銀河親爺伝説


 

第一話 邂逅




■  帝国暦485年 3月20日  ヴァフリート星域  旗艦オストファーレン  ラインハルト・フォン・ミューゼル



ヴァフリート星域に反乱軍が集結している。こんな戦い辛い星域に集結する等反乱軍も何を考えているのかと思うがヴァフリートはイゼルローンにも近い、放置しておくことは出来ない。帝国軍総司令官ミュッケンベルガー元帥はヴァフリート星域にて蠢動する反乱軍を撃滅すると作戦会議で宣言した。まあ俺としては武勲を上げる機会が訪れたのだ、悪い事では無い。

帝国軍総旗艦ヴィルヘルミナで会議が終わった後、グリンメルスハウゼン艦隊旗艦オストファーレンでも作戦会議が開かれた。こちら艦隊は兵力が少ない、つまり火力の絶対数が少ないのだ。正面から何の策も無しにぶつかれば劣勢に追い込まれる事は見えている。

火力の絶対数が不足しているから機動力で補おうと意見を具申した。具体的には砲艦を最左翼の後尾において時期を見て前進、迂回させ敵の右翼に砲撃を集中させるのだ。それほど複雑な艦隊運動を必要とするわけではない、自画自賛するわけではないが良い案だったと思う。

グリンメルスハウゼン司令官も”いい案だ”と褒めてくれた。だが褒めただけだ、結局は採用しなかった。彼が選択した作戦案は彼の経験から生み出した物ー全体でみればこちらのほうが兵力が多いから無理せずに押し切ろうーを提示して作戦会議を終わらせた。

馬鹿げている、低レベルの経験が一体何の役に立つというのか……。俺はこの老人が軍の厄介者である事を知っている。いや、俺だけでは無い、皆が知っているだろう。皇帝フリードリヒ四世と親しい関係に有るから誰も手出し出来ずにいる。今回の戦いも皇帝の“連れて行け”と言う内意が無ければオーディンで留守番だったはずだ。

憤懣を抱きながらキルヒアイスとともに自分の旗艦タンホイザーに戻ろうとした時だった。オストファーレンの廊下を歩いていると
「ミューゼル准将」
と後ろから低い声がした。振り返ると初老の男がいる、アロイス・リュッケルト准将、階級は俺と同じだが年齢は俺の三倍以上、六十歳前後の男だ。俺と同じ分艦隊司令官、但し率いる艦隊は五百隻を超えるはずだ。俺の倍以上の艦隊を率いている。

立ち止まるとリュッケルトはゆっくりと近付いて来た。中肉中背 何処と言って特徴の有る顔立ちではないが右の額から眼の上を通って唇近くにまで達する傷が有る。うっすらと見える一筋の傷だ、若い頃の戦傷だろう。何度も修羅場を経験したと思わせる風貌だ。

六十近い年齢にも関わらず准将という将官としては最下層の地位に有るのはこの老人が士官学校も幼年学校も出ていない、つまり正規の軍事教育を受けていない兵卒上がりだからだ。叩き上げで閣下と呼ばれる地位に上がった。兵卒達にとっては憧れの存在だろう。

「何かな、リュッケルト准将」
俺が答えるとリュッケルトは微かに笑みを浮かべた。
「まあ余りカッカしない事だ」
「……」
「あの御老人に戦争は無理だ。それに誰もこの艦隊が武勲を上げる等と期待してはいない、お前さんにも分かるだろう」

その通りだ、誰も期待していない。何故俺はこんな艦隊に配属されたのか……。それにしても“お前さん”?
「リュッケルト閣下、失礼ですが“お前さん”と言うのは聊か非礼ではありませんか?」
キルヒアイスが咎めるとリュッケルトが肩を竦めた。

「卿と呼ばれたいか? しかしな、ミューゼル准将を卿なんて言う奴に限って陰では“小僧”と罵っとるよ。それでも卿と呼ばれたいかね?」
「……」
キルヒアイスが口籠った。多分、この老人の言う通りなのだろう。

「この艦隊はお荷物の集荷所さ。厄介な荷物は皆まとめて一カ所に、そういう事だな。或いはゴミは散らかすな、かな」
「……」
俺はお荷物じゃないしゴミでもない! あんなボンクラと一緒にされてたまるか! ムッとするとリュッケルトが今度は低く声を出して笑った。

「皇帝の寵姫の弟など誰も部下に欲しがらない。万一戦死でもされてみろ、後々復讐の女神の祟りが怖いだろうが」
「復讐の女神? ……馬鹿な、姉は……」
リュッケルトがまた笑った。
「お前さんがどう思うかは関係ない、伯爵夫人がどう思うかもな。大切なのは周囲はそう見てるって事だ、違うか?」
「……」
「お前さんは厄介者の荷物なんだ、それも特大級のな。少なくとも周囲はそう見てる。分かったか?」
「……」

反論出来なかった。確かに俺には誰も近づかない、話しかけもしない。俺は厄介者の荷物だと見られていたのか……。キルヒアイスに視線を向けたが目を伏せて俺を見ようとしない。キルヒアイスにも否定出来ないのだろう。
「分かったか? 分かったらそんなカッカするんじゃない、お前さんはここに来るべくして来たんだからな」

「……卿はどうなのだ? 卿も厄介者の荷物なのか?」
一矢報いたくて言ってみた。だがリュッケルトは何の反応も示さなかった。
「兵卒上がりの准将など何処に配置しようと誰も気にせんよ」
そう言うと俺達を追い越して歩き去って行った。後ろ姿が少しずつ遠ざかって行く。

「カッカしても仕方ないか……」
「ラインハルト様」
「彼の言う通りだ、なんか馬鹿らしくなってきたな」
「……」
キルヒアイスが心配そうに俺を見ている。俺らしくないんだろうか?
「まあ気楽に行くか……」
「はい……」



■  帝国暦485年 3月27日  ヴァンフリート4=2 旗艦オストファーレン  ラインハルト・フォン・ミューゼル



気に入らない! 不愉快だ! 何故俺があの男の下に付かなければならないのだ。ヘルマン・フォン・リューネブルク、本当に嫌な奴だ! 何であんな奴と……、大体このヴァンフリートⅣ=Ⅱとは何なのだ。何故こんなところに待機を命じられるのか……。

分かっている、分かっているのだ。ヴァンフリート星域の会戦は酷い混戦で終わった。大体この通信の維持が困難な星域で大規模な繞回運動を行なうなど総司令部は一体何を考えているのか! 低能のボンクラ共が! 挙句の果てに混乱して艦隊の座標位置まで分からなくなるとは低能の極みだ。帝国軍が負けなかったのは運が良かったからではない! 反乱軍が帝国軍に負けず劣らずの低能振りを発揮したからに他ならない!

極め付けはグリンメルスハウゼン艦隊はヴァンフリートⅣ=Ⅱで待機だ。戦闘中何の役にも立たず漂っていたグリンメルスハウゼン艦隊にミュッケンベルガー元帥は嫌気がさしたらしい。役立たずのお荷物は引っ込んでいろ、そういう事なのだろう。

だがこのヴァンフリートⅣ=Ⅱには反乱軍の軍事拠点が有った。俺が偵察するべきだと言ったのに司令部の参謀共に拒否された。何故拒絶する? ここはイゼルローン要塞にも近い、放置する事は危険な筈だ。それなのに連中は愚にも付かない理由を述べて偵察を拒否するのだ。おまけにリューネブルクにはそれを許しあまつさえ奴を攻略部隊の指揮官に任命するとは……。何で俺が奴の副将なのだ、全く納得がいかない!

オストファーレンの廊下をキルヒアイスと歩いていると前方に人影が見えた。壁に背を持たせ腕組みをしている。リュッケルトだった。俺を待っていたのかもしれない。そう思うと憂欝になった。嫌いではないが苦手だ。グリンメルスハウゼンの捉えどころの無い雰囲気とは違うがリュッケルトは俺を憂欝にさせる何かを持っている。

無視して通り過ぎようとした時だった。低い声が聞こえた。
「相変わらず不満が有るらしいな」
「……」
「面白い話を聞かせてやる、付き合え」
そう言うと俺達の返事を聞かずに歩きだした、俺達が来た方に。

「聞きたくない、と言ったらどうする」
「いいから来い、為になる話だ、少しは利口になるだろう」
リュッケルトは振り向かない、そのまま歩いている。どうするか? キルヒアイスと顔を合わせたがキルヒアイスも困惑している。
「早くしろ」

面白くなかった、だが後を追った。話しを聞くだけだ、面白くなければ怒鳴りつけてやる。でも多分そんな事は無いだろうとも思った。リュッケルトが案内したのはオストファーレンに有る士官用の部屋だった。だが中は様々なガラクタが置いてある、物置部屋だ。密談には相応しいかもしれない。

「ここは俺の部屋だ」
「卿の? しかしこれは……」
俺もキルヒアイスも混乱した。これがリュッケルトの部屋? どう見ても物置部屋だ。
「司令部が用意してくれたのさ、なかなかだろう。兵卒上がりにはこれで十分というわけだ。適当に座れ」

取りあえず置いてあった椅子に座った。
「抗議しないのか?」
「抗議などすれば奴らを喜ばせるだけだ。せっかく用意してやったのに気に入らないらしいとな。それに俺は自分の旗艦に戻ればちゃんとした部屋が有る、ここを使ったのは今日が初めてだ」
そう言うとリュッケルトも椅子に座った。

不当だと思った。抗議するべきだと思った。だがリュッケルトは気にしていないらしい。
「お前達、昇進で不当な扱いを受けた事が有るか?」
「その、お前と言うのは止めてくれないか」
「気にするな、お前達も俺の事を好きに呼べばいい。それで五分だ」

どうにも困った男だ。さっきから全然調子が出ない。
「じゃあ、……爺さんと呼ぶぞ」
年寄り扱いしてやる、嫌がるだろうと思ったが奴は頷いた。
「良いぜ、気に入らなきゃクソ爺とでも呼ぶんだな。俺もお前らの事を気に入らない時は小僧と呼ぶ」
駄目だ、益々奴のペースだ。

「それでさっきの質問だ、昇進で不当な扱いを受けた事が有るか?」
「いや、俺は無いと思う、キルヒアイス、お前は?」
気が付けば俺と言っていた……。
「私も有りません」
「そうか、そうだろうな……」
爺さんは一人で頷いている。

「爺さんは有るのか?」
「嫌になるほどな、有る。兵卒上がりだ、後ろ盾は無い。武勲なんぞ横取りしたってどこからも苦情は出ない。俺が何か文句を言えば異動させるだけだ」
落ち着いた口調だ、悔しそうなそぶりなど毛ほども見せない。本当にそんな事が有ったのだろうか、そう思った。キルヒアイスも不思議そうな表情をしている。

「兵卒上がりの大佐が准将に昇進する時には適性試験を受ける事になっている。知っているか?」
爺さんの質問に俺とキルヒアイスは頷いた。
「確か筆記試験と口述試験が有ると思ったが……」
「そうだ。正確には武勲を上げ上司の推薦状が必要だ。そして人事局がそれを認めて適性試験になる。容易じゃないよな、武勲を上げるのも大変だが推薦状だって小さな武勲じゃ貰えない。俺は四度目で適性試験に合格した」
「……」

「どう思う? 正直に言え、遠慮するなよ」
「……いや、苦労したのだな、と思った」
俺が答えると爺さんは笑い出した。
「お前は官僚か? 役人みたいな答えだな。遠慮せずに言えと言ったはずだぜ」
「……」

「小僧、お前は幼年学校首席で卒業だろう? 頭の悪い奴、そう思ったんじゃないのか?」
「……いや、まあ、少しは」
俺が口籠りながら答えると爺さんがまた笑い声を上げた。参ったな、小僧と呼ばれても反発できない。
「適性試験はな、一回じゃ合格しないように出来てる。三回目で合格だ」

えっと思った。俺だけじゃない、キルヒアイスも驚いている。
「筆記試験が合格ラインでも口述試験で落とすのさ。まあ好意的に取れば将官になるのはそれだけ大変な事だ、精進しろ、そんなところかな。悪意を持って取ればサル共が人間様の仲間入りなど百年早い、そんなところだ」
「サルは酷いだろう」
爺さんがニヤッと笑った。
「この部屋を見てもそう思うか?」
「……」

反論できなかった。司令部は物置部屋としか思えない部屋を爺さんに用意したのだ。
「あの、四度目で合格と聞きましたが……」
キルヒアイスが質問すると爺さんが無表情に“三回目の時にちょっとしたトラブルが有ってな”と答えた。

「口述試験の時なんだがな、首席審査官はシュターデンという男だった」
「シュターデン? 総司令部の作戦参謀に同じ名前の男が居るが?」
「そいつだよ。そいつがな“三回目か、残念だな”と言ったよ。そしてネチネチとどうでもいいような事を質問してきた。揚げ足とってその度に“所詮は兵卒上がり、この程度で将官になろうとは”、そう言って嘆かわしげに首を振ったよ。厭味ったらしくな。楽しかったんだろう、嬉しそうだったぜ」
シュターデン、弱い立場の人間を弄って喜ぶ、吐き気がするような男だ。

「普通はな、口述試験は三十分から一時間程度で終わる。だが奴は二時間近く俺をいたぶった、うんざりしたぜ。同席していた審査官も顔を顰めてたくらいだ。最後に“まあ仕方ない、合格させてやるか、最低点だがな”そう言ったよ」
シュターデンは合格点を付けた?
「良く分からないな、シュターデンは最低点とはいえ爺さんに合格点を付けたんだろう? 何故落ちたんだ?」

「同じ時にもう一人適性試験を受けた奴が居たんだ。そいつが合格した。但し、そいつは一回目だったがな」
どういう事だ? 何故その男が合格する?
「そいつの上げた武勲ってのが或る門閥貴族の子弟の命を救った事だった。助けられた奴の父親は喜んでな、望みを言えと言った。奴は適性試験に合格したいと言ったんだ。そしてその貴族は必ず望みを叶えてやると請け負った」
「それでか……」
思わず溜息が出た。爺さんが何度も不当な扱いを受けたというはずだ。

「人事局の担当者は奴を准将にするのを渋った。未だ一回目だし口述試験の成績は合格ラインに達していなかったからな。だがその貴族は諦めなかった。俺の試験結果を見て最低ラインだ、こいつを准将にするのなら自分の推す人間を准将にしろと捻じ込んだのさ」
「……」

「二人昇進させるという手も有っただろう。だが人事局の担当者は本来合格するのは一人だからと俺を落した。デスクワークの官僚だからな、前線で武勲を立てるという事がどれだけ大変か分かって無かったんだ。俺は大佐から准将に昇進するまで五年半かかったぜ」
五年半、少なくても十回以上は戦闘が有ったはずだ。

「……その男は如何しているのかな、爺さんの代わりに昇進した男だが」
「分艦隊司令官になったが死んだよ、戦闘中に首の骨を折ってな。二階級昇進で中将だ」
首の骨を折った? 分艦隊司令官が?
「こういう話は直ぐに広まる。汚い手を使って他人を蹴落とした、そう思われたんだろう。きつい任務にばかり当てられたようだ。部下にしてみればたまったもんじゃないさ」

「……では殺されたと?」
質問した声が掠れていた。戦闘中に味方の手で殺された……。
「そうじゃなきゃ首の骨なんか折るか? 奴の乗艦で死んだのは奴だけだったんだ。……奴とはあの後一度会った。向こうから訪ねて来たよ。何度も俺に謝っていたな、こんなつもりじゃなかったと言って泣いてたぜ。もしかすると自分の運命が見えてたのかもしれないな」
「……自業自得かもしれないが哀れだな」
俺がそう言うと爺さんが俺を見た。如何いうわけか悲しそうな眼に見えた。

「俺は奴を責めなかった。奴はな、自分には後二回武勲を立てる自信が無かったと言ったんだ。死ぬ前に一度でいいから閣下と呼ばれてみたいと。悪いとは思ったが貴族に縋ってしまったと……」
爺さんが首を横に振った

「責められねえよ、俺だって同じ立場なら同じ事をしただろう。兵卒の中で大佐まで進むのはほんの僅かだ。そして大佐で三回武勲を上げるのがどれだけ大変か……。兵卒上がりの大佐なら大体は戦艦の艦長だ、しかもボロ船を与えられる。それで誰もが認める武勲を上げなきゃならない、容易じゃないぜ。無理をして大佐で戦死する奴は結構多いんだ。俺には奴を責められなかった……。お前なら責められるか?」
「……」
爺さんが俺を見ている。悲しそうな眼だ。答えられなかった。爺さんの言う通りだ、俺にもその男を責める事は出来ないだろう……。




 

 

第二話 博打




■  帝国暦485年 3月27日  ヴァンフリート4=2 旗艦オストファーレン  ラインハルト・フォン・ミューゼル



俺とキルヒアイスが何も言えずにいると爺さんが話を続けた。
「その後が大変だった。俺が准将に昇進しなかった事で俺の上司が怒ったんだ。そりゃ怒るわな、部下が昇進するのは上司にとっては評価の一つだ。まして兵卒上がりが准将ともなれば勲章ものさ。それを潰されたんだ、人事局の担当者をTV電話で呼び出して怒鳴りつけたぜ」

「担当者は泡食って事情を説明したよ。口述試験の結果が良ければ、とか懸命に弁解してた。俺の上司はシュターデンも呼び出して詰った。責められたシュターデンは仰天してたな、奴は俺が落ちるとは思っていなかったんだ。最後の嫌がらせくらいに思っていたんだろう、必死で自分は関係ない、担当者が悪いんだと言ってたっけ」
爺さんはボソボソと喋った。俺達に話していると分かっているのかな。そんな疑問を持った。

「当然だよな、軍隊じゃ士官よりも兵卒の方が多いんだ。好かれる必要は無いが信頼される必要は有る。准将になる機会を潰したなんて噂が立ったら参謀はともかく艦隊司令官なんてとてもじゃないが務まらない、周囲からそっぽを向かれちまう」
「そうだろうな」
爺さんに代わって昇進した奴の末路を思えばわかる事だ。俺もキルヒアイスも頷いた。

「それで、どうなったのです?」
キルヒアイスが問い掛けると爺さんが肩を竦めた。
「人事局の担当者は辺境の補給基地に飛ばされたよ。人事局から補給基地だぜ? しかも辺境の。二度と浮かび上がることは無いだろう。大体補給基地でだって爪弾きものだろう、何をやったかが分かればな」
キルヒアイスが溜息を吐いている。俺も溜息を吐きたい気分だ。爺さんがそんな俺達を見て小さく笑った。

「俺も覚悟したよ、四度目の武勲なんて上げられそうにねえ、運が無かったと諦めようってな。女房子供だっているんだ、無理せずこのまま大佐で良いさと思った。……ところがだ、それから半年ほど経った時だ。俺は哨戒任務に出て反乱軍の駆逐艦を一隻撃破した。上司は推薦状を書いてくれたよ。驚いたね、駆逐艦一隻だぜ? 普通なら“良くやった”で終わりだ。だが人事局も撥ね付けなかった。直ぐに適性試験を受ける事になった」

「首席審査官はまたシュターデンだった。二時間責められるのかとウンザリしたが詰まらねえ質問を二つばかりして五分とかからず終わったよ。他の審査官も何も言わなかった。ありゃ予め示し合わせてたな、連中は何が何でも俺を昇進させたかったんだ。シュターデンが首席審査官だったのも前回の結果は人事局の不手際で自分は関係ないと表明したつもりなんだろう。馬鹿をやった人事局の奴は辺境に流したしな、これで一件落着ってわけだ」

爺さんは“茶番だよな”と笑った。同感だ、茶番以外の何物でも無い、でも俺には笑えなかった、キルヒアイスも笑っていない。
「准将に昇進した、閣下と呼ばれるようになった。兵卒上がりの士官としてはこれ以上は無い栄誉だ。だがな、俺は少しも喜べなかった。何の感動も無かったよ。むしろこんなものかと思った、こんなもののために大騒ぎしたのかと思った」
事実だろう、爺さんは淡々と話している。

爺さんが俺とキルヒアイスを見た。
「分かるか? 世の中には不当な事なんて幾らでも有るんだ。ちょっとくらい上手く行かなかったからって不満面するんじゃねぇ」
「……」
反論したかったが出来なかった。この爺さんの前じゃ誰だって口を噤むだろう。

「リューネブルクが嫌いか? だがな、お前は奴の何を知ってるんだ? 知った上で不満を持っているのか?」
「……何か有るのか、あの男に」
俺が問い掛けると爺さんは舌打ちして“やっぱり分かってねぇんだな”と言った。

「奴は逆亡命者だ、親に連れられて亡命し自分の意志で戻ってきた。だがな、上の方はそんな奴を信用しなかった。三年間戦場に出さなかったんだ。奴の立場は俺より悪いだろう。少なくとも俺は差別はされても不信感はもたれてねえからな。奴は戦士として男として一番働ける時を無駄飯食いに潰す事になったんだ」
「……」
「好きで食った飯じゃねえぞ、嫌々食った飯だ。辛かっただろうぜ、何故自分を信用しないのか、そう恨んだだろう」
「……」

「今回の出征でようやく戦場に出られると喜んだだろうが配属された所が此処だ。絶望しただろうぜ。何の戦果も無しに戻れば役に立たないと言われかねないんだ。次の出兵なんて有るかどうか……、こんなクズ部隊に押し付けた癖にな」
「そう、だろうな」
俺でさえこの部隊には幻滅している。後の無いリューネブルクにとっては……。

「そんな時にお前が反乱軍がいるかもしれないと言い出したんだ。喜んだだろうな、奴は今三十五の筈だ、装甲擲弾兵として戦場で戦える時間はそれほど長くない。まして装甲擲弾兵が働ける戦場なんて多くないんだ。このチャンスを絶対逃したくない、そう思ったはずだ」
「……」
爺さんが俺を見た。

「分かるか? だから奴はお前を副将にしたんだ」
「どういう事だ?」
思わず問いかけた、キルヒアイスも不思議そうな表情をしている。
「お前が奴の事を嫌いなように奴だってお前の事を嫌いだろうさ。自分が無駄飯食っている間に准将になってるんだ、好きになれるはずが無い」
俺もそう思う、なら何で副将に?

「だがな、奴は昇進したかった。だからお前を副将にしたんだ。自分が功績を上げれば問題は無い。お前が武勲を立てれば自分の作戦指導の宜しきを以て、そう報告することが出来る。そしてお前の上げた武勲を上は無視できない。お前と組めば昇進できる可能性が高い、そう思ったんだ。もちろんリスクも有る、お前が死ねばとんでもない事になる。二度と浮上は出来ないからな。それら全てを考えた上で賭けた、お前なら生き残れる、武勲を上げ昇進できる、賭けに勝てるとな」

「司令部がお前の意見を受け入れずに奴の意見を受け入れた理由が分かっただろう。お前は武勲を上げる場と思ったかもしれねえ、だがな、奴はこれからの人生全てを賭ける場と思ったんだ。いやそれだけじゃねえ、亡命した事を後悔したくない、そう思っただろう。自分の生き様を賭けたんだ。お前とは覚悟が違うんだよ、司令部はその覚悟に説得されたんだ。お前にそこまでの覚悟が有ったか?」
「……いや、無かった」
爺さんが頷いた。

「責めちゃいねえよ。そんな覚悟なんて暑苦しいもんは無い方が良いんだ。生きるのが辛くなるからな」
「……爺さんは如何なんだ?」
「俺か……、今は無いな、昔の事は覚えてねえ。……多分無いか、有っても大したもんじゃなかったんだろう。忘れちまうくらいだからな」
そうかな、と思った。リューネブルクの事が理解できるのは爺さんも同じような思いをしたからじゃないだろうか……。

「分かったら不満顔してねえで仕事しろ。見方を変えればリューネブルクはお前に昇進のチャンスをくれたんだ、そうだろう?」
「……そう、だな」
「リューネブルクを好きになる必要はねえぞ、だが力量は認めて利用しろと言ってるんだ。奴はそれをやっているぜ。それが出来なけりゃお前は我儘なガキだ」
「ああ、そうだな」
爺さんが席を立った。“頑張れよ、小僧。俺はこれから哨戒任務にあたる”と声をかけると部屋を出て行った。小僧か……、違いない、腹も立たなかった。



■  帝国暦485年 6月16日  グリンメルスハウゼン子爵邸  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「何故私が卿に対して弁明せねばならぬ。事情は卿の令夫人が説明なさった通りだ。別に謝辞を求めようとは思わぬが、卿のおっしゃりよう、不快を禁じ得ぬな」
見れば分かるだろう、お前の妻が気分が悪そうにしていたから助けようとしただけだ。だがリューネブルクは妙に青白い顔をして俺に絡んできた。

「それは不快だろう。こういう場でもっとも会いたくない相手に出会ったのだからな」
「下種め、妄想もいい加減にするがいい。このうえ私の善意を曲解し私を貴様の水準にまで引き下げるつもりなら実力をもって貴様に礼節を問うぞ」

「実力をもって問うと? 一対一でか?」
「当たり前だ」
拙いか、とも思ったが止められなかった。前からこの男が気に入らなかった、ぶちのめしてやる。

「お、喧嘩か、楽しそうだな」
声がした方に視線を向けると爺さん、アロイス・リュッケルトがいた。ニヤニヤ笑っている。リューネブルクが顔を顰めた、どうやらこの男も爺さんが苦手らしい。もっともこの老人を苦手に思わない奴が居るのかどうか……。

「リュッケルト少将、口出しは無用に願いたい」
「そうだ、口出しは無用だ」
リューネブルクと俺が言うと爺さんが笑い声を上げた。
「止めたりしねえよ。それよりだ、どうせやるんなら派手にやろうぜ。グリンメルスハウゼン子爵の大将昇進パーティに華を添えるんだ」

何言い出すんだ、このジジイ。俺とリューネブルクが唖然としていると爺さんが勝手に喋り出した。
「賭けようぜ、俺が胴元になる。率は十対一だな、不満そうな顔をするんじゃねえよ、リューネブルク少将。お前さんは白兵戦技の達人だろう、妥当な線だぜ。ん、小僧、お前酔ってるのか、んじゃ十五対一だな。今人を呼んでくる、皆暇を持て余しているからな、喜ぶぜ。勝手に始めるんじゃねえぞ、お前らにも分け前やるからな」

リューネブルクがまた顔を顰めた。“話にならん”と吐き捨てると俺を見て“運が良いな”と言った。そして妻を抱えるようにして出て行った。……どうすればいいのだろう、助けてくれたのだろうか、だとすれば礼を言うべきだろうが爺さんは“終わりか? つまらねえな”と残念そうに呟いている。どう見ても助けてくれたようには見えない。取りあえず爺さんに近付いた。

「爺さんも来てたのか?」
「一応俺も昇進したからな、招待状が来た。まあ大将閣下への最後の御奉公だな」
爺さんがニヤリと笑った。そして“運が良いな”と言った。どうやら俺は助けられたらしい。もっとも礼を言う気にはならなかった。

爺さんの昇進はいち早く反乱軍の接近を察知しグリンメルスハウゼン艦隊に報せた事、そして基地攻略部隊の収容に頭を痛める司令部に自分の艦隊がそれを行うと意見具申して本隊を反乱軍迎撃に向かわせた事が認められての事だった。地味だが献身的な働きをする、そう評価されたらしい。

もっとも現実はかなり違う。爺さんの艦隊は五百隻に過ぎなかった。そこに十万の基地攻略部隊を収容したのだ、艦の中は通路まで人間で溢れかえった。“これじゃ戦闘は無理だな”爺さんの言葉に俺も已むを得ない、そう思った時だった。“まああの御老人の指揮で戦うのは御免だからな、後ろで見物しようぜ”そう言ってニヤッと笑った。俺もリューネブルクも唖然とした。このジジイ、最初からそれが狙いだったらしい。煮ても焼いても喰えない強かさだ。叩き上げというのはこういうものかと思った。

「リューネブルクも辛い立場だな」
「……」
「オフレッサー上級大将に取り入ろうとしたらしいが嫌われたらしい。奴に嫌われては地上戦の指揮官としては出世は難しいだろうな」
そうなのか、と思った。この爺さん、何処からそんな話を仕入れてくるのか……。

「爺さんはあの噂を知っているのか?」
「奴が皇族の血を引いた御落胤だって噂か?」
「ああ、俺は嘘だと思うんだが……」
「嘘だろうさ、奴が御落胤なら反乱軍は奴を陸戦隊の指揮官などにはしない。大事に育てて役立てる事を考えた筈だ、そうは思わないか?」
なるほど、と思った。確かにそれは有るだろう。

「多分、オフレッサーの庇護を得られないと分かって噂を流したんだろう。少しでも自分の立場を強化したい、そう思ったんだろうな。お前さんの事が頭に有ったかもしれん」
「俺の事?」
爺さんが俺を見て頷いた。
「皇帝の寵姫の弟でさえあれだけの影響力が有る、ならば……、そう思ったのさ」

不愉快な話だ、何処に行っても付いて来る。俺が顔を顰めると爺さんが軽く笑った。
「そんな顔をするな、お前さんがグリューネワルト伯爵夫人の弟だって事は事実だ。だからこそ武勲が正しく評価されてもいる。そうだろう?」
「それはそうだが……、面白くは無い」
爺さんがまた笑った。

「爺さんはリューネブルクがどうなると思う?」
「さあな、分からん。だが奴は使っちゃいけない手を使ったんだ、碌な事にはならんだろう。いずれは報いが来るだろうな、報いが来る前に奴がどれだけ大きくなれるか……、それ次第だろうぜ」
使っちゃいけない手か、貴族に縋って准将になった男の事を思い出した。爺さんはリューネブルクの死を予測しているのかもしれない。

「可哀想な奴だ」
「……」
「せめて女房と上手く行っていればな、少しは違うんだろうが……」
「……」
「家の中も、家の外も、気が休まらんのは辛いよな」
そうか、と思った。リューネブルクには安息の地は無いのだ。爺さんが俺を見た。

「お前さんに当たるわけだ」
「俺に?」
「八つ当たりだよ、お前さんに当たっても誰も文句は言わんからな。例えぶちのめされてもお前さんは伯爵夫人に告げ口はせんだろう?」
「……それは、まあ」
俺が答えると爺さんが笑い声を上げた。面白く無かった、俺は八つ当たりの対象か。

一頻り笑った後、爺さんは妙に真面目な表情になった。
「配置転換願いを出した」
「配置転換?」
「ああ、後方に、デスクワークにしてくれと頼んだんだ。少将だからな、もう十分さ」
「……」
この爺さんがデスクワーク? ちょっとイメージが湧かない。それこそ部屋を賭博場にでもしそうな感じの親爺だ。

「次の出征は出ざるを得ないが、その次はもう無いかもな。運が良ければ中将で後方に回れるかもしれない。兵卒上がりでは中将は終着点だが無理をして武勲を上げるつもりはねえ」
「そうか」
俺が答えると爺さんがフッと笑みを漏らした。

「もっとも上層部がどう思うか……。正規の教育を受けてないからな、戦場で使い潰すしか使い道が無い、そう思うかもしれない。そうなればずっと戦場に出る事になるだろう……。そっちの可能性のが高いかもな」
「……」
爺さんはもう戦場に飽きているのかもしれない。それでも戦場に出る事になる……。何と言って良いかのか分からなかった。

「次の戦いじゃお互い三千隻を率いる事になる。頑張れよ、昇進したのは実力だと見せてやれ」
「ああ、そうする」
爺さんは頷くと“じゃあな、俺は帰る”と言って出て行った。


 

 

第三話 臭い




■  帝国暦485年 11月 1日  イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル



「爺さん、俺は出撃するけど爺さんは行かないのか?」
「ああ、行かねえ。この辺で訓練でもしてるよ」
「上から文句言われんじゃねえのか?」
拙い、爺さんの口調がうつってる。出征前に姉上に会った時にも言葉遣いが悪くなったって言われた、気を付けないと……。

「大丈夫だ、訓練してるんだからな。俺は兵卒上がりだから文句は言われねえよ。帝国軍は俺に頼るほど柔じゃねえさ、だろ?」
そう言うと爺さんは片目を瞑ってニヤッと笑った。
「そうか、なら良いけど」
「お前こそ気を付けろ、無理すんじゃねえぞ」
「ああ、分かってる」

「本当に分かってるか? 連中、ヴァンフリートで負けたのに先手を打ってイゼルローン回廊の出口を封鎖しやがった。張り切ってやがるぜ、どうにも嫌な感じだ」
爺さんが顔を顰めた。なるほど、そう言われればそうだな。でも感じ過ぎのような気もする。帝国と反乱軍は三百回も戦っているのだ。こんな事が有ってもおかしくは無い……。
「感じ過ぎじゃないのかな?」
俺の言葉に爺さんはフムと唸った。

「お前、この要塞を落とせるか?」
妙な質問だ、思わずキルヒアイスと視線を交わしたがキルヒアイスも困惑している。
「……どうかな」
どうかな、あまり考えた事は無かったがやりようは有ると思う。だが俺が反乱軍の指揮官ならこのイゼルローン要塞にこだわらずに帝国を攻撃すべきだと考えるだろう。爺さんがまたフムと唸った。

「俺なら要塞攻防戦なんてやらねえ。負ける可能性が滅茶苦茶高いからな。わざわざ好き好んで二連敗する事は無いさ、だろう?」
「……確かにそうだな。爺さん、連中、勝算が有るのかな?」
爺さんが顎に手をやった。

「さあて、俺には分からん。このイゼルローン要塞を落とす方法なんて俺にはさっぱり考えつかんからな。だがな、ミューゼル、負けるのを承知で戦う馬鹿は居ないんじゃねえか?」
「なるほど、確かにそうだな」

つまり勝算が有るという事だ。爺さんの言葉を借りれば反乱軍は張り切っている事になる。キルヒアイスも頷いている。油断は出来ない。
「前回の攻防戦は味方殺しでようやく勝ったんだ。今回だってどうなるか……、イゼルローン要塞は難攻不落なんて浮かれてる奴の気が知れねえよ。だからな、気を付けろよ」
「ああ、そうする」
爺さんがひらひらと手を振って見送ってくれた。

旗艦タンホイザーに向かう途中、キルヒアイスが話しかけてきた。
「妙な方ですね、リュッケルト少将は」
「そうだな」
「あれは何なのでしょう。戦略でも戦術でもありませんが……」
キルヒアイスが首を傾げている。確かに妙だ、何と言えば良いのか……。

「うーん、よく分からないが、……流れ、かな」
「流れ、ですか」
自信が無かったから曖昧に頷いた。キルヒアイスも分かったような分からない様な表情だ。しかし他に適当な表現が有るとも思えない。それとも臭いか? 段々非科学的になって来るな、しかし爺さんの言う事が間違っているとも思えない。

「普通なら武勲を上げるために出撃しそうなものですが……」
「昇進には興味ないみたいだ、後方に下がりたいと言っていた」
「……」
「もう何十年も戦ってきたからな、飽きたのかもしれない。良い思い出よりも嫌な思い出のが多かっただろうし……」
キルヒアイスが頷いた。
「そうですね、……でも、惜しいですね」
「ああ、そうだな」

惜しいと思う。爺さんの用兵家としての力量は決して低くない。俺とキルヒアイスは何度か爺さんとシミュレーションを行った。爺さんの用兵家としての実力を試してみたいと思ったのだ。嫌がるかと思ったが爺さんは“年寄りを苛めるんじゃねえぞ”と笑いながら応じてくれた。五戦ずつしたが俺は全勝、キルヒアイスは四勝一敗だった。

戦績だけ見れば圧倒的に俺達が優位だ。だが実情はちょっと違う、爺さんは嫌になるほどしぶとかった。なかなか崩れないのだ。優勢だが圧倒できない、隙を見せれば逆撃をかけてくる怖さを持っている。実際キルヒアイスの一敗は勝利を確信してほんの少し油断したところを一気に押し返されたものだ。押していただけに自分のミスで押し返されて慌ててしまった、そんな感じだった。

実戦ならもっと手強いだろう。多少不利でも味方の増援が来るまで持ち堪えるはずだ。問題は信頼できる味方が居るか、だな。兵卒上がりだからと言って見殺しにするとは思えないが救援に手を抜く奴はいるかもしれない。爺さん自身、それが分かっているから出撃をしないのではないかと俺は思っている。或いは後方に下がるために戦意不足を装っているのか。どちらも有りそうだ、喰えないジジイだからな。

「妙な爺さんさ。強かで喰えない、でも悪い奴じゃない。リューネブルクなどよりはずっとましだ」
「良いんですか、そんなこと言って。この要塞に居るんですよ」
「構わないさ、リューネブルクだってこっちに好意なんて欠片も持っていないからな」
キルヒアイスが“またそんな事を”と苦笑した。

リューネブルクが今回の出兵に参加している。気になるのはオフレッサーも今回の出兵に参加している事だ。爺さんの話ではあの二人は上手く行っていないらしい。それが一緒に居る……。抑えようというのか、それとも武威を見せつけようというのか……、それとも俺の考え過ぎなのか……。



■  帝国暦485年 12月 1日  イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル



反乱軍の狙いは読めた。本隊を囮として利用しミサイル艇を使っての攻撃か。面白い作戦だ、爺さんの言う通りだ、連中は勝算有りと見てこの要塞に押し寄せたのだ。残念だな、俺がいる限り要塞が落ちることは無い。ミュッケンベルガーに出撃の許可を取りキルヒアイスと旗艦タンホイザーに向かう。後ろから声が聞こえた。

「よう、出撃か、頑張るな」
爺さんだ、俺達に声をかけてくる人間など爺さんくらいしかいない。振り返ると爺さんが近付いて来るところだった。
「俺もこれから出撃だ」
キルヒアイスと顔を見合わせた。爺さんはまだ訓練だけで戦闘はしていない。ようやく出る気になったのか、それとも……。

「上から何か言われたのか?」
「違うよ、どうも嫌な予感がするからな、外に出る事に決めた。中に居るより外の方が安全そうだ。いざとなったら逃げられるからな、足だけは確保しておかねえと」
爺さんが俺達を見てニヤッと笑った。相変わらずだ、とんでもない事を平然と言う。ミュッケンベルガーが聞いたら目を剥くだろう。

「外れじゃ無かったようだ、お前らが出るんならな」
「どういう意味かな?」
「良い事を教えてやる。こういう嫌な予感がする時はな、出来る奴、運の良い奴を見習えって事だ」
「……」

なるほど、と思った。爺さんは反乱軍の狙いを見破ったわけではないらしい。だが何かがおかしいと見て外に出るのだろう。臭いだな、と思った。爺さんは嫌な臭いを嗅いだようだ。可笑しかった、キルヒアイスも可笑しそうな表情をしている。

途中で別れ俺はタンホイザーに爺さんは自分の乗艦エルバーフェルトに向かった。俺はキルヒアイスと一緒だが爺さんは一人だ。爺さんには副官が居ない、なり手が居ないそうだ。兵卒上がりでこの先出世するとも思えない、周囲はそう思って人事局からの打診に辞退しているようだ。爺さんも無理に求めようとはしない。こういう事も爺さんが後方に下がろうとしている一因かもしれない。馬鹿馬鹿しくなったのだろう……。

要塞の外で待機する。反乱軍も帝国軍も要塞主砲トール・ハンマーの射程距離のラインでぎりぎりの駆け引きをしている。反乱軍は帝国軍を引き摺り出そうと、帝国軍は引き摺り込もうと。但し反乱軍の動きは陽動だ、本命のミサイル艦はまだ動いていない。俺は駆け引きには参加せず静かに時を待った。爺さんも動いていない、年寄りは疲れるのは御免だ、そんな事でも考えているのだろう。

暫くの間、反乱軍が動くのを待つ。いい加減焦れて来たころ、そろそろとミサイル艇が動き出した。
「キルヒアイス、来たようだ」
「はい」
念のため全艦に油断するなと命令を出した。もう直ぐ、もう直ぐ反乱軍は動く筈だ……。

五分、……十分、……十五分、……動いた! ミサイル艇が急速接近し要塞めがけてミサイルを放つ! 要塞の外壁が爆発して白い閃光を噴き上げた!
「全艦最大戦速! ミサイル艇を撃破せよ!」
俺の命令とともに艦隊が第二次攻撃をかけようとするミサイル艇に近付く。射程内に入る、そう思った時だった。

「閣下! リュッケルト艦隊が先に」
「何だと?」
オペレーターの声に愕然とした。気が付けば爺さんの艦隊が俺の艦隊の前に出ている。何時の間に? ミサイル艇には俺の方が近かったはずだ。俺よりも先に動いたのか? いや、それよりも何故だ? 爺さんも反乱軍の作戦を見破ったのか? あの時はそんなそぶりは無かった、あれは嘘だったのか? キルヒアイスも愕然としている。

爺さんの艦隊がミサイル艇の側面を攻撃した。防御の弱いミサイル艇はあっという間に爆発していく。艦内のミサイルも誘爆したのだろう、凄まじい火球が両軍の間に出現した、一方的な攻撃だ。爺さんから通信が入ったとオペレーターが報告してきた。正面のスクリーンに爺さんの顔が映った。

『悪いな、ミューゼル少将。獲物は先に頂いた』
「……」
『この先だが並んでは攻撃出来んな』
「ああ、そうだな」
そして爺さんの方が敵に近い。負けた、そう思った。俺だけかと思ったが爺さんも反乱軍の作戦を見破ったのだ。俺と同じ事を考えている。

『お前さんが行け』
「何?」
『俺はここまでだ。この先はお前さんが行け』
「俺に譲るというのか?」
『元々お前さんの獲物だ。元の持ち主に返すだけさ、急げよ』
爺さんはウインクすると通信を切った。

爺さんの艦隊が速度を落としている、冗談ではないようだ。譲られたのは不本意だが反乱軍を撃破する機会を失うわけにはいかない。速度を維持したまま天底方面から反乱軍本隊を攻撃した。
「反乱軍、混乱しています!」

オペレーターの報告に歓声が上がった。反乱軍は効果的な反撃が出来ないのだ。俺を包囲しようと艦隊を動かせば要塞主砲トール・ハンマーの射程距離内に踏み込んでしまう、それを避けるには縦長の陣形で俺と戦わなければならない……。俺の戦力は二千二百隻、反乱軍の戦力は十倍は有るだろう。だが要塞主砲の存在が反乱軍に無理な陣形を強いている……。

少数の兵力でも十分に戦う事が出来る。爺さんはそれも分かっていた、“この先だが並んでは攻撃出来ん”。今心配なのは反乱軍よりも帝国軍だ。反乱軍は無防備な側面を晒している。この側面を突こうと要塞から艦隊が出撃してくるかもしれない、しかしそうなれば反乱軍は予備を投入して混戦状態を作り出すだろう、そして正面の反乱軍は俺を包囲殲滅しようとするはずだ。

三十分ほどの間俺が優位に戦闘を進めていると帝国軍が要塞から出撃してきた。やれやれだ、ミュッケンベルガーは戦争は下手だな、爺さんの方が余程上手い。そう考えているとその爺さんから通信が入った。
『残念だな、ミューゼル少将』
「ああ、ここまでのようだ」
爺さんが頷いた。

『まあ世の中こんなもんだ、そうそう上手くはいかん。混戦状態になったら撤退しろ、飲み込まれる事はねえぞ、援護する』
「分かった」
キルヒアイスが反乱軍が予備を動かしていると報せてくれた。やれやれだ、ミュッケンベルガーは自らの判断で混戦状態を作り出そうとしている。いずれ自分のした事を呪うだろう。第六次イゼルローン要塞攻防戦は第五次イゼルローン要塞攻防戦と同じ展開になりつつある。どうやって収拾するつもりなのか……。


俺の艦隊が撤退した後、戦場は予想通り収拾のつかない混戦状態になっていた。俺と爺さんは巻き込まれないようにしながら遠距離砲撃をするだけだ。殆ど意味は無いだろう、戦闘に参加というより観戦に近い。爺さんとの通信は維持したままだ。思い切って気になっている事を訊いてみた。

「爺さん、爺さんは何時反乱軍の作戦を見破ったんだ?」
『ふむ、正確には俺は反乱軍の作戦を見破った訳じゃねえんだな』
えっ、と思った。スクリーンに映る爺さんは困ったような表情をしていた。どういう事だ? キルヒアイスも訝しげな表情をしている。

『俺はな、お前さんを見ていたんだよ、ミューゼル少将』
「俺?」
爺さんが頷いた。一体爺さんは何を言っているんだ? 俺を見ていた? 訳が分からない、キルヒアイスも困惑している。そんな俺達を見て爺さんが笑い声を上げた。

『他の連中が一生懸命反乱軍を挑発している時、お前さんは全く動きを見せなかった。ボンクラ指揮官ならともかくお前さんがだぜ、有り得ねえ話だ。どう見てもあれは獲物を待ち伏せするトラかライオンの姿だぜ。何かを待っている、そう思ったよ』
「……」

『だから俺も待った。お前さんが何を待っているのか見極めようとしたんだ。そうしたら反乱軍のミサイル艇が妙な動きをするじゃねえか、ピンと来たな、お前さんの狙いはこれだって。つまりお前さんはミサイル艇が攻撃を仕掛けてくる、そう見ているんだって分かったのさ』
「爺さん、あんた……」
爺さんがまた笑い声を上げた。

『そこで初めて反乱軍の狙いが見えたんだ、お前さんの作戦もな。後は競争だ、そしてほんの少しだが俺の方が早かったって事だ。狡いなんて言うなよ、武勲は横取りしていねえ、獲物を先に獲っただけだ』
「……」

信じられない、爺さんは反乱軍じゃなく味方である俺の動きを見ていたのか……。そこから反乱軍の作戦を読んだ……。こんな戦い方が有るなど幼年学校では教わらなかった、実戦でも見た事も無ければ聞いた事も無い。キルヒアイスも呆然としている。臭いだと思った。爺さんは戦場で臭いを嗅いでいる、獲物が何処にいるか臭いを嗅いでいたんだ。

「途中で俺に譲ったのは何故だ? 俺に悪いと思ったのか」
爺さんが苦笑を浮かべた。
『違うよ、戦闘ならば俺よりお前さんの方が上手いと思ったからだ。俺じゃ反乱軍を持てあましちまうがお前さんなら叩き潰せる、そうだろう?』
「……まあ、そうかな」
爺さんが笑った。喰えないジジイだと思った。敵にしたら厄介だし味方にしても油断出来ない、全くもって喰えないジジイだ。




 

 

第四話 真相


■  帝国暦485年 12月 10日  イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル



ミュッケンベルガーが俺の作戦案を受け入れてくれた。但し、反乱軍の後方を遮断する役を俺自らが行うならという条件付きだった。爺さんが俺も手伝うか、と言ってくれたがこの役目は小部隊の方が良い、爺さんも加わっては兵力が大きすぎるだろう、その事を説明して遠慮して貰った。そして出撃前の一時、俺とキルヒアイスと爺さんはイゼルローン要塞に有る談話室で話しをしている……。

「爺さん、リューネブルクの事なんだが、オーディンでも色々と有ったようだ。ここで死んだのは奴にとって救いだったのかもしれない」
俺は爺さんにケスラーから聞いた話、リューネブルクの妻が実兄ハルテンブルク伯爵を殺した事、理由はハルテンベルク伯爵が婚約者のカール・マチアスを謀殺した事が原因だと話した、死に瀕したグリンメルスハウゼン子爵がリューネブルクの妻に真相を教えてケリを付けさせた事も。爺さんは黙って俺の話しを聞いていたが話しが終わると大きく息を吐いた。

「喰えないジジイだな、とんだ食わせ者だぜ、あのクソジジイ」
「?」
「グリンメルスハウゼン子爵の事さ、あのクソジジイ、虫も殺さねえ顔で全部仕組みやがった!」
爺さんが吐き捨てた。顔が歪んでいる、口調から察すれば嫌悪だろう。
「仕組んだ?」
俺が問い掛けると爺さんが頷いた。

「考えてもみろ、おかしな話じゃねえか。なんでわざわざグリンメルスハウゼン子爵はリューネブルクの女房にそんな事を教えるんだ? その女が事実を知ればトラブルになるのは目に見えてるだろう。何だってそんな事をする、親切だとでも思うのか?」
「……いや、それは、彼女にケリを付けさせたとケスラーが……」
爺さんが首を横に振った。

「騙されるんじゃねえ。貴族が一番不名誉に思うのはな、面目を失う事じゃねえ、家を潰される事だ。サイオキシン麻薬に殺人、それに隠蔽工作、こんなのが表に出て見ろ、ハルテンベルク伯爵家もフォルゲン伯爵家も家を潰しかねねえぞ。あのジジイも貴族だ、それが分からなかったはずがねえ、野郎、何を企んだ?」
思わずキルヒアイスと顔を見合わせた。爺さんは腕を組んで宙を睨んでいる。

「奴の狙いは何だ? ハルテンベルク伯爵の命か? 伯爵は死んでいる、だが死なねえ可能性も有った、結果として死んだだけだ。となると違うな、女が騒ぐ事でハルテンベルク、フォルゲンを潰す事が狙いか。しかし何故潰す? あのジジイに何の利益が有る? いや待て、ジジイは死にかけている、となると自分の利益のためじゃねえな」
爺さんが首を捻った。

「報復か? 死ぬ前に恨みを晴らした? しかしな、あのジジイとハルテンベルク、フォルゲンとの間に揉め事が有ったとは聞いた事がねえ。となると……、私利私欲、私怨じゃねえのか、これは」
爺さんが唸り声を上げた。俺もキルヒアイスも爺さんの思考を追って行くだけだ。確かに、爺さんの言う通りかもしれない……。

「誰があのジジイを動かした? 誰のためにあのジジイは動いた? 考えられるのは……、一人だな、あれか、あいつが動かしたのか……、なるほどな、あいつなら潰すだろう、何の遠慮も無くな」
爺さんがウンウンと頷いた。
「誰だ? 爺さん」
俺の問い掛けに爺さんは腕組みを解いて俺を見た。眼が据わっている。余程の相手だろう、俺は爺さんのこんな目は見た事が無い。

「銀河帝国皇帝フリードリヒ四世陛下だ」
「!」
あの皇帝が命令した? まさか……。
「あのクソジジイがそこまで忠誠を尽くす相手はこの帝国に陛下しかいねえだろうが。その事件の内容も陛下がクソジジイに教えたんだろうぜ、そう考えれば納得がいく」
「まさか……」
俺が呟くと爺さんが首を横に振った。

「多分、皇帝の闇の左手が動いたな」
「闇の左手? 爺さん、本当に有るのか、それ?」
名前だけは聞くが何処にも実体が無い幻の組織だ。何か事が起きると噂だけに現れる皇帝直属の秘密組織……。俺は妄想の産物じゃないかと思っていたが違うのだろうか……。

「俺も半信半疑だが有るんだろうな。ハルテンベルク伯爵は内務省の実力者だ、内務省に伯爵を調べさせる事は出来ねえだろう、調べさせればどっかで伯爵に漏れたはずだ。となれば闇の左手が動いたんじゃねえかと思う。案外、クソジジイもその一人かもしれねえな」
「グリンメルスハウゼン子爵が?」
思わず、叫んでいた。キルヒアイスも呆然としている。

「ボケ老人のフリをして犬みてえに周囲の秘密を嗅ぎ回っていたんだろうぜ、あのクソジジイを警戒する様な奴はいねえだろうからな。一体どれだけの秘密を探り出した事か……。今回も善人面してリューネブルクの女房を利用しやがった、クズが!」
「……」
爺さんが俺とキルヒアイスを見た。そしてフッと笑った。

「信じられねえか? だがな、これであの女は兄を殺した大罪人、家を潰した馬鹿女、サイオキシン麻薬の密売人を愛したクズ女と蔑まれる事になる。これが無ければハルテンベルク伯は内務尚書、場合によっちゃ国務尚書にもなれたかもしれねえんだぞ。これでもあのクソジジイが親切心からケリを付けさせたと言えるか?」
「……」
答えられなかった。

「嫌な野郎だよ、使い捨ての紙コップみてえにあの女を利用してクシャクシャにして捨てたんだ、善人面してな。反吐が出るぜ!」
爺さんが顔を歪めて吐き捨てた。俺は未だ信じられずにいる、しかし否定は出来ない。なによりケスラーが持ってきたあの文書、あれは一老人に出来る事だろうか……。

「だが分からねえ、何故潰す必要が有るんだ? ハルテンベルク、フォルゲンは何をやった? ……分からねえ、さっぱりだ。小僧、お前の言う通りだ、リューネブルクは良い時に死んだ。奴が生きていてもこの先は地獄だろう、女房は兄殺しだ、誰からも相手にされねえ、奴は全てを失った。……待てよ、リューネブルク? ……リューネブルクか! 狙いは奴か!」
爺さんが叫ぶと勢いよく立ち上がった、また宙を睨んでいる。“そうか、そうだったのか”と爺さんが呟いた。そして大きく息を吐くとドスンと音を立てて椅子に座った。

「どういう事なのでしょうか、リュッケルト少将」
キルヒアイスが問い掛けると爺さんが左手で頬の傷跡を強く撫でた。
「俺達は間違っていたのかもしれねえよ。リューネブルクには後ろ盾が有ったんだ。いや、俺達だけじゃねえ、リューネブルクもそれに気付いていなかった。だから今回の様な事になったのか……」
疲れた様な声だ、爺さんの傷跡を撫でる仕草は終わらない。予想外の事が有った時の癖なのだろうか? 話の内容にも興味が有ったがそっちの方にも興味が湧いた。

「後ろ盾ってハルテンベルク伯爵の事か?」
「ああ、伯爵は内務省の実力者だ。警察の……、えーっと、何だった?」
爺さんが俺とキルヒアイスを交互に見た。
「警察総局次長です、次期警視総監の最有力候補、いずれは内務尚書になるだろうと言われていました。ハルテンベルク伯爵はまだ若いですから長く務めるのではと……」
爺さんがキルヒアイスの答えに“それだ、それ”と頷いた。

「しかし将来はともかく今は内務省の一官僚でしかない、それが後ろ盾になるのかな?」
「……リューネブルクが大将に昇進するまで何年かかると思う?」
ボソッとした口調だった。また妙な事を言う、キルヒアイスと俺は顔を見合わせた。
「分からないな、戦争は毎年二回有るが地上戦は……」
俺が口籠るとキルヒアイスも頷いた。

「よし、じゃあ仮に六年かかったとしよう。その時、ハルテンベルク伯爵はどうなっている?」
爺さんが俺達の顔を覗き込んだ。
「警視総監にはなっているだろうな。もしかすると内務尚書になっているかもしれない……、そうか、そういう事か、爺さん……」
愕然とした、俺だけじゃない、キルヒアイスも愕然としている。爺さんは傷跡を撫でるのを止めていた。

「俺はリューネブルクはこれから下り坂に入ると思っていた、三十五歳だからな。リューネブルクも大分焦っていたからそう思っていたんだと思う。お前もそう思ったんじゃないか?」
「ああ、そう思っていた」

「見誤ったぜ、ハルテンベルク伯爵はこれからが登り坂なんだ。内務尚書だぞ、内務尚書。省の中の省、内務省の親玉だ。あそこは警察、地方行政を握っている。治安維持局もだ。そんな奴を簡単に敵に回せるか?」
「……いや、それは難しいと思う」
俺が答えると爺さんが頷いた。

「オフレッサーは気付いていたな。奴はリューネブルクを嫌ったんじゃない、リューネブルクを恐れていたんだ。いずれは自分にとって代わろうとするってな」
「……」
「六年後には帝国軍大将と内務尚書だ。そしてオフレッサーも老い始めている。ハルテンベルク伯が軍務尚書に義弟を装甲擲弾兵総監にと申し入れたらどうなる? 断ると思うか?」

爺さんの質問に俺は首を横に振った。オフレッサーは必ずしも周囲から好まれてはいない、指揮官としては二流以下、ただ人を殴り殺す事で出世してきたのだ、その血生臭さを好きになる奴等居ないだろう。軍務尚書がそんな奴を庇って内務尚書を敵に回すとは思えない。俺がその事を爺さんに言うと爺さんも“俺もそう思う”と言って頷いた。

「リューネブルクを好んでいた奴が居るとは思えねえ。だが奴を潰す事は出来なかった。妙な真似をすればいずれは内務尚書になったハルテンベルク伯から報復を受ける恐れが有った。不愉快でも見守るしかなかったんだ。精々出来る事は武勲を上げる場を与えない事、そのくらいだろう。奴がグリンメルスハウゼン艦隊に配属された訳さ」
「……」

「小細工をする必要は無かったんだ。それをあの馬鹿、自分は御落胤だなどと詰らねえ噂を流しちまった……」
「それが陛下を怒らせたと?」
爺さんが頷いた。そして俺達に顔を寄せ小声で囁いた。

「陛下も俺達と同じ事を考えたんじゃねえのか、六年後をな。いやもしかすると自分の死後の事を考えたかもしれねえ。その時、御落胤の噂が生きていたらどうなるかってな」
爺さんが俺を見詰めていた。暗い眼だ、爺さんの目に映る六年後、フリードリヒ四世の死後が俺にも想像出来た。

「爺さんはリューネブルクが皇位継承に絡んでくるというのか……、しかし、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯がそれを許すとは……」
「ハルテンベルク伯は内務尚書だぞ、連中の弱みの一つや二つ探りだせないと思うのか?」
「……確かにそうですが、……リューネブルク少将が皇位継承なんて本当に陛下は御考えになったのでしょうか?」
キルヒアイスが爺さんに問い掛けた、俺も同感だ。気が付けば俺達も小声で囁いていた。

「奴が皇位に就く事が可能かどうかは俺にも分からねえ。だがな、皇帝陛下は帝国がそれで混乱するんじゃねえかと怖れたんじゃねえかと思う。後継者が決まっていない時にそんな噂を流した事を怒ったのかもしれねえ。どちらにしろリューネブルクの奴を危険だと判断した。だからリューネブルクの後ろ盾、ハルテンベルク伯を潰す事に決めたんだ。浮上出来ねえようにな」
「……」

「リューネブルク少将を潰すのではなく、ですか?」
「下手にリューネブルクを潰すと御落胤の噂に真実味が出かねない、奴本人よりもハルテンベルク伯を潰す方が変な疑いを抱かせない、そう思ったんじゃないのか?」
キルヒアイスと爺さんの遣り取りになるほどと思った。

「御落胤の噂が流れたのが六月頃だ。その頃から闇の左手はハルテンベルク伯の弱みを探し続けたのだろう。そしてどの時期かは分からないが秘密を探り当てた。この時期に仕掛けたのはリューネブルクがオーディンに居ない方が、奴が戦場に居た方が都合が良いと思ったからだろうぜ」
「……」

「狙い通りさ、後ろ盾を失ったリューネブルクはあっという間に戦場で切り捨てられた。見事過ぎて溜息しか出ねえよ」
「確かに……」
リューネブルクは使っちゃいけない手を使った、その報いを受けた。爺さんはどれだけ大きくなるかで報いが変わると言っていたが大きくなる前に潰された、いや皇帝は大きくなる事を許さなかった……。少しの間、沈黙が部屋を支配した。

爺さんが太い息を吐いた。
「ミューゼル少将、そろそろ時間だ、行った方が良い」
「ああ」
席を立った俺とキルヒアイスに爺さんが“待て”と声をかけた。

「余計な事は考えるな、先ずは勝つ事、でかくなる事を考えるんだ。他の事はでかくなってから考えればいい。詰らねえ小細工はするんじゃねえぞ。お前らも敵は多いんだ、お前らが潰される時は伯爵夫人も潰されると思え」
爺さんの言う通りだ、しっかりと頷いた。

「分かった、気を付けるよ、爺さん。いやリュッケルト少将」
「上手くやれよ、期待してるぜ」
「ああ」
爺さんが立ち上がった。姿勢を正す、俺とキルヒアイスも正した。

「幸運を祈る、ミューゼル少将」
「感謝する、リュッケルト少将」
お互いに礼を交わした。爺さんが何処まで俺達の想いに気付いているのかは知らない。全部知っているような気もするし何も知らないような気もする。

だが爺さんの言う通りだ、先ずは大きくなる。そのためにもこの作戦、失敗は出来ない。
「行こう、キルヒアイス」
「はい、ラインハルト様」
俺達は必ず勝つ!

 

 

第五話 誓い




■  帝国暦486年 2月 3日  ティアマト 総旗艦ヴィルヘルミナ  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「ミューゼル中将、卿の思うところは如何に?」
宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥が俺に問いかけると作戦会議の参加者達の視線が俺に刺さった。そのほとんどが敵意と嘲笑に溢れたものだ。皆、俺の存在を快くは思っていない。

茶番だな、と思った。大体俺の意見を聞くくらいなら、それだけ重視しているなら今回の戦いで俺を後方に置いたりはしない筈だ。何を考えているのかは分からんがまともに答えるのは控えた方が良いだろう。
「意見と申されましても、特に有りません。元帥閣下の御遠謀は私ごとき弱輩者の考え及ぶところではございません」

俺が精一杯礼節を守って答えるとミュッケンベルガーは満足そうに頷いた。そして会議の参集者を見渡す。
「では、他に意見も無い様だし戦勝の前祝いとしてシャンペンをあけ、陛下の栄光と帝国の隆盛を卿らとともに祈る事としよう」
勝つための努力が祈る事か……。

ミュッケンベルガーの言葉に拍手と歓声が上がった。シャンペンが用意され皆がグラスを高く掲げる。
「皇帝陛下のために……」
ミュッケンベルガーが重々しく宣言すると皆が和した。
「皇帝陛下のために……」
やはり茶番だ……。

旗艦タンホイザーに戻ろうとキルヒアイスと総旗艦ヴィルヘルミナの廊下を歩いていると前を歩く爺さんの姿が見えた。此処で爺さんと呼びかけるのは拙いな。
「リュッケルト中将」
俺が名を呼ぶと爺さんが足を止めて俺を見た。

「なんだ、お前らか。相変わらず二人だけか」
「俺とキルヒアイスに声をかけて来る奴なんていないよ、爺さんを除けばな。爺さんも一人じゃないか」
俺が言い返すと爺さんがニヤッと笑った。
「話しの合わない連中とつるんでもしょうがねえだろう、違うか?」
キルヒアイスと顔を見合わせ、苦笑した。爺さんは相変わらずだ。

「爺さんも俺達も嫌われているらしいな、一緒に後方で待機組だ」
「一緒にするな、俺はお前らほど嫌われちゃいねえよ。ただ相手にされてねえだけだ」
思わず噴き出してしまった。キルヒアイスも咳こんでいる。爺さんは“笑うな。こいつはえらい違いだぜ”と言ったが爺さん自身が笑っていた。

「どっちが酷いのか判断が付け辛いな」
「そうかな?」
「そうだとも」
「どっちもどっちか。まあお前は後ろに回されて不満かもしれねえが訳も分からずに突っ込めと言われるよりは遥かにましだろう」

キルヒアイスと顔を見合わせた。爺さんは妙に鋭い、勘が働く。
「それはそうだけど……、爺さんは何か気がかりな事でも有るのかな?」
「ふむ、……上は大分お前の事を気にしてるぞ、わざわざ最後にお前に質問したからな。普通なら有り得ん事だ」
「……」
爺さんもあれはおかしいと思ったようだ。

「イゼルローンではちと、目立ち過ぎたな。メルカッツ提督ほどではないがミュッケンベルガー元帥に目障りな奴と思われたのかもしれん」
「しかし、あのままでは損害が大きくなるだけだった」
俺が抗議すると爺さんも頷いた。

「その通りだがな、だからこそ面白くない、そう思った可能性は有るさ。お前みたいな小僧に助けられて元帥が有難がると思うか?」
「……」
それは分からないでもないが、小僧は無いだろう。

「元帥閣下はかなり焦っている様だ。前に話したことを覚えているだろう、どうやら図星の様だぜ」
「……」
前に話した事か……、爺さんの言う通りかもしれない……。思わずキルヒアイスと顔を見合わせた。

前回の第六次イゼルローン要塞攻防戦の武勲により俺と爺さんは中将に昇進した。俺は一万隻の艦隊を率いる事になり満足しているが爺さんにとっては聊か不本意な昇進になったと言って良い。先ず後方への配置転換願いは却下された。そして爺さんの率いる艦隊は五千隻、俺の半分でしかない。正規の軍事教育を受けていない所為で兵力を少なくされたのだ。

だがそれ以上に爺さんにとっては不本意な事が有る。爺さんの艦隊はミュッケンベルガーの直属部隊という事になった。分艦隊司令官では無い、俺のように独立した艦隊司令官でもない、丁度その中間の存在だ。極めて不自然な存在だ、理由としては独立した艦隊司令官として扱うには不安が有るからとなっている。ここでも兵卒上がりだという事を理由にされた。能力を信用できないという事らしい。

馬鹿げている、爺さんの実力は確かなものだ。その事はイゼルローン要塞攻防戦で分かったはずだ。少なくとも訳の分からない混戦状態を作り出したミュッケンベルガーよりもずっと上だろう。それなのに能力を信用できない等、一体何を考えているのか……。

もっとも爺さんの見方はちょっと違う。爺さんは能力云々は建前で内実はミュッケンベルガーの意志が強く働いていると見ている。前回のイゼルローン、前々回のヴァンフリート、いずれもミュッケンベルガーにとっては勝ったとはいえ不本意な結果だった。ミュッケンベルガーの司令長官としての力量に疑問符を持つ人間も多いだろうというのだ。

“ミューゼル、イゼルローンでお前さんがやった反乱軍の後方に出る作戦だが本当ならミュッケンベルガー元帥はお前さんに許可を出すんじゃなくて自分の息のかかった部下に遣らせたかったのかもしれねえよ。自分が混戦状態を打破した、そういう形にしたかったのさ。そうすれば誰も元帥の力量に不満は持たねえ”
“じゃあ爺さん、何故元帥はそれを遣らなかったんだ?”

“遣らなかったんじゃなくて出来なかったとは考えられねえか? あの作戦は危険が大きかった。反乱軍に叩き潰されるかもしれねえしトール・ハンマーの巻き添えを喰うかもしれねえ、死ぬ確率は高かった。お前さんは出来たが他の奴なら出来たかどうか……、俺なら御免だな”
“ミュッケンベルガー元帥は自分の部下に命じる事が出来なかった、そういう事か……”

“その通りだ。或いは遣らせようとして部下に無理だと反対された可能性も有る。だからミュッケンベルガー元帥は俺を直属にしたのさ。無茶な命令で潰しても惜しくねえ俺をな。おまけに潰してもどっからも苦情は出ねえ、おあつらえ向きだよ”
“……”

“まあ考えすぎかもしれねえよ。しかしミュッケンベルガー元帥の立場は盤石とは言えねえ事は事実だ。メルカッツ提督の方が司令長官には相応しいなんて声も出てるし焦っているとも考えられる。無茶をしなけりゃ良いんだが……、首筋の寒い話だぜ”

俺もキルヒアイスも爺さんの考えを否定する事は出来なかった。イゼルローンではメルカッツ大将も参戦していた。俺の後方攪乱が上手く行ったのもメルカッツ大将が反乱軍を上手くあしらってくれた事が一因としてある、本来なら昇進してもいい。しかし、大将のまま据え置かれている。ミュッケンベルガーが故意に彼の働きを過小評価した可能性は否定できない。

そして今回の一件、やはり爺さんの考えが当たっているのかもしれない。ミュッケンベルガーは自分の地位を守るのに汲汲としているように見える……。
「俺に武勲を立てさせたくないと思っているという事か……」
「まあそこまで露骨ではないかもな。ちょっとぐらい武勲を上げたからといって良い気になるな、お前なんかいなくても勝てる、黙って後ろで見ていろ、そんなところかもしれん」

馬鹿げている、そう思った。俺と爺さんの戦力だけで一万五千隻になる。それを遊兵化させるとは……。
「そんな不満そうな顔をするな。見方を変えれば俺達は予備だ、出番は有るかもしれんさ」
「まあそうだけど、上に使う気が無いんじゃ……」

俺が呟くと爺さんが苦笑を漏らした。
「始まる前から悲観してどうする、嘆くのは終わってからでいい。使う気は無かったが使わずに負けるよりはまし、予備を使うってのは大体がそういうもんだろう」
「まあ」
爺さんの言う通りだな。負けるよりはましか……。慰めかな、あるいはミュッケンベルガーが苦戦すると見ているのか、確かに未だ戦闘は始まっていない、くよくよするのは早いか……。



■  帝国暦486年 2月 3日  ティアマト 旗艦タンホイザー  ラインハルト・フォン・ミューゼル



目の前のスクリーンには帝国軍が混乱する様子が映っていた。反乱軍の一部隊が戦場を無秩序に動いて帝国軍を攻撃しているのだ。そして帝国軍はそれに対応できずに徒に混乱している……。馬鹿げている、後退して反乱軍の疲労を待てばよいのだ。

多分、退けないのだ。俺を後ろに置いた所為でミュッケンベルガーは部隊を下げる事が出来ずにいる。ミュッケンベルガーの弱点だな、勝ちに徹すればよいのに何処かで他人の目を気にしている。その事が彼の用兵に冷徹さを欠かせている……。

哀れだな、そう思った。前線で混乱している連中の中には後退したがっている者もいるはずだ。“訳も分からずに突っ込めと言われるよりは遥かにましだろう” 全くだ、爺さん、あんたの言う通りだよ。俺達は後方に置かれて幸いだ。どうやら最終局面は俺と爺さんが反乱軍を攻撃して逆転勝利という事になるだろう。

逆だったな、ミュッケンベルガーは俺と爺さんを前線に出し自分達の部隊を後方に温存した方が良かった。そうなれば多分最終局面では俺と爺さんをミュッケンベルガーが救う形になっただろう。周囲の人間も流石は司令長官と感嘆したかもしれない。

「敵が接近してきます。対処しないのですか、司令官」
参謀長のノルデン少将だった。この男がまるで頼りにならない、軍事的にも人間的にもだ。参謀としては無能、おまけにこちらに敵意を持ち隠そうとしない。何でこんな馬鹿が参謀長なのか……。まじまじとノルデンを見ているとキルヒアイスが話しかけてきた。

「閣下、今少し艦列を前方に出して応戦いたしますか?」
「……いや、まだ早い。さらに後退せよ。キルヒアイス少佐、焦る必要は無い。今一歩で敵の攻勢は限界に達する。攻勢をかけるのはその瞬間だ」
「はい、閣下。出過ぎた事を申しました」

済まないな、キルヒアイス。俺がこの馬鹿を怒鳴り付けないように気を遣ってくれる。それにしてもこの馬鹿、反乱軍の動きに気を取られてキルヒアイスの気遣いをまるで分っていない。スクリーンを怯えた様な表情で見ている。味方が欲しいな、俺を助けてくれる参謀、そして実戦指揮官……。爺さんの艦隊を見た、艦隊は無理せずに後退している。爺さんはミュッケンベルガーの指揮の拙さに呆れているだろう。

爺さんは俺に協力してくれるだろうか? 戦場には飽きた様な事を言っていた。だがあれは報われないからではないだろうか、俺なら爺さんを差別したりしない。士官学校を卒業したからといって実戦で役に立つとは限らない。軍事教育など受けなくても用兵上手は居るのだ。爺さんと目の前の参謀長を見ればそれが良く分かる。

「何をしているのか、一体!」
スクリーンに映る惨状に思わず叫び声が出た。馬鹿げている、何時まで反乱軍のあの馬鹿げた艦隊運動に付き合っているのだ! 帝国軍はまるで野獣に追い回される臆病な家畜のような醜態をさらしている。だが反乱軍のあの無秩序な運動もそろそろ終幕の筈だ。

「キルヒアイス、攻撃は短距離砲戦で行おうと思う」
「その方が宜しいかと思います」
「全艦隊に準備を命じてくれ」
俺とキルヒアイスが話をしているとノルデンが落ち着きを欠いた声で割り込んできた。

「司令官閣下、もはや大勢は決したように思われます。損害を被らぬうちに退却なさるべきでしょう」
馬鹿か! お前は! 今まで何を聞いていた。大体無傷の予備が一万五千隻も有るのだ、その意味が分かっていないのか?
「敵の攻勢は終末点に近付いている。無限の運動など有り得ぬ。終末点に達したその瞬間に敵中枢に火力を集中すれば一撃で潰え去る。何故逃げねばならぬ」

「それは机上の御思案、そのような物に囚われずに後退なさい」
「黙れ! 臆病者が! 味方の敗北を口にするすら許し難くあるのに司令官の指揮権にまで口をはさむか!」
俺がノルデンを怒鳴り付けるとキルヒアイスが“反乱軍の動きが止まりました”と声を上げた。準備は出来ているというようにキルヒアイスが俺に頷く。

「全艦に命令、主砲斉射三連! 撃て!」
俺が命じた時、爺さんの艦隊が主砲斉射を行うのが見えた。また先を越された! この馬鹿参謀長の所為だ、やはり味方が必要だ、俺を助けてくれる有能な味方が……。呆けたように戦場を見ているノルデンを睨み据えながら思った……。



■  帝国暦486年 3月 18日  オーディン  ジークフリード・キルヒアイス



第三次ティアマト会戦の功績によりラインハルト様は大将に昇進した。そして驚いたことにリュッケルト中将も大将に昇進した。オーディンでは皆が驚いている。兵卒上がりの将官が大将に昇進するのは初めての事だ。もっとも武勲はそれに相応しいものだ、第三次ティアマト会戦はリュッケルト大将とラインハルト様の主砲斉射で勝つ事が出来たのだから。

“軍上層部もようやく爺さんの実力に気付いたらしい”、ラインハルト様はリュッケルト大将の昇進を自分が昇進した事以上に喜んだ。リュッケルト大将に直接御祝いの言葉を言いたいと大将の自宅を訪ねたのだが……。
「驚いたか?」
「ああ、ちょっと」
ラインハルト様の答えに同感だ、私も驚いた。応接室に通されたが未だに驚きが醒めない。娘のような奥さんと孫のような娘さんが迎えてくれたのだ。

「女房とは十年前に出会って結婚した。俺が五十で相手は二十六の時だ。俺は初婚だが女房は一度結婚していてな、戦争未亡人だった」
「そうか」
「娘は未だ八歳だ。おかげで俺の家は親子というより爺と娘と孫の三世代家族みたいになっちまってる」
「なるほど」

リュッケルト大将が”困ったもんだよな”と言って片目を瞑った。
「だから後方に移りたいと?」
「まあそんなところだ、あいつらを置いて死にたくないと思ったのさ」
「でも今回の昇進を見れば上層部は爺さんの実力を認めたんじゃないかな」

ラインハルト様の言葉にリュッケルト大将が“フム”と声を出した。
「そうじゃねえな、上の連中は俺の実力を認めたわけじゃねえ。他に狙いが有る、俺はそう思っている」
「他に狙い?」
「お前も大将に昇進した、だから気付いていないようだな」

ラインハルト様が困惑した様な表情で私を見た。私にもよく分からない、一体何が有るのだろう。
「この前の戦いではほんの少しだが俺の攻撃が早かった。だが俺の艦隊は兵力が少ない、勝敗を決めたのはお前の艦隊の一撃だ。あれで勝負は決まった、俺の見るところ武勲第一位はお前だろう」

ラインハルト様がまた困ったような表情を見せた。あの戦いはラインハルト様にとっては不本意な戦いだった。ノルデン少将との遣り取りでほんの少し攻撃が遅れた、そういう思いが有る。
「否定できるか?」
「……まあそうかもしれない」

「上はそれを認めたくないのさ。だから俺を大将に昇進させたんだと思っている」
「閣下、それはどういう意味でしょう?」
私が問い掛けるとリュッケルト大将がラインハルト様と私を見て”分からねえか”と呟いた。

「いいか、同じ大将昇進でも俺とミューゼルじゃ意味が違うんだ。本来なら俺は昇進できない筈だ、兵卒上がりだからな。それが昇進した、つまり上の連中は武勲第一位はお前じゃなく俺だって言ってるのさ。それもかなり差が有ると言っている。俺の力で帝国軍は勝ったと言ってるんだ」

ラインハルト様の表情が強張った。
「ミュッケンベルガー元帥は自分の直属部隊が武勲を上げた事にしたかった、俺の武勲を小さいものにしたかった、そういう事か……」
「そういう事だ。ほんの少し俺の攻撃が早かったからな、お前は俺に続いただけ、大した事は無い、そういう事にしたいんだろう」
「……」

「おそらく、皆が俺の噂をするはずだ。お前の事は殆ど話題にもならんだろうな。”ミューゼル? そう言えば昇進してたな”、そんな感じだ」
「姑息な!」
ラインハルト様が吐き捨てた。身体が小刻みに震えている。そんなラインハルト様をみてリュッケルト大将が首を横に振った。

「怒ってる場合じゃねえぞ、ミューゼル。そんな暇はねえ」
「どういう意味だ?」
「今回の昇進の一件、ミュッケンベルガーだけじゃねえ、エーレンベルク軍務尚書も絡んでいる。或いはシュタインホフ統帥本部総長も絡んでいるかもしれん」

ラインハルト様と顔を見合わせた。確かにそうだ、人事は軍務尚書の管轄、リュッケルト大将を昇進させるにはエーレンベルク元帥の同意が要る。武勲を上げたからでは無くラインハルト様を抑えるために昇進させようとミュッケンベルガー元帥は持ちかけたのかもしれない。

「今回の勝利でお前は目障りな存在だと思われているんだ、もっと露骨に言えば自分達の地位を脅かす危険な存在だと思われている。メルカッツ大将を見れば分かるだろう?」
「……ああ」
「こんなのは序の口だぜ。これからは露骨にお前を潰しに来るだろう。それに負ければお前はお終いだ」
「……」
ラインハルト様が強く唇をかんだ。

「味方を作れ、お前を助ける有能な味方を」
リュッケルト大将の言葉にラインハルト様が大将に視線を向けた。でも大将は首を横に振った。味方にはならない?
「馬鹿、俺じゃねえ、もっと他の奴だ。士官学校、幼年学校出の出来る奴。そいつをお前の味方にするんだ。そうなれば周囲のお前を見る目も変わってくるはずだ」
「俺を見る目……」

ラインハルト様が呟くとリュッケルト大将が頷いた。
「そうだ、あの男が味方に付いたという事はミューゼルってのは姉のおかげで出世したわけじゃないらしい、そう周囲に思わせるんだ。そういうのも力の一つなんだ。そう思われるようになればお前の能力も自然と周囲に受け入れられるし味方になる奴も増えてくる」
なるほど、私にも分かるような気がする、影響力を付けろという事だろう。確かにメルカッツ提督は実力は有るが影響力はあまり感じられない。

「今のお前は未だ生意気な小僧としか思われていない。いや、上の方はそういう風に持って行こうとしている。お前の立場を強くしたくねえんだ。こいつは戦争だぜ、ミューゼル。勝てば上に行ける、負ければ良い様に使われて御終いだ、メルカッツ大将のようにな」
ラインハルト様がギリッと唇をかんだ。

「そうはさせない、必ず勝つさ、そして上に行く。爺さん、その時には爺さんにも俺の味方になってもらう」
リュッケルト大将が笑い出した。
「味方? 部下になってやるよ、それが出来たらな」
「必ずだぞ、忘れるなよ」
「ああ、約束だ」

ラインハルト様が私を見て頷いた。こんなところで負けるわけにはいかない、必ず勝つ、ラインハルト様はそう言っている。その通りだ、負けるわけにはいかない、私達は必ず勝つ!

 

 

第六話 怯え



■  帝国暦486年 7月15日  オーディン  ジークフリード・キルヒアイス



「何事か起きたのでしょうか?」
部屋に入るとミッターマイヤー少将が心配そうな表情で問い掛けてきた。多分門閥貴族達が嫌がらせでもしてきたのかと思ったのだろう。ラインハルト様が
「もう一人来る、少しの間座って待ってくれ」
と答えるとミッターマイヤー少将とロイエンタール少将は顔を見合わせたが何も言わずに椅子に座った。

ラインハルト様、ロイエンタール少将、ミッターマイヤー少将、私の四人がテーブルを囲む。コーヒーを飲みながら時間を潰す。しかし椅子はもう一つあった。二人の少将が時折興味深げにその椅子に視線を向けた。誰が来るのかを知ったら驚くだろう。

ロイエンタール少将とミッターマイヤー少将がラインハルト様の配下になってからもう半月が経つ。先日、ブラウンシュバイク公邸にて親睦パーティが開かれたがクロプシュトック侯の爆弾テロにより散々なパーティになった。侯の狙いは銀河帝国皇帝フリードリヒ四世、大逆罪、反逆だった。クロプシュトック侯の反乱は面子を潰されたブラウンシュバイク公を始めとする貴族達の連合軍により鎮圧されたがその時トラブルが発生した。

軍事顧問として貴族達に同行していたミッターマイヤー少将が略奪、暴行を行っていた兵士を射殺した。それ自体は法的には問題は無かった。だがその兵士はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯とは縁戚関係にあった事がトラブルの原因になった。

当然だがミッターマイヤー少将は非常に危険な立場になった。そして親友であるロイエンタール少将はミッターマイヤー少将を守るためその保護をラインハルト様に頼んだ。代償はミッターマイヤー少将、ロイエンタール少将の忠誠……。そして二人は今ラインハルト様の呼び出しに応じてリルベルク・シュトラーゼにあるラインハルト様と私の下宿先に居る。

十分程すると待ち人が現れた。ロイエンタール少将とミッターマイヤー少将が慌てて席を立ち敬礼した。リュッケルト大将が“待たせたようだな”と言いながら答礼する。大将が空いている席に座ると二人も席に着いた。
「如何した、呼び出すとは。何かあったか?」
「ちょっと妙な手紙が来たんだ、爺さんにも見て貰いたいんだが……」

二人の少将が驚いている。慌てて“ラインハルト様”と注意するとリュッケルト大将が“良いじゃねえか、爺さんで”と言った。そして驚いているロイエンタール、ミッターマイヤー両少将に
「堅苦しいのは苦手でな、二人とも余り気にせんでくれ」
と言った。二人がリュッケルト大将に直接会うのは今日が初めてだ。

二人がラインハルト様の下に付いた事は既にリュッケルト大将には知らせてある。大将は非常に喜んでくれた。ラインハルト様が“ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を敵に回す事になった”と言うとリュッケルト大将は“見殺しにすればもう誰もお前には付いてこない、俺も見限ったぜ”と言って笑った。ラインハルト様も“やれやれ、合格点を貰えたか”と言って笑った。二人とも冗談めかしてはいたけど本心だろう。

「あの、失礼ですが、お二人は親しいのでしょうか?」
ロイエンタール少将がラインハルト様とリュッケルト大将を交互に見た。
「二人とも上の受けが悪くてな、それで親しくなった。そうだろう?」
リュッケルト大将がニヤニヤ笑いながら答えるとラインハルト様が苦笑しながら“まあそうかな”と言った。二人の少将は困惑している。

「それで、手紙というのは?」
ラインハルト様が無言で封筒を渡すとリュッケルト大将がさっと目を走らせた。差出人は分からない。大将が封筒から手紙を取り出して読んだ。
「妙な手紙だな、二人には見せたのか?」
「いや、爺さんが来てからと思って」

リュッケルト大将は“ふむ”と言うと封筒と手紙をロイエンタール、ミッターマイヤー少将に差し出した。ロイエンタール少将が受け取ってミッターマイヤー少将と共に読む。二人とも妙な表情をした。手紙には“宮中のG夫人に対しB夫人が害意をいだくなり。心せられよ”とだけ書いてあった。直ぐに分かった。G夫人はグリューネワルト伯爵夫人、アンネローゼ様。B夫人はベーネミュンデ侯爵夫人だろう。

「なるほど、“幻の皇后陛下”、ですか」
二人の少将が異口同音に呟いた。
「ミューゼル、お前は悪戯とは思っていないようだな」
「ああ、以前何度か殺し屋を送られた事が有る、可能性は有ると思う」
ラインハルト様が苦い表情で言うとリュッケルト大将が笑い出した。二人の少将は驚いている。

「本当かよ、お前は敵が多いなあ。苦労するぞ、二人とも」
リュッケルト大将の言葉にロイエンタール、ミッターマイヤー少将が困ったような表情をした。困った方だ、直ぐに茶化す……。
「閣下、どう対応するべきか、検討したいと思うのですが」
「慌てるんじゃねえよ、キルヒアイス中佐」
「……」
もう笑ってはいない。鋭い目で私を見ている。

「先ずはその手紙、誰がどんな狙いで出したのかを知るのが先決だ。相手は落ちぶれたとはいえ皇帝の寵姫だったんだ。慌てて動くと怪我するぞ。そいつが差出人の狙いかもしれねえんだからな。俺達は敵が多いんだ、間違いは許されねえ」
そう言うと“違うか?”と言って皆を見回した。否定は出来ない、ラインハルト様も二人の少将も頷いている。リュッケルト大将がロイエンタール少将から手紙を受け取った。

「この手の手紙はな、大体目的は二つに分かれる。一つは警告だな、危ねえぞと善意から出ている。もう一つが何か分かるか?」
リュッケルト大将の問い掛けに皆が顔を見合わせた。一呼吸おいてロイエンタール少将が
「挑発、でしょうか。守れるものなら守ってみろ……」
と答えるとリュッケルト大将が“その通りだ。一つが善意ならもう一つは悪意だ。道理だな”と頷いた。

「どっちだと思う?」
大将が手紙をラインハルト様に突き出した。ラインハルト様が手紙を受け取りちょっと考え込んだ。
「……良く分からないが警告のような気がする」
ラインハルト様の答えに皆が頷いた。リュッケルト大将も頷いている。

「俺もそう思う。だとすると分からねえ事が有る。誰がこいつを書いた?」
皆が困惑している。誰が? リュッケルト大将は何を言っているのだ?
「伯爵夫人は宮中では孤立していると俺は聞いていたんだがな。わざわざ警告してくれる親切な友人が居たのか? 寵姫と元寵姫の争い、碌な事にはならんだろう。まともな奴なら関わり合いになるのを避けるはずだ、違うか? 俺ならすべてが終わった後で勝った方に付く」

“なるほど”とラインハルト様が頷いた。確かにリュッケルト大将の言う通りだ。ますます混乱した。誰が書いたのだろう。アンネローゼ様にも味方は居る。ヴェストパーレ男爵夫人、シャフハウゼン子爵夫人だ。しかし二人ならこんな手紙など送らない、直接警告してくるはずだ。また思った、誰が書いた?

「心当たりが無いな、爺さん、悪戯かな?」
ラインハルト様が自信のなさそうな表情で問い掛けた。
「有り得ない話じゃないんだろう? お前さんは何度か侯爵夫人に殺されかけた」
「そうなんだが……、挑発かな?」
「うーん、そうは見えんなあ。挑発にしてはそっけなさすぎるぜ。もっとも警告にしても短すぎる。どうも妙だ、もう少し情報が有っても良いと思うんだが……」
二人が首を捻っている。

「確かに妙ですな。悪戯でなければ送り主は何処でこの情報を得たのでしょう?」
「そうだな、ベーネミュンデ侯爵夫人に近い人物でもなければこの情報を得るのは難しい筈だ」
ミッターマイヤー少将、ロイエンタール少将も首を捻っている。もどかしい、今はそんな事を話している時ではない筈だ。

「ラインハルト様、今は危険が有るものと考えて対策を執るべきではないでしょうか。送り主の意図は不明ですが危険は看過出来ません。アンネローゼ様の御命に係わります」
「うむ」
ラインハルト様が頷いた時、“いや、待て”とリュッケルト大将が言った。皆が大将を見た。大将は愕然としている。

「……それだよ、それ」
「?」
皆が訝しがるなかリュッケルト大将がロイエンタール少将、ミッターマイヤー少将に視線を向けて“お前さん達の言う通りだぜ”と言った。何の事だろう?

「ミューゼル、もしもだぜ、こいつが善意から出た警告じゃないとしたら如何だ?」
「善意じゃない?」
「ああ、こいつを出したのがベーネミュンデ侯爵夫人の周りの人間だとしたら?」
「……」
「さっき俺が言っただろう、寵姫と元寵姫の争い、碌な事にはならん。まともな奴なら関わり合いになるのを避けるってな」

今度はラインハルト様が呆然としている。そして“そういう事か”と呟いた。私もようやく腑に落ちた。二人の少将は顔を見合わせている。
「こいつを書いた奴は怯えているのさ。巻き込まれたらとんでもない事になるってな。しかし自分にはベーネミュンデ侯爵夫人を止める事は出来ない。ならば如何する?」
「ラインハルト様に知らせて侯爵夫人を止めさせようとした、そういう事ですね」
私が答えるとリュッケルト大将が”その通りだ”と頷いた。

「味方が頼りにならねえなら敵を利用するしかねえ。道理でそっけねえ手紙の筈だよ。余り詳しく情報を入れれば身元がばれちまうからな。本人は誰にも気付かれる事無く事を収めたい、そう考えて手紙を書いたんだろう」
「虫のいい話だ」
ラインハルト様が顔を顰めて吐き捨てた。なるほど、だからG夫人、B夫人か。特定はせず分かる人間だけに分かるように記述した。

「しかし、もしそうだとするとグリューネワルト伯爵夫人はかなり危険な立場にある事になります」
ミッターマイヤー少将が危険を指摘すると皆が頷いた。
「送り主を特定出来ないかな、奴から話を聞き出せればこっちがかなり有利になるんだが」
リュッケルト大将の言葉に皆が唸り声を上げた。

「ただの侍女じゃねえ。もしかすると実行犯に予定されているのかもしれん、それで怯えている。……となると宮中に出入りが出来る人間、伯爵夫人に近付いても不振には思われない人間だがそんな奴が侯爵夫人の周辺に居るのかな……」
リュッケルト大将が首を捻った。

「聞いた事が有ります。グレーザーという宮廷医が頻繁に侯爵夫人の屋敷に出入りしているとか」
ロイエンタール少将の言葉に皆が顔を見合わせた。
「ラインハルト様、宮廷医ならば……」
「姉上に近付くのも難しくは無いな、キルヒアイス」
難しくは無い、毒を盛るのも可能だろう。

「ロイエンタール少将、ミッターマイヤー少将、そいつをここに連れてきてはもらえんかな。ちょっと締め上げてみよう、そいつが送り主じゃなくても何かは分かるだろう」
リュッケルト大将の言葉に二人の少将が頷いた。



■  帝国暦486年 7月16日  オーディン  ジークフリード・キルヒアイス



目の前で椅子に座っている宮廷医グレーザーは目に怯えを見せていた。ラインハルト様、リュッケルト大将、ロイエンタール少将、ミッターマイヤー少将、そして私と五人の軍人に囲まれているのだ。疾しい事が無くても怯えるだろう。リュッケルト大将が“じゃあ始めるか”と言うと益々怯えた表情を見せた。拷問でもされると思ったのかもしれない。そんな様子に大将が苦笑を浮かべた。

「宮廷医グレーザーだな。お前さん、少し困ってはいないか?」
「……」
グレーザーは目を瞬いている。そしてリュッケルト大将からラインハルト様へと視線を移した。明らかに困惑している。
「いやな、俺達は協力出来るんじゃないか、そう思ったんだよ。お前さんが困っているなら助けてやろうってな。俺達の勘違いかな、グレーザー」
「な、なにを仰っているのか」
おどおどしている。

「分からねえか? これは書いたのはお前さんじゃないのかな?」
リュッケルト大将が封筒を突き付けるとグレーザーの目が飛び出そうになった。じっと封筒を見ている。
「し、知りません。私では有りません」
ぶんぶんと首を振って答えた。声が震えているし汗をかいている、やはりこの男が送ったのだろう。“随分と汗をかいているな”とラインハルト様が皮肉ると慌ててハンカチで汗を拭った。

「そうか、人違いか。そりゃ失礼したな。帰って良いぜ、いや送っていくよ、グレーザー。ベーネミュンデ侯爵夫人の所にな」
「それは……」
慌てるグレーザーをリュッケルト大将が笑って遮った。

「遠慮するな。こっちが無理やり連れてきたんだからな、送っていくのが礼儀ってもんだ。それに俺も侯爵夫人に用が有る、こんなものが送られて来たが心当たりは有るかって訊かねえと」
「そ、そんな事をしたら……」
グレーザーが顔面を強張らせた。リュッケルト大将はニヤニヤしている。

「大変な騒ぎになるだろうな、誰が裏切ったって血眼になって書いた奴を探すはずだ。可哀想に、そいつは殺されるかもしれん。まあお前さんは無関係だ、俺が侯爵夫人にそう証言してやるよ」
「……」
今度は蒼白になった。ラインハルト様とロイエンタール、ミッターマイヤー少将は笑いを堪えている。“良かったな”とミッターマイヤー少将が声をかけた。グレーザーが恨めしそうな表情で少将を見た。

リュッケルト大将が表情から笑いを消した。
「もう一度訊こう、良く考えて答えるんだ。間違えると伯爵夫人が死ぬ前にお前さんが死ぬことになる」
「……」
「こいつを書いたのはお前だな、グレーザー」
グレーザーが助けを求めるかのように皆を見回した。そして項垂れて“はい”と答えるとラインハルト様が一つ息を吐いた。二人の少将も頷いている。

「どうやって伯爵夫人を殺そうとしているんだ?」
「……殺そうとしているのではありません」
グレーザーの答えに皆が顔を見合わせた。
「しかし害意有りと書いたのは卿だろう、嘘はいかんな」
ロイエンタール少将が非難したが“違うのです”とグレーザーが首を振った。

「伯爵夫人を身篭らせろと、もちろん陛下以外の人物とです。そうすれば、ミューゼル大将も、伯爵夫人も一挙に始末できると……」
“馬鹿な、何を考えている”とラインハルト様が吐き捨てた。ロイエンタール、ミッターマイヤー少将も嫌悪に顔を顰めている。

「そんな事が可能なのか?」
リュッケルト大将が訊ねるとグレーザーが首を横に振った。
「もちろん宮中にいる限りそんな事は出来ません。だから……」
「だから?」
「伯爵夫人を宮中から追い出せと。それからなら出来るだろうと」
グレーザーが疲れたように答えた。ウンザリしている様だ。

「しかし追い出すと言っても何処に追い出すのだ?」
ミッターマイヤー少将が疑問を呈した。確かにそうだ、こう言っては何だがアンネローゼ様には実家が無い。行く所等無い筈だ。ミッターマイヤー少将もそれを考えたのだろう。

「何とかしろと言われています。……以前から侯爵夫人は伯爵夫人、そしてミューゼル閣下に敵意を持っていました。しかし最近はそれが酷くて……、もう限界です」
溜息混じりの答えだ。グレーザーはベーネミュンデ侯爵夫人の取り巻きの筈だが憐れみしか感じない。皆も困ったような顔をしている。

リュッケルト大将が皆に“訊きたい事が有るか”と言ったので気になる事を訊いてみた。
「この手紙ですがミューゼル大将にだけ出したのですか?」
「いえ、リヒテンラーデ侯、ノイケルン宮内尚書、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯にも出しました」
反応を示したのは我々だけらしい。

それを最後に質問は終わった。グレーザーには侯爵夫人の要求を適当にはぐらかすように、何か有ったら連絡しするようにと言って帰した。グレーザーは“見捨てないで下さい”と言って帰った。多分こちらを裏切る事は無いだろう。グレーザーが帰るとリュッケルト大将が“厄介な事になったな”と呟いた。表情が苦い。大将がラインハルト様を見た。

「ミューゼル、ベーネミュンデ侯爵夫人の気持ちが分かるか?」
「気持ち?」
「ああ、あの女が何を考えているかだ」
「……俺と姉上が憎い、だと思うが」
ラインハルト様が答えるとリュッケルト大将は“違うぜ、ミューゼル”と言って首を横に振った。

「怖いんだよ、お前が。侯爵夫人はお前に怯えているんだ」
予想外の言葉だった。ラインハルト様だけではない、皆が驚いている。ラインハルト様が“爺さん”と声を出した。
「次の戦いに勝てばお前は上級大将、ローエングラム伯爵になる。軍、宮中に於いてしっかりとした地位を得る事になるんだ。それを恐れている」

まさか、と思った。ローエングラム伯爵家の継承がこの問題に絡んでいる?
「以前殺し屋をお前に送ったからな、お前が強くなれば報復される、殺されると思っているんだ。お前は上り調子、あの女は下り坂、どう見ても勝ち目はねえ。だから必死なのさ、生き残るためにな」
「……」
「厄介な事になったぜ」
そう言うとリュッケルト大将は太い息を吐いた。



 

 

第七話 暴発

 
前書き
艦隊戦以上に白兵戦は描写が苦手です。多少不自然なところが有っても御容赦願います。それでも書いてて楽しかったです。 

 



■  帝国暦486年 7月18日  オーディン  新無憂宮 ラインハルト・フォン・ミューゼル



「御多忙の所、お時間を取って頂き有難うございます、宮内尚書閣下」
「何用かな、ミューゼル大将。済まんが私は忙しいのだ、手短に願いたい」
ノイケルン宮内尚書は露骨にこちらを避けようとしている。ソファーにも座らせず立ち話だ。距離は一メートル半、成り上がり者とは近付きたくない、話はしたくないか。或いはブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯への遠慮か。腹は立ったが抑えた。“出来るだけ下手に出ろ”、爺さんの助言だ。

「実は少々困っております」
「……」
「このような物が届きました」
封筒を出すとノイケルンの表情が変わった。それまではこちらを嫌そうに見ていたのが困惑した表情で何度も封筒と俺を見ている。多分自分の所に届いた物と似ていると思っているのだろう。まさか? もしや? そんなところの筈だ。傍に近寄った、嫌そうな顔はしたが避けなかった。

「手紙には“宮中のG夫人に対しB夫人が害意をいだくなり。心せられよ”とだけ書いてあります」
「……」
「宮内尚書閣下の元にも同じ物が届いている、そうでは有りませんか?」
俺が身を寄せて囁くとノイケルンの喉が音を立てた。目が飛び出そうな表情をしている。そして“何故それを”と小声で答えた。どうやら胆力は無いな、好都合だ。

「これを書いた人間が自分を訪ねて来ました」
「真か? それは何者だ?」
「宮廷医、グレーザーです。閣下も御存じでありましょう」
「あの男か……、何故このような事を……」
困惑か、知力もそれほどではないな。そしてベーネミュンデ侯爵夫人とグレーザーが繋がっていた事も知らない様だ。まあ無理もないか、片や宮廷医、片や寵を失った寵姫だ。関心など持てないに違いない。

「ベーネミュンデ侯爵夫人が陛下の寵を失ってからですが侯爵夫人の元を訪れる人間は居なくなり夫人はかなり精神的に不安定になったそうです。グレーザーはその治療を行いそして心の安定を保つために時折屋敷を訪ね侯爵夫人の話し相手になっていたとか」
「なるほど」
ノイケルンが頷いている。本当はあの女の金目当てだろう、爺さんはそう言っていた。俺も同感だ、何時の間にか抜けられなくなって助けを求めた。そんなところだ。

「侯爵夫人は姉と私の事を誹謗したそうです。そうする事でしか心の安定を保てなかったのだと思います。最初は気晴らしとして有効だったのでしょうが最近ではどうも現実と妄想の区別がつかなくなってきたのではないかと……、グレーザーは恐れています」
「どういう事だ、ミューゼル大将」
「姉と私が居なくなれば侯爵夫人がまた寵姫として陛下に寵愛されるだろうと」

“馬鹿な”とノイケルンが吐き捨てた。度し難い、そんな表情だ。全く同感だ、初めて意見が一致したな。
「言葉にするのも汚らわしい事ですが姉に陛下以外の男の子供を身籠らせろと命じたそうです。そうなければ私も姉も一緒に始末することが出来ると。自分がまた寵姫として陛下に召されると」
「愚かな……」
ノイケルンがウンザリといった表情をした。気持ちは分かる、俺もウンザリなのだ。グレーザーもウンザリしていた。

「グレーザーは危険だと考え何人かに手紙を書いたのです。そして念のため私の所に……」
「真相を伝えに来たか」
俺が頷くとノイケルンが大きく息を吐いた。顔を顰めている。

「彼はそれだけ危険だと思っています。今は何とか侯爵夫人をあしらっていますがそろそろ限界だと……。このままでは夫人が暴発しかねないと怯えているのです。私も危険だと思いました、それで閣下にお伝えしようと……」
あくまでしおらしく、そしてノイケルンを立てる。一昨日、昨日をかけて作ったシナリオだ。グレーザーを呼んで確認しながらの作業のため思いの外時間がかかった。

「如何なさいますか?」
俺が問い掛けるとノイケルンの眉がピクッと動いた。
「侯爵夫人を放置するのは危険ではありますまいか。一つ間違うと陛下の御威光、帝国の威信に傷が付きかねません」
「……」
また眉がピクッと動いた。

「ベーネミュンデ侯爵夫人は元寵姫でありながらそれすら分からなくなっているようです。このままでは……」
「そんな事は卿に言われなくても分かっている!」
「申し訳ありません」
吐き捨てるような口調だった。俺に指摘されたのが面白く無いらしい。

廷臣達がもっとも嫌がるのが陛下の御威光、帝国の威信に傷が付く事だ。その危機を見過ごしたとなればノイケルンは失脚せざるを得ない。何と言っても事は宮中の問題でノイケルンは宮内尚書なのだ。俺を叱責はしたが困っているな、どう対応して良いか分からずにいる。今のノイケルンは窮鼠だ、下手に突けば噛み付くだろう。だが……。

「閣下、この手紙は国務尚書、リヒテンラーデ侯にも送られているそうです」
「何? リヒテンラーデ侯に?」
「はい、如何でしょう、閣下から手紙の事をお話しなさっては。国務尚書閣下もこの件は気に留めておいでではないかと思うのです」
「そうだな、侯の御意見を伺った上でどうするかを検討した方が良かろう」

ほっとした表情だ、声も明るい。責任をリヒテンラーデ侯に押し付けられると思ったのだろう。窮鼠は逃げ道を得て臆病な鼠に戻った。これでリヒテンラーデ侯を捲き込む事が出来る。リヒテンラーデ侯も政府閣僚であるノイケルンに頼られた以上政府首班として知らぬ振りは出来ない。

“味方を作れ、自分より、相手より立場の上の奴、そして直接の担当者を味方にしろ。大義名分を得るんだ。そうなれば相手は孤立する”。爺さん、あんたの言う通りだ。これでベーネミュンデ侯爵夫人は政府を敵に回す事になった。後はリヒテンラーデ侯達にあの女の処分を任せればいい。

「卿も同道してくれ。グレーザーから話を聞いたのは卿だからな」
「分かりました」
“下手に出るんだぞ、相手を上手く煽てて使うんだ。強く出るのはもっとデカくなってからでいい”。分かっているけど結構疲れるな、もうひと踏ん張りだ……。


リヒテンラーデ侯との話が終り家に戻ると爺さんとロイエンタール、ミッターマイヤー、キルヒアイスが俺を待っていた。
「ラインハルト様、如何でしたか?」
「うむ、近日中にベーネミュンデ侯爵夫人にオーディンを離れ領地の開発に励めとの陛下の御意が伝えられる事になった」
俺が処分の内容を伝えると皆が頷いた。“事実上の追放ですな”とロイエンタールが評した。

「問題は大人しく従うかだな」
「……」
「追放と決まっても直ぐにオーディンを離れるわけじゃねえ。準備やら支度で時間を稼ぐ筈だ。時間を稼いで処分の撤回を願うかお前を殺そうとするか、……油断はするんじゃねえぞ」
爺さんの言う通りだ、油断は出来ない。ロイエンタール、ミッターマイヤー、キルヒアイスが爺さんの言葉に頷いた。



■  帝国暦486年 7月21日  オーディン  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「ラインハルト!」
「下がっていてください、姉上! 車から出ないで!」
破損した車から出ようとする姉を押し戻すと羽織っていたマントを脱いで姉の頭に押し被せた。姿勢を低くさせれば、この暗さならそう簡単には狙いは付けられないはずだ。

雨が酷い、夜の闇と大量の雨で視界が利かない。そして雨音の所為で音も聞こえない、最悪の状況で襲撃された! 油断した、いやこちらの想定を超えた。まさかここまで強硬手段を取るとは……。せめて事故死に見せかける位の事をするとは思ったが俺の想像以上にあの女は追い詰められていたようだ。或いは馬鹿なのか。

「相手は対戦車ライフルを使用したようです」
キルヒアイスの声が緊張している。直撃なら姉上の命はなかっただろう。間一髪助かった、しかし油断は出来ない、足を奪った以上連中は必ず止めを刺しに来るはずだ。キルヒアイスを促し車から少し離れた場所に移動した。背中合わせに立つ、死角を作るな、集中しろ! 手にブラスターを持って敵を待った。

「ラインハルト様!」
キルヒアイスが叫ぶのと同時に身体を翻した。戦闘用ナイフが肩先をかすめた。目の前に黒の戦闘服を着た男が居た。足元がぬかるむ、踏ん張れない! バランスを崩してよろめくところに男がナイフを振りかざした。躱せない、防ごうと腕を前に出した時、男の身体が硬直して一瞬置いて崩れ落ちた。

「無事か、小僧」
「爺さん!」
男の後ろからマントを羽織った爺さんが現れた。右手にはサバイバルナイフを逆手で持っている。キルヒアイス! 態勢を崩している! 爺さんの倒した男の身体が邪魔だ! 襲撃者のナイフが迫る! ブラスターを撃った、命中! 側頭部を撃たれた敵が横倒しに倒れた。

「ミューゼル、伯爵夫人を守れ」
「しかし」
「邪魔なんだよ、お前が死んだらロイエンタールとミッターマイヤーも死ぬことになるんだ。分からねえのか!」
爺さんが周囲を警戒しながら言った。キルヒアイスが“ラインハルト様”と声をかけてきた。爺さんの言う通りにしろ、眼がそう言っている。

「済まない、頼む」
不本意だが後ろに下がった。雨と闇の中に爺さんとキルヒアイスの背中が滲んで見えた。
「撃つんじゃねえぞ、ミューゼル。同士討ちは御免だ。そこで黙って見ていろ、もう直ぐ味方が来るからな」
大きい声だ、多分敵に聞かせるためだろう。爺さんは連中を焦らせようとしている。相変らず喰えない爺さんだ。こんな時なのに笑いが込み上げてきた。

爺さんの左側面と正面に影が近付いた。爺さんは腰を落として様子を窺っている。大丈夫か? キルヒアイスがナイフを突き出してきた男の腕を手繰り寄せるとブラスターを側頭部に叩き付けるのが見えた。崩れ落ちる男の手からナイフを奪う。接近戦ならブラスターよりもナイフだ。

爺さんの側面の男が斜め後ろに動こうとした。爺さんの背後を取ろうというのか、それとも狙いは俺か。爺さんが身体を時計回りに反転させた、速い! 身体を沈ませ思いっ切り右足を延ばして男の足を払う。男が飛び退いて躱した。正面の男が爺さんの背中に迫る! 爺さんが前方に回転して距離を稼ぐ、振り向いて構えた! 正面から迫った男が止まった。なるほど、これなら同士討ちを心配するはずだ、それほどに爺さんの動きは速い。

凄い、本当に六十歳なのか? どう見ても二十代から三十代の動きだ、しかもかなり鍛えている。側面と正面からまた敵が迫る。側面の男は明らかに爺さんを標的にしている。手強いと見たのだ、先に爺さんを殺してから正面の男と共に俺を殺すつもりに違いない。正面の男と側面の男がナイフを突き出すそぶりをする。フェイントだ、連携して爺さんを揺さぶろうとしている。しかし時間が無いのも分かっているだろう、直ぐに仕掛けて来る筈だ。

爺さんは動かない。腰を落として正面の男に正対している。手強いのは正面と見たか、或いは側面の男を挑発しているのか。右手に握ったナイフは相変わらず逆手、防御優先だ。時間を稼ぐつもりかもしれない。相手は二人とも順手でナイフを持っている、どちらかが攻めてくる。それに合わせてもう一方も動くだろう。

動かない爺さんに焦れたのだろう、側面の男がフェイントから鋭く踏み込んで突いて来た。爺さんが時計回りに身体を反転させる、上手い! これなら爺さんの身体は側面から攻めてきた男の陰になる。正面の男は攻撃出来ない。爺さんに背中を刺される、側面の男は慌てて突き出した腕を引き戻して爺さんの頸を狙う!

だが爺さんは身体を沈めていた。男の腕は空を斬った。腕が流れる、態勢が崩れた。爺さんが素早く身体を時計とは逆回りに反転させる。そしてそのまま回転の勢いを付けて右手のナイフを男の喉元に叩き込む。男が左手で喉を守ろうとした、その左手の指を切り飛ばしつつ爺さんのナイフは一気に喉を切り裂いた!

噴出する血を四方に撒き散らしながら男は横倒しに倒れた。暗闇でも何が起きたか分かる凄惨な光景だった。正面の男も動けずにいる。爺さんが構えた。半歩前に出ると正面の男は下がった。明らかに押されている。殆ど戦意は喪失状態だろう。突然光が現れた。声がする、俺の名を呼んでいる、ロイエンタール、ミッターマイヤーか。味方が来たようだ。

不利を悟ったのだろう、爺さんの正面の男は後退した。キルヒアイスの周りにも敵は居ない。声が近付いてきた、もう大丈夫だ、爺さんに近付いた。キルヒアイスも傍に来た。
「爺さん、おかげで助かった」
声をかけると爺さんがふーっと大きな息を吐いた。

「年は取りたくねえな、身体が思うように動かん」
「冗談だろう?」
「本当だよ、十年前ならあいつも殺してたさ、逃がしはしねえ。今は激しい動きをすると息が上がる。バレねえ様に芝居するのが一苦労だ」
まさかと思ったが爺さんは苦い表情をしている。本当なのか。キルヒアイスも驚いている。

「御無事でしたか、ミューゼル大将、リュッケルト大将」
声をかけてきたのはロイエンタールだった。彼の後ろには十人程の兵が付いていた。爺さんが“助かったぜ”と言った。
「良く来てくれた。卿が来てくれたお蔭で連中も撤退したようだ」
「いえ、もう少し早く来られればと反省しております」
もう少し早く来ればか……、もし来ていればアレを見る事は無かっただろう。

ミッターマイヤーが来た。やはり十人程連れて来ている。どうやら遅れたのは逃げる連中を捕まえていたようだ。二人程襲撃者を捕えている。
「白状しました。ベーネミュンデ侯爵夫人に金で雇われたようです。グリューネワルト伯爵夫人、ミューゼル大将を殺せば出世させてやると」
ミッターマイヤーの言葉に皆が顔を見合わせた。

「終わったな」
爺さんの言葉に皆が頷いた。
「顔を潰されたリヒテンラーデ侯がベーネミュンデ侯爵夫人を許す事はねえ。後は皇宮警察と憲兵隊に任せようぜ」
また皆が頷いた。爺さんの言う通りだ、ベーネミュンデ侯爵夫人は終わった。予想外だったが出兵前に片付いた。これで心置きなく戦争に集中出来るだろう……。







 

 

第八話 作戦会議




帝国暦 486年 10月 6日   イゼルローン要塞 要塞司令官室 ラインハルト・フォン・ミューゼル



これで六回目だ。九月二十日に遠征軍がイゼルローン要塞に到着してから昨日までに最高作戦会議は五回行われた。そして今日、要塞司令官室で六回目の最高作戦会議が始まる。もういい加減会議は飽きた。俺に自由裁量権を与えて欲しいものだ。そうすれば……。

部屋に入って席に着いた時、周囲を見渡して嫌な予感がした。ミュッケンベルガー元帥を議長として中将以上の階級にある提督達、そして何人かの貴族が参集したが提督達も貴族だった。その中には先日中将に昇進したフレーゲル男爵もいる。爵位を持っていないのは俺と爺さんだけだった。

五度目までは作戦会議は形式的な物で終わった。六度目の作戦会議も形式的な物で終わるだろう。実際に会議はダラダラとなんの意味もなく続いた。爺さんは詰まらなさそうな表情をしている。唯一反応したのは索敵情報に惑星レグニツァ方面で反乱軍が徘徊していると言う報告が有った時だけだ。もっともそれもかなりあやふやな情報で信憑性は全く高くない。

相変わらずフレーゲル男爵がネチネチと絡んでくる。嫌な奴だ。適当に流そうとしていたが、フレーゲル男爵に便乗して絡む阿呆が居る。ミュッケンベルガーも止めようとはしない。司令長官公認の嫌がらせというわけだ。徐々に我慢出来なくなってきた。心がささくれだってくる。

「年末にはローエングラム伯爵を名乗られる御身、我ら如き卑位卑官の輩は、うかつに口をきいてもいただけぬであろうからな」
フレーゲル男爵が冷笑交じりに絡んできた。馬鹿か? フレーゲル、貴様一体年は幾つだ? なりはでかいが精神年齢は幼稚園児並みだな。

「卑位卑官などとおっしゃるが、卿は男爵号をお持ちの身。自らを平民と同一視なさるには及ぶまい」
此処にも馬鹿が居た、爵位しか誇る物のない阿呆が! お前達と同一視などこちらからお断りだ! それにしても爺さんが居るのに露骨に平民を差別する、こいつ等にとっては爺さんは虫けらに等しい存在なのだ。居心地が悪い、面白くないだろうと思ったが爺さんは平然としていた。内心では唾でも吐いているだろう。

フレーゲルが顔を顰めた。
「むろん我々には、代々、ゴールデンバウム王朝の藩屏たる誇りが有る。平民や成り上がりなどと比較されるのもおぞましい」
吐き捨てるような口調だった。上等だ、この馬鹿! 民衆に寄生するのが王侯貴族の誇りか! 怒鳴りつけようとした時だった。

「あー、ちょっと教えて貰いてえんだが。育ちが悪いんでガラの悪いのは勘弁だ。ついでに無学なのもな。藩屏ってなあ何だ?」
爺さんがのんびりした口調で問い掛けた。意表を突かれたのだろう、一瞬間が有ってから失笑が部屋に満ちた。
「藩屏というのは守護するものを指すのだ」
フレーゲルが得意げに、そして爺さんを蔑むように言った。

「なるほどなあ、貴族はゴールデンバウム王朝の藩屏か……。ところでフレーゲル男爵家は何時頃からその藩屏をやってるんだ、代々と言ってたが」
「当然、帝国が成立した時からだ。フレーゲル男爵家はルドルフ大帝によって創られた。……というより卿、もう少し何とかならんのか、その口は。無礼だろう」
フレーゲルが不愉快そうに言ったが爺さんは右手をヒラヒラさせた。

「年を取ってもう治らねえんだ。老い先短い年寄りなんだから気にしないでくれ。それに俺は大将、男爵は中将、軍の階級では問題ねえだろう。ここは作戦会議の場だぜ」
爺さんがフレーゲル男爵を軽くあしらった。フレーゲルが忌々しそうにフンと鼻を鳴らしたが文句は言わなかった。馬鹿な奴、あっさり爺さんに丸め込まれている。もう半分くらいは爺さんのペースだな。

「しかしルドルフ大帝によって創られたって事は余程の功績を上げたって事だな、帝国の藩屏か、大したもんだぜ」
爺さんが褒めるとフレーゲルが嬉しそうな表情をした。“その通りだ、分かったか”と爺さんと俺を見て言い放つ。お前が功績を立てたわけじゃないだろう。

「代々のフレーゲル男爵も藩屏として帝国を守って来たんだろうなあ、大変だな、貴族も」
「当然だ、それが我ら貴族の高貴なる務めだからな。まあ卿などにはその苦労は分かるまい」
嫌味に溢れた口調だが爺さんは気にしなかった。“全くだ、全然分からねえな”と言って頷いている。
「で、当代のフレーゲル男爵は藩屏として一体何をやっているんだ?」
爺さんの問い掛けにフレーゲルが固まった。

「いやな、俺とミューゼルは軍人だ。戦場に出て反乱軍と戦って武勲を上げて大将になった。まあこう言っちゃなんだが大したもんだわ。誰にでも出来る事じゃねえ。俺達だって帝国の藩屏と言ったって言い過ぎじゃねえよな。そこで気になったんだ。別に戦争しているわけでもねえし政府閣僚ってわけでもねえ。役人でもねえよな。フレーゲル男爵の藩屏としての仕事ってのは何なんだ? 教えてくれねえかな」
皆の視線がフレーゲルに向かった。フレーゲルの顔は強張っている。何と答えるのか、見ものだな。我ながら意地悪く思った。

「それは、……色々と有るのだ」
爺さんが顔を顰めた。
「色々? もうちょっとはっきり言ってくれねえと分からねえな。俺は馬鹿なんだから馬鹿にも分かるように教えてくれ」
「だから、貴族には貴族としての重要な仕事が有るのだ。……卿らのような平民には教える必要は無い」
しどろもどろだ。爺さんが俺を見た。目が悪戯っぽく光っている。また悪さを考えたらしい。性格が悪いと思ったが何を言い出すか楽しくなった。

「ミューゼルよ、お前大丈夫か?」
「何がかな」
もうちょっとで“爺さん”と言うところだった。気を付けないと。
「お前、貴族になるんだろう。貴族ってのは案外面倒臭そうだぜ。フレーゲル男爵の話を聞いただろう。男爵は他人様に言えないような仕事をしているみたいじゃねえか」

思わず噴き出した。俺だけじゃない、彼方此方で、ミュッケンベルガー元帥もむせている。
「き、貴様! 私を、フレーゲル男爵である私を、犯罪者扱いするか! 無礼だろう!」
フレーゲルが音を立てて立ち上がり顔面を朱に染めて怒鳴った。爺さんは小首を傾げている。

「はあ? 何怒ってるんだ。別に男爵を犯罪者扱いなんてしてねえぞ」
「しかし、他人様に言えないような仕事等と」
「事実だろうが。そんなに気に障るならもったいぶらずに仕事の内容を教えてくれよ。それで済む話だ、違うか?」
フレーゲルがぐっと詰まった。

クスクスと笑う声が聞こえた。フレーゲルが“何がおかしい!”と怒鳴った。怒鳴られたのは未だ若い男だ。俺と大して歳は変わらないだろう。黒髪、黒目、怒鳴られたにもかかわらず穏やかな表情で笑っている。確か名前は……、リメス、リメス男爵だと思ったが……。

「失礼、リュッケルト提督が非常に愉快な方なのでつい笑ってしまいました。決してフレーゲル男爵を笑ったわけでは有りませんよ。誤解しないでください」
そういうと今度は声を上げて笑った。フレーゲルが“ふざけるな、リメス、貴様ー”と怒声を上げた。しかしリメス男爵は笑うのを止めない。大丈夫なのか? フレーゲルはブラウンシュバイク公の甥だ。公を怒らせると厄介な事になりかねないが……。

「それ以上笑うと……」
リメス男爵が笑うのを止めた。流石に拙いと思ったか。違う、顔が笑っている。
「どうなります。ブラウンシュバイク公に言い付けますか?」
また笑い出した。フレーゲルが“笑うな!”と怒声を上げた。リメス男爵はさらに笑う。

「両名、止めぬか! 」
ミュッケンベルガーが二人を止めた。そしてフレーゲル男爵に席に座るようにと命令した。フレーゲルはリメス男爵を睨んでいたがミュッケンベルガーが再度席に座るように命じると渋々従った。それを見届けてからミュッケンベルガーは爺さんに視線を向けた。
「リュッケルト提督に命じる。惑星レグニツァの周辺宙域に同盟と僭称する叛徒どもの部隊が徘徊しているとの報が有る。直ちに艦隊を率いて当該宙域に赴き情報の虚実を確認し、実なるときは卿の裁量によってそれを排除せよ」

「謹んで命令をお受けします」
「うむ」
まともな挨拶も出来るんだな。そう思った時だった、リメス男爵がミュッケンベルガーに“元帥閣下”と声をかけた。皆の視線が男爵に向かう。ミュッケンベルガーは誰の目にも分かるほど緊張を露わにした。

「何かな、リメス男爵」
「リュッケルト提督に同行したいのですがお許し頂けるでしょうか?」
「……好きにされるが良い」
「有難うございます。リュッケルト提督、宜しくお願いします」
「……いや、こちらこそ」
妙な男だ。爺さんに丁寧に頭を下げた。とても貴族とは思えない、何者だ? そんな疑問が胸に浮かんだ。




「爺さんは相変わらずだな、性格が悪い」
「ん、そうかな?」
「そうだとも、フレーゲル男爵をからかって喜んでた。わざとだろう?」
「別にからかってはいねえさ。分からねえから訊いただけだ」
本心じゃない、目が笑っている。キルヒアイスが知りたそうな表情をしていた。先程までの会議室の遣り取りをキルヒアイスに教えるとキルヒアイスも吹き出しそうになった。

爺さんはこれから出撃だ。出撃前の一時、キルヒアイスと共に爺さんに与えられた部屋を訪ねた。少し聞きたい事も有る。適当に座りながら話をした。
「爺さん、ちょっと気になる事が有るんだが……」
「リメス男爵の事か」
「ああ、爺さんは男爵を知っているのか?」
「まあな、それなりに有名な男だ」
不思議だった。俺は彼の事を聞いたことが無い。キルヒアイスも不思議そうな顔をしている。

「妙に貴族らしくないと思ったんだが気の所為かな」
爺さんが“いや、そうじゃない”と頷いた。
「あれは元々は平民でな、どちらかといえばフレーゲル男爵を始めとする貴族達よりも俺達に近い。その所為だろう、作戦会議の時もフレーゲル達とは少し離れた場所に居た」
妙な話だ。元々は平民? “どういうことだ?”と続きを促した。

「先代のリメス男爵ってのが平民の女との間に子供を作った。それが男爵の母親だ。母親の実家は結構裕福でな、男爵家からの援助は受けなかったらしい。母親は男爵家とは関係なく平民として育ち平民の男と結婚した。確か相手は弁護士だったな。母親も法律関係の仕事をしていたはずだ。そして男の子が生まれた、それがあの男爵だ」
「詳しいな。……爺さん、先代のリメス男爵には他に後継者が居なかったのか?」
俺が問い掛けると爺さんが“居たよ”と答えた。

「息子は死んだが孫が二人いたと聞いている。しかしその孫も事故で亡くなっちまってな、先代の血を引くのは平民として育てられた娘とその娘が生んだ孫しか残らなかった。そういうわけでな、先代の男爵が無くなる直前だが男爵家に後継者として引き取られたんだ」
「……」
「本当なら母親が男爵夫人になる筈だがどういうわけか息子が先代の養子になってリメス男爵になった。確か十一、いや十二歳かな、そのくらいだろう。そして父親と母親は息子を補佐している。今からざっと七、八年前の話だ」

なるほど、と思った。貴族らしくないのはその所為か。
「しかし血は繋がっているとはいえ平民を養子にとなると随分と金がかかったんじゃないか」
「だろうな、なんだ、お前こそ詳しいじゃねえか」
爺さんが悪戯っぽい目で俺を見ている。
「冷やかすなよ。シャフハウゼン子爵夫人が平民だった。子爵と結婚するのに随分と金がかかったと聞いている」
爺さんが“ああ、そうか、そうだったな”と頷いた。

「では他の貴族達とも親しくは無いのですね」
キルヒアイスが問い掛けると爺さんは頷いた。
「親しくないな。さっきの会議でフレーゲル男爵はミューゼルに嫌味を言っていたが半分くらいはリメス男爵に対する当てこすりだ。平民、成り上がり、分かるだろう? 貴族社会ではリメス男爵の名は忌み嫌われているんだ」
「忌み嫌われている?」
思わずキルヒアイスと顔を見合わせた。キルヒアイスも驚いている。爺さんは右手を顎にやって撫で始めた。

「色々と有ってな。貴族社会じゃあの家は嫌われているし懼れられてもいる。お前らがリメス男爵を知らねえのも無理はねえさ。宮中じゃ誰もあの男の事を口にしない」
「……色々って、何が有ったんだ?」
俺が問い掛けると爺さんが大きく息を吐いた。手で近付けという仕草をした。微妙な、いや爺さん流に言えばヤバイ話らしい。顔を寄せると小声で話し始めた。

「貴族の生死、没落に妙に敏いんだ。反逆を起こす貴族の領地の特産物を事前に買い占めておいて反逆で暴騰した所で売る。或いは貴族の当主が死ねば当然だが混乱が生じる、特に後継ぎが無ければ混乱は長引く、それに乗じて儲ける。リメス男爵はかなりのやり手だぜ、ぼったくりに近いって評判だ」
「……」

「妙な話だよな、一体何処からそれを嗅ぎつけるのか。貴族達も皆不思議がっているって聞いた事が有る。元々リメス男爵家はそれほど裕福だったわけじゃねえ。後継者の件ではかなり散財したと聞いている。だが今じゃリメス男爵家は帝国貴族の中でもかなりの資産家の筈だ」
キルヒアイスを見た。信じられないと言った表情をしている。俺も同感だ。

「父親じゃないのか?」
「俺もそう思いたいんだがな、そうじゃねえみたいなんだよ。あの家の事を知っている人間は父親の事は生真面目な弁護士でごく普通の人間だと言うらしい。息子の方が怪物だってな」
まさか、と思った。外見は穏やかな青年にしか見えなかった。

「見くびるんじゃねえぞ、会議を思い出してみろ。リメス男爵はフレーゲルなんざ相手にしていなかった。ブラウンシュバイク公も恐れてはいねえ」
「ああ、確かに」
「ミュッケンベルガーも声をかけられただけで露骨に構えてた。怖がっているんだよ。俺だって出撃に同行したいと言われた時は震え上がったぜ」
「爺さん」
冗談は止せ、爺さんに怖い者など有るか、そう思ったが爺さんは首を横に振った。

「ヘルクスハイマー伯爵家、シュテーガー男爵家、グリンメルスハウゼン子爵家、ハルテンベルク伯爵家、クロプシュトック侯爵家……」
「爺さん?」
爺さんがじっと俺を見た。
「皆、リメス男爵の標的にされた家だ」
「……」
また、まさかと思った。グリンメルスハウゼン子爵はともかく他は混乱など起きる要素は事前には分からなかったはずだ。

ハルテンベルク伯爵は妹に殺された。シュテーガー男爵は俺が幼年学校の事件を解決したことで逮捕された。ヘルクスハイマー伯爵は例の一件でオーディンを逃げ出した。クロプシュトック侯は大逆事件……、どうやって事前に知った? 有り得ない。キルヒアイスが顔を強張らせている。多分俺も同様だろう。

「特にな、ヘルクスハイマー伯爵家は酷かったらしい。どういうわけか伯爵夫人が殺され伯爵はオーディンを逃げ出したんだがその直前に伯爵家の領地、利権のかなりの部分がリメス男爵に譲渡されている。どんな魔法を使ったのやら……」
「……馬鹿な」
声が震えた。有り得ない事が起きた……。
「不思議なのはリッテンハイム侯が何も言わない事だ。普通なら何か言いそうなものだがな」

“怖い話だぜ”、ボソッと爺さんが呟いた。多分遺伝子の秘密が理由だ。あれを知っているのはリッテンハイム侯を除けば俺とキルヒアイスぐらいだと思っていたが……。リッテンハイム侯がリメス男爵に何も出来ないのは手出しすれば公表すると言われているに違いない。そうなればリッテンハイム侯爵家、ブラウンシュバイク公爵家、共にとんでもない事になりかねない。キルヒアイスが俺をじっと見ている。多分同じ事を思っているだろう。

「貴族達の中ではヘルクスハイマー伯爵がオーディンを逃げ出したのはリメス男爵を怒らせた所為だという噂も有るんだ。伯爵夫人が死んだのは見せしめだってな。ヘルクスハイマー伯爵は領地、利権を差し出す事で許しを願ったって。怖い話だろう?」
「ああ、……リメス男爵はその噂を否定しないのか?」
「そんな話は聞いた事がねえな」

本当は違う、リメス男爵は関係ない。だが否定しないのはその方が都合が良いからだろう。平民であった彼を貴族社会は受け入れない。ならば敢えて悪名を背負う事で貴族達を威圧しているのだ。そしてリッテンハイム侯は秘密を守るために沈黙している。そうする事でリメス男爵を利用している……。

「それにな、あの家が貴族達から嫌われるのは他にも理由がある」
「……というと?」
「元が平民だからだろうな、改革派って言うのか、そいつらを呼んで平民達を手厚く保護しているんだ。平民なんて虫けらみたいに思っている貴族達からみれば面白くないのさ。いや、理解出来ない、かな」
唯の欲張りではないという事か。ちょっとホッとした。

「問題にはならないのでしょうか?」
キルヒアイスが訊ねた。貴族達にとっては面白くない考えだ。止めさせようと考えてもおかしくは無い。
「一度問題になったらしい。リメス男爵領に隣接する貴族が訴えたと聞いている。自分の所の領民に悪い影響を与えてるってな」
「それで?」
爺さんが俺を見て肩を竦めた。

「お咎めは無しだ。基本的に貴族の領地は領主がどう治めようと勝手だ。反乱や暴動が起きれば別だがリメス男爵領は反乱も無ければ暴動も無い。それに……」
「それに?」
爺さんがニヤリと笑った。

「あそこからは間接税の税収が多いんだ。政府としては多少の事は大目に見るさ。怒らせたくもねえしな」
「なるほど」
「まあそんなわけでな、リメス男爵は貴族達にとってはちょっと厄介で危険な男なのさ。で、俺はこれからその男爵閣下と共に出撃だ。うーっ、首筋が寒いぜ」
というと爺さんは首を竦めてブルブルと体を震わせた。



 

 

第九話 第四次ティアマト会戦




帝国暦 486年 10月 12日   イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル



「いや、酷い戦いだったわ。事前に自然環境が厳しいとは聞いていたがあそこまで気象条件に左右されると人間なんてどうにもならんな。嫌というほど無力感を感じたぜ、生きて帰れたのは奇跡だ」
「そんなに酷かったのですか」
キルヒアイスが問い掛けると爺さんが疲れた様な表情で頷いた。

「雲は分厚いし雷はピカピカゴロゴロ鳴りやがる。レーダーは殆ど使えん。おまけに酷い嵐で有人の索敵機は使えねえ、無人の索敵機を使っても情報は上手く伝わってこねえ、ナイナイ尽くしだぜ。結局目視に頼るしかねえんだが暗いし雲は分厚いしでどうにもならん。目の見えねえ状態で闇の中を彷徨っているようなもんだ。大体艦隊運動だって嵐が酷くてまともに出来ねえんだからな。情けねえ話だが敵さんと出会わねえ事だけをオーディンに祈ってたよ、びくびくしてたぜ」
爺さんの言葉に皆が溜息を吐いた。

爺さんの控室には俺、キルヒアイス、ロイエンタール、ミッターマイヤーで来ている。惑星レグニツァへ出撃した爺さんは反乱軍と接触、一時は苦戦したが反乱軍に大きな打撃を与えて帰還した。勝ったのは爺さん、祝いの言葉でもと思ったのだが実情はかなり違ったらしい。爺さんは肩を落としている、まるで敗けたかのようだ。

「それなのに出会っちまうんだからな。いきなり反乱軍がぬうっと目の前に現れた時には仰天したわ。嵐の中での遭遇戦だ、心の中で大神オーディンを思いっきり罵っちまった。それが悪かったのかな、先手は向こうに取られちまったよ」
「……」
軽口は叩いているが精彩がない、爺さんらしくないな。それほど酷かったか。

「兵力もこっちは一万隻なのに向こうはどうみても一万四千隻は有りやがる。おまけにまともに攻撃が出来ねえ、参ったぜ」
爺さんが首を振っている。攻撃が出来ない? 皆が不思議そうな顔をした。爺さんも気付いたのだろう、“酷いもんだぜ”とぼやいた。

「ミサイルもレーザーも当らねえんだ。重力と嵐の所為で弾道計算すらまともに出来ねえ。ようやく出来た弾道計算も一瞬の気象変化で意味の無いものになっちまう」
「それは……」
ロイエンタールが絶句し、そして首を横に振った。皆も声が出ない、俺もだ。爺さんがぼやく筈だ。

「何度もそれの繰り返しだ。オペレータはパニックを起こして艦橋は煮えたぎった鍋のお湯みてえになっちまった。あっちでブクブク、こっちでブクブク、戦争みてえな騒ぎだ。まあ実際にドンパチしてるんだがな」
「……良く勝てたな、爺さん」
俺が溜息混じりに言うと皆が頷いた。どう見ても勝てる要素は無い、どうやって勝ったんだ?

「俺じゃ勝てねえよ」
「……」
皆が爺さんを見た。爺さんは奇妙な笑みを浮かべている。
「リメス男爵がな、惑星レグニッツァの大気に核融合ミサイルを撃ち込めって教えてくれたのさ。あそこの大気は水素とヘリウムだからな、爆発させてガスを噴き上がらせろって」
唸り声が上がった。なるほど、その手が有ったか。

「一瞬で戦局が変わったぜ。反乱軍は噴き上がったガスに翻弄されて大混乱だ。後は連中を叩きのめしてなんとか引き上げた。まあそれでも二千隻程は失ったな。上は勝ち戦と評価しているが実際は引き分けが良いところだろう。多少贔屓目で見て六分四分で有利ってとこかな」
爺さんが嬉しそうじゃないのは自分の力じゃ勝てなかった、その思いの所為かもしれない。或いは損害が予想以上に多かったという事か。それにしても核融合ミサイルを撃ち込むか……、リメス男爵は機転の利く男らしい。敵に回せば手強いだろう。

「それにしても惑星レグニッツァの大気を利用しろとは……、リメス男爵は出来ますな」
ミッターマイヤーが嘆息すると同意する声が上がった。爺さんが“ミューゼル”と俺の名を呼んだ。
「お前に宜しく伝えてくれと言っていたぞ」
「俺に?」
驚いた、何故俺に? 爺さんがニヤリと笑った。

「まあ貴族達に嫌われているのはリメス男爵もお前さんも同じだからな、誼を通じたい、そんなところじゃないか」
「誼か」
「敵に回られるよりは良いだろう」
「それはそうだが素直には喜べないな」
爺さんが笑い出した、冗談だと思ったのだろうか、本気なんだが。爺さんが笑うのを止めた。

「まあ冗談はともかくちょっと気になる事をリメス男爵から聞いた」
いやだから冗談じゃないんだ、爺さん。
「コルプト子爵が遠征軍に参加しているらしい。正確にはお前さんの艦隊に居るらしいぞ」
まさか、と思った。しかしロイエンタールとミッターマイヤーは驚いていない。事実なのか……。何時の間に俺の艦隊に配属になった?

「二人とも知っていたのか?」
俺が問い掛けると二人は顔を見合わせた。そして“はい”と肯定した。
「コルプト子爵は我々の前に現れてミッターマイヤーに復讐すると言っていました」
「……」
「御心配には及びません。戦場でならコルプト子爵など恐れるものでは有りません」
ロイエンタール、ミッターマイヤーの表情に不安は無い。しかし、後ろから攻撃されることほど危険なことは無い。

「コルプト子爵を外すことは出来ないかな?」
爺さんに視線を向けたが爺さんは“ウーン”と唸った。
「難しいだろうなあ」
「難しいか……」
「ああ、難しい」
爺さんの表情が苦しげだ。やはり難しいか……。

「ミューゼル、お前は軍上層部がコルプト子爵の狙いに気付いていないと思うか?」
「いや、それは無いと思う」
「そうだな、にも拘らずお前の艦隊に配属したって事は復讐を黙認したって事だ。やれるものならやってみろ、その代り失敗しても責任は取らねえ。そんなところだろうな」
「……」

軍上層部、おそらくは軍務尚書エーレンベルク元帥と宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥の考えだろう。エーレンベルクの奴、俺にはミッターマイヤーを前線に送り武勲を上げさせることで罪を償わせると言っていたが狙いは戦場でコルプト子爵に復讐させる事か。卑怯な!

「例えお前が外してもミュッケンベルガーに直訴して戻って来るだろう。復讐なんて考えていません、そう言ってな。ミュッケンベルガーもその辺りの事は分かっていて送り返してくると思う、茶番だよ。フレーゲル男爵が遠征に参加しているのは見届け人かもしれねえな」
「見届け人?」
爺さんが頷いた。

「ああ、ミュッケンベルガーがちゃんと便宜を図った事を確認する見届け人さ。男爵にそれを命じたのはブラウンシュバイク公だろう」
「なるほど、有り得るな」
相手は用意周到に準備してきたという事か……。包囲されている、そう思った。ロイエンタール、ミッターマイヤー、キルヒアイスも表情が厳しい。

「ミッターマイヤーだけじゃねえぞ、お前も危ない」
「俺も?」
爺さんが厳しい表情で頷いた。
「リメス男爵が言っていたぜ、連中の本当の狙いはお前を潰す事だってな。ミュッケンベルガーだけじゃねえぞ、エーレンベルクもお前を潰したがっている。ミッターマイヤーをお前の下に付けて出兵させたのはそのためだ。期待されている、信頼されていると思ったら罠だと思えと言っていたぞ」
「……」

出兵前の会話を思い出した。武勲を上げる事で罪を償わせる、エーレンベルクはそう言った。俺の配下にすると言ったのもエーレンベルクだ。あの時、既に決まっていたという事か……。疑うべきだった、連中は俺に好意的ではない。それなのに何故俺に好都合なように事を運ぶのか、疑うべきだった……。

「俺を戦場に出したのもそれが絡んでいるのかもしれん」
「どういう事だ」
「俺とお前は親しいからな、邪魔だって事さ。決戦が始まる前に反乱軍の手で俺を片付けようって腹だ。さもなきゃ一個艦隊に満たねえ俺の艦隊をあんな悪条件の戦場に出すか? おかしいだろうが」
「確かにそうだな」

爺さんがじっと俺達を見た。
「正念場だぜ、ミューゼル。連中は俺達を潰しに来ている。ここを切り抜けるんだ、勝ってな」
「ああ」
「くたばるんじゃねえぞ」
「分かっているさ、爺さんも死ぬなよ」



十月二十日、帝国軍と同盟軍はティアマト星域に布陣をした。そして俺はミュッケンベルガーより帝国軍左翼部隊の指揮官を命じられた。爺さんは戦力の回復がままならないとして予備だ。前回の戦い、第三次ティアマト会戦では俺は予備に回された。それを考えれば明らかに優遇、期待、信頼の表れだろう。どうやら何かを仕掛けてくるようだ。爺さんを予備に回したのも俺と爺さんを分断するつもりかもしれない……。



帝国暦 486年 10月 20日   ティアマト星域  総旗艦ヴィルヘルミナ  グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー



馬鹿な! 一体何を考えている!
「こ、これは……、左翼部隊、我が軍の前方を横切りつつあります」
オペレータの声が上擦っていた。オペレータだけではない、皆が彼方此方で驚きの声を上げている。気持ちは分かる、今反乱軍に攻撃されたら左翼部隊は壊滅的な打撃を受けてしまう、そうなれば……。

「馬鹿な! 何故反乱軍は攻撃しない!」
フレーゲル男爵が喚いた。馬鹿が! 何も分かっていない。今攻撃されては拙いのだ! そうなれば兵力の約四分の一を失った我々だけで反乱軍を迎え撃つ事になる。敗北は必至だ。幸いな事に反乱軍は何もせずに左翼部隊を通過させている。おそらくはこちらの陽動作戦とでも思っているのだろう。

計算が狂った……。本来なら左翼部隊と反乱軍が潰し合いその後にこちらが反乱軍を押し潰す計算だった。だがこれでは……、我々と反乱軍が潰し合う事になってしまう。あの小僧、まさか……。
「元帥閣下」
声のした方向を見た。リメス男爵が居た。この男、驚いていない。馬鹿な……。

「何かな、リメス男爵」
声に震えは無い、大丈夫だ。
「攻撃の準備を、至近距離での砲撃戦になります」
「!」
冷たい声だった、非難の色が有る、慌てて目の前の状況を確認した。確かにリメス男爵の言う通りだ、反乱軍は至近の距離に迫っている。もう避けることは出来ない、左翼部隊の動きに気を取られ過ぎた!

「全艦に命令! 主砲斉射準備!」
「全艦に命令! 主砲斉射準備!」
私の命令をオペレータが復唱する。全ての艦隊に命令が伝わっただろう。後は左翼艦隊が通り過ぎるのを待って砲撃だ。あと少し、あと少し……。右手を上げた。
「ファイエル!」
振り下ろした右手が放ったかのように反乱軍に向かって光の束が放たれた。


……混戦、数時間後戦況は混戦状態になっていた。ミューゼル艦隊、もはや左翼部隊とは言えないだろう。あの艦隊は敵前旋回の後、反乱軍の側背に展開している。形としては帝国軍が反乱軍を正面と側背から半包囲しているように見える。しかし我々とミューゼル艦隊の間に連携は無い。帝国軍の主力と反乱軍は入り乱れて戦っている。連携を取るような余裕が無いのだ。

総旗艦ヴィルヘルミナでさえ最前線で反乱軍の攻撃を受けている。爆発したミサイル、レーザーのエネルギーの所為で艦体は小刻みに震えている。
「ミュッケンベルガー元帥、総旗艦を後退させましょう。今のままでは危険です。そして予備の投入を」
「フレーゲル男爵、無用だ、その必要は無い」
「し、しかし……」
なおも言い募ろうとするフレーゲル男爵を睨みつける事で黙らせた。戦場に出るのが怖いのなら来るな!

この状況で総旗艦を後退させる? 馬鹿が、そんな事をしたら総旗艦が怯んだと周囲は誤解しかねない、戦線が崩壊してしまうだろう。それほどに戦況は混乱している。最前線で戦う姿を全軍に示さなければならんのだ。予備も現状では投入出来ない、今投入しても混乱が酷くなるだけだ。もう少し反乱軍が消耗しなければ……。

「大丈夫ですよ、フレーゲル男爵。この戦争は勝ちます」
声を発したのはリメス男爵だった。
「いい加減な事を言うな!」
フレーゲル男爵の激高にリメス男爵が軽く苦笑を漏らした。この戦況で嗤うとは一体どういう男だ……。

「本当の事です、両軍とも混乱しまともな指揮系統など有りませんがミューゼル提督の艦隊は統率を保っています。そしてリュッケルト大将の艦隊も有る。いずれ機を見てミューゼル提督が攻勢に出るでしょう、それに合わせてリュッケルト大将を動かせば帝国軍の勝利です。それまでの辛抱ですね」

フレーゲル男爵が“馬鹿な、それでは”と言って口籠った。ミューゼルに武勲を立てさせることになる、そう思ったのだろう。その通りだ、不愉快だが事ここに至っては止むを得ない事では有る。だがもっと不愉快な事実が有る。私にはこの戦争を勝利に導く力が無いという事だ。そして……。

「リメス男爵の言う通りだ。しかしあの艦隊が動くまで我々の艦隊は損害を出し続けるという事か」
リメス男爵が微かに目を細めた。何だ?
「戦争である以上犠牲は出ます。勝つためにはいかに効率よく敵を殺すか、効率よく味方を死なせるかを考えなければなりません。楽に勝てる戦争など無い、そうでは有りませんか?」
「……」

つまり勝ちたければこのまま犠牲を出し続けろという事か。時が来ればミューゼルの艦隊が勝利を確定するだろう。私はミューゼルの武勲を讃えなければならない。拷問にも等しい屈辱だろう。そしてミューゼルを犠牲にして楽に勝とうとした私にはこれがもっとも相応しい罰というわけだ……。自嘲が漏れた。



 

 

最終話 皇帝への道




帝国暦 486年 10月 23日   ティアマト星域  総旗艦ヴィルヘルミナ  ラインハルト・フォン・ミューゼル



俺と爺さんが総旗艦ヴィルヘルミナの艦橋に入るとそこには精彩の無い総司令官ミュッケンベルガー元帥と今にも噛み付きそうな顔をしているフレーゲル男爵が居た。ザマアミロだ、この二人の目論見はことごとく潰えた。俺は生きている、ミッターマイヤーも生きている。コルプト子爵は死んだ、どのように死んだのかは聞いていない。ミッターマイヤーが生きている事だけで十分だ。

そして戦いは俺と爺さんの働きによって勝った。帝国軍本隊との混戦で消耗しきった反乱軍に対して俺が後方から中央突破を図ると爺さんが迂回して反乱軍の側面を突いた。長い混戦で疲れ切った反乱軍にはそれに耐える力は無かった。出来れば包囲殲滅したかったがこちらも本隊が疲労困憊で動けなかった。止めを刺す事は出来なかった。それでも十分な勝利だろう。

俺と爺さんがミュッケンベルガー元帥の前に行くと元帥が頷いた。良く来た、というよりはもう一仕事、そんな感じだ。
「ミューゼル提督、リュッケルト提督、この度の戦い、見事な働きだった。陛下も御喜びであろう」
つまりお前は喜んでいないという事だな。そう思ったが“恐れ入ります”と言って頭を下げた。爺さんは無言で頭を下げている。

頭を上げるとフレーゲルの表情がさらに歪んでいた。また思った、ザマアミロ。ミュッケンベルガー元帥は俺達に艦隊に戻り後の指示を待つようにと命令した。俺達の顔など見たくない、そう思ったかもしれない。俺はミュッケンベルガーの作戦を滅茶苦茶にしたし爺さんは奴が混乱している時に後ろで高みの見物だった。気持ちは分かる、俺達をにこやかに迎えろと言うのは無理だ。

嫌々の讃辞だろうが気にする事は無い、大事なのはミュッケンベルガー元帥が俺の武勲を認めたという事だ。これで上級大将に昇進だ、ローエングラム伯爵家の継承に華を添えてくれるだろう。爺さんは如何かな? 難しいかもしれない、多分勲章だろう。馬鹿げている、俺なら爺さんを間違いなく昇進させるのに……、何時か、何時か俺が……。

艦橋を出て通路を歩いているとリメス男爵の姿が見えた。俺達を待っていたのかもしれない、そう思うと後ろめたさを感じた。リメス男爵からは好意を示されたが結果としては彼にまで酷い目に遭わせた、文句を言われてもおかしくは無い。男爵は穏やかな笑みを浮かべている、多少怯むものが有った。

「ミューゼル提督、ミュッケンベルガー元帥から讃辞はいただけましたか」
「ええ」
「そうですか、それは良かった。これで上級大将ですね、おめでとうございます」
「有難う、リメス男爵。卿からの忠告が有った御蔭だ、感謝している」
怒ってはいない? 男爵はにこやかなままだ。

「リュッケルト提督は如何です?」
「俺も褒めてもらったよ。でもまあ昇進は無理だろうな、勲章を貰えれば良いところだ」
おいおい、爺さん、大丈夫か、そんな口調で。驚いたが男爵はまるで気にしていなかった。妙な男だ。
「残念ですね、でもまあその内良い事が有りますよ」
そう言うと男爵は俺を見て“そうでしょう?”と笑みを浮かべながら同意を求めてきた。曖昧に頷いたがヒヤリとしたものを感じた。まさか……。

「ところでミッターマイヤー少将は無事ですか?」
「無事です」
「ではコルプト子爵は?」
「残念だが戦死したと聞いている」
リメス男爵が“そうですか”と言って頷いた。笑みは無い、コルプト子爵の死を悼んでいるように見えた。まさかな。

「コルプト子爵には子供が居ません。コルプト子爵の戦死を知ればオーディンでは次のコルプト子爵を誰にするかで大騒ぎでしょうね」
「……と言うと」
俺が問い掛けると爺さんが“ミューゼル”と俺の名前を呼んだ。

「あそこはブラウンシュバイク公爵家、リッテンハイム侯爵家と縁戚関係に有るんだ。両家とも自分の息のかかった人間を次の子爵にしようとするだろうな。両家とも面子がかかっている、お互い簡単には退かねえだろう。次期コルプト子爵が決まるには時間がかかる筈だ。男爵はそう言っているのさ」
リメス男爵に視線を向けると“ま、見物ですね”と言ってクスッと笑った。

「コルプト子爵は上手く嵌められたのかもしれません」
妙な事を言う、どういう意味だ?
「コルプト子爵はブラウンシュバイク、リッテンハイム両家の間で上手く立ち回っていました。両家はその事をかなり不満に思っていたようです、利用されているとね。特にブラウンシュバイク公はコルプト大尉の所為で面倒に巻き込まれている。かなりの憤懣が有った」

「まさかとは思うが……」
俺が爺さんに視線を向けると爺さんは肩を竦めて“有り得るだろうな”と答えた。
「コルプト子爵がミッターマイヤー少将を殺しても良し、逆に少将に殺されても良し。フレーゲル男爵辺りが焚き付けたかもしれません。だとするとコルプト子爵も哀れですね」
なるほど、リメス男爵がコルプト子爵の死を悼んでいるように見えたのはこれの所為か……。確かに哀れだ、悼む気にはならないが哀れだとは思える。

「気を付けてくださいよ、ミューゼル提督。あの連中は他人を利用する事、蹴落とす事を直ぐに考える、そして上手です。ローエングラム伯爵家を継げばこれまで以上に提督には利用価値が出る。提督を利用しよう、蹴落とそうとする人間は増える筈です」
「……」
リメス男爵は如何なのだろう。何故俺に好意を示すのか……。

「それとコルプト子爵家の継承問題がこじれればミッターマイヤー少将の命が再び狙われるかもしれません。気を付けるように忠告してください」
「どういう事です?」
こじれれば命を狙われる? どういう事だ、後継争いでそれどころではないと思うのだが。俺が問い返すと男爵は“こういう事です”と言った。

「コルプト子爵家が混乱した原因を作ったのがミッターマイヤー少将ですからね。それを取り除いた、仇を取ったというのは後継者としての正当性の証明になる。そう考える人間が出るかもしれません」
「なるほど、そりゃあるな」
爺さんが頷いている。確かに有り得る話だ、しかしうんざりだな。

「リメス男爵、御忠告、感謝する」
俺が礼を言うとリメス男爵は軽く笑みを浮かべた。
「何か力になれる事が有ったら言ってください。では」
リメス男爵が歩き出した、多分艦橋に向かうのだろう。俺と爺さんも逆方向に歩き出す。十分に距離が離れてから爺さんに話しかけた。

「妙な人物だな、何を考えているのか……」
「不安か、ミューゼル」
爺さんがニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んだ。
「多少は有る、何と言うかちょっと得体のしれない所が有ると思う。爺さんはそうは思わないか?」
「まあそうだな、そういうところは有る」

「一番嫌な所は敵なのか味方なのか判断出来ない事だ」
「ほう、男爵はお前に好意的に見えるがな」
「貴族というのが他人を利用する事が上手いと言ったのは男爵自身だ。男爵も貴族だからな」
「なるほど」
“まあ俺もローエングラム伯爵家を継ぐけど”と言うと爺さんが笑い出した。

「お前は貴族には向かねえな。他人を利用するのが下手だ」
「……」
「いや、そうでもないか。ミュッケンベルガーは上手く利用した。やれば出来るじゃねえか」
思わず苦笑が漏れた。爺さんには敵わない……。



帝国暦 486年 12月 10日   オーディン  新無憂宮 ラインハルト・フォン・ローエングラム



「この度、陛下の御恩情をもちましてローエングラム伯爵家を継承致しました。心から御礼申し上げます」
片膝を着き恭しく頭を下げた。
「うむ、今日からローエングラム伯か。ローエングラム伯爵家は武門の名門、軍人であるそちには相応しかろう、確と努めるがよい」
「ははっ、必ずや御期待に添う事を誓います」

フリードリヒ四世が“うむ”と頷いた。酔っているのだろう、多少呂律が怪しい。こんな男が神聖不可侵なる銀河帝国皇帝とは……。もう少し、もう少しだ。上級大将になった、あと一つ勝てば帝国元帥になる。元帥府を開き有能な部下を招き何時か……。そして姉上を助け出す。もう少しだ。

「来年早々、そちを総司令官にして遠征軍を起こす」
「真でございますか?」
思わず声が弾んだ。皇帝が軽く笑うと“国務尚書”と傍にいたリヒテンラーデ侯に声をかけた。リヒテンラーデ侯が皇帝に一礼してからこちらを見た。好意の欠片も無い視線だ。

「真だ。ローエングラム伯、卿を総司令官として遠征軍を起こす。兵力は二万」
「二万?」
「不満かな、ローエングラム伯」
リヒテンラーデ侯の声が尖った。視線も鋭い。

「とんでもありません。二万もの兵を預けて頂けるのかと驚いた次第です」
「陣容については帝国軍三長官が検討中だ」
「有難うございます、必ずや陛下の御期待に添います」
俺が礼を言うと皇帝が“期待しているぞ、下がるがよい”と言った。

謁見を終え新無憂宮の廊下を歩いていると爺さんの姿が見えた。ニヤニヤ笑っている。
「よう、ローエングラム伯第一日目の感想は如何だ?」
「喜びが半分と失望が全部、かな」
「何だ、そりゃ」
爺さんが不思議そうな顔をしたから来年早々出兵の事を説明した。爺さんはフンフンと頷いていたが聞き終ると溜息を吐いた。

「二万か」
「二万だ」
「そりゃまたえらく中途半端な兵力だな」
「俺もそう思う」
「フン、嫌がらせだな、お前を勝たせたくねえ、そういう事だ」
俺は黙って頷いた。

通常帝国でも反乱軍でも一個艦隊と言えば一万二千隻から一万五千隻程度の兵力を持つ。二万隻と言えば一個艦隊の兵力としては破格だろう。だが遠征軍の兵力がその二万隻だけとなれば話は違ってくる。反乱軍は当然だがこちらよりも多い兵力で迎え撃とうとするはずだ。となれば艦隊は最低でも二個艦隊、おそらくは三個艦隊は動かすだろう。こちらは兵力も艦隊数も少ない状況で戦う事になる。

「変更の余地は無しか」
「無いだろうな、今日陛下の前で伝えられたんだから」
「そうか、……で、誰を連れて行くんだ。俺とロイエンタール、ミッターマイヤーか? 遠慮するな、何時でも行くぞ。伯爵閣下の初陣だからな、腕が鳴るぜ」
爺さんが陽気に腕を撫でる仕草をした。
「……爺さん」
嬉しかった。敗けるかもしれないのに行くと言ってくれる。勝っても昇進する事は無いのに……。

「それなんだが多分誰も連れていけないと思う」
「ああ、なんだそりゃ。まさか、お前……」
「ああ、編成は帝国軍三長官が行う。俺には決定権は無いんだ、希望を言っても無駄だろうな」
「……」
爺さんが大きく息を吐いた。

「厳しいな、奴らよっぽどお前が嫌いらしい。或いはそれだけ危険だと認識したか。ミュッケンベルガー元帥だな、前回の戦いで懲りたらしいぜ」
「そうだな、俺もそう思う」
前回の戦いでミュッケンベルガーの顔を潰した。勝つため、生き残るためには已むを得なかった。しかしミュッケンベルガーにとってはショックだっただろう、これが俺を叩き潰す最後の機会と思っているに違いない。

「勝算は有るのか?」
「各個撃破、しかないだろうな。一個艦隊の兵力は俺の方が多いんだ」
「なるほどな、となると反乱軍が分散してくれるかどうか、そこが勝負の分かれ目か」
「ああ」
爺さんの言う通りだ。反乱軍が分散して俺を包囲しようとするなら俺にも勝ち目は有る。

「急げよ、ミューゼル。いやローエングラム伯か。前回の戦いじゃ第十、第十二が出てきた。かなりの損害は与えた筈だ。急げばあの二つは出て来ねえだろう。問題は第五艦隊だな、ビュコックか、野郎も兵卒上がりだ、気を付けろ、しぶてえぞ」
「そうだな」
反乱軍の精鋭部隊と言えば第五、第十、第十二艦隊だ。爺さんの言う通り、出兵を急げば二個艦隊は出て来ない可能性が高い。つまり反乱軍が分散してくれれば兵力差で撃破出来る可能性は高いという事だ。そこに活路が有るだろう。

「ボンクラ相手なら十分に勝ち目は有る。問題は味方だな」
「ああ、贅沢は言わない。特別出来る奴じゃなくても良いんだ。ごく普通なら……」
「お前、それは十分に贅沢だぞ」
爺さんがボソッと呟いた。そうだよな、連中がそんな奴を選ぶはずがない。溜息が出た……。



帝国暦 487年 1月 10日   オーディン  アロイス・リュッケルト



「行くか」
「ああ」
「気を付けろよ」
「分かっている」
フン、小僧、随分と気合が入っているじゃねえか。新無憂宮では落ち込んでいたが立ち直ったか。良い事だぜ、総司令官がしょぼくれてたら兵達が落ち込むからな。

宇宙港は見送りの人間で溢れている。しかし小僧の見送りは俺だけだった。ロイエンタールもミッターマイヤーも新たに与えられた艦隊の訓練に出ている。見送りよりもそっちを優先しろと小僧が言ったらしい。
「爺さん、思ったより悪い人選じゃなかった。何とかなりそうだ」
「そうか」

遠征軍の陣容はメルカッツ大将、シュターデン中将、エルラッハ少将、フォーゲル少将、ファーレンハイト少将。俺が知っているのはメルカッツとシュターデンだ。メルカッツはまともだがシュターデンは口だけの役立たずだ。こいつも苦労するぜ。

「キルヒアイス大佐」
「はい」
「伯爵閣下を頼むぜ、分かっているとは思うけどな、この閣下は敵が多すぎる」
「はい、分かっています」
キルヒアイスが穏やかな表情で答えた。大丈夫かな、まあ大丈夫だろう、こいつなら。

「ちょっと良いか?」
「ああ」
小僧に一歩近づいた。どうしても聞きてえ事がある。耳に顔を寄せた。
「おい、どこまで行くんだ? 帝国元帥で終わりか?」
小声で問い掛けると小僧がじっと俺を見た。

「この帝国の皇帝になる、そして宇宙を統一する」
同じように小声で答えてきた。なるほどな、道理で野心満々な眼をしている筈だ。覇気も有る。妙な小僧だと思っていたがそんな事を考えていたか。
「出来ないと思うか、爺さん」
「いや、お前さんなら出来るだろうよ」
小僧、いや未来の皇帝が笑みを浮かべた。

「爺さんを俺が元帥にしてやる」
「ほう、良いのか、そんな事をして」
「ああ、爺さんにはそれだけの力量があるからな」
「口が悪いぞ、俺は。お前を小僧と呼ぶかもしれねえ」
「その時は俺も糞じじいと呼ぶさ」
お互いじっと見詰め合った。小僧が笑った、俺も笑う。少しずつ、少しずつ笑い声が大きくなった。

「長生きはするもんだぜ、必ず勝てよ」
「ああ、勝つさ、俺達は必ず勝つ。そうだろう、キルヒアイス」
「はい、ラインハルト様」
俺はこいつのために死ぬ事になるかもしれねえ、それも悪くねえ、そう思った。度し難い馬鹿だな、俺は。女房、子供もいるのに。

「幸運を祈る、ローエングラム伯」
「感謝する、リュッケルト大将」
互いに礼を交わした。ローエングラム伯が身体を翻して歩き出す。奴は振り返らずに歩いていく。良いぜ、振り返るんじゃねえ、お前は前を歩くんだ。前だけを見て進んでいけ、それが皇帝だ……。また笑い声が出た、楽しくなるぜ。