしめ少し血が滲む。
 ここまで計算しているのか。
 あの女狐だけではここまで見事に読み切る事など出来はしない。すると田豊、あれが裏で糸を引いているな。
「ここで虎牢関の一番まで取らせるつもりかもね」
「……いや、それだけはさせん。既に明命と思春に指示を出してあるから問題ないだろう」
 後々を見ても今押し返すのが最善か。
「雪蓮、少し本気で働いてもらうぞ」
「あら、もう我慢しなくていいのね?」
「ああ、頼む」
「じゃあ行ってくるわ」
 任せたぞというとひらひらと手を振って行ってしまった。
 見送りながら自分の見通しの甘さに拳を握りしめ、せめてここから少しでも有利に働けるようにと思考を切り替えた。

 †

 夏候惇に曹操軍の攪乱を邪魔されて一騎打ちをしている最中、後方から銅鑼の音が戦場に鳴り響く。
「惇ちゃんごめんなぁ。あんたと戦うんはめっちゃ楽しいねん。けどうちもやることあるさかい堪忍な」
 関羽の時といい今といい、本当に自分は運が無い。だが月を守るためなのだから自分の欲など二の次だ。
「待て! 張遼! 逃げるのか!?」
 策を読んでいたくせにこちらの状況がわかっていないのか。華雄と同じ匂いがする。こういう奴は嫌いじゃない。
「残念やけど、せやな。うちは撤退や。運がよかったらまた戦おうや。張遼隊、引くで!」
 身を翻し隊に指示を出し後軍の間を縫っていく。
 ねねが速めに撤退の指示を出したのは正解。読まれていた以上このまま長く続けると戦況はもはや取り返しがつかなくなる。
 確実に苦しくなった。
 まさか読まれていたとは思わなかった。伝令が着くと同時に関のあらゆるところに警戒を促しネズミは殺しきったはずだったが……関に入る所を見ただけで引いた奴がいたのか。
 後悔しても遅い。
 奇襲がうまくいったのは恋側のほうだけか。
 後軍の陳宮隊の旗の所に行くとねねが手を振っていた。
「霞! お疲れ様なのです!」
 元気良く声を掛けてくれるねねだが表情はどこか優れない。
「……気にすんな、ねね。洛陽で月のこと助けてからちゃちゃーっと戻ってくるから頑張って待っといてな」
 軽く口にするが安心させるための嘘だ。気休めくらいになればいいと思ってのこと。
 奇襲がばれていた時点で自分が戻る頃には洛陽に撤退しはじめているだろう。
「……洛陽は任せたのです。月を、詠を、恋殿の帰る家を」
「任せときぃ! こっちは二人に任せたで! それと次会ったらアレ喰らった時の敵の反応も教えてな!」
「ふふふ、霞には後で結果だけ教えてあげるのです。さあ、こんな所で道草を食っている場合ではないのですよ!」
 にやりと笑いながら言うねねにがっくりと項垂れてみせて不足を示す。結果だけとはつれないことだ。
「殺生やなぁ……まああんまり無茶すなや! ほなな!」
 そこまで言いきってねねの側を離れた。
 後ろからの「ねねの本気を見るのです!」と言う大きな声を確認して。



「お前達は呂布隊最精鋭、最強の勇者の軍! 何があろうと負ける事は許されないのです! 呂布殿の為に戦い! 呂布殿の為に死ね!」
 自分の語りに反応して兵から上がる怒号は全てをなぎ倒すよう。
 勝負はここ。今からが本当の正念場である。
 曹操の軍は連合でも最強。ならば死兵となって崩しておかなければ連合自体は崩れない。関に引いても守りきるのに足りない。いや、このままでは虎牢関を放棄するしかなくなる。
 温存していたこの隊は、自分の手足のごとく命令に従い死んでくれる、飛将軍に付き従う自分と同じ思考の部隊。
 孫策軍側は捨て置く。あちらはまだ時間があるのだから曹操軍に意識を集中すべきだ。
「先行していた陳宮隊は下がるのです! 太鼓を!」
 陳宮隊は音を聞くと素早く下がる。急な後退に一瞬の間が出来た。
「一、二、三、四小隊、突撃! 五、六、七、八小隊は後ろから矢を放て! 味方の突撃が当たるギリギリにです! その後、左右に展開し、後退している部隊を縫って押し込むのです!」
 戦場全てをざっと見回し最適の状況を無理やり作り出せるように指示を出す。
 恋殿率いる呂布隊は袁術軍と袁紹軍の中央に位置していた。曹操軍の後背を突くのは無理。なら乱戦の最中を突き抜けて孫策軍と袁術軍に被害を増やしてくれるはず。
「さあ、お高く留まった曹操に目にモノ見せてやるのですよ! お前達はいつも通りにこの陳宮の言うままに動くのです!」
 中央は恋殿が少しでも楽に戦えるように道を作っておこう。
「陳宮隊副隊長に伝令。虎牢関前と城壁にアレの準備を急がせるように通達するのです!」
「はっ!」
 今回の夜襲での最後はこの最終手段で必ず決める。この状況なら使えるはずだ。

 †

 自惚れは無かった。
 慢心も無かった。
 己が全てを出しきっている。
 周りとのいつも以上に連携もとれている。
 しかし三人がかりでも敵わないどころかキズ一つつけられていない。代わりにこちらは傷だらけ。
 その武は間違いなく他の追随を許さぬ天下無双。
「ぐっ!」
 躱しきれなかった戟の剣先が自身の腿を掠めた。
「おりゃりゃりゃりゃー!」
 私への追撃に動いた呂布に向かって放たれた鈴々の怒涛の連撃も、
「……単純すぎ」
 難なく躱され、最後の一撃に合わせるように返しの刃が襲いゆく。
「ぐあっ!」
 秋斗殿が間に割って入り剣で受けるが二人とも纏めて吹き飛ばされてしまった。
 一瞬止まったかと思うと高速でこちらに近づき連撃を放たれる。
 一撃、二撃、三撃……までは合わせられたがあまりの力にこのままではこちらの攻撃が間に合わなくなる。
 不意に連撃が止んだと思えば後ろから斬りかかった二人の武器を同時に弾いていた。
 その予備動作で行われた横なぎの一振りが私を襲う。
「っ!」
 武器で受けたが脚の踏ん張りが利かずそのまま吹き飛ばされ、受け身がとれず背中と頭を打ちつける。
 武器を杖にして立ち上がるがもはや満身創痍。先ほどの一撃のせいか、頭がふらつく。
「鈴々!」
 秋斗殿の声に反応し、顔を上げてぼやけた視界で見た先にはこちらに吹き飛ばされた鈴々の背中。
 なんとか受け止めたがこちらも後ろに倒れてしまった。鈴々は頭を打ったのか気絶している。
「鈴……々! 目を……覚ませ、鈴々!」
 その時どこかで銅鑼の鳴る音が聞こえた。
 音を聞いて呂布の動きが止まり、その一瞬に賭けたのか秋斗殿が突きを放った。
 だが彼の動きはいつもの精細さがあまり無く、剣は軽々と躱され、遅れて大きな音が聞こえ吹き飛ばされたのが見えた。
 彼が三人で一番傷を受けていた。
 器用で合わせるのがうまい彼は率先して私たちの守りを受け持ち、その大きな体は躱しきれずいた刃を多く受けていた。
 倒れた彼は起き上がろうとするが起き上がれないようで、ぐぐっと上体を起こそうともがくがそれ以上は変わらなかった。
 呂布は秋斗殿に近づいていく。
 咄嗟に鈴々を横たわせ立とうとしたが急な眩暈に前のめりに倒れてしまった。
 立とうともがくが身体はいう事をきかず、顔だけ上げて見ると呂布は武器を高く振り上げ何やら呟いている。
 自分の口から掠れた、声にならない叫びが漏れる。奴はこちらを見ようともしなかった。
 そして幾分か間をおいて上げられた方天画戟は月を裂き、倒れている彼に振り下ろされた。



 吹き飛ばされ、武器は放さなかったが受け身が取れなかったので身体への被害は甚大だった。
 身体がいう事を効かない。
 顔だけ上げて見ると呂布がこちらに近づいてきていた。

 起きろ。
 攻撃が来る。
 動け。
 動いてくれ。

 無茶が過ぎたのか頭がふらつき、何を願おうとも、どれだけもがこうとも立つことが出来ない。
 目の前まで着いた呂布はその画戟を天高く上げ、
「……ごめん。先、行ってて」
 哀しげにそう呟いた。
 瞳の中、憎しみと哀しみの間に揺れる炎に吸い込まれそうだ。

 俺はこのまま死ぬのか。
 何も変えられず。
 乱世のハザマでこのまま。
 あっけない。
 俺は何もできないのか。

 突如、思考と視界に不快なノイズが走る

 嫌だ。
 まだ死ねない。
 まだ変えてない。

 ノイズが大きくなり周りの音が消え、世界がスローモーションになっていく

 理不尽にこの世界に飛ばされて、使いっぱしりのままで死んでたまるか。
 俺は俺の意思でこの大陸に平穏を作りたい。

 もはや思考のノイズしか感じなくなり

 俺に――――
 ――――この世界を変えさせろ。

 呂布の画戟が俺の身体に振り下ろされ、全ては白に包まれた。



 †



「なんで条件満たしてないのに勝手に発動したんですか! 外史への存在定着率が低い今の状態で使ったら別事象でも使えなくなるのに! ちくしょう、この事象はなんなんですか! イレギュラー過ぎますよ!」
 カタカタとキーボードらしきものを操作しながら、こちらには気付いていない幼女が一人。
「ああもう! 改変前なんですから大人しく死んでも次の事象を問題なくスタートできたんですよ!? ……よし、抑え込めました!」
 一際大きく音を鳴らし、ゆっくり息を吐きながら振り返って……仰天していた。
 ありったけの文句を言おうと思ったが徐々にこちらの意識が遠くなる。
「ちっ……まあせいぜい頑張ってください」
 最後に見たのは三日月型に笑う口。
 そのまま、俺の意識は回って落ちた。

 †

 殺したと思った。
 目の前の男の心の臓に刃を降ろし、その命を絶ったはずだった。
 だが、身体にあたる寸前で自分の武器が弾かれた。
 その時襲ってきたのは全身を這い回る悪寒。瞬時に飛びのきその男から距離を取った。
 本能に従いあいつに向けていた殺気を収める。
 あれはゆらりと立ち上がりただこちらを見ていた。
 その瞳に映るモノは虚無。そこには何もない。
 あらゆる感情も、人の意思さえも。
 続けて寒気に身体が凍りついた。
 想像されるのは殺し、殺される自分達二人の姿。
 自分ならば殺せる、いや自分しか殺せない。だけど多分自分も死ぬ。
 そこには想いも無くただ結果だけが残る。
 あれとは戦いたくない。自分もあれと同じになってしまうから。

 怖い 恐い こわい コワイ

 これは人じゃない。
 ただ敵対するものを殺すだけの人形だ。昔の自分と同じ、月が殺してくれたはずの自分がそこにいる。もうあの時の自分には戻りたくない。
 だからこっちを見ないで。もう自分に思い出させないで――
「呂布将軍!」



 振り下ろされた画戟は彼の身体に吸い込まれる寸前で剣の横なぎによって弾かれていた。
 同時に呂布は飛びのき秋斗殿から離れる。
 ゆらりと起き上がった彼は立つのがやっとなのかただ呂布を見ている。
 呂布は斬りかかる事もせず武器を構え警戒しているだけだった。
「呂布将軍! 陳宮様の合図から時間が経っています! 我らはもはや最後尾、すぐに後退を!」
 近づいてきた兵の一言で呂布はすっと武器を降ろし、近寄る兵を殺しながら暴風のように去って行った。
 それに続いて袁紹軍と袁術軍の兵が追撃に向かう。
 秋斗殿はそのまま立ち尽くしていたが、徐晃隊副長が近づくと何かを話している。
「う……」
「鈴々! 目が覚めたか!?」
「愛紗……呂布は……?」
「敵の作戦のためか撤退していった」
 聞きながら鈴々は立ち上がる。
「お兄ちゃんは?」
「怪我をしているが無事だ。あそこに」
 立っている秋斗殿を見て安心したのかゆっくりと私を支え起こしてくれた。
「愛紗もひどい怪我なのだ」
「関羽将軍! 張飛将軍!ご無事ですか!?」
 呂布隊の猛攻が無くなりこちらの隊も戻ってきたようだ。
「問題ない。それより隊の状況を――」
 二人で報告を聞いていると秋斗殿がふらつきながらもこちらにやってきた。
「秋斗殿、大丈夫ですか?」
「ああ、少しふらつくが大丈夫だ。すまない」
 そんな青い顔をしながら言われても説得力がないのですが。
 心配そうに覗き込んでいる鈴々の頭を少し撫で彼は続ける。
「俺たちは本陣へ向かおうか。曹操軍が少し押されているらしい。曹操軍の援護は袁紹軍が代わりにしてくれるようだが、万が一のために桃香達を守りに行こう」
 あの曹操軍が押されているとは……いや、相手も必死なのだろう。
「わかりました。すぐに向かいましょう」
「お兄ちゃん……今回はもう戦わないのかー?」
 確かにまだなんとか戦えるが、と言う前に秋斗殿が口を開いた。
「多分な。ここでまだ戦いに向かうと俺たちの軍の被害が大きくなりすぎる。それに今の俺達じゃ邪魔になるだけだ」
 それが最善の選択。呂布との戦闘の後で兵達の士気も落ちてしまっているのだから。
「ではいきましょう。こちらの軍自体は後退しているのですか?」
「袁紹軍が曹操軍との間に割って入ってきたんだとよ。何を考えているのかわからんが。それにより後退を余儀なくされたらしい」
 私達を守るため……などということはないだろう。
「とにかく戻るのだ!」
 鈴々にせかされ本陣への路につく。後方から戦の音を聞きながら。
「……悔しいのだ。鈴々達じゃ勝てなかったのだ」
 途中、ぽつりと鈴々が震える声で呟いた。
「そうだな」
 秋斗殿が優しくその頭を撫でる。
「だが生きてる。それも大事な事だよ鈴々。生きている限り人を助けられる。……っ。それに連合は負けちゃいない、戦は勝たないとな」
 私たちは負けた。呂布一人に。無力だった。
「今は一歩一歩進んで行こう。後の世の平穏のために」

 ゆっくりと彼から紡がれたその声は、どこかいつもとは違っているように感じた。


 

 

人中のために音は鳴る



 陳宮隊の後ろから情報通りの死兵達が押し込みにきた。
 命を捨てるも厭わず、例え首のみになろうとも目の前の敵を喰らい尽くそうとする様はまさに悪鬼の軍。
 しかしこちらの軍に向かって来るのは分かっていた。
 自分たちが連合で一番精強なのを見て陳宮はここで勝負にでる。読まれていたならここで被害を増やすしか道はない。
 それと……劉備の将が呂布を抑えてくれたおかげで袁紹軍は今回元気なまま。
 夕の思考は知っている。
 何に向かっているのかも、何を目指しているのかも。
 どうせ私の考えも読んでいる。そのために劉備軍を押しのけて後ろにきたんだ。
 袁紹軍はここで手柄が欲しい。洛陽までに、一定の線までの手柄が。
 袁家に協力して、利用してあげる。
 華琳様の望みと合っている間だけ。あなたを助け出すまでの間だけ。
 もう私は――あなたを倒すでは無く助け出す覚悟を決めたから。
「華琳様、予定通り道を」
「そうね、そろそろいい頃合いかしら。鶴翼から二列の縦列に切り替え後退させなさい。不確定要素は……予定通り孫策に当たるでしょうね」
 この方はどこまで読んでいるのか。例外が起こっても即座に対応して、戦場を思う通りに持って行ってしまう。 いや、これも読み筋の一つだっただけ。
 幾重もの情報と状況が絡まったこの戦場は、この一人の覇王の脳の中の盤上で行われている事でしかない。自分の思考はどこまでこのお方と合っているのだろうか。
「ふふ、温めていたのはそちらだけではないのよ陳宮。季衣、流琉、あなた達親衛隊は両翼最後尾にて対応なさい。季衣は秋蘭の、流琉は沙和達の後ろ。流琉は初めての戦場だから私が補佐に回るわ」
「「御意」」
「桂花。あなたは季衣の補佐を。そちらでの判断はあなたに一任するわ」
「はい!」
 曹操軍を二分し敵を引き込み袁紹軍に処理させる。
 袁紹軍の目的は虎牢関への一番乗り。
 読まれていた夜襲、それによる被害で予定よりも早くに虎牢関は放棄せざるを得なくなる。
 より悪くなった旗色が持ち越されるのは洛陽。民草の被害も考えながらでは虎牢関以上の防衛はできないだろう。
「全軍、二列縦列に変更! 後退しつつ袁紹軍に敵を流せ!」
 混戦したこの状況でいかに被害を減らせるかだけが私たちの課題。
 夕、少しでも早くあなたを助けてあげるからね。
 明、それまでちゃんと守り抜きなさいよ。

 †

 袁紹軍と袁術軍の兵がなだれ込んだことにより戦況は押し返した。
 だがあれだけが問題。あの化け物はどの軍の兵も関係なくただ喰らい尽くしていた。
 雪蓮と祭殿が対応に向かい、袁紹軍の将も協力してなんとか防げているが厳しい。
 どれだけあれが化け物なのか思い知らされる。
 たった一人にここまでされるなど戦にもならない。
「冥琳様」
 戦況を見やりながら舌打ちを一つ打ったと同時に、虎牢関に工作に向かわせた思春が帰ってきた。
「どうした?」
「それが――」
 声を潜め、耳に口を近づけて為された報告を聞き身が凍った。陳宮め、なかなかやる。
「伝令を各隊に飛ばせ。被害を抑え、虎牢関は袁家両軍に任せろ、とな」
 己が命を聞いた思春は短い返事の後に煙のように消え、伝令の統率に向かった。
 今回はこちらの情報収集能力の有能さが功を奏した。
 危うく手柄に踊らされ大打撃を受けるところだった。
 曹操軍は掛からないだろう。読んでいるわけではないだろうが運が味方したな。
 虎牢関は日を置いてになるか。

 †

 袁紹・袁術両軍はなかなか食いついてきている。曹操軍は下がってしまい思うような被害は与えられなかった。
 ここで関に撤退しておくべきか。
「全軍に通達! 呂布隊を殿に虎牢関に引くのですよ! 陳宮隊は袁術軍側に一当てして押し込み、呂布隊は後退しながら左右に広がるのです! 合図の銅鑼を!」
 恋殿は大丈夫。そう自分に言い聞かせ不安でいっぱいの心を無理やり抑え付ける。信じられなくて何が軍師か。
 しばらくして一番最先端で戦う恋殿の姿が見えた。
 勝てないと悟ったのか、有利な状況で将自身被害を受けたくないのか敵は兵の被害を減らすための防戦主体の戦い方をしている。
 しかしさすが飛将軍。武将相手に四対一でそのように戦わせられるモノなど先の世にも出てくる事はないだろう。
「陳宮様! 例の準備、完了しております! あとは虎牢関にて対応を!」
「わかったのです!」
 兵の報告を聞いて頷き、また暗がりの戦場に目を置きなおす。
 戦場での指示はこれ以上はいらない。後は城壁にて指示を出すのみ。
「ふふふ、生贄は袁家ですな。ねねたちの恨み、喰らうがいいのですよ」

 †


 銅鑼の音が三回鳴り響き、董卓軍が虎牢関への撤退を始めた。
「策殿、呂布の相手はそろそろ終わるべきじゃな」
 目の前の化け物は倒せない。せめて自軍の兵が後退しきるまで、被害を抑えるために戦っていたがあまりの強さに今の今まで引きずられてしまっていた。
「了解。呂布、あなた強すぎて倒せそうにないからそろそろ引かせて欲しいんだけど」
 四対一の状況で傷も負わずに、しかも連戦の後なのに戦いきるその姿に感嘆の念を禁じ得ない。
「……どうぞ」
 こちらが敵意を下げると撤退し始めた董卓軍の部隊を見て呂布は答える。
「文醜も顔良も引いたら? 死にたいなら別だけど」
 そう二人に言うと彼女らも撤退の意思をみせた。袁術軍じゃないし仕方ないか。
 袁術軍の兵士を殺してくれる呂布はこちらにとっても利がある。
 我が軍はほぼ後退しきっている今、もはやこれ以上ここにはいなくていい。
 次第に遠くなる暴風を見やりながら冥琳の元へ帰った。
 陣の中央で難しい顔をしていたその人に自分の疑問を投げかける。
「ねえ、冥琳。どうしてそのまま虎牢関の攻めに移行しなかったの? 思春の工作は入り込めたんでしょ?」
 冥琳の判断は信頼している。
 確かに自分の勘でも虎牢関はどこか異常な気配を感じたがそれが何なのかは分からないのだから理由が知りたい。
「雪蓮。呂布ばかりに目を取られていたが陳宮も侮れなかったのよ」
 どういうことだろうと考えていると小さく耳打ちをしてくれた。
 その話された内容に驚愕するしかなかった。
 思春、お手柄だわ。
 手柄の方を優先しようとした自分がまだまだ甘い事に気付き、仲間の有能さに感謝を伝え皆を労う事にした。

 †

「いい具合なのです。それにしても袁家の貪欲さには呆れるしかないのですよ」
 夜に関わらず勢いのまま攻城戦を行おうと、蜜に群がる蟻の如く寄ってきた敵を確認しながら呟く。
 部隊の撤退は飛将軍の殿での働きもありつつがなく完了している。
「でははじめましょうぞ! 奴らに我らが持つ怒りの火をお見舞いするのです!」
 その号令を皮切りに兵達が雄叫びをあげ、油に浸した布に石を括りつけ敵に投げる。残りの油の入った小さな水瓶も投げさせる。
 虎牢関前には火計のためにとっておいた藁や荷運び用の車を崩した木材にも油をかけて置いておいた。もちろん撤退に必要最小限な車はとってある。
 地面にも粘性の高い油を染み込ませた布をそこかしこに置いてある。
 虎牢関前の地面は連日の攻城戦で踏み固められ消火のための土は簡単には掘れないだろう。
 夜襲の最中もここにだけは近づけさせないよう戦わせた。そのために時機がくるまで虎の子の呂布隊は後方で待機させていた。
 軍師も将も飛将軍を恐れて下がっているからこそ対応が遅れる。疑問が出ても追撃のため圧して来るのに夢中で伝令はさらに遅れるだろう。
 数が多く練度の低い、かつ欲の深い袁家の思考を読んでこそ成功しうる。
 曹操軍も孫策軍も被害を抑えたいのだから攻城戦には本気で参加はしない。連日の攻城戦の被害からも夜襲後までしてくる事はないだろうと踏んでいた。
 それに夜の闇に視界が限定され策は読まれづらくなっている。
「火矢を放て! 虎牢関に集る悪い虫の全てを燃やし尽くすのです!」
 放たれる火矢は次々と敵に吸い込まれていった。
 たちまちそこかしこで火の手が上がり敵兵達は混乱に包まれた。
 車の配置は逃げ道の限定のため。
「よし! 逃げ惑う敵には通常の矢をありったけ放つのです!」
 恐慌状態で右往左往する兵同士がぶつかり合って思うように逃げられない。火に包まれ叫びながら倒れる者、煙を吸い込み呼吸困難でもがき苦しむ者、逃げようとして背中から射られる者、倒れた所を他の兵に踏まれて身動きが取れない者。いい的だ。
 恋殿の弓の腕も天下一。少しでも統率力のある部隊長は火計の前にほとんど下がらせている。残っていたとしてもここで退場してもらうだけだが。
「恋殿がいればこそ、なのですよ」
「ねねも、さすが」
 言いながらも次々と隣で矢を射ていく。本当に頼もしい。
 煌々と燃える火は、敵の戦意を削ぐにも十分だった。
 士気などあるものではなく、もはやただの狙撃練習に等しい。
「気を抜かず敵が目の前から消え去るまで矢を打ち続けるのですよ!」



 虎牢関付近にいる敵はもはやいない。まだ少し燻っている火は静かに辺りを照らしている。
「陳宮様! 敵はすべて後方に下がったようです!」
 もう一度奇襲をするわけがないが万が一を考えてだろう。攻めてくるなら日が昇ってからになるはず。
 火計による敵の被害は上々、だが奇襲の分と計算しても戦況は覆らなかった。
 今後のするべきことを考えるため思考に潜る。
 明日からも虎牢関でこのまま不利な状況を押して戦い続けるか、それとも洛陽まで引くか。
 残るなら恋殿にかなりの負担をかけてしまうだろう。しかも霞が戻ってくるまでは耐えきれず、途中で撤退を余儀なくされるのは目に見えている。
 この二、三日は兵達の士気も高く保てるだろう。だが霞の隊が抜けてしまい減った兵数によってすぐに士気は下がり始める。
 引くなら今からでもそうするべき。明日になるとまた連合との攻城戦が始まってしまうのだから。連日の攻城戦と今回の奇襲の疲れを早期退却によって癒すのも大事。
 どうしたらいいのだろうか。こんな時に詠がいれば長い目で予測して自分より最善の判断を下してくれるのだが、今この場に軍師は自分一人しかいない。
 ふと隣の愛する人に目をやる。
 頼もしいいつも通りの飛将軍。
 見つめていると目が合った。その瞳はいつも通り……とは違った。
 奇妙な違和感を感じて少しその理由を自分で考えたが見つからず、素直に尋ねてみる事にした。
「……恋殿、何かあったのですか?」
 疑問を向けるとさっと逸らされる。瞳の奥を覗いた後で見る愛しい人は、何故かとても小さく見えた。
「……月に、会いたい」
 消え入りそうな呟きに続き、頬をはらりと零れ落ちる一粒の涙。
 その言葉と涙に自分の中ではさらなる思考が巡る。
 夜戦中に何かあったんだ。この人を壊しかける何かが。しかしこれは……あまりにひどすぎる。
 こんな状態では戦い続けられない。この大好きな人が死んでしまう。肉体も、心も。
 月に会ってから残酷な冷たい人形ではなく血の通った人となったこの方は、戦で自分を殺していたこの方は、また元の人形になってしまう。そしてもう……優しい『人』にはきっと戻れなくなる。
 予測ではなく確信に行き着いた。今、この人の心は耐えがたい悲鳴を上げている。
 自然と自分も涙が出てきた。
 同時に覚悟を決めた。この人も、仲間全ても守る覚悟を。
「恋殿、戻りましょうぞ。そして皆で、戦いましょう。そうしなければ、いけないのです。華雄に続き、恋殿までもがいなくなってしまっては、月は……ねねは……」
 しゃくりあげながら語っていたが言葉が続かず耐えられなくなり、愛しい人に縋りつこうとしたが気力で踏みとどまった。
 ぐっと腹に力を込め、溢れる涙を抑え付けようと精神をも総動員するが出来ない。
 悔しくて俯いた途端にふっと頭が撫でられる。
 この人はどこまでも優しい。今は自分も辛いはずなのに気遣って癒してくれる。
 その優しい手つきに少し勇気を貰い、顔を上げて声を上げた。
「副隊長! 全軍、今夜の内に、虎牢関を破棄! 洛陽まで下がり、最終戦に備えるのですよ!」
 なんとか紡げた号令に、控えていた副隊長は応、と一つ返事をし全部隊のまとめに動いてくれた。
「……ごめん、ねね」
「いいのです。皆で、守りましょうぞ。絶対に勝つのですよ」
 ゆっくりと頷き、優しく抱きしめて背中を撫でつけてくれるその温もりは、自分が守るものを改めて確認させてくれた。

 †

「バカばっか」
 小さく呟かれたその声と、瞳の奥の昏さに心まで凍りつきそう。
 戦場の全てを予測していた彼女。火計があるのはわかっているとあたしにだけは話してくれていた。
 恐ろしい。夕はたった一つの目的のために全てを巻き込んでいく。
「明、無茶させてごめん」
 さっきの冷たさを感じさせない優しく甘い声に身体の芯まで暖かくなる。
 あたしが守りたいのは、今はこの子だけ。出会った時からずっとそうだった。
「いいよー。どうせ紀霊じゃ役不足だったし。久しぶりに本気で戦ったから疲れちゃったけどね」
 守りだけは本気だった。文醜と顔良が訝しげに尋ねて来たけど「二人を守りたかったから強くなれたのかも」と嘘を吐いたら感動してたなぁ。
「予定より捗ったんじゃないの?」
「うん。もっと削れると思う」
 この子はどこまで先を見ているのか。欲の張った年寄り達の脳内なんか看破するのは簡単なんだろうな。
 ただ不安な事が一つ。
「それより夕、本初が袁家の傀儡なのは分かってると思うけど助けるの?」
 この子はシ水関から迷いはじめた。本初も救うかどうかを。それならば本初自身も覚悟を決めて貰わないといけない。
「救うなら今回の被害はちょっとまずいよ」
「わかってる。どっちもいけるように攻城戦に向かわせた兵は弱卒がほとんど。これから本初の心を直接確かめる」
 確かめるってことはやっぱり救いたいんだ。切り捨てるつもりだったのに。
「夕のしたいようにしなよ。あたしは絶対にあなたの味方だから」
 秋兄がこの子の本来持つ優しさを呼び戻したのか。
 それとも桂花への対抗心が再燃したか。
「ありがとう、明」
 可愛らしく微笑む夕の頭をくしゃくしゃと撫でつけておいた。
 まあ今はどちらでもいいか。あたしはただこの子を救うために動くだけなんだから。


 †


 虎牢関での夜襲は終わったが、連合はまた奇襲が来るかもしれない為、警戒はしっかりと行っていた。
 私達劉備軍は兵の被害は軽微だが――
「秋斗さん……」
 帰ってくるなりこの人は眠ってしまった。
 軍医の診察では血を流し過ぎたのではないかとのこと。
 皆心配して気にかけていたが愛紗ちゃんも鈴々ちゃんも怪我が多かったため桃香様と朱里ちゃんがそれぞれ介抱している。
「う……雛里……?」
「秋斗さん!? 大丈夫です……か……?」
 つい大きな声が出てしまった。この人の体調も考えずに。すぐに声を小さく抑えた。
「……夜襲はどうなった?」
 起き掛けに気にするのは自分の事より戦の事。将としての確認ならば軍師として答えなければ。
「……秋斗さんが倒れた後、敵軍師陳宮の火計により追撃で攻城戦を行った袁家両軍の被害が大きくなりました。ただ洛陽の兵数も計算にいれると相手もこちらもまだ五分五分の状況です」
「そうか……報告ありがとう。それと、心配かけてごめんな」
 言うなり優しく頭を撫でてくれる。少しくすぐったいが暖かい気持ちになる。
 この人は相変わらずだった。無事で本当に良かった。
 副長さんからの話を聞いたが呂布さんとの戦いでかなり無茶をしていたらしい。
「無事でよかったです、本当に」
 安心したらまた少し涙が零れてしまった。さっきまで散々泣いていたのに。
「ありがとう。いつもすまないな」
 コクコクと頷いて掛け布越しの胸に耳を当てる。
 この人の鼓動を聴いて生きてることをちゃんと感じるために。ドクンドクンと脈打つ心の臓の音は力強くその証明を私に伝えた。
 無言で私の頭を撫でるその手はいつもの通り。しばらくそのままでいたら秋斗さんはゆっくりと話し始めた。
「なぁ雛里。……呂布は俺と同じだったよ。俺を殺しても、その想いを連れて行くって言ってくれた。その言葉で少し……救われちまった」
 何故この人は自分が殺されていたかもしれない話をしてるのにこんなに穏やかに話せるんだろう。死んでもよかったように聞こえる。どうしてそんな悲しい事を言うんだろうか。
「でもな、殺される間際に生きたいって思っちまったよ。俺自身が生きて想いを繋げたいって。俺は欲張りだよなぁ」
 続いて放たれた言葉は少年のように屈託のない声だった。こちらも正直に自分の気持ちを伝えることにする。
「私は、秋斗さんに生きていて欲しいです。そして私も一緒に想いを繋げたいです。欲張り同士ですね」
 自分もこの人と同じだと言う事に気付き、それが嬉しくなり笑いかける。
 そうすると秋斗さんもふっと微笑み返してくれた。
「やっぱりお前には敵わないな。ありがとう、雛里」
 今日この人は死の寸前を体感し、その手で殺してきた兵と自分を重ねた。その状況で生きる事が出来なかった兵達の想いをじかに感じ取ったんだ。
 本当は生きていたかったのに理不尽に殺されてしまった兵。
 私たちの自分勝手な理想や欲望の生贄になっていく人たちの気持ち。
 黄巾の乱の時よりも身近に感じてしまうのも無理はない。自分が殺される間際になったことでより大きく実感してしまったのだから。
 罪深さをより深く心に刻み、その想いを私にだけは伝えたかったのか。
 本当は私にだって気持ちを漏らしたくなかったはず。いつも黙って耐えているのに溢れてしまったのは今回の感じた事の大きさを表している。
 この人は、もう壊れているのかもしれない。いや、今も壊れて行く最中なんだろう。
 一つ一つ確認して、心に刻んで進んで行く。あの時からずっと変わらない。
 死んで逃げるなんて許されない。生きぬいて、救いきって、最後までやりきらないと終われない。
 それがやらなければいけない事。想いを先の世に繋げるということ。
 私もしなければいけない事。私もこの人と一緒にしたい事。
 ただ……乱世の後にこの人には何が残ってるんだろう。もし――
『この軍じゃなかったなら皆でもっと分かり合えたし支え合えたかもしれない』
 一瞬、陥った思考に凍りつく。
 いけない。私は待つと決めた。この人と一緒に信じると決めたんだ。
 桃香様はちゃんと気付いて変わってくれるだろうか。
 気付くと秋斗さんは静かに眠っていた。
 せめて夢の中でだけは幸せでいて欲しい。
「おやすみなさい、秋斗さん」
 この人の鼓動をもう少し聴いていたくて、私は静かに目を閉じた。


 †


「虎牢関から撤退しはじめている……ですって?」
「そう。多分朝には撤退完了してると思う」
 虎牢関に向かわせた斥候からの報告をまだ朝が来ていないのに起きて椅子に座っていた本初に伝えた。
 本初の大切なモノは二人の友達。
 私の大切なモノが人質になっているのを知らない。
「……元皓さんに対応は任せますわ」
「ん、わかった」
 そっけない返事を聞き出口に控えていた兵に指示を伝える。外で待っていた明が一つ頷いたのを確認して本初の前に戻った。
「本初、今は上層部の耳はいない。だから少し個人的に話をしたい」
「どの口で……っ! あなたが、あなた自身がその上層部のお目付け役ではないですか!」
 激昂して私を睨みつけてきた。その眼に宿る憎悪は深く昏い。
「……今から話すことを信じる信じないはあなたに任せる」
「今更何を聞こうと信じませんわ」
 冷たい視線を送り続ける目を細めて本初は私に告げる。でも、そう言うと思っていた。
「私は自分の母を上層部に人質にとられている。だからあなたの目付け役になっている。あなたやあなたの大事な友達と一緒」
 私の話を聞いた彼女は目を大きく見開いた。
「そんな……」
「信じてくれなくてもいい。ただ私はもうあなたに嘘をつきたくない」
 何を考えているのか彼女の眼は焦点が定まらない。
 袁紹はバカを演じているだけで本当は頭が人よりも優秀だ。
 ただ臆病だった。袁家上層部に小さいころから散々抑え付けられ洗脳され逆らう気力ももっていない。
 顔良と文醜という友達が出来て少し安定したのを見た袁家は二人を戦場で使い捨てる事も辞さないと本初に伝えた。
 二人は優秀な将だが袁家としては体のいい駒。財力と圧倒的な兵力を持つ袁家からすれば替えが効く代用品と見られている。
 彼女は大切な友達が人質にされた事を理解し自分は傀儡でいるしかないと思い、より一層言われるがままになった。
 そこで派遣されたのが私。
 本初が逆らうようなら報告しろと言われている。私自身も裏切るなら母の命はないとも。
 今回の事を話すのも裏切りにあたる。
 だが私は変わりたくなった。救いたくなった。抗いたくなった。
 母には前から気にせずに自分のために生きろと言われていた。
 でも見捨てるなんて、そんな事はできなかった。
 しかしシ水関の後、明から説明を聞きあの人の事を多く理解した。そしてその在り方に同情と憧れを抱いた。
 同時に桂花も羨ましくなった。仕えるべき本当の主を得ている事に。
 私はどうだ。この臆病な主に仕えている自分を母に誇れるのか。
 変えてみたくなった。自分の主を。
 そのためにはまず自分の事を理解して貰うしかない。
「本初。私の夕という真名をあなたに捧げる。信じて貰えるまであなたの真名は預けてくれなくてもいい。私はあなたに本当の王になって貰いたい。王となって腐った袁家を変えてほしい」
 私の言葉を聞いた彼女の顔は驚愕、そして畏れに変わる。
 真名を片方だけ預けるなど前代未聞なこと。ましてや捧げるなど、高貴な彼女からすれば畏れを抱いてしまうのは仕方ない事だ。私自身も手が震えてしまっている。
 真名とは、自身の存在そのものを表すに等しい。つまり私がした事は、自身の存在、その根幹から未来に至るまで全てを好きにしていいという事と同意なのだ。
 これが私の覚悟。真名を一方的に差し出してでも本初を変えたい、変わってほしい。
 彼女はこちらの瞳を覗き込み真剣に何かを考えている。そして唇を震わせながらゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
「……あなたは……このわたくしの全てを知っていて尚、そこまでするんですか……?」
「私は母が大事。けど私に幸せになってほしいという母の想いも大切。そのためにあなたの王佐になりたい。いえ、私があなたを支えたい」
 本初は変わってくれるだろうか。自分を少しでも信じてくれるだろうか。彼女はしばらく悩んだ後に涙を零しながら話し始めた。
「……麗羽ですわ……どこかに耳もあるでしょうから普段は心の内に預かっていていただけませんか、夕さん?」
 その優雅な微笑みを私は一生忘れないだろう。
「ん。ありがとう、麗羽。今までごめんね。これから一緒に頑張ろう?」
 笑いかけると彼女は明のように私を優しく抱きしめて今までごめんなさいと呟いた。
 泣き止むまで待って天幕を出ると私の表情だけで全てを理解してくれた明。
 歩きながらこれからの事を説明し、それぞれの天幕に帰る。
 自分の天幕に帰る途中に見た朝焼けは、私の真名の色に似ていた。
 今日、私は本当の意味で軍師になった。
 今の私の姿を母は誇ってくれるだろうか。

 

 

理想の先と彼の思惑


 夜襲を受けた朝早くに袁紹軍が虎牢関を攻略したという報告が入った。
 呂布率いる董卓軍は何故か関を放棄していたらしく攻略時に被害はなかったらしい。
 袁紹軍は即座に馬超軍と公孫賛軍に追撃を呼びかけ二つの軍はその機動力を生かして呂布隊を追った。
 連合は呂布隊の追撃に向かった馬超軍と公孫賛軍の帰りを虎牢関にて待っていた。

 †

 普段はあまり口にしないようなきつい味の酒を舌の上で転がし、コクリと静かに嚥下した。
 一人で飲む酒は、やはり不味い。如何に夜天に輝く夜空が綺麗であろうと、俺には喧騒の中、もしくは誰かがいる空間でしか美味くは感じられないようだ。
 今は共に杯を傾けられる星も白蓮もいない。愛紗は……気を使ってしまい誘う事が出来ない。
 寂寥に心を鎮めながらも、それでも月を肴にただ酒を煽る。自身の心を少しでも誤魔化せるように。
 今は誰もが眠る時間帯。空にある月はただにこやかに俺を笑うだけ。
 ふいに人の気配がして後ろを振り返るとそこには桃香がいた。俯いているのと夜の暗さで彼女の表情までは確認出来なかった。
 気にせずに警戒を解き話しかけてみる。
「よう、こんな時間まで起きてたのか。しかもこんなはずれに何しにきたんだ?」
 陣のはずれの見晴らしのいい所に俺は一人座って酒を煽っていた。
 俺の問いかけには応えずに、彼女は無言で隣に座る。
 別に快活な返答は求めていなかったがさすがに無言で返されると寂しい気持ちになった。
「私は……わかってなかった」
 数瞬の間を置いて突然放たれた独白。だがこちらも何が、とは聞くつもりはない。
「三人が死にかけて初めて怖くなったんだ。大切な人を失うっていうことが」
 俺は無言で酒を煽り続きを待った。
 無言の時間は不思議と心地いい。
 聞いてみよう。見せて貰おうか。お前の成長を。

 †

 虎牢関の戦が終わった後、私はひとしきり泣き、絶望の淵に堕ちた。
 明ける事が無いと思われた長い夜は無情にも光に包まれたが、それでも自分の罪は消えない。
 次の日、軍に指示を出していたが朱里ちゃんと愛紗ちゃんに心配され、休んでいてくれと頼みこまれた。
 天幕にいてもずっと眠れずにただ思考だけが巡り何度も叫び出しそうになったが無理やり抑え込み、しかしその間もずっと罪悪感と後悔が頭を支配していた。
 人の声がまばらになり、気配が無くなり、また深く昏い夜が来た。気付くともうすでに夜遅くになっていたようだ。
 誰かに会いたい、けど誰とも会いたくない。矛盾した想いが綯い交ぜになって心と思考を支配し始める。
 結局一人でいることに耐えきれず、いてもたってもいられなくなって天幕の外に出た。
 出た途端に皆はもう寝ている時間だと当たり前の事に気付き自嘲の笑みが零れる。
 少し一人で歩こう。
 そう決めて陣の外に出ようとしたが警備の兵が私を止める。
 行くならあちらにと指差された先には一つだけ地に座る小さな人影があった。
 それは今一番会いたくない人だった。
 虎牢関の戦いで一番傷を負わせてしまった人。
 私の苦手な人。
 でも何故か私の脚はそちらに向かう。
 近づくと掛けられたのは優しい声だったが、返答できずにただ隣に腰かけた。
「私は……わかってなかった」
 少し間を置いて思っている事が無意識に口を突いて出る。
 結局自分は誰かに話したかったんだという浅ましい気持ちに笑いそうになるが抑え込んだ。
 その人はこちらを見ようともせずに無言で月を映したお酒を見つめていた。
「三人が死にかけて初めて怖くなったんだ。大切な人を失うっていうことが」
 続けても静寂しか返ってこなかった。
 何も言わずにグイとお酒を煽り私が話すのを待っているように見える。
 自分の言葉がただ流されるだけの落ち着いた空気は不思議と心地よく感じてきた。
「私は兵の気持ちも、戦って殺してきた人の気持ちも背負ったつもりになってた」
 失いかけて始めて気付けた。自分の行ってきた事の罪深さに。
 子供だって理解している簡単な事を分かっていなかった事に恐怖と後悔が押し寄せる。
「命じるだけで私は何もしていない。付いて来てくれる人の死を背負ったつもりになってた。殺された敵兵の人達もただ悪い人に従っていただけの罪のない人達だった」
 溢れ出した言葉は止まらない。しかし涙はもう枯れ果ててしまっていた。
「理想を語るには責任が足りなかった! 私の理想のために死んだ人たちにも大切な人がいたのに、私はその人たちから奪ってしまった! 私の理想は……その人たちから笑顔を奪ったんだ!」
 自然と声が大きくなっていた。やっとその人はこちらを向いてくれて目が合う。
 こちらを見る黒い瞳は私を責めている様には見えなかった。
「そうだ。……お前は、お前の理想は人の笑顔を奪っている」
 繰り返された言葉は胸の深い所まで突き刺さる。この人は最初から分かっていたんだ。私達のしている事の罪深さを。
「……私の理想は……皆が笑顔で暮らせる争いの無い世界。笑顔を奪って……このままじゃ――」
「迷うなよ? お前は自分で考えて答えを見つけろ」
 自分が言葉を続ける前に突き放された。甘える事は、立ち止まる事は許さないと言うように。
「お前は答えを知ってるはずだがな」
 次にその人が放った言葉は意外なものだった。
 私が答えを知っている? そう言われて思考に潜る。
 私の作ろうとしている世界には犠牲になった人たちとその人を想っていた人達の笑顔がない。
 きっと怨んでいることだろう。きっと憎んでいくことだろう。
 その悲しみに耐えきれず自ら命を絶つ人もいるかもしれない。
 憎んで怨んで人生を終えてしまう人もいるだろう。
 親を奪われた子供は、愛する人を失った妻は、信頼する友を失った人たちは……。
 私達は恨みも憎しみも受けてしかるべき事をしてきた。
 その人達を私達では幸せにできない。
 誰も争わなかったらこんな事にならなかったのに。
 皆で手を繋げたなら犠牲も何もなかったのに。
 一人じゃ何もできない。私達だけじゃ理想の世界は作れない。
 そこで一つの卑怯な考えが頭をよぎる。
「……私達がダメでも共にいる近しい人なら笑顔を作れる」
 紡いでその意味を明確に理解する。これは他力本願の責任放棄だ。
「そうだな。奪った幸せは戻らないが人それぞれ新たな幸せは探せるな」
 私達では傷つけてしまった人に笑顔は作れない。なら他の人に笑顔にしてもらうしかない。
「私達は怨まれても憎まれても争いのない世界を作るしかない。その人たち個人で違う幸せを見つけて貰うことしかできない」
「傲慢なことだ。罪深く、愚かしい。お前の描く理想の世界はお前自身の手で作りたいんじゃないのか?」
 心に言葉の刃が突き刺さる。しかし思考を続ける。
 私だけで作れるなんて考えた事はない。愛紗ちゃんや鈴々ちゃん、皆がいて初めて作ろうとできた。
 そうか、私達は理想の世界の土台を作る事しかできない。
 皆で手を繋いで、そうして初めて理想の世界は作れるもの。
 手が震える。私は殺された人の家族に手を繋いでくれと言おうとしていたんだ。自分勝手に相手の気持ちも考えず、そこにあるであろう感情も無視して。
 そんなバカな事を本気で考えていたんだ。
「私は皆で作ろうとした。その輪を広げたらいけない事なのかな?」
「俺に聞くな。その先を見据えて自分で考えろ」
 再度厳しく突き放される。
 私は土台を作り、後の世の中までその想いを繋げないといけない。
 そうすればいつか理想の世界になっている。力を行使した私にはそれしか方法はない。
 いや違う。それこそが私が掲げた理想の世界を作るという事。
 争いが起こるのを止めて、もう同じ事を繰り返さない世にするということ。
 誰も今以上に傷つかないようにして、そこからやっと初めの一歩を踏み出せる。
「私たちは理想の世界を見る事はできない。けど想いを繋ぐ事はできる。……私達は命をかけて理想の世界の足がかりを作る」
 確固とした答えに行き着く。今の世の中じゃ到底足りないし私達にその世界を生きる資格はない。
 怨みが、憎しみが途切れた時に初めて優しい世界が作られる。
「お前はそれでいいんだな?」
「……立った時点で気付いているべきでした」
「……そうだな。それがお前の理想の本当の姿だ」
 その言葉に一つの疑問が浮かぶ。
「……秋斗さんは最初から分かってたの?」
「ああ、矛盾に気付いていたし理想の穴も知っていた」
「じゃあどうして――」
「他人から言われた理想を掲げるつもりだったのか?」
 私がこの答えに行き着く事を信じてくれていたのか。
 私が自分で見つけなければ責任も何もない。誰でも掲げられるまがい物の理想に成り果ててしまう。
 だからこの人は私達に壁を作って気付くのを待っていてくれたんだ。自分の責任は自分で取れと強く教えてくれたのか。
「でも秋斗さん、あなたはそれを知っていてどうして私の代わりに立とうとしなかったんですか?」
 これが一番おかしい。私が辿り着く答えを知っていたならそれもできたはずだ。
「お前が見つけた理想はお前だけのモノ。俺にはそんな理想は考えつかなかったし、ただその先が見えただけだ。設計図を見て完成品を予想したってところだよ。これで設計図を描いたのは桃香で完成させたのも桃香自身だ。この尊い理想はもう桃香だけのモノだ。それと……よく苦しみながらも、悩みながらも自分で見つけられたな。やっぱり桃香はすごいよ」
 言われて私は初めてこの人の凄さを知った。優しく、厳しく、暖かい。雛里ちゃんが好きになるのもわかる。
「……私はまだまだあなたの上に立つには未熟です。それでも、私にこれからも力を貸してくれますか?」
 口を突いて出たのはそんな言葉。
「一つ聞いておきたい。力で奪っていく事も辞さないんだな?」
 返ってきた言葉は現実を突きつけるモノ。力がなければ守る事も話し合う事もできない。答えはすでに胸の内にある。
「必要なら力を行使します。守る為に。でも話し合いで解決できるならそうしたい。私には誰かと手を繋げる可能性を最初から否定する事は出来ないよ」
 これだけは譲れない。私の理想を叶えるのは力だけじゃないんだと証明したい。
「……今まで散々殺してきたくせにそれを言うのか?」
 自分の矛盾した答えに反論があがる。今まで殺して来た人達に言われるだろう。自分達は殺したくせに他は生かそうとするのか、と。
「向けられる恨みと憎しみを受ける事は私に与えられた責任です。矛盾を飲んで尚、私はその道を進みます。それに無駄な争いをしなくてもきっとわかってくれる人もいます」
 その言葉を聞き彼は月に高く杯を掲げてから飲み干し、少し笑って言葉を発した。
「……クク、桃香らしいな。なら今まで通り力を貸そう」
 きっといつかこの人の上に立つのに相応しい王になろう。
「ありがとう。これからもよろしくね、秋斗さん」
「ああ、よろしくな。桃香」
 そう言い合って新しい覚悟を胸に私は戻ろうとしたが背中越しに声を掛けられる。
「桃香、他の者に話すかどうかはお前が決めろ。ただ話すならお前は誰かから刃を向けられても文句は言えない。それを頭にいれて十分に考えてから話せ。説き伏せられたならお前の想いの証明になる。それと……今日はゆっくり寝ろよ?」
「うん。ありがとう秋斗さん」
 本当に優しい人だ。私はこの人からもっと学ぶことがある。
 自分の理想を確固たるものに出来た私は皆にどう話そうか考えながら自分の天幕に戻った。




 桃香が去った後、握りしめすぎて手に持っていた酒瓶が乾いた音を立てて割れた。
 近しい者が死にかけて初めて気付いただと?
 行き場のない怒りが自分の心を焦がす。桃香の話を聞いている途中で感情を叩きつけそうになるのをひたすらに堪えていた。
 自分の生きていた時代と違うのは分かっていたが今更価値観の違いに愕然とさせられた。
 荒れ狂う心を鎮め思考に潜る。
 桃香は思想家だ。本来なら乱世に立つべきではなかった。血に汚れてはいけなかったんだ。
 その理想を人に説き、ただ広める存在でいるべきだった。庶人の心に根付いたそれは今の時代では大きな力と希望になっただろう。
 だがなんのいたずらかこの世界ではそんな者が劉備になって義勇軍まで作っていた。後には引けない状況になっていた。
 乱世において王が語るべきではないその理想を説いてしまっていた。
 ならどうするか。
 矛盾を飲ませて無理やり立たせるしかない。
 選んだのは自分自身なのだから周りに責任転嫁してはいけない。
 自分で消化して、自分で考えて、自分で悩んで初めて王としてその責を背負う事ができる。
 笑われても、蔑まれても、憎まれても、怨まれても、自分と他者の哀しみを理解したそれを死ぬまで貫かせる事。
 やっとあれはスタートラインに立った。
 これでやっと理想を語る王としての覚悟を持てた。殺しという究極の理不尽を行っていく事の責任感を持たせられた。 王として確立されたと言える。
 だが……桃香はまた自分の言っている事に気付いていない。
 力を持って臨んだならそれは話し合いではなく交渉や脅しだ。言い方一つ違う言葉遊びだ。
 結局、理想からは覚めきれず桃香はお綺麗なままか。
「度し難いな」
 自嘲の気持ちが溢れ、誰に言うでもなく口から言葉が一つ零れ出た。
 効率が悪い。本当に。
 だが一番のクズは俺だ。乱世の結末を知っているくせに止めないのだから。
 乱世を手っ取り早く終わらせることはできる。この戦の後桃香は出世するだろうから曹操に従わせればいい。そうすれば乱世は早く終えられるだろう。
 正史の曹操ならお断りだがこの世界の曹操は黄巾の時に接触して、噂や行いでも分かったが統率者の理想像だった。虐殺など間違ってもしないだろう。
 だが桃香は曹操には従わない。いや、従うことが出来ないというのが正しい。
 桃香の理想とこれから曹操が行うであろう覇の道は水と油だ。
 どちらも引く事が無いから必ず戦う事になる。
 俺の目的は三国後の蜀の勝利にあるから問題ない……しかし世界改変などとバカげた任務のために乱世を伸ばそうとしている事は許されるモノではないだろうな。
 ただ長い乱世にもいい所はある。
 この時代の民達は圧倒的な力を持って乱世を治めた支配者を頼り、それによって治世が長く続きやすくなる。それはこの大陸の歴史が証明していることでもある。
 治世になれば桃香の思想を民にも権力者にも根付かせ、法と規律と徳によって秩序を守り、欲に遁走する者を行き過ぎる事のないように縛れる。
 朱里と雛里がいれば大本はできるだろう。他の勢力の者も傘下に入るのだから上手くいくはず。
 曹操を丞相に置くことが出来たなら最高の形だが。
 桃香という庶人の希望と曹操という反乱分子の抑止力、どちらも長い平穏には欠かせない。
 ……ここまでにしておこう。この世界は完全な三国志ではない。
 ここでは何が起こるか完全にはわからないから元居た世界の常識にとらわれ過ぎてはいけない。
 だがここまでの流れから見るに人物が違っていても大局は変わらない気がする。
 まあ俺はどんな事が起ころうとも理想的な形に持って行けるように動くだけだ。
「これは俺だけが背負うモノだ。誰にも背負わせるわけにいかないな」
 言葉に出して覚悟を確認する。
 俺が桃香に出会ったのもあの腹黒幼女の意思だろう。世界改変のために無駄な事はしないはずだ。
 呂布戦の時、何故か繋がった白の世界でのあの女の独り言はノイズが入って全く思い出せない。
 ただ、俺があの時死ななかったのはこの選択が正しいからだろう。
 思考を重ねているうちに幾分か昏く燃えたぎっていた感情も落ち着いた。
 俺は掌を滴る血を服で拭う事もせず立ち上がり、ゆっくりと天幕に帰る事にした。


 †


「それで桃香様が変わってたんですか」
 夜に天幕を訪ね、秋斗さんは寝台に、私は横の椅子に座っている。
 まだ倒れてから日が経っていないのに昼間から自分が問題ない事を軍に見せる為に無茶をしていた。今は少しでも楽にしていて欲しくて無理を言って寝台に寝て貰った。
 秋斗さんから説明された事は納得のできるモノだった。
 夕方に桃香様から話があると言われて私と朱里ちゃん、愛紗さんと鈴々ちゃんが天幕に呼ばれた。
 そこで話されたのは自分達の理想の最終目的。「私は理想の世界の礎になろうと思う」と言った時の桃香様にはすごく 惹きつけられたと同時に安堵した。
 朱里ちゃんも愛紗さんも桃香様から話を聞いて大きく変わった。皆も薄々はどこか違和感を覚えていたようで桃香様の答えはすっと胸に落ちたようだった。
「ここで気付けてよかったのか悪かったのか。まあやっと王としての基礎が固まった。愛紗や朱里も納得したようだし上々だな」
 力を持って対等の立場になってから相手と対話をする。それが今の桃香様の言う話し合い。
 力を振るう自覚と責任を持った桃香様はこれでやっと本当の王になったと言える。
 この人は救われたんだろうか。その背に背負うモノを少しは軽く出来たんだろうか。
 見つめていると目が合った。その眼はいつもと違う昏い色を映している。
 もう一人で背負わなくていいはずなのにどうしてこの人はこんなに哀しそうなんだろう。
「し、秋斗さんはどうしてそんなにお辛そうなんですか?桃香様も皆も気付けたのに」
 押し寄せる不安に胸が締め付けられ疑問を素直に話す。
「……雛里はこの乱世の向かう先が読めるか?」
 返ってきたのは辛そうに見える理由ではなかった。教えてくれなくて少し悲しい気持ちになる。
 乱世の向かう先、今回の戦が起こった事から予測される先の展開はどうなるか。
「……権力争いから始まったこの戦によって漢王朝の存在意義があってないようなものと認識され諸侯同士による群雄割拠の大陸になります」
「そうだな、各諸侯による勢力争い。己が力を誇示し、この大陸を自分達の手で治めようとするもの。今回起こった反董卓連合の件しかり、諸侯達の野心は抑えられないもんな。そこで俺達はどう動くべきだ?」
 私達が動くべき道筋はどんなものなのか。予想されるのは――――
「侵略に対抗する事と勢力を広げる事……ですが各諸侯共に野心旺盛な今、弱小である私達はすぐに呑まれてしまいます」
「今回の戦での功績を見て少しは出世できるとしてもまだ足りない。その時俺たちはその侵略者に降伏するべきか否か」
 一番民と兵の被害が少なく抑えられる方法だが侵略を是としてしまっては桃香様の理想の行く先は見れなくなるし潰えてしまう。
「逃げて助けを求め他の所で再起を計るか目的の近い諸侯と盟を結ぶかのどちらかを選ぶ事が最善かと」
「うん。きっとそうなるだろうな。ただ逃げた後で再起を計っても力が均衡した相手と同盟を結んで乱世を終わらせようとするだろう。桃香の理想のためには守る戦しかできないから。手を取り合ってとはそういう事だ」
 その言葉にゾクリと背筋に悪寒が走る。この大陸の行く末と私たちの行く末を確信を持って話している。軍師でもないはずなのにこの人は私の読みを越えているのか。
 この人は……何を目指しているんだ。それよりも――――
「秋斗さんは……守る戦だけでは足りないとお思いですか?」
「……逆に聞くが雛里は同盟などという甘ったれた現状維持でこの弱り切った大陸に長い平穏を与えられると思ってるのか?」
 凍りつくような厳しい言葉。向けられた昏い目はいつものこの人のものではない。その色は絶望と哀しみと憔悴。こんな目は私に対して初めて向けられた。私は恐ろしく思いながらも目を逸らせない。
 同盟とはお互いに牽制し合い監視し合う事も意味している。いつかは破棄されることもあるだろう。
 私たちは次の世に平穏を繋げたい。それなのにそんなものを残しておくなんて……確かにできない。
「自分の治める地域だけじゃダメだ。大陸を呑みこんでこそ、大陸全てに桃香が掲げたモノが一番力を持ったと示してこそ初めて長い平穏が手に入る。庶人も権力者達も納得し、ついて来てくれるだろう。しぶしぶ従うような、負けを認めない愚か者はどうせいつか裏切るし反抗する。次の世代に争いを引き延ばそうとするだろう」
 確かに統一すればまとめ上げた後で欲に走るものが出ても抑えやすい。
 中途半端に妥協してしまうのは愚の骨頂。相手が善政を敷いていようとも従ってもらう事が一番だ。
 それぞれに任せるでなくしっかりとした統一を行わなければ時が流れると格差が大きくなる。開いた格差は新たな野心を生む。
 次の世代が争わないように出来る限り動く、やりきるとはそういう事だ。
 だからこの人は辛そうだったんだ。
 桃香様が持った覚悟が未だに不完全だから。
 この人と一緒に矛盾を背負うと言った自分が愚かしい。私は何も分かっちゃいなかった。
 私の目を見つめていた秋斗さんは突然いつもの優しい瞳に戻った。
「ごめん、今の話は忘れてくれ」
 瞳の優しさとは反対に哀しい声で紡がれたその言葉でも私の思考はもう止められない。
 どれだけ、この人はどれだけ先を見ているのか。
 私達と全く違う思考。この軍に、桃香様の元に所属していて何故その考えに至る事ができるのか。
 そうか……誰よりも一番桃香様の理想を理解しているからこそ必要な事が見えているんだ。
 今の命よりも先の平穏を。
 先に生きる人々から争いを奪うために。
 また……私は甘い理想に溺れそうになっていた。
「いいえ、忘れられません。私は……また間違いました。私にもっと秋斗さんの考えを聞かせて欲しいです。一緒に背負わせてください」
 もっと知りたい。この人の事が。この人の思考が。少し面喰った顔をしてから真剣な表情で秋斗さんは話し始めた。
「……俺の一意見だが、お前達の優しい論理は人を信じていればこそできる尊いモノだと思う。本当ならお前達が正しいだろう」
 私たちの論は人の本質が善だけならばの話。上手く行った時の事しか見えていない理想論だと今なら思える。
「でも人の欲を抑えきるのは心と、他にも必要なものがある。統一された法と規律での秩序が必要だ。その決められた線の中で初めて心、徳が意味を為す。
覇だの徳だのと拘っていたらいけない。どちらも持って初めて本当の平穏は手に入るし乱世でもそれは同じだ、と俺は考えている」
 自分の価値観が壊されていくのが分かる。天井が抜けて青空が覗くように、見ていた世界が広がっていく。
「秋斗さんは、もしかして桃香様とは違う理想を持っているのではないですか?」
 ふと聞いてみたくなった。このような思考を持つ人が私達と同じだというのはおかしい気がして。
「……俺は始まりに多少の格差はあろうとも個人の努力の度合いによって人それぞれが自分の幸せを安心して探せる平穏な世界を望む。身分や血筋ではなく才で評価され、才あるモノは民のためにそれを振るう。守られているだけではなく民にも才伸ばす機会が与えられ、皆で法と規律による秩序の中で競い合い助け合い成長し合う。俺が王ならそんな世界が作りたい。理想じゃなくてこれは目標だけどな。これは桃香の理想の通過点になるか」
 本当に困難な道だがギリギリ手が届く範囲の目標を語る。この人らしい。
「それと……関係ない話だが人の心は変わるモノと思っているんだがそれが必ずしもいい方向に行くとは思えない。いい人もいれば悪い人もいる。それにいい心も悪い心も、どちらも併せ持ってこそ人だと俺は思う。だから信じるだけじゃ危ういんだ」
 言われて思い出す。私はこの人と出会った時にその事を教えて貰い乗り越えられた。
 この人はあの頃から何も変わってはいない。それが少し嬉しく思う。
 同時に私は衝撃的な事に気付いてしまった。
 この人こそ王に相応しいと。
 命の取捨選択を行う覚悟を飲み、大陸の未来を見据え、民のために尽力し、桃香様でさえ導き、理想と現実との格差を説き、人の清濁を理解して注意を喚起し、全てをかけて平穏な先の世のために動くこの人は十分に王足りえる。
 しかし問題が二つ。
 一つは自分で立つつもりが無いこと。この人は自分に対する評価が驚くほど低い。桃香様の成長を待っているという時点でその上をいっているというのに。
 もう一つはこの人自身がその本質を隠していること。桃香様に影響を与えないようにわざと自分の考えを殺している。皆に知られていないだけでこの人に付いていこうとする人は大勢いるだろう。
 徐晃隊などがいい例だ。密かにこの人の事を『御大将』と呼び、副長さんは自分の主は徐晃将軍ただ一人だと公言している。規律の緩いこの軍でこそ許される事だが。
 私が勧めたらこの人はご自分で立ってくれるだろうか。
「雛里、王として掲げるべきなのは桃香だ。俺はただ一振りの乱世に振るわれる剣だ。民の希望の標は桃香こそがなり得る」
 私の考えている事を先読みされて驚愕する。
 恐ろしい。だがどこか安心感も感じてしまう。最初に私の悩みを聞いてくれた時のような。
 この人は自分で気づいてる。自分がどんな話をしているか。自分がどんなモノかも。
 きっとこの人はこの先も心を砕いて待つんだろう。自分を抑えて耐えるんだろう。
 もう賽は投げられている、だからこの人の覚悟は変えられないし変わらないということ。
「ごめん」
 その短い謝罪にはいろいろな想いが詰められている。
 悲しそうな目をしないで欲しい。
 私にこの人は救えない。
 この人はそれを望んでいない。
 私は何もできない。
 桃香様に引き合わせてしまったのは私だった。
 耐える事を強いてしまった原因は未熟な私のわがままだった。
 この人は軍に入る事を拒んでいたのに。
 最初から桃香様の理想の本質を見抜いていたこの人は他の王に出会えていたならここまで耐えなくてもよかったのに。
 後悔と自責に押しつぶされそうになり涙が零れだした私の頭をいつものように撫でてくれる。
「ごめんなさい。私のせいでこの軍に」
 耐えられなくなってつい零れてしまった。謝ることで時が戻るわけではないのに。
「……俺は俺の意思でここに入った。だから雛里が謝る必要はないよ」
 そうやっていつもこの人は全て自分で背負っていく。
「雛里がいなかったら俺はきっと潰れていた。いつも支えてくれてありがとう」
 その優しい言葉に耐えきれなくなり抱きつく。
 私はこれからこの人が壊れないためになんでもしよう。
 引き込んでしまった責任はそれで許されるわけじゃないけど。
 心の内にそう決め、今は秋斗さんの優しさに包まれている事にした。

 

 

洛陽にて



 連合は公孫軍と馬超軍の追撃の報告を待ちながら虎牢関にて一時の休息を取り、両軍が戻って来てから洛陽への行軍を始めた。
 追撃を行った結果は騎馬主体の両軍の働きによりきっと大きなモノになるだろうと予測されていたが、これまで涼州を五胡による侵略から守ってきた董卓軍本隊の救援もあってかあまり芳しくなかったらしく、白蓮は悔しそうに語っていたとの事。
 しばらくして洛陽に着いた俺達はそれぞれの軍が代わる代わるに攻城戦を行っている。
 難航する城攻めに諸侯達は各軍で毎日のように軍議を行っていた。



「ただいまー」
 今日は諸侯による全体軍議が開かれていたが帰ってきた桃香と朱里の表情はあまり優れなかった。
「おかえりなさい桃香様、朱里。内容は……変わらずですか」
「うん。連合全体の糧食の不安もあるしどうにか早く終わらせたいんだけど難しいね」
 虎牢関での大打撃と早期の突破によって少しは浮いているがこのままだらだらと続けても兵の士気に関わる。呂布や張遼による奇襲やらを見せられてきたため夜でも緊張感が解けないというのも大きな原因の一つと考えられる。
「毎日の攻めとは言ってもそれぞれの軍によって攻撃の激しさに差がありますから。それに本拠地により後がないので相手も必死ですし」
「兵達の士気もそろそろ落ち始めてくる頃かと」
「うーん。やっぱり夜ぐっすり眠れないのは辛いよね」
 日々の不満を漏らした桃香の発言に一つ面白い考えが浮かんだ。
 ……ああそうか。俺達だけ眠いのは不公平だな。
「桃香、お前すごいな」
「ふぇ? 私なんかすごい事言った?」
 ほわーんとしながら首を傾げ聞き返す桃香。彼女の発言によって打開策が思い浮かんだだけなので桃香からすれば何が凄いのかは分からなくて当たり前だろう。
「お兄ちゃんはねぼすけなお姉ちゃんに呆れてるのだ」
 楽しそうな鈴々の言葉で皆が少し緩やかな雰囲気になった。まあ確かにそれもあるかもしれない。
「クク、違うよ鈴々。桃香の言葉のおかげでいい事を思いついたんだ」
 そう言うと不思議そうに全員が俺を見る。
「敵からの夜襲に警戒してこっちは夜も満足にゆっくり眠れない。なら同じ事仕返ししたらいいんじゃないか?」
「しかし夜の攻城戦はこちらが圧倒的に不利では――――」
「いいや、夜だけじゃないさ。一日全部を連合で分けて攻めきるんだ」
「「あっ」」
 愛紗が戦において当然の事を聞き返すが言葉が足りなかった事を思い至って続きを紡ぐと天才軍師の二人は気付いたようだった。他の三人はまだ気付かずに首を傾げている。
「二人は気付いたか。軍それぞれで攻める時間帯を決めて一日中間断なく攻城戦を行えばいい。根競べになるが連合のほうには優秀な将が揃っているし数でもまだ勝っている。なら今の内にしてみたらいいと思うんだが」
「確かにそうですね。攻城戦を見積もっての戦況は五分五分でしたが兵の数としては三倍とはいかなくてもまだこちらが有利。ならば相手の士気低下を狙うその策が上策だと思います」
 俺の策が朱里と雛里に認められたとか凄く嬉しいんだが。桃香達は理解したのか目を見開いて驚いていた。
「秋斗さんすごーい! 確かにこっちだけ寝れないのは不利だもんね。じゃあ朱里ちゃん、他の諸侯さんにも献策してみよっか」
「はい!」
 返事をするや天幕入り口で待機している伝令に指示を飛ばす朱里。
 行動は出来るだけ早い方がいい。機を見て敏なりってとこか。
 クイクイと袖が引かれてその方を確認すると鈴々がこっちに向けてニカッと笑い話す。
「これでお兄ちゃんもゆっくり寝て身体を癒せるのだ」
 虎牢関での怪我を気にしてくれているのか。純粋な心配が心に染みる。しかし俺が倒れた理由は、確かに怪我も酷かったが、それによる血の流し過ぎのせいではないという事を俺しか知らないから申し訳なく思う。
「ありがとな鈴々。お前も……いや鈴々はいつも爆睡していたな」
「むぅ、敵が来たら分かるから大丈夫なのだ」
「マジか……その体質が羨ましいよ」
 普通なのにと首を傾げる鈴々を続けてからかおうとしたら愛紗が真剣な顔で話し出した。
「秋斗殿、あなたは戦場で無茶をし過ぎることがあります。今もまだ完全ではないのでしょう? 私達二人は秋斗殿よりも怪我が軽いですし、この策が成功して敵が出て来たなら、前線は我ら二人に任せて後陣にて休んでいて欲しいのですが」
 お前も結構無茶ばかりしてるぞ愛紗、とは言わないでおこうか。愛紗は呂布戦の後、俺が倒れた事にかなり心を痛めてくれていたから。ただ心配の言葉は嬉しいが少し心がささくれ立つ。
「そうなのだ! それにいざとなったらお兄ちゃんがお姉ちゃんを守ってくれるし鈴々や愛紗も安心して戦えるのだ!」
 ふんすと意気込んで愛紗に続く鈴々。
 わかっているさ。お前達は優しい。
「しかしな……俺も前線で指揮して戦ったほうが被害も減るし――――」
「秋斗さん、必要な時は私たちが指示を出します。ですから今回はそれで行きませんか?」
 難色を示している俺の言葉を切って朱里も続ける。軍師の判断としても問題はないわけだ。俺も全てを自分で救える等と欲深い考えは持っちゃいないが……
「皆で協力して頑張っていこうよ、秋斗さん。今は無茶しないで自分を大事にして」
 桃香が続いて話す。想ってくれる気持ちを汲み取るのも大切なこと。これ以上は無理だな。
「……わかった。ありがとう。心配かけてすまないな。前線は頼んだぞ二人とも。後陣は任せてくれ」
 言うと皆一様に、雛里以外は安心した顔をする。
「じゃあ皆、今日する事終わらせちゃおっか。私と朱里ちゃんは軍議に行ってくるね」
 桃香の言葉を皮切りに各自が与えられた仕事を終わらせるために動き始めた。
 心配そうに見つめてくる雛里に俺は大丈夫とコクリと一つ頷いて暗に伝えてから自分の今すべき事のために天幕を出た。

 †

「うっわぁ……えげつないこと思いつきますねぇ……」
「この策。使えるよ本初」
 それぞれの陣に戻っていたが急な呼び出しに再度集められ、劉備軍から提示された策は上策だった。
 足並みを無理に揃えなくてもいいこの作戦には利点がかなりある。
 連合の軍師達でさえ思いつかなかった事を徐晃が思いつくとは。
 発想力が他とは違う。シ水関の時もそうだ。あの男にはどんな世界が見えているのか。やはり興味深い。
「一日の六分の一しか攻めないようではいつまでたっても城なんて落ちませんわよ、元皓さん」
「……」
しかし、それに気付いていない麗羽のあまりの発言に天幕内に異様な空気が流れてしまい皆も無言になってしまった。
「……本初、あくまで一隊がの話。それが六つあったら一日中攻められる」
 田豊の言葉を聞き、いつものように大仰に驚いている麗羽に対して自分の意見も滑り込ませることにする。
「田豊の言う通り、そこまで間断なく攻められたら向こうもたまったものではないでしょうね。六つに分ける事で連合としての足並みを無理に揃える事がないから士気もあまり下がる事は無く攻められるでしょうし利点の方が多いわ」
 問題があるとすれば数か。有利とはいえいささか心もとない。相手が音を上げるのが先かこちらが折れるのが先かの根競べになるだろう。
「そ、そうですわね! では明日から始めて行きましょう」
 麗羽のその言葉によって締められ、連合全体での軍議はつつがなく終わった。帰ろうとしていた劉備と諸葛亮に声を掛ける。
「劉備、諸葛亮、ちょっといいかしら?」
「はい、なんでしょうか?」
「徐晃は先の呂布戦で怪我を負って倒れたそうだけれど大丈夫なの?」
 情報遮断は迅速だったが兵の士気低下防止策だけでは詰めが甘いわよ諸葛亮。劉備軍にとって三将軍の存在はあまりに大きいのだから情報の断絶くらい徹底しておくべきだった。
 それと……あの男を今あなたたちに使い潰されては困る。
「……動くのも戦うのも問題ないそうなのですが……どこか急いているように見えまして」
 どこまで答えていいか迷ったのか。最後の言葉はこちらがどれくらいの情報を掴んでいるか見るための揺さぶりか。
「急いている?」
「戦場にご自身で立ちたがっている、といった感じでしょうか。洛陽ではずっと前線から外れて貰っていますしどうにか抑えてくれているようなのですが」
 話す諸葛亮の表情も声も徐晃への心配以外の感情が見当たらない。どうやら揺さぶりではなくこちらの意見が聞きたいだけに見える。
 自身の体調も考えず無茶をしようとすることは将ならば陥りやすい状態だ。劉備達の対応は徐晃を思っての事であり、軍としても当然の事だ。しかしあの男が止められながらもそこまで自己の感情を優先して行動しようとするとは思えない。
 ただ先を見据えるあの男は目の前の百よりも後の万を優先するはず。いや違う、どちらも救うために本来ならば他の将に任せる事を躊躇ったりはしないと言った方がいい。
 自分の力に驕っているわけではないだろう。呂布に打ちのめされてそれでも自分が全てを救えるなどと欲深い事は考えないだろうから。
 つまりあの男はまだ劉備達を信頼していない。目の前の百を救うために怪我を押してでも自分が戦いたい、他の者にその仕事を預けたくないということだ。
 思いやりと効率のために引き下がっただけ。まだその程度しか信頼関係を築けていない。
 傲慢だと言えるがそれもこの軍だから起こりえること。
「ふふ、徐晃らしいわね」
 目の前の二人はその事に気付かずただ首を傾げている。これは私がわざわざ答えることではない。
 あの男はさぞ辛い事だろう。徳のみを掲げる者達の中でただ一人違うモノを持っているのだから。
 結局力に頼った劉備に矛盾を感じながら苦しんでいる。既に心配を素直に受け取れないほど壊れ始めているのか。この戦が終わったらもう一度話してみるのもいいかもしれない。
「こちらも一つお聞きしたいのですが曹操さんは秋斗さ、徐晃さんに対して何を感じておられるのですか? 黄巾の時もお気になさっていたようですが……」
 諸葛亮の探りの言葉。今度は先ほどとは違い少し警戒しながら尋ねて来た。
「……そうね、今後の働きに期待しているといった所かしら」
 皆まで教える必要はない。この程度では対価としては少なく見えるが諸葛亮にとっては大きなモノになる。
「そう……でしゅか」
 しゅんとする諸葛亮は久しぶりに見たけど愛らしいわね。
 この子は少し徐晃の事に気付き始めているのかもしれない。いや、分からないからこそ他の視点からの判断が知りたいのか。私の少ない言葉で彼女が徐晃にもっと興味を持ってくれたらいいのだけれど。
「曹操さん、うちの将を気にかけて頂きありがとうございます」
 にこやかな笑顔で言う劉備。私をも信じて疑わない目、この真っ直ぐさが庶人を惹きつけるのだろう。
 ただそれは甘い毒になる。特にあの男に対しては。
 しかし劉備もどこか変わったか。少しは成長したようにみえる。
 自身に満ち溢れているというか……言葉一つにしても一本芯が通った強い力を感じる。
 この調子であの男がこれからも上手く影響を与えてくれたらいいのだが。
「……どういたしまして。質問に答えてくれてありがとう。また次の軍議で会いましょう」
 言って両者共振り返りそれぞれの軍に向かい歩く。
 まだ足りない。
 乱世は待ってくれないわよ徐晃。まあそれはあなたもわかっているのでしょうね。

 †

「……眠い」
 連合の攻城戦はある日を境に嫌らしくなった。
 日中日夜攻められ続けこちらは落ち着いて眠る事ができない。
 虎牢関から早期撤退してきた時壊れそうだった恋も月に会って落ち着いた様子だったがさすがに睡眠を邪魔されて苛立っている。というか既に座りながら寝ている。
 しかし連合がここまで効果的な策を取ってくるとは思わなかった。
「毎日毎日、朝も昼も夜も攻められたらたまらんなぁ。根競べなんはわかっとるけど……うちらへの仕返しなんやろなぁ、ねね」
「なのです。多分霞の奇襲と虎牢関での夜襲で相手も警戒して眠れてなかったのですよ」
「倍返しされてるみたいだけどね」
「このままやとまずいで。兵の士気もすぐ下がってまう」
 霞の発言は尤もと言える。確かにもう既にそこかしこで下がり始めているのだから。
「……士気が下がりきる前に決戦するしかない、か」
「ここで座しているよりも死中に活路を見出すほうがいいのですよ」
 長く戦っていると洛陽の民達からの不満も大きくなる。それならば力の残っている内に短期決戦したほうがいい。
 でもこの状況……厳しすぎる。負けてしまったら月は……
「ところで月はどうしたん?」
「体調を崩して奥で寝てるわ。最近満足に眠れてなかったから」
 月に手を出そうとしていた奴らは霞が処理してくれたが慣れない長い戦と皆への心配と華雄の事が絡んで大分と参ってしまっている。
「そうか……。なぁ詠。ちょっと話があるんやけど。戦の事やないで」
「どうしたの?」
 霞にしては珍しい。戦のことじゃない話ってなんだろうか。
「月、なんやけどな。あんた十常侍に対しての報告したとき言うてたよな。月みたいな優しい子をこんなことに巻き込ませてしもてって」
 確かに言った。罪悪感と自分の不甲斐無さから零してしまった言葉。
「ねねと恋殿と霞で話し合ったのですが月はこんな所で死んではいけないのですよ」
「まだ負けると決まったわけじゃ――――」
「詠、あんたは頭がええ。この状況がどんだけ厳しいかわかっとるやろ? もしもの場合も考えとかなあかん」
 霞からの言葉とその圧力に先の言葉が紡げず黙ってしまう。この三人がしようとしている事も読めてしまった。
「うちらは戦場で死ぬ覚悟なんざとっくに出来とる。ただな、月はあかん。うちらはあの子に助けられた。あの子の事が皆好きなんや。やからせめてあの子の命だけはどうか助けてやってくれへんか?」
「そんな……でも、あんたたちまで死んだらこの子は――――」
「何を言っているのですか。例え負けそうになったとてねね達も簡単には死んでやらないのですよ。それにその時は月の安全が確保できたのならねね達も再起を図るために逃げるのです」
 今回の責任の所在は月だけになすりつけられる。皆は地の果てまで追いかけられる事はないだろう。
「でも月は逃げても地の果てまで追いかけられるのよ?」
「姿を知っている者はねね達と涼州の者以外ほとんど死んでいるのですよ。それに連合の目的は権力争いのため洛陽の制圧と帝の身柄確保。例えば董卓がすでに殺されたとなれば……」
 ここに来てから月の暗殺を警戒し、姿をあまり見せないようにしてきた事が功を奏したというわけか。
 ただ最後の詰めを誤ったのが痛すぎた。帝がこの洛陽から連れ出されていた事に気付けなかった。
 月の誘拐を警戒しすぎてそこを疎かにしていたのはこちらの失態。誘拐を企てていた十常侍は見せ札で本命はそちらにあったということだ。
 今はもう終わったことを考えても仕方ない。もしもの時の事を考える。
 決戦のごたごたで屋敷の一部を燃やし敗北を悟った配下に裏切られ董卓は焼死……したように見せかける。そんな筋書が頭を過ぎった。
 ただしこれをするともう董卓という名は今後は使えない。別人として生きる事が必須条件。
「そう……董卓殺しの汚名を被るのが誰か、と言う事ね」
 決まっている。ボクが被るべきだ。
「あんた達は戦っていて内部状況が分からなかった。もし負けそうになった時、敗北を悟ったボクが董卓を裏切って屋敷の離れを燃やし月を一人だけ逃がす。反論は受け付けないわ。これはボクの仕事、誰にもできないし渡せない」
 そこまで言い切ると皆一様に哀しい瞳で見つめてくる。
「詠も一緒に逃げるのですよ。誰かが月と一緒にいてあげなければ心が壊れてしまうのです」
 ねねに言われて気付く。
 そこまで考えてなかった。自分が残って言い訳を取り繕おうとしたのだが、確かにあの子を一人にはできない。
「せやな。何が何でも守りきりや。例え月が反対しても、や。けど戦場を逃げ出した卑怯者の汚名も裏切り者の烙印もついでに被ることになんなぁ」
 霞の言葉に覚悟を決める。これは一方的な押し付け。そこまでしてでも生きて欲しいという私たちのわがまま。ただ生きていてくれるならボクはどんな汚名も被る。
「……わかったわ。その時は必ず逃げ切って見せる。どんな手を使おうとも。けどあんた達、勝てばいいのよ! 皆で月を大陸の王にするわよ!」
 勝つことが出来たなら、全ては変えられる。ほんのわずかな望みだがそれに賭ける。
「ははは、詠らしいこっちゃ。そうと決まれば決戦のために少しでも休んどこか。ほら、恋もおねむみたいやし」
 霞の言葉に皆が頷く。恋は話に入ってこないと思ったら本気で熟睡しているのかよだれが口の端からつたっている。
 その愛らしい姿に笑みが漏れ、この優しい仲間たちが無事で生き残れるようにと自分は決戦の準備の指示を出しに向かうことにした。



 聞いてしまったのは偶然だった。
 恋さんが寝ていたから私が息を殺して話を聞いている事には気付かなかったみたい。
 私は……また守られるのか。
 何もできずただ皆に助けられるのか。
 今更自分が責任を取る為に立ってもこの大切な人たちの想いを無視してしまう。
 かといって逃げ出しても自分の為に戦ってくれた人の想いを無駄にしてしまう。
 どうすればいいの?
 私には何が出来るの?
 考えても答えは出ず一人寝室へと足音を忍ばせ歩く。
 この胸を締め付ける痛みは罪であり罰だ。
 ただ守って貰う事しかできなかった、何もしなかった自分への。
 他人を頼る事しかしなかった自分には何も言う権利がない。
 ただ助けたかっただけなのに。
 苦しそうな、悲しそうな殿下を笑顔にしてあげたかっただけなのに。
 乱れていく大陸に平穏を広げたかっただけだったのに。
 ここに呼ばれた時点で私が傀儡にされるのはわかっていた。
 それでも中から変えられると甘い夢を見ていた。
 逃げられなかったから選択したんじゃなく自分で最後はここに来ることを選んだ。
 どうしてもっと早くに自分から動かなかったのか。
 どうしてもっと早くに決意を固めなかったのか。
 私は親友の優しさに甘えていたんだ。
 慕ってくれる人たちの想いに酔っていたんだ。
 今更遅い。私が全て巻き込んでしまった。
 きっとこの人達は何がなんでも私を助けてくれる。
 私に今できる事は……その想いを受け入れることだけ。
 せめて今を生きている大切な人達の気持ちを汲む事だけ。

 でも私は……どうやってこれからを生きていけばいいんだろう。


 †


 今日は敵の旗が少なく、明日か明後日には決戦になる事が予想された。
 緊急で開かれた軍議では各諸侯の攻城戦の順番の変更を行うか否か。
「いやなのじゃ! 妾の軍は明日からは攻城戦に出んからの! 兵達の犠牲が大きくなってしまうのはいやじゃ! 順番を回してきても良いが回ってきたとしてもぜーったいに出んからの!」
 呆れてモノも言えない。いやこれが公路だから仕方ないか。七乃の笑みが少し濃くなってこちらと一瞬目が合う……ああ、そういうことか。
「公路殿、わがままはダメ。どこの軍も必死で戦っているのは同じ。ただ……代わりの軍が出られるならいいけど。どう思う、本初?」
「そうですわねぇ……孫策さんの軍が代わりに出ればいいと思いますわ。虎牢関ではわたくしの所の将があなたの軍を助けたそうですし聞いて頂けますわよねぇ?」
 貸しをつけたのが上手く行った。しかし麗羽の演技は中々面白い。公路の事が可愛いから助けたいという本心もあるだろうけど。
 麗羽の発言に周瑜と孫策の顔がわずかに歪む。
「連合総大将の命令だけど……拒否する?」
 ここはさらに威圧をかけておくべき。怒りの矛先を私たちにも向ければ少しは七乃の負担も軽くなるだろう。
「……構わないわ。私たちの軍が代わりに出ましょう」
 柔らかく言ってはいるがその心までは隠せていない。
 無様。力がなければ英雄と言っても所詮飼い猫。首輪付きには抗う術もない。
 ここでもう一人の英雄にも無茶を押し付けられるけどどうしようか。
 ……今回はこのくらいで抑えておいてもいいかもしれない。
「決まり。それぞれの軍の時間帯は孫策軍以外昨日と同じ。本初」
「ではこれにて今回の軍議を終わりますわ。いいですの皆さん。最後は雄々しく美しく、華やかな決戦で幕を閉じましょう! おーっほっほっほ!」
 麗羽、私はたまにあなたのそれが演技じゃなくて本気かと疑ってしまう。
 見回すと最後に一人だけ携えた笑みをより一層深めた人物と目が合った。
 あの女は……気付いていたのか。わざとこちらに目を合わせたのは警告。全て分かっている、と。自分は分かっているのだから後々本気で来いという挑発とも取れる。
 しくじった。今回は無茶を押し付けておくべきだった。麗羽の演技が長くなり、あの女に話が向けられる事で違和感を覚えさせてしまう不安を感じた私の失態。元から気付いていたなら話は別だったのに。
 これからこの女だけは最大限に警戒しないといけない。今までよりもさらに。麗羽の一番の壁となる敵。
 それと同時に覚悟を決める。その意を込めて目を細めて相手を見つめる。
 曹孟徳。私達はあなたを越えるから首を洗って待ってるがいい。



 見返された瞳は決意の瞳。
 彼女は王佐。私が求めてやまない愛する敵。
 欲しい……
 内に広がる欲望はとどまる事が無い。
 全てを賭けて戦い、打倒して、ひれ伏させ、そして私のモノにしたい。
 ふいと視線が逸らされ彼女は麗羽とともに席を離れてしまった。
「華琳様?」
 しばらくそのままでいた私に掛けられた声は私の王佐のモノ。
「……陣に戻りましょう桂花。それと明日の準備の指示が終わり次第私の天幕に来なさい」
「は、はいっ!」
 嬉しそうな声。本当に可愛らしい。
 でも今日は駄目よ桂花。今日はまだ我慢しなさい。
 私がこの戦で我慢しているように。
 まだ青い実が熟すのを待つように。
 きっと手に入れた時の喜びはより大きなものでしょう。
 その時がきたなら、奪ってあげる。
 私のために、あなたのために。



「雪蓮」
「大丈夫よ冥琳、分かってるわ。今はまだ耐える時。そのために蓮華を残してきたんだから」
 己が計画は着々と進んではいるが、じりじりと嫌らしく、少しずつ邪魔もされている。その事に苛立ちを覚え帰り道にて気が立っている私を心配してか冥琳から声が掛けられた。
 本当は私自身もある種の見せ札。全ては孫呉の大望のために。
 蓮華は内を守る盾。民草の心を学び、王としての成長を行っている真っ最中。
 未だ不完全な彼女をこの黒い欲望渦巻く連合に連れて来て学ばせる事も出来たがそれはまだいい。私が上手く出来たならそれが一番だから。
「蓮華様の成長を促すために亜紗を残し絆を深く繋がせる、か」
 孫呉の古参を全て連れてきたのはそのため。新たな世代の絆を深く確固たるものにさせなければならない。
「目先の敵が多すぎてあいつらは気付かないわ。私たちは牙を研ぎながら時機を待つだけよ」
「ふふ、牙を鋭くするくせに爪でも引き裂くのだからお前も人が悪いな」
 物騒な事を楽しそうに言う。その笑顔を見て心の苛立ちは消え、午後の陽だまりのように穏やかな気持ちになった。同時に私はいつも彼女に支えられて、本当に世話をかけていると実感する。
「……いつもありがとね、冥琳」
 ふいに私から放たれた言葉に少し照れたのか、彼女は変な顔をしてこちらを見ていた。
「……急にどうした?」
「急に言いたくなったの」
 答えると彼女はため息をつき微笑みながら一言呟いた。
「相変わらず訳がわからん奴だ」
 酷い言い草。けどその言葉の裏にある信頼が心地いい。
 共に並び、支え合えるものがいる、というのはそれだけで安心できる事だ。
 冥琳とならどこまでも進んで行ける。
 このうさんくさい連合も後少し。そうすれば本格的に私たちの目的に取り込めるだろう。
 今はこの戦を早く終わらせる事を考えましょう。

 †

 この戦の終着は全ての王に機会を与える。
 一人の王を排除することによって。
 董卓は洛陽に火を放ち、長安まで逃げた。
 正史の事実はそうだった。
 この世界では……決戦を行い、死中に活路を求めて抗うつもりだ。
 だが一発逆転の目はこの時代の戦争ではあまりに少ない。
 既に後手後手の状況でどうやってひっくり返そうと言うのか。
 連合の不和と糧食の減衰を狙っての長期防衛も行えなくなり、夜襲も奇襲も行えないほど攻められ続け、不利な兵数での決戦に持ち込まれたこの状況で。
 あるとすれば連合側の単純な手柄の食い合いか飛将軍の押し付け合いという隙を使うくらい。
 だがそれも望みが薄い。やはり決戦ともなればこちらに分がある。
 負けが確定したなら董卓はどうする。
 逃げるか、腹を括って戦で死ぬか。
 今まで一度も姿を現していない董卓は必ず逃げると思われる。
 例え巻き込まれたにせよ、火種を撒いてしまった責任を放棄して。
 だが逃げても再起を計るなど不可能。連合はどこまでも追っていくし世は董卓を悪と断じているのだからどこも助けてはくれないだろう。
 どの諸侯の軍師も俺の思考の先に思い描いている展開程度は軽く読んでいるはず。
 なら俺は今回、後陣で桃香達を守る事に徹しよう。自ずと動かなくても事が動いた後で十分対処できる。
 それにうちの軍には天才軍師が二人いるのだから俺はその判断に従うだけだ。下手に動いたり、何かを献策するよりはずっといい。
 この世界での反董卓連合は長安まで続かない。ここで決まる。逃げる間など与えない。

 考えている最中にも多大な罪悪感に苛まれ、吐き気を堪えながらも思考を続ける。

 ただ……董卓に対する同情が少しだけある。
 集まった情報で、華雄との一騎打ちで、呂布との戦いで、董卓は利用されただけなんだと確信している。
 これが乱世。正義も悪も無く、慈悲も無く、情けも無く、ただそこには勝者と敗者がいる。力と運が無ければ生き残れない。
 華雄の言の通りなら董卓の立場は俺に似ていると思う。
 巻き込まれ、理不尽の袋小路に立たされ、結局自分で選択をしたところが。
 軍の事ではなく俺のこの世界での存在自体に被る。
 同情するが……利用させてもらう。
 お前のようなものがこの先に出ない世にするために。

 一人の王を踏み台にする決意を固め、寝付くまでこれからの乱世の為に自分が出来る事を考え始めた。


 

 

黒麒麟動く

 大きな黒馬に跨り戦場にて攻城戦を見やるその男は考察を繰り返す。
 気付けたのは偶然で、それは一人の少女が戦っていたからだった。
 ゆるいウェーブのかかった赤い髪を揺らしながら兵に指揮する彼女のシ水関での言葉が、男の甘えた思考に一つの波紋をもたらした。
 その波紋を観察し、行く先と起こった地点を見つめ……己が考えを投げ込んで新たな波紋を作る。
 自分の軍の掲げるモノと今回行うべき事を秤に乗せて最良の選択肢を考え、一人納得する。
 男は他の者に思考の全てを語らない。
 信頼されていない故に……ではなく信頼されているからこそ。
 自分から動くのは事が起きてからではあまりに遅いと気付いてしまった。
 故に彼は決意する。
 自分を仲間と呼んでくれる者達の想いを確かめる事を。
 そして彼が今回張るのは予防線と責任の糸。彼女が耐えられるように、と。
 先を知るその男は真実を語らない。
 世の全てを騙すペテン師はただ一人きりでその罪を背負い続ける。


 †


 董卓軍が決戦の初めの相手に選んだのは袁紹軍みたいだ。
 私は開幕で曹操軍と当たるかと予想していたが違ったらしい。
「袁紹軍の時に出るのか……俺達の軍か連続で出ている孫策軍かとも思っていたんだが」
 隣で呟く彼の声も驚き。私は少し戦に思考がとらわれ過ぎている秋斗さんの隊と共にいることになった。朱里ちゃん曰く、秋斗さんは私といる時が一番落ち着いているように見えるかららしい。
「意外ですね。私はてっきり精強な曹操軍を挫きにくるか、私達の時に来るかと思ったのですが……」
 総大将の軍を攻撃して士気を挫きたい、と言う事だろうか。総大将自体が最後方にいるためそれでは甘い。
 今日の劉備軍の配置は中軍後方。追撃の為に左右を馬超軍、公孫賛軍と固められている。
 最後方は袁術軍と袁紹軍本陣。私達の前方左右には真ん中に間を開けて曹操軍と孫策軍。
 連合は決戦が近いとあって昨日から軍の全てを洛陽前に配置していた。相手への威圧による攻城戦での士気低下も考えて。
 これだけの軍が連合にはいると見せつければ、きつい攻城戦はまだまだ続くんだという思考に陥らせ相手の軍の心を焦燥に駆る事が出来るとの予想だった。
「相手の士気の問題だろうな。曹操軍は士気高く軍全体の対応が上手いし虎牢関での被害も少なかったから出鼻では狙えない。俺達を狙わなかったのは不確定要素が多いからか。華雄を討ち取られ、三体一だとしても呂布が止められた。それによって兵にも軍師にも不安が出てるんだろう」
 秋斗さんから語られたモノは的確な意見だが綺麗すぎると思う。
「董卓軍は苦肉の判断で勝つ為に出てきたのですから無理をしてでも曹操軍を挫くか私達の軍を攻略する事で士気を上げておくべきでした。私が董卓軍の軍師ならそうしてましたよ。それくらいできなければこの厳しい状況は覆せません」
 勝利のみに意識を向けていればそうできたはずなのに。向こうの軍師は敗北に思考が向き始めているから安全策に走っている。それではいくら飛将軍がいても勝てないと言っているようなものだ。
「……雛里はやはりすごいな。さすがは大陸一の軍略家だ。味方で良かった」
「そ、そそそこまでしゅごくないでし、あわわ……」
 秋斗さんに大陸一とまで褒められて照れてしまい噛み噛みになってしまった。
 肝心な時にこれでは締まらないのに。後ろに構える副長さん達以下徐晃隊の面々からも笑いが漏れている。
「クク、俺は本当にそう思っているよ。雛里と一緒なら徐晃隊はどんな軍にも負ける気はしない! お前達もそう思うだろう!?」
 後ろの徐晃隊は秋斗さんのその問いかけに強く「応」と返してくれた。いきなりの大きな声に前にいる愛紗さんの隊の兵も鈴々ちゃんの隊の兵も何事かと驚いてこちらを伺っている。
 私は真っ直ぐに徐晃隊の人たちと目を合わせてみる。彼らの瞳は秋斗さんと私に対する信頼が見て取れた。
 自分達の命を預ける、という強い想いが伝わってくる。
 私はその想いに応えたくなって口を開いた。
「わた、わたしゅは……あわわ」
 多くの人の目が集まりすぎてまた噛んでしまった。恥ずかしくて赤くなったであろう顔を隠すために帽子を下げて俯く。
 しかしまた笑われるかと思ったが不思議と一つも笑い声はなかった。
「大丈夫だ雛里。落ち着いて、ゆっくりと自分の言葉を紡げばいい。あいつらはお前の言葉を待っているぞ」
 そう言われ顔を上げると徐晃隊の兵達が暖かく微笑みながら頷いているのが見えた。
「わ、私はあなた達のために大陸一となりましょう。あなた達全ての想いを繋ぐために。平穏な世を作るために」
 自分の想いを言い切ると彼らからわっと声が上がる。秋斗さんはいつも口上をするとこんな気持ちだったのか。胸に灯った火が大きく燃え上がり力が湧いてくる。
 気持ちが高揚してきて意識を前に向けようとしたら隣で突然秋斗さんがすっと剣を上げ、それを見た徐晃隊からは全ての声が消えた。
「今、我ら徐晃隊には鳳凰が付いている! どんな事が起ころうとも全てを読みきり、躱し、防ぎきる大陸一の最強の羽だ! ならば俺達黒麒麟は鳳凰に従い、畏れず前を見、その角で迫る敵の全てを切り裂くのみよ! 謳え! 我らの想いを紡ぐために! 乱世に華を! 世に平穏を!」
「「「「「乱世に華を! 世に平穏を!」」」」」
 重なる声は全てを呑みこむかのようだった。紡がれた言葉は彼らのみに伝わる合言葉なのだろうか。
 徐晃隊の結束力は劉備軍で一番。いや、他の軍でもこれほどのものは無いだろう。
 想いの共有と意識の統一。死の恐怖も戦場の狂気も跳ね除けるほどの力強い信念が感じられる。
「頼りにしている、雛里」
 こちらを向いて笑みとともに語られ、秋斗さんと徐晃隊に見惚れてしまっていた私は慌ててすぐに頷く。
 なんて頼もしい人達なんだろう。
 士気は秋斗さんが怪我をしているのも有ってか凄く高い。それにしっかりと冷静さも持っている。
 私はこの全てを操りきろう。一人でも犠牲を減らす為に。
「後な雛里、もしもの話だが――――」
 続けて秋斗さんが話し出した事に私は驚愕し、反対したが彼の想いを汲む事しかできなかった。
 この人が壊れないために……私はそれくらいしかできなかった。

 †

 予想通り門が開き現れたのは真紅の呂旗率いる最強の軍。
「夕の言った通り私達が攻めてる時に来たかー」
「ちょ、ちょこちゃん! 呑気に言ってる場合じゃないよぉ! 速く逃げないと」
 私の言葉にわたわたと焦りながら顔良が必死で懇願する。
「分かってるって。さあ、董卓軍を伸ばして叩いてすり潰すよ! 張コウ隊、顔良隊は対応しつつ後退開始! 他は城壁に沿って左右に開け! 後方弓隊、最前の兵が開き次第山なりに城門前に向けて一斉射撃! 敵の足を少しでも止めろ!」
 自分の掛け声に瞬時に反応し全ての兵が行動し始める。
 同時に城門側最後方に悲鳴が上がる。少し遅れたみたいだけど化け物も出てきたか。
「りょ、呂布が来たよちょこちゃん!」
 立ちふさがる兵などいないかのような飛将軍の進撃に顔良は焦りと恐怖を隠せず真っ青になってあたしに言う。
「大丈夫! 二手に分かれて動き始めた後方両軍の真横を掠めて行くよ!」
 中軍では二つの軍がこれから溢れてくるであろう董卓軍を包めるように陣形を広げていた。連合軍全体が自然と作るのは包囲網。殲滅する事よりも洛陽の確保に意識を置いたモノであり全ての軍がそれを分かっているから勝手にこの形になるだろうとは思っていた。肝心なのは殲滅ではなく戦の勝利にあるのだからある程度抜かせても問題はない。
「うん! 顔良隊、最速で孫策軍の横を駆け抜けろっ!」
 怯える心に気合を入れて彼女は自分の隊を率いて行った。
「さあ、あたしたちもだ張コウ隊! 曹操軍の横を駆けろ!」
 董卓軍を洛陽から連れ出して縦横無尽に連合包囲網内で駆けまわる事が自分達の仕事。
 かき回し、兵の損害だけをただ増やすように動く。
 劉備軍の前まで呂布を連れて行ければいいんだが。
「とりあえずは急がないとね」
 他の軍が思うように動いてくれればいいんだけどな。
 時間をできる限り引き伸ばして洛陽内から全ての兵を引きださないと。

 †

 決戦ともなれば私達騎馬主体の軍も楽に動くことが出来る。
「星、牡丹、私達のこの戦での動きだが諸葛亮からの伝令が言った通りで行こうと思うがいいか?」
 陣形の変化を続ける他の軍から目線を外さずに、その忙しない動きを見つめている二人に確認を取る。
「私は愛紗と鈴々と共に呂布隊に当たりに行き、牡丹は離脱しようとする兵の追撃、白蓮殿率いる白馬部隊は馬超殿と共に張遼を抑えに行く、でしたな?」
「白蓮様の判断に従うだけですからご随意に。ああ、白蓮様の活躍がこの目で直に見れないのが悔しいです本当なら共に戦ってすぐそばでその勲功を上げる手助けをしたいというより美しい白蓮様のお傍にずっと付き従っていたいというのにあの子供の策が邪魔ですこれは一種の試練なのかもしれません私と白蓮様の密な時間を引き裂くための「少し、頭を、冷やせ」ふわ、ごめんなさい!」
 戦場だと言うのにこいつはいつも通り暴走しだしたが、星が耳元で何やら囁いてそれを止めてくれた。そのいつも通りの光景が私に安心感を与えてくれる。
「よし、じゃあそれで行こう。牡丹、お前の事は信頼しているんだ。だから後ろは全て任せたぞ。星もいつもありがとう。呂布の強さは異常だから気をつけろよ?秋斗が倒れた事を気負いすぎず絶対に無茶するな。早く戦を終わらせて私達の家に帰って店長の店で酒でも飲もう」
 私がそう言うと牡丹は顔を赤らめ目に涙を滲ませて蕩けきった顔をし、星は少し照れくさそうに苦笑した。
「……クク、気にかけて頂き感謝致しまする。しかし私も武人であり、あなたの軍の将。戦場では主の為に我が槍を振るうのみです。必ず生きて戻ります故、安心してくだされ」
 語りながら合わされるその眼に昏い色は無く私への信頼が見て取れた。しっかりと自分を理解し個人の感情を割り切って行動できる星は本当に頼りになる。私にはもったいないくらいの将だ。
「ふふ、頼りにしているぞ、二人とも」
「伝令! 城門より紺碧の張の旗が出て参りました!」
 張遼も出て来たか。今回は牡丹と一緒じゃないがシ水関での用兵対決の決着を付けたい所だ。
 浮かんだ気持ちに私は一介の武人でもあるんだなと少しの驚きを感じる。
「白蓮殿こそ、燃えたぎるその瞳を隠せておりませんな。あまり無茶をせずちゃんと我らの元に無事帰って来てくだされ」
 にやりと笑い、先ほどの私への意趣返しとばかりに言ってくる星に苦笑が漏れる。
「ありがとう。お互い約束だぞ。私達の願いのために」
 そう言って振り返り後ろに構える自分の兵達に向けて剣を上げ叫ぶ。
「聞け! 幽州を守りし勇者達よ! 長きに渡ったこの戦もあと少し! 終われば我らが家での安息の日々が帰ってくる! 大陸の平和は幽州の平和なり! 友のために、家族のために、全てを賭して敵を屠れ!」
 口上を述べると兵達から雄叫びが上がる。彼らもこの長い戦によく従ってくれる。
「各隊、出撃!」
さあ、私達の仕事を始めよう。

 †

 張遼が来た。
 呂布隊が開いた隙間を突貫し、鋭く、そして速く。
 その速さはまさに神速。先頭を駆ける張遼によって兵の壁など草原にたゆたう草の如くなぎ倒されていく。
 董卓軍との決戦にて最初の囮の役割を果たしてくれた袁紹軍には感謝しましょう。
 乱戦に持ち込まれてもこちらに分があるがそれでは被害が増えるしおもしろくない。
「春蘭、秋蘭」
「「はっ!」」
「我が軍の精強さを見せる時は今、ここよ。季衣と流琉を連れて董卓軍を蹂躙してきなさい。戦場での判断は二人に任せる。できるわね?」
「華琳様の望み、必ずや果たしてみせましょう」
「「「御意に」」」
 四人が一様に決意の籠った眼を携えて頷き、それぞれの隊を率いて進撃し始めた。
「桂花、あなたは凪を連れて左翼の軍に当たりなさい」
「御意」
 張遼さえ捕えればこちらの勝ち。今回は時間との勝負ではない。じっくりと確実に仕留める事が大事だ。
 問題は呂布だが、秋蘭の判断に任せる事にした。
 決戦の戦場は広く、大きい。飛将軍の対応に伝令を使っていては間に合わない。
 あの子ならば冷静に対処できるでしょう。
 春蘭には後々張遼と当たるように事前に指示してあるのだから問題ない。
 彼女の愚直とも言える忠誠心が役に立つ。戦場での嗅覚は人一倍強く、私のためになる事をしっかりとやりきってくれるのだから。
 季衣と流琉は保険。春蘭と秋蘭が呂布に遭遇してしまう可能性を考えて。
 四人がある程度の間隔で戦っていればその対応に概ね問題はない。
 桂花には多くの兵を持たせてあるが凪の経験も積ませたいから二人で。
「ふふ……」
 笑いが抑えきれなくて漏れてしまった。
 楽しいという自分の感情が素直に顔に零れ出ている。
 例え勝ちの目が大きかろうと全力を尽くして戦うことが楽しい。
 自分が立ち向かう敵がいるという事が楽しい。
 自分の願いのために皆が死力を尽くして戦ってくれるのが楽しい。
 度し難い欲望だと思う。不謹慎だとも思う。それでもこの乱世が愛おしい。
 私の存在は戦うためにあるのではないか。
 全ての理不尽を打ち砕き、支配し、その先に立つために。
 戦によって飢えた心が満たされていく。
 しかしもっと大きく。もっと強大に。もっと、もっと……と望んでしまう。
 なるほど、私は確かに乱世の奸雄だ。
 ならば混沌たる外の乱世も、安寧なる内の平穏も、全てを愛し、手に入れましょう。

 †

「策殿、呂布が来たぞ。顔良め、厄介なものを連れて来おって」
 戦場で共に戦っていた祭が憤りながらこちらに言う。
 あれは本当に厄介だ。しかも虎牢関の時よりも研ぎ澄まされているのが嫌でも分かる。
 あの時は何故か不安定に見えていたが今回は比べものにならないほど力強い。
 本拠地という事でこれほどまでに違うのか。
「わかってるわ。全軍広がれ! 間隔を広く取り敵に当たれ!」
 纏まれば多くがあの化け物の餌食となってしまう。
 今回は決戦なのだから広く、大きく戦うべきだ。
「祭、呂布隊にも気を付けましょう。あの隊も異常よ。下手すれば取り返しがつかなくなるわ」
「む、確かにそうじゃな」
 陳宮が後陣で指揮しているこの隊は恐ろしいほどの突撃力を持っている。
 虎牢関では曹操軍が手を焼いたらしいから気を引き締めなければ呑まれるだろう。
「呂布はどうする?」
「まだ近づいてはダメよ。曹操軍と公孫賛軍と劉備軍の将を待ちましょう。卑怯だけどあれだけは数がいないとどうしようもないわ」
 あの夜に四対一でも防戦のみだったのだから無茶させられるわけが無い。将の死亡は軍の多大なる損害になるのだから。
「御意」
 祭も兵の被害が増える事に少し苦い顔をしているがそのくらいの事はわかっているので何も言わず従ってくれる。
 しかし董卓軍は素直に決戦をしてきたが何も策がないのだろうか。
 力押しだけではもはやどうしようもないはずなのに。
 死兵となって戦った所で、本当に甘く見積もっても、五分五分と言える。
 陳宮の恐ろしい火計がまだ記憶に新しいからか少し警戒してしまう。
 早計な判断は軍を滅ぼすが……
「祭、左右に分かれて呂布隊と戦いましょう。他の将が来る前に呂布が来たら逃げてね」
「なんじゃ、結局わしらも動くのか?」
「ええ、今の内に呂布隊の数を少しでも減らしたい。もう少し広がりつつ戦って敵をおびき出しましょう」
 何か洛陽で起きそうな気がする。
 城門までの道を作っておいたほうがいい。
 勘に丸投げするわけではないが軽くでも手は打っておくべきだろう。


 †


 城門が開いてから各軍の迅速な対応によって連合の董卓軍包囲網は広大になり、今は内側にてそこかしこで衝突がある。
 飛将軍は包囲網を抜ける事もせず何かを守るようにただ内側に攻めて来る兵を蹂躙している。
 余りに簡単すぎないか。それほどまでに彼らの思考は固まってしまっているのか。
 愛紗さんと鈴々ちゃんには星さんが到着次第、呂布隊への攻撃をお願いした。
 総大将に対しての飛将軍部隊による劉備軍突破を警戒していたがそれも無いのだからここは包囲網を狭める事が定石。
「朱里」
「ひゃい!」
 いきなり後ろから声を掛けられて変な声が出てしまった。
 振り向くと秋斗さんが苦笑を噛みしめてこちらを見ていた。隣には雛里ちゃんもいたが何故か暗い表情で俯いている。
「……朱里に聞きたい。もし董卓が逃げるとしたらどうやって逃げる?」
 尋ねられた質問はこの戦の戦況が確定してからの事。董卓軍の戦況は覆しようがないとは言えないがそれでも現状のままでは時間と共に勝ちの目が全て無くなるのが目に見えている。

「……飛将軍か張遼隊による強行突破かと」
 逃げるなら望みの薄いモノだがそれしかない。軍として抜けて再起を計りたいならばそうするべきだ。飛将軍もそのために今は内側で戦っているのかもしれないという考えに納得が行った。
 一瞬もう一つの考えが頭を過ぎったがそれはないと心が拒絶する。たまに現れる黒い獣は倫理を無視した策を私に甘く囁く。
「董卓が悪なんだろう? ならば他には何がある?」
 彼の放った言葉に思考が凍り、吸い込まれそうな黒い瞳に私は釘付けになってしまった。他にある事柄を確信して私に尋ねているんだ。
 この人はやっぱり恐ろしい。まるで自分の心の全てを見透かされているような気持ちにさせられる。一体何を見て、何を予想して、どんな思考を行って黒い獣の方の私と同じ考えに至ったのか。
 そこで私は気が付く。全ての事象を抑えてこそ軍師ではないのか。何故私は今まで全てを人に話さなかったのか。これでは軍師とは言えない。既に人を殺しているくせに何を甘えた思考をしていたのか、と。
「……洛陽に……火を放つことも考えられます。そのごたごたを利用して内密に戦場を離脱。それぞれの隊が抜けた先で合流し再起を計るかと」
 私が言葉を紡ぐと彼は一つ頷き続ける。
「雛里に戦況を見させ、もし煙が上がったら徐晃隊の三割の兵による突撃で手薄な所を突破し俺達が洛陽に入る。いいか?」
「ダ、ダメに決まってましゅ! 体調を考えて後陣に下がって貰ったのにそれでは意味がありません!」
 彼から話された事は自分がこの前止められたばかりという事を無視した発言だった。あまりの身勝手さに怒りが湧きすぐさま否定する。
 本当に無茶ばかりしようとする人だ。もし秋斗さんに何かあったらどうなるのか考えてもくれないのだろうか。
「……無茶は承知だ。戦で兵が死ぬのは……不本意だがまだ許せる。しかし民に被害が与えられるなら俺は動く。いや、動かせてくれ」
 私に懇願する秋斗さんの泣きそうな表情は子供のようだった。
 自分が無理を言っているという事を噛みしめて、それでも自分が何かを助けたいという純粋な想い。
 雛里ちゃんも泣きそうになりながらも秋斗さんの横で耐えている。雛里ちゃんは渋々だが認めたという事か。
 きっとその状況になれば桃香様も同じことを言うだろう。劉備軍大将の突出などさせられるわけが無いので却下だ。愛紗さんと鈴々ちゃんは飛将軍防御に必須なので呼び戻せない。敵の主力の将が全て城壁外に出ている今、私達の軍で一番対応に向いているのは徐晃隊で間違いない。
 今この時に話しに来たのは愛紗さんと鈴々ちゃんが反対するのを分かっていたからなのか。それとも戦況を見ての判断なのか。
「他の軍に任せるならこの軍の存在意義が無くなるだろう?民のために立ったなら、命を賭けて為すべきことだ。違うか?」
 強く明るい光を携えた瞳は覚悟の色。
 私の心はその言葉と瞳に吸い込まれて行く。
 ああ、これか。これが本当の……。
 覚悟の大きさが違う。違い過ぎた。
 彼の瞳から目が離せず、自分の心臓が大きく高く鳴っているのが聴こえる。
 この人が言っているのは私達の言葉の責任を取ると言う事。
 命を預かる立場の私達が口にし、表明した参加理由は行動で示さなければいけないモノ。
 私はどうしてそれを放棄しようとしていたのか。
 彼が……彼だけが私達の想いを貫いていた。返す言葉はもうここで決められていた。
「ま、まだ起こると決まったわけではありません。しかし事が起きた場合は……慎重に時機を見て行ってください。それと洛陽内でも絶対に無理はしないでください」
 洛陽が火に沈む事は起こる可能性としては一番高い。今まで姿を現さなかった董卓は逃げる時も姿を見られる事を恐れるはずだから。
 じわじわと不安と心配の気持ちが心に広がり、それでもこの人を止められるわけ無かった。思考の中では、それはいけない事だと分かっている。本当なら他の軍に任せて耐えているべきだ。でも私達の理想がそれをさせてくれない。
「二人ともありがとう。それと、無理を言ってすまないな。……その時は俺達の本陣は任せた」
 言葉と共に頭を優しく撫でてくれる。
 この人はズルい。覚悟の大きさと優しさでどうしようもなく人を惹きつけてしまうから。
 誰かの心配も分かっているくせに、向けられた想いを振り切る事に心を痛めながらも進んでしまうから。
「曹操さんと孫策さんに伝令を。愛紗さんにもです」
 せめて万が一が起こらないように万全を期すのが私に出来る事だ。
「じゃあ俺は桃香を説得してくるよ」
「いえ、私が説得します。させてください。だから秋斗さんは雛里ちゃんと戦場を見続けてください」
 この人の強い思いに応えたい。私は今になって初めてこの人の事が少し理解出来た気がした。

 †

 劉備軍からの伝令が私の軍に予測を伝える。
『董卓が逃げる為に洛陽に火を放つ可能性あり。もし煙が上がったなら機を見て徐晃隊が城門に突撃をかけるためそれに続いて頂きたい』
 董卓は確かに傀儡だが逃げるにしても民に被害を与えるような落ちぶれた事をするわけが無い。そのような主に張遼が仕えるとは思えない。
 しかしそこである思考に至る。
 董卓が悪でないならば悪に仕立て上げる。それを平気で行ったのが連合ではなかったか。
 総大将の後ろの者達はより確実な勝利をもぎ取るために手段を選ばない。
 その考えが抜けていた事に気付き、ギリと歯を噛みしめ、振り返って袁紹軍を睨む。
 お前達は民を苦しめ、私の戦を最後に穢していくのか。
 麗羽も田豊も関係ないのは分かっているがそれでも睨みつけてやらねば気が済まない。
 臆病な麗羽が自分の危険も顧みずにそのような策に走る事は無い。
 田豊はそれが行われる事を知っていただろうが桂花の言葉を信じるなら止める事が出来ない。
 命を散らせる覚悟を持たないモノを蹂躙しようとする者達に怒りが湧く。
 愛しい戦が穢されようとしている事を理解し憎しみが心を燃やす。
 だがまだ起こるとは決まっていない。
 心を鎮める為に言葉を反芻し、次なる思考を開始する。
 そのような事態が起こったならこの戦はどう動く。どう動かす。
 瞬く間に積み立てられる思考の中で自分が望む結果に持って行くための解を一つ得た。
「誰かある!」
「はっ」
「荀彧に隊の半数を率いて夏候惇と合流させよ!」
 あちらはこれでいい。もう一つの方は私が行きたい所だが……
「沙和」
「はっ!」
「凪と合流し桂花の抜ける穴を埋めなさい。それと徐晃が城門に向かったなら二人でその後を追うように。中での判断は民の救出優先。規律の厳しいあなたの隊なら出来るわね?」
「御意なの!」
 これでしばらく様子を見ながら、かつ迅速な対応もできるように変化させられた。
 沙和も凪も黄巾の時にそのような場合の対応に慣れているので一番的確な判断が出来るだろう。
 考えているとふと一つの疑問が起こった。
 一体劉備軍の誰がこの可能性に気が付いたのか。同時に一人の飄々とした男が思い浮かぶ。
 そうね、あれでなければ考えつかないか。
 あの軍は甘い思考に縛られている。悪の思考は本能的に拒否してしまうだろう。
 本来ならば軍師達はそんな狭い籠に捉われたりはしないが、理想という甘い罠にかかってしまえば話が違う。
 せめて狂信者になれば良かったのに妄信者になってしまった者達の哀れな軍。
 たった一つ、内にある解毒薬があの男。今回の徐晃の突撃は仲間の心配を無視したモノ。しかしその行動の真意が伝われば全てが大きく成長できる。
 これでこの戦が終わるとあの軍は大きくなると確信できた。
 その考えに至り先ほどの昏い感情など嘘のように晴れやかな気分になった。
「あの男がそこまでできるほど劉備が成長したという事か」

 †

「雪蓮、劉備軍から伝令だ」
 戦場の空気に当てられてか妖艶な笑みを携えて戻ってきた自分の主に報告を行う。
「どんな内容?」
「董卓が洛陽を戦火に沈める可能性あり、もし煙が上がったなら徐晃が道を切り拓くので続いて欲しい、らしいわ」
 あり得る事だと思う。確かに連合の発端と袁家のやり口と照らし合わせれば董卓が行わなくても起こりうる。
「そう、やっぱり敵を広げて呂布隊の被害を増やしておいてよかったわね」
「……また勘か?」
 頭に手を当て苦い顔で片目を瞑り、開いている目で私を見やりながら尋ねてくる。
「どっちにしろ洛陽内部に進行するには手薄にしておくべきだったしね」
 じとっとこちらを睨み、しかしそれでも責めているわけではないのが分かる。
「……まあいい。とりあえず誰を送るかだが……」
「私が直接行くわ。反論は受け付けないわよ?今後の為に必要な事だもの」
 民の噂は権力者にとって一番の力にも毒にもなるのだから。
「……いいだろう。しかし思春を護衛につけて貰う。それと事が起こったなら黄巾の時の劉備軍への貸しは無しだな」
 思春の護衛は構わない。むしろ願ったり叶ったりだと言える。
 貸しはこっちが押し付けたのだからあちらも押し付けて終わり、という事か。
 できればこの後に生かしたかったのだが仕方ない。
「了解。まあ起これば、だけどね」
「お前が言うとどこか確実に起こるように聞こえてくるから困るな」
 苦笑しながらの言葉に私は舌を出して返し、少しだけ休息を取る事にした。

 †

 圧倒的な武力は虎牢関の時よりも尚、研ぎ澄まされていた。
 公孫賛の所の趙雲と曹操軍の夏侯淵と許緒、孫策軍の黄蓋と劉備軍の張飛。そしてあたし。
 六人でやっと抑えている。
 夏侯淵と黄蓋の鋭い矢は的確に時機を見て撃ち込まれるも躱され、趙雲の鋭く速い槍撃は一筋も掠らず、張飛と許緒の重い攻撃を難なく受け止め、あたしの不規則な連撃を見事にいなしきる。
「ちびっこ! ちゃんと力込めてるの!?」
「うるさいのだ春巻き! お前の方こそ攻撃が軽いのだ!」
 言い合いしながらも何故か息の合った連係を取って呂布に攻撃を仕掛ける二人。
 ただ張飛は気合の入り方が許緒とは違う。きっと秋兄が一番傷ついていた事が影響してるんだろう。
「張コウ殿、某に合わせられますかな?」
 息を少しだけ弾ませながらの趙雲の言葉に頷き答える。
「いいねぇ。やってみよっか。もう我慢しなくていいって夕に言われたしねー」
 それでも倒すには足りなさそうだけど、とはさすがに言わない
「黄蓋殿」
「うむ。わしらが援護する。お主らは好きなようにやれい」
 弓が主体の二人はあたし達の援護をしてくれるようだ。
 付かず離れず放たれる矢の連携には、先ほどから危ない所を幾度となく助けられていた。
 呂布は虎牢関の時とは違い本気なのか真剣そのモノ。
 こちらは足止めが目的なので攻めているのも牽制の度合いが強い。それでも本気で殺しに行っているのだが。
 方天画戟の寒気のするような攻撃は二人で防ぎ耐える。
 動きが止まった瞬間に左右から放たれる矢に敵はうっとおしそうに飛びのいて躱し、その先に重い二つの攻撃が待つ。
 受け止めた所にあたし達が攻撃を放ちまた飛びのく。
「……めんどくさい」
 心底苛立たしげに呟かれた一言は本心からだろう。あたしだってこんな攻撃続けられたら心が折れる。
 呂布を見つめ次の攻撃に警戒していたら戦場の空気が変わった。

 †

 張遼の用兵はやはりというべきか凄まじかった。
「くっ、さすがだ。幽州の白馬部隊がこうも翻弄されるとは」
 牡丹がいればもう少し違ったんだがいない者を求めても仕方がない。
 今は馬超が張遼と争っているがその実力は均衡しているように見えた。
 人馬一体とはあれの事を言うのだろう。
 用兵ならば馬超よりも上だと胸を張って言えるが個人の武では敵いそうもない。
「シ水関では関羽、虎牢関では夏候惇、洛陽では錦馬超かい。うち、もてもてやなホンマ」
 冗談めかして言っているがその表情は真剣そのもの。
 一騎打ちに割って入るほど私は落ちぶれていないので邪魔しないが羨ましく思う。
「あたしの馬術に付いてこれる奴が西涼以外でいるなんてな」
 馬超は楽しそうに笑いながら言い放つ。
 その時視界の端に黒いモノが掠め城壁の上を見上げる。
 あれは……煙か?
 城壁の上から煙が立ち上っている。洛陽に火が上がっているという事か。しかも一つじゃない。
「おい! 洛陽から煙が上がってるぞ!?」
 私の他に気付いた兵達が口々に騒ぎ出す。
 大きな金属音を響かせ互いに武器を弾いて張遼は馬超の横を抜け、振り向いて城壁の上を少し見た。
 その表情は驚愕、そして次に困惑、最後に膨大な、はち切れんばかりの憤怒に変わった。
「なんでや……まだわからへんだやないか。それにあれはちゃう。あの場所は屋敷の場所ちゃうやん。……そうか……これがお前らのやり方かい!」
 全てを呑みこむこのような怒号と共に馬超に突撃する。
「ぐっ!」
 馬超はなんとか耐えたようだったが鬼気迫るその殺意に圧されてしまっていた。
「張遼隊! 右翼突撃! 喰らい尽くせぇ!」
 それは張遼が行うとは思えない愚かしい号令。だが兵達の瞳も怒りに染まり、応とそれに従い、私達を無視して袁紹軍に向かい突撃し始めた。
「逃げるのか!?」
 思わず反射的に上げた馬超の一言にも振り向かず彼女は進んで行く。
 何が起こったのか分からないまま、張遼の気迫にそれを追う気にもなれず、私達は他の軍との戦いに向かおうとして……
 すぐ目の前を黒い麒麟の部隊が横切って行った。

 †

 予想していた通りの事が起こった。
 洛陽でのこの展開は分かっていた。
 どうせあのクズが中に送り込んでいたんだろう。
 董卓は悪でなければいけない。そんな押し付けを行うためにあのクズは無駄に民を殺す。あれはそんな策を平気で出す。
 洛陽内部に紛れ込ませた細作を使い火を放ち董卓の責とすること。
 今頃生贄のために董卓や賈駆を探しているのだろう事も予想に難くない。
「麗羽。これがあいつらのやり方。そしてあなたと私の敵のやり方」
 横で怒りと恐怖に震える彼女を責める事はできない。
「す、すぐに猪々子さんを救援に向かわせますわ!」
「それはダメ。怒った敵がこっちに来る可能性が高いから」
 戦場を見やれば張遼の旗が大きく動いていた。
「ではどうすればいいんですの!?」
「文醜に伝令。張遼隊に一当てしてすぐ下がるか開くように。私達は下がる。夏候惇が近くにいるから心配しないでいい」
 焦ってこちらに聞き返す麗羽にすべきことを伝えると彼女は静かに頷いた。
 右には夏候の旗が近づいてくるのが見える。そしてあの子も。
 桂花との久しぶりの共同作業とは……私にとっては嬉しい事だ。
 未だに震えている麗羽の背中を少しさすり低く優しく言葉をかける。
「大丈夫。私が全部守ってあげる」
 さて、桂花は今まで一度も私に戦術で勝てなかったけど今回はどうだろうか。
 あの子の才能は政治向きだから仕方ないか。
 戦場で違う軍に所属しながらも頑張っている彼女を想い、私は全てを操るために行動を開始した。


 †


 胸の内にある感情は怒り。そして責任感。
 あの人は力の無い私の代わりに行ってしまった。
 朱里ちゃんからの話で彼の行動の意味を知った。
 命を賭けているのは兵も将も同じ。それをどうして止められようか。
 決断したのは私で、命令を出したのも私なんだ。
 自分の言葉一つに責任が伴う事はもう分かっている。
 でも無理しないでと止めたのは誰だったか。
 大きな胸の痛みを感じて、それでも歯を食いしばり耐える。
 王とは決断を下す者。
 それが例え近しい命を危険に晒す事柄だとしても必要とあらばしなければいけない。
 自分が何を目指しているか。
 自分が何をしたかったのか。
 そのために必要な犠牲を分かっているか。
 その責任を背負うならば自分を使え。
 彼が言いたいのはそういう事。
 朱里ちゃんからの説明の最中にも私は何も言わなかった。言えなかった。
 私が選んだ事は自分の周りを犠牲にして他者を助ける事。
 大きく言うならば、自分の国の民を犠牲にして他の国の民を助ける事。
 兵と民は違う、と誰もが言うだろう。
 死の覚悟を持ち、戦う事を選んだ者が兵。生きる事を願い、平穏を望む者が民だ。
 そこにある命に違いは無いはずなのに誰もが違うと言う。
 既に決断を下した私に出来る事は無事を祈り、民が少しでも救われるよう願い、そしてこの戦が速く終わるように命を下す事だけ。
「朱里ちゃん、他に私が出来る事ってあるかな?」
 自分の信頼する軍師に尋ねる。何か他にもないか、何か一つだけでも私が出来る事は無いのだろうか。
「桃香様……。この戦が終わり次第、洛陽内部の民の救援活動を優先します。今は耐えましょう」

 私はやはり待つ事しか出来なかった。

 

 

火燃ゆる都に月は沈む


 決戦に向かった皆を見送り自分は城壁の上にて戦場の全てを見ていた。
 前日に連合が取ってきた威圧策はまだこれだけの数と戦わなければならないのかという思考に兵達を陥らせ、士気を見る間に挫いて行った。
 まだ兵の準備が完全には出来ていない状態で流されて戦う訳には行かなかったから今日を選んだが、それは失敗だった。
 開幕に袁紹軍を狙ったのは一番脆い部隊だったから。
 本来なら曹操軍を狙いたかったが、ねねから虎牢関での戦いぶりを聞くと狙うに狙えなかった。
 呂布隊という自分が見てきた限りでは最強の軍に押し込まれてはいたがどこか曹操の狙い通りなように感じたらしい。
 そう聞くと飛将軍がいるから問題無い等と早計な判断はできはしない。恋が抑えられたら全てが終わってしまうのだから。
 では劉備軍はどうか、と彼女らに聞いた時、一番に反対したのは恋で、霞も難色を示していた。
 二人に理由を聞くと恋はただ首を振って答えず、霞はあの軍と戦うとその後が厳しいと答えた。
 決戦での不確定要素との衝突はなるべく避けるべき。
「呂布隊なら蹂躙は出来るのですがその後曹操軍と事を構えると負ける可能性が高いのです」
 と言ってねねは最終的に反対した。
 孫策軍は連続して攻めていたが将の層が袁紹軍よりも厚く、連戦しているのに士気が全く衰えず、むしろ高くなっているように見えたので結局狙えず。
 そうなると残されたのは袁紹軍のみだった。
 総大将の軍であるならば少しは動揺を与えられるかもしれないと甘い見通しもしてしまった。
 決戦が開始されてまず予想外だったのは各軍が乱れもなく瞬時に動いた事。
 欲によって足を引っ張り合い、飛将軍の先頭突撃による威嚇で足並みが揃う訳ないと踏んでいたが全くそんなことはなく、全軍の動きは流れるように包囲網を組んで行った。
 広い包囲網は兵達の体力と気力を奪い、中を縦横無尽に駆け回る将達によってじわじわと数を減らされて行った。
 城壁沿いにねねが突破しようと試みるも袁紹軍の兵による肉壁で足が止まり、その後に曹操軍と孫策軍の接近によって潰されてしまった。
 恋はと言うと、将を狙うよう伝えたが完全に逃げの一手を打たれ思うように蹴散らせず、中に侵入を試みようとする部隊を迎撃させるしかなかった。
 飛び出した霞は最初こそ勢いがあったが公孫賛と馬超の騎馬隊の突入で足止めされてしまった。
「くっ、こんなに上手く連携が取れるなんて……」
 連合はただの寄せ集めではなく、統率の取れたひとつの軍に等しくみえる。
 シ水関や虎牢関での押し付け合いを聞いていたから連携などできるモノではないと思い込んでしまった自分の失態。
 兵達は死に物狂いで戦ってくれているが何か他に手を打たなければもう時間の問題になってしまう。
 逸る思考に没頭していると周りの兵達がざわめき出した。
「賈駆様! ら、洛陽から煙が!」
 その言葉に振り返るとあちこちで煙が細く立ち上っている。
 何故だ。戦況はまだ……厳しいが確定していない。
 しかもボク自身が月の元に行くときに屋敷に火をと指示を出したはずだったのに。
 まさか……弱気に走った者が裏切ったか。いや違う。これはボク達を貶めるための策略。
「慌てるな! 各部隊長に通達! 城壁内一割の兵は火消しに回れ! 急げ!」
 即座に動いてはくれたものの、走り出す前に見えた困惑と焦りの混じった顔を思うと自分の指示をちゃんと完遂してくれるか信用しきれない。
 この決戦で勝てたとしても洛陽の民から反感を買ってしまっては自分たちはここにはいられない。
 迅速に火災に対処し、尚且つこの戦にも勝利しなければいけなくなってしまったからこその指示。
「何が起こってるんだ!?」
「洛陽内に敵が入ってきたのか!?」
「俺達はどうすればいいんだ!」
「こんな状況、負けじゃないか!」
 待機している間も洛陽での長い戦闘により不満が溜まり士気が下がっていた兵達は混乱の渦に呑みこまれ始めていた。
 部隊長達が黙らせようとするがその場に漂う空気は払拭しきる事など出来ない。
「落ち着け!」
 自分も同じように何度も声を上げ、兵達を宥めようとするが近くにいる兵達しか言う事を聞かずそこかしこで統率が乱れ、ついに逃げ出す兵が表れだした。一人が逃げれば続いて二人、三人と。
 それぞれの小隊の長が止めに入るがそれでも混乱は収まらない。逃げる兵を捕まえて留めようとしても反撃され、さらに混乱が広がっていく。切れてしまった糸はもう元には戻らなかった。
 集団の心理掌握は出来ない。これでは兵の補充はままならず、すぐに敵が洛陽内に入ってきてしまう。
 敗色に染まった軍はもはや烏合の衆ですらなく……ついに仲間同士での殺し合いにまで発展し始めた。
 暴動が起こり、軍が変貌を遂げる。董卓が悪と言った連合の言のままに見えるだろう。
 霞がいれば、恋がいれば……その圧倒的武力で兵達の心を掌握しきれただろう。
 ねね操る呂布隊がいれば……乱れの無い統率によって暴動など起こる事も無かっただろう。
 しかしここには力も無く、シ水関にも虎牢関にも向かわなかった自分がいるだけ。
 兵の掌握の為の時間は政務と政略に捉われ、信頼も薄くなってしまった自分だけ。
 連合に対抗するために急遽集めた新兵も多く混じってしまったのも理由の一つだろう。
「賈駆様、お逃げください!」
 近衛兵達が暴動を止めに向かう中、一人の兵士が自分に向かって言い、その言葉にはっとする。
 今ボクのするべき事はなんだ?
 この状況では自分達の敗北が確定してしまったも同然。外の戦いも直に収束に向かうだろう。
 月の所に向かわないと……。
「ごめん……」
 必死の形相で自分に向かい来ようとする元軍兵を止める兵士に聞こえるかも分からない呟きを一つ漏らし、月の隠れている所に向けて走り出す。
 そうしてボクは戦場を逃げ出す卑怯者になった。

 †

 戦況は厳しく、しかしまだ続けられる状態だというのに煙が見えた。
 上がっている場所は予定の場所ではなく、その数は十を超える。
 思考を高速で回転させ予測を立てると一つの絶望に行き着いた。心が怒りに燃え、悔しさにのた打ち回り、それでも思考をどうにか繋ぐ。
 自分達が助けに行くか。それともこの戦場を離脱するか。
 城内にて逃げ場がなくなれば自分達はどうなる。敵兵がこぞって押しかけ、その場で乱戦になってしまうと洛陽の街はどうなる。民にも被害が増えるだけだ。
 今は、こうなってしまったら……彼女達を信じるしかない。
「呂布隊、飛将軍に集え!」
 自分の命令に隊の皆は応の一声と共にそれぞれ自分の掲げる将に向かい駆けだす。
 自分は愛する人と友を天秤にかけた。
 その上で何がなんでも逃げ切ると言った彼女の言を信じる事にした。
 六対一でも戦っている飛将軍に呂布隊が突っ込んで行く。
 近づく呂布隊を見て敵将達が即座に離れて大きな距離を取った。
「恋殿、逃げるのです。連合の非情な策によりもはや戦に勝ちは無く、城内に助けに行ったとてねね達も危ういのです。詠を……信じましょうぞ。」
 こちらの言葉を聞いた彼女は絶望を瞳に宿らせ、いやいやと首を横に振る。
「聞き分けてくだされ! 自分も皆も、死んでしまっては意味がないのですよ!」
 大きな声でそう言うと愛する人は口を横に結び必死に耐えながらも考えている。
「……ねね……逃げる」
 慄く唇から漏れ出たのは苦渋の選択。涙を必死に堪えながら血を吐くように紡がれた。
「了解なのです。連合を出来る限り蹴散らして去るのですよ」
 自分達にできるのはこれくらい。
「……霞は――――」
「霞は敵本陣に向かったかと。こちらは逆側を狙うのです。神速の張遼は助けよりも共に戦ってくれる事を願うのですから」
 霞なら大丈夫だ。うまく逃げ切れる。あちらのほうが将も薄いし兵も少ないのだからこちらのほうを優先したい。
「……わかった。呂布隊、蹴散らせ」
 全てを呑みこむような返答は空気を轟かせ敵兵を恐怖に染め上げる。
 そして修羅の軍は蹂躙を開始した。
 どうか皆が無事で再会できることを願って兵達と共に進んで行く。

 †

 あの人は朱里ちゃんには自分の考えの全てを話さなかった。
 連合の策で洛陽に火が上がるというもう一つの可能性の話を。
 自分達が悪を為す手伝いをしていたと知った桃香様や愛紗さん、朱里ちゃんの善に凝り固まった思想が崩れてしまい、どんな状態になるかある程度予想が着くからこそ。
 正義と信じて疑わなかった彼女達は責任を持ってしまった事で自分達が正義であるという前提が崩壊すると理想を迷ってしまう。
 その程度なんだというのか、予想される策の全てを話さない事は間違っている、と言われるだろう。
 だが私達の軍にとっては恐ろしい事態になる。
 正義がこちらになく、知らなかったとはいえ自分の都合で理不尽を行ってしまった。
 あの人は再三こちらに忠告していたのにそれを見ない振りをして貫き通してしまった。
 秋斗さんが最初から参加を渋っていたのはこの事態になる事を避けたかったから。もしくはそれを知って尚進む覚悟を持ってほしかったから。
 掲げた理想は敵が善だった時点で脆くも崩れ去る。桃香様達はその時自身の矛盾に潰れてしまう。
 一番酷いのは……耐えたとしても秋斗さんと桃香様が真っ向から対立してしまう事。全てを話した上で彼は殺した善人の屍を越えて進めと言ってしまう。いや、言わざるをえない。あの人の目指す先には絶対に必要な事だから。
 二人は一度対立してしまうともう共にはいられない。無理に共に居ても軍が瓦解する要因となってしまうし、戦を終えて帰ってから時間が経つと平原の民に不安や猜疑心が芽生えてしまう。
 だからこそ秋斗さんは言葉を呑みこんで耐え、桃香様の成長を助けている。自分自身が悪を肯定して桃香様の理想を守っている。
 騙していると言われればそうだ。しかし戦の最中の今、話してしまう事ではない。
 だけど私にだけは話してくれた。
 私は桃香様達と比べてどうか。
 敵が善だろうと悪だろうと力を行使する事に違いはないと割り切ってしまっている。乱世を上り詰める為に必要な事だと覚悟が出来ている。どれほど敵が民から慕われていようとも治世の平穏のためならば踏み台にすることを躊躇ったりしない。
 心が痛もうとも、涙が溢れようとも。
 秋斗さんがずっと予防線を張ってくれていたから、虎牢関の後にあの人自身の願いを教えてくれたから、あの人の願いの為に戦いたいと思ったから潰れなかった。
 今までの世界の継続ではまた乱世が来てしまう事を理解した私は世界を変える手助けをする事を心に誓った。
 私だけに真実の可能性を指摘してくれたのは頼ってくれたからだ。本当の意味で平穏のために並び立って戦っていける相手だと認めてくれた。
 話さないのは覚悟を決めた軍師の私に失礼だ、と彼は言ってくれた。
 その上で自分はどうするべきが最善かと聞いてきた。
 先に反対した。乱世を上るのに不可欠な行動ではあるし語った参加理由を示す為に必要だが矛盾してでも耐えるべきだと。
 ここで無茶を行うことで徐公明という劉備軍にとっての支柱を万が一にも失うようなことはあってはならない。何よりあの人自身の願いを潰えさせるわけにはいかなかった。
 返された言葉は否。
 自身の命を賭ける事で桃香様が乱世を抜けて行く為に心の予防線を張る。誰か将を失う、犠牲にする、見捨てる覚悟を持たせる、と。
 王の理を無理やり叩き込む。そんな方法だった。
 自身の言葉に責任を持たせ、尚且つそれに同意した彼自身の責任も果たすということ。
 ここまでしなければならない。そうしなければ乱世に綺麗事を語る道化のままで叩き潰されるだけだから、と。
 そして多分、言ってくれなかったがもう一つ理由がある。
 それは真逆の事柄。自分達が耐えて他を見捨てる覚悟を持たせる事。
 王は自国の民を犠牲にしてまで他国を助けてはいけない。仁に溢れる桃香様にそれを行わせる、もしくは行わせた後に心が潰れないように予備の心構えを与えようとしている。
「あなたはどうしてそこまで桃香様に拘るんですか」
 そう聞きたかったが聞けなかった。聞いてしまうと彼が壊れてしまう気がして。
 代わりに必ず生きて帰って来てと私は願った。彼は一言、謝罪ではなくありがとうと感謝の言葉を返した。
 朱里ちゃんに話した後、桃香様から了承の意を聞いて長く戦場を見やる私達の視界に煙が映った。
 どうか起こらないでと願った事態は無情にもやって来る。
 私は一番手薄で抜けやすい、敵将が抜けると予想された箇所を指し示した。
「じゃあ行ってくる」
 笑顔で告げる彼にあるのは私への心遣いともう一つ。

 あの人は――――戦場に安らぎを感じてしまっていた。

 †

 朱里からの伝令によって民達の危険を知った。
 兵に指示を出しながらも思考を巡らせ秋斗殿の事を考える。
 彼は無茶ばかりしたがる。まるで自分の命を投げ打つかのように戦場に使い捨てようとする。
 将ならばそれはあり得る状態だ。黄巾の時に夏候惇殿から曹操軍で起こった出来事を教えて頂いたから。
 しかし今回のような場合は違う。
 自分が一番適しているから
 他に誰も手が空いていないから
 自分達の参加理由のためだから
 私は間近で聞いていたとしても止めなかっただろう。桃香様の全てを守るために必要な事だから。将としては当然で、人としては最低だが。
 彼の事は信頼しているし、どうしようもない人だが、認めている。背中を預ける事に迷いは無く、共に理想のために戦ってくれる同志だと思っている。
 しかし……秋斗殿は私達と違う。根本的に、決定的に、はっきりとそう断定できる。
 自分の頭では今それが何かは分からない。
 この戦が終わったら……少し話してみよう。

 †

 雛里の指示通り戦場を駆けると、張遼が袁紹軍に向かった所にぽっかりと穴が出来ていた。
 その場には白蓮が居たが今はそちらを見もせずに全速力で横切る。
 傷が疼くがそのようなモノは無視し、まばらに並ぶ敵兵を斬り倒し、追随する隊は押し広げる事もせずただ鋭く、突きだされた槍の如く戦場を駆け抜けて行く。
 心に浮かぶは焦燥……ではなく歓喜と悲哀だった。
 抑圧されていた自分の心は人を殺すことを喜んで、哀しんでいた。
 愛紗や鈴々が戦っているのに自分はただ見ているだけ。そんな自分の無力さが歯がゆくて、何もできない時間が心を蝕んでいた。
 生きている民を助けるために動けることが嬉しい。生きたいと望んでいた兵を殺すことが哀しい。
 綯い交ぜになった心の内側とは裏腹に思考は戦いのみに集約されていく。
 今はただ戦場で戦い、先の事は考えなくていい。それが自分にとって一番の安息だった。
 門に近づくに連れて敵は増えたが何故か統率が全く取れていない。
 目の前にいるのはただの烏合の衆。兵同士で動きが噛み合わず足を引っ張り合っている。
 そのような部隊は自分達にとってはただの木偶でしかなく、簡単に突破する事ができる。
 被害も軽微で城門まで到達し、愛馬月光の腹を蹴り、スピードを上げて兵の壁を突き破った。
 抜けると目に移ったのは阿鼻叫喚の地獄絵図。
 董卓軍は味方同士で殺し合い、街ではそこかしこで轟々と火が上がっており、民は逃げ惑い、逃げる兵とぶつかり怪我をする者も、殺される者も見えた。
 もはやこれは戦ではない。自分の中で何かが弾けそうになったが、それを堪えて代わりに声を出す。
「偃月!」
 自分が発した短い一言で、追随していた徐晃隊は戸惑いと恐怖に支配さればらばらと乱れ立っている敵を半月型に押し広げる。その間に大きな声で命を下す。
「第二部隊、洛陽内にて民を襲っているか、お前たちに歯向かう董卓軍を制圧しろ! 武器を捨てた者は放っておけ! 火は消せるなら出来る限り消せ! それと民を傷つける事は許さん! 一人でも多く助けろ! 突撃して抜けた後三人一組で散開!」
「応!」
 兵ですら無くなったモノ達への憎悪に燃える徐晃隊の、重く叩きつけられるような声に目の前の敵は怯えて腰が引けたようで、逃げ出すものがちらほらと見えた。
 二次被害を防ぐならば皆殺しが最善だが、桃香の先を考えると皆殺しには出来ない。例えそれが自分の兵も、民すらも危険に晒す事になろうと。矛盾に吐き気を堪えながら急ぎで次の指示を出す。
「副長は第一部隊と共に民の救援と……笛を使用し広い場所への逃げ惑う民の誘導も行え。誘導中に敵と判断した者は全て殺せ。第一の動きは全てお前の判断に任せる」
 散開するにしても随時指示を出してくれるだろう。
「御意に」
 俺の命令を聞いてすぐに近づく敵を蹴散らしながら去って行った。副長ならばやりきってくれる。徐晃隊だけでは危ういから城の制圧はいらない。
「残りはここで俺と共に戦う。城門前を広げろ」
 言葉を放つと同時に自分も飛び出す。
 長い剣の一振りで五人近く斬り飛んだ。
 痛む身体に鞭を打ち次々と並み居る兵をなぎ倒し、しばらくして敵兵に恐怖が染み込んだ所で後ろから別の隊が突入してきた。
 曹操軍の楽進、それに于禁か。
 彼女らは城門内の戦闘に突入するや否や兵に指示を出しこちらに向かい来た。
「徐晃殿、我ら曹操軍は多数を連れて参りました。私がここで抑えますのであなたと于禁は民の救出に向かって頂きたい」
 真っ直ぐに俺に向けられる目は怒りに燃えながらも冷静そのものだった。
 怪我をしている自分を気遣ったのか、それとも恩を売る為なのか。どちらもだろう。黄巾の時は甘さが残っていたが彼女も曹操に鍛え上げられている将だ。
「恩に着る。では任せた。徐晃隊、東側の救出に向かう! 俺に続け!」
 声高らかに返事をする兵達は走り出した俺に付き従う。
 一人でも多く民を救う為に。

 †

 気付かれないように、なるべく見つからないように人目を避けて月の隠れている場所に辿り着いた。
 何軒か先の民家には火が燃え移っていた。この隠れ家も火に包まれるのは時間の問題だろう。
 火消しを命じた兵達は案の条逃げ出したのか周りには見当たらず、それが哀しくも好都合ではあった。
 静かに侵入し扉を開き中の様子を確認すると幽鬼のように青ざめている月が居た。
「月……連合の策で洛陽が火に包まれた。ボク達は逃げないと――――」
「詠ちゃん。私はもう逃げない」
 自分の言葉を切って話されたのは否定だった。
 ゆっくりとこちらを見る目には覚悟の光が見てとれる。
「な……何を言っているのよ! そんなこと」
「私が悪を背負えば洛陽に住まう民の心の平穏が大きくなる。憎悪の対象が明確になればこの先安心して暮らしていける。だから……逃げないよ」
 死の覚悟を、自分の命を投げ打って民の心を助ける覚悟を決めたのか。
 責任を放棄することなく受け入れて、自分が生贄になる事を望んでいる。
 これではあの時と同じではないか。洛陽に向かったあの時と。
「私ね、詠ちゃん達が私を助ける話をしてるの聞いちゃったんだ。最初は一緒に逃げようと思ったけど、それじゃだめなんだ。最後まで守りきらないと」
 聞かれていた事に驚愕し、同時に胸に大きな痛みが走る。
 月はボク達の想いを知って尚、その責を果たそうとしている。そこにどれほどの苦悩と絶望があったのかは想像する事もできない。
 ああ、これでこそボクの大好きな、そして守りたい月だった。
 ボクはこの子を狭い籠に押し込めてしまっていた。この子のためじゃなくこの子に幸せに生きて欲しいという自分の願いのために。
 なんて浅ましいんだろう。なんて愚かなんだろう。
 でも……それでもやはり生きて欲しい。
 臣下として願うではなく、友として、家族として、そして……愛しているから。
「ごめんね詠ちゃん。私は友達の想いを、大切な人たちの想いを裏切る。私が……私として最後に出来る事だから。責任を果たさないと私は生きていけない、生きていちゃいけないの」
 王の理を話す顔に迷いは無く自暴自棄なわけではないのが見えた。
「ダメよ! 絶対に死なせない! 月が死ぬ事なんてない! 死んだと見せかければいいじゃない!」
 そうだ。実際に死ぬ事はなくても悪意が董卓という名に集まればいいだけだ。どうして分かってくれないの?
「ううん。それじゃだめ。人は見えもしないモノには半端な憎しみしか抱けない。私が表に出る事でそれは確かなモノになるから。だから詠ちゃんだけでも逃げて。私の分まで後の世で人を助け続けて」
 必死に懇願する顔は今にも泣き出しそうなほど。
 言い出したら梃子でも動かない頑固なところは昔からあった。
 もうこの子は覚悟を決めた。だから自分が何を言おうと聞きはしないだろう。
 勝手だ。自分は死のうとしているのにボクには助かれと言うなんて。
 本心の優しさから紡がれた言葉が胸に響き涙が零れる。頭を月がゆっくりと撫でつけてくれる。
「お別れを言いたかったから待ってたんだ。ごめんね、最後まで自分勝手で。それとありがとう。ずっと守ってくれて」
 柔らかく微笑む顔は夜空に浮かぶ月のように綺麗に、優しく輝いていた。
 その笑顔を見て自分も覚悟を決めた。
 すっと懐から太い針を取り出し、目を見開いて反応できない彼女の腕に刺した。
「っ! 詠ちゃん……何を……」
 少し経つと彼女からふっと力が抜けその体は床に向けて傾き、慌てて自分の両腕で抱き止めた。
「ごめんね。月。この先ずっとボクを憎んでくれていい。それでも――――」
 言葉の先は紡がずに拳を握り思考を巡らせる。
 ボクはこれで裏切り者になった。

 †

 その武は幾度の戦を越えて研ぎ澄まされたモノ。
 両者共に引かず、その長い戦闘は終わる事がないのではないかと思われた。
 神速の偃月刀と曹操軍の大剣は悉く弾き、弾かれる。
「張遼! 私相手にここまでやるとはさすがだな!」
 息を弾ませながら放たれる夏候惇の言葉に苦笑しながらも次の剣戟でもって応える。
 再度弾きあった所で自分は大きく距離を取り、戦場をちらと確認した。
 左前方には真紅の呂旗が袁術軍を蹂躙し、そろそろ戦場を離脱しようとしているのが見えた。
 自分の隊達は……荀彧操る曹操軍と袁紹軍の連携によって完全に抑えられていた。
 そして自分は――――
 もはや戦の勝敗は決した。そして自分自身が抜けられる事はもはやない。月と詠がうまく逃げ切れるかだけが心配だが信じるしかなかった。
 ならばどうするか。
 自分はどうしたいか。
 強者を求め、戦場で命を投げ出す事も厭わない。それも天命よと覚悟を決めている。
 目の前でただ主のために従い戦う夏候惇の姿が華雄にダブり、シ水関での言葉が甦り自分の心の内側を覗き込む。
 月の誇りを穢されて、最後まで戦えんで何が将や。
「惇ちゃん。最後に闘えるのがあんたでよかったわ。うちの欲も、誇りも、想いも、全部を掛けて戦えるんやから」
「ふはは! 最後とは言わず幾度となく掛かって来い! ……いやダメだ! お前は華琳様の元に来て貰う! それが華琳様の望みだからな!」
 自分で言っておいて自分で突っ込む夏候惇の支離滅裂な発言に思わず吹き出してしまう。
「……あはは! うちあんたのそういうバカなとこ好きやわ惇ちゃん。でもなぁ……友達との約束があるさかい他のとこには行けへん!」
「バカとはなんだ! くそぅ……ならば動けなくして引きずってでも連れて行く! 負けたらいう事を聞いて貰うぞ張遼!」
 そんな自分勝手な言葉を並べるところも華雄に被って見えてしまう。実力は夏候惇のほうがかなり上だが。
「姉者! 無事か!?」
 急に聞こえた声にその方を見やると、どうやら噂に聞く夏侯淵までもが来たようだ。
「おお秋蘭! こいつが言う事を聞かんからぎったぎたにしてから連れて行く! もう少し待っていてくれ!」
 自身に満ち溢れた声でさも当然のように彼女は妹に話す。
「そうか、ならば私は他の隊の援護をしよう。近くで待ってるぞ姉者」
 そう言って周りの敗走を始めたり、未だに戦っている兵を矢で次々と射抜いていく夏侯淵。
「なんや簡単に言ってくれるけど……うちかて負けるつもりあらへんで!」
 言い放って武器を構え直しあらん限りの闘気をぶつけると、夏候惇は不敵に笑い、喉を鳴らしながらこちらを強い眼光で見返してきた。
「くっくっ! それでこそ私も倒しがいがあるというものだ! さあ、来――――」
 その時……どこからか飛んできた流れ矢が夏候惇の左目を射抜いた。
「ぐっ!」
「姉者ぁぁぁ!」
 視線を蹲る夏候惇の方に向け、呻く彼女に近づいていく夏侯淵の声は絶望に染まっていた。
 振り返り、確認するが乱戦状態になっている戦場では矢を放った弓兵は見つけられなかった。
「くっそぉぉぉ! 誰じゃい! うちの一騎打ちに水差しおったド阿呆は! 出てこんかい! 叩っ斬ったる!」
 あまりの怒りに心が暴れる。ここで、夏候惇と心行くまで全力で戦い散ってこそ自分は満たされたのに。
 華雄の想いに、月の誇りに、殉じる事が出来たというのに。
 その戦いが穢された。
 夏候惇の負傷にそこかしこで曹操軍の兵達に動揺が走り始めていた。
「姉者! 気をしっかり持て! 姉者ぁ!」
「ぐっぅぉおあああああ!」
 大地を轟かせるかと思うほどの夏候惇の雄叫びに水を差した敵を探し当てるのを止めてそちらを見ると、驚くことに彼女は自分で目に刺さった矢を引き抜いた。
「夏候惇!?」
「天よ、地よ、そして全ての兵達よ! よく聴けぇい!」
 ググッと大地を踏みしめ立ち上がり左手で剣を天に突き刺し、傷から血が飛び散るのも気にせず大声で叫ぶ。
「我が精は父から! 我が血は母から頂いたもの! そして今はこの五体と魂は全て華琳様の為のモノ! 断りなく捨てる事も、失うわけにもいかぬ! 我が左の眼、永久に我と共にあり!」
 叫びきると同時に彼女は矢から眼球を口に運び、咀嚼し、嚥下した。
 その光景に鳥肌が立つがそれは武者震いにも似ていた。
 自分はこんな……こんな素晴らしい武人と戦えるのか。
「姉者……せめてこれを」
 差し出されたモノは蝶の形をした眼帯で、それを妹から受け取り着けた夏候惇はさして異常の無い動作で一振り剣を振るう。
「うむ。……待たせて悪かったな張遼よ。どうした? 震えているぞ?」
 何も問題は無いとばかりにこちらに言い放ち、にやりと口の端を吊り上げて不敵に笑う。
 その笑みが華雄とあまりに似ていたからか自分の頭の中で幻聴が聴こえた。

『クク、お前は自分を抑え過ぎだ。胸を張って自分の為に戦って私に会いに来い。その時は互いに一発ぶん殴ってから、酒を酌み交わそうではないか』

 ああ、そうやな華雄。うちらしくなかったよなぁ。月の好きな、あんたら皆が好きって言ってくれたうちやないと意味ないよなぁ。
「ええなあ……あんた最っ高や! もう全てどうでもええ! うちは今、あんたと戦うためにここにおる! あんたみたいな修羅を倒す為に戦うんや! さあ、始めよか! ぜーんぶ賭けて!」
「おう、張遼! 行くぞ!」
 そして、自分にとっての生涯最高の戦いが幕を開けた。

 †

 誰にも見つからないように街中を歩く。
 住民は避難に忙しいのかどこも人の気配が全くと言っていいほどなかった。
 それでも最大限警戒をしながら慎重に進む。火の上がっていない方の隠れ家へ。
 洛陽の街にいるのは危険だが。戦場に出てしまう方が危険だ。
 ごたごたで抜け出すには用意した民の服が良かったが、月は抜け目のない事に全て隠してしまっていた。
 火が回る時間を考えると探していると間に合わないと判断して仕方なく置いてあった自分の予備に着替えさせて外に出た。
 隠れてやり過ごすのはまず出来ない。落ち着いた頃に抜け出すか、それともどこかに保護を申し出るか。
 保護をしてもらえそうなのは……偽善の塊の劉備軍か温厚そうな公孫賛軍だけだ。
 他は信用できない。袁家はまず無理、孫策や曹操には疑われるのが目に見えているし、馬超軍には顔を見られている可能性がある。
 しかし劉備軍は避けたい。華雄の件もあるし何より掲げるモノが受け付けない。
 こちらの現状も知らず嘘の情報に踊らされ綺麗事で流されるように参加を決め、正義を語って現実を見ようともしない。
 そんな所に少しでも関わるのは吐き気がした。
 何故檄文が飛ばされてすぐにこちらに適当な理由をつけてでも挨拶に来なかった。
 噂の真偽を確かめる為に使者を送ればよかったのに。
 公孫賛は劉備と違う。あれは幽州を守る事が第一目的だから袁家からの侵略の理由づけを防ぐための参加だと容易に想像できる。
 その理由に……ボク達がなってもいいのか。またボク達が誰かを巻き込んでいいんだろうか。
 罪悪感からの思考に捉われ心が落ち込んで行く。
 その時後ろから強い衝撃が襲い前のめりに倒れた。
「っ! ……何!?」
 月は衝撃と同時に投げ出され、振り返るとそこにはにやにやと笑う男二人。
「……」
 無言でこちらを見やる目には得物を見つけた肉食獣の如き獰猛な輝きが光っている。
「へへ……お前……賈駆だな? もう一人は知らねえなぁ。仲が良かった文官ってとこか」
 いやらしい笑みを携えながら下卑た声で自分にゆっくりと近づきながら話す。
 火を放ったのはこいつらか。
 悲鳴を上げようとしたが口に手を入れられて身体が抑え込まれる。
「おっと、どうせここらにはもう誰もいねえが連合の奴らが来たらやっかいだ。おい、隔離場所に連れてくぞ」
 精一杯もがいて抵抗するが力の無い自分はその腕から逃げ出せるわけも無い。
「ああ? こんな上玉すぐに連れてくのはもったいねぇよ。俺らが見つけたんだから最初くらいいいだろうが」
 二人が話す内容は自分達がこれからされる事を表していた。
 獣の欲望に蹂躙され、その後に生贄にされるという事。
「――――――っ!」
「ああ! うぜぇ! 静かにしやがれ!」
 怒号と共に地面に引き倒され衝撃で頭を打った。
 視界が霞み、思考が上手く回らない。
「ふう……まあそっちのだったらいいから楽しんでから来いよ。手早くな、殺してもいいぞ。俺は先に行くわ」
 言うが早く自分は脇に抱えられる。
 待って、ダメ、月は、月だけは止めて。
 叫ぼうとしても声が出ずに口だけが無駄にパクパクと動いた。
「ふひひ、そうこなくっちゃよ! 誰もいねぇ民家に連れ込めばいいしな!」
 自分達は……どうしてこんなにも運が無いのだろうか。
 自分達が何をした。愛する人と仲間と共にただ幸せに生きていたかっただけなのに。
「――――――なの!」
 絶望に包まれ、堕ちて行く意識の隅に、甲高い女の声が聞こえた気がした。



 通路を通っていく最中に逃げ出す民が視界に映る。
 その脇には民のモノとは思えない服装をした少女が抱えられていた。
 急ぎで追いかけ始めるともう一人同じような格好をした少女を抱えた者が飛び出してきた。
 瞬間の判断で足払いをかけて転ばせる。
「徐晃さん! ここは任せてもう一人を追ってほしいの!」
 横道を抜けてきつつ放たれた于禁のその言葉を聞き、頷きもせずに最初に見た相手を追いかけはじめていた徐晃隊の後を追って走り出す。
 徐晃隊を抜き去ったが敵も意外と足が速く、さらに入り組んだ路地を右往左往するため中々追いつききれなかった。
 走りながら考える。
 民ならば于禁が追いかけろとは言わない。俺達連合の兵を見て逃げる事もないはずだ。つまり獣に堕ちたモノなわけだな。
 その時相手は突然抱えていた少女を投げ捨て、先ほどより速く逃げ出した。放っておくわけにもいかず近づいて確認するがどうやら少女は気絶しているらしい。
 もう逃げた相手の姿は見えず、そこでようやく疑問が起こる。
 何故今までこの抱えていた少女を放さなかったんだ?
 少女の服装を確認すると文官がよく着ているモノに似ていた。
 思考が頭の中で弾け、一つの過程が思い浮かんだ。
 急いで自分の羽織を掛け、その服を覆い隠して抱き上げる。
 遅れてやってきた徐晃隊に于禁がその後どうしたか確認を取ると、他の徐晃隊が民の救援場所まで連れて行くと言い、それに従ってもう一人の子もこちらに渡してくれたらしい。
 転ばせた奴も上手く逃げたらしく追いかけたが捕まえられなかったとのこと。
「その子は救援場所まで連れて行くな。姿が他の目に触れないようにし、戦の様子を見て劉備軍本陣まで連行しろ」
 俺の真剣な表情に事の重大さを見たのか報告を行ってくれた兵は短く返事を返し全速力で駆けて行った。
 于禁が気付かなくてよかった。
 二人の内どちらかが賈駆だ。さっきの奴らは獣ではなく火を放った奴等だな。生贄のために董卓と賈駆を探していたんだろう。
 それで仲間の軍師か文官かを連れて逃げている途中の賈駆を見つけ連行しようとしたわけか。
 あいつらが最後まで放そうとしなかったこの子のほうが賈駆である確立は高いな。
 そう考えながら銀髪の少女の頭を少し撫でつけた。

 

 

彼の救い


「夏候惇将軍、左目負傷! しかし敵将張遼と一騎打ち継続中!」
 疲労からか、それとも焦りからか……その伝令は正確に報告を行ったが額から止めどなく汗を垂らし、しかし拭う事もせず片膝をついてその場に頭を垂れ続けた。
「……報告ご苦労、下がりなさい」
 黒馬に跨り短く簡潔な返答を綴った自分の主に、自軍の将の負傷報告にいささか冷たすぎではないだろうかと思い、言葉を紡ごうと隣を見る。
 そこには目を瞑り、何かを確認するかのような静かな人が居た。
 あまりの美しさに、自分はただその姿に見惚れた。思考することもできず、口を開くこともできず、戦場であるのにここには彼女一人きりであるような錯覚さえ覚えた。
 永久の時とも、一重の瞬刻とも感じられた沈黙の末に彼女はゆっくりと目を開き、覇気を溢れさせ、戦場を見やりながら命を口にする。
「真桜……洛陽に突入する。共に制圧しつつ進みなさい」
 放たれた命は戦場での自分達のすべきこと。
 戦場は主な将が出払い、もはや制圧するのみとなっている。賊との戦とは違い、殲滅まではしなくてもいい事により自分の心もすこし安堵を感じていた。
 今この場に些細な違和感を感じながらもそれがなんなのか分からず、深く考える事もせずにいつも通り御意と返事をし部隊を率いに向かった。

 †

 ああ、自分はこの時間をずっと続けていたい。
 剣戟を重ねる度に胸が高鳴る。頬の横をすり抜ける鉄と風が脳髄をくすぐる。相手の鋭い眼光に射抜かれる度に歓喜と恐怖が心を混ぜ返す。
 ただこの瞬間、この一振り、この一太刀が生きる全てに同化している。
 研ぎ澄まされた神経が自分と相手以外の全てを遮断し、お互いの心の内までさらけ出された感覚に陥る。まるで子供同士でじゃれ合うように。
 甲高い音を鳴らして互いの武器が弾かれた。肩を大きく上下させ、多くの切り傷から滴った血がそこら中を赤黒く染め上げた衣服を纏い、二人で目を合わせて口の端を吊り上げて笑いあう。
 互いの考えなど通じ合っていた。
 左上段からの袈裟切りも、下から唸る偃月刀で応える。
 互いの武をもって語り合う。まだいけるか?あたりまえだろう。もっとしよう。さあ、もっと続けよう。
 しかし……無情にもどんなことにも終わりはやってくる。
「ぐっ!」
 夏候惇の渾身の一撃を己が武器で防ぎはしたが、耐えきれず膝を付き、勢いに圧されて武器が自分の手から離れてしまった。
 急いで拾おうとしたがすっと目の前に剣が突きつけられる。
「私の勝ちだな、張遼」
 見上げると息を弾ませながら飛び切りの笑顔で自分に告げる勝者がそこに居た。
 全身の力を抜き、仰向けに地に倒れて空を見上げる。
 そこには透き通り、どこまでも色鮮やかな橙の空が広がっていた。
 そうか、自分は負けたんだ。でも……こんなにも清々しい。
 口がにやけるが、すっと胸の奥に吹き抜ける寂しさから瞳が潤む。
「うちの負けや。これで人生に悔いは無い。……惇ちゃん、戦場で殺してくれ」
 仕える主も、誇りを持っていた武も、自分の鍛え上げた部隊も、全て負けてしまった。
 ここで最後に自分が死ぬことに意味がある。
 月の誇りを、想いを、あの子が好きだと言ってくれた自分自身のままで華雄と共に守り抜ける。
 言うとしたら、こんな気分の時に酒が飲めないのが心残りか。
 そんな事を考えているとふいに頬に中途半端な衝撃が走った。夏候惇の拳が軽く自分を打っていた。
「バカかお前は。お前はこれから華琳様の元で戦うんだ。敗者は勝者の言う事を黙って聞け。それに見ろ」
 何を言ってるんだこいつはという顔をしながら腕を引き自分を立たせ、前を見ると夏侯淵の後ろに自分の隊の生き残り達がそこには居た。
「後で逃がしてやると言ってもお前と共に死ぬと言って聞かないらしい。こんないい兵達に敗者の張遼を見せたままで逝って、お前はそれで悔いは無いと言い切れるのか?」
 自分を見る複数の目はずっと信頼を向けてくれてきた力強いモノ。戦場でいつも支えてくれた大切な仲間達。
 その目はいつものように自分に期待していた。

『張遼、お前の戦いはまだ終わっていないだろう?』

 女にしては豪快な笑い声の幻聴とともに聞こえた言葉は、もういない友の声。
 月は、詠は、恋は、ねねは、こいつらは……自分に生きて欲しいと願っていた。
 華雄の事をバカにできない。自分のほうがバカだった。
 うちは華雄とちゃう。うちが華雄のマネした所で、それはうちとして死んだ事にならへんやないか。
 そう考えると心が軽くなった気がした。
「惇ちゃん、一つ聞かせえ。曹操は民を犠牲にするような戦の仕方をする奴か?」
 自分の心のしこりを聞く。夏候惇のような単純純粋バカが仕える主ならば答えは分かっているが、それでも聞いておきたかった。
「ふざけるな! 華琳様がそのような下卑た策を使う訳がないだろう!?」
 返ってきた返答は心底の激怒だった。
「そうか……ええよ、惇ちゃん。あんたの好きにしい。こいつらのためにも、うちの仲間との約束のためにも、まだ死ねへんしな。すまんなお前ら、もうちょいとだけうちの無茶に付き合うてくれ」
 厳しい瞳で自分を見続ける夏候惇に返事をし、自分の隊に片目を閉じ、片手を顔の前に上げて謝る。
「我らが命は常に将軍と共に! 戦場にて神速のまま果てる事こそ我らが望み! どこまでもあなたと共に駆けましょう!」
 片膝をついて口にされたのは兵達全ての心の内。
 こんなバカ達と戦場でずっと駆けていけるなら、それこそ神速の張遼その在り方だ。
「クク、あははは! バカだらけや! 最高やなぁ! ほんなら今は大人しく勝者の言う事聞いて力溜めよか。惇ちゃん、案内して――――」
 言いながら振り返ると同時に夏候惇の身体が崩れ地面に前のめりに倒れる。
「姉者!」
 駆け寄った夏侯淵にどうにか抱き止められたがその息は荒い。
「ああもう、あないな事の後に無茶するからや。まずは手当やな。夏侯淵、うちも肩貸すさかい救護の陣まで連れてくで」
「すまない張遼」
 その表情は武人ではなく一人の泣きそうな少女のモノだった。
 心配で心が折れそうになりながらも姉の勝利を疑わず将として動いていたのか。
 これは確かに自分の完全敗北だ。でもいつか勝とう。自分が一番だと言わせてみせよう。
 そう考えながら新たに自分の所属することになった軍へと向かった。
 
 †

 城門付近は連合が完全に抑え、後は外の戦場と中の敗残兵を制圧し、洛陽の民の安全を確保するのみだった。
 呂布が去った後、張コウと共に周りの敵兵を制圧、急いで白蓮殿の所に向かった私は無事に合流できたが、主の顔は戦の勝利に浸るでもなく翳っていた。
「戦の勝利が確定し、周りに敵もいない。なのに何故そのような浮かない顔をしておられるのです、白蓮殿?」
 ハッと顔を上げこちらと目を合わせてくれたが、その瞳には疑問と……静かな怒りがあった。
「……秋斗がな、洛陽内部に煙が立って少ししたら隊を連れて一番に洛陽に突入していったんだ。私の目の前を通って」
 己が主から話された事は信じられないモノだった。飛将軍との戦闘に集中していてその間の戦場の出来事は全て把握できてはいなかったから。
「バカを言いなさるな! 倒れまでした将に対して劉備殿がそれを命じたと!? それとも秋斗殿の独断専行だとでも!?」
 あまりの驚きに白蓮殿にきつく詰め寄ってしまった。私の剣幕に少し怯えながらも睨み返し、口を開いた。
「私が知るか! あいつが独断専行しようとしたのは最初の、初めての賊討伐の時だけだったんだろう!?」
 言われて思い出す。確かに最初こそ逸る気持ちを抑えきれずそのような事を行おうとしたが以降は全く無かった。冷静に状況を判断できる立派な将になったはずだ。では劉備殿が命じたという事か。
「……怒鳴ってしまってすまない。秋斗は私に見向きもしなかったんだ。いや、その程度の事はいいんだ。だけど、だけどさ! あんな痛々しい表情をしたあいつを見たのは初めてなんだ! あいつに……何があったんだ……」
 消え入る声は悲しみに包まれていた。
 私達はシ水関の時以降、忙しくて合う機会が無かった。
 あの時は普通だった。いや、普通に見えただけなのか。あの時は雛里が隣に居たし、それに戦場では無かった。
 確かに戦場での秋斗殿は恐ろしいと感じることがある。しかし痛々しいと感じた事は無い。哀しげな瞳で命を奪う事を心に刻みつける様はそう取れなくもないが白蓮殿がここまで騒ぐのはおかしい。
「こちらも取り乱してしまい申し訳ありませんでした白蓮殿。重ねて非礼をお許し頂けるのなら……申し訳ないのですが今日の夜にでも劉備殿の所へ伺いを立てて頂きたい」
「気にするな星。私も桃香に大事な話がある。ただし一人で行く。お前は牡丹を連れて秋斗と話して来い」
 この方なりの気遣いなのだろう。
 きっと私は劉備殿の前に立つと苛立ちを隠せなくなる。たとえ白蓮殿と共に居たとしても。
 個人の感情は割り切ったなどと……笑わせる。
 こんなにも焦燥に駆られてしまっているではないか。
 牡丹を共につけてくれるのは客観的に物事を判断できるようにするためか。どちらかが熱くなればどちらかが冷静になれる。確かに私と牡丹はそんな関係だから落ち着けるだろう。
「白蓮殿。できれば劉備殿から話を聞いた後、雛里に詳細を聞くがよろしいかと。あの子が一番秋斗殿に近く、彼の事を考えているのですから」
「鳳統に? ……ああ、そういう事か。確かに止めないのはおかしいな」
 そう考えるとおかしい。何故雛里が止めなかった。いや、止められなかったのか。
「星、多分な。これは誰も間違っちゃいない。だけどあいつらは全員大切な事に気付いちゃいない」
 謎かけのような言葉の意味はあやふやで、それでいて難しいモノだった。
「それはどういう――――」
「責任と感情、調和と争い。まあ、詳細が分からないとどうだかは分からないんだけどな」
 苦笑しながら告げる彼女の顔は凛々しく、それでいて優しいものだった。
「一応教えとくよ。あいつらはな――――」
 その答えは単純で、くだらなくも大切な事だった。
 確かにそれは私達の軍ならば明らかな異常事態だ。
 しかし……秋斗殿に対しては自分が行う前に雛里にその役目を取られるやもしれんな。
 それは少し悔しい。二番目だとしても、私もたまには素直になってみようか。
 そんな事を考えながら、白蓮殿と共に自分達の陣に一旦戻る事にした。

 †

 負けを悟って街で暴徒と化した兵達や、それに乗じて獣に堕ちたモノ達の制圧はほぼ完了に向かっていた。
 しかし都での火災は家から家へと伝播し、その勢いは恐ろしく、轟々と燃える火は未だにそこかしこで消えきらずにあった。
 徐晃隊と曹操軍と共に忙しく救援と避難活動を行っている私達の元に思春が報告にやってきた。
「冥琳様達本隊も洛陽に入ったようです。その後に続くように曹操も」
「そう、報告ありがと。じゃあとりあえず民達の中から長老格の人を探してきてくれる?」
「はっ」
 言うが早く目の前から姿を消し、民の集合避難場所に向かう。
 しかし驚いた。徐晃隊の避難誘導は的確で、決して乱れる事無く、それでいてあまりに迅速だったから。人々を慰撫する兵達一人ひとりが暖かさを持ち、決して投げ出したりせず、皆が助けるためという目的のために一つになっていた。
 何をおいても民の為、か。
 劉備が掲げる理想を思い出す。
 私は今、そんな余裕があっただろうか。
 思えば母様が死んでから、王になるために余りに多くのモノを捨ててきた。
 力無き自分を憎み、力を求めやっきになって突っ走ってきた。
 見回すとあの頃のような、守れなかった民達の住んでいた街がある。
 気付くと拳を握りすぎて血が滴っている。
「雪蓮、無事だったか。良かった」
 後ろから声を掛けられ振り返るとそこには心底安堵した顔の冥琳がいた。
「ねえ、冥琳。私達は弱いね」
 零してしまっのは自分の弱さから。でも耐えきれなかった。
 周りには自分の仲間しかいないから気が緩んだんだろうか。
「見慣れてるけどさ、やっぱり……」
「雪蓮、弱音など口にするな」
 自分を見る目は軍師のモノ。そして……その奥には自分への変わらない信頼の色。
「お前は文台様の意思を継いだのだろう?ならば弱音など吐くな。お前の優しさは分かっているが……それは覇業の妨げになる場合がある」
 厳しく諭してくれるのは自分を思っての事。そうする事で自分を支えてくれている。
「ごめん、冥琳」
「いいのよ、雪蓮。二人の時は言ってもいいから、ね?」
 私はどれだけこの大切な人に世話になるのだろう。
 強くなるのだろう、孫伯符。
 そうやって自分を誇示し、心を奮い立たせる。
「ふふ、ありがと冥琳。じゃあ民達のために仮設天幕の準備と、炊き出しもしましょうか。未だ燃えている火の消火も。洛陽にしばらく留まっても……いいわよね?」
 言うと彼女は一つため息を尽き額に手を当ててこちらを見る。
「計画に多少のズレができるが……この状況では仕方ないか」
 冥琳の口元は言いながらも綻んでいた。
 いつも支えてくれてありがとう、と心の中で呟いて、私達はそれぞれが出来る事を行いに兵に指示を出しに向かった。

 †

 戦は終わった。
 投降する兵達の移動も終わり、私達は洛陽に入場した。
 入るとあまりに酷い有様に言葉が出なかった。
 戦の爪痕。焼け落ちた家。死んだ民や兵の死体。黄巾の時にも見てきたがいくら見ても慣れる事は無い。
「劉備様。民の避難、曹操軍と孫策軍の迅速な対応の助けもあり、終了しております」
 先に入っていた徐晃隊の人が報告をしてくれる。
 細かな報告を朱里ちゃんが聞いている。
「桃香様、いくつかの場所に分けて避難を行ってくれたようなので、私達は東側に向かいましょう。すみません、炊き出しと仮設天幕の準備を」
 後ろに控える兵に指示を出すのを確認し、避難場所に向かう。
「朱里ちゃん、ここからが私にできる事、だね」
「はい。民達の元へ着いたらこちらに炊き出しと家を失った人たちへの仮設天幕の用意がある事を伝えましょう」
 強く頷き民の避難集合場所に向かう。
 しばらくするとそこに着いた。
「劉備様!」
 徐晃隊副長さんが大きな声を上げると同時に民達の視線が一斉に集まる。
 その眼には期待と感謝の色が映っていた。
「おお! 劉元徳様! あなたの軍のおかげで我らが洛陽の民の安全は確保されました!」
「無理を押して戦場を抜けて一番に助けに来て下さるとは……ありがたや、ありがたや」
「我らの事を一番に考えてくださったのはあなた方なのでしょう?」
「なんでも徐晃様は傷だらけにも関わらず我らの救助の為に来て下さったとか、そのような方の仕えるお人だ。まさしく仁君ではないか!」
 口々に話す声には歓喜があった。私はその人たちに応えるために大きな声を張り上げた。
「皆さーん! 炊き出しの準備をしていますからもうちょっと待って下さいねー! それと仮設天幕を建ててるから家を建て直すまではそこで雨を凌いでくださーい!」



 わっとあがる歓声を聞きながら一人思考に潜る。
 徐晃隊が噂を流したのか。あまりに民の人心が安定している。
 これも、ここまで細やかな事まであの人は考えていたのか?狙っていなければ噂の指示など出せない。いや、徐晃隊という特殊な部隊だからこそこうなった。そしてあの人もそれを分かっているはず。
 わざわざ自分が行く事で民達に救いを見せつけた。
 怪我をした自分が一番に入る事によってその効果は何倍にも膨れ上がる。
 それに民をいくつかの場所に纏めた事によりそれぞれの軍で民の救援がしやすくなる。しかし他の軍にしたら厄介な事にそこにも噂が根付いている。
 一番に助けに来たのは劉備軍である、と。
 民は美談を好み、そこに希望を見いだせる。
 まさしく身を切って民の心を救ったんだ。私達が有利になるように。
 桃香様の天性とも呼べる人を惹きつける才によってこれからよりいっそう民達は感銘を受けるだろう。
 ほら、もう民達と打ち解けている。
 この現状を作り出したのはあの人だ。軍師の私じゃなくて。
 ズキと胸に痛みが走る。
 あの人は……この軍には絶対に必要な人だ。
 そして私にも……。
 私も……あの人に惹かれてしまった。
 私とは異なる思考のあの人が欲しい、全てを知りたい、教えて欲しい、導いて欲しい、あの時みたいに黒い私も見抜いて受け止めて欲しい。
 ふいに親友の顔が浮かんで暴走する思考が中断される。
 ダメだ。雛里ちゃんを裏切る事なんて出来ない。
 そう考えても初めての感情が抑えきれない。
 再度ズキリと胸が痛む。
 これは、この痛みは……嫉妬だ。私は嫉妬している。
 秋斗さんの私とは異なる異常な思考に、雛里ちゃんが私よりも先にそれに触れていた事に。
 あの人に対しての嫉妬は……いい。悔しいけど、ここまで見事なモノを見せつけられたら、見せつけられたからこそ受け入れられる。
 雛里ちゃんに対してはダメだ。親友にそんな気持ち持っちゃいけない。自分の浅ましい感情なんか抑え付けないと。
「朱里ちゃん」
「はわわ! ど、どどどうしました桃香様!」
 急に声を掛けられ思考が中断し、いつもの口癖が出てしまった。それを見た桃香様が少し呆気にとられてからクスクスと笑う。
「ふふ、朱里ちゃんのおかげで戦が終わったんだなーって実感したよ。本陣の皆にお願いをしてきて欲しいの。動ける人は手助けに来てくれないかって」
 桃香様もやはり優しい。命令すればいいのにお願い。兵達の事も気付かってのこと。
「わかりました。皆に伝えてきます」
 返事をすると桃香様はまた民達の和の中に溶け込んでいった。
 この優しい人のために才を振るえる私は幸せ者だ。
 そう考えて先ほどの思考の続きを行いながらも幾人かの兵と共に本陣へ向かった。

 †

 雛里と朱里なら気付くだろうな。俺の狙いに。
 民の人心掌握の先手を取る事が一番の目的だった。
 責任を果たすとはよく言ったものだ。俺はそれを利用しただけ。
 偶然の産物であるこの状況をうまく使えただけだ。偽善も貫き通せば被害者にとっては救いになる。
 乱れた世に疲れ切った人々は自分達を救ってくれる英雄を望む。天の御使いなどと胡散臭いモノの噂が流れていたのは数多の英雄でさえ期待できないと思い始めたからだ。
 そんな中、桃香の綺麗事は役に立つ。そんな事を声高に掲げるモノなどいやしないのだから。
 異常ともとれる思想は一際特別に見えて、桃香が漢の由緒ある血筋ということも相まって、そして現場での行動で全てがいい方向に行く。
 自分自身が耐え切れなかったと言う事も確かにあるが長く雛里や朱里と関わってきたおかげで感情とは別に冷えた頭で思考が回るようになった。
 桃香を成長させ、自分達の語った言葉の責を果たし、民の心を救い、あわよくば実を得る。それが今回の狙いの全て。
 実は……幸運な事に得られた。
 俺の天幕に連れて行かせた二人の証人。二人には董卓の真実を語ってもらう。もちろん桃香の前で。
 真実を知った桃香はどうするか。俺の行動で自身の言葉の責を確認した彼女はどうするか。周りはどう考えるか。
 袋小路に追い詰めて叩き潰す。完全には潰れないように予防線は張ったから大丈夫だろう。これで迷うようなら俺が……
 気付くと劉備軍本陣の前で、よく見ると雛里が陣の入り口に立っていた。
 俺を見つけるや駆けてきて……ただいまと言う前に胸に飛び込んできた。受け止めると涙をボロボロと零しながら口を開いた。
「秋斗さんの、ばか。心配、したんですから。あんな、死に場所を、求めるような、顔で、戦場に、向かって」
 しゃくりあげながらもなんとか紡がれた言葉に衝撃を受ける。
 俺はそんなふうに見えていたのか。
「ごめん、雛里」
 ただ泣きじゃくる雛里は軍師ではなく一人の少女だった。
 こんなにも心配を掛けて、不安にさせて、俺は大馬鹿だ。この優しい子にだけ話してしまったから余計不安が大きくなったんだろう。
 申し訳なさが胸にこみ上げてくると同時に、最低だとも思うが少しの嬉しさが湧いた。
 雛里はそれでも耐えて送り出してくれたんだ。どれだけの言葉を呑みこんで、どれだけの想いを抑え付けたんだろうか。俺は雛里に本当に支えられているな。
 バカ、バカと何度も繰り返す雛里の背を撫でながら落ち着くまで待つことにした。

 少し落ち着いたのか、まだ少ししゃくりあげているが身体を離し、俺と目を合わせて来たので何か言いたい事があるようだった。
「……戦場に安らぎを求めてはダメです。自分を大切にしないとダメです。自分の命を投げ捨てるような戦いをしてしまったら、あなたに従う徐晃隊も、死んでいった人たちの想いも、助けた人々の願いも、誰が助けるんですか。今回は私達の未熟から秋斗さんに全てを押し付けてしまいました。民のためにも、私達のためにもなったでしょう。でも……それでもダメです。それではいつか一人になってしまいます」
 たくさんの偶然が重なったからこそ俺は大した怪我も無く今回は切り抜けられた。雛里の戦場を見る目があったからこそ生き残る事が出来た。徐晃隊が命を張って従ってくれたからこそ俺は死ななかった。
「兵と将は違います。命を賭けるのは正しい。でも絶対に命を投げるように戦ってはいけません。将が倒れてしまえば、率いる隊も死んでしまうのですから。あなたの想いも繋げなくなるのですから」
 矛盾した事柄だが、まさにその通りだった。
「それに……私は秋斗さんがいない世界は……嫌です」
 最後に零したのは優しいわがまま。無茶を咎め、理論的に諭す軍師のモノではない。生きてくれと願う、ただ一つの強い想い。
「ありがとう、雛里。……それと……ただいま」
 多くは語らない。言葉はこれ以上いらない。
 雛里を緩く抱きしめて耳元で囁き、
「おかえりなさい、秋斗さん」
 少し身体を離し顔を見ると見惚れてしまう綺麗な笑顔で返してくれる。その笑顔は暖かくて、自分が見たかったモノだった。
 ああ、俺はこの子に救われている。俺はこの子に何か返せないだろうか。
 そう考えても答えは出ず、再び抱きついてきた雛里を抱き上げて、あわあわと慌てているのを苦笑しながら流して、次にするべき事のために動き出した。


 

 

一人月を背負う


 愛紗と鈴々は動ける兵を連れて民達の手助けに向かった。
 帰ってきた俺を見て鈴々はしきりに大丈夫か? もう倒れないか? もうどこにも無理して行かないか? と聞いてきた。
 朱里が民の救援活動の手伝いを、と伝えに来た時は
「お兄ちゃんはここで雛里と朱里と留守番してるのだ! 絶対に動いちゃだめなのだ!」
 と涙ながらに厳しく言い残し、それでもどこか心配した顔をしながら洛陽に走って行った。
 愛紗はというと、何を考えているのか無言で悲しげにこちらを見てすぐに兵のまとめに戻り、洛陽に向かう時も何も言わずに桃香の手伝いの為に動いていった。
「二人とも優しいな」
「はい、お二人なりの気遣いだと思います」
 地に降ろしたがこちらの手を握って離さない雛里が告げる。ほんのりと暖かい手は戦で疲れた心に安心感を与えてくれた。
「二人とも自身を責めないでくれるといいんだが」
 あの優しい二人の事だ。きっと自分自身を責めてしまっているだろう事は想像に難くない。
「朱里、すまないな。残って貰って」
 何故か終始無言で俯いて着いて来ていた朱里に話しかけると、
「はわわ! だ、だいじょぶでしゅ!」
 どこか暗い顔をしていたが声を掛けるとすぐに顔を上げ、最近はめっきり聞かなくなった『はわわ』が聞こえた。
「……秋斗さん、その……私も手を繋いでも……いいでしょうか?」
 真っ赤な顔をしながら朱里がもじもじと言う。
 この子も心配してくれたんだな。
 少しその可愛い仕草に悩殺されそうになったがなんとか気を引き締めることができた。
「ああ、いいぞ」
 返事をするやすぐに隣にならんで雛里とは反対の手を握り、恥ずかしそうに俯いて歩き出した。
 雛里が少し怪訝な顔をしているがどうしたんだろうか。
 そのまま三人で歩き、何故か無言のまま、俺の天幕の前まで着くと徐晃隊の一人が俺達を見つけて吹き出し、笑いながら話しかけてくる。
「お、御大将……ふはっ、つ、ついに軍師様達を籠絡したんですか?」
 にやにやと笑う眼はこちらを茶化す事しか考えていないのが透けて見える。
「黙れバカ。二人は俺の無茶を心配してくれたんだ。なんにもやましい事はねぇよ。……お前達も此度の戦ではご苦労だったな」
 そう徐晃隊に言うと隣の二人は何故か不機嫌になりそれぞれが口を尖らせた。
「……相変わらずで。我らには鳳凰の加護がありましたから御大将の手を煩わせるまでもございませんでした」
 その言葉を聞き雛里が照れているのかわたわたと慌てて片手を振る。朱里はまだむーっと口を尖らせたままでいたが今は流しておこう。
「そうか。所で連行した二人は?」
「御大将の寝台に寝かせております。中では三人が護衛をしておりますので」
 訝しげな眼を向けながら報告をしてくる徐晃隊の一人。そういうことか。
「……言っておくが彼女らはこの戦の重要参考人だ。他の徐晃隊を後五人呼び、中の声が聞き取れない距離で俺の天幕を守り、見張れ。『上位命令』だ」
 声を抑えて徐晃隊の一人に伝えると厳しい表情になりすぐに行動を開始した。
「とりあえず入ろうか。詳しい事は中で説明する。朱里は帰ってくる前の洛陽内の様子も教えてくれ」
 首を傾げていた二人に話して俺達は天幕内に入った。

 †

 目を開けるとそこは知らない場所だった。細めた目で白い天井を見つめていると、横からこそこそと話す人の声が耳に入る。
「董卓と賈駆が……死んだ?」
「はい、帰ってくる途中に報告を聞いたのですが、隠れ屋敷にて自害している所を袁紹軍の将、顔良が発見したとのことです」
 耳に入ってきた会話に驚き、起きていることが気付かれないようにすっと目を閉じて耳を澄ませる事にした。
 私が……死んだ? こうしてちゃんと生きてるのに。
 詠ちゃんと二人で話をしていて何かを刺されて……
 そこまで考えて全てが繋がった。
 私は……生かされたのか。じゃあ詠ちゃんはどうなったんだろう。
「……朱里、雛里、この子達は董卓軍の別の軍師か文官だと思う。二人を分けて話を聞き、正確な情報を得たいんだが尋問できるか?」
 軍師か文官二人ということは詠ちゃんも一緒なんだ。
 そのことに気付き思わず安堵し、少し大きく息をついてしまった。
「「「……」」」
 男の人の声に返答は無く、周りに変な空気が流れている。
 しまった。起きている事に気付かれたかもしれない。
「……起きてるんだな?」
 男の人の発した言葉にじわと汗がにじみ出るが目を瞑り続ける。
 大丈夫、騙し通してみせる。話を聞いてなかった振りをしないと。
 幾分かの沈黙の後、隣で衣擦れの音が聞こえ、人が立つ気配がした。
「……尋問はやめだな。拷問にしよう。そうだな……こっちの眼鏡の方から――――」
「ダメです! 詠ちゃんは……詠ちゃんだけはやめてください! やるなら私……に……」
 声を上げて飛び起きて周りを見ると目を丸くしている二人の可愛い女の子と立ち上がっている大きな男の人がいた。
 あ……やってしまった。
「クク、冗談だ。騙してすまない。君たち二人に拷問なんて絶対にしないよ。だから安心して質問に答えて欲しい」
 低い落ち着いた声で男の人は言い聞かせるように私に話し、微笑んで優しく頭を撫でてくれる。
 撫でてくれる大きな手は少しくすぐったくて、でもどこか安心感を与えてくれた。
「へぅ……」
 撫でられているのが恥ずかしくてついいつもの悪い口癖が出てしまった。
 それでも誰も笑わずに微笑んだままこちらを見ている。女の子二人の雰囲気が少しだけ変わったけど。
 その空気を感じ取ったのか少し苦笑して男の人は手を放して椅子に座った。
 女の子の一人が立ち上がりとてとてと天幕の端に向かう。
「最初に聞くが……どこか体調で優れないとかは無いか?」
 どんな質問が来るんだろうと思っていたら心配そうに私の事を気遣ってくれた。
「……その」
「す、すみましぇん。話す前にまずお茶をどうぞ」
 話そうとしたら三角帽子の女の子が戻ってきて湯飲みを差し出してくれる。
 少し面喰ったが受け取って口をつけ、喉を潤す。
 あ、おいしい。
 その香りは静かな森林を思わせた。味は少しほろ苦く、それなのに嫌なモノではない。
 気分を落ち着かせてくれて心の中まで暖かくなる。
「……おいしい」
「ふふ、店長さんから貰った緑茶が残っててよかったですね秋斗さん」
 金髪の女の子が笑顔で男の人に話しかける。
「そうだな。店長にまた借りが増えちまったが……気に入ってくれたかな?」
「はい、とても」
 凄く優しい空間。尋問するのにお茶を出すなんて普通はしないのに。
 そういえば最初の質問に答えてなかった。
「少し擦り傷がありますが体調は大丈夫です」
「……女の子の肌にキズをつけられる前に助けられたらよかったんだが……間に合わなくて。ごめんな」
 男の人が発した言葉に疑問が起こる。
「その……私はどんな状況だったんでしょうか……?」
「……洛陽の街で民の救援を行っていたら連れ去られそうな君とその子を見つけてな。どうにか連れ去られるのは阻止したが、抱えて逃げ出している奴が君を投げ捨てたんだ。すぐに助けられなくてごめん」
 言われて隣の寝台に寝かされている詠ちゃんの方を向く。
 頭に布が巻かれているのが痛々しい。
「その子は少し頭を打ったみたいだ。その他に擦り傷は少しあるが大きな外傷は無いよ」
 その言葉にほっと胸を撫で下ろす。詠ちゃんの命が無事でよかった。
「危ない所を助けて頂きありがとうございます。私の名は――――」
 助けてもらったのに自己紹介をしないのは失礼と思い、名を口にしようとして……そこで言葉が止まる。
 私は董卓。この戦で責任をとって死ぬべき人間。でももう死んでいると報告が上がっている。
 生きたいと望む私が囁く。偽名を使って逃げ延びたらいい。
 死にたいと願う私が怒る。今更逃げようなんて考えるな。
 二つの感情と思考が綯い交ぜになってどうしたらいいか分からない。
 急に心に大きな罪悪感が押し寄せ、涙が溢れてきた。無意識に自分で自分を抱きしめて蹲る。
「だ、だいじょうぶでしゅか!?」
「む、無理しないでくださいね……」
 この子達は優しい。こんな最低な私を気遣ってくれる。
 そうだ。この人達は連合の人だろう。なら私を差し出せば名が上がる。
 こんな私でも最後に人の役に立てる。民の心も憎悪の対象が明確になったら救われるんだから。
 もう逃げないと決めた。もう死ぬ覚悟も決めていた。だから最後まで董卓としてやりきらないと。
 自分で自分を鼓舞して死の恐怖を追い払い、口を開いた。ごめんね、詠ちゃん。
「……私の名は……董卓です」
 私が名乗ると三人は一様に驚愕し、しばらく呆気にとられて沈黙の時が流れた。

 †

 この子が董卓だと? こんな儚げで優しそうな少女が?
 しかもこの子は董卓死亡の報告を聞いていた。なのに何故自分でその名を明かすんだ。
 すっと顔を上げてこちらを見据える瞳には覚悟が宿っている。
 その眼は嘘をついているモノではないな。死の覚悟を決めた者が持つ眼だ。
「……その言に嘘は無いな?」
「はい」
 力強い返答に少し気圧される。ここは戦場ではないのに。
 ああ、そうか。これは王の放つ覇気だ。自らの死によってその責を全うしようとしているのか。
「朱里、雛里。この子は嘘を言ってない。それと……死ぬつもりみたいだ」
 言葉を放つと二人は瞳に知性を宿し、思考に潜った。
「……秋斗さん。この天幕の周りに人は?」
「徐晃隊に守らせているが少し間隔をあけさせているからそいつらにもここでの話は聞こえやしない。俺の上位命令を聞かない徐晃隊がいるならそいつはもう死んでる」
 尋問中の情報断絶は基本だからな。徐晃隊には上位命令という形の、それを破れば極刑だと言ってあるモノを布いた。
 俺の言葉を聞いて董卓の表情に少し怯えが滲んだ。
 どうやら俺が徐晃だと気付いたか。董卓に会えたら言っておきたい事があったから丁度いい。
 そう考えて天幕内の端に立てかけてあった斧を天幕の中心に持ってくる。
 斧を置き、片膝をついて董卓に向かうと朱里と雛里は少し不思議そうな顔をしていたが、董卓は斧を見てすぐに真剣な表情になりこちらをじっと見据えていた。
「董卓殿。我が名は徐公明、シ水関にて華雄を討ち取りし者。その最期、勇敢にして誇り高きモノでした。あなたの誇りのために斧を振るい、あなたを守るために戦い、命果てるまであなたへの忠義を貫きました」
 華雄の生き様、死に様を伝えたかった。自己満足だが、心にけじめをつけるために言っておきたかった。何よりその忠義の心を届けたかった。そして俺を……憎んで欲しかった。
 董卓は寝台から降りて俺の前に膝を付き手を添えて口を開いた。
「そうですか……。伝えてくれてありがとうございます。あなたが届けてくれた華雄さんの想い、確かに受け取りました」
 微笑む瞳に哀しみを浮かべ返答を発した董卓と目が合い思考が止まる。
 その瞳は優しく、力強く、憎しみなどかけらもなく、慈愛に溢れていた。
 董卓はすっと立ち上がり二歩下がって寝台の前で背を伸ばしてこちらを見る。
「民に被害を与えてしまった事は私の責、戦が起こってしまった事は私の力不足によるモノ。徐公明、忠臣華雄を討ち取りし者よ。その刃にて私の命を刈り取り、民の心を救いなさい」
 圧倒的な覇気と共に放たれた言葉は俺の心を真っ直ぐに穿った。それによって停止していた思考が回り出した。
 この子は幼く見えるがまさしく王。朱里と雛里は気圧されているのか言葉を紡げないようだ。
 だが、どうすればいいかは、わかってるよな?
「董卓殿、命をもって責を果たそうとするその覚悟や見事。しかし……あなたを殺すわけにはいかない。だろう? 朱里、雛里」
 二人はハッとしてこちらにコクコクと頷く。
「そんな……」
 王の気を纏っていた董卓が戸惑い、一人の少女に戻りだす。
「連合総大将の軍から死亡報告が出ている今、あなたを亡きものにしてしまうと私達の軍に嫌疑がかかります」
「匿っていたのではないか、繋がっていたのではないか、その疑心暗鬼により次の標的になるのは私達となります」
 だから殺せない。そしてそれは他の軍でも同じ。
「なら総大将の軍に――――」
「それも不可能だ。でっち上げでこの戦を始めた袁家が、洛陽を燃やした袁家が、あなたを引き渡した所で俺達を潰さないという保証が無い。他の軍も引き取らないだろう。それに今更あなたが表舞台に出てきたら、民にも連合全てにも余計な混乱を招くだけだ。だからあなたは殺せないしどこにも行かせられない」
 俺の話の途中で朱里の表情が驚愕に変わった。
 お前は気付かなかったもんな。いや、見ない振りをした。『諸侯の嫉妬がほとんどの理由』と言ったのはお前だったのに。
 董卓は力無く膝を折り何かを呟き始めた。それを今は無視し、朱里に向かい言葉を放つ。
「朱里、甘い考えは捨てろ。俺達は正義なんかじゃない。悪の手助けをしたんだ。お前の頭の中ではもう答えが出ているはずだ」
「わ……私達は……民のために」
 頭では分かっているが心が拒絶しているのか、まだ現実を受け入れるには言葉が足りないか。
「こんな可能性もあったんだよ。俺達が間違っている可能性もな。無実の人を力で制圧する覚悟も無く戦いに参加した俺達は……ただの道化だ。踊らされていたんだよ。いいように使われていたんだ」
 俺の言葉を聞くと目が虚ろになり、どこかに救いがないかと辺りを見回し、最後に雛里のほうにぎこちなく泣き笑いの顔を向ける。
「ひ、雛里ちゃん……」
 朱里の様子を見て雛里は悲痛な顔で俺を見上げた。その眼には涙を溜めていたが、雛里はとっくに覚悟が出来ていたからか朱里のように取り乱していなかった。
「二人で話しておいで。今の朱里を支える事は雛里にしかできない事だよ。ここは任せてくれていい」
「ありがとうございます。朱里ちゃん、行こう」
 そう言ってふらつく朱里を支えながら俺の天幕を出て行った。
 見送ってから蹲る少女にゆっくりと声を掛ける。
「董卓殿」
 話しかけても反応は無く、不審に思い近づいてみると呟く声が聞き取れた。
「いやだ、死にたい、もういやだ、生きてたくない、私のせいだ、私が巻き込んでしまった、誰か……殺して……」
 ああ、これは俺だ。そして救う術も俺は知ってる。だが、俺はまた……引きずりこんでしまうのか。しかし最後にどちらが幸せかこの子が自分で決めればいい。
「董卓、話を聞け」
 肩を軽く掴んで無理やり身体を起こし目を合わせる。涙が溢れ、目の焦点は合わず、瞳は絶望に濁り、生きることに疲れ切っていた。彼女は安らかな死を望んでいた。
「華雄はお前が生きる事を望んでいた」
 その言葉にびくりと反応し、こちらに意識が向いたのが分かった。
「お前のせいで死んだんじゃない。お前は悪くない」
「いいえ! 違います! 私に力が足りないから! だから皆巻き込んでしまった!」
 俺の言葉を聞き弾けるように必死で返答してきた。
 このままでは自責の念に潰される。方向を変えるか。
「お前は助けようとしたんだろう? 手を差し伸べたんだろう?」
 ゆっくりと言い聞かせるように言うと彼女は少し考えた後言葉を返す。
「……そうです。私は助けたかった。殿下を、洛陽の民を、この大陸を……」
「誰が責める? その心を、その想いを」
「死んでいった人が責めます。生き残った洛陽の民が責めます。私が居なければ、私がここに来なければ……」
「……じゃあそこの少女はお前を責めるか?」
 言うと同時に手を放すと彼女は振り向き、寝台に向かって行った。
「詠ちゃん……」
 未だ眠っている少女を見つめて少し落ち着きを取り戻したのか静かにこちらを向き椅子に腰をおろした。
「取り乱してしまい申し訳ありませんでした」
「いいよ。それよりお茶を飲もう。少しゆっくりしないと思考はちゃんと回らない。甘いモノがあれば尚いいんだが今は無いし……」
 すっと立ち上がって先ほどの残りのお茶を湯飲みに入れる。
 董卓に片方を差しだし二人でお茶を飲む。うん、うまい。
「あまり無理をするな。先ほどまで倒れていたんだから」
 追い詰めたのは俺のくせによく言う。自分の罪深さに吐き気がしたが気力でどうにか抑え込んだ。
「……私が眠っていたのは詠ちゃんが私を助けようとしたからです。王として死ぬ事を望んだ私を生かしてくれる為に」
 ……この子は覚悟を決めていたが仲間に生かされたのか。生きてくれと願う仲間の想いを裏切ってでも責を果たそうとした。そして同時に……休みたかったんだな。
「すまないが聞かせてくれないか? 董卓軍の真実を。君には辛いかもしれないがそれを聞いてからでないと何も進まない」
 眉間に皺を寄せしばらく逡巡した後、董卓はゆっくりとこの戦の真実を語り始めた。

 †

 どうして? なんで? 私達は正義だったはず。私達が正しかったはず。
 間違ったことなんて無かった。選択は全て上手く行っていた。
 きっとあの人は嘘をついているんだ。だって董卓さんは死んだっていってたから。
 偽物だから嘘をついているんだ。きっと、いや、絶対そうに違いない。

「じゃあどうして秋斗さんは確信を持って私に話していたの?」

 脳内の黒い自分が甘く囁く。

「本当は分かってるんでしょう?参加する前に自分でも言ったんだから。諸侯の嫉妬が理由だって。」

 違う。

「私の嫌いな田豊さんと張コウさんは桃香様に現実を見ろと言ったでしょう?」

 違う。

「あの優しい人は最初から自分達の愚かしさに気付いていた。でも止めなかった。私達が否定することを分かっていたから。」

 違う。

「あの優しい人は戦前に不和が出るから今まで言わなかったんだよ? 自分達の軍の犠牲を減らす為に。桃香様が大陸に平穏を与える為にはこの戦の参加は絶対に必要だったから。」

 違う。

「……否定しかしないならあの優しい人に置いていかれちゃうよ? 雛里ちゃんだけ連れて。……雛里ちゃんの方があの人にとって特別なのが羨ましいんでしょ? 今まで一番だったのにいいの?」

 自分の考えに黒い感情が心を渦巻き叫びだしそうになる。どうにか堪えたが、歩いていた脚から力が抜けて崩れ落ちた。

「朱里ちゃん! しっかりして!」
 大きな声が聴こえて顔を上げると涙を流す雛里ちゃんが居た。
 いつから自分は取り乱していたのか、いつ秋斗さんの天幕を出ていたのか分からない。
 周りを見ると陣の中だとすぐわかった。もうすぐそこに私達の天幕がある。
「どうしたのだ朱里!?」
 民達の元から帰ってきたのか遠くから鈴々ちゃんの声が聞こえた。
 後ろには桃香様と愛紗さんが続いている。
 三人が近づく前に雛里ちゃんが耳元で囁く。
「朱里ちゃん、桃香様達にはまだ内緒にして。秋斗さんは被害者の二人から桃香様達に直接現実を聞かせるつもりだと思う」
「雛里ちゃんは……どうして取り乱して無いの? 私達は悪い事をしたんだよ?」
 私の言葉に少し哀しそうな顔をして静かに呟く。
「人を死なせてる私達に良いも悪いも無いよ、朱里ちゃん。」
 頭の中で反芻し、奥深くまで浸透した雛里ちゃんの呟きは、私の心を捉えて離さなかった。

 †

 陣に戻ると朱里と雛里が外にいた。
 雛里が滅多に出さないような大きな声で朱里に呼びかけていたので走って近づくと、彼女は朱里に何か呟き、それ以降朱里は話しかけても何も答えなくなった。
 とりあえず桃香様の天幕に連れて行き何があったのかと聞いても二人とも何も答えない。
「二人とも……お願い。何があったのか教えて?」
 桃香様の必死の懇願に耐えかねたのかゆっくりと口を開いた。
「秋斗さんから指示があるまでここにいてください」
 絶望に染まった瞳で答えたのは朱里。
「秋斗殿が……関係しているのか?」
 彼が二人に何かしたのか? バカな。ありえない。彼は人の心を傷つける事を嫌う人だ。いつも飄々と誤魔化しているのはその優しさからなのだから。ここまで朱里が傷つくような事などするはずがない。
「桃香様、秋斗さんがシ水関の戦いの後で何を言ったか思い出して下さい。そしてご自分の理想を胸の内にしっかりと持っていて下さい。何があっても絶対に迷わない事です」
 真剣な表情で語る雛里は鬼気迫るモノだった。その表情は何か大切なモノを守ろうとしているようにも見えた。
 それ以上私達が何を聞いても雛里は答えてくれず、ただ時間だけが過ぎた。
 戦が終わったというのに、いったい私達の軍に何が起こっている。
 思考に潜っていると桃香様が立ち上がった。
「……やっぱりだめだよ、待ってるだけじゃ。あの人は私達から聞かないと何も話してくれないし何も答えてくれない」
 そう言って桃香様は天幕を出て行こうとした。
「桃香様……わかりました。秋斗さんの天幕に行きましょう。ただそこには捕虜の人が二人いるので刺激しないように静かにお願いします」
 いつの間に捕虜など捕まえたのだ。彼はたまによくわからない事をする。
「愛紗さん、別に傷つけたりはしていません。ただこの戦の事を話して頂いているだけですから」
 雛里の話に少し安堵する。私も彼が蛮行に出るとは思っていないが、それでも彼も男であるということが警戒心と猜疑心を持ってしまっていたようだ。
 心の中で彼に謝りながらコクリと一つ頷いて、ゆっくりと私達は秋斗殿の天幕に向かった。


 †


「――――そして今ここに至りました。そこまでが私の知っているこの戦の真実です」
 徐晃さんは真剣な表情で所々頷きながら私の話を黙って聞いていた。
「……わかった。ありがとう、話してくれて」
 彼は目を少し瞑り何かを考えてからゆっくりと息を吐いた。
「この軍の情報は入っているか?」
「はい」
 劉備軍の情報は入っている。正義のため、民のために戦ってきた人たち。嘘の情報に騙されてこの戦に来てしまった人達。
「正直に話そう。桃香達……他の劉備軍の面々と違い、俺は別に民が苦しんでるからとこの戦の参加に同意したわけじゃない」
 一瞬何を言ってるか理解できなかった。
「君たちがどんな存在であろうと踏み台にし、乱世を乗り越えて行く力を得るために同意した。この大陸を変えるために必要だから生贄にしたんだよ」
「それは……どういう事でしょうか」
 尋ねると彼は少し厳しい面持ちになり話を続けた。
「君なら分かるだろう? 中から漢を変える事はもはや不可能だ。民の心はもう漢王朝から離れてしまった。諸侯達には野心が芽生え、もはや乱世は止められない。なら自分達が喰われないためにも、乱世でのし上がり大陸に平穏を作るしかない。そのために必要だったから俺は他の諸侯達同様の理由で参加を是としたんだ」
 理屈は分かる。黄巾の乱が起きてしまい、その後に私達も巻き込まれたのだから。でも聞きたいのはそこじゃない。
「劉備軍は民のためにと聞きましたが……」
 この人は違うのか。優しい人だと思ったのに。
 「そうだな。助けられる民がいるなら動く子達だ。とても綺麗で尊い事だ。けど……それだけだ。
 乱世を生き抜くのには汚さが足りない。何が何でも救おうという想いが足りない。俺はな董卓。君のように利用されるものが出ない平穏な世の中を作りたいんだよ。必要ならばどれだけの今を生きる善人を犠牲にしたとしてもだ。
 憎まれてもいい、怨まれてもいい、その先に恒久の平穏があるなら喜んでそれを受けよう」
 強い覚悟を携えた瞳に気圧されてしまう。
 彼はしっかりと未来を見据えていた。嘘を付いていたのでは無かった。
 この人は私達に自分を憎めと言っている。その代わりに別の人には幸せを与えるからと。
 自分勝手な理論。でもそれは……私がしようとした事と同じだった。
 憎しみを自分に集めて民を救う。この人は私とほとんど同じ人だ。けど少し違う。
 この人は自分から動いている。私は流されて最期にそれを選んだ。
「だけどな……生きて欲しいという想いを殺せはしない。少しでも多くの人が生き残ってほしい。だから俺は君に生きて欲しい」
 泣きそうな顔で言われた。その表情は子供のように見えた。
「生きる事ができる可能性があるなら生きてくれ。精一杯生きて、平穏な世で新たな幸せを探してくれ。もしこの戦が自分のせいだと思うのなら、天寿を全うするまで生きて、平穏になった世を見て、君と君の周りが幸せになる事を罰としてくれ。君に生きて欲しいと願った人は、少なからず救われるだろうから」
 それは厳しくて優しい罰だった。生きることの方が辛い、死をもって安息を得るよりも。でも詠ちゃんたちの願いは叶えられる。こんな私でも誰かを救える。
「ずいぶんな綺麗事ね、徐晃」
 ふいに後ろの寝台から声がして振り向くと詠ちゃんがむくりと身体を起こしていた。
「あんた達が攻めてこなければボク達は幸せだったのに……最初から疑っていたなら、どうしてどちらが正しいか確かめなかったのよ!」
 詠ちゃんの瞳は憎しみに染まっていた。
「少しでも助けがあればこんな事にはならなかった! 結局あんたは他の欲の張った諸侯達と同じ! 先の平穏なんかいらない! ボク達は今幸せが欲しかったの! 兵達を返して! 華雄を返して! ボク達の幸せを返してよ!」
 詠ちゃんの向ける感情は正しい。でも……私には徐晃さんを責める事は出来ない。
 その時さっと音がして天幕の入り口が開いた。
 最初に飛び込んできたのは泣きそうな顔をした三角帽子の女の子で、徐晃さんのもとへ行こうとしたが手で制される。そのあとに二人の女の子。一人はさっきの子でもう一人は赤い髪をした子。最後に二人の女の人が驚くほど暗い顔で入ってきた。
「……いつから聞いてた?」
 低い声と無表情で尋ねる徐晃さんからは感情が読み取れなかった。
「……戦の話の途中から……です」
 ほとんど全部という事か。桃色の髪の女の人が涙声で申し訳なさそうに言うと徐晃さんは少し目を細めてため息をついた。
「とりあえず自己紹介しておけ。この二人は董卓と……」
「今更隠してもしょうが無いわ。どうせ尋問するつもりだから人払いもしてあるんでしょう? ボクは賈駆よ」
 詠ちゃんはキッと徐晃さんを睨んで吐き捨てるように言った。
 続くように劉備軍の人たちも自己紹介をしてくれたが、詠ちゃんは劉備さんの自己紹介の時に怒気が溢れ、しかしそれでも何も言わずにただ黙っていた。
 自己紹介が終わると天幕内に痛いくらいの静寂が訪れた。
「賈駆。お前の憎しみは正しい」
 沈黙を破ったのは徐晃さんで、その瞳は呑みこまれそうに昏い色をしていた。絶望と憔悴と哀しみの色。
「俺達はお前達の描いていた幸せな未来を奪った。そして俺達の望む未来を押し付けようとしている」
 天幕内の皆は徐晃さんの話に聞きこんでいる。劉備軍の人たちは皆言葉を聞くごとに顔が翳っていく。
「憎んでくれていい、怨んでくれていい。……でも死なないでくれ。せめて生き残ったのならその気持ちを糧にしてでも生き抜いてくれ」
 詠ちゃんの顔が怒りに歪む。彼はその時すっと頭を下げた。
「お前達のようなモノが出る世の中は……見たくないんだよ。世界を変えさせてくれ。次の世代の子供たちが笑って暮らせるような世界を作らせてくれ」
 その言葉は謝罪ではなくただの懇願。彼は何かに祈るように言葉を紡いでいた。
(俺には……それしかできないんだ……)
 ぼそっと引き絞られたように掠れた声で漏らした呟きが聞こえたのは一番近くに居た私だけだったようだ。
 この人は自分の無力さを呪っている。全てを助けられない、命の取捨選択をするしかない今の世を変えたいだけ。その犠牲の重さも分かっている。
 自分が呪われる事で誰かが幸せに生きてくれるならそれでいい。やっぱり私と似ている。そして詠ちゃんにも。
「……詠ちゃん。徐晃さんは救いたい命が多いだけで詠ちゃんと同じだよ。頭のいい詠ちゃんならそれがもう分かってるよね? きっと詠ちゃんの言葉を否定する事も、批難する事も、反論する事もできた。でも徐晃さんはそれをしなかった。それもどうしてか分かるでしょ?」
 私が言うと詠ちゃんは悲しそうな顔をした。
「……理屈では分かってるわ。でも……抑えられなかったのよ。だって華雄は、もう帰ってこない……し……皆……ばらばらに……」
 それ以上続かずに泣き崩れてしまった。私は詠ちゃんの横に座って抱きしめ、背中を撫でる。
「皆さん、捕虜の身での非礼、申し訳ないのですが少し二人きりにしてもらってもいいでしょうか?」
 厚かましいお願いだ。でも詠ちゃんと少し話がしたい。聞いてくれるだろうか。
「桃香様」
「うん。皆、行こう」
 劉備さんの言葉に皆が天幕内から出て行き始める。顔を上げた徐晃さんの頬には涙の後があった。皆が出て行ってから少し遅れて一人出て行こうとする彼に声を掛ける。
「徐晃さん……王としての私の想いは、あなたが繋いでください。劉備さんではなくあなたに繋いで欲しい」
 口から出たのはそんな言葉だった。
 流されるでなく自分で選んだ彼に託したかったから。
「……分かった」
 振り向いた彼はすっと目を細めて私の瞳を幾分か見つめ、短い返答をして出て行った。
 そこで私の目から塞き止めていた涙が溢れ出る。
 責任から解放された安心と、生きていていいんだという安息と、多くを失ってしまった哀しみからその涙は留まることを知らない。
 天幕に二人残った私達は、それから長い時間抱き合ったまま泣き続けた。

 

 

雛が見つけた境界線

 返して!
 頭の中で繰り返される言葉は脳髄を昏く侵食していく。
 正義と信じて疑わなかった。
 自分達は正しい行いをしているのだと誇りにさえ思っていた。
 民から向けられた笑顔に、達成感と幸福感を感じていた。
 そんなものは……まやかしだった。
 自分達が奪った。
 自分達が攻めなければ皆は笑顔でいたのだ。
 私達が人の笑顔を奪っている事は虎牢関の時に理解したし覚悟も決めた。
 しかしそれとこれは話が違う。
 私達が洛陽を燃やしたも同然だ。何故止められなかった。
 これでは私達は賊と同じではないか。
 なんという事をしてしまったのだ。
 秋斗殿は……どうして平然としていられるのだ。
 最初から疑っていたならば、どうして私達を止めてくれなかったのだ。
 あの方は……私達を……



 耳が痛くなるほどの静寂が天幕内を包んでいた。
 机を囲んで座る人物達の表情は皆、一人を除いてだが暗く、その一人はというとどこか呆れたようにも、怒っているようにも見えた。
 ただ雛里ちゃんの表情が暗いのは他の人とは理由が違い、彼を気遣っての事。その証拠にわざわざ彼の隣に座り、服の袖を握っている。少し……羨ましい。
 先ほどまで私の心は罪悪感に押しつぶされそうになりながらも頭の中は冷えていた。
 盗み聞きするよりも先に聞いていたから取り乱す事も無く、ただ事実として受け入れていた。
 雛里ちゃんのあの言葉が大きかった。
 私達はたくさん人を死なせているのに、どうして正義なんて甘い事を考えていたんだろう。
 最初に一番衝撃を受けたのは愛紗さんだった。
 盗み聞きの途中で倒れそうになり、桃香様に支えられていた。涙を零す事こそ無かったが今も唇が慄き、身体が震え、いつ倒れてもおかしくないように見える。
 桃香様はというと愛紗さんが倒れかけた事で逆に冷静になっていたかに見えたが、今もその冷静さは変わらない。ただ覚悟を携えた瞳を持っていた。
 鈴々ちゃんはここに戻るまでは我慢していたがさっきまで大泣きしていた。自分を責めて。今は少し落ち着いているがそれでも辛そうだった。
「お前らが盗み聞きしていることくらい分かってたよ。面と向かって話させたかったが賈駆が起きているのにも気付いたし、放置したんだ。憎しみを直接聞くのは堪えるから」
 沈黙を破ったのはやはり彼だった。その表情からは感情が読み取る事が出来ない。
 私達を気遣っての事。あの状況でそこまで考える余裕があったなんて。雛里ちゃんがどうして、というように秋斗さんを見上げる。それを見て彼はゆっくりと答えた。
「俺はな。華雄を殺す時に呪われたんだ。乱世のハザマでのたれ死ね、と。それがあったから賈駆からの怨嗟の声に耐えられた。シ水関での自分を思い出したら……お前達に直接聞かせたくなかったんだ」
 死の間際の憎しみの感情など想像すらできない。そこにはどれほどの強い想いがあったのか。……彼はそれを一人で耐えたというのか。
 賈駆さんからの悲痛な叫びでさえ私にはあれだけの痛みがあったのに。
 ただこの人は私達みたいに正義に溺れていなかった。それが大きいのかもしれない。
「それよりも……全ては董卓との会話でわかっただろう? 俺はお前達と違い……最初からお前達の言うような正義なんざ掲げちゃいない。人を救うため、世界を変えるためにこの軍にいる」
 その言葉に愛紗さんがぴくりと反応した。
「……あなたは最初から我らを騙していたのですか?」
 虚ろな目をして秋斗さんを見つめる愛紗さんに少し寒気がした。武器があったなら斬りかかるのではないかと思えるほど。
「愛紗! 訂正するのだ! お兄ちゃんは騙したりする悪い奴じゃないのだ!」
 突然、何故か鈴々ちゃんが弾けるように食って掛かった。
「お兄ちゃんはバカで、すけべで、でも優しくて、あったかいのだ! 無茶もするけどいっつも皆の事を考えてるのだ! 人を助けたくて仕方ない……いい奴なのだ!」
 目に涙を溜めて愛紗さんに詰め寄る。素直な鈴々ちゃんだからこその反応か。愛紗さんはそれを見て瞳に光が戻り、だが苦い表情に変わり、すっと頭を下げた。
「……申し訳ない、秋斗殿」
「謝らなくていいよ、愛紗。お前は正しい。鈴々、俺は……悪い奴だ」
 秋斗さんの言葉に鈴々ちゃんが絶望した顔で俯く。
「……お兄ちゃんはいつも心で泣いてたのだ。剣を振る度に、人が死ぬ度に。そんなお兄ちゃんが……悪い奴なわけ……無いのだ」
 零れた涙を見て桃香様が鈴々ちゃんを抱きしめる。秋斗さんは目を瞑って無表情、その顔からはやはり感情が読み取れなかった。
「秋斗さん……あなたが目指す世界は私の目指すモノと同じ。だからこそ私達に力を貸してくれてるんでしょ?」
 桃香様は凛とした表情で言葉を放つ。
「……その通りだ」
 少しの間をおいて彼は返答を口にした。
「なら……愛紗ちゃん。それは騙していたんじゃないよ。私達を思っての事だから」
「どういう事でしょうか、桃香様。」
 怪訝な顔をして愛紗さんが尋ねる。
「私達はね。覚悟も無しに自分勝手な正義を振りかざしてこの戦に参加を決めた。どんな事が起こっても対処できるなんて甘い考えを持ってしまった。責任を取る覚悟も無くて、何にも自分達の現状も先の事も考えずにただ単に理想に流されたの」
 そこで桃香様は一旦言葉を区切って深く息を吸う。
「私達の目標と、私達が手に入れた家を守るためには参加は避けきれなかった。でも私がまだ未熟で、理想を確固たるものに出来ていなかったから参加を踏みとどまらせるような事を言うのも出来なかった。戦の最中に気付いたとしても、途中で抜けたり、私達が立ち止まってしまったら責任を取る事も出来なくなる。だから秋斗さんはずっと一人で黙って抱え込んでくれてたんだよ」
 秋斗さんは桃香様の話の最中も何も言わずにただ沈黙を貫いていた。
「しかし! この方は進んで悪を為す事を認めたという事なのですよ!? そんなこと――――」
 その言葉は正しい。正義感と責任感の強い愛紗さんらしい。でも――――
「愛紗さん、私達は何を背負っていますか?」
 雛里ちゃんの急な発言に秋斗さん以外の皆がそちらを向く。
「私達には自分の治める地を守る義務があります。簒奪されることから守り抜かなければなりません。公孫賛様の裏の参加理由はそれなんです。今後、幽州の地を戦火に巻き込まないために参加を決めた。乱世を見据えて自分が悪を為すかもしれない事を是としたんです。秋斗さんは公孫賛様と同じ事をしたんです」
 公孫賛様は家を守るという意識の強い方で常識がある。正義や悪に拘ることも無くどうすれば自国を守れるか、自国の為になるかを常に考えている人だ。
「他の地の民を助けるため、それは尊くて綺麗な事だ。だがな愛紗、俺達が守るべきなのは……真っ先に自国の民であるべきだ。それが目に入らないなら世に平穏なんざ作れやしない。自国の民を守れない者がどうして他国を助ける事ができるんだ」
 厳しく言い放つその言葉は皆の胸を打った。
 私達は自国の民である兵を犠牲にしてまで他の国の民の今を助けようとした。
 秋斗さんは自国の兵を犠牲にして自分達の国と未来を守ろうとした。
 そこが違う。どちらも参加には変わりない。けどこの人と私達の考え方は全く違った。乱世を治める事を考えて一番の方法を取ったんだ。
 そして――――
「秋斗さんは未熟な私の代わりに決断をしてくれたんだよ。私達は自分達の国を守るために参加するべきだった。呑みこまれないために、この先に生き残る事ができるように」
 彼は桃香様の代わりに全てを背負って決断を下していた。
 ああ……ずるい。本当にずるい。雛里ちゃんはきっとこの人を今まで支えてきた。だからあんなに一緒にいたんだ。いつのまにか自分で気付いて、抜け出して、この人と一緒に私達を待っていたんだ。
 理想に妄信していた私達は盲目すぎたから。信じてくれなかったわけじゃない。信じているからこそ。自分で答えを見つけないと、壁を乗り越えないと本当の強さなんか手に入らないのだから。
 私は今から追いついてみせるよ、雛里ちゃん。
「私達が何を喚いても連合は止まらなかったと思う。そして余計に目をつけられて自分達が第二の董卓ちゃん達になったかもしれない。話し合いで解決するには力が足りない。理想を語るには、今の私達は凄く弱いから」
 苦悶の表情をしているが愛紗さんはこれ以上言葉を紡ぐ事はなかった。
「乱世とはこういうモノだ。他を喰らってでも生き残る覚悟を持たなければならない。力が無ければ話し合いも何もないんだよ。もう皆、虎牢関で気付いてただろう?」
 秋斗さんの発言に皆が一様に頷いた。
「納得できないよ、こんなモノは。乱世なんて矛盾の塊で、正義の押し付け合いで、理不尽しか無い。それでも誰かを救いたいから、何かを犠牲にしながらも進むしかない」
 私達にそれができるか?
 きっとそういう事。後はそれぞれで納得のいく答えを見つけるしかない。
「お姉ちゃん、お兄ちゃんは……悪い奴じゃないのか?」
 まだぐずっている鈴々ちゃんが桃香様の腕の中で見上げながら言う。
「そうだよ。鈴々ちゃんの知ってる秋斗さんだから悪くなんかないよ」
 その言葉を聞くと鈴々ちゃんの表情がぱあっと明るくなり、秋斗さんの元に走っていき抱きついた。
「えへへ、なら問題ないのだ」
 笑顔で言う鈴々ちゃんの頭を優しく撫でる秋斗さんはありがとうと微笑んで答えたが、自分の椅子に座るように促して、鈴々ちゃんが戻ると真剣な表情になった。
「現実を知った。憎しみを受けた。理不尽も行った。間違った選択もした。その上でお前に聞こう。お前は何を目指す、桃香?」
 見つめる両者の瞳には覚悟が燃えている。
 それを見て私は気付いた。
 この二人はそれぞれが王なんだ。どちらも同じ世界を描いて、どちらも民のために乱世で戦う覚悟を決めている。乱世を生き抜いて大陸に平和をもたらす事を目指している。
 ただ、秋斗さんは桃香様よりも先を行っている。この方はどうして代わりに立とうと……そうか、途中で成長したんだ。桃香様を追い抜くほどに。理想の矛盾に気付いていたからこそ。
 同じ世界を願うからこの軍にいる。そして一番効率的だから代わりに立とうなんて考えない。桃香様が成長するのを見守り、促し、導いている。それを強いてしまったのは……私だ。
 その考えに行き着いて後悔が心を襲う。同時に嬉しさが込み上げる。私は二人も王を掲げられる、と。
「私は争いの無い優しい世界を目指します。そして誰もが笑って暮らせる世を作るために戦います。虎牢関の言の通りです。必要ならば力を使う事もためらいません。守る為に。
 力をもって対等の立場の人たちに話し合いの机に座って貰い、最小限の戦で手を繋いでみせます。同じように平和を願う人たちとも手を繋いで。そうすれば今を生きる人に余計な犠牲を出さなくて済みますから。
 そのために……秋斗さんに力を貸してほしいです」
 すっと頭を下げて助力を願う。桃香様も秋斗さんがどういう存在なのか気付いてるんじゃないだろうか。
 桃香様が作りたい世界。優しい世界。私達が手を繋げる事を示せば世界は平和になるから、ということ。私はそのために自分の全てを使って見せる。
 秋斗さんは目を瞑り、やれやれというように首を振った後、ゆっくりと話し出した。




「桃香らしいな。和をもって大陸を呑みこんで見せる、そう言うのか」
 桃香様は迷わなかったけど結局変わらない。甘いままだ。もう間違えないと言いたいだけだ。ここでは誰も気付かない。この人の心は悲鳴を上げている。今まで殺してしまった人たちの想いがその心にのしかかり、その重圧に砕けそうになっている。感情を殺した声はそれを見せないための嘘の声。
 私は堪らなくなって皆に気付かれないように机の陰で彼の指を一つ握る。私も共に居ますと伝えるために。
「うん」
 顔を上げた桃香様は強い瞳を携え返事をした後、秋斗さんを真っ直ぐに見た。ゆるぎない覚悟を携えた瞳は、その意思が固い事を示していた。
 しかし、
「世界を想って、大陸の平穏の為に、犠牲も厭わないで動くんだな?」
 射殺すような冷たい視線、重く突きつけられる彼からの問いかけに桃香様が圧倒され、周りの皆も固まってしまった。
 大きな覇気をもって放たれた言葉は天幕内の空気を一変した。話す事が出来るのはただ一人。
 ゴクリと喉を一つ鳴らして桃香様が震えながらも口を開いた。
「はい。大陸の平和のために全てを賭けて動きます」
 それは曖昧な返答。秋斗さんは具体的なモノを求めてるのに。
 善人でも従わせる事が出来るのか。
 断られたらどうするんだ。
 仲間を、友を切り捨てる事ができるのか。
 暗にそれを示している事に気付かなかった。
 本当は直接そう言いたいけど多分言わない。この人は平行線の水掛け論なんかしない。
 桃香様と対立する事が目に見えてるからここまでしか言わない。ギリギリの綱渡りのようなやり取りをして桃香様と皆に楔を打ち込んだ。
 曖昧な返答はある意味で正解だった。この軍が瓦解する事は無いのだから。桃香様が気付いて論争になればこの軍は確実に二つに割れただろう。
「ならいい。大陸に平穏を与えられるなら、俺は変わらず力を貸そう。桃香、この先も、何があっても絶対に迷うなよ」
「うん。皆もこれからもよろしくね」
 ふっと微笑んだ秋斗さんの目を私はちらと伺う。一瞬、その眼は落胆に染まったように見えたが、彼が瞬きするとその色は霧散してしまっていた。
 ここまでしても変わらないならまた袋小路に直面した時に自分で決断してみせろ。秋斗さんならそう思っているだろうと予想できた。
 今回は彼が代わりに全てを決断し、実行した。桃香様にもそれができるのか試す気だ。
 この人の背負うモノは確かに減ったかもしれない。しかし同時に自身の抑圧という名の枷が強く大きなモノになってしまった。
 どうしてそこまで桃香様に拘るんですか。確かに人を惹きつける稀有な才能を持っている。確実に王として成長してもいる。
 でも……それでも私は……
 いや、ダメだ。この人の望みの方が私にとっては大事。私はこの人と一緒に世界を変えたい。そして平穏な世の中で……許されるのなら一緒に幸せを探したい。
 それに秋斗さんは桃香様が決断できると信じているのだから大丈夫。
 そこでふと思考に違和感を感じた。
 桃香様が決断できなかったらどうなる? 秋斗さんはその場合を考えないほど盲目だろうか。
 気付けば早かった。明確な答えに行き着いた。
 多分この人は今回最後の線を引いた。
 桃香様が決断できない時、その時が来たら全てが終わる。王としての決断ができなければ代わりに行い……ぬるま湯のようなこの場所を壊すんだろう。その後皆を引き込み進むのか、自分で立つのか、他の軍に行くのかは分からない。
 でもその時この人は耐えられるんだろうか。また同じだけ背負う事になって、罪深さがさらに深まって。
 そこで思考の端に自分の予測の影を見つけた。
 ……ダメだ。この人は、桃香様を信じる事で自分が壊れないように維持している。ならその時は……。
 事が起こった後を想像して胸が締め付けられたが度々言ってくれた言葉が胸に響き、頼ってくれたという事実が自分を後押しした。
 その時は私が支えよう。それが私に出来る事だ。この人が壊れてしまわないように私はなんでもしよう。
 覚悟を胸に決めたと同時に天幕内に兵が一人入ってきた。
「会議中失礼致します。公孫賛様がお見えになっております」

 †

 桃香の陣に着き、兵に案内され天幕に向かうとそこには懐かしい面子が揃っていた。
「急な訪問すまない。今回の戦、お疲れ様。桃香の軍は素晴らしい働きだったな」
 言うと彼女らの表情は、一人を除いて少し翳った。
「……どうした? 無事に生き残れたんだぞ? お前達らしくないじゃないか」
 疑問を口にするが帰ってくるのは無言の返答。本当にどうしたんだろうか。
「いろいろありまして。公孫賛様もお疲れ様です。すぐに気が利かず申し訳ありません、こちらにお座り下さい。すぐに茶の準備を致しますので」
 公式の場と取ったのか秋斗はむず痒い口調で話してから立ち上がりお茶を淹れはじめた。
「……はぁ。秋斗、その言葉づかいやめていいぞ。今回は個人的に、桃香の友人として話をしに来たんだ」
 秋斗は何か考えるように、手は動かしながらも首を少しだけ傾げた。
「わかった。しかし白蓮がわざわざ俺達の陣まで脚を運んでくれたんだ。何かあったのかと思ってな」
 背中越しに喉を鳴らし苦笑しているのが分かる。
「ふふ、まあそう取られてもおかしくないか。……おっと、ありがとう」
 普段通りの秋斗の口調に少し安心を感じてこちらもつい苦笑が漏れた。
 淹れ終わり、こちらに差し出されたお茶を受け取り一口飲む。
 懐かしい。これは店長の店のお茶じゃないか。持ってきてたのか。
 私にしてやったりというようににやつく秋斗の顔を見ると戦場で見たモノが嘘だったかのよう。
 もしかしたら私が心配していた事は解決したのか?
 喧嘩になっても本心でぶつかり合い、間違いを指摘し、分かり合う事。こいつらは皆優しいから強く言う事なんかできないだろうし。
 まあ誰にでも気を使う秋斗の事だ。戦が終わるのを待っていたって所か。
「やられたよ、秋斗。まさかここでこのお茶を飲むと思わなかった。……さて、桃香と二人で話がしたいんだけどいいかな?」
 軽口を返しながら見ると嬉しそうに頷いた。それを見てから桃香に話を振る。
「へ? 私と二人で? どうしたの白蓮ちゃん」
 ほわーとした顔で聞き返す桃香に少し呆れてため息が漏れる。
「ちょっとした話だよ」
「話もある程度終わったしいいんじゃないか?そろそろ俺の天幕にも用事があるし。何よりまだ洛陽に兵を残してあるだろう?」
 秋斗の言葉に桃香はハッとした顔をして慌て始めた。
「そ、そうだった! 皆、申し訳ないけど動いてくれる!?」
 桃香のお願いに皆が慌てて動き始めた。秋斗は何やら鳳統に指示している。
「秋斗、お前は少し陣の外に行ってくれないか? 星がいるから」
 それだけで何が言いたいのか分かったのかばつが悪そうに了解、と返事をしてすごすごと天幕を出て行った。
 静かになった天幕の空気はお茶のせいか穏やかなモノに感じた。
「それで……話って何かな、白蓮ちゃん?」
 不安そうに聞く桃香はあの頃と何も変わっていないように見えた。でも纏う空気が違う。一本芯が通っている。
「……秋斗に無理をさせたのと今回の戦の参加理由を叱りに来た。まず確認したい。誰が無理をさせる事を献策したんだ?」
「それは……秋斗さん自身が献策してくれたの」
 その言葉に自分の思考が固まる。
 あいつが自分で申し出た? バカな、ならどうしてあんな痛々しい顔をする。疑問だらけの思考を抑え付け、私は次の質問をぶつけた。
「……止めなかった理由は?」
「私達が……未熟だったから。参加した責任を果たして、民を救うのにはそれしか無くて――――」
「バカかお前は! そういう時は殴ってでも止めろ! お前が参加を決めた理由のためだけで有能な将を一人失う所だったんだぞ!? あいつがいればこれから先、どれだけの人を救えると思っているんだ! 責任を果たすよりも大切なことだろう!?」
 桃香の返答にもはや自分を抑える事は出来ず、声を荒げて言葉を並べ立てた。
 しかし、自分で献策したなら秋斗はどうしてあんな顔で戦場に向かったんだ。
 どうして今はいつも通りに戻っているんだ。あいつは何を抱えているんだ。
「お前の目指してるモノは分かってる! だけどもっと長い目で見ろ!」
「……ごめん……なさい……」
 こいつは何にもわかっちゃいない。自分がどれだけの存在になったかを、なろうとしているかを。
 いきり立った気分を抑え付けて、低く、静かに声を出して桃香に話す。
「言っておくぞ。もし私が、私の国がこれから先窮地に陥っても、お前達の国が安定してないなら助けにくるな」
 桃香は俯いた顔を勢いよく上げて悲痛な顔で私を見た。
「お前はもう、一人の王だ。自分の民の事を考えなくちゃいけない。秋斗の事もそれと同じだ。分かったな?」
 強く言うと桃香は泣きそうな顔をしていたがゆっくりと頷いた。
「……うん、わかったよ。自分の国をしっかりと、速く安定させてその時はすぐに助けに行くからね」
 ああ、こいつはそういう奴だった。でもそれは同盟の話と同じなんだぞ。いや、純粋に友としての言葉だから今は堅苦しく取らないでいいか。
「ふふ、桃香は相変わらずだな。分かったならいいさ。私も逆の時はできるだけ力になるよ。これから先、本当に必要な時以外は絶対に止めろよ?」
 例えば自分達が全滅しそうでそれしか手が無い時とか。
 諸葛亮と鳳統が居ればそんな事態には陥らないと思うけどな。ああ、私も一人でいいから優秀な軍師が欲しいなぁ。
「うん、ありがとう白蓮ちゃん。怒ってくれて」
「いいよ、友達だからな。話はそれだけだ。私は秋斗を叱ってくる。まあ、星が先にやってるかもしれないけどな」
「あはは、趙雲さんが怒る所とか想像できないよー」
 いや、きっと今頃怒っている事だろう。
 ……そういえば星は鳳統に話を聞けと言ってたな。でも鳳統も星と同じ気持ちだったなら戦の後にでも怒ったんじゃないかな。
 ああ、だから秋斗はいつも通りだったのか。さすがに過保護にしている鳳統から怒られたら秋斗も顔無しだったろう。
 その時の顔を拝めなかったのは悔しいな。せめて今から見に行くか。からかってやろう。
 それからあいつが何を抱えているか聞いてみよう。
 いろいろと想像を膨らませながら桃香に別れを告げ、私は天幕を後にした。




「で? そんな理由で命を投げ捨てるように戦場に向かったと、そういうのですかな?」
 本当にこの方はバカだ。
「お前は本当にバカですね。劉備の理想のためとか言って、自分が抑えられなかったのもあるんじゃないですか? 帽子幼女が先に叱ってなかったら私達二人で殴り飛ばしてましたよ。いや今からでも遅くはないですすぐにその両頬を差し出せばいいんです力いっぱいぶん殴ってやりますから私からは今までの憎しみを星からはお前への想い「牡丹?」……じゃなかったお前に抱く好意「ほう?」……友としての心配を受けてください」
 いつになく私をからかうじゃないか。後で覚えておけよ。
「面目ない」
 しゅんとする秋斗殿など終ぞ見たことがなかったので何故か可愛く見えて少し笑いそうになる。
「分かってくれたのならいいのですよ。そういえば牡丹は秋斗殿の為に劉備殿の脳髄を洗い流しましょうとか」
「星! なんてこと言うんですか! 私はこのバカの為ではなく、ただ浅はかで欲深くて傲慢な劉備が気に入らなくてですね――――」
 まだ言い続けようとする牡丹を手で制しておく。一応陣から離れてはいるがあまり余所の主を貶めるものではない。
 それにお前が先にしたんだ。仕返しをするに決まっているだろうに。
「クク、このように雛里の他にも心配するものがいるのですからあまり無茶はしなさるな」
 聞けば劉備殿の代わりに此度の事を自分で献策し行ったとか。
 確かに戦の状況を見て判断し、軍師と主の了承を得て行ったようだがそれでも看過できない事だ。
「まあ、お前の気持ちは分からなくもないです。私も白蓮様の為になるなら多少無理してでも行動したでしょうから。ただ私達なら、白蓮様なら止めてましたよ?」
 白蓮殿なら止めたというのは間違いない。きっと曹操殿でも、孫策殿でも、他の誰でも同じであっただろう。
「もしあなたが劉備の立場なら止めたでしょう?それほど今回のは異常な事なんです。いい加減……私達の家に戻ってきたらどうなんですか」
 そう言う牡丹の顔は心底秋斗殿を心配した顔だった。ここまで素直になるなんて珍しい。
 私もそれには同意する。この方はあそこに居るべきではない。しかし……
「人にはそれぞれ事情があるのだ牡丹。秋斗殿の願いの為にも無理を言ってはダメだ」
「牡丹、ごめんな。俺にはしなくちゃいけない事がある。でもありがとう。星もありがとうな」
「っ! ……私には白蓮様がいる私は白蓮様だけが好きこれは嘘これは違う絶対にそんなんじゃない……」
 秋斗殿が顔を上げて言うと顔を真っ赤にして牡丹は何やらぶつぶつと呟きだした。
 お前も少し惹かれかけているのは知っていたが……完全に堕とされたか。この時機で牡丹の真名を初めて直接呼ぶとはいささか卑怯だと思うが、どうせ無意識なのだろう。
 何故か悔しい気持ちが湧いて来て、少し勇気を出して目の前の鈍感男を抱きしめた。
「星……?」
「殴るよりもこの方があなたには応えるのでは?」
 跳ねる心の臓に気付かれていないだろうか。二つの鼓動を感じる。どうしてだろうか、恥ずかしいのと同時に安心する。
「……そうだな。心配かけてごめん」
 低く、静かな優しい声が耳を打ち、少し身体を離して顔を見ると胸の奥が締め付けられた。私を見つめる黒い瞳に引き込まれそうな感覚に陥る。脈打つ鼓動はうるさいほど頭に響き、高揚した熱が身体を包む。
 自然と、意識せずともお互いの顔が近づき、目を閉じると……すっと身体が離れた。目を開けても目の前には誰もおらず、牡丹の飛び蹴りが地を穿った。
「なっ、いない!?」
「残像だ」
 まだ高鳴る胸を大きく呼吸して抑える。牡丹よ、怨むぞ。
 二人が言い合いをしているのを恨めしい気持ちを封じて冷やかに眺めているとすぐに落ち着き、彼がこちらを見て一つ呟く。
「……星」
「なんですかな? 戦も終わったことですし酒の席でもとお誘いくださるのか」
 先ほどの続きを、などとは言ってくれるわけも、言えるわけもない。だが久方ぶりに酒の席も楽しみたいと思い軽口ついでに言葉を乗せる。
「いいな、それ。ちょっと俺もお前達三人に話があるんだ。少ししてからそっちの陣に行ってもいいか?」
 片手で牡丹の額をぐりぐりと抑え付け、反撃を避けながら秋斗殿は楽しそうに言う。
 本当に酒に付き合って下さるとは。積もる話もあるし白蓮殿が戻って来次第……
「おーい、秋斗~。頬の腫れは大丈夫か~?」
 声に振り向くと遠くからにやつきながら手を振って近づいてくる白蓮殿が見えた。
 もう戻ってこられたのか。しかし我らが殴った前提とは失礼な事だ。後でとっくりと話を聞こうか。
 そう考えながら白蓮殿を迎えて後で合流することを決め、私達は酒の席の準備の為に笑いあいながら自陣の天幕に向かった。
 

 後ろで見送る男の哀しい瞳には気付かずに。


 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

桃香さんが助力を頼んだのは今回で三回目なので三顧の礼となります。
対して、主人公は最終線を引いて耐えることにしました。

愛紗さんは基準線を超えてしまった為、感情的になりました。
自分の矜持を破ってしまったのならこれくらい取り乱すかなと思いました。
桃香さんに従う愛紗さんの心境って予測しづらいです。

鈴々ちゃんは純粋なのでどちらにも染まりやすいです。

桃香さんは一つ成長したかな、くらいです。

朱里ちゃんが一番成長しましたが、未だに恋は盲目状態で桃香さんに心酔しているので難しい所です。


ちなみに、この場で分岐ルートが存在します。
主人公が耐えるという決断をせずに自身の思考をぶつけると、劉備軍が内部で二つに割れます。
内部分裂とは言っても桃香さんと主人公の明確な対立です。
その事象はここでは描きません。別事象関連は外伝的な扱いなので。
前にアップしたことのある別事象『袁家ルート』『公孫軍ルート』の二つも同様です。


ではまた 

 

月詠に願いを憶う


 桃香様に言われてそれぞれが己がすべきことのために動き出した。
 私は朱里ちゃんと共に陣内の兵に指示を出し、ある程度こなしてから秋斗さんの指示通りに董卓さん達の様子を見にやってきていた。
 天幕の外で聞き耳を立てると中からは話し声が聞こえる。
 ひそひそと話すその声はよく聞き取れなかったが、あまり時間を掛けるわけにもいかないので中に入る事にした。
「す、すみません。もう入ってもよろしいでしょうか?」
 私が声を掛けると少し人が動く気配を感じる。
「はい。大丈夫です」
 董卓さんの静かな返事を聞いてから中に入った。
 二人が泣いていたのは涙の後から分かり、しかしその表情はどこかすっきりとしたものだった。
「お気分は……いかがでしょうか?」
「私はもう大丈夫ですよ」
「ボクも問題ないわ。もう落ち着いた。心配してくれてありがとう。……あんた一人なの?」
 しっかりとした口調で二人は私の問いに答え、最後に賈駆さんが少し意外そうな顔をしてこちらが一人で来たことを尋ねて来た。
「はい」
「……ボク達があんたに乱暴するとは考えないわけ?」
 訝しげに尋ねる様子は何か裏がないのかと勘ぐっているのかもしれない。
「そうですね。しかし軍師であった賈駆さんならそれがどのような事態を招くか予想できると思いましたので」
 乱暴をしても不利にしかならない。自分達の首を絞めるだけなのだから。董卓さんのためを考える賈駆さんはそんな事しないと確信している。
「ボクの失言だったわ。ごめん。さすがは噂に名高い鳳雛ね」
 謝り私を認めてくれる。都で董卓さんを守りながら連合との戦いを描いていたこの人のほうが凄いのに。
「い、いえ。賈駆さんの方こそすごいでし、あわわ……」
 また照れて噛んでしまった。直そうと思ってもいつまでも直らないなぁ。
「……月、この子すっごく抱きしめたいんだけど」
「だ、だめだよ詠ちゃん。……でも確かに私も抱きしめたいかも」
 私が噛んだのを聞いて二人は何やらこそこそと内緒話をしている。恥ずかしい。
「その……お二人に確認します。これからあなた方はどうしたいですか?」
 内緒話を続けていた二人に質問を投げる。まずここから聞いておかないと。私達からの押しつけでは納得できない事が多くなるだろうし。
「……鳳統さん。二人で話あったんですが……もしよろしければ侍女として置いて頂けませんか?」
 董卓さんからの提案に驚きながらも私は少し思考する事にした。
 侍女なら確かに他の目も欺ける。生活の心配もしないでいい。それに賈駆さんや董卓さんからいろいろと学ぶこともできるかもしれない。
「ボク達は涼州へ戻っても家族や民達に迷惑をかけるだけ。かといってどこの街にも行くあては無いのよ。勝手を言ってるのはわかってるわ」
「それに私達は人をたくさん巻き込んでしまいました。大陸に平穏を作る所を傍で見て、自己満足ですが少しでもその責を背負いたいんです。雑用でもなんでもしますから……」
 この人はどこまでも……あの人に似ている。それが少し羨ましい。人となりというよりも根幹にあるモノが、向ける想いと進む道筋が似ているんだ。
 嫉妬ではなく、純粋な羨望の気持ちを零してしまいそうになったが、どうにか振り切り、彼女達へ返答を行う。
「……お二人はこれから名を失う事になりますがよろしいんですか?」
「どっちにしろもう名乗る事なんかできないでしょ? だから真名を預けるしかないわね。名前を呼べないと侍女なんかできないし」
 大切な真名を預けるしかなくなるなんて。私達はそれほどの事をしてしまった。
 偽名を使う事は出来るだろう。しかしそれをしない理由が私には分かってしまった。彼女達は偽りたくないから真名を預けてくれるんだ。
 胸の奥に冷たい鉄の塊が落ちたように罪悪感が圧しかかった。そんな私を見てか董卓さんは優しく微笑みながら口を開いた。
「鳳統さんが気に病む必要はありませんよ。これは私達が招いた事で、望んだ事です。自身の不手際を、どうして他人に押し付けられましょうか」
「そうよ、鳳統。ボク達がしようと決めた事だからあんたが泣きそうになることないわ。それに、ボクが言えたことじゃないかもしれないけど感情に引きずられて最善を判断できないのは軍師として失格。ボクはもう割り切った。まあ、月のおかげだけどね」
「……それでも、ごめんなさい」
 優しく諭してくれても謝らずにはいられなかった。本当はそれさえも、彼女達の覚悟を穢す行為であるというのに。
「ふふ、あの人と同じでお優しいですね」
 董卓さんの微笑む顔は暖かくて全てが慈愛に溢れていた。
「……っ……ではその旨を桃香様に伝えてきます」
 その笑みに自分の罪深さと彼女の強さを思い知らされ、ここにいる事が辛くなり一つ言葉を置いて急いで天幕を出る。
 歩き出した途端、愚かしい事にも涙が目に溜まった。
 ダメだ、こんなの。
 私は弱い。こんなことじゃあの人を支えられない。
 この重みを一人で背負わないとあの人の隣には立てないのに。
 強く自分に言い聞かせても心にのしかかるモノは軽くならなかった。
 桃香様の天幕に向かう途中、ゆっくりと歩いてくる秋斗さんを見つけた。
「……雛里、彼女たちはどうだっ……た?」
 立ち止まり、呼びかけられても顔を上げられず、直接目を合わせることが出来なかった。
 答えないといけないのに何も話す事ができずにいると、一つ二つと地面に水滴が零れだす。
 止まれ止まれと無言で呟いて、手を握りしめても、目を瞑っても、次から次へと溢れる雫は頬を伝う。
 突然ふっと身体が包みこまれる。
「大丈夫。溜めないでいい」
 あったかい。鼓動が重なる。心に落ちた鉄の塊がゆっくりと溶けて自分に染み込んで行く。
 背中を撫でてくれる手は優しくて
 温もりをくれる身体は暖かくて
 私も支えられている事を確認できて
 涙は自然と止まっていた。
 先ほどの内容と自分の気持ちをゆっくりと話すと彼は少し考えて、もう大丈夫だなと言うように私の頭を軽く撫で、桃香様を呼んでくるように言った。
 多くを語らないのは私のため。私が自分で背負えるようにと。
 一人一人が同じモノを背負って、それから支え合えるようにということ。
 私はまた一つ強くなれた気がした。

 †

 鳳統が少し泣きそうになりながら出て行った後に少し先ほどまでの事を思い出す事にした。
 ボクはしばらく月と泣き続けて、少しすっきりしたからか頭が軍師の思考を開始した。
 この先どうするか、月がどうしたいか。
 月に確認するとこの先の世界が作られるのを近くで見届けて責を少しでも果たしたい、との事。まさしく月らしい答えだった。
 ただその後に、
「詠ちゃん。この先もしかしたら徐晃さんはこの軍から居なくなるかもしれない。私はその時、徐晃さんに付いていこうと思うの」
 そんな事を言った。どうして、と聞くと、
「あの人が居ないなら、ここに居ても意味がないよ」
 なんて他の誰かが聞いたら少し勘違いされそうな事を口にした。
 でもその真意は理解できた。
 徐晃がいない劉備軍では本当の平穏なんか手に入らない。乱世を生き抜くには甘すぎる。あいつがいなければ群雄割拠を生き抜いての大陸統一という考えには至らないだろう。
 この乱れた世の事は負けたボク達が一番理解していると思う。本当なら劉備に食って掛かりたい所だけど……ボク達はもうそれを出来る立場では無い。
 最後まで生き抜く事を決めた以上はその可能性を下げる事をしたくない。何より軍内に不和をもたらすような発言をすればあいつに切り捨てられる事が予想できる。
 でも……あいつは、徐晃は異常だ。
 劉備の甘い思想に染まらずにただ一人現実と未来を見据えている。
 ほぼ最初期から近くにいるくせにこれといって影響されていない。そして何よりも内部で行っている事がおかしい。
 悪く言えば月が傀儡にされたように、劉備を傀儡にして軍を動かしている。
 良く言えば馬騰や孫策と同じように後継を成長させているともいえる。
 でもそんなめんどくさい事をする利はなんなのだろうか。大陸を統一するのが目的なら野心家で実力もある曹操の所にでも行けばいいのに。袁家さえいなくなれば今の大陸で一番輝くのはあの女なのだから。
 きっとあの女の目指すモノは自身による大陸の平定、支配。それに曹操自身も徐晃ほどの将ならば喉から手が出るくらい欲しいはず。
「失礼するよ」
 思考を繰り返していると一つ声を掛けて徐晃が入ってきた。
「うちの軍師から話は聞いた。……生きる事を決めてくれてありがとう」
 言いながら身体を大きく曲げて頭を下げる。感謝と、多分謝罪を込めて。
 こちらが何も言えずにいるとすっと顔を上げ、口を開く。
「賈駆、慌ただしくてすまないが少し君の頭脳と経験を貸してほしい」
「……何?」
 劉備がまだ来てないからボク達の身柄の行く先は後でということか。しかしこの男はボクに何を求めている。
「董卓を隠しながら戦った君は大陸で三本の指に入る政略家だろう。各諸侯の情報も多く入っていると思う。それを見込んで聞きたい。これから袁家はどう動く?」
 自分の事を大きく褒められて少し照れるが思考を開始する。
 こいつが気にしているのはこの軍の行く末。現時点で立ちはだかる最大の壁は袁紹。
 袁紹はこの戦の総大将となった事でかなりの評価がされるだろう。
 多分、袁紹は大将軍の位に抜擢されるはず。そこからどう動くか。
「袁家は連合を組んだ事で自分から帝と都である洛陽の価値を下げたわ。帝が居なくても連合が組まれ、帝がいても洛陽が攻められた。なら次に欲するのは自分達による大陸支配。多分、戦後処理が終わり次第、各諸侯を傘下に置く為に侵略を開始するでしょうね」
 間違いなくそう来る。あの欲深い一族が次を求めないわけが無い。
「クク、欲しいのはそんな曖昧な答えじゃない。次の大きな戦がどこで起きるかだよ、賈駆」
 徐晃の声を聞いた瞬間、背筋に悪寒が走った。
 こいつはやっと戦が終わったのにもう次の戦の事を考えてる。
 しかも次の戦がどこで起きるか確信していて、そしてボクの頭では次がどこになるか明確な答えを導き出していると、自分と同じだと分かっている。
「……幽州ね、間違いなく。後背の憂いを断ってから大陸を徐々に呑みこむと思う」
 背を伝う汗に不快感を感じながらできる限り平静を装って予想を話す。各諸侯の兵力、財力、統治者の思考、全て繋げるとそれが妥当だし一番的確だろう。
「ありがとう。ならもう一つ。俺達の今回の勲功でどこまで上がれる?」
 続けられた質問によって心の臓に冷たい手を這わされているような感覚に陥る。こいつはどこまで予測しているのか。
「……最大で州牧よ。あんたたちの今回の働きを考えるとボクなら間違いなく徐州に置く。陶謙より勢いがあって大陸の民の支持が高い劉備を置いて徐州に活気を与える」
 陶謙は少し老いすぎた。子孫にもあまりいい人材はいないし、何より今回の連合に参加しなかった事が大きい。
「……やはりそうなるか」
 何やら考え出した徐晃に少し質問を投げる事にした。
「あんたはどこまで読んでるの?」
 この大陸のこれからについて。
 ボクは無言で思考に潜っている徐晃の答えを焦らず待つ事にした。



 何が三国志とちょっと違うというのか。
 この世界は最初から異常だったんだ。情報を集めても、あまりに有名な将や為政者が少なすぎる。董卓軍には化け物武将が何人か足りなかった。
 性別反転を無理やりそういうモノだと呑み込んだ後、一番初めの疑問は白蓮に対して起こったモノだった。公孫賛は野心家だったはずだ。なのにあいつは違う。温和で、徳溢れ、侵略を行うモノには容赦しないが自分から簒奪する事など考えない。
 幽州にいる時に何度もお前のような公孫賛がいるか、と突っ込みかけた。
 今の賈駆の言葉でずっと考えてきた事を確信できた。
 この世界では幾人かの人物が統合、もしくは消去されている。例えば白蓮なら劉虞と合わさっている。
 現代の知識のみではそんなモノのこれからなど予測のしようがない。
 それに大局は変わらず、三国志の通りに進んで行くのならいいが、もしいくつかの戦までもが省略されているとしたらこちらも危うい。下手な手を打てば俺達が潰れる可能性が大きいのだから。
 正直、徐州の州牧なんてこちらから願い下げだ。袁術、袁紹、曹操に囲まれて詰みの状態になる。さらに徐州に呂布が逃げていると内にも外にも敵がいる事になり完全に終わりだ。
 先に袁紹と組んで官途で曹操と戦うという正史を少しいじった手もあるが、その後に肥大した袁家を潰す事が出来ないし呑みこまれるだけだろう。何よりも今回の戦の真実を知った桃香が袁紹と組むはずがない。
 先に曹操と袁紹で戦をされると完全に終わる。そのあとの逃げ道がないし、無理やり逃げたとしても莫大な犠牲を伴ってしまう。予測では、最低でも半数の兵や将が脱落するだろう。重要な戦略地である荊州の様子も未だに分からないのが怖い。今は情報不足が一番の敵だな。
 しかし……こんな状況でどうやって入蜀するのか。
 非常事態に陥ったなら曹操に保護を申し出るか? ……無理だ。正論で叩き潰され、逃げ道を無くされて、去ろうとしたらあの楽しそうな笑みを浮かべながら俺達の何人かに自分の元に来いと言われるだけだ。多大な恩を押し付けられて逃げられなくなるのが目に見えている。何より一番先に桃香が切り捨てられるだろう。
 どう動けば生き残れる。これからは降りかかる火の粉を払うだけじゃ生き残ることなんざできやしない。
 自分から動かないと何も変わらない。ここで歴史を捻じ曲げるか? しかし選択を間違えれば滅亡、さらにある程度の先が読めるアドバンテージを放棄する事になる。
 しかし現代の知識が自身の思考をここまで縛るとは思わなかった。一度視点を変えてみる、もしくは壊してしまうのも手かもしれない。
 なら……ずっと考えてきた他の方法を使うのが最善か。
 歴史に手を加えよう。切り捨てる覚悟はあるが保険は掛けておくべきだ。歴史通りでも、道筋から外れるにしても、どちらに転んでも生き抜けるのが一番大事なのだから。
「賈駆、俺にはそんなに先は読めないよ。軍師じゃないし。ただ目の前に迫るモノくらいはわかる。袁家をどうにかしないと早いうちに俺達が潰されるだけだってことくらいは」
「袁家をどうにかするなら劉備軍だけじゃだめね」
 賈駆が厳しい目で俺を見つめる。董卓は隣で静かに話を聞いていた。
「まあな。とりあえず俺達がどうなるか決まってからでないと本格的には動けないが……先手を打とう。公孫賛を使って」
 俺の言葉に賈駆は絶句した。まるで汚いモノを見るかのような瞳で見つめてくる。董卓はと言うと落胆した目で俺を見ていた。
「何を驚く? 乱世を終わらせるための犠牲に友を賭けられないとでも?」
 白蓮を切り捨てる事も考えているが同時に助ける事も考えている……だからこの方法を使うんだ。心にのしかかるモノを無視して軽く言葉を繋げる。
「お前達を踏み台にした俺が甘い事を言う訳がないだろう? それに捉え違いをしているようだが俺達が生き残れてあいつも救えるならそれが最善なんだよ。少し注意を喚起するだけ。俺は袁紹包囲網を作りたいんだ」
 続けた俺の話の内容を聞いて、賈駆は知性の宿った瞳で思考にふけり、董卓はほっと息をつき安堵した表情になった。
 曹操、公孫賛、劉備による袁紹包囲網。もし徐州に配属されたならの話だが。その時できれば後背の袁術に孫策をぶつけたい。あれは呉の地を欲しているから交渉がしやすそうだ。
「そのために俺は今から公孫賛のもとへ話をしに行く。戦が終わったすぐの、各諸侯の意識が次に向きにくい今じゃないとだめだからな。今回の戦の真実を話し、今後の大陸の予想を伝えて、袁紹対策として曹操と盟を結ぶように言おうと思うが……元軍師である君ならどう思う?」
 できればあいつに生き残って欲しい。そうすれば蜀の地を踏まずして二国によって曹操と戦える。
 歴史通り蜀漢を立てることも出来るだろうけどこちらの方が効率がいい。袁家討伐後、曹操が先に退場するか、組み込むことができれば後の大きな敵は呉のみ。呉よりも曹操と早期に決着を着けておかなければ懸念事項がどんどんと増えて行くだけだ。それまでに桃香が大陸を呑み込む決意を固めてくれればいいが……。
「……確かに曹操と公孫賛が組むだけでも袁紹を打ち倒せる確率はかなり上がるわね。劉備軍がどこへ行こうとこの先袁家は邪魔になるだろうし、ボク達の身の安全の為にも早く退場してもらったほうがいい」
 そう、董卓たちにとってもこれが一番最適な道だろう。
「でも曹操が断ったら……見捨てるしか無いわよ?」
 何が、とは聞かなくてもわかる。袁紹に対して白蓮達だけでは負けの目が大きすぎると言う事も。
 その事態はずっと考えてきた。甘い思考のまま幽州で別れを告げ、彼女たちの行く末がどうなるかの絶望に気付いてから。
 だが他人に事実として告げられると余計に心が重くなった。見せるな。これは俺だけが背負うモノだ。
「……分かってる」
 込み上げる吐き気を抑え付けて無表情でどうにか言葉を紡ぐ。
 分かってるよ。俺は友を見捨てる最低な奴だ。未来を知ってるくせにあいつらを救おうとしないクズだから。
 董卓の時とは違う。分かっていて助けないんだ。これは王の決断と同じなんだ。ずっと前から心に決めていた。桃香に強いているくせに自分が出来ないとは言わせない。
 ふいに董卓が立ち上がり椅子に座る俺の隣に来て……ゆっくりと抱きしめられた。



「徐晃さん、そんなに一人で溜め込んではだめですよ? 友達を切り捨てる事は確かに最低でしょう。でもあなたは精一杯救おうとしているじゃないですか。王というのは大切なモノも、自国の民も両方大事でないと務まりません。それに私達の時とその事は違うのですから気に病む事は無いんです。あなたは正しい判断をしてますよ」
 彼の瞳が悲しみに沈み込んで行くのが見ていられなくて、まだ起こってもいない事なのに心を砕いている姿があまりに小さくて、私は思わず抱きしめてしまった。
 そんな私を見た詠ちゃんは少しむっとしたがゆっくりと瞼を閉じ、口を開いた。
「あんた優しすぎるわ。多分ずっと予測していながら今まで黙ってたんでしょうけど、それは一人で抱え込むモノじゃない。まあこの軍じゃ仕方ないか」
 呆れた、というふうに肩を竦める。詠ちゃんもきっと同じ気持ちだ。
「後ね、考えが甘いわよ。盟を結べたとして公孫賛が先に攻めればいいけど後手に回れば曹操は何もしないわ。結局注意を喚起するくらいにしておいて、後は今後の様子を見ながら自分たちで対応していくしか手がないわ」
 言われて私も気付く。確かに曹操さんは空き巣を行うような事はしないだろう。あの人は正々堂々と敵を打倒することを好む。利が大きいなら盟を結び助けるだろうけど……難しいと思う。
 ふと気づくと私の手は彼の頭を撫でていた。
「っていうか月! いつまで抱きついてんの!? しかも頭まで撫でて!」
「あ! ご、ごめんなさい!」
 ぱっと離れて恥ずかしくてわたわたと手を振ってしまう。彼の瞳は少しだけ穏やかになったように見えた。
「あはは! ありがとう、二人とも。助かったよ。それとごめんな、もう戦場から離れた二人にこんな話して」
 不機嫌な顔で睨んでる詠ちゃんに向かって彼は言葉を紡いだ。私は頬が熱くて手を当てて冷まそうとしたけどあまり意味はなかった。
「ふふ、確かに変ね。もう軍師じゃないのにこんな話して。……徐晃、あんたがどんな奴かはよくわかったわ」
 苦笑した後に真剣な顔になり、その瞳の中には憎しみのかけらも無かった。
「そこまで、友達を切り捨てる覚悟まで持って大陸の平穏を考えてるあんたになら、ボクはちゃんと自分から真名を預けたい」
「わ、私も……仕方なくではなくてちゃんと心から真名を預けたいです」
 私達が言うと少し罪悪感が甦ったのか彼の瞳はまた暗く沈む。同時にそんなモノは欲深い偽善の心だと自分を責めているのかもしれない。
「……俺も平穏の世を望む君たちに真名を預けたい。俺の真名は秋斗」
 きっと彼から真名を言ってくれたのはその気持ちの表れだろう。
「月といいます」
「ボクは詠よ」
 真名を聞いた彼は少し懐かしむような顔になった。私達二人の真名が彼にとって何か思い出深いモノだったんだろうか。
「ありがとう。必ず平穏の世を作ってみせる。だからそれまで――――」
「それまで支えてあげるわ」
 言い終わる前ににやりと笑う詠ちゃんに違う言葉を続けられていた。そんな詠ちゃんのいじわるが少し可愛くて笑ってしまう。
「あとさ、あんたに聞きたいんだけどなんで他の軍に行かないの?」
 詠ちゃんの言葉に、面喰っていた秋斗さんは目を瞑り、何か悩んでいるようだった。
「それは――――」
「秋斗さん、入るよー」
 彼が口を開いたと同時に天幕の外から声がした。劉備さんが来たんだろう。
 声を聞いて詠ちゃんの表情が少し険しくなる。
「ああ、構わないぞ」
 返事を聞いて劉備さんと諸葛亮ちゃんと鳳統ちゃんが入ってきた。秋斗さんが椅子を用意して劉備さんを中心に皆それぞれ座る。
「えっと……お話は聞きました。お二人の身の安全は私達が保障します。でも……」
 言いよどんでいるのはきっと真名の事だろう。自分自身の全てと言っても過言では無い真名を預けると言う事は彼女に対しても多大な罪悪感を与えている。
「桃香、お前が優しいのは分かっているが二人の決断を穢しちゃダメだ。偽名を使おうとすればできるだろうが二人はそれをしなかったんだ。分かるだろう?」
 秋斗さんの厳しい口調に劉備さんが哀しい顔になる。それを見て少し険の取れた表情で詠ちゃんが答える。
「秋斗、ありがとう。気にしなくていいわ、劉備。ボク達は偽りたくないのよ」
 詠ちゃんの言葉は全てを言ってない。秋斗さんには、という言葉が抜けている。けど私も同じ気持ちだから何も言わない。
 彼の真摯な想いに対して私達は真名を預ける事を決めたから。劉備さん達は信用出来るだろうけど信頼は出来ない。
 でも、鳳統ちゃんはきっと別。多分彼女は秋斗さんと同じだと思う。詠ちゃんの怨嗟の叫びに、彼を心配して飛び込んできたのは彼女だけなのだから。
「うん、分かったよ。ごめん。私の真名は桃香。これからよろしくね」
 それは日輪のように明るい笑顔だった。きっとこの人はとても綺麗な心を持っているんだろう。だからこそ民が惹きつけられて、誰かが希望を持たずにはいられない人なんだ。
 「し、朱里といいます」
「ひ、雛里でしゅ」
 ああ、やっぱり雛里ちゃんかわいい。朱里ちゃんもかわいいけどおどおどしてる雛里ちゃんの方に目が行ってしまう。後で抱きしめてもいいか聞いてみよう。
「私の真名は月です」
「ボクは詠。それと……厚かましいお願いかもしれないけどボク達二人は基本的にこいつの侍女としてつけて欲しい」
 詠ちゃんの提案を聞いた秋斗さんは変な顔になり戸惑っている。朱里ちゃんは目の色が昏く落ち込み、雛里ちゃんは少しだけ不機嫌になった。
「……秋斗さんは小さい子に好かれるね。いいよ、秋斗さんも小さい子好きみたいだし」
「なっ……違うわよ! そういう意味じゃない! こいつの侍女としておいて貰った方が自然だからよ!」
 ほへーとした顔で桃香さんが言うと詠ちゃんが必死に反論を行う。
「おい、桃香。それは俺がロリk……幼女趣味だとでも言いたいのか?」
 ろり? 何を言おうとしたんだろうか。
 確かにさっきの反応を見ると朱里ちゃんや雛里ちゃんから好かれてそうだけど。彼は危ない人じゃない……と思う。
「……えへ」
「……はぁ、どうせ俺が否定してもお前の見解は何も変わらないんだろう?」
「うん。でも少し違うのも知ってるよ。秋斗さんはなんていうか……皆のお兄さんって感じだから」
 もう天幕内の空気は真剣さのかけらも無くなってしまった。緩い雰囲気が全体を包み、誰もが冗談を言い合えるようになった。
「とりあえず二人の事は決まったか。桃香、すまないが俺は白蓮と約束があってあいつの陣に行ってくる。叱られてくるよ」
 苦笑しながら楽しそうに言う彼の顔はきっと嘘。でも私と詠ちゃんしかそこに隠された事を知らない。きっと三人にはまだ言わないつもりなんだ。
「分かった。行ってらっしゃい」
 コクリと頷いて桃香さんに返すと彼は天幕を出て行った。
 その後、いろいろと細かい事を説明され、自身にあてがわれた天幕へと連れられた。


 ふう、と一つ息をついてそれぞれの寝台に腰を下ろす。
「ねえ、月。きっとあいつはそのうち壊れるわよ」
 唐突に語られた言葉は彼のこれからを予想しての事。
「あんなに耐えてまでどうしてこの軍にいるんだろうね。悪い事を企んでるわけじゃ無いと思うけど……」
 自分で考えても答えは出なかった。詠ちゃんも同じようで難しい顔をしながら唸ってる。
「詠ちゃん。きっとあの人がここにいるのも、私達が助けられたのも、全部天命なんだよ」
 私がそう言うと詠ちゃんは不思議そうな顔をした。
「あいつと出会ったのが天命?」
「きっとね、私達にはまだ生きてやる事がある。あの人にもここでやる事がある。そういう事」
 天から私に与えられた役目はなんだろうか。ただ生きる事に耐えられなくて誰かのために死んでしまう事を望んだ私に出来る事はなんなのか。
「……そういう事にしとく。まあ早いうちにあいつがなんでここにいるかちゃんと聞いとこう? さっき話しかけてたし教えてくれるでしょ」
 少し前の彼とのやり取りを思い出して、そういえばそうだったと思い至り、
「うん、そうだね」
 一つ返事を返して寝台に横になり目を伏せる。
 今まで自分が辿ってきた道と、これからの自分達について考えながらいると、いつの間にか眠りについていた。


 

 

酒宴にて、彼と彼女は


「おかえり、秋斗」
「秋斗殿、おかえりなさい」
「……ふん、おかえりください、バカ」
 一人だけ違う言葉を発するへそ曲がりがいたが陣に着き、私の天幕に来た秋斗を皆で迎える。
「……ただいま」
 目を丸くして驚いた後に少し苦笑して、でも心底楽しそうに言う。
 机の上には簡易料理と数多の酒。
 星が隠し持っていた分を全て吐き出させたら二つも机が埋まった。
「聞いてくれよ秋斗。星ったら酷いんだぞ?隠して持ってきてた分が多くてさ、この酒の八割がこいつのなんだ」
 私が言うと申し訳ないというように肩を竦めてみせる。少しも反省するつもりはないだろうけど。
「相変わらず酒が好きだな、星は。そういえば牡丹とは初めて飲むが大丈夫なのか? こいつガキなのに」
「バカにしないでください! 私だってちゃんと飲めるんですよ!? それにガキってなんですか!」
 食って掛かる牡丹をまあまあと手で抑え付けると一応大人しくはなったが未だに飛びかからんばかりの様子でいる。
「秋斗殿、牡丹はあまり強くないほうですがちゃんと飲めますよ。ただ……」
「ただ?」
 途中で星が言葉を区切ってちらとこちらを見やった。私に言えと? 仕方ないな。
「酔いすぎると……素直になる」
「え? 私はいつも素直じゃないですか」
 その発言に応える者は誰もいない。秋斗は不思議そうにこちらを見ていた。
「……まあいいか。とりあえず座ってもいいか?」
「あ、ああ、立たせたままですまない」
 秋斗は私の対面に座って一つ息をつき、気を抜いた表情になった。
 無茶を押した戦が終わって、桃香達とも真剣に話をして、さぞ疲れた事だろう。そんな当日に酒に誘った星も星だが応えた秋斗は何を考えている。
「さて、白蓮殿。お互い無事生き残ったことですし、酒もある。まずはすることがあるのでは?」
「おお、そうだな」
 星の一言に皆何が言いたいか分かったのかそれぞれ杯を掲げる。
「では……皆の無事を祝って!」
 皆で小杯の酒を飲み干す。きつい酒が疲れた身体に沁みる。やはりいいモノだな、こういうのは。
「ふぇ……きついお酒は苦手です」
「クク……やっぱりガキじゃないか。星、こっちの果実酒開けていいか?これなら牡丹も大丈夫だろ」
「構いませぬ。牡丹がそれを好きなので持ってまいりましたから」
「ぐぬぬ、ガキじゃないのに。そりゃあちょっと胸は……無いですけど。あ、星、わざわざ持ってきてくれてありがとうございます」
 わいわいと話す三人を見て自然と頬が緩む。ああ、やっぱりこういうの好きだ。
「白蓮、酒が回りきる前に真剣な話をしたい」
 全員に二杯目が注がれたのを確認して秋斗が言う。
「どうした?」
「酒がまずくなる話なんだが我慢してほしい……この戦の正確な情報をある筋から確認した。少し長くなるが――――」
 私達三人は静かに秋斗の話に聞き入った。そして驚愕する事になった。



 覚悟はしていた。参加の時点でどちらの可能性も牡丹と星から示唆されていたから。
 董卓には同情はする。罪悪感も確かにある。だが自国の未来を守るためなのだからと割り切っている。私の一番大事なモノは家たる幽州の平穏なのだから。
 しかしあの洛陽大火まで連合の策だとは思いもしなかった。星は話を聞いた途端にギリと心底不快そうに歯を噛みしめ、牡丹は凍りつくようなまなざしになった。私もこみ上げる怒りに叫びそうになった。
 秋斗は戦の最中に気付き、だからこそ無茶を押し通したと言う。
 民に被害を与える非情な策。そんなモノは許せるはずがない。だが……
「バカ。お前はそれでも行っちゃいけない。その時はお前の予想だけで正確な情報が無かったんだろう? 確かに民を救うのはしなくちゃいけない事だけど自分を捨てるのは違う。私達だって頼ってよかったんだぞ?」
 きっと星にも、牡丹にも、鳳統にも言われただろうけど私も言っておきたい。それにあの時目の前を通ったんだから助けてくれと言って欲しかった。
「ありがとう。誰かさんに見抜かれたが俺は自分で抑えが効かなかったのもあった。心配かけてすまない」
「ふん、やっぱりバカはバカですね」
 牡丹は一つ毒づいてグイと果実酒を煽る。すでに中々の量を飲んでいるが大丈夫か?
 自分も同じように煽った酒は少し不味く感じた。私はこいつにとってそんなに頼りないのかな。
 ふと考えると秋斗の異常さに目が行った。そういえば秋斗はいつも一人で行動しようとしていたじゃないか。私達と劉備義勇軍の交渉、繋ぎ役をしている時も一人だけ寝る間も惜しんで懸念事項の解決に取り組んでくれていた。桃香にも、諸葛亮にも、鳳統にも相談せずに。
 今は大丈夫なのか? ちゃんと周りに頼っているのか?
 そう聞きたいが何故か聞くことが出来なかった。
「それとな……この先の乱世について話そうか。次の戦について」
 唐突に切り出された言葉に唖然とする。こいつはやっと戦が終わったのにもう次の事を考えているのか。
「……秋斗殿、さすがに今くらい戦乱の事は忘れませんか?」
「いや、今じゃなきゃダメなんだ。他の、袁家の目が薄いだろう今日じゃないと」
 戦後間もなくの今日なら気の緩みなども相まって、確かに各諸侯の目は薄いだろう。しかしこいつがわざわざ私達にするということは――――
「……次の戦の地が幽州である可能性が高いんだな?」
「さすがだな白蓮。軍師の見立てではほぼ確実だろうとのことだ」
 ほう、と感心してからこちらに言う。あの二人の見立てならば確定だろう。
「……悔しいですがお前の所の軍師達の予想なら聞いておくべきですね」
「確かに。最初からキナ臭かったこの戦、その後の乱世の事も考えて起こされたと言っても不思議ではありませぬ」
 星と牡丹も納得したのか真剣な顔で思考を巡らせ始めた。
「此れよりは戦国乱世。どの諸侯も信頼できず、欲と野心渦巻く中で生き残らなければならない。
 今回の戦の真実から予測するに欲しいモノが手に入らなかった袁家が次に狙う先は天下統一。河北三州の一部を手に持つ袁家がこれから先、領土を押し広げてから真っ先に狙うのは後背の憂いたる幽州だと考えるのが妥当だろ?」
 なるほど、確かにその通りだ。麗羽は悪い奴じゃないが袁家は腐ってるからな。麗羽はあそこに生れ落ちてしまったのが最大の不幸だろう。バカにならなければやってられなかったのだから。
「……牡丹、星、先に言っておく。私は袁家には従わない」
 二人を見て言うと強い瞳を携えてそれぞれが頷いた。
「嘘つきに大陸をやるわけにはいかない。義無きモノに屈する事は私の矜持に反するし、己が欲のために民を犠牲にするような奴等の仲間になんかなりたくもない。私の家が骨の髄まで搾り取られる事は目に見えているしな」
 牡丹の顔がいつもの如く蕩け、星はというとにやりと不敵に笑った。
「……それでこそ我が主」
 呟かれた一言に詰まった想いはどれほどのモノなのか。星から認められる度に、私の弱い心は歓喜と不安に包まれる。
「お前の期待に応えるのにはいつも必死だよ」
「安心なされよ。未だ脅威は去らず、時機はまだ遥か遠くに。幽州すら守れぬモノが、どうして大陸を救う事が出来ましょうか」
 星の言葉に秋斗は不思議な顔をしていた。そういえばこいつは本当の事を知らないんだったな。
「ああ、秋斗。確かに星は私に、いや私の心の在り方に忠誠を誓ってくれた。だが幽州が安全だと判断できて大陸を救う事が出来る時機が来たなら、私の元を離れる事を約束しているんだ」
 本当ならこの戦の後にでもお前の元へ行くはずだったんだが、とは言わないでおく。
「クク、相変わらずおもしろいなお前達は」
 きっとこいつもわかっていたんじゃないかな。星が何を為したいかを。
「……大陸に真の平穏がやってきたら、私達の家に帰って来てのんびり暮らすと約束してください」
 急に牡丹が真面目な顔をして話す。その瞳は涙で滲んでいた。
「できるならそうしたいな。じゃあ、俺からも。絶対に生き残ってくれ。白蓮達がいる限り幽州は、家はそこにあるんだから」
 こちらを見る目には強い光が宿っていた。
「ああ、約束しよう。願いの通りだ」
 そう言うと四人でそれぞれ杯を掲げ、合わせて中身を飲み干す。
「ふふ、大丈夫ですよ! 白蓮様はこの私が命に代えても守ります!」
 フンス、と胸を張って言う牡丹に星が何故か吹き出した。
「……っ! 牡丹、クク……無い胸を張っても……虚しいだけだろうに」
 自分のたわわな胸を強調して、こちらもちらと伺ってから星が言う。おい、それは私に対しての嫌がらせも込めて言ってるんじゃないのか?
「胸の大きさは関係ないでしょう!? もう! 星はいつも意地悪です! 白蓮様ぁ、胸が小さくたって大丈夫ですよね……」
「一緒にするな。私にだって……少しはあるんだ……」
 くそ、自分で言って嫌になるぞ。
「星、お前に教えてやろう。貧乳はな、希少価値なんだ。それに大きい胸は夢が詰まっているが、小さな胸は夢を与えているんだ」
 秋斗がいつになく真剣な表情でふざけた事を語り、星と牡丹はじとっと睨んだ。対して私はなるほど、と変に納得してしまった。
「……そんな白い目で見るなよ」
「まあ、あなたの愛しの雛里を見ればわかっていた事ですがさすがに……」
「変態ですね。お前に近づいたら危ないと言う事がよくわかりました」
 口々にけなすと秋斗がみるみる落ち込んで行く。助け舟を出しておくか。
「そう言ってやるな。秋斗は胸の大きさで女を見るような奴じゃないのは知ってるだろう?」
「……冗談ですよ」
 絶対に本音も混じってただろお前ら。
 皆はそのまま緩い空気を壊さぬように談笑を続ける。先ほどの話も一旦終わったと言う事。ここよりは友によるただの酒宴。
 戦の後は生きている事に感謝して笑わなければならない。
 生き残った事を実感するために。
 殺してしまった敵に対して。
 死なせてしまった兵に対して。
 それが自分達がしなければいけない事なのだから。
 私達は皆それをよく分かっている。
 ひとしきり笑いあい、酔っ払うと、私はいつの間にか眠りこけていた。

 †

 酔い潰れた牡丹と白蓮殿を寝台に寝かせ、二人で酒を嗜んでいた。
 先ほどまでの喧騒とは打って変わった静かな空間。私はこのような酒の楽しみ方も好きだ。きっと秋斗殿も。
 目を合わせず、語らうこともせず、時たま聞こえるコクリという嚥下の音が今はただ愛おしい。
 ちらりと彼を覗き見るとその瞳はあらゆる感情が渦巻いていた。
 何故そのような眼をしておられるのか。
 口に出す事は簡単だが、この空間を壊す事が億劫でする気になれなかった。
 今度はじっと見つめてみる。
 気付いて欲しくて。
 あなたの事が心配だ、あなたの事を教えて欲しい、私の事も見て欲しい、私の想いを……。
 こちらに気付いた彼はふっと微笑みを零す。しかし何も言ってはくれない。
 彼は私と同じような人だ。
 最初に出会った時は不愉快だった。
 武人としての力量はその体運びからも見てとれた。なのにその武に誇りも持たず、自身無さげに弱々しく兵に指示するだけ。愛紗と同等とはいかずともそれに近いと見て取れたのに試合の申し込みにも逃げ腰。
 私は愛紗の武を貶める彼が許せなかった。そして抑えきれず彼を挑発した。結果は引き分け、実に見事なモノだった。
 終わった後、彼の表情は急に代わり、男らしくなった。
 兵が死なないために一緒に強くなろうという彼は少し変だった。しかしその力量と心持ちに真名を許してもいいと思えた。
 興味本位と立場上、彼と共にいる事が多くなり、お互いの本質が似ている事に気が付いた。
 そしてあの初戦。私は彼の弱さを見た。
 きっと私と雛里しか知らない彼の本当の姿。
 今はもう見せてはくれないのだろう。私には見せてくれてもいいのに。
 そうした思考の果てに、自分の一つの感情が心を支配した。
「秋斗殿、何か思う事があるのなら聞きましょう」
 支えたい、少しでも。話してくれないのなら今回はこちらから譲歩しよう。
「……星にも敵わないなぁ」
 苦笑しながらの呟きは誰を思っての事なのか。どうせ我が恋敵であろう事は分かりきっているが。
 一つ大きく深呼吸をして彼は話し出した。
「もう戦の話はしたくなかったが聞いてくれ」
 あくまで自分の事は話さないのか。少し呆れたがコクリと頷いて先を促す。
「内政干渉になるから一人言、とでもしておいて欲しい。白蓮には曹操と盟を結ぶ事を勧めたい。今後の為に」
 袁紹対策の一環であることはすぐに分かった。しかしあの曹操が簡単に応じてくれるとは思わない。
「……まあ、お前達で煮詰めてくれたらいい。あと……牡丹と星が心配だ。特にあいつは今回の俺と同じような事をしそうだ」
 最悪の結末を予想しての事。きっとあれならする、間違いなく。私も当然する。それが武人というモノだ。
「ですが牡丹も私も武人、戦場で死ぬ覚悟などとっくに出来ているのは分かるでしょう?」
「……そうだな。悪かった、覚悟を貶めて」
 素直に謝る彼に少し違和感を感じる。何に、とは明確なモノは見えない。
「クク、自分がしたのに心配するとは……あなたはまっことおかしな人だ」
 彼の優しさなのだろう。ああ、私達も同じように想われているのだ。
「ホントにな。だけどさ、友を心配するのは当たり前じゃないか」
「ありがとう、秋斗殿。必ず皆で生き残ってみせます故、安心して下され」
 大丈夫、きっとうまくいく。いや、共に戦えない彼の想いも胸に、私が守りきってみせよう。
「さて、そろそろ自分の陣に戻るよ」
「おや? このような絶世の美女と酒を飲める機会などあまりありませんぞ。愛紗のような堅物では話もままなりますまい」
 もう少しだけ一緒に居たくて、わがままを言ってみる。
「確かにまだ飲みたいのはあるんだが……」
 悩んだ末、彼の返答は否になるだろう。もう少し……わがままを言ってみよう。
「なんと、美女からの誘いを断るおつもりか。普通なら閨に誘うくらいしてもよろしいでしょうに」
 そうなったらどれほど嬉しい事か。戦後にこの場でとはいささか雰囲気が足りないが。
「茶化すな、星。申し訳ないが今回はここまでにしとくよ」
 予想はしていたが断られるとさすがに少し気落ちした。
「またの機会に、という事で手を打ちましょう。酒の席も、閨も」
 最後の一言に彼は大きくため息をついた。この鈍感男はどこまでも腹立たしい。
「最後のは看過できないが……ありがとう。ではまたな。二人にもよろしく言っておいてくれ」
 そう言って彼は天幕を一人出て行く。私は追いかけることもしない。
 一人の友が去った後に残ったのは自分の主と友の静かな寝息。
 静寂が深まった心に寂寥感が込み上げて残った酒をグイと煽った。
 追いかけたい衝動も共に飲み干せるようにと。


 †


 考えが足りなかった。
 甘いぬるま湯に浸っていた。
 覚悟を決めたと思っていた。

 現実から目を逸らしていたのは誰か。
 先の事を深く考えなかったのは誰か。
 甘えた思考をしていたのは誰だったのか。
 自分は甘すぎた。
 こんなにも心が張り裂けそうではないか。

 耳に未だに響く怨嗟の声。
 目に未だに焼付く零れる涙。
 心に未だに圧しかかる幾多の想い。
 最後に一つ、誰もに言われるであろう言葉が継ぎ足される。

 嘘つき、と













~蛇足、酔っ払い牡丹ちゃん~


 酒が進むに連れて牡丹の顔色が真っ赤に染まった。これはいつもの事、だがここからが問題だった。
 何を思ったのか急に立ち上がった牡丹はとてとてと秋斗殿に近づき……その膝の上に正対して腰を下ろす。
「ねぇ……私の事嫌いなんですか? だから私達の所に帰って来ないんですか?」
 頬を撫で、上目使いで問いかける牡丹の奇襲に硬直してしまった秋斗殿は表現しがたい顔をしている。おもしろいのでこのまま放置しよう。少し、羨ましいが。白蓮殿はすでに机につっぷして眠りこけていた。
「ねぇ、秋斗。答えてください。私のことどう思ってるんですか?」
 酔った牡丹の追撃は続く。早く何か言ってやらねば取り返しのつかない事になりますぞ。
「え……っと、その……」
「言いよどむって事はやっぱり嫌いなんですね!? 秋斗は私の事嫌いだったんですか! そんなの……うぅ……ふえぇ……うわぁぁぁん!」
 ああ、やはり泣き出してしまった。
「いや、違う! 牡丹の事は好きだぞ!?」
 いけませんな秋斗殿。その手も悪手。今の牡丹に対しては。
「ぐすっ……ホント?」
「本当だとも。だから泣くな」
「……えへへ、じゃあ帰って来てくれるんですね?そうしたら無茶なんかさせられずにずっと一緒にいれますし何より幸せです白蓮様と星と秋斗とずっと幽州を守っていくんです理不尽な侵略を全て跳ね除けて幽州を大陸一の場所にするんです朝には白蓮様と一緒に起きて夜までずっと一緒ですそりゃあ秋斗との時間も星との時間もたくさんとりますよけど白蓮様がやはり一番なのでそれは仕方ない事ですよねでもでも四人でいたらそれも解決されるじゃないですかそうですねそうしましょうそれが一番ですし――――」
 息継ぎもせずに話し続ける牡丹から目を離し、助けてくれというようにこちらを見て来るが知らぬ存ぜぬと顔を背けておくことにした。
「もう、ちゃんと目を合わせて下さい」
 両頬を拘束され彼は無理やり牡丹と目線を合わせられていた。
「……」
「……」
 何やら無言で見つめ合っているが少し雰囲気がおかしい。おい、牡丹よ。何故顔を近づけて行く。
 さすがにこれ以上はまずいと思いすかさず牡丹を引きはがす事にした。
「ちょっと、星! 何するんですか! あなたも同じようにむぐっ」
 言葉の先を続けさせないように手で口を塞ぎ、
「牡丹、静かに、飲もうな?」
「ごめんなさい」
 耳元で囁いて手を放してやると素直に謝り席に戻る。
「いつもこんななのか?」
「割と」
「……おつかれ」
 呆れかえり私を労う秋斗殿と杯を交わし合い、楽しい夜は深まって行く。

 

 

黒麒麟の右腕

――――――許さぬぞ

 真暗な場所の中心にて、昏い怨嗟の瞳を携えながら目の前に立つ一人の女が呟く。

――――――まだ気付かないではないか

 その声はあらゆる負の感情を表すかと思うほど重く、冷たい。

――――――我らの想いはどこへ行く

 彼女の後ろに現れるは自身に忠誠を誓う隊員達と今まで殺した髑髏の軍勢。燃えるような紅い光が数多の瞳と空洞の中に揺れている。

――――――返してよ

 横を見ると眼鏡をかけた少女が涙を零しながら叫んでいた。

――――――こんな世界に生きていたくない

 その隣に並ぶ白銀の髪を流した少女が虚ろな瞳で呟いた。

――――――騙していたのですか

 逆から放たれるは燃えるような憎悪を叩きつける軍神の言。

――――――やっぱり悪い奴なのだ

 純粋無垢な赤髪の少女は落胆の言葉を口にする。

 幾多の人々が、多くの眼が、自分を突き刺す。
 込み上げる恐怖に耐えきれず振り返ると一筋の光が見えた。あそこまで辿り着けば、あの場所まで行けば己はきっと救われる。
 意識してか、それとも無意識か、自然と脚は地を蹴り、ただ逃げ出すように走り出した。
 しかし迫りくる膨大な感情の渦は、黒い津波となりて己を呑み込まんと追い立てる。人の津波の中、全ての顔に三日月型に開いた口を携えて。
 どれだけ逃げたか、どれだけ駆けたか分からない。呑まれずにやっとの事で辿り着いた先にはいつも己を支えてくれた一人の少女と、三人の心許せる友が立っていた。
 安堵が心を包み、ほっと息をついて皆に話しかけようと近づく。友の三人はこちらに気付かないのか何故か俯いたままであったが、少女だけは己に向かって一歩踏み出す。
 彼女は顔を上げ、涙を溜めた瞳は怨嗟の炎に染まっていて、ただぽつりと……一つの言葉を投げ渡した。

「嘘つき」





「……っ!」
 跳ね起きた場所は自身の天幕、先程まで居た暗い場所ではない。痛いくらいの静寂が包むその場所にて、瞳から傍多の涙を零す彼の息は荒く、身体の下では膨大な汗が寝台を濡らしていた。
 脈打つ心臓の鼓動と心に圧し掛かる恐怖と絶望からか、彼は片手で胸を抑え付けて頭を垂れた。
 震えるもう一方の手で掛け布を握りしめ蹲るその姿は、何かに祈るようにも、許しを請うようにも見えた。
「……うぅ……っ!」
 込み上げる吐き気を抑えきれず掛け布に腹の中身を全て戻すと、汚れる事も意に返さずに彼は蹲ったまま、嗚咽を漏らしながら震え始めた。

 †

 昨日の酒か先ほど見た夢によってか頭痛が酷い頭を押さえ、汚れてしまった服を着替えてから自身の天幕を出た秋斗は、気付けのために陣内を歩いていると最も信頼を置く部下を見つける。その男の厳めしい顔付き、巨大な体躯、盛り上がった筋肉は見たモノ全てに威圧感を与える事が予想される。
「副長、おはよう」
 副長と呼ばれた男は後ろから掛けられた声に振り向き、秋斗の姿を確認してから軽く会釈をする。彼の身体では軽くといっても人より大きな動作に過ぎるだけだが。
「おはようございます、御大将。……昨日の夜に何かあったんで? ひでぇ面してますが……」
 顔を上げて自分の主を良く見ると、余りに生気の無いその表情に違和感を感じ、思わず敬語も使うことが出来ずに疑問の言葉が口を突いて出た。
 戦の後にはいつも心を痛め、自身を責め抜いている事は知っていたが、さすがに今回ばかりは異常すぎて看過できない。
「気にするな。少し深酒が過ぎたのか眠れなかっただけだ。星の酒好きは知っているだろう? それよりも昨日の夜は隊の指示をお前だけに任せて悪かった。後、今日の洛陽に配置する人選だが―――」
 一つ謝った後、いつも通りに自分達の仕事の話を説明し始める主の話を聞くが、やはり感じ取れた違和感は拭えない。
 主の友が大の酒好きである事は幽州にいる時から分かっている。しかし原因はそれではなく、もっと精神的な何かである事は人の心の機微に疎い自分でも簡単に理解出来た。
 淡々と説明を続ける主の言葉はいつの間にか自身の耳には届いておらず、何がこうなった原因かと思考を巡らせ続けてしまう。
「―――ってな感じで行こうと思う。……副長?」
「……っ! 呆けておりました! 申し訳ありません!」
 己が主の呼びかけにハッと思考の迷路から現実に引き戻され、説明を聞き逃していた事を謝罪する。
「……謝らないでいいよ。それよりこちらこそすまん。俺はどうやら嘘が下手らしい。心配してくれてありがとう」
 本来ならば侵すはずのない重大な失態を起こしてしまった副長に対して、ふっと微笑み礼を口にする彼の表情は少し穏やかだった。
 他人の心が読めるのではないかと思うほどに人の機微に聡い彼は、共に過ごしてきた時間とお互いに寄せる確かな信頼から副長の心の内を見透かし、今回のような失態を責める事はない。
「あんまり無理すんじゃねぇよ。御大将、憂さ晴らしくらいは付き合うぜ?」
 それに対して副長はおよそ自身の主に向けるべきではない話し方で気遣う。部下としてではなく人同士の付き合いの時は口調を砕いていいと言われていた。故に副長は戦友として、一人の男として彼に優しく話す。
 そしてそれ以上何も言わないのは彼の事をよく分かっているからこそ。
 確かに人に頼るのは信頼の証だろう。全く頼らないのは人によっては心の繋がりが薄いと取られかねない。だが彼の場合は違うと言える。何も話さないからこそ、自身で抱え込むからこそなのだ。信じていない、のではなく信じて欲しい。それが不器用で優しい彼の信頼の証明。
 副長はそれを分かっているからこそ何も聞かず、ただ自分が出来るであろう事を提案する。
 秋斗は言われて目を丸くし、次に遅れて苦笑が漏れ出る。
「クク、いつも世話になるな。だが平原に帰るまでは俺の無理に目を瞑ってくれ。帰ったら……そうだな、隊の皆で何か気晴らしでもしようか」
「あんたはホントに……了解いたしました」
「ありがとう。ではもう一度説明する。今日の―――」
 二人には多くの言葉はいらない。語らずともお互いの心は分かっている。
 秋斗と副長は微笑みを携えながら互いのすべきことを確認し、それぞれ二手に分かれて眩しい陽ざしの中、徐晃隊に指示を出すために動き出した。

 †

 兵に指示を出し続け日輪が中天に輝く頃、捕虜として軟禁していたが御大将の侍女として働く事になった二人の少女から昼食を配給され、それを味わいながら己が主との今までを振り返っていた。
 最初は気に入らなかった。ひょろいくせにたっぱは俺と同じくらいで、いきなりやってきて、
「えーと、俺は徐晃、徐公明という。これからお前さん達の隊長をやらせて貰うからよろしく」
 なんて事を口にした。
 しかし御大将の指示する訓練は的確で中々だとは思った。いう事など聞くかという態度の俺達にもビビらずに諭してきた。
 だがもっと気合を入れとくべきだったな。あんたの受け持つ隊は荒くたい俺の仲間がほとんどなんだからこっちは屁でもねえぜ。
 そんな事を考えながら適当に流し、訓練が終わると落ち込んでいた御大将に張飛様が近づいていった。
 関羽様が続いて近づき……なんと勝負を挑みはじめた。しかしその時の御大将はビビッて逃げ腰。確かに関羽様と勝負などできる男はいるはずもなかったが。
 ビビっている御大将に趙雲様と張飛様が焚き付け、遂にキレた御大将は関羽様に対して簡単に倒せるような口ぶりで逆に挑発し返した。
 身の程を知れよバカが。その時は周りの誰もがそう思っていた事だろう。
 戦いが始まり……俺達は驚愕する。二人は見るモノ全てを魅了するように舞っていた。
 関羽様は力を抜いているのは見てとれたが御大将はそれに余裕で合わせ、さらには涼しい顔で互いに力を確かめ合っていた。
「おい」
 いきなりの声で舞は途切れ
「お前、本気だせよ。じゃなきゃ負けるぞ」
 御大将から放たれた言葉でその場の雰囲気が一瞬で重厚なモノに変わった。
 ゆっくりと剣を上げ水平に構え、離れて見ている自分でさえ寒気が抑えられなかった。そこには人を殺さんとする者が放つ気が収束し、少しでも動けば自分が殺されるのではないかと錯覚するほど。
 関羽様の身体からも同等の気が放たれた途端に先に移動し突きを放っていた。関羽様はそれを紙一重で避け試合では使うモノではない速さの斬り上げを放つ。
 長く続いたがそれはもはや殺し合いだった。美しく、力強く、相手を死へと誘う舞。
 激しく大きな金属音が響き二人は離れ、その表情を確認すると……なんと笑っていた。
 男がそこまで戦えることに俺の心は歓喜に震えた。
 戦が途中で止められ、俺と俺の周りの奴らは一斉に膝を着いた。皆気持ちは同じだったんだろうな。
「我らはあなたと共に戦いたい。その武に我らは従いたい」
 自然と口からそんな言葉が漏れていた。
 御大将は俺たちを見回し、優しく微笑んで俺達の犠牲を減らすために共に強くなろうと言った。
 本当に変な人だ。正義の為でなく、戦いに出るのに自分の命を大事にしろと言うなんて。だが何故か凄く惹きつけられた。


 一番重要な出来事は初めての賊討伐の事。
 ビビってるかと思ったら案外大丈夫そうで、行く道でも普通の様子に見えたが、行き先の村から煙が上がっているのを確認するやすぐに助けに行こうと急き始めた。
 しかし逸る心を無理やり押し込んで幼女軍師様から指示を聞いて、口上とは思えないような粗雑な言葉を放って俺達を率いた。
 戦場を抜けて行くうち、俺は始めて心の底から恐怖した。圧倒的な死を手渡す狂気に。
 普通の奴なら笑って殺す。殺人の狂気に愉悦を見出すはずなのに御大将はただ無表情で淡々と作業を繰り返していた。
 斬る度に心が冷えていっている。あの方は壊れかけている。安穏な暮らしをしてきた人にはきつすぎたんだ。優しいあの方の心はもう戻らないかもしれない。
 そんな不安が心を満たしたまま戦が終わり、鳳統様が広場にやってきた。
 泣きじゃくる少女を抱きしめる御大将の瞳には覚悟の光が宿っていて、俺はその奥に呑み込まれた。その瞳には昏い炎ではなく透き通った想いが宿っていた。
 村を出て、賊の拠点を制圧し終わった後、何故か俺達だけ集められた。
「お前らに問いたい。それぞれ守るモノはあるか?」
 御大将の言葉に全員が頷く。皆それぞれが何かを守りたいから立ち上がったのだから。
「そうか、命を捨てる覚悟もあるのだろう。ならば俺の想いを聞け」
 そう言うと大きな声で語り始めた。
「俺はお前らにこれからも人を殺せと命じる。この腐った世の先に平穏を作るためにお前らを人を殺すクズになれと駆り立てる。その責は全て後の世の平穏にて贖おう。死の淵に立った時、俺を憎んで、怨んでくれ。途中で果ててしまう者もいる、投げ出す者も出るだろう。だが平穏を願う意思は全ての者が持っているはずだ。殺された賊でさえ本来なら幸せに生きていたかったはずだ。ならばその想い、全て俺が連れて行く。乱世に咲く想いの華を集めて平穏の世に供えよう。俺は、平穏に生きたかったという想いを繋ぐために戦う。お前達はどうする! どうしたい!?」
 その語りは雷鳴の如く俺の心に響いた。
「俺の心はあなたと共に!」
 気付けばそう叫んでいた。皆も口々に声を上げ、心は一つだった。
「ならば心に刻め! 乱世に華を! 世に平穏を!」
『乱世に華を! 世に平穏を!』
 俺はその時心の底からの忠誠を誓った。彼こそが俺が掲げるべき御大将であると。御大将のためなら俺の命を捧げられる。

 遥か昔の事のように感じて懐かしんでいるといつの間にか自分の昼メシは無くなっていた。
 ここまでいろいろあった。長きにわたる黄巾との戦でも、旅立ち、別れを告げる数多の仲間から想いを託されてきた。
 今回の戦に於いてもたくさん犠牲になった。もはや俺達は立ち止まることなどできやしない。
 俺に出来る事は御大将が壊れないように、少しでも負担を減らせるように動くだけ。
 あの方のマネをして似合わない敬語も覚え、寝る間も惜しんで兵法を学び、何度も言われた事を復習して知識と経験を高めてきた。
 ひたすら突っ走っている内に副長に任命され、その時は泣いて喜んだ。真名は預けているが俺はいついかなる時も右腕でありたいがために副長と呼んでくれと願い、それも受け入れてくれた。
 きっとこれから先もずっと変わらない。
「副長、昼は済ませたみたいだな。午後からは徐晃隊に休息を与えるからお前もゆっくり休んでくれ」
「御意」
 後ろから掛けられた声にゆっくりと立ち上がり、一つ会釈をして返答を口にする。

 願わくば、この乱世の果てに御大将の望む平穏のあらんことを。
 願わくば、強くて弱い、優しい彼にも安息の日々を。
 

 

夕暮れ、後に霞は晴れ渡りて


 夏候惇との一騎打ちに敗れた張遼は曹操軍に降り、呂布や陳宮も抜けた洛陽での戦にはもはや主だった将はおらず、残党の制圧を残すのみとなり、張遼が降った事を知った残党は烏合の衆に等しく、制圧はあっけなく終わった。
 桂花とは一寸だけ目が合ったが、何かを決意したのか強い眼光で私を射抜いてきた。負けないわよ、と言うように。
そんなに噛みつかなくてもいいのに。あなたとあなたの主は袁家の改善には必要不可欠だからそっちを私達が叩き潰した後で下に付いて欲しいな。
 会話もせずにそんな思いは伝わるはずも無く、私がすっと目を逸らして田豊隊と袁紹親衛隊に指示を出し始めるとすぐに別の所に行ってしまった。
 そんな折、一つの報告が私の耳に入った。
「田豊様。郭図様が洛陽内部にて策略成功、後処理はこちらでやっておく、との事です」
 一番耳にしたくない名前を聞き、込み上げる不快感に思わず顔を顰める。
 あのクズ……私達の本城にいると思ってたけど最初から入り込んでいたのか。通りで時機が的確に過ぎると思った。しかし成功といいながらもあのクズは詰めがなってないはず。わざわざ報告を私の所に送ったのはそれを隠すためだろう。どうせ董卓や賈駆を捕えられず、それを誤魔化す為に適当な人を殺して仕立て上げようとしているに違いない。
「ん、わかった。下がっていい」
 これ以上関わりたくない気持ちと、あれは私が何を言っても反発するのが目に見えているので短く返答を行い伝令を下がらせ、一つ大きく息をついて、隣で未だ震えている麗羽の方を向いてこの後の動きを言っておく。
「本初、顔良は既に洛陽内に向かわせた。これから文醜も向かわせる。明には城外で私達と共に制圧の指揮を執って貰う。その後、最後に堂々と連合総大将として洛陽に入るから公路に伝令も送っておこう」
 こちらの意図は分かってくれるだろうか。麗羽も頭が悪くは無いからこれを機に学んでいってほしい。少し考えさせてみよう。
「どうしてそうするか……分かる?」
 尋ねると彼女は青ざめた表情のままだったが、コクリと一つ頷いた。
「……そうですわね。何も関係ありませんわ」
 麗羽の一言で全てを理解しているのが分かった。彼女はやはり頭がいい。思考させるまでもなかったか。
 二枚看板と謳われる二人を洛陽内に送ることで民にこちらの助けたいという気持ちを示し、自分達が残る事で強力な将がおらずとも戦を最後まで行いきった姿勢を見せる。その後、堂々と入ることで洛陽大火が袁紹軍とは関係ない事をしっかりと意識づけ出来る。根回しくらいしているはずだからこれで問題ない。
「さすがは本初」
 短く褒めると私の言葉の真意を悟ったのか自身の震えを抑え付けて胸をキュッと強調するように突出し、不敵な笑いを携えた口の傍に優雅な仕草で手を添える。
「お~っほっほっほ! 当然ですわ! このわたくし、華麗なる袁本初はせっかちで胸の残念な華琳さんと違って威厳に溢れているのですから! 加えて、寛大なわたくしが戦場の後始末くらい引き受けてさしあげますわ!」
 続けて高笑いする彼女を見ると、その眼尻には涙の雫が一つ浮かんでいた。
 傀儡としての役目は、ずっと彼女の心をじわりじわりと蝕んでいる。呪いにも似た精神的な重圧は、もはや日常に於いても非日常においても彼女を縛り付ける。彼女の涙の意味は自身への戒めと罪悪感の大きさを表していて、同時に自身への悔しさも見て取れる。
 彼女に掛かった大きな呪縛が解ける時、それは私達皆が助かる時だ。
 それにはまずあれが欲しい。あれなら麗羽を支えられる。政治的な負担も軽く出来るし、何より麗羽に対して全力で自分の心をぶつけてくれる存在だから。
 大陸で勇名を馳せている他の誰よりも……幽州の公孫賛が欲しい。
 ただ少し問題がある。この洛陽大火の事実を知られたらまずい。彼女は義の人だから悪徳を行う袁家には従わないだろう。それと……もしかしたらあのクズはもう既に幽州内部に毒を仕込んでいるかもしれない。今後の利を考えても幽州が欲しいのは腐りきった袁家の重役であるあいつも同じだから。
 なら捕えた上で説得するのが最善か。出来れば趙雲、関靖も欲しいかな。曹操を打倒するには優秀な人材が多めに欲しい。麗羽の本当の姿を知ったら義に厚い彼女たちは手伝ってくれるだろう。
 思考に潜りながらも戦場を見る私の視界に赤い髪を揺らしながら戻ってくる明が映った。
 身に纏う衣服のそこかしこを赤黒く染めているが、問題ない動作で近づいてくるからきっと大抵は返り血だろう。連れている隊の数を見ると被害は三割弱といった所か。
 じっと見つめていると、戦場の狂気とあのクズへの憎悪を混ぜ込んだ瞳、そしていつもの薄ら笑いが返ってきた。
「ただいま戻りました、袁紹様。張コウ隊の被害は三割弱、呂布と陳宮には逃げられましたがそれらの部隊は大きく削れたかと」
 忠誠などかけらもないが一応片膝を折って形式ばった報告をすらすらと並べる。
「よろしい。わたくし達はこれから美しく優雅にこの戦場を制圧する事にしましたわ。あなたの隊も追随なさい」
「御意」
 無感情な声は何を思ってか、きっと麗羽には分からない。
 すっと立ち上がって隊に指示を出し始めた明に近づく。気配を感じ取ったのかゆっくりと振り向き目が合う、するとやっと表情が穏やかなモノになった。
「どうしたのさ?」
「ううん、何でもない」
 少し言葉を交わすだけで瞳の色がさらに落ち着く。
 大丈夫、私はあなたの事をわかってるから。
「ふふ、夕は可愛いなぁ。……よし! じゃあもうひと踏ん張り行きますかー!」
 ふっと微笑んで気合を入れた後、私に背を向け張コウ隊に指示を飛ばす。
 さて、私もちゃんと仕事を終わらせよう。

 †

 決戦の次の日、戦後処理をある程度で切り上げ、私は麗羽と共に正装を着て都の上層部に掛け合いに向かった。詮議の日取りを決め、洛陽の復興に対して自分達が総まとめを行うために。
 しかし曹操が先に大長秋と面会して復興の許可を貰ってある事を聞いた時は驚いた。本当に機というモノを良く理解してる女だ。これで曹操だけは自由に動ける事になり、長い期間洛陽に留めておく事が難しくなった。滞在期間を延長させる事によって様々な効果を出せたというのに。
 お先に、と去り際に勝ち誇った表情で残した一言が麗羽の対抗心を強く煽ったようだが、相変わらずせっかちさんですわね、と優雅に受け流していたのには少し笑えた。
 まあいい、私達も同じように自由に動ける。ただ同等の条件になっただけ。
 そう自分を納得させようと心の中で呟いても、浮き上がる不安と苛立ちは消えなかった。
 褒賞として与えられる支配域により、こちらの領地が圧倒的に多くなるので公孫賛を無視し最速で侵略しても確実に勝つには時間が足りない。だから時間をゆっくりと掛け、外堀から埋めて行かないと。
 その為に徐州の州牧に劉備を推挙しておいた。あれには餌になってっ貰う。欲を言えば首輪付きの飼い猫の牙を一つくらいへし折って欲しい。その辺りの事は七乃に伝えるよう明に頼んでおいたけど。
 八つ時に謁見等をすませて麗羽と城の前で別れ、着々と思考を積み上げながら洛陽の街を歩いていると、劉備軍の面々が炊き出しをしている現場に着いた。将や軍師達、さらには劉備本人でさえ忙しく動き回るその場所は活気と笑顔に溢れ、戦火の後とは思えぬほど。
 なるほど、これこそが劉備軍の本質か。
 少し侮りすぎていたかもしれないと今までの自分の評価を改め、これからどう崩していくかの思考に今見ているモノを組み込んでいく。
 そこで一つのおかしな事に気付いた。
 どう考えても一人の男が当てはまらない。異質に過ぎるその男は目の前の現状に合わなさすぎる。
「ん? 夕か?」
 後ろから掛けられた声に振り向くと件の男が……身体の至る所に子供をくっつけて立っていた。背中に一人、腕にぶら下がる一人と抱き上げられている一人、両足に群がる四人。思考に潜るのに集中しすぎてこんな異常な物体に気付かなかったのか。
 しかし……その姿はあまりに滑稽だったがなかなかどうして似合っていた。
「……秋兄。無駄に似合ってる」
「ありがとう、今の俺には最高の褒め言葉だ」
 一つ返事の後、にっと笑って子供たちをあやしだす。同時に兵に指示も出しているが彼の兵達からは一寸の不満の感情さえ見当たらない。
 彼のそんな状態を見て先程の違和感が露と消え、彼への理解がまた深まった。
 この人は二面性を持っている。そして、多分違和感の一番の原因はあいつ、劉備だ。この人と劉備が違う所にいるとこれほどまでしっくりくるのだから。
 どちらも徳高き行いをするのは同じだが本質的な部分で二人は決して相容れない、そういう事か。
 子供たちをあやす彼の様子はまるで年若い父親のよう。きっと彼の本当の姿は戦場を鬼神の如く駆けるモノではなく、平穏を精一杯堪能するこの時なんだ。
 ずっと見守っていたいような衝動が湧いてきたが、ふるふると頭を振って追い払い、優しい表情の彼に声を掛ける。
「秋兄、ちょっと二人で話がしたい」
 言うと彼は少し不思議そうな顔をしたが、何か考えたのか子供たちに静かに声を放つ。
「お前達、すまないがあっちのねーちゃん達の方へ行ってくれるか? 大丈夫、後でちゃんと遊んでやるから、な?」
 その声に不満顔ながらも子供たちは渋々といった感じに離れ、劉備たちの元へ駆けて行く。彼は笑顔で見送り、こちらに向くとクイと親指で人の少ない通りを指し示した。それを見てコクリと頷くと彼はゆっくりと歩きはじめ、それに倣って二歩ほど後ろを付いていく。


 着いたのは人の多くない、それでいて開けた場所。誰にも聞かれないように配慮してくれたのか。
「それで、話ってなんだ?」
 合わせた瞳からは前のようには心の内が見透かせない。疑念なのか、警戒なのか、信用なのか。唯一感じ取れたのは一つの感情だけ。
 吸い込まれそうなほど深く、呑み込まれそうなほど昏い……絶望。先程の穏やかな瞳は何処へ行ったか、何故これほどまでに正反対に切り替わったのか私には分からなかった。
 この短期間でこの人に何かあったのか。目の下にはしっかりと確認しなければ気付かないほどだがほんのうっすらと浮き上がる隈が見て取れた。
 しかし今は気にする事ではないと意識から切り離し自分の要件を告げる事にした。
「私達を助けて欲しい。袁家に従うしかない私達を」
 この人は優しいからそれを利用しよう。嘘じゃないから見破れない。断られたとしても楔を打ち込んでおける。
「袁家はこれから二分される。あえて名前を付けるなら、あるのは欲望のみで手段を問わない濁流派と正統に大陸を救うために動く清流派。私達清流派はずっと耐えてきた。それも今回の戦でおしまい。これから本格的に袁家の改革に動く手はずになってる」
 するつもり、というだけ。今後の動きで見せかけの対立を示すことが出来るし大丈夫。
「……具体的にどうしろと?」
「私達の軍に来てほしい。今回のあなたの手柄の大きさなら所属移動も簡単に出来る。あなたの評判はこれからどんどん上がる。それは民にとっても、兵にとってもこれ以上ない標になるだろうから協力してほしい。袁家を内部から変えるためには有力な将が足りなさすぎるから」
 道すがら耳に入ったが、大義の人、大徳の将、なんて呼ばれ始めている彼はこれからの袁紹軍にぜひ欲しい。それに彼の存在はあの乱世を喰らう化け物と相対するには最重要となる。
「それは無理だな。袁家は信用できない」
 言葉と共に凍りつくような瞳に射抜かれ、少したじろいでしまうがどうにか持ちこたえた。彼はそのまま顔を寄せてきて耳元で囁く。
「……曹操が怖いのか?」
 たった一言。それだけで自分の心が恐怖に彩られた。身体が離れても自分は硬直したまま動けずにいる。
この人はどこまで読んでいるのか。曹操の名前など常人の思考ではここで出せるわけがないのに。
「交渉事は苦手だし軍の行く先を決めるのは俺じゃないから……個人の答えだけ。お前達が他国に何もしないなら考えておく。まあ、俺一人の存在で何かが変わるとも思えないが」
 飄々とした態度で軽く口ずさむように語り、自信なさげな体を装って軽く頭を掻いた。
 どの口が言うのか。私の頭の出来を予測しながら曖昧な発言でこちらの思考を縛りに来たくせに。この人がこの先どんな手を打ってくるか全く予想できない。劉備じゃなくこの人が率いていたら……苦しい戦いになっただろう。
 けどもう既にこちらの手は打ってある。彼はただの保険。そう出来ればいいなというくらいの事なのだから。
 しかし言い聞かせても震える身体は収まらなかった。私の脳髄が警鐘を鳴らす。この人は曹操と同じくらい危険だ、と。
「秋兄は……どこまで読んでるの?」
「さあ、なんのことやら。……まあ本当なら、あんまり無理するなよ」
 これ以上は乱世の話はしないという事か。
 どの程度なのかぼかして聞いてみるも軽く流され、何故か私の事を心配して頭を撫でる。その手つきはいつかのように優しく、不思議な事に頬が熱くなった。
 彼はやっぱり二面性を持っている。いや、作ってしまっているのか。暖かくて優しいのが本来の姿だからそれを無意識に守るために。瞳を見ると先程までの昏さは無く、綺麗で透き通った眼差しを私に送っていた。
「あー! 秋兄、また夕を誑かしてるー! あたしのだって言ったじゃんか!」
 明るい声を発しながらもの凄い速さで明がこちらに駆けてきて、間に割って入り私を優しく抱きしめる。
「おお、すまないな。夕が可愛いからつい撫でちまった」
「それには全力で同意するけどさ! ……夕、クズの見張りがいるかもしれないからこれ以上はダメ」
 秋兄に言い返してからぼそっとこちらに囁く。確かにあの臆病で疑り深いクズにこの人と親しくしている所を知られると困る。でももうちょっとだけ撫でて貰いたかったな。
 自分の本心を我慢してするりと明の腕から抜けて私達を微笑ましげに見ている秋兄の方を向く。
「秋兄、さっきの話は忘れて。時間を取らせてごめん」
「いいよ。こっちこそごめんな」
「……? なんの話?」
「後で話す。じゃあね、秋兄」
「わかった、そんじゃまたどっかで会おうねー」
「ああ、またな」
 互いに軽く別れを告げてそれぞれ違う方向へ歩き出したが、明が早く話せというようにちらちらと見てくる。
「明、秋兄を勧誘したけど無理だった」
「へー。ま、そりゃそうでしょ。使える駒は増やさないとダメだけど今は揺さぶりだけでいいんじゃない?」
 私の短い言葉である程度の狙いまで予測してくれたのか。
「ん、さすが明」
 公孫賛さえ仲間に出来れば特別仲がいいと噂の彼も手に入るだろう。劉備軍で欲しいのは彼だけで、自覚のない偽善者なんか一人だっていらない。
 でもどうしてだろう。秋兄と関わると何故か――――
「そういえば七乃には伝えといたよー。了解だってさ。」
「わかった。なら後は麗羽にも行動させるだけ。陣に行こう」
 頭に浮かぶ疑問を振り切り、簡単な受け答えだけして二人で自陣に向かう。
 あいあいさーと元気よく答える明の返事を聞いて、思考の中で自分達の策を確実にする方法を積み上げながら、私達はゆっくりと洛陽の街を抜けて行った。

 †

 洛陽内部の制圧と自軍が行う救援手配の進言が終わり、ゆっくりと街を歩いて兵への指示を終えてから城を後にし、城壁を出るや馬に飛び乗ってただ駆ける。
 気を抜くと零れそうになる涙を気力で抑え込み、這い上がる恐怖を自身への叱咤で叩き伏せる。されどもただ速く速くと急く心は止める事ができなかった。
 陣の入り口にて自分を見る兵に愛馬を戻しておくように簡単に指示を出し、陣内の目的の場所まで全速力で疾走する。
 すれ違う自身の将達の顔色は皆悪く、最悪の事態が頭を掠めるもすぐさま否定し脚を動かし続けた。
「春蘭!」
 天幕の入り口を切り裂くように開け放って飛び込むと真横を愛しい彼女が抜けて行った。
「待ちなさい! どうして逃げるの!?」
「……っ!」
 声を掛けても返事すら返さずに駆ける彼女を追いかけ続ける事幾分、やっとの思いで捕まえて引き倒し馬乗りになる。
 それでも両手で顔を隠す彼女のこめかみに一本の糸が見えた。
「……手をどけなさい、春蘭」
「出来ません! このような醜い姿など華琳様にお見せするわけには!」
 叫ぶ彼女の手を優しく掴み、耳元に口を近づけて出来る限り甘い声で囁く。
「戦は終わったのよ。疲れた私に愛しいあなたの顔を見せて癒してくれないかしら? それとも私の顔を見たくない、春蘭は私の事が嫌いになった。そういうこと?」
 私の言葉にビクリと跳ねる彼女からは嗚咽が漏れだし、少し時間を置いてゆっくりと手をどけて泣き顔を見せてくれる。負傷報告のあった眼には蝶の眼帯がつけられていた。
「すみません、華琳様、このような――」
「どうしたというのかしら? あなたは何も変わりない。私の愛しい、大好きな春蘭のままじゃない」
 自分の心が泣き叫ぶもそれを表情には出さないように微笑みを刻み付け、いつものように声を掛ける。
「しかし! この左目は!」
「その瞳は私への忠義の証として捧げてくれたモノ。春蘭の身体は春蘭のモノでも、その心と左目は、ずっと私のモノよ」
 本心を言いながらも心は歓喜と悲哀にねじ狂う。
「よくやってくれたわね、春蘭。これからも私の剣となって戦って頂戴」
「華琳様……うぅ……うわぁぁぁぁん!」
 これからも続く。いついかなる時にもっと大きなモノを失うか分からない。私に出来る事はもっと強大になって世に平穏を創り出し、一人でも多く人を失わせないようにすること。そしてこの子達に相応しい主であり続け、一人全ての先頭に立って皆を導くこと。死が私と愛するモノとを分かつ事があったとしても、その心はずっと共にあり続けられるようにと。
 泣き叫ぶ彼女を掻き抱いて背中を撫でつけながら、自身の覚悟を再確認して、しかしどこかに少しだけ……寂しさを感じた。


 泣き止んだ春蘭の額に一つ口づけを落とし、真っ赤になった頬を撫でてから立ち上がる。
「此度の戦、ご苦労であった。してその成果をここに示せ」
「はっ。誰かある! 張遼をここに!」
 春蘭の一声に近くを警備していた兵が走り出し、しばらくたって張遼を連れてきた。
 その堂々たる姿はまさに自身の求めたモノ。不敵な笑みを携えて、悠々とこちらに歩いてくる。立ち止まり見つめ合うこと数瞬、射抜く眼光は鋭く、どこか肉食獣にも似ていた。
「張遼よ。お前の力はこの時に果てるには余りに惜しい。我が願いを果たす為に力を貸せ」
 目を細めて彼女の放つ圧力を跳ね返し、自身の言葉を代わりに返す。
 耳に届くとすぐに目を丸くした彼女は、次に眉間に皺を寄せて怪訝な表情で返答を行う。
「あんたぁの願いってなんや?」
 今にも斬りかかってやろうかというように殺気を込めて言い放たれる。おもしろい、これくらいでなくては意味が無い。
「如何な犠牲を伴おうと、この大陸に悠久の平穏を。それを手に入れる為ならば私は英雄にも悪鬼にもなろう。この大陸に蔓延る腐敗をまるごと打ち砕き、全てを従えて世に平穏をもたらさん。
 ……私の元にて、今は亡きあなたの主の望んだ世界を作る手助けをしてくれないかしら?」
 言い終えると彼女はしばらく難しい顔をして沈黙していたが、急にからからと大きな声で笑いだした。
「クク、あはははは! おもろいなぁ。なんっちゅうか突き抜けとる。全てを知って尚、踏み越え、ぶち壊して作りなおす。せやな、優しいだけやったら世界なんぞ変えられへんか」
 最後の言葉は自身の主を思ってか。私も一度でいいから言葉を交わし、語らってみたかった。ただ一人、帝のために魔窟に飛び込む事を決めた英雄と。
 張遼はふっと息を漏らした後に私の前に片膝をついて拳を包んだ。
「うちの真名は霞言います。この命と神速、世の平穏のために使って頂きたい」
「ふふ、あなたの今後の働きに期待する。私の真名は華琳よ。それと……自由なあなたを堅苦しく縛り付けるつもりは無い。公式の場以外は言葉を崩す事を許す。私の軍でもあなたらしく、好きなようにして頂戴ね」
 私の言葉に仰天して、霞はまた大きな声で笑い出した。春蘭は口を尖らせて拗ねていたが、私の事を良く分かってくれているから何も言わずにいてくれる。
「あかんなぁ、やっぱり完敗や。ならこれからよろしく頼むで」
 そう言ってにししと悪戯っぽく笑う彼女を見ていると心が少し和んだ。
「……あ! ひっじょーに申し訳ないんやけど一つだけお願い聞いてくれへんやろか?」
「言ってみなさい」
「劉備軍の徐晃っちゅうやつに会わして欲しい」
 霞の口から思いもよらない名前が飛び出した。見つめる瞳は真剣そのもので、巡る思考の中で一つの事柄に結びつく。
「……華雄のこと?」
「あー、別に憎いから殺したいーとかそういうんちゃうねん。ただあいつの最期くらい聞いとこかと思うてな」
 虚空を見上げる寂しい瞳はいかに華雄が彼女の大切なモノだったかを映し出している。
「いいでしょう。確か劉備軍は洛陽の街に居たはず。私も個人的に用があるし、着いてきなさい。……春蘭はここで休んでなさい。またお仕置きされたいのかしら?」
 当然自分も着いていくモノと思っていたのか、隣に並んだ春蘭に掛けた私の言葉で彼女の表情は絶望に染まった。
「いい子にしてたら今日の夜にたんと可愛がってあげる」
 耳元で囁くとぱぁっと表情が明るくなった。尻尾があればはち切れんばかりに振っているのではないかと思われる。
 いってらっしゃいませー、と後ろから大きな声で言う春蘭に笑いを堪えながらの霞を連れて、私達は洛陽内部に向けて陣の外に出た。

 †

 橙色の斜陽が差し込む街角にて、慌ただしかった時間も過ぎ去り、皆が一様に休息を取る。
 兵達がそれぞれに佇み、座り、笑いあう場所のさらに端にある休憩用の天幕の中、私と朱里ちゃんの目の前には地に足をつけて座る秋斗さんがいる。
「さて、説明して頂きましょうか。田豊さんと! 二人っきりで、何を、話していたんですか?」
 お説教をする時の黒い影を纏った朱里ちゃんの、相手の名前を強調して紡いだ言葉にも、一つ肩を竦めただけで秋斗さんは沈黙を貫いていた。
 朱里ちゃんによると、シ水関では既に秋斗さんと田豊さんは内密に真名を交換しているらしく、三刻ほど前には二人で話し込んでいる所を見つけたらしい。物陰に隠れて観察していたが頭を撫でている時に張コウさんの出現で良い雰囲気が壊れて秋斗さんは戻ってきた、とのこと。
「もしかしたら……恋仲なのかなぁ」
 私への説明の途中で朱里ちゃんの零したそんな一言にズキリと胸が痛んだ。
 どうしてこの戦で出会っただけの田豊さんと……それはないはず。確かにあの人は可愛くて、頭が良くて、背は私達と同じくらいなのに胸が大きくて、噛むこともなくて……比べたらダメだ。
「この前は教えて頂けなかった事も話して頂けるんですよね? だって前にご自分で『今は無理なんだ』とおっしゃっていましたし」
 お説教時の朱里ちゃんは容赦が無い。流れるように彼の逃げ場を無くしていく。
「さあ、今回は教えて下さい」
「……秋斗さん。私も、知りたいです」
 どうして私にすら話してくれなかったのか。沸々と哀しい気持ちが湧いて来る。ああ、ダメだ。私はまた昏い感情を抱いてしまっている。
 秋斗さんは一つ大きく息を吐いてちらと私達の顔色を伺い、俯いてから少しの間をおいて語り出した。
「……そうさなぁ。夕、田豊には俺が何をしようとしていたか少し言葉を交わしただけで看破されてな、あいつ曰く『同類』なんだと。真名の交換はシ水関攻略の作戦確認に来た時、外に出たら二人が何故か俺が出てくるのを待っててそのまま話す事になったんだがその時に行った。……多分、あいつは袁紹の王佐たらんとしてるんだろうよ」
 話を聞いて彼女の特異な能力に思わず舌を巻く。あんな短時間で、しかも少ししか話をしていないのにこの人の事を見抜いたのか。
 心の底から羨ましいと思ってしまう。彼女こそ、この人の隣に立つのに相応しいのかもしれない。そう考えるとチクリと胸に嫉妬の痛みが走る。
 ふと思い立って隣の朱里ちゃんを見ると悔しさからか唇を噛んで目に涙を溜めていた。秋斗さんはそれに気付いていない。
「きょ、今日会っていたのは?」
「……朱里? なんで」
「話してください!」
 秋斗さんは震える声に驚いて顔を上げ、心配になったのか声を掛けたが、朱里ちゃんが大きな声で遮って先を促した。
「……引き抜きだ。袁家を内部から変えるには有能な将が欲しいんだと。俺が望めば袁家の力で所属軍の移動すら簡単に出来るからと言っていた。……ちゃんと断ったからそんな顔するな二人とも」
 続けられた内容に絶句している私達に彼は優しく声を掛ける。
 大丈夫。秋斗さんはちゃんと断ってくれた。だから哀しくなんかない。私達を選んでくれたんだから。
 言い聞かせても不安が渦巻く心は一向に晴れなかった。
「自浄作用が機能していない諸侯の元に俺一人が行った所でなんら変わる事は無い。どっちみち腐敗した漢を変えるにはあそこじゃ無理だ。黄巾前ならば望みは在ったかもしれないが既に手遅れだな。まあそれに……俺はお前達と平穏な世界を作りたいし」
 最後にポツリと紡がれた一言に心が温かくなり、不安が消し飛んだ。彼から直接言って貰えるだけで全然違う。朱里ちゃんの表情も泣きそうなモノから安堵に変わった。
 それを見て取ったのか彼は立ち上がり私達の頭をポンポンと軽く抑える。
「頼りにしている、二人とも。大陸で一、二を争う軍師であるお前達とならきっとできるさ」
「はわわ!」
「あわわ……」
 口々に未だに直らない子供っぽい口癖を零し、私は恥ずかしさから俯いてしまった。
「……秋斗さんはズルいです」
「何がだ?」
「そういう所です」
「……よく分からんな」
 口を尖らせて言う朱里ちゃんの言葉は正しい。無自覚の言動で私達の心をこうまで簡単に振り回すのだから。
 私達はそれから他愛のないやり取りと会話を繰り返し、しばらく笑い合っていた。

 †

 お説教もなんとか回避し、二人に暇を貰って天幕の外に出て洛陽の入り口に向け歩きはじめると曹操と張遼が近づいてくるのが見えた。
 なるほど。曹操は史実通りに張遼を得たのか。先の戦いに強敵が増えたな。
 俺に気が付いたのか曹操は笑みを深くし、張遼は厳しい面持ちになって後数歩で肉薄、という所まで来てお互い立ち止まる。
「久しぶりね、徐晃。黄巾以来かしら?」
 覇気を溢れさせてこちらを見やり一言。前よりもその威圧感はいやというほど増していた。
「お久ぶりです。そうですね、あの城壁以来でしょうか。そちらの方は?」
 軽く言葉を紡いで簡単に返答を行い、すっと張遼に視線を向ける。俺を真っ直ぐに射抜く瞳には少しの憎悪と、こちらを推し量ろうとする色。
「あなたは初めて会うものね。我が軍に新しく入った――」
「張遼や。あんたの事はよう知っとるで」
 殺気、と呼ぶには少しばかり透き通りすぎている圧力が俺に突き刺さる。
「この子があなたに話があるそうなのよ」
 曹操の言葉に思考が回り出し、一つの解が浮かび上がった。
 華雄の事か。シ水関で同時に飛び出してきたし、何より月からそれぞれの将同士が親しかったとの話も聞いた。
「華雄の最期、どんなんやった?」
 張遼が向ける瞳は真剣そのモノで、自分の頭の中に華雄の鮮烈な最期が思い起こされる。
「最後まで董卓の忠臣であり続け、己が主の誇りを守り抜いたよ。あれほど誇り高き将は他の軍にもいないだろうな」
 全ては言えず、自身に向けられた怨嗟の声が甦り、心の底に昏い澱みが溜まっていく。
 それに気付かれないように真っ直ぐに張遼の瞳を覗き込み、沈黙している彼女の反応を待った。
「……そか。教えてくれてあんがとさん。大体想像できたわ。きっと『一の臣なり!』とか言うてたんやろ。クク、ほんま最後までバカ貫きよってからに」
 苦笑しながらも目を潤ませて語り、顔を空に向けて上げた張遼は少し寂しげに見えた。その隣で曹操は目を瞑って俺達の事を見ることも無く、まるで黙祷しているかのよう。
 幾分か静かな沈黙の時間が流れ、一筋の冷たい風が頬を撫でる。
 藍を深くし暗くなり始めた空は、張遼の心の哀しみを映し出しているように思えた。
「徐晃」
 ゆっくりと流れる静寂を打ち破ったのは一人の覇王。こちらを見据えるアイスブルーの眼光は厳しく、揺るぎない。
「成果は順調、と言った所?」
 何が、とは言わなくても分かる。桃香の事だろう。曹操の言葉に張遼は不思議そうな表情で俺達を交互に見やる。
「そうですね。最低限は突破しましたから」
 多くを語らずとも彼女には伝わるだろう事は分かっている。俺の返答に笑みをさらに深めて、まるで恋焦がれる乙女のような顔をした。
「器から溢れ出るのか、器が包み込むのか、楽しみにしているわ。そうね、もし万が一行く先に困ったなら私の元に来なさい」
 曖昧な言葉の意味は理解出来た。俺が桃香の代わりに王をやるのか、それとも桃香が王として完成するのか。それが彼女の言葉の真意。
 桃香が無理な時は……俺が代わりにこの世界の『劉備』を演じる。優しすぎる桃香にとって乱世は厳しく、辛いモノだから。覇道に対抗する、大陸の民の為の自浄作用を担う希望の役割は必要不可欠だから。
 暴走というのはどんな王にも起こりうる事態で、人となりのみを信じるのは愚かな事だ。
 天下三分か天下二分、後の大陸統一が終わってからもそのシステムは暴走への対抗策として生きることだろう。
 史実の孔明や周瑜などの英雄たちは本当に凄い。そこまで見越してその策を発案したのだから。
 曹操の元へ行って己自身で自浄作用の役割を担えないのは、腹立たしい事にあの腹黒少女の任務のせいだったが、この世界の劉備が桃香であるなら納得が行く。
 俺に与えられた役割は桃香を成長させる事か、もしくは代わりに『劉備』になる事なんだろう。
 そして……この怪物を倒さないといけないのか。
「そのような事態にはなりませんよ。信じておりますので」
 自分で言って少し笑いそうになった。完全には信じていないくせに。
 曹操は目をすっと細めて俺を見やり、獰猛な笑みを浮かべて口を開いた。
「ふふ、あなたは気付いていないのね。……まあいいわ、劉備軍にはこちらから糧食を分けるから炊き出しの足しにしてほしい。我が軍は治安維持と家屋の建設、区画整備等の都の復興作業に集中したいのよ。
 軍師達と相談して後日使者を頂戴ね」
「……わかりました。伝えておきます」
 最初の言葉が気になったが思考を重ねても答えは出ず、とりあえず曹操からの提案に頷き返す事にした。
「霞、私の要件は終わったけれど、あなたはもういいのかしら?」
「おお、せやな。うちもかまへん。すまんな徐晃、手間取らせて」
 曹操に言われて少し肩を竦め、俺に向け片手を上げにへらと笑う彼女にはもう憎悪の色は見当たらなかった。
 彼女も武人。戦場の生き死には割り切っているということか。
「ではまた乱世で会いましょう」
「ええ、また乱世で」
 背を向け歩き出す二人を見ながらふっと一つの心残りが頭を掠めた。
「……張遼殿」
 思わず呼びかけると彼女は歩きながら顔だけこちらに向ける。
「あなたは酒が好きとの噂を聞いた。今日の月は地平に落ちず、詩を詠めるくらい綺麗に輝いてるから酒が美味いだろうよ」
 俺の言葉に少し悩み、やがて隠された意味を悟ったのか目を見開き、次いで優しい笑みに変わり彼女は笑った。
「あはは! あいつの事考えながら飲もうかと思うてたとこやし、お月さんが綺麗なら今夜の酒はとびきり美味いやろなぁ! そのうちあんたとも飲んでみたなったわ! ほななー」
 そんな言を残して手を振って去っていく。
 彼女らと会わせてあげたい。しかしお互いの立場からそんな事は出来ない。
 せめて出来る事はこれくらいだろう。

 見上げると、綺麗な満月が街道に一人佇む俺を優しく照らしていた。


 

 

藍橙の空を見上げて


 洛陽の復興作業に携わって結構な日にちが過ぎた。
 とりあえず一通りは形になってきたのでもうすぐ平原に帰れる頃合いだとは思う。
 軍同士の洛陽復興に対する連携は、袁紹軍が指揮している事に不安や不満はあったが驚くほど上手く行った。ただ、曹操軍だけは対等な立場として別枠で動いてはいたが。
 朱里と雛里から政略関係の詳しい話であるとは聞いたが難しいモノで、これからは俺達も権力の使い方というのも学んでいかなければならないなと思い知らされた。
 そんな折、曹操軍は先に洛陽から引き上げ始めた。理由としては様々なモノが並べられていたが、きっといくつかが嘘である事は想像に難くない。
 マネして理由をつけて帰ろうとした諸侯は袁紹軍にうまい具合にここまでは終わらせてくれと時間が掛かりそうなモノから順に押し付けられて、治める地に何割かを返したりして対応していた。
 俺達も例外ではなく、朱里と桃香と愛紗、そして鈴々は平原の滞っているであろう政務の為に先に帰っていた。
 俺が残ると言った時、皆は反対したが洛陽の方にいい医者が居たので高度な治療を受けられるとの名目をつけて説得すると渋々だが了承してくれた。ただ雛里だけは目付け役として共に残ることになった。
 本当の理由は各諸侯の動向を観察したいが為ともう一つ、孫策か周瑜に会っておきたいからだった。これからの乱世のための密約を口約束でもいいから交わし、少しでも有利に動けるようにするために。
 しかし忙しい身なので時間など取れるはずもなく、間者や密偵がいる可能性も考え、他の諸侯の目も気になるので結局うだうだと時間を浪費してしまった。
 そんな事をしている内に一つの問題が起こる。
 袁紹と袁術、田豊と張勲の間で小さな諍いが起きた。聞くところによると余りに大きな無茶を押し付けられ両者の意見が分かれたとか。
 もしかしたら袁家内部の対立の兆候かもしれないと考えているとある日袁術軍は独断で兵をまとめてさっさと自国に帰ってしまい、それに合わせて孫策軍も機を得たとばかりに引き上げた。
 まだ本拠地移動も確実なモノではないのでそこまで焦る事でもないかと考えて今回は運が無かったと諦め、俺達も割り当て分をどうにか終わらせ、兵をまとめて洛陽での最終日を過ごす。

 †

 ふう、と一つ大きく息をついて天幕内の簡素な椅子にゆっくりと腰を下ろす。
「お疲れ様です」
 コトリと乾いた音を立てて机に茶が置かれ、持ってきてくれた女の子を見ると微笑みを返してくれた。
 その少女の服装は現代で言うメイド服。ロングスカートのそれは上品な彼女の雰囲気にぴったりと合っていた。
 彼女達の正体を隠す為にどうにか焼けていない洋服屋を探し、雛里に侍女用で二人の身体に合ったモノを選んできて貰った。
 何故メイド服がこの世界にあるのか、とはもはや突っ込む気力さえ起きなかったが。
「ありがとう、月」
 礼を言って湯飲みに口をつけ、程よい温かさのお茶を喉に送る。動き回って疲れた身体にゆっくりと沁み渡り、全身の疲労感がじわりと溶け出してくように感じた。
「ふん、味わって飲みなさいよね! 月がわざわざ淹れたお茶なんだから!」
 ミニスカートのメイド服の詠は、眼鏡をくいっと持ち上げてきつい言葉を投げつける。その裏には彼女なりの心遣いがある事はこの滞在期間で分かったが。
「確かに月の淹れてくれるお茶はおいしいもんな。詠もありがとう。それと二人ともお疲れ様。慣れない仕事ばかりで疲れたろう? 兵達はお前達の可愛さに癒されていたみたいだけど」
 言うと月は顔を真っ赤にし、へうと出会ってからよく聞く口癖を呟きながら頬に手を当てる。
「バ、バッカじゃないの!? 月は確かに可愛いけどなんでボクまで入ってるのよ!?」
 照れたのか詠も顔を赤く染めて怒鳴りながら否定してくるが、それを見て月はクスクスと上品に笑った。
「詠ちゃんは可愛いよ?」
 そんなわけない! と言い訳し続ける詠にまあまあと優しく諭す月。そんな二人の様子に和みながらお茶の時間を楽しむが、ふと外に人の気配を感じた。
「お疲れ様です秋斗さん」
 開け放たれた天幕の入り口からとてとてと雛里がこちらを労いながら入ってきた。
 彼女がここに来たのは朝の内に今日の仕事が終わったら行く場所があると呼び出しておいたからだ。いつものように自分の行いを心に刻むためだと彼女は分かってくれているようだった。
「ありがとう。雛里もお疲れさん。二人とも、これを着て少し俺と雛里の散歩に付き合ってくれないか?」
 立ち上がって服入れからフード付きの羽織を不思議そうに見つめる二人に渡す。
「どこ行くのよ?」
「洛陽の城壁の上。都を目に焼き付けておくために。俺と雛里は二人でも行くがどうする?」
 言うと二人の表情は少しだけ翳った。
 彼女達が長い時を過ごした場所。守りきれなかった街。
 そのままでもいいがちょっとでもけじめをつけて貰うためにと考えての提案。
「行きます」
 短く返事をする月は王の気を纏っていた。ああ、やっぱりこの子は強いな。
「……うん。ボクも行く。きっとしておくべき事だと思うから」
 哀しい瞳で語る詠の手を月と雛里がそれぞれ握る。
「一緒ですよ」
 優しく紡がれた言葉は詠の沈んで行く心を掬い上げたようで、ふっと息を漏らして穏やかな表情に変わった。
 それを見てから羽織を着た二人を連れて四人でゆっくりと目的の場所に向けて歩き出した。

 †

 斜陽が未だに工事の行われている都を紅く照らし出す。
 ここはあの時逃げ出した城壁。兵を見捨て、民を見捨て、たった一人の命を救うために駆け去った場所。
 街並みに目を落とすと所々に焼け果てた家屋が残っていて、それらを見ると自分達が巻き込んでしまったんだという想いが心を激しく責め立てる。
 どうして自分は救いきれなかった
 どうしてもっと早くから行動を起こさなかった
 どうして自分は全てを読み切れなかった
 どうして……ボクは皆を守れなかったのか
 幾多ものどうしてが思考を渦巻き圧しかかる重圧に涙が溢れそうになる。
 突然、二つの繋がれた手がぎゅっと力強く握りしめられた。
 驚いて交互に二人を見ると、瞳は哀しみに暮れていたが奥に宿る光は明るく、弱いボクを励ましているようだった。
 きゅっと唇をきつく結び、気を抜けば零れそうになる涙を抑え込み、眼下に広がる街並みをもう一度見回す事にした。


 しばらく四人で沈黙していると涼やかな風が一筋頬を撫でて、もうすぐ夜がくると優しく告げてくれる。
 心に圧し掛かる罪悪感の重圧を自分の中に溶け込ませていると、黒衣の男が一歩前に踏み出す。
 その背中は大きいはずなのに小さくて、確かにここにいるのに消えてしまいそうで、何故かひどく切なく感じた。
「ねぇ、秋斗。あんたみたいな奴がどうしてまだ桃香の所にいるの?」
 口を突いて出たのは聞きたかった疑問。
 劉備軍の誰一人としてこんな行いはしなかった。
 死者に礼を尽くして、自身の罪を確かめて、自分を責めぬくような事を。
 ボクの言葉に彼は幾分かの沈黙の後、こちらを見ずにゆっくりと語り始める。
「……思想や考え方ってのは完全に一つになる事は無い。誰もがそれぞれ譲れない矜持を持っていて、心に一本の線を引いている。己を守るために、誰かを守るために。乱れた大陸を救うために覇を唱えるモノは確実に出てくる。全てを先導する強大なる王は、万が一にも暴走した時にこの大陸を焼き尽くすだろう。その時誰が民を守る? 対抗するには違った思想が必要で、希望を与えるには別の王こそがそれを為せる。俺がここにいるのは世界を変えるためともう一つ、大陸の自浄作用を育てるためだ」
 話された事柄に驚愕を禁じ得なかった。なんというバカげた事を。どこまで先を見ての考えなのか。でもそれよりも……
「俺が自分で立てばいい、とそう思ってるだろう? けどもう出来ないんだよ。賽は既に投げられている。俺達の置かれた状況とこの大陸の現状から判断すると厳しい、それに桃香のように天性の才で人を惹きつけるような魅力もない。何よりも俺はこれまで繋いだ想いを裏切る事なんか出来やしないんだ」
 雛里の瞳が隣で絶望の色に染まる。
 きっと秋斗がここにいる発端は彼女にあるのだろう。最初はただ武力が高く、頭も悪くない奴だったのが予想出来る。
 ただ一つ違ったのは桃香の理想の穴を知っていたという事。その矛盾が彼を急激に成長させたのか。
 桃香を呑み込めるほどのモノへと。
 思考が積みあがっていき一つの解へと行き着いた。
 つまり秋斗は高祖劉邦と似た人物を作ろうとしているんだ。
 大陸を二分した過去を繰り返して、今まで出てきた間違いを治世で改善してより強固な平穏を作る。これから先に腐敗することが無いように新しいモノを取り入れて。
 対立した思想はどちらが正しいかを明確に民に証明するための手段であり、力のある権力者の存在を世に知らしめることが出来て、どちらが勝ったとしても治める王が非道で無い限り長い安寧をもたらす事が出来るだろう。
「じゃあ桃香がダメな時は?」
 可能性としては在り得るだろう。成長が間に合わない場合、大陸を統一できるほどの器で無かった場合、秋斗はどうするのか。
 しばしの沈黙が場を包み、何を考えているのか背を向ける彼からは全く読み取れなかった。
「……その時は俺に力を貸してくれないか?」
 振り向いてボク達を強い眼差しで見やり助力を請う。その意味は桃香を裏切ると言う事だ。幾多の想いを引き連れて、桃香の代わりに『劉備』になる、と。そのためならばどんな手段でも使うだろう事は予想出来る。
 大陸を変える王になる、その決意にはどれだけの覚悟が必要なんだろうか。
 三人の中で理解できるのは一人だけ。類まれなる王の資質を持つボクの親友なら、きっと秋斗の覚悟を全て理解している。
「秋斗さんが望む世界のために、私の智を振るいたいです」
 突然、雛里が声を上げる。
 ずっと秋斗を見てきた彼女は既に起こり得る可能性として想像していたはず。凛とした表情からは彼女の覚悟の大きさがありありと伝わってきた。
「私は支える事しかできません。ですが先の世の平穏を見るためになんでもお手伝いさせて下さい」
 彼に王の何たるかを説けるのは月だけ。成長を促す役になれるだろう。
「ボクも手伝うわ。言ったじゃない、平穏を作るまで支えてあげるって」
 言うと秋斗はふっと微笑んで空を見上げた。
 ボク達もつられて視線を移すと藍と橙が綺麗に入り混じっていて、その美しさに思わず見惚れてしまう。
「俺のこの罪深い行いの為にどれだけの犠牲が出るかは分からない。でもその先に誰もが夢見る大きな平穏があると信じてくれるか」
 哀しそうな、それでいて嬉しそうな呟きが空に消える。
 きっと秋斗は壊れる寸前で
 何かを信じていないともう持たないんだ
 本当は王になんかなりたくない優しい人なのに、それでも誰かを救いたくてたまらないから覚悟を呑んだ。絡まった責任の糸はもはや彼をその場から離してなどくれない。
 もう一つ、違う道だってあるのに。
「ありがとう、ごめんな」
 二つの言葉に込められた多くの想いを無言で受け取り、少し目を瞑って自身の心に刻み込む。
 ボク達は星がぽつぽつと瞬き始める空をしばらくの間眺め続けた。


 †


 秋斗さんと別れた後に月ちゃん達の天幕にお邪魔した。
「それで? 雛里はボク達になんの話があるの?」
 ふう、と息をついて寝台に腰を下ろした詠さんが尋ねる。
「……秋斗さんの見逃している事柄についてです」
 言うと真剣な表情になって二人は私を見つめて身体を乗り出し続きを促した。
「あの人が耐えられない可能性も考えておいてください。最近目元に隈が出来ているのは気付いておられると思います。心が擦り切れるギリギリなのかもしれません。なので耐えられないその時は秋斗さんを王とせず、誰かの元に行かせてあげたいんです。内側からの自浄作用の道も示してあげるのも一つの手だと思うのですがどうでしょうか?」
 例えば曹操さんや孫策さん。彼女達は一番秋斗さんに近いから共にやっていけると思う。
 言うと二人は驚いて、でも詠さんは感心したように頷いてから口を開いた。
「実はボクも同じ事考えてたわ。あいつなら、まあ袁家以外のどんな場所でもやってけるでしょ」
「でもそれをした時もあの人にとってはダメなんじゃないかな?」
 月ちゃんの言葉は鋭い所を突いている。
「きっと初めは拒否すると思います。でもあの人は他のどの王だろうと手段や過程は違っても目指す所は同じだと理解していますので、相手と状況によってはそういう道も考えてくれるかと」
「まあ、今後の周りの動きと状況次第って事よ。その都度あいつにボク達の考えを伝えて、平穏を作るための最善の方法を選択させるの。あいつが桃香にやってきた事をするだけ。秋斗の場合理想ばっかり見てはいないからそのくらいの判断はするでしょう。それとね、月があの時代わりにと頼んだのと同じ事よ?」
 二人で説明するとなるほど、と頷く。月ちゃんは秋斗さんに王の想いを託したからこそ楽になったはず。それと同じ事を出来ればあの人は救われる。あの人が壊れるなんて絶対に嫌……だからその時は私がなんとしても説得してみせる。
「ふふ、雛里ちゃんは秋斗さんの事が本当に大切なんだね」
 月ちゃんからの奇襲に思考の虚を突かれて硬直してしまった。
「あわわ……」
 頬が熱くなり、自分の心の中を言い当てられたことが恥ずかしくて思わず俯く。顔赤くなってるんだろうなぁ。
「もうダメ! 雛里ちゃん可愛い!」
 何故か彼女はそんな声を出して私をぎゅっと抱きしめてくる。私なんて全然で、月ちゃんの方が凄く可愛いのに。
「真剣な話してたのにどうしてこんな事になるのよ……まあいっか。月、ボクにも抱きしめさせなさい!」
「く、苦しいでしゅ……」
 挟まれて少し苦しかったが、二人の暖かさと、あの人を支える仲間が増えた事が嬉しくて、私は自然と笑顔になっていた。
 どうかこれから全てが上手く行きますように。
 桃香様も、朱里ちゃんも、愛紗さんも、鈴々ちゃんも、皆で平穏を作れますように。
 そんな祈りを胸にしばらく色んなお話をして、私は洛陽で過ごす最後の夜を満喫した。


 †


 ポトリと一滴、湯飲みに満たした水に眠り薬の雫を垂らす。
 波紋を広げるそれをじっと見つめて、落ち着いた頃に口をつけて一気に飲み干した。
 すると急な眠気が襲ってきて寝台にバタリと倒れ込む。
 ああ、これで夢を見ずに眠れる。
 渦巻く思考も黒く塗りつぶされていき、静かな寝息だけがその場所に響き始める。

 嘘を積み上げ、全てを騙し続けるその男は
 縛られた思考では、自身が重大な間違いを犯している事に気付くことは無かった。




 †







 一面が白の世界にてモニターを見る少女は独り言を呟く。
「二つの内、一つ目の収束点を過ぎましたが……もしかしたらこの事象は二重雑種(ダブルブリッド)ですかね。だとしたらもうすぐ分岐点が来るはずです。しかし三人目の適性者『徐晃』は中々ですね。初めての男ですし、何より『妲己姉様の尻尾』のおかげで他よりも長く外史に取り込まれずに済んでます。今回の虎牢関の時みたいに暴走しなければ存在定着率も安定させられるでしょうから問題ありません。……ふふ、せいぜい踊ってかき回してください」
 立ち上がり、大きく伸びをしてから振り返りパチンと指を鳴らす。
 現れたのは後ろ手に拘束された変態。禿げた頭に三つ編みの髪、筋骨隆々の体躯を覆うべき服は下着と呼ぶには余りにお粗末な物だけ。
「貂蝉、お前達旧管理者のせいでこんな事になってるんですよ? お前達が管理者としての仕事を守らなかった責任が私達に来たんです。
 クソみたいなバグである天の御使いの残滓がこれだけ外史に影響を与えたんです。分かってますか?」
「でも喜媚様、さすがに実数固定されるなんて――」
「思わなかった。そう言いたいんですか? バカですね。外史の分化は確かに大事ですが管理者のように大きな存在が関わったら異常な出来事が起こるに決まってるでしょう?
 まあいいです。この事象が上手く行ったら全てがひっくり返りますし。そろそろ目障りなんで消しますね。お前達のせいでこの男が苦しんでる事を重々理解して、行く先を見続けなさい」
 もう一度指を鳴らすと変態の姿は煙のように消えた。
 彼女はちっと舌打ちをしてモニターの前に座りなおし、男の選択の先を想像しながら口角を吊り上げ、嗤う。

 無限とある確率事象の中、ただ一つの可能性を求めて。
 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

改訂分はこの話にて終了となります。
明日からはペースが週一か週二くらいに落ちますが、
どうかエンディングまでお付き合いください。

ではまた 

 

鳳と竜は麒麟を求む


 連合も解体され、平原に戻ってきた俺含めた居残り組は、先に返っていた皆の働きもあり、将としての仕事を軽く行うだけで幾日かの休日を貰える事になった。
 さすがにそれは悪いと反発しようにも桃香に強引に押し切られてしまい、かと言ってやる事があるわけも無く、平原の街をぶらぶらと散歩したり子供たちと遊んだりして過ごしていた。
 これはそんな休日の最終日の出来事。



 時は昼下がりの八つ時、大地が黄色く色付き始める頃。
 視線を感じた。
 どれだけ歩みを進めようとも纏わりつくそれは、敵意と呼ぶには鋭さが足りなく、ただこちらを観察しているのが分かる。
 気付かぬふりをして街道にてすれ違う人々に言葉と笑顔を交わし、大きな広場の中央の木陰に腰を下ろす。
 寝転がり、腕を額に被せ、動くこともせずに待つこと半刻。
 すっと近寄る人の気配がしたが、そのまま寝たふりをしてやり過ごす。
 もう半刻経つとさらにこちらに近づいたのか、木陰の草がさらりと音を立てるのを身近に感じた。
「なんか用か?」
「はわわ!」
 声を掛けると己が所属する軍の筆頭軍師の口癖が聴こえ、トスッと可愛らしい尻もちをついた振動が背中に伝わる。
 苦笑しながら起き上がり、自身をずっと観察していた少女を見やる。
「ご、ごめんなさい。その……これといった用はありません」
 もじもじと慎ましやかな胸の前で指を合わせて、朱里は次に何を話そうかと悩んでいるようだ。
「そっか。仕事熱心な朱里がここにいるってことは今日の分は終わらせてるんだろ? なら一緒にゆっくりしよう。いい天気だし。それと……下着見えるぞ」
 言うや彼女はばっと普段の動きからは考えられないような速さでその場に座りなおした。
「……見ましたか?」
「いんや、見てない」
 本当は見えていたがさすがに言ってしまうとお説教をされかねないので黙っておく。
 朱里や雛里、鈴々、月と詠。彼女らと関わってきたからか思考が暴走する事も無く対応できるようになってきた。
 これでもう誰にも幼女趣味なんて言わせない。
 そんな事を考えていると袖の先がつままれる。
 驚いて朱里を見ると涙目の上目使いで俺を見てきた。
「……秋斗さん、少しお話がしたいです」
 こんな愛らしい少女からの誘いを断れる輩がいるだろうか。いや、いない。
 ダメだ。俺はやっぱりロリコンなんだな。
「わかった。ならどこか茶屋でも入るか」
 ポンと頭に手をおいてくしゃくしゃと撫で、子ども扱いしないでくださいというようにむくれている朱里と一緒に近くの茶屋へと向かった。



 街で人気の茶屋に入り、二人で並んでおいしいお団子を食べながら至福のひと時を過ごす、はずだった。
 前までなら落ち着いていたはずのその空間は、私の早鐘を打つ鼓動によって緊張感溢れる場になっていた。
 比べて秋斗さんは私とは違い、お茶とお菓子のある時間を心底楽しんでいる。
 こちらから話がしたいと誘ったくせに、いざとなると言葉が口から流れる事は無く、唯々時間を浪費してしまっていた。
 きっとこの人は私から話すのを待っている。
 話す事はなんだったか。いざ彼を目の前にすると頭から吹き飛んでしまっていた。
 もう一度考え直すと国の事、政務の事、街の改築工事の事など仕事の内容ばかりが浮かんでは消え、私はこんなにつまらない人間だったのかと少し落ち込んだ。
 雛里ちゃんだったら何を話すんだろう。きっとこの人と他愛無い楽しい話をして笑い合ってるんだろうな。
 親友と彼が仲良さそうに笑い合っている場面を想像してチクリと胸に嫉妬の痛みが走る。
 随分前から芽吹いたその感情は、折り合いをつける事も出来ずに未だ心の真ん中に居座り続け、持て余してしまっている。
「クク、悩んでる朱里の百面相は見てて飽きないな」
 彼の急な発言に思考が止まり、しばらくして言われた事を理解して余りの恥ずかしさに顔が熱くなった。
 そこまで顔に出てたのか。彼に自身の浅ましい心を読まれてやしないだろうか。
 俯き、言葉を紡げずにいる私の頭を秋斗さんはそっと優しく撫で始める。
「何を悩んでるか知らないが、たまには頭をからっぽにしてみたらどうだ? そうだな、空を見上げてみるといいかもしれない」
「空、ですか?」
「ああ。俺は広い空を見てたら悩みなんかちっぽけじゃないかと思えちまうんだ」
 言われてゆっくりと見上げた空は透き通った薄い水色の中にふわふわとした白が幾つかまばらに浮かんでいた。
 流れて行く雲を見つめて、その自由さが羨ましいと感じてしまった。
 何にも捉われず、風の向くまま気の向くままにどこかへ旅立つ白は、思考に縛られ続ける私とはかけ離れすぎていたから。
「……朱里は何かなりたいモノがあるか?」
 ゆったりと、彼が紡いだのはそんな曖昧で難しい質問。きっと私の向ける羨望の眼差しからこちらの心を推測したんだろう。
「……私は――」
 口を開くが何も出てこなかった。
 私はいったい何になりたいんだろう。
 羨ましがって、嫉妬に溺れて、欲しいと願って
 無いモノねだりだと言ってしまうとそこで終わる。
 渦巻く思考をいくら積み上げようとも答えは出ず、自身の頭の悪さに泣きそうになってきた。
「見つからないならこれから探せばいいさ。人生は短いけど長い」
「秋斗さんは……何かなりたいモノがおありなんですか?」
 掛けられた言葉は優しいモノだったが、せめて自分が答えを見つけられるように基準が欲しくて彼に尋ねる。
「そうさなぁ。俺はこの世界に俺一人だ。何かになれるとしても『秋斗』というちっぽけな人だけだろうけど……もしなれるなら空のような人になりたい」
「秋斗さんの言う空のような人とはどのような方なのでしょうか?」
 相変わらず誰もが全く考えつかないような事を言う彼を羨みつつ、具体的な答えを聞いてみた。
「さてな。それは朱里が考えてくれ」
 意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見る彼に、少しむっとしてしまう。
 教えてくれてもいいのに。
 そんな感情を抑え込み、どこまでも広がる水色を見上げながら思考を回してみた。

 誰の頭上にもあるもので
 時間によって色を変えて
 気候によって顔を変えて
 季節によって長さが変わる
 いや、きっとこの人が言いたいのはそんな事じゃない。
 そこで先ほどの秋斗さんの言葉が頭に響く。
 見てたら悩みなんか消えてしまう。
 ああ、そうか。やっぱりこの人は――――

「誰もが想いを馳せ、誰もを癒し、誰もを包み込め、悩みも何もかも忘れさせてあげられるような人って事ですか?」
「朱里がそう思ったんならそれが答えかもな」
 結局曖昧にぼかす彼は、何も教えてはくれない。
 意地悪な彼に自身の怒りを示すために口を尖らせて批難の目で見つめてみる。
「そう怒るな。別にいじわるしてるわけじゃない。……空を見上げる時ってのはいろんな時があるだろう?
 哀しい時、寂しい時、嬉しい時、楽しい時、悩んだ時、他にも沢山だ。そしてその時々によって人に与えるモノが違う。人の心を映す鏡、なんて話だってある。そういう事だったらいいなぁ」
 言われて理解が少しだけ深まった。
 曖昧で、不明瞭で、でもそれこそが答えの形なのかもしれない。
 人を映す鏡とは、共感できるという事。人によって求めるモノは違うから、誰かの為でありたいという彼の願いそのもの。
「俺は空が羨ましいのさ。だからなりたい。誰かにとっての空になれたら、それでいいのかもしれない」
 彼も自分以外の何かが羨ましいのか。対象が人ではなくて膨大なモノなのが彼らしいと言える。
 私は何が一番羨ましいだろうか。私は羨ましいから何かになりたいのだろうか。
 秋斗さんのような思考が出来たらすぐに答えが出るのだろう。でも固い思考をする私ではすぐには出てこない。
「まーた考え込んでるのか。まあ、そんなとこも朱里らしくて可愛いけど」
 ドクンと大きな鼓動が耳に響き、顔全体を熱が覆っていく。
「な、なな、何をいきなり」
 秋斗さんはさらりととんでもない事を言って私の慌てふためいてる姿を見てか笑いはじめた。
「あはは! そんなんじゃいつか好きな人が出来たらもっと困るぞ?」
 この人は本当に無自覚で言ってるから困る。雛里ちゃんもそれのせいでいつも苦労しているのだから。
「もう! からかわないでください!」
 必死で言っても笑いながら謝るだけで、こちらの揺れる心と跳ねる心の臓には気付いてくれるはずも無かった。



 余りにわたわたと手を振る朱里がおもしろくて笑うこと幾分、彼女はつーんと拗ねていた。
「あんまり拗ねてると可愛い顔が台無しだぞ」
 と言っても彼女はちらとこちらを見て、またすぐにそっぽを向く。
 いや、確かにその仕草も愛らしいが。
「ごめんな。からかって悪かった。どうしたら許してくれる?」
「……お買いものに、付き合って下さい」
「おお、いいぞ。なら店を出ようか」
 朱里から打開策を提案されたので喜んで頷き、団子と茶を平らげてから二人で店を後にする。
 未だに拗ねている朱里はこちらを見もせずに、目を瞑って歩き続けていた。
 さすがにそれじゃ危ないだろうに。誰かとぶつかったらどうするんだ。
 そう思って片方の手を繋ぐ。
「ひゃ、ど、どうして」
「いや、目を瞑ったままで誰かとぶつかったらどうすんだよ。嫌ならやめるが」
「い、いいい嫌じゃないでしゅ!」
 慌てているのか恥ずかしいのか、最近は全く出なくなった彼女の噛み癖が顔を覗かせた。
「ならこのままでしばらく行こうか。街の人は気にしないだろ。手を繋いで歩くなんて日常茶飯……事……だし……」
 朱里は話の途中から批難の目じゃなくお説教モードのハイライトが消えた瞳と笑顔でこちらを見ていた。
「秋斗さんはいつも誰と手を繋いでいるのでしょうか?」
 言葉と共に凍える風が首筋を撫でてゾクリと寒気が一つ。
「い、いや、街の子供たちとだが」
 慌てて言うと彼女はがっくりと肩を落として誰にもわかるように落胆した。しかし、どう答えてもダメだった気がする。
「私は子供じゃないです」
 朱里の批難に大きな眼鏡を掛けた赤い蝶ネクタイの男の子が頭に浮かぶ。
 見た目は子供で頭脳は大人というわけだ。
「……失礼な事を考えてませんか?」
 自身の考えている事を見抜かれ、誤魔化す為に彼女の頭を一つ撫でると、恨めしい目つきで見上げてくる。
「さあ、どうだろうな」
「またそうやって誤魔化すんですね。いいですよー」
「朱里は結構拗ねやすいんだな。初めて知ったよ」
 本当に、今までは自分から避けていたからこんな細かい事に気付かなかった。
 そうだな、これからは気にせず皆ともっと関わろう。そうすればいいように変わるだろう。
 むくれ続ける朱里を苦笑しながら眺めていると視界に面白いモノが映った。
「朱里、あれを買おう」
 立ち止まり、指さす方を見させるとそこには白い羽の団扇がある。
 諸葛亮といえばまさしくそれだ、と言える一番の代物。
「綺麗な団扇……」
「ほら、軍師って隊に指示する時に何か目安になるモノがあった方が便利だろ?」
 店に近づいて、朱里は団扇を手に取ってからまじまじと眺め、何を思ったのか振り返り真剣な表情でビシッと俺を指し示す。
「っ! ……こんな感じですか?」
「いや、今です! って掛け声が欲しいな」
 それを聞いた朱里は慎ましやかな胸の前に団扇を持って行き、
「今です!」
 掛け声と共に先ほどと同じ動きを行った。おのれ孔明、お前がこんなに可愛いはずがない。
「おお、いいな! まさしく伏竜! よっ、大陸一の名軍師!」
 褒めちぎると彼女は照れくさそうにしながらも満更ではない様子。
 戦術なら雛里がぴか一だが、他は朱里の方が今の所少し上だろうしな。二人で競い合って高め合うのが一番だ。
「ふふ、大陸一ですかぁ」
 今の蕩けた顔はただの幼い少女にしか見えない、とはさすがに言わないでおく。
「徐晃将軍。それ買うのかい?」
 大きな声が聞こえたのか店から店主が出てきて俺に笑顔で聞いてきた。
 値段を見ると安くは無いが払えない事もなかった。
「ああ、買うよ」
「いつもうちのやんちゃ坊主が世話になってるし安くしとくよ」
「雛里ちゃんの分も一緒に買いましょう!」
 はっと我に返った朱里が己が親友の分もと言い、そんな彼女の気遣いに心が温かくなった。
「よし、そうしよう。色違いがいいかな?」
「はい!」
「色違いは黒しかないんですが……」
 申し訳なさそうな店主から差し出されたのはビームが撃てそうな黒の団扇。
 それを見て自分の思考が嫌な方に巡り始める。
 司馬懿がこの世界に居なきゃいいけど。もし居たなら大陸でも最強と呼び声の高いあの軍師とこの世界の曹操に組まれたらさすがにまずい。
 どれだけの軍師がこの世界にいるかは知らないが、もし誰かしら埋もれているなら引き抜きたいな。
「秋斗さん?」
 深く思考に潜っていると朱里が不思議そうに見上げてきた。
「ん? ああすまない、ぼーっとしてた。店主、二つともくれ」
「ええ!? 私も出し――」
「構わないぞ。頑張ってる二人への贈り物ってことにしといてくれ」
「……わかりました。ありがとうございます」
 まいどありーっと元気よく応じる店主から商品を受け取り、初めは申し訳なさそうにしていたが贈り物ということに納得したのか早くと急かすようにこちらを見る朱里に渡すと、宝物だというように満面の笑顔で胸に団扇を優しく抱きしめた。
「機嫌直してくれたか?」
「はい! ありがとうございます!」
 先程まで拗ねていたがやっと満面の笑顔になってくれた朱里を見てから、また二人で並んで街道を歩きだす。
 鼻歌を歌いながら歩く朱里はご機嫌で、最近の疲れた様子も吹き飛んだように見えた。
「秋斗さん」
 途切れた鼻歌の後、少しの間をおいて俺に声を掛ける。
「どうした?」
「私は大陸一の、誰も追いつけないような軍師になってたくさん人を救いたいです」
 彼女の言葉は先程したなりたいモノの話の答えだろう。
 俺のように捻くれた答えを言わず、現実的に捉える所が朱里らしいと言えた。
 煌々と熱く燃える瞳の光は覚悟の大きさを表している。桃香にしたように幾つか問いかけるか。
「……その為に人をたくさん犠牲にする事になるが?」
「もう甘い事は言いません。きっとこれからの乱世ではたくさんの犠牲を強いてしまいます。それでも……どんな事をしてでも桃香様の理想の礎を、優しい世界の土台を創り出す事が私の願いです」
 確かにその覚悟は見事だが、一つ踏み外すだけで大変な事になる。
「どんな事をしてでも、ではダメだ。基準線をしっかりと引いておいて、その中から選ぶんだ」
「あ……そうですね。では私はそれを読み切った上で正道を貫くことも、策を献策することも行います」
 朱里は俺の言葉を間違えなかった。
 桃香の理想の為にどんな事をしてでも、ではいつか人が着いて来なくなる。敵方の邪道を読み切るのにその思考は必要だが、自身がそればかりを行ってはいけないという事。軍師ならば搦め手の類を使っていい相手と正々堂々と打倒すべき相手は見極めなければならない。
「うん、それでいい。じゃあもう一つ。敵の中に善人は入っているか?」
 これにちゃんと答えられたなら桃香も変えられる。朱里は哀しそうな表情に変わりゆっくりと口を開いた。
「……入っています。話しても分かって貰えない人とは戦うしかありませんから」
 まだ甘いが及第点と言った所だ。これなら後々に期待出来る。その後に従わせる事が出来るのか、と聞くのは簡単だが今はしない。朱里は聡い子だから俺が言うときっと全てに気付く。
 でもしっかりと形にするのは桃香が大きな決断を出来た後の方がいい。そうしないと桃香と朱里が内部で敵対する事になる。筆頭軍師と主の対立は俺にとってはまだ望む事じゃない。
 桃香がどの程度まで行けそうなのか判断出来ないとこれ以上は進めない。多分、雛里もそれを分かってくれてるから朱里にも話を振って無いんだろう。
 もし、これから自身で気付いても、理想との矛盾が大きすぎて簡単には口に出せなくて、巡る思考の中で俺達と同じ答えに行き着いて、まず真っ先に雛里の元に相談を持ちかけるだろう。
「哀しいけどそれが現実だな。ごめん、暗い話題にして」
「いえ、いいんです。考えておかなければいけない事ですし。それに私から話を振ったので……」
 また彼女を暗くしてしまった。どうしたモノか。
 せめて戦から思考を離して上げたくなって違う話を振る事にした。
「ならもうおしまいとして違う話をしようか。そうだな……徐晃隊の笑い話でもしよう。あれは連合に行く前の話なんだが――――」
 歩きながら、朱里に笑い話をすると彼女は楽しそうな笑顔を見せてくれた。
 ほっと胸を撫で下ろして俺達は他愛ないやりとりと会話を繰り返しながら帰路に着いた。

 ああ、やっと俺達は家に帰ってきた。そう実感できた今に感謝しながら。









~伏竜、鳳雛の対峙~

 秋斗さんから贈り物として朱里ちゃんと色違いの団扇を貰った。
 彼からの初めての贈り物に私の心は歓喜に溢れた。
 夜の闇を映した漆黒の団扇の色はまるで人々に語られる彼の二つ名のようで、彼がいつでも隣にいてくれるようで、あの人を助けるために私が揮えと言っているように感じて。
 対して親友の持つ団扇は純白。少しの優越感とも取れる感情が私の心に浮かぶ。醜いとは思う、でもこれはどうしようもないモノ。朱里ちゃんに負けたくないという私自身の心の形だから。
 しかし、嬉しそうに話す朱里ちゃんを見て胸がチクリと痛んだ。
 その表情はまさに恋をする女の子のモノで、きっと私もあんな顔をしているんだろうと想像出来た。
「――――でね、私はこれから大陸一の軍師になるために頑張ろうと思うんだ」
「……朱里ちゃん、負けないよ。私も大陸一の軍師を目指してるから」
 きっぱりと、笑顔を向けてくれる親友に力強く言い切る。あの人の為に、とは言わない。これは私だけの想いだから。全ての平穏な世に暮らす人の為、でもあるけど私の心はあの人を救いたいという想いに傾き始めていた。
 きっと、だからこそ私達は王になれない。器とはそういうモノなんだろう。
 私の決意を聞いた彼女はきゅっと唇を引き結んで強い光を携えた瞳で私を見た。
「うん、同じ軍だけど、同じ軍だからこそ私達で競い合おうね」
 互いに見つめ合う事幾分。私はもう一つ、大切な事を親友に告げる。
「秋斗さんの事は……絶対に負けないから」
 言葉に別の意味を込めて伝える。彼の隣に軍師として立って平穏を作り出すのは……私しか嫌だ、というわがままな心を。
「……やっぱりバレてたんだ。うん、負けない。私も……あの人の事が好きだもん」
 きっと他の道もある。
 二人であの人に想いを伝えたら、優しい彼は私達を二人とも受け入れてくれるかもしれない
 でもダメなんだ。それでは意味が無い。例え二人の想いが受け入れられるとしても、彼に一人を選んで貰ってからでないと、優劣をつけないと私達はもう納得しない。
 私はもう朱里ちゃんにも、他の誰にも負けたくない。
 これは乱世と同じなのかもしれない。
 まさしく、彼の言うように誰かが一番にならなければ納得出来ない乱世のよう。
 桃香様の理想なら誰もが一人に平等に愛される、という未来も描けるだろう。
 しかし元来、権力者は幾人かの伴侶を持つこともあるが、それでも正式な伴侶はたった一人が望ましい。心の問題ではなく、広く事実として全ての人に知られることだろう。
 もし、彼の望みと交わりあったとしても、幾人も支える者が増えたとしても、隣に堂々と立てる人はたった一人だけ。
 そこで一つの事柄に気付いた。

 ねぇ、朱里ちゃん。
 もう私達が桃香様から離れかけてるって気付いてる?
 あの人に関わったから、あの人を想えば想うほど、私達が変わって行ってるって気付けてる?

「どっちが選んで貰っても、恨みっこは無しだよ?」
 宣言を一つする朱里ちゃんはきっと気付いていない。でも、朱里ちゃんはそのうち気付いてくれる。  桃香様が決断出来ない時が来た時に、きっと桃香様を選ばずに私達を手伝ってくれるだろう。
 桃香様が決断を出来たなら、それならその先に待つのは彼の思想でもあるのだから問題は全くない。
 その時は……二人で共に想いを伝えよう。
「うん。じゃあ、ある程度安定した時に二人で一緒に想いを伝えるっていうのはどうかな?」
「分かった。……それまでが勝負だね。でも――」
「軍師と恋では好敵手でも、ずっと親友だよ」
 暖かい表情で私を見た朱里ちゃんが言おうとした事を代わりに繋げると、彼女は笑みを深めて手を差し出した。
 その手を握り、互いに笑いあう。
 そう、私達は何があっても心で絆された友なんだから。

 その夜、私達は次の日の仕事に差し支えないように互いの想い人の事について語り合った。


 
 

 
後書き
読んで頂きありがとうございます。

司馬懿しか黒羽のうちわは認めない、とも思うのですがあえて雛里ちゃんに持たせてみます。
恋姫の格げーのように書簡でもいいのですがさすがに……

オリキャラはあまり増やしたくないのですが表立って動くキャラは後三人は確実にそのうち出ます。
といっても主人公に絡んでくるのは少ないですが

次は二日後、店長の幕間です。

ではまた 

 

~幕間~ 世界の歪みは緩やかに

 
前書き
今回は練習中につき三人称です。 

 

 夕暮れ時であるのに他への配慮も考えないその声は、
「ほあーーーーーー!」
 怒号、と呼ぶには余りに歓喜に満ちていた。
 三人の美女が舞い、踊り、歌うその会場は熱気と異臭で埋め尽くされている。
 最前列で一人静かに舞台上を見やる長身の男は、目を細めて思考に潜る。
 なるほど、確かにこれらは人の心を救う。舞台とは、料理と同じなのか。
 顎に手をあてて考えるその男の名は高順。正史であれば武将だったはずだが、一人の男によってその運命を捻じ曲げられていた。

 †

 高順はある男と会うまで絶望の世界に立っていた。
 都で料理を振る舞っていても、聞こえてくるのは暗く、黒い話題ばかり。
 心を込めておいしい、と一言でも言ってくれれば高順は救われたのだ。それがどれだけ醜く太った豚のような権力者のモノであろうと、まだ味の判断が曖昧な童子のモノであろうと。
 だが、それに反して聞こえてくるのは己が私腹を肥やすための手段ばかりで、彼の料理などただ舌から吐き出される汚物のような話の引き立て役でしかなかった。
 洛陽の都といえば野心渦巻く己の力を試せる最高の場のはずだったのだ。
 それが何たること、料理の素晴らしさのかけらも理解できないクズしかいない。
 宮廷にでも入り込めていたらよかったのだが、本能的に宦官を毛嫌いしている高順にはその選択肢は浮かばなかった。
 いっそ田舎にでも引っ越してひっそりと料理を続けよう。
 そう思い立ち、貯まりに貯まった金銭を使って幽州に店を立てた。
 しかし高順の料理の腕はひっそり、などという甘い事を許してはくれなかった。
 あれよあれよという内に豪族からの支援が増え、店を大きくしろと恐喝までされる始末。

 所詮、どの場所でも同じなのか。
 もう店を畳んで、戦場という料理の食材にでもなろう。料理人ではなく食材として生を終えよう。洛陽で士官の口をきいてくれるツテがあるしそうしよう。

 そんな考えが頭を過ぎった頃、それでも料理人の本質か、新しく出来たという店に自分の知らない料理は無いかと視察に行ってしまった。
 なんの変哲もない、自分がよく見知っている料理が並んでいてがっかりしたが、奇跡の出会いがそこであった。
「おい、星。メンマは確かに単体でも美味い。だがな、料理する事でその可能性は無限大になるんだよ。分かる?」
「違うでしょう? メンマはメンマだからこそ至高。他のモノに混ぜ込むなど邪道の極みではありませんか!」
 黒と白。男と女。料理と素材。
 相反する二つの事柄がいがみ合い、貶めあい、分かり合う事などないと思われた。
 醜い、人間とはどれだけ醜いのか。
「言わせておけば……っ! 料理ってのは和だ! 人の関係性と同じなんだよ! 例えばメンマは将、米は兵として表現してみろ!
 おい店主、厨房を貸せ。代金は三倍払うから俺に料理させろ」
 そんな男の言葉が高順の心を打った。
 料理とは和。そんな考え方は初めてだ。
 どんなモノを作り出すのかと野次馬に混じって厨房を覗きに立ち上がる。
 手早く厨房で料理を行う男は手つきを見るに完全な料理人では無かったが、燃えたぎる情熱を宿した瞳に若い頃の自分を重ねてしまった。
 手際は及第点。味付けには……なんと、そこでそんなモノを入れるのですか!?
 料理人の高順とこの店の店主だけが異常さに気付いた。驚愕に目を見開く二人は中華鍋を振り回すその男を凝視する。
 何一つ見逃すまいとして高順は全ての手順と食材を頭の中に叩き込んで行った。


 出来上がったのはメンママシマシのメンマ丼と言っていた。
 一口食べた白の美女は目を瞑り、それから一言。
「メンマ単体の方が私には好みかと」
 しかし黙々と口に運び続ける。
「うん、それでいい。だがこれも中々イケるだろ?」
 してやったり、というようににやりと笑う男は、美女の心の内を読みとったのだろうと予測できる。
「ふふ、武人が武を振るう場が違う、という事にしておきましょう」
 お互いの落としどころを見つけての曖昧な決着ではあったが、どちらにも笑顔が宿っていた。
 最後に美女は、
「大変おいしかった、秋斗殿。ごちそうさまでした」
 料理を作ってくれた者への感謝を、綺麗な笑顔で口にする。
 その光景を見た高順の頬には涙が一筋流れていた。
 なんて美しいのか。私が求めたモノの一つがここにある。
 ああ、そうか。私は大切な事を忘れていた。お客では無い誰かに料理を作るという事を。誰かに食べさせてあげたいという気持ちを。私の料理を食べて笑って欲しいという想いを。
 気付けば黒衣の男の手を握っていた。
「この料理の作り方を教えて欲しい。もう一度作って貰えませんか?」
 一度目にした料理は忘れない高順は、自分のためにも作って欲しくて嘘をついた。そして腹黒くなってしまった高順は無意識の内に店で出す事まで計算してしまっていたのだ。
 自身の汚れきった心にまた絶望がのしかかり、こんな自分にはおいしいと言ってくれる人などいないかもしれないと落ち込む。
「構わないが……店主、どうせなら違う料理も作ってみたいんだがいいか? 代金は払うぞ」
 きらきらと光る眼差しは子供のようで、高順は直視していられなくて目を伏せる。
「え、ええ。あっしは構いやせんが……そうっすね、メンマ丼の作り方で手を打つってので」
 その店主は高順を知っていた。密かにライバル視もしていて、メンマ丼の作り方を強奪する事にしたと思われる。
 悔しくて歯軋りをする高順に、男はポンと一つ肩を叩き、
「あんた料理人だろ。それもとびきり腕のいい奴だ。後でメンマ丼より遥かにおもしろい料理を教えるから悔しがるな」
 小さく内緒の話を告げ、厨房に向かう。
 彼は、先ほどの美女とのやり取りを見ていた高順の本心を見抜いていた。


 簡易の料理会が終わり、夜遅くに先程の店を出てから自身の店に白の美女と黒の男を招く。店の看板を見て唖然としていたが中に入り、手ごろな席に二人は座る。
「名ばかりで心の籠っていないくだらない店ですよ」
 高順が自嘲気味に一つ言うと男は真剣な顔をして語り始める。
「料理ってのは人の心を救う一番の方法なんだ。腹が減る、飯を食う、幸せになる。おいしい料理ならどれだけでも幸せが大きくなる」
 男の放つ言葉に、また一つ高順の心が晴れて行く。
「なに、簡単な事だ。あんたは答えを知ってるだろう? どれだけ腐った客でも心から美味いと言わせる料理を作ればいい。黒い話題なんか出来ないほど夢中にさせればいい」
 彼には、道すがらに自身の本心をぽつりぽつりと漏らしていたからこその発言。心を揺さぶられる彼なりの答えは、高順には輝かしくて、しかし踏ん切りがつかない。
「俺は美味いもんが好きだ。店長、あんたの最高の料理を食べさせて俺が納得できたら、誰もが夢中になる料理を教えてやる。大陸に居ただけでは到底知りえない未知の品だ。……料理人なら、作ってみたくはないか?」
 傲慢に過ぎるその男の言は高順への挑戦とも取れた。
「ふむ、これは男同士の決闘。ならば私が立ち会い人になってしんぜよう」
 美女の言葉に高順の心は轟々と燃え上がり、すっと睨みつけてから立ち上がる。
「いいでしょう。ただし、私の料理があなたの予想を超えていたなら、知っている全てのモノを教えて頂きます」
 久方ぶりに闘争心というモノを持った彼は、厨房にてこれまでの全てを結集して芸術とも呼べる一品を作り出した。


 コトリ、と男の目の前に置いて反応を確認すると、
「いい匂いだ。食欲をそそられるな。彩りもいい。見ているだけで飽きない」
 一つ一つ料理に対して褒めていく。言葉が紡がれる度に高順は心が満たされていった。
 黒衣の男はハシで一口分を切り取り、ゆっくりと口に運び、目を瞑って咀嚼、嚥下した。
「うん、おいしい。店長、あんたの料理は最高に美味いな!」
 高順を見る笑顔は宝物を見つけた子供のようで、すっと心が晴れ渡るのを感じた。
 誰かにそう言って貰いたくて、誰かに認めて貰いたくて作った一品。それは心の籠った確かな料理だった。
「小皿ある?」
 ふいに男は小さな皿を求めた。その意図が分からずに何故ですか、と聞き返す。
「皆で食ったらもっと美味いだろ? 店長も一緒に食おう。星がどうせ酒持ってるだろうから酒も飲もう」
 ギクリと肩を竦める美女ににやりと笑って言い切り、そこからその場は酒宴となった。
 高順はその日どれだけ笑ったか分からない。
 その時の料理は、自身で作ったというのに、今まで食べた何よりもおいしかった。
 人と食事をする楽しさすら、彼は忘れてしまっていたのだ。
 もう彼の心に絶望は無かった。

 酒宴も終わり、男は書簡に数々の料理の作り方を書いて渡す。男が『れしぴ』と名づけたそれを高順は今も宝としている。
 記された料理の数々はどれも異質で未完成なモノが多い。記憶が曖昧で、しっかりとした材料が分からないモノもあった。
 しかし高順の料理に掛ける情熱は誰よりも熱く、大きい。だからこそ全てを再現し、あまつさえ自身で改良さえ行っている。
 その日から高級料理飯店『娘々』は劇的に変わることになった。
 それは彼の野望が再燃した日だった。

 †

 時は戻り、現在。
 高順は役満姉妹と呼ばれる少女たちの舞台を見に来ていた。
 男の残した『れしぴ』に乗っている、絶対に作れないだろうと言われている幾つかのモノを作る技術を知る事が目的である。
『役満姉妹の舞台では冬が来る』
 との噂を聞いて。
 そんな世迷い事のようなモノは半信半疑だったが事実、冬は来た。
 全くと言っていいほど胸に起伏の無い少女が手を上げると、どこからともなく白い煙が舞台前の地を這い、驚くほど冷え込んだのだ。
 高順は驚愕に目を見開き、身体が歓喜に震える。
 この技術さえ手に入れば私はまた大陸制覇に近づける。
 舞台が終わり、出待ちと呼ばれ押し寄せる多数の男から彼女達を守る女性に、その場が落ち着きだした頃に話しかける。
 店の名を言うと仰天して目を見開き、固まってしまった。
「どうしてあの店の店主が……」
「ティンと来たんです。彼女達と交渉をお願いしたいのですがよろしいでしょうか?」
「よ、要件は?」
「私の店に小さな冬が欲しい、そう言ってください。教えて下さるなら新作の甘味を出す度に最初にタダで食べる権利を。美容に効く料理も知っておりますのでお力になれるかも、とも」
 ただし猫耳軍師だけには最初に食べさせる密約を交わしている、とは言えない。
 美容に効く料理は自身がこれまで学び、覚えてきたものだ。
 女性は頷いてから楽屋に消えて行き、しばらく待つと先ほどの三人の内眼鏡の少女が現れた。
「追加で条件があります。この街に帰ってきたら打ち上げをあなたの店で、無料で開いてくれるなら構いません」
 目の前に立つなりさくっと条件を増やしてきた。
 強気な姿勢からはこのような交渉事を多くこなしてきたのが分かる。
「ふふ、歌姫の三人だけならば構いません。ただし人目もあるでしょうから時間指定をさせて頂きます」
 高順は間違わない。少女が明確な人数を言わなかったのは上手い、無料でも大喰らいがいれば店にとっては大打撃になるだろう。
 二つとも抑えたのは長年店主として経営に携わってきた経験からの判断であった。
 たった一人の例外であるあの男の来訪を除けば、それでもこの条件は破格に過ぎる。
 じっ