飛海寨城地獄変


 

月光

 常に並んで空に浮かぶ双子月を衛星に擁する惑星カロウデ。そのエウロッパ大陸に位置する一都市、夜雨に烟る飛海(フェイハイ)城。

 プラテメルダ歴二〇二五年三月十三日未明。飛海(フェイハイ)城の環状線を横殴りの雨の水圧に逆らい、蓄電池式鉄道列車が走る。驟雨で軌跡を顕にしたヘッドライトの光線は、夜闇を串くナイフの尖さがあった。二車輛編成のそれは、前車輛が制御電動車、後車輛が有蓋貨車となっていた。

 列車はかなり旧式の車輪式とみえ、線路の繋ぎ目ごとにガタつく車内は、磁気浮上式列車(リニアモーターカー)に慣れた者では些か不快さを感じさせるものだろう。

 後部有蓋貨車内の闇で人の形に似た(かげ)が鎮座している。翳は人のものには巨大にすぎ、また神の被造物にしては、あまりに金属的で無骨にすぎた。それもそのはず。これなるは神ならぬ人の手による被造物――その最も血腥い機械装置郡(システム)、兵器……であるからだ。

 人型兵器の胸部――今は装甲が開き、ぽっかりと空洞となっているそこに、さながら臓腑(ぞうふ)の如くに収められた少年は、線路の繋ぎ目ごとにゴトゴトと体を揺さぶる揺れに不快さどころか、生まれ(いづ)瞬間(とき)を待つ胎児の鼓動を感じていた。

 彼の頭部には、兵器システムとケーブルで直接繋がれたヘッドギア付きのヘルメットが装着されており、(かんばせ)すら完全に覆われ表情を窺い知るすべはない。ヘッドギアから網膜に直接投影された視覚の右上部に四角く縁取られたカウントダウン計が、ほどなく五分を切ろうとする。

「そろそろ時間だ。お前は陽動だ。打ち合わせ通り、連中をかき回してやれ」

 ヘルメットの無線から粗野な印象を受ける野太い声が響く。

「……」

 声には答えず、少年は最後に、今宵命を預ける戦闘機械の自己判断プログラムを走らせた。

 簡略化された機体図が呼び出され、各部に表示されたプログレスバーが現在の進捗状況を、大まかながらも知らせている。メーター左端から伸びた黄色のバーが右端に到達すると、一つまた一つと、異常なしを意味する緑へと変色する。
 躯体部、深刻なエラーなし。各部人工筋肉、正常稼働中。コンバットプログラム、問題なし。弾薬も装填済み。ほどなく全てのバーが緑になり、機体図そのものも緑色に表示された。
 スクラップと密造パーツで構成され、信頼度に不安が残った車体だが、なんとかそこそこの基準に仕上がったようだ。

 カウントダウンの指し示す残り時間は大凡(おおよそ)一分。

 最後にシートベルトの締まり具合を調整していると、再度、無線から野太い声が響く。

「正直、俺はまだお前を信用しちゃいねえ。俺たちの目的に賛同しているとは思えん。ただ、その腕だけは信用している。元『ノスフェラトゥ』の実力、見せてもらうぜ」
「……」

 ヘッドギアに隠された少年の瞳にちらりはらりと冷たく燃える炎が宿る。

 金属同士がぶつかり合う重い音を立て、展開していた胸部装甲が閉ざされる。気密性に難があるのか、隙間隙間にこもれ出る光が、狭いコクピット内部の闇を一層深いものとしている。ヘッドギアと車体を繋ぐケーブル群はへその緒か、鋼鉄の子宮で胎児(しょうねん)はヘッドギアごしに(うつつ)見る(のぞく)。蹲っていた機体を立たせ、瞳を閉じて深呼吸。鉄の匂いを孕んだ酸素が肺を満たし――目を閉じる寸前に見たカウントダウンを脳裏で刻んで――カウントダウン・ゼロ。状況開始。

 目を見開いた瞬間、列車に衝撃が走る。ぶれるカメラアイを通した(うつつ)の世界。
 前後左右に振り回されながらも、これを待ち構えていた少年が、ただいたずらに翻弄(ほんろう)されているはずもない。車輛の一角にアサルトライフルを斉射。続けざま、フットペダルを踏み込み、脚部のホバーブレイドの出力開放。

 車輛の壁面を円形にくり抜き、それを突き破る。横腹に孔を穿(うが)たれた車輛の断末魔と共に、三~四メートルほどの鋼の巨人兵が歩廊(プラットホーム)に躍り出た。制動用脚部ブレーキステークを打ち込み、ホームの床とステークが火花を散らす。まま制動しつつ、まずは自己と周囲の状況を確認。()に構えたマシンライフルの放熱ジャケットが、先ほど破壊の銃弾を吐き出した名残に薄い陽炎で揺らめく。背後では、先ほどまで乗っていた列車の前部分、制動電動車が見るも無残なスクラップ同然の姿で横たわっていた。ステーションに減速せずに突っ込んだ結果、オーバーランを起こしホームに乗り上げられたのだ。後部の貨車は、オーバーランによる衝撃の傷痕をかろうじてだが免れ、横たわる制動電動車に少し乗り上げた形で原型を保っていた。もっとも先ほどのサイクロップスの行為で、端部に白煙をくゆらせている大穴が口を開けてはいるが。

 深夜の平穏を荒らされた櫛形ホーム。充分な広さをもったホームは、かつては人が行き交う一般ターミナル駅として建設された名残だろう。もっとも、今となっては太羲(タイシー)義体公司の貨物ターミナルとして機能するのみである。

 鋼の巨神兵――多脚式歩兵型戦闘車輛・マニピュレーターバイク、通称『MB』と呼ばれる機動ロボット兵器は、プラメテルダ(この)世界ではポピュラーな兵器である。その機動性・汎用性は高く、ワイヤーウインチによる壁面踏破、ホバーブレイドによる高速移動と短時間の跳躍など、最高でも五メートルに満たない全高もあって、特に高低差のある市街戦において真価を発揮する。反面、機体重量の削減が必要となり、最低限の装甲以外を省略した軽量化により、被弾に脆く機動力による回避を主体とした兵器となっている。

 サイクロップス・タイプ1。プラメテルダ銀河で使用されている中でも初期型にして最も生産されているMBで、幾度もの細かいモデルチェンジを経て、未だに第一線で活躍している傑作機である。およそ半世紀もの永き庭たり、連綿と練磨されてきた車体は、整備性信頼性の上で他の追随を許さず、MBといえば本機が思い浮かぶほど銀河中で浸透しているMBだ。その最大の特徴は頭部のカメラアイであり、見た目の印象からも単眼の巨人を連想させる。人間の眼球を模したカメラアイが一つ頭部の中心にあり、搭乗者の視線をヘッドギアが感知《トレース》、フレキシブルに動作する。

 ぎゅいぎゅいと動作音を奏でるカメラアイで周囲を精査すれば――いた。数十メートル先の昇降口より、押取り刀で駆けつけてくる警備兵六名の姿を補足。更にズーム、拡大した視覚で見る昇降口の向こう側。少年は自身の乗るサイクロップスと同じMBの機影を見た。

 事前に登録していたナビゲーションによれば、その昇降口を通る事になる。ならば。

 ホバーブレイドを吹かせれば、サイクロップスが数センチ分だけ重力を裏切り浮遊する。続けざまにフルスロットルで昇降口へと突進する。
 それを見て、泡を食った警備兵六名は慌てて身を翻す。当然だ。いくら装甲が薄いMBとはいえ、人体にとっては致命的な速度で接近する暴力的重量の鈍器である。接触するという事は、自らの人格によって統制されている身体から、只の肉片へ成り果てるという他ならない。
 そして、車線上から退いた警備兵たちの過去の立ち位置の向こう側に……サイクロップスに呼応するかの如く昇降口から飛び出してきたのは、四脚式MBケンタウロス・V2であった。

 サイクロップスより後発となるこのモデル、サイクロップス系が二脚式MBの原型的存在であるならば、こちらは四脚式MBの代表作である。特徴は、増加された装甲も然る事ながら、機動性が求められる時は二脚、悪路など安定性が要求される状況では四脚と、使用環境に応じ|適宜使い分けられる自由度の高さだ。また、四脚となった事で、ホバーブレイドの数も単純に倍化されており、加速性能についても向上している。反面、コスト面と整備性に加えて、稼動時間が犠牲となった。価格はサイクロップスの三倍に相当し、稼働時間については、二脚型の二/三~一/二程度まで低下しており、払拭できない短所がMBのシェアをサイクロップスに譲る形となっている。

 昇降口より飛び出したケンタウロスは接近するサイクロップスへと突進、マシンライフルを構えた。

 距離を縮める両者の隔たりが先程までの半分ほどに差し掛かる。この距離瞬間を待ちわびていたのか、ケンタウロスのマシンライフルが火を吹き、殺意の飛礫(つぶて)に貫かれた大気の断末魔が夜をかき乱す。

「……ッ!」

 しかし、対するサイクロップスの少年にとって、それは元より予想の範疇(はんちゅう)だったとみえる。ケンタウロスがマシンライフルを構えた刹那より、地を這う蛇よろしくホバーブレイドの連続切り返しで左右に不規則なジグザクを描きながら突進する。
 ケンタウロスの銃弾が人造石の壁や床を容赦なく抉り破面を覗かせるも、サイクロップスを被弾させるには至らない。粉砕された破片が塵芥(ちりあくた)と果てた煙幕が辺りにもうもうと立ち込める。サイクロップスは威嚇射撃しつつも突進を続け、ケンタウロスが塵埃の遮光幕の向こうに翳を認めた時には――致命的に両者が交錯、手を伸ばせば届く接近距離。

 ――電磁ロッド!

 砲煙弾雨の雨霰でも、抜け目なくケンタウロスの装備を確認していた少年は、敵の現在装備している唯一の接近戦用武装に目をつけていた。接近戦ではこれに頼らざるを得まい。

 サイクロップスの少年は既に武装メニューを呼び出し、装備欄より爆斬鉈(ばくざんしゃ)を呼び出していた。武装プログラムにエスコートされ、サイクロップスは機体左腰部に武士(モノノフ)の刀の如く備えられた爆斬鉈(ばくざんしゃ)を右マニピュレーターで抜き払った。玉散る氷の刀身は、ただ斬るという機能に沿って研ぎ澄まされた、冷徹さの表れだろうか。ほぼ同時に、ケンタウロスも動いていた。マシンライフルを右マニピュレーターのみで保持し、空いた左マニピュレーターで左腰部に下げられた電磁ロッドを抜くや否や、四脚MBは単眼のMBへ踊りかかった。ケンタウロスのライダーはほくそ笑んだ。もはや躱す(いとま)など、ない。|爆斬鉈(ばくざんしゃ)も、アサルトライフルも、操縦席を襲う電磁ロッドを止められる位置からは程遠い。

 だが、そう来ると予見していたサイクロップスが、どうして見逃そうものか。少年は右脚部ホバーブレイドのみの出力を全開、片脚だけで跳躍のプロセスを行う。結果、右脚部はMBの可動範囲の限界近くまで跳ね上がり、コクピットを狙った電磁ロッドを――更には握った左のマニピュレーターもろとも、膝部装甲で蹴り上げた。精密機械的構造により極めて脆い作りのマニピュレーターがこの衝撃に耐えられようはずもない。予想だにしない膝蹴りに粉砕されたマニピュレーターは、握りしめていた電磁ロッドと共に細かな部品を中空に撒き散らす。

 MBでは高等技術でありながらも、実際使用するにはリスクの高い蹴り技。実際、存在こそ知ってはいるものの、ケンタウロスの操縦士も実戦で使用する例など聞き及んでおらず、何が起きたのか理解できず混乱の最中にあった。左マニピュレーターのエラー警告が網膜投影した画面に表示されている。目の前には数瞬前に撃墜したはずの敵機が、蒼い瞬きを照り返す鉈を振りかざしている。まるで、死神が魂の尾を刈り取らんとするその姿のようで――。

 結局、自身の電磁ロッド攻撃がどうして無為に終わったのか理解する間もなく、炸薬が破裂する音と共に、四脚のロボット兵器は地に伏していた。同時に、爆斬鉈から射出された薬莢が地に落ち、鐘のような音を辺りに響かせる。
 衝撃度武具鋼で成形された鉈は硬度と靭性に長け、触れるだけで人の皮膚を貫通するほどの鋭さを持つ。その鋭利極まりない刀身へ更に爆破による衝撃を伝え、剣速を正に爆発的に加速させる。これこそがMB近接戦用武装、甲型爆斬鉈(ばくざんしゃ)である。爆圧による破断力は言うに及ばず、仮に弾薬が尽きてもそのまま剣鉈(けんなた)として使用できる継戦能力の高さが評価されている。反面、加速による体勢の変化に対応しうる闇夜に針の穴を通すような姿勢制御の精緻さ、爆破加速のタイミングが要求される玄人向けの武装であり、実際に熟練パイロットにしか好まれていない。その爆斬鉈を、いとも容易く扱ってみせたサイクロップスのライダーの腕前が推して知れようというものだ。

 崩れ去ったケンタウロスを尻目に、昇降口の奥を目指すサイクロップス。

 この作戦でのサイクロップスの役割は、十五分間の陽動である。実のところ、先ほどの一刀、巧みに操縦席を外しつつ、敵機を沈黙させていた。陽動という役目は敵の目を引き付ける事が何より肝要である。今頃、生かしたケンタウロスのライダーが増援を要請している事だろう。それが誘蛾灯の役割をし、サイクロップスをより目立たせる。

 とはいえ、少年も自身の目的のために逡巡などしている余裕もない。陽動の任はこなすが、その間の行動は一任させてもらう。

 MBがギリギリ通れる通路を恐ろしいまでの速度で爆走するサイクロップスは、要所要所でなるべく目立ちやすいよう、左腰に備え付けられたMB用手榴弾を投擲し、毒々しい炎の花を咲かせる。

 いくらホバーブレイドで浮遊しているとはいえ、機体の姿勢や挙動によって沈み込む事は多々ある。時折、脚部接地面が摩擦によりギャリギャリと火花を散らす。
 この、硝煙と灰の匂い。懐かしくも忌まわしい戦場の芳香。装甲を通して感じる、ちらちら燃える炎の吐息の熱さ。けぶる黒煙。這う程の低い前傾姿勢での疾駆に、膝部装甲が地と擦れ、火花の悲鳴が耳を苛む。きな臭い戦火の悪夢……少年は、その一部と化そうとしている自分に気がついた。

 ふと頭をよぎった考えを振り払い、前を見据える。マップによれば突き当たりを右――網膜投影された視界の右上部、四角に縁取られたナビゲーションマップを横目で見やりつつ、突き当たりまで敵影のなき事を確認。

 残り、十分。ぼやぼやしている暇はない。些か過剰な速度で角に突っ込み、直前でブレーキステークを打ち込む。だが、速度を出しすぎたか、制動のタイミングが遅かったのか、またはその両方か。速度を殺しきれず、虚しく火花を散らせて、サイクロップスは床面を抉りながら流されていく。あわや激突寸前かと思われた、その時。前傾姿勢のままに、片脚を支点として車体頭部を内側に旋回、もう片方のホバーブレイドを頭部方向へ加速させる。結果、致命的なオーバースピードで壁面へと突進したにも関わらず、滑らせた車体を内を目指す推力(ベクトル)で強引に曲がらせ、サイクロップスは直角カーブを脱出していた。床面には、脚部との摩擦熱で生じた二条の黒く焦げ付いた描線と、ブレーキステークが抉った(わだち)が残されていた。

 MBによるホバーブレイド・ドリフト走法。減速を最低限に抑え、サイクロップスの疾駆は止まらない。ナビゲーションが表示した到達ポイントまでの想定時間を塗り替えつつ、鋼鉄の機動兵は高速の操作技術を駆使した先、今までと比べ広めの空間――エレベーターホールへと辿り着いた。ここは軌道エレベーターの機材搬入口であったのだろう。機械部分が剥き出しのままの昇降機はちょうどMBを乗せられる大きさだった。元々、MBは作業ロボットから派生した兵器である。従って、MBサイズの作業ロボットが乗せられるようにエレベーターも設計されていたのだろう。

 ナビゲーションは、この昇降機で上のフロアへ出るように表示されている。示されるがまま昇降口へ向かい――ふと、少年に戦士の勘が警鐘を鳴らす。内なる警告に、意識より先んじた体が反応した。左脚部のホバーブレイドを開放し、右脚部を軸に床に半円を描く。更に右脚部ホバーブレイドを開放させ、機体を故意にスピンさせる。果たして、連続旋回しつつ横軸移動したサイクロップスの過去位置に、発火炎(マズルフラッシュ)の怒号とともに銃弾の洗礼が与えられた。

「……うっ!」

 反応が数瞬遅れれば、サイクロップスと少年はオイルと鮮血滴る鉄くずと肉片の混合物へとなり果てていたであろう。少年の背なに冷たい汗がひたひた吹き出る。だが、脳裏によぎった事実に頓着(とんちゃく)している場合ではない。そんな事生き残った後でするべき贅沢だ。今は背後に迫り寄る死神を振り払うために戦うのみ。

 招かれざる侵入者を待ち伏せていたのか。エレベーターホールの柱の影から、少年のそれと同タイプのサイクロップスが三台、姿を現す。
 先ほどの斉射も彼らの仕業と見て間違いはあるまい。時間の制約がある中で三台の相手ともあれば、先ほどのように手加減して戦える余裕は――ない。

 ステージはエレベーターホール。ステップを誤れば、即座に奈落へ急降下。演奏曲は鉛弾と鋼鉄の多重奏。如何に死神の誘いに()るか()るか、命懸けの死亡遊戯(ロシアンルーレット)。揺れる均衡の糸は綾目模様。生死という結果は二通りながら、せめぎ合いは神が遊ぶパズルのように、一刹那ごとに推移する複雑怪奇な方程式。一ツ目の鋼鉄巨兵の舞踏が幕を開く。 

 

驟雨

 時間は多少戻る。サイクロップスが陽動作戦を開始する数分前。

 ステーションから少し離れたブロックに違法駐車されたトレーラーがある。このブロックは犯罪多発地域として警戒が必要な区域であり、下手に駐車などしようものなら、即座に盗難の憂き目に合うのが関の山である。当然、この界隈で違法駐車を咎める者などいない。(あなぐら)に潜む有象無象が、そんなおまんまの食い上げを好き好んでしようものか。

 だが、このトレーラーが未だにハイエナどもの陵辱を受けていないのは、如何なる理由か。なんて事はない。この飛海寨城(フェイハイさいじょう)市で雨に出歩く手合いがいようはずがない。汚染された大気が流す涙は受けた陵辱のほどを報復しているのか、雫は酸性雨となって、大地も植物も、そして人を含めた動物も融かし尽くさんと滔々と降り続けていく。魔窟に潜む魑魅魍魎は穢しの雨をやり過ごすまでは、窖暮らしを決め込むだろう。

 そんな酸の礁雨が上蓋を叩き、さながら飛礫(つぶて)のように響くトレーラーのカーゴの中。薄暗い空間の中、無線機に巻き舌でがなる男がいる。

「そろそろ時間だ。お前は陽動だ。打ち合わせ通り、連中をかき回してやれ」

 だが、無線機からは定期的に入る列車の揺れる音とそれに混じるノイズしか聞こえてこない。

「――ふん」

 鼻を鳴らしたのは、サーモスタット内蔵の耐環境コートを肩に聳やかした黒人の男だった。短く刈り上げた頭髪と長身、分厚いコートの布地でも隠せないほど隆起した人工筋肉が、男の頑強さを雄弁に物語っている。彫りの深い顔立ちに周囲を威圧するような黥利目(さけるとめ)。この黥面(げいめん)の男、名をボブ・ホークという。

 通信の相手は――サイクロップスの少年だ。
 今回の作戦のために陽動役として、凄腕の触れ込みで仲介屋を介して雇い入れたMBライダー。自身では黙して語らなかったが、あの黒の詰襟のジャケット――無敵の吸血鬼部隊と謳われた『ノスフェラトゥ』の軍服だったはず。

 ――プレストンの奴、どうやってこんな奴を見つけてきた?

 思えば奇妙な話だった。

 少年と仲介屋パイソン・プレストンが飛海(フェイハイ)解放戦線のアジトの扉を叩いたのは……ちょうど一週間前だ。
 探偵兼仲介屋をしているその男、生粋の不精者で、何をするにしても不承不承とした態度を隠そうとしないのだが、今回に限って言えば平素の彼が嘘のように作戦の参加を申し出たのだ。どこか釈然としないながらも、人手不足も相成って(がん)と断る理由もなかった。今は、運転席に座る男に訝しく視線を送るが、カーゴの外殻に阻まれて、彼の姿が目に届く事はない。

 訝しい点はそれだけではない。ノスフェラトゥ。かつて存在した特殊作戦部隊。血に餓えた最凶最悪の吸血鬼部隊。エクシオル軍に都合の悪い事象を完全に抹消する殲滅部隊とも、勝利不可能とされる絶望的な前線に送り込まれて、なお平然と凱旋する精鋭部隊とも言われている。その任務の詳細は機密扱いとされたが、真偽のほどはともかく、逸話は枚挙に暇がなく一種の都市伝説と化していた。曰く、惑星ツファイラクの内乱を、僅か一週間で反抗勢力を鏖殺して終結させた。曰く、ニュウアラーズ王国の城壁に鉄杭で貫いた死骸を飾り付けた。曰く、惑星ラッテマーズを荒野の星へと変えた。

 少年がノスフェラトゥの隊員であるかはさて置き、ボブは彼が気に入らなかった。

「正直、俺はまだお前を信用しちゃいねえ。俺たちの目的に賛同しているとは思えん。ただ、その腕だけは信用している。元・『ノスフェラトゥ』の実力、見せてもらうぜ」

 ノスフェラトゥの部分を強調した語調に、果たして少年が気づいたかどうか。相変わらず、通信の相手は存在を隠しているかのように、かすかなノイズが聞こえるばかりである。

 稀代の殺戮部隊とまで謳われたノスフェラトゥ。戦中戦後と忌み嫌われ続け、始末屋として外道働きを続けた名は決して耳障りの良いものではないはずだ。彼がノスフェラトゥの亡霊であるかは別としても……だ。

 ボブはカウントダウンを表示しているモニターを睨む。

 今夜は、太羲(タイシー)義体公司の足元を崩す。太羲(タイシー)義体公司製の義肢関連に使用されている義血(ぎけつ)又はマシンブラッドと呼ばれる人工筋肉の燃料。その、閉鎖型環境都市(アーコロジー)外殻に設けられた原料倉庫、五ヶ所あるうちの一つを狙う。

 義血は精製こそアーコロジー内で行われているものの、原料の確保は外部に依存している。ならば、義血の原料を奪えば、エネルギー源を失った太羲《タイシー》義体公司は立ち行きいかなくなるという寸法だ。そうなれば、飛海(フェイハイ)解放戦線の名もまた広がるというものだ。

 やがて来たる未来の青写真を思い浮かべ、胸から湧き上がる興奮の色を隠せない。ボブは、獰猛な笑みを隠すようにガスマスクを装着すると、耐環境コートのフードを被った。あとは、状況開始を待つばかりである。

 差し迫ったカウントダウンがやがて零点を示す。同時に耳に届いた遠雷のような破壊音は、ステーションに乗り上げた列車の叫び声だろう。

「作戦開始だ!」

 ボブの胴間声に、トラクターに潜んでいた五人が声を上げる。後部のハッチが開くや否や、飛び出す五つの影。ガスマスクには、微光暗視機能も備わっている。あざれる臭い立ち込める酸雨の(ちまた)も彼らを留める事などできず、街灯もない夜闇の中を不都合もなく走り去っていく。




 トラクターのドライバーズシートから、ハンドルに身を任せ、その姿をどこか気怠い様子で見送る男がいた。ぼさぼさの暗い金髪、筋肉の鎧を纏った身体に纏うは、背なに錦蛇の意匠が刺繍されたヨコスカジャンパー。男から放たれる一種の空気、尋常のものではない。だが、それらより輪をかけて男の異様さを雄弁に語っているのは、彼の面貌(おもて)だ。失った左の眼を覆った眼帯。そして、残された右の眼は正に毒蛇の牙のように鋭く、剣呑な光を揺らめかす。そして、貌を覆う無精髭は暗い金髪と相成って、どこか獅子の(たてがみ)を連想させる。少年と飛海(フェイハイ)解放戦線の仲立ちをした探偵、パイソン・プレストンである。

 男は、YAMATO魂と書かれた筆字のロゴと旭日がプリントされたシガレットケースから煙草を一本取り出した。マッチで火を灯し紫煙を肺へと送り込み、彼は運転席と助手席の間に備え付けられたカーナビの画面を覗き込む。カーナビには、監視カメラをハッキングしたのか、エレベーターホールで、単眼の巨人が三機入り乱れて喰らい合う姿が映っていた。三者三様の動きを見せる彼らは、一台のカメラの画面枠に到底収まりきれるものではない。巨人達の姿が画面から消え失せると、追従するように切り替わった別の視点からのカメラが、趨る冷然なる太刀筋と発火炎(マズルフラッシュ)の花弁を捉える。

「ノスフェラトゥ……か」

 男の声は低く乾いた響きをしていた。彼の乾く声が地獄を覗く穴から届く、鬼哭啾々とした嘆きを孕んだ業風を思わせるのは、男の生涯の一端を物語っているのだろうか。

 先ほどのカーゴ内の様子はトラクター内のスピーカーから聞いていた。ボブ・ホークの言に思い当たる節があったのか、せっかくの煙草も無聊の慰めにはならなかったとみえ、やり場を失った苛立ちをそのままに、うっとおしそうに髪をガシガシと掻いた。

 携帯情報端末(PDA)を操作し、通話アプリケーションを呼び出す。PDAはともかく、今時、通話アプリケーションなど使用している者などそうはいない。脳内チップによる量子ネットワーク接続によって機器なしで遠距離通話が可能となったこの時代において、端末の通話アプリなどもはや骨董品の域である。

 果たして、相手方は今や遅しと待ちかねていたのか、呼び出し音が鳴ったかどうかといったタイミングで通話がつながった。

「おー、どうしんしたかね。万年無精ひげの残念だんな様よ」

 PDAとネットワークを介した向こう側から耳朶を打つ少女の声は、抑揚を欠いてながらも(しゃん)と銀の鈴が鳴るような清澄さと、舌足らずな喋り方が却って、春霞のたなびく山水の彩りを添え、声景色の妙を感じさせる。

「誰がだんな様だ、娘」

 声の主の相変わらずの調子に嘆息を隠せず、少々持て余し気味に返事をするパイソン。だが、咥えた紫煙も果たせなかった苛立ちも、少女のいつもの調子がかき消してくれたらしく、声は無骨でぶっきらぼうなままだが、どこか温かみを感じさせるものとなった。

「む。どうしんた、お婿様」

 通話相手の少女は、少々不満げに頬をふくらませた様子で前言を訂正した。――もっとも、間違った方向はそのままで訂正されていたが。

 ……全く。
 声から察せられる様子を記憶の面影に投影するだけで、パイソンの脳裏にほほえましい娘の姿が浮かび上がる。だが、今は『娘』との言葉のやり取りを楽しむ時ではない。

「記録は続けているか? あと、だんなでもお婿でもない。父親役だ」

 逐次カーナビの画面に送られてくる映像に目をやると、既にMBの一台は沈黙したとみえ、残された二台が絡み戦う姿は双方の姿が同じだけあって、どこか共食いの様子を彷彿とさせる。

 実は、パイソンはサイクロップスの戦闘の一部始終を少女に記録するよう指示していたのだ。

「ん。でも、カメラのないところまでは追いかけきれんせん。そして、愛していんす。結婚しておくんなんし」

 リアルタイムで送られてくる映像は記録している映像の一片でしかない。実際には作動しているカメラのほぼ全てを掌握し、処理できる限界まで映像をかき集めているのだ。とはいえ、カメラの死角や処理しきれない映像もやはり存在する。全てを把握できないのは、致し方ないところだろう。

「よし。あ、いや、よしと言ったのは婚約じゃねえからな。引き続き、記録し続けろ」
「お父様は相変わらず、照れ屋なツンデレおやじでありんす。ところで、煙草を吸ってはいんせんな?」
「……」

 実のところ、パイソン・プレストンは愛煙家(ヘビースモーカー)なのだが、『娘』はかなりの嫌煙家なのである。近頃では、煙草の量もかなり――一週間に一本程度――減らされ、自宅兼事務所では吸わせてもらえず、ほとほと困り果てている。だから、外に出る機会があれば、こっそりと紫煙を体に取り込むのだが、いつもいつも見つかり、一週間に一本の煙草も没収されたりしている。
 今夜も、馴染みの店ではなく、わざわざ別の闇市からボブに――依頼料からこっそり代金を抜いておく、という約定までして仕入れてきたのだ。

「何を黙っとるかー」

 『娘』の抑揚のない問い詰めをBGMに、しきりにパイソンは考える。
 いつもより慎重を期していた。特に、今回はボブにこの話をした時には、辺りに端末がない事を確認した。携帯端末もだ。だから……。

「ローさんに聞きんした」

 パイソンの思考を読んだのか。少女の口にした名前で、パイソンは自身の行いが白日の下に晒された絡繰(からくり)を理解した。

 ――あのカマ野郎が!!

 ローツ・パトリシア・キャリコ。飛海(フェイハイ)城に長く巣食っている妓楼(ぎろう)の主にして情報屋である。もはや腐れ縁となってしまったオカマが、パイソンの脳裏で投げキッスをしてきた。

 なるほど。ローツならば、少女の魔の手(ハッキング)の及ばない場所であっても、容易に情報を引き出せる。おそらくは、店の人間もローツに情報を売っている者の一人だろう。しかし、たかが煙草ごときでわざわざ情報屋を使うか?

「ローさん、エリナに全面的に協力してくれんすから。つまり、情報タダ。お父様は詰み。チェスで言うところの王手ー、将棋で言うところのチェックメイト~」
「……」

 駄目だ。これでしばらくの間は、煙草と離ればなれが確定した。結婚してくれとかなんとか言うならば、少しは大目に見てくれるもんだろ――と心中でぼやきながら、通話を強引に終了させる。

「カァ~~。全く、父親ってのはこれだからしんどい。っつーか、そもそも、オカマ野郎は母親のつもりなのか? クソ!」

 セルを回すと、いがらっぽいエンジン音と共にトラクターが目を覚ます。しばらくは紫煙を味わえない未来が約束されたパイソンはフィルターぎりぎりまで煙草を楽しむと、吸殻を少し空けた窓の外へ捨てた。
 驟雨が煙草の火を一瞬でかき消す。その様子をなんとなしに見届けて、パイソンを乗せたトラクターはけぶる雨の向こう側へと姿を消した。 

 

剣舞

 エレベーターホールは硝煙と炎の臭い、そして、かつて巨人兵だった鉄屑が支配していた。――否、炎の中一つだけ佇立する影がある。少年のサイクロップスだ。装甲のところどころに被弾の痕跡が認められるものの、いずれも機能を失うほどの損傷度(ダメージ)は見られない。……いや、見られないのは当然だ。被弾は装甲の分厚い、または弾道を逸らせる曲面部に集中させており、巧みな損傷箇所限定効果(ダメージコントロール)により機体性能は些かほども損なれてはいない。

 少年が三台相手に丁々発止の立ち回りを見せ、数のアドバンテージを物ともしなかった証左といえる。彼の卓越したライディングは、忌まわしいノスフェラトゥの亡霊である故だろうか。

 ナビゲーションの告げる通りにエレベーターに乗り込み、上階へと登ったサイクロップスは更に目的の場所へ向け奔走する。

 しばらくMBを進ませると、ナビマップの矢印の先に広めのフロアが表示された。そのまま進もうとして――何を思ってか、少年はフロア入口でサイクロップスを停止させた。

 元々は、商業施設として建設されたのであろう。すり鉢状に三階上まで吹き抜けのフロアは、ガラス天井から効率よく採光するためだろう。本来の建設目的通りならば、市民の憩いの場となっていただろうが、現在では吹き抜けを交差するように配置されたエスカレーターに、更に、中央に噴水として作られただろう円形の囲みに、僅かな(おもかげ)を残すばかりである。

 停止したサイクロップスの正対する方向。サイクロップスのカメラアイはフロアへ入る直前、目指す先にMBの翳を二つ認めていた。気づかず進んでいれば槍衾の憂き目に合っていた事は疑いの余地がない。

 はたして、双子のように並んだ翳は、少年のサイクロップスの後期モデルであった。しかも、ライダーの特性に合わせてカスタマイズしているのが、見て取れた。

 増加装甲で肉厚を増したボディは少年のもの(サイクロップス)と比べて鈍重に見えるが、ホバーブレイドも相当強化されているらしく、脚部はその爆発力を形にしたように肥大化していた。右肩アーマーに背負うはバックパックに備えられた弾薬タンク。大量の弾丸を収めている事は想像に難くないそれから、給弾ベルトが伸び、更に先には大型回転式機関(ガトリング)砲がガンオイルに濡れた妖しい光沢を放っている。
 向かって右のサイクロップスはそれを右マニピュレーターで構え、並び立つもう一台はバックパックのマウントレバーに取り付け、代わりにマシンライフルを持っている。

 間違いなく、少年のサイクロップスより性能は上回っている。そもそもスクラップから再生した上、密造部品で誤魔化した車輌にまともな性能を求める方が酷であろう。少年の、極めてプレーンな機体構成のサイクロップスで優っているのは、機体重量の軽さと旋回能力か。

 迫り来る二台のサイクロップス。かつて施工に携わった者の思いとは裏腹に、円形の広場は剣闘場(コロッセオ)として、三者の戦いを見守る事となった。

 回転式機関(ガトリング)砲の敵機が先行しつつ接近するのを認めた少年は、それを視界に収めつつ後方のサイクロップスを警戒した。前方が回転式機関砲で掃射牽制しつつ攪乱、後方が死角から強襲する。マニュアル通りだが、最も確実な方法であるのも事実。少年は、前方の敵機を軸に旋回する軌道で攻撃を避け、後方からの夾撃を警戒し決して目を離さぬ。前方のサイクロップスは少年を追いかけ、後方のサイクロップスは右へ左へ少年の死角を求めてステップを繰り返す。時折、スイッチし入れ替わり立ち代わる敵機。上方から見れば、彼らの軌道は幾何学的模様の(てい)をなしている事だろう。

 修羅の激闘の最中、少年は敵機のライダーの技量に舌を巻いていた。かくも美事(みごと)な業前は、彼らが少人数で深夜シフトにあてがわれた警備スタッフではなく、侵入者を任務に忠実に排斥する戦士である事を雄弁に語っていた。そして、同時に、夾撃を許した刹那に呀を首元に突き立てる覚悟がある事が容易に想像できよう。

 敵機の銃撃から身を避けつつ、その挙動を見据えながら舞い踊る、薄氷を踏む
ような危険なステップ。焦れる心をなんとか抑えつつ、蜘蛛の糸を手繰り寄せるような集中力で身に修めた技術を駆使する。回転式機関砲で迫る敵車輌の向こうに踊る影に合わせて、回避。どうしても躱しきれない弾丸は、即座に弾道が逸れる角度を見出し、装甲でいなす(ヽヽヽ)

 気がつけば、残り時間も三分を切っている。値千金とも言える時間を無為に浪費した事に、我知らず歯噛みする。進むにしても退くにしても限界に近い。

 ――埒が明かない。

 そう判断した少年は戦況を打開すべく、安全率を捨てる強攻策に出た。三者が入り乱れての戦場は、回避する者と攻撃する者、隙を狙う者にあるリズムを産み育んでいた。無駄な神経をすり減らしたと見えて、実際、費やした時間は複雑な変拍子だったリズムを、密やかに単調なものへと変化させていた。

 砲煙弾雨の最中、ステークスを打ち込みながら制動距離をターンによる旋回で補い、ホバーダッシュから強制的に機体を停止させると、幾何学的軌道に綻びが生まれた。ホバーダッシュからの急激な停止は、前方のサイクロップスからはあたかも姿を消したかに見えた事だろう。前方サイクロップスが少年を一瞬見失い、僅かな(いとま)に少年をかすめるように通り過ぎる。無論、僅かな閑だとて、強引な機動により少年の回避行動は疎かにならざるをえなかった。先ほどの、交錯した敵機より無防備な自機へと放たれた弾丸が、装甲を擦過する衝撃を思い出し、少年の心胆を刹那だけ寒からしめる。その一方で、精神と分離されているように、身体は淀みなく、サイクロップスを繰っていた。

 旋回制動の最中、少年はアサルトライフルに備わったカメラを作動、映像がヘッドマウントディスプレイに表示された。操縦桿上部のトラックボールを操作すると、連動して、アサルトライフルを構えたマニピュレーターが照準に最適なポジションまでエスコート、カメラの視界が敵機を捉える。一連の動作と制動が完了したのは同時だった。少年の視線を感知してロックオンカーソルが動き、照準を合わせる。先は――後方のサイクロップス。

 ロックオンサイトの先の敵機は、僚機を攪乱突破し自身に迫る驚異に虚を突かれたらしい。精彩を欠いた動きで回転式機関砲を構えようとするが、既に射撃体勢に入っている少年からは遠い。一髪千鈞を引く機動が手繰り寄せた、決定的な隙。音速の膜を貫かれた空気の、破瓜(はか)を散らす断末魔が辺りを谺する。

 果たして、三発の銃弾は吸い込まれるように後方のサイクロップスへ着弾した。銃痕を打ち込まれたサイクロップスは重力に導かれて、床面に大きな音を立てて倒れ込む。一瞬、遅れて体勢を立て直したもう一台の敵機には、なす術もなく崩れ去る僚機はどう映ったのだろうか。瞋恚の炎を滾らせ、単機となった敵機の殺意が、カメラアイを通して少年に突き刺さる。

 下知を与えられたホバーブレイドに主の蹶起が乗り移ったのか、正に懸河の勢いで迫りくる敵サイクロップス。ライフルを振りかぶると銃床から、鋭い鉄杭の先端が覗く。仕込み杭だ。銃床に銃爪が備えられており、引くと強力な撥条(バネ)もしくは火薬で鉄杭が射出される仕組みだ。その勢いに、MBの装甲などひとたまりもない。装甲ごとライダーに磔刑に処す、断罪の杭。

 対峙する少年のサイクロップスは、右マニピュレーターで爆斬鉈を抜き払うや、陽の構えで待ち受けていた。まざまざと感じる獣じみた殺意の質量は、じわじわと酸素を奪いつつ圧力を増やしていくかのようだ。

 撓む弓弦の如き緊張感の中、少年が動く。

 杭が仕込まれたマシンライフルを振りかぶったサイクロップスは自身の間合いの外から――そして、ライダーが見定めた的車輌の刃圏より遠間から、発火炎(マズルフラッシュ)の猛々しい雄叫びを聞いた。

 爆斬鉈が鬨を上げたのだ。火を噴く咆哮が鉈の刀身を加速させる――サイクロップスの手を引くように。それは、ホバーブレイドの加速と相乗効果を産み、通常では不可能な速度域での旋回機動を実現させた。刀身の軌道を名残惜しむように、爆発の炎がたなびく(みち)を描く。

 爆斬鉈(ばくざんしゃ)の刀身の加速力をMBの機動に重ねての高速旋回は、怒りによって反応を増した彼の反射神経でも捉えきれなかった。ただ偶然故か殺意故か、意識の埒外で仕込み杭のトリガーを引いていたらしい。仕込み杭が作動し少年を穿つも、無慈悲な現実は少年のサイクロップスの頭部の一部と胸部装甲を抉るのみに収まった。加速された回転力と打ち出された杭の穿孔力のせめぎ合いは、はたして、胸部に刺さった杭が突き抜ける前に加圧された回転勁力に阻害され、本来の点による攻撃では不可能な広範囲でひとしきり装甲を引き裂きはしたものの、致命傷を与える事はついにかなわなかった。

 一方、曲芸じみた爆斬鉈の一撃は、バックパックごと機体を逆袈裟に斬った。少年は、独楽(コマ)じみた回転をしたまま、対手の脇を抜け――残心。鮮やかな手並みは、なるほど、凄腕に違いない。

 単眼の先――憤怒の一撃も虚しく、命脈を断たれた敵車輌から斬られた動脈よろしく、堰を切って噴き出る墨色の血。機械の血(マシンブラッド)とは言い得て妙である。噴出する血流に圧されて、直立を維持しきれなくなったサイクロップスは、ふらりくらりとたたらを踏む。そのさまは不格好な踊りにも見える。敵車輌は周囲に義血を撒き散らすと、力なく大地に膝をつき動きを止めた。しばらく吹き続けていた義血も粗方出尽くしてきたとみえ、ぼたりぼたりと、逆袈裟の裂け目から粘性の滴る音を響かせるばかりである。

「…………」

 残心の構えを解くと、爆斬鉈を鞘に収める。

 カウントダウンを見ると、既に脱出可能な限界時間といっていい。今夜、死線を掻い潜った甲斐もなく、少年自身の目的には近づけなかった。少年の表情は、ヘッドギアとヘルメットに覆われて見えない。はたして、その顔に浮かんでいる色は何か。

 しかし、少年の冷静な戦士としての側面が思考を打ち切った。感傷に浸っている場合ではない。まごまごしていると、先程までの比ではない増援に囲まれ、待つのは死だけだ。

 鋼の血が滴る音が消えた頃には、フロアは鋼鉄の二体の像を残し、時間の止まった空間へと戻っていた。

 

 

帝王

 そこは、古粋(こすい)都雅(とが)が調和された空間だった。

 大胆な空間の使い方は、様々な細工を施された調度品の華やかさを抑え、却って古き時代を思わせる枯淡の味わいを見せている。

 厨子棚(ずしたな)には紙媒体の書籍が数冊、風雅を乱さぬ程度に並べられ、更に職人が手ずから焼いた華麗な皿が飾られ、その白さの見せるコンストラストがえも言われぬ色気を放つ。
 絵師が己の心魂を叩きつけたであろう、古式蒼然とした屏風に描かれた墨の龍虎が相克する姿は、両者の吼え合う声が今にも耳に届きそうだ。重厚な造りの執務机に彫り込まれた文様の……なんと鮮やかたるや。香炉から聞こえてくる香りは、過ぎ去った時代の古雅へ身を連れて行くようだ。

 床はガラスでできており、下には庭石や玉砂利、流水のせせらぎがあり、箱庭的小世界が構成されている。

 窓ガラスの先には、目も綾な摩天楼――さながら現代の灯籠と言うべき輝きが彩りを見せ、新古を交えた独特の美を演出していた。更に今は人型がぽっかりと陰影を作り、鏡写しに床へ伸びたそれが、現代アートの一作品と言える世界観を生み出している。

 人影の主こそ、この部屋の、そして、眼下に跪く摩天楼の王である。

「――来たか」

 声は男のものだった。独特の乾いた声は、どこか幽玄さを感じさせ……。

 男は、経済的にも地理的にも飛海(フェイハイ)城の中心に位置する|、太羲(タイシー)義体公司本社ビル――大仙楼(だいせんろう)の社長室から魔都の夜を睥睨する。摩天楼を生物と仮定すると、眼下を流れる推力式浮遊車輛(スラスターモービル)の群れは、流れる動脈の赤血球か。

 時刻は、少年が丁々発止の立ち回りを見せていた最中である。穢れの驟雨が未だ大地に降り注いでいたはずなのだが、男と外を隔てるガラスには水滴一つすら存在しない。

 ふと顔を上げた男の目に、都市を囲う壁が映る。夜の淵は、上部へ向かうと共に面積を狭め、ドーム状に都市を覆い尽くしていた。中心は大仙楼の頂点と結びついており、太羲(タイシー)義体公司が魔都の中心――魔都の王宮である証明とも言える。その玉座に座るのが、男――メルドリッサ・ウォードランである。

 色が抜けたような金髪と透けるような白い肌。ギリシャ彫刻を想起させる黄金比率の肉体を包んでいるのは、黒地に紅の糸で瀟洒細緻な刺繍も麗しい長衫(ちょうさん)だ。居るだけで漂う、なんとも悩ましい気配は魔性のものか。加えて、作り物と紛うほどに美しい顔立ち。なるほど、確かに魔都を統べる王の貫禄としては申し分ない。ただ、彼の瞳孔がゆらりくらりと尋常にない赫い光をくゆらせているように見えるのは――錯覚だろうか。

 先ほどまで眺めていた摩天楼の情景に背を向け、鏡に見立てて磨き上げられた床面に革靴を響かせて、社長室に備え付けられた専用昇降機の扉を目指す。その様も、舞踏の一部に見紛うほどの所作であり、彼のもつ超然たる気配に華を添えている。ただ歩く姿だけで市井の女性が目を奪われる事は必至であろう。

 昇降機そのものも、電光パネルを排したレトロなデザインではあるが、社長室の雰囲気にはむしろ合っているといえよう。

 階下へ向かうボタンを押すと、昇降機のシャッターが閉まり、古きを感じさせる見た目とは裏腹に、無謬の速やかさと静やかさで動き出した。
 時間にして数秒、エレベーターは目的の階層へと到着。メルドリッサが降りた先は、社長室とは打って変わった、白い無機質かつ脱個性的な研究室(ラボ)であった。

 流石は太羲(タイシー)義体公司というべきか。トップメイカーの名を担う企業にふさわしく、見る者が見れば瞠目するであろう最先端技術の結晶がそこらかしこに鎮座している。それらを淀みない手つきで操作する研究者達も、おそらく他企業から見れば、喉から手が出るほど欲しい人材に違いない。

 メルドリッサは、ラボ内を一瞥すると、奥の強化ガラスで隔てたオブジェへと目を移す。

 実に奇妙なオブジェである。大きさは三メートルほどか。無骨な機械が鈍く黒銀に光を反射しており、中央を挟んで、天地に分たれていた。パネルやボタンなどの操作用装置が排されているのか、全く見当たらない。無機質な工業機械的フォルムは、雅な美しさには程遠いものの、整然とした隙のなさに加え、いぶし銀の()びを感じさせる。ただ……天地に分かたれた機械に挟まれた、麗容な陰翳(シルエット)はなにか。

 天地の機械装置が無骨ないぶし銀ならば、それは鏡面のように艶めいた白銀である。色味や質感の相反さは造形にも及んでいる。楚々とした顔立ちの女の姿である。いや、女というには成熟しきっていない――乙女の姿であった。両の手首から先を天の、そして、薄い太股の半ばから地の――それぞれ機械の(かせ)につながれている。そう、先の無骨な機械群は、少女を囚える拘束具であったのだ。囚われた銀の少女の瞳は閉ざされており、薄く開いた口唇が今にも呼吸しそうなほどの生々しさを持ち……しかし、人形のように無機質な印象も受けるのは、肌の色だけが原因ではないだろう。しかるに、少女はあまりに完成しすぎていたのだ。

 柳腰の裸体は、薄く肋骨が浮くほどに細く、ガラス細工のように華奢である。しかし、胸と臀部はほどよく丸みを帯び、均整の取れた肢体は可憐でありながら艷冶(えんや)な薫りすら感じさせる。肌に流れる長い髪は、真珠の滑らかさをもった銀糸のよう。

 祭壇に供された生贄の痛ましさからか、無表情ながらもどこか憂愁を湛えた銀乙女の麗姿は、彼女の矮躯には無骨かつ巨大にすぎる枷の相反さと引き合い、霊妙な二律背反的官能美を醸し出す。シンプルなガラス枠も額に見立てて見れば、なるほど、鋼鉄に手折られた花の絵には、不思議なほど合っている。

 ――もうすぐだ。

 遂にメルドリッサの計画が動き出す。長年の悲願が実を結ぶか、地獄へ堕ちるか。

 一瞬、白銀の令嬢の瞼が幽かに動いたかのように見えたのは、錯覚か。眠り姫は静かに時を待つ。今はただ、静かに――時を待つ。 

 

帰路

 回廊を疾走する少年のサイクロップスは左腕並びに右脚関節部、更には心臓部の駆動系まで異常をきたしているらしく、時折、該当箇所から紫電が走り、その度に挙動に陰りが見える。騙し騙しで()ってきたサイクロップスだったが、遂に限界が目前に迫ったようで軋みや異音が震動と共に伝わってくる。先の戦闘で前部の装甲を裂かれ、中の少年の姿が垣間見えるほどである。この分だと、前部装甲を展開して機体を降りる事は不可能だろう。

 追跡してくるMBや警備兵の姿の無き事を確認しつつ、少年はナビゲーションに表示された目的の場所へと辿り着いた。一見すると今までと殆ど変わらない通路であったが、それまでと異なり、壁面に三つに並んだダストシュートが設えられている。種類別で投入口が分けられている事から、廃棄場所も異なっているのだろう。

 それを確認し、改めて襲いかかる驚異の無しを見定め、サイクロップスはダストシュートを背にして屈んだ。

サイクロップスの操縦桿の中央にはメモリスロットが五つあり、中央の三つまでが埋まっている。
 中央の一つは認識票(ドッグタグ)が挿さっており、これにはコンバットプログラムが入力されている。このプログラムにより、あらかじめ搭乗経験のある機体をライダー独自の操作設定に合わせる(ヽヽヽヽ)事ができる。更に、初めて乗るMBも基幹システム及び共通システム部分までは、ライダーの特性に合うよう調整まで行う、MBライダーに必須の道具だ。
 左のスロットには、作戦内容をナビゲーションするミッションプログラムを入力したメモリがある。

 右側のメモリだけを残し、後部装甲展開レバーを引く。爆裂ボルトが起こした軽い爆発音と共に、サイクロップスの背部装甲が切り離され、少年が外へと這い出てきた。

 操縦席から降りた少年は、ライダースジャケット型の軍服の上に着込んだハーネスと、MB左腕部のワイヤーウインチとをつなげると、ダストシュートの真ん中の蓋を開けて、奈落へと身を投げる。

 通常であれば、ダストシュートにはゴミを破砕する装置が備わっているのだが、それはあらかじめ電光空間(グリッドスペース)からの侵入(クラッキング)操作で機能を停止させている(ヽヽヽヽヽヽヽ)
 もし、平時であったなら挽き肉(ミンチ)メイカーとなっていただろうダストシュートだが、今は少年をただ沈黙して見送るだけである。

 暗いダストシュートの壁に体をぶつけながら、落下の浮遊感に身を任せ――はたして、終着点へは五秒ほどで到着した。

 ハーネスには超音波で地上への距離を測定する機器が仕掛けられており、距離がゼロになる前にワイヤーの射出を停止するプログラムが、サイクロップスのスロットに残されたメモリに入力されている。少年が致命的速度で地上へ激突する寸前、サイクロップスがワイヤーからの停止信号を受信、即座にワイヤーをロック。少年は、地上一メートルほど上空で宙吊りになる格好となった。

 そこは、山をなすほど鉄屑の集まったスクラップ場であった。
 ハーネスを外し、地上に降り立った少年はすぐさま離れると、手の平に収まる程度の装置のスイッチを取り出し、ボタンを押し込んだ。
 信号を受信したサイクロップスが、残されたメモリのプログラムを実行する。

 爆音が上空から響き、先ほど落下してきたダストシュートが煤に染まった煙を吐き出す。証拠隠滅と攪乱のために、少年がサイクロップスを自爆させたのだ。

 続いて、周囲を見渡し、少年は目当ての物を見つけ出した。ゴミにまみれて秘匿されている浮遊推力二輪車(スラストバイク)。前日に、ボブの部下にスクラップ場に脱出用にと配置させていたのだ。脱出ポイントは複数確保していたものの、事前情報通り、スクラップ場付近の警備が甘かったので、脱出にはここを使うことになるだろうと踏んでいた。浮遊推力二輪車(スラストバイク)にまたがりセルを回すと、ほどなく、動力を得たそれは浮遊すると、スクラップ場の出口へと発進した。

 空は悲嘆の涙を流し尽くしたのか、夜半から振り続けた雨はようやく上がり、今は名残雲を双子月にかけているばかりである。まっすぐ合流地点へ戻るのは愚策だ。追跡を避けるため、迂回やUターンを繰り返し、帰路へ着く。この分だと、戻る頃には空が白み始めるだろうか。まだ明けぬ夜の魔都は、天を刺す巨峰のように聳えている。 

 

神門

 払暁を迎えたとはいえ、陽光の恩恵を充分に与れない玄天街六番街のとある雑居ビルの前に浮遊推力二輪車(スラストバイク)が降り立つ。バイザーで包まれたフルフェイスヘルメットがライダーの表情を完全に秘め隠している。

 詰襟の黒いライダースジャケットに似た軍服は、MBライディングに耐えうるよう誂えられた特別製だ。丈夫そうなカーゴパンツに巻かれた剣帯には軍刀を一振り差しており、艶の失せた黒塗りの鞘につながれた、絡みつく龍があしらえられた銀細工の鎖が鏘然(しょうぜん)と耳に心地よく鳴る。

 未明より、飛海(フェイハイ)解放戦線の作戦に参加し、獅子奮迅の活躍を見せたサイクロップスの少年である。

 追尾を躱すため迂回やUターンを繰り返し、ようやく飛海(フェイハイ)解放戦線のアジトまで戻ったのだ。

 アジトである雑居ビルの地下に続く階段の前に浮遊推力二輪車《スラストバイク》を放置する。こうしておけば、五分と経たずに盗人ども(ハイエナ)の餌食になる。彼らも足がつくことはしない。落ち着ける場所に移動させたら即座にパーツに分解し、それぞれ別のルートで売りさばく。彼らも得をし、飛海(フェイハイ)解放戦線にとっても手軽に証拠隠滅を行える。

 ゴッゴッと軍靴(ぐんか)の重い跫音を立てながら、薄暗い階段を降りると、重厚そうな金属製の扉が見える。前には、見るからに屈強な大男が二名、侵入者を遮る門番の役目を担っていた。少々バランスが崩れた感のある体躯は、おそらく人工筋肉を移植しているのだろう。両者ともに、彫りの深い顔立ちに鋭い眼光を放ち、少年を睨みつけるように見据える。

「…………」

 少年から向かって右側――顔にまで刺青を施した白人男が扉を開け放った。

 瞬間、腹の底にまで響くほどの重低音が出迎えた。オーディオアンプより過剰に出力された暴圧的な音の渦に、少年の鼓膜が翻弄される。暴力的で退廃の色濃い、旋律と呼ぶには余りに禍々しいそれを、地の底を思わせる低音からのしゃがれた絶叫が彩る。だが、人ごみの一人が少年を認めると、中にいた十数人の目が少年を射抜く。同時に、アンプから垂れ流されていた、揺れを伴った響動もやんだ。どうやら、誰かプレイヤーを停止させたらしい。

 今では人畜生共の巣と化したここは、かつてはライブハウスだったらしい。向かって正面に一メートルほどの高さのステージがあり、そこには純白のソファーと氷を張ったボトルクーラーをのせたテーブル、そして――人ひとりが入れるほどの大きさの鳥籠が備えられている。

ゆったりとしたソファーに体を沈めているのはボブ・ホークだ。琥珀色に染まったグラスを片手に、十六、七ほどの年の頃の、栗色の髪が映える黒い旗袍(チーパオ)を着た少女をはべらしている。
 少女は、ソファーに腰を下ろす事を許されていないらしく、ボブの足元の床に直接座らされていた。玄天街では珍しい、未だあどけなさを残した面貌(めんぼう)に、失望と愁いに沈んだ色が見える。首には、ライトを反射する金色の首輪がかけられ、つながれた鎖は鳥籠につづいていた。
 そう、鳥籠ではない、これは――『人籠』だ。

 ボブ・ホークは飛海(フェイハイ)解放戦線の頭領でありながら、玄天街六番街の商いを担う女衒(ぜげん)である。この憂いの少女も売り物の中から、自分用として手元に置いているのだろう。少年から見れば、吐き気するほどの醜悪さだ。粗野なボブに対し、少女は余りに正反対で――なおの事痛ましい。だが、今の少年には彼女らを救うすべはない。

 左右に分かたれた紅海を歩いたという伝説もかくや、人ごみがステージ上のボブ・ホークへ歩む少年を避ける。彼らが見せる表情は千差万別ながら、少年に対する嫌悪という点では共通していた。だが、少年の方も彼らに対して親愛の情など持つつもりもない。

 ステージ脇の階段を一段一段踏みしめるように登り、楽しみを邪魔されたといった風に顔をしかめたボブ・ホークと――登りきったステージ上で対面した。黒い旗袍(チーパオ)を着た少女が見せる希望と失望の()()ぜになった視線が、少年に痛ましさを伴う針となって突き刺さる。

 更に、ボブと少女へと向かい歩を進め、およそあと五歩程度の距離になったところで――。

「おい。メット外せや!」

 ボブのがなり声は、好む好まざるは別にして、少なくとも作戦の立役者となった者に対して、余りに横暴な言葉遣いだ。少年は動じなかったが、人籠の少女は自分が叱責を受けたように、体を縮こませる。その、あまりに無力な哀れさと儚かさよ。少女は主の怒りに無力に過ぎ――程度は知る由もないが、激情と劣情の捌け口とされているであろう事は明快に感じられた。

 少年の雇い主はパイソン・プレストンであるのだから、彼にとっては、仕事さえしていれば頭を垂れる義理もへりくだる理由もありはしない――のだが。

「……」

 無言でヘルメットに手をかけると、軽く空気が噴出する音がし、拘束が緩まる。頭を抜くと、ヘルメットの中でこもった熱を振り払い、それから正面からボブを見据えた。

 年齢は、目の前の男に隷属している少女と同世代になる。中性的な外見に、細身の体躯――ライディングに最適な筋肉量を付けているとはいえ――は、女性的な印象を受けるが……その印象を裏切っているのは、ボブを見据える視線だ。

 見え隠れするほどの長さの前髪からのぞく眼光が、抜き身の秋津刀に似た冷厳さでちらりと垣間見え、少年を齢以上の風貌に印象づけている。
 そこが、ボブが少年に対して一番気に食わない点であった。何かを見通されているような、ボブを路傍の石と見つめる視線。

「チッ!」

 全く、気に食わない。ボブは我知らず舌を打つ。

 そういえば、こいつの名前すら知らずに――更に言えば、声すら聞かずにいた事を、ボブはこの時になってようやく気づいた。

 別に少年の名前など興味すらない。だが、このボブ・ホークに対して、名を名乗らないなど舐めた態度を許せるのか。普段ならば、気づいた段階で誅殺(ちゅうさつ)するところだが、この時、ボブの冷徹な本能が警告した。曰く、こいつはまだ使える――と。

 思えば、直情型のボブ・ホークが今まで生き延び、そして、玄天街六番街を仕切る女衒(ぜげん)へと成り得たのも、この自らの内に潜む野生の勘が鳴らす警鐘に従ってきたからだ。

 そうだ。少なくとも、こいつ以上の働きをするMB操縦士(ライダー)は目下のところ、ボブの手勢にはいない。ならば、利用価値がなくなるまで使い倒してもいい。どうせ、『外』から来た人間だ。出て行く時は死体で出て行ってもらえばいいだけの話だろう。

 ただし、気づいたからには、ボブ・ホークの前でいつまでも名乗らずにいるのは許されない。

「お前、名前(なめぇ)聞いとらんかったのぅ? 名乗らんかいや」

 ボブの胴間声に、はたして少年は若干不快そうに眉をひそめると、残り五歩の距離を歩き、ボブの正面のテーブルの前まで来ると、その上にヘルメットを置く。

「龍神だ」
「ぁん?」

 少年の年齢と外見から見れば、幾分低めの声だ。ボブが聞き逃したのも無理からぬだろうか。

龍神(たつがみ)だ――聞こえたか? 龍神神門(たつがみみかど)。それが……名前だ」 

 

悪夢

 ――宙ぶらりぶらり。

 ――宙ぶらりぶらり。

 龍神神門(たつがみみかど)が意識を取り戻すと、彼は鈍色のコード群に宙吊りにされていた。コード群は彼の手足に絡みつき、更に、丹田の周りにあたかも同化するかの如くに貼り付いている。そして、奇妙な事にそれらは蠕動しているのだ。脈打つ動きに導かれて、淡い光がコード内部を走る。その様は、まるで有機的機械に取り込まれたようで――。自分がどうして、このような縛めを受けているのか――。不可解な事に、神門は、直前の記憶が曖昧だった。

 そして、自身の格好といえば、これもまた不可解なもので、腰に申し訳無さげに布が巻かれ、殆ど全裸といって差し支えない。

 神門はどうにか縛めを解かんと藻掻こうとしたのだが、残念ながら糸繰り人形めいた身体の首から下は彼の意思を認めず――そして、感触も含め何の反応もしない。麻酔で全身の感覚を消し、更に生命機能だけを残し、首を断たれればかくやとこそ思われた。首以外は、指一本に至るまで露ほどの反応もない。

 動くこともままならない己に歯噛みする気分で、神門は目の前の光景を見る。

 洞穴だろうか。
 暗がりと鍾乳石と石筍、そして石灰華柱。鍾乳洞を思わせる空間に、神門はいた。
 吊られた身体より一メートルほど下には、靄々と白霞(しらがすみ)が覆い尽くし、宙と地の境界線もまた朧で茫乎としている。

 いや。

 先ほどよりも視力を取り戻した神門は気づいた。ここは――鍾乳洞では断じてない。

 鍾乳石と石灰華柱と思われたそれは、様々な屍骸の臓腑や骨や角、そして機械部品が融合し、木乃伊(ミイラ)化、若しくは化石へと化したかのような……。よくよく見てみれば、石灰華柱は巨大な腕が地に手を付いているようにも見え、地に根を下ろした巨木でもある。正に、醜怪といった言葉が似つかわしい。それは、暗い茶系の色が複雑に混ざり合った瑪瑙に似て――。

「神門ーー!」

 胸中を侵食しつつあった感懐を、ふいに己の名前を叫ぶ声が打ち切った。

 声の方向――神門からは左の方向へと顔を向けると、鏡写しで鈍色に囚われた少年がいた。

「――虎狛(こはく)!」
「神門!」

 ――宙ぶらりぶらり。

 ――宙ぶらりぶらり。

 互いの名を呼ぶ少年たちの声を呼び水に、三つの白い影法師が白霧より植物が生えたならばかくもあろうと、ぬきりと姿を現した。それだけで、場の瘴気とも言える、常識の(ひず)みを更に深化させる。何故か影法師の姿を認めた瞬間、神門の本能に近しい部分はそれらを生物的、否、存在的にヒトの上を往く『何か』と捉えた。はたして、予感とも野生とも言える異感覚は正解だったのか。

 三つの影法師は、それぞれ白霧の色の法衣を纏い、表情をフードで隠している。

 小柄な影法師は、少年たちよりも身長は低いだろうが、如何なる左道の業か、身体が中空に浮いていた(ヽヽヽヽヽ)
 すっぽりかぶった外套(クローク)に似た法衣のフードに隠れている相貌の――眼窩があると思しき箇所から木洩れ出る白光が少年たちの瞳を感光させ、視界に青とも赤とも言えぬ残像を灼きつかせる。

 向かって右側は法衣に包まれているとはいえ、かなり筋肉質な長身だ。
 その大樹めいた手足、巨岩の肉体を誇示しているのか、法衣が覆う面積は狭く、上半身は殆ど剥き出しといっていい。
 そして、剥き出しの身体は――人在らざる碧い光沢を放っていた。碧い結晶から偉丈夫を彫り起こしたとでも言えば、かくもあろうかといった威風である。

 そして、最後の左側。
 身長といい、陰翳といい、法衣の意匠といい、女性のそれを思わせる。背中でつながった両袖から上腕を通し(たもと)みたく広がり、腕の長さを越え、最早引き摺るほどに長い。肩を露出したドレスじみた法衣は、身体にフィットする部分とゆとりを持たせた部分が存在し、主のスタイルを際立たせている。
 妖艶な肢体の肌は、病的というより不自然な屍蝋の白さ。ヴェールに見えなくもないフードから覗く淡い緑青色の髪が、少年たちを捕らえている鈍色の枷と同じように、末端へと蛍火を断続的に走らせる。

 ――宙ぶらりぶらり。

 ――宙ぶらりぶらり。

 中央の、小男とおぼしき法衣の主が少年たちを見上げるように顔を上げる。

 相貌はヒトのそれに準じているのだが、肌膚から目に至るまで人類を逸脱していた。
 先ほどから視界を感光させている双眸|は、黒く小さな瞳孔を覗いて、白く濁った鬼火に燃えている。カサつき罅割れた肌は、産毛もなく、内部を蟲が這いずり回っているかのように蠢き、それに呼応するように、トライバル・タトゥーに似た幾何学的な紋様が赤黒く浮かび上がり、消えていく。
 寄せて返す波じみた紋様は、何らかの文字を象ったかのようでもあり、或いは無作為に書き描いた野放図な芸術の産物にも思えた。

 天啓を授かった聖人の所作で小男が恭しく両腕を天に掲げると、法衣の隙間から六指が顕わとなった。人間で例えるならば、外側にもう一本拇指(ぼし)が追加された六指だ。肌膚は顔のそれと同じく、乾燥した大地の色をしており、紋様が現れては消えていく。

「シュゥワッァ!」

 独特の呼気で放たれた声は六指に変容を齎した。一瞬、脈動よろしく手が撥ねたかと思えば、赤黒い幾何学文様が手の甲を覆うように構成され、指の範囲を越え、猫科猛獣の鋭さをもち、しかし、湾曲せず真っ直ぐ生え揃った爪の様相を(てい)した。紋様拵えの爪はどこか外科医の持つ手術刀(メス)を連想させた。

 爪の怪人(シザーハンズ)は掲げた手をそれぞれ少年たちへと向けると、爪より闇さえ貫通しうるレイザーを放った。赤へ青へ黄へと変色しながら、レイザーは少年たちの身体を舐める動きで這い廻る。這われた肌膚から体組織が変化を齎し、魔物が内より蠢く違和感が痛みとなって襲いかかる。

 神門は恐怖した。何がどうなっているのかは理解できないが、この異常な痛みに恐怖した。

 これより激しく鮮烈な痛みも経験があった。これよりも鈍く沈殿する痛みも経験があった。

 だが、しかし。
 この痛みはまるで――。

 人たらんとする事をせせら笑うかのような、人の殻を引き裂かんとするかのような、そして、人としての存在が裏返っていくような痛み。それは、存在を侵された原初の痛みだったのだろう。

「神門ォォォッ!」
「虎狛ぅう!」

 痛みの中で互いを呼び合う少年たちは、我知らず、コードの絡んだ片腕を互いへと伸ばしていた。先ほどまで露とも反応を示さなかった手が動いていた事にはお互い気がつかなかった。痛みを和らげ合うためか、はたまた、相手を助けようとするためか。

 ――宙ぶらりぶらり。

 ――宙ぶらりぶらり。

 再誕の儀は続く。

 視界が歪み、霞んでいく。まるで、ここは現実ではないと言わんとばかりに。ここは悪夢。実ではない虚の世界。

 はたしてそうだろうか。
 頭に響く耳鳴りがこびりついて離れない。

 ――宙ぶらりぶらり。

 ――宙ぶらりぶらり。


 * * *


 ――がたりごとりごとり

 ――がたりごとりごとり

『次は玄天街七番街、玄天街七番街』

 ――がたりごとりごとり

 ――がたりごとりごとり

 ……規則正しく、車輪が軌条(レール)の繋ぎ目を通る音が聞こえる。

 ふと、意識を取り戻した神門は、玄天街環状線の車内にいた。
 いつしか眠っていたらしい。神門は横座席の椅子に座り、車窓の枠の段差に右の肘をかけ、二の腕を枕にしている。

 どうやら、昨夜の作戦は思っていたより心身に負担がかかっていたらしい。寝入っていたとしても神門は敵意が近づくと、すぐさま目を覚ますよう訓練されている。更に左手はいつでも軍刀の鯉口が切れる状態である様子を見れば、少しでも聡い盗人ならば安易に手を出そうとは考えはしないだろう。だが、だからといって、我知らず意識を失うなどと不覚にもほどがある。

 念のため、持ち物の確認をして、不備の無しを認めると、眠気を誤魔化すように眉間を揉みほぐす。窓の向こう側は朝だというのに薄暗く、外を眺めた神門の顔を曖昧模糊に映し出し、仄暗い景色と同化させる。

 朝の玄天街環状線は客が少なかった。車輛には神門の他に、船を漕いでいる男と子供が二人――おそらく親子であろう――が乗っていた。
 男はなにか夜半からの仕事を終わったとみえ、眠りの世界からの手招きに抵抗してはいるものの、戦の趨勢は明らかに睡魔にあった。
 そんな様子の父親を起こそうとはせず、子供二人は自分たちだけで騒がぬ程度に遊んでいる。年齢の割に、考えが回る子供達だ。

 そういえば、昨夜から何も口にしていない事に、今更ながらに神門は気がついた。
 懐から、念の為に用意しておいたブロックタイプの携帯食を取り出すと、窓の外を見ながら口に入れようとした時。窓の向こう側、薄闇の景色と合わさり、兄弟が座席の仕切りの先から顔を出し、神門を――正確には神門の持っている携帯食を見つめている様子が、目に入った。

「……」

 おそらくは、飢えるほどではないとはいえ、満足な量の食事はなかなか取れないのだろう。戦争が終結したとはいえ、時代はまだまだ人に優しくない。

 神門は一口囓ると、携帯食を窓枠に置く。

『まもなく玄天街七番街、玄天街七番街』

 車内アナウンスが目的地の到着を告げると、やおら立ち上がる神門を認めて、兄弟が座席の仕切りから出していた顔を引っ込めた。

 列車が完全に停車する前に、鞘鎖を鳴らながら、出口扉へ去る神門を見送ると、兄弟は彼が窓枠に『忘れていった食べ残し』のブロックタイプ携帯食を手に取り、二つに割って分け合っている。

 彼らの様子を、閉まった扉の薄暗い窓の反射から認めると、先ほどの夢を思いだし、神門は今は遠くなってしまった過日へ思いを馳せる。

 断片的に古い記憶から、次第に時代を駆け下りていき、先ほど見た悪夢の光景で鈍い頭痛に阻まれた。未だ、あの記憶は、夢の中で足元をじゃれついていた白靄(はくあい)に包まれている。この記憶さえ完全ならばと幾度となく思っただろう。それが叶わぬからこそ、この玄天街を彷魔酔(さまよ)い続けているというのに。

 気がつけば列車は停車していたらしく、自動扉が開き、六番街とはまた違った匂いの空気を感じた。

 玄天街七番街駅の千鳥式ホームとなっている歩廊(プラットホーム)は、多少列車との間隔が広く、列車の扉の方が高くなっている。列車もそれぞれ別の鉄道列車から買い上げたと思われる、色も大きさも異なる蓄電池式機関車と付随車がチグハグな、どこかコラージュめいた印象を与える。元々、玄天街環状線は正規の鉄道会社が運営しているわけではなく、知識やノウハウを持った有志が集まり、払い下げの列車と軌条(レール)を元に環状線を取り繕っているに過ぎない。この程度の不便もむべなるかな。むしろ未だこれといった事故がないのは、彼らの優秀さの賜物と言えるだろう。

 玄天街七番街の歩廊へと神門は降り立った。前の黒い蓄電池式機関車の車体側面から、機器冷却のためか噴き出された白霧が神門を包み込んだ。白い遮光幕(カーテン)で覆われた視界の向こうには、幾つもの人工の光が透けて見えている。次第に白い靄が晴れていき、神門の視界が玄天街には似つかわしくないきらびやかさを捉えた。 

 

色街

 七番街は玄天街でもかなり珍しく、犯罪抑制がある一定の成功を収めた街である。
 玄天街は、一番街から八番街まであり、基部アーコロジー外周を囲む形で存在している。そして、街区の違いによって、街の様相は異なる。例えば、六番街などは治安という言葉が存在しているのかどうかも怪しく、闇市には違法薬剤(ドラッグ)、各種銃器弾薬、二足型戦闘車輛はおろか、拉致してきた同じスラム(げんてんがい)の住民の人身売買まで行われているといった有様である。

 七番街は数々の朱色に彩られた秋津風建築の、軒下に備え付けられた赤提灯の色に染まり、絢爛たる紅蓮華(くれないれんげ)の色彩が目にも眩しい。その、紅蓮華の色合いを見せる赤提灯と朱に染まった秋津風建築物の二階にある背の低い欄干は、そこが妓楼である証左だ。そう、玄天街七番街は玄天街随一の花柳街である。

 傾城町(けいせいまち)としての特徴はそれだけに留まらない。
  ここは、秋津にある吉嶋遊廓(よししまゆうかく)をモデルとしているらしく、模倣は市街機能にまで及んでいた。
 七番街では他街区との連絡は東西南北の門においてのみ行われる。街区のすぐ外には堀を設け、他街区からの侵入を妨げ、往来を徹底して管理していた。そして|、男たちが女子供を保護し、代わりに女たちは春を(ひさ)いで外貨を得る、いわば運命共同体として機能している。貧民街にも関らず、医療所や孤児院の類までもが存在し、スラム街の抱く印象にそぐわぬ綺羅びやかさが七番街にはあった。更には自警団が、他街区からの招かねざる訪問者、内部の伝法な輩に目を光らせている。『玄天街の十万億土』などと言われる所以である。

 そして、この七番街の代表が、ローツ・パトリシア・キャリコ――パイソン・プレストンとその娘との会話に上がった人物である。

 七番街のほぼ中央に、玄天街でも名の知れた妓楼が存在する。華翠館(かすいかん)と銘打たれたここは、(くだん)のローツが経営する妓楼である。

 昼と夜の境目も確かでない玄天街ではあるが、七番街では所謂『夜の仕事』は夜の時間帯で行うというルールがある。華翠館も例外ではない。営業時間外として立札が表に出されており、建物内も、夜半まで続いた祭りの熱も今や冷め、静かな眠りについている。

 その妓楼の扉が軋んだ音を立てて開く。くたびれた様子で、中に入ってきたのは、パイソン・プレストンだった。足を引きずるように歩いているのは、久しぶりの夜を徹しての仕事だった故か。残された右眼も半開きになっており、様子から身体が睡眠を欲している事が一目瞭然だ。

 そんな様子のパイソンを出迎えたのは、ブレイズヘアーを下ろし、艶やかなドレスを纏った黒人男性――もっとも、服装や口調は女性のものであったが――であった。この華翠館の主、ローツ・パトリシア・キャリコである。玄天街に巣食う情報屋兼玄天街一の妓楼の主、そして、七番街を仕切る実力者の一人である。

「パイソン! お仕事ご苦労様♪」
「……」

 楽しげな声に辟易しつつ、不機嫌な態度を隠そうともしないパイソンは、やにわに自分より背の高いローツの胸ぐらを掴むや、押し殺したような声で凄む。

「こんの、カマ野郎……。てめえ、一体どういうつもりだァ?」
「おー、怖い怖い」

 冷たく沈む眼光で射殺さんとばかりにローツへと突き刺すが、肝心の相手は突きつけられた鋭さを知ってか知らずかおどけてみせると、安穏とした態度のまま、ため息をつくかのように笑う。それに呼応するように、紅の瞳が常にあらぬ光を灯した。

「フフ、あんたも丸くなったわねぇ。玄天街(ここ)であんたと再会した時は、いつ殺されるか冷や冷やしたもんだけど?」

 ローツとて、魔窟を己の庭として久しい。向けられた殺気の虚と実を看破できぬようでは、玄天街で妓楼などという商売はできまい。ローツの鍛えられた嗅覚は、パイソンの放つ殺気に明確な『嘘』の匂いを嗅ぎ分けていた。

「エリナちゃんのおかげかもね」
「……チッ!」

 かぶりを振りつつも、胸ぐらを掴んだ手を離したパイソンは指を突きつけ釘を刺す。

「とにかく! 今後、あいつに余計な事を吹き込むな!」
「あら~、それはできないわよ。私、エリナちゃんの事、応援してるんだから」
「ぁあ? 今度いらん事しやがったら、そのB級映画(シネマ)の粘土細工みたいな顔ごと、日光浴させて灰にしてやるからな!」
「――あんた自身、B級映画に出そうな見た目のくせに」

 そう言うと、ローツは預かっていた札束を投げ渡すと、パイソンは隻眼のハンデがあるとは思えぬほど、危なげなく受け取った。

 このような悪態の応酬も常になって久しい。誰が知れようか、今のパイソンを見て、これが『不死の男』と人々に膾炙(かいしゃ)された英雄にして、伝説の無頼者(アウトロー)だと。

 ぎぃと扉の鳴く音に、ローツは一瞬だけひたっていた感慨から、現実世界へと戻ってきた。
 扉の方を見れば、神門が一礼して中に入ってきた。パイソンと、華翠館で落ち合う手はずとなっていたのだ。

「ただいま、戻りました」

 朴訥な人柄ではあるが、己が目上と定めた者には礼を尽くすほどの謙虚さも、この少年にはあった。とりわけ、魔都に辿り着いた時から世話を焼いてもらっている二人には、礼儀正しい態度で接している。

「おう、おけぇり」

 パイソンはそう言うと、先ほどの札束の半分を神門に手渡した。受け取った報酬をじっ……と見つけながら、神門は何かを考えるような顔をしている。

 珍しい事もあるものだ――と、パイソンはその様子を見守る。平素では、自警団との仲介で警護などの仕事に就かせているが、それらのお世辞にも高額とは言い難い給料と違い、今回は相場より安めとは言え、玄天街では相当な額面の報酬である。もっとも、今まで神門は無駄な何かを買い求めていた事もなく、彼から不満等も一切耳にした事はなかったのだが。

「……ローツさん」
「はい?」

 基本的に寡黙な神門であったが、ローツもそこは承知している。だが、何となくではあるが、今日の神門の沈黙には、歯切れの悪いものを言い出そうとするような気配を感じていた。事実、表情も苦虫を噛んだかのような渋い顔だ。

「…………女衒から女性を買う場合、幾らほどかかりますか?」


 * * *


「偽善だな」

 眠たげな瞳を少年へ向けて、パイソン・プレストンは断言する。

 はたして、少年が告白したのは、ボブ・ホークの私有物の少女を解放したい、だった。そうなると、身請けしかあるまい。だが――。
 ボブ・ホークの愛妾についてはパイソンも見知っていた。どうやら、『外』ではなかなかの富裕層の生まれらしく、持って生まれた気品がどことなく垣間見えた少女だ。ボブ・ホークが飽きるまでは、手元に置いておくだろうという事も、容易に推察がついた。

「考えるまでもなく、ボブ・ホークの野郎があれだけの上玉を簡単に手放すわけはねえし、仮に買い取れたにせよ、次はまた違う愛妾(おきにいり)を囲むだけだ」

 錦蛇の名前を持つ男は底意地の悪そうな笑みを浮かべて、神門の瞳を覗き込む。その左眼は眼帯に覆われて、何も映すことはない。

「それに、買い取った後はどうする? お前が囲むか? それじゃあ、以前と何も変わらねえな。ならば、放り出すか? そんなことをしたら、結局生きていくために遊女になるだろうな」
「…………」

 反駁の余地はない。偽善である事は自分が一番よく分かっている。ただ、そうと分かってはいても、あの怯えた眼差しが目に焼き付いたのだ。それだけだ。神門の中ではそれだけでしかない。蛇の右眼が神門を捉えて離さない。だが、そうと決めた神門の瞳は、例え自分の思いが偽善だとしても揺るがない。

 沈殿した空気が、数秒を長きに感じさせる。無言で視線を交錯させている両者は、どちらも逸らそうとはしない。

「ケーッ! 好きにしろい!」
「…………」

 面倒になったといったような態度のパイソンに、神門は首肯した。

「はーいはいはい! とりあえず、今の龍神くんの手持ちが幾らあるか、とかその辺の話をしましょうか」

 ローツがこのやり取りはお仕舞とばかりに手を叩いて話を区切り、次の話題へと先を進める。

「ざっと、三万天円(ティエンイェン)
「じゃあ、夜になったら、うちに来てくれる? 手はずを整えておくから」
「…………」

 こく、と頷く神門。

「じゃあ、さっさと帰るか~。眠い」

 あくびを隠そうとしないパイソンは話は終わったとばかりに、外へ出る。それに倣い神門もローツに一礼してついて行く。
 背に蛇を背負った男と、龍の銀細工(こしら)えの鎖を鳴らす少年が立ち去る姿を見送ったローツは、我知らずため息をついた。

 ローツ・パトリシア・キャリコとボブ・ホークは妓楼の主と女衒という間柄ながら、七番街と六番街の実力者ともあって、折り合いが悪い。そもそも、七番街の性質と六番街のそれは、大きく異なっている。

 六番街の治安は劣悪といってよく、前述通りに、他街区への人攫いすら行うような伝法の輩が跋扈する魔窟である。そこから逃れてきた者たち、売られてきた者達が集って、独自のルールを作り上げ治安を向上させてきたのが七番街である。

 折り合いの悪さもむべなるかな。利用し合う間柄といえ、両者に横たわるのは海溝の深さの険悪さだけである。

 ――さて、どうしましょうかね。

 苦笑しつつ、ローツはしばらくの間、扉の向こうを透かし見るように眺めていた。 

 

遡行

 玄天街七番街のある雑居ビルに、銀河標準文字で『プレストン探偵事務所』と書かれた立て看板がある。言わずもがなパイソン・プレストンの探偵事務所である。探偵事務所といっても、探偵としての仕事は少なく、仲介屋などの副業で口に(のり)しているのだが。

 玄天街に探偵という職業の需要がないわけではない。
 ただ、パイソンの事務所よりも大きな探偵事務所が既にあり、更には、仕事の正確さには一定の信頼を寄せているのだから、必定、弱小のプレストン探偵事務所がワリを食う事になるのだ。
 加えて、パイソン自身の不承不承(ふしょうぶしょう)とした態度が事務所の評判を落としているのだが、当の本人は自覚しているのかどうか。

 閑散とした事務所に来客を告げるドアベルが鳴り響く。事務所内は、入って右手に来客用のテーブルとソファーがあり、パーテイションで仕切られた向こう側に薄汚れた執務机がある。左側には、ちょっとした空間になっているようだが、遮光幕(カーテン)で遮られていた。

部屋に人がいないせいか、照明付きの天井扇は沈黙しており、薄暗い部屋に、開いたドアの向こうからの光に当たった箇所だけが、ぽっかりと浮かび上がっている。事務所主の趣味か、数着の背中を向けたヨコスカジャンパーが壁に掛けられ、飾られていた。色の違いはあれど、背中の刺繍は全て錦蛇の意匠である。

「帰ったぞ~……」
「……」

 疲労困憊といった事務所の主とMBライダーの少年が、凱旋した。

 ようやく仕事から解放されたパイソンだったが、足取りは重い。ほぼ徹夜で仕事にあたり、しかも、煙草(ガソリン)を絶たれるという無体な宣告があっただけに、心身ともに疲れ果てているのだ。直接壁に打ち込んだフックに着ていたヨコスカジャンパーを掛けると、奥の安っぽい執務机へ向かう。ギシギシとあまり愉快ではない音を立てる椅子に体を沈め、執務机に足を放り出すと、そのまま死んだように眠りについてしまった。事務所に辿り着いてから一分ほどの早業である。

 神門は寝入ったパイソンの代わりに事務所の扉を施錠し、入って左側のカーテンを引いた。果たして、遮光幕の向こうから現れたのは簡易ベッドだった。他には家具がない、お世辞にも広いとは言えない空間である。ベッドの足元には特殊な外殻が備わった背嚢が置かれている。

 寝ていても軍刀をすぐさま抜ける位置に立てかけ、軍服の上着は壁面に設えられたフックに掛ける。ベッドに横たわると、ここ数ヶ月で見慣れた天井が出迎える。瞳を閉じれば、眠りは思うよりも早く訪れた。神門の意識は、ぽっかりと口を開けた無意識の沼に深く沈み込んだ。


 * * *


「――ッ!?」

 覚醒めは突然だった。識閾を揺蕩っていたというよりは、無意識の深海より急浮上したかのような。急浮上にかかる負荷は海でも識でも同様なのか、痛めつけられた肺の悲鳴にむせた。

 酸素不足にあえぐ視界が捉えたのは、広がる荒野と空を刺す一本の(いと)。天から地獄へと伸ばされた蜘蛛の絲の逸話を想起させたのは、完成途上の軌道エレベーターか超高層ビルか。続き、その荒野に座り込んだ軍服を着た己の身体を見下ろす。

「気づいたか」

 どこか枯れた印象と業風を思わせる声の主は、煙草を咥えた暗い金髪の男だ。派手な錦蛇の刺繍が施されたスカジャンを着込んだ中年の男。背は然程高い方ではないが、補って余りある筋肉の鎧を纏っており、強者の臭いを漂わせている。
 だが、一番眼を引くのは面貌(かお)の眼帯だ。左目を覆う眼帯の下には、一体どんな過去と感情が眠っているのだろうか。
 そして、残された右眼は神門の一挙手一投足を逃さぬと、蛇のように油断なく見据えている。

「俺はパイソン・プレストン。お前――名前は?」
「……ぁっ」
「あん?」

 その時、意識を取り戻すまで自分の名を忘れていた事実に気づいた。喉まで出かかって――声に出来ないもどかしさが心を縛る。たとえるなら、不意に思い出そうとする他人の名前だ。喉に引っかかったそれを、蜘蛛の絲の如く細い細い絲を手繰り、なんとか声に乗せようとする。

「……み、かど。た……龍神神門……」

 識閾下の海に沈んでいた自らの名前を神門はようやく口に出来た。前後の記憶はない。識の井戸に置き去りにされたままだ。思い出そうとすると頭に記憶の切れ端と共に鈍痛が趨った。頭痛に苛まれ、切り刻まれた記憶を再構築しようと試みるが、残念ながら整合が取れない一瞬一瞬の記憶では思うようにいくわけもない。
「お前、記憶が喪失(ない)のか? まあ、そう珍しいことでもないか」

 そう、そこまで珍しいことでもない。三年戦争が終結したとはいえ、まだまだ戦後の混乱は人々の限界を試すように精神に負担を与え続けている。戦争帰りの兵士にしても記憶の混乱や、薬物に走ってすすんで脳を壊す輩も後を絶たない。

 実際、今の神門はどうなのだろうか。今、身体を支配している人格(みかど)は薬物で脳を切り刻むなど愚かの極みだと考えている。少なくとも、自ら薬物に手を出そうとは断じて思わない。
 では、戦場のショックで頭をやられたのだろうか。その割には、思考ははっきりしているように思える。

 手がかりを求めて着ている軍服をまさぐると、指先がポケットの中の何かを捉えた。探れば、四つ折りに折りたためられた紙片だった。開けば、そこには秋津語でこうしたためられていた。

 曰く――『私は飛海(フェイハイ)城にいる。 氷月信光(ひづきのぶみつ)

 氷月信光――その名前を認識した瞬間、奔流のように記憶が襲いかかってきた。

 ――氷月信光――養父――虎狛(こはく)――同じ日に生まれた――宙ぶらりぶらり――白い怪人――激痛――再誕――終戦後すぐ――一八の誕生日――存在が裏返る悪寒――そして、そして――

「――ッぁ……はぁはぁ」

 一度に迫り来た記憶は神門の脳をひとしきり打ちのめし、引いていった。その激流の中からなんとか記憶を捕まえ、再構築していくも、とりわけ前後の記憶を中心に神門の過日の物語は欠損している。記憶の波に身体も引きずり込まれたらしく、溺れていたかのように荒い呼吸を繰り返す。耳元で早鐘を打つ心臓ががなり立てているように、鼓動がやけにうるさい。

「おいおい、大丈夫かよ」
「……ええ」努めて息を落ち着かせ、神門は応えた。未だ、心臓の音は耳を聾しているが、鼓動の律動は呼吸に併せて治まってきているようだ。「なんとか……」
「まあ、依頼だし仕方がないか」

 ふう、と紫煙を吐き出し、面倒くさそうに頭を掻きむしりながら男――パイソンはそう結論づけたようだ。

「乗れよ。とりあえず、俺の家まで連れて行ってやる。面倒見るのも依頼の内だったしな」

 親指で指し示したのは軍の払い下げ品とおぼしきトレーラーだ。確か、エクシオル軍の制式トレーラーだったはずだ。

「さっさと乗ってくれ。歩けるんだろ?」

 早く帰りたいという態度を隠そうともせずに、素早く運転席に座ったパイソンが乗車を促す。神門が助手席に身を沈めると同時に、天刺す絲を目指してトレーラーは土煙をまき散らして急発車した。 

 

疫禍

「どっか~~ん!」
「ぶげっ!」

 少女の声と、男の押し潰された声が事務所に響く。男の声は言わずもがなパイソンのものだ。

「エリナ! 何しやがる!」

 (よわい)は十四、五ほど。ポニーテイルにした腰にまで届く長い銀髪が、照明の明かりを綺羅々(きらきら)と反射している。
 左から右に流れるような前髪は、右目の上から流れのまま跳ねていた。前髪を透かして覗く、半開きで眠たげな大きめの瞳は目が覚める緋色である。透けるような、まるで水晶の輝きを持っているような肌。それだけなら美しいだけなのだが、口唇(くちびる)から覗く八重歯が年齢よりも大人びた少女を幼くも見せ、醸し出すあどけなさが同居する麗質を引き立てている。

「おはよー、旦那様? ゴハンにしんす? お風呂にしんす? エリナにしんす? エリナにしんす? そ・れ・と・も……エ・リ・ナ?」
「飯以外お断りだ、馬鹿娘」

 人差し指を咥えながら、人の体の上でくねくねと蠢く娘に対し、嘆息気味に応える父親の図である。これもどうせローツから教わったのだろう。実に余計な真似しかしないオカマである。このまま色々と残念かつ間違ったアドバイスを間に受けて、変態に育ちはするまいか。不安が胸中から横溢しつつあるパイソンは、改めて自身の上で創作ダンスに勤しんでいる娘を見やる。まごうことなきアレな姿に不安が諦めへと変わった。

 ……変態だった。

「あと、その服どうした?」
「ローさんにもらいんした」
「馬子にも衣裳だな」

 娘――エリナは、最新モードの黒を基調としたヴィクトリアンメイド風の装いをしていた。銀髪に映える、レース仕立てのエプロンドレス姿の少女は、性格や態度はともかく、必ずしもパイソンの(げん)通りではない。

「旦那様はまことにツンデレでありんすね。愛らしいなら愛らしい、抱きしめたいなら抱きしめたいと素直に言んせんか。吸血鬼さえもお断りする、タバコ漬けのまずい血のおっさんは」
「…………」

 正直、素直に褒めると調子に乗る事は想像に難くないだけに、閉口せざるを得ない。

「おはようございます」

 そんなやり取りの間に手早く着替えを済ませた神門が、二人に朝の挨拶をした。パイソンはこれ僥倖といった表情、エリナは邪魔が入ったと渋い表情――もっとも、彼女の表情の変化は乏しいので分かりづらいのだが――で出迎える。

「……おう」
「……おはよぅ」

 苦笑いしつつ、応じるパイソン。エリナは目を細めつつ、少々憮然とした色が見える鷹揚で応える。

 時計を見れば、まだ事務所の営業時間より一時間ほど早い。出入り口付近に備えられている来客用のテーブルには、三つの食膳が鎮座しており、焼き魚、豆腐、味噌汁に玄米と秋津食の定番に加え、それぞれ、珈琲とほうじ茶とブラッドオレンジジュースが置かれていた。

 当然、先ほどまで寝入っていた男二人の仕業ではない。男二人が意識を手放している間に、起きていた誰かが用意していたのだ。個性的な娘だが、一通りの家事はできる。不精者の父が家事などするわけがないので、当然と言えば当然なのだが。

 二人の家族と居候一人が席につき、食事を開始する。神門の玄天街での一日が始まったのだ。


 * * *



 玄天街六番街の飛海(フェイハイ)解放戦線の本部は、かつて廃棄された地下鉄の駅舎を改装したものだ。

 元は、駅長室か何かだったのだろうそこは、今は飛海解放戦線の王にして玄天街六番街の王、ボブ・ホークの寝室に供されている。暗い寝室に、亡霊よろしく白く浮かび上がっているのは、高品質のジェルベッドだ。ジェルベッドから身を起こし、昨夜の作戦の折に手にしたデータの解析報告を聞いたボブはほくそ笑んだ。

「――ほう」

 今まで手に入れられなかった、秘中の秘(トップシークレット)のデータを手に入れたのだ。ただ、内容は不可解に過ぎた。どう考えても、太義(タイシー)義体公司の業務に関するモノとは思えないのだ。
 手にした資料は、解析されたデータにあった画像と補足説明が印刷されたものだ。画像のデータは随所随所欠損していたらしいが、不鮮明ながらも何らかの装置群に囚われた銀の乙女の姿を映していた。

 そもそも、何故、ボブ・ホークは飛海解放戦線など似合わない役を演じているのであろうか。

 ボブは飛海城の前身である、軌道エレベーター基部の閉鎖型環境都市(アーコロジー)の建設に携わっていた。

今は飛海城と呼ばれるアーコロジーは建設時、政治犯や凶悪犯さえ建設の用に使っていた。
当時、日中は政府から雇われた正規の建築業者や技術者が専門的或いは高度な作業を進める一方、夜間はそれら犯罪者を単純な肉体作業に割り振っていた。

 彼はその時代の犯罪者側のリーダーであった。
 当時から、ボブは無頼の気性を持ち合わせており、その性質は日の当たらぬ薄闇で密やかに発揮していた。作業機械や建設資材の横流しは勿論の事、偶然残っていた昼間作業員を拉致、男色の輩の生贄に供した。

そうして、ボブ・ホークは膿んだ金で私腹を肥やす日々を送っていた。
 飛海城が飛海寨城として完成する以前より、寄生虫か癌細胞の如く内に潜み、跳梁跋扈の限りを尽くした彼こそ、ある意味で玄天街の申し子とも言えよう。
 そして、戦火による計画放棄で廃墟になった閉鎖型環境都市が太義義体公司に買い取られ、飛海城へとなり、その腐敗や老廃物を啜って玄天街が誕生した。

 その太義義体公司がボブは、単純に気に入らないのだ。己が作り上げた――少なくとも、彼本人は己で作り上げたと自負がある、いずれ天に届いたはずの楼閣と城下町。
 だが、それらは横から掠め取った輩が棲み着き、今や飛海城の王を気取っている。

 許せるのか。否、許してはおけない。自分こそ、この街の主なのだ。その一点だけでボブは飛海解放戦線を立ち上げた。

 玄天街に棲む魑魅魍魎――悪逆の徒たちは、少なからず太義義体公司を憎んでいる。憎悪の原動が正しい憤りか、単なる逆恨みかはさておいて、だ。

 飛海解放戦線――自ら組織しておきながら、その名にボブ・ホークはせせら嗤う。耳障りの良いお題目を組織名にしただけに過ぎぬ。内実を知った者は眉を顰めるのも当然だ。 ボブを筆頭に、無頼者がレジスタンスを気取っているだけにすぎないのだ。
 しかし、彼らの太義義体公司に対する憎しみだけは本物だ。

ボブ・ホークは彼にとって、それが未知の世界の出来事でも、太義義体公司を転覆させるに足る物であるならばなんでも利用するつもりであったし、これまでもそうしてきた。
 そして、此度も玄天街の闇の王は野性動物もかくやといった勘で手にしたデータこそ、それに足る存在であると直感的に察していた。

 ボブ・ホークの背中には蚊食鳥(こうもり)の翼が文身されている。彼の飽きなき上昇意識を反映してか、ボブが心躍らせた時、彼の癖で肩甲骨が動き、あたかも羽撃いてるようにも見えるのだ。

 この時、ボブの寝室に報告に来た部下も見た。怪異なる翼を持つ彼らの王が喜悦にその羽を震えているのを。話には聞いていた部下も実際に目の当たりにしたのは初めてだった。それは、主の感情とは裏腹に、周囲に災厄を撒き散らす前兆に思えた。まるで蝙蝠の翼から疫病の種が瀰漫していくような……。

 ――じゃらり。

 部下の動揺を感じ取ったかのように、暗がりの奥から、金属が擦れる音がした。いい加減、闇目にも慣れてきた部下は、音の正体が寝室の奥にある人籠に飼われた少女の左足首の足錠の鎖の音と悟った。
 部下と同じよう、若しくはそれ以上に、ボブの翼が震える(さま)を目にし、身を竦めたのだ。無理もなかろう。災禍の最初の犠牲者となるのは、おそらく彼女だろう事は明白なのだから。

「ハハハッ!」

 堰を切ったかのように噴きでた喜悦はやがて呵呵大笑(かかたいしょう)へと変化し、寝室を谺するそれは彼が飽くまで続いていた。 

 

亡霊

 昼過ぎになり、神門が自警団の仕事へ出かけていくと、パイソンとエリナの親子は事務所の地下ガレージに鎮座したコンピュータ端末の前へと赴いた。ガレージは、端末と布をかぶった機械装置と思しき物体以外には何も無いが、この二つの物体だけで、広いとはいえない敷地は支配されていた。

 脳内チップによる情報処理が最早珍しいものでもなくなった現代においてなお、パイソンは旧式の情報処理端末を信頼していた。
 むしろ、脳内チップを完全に使いこなすには、機械式の情報処理端末との連携が肝要なのだ。脳内チップが齎す利便性の前では機械式情報処理端末は足元にも及ばないだろう。だが、脳内チップは人間の脳に直接埋め込まれている。

 侵攻没入者(ダイブクラッカー)による直接攻撃や対侵入者駆逐電子白血球(Anti-intruder eXpulsion Electronic Leukocyte)――略してAXEL(アクセル)による攻勢防御や、致死性電子トラップといったものに極めて()()。実際、それが原因で致死量の情報に晒されて廃人と化す者は後を絶たない。
 だからこそ、突っ込んだ事(クライムハッキング)に使うのなら、少々不便だろうが、すべからく機械式情報処理端末に連結する(つなぐ)べきなのだ。

 そもそもパイソンの脳にチップは埋め込まれていない。通話の為にわざわざ携帯情報端末(PDA)の通話アプリケーションを使用していたのは、そのためだ。
 脳内チップは、新生児の段階で埋設しなければ『脳内チップの使用法』を脳が学習しない。生まれながらに目を盲いている者が、外科的手段で視覚を獲得しても、結局のところ色境を持て余すことになる。脳が『視界という感覚がない世界観』で完成してしまっているので、後付けの感覚に頭脳が対応しきれないのだ。それは義体処置者(サイボーグ)にしても同様だ。既知の感覚の延長線上を『後付け』で増やす事は出来ても、元から無い感覚を増築する事は叶わない。

 パイソン・プレストンは『脳内チップによる恩恵を預かっていない時代』の人間である。従って、彼自身は例え脳にチップを設置しても、使用は叶わない。

 この情報端末の脳内チップリンク装置は、娘であるエリナに用意されたものだ。脳内チップ処置者が直接リンクするために使用するステージにエリナが立つ。

 彼女の立つ場所は人一人が立てる程度の広さしかない。
 ジョイントステージを介した接続――ジョイントリンクと呼ぶのだが、それはステージ毎に単独で使用しなければならない。何故ならば、ジョイントステージ一台に対し、複数人が使用するとリンクが混線し、脳内チップの完全没入(フルダイブアクセス)に悪影響を与える。
 その為、一つ一つのジョイントステージにジョイントリンク直前に使用者チップIDを登録し、万が一にもジョイントステージに複数人が立っても、使用時登録したチップID以外はリンクしないよう防護機構が備わっている。

 今回は電算空間に意識を預ける完全没入の必要はない。神門が乗っていたサイクロップスを追跡したデータの解析結果を抜き出すだけならば、通常のリンクアクセスだけで事は足りる。

 ジョイントリンクを開始すると、ステージに立ったエリナの周りを囲む形でオレンジ色の光がグリッドを作り出し、四角い空間投影(エア)ウインドウが螺旋を描いて踊り出す。だが、ジョイントステージに立っている娘を見上げているパイソンの単眼には映ってはいない。それらは、拡張(A)現実(R)化された――つまり、エリナの脳内チップが視神経に直接作用して見せる虚構のイメージであるからだ。
 仮にパイソンが脳内チップ保有者であったならば、チップの設定――エリナが第三者の閲覧を許可、及びパイソンが閲覧許可されたモニターを見えるよう設定した場合――次第で見えたのだろうが。

 エリナは躍るようにデータアクセス、すぐさまそれらの解析を行う。
 エリナの脳内チップとリンクした据置式電脳処理システムが、単体の二倍以上に加速した情報処理速度で、データを精査していく。処理速度の程を知らしめて、銀髪の少女を囲むモニター群は目に捉えきれない速度で連環し、最早、光の帯となって、さながらエリナを惑星として幾重にも束ねられた()の様相を(てい)している。
 エリナも、既に動体視力を超えて()と化したモニター群を見てはいない。高速演算を行う脳内チップはエリナの命令通りに着々と処理されている様を、頭に響く独特の感触で感じているのだ。こればかりは、脳内チップ保有者でないと分からない感覚だろう。

 処理は五分ほど続いたか。処理整理されたデータは3D処理されて情報端末に蓄えられた。

「――ふう」
「ご苦労」

 ジョイントステージから降り立ったエリナは、パイソンに撓垂れかかった。エリナは煙草を吸っていない父の匂いが好きだった。
 匂い――嗅覚は、記憶の想起と特段に結びつきが強いといわれている。プルースト効果により、少女の意識は一瞬にして父と出会った、そして親子となった日へと旅立つ。無精髭は剃らず、言っても煙草をやめず、仕事も隙を見てはサボろうとする……と悪い面を数えれば切りがない。
 しかし、エリナはパイソンという男に全幅の信頼と愛情を傾けていた。

 面倒そうなしかめっ面を変えないパイソンではあるが、隻眼がいつになく優しく見えるのはエリナの見る幻ではあるまい。表情の変化に乏しい少女だが、今は日頃ほぼ一定に保っている顔筋を弛緩させ、まるで人懐っこい猫のような有様だ。

「エリナ疲れんした。ごほうびにせっぷんをしておくんなんし」
「…………はあ。目閉じろ」
「……んっ」

 素直に目を閉じる娘に、ヨコスカジャンパーのポケットから玄天街には滅多に入ってこないガナッシュを取り出すと、そのすぼめた口に突っ込んだ。

「……甘い」

 希望の行為(もの)ではなかったがエリナは満足した様子で、一口大のガナッシュを口中で転がす。薄く笑んだ口元がなんとも愛らしい。丸いガナッシュは、クーベルチュール・チョコレイトでコーティングされたトリュフ・チョコレイトだ。明らかな高級品で、保存期間もそれほど長くない。玄天街で一個手に入れるだけでも至難の業であろう。

 ガナッシュを味わう為、それきり黙ってしまった少女を尻目に画面を覗き込んだパイソン。そこには、昨夜の神門が乗っていたサイクロップスの3Dデータが表示されていた。
 映像は、監視カメラの視点不足箇所を補完し、昨夜の激闘を再現していた。データ上のものとはいえ、緻密に再現された3Dデータの躍動感は真に迫ったものがあり、無機質な電子情報であるにも関らず、視覚に生々しさを訴えかけてくる。

「巧いな。年齢(とし)を考えると驚異的と言ってもいい」

 稲妻状のダッシュの切り返しの多さ、旋回時の回転半径も最小に近い、爆斬鉈(ばくざんしゃ)の扱いも堂に入っている。MBの蹴りを実戦で使用するなど、高等技術にも程がある。
 が、言ってしまえば()()()()だ。MBや通常兵器に対する戦闘ではまず遅れをとる事はあるまい。あくまで、そのレベルまでは。

 パイソンは――半ば分りきっていた事ではあったが、結論づけた。龍神神門はノスフェラトゥではない。ノスフェラトゥ部隊に迫る実力はある。しかし、ノスフェラトゥに不可欠な、()()技能が神門には足りない。

 それは――。

 未だ口の中でガナッシュが残っているのか、甘さと少しの渋みの絶妙なコラボレーションを楽しんでいる娘が、ふと視界に入った。その姿に、パイソンの無粋な考えは霧散した。

 ――警戒しすぎ……だったな。

 そう。エリナがここにいる以上、神門がノスフェラトゥとは考えられないのだ。益体のない考えを自嘲して薄く口元を緩ませると、パイソンはモニターを切った。 

 

取引

「ぁあ? 呑めるか、そんなもん!」

 ボブ・ホークが苛立った心のまま投げた酒の入ったグラスが、亜音速域で部屋を横断する。グラスが壁に至るまでに大気との擦過で蒸発し、焦げたアルコールの芳香が辺りに充満した。そして、グラス自体も途中で破裂したようで、散弾のように細かいガラス片が対面の壁に突き刺さっている。
 彼が侍らせている愛妾の少女は、突然の主の激高に身体を戦慄かせている。

 対面にいるのは、ローツ・パトリシア・キャリコと、その護衛にして秘書である(リー)である。角度的にローツに累が及ぶ可能性はなかったのだが、優秀な護衛は己の体躯を楯にして、主の前に出ている。ボブ・ホークとの、火薬が発火しそうな一触即発の重圧が室内を包み込む。

 だが、流石は七番街の顔役といったところだろう。ローツは火薬庫で紫煙を嗜みつつ、飄々とした態度を変えようとしない。

「六万天円(ティエンイェン)、相場の倍以上相当の何が気に食わないの?」

 驚くべき事に、ローツは神門に託された金額に加え、更に自らの資産から増額していたのだ。これには、少女の気品からくる麗しさと仕草を直で見て、華翆館(かすいかん)の新たな遊女としての期待が込められている。だが、常では考えられぬほどの好条件にも関らず、ボブ・ホークは首を縦に振るどころか蹴返し、悪い冗談であるかのように激高している。

「はぁ、あんた、そこまでお気に入りなのね。だけどね……。こちとらいい敵娼(あいかた)に育ちそうな素材をあんた一人のために潰されるのを黙って手をこまねいているほど、寝ぼけてはいないのよ」

 商売の上では上客であるが、玄天街を手に収める障害でもあるローツに、ボブがよい感情を持っているわけもない。()してや、ここまでランクの高い女を売り払う気など、ボブの心中にあるはずもない。

「寝ぼけたいなら、墓石の下で寝ぼけさせてやろうか? ァア?」

 ごきり……とボブ・ホークの関節が獰猛に吼える。相対する李は静謐ながらも、体躯が緊張感を保った弛緩を見せている。その姿は、スタンスは異なりながら、撃鉄による開放を焦がれ待つ銃弾に似ていた。

「じゃあ、あんた、次の作戦には神門ちゃんを使えなくてもいいのかしら?」

 ここ――ボブ・ホークの根城に来るまでに、ローツは華翆館の主ではないもう一つの顔……情報屋としての側面から、事前に情報を集めていたのだ。すると、ボブの手の者が武器や弾薬、MBパーツに義体パーツまで買い込んでいる事を突き止めた。しかも、その量たるや、先日の襲撃の比ではない。正式軍の一個小隊と正面から事を構えられる武装を揃えているのだ。

 自然、帰するところは明々白々、近い将来に大きな作戦があるという事他ならない。
 そうなれば、凄腕MBライダーである神門の存在は不可欠だろう。なんといっても、先日の作戦にしても単体であれ程の激闘を生還せしめた手並みは、そうそう真似できるものではない。

「あいつは、パイソンの処にいてる。お前には関係ない」
「フフッ、あいつが承諾するかしらね。結構義理堅いところあるからね。娘の世話をしている私。あんた。さて、パイソン・プレストンははたしてどちらの顔を立てるでしょうか?」
「――チッ!」

 そもそも、基本的に六番街と七番街の住民は反目し合っているといっていい。事務所と居を七番街に構えるパイソンがどちらを取るか……考えるまでもないだろう。

 その時、ボブ・ホークの野性的の嗅覚が、えも言われぬ何かを嗅ぎ取った。

「なら、その六万天円と、あのミカドだったか? ――野郎が今予定している作戦に参加して生き残れたら……どうだ? その報酬にこいつをくれてやる」
「――ふぅん?」

 当然ながら、ローツは神門の依頼で人籠の少女を買い取ろうとしている事は、口説どころか態度にも出していない。ならば、どうして、そのような条件を付けたのか。

 ボブ・ホーク自身とて、何故自分がこのような条件を付けたのか、説明する事ができない。ボブは自身が一番信頼している、己の野生からの囁きに従っているだけなのだから。

「でも、それだと神門くんは報酬なしで死地に赴く事にならない?」
「じゃあ、この話はなしだな」

 すげなく言い放つと、ローツはしばし考えて結論づけた。

「オッケー。じゃあ、先行投資という事で、彼の報酬はこちらから払いましょう。まあ、これだけの別嬪さんなら、あとからお釣りが来るでしょ」

 そう言うと、用は済んだとばかりにローツは立ち去ろうとする。流血沙汰を避け、なんとか落としどころを見つけた。ローツ自身としては、うまくいけば将来有望な遊女を三万天円弱で一人買い受けできるとなれば、悪い取引ではない。

 扉の向こうへと消えようとしているローツと李の背中に、獣の王(ボブ・ホーク)は冷やかに嘲る。

「奴が本当に生きて帰れると思うのか?」 

 

気配

 ローツ・パトリシア・キャリコとボブ・ホークの取引より一週間後の午前二時。夜闇に紛れ、夜戦仕様の迷彩にペイントされたトレーラーが砂埃を蹴散らせながら走っていた。

 コンテナを平ボディー型のMBトランスポーターへと換装されていたが、先の作戦で使用した車輌と同じトレーラーである。
 MBトランスポーターには、同じく灰色と黒の夜戦仕様のカムフラージュパターンを施された布に包まれて、MBが一台眠っていた。

 今宵は、双子月も姿を隠す新月であるのだが、フロントライトは一切の光さえも放っていない。だが、MB運搬トレーラーには暗視装置(ノクトビジョン)が搭載されており、ヘッドアップディスプレイ(HUD)がその映像をリアルタイムで投影し、かそけき星灯りでさえ走行の妨げとはならない。

 飛海(フェイハイ)城、並びに玄天街の周りは、円形のクレーターが先の戦争の爆撃の名残として点在する荒野が広がっており、原生動物や野党の群れが獲物を求めて遊弋しているのだが、流石に軍の払い下げ品のステルストレーラーだけあって、彼らの悉くが潜匿された存在を見知えず、平穏そのものな行程である。

 トレーラーは飛海城と別都市をつなげる高架線路の下にある、作戦開始ポイントを目指して走っている。玄天街を離れた時から高架線路の下を通ってもよいのだが、その場合、高架線路付近を根城にしている野党どもの襲撃に会いやすい。
 彼らの装備は下手なテロリストをも凌駕している。いくらステルス性に優れたトレーラーでも、お目こぼしをいただけるはずもない。従って、作戦開始ポイントまでは高架から少し距離を取っていたのだ。

「そろそろ到着だな」

 運転席のパイソンが助手席の神門に告げる。無言で首肯すると、神門は後部ハッチを開けた。冷ややかな夜風が入り込み、車内の空気を攪拌する。

 迷彩シートの隙間からサイクロップスの狭隘な操縦席に滑り込むと、認識票(ドッグタグ)を操縦桿中央のスロットに差し込み、ヘッドギア付きフルフェイスヘルメットをかぶる。
 低い動作音が響くと共に、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)にOSの起動画面が移り、続いてサイクロップスのカメラアイを通して、天幕に切り取られた星空が見える。

『到着だ』

 ヘルメットの無線からパイソンの声が聞こえたと同時に、進行方向へ身体が持っていかれる。目標地点に到着し、トレーラーが停車したのだ。

 そこには、危峰のようにそそり立つ長城があった。これが高架線路と一見しただけで看破しうる者がいるのかどうか。単純な造りながら、首を上に傾けなければ頂上が見えぬと言えば、高さの程が理解できるであろうか。

 MBトランスポーターはカタパルトの機能も有している。ケイジをカタパルトデッキにし、固定したMBを打ち出して、MB単体では到達できない高所、またはMBの高速展開を可能としているのだ。言うに及ばず、今回の目的は前者だ。
 トランスポーターがはしご車よろしく、ゆるゆるとレイルを頂上の更に上空へと定める。レイルの先に仕掛けられたカメラを通して、パイソンは狙いを定める。

「神門……」

 狙撃手が銃爪を絞り込むかのように、スタートボタンを押し込む。
 神門の網膜に投影された画面がカウントダウンを三からスタートさせる。二……一……。

「死ぬなら借り返してからにしろよ」

 〇……。

 ……バチンッと電圧が爆ぜ、電磁式カタパルトは大気を焼きつつ、機械仕掛けの単眼の巨兵を空へ打ち上げた。

「――っぐう!」

 後ろに叩きつけられるかのようなGに、我知らず、くぐもった声が漏れる。

 ケイジから飛び出てきたサイクロップス。車輌に纏わせていた都市迷彩シートが打ちのめす大気の圧力に負けて剥ぎ取られた。
 現れた単眼の機械兵は、戦車やMBのスクラップから寄せ集めた装甲板をボルトで(リベット)継ぎ手で繋ぎ合わせた無骨な――おそらくは、元々の装甲板の色味だろう煉瓦色の鎧を着込み、色味も相まって峨々(がが)たる要塞の威容を誇る。
 遠間からは人型ではなく、モザイク状の凹凸を持つ錆びた鉄塊にしか見えぬのではなかろうか。

 カタパルトによる加速で狭まった視野が、先程まで仰ぎ見ていた危峰を眼下に捉えた。そう知った瞬間、操縦桿の上部トリガーを引く。甲冑の隙間――本来のサイクロップスの左肩部に当たる部分に仕掛けられたワイヤーウインチが作動し、線路上に突き刺さる。
 続いて、踵で(あぶみ)後方のレバーを蹴ると車体上部から落下傘が開き、同時に後部の底から炎が迸り、落下速度を致命的なものから緩やかなそれへと落としていく。
 やがて、長城に降り立つ頃には羽毛が舞い落ちるほどの軽さで、余裕をもって着地した。

 高架線路に舞い降りたMBは、見れば見るほど、先日のサイクロップスと同型機とは思えぬ姿をしていた。

 バックパックのハードポイントには義血の詰まった増槽と16連ミサイルポッドを装備、左腰部のハードポイントには鞘に収められた爆斬鉈(ばくざんしゃ)とその弾倉、右腰部ハードポイントには焼け焦げた黒い砲身も禍々しい無骨なカノン砲を装備していた。
 腕部ハードポイントにも重火器。左は銃身を切り詰めて取り回しを良くした回転式機関(ガトリング)砲、右には回転チャンバー式の擲弾筒(グレネードランチャー)
 肥大化した脚部は、片脚一基ずつのホバーブレイドを片脚二基に増設し、重量過多で落ちた機動性を力ずくで強化している。機動性は確保されたろうが、反面、操縦性については劣悪の一言に尽きよう。装甲板の塊を剥がない限りは、充分な回避能力や旋回性など望むべくもない。
 更に異様なのは、車体後部に接続されたMBブースターユニットだ。牽引物にも見えなくもないそれは、このカスタムMBに似たトライクを思わせる印象を与えている。

 長城の上には二条の堀。深さはサイクロップスの腰程で、両際に底まで届く正方形ブロック状のタイルが()てまで並んでいる。
 磁気浮上式線路(リニアレイル)だ。サイクロップスが磁気浮上式線路へと降り立つと、MBブースターユニットの両端から樹脂製のタイヤの付いた滑車が引き出され、両際の電磁石タイルへと合わせる。

 ホバーブレイドを作動させると、サイクロップスが即席の磁気浮上式列車(リニアモーターカー)と化して、重力を裏切り、大気を踏む。そのまま操縦桿上部のトラックボールを神門が押し込めば、途端、MBブースターユニット後部から放たれた、指向性を与えられた爆発で加速、発車した。

 MBの車内に満ちる、大気の見えざる手に押し込まれた鋼鉄が軋む音を聴きながら、神門は前方を見据える。
 目指す目標にはすぐに追いついた。貨物車輛を連結した磁気浮上式列車だ。旧時代の車輪型列車を磁気浮上式《リニア》仕様に改修した物のようで、その影響か、磁気浮上式列車であるわりにそれほど運行速度は高くない。

速度を調整しつつ、最後尾の貨物車輛へと右肩部のワイヤーウインチを打ち込む。ワイヤーウインチの先端は用途により交換できる仕様だ。
 左肩ワイヤーウインチは鋭い鏃を備えているが、右肩部のそれは吸盤型であり、打ち込んだ対象に破損や衝撃を与える事ない使用が可能だ。
 狙い能わずワイヤーウインチが貨物車輛とサイクロップスに橋渡しをすると、神門はフェイスガードに仕掛けられた無線通信機能でエリナに連絡する。

「接続完了」
『はいはーい、併走開始』 

 低血圧そうな声が骨振動スピーカーを通して応答すると同時に、不愉快な振動を続けていたサイクロップスが、根を生やした安定感の支配下に置かれた。この人の手には余る無謬さこそ自動運転の妙だろう。完全没入(フルダイブアクセス)したエリナにより電脳空間から送り込まれる情報を逐一反映し、サイクロップスは前方の磁気浮上式列車に付随している。 

 

青龍門

 飛海(フェイハイ)寨城の閉鎖型環境都市(アーコロジー)は外殻を衛星軌道のように取り巻く環状線がある。
 そこから東西南北にある門扉により内部へ入れる構造となっており、これを覗けば外部と内部の連絡手段は、廃棄軌道エレベーター大仙楼の頂上を改良したヘリポート以外は存在しない。

 先日の作戦では外殻の周りのステーションから襲撃したのだが、今回は閉鎖型環境都市内へ踏み込む一大作戦である。

 手に入れた情報には、東側門扉――青龍門――のパスワードに関するデータも含まれていた。どうやら、義血を青龍門から内部へと輸送するつもりだったらしい。
 擬似乱数で更新されるパスワードに加え、物理的ロックを掻い潜らなければならない門扉(ゲート)は未だ破られた事はない。
 そもそも、この門扉自体がシェルター用の強固なもので、物理的破壊手段でさえも、まともに破壊することは難しいだろう。
 手に入った情報は明日までの青龍門のパスワードの擬似乱数計算式が記録されていた。残るは物理的ロックを外す手段である。

 作戦決行までのタイムスケジュールで見ると、チャンスは一度、今晩青龍門から飛海寨城へ入る予定の貨物磁気浮上式列車(リニアモーターカー)しかなかった。

 サイクロップスで門扉まで入り込み、物理的ロックを外し、その後、陽動へと移行。当然、それまで相手が黙っているわけもない。
 現在、サイクロップスの存在はエリナのクラッキングによりオートメイションシステム上は隠匿されているが、それも作戦が動けば白日の下に晒される。
 神門にとって決死の作戦と言っていい。

 既に賽は投げられている。あとは死ぬか生きるか賽の目次第の大博打だ。

 やがて、青龍門が見えてきた。
 貨物車輛の後方のサイクロップスは外観からは一目瞭然なのだが、深夜ともあって完全に無人となった駅構内に見咎める者などいない。
 無人化されたシステム群は透明になったサイクロップスの存在に気づくことなく、青龍門の門扉を開いた。青龍門は二重の門となっており、外殻の外周と内周にそれぞれ備わっているようだ。

 そのまま磁気浮上式列車と併走し、閉鎖型環境都市内に侵入した。視界に飛び込んできた飛海城内部は、美しい光の渦が夜を忘れたと言わんばかりに瞬き、煌びやかな布細工にも見える。玄天街六番街とは規模からして比較にもならない。

 磁気浮上式列車は外郭の内縁を描くレイルに沿って進む。青龍門を抜けた後に閉鎖型環境都市内の最寄駅へと移動するのだろう。神門は、ワイヤウインチを回収し磁気浮上式列車と袂を分かった。

『内部ロックの座標情報をナビゲーションに表示しんした』

 電磁的に再現されたエリナの声が届くと同時に、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)にナビマップが表示された。

『それと……見つかりんした』

 耳を劈くアラームの音が鳴り響く。

「……のようだ」

 ナビによると、元来た道を多少戻らねばならないらしい。後方を振り返った神門の視線は、早速邏卒(らそつ)と思われるMBが数台迫ってきたのを捉えていた。流石に、閉鎖型環境都市内部ともなれば素早い対応だ。

 MBブースターユニットの燃料は、まだもう少し持ちそうだ。そうと分かるや否や、ホバーブレイドを開放――一気に距離を詰め、両手の回転式機関(ガトリング)砲とグレネードランチャーが凶悪な呀もつ獣の咆哮を上げる。

 敵MBの銃撃がまさに砲煙弾雨となって、神門のサイクロップスに降り注ぐが、操作性を犠牲に手に入れた城壁じみた装甲を剥がしはできない。
 むしろ、過剰に過剰を重ねた武装を備えたサイクロップスが一台とは思えぬ弾幕を吐き出し、数台で展開したはずの敵MBが途端に劣勢になり、瞬く間に数を減らす。

 装甲を剥ぎ、そのまま突き刺さらんとするガトリング砲の銃弾と、装甲はおろか、内部に至るまで徹底的に破壊せしめんと爆ぜるグレネード。
 身に収まりきれぬほどの火薬の群れを搭載したサイクロップスは、火産霊(ほむすび)の化身であろうか。モザイクじみた煉瓦色の装甲は、燃ゆる(ほむら)が形を成したものか。

 数瞬後、残り一台になった頃にはサイクロップスが目の前に迫っていた。残る一台は軽量系MBピクシー、サイクロップスの一回り小さいボディの高旋回力と、車体価格の低さが特徴の車種だ。

 だが、いくらピクシーといえども、ここまで接近したサイクロップスを回避する事は叶わない。

 増加されたサイクロップスの車重を活かし、掬い上げるようにして撥ねた。
 哀れ、ピクシーは様々な部品と装甲の欠片を撒き散らしつつ、数メートル後方へと叩きつけられた。サイクロップスは一切の減速をせぬまま、ナビゲーションの指示に従って、入ってきた青龍門開口部へと向かう。

 開口部の上部から緊急用シャッターが降りてきていた。一度に限界までブースターの加圧を上げ、炎を纏った銃弾もかくやと突貫する。シートベルトが神門に食い込んだ。まるで穴から覗くが如く狭まった視界を、閉じかけた開口部一点へと集中する。

 シャッターが地に落ちたと共に鉄が拉げる悲鳴、そして一瞬遅れて爆音と炎の大華が咲いた。それは、サイクロップスの操縦席に座る神門に、背中を焼かれたかと一瞬錯覚を起こすほどの熱量を伝えてきた。

 爆発の正体はサイクロップス後方に接続していたブースターユニットが、シャッターの顎門(あぎと)に噛み砕かれ、血を吹き出したかのように炎を撒き散らした結果だ。
 ホバーブレイドの軌道に引きずられた赤い火炎が、暗い隧道(トンネル)に道を描くが如くに照らす。炎が煉獄に誘う揺らめく手を差し伸べてくるが、それを振り切って、サイクロップスはナビゲーションの指し示すがままに発進した。

 警戒しつつ隧道(トンネル)内を疾走していた神門だったが、来るべき殲滅戦(あらし)の前の凪か、敵機はまるで姿を見せない。見えぬ時間制限ありのタイムアタックといったところか。
 早々に物理ロックの解除を行わなければ、鋼鉄の処女(アイアンメイデン)に処された在任よろしく、全身に銃痕を刻まれるは確実だ。

 通常の二倍のホバーブレイドの出力で以て機動を見せるも、鈍重極まる装甲で車重を増したサイクロップスは、操作に対する反映速度がコンマ数秒乖離が見られる程に、劣悪に尽きた。そんな駄馬を御しつつ、神門は(はし)る。

 ナビゲーションにエスコートされ、ある地点で隧道(トンネル)の横穴へ入った神門とサイクロップスは、MB用のレバーが付いた物理ロックの前へと辿り着いた。

「目的地に到達」
『了解。パスワード開錠作業開始しんす。少ぅしばかりお待ちを』 

 

解錠

 プレストン探偵事務所のガレージに鎮座するジョイントステージに実体を預けて、エリナの意識は電脳空間の中を疾走していた。

 電脳空間上に存在する電子ロックの座標情報を探りつつ、網目を走るグリッドや仮想構造物の群れの隙間隙間を縫い、対侵入者(A)駆逐(X)電子(E)白血球(L)の妨害を掻い潜る。その速度は仮想現実とはいえ、人の域を遥かに超えている。

それもそのはず、今のエリナの姿は十代の少女のそれではなく、仮想義体――真珠の光沢を持つセラミックボディも麗しい人体模倣絡繰人形(マシンナリフィギュア)の姿であった。

 丸みがかった三角形と卵形の中間の瞳は、実体と同じ緋色に灯る。
 仮想単位上、実体に似た体型(スタイル)をした義体は三次元曲面で構成されており、無機質な質感に反して織り成す流線と曲面はなんとも艶かしい。
 前頭部には兎の耳じみた折れ曲がった太めの触覚、後頭部にエリナ本人の髪型(ポニーテイル)を模したと思しき、涙滴状のユニットを接続している。繊細な薔薇のレースアートが描かれたそれは、姿勢制御の機能を有しているのだろう。現実のエリナの後ろ髪よろしく、人体模倣絡繰人形の動きに合わせて、結わえた後ろ髪(バランサーユニット)が揺れている。

 電脳空間上の仮想化身(アバター)をエリナは通常、脳内チップの初期設定である実体の姿のままに設定している。
 だが、その姿では侵攻没入《ダイブクラック》に耐えられない。肉体は精神に支配され、また逆も然り。
 仮想現実とはいえ、肉体は十代の少女の姿では自ずと限界が訪れる。

 そこで別の姿(アバター)を用意しておき、有事の際に切り替えるのだ。

 仮想義体と呼ばれるアバターは、完全没入(フルダイブアクセス)を行う者に最早常識だ。
 現実よりも反応速度が早い仮想義体は、脳内チップの処理速度に慣れた者にとっては、肉体的機能限界がある現実の肉体よりも操りやすい。
 事実、エリナも生身より仮想義体の方が自分の思いのままに動かせる。

 生身はどうしても頭に描いた行動に追いついていかない。
 個人差はあれど、思った通りの場所へボールを投げるという行為も練習を必要とし、更にいつでも完璧に行えるとは限らない。
 だが、脳からの命令に完全付随するアバターであれば、イメージさえ完璧ならば、初めてでも完璧な結果を出せる。

 エリナの仮想義体は、実世界では到底不可能な精妙さと膂力を駆使し、イルミネーションに彩られた仮想の都市を趨り、跳び――前方に姿を現した|AXELの姿を認めた。

それは頭部に相当する部位がなく、猫科猛獣の靭やかさに亀の甲羅を纏わせた陰翳をもっていた。首の先にある、MBサイクロップスのカメラアイによく似たレイザー砲口が蒼光()を吹く。

だが、彼女の仮想義体――ホワイトラビットは、瞬く間に襲い来るレイザーの軌道を読んでいたとみえ、光線の脅威が訪れる一瞬前には猛威の埒外へと身を躍らせていた。

 その結果を、機械システム特有の無感情さで認めたAXELが敵の姿を捉え、第二射の体勢に移行する間に、ホワイトラビットは中空へと身体を翻していた。

 開いた両手にワイヤーが趨り、粒子が収束。果たして、銃の姿へと変貌した。現実世界では考えられない速度域で以って、狙いを定める。

 両者の立場――狙う者と狙われる者を入れ替えての、先ほどの再現。ただし、今度は結果が異なった。迸った蒼い光はAXELを焼き溶かしながら通り過ぎた。
 光の筋が辿った足跡に、AXELの()()(なか)に向こう側の景色が見えるほどに、見事な通り道が出来上がっていた。
 真空管に似た薬莢が地面に打ち鳴らされ、鏘然たる名残惜しげな音色を響かせると、それきり燐光に包まれて消失。
 仮想義体が構えていた銃も幻影だったと言わんばかりに、雲散霧消した。

 もう前方に敵性体は存在しない。あとは、一直線に駆けるのみ。
 仮想上とはいえ、基本的に物理法則に則した世界で、エリナは今や白い風だった。
 風は、ただ駆けるのみ。置き土産に、掻き乱され(ひず)んだ大気が入り込み、颶風となって吹き荒れるが、電子世界の高速妖精は瑣末な外界の事象など意中にない。妖精は妖精郷(こうそくりょういき)に棲むもの。

 何もかもを置き去りにして、ホワイトラビットは電子世界の鍵穴へと到達した。扉の代わりに巨大なシリンダーが円柱のように聳え、手前にシステムコンソールがある。電子錠を具象化したイメージだ。

 ちょうど、実世界で物理錠へと到達していた神門から、通信が入った。

『目的地に到達』
「了解。パスワード開錠作業開始しんす。少ぅしばかりお待ちを」

 コンソールに手を置くと、電子ロックシステムとエリナの脳内チップが情報処理端末を経由してリンク。
 同時、刻一刻と変化するパスワードの突破のため、手に入れた複雑怪奇な法則性に基づいて解析を行う。巨大なシリンダーが音もなく目にも止まらぬ速さで廻り、数百にも至る桁の一つ一つがめまぐるしく変化し、それぞれ開錠の文字を探り当てると止まっていく。

 それら全てが動きを止めるまで、実に三十秒ほど要した。シリンダーの回転が止まると、実世界のアナログ錠を開錠するような音がし、コンソールに文字が現れた。

 ――物理錠と同期して開錠を行ってください。残り9秒でパスワードは変更されます。
 ――開錠を行いますか?
 ――∨YES  NO

「パスワード開錠準備オウケイ。残り時間がないので、カウント5から始めんす」
『了解』


 * * *


 エリナの秒読みに合わせて物理錠のレバーを引くと、轟々とした重い音と共に青龍門の扉がゆっくりと開いた。

 外から跫音を響かせ、十幾人かの影法師が扉から入ってくる。

 淀んだか暗さの中だったが、サイクロップスのカメラアイで強化された神門の視覚野にはつぶさに映し出されている。
 暗視スコープとフード付きの対環境コートを纏った飛海(フェイハイ)解放戦線の面々だ。

 彼らの目的としているものが何なのか、神門は知らされていないし彼自身も興味はない。互いの無関心もあったが、それ以上に生還できるとは到底思えぬ、よくて捕われる運命が待ち受けているのが必定である神門に、わざわざ情報をくれてやる必要などどこにもないというボブ・ホークの意でもあった。

 この後の龍神神門の作戦内容は、先日と同じく陽動。ただし、前回よりもよりシビアな生存競争が待ち受けている。ここは、太羲(タイシー)義体公司の膝元、いわば総本山。
 当然、門より外と違い、正規軍と比べても見劣りしないほどの装備と練度をもった民間軍事会社(PMSCs)が警護にあたっている。
 思えば、先日の手練(てだれ)もその民間軍事会社《PMSCs》の社員だったのだろう。

 民間軍事会社白星軍(バイシンジュン)。太羲軍との俗称も名高い彼らは、太羲義体公司の子会社だ。太羲義体公司製の様々な商品を試験運用し、その試験データを親会社が反映、新たな商品を生み出す。まさに軍需産業の進化のサイクルの縮図と言えよう。

 神門は踵を返すと、再び閉鎖型環境都市(アーコロジー)内部へと車体を進めた。

 そろそろ自慢の爪牙を磨き上げた白星軍が、神門と飛海解放戦線に邀撃(ようげき)を開始する頃合だ。

『緊急速報。内殻側のシャッターを開くようでありんす』

 仮想空間から情報をリアルタイムで入手したのだろう、エリナの警告と同時に、神門は未だサイクロップスの脚に引きずられた炎がくゆるシャッター前に辿り着いた。

 先ほど、ブースターユニットを糧とした顎門(シャッター)が開く。

 光の砂を散らした閉鎖型環境都市内部の夜景が見えるや否や、それ以上に鮮烈な発火炎(マズルフラッシュ)が点滅し、施条(ライフリング)によるジャイロ効果にエスコートされた弾丸が坑内を駆け巡る。

「……ぅおっ!」

 肝を冷やす間もあればこそ、神門は先ほど目敏く見つけていた坑内の窪みまで後退し、そこの翳へ身を隠した。エリナの警告が功を奏し、先んじて退避した神門を見失った弾丸は隧道(トンネル)の闇に消えていった。

 坑内を縦横無尽に反射し、散々に聴覚を叩きのめした銃声も溜飲を下げたようで、今は耳鳴りがするほどの静寂に包まれている。しばらく出方を伺っていた神門の耳が、MBの駆動音と跫音を捉えた。

 ――三台!

 車種までは割り出せないが、発生源が三台のMBと看破すると、サイクロップスは窪みから身を踊り出し、先ほどの応酬とばかりに制圧射撃を行う。

 虚を突かれた三台のMBはなす術もなかった。

 一台目のピクシーは運悪く、狙いもそこそこに放たれた回転式機関(ガトリング)砲の粛清を受け、二台目のサイクロップスはワイヤーウインチの穂先に貫かれ、それぞれ爆散して果てた。

 最後のケンタウロスはなお悲惨だった。
 左半身に攻撃を任せつつ、神門のサイクロップスの右腕はカノン砲を構え、強烈な反動に備え、床にステークを打ち込む。
 ケンタウロスはマシンライフルを乱射していたが分厚い装甲に通ずるはずもなく、大口径の砲口のぽっかりと空いた闇を覗いた刹那――。ケンタウロスは砲弾に抉られていた。

 三台のMBを瞬く間に蹴散らした神門は、シャッターの開いた門扉を抜けた。再び、視覚に飛び込んでくる目にも綾な魔都の夜。

 青龍門を抜けると、空から降る殺気の氷点下の冷気を感じた神門は、無意識下でミサイルのトリガーに指をかける。
 それがMBをぶら下げたヘリと認めた神門の思考と乖離した意識が、照準を合わせてミサイルを開放させた。下知を与えられた火箭は炎の尾も猛々しく、主の命令通りヘリがぶら下げていたMBへと着弾した。
 MBと共に誘爆したヘリが毒々しい炎の大華と化し、魔都の夜に彩りを与える。

 エリナから齎された目的物の座標は大仙楼(だいせんろう)。神門は預かり知らぬ事ではあったが、奇しくも目的地はボブ・ホークと一致していた。

 各自の様々な思惑と共に、今晩、飛海寨城市は修羅の巷と化す。 

 

鬼笑

 大仙楼の社長室で豪奢なソファーに身を沈めながら、飛海(フェイハイ)寨城の王は王国に弓引く反逆者を見下ろしている。睥睨する魔都の夜景のところどころでちらちらと朱の炎がちらつく。

「お呼びですか、メルドリッサ査察官」

 王の背後で、少年と思しき声が響いた。

 白星軍(バイシンジュン)のマーキングの入ったMBライダースーツに身を包んだ、くすんだ金髪の少年だ。
 この少年、機化(ハードブーステッド)処置を施されていない生身と見せかけて、その実、尋常な身の上ではない。MBを始めとする騎乗兵器の適性を遺伝子レベルで高めた、兵器システム化された被造子(デザイナーズチャイルド)である。

「貴公には、彼女の警護にあたってもらう」

 臣下に命を与えるメルドリッサの口調は、己の王国が焼かれているとは思えぬほど優しげだ。

「という事は?」
「左様。今宵、龍神神門がここに来る」
「――くはっ」

 何が可笑しいのか、心底愉しそうに嗤う少年を一顧だにせず、王は小さく嘆息する。

「そんなに、彼が憎いかね?」
「当然です」

 急に笑いを止め、少年は剥き出しの殺気をまだ姿を顕さない神門へと叩きつける。歪ませた端正な相貌(かお)が、悪意に染まり爛々と光る双眼が、今にも蠢きそうな逆立った金髪が殺気の程を雄弁に物語っている。

「奴を始末して、僕こそが次代の神の座に坐する者となる。それを証明してやりますよ」

 そう嘯くと社長室を出ようとする少年を、魔都の王が呼び止めた。

「ジラ・ハドゥ。貴公に合わせて用意したMBを用意してある。是非使い給え」
「ありがとうございます」
「ああ、それから。――エレベーターは何があっても破壊しないように、な」

 少年――ジラはメルドリッサに一礼すると退室した。

 メルドリッサ手ずから調整したジラは独立戦闘ユニットとして技術的に完成していると断言できる。
 反応速度、肉体的頑強さ――なによりも殺人を厭わぬ精神性所以の殺傷技術は熟練の手合いにも劣らぬ鬼才の(わざ)といえよう。戦闘経験こそ少ないものの、あまりにも逸脱しすぎた才は従来のMBでは到底活かしきれず、ジラが歯がゆい思いを抱いていたのはメルドリッサも承知の事だ。
 だからこそ、今回、データ収取も兼ねて専用機を用意していた。

 社長室を退出し、MBドッグに用意された車体を見たジラは、口笛を鳴らした。

 MBらしかぬ流線で構成されたデザイン。匂い立つ雰囲気は洗練されていながらも兇暴さを隠そうともしない、まるで肉食昆虫の冷淡さ。胸

 部装甲にある衝角(ラム)がそう思わせるのだろうか。カメラアイも現行モデルとは異なる複眼仕様、大きさが異なる両眼(ツインアイ)が二眼レフカメラのように上下に連なっている。右腕は巨大な爪牙(クロウバイト)となっており、左腕にはマシンキャノン、とMBには珍しい固定武装が採用されている。

 MBオドナータ。艶めいた蒼い車体は、いざ戦闘となれば迷彩効果など望むべくもないが、そんな外連(けれん)さえ高揚沸き立つジラには愛おしい。

 真新しい匂いの前傾姿勢型のシートを跨ぎ、操縦桿を握り締めると、己の為だけ存在するMBが自分の身体の延長のように、自分がMBの身体の一部のようにさえ感じる。それだけで、ジラはオドナータが自分のライディングに充分耐え切れる珠玉の車輌である事を確信した。
 確かに、専用と銘打っているだけはある。ジラのスペックをここまで活かしきれるMBは現状存在しないだろう。武者震いに鳥肌が止まらない。もはや恋情にさえ似た疼きが全身に染みる。

「さて……行こうかァ?」

 舌舐めずりをしながら、天井面から伸びたケーブルと連結したヘッドマウントディスプレイ(HMD)搭載のヘッドギアを装着する。
 認識票(ドッグタグ)をスロットに差し込めば、速やかにOS(基本ソフト)が立ち上がり、MBカメラアイが捉えた映像が送り込まれた。
 (あぶみ)を蹴ると獰悪な加速力に裏打ちされた圧力が、身体を置き去りにしようとする。シートを腿で挟み込みGに耐えながら、ジラは哄笑していた。

 いける。こいつは自分という乗り手をずっと待っていた。

 残虐無比な戦闘昆虫が今、戦場へと飛来する。その(はね)が、その複眼()が、その衝角(つの)が、獲物《にく》を求めている。

 一陣と風となり、仄暗い大仙楼の通路を趨るジラは、いつしか、飛海(フェイハイ)解放戦線の義体処置者(サイボーグ)を蹴散らし、穿ち、文字通り蹂躙していた自分に気がついた。
 蒼い車体に墨じみた義血が付着するが、ジラは一向に構いはしなかった。むしろ誉れだ。戦場(いくさば)で敵を討ち取れば、鎧は血に染まるのが道理。血を浴びぬ鎧など恥でしかない。

 ぐちゃりと濡れた音と鉄がぶつかる硬い音を聴き、ジラは程なく訪れる戦いに心躍らせる。このボディに真っ赤な血の花を咲かせたら、どんなに素晴らしいだろう。

さあ、行くぞ、龍神神門。この僕の優位性を証明してやる。 

 

前哨

 ボブ・ホークは青龍門から閉鎖型環境都市(アーコロジー)に侵入後、北側へと回り込み、そこから大仙楼を目指していた。

「ハッハー!」

 抵抗をこともなげに蹴散らし、悠々と歩を進める。それが暴君の権能と、図が高い輩どもを踏みつけ傲岸不遜たる様は、なるほど絶対権力をもった王の姿に見えなくもない。

 小春日和を散策でもする長閑さで、弾丸を吐き出すアサルトライフルの反動を腕一本の力でねじ伏せながら、彼はえも言われぬ陶酔に浸っていた。

 反抗するアサルトライフルを力任せに抑え込むのは、生娘の必死の抵抗を愉しみつつ陵辱を与える感覚に似ている。
 暴れれば暴れるほどに黒い悦びが湧き上がり、それを屈服せしめる愉しみ。性的エクスタシーに加え、火薬が空気を焦がす匂いと飛び散る鮮血の(あか)
 心中で獣が狂い悶えんばかりに暴れ、ボブ・ホークは己の殺傷欲がままに弾丸を撒き散らす。心地よい反動と繁吹(しぶく)く血染めの暴風雨に、視界が白く焼けそうな多幸感は脳内麻薬が見せる桃源郷(ガンナーズハイ)

 ――ガチッ

「ぁん?」

 主の陵辱に抵抗を続けていた突撃カービン銃だったが遂に弾丸(こと)切れたのか、銃爪は頼りなくゆらりふわりと力を失っていた。トリガーハッピーと化していたボブは急速に醒めていく酩酊の興奮に、落胆のため息をついた。

 弾切れを悟った防弾甲冑(ボディーアーマー)を着込んだ白星軍(バイシンジュン)の警備兵が、今が勝機と見て押し寄せてくる。

だが、彼らの様子にボブ・ホークは我知らず、自ら祭壇に供される生贄の健気さに殺害の愉悦と、そして少々の憐憫の失笑を禁じ得なかった。どうやら、彼らは違う殺戮ショー(もよおし)を開いてくれるらしい。

「フフフ、ハッ」

 まずは手始め――。目に付いた警備兵の顔面目掛けて、用済みのカービン銃を叩きつける。

衝撃に耐えられなかった銃身と顔面がそれぞれのパーツを四散するも、残った者もそれを見届ける事なく、この世という舞台から退場していた。
 血風が渦となり、腥血仕立ての竜巻へと化す。臓器ごと人体を無造作に引き千切り、ボブ・ホークはケタケタ嗤い、殺戮の美酒に酔う。
 五指(マニピュレーター)を鉤爪にして掻くと呆気ないほど簡単に分断される人体。一瞬遅れて噴き出す血糊。

 人の身にありえぬ膂力は、彼が脳と脊髄を除くほぼ全ての身体を機化(ハードブーステッド)した総身義体者(パーフェクトサイボーグ)である証左であった。
 一般的に脳と脊髄以外の生体器官(オリジナルパーツ)の七〇%を交換すると総身義体(パーフェクトサイボーグ)と規定されているのだが、ボブ・ホークの義体が占める割合は実に九九%に及ぶ。
 温かく赤い血ではなく、MBと同じ義血で以て駆動するボブ・ホークの義体は、それを統率する人格の冷血さの顕れ。

 ただ単純(ストレート)に強靭、ただ冷酷(シンプル)に兇暴。

 型も何もない野生的な動きは生まれついての強者の(わざ)か。洗練さなど欠片も見せぬ無為でありながら、人のもつ原初の烈しさに任せたそれに抗える者はなく、一人また一人と犠牲を増やし、彼の通った跡は骸敷(むくろじ)きの(みち)となり、荒神の供犠は留まる事を知らない。

「ひ、ひいっ!」

 ふと聞こえた声に顔を上げる。路地の向こう側、ちょうど路地が開けた大通りに立ち竦んだ肉塊を見つけた。
 ややあって己の運命を悟ったか、踵を返して死への逃避行をはかる。
 当然、逃がす理由などない。
 弾けるように跳びかかり、着地点――嗜虐心を煽る哀れな後ろ姿を圧し潰した。如何に頑丈な防弾甲冑(ボディーアーマー)といえども、ボブ程の過剰(ヘヴィー)な総身義体者から見れば病葉に等しい。

 ぐちゃりと濡れた肉が潰れる感触の運ぶ心地好さと、ぽきりと鳴る骨の砕ける小気味よい音の、嗚呼、なんと身も心もとろけそうな芳馨か。このトび方に比べれば紫煙(シガレット)薬物(ドラッグ)など餓鬼の児戯(ママゴト)にも劣る。
 遥かな祖先から受け継いだ狩猟の悦びに比肩しうる快楽など、ボブには女を虐ぐ以外には思い当たらない。アスファルトが血を啜って朱に染まるのを、恍然と眺める。

 しばらく……本人が思うほど長い時間ではなかったかもしれないが、大通りの中心で余韻に耽っていたボブ・ホークの電気的に増幅された聴覚が、ホバーブレイドがアスファルトを断続的に削る音を聞き分けた。

 どうやら、先ほど喰らった生贄どもの反応が消えたとみえ、直ちにMBを回してきたのだろう。

 対環境コートを赤黒く染めたボブ・ホークの義眼が、目深にかぶったフードの翳から濡れた呀を思わせる蒼光()を灯す。

 視線の先に次なる犠牲者――一台のMBを認めるや、機械仕掛けの人型獣は地を這う極端な前傾姿勢で趨る。
 風圧に圧されフードが脱げ、不気味な鬼火を湛えた瞳と面貌の半面を占める黥利目(さけるとめ)(あらわ)になる。細やかな彫り細工で本来の肌の色が分からぬ程に染まった黥利目が、喜悦に歪んだボブ・ホークの凶相をより一層恐ろしいものへと変えている。

 MB――ピクシーがアサルトライフルを構えた瞬間、足元の舗装を圧搾しつつ獣は大通りを横切った。一瞬遅れて、足跡を辿るように銃弾が大地を縫う。
 被弾すれば即死はまぬがれても只では済まないが、MB並みの身体能力を人体スケールに詰め込んだボブには当たりよう筈もない。

 確かにトルクも最大速度も剛性もMBに劣る。だが、靭やかな柔軟さはボブが遥か上をゆく。
 ホバーブレイドなどなくても、その軽さからくる敏捷さだけでボブはピクシーの銃撃の埒外へと趨り去る。飛礫(つぶて)が街灯をへし折り、脚力が街路樹を踏み砕く。
 大通りは戦火の光景へと姿を変えてゆくも、当事者たちは意に介さず、なおも立ち回りを続ける。そのまま大通りを横切り、如何なる魔性の業か、林立する建築物(ビルディング)の壁面を大地に見立ててなお駆け登る。

「ハハハハハッハハ!」

 そのまま眼下のピクシーへと跳躍。重力加速度の手引きに乗って、流星の勢いで墜ちてくるボブを迎撃しようとアサルトライフルを構えたピクシーだが、遅かった。狙いを定めていない銃弾は虚空へと流れ、落下してくる紅い外套を纏った獣をとどめる事はできない。

 ケダモノは妖精(ピクシー)の右肩をもぐ形で、肩部装甲と胴体の間――関節部をピンポイントで踵部を振り抜いた。堅固な特殊合金製の踵骨は、勢いを増した速度の程を知らしめ、鈍器ではなく刃物の切れ味で胴体と右腕を断ち切った。

 蹴撃を受け止めきれずに身を傾いだピクシー背面――前面に比べると柔いそこへと回り込む。

 立て直しを図るピクシーだが、もう遅い。

 ふわりと身を捻りつつ跳んだボブは、螺旋を描いた螺子(ねじ)さながらの穿孔力で蹴りを放った。背面装甲を貫通し、内部(うち)に潜むMBライダーもろとも抉り貫き、足の付け根近くまでピクシーに突き立てた。

 強引に引き抜くと、血とMBの義血に染まった肉塊がこびりついている。刀の血振りよろしく(くう)を薙げば、濡れた音を立てて血肉が舗道へと落ちた。

『大将、そろそろ大仙楼へと乗り込みます』

 鼓膜を震わせた声は、脳内チップ経由でリンクさせていた部下からの通信だ。応じる代わり、獣は大通りの奥に聳える大仙楼を睨む。

 そうだ、今宵の乱痴気騒ぎは始まったばかりなのだ。子供が小石をボールに見立てるが如く足元の肉塊を蹴りつつ、機械仕掛けの獣は鼻唄混じりで塔へと歩き出した。

 最早、地獄絵図の中で生きている人間は一人もいなかった。いるのは、ただ一匹の猛獣(ケダモノ)。サイバネティックスと野生が生み出した、稀代の殺人機械獣(キリングマシンビースト)のみだ。

 この時、獣は気づいていたのであろうか。自身とは違う(ことわり)で怪物へと至った者との邂逅を。

 獣は、己を睥睨する王宮を目指す。 

 

狩猟

 時を同じくして大仙楼入りしたボブは、二台のMBが織り成す削り合いを尻目に非常階段を飛ぶ勢いで駆け上っていた。

 二基並んだエレベーターを見つけたが、反応がない。こちら側がシステムを抑えない限りは使用はできないだろう。

 目指すは、四〇階。現在、飛海(フェイハイ)解放戦線と白星軍(バイシンジュン)の警備兵が一進一退の攻防を繰り広げているフロアだ。

 生身では到底不可能な速さで駆け上り、時折、待ち伏せていた警備兵を血祭りに上げ、獣は血風を道づれに趨る。

 そう時を取らずに四〇階に到達したボブはフロアに通じる鉄扉を蹴り飛ばす。

 広場を挟んで、銃弾の応酬を行う両陣営。電気の供給が滞っているのか、または電灯が破壊されているのか、広場は窓から差し込む飛海城の街燈以外の光源は、発火炎(マズルフラッシュ)とライフルのハードポイントに備え付けられたライト以外はない。

 銃声にも負けぬほどの轟音と共に顕れたボブを見るや、歓喜に沸き立つ解放戦線のメンバー。飛海解放戦線にボブ以上の手練はいない以上、当然ではある。

 新たな闖入者を認めた警備兵がライフルを構えるが、既に遅い。

 義眼の温度感知(サーモグラフィ)機能で、機化(ハードブーステッド)した義体処置者(サイボーグ)と生身の分別を付けていたボブは、まず義体処置者に飛びかかっていた。
 飛び蹴りで壁面へと縫い付けられた義体処置者は、続き頸部を破断する貫手で刎頸の憂き目に合った。マシンライフルの射線から身を沈めた獣は、大気ごと敵対者の脚を(マニピュレーター)で削り取った。
 義血と鮮血が飛び散り、臑から先が宙を舞う。

 位置的にそれを免れた者――義体処置者二人に生身一人は、輪をかけて凄惨だったのかもしれない。

 恐慌のあまり近くで棒立ちになっていた義体処置者は、叩きつけられた両の手刀で鎖骨から腿に至るまでを切り離された。
 鋼化神経を()られて、四肢への命令権を奪われた頭蓋を鷲掴みにされ、強引に脊髄を引きずり出された義体処置者は想像を絶する激痛の余りショック死した。

 脊髄の鋼化されていない神経群が直接ダメージを受けたのだ。四肢を失ったとしても、疼痛もしない義体処置者も、流石に生の神経を痛めつけられればひとたまりもない。

カーボン等で強化された頭蓋に脊髄がつながったオブジェを、一瞥すると生身の警備兵へと投げる。

 肉が潰れる音色を聴きながらも、最後に残った義体処置者へと襲いかかる。
 締めは、そこそこの機化を行っているらしく、襲い来るボブに五月雨じみた拳打で迎撃する。その隙間を縫って、ボブは型も何もない拳を振り下ろす。
 典型的なテレフォンパンチを余裕で躱し、右の拳(ストレート)を交錯するように放る機化兵だったが、ボブはそのまま体ごとぶつかった。

「グッ!」

 ()れる視界と足が宙を掻く感覚を味わいながら、ボブが繰り出す獣の猛攻を必死に捌くしかできなくなった機化兵は、後ろ向きに走る勢いで後退していく。
 途中途中で障害物を蹴飛ばし、または、貫きながらの不格好な舞踏。堰を切った奔流が如き手数は、到底捌ききれるものではない。
 なんとか、殺されぬよう必死の抵抗を試みる機化兵ではあったが、遂に進退極まった。

 背中に硬いものが当たる感覚。

 それが、フロア端の壁である事を悟った機化兵は、己を冥府へ誘う獣の姿を見る。
 絶望を魂の芯まで味わってか、舌舐めずりしながら獣は断崖絶壁の獲物を圧す。

 足が地を求めるが、爪先から感じるのは風圧だけだ。全身を襲う絶望的な浮遊感の正体は、壁面を突き破って眼下の飛海城へ落下中であるという事実だった。

 いくら機化改造を行っていても、この高さから落ちては死を免れない。

 ――何か、何か……?

 生身ではとうに気絶している風圧と慣性の中、機化兵は縋る物を求め、流れる景色の中で、死を回避するすべを探す。今までの人生で、これほどまで何かを求めただろうか。
 だが、現実はどこまでも無情で悲惨だった。むしろ、機化(ハードブーステッド)により、生身では味わえぬ地面との衝突の衝撃まで知り、彼は自らの身体の中で響く脊髄が粉砕される音を聞いて絶命した。

 大仙楼の四〇階から、風圧に身を晒しながら、ボブはその様子を見つめていた。

 彼らが移動した距離は実に数百メートルにも渡った。その距離分、反撃させずに圧し切った獣は、満足そうに嗤うと、元のフロアへ向けて踵を返した。

 脚を断ち切られた者らは、既に解放戦線のメンバーによりナイフで頸を切られ、または口に銃口を咥えさせられていた。その姿は、あたかも屍肉をあさる(とり)の残酷さだ。

「大将、機械室を占領しました。エレベーターが使えます」

 ボブの右腕アシミが駆け寄り、報告する。アシミもまた総身義体者(パーフェクトサイボーグ)である。

「ああ。情報じゃ何階になっていた?」

 アシミが眼球を中空へ向けて、左右へ小刻みに動かす。視覚野に投影した脳内チップからの情報を読んでいる(ヽヽヽヽヽ)独特な眼球の動きだ。

「六二階ですが厄介な事に社長室の直通エレベーターからか、六〇階から階段を使わなければならないようですね」

 主の簡潔な質問の意味を心得ているアシミは、速やかに目標――銀花の少女の座標を応える。

「じゃあ、六〇階までこいつで行くか」

 使用可能になったエレベーターをボブが顎で指すと、アシミが速やかに↑ボタンを押した。